法介の仏教談義8アーカイブ最終更新 2024/09/05 03:111.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ私、法介が仏教について思うところを好き放題に語っていくスレです。前スレ法介の仏教談義1https://talk.jp/boards/psy/1723931604法介の仏教談義2https://talk.jp/boards/psy/1724106933法介の仏教談義3https://talk.jp/boards/psy/1724380746法介の仏教談義4https://talk.jp/boards/psy/1724595106法介の仏教談義5https://talk.jp/boards/psy/1724818929法介の仏教談義6https://talk.jp/boards/psy/1724974421法介の仏教談義7https://talk.jp/boards/psy/17251502262024/09/03 13:28:211000すべて|最新の50件2.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ法介の『ゆゆしき世界』https://talk.jp/boards/psy/1689114927法介の『ゆゆしき世界』パート2https://talk.jp/boards/psy/1689730026法介の『ゆゆしき世界』パート3https://talk.jp/boards/psy/1690197616法介の『ゆゆしき世界』パート4https://talk.jp/boards/psy/1690516862法介の『ゆゆしき世界』パート5https://talk.jp/boards/psy/1690750165法介の『ゆゆしき世界』パート6https://talk.jp/boards/psy/1691015262法介の『ゆゆしき世界』パート7https://talk.jp/boards/psy/1691589307法介の『ゆゆしき世界』パート8https://talk.jp/boards/psy/1691937370法介の『ゆゆしき世界』パート9https://talk.jp/boards/psy/16922363212024/09/03 13:28:513.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJゆゆしき法界 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13:46:2520.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ亦有亦空(流転門)と非有非空(還滅門)の二種の真如2024/09/03 13:47:5921.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ縦型と横型の二種天台が『摩訶止観』で次のように言っている。2024/09/03 13:49:5422.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ「それ一心に十法を具し、一法界にまた十法界を具す、百法界なり。一界に三十種の世間を具し、百法界に即ち三千種の世間を具す。この三千は一念の心に在り。若し心無くんば而巳なん。介爾も心あらば即ち三千を具す。また一心前に在り、一切の法後に在りと言はず。例せば、八相、物を遷(うつ)するがごとし。物、相の前に在らば、物遷されず。相、物の前に在らばまた遷(移さ)されず、前もまた不可なり。後もまた不可なり。ただ物に相の遷るを論じ、ただ相の遷るを物に論ずるなり。今の心もまたかくのごとし。もし一心より一切の法を生せば、これ即ち縦なり。もし心、一時に一切の法を含まば、これ即ち横なり。縦もまた可ならず、横にまた可ならず、ただ心はこれ一切の法、一切の法はこれ心なるなり。ゆえに縦に非ず、横に非ず。一に非ず、異に非ず。玄妙深絶にして識の識るところに非ず。言の言ふところに非ず。ゆえに称して不可思議境と為す」(『摩訶止観』第七章「正修止観章」より)2024/09/03 13:50:0423.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJもし一心より一切の法を生せば、これ即ち縦なり。もし心、一時に一切の法を含まば、これ即ち横なり。2024/09/03 13:51:0524.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ縦もまた可ならず、横にまた可ならず、ただ心はこれ一切の法、一切の法はこれ心なるなり。ゆえに縦に非ず、横に非ず。2024/09/03 13:51:2425.麦◆MUGITANx95DjTRMQd起きろ~♪起きろ~♪リダン起きろ~♪起きないと兵隊さんに怒られる~♪ ∞ノノハ∞ 川^〇^ハレ ~♪ /つ👻とc(O__つhttps://youtu.be/jOegTv3a2h4?si=zWwPBdZo67SApmSx2024/09/03 14:24:5926.名無しさん1eshv>>25むくっ2024/09/03 14:28:2127.リダン◆gEV3xsS//k1eshvコテ外れた2024/09/03 14:28:4028.麦◆MUGITANx95Dju3kO3∞ノノハ∞川^〇^ハレリダンたん お経は縦糸だと鹿野園さんが教えてくれました横糸は?2024/09/03 14:41:3429.リダン◆gEV3xsS//k1eshv>>28横糸?うーんうーんよ〜このいとぉわ〜あ、な、た2024/09/03 14:55:2030.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJピンポン!2024/09/03 14:56:2331.麦◆MUGITANx95DjnCPGQ>>29∞ノノハ∞川^〇^ハレちょっと鹿野園さんに聞いて来るwww2024/09/03 14:56:2732.リダン◆gEV3xsS//k1eshv>>31しらんのかーい2024/09/03 14:56:5533.麦◆MUGITANx95DjjRpt6>>32∞ノノハ∞川^〇^ハレ忘れたぁああ~~~wwwリダンたんの あ・な・た・もしっくりくる♪www2024/09/03 15:02:3834.リダン◆gEV3xsS//k1eshv>>33実は横糸はわ、た、しだった2024/09/03 15:08:1835.リダン◆gEV3xsS//k1eshvうーん縦いとがお経とな2024/09/03 15:10:2036.リダン◆gEV3xsS//k1eshv横糸は仏(観)縦糸と横糸の相続かな2024/09/03 15:12:2537.神も仏も名無しさんAZwA5もともと中国の漢語では「経書」って風に儒教の根幹になる書物について言われて「経」って漢字は縦糸の意味で、織物でそれを基幹としてそこに横糸を重ねていくからそこから古今不変の基幹の書って意味で「経」って言葉が使われたとか仏教が中国に伝来したときに「スートラ」に当たる語をそこから持ってきて翻訳したんだろう2024/09/03 15:37:3538.神も仏も名無しさんAZwA5横糸は「緯」で「緯書」って概念も儒教にはあるが教えの縦糸を支える注釈的な書物が該当するような傾向だろうね仏教ではこれは「経」に対する「論書」って風になるだろう2024/09/03 15:40:0739.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJあれわたしはどこに投下したんだ・・・・2024/09/03 15:41:5540.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ間違って悟りスレに誤爆し続けてた・・・・2024/09/03 15:45:0441.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJまー、麦には伝わっているだろうからいいやー2024/09/03 16:00:4242.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ>>37 >>38そういう説もあるんだー2024/09/03 16:02:4243.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJただ天台智顗が摩訶止観で言っている縦と横は、また別の意味で、2024/09/03 16:03:5444.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ横が時間軸を意味しており、縦が意識の変化を意味しております。2024/09/03 16:05:3945.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ相と物を引き合いに出して一念三千を語っておりますが、2024/09/03 16:07:5846.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ色相は時間経緯で起こる此縁性縁起で起こります。2024/09/03 16:08:4047.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ物とはその相(対象物の姿)を心がどう認識するかといった主観認識の事を言っております。2024/09/03 16:10:4148.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJこの三千は一念の心に在り。若し心無くんば而巳なん。介爾も心あらば即ち三千を具す。また一心前に在り、一切の法後に在りと言はず。例せば、八相、物を遷(うつ)するがごとし。物、相の前に在らば、物遷されず。相、物の前に在らばまた遷(移さ)されず、前もまた不可なり。後もまた不可なり。2024/09/03 16:11:2749.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ八相とはお釈迦さまの八相の事で、2024/09/03 16:13:0150.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ釈迦八相http://www.joukoku-ji.jp/zuikei_1908.html2024/09/03 16:13:2451.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ密教で説かれた「両界曼荼羅」の「胎蔵界曼荼羅」を指していっております。2024/09/03 16:16:5752.リダン◆gEV3xsS//k1eshvおっ俺、正解じゃね?縦糸(お経)時間軸横糸(仏、八相)心2024/09/03 16:23:0453.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ縦と横はこの「両界曼荼羅」の事であろうと推測されるが、どっちがどっちという判断がむずい。2024/09/03 16:24:3154.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ横っているのは流転門、こういう時間経緯で仏教が展開していった此縁性縁起(時間軸で起こる縁起)https://hokekyou.up-jp.com/wp-content/uploads/2021/06/image017.gif2024/09/03 16:27:2955.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ縦ってのは時間軸は関係なく縦に心が変化する相依性で起こる還滅門。https://hokekyou.up-jp.com/wp-content/uploads/2021/06/image023.jpg金剛界曼荼羅がこれにあたる。2024/09/03 16:30:0756.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ横が胎蔵界曼荼羅縦が金剛界曼荼羅と成る訳だが、2024/09/03 16:31:1657.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ天台が言っている相と物の物をどう訳すかが今一つかめない・・・2024/09/03 16:32:2758.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ相が胎蔵界曼荼羅(横)物が金剛界曼荼羅(縦)って、ところかなって感じかな。2024/09/03 16:33:4559.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJとなると釈迦八相が金剛界曼荼羅って事になるなー2024/09/03 16:34:4160.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJああー、そうかそれで良いんだ2024/09/03 16:35:1961.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ相が胎蔵界曼荼羅(横)--- 相待妙物が金剛界曼荼羅(縦)--- 絶待妙ってところでしょう。(法介説)2024/09/03 16:36:2062.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ金剛界曼荼羅っていうのは仏の智慧の部分を図解したもの2024/09/03 16:37:0063.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ仏の智慧は三三九諦で顕現される。>>552024/09/03 16:37:5064.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJもし一心より一切の法を生せば、これ即ち縦なり。もし心、一時に一切の法を含まば、これ即ち横なり。ってあるでしょ。心で生じるのが縦(相依性)時に依って生じるのが横(此縁性)2024/09/03 16:46:4765.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ縦もまた可ならず、横にまた可ならず、ただ心はこれ一切の法、一切の法はこれ心なるなり。の意味は、縦(相依性)=主観横(此縁性)=客観2024/09/03 16:49:1666.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ 客体(見られる側)=モノのあり様 --- ① 主体(見る側) =認識のあり様(主観と客観)--- ②②は人間が自身の主観と客観で勝手に造り上げている妄想現実2024/09/03 16:50:4067.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ天台が「縦もまた可ならず、横にまた可ならず」と言っているのは、2024/09/03 16:51:3068.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ凡夫視点の主観と客観は真実の世界を見ていない(妄想現実)と言い、2024/09/03 16:52:1969.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ「ただ心はこれ一切の法、一切の法はこれ心なるなり。」心から起こる有漏法と無漏法から一切法はなります。2024/09/03 16:54:3770.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJゆえに縦に非ず、横に非ず。2024/09/03 16:55:2571.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ無我の解釈が正しく理解出来ている人にしかこの天台智顗の文句の意味は分からないと思います。2024/09/03 16:59:5072.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ無我とは、自身の自我で思っているあなたは本当の(真実の)あなたではありません。縁起で観て初めて真実のあなたの姿が観えて来ます。というものです。2024/09/03 17:01:5173.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ自身の自我意識を空じる事で自我による認識から縁起による認識に意識が変わる(転識)2024/09/03 17:02:5474.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ 客体(見られる側)=モノのあり様 --- ① 主体(見る側) =認識のあり様(主観と客観)--- ②が2024/09/03 17:05:5175.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ 客体(見られる側)=モノのあり様 --- ① 主体(見る側) =認識のあり様(相依性縁起と此縁性縁起)--- ③に変わる2024/09/03 17:06:0876.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ①が天台智顗がいう相②が天台智顗がいう物2024/09/03 17:07:5077.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ物の方は、例せば、八相、物を遷(うつ)するがごとし。物、相の前に在らば、物遷されず。相、物の前に在らばまた遷(移さ)されず、前もまた不可なり。後もまた不可なり。ただ物に相の遷るを論じ、ただ相の遷るを物に論ずるなり。2024/09/03 17:08:5978.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ※遷る=状態や傾向などが変わる2024/09/03 17:10:4379.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJでは、前スレでリダンに言っておりました内容を今からお話してまいります。2024/09/03 17:35:0080.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ『法華経』に至って初めて仏の覚りの具体的内容が明かされます。2024/09/03 17:36:1481.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJお釈迦さまがどのようにして真如の世界に入られたか。2024/09/03 17:36:5282.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ虚空絵の話は以前にお話したかと思います。2024/09/03 17:37:2983.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ法華経見宝塔品第十一で、お釈迦さまが三度にわたり国土を浄化したこと。(三変土田)2024/09/03 17:38:5784.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJこれは三界を区切っていた空観を取っ払ってまず、空観を一つに集約されております。2024/09/03 17:40:4185.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ九次第定で言うところの空無辺処に入られた訳です。2024/09/03 17:43:2186.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ次に、お釈迦さまは久遠より地涌の菩薩達を呼び寄せます。2024/09/03 17:54:5587.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJこれは現在・過去・未来といった三世にわたる時の流れを完全に空じられている訳です。2024/09/03 17:56:2488.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ時の流れは自我によって生じる出来事です。2024/09/03 17:57:1989.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ自我を完全に空じる事で末那識がクリアー化され、2024/09/03 17:59:5990.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJクリアー化された末那識にあっては時の流れは起こりません。2024/09/03 18:00:5791.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJそれにより、阿頼耶識に貯蔵されている全ての(全人類の)業(行いの記録)を観てとる事が可能と成ります。2024/09/03 18:02:4692.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ言い換えれば、過去の出来事を自由に引き出せる訳です。2024/09/03 18:03:3193.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ人間、死を迎える時、走馬灯のように自身の人生が蘇って観えると言います。2024/09/03 18:04:1794.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJそれが自身の人生だけではなく、全人類の今に至るまでの出来事がどっからでも引き出せるという事です。2024/09/03 18:05:2295.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJそれが識無辺処。2024/09/03 18:05:4696.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ次に多宝如来が顕れます。2024/09/03 18:06:0897.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ『法華経』を説いているお釈迦さまは、肉体を持った応身仏です。2024/09/03 18:07:4598.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ応身仏とは、人間の認識に応じて顕れる仏です。2024/09/03 18:08:1299.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJなのでこの場合、お釈迦さまは人間です。2024/09/03 18:08:39100.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJそれに対し顕れた多宝如来は人間を超えた存在です。2024/09/03 18:09:22101.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ唯識で後得智の事を片眼凡夫、片眼仏と言いますが、それがこの人間釈迦(片眼凡夫)、多宝如来(片眼仏)といった九次第定の「無所有処」に入られたことを意味しております。2024/09/03 18:12:03102.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ九次第定では次に「非想非非想処」に入る訳ですが、虚空絵ではそれがどのように描かれているか。2024/09/03 18:14:06103.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJまずこの「非想非非想処」がどういった処なのかと言いますと、2024/09/03 18:15:10104.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ天台智顗は「非想非非想処」を〝非有非空〟で入る処と論じております。2024/09/03 18:16:36105.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ有(凡夫の仮観)でも空(仏の空観)でもないと。2024/09/03 18:18:38106.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ先の「無所有処」は、有(凡夫の仮観)でもあり空(片眼仏)でもあるといった世界(処)です。これは「片眼凡夫、片眼仏」で観る世界観です。2024/09/03 18:20:28107.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJそれ(無所有処)を空じた世界観が〝非有非空〟で入る「非想非非想処」です。2024/09/03 18:21:30108.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ具体的に言えば、真如の世界です。2024/09/03 18:21:53109.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ非空なので縁起も起きません。※空=縁起2024/09/03 18:22:45110.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ非有なので人為的要因からも離れております。(無為)有為=人為的2024/09/03 18:23:50111.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJこの九次第定は、小乗の九次第定と大きく違っている点があります。それは何かと言いますと、2024/09/03 18:25:37112.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ小乗の九次第定ではこの時点で意識は止滅しております。2024/09/03 18:26:22113.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ上座部が行う瞑想はサマタ瞑想で、これは感覚器官を全て停止させる瞑想です。2024/09/03 18:28:12114.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJこちらのテーラワーダ協会のサイトで無色界禅定の内容が紹介されております。https://j-theravada.com/world/study/pali-sutta3-2/2024/09/03 18:31:27115.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ無色界等至は四つ五番目に、対象に対する意識(rūpasaññā)を完全に超え、(対象に)触れるという意識(patighasaññā)をなくし、あれこれ定まらずに意識することも止めて、「虚空は無辺である」という空無辺処に達します。2024/09/03 18:31:58116.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ六番目に、空無辺処を完全に超え、「識は無辺である」という識無辺処に達します。「物質対象に何にも触れない、触れない」と外に心を向けていた空無辺処から、逆に心そのものに心を向けて、心自体が、何にも遮られることのない、限りないものだと、対象に触れず、ほとんど揺れ動きもしない心だけを、ただ味わいます。2024/09/03 18:32:51117.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ七番目に、識無辺処を完全に超え、「何もない(空)」という無所有処に達します。 心だけ、ということさえ意識しない「何もない」状態の禅定です。2024/09/03 18:33:09118.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ八番目に、無所有処を完全に超え、非想非非想処に達します。何も意識しない心さえなくしてみようと、意識はおろか、意識しようとする衝動「想(saññā)」さえ起こさせない、でもそれさえも完全に起こらないのは心自体が滅することでちょっと不可能で、実際には想が起こるのか起こらないのか分からないほど微かにして、もちろん意識などは全く起こらない状態にまで達します。世俗的に言えば仮死状態のような、意識しようとする衝動さえ起こさないよう抑えられている禅定が、この、色界禅定を超えた無色界等至の最高の状態です。2024/09/03 18:33:55119.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJそして最後にニルバーナ(涅槃)に入ります。最後に九番目の禅定を説明しないといけません。これだけは、今の世界では釈尊より前には誰にも達せられていませんでした。想受滅とか滅尽定などと呼ばれていて、想がはたらいているかどうかも分からない非想非非想処からさらに進んで、想で全ての触れることの滅を感受して、それでお終いになるのです。後は滅だけで、想もない状態です。全ての感受を断ち切った、究極の「楽」です。2024/09/03 18:35:32120.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ本来の小乗の九次第定はこの無の状態で死を迎える事で六道輪廻からの解脱を成し遂げます。(無余涅槃)2024/09/03 18:36:51121.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJしかし、テーラワーダでは自分たちの都合の良い言い分に変えて、これを有余涅槃として悟りの境地に入ったなどと言っておられます。2024/09/03 18:38:22122.リダン◆gEV3xsS//k24CT7ごめん多宝如来オーバーソウル釈迦がいったい菩薩に何を説いたか掻い摘んで引用してくれませんか2024/09/03 18:40:32123.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ大乗の龍樹や無著などが禅定で天上界に入り、そこで説法を聴聞して来たのはこの小乗の無余涅槃に至る九次第定ではありません。2024/09/03 18:41:05124.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ>>122了解、でもちょい待っといて。この話のきりの良いところも少しだから。2024/09/03 18:42:33125.リダン◆gEV3xsS//k24CT7>>124あざす2024/09/03 18:44:17126.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ龍樹や無著はサマタ瞑想の九次第定ではなく、サマタ瞑想+ヴィパッサナー瞑想の止観を用いた九次第定で四禅天に昇って行ったのです。2024/09/03 18:44:17127.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJサマタ瞑想(色界禅定)+ヴィパッサナー瞑想(三昧)色界禅定=止三昧法=観2024/09/03 18:45:37128.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJなので虚空絵におけるお釈迦さまも意識は働いております。(ヴィパッサナー瞑想)2024/09/03 18:46:36129.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJでは、リダンの質問ですがそこでお釈迦さまは菩薩や縁覚・声聞の弟子達にどのような事を説かれたのか。2024/09/03 18:48:34130.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ(前に聞いた部分もあるかと思うがそこは我慢して聞いててくれ)2024/09/03 18:52:29131.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ『法華経』涌出品第十五で地涌の四菩薩が出現した時の様子を日蓮大聖人が『開目抄』の中で解りやすく述べておられますので現代語訳で紹介します。2024/09/03 18:52:54132.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJまず、お釈迦さまの『法華経』説法を聴聞していた弟子達が、2024/09/03 18:53:08133.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ「お釈迦さま、仏が世を去られた後のこの娑婆世界にあっては、努力し雑念を去り仏道修行に専心してこの経典を護持し、読み節をつけて唱え、書写し、供養する役目を課されるならば、私達弟子は、この土において、必ずこれを広く説いて奉ります!」2024/09/03 18:55:36134.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJと熱い決意を訴えるのですが、お釈迦さまは何とこれを退けます。2024/09/03 18:55:50135.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ「止めよ、弟子達よ、おまえたちはこの経を護持しなくてもよい」2024/09/03 18:56:19136.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJそう言われて弟子達が「えええ! 何で~!」2024/09/03 18:56:36137.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJとショックに打ちひしがれていると、2024/09/03 18:56:46138.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ大地が激しく震動して裂け、そこから金色の光彩を放って無数の地涌の菩薩が出現します。2024/09/03 18:57:08139.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJその菩薩達は身体が皆金色で、仏のみが備えている三十二のすぐれた身体的特徴を具えていた。2024/09/03 18:57:22140.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ『開目抄』より その上に地涌千界の大菩薩が大地より出来した。釈尊にとっては第一の御弟子と思われる普賢菩薩・文殊師利菩薩等すら比較にならない偉大さである。華厳・方等・般若・法華経の宝塔品に来集した大菩薩や大日経等の金剛薩埵等の十六人の大菩薩なども、この地涌の菩薩に比べると、猿のむらがっている中に帝釈天が来たようなものである。あたかも山奥の樵夫・杣人の中に月卿等の貴人がまじわっているのと同様であった。釈迦仏のあとを嗣ぐといわれた弥勒すら、なお地涌の出現に惑われた。しかしてそれ以下の者の驚きと当惑はひじょうなものであった。この千世界の大菩薩の中に四人の大聖がましました。いわゆる上行・無辺行・浄行・安立行であらせられる。2024/09/03 18:57:43141.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJそこに出現した地涌の菩薩達は、帝釈天が顕れたのかと見間違う程で、その場に居合わせた普賢菩薩や文殊菩薩等が猿に見えてくる程の素晴らしいお姿であったと。2024/09/03 18:58:46142.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ中でも先頭に立つ四菩薩は、 この四人は虚空会および霊山会に来集している諸菩薩等が、眼をあわせることも心のおよぶこともなかった。華厳経の四菩薩・大日経の四菩薩・金剛頂経の十六大菩薩等も、この菩薩に対すれば翳眼のものが太陽をまともに見られないごとく、いやしい海人が皇帝に向い奉るような状態であった。太公望等の四聖が大衆の中にいるごとく、商山の四人の君子が漢の恵帝に仕えたのと異ならない。じつにぎぎ堂々として尊高であった。釈迦・多宝・十方分身の諸仏をのぞいては、一切衆生の善知識ともたのみ奉るべきであろう。という程のものでした。2024/09/03 18:59:08143.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJそして弥勒菩薩は心の中で次のように思った。2024/09/03 18:59:21144.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ 自分は釈迦仏が出家する以前の太子であった時から、三十歳で成道し、いまの霊鷲山で法華経の説法が開かれるまでの四十二年のあいだ、この世界の菩薩も十方世界より来集した菩薩もみなことごとく知っている。またその上に十方の浄土へも穢土へも、あるいはお使いとしてあるいはみずから遊びに行って、その国々の大菩薩も見聞して知っている。しかしこの地涌の大菩薩はいまだかつて見聞したことがない。この大菩薩のお師匠はどのような仏さまであろうか。よもこの釈迦・多宝・十方の分身の諸仏には似るべくもない仏さまであらせられるであろう。雨の猛烈に降るを見て竜の大なることを知り、華の大きく盛んなるを見てこれを育てている池の深いことは知られるであろう。これらの大菩薩はいかなる国から来て、また誰と申す仏にあい奉り、いかなる大法をか修習し給うているのか。2024/09/03 18:59:32145.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJそう内心で疑わざる負えなかった弥勒菩薩は、あまりの不思議さに声を出すことすらできなかったが、仏力の加護によるのであろう、つぎのように質問した。2024/09/03 19:00:07146.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ「無量千万億の大衆のもろもろの菩薩は、昔よりいまだかつて見たことのないところである。このもろもろの大威徳・大精進の菩薩衆に対して、だれがそのために法を説いて教化して仏道を成就せしめたのか。誰にしたがって初めて発心し、いずれの仏法をか称揚して修行を積んできたのか。世尊よ、われ昔よりこのかたいまだかつてこのことを見たことがない。願わくば、その住する国土の名を説き聞かせてください。自分はつねに諸国に遊んできたが、いまだかつてこの事を見たことがない。自分はこの地涌の大衆を見てもひとりも知っているひとはない。忽然として大地より涌出せられた。願わくばその因縁を説いてください」2024/09/03 19:00:38147.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ「願わくばその〝因縁〟を説いてください」と。2024/09/03 19:01:46148.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJここで日蓮大聖人は天台や妙楽の言葉を紹介されております。2024/09/03 19:03:12149.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ 天台いわく「寂滅道場における最初の説法より以来、法華経の座にいたるまで十方の大菩薩が絶えず来会してその数は限りないとはいえ、自分は補処の智力をもってことごとく見、ことごとく知っている。しかれどもこの衆においてはひとりをも知らず。しかるに自分は十方に遊戯して諸仏にまのあたり奉仕し、大衆によく識知せられているのである」と。妙楽はさらにこれを釈していわく「智人は将来起こるべきことを知るが愚人は知らない。蛇の道は蛇で、蛇はみずから蛇を知っている」と、このように経文も解釈も説明するところの意味は分明である。要するに初成道より法華の会座にいたるまで、この国土においてもまた十方国土においても、これらの大菩薩を見たてまつらず、また聞いたこともないというのである。2024/09/03 19:03:38150.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJお釈迦さまは弥勒菩薩の質問に答えて言います。2024/09/03 19:04:49151.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ「弥勒よ、なんじらが昔より未だ見たことのないというこれらの大菩薩たちは、自分がこの娑婆世界において成仏してよりこのかたこの諸々の菩薩を教化し、指導して、その心を調伏して大道心をおこさしめたのである」と。またいわく「われは伽耶城の菩提樹の下に坐して、最正覚を成ずることを得、しかして無上の法輪を転じ、これらの大菩薩を教化して初めて道心をおこさしめ、いまはみな不退の位に住している。乃至自分は久遠よりこのかたこれらの衆を教化した」と涌出品に説き明かしている、これはすなわち略開近顕遠である。2024/09/03 19:05:01152.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ法輪という言葉が出てきますがこれは四諦の法輪説法(三転法輪)の事です。2024/09/03 19:06:19153.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ久遠における本因本果をお釈迦さまは、弥勒に対してここでは「略開近顕遠」という用語で略して語っておられます。2024/09/03 19:07:31154.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJしかし、弥勒等の大菩薩はここで大いに疑いを抱いた。2024/09/03 19:07:48155.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJお釈迦さまが『華厳経』を説かれた時、法慧等の無量の大菩薩が集まった。いかなる人々かと思われた時に、仏はわが善知識であると仰せられたから「そうかもしれない」とその時は思っていた。2024/09/03 19:08:18156.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJその後の大集経を説いた大宝坊や、大品般若経を説いた白鷺池等に集まってきた大菩薩もまた仏の善知識であるように思われた。2024/09/03 19:08:36157.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJしかし今、地から湧き出て来たこの「地涌の菩薩」達は、彼らには似もつかぬ古くて尊げに見える。定めて釈尊のご師匠かなどと思われるのに「初めて道心をおこさしめた」と説いて、かつては幼稚のものであったのを、教化して弟子としたなどと仰せられたことは、大なる疑いである。2024/09/03 19:08:47158.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ日蓮大聖人は、この弥勒の疑いの心を次のようにご説明なされておられます。2024/09/03 19:09:18159.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ日本の聖徳太子は人王第三十二代用明天皇の御子である。御年六歳の時、朝鮮半島や中国大陸から渡ってきて学問技芸等を伝来した老人たちを指して「わが弟子なり」とおおせられたので、かの老人たちはまた六歳の太子に合掌して「我が師であらせられる」といったというが、実にふしぎなことである。外典にはまたつぎのような話がある。ある人が道を行くと路傍において、三十歳ばかりの若者が八十歳ばかりの老人をとらえて打っていた、どうしたことかと問えば「この老人はわが子である」と青年が答えたという話にも似ている。2024/09/03 19:09:31160.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJお釈迦さまの言うことが信じられない弥勒菩薩等は更に疑って言った。2024/09/03 19:10:05161.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ「世尊よ、如来は太子であらせられた時、釈の宮を出で、伽耶城を去ること遠からずして道場に坐して悟りを開かれたのである。それよりこのかた始めて四十余年を過ぎたのであるが、世尊よ、いったいどうしてこの少ない期間にこのような偉大な菩薩大衆を化導しておおいなる仏事をなしとげられたのか」2024/09/03 19:10:29162.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJと。一切の菩薩を始め、華厳経より四十余年、それぞれの時々に疑いを設けて一切衆生の疑いを晴らせてきた中に、この疑いこそもっとも第一の疑いである。無量義経において大荘厳菩薩等が四十余年の爾前経は歴劫修行であり、無量義経にいたって始めて速疾成仏道と説かれて生じた疑いにもまさる大疑である。2024/09/03 19:11:23163.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ日蓮大聖人はその疑いがどれ程のものであったかを次のような話を用いて説明されます。2024/09/03 19:11:37164.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ 観無量寿経において韋提希夫人が子息の阿闍世王に殺されようとし、しかも夫人の夫で阿闍世の父たる頻婆沙羅王が幽閉されて殺されたのは、阿闍世が提婆達多を師としたからである。阿闍世は韋提希夫人をも殺そうとしたが耆婆と月光の二人の大臣に諌められて、これを放ったが、この時に夫人は釈尊に会ってまず第一の質問に「自分の過去世になんの罪業があって、このような悪子を生んだのか。世尊はまたなんの因縁があって提婆達多のごとき悪人と従兄弟の間柄に生まれてきたのか」と、この疑いの中に「世尊はまたなんの因縁があって……」等の疑いは大なる大事である。転輪聖王は敵とともに生まれず、帝釈は鬼とともにいないといわれているが、仏は無量劫以来の大慈悲者であらせられるのになにゆえに大悪逆の達多とともにいるのか。かえって仏ではないのであろうかと疑ったのである。しかれどもその時に仏は答えなかった。されば観経を読誦する人は、法華経の提婆品に来て初めて説き明かされる因縁を聞かなければなんにもならないのである。大涅槃経に迦葉菩薩が三十六の質問を出しているが、それも涌出品におけるこの弥勒の疑いにはおよばない。2024/09/03 19:11:47165.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ「法華経の提婆品に来て初めて説き明かされる〝因縁〟」2024/09/03 19:13:56166.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ仏がこの疑いを晴らさなければ、釈迦一代の聖教はことごとく泡沫となり、一切衆生は疑いの網にかかってしまうであろう。しかるに、この疑いに正しく答えられた寿量の一品が大切なる理由はこのゆえである。2024/09/03 19:14:15167.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJと大聖人は仰せになり、つぎの寿量品の〝広開近顕遠〟をもってより具体的にそして明確に「本因本果」が説き明かされていきます。2024/09/03 19:14:53168.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ「本因本果」とは、仏の覚りを得るに至った本当の因と果の事。2024/09/03 19:15:52169.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ「広開近顕遠」とは、「広く近を開いて遠を顕す」と読む。広く始成正覚の立場を開いて、釈尊の久遠の成道を明かしたことを言う。2024/09/03 19:18:56170.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ法華経如来寿量品第十六で「一切世間の天・人、及び阿修羅は、皆今の釈迦牟尼仏は釈氏の宮を出でて、伽耶城を去ること遠からず、道場に坐して、阿耨多羅三藐三菩提を得たまえりと謂えり。/然るに善男子よ。我は実に成仏してより已来、無量無辺百千万億那由他劫なり」と説かれたことをさす。2024/09/03 19:20:02171.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ「善男子よ。我は実に成仏してより已来、無量無辺百千万億那由他劫なり」と菩薩達に説いた。(リダンへの回答)2024/09/03 19:21:13172.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJこれがどういう事を意味するのかを詳しくお話します。2024/09/03 19:21:59173.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ『開目鈔』に、本門にいたりて始成正覚をやぶれば、四教の果をやぶる。四教の果をやぶれば、四教の因やぶれぬ。爾前迹門の十界の因果を打やぶて、本門十界の因果をとき顕す。此即本因本果の法門なりとあります。2024/09/03 19:23:14174.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ蔵・通・別・円の四教の教えは全て因果を説いたものでした。しかしその「爾前迹門の十界の因果」を打やぶって「本門十界の因果」が法華経如来寿量品第十六で説き明かされます。2024/09/03 19:24:38175.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJお釈迦さまは、弥勒や声聞の弟子達と因縁を交わした三千塵点劫よりも遥か遠い久遠において、既に成仏していたと。2024/09/03 19:26:31176.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ久遠=五百塵点劫(計り知れない程の遠い昔)2024/09/03 19:27:19177.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ法華経如来寿量品第十六で説き明かされた「本因本果」は、①蔵・通・別・円の四教で示して来た〝因果〟を打ち破った「因果」なんです。②①久遠実成②始成正覚と三千塵点劫の因縁2024/09/03 19:30:04178.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ有為の因果ではなく、無為の因果が『法華経』本門では明かされます。2024/09/03 19:30:48179.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ無為の因果がどのように明かされていくか、2024/09/03 19:31:14180.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJちょっと休憩を挟んでからお話しします。2024/09/03 19:31:45181.リダン◆gEV3xsS//k24CT7むっず2024/09/03 19:45:41182.リダン◆gEV3xsS//k24CT7取り敢えずお釈迦様は久遠の果てから仏やったとそのときに教化したんが地桶の菩薩としかし相変わらず弥勒菩薩はおいしい立場やな2024/09/03 19:56:28183.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJここまで話した内容は、文上の話ね。2024/09/03 20:23:30184.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ文上=経文に書かれている内容。2024/09/03 20:23:52185.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ文上はまだ続きがあるんだけど取り合えずここまでの内容で、2024/09/03 20:24:32186.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ文底で密教として説かれている内容が幾つかあります。2024/09/03 20:25:07187.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJその部分を天台や日蓮さんが解説しております。2024/09/03 20:25:30188.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJまず、弥勒菩薩は、三千塵点劫で大通智勝仏と結縁し、釈迦の時代には天上界に転生して菩薩となっている身です。2024/09/03 20:27:22189.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ声聞の弟子達は同じく三千塵点劫で大通智勝仏と結縁したのですが、不信を起こして退転し、釈迦の時代に再び仏道に戻って来た衆生。2024/09/03 20:28:41190.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJで、この前お話しましたが、その菩薩まで昇り詰めている弥勒菩薩。2024/09/03 20:29:24191.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ別教で唯識の元となった『解深密経』も説いたあの弥勒菩薩。2024/09/03 20:30:20192.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJその弥勒菩薩が地涌の菩薩を今まで一度も見たことが無いと!2024/09/03 20:30:47193.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJそれが何を意味しているか(文底の意味)2024/09/03 20:31:08194.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJここで文底で説かれている事は、2024/09/03 20:31:27195.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ弥勒菩薩は未だ真如の世界に入った事がないという事実。2024/09/03 20:32:18196.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ唯識思想を説いた弥勒がだぞ。2024/09/03 20:32:44197.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJという事は、阿弥陀三昧では真如の世界には入る事は出来ていないという事がここで文底で示されている。2024/09/03 20:33:55198.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ真如の世界に入れていれば、地涌の菩薩知っているはず。2024/09/03 20:34:35199.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ次に、2024/09/03 20:34:47200.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ久遠が明かされている事。2024/09/03 20:35:05201.リダン◆gEV3xsS//k24CT7なるほど2024/09/03 20:35:11202.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ五百塵点劫の成道の事を「久遠実成」と言うが、2024/09/03 20:36:31203.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJそれに対し、お釈迦さまがインドの菩提樹の下で覚りを得た事を「始成正覚」という。2024/09/03 20:37:28204.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ起信論で言う「本覚・始成」は、本当はこの事を言っている。2024/09/03 20:38:22205.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ落ちこぼれの不出来の僧侶が起信論のそれを「元から仏だ」とか勘違いして解釈し本覚思想を造り出した。2024/09/03 20:39:49206.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ天台は本来、「始成正覚」と「久遠実成」を説いている。2024/09/03 20:40:28207.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJこの「始成正覚」と「久遠実成」の事を「三五の法門」と言う。2024/09/03 20:41:05208.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJこの三五の法門の意味するところを日蓮さんがどのようにひも解いているか(文底)2024/09/03 20:41:56209.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJそれを少々お話します。2024/09/03 20:42:16210.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJその前に「本因本果の法門」ね。2024/09/03 20:44:52211.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ『十法界事』に次のような御文があります。2024/09/03 20:45:03212.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ「迹門には但是れ始覚の十界互具を説きて未だ必ず本覚本有の十界互具を明さず故に所化の大衆能化の円仏皆是れ悉く始覚なり、若し爾らば本無今有の失何ぞ免るることを得んや、当に知るべし四教の四仏則ち円仏と成るは且(しばら)く迹門の所談なり是の故に無始の本仏を知らず、故に無始無終の義欠けて具足せず」2024/09/03 20:45:13213.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ現代語訳は次の通りです。 迹門には、ただ始成正覚の十界互具を説いただけで、未だ本覚本有の十界互具を明かしていない。ゆえに教化される大衆も教化する円仏もすべて今始めて覚るという立場である。もしそうであるなら、本無くして今有るという欠陥をどうして免れることができようか。まさに知りなさい。蔵・通・別・円の四教の四仏が円仏となるというのは、一往の立場で迹門の説いたものである。このゆえに迹門では無始の本仏を知らない。ゆえに無始無終の義が欠けて具足していない。2024/09/03 20:45:34214.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ御文の中の「本無今有」とは「本無くして今有る」と読み、現在における結果だけがあってその因が示されていないということです。2024/09/03 20:46:09215.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ今世で初めて仏に成ることを「始成正覚」と言いますが、迹門ではその始成正覚の立場で一念三千の法門が示されています。2024/09/03 20:46:35216.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ仏法では因果を説きます。因位の修行を積んでその報いとして果位の悟りが得られます。お釈迦様が仏になられた因位は、久遠における菩薩行であってそれは本門に至って初めて語られます。2024/09/03 20:47:07217.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJどうして迹門では因位をかくして果位だけを明かされたのでしょうか。その答えが『寿量品得意抄』に示されています。2024/09/03 20:47:35218.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ「本門寿量品に至つて始成正覚やぶるれば四教の果やぶれ四教の果やぶれぬれば四教の因やぶれぬ、因とは修行弟子の位なり、爾前迹門の因果を打破つて本門の十界因果をときあらはす是れ則ち本因本果の法門なり、九界も無始の仏界に具し仏界も無始の九界にそなへて実の十界互具・百界千如・一念三千なるべし」『寿量品得意抄』2024/09/03 20:47:46219.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ迹門で示された「仏の空・仮・中」はお釈迦様の四教(蔵・通・別。円)の中で示された四仏の姿で、『一代五時鶏図』に示された、2024/09/03 20:48:58220.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ ┌応身───有始有終(蔵)始成の三身┼報身───有始無終(通) │├真言大日等 (別) └法身───無始無終(円)2024/09/03 20:49:18221.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJの仏の三身です。この四仏の中の大日法身について大聖人様は、『法華真言勝劣事』で次のように述べられています。2024/09/03 20:49:45222.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ「いま大日経ならびに諸大乗経で説く「無始無終」は法身の無始無終であり、三身の無始無終ではない。法華経で説く「五百塵点劫」は諸大乗経が破らなかった伽耶城近くで始めて成道したという教えを打ち破った五百塵点劫の成道である。」2024/09/03 20:49:57223.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ応身・報身・法身の三身が共に無始無終であって真実の「仏の空・仮・中」と成りえます。2024/09/03 20:50:18224.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ『一代五時鶏図』の始成の三身の隣に久遠実成のお釈迦様の三身の図が次のように示されています。2024/09/03 20:50:28225.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ ┌応身┐久成の三身 ┤報身├──無始無終 └法身┘2024/09/03 20:50:41226.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ迹門で示された始成の三身は、法身だけが無始無終であって三身が無始無終でないので本仏とは言えません。2024/09/03 20:51:03227.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ本門でこの久成の三身を示すことで『寿量品得意抄』で仰せのように「四教の因」を打ち破っているのです。2024/09/03 20:51:19228.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ四教の因とは「修行弟子の位なり」と仰せの通り、爾前迹門の教え(修行)のことで、それらを悉く打ち破っているのです。2024/09/03 20:51:43229.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJこのように本門で久遠実成を明かして成仏の本因を明かすことで仮の教えとして用いた爾前権教の教えを打ち破る事を「本因本果の法門」と言います。2024/09/03 20:52:01230.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ始成の三身と久成の三身(久遠の三身)この違いの意味、リダン解ったか?2024/09/03 20:53:58231.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ始成の三身は因果〝異時〟久成の三身は因果〝具時〟2024/09/03 20:55:33232.リダン◆gEV3xsS//k24CT7>>230なんとなく分かった2024/09/03 20:55:49233.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJなぜ三身が全て無始無終でなければいけないか。それは、2024/09/03 20:57:04234.リダン◆gEV3xsS//k24CT7まあ周辺の解説と文低は分かったんで肝心の釈迦は地桶の菩薩の説明だけ?2024/09/03 20:57:22235.リダン◆gEV3xsS//k24CT7>>233それは?2024/09/03 20:57:52236.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJこの三三九諦の構図(還滅門)が関わってくる。https://hokekyou.up-jp.com/wp-content/uploads/2021/06/image023.jpg2024/09/03 20:59:26237.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ三身がともに無始無終でなければ一仮一切仮一空一切空一中一切中が無始無終=無為にならない。2024/09/03 21:01:38238.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ無為を因としないと如来とはならない。2024/09/03 21:02:05239.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ始成の三身は、法身だけが無始無終。2024/09/03 21:03:20240.リダン◆gEV3xsS//k24CT7ふんふん2024/09/03 21:04:13241.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJだから、蔵・通・別・円の時間軸で展開された三千塵点劫の因果は、因果異時。2024/09/03 21:04:42242.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ蔵・通・別・円の時間軸で展開された三千塵点劫の因果=相待妙(流転門)2024/09/03 21:05:18243.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ『法華経』の本門に至って初めて因果具時が解き明かされる。2024/09/03 21:05:55244.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJその本門の十界の因果を今から説明します。2024/09/03 21:06:33245.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJまず、文上から。2024/09/03 21:06:49246.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ「我本行菩薩道 所成寿命 今猶未尽」(我もと菩薩の道を行じて、成ぜし所の寿命、今なお未だ尽きず)2024/09/03 21:08:44247.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ↑法華経如来寿量品第十六で示された文句。2024/09/03 21:09:24248.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJこの文句の文底の意味は、2024/09/03 21:10:05249.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ法華経本門において五百塵点劫より呼び出だされた地涌の菩薩は、菩薩でありながら仏の32相を備え持っていた。2024/09/03 21:11:20250.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJという事は、菩薩の52位の中の51位である仏と同等の覚りを得た等覚の菩薩にあたります。2024/09/03 21:14:07251.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJこの「等覚」の菩薩は、〝菩薩でありながら仏〟である、「九界即仏界」の十界互具の姿でした。2024/09/03 21:14:56252.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ「十界互具の姿」ね。2024/09/03 21:15:24253.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ「九界も無始の仏界に具し仏界も無始の九界に備りて・真の十界互具・百界千如・一念三千なるべし」の『開目抄』の御文が示すところです。2024/09/03 21:15:49254.リダン◆gEV3xsS//k24CT7十界互具=地桶の菩薩?2024/09/03 21:16:07255.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJその菩薩でありながら「仏」の「九界即仏界」の上行菩薩に対し、2024/09/03 21:16:12256.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ>>254 そう。2024/09/03 21:16:29257.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ「九界即仏界」の上行菩薩(地涌の菩薩)ね。2024/09/03 21:16:55258.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ久遠の釈迦は、2024/09/03 21:17:23259.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ「我本行菩薩道 所成寿命 今猶未尽」(我もと菩薩の道を行じて、成ぜし所の寿命、今なお未だ尽きず)2024/09/03 21:17:35260.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJと、仏でありながら菩薩の道を行ずる「仏界即九界」の姿が示されています。2024/09/03 21:17:46261.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ「仏界即九界」の姿 ね。2024/09/03 21:18:02262.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ仏界と九界とが、かけ離れている爾前迹門の「厭離断九の仏」ではなく、九界の中に仏界を具そくする十界互具の「菩薩」と、仏界の中に九界を具そくする十界互具の「仏」な訳です。2024/09/03 21:18:56263.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJなので、寿量品の仏「久遠実成の釈尊」も、久遠から呼び出された上行菩薩も、どちらも「本仏」と成り、本来ならば仏から仏へ成されるはずの結要付嘱の儀式が、仏から上行菩薩への付嘱として説かれています。2024/09/03 21:19:23264.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ方便品で舎利弗に言ってただろ。もう話すのは止めよう。仏と仏にしか伝わらないからと。2024/09/03 21:20:40265.リダン◆gEV3xsS//k24CT7>>264ふむ2024/09/03 21:21:03266.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJこの結要付嘱の儀式に示される「九界即仏界」「仏界即九界」こそが 本門に至って始成正覚を破ることで爾前迹門の十界の因果を打ちやぶり本門の十界の因果をとき顕す「真の十界互具・百界千如・一念三千なるべし」の「本因本果の法門」になります。2024/09/03 21:21:19267.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ次に、「五百塵点劫の久遠の弟子」と「三千塵点劫の声聞の弟子」の相違について更に深く掘り下げてお話ししたいと思います。2024/09/03 21:22:27268.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ比喩蓮華と当体蓮華の話2024/09/03 21:22:41269.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ「爾前迹門の十界の因果を打ちやぶつて本門の十界の因果をとき顕す、此即ち本因本果の法門なり」『開目抄上』「爾前迹門の因果を打破つて本門の十界因果をときあらはす、是れ則ち本因本果の法門なり」『寿量品得意抄』2024/09/03 21:23:37270.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJこの『開目抄』と『寿量品得意抄』の中で示されている「本因本果の法門」は、三千塵点劫・五百塵点劫ととても深い関係にあります。2024/09/03 21:24:10271.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ法華経本門で登場する「九界即仏界」の等覚の菩薩と、「仏界即九界」の久遠実成の釈尊は、菩薩と仏が同時に一体(同体)として存在している「真の十界互具」の真仏の姿です。2024/09/03 21:24:32272.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ「真の十界互具・百界千如・一念三千なるべし」『開目抄』2024/09/03 21:24:47273.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ菩薩と仏は本来、因位と果位の関係にあたります。2024/09/03 21:25:01274.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ「我本行菩薩道(我れ本、菩薩の道を行じて)」とありますように、菩薩道を行じてそれが因となって仏の果を得るといった因果関係に基づく成仏観なのですが、この成仏観では「因を元として果に成る」わけでして、仏に成る瞬間が生じます。いわゆる始成正覚です。2024/09/03 21:25:18275.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ因果異時ってことね。2024/09/03 21:25:56276.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ迹門に示される今世で始めて悟りを開いたとされる「始成正覚の釈迦」は、因果関係に基づいた成仏観を顕しています。(因果異時)2024/09/03 21:26:24277.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJしかし始成正覚の釈迦は、「本無今有(久遠の本地を顕わさないで、今日の垂迹のみを示す)」と破折されました。“根無し草”のようなものだと。(三千塵点劫)2024/09/03 21:26:48278.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ始成正覚の釈迦は、〝本地を顕わしていない〟とは、覚りに至った因果を説き明かしていないという意味。2024/09/03 21:28:01279.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJそれに対し五百塵点劫の本有常住の本仏は、無始としての本因(真の十界互具)が示され、その因果関係が「因を元として果に成る」因果関係ではなく、因と果が同時に同体として存在しうる「因果倶時」の関係にあると説かれているのです。いわゆる「本因本果の法門」。2024/09/03 21:28:38280.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ「爾前迹門の十界の因果を打ちやぶつて本門の十界の因果をとき顕す」2024/09/03 21:28:57281.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ「爾前迹門の十界の因果」と「本門の十界の因果」の違い、そこに本因本果の法門の意味するところが秘められています。2024/09/03 21:29:11282.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJまず、「迹門と本門の十界の因果の相違」について説明します。2024/09/03 21:29:26283.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ爾前迹門における十界の因果は、三千塵点劫の声聞の弟子とお釈迦様の師弟関係における因果関係を意味しております。その関係が「因を元として果に成る」関係で、時間の流れにそった因果関係です。(因果異時)2024/09/03 21:29:50284.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJそれに対し本門の十界の因果は、菩薩でありながら仏と等しい「九界即仏界」の等覚の菩薩と、仏でありながら菩薩の道を行じ続ける「仏界即九界」の真の十界互具の関係になります。2024/09/03 21:30:07285.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJこの五百塵点劫の十界互具は、時間の流れを伴わない同体として一時に因と果が共に存在するという「因果倶時」の因果関係になります。2024/09/03 21:30:21286.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ<本門・迹門における十界の因果の相違> 迹門の十界の因果—因果異時 本門の十界の因果—因果倶時2024/09/03 21:30:38287.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ「因果異時」と「因果倶時」の関係は、『当体義抄』の中で説かれる「比喩蓮華と当体蓮華」の関係にあたります。2024/09/03 21:30:57288.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJこの説明まですると長くなるから止めとこ2024/09/03 21:31:44289.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ以上だ。2024/09/03 21:32:14290.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ後、無為法については明日の朝にでもお話します。2024/09/03 21:33:29291.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJ有為の凡夫がどうやって無為の仏の覚りの一念を取り出すかの話ね。2024/09/03 21:34:34292.法介◆T3azX0Hk1UdmBKJさて、風呂に入ってくる2024/09/03 21:35:32293.神も仏も名無しさんxbCJTリダン3世レス待ちだなー〜😃2024/09/03 21:41:47294.リダン◆gEV3xsS//k24CT7なるほどなるほどその因果具時虚空において無為法オーバーソウル釈迦が地桶の菩薩と共におるってことはだ弥勒菩薩になんか起きんのか?オラわくわくしてきたゾ2024/09/03 21:47:25295.神も仏も名無しさんxbCJTリダン3世へ仕事日なので法華経リンク張り付けサービスは金曜日夜以降だすまんなー😃2024/09/03 21:49:15296.リダン◆gEV3xsS//k24CT7>>295あざす!2024/09/03 22:03:59297.リダン◆gEV3xsS//k24CT7弥勒菩薩がさ普賢菩薩やったかな普賢菩薩の発言のハードルをこれでもか!って上げまくってたのめっちゃ受けたこれ以前に書き込んだけど誰にも同意されんかったな…2024/09/03 22:06:38298.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNおはようございます、法介です。2024/09/04 04:43:29299.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN昨日、言っておりました有為の凡夫がどうやって無為の仏の覚りの一念を取り出すかというお話を今からいたします。2024/09/04 04:45:50300.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNリダンは最近、刹那滅という言葉を良く使っているようですが、2024/09/04 04:52:08301.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN〝刹那〟とは、きわめて短い時間という意味で〝刹那滅〟とは、今一瞬の出来事はきわめて短い時間の出来事で、あっという間にそれは消えて消滅していくと言った意味になります。2024/09/04 04:57:06302.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNその今〝一瞬〟の出来事は、自身のこころから生じている出来事で天台教学では、それを「今一瞬のこころ」という意味で〝一念〟と表現します。2024/09/04 05:00:48303.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNそして我々凡夫の刹那は、滅しては生じ、滅しては生じを繰り返し刹那の生と滅があたかもドミノ倒しのように連鎖して、2024/09/04 05:04:52304.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN刹那においては静止しているモノが連鎖作用によってそれがあたかも動いているかのように見えます。2024/09/04 05:06:50305.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN飛んでいる矢もハイスピードカメラでとらえたら一瞬一瞬の一コマにおいては矢は止まって写っています。2024/09/04 05:08:55306.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNその一コマ、一コマを連続してスクリーンに映し出すとあたかも飛んでいるように見えます。2024/09/04 05:09:54307.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN我々が見ている世界もそれと同じで今、一瞬の刹那においては全ては止まっているのです。2024/09/04 05:11:15308.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN「今、一瞬の刹那においては」です。2024/09/04 05:11:37309.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN龍樹の『中論』の運動の否定はそういう事を主張しております。2024/09/04 05:12:16310.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN去る人の今一瞬を切り取った姿(一コマ)に去るという行為(運動)は存在しないと。2024/09/04 05:13:36311.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNここで言う〝今一瞬〟の静止した一コマ2024/09/04 05:15:14312.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNこれは、 客体(見られる側)=モノのあり様 --- ① 主体(見る側) =認識のあり様(主観と客観)--- ②①のモノのあり様になります。2024/09/04 05:16:41313.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNそして刹那の連鎖(刹那滅の心相続)で見る私達の世界観は②になります。2024/09/04 05:18:21314.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNまた、静止した一コマは、人為が働いていない無為です。2024/09/04 05:19:23315.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN①=無為(人為を離れている)2024/09/04 05:19:57316.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNそれに対し私達の心が「主観と客観」で造り出す世界観は、有為です。②=有為(人為的な)2024/09/04 05:21:29317.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN究極の覚りの境地と言われる涅槃(有余涅槃の方)は、完全に人間の概念から離れておりましてそれを〝真如〟の世界といいます。2024/09/04 05:24:05318.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNこちらの構図で言いますと、 客体(見られる側)=モノのあり様 --- ① 主体(見る側) =認識のあり様(主観と客観)--- ②無為の①の方になります。2024/09/04 05:25:20319.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNと、思いますよね2024/09/04 05:25:44320.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNが、しかし2024/09/04 05:26:17321.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN違うんです真如の世界は①と②が溶け合うんです。2024/09/04 05:26:58322.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN二つが溶け合って一つになるんです。2024/09/04 05:27:30323.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN〝二つ〟って最近どこかで聞いた言葉ですよね。2024/09/04 05:28:08324.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN前スレ(7)で真如の世界には二つの真理があると研究論文で紹介されてましたよね。2024/09/04 05:29:58325.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN『大乗起信論』の真如説の一考察─『究竟一乗宝性論』の如来蔵説との関係を中心として─ 李 子 捷https://toyo.repo.nii.ac.jp/record/9417/files/higashiasiabukkyou4_225-255.pdf(ダウンロード式)2024/09/04 05:32:33326.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNまた『起信論』では、頓教門に約して絶言真如を顕し、漸教門に約して依言真如を説く。依言真如の中に就いて、始終の二教に約して空と不空との二つの真如を説く。これは法に約して教に分けるのである。2024/09/04 05:33:02327.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN絶言真如と依言真如2024/09/04 05:34:04328.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN解ります?絶言真如①と依言真如②2024/09/04 05:34:36329.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNこういう事です。 客体(見られる側)=モノのあり様 --- ①絶言真如 主体(見る側) =認識のあり様(主観と客観)--- ②依言真如2024/09/04 05:35:22330.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN①絶言真如=無為②依言真如=有為2024/09/04 05:36:15331.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN依言真如は②の人の認識です。なので有為です。2024/09/04 05:38:19332.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN有為なのにどうして依言〝真如〟なのか。2024/09/04 05:38:57333.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN普通の人達は、 客体(見られる側)=モノのあり様 --- ① 主体(見る側) =認識のあり様(主観と客観)--- ②この内容です。2024/09/04 05:40:56334.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNしかし、後得智を得た人は次のような内容に変わります(転識)。 客体(見られる側)=モノのあり様 --- ① 主体(見る側) =認識のあり様(相依性縁起と此縁性縁起)--- ③2024/09/04 05:42:33335.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN認識のあり様に変化が起こります。これを唯識では〝転識〟といいます。2024/09/04 05:43:25336.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN今まで人間の認識である「主観と客観」で認識していた対象を相依性縁起(主観)と此縁性縁起(客観)で認識します。2024/09/04 05:45:02337.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNこの縁起でのモノの見方をお釈迦さまは〝中道〟と言われました。2024/09/04 05:46:18338.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN第一義諦とも言います。2024/09/04 05:47:58339.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN初期仏教では、未だ仏の領域(通教で明かされる)や覚りの領域(別教で明かされる)はひも解かれておりません。2024/09/04 05:49:57340.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNなので真諦と俗諦の二諦説で仏教における真理=真諦世俗における真理=俗諦としてこの真諦を第一義諦とよんだのです。2024/09/04 05:52:15341.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNなので、中道=第一義諦です。2024/09/04 05:52:41342.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN蔵教で、二諦説が説かれ通教で仏の世界観が般若経典で詳しく説かれて三諦説になります。2024/09/04 05:55:18343.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN<三諦説> 凡夫の世界観=仮観 仏の世界観=空観 真如の世界観=中観2024/09/04 05:55:50344.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN通教の主役は龍樹です。龍樹は二諦説だと言われていたのは昭和の仏教界の権威であられました 中村 元 大先生です。2024/09/04 05:57:48345.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN龍樹は『中論』の中でちゃんと三観を説いております。2.仏と如来の違いhttps://butudou.livedoor.blog/archives/17702360.html2024/09/04 05:59:07346.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN龍樹は『中論』の中で三諦偈として三諦説を説いております。中村先生はそれを理解出来ずに龍樹は二諦説だ誤った見解を主張されました。2024/09/04 06:02:32347.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN昭和の仏教解釈のお話です。2024/09/04 06:03:05348.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN今、時代は平成を得て令和に突入しております。2024/09/04 06:03:47349.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN正しさとは時代の流れと共に変化していきます。2024/09/04 06:04:25350.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN変わらずにあり続ける正しさなど縁起を説く仏教にあっては何一つあり得ないのですから。2024/09/04 06:05:19351.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN古い昭和の学者さんが書かれた書籍で仏教を学ばれると大きな落とし穴に落ち込んじゃいますよ間違いだらけの仏教の常識https://zawazawa.jp/yuyusiki/topic/162024/09/04 06:06:55352.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNちょっと休憩を挟みますー2024/09/04 06:07:47353.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN〝落とし穴〟を掘ったのは 中村 元 先生だけではありません。中村先生は初期仏教が大好きな先生でしたが唯識が大好きだった横山紘一先生も大きな落とし穴を掘っておられます。2024/09/04 06:18:24354.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN唯識の思想 横山紘一https://youtu.be/Ze10wMOZdwQ2024/09/04 06:19:50355.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN>>354「あたかも自分というものが存在するかのごとくに思い」「自分が存在しないがゆえに無我なのだ」「唯識とはこころだけしか存在しない」などと横山先生は主張なされました。2024/09/04 06:23:53356.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN中村先生や横山先生は、こちらの構図の 客体(見られる側)=モノのあり様 --- ① 主体(見る側) =認識のあり様(主観と客観)--- ②②しか見えていなかったのです。(有為の世界観)2024/09/04 06:25:54357.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNこの二人の大先生が昭和の時代に掘られた大きな落とし穴に沢山の人達が落ち込んでおられます。2024/09/04 06:27:40358.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNそう言う人達は決まって自我など無いんです!自分も本当は存在していないんです!世界も存在しないんです!とマジ顔で主張されます。2024/09/04 06:29:33359.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNこんな感じでhttps://youtu.be/0yks1BTPJBM2024/09/04 06:29:48360.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN最近もわたしの良く知る人物が見事にこの落とし穴に落ち込んでおります。2024/09/04 06:30:32361.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN彼はこんな事を言うんです。2024/09/04 06:30:56362.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNスマホのラインアプリに実体はありますか?無いですよ!あるのは機能と状態じゃないですか!と。2024/09/04 06:31:50363.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN皆さんは「析空」ってご存じでしょうか?2024/09/04 06:32:24364.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN対象を細分化して見る「空」なんですが、解りやすい例えとして昔から次のように言われております。2024/09/04 06:33:48365.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNテーブルを脚と天板とにバラしたら「テーブル」という姿は無くなります。部品が減った訳でもないのに「テーブル」という姿は消えて無くなりました。これを〝空〟と言います。2024/09/04 06:35:43366.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNという〝空〟の理解が対象を細分化して見るという「析空」になります。2024/09/04 06:36:36367.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN>>362 ←ここの彼はスマホを機能と状態とに細分化してわたしは「空」で対象を見ている!と主張されてた訳です。2024/09/04 06:38:18368.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNこの中村先生が掘られた落とし穴に落ち込み更に、横山先生が掘られた落とし穴に連続して落ち込むと>>359 のような「世界は無い」といった〝無相唯識〟の世界観に嵌ります。2024/09/04 06:40:59369.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNこの構図の②の有為でしか世界を見れていないんです。 客体(見られる側)=モノのあり様 --- ① 主体(見る側) =認識のあり様(主観と客観)--- ②2024/09/04 06:41:51370.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN真如の世界に入った経験のある人は(入ったという自覚は無い、なぜなら無為の世界だから)、①と②の無為と有為の二つの真理で対象をとらえます。2024/09/04 06:44:08371.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN②(有為)でしか世界を見れていない人は、その人の意識は未だ有為の領域にあって真如の世界に入れていないという事になります。2024/09/04 06:45:53372.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN真如の世界に入っても無為なので入ったという認識も起こらず認識が起こらないので記憶も残りません。2024/09/04 06:46:58373.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN認識も起こらず、かつ記憶も残りませんので刹那の継続(刹那滅の心相続)も起こりません。2024/09/04 06:48:15374.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNわたしは①と②の二つの世界観を見れておりますが真如の世界に入ったという自覚はありません。2024/09/04 06:49:27375.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN①と②の二つの世界観を見れている人は自覚はなくても無意識的にそこ(真如)に入っております。2024/09/04 06:50:51376.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN食物アレルギーの人が食べてはいけないものを意識せずに食べても体にアレルギー反応が起こるように、2024/09/04 06:52:01377.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN無意識的に①と②の二つの世界観が観て取れます。2024/09/04 06:52:38378.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNそのような見方が出来るのはその人の阿頼耶識に「無漏の種子」が備わっているからです。2024/09/04 06:55:47379.神も仏も名無しさんan8oN>>377 ←これって有為?それとも無為でしょうか?2024/09/04 06:57:17380.神も仏も名無しさんan8oN①の無為と②の無為が溶け合って二つが一つになった世界観、 客体(見られる側)=モノのあり様 --- ①無為 主体(見る側) =認識のあり様(主観と客観)--- ②有為2024/09/04 06:58:42381.神も仏も名無しさんan8oNそれは有為なのか無為なのか2024/09/04 06:59:05382.神も仏も名無しさんan8oN天台智顗がその事を次のように言っておられます。>>22もし一心より一切の法を生せば、これ即ち縦なり。もし心、一時に一切の法を含まば、これ即ち横なり。縦もまた可ならず、横にまた可ならず、ただ心はこれ一切の法、一切の法はこれ心なるなり。ゆえに縦に非ず、横に非ず。一に非ず、異に非ず。2024/09/04 07:01:43383.神も仏も名無しさんan8oNもし一心より一切の法を生せば、これ即ち縦なり。--- ② 客体(見られる側)=モノのあり様 --- ①無為 主体(見る側) =認識のあり様(主観と客観)--- ②有為2024/09/04 07:02:23384.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNもし心、一時に一切の法を含まば、これ即ち横なり。--- ①2024/09/04 07:03:07385.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNコテ外れてた2024/09/04 07:03:29386.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN縦もまた可ならず、横にまた可ならず、2024/09/04 07:04:18387.リダン◆gEV3xsS//k1lfFC>>313違うよ刹那滅はそうだがその有為法と同期するのそのものってこと2024/09/04 07:05:07388.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNただ心はこれ一切の法、一切の法(①+②)はこれ心なるなり。ゆえに縦に非ず、横に非ず。一に非ず、異に非ず。(①+②=真如の世界観)2024/09/04 07:05:18389.リダン◆gEV3xsS//k1lfFCおはようございます😊2024/09/04 07:05:50390.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNリダン、おはよー2024/09/04 07:05:57391.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN>>387リダンとわたしとでは考えが違うみたいです。2024/09/04 07:06:37392.リダン◆gEV3xsS//k1lfFCずっと有為法と有為法の同期、一如と言ってるやん2024/09/04 07:06:45393.リダン◆gEV3xsS//k1lfFCいうなれば仏の働き(有為法)と俺(有為法)の同期2024/09/04 07:07:47394.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNでは、わざわざ口を挟んで来たのですからリダンの考えを〝詳しく〟誰もが聞いて分かるように具体的にご説明ねがえますか。2024/09/04 07:07:55395.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN>仏の働き(有為法)と俺(有為法)の>同期と言われましてもねー2024/09/04 07:08:43396.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNこの構図を用いて 客体(見られる側)=モノのあり様 --- ①無為 主体(見る側) =認識のあり様(主観と客観)--- ②有為具体的に分かりやすく説明ください。2024/09/04 07:09:45397.リダン◆gEV3xsS//k1lfFC刹那滅と俺の一如でそもそも俺が刹那滅そのものであった刹那滅だったってこと2024/09/04 07:09:47398.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN>>3962024/09/04 07:10:43399.リダン◆gEV3xsS//k1lfFC>>398いやこれは有相、無相の話になるやん2024/09/04 07:12:39400.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNそうだよ2024/09/04 07:13:04401.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNリダンは無想わたしは有相2024/09/04 07:13:21402.リダン◆gEV3xsS//k1lfFCいうなら見られる側と見る側の一如2024/09/04 07:13:31403.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN意見が異なって当然2024/09/04 07:13:35404.リダン◆gEV3xsS//k1lfFC>>401唯識でも分かれるんやろ?おれらが論争しても仕方なくない?2024/09/04 07:14:15405.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNちょ、待てよ~(木村風)2024/09/04 07:14:23406.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN確認するぞー2024/09/04 07:14:37407.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN>>393>いうなれば>仏の働き(有為法)と俺(有為法)の>同期↑のリダンの主張は、2024/09/04 07:16:20408.リダン◆gEV3xsS//k1lfFCいっちゃえば刹那滅そのものだと時間軸はないということだよ2024/09/04 07:16:33409.リダン◆gEV3xsS//k1lfFC>>407ふむ2024/09/04 07:16:45410.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN有為法と有為法の同期、です。構図でいったら、2024/09/04 07:17:09411.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNこの②の有為の中で起きている話。 客体(見られる側)=モノのあり様 --- ①無為 主体(見る側) =認識のあり様(主観と客観)--- ②有為2024/09/04 07:18:05412.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN②の凡夫である俺と、 客体(見られる側)=モノのあり様 --- ①無為 主体(見る側) =認識のあり様(主観と客観)--- ②有為2024/09/04 07:18:37413.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN>>75 の③である仏の有為 客体(見られる側)=モノのあり様 --- ① 主体(見る側) =認識のあり様(相依性縁起と此縁性縁起)--- ③2024/09/04 07:20:04414.リダン◆gEV3xsS//k1lfFC>>412そら無相だからそこにある①がないわな2024/09/04 07:20:08415.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN②の俺の有為と③の仏の有為とが一如2024/09/04 07:20:45416.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNその場合、無為の真如の世界観は完全スルーされている(②のみの無相唯識)2024/09/04 07:21:33417.リダン◆gEV3xsS//k1lfFCまあそこはいいでしょようは刹那滅は一瞬、一瞬の出来事のことだがそのものになれば時間軸がないのよってのが分かっていただければ2024/09/04 07:22:07418.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN所詮、有為の世界観から抜け出せていないそういう状態を実体思想に未だある状態(声聞の境涯)という。2024/09/04 07:22:41419.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN>そのものになれば時間軸がないのよそれは①の有相唯識で世界を観れている人が言う言葉。2024/09/04 07:23:58420.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN②の有為の世界観には時間軸は存在しております。2024/09/04 07:24:27421.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNそんなだからリダンはでおーから適当リダンと言われるのです。2024/09/04 07:24:56422.リダン◆gEV3xsS//k1lfFC>>419法介さんのいう有相ってなあなんだい?机の上のコップ?2024/09/04 07:25:13423.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNじゃあ、そこのところの話を次にします。2024/09/04 07:26:11424.リダン◆gEV3xsS//k1lfFCいや先に答えて2024/09/04 07:26:31425.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN有相唯識の世界観の話な2024/09/04 07:26:43426.リダン◆gEV3xsS//k1lfFC話というか質疑応答式でいく2024/09/04 07:26:54427.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN>>424スマホのラインアプリは存在しているし目の前にあるコップもまぎれもなく実在している。2024/09/04 07:27:43428.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN>>426まー、それでもいいけど2024/09/04 07:28:14429.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN屁理屈こねだすからなーリダンは2024/09/04 07:28:30430.リダン◆gEV3xsS//k1lfFC>>427うんそれは全部識であるという理解はある?2024/09/04 07:28:50431.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN第六天の魔王を避けて通る奴だからなー2024/09/04 07:29:13432.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN第六天の魔王=自身を支配している根底の自我意識2024/09/04 07:29:49433.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN>>430前五識と第六意識で認識してますよ。2024/09/04 07:30:43434.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNしかし、それだけじゃない2024/09/04 07:31:01435.リダン◆gEV3xsS//k1lfFC>>433いや六境もだよ六境も識である理解はある?2024/09/04 07:31:40436.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNそのモノがそのモノと成り得た因果も同時に観てとります。2024/09/04 07:31:41437.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN>>436 これは第七末那識2024/09/04 07:32:05438.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN>六境も識である理解はある?またおかしなことを言い出した2024/09/04 07:32:45439.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN六境って用語は対象の方。2024/09/04 07:33:17440.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN識は六識2024/09/04 07:33:28441.リダン◆gEV3xsS//k1lfFCまあそこが無相、有相で分かれるんだろまあちょっとそこは後にして2024/09/04 07:33:42442.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN見る場合で言えば、対象のモノ=眼境無る側=眼根そして眼識で判断が起こる2024/09/04 07:34:45443.リダン◆gEV3xsS//k1lfFC法介さんコップは刹那滅なのは分かるよね意識、前五識、阿頼耶識も刹那滅なのは分かるよね2024/09/04 07:34:45444.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNちょ、待てよ~2024/09/04 07:35:03445.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNごまかすなよ~2024/09/04 07:35:35446.リダン◆gEV3xsS//k1lfFC>>445後で回収するよ2024/09/04 07:35:51447.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNリダンは自身の間違いに気づくとそれは置いといてーと言って話をはぐらかそうとする=第六天の魔王から撤退2024/09/04 07:36:42448.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN第六天の魔王から撤退の意味。自身の自我による勘違い、間違いを素直に認める事が出来ない。2024/09/04 07:37:29449.リダン◆gEV3xsS//k1lfFCまああまり時間ないからサクサクいこう2024/09/04 07:37:29450.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN次は何だ?2024/09/04 07:37:53451.リダン◆gEV3xsS//k1lfFC>>443はどう?2024/09/04 07:37:54452.麦◆MUGITANx95Dja0vim∞ノノハ∞川^〇^ハレおはよう♪法介さんの解釈は違うなぁって度々思うけど指摘しても麦がそう思うならそれでイイとかwwwでもリダンたんも違うって思うみたいだよ2024/09/04 07:37:57453.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN麦、おはよー2024/09/04 07:39:12454.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNそれは、麦もリダンも共に空を析空でしか理解出来ていないって事だろ2024/09/04 07:39:53455.リダン◆gEV3xsS//k1lfFC倶舎論で言うところの法有(コップ)は唯識でいう仮有だそうだ(ウィキより)2024/09/04 07:40:22456.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN中村先生の落とし穴に嵌っている人大勢いるからなー2024/09/04 07:40:24457.リダン◆gEV3xsS//k1lfFCはやく>>443に答えてください時間があまりない2024/09/04 07:41:29458.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN>>455そうだよ五蘊で認識するコップは仮有ですよ。 客体(見られる側)=モノのあり様 --- ①無為 主体(見る側) =認識のあり様(主観と客観)--- ②有為②の世界観(仮観)2024/09/04 07:42:08459.リダン◆gEV3xsS//k1lfFC>>458>>443も2024/09/04 07:42:50460.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNわたしは①と③で観てると言ったよな 客体(見られる側)=モノのあり様 --- ① 主体(見る側) =認識のあり様(相依性縁起と此縁性縁起)--- ③③は仏の世界観(空観)2024/09/04 07:42:58461.麦◆MUGITANx95Dja0vim>>454∞ノノハ∞川^〇^ハレ合っている間違っているの二元ではなく間髪入れずに違うって思うよwww2024/09/04 07:43:32462.リダン◆gEV3xsS//k1lfFC①のもののあり様、客体も刹那滅だと理解している?2024/09/04 07:44:06463.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN>法介さんコップは刹那滅なのは分かるよねわかりますよ。>意識、前五識、阿頼耶識も刹那滅なのは>分かるよねわかりますよ。2024/09/04 07:44:34464.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN>>462①は刹那滅じゃないだろ2024/09/04 07:45:16465.リダン◆gEV3xsS//k1lfFC>>463ならそれアッポーペン(刹那滅と刹那滅)したらどうなる?刹那滅そのもの働きそのものでしょ?2024/09/04 07:45:38466.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN「生じない滅しない」が無為の世界観だぞ2024/09/04 07:45:49467.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNまた。おかしな事を言ってるなー2024/09/04 07:46:06468.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN>>465アッポーペン(刹那滅と刹那滅)しても刹那滅だよ。2024/09/04 07:46:53469.リダン◆gEV3xsS//k1lfFC>>467いや法介さんコップって物体が変わらずあるっていいたいの?刹那滅ではなく2024/09/04 07:47:32470.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN>>464 >>466 ←ここだろ、リダンが勘違いしているの。2024/09/04 07:47:43471.リダン◆gEV3xsS//k1lfFC>>468それは法介が分からんだけ2024/09/04 07:47:59472.リダン◆gEV3xsS//k1lfFC法介さんが2024/09/04 07:48:20473.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN>>469無為の世界で〝刹那滅〟っていうなよー2024/09/04 07:48:33474.リダン◆gEV3xsS//k1lfFC>>470>>4692024/09/04 07:48:37475.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN〝刹那滅〟って人間の概念だぞ2024/09/04 07:48:53476.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN①の世界観にそんな人間の概念を持ち込んでどうする?2024/09/04 07:49:24477.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNそんなだから迷い(勘違い)が生じるんだぞ2024/09/04 07:49:49478.リダン◆gEV3xsS//k1lfFCうん?真如、無為に変わらないコップがあるってこと?2024/09/04 07:50:07479.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN無為の世界では滅することもなく生じることもない2024/09/04 07:50:14480.リダン◆gEV3xsS//k1lfFC>>479変わらないコップがあるということかい?2024/09/04 07:50:59481.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN無為の世界に〝コップ〟などないだろ(〝〟の意味を考えろ)2024/09/04 07:51:00482.リダン◆gEV3xsS//k1lfFC>>481じぁあ何があるんだい?2024/09/04 07:51:52483.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN無為の世界にあるのは目の前の現実ではない五蘊から離れた色相2024/09/04 07:52:22484.リダン◆gEV3xsS//k1lfFC>>483五蘊から離れた色相なら仮有だが2024/09/04 07:52:54485.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNただ色があるだけだろ2024/09/04 07:52:56486.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN>>484またおかしなことを言い出した2024/09/04 07:53:25487.麦◆MUGITANx95Dja0vim∞ノノハ∞川^〇^ハレ間髪入れずにえっ👀だったwwwそして違うwww2024/09/04 07:53:41488.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN>五蘊から離れた色相なら>仮有だが ↑これ、言ってる事がおかしいぞー2024/09/04 07:54:01489.リダン◆gEV3xsS//k1lfFC無為の世界にコップ、あるいは成り立ちがあるというのかい?2024/09/04 07:54:03490.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN五蘊の働きで認識するのが仮有五蘊を空じて縁起で認識するのが空2024/09/04 07:55:06491.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN成り立ちはあるだろ2024/09/04 07:55:35492.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN阿頼耶識にちゃんと記録として収まってあるだろ2024/09/04 07:55:54493.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN無為の世界=阿頼耶識でもある2024/09/04 07:56:15494.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNコップは言語化された表現(概念)だから〝コップ〟は無い2024/09/04 07:57:09495.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNしかし、今そこに実在しているそれの因果はある2024/09/04 07:57:36496.リダン◆gEV3xsS//k1lfFC>>492そこは同意しかしそれを記憶からコップが顕現したら無為ではなくない?種子が現成したら無為ではないでしょ2024/09/04 07:57:39497.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNコップの因果は人為ではない=無為2024/09/04 07:57:54498.リダン◆gEV3xsS//k1lfFC>>495いや実在=種子が現成したら無為ではないでしょ2024/09/04 07:58:28499.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN>コップが顕現したら無為ではなくない?←これは五蘊(顕現=五蘊)>種子が現成したら無為ではないでしょ2024/09/04 07:59:05500.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN>>498だ・か・ら顕現するのは人だろ(②)2024/09/04 08:00:10501.リダン◆gEV3xsS//k1lfFCうん?パソコンでいったらプログラムの状態のコップをいってるのか?2024/09/04 08:00:10502.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN>>501それは析空。2024/09/04 08:00:48503.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN析空でしか空が理解出来ていないからわたしが言ってる事が理解出来ないリダン。2024/09/04 08:01:20504.リダン◆gEV3xsS//k1lfFC>>500これは同意2024/09/04 08:01:27505.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN説明しても無駄だろ。2024/09/04 08:01:39506.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNそろそろ疲れて来た2024/09/04 08:01:57507.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNリダンも用事あるって言ってただろ2024/09/04 08:02:13508.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNも少しちゃんと考えろ2024/09/04 08:02:41509.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN言ってる事がおかしいぞ2024/09/04 08:02:56510.リダン◆gEV3xsS//k1lfFC>>503ふむではプログラムの状態であるコップが(現成前)析空であるなら法介さんの言う①とはどのような状況?2024/09/04 08:03:06511.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNそして第六天の魔王と向き合え2024/09/04 08:03:23512.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN>法介さんの言う①とは>どのような状況?①は①だろ2024/09/04 08:04:05513.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN天台智顗も言語を離れているといってる2024/09/04 08:04:29514.リダン◆gEV3xsS//k1lfFC>>512?いやプログラムの状態のコップを析空とハッキリいうなら①がどのような状況か言ってくれないと2024/09/04 08:05:04515.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN玄妙深絶にして識の識るところに非ず。言の言ふところに非ず。ゆえに称して不可思議境と為す2024/09/04 08:05:32516.リダン◆gEV3xsS//k1lfFCようは種子が現成してないと言うことでしょ阿頼耶識の記憶内であって2024/09/04 08:06:06517.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN論文でも「絶言真如」と紹介してただろ。2024/09/04 08:06:46518.リダン◆gEV3xsS//k1lfFC阿頼耶識も刹那滅なんですよ心のサンカーラも刹那滅種子もその現行も刹那滅2024/09/04 08:07:17519.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN>阿頼耶識も刹那滅なんですよリダンの我見だろ2024/09/04 08:07:55520.リダン◆gEV3xsS//k1lfFC>>517だから①は種子現行前の阿頼耶識の記録、記憶でしょ?2024/09/04 08:08:04521.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNそこまで言い張るのであれば根拠を示してみ2024/09/04 08:08:25522.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN>①は種子現行前のって、それじゃ種子現行後は①か②かリダン的にはどっち?2024/09/04 08:09:36523.リダン◆gEV3xsS//k1lfFC>>521いや法介さんの言説に沿って言ってるだけですよプログラムの状態のコップが析空なんでしょ?2024/09/04 08:10:06524.リダン◆gEV3xsS//k1lfFC>>522②だね2024/09/04 08:10:24525.リダン◆gEV3xsS//k1lfFCまあ半分は同意だねやっぱすり合わせは必要だね2024/09/04 08:10:59526.リダン◆gEV3xsS//k1lfFCあかん時間ない後は飛び飛びでレスします2024/09/04 08:12:08527.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN>>524だったらなぜ、>だから①は種子現行前の>阿頼耶識の記録、記憶でしょ?↑こんなことを言った?2024/09/04 08:12:15528.リダン◆gEV3xsS//k1lfFC>>527②が現象化するからですよ2024/09/04 08:13:14529.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN②が現象化したらコップはどうなる?2024/09/04 08:14:08530.リダン◆gEV3xsS//k1lfFCコップとして目の前にあると認識する2024/09/04 08:14:44531.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNもとい②が現象化したら①はどうなる?2024/09/04 08:14:57532.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN>>530だよな、コップとして認識される。2024/09/04 08:15:25533.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNなー、リダン。ちょっと、いいか2024/09/04 08:15:56534.リダン◆gEV3xsS//k1lfFCどうもならないでしょ貯蔵庫の役割を全うする2024/09/04 08:15:58535.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNおまえさーおまえのその論法なんだけどさー2024/09/04 08:16:20536.リダン◆gEV3xsS//k1lfFC>>531いや①が現象化するってかただの貯蔵庫だよ2024/09/04 08:16:58537.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN真理を追究する論法ではなくたんに法介を遣り込めるたい一心の論法じゃないのか?2024/09/04 08:17:47538.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN「いや①が現象化するってか」 ↑おまえがそれ、言った言葉だぞ2024/09/04 08:18:27539.リダン◆gEV3xsS//k1lfFCまた後で2024/09/04 08:18:47540.リダン◆gEV3xsS//k1lfFC>>538どこ?2024/09/04 08:19:02541.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNふむ2024/09/04 08:19:11542.リダン◆gEV3xsS//k1lfFCだから阿頼耶識自体が刹那滅だから阿頼耶識内の記憶、記録は無為ではないんじゃね?まあ阿頼耶識が刹那滅のソース探す2024/09/04 08:23:29543.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNリダン:法介さんの言う①とは どのような状況?法介:①は①だろリダン:いや プログラムの状態のコップを析空 とハッキリいうなら ①がどのような状況か 言ってくれないと法介:玄妙深絶にして識の識るところに非ず。 言の言ふところに非ず。 ゆえに称して不可思議境と為すリダン:ようは種子が現成してない と言うことでしょ 阿頼耶識の記憶内であって法介:論文でも「絶言真如」と紹介してただろ。リダン:阿頼耶識も刹那滅なんですよ 心のサンカーラも刹那滅 種子もその現行も刹那滅法介:>阿頼耶識も刹那滅なんですよ リダンの我見だろリダン:だから①は種子現行前の 阿頼耶識の記録、記憶でしょ?法介:>①は種子現行前の って、 それじゃ種子現行後は①か②か リダン的にはどっち?リダン:>>522 ②だね法介:だったらなぜ、 >だから①は種子現行前の >阿頼耶識の記録、記憶でしょ? ↑こんなことを言った?リダン:>>527 ②が現象化するからですよ法介:②が現象化したら①はどうなる?リダン:コップとして目の前にあると認識する法介:だよな、コップとして認識される。リダン:いや①が現象化するってか ただの貯蔵庫だよリダン:「いや①が現象化するってか」 ↑おまえがそれ、言った言葉だぞ2024/09/04 08:29:31544.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN>阿頼耶識自体が刹那滅だから↑ここだろポイントは。2024/09/04 08:30:30545.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN阿頼耶識で変化が起こる訳ないだろ2024/09/04 08:30:58546.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN生ずる事も滅することもない真如において。2024/09/04 08:31:38547.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN「生ずる」とか「滅する」とか「刹那滅」とか全部人間の概念だぞ。2024/09/04 08:32:41548.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN①に人間の概念は適応されない。(無為)2024/09/04 08:33:03549.リダン◆gEV3xsS//krN558>>547まあソース探すよ2024/09/04 08:33:38550.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN何に〝執着〟してるんだー、リダンは2024/09/04 08:33:43551.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNリダンが執着しているそれはリダンが自我で勝手に造り上げている妄想現実です。2024/09/04 08:34:32552.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNまあ、ソース見つかるの待っていよう2024/09/04 08:35:05553.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN妄想現実だったら見つからないかもねー2024/09/04 08:35:40554.リダン◆gEV3xsS//krN558刹那滅とはないな恒に転ずること暴流の如しとあった2024/09/04 08:44:15555.リダン◆gEV3xsS//krN558まあだから阿頼耶識内部は無為ではないだろう?2024/09/04 08:48:06556.リダン◆gEV3xsS//krN558おそらく法介さんは種子現行前の記録、記憶を無為の世界観と表現しているのかい?2024/09/04 08:49:23557.リダン◆gEV3xsS//krN558それを①だとそして現象化するのが②だと2024/09/04 08:50:08558.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN>恒に転ずること暴流の如しとあったそれ末那識の説明じゃないのか2024/09/04 08:52:25559.リダン◆gEV3xsS//krN558阿頼耶識の記憶、記録コップの記憶を実体視してるってこと?そう言うイデア論は実在論じゃね?2024/09/04 08:53:03560.リダン◆gEV3xsS//krN558>>558末那識は間断なく働きかけるじゃね?2024/09/04 08:53:44561.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNなるほどねー2024/09/04 08:55:42562.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNhttps://ameblo.jp/yk19610402/entry-12648806700.html2024/09/04 08:55:55563.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNhttps://blog.goo.ne.jp/fukujukai/e/df3d82ca3eaa192cd516f89add4f74d82024/09/04 08:56:10564.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN唯識三十頌に我々の深層意識(阿頼耶識)は氾濫した河の様だという最初の記述「(阿頼耶識は)恒に転ずること暴流の如し」を思い出します。2024/09/04 08:56:42565.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN(阿頼耶識は)←このカッコ内文字誰が入れた?()ってことは唯識三十頌にはその部分は書かれないということだよな。2024/09/04 08:57:53566.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNそもそも、清森さんのブログ見てみ2024/09/04 08:58:29567.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN私達の全ての生命は、「恒(つね)に激流のように動いて、やまないものだ」と言われています。2024/09/04 08:58:57568.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN素晴らしい一節だと思います。「暴流」とは、激しい滝の流れです。阿頼耶識は、その激流のように瞬時も、とどまることなく、激しく流れ来たり、流れ去るのであります。2024/09/04 08:59:11569.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN断絶するのでもなく、また常住不変でもない。常に非ず、断に非ず、「非常非断」である、と教えられます。これが、私達の生命の実相であります。2024/09/04 08:59:34570.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN「断絶するのでもなく」「常住不変でもない」「常に非ず」「断に非ず」「非常非断」である、2024/09/04 09:00:38571.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNどういう事かわかるか?2024/09/04 09:00:51572.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN一瞬、一瞬一コマ、一コマってことだよ。2024/09/04 09:01:16573.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN滅する事もない生じない2024/09/04 09:01:43574.リダン◆gEV3xsS//krN558ブログじゃなくて論文みたいなのがあればええなあまあいずれにせよ>>5592024/09/04 09:01:59575.リダン◆gEV3xsS//krN558>>572ふむ?2024/09/04 09:02:13576.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN変化が起きないただし!それは一瞬の一コマにおいての話。2024/09/04 09:02:40577.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN阿頼耶識には、常にとどまることなくその刹那の一コマ、一コマが流れ込んで来ている2024/09/04 09:03:26578.リダン◆gEV3xsS//krN558>>576そうだねだから刹那滅と同期いや阿頼耶識が刹那滅とはなかったから無常と同期ってことよ2024/09/04 09:04:07579.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNそれを玄奘三蔵は、「恒に転ずること暴流の如し」と釈してるんだろ2024/09/04 09:04:21580.リダン◆gEV3xsS//krN558無常は無為じゃなくて有為2024/09/04 09:05:23581.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN〝同期〟させたらそれは有為でしょうに2024/09/04 09:05:25582.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNだからリダンの意識は未だ有為の世界観から抜けれてない2024/09/04 09:06:00583.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN阿頼耶識に無漏種子が薫習されていないんだよ。2024/09/04 09:06:49584.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN曼荼羅本尊に向かってお題目唱えないしー2024/09/04 09:07:21585.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN瞑想で無漏種子が薫習されると勝手に思い込んでいるしー2024/09/04 09:07:55586.リダン◆gEV3xsS//krN558>>583いやいや阿頼耶識内部は瀑流なんだから無常でしょ有為だよ2024/09/04 09:08:06587.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNどんなにわたしが説明しても無駄だろね2024/09/04 09:08:23588.リダン◆gEV3xsS//krN558あとこれね>>5592024/09/04 09:08:45589.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNハイハイ、そうですか2024/09/04 09:08:54590.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNリダンはそう思っているんですねー2024/09/04 09:09:09591.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNそれはそれで宜しいのではないでしょうか2024/09/04 09:09:24592.リダン◆gEV3xsS//krN558阿頼耶識内部の記憶、記録は無為の、世界観ではなく無常の有為2024/09/04 09:09:48593.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNしかし、そのリダンの正解をわたしにゴリ押ししてくるのはやめてくださいね2024/09/04 09:10:07594.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNリダンはそう思っているんですね分かりました。2024/09/04 09:10:40595.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNわたしとは阿頼耶識の理解が違っているようですね2024/09/04 09:11:39596.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNリダンがそう思うのは自由です2024/09/04 09:12:09597.リダン◆gEV3xsS//krN558客体(見られる側)=モノのあり様 --- ①無為☓ 阿頼耶識内部の記録、記憶2024/09/04 09:12:12598.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNわたしがこう思うのも自由です2024/09/04 09:12:29599.リダン◆gEV3xsS//krN558では仕事してきます2024/09/04 09:13:15600.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN阿頼耶識=有為 リダン阿頼耶識=無為 法介ってことでしょ2024/09/04 09:13:28601.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNはい、いってらっしゃい2024/09/04 09:13:48602.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNお仕事がんばれよー2024/09/04 09:14:04603.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNって、パチンコじゃないだろな2024/09/04 09:14:20604.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNそもそも有為って人の意識で成り立つんだぞ。2024/09/04 09:15:38605.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN人の意識は第六意識と第七意識のふたつの識しかないと成唯識論に確か書かれてあったんじゃなかったかな。2024/09/04 09:16:43606.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNhttps://blog.goo.ne.jp/seikannamo/e/1fd13b5056fb746eaa9a600de45141ac2024/09/04 09:24:29607.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN第七識は聖教において他の識とは別に末那と名づけられる、何故なら恒に審に思量すること、他の識に比べて勝れているからである。2024/09/04 09:24:58608.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN第八識は心といい、第七識は意といい、その他の識は識と名づけられる2024/09/04 09:26:04609.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN第七識が意というにふさわしく、諸識に別して特に意と名づけるのである。何故ならば、「恒に審らかに思量すること」が他の識より勝れているからである。2024/09/04 09:26:37610.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN思量すること思量すること思量すること2024/09/04 09:26:51611.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN意を以て第七識の名とするならば、第七意識といってもいい、そうならば、第六意識と異なるというのはどういうことなのか、又第七識を意といい、意識と云わないのは何故か2024/09/04 09:28:59612.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN第六番目も意識であり、第七番目も意識であるということになり、どこにその違いがみられるのかという問いが生まれます。2024/09/04 09:29:09613.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN第六意識は、第七識である意を所依として起こる識である。2024/09/04 09:29:35614.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN第七識は持業釈である。識の体、そのものが意であるということ。2024/09/04 09:29:49615.リダン◆gEV3xsS//khUOHLってかさ>>559はまだかい?2024/09/04 09:29:50616.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN此れは持業釈なり、蔵識という名の如し、識即ち意なるが故に。彼は依主釈なり、眼識等という如し2024/09/04 09:30:11617.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN第七識 意=識 意が識自体を指す。(持業釈)第六識 意根による識(意根を所依とする識)、即ち、 意根(第七識)を所依とする識であるという意味で 意識と名づけられる。(依主釈)2024/09/04 09:30:47618.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN>阿頼耶識の記憶、記録>コップの記憶を実体視してるってこと?>そう言うイデア論は実在論じゃね?>コップの記憶を実体視してるってこと?コップを①+②と②と③の三観で観ている。>そう言うイデア論は実在論じゃね?②は仮観(実在)③は空観(非実在)①+②は中観(中道)2024/09/04 09:36:06619.リダン◆gEV3xsS//khUOHL>>618①が実在、イデアでないなら②は仮観(実在)③は空観(非実在)①+②は中観(中道)☓②+③は中観(中道)○じゃね?2024/09/04 09:45:35620.リダン◆gEV3xsS//khUOHL①は種子現行前の阿頼耶識の記憶、記録②がその記録記憶を現象化、種子の現行となって一般の因となるんやない?その現行をどう観じるか?であって2024/09/04 09:52:33621.リダン◆gEV3xsS//khUOHL①しかも阿頼耶識内部は瀑流だから無常、よって無為ではなく有為2024/09/04 09:54:11622.リダン◆gEV3xsS//khUOHL①の阿頼耶識内部のコップがあるとするのはイデア唯識論は実在論ではなくない?2024/09/04 09:55:06623.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN>①の阿頼耶識内部のコップがあるとするのはイデア①に〝コップがある〟とか言ったか?2024/09/04 10:05:08624.リダン◆gEV3xsS//khUOHL>>623コップ、あるいは成り立ち2024/09/04 10:06:24625.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN>>621瀑流だから無常?業が累積されていくのが無常?2024/09/04 10:06:41626.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN>>624①にコップと呼ぶ対象の〝モノ〟は存在(実在)していないとでも?(業は記録されていないとでも?)2024/09/04 10:08:30627.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN個人の行いは阿頼耶識に業として刻まれないという主張でしょうか?2024/09/04 10:09:18628.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN無常だからそんなものは阿頼耶識には存在しないと?2024/09/04 10:10:02629.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN>>619天台教学の基礎教えようか仮観(凡夫の世界観)=有空観(仏の世界観)=空中観(真如の世界観)=亦有亦空2024/09/04 10:12:21630.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNそれに①~③を当てはめると②仮観(凡夫の世界観)=有③空観(仏の世界観)=空①+③中観(真如の世界観)=亦有亦空2024/09/04 10:14:34631.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNまちがえた2024/09/04 10:14:50632.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN②仮観(凡夫の世界観)=有③空観(仏の世界観)=空②+③中観(真如の世界観)=亦有亦空だな。2024/09/04 10:15:31633.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN>>618 ここも間違えて書いてた2024/09/04 10:16:08634.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN②仮観(凡夫の世界観)=有③空観(仏の世界観)=空②+③中観(真如の世界観)=亦有亦空 ↑これが片眼凡夫②、片眼仏③の後得智2024/09/04 10:16:54635.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNで、2024/09/04 10:17:07636.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN非有非空で真如の世界に入る。2024/09/04 10:18:39637.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN非有非空とは、>>634↑の「亦有亦空」を空じる事。2024/09/04 10:19:46638.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNどうやってそれを空じて真如の世界観に入るかといえば、2024/09/04 10:20:22639.リダン◆gEV3xsS//kKfqPN>>626記録されてるだけで実在ではないんじゃないです?現行したものが因となり業となるんじゃないですか?2024/09/04 10:20:35640.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNこの構図では言い表せない2024/09/04 10:20:44641.リダン◆gEV3xsS//kKfqPN>>634それなら納得です2024/09/04 10:21:30642.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNなぜかというと構図が全く異なるから(①と②と③の円融の構図ね)2024/09/04 10:21:59643.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNそれがどういう構図かというと、これの通相参観(一心三観)https://hokekyou.up-jp.com/wp-content/uploads/2021/06/image023.jpg2024/09/04 10:23:52644.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN①と②と③が円かに溶け合った構図(円融三観)2024/09/04 10:26:02645.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNこの円融三観の一仮一切仮一空一切空一中一切中は、2024/09/04 10:27:39646.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN三身如来の空仮中をそれぞれ〝因〟としている。その因は三つとも〝無始無終〟2024/09/04 10:29:22647.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN三身が三つとも無始無終の久遠実成の三身如来です。2024/09/04 10:30:35648.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNその無始無終(無為)を因としてご本尊を縁として唱えるお題目が果として顕れるのがそれぞれの如来です。2024/09/04 10:32:36649.麦◆MUGITANx95Dja0vim∞ノノハ∞川^〇^ハレ~♪パークマンサー法介www (≧m≦)https://youtube.com/shorts/iIj75Zr8dM8?si=DAoOFuS9u5ikbxLqhttps://youtube.com/shorts/iIj75Zr8dM8?si=DAoOFuS9u5ikbxLq2024/09/04 10:32:38650.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN応身如来(無始無終=無為)を因として曼荼羅本尊の相を縁として実在の世界観に応身如来が顕れます。(一仮一切仮)2024/09/04 10:34:28651.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN報身如来(無始無終=無為)を因として法華経の心を縁として(法華経の読誦)非実在の自身の心の世界観に報身如来が顕れます。(一空一切空)2024/09/04 10:35:54652.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN法身如来(無始無終=無為)を因として南無妙法蓮華経のお題目を縁として自身の凡夫の体に当体蓮華の法身如来が顕れます。(一中一切中)2024/09/04 10:37:47653.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNそれにより自身の実際の日常生活の中で不思議な出来事が起こり自身の心の中で不思議な心の変化が起きそれにより最終的にある事を覚ります。2024/09/04 10:40:00654.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNそれが円教で解き明かされた道諦です。2024/09/04 10:40:31655.リダン◆gEV3xsS//k5L9qz結局①阿頼耶識の記録記憶はリアルタイムで業が更新されるから有為んでその記録、記憶が現行(されていない)ことが無為唯識における無為は縁起しない乱暴に言えば一切は縁起しない(無為)か縁起した(有為)か2024/09/04 11:33:15656.リダン◆gEV3xsS//k5L9qz>>651報身如来(無始無終=無為)を因として↑無漏の種子が現行して因となり報身如来が顕れます(作用しない智慧)じゃない?2024/09/04 11:37:47657.リダン◆gEV3xsS//k5L9qzおそらく法介さんのいう無為の世界観、真如の世界観は阿頼耶識の記憶、記録が作用していない縁起していない(無為)ことじゃない?それが①であると2024/09/04 11:40:27658.リダン◆gEV3xsS//k5L9qz>>656応身も、法身も2024/09/04 11:47:49659.リダン◆gEV3xsS//k5L9qz>>646無始無終縁起しない作用しないその特性が無漏の種子(作用しない特性)が現行し因となる(三身如来)2024/09/04 12:07:41660.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNリダンがどこでつまづいているのかが分かった。2024/09/04 12:35:08661.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN反論せずにまずは私の話を聞いてくれ。リダンに分かるように説明するから。2024/09/04 12:35:53662.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNリダンは仏教2年目に入ったばかりで縁起というものをまだ良く分かっていない。2024/09/04 12:36:37663.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN縁起とは「因が縁によって果が生じる」といったもので、2024/09/04 12:37:23664.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN因と果だけでは縁起は起きない2024/09/04 12:37:49665.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN阿頼耶識にある膨大な業は因と果である。2024/09/04 12:38:26666.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNその阿頼耶識の因と末那識の自我が縁することで果が生じる。2024/09/04 12:39:37667.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNなので阿頼耶識オンリーでは(因と果だけでは)縁起は起きない2024/09/04 12:40:26668.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNだから起信論でも言ってるだろ〝善知識の縁〟がなければ顕れないと2024/09/04 12:41:17669.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN日蓮さんも同じことを言われている2024/09/04 12:41:34670.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN三因仏性ありと言えども善知識の縁に合わなけれなと。2024/09/04 12:42:09671.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNそこで考えて見て欲しい。2024/09/04 12:42:56672.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN>①阿頼耶識の記録記憶は>リアルタイムで業が更新されるから>有為業が阿頼耶識にどんどん入って来る。それのどこに人為的作用が働いている?2024/09/04 12:44:44673.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN阿頼耶識に入って来ているのは一コマ、一コマの静止した業2024/09/04 12:45:42674.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNそれが人の行いという業だったとしても阿頼耶識においては人だとか動物だとかといった分別は起きない2024/09/04 12:47:16675.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNただ、業として全ての行いが記録されていく2024/09/04 12:48:00676.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNどこをとってそれを人為的だとか縁起してるとかリダンは言うのかな2024/09/04 12:48:40677.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN次に、2024/09/04 12:48:55678.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN>>657 - >>659についてだが、2024/09/04 12:50:28679.リダン◆gEV3xsS//kqCWFhちょっと全部みてないが因が縁しなきゃそれは非択滅でしょ因が縁しなきゃただの作用しない特性なだけ自我に縁すりゃ執する作用をしなくなるでしょ八識に縁すりゃ転識になるでしょ2024/09/04 12:51:12680.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNまた適当な事をいいだしたな・・・2024/09/04 12:53:21681.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN非択滅をリダンはどういう解釈している?2024/09/04 12:53:52682.リダン◆gEV3xsS//kqCWFh>>681因がないってことやない?2024/09/04 12:56:34683.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN違うだろ・・・2024/09/04 12:57:14684.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN正しい知恵によらない法の止滅のこと。2024/09/04 12:57:30685.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN縁起には有漏の法と無漏の法がある。2024/09/04 12:59:53686.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN凡夫の〝迷いの一念〟で起こる縁起は有漏の法。2024/09/04 13:00:33687.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN仏の〝覚りの一念〟で起こる縁起は無漏の法。2024/09/04 13:01:04688.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN非択滅は、その有漏の法が滅した状態を言う。2024/09/04 13:01:45689.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN見る側と見られる側の構図で言えば、②(凡夫視点)は有漏法の縁起③(仏視点)は無漏法の縁起2024/09/04 13:02:56690.リダン◆gEV3xsS//kqCWFh>>688未来に因が閉じて縁しないことやない?2024/09/04 13:03:08691.リダン◆gEV3xsS//kqCWFhちょっと離席2024/09/04 13:03:28692.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNでは①はと言えば①は人は縁していない。なので①では縁起は起きない2024/09/04 13:04:22693.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNでは、人類が生存する以前の時代にあって火山が噴火したとしよう。2024/09/04 13:05:18694.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN火山の噴火は縁起だとリダンは思うだろ。①の世界で起きてる縁起。しかし、それは間違い。2024/09/04 13:06:09695.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN①では静止した一コマ、一コマの業が蓄積していくだけ。2024/09/04 13:06:49696.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNなので①では縁起は起きえない。2024/09/04 13:07:07697.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN後半の質問の >>657 - >>659 の中で、リダンは、>無漏の種子(作用しない特性)が>現行し因となる(三身如来)と言っているがそこも勘違いをしている。2024/09/04 13:08:31698.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN無漏の種子というのは、現行することはない。2024/09/04 13:09:32699.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNなぜなら因果具時だから因と縁と果が既に同時に具わっている。それ自体で既に完結しているという事だ。2024/09/04 13:10:41700.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN完結して種子として薫習されている。2024/09/04 13:11:29701.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN種子として薫習されるという事は今一瞬の刹那に於いてその薫習された無漏種子が無意識的に直感(インスピレーション)として働くという事だ。2024/09/04 13:13:15702.リダン◆gEV3xsS//kqCWFh>>684だから未来に因が閉じて縁しないんだろ?2024/09/04 13:13:30703.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNそこでの無意識は有為です。そして縁起です。2024/09/04 13:13:47704.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN>>702有漏の法がね。無漏の法は縁起する。2024/09/04 13:14:36705.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNリダンは縁起そのものが因が閉じて起こらないと言ってただろ。2024/09/04 13:15:27706.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN一切法には有漏法と無漏法があるって先日学んだだろ。2024/09/04 13:15:59707.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN非択滅しても無漏の法は縁起するんだよ。2024/09/04 13:16:52708.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN何としてでもいちゃもん付けないと気が済まないのか?2024/09/04 13:17:59709.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNそれってな、2024/09/04 13:18:12710.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN正しい話を素直に聞けない状態に陥っているんだよ六根が濁っているってこと。2024/09/04 13:18:57711.リダン◆gEV3xsS//kqCWFh>>699え?現行しねえと因にならんでしょ現行した後因と縁と果が既に同時に具わっているってことやない?2024/09/04 13:19:16712.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN自身の我が邪魔して正しい話を正しく聞けない2024/09/04 13:19:27713.リダン◆gEV3xsS//kqCWFh>>707どれやったかな後で見返してみる2024/09/04 13:20:07714.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN>現行しねえと因にならんでしょだ・か・ら、>>703 と言っているだろ。2024/09/04 13:21:18715.リダン◆gEV3xsS//kqCWFh男には最初から女の因がねえみたいな話があったね2024/09/04 13:21:34716.リダン◆gEV3xsS//kqCWFh>>701言いたいことは分かるし俺もそうだと思うが実際に種子が現行しないと因にならんのやないかい?2024/09/04 13:23:41717.リダン◆gEV3xsS//kqCWFh>>707非択滅(作用しない)しても無漏の法(漏れがない)は縁起する????2024/09/04 13:25:35718.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN無漏の種子は >>699 だから悟りの因も覚りの果も同時に備え持っている。だから、今一瞬の出来事に対し間違いのない正しい判断が無意識的に行われる。2024/09/04 13:25:46719.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN>>718 ←これは有為であり縁起でもある。2024/09/04 13:26:23720.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNだが、無漏の種子(無為法)は無為であり無漏であり縁起もしない。2024/09/04 13:27:02721.リダン◆gEV3xsS//kqCWFh>>718いやこれは別に自我の執の作用止めりゃそうなるやん2024/09/04 13:27:32722.リダン◆gEV3xsS//kqCWFh>>720ふむ2024/09/04 13:28:12723.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNAI による概要非択滅とは、仏教用語で、〝正しい知恵によらない法〟の止滅を意味します。五位七十五法の無為法の1つです。2024/09/04 13:28:38724.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN有漏法の止滅を意味する。2024/09/04 13:29:16725.リダン◆gEV3xsS//kqCWFh>>720無漏の種子は無為法ってよりその特性、仏の智慧やないのかい?2024/09/04 13:29:25726.リダン◆gEV3xsS//kqCWFhちょっとまた離席2024/09/04 13:30:27727.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN>>721前に例えたが、Aという会社とBという会社の話。自我の執の作用止めたら未来を読み取れるのか?普通に2024/09/04 13:30:48728.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN皆が普通に未来に対して正しい判断が出来ていりゃだれも不幸になんてならないだろ2024/09/04 13:31:36729.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNおかしなことばっか言うなー2024/09/04 13:31:49730.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNそこまでして言いがかり付けたいのか?2024/09/04 13:32:14731.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN疲れるんだよーそういうの2024/09/04 13:32:34732.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN内容もないし2024/09/04 13:32:44733.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN単なるトークマウンティング・バトルだろ2024/09/04 13:33:12734.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNそういうトークしかしないのならもう相手せんぞー2024/09/04 13:33:32735.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN>>725だ・か・ら前から何度も言っているだろ無為法ってのは仏が智慧であみ出した必殺技だって2024/09/04 13:34:46736.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN特性(縁起しないという)なんかじゃないんだよ2024/09/04 13:35:36737.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN仏があみ出した智慧の法(方法)なんだよ2024/09/04 13:36:03738.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN法など存在しないんだから2024/09/04 13:36:34739.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNただ、説一切有部は法有を説くから無為法という法があると思っている。(リダンも同じ)2024/09/04 13:37:20740.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN真如の世界観に法など存在しえないだろが2024/09/04 13:37:45741.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN法って概念だぞ2024/09/04 13:37:57742.リダン◆gEV3xsS//kqCWFh>>727いや果徳のさ正しい正しくないは主観じゃなかったかい?2024/09/04 13:38:25743.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN人為を離れている世界観の中で法があります!特性があります!ってリダンは叫んでいるんだよ2024/09/04 13:38:40744.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN>>742ふ~~~~~~~~ん2024/09/04 13:39:11745.リダン◆gEV3xsS//kqCWFh>>735まあそこは信仰と、そうじゃないの差でしょ仏が智慧であみ出した必殺技ってのは俺は否定しない2024/09/04 13:39:36746.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNじゃあ聞くがA社に入って5年後に倒産して給料ももらえなくてそれでリダンは幸せか?嬉しいか?ハッピーか?2024/09/04 13:40:16747.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNだから、結論を言うぞ。2024/09/04 13:40:57748.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNりだんは無為法という縁起が起こらないという特性を備えた法があると考えている。わたしはそのような特性を備えた法など存在しないと考えている。2024/09/04 13:42:07749.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN大乗仏教で言う無為法とは仏が衆生を救う為に仏の智慧であみ出した民衆救済法である。2024/09/04 13:43:21750.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNリダンが思っている無為法は、「何も起こらない」という特性を備えた法である。2024/09/04 13:44:07751.リダン◆gEV3xsS//kqCWFh>>748無為法はただ縁起しないってだけだよ俺らはその特性を活用するってこと2024/09/04 13:44:17752.リダン◆gEV3xsS//kqCWFh>>749そうね2024/09/04 13:44:41753.リダン◆gEV3xsS//kqCWFhじゃあ仏の必殺技でどう転識するの?2024/09/04 13:45:11754.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN私、法介とリダンとでは学んできた仏教の量の違いから以上のような見解の相違が見られます。2024/09/04 13:45:13755.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN>>753おまえには、もうおしえちゃらん2024/09/04 13:46:04756.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN知りたかったら自分で勉強しろ2024/09/04 13:46:22757.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNというかもう話しているだろそれは。2024/09/04 13:46:39758.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNおまえがちゃんと聞いてないだけの話。2024/09/04 13:46:58759.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNでは、結論も出たのでこの辺で終わるにする。2024/09/04 13:47:22760.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNリダンお疲れまさでした。2024/09/04 13:47:42761.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN頑張って精進しろよなー2024/09/04 13:47:57762.リダン◆gEV3xsS//kqCWFhお疲れ様でした✨2024/09/04 13:48:06763.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNジャン、ジャン2024/09/04 13:48:46764.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN楽しかったぞー2024/09/04 13:48:57765.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNリダンの質問参考になった人も居ると思うよー2024/09/04 13:49:54766.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN落とし穴に落ち込んでいる人沢山いるから^^2024/09/04 13:50:16767.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN>>742絶対的な正しさはないが自分にとっての正しさはあるだろその時分にとっての正しさも常に変わって行く2024/09/04 13:59:49768.リダン◆gEV3xsS//kqCWFhまあでも冷静に考えてごらん己に無為の特性がそなわる転識も可能でしょ?仮空中も可能でしょ?(作用しない、するのチューニング)だから仏の必殺技は作用しないという特性なんさそれがお題目で備わるってことやと思うがね?2024/09/04 14:15:55769.リダン◆gEV3xsS//kqCWFh結局①の客体がなんだと思ってんのか言わなかったな聞いてる限りではこちらの認識の他に真の基体が実在していると聞こえるが基本的には現行されたものしか現象してないわけで唯識の無相、有相は実はよく分からんが②での現象化が物質であるか錯覚であるかってことやない?2024/09/04 14:23:24770.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN>>己に無為の特性がそなわる無我じゃないのね…2024/09/04 17:15:27771.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN特性が備わってるのね…2024/09/04 17:16:47772.リダン◆gEV3xsS//kqCWFh>>770自我がないわけじゃないやろ2024/09/04 17:18:02773.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN主張がでたらめすぎて付き合いきれない…2024/09/04 17:18:35774.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN自性が備わっていない事を無我と言う。2024/09/04 17:20:29775.リダン◆gEV3xsS//kqCWFh>>773どう言うことや自我が無我であって自我がないわけやないやろ実体視するから一切皆苦ってだけや2024/09/04 17:20:41776.リダン◆gEV3xsS//kqCWFh>>774せやで?2024/09/04 17:21:59777.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN自性がないのに特性が備わってるのね2024/09/04 17:23:21778.リダン◆gEV3xsS//kqCWFh>>777そらより集まっただけやん2024/09/04 17:23:53779.リダン◆gEV3xsS//kqCWFhそもそも自我は仮和合やん2024/09/04 17:25:21780.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN仮和合なのに特性があると?特性=そのものがもつ性質。2024/09/04 17:33:35781.リダン◆gEV3xsS//kqCWFh自我はそもそも色んな機能が満載やでそれらが集まった真の姿やなく仮のものやん2024/09/04 17:33:59782.リダン◆gEV3xsS//kqCWFh特性の言い方があかんか2024/09/04 17:34:23783.リダン◆gEV3xsS//kqCWFh機能ならええか?2024/09/04 17:35:36784.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNあのな、リダン2024/09/04 17:38:12785.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNリダンは空を無我説で理解しているのね。2024/09/04 17:38:45786.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNそれはリダンに限ったことではなく中村先生の影響で多くの人達がそのように空を無我説で理解している。2024/09/04 17:39:46787.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNだけど、リダンはわたしの先日の説明を聞いて今、その意識が変ろうとしかけている。2024/09/04 17:40:35788.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNだから、も少し続ける。2024/09/04 17:40:56789.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN大事なのは、無我説ではなく縁起説で空を展開すること。2024/09/04 17:41:31790.リダン◆gEV3xsS//kqCWFh>>787ほう2024/09/04 17:41:46791.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN例えば、2024/09/04 17:41:47792.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN今、リダンは機能ならええのか?と聞いてきた2024/09/04 17:42:12793.リダン◆gEV3xsS//kqCWFh>>792うむそもそもラインアプリの例え推しまくりやしね2024/09/04 17:42:50794.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNスマホには離れた相手と会話が出来るという便利な機能が備わっている。2024/09/04 17:42:54795.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN龍樹ならこういうだろう。龍樹:果たしてそうかな?2024/09/04 17:43:37796.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN龍樹:言語を用いないアフリカの現住民にとっても それは同じ事が言えますか?2024/09/04 17:44:45797.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN縁する人が変れば、そのあり様もまた変わる。2024/09/04 17:45:35798.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNそれが相依性縁起だ。2024/09/04 17:45:52799.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNじゃあ、今度は磁石について考えてみよう。2024/09/04 17:46:28800.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNリダン:磁石は鉄が引っ付くという特性を備えています。2024/09/04 17:47:01801.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNリダン:これは確かに特性でしょう! アフリカの現住民がやっても鉄は引っ付く!2024/09/04 17:47:44802.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN龍樹:果たしてそうでしょうか?2024/09/04 17:48:04803.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN龍樹:では、お聞きします アフリカの現住民って 〝鉄〟をご存じなのでしょうか?2024/09/04 17:49:16804.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN龍樹:言語を使わない人達に〝鉄はー〟とか言って 通じますか?2024/09/04 17:49:58805.リダン◆gEV3xsS//kqCWFhふむ言いたいことは分かりますそろそろ自我と無我に話をむすびつけて貰えますか?2024/09/04 17:51:02806.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN龍樹の縁起説ってそういう事なんだよ(相依性縁起)2024/09/04 17:51:02807.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN自我と無我に話をむすびつけて?どういうこと?2024/09/04 17:51:45808.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN既に語っていなかったか?2024/09/04 17:52:29809.リダン◆gEV3xsS//kqCWFh早い話が自我を実体視する小乗に滅する自我なんてねえよってことやない?2024/09/04 17:52:32810.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNここの430から目を通してみhttps://talk.jp/boards/psy/17248189292024/09/04 17:56:36811.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN430論文の中で博士は、「主体が無い」とか、「自分は存在していない」と考えることがお釈迦さまが説かれた〝無我〟であると主張する一部の上座部の無我解釈が、今では古い考えであるという事を私たちは学ばなければ、正しい仏教観には立てないということを主張されておられます。2024/09/04 17:57:42812.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN432 法介◆T3azX0Hk1U先ほどのお釈迦さまの言葉ですが、直訳すると「自己によって自己を見ず」となりましてそれをもって中村先生などは、仏の見識に立てば「自己は存在しない」と考えられた訳です。これは「自己と自我」を同等にみる考えです。奈良 康明 博士は、ここはとても大事なところなので何人かの研究者の訳を引き合いに出され並べて紹介なされておられます。2024/09/04 17:58:11813.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN中村 元:自己によって自己を観じて(中村1993・538頁)渡辺照宏:自己には自我なしと洞察し(渡邊1982・145頁)宮坂宥勝:自分に自我を見ることなく(宮坂2002・123頁)榎本文雄:自我にとらわれて自己を見ることなく(榎本1986・191頁)村上真完・及川真介:自ら自我を見ず(村上・及川2009・(三)128頁)2024/09/04 17:58:43814.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN434.中村先生だけが「自己によって自己を」と原文通りに二つの自己を並べていますが、他の先生方は自我と自己とに分けて訳しておられます。そうしないと意味が正しく伝わらないからです。2024/09/04 17:59:01815.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN他の先生方の表現は、「真の自己は〝自我〟によって把握されるべきものではない」といったことを意味しております。2024/09/04 17:59:20816.リダン◆gEV3xsS//kqCWFh>>811自我を実体視して滅すとか無いとかやろ2024/09/04 17:59:44817.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN「自分の事は自分が一番分かっている」などと言いますが、あなたは自分という存在をどのように認識されてますか?というのが「無我」のお話です。言いかえれば、「あなたはどれだけ〝自分〟を正しく理解出来ていますか」と言うことでもあります。2024/09/04 17:59:45818.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN「自分はなんて不幸な人間なんだろうか」とか、「自分だけどうしてこんなに辛い思いをしなくてはいけないのだろう」とか、「自分はどうしてこんな病気になってしまったんだろう」とか、人間ってよくよく考えてみますと、果たしてどれだけの人が「自分という存在」に、納得して生きているものでしょう。実は人間って自分が思っている程、自分の事をあまり良く知り得ていないものなんです。ここで言う「自分が思っている自分」というのが「自我」です。そして今そこに存在しているあなた自身が「自分」です。「自我」によってあなたは「自分」を自分だと思い込んでいませんか?初期仏教ではこの「自分と自我」の関係について詳しく説き明かされております。2024/09/04 17:59:59819.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNという感じで既に説明しておりますが・・・2024/09/04 18:00:33820.リダン◆gEV3xsS//kqCWFhちょっと離席2024/09/04 18:00:35821.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN>>809そう言う事ではない。こちらの構図で説明したが解りやすい。 客体(見られる側)=モノのあり様 --- ① 主体(見る側) =認識のあり様(主観と客観)--- ②2024/09/04 18:02:33822.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNわたし達は②の主観と客観で世界を見ているこれが自我による認識(妄想現実)2024/09/04 18:03:31823.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNわたし達が②の主観と客観で見ているように実際の世界は出来ていない①(実際の世界)2024/09/04 18:04:37824.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN解りやすく言えば、人間は自分達の都合で様々なモノを概念化して来たがそのような概念によってモノは成り立っている訳ではない。2024/09/04 18:05:56825.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNここで言う概念が自我。2024/09/04 18:06:11826.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN②が自我で見ている妄想現実。2024/09/04 18:06:40827.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNその②の主観と客観を空じると前五識(感覚器官)を対象とした意識(第六意識)は止滅する。2024/09/04 18:07:54828.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN代わりに深層の第七意識が立ち上がってくる。2024/09/04 18:08:23829.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN末那識は阿頼耶識を対象として起こる意識です。2024/09/04 18:08:55830.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNすると、次のような内容に認識のあり様が変ります。③ 客体(見られる側)=モノのあり様 --- ① 主体(見る側) =認識のあり様(相依性縁起と此縁性縁起)--- ③2024/09/04 18:10:11831.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNこれが縁起説。2024/09/04 18:10:25832.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN空を有る無しで展開するのではなく、縁起で展開する。2024/09/04 18:11:08833.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNこれが、相依性縁起で起こる体空観。2024/09/04 18:11:43834.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN例えばリダンが毎日コーヒーを飲むのに使っているカップ。2024/09/04 18:13:35835.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNリダンはそれを自身の勝手な思い込みでこれはコップだと思って使っている。2024/09/04 18:14:16836.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNしかし、ある日そのコップを造った人がテレビでこう語ってた。2024/09/04 18:14:56837.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN実はこれ、尿瓶なんですねーと。2024/09/04 18:15:17838.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNリダンはそれを②の妄想で勝手にコップだと決めつけて毎日それでコーヒーを飲んでいた。2024/09/04 18:16:03839.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNしかし、あるきっかけでそのモノが造られた因果を知る③2024/09/04 18:16:42840.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN因果を知る③ことでリダンはそれをより①に近い正しい認識でとらえる事が出来るようになった。2024/09/04 18:17:37841.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNそもそも私たち人間なんて、2024/09/04 18:18:04842.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN世界の全てを知っている訳ではない2024/09/04 18:18:19843.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN人間の勝手な都合で世界を世界として認識しているに過ぎない2024/09/04 18:18:47844.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN世界は本当は①のような形で存在している、2024/09/04 18:19:16845.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN①とは此縁性縁起だ。長い時間の流れの中で様々な要因が複雑に絡みあって仮和合して世界は出来ている。2024/09/04 18:20:29846.リダン◆gEV3xsS//k1lfFC>>844いや②だけで完結する話しやない?妄想と実際なんて2024/09/04 18:21:03847.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNだが、その世界に人間のような刹那滅の心相続はない。2024/09/04 18:21:09848.リダン◆gEV3xsS//k1lfFC>>847いや唯識で法有は仮有とあるで刹那滅や2024/09/04 18:22:07849.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN>>846唯識とは、人間の認識作用(識の働き)を説いた教えだ。②2024/09/04 18:22:22850.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN大乗では法有は説かないだろ。それは説一切有部の話。2024/09/04 18:23:21851.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN何の為に龍樹が法有を破折して大乗を起こしたんだ2024/09/04 18:24:21852.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNトンチンカンな事を言うなー2024/09/04 18:24:42853.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN倶舎論に執着しすぎだろリダンは。2024/09/04 18:25:25854.リダン◆gEV3xsS//k1lfFC>>849わざわざ分けるってことは①は真の実在があると法介さんは思うわけやな2024/09/04 18:25:56855.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN倶舎論は無我説なんだよ2024/09/04 18:26:06856.リダン◆gEV3xsS//k1lfFC>>853いや唯識は法有を仮有とするってあるで2024/09/04 18:26:36857.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN>>854あるだろじゃあ、リダンのその手は実在していないのか?2024/09/04 18:27:21858.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN法有を仮有とするああーそうだな仮有(妄想現実ね)2024/09/04 18:28:15859.リダン◆gEV3xsS//k1lfFC>>857②で完結するやろ妄想でみてる手か実際の手か2024/09/04 18:28:23860.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN法は存在しないって言っている。2024/09/04 18:28:42861.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN>>859じゃあ聞くがその手は誰によって造られた?2024/09/04 18:29:30862.リダン◆gEV3xsS//k1lfFC>>857②で完結する話しをわざわざ2つに分けるってことは真の物体、イデアが実在するってことやで?分かる?唯識は実在論か?2024/09/04 18:30:02863.リダン◆gEV3xsS//k1lfFC>>861種子の現行やろ2024/09/04 18:31:32864.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN>唯識は実在論か?唯識は②の認識論倶舎論は①の存在論(実在論)2024/09/04 18:31:56865.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN>>863 その種子は②にあるか?2024/09/04 18:32:44866.リダン◆gEV3xsS//k1lfFCん?①は無為って法介いってなかった?真如の世界観って2024/09/04 18:32:57867.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN①の世界観=阿頼耶識(種子はここ)2024/09/04 18:34:01868.リダン◆gEV3xsS//k1lfFC>>865そら種子が現行して現象化するんやから②やろんで汚染されとるから実際を妄想でみるんやろ2024/09/04 18:34:10869.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN真如の世界観は①+②+③が円融って言っただろ。2024/09/04 18:34:35870.リダン◆gEV3xsS//k1lfFC法すけ☓法介さん○2024/09/04 18:34:48871.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNだったら①も必要だろ2024/09/04 18:35:12872.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN①阿頼耶識②第六意識で立ち上がる世界観③第七末那識で立ち上がる世界観2024/09/04 18:36:08873.リダン◆gEV3xsS//k1lfFC>>871いや①は分けたいんなら現行前の記録記憶や現象化しとらん2024/09/04 18:36:40874.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN①阿頼耶識=中観②第六意識で立ち上がる世界観=凡夫の仮観③第七末那識で立ち上がる世界観=仏の空観2024/09/04 18:37:06875.リダン◆gEV3xsS//k1lfFCもーいい分かった分かった法介さん流の解釈でえんやない?ただ法介さんのそれは真の物体、イデア論や2024/09/04 18:38:31876.リダン◆gEV3xsS//k1lfFCさらば!2024/09/04 18:38:52877.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNじゃあ、リダンは自分の手が実際に実在しないと考えてるんだな2024/09/04 18:40:09878.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNリダンはそう考えてるんだと理解しておくよ2024/09/04 18:40:48879.リダン◆gEV3xsS//k1lfFC唯識はまず心の現れやから実在論ちゃう2024/09/04 18:41:27880.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNさて、夕食の支度をするかー2024/09/04 18:42:19881.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN無想唯識論者な訳ね2024/09/04 18:42:47882.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN分かりました。そう認識しておきます。2024/09/04 18:43:09883.リダン◆gEV3xsS//k1lfFC>>877実在として現象化してんのは種子が現行したものやろ②で済む話し2024/09/04 18:43:15884.リダン◆gEV3xsS//k1lfFC>>882いや法介さんは唯識論どころかイデア論者やん2024/09/04 18:44:13885.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN世界は存在(実在)しない!を主張する人ね。2024/09/04 18:44:14886.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN②に種子はないって2024/09/04 18:44:34887.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN分からん奴だなー2024/09/04 18:44:49888.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN>>884良いんじゃないかな勝手にそう思っててくれて2024/09/04 18:45:42889.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNみんな思い込みで生きているものだからね2024/09/04 18:46:09890.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNそれを理解出来ているか否かの問題だ。2024/09/04 18:46:38891.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNだから私は人からどう思われようとも関係ない(気にならない)2024/09/04 18:47:07892.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN人はみんな自身の勝手な思い込みで世界を見ている2024/09/04 18:47:32893.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNそれはそれで宜しいのではないでしょうか2024/09/04 18:47:56894.リダン◆gEV3xsS//k1lfFC>>886いやいや汚染された種子が現行されるから妄想なんやろがい2024/09/04 18:48:14895.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNなぜなら世界は自身の心が立ち上げている妄想現実だから2024/09/04 18:48:42896.リダン◆gEV3xsS//k1lfFC>>895いやいや汚染された種子が現行されるから妄想現実なんやろがい2024/09/04 18:49:17897.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNこれ以上意見し合っても無駄だろ2024/09/04 18:49:21898.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN>汚染された種子が現行されるから妄想現実なんやろがい②がな。2024/09/04 18:50:04899.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN②も③も①の存在なくして立ち上がらない。2024/09/04 18:50:40900.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN②も③だけだったらそれこそパソコンの仮想世界だ(実体がともなわない世界)2024/09/04 18:51:26901.リダン◆gEV3xsS//k1lfFC>>900それが唯識やでその妄想をとりのぞくんや②でいいはなし①のイデアを出す必要ないやろ2024/09/04 18:52:43902.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN世界は②と③だけだと思っている人達=無相唯識論者世界は①と②と③だと思っている人達=有相唯識論者2024/09/04 18:52:58903.リダン◆gEV3xsS//k1lfFC>>898②は種子の現行ないいうたやん2024/09/04 18:53:33904.リダン◆gEV3xsS//k1lfFC>>902あなたはイデア論者2024/09/04 18:53:58905.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNリダンのそれってさ人間にのみ当て嵌まる世界観な訳ね。2024/09/04 18:54:22906.リダン◆gEV3xsS//k1lfFCもーいい独自解釈はいい日蓮システムと法華経の話しだけ顔だすわ2024/09/04 18:55:03907.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNバッタも人間と同じように世界が見えていると思うか?2024/09/04 18:55:18908.リダン◆gEV3xsS//k1lfFCばいちゃ!2024/09/04 18:55:22909.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN金魚も人間と同じような〝認識〟で人間と同じような世界を見ていると思うか?2024/09/04 18:56:10910.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNもぐらも人間と同じような〝認識=唯識〟で人間と同じような世界を見ていると思うか?2024/09/04 18:56:43911.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNコウモリも人間と同じような〝認識=唯識〟で人間と同じような世界を見ていると思うか?2024/09/04 18:57:08912.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN都合が悪くなったらすぐにとんずらするんだから2024/09/04 18:57:52913.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN可愛い奴だ2024/09/04 18:58:06914.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN出直して来い2024/09/04 18:58:23915.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNさて、家事をやるかー2024/09/04 18:59:46916.リダン◆gEV3xsS//k1lfFC>>911やから汚染された種子が現行するからやないかーい2024/09/04 19:03:48917.リダン◆gEV3xsS//k1lfFCイデア論がどんなのか唯識論がどんなのか自分の解釈がどんなのかよーく考えてみ?イデア論者やないかーい2024/09/04 19:04:58918.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN>>916えええええ!コウモリや金魚やバッタも人間と同じように唯識で世界を認識しているの~~~~~!!2024/09/04 19:27:02919.リダン◆gEV3xsS//k1lfFC>>918知らんよバッタじゃねんだからバッタはありのまま見てるか汚染されてんのかのどっちかでしかないやろ2024/09/04 19:28:47920.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN①と人間の意識が縁して②の妄想現実が立ち上がる。①と仏の意識が縁して③の縁起の世界観が立ち上がる。①とコウモリが縁したら②でも③でもない④のコウモリの世界観が立ち上がる。①とモグラが縁したら⑤のモグラの世界観が立ち上がる2024/09/04 19:30:10921.リダン◆gEV3xsS//k1lfFC>>920いやいや①はいらんて②で済む話し2024/09/04 19:30:53922.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN①とバッタが縁したら⑥のバッタの世界観が立ち上がる①と、いった感じで縁する対象が変れば①の認識のされようもまた変わる。(相依性縁起)2024/09/04 19:32:08923.リダン◆gEV3xsS//k1lfFC何回言っても分からんようや分けたら①が真の物体やんけ唯識論は実在論じゃないやろってばよ2024/09/04 19:32:17924.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN①がなかったら因がなくなってしまいます。2024/09/04 19:32:38925.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN只今、〝縁起〟のお話をしております。2024/09/04 19:33:19926.リダン◆gEV3xsS//k1lfFC>>924だから①は現行前の記録記憶の阿頼耶識の貯蔵庫やろそれなら分かる2024/09/04 19:33:26927.リダン◆gEV3xsS//k1lfFC>>925いや実在論の話ししとるやん2024/09/04 19:33:51928.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNリダンさん的に②と③を縁起にあてはめてみて下さい。2024/09/04 19:33:52929.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN因が何で縁が何で果が何になるか2024/09/04 19:34:31930.リダン◆gEV3xsS//k1lfFCもういい自身の解釈曲げたくないだけや付き合いきれん2024/09/04 19:34:38931.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN②と③では足りない気がしますが・・・2024/09/04 19:34:54932.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNいやいやちゃんとお答えくださいな因が何で縁が何で果が何になるか2024/09/04 19:35:29933.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNそれともまたとんずらしますか?2024/09/04 19:35:57934.リダン◆gEV3xsS//k1lfFCだから種子は現行したら因やろ2024/09/04 19:36:19935.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNその前に因が何で縁が何で果が何になるか答えてくれたら嬉しいなー2024/09/04 19:36:41936.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN>>934その種子はどこにありますか?②と③にありますか?2024/09/04 19:37:23937.リダン◆gEV3xsS//k1lfFC>>935いや解釈が出鱈目すぎて会話する気にならんすまんな2024/09/04 19:37:34938.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNふ~~~~~ん2024/09/04 19:38:23939.リダン◆gEV3xsS//k1lfFC>>936うん?現行してねえのが①なら分かるよ2024/09/04 19:38:28940.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNじゃあ、会話するのやめましょう2024/09/04 19:38:48941.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNこれ以上書き込みなされないでください。2024/09/04 19:39:14942.リダン◆gEV3xsS//k1lfFCまあいいやもうそれこそ法介さんが納得してんならええやろ信仰もってお題目してりゃ問題ねえ2024/09/04 19:39:54943.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN>現行してねえのが①なら分かるよ①が現行しているとかわたし言いましたか?2024/09/04 19:39:54944.リダン◆gEV3xsS//k1lfFCさいなら!2024/09/04 19:40:05945.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNはーいお疲れちゃん2024/09/04 19:40:58946.リダン◆gEV3xsS//k1lfFCあと色々教えてくれてありがとう!2024/09/04 19:41:43947.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNさっき、風呂入ってて閃いた2024/09/04 19:42:10948.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNリダンと対話したおかげで閃いた!2024/09/04 19:42:36949.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNそれを後ほどお話します。2024/09/04 19:43:00950.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNリダンありがとなー2024/09/04 19:43:14951.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN忘れんうちに出だしだけでも書いておこう2024/09/04 19:43:58952.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN仏性についてのお話です。2024/09/04 19:44:22953.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN天台智顗も日蓮さんも仏性の正体を「三因仏性」だと申しておられます。2024/09/04 19:45:14954.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNこの「三因仏性」が阿頼耶識に既に記録として貯蔵されていると。2024/09/04 19:46:14955.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN三因仏性とは、正因仏性・了因仏性・縁因仏性の三種類の仏性の事で、2024/09/04 19:47:33956.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNと、ここで嫁からお迎えコールが入った。行ってきます。2024/09/04 19:49:37957.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN三因仏性についてはこちらや、https://k-dic.sokanet.jp/%E4%B8%89%E5%9B%A0%E4%BB%8F%E6%80%A7%EF%BC%88%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%84%E3%82%93%E3%81%B6%E3%81%A3%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%86%EF%BC%89/2024/09/04 20:34:13958.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNこちらで、紹介されております。https://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E4%B8%89%E5%9B%A0%E4%BB%8F%E6%80%A72024/09/04 20:34:44959.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNそこでは、正因仏性の事を>>957 衆生の生命に元来そなわる仏の境地、すなわち仏界>>958 正因仏性は衆生に本来そなわる仏性と紹介されております。2024/09/04 20:36:31960.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNが、しかし2024/09/04 20:36:47961.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNこの説明文は間違っております。2024/09/04 20:37:29962.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNこの説明文は、本覚思想によるところの解釈でして、2024/09/04 20:38:25963.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN本来の天台智顗による解釈では、正因仏性は〝阿頼耶識〟に具わっております。2024/09/04 20:40:00964.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNこちらの構図でいいますと、①(阿頼耶識)にそれは具わっております。 客体(見られる側)=モノのあり様 --- ① 主体(見る側) =認識のあり様(主観と客観)--- ②2024/09/04 20:41:06965.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN②や下の③に具わっているのではありません。 客体(見られる側)=モノのあり様 --- ① 主体(見る側) =認識のあり様(相依性縁起と此縁性縁起)--- ③2024/09/04 20:42:20966.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN他の了因仏性も縁因仏性も同じく①に具わっております。2024/09/04 20:43:21967.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN縁因仏性とは、本来そなわる仏性を開き、仏性を知るための智慧の助けとなる様々な善行のことで、2024/09/04 20:44:25968.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN了因仏性は、本来そなわる仏性を知る智慧になります。2024/09/04 20:45:04969.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNでは、本来そなわる仏性である正因仏性とはどんな仏性なのかといいますと、2024/09/04 20:46:08970.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN仏が覚った智慧の法門です。2024/09/04 20:46:38971.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN〝仏の智慧〟などとも言われます。2024/09/04 20:47:16972.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNこの仏が覚った智慧は、既に阿頼耶識に業として記録されております。2024/09/04 20:48:44973.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNこの正因仏性・了因仏性・縁因仏性の三因仏性は、阿頼耶識に既に種子として具わっております。2024/09/04 20:50:25974.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN三つとも①に、〝因〟として具わっております。2024/09/04 20:51:17975.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNその因を縁である末那識が拾い上げるのですが〝仏縁〟がない衆生にはそれは拾い上げる事は出来ません。2024/09/04 20:52:42976.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN〝仏縁〟とは、過去に仏と縁を交わしているかという〝結縁〟です。2024/09/04 20:53:56977.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNこの〝結縁〟がない衆生は、阿頼耶識に具わっているこの三因仏性を因とした縁起は起こりません。2024/09/04 20:55:38978.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNなので仏の覚りを得るに至りません。2024/09/04 20:56:00979.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN『成唯識論』には、「若し始起のみなりといはば、有為の無漏は因縁無きが故に生ずることを得ざるべし。有漏を無漏の種と為すべからず。」とありまして、2024/09/04 20:58:08980.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN有漏の種子はどこまで積み重ねても有漏の種子を熏習するだけで、無漏には転じないと説かれております。2024/09/04 20:59:48981.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNまた『大乗起信論』馬鳴作 眞諦訳 では、雖有正因熏習之力。若不値遇諸佛菩薩善知識等以之爲縁。能自斷煩惱入涅槃者。則無是處。若雖有外縁之力。とありまして、2024/09/04 21:04:37982.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN正因熏習の力有と雖も、若し諸佛菩薩、善知識等に遇て、之を以て縁と為さざれば、能く自ら煩悩を断じて涅槃に入る者は、則ち是の処無し。若し外縁の力有と雖も、而も内の淨法未だ熏習の力有らざれば、亦た究竟じて生死の苦を厭い、涅槃を樂求すること能わじ。2024/09/04 21:05:06983.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN「正因熏習の力有と雖も、若し諸佛菩薩、善知識等に遇て、之を以て縁と為さざれば、能く自ら煩悩を断じて涅槃に入る者は、則ち是の処無し。」と説かれております。2024/09/04 21:06:17984.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN『涅槃経』第七にも、力士見已心懷驚怪生奇特想善男子。一切衆生亦復如是。不能親近善知識故。雖有佛性皆不能見。2024/09/04 21:33:55985.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN力士は見已って、心に驚怪を懷き、奇特の想を生ぜり。善男子よ、一切衆生も亦復是の如し。善知識に親近すること能わざるが故に、佛性有りと雖も見る事こと能わず。2024/09/04 21:34:18986.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN「善知識に親近すること能わざるが故に、佛性有りと雖も見る事こと能わず。」とあります。2024/09/04 21:34:41987.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNこういった経典に記された言葉を根拠として日蓮大聖人は、「三因仏性は有りと雖も善知識の縁に値わざれば悟らず知らず顕れず」と『三世諸仏総勘文教相廃立』の中で言われておられます。2024/09/04 21:37:58988.法介◆T3azX0Hk1Uan8oN「善知識の縁」が仏との結縁にあたるのですが、ここではまず、阿頼耶識に具わっております三因仏性が具体的にどういった因なのかを詳しくお話して行きたいと思います。2024/09/04 21:41:15989.法介◆T3azX0Hk1Uan8oNそろそろ床に就く時間なので、続きはまた明日にお話いたしましょう。おやすみなさい。2024/09/04 21:43:43990.法介◆T3azX0Hk1UTZehfおはようございます、法介です。2024/09/05 02:48:42991.法介◆T3azX0Hk1UTZehf三因仏性についてお話しようと思っておりましたが、その前に片付けておかなければならない問題がある事に気づきました。2024/09/05 02:50:24992.法介◆T3azX0Hk1UTZehf今回、わたしとリダンとで意見が完全に分かれました。2024/09/05 02:53:01993.法介◆T3azX0Hk1UTZehfリダンは無相唯識派わたしは有相唯識派2024/09/05 02:53:42994.法介◆T3azX0Hk1UTZehf実は、この今回の二人の論争こそが、インド大乗仏教における中観派と唯識派(唯識瑜伽行派)における二大学派の論争だったのです。2024/09/05 02:57:19995.法介◆T3azX0Hk1UTZehf以前もとりあげましたが、こちらのサイトhttp://rdor-sems.jp/index.php?%E8%AA%B0%E3%82%82%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E7%81%AB%E4%BA%8B2024/09/05 02:59:09996.法介◆T3azX0Hk1UTZehfチベット仏教のゲルク派の哲学研究室というサイトです。2024/09/05 03:00:10997.法介◆T3azX0Hk1UTZehfゲルク派は、チベット仏教4大宗派の1つで、ダライ・ラマ、パンチェン・ラマもこの宗派に所属している主流派です。2024/09/05 03:01:47998.法介◆T3azX0Hk1UTZehf現在のチベット仏教の最大宗派です。2024/09/05 03:02:51999.法介◆T3azX0Hk1UTZehfそのゲルク派の >>995 に次のように書かれてあります。「空」の本当の意味を深く知るには、中観自立論証派と中観帰謬論証派の見解の僅かな差を吟味する必要があります。なぜなら、その僅かな差こそが、中観哲学の最も微妙な部分だからです。2024/09/05 03:04:301000.法介◆T3azX0Hk1UTZehf次スレ法介の仏教談義9https://talk.jp/boards/psy/17254731532024/09/05 03:11:151001.Talk ★???このスレッドはコメントが1000件を超えました。新しいスレッドを立ててください。2024/09/05 03:11:161002.Talk ★???【プレミアムサービス無料期間延長!】プレミアムの無料期間を2025/3/31まで延長することになりました。広告除去や規制緩和など、ヘビーユーザーにとって欠かせない機能を無料でお楽しみいただけます。是非この機会にプレミアムサービスをお試しください!▼プレミアムサービスはこちらからhttps://talk.jp/premium2024/09/05 03:11:16
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法介の『法華経談話』その6
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法介の『法華経談話』その7
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法介の『仏教法理研究所』第二の矢
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法介の『成仏烈伝』第三の矢
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法介の『成仏烈伝』第四の矢
https://talk.jp/boards/psy/1711943351
法介の『成仏烈伝』第五の矢
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法介の〝法介〟による『法介』の為の仏教スレ その2
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法介の〝法介〟による『法介』の為の仏教スレ その3
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法介の『ゆゆしき世界』
https://zawazawa.jp/yuyusiki/
仏道の『阿頼耶識システム』
https://zawazawa.jp/bison/
『法華玄義』と天台教学
https://zawazawa.jp/gengi/
Bukipedia(ブキペディア)
https://zawazawa.jp/Bukipedia/
仏道 ~ その壱『空の巻』~
https://butudou.blog.jp/
仏道 ~ その弐『別相の巻』~
https://butudou.livedoor.blog/
仏道 ~ その参『円融の巻』~
https://enkyo.blog.jp/
仏道 ~ その参『円融の巻』~
https://sinnyo.blog.jp/
『仏道』
https://hokekyou.up-jp.com/
『桜梅桃李』
http://mh357.web.fc2.com/index-bak-new.html
桜梅桃李(ノート)
http://mh357.web.fc2.com/
Dou-蔵
https://syozou.blog.jp/
日蓮正宗と創価学会
https://niti-ren.blog.jp/
どっから読んでも
おもしろいよー!
以下、『君たちキュウリ・パ〇パン・マ〇コだね』
https://sinnyo.blog.jp/archives/19858054.html
https://syozou.blog.jp/archives/19115083.html
還滅の縁起(縦型縁起)ね。 --- 不空(絶待妙)
https://syozou.blog.jp/archives/19115111.html
天台が『摩訶止観』で次のように言っている。
(『摩訶止観』第七章「正修止観章」より)
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ ~♪
/つ👻と
c(O__つ
https://youtu.be/jOegTv3a2h4?si=zWwPBdZo67SApmSx
むくっ
川^〇^ハレリダンたん お経は縦糸だと鹿野園さんが教えてくれました
横糸は?
横糸?
うーん
うーん
よ〜このいとぉわ〜あ、な、た
∞ノノハ∞
川^〇^ハレちょっと鹿野園さんに聞いて来るwww
しらんのかーい
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ忘れたぁああ~~~www
リダンたんの あ・な・た・もしっくりくる♪www
実は横糸はわ、た、しだった
縦糸と横糸の相続かな
「経」って漢字は縦糸の意味で、織物でそれを基幹としてそこに横糸を重ねていくから
そこから古今不変の基幹の書って意味で「経」って言葉が使われたとか
仏教が中国に伝来したときに「スートラ」に当たる語をそこから持ってきて翻訳したんだろう
教えの縦糸を支える注釈的な書物が該当するような傾向だろうね
仏教ではこれは「経」に対する「論書」って風になるだろう
わたしはどこに投下したんだ・・・・
誤爆し続けてた・・・・
伝わっているだろうから
いいやー
そういう説もあるんだー
縦が意識の変化を意味しております。
http://www.joukoku-ji.jp/zuikei_1908.html
縦糸(お経)時間軸
横糸(仏、八相)心
こういう時間経緯で仏教が展開していった此縁性縁起(時間軸で起こる縁起)
https://hokekyou.up-jp.com/wp-content/uploads/2021/06/image017.gif
https://hokekyou.up-jp.com/wp-content/uploads/2021/06/image023.jpg
金剛界曼荼羅がこれにあたる。
縦が金剛界曼荼羅
と成る訳だが、
物をどう訳すかが
今一つかめない・・・
物が金剛界曼荼羅(縦)
って、ところかなって感じかな。
それで良いんだ
物が金剛界曼荼羅(縦)--- 絶待妙
ってところでしょう。(法介説)
ってあるでしょ。
心で生じるのが縦(相依性)
時に依って生じるのが横(此縁性)
の意味は、縦(相依性)=主観
横(此縁性)=客観
主体(見る側) =認識のあり様(主観と客観)--- ②
②は人間が自身の主観と客観で勝手に造り上げている妄想現実
心から起こる有漏法と無漏法から一切法はなります。
自身の自我で思っているあなたは本当の(真実の)あなたではありません。
縁起で観て初めて真実のあなたの姿が観えて来ます。
というものです。
縁起による認識に意識が変わる(転識)
主体(見る側) =認識のあり様(主観と客観)--- ②
が
主体(見る側) =認識のあり様(相依性縁起と此縁性縁起)--- ③
に変わる
②が天台智顗がいう物
例せば、八相、物を遷(うつ)するがごとし。物、相の前に在らば、物遷されず。相、物の前に在らばまた遷(移さ)されず、前もまた不可なり。後もまた不可なり。ただ物に相の遷るを論じ、ただ相の遷るを物に論ずるなり。
リダンに言っておりました
内容を今からお話してまいります。
どのようにして
真如の世界に入られたか。
まず、空観を一つに集約されております。
空無辺処に入られた訳です。
これは「片眼凡夫、片眼仏」で観る世界観です。
※空=縁起
有為=人為的
それは何かと言いますと、
無色界禅定の内容が紹介されております。
https://j-theravada.com/world/study/pali-sutta3-2/
五番目に、対象に対する意識(rūpasaññā)を完全に超え、(対象に)触れるという意識(patighasaññā)をなくし、あれこれ定まらずに意識することも止めて、「虚空は無辺である」という空無辺処に達します。
「物質対象に何にも触れない、触れない」と外に心を向けていた空無辺処から、逆に心そのものに心を向けて、心自体が、何にも遮られることのない、限りないものだと、対象に触れず、ほとんど揺れ動きもしない心だけを、ただ味わいます。
何も意識しない心さえなくしてみようと、意識はおろか、意識しようとする衝動「想(saññā)」さえ起こさせない、でもそれさえも完全に起こらないのは心自体が滅することでちょっと不可能で、実際には想が起こるのか起こらないのか分からないほど微かにして、もちろん意識などは全く起こらない状態にまで達します。
世俗的に言えば仮死状態のような、意識しようとする衝動さえ起こさないよう抑えられている禅定が、この、色界禅定を超えた無色界等至の最高の状態です。
最後に九番目の禅定を説明しないといけません。これだけは、今の世界では釈尊より前には誰にも達せられていませんでした。想受滅とか滅尽定などと呼ばれていて、想がはたらいているかどうかも分からない非想非非想処からさらに進んで、想で全ての触れることの滅を感受して、それでお終いになるのです。後は滅だけで、想もない状態です。全ての感受を断ち切った、究極の「楽」です。
多宝如来オーバーソウル釈迦が
いったい菩薩に
何を説いたか掻い摘んで引用してくれませんか
了解、でもちょい待っといて。
この話のきりの良いところ
も少しだから。
あざす
色界禅定=止
三昧法=観
意識は働いております。(ヴィパッサナー瞑想)
そこでお釈迦さまは菩薩や縁覚・声聞の弟子達にどのような事を説かれたのか。
お釈迦さまは何とこれを退けます。
「えええ! 何で~!」
そこから金色の光彩を放って無数の地涌の菩薩が出現します。
仏のみが備えている三十二のすぐれた身体的特徴を具えていた。
その上に地涌千界の大菩薩が大地より出来した。釈尊にとっては第一の御弟子と思われる普賢菩薩・文殊師利菩薩等すら比較にならない偉大さである。華厳・方等・般若・法華経の宝塔品に来集した大菩薩や大日経等の金剛薩埵等の十六人の大菩薩なども、この地涌の菩薩に比べると、猿のむらがっている中に帝釈天が来たようなものである。あたかも山奥の樵夫・杣人の中に月卿等の貴人がまじわっているのと同様であった。釈迦仏のあとを嗣ぐといわれた弥勒すら、なお地涌の出現に惑われた。しかしてそれ以下の者の驚きと当惑はひじょうなものであった。この千世界の大菩薩の中に四人の大聖がましました。いわゆる上行・無辺行・浄行・安立行であらせられる。
帝釈天が顕れたのかと見間違う程で、その場に居合わせた普賢菩薩や文殊菩薩等が猿に見えてくる程の素晴らしいお姿であったと。
この四人は虚空会および霊山会に来集している諸菩薩等が、眼をあわせることも心のおよぶこともなかった。華厳経の四菩薩・大日経の四菩薩・金剛頂経の十六大菩薩等も、この菩薩に対すれば翳眼のものが太陽をまともに見られないごとく、いやしい海人が皇帝に向い奉るような状態であった。太公望等の四聖が大衆の中にいるごとく、商山の四人の君子が漢の恵帝に仕えたのと異ならない。じつにぎぎ堂々として尊高であった。釈迦・多宝・十方分身の諸仏をのぞいては、一切衆生の善知識ともたのみ奉るべきであろう。
という程のものでした。
あまりの不思議さに声を出すことすらできなかったが、
仏力の加護によるのであろう、つぎのように質問した。
一切の菩薩を始め、華厳経より四十余年、それぞれの時々に疑いを設けて一切衆生の疑いを晴らせてきた中に、この疑いこそもっとも第一の疑いである。無量義経において大荘厳菩薩等が四十余年の爾前経は歴劫修行であり、無量義経にいたって始めて速疾成仏道と説かれて生じた疑いにもまさる大疑である。
仏の覚りを得るに至った本当の因と果の事。
「広く近を開いて遠を顕す」と読む。広く始成正覚の立場を開いて、釈尊の久遠の成道を明かしたことを言う。
「一切世間の天・人、及び阿修羅は、皆今の釈迦牟尼仏は釈氏の宮を出でて、伽耶城を去ること遠からず、道場に坐して、阿耨多羅三藐三菩提を得たまえりと謂えり。/然るに善男子よ。我は実に成仏してより已来、無量無辺百千万億那由他劫なり」
と説かれたことをさす。
と菩薩達に説いた。(リダンへの回答)
本門にいたりて始成正覚をやぶれば、四教の果をやぶる。四教の果をやぶれば、四教の因やぶれぬ。爾前迹門の十界の因果を打やぶて、本門十界の因果をとき顕す。此即本因本果の法門なり
とあります。
しかしその「爾前迹門の十界の因果」を打やぶって
「本門十界の因果」が法華経如来寿量品第十六で説き明かされます。
蔵・通・別・円の四教で示して来た〝因果〟を打ち破った「因果」なんです。②
①久遠実成
②始成正覚と三千塵点劫の因縁
無為の因果が『法華経』本門では明かされます。
久遠の果てから仏やったと
そのときに教化したんが
地桶の菩薩と
しかし相変わらず弥勒菩薩は
おいしい立場やな
取り合えずここまでの内容で、
幾つかあります。
その菩薩まで昇り詰めている弥勒菩薩。
お釈迦さまがインドの菩提樹の下で覚りを得た事を「始成正覚」という。
本当はこの事を言っている。
「三五の法門」と言う。
日蓮さんがどのようにひも解いているか(文底)
迹門には、ただ始成正覚の十界互具を説いただけで、未だ本覚本有の十界互具を明かしていない。ゆえに教化される大衆も教化する円仏もすべて今始めて覚るという立場である。もしそうであるなら、本無くして今有るという欠陥をどうして免れることができようか。まさに知りなさい。蔵・通・別・円の四教の四仏が円仏となるというのは、一往の立場で迹門の説いたものである。このゆえに迹門では無始の本仏を知らない。ゆえに無始無終の義が欠けて具足していない。
因位の修行を積んでその報いとして果位の悟りが得られます。お釈迦様が仏になられた因位は、久遠における菩薩行であってそれは本門に至って初めて語られます。
その答えが『寿量品得意抄』に示されています。
『寿量品得意抄』
お釈迦様の四教(蔵・通・別。円)の中で示された四仏の姿で、
『一代五時鶏図』に示された、
┌応身───有始有終(蔵)
始成の三身┼報身───有始無終(通)
│├真言大日等 (別)
└法身───無始無終(円)
この四仏の中の大日法身について大聖人様は、『法華真言勝劣事』で次のように述べられています。
┌応身┐
久成の三身 ┤報身├──無始無終
└法身┘
この違いの意味、
リダン解ったか?
久成の三身は因果〝具時〟
なんとなく
分かった
それは、
文低は分かった
んで肝心の釈迦は
地桶の菩薩の説明だけ?
それは?
https://hokekyou.up-jp.com/wp-content/uploads/2021/06/image023.jpg
一仮一切仮
一空一切空
一中一切中
が無始無終=無為にならない。
(我もと菩薩の道を行じて、成ぜし所の寿命、今なお未だ尽きず)
仏と同等の覚りを得た
等覚の菩薩にあたります。
〝菩薩でありながら仏〟である、
「九界即仏界」の十界互具の姿でした。
の『開目抄』の御文が示すところです。
(我もと菩薩の道を行じて、成ぜし所の寿命、今なお未だ尽きず)
九界の中に仏界を具そくする十界互具の「菩薩」と、
仏界の中に九界を具そくする十界互具の「仏」な訳です。
寿量品の仏「久遠実成の釈尊」も、久遠から呼び出された上行菩薩も、どちらも「本仏」と成り、本来ならば仏から仏へ成されるはずの結要付嘱の儀式が、仏から上行菩薩への付嘱として説かれています。
もう話すのは止めよう。
仏と仏にしか伝わらないからと。
ふむ
「五百塵点劫の久遠の弟子」と「三千塵点劫の声聞の弟子」の相違について更に深く掘り下げてお話ししたいと思います。
「爾前迹門の因果を打破つて本門の十界因果をときあらはす、是れ則ち本因本果の法門なり」『寿量品得意抄』
覚りに至った因果を説き明かしていないという意味。
迹門の十界の因果—因果異時
本門の十界の因果—因果倶時
😃
その因果具時
虚空において無為法オーバーソウル釈迦が
地桶の菩薩と共におるってことはだ
弥勒菩薩になんか起きんのか?
オラわくわくしてきたゾ
仕事日なので
法華経リンク張り付けサービスは
金曜日夜以降だ
すまんなー
😃
あざす!
普賢菩薩やったかな
普賢菩薩の発言のハードルを
これでもか!って上げまくってたの
めっちゃ受けた
これ以前に書き込んだけど
誰にも同意されんかったな…
有為の凡夫がどうやって無為の仏の覚りの一念を取り出すか
というお話を今からいたします。
刹那滅という言葉を良く使っているようですが、
〝刹那滅〟とは、今一瞬の出来事はきわめて短い時間の出来事で、あっという間にそれは消えて消滅していくと言った意味になります。
自身のこころから生じている出来事で
天台教学では、それを「今一瞬のこころ」という意味で
〝一念〟と表現します。
滅しては生じ、滅しては生じを繰り返し
刹那の生と滅が
あたかもドミノ倒しのように連鎖して、
連鎖作用によってそれがあたかも
動いているかのように見えます。
ハイスピードカメラでとらえたら
一瞬一瞬の一コマにおいては
矢は止まって写っています。
連続してスクリーンに映し出すと
あたかも飛んでいるように見えます。
今、一瞬の刹那においては
全ては止まっているのです。
です。
運動の否定は
そういう事を主張しております。
今一瞬を切り取った姿(一コマ)に
去るという行為(運動)は
存在しないと。
〝今一瞬〟の
静止した一コマ
客体(見られる側)=モノのあり様 --- ①
主体(見る側) =認識のあり様(主観と客観)--- ②
①のモノのあり様になります。
私達の世界観は②になります。
人為が働いていない無為です。
有為です。
②=有為(人為的な)
完全に人間の概念から離れておりまして
それを〝真如〟の世界といいます。
客体(見られる側)=モノのあり様 --- ①
主体(見る側) =認識のあり様(主観と客観)--- ②
無為の①の方になります。
しかし
真如の世界は
①と②が溶け合うんです。
真如の世界には二つの真理があると
研究論文で紹介されてましたよね。
─『究竟一乗宝性論』の如来蔵説との
関係を中心として─ 李 子 捷
https://toyo.repo.nii.ac.jp/record/9417/files/higashiasiabukkyou4_225-255.pdf
(ダウンロード式)
絶言真如①と依言真如②
客体(見られる側)=モノのあり様 --- ①絶言真如
主体(見る側) =認識のあり様(主観と客観)--- ②依言真如
②依言真如=有為
なので有為です。
客体(見られる側)=モノのあり様 --- ①
主体(見る側) =認識のあり様(主観と客観)--- ②
この内容です。
客体(見られる側)=モノのあり様 --- ①
主体(見る側) =認識のあり様(相依性縁起と此縁性縁起)--- ③
これを唯識では〝転識〟といいます。
相依性縁起(主観)と此縁性縁起(客観)で認識します。
お釈迦さまは〝中道〟と言われました。
未だ仏の領域(通教で明かされる)や
覚りの領域(別教で明かされる)はひも解かれておりません。
仏教における真理=真諦
世俗における真理=俗諦
としてこの真諦を第一義諦とよんだのです。
中道=第一義諦
です。
通教で仏の世界観が般若経典で詳しく説かれて
三諦説になります。
凡夫の世界観=仮観
仏の世界観=空観
真如の世界観=中観
龍樹は二諦説だと言われていたのは
昭和の仏教界の権威であられました 中村 元 大先生です。
2.仏と如来の違い
https://butudou.livedoor.blog/archives/17702360.html
中村先生はそれを理解出来ずに龍樹は二諦説だ誤った見解を主張されました。
令和に突入しております。
時代の流れと共に
変化していきます。
縁起を説く仏教にあっては
何一つあり得ないのですから。
仏教を学ばれると
大きな落とし穴に落ち込んじゃいますよ
間違いだらけの仏教の常識
https://zawazawa.jp/yuyusiki/topic/16
中村先生は初期仏教が大好きな先生でしたが
唯識が大好きだった横山紘一先生も
大きな落とし穴を掘っておられます。
https://youtu.be/Ze10wMOZdwQ
「あたかも自分というものが存在するかのごとくに思い」
「自分が存在しないがゆえに無我なのだ」
「唯識とはこころだけしか存在しない」
などと横山先生は主張なされました。
こちらの構図の
客体(見られる側)=モノのあり様 --- ①
主体(見る側) =認識のあり様(主観と客観)--- ②
②しか見えていなかったのです。(有為の世界観)
昭和の時代に掘られた
大きな落とし穴に沢山の人達が落ち込んでおられます。
自我など無いんです!
自分も本当は存在していないんです!
世界も存在しないんです!
とマジ顔で主張されます。
https://youtu.be/0yks1BTPJBM
見事にこの落とし穴に落ち込んでおります。
無いですよ!
あるのは機能と状態じゃないですか!
と。
ご存じでしょうか?
解りやすい例えとして
昔から次のように言われております。
「テーブル」という姿は無くなります。
部品が減った訳でもないのに
「テーブル」という姿は消えて無くなりました。
これを〝空〟と言います。
対象を細分化して見るという
「析空」になります。
スマホを機能と状態とに細分化して
わたしは「空」で対象を見ている!
と主張されてた訳です。
更に、横山先生が掘られた落とし穴に連続して落ち込むと
>>359 のような「世界は無い」といった〝無相唯識〟の世界観に嵌ります。
客体(見られる側)=モノのあり様 --- ①
主体(見る側) =認識のあり様(主観と客観)--- ②
①と②の無為と有為の二つの真理で対象をとらえます。
その人の意識は未だ有為の領域にあって
真如の世界に入れていないという事になります。
無為なので入ったという認識も起こらず
認識が起こらないので記憶も残りません。
記憶も残りませんので
刹那の継続(刹那滅の心相続)も起こりません。
真如の世界に入ったという自覚はありません。
自覚はなくても
無意識的にそこ(真如)に入っております。
食べてはいけないものを
意識せずに食べても
体にアレルギー反応が起こるように、
その人の阿頼耶識に
「無漏の種子」が備わっているからです。
それとも無為でしょうか?
客体(見られる側)=モノのあり様 --- ①無為
主体(見る側) =認識のあり様(主観と客観)--- ②有為
無為なのか
もし一心より一切の法を生せば、これ即ち縦なり。もし心、一時に一切の法を含まば、これ即ち横なり。縦もまた可ならず、横にまた可ならず、ただ心はこれ一切の法、一切の法はこれ心なるなり。ゆえに縦に非ず、横に非ず。一に非ず、異に非ず。
客体(見られる側)=モノのあり様 --- ①無為
主体(見る側) =認識のあり様(主観と客観)--- ②有為
横にまた可ならず、
違うよ
刹那滅はそうだが
その有為法と同期するの
そのものってこと
ゆえに縦に非ず、横に非ず。一に非ず、異に非ず。(①+②=真如の世界観)
リダンとわたしとでは考えが違うみたいです。
言ってるやん
仏の働き(有為法)と俺(有為法)の
同期
リダンの考えを〝詳しく〟
誰もが聞いて分かるように具体的にご説明ねがえますか。
>同期
と言われましてもねー
客体(見られる側)=モノのあり様 --- ①無為
主体(見る側) =認識のあり様(主観と客観)--- ②有為
具体的に分かりやすく説明ください。
でそもそも俺が刹那滅そのものであった
刹那滅だったってこと
いやこれは
有相、無相の話になるやん
わたしは有相
見られる側と見る側の一如
唯識でも分かれるんやろ?
おれらが論争しても
仕方なくない?
>いうなれば
>仏の働き(有為法)と俺(有為法)の
>同期
↑のリダンの主張は、
刹那滅そのものだと
時間軸はないということだよ
ふむ
構図でいったら、
客体(見られる側)=モノのあり様 --- ①無為
主体(見る側) =認識のあり様(主観と客観)--- ②有為
客体(見られる側)=モノのあり様 --- ①無為
主体(見る側) =認識のあり様(主観と客観)--- ②有為
客体(見られる側)=モノのあり様 --- ①
主体(見る側) =認識のあり様(相依性縁起と此縁性縁起)--- ③
そら無相だから
そこにある①がないわな
③の仏の有為とが
一如
無為の真如の世界観は
完全スルーされている(②のみの無相唯識)
ようは刹那滅は一瞬、一瞬の出来事の
ことだが
そのものになれば時間軸がないのよ
ってのが分かっていただければ
そういう状態を
実体思想に未だある状態(声聞の境涯)という。
それは①の有相唯識で世界を観れている人が言う言葉。
時間軸は存在しております。
でおーから
適当リダンと言われるのです。
法介さんのいう
有相ってなあ
なんだい?
机の上のコップ?
先に答えて
スマホのラインアプリは存在しているし
目の前にあるコップもまぎれもなく実在している。
まー、それでもいいけど
リダンは
うんそれは全部
識であるという理解はある?
前五識と第六意識で認識してますよ。
いや六境もだよ
六境も識である理解はある?
またおかしなことを言い出した
まあちょっとそこは後にして
対象のモノ=眼境
無る側=眼根
そして眼識で判断が起こる
意識、前五識、阿頼耶識も刹那滅なのは
分かるよね
後で回収するよ
それは置いといてー
と言って話をはぐらかそうとする=第六天の魔王から撤退
自身の自我による勘違い、間違いを
素直に認める事が出来ない。
サクサクいこう
はどう?
川^〇^ハレおはよう♪
法介さんの解釈は違うなぁって度々思うけど
指摘しても麦がそう思うならそれでイイとかwww
でもリダンたんも違うって思うみたいだよ
共に空を
析空でしか理解出来ていないって事だろ
唯識でいう仮有だそうだ
(ウィキより)
大勢いるからなー
答えてください
時間があまりない
そうだよ
五蘊で認識するコップは仮有ですよ。
客体(見られる側)=モノのあり様 --- ①無為
主体(見る側) =認識のあり様(主観と客観)--- ②有為
②の世界観(仮観)
>>443も
客体(見られる側)=モノのあり様 --- ①
主体(見る側) =認識のあり様(相依性縁起と此縁性縁起)--- ③
③は仏の世界観(空観)
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ合っている間違っているの二元ではなく
間髪入れずに違うって思うよwww
刹那滅だと理解している?
わかりますよ。
>意識、前五識、阿頼耶識も刹那滅なのは
>分かるよね
わかりますよ。
①は刹那滅じゃないだろ
ならそれ
アッポーペン(刹那滅と刹那滅)
したらどうなる?
刹那滅そのもの
働きそのものでしょ?
アッポーペン(刹那滅と刹那滅)しても
刹那滅だよ。
いや法介さん
コップって物体が変わらず
あるっていいたいの?
刹那滅ではなく
それは法介が分からんだけ
無為の世界で〝刹那滅〟っていうなよー
>>469
真如、無為に変わらないコップが
あるってこと?
滅することもなく生じることもない
変わらないコップがあるということかい?
(〝〟の意味を考えろ)
じぁあ何があるんだい?
目の前の現実
ではない
五蘊から離れた色相
五蘊から離れた色相なら
仮有だが
またおかしなことを言い出した
川^〇^ハレ間髪入れずにえっ👀だったwww
そして違うwww
>仮有だが
↑これ、言ってる事が
おかしいぞー
コップ、あるいは成り立ちが
あるというのかい?
五蘊を空じて縁起で認識するのが空
あるだろ
〝コップ〟は無い
そこは同意
しかしそれを記憶から
コップが顕現したら無為ではなくない?
種子が現成したら無為ではないでしょ
いや実在=種子が現成したら
無為ではないでしょ
>種子が現成したら無為ではないでしょ
だ・か・ら
顕現するのは人だろ(②)
パソコンでいったら
プログラムの状態のコップを
いってるのか?
それは析空。
わたしが言ってる事が理解出来ないリダン。
これは同意
疲れて来た
ちゃんと考えろ
おかしいぞ
ふむ
ではプログラムの状態であるコップが(現成前)析空であるなら
法介さんの言う①とは
どのような状況?
第六天の魔王と向き合え
>どのような状況?
①は①だろ
?
いや
プログラムの状態のコップを析空
とハッキリいうなら
①がどのような状況か
言ってくれないと
と言うことでしょ
阿頼耶識の記憶内であって
心のサンカーラも刹那滅
種子もその現行も刹那滅
リダンの我見だろ
だから①は種子現行前の
阿頼耶識の記録、記憶でしょ?
根拠を示してみ
って、
それじゃ種子現行後は①か②か
リダン的にはどっち?
いや法介さんの言説に沿って言ってるだけですよ
プログラムの状態のコップが
析空なんでしょ?
②だね
やっぱすり合わせは必要だね
後は飛び飛びでレスします
だったらなぜ、
>だから①は種子現行前の
>阿頼耶識の記録、記憶でしょ?
↑こんなことを言った?
②が現象化するからですよ
②が現象化したら①はどうなる?
だよな、コップとして認識される。
ちょっと、いいか
貯蔵庫の役割を全うする
おまえのその論法なんだけどさー
いや①が現象化するってか
ただの貯蔵庫だよ
たんに
法介を遣り込めるたい一心の論法じゃないのか?
↑おまえがそれ、言った言葉だぞ
どこ?
阿頼耶識内の記憶、記録は無為ではない
んじゃね?
まあ
阿頼耶識が刹那滅のソース探す
どのような状況?
法介:①は①だろ
リダン:いや
プログラムの状態のコップを析空
とハッキリいうなら
①がどのような状況か
言ってくれないと
法介:玄妙深絶にして識の識るところに非ず。
言の言ふところに非ず。
ゆえに称して不可思議境と為す
リダン:ようは種子が現成してない
と言うことでしょ
阿頼耶識の記憶内であって
法介:論文でも「絶言真如」と紹介してただろ。
リダン:阿頼耶識も刹那滅なんですよ
心のサンカーラも刹那滅
種子もその現行も刹那滅
法介:>阿頼耶識も刹那滅なんですよ
リダンの我見だろ
リダン:だから①は種子現行前の
阿頼耶識の記録、記憶でしょ?
法介:>①は種子現行前の
って、
それじゃ種子現行後は①か②か
リダン的にはどっち?
リダン:>>522
②だね
法介:だったらなぜ、
>だから①は種子現行前の
>阿頼耶識の記録、記憶でしょ?
↑こんなことを言った?
リダン:>>527
②が現象化するからですよ
法介:②が現象化したら①はどうなる?
リダン:コップとして目の前にあると認識する
法介:だよな、コップとして認識される。
リダン:いや①が現象化するってか
ただの貯蔵庫だよ
リダン:「いや①が現象化するってか」
↑おまえがそれ、言った言葉だぞ
↑ここだろ
ポイントは。
全部人間の概念だぞ。
まあソース探すよ
リダンが自我で勝手に造り上げている
妄想現実です。
見つからないかもねー
恒に転ずること暴流の如しとあった
無為ではないだろう?
種子現行前の記録、記憶を
無為の世界観と表現しているのかい?
そして現象化するのが②だと
それ末那識の説明じゃないのか
コップの記憶を実体視してるってこと?
そう言うイデア論は実在論じゃね?
末那識は間断なく働きかける
じゃね?
誰が入れた?
()ってことは唯識三十頌にはその部分は書かれないということだよな。
「恒(つね)に激流のように動いて、やまないものだ」
と言われています。
「暴流」とは、激しい滝の流れです。
阿頼耶識は、その激流のように瞬時も、とどまることなく、激しく流れ来たり、流れ去るのであります。
常に非ず、断に非ず、「非常非断」である、と教えられます。
これが、私達の生命の実相であります。
「常に非ず」「断に非ず」「非常非断」である、
一コマ、一コマ
ってことだよ。
生じない
あればええなあ
まあいずれにせよ>>559
ふむ?
ただし!
それは一瞬の一コマにおいての話。
その刹那の一コマ、一コマが
流れ込んで来ている
そうだね
だから刹那滅と同期
いや阿頼耶識が刹那滅とはなかったから
無常と同期ってことよ
「恒に転ずること暴流の如し」
と釈してるんだろ
未だ有為の世界観から抜けれてない
お題目唱えないしー
勝手に思い込んでいるしー
いやいや阿頼耶識内部は
瀑流なんだから無常でしょ
有為だよ
無駄だろね
宜しいのではないでしょうか
無為の、世界観ではなく
無常の有為
わたしにゴリ押ししてくるのは
やめてくださいね
分かりました。
違っているようですね
阿頼耶識=無為 法介
ってことでしょ
有為って人の意識で成り立つんだぞ。
思量すること
思量すること
まだかい?
第六識 意根による識(意根を所依とする識)、即ち、
意根(第七識)を所依とする識であるという意味で
意識と名づけられる。(依主釈)
>コップの記憶を実体視してるってこと?
>そう言うイデア論は実在論じゃね?
>コップの記憶を実体視してるってこと?
コップを①+②と②と③の三観で観ている。
>そう言うイデア論は実在論じゃね?
②は仮観(実在)
③は空観(非実在)
①+②は中観(中道)
①が実在、イデアでないなら
②は仮観(実在)
③は空観(非実在)
①+②は中観(中道)☓
②+③は中観(中道)○
じゃね?
②がその記録記憶を現象化、種子の現行となって一般の因となるんやない?
その現行をどう観じるか?であって
よって無為ではなく有為
唯識論は実在論ではなくない?
①に〝コップがある〟とか言ったか?
コップ、あるいは成り立ち
瀑流だから無常?
業が累積されていくのが無常?
①にコップと呼ぶ対象の〝モノ〟は
存在(実在)していないとでも?
(業は記録されていないとでも?)
天台教学の基礎教えようか
仮観(凡夫の世界観)=有
空観(仏の世界観)=空
中観(真如の世界観)=亦有亦空
②仮観(凡夫の世界観)=有
③空観(仏の世界観)=空
①+③中観(真如の世界観)=亦有亦空
③空観(仏の世界観)=空
②+③中観(真如の世界観)=亦有亦空
だな。
③空観(仏の世界観)=空
②+③中観(真如の世界観)=亦有亦空
↑これが片眼凡夫②、片眼仏③の後得智
>>634
↑の「亦有亦空」を空じる事。
記録されてるだけで
実在ではないんじゃないです?
現行したものが因となり
業となるんじゃないですか?
それなら納得です
(①と②と③の円融の構図ね)
これの通相参観(一心三観)
https://hokekyou.up-jp.com/wp-content/uploads/2021/06/image023.jpg
一仮一切仮
一空一切空
一中一切中
は、
その因は三つとも〝無始無終〟
久遠実成の三身如来です。
ご本尊を縁として
唱えるお題目が果として顕れるのがそれぞれの如来です。
川^〇^ハレ~♪
パークマンサー法介www (≧m≦)
https://youtube.com/shorts/iIj75Zr8dM8?si=DAoOFuS9u5ikbxLqhttps://youtube.com/shorts/iIj75Zr8dM8?si=DAoOFuS9u5ikbxLq
曼荼羅本尊の相を縁として
実在の世界観に応身如来が顕れます。(一仮一切仮)
法華経の心を縁として(法華経の読誦)
非実在の自身の心の世界観に報身如来が顕れます。(一空一切空)
南無妙法蓮華経のお題目を縁として
自身の凡夫の体に当体蓮華の法身如来が顕れます。(一中一切中)
自身の実際の日常生活の中で不思議な出来事が起こり
自身の心の中で不思議な心の変化が起き
それにより最終的にある事を覚ります。
①阿頼耶識の記録記憶は
リアルタイムで業が更新されるから
有為
んでその記録、記憶が現行(されていない)ことが無為
唯識における無為は縁起しない
乱暴に言えば
一切は
縁起しない(無為)か
縁起した(有為)か
報身如来(無始無終=無為)を因として
↑
無漏の種子が現行して因となり
報身如来が顕れます(作用しない智慧)
じゃない?
無為の世界観、真如の世界観は
阿頼耶識の記憶、記録が作用していない
縁起していない(無為)ことじゃない?
それが
①であると
応身も、法身も
無始無終
縁起しない作用しない
その特性が
無漏の種子(作用しない特性)が
現行し因となる(三身如来)
分かった。
リダンに分かるように説明するから。
縁起というものを
まだ良く分かっていない。
といったもので、
因と果である。
末那識の自我が縁することで
果が生じる。
縁起は起きない
〝善知識の縁〟がなければ
顕れないと
善知識の縁に合わなけれな
と。
>リアルタイムで業が更新されるから
>有為
業が阿頼耶識にどんどん入って来る。
それのどこに人為的作用が働いている?
一コマ、一コマの静止した業
阿頼耶識においては人だとか動物だとかといった
分別は起きない
全ての行いが記録されていく
縁起してるとか
リダンは言うのかな
についてだが、
因が縁しなきゃそれは非択滅でしょ
因が縁しなきゃただの作用しない特性なだけ
自我に縁すりゃ執する作用をしなく
なるでしょ
八識に縁すりゃ転識になるでしょ
リダンはどういう解釈している?
因がないってことやない?
②(凡夫視点)は有漏法の縁起
③(仏視点)は無漏法の縁起
未来に因が閉じて
縁しないことやない?
①は人は縁していない。
なので①では縁起は起きない
火山が噴火したとしよう。
①の世界で起きてる縁起。
しかし、それは間違い。
リダンは、
>無漏の種子(作用しない特性)が
>現行し因となる(三身如来)
と言っているが
そこも勘違いをしている。
現行することはない。
因と縁と果が既に同時に具わっている。
それ自体で既に完結しているという事だ。
今一瞬の刹那に於いて
その薫習された無漏種子が
無意識的に直感(インスピレーション)として働くという事だ。
だから未来に因が閉じて
縁しないんだろ?
そして縁起です。
有漏の法がね。
無漏の法は縁起する。
先日学んだだろ。
いちゃもん付けないと
気が済まないのか?
素直に聞けない状態に陥っているんだよ
六根が濁っているってこと。
え?
現行しねえと因にならんでしょ
現行した後因と縁と果が既に同時に具わっているってことやない?
正しい話を
正しく聞けない
どれやったかな
後で見返してみる
だ・か・ら、
>>703 と言っているだろ。
みたいな話があったね
言いたいことは分かるし
俺もそうだと思うが
実際に種子が現行しないと
因にならんのやないかい?
非択滅(作用しない)しても無漏の法(漏れがない)は縁起する
????
悟りの因も覚りの果も同時に備え持っている。
だから、今一瞬の出来事に対し
間違いのない正しい判断が
無意識的に行われる。
いやこれは別に
自我の執の作用止めりゃそうなるやん
ふむ
非択滅とは、仏教用語で、〝正しい知恵によらない法〟の止滅を意味します。五位七十五法の無為法の1つです。
無漏の種子は無為法ってより
その特性、仏の智慧やないのかい?
前に例えたが、
Aという会社とBという会社の話。
自我の執の作用止めたら
未来を読み取れるのか?
普通に
だれも不幸になんてならないだろ
言いがかり付けたいのか?
そういうの
マウンティング・バトルだろ
もう相手せんぞー
だ・か・ら
前から何度も言っているだろ
無為法ってのは
仏が智慧であみ出した必殺技だって
法有を説くから
無為法という法があると思っている。(リダンも同じ)
法など存在しえないだろが
いや果徳のさ
正しい正しくないは主観じゃなかったかい?
法があります!
特性があります!
ってリダンは叫んでいるんだよ
ふ~~~~~~~~ん
まあそこは
信仰と、そうじゃないの差でしょ
仏が智慧であみ出した必殺技
ってのは俺は否定しない
A社に入って5年後に倒産して
給料ももらえなくて
それでリダンは幸せか?
嬉しいか?
ハッピーか?
結論を言うぞ。
わたしはそのような特性を備えた法など存在しないと考えている。
仏が衆生を救う為に仏の智慧であみ出した
民衆救済法である。
「何も起こらない」という特性を備えた法である。
無為法はただ縁起しないってだけだよ
俺らはその特性を活用するってこと
そうね
どう転識するの?
学んできた仏教の量の違いから
以上のような見解の相違が見られます。
おまえには、もう
おしえちゃらん
自分で勉強しろ
もう話しているだろそれは。
この辺で終わるにする。
お疲れまさでした。
参考になった人も居ると思うよー
沢山いるから^^
絶対的な正しさはないが
自分にとっての正しさはあるだろ
その時分にとっての正しさも
常に変わって行く
己に無為の特性がそなわる
転識も可能でしょ?
仮空中も可能でしょ?(作用しない、するのチューニング)
だから仏の必殺技は
作用しないという特性なんさ
それがお題目で備わるってことやと
思うがね?
①の客体がなんだと思ってんのか
言わなかったな
聞いてる限りではこちらの認識の他に
真の基体が実在していると聞こえるが
基本的には現行されたもの
しか現象してないわけで
唯識の無相、有相は
実はよく分からんが
②での現象化が物質であるか
錯覚であるかってことやない?
無我じゃないのね…
自我がないわけじゃないやろ
付き合いきれない…
どう言うことや
自我が無我であって
自我がないわけやないやろ
実体視するから
一切皆苦ってだけや
せやで?
そらより集まっただけやん
特性=そのものがもつ性質。
それらが集まった真の姿やなく仮のものやん
中村先生の影響で
多くの人達がそのように空を無我説で理解している。
わたしの先日の説明を聞いて
今、その意識が変ろうとしかけている。
無我説ではなく
縁起説で空を展開すること。
ほう
機能ならええのか?
と聞いてきた
うむ
そもそもラインアプリの例え推しまくりやしね
龍樹:果たしてそうかな?
それは同じ事が言えますか?
アフリカの現住民がやっても鉄は引っ付く!
アフリカの現住民って
〝鉄〟をご存じなのでしょうか?
通じますか?
そろそろ自我と無我に話をむすびつけて
貰えますか?
そういう事なんだよ(相依性縁起)
どういうこと?
滅する自我なんてねえよってことやない?
https://talk.jp/boards/psy/1724818929
論文の中で博士は、「主体が無い」とか、「自分は存在していない」と考えることがお釈迦さまが説かれた〝無我〟であると主張する一部の上座部の無我解釈が、今では古い考えであるという事を私たちは学ばなければ、正しい仏教観には立てないということを主張されておられます。
先ほどのお釈迦さまの言葉ですが、直訳すると「自己によって自己を見ず」となりましてそれをもって中村先生などは、仏の見識に立てば「自己は存在しない」と考えられた訳です。これは「自己と自我」を同等にみる考えです。奈良 康明 博士は、ここはとても大事なところなので何人かの研究者の訳を引き合いに出され並べて紹介なされておられます。
渡辺照宏:自己には自我なしと洞察し(渡邊1982・145頁)
宮坂宥勝:自分に自我を見ることなく(宮坂2002・123頁)
榎本文雄:自我にとらわれて自己を見ることなく(榎本1986・191頁)
村上真完・及川真介:自ら自我を見ず(村上・及川2009・(三)128頁)
中村先生だけが「自己によって自己を」と原文通りに二つの自己を並べていますが、他の先生方は自我と自己とに分けて訳しておられます。そうしないと意味が正しく伝わらないからです。
「真の自己は〝自我〟によって把握されるべきものではない」
といったことを意味しております。
自我を実体視して滅すとか無いとかやろ
あなたは自分という存在をどのように認識されてますか?
というのが「無我」のお話です。
言いかえれば、
「あなたはどれだけ〝自分〟を正しく理解出来ていますか」
と言うことでもあります。
「自分だけどうしてこんなに辛い思いをしなくてはいけないのだろう」とか、
「自分はどうしてこんな病気になってしまったんだろう」とか、
人間ってよくよく考えてみますと、果たしてどれだけの人が「自分という存在」に、納得して生きているものでしょう。
実は人間って自分が思っている程、自分の事をあまり良く知り得ていないものなんです。
ここで言う「自分が思っている自分」というのが「自我」です。
そして今そこに存在しているあなた自身が「自分」です。
「自我」によってあなたは「自分」を自分だと思い込んでいませんか?
初期仏教ではこの「自分と自我」の関係について詳しく説き明かされております。
既に説明しておりますが・・・
そう言う事ではない。
こちらの構図で説明したが解りやすい。
客体(見られる側)=モノのあり様 --- ①
主体(見る側) =認識のあり様(主観と客観)--- ②
これが自我による認識(妄想現実)
実際の世界は出来ていない①(実際の世界)
人間は自分達の都合で様々なモノを概念化して来たが
そのような概念によってモノは成り立っている訳ではない。
前五識(感覚器官)を対象とした意識(第六意識)は止滅する。
次のような内容に認識のあり様が変ります。③
客体(見られる側)=モノのあり様 --- ①
主体(見る側) =認識のあり様(相依性縁起と此縁性縁起)--- ③
縁起で展開する。
これはコップだと
思って使っている。
そのコップを造った人がテレビでこう語ってた。
と。
勝手にコップだと決めつけて
毎日それでコーヒーを飲んでいた。
そのモノが造られた因果を知る③
リダンはそれをより①に近い正しい認識でとらえる事が出来るようになった。
長い時間の流れの中で
様々な要因が複雑に絡みあって仮和合して世界は出来ている。
いや②だけで完結する話しやない?
妄想と実際なんて
いや唯識で法有は仮有とあるで
刹那滅や
唯識とは、人間の認識作用(識の働き)を説いた教えだ。②
それは説一切有部の話。
わざわざ分けるってことは
①は真の実在がある
と法介さんは思うわけやな
いや唯識は法有を仮有とする
ってあるで
あるだろ
じゃあ、リダンのその手は
実在していないのか?
ああー
そうだな仮有(妄想現実ね)
②で完結するやろ
妄想でみてる手か
実際の手か
じゃあ聞くが
その手は誰によって造られた?
②で完結する話しを
わざわざ2つに分けるってことは
真の物体、イデアが実在するって
ことやで?
分かる?
唯識は実在論か?
種子の現行やろ
唯識は②の認識論
倶舎論は①の存在論(実在論)
①は無為って法介いってなかった?
真如の世界観って
そら種子が現行して
現象化するんやから②やろ
んで汚染されとるから実際を妄想でみるんやろ
法介さん○
②第六意識で立ち上がる世界観
③第七末那識で立ち上がる世界観
いや①は分けたいんなら
現行前の記録記憶や
現象化しとらん
②第六意識で立ち上がる世界観=凡夫の仮観
③第七末那識で立ち上がる世界観=仏の空観
分かった分かった
法介さん流の解釈でえんやない?
ただ法介さんのそれは
真の物体、イデア論や
自分の手が実際に実在しないと考えてるんだな
理解しておくよ
実在論ちゃう
そう認識しておきます。
実在として現象化してんのは
種子が現行したものやろ
②で済む話し
いや法介さんは
唯識論どころかイデア論者やん
を主張する人ね。
良いんじゃないかな
勝手にそう思っててくれて
関係ない(気にならない)
自身の勝手な思い込みで
世界を見ている
宜しいのではないでしょうか
いやいや汚染された種子が
現行されるから妄想なんやろがい
世界は自身の心が
立ち上げている妄想現実だから
いやいや汚染された種子が現行されるから妄想現実なんやろがい
無駄だろ
②がな。
それこそ
パソコンの仮想世界だ(実体がともなわない世界)
それが唯識やで
その妄想をとりのぞくんや
②でいいはなし
①のイデアを出す必要ないやろ
世界は①と②と③だと思っている人達=有相唯識論者
②は種子の現行ないいうたやん
あなたはイデア論者
人間にのみ当て嵌まる世界観な訳ね。
独自解釈はいい
日蓮システムと法華経の話しだけ
顔だすわ
人間と同じような世界を見ていると思うか?
人間と同じような世界を見ていると思うか?
人間と同じような世界を見ていると思うか?
すぐにとんずらするんだから
やから
汚染された種子が現行するからやないかーい
唯識論がどんなのか
自分の解釈がどんなのか
よーく考えてみ?
イデア論者やないかーい
えええええ!
コウモリや
金魚や
バッタも
人間と同じように
唯識で世界を認識しているの~~~~~!!
知らんよバッタじゃねんだから
バッタはありのまま見てるか
汚染されてんのかのどっちかでしかないやろ
①と仏の意識が縁して③の縁起の世界観が立ち上がる。
①とコウモリが縁したら②でも③でもない④のコウモリの世界観が立ち上がる。
①とモグラが縁したら⑤のモグラの世界観が立ち上がる
いやいや①はいらんて
②で済む話し
①と、いった感じで
縁する対象が変れば①の認識のされようもまた変わる。(相依性縁起)
分けたら
①が真の物体やんけ
唯識論は実在論じゃないやろってばよ
因がなくなってしまいます。
だから①は現行前の記録記憶の阿頼耶識の貯蔵庫やろ
それなら分かる
いや実在論の話ししとるやん
②と③を縁起にあてはめてみて下さい。
縁が何で
果が何になるか
自身の解釈曲げたくないだけや
付き合いきれん
ちゃんとお答えくださいな
因が何で
縁が何で
果が何になるか
またとんずらしますか?
因が何で
縁が何で
果が何になるか
答えてくれたら嬉しいなー
その種子はどこにありますか?
②と③にありますか?
いや解釈が出鱈目すぎて
会話する気にならん
すまんな
うん?
現行してねえのが①なら分かるよ
会話するの
やめましょう
書き込みなされないでください。
それこそ法介さんが納得してんなら
ええやろ
信仰もってお題目してりゃ問題ねえ
①が現行しているとかわたし言いましたか?
お疲れちゃん
ありがとう!
閃いた
閃いた!
ありがとなー
出だしだけでも書いておこう
お話です。
仏性の正体を
「三因仏性」だと申しておられます。
正因仏性・了因仏性・縁因仏性の
三種類の仏性の事で、
嫁からお迎えコールが入った。
行ってきます。
こちらや、
https://k-dic.sokanet.jp/%E4%B8%89%E5%9B%A0%E4%BB%8F%E6%80%A7%EF%BC%88%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%84%E3%82%93%E3%81%B6%E3%81%A3%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%86%EF%BC%89/
https://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E4%B8%89%E5%9B%A0%E4%BB%8F%E6%80%A7
>>957 衆生の生命に元来そなわる仏の境地、すなわち仏界
>>958 正因仏性は衆生に本来そなわる仏性
と紹介されております。
しかし
正因仏性は〝阿頼耶識〟に具わっております。
客体(見られる側)=モノのあり様 --- ①
主体(見る側) =認識のあり様(主観と客観)--- ②
客体(見られる側)=モノのあり様 --- ①
主体(見る側) =認識のあり様(相依性縁起と此縁性縁起)--- ③
本来そなわる仏性を開き、仏性を知るための智慧の助けとなる様々な善行のことで、
本来そなわる仏性を知る智慧になります。
どんな仏性なのかといいますと、
阿頼耶識に既に種子として具わっております。
〝仏縁〟がない衆生にはそれは拾い上げる事は出来ません。
過去に仏と縁を交わしているかという〝結縁〟です。
阿頼耶識に具わっているこの三因仏性を因とした
縁起は起こりません。
「若し始起のみなりといはば、有為の無漏は因縁無きが故に生ずることを得ざるべし。有漏を無漏の種と為すべからず。」
とありまして、
雖有正因熏習之力。若不値遇諸佛菩薩善知識等以之爲縁。
能自斷煩惱入涅槃者。則無是處。若雖有外縁之力。
とありまして、
と説かれております。
力士見已心懷驚怪生奇特想善男子。一切衆生亦復如是。
不能親近善知識故。雖有佛性皆不能見。
とあります。
「三因仏性は有りと雖も善知識の縁に値わざれば悟らず知らず顕れず」
と『三世諸仏総勘文教相廃立』の中で言われておられます。
続きはまた明日にお話いたしましょう。
おやすみなさい。
その前に片付けておかなければならない問題がある事に気づきました。
意見が完全に分かれました。
わたしは有相唯識派
インド大乗仏教における
中観派と唯識派(唯識瑜伽行派)における二大学派の論争だったのです。
こちらのサイト
http://rdor-sems.jp/index.php?%E8%AA%B0%E3%82%82%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E7%81%AB%E4%BA%8B
チベット仏教4大宗派の1つで、ダライ・ラマ、パンチェン・ラマもこの宗派に所属している主流派です。
「空」の本当の意味を深く知るには、中観自立論証派と中観帰謬論証派の見解の僅かな差を吟味する必要があります。なぜなら、その僅かな差こそが、中観哲学の最も微妙な部分だからです。
法介の仏教談義9
https://talk.jp/boards/psy/1725473153
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