ゆゆしき法界 パート16アーカイブ最終更新 2023/11/08 02:261.◆JBLfMwCXhYfbRnt【ゆゆしき法界とは】Talk 掲示板における一つの独立した空間で、争い事は決して好まず、他者に対する誹謗・中傷はナンセンス。しかし愛嬌はドンと来い。ユーモアはぶちかませ。エロい話はお好み次第。「人生楽しまなきゃ損だろう!」をモットーに互いの人間性を尊重しながらもじゃれ合い程度にはツツキ合い、もみもみしながら互いのゆゆしさを温かく且つ、深く理解し合いながら相互に人間性を高め合っていく。そんな素敵な関係のゆゆしき法界です。下記の者は迷惑行為をやめないため、立ち入り禁止とします↓栖雲居士◆dqam8SqGUPdm法介の『ゆゆしき世界』パート1https://talk.jp/boards/psy/1689114927ゆゆしき法界 パート15https://talk.jp/boards/psy/16982945932023/11/05 18:31:511000すべて|最新の50件2.◆JBLfMwCXhYfbRnt法界ほうかい/法界「ほっかい」とも読む。法は本来「要素・成分」を意味する語だが、仏教用語としては、これに「界」や「性」の意味が付加されたと考えられている。法界は初期仏教以来、大乗仏教に至るまで幅広く使用される語であり、それに伴ってその意味内容も多義にわたる。たとえば初期の段階では法界は十八界の一つで、意識の対象となるものを意味し、十二処でいえば法処にあたる。しかし大乗仏教になると、これは単なる意識の対象ではなく、宗教的な本源を意味するようになった。つまり、この全宇宙の存在を法(真理)とみなし、真如と同じ意味で使われるようになる。華厳教学ではこれに事法界(相対・差別の現象界)、理法界(絶対・平等の実体界)、理事無礙法界(現象界と実体界が本来一如で差別のないこと)、そして事事無礙法界(現象界と実体界が本来一如であるから、現象界の個々の事象も互いに差別はなく、相即無礙であること)という四種を立てて、世界のあり方を説明する。したがって法界は、万物を包含する全世界・全宇宙の意味でも使用される。2023/11/05 18:32:093.◆JBLfMwCXhYfbRntブログ法介の『ゆゆしき世界』https://zawazawa.jp/yuyusiki/2023/11/05 18:36:164.◆JBLfMwCXhYfbRnt『法介伝』~世の中の間違いを正す!編~人間はあらゆる物事を概念化してゆきそれを記憶に留めていく生き物です。その人間の「概念」に対し仏教では物事の「真理」を説きます。「人間の概念」は所詮人間が造り出すものであり、それが果たして信ずるに値する「真理」たり得るかと言えば、そうではない事が多々あります。その時はそれが「正しい」と思っていても振り返ってみると「間違い」だったという事は良くある事です。例えば昨今の教科書から坂本竜馬が外されましたが、時代の時々によって人物の評価は変わっていきます。世の中は流動的に常に変化しておりますので、その世界にあって変わらずにあり続ける「正しさ」というものは、実はあり得ないんです。なのに人々は「全体的な正しさが有る!」と思い込むんです。この全体的な正しさが「有る!」と主張する行為は、物事を「有る無し」で見ている外道の見解にあたります。外道と言いますと「私は外道なんかじゃありません!」と激しく抗議されそうなので言い方を変えます。物事を「有る無し」で判断する行為を客観認識法と言います。今の世の中、どれだけ人々が「全体的な正しさが有る!」と思い込んで生きているかというお話をわたしの大変愉快な体験談を通して紹介して参ります。2023/11/05 18:37:145.◆JBLfMwCXhYfbRntテンプレはここまで2023/11/05 18:37:266.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAaEU0o>>5サンクス!2023/11/05 18:44:157.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4晃、こっちね2023/11/06 09:11:478.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4客観=実体視その客観を空じる=析空2023/11/06 09:12:309.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4って、なんども私は説明しているじゃないか2023/11/06 09:12:4910.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4そして主観を空じるのが体空だと。2023/11/06 09:13:1011.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4向こうの晃のレス今見たけどなんだあれ、、、、、。2023/11/06 09:16:5812.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4さっきは見つからなかったというだけの話で無いとはいってないだろ必ず見つけるが、今すぐは出てこないって話だろ2023/11/06 09:18:1113.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4御書がどれだけのぺージ数あるかぐらおまえ知ってるだろ2023/11/06 09:18:3914.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4おまえの為に一生懸命探してるのになんて言い草だ、、、、。呆れた2023/11/06 09:19:2015.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4もう、これ以上今日はお前の相手はせん2023/11/06 09:19:5716.晃(あき)1UXsp拗ねるな2023/11/06 09:20:3917.晃(あき)1UXspかわいいかよ2023/11/06 09:20:5518.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4しばくぞ2023/11/06 09:21:3319.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4冗談やけどな2023/11/06 09:22:0420.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4まーあれだこんな感じだな晃ってhttps://assets.st-note.com/production/uploads/images/230970/picture_pc_947bb35b2223a71c6618d0d6180a1f51.jpg2023/11/06 09:24:1021.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4ブキペディアに登録しとこ2023/11/06 09:28:3922.◆JBLfMwCXhYw1P5dブキペディアhttps://zawazawa.jp/Bukipedia/2023/11/06 09:31:3123.◆JBLfMwCXhYw1P5dブキペディアブキペディアは皆で編集できるtalk掲示板、宗教板の仏教大辞典です。コテハン語録集としてもご活用ください。それ以外にもエロんな形でご活用ください。但し、醜い内容もしくはユーモアのセンスが無い内容は管理サイドの判断で一方的に削除されます。2023/11/06 09:32:4924.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4画像登録完了 !!2023/11/06 09:32:5325.◆JBLfMwCXhYw1P5d晃戦いを好むただ迷惑な男。カムイ6文字革命! カムイ大僧正馬迷走の瞑想者鹿野園一言では語り尽くせない程の見事であっぱれな積極的な馬鹿。でおーパキシルでおー。またの名を池乃メダカ。閃エロさとはかなさと原田知世。麦聖母ムギロフ。元コマンドー嫁の尻にしかれる最強戦士。リダン幽体離脱布教活動家。JBL東大(経済学部)出身の頭がいいお馬鹿さん。サティー宗教板きっての理論派。しかし思想は浅い。夕ユウは何しに宗教板に。2023/11/06 09:35:0126.◆JBLfMwCXhYw1P5d聖母ムギロフ?😫2023/11/06 09:35:2227.◆JBLfMwCXhYw1P5dウンコにたかるハエじゃないのか?😫2023/11/06 09:35:3728.◆JBLfMwCXhYw1P5d聖ウンコ教の信者1号😫2023/11/06 09:35:5429.晃(あき)1UXspなんだこのサイトwなにかに既視感あるけど2023/11/06 09:41:0830.晃(あき)1UXsp仏教ぺディアでブキペディアかようまいこと…2023/11/06 09:43:5131.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4誰でも自由に書き込めるから自由に遊んでくれていいぞー2023/11/06 09:49:1532.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4麦のそれは和尚の言葉を用いたわたしもちょっと違う気がするんだけどジョークの効いた文句が浮かばん2023/11/06 09:51:0233.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4晃 !!あった、見つけたぞー !!昨日紹介した『報恩抄』の中だった。2023/11/06 13:26:2034.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4まず問者がこのように問う。問うていう。いまの話によれば、華厳宗の澄観、三論宗の嘉祥、法相宗の慈恩、真言宗の善無畏、ないし弘法、慈覚、智証等を一様に仏敵といわれるのか。2023/11/06 13:27:2135.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4それに対し日蓮大聖人が次のように答えられる。 答えていう。この疑難は、実に重大なることである。仏法における第一の大事である。経文のさし示すところを、私が観察すれば、「法華経よりも勝れた経がある」という人は、たとえ、なにびとたりとも謗法の罪はまぬかれぬこと、経文に明白である。ゆえに経文のとおりにいうならば、この澄観等の人々が仏敵であることは明白な事実である。もし、それを恐れて、その謗法を破折しなかったならば、釈尊の一切経の勝劣浅深は、総くずれになってしまうのである。2023/11/06 13:28:0836.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4 また彼ら諸宗の祖の権威を恐れて、末代の門下たちばかりを仏敵として破折すれば、それらの諸宗の人々はいうであろう。「法華経よりも大日経が勝れているということは、私のことばではない。われらの祖師の説なのである。祖師とわれらとでは、戒行をたもつか破るか、智慧が勝れるか劣るか、身分の上下等の差別はあったとしても、学んだところの法門には、なんの異なりもない。われらは祖師の教えどおりにやっているのである」というであろう。かくいわれれば、末代の門下の人々には、根本の罪がないということになる。2023/11/06 13:28:5937.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4「末代の門下たちばかりを仏敵として破折すれば」と書いてあるだろ。そして「かくいわれれば、末代の門下の人々には、根本の罪がないということになる。」と申されている。2023/11/06 13:30:5438.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4罪の無い人を仏敵扱いしてどうする。ということだ。さらに、2023/11/06 13:31:4339.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4 かくのごとく、根本的には、諸宗の元祖に重大なる罪のあることを知った。しかるに日蓮、かの諸宗の元祖を恐れ世間の批判を気にして、彼らの謗法を明らかにしなかったならば、「身命を喪うとも、正しい教えを匿してはならぬ」(涅槃経第九)との仏意仏勅を用いぬものになってしまう。と申されている。2023/11/06 13:32:3440.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4大聖人様は世間から批判される事を覚悟のうえで、自らが各宗派のトップに対して身命をおしまず正法正義の戦いを一人で起こされました。2023/11/06 13:35:0841.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4いかにしたらよかろうか。それをいうならば、世間の非難迫害は、とうぜん受け切らなければならぬ。黙ってこれをいわぬならば、仏の諌暁をどうすべきか。進退ここにきわまったというべきである。しかし、このような難はとうぜんであって、法華経法師品には、「この経を説こうとすれば、釈尊在世でさえもなお怨嫉が多かった。まして仏の滅度の後においてをや」と。また法華経安楽行品には、「一切世間のものは怨嫉のみ多くして、この法華経を信じがたい」といわれるゆえんである。2023/11/06 13:35:5642.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4大聖人様がどれだけの法難に合われたか、良くしっているだろう。生き抜かれた事が奇跡なほどの大難を何度もあわれております。2023/11/06 13:40:0043.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4それも全てこの『報恩抄』のこの一節に示された大聖人様の大慈悲から起きた法難でもあられる。その大聖人様の御心をもっとくみ取れ。2023/11/06 13:42:2444.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4そもそも、創価学会や日蓮正宗では「無我」すらまともに理解出来ていない。教学で詳しく教えられていないかなら。2023/11/06 13:44:1045.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4「無我」、「無自性」を理解していけば、世の中に「絶対的正しさ」なんてあり得ないことを覚る。2023/11/06 13:45:2546.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4仏法で説かれているのは、「真理」だ。「正しさ」ではない。その意味が晃に分かるか?2023/11/06 13:46:1747.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4晃の返事を待つ。2023/11/06 13:46:3448.晃(あき)1UXsp問て云く華厳の澄観・三論の嘉祥法相の慈恩・真言の善無畏・乃至弘法・慈覚・智証等を仏の敵との給うか答えて云く此大なる難なり仏法に入りて第一の大事なり愚眼をもつて経文を見るには法華経に勝れたる経ありといはん人は設いいかなる人なりとも謗法は免れじと見えて候、而るを経文のごとく申すならばいかでか此の諸人仏敵たらざるべき、若し又恐をなして指し申さずは一切経の勝劣むなしかるべし、又此人人を恐れて末の人人を仏敵といはんとすれば彼の宗宗の末の人人の云く法華経に大日経をまさりたりと申すは我れ私の計にはあらず祖師の御義なり戒行の持破・智慧の勝劣・身の上下はありとも所学の法門はたがふ事なしと申せば彼人人にとがなし(報恩抄)原文はこうだな2023/11/06 14:08:1749.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4晃、その前におまえさ、悟りスレでこんなこと言ったよな740.ユーザー晃(あき)1UXsp(33/58)>>732つまり自作だったってことや2023/11/06 14:12:0150.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4ちゃんとあっただろ。何勝手に決め付けて人を批判してんだ?2023/11/06 14:12:4951.晃(あき)1UXsp704 法介◆T3azX0Hk1U[] 2023/11/06(月) 07:49:49.11 ID:I5Ud4教義にくわしくない信徒どうしてもめてなんの意味がありますかといもいわれている教義に詳しい日蓮だから、祖師を仏敵と言えるのであって教義に詳しくないものが揉めるな、とは言ってないな2023/11/06 14:13:0752.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4それに対して謝罪の言葉はないのか?はぁ?2023/11/06 14:13:1453.晃(あき)1UXsp>>50いや、文意がだいぶ改変されてる2023/11/06 14:13:3254.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4はぁ?(←これ鹿野園みたいだな)(気をつけよう)2023/11/06 14:13:5155.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4>>53その文章、おれの「自作」か?2023/11/06 14:14:4056.晃(あき)1UXsp>>52何を謝ればいいんだ日蓮は教義に詳しくない信徒の1人だったのか?2023/11/06 14:14:4457.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4http://blog.livedoor.jp/inae_sokagakkai/archives/cat_52522.html↑ここからの引用だぞ2023/11/06 14:15:0058.晃(あき)1UXsp>>55>>51のことを言っている2023/11/06 14:15:0659.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4>>56何を?そんな事もわからない馬鹿なのか、おまえは?2023/11/06 14:15:5260.晃(あき)1UXsp>>59日蓮は、教義に詳しくない信徒同士のもめごとをしていた、というのか?2023/11/06 14:16:5061.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4>>36の文章にちゃんと書かれているじゃないか >>51 と取れる内容が2023/11/06 14:17:5462.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4>日蓮は、教義に詳しくない信徒同士の>もめごとをしていた、というのか??なに言ってるんだ?2023/11/06 14:18:2463.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4おまえどういう文章読み取りしてるんだ?2023/11/06 14:18:4364.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4そんなだから教学も我流がはなはだしいんだよ2023/11/06 14:19:1565.晃(あき)1UXsp>>61つまり、末代の人は謗法ではないのか?2023/11/06 14:19:2266.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4 また彼ら諸宗の祖の権威を恐れて、末代の門下たちばかりを仏敵として破折すれば、それらの諸宗の人々はいうであろう。「法華経よりも大日経が勝れているということは、私のことばではない。われらの祖師の説なのである。祖師とわれらとでは、戒行をたもつか破るか、智慧が勝れるか劣るか、身分の上下等の差別はあったとしても、学んだところの法門には、なんの異なりもない。われらは祖師の教えどおりにやっているのである」というであろう。かくいわれれば、末代の門下の人々には、根本の罪がないということになる。2023/11/06 14:20:2767.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4「末代の門下たちばかりを仏敵として破折すれば」と、書いてあるだろそれをわたしは拾い上げて解りやすいように説明しているだろう2023/11/06 14:21:1768.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4それでも正意を読み取れない晃ってなん?2023/11/06 14:21:4869.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4おまえ自分をどんだけの天才だと勘違いしてんだ?2023/11/06 14:22:2270.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4どーしようもないお馬鹿さんだよおまえは2023/11/06 14:22:4471.晃(あき)1UXsp>>67もめごとは意味ないとは言ってないな2023/11/06 14:23:0172.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4それをまず自覚しろ !!2023/11/06 14:23:0673.晃(あき)1UXsp改変もいいところだ2023/11/06 14:23:2974.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4>>71そういう切り返しをしてくるんだな2023/11/06 14:23:5375.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4よし分かったもうお前とは話さん2023/11/06 14:24:1076.晃(あき)1UXspむしろ、揉めに揉めたのは、詳しい日蓮が邪師を責めたからというのが、文意だ2023/11/06 14:24:2277.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4話が通じない奴と話しても無駄でしかない2023/11/06 14:24:5378.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4今日はこれまでだ2023/11/06 14:25:0979.晃(あき)1UXsp>>74事実やん2023/11/06 14:25:0980.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4買い物に出かけてくる2023/11/06 14:25:2581.晃(あき)1UXsp増上慢を抑えて、怒らないで冷静に見れば晃の言うことは通じる2023/11/06 14:26:3782.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4そんなだから誰にも理解されないんだよばーか2023/11/06 14:30:4283.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4かーば2023/11/06 14:38:0684.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4チンドン屋2023/11/06 14:38:2385.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4って昔、言ってなかった?2023/11/06 14:38:5486.晃(あき)1UXspそれは、宗祖は仮定の話をしてるんだよ師匠の言う通りにしてると申す通りならば、咎はないと、同じ報恩抄にこういう言い回しがある当世日本国には我も法華経を信じたり信じたり、諸人の語のごときんば、一人も謗法の者なし(報恩抄)もし日蓮大聖人が、こう書き残したからと言ってじゃあ、当時の人々は謗法じゃなかったか?というとそれは違う2023/11/06 14:38:5887.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4これって方言?2023/11/06 14:39:0888.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4無視~2023/11/06 14:39:5489.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4おまえの相手はせん2023/11/06 14:40:0890.晃(あき)1UXspそういうのを、“切り文”という2023/11/06 14:40:1691.晃(あき)1UXsp全体から一部分だけを切り取って、文意を自分勝手に改変するという手法2023/11/06 14:41:0392.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4わたしの「自作」ではない事は証明されたにも関わらずそれすら誤ろうとしないような不届き者は相手にしません2023/11/06 14:41:3593.晃(あき)1UXsp結局、トガはあったのか?なかったのか?2023/11/06 14:42:0994.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4どこまでもゴリ押ししてくる嫌なやつ2023/11/06 14:42:4795.晃(あき)1UXsp設いいかなる人なりとも謗法は免れじと見えて候而るを経文のごとく申すならばいかでか此の諸人仏敵たらざるべき(報恩抄)いかなる人なりといえども、とある祖師が謗法なら、いわんや末代の人々をやと読むのが正しい2023/11/06 14:43:3396.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4いかでか此の諸人「仏敵たらざるべき」2023/11/06 14:43:5697.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4「仏敵たらざるべき」「仏敵たらざるべき」「仏敵たらざるべき」2023/11/06 14:44:0798.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4「此の諸人」って誰「此の諸人」って誰「此の諸人」って誰2023/11/06 14:44:5999.晃(あき)1UXsp>>97仏敵じゃないことが、あろうか?と読むのが正しい2023/11/06 14:45:19100.晃(あき)1UXsp>>98邪宗の祖師だろ2023/11/06 14:45:35101.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4国語の勉強からはじめないかんと?2023/11/06 14:45:41102.晃(あき)1UXsp翻訳者の味付けと法介さんの改変で二重の改変がなされているそれをどう読めば、“教義に詳しくないもの同士が、もめるのは意味ない”となるのか2023/11/06 14:47:33103.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4華厳の澄観.三論の嘉祥.法相の慈恩.真言の善無畏・乃至弘法・慈覚.智証等を仏の敵との給うか↑この諸人2023/11/06 14:50:03104.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4祖師の御義↑祖師って誰2023/11/06 14:51:26105.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4晃に理解出来る気がせん2023/11/06 14:52:11106.晃(あき)1UXsp>>104>>103のことだろ2023/11/06 14:52:26107.晃(あき)1UXspじゃあ、法介さんに問うこれをどう翻訳する?2023/11/06 14:52:45108.晃(あき)1UXsp世間の人云く 日本国には日蓮一人計り謗法の者等云云、又経文には大地より多からんと云云、法滅尽経には善者一二人、涅槃経には信者爪上土等云云、経文のごとくならば日本国は但日蓮一人こそ爪上土一二人にては候へ、されば心あらん人人は経文をか用ゆべき世間をか用ゆべき。(報恩抄)2023/11/06 14:53:24109.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4違うだろ祖師はその宗派を開いた僧侶だろ2023/11/06 14:53:51110.晃(あき)1UXsp世間の人が、日蓮1人が謗法の人というと宗祖は残している じゃあ日蓮が言いたいことは日蓮がこの報恩抄で言いたいことは1人だけ謗法である、ということか?2023/11/06 14:54:33111.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4祖師の邪義を破折してこそって云われておられるだろ2023/11/06 14:55:01112.晃(あき)1UXsp>>109同じことやん2023/11/06 14:55:15113.晃(あき)1UXsp華厳の澄観.三論の嘉祥.法相の慈恩.真言の善無畏・乃至弘法・慈覚.智証等これらはみんな開祖2023/11/06 14:55:55114.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4晃とはあまりにも文章の読み取りが異なる(異質)のでこれ以上のお話は致しません。2023/11/06 14:56:15115.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4中国華厳宗は杜順-智儼-法蔵-澄観-圭峰宗密との祖統説を立てる。2023/11/06 14:57:37116.晃(あき)1UXspいや自分から誘っといて、気に食わないことがあってヘソを曲げると、拒絶する………子供かよw2023/11/06 14:58:48117.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4三論宗(嘉祥)日本への伝来には、下記の3系統がある。625年(推古33年)に高句麗の僧の慧灌が伝えた元興寺流。智蔵(慧灌の弟子、呉出身)が入唐して伝えた法隆寺の空宗。718年(養老2年)、道慈(智蔵の弟子)が伝えた大安寺流。2023/11/06 15:00:03118.晃(あき)1UXsp>>115そんな話してるっけ 報恩抄で2023/11/06 15:00:13119.晃(あき)1UXsp>>117それら全て、仏敵と言ってる2023/11/06 15:00:52120.晃(あき)1UXspああ、もうボクとも報恩抄とも関係ない話なのか2023/11/06 15:01:32121.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4法相の慈恩慈恩は法相宗の開祖だな、、、、2023/11/06 15:02:38122.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4ではなぜ「また彼ら諸宗の祖の権威を恐れて、末代の門下たちばかりを仏敵として破折すれば、」という現代語訳になっているんだ、、、、2023/11/06 15:04:23123.晃(あき)1UXsp>>116ちょっと、コレ正直可愛いと思いました では、去る2023/11/06 15:04:23124.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4と、晃は考えないのか?2023/11/06 15:04:37125.晃(あき)1UXsp>>122現代語訳なんて、いーかげんよだからいつも原文を当たる2023/11/06 15:05:33126.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4おまえ漢文わかるんか?2023/11/06 15:06:19127.晃(あき)1UXsp結局、同じ報恩抄で日蓮は、日本国中が謗法であると主張してるのが主旨だからな2023/11/06 15:06:27128.晃(あき)1UXsp>>126いや、読み下しだがそういうのは、創価学会のサイトがまとめている2023/11/06 15:07:31129.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4そうかー2023/11/06 15:07:48130.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4じゃあこういうことにしよう2023/11/06 15:08:08131.神も仏も名無しさんNnmdvほーかいくんお館様〜〜〜コニャニャチワ〜〜〜😄😄😄😄😄😄😄2023/11/06 15:08:38132.晃(あき)1UXsp大筋で、大綱を読まないといかん網目にこだわっては文意を損ねる2023/11/06 15:08:44133.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4晃とわたしとでは大聖人の御書の読み取り方が大きく異なっている2023/11/06 15:09:05134.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4その為今回のような出来事が起こる2023/11/06 15:09:27135.晃(あき)1UXsp>>133議論できるだけすごいで2023/11/06 15:09:45136.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4ここまでOK ?2023/11/06 15:09:51137.晃(あき)1UXsp普通の人は、何言ってるかさっぱり分からん2023/11/06 15:09:58138.晃(あき)1UXsp興味すら持たない2023/11/06 15:11:07139.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4ここから先はお互いの解釈の違いであるから合意に至ることはあり得ない2023/11/06 15:11:14140.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4合意に至ることはあり得ないが、しかし2023/11/06 15:11:35141.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4互いにそういう解釈もあるんだなーと2023/11/06 15:12:01142.晃(あき)1UXspだから法介さんは常々いうようにレベルが高い なぜかワイも無意識にさん付けしてしまうし2023/11/06 15:12:21143.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4今までよりも広い見識をもつように互いに心がけよう2023/11/06 15:12:30144.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4互いに心がけよう互いに心がけよう互いに心がけよう2023/11/06 15:12:52145.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4OK ?2023/11/06 15:13:19146.晃(あき)1UXsp大聖人の御意は難しいからな多少の読み損ないは、仕方ない 学ぼうとする意識がすごい2023/11/06 15:13:52147.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4晃に言われて確かに晃の主張にも一理ある2023/11/06 15:13:55148.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4だがな晃問題はそれだけじゃーない2023/11/06 15:14:31149.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud446.ユーザー法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4(30/91)仏法で説かれているのは、「真理」だ。「正しさ」ではない。その意味が晃に分かるか?2023/11/06 15:15:37150.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4これを晃はどう思う2023/11/06 15:15:59151.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4仏法で説かれているのは、「真理」だ。「正しさ」ではない。2023/11/06 15:16:11152.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4晃の考えを聞かせてくれ2023/11/06 15:16:33153.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4絶対的な正しさってあると思うかって話だ2023/11/06 15:17:23154.晃(あき)1UXsp二十八品は正き事はわずかなり讃むる言こそ多く候へと思食すべし。(妙密上人御消息)いま、ふと浮かんだのが、この御文だな…2023/11/06 15:19:11155.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4でおーがどっかで入ってきたなこにゃにゃちはー2023/11/06 15:19:51156.晃(あき)1UXsp正しい間違ってる、も、ある程度、大切ではあるが法華経の真理は、誉めるところにあるらしい2023/11/06 15:20:03157.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4ふm2023/11/06 15:21:02158.晃(あき)1UXspしかし、真剣に、是非を議論することは相手への礼儀でもある…手を抜いたらかえって無礼になる2023/11/06 15:21:09159.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4率直に聞く真理って何だとおもう?2023/11/06 15:21:37160.晃(あき)1UXspだから、こうして真面目に議論に応じることが法介さんへの礼儀だし、敬っている証と捉えてほしい2023/11/06 15:21:55161.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4>>158そうだな2023/11/06 15:22:10162.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4>>160ありがとう2023/11/06 15:22:37163.晃(あき)1UXsp>>159理想とか、こうあった方がいいよね、的な哲学用語ならイディアかな2023/11/06 15:22:45164.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4では取り合えず真理は置いといて「法」ってなんだと思う?2023/11/06 15:23:58165.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4わたしは真理って「法」だと思っている2023/11/06 15:25:45166.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4「妙法」という法ね2023/11/06 15:26:09167.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4南無妙法蓮華経ってこと2023/11/06 15:26:28168.晃(あき)1UXspその理解で、いいんじゃないかな法にもいろいろ、あるが…2023/11/06 15:26:52169.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4うん2023/11/06 15:27:13170.晃(あき)1UXspソクラテスは悪法も法なり、と言ったがいや悪法は悪法だろ、と思う 法にも千差万別ある2023/11/06 15:27:46171.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4じゃあな、その法の世界(真理の世界)に人間の概念は存在し得るか?それはどう思う2023/11/06 15:28:14172.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4数ある法の中でも究極の法の話ね2023/11/06 15:28:56173.晃(あき)1UXspそれは、その法の深さによる浅い法なら、捉えきれない2023/11/06 15:29:01174.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4究極の法=真如2023/11/06 15:29:11175.晃(あき)1UXsp>>172それなら存在すると考える2023/11/06 15:29:22176.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4般若心経は読んだ事あるよね2023/11/06 15:30:17177.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4不生不滅 不垢不浄 不増不減生じることも滅することもなく、汚いことも綺麗なこともなく、増えることも減ることもない2023/11/06 15:31:31178.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4その世界観にあって正しいとか正しくないといった概念ってあると思う?2023/11/06 15:32:04179.晃(あき)1UXsp読んだことは何度もあるが…あまりピンと来ないんだよね2023/11/06 15:32:05180.晃(あき)1UXsp>>178ないな 大雑把に、ぜんぶ空観したら2023/11/06 15:32:40181.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4そうかー2023/11/06 15:32:48182.晃(あき)1UXsp>>177これは、何が?なんだろう不勉強ですまんが2023/11/06 15:33:47183.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4じゃあね昔は正しいと考えられてた常識が今では全く真逆にとられたりする事ってあるよね2023/11/06 15:33:50184.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4>>182それもふまえて今話してる2023/11/06 15:34:31185.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4正しさって時代や国や民族が変わればまた異なってくるよね2023/11/06 15:35:14186.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4戦時に100人敵兵を殺したら英雄平時に一人でも殺せば殺人罪2023/11/06 15:35:48187.晃(あき)1UXsp正しさって、要は、不動だと思うんだが2023/11/06 15:36:00188.晃(あき)1UXsp一つに止まると、書いて、正しいと読む2023/11/06 15:36:23189.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4ようは、縁(環境や関わる人達)が変われば正しさも変わるってことだよね2023/11/06 15:36:38190.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4だろ2023/11/06 15:36:53191.晃(あき)1UXspつまり、流転する時代や世の中において相対的に、あまり動かない価値観が、一般的に、正しいとされる2023/11/06 15:37:02192.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4?2023/11/06 15:37:24193.晃(あき)1UXsp仏教界で、不動明王が陣取る理由2023/11/06 15:37:33194.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4???2023/11/06 15:37:42195.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4いやいやそうじゃなくて2023/11/06 15:38:11196.晃(あき)1UXsp>>189変わるが、正しさの尺度はその時代、その時代、常に、一応ある2023/11/06 15:38:16197.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4流動的に常に変化している世の中にあって常に正しいと言える存在ってありますかってとこ2023/11/06 15:38:58198.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4常に正しいと言える存在常に正しいと言える存在常に正しいと言える存在2023/11/06 15:39:20199.晃(あき)1UXsp正しさが、優先されるのはそれが、勝負に有利だからだと、思われる2023/11/06 15:39:28200.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4変らずにあり続ける存在変らずにあり続ける存在変らずにあり続ける存在2023/11/06 15:39:48201.晃(あき)1UXsp>>197常に、はないが昔からの伝統は、いつの時代もある2023/11/06 15:40:21202.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4>>199それはそうだけどそれは争点がずれてる2023/11/06 15:40:37203.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4常に、はないよね2023/11/06 15:41:12204.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4それを説いているのが縁起の法門だろ2023/11/06 15:41:34205.晃(あき)1UXsp>>202勝負において勝つことは理想論だしそれは、先に触れた“真理”にも通じる話になる2023/11/06 15:41:39206.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4だったらさ大聖人様の時代と現代って情勢もかなり違うよね2023/11/06 15:42:23207.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4昔は国家が優先された今は個人が優先される時代2023/11/06 15:43:19208.晃(あき)1UXsp>>206それは、そう2023/11/06 15:43:26209.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4昔は国家が優先された時代だったからこそ大聖人様はその国家に対して意見なされた2023/11/06 15:43:56210.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4そうしないと門下の信仰を守れないから2023/11/06 15:44:24211.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4その当時はね2023/11/06 15:44:34212.晃(あき)1UXsp時代は、良くなってる法華経の功徳2023/11/06 15:44:45213.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4しかし、今の世の中は信教の自由は憲法で守られている2023/11/06 15:45:13214.晃(あき)1UXsp昔より明らかに、流布した2023/11/06 15:45:25215.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4だったら個人が何を信仰しようと自由な訳だ2023/11/06 15:45:41216.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4それを大聖人様の時代のやり方で通していいと思うか?2023/11/06 15:46:16217.晃(あき)1UXsp>>215そうだ 悪魔崇拝しようが不健康な生活をしようが 自由それが自由の恐ろしさでもある2023/11/06 15:46:34218.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4それぞれに境涯も異なる訳だ2023/11/06 15:46:44219.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4声聞の境涯の人達には声聞の教えがピントくる2023/11/06 15:47:17220.晃(あき)1UXsp>>216真似はできんよ 手本にするくらいだ2023/11/06 15:47:17221.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4縁覚の境涯の人達は・・・ってな感じでそれぞれの境涯に即した信仰があってしかりだろ2023/11/06 15:48:07222.晃(あき)1UXsp>>219声聞の教えとは何だろう法華経しか、声聞の成仏を許してないらしいが2023/11/06 15:48:17223.晃(あき)1UXsp>>221それは万能薬の一乗じゃないのか?2023/11/06 15:48:45224.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4大事な事はその人の境涯を高めてあげることじゃないかなと、私は思う2023/11/06 15:48:52225.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4>声聞の教えとは何だろう小乗の教えだろ2023/11/06 15:49:30226.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4実体に即した真理さ2023/11/06 15:49:43227.晃(あき)1UXsp>>224増長天か2023/11/06 15:49:47228.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4創価学会や日蓮正宗がまさにそれになってしまってる2023/11/06 15:50:14229.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4実体思考で信仰をしてしまっている2023/11/06 15:50:35230.晃(あき)1UXsp増長天は、良い面も悪い面も極端に伸ばす…アジアに陣取ってるらしい2023/11/06 15:50:43231.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4実体思考だから悪を悪として認識する2023/11/06 15:50:57232.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4真理の世界には悪は存在しない2023/11/06 15:51:14233.晃(あき)1UXsp>>225声聞乗は、方便じゃないのか?2023/11/06 15:51:21234.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4そこんとこがわかっていない2023/11/06 15:51:30235.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4空を学んでいないからだ2023/11/06 15:51:42236.晃(あき)1UXsp>>232でも現代人はストレスで病んでる人が多い2023/11/06 15:51:49237.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4空をしょーもないとしか理解していないからだ2023/11/06 15:52:07238.晃(あき)1UXspこの宗教板でも議論に明け暮れてかえって体調を崩す人もいる…2023/11/06 15:52:15239.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4>でも現代人はストレスで病んでる人が多い確かにそうだな2023/11/06 15:52:28240.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4だからこそ本当の教えが必要なのさ2023/11/06 15:52:49241.晃(あき)1UXsp>>237いや、それは譲れん空は、つまってない つまらないの意や2023/11/06 15:52:58242.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4空の思想を学んでいくこと2023/11/06 15:53:24243.晃(あき)1UXsp>>240なら、善悪はあるやろ?2023/11/06 15:53:35244.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4>>241そう言い続けている以上本当の仏法は解らないよ2023/11/06 15:54:07245.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4>なら、善悪はあるやろ?大聖人様は何と云われてる?2023/11/06 15:54:42246.晃(あき)1UXsp>>244日蓮大聖人も、おまえは何も分かってないと大衆から言われ続けた…2023/11/06 15:54:56247.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4心の外に善悪はなしって言ってなかったか?2023/11/06 15:55:14248.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4全て自身の心が勝手に造り出しているに過ぎない2023/11/06 15:55:49249.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4その人本当に悪人か?2023/11/06 15:56:08250.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4見方によっては善人かもよ2023/11/06 15:56:28251.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4勝手に決め付けていいのか?2023/11/06 15:56:48252.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4無我、無自性だぞ2023/11/06 15:57:05253.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4って話2023/11/06 15:57:15254.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4本質がない=空2023/11/06 15:57:31255.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4勝手に主観で決めつけない=空2023/11/06 15:58:04256.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4自我を優先しない=空2023/11/06 15:58:19257.晃(あき)1UXsp>>245善に背くを悪と云い悪に背くを善と云う(三世諸仏総勘文教相廃立)2023/11/06 15:58:43258.晃(あき)1UXsp>>247心の内にはあるってことや2023/11/06 15:58:58259.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4これこそ切り文字じゃないか2023/11/06 15:59:21260.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4文章の流れはどなっている2023/11/06 15:59:36261.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4善に背くを悪と云い悪に背くを善と云う、故に心の外に善無く悪無し此の善と悪とを離るるを無記と云うなり2023/11/06 16:00:33262.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4故に心の外に善無く悪無し此の善と悪とを離るるを無記と云うなり故に心の外に善無く悪無し此の善と悪とを離るるを無記と云うなり故に心の外に善無く悪無し此の善と悪とを離るるを無記と云うなり2023/11/06 16:00:50263.晃(あき)1UXsp>>261その後に、心の内の話で華厳経を引いている2023/11/06 16:01:03264.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4おまえどんな教学してんだ、、、。2023/11/06 16:01:15265.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4善悪無記・此の外には心無く心の外には法無きなり故に善悪も浄穢も凡夫・聖人も天地も大小も東西も南北も四維も上下も言語道断し心行所滅す心に分別して思い言い顕す言語なれば心の外には分別も無分別も無し、言と云うは心の思いを響かして声を顕すを云うなり凡夫は我が心に迷うて知らず覚らざるなり2023/11/06 16:01:53266.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4どこまでひねくれてんだ2023/11/06 16:02:14267.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4真っすぐに読め2023/11/06 16:02:31268.晃(あき)1UXsp>>265それは、心の外の話2023/11/06 16:02:48269.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4もう疲れた2023/11/06 16:03:16270.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4今日はこれまでとしよう2023/11/06 16:03:40271.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4真摯に付き合ってくれてありがとな2023/11/06 16:03:58272.晃(あき)1UXsp此の心が善悪の縁に値うて善悪の法をば造り出せるなり華厳経に云く「心は工なる画師の種種の五陰を造るが如く一切世間の中に法として造らざること無し心の如く仏も亦爾なり仏の如く衆生も然なり 三界唯一心なり心の外に別の法無し心仏及び衆生・是の三差別無し」已上(三世諸仏総勘文教相廃立)2023/11/06 16:04:13273.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4がんばれ2023/11/06 16:04:14274.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4心の外に別の法無し心の外に別の法無し心の外に別の法無し2023/11/06 16:04:42275.晃(あき)1UXsp>>274心の内には?あるんだなこれが2023/11/06 16:05:00276.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4心が善悪を造りだしているってこと2023/11/06 16:05:48277.晃(あき)1UXsp我等は迷の凡夫なりと雖も一分の心も有り解も有り善悪も分別し折節を思知る(三世諸仏総勘文教相廃立)だから、同じ御書をこう締めてる2023/11/06 16:06:25278.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4対象の方に善悪が本質として備わっている訳ではない2023/11/06 16:06:33279.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4無我・無自性を学べ2023/11/06 16:06:50280.晃(あき)1UXsp善悪を分別するな、とは言ってない2023/11/06 16:07:08281.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4我等は迷の凡夫なりと雖も一分の心も有り解も有り善悪も分別し折節を思知る然るに宿縁に催されて生を仏法流布の国土に受けたり善知識の縁に値いなば因果を分別して成仏す可き身を以て善知識に値うと雖も猶草木にも劣つて身中の三因仏性を顕さずして黙止せる謂れ有る可きや2023/11/06 16:09:34282.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4謂れ有る可きや謂れ有る可きや謂れ有る可きや2023/11/06 16:09:54283.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4そんな事があってはならない2023/11/06 16:10:16284.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4買い物に出かけてくるね2023/11/06 16:11:20285.晃(あき)1UXsp>>281つまり分別しろってことやん2023/11/06 16:15:32286.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4方便品に云く「三世の諸仏の説法の儀式の如く我も今亦是くの如く無分別の法を説く」已上、無分別の法とは一乗の妙法なり善悪を簡ぶこと無く草木・樹林・山河・大地にも一微塵の中にも互に各十法界の法を具足す我が心の妙法蓮華経の一乗は十方の浄土に周徧して闕くること無し2023/11/06 16:33:55287.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4(これをどう捻じ曲げてくるんだろ)2023/11/06 16:34:51288.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4(あいつは大聖人の仏法を内側から破壊している気がする)2023/11/06 16:35:28289.晃(あき)1UXsp>>286無分別の法を分別すべしってことだろう此の一乗妙法の行をば取らずして全く浄土には無き方便の教を取つて成仏の行と為さんは迷いの中の迷いなり(三世諸仏総勘文教相廃立)2023/11/06 16:39:14290.晃(あき)1UXsp大聖人の趣旨は常に、法華経を選び取れ、になる法華経は善悪を選ばず成仏させる無分別の法だが我々は法華経を他と分別しなきゃならん2023/11/06 16:41:46291.晃(あき)1UXsp何から見て、何が無分別なのか?主語と目的語を混同してはいけない2023/11/06 16:43:17292.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4(晃の勘違いは鹿野園以上かもしれん・・・)2023/11/06 16:55:01293.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4次に絶待妙と申すは開会の法門にて候なり、此の時は爾前権教とて嫌ひ捨らるる所の教を皆法華の大海におさめ入るるなり、随つて法華の大海に入りぬれば爾前の権教とて嫌わるる者無きなり、皆法華の大海の不可思議の徳として南無妙法蓮華経と云う一味にたたきなしつる間念仏・戒・真言・禅とて別の名言を呼び出す可き道理曾て無きなり、随つて釈に云く「諸水入海・同一鹹味・諸智入如実智・失本名字」等と釈して本の名字を一言も呼び顕す可らずと釈せられて候なり、世間の人・天台宗は開会の後は相待妙の時斥い捨てられし所の前四味の諸経の名言を唱うるも又諸仏・諸菩薩の名言を唱うるも皆是法華の妙体にて有るなり大海に入らざる程こそ各別の思なりけれ大海に入つて後に見れば日来よしわるしと嫌ひ用ひけるは大僻見にて有りけり、嫌はるる諸流も用ひらるる冷水も源はただ大海より出でたる一水にて有りけり、然れば何の水と呼びたりとてもただ大海の一水に於て別別の名言をよびたるにてこそあれ、各別各別の物と思うてよぶにこそ科はあれ只大海の一水と思うて何れをも心に任せて有縁に従つて唱え持つに苦しかる可からずとて念仏をも真言をも何れをも心に任せて持ち唱うるなり。『諸宗問答抄』2023/11/06 16:59:28294.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4(これはどう捻じ曲げるんだろう・・・)2023/11/06 16:59:52295.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4仏は寤の人の如く衆生は夢見る人の如し故に生死の虚夢を醒して本覚の寤に還るを即身成仏とも平等大慧とも無分別法とも皆成仏道とも云う只一つの法門なり、十方の仏土は区に分れたりと雖も通じて法は一乗なり方便無きが故に無分別法なり、十界の衆生は品品に異りと雖も実相の理は一なるが故に無分別なり百界千如・三千世間の法門殊なりと雖も十界互具するが故に無分別なり、夢と寤と虚と実と各別異なりと雖も一心の中の法なるが故に無分別なり、過去と未来と現在とは三なりと雖も一念の心中の理なれば無分別なり『三世諸仏総勘文教相廃立』2023/11/06 17:01:25296.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4尋ねて云く今の法華経に於て序品には首めに如の字を置き終りの普賢品には去の字を置く羅什三蔵の心地何なる表事の法門ぞや、答て云く今の経の法体は実相と久遠との二義を以て正体と為すなり始の如の字は実相を表し終りの去の字は久遠を表するなり、其の故は実相は理なり久遠は事なり理は空の義なり空は如の義なり之に依て如をば理空に相配するなり、釈に云く「如は不異に名く即ち空の義なり」と久遠は事なり其の故は本門寿量の心は事円の三千を以て正意と為すなり、去は久遠に当るなり去は開の義如は合の義なり開は分別の心なり合は無分別の意なり、此の開合を生仏に配当する時は合は仏界開は衆生なり、序品の始に如の字を顕したるは生仏不二の義なり、迹門は不二の分なり不変真如なる故なり、此の如是我聞の如をば不変真如の如と習うなり、空仮中の三諦には如は空是は中我聞は仮諦迹門は空を面と為す故に不二の上の而二なり『御義口伝巻下』2023/11/06 17:04:02297.神も仏も名無しさんNnmdv>>288ご明察〜俺は忠実ノーマル解釈セイント解釈末法無し天台バージョン解釈魔改造解釈の四つができるエヘン全部、身体から光明放ちながらのお題目で😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄2023/11/06 17:05:06298.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4一此の一切智地の四字 に法華経一部八巻文文句句を収めたり、此の一切智地とは三諦・一諦・非三非一なり、三智に約すれば空智なり、さては三諦とは云い難し、然りと雖も三諦・一諦の中の空智なり、されば三諦に於て三三九箇の三諦あり、先ず空諦にて三諦を云う時は空諦と呼出だすが仮諦・空諦なるは空諦なり・不二するは中道なり、三諦同じく此くの如く心得可きなり、所詮此の一切智地をば九識法性と心得可きなり、九識法性をば、迷悟不二・凡聖一如なれば空と云うなり、無分別智光を空と云うなり、此の九識法性とは、いかなる所の法界を指すや、法界とは十界なり、十界即諸法なり、此の諸法の当体・本有の妙法蓮華経なり『御講聞書』2023/11/06 17:06:28299.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4>>297そうか、すごいなー2023/11/06 17:07:34300.神も仏も名無しさんp1bDx>167 法介◆T3azX0Hk1U 2023/11/06(月) 15:26:28.53 ID:I5Ud4南無妙法蓮華経ってことーーー多次元パラレル空間(=識)ですね、その様、その在り様、2023/11/06 17:46:50301.神も仏も名無しさんp1bDx>189 法介◆T3azX0Hk1U 2023/11/06(月) 15:36:38.72 ID:I5Ud4ようは、縁(環境や関わる人達)が変われば正しさも変わるってことだよねーーー世間法と勝義法で意味が異なるでしょうま世間法は時代の法律で変わるが、勝義法においては、無記であるのでは?2023/11/06 17:53:16302.神も仏も名無しさんp1bDx>>224すごいね!法介さん。2023/11/06 17:58:36303.神も仏も名無しさんp1bDx>261 法介◆T3azX0Hk1U 2023/11/06(月) 16:00:33.16 ID:I5Ud4善に背くを悪と云い悪に背くを善と云う、故に心の外に善無く悪無し此の善と悪とを離るるを無記と云うなり。ーーーほほー!ほーすけ!良い文章ですね、2023/11/06 18:07:39304.神も仏も名無しさんp1bDx>276 法介◆T3azX0Hk1U 2023/11/06(月) 16:05:48.21 ID:I5Ud4心が善悪を造りだしているってことーーーそして、心は空であって、本当は存在しないということ。2023/11/06 18:16:22305.神も仏も名無しさんp1bDx生れ→生育→成長→衰退→老化→死→消滅これが自然法(存在の)● この法理を、中途で断ずる行いを、法に反する行為とし、それを悪とす。故に自殺も悪である。● 諸々の価値ある事象が、ある処に、固定され所属し所有されている場合に、縁に於いて所有者の心において、所有移転の縁が踏まれ同意が無いのに、途中で横取りするを悪とす。2023/11/06 18:28:10306.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4馬ちゃん、何かようかー2023/11/06 19:10:44307.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4何気に皮肉ってくれてるようだが2023/11/06 19:12:28308.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4真理を追究する人間が書く文章に見えないんだけど、、、、。2023/11/06 19:15:12309.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4この論文はもう読んだかな『大智度論』における般舟三昧と首楞厳三昧の関係(澤 﨑)https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk/69/2/69_761/_pdf2023/11/06 19:20:19310.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4転識を起こす為の三昧法ね2023/11/06 19:21:14311.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4九次第定とは全く別種の瞑想法だ2023/11/06 19:21:58312.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4般舟三昧の方は色々と研究されて内容も知られているが、首楞厳三昧の方が内容がはっきりと見えてこないなー2023/11/06 19:24:24313.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4おそらく般舟三昧が別相の三昧で、首楞厳三昧が通相の三昧ってところじゃないかと私はふんでいる。2023/11/06 19:26:09314.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4中国初期禅観思想における首樗厳三昧について 塩入 法道https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/38/2/38_2_677/_pdf/-char/ja首楊厳三昧は勇伏三昧、健相三昧などとも訳され、古来多くの三昧の中でも特に重視されていた三昧である。2023/11/06 19:27:59315.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4つまりこの三昧は高次の菩薩の三昧であり、凡ての禅観、三昧を摂し、いかなる行為中にあっても常に六波羅蜜を心にかけ、衆生を教化していぐものであり、明らかに大乗菩薩の禅観である。2023/11/06 19:29:04316.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4つまり在俗生活を離れずに禅観を修し、目前の衆生を済度するという態度は『首榜厳三昧経』の思想と一致するものである。「在俗生活を離れずに禅観を修し」←ポイント2023/11/06 19:31:32317.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4般舟三昧とともに大乗三昧として重視されてきた首榜厳三昧は諸三昧の極致であり、十地の菩薩しか達成できないとされているので、そこに到る具体的な方法を随自意三昧として説き、新学の菩薩のために提示したのである。2023/11/06 19:32:15318.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4(1)我々の外的行為を行、住、坐、眠、食、語の六種に分けその一つ一つを観心の契機とし、しかも六波羅蜜を説いて衆生の利益をはかる。(2)六根、六境の感受作用についても観心の対象とする。(3)未念心、欲念心の二心を観心の方法として用いる。(4)心の本源的状態を心性と呼び、八識説も展開する。(5)出入息観、不浄観など小乗系の伝統的禅観もとり込む。(6)全体的に般若空観の思想が基調になっている。(7)『大智度論』等の所説の四念処観と関連が深い。これらのうち(2)、(3)、(4)、(5)、(7)等は『首樗厳三昧経』には直接は説かれておらず、慧思の独創によると考えられる。2023/11/06 19:34:41319.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4いずれの項目も大変興味深い内容だー2023/11/06 19:36:31320.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4【四念処】 身念処(身念住) - 身体の不浄を観ずる(不浄観) 受念処(受念住) - 一切の受は苦であると観ずる(一切皆苦) 心念処(心念住) - 心(citta)の無常を観ずる(諸行無常) 法念処(法念住) - 諸法の無我を観ずる(諸法無我)空と大変関係が深い内容だ2023/11/06 19:39:10321.神も仏も名無しさんZK58y>>308本気でほめてるのに、ひねてるな~2023/11/06 19:40:16322.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4首 掴肪 嚴 三 昧 の 研 究 ( 早 苗 亮 雄https://hu.repo.nii.ac.jp/record/655/files/004-13-03.pdf此の三昧は鐸尊の敷理中初薯法輪に於ける八聖道の最後の第八に上げられてゐる徳目であるが、緯奪の敷理中最も重要な地位をしむるものなるこごは、中阿含経『聖道経」などが此の三昧を基本だなし、他の七支正道を正三昧の助縁こしてゐるこごに徴して明瞭である(註一)。2023/11/06 19:44:42323.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4外道に於ける四灘四無色定はそれぞれ濁立し花目的をもち、初灘天乃至非想非非想庭天に生天するこごであり、四繹四無色定其自髄が目的こなつてゐ把のであるが、騨奪にあつては、漸次前の得果を捨離しつ、進むのであるから、四暉四無色定其自髄は決して目的ではなく、解脱の手段たるに過ぎなかった。2023/11/06 19:48:04324.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4「四暉四無色定其自髄は決して目的ではなく、解脱の手段たるに過ぎなかった。」「四暉四無色定其自髄」ってなんのことでしょう2023/11/06 19:48:48325.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4「四繹四無色定、即ち八等至」ってあるから色界禅定と無色界禅定のことだろう2023/11/06 19:51:11326.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4色界禅定と無色界禅定は解脱の手段たるに過ぎなかったという事だ。2023/11/06 19:51:55327.神も仏も名無しさんZK58y日常が全て三昧ってことですね、要は禅定と解脱は違うってことでしょう、一時的ではない三昧ってこよで、2023/11/06 20:08:14328.名無しさんNi1uu>>327となると悟りってなんだろうな2023/11/06 20:30:55329.リダン◆iKlPp4IWRYNi1uuコテ外れてた2023/11/06 20:31:42330.リダン◆iKlPp4IWRYNi1uu解脱も悟りの一つであるとは思うが釈迦の無学がよく分からんそれこそ阿頼耶識の記録全所持状態になるのかそれとも細部はともかく全ての縁起を把握に留まるのか2023/11/06 20:39:41331.神も仏も名無しさんNnmdvウマぱーりーの引用も案外ハチャメチャなんだな〜ほーかいくんがそのよーに言うところを見ると😄ほーかいくんお館様〜〜わんばんこ〜〜〜😄😄😄😄😄2023/11/06 20:42:17332.神も仏も名無しさんNnmdv無学とは屁理屈いらなくなることやろ😄2023/11/06 20:43:26333.リダン◆iKlPp4IWRYNi1uu>>332それならなんとか分かるな2023/11/06 20:43:55334.神も仏も名無しさんNnmdvウンコローラーやウマぱーりーなんかみたら、ゴタクの山盛りやしな〜2023/11/06 20:45:39335.リダン◆iKlPp4IWRYNi1uuまあ悟りがその程度であるなら今の安寧だけで充分ではある2023/11/06 20:46:03336.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4天台智顗は解脱に三種ありと説いている。2023/11/06 20:46:46337.神も仏も名無しさんNnmdvアキラーンやほーかいくんお館様はゆるさないっー😄2023/11/06 20:47:08338.リダン◆iKlPp4IWRYNi1uu>>336なんとそれは気になる2023/11/06 20:47:13339.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4「方便の解脱」と「実慧の解脱」と「真性の解脱」ね。2023/11/06 20:48:03340.リダン◆iKlPp4IWRYNi1uu>>339ほうほう2023/11/06 20:48:32341.神も仏も名無しさんZK58y≫325 法介◆T3azX0Hk1U 2023/11/06(月) 19:51:11.26 ID:I5Ud4≫「四繹四無色定、即ち八等至」ってあるから色界禅定と無色界禅定のことだろうーーーそうですね、四禅・四無色界定、2023/11/06 20:49:24342.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4『維摩経玄疏』十二因縁で言えば過去・現在の三枝は、これ煩悩道。過去・現在の二枝は、これ業道。現在・未来の七枝は、これ苦道なり。いま十二因縁に三道を明かして三種の解脱を弁じ、思議・不思議の不同を分別せん。もしは通教には、苦道は即ち是れ真性と説くといえども、すなわちこれ偏真の法性の理、煩悩即空と説くも、空は実慧にあらず。業道即空と明かすといえども、空は方便にあらず。ゆえに三種は不思議の解脱にあらざるなり。2023/11/06 20:49:35343.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4↑これが「方便解脱」ね。2023/11/06 20:50:40344.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4その前にこの三種解脱のことを不思議解脱と智顗は言い、次のようにそれを説明している。六識はこれ分別識。七識はこれ智障の波浪識。八識はこれ真常識。智識はこれ縁修。八識はもしは顕るれば、七識はすなわち滅す。八識は真修と名づく。任運に体は融じて常寂なり。而も、摂大乗論にいわく、「七識はこれ執見心。八識はこれ無記の無没識」と。あにこれ真修というを得んや。またいま明かすところの六識は、すなわちこれ不思議の解脱なり。あに六識・七識が滅して己りて、八識の真修を不思議の解脱となすことあらんや。所以はいかん。鴦掘経にいわく、「いわゆるかの眼根は諸如来においては常に具足して滅修することなく、了了に文明に見る。ないし意根もまたまたかくのごとし」と。法華経に明かす父母所生の六根の清浄は、自ずから湛然たるをもって十方界境を照らす。あに六識が滅して別に真の縁修あることあらんや。ゆえに経にいわく、「佛は、一切衆生は畢竟して寂滅なり、すなわち大涅槃もまた滅すべからず、一切衆生もまた滅すべからざるを知る」と。すなわちこれ六識は滅すべからず。またこの経にいわく、「解脱とはすなわち諸法なり」と。あにすなわちこれ六識と十八界の一切法ならざらんや。もし爾らば、あに、ただ八識に約して不思議の解脱を明かすを得んや。2023/11/06 20:53:26345.リダン◆iKlPp4IWRYNi1uuふむふむ2023/11/06 20:53:35346.神も仏も名無しさんZK58y>>328悟りは、七識(と八識)を転送識得智せずに、【唯-識】の状態を知ることでしょう、つまり、24時間シームレスで唯-識の安立されていない状態。2023/11/06 20:53:42347.リダン◆iKlPp4IWRYNi1uu>>346つまりどういうことだってばよ?アンリツ?2023/11/06 20:55:34348.リダン◆iKlPp4IWRYNi1uu>>344解脱とはすなわち諸法なり↑これは分かるこれ方便解脱なんやな2023/11/06 20:58:03349.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4>>342 の内容は、凡夫の無明(迷い)の因から起こる十二因縁で起こる縁起からの解脱です。(方便の解脱の意味)2023/11/06 20:59:16350.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4具体的に示せば次の通り。<凡夫の世界観> ---(方便の解脱) 仮=「色即是空」順観の十二因縁 空=「空即是色」逆観の十二因縁 中=「色即是空 空即是色」2023/11/06 21:00:26351.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4凡夫の迷いの世界観からの解脱が方便の解脱。2023/11/06 21:01:08352.リダン◆iKlPp4IWRYNi1uu>>350これなら全部出来てるわ2023/11/06 21:01:41353.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4解脱して実在の真理を覚る→ >>3502023/11/06 21:01:58354.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4リダンも馬ちゃんもそれは出来てるだろう2023/11/06 21:02:30355.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4次に実慧の解脱。2023/11/06 21:02:50356.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4もしは別教には、苦道は即ち是真性のの大涅槃にあらずと説きて、而も真性の涅槃の理あり。もしは生死の苦道は滅して、まさに真性を顕し、常住の涅槃を得て、煩悩道は即ち是れ実慧にあらざるを明かす。煩悩を断じて尽くさば、実慧はまさに円かに、業道は即ち是れ方便にあらざるを明かす。業を断じて別に方便を起こして物を化す。これすなわち十二因縁に三道は滅し、三種の解脱を得。真常の三種の解脱を弁ずといえども、なおこれ思議の相なり。2023/11/06 21:03:03357.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4煩悩を断じ尽くし、生死の苦道も滅した常住の涅槃を得た境地が実慧解脱と智顗は申しております。2023/11/06 21:03:34358.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4そしてもともとの業を断じて「別に方便を起こして物を化す」とありますが、これは阿頼耶識の自身の過去世の悪しき業を断じ尽くすことでそれまで濁っていた第七末那識がクリアーな状態へと変わります。2023/11/06 21:04:07359.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4智顗の弟子であった章安大師(灌頂)が智顗の『法華経』注釈をまとめた『法華文句』の中で、「生滅無常の相無きが故に無相と云うなり二乗の有余・無余の二つの涅槃の相を離るが故に不相と云うなり」と釈した「生滅無常の相無きが故に無相と云うなり」がこれにあたります。2023/11/06 21:04:51360.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4また『天台宗教聖典Ⅱ』のP.1108では、この三種の解脱を唯識の三識にあてはめて説明されております。その部分を紹介致します。2023/11/06 21:05:35361.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4三識に類通せば、一つに、破陀那識はすなわち六識。二つに、阿陀那識はすなわち七識。三つに、阿黎耶識はすなわち八識なり。真性の解脱はすなわち阿黎耶識、実慧の解脱はすなわち七識、方便の解脱はすなわち六識。(※阿陀那識=末那識、阿黎耶識=阿頼耶識の意)2023/11/06 21:05:56362.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4更に段をまたいで七識について次のように申しております。問うていわく。摂大乗論師(無著)は、七識はこれ執見の心と説く。なんぞこれ実慧の解脱というを得んや。答えていわく。迷を転じて解を成ず。もしは迷執を離れて、いずこにか別して実慧の解あらん。ゆえに知る、七識は非迷非解、迷解を説くを得る解のゆえに、即ち是れ実慧の解脱なり。2023/11/06 21:06:18363.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4これをもって天台及び日蓮教学では第七末那識を仏の意識と考えます。2023/11/06 21:06:42364.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4と、息子が帰ってきますので夕飯の支度をしてきます。2023/11/06 21:07:20365.リダン◆iKlPp4IWRYNi1uuなるほど目がすべるw何回か、読まな頭に入らないw2023/11/06 21:09:39366.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4ここにまとめとるからhttps://zawazawa.jp/bison/topic/192023/11/06 21:11:15367.神も仏も名無しさんEFEsF『維摩経玄疏』十二因縁で言えば●①過去・現在の三枝は【(1)無明(2)行(3)識】これ煩悩道。●②過去・現在の二枝は【(4)名色(5)六処】これ業道。●③現在・未来の七枝は【(7)受(8)愛(9)取(10)有(11)生(12)老死】これ苦道なり。いま十二因縁に三道を明かして三種の解脱を弁じ、思議・不思議の不同(違い)を分別せん。もしは通教には、③苦道は、即ち是れ真性と説くといえども、すなわちこれ【偏真(片寄った真)】の法性の理、①煩悩道、即空と説くも、空は【実慧】にあらず。②業道、即空と明かすといえども、空は【方便】にあらず。ゆえに三種は不思議の解脱に、非(あら)ざるなり(そうではない)。(1)無明(2)行(3)識(4)名色(5)六処(6)触(7)受(8)愛(9)取(10)有(11)生(12)老死2023/11/06 21:20:30368.神も仏も名無しさんEFEsF>>347安定していること、2023/11/06 21:22:28369.リダン◆iKlPp4IWRYwCG8o>>367うん?三種は不思議の解脱ではないのか2023/11/06 21:22:28370.リダン◆iKlPp4IWRYwCG8o>>368安立されている状態ってこと?2023/11/06 21:23:29371.リダン◆iKlPp4IWRYwCG8o>>357これもオッケー出来てる2023/11/06 21:25:41372.リダン◆iKlPp4IWRYwCG8o真性の解脱がよく分からんな2023/11/06 21:30:41373.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4>>367の「三種は不思議の解脱に非(あら)ざるなり(そうではない)。」が紛らわしい表現なので後で説明します。2023/11/06 21:42:20374.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4端的に言えば、この十二因縁の三種(三支、二支、七支)は「不思議の解脱」ではないので「方便の解脱」ですよって意味ね。2023/11/06 21:44:58375.リダン◆iKlPp4IWRYwCG8o>>374ほうほう2023/11/06 21:46:32376.神も仏も名無しさんNnmdvサイコローラーが暗躍してまふ〜😫2023/11/06 21:51:09377.リダン◆iKlPp4IWRYwCG8o>>346六識、末那識、阿頼耶識が混ざってる感じだろうか2023/11/06 21:57:49378.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSRUKCpこんばんは、俺もこっちに移動するよ2023/11/06 22:02:06379.リダン◆iKlPp4IWRYwCG8oこんばんは⭐2023/11/06 22:03:07380.リダン◆iKlPp4IWRYwCG8o恐らく禅の諸法実相が不思議解脱ではないだろうか2023/11/06 22:05:01381.◆JBLfMwCXhYw1P5d>>378こんばんは~😄2023/11/06 22:11:05382.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4カムイさん、こんばんこー2023/11/06 22:22:39383.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4馬ちゃん、法相宗で行う瞑想ってどんなんか知ってる?2023/11/06 22:24:37384.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4九次第定でも禅でもない2023/11/06 22:25:07385.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4五重唯識観という5つの瞑想2023/11/06 22:25:20386.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud41つ目で、遍計所執性の幻が捨てられ、2つ目から4つ目で、依他起性が深められ、5つ目で円成実性だけが現れます。2023/11/06 22:26:01387.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4これが今話している方便の解脱、実慧の解脱、真性の解脱にあたるものと思われます。2023/11/06 22:27:22388.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4遍計所執性の幻が捨てられる=凡夫の前五識・第六意識から起こる「客観と主観」による無明(迷い)から起こる十二因縁からの解脱。2023/11/06 22:29:10389.リダン◆iKlPp4IWRYwCG8o>>385ちょっとググったけど全ては阿頼耶識が、生み出した映像とみるんだな俺の体外離脱と同じようだ2023/11/06 22:30:02390.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud42つ目から4つ目で、依他起性が深められる。これが実慧の解脱の内容と一致。2023/11/06 22:30:05391.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4第七末那識がクリアーな状態へと変わっていく工程。2023/11/06 22:31:12392.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4「生滅無常の相無きが故に無相と云うなり二乗の有余・無余の二つの涅槃の相を離るが故に不相と云うなり」この章安大師(灌頂)が智顗の『法華経』注釈をまとめた『法華文句』の中でいった言葉の意味。前に馬ちゃんには話したけど2023/11/06 22:33:38393.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSRUKCp坐禅は念を追いかけない工夫をすればいいですよ。2023/11/06 22:36:04394.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4無余涅槃は九次第定。有余涅槃はおそらく別相による三昧。←これがこの論文にある「般舟三昧」かと。『大智度論』における般舟三昧と首楞厳三昧の関係(澤 﨑)https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk/69/2/69_761/_pdf2023/11/06 22:36:23395.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4『観無量寿経』で説かれている16観法による三三九品ね。2023/11/06 22:37:48396.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4阿弥陀佛を対境とした観法。2023/11/06 22:38:27397.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSRUKCp法介さんは坐禅をしないのかな?法介さんの場合は坐禅しながらずっと南妙法蓮華経を唱え続けとかはありです。2023/11/06 22:38:31398.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4相っていうのは、色相の相では無く、観法の相ね。2023/11/06 22:39:40399.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4>>397そうですね。南無妙法蓮華経を唱えるマントラです。2023/11/06 22:40:29400.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4で、不思議解脱の実慧の解脱ですが、なぜ不思議というのかについて、わたしの思うところを述べます。2023/11/06 22:41:58401.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSRUKCp>>399そしていつの間にか雑念を追いかけていると気づいたら、また、南妙法蓮華経に戻ります。2023/11/06 22:42:28402.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4実際にお題目を唱えて日常生活をおくると、その日常の中で不思議な事がおこるんですね。2023/11/06 22:43:06403.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4そしてその出来事を通して、今抱えている悩みの答えが出るといった経験を何度もしてきました。2023/11/06 22:44:15404.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4過去の因を覚るんですね。2023/11/06 22:44:58405.リダン◆iKlPp4IWRYwCG8oなるほど無学と言っても不思議はそのまま不思議で構わないんだろうな2023/11/06 22:45:07406.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4ある出来事を通して。2023/11/06 22:45:11407.◆JBLfMwCXhYw1P5d南無妙法蓮華経を唱える坐禅か~😄2023/11/06 22:46:01408.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4ああー、自分のこういった過去世の行いが因となって今、こういう事態が起きているんだなーって実感するんです。2023/11/06 22:46:07409.神も仏も名無しさんEFEsF363 法介◆T3azX0Hk1U 2023/11/06(月) 21:06:42.96 ID:I5Ud4これをもって天台及び日蓮教学では第七末那識を仏の意識と考えます。ーーー七識の【解脱】をですよね?2023/11/06 22:46:19410.◆JBLfMwCXhYw1P5d念仏禅なら聞いたことあるけど題目禅はユニーク2023/11/06 22:46:37411.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4>>409それが実慧の解脱。(末那識ね)2023/11/06 22:47:32412.リダン◆iKlPp4IWRYwCG8o>>407南無妙法蓮華経ガチで唱えるだけで変性意識にはなるだろうからね2023/11/06 22:47:52413.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4<仏意の五重玄>諸仏の内証に五眼の体を具する 妙=仏眼:第九識は法界体性智 法=法眼:第八識は大円鏡智 蓮=慧眼:第七識は平等性智(←ここ) 華=天眼:第六識は妙観察智 経=肉眼:前の五識は成所作智2023/11/06 22:48:35414.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4<仏意の五重玄>諸仏の内証に五眼の体を具する 妙=仏眼:第九識は法界体性智 法=法眼:第八識は大円鏡智 蓮=慧眼:第七識は平等性智 華=天眼:第六識は妙観察智(←ここと) 経=肉眼:前の五識は成所作智(←ここが方便の解脱)2023/11/06 22:49:14415.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4>>413 が実慧の解脱2023/11/06 22:49:51416.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4『天台宗教聖典Ⅱ』のP.1108では、この三種の解脱を唯識の三識にあてはめて説明されております。その部分を紹介致します。三識に類通せば、一つに、破陀那識はすなわち六識。二つに、阿陀那識はすなわち七識。三つに、阿黎耶識はすなわち八識なり。真性の解脱はすなわち阿黎耶識、実慧の解脱はすなわち七識、方便の解脱はすなわち六識。(※阿陀那識=末那識、阿黎耶識=阿頼耶識の意)2023/11/06 22:50:21417.神も仏も名無しさんEFEsF>>377六識が一時的に停止した間に、識(物と心の相分から離れた)自体分を悟るってのじゃないのかな?未だ自我は手付かずで、2023/11/06 22:50:54418.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4破陀那識って言葉、めずらしいよね。2023/11/06 22:51:04419.神も仏も名無しさんEFEsF>>384自分そこまで定かでは無いですね。2023/11/06 22:51:58420.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSRUKCpここに邪魔にならない程度に正法の体得の仕方を書き込むよ、流し読みするといいです。2023/11/06 22:52:13421.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4>>420お願いします。2023/11/06 22:53:18422.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSRUKCpここに正法及び正法の体得の仕方を記します、お経のように繰り返し読むといいです。2023/11/06 22:54:09423.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4鹿野園がまたしったかで、こっちを批判してますが後程、彼のいい加減な解説を論破しておきます。2023/11/06 22:54:39424.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSRUKCp日常底の単を練ることが大切である。坐禅だけを修行だと思っていたら一生かかっても埒はあかない。常に道であること。2023/11/06 22:54:44425.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSRUKCp>>423あいつもう人間らしくないからね、醜い化け物だからここに平気でくるだろう。2023/11/06 22:55:43426.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4更に『維摩経玄疏』では七識について次のように申しております。問うていわく。摂大乗論師(無著)は、七識はこれ執見の心と説く。なんぞこれ実慧の解脱というを得んや。答えていわく。迷を転じて解を成ず。もしは迷執を離れて、いずこにか別して実慧の解あらん。ゆえに知る、七識は非迷非解、迷解を説くを得る解のゆえに、即ち是れ実慧の解脱なり。2023/11/06 22:56:19427.リダン◆iKlPp4IWRYwCG8o>>424でおさんがいつもやってるやつだなこれ坐禅、瞑想の境地を日常に持ってこれる2023/11/06 22:57:02428.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4更に『天台宗教聖典Ⅱ』のP.1110(維摩経玄疏)では、この三種解脱を三身に類通させて説明されております。類通とは「共通のものとして類別する」といった意味になります。三身の法身に類通せば、一つに、法身佛。二つに、報身佛。三つに、応身佛。なり。真性の解脱は即ち是れ法身の毘盧遮那佛。性浄の法身なり。実慧の解脱は即ち是れ報身の盧遮那佛。浄満の法身なり。方便の解脱は即ち是れ応身の釈迦牟尼佛。応化の法身なり。ここでまず着目て欲しいのが、三種が三つとも〝法身〟と記されている点です。ここでは法身の中の三身、即ち三身如来と三種解脱とを類通させておられる訳です。また、真性を「毘盧遮那佛」とし実慧を「盧遮那佛」としている点も見逃せません。仏教学の多くの学者さん達は、この毘盧遮那佛と盧遮那佛を同じ仏だと適当なことを申したりしますが、この二仏は明らかに意味が異なります。 毘盧遮那佛=法身 盧遮那佛=報身 釈迦牟尼佛=応身といった仏の三身となります。仏の三身と言いましてもここでは、「三身の法身に類通せば」と申しておられますので「法」としての「如来の三身」を意味しております。2023/11/06 22:58:36429.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSRUKCp>>427動中の工夫ですね。2023/11/06 22:58:52430.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSRUKCp例えばラジオでもテレビでも、聞くときは、「只」聞き、「只」見るだけ。入って来るままに聞くだけ。感情も気付きも入れない。自分を虚にしておく。「面白い」と言うたり思ったりするのは、何かに引っかかっている証拠である。何も無しにあると、そのまま入って聞こえて終わる。それが「正聞」である。眼に於いては「正見」と言う。お釈迦さまがちゃんと言って居られることだ。見たり、聞いたりの縁について何か出るうちは、何か引っかかってるいる。つまり自我が有るからだ。2023/11/06 22:59:56431.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4 毘盧遮那佛=法身 ---(真性の解脱) 盧遮那佛=報身 ---(実慧の解脱) 釈迦牟尼佛=応身 ---(方便の解脱)2023/11/06 23:01:34432.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4>>431 が前にお話しました円融三諦で言いますと、 毘盧遮那佛=法身 ---(真性の解脱)中一切中 盧遮那佛=報身 ---(実慧の解脱)空一切空 釈迦牟尼佛=応身 ---(方便の解脱)仮一切仮の「多次元パラレル空間」になるかと思われます。2023/11/06 23:04:36433.リダン◆iKlPp4IWRYwCG8o>>432それ俺めっちゃ得意2023/11/06 23:05:28434.リダン◆iKlPp4IWRYwCG8o中一切中ってなんでしたっけ?法介のブログのどのへんに書いてあったか2023/11/06 23:06:35435.リダン◆iKlPp4IWRYwCG8o法介さん○法介✕2023/11/06 23:07:27436.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4この図ねhttps://livedoor.blogimg.jp/butudou/imgs/e/a/eadda475.jpg2023/11/06 23:08:35437.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4ブログだったらhttps://sinnyo.blog.jp/2023/11/06 23:09:05438.リダン◆iKlPp4IWRYwCG8o>>436ありがとうございます2023/11/06 23:09:47439.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4↑の9から15の項目あたり2023/11/06 23:09:58440.◆JBLfMwCXhYw1P5d>>430なるほど2023/11/06 23:10:15441.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4カムイさん、禅の瞑想ってどうやって「仏」を観じるんですか?2023/11/06 23:11:34442.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSRUKCp>>440これは修行ではそうなんでふけど、禅僧の普段は良く笑い、そして良く泣く笑2023/11/06 23:12:01443.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4天台や日蓮教学では阿頼耶識の三因仏性を因として縁起を起こす事で仏を観じますが。2023/11/06 23:12:48444.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSRUKCp>>441仏とか意識しませんね、ただ息に意識を置いたりします。2023/11/06 23:13:01445.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4先ほどもお話しましたが、不思議な出来事が日常生活の中で起きてああーこれって仏菩薩のおはからい(秘密神通力)なんだなーて観じるんです。2023/11/06 23:15:34446.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSRUKCp>>441端的に言いますと念が出ない状態が仏ですから。2023/11/06 23:15:46447.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4>>446そこら辺は考え方が日蓮仏法とちょっと違ってますね。2023/11/06 23:17:25448.神も仏も名無しさんEFEsF【五重唯識観】️最初の遣虚存実(けんこそんじつ)識とは、虚仮を遣り、実に存する、という意味清森義行【五重唯識観】https://ameblo.jp/yk19610402/entry-12714145341.html2023/11/06 23:18:24449.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4日蓮仏法では、「秘密神通力」が大事なポイントです。2023/11/06 23:18:24450.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSRUKCp>>447かもしれませんね。2023/11/06 23:19:36451.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4遣虚存実(けんこそんじつ)識遍計所執性は虚妄であるから、それは空であると遣り、まずは妄念を捨てて、依他起性と円成実性の二つは存在する、あるものをあるがままに(すなわち空として)観ることです。2023/11/06 23:20:30452.リダン◆iKlPp4IWRYwCG8o>>448五重唯識観↑これマジ俺の体外離脱と相性抜群だぞ馬さんもまたチャレンジしたらどうだ?離脱時は全機能オンオフ自在だから2023/11/06 23:20:40453.神も仏も名無しさんEFEsF398 法介◆T3azX0Hk1U 2023/11/06(月) 22:39:40.86 ID:I5Ud4相っていうのは、色相の相では無く、≫観法の相ね。ーーーこの辺詳しく擦り合わせましょう。2023/11/06 23:20:55454.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4捨濫留純(しゃらんるじゅん)識認識したものを「外界の何か」とは見ずに、自分の心に映し出された映像として把握する修行です。すべては「私の阿頼耶識が生み出した映像であり、認識している世界」と理解する。2023/11/06 23:22:03455.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4擦り合わせる?どういう意味?2023/11/06 23:23:14456.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4すりあわせね2023/11/06 23:23:32457.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4OK2023/11/06 23:23:49458.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4でも、今日はやめとこ。また今度ね2023/11/06 23:24:25459.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4色々準備しとこう。2023/11/06 23:24:48460.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSRUKCp疲れている時、ただ休んでじっとしていればよい。辛いとか、何かと云う気持ちが少しでも出ると、その物に何か引っかかっている。辛ければ辛いままであればよい。病もまた道であり、疲れもまた道である。2023/11/06 23:25:27461.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4https://ameblo.jp/yk19610402/entry-12714145341.html↑これも後でじっくり見ておくね。2023/11/06 23:25:42462.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4>>460ただぼーと無駄に過ごす時間ってわたしはそれも大事だと思います。2023/11/06 23:27:06463.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4無為に過ごすっていうのか、そういう時間って脳に不可がかかっていないので脳が休憩出来ると思うんです。2023/11/06 23:28:01464.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4あーカムイさんもキャンプされてるから、わかると思うんですが2023/11/06 23:28:27465.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSRUKCp>>462今疲れてるんなら疲れてるが法でしよ。2023/11/06 23:28:46466.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4ぼーと何も考えずただ、焚火の炎を眺めてる時です。2023/11/06 23:29:12467.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSRUKCp>>466そうそう。なんかいいよねー2023/11/06 23:29:38468.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4また、キャンプ場の鳥の鳴き声や自然の景色をぼーと眺めている時。2023/11/06 23:30:13469.神も仏も名無しさんEFEsF>>452俺の六、七識って、ほぼ死んじゃってるからね、活きてただ存在しているので精一杯、ライフがあと1くらいってとこか。2023/11/06 23:31:10470.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4そうやって脳をしっかり休ませておくことで、ここぞって時に脳が持てる力をフル回転出来る。2023/11/06 23:31:28471.神も仏も名無しさんEFEsF>>458了解👌2023/11/06 23:31:37472.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4>>469解脱のし過ぎかも2023/11/06 23:32:14473.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4さて、そろそろ私は寝るとするかー2023/11/06 23:33:14474.リダン◆iKlPp4IWRYwCG8o>>473おやすみなさい😴2023/11/06 23:33:47475.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSRUKCp>>473おやすみ2023/11/06 23:33:49476.法介◆T3azX0Hk1UI5Ud4リダン、馬ちゃん、でおー、カムイさん、JBLおやすみー2023/11/06 23:33:59477.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSRUKCp自分の中に、何かが出た時は自我が立っている証拠である。一度は、迷いと迷えない「単」とのはっきりした違いに気づかねば、我見が入ったか入らんかの区別がつかない。この正法の線をはっきりさせるためには、「今」を離してはならない。2023/11/06 23:34:26478.リダン◆iKlPp4IWRYwCG8o>>477俺は今を連打と呼んでる過去、今、未来のこの今の感覚が過去(このくらい)未来としたら過去(今)未来過去()未来この生滅を離さないかんじ2023/11/06 23:40:31479.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSWMNOJ>>478過去と未来がない状態を今と読んでます。つまり、過去、今、未来ではないんです。2023/11/07 00:30:43480.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSWMNOJ常に「只」するよう努力していればそれで良い。ポカンとなり夢や幻の馬鹿になるのとは異なる。そこを誤解しないように。善悪や損得の気持ちがあった時は、あと残りがする。その残った上で次の事をしていることが多い。すると過去と今が重なるので大きな邪魔者になる。常に自分を注意していないとその事が分からない。例え無用な心がおこっても直ぐに捨てて相手にせずに、やるべきことを「只」やる。2023/11/07 00:39:08481.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSWhvO3おはよう2023/11/07 03:53:09482.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSWhvO3人と話をする時、云わないで良い事は言わない。余分な念を使わない。話は色々な事に渡るものだ。二重、三重の話が出て混線するが、その中心の線だけを取っていれば良い。一つ心で働けば良い。「単」は一つ線であること。一つのもので働けば良い。2023/11/07 03:53:49483.法介◆T3azX0Hk1UdryrLカムイさん、おはよー2023/11/07 04:36:11484.法介◆T3azX0Hk1UdryrL10数年前になるけど当時わたしが書いたブログ記事をカムイさんに紹介します2023/11/07 04:37:42485.法介◆T3azX0Hk1UdryrL2007年3月29日に自身のブログで書いた内容です。2023/11/07 04:38:11486.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>484はい2023/11/07 04:38:26487.法介◆T3azX0Hk1UdryrL昨日、テレビ東京系列でドラマスペシャル 「復讐するは我にあり」が放映されていた。柳葉敏郎扮する殺人犯の榎津巌が、どうしてこのような凶悪犯罪に至ったかを少年期の出来事などを通して、彼の人格が崩れていくさまを鋭く描き出していた。2023/11/07 04:39:13488.法介◆T3azX0Hk1UdryrL以前、奈良少女殺害事件の被告小林薫の死刑判決が下った際、小林被告の弁護士が朝のワイドショーに出演し、妻がその番組を見ていたらしく、その時の様子を語ってくれた事があった。2023/11/07 04:39:37489.法介◆T3azX0Hk1UdryrL妻の話では、弁護士が、小林被告が幼時期に母親を亡くし様々ないじめを受ける中で次第に人格が崩れて行った経緯を説明しだすとゲスト陣がいっせいに反論。「そんないいわけ通じませんよ」「彼は反省してるんですか!」と噛み付く有様。2023/11/07 04:40:01490.法介◆T3azX0Hk1UdryrL「この様な不幸な事件が今後起こらないようにする為にも、 被告がなぜその様な犯行に至ったかを掘り下げて追求し、 それを訴える為に私はここに来ました。」と、弁護士が一生懸命訴えるが司会者までも批判を繰り返すだけで、そこに至った経緯を全く理解しようとしない。2023/11/07 04:40:44491.法介◆T3azX0Hk1UdryrL結局、弁護士の「あんたらにはわかんないだろうよ」といった無力感とあきらめに満ちた苦しい顔がアップされてそのコーナーは終わったらしい。本人がどうしてそのような人格に崩れてしまったのか、そこ(原意追求)が一番大事なのに、結果だけをことさら取り上げて批判を繰り返す。2023/11/07 04:41:11492.法介◆T3azX0Hk1UdryrL物事を深く掘り下げて考える事をしない日本人の悪しき風潮が如実に現れた一場面であっただろう。妻も「どうしてそこを分かろうとしないの」と呆れ返って語っていた。その根本的要因を我々一人一人が真摯に受け止めていかない限り同じような犯罪人格者を世の中が生み出していくだろう。2023/11/07 04:41:38493.法介◆T3azX0Hk1UdryrLこれは決して個々人の問題では無い。なぜなら人間は決して独立して存在しえるものでは無いのだから。2023/11/07 04:41:57494.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8Tこれを読んで鹿野園が思い浮かんだよ2023/11/07 04:43:20495.法介◆T3azX0Hk1UdryrL私はよく子供達に「物事を一念三千でみていきなさい。」と言います。2023/11/07 04:43:31496.法介◆T3azX0Hk1UdryrL>>494なるほどー確かに2023/11/07 04:43:57497.法介◆T3azX0Hk1UdryrL例えば、学校で自分にいじわるな事をしてくる同級生がいたとき、 「なんでこの子はこんな事をするのかな?」 と相手の立場になって考えてごらん。勝手な創造でもいいよ。 この子は幼い頃から両親にかまってもらえず 親から十分な愛情を受けれないまま育って その満たされない思いのはけ口として こんな意地悪をしてくるのかなーって思うと、 この子、可愛そうな子なんだって思うでしょ。 そしたら、その子に対する憎しみが消えるよね。2023/11/07 04:44:30498.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>496鹿野園も完全に人格が壊れてるからね。もう、人間とは呼べない2023/11/07 04:45:04499.法介◆T3azX0Hk1UdryrLといった感じでその子をとりまく衆生世間の話をしてみたり友達と意見が衝突して仲たがいしたりした時は、 人はそれぞれ育った環境が違うんだよ。 家はいつもお父さんがこうやって色んな話でもって あなた達が理解出来るように根気良く対話するけども、 頭ごなしに親の価値観を押し付けようとする親だって沢山いるんだよ。2023/11/07 04:45:24500.法介◆T3azX0Hk1UdryrLと五陰世間や衆生世間の違いからくる差違を話したりといつも私の話のいきつくところは「一念三千」なのです。2023/11/07 04:46:20501.法介◆T3azX0Hk1UdryrL「一念三千」といっても学会や宗門がいってる、客観認識として語る「一念三千」も間違いなく「一念三千」です。それは有であり無でもある(亦有亦無)という「分別の法」としての一心三観でとらえた「一念三千」であり、ここまで私が語ってきた心の所作を捉えた「一念三千論」も 「非有非無」(無分別法)の「一念三千」です。2023/11/07 04:47:12502.法介◆T3azX0Hk1UdryrL「分別の法」としての「一念三千」「無分別法」としての「一念三千」2023/11/07 04:47:28503.法介◆T3azX0Hk1UdryrLそして分別・無分別を超えた「究極の法」としての「一念三千」2023/11/07 04:47:54504.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>500一念三千とは、その一念には三千の因果があるってこと?2023/11/07 04:48:08505.法介◆T3azX0Hk1UdryrL一念三千と言いましてもこのように様々でして「凡夫の一念三千」と「仏の一念三千」のたて分も御書の中では明記されています。2023/11/07 04:48:30506.法介◆T3azX0Hk1UdryrL>>504その通りです2023/11/07 04:49:00507.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>506なるほど、道元禅師の仏道を習うとは自己を習うなりとは、自分がどんな念が出て来てるのかを知るって事です。2023/11/07 04:51:03508.法介◆T3azX0Hk1UdryrL昨日の話で「方便の解脱」ってあったでしょ凡夫の無明を因として起こる十二因縁からの解脱2023/11/07 04:51:24509.法介◆T3azX0Hk1UdryrL我々凡夫は物事の真理疎い。その疎いが故の迷いの一念を最初の因として十二因縁、即ち縁起が起きます。2023/11/07 04:53:22510.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>509さて、その一念とは何処から来てますか?2023/11/07 04:54:51511.法介◆T3azX0Hk1UdryrLこの場合、出だしである「因」自体が迷いの(無明)一念なのでそれによって立ち上がる世界観(一念三千)も当然、迷いの世界観(仮観)になる訳です。2023/11/07 04:55:05512.法介◆T3azX0Hk1UdryrL>>510カムイさんのお考えでは?2023/11/07 04:55:41513.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>512自分の過去から来てます。2023/11/07 04:56:09514.法介◆T3azX0Hk1UdryrLそうですね同感です。自身の阿頼耶識の過去世の業ですよね。2023/11/07 04:57:12515.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>514つまり、過去未来が完全に前後裁断された時、一念は出ないんです。2023/11/07 04:58:03516.法介◆T3azX0Hk1UdryrLその業によって立ち上がっている世界観が現実に目の当たりにしている実在の世界2023/11/07 04:58:25517.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>515もし、これが出来れは人は一瞬にして救われるわけです。2023/11/07 04:59:26518.法介◆T3azX0Hk1UdryrL>>515それが末那識がクリアーになった状態2023/11/07 04:59:44519.法介◆T3azX0Hk1UdryrL>>517そうですね。心が世界を立ち上げていますから、その心が変われば世界も一瞬で変ります。それが唯識です。2023/11/07 05:01:08520.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>518末那識とかあまり知りませんが、念が出る前の所といってもいいですね。もしくは思考が起こる前。2023/11/07 05:01:43521.法介◆T3azX0Hk1UdryrLここまでは、カムイさんとわたしとで共感し合えるないようです。2023/11/07 05:01:45522.法介◆T3azX0Hk1UdryrL禅宗と天台および日蓮仏法の違いはここから先の話なんです。2023/11/07 05:02:40523.法介◆T3azX0Hk1UdryrL天台教学では、ここまでの話を仮観=凡夫の無明を因として起こる縁起(此縁性縁起=順観の十二因縁)とします。2023/11/07 05:04:18524.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>522興味深いですね。2023/11/07 05:04:34525.法介◆T3azX0Hk1UdryrLこの順観型の十二因縁で普通、我々は世界を見ています。様々な要素(三千の要素)が縁となって2023/11/07 05:06:03526.法介◆T3azX0Hk1UdryrLその実在の世界が仮諦の一念三千なんですね2023/11/07 05:06:45527.法介◆T3azX0Hk1UdryrLこれを「流転門」と言います。2023/11/07 05:07:04528.法介◆T3azX0Hk1UdryrLそれに対し、カムイさんが言われるようにそういった自身の過去世の業から離れて末那識にかかっていた暗いサングラスを取って、クリアーな視界を得てみる世界が空諦の一念三千という世界です。2023/11/07 05:09:07529.法介◆T3azX0Hk1UdryrLこれは逆観の十二因縁で起こります。そしてその逆観の十二因縁で立ち上がる世界観を「還滅門」といいます。2023/11/07 05:10:46530.法介◆T3azX0Hk1UdryrLその事を日蓮さんが次のように語っておられます。「御義口伝に云く鬼とは父なり子とは十羅刹女なり母とは伽利帝母なり、逆次に次第する時は神とは九識なり母とは八識へ出づる無明なり子とは七識六識なり鬼とは五識なり、流転門の時は悪鬼なり還滅門の時は善鬼なり、仍つて十界互具百界千如の一念三千を鬼子母神十羅刹女と云うなり、三宝荒神とは十羅刹女の事なり所謂飢渇神・貪欲神・障碍神なり、今法華経の行者は三毒即三徳と転ずる故に三宝荒神に非ざるなり荒神とは法華不信の人なり法華経の行者の前にては守護神なり云云」『御義口伝巻下』2023/11/07 05:11:29531.法介◆T3azX0Hk1UdryrLここで言う、「流転門の時は悪鬼なり」の〝流転門〟が流転の縁起のことです。実体に即した(仮)流転の縁起で顕れる姿(仮在)は悪鬼であるが、「還滅門の時は善鬼なり」と、(五蘊皆空で)空観に入って還滅の縁起(心の変化)で顕れる姿は善鬼である。そして「十界互具百界千如の一念三千を鬼子母神十羅刹女と云うなり」悟りの中諦の真如として顕れる姿は、鬼子母神十羅刹女であるとの御指南です。2023/11/07 05:12:04532.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T末那識がクリアーになった状態の時、誰にも教わってなくても人間として元から備わってるもののみがある。これを仏といいます。そこを使っていく訳です。禅はここを目指します。2023/11/07 05:12:22533.法介◆T3azX0Hk1UdryrLこの御文の内容を整理しますと次のようになります。 仮の真理(縁起)=流転の縁起 空の真理(縁起)=還滅の縁起 中の真理(縁起)=因果具時の縁起2023/11/07 05:13:21534.法介◆T3azX0Hk1UdryrL>>532そうですね。ではその元から備わっている「仏」ってどこにあると禅宗では考えますか?2023/11/07 05:14:47535.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>534自分が無くて縁のみがあります。2023/11/07 05:15:31536.法介◆T3azX0Hk1UdryrLどういう「縁」でしょうか?仏との縁ですよね2023/11/07 05:16:32537.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>536いえ、お茶を飲むならお茶のみの縁がある感じです。そこには私はいない。2023/11/07 05:17:45538.法介◆T3azX0Hk1UdryrLなるほどそこら辺がちょっと違いますね2023/11/07 05:18:44539.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>537これが法に従って生きると言う事です。2023/11/07 05:19:35540.法介◆T3azX0Hk1UdryrL天台教学では、全ては阿頼耶識の「業」(過去世の行い)によって生じると説きます。2023/11/07 05:19:45541.法介◆T3azX0Hk1UdryrLですから自身の汚い汚れた「業」を捨てる訳です。(析空)2023/11/07 05:20:39542.法介◆T3azX0Hk1UdryrLここでの「捨てる」というのが十二因縁からの解脱、即ち方便を捨てるので「方便の解脱」になる訳です。2023/11/07 05:22:03543.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T法燈明に依って生きるとは、私無くして、その瞬間瞬間の縁のみに従って生きると言う感じですね。2023/11/07 05:22:41544.法介◆T3azX0Hk1UdryrLで、捨てた「迷いの自分の業」の変りに「仏の覚りの業」を阿頼耶識から拾いあげるんです。2023/11/07 05:23:38545.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>543ここに、法と言う自覚があってはダメですよ。2023/11/07 05:24:02546.法介◆T3azX0Hk1UdryrLこれが実慧の解脱です。2023/11/07 05:24:25547.法介◆T3azX0Hk1UdryrL>法と言う自覚があってはダメですよ。具体的にご説明願えますか?その法とは2023/11/07 05:25:17548.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8Tですから、うたた悟ればうたた捨てよと、言われます。2023/11/07 05:25:19549.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>547法とは簡単にいいますと「今」です。2023/11/07 05:26:02550.法介◆T3azX0Hk1UdryrL捨てただけでは「無」となりますので世界は立ち上がらないかと2023/11/07 05:26:21551.法介◆T3azX0Hk1UdryrL世界は心を因として起こる縁起です。無を因としたのでは何も起こりません=世界は立ち上がらない2023/11/07 05:27:41552.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>550捨てるほどに万法が現前するんです。道元禅師は捨てるではなく忘れると言う表現をつかってますね。忘れるのほうがいいかもしれない。2023/11/07 05:28:03553.法介◆T3azX0Hk1UdryrLどちらにしてましても無からは何も起きないかと2023/11/07 05:28:56554.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T仏道をならうというは、自己をならうなり。自己をならうというは、自己をわするるなり。自己をわするるというは、万法に証せらるるなり。万法に証せらるるというは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。2023/11/07 05:28:57555.法介◆T3azX0Hk1UdryrLそう私は考えます。2023/11/07 05:29:13556.法介◆T3azX0Hk1UdryrL>>554それって全部が「自己」ですよね2023/11/07 05:30:06557.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>554これですね、自己を忘れると万法に証せられる云々つまり、悟ったとかの自己も忘れて行きます。2023/11/07 05:30:15558.法介◆T3azX0Hk1UdryrL天台教学ではそれらの「自己」を完全に捨てて阿頼耶識の「仏」の拾う訳です2023/11/07 05:31:05559.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>556ですから、法を体得したっていう自己も忘れるって感じです。2023/11/07 05:31:12560.法介◆T3azX0Hk1UdryrLここら辺が禅宗と天台教学を基とした日蓮仏法の大きな違いになります。2023/11/07 05:32:34561.法介◆T3azX0Hk1UdryrL天台教学から見た場合、禅宗でいう「仏」って仏道をならうというは、自己をならうなり。自己をならうというは、自己をわするるなり。自己をわするるというは、万法に証せらるるなり。万法に証せらるるというは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。結局のところ「自己」ではないですかと見るんです。2023/11/07 05:34:14562.法介◆T3azX0Hk1UdryrL要は、禅宗では『唯識』が説かれていないのでそういうことになるんだと思います。2023/11/07 05:35:22563.法介◆T3azX0Hk1UdryrL「自己」と「仏」の違いが明確に説かれていないということです。2023/11/07 05:36:01564.法介◆T3azX0Hk1UdryrL「自己の意識」と「仏の意識」の違いです。2023/11/07 05:36:32565.法介◆T3azX0Hk1UdryrL末那識や阿頼耶識を説き明かさないと解明出来ない内容です。2023/11/07 05:37:15566.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>561禅では仮の自己から本来の自己へとはよく言われますねでも、本来の自己って無色透明みたいなものなので、空気は見えないがある。そんな感じなんですよね。ニュアンスわかりますかね?2023/11/07 05:37:38567.法介◆T3azX0Hk1UdryrL解りますよ2023/11/07 05:38:20568.法介◆T3azX0Hk1UdryrL自分と世界は一体なんだという感覚でしょ2023/11/07 05:39:03569.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>568一体だと私があって世界があるに聞こえるので、正確には自分=世界です。2023/11/07 05:40:34570.法介◆T3azX0Hk1UdryrL禅宗では「而二不二」は教わりますか?2023/11/07 05:40:42571.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>570わたしはねあんまり専門用語知らないからね。内容を聞けばそれ知ってるとか言えるんですけどね。2023/11/07 05:42:16572.法介◆T3azX0Hk1UdryrLカムイさんは禅宗のどちらでしたっか?曹洞宗? 臨済宗?2023/11/07 05:42:59573.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>572どちらも行きましたけど、どうも曹洞宗のほうに縁がありますね。2023/11/07 05:43:39574.法介◆T3azX0Hk1UdryrL「而二不二」というのは、例えばコインには表の面と裏の面がありますよね。一枚の紙にも裏面と表面とがあります。しかしそ異なる両面が一つとして存在している姿を「二にして二にあらず」と言って「而二不二」と言います。2023/11/07 05:45:38575.法介◆T3azX0Hk1UdryrL曹洞宗は道元さんですよね。2023/11/07 05:46:50576.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>574なるほど、善悪がそうですね。善も悪も無い所ですね。善を立てれば必ず悪が出て来ますからね。2023/11/07 05:48:04577.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>575そうです。2023/11/07 05:48:20578.法介◆T3azX0Hk1UdryrL道元さんは、『法華経』をとても重視されておられてたようで、法華経を中心とした教えの天台及び日蓮仏法と通ずるところは多いでしょうね。2023/11/07 05:48:53579.法介◆T3azX0Hk1UdryrLその善悪から離れた境地が仏の境地ですよね。2023/11/07 05:49:38580.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T善悪を超えた善とは言われたりしますけど、どちらかと言うと善悪が起こる前の善のほうがわたしはしっくり来ますね。2023/11/07 05:49:51581.法介◆T3azX0Hk1UdryrLそれを言っているのが最初に紹介しましたわたしの昔書いたブログ記事です。2023/11/07 05:50:15582.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>580わたしが言ってる事と同じですね。2023/11/07 05:50:36583.法介◆T3azX0Hk1UdryrLえとですね、ここでちょっと「空」の話をさせてください。2023/11/07 05:51:02584.法介◆T3azX0Hk1UdryrL昨日のわたしと晃の会話見てました?2023/11/07 05:51:48585.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>578道元禅師ら法華経以外にもあらゆる経典を読み漁ってたようです。その中でも法華経をこよなく愛していたとは聞いた事があります。2023/11/07 05:52:08586.法介◆T3azX0Hk1UdryrL「正しさ」の話2023/11/07 05:52:34587.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>584見てません。2023/11/07 05:52:47588.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>582これアンカーみす2023/11/07 05:53:17589.法介◆T3azX0Hk1UdryrLそうですかーじゃあ、どう話そうか、、、2023/11/07 05:53:37590.法介◆T3azX0Hk1UdryrLちょっと朝飯食らってきますー2023/11/07 05:53:58591.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>589もう答え出てるじゃん正誤以前が正でしょ。2023/11/07 05:54:44592.法介◆T3azX0Hk1UdryrL>正誤以前が正でしょ?どういうことでしょう2023/11/07 06:10:18593.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>592人は物心付いてから、親に、または学校で成長すればある思想にそまったりして、これは正しいこと、これは間違った事と教えられます。確かに本来の正しい事も教えられたりするんですけど、間違ってる事をこれが正しいと教えられたりします、これらが正誤となるんですね。これを一旦リセットした時に本来の正しさが現前する。2023/11/07 06:14:12594.法介◆T3azX0Hk1UdryrL>>593そうですね。おっしゃる通りだと思います。2023/11/07 06:15:43595.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>594つまりあらゆる二面性は自分本位に作り上げてただけ、これが人によって違うものだから、争いも起こったりしますね。2023/11/07 06:17:16596.法介◆T3azX0Hk1UdryrL今日、カムイさんとお話した過去の自身の業によって起こる十二因縁のお話ってこれ順観の十二因縁っていいまして、この凡夫の迷いの一念から離れる(捨てる)ことを方便の解脱というというお話が「析空」なんですね。2023/11/07 06:18:51597.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>596なるほどね、坐禅とは念との戦いとも言えます。2023/11/07 06:19:56598.法介◆T3azX0Hk1UdryrLで、昨日晃と話し内容が「体空」の話なんですね。2023/11/07 06:19:58599.法介◆T3azX0Hk1UdryrL体空は何を空じるのかと言いますと、主観を空じます。2023/11/07 06:20:34600.法介◆T3azX0Hk1UdryrL析空は客観を空じます。2023/11/07 06:20:58601.法介◆T3azX0Hk1UdryrL「空」のお話です。2023/11/07 06:21:17602.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>598禅ってね知識体系を重んじず、実践のノウハウ体系っていうか、そう言う所あるね。2023/11/07 06:21:50603.法介◆T3azX0Hk1UdryrL>>595相対関係で起こる縁起なんです。2023/11/07 06:22:04604.法介◆T3azX0Hk1UdryrLある人物の価値観の中ではそれは「正しい」しかし、別の人物にとってはそれは「間違い」2023/11/07 06:22:55605.法介◆T3azX0Hk1UdryrL人物が「縁」となって異なった答えが導き出されます。2023/11/07 06:23:34606.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>601主客の話は禅でも出ます。4種類しかありません。主無し 客あり主あり 客無し主無し 客なし主あり 客あり2023/11/07 06:24:20607.法介◆T3azX0Hk1UdryrLまた、坂道があったとしましょう。上に居る人から見たらそれは下り坂。しかし、下に居る人からみたらそれは登り坂。2023/11/07 06:24:57608.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>605つまり私を省いて縁のみがある時が平和、つまり悟りの世界なんです。2023/11/07 06:25:25609.法介◆T3azX0Hk1UdryrL>>606なるほどー2023/11/07 06:25:33610.法介◆T3azX0Hk1UdryrL私を除いてという言い方がちょっと気になります。2023/11/07 06:26:40611.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>610自我です。2023/11/07 06:27:07612.法介◆T3azX0Hk1UdryrL「無我」ってことを言わんとされているのでしょうか?2023/11/07 06:27:15613.法介◆T3azX0Hk1UdryrL了解です。2023/11/07 06:27:41614.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>612自我の反対用語が無我であればそうなりますね。2023/11/07 06:28:04615.法介◆T3azX0Hk1UdryrLでは、この「無我」について2023/11/07 06:28:22616.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T禅修行ってのは自我を徹底的に殺していくようなものです。2023/11/07 06:29:22617.法介◆T3azX0Hk1UdryrLわたしの理解では禅宗でいう「無我」は「自分が無い」かと思うんですが如何ですか?2023/11/07 06:29:44618.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>617実体として自分は無いです。2023/11/07 06:30:59619.法介◆T3azX0Hk1UdryrL実体としては無い別のなにかとしては有るんでしょうか?2023/11/07 06:32:05620.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>619心とはなんらかのかたまりのような実体としは無いけど、確かにあるでしょ。2023/11/07 06:33:07621.法介◆T3azX0Hk1UdryrL有りますね2023/11/07 06:34:04622.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>621諸法無我とはそうい事です。2023/11/07 06:34:38623.法介◆T3azX0Hk1UdryrL実体としては無いが心として有るということですね。2023/11/07 06:34:54624.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>623実体としてはないけど心は確かにあるですね。2023/11/07 06:35:54625.法介◆T3azX0Hk1UdryrLこの「無我」の理解もまた禅宗と天台教学とでは異なるところです。2023/11/07 06:36:10626.法介◆T3azX0Hk1UdryrL>実体としては〝ない〟けど心は確かに〝ある〟ですね。天台教学では、この「ある」と「ない」の二元論から完全に離れます。2023/11/07 06:37:35627.法介◆T3azX0Hk1UdryrL物事を「有る無し」で見ないんです。2023/11/07 06:38:01628.法介◆T3azX0Hk1UdryrL解ります?この意味2023/11/07 06:38:25629.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>626なるほどね、わたしはそう感じてるんですけど、禅の人によっては心とはあるんか無いんかわからないと言う人もいるんじゃないかな。2023/11/07 06:39:31630.法介◆T3azX0Hk1UdryrL「有る」と見るを常見、「無し」と言うを断見。仏教はその二辺を離れて「縁起」で捉えると考えるのが天台教学なんです。2023/11/07 06:41:42631.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>628わたしも公案やってた事あるんですけど、答えを持っていくのね。何いってもダメって言われて。最後、「わからない」で透りましたよ。2023/11/07 06:41:59632.法介◆T3azX0Hk1UdryrL有るとか無いって五蘊による認識じゃないですか。その五蘊を空じますので有るとか無いといった認識から離れる訳です。2023/11/07 06:42:58633.法介◆T3azX0Hk1UdryrLでは、物事をどう認識するのかと言いますと、2023/11/07 06:43:29634.法介◆T3azX0Hk1UdryrL末那識と阿頼耶識で認識するんです。2023/11/07 06:43:57635.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>632では、このあなたが書いた文章は有りますか無いですか?2023/11/07 06:43:57636.法介◆T3azX0Hk1UdryrLその文章は、先ほどの過去に私がパソコンで書いた文章です。となります。(縁起)2023/11/07 06:45:41637.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>636ですからその文章はあるんですか?無いんですか?2023/11/07 06:46:31638.法介◆T3azX0Hk1UdryrL画面の文章だけ(実体)を見ても、もしかしたらわたしに成りすました鹿野園が書いた可能性もあります。2023/11/07 06:47:08639.法介◆T3azX0Hk1UdryrLしかし、書いた本人である私自身がそれを書きましたと言っているのです。それで十分ではないでしょうか。2023/11/07 06:47:57640.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>638とね、言葉遊びになるんです。相手が言おうとする雰囲気だけでいいと思いますよ。2023/11/07 06:48:04641.法介◆T3azX0Hk1UdryrL有る無しでみても本当のところはわかりません2023/11/07 06:48:22642.法介◆T3azX0Hk1UdryrL縁起で捉えてこそ、真実が見えてきます。2023/11/07 06:49:01643.法介◆T3azX0Hk1UdryrLですから仏教では「有る無し」では語りません。2023/11/07 06:49:38644.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>642ですからら何度も言ってますけど自分無くして縁のみがあると。2023/11/07 06:49:52645.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T認識しなくても縁はありますからね。2023/11/07 06:50:27646.法介◆T3azX0Hk1UdryrLいや、自分は縁起として存在(実在)しております。2023/11/07 06:51:10647.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>646そうかもしれませんね、全く我が無い自分がね。2023/11/07 06:52:05648.法介◆T3azX0Hk1UdryrLその「自分が無い」という無我説を日本中に広めたのが中村元大先生です。2023/11/07 06:53:08649.法介◆T3azX0Hk1UdryrL昨今の仏教学会では、その中村先生の無我説はおかしいという認識に変わってきております。2023/11/07 06:54:15650.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>648うーん風景だけで自分なしの体験を法介さんは一度されたほうがいいかもしれない。その時風景が自分なんです.2023/11/07 06:55:10651.法介◆T3azX0Hk1UdryrLこの件に関して、奈良 康明文学博士のおもしろい論文を見つけましたので紹介します。https://zenken.agu.ac.jp/research/48/15.pdf博士は、日本の仏教学者・曹洞宗の僧侶であり東京大学から文学博士を授与されており、役職として駒澤大学学長、総長を経て、同大学の名誉教授となっておりまして、僧侶としても法清寺の住職を経て東堂となり、また、永平寺の西堂を務めたりされた方です。2023/11/07 06:55:43652.法介◆T3azX0Hk1UdryrL論文の中で博士は、「主体が無い」とか、「自分は存在していない」と考えることがお釈迦さまが説かれた〝無我〟であると主張する一部の上座部の無我解釈が、今では古い考えであるという事を私たちは学ばなければ、正しい仏教観には立てないということを主張されておられます。先ほどのお釈迦さまの言葉ですが、直訳すると「自己によって自己を見ず」となりましてそれをもって中村先生などは、仏の見識に立てば「自己は存在しない」と考えられた訳です。これは「自己と自我」を同等にみる考えです。奈良 康明 博士は、ここはとても大事なところなので何人かの研究者の訳を引き合いに出され並べて紹介なされておられます。 中村 元:自己によって自己を観じて(中村1993・538頁) 渡辺照宏:自己には自我なしと洞察し(渡邊1982・145頁) 宮坂宥勝:自分に自我を見ることなく(宮坂2002・123頁) 榎本文雄:自我にとらわれて自己を見ることなく(榎本1986・191頁) 村上真完・及川真介:自ら自我を見ず(村上・及川2009・(三)128頁)2023/11/07 06:56:05653.法介◆T3azX0Hk1UdryrL中村先生だけが「自己によって自己を」と原文通りに二つの自己を並べていますが、他の先生方は自我と自己とに分けて訳しておられます。そうしないと意味が正しく伝わらないからです。他の先生方の表現は、「真の自己は〝自我〟によって把握されるべきものではない」といったことを意味しております。2023/11/07 06:56:18654.法介◆T3azX0Hk1UdryrL「真の自己は〝自我〟によって把握されるべきものではない」2023/11/07 06:56:59655.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T花を見れば本当に花が自分なんだよ笑2023/11/07 06:57:25656.法介◆T3azX0Hk1UdryrLでは、何によって把握されるのが真の自分なのでしょう。2023/11/07 06:58:44657.法介◆T3azX0Hk1UdryrL阿頼耶識の仏の業を因として縁起を起こした時本当の自分が顕れます。2023/11/07 06:59:33658.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>656本来の自己はわからないです。2023/11/07 06:59:37659.法介◆T3azX0Hk1UdryrLと、説くのが天台教学です。2023/11/07 06:59:51660.法介◆T3azX0Hk1UdryrLここら辺が禅宗と天台教学との違いになります。2023/11/07 07:00:25661.法介◆T3azX0Hk1UdryrLそれぞれに異なった宗教の教えを学んでおりますので、考えが異なって当然でしょう。2023/11/07 07:01:11662.法介◆T3azX0Hk1UdryrLでは、どっちの考えが正しいのかとなると、先にお話しました内容になります。2023/11/07 07:01:55663.法介◆T3azX0Hk1UdryrLカムイさんにとっての「正しい」はカムイさんにとっての「正しい」わたしにとっての「正しい」はわたしにとっての「正しい」2023/11/07 07:03:02664.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>661考えは違うかもだけど、頭ぶん殴られたら痛いは共通でしよ?禅ってそう言うもんです。2023/11/07 07:03:02665.法介◆T3azX0Hk1UdryrL縁となる体が異なりますので、異なった正しさがそこにはあります。2023/11/07 07:03:40666.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T頭ぶん殴られたら痛いは真理ですからね。2023/11/07 07:04:38667.法介◆T3azX0Hk1UdryrL>>664感覚器官がマヒしている人は痛いと感じないでしょう縁がことなれば。2023/11/07 07:04:44668.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>667そう言うふうに理屈をこねる人おおいですけどね。2023/11/07 07:05:33669.法介◆T3azX0Hk1UdryrL万人に共通する「痛い」は無いかと思います。2023/11/07 07:05:35670.法介◆T3azX0Hk1UdryrLいや、理屈ではなく真理を追究していくとそうなるんです。2023/11/07 07:06:14671.法介◆T3azX0Hk1UdryrLでは、お聞きしますが「死」って真理でしょうか?2023/11/07 07:06:42672.法介◆T3azX0Hk1UdryrL「人間は必ず死ぬ」という事は真理だと思いますか?2023/11/07 07:07:36673.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T例えばりんごってなんだ?説明するより食えばわかるってのが禅です。そこに味は人によって違うでしょって言う人が必ずいるんですよ。こう言うタイプは禅に向いてません。2023/11/07 07:07:43674.法介◆T3azX0Hk1UdryrL>>672にお答え頂けますか?2023/11/07 07:08:56675.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>674真理です。2023/11/07 07:09:31676.法介◆T3azX0Hk1UdryrLでは、仏教で説かれている「生じる事も無く、滅する事もない」という真理はウソでしょうか?2023/11/07 07:11:01677.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8Tただし、生の時は全部正なんです。裏に死はありません。また、死の時は全部死です。2023/11/07 07:12:10678.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8Tただし、生の時は全部生なんです。裏に死はありません。また、死の時は全部死です。ま、わかると思うけど一応訂正2023/11/07 07:12:56679.法介◆T3azX0Hk1UdryrLいや、先ほどのリンゴの譬えでしたらそれも死んでみたらわかりますとなりますよね2023/11/07 07:13:22680.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>679そうなりますね。ま、わたしも生死問題を完全に解決した訳ではありませんので、今のところこんな感じだね。2023/11/07 07:14:26681.法介◆T3azX0Hk1UdryrL>>679 これが禅の考えであるのであれば、天台教学では次のように説明します。2023/11/07 07:15:09682.法介◆T3azX0Hk1UdryrLリンゴが木から落ちるのを見て引力が発見されました。2023/11/07 07:16:06683.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>678これわかりますか?あなたのコインを例に出しますと、生の時はコインの裏表とも生なんです。2023/11/07 07:16:28684.法介◆T3azX0Hk1UdryrL>>683解りますよその上で聞いて頂けませんか2023/11/07 07:18:16685.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>684はい2023/11/07 07:18:39686.法介◆T3azX0Hk1UdryrLそして皆、地球上には引力という法則が存在すると教えられます。ではその引力って真理なのでしょうか。例えば、2023/11/07 07:19:03687.法介◆T3azX0Hk1UdryrL認知症のおばあちゃんが、その落ちたリンゴを見た時「落下した」と思うでしょうか。木にあったことを覚えていないんです。2023/11/07 07:20:20688.法介◆T3azX0Hk1UdryrL目の前の「今」しか見えていないんです。おばあちゃんには。2023/11/07 07:20:51689.法介◆T3azX0Hk1UdryrLそんなおばあちゃんに引力は存在しません。2023/11/07 07:21:18690.法介◆T3azX0Hk1UdryrLわたしが何を言いたいのかと言いますと、2023/11/07 07:21:37691.神も仏も名無しさんadT6Nほーかいくんお館様〜〜ムイムイ大将軍〜〜〜おはよ〜〜😄😄😄😄😄😄ローラーウンコはうらやましそーに威張ってまふ〜〜😄2023/11/07 07:22:08692.法介◆T3azX0Hk1UdryrL人間の記憶するという脳の働きで引力や時間って起きているってことです。2023/11/07 07:22:20693.法介◆T3azX0Hk1UdryrLでおー、おはよー2023/11/07 07:22:36694.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>688なるほどね、この話もっとも禅らしいね。2023/11/07 07:23:12695.法介◆T3azX0Hk1UdryrLですからその人間の「概念」から離れた境地にあっては「変化」は起きない訳です。ですから「生じる事も滅する事もない」2023/11/07 07:23:38696.法介◆T3azX0Hk1UdryrLカムイさんが。おっしゃる通り死の時は死生の時は生2023/11/07 07:24:11697.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T禅では認知症にならずにそうなれって言われるから難しい2023/11/07 07:24:34698.法介◆T3azX0Hk1UdryrLということです。2023/11/07 07:24:35699.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>698言ってる事同じって事だね。2023/11/07 07:25:38700.法介◆T3azX0Hk1UdryrLこれによって「法則」は真理として存在しないとなります。これを理解することが法を空じた法空です。2023/11/07 07:25:57701.法介◆T3azX0Hk1UdryrL>>699そうですね2023/11/07 07:26:22702.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>700継続するものはなんもないって事が真理と言えるね。2023/11/07 07:27:11703.法介◆T3azX0Hk1UdryrL禅宗では「法理」を詳しく学ばないかと思います。わたしがお話しているのは「法理」です。2023/11/07 07:27:20704.法介◆T3azX0Hk1UdryrL法理は知らなくても道元さんが『法華経』を学ばれておられましたので自ずと同じ事になるかと思われます。2023/11/07 07:28:31705.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>703禅宗でも法理を大事にする所あるかもしれないけど、わたしが行った禅寺は全部実践だからね。2023/11/07 07:28:39706.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>704禅宗は法理は悟ったらいくらでもわかるから、とにかく悟れ!こんな感じですね。2023/11/07 07:29:43707.法介◆T3azX0Hk1UdryrLただ、その道元さんよりも更に詳しく『法華経』を解明していったのが天台智顗と日蓮大聖人のお二方です。2023/11/07 07:29:56708.法介◆T3azX0Hk1UdryrLここまで析空と体空と法空の話をしてきました。しかし、その先の非空はおそらく道元さんは理解されておられなかったと私は思います。2023/11/07 07:31:57709.法介◆T3azX0Hk1UdryrL真如の世界観です。応身如来と報身如来と法身如来のお話です。2023/11/07 07:33:04710.法介◆T3azX0Hk1UdryrLそれが昨日、リダンや馬ちゃんと話していた三種の解脱のお話です。2023/11/07 07:34:11711.法介◆T3azX0Hk1UdryrLところでカムイさんは映画とか良く見ます?2023/11/07 07:34:56712.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>711最近ではトップガンマーベリック見たよあの皮ジャン持ってんだよ笑2023/11/07 07:35:54713.法介◆T3azX0Hk1UdryrLああーもうDVD出てますかね2023/11/07 07:36:37714.法介◆T3azX0Hk1UdryrL邦画派?洋画派?2023/11/07 07:37:07715.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T出てると思うよ2023/11/07 07:37:34716.法介◆T3azX0Hk1UdryrL私は若い頃は洋画が好きでしたが歳とってからは邦画を好んで良く見ます。2023/11/07 07:38:36717.法介◆T3azX0Hk1UdryrL日本アカデミー賞を総なめした『八日目の蝉』って見ました?2023/11/07 07:39:17718.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>715どちらも見るね、実写のカムイ外伝も面白かった2023/11/07 07:39:38719.法介◆T3azX0Hk1UdryrL我が家では、家族の誰かが観て来て「良かった」という作品は、皆で一緒に良く見るんです。2023/11/07 07:40:48720.法介◆T3azX0Hk1UdryrLで、次男が『永遠のゼロ』を観て薦めるもんですから皆で映画館で見たんです。2023/11/07 07:41:45721.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>717見てないな、蝉しぐれはみた、知ってる?2023/11/07 07:42:12722.法介◆T3azX0Hk1UdryrLあれも凄く良い映画でした。で、その後家族みんなで鹿児島の特攻隊の記念館に行ったんです。2023/11/07 07:43:11723.法介◆T3azX0Hk1UdryrL『蝉しぐれ』ですか、それは見てないですね。主演は誰?2023/11/07 07:43:46724.法介◆T3azX0Hk1UdryrL特攻隊の記念館に行くと彼らが残した家族あての手紙が沢山展示されていて、涙が止まりませんでした。2023/11/07 07:45:17725.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T市川染五郎だね2023/11/07 07:45:34726.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>724そうなるよね2023/11/07 07:46:28727.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8Tあと、実写のキャシャーンも良かった2023/11/07 07:47:54728.法介◆T3azX0Hk1UdryrLまた、TVで昔、トヨタの創設者のスペシャル・ドラマ『ヒーローズ』ってあったんです。佐藤浩市主演のやつ。2023/11/07 07:48:06729.法介◆T3azX0Hk1UdryrLキャシャーンって、カムイさんほぼ同世代かな2023/11/07 07:49:00730.法介◆T3azX0Hk1UdryrL『ヒーローズ』も家族皆で観て、その後車で高速走って福岡から愛知まで交代で運転して豊田の記念館に行きました。2023/11/07 07:50:41731.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T話戻すけど、さっきの痴呆症の話だと、死は真理では無いもなるね。でも、実際には死ぬじゃんってのが本音だけどね。だから禅では死なないで無く死はないと表現されるのかな。2023/11/07 07:51:35732.法介◆T3azX0Hk1UdryrLそんな感じで我が家では、子供達に心で何かを観じとるという経験を一杯積ませてきました。2023/11/07 07:51:51733.法介◆T3azX0Hk1UdryrL>>731なるほどー2023/11/07 07:52:34734.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>732なかなかアクティブやね笑2023/11/07 07:53:12735.法介◆T3azX0Hk1UdryrL子供達が幼かった頃も良く家族でキャンプに行きました。2023/11/07 07:53:17736.法介◆T3azX0Hk1UdryrL今は、それぞれがキャンプを楽しんでいます。2023/11/07 07:53:41737.法介◆T3azX0Hk1UdryrL自然に身を置くっていいですよねー2023/11/07 07:54:06738.法介◆T3azX0Hk1UdryrLでは、そろそろ二回目の朝の勤行をして参ります。お付き合い頂きましてありがとうございましたー2023/11/07 07:55:23739.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>737相手が自然だと自我が立たない、それが相手が人だと何かしらの自我が立つ。なんでかわかりますか?2023/11/07 07:55:24740.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T法理は聞けばわかるから楽しいね。自分が間違って無い事を再確認出来る。2023/11/07 07:58:39741.法介◆T3azX0Hk1UdryrL>なんでかわかりますか?自然が相手だと自我は立たない。いや、立つと思います。心地良いなーという自己の意識2023/11/07 08:03:02742.法介◆T3azX0Hk1UdryrL鹿野園が相手だとむかつく~という自我が立つ2023/11/07 08:04:26743.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>741立つかもしれないけど、人の時みたいに身構えるような自我は立たないって話です。2023/11/07 08:04:29744.リダン◆iKlPp4IWRYINNfS生きているときは生きている死んでるときは死んいる生まれ変わったときは生まれ変わったとき苦が生まれるのは生きているときに自我が死んだときを妄想するからある意味今を理解するだけでも死後や輪廻からほぼ解脱とも言える2023/11/07 08:04:38745.法介◆T3azX0Hk1UdryrL両者の違いはと問われれば2023/11/07 08:05:12746.法介◆T3azX0Hk1UdryrLリダン、おはよー2023/11/07 08:05:51747.リダン◆iKlPp4IWRYINNfSおはようございます☀2023/11/07 08:06:07748.法介◆T3azX0Hk1UdryrL>>745対境の違いではないでしょうか。2023/11/07 08:07:00749.法介◆T3azX0Hk1UdryrL自然=綺麗鹿野園=醜い2023/11/07 08:07:24750.法介◆T3azX0Hk1UdryrLリダン的に思うことがあったら綴ってて2023/11/07 08:08:15751.法介◆T3azX0Hk1UdryrL勤行してくるー2023/11/07 08:08:32752.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>749物心ついてから人から無数の傷を受けて来たから、人に対してはなにかしらの自我が立つんです。この傷を浄化させていくのも坐禅の目的でもあります。2023/11/07 08:09:26753.法介◆T3azX0Hk1UdryrL>>752なるほどーそれも一理ありますね2023/11/07 08:11:01754.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8Tそう考えると、人の苦しみってのは全部過去未来から来ているとなります。これに気づくのは結構大切です。2023/11/07 08:11:03755.法介◆T3azX0Hk1UdryrLトラウマとかもそうですよね。2023/11/07 08:11:40756.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8Tだから今ここが涅槃とか呼ばれるんですね。2023/11/07 08:12:04757.リダン◆iKlPp4IWRYINNfS今にいると未来からの因を未来に閉じ込め縁起させないと言う技術もありますな(倶舎論)2023/11/07 08:13:13758.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>757過去が切れると、同時に未来も切れます。2023/11/07 08:14:18759.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T車を運転する時、心を虚にすること。景色は「只」見て、綺麗だとか何とか感情を挟んではいけない。動いている時は動くに任せて素直に動かされていれば良い。自在に何んにでも「只」応じてさらさら流れている事が分かってくる。それには「今」一点を守らねば、前後裁断している大事な線が手に入らない。綺麗なとか表現しようとした時は、囚われているからだ。一点を守らないからである。今は動いている。それを認めると何かが出ているから、囚われ付いていくことになる。何を見ても聞いても、何もなしの空である時には、そのままさらさらと只々でいける。2023/11/07 08:16:22760.リダン◆iKlPp4IWRYINNfS>>759ゾーンってやつやね2023/11/07 08:19:17761.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>760これも訓練の一つです。禅僧も普段は綺麗なものは綺麗だなーって言ってます。ただ、一度は徹し切らないといけないと言う事です。2023/11/07 08:21:15762.リダン◆iKlPp4IWRYINNfS車の運転時はそれは危ないw我に返ったときビビり散らかすw禅的な意味合いの場合はパフォーマンスは上がるが瞑想的な意味合いでは現実フォーカスがあやふやで危ないww2023/11/07 08:24:17763.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>762歩く時は歩くだけをします。これも難しいんです。歩いてる時に仕事の事を考えたらアウト。つまり、念が出たらアウトなんです。2023/11/07 08:26:11764.リダン◆iKlPp4IWRYINNfS>>763今の連打によりミリ単位で動く筋肉になりきれば念が出る余裕はなくなりますね2023/11/07 08:27:50765.リダン◆iKlPp4IWRYINNfS多分禅の場合は六識と六境(真如)との同一に特化なんだろうな2023/11/07 08:28:36766.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T法介さんは法理から入って、わたしは実践から入ってるんだけど。意見を交わすと、ほぼ同じ意見になる。これは結構面白いね。2023/11/07 08:30:09767.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8Tこれね同じ方向向いてるからです。それがね、ろんと鹿野園みたいに毎日、朝から晩まで討論してた時期がありましたけど、あれどちらもわかってない同士で我を張り合うから永遠と続くんですね。2023/11/07 08:34:52768.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8Tある意味彼らも似たもの同士なんですけどね笑2023/11/07 08:35:54769.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T「今」がはっきりすれば、大自然に目覚める。そうすると只管ならざるものなし。そこまで行くには「今」を守り切らねばならない。そうしないと迷いと悟り、煩悩と菩提の涯際を付ける事ができない。生死の涯際が取れるまで凡情が尽し切れるまで努力しなければならない。凡情に落ちるとは、物に落ちることである。「全て道である」すなわち煩悩即菩提というのは、いたり得た後の話である。それをごっちゃにしてはいけない。そうしないと釈尊の六年間が無意味になる。努力せずして道が成就するはずが無いでは無いか。「単」「只管」「即今」「今」も大自然、つまり普遍の真理の異名である。「解脱」とはクセが落ちて、本当の「真理」に目覚めること。この自覚症状を「悟り」という。何億年も「今」だけである。本当に生きた「今」が大切であり本当の命である。「今」を説くことはできない。聞いて分かった今は「考えた今」であり迷いの今である。世の中は今より他はない。だかこの真理を本当に自覚しなければ「今」に生きている本当の喜びも安心もない。仏道は本当の「今」に生きることである。既にみんな「今」であるから、「今」を徹底注意して離さなければ必ず自覚する。要は努力の有無である。菩提心、菩提心。2023/11/07 08:38:27770.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8Tリダンさんはちょっと専門用語が多すぎて俺にはさっぱりわからないな。俺の文章見て、ほぼ普段の言葉でわかりやすいでしょ。2023/11/07 08:46:12771.リダン◆iKlPp4IWRYvcEJX>>770分かりやすね俺も全く仏教の専門用語知らなかったから体験をコンバートしてる最中だよ法介さんの天台教学は非常に俺に則しているからたすかる2023/11/07 08:53:42772.リダン◆iKlPp4IWRYvcEJX分かりやすいね○2023/11/07 08:54:03773.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>772なるべく普段の言葉を使ってもらえると助かります。2023/11/07 08:55:34774.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8Tでないと、鹿野園みたいに専門用語オタクになるよ笑2023/11/07 08:56:23775.リダン◆iKlPp4IWRYvcEJXああ六識は唯識論だなそういえば2023/11/07 08:59:53776.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8Tしかし、鹿野園見てると、人間てあそこまで壊れちゃうんだなってちょっとびっくりするよね。2023/11/07 09:00:34777.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8Tそうそう、法介さんはもしここに鹿野園が来たら論破するって言ってたけど、多分無理じゃないかな。あいつ完全に壊れてるから、出鱈目言ってでも言い返してくるからね。無視が一番です。2023/11/07 09:10:15778.リダン◆iKlPp4IWRYvcEJXようするに目耳舌鼻身意と現実、法(物理法則など、現れ)との同一の特化よな禅って2023/11/07 09:11:08779.リダン◆iKlPp4IWRYvcEJX現実、法、真如、現れとの同一により自我の瓦解をはかる2023/11/07 09:12:29780.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>778ただ見えてるだけ、ただ聞こえてるだけのものが法です。2023/11/07 09:13:57781.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>780お前隠してるだろ?法ってもっと神秘的ななにかだろ?って思うかもしれませんが、これが法です。2023/11/07 09:18:17782.法介◆T3azX0Hk1UdryrLその法の領域を詳しく解き明かしておるのが『唯識』なんですね。2023/11/07 09:20:57783.法介◆T3azX0Hk1UdryrL「覚りの法」2023/11/07 09:21:20784.法介◆T3azX0Hk1UdryrL法って諸法っていうくらいですから、様々な法があると思うんです。2023/11/07 09:21:56785.法介◆T3azX0Hk1UdryrL物理学的な法、医学的な法、数学的な法、憲法と様々。2023/11/07 09:22:43786.法介◆T3azX0Hk1UdryrLその中で、『唯識』が説き明かしているのは、覚りの法であり「覚りの理論」と良く言われます。2023/11/07 09:24:15787.法介◆T3azX0Hk1UdryrL禅宗ではそういった法理・法門は詳しく取り扱っておられないかと思いますが、天台教学や法相宗では徹底的に理論的に解き明かしていきます。2023/11/07 09:25:38788.法介◆T3azX0Hk1UdryrL教えとして言葉で言い顕せるギリギリの所まで、法理・法門として説かれております。2023/11/07 09:26:49789.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>780違う言い方をすれば今見えてるもの、今聞こえてるるものが法なんです。2023/11/07 09:26:50790.法介◆T3azX0Hk1UdryrLただし、そこから先は観法の世界です。観じることで会得していく。2023/11/07 09:27:32791.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>788なるほどね2023/11/07 09:27:33792.法介◆T3azX0Hk1UdryrLそれを「教相と観心」といいます。2023/11/07 09:29:02793.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>789そう、私たちはずっと法に囲まれてるんです。2023/11/07 09:29:56794.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>793法を探す必要なくです。2023/11/07 09:30:47795.法介◆T3azX0Hk1UdryrL>>794その法を空じるのが「法空」になります。2023/11/07 09:35:05796.法介◆T3azX0Hk1UdryrL空の理論では大きく四段階の空が説かれております。 析空 体空 法空 非空2023/11/07 09:35:55797.法介◆T3azX0Hk1UdryrLこれをどの段階まで理解出来ているかで、その人の振る舞い方も変わってきます。2023/11/07 09:36:37798.法介◆T3azX0Hk1UdryrL例えば、鹿野園のように事ある事に言い争いを起こすような人は、2023/11/07 09:37:19799.法介◆T3azX0Hk1UdryrL空を析空でしか理解出来ていないんですね。2023/11/07 09:37:44800.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>796なんてのかな、水の中で水を無くせとか、空気の中で空気を無くせのような?言わんとするところはわかりますけどね。2023/11/07 09:38:44801.法介◆T3azX0Hk1UdryrL次の段階の体空を理解出来ている人は、絶対的な正しさなどは無いと覚ります。2023/11/07 09:38:45802.法介◆T3azX0Hk1UdryrLあるのは相対的な正しさ。2023/11/07 09:39:25803.法介◆T3azX0Hk1UdryrL体空とは相対関係による縁起を理解しないと理解に至りません。2023/11/07 09:40:12804.法介◆T3azX0Hk1UdryrLカムイさんが、話されてましたけど例えば包丁。2023/11/07 09:40:39805.法介◆T3azX0Hk1UdryrL凶悪な人が用いればそれは凶器となりますが、料理人が用いれば道具となります。2023/11/07 09:41:24806.法介◆T3azX0Hk1UdryrL相対関係でそのモノのあり様は変わってきます。2023/11/07 09:41:55807.法介◆T3azX0Hk1UdryrLですから、正しさもある人物にとっては正解であっても、、また別の宗教を学んでいる人にとっては別の正解がそこにはあります。2023/11/07 09:42:59808.法介◆T3azX0Hk1UdryrLそういう相対的に起こる縁起を理解出来ているか否かなんですね。2023/11/07 09:43:41809.法介◆T3azX0Hk1UdryrL理解出来ていない人達は、「自分の正しさ」を振りかざしそれを相手にも押し付けてきます。2023/11/07 09:44:27810.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T私とナイフがあればなんらかの相対が出来ます。私がナイフになれば解決。これが禅ですね。2023/11/07 09:44:27811.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>810これが空じるってことか、なるほどね。2023/11/07 09:46:43812.法介◆T3azX0Hk1UdryrLそうですね。そのモノに本質(正しさとか善とか悪とか)は無いと理解することです。2023/11/07 09:48:43813.法介◆T3azX0Hk1UdryrL実体は無いと理解するのが析空です。(仮和合で縁によって形成されている)本質はないと理解するのが体空です。(正しさとか善とか悪とかはない)2023/11/07 09:50:40814.法介◆T3azX0Hk1UdryrL体空となるものを上げると、「長いと短い」とか「おいしいとマズイ」とか2023/11/07 09:51:50815.法介◆T3azX0Hk1UdryrLといった相対関係にあるものです。これを相依性縁起と言います。2023/11/07 09:52:27816.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8Tこの言葉がわたしの宝である一つなんだよね。前も貼ったけど原田雪渓老師現在とかいまというのは、ものと自分との間にまったく距離のない状態です。いまという状態があるわけではありません。本当に人とものとの距離のない状態を「いま」と呼んでおります。2023/11/07 09:54:00817.法介◆T3azX0Hk1UdryrL物理学や科学などで時間の経緯とともに状態が変化していく現象を運動の法則とか科学の法則としますよね。こちらは此縁性縁起になります。時間経緯の中で起こる縁起です。2023/11/07 09:54:34818.法介◆T3azX0Hk1UdryrL>>816 その時間を空じる為に理解しなくてはいけないのが「概念」です。2023/11/07 09:56:35819.法介◆T3azX0Hk1UdryrL時間そのものが人間の「概念」なんですね。2023/11/07 09:57:08820.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>816これ、時空の事を言ってるのわかります?時間は今だけになり、空間は繋がる。2023/11/07 09:57:20821.法介◆T3azX0Hk1UdryrL脳が記憶する能力があるから生じる現象。2023/11/07 09:58:00822.法介◆T3azX0Hk1UdryrL>>820解りますよ。真如の世界は時空を超えてますから。2023/11/07 09:58:43823.法介◆T3azX0Hk1UdryrLどうしてその時空を超えるのかというお話をしております2023/11/07 09:59:26824.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>822わたしたちもオギャーと生まれた瞬間はこんな感覚だったと思うよ。2023/11/07 09:59:56825.法介◆T3azX0Hk1UdryrL記憶する能力がない単細胞の生物などは、今が全てな訳です。2023/11/07 10:00:39826.法介◆T3azX0Hk1UdryrL人間には高度な脳があるから、過去が生じます。2023/11/07 10:01:21827.法介◆T3azX0Hk1UdryrL過去があるから相対関係で未来という概念が立ち上がります2023/11/07 10:02:06828.法介◆T3azX0Hk1UdryrLそういった概念から離れた世界が、時空を超えた世界観でしょう。2023/11/07 10:02:48829.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>828俺は法理をそんなに学んだ事ないけど、きっちり法理が身についてる事に少しびっくりするね。2023/11/07 10:04:07830.法介◆T3azX0Hk1UdryrL究極の処では人間の意識って繋がっているものと私は思います。2023/11/07 10:05:05831.法介◆T3azX0Hk1UdryrL>>829習て来た教えが正しかったからでしょう。2023/11/07 10:05:56832.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>830クリシュナムルティは「わたしたちの脳」と表現してましたよ。2023/11/07 10:06:10833.法介◆T3azX0Hk1UdryrL虫の知らせとか言いますよね。2023/11/07 10:06:20834.リダン◆iKlPp4IWRYvcEJXスポーツ選手なんかのゾーンはフィールド全員の意識が分かる2023/11/07 10:07:46835.法介◆T3azX0Hk1UdryrL普段は雑念とか余計な働きに阻害されて観じない想いも、末那識がクリヤーになると相手の想いも観じ取れてくる。2023/11/07 10:07:46836.法介◆T3azX0Hk1UdryrL>>834訓練でそうなるんでしょうね2023/11/07 10:08:30837.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>835自分無ければ相手丸ごと入るからね。法介さん風に言うと自分クリアーだったら相手丸ごと入るからね。2023/11/07 10:09:25838.法介◆T3azX0Hk1UdryrL動物なんか人間では想像できないような能力を持ってたりするじゃないですか。犬の嗅覚とか。2023/11/07 10:09:32839.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>837師と対話するとき、これ大切なんです。師を丸ごと入れないといけないからね。2023/11/07 10:11:17840.法介◆T3azX0Hk1UdryrL人間も仏と同じような意識(クリヤーな末那識)に入ると、今まで見えてなかったモノが見えて来たり、感じなかったことを観じだしたり、そういう意味でこれを見てみて下さい。<仏意の五重玄>諸仏の内証に五眼の体を具する 妙=仏眼:第九識は法界体性智 法=法眼:第八識は大円鏡智 蓮=慧眼:第七識は平等性智 華=天眼:第六識は妙観察智 経=肉眼:前の五識は成所作智2023/11/07 10:12:19841.閃CTUGCおはようございます>>728遅レスでスミマセンが釣られます『リーダーズ』ですねhttps://www.tbs.co.jp/tbs-ch/item/d2508/当時の日本の技術では難しくクランクシャフトの長距離テストとか熱い男のドラマでしたね先人の熱い魂に感動しましたでは失礼しました2023/11/07 10:13:34842.法介◆T3azX0Hk1UdryrL慧眼とは智慧の次元で観るという事。法眼とは妙法の次元で観るという事。仏眼とは仏の智慧の次元で観るという事。2023/11/07 10:14:38843.法介◆T3azX0Hk1UdryrL閃さん、おはよー久しぶりですねー2023/11/07 10:15:03844.法介◆T3azX0Hk1UdryrL『リーダーズ』良かったですよねー企業が何たるかを訴える作品でした。2023/11/07 10:16:15845.法介◆T3azX0Hk1UdryrL国家の為に経済があるんじゃない経済とは国民が豊かな生活が出来るように導く為にあるんだと。2023/11/07 10:17:40846.法介◆T3azX0Hk1UdryrL経営者の有るべき姿を描いた力作でしたね。2023/11/07 10:18:20847.法介◆T3azX0Hk1UdryrLちょっと休憩します2023/11/07 10:20:04848.法介◆T3azX0Hk1UdryrL自由にやられてて下さい2023/11/07 10:20:28849.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>831それもあるけど、それなりの体験もして来たからね。2023/11/07 10:23:05850.閃CTUGC>>843知識が乏しくレスしませんが何時も拝見し勉強させて頂いてます>>846ただ利益だけを求めるのではなく未来の為に夢を追い掛ける姿…自分も見習わなければと思いましたああいう傑作があるのでドラマも馬鹿に出来ませんねでは…2023/11/07 10:23:16851.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T「禪」は単を示すとある。単を示した行動でなければ、禅ではない。禅は要するに、単、只、ひたすらにあればよい。これが禅の極意である。不純物の無い「今」が禅である。これを「只管」という。本当に単調に「今」行じていくには、自己を忘じた力がないとできない。考えたのでは意識や感情が入っていて、不純物だらけで腐るから駄目である。自己のないことが禅である。生とか死は観念であり言葉である。思いにとらわれると思えば良い。多くは「只管」と言う言葉が、「只管」を邪魔している。「只管」にならねばいけないとか、いう意識が働いている。「只」あること、ただ「単」にある。余念を入れないように常に自分を見守っていなければいけない。「只」であらねば、禅が禅を教えてくれない。禅の趣旨や意味が判っても意味がない。「只管」にあれば、何をやっていても問題ではない。おおかたは思慮分別が先にでる。この癖を破ることが、要するに禅修行である。これが坐禅する眼目である。2023/11/07 10:26:29852.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8Tあと座右の書は一冊でいいです。これをなん度も読み返します。内容は同じでもこちらが変わって行きますので。2023/11/07 10:37:31853.法介◆T3azX0Hk1UdryrLで、空の理論の話の続きですがカムイさんは既に法空は会得されておられるご様子。では最後の「非空」とは。2023/11/07 10:43:19854.法介◆T3azX0Hk1UdryrL空という世界観が、仏の世界観でそれを「空観」といいます。その仏の空観を空じる訳です。2023/11/07 10:44:38855.法介◆T3azX0Hk1UdryrLどういう事かと言いますと、「仏」って人間が言葉で定義づけした概念ですよね。2023/11/07 10:45:29856.法介◆T3azX0Hk1UdryrLこの「概念」で仏を理解している仏道修行者は、「仏」という概念化された仏を実体化したがります。2023/11/07 10:46:33857.法介◆T3azX0Hk1UdryrL仏像崇拝がそれになります。2023/11/07 10:46:56858.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T荒っぽい言い方すると、法も仏も同じだよ2023/11/07 10:48:52859.法介◆T3azX0Hk1UdryrL『法華経』以前の教えでは阿弥陀佛が説かれ、釈迦仏をはじめ様々な仏像が造られ崇拝の対象とされてきました。2023/11/07 10:49:11860.法介◆T3azX0Hk1UdryrL>>858そこなんですよ。法と仏を同じと考えているうちは、非空の領域には入れないんです。2023/11/07 10:50:28861.法介◆T3azX0Hk1UdryrLここが、禅宗と天台教学の大きな違いです。2023/11/07 10:50:57862.法介◆T3azX0Hk1UdryrL禅宗ではこの非空の領域(如来思想)は説かれておられないのではと。2023/11/07 10:51:43863.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>862続けて2023/11/07 10:52:53864.法介◆T3azX0Hk1UdryrL仏を空じて、真如の世界へ最終的に入っていきます。これが覚りの世界観(中観)です。2023/11/07 10:53:01865.法介◆T3azX0Hk1UdryrL如来の世界観とは覚りの世界観。ではその「覚り」とは、と言ったお話です。2023/11/07 10:54:26866.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>864仏を空じるとは仏になり切ると同じだね。仏になり切ると仏は消えます。2023/11/07 10:54:49867.法介◆T3azX0Hk1UdryrL真実の覚りとは、真実の仏道修行を完成させた修行者達が会得した因果です。2023/11/07 10:56:11868.法介◆T3azX0Hk1UdryrL真実の仏道修行とは、お釈迦さまが説き顕された一代聖教に記された果てしなく遠い過去世から過去遠々劫に渡って積み重ねてきた気の遠くなるようなそして過酷な歴劫修行です。2023/11/07 10:58:35869.法介◆T3azX0Hk1UdryrLそれを完成させた者だけが会得しうる因果(修行の因とその報いとして得られる全ての果徳)です。2023/11/07 10:59:41870.法介◆T3azX0Hk1UdryrLそれは、この世界にはありません。2023/11/07 11:00:03871.法介◆T3azX0Hk1UdryrLなぜなら、今の世にお釈迦さまが居られますか。2023/11/07 11:00:33872.法介◆T3azX0Hk1UdryrLこの世でどんなに修行を積もうとも、成仏に至る人などいないのです。2023/11/07 11:01:25873.法介◆T3azX0Hk1UdryrLなぜならば、末法の衆生は元から備わる無為の種を備えてはいないからです。2023/11/07 11:02:34874.法介◆T3azX0Hk1UdryrLそいった修行者がどんなに有為の種を阿頼耶識に刻んでいっても、成仏の種とはならないんです。2023/11/07 11:03:30875.法介◆T3azX0Hk1UdryrLと、説いているのが法相宗の五性各別という教えです。2023/11/07 11:04:23876.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>875これは、思想だとおもいますね。禅をあらゆる思想を排除していきます。2023/11/07 11:05:21877.法介◆T3azX0Hk1UdryrLだから、成仏したい人は阿弥陀さんにお願いしなさい。そしたら阿弥陀さんが仏種が無いあなたでもちゃんと極楽浄土に連れて行ってくれますよって教えです。2023/11/07 11:05:53878.法介◆T3azX0Hk1UdryrLここから先は、また難しい話になっていきますので、馬ちゃんも交えて別の機会にお話しましょう。2023/11/07 11:07:30879.法介◆T3azX0Hk1UdryrLわたしは今から色々とやる事があるのでこの辺で失礼します。2023/11/07 11:08:46880.法介◆T3azX0Hk1UdryrLあと、鹿野園の事。カムイさん御心配なく、既にこの中で論破しておりますので。相手などいたしませぬ^^2023/11/07 11:09:55881.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>880そう、わかりました。2023/11/07 11:10:53882.法介◆T3azX0Hk1UdryrLカムイさん同様、無駄な時間と無駄なエネルギーは使いたくありませんので。2023/11/07 11:11:18883.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>882俺は以前仏教スレは鹿野園がいるからダメだとキリスト教スレに逃げた事がある。しばらくして鹿野園が来たよ。変態すぎるやろ。2023/11/07 11:13:47884.法介◆T3azX0Hk1UdryrL困った奴だ2023/11/07 11:15:02885.神も仏も名無しさんadT6Nローラーウンコ、カマってほしそーだぞお〜〜😄ほーかいくんお館様〜〜ムイムイ大将軍〜〜おはよ〜〜〜😄😄😄😄😄😄😄😄2023/11/07 11:16:39886.法介◆T3azX0Hk1UdryrLでおー、おはよー2023/11/07 11:20:26887.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>885おはよう、俺はもうあっちには書き込まないよ2023/11/07 11:21:20888.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T自己のないことがはっきりすることを「見性」という。しかし、「見性」しただけでは本当の融通がつかない。「悟り」が邪魔をするからだ。「見性」の力で「見性」を破らねばダメだ。自分を抜きにして、その時のみであればよい。何か自分が過去に学んだものとか、得たものとか、聞いているものとかが邪魔をする。ただ今のみの世界である。その場でちらっと出るものを問題にしないことだ。たえず「単」であればよい。私を挟まないで「単」であれ。箸を上げて口に運ぶ時も、いつも「単」であれ。いつもその場その場、「単」であれ。どうあろうとも、その物と離れなくなる。そうやり続けていると、「悟り」の牢屋から救われる。自己の無いことは判っても「単」をしょっちゅう練って行くのは容易ではない。自己も死もとれて本当に楽になっていく。2023/11/07 11:28:51889.神も仏も名無しさんadT6Nローラーウンコはこちらのレスを熱心にパトロールしてお怒りのごよーす😫2023/11/07 11:58:04890.◆JBLfMwCXhYst5zQ流れが速いので次スレゆゆしき法界 パート17https://talk.jp/boards/psy/16993253102023/11/07 12:00:05891.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSEmZ8T>>889こわーいなんてね、俺の知った事ではない。2023/11/07 12:04:06892.神も仏も名無しさんadT6Nローラーウンコはほーかいくん、ムイムイ、JBLの3名を熱心にパトロールしているよーだ😄2023/11/07 12:04:07893.神も仏も名無しさんadT6Nあとはベルゼブブもだな😄2023/11/07 12:04:39894.◆JBLfMwCXhYst5zQウンコにたかるハエも、ブンブン飛び回ってるな😫2023/11/07 12:07:11895.神も仏も名無しさんadT6Nベルゼブブも意外にパトロール熱心だよな〜😫2023/11/07 12:14:46896.◆JBLfMwCXhYst5zQさすがは蝿の王😫2023/11/07 12:15:36897.法介◆T3azX0Hk1UdryrLベルゼブブって誰?2023/11/07 12:23:09898.神も仏も名無しさんDfJYN>>897https://i.pinimg.com/736x/64/d7/74/64d774052dc8e975249212cf83baa8c3.jpgこの人2023/11/07 12:35:40899.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSHaV0p坐禅をする人は自分の癖を取ることを主体にして、常に実践していれば良い。「今」がどんなことであれ、「心」に留めてはならない。それができないとモノにならない。自分がどんな刺激を受けてもさらさらやっていかなければいけない。本当にさらさらと、諸々の縁と対立無く人生する事は難しい。身と心が隔たっている限り不可能である。心は浮遊状態にあり、勝手に精神を展開するからだ。この状態である限り、我々の掛け替えのない道具であるこの身体は.煩悩の根源であり苦しみの種である。隔てが常に縁と対立して、心を惑乱させ葛藤するからだ。2023/11/07 15:34:06900.神も仏も名無しさんzE6Vh≫その前にこの三種解脱のことを不思議解脱と智顗は言い、次のようにそれを説明している。①六識はこれ分別識。②七識はこれ智障の波浪識。③八識はこれ真常識。④智識はこれ縁修。ーーーーー☆【縁修】 真如を縁ずる(対象とするの意)有心有作=作為的な修行を【縁修】という。ーーーーー【八識】はもしは顕るれば、【七識】はすなわち滅す。【八識】は真修と名づく。任運(運にまかせ)に、体は融じて【常寂】なり。而も、【摂大乗論】にいわく、『【七識】はこれ【執〔見〕心】。 【八識】はこれ【無記】の【無没識】』と。豈(あに-ドウシテ)これ真修というを得んや。また、いま明かすところの【六識】は、すなわちこれ【不思議の解脱】なり。豈(あに-ドウシテ)【六識・七識】が【滅し】て己(終る-オワ)りて、【八識】の【真修】を【不思議の解脱】となすことあらんや。ーーーーー☆【真修】はことさらに修行しようという意志を起こさずに【無心無作】で行なう修行をいーーーーー所以(ゆえん-ワケ)はいかん。◯◯経にいわく、『いわゆる、かの【眼根】は、諸如来においては、常に具足して【滅修することなく】、了了(れうれう-明瞭)に分明(ぶんみょう-ハッキリ)に見る。ないし【意根】も、またまた、かくのごとし(滅修することがない)』と。法華経に明かす、父母所生の六根の、清浄は、自ずから湛然たるをもって十方界境を照らす。豈(あに-ドウシテ)【六識】が【滅して】別に真の【縁修】あること、あらんや。ゆえに経にいわく、『佛は(ニトッテハ)【一切衆生】は畢竟(ヒッキョウ-最終に)して【寂滅】なり、すなわち【大涅槃】も、また【滅すべからず】【一切衆生】も、また【滅すべからざる】を知る』と。すなわち、これ【六識】は【滅すべからず】。またこの経にいわく、『【解脱】とはすなわち【諸法】なりと。豈(あに-ドウシテ)、すなわちこれ、【六識】と【十八界】の【一切法】ならざらんや。もし爾(シカ)らば、豈(あに-ドウシテ)、ただ【八識】に約して、【不思議の解脱】を、明かすを得んや。2023/11/07 15:49:26901.法介◆T3azX0Hk1UdryrL馬ちゃん、これじゃ何が言いたいのかよー分からん。2023/11/07 15:55:21902.法介◆T3azX0Hk1UdryrLピックアップしてるだけ?それとも何か訴えてる?2023/11/07 16:09:52903.法介◆T3azX0Hk1UdryrL>>900↑この説明文は三種解脱の説明文じゃないよ。これは、三種解脱の説明文の前に説明されている「共思議と不共思議」の説明箇所です。この文章の前に↓この「共思議と不共思議」についての問いの文章があっての、問うていわく。もしは不思議の佛性をもって、湛然たる無思、無念を顕すを、不共の不思議となさば、これ他人の、八識に湛然たる真修の体の顕れると、またなんの異なりあらんや。その「答えていわく」の文章です。2023/11/07 16:25:09904.法介◆T3azX0Hk1UdryrL勘違いしてるよー2023/11/07 16:26:01905.神も仏も名無しさんzE6Vh普通、悟ると、思考・妄想念(六識)の一切合切が消失してしまいます、この状態は24時間365日、約3年くらいは継続されて、その間に、様々な更なる覚り体験がひとりでに起こります、決して意図しては起こりません、全て無為の中でのことです、悟る前の修行では、心が意図して、意思と使って行をします、実はこれが曲者で、意図している限りに於いて、自己の、いわゆる自我、それを使うので、その自我は自転車操業状態にありますので、延々として消えることが無いことになります、この状態では、『偽物の悟り』といわれる、『一時的な見性』体験が起こります、それは一時的てあり、継続されません、すると、自我は、再びそれを目指す訳ですから、延々と自転車操業状態になるわけです、これを処断するには、他に従って、自我を無為におく必要があります、ですから師匠(グル)の存在がいわれる訳です。2023/11/07 16:30:46906.法介◆T3azX0Hk1UdryrLここからが三種解脱の説明箇所https://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?mode=detail&useid=1777_,38,0547b24&key=+%E4%B8%8D%E6%80%9D%E8%AD%B0%E8%A7%A3%E8%84%B1%E4%B9%9F%E3%80%82%E7%AC%AC%E4%B8%89%E9%87%8B%E4%B8%8D%E6%80%9D%E8%AD%B0%E8%A7%A3%E8%84%B1%E7%BE%A9%E8%80%85%E3%80%82%E4%B8%8A&ktn=&mode2=22023/11/07 16:31:37907.神も仏も名無しさんzE6Vh>>901漢文をコトバンクで引いただけですよ、だって、あに、とか書いてあっても分からないでしょ、2023/11/07 16:32:40908.神も仏も名無しさんzE6Vh>>904勘違いもなにも、法介さんが上げた文章ですよー2023/11/07 16:34:03909.神も仏も名無しさんzE6Vh>>901まだ一部ですから、漢文読み下しに慣れていなければ、正確に把握理解は不可能ですからね、2023/11/07 16:36:18910.法介◆T3azX0Hk1UdryrLああー、そういう事ねなら、解った。2023/11/07 16:37:23911.法介◆T3azX0Hk1UdryrLじゃあ、説明する。2023/11/07 16:38:53912.法介◆T3azX0Hk1UdryrL三種の解脱の前に、智顗は共思議と不共思議という二種の解脱の相をまず紹介しております。「思議の解脱」と「不可思議の解脱」の二種があると。2023/11/07 16:44:27913.神も仏も名無しさんzE6Vh>>906こんな漢文わかりませーーーん!SAT大正新脩大藏經テキストデータベースhttps://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT2018/master30.php関連論文 「『維摩経玄疏』訳注(9)https://soka.repo.nii.ac.jp/record/40823/files/sokadaigakujinbunronsyu0_34_05.pdfこっちの論文で詳しく読んで行きます。2023/11/07 16:45:08914.法介◆T3azX0Hk1UdryrLそのうちの「不可思議の解脱」が方便の解脱・実慧の解脱・真性の解脱の三種解脱になる訳ね。2023/11/07 16:46:07915.法介◆T3azX0Hk1UdryrL>>913 これ便利やね。2023/11/07 16:47:32916.法介◆T3azX0Hk1UdryrL本から文章起こすの大変やったから、助かるー2023/11/07 16:48:01917.神も仏も名無しさんzE6Vh>>912うーん共依、不共依に似た表現ですね、共思議、不共思議、2023/11/07 16:48:10918.神も仏も名無しさんzE6Vh>>916セイウンさんが上げてたもの、2023/11/07 16:49:05919.神も仏も名無しさんzE6Vh>>916それは大変です!疑問箇所というか、注目箇所は、六識の滅を不思議解脱とする点でしょうか。2023/11/07 16:51:36920.法介◆T3azX0Hk1UdryrL>共依、不共依に似た表現ですね、「思議の解脱」と「不思議の解脱」の意味 思議=理解の範疇不思議=理解の範疇を超えている2023/11/07 16:53:57921.法介◆T3azX0Hk1UdryrL若し思議を論ぜば、仏に至るも、猶お是れ思議なり。若し不思議を論ぜば、乃至、黄蜂は蜜を作り、蜘蟵は網を作るは、皆な不可思議なり。是れ共の不可思議と名づく。皆な心数の法の解脱有り。悉ごとく応に是れ思議解脱なるべきなり。豈に此れを用て不思議解脱の相に対す可けんや。2023/11/07 16:57:42922.法介◆T3azX0Hk1UdryrL>>921リダン、この文を訳してみ。2023/11/07 16:58:31923.法介◆T3azX0Hk1UdryrL論文上部番号(66)ぺージね。2023/11/07 16:59:43924.法介◆T3azX0Hk1UdryrL問うて曰う。若し爾らば、何が故に是れ不思議なるや。2023/11/07 17:01:17925.リダン◆iKlPp4IWRYvcEJX>>922いやいやもう脳が拒否してますわ2023/11/07 17:01:32926.法介◆T3azX0Hk1UdryrL答えて曰う。不思議の法性は、猶お虚空の如く、無念無思、湛然常寂にして、一切諸法に入り、悉こ皆とごとく通達し顕現す。即ち是れ不共の不思議なり。一切の通教・三蔵教の三乗、及び諸の凡夫と共ならざるなり。2023/11/07 17:02:42927.法介◆T3azX0Hk1UdryrL(ここに衣文があって)故に『涅槃経』に、「水の澄清するを待ちて、珠の相は自ら現ず」と云うは、即ち不思議の仏性の理顕わる。不思議の仏性顕わるるは、即ち是れ不思議解脱なり。2023/11/07 17:05:49928.法介◆T3azX0Hk1UdryrL以上の内容で思議の解脱と不思議解脱の違いが概ね読めてくる。2023/11/07 17:06:59929.法介◆T3azX0Hk1UdryrL思議の解脱は、一般的に言う所の解脱ね。馬ちゃんやリダンがいつも言ってるやつ。2023/11/07 17:08:16930.法介◆T3azX0Hk1UdryrL不思議解脱というのは、阿頼耶識の三因仏性を用いたお釈迦さまがあみ出した必殺技。仮一切仮・空一切空・中一切中の円融三諦ね。2023/11/07 17:09:57931.法介◆T3azX0Hk1UdryrLその仮一切仮・空一切空・中一切中の三つが、今回のテーマであるところの、三種解脱になります。 方便の解脱=仮一切仮 実慧の解脱=空一切空 真性の解脱=中一切中2023/11/07 17:11:28932.法介◆T3azX0Hk1UdryrLって言うたら少しはピンときたでしょ。2023/11/07 17:12:00933.法介◆T3azX0Hk1UdryrL不思議円融三諦ね。2023/11/07 17:12:32934.リダン◆iKlPp4IWRYvcEJX>>933なるほどなるほど2023/11/07 17:16:09935.法介◆T3azX0Hk1UdryrL今からしばし家事タイム。2023/11/07 17:19:37936.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSOwT3Hこんばんは2023/11/07 17:24:37937.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSOwT3H今、忽念と現れる心が問題なのだ。瞬間に忽念として生じ、而もその連続こそが煩悩の根源である。これが隔たりによって起こる事を先ず知ることだ。従って、今、忽念と生ずる心の元を解決する解決策は、隔てを取ることにある。如何にして取るか?問題の焦点は「今・瞬間」に有る。「今」に二つはない。「今」その物になればよい。「今」でない物はない。従って、「今」だけ。素直に「今」在ること。「今」余念無く一心不乱にすること。要するに我を忘れて成り切ることだ。本当に徹すれば、自ずから隔たりが取れて、心身一如の当体となる。否、元よりこの心身本来なり。これを仏という。菩提心が無ければ皆ダメだ。2023/11/07 17:25:50938.カムイ◆wxnBcJ8ZogOS2WgCb禅の指導はこんな風に法理より実践となります。2023/11/07 18:01:20939.神も仏も名無しさんcc4gk>>928よめてきませーーーん!2023/11/07 18:12:35940.神も仏も名無しさんcc4gk>>932まったく?2023/11/07 18:13:07941.神も仏も名無しさんcc4gk>>934リダンさん、ホントに解ってるの?俺は文章解釈がさっぱりです。2023/11/07 18:14:21942.法介◆T3azX0Hk1UdryrLオイオイ2023/11/07 18:14:38943.リダン◆iKlPp4IWRYINNfS>>940円融よ円融ようは今の肉体、自我に解脱三種を体現するんや2023/11/07 18:14:56944.リダン◆iKlPp4IWRYINNfS自我の止滅や無我は一過性でよくていかに自我にコンバートしなおすかや2023/11/07 18:16:09945.リダン◆iKlPp4IWRYINNfS禅は真如と同体になってその境地をいかに日常に持ってくるかと一緒2023/11/07 18:17:53946.法介◆T3azX0Hk1UdryrL馬ちゃん、おいていかれとるぞー迷走しとる場合じゃないどー2023/11/07 18:18:34947.法介◆T3azX0Hk1UdryrLカムイさんは、十界互具ってご存知でしょうか?2023/11/07 18:19:22948.神も仏も名無しさんcc4gk>920 法介◆T3azX0Hk1U 2023/11/07(火) 16:53:57.95 ID:dryrL>共依、不共依に似た表現ですね、「思議の解脱」と「不思議の解脱」の意味 思議=理解の範疇不思議=理解の範疇を超えているーーー共思議と共不思議で躓いているのに、【共思議】だから、思議(識)が複数で働いている状態では?【不共思議】は一つないしは2つの思議(識)のみが働いている状態なのか?って解釈?2023/11/07 18:19:58949.法介◆T3azX0Hk1UdryrLここから先は、この「十界互具」の理解がないとついていけないかと。2023/11/07 18:20:19950.神も仏も名無しさんcc4gk>>946先に行ってくださいm(_ _)m自分は文章の完全な読み方を後追いでやって行きますから。2023/11/07 18:21:41951.法介◆T3azX0Hk1UdryrL>>948違う、違う。共思議の「共」は複数の解脱(色界禅定・無色界禅定・滅尽定)の意味。2023/11/07 18:24:38952.リダン◆iKlPp4IWRYINNfS不思議って身体の生命活動の微細な機微宇宙の果から太陽圏までの完璧な運用胃の中の何兆億の菌の調和縁起による完璧な地球のサイクルなどの真如の現れとかのことでしょ2023/11/07 18:25:38953.神も仏も名無しさんcc4gkところで、完全にさとると、虚妄分別・妄想念が止むので、夢を全く、見ないし、眠りの中でも暗闇で意識があるって知ってますか?昔の時代劇で、素浪人の用心棒が、眠っていても、微かな気に、即眼を醒ます、みたいなw2023/11/07 18:26:23954.法介◆T3azX0Hk1UdryrL>>952そうでもあるし、それだけじゃーない。2023/11/07 18:27:32955.法介◆T3azX0Hk1UdryrLそれプラス、如来の「秘密神通力」ね。2023/11/07 18:28:19956.リダン◆iKlPp4IWRYINNfS>>953それ最近普通に起きてるみたいに思考しながら寝てるけど映像なし思考を妄想念と呼ぶなら違うが非常に純粋な真如の現れ、縁起をずっと考えてる正直気持ち悪いから普通に寝たい2023/11/07 18:30:29957.神も仏も名無しさんcc4gk951 法介◆T3azX0Hk1U 2023/11/07(火) 18:24:38.76 ID:dryrL>>948違う、違う。共思議の「共」は複数の解脱(色界禅定・無色界禅定・滅尽定)の意味。ーーー複数は合ってる、【思議】が【解脱】なの?何で?唯-識三十頌の30番目に、解脱された状態とは【唯-識】であると、あります。故に、識とは汚染が洗浄だれて純粋な識になっている状態のことと、理解しているんですがね。2023/11/07 18:34:34958.神も仏も名無しさんcc4gk>>956映像でも、夢を見ている状態はが妄想分別で起動されている状態なので、それを意識的でも無意識的でも、止めば、唯-識の状態で汚染から解脱されたってことですね。2023/11/07 18:38:02959.神も仏も名無しさんcc4gkそうねー六識が動いていたら、ぐっすり感が無いよね、分かるわ。2023/11/07 18:39:34960.法介◆T3azX0Hk1UdryrL>【思議】が【解脱】なの?何で?No.(65)七に共・不共の不思議に約して、二種の解脱の相を分別するを明かす2023/11/07 18:41:12961.法介◆T3azX0Hk1UdryrL十界互具 法華経に示された万人成仏の原理。地獄界から仏界までの十界の各界の衆生の生命には、次に現れる十界が因としてそなわっていること。この十界互具によって九界と仏界の断絶がなくなり、あらゆる衆生が直ちに仏界を開くことが可能であることが示された。この十界互具を根幹として、天台大師智顗は一念三千の法門を確立した。2023/11/07 18:41:54962.法介◆T3azX0Hk1UdryrLここで問題 !!十界互具は『法華経』に至って初めて明かされる法門ですが、法華経のどこにどのように説かれているでしょう。アキラァ~答えられるかー2023/11/07 18:52:40963.法介◆T3azX0Hk1UdryrL麦には絶対答えられん2023/11/07 19:10:54964.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSqNvsu>>947知らないです2023/11/07 19:48:58965.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSqNvsu>>961衆生本来仏なりと同じかな2023/11/07 19:51:06966.神も仏も名無しさんcc4gk● 約する読み方やくする中国語訳总结,概括,归纳中国語品詞動詞対訳の関係部分同義関係約するの概念の説明日本語での説明要約する[ヨウヤク・スル]要点をとって簡単にまとめる● せき・す【▽釈す】読み方:せきす[動サ変]説明する。解釈する。2023/11/07 20:06:27967.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSqNvsu衆生本来仏なりの由来は知りませんけど、白隠禅師の坐禅和讃に出て来ます。2023/11/07 20:09:09968.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSqNvsu衆生本来仏なり 水と氷のごとくにて水を離れて氷なく 衆生の外に仏なし衆生近きを不知(しらず)して 遠く求むるはかなさよ譬(たとへ)ば水の中に居て 渇を叫ぶがごとくなり長者の家の子となりて 貧里に迷うに異ならず六趣輪廻の因縁は 己が愚痴の闇路なり闇路にやみぢを踏そへて いつか生死をはなるべき夫れ摩訶衍の禅定は 称歎するに余りあり布施や持戒の諸波羅蜜 念仏懺悔修行等其品多き諸善行 皆この中に帰するなり一座の功をなす人も 積し無量の罪ほろぶ悪趣いづくにありぬべき 浄土即ち遠からず辱(かたじけな)くも此の法(のり)を 一たび耳にふるゝ時さんたん随喜する人は 福を得る事限りなしいはんや自ら回向して 直に自性を証すれば自性即ち無性にて すでに戯論(げろん)を離れたり因果一如の門ひらけ 無二無三の道直し無相の相を相として 行くも帰るも余所ならず無念の念を念として 謡うも舞ふも法の声三昧無碍の空ひろく 四智円明の月さえん此時何をか求むべき 寂滅現前するゆゑに当所(とうじょ)即ち蓮華国 此身即ち仏なり2023/11/07 20:09:25969.法介◆T3azX0Hk1UdryrLまず、凡夫の六道がありますよね。地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天凡夫はこの六道を輪廻します。その六道輪廻から解脱して声聞・縁覚・菩薩・仏といった四聖の境地に入っていきます。これが十界です。(6+4)2023/11/07 20:14:55970.法介◆T3azX0Hk1UdryrLそしてその各々に更に十界が具足して備わっていると『法華経』で説かれます。2023/11/07 20:15:56971.法介◆T3azX0Hk1UdryrL10×10で100界となります。そして十如是という真如の法を因として縁起を起こします。この真如の法が「南無妙法蓮華経」という妙法な訳です。これで1000界となります。十如是×十界×十界=1000界2023/11/07 20:18:51972.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSqNvsu>>968これを読んでその通りと納得出来たらたいしたものです。2023/11/07 20:19:44973.法介◆T3azX0Hk1UdryrL要するに1000種の生命に分類分けされます。そして今回紹介しております三種の解脱によって 方便の解脱=衆生世間 実慧の解脱=五陰世間 真性の解脱=国土世間三つの世界観が生じます。これによって十如是×十界×十界×3世間=3000世界となって「一念三千の法門」となります。2023/11/07 20:24:15974.法介◆T3azX0Hk1UdryrL簡単に言えば、我々は「人界」に生れて来ております。その人界において十の生命の状態が縁によって流動的に顕われ出でる訳です。宝くじに当選すれば人界の中の天界が顕われ、最愛の妻に先立たれれば地獄の生命が顕われます。そして仏に縁すれば人界の衆生の心に仏の生命が顕れます。2023/11/07 20:28:11975.法介◆T3azX0Hk1UdryrLそのように、一日の生活の中で様々な出来事に縁していく中で数えきれない程、我々の生命は常に変化し続けています。2023/11/07 20:29:25976.法介◆T3azX0Hk1UdryrL大事なことは、何に縁するかでその人の心にどんな生命が顕れるかということ。2023/11/07 20:30:23977.法介◆T3azX0Hk1UdryrL畜生のような人に縁すれば、自身の生命も畜生となって顕れ、おだやかな人に縁すれば、自身の心もおだやかな生命にかわり、苦しんでいる人に縁すれば自身の心も暗く沈みます。2023/11/07 20:32:48978.法介◆T3azX0Hk1UdryrL御本尊を対境として勤行・唱題をするのは仏界の相を顕した曼荼羅本尊を縁として唱えるお題目が、不思議な三種の解脱を縁起として起こります。2023/11/07 20:34:48979.法介◆T3azX0Hk1UdryrL三因仏性は阿頼耶識に備わっております。これを凡夫の我々が引き出す為には縁因仏性を呼び起こす「縁」が必要となってきます。その縁が曼荼羅本尊です。2023/11/07 20:37:11980.法介◆T3azX0Hk1UdryrLまた、阿頼耶識に眠っている「仏の智慧」を引き出す為には了因仏性が必要となってきます。その了因が法華経です。2023/11/07 20:38:42981.神も仏も名無しさんcc4gk俺も法華経に縁があったかー20~24歳くらいまで、准胝観音と眷属のニ大龍王を信仰していました、この龍王こそが、准胝尊のご眷属、難陀龍王と跋難陀龍王という龍王(兄弟)です。そして、法華経の虚空会で説法を聴いていた、八大龍王のなかのお二人が難陀龍王と跋難陀龍王様だったんですねー今日初めて知りました、龍王様には読経で感応したり、天候を操ってくれたり、幾つかの恩恵を頂いたことがあったりしました、最近また准胝尊は毎日拝んでいますが、多分難陀龍王と跋難陀龍王様のご縁でしょうね、法華経を講じる法介さんとのご縁も、たぶん、ーーーhttps://ryona.hatenadiary.jp/entry/2020/07/19/231826●「舎衛城の神変」では難陀龍王と跋難陀龍王が活躍します。その神変を素直にモチーフとした釈迦像が存在して、それはチュンダー女神(准胝観音)のお像そっくりに蓮華の下で二大龍王が左右に配置されているようです。しかもこの時の釈迦は転法輪印を結んでいる。ここポイントですよね。するとその釈迦の姿に、残りの十六臂を左右対称に配置すると確かにシュンダー女神そのものになる。この時代、この「舎衛城の神変」のモチーフを取り入れた像が多く作られたそうなので、この釈迦の神変のエピソードをチュンダーが取り入れたという話は説得力があるようです。ーーーーYouTubeコヤッキースタジオ台湾の法華寺からのもの、虚空会と八大龍王を言っていました。https://www.youtube.com/watch?v=HGBFkpsuoIo&t=321s2023/11/07 20:39:14982.法介◆T3azX0Hk1UdryrLそうなんだーリンク先、あとでじっくり目を通しておきます。これも不思議な体験だろー2023/11/07 20:42:38983.法介◆T3azX0Hk1UdryrL最後に、正因仏性である南無妙法蓮華経のお題目を唱えると、唱えると、摩訶不思議な出来事が現実の世界の中で起こります。2023/11/07 20:44:36984.法介◆T3azX0Hk1UdryrLこれって、天上界の仏菩薩様達のおぼし召し?(如来による神通力)と思うような不思議な出来事が身の回りに起こります。2023/11/07 20:47:43985.法介◆T3azX0Hk1UdryrL後で、さらに詳しく説明していきます。2023/11/07 20:48:37986.法介◆T3azX0Hk1UdryrLしかし、馬ちゃんの話にはちょっと感激でした。2023/11/07 20:49:15987.リダン◆iKlPp4IWRYINNfS>>981前に言っていたね俺はそう言ったことはないが体外離脱促進で宇宙の振動と同じ石持ってたら世の理が他人を損ねてまで俺に利するようになったから石投げ捨てた罰当たりなことしたかも2023/11/07 21:00:51988.馬zE6Vh縁って不思議ですね法介さん、リダンさんはもったいないことをー仕舞っておけば良かったのに、俺が欲しい!2023/11/07 21:43:29989.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSB9Y9L「只」吐き、「只」吸うだけ。一瞬一瞬を大切にして「只」やる。どんな事も「只」やる。呼吸の一瞬一瞬のみ。呼吸の一瞬が続けられれば、自然にすべてに一瞬一瞬のみにできる。その物と離れないでやれるようになる。こうなれば大したものである。ここまで来ねばいけない。常住不変に一瞬一瞬でなければいけない。それには涯際が付くまで常住不変に練らねばいけない。自ずから成るようになるまで練らなければ、本当の安楽も無いし、生死の不安からも救われない。願心はあっても、やらなければ駄目である。相手や環境である境に用はない。とにかく願心である。自分の好きな事に時を過ごしてはいけない。その場その場のみであること。自分の考えなど入れず、その時のみに成って一心にすこと。初めはどうかしようとするが、それが要らない。その場その場のみに任せておく。その事のみに「心」を置いてする。常に、そう努力していると、自然に「隔て」が取れていく。「只」やれる。何事も淡々とできる。「只」が純熟してくるから自然と全てと一つに成る。本当に熟して徹する。そうしないと大自覚が無い。これが「悟り」の大事であり証明である。ここで本当に納得する。だから悟りを目指して「今」「只」やる。無目的の坐禅は知らん間に妄想坐禅となり、ぽかんとした腑抜け禅になるから注意せよ。どうしても本当の菩提心が無ければ邪禅になり、多少の落ち着きが有っても、損得など邪念は一向に取れない。無明の根本を解決しなければ坐禅修行する意味が無い。菩提心、菩提心。2023/11/07 21:56:03990.リダン◆iKlPp4IWRYINNfS>>989これをみて法介さんが禅に興味もつといいんだがある意味勤行でやってるようなもんかな2023/11/07 22:15:56991.リダン◆iKlPp4IWRYINNfS>>988そう言った意味では法介さんは仏からの使いみたいな感じになるな2023/11/07 22:17:19992.法介◆T3azX0Hk1UdryrL>>990三因仏性を用いましたら、そのようなことを考える必要は全くないので、正直なところ関心が沸きません。2023/11/07 22:23:59993.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSDZmuYま、参考程度に2023/11/07 22:28:31994.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSDZmuY「応無所住而生其心。」この語はみんな知っている大切なお釈迦様のお言葉である。難しそうに聞こえるこの語も、砕けば「今」「只」のこと。みんなの[本当の心]のこと。これを自ら證するだけである。「隔て」がとれると常住不変がわかる。死んで生きてが無くなり、一杯一杯である。「今」の正体を知ればよい。もともと「今」だから「今」はいらなくなる。これは徹底「今」に成り切って、「今」を忘れなければ体得出来ないし、分からない言葉である。「今」に徹すると、一瞬に今までの妄想が骨身に徹して感じる。つまり妄想そのままが自分となり、妄想とすべきものが無くなる。これを全身の毛穴からも呼吸をしていると云う。丸ごてと云う意味である。体と思う念が無くなる。体の念が有れば体にくくられる。体の念が無ければ自ら気にならなくなる。「応無所住而生其心」も、[心]の様子の事。「今」「只」のこと。これが浄穢不ニ、自他不ニとなって本当に安心する。「隔て」が無くなり心身一如になれば何でもない事よ。これは良いとか悪いとか、すぐ自我を立てるから「隔て」となる。事はここから起こる。[心]の衝突である。これは一つのものを立てて認めるから、二つに見たり、三つに思ったり、念が無限に広がって迷う。これが無明よ。比べる物がないのに、自己を立てて比べるからである。本当に「只」を常に練っていれば良い。そう努力していると自然に相手が気にならなくなる。いやでも「隔て」がとれて一つに成る。これを入我我入という。世の中に処しながら、相手と一つに成って自在に変わっていくのを異類中行と云う。私が無いと、天下は自分の姿に他ならない。この境界が不動心である。不動心は正法以外にない。「今」「只」が正法である。正法は「世界壊せども、この性は壊せず」とお経にある。同時に二つのことは、考えれない。一点のみ集中して、正体のいかなるものかを自覚するのである。一つ事に集中し切らなければ「隔て」はとれない。菩提心の一点張りだ。2023/11/07 22:30:08995.リダン◆iKlPp4IWRYINNfS>>992まあある意味アクティビティみたいな楽しみ方もあるってことです感度が上がるっていうかキャンプ好きならなおさらです2023/11/07 22:30:17996.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSDZmuY「今」「只」に我は無い。我れなければ、即菩提。それを大清淨とも云う。汚がさるるものがなければ、浄くするものもない。「今」は生死を論ずる間はない。本当に「今」が手に入ったら自ずから生死が気に掛からない。生死透脱というのも、砕いて言えば「今」「只」のことである。2023/11/07 22:38:26997.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSDZmuY悟れないのは只管に成らねばいけないという意識が働いて、只管が只管を邪魔しているからである。途中は仕方がない。それが目標だから。本当に「只」になればよい。只管も只も有ってはならない。菩提心のもとに常に「単」を練ることである。坐禅をする人は、自分の癖を取る事を主体にして、即今底を実践すれば良い。「只」は努力の結果である。ここまで来ると本当に大平和である。生死はただ「単」である。生のまま、死のままである。「今」の様子に過ぎない。この真理を悟るのが坐禅修行の本当の目的である。2023/11/07 22:42:49998.カムイ◆wxnBcJ8ZogOSDZmuY一隻眼を具するとは、自己のないことがはっきりすることである。しかしそれだけでは何かが引っかかる。はっきりしていても、引っかかるものがある。まだ本当に取り尽くされていないからだ。おおかたの悟ったというところはこの当たりだ。悟後の修行の大事な所である。決して油断してはならない。自己のないところの確証をにぎってしまうと、大抵はそれをひっ下げてしまう。本当に大悟したものは少ない。簡単に言えば菩提心が弱いからだ。それを捨てて単を練ることが足りないからだ。境涯を得ても、そこが陶治されないといけない。境涯を持っていては駄目である。うたた悟れば、うたた捨てよ。この大法を得ることは容易ではない。菩提心の鈍い者は到底仏祖の誹りを免れぬ。努力しかない。菩提心が仏祖の命、仏法の血肉である。菩提心、菩提心。2023/11/07 22:46:52999.法介◆T3azX0Hk1UdWyxz如来がそれまでの経典にあって、秘して決して語ることがなかった内容が『法華経』では明かされます。2023/11/08 02:23:581000.法介◆T3azX0Hk1UdWyxzそれが、十界互具の法門です。2023/11/08 02:26:031001.Talk ★???このスレッドはコメントが1000件を超えました。新しいスレッドを立ててください。2023/11/08 02:26:031002.Talk ★???【プレミアムサービス無料期間延長!】プレミアムの無料期間を2025/3/31まで延長することになりました。広告除去や規制緩和など、ヘビーユーザーにとって欠かせない機能を無料でお楽しみいただけます。是非この機会にプレミアムサービスをお試しください!▼プレミアムサービスはこちらからhttps://talk.jp/premium2023/11/08 02:26:03
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Talk 掲示板における一つの独立した空間で、争い事は決して好まず、他者に対する誹謗・中傷はナンセンス。しかし愛嬌はドンと来い。ユーモアはぶちかませ。エロい話はお好み次第。「人生楽しまなきゃ損だろう!」をモットーに互いの人間性を尊重しながらもじゃれ合い程度にはツツキ合い、もみもみしながら互いのゆゆしさを温かく且つ、深く理解し合いながら相互に人間性を高め合っていく。そんな素敵な関係のゆゆしき法界です。
下記の者は迷惑行為をやめないため、立ち入り禁止とします
↓
栖雲居士◆dqam8SqGUPdm
法介の『ゆゆしき世界』パート1
https://talk.jp/boards/psy/1689114927
ゆゆしき法界 パート15
https://talk.jp/boards/psy/1698294593
ほうかい/法界
「ほっかい」とも読む。
法は本来「要素・成分」を意味する語だが、仏教用語としては、これに「界」や「性」の意味が付加されたと考えられている。
法界は初期仏教以来、大乗仏教に至るまで幅広く使用される語であり、それに伴ってその意味内容も多義にわたる。たとえば初期の段階では法界は十八界の一つで、意識の対象となるものを意味し、十二処でいえば法処にあたる。
しかし大乗仏教になると、これは単なる意識の対象ではなく、宗教的な本源を意味するようになった。
つまり、この全宇宙の存在を法(真理)とみなし、真如と同じ意味で使われるようになる。
華厳教学ではこれに事法界(相対・差別の現象界)、理法界(絶対・平等の実体界)、理事無礙法界(現象界と実体界が本来一如で差別のないこと)、そして事事無礙法界(現象界と実体界が本来一如であるから、現象界の個々の事象も互いに差別はなく、相即無礙であること)という四種を立てて、世界のあり方を説明する。
したがって法界は、万物を包含する全世界・全宇宙の意味でも使用される。
法介の『ゆゆしき世界』
https://zawazawa.jp/yuyusiki/
人間はあらゆる物事を概念化してゆきそれを記憶に留めていく生き物です。
その人間の「概念」に対し仏教では物事の「真理」を説きます。
「人間の概念」は所詮人間が造り出すものであり、それが果たして信ずるに値する「真理」たり得るかと言えば、そうではない事が多々あります。その時はそれが「正しい」と思っていても振り返ってみると「間違い」だったという事は良くある事です。
例えば昨今の教科書から坂本竜馬が外されましたが、時代の時々によって人物の評価は変わっていきます。世の中は流動的に常に変化しておりますので、その世界にあって変わらずにあり続ける「正しさ」というものは、実はあり得ないんです。
なのに人々は「全体的な正しさが有る!」と思い込むんです。
この全体的な正しさが「有る!」と主張する行為は、物事を「有る無し」で見ている外道の見解にあたります。外道と言いますと「私は外道なんかじゃありません!」と激しく抗議されそうなので言い方を変えます。物事を「有る無し」で判断する行為を客観認識法と言います。
今の世の中、どれだけ人々が「全体的な正しさが有る!」と思い込んで生きているかというお話をわたしの大変愉快な体験談を通して紹介して参ります。
サンクス!
その客観を空じる=析空
今見たけど
なんだあれ、、、、、。
無いとはいってないだろ
必ず見つけるが、今すぐは出てこないって話だろ
おまえ知ってるだろ
なんて言い草だ、、、、。
呆れた
これ以上
今日はお前の相手はせん
あれだ
こんな感じだな晃って
https://assets.st-note.com/production/uploads/images/230970/picture_pc_947bb35b2223a71c6618d0d6180a1f51.jpg
https://zawazawa.jp/Bukipedia/
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コテハン語録集としてもご活用ください。
それ以外にもエロんな形でご活用ください。
但し、醜い内容もしくはユーモアのセンスが無い内容は管理サイドの判断で一方的に削除されます。
戦いを好むただ迷惑な男。
カムイ
6文字革命! カムイ大僧正
馬
迷走の瞑想者
鹿野園
一言では語り尽くせない程の見事であっぱれな積極的な馬鹿。
でおー
パキシルでおー。またの名を池乃メダカ。
閃
エロさとはかなさと原田知世。
麦
聖母ムギロフ。
元コマンドー
嫁の尻にしかれる最強戦士。
リダン
幽体離脱布教活動家。
JBL
東大(経済学部)出身の頭がいいお馬鹿さん。
サティー
宗教板きっての理論派。しかし思想は浅い。
夕
ユウは何しに宗教板に。
なにかに既視感あるけど
うまいこと…
自由に遊んでくれていいぞー
わたしもちょっと違う気がするんだけど
ジョークの効いた文句が浮かばん
あった、見つけたぞー !!
昨日紹介した『報恩抄』の中だった。
問うていう。いまの話によれば、華厳宗の澄観、三論宗の嘉祥、法相宗の慈恩、真言宗の善無畏、ないし弘法、慈覚、智証等を一様に仏敵といわれるのか。
答えていう。この疑難は、実に重大なることである。仏法における第一の大事である。経文のさし示すところを、私が観察すれば、「法華経よりも勝れた経がある」という人は、たとえ、なにびとたりとも謗法の罪はまぬかれぬこと、経文に明白である。ゆえに経文のとおりにいうならば、この澄観等の人々が仏敵であることは明白な事実である。もし、それを恐れて、その謗法を破折しなかったならば、釈尊の一切経の勝劣浅深は、総くずれになってしまうのである。
そして
「かくいわれれば、末代の門下の人々には、根本の罪がないということになる。」
と申されている。
ということだ。
さらに、
と申されている。
生き抜かれた事が奇跡なほどの大難を何度もあわれております。
その大聖人様の御心をもっとくみ取れ。
教学で詳しく教えられていないかなら。
「正しさ」ではない。
その意味が晃に分かるか?
華厳の澄観・三論の嘉祥
法相の慈恩・真言の善無畏・乃至弘法・慈覚・智証等を
仏の敵との給うか
答えて云く此大なる難なり
仏法に入りて第一の大事なり
愚眼をもつて経文を見るには
法華経に勝れたる経ありといはん人は
設いいかなる人なりとも謗法は免れじと見えて候、
而るを経文のごとく申すならば
いかでか此の諸人仏敵たらざるべき、
若し又恐をなして指し申さずは
一切経の勝劣むなしかるべし、
又此人人を恐れて末の人人を仏敵といはんとすれば
彼の宗宗の末の人人の云く
法華経に大日経をまさりたりと申すは
我れ私の計にはあらず祖師の御義なり
戒行の持破・智慧の勝劣・身の上下はありとも
所学の法門はたがふ事なしと申せば彼人人にとがなし(報恩抄)
原文はこうだな
おまえさ、悟りスレでこんなこと言ったよな
740.
ユーザー
晃(あき)
1UXsp(33/58)
>>732
つまり自作だったってことや
何勝手に決め付けて
人を批判してんだ?
教義にくわしくない信徒どうしてもめてなんの意味がありますか
といもいわれている
教義に詳しい日蓮だから、祖師を仏敵と言えるのであって
教義に詳しくないものが揉めるな、とは言ってないな
謝罪の言葉はないのか?
はぁ?
いや、文意がだいぶ改変されてる
(気をつけよう)
その文章、おれの「自作」か?
何を謝ればいいんだ
日蓮は教義に詳しくない信徒の1人だったのか?
↑ここからの引用だぞ
>>51のことを言っている
何を?
そんな事もわからない馬鹿なのか、おまえは?
日蓮は、教義に詳しくない信徒同士の
もめごとをしていた、というのか?
の文章にちゃんと書かれているじゃないか >>51 と取れる内容が
>もめごとをしていた、というのか?
?
なに言ってるんだ?
教学も我流が
はなはだしいんだよ
つまり、末代の人は謗法ではないのか?
と、書いてあるだろ
それをわたしは拾い上げて解りやすいように説明しているだろう
晃って
なん?
自分をどんだけの天才だと
勘違いしてんだ?
お馬鹿さんだよ
おまえは
もめごとは意味ないとは言ってないな
まず
自覚しろ !!
そういう切り返しをしてくるんだな
分かった
もうお前とは話さん
日蓮が邪師を責めたからというのが、文意だ
無駄でしかない
これまでだ
事実やん
晃の言うことは通じる
誰にも理解されないんだよ
ばーか
昔、言ってなかった?
師匠の言う通りにしてると申す通りならば、咎はないと、
同じ報恩抄にこういう言い回しがある
当世日本国には我も法華経を信じたり信じたり、
諸人の語のごときんば、一人も謗法の者なし(報恩抄)
もし日蓮大聖人が、こう書き残したからと言って
じゃあ、当時の人々は謗法じゃなかったか?というと
それは違う
方言?
という手法
それすら
誤ろうとしないような
不届き者は相手にしません
ゴリ押ししてくる
嫌なやつ
而るを経文のごとく申すならば
いかでか此の諸人仏敵たらざるべき(報恩抄)
いかなる人なりといえども、とある
祖師が謗法なら、いわんや末代の人々をや
と読むのが正しい
「仏敵たらざるべき」
「仏敵たらざるべき」
「此の諸人」って誰
「此の諸人」って誰
仏敵じゃないことが、あろうか?と読むのが正しい
邪宗の祖師だろ
はじめないかんと?
二重の改変がなされている
それをどう読めば、
“教義に詳しくないもの同士が、もめるのは意味ない”
となるのか
↑この諸人
↑祖師って誰
>>103のことだろ
これをどう翻訳する?
又経文には大地より多からんと云云、
法滅尽経には善者一二人、涅槃経には信者爪上土等云云、
経文のごとくならば日本国は但日蓮一人こそ爪上土一二人にては候へ、
されば心あらん人人は経文をか用ゆべき世間をか用ゆべき。(報恩抄)
と宗祖は残している じゃあ日蓮が言いたいことは
日蓮がこの報恩抄で言いたいことは
1人だけ謗法である、ということか?
同じことやん
真言の善無畏・乃至弘法・慈覚.智証等
これらはみんな開祖
文章の読み取りが異なる(異質)ので
これ以上のお話は致しません。
ヘソを曲げると、拒絶する………子供かよw
日本への伝来には、下記の3系統がある。
625年(推古33年)に高句麗の僧の慧灌が伝えた元興寺流。
智蔵(慧灌の弟子、呉出身)が入唐して伝えた法隆寺の空宗。
718年(養老2年)、道慈(智蔵の弟子)が伝えた大安寺流。
そんな話してるっけ 報恩抄で
それら全て、仏敵と言ってる
慈恩は法相宗の開祖だな、、、、
「また彼ら諸宗の祖の権威を恐れて、末代の門下たちばかりを仏敵として破折すれば、」
という現代語訳になっているんだ、、、、
ちょっと、コレ正直
可愛いと思いました では、去る
晃は考えないのか?
現代語訳なんて、いーかげんよ
だからいつも原文を当たる
日蓮は、日本国中が謗法である
と主張してるのが主旨だからな
いや、読み下しだが
そういうのは、創価学会のサイトがまとめている
こういうことにしよう
コニャニャチワ〜〜〜
😄😄😄😄😄😄😄
網目にこだわっては文意を損ねる
大聖人の御書の読み取り方が
大きく異なっている
今回のような出来事が起こる
議論できるだけすごいで
OK ?
お互いの解釈の違いであるから
合意に至ることはあり得ない
が、しかし
そういう解釈もあるんだなー
と
レベルが高い なぜかワイも無意識にさん付けしてしまうし
もつように
互いに心がけよう
互いに心がけよう
互いに心がけよう
多少の読み損ないは、仕方ない 学ぼうとする意識がすごい
確かに晃の主張にも
一理ある
晃
問題はそれだけじゃーない
ユーザー
法介◆T3azX0Hk1U
I5Ud4(30/91)
仏法で説かれているのは、「真理」だ。
「正しさ」ではない。
その意味が晃に分かるか?
「正しさ」ではない。
讃むる言こそ多く候へと思食すべし。(妙密上人御消息)
いま、ふと浮かんだのが、この御文だな…
こにゃにゃちはー
法華経の真理は、誉めるところにあるらしい
相手への礼儀でもある…手を抜いたらかえって無礼になる
真理って何だとおもう?
法介さんへの礼儀だし、敬っている証と捉えてほしい
そうだな
ありがとう
理想とか、こうあった方がいいよね、的な
哲学用語ならイディアかな
「法」ってなんだと思う?
法にもいろいろ、あるが…
いや悪法は悪法だろ、と思う 法にも千差万別ある
人間の概念は存在し得るか?
それはどう思う
究極の法の話ね
浅い法なら、捉えきれない
それなら存在すると考える
生じることも滅することもなく、汚いことも綺麗なこともなく、増えることも減ることもない
正しいとか正しくないといった概念ってあると思う?
ないな 大雑把に、ぜんぶ空観したら
これは、何が?なんだろう
不勉強ですまんが
昔は正しいと考えられてた常識が
今では全く真逆にとられたりする事ってあるよね
それもふまえて今話してる
また異なってくるよね
平時に一人でも殺せば殺人罪
相対的に、あまり動かない価値観が、一般的に、正しいとされる
そうじゃなくて
変わるが、正しさの尺度は
その時代、その時代、常に、一応ある
常に正しいと言える存在ってありますかってとこ
常に正しいと言える存在
常に正しいと言える存在
それが、勝負に有利だからだと、思われる
変らずにあり続ける存在
変らずにあり続ける存在
常に、はないが
昔からの伝統は、いつの時代もある
それはそうだけど
それは
争点がずれてる
縁起の法門だろ
勝負において勝つことは理想論だし
それは、先に触れた“真理”にも通じる話になる
大聖人様の時代と現代って
情勢もかなり違うよね
今は
個人が優先される時代
それは、そう
大聖人様はその国家に対して
意見なされた
門下の信仰を守れないから
法華経の功徳
今の世の中は
信教の自由は憲法で守られている
個人が何を信仰しようと自由な訳だ
通していいと思うか?
そうだ 悪魔崇拝しようが
不健康な生活をしようが 自由
それが自由の恐ろしさでもある
境涯も異なる訳だ
声聞の教えがピントくる
真似はできんよ 手本にするくらいだ
ってな感じで
それぞれの境涯に即した信仰があってしかりだろ
声聞の教えとは何だろう
法華経しか、声聞の成仏を許してないらしいが
それは万能薬の一乗じゃないのか?
その人の境涯を高めてあげることじゃないかな
と、私は思う
小乗の教えだろ
増長天か
まさに
それになってしまってる
アジアに陣取ってるらしい
声聞乗は、方便じゃないのか?
わかっていない
でも現代人はストレスで病んでる人が多い
しょーもないとしか
理解していないからだ
かえって体調を崩す人もいる…
確かにそうだな
本当の教えが必要なのさ
いや、それは譲れん
空は、つまってない つまらないの意や
なら、善悪はあるやろ?
そう言い続けている以上
本当の仏法は解らないよ
大聖人様は何と云われてる?
日蓮大聖人も、おまえは何も分かってないと
大衆から言われ続けた…
言ってなかったか?
勝手に造り出しているに過ぎない
本当に悪人か?
善人かもよ
善に背くを悪と云い悪に背くを善と云う(三世諸仏総勘文教相廃立)
心の内にはあるってことや
切り文字じゃないか
故に心の外に善無く悪無し此の善と悪とを離るるを無記と云うなり
故に心の外に善無く悪無し此の善と悪とを離るるを無記と云うなり
その後に、心の内の話で華厳経を引いている
ひねくれてんだ
それは、心の外の話
疲れた
これまでとしよう
ありがとな
華厳経に云く「心は工なる画師の種種の五陰を造るが如く
一切世間の中に法として造らざること無し
心の如く仏も亦爾なり仏の如く衆生も然なり 三界唯一心なり
心の外に別の法無し心仏及び衆生・是の三差別無し」已上(三世諸仏総勘文教相廃立)
心の外に別の法無し
心の外に別の法無し
心の内には?あるんだなこれが
解も有り善悪も分別し折節を思知る(三世諸仏総勘文教相廃立)
だから、同じ御書をこう締めてる
学べ
謂れ有る可きや
謂れ有る可きや
つまり分別しろってことやん
無分別の法を分別すべしってことだろう
此の一乗妙法の行をば取らずして
全く浄土には無き方便の教を取つて
成仏の行と為さんは迷いの中の迷いなり(三世諸仏総勘文教相廃立)
法華経は善悪を選ばず成仏させる無分別の法だが
我々は法華経を他と分別しなきゃならん
主語と目的語を混同してはいけない
ご明察〜
俺は
忠実ノーマル解釈
セイント解釈
末法無し天台バージョン解釈
魔改造解釈の
四つができる
エヘン
全部、
身体から光明放ちながらの
お題目で
😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄
そうか、すごいなー
南無妙法蓮華経ってこと
ーーー
多次元パラレル空間(=識)ですね、
その様、
その在り様、
ようは、縁(環境や関わる人達)が変われば正しさも変わるってことだよね
ーーー
世間法と勝義法で意味が異なるでしょうま
世間法は時代の法律で変わるが、
勝義法においては、無記であるのでは?
すごいね!
法介さん。
善に背くを悪と云い悪に背くを善と云う、故に心の外に善無く悪無し此の善と悪とを離るるを無記と云うなり。
ーーー
ほほー!
ほーすけ!
良い文章ですね、
心が善悪を造りだしているってこと
ーーー
そして、心は空であって、本当は存在しないということ。
これが自然法(存在の)
● この法理を、中途で断ずる行いを、法に反する行為とし、それを悪とす。
故に自殺も悪である。
● 諸々の価値ある事象が、ある処に、固定され所属し所有されている場合に、
縁に於いて所有者の心において、所有移転の縁が踏まれ同意が無いのに、途中で横取りするを悪とす。
何かようかー
『大智度論』における般舟三昧と首楞厳三昧の関係(澤 﨑)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk/69/2/69_761/_pdf
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/38/2/38_2_677/_pdf/-char/ja
首楊厳三昧は勇伏三昧、健相三昧などとも訳され、古来多くの三昧の中でも特に重視されていた三昧である。
「在俗生活を離れずに禅観を修し」←ポイント
(2)六根、六境の感受作用についても観心の対象とする。
(3)未念心、欲念心の二心を観心の方法として用いる。
(4)心の本源的状態を心性と呼び、八識説も展開する。
(5)出入息観、不浄観など小乗系の伝統的禅観もとり込む。
(6)全体的に般若空観の思想が基調になっている。
(7)『大智度論』等の所説の四念処観と関連が深い。これらのうち(2)、(3)、(4)、(5)、(7)等は『首樗厳三昧経』には直接は説かれておらず、慧思の独創によると考えられる。
身念処(身念住) - 身体の不浄を観ずる(不浄観)
受念処(受念住) - 一切の受は苦であると観ずる(一切皆苦)
心念処(心念住) - 心(citta)の無常を観ずる(諸行無常)
法念処(法念住) - 諸法の無我を観ずる(諸法無我)
空と大変関係が深い内容だ
本気でほめてるのに、ひねてるな~
https://hu.repo.nii.ac.jp/record/655/files/004-13-03.pdf
此の三昧は鐸尊の敷理中初薯法輪に於ける八聖道の最後の第八に上げられてゐる徳目であるが、緯奪の敷理中最も重要な地位をしむるものなるこごは、中阿含経『聖道経」などが此の三昧を基本だなし、他の七支正道を正三昧の助縁こしてゐるこごに徴して明瞭である(註一)。
「四暉四無色定其自髄」ってなんのことでしょう
という事だ。
要は禅定と解脱は違うってことでしょう、
一時的ではない三昧ってこよで、
となると悟りってなんだろうな
釈迦の無学がよく分からん
それこそ阿頼耶識の記録全所持状態になるのか
それとも細部はともかく全ての縁起を把握に留まるのか
案外ハチャメチャなんだな〜
ほーかいくんが
そのよーに
言うところを見ると
😄
ほーかいくんお館様〜〜
わんばんこ〜〜〜
😄😄😄😄😄
屁理屈いらなくなることやろ
😄
それならなんとか分かるな
ウマぱーりーなんかみたら、
ゴタクの山盛りやしな〜
今の安寧だけで充分ではある
ほーかいくんお館様は
ゆるさないっー
😄
なんと
それは気になる
ほうほう
≫「四繹四無色定、即ち八等至」ってあるから色界禅定と無色界禅定のことだろう
ーーー
そうですね、四禅・四無色界定、
十二因縁で言えば過去・現在の三枝は、これ煩悩道。過去・現在の二枝は、これ業道。現在・未来の七枝は、これ苦道なり。いま十二因縁に三道を明かして三種の解脱を弁じ、思議・不思議の不同を分別せん。
もしは通教には、苦道は即ち是れ真性と説くといえども、すなわちこれ偏真の法性の理、煩悩即空と説くも、空は実慧にあらず。業道即空と明かすといえども、空は方便にあらず。ゆえに三種は不思議の解脱にあらざるなり。
六識はこれ分別識。七識はこれ智障の波浪識。八識はこれ真常識。智識はこれ縁修。八識はもしは顕るれば、七識はすなわち滅す。八識は真修と名づく。任運に体は融じて常寂なり。而も、摂大乗論にいわく、「七識はこれ執見心。八識はこれ無記の無没識」と。あにこれ真修というを得んや。またいま明かすところの六識は、すなわちこれ不思議の解脱なり。
あに六識・七識が滅して己りて、八識の真修を不思議の解脱となすことあらんや。所以はいかん。鴦掘経にいわく、「いわゆるかの眼根は諸如来においては常に具足して滅修することなく、了了に文明に見る。ないし意根もまたまたかくのごとし」と。
法華経に明かす父母所生の六根の清浄は、自ずから湛然たるをもって十方界境を照らす。あに六識が滅して別に真の縁修あることあらんや。ゆえに経にいわく、「佛は、一切衆生は畢竟して寂滅なり、すなわち大涅槃もまた滅すべからず、一切衆生もまた滅すべからざるを知る」と。すなわちこれ六識は滅すべからず。
またこの経にいわく、「解脱とはすなわち諸法なり」と。あにすなわちこれ六識と十八界の一切法ならざらんや。もし爾らば、あに、ただ八識に約して不思議の解脱を明かすを得んや。
悟りは、七識(と八識)を転送識得智せずに、【唯-識】の状態を知ることでしょう、
つまり、24時間シームレスで唯-識の安立されていない状態。
つまりどういうことだってばよ?
アンリツ?
解脱とはすなわち諸法なり
↑
これは分かる
これ方便解脱なんやな
<凡夫の世界観> ---(方便の解脱)
仮=「色即是空」順観の十二因縁
空=「空即是色」逆観の十二因縁
中=「色即是空 空即是色」
これなら全部出来てるわ
出来てるだろう
「生滅無常の相無きが故に無相と云うなり二乗の有余・無余の二つの涅槃の相を離るが故に不相と云うなり」
と釈した「生滅無常の相無きが故に無相と云うなり」がこれにあたります。
(※阿陀那識=末那識、阿黎耶識=阿頼耶識の意)
問うていわく。摂大乗論師(無著)は、七識はこれ執見の心と説く。なんぞこれ実慧の解脱というを得んや。
答えていわく。迷を転じて解を成ず。もしは迷執を離れて、いずこにか別して実慧の解あらん。ゆえに知る、七識は非迷非解、迷解を説くを得る解のゆえに、即ち是れ実慧の解脱なり。
何回か、読まな頭に入らないw
https://zawazawa.jp/bison/topic/19
十二因縁で言えば
●①過去・現在の三枝は
【(1)無明(2)行(3)識】これ煩悩道。
●②過去・現在の二枝は
【(4)名色(5)六処】これ業道。
●③現在・未来の七枝は
【(7)受(8)愛(9)取(10)有(11)生(12)老死】これ苦道なり。
いま十二因縁に三道を明かして三種の解脱を弁じ、思議・不思議の不同(違い)を分別せん。
もしは通教には、
③苦道は、即ち是れ真性と説くといえども、すなわちこれ【偏真(片寄った真)】の法性の理、
①煩悩道、即空と説くも、空は【実慧】にあらず。
②業道、即空と明かすといえども、空は【方便】にあらず。
ゆえに三種は不思議の解脱に、非(あら)ざるなり(そうではない)。
(1)無明(2)行(3)識(4)名色(5)六処(6)触(7)受(8)愛(9)取(10)有(11)生(12)老死
安定していること、
うん?
三種は不思議の解脱ではないのか
安立されている状態ってこと?
これもオッケー出来てる
の「三種は不思議の解脱に非(あら)ざるなり(そうではない)。」
が紛らわしい表現なので後で説明します。
ほうほう
暗躍してまふ〜
😫
六識、末那識、阿頼耶識が
混ざってる感じだろうか
こんばんは~😄
2つ目から4つ目で、依他起性が深められ、
5つ目で円成実性だけが現れます。
ちょっとググったけど
全ては阿頼耶識が、生み出した映像とみるんだな
俺の体外離脱と同じようだ
これが実慧の解脱の内容と一致。
この章安大師(灌頂)が智顗の『法華経』注釈をまとめた『法華文句』の中でいった言葉の意味。
前に馬ちゃんには話したけど
有余涅槃はおそらく別相による三昧。←これがこの論文にある「般舟三昧」かと。
『大智度論』における般舟三昧と首楞厳三昧の関係(澤 﨑)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk/69/2/69_761/_pdf
法介さんの場合は坐禅しながらずっと南妙法蓮華経を唱え続けとかはありです。
そうですね。南無妙法蓮華経を唱えるマントラです。
そしていつの間にか雑念を追いかけていると気づいたら、また、南妙法蓮華経に戻ります。
不思議はそのまま不思議で構わないんだろうな
これをもって天台及び日蓮教学では第七末那識を仏の意識と考えます。
ーーー
七識の【解脱】をですよね?
題目禅はユニーク
それが実慧の解脱。(末那識ね)
南無妙法蓮華経ガチで唱えるだけで
変性意識にはなるだろうからね
妙=仏眼:第九識は法界体性智
法=法眼:第八識は大円鏡智
蓮=慧眼:第七識は平等性智(←ここ)
華=天眼:第六識は妙観察智
経=肉眼:前の五識は成所作智
妙=仏眼:第九識は法界体性智
法=法眼:第八識は大円鏡智
蓮=慧眼:第七識は平等性智
華=天眼:第六識は妙観察智(←ここと)
経=肉眼:前の五識は成所作智(←ここが方便の解脱)
三識に類通せば、一つに、破陀那識はすなわち六識。二つに、阿陀那識はすなわち七識。三つに、阿黎耶識はすなわち八識なり。真性の解脱はすなわち阿黎耶識、実慧の解脱はすなわち七識、方便の解脱はすなわち六識。
(※阿陀那識=末那識、阿黎耶識=阿頼耶識の意)
六識が一時的に停止した間に、識(物と心の相分から離れた)
自体分を悟るってのじゃないのかな?
未だ自我は手付かずで、
自分そこまで定かでは無いですね。
お願いします。
後程、彼のいい加減な解説を論破しておきます。
坐禅だけを修行だと思っていたら一生かかっても埒はあかない。
常に道であること。
あいつもう人間らしくないからね、醜い化け物だからここに平気でくるだろう。
問うていわく。摂大乗論師(無著)は、七識はこれ執見の心と説く。なんぞこれ実慧の解脱というを得んや。
答えていわく。迷を転じて解を成ず。もしは迷執を離れて、いずこにか別して実慧の解あらん。ゆえに知る、七識は非迷非解、迷解を説くを得る解のゆえに、即ち是れ実慧の解脱なり。
でおさんがいつもやってるやつだな
これ坐禅、瞑想の境地を
日常に持ってこれる
三身の法身に類通せば、一つに、法身佛。二つに、報身佛。三つに、応身佛。なり。真性の解脱は即ち是れ法身の毘盧遮那佛。性浄の法身なり。実慧の解脱は即ち是れ報身の盧遮那佛。浄満の法身なり。方便の解脱は即ち是れ応身の釈迦牟尼佛。応化の法身なり。
ここでまず着目て欲しいのが、三種が三つとも〝法身〟と記されている点です。ここでは法身の中の三身、即ち三身如来と三種解脱とを類通させておられる訳です。また、真性を「毘盧遮那佛」とし実慧を「盧遮那佛」としている点も見逃せません。
仏教学の多くの学者さん達は、この毘盧遮那佛と盧遮那佛を同じ仏だと適当なことを申したりしますが、この二仏は明らかに意味が異なります。
毘盧遮那佛=法身
盧遮那佛=報身
釈迦牟尼佛=応身
といった仏の三身となります。仏の三身と言いましてもここでは、「三身の法身に類通せば」と申しておられますので「法」としての「如来の三身」を意味しております。
動中の工夫ですね。
入って来るままに聞くだけ。
感情も気付きも入れない。
自分を虚にしておく。
「面白い」と言うたり思ったりするのは、何かに引っかかっている証拠である。
何も無しにあると、そのまま入って聞こえて終わる。
それが「正聞」である。
眼に於いては「正見」と言う。
お釈迦さまがちゃんと言って居られることだ。
見たり、聞いたりの縁について何か出るうちは、何か引っかかってるいる。
つまり自我が有るからだ。
盧遮那佛=報身 ---(実慧の解脱)
釈迦牟尼佛=応身 ---(方便の解脱)
毘盧遮那佛=法身 ---(真性の解脱)中一切中
盧遮那佛=報身 ---(実慧の解脱)空一切空
釈迦牟尼佛=応身 ---(方便の解脱)仮一切仮
の「多次元パラレル空間」になるかと思われます。
それ俺めっちゃ得意
法介のブログのどのへんに書いてあったか
法介✕
https://livedoor.blogimg.jp/butudou/imgs/e/a/eadda475.jpg
https://sinnyo.blog.jp/
ありがとうございます
なるほど
これは修行ではそうなんでふけど、禅僧の普段は良く笑い、そして良く泣く笑
仏とか意識しませんね、ただ息に意識を置いたりします。
ああーこれって仏菩薩のおはからい(秘密神通力)なんだなーて観じるんです。
端的に言いますと念が出ない状態が仏ですから。
そこら辺は考え方が日蓮仏法とちょっと違ってますね。
清森義行
【五重唯識観】
https://ameblo.jp/yk19610402/entry-12714145341.html
かもしれませんね。
遍計所執性は虚妄であるから、それは空であると遣り、
まずは妄念を捨てて、依他起性と円成実性の二つは存在する、あるものをあるがままに(すなわち空として)観ることです。
五重唯識観
↑
これマジ俺の体外離脱と相性抜群だぞ
馬さんもまたチャレンジしたらどうだ?
離脱時は全機能オンオフ自在だから
相っていうのは、色相の相では無く、
≫観法の相ね。
ーーー
この辺詳しく擦り合わせましょう。
認識したものを「外界の何か」とは見ずに、自分の心に映し出された映像として把握する修行です。すべては「私の阿頼耶識が生み出した映像であり、認識している世界」と理解する。
どういう意味?
また今度ね
辛いとか、何かと云う気持ちが少しでも出ると、その物に何か引っかかっている。
辛ければ辛いままであればよい。
病もまた道であり、疲れもまた道である。
↑これも後でじっくり見ておくね。
ただぼーと無駄に過ごす時間って
わたしはそれも大事だと思います。
カムイさんもキャンプされてるから、わかると思うんですが
今疲れてるんなら疲れてるが法でしよ。
そうそう。なんかいいよねー
俺の六、七識って、ほぼ死んじゃってるからね、
活きてただ存在しているので精一杯、
ライフがあと1くらいってとこか。
了解👌
解脱のし過ぎかも
おやすみなさい😴
おやすみ
おやすみー
一度は、迷いと迷えない「単」とのはっきりした違いに気づかねば、我見が入ったか入らんかの区別がつかない。
この正法の線をはっきりさせるためには、「今」を離してはならない。
俺は今を連打と呼んでる
過去、今、未来の
この今の感覚が
過去(このくらい)未来
としたら
過去(今)未来
過去()未来
この生滅を離さないかんじ
過去と未来がない状態を今と読んでます。
つまり、過去、今、未来ではないんです。
ポカンとなり夢や幻の馬鹿になるのとは異なる。
そこを誤解しないように。
善悪や損得の気持ちがあった時は、あと残りがする。
その残った上で次の事をしていることが多い。
すると過去と今が重なるので大きな邪魔者になる。
常に自分を注意していないとその事が分からない。
例え無用な心がおこっても直ぐに捨てて相手にせずに、やるべきことを「只」やる。
余分な念を使わない。
話は色々な事に渡るものだ。
二重、三重の話が出て混線するが、その中心の線だけを取っていれば良い。
一つ心で働けば良い。
「単」は一つ線であること。
一つのもので働けば良い。
当時わたしが書いたブログ記事をカムイさんに紹介します
はい
柳葉敏郎扮する殺人犯の榎津巌が、どうしてこのような凶悪犯罪に至ったかを少年期の出来事などを通して、彼の人格が崩れていくさまを鋭く描き出していた。
次第に人格が崩れて行った経緯を説明しだすとゲスト陣がいっせいに反論。
「そんないいわけ通じませんよ」
「彼は反省してるんですか!」
と噛み付く有様。
被告がなぜその様な犯行に至ったかを掘り下げて追求し、
それを訴える為に私はここに来ました。」
と、弁護士が一生懸命訴えるが司会者までも批判を繰り返すだけで、そこに至った経緯を全く理解しようとしない。
「あんたらにはわかんないだろうよ」
といった無力感とあきらめに満ちた苦しい顔がアップされてそのコーナーは終わったらしい。
本人がどうしてそのような人格に崩れてしまったのか、そこ(原意追求)が一番大事なのに、結果だけをことさら取り上げて批判を繰り返す。
妻も「どうしてそこを分かろうとしないの」と呆れ返って語っていた。
その根本的要因を我々一人一人が真摯に受け止めていかない限り同じような犯罪人格者を世の中が生み出していくだろう。
なぜなら人間は決して独立して存在しえるものでは無いのだから。
「物事を一念三千でみていきなさい。」
と言います。
なるほどー
確かに
「なんでこの子はこんな事をするのかな?」
と相手の立場になって考えてごらん。勝手な創造でもいいよ。
この子は幼い頃から両親にかまってもらえず
親から十分な愛情を受けれないまま育って
その満たされない思いのはけ口として
こんな意地悪をしてくるのかなーって思うと、
この子、可愛そうな子なんだって思うでしょ。
そしたら、その子に対する憎しみが消えるよね。
鹿野園も完全に人格が壊れてるからね。
もう、人間とは呼べない
友達と意見が衝突して仲たがいしたりした時は、
人はそれぞれ育った環境が違うんだよ。
家はいつもお父さんがこうやって色んな話でもって
あなた達が理解出来るように根気良く対話するけども、
頭ごなしに親の価値観を押し付けようとする親だって沢山いるんだよ。
いつも私の話のいきつくところは「一念三千」なのです。
それは有であり無でもある(亦有亦無)という「分別の法」としての一心三観でとらえた「一念三千」であり、
ここまで私が語ってきた心の所作を捉えた「一念三千論」も 「非有非無」(無分別法)の「一念三千」です。
「無分別法」としての「一念三千」
「究極の法」としての「一念三千」
一念三千とは、その一念には三千の因果があるってこと?
「凡夫の一念三千」と「仏の一念三千」のたて分も御書の中では明記されています。
その通りです
なるほど、
道元禅師の
仏道を習うとは自己を習うなり
とは、自分がどんな念が出て来てるのかを知るって事です。
凡夫の無明を因として起こる十二因縁からの解脱
その疎いが故の迷いの一念を最初の因として十二因縁、即ち縁起が起きます。
さて、その一念とは何処から来てますか?
カムイさんのお考えでは?
自分の過去から来てます。
同感です。
自身の阿頼耶識の過去世の業ですよね。
つまり、過去未来が完全に前後裁断された時、一念は出ないんです。
現実に目の当たりにしている実在の世界
もし、これが出来れは人は一瞬にして救われるわけです。
それが末那識がクリアーになった状態
そうですね。心が世界を立ち上げていますから、その心が変われば世界も一瞬で変ります。
それが唯識です。
末那識とかあまり知りませんが、念が出る前の所といってもいいですね。
もしくは思考が起こる前。
ここから先の話なんです。
仮観=凡夫の無明を因として起こる縁起(此縁性縁起=順観の十二因縁)
とします。
興味深いですね。
様々な要素(三千の要素)が縁となって
仮諦の一念三千なんですね
そういった自身の過去世の業から離れて末那識にかかっていた暗いサングラスを取って、クリアーな視界を得てみる世界が
空諦の一念三千という世界です。
そしてその逆観の十二因縁で立ち上がる世界観を「還滅門」といいます。
「御義口伝に云く鬼とは父なり子とは十羅刹女なり母とは伽利帝母なり、逆次に次第する時は神とは九識なり母とは八識へ出づる無明なり子とは七識六識なり鬼とは五識なり、流転門の時は悪鬼なり還滅門の時は善鬼なり、仍つて十界互具百界千如の一念三千を鬼子母神十羅刹女と云うなり、三宝荒神とは十羅刹女の事なり所謂飢渇神・貪欲神・障碍神なり、今法華経の行者は三毒即三徳と転ずる故に三宝荒神に非ざるなり荒神とは法華不信の人なり法華経の行者の前にては守護神なり云云」『御義口伝巻下』
これを仏といいます。
そこを使っていく訳です。
禅はここを目指します。
仮の真理(縁起)=流転の縁起
空の真理(縁起)=還滅の縁起
中の真理(縁起)=因果具時の縁起
そうですね。
ではその元から備わっている「仏」ってどこにあると禅宗では考えますか?
自分が無くて縁のみがあります。
仏との縁ですよね
いえ、お茶を飲むならお茶のみの縁がある感じです。
そこには私はいない。
そこら辺がちょっと違いますね
これが法に従って生きると言う事です。
「方便の解脱」になる訳です。
ここに、法と言う自覚があってはダメですよ。
具体的にご説明願えますか?
その法とは
うたた悟ればうたた捨てよ
と、言われます。
法とは簡単にいいますと「今」です。
世界は立ち上がらないかと
無を因としたのでは
何も起こりません
=世界は立ち上がらない
捨てるほどに万法が現前するんです。
道元禅師は捨てるではなく忘れると言う表現をつかってますね。
忘れるのほうがいいかもしれない。
無からは何も起きないかと
自己をならうというは、自己をわするるなり。
自己をわするるというは、万法に証せらるるなり。
万法に証せらるるというは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。
それって全部が「自己」ですよね
これですね、自己を忘れると万法に証せられる云々
つまり、悟ったとかの自己も忘れて行きます。
それらの「自己」を完全に捨てて
阿頼耶識の「仏」の拾う訳です
ですから、法を体得したっていう自己も忘れるって感じです。
禅宗と天台教学を基とした日蓮仏法の大きな違いになります。
仏道をならうというは、自己をならうなり。
自己をならうというは、自己をわするるなり。
自己をわするるというは、万法に証せらるるなり。
万法に証せらるるというは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。
結局のところ「自己」ではないですか
と見るんです。
そういうことになるんだと思います。
禅では仮の自己から本来の自己へとはよく言われますね
でも、本来の自己って無色透明みたいなものなので、空気は見えないがある。
そんな感じなんですよね。
ニュアンスわかりますかね?
一体だと私があって世界があるに聞こえるので、正確には
自分=世界です。
わたしはねあんまり専門用語知らないからね。
内容を聞けばそれ知ってるとか言えるんですけどね。
曹洞宗? 臨済宗?
どちらも行きましたけど、どうも曹洞宗のほうに縁がありますね。
一枚の紙にも裏面と表面とがあります。
しかしそ異なる両面が一つとして存在している姿を「二にして二にあらず」と言って「而二不二」と言います。
なるほど、善悪がそうですね。
善も悪も無い所ですね。
善を立てれば必ず悪が出て来ますからね。
そうです。
最初に紹介しました
わたしの昔書いたブログ記事です。
わたしが言ってる事と同じですね。
道元禅師ら法華経以外にもあらゆる経典を読み漁ってたようです。
その中でも法華経をこよなく愛していたとは聞いた事があります。
見てません。
これアンカーみす
じゃあ、どう話そうか、、、
もう答え出てるじゃん
正誤以前が正でしょ。
?
どういうことでしょう
人は物心付いてから、親に、または学校で成長すればある思想にそまったりして、これは正しいこと、これは間違った事と教えられます。
確かに本来の正しい事も教えられたりするんですけど、間違ってる事をこれが正しいと教えられたりします、
これらが正誤となるんですね。
これを一旦リセットした時に本来の正しさが現前する。
そうですね。
おっしゃる通りだと思います。
つまりあらゆる二面性は自分本位に作り上げてただけ、これが人によって違うものだから、争いも起こったりしますね。
過去の自身の業によって起こる十二因縁のお話って
これ順観の十二因縁っていいまして、この凡夫の迷いの一念から離れる(捨てる)ことを方便の解脱という
というお話が「析空」なんですね。
なるほどね、
坐禅とは念との戦いとも言えます。
主観を空じます。
禅ってね知識体系を重んじず、実践のノウハウ体系っていうか、そう言う所あるね。
相対関係で起こる縁起なんです。
しかし、別の人物にとってはそれは「間違い」
主客の話は禅でも出ます。
4種類しかありません。
主無し 客あり
主あり 客無し
主無し 客なし
主あり 客あり
上に居る人から見たらそれは下り坂。
しかし、下に居る人からみたらそれは登り坂。
つまり私を省いて縁のみがある時が平和、つまり悟りの世界なんです。
なるほどー
自我です。
自我の反対用語が無我であればそうなりますね。
如何ですか?
実体として自分は無いです。
別のなにかとしては有るんでしょうか?
心とはなんらかのかたまりのような実体としは無いけど、確かにあるでしょ。
諸法無我とはそうい事です。
心として有る
ということですね。
実体としてはないけど心は確かにあるですね。
天台教学では、この「ある」と「ない」の二元論から完全に離れます。
この意味
なるほどね、わたしはそう感じてるんですけど、禅の人によっては心とはあるんか無いんかわからないと言う人もいるんじゃないかな。
仏教はその二辺を離れて「縁起」で捉える
と考えるのが天台教学なんです。
わたしも公案やってた事あるんですけど、答えを持っていくのね。
何いってもダメって言われて。
最後、「わからない」で透りましたよ。
その五蘊を空じますので有るとか無いといった認識から離れる訳です。
では、このあなたが書いた文章は有りますか無いですか?
となります。(縁起)
ですからその文章はあるんですか?無いんですか?
わたしに成りすました鹿野園が書いた可能性もあります。
それを書きましたと言っているのです。
それで十分ではないでしょうか。
とね、言葉遊びになるんです。
相手が言おうとする雰囲気だけでいいと思いますよ。
本当のところはわかりません
ですからら何度も言ってますけど
自分無くして縁のみがあると。
そうかもしれませんね、全く我が無い自分がね。
うーん
風景だけで自分なしの体験を法介さんは一度されたほうがいいかもしれない。
その時風景が自分なんです.
https://zenken.agu.ac.jp/research/48/15.pdf
博士は、日本の仏教学者・曹洞宗の僧侶であり東京大学から文学博士を授与されており、役職として駒澤大学学長、総長を経て、同大学の名誉教授となっておりまして、僧侶としても法清寺の住職を経て東堂となり、また、永平寺の西堂を務めたりされた方です。
先ほどのお釈迦さまの言葉ですが、直訳すると「自己によって自己を見ず」となりましてそれをもって中村先生などは、仏の見識に立てば「自己は存在しない」と考えられた訳です。これは「自己と自我」を同等にみる考えです。奈良 康明 博士は、ここはとても大事なところなので何人かの研究者の訳を引き合いに出され並べて紹介なされておられます。
中村 元:自己によって自己を観じて(中村1993・538頁)
渡辺照宏:自己には自我なしと洞察し(渡邊1982・145頁)
宮坂宥勝:自分に自我を見ることなく(宮坂2002・123頁)
榎本文雄:自我にとらわれて自己を見ることなく(榎本1986・191頁)
村上真完・及川真介:自ら自我を見ず(村上・及川2009・(三)128頁)
他の先生方の表現は、「真の自己は〝自我〟によって把握されるべきものではない」といったことを意味しております。
本当の自分が顕れます。
本来の自己はわからない
です。
わたしにとっての「正しい」はわたしにとっての「正しい」
考えは違うかもだけど、頭ぶん殴られたら痛いは共通でしよ?
禅ってそう言うもんです。
感覚器官がマヒしている人は痛いと感じないでしょう
縁がことなれば。
そう言うふうに理屈をこねる人おおいですけどね。
そうなるんです。
「死」って真理でしょうか?
説明するより食えばわかるってのが禅です。
そこに味は人によって違うでしょって言う人が必ずいるんですよ。
こう言うタイプは禅に向いてません。
にお答え頂けますか?
真理です。
裏に死はありません。
また、死の時は全部死です。
裏に死はありません。
また、死の時は全部死です。
ま、わかると思うけど一応訂正
それも死んでみたらわかります
となりますよね
そうなりますね。
ま、わたしも生死問題を完全に解決した訳ではありませんので、今のところこんな感じだね。
天台教学では次のように説明します。
これわかりますか?
あなたのコインを例に出しますと、生の時はコインの裏表とも生なんです。
解りますよ
その上で聞いて頂けませんか
はい
ではその引力って真理なのでしょうか。
例えば、
「落下した」と思うでしょうか。
木にあったことを覚えていないんです。
おばあちゃんには。
存在しません。
ムイムイ大将軍〜〜〜
おはよ〜〜
😄😄😄😄😄😄
ローラーウンコは
うらやましそーに
威張ってまふ〜〜
😄
なるほどね、この話もっとも禅らしいね。
「変化」は起きない訳です。
ですから
「生じる事も滅する事もない」
死の時は死
生の時は生
言ってる事同じって事だね。
これを理解することが法を空じた法空です。
そうですね
継続するものはなんもないって事が真理と言えるね。
わたしがお話しているのは「法理」です。
禅宗でも法理を大事にする所あるかもしれないけど、わたしが行った禅寺は全部実践だからね。
禅宗は法理は悟ったらいくらでもわかるから、とにかく悟れ!
こんな感じですね。
天台智顗と日蓮大聖人のお二方です。
しかし、その先の非空は
おそらく道元さんは理解されておられなかったと私は思います。
応身如来と報身如来と法身如来のお話です。
昨日、リダンや馬ちゃんと話していた
三種の解脱のお話です。
カムイさんは映画とか良く見ます?
最近ではトップガンマーベリック見たよ
あの皮ジャン持ってんだよ笑
もうDVD出てますかね
洋画派?
どちらも見るね、実写のカムイ外伝も面白かった
見てないな、蝉しぐれはみた、知ってる?
で、その後
家族みんなで鹿児島の特攻隊の記念館に行ったんです。
主演は誰?
涙が止まりませんでした。
そうなるよね
車で高速走って福岡から愛知まで交代で運転して豊田の記念館に行きました。
でも、実際には死ぬじゃんってのが本音だけどね。
だから禅では死なないで無く死はないと表現されるのかな。
なるほどー
なかなかアクティブやね笑
二回目の朝の勤行をして参ります。
お付き合い頂きまして
ありがとうございましたー
相手が自然だと自我が立たない、それが相手が人だと何かしらの自我が立つ。
なんでかわかりますか?
自分が間違って無い事を再確認出来る。
自然が相手だと自我は立たない。
いや、立つと思います。
心地良いなーという自己の意識
むかつく~
という自我が立つ
立つかもしれないけど、人の時みたいに身構えるような自我は立たないって話です。
死んでるときは死んいる
生まれ変わったときは生まれ変わったとき
苦が生まれるのは生きているときに
自我が死んだときを妄想するから
ある意味今を理解するだけでも
死後や輪廻からほぼ解脱とも言える
と問われれば
対境の違いではないでしょうか。
鹿野園=醜い
綴ってて
物心ついてから人から無数の傷を受けて来たから、人に対してはなにかしらの自我が立つんです。
この傷を浄化させていくのも坐禅の目的でもあります。
なるほどー
それも一理ありますね
これに気づくのは結構大切です。
(倶舎論)
過去が切れると、同時に未来も切れます。
景色は「只」見て、綺麗だとか何とか感情を挟んではいけない。
動いている時は動くに任せて素直に動かされていれば良い。
自在に何んにでも「只」応じてさらさら流れている事が分かってくる。
それには「今」一点を守らねば、前後裁断している大事な線が手に入らない。
綺麗なとか表現しようとした時は、囚われているからだ。
一点を守らないからである。
今は動いている。
それを認めると何かが出ているから、囚われ付いていくことになる。
何を見ても聞いても、何もなしの空である時には、そのままさらさらと只々でいける。
ゾーンってやつやね
これも訓練の一つです。
禅僧も普段は綺麗なものは綺麗だなーって言ってます。
ただ、一度は徹し切らないといけないと言う事です。
我に返ったときビビり散らかすw
禅的な意味合いの場合はパフォーマンスは上がるが
瞑想的な意味合いでは現実フォーカスが
あやふやで危ないww
歩く時は歩くだけをします。
これも難しいんです。
歩いてる時に仕事の事を考えたらアウト。
つまり、念が出たらアウトなんです。
今の連打により
ミリ単位で動く筋肉になりきれば
念が出る余裕はなくなりますね
六識と六境(真如)との同一に特化なんだろうな
意見を交わすと、ほぼ同じ意見になる。
これは結構面白いね。
それがね、ろんと鹿野園みたいに毎日、朝から晩まで討論してた時期がありましたけど、あれどちらもわかってない同士で我を張り合うから永遠と続くんですね。
そうすると只管ならざるものなし。
そこまで行くには「今」を守り切らねばならない。
そうしないと迷いと悟り、煩悩と菩提の涯際を付ける事ができない。
生死の涯際が取れるまで凡情が尽し切れるまで努力しなければならない。
凡情に落ちるとは、物に落ちることである。
「全て道である」すなわち煩悩即菩提というのは、いたり得た後の話である。
それをごっちゃにしてはいけない。
そうしないと釈尊の六年間が無意味になる。
努力せずして道が成就するはずが無いでは無いか。
「単」「只管」「即今」「今」も大自然、つまり普遍の真理の異名である。
「解脱」とはクセが落ちて、本当の「真理」に目覚めること。
この自覚症状を「悟り」という。
何億年も「今」だけである。
本当に生きた「今」が大切であり本当の命である。
「今」を説くことはできない。
聞いて分かった今は「考えた今」であり迷いの今である。
世の中は今より他はない。
だかこの真理を本当に自覚しなければ「今」に生きている本当の喜びも安心もない。
仏道は本当の「今」に生きることである。
既にみんな「今」であるから、「今」を徹底注意して離さなければ必ず自覚する。
要は努力の有無である。
菩提心、菩提心。
俺の文章見て、ほぼ普段の言葉でわかりやすいでしょ。
分かりやすね
俺も全く仏教の専門用語知らなかったから体験をコンバートしてる最中だよ
法介さんの天台教学は非常に
俺に則しているからたすかる
なるべく普段の言葉を使ってもらえると助かります。
あいつ完全に壊れてるから、出鱈目言ってでも言い返してくるからね。
無視が一番です。
現実、法(物理法則など、現れ)との
同一の特化よな禅って
自我の瓦解をはかる
ただ見えてるだけ、ただ聞こえてるだけのものが法です。
お前隠してるだろ?
法ってもっと神秘的ななにかだろ?
って思うかもしれませんが、これが法です。
違う言い方をすれば今見えてるもの、今聞こえてるるものが法なんです。
なるほどね
そう、私たちはずっと法に囲まれてるんです。
法を探す必要なくです。
その法を空じるのが「法空」になります。
析空
体空
法空
非空
なんてのかな、水の中で水を無くせとか、空気の中で空気を無くせのような?
言わんとするところはわかりますけどね。
私がナイフになれば解決。
これが禅ですね。
これが空じるってことか、なるほどね。
本質はないと理解するのが体空です。(正しさとか善とか悪とかはない)
前も貼ったけど
原田雪渓老師
現在とかいまというのは、ものと自分との間にまったく距離のない状態です。
いまという状態があるわけではありません。
本当に人とものとの距離のない状態を「いま」と呼んでおります。
こちらは此縁性縁起になります。時間経緯の中で起こる縁起です。
これ、時空の事を言ってるのわかります?
時間は今だけになり、空間は繋がる。
解りますよ。真如の世界は時空を超えてますから。
わたしたちもオギャーと生まれた瞬間はこんな感覚だったと思うよ。
俺は法理をそんなに学んだ事ないけど、きっちり法理が身についてる事に少しびっくりするね。
習て来た教えが正しかったからでしょう。
クリシュナムルティは「わたしたちの脳」と表現してましたよ。
フィールド全員の意識が分かる
訓練でそうなるんでしょうね
自分無ければ相手丸ごと入るからね。
法介さん風に言うと自分クリアーだったら相手丸ごと入るからね。
犬の嗅覚とか。
師と対話するとき、これ大切なんです。
師を丸ごと入れないといけないからね。
<仏意の五重玄>諸仏の内証に五眼の体を具する
妙=仏眼:第九識は法界体性智
法=法眼:第八識は大円鏡智
蓮=慧眼:第七識は平等性智
華=天眼:第六識は妙観察智
経=肉眼:前の五識は成所作智
>>728
遅レスでスミマセンが釣られます
『リーダーズ』ですね
https://www.tbs.co.jp/tbs-ch/item/d2508/
当時の日本の技術では難しくクランクシャフトの長距離テストとか熱い男のドラマでしたね
先人の熱い魂に感動しました
では失礼しました
法眼とは妙法の次元で観るという事。
仏眼とは仏の智慧の次元で観るという事。
久しぶりですねー
企業が何たるかを訴える作品でした。
経済とは国民が豊かな生活が出来るように導く為にあるんだと。
それもあるけど、それなりの体験もして来たからね。
知識が乏しくレスしませんが何時も拝見し勉強させて頂いてます
>>846
ただ利益だけを求めるのではなく未来の為に夢を追い掛ける姿…自分も見習わなければと思いました
ああいう傑作があるのでドラマも馬鹿に出来ませんね
では…
単を示した行動でなければ、禅ではない。
禅は要するに、単、只、ひたすらにあればよい。
これが禅の極意である。
不純物の無い「今」が禅である。
これを「只管」という。
本当に単調に「今」行じていくには、自己を忘じた力がないとできない。
考えたのでは意識や感情が入っていて、不純物だらけで腐るから駄目である。
自己のないことが禅である。
生とか死は観念であり言葉である。
思いにとらわれると思えば良い。
多くは「只管」と言う言葉が、「只管」を邪魔している。
「只管」にならねばいけないとか、いう意識が働いている。
「只」あること、ただ「単」にある。
余念を入れないように常に自分を見守っていなければいけない。
「只」であらねば、禅が禅を教えてくれない。
禅の趣旨や意味が判っても意味がない。
「只管」にあれば、何をやっていても問題ではない。
おおかたは思慮分別が先にでる。
この癖を破ることが、要するに禅修行である。
これが坐禅する眼目である。
これをなん度も読み返します。
内容は同じでもこちらが変わって行きますので。
カムイさんは既に法空は会得されておられるご様子。
では最後の「非空」とは。
その仏の空観を空じる訳です。
そこなんですよ。
法と仏を同じと考えているうちは、非空の領域には入れないんです。
続けて
これが覚りの世界観(中観)です。
ではその「覚り」とは、
と言ったお話です。
仏を空じるとは仏になり切ると同じだね。
仏になり切ると仏は消えます。
これは、思想だとおもいますね。
禅をあらゆる思想を排除していきます。
この辺で失礼します。
カムイさん御心配なく、既にこの中で論破しておりますので。
相手などいたしませぬ^^
そう、わかりました。
俺は以前仏教スレは鹿野園がいるからダメだとキリスト教スレに逃げた事がある。
しばらくして鹿野園が来たよ。
変態すぎるやろ。
カマってほしそーだぞお〜〜
😄
ほーかいくんお館様〜〜
ムイムイ大将軍〜〜
おはよ〜〜〜
😄😄😄😄😄😄😄😄
おはよう、俺はもうあっちには書き込まないよ
しかし、「見性」しただけでは本当の融通がつかない。
「悟り」が邪魔をするからだ。
「見性」の力で「見性」を破らねばダメだ。
自分を抜きにして、その時のみであればよい。
何か自分が過去に学んだものとか、得たものとか、聞いているものとかが邪魔をする。
ただ今のみの世界である。
その場でちらっと出るものを問題にしないことだ。
たえず「単」であればよい。
私を挟まないで「単」であれ。
箸を上げて口に運ぶ時も、いつも「単」であれ。
いつもその場その場、「単」であれ。
どうあろうとも、その物と離れなくなる。
そうやり続けていると、「悟り」の牢屋から救われる。
自己の無いことは判っても「単」をしょっちゅう練って行くのは容易ではない。
自己も死もとれて本当に楽になっていく。
こちらのレスを
熱心に
パトロールして
お怒りの
ごよーす
😫
ゆゆしき法界 パート17
https://talk.jp/boards/psy/1699325310
こわーい
なんてね、俺の知った事ではない。
ほーかいくん、ムイムイ、
JBLの
3名を
熱心にパトロールしているよーだ
😄
ベルゼブブも
だな
😄
意外にパトロール熱心だよな〜
😫
https://i.pinimg.com/736x/64/d7/74/64d774052dc8e975249212cf83baa8c3.jpg
この人
「今」がどんなことであれ、「心」に留めてはならない。
それができないとモノにならない。
自分がどんな刺激を受けてもさらさらやっていかなければいけない。
本当にさらさらと、諸々の縁と対立無く人生する事は難しい。
身と心が隔たっている限り不可能である。
心は浮遊状態にあり、勝手に精神を展開するからだ。
この状態である限り、我々の掛け替えのない道具であるこの身体は.煩悩の根源であり苦しみの種である。
隔てが常に縁と対立して、心を惑乱させ葛藤するからだ。
①六識はこれ分別識。
②七識はこれ智障の波浪識。
③八識はこれ真常識。
④智識はこれ縁修。
ーーーーー
☆【縁修】 真如を縁ずる(対象とするの意)有心有作=作為的な修行を【縁修】という。
ーーーーー
【八識】はもしは顕るれば、【七識】はすなわち滅す。【八識】は真修と名づく。
任運(運にまかせ)に、体は融じて【常寂】なり。
而も、【摂大乗論】にいわく、
『【七識】はこれ【執〔見〕心】。
【八識】はこれ【無記】の【無没識】』と。
豈(あに-ドウシテ)これ真修というを得んや。
また、いま明かすところの【六識】は、すなわちこれ【不思議の解脱】なり。
豈(あに-ドウシテ)【六識・七識】が【滅し】て己(終る-オワ)りて、
【八識】の【真修】を【不思議の解脱】となすことあらんや。
ーーーーー
☆【真修】はことさらに修行しようという意志を起こさずに【無心無作】で行なう修行をい
ーーーーー
所以(ゆえん-ワケ)はいかん。◯◯経にいわく、
『いわゆる、かの【眼根】は、諸如来においては、常に具足して【滅修することなく】、了了(れうれう-明瞭)に分明(ぶんみょう-ハッキリ)に見る。
ないし【意根】も、またまた、かくのごとし(滅修することがない)』と。
法華経に明かす、父母所生の六根の、清浄は、自ずから湛然たるをもって十方界境を照らす。
豈(あに-ドウシテ)【六識】が【滅して】別に真の【縁修】あること、あらんや。
ゆえに経にいわく、
『佛は(ニトッテハ)【一切衆生】は畢竟(ヒッキョウ-最終に)して【寂滅】なり、
すなわち【大涅槃】も、また【滅すべからず】
【一切衆生】も、また【滅すべからざる】を知る』と。
すなわち、これ【六識】は【滅すべからず】。
またこの経にいわく、
『【解脱】とはすなわち【諸法】なりと。
豈(あに-ドウシテ)、すなわちこれ、【六識】と【十八界】の【一切法】ならざらんや。
もし爾(シカ)らば、豈(あに-ドウシテ)、
ただ【八識】に約して、【不思議の解脱】を、明かすを得んや。
これじゃ何が言いたいのかよー分からん。
それとも何か訴えてる?
↑この説明文は三種解脱の説明文じゃないよ。
これは、三種解脱の説明文の前に説明されている「共思議と不共思議」の説明箇所です。
この文章の前に↓この「共思議と不共思議」についての問いの文章があっての、
問うていわく。もしは不思議の佛性をもって、湛然たる無思、無念を顕すを、不共の不思議となさば、これ他人の、八識に湛然たる真修の体の顕れると、またなんの異なりあらんや。
その「答えていわく」の文章です。
この状態は24時間365日、約3年くらいは継続されて、その間に、様々な更なる覚り体験がひとりでに起こります、
決して意図しては起こりません、全て無為の中でのことです、
悟る前の修行では、心が意図して、意思と使って行をします、
実はこれが曲者で、意図している限りに於いて、自己の、いわゆる自我、それを使うので、
その自我は自転車操業状態にありますので、延々として消えることが無いことになります、
この状態では、『偽物の悟り』といわれる、『一時的な見性』体験が起こります、
それは一時的てあり、継続されません、すると、自我は、
再びそれを目指す訳ですから、延々と自転車操業状態になるわけです、
これを処断するには、他に従って、自我を無為におく必要があります、
ですから師匠(グル)の存在がいわれる訳です。
https://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?mode=detail&useid=1777_,38,0547b24&key=+%E4%B8%8D%E6%80%9D%E8%AD%B0%E8%A7%A3%E8%84%B1%E4%B9%9F%E3%80%82%E7%AC%AC%E4%B8%89%E9%87%8B%E4%B8%8D%E6%80%9D%E8%AD%B0%E8%A7%A3%E8%84%B1%E7%BE%A9%E8%80%85%E3%80%82%E4%B8%8A&ktn=&mode2=2
漢文をコトバンクで引いただけですよ、
だって、あに、とか書いてあっても分からないでしょ、
勘違いもなにも、法介さんが上げた文章ですよー
まだ一部ですから、漢文読み下しに慣れていなければ、正確に把握理解は不可能ですからね、
そういう事ね
なら、解った。
「思議の解脱」と「不可思議の解脱」の二種があると。
こんな漢文わかりませーーーん!
SAT大正新脩大藏經テキストデータベース
https://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT2018/master30.php
関連論文 「『維摩経玄疏』訳注(9)https://soka.repo.nii.ac.jp/record/40823/files/sokadaigakujinbunronsyu0_34_05.pdf
こっちの論文で詳しく読んで行きます。
これ便利やね。
うーん
共依、不共依に似た表現ですね、
共思議、不共思議、
セイウンさんが上げてたもの、
それは大変です!
疑問箇所というか、注目箇所は、六識の滅を不思議解脱とする点でしょうか。
「思議の解脱」と「不思議の解脱」の意味
思議=理解の範疇
不思議=理解の範疇を超えている
リダン、この文を訳してみ。
いやいや
もう脳が拒否してますわ
故に『涅槃経』に、「水の澄清するを待ちて、珠の相は自ら現ず」と云うは、即ち不思議の仏性の理顕わる。不思議の仏性顕わるるは、即ち是れ不思議解脱なり。
仮一切仮・空一切空・中一切中の円融三諦ね。
方便の解脱=仮一切仮
実慧の解脱=空一切空
真性の解脱=中一切中
なるほどなるほど
瞬間に忽念として生じ、而もその連続こそが煩悩の根源である。
これが隔たりによって起こる事を先ず知ることだ。
従って、今、忽念と生ずる心の元を解決する解決策は、隔てを取ることにある。
如何にして取るか?
問題の焦点は「今・瞬間」に有る。
「今」に二つはない。
「今」その物になればよい。
「今」でない物はない。
従って、「今」だけ。
素直に「今」在ること。
「今」余念無く一心不乱にすること。
要するに我を忘れて成り切ることだ。
本当に徹すれば、自ずから隔たりが取れて、心身一如の当体となる。
否、元よりこの心身本来なり。
これを仏という。
菩提心が無ければ皆ダメだ。
よめてきませーーーん!
まったく?
リダンさん、ホントに解ってるの?
俺は文章解釈がさっぱりです。
円融よ円融
ようは今の肉体、自我に解脱三種を体現するんや
いかに自我にコンバートしなおすかや
その境地をいかに日常に持ってくるかと
一緒
おいていかれとるぞー
迷走しとる場合じゃないどー
>共依、不共依に似た表現ですね、
「思議の解脱」と「不思議の解脱」の意味
思議=理解の範疇
不思議=理解の範疇を超えている
ーーー
共思議と共不思議で躓いているのに、
【共思議】だから、思議(識)が複数で働いている状態では?
【不共思議】は一つないしは2つの思議(識)のみが働いている状態なのか?
って解釈?
先に行ってくださいm(_ _)m
自分は文章の完全な読み方を後追いでやって行きますから。
違う、違う。
共思議の「共」は複数の解脱(色界禅定・無色界禅定・滅尽定)の意味。
身体の生命活動の微細な機微
宇宙の果から太陽圏までの完璧な運用
胃の中の何兆億の菌の調和
縁起による完璧な地球のサイクル
などの真如の現れ
とかのことでしょ
夢を全く、見ないし、眠りの中でも暗闇で意識があるって知ってますか?
昔の時代劇で、素浪人の用心棒が、眠っていても、微かな気に、即眼を醒ます、みたいなw
そうでもあるし、それだけじゃーない。
それ最近
普通に起きてるみたいに
思考しながら寝てるけど映像なし
思考を妄想念と呼ぶなら違うが
非常に純粋な真如の現れ、縁起を
ずっと考えてる
正直気持ち悪いから普通に寝たい
>>948
違う、違う。
共思議の「共」は複数の解脱(色界禅定・無色界禅定・滅尽定)の意味。
ーーー
複数は合ってる、
【思議】が【解脱】なの?何で?
唯-識三十頌の30番目に、解脱された状態とは【唯-識】であると、あります。
故に、識とは汚染が洗浄だれて純粋な識になっている状態のことと、理解しているんですがね。
映像でも、夢を見ている状態はが妄想分別で起動されている状態なので、
それを意識的でも無意識的でも、止めば、唯-識の状態で汚染から解脱されたってことですね。
六識が動いていたら、ぐっすり感が無いよね、分かるわ。
No.(65)
七に共・不共の不思議に約して、二種の解脱の相を分別するを明かす
法華経に示された万人成仏の原理。地獄界から仏界までの十界の各界の衆生の生命には、次に現れる十界が因としてそなわっていること。この十界互具によって九界と仏界の断絶がなくなり、あらゆる衆生が直ちに仏界を開くことが可能であることが示された。この十界互具を根幹として、天台大師智顗は一念三千の法門を確立した。
十界互具は『法華経』に至って初めて明かされる法門ですが、法華経のどこにどのように説かれているでしょう。
アキラァ~
答えられるかー
知らないです
衆生本来仏なりと同じかな
読み方やくする
中国語訳总结,概括,归纳
中国語品詞動詞
対訳の関係部分同義関係
約するの概念の説明
日本語での説明要約する[ヨウヤク・スル]
要点をとって簡単にまとめる
● せき・す【▽釈す】
読み方:せきす
[動サ変]説明する。解釈する。
水を離れて氷なく 衆生の外に仏なし
衆生近きを不知(しらず)して 遠く求むるはかなさよ
譬(たとへ)ば水の中に居て 渇を叫ぶがごとくなり
長者の家の子となりて 貧里に迷うに異ならず
六趣輪廻の因縁は 己が愚痴の闇路なり
闇路にやみぢを踏そへて いつか生死をはなるべき
夫れ摩訶衍の禅定は 称歎するに余りあり
布施や持戒の諸波羅蜜 念仏懺悔修行等
其品多き諸善行 皆この中に帰するなり
一座の功をなす人も 積し無量の罪ほろぶ
悪趣いづくにありぬべき 浄土即ち遠からず
辱(かたじけな)くも此の法(のり)を 一たび耳にふるゝ時
さんたん随喜する人は 福を得る事限りなし
いはんや自ら回向して 直に自性を証すれば
自性即ち無性にて すでに戯論(げろん)を離れたり
因果一如の門ひらけ 無二無三の道直し
無相の相を相として 行くも帰るも余所ならず
無念の念を念として 謡うも舞ふも法の声
三昧無碍の空ひろく 四智円明の月さえん
此時何をか求むべき 寂滅現前するゆゑに
当所(とうじょ)即ち蓮華国 此身即ち仏なり
地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天
凡夫はこの六道を輪廻します。
その六道輪廻から解脱して
声聞・縁覚・菩薩・仏といった四聖の境地に入っていきます。
これが十界です。(6+4)
そして十如是という真如の法を因として縁起を起こします。
この真如の法が「南無妙法蓮華経」という妙法な訳です。
これで1000界となります。
十如是×十界×十界=1000界
これを読んでその通りと納得出来たらたいしたものです。
そして今回紹介しております三種の解脱によって
方便の解脱=衆生世間
実慧の解脱=五陰世間
真性の解脱=国土世間
三つの世界観が生じます。これによって
十如是×十界×十界×3世間=3000世界
となって「一念三千の法門」となります。
その人界において十の生命の状態が縁によって流動的に顕われ出でる訳です。
宝くじに当選すれば人界の中の天界が顕われ、最愛の妻に先立たれれば地獄の生命が顕われます。
そして仏に縁すれば人界の衆生の心に仏の生命が顕れます。
その縁が曼荼羅本尊です。
その了因が法華経です。
20~24歳くらいまで、准胝観音と眷属のニ大龍王を信仰していました、
この龍王こそが、准胝尊のご眷属、難陀龍王と跋難陀龍王という龍王(兄弟)です。
そして、法華経の虚空会で説法を聴いていた、八大龍王のなかのお二人が難陀龍王と跋難陀龍王様だったんですねー
今日初めて知りました、龍王様には読経で感応したり、天候を操ってくれたり、幾つかの恩恵を頂いたことがあったりしました、
最近また准胝尊は毎日拝んでいますが、多分難陀龍王と跋難陀龍王様のご縁でしょうね、法華経を講じる法介さんとのご縁も、たぶん、
ーーー
https://ryona.hatenadiary.jp/entry/2020/07/19/231826
●「舎衛城の神変」では難陀龍王と跋難陀龍王が活躍します。
その神変を素直にモチーフとした釈迦像が存在して、それはチュンダー女神(准胝観音
)のお像そっくりに蓮華の下で二大龍王が左右に配置されているようです。
しかもこの時の釈迦は転法輪印を結んでいる。ここポイントですよね。
するとその釈迦の姿に、残りの十六臂を左右対称に配置すると確かにシュンダー女神そのものになる。
この時代、この「舎衛城の神変」のモチーフを取り入れた像が多く作られたそうなので、この釈迦の神変のエピソードをチュンダーが取り入れたという話は説得力があるようです。
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YouTubeコヤッキースタジオ
台湾の法華寺からのもの、虚空会と八大龍王を言っていました。
https://www.youtube.com/watch?v=HGBFkpsuoIo&t=321s
リンク先、あとでじっくり目を通しておきます。
これも不思議な体験だろー
唱えると、
摩訶不思議な出来事が現実の世界の中で起こります。
と思うような不思議な出来事が身の回りに起こります。
前に言っていたね
俺はそう言ったことはないが
体外離脱促進で宇宙の振動と同じ石持ってたら世の理が他人を損ねてまで俺に利するようになったから
石投げ捨てた
罰当たりなことしたかも
リダンさんはもったいないことをー仕舞っておけば良かったのに、俺が欲しい!
一瞬一瞬を大切にして「只」やる。
どんな事も「只」やる。
呼吸の一瞬一瞬のみ。
呼吸の一瞬が続けられれば、自然にすべてに一瞬一瞬のみにできる。
その物と離れないでやれるようになる。
こうなれば大したものである。
ここまで来ねばいけない。
常住不変に一瞬一瞬でなければいけない。
それには涯際が付くまで常住不変に練らねばいけない。
自ずから成るようになるまで練らなければ、本当の安楽も無いし、生死の不安からも救われない。
願心はあっても、やらなければ駄目である。
相手や環境である境に用はない。
とにかく願心である。
自分の好きな事に時を過ごしてはいけない。
その場その場のみであること。
自分の考えなど入れず、その時のみに成って一心にすこと。
初めはどうかしようとするが、それが要らない。
その場その場のみに任せておく。
その事のみに「心」を置いてする。
常に、そう努力していると、自然に「隔て」が取れていく。
「只」やれる。
何事も淡々とできる。
「只」が純熟してくるから自然と全てと一つに成る。
本当に熟して徹する。
そうしないと大自覚が無い。
これが「悟り」の大事であり証明である。
ここで本当に納得する。
だから悟りを目指して「今」「只」やる。
無目的の坐禅は知らん間に妄想坐禅となり、ぽかんとした腑抜け禅になるから注意せよ。
どうしても本当の菩提心が無ければ邪禅になり、多少の落ち着きが有っても、損得など邪念は一向に取れない。
無明の根本を解決しなければ坐禅修行する意味が無い。
菩提心、菩提心。
これをみて法介さんが禅に興味もつといいんだが
ある意味勤行でやってるようなもんかな
そう言った意味では
法介さんは仏からの使いみたいな感じになるな
三因仏性を用いましたら、そのようなことを考える必要は全くないので、正直なところ関心が沸きません。
難しそうに聞こえるこの語も、砕けば「今」「只」のこと。
みんなの[本当の心]のこと。
これを自ら證するだけである。
「隔て」がとれると常住不変がわかる。
死んで生きてが無くなり、一杯一杯である。
「今」の正体を知ればよい。
もともと「今」だから「今」はいらなくなる。
これは徹底「今」に成り切って、「今」を忘れなければ体得出来ないし、分からない言葉である。
「今」に徹すると、一瞬に今までの妄想が骨身に徹して感じる。
つまり妄想そのままが自分となり、妄想とすべきものが無くなる。
これを全身の毛穴からも呼吸をしていると云う。
丸ごてと云う意味である。
体と思う念が無くなる。
体の念が有れば体にくくられる。
体の念が無ければ自ら気にならなくなる。
「応無所住而生其心」も、[心]の様子の事。
「今」「只」のこと。
これが浄穢不ニ、自他不ニとなって本当に安心する。
「隔て」が無くなり心身一如になれば何でもない事よ。
これは良いとか悪いとか、すぐ自我を立てるから「隔て」となる。
事はここから起こる。
[心]の衝突である。
これは一つのものを立てて認めるから、二つに見たり、三つに思ったり、念が無限に広がって迷う。
これが無明よ。
比べる物がないのに、自己を立てて比べるからである。
本当に「只」を常に練っていれば良い。
そう努力していると自然に相手が気にならなくなる。
いやでも「隔て」がとれて一つに成る。
これを入我我入という。
世の中に処しながら、相手と一つに成って自在に変わっていくのを異類中行と云う。
私が無いと、天下は自分の姿に他ならない。
この境界が不動心である。
不動心は正法以外にない。
「今」「只」が正法である。
正法は「世界壊せども、この性は壊せず」とお経にある。
同時に二つのことは、考えれない。
一点のみ集中して、正体のいかなるものかを自覚するのである。
一つ事に集中し切らなければ「隔て」はとれない。
菩提心の一点張りだ。
まあある意味アクティビティみたいな楽しみ方もあるってことです
感度が上がるっていうか
キャンプ好きならなおさらです
我れなければ、即菩提。
それを大清淨とも云う。
汚がさるるものがなければ、浄くするものもない。
「今」は生死を論ずる間はない。
本当に「今」が手に入ったら自ずから生死が気に掛からない。
生死透脱というのも、砕いて言えば「今」「只」のことである。
途中は仕方がない。
それが目標だから。
本当に「只」になればよい。
只管も只も有ってはならない。
菩提心のもとに常に「単」を練ることである。
坐禅をする人は、自分の癖を取る事を主体にして、即今底を実践すれば良い。
「只」は努力の結果である。
ここまで来ると本当に大平和である。
生死はただ「単」である。
生のまま、死のままである。
「今」の様子に過ぎない。
この真理を悟るのが坐禅修行の本当の目的である。
しかしそれだけでは何かが引っかかる。
はっきりしていても、引っかかるものがある。
まだ本当に取り尽くされていないからだ。
おおかたの悟ったというところはこの当たりだ。
悟後の修行の大事な所である。
決して油断してはならない。
自己のないところの確証をにぎってしまうと、大抵はそれをひっ下げてしまう。
本当に大悟したものは少ない。
簡単に言えば菩提心が弱いからだ。
それを捨てて単を練ることが足りないからだ。
境涯を得ても、そこが陶治されないといけない。
境涯を持っていては駄目である。
うたた悟れば、うたた捨てよ。
この大法を得ることは容易ではない。
菩提心の鈍い者は到底仏祖の誹りを免れぬ。
努力しかない。
菩提心が仏祖の命、仏法の血肉である。
菩提心、菩提心。
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