ゆゆしき法界 パート32アーカイブ最終更新 2024/02/21 11:041.◆JBLfMwCXhY12Zw2【ゆゆしき法界とは】Talk 掲示板における一つの独立した空間で、争い事は決して好まず、他者に対する誹謗・中傷はナンセンス。しかし愛嬌はドンと来い。ユーモアはぶちかませ。エロい話はお好み次第。「人生楽しまなきゃ損だろう!」をモットーに互いの人間性を尊重しながらもじゃれ合い程度にはツツキ合い、もみもみしながら互いのゆゆしさを温かく且つ、深く理解し合いながら相互に人間性を高め合っていく。そんな素敵な関係のゆゆしき法界です。前スレゆゆしき法界 パート31https://talk.jp/boards/psy/17037969022024/02/18 07:49:111000すべて|最新の50件2.◆JBLfMwCXhY12Zw2スレ主不在の場合は、JBL、サティー、リダン、閃の四方にスレ主権限を託します。スレの円満な進行の妨げになるような事態が生じた際は、各々がスレ主権限をもって対処にあたって下さいますようスレ主より深くお願い申し上げます。下記の者は迷惑行為をやめないため、立ち入り禁止とします↓栖雲居士◆dqam8SqGUPdm2024/02/18 07:49:273.◆JBLfMwCXhY12Zw2スレ主のブログはこちら↓法介の『ゆゆしき世界』https://zawazawa.jp/yuyusiki/仏道の『阿頼耶識システム』https://zawazawa.jp/bison/『法華玄義』と天台教学https://zawazawa.jp/gengi/2024/02/18 07:49:464.◆JBLfMwCXhY12Zw2『法介伝』~世の中の間違いを正す!編~人間はあらゆる物事を概念化してゆきそれを記憶に留めていく生き物です。その人間の「概念」に対し仏教では物事の「真理」を説きます。「人間の概念」は所詮人間が造り出すものであり、それが果たして信ずるに値する「真理」たり得るかと言えば、そうではない事が多々あります。その時はそれが「正しい」と思っていても振り返ってみると「間違い」だったという事は良くある事です。例えば昨今の教科書から坂本竜馬が外されましたが、時代の時々によって人物の評価は変わっていきます。世の中は流動的に常に変化しておりますので、その世界にあって変わらずにあり続ける「正しさ」というものは、実はあり得ないんです。なのに人々は「全体的な正しさが有る!」と思い込むんです。この全体的な正しさが「有る!」と主張する行為は、物事を「有る無し」で見ている外道の見解にあたります。外道と言いますと「私は外道なんかじゃありません!」と激しく抗議されそうなので言い方を変えます。物事を「有る無し」で判断する行為を客観認識法と言います。今の世の中、どれだけ人々が「全体的な正しさが有る!」と思い込んで生きているかというお話をわたしの大変愉快な体験談を通して紹介して参ります。2024/02/18 07:50:135.◆JBLfMwCXhY12Zw2ブキペディアブキペディアは皆で編集できるtalk掲示板、宗教板の仏教大辞典です。コテハン語録集としてもご活用ください。それ以外にもエロんな形でご活用ください。但し、醜い内容もしくはユーモアのセンスが無い内容は管理サイドの判断で一方的に削除されます。https://zawazawa.jp/Bukipedia/2024/02/18 07:51:226.◆JBLfMwCXhY12Zw2法界/ほうかい「ほっかい」とも読む。四法界とは、現象世界に対する四つのものの見方である。事法界(じほっかい)我々凡人の普通の物の見方である。理法界(りほっかい)すべての物に実体はなく、空であるという見方。理事無礙法界(りじむげほっかい)実体がなく空であるという理と具体的なものごとが妨げあわずに共存しているという見方。事事無礙法界(じじむげほっかい)一切の物が空であるという理が姿を消し、一切の物事が妨げあわずに共存するという見方。空の世界に行きっぱなしではなく、空の世界に行ってから現象世界に戻ってくる禅の十牛図で、最後に町中に帰ってくるのと同じ2024/02/18 07:51:537.◆JBLfMwCXhY12Zw2テンプレはここまで2024/02/18 07:52:138.鹿野園#Buddhist-Rinzai4BswYプププwww ( ´_ゝ`)2024/02/18 10:06:309.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmkySEO『唯識三十頌』では次のは第二能変なり是の識を末那と名づく彼に依りて転じて彼を縁ず思量するを性とも相とも為す四の煩悩と常に倶なり謂わく我癡と我見と并びに我慢と我愛となり及び余と触等と倶なりと説かれてるのです。で、末那識が仏の意識?wwwwwwwwwwwwwwwwwwつまり、仏の意識とは「我癡と我見と我慢と我愛」なんだ😂2024/02/18 22:24:3610.◆JBLfMwCXhYTgM1D前スレ完走アゲ~😄2024/02/19 05:48:2811.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbJB、おはよー2024/02/19 05:56:3612.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb79.ユーザー法介◆T3azX0Hk1U4TSqv(70/70)俺が寝た頃に馬は来るだろう。2024/02/18 23:46:2781.ユーザーパeJC0z(1/2)>>79よくわかってるじゃん!何かよー(^o^)おー?2024/02/19 00:23:4982.ユーザーパeJC0z(2/2)法すけくんは面倒な人ワシは簡単にすませたいのだ‼️2024/02/19 00:25:192024/02/19 05:57:1413.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb馬は、私が寝たのを見計らって書き込みして来た2024/02/19 05:58:2014.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb面と向かって私と話出来ないのか馬の奴は2024/02/19 05:59:1115.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb>何かよー(^o^)おー?用があるから呼んでいるんだ2024/02/19 06:00:1716.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbおまえ5chでこんな事書いてたよな2024/02/19 06:01:0317.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb747 メーテル 2024/02/16(金) 18:05:02.69 ID:7r2PQNod>>743その阿頼耶識からムクムクと表面意識へ浮かび上がっては消えまた浮かんでは消えする妄想分別と、パさんはどのようにして付き合っているのでしょうか?750 パ 2024/02/16(金) 20:35:11.29 ID:9KbIR9dl>>747その現れのパターンは幾つかあると思います① 現行している行動と関係無く、昨日見た動画や音楽が思い出されてくる② 現行している行動と諸問題と関係したことの想いが浮かび上がってくる③ 現行している五感に関連した想い④ 現行する感情に関連した想い⑤ 現行す欲望(知識欲、物欲、食欲、睡眠欲、性欲など)に関連した想いーーーこの様に、自動的妄想分別はその場その場で様々あります①などは、相手にせず、見ることも掴むこともしなければ、独りでに自然に消えていきます②の場合は、その問題に意識を向けると、脳は自動的に答を出すべく思考しますので、それを見ている、という感じで満足する答が出たなら、その自動思考は自動的に停止します③の場合は、現行する行動に即して起こって来て、即して消えて行くので、ただ流す感じです④この感情に絡んで起こる自動思考は少し厄介です自我=我執着(マナ識)から沸き起こるものは、意識と一体になって起こるのでこの感情的想いと距離を取りつつ眺めるように意識が観照することができるならしますし、巻き込まれたら煩悩に繋がり、怒りや欲望への思いへ変化して行きます⑤の浮かんでくる想いも厄介です、この場合は、身体的欲望が尤も手こずる知識欲、物欲は、割合容易く意識は距離を取って流せますが食欲、性欲、睡眠欲に関しては、この身体が即 “ 私 ” である!という同一化の状態しか知らない場合は、客観的に見ることは困難だと思いますし、即して欲望を充たすように行動してしまうと思います何らか瞑想等で、この身体と意識の私は違うのだ同一ではないのだ!と分かっている場合はその欲望から連想して沸き起こる強い想いと距離を持て、その時に欲望を充たせる状態に無いとか、その欲望を断じているなら完全に無視して消えるままに見ているようにします2024/02/16 20:36:532024/02/19 06:02:0018.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb751 メーテル 2024/02/16(金) 21:00:56.22 ID:7r2PQNod>>750丁寧な回答ありがとうございます。④現行する感情⑤現行する欲望に関連した想い既に自我=我執着(マナ識)が出来上がっていて、そこから照射される想いといったものが前提となっている話のように思えるのですが、そういった理解でよろしいでしょうか?752 パ 2024/02/16(金) 21:12:29.58 ID:9KbIR9dl>>751そういった欲望は、現行する行動に伴い外部からのまた内部からの印象によって生起されますそのやって来た印象と生起された欲望の萌芽に触発されて、瞬時にムクムクと幾つもの想いが頭を駆け巡ります自我というものが、思考する意識だけとせず、肉体の各部位にもあるとしたのはグルジェフですがだとしたら、欲望に絡んだ想いは、肉体の欲望の発生する各部が、脳を使うという構図が見えて来るのです754 パ 2024/02/16(金) 21:18:49.43 ID:9KbIR9dlそのシステム全体の名称であると思います2024/02/16 21:19:462024/02/19 06:02:1619.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbTalkの鹿野園供養スレにもわざわざ貼り付けてもいたよな2024/02/19 06:03:2920.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbこの件でお前に聞きたい2024/02/19 06:03:5421.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbおまえは小乗仏教実践者なのか?2024/02/19 06:04:3322.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbお前が書いているこの内容は小乗仏教における瞑想法いわゆる「寂滅の理論」だ2024/02/19 06:05:4823.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb煩悩を如何にして寂滅させるかという小乗特有の「煩悩の寂滅」だ2024/02/19 06:07:1324.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb小乗のこの瞑想法では仏の覚りは得る事は無い2024/02/19 06:08:0825.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbちなみに聞くがお前が書いている内容のどこが仏の覚りにあたるんだ?2024/02/19 06:08:5026.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbどれが成所作智でどれが妙観察智でどれが平等性智でどれが大円鏡智にあたるのか説明して頂きたい。2024/02/19 06:10:5627.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbどうせ説明出来ないだろ。説明出来る訳がない。2024/02/19 06:28:1428.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbなぜなら小乗のそれは寂滅の理論だからだ。2024/02/19 06:28:5929.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb寂滅の理論だから決して智慧が顕われることはない2024/02/19 06:29:5630.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbだから「灰身滅智」と言われ煩悩即菩提を説く大乗から批判されたんです。2024/02/19 06:31:2931.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb小乗で説く瞑想(九次第定)では覚りに至ることはない2024/02/19 06:33:5432.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb天台智顗が『法華文句』でこんな事を言っている。「生滅無常の相無きが故に無相と云うなり二乗の有余・無余の二つの涅槃の相を離るが故に不相と云うなり」2024/02/19 06:35:4033.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbここで言う二乗とは声聞衆と縁覚衆で、九次第定の瞑想法しかしらない仏道修行者の事をいっております。2024/02/19 06:37:3134.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb小乗仏教では有余と無余の二つの涅槃が説かれております。2024/02/19 06:38:1735.◆JBLfMwCXhYTgM1D説法が絶好調ですな~😄2024/02/19 06:39:2036.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb有余涅槃と無余涅槃については以下を参照ください。http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E7%84%A1%E4%BD%99%E6%B6%85%E6%A7%83%E3%83%BB%E6%9C%89%E4%BD%99%E6%B6%85%E6%A7%832024/02/19 06:42:0337.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb無余涅槃は、すべての煩悩を滅し尽し、肉体も滅して心身の束縛を完全に離れたさとりの状態。これに対し、すべての煩悩を滅していても、未だ生存の根源である肉体が残っていて、五官によって快不快などを感じる状態を有余涅槃という。2024/02/19 06:43:5538.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbまた涅槃に達した解脱者の死後のあり方に対する関心から、まず無余涅槃が説かれ(『長阿含経』二、正蔵一・一六上)、後に生前の涅槃を表す用語として有余涅槃が説かれ、二種の涅槃説が成立したと考えられる(『増一阿含』七、正蔵二・五七九上)。2024/02/19 06:44:2539.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb『婆沙論』三二(正蔵二七・一六七中~八下)では、この二種の涅槃に種々の見解があることを示しつつ、結論として寿命があるか否かが両者の区別であるとするが、無余涅槃が最高の目標とされた。2024/02/19 06:45:2340.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbこれに対し大乗仏教では「菩薩は無余涅槃に住してはならない(趣意)」(『小品般若経』一、正蔵八・五四〇中)とされたり、「方便で涅槃を現じたが、常に住して説法する(趣意)」(『法華経』五、正蔵九・四三中)とされ、やがて無住処涅槃むじゅうしょねはん(生死にも涅槃にも住しない涅槃)が主張された(真諦訳『摂大乗論釈』一三、正蔵三一・二四七上中)。2024/02/19 06:46:0341.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb無余涅槃は灰身滅智けしんめっち(身体を灰にし、心を滅すること)とも呼ばれ、死によってすべてが無に帰するという消極的な見解と考えられるようになった。2024/02/19 06:46:1942.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbこの有余と無余の二つの涅槃の相を離れたところに仏の覚りは顕われると天台智顗は言っている訳です。2024/02/19 06:48:4843.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbなので馬が書いている内容はこの二乗の涅槃(寂滅の理論)なので仏の覚りを得ることはありません。2024/02/19 06:50:1644.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb鹿野園が末那識について突っ込みを入れてきておりますが、それも含めて少々お話をさせて頂きます。2024/02/19 06:51:5045.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb唯識三十頌の第七頌に唯識三十頌https://yuishiki30.blogspot.com/2013/02/blog-post_7.html(7)有覆無記に摂めらる 所生に随って繋せらる阿羅漢と滅定と 出世道とには有ること無しとありまして、これは第七末那識について説明されている項目です。2024/02/19 06:52:1946.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb阿羅漢と滅定と出世道には末那識は無いと世親が申しております。2024/02/19 06:52:5347.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbここで言う「阿羅漢」についてですが、小乗仏教では「仏」について詳しく解き明かされておらず、その時代において修行者が目指したのは「仏の境地」ではなく、全ての煩悩を寂滅させた阿羅漢という境地でした。2024/02/19 06:53:2048.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbこの阿羅漢にあっては末那識は九次第定の識無辺で寂滅されます。なので阿羅漢には末那識は寂滅して存在しません。2024/02/19 06:54:5449.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb次の滅定は「滅尽定」のことでして、無所有処に入った修行者が無余涅槃として無色界の第四有頂天へ生まれ出ます。2024/02/19 06:55:3150.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbなので滅尽定の境地に入った者にも末那識は寂滅しており存在し得ません。2024/02/19 06:55:5051.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb出最後の「出世道」ですが、ここの解釈がこの『唯識三十頌』の中で最も解釈が難しいところなのです。2024/02/19 06:57:5252.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb随分前にもこれについて説明しましたが、まだ解っておられないようですので、前回よりも更に詳しく解説致します。2024/02/19 06:59:0153.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb「二乗作仏」という仏教用語をご存知でしょうか。2024/02/19 06:59:3854.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb声聞と縁覚の二乗は仏の境涯には入れないという意味の言葉です。2024/02/19 07:01:0355.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbこの「二乗作仏」は、平安時代初頭に「天台宗」の最澄と「法相宗」の徳一の間で五年間にわたって繰り広げられた、二人の論争の中でも取り上げられております。仏教史上まれにみる規模の教理的問題における討議で「三一権実論争」「三乗一乗権実諍論」「法華権実論争」などと言われたりしております。2024/02/19 07:04:4756.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbじつは『唯識三十頌』の第七頌に示されている「出世道」もこの「二乗作仏」が深く関係しております。2024/02/19 07:05:0757.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb自分のさとりだけを求める小乗の心をひるがえして大乗に向かうことを「廻心向大」と言うのですが、天台宗や華厳宗では一切皆成の立場からすべての二乗が廻心して成仏することを主張します。2024/02/19 07:05:5258.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb一方、法相宗では「五姓各別」の立場から二乗に決定性と不定性の二種があり、決定性の二乗は廻心向大することがなく、不定性の二乗は無余涅槃に入る直前に廻心して大乗の菩薩になるとします。2024/02/19 07:06:1659.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbこの論争のポイントとなるのは「三一権実諍論」とも言われるように三乗の教えと一乗の教え、どっちが権教(仮の教え)でどっちが実教(真実の教え)かといった事なのですが、『法華経』では開三顕一が説かれており、声聞・縁覚・菩薩といった三乗の境涯に対して説かれた蔵教・通教・別教の三種の教えは最終的に一仏乗である『法華経』へ集約されます。ですからその一仏乗の『法華経』を実践すれば声聞であれ縁覚であれ菩薩であれ皆、「薬草喩品第五」の「三草二木」の喩えどおりに平等に等しく仏の智慧を授かって成仏の覚りを得ていきます。2024/02/19 07:07:0260.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb天台宗の最澄はこの『法華経』に基づいて「一乗真実三乗方便」を主張しますが、法相宗の徳一は、五性各別(ごしょうかくべつ)の説に基づいて、三乗の教えこそが真実の教えであり『法華経』は方便として説かれた教えであるとする「三乗真実一乗方便」を主張し両者は三乗・一乗のいずれが真かをめぐって真っ向から対立し激しく衝突しました。2024/02/19 07:07:3861.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb法相宗で説く「五性各別」とは、修道論の観点から声聞種姓・独覚種姓・菩薩種姓・不定種姓・無性有情の五つに分類し、声聞種姓・独覚種姓は、小乗の修行によりそれぞれ阿羅漢果・独覚果を得るのですが、無余涅槃なので灰身滅智して成仏には至らないと考えます。2024/02/19 07:08:2862.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbこれを「定性二乗」と言うのですが、実はこれこそが『唯識三十頌』の第七頌、「阿羅漢と滅定と 出世道とには有ること無し」で言う「出世道」にあたります。2024/02/19 07:08:4263.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb「五性各別」の中の菩薩種姓は、大乗の修行により大菩提を得て大涅槃を証して成仏する者なのですがこれは有余涅槃となります。2024/02/19 07:09:1964.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb不定種姓は、小乗の修行から大乗の修行に転向(廻心向大)して成仏する者。2024/02/19 07:09:5165.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb無性有情は、修行により人天の果を得ることもあるが成仏はできない者です。2024/02/19 07:10:1166.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb声聞種姓・独覚種姓・菩薩種姓にはそれぞれの証果をもたらす無漏種子があり、不定種姓には声聞・独覚・菩薩のいずれかの無漏種子があるが、無性有情には無漏種子がないとされます。2024/02/19 07:10:4367.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbこれによれば、成仏できるのは大乗も菩薩の無漏種子を持つ菩薩種姓と不定種姓のみであり、定性二乗と無性有情は成仏できないということになります。2024/02/19 07:11:0468.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb徳一の考えは『法華経』は、この定性二乗と無性有情のような無漏種子がない者であっても成仏できると励まして仏果へと導くための方便として説かれた教えであるといったものでした。2024/02/19 07:11:3069.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb法相宗のこの「五性各別」で問題視しているのは、無漏の種子があるか無いかという事です。2024/02/19 07:12:2670.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb「無漏の種子」とは覚りの元となる種の事です。2024/02/19 07:15:1371.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb声聞種姓・独覚種姓・菩薩種姓にはそれぞれの証果をもたらす無漏種子がある訳ですが、これがいわゆる三智になります。2024/02/19 07:18:2672.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb仏の一切智を開く三乗の智慧の事です。声聞の智慧縁覚の智慧菩薩の智慧2024/02/19 07:19:1173.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbこの三つの智慧は阿頼耶識に収まっております。2024/02/19 07:19:5074.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbなで阿頼耶識に収まっているのかそれは『法華経』で詳しく解き明かされております。2024/02/19 07:20:4475.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbそれについて説明しだすと話が長くなりますので今回は割愛させて頂きます。2024/02/19 07:22:4676.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb法華経が「開三顕一」によって説かれていると言う事はご存知な方も多いかと思います。一乗の仏の教えを声聞・縁覚・菩薩の三乗の教えとして個別に開いて教えたという意味です。2024/02/19 07:25:3677.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb蔵教で声聞の智慧が説かれ通教で縁覚の智慧が説かれ別教で菩薩の智慧がそれぞれに説かれます。2024/02/19 07:26:4278.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbその三つの智慧が声聞種姓・独覚種姓・菩薩種姓のそれぞれの無漏種子です。2024/02/19 07:27:4579.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb唯識ではこれら無漏の種子は阿頼耶識に収まっていると説きます。2024/02/19 07:28:2980.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb阿頼耶識は行いの記憶が蓄えられていく貯蔵庫で、ここでは「意識」は働きません。善や悪、綺麗や汚い、長いや短いといった思考が働かないので、全ての行いがそのまま記録として蓄えられていきます。2024/02/19 07:31:1181.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbそれらが全て「業」として蓄えられていきます。2024/02/19 07:31:4482.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbその阿頼耶識の無漏の種子がどうやって他の七識に反映されるのか。2024/02/19 07:33:0483.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb阿頼耶識と密接に関係しているのが末那識です。2024/02/19 07:33:3284.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb声聞や縁覚が修した九次第定ではこの末那識は寂滅してありません。2024/02/19 07:34:2985.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbなのでこの二乗が成仏する(仏の覚りを得る)ことはないんです。2024/02/19 07:35:1886.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb唯識三十頌の第七頌の「阿羅漢と滅定と出世道には末那識は無い」の出世道はこの二乗の出世した修行者の仏道を意味しております。2024/02/19 07:37:0087.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb馬ちゃんが説明しております内容は、その二乗における修行法なのですがそこに覚りはあるんかいhttps://youtu.be/Maus6Zi1Ra42024/02/19 07:39:2588.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbおまえ解ってないやろう2024/02/19 07:39:5889.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbおーいJBお前がいつもいってるロンさんって5chのどのスレに居るんだ?2024/02/19 07:59:3990.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbどんな人物なのか興味あっから見てみたい2024/02/19 08:00:0791.◆JBLfMwCXhYen39C>>89探したけど見つからなかった2024/02/19 08:07:0092.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbロンってシャロンさん?2024/02/19 08:09:3293.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbリダンとやり合ってるらしいが見てみたいなそのログ2024/02/19 08:10:0794.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbでおーどこで見れるんだ?2024/02/19 08:10:3395.◆JBLfMwCXhYen39C>>92名無しで、文末に句点を2つ。。2024/02/19 08:11:3396.◆JBLfMwCXhYen39Cつけるのが特徴。。2024/02/19 08:13:0897.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbああ、これか。0954神も仏も名無しさん2024/02/18(日) 22:26:41.95ID:8E1FdgK6何もなくなるわけだから、認識対象、言語が指し示す対象が、認識に過ぎない、実在ではない、ということがわかるわけです。。だから、「千里向こうの灯火」など、もともとない、と気づくわけで、そういう意味で、>次の入室で、その修行者は、坐ったまま両掌を頭上に合わせて、みずから一大燈明になりきって、「メラメラ、メラメラ」と燃えてみせました。天地ひた一枚の燈火です。では、まったくダメでしょうね。。wお笑いレベルです。。w2024/02/19 08:13:4098.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb 総合 】仏教質問スレ☆彡その7【 初心者歓迎 】ね2024/02/19 08:13:5799.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbどれどれ2024/02/19 08:14:15100.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbリダンはどこでそのロンさんとやり合ってるんだ?2024/02/19 08:16:42101.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb0943神も仏も名無しさん2024/02/18(日) 22:17:32.54ID:8E1FdgK6主観と客観が、一つになったら、どうなるかって、何もなくなるということです。認識するものも、認識されれるものも消える。こういうのは、公案など持ち出さなくても、ある程度坐ってる人には、自然とわかることだと思うけど。。wそれがわかれば、猿芝居やる必要はないんです。。w2024/02/19 08:17:30102.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb但空やん2024/02/19 08:18:42103.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb禅宗やろこの人2024/02/19 08:18:59104.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb空を但に「無」だと勘違いした但空ね。2024/02/19 08:20:26105.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb析空での空の理解。2024/02/19 08:21:20106.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbいいんじゃないそれはそれで2024/02/19 08:21:57107.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb実在(実体)の真理なんだから。2024/02/19 08:22:55108.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbモノのあり様(実在)を説いた真理ね。2024/02/19 08:24:30109.神も仏も名無しさん7vRgpロンはカムイを一番ボコボコにした天敵やな😄2024/02/19 08:26:43110.神も仏も名無しさん7vRgpシカスレ、消されたんか?😟2024/02/19 08:27:23111.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbみたいだな鹿野園が削除依頼出したんだろ2024/02/19 08:28:12112.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbロンとリダンならリダンの方が解っとるだろ2024/02/19 08:29:16113.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbリダンの理解は析空は超えている2024/02/19 08:29:47114.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbあいつは体空も理解している2024/02/19 08:30:03115.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb法空を理解する段に入っているからなリダンは2024/02/19 08:30:40116.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb安堂もみたところ析空どまり2024/02/19 08:31:12117.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbリダンの相手ではなかろう2024/02/19 08:31:40118.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb馬は未だ析空の渦中だな2024/02/19 08:32:11119.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb小乗仏教への執着から抜けきれずにいる2024/02/19 08:33:12120.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb5chのログざっと目を通したけど2024/02/19 09:10:55121.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbロンさんと鹿野園どっちもどっちって感じ~2024/02/19 09:11:56122.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb禅宗の法理に妙味沸かないなー2024/02/19 09:12:49123.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb鹿野園もそうだが空の理解がまるで出来ていない。2024/02/19 09:14:46124.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb鹿野園は空の理解が出来ていない状態で唯識を語っているから説得力もない。2024/02/19 09:15:55125.神も仏も名無しさんZr7wjローラーはロンに夢中だからしばらく、こちらは平和だろーな2024/02/19 09:16:53126.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb鹿野園の空の理解は析空(実在の真理=倶舎論)だからな。2024/02/19 09:17:05127.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbロンさんって鹿野園と良い勝負じゃないの2024/02/19 09:17:49128.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb興味が沸かない2024/02/19 09:18:03129.神も仏も名無しさんZr7wjあれがほーかいくんのいうとおり、カムイなら相当メンタル超ナイーブになってるな〜アイサツ程度でゲキオコしてるから〜😭2024/02/19 09:18:03130.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb人間性は遥かに鹿の上をいってるようだが2024/02/19 09:19:07131.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbロンさんってこれだろ0127神も仏も名無しさん2024/02/19(月) 08:10:54.93ID:YkwjnD2j竹村せんせーはまだましだけど、秋月龍みん、はダメだね。。w知識はあるのだろうけど。。w2024/02/19 09:20:24132.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb成唯識論で鹿野園と言い合ってる人。2024/02/19 09:20:59133.神も仏も名無しさんZr7wjほーかいくんワールドのこっち側の解釈は仏霊的な調和と安穏と仏眼と観察という結論に達した😄2024/02/19 09:21:22134.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb良いんじゃないの向こうは禅宗的仏教観のようで2024/02/19 09:22:17135.神も仏も名無しさんZr7wj>>131そだね〜ま、主な関心はリダンとパ、ムイムイは怨念の塊になっているのかの有無😄2024/02/19 09:22:23136.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbこっちは天台・日蓮的仏教観だし2024/02/19 09:22:41137.神も仏も名無しさんZr7wjま、日蓮宗、浄土宗、イスラム、キリスト教、神道をまとめて研究模索してた😄2024/02/19 09:23:40138.神も仏も名無しさんZr7wj神道神主の動画は意外とオモロイのがあった😄2024/02/19 09:24:24139.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb仏教の解釈が宗派で異なる訳だからあっちの仏教観にこっちの仏教観を適用しても対立しか起きないだろ2024/02/19 09:24:28140.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbそういうのが解らないでいるのが体空(相対認識で起こる縁起)を理解出来ずにいる析空どまりの仏教観ね。2024/02/19 09:26:01141.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb>>138でおーのお薦めというのを見てみようか2024/02/19 09:27:00142.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbリンク張ってみ2024/02/19 09:27:44143.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb神道は私は詳しくないから勉強しよう2024/02/19 09:28:29144.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb何事も知る(理解する)事から始めないとな2024/02/19 09:29:04145.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb自分の価値観でがんじがらめになってては成長はあり得ない2024/02/19 09:30:06146.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb自分の知らない知識を理解しそれが用いるに値する内容であれば用いるし2024/02/19 09:30:55147.神も仏も名無しさんZr7wjほーかいくんへおみやけ、ほい〜いい暇つぶしだなhttps://m.youtube.com/watch?v=XYpseElTOi02024/02/19 09:31:10148.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb用いるに値しない内容であれば用いない2024/02/19 09:31:19149.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbどっちにしてもまずはちゃんと理解しない事にはちゃんとした判断も出来ない2024/02/19 09:31:59150.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb>>147ありがとあとでじっくりと見ておくよ2024/02/19 09:32:37151.神も仏も名無しさんZr7wjなかなかオモロイと思ったわ呼吸法で鍛えあげる俺サイドと異なる世界観は😄2024/02/19 09:32:44152.神も仏も名無しさんZr7wjこの神主は意外と面白かった😄2024/02/19 09:33:20153.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb動画みたけど神道と関係ある?哲学語ってるだけじゃん2024/02/19 10:34:29154.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb良いことは言ってるけど2024/02/19 10:34:53155.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb宗教と関係ないやん2024/02/19 10:35:21156.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbああーそう言えば誰かが言ってたなー2024/02/19 10:35:49157.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb神道は宗教では無いって2024/02/19 10:36:19158.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb神道は、すべての日本国民に対し、宗教としてではなく、愛国的義務的儀礼として定義されることになりました。2024/02/19 10:37:06159.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbと言ってるかと思えば、2024/02/19 10:38:17160.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb神道は、二、三の教派を別にすれば、教祖を持たない自然発生的宗教であり、主として日本人の間で行われている民族宗教である。 その神観念は基本的に多神教的であって、神々に対する祈り・祭・修行・社会活動などを伴っている。とも言っている。2024/02/19 10:39:34161.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbでおーは、どう捉えているん2024/02/19 10:40:12162.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb鹿野園の奴、また勘違いして語っているなー2024/02/19 11:01:29163.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb0177栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm2024/02/19(月) 10:11:29.48ID:7Qz2aD5V>>162>それも単なる認識、主観にすぎんよね?wだから、>見分は有りと雖も、而も無分別をなるをもって、能取に非ずと説けり。>取ること全無には非ず。なんですよ。見分は主観、能取は客観。つまり、それそのものが在っても、対象としての客観(体)がないんです。2024/02/19 11:02:06164.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb能取を客観だと勘違いしてるしー2024/02/19 11:02:32165.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbどんな解釈になってんだあいつの脳内では2024/02/19 11:03:00166.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb所取=捉えられるもの。--- 客体能取=捉えるもの。--- 主体だろ。2024/02/19 11:04:01167.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb相分=客観見分=主観所取=客体(見られる側=六境)能取=主体(見る側=六根)2024/02/19 11:06:38168.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb客体(所取)=モノのあり様主体(能取)=認識のあり方(主観と客観)主観と客観と主体と客体があいつごちゃになってるんだよな2024/02/19 11:07:37169.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbまだ気づいてない2024/02/19 11:07:52170.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbモノはモノとして実在の真理(此縁性縁起)で実在している。これが実在の真理。2024/02/19 11:08:47171.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb我々人間が、人間の認識で捉えているそのモノ(実体)は、そのモノの真実の姿ではない。そのモノがそのモノと成り得た此縁性縁起で観て始めて対象の存在を正しく認識出来る。2024/02/19 11:10:21172.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbその認識する側の人間の認識のあり様を真理として解き明かしたのが相依性縁起。2024/02/19 11:11:15173.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbモノのあり様=色即是空人の認識のあり方=空即是色2024/02/19 11:12:02174.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb色即是空が析空で顕れる真理空即是色が体空で顕れる真理2024/02/19 11:12:57175.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb天台教学を学ばないとこの辺は理解に至らないだろう。2024/02/19 11:13:39176.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb色即是空が析空で顕れる真理=従仮入空観空即是色が体空で顕れる真理=従空入仮観2024/02/19 11:14:25177.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb天台智顗が詳しく解き明かしている内容だからな。2024/02/19 11:14:54178.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb解りやすく唯識的に言えば、① 色即是空が析空で顕れる真理=従仮入空観② 空即是色が体空で顕れる真理=従空入仮観①が前五識を対象として起こる認識 --- 第六意識②が前五識を空じる事で阿頼耶識を対象として起こる意識 --- 第七意識2024/02/19 11:17:25179.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbってとこだろ。2024/02/19 11:17:45180.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb我々凡夫は、人間の概念で末那識が濁ってて真理に疎い(無明)その濁った末那識を深層意識として表層の第六意識が立ち上がる。2024/02/19 11:19:28181.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbその人間の概念を捨てて(空じる)対象を捉えたら、末那識が阿頼耶識に眠る真理を拾い上げて来る。2024/02/19 11:21:04182.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbここで言う真理とは、人間の概念から離れた人為的な要因が全く加わらない無漏の種子。2024/02/19 11:22:48183.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb末那識が、その無漏の種子を拾い上げる事でまず最初に前五識に転識が起こります。2024/02/19 11:24:22184.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbこの前五識の転識の事を起こすのが成所作智という声聞の智慧です。2024/02/19 11:25:48185.神も仏も名無しさんZr7wj神道の動画からヒラメキ期待して生命の霊的運用みたいなヒラメキが池田大作じゃあるまいし〜😄2024/02/19 11:26:19186.神も仏も名無しさんZr7wjローラーはろん2024/02/19 11:26:39187.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbそのモノがそのモノと成り得た因果(此縁性縁起)が観えてきます。2024/02/19 11:26:44188.神も仏も名無しさんZr7wjローラーはロンに必死なので、こちらは平和でいいことである😄2024/02/19 11:27:16189.神も仏も名無しさんZr7wj池田大作風?生命の霊的運用〜〜😄2024/02/19 11:28:00190.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbこれは客観認識が此縁性縁起での認識に変わるという事です。2024/02/19 11:28:01191.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb凡夫の認識が仏の認識(縁起での認識)に変わるという転識がまず前五識で起こります。2024/02/19 11:28:48192.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbそろそろ嫁を送らないかん。2024/02/19 11:29:03193.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb一旦休憩~2024/02/19 11:29:29194.◆JBLfMwCXhYqZQOD>>131ロンだ~😄2024/02/19 12:11:16195.◆JBLfMwCXhYqZQOD長年の宿敵同士最大のライバル関係だ~😂>>127> ロンさんって>> 鹿野園と良い勝負じゃないの2024/02/19 12:12:15196.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb>>池田大作風?池田さんは析空の理解だよ。析空は実体に即した真理だから物理や科学の法則と同じ次元の真理でしかない。2024/02/19 12:19:48197.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb水素と酸素が化合して水になりました。という世間一般に通ずる真理。それが此縁性縁起だ。2024/02/19 12:21:09198.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb池田さんの三諦論http://mh357.web.fc2.com/ikeda.html2024/02/19 12:22:01199.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb私が語っている教学は池田教学ではない。2024/02/19 12:22:38200.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb日蓮さんや天台智顗の注釈や論書によるところの天台・日蓮教学です。2024/02/19 12:23:42201.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb昼飯食ったら午後は役所に出かけるから続きはまた後程~2024/02/19 12:24:25202.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmEyPPg『唯識三十頌』では次のは第二能変なり是の識を末那と名づく彼に依りて転じて彼を縁ず思量するを性とも相とも為す四の煩悩と常に倶なり謂わく我癡と我見と并びに我慢と我愛となり及び余と触等と倶なりと説かれてるのです。で、末那識が仏の意識?wwwwwwwwwwwwwwwwwwつまり、仏の意識とは「我癡と我見と我慢と我愛」なんだ😂2024/02/19 14:27:40203.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmEyPPg>>191> 凡夫の認識が仏の認識(縁起での認識)に変わるという転識がまず前五識で起こります。違う、最後。2024/02/19 14:29:37204.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmEyPPg>>184> この前五識の転識の事を起こすのが成所作智という声聞の智慧です。違う2024/02/19 14:29:58205.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmEyPPg>>181> その人間の概念を捨てて(空じる)対象を捉えたら、>> 末那識が阿頼耶識に眠る真理を拾い上げて来る。違う2024/02/19 14:30:18206.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmEyPPg>>180> 我々凡夫は、人間の概念で末那識が濁ってて真理に疎い(無明)>> その濁った末那識を深層意識として表層の第六意識が立ち上がる。違う2024/02/19 14:30:33207.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmEyPPg>>178> 解りやすく唯識的に言えば、>> ① 色即是空が析空で顕れる真理=従仮入空観>> ② 空即是色が体空で顕れる真理=従空入仮観>> ①が前五識を対象として起こる認識 --- 第六意識> ②が前五識を空じる事で阿頼耶識を対象として起こる意識 --- 第七意識違う2024/02/19 14:31:04208.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmEyPPg>>1732024/02/19 14:31:26209.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmEyPPgデタラメ法介の本領w2024/02/19 14:35:21210.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbおーい、JBJBに一つ聞いていいかー2024/02/19 15:02:55211.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb食事に出されたお皿においしそうな真っ赤に熟れたトマトがあります。JBは、このトマトをどう捉える2024/02/19 15:04:22212.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb「どう捉える」ってのはあなたはそれをどう認識しますかってことね。2024/02/19 15:04:59213.神も仏も名無しさんZr7wjローラー暴れとるな〜懲りないな〜〜🤢2024/02/19 15:05:44214.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb相手して欲しいのなら鹿野園も答えてみ2024/02/19 15:06:06215.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbちゃんと答えたら相手してやるぞ2024/02/19 15:06:38216.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbこれは析空とは何かを問う問いかけだ。2024/02/19 15:08:41217.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb禅宗の空の理解と天台・日蓮教学の空の理解とで解釈の違いが顕われるだろう。2024/02/19 15:10:27218.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb何だったら夕も馬も答えてみ2024/02/19 15:11:25219.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb君達の空のを聞かせてみ2024/02/19 15:12:13220.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb遠く離れた地にあるロウソク火を消したってそれが何になる。2024/02/19 15:12:58221.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb現実に落とし込んで仏教のモノの見方を体現しないと意味ないだろう。2024/02/19 15:13:56222.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb仏教はトンチクイズやってる訳じゃない。2024/02/19 15:14:21223.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb禅宗はそうなんだろうけど2024/02/19 15:14:34224.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb本当の仏教の教えは現実をどう生きて行くかを説いている訳だ。2024/02/19 15:15:13225.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb現実にあり得んトンチを説いても意味が無いだろうに。2024/02/19 15:15:40226.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb仮に遠く離れたロウソクの火を消せるとしてその認識で目の前に出されたトマトを見たらそのトマトはどう認識されるんでしょうか。2024/02/19 15:17:32227.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbカムイにも聞いてみっか2024/02/19 15:19:50228.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb陰で人の悪口言ってないで馬も答えてみろ2024/02/19 15:22:33229.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb目の前に見えているトマトは妄想です。実際にはトマトは存在しません。とか言うんだろうな禅宗の人達は、、、2024/02/19 15:38:04230.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbもしくはトマトと自分が一体になるように意識を持っていきますとか2024/02/19 15:39:09231.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbそんな感じじゃないのかなー禅宗の空観認識って2024/02/19 15:39:47232.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb妄想で実際にそこにトマトは存在していないんなら食べようが食べまいが関係ないですよね2024/02/19 15:41:06233.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbじゃあ、食べんで良いよ!って私なら言う。2024/02/19 15:41:32234.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbそんな事いう人に食べてもらいたくない2024/02/19 15:41:55235.神も仏も名無しさんP8vVs>>211横レスだが捉え方はモードによって変わるな食卓や出された料理、という捉え方であれば、食材として捉えるな分別を排した捉え方であれが平らでツルツルした素材の上に置かれている真っ赤で丸い物体って感じだろう2024/02/19 15:49:05236.神も仏も名無しさんP8vVsさらに分別を排した観察を行うと、丸い赤い物体は植物であることが分かるそしてさらに観察を進めるとピンとハリのある皮の質感の内側に液状の状態の物質があることが分かるだろう2024/02/19 15:50:49237.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb横レスええよー大歓迎!2024/02/19 15:51:09238.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbどんどん意見のべちゃってー自由気ままに2024/02/19 15:51:37239.神も仏も名無しさんP8vVsさらに観察を進めるとその液状のものから酸っぱさに関する感覚を得ることだろうこの時に、なぜこの赤い物体は平らな物質の上に置かれているのか、理解できるようになる2024/02/19 15:51:46240.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbフムフム2024/02/19 15:53:17241.神も仏も名無しさんP8vVsこの赤い物体は我々に食べられるために存在するんだ、ということが理解できるそうなると、もうやることは一つだ「いただきます!」と感謝の念と共に赤い物体を有り難くほうばるそして、口の中でハリのある皮の新鮮さを感じながら、内側から弾けだす酸味のある味わいと共に、「私はこの赤い物体を体内にいれることで、健康になる、フレッシュになる」という感覚を得ることだろう2024/02/19 15:54:00242.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbというのがサティーの見解なんだな2024/02/19 15:54:14243.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbサティー、意見ありがとう2024/02/19 15:54:40244.神も仏も名無しさんP8vVsそうだな分別を排した場合でも、結局は美味しそうに食べる2024/02/19 15:54:40245.神も仏も名無しさんP8vVs物質やこの世の事物は幻想ではないなぜなら、神が創造したものだから本当の世界はイデア界にある、とか言いたかったとしてもイデア界の原因としての存在よりも荒い粒度で物質は実在している、となる2024/02/19 15:57:11246.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbイデア界?2024/02/19 15:57:53247.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb始めて聞く言葉だ2024/02/19 15:58:07248.神も仏も名無しさんP8vVsこの「実在の在り方」を大雑把に表現すると「目に見える存在は実在しない」となるが、もう少し詳しくいうと、「目に見える存在はイデア界における実在と同じように存在しているわけではない。違う在り方をしている」となる2024/02/19 15:58:26249.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbこれかなhttps://news.mynavi.jp/article/20210525-1880768/2024/02/19 15:58:54250.神も仏も名無しさんP8vVs>>246イデアはプラトン主義の用語大体の「目の前のものは存在しない」という主張の根拠はプラトン主義と同系統ですな2024/02/19 15:59:14251.神も仏も名無しさんP8vVs>>246ですです^^2024/02/19 15:59:38252.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbそもそものイデアとは、ギリシャ語で「見る・知る」という意味の「idein」の派生語であり、「見えているもの・姿・形」を意味します。2024/02/19 15:59:58253.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbただし、プラトン哲学におけるイデアとは「知覚を超越した場所に存在し、直接には知覚できずに想起によってのみ認識し得る、抽象化された純粋な理念のこと。そして、対象を対象たらしめている根拠であり本質、真の存在」という意味合いとなってきます。2024/02/19 16:00:26254.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb「対象を対象たらしめている根拠であり本質、真の存在」良い言葉だ。激しく共感する。2024/02/19 16:01:29255.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb私がいつもいっているそのモノが、そのモノと成り得た因果(縁起)と同じ事を言っている。2024/02/19 16:02:18256.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbそのモノがそのモノと成り得た因果を知って始めてそのモノの正しい認識に至るものでしょう。2024/02/19 16:03:19257.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb他の人の意見も待ってみよう。2024/02/19 16:03:58258.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb意見を述べたい人気楽にどうぞー2024/02/19 16:04:33259.リダン◆gEV3xsS//kIg4nVはーい(^^)/えー全部妄想ですコンピューターの仮想現実内スレ住民としての意見です妄想内の仕様上では物質は物質であると言えると思います2024/02/19 16:24:03260.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbリダン、お疲れチャン2024/02/19 16:25:33261.リダン◆gEV3xsS//kIg4nVお疲れ様です!2024/02/19 16:26:05262.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb妄想であるなら食べても意味はない?2024/02/19 16:26:39263.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbいや、むしろ食べない方が良い?2024/02/19 16:26:57264.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb食べたら妄想に騙されたことになる2024/02/19 16:27:18265.リダン◆gEV3xsS//kIg4nV>>263いや食べたら美味いですよ2024/02/19 16:27:27266.リダン◆gEV3xsS//kIg4nV>>264妄想と看破してたら自由にしたらええんですよトマトうまー2024/02/19 16:28:13267.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbその美味いって意識も勘違い?(妄想)2024/02/19 16:28:16268.リダン◆gEV3xsS//kIg4nV>>267自我って素晴らしいですよね妄想にリアル感をだすんですよ2024/02/19 16:29:08269.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb何がリアル感をだす?2024/02/19 16:29:47270.リダン◆gEV3xsS//kIg4nVとお邪魔したんですがいったん離席2024/02/19 16:29:51271.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbそのリアル感を出すのが五感の働きでしょう。2024/02/19 16:30:49272.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbというか五感が働いてリアルが生じると言う事になるかと私は考えます。2024/02/19 16:31:35273.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbリアル(実在)とは五感によって生じるもの。2024/02/19 16:32:04274.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbだから人間は実在の世界観の中で生活をしている。2024/02/19 16:32:38275.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb人間の意識はこの五感によって成り立ちます。前五識の感覚器官が情報を察知し第六意識が働く。2024/02/19 16:33:51276.神も仏も名無しさんP8vVsそうそう実在してないと、この世を良くするとか、衆生を救済する、とか無意味になってしまう2024/02/19 16:34:40277.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbそれらの働きが停止する事で人間は意識が無くなって意識不明の状態になると植物人間となります。2024/02/19 16:34:51278.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb人間はこの意識が有るか無いかで生きているか死んでいるかに分かれる。2024/02/19 16:35:34279.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb人間の眼は、暗い場所では多くの光を集めようとして、瞳孔が開きます。2024/02/19 16:36:40280.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbお医者さんが最終的に眼にライトを照らして瞳孔に反応が無ければ死亡と確認されます。2024/02/19 16:37:43281.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb人間は五蘊(識・受・想・行・識)の働きで実在(リアル)の世界が立ち上がります。2024/02/19 16:39:49282.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb五蘊(識・受・想・行・識)が働き、第六意識が活動している限り、実在は実在として認識されものでしょう。2024/02/19 16:41:18283.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb五蘊が働いているのにほっぺをつねって痛くないという人居るんですかね?2024/02/19 16:42:30284.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbお間違えのないように「五蘊が働いているのに」です。2024/02/19 16:42:56285.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb瞑想で五蘊を止滅させている状態なら痛みも感じないんでしょう。2024/02/19 16:44:03286.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbしかし、瞑想を止めると再び五蘊は働きます。2024/02/19 16:44:40287.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb例えば以前にもお話しましたが、虫歯が痛くてたまらない時2024/02/19 16:45:09288.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb瞑想すれば痛みは感じなくなるかもしれません。2024/02/19 16:45:31289.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbしかし瞑想から覚めれば再び痛みが襲ってきます。2024/02/19 16:45:56290.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb虫歯をリアルで治療しない限りその痛みは治りません。2024/02/19 16:46:37291.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb私たちはこのリアルの世界の中で生活しております。2024/02/19 16:47:06292.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb瞑想状態で一日を生活している訳ではありません。2024/02/19 16:47:27293.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb五蘊が働いている状態で苦しみを転換していく事が本当の解脱になると考えるのが大乗仏教です。2024/02/19 16:48:44294.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbですから大乗は小乗の煩悩の寂滅に対し煩悩即菩提を説きます。2024/02/19 16:49:31295.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb凡夫の認識を空じて仏の認識にスイッチする訳です。2024/02/19 16:50:46296.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbではどうやって。2024/02/19 16:51:03297.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbそれは自身の心に仏を観じ取る瞑想を行うんです。2024/02/19 16:51:48298.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbいわゆる観法です。2024/02/19 16:52:02299.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb三昧と呼ばれる瞑想では五蘊の働きを停止させません。2024/02/19 16:52:54300.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb五蘊を停止させますと観じ取れませんので。2024/02/19 16:53:24301.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb仏の像や曼荼羅を対境として心に仏を観じ取ります。2024/02/19 16:54:00302.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbそれにより意識が凡夫の意識から仏の意識へと変わっていきます。2024/02/19 16:54:37303.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbそれが天台の一心三観という観法になります。2024/02/19 16:55:18304.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb凡夫の一心に凡夫の仮観と、仏の空観と、真如の中観の三観を次第に観じ取って行きます。(次第三観)2024/02/19 16:56:48305.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb禅宗の禅による瞑想とは内容が異なります。2024/02/19 16:57:20306.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbこういう観法を日常的に修行として行っておりますと、モノの見方、感じ方が変わってきます。2024/02/19 16:58:19307.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb例えば、トマトが嫌いな人はトマトを見るだけで「うぇ~、まずそ~。食いたくねー」となるかと思います。2024/02/19 16:59:29308.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbこれは、「トマトはまずい食べ物だ」とい情報がその人の阿頼耶識にインプットされているから無意識的に「マズイ!」と思います。2024/02/19 17:00:40309.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbしかし、「トマトはおいしい」と阿頼耶識にインプットされている人は、末那識がその情報を拾い上げてきますのでおいしく食べれます。2024/02/19 17:01:43310.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb深層の末那識が、どういった情報を拾い上げてくるかで表層の認識も異なって来ます。2024/02/19 17:02:43311.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb催眠術で「レモンは甘い!」と阿頼耶識の記憶を書き換えられればあんなに酸っぱいレモンでも「甘い!甘い!」といって丸かじりします。2024/02/19 17:03:59312.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb人間の認識(感覚)ってそれほどいい加減なものなんですね。2024/02/19 17:04:31313.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb思い込み次第で善人をまるっきし反対の極悪人と認識したり2024/02/19 17:05:16314.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb本当は美味しいのにまずいと感じて食べれなかったり2024/02/19 17:05:51315.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbでは、私がお皿に出されたトマトを見たとしたら、2024/02/19 17:06:54316.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbまずその見た目ですよね。真っ赤に熟しておいしそうだなーって思うでしょう。2024/02/19 17:07:45317.神も仏も名無しさんZr7wjほーかいくんスレ異例の盛り上がりやな〜リダンも嬉しそーでいいことや😄2024/02/19 17:09:26318.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbそして、ここまで立派に育ったのは、農家の人が本当に心を込めて栽培なされたからなんだろうなーと育てた方の想いを感じ取るでしょう。2024/02/19 17:09:26319.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbそして有難いなーと手を合わせて頂きます!して美味しく頂きます。2024/02/19 17:10:37320.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbまた、買って来た嫁さんに「このトマトどこで買って来たん?」と尋ねるでしょう。2024/02/19 17:11:14321.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb聞いてみると妻がわざわざ遠出してまで買って来たと言う。2024/02/19 17:12:07322.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb今度は、妻に感謝です。2024/02/19 17:12:20323.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbトマト一つにしてもそうやって感謝の心で満たされる。2024/02/19 17:13:07324.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb有難い事です。2024/02/19 17:13:18325.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbそれが私のモノの見方、感じ方です。2024/02/19 17:13:47326.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb常に、そのモノがそのモノと成り得た因果(縁起)で物事を捉えております。2024/02/19 17:14:26327.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb仏教の教えって本当に有難いなーと思います。2024/02/19 17:15:11328.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbサティーも、似たような捉え方だったので驚きました。2024/02/19 17:15:45329.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb仏教徒ではないのに縁起でちゃんと物事を観ているんだなーって観心しました。2024/02/19 17:16:36330.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbこの前も時間は「私」があるから生じると発言されてましたよね。2024/02/19 17:17:47331.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb空間も「私」という自我によって立ち上がります。2024/02/19 17:18:12332.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbサティーなら、それも理解出来ているかも知れませんね。2024/02/19 17:18:49333.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbこの時間と空間を空じことを仏教では「法空」と言います。2024/02/19 17:19:39334.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb完全に自我という意識から抜け出た世界です。2024/02/19 17:20:14335.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb法空の前に体空を覚る訳ですがそれがどういう事か2024/02/19 17:21:09336.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb今、お話しましたトマトの話は析空で起こる認識です。2024/02/19 17:21:41337.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb人間の客観(認識)で起こる縁起(此縁性縁起)のお話でした。2024/02/19 17:22:33338.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbでは、体空ってどういう事なのか、次にお話して参ります。2024/02/19 17:23:07339.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb家事をやりますので休憩を入れます。2024/02/19 17:23:33340.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb意見がある方はその間、ご自由に書き込みなされて下さいな。2024/02/19 17:24:09341.リダン◆gEV3xsS//kHLdIO前五識で情報を取得するのは確かですがやっぱり意識でそれらをリアル化するんだと思いますねそれがまあ場合によってはリアルすぎて苦になるわけでんで止滅すると前五識がただの情報取得のみになり(あるがまま)続けると前五識が解除され情報取得もなくなるんで日常に戻ると元に戻って元の木阿弥情報取得のみあるがままが禅の目指すところなんかな?話を聞いてると法介さんがいいたいのは妄想とはいえ仕様内では事実なのだから自我に仏性を宿しなさいよってことかな2024/02/19 17:34:47342.神も仏も名無しさんZr7wjリダンの居場所はここだな😄2024/02/19 17:50:32343.神も仏も名無しさんZr7wjインドラリがここに来ないのは、とても寂しいが👽2024/02/19 17:51:33344.鹿野園#Buddhist-RinzaiJWfIDプププwww ( ´_ゝ`)2024/02/19 18:39:24345.鹿野園#Buddhist-RinzaiJWfIDプププwww ( ´_ゝ`)プププwww ( ´_ゝ`)プププwww ( ´_ゝ`)プププwww ( ´_ゝ`)プププwww ( ´_ゝ`)2024/02/19 18:40:36346.鹿野園#Buddhist-RinzaiJWfIDプププwww ( ´_ゝ`)プププwww ( ´_ゝ`)プププwww ( ´_ゝ`)プププwww ( ´_ゝ`)プププwww ( ´_ゝ`)プププwww ( ´_ゝ`)プププwww ( ´_ゝ`)プププwww ( ´_ゝ`)プププwww ( ´_ゝ`)プププwww ( ´_ゝ`)プププwww ( ´_ゝ`)プププwww ( ´_ゝ`)プププwww ( ´_ゝ`)プププwww ( ´_ゝ`)プププwww ( ´_ゝ`)2024/02/19 18:41:40347.◆JBLfMwCXhYqZQOD盛り上がってますな~😄2024/02/19 18:50:32348.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbリダンにとって実在の定義って何?2024/02/19 19:33:56349.リダン◆gEV3xsS//krmDIi>>348前五識による情報ですかね2024/02/19 19:35:11350.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbこれ、結構重要な問いかけね。2024/02/19 19:35:19351.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbそれだけ?2024/02/19 19:35:33352.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbリダンが言うリアル(実在)って人間の認識によって確認出来る存在な訳ね。2024/02/19 19:36:37353.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbしかし、世間一般での実在の定義はそうではない。2024/02/19 19:37:07354.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb実在(じつざい、英: reality)は、認識主体から独立して客観的に存在するとされるもの。実在は認識主体により生み出されたものと区別される。表象を変化させる働きをし、事物の背後にあるとされる、不変の実体を意味する場合もある。2024/02/19 19:38:05355.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb1.実際に存在すること。「―の人物」2.哲学われわれがそう思うからそこにあるように見えるというのではなく、われわれと離れて別に、客観的に存在するもの。2024/02/19 19:39:08356.リダン◆gEV3xsS//krmDIi>>351それだけですねいまのところ結局それを意識がどう調理するかであって俺の体験上の話しで悪いんですが前五識で入る情報って物質ではないんですよ別の記述で意識がからんでフォーマットされ物質化されると解釈してます2024/02/19 19:39:10357.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbまずこの「実在の定義」が私とリダンとで違っていれば、いくら説明しても、くい違いが生じて互いに納得のいく話にはならないと思う。2024/02/19 19:40:39358.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbリダンは人が前五識で認識出来るもを実在と考える。私は、人の認識に関係なく存在し得るもの。2024/02/19 19:43:02359.リダン◆gEV3xsS//krmDIi物質化されてるかされてないかだけなんで特に矛盾はないと思いますが2024/02/19 19:43:15360.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb?2024/02/19 19:43:50361.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbリダンは前五識の情報って言ったよね。それって人間の認識ですよね。2024/02/19 19:44:26362.リダン◆gEV3xsS//krmDIi先ほどもいったように妄想の仕様上でなら実在は客観的に存在するでいいですよ2024/02/19 19:44:31363.リダン◆gEV3xsS//krmDIi>>361前五識で入る情報は物質化されてない別の記述って主張なだけです2024/02/19 19:45:23364.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbいや、2024/02/19 19:45:26365.神も仏も名無しさんP8vVs>>328せやななんちゃって仏教徒は必殺技みたいに無我や縁起を語り、この世が幻想である、と主張する中途半端なところで観察をやめてるんだと思うわそれは思考停止の状態、わかったつもり、の無明と変わらない法介さんみたくトマトの縁起を捉えたら感謝しかありまへんな2024/02/19 19:45:43366.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbあのなリダン2024/02/19 19:46:26367.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbよーく考えて答えてくれ。では聞くがリダンの妄想の定義を言ってくれ。2024/02/19 19:47:09368.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb何でこれを聞くかと言うと、お前はおかしな事を言っているんだよ。2024/02/19 19:47:46369.神も仏も名無しさんP8vVs>>333永遠の瞬間ですなあえて表現すると、永遠の瞬間の中にだけ、仮初の我ではない実存が生起する、と言いたい2024/02/19 19:47:48370.リダン◆gEV3xsS//krmDIi>>367すみませんwちょとまた離席2024/02/19 19:47:49371.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb気づいていないだろうけど、、、2024/02/19 19:48:03372.神も仏も名無しさんP8vVs鹿はいちゃもんつけることで聴衆に俺すげーんだアピールしたいだけなので無視して対話するのが一番効きますな何に効くのか?鹿の三毒に効くm9(^Д^)2024/02/19 19:49:09373.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbサティーは気づけてるか?リダンの実在の定義=人間の認識(前五識)「先ほどもいったように妄想の仕様上でなら実在は客観的に存在するでいいですよ」2024/02/19 19:49:59374.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb妄想って実体が存在しない事を言う。2024/02/19 19:50:47375.神も仏も名無しさんP8vVsリダンの投稿読んでないからなんともいえない😆2024/02/19 19:50:53376.神も仏も名無しさんP8vVsアンカー教えてもらえばそこだけ読んで感想は言えるw2024/02/19 19:51:21377.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb妄想の仕様上=実体が存在しないという仕様においては実在は客観的に存在する2024/02/19 19:52:29378.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb実体が存在しないという仕様においては、実在は客観的に存在するとリダンは言っている。2024/02/19 19:52:55379.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb意味不明な言葉なのだが、、、2024/02/19 19:53:14380.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb三毒に犯されてしまった?2024/02/19 19:54:03381.神も仏も名無しさんP8vVs意味不明ですな(^_^;)2024/02/19 19:54:26382.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbアンカーっていうか「先ほどもいったように妄想の仕様上でなら実在は客観的に存在するでいいですよ」リダンの↑これよ。2024/02/19 19:55:02383.神も仏も名無しさんP8vVsリダンは実在と実存の違いがおそらく分かってないのと、あとは、「どういった意味において実在を語っているか」の解像度があらいのでそれっぽい発言にしかならないのだと思われる2024/02/19 19:55:33384.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb>>381だろ2024/02/19 19:55:37385.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb「実在と実存の違い」とは?2024/02/19 19:56:44386.神も仏も名無しさんP8vVsうん、錯誤した思考を解きほぐしても、リダンの思考過程において何が錯誤してるのか、その原因を特定するだけになるし、本人はそんなこと望んでないだろうから、リダンの主張を法介さんがどう捉えるか、だけのやりとりでいいんでしょうね(^_^;)2024/02/19 19:57:34387.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbじつ‐ぞん【実存】 ① 実際にこの世に存在すること。 実在。それは、一緒のような気がするが。違うのか?2024/02/19 19:58:23388.神も仏も名無しさんP8vVs>>385実存は霊魂のある人間の主観の足場となる「在る」を指してますな基本的に個(の人間)にしか適応されない実存は客観的に現象したと言える事象やじぶつ、人物など全般を指す単語でつ2024/02/19 19:59:20389.神も仏も名無しさんP8vVs>>385の訂正「実在」は客観的に現象したと言える事象やじぶつ、人物など全般を指す単語でつ2024/02/19 19:59:49390.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb>>386アドバイス、ありがとう。2024/02/19 20:00:11391.リダン◆gEV3xsS//kvzHyLようは本質が妄想ってことっす自我、意識が挟まった状態2024/02/19 20:00:30392.神も仏も名無しさんP8vVs>>387実存は唯識でいうところの見分や自証分などの系列関連を指す単語ですな2024/02/19 20:00:36393.神も仏も名無しさんP8vVs本質は妄想ではないな神や仏の本質、また法などの本質は妄想ではないそれらは単に実存とは関係ないだけ、なんだけど色々とごっちゃになってるんだろうな2024/02/19 20:02:02394.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb私が今言っているのは、世間一般でいうところの実在の定義ね。2024/02/19 20:02:03395.神も仏も名無しさんP8vVs例えば、悟りという個が到達する「状態」は状態であるから「本質側」になるしかし、その状態、つまり悟りが妄想なのであれば、足元から仏教が瓦解しますな2024/02/19 20:03:05396.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbうん。2024/02/19 20:04:23397.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb>>393 ←その通りだと私も思います。2024/02/19 20:05:20398.リダン◆gEV3xsS//kvzHyL>>393法は本質やないやで2024/02/19 20:06:25399.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb実際のところ世界は人間の認識どうりに存在している訳じゃない。2024/02/19 20:07:03400.神も仏も名無しさんP8vVs妄想ってのは、唯識だと「遍計所執性」これは、主観が現実と異なる事態、例えば自分に対して高すぎるセルフイメージを持っていて自分は偉大な存在だと思っているが、実際は怠惰なニート、みたいな事態を妄想と言う2024/02/19 20:07:27401.神も仏も名無しさんP8vVs>>398実存主義の哲学用語では法も本質に分類されますな言葉で記述できる全ては本質だ2024/02/19 20:08:14402.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb凡夫の認識(前五識)←ごく限られた認識仏の認識(縁起)←正しい認識2024/02/19 20:08:16403.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb>>法は本質やないやで何を指して法とするのかにもよる。2024/02/19 20:08:56404.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbリダンが言う法とは?2024/02/19 20:09:10405.神も仏も名無しさんP8vVs>>400の続きその場合、妄想かどうか、遍計所執性なのかどうか、は「現実と照らし合わせて」初めて確認できる妄想ってのは識で客観的に確認できるものを足場としてるんだな2024/02/19 20:09:41406.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb時間も空間も世間一般の認識では法として認識されてる。2024/02/19 20:10:05407.リダン◆gEV3xsS//kvzHyL>>401俺のいう法は不思議などのことで記述できることやないで2024/02/19 20:10:11408.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb運動の法則引力の法則2024/02/19 20:10:27409.神も仏も名無しさんP8vVsつまり、本質が妄想なのであれば、全てが妄想になってしまう妄想が生じるには、実在があり、それと違う思い込み、の二つの点が最低限必要となる2024/02/19 20:10:46410.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbそう思い込み ←これ大事!2024/02/19 20:11:37411.神も仏も名無しさんP8vVs>>407そうかと、いうことでやはりリダンの思考の錯誤の話をしても、リダンの錯誤のポイント探しになり、本人は成長する気もなにもないから、不毛な議論になる、ということでありんす2024/02/19 20:11:52412.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb妄想ではなく勝手な思い込み2024/02/19 20:11:55413.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb>>本人は成長する気もなにもないからそうなん?2024/02/19 20:12:35414.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbサティーの勝手な思い込みじゃなくて?2024/02/19 20:13:09415.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbどうなんリダン2024/02/19 20:13:25416.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb本当に成長する気無いん?2024/02/19 20:13:49417.神も仏も名無しさんP8vVs>>413分かったつもり発言を連発する人は基本的に、俺すげーを楽しみたい人求道の道には入ってないので、その前提で話をする、となりますな面倒なのは求道関連の話をしてる時にからまれることそういう時は招かれてないからスルー、となりまつ2024/02/19 20:14:16418.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbちょっとコーヒー飲んでくる2024/02/19 20:15:14419.神も仏も名無しさんP8vVsいいねボタン便利だw2024/02/19 20:15:33420.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb>>417同感2024/02/19 20:15:37421.リダン◆gEV3xsS//kvzHyLちょい待ってw2024/02/19 20:17:07422.リダン◆gEV3xsS//kvzHyLようは法などは作用があって、原因と結果の積み重ねなんであってそれに意味を持たす、言語化することで本質側になるわな誰が?自我が意味を持たすよねそれを妄想って解釈してるんよそう思い込み2024/02/19 20:31:18423.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbうん。だからリダンの「妄想」の定義を聞いたの。2024/02/19 20:34:27424.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb普通、妄想っていったら「実在しないもの」だから。2024/02/19 20:35:08425.リダン◆gEV3xsS//kvzHyL>>423自我による言語化、意味づけだね2024/02/19 20:35:23426.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb勝手な思い込みと妄想は意味が違う。2024/02/19 20:35:32427.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb思い込みは例えて言えば、2024/02/19 20:36:07428.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb自分が勝手にコーヒーカップだと思い込んで使っている。2024/02/19 20:36:40429.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbそのカップは実際に実在している。2024/02/19 20:36:58430.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbしかし、それを造った人に聞いたら実は花瓶として造ったと言う。2024/02/19 20:37:31431.神も仏も名無しさんZr7wjすごい盛況だなほーかいくん御館様の器量のデカさだなウマパーリー愉快犯や絶叫ローラーには無理ぽ器量がなさ過ぎ😄2024/02/19 20:37:42432.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb勝手に自分がコーヒカップだと思い込んでいたそれは実は花瓶として存在していた。2024/02/19 20:38:23433.神も仏も名無しさんZr7wjリダン、ここで包囲されてるのか〜〜😫だが、リダンここではお前のレスは尊重する〜がんばるんや😄2024/02/19 20:38:55434.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbそれを花瓶と見るのが正しい認識。2024/02/19 20:38:56435.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb妄想って「勝手な妄想」とかも言うなー2024/02/19 20:39:49436.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb言葉って難しいな2024/02/19 20:40:03437.リダン◆gEV3xsS//kvzHyLだからまあ法介さんの話と別に矛盾するわけではないから話すすめちゃってくださいな2024/02/19 20:40:53438.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbリダンが言う妄想は「実在していない」って事だろ?2024/02/19 20:41:18439.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb「勝手な妄想」であれば矛盾はしない。2024/02/19 20:41:58440.リダン◆gEV3xsS//kvzHyL>>438妄想内(自我内)では物は実在しますよ2024/02/19 20:42:23441.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbでは、後者の方なんだろうと勝手に思って話を進めます。2024/02/19 20:42:26442.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb体空の説明をしようとしてたんだが、話の流れ的に「法空」についてちょっと話させてくれ。2024/02/19 20:43:39443.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb良く、決め付けて意見してくる人居るよね。2024/02/19 20:44:29444.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbそれは違います。とか言って。2024/02/19 20:44:44445.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbサティーも言ってたけどね。2024/02/19 20:45:05446.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbだけどリダンは「法介さんの考えではこうなんだろうか」って言ったよね。2024/02/19 20:45:59447.リダン◆gEV3xsS//kvzHyL>>446いいましたね2024/02/19 20:46:32448.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb決め付けで突っかかって来る人って「自分」で勝手に決め付けて来る訳ね。2024/02/19 20:47:13449.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbそういう人ってまずもって「自分」を空じれていません。2024/02/19 20:47:47450.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb「自我」を前面に押し出して自信の正しさや価値観、考え方をゴリ押ししてきます。2024/02/19 20:48:32451.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbあえて誰だとは言いません。2024/02/19 20:48:46452.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb皆さん、直ぐにピントくると思うので。2024/02/19 20:49:14453.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbしかし、自分(自我)を空じる事が出来る人は2024/02/19 20:49:43454.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb自分の考えはさておいて、相手の立場で考えようとします。2024/02/19 20:50:18455.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb自分はこう思うんだがこの人はまた違った考えをされているんだなーと2024/02/19 20:50:51456.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbそれを理解しようとします。2024/02/19 20:51:04457.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbそれが自我を空じるという事を覚っている人の振る舞いです。2024/02/19 20:51:36458.神も仏も名無しさんZr7wj>>4485ちゃんではそのよーなリダンを特級呪霊、どっから目線御厨子という必殺技としてネーミングしてます😄2024/02/19 20:51:42459.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbわたしは、リダンの振る舞いを見ていてそれが出来ている人だなーって常々思っております。2024/02/19 20:52:38460.神も仏も名無しさんZr7wjやるな〜ほーかいくん御館様〜〜リダン成敗っ!(暴れん坊将軍風)😄2024/02/19 20:52:44461.神も仏も名無しさんZr7wj>>459器量かデカいなほーかいくんおやかたさまは〜〜😄😄😄😄😄😄😄2024/02/19 20:53:34462.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbしかし、この前5chを覗いてみましたらでおーの言ってる通りのリダンの姿がそこにはありました。2024/02/19 20:53:57463.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbちょっとビックリしました。2024/02/19 20:54:17464.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbと、同時にちょっと悲しかった、、、2024/02/19 20:54:37465.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb前回、リダンに言いたかったのはそういう事です。2024/02/19 20:55:11466.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbここでのリダンは今回のようにちゃんと相手の立場で考えられてます。2024/02/19 20:55:59467.神も仏も名無しさんZr7wj>>464ほーかいくん御館様はやさしーお方なのですよー俺なんかはリダンスルーですから〜😄2024/02/19 20:56:59468.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb人は、どんな人に縁するかでその人の中に存在している様々な心が表に顕われてきます。2024/02/19 20:57:02469.リダン◆gEV3xsS//kvzHyL>>465向こうでは元からそうですよw2024/02/19 20:57:27470.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbそれは十界が互具して備わっているからです。2024/02/19 20:57:48471.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbでは仏に縁すればどうなるでしょう。2024/02/19 20:58:25472.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb自身の中の仏の心が開けます。2024/02/19 20:58:51473.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbなのでわたしは朝昼晩と毎日欠かさず曼荼羅御本尊にお題目を唱えるんです。2024/02/19 20:59:36474.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb中でも『法華経』の読誦では、十如是の三編読みをするのが天台流義です。2024/02/19 21:00:22475.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb仮諦読みをすることで、実体の真理が実生活の中で現象として顕われて来ます。2024/02/19 21:01:36476.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb空諦読みをする事で、仏の空観での認識に心が変わっていきます。2024/02/19 21:02:21477.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb中諦読みをする事で、覚りの世界観が開けて来ます。2024/02/19 21:02:54478.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb凡夫の心にはどこを探しても覚りはありません。2024/02/19 21:03:24479.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb凡夫の心(第六意識)は前五識を対象として起こる縁起だからです。2024/02/19 21:04:02480.神も仏も名無しさんZr7wjほーかいくん御館様の器量でリダンの世話をよろしゅう〜〜😄2024/02/19 21:04:05481.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbなので仏教では、凡夫=無明に心がおおわれていると説かれてます。2024/02/19 21:04:40482.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb無明の心を因として縁起を起こしてもダメなんです。2024/02/19 21:05:14483.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb仏の覚りの因はどこにあるのかと言えば、人間の思考(思慮)の及ばない真如の世界に存在します。2024/02/19 21:06:12484.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb人間の思考(思慮)が及ばない事を無為と言います。2024/02/19 21:06:37485.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbその法を「無為の法」と言います。2024/02/19 21:07:01486.神も仏も名無しさんZr7wjムイムイ?😄2024/02/19 21:07:20487.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb『法華経』の方便品でお釈迦さまが舎利弗に説かれた十如是がそれです。2024/02/19 21:07:51488.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb無為、無為2024/02/19 21:08:15489.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb十如是の三編読みは、そういう無為の法(無漏種子)を因として縁起を起こしている訳です。2024/02/19 21:10:26490.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb仏教でいう「法」とはそういう「無為の法」の事を言います。2024/02/19 21:11:14491.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb世間一般で言う法(運動の法則や因果の法則)などは、人為的要因によって生じる現象(縁起)です。2024/02/19 21:12:10492.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb人為的要因が全く働かない世界、それが阿頼耶識です。2024/02/19 21:12:48493.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb仏性とはそのような阿頼耶識に備わる無漏種子の事を言います。2024/02/19 21:13:47494.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbあーしんどくなってきた2024/02/19 21:14:35495.法介◆T3azX0Hk1UlRlnbこの辺で止めとこ2024/02/19 21:14:47496.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb疲れたわー2024/02/19 21:15:20497.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb明日、体空について話そ。2024/02/19 21:16:20498.法介◆T3azX0Hk1UlRlnb言いたい事がある人は自由きままに書いといて。2024/02/19 21:16:56499.神も仏も名無しさんZr7wjローラーヒステリー開始だからくるかも〜😭2024/02/19 21:33:28500.鹿野園#Buddhist-RinzaiUXaXv>>493> 仏性とはそのような阿頼耶識に備わる無漏種子の事を言います。違う、2024/02/19 22:43:41501.鹿野園#Buddhist-RinzaiUXaXv>>490> 仏教でいう「法」とは>> そういう「無為の法」の事を言います。違う、2024/02/19 22:44:05502.鹿野園#Buddhist-RinzaiUXaXv>>479> 凡夫の心(第六意識)は前五識を対象として起こる縁起だからです。違う、2024/02/19 22:44:26503.鹿野園#Buddhist-RinzaiUXaXv🏥 🚑💨💨💨 👋😆精神病院に帰りなさい🫵👩⚕️2024/02/19 22:45:38504.神も仏も名無しさんoPwSoぶいぶい終わったのか?V!V!V!V!V!V!2024/02/19 23:35:53505.神も仏も名無しさんP8vVs>>422俺は毎日布切れを着る下着や服には本質があり、自我がそれを下着や服と意味を持たそうがそれが妄想だとは思わない妄想なのは、服とは赤い球体の植物【トマト】のことを言うんだ、と信じ込んでる人がいたとしたら、それは妄想だと思うわそういうのを私的言語と言う2024/02/19 23:43:30506.神も仏も名無しさんP8vVsまた、とある建物に入って、棚に置いてある物体を手に取り、それを人が立ってる場所に持ってゆき、自分の皮で作られた袋の中から紙と金属を渡したら、所有権が移るゲームを毎日繰り返すその建物に「お店」、物体に商品、人が立ってる場所にレジ、皮で作られた袋は財布、紙と金属はお金、商品とお金で価値交換するゲームに自我で意味を持たせても妄想だとは思わない棚から商品をとって、そのまま店を出ていいんだ、と思い込んでる人がいたとしたら、それは窃盗だと思うわそういうのは犯罪と言う2024/02/19 23:48:57507.神も仏も名無しさんP8vVsこの世は幻想だ、と言う人がいるが、それでも法やルールがあり、それを法やルールであると認知する自分がいる実在しない、というがこれらは「ゲームの中でも成り立っている」ことゲームの中でもそれらは法であり、現実だ何を持って現実というかゲームの中での事物は実在しないのか?いかなる意味で実在しないといえるのか?ましてや、「ゲームの外はない」というリアリティなのであれば尚更だ2024/02/19 23:51:38508.神も仏も名無しさんP8vVs純粋に不思議なのは、仮にこの世が幻想であり、かつこの世の外はない、というリアリティで生きている時に、その概念は一体我々の人格のためにどんないい効果を及ぼすのか?と思ってしまう2024/02/19 23:52:49509.神も仏も名無しさんP8vVs仏陀は信仰の入り口に八正道を置くこの世が幻想なのであれば、なぜ心霊を浄化する必要があるのか?そんなのは考えるまでもないゲームの中で悪さする魂の存在であり、その我執がさらに悪さに悪さを重ねてゲームの外に出れなくさせてるから、意外に理由はない2024/02/19 23:54:46510.神も仏も名無しさんP8vVsだとするならば、この世が幻想であろうがなんだろうが、やることは一つ、となる2024/02/19 23:55:05511.神も仏も名無しさんP8vVsそのやることは一つ、を頭で考えた中途半端な思考が阻害するなら、その中途半端な思考こそ、真っ先に捨てるべきだし、それが捨てられないから八正道、となる2024/02/19 23:55:52512.リダン◆gEV3xsS//k4f9Ao>>506イマイチ伝わってないないうて俺も言語化が難しいそれに前提で俺の体験と断っている何かちゃんとした裏付けがあるでもなしまあなんとか例えて言えば事象の認識は目などの感覚器官でおこなう空間認識もそうそれを違う記述に変換して脳が再生認識するこの時点であるがままとは言えないわけだ仮に脳でそれら情報を物質化してると仮定すると感覚器官が捉えた情報は物質ではなく別の記述と言える別の記述だとしてもその仕様内では犯罪は犯罪だし、赤い丸い物体はリンゴと呼んだりするで2024/02/19 23:58:07513.神も仏も名無しさんP8vVs「分かったつもり」は求道者において明確な害であると言える求道者は無明の中にあるからこそ求道するわけで、何かを得るために、変わるために、成熟するためにそれを行うにも関わらず、いつも手垢と手グセにかまけて全てを判断するのであれば、何も増えないし得られるものがない2024/02/19 23:58:40514.神も仏も名無しさんP8vVs法介さんの言うように「相手の立場に立つ」も大事だが、それと同じぐらい、「固定観念で判断しない」も大事2024/02/19 23:59:31515.リダン◆gEV3xsS//kpiIEB>>511そうそうだから気づいたらやはりどうあるべきかが重要だと思うあるべきに執着していると論難されたが(Gさんに)2024/02/20 00:00:26516.神も仏も名無しさんEu0K8>>512本質は妄想と「あるがまま」の「存在の状態」は具体的にどういう関係にあるん?上で、そこら辺がごちゃまぜになってないか?と指摘はしましたな2024/02/20 00:00:47517.リダン◆gEV3xsS//kpiIEB>>516本質とは自我の意味づけと言語化や2024/02/20 00:02:12518.神も仏も名無しさんEu0K8>>515一つ一つ、ちゃんとやったほうがええで元々の話の論点はリダンの> 実体が存在しないという仕様においては、実在は客観的に存在するの意味不明な言説に関しての話だったような(^_^;)2024/02/20 00:02:32519.神も仏も名無しさんEu0K8>>517本質と自我は何の関係もないで?法は確かに自我がその法則を言語化できるものだが、意味づけしてもしなくても法は働いとるやろ?2024/02/20 00:03:31520.リダン◆gEV3xsS//kpiIEB>>518妄想の仕様において実在は存在するやな2024/02/20 00:03:44521.神も仏も名無しさんEu0K8自我が鼻くそをほじる行為に「加湿器」という意味づけを行うことが、本質に何の関係があるの?2024/02/20 00:04:22522.神も仏も名無しさんEu0K8>>520ほらな、やっぱり主張を繰り返すだけだろ?深まろう、理解しようと、という状態じゃないから、有耶無耶な言葉のやり取りだけで終わるわけよだから不毛、となる2024/02/20 00:05:17523.リダン◆gEV3xsS//kpiIEB>>519あるがままに働いている(不思議)ところの表面上を、自我があれこれ見出すわけや2024/02/20 00:05:42524.神も仏も名無しさんEu0K8まぁ、個人的にはリダンがそう言う状態なの知ってるから別にそのままでもいいわけだけどw2024/02/20 00:05:49525.神も仏も名無しさんEu0K8>>523自我が見出さなくても本質はあり続ける、という主張をしてるわけだが…(^_^;)2024/02/20 00:06:30526.リダン◆gEV3xsS//kpiIEB>>521鼻くそほじる時点でかゆいからという意味づけしとるやろ2024/02/20 00:06:31527.神も仏も名無しさんEu0K8>>526いや、加湿器って意味づけをしたのよ2024/02/20 00:06:55528.リダン◆gEV3xsS//kpiIEB>>522いや君が理解しようとしないだけやん仮和合だぞ仮和合が鼻くそほじる行為に自我がかゆいからと理由つけるやろ2024/02/20 00:07:44529.リダン◆gEV3xsS//kpiIEB>>525だから本質を規定するのは誰か?ってことや2024/02/20 00:08:49530.リダン◆gEV3xsS//kpiIEB>>527加湿器?2024/02/20 00:09:17531.神も仏も名無しさんEu0K8>>528それ、意味付けじゃなくて、縁起の話だろ?身体の生理現象が生まれた時にその解消のためにほぼ万人がとる行為についての話し自我や意味付け関係ある?2024/02/20 00:09:23532.神も仏も名無しさんEu0K8>>529客観知2024/02/20 00:09:48533.神も仏も名無しさんEu0K8>>530そう、自我が意味付けするってそういうことや2024/02/20 00:10:13534.リダン◆gEV3xsS//kpiIEBだから縁起で仮和合が鼻をほじる結果は自我目線だとかゆいからだろあるがままならただの作用だ2024/02/20 00:11:06535.神も仏も名無しさんEu0K8>>534痒かろうが痒くなかろうがかくんだよおまいは他者の痒さを内面から感じられるんか?哲学的ゾンビってそういう話しだ痒くなかろうが痒かろうが掻くんだよそれは、過去の経験上から、自我がどうだろうが客観的な事実なんだよ2024/02/20 00:12:33536.リダン◆gEV3xsS//kpiIEB>>532だから客観知を規定したのは誰か?ってことだろ2024/02/20 00:12:34537.神も仏も名無しさんEu0K8>>536過去の「現象」だ自我は関係ない2024/02/20 00:12:58538.神も仏も名無しさんEu0K8おまいは痛覚がぶっ壊れてて、他の人間はどうやら痛覚があるらしいって時に、自我と痛みを一体どう結びつけるつもりなんだ?2024/02/20 00:13:45539.リダン◆gEV3xsS//kpiIEB>>535いっておくが別にそれを否定してねえよただし自我と意識と感覚器官のデバイスを通した仕様上でってこと2024/02/20 00:13:54540.神も仏も名無しさんEu0K8>>539だから、その自我ってやつが「自分にしか適応されない」のに、なぜ本質と自我を結びつけられるんだ?って言ってるわけだが2024/02/20 00:14:43541.神も仏も名無しさんEu0K8明日、太陽が昇り、沈むのは、自我の意味付けの仕業なのか?2024/02/20 00:15:26542.神も仏も名無しさんEu0K8素朴実在論は自我の意味づけではない単に、素朴にそう信じられてるだけだな2024/02/20 00:16:39543.リダン◆gEV3xsS//kpiIEB>>540自分だけじゃなく皆だよ本質ってのは自我と意識と感覚器官のデバイス上のことに過ぎないていう解釈だよその上でなら別に否定してねえってのだから法介さんの話にも矛盾しねえの2024/02/20 00:17:11544.神も仏も名無しさんEu0K8本質ってのは実存と関係ないのよ2024/02/20 00:17:14545.神も仏も名無しさんEu0K8>>543みんなの自我はおまいのは分からんって話よおまいに分かるのはおまいの自我だけみんな自我を持ってる、と素朴に信じられるのは、それがリダンが素朴みんな自我を持ってる論理者だからだなw2024/02/20 00:18:15546.リダン◆gEV3xsS//kpiIEB>>544そういってるんだがどうも実存を俺が勘違いしてるか実存=無我でいいよな2024/02/20 00:18:40547.神も仏も名無しさんEu0K8>>546リダンはいつと分かってるつもりでええ加減だから知らんw2024/02/20 00:19:09548.神も仏も名無しさんEu0K8こういうのは解像度が大事なんよ2024/02/20 00:19:21549.神も仏も名無しさんEu0K8法介さんのレス全部読んでわけじゃないから知らんが、少なくともリダンの主張では妄想と客観の区別がつかん2024/02/20 00:21:35550.神も仏も名無しさんEu0K8明日あさ太陽が沈み、夜に太陽が昇る、と自我が意味づけしてるならそれは妄想だしかし、朝太陽が昇り、夜太陽が沈む、と意味付けしてるなら、やろうがやってようがそれは客観的な事実だし、実在の銀河系はそういう風に動いている2024/02/20 00:22:51551.神も仏も名無しさんEu0K8妄想って単語はこういう風に使う朝太陽が昇り、夜太陽が沈む、という意味づけは自我が付与しようが常識としてあろうが、妄想ではない2024/02/20 00:24:25552.神も仏も名無しさんEu0K8それは単なる客観的な事実だそれは前五識でも七識でも八識でも確認できる2024/02/20 00:25:15553.リダン◆gEV3xsS//kpiIEB>>550いやあのな無我の状態だと太陽がしずもうが昇ろうが分からんのよ自我があってそれを太陽と名づくんよだから法介さんは自我に仏性がやどらんと意味ないやろというわけ2024/02/20 00:27:11554.神も仏も名無しさんEu0K8>>553> 無我の状態だと太陽がしずもうが> 昇ろうが分からんのよまじでwwwそんな事態をリダンは体験したことあるなら、その時の体験をなるべく細かく描写してみてw2024/02/20 00:28:19555.リダン◆gEV3xsS//kpiIEB>>552だから前五識の入力は別のものに変換されて届くからその時点で意識の変容次第ではあるがままではないのよ2024/02/20 00:29:07556.神も仏も名無しさんEu0K8それ、たんに部屋の中に閉じこもってカーテン閉めて目をつぶってるだけだろw2024/02/20 00:29:32557.神も仏も名無しさんEu0K8>>555いや、それ七識の話だし、なんなら阿頼耶識には全てが記憶されてるから太陽の昇降も普通に記憶されとるだろw2024/02/20 00:30:51558.リダン◆gEV3xsS//kpiIEB>>556いや脳で再生してんだぞ俺ら現代科学で考えても脳に届くまでに一度変換されてるやろ情報が2024/02/20 00:31:08559.神も仏も名無しさんEu0K8>>558太陽の昇降が脳で変換されるのと、変換されてるから元になってる太陽の昇降が存在しない、は一体どう繋がるんだw2024/02/20 00:32:21560.リダン◆gEV3xsS//kpiIEB>>559物質化の話してんのよ太陽の昇降が存在しないとはいってないわ物質としての太陽が昇るのは自我と意識と認識器官デバイス上だっつう話よ2024/02/20 00:34:30561.神も仏も名無しさんEu0K8>>560自我は末那識で意識は六識で認識器官が生む像は五識だが、それがなんで自我の意味付けの妄想となるんだ?2024/02/20 00:36:30562.神も仏も名無しさんEu0K8とまぁ、こんな感じで大概の人が途中で思考止めとるわけよなぜなら、概念は目的のためにあり、その目的が探究ではなく、分かったつもり、つまりプライドのためなら、それだけで充分となるから2024/02/20 00:37:35563.リダン◆gEV3xsS//kpiIEB>>562いやいやどうあるべきかを探求せな2024/02/20 00:38:42564.リダン◆gEV3xsS//kpiIEB>>561真如や法はあるがままだからだよ分別しなきゃ太陽は認識できん2024/02/20 00:39:55565.神も仏も名無しさんEu0K8唯識では見分と相分がある客観は相分だなんで、妄想ってのは見分と末那識が交わるところで、客観である相分を、客観とは違う形で意味付けを行う時、のみに生じるもんだなつまり、客観はあるし、実在もある2024/02/20 00:40:31566.神も仏も名無しさんEu0K8>>563意味不明や>>564そういうのを妄想、私的言語という2024/02/20 00:41:16567.神も仏も名無しさんEu0K8相分は客体だた2024/02/20 00:42:07568.リダン◆gEV3xsS//kpiIEB>>565見分と相分に分別して初めて真如から実在を認識するんだろ2024/02/20 00:43:16569.リダン◆gEV3xsS//kpiIEB>>566というか最初から俺の体験ですまんがと断っとるやろがいw2024/02/20 00:44:05570.神も仏も名無しさんEu0K8>>568今の話に真如関係ないからしかも真如は「状態」だから本質側の概念だリダン的には本質は自我が意味づける妄想だからリダンにとっては真如も妄想になる2024/02/20 00:44:31571.神も仏も名無しさんEu0K8>>569だからそういうのを「分かったつもり」と言うとるんじゃわい😆2024/02/20 00:45:13572.リダン◆gEV3xsS//kpiIEB>>570いやだから真如に意味を見出して如来となるんやろがい2024/02/20 00:45:47573.リダン◆gEV3xsS//kpiIEB>>571だから最初にこの世は仮想現実から来ましたいうたろがい2024/02/20 00:46:31574.神も仏も名無しさんEu0K8>>572リダンの持論を徹底すると、如来も妄想になるわい😆2024/02/20 00:46:35575.リダン◆gEV3xsS//kpiIEBこの世は仮想現実スレから来ましたや2024/02/20 00:47:04576.神も仏も名無しさんEu0K8>>573それがリダンの妄想じゃろがい😆2024/02/20 00:47:12577.神も仏も名無しさんEu0K8>>575うむ、リダンの自我が意味付けて妄想が生じていることをわたすは客観的に確認しますた😆2024/02/20 00:47:58578.リダン◆gEV3xsS//kpiIEB>>576この世は全て妄想やからまあそれも妄想やな2024/02/20 00:48:15579.神も仏も名無しさんEu0K8>>578うむ、リダンにとっては全ては妄想になりますなw2024/02/20 00:48:42580.神も仏も名無しさんEu0K8妄想の無限後退そんな概念は何の役にも立たないことだけは客観的な事実だ😆2024/02/20 00:49:38581.神も仏も名無しさんEu0K8仏陀も泣いとるで😭2024/02/20 00:49:54582.リダン◆gEV3xsS//kpiIEB>>581なんで最初に断ってんのに仏陀になかれるんや2024/02/20 00:51:00583.リダン◆gEV3xsS//kpiIEB>>570真如は状態じゃねえよあるがままだ2024/02/20 00:52:00584.神も仏も名無しさんEu0K8>>582今日のやりとりはこれの注釈だ> 例えば、悟りという個が到達する「状態」は状態であるから「本質側」になる>> しかし、その状態、つまり悟りが妄想なのであれば、足元から仏教が瓦解しますな2024/02/20 00:52:00585.神も仏も名無しさんEu0K8んで、これの証明でもある> >>413> 分かったつもり発言を連発する人は基本的に、俺すげーを楽しみたい人>> 求道の道には入ってないので、その前提で話をする、となりますな>> 面倒なのは求道関連の話をしてる時にからまれること>> そういう時は招かれてないからスルー、となりまつ2024/02/20 00:52:39586.リダン◆gEV3xsS//kpiIEB>>584悟りが状態であるのは同意や無我と真如は悟りじゃねえよあるがままだ2024/02/20 00:53:02587.神も仏も名無しさんEu0K8んで、あるがままが状態でないと妄想してるリダンをおいて、今日はこれぐらいにしとくかw2024/02/20 00:53:20588.リダン◆gEV3xsS//kpiIEB>>585それは君の決めつけ2024/02/20 00:54:03589.神も仏も名無しさんEu0K8大丈夫リダンの言説が証明してるから(^_^)v2024/02/20 00:54:29590.リダン◆gEV3xsS//kpiIEB>>587最初に断ってんのに鬼の首とった勢いやな2024/02/20 00:54:44591.神も仏も名無しさんEu0K8存在に語らせればいい存在は雄弁に自分の状態を語ってくれる2024/02/20 00:55:16592.神も仏も名無しさんEu0K8>>590勝ち負けじゃないのよそのうちわかるようになるかもな2024/02/20 00:55:50593.リダン◆gEV3xsS//kpiIEB>>589どうにも真如と悟りごっちゃやし真如を状態っていうし真如を状態とするならまさに太陽が昇ることをいう現れに対して意味を付与するってことよ2024/02/20 00:57:01594.神も仏も名無しさんEu0K8リダンが状態という単語にどんな妄想を重ねてるのか知らんとりあえず辞書で調べてくれw2024/02/20 00:58:10595.リダン◆gEV3xsS//kpiIEB辞書で調べたが真如の現れに状態をみるんだろが2024/02/20 01:00:09596.神も仏も名無しさんEu0K8あるがままは状態だよな?2024/02/20 01:00:48597.リダン◆gEV3xsS//kpiIEB>>596そこかよ2024/02/20 01:01:20598.リダン◆gEV3xsS//kpiIEB>>596もうそれは座れ俺のレベルでは言語化出来んただあるのみや2024/02/20 01:02:23599.神も仏も名無しさんEu0K8いちごという単語もいろんな使い方があるリダンの文脈の真如の主張は主体であり状態だし、法である場合は本質側の話になるだけんで、法である本質はリダンは妄想だと言ってるから、残りは主体の状態だけよの2024/02/20 01:03:00600.神も仏も名無しさんEu0K8>>598ただあるのみ、だけでは真如じゃないな2024/02/20 01:03:22601.神も仏も名無しさんEu0K8そこにも色んなハシゴがあるだから「分かったつもり」と言ってるんだ2024/02/20 01:03:52602.リダン◆gEV3xsS//kpiIEB>>600何故そう思う?2024/02/20 01:04:01603.神も仏も名無しさんEu0K8>>602本質と変容が欠けてるな2024/02/20 01:04:24604.リダン◆gEV3xsS//kpiIEB>>599だから状態として見出すのは自我だっつうの2024/02/20 01:04:54605.神も仏も名無しさんEu0K8赤子はただあるのみ、から受肉をスタートするんで人生の中で放蕩して位の高い本質を身につけて存在の梯子を登ってゆく2024/02/20 01:05:23606.リダン◆gEV3xsS//kpiIEB>>605だから受肉のフォーマット上ならそうだってばよ2024/02/20 01:06:09607.神も仏も名無しさんEu0K8>>604何度も、指摘してるけど何を指摘されてるか分かってないだろ?分かってるつもりだとそうなるんだよ求めてないそれは知ってるのだから証明なわけよ2024/02/20 01:06:28608.神も仏も名無しさんEu0K8>>606お、また私的言語の妄想がきましたなw2024/02/20 01:06:50609.神も仏も名無しさんEu0K8ちなみに、俺のリダンは求めてない、の根拠は今までのやり取りから帰納法的に演繹されてる自我の意味付けではなく、現象の積み重ねで結論づけとるわけだこれは客観なんだな2024/02/20 01:08:12610.リダン◆gEV3xsS//kpiIEB>>607証明もなにも自我なきゃなんもわからんやろが2024/02/20 01:09:00611.神も仏も名無しさんEu0K8>>610リダンがいなくても地球は続くから大丈夫(^_^)v2024/02/20 01:09:32612.神も仏も名無しさんEu0K8寝る前にリダンにいい事を教えてあげよう求道者が求めてることは一歩でもゴールに近付くことだから、自分の足りないところを知ることは、最上にありがたいことなんや鹿とリダンはどうもその真逆のように見える2024/02/20 01:12:07613.リダン◆gEV3xsS//kpiIEB>>609まずな現象としてのそれは否定してないここはいいな?んで自我の認識によるものを俺は妄想と呼んでるとしかし自我の立場からしたら現実は現実だし事実は事実と認めとるわけ2024/02/20 01:12:34614.リダン◆gEV3xsS//kpiIEB>>611だーかーらーそれは否定してねえっての2024/02/20 01:13:14615.神も仏も名無しさんEu0K8JBLさんやエイシストさんとか漢前さんみたいな5chで稀有な存在がいるけど、ああいう人たちは求道者なのがよく分かるもしリダンが分からないなら求道者ではないからだと思うで2024/02/20 01:13:27616.神も仏も名無しさんEu0K8>>613-614勝ち負けじゃないのよまぁ、そのままでええと思うでリダンにはリダンのペースがあるからな2024/02/20 01:14:11617.リダン◆gEV3xsS//kpiIEB>>616勝ち負けの話すきやなあ2024/02/20 01:15:28618.神も仏も名無しさんEu0K8>>617うん、現行犯逮しても気付かない椰子と話してるからなw2024/02/20 01:15:53619.神も仏も名無しさんEu0K8そんな内面の機微が分からない荒すぎる感性で座ってるとか言われても、ファッションで?とかおもっちゃうw2024/02/20 01:16:42620.リダン◆gEV3xsS//kpiIEBだいたい唯識論で話すすめてんだからよ唯、識=物質ではないで別におかしくないやろ2024/02/20 01:17:31621.神も仏も名無しさんEu0K8また話が変わったほんと、学ばんやつやなおやすみ💤2024/02/20 01:18:00622.リダン◆gEV3xsS//kpiIEB>>621いや、最初から物質化の話してんじゃねえかw2024/02/20 01:18:45623.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd目が覚めて見てみるとリダンとサティーが結構書き込んでいたんで一通り目を通した。2024/02/20 03:58:18624.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd読んでいて、良い事言ってるなーと思った発言に早速、新機能の「いいね」を押してみた。2024/02/20 03:59:16625.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd二人の会話を読んで喩えるならリダンは見事なホームランをかっ飛ばすが三振も多い2024/02/20 04:01:43626.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdサティーは、ホームラン性の打球は飛ばないが確実にヒットを打つ決して三振する事はない2024/02/20 04:02:45627.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdそんな感じに思えた。2024/02/20 04:03:05628.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdで、リダンは「その表現、お見事!」って時もあるんだけど時々、おかしな表現になってる時もある。2024/02/20 04:04:32629.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdどういう点かと言えば、「全ては自我による妄想である」という表現なら違和感は感じない2024/02/20 04:06:26630.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdしかし、同時に「前五識による超リアルな妄想だ」とか言う。2024/02/20 04:07:24631.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdってことは、リダンが言う「妄想」って実在していないという意味である「幻想」のことかなと思ってしまう。2024/02/20 04:09:20632.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdで、確認して見ると「妄想は自我仕様では実在する」みたいに言う。2024/02/20 04:11:36633.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdリダンの言う「妄想」がバーチャルを意味するのであれば「バーチャルは自我仕様では実在す」という風に置き換えられる。2024/02/20 04:13:03634.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd自我仕様とは、前五識の認識によって働く意識(第六意識)のことだとリダンは言う。それは間違いではないので違和感はない。2024/02/20 04:14:59635.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdしかしバーチャルとは仮想現実である。リダンが言っているのは、「本来は存在していない対象を自我が五蘊の働きで勝手に「有る」と思い込んでいる(妄想)んです!」と成る。2024/02/20 04:18:16636.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdしかし、わたしとサティーは認識している対象は、存在している。それはバーチャルでは無く確かに目の前に存在している。と考えている。2024/02/20 04:20:22637.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdただ、自身が思っているような感じで存在している訳ではない。2024/02/20 04:21:17638.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd「自身が思っているような感じ」↑これがその人の自我2024/02/20 04:21:54639.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd世の中は人間が思っているような感じて存在している訳ではなく、実は人間が認識出来ていないもっと沢山の次元によって出来ている訳です。2024/02/20 04:23:30640.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdだから人間の認識(前五識に依る認識)では本当の世界の姿を認識出来ていはいない。2024/02/20 04:24:39641.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdなのに人間は、自身が認知している世界が本当の世界だと勘違いして信じて疑わない。2024/02/20 04:25:59642.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdリダンが言う「妄想」が「勘違い」を意味しているのかそれとも「実在しないもの」を意味しているのかリダンの説明を聞いてみても今一そこんとこが曖昧に感じる。2024/02/20 04:29:31643.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdしかし、リダンのそれはなにもリダンに限った事ではない。2024/02/20 04:30:03644.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd多くの仏教者がそのあいまいな表現を用いている。2024/02/20 04:30:57645.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd「無我」や「自我」という仏教用語を用いる事でその曖昧さをおかしいと気づかずに2024/02/20 04:32:17646.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdそのおかしなことを先日、「人が認識されない事象(出来事)は存在しないのか」というテーマで皆で討論した。2024/02/20 04:34:16647.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdあの討論で果たしてそのおかしい所に何人が気づいただろうか2024/02/20 04:35:11648.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd昨夜のサティーの発言に人間が認識しようがしまいが朝になれば太陽は昇り、夕方になれば沈んでいくみたいな発言があった。2024/02/20 04:37:08649.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdリダンに言わせれば、それは人間が言語化した現象で実際のところは、「太陽」は無い。無いものが昇る事も無い。2024/02/20 04:38:36650.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdだからそういった現象も実は起きていない。と言いたいのであろう。2024/02/20 04:39:20651.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdここで考えて欲しいことがある。大変重要な事です。2024/02/20 04:40:01652.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd仏教は苦しみや悩みがどうして起こるかを徹底的に探求されたものです。2024/02/20 04:41:11653.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd太陽が昇る現象を言語化して表現する行為は、その方が人間が生活するにおいて便利だからです。2024/02/20 04:42:43654.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd「太陽は無いんだと思え!」とか言われたら人は戸惑います。2024/02/20 04:43:21655.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdだって「太陽」あそこにあるじゃん!と指さして言いたくなります。2024/02/20 04:43:57656.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd「いや、それはおまえの妄想だ!」とか言われて何か苦しみがとけるんですか?2024/02/20 04:44:44657.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd「いや、それはおまえの妄想だ!」とか言われて何か悩みが無くなるんですか?2024/02/20 04:45:12658.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdむしろ、それによって人を悩ませていませんか?2024/02/20 04:45:36659.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd実際、それによってどれだけ無意味な論争が5chで繰り広げられておりますか。2024/02/20 04:46:30660.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdわたし的に「太陽」をとりあげてお話するなら次のようになります。2024/02/20 04:47:34661.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdリダンが言う通り、「太陽が朝になれば昇る」という現象は人間が言語化したもので実際のところ人間の言語から離れれば「太陽」も「昇る」も人間が勝手に付けた定義(本質)です。2024/02/20 04:50:13662.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd実際は、人間の定義(概念)とは関係なくそのモノがそのモノと成り得た縁起で成り立っています。2024/02/20 04:51:59663.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdでは、我々が「太陽」と呼んでいる対象はどのような縁起で今の姿があるんでしょうね。2024/02/20 04:53:11664.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdそれを探求しているのが物理学ですよね。2024/02/20 04:54:10665.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdでもそんな事よりわたしはまた別の事を考えます。2024/02/20 04:54:54666.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdこの「太陽」という存在があるおかげでどんだけ人類はその恩恵を受けて生きてこれただろうと。2024/02/20 04:55:53667.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd「太陽」って本当にありがたい存在だなーって。2024/02/20 04:56:32668.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd古代日本の太陽信仰ってそんな感じで生まれたんじゃないでしょうかね。2024/02/20 04:57:15669.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdと、「太陽」というモノ一つとってもサティーやリダンやわたしとでは話す内容もその人それぞれです。2024/02/20 04:59:10670.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd良いんじゃないでしょうか。それで。人は皆、考え方も感じ方もそれぞれです。2024/02/20 05:00:01671.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd自分はこれを見てこう感じたがこの人はこんな風に感じるんだーって思えばそれで良いんじゃないんでしょうか。2024/02/20 05:01:06672.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd私の家庭では家族みんなドラマや映画を観るのが好きです。2024/02/20 05:02:00673.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdドラマや映画を観て各々の感じた事、思う事を言い合うんです。2024/02/20 05:02:38674.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd家族が集まるとこのドラマ見てる?あの映画観た?って感じで話題が持ちきりです。2024/02/20 05:03:28675.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdいつだっかた次男が『怒り』という映画を観て来てこう言ったんです。「何を言いたいのか今一良く解らんかった」「でも、何か大事なことを訴えてるようにも思えた」「お父さん、観て来て」と。2024/02/20 05:06:12676.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd仕方ないから映画館に観に行きましたよ。2024/02/20 05:06:43677.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd観てみると、おー、なかなか良く出来た作品だと思いました。2024/02/20 05:07:29678.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdちょっと複雑なストーリー展開になってましたのでそれを解りやすく次男に解説してあげました。2024/02/20 05:08:34679.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd確かアカデミー賞を総なめしてませんでしたかねこの作品。2024/02/20 05:09:36680.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdそんな感じの我が法介ファミリーなのですがこれは私の家庭教育の一環なんです。2024/02/20 05:10:44681.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdそうやって常日頃から人って自分とは違うんだという事を薫習させているんです。2024/02/20 05:12:21682.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd自分はこう思うのになんでこいつはそう思えないのかとか、ナンセンス。2024/02/20 05:12:58683.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdだって人間って育った環境も、教えられた教育も学んで来た学問も宗教もみんな異なります。2024/02/20 05:14:05684.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdそんな多種多様な人達の考えや理解が全て一つになるはずがありません。2024/02/20 05:15:19685.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdそれを一つにしようとしたら必ずもめごとが起こります。2024/02/20 05:15:54686.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd5chの宗教板のように。2024/02/20 05:16:19687.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd禅宗の教えにこだわりたい人はそういう人たちで禅宗の教えについて討論したら良いと思います。2024/02/20 05:17:25688.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdわたしは禅宗の教えにはそんなに興味ないので参加しようとも思いません。2024/02/20 05:18:15689.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd逆に、天台や日蓮の教えについて語っているところに何で禅宗の教えをもって意見しにズカズカと入ってこられるのか、、、大変、迷惑なものです。2024/02/20 05:19:56690.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd仏教では宗派ごとに経典の解釈に違いが出てきます。解釈が異なるので宗派に分かれてもいる訳です。2024/02/20 05:22:20691.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd自分のとこの宗派ではこう教えられているがよそではでうなんだろうと真理を探究する姿勢はサティも言ってましたが大変すばらしい行為だと思います。2024/02/20 05:24:06692.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdしかし、自宗の解釈をゴリ押しして常に論争を引き起こす行為はただただ、迷惑でしかありません。2024/02/20 05:26:03693.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdその宗派の教えを極めている者同士であれば法論にも意味が生じるでしょう。2024/02/20 05:27:00694.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdしかし、自宗の教えすら正しく理解出来ていない者同士が ←ここ大事!いくら論争したところで何の意味が御座いましょうか。2024/02/20 05:28:23695.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd先ずは自宗の教えを同じ宗派同士の者で討論し自宗の教えの理解を深めていかれる事が大事ではとわたしなんかは思います。2024/02/20 05:30:25696.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd仏教によって論争が絶えないこの現状をお釈迦さまがみたらどんなに悲しまれることでしょう。2024/02/20 05:32:17697.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd意見を述べ合う事は良い事です。しかし、相手を小馬鹿にする必要ありますか?2024/02/20 05:33:19698.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd相手を見下す必要ありますか?2024/02/20 05:33:46699.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd同じ事柄であっても皆が皆自分と同じ考え感じ方をするとは限りません。2024/02/20 05:35:01700.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdそれを説いているのが相依性縁起です。2024/02/20 05:35:48701.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdこの相依性縁起は通教でひも解かれた教えで人間の心を中心にして起こる縁起になります。2024/02/20 05:37:03702.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdこれを理解する事で「体空」が起こります。2024/02/20 05:37:45703.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd「析空」はモノのあり方として見られる側(六境)の真理を人間の客観認識で捉えるのではなく、仏の縁起の観方で捉えて起こる空観です。2024/02/20 05:39:46704.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd対して「体空」は、そのモノを認識する人間の心のあり方を唯識としてひも解いた教えです。析空=客体の真理(存在のあり方)体空=主体の真理(認識のあり様)2024/02/20 05:42:31705.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd主体である我々人間の認識に主観(見分)と客観(相分)とがあり、人間はこの主観と客観とで対象を実体(人間の定義)として認識します。2024/02/20 05:44:24706.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd昨今の量子力学では、人間が認識するまで波動なのか粒子なのかは実は決まっていないとされます。それをもって世界は人間が認識するまで存在しないとかいってる方がおられますが、それは「量子力学」でのお話です。2024/02/20 05:50:35707.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd「量子力学」って人間の概念として存在している学術なんですね。2024/02/20 05:51:20708.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd「人間の認識」においては確かにそうなります。2024/02/20 05:52:01709.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd認識されない存在は、人間の世界には存在しようがありません。2024/02/20 05:52:36710.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdですから誰からも認識されない火事は、認識されていない訳ですから人間の認識の世界では存在しておりません。2024/02/20 05:53:29711.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdしかし、(ここからが大事!)果たして「人間の認識」だけでこの世界は出来ているんでしょうか。2024/02/20 05:54:32712.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd違いますよね。人間が認識出来ていない事って実は一杯あるかと思います。2024/02/20 05:55:11713.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd人間が認識出来ていないだけで、実際は火事は起きています。(実在の真理)2024/02/20 05:55:51714.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdだから、人間が認識した時、焼け崩れた家として認識されます。認識されるまで出来事が起きていないのであれば、焼けていない状態で家は認識されなければなりません。2024/02/20 05:57:26715.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdこの話を考えた時わたしはある事が頭に浮かびました。2024/02/20 05:58:08716.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd仏教で説かれている目連尊者のお話です。2024/02/20 05:58:43717.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdhttps://www.zen-temple.com/zatugaku/obonnohanasi.htm↑のサイトから引用で紹介します。2024/02/20 05:59:29718.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdこのお話はよく聞かれたことがあると思います。目連尊者(もくれんそんじゃ)の親を思う孝順心が根底に流れる物語です。すでにご存知に方ばかりと思いますが、 少しお話いたします。2024/02/20 05:59:53719.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdおしゃか様がいらっしゃった時のお話で、お弟子の一人に目連尊者という方が いらっしゃいました。目連尊者は修行を重ねられる中で神通力を得られたという方です。その力は人々のために活かされ、多くの人々から尊敬されていました。2024/02/20 06:00:35720.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd有る夏の暑い日のことです。木陰で休んでいる目連尊者の前を楽しそうに話ながら母子が通っていきました。その姿に、何年も前に亡くなってしまった母親を思いだした目連尊者は、 神通力の一つ天眼を利して会いに行くことにしました。2024/02/20 06:00:58721.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd「あのやさしかったお母さん、今はいずこに」探し探す間に地獄の入り口にたどりついた目連尊者はまさかと思いながら入ってみ ました。2024/02/20 06:01:25722.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd地獄にはいろいろあるそうです。お湯が煮えたぎって人間が苦しんでる地獄。 針山 地獄。血の池地獄。楯刀を持たされて争っている地獄。人間が切り刻まれる地獄。 そ んな地獄が際限なく続くそうです。焦熱地獄を覗いた時です、そこに横たわっているのはお母さんではありませんか。 目連尊者に駆け寄る母親は一杯の水を頼みました。しかし、水器で運んだ水は熱さで 煮えたぎり、持ち寄った食事は火と化したと経典には記されています。2024/02/20 06:02:22723.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd大泣、悲号する目連尊者はおしゃか様の前に進み出、ことの子細を話しました。 が、そこで仲間から聞かされたことは目連尊者の母親の悪業だったのです。目連尊者の母親は目連を大変かわいがりましたが、そのあまり、道理がわからなく なってしまっていたようです。夏のある日、目連尊者の家の前を通りかかった人が一杯の水をめぐんでくれるよう に頼みました。水瓶の水はあふれんばかりでしたが、母親はふたを取ろうとしませ ん。何度も乞う声に母親は「この水は目連の水」とこたえたのでした。インドは暑く、特に水はどこにでもあるというわけではありません。おしゃか様は、布施(物を施すこと)は執着心を離れることとして奨励されました が、あながち「心」の問題ばかりでなく、社会の貧困を解決すること(助け合うこ と)を教えられていたように思えるのです。もくれんを思うあまり施しを忘れ、道理を見失った母親は、その「おろかさ」 をもってあの世に行ったのでしょう。結果は地獄でした。目連尊者にとって、自分のた めに地獄にいる母親はおどろきであり、辛く苦しいことだったのでしょう。この気持 ちは私達もわかるような気がします。悲しみに打ちしおれる目連尊者は再びおしゃか様をたずねました。2024/02/20 06:05:10724.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdおしゃか様は過去を取り返すことはできないが、母親のできなかったことをするこ とはできると話され「七月十五日(八月に行う地方も多い)は雨期もあがり僧侶も夏 の修行に一段落つく日である。人々も町に出てくる。この人たちに母親の出来なかっ たするがよい」と示されたのです。この日、目連尊者は百味、百果の食べ物を用意したそうです。誰にでも食べていた だこうとしたのでしょうね。食事には多くの人々が集まってきました。おしゃか様を中心に法要も行われたことでしょう。法要は「さとりの心をよりどころにしなさい」ということですね。2024/02/20 06:06:37725.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd楽しい食事も終わり、目連尊者は再び母親を訪ねました。白い雲に包まれた母親がうれしそうに空に登っていくところでした。目連尊者は飛 び上がらんばかりに喜び、おしゃか様に、 「もし後の世の人々がこのような行事をすればたとえ地獄にあろうとも救われようか」と尋ねました。おしゃか様もうれしそうにこたえられました。 「いま、わたしが話そうとしたところだ。もし孝順心を持ってこの行事を行うなら必ずや善きことがおこるであろう」その日、村のあちこちから歓声がきこえ、喜びのおどりはいつまでもつづいたそうです。布教委員会編『お盆の献立』より2024/02/20 06:07:28726.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd「人間の認識」とその人間の認識を超えて見える世界のお話です。2024/02/20 06:08:37727.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd世界は我々凡夫が見ている世界をもって「これが世界だ」と思っているのは愚かな人間の勝手な思い込み(妄想)であって世界は我々人間が思うような感じで実在していません。2024/02/20 06:11:12728.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd存在していないと言っているのではありません。世界は「実在の真理」と「認識における真理」とで捉えて始めて本当のありのままの姿を正しく捉えることが出来ます。2024/02/20 06:13:36729.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdそれが仏教で説く「色即是空 空即是色」です。2024/02/20 06:14:16730.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd「色即是空」は、わりと理解しやすいです。しかし「空即是色」はと言いますと正しくそれを理解出来ている人は少ないのではないでしょうか。2024/02/20 06:15:30731.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd天台智顗はそれを色即是空=従仮入空観空即是色=従空入仮観と説いておられます。2024/02/20 06:16:43732.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdいわゆる、析空と体空です。色即是空=従仮入空観 --- 析空観空即是色=従空入仮観 --- 体空観2024/02/20 06:17:46733.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd「従仮」とは、「仮の世界に身を置きながら」という意味で、仮の世界に身を置きながら、空の世界観に入るという意味です。2024/02/20 06:19:19734.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdでは体空の「従空入仮観」はと言いますと、仏の空の世界観で、凡夫の仮の世界観を感じるという意味です。2024/02/20 06:20:53735.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd例えて言いますと、最初にお話しましたトマトのお話。サティーが縁起の観方でそれを語ってくれました。それが、仮の世界に身を置きながら、空の世界観に入るという「従仮入空観」、即ち「色即是空」です。2024/02/20 06:24:50736.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdそうかサティーはそう観たか。しかし私はこう観るぞ、と私の「色即是空」を語りました。2024/02/20 06:26:21737.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdおなじ「色即是空」の原理ですが、語っている内容はそれぞれ違っています。リダンにしても然りです。2024/02/20 06:27:36738.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdなるほど、同じ対象を観察してもそれぞれに異なった「色即是空」が働いているんだなと思える人は「空即是色」が働いております。2024/02/20 06:29:27739.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdなぜなら「空即是色」は相依性縁起で起こる縁起だからです。2024/02/20 06:30:24740.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd観る人が変われば、同じ対象であっても異なって観える。という相依性をきちんと理解しそれが阿頼耶識に薫習されていれば、そう思えてきますので言い争いは起こりません。2024/02/20 06:32:30741.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd「空即是色」の縁起が起こらない人は自分の主張をゴリ押しして常に言い争いが起こります。2024/02/20 06:33:27742.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdこれが析空と体空を覚っている人と今で覚り得ていない人の人としての振る舞いに顕われる現象です。2024/02/20 06:34:26743.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd後者の人は、絶えず争い前者の人は、見識を深めていきます。2024/02/20 06:35:20744.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd仏教では人として正しく、賢く生きて行く事を初期仏典で「八正道」として説かれております。この「八正道」を実践出来ている人は、人生を清く正しく喜びをもって生きて行けます。2024/02/20 06:37:54745.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd大変、ありがたい教えです。2024/02/20 06:38:15746.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdでは、朝の二度目の勤行・唱題行に励んで参ります。2024/02/20 06:38:57747.鹿野園#Buddhist-Rinzai7jNR0違う、2024/02/20 07:45:27748.鹿野園#Buddhist-RinzaiuBvy1誹謗中傷スレ、削除されたな。2024/02/20 07:48:27749.鹿野園#Buddhist-RinzaiuBvy1プププwww ( ´_ゝ`)2024/02/20 07:48:49750.鹿野園#Buddhist-RinzaiuBvy1プププwww ( ´_ゝ`)プププwww ( ´_ゝ`)2024/02/20 07:49:02751.鹿野園#Buddhist-RinzaiuBvy1プププwww ( ´_ゝ`)プププwww ( ´_ゝ`)プププwww ( ´_ゝ`)2024/02/20 07:49:13752.◆JBLfMwCXhYv5Ou1説法が絶好調ですな~😄2024/02/20 08:11:07753.リダン◆gEV3xsS//kDHxWv>>630前五識は情報収集のみという解釈です2024/02/20 08:45:58754.リダン◆gEV3xsS//kDHxWv>>633そうですねバーチャルという表現ぴったりバーチャル化される前の情報としての事象はあるということです自我がそれをバーチャル化(物質化)するという解釈です2024/02/20 08:48:16755.リダン◆gEV3xsS//kDHxWv>>635情報としては存在するってことですそれを物質化する、影響下に入るということが妄想といってますね2024/02/20 08:53:30756.リダン◆gEV3xsS//kDHxWv流石法介さん理解が早い2024/02/20 08:54:15757.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdJB、リダン、おはよー>>バーチャル化(物質化)って、書いてるけどバーチャル=仮想だろ物質=実在だろ2024/02/20 08:56:03758.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd相反する意味になるがなんでバーチャル化が物質化と同等の意味になる?2024/02/20 08:57:08759.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdリダンのバーチャルと物質の定義においてではなく世間一般の用語の活用として聞いてます。2024/02/20 08:58:43760.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd聞いた人は矛盾を感じるかと2024/02/20 08:59:07761.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdリダンが言いたい事はこういうことだろhttps://youtu.be/0yks1BTPJBM2024/02/20 09:07:38762.リダン◆gEV3xsS//kDHxWv>>759世間一般の用語の活用でなら法介さんの言う通りですよ俺の解釈は俺の体験上の話です2024/02/20 09:11:13763.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd動画の冒頭で、「この現実は人間が観測するまでは存在しない」と言っているが、これは人間が認識する「現実」についての現代物理学の見解ね。2024/02/20 09:13:03764.リダン◆gEV3xsS//kDHxWv>>758物質そのものが仮想だからですねPCでたとえたらモニターに映るのが物質でそれを構成するプログラムが法2024/02/20 09:13:57765.リダン◆gEV3xsS//kDHxWv>>763動画今みれないので後ほど2024/02/20 09:14:30766.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd人間が認識する「現実」と(主体の真理)人間の認識に関係なく存在している世界(客体の真理)は別です。2024/02/20 09:14:51767.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd>>764この動画の中でも同じ事を言っているよね。それについて少し話させてくれ。2024/02/20 09:16:15768.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd量子力学で言う「現実は人間が観測するまでは存在しない」というのは、例えば、2024/02/20 09:17:32769.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd光があたかも流れているようかのに見える「電光掲示板」があったとします。2024/02/20 09:18:29770.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd人間の眼にはそれは、あたかも光が右から左に流れるように移動していっているように見えます。2024/02/20 09:19:36771.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdこの人間の流れて見える光が、リダンが言う前五識の認識による妄想だろ。2024/02/20 09:20:25772.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd実際は、その場その場に設置されている各々の電球が点いたり消えたりしているだけで流れる光などは存在していない。2024/02/20 09:21:20773.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdこの場合、流れて見える光を解りやすく「光の矢」と取り合えず表現します。2024/02/20 09:23:09774.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdこの光の矢は、人間が認識する事で顕れます。2024/02/20 09:23:45775.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd人間が認識しなければただ、各々の電球が点いたり消えたりを繰り返しているだけに過ぎません。2024/02/20 09:24:38776.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdなので光の矢は元から存在していないんです。というのがリダンの主張ですよね。2024/02/20 09:25:33777.リダン◆gEV3xsS//kDHxWv>>776そうですね光の矢が物質化を指すならそうですね2024/02/20 09:28:03778.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdこの場合、飛んでいる光の矢などは存在(実在)していませんからこれは「バーチャルの矢」です。2024/02/20 09:28:58779.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd「バーチャルの矢」ですからその矢を手に取る事は出来ません。2024/02/20 09:29:40780.リダン◆gEV3xsS//kDHxWv現代科学で分かりやすくいうと法介さんが素粒子の一つになりましたすると世界はどう見えますか?ってことです2024/02/20 09:30:31781.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdでは、実際の弓と矢があってその矢を放った時、同じ様にその矢は飛んで見えます。2024/02/20 09:30:40782.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdその場合の矢は、実際に手に取る事が出来ます。2024/02/20 09:31:36783.リダン◆gEV3xsS//kDHxWv素粒子が物質の範疇ならまだ物質と呼べますがそれでも自我が認識する物質とはもう違うのと似てますね2024/02/20 09:31:54784.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdこれはバーチャルの矢ではありませんよね。実在する矢です。違いますか?2024/02/20 09:32:13785.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdただ、その実在の矢が飛んでいるように見えるのは人間の五蘊の働きによるところです。2024/02/20 09:34:06786.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd過去の出来事を脳が記憶するから生じる人間特有の現象です。2024/02/20 09:34:59787.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd時間の流れにしても同じです。2024/02/20 09:35:24788.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd過去の風景を脳が記憶するから過去と今の違いから人は時の流れを感じます。2024/02/20 09:36:05789.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdしかし、記憶する脳を持たない動物や昆虫などにはそのような時の流れは感じられていないと思います。2024/02/20 09:36:53790.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdそういった主体には今、一瞬の光景しか見えていなと思います。2024/02/20 09:37:58791.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd認知症のおばあちゃんが落下したリンゴを見ても見た瞬間の記憶しかないのでそれは「落ちた」のではなくそこ(床)にあるリンゴとしてしか認知されず重力は認識されません。2024/02/20 09:39:40792.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd何が言いたいのかと言いますと、2024/02/20 09:40:20793.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd人間の認識通りに世界は成り立っていないと言いたいんです。2024/02/20 09:40:53794.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd量子力学は「人間の認識」における力学です。2024/02/20 09:41:27795.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd「人間の認識」においては、「この現実は人間が観測するまでは存在しない」なのです。2024/02/20 09:42:16796.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd人間の認識とは全く関係なく世界は存在しております。2024/02/20 09:42:46797.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdだってそうでしょう。地球は人類が存在する以前から確かに存在している訳ですから。2024/02/20 09:43:24798.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd人間が認識しようがしまいと太陽は西から登って東に沈みます。2024/02/20 09:44:10799.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdただ、「太陽」とか「西」とか「東」は言葉であって言語化された表現に過ぎません。2024/02/20 09:45:30800.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd人間は言葉によって様々な情報を相手に伝えます。2024/02/20 09:46:09801.神も仏も名無しさんEu0K8鏡で考えればいい鏡に映されたリンゴは実在のリンゴそのものではない映されたリンゴだ2024/02/20 09:46:47802.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdしかし、その言葉が全てを顕しているかと言えばそうではありません。2024/02/20 09:46:48803.神も仏も名無しさんEu0K8しかし鏡で映されたリンゴが実在のリンゴではないからといってリンゴが実在しない、とはならないな言語ってのは鏡像、つまり鏡と同じ機能だな2024/02/20 09:47:52804.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdサティー、おはよー>>801 そう。しかし、鏡に映っているリンゴは存在していないが元となっているリンゴは存在している。2024/02/20 09:48:25805.神も仏も名無しさんEu0K8むしろリンゴは実在するから鏡に映ったリンゴがある2024/02/20 09:48:26806.神も仏も名無しさんEu0K8おはよー2024/02/20 09:48:43807.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdサティーは、解っているな。2024/02/20 09:49:00808.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdそのリンゴを私とリダンが食べた時、リダンが感じた「美味しい」と私が感じた「美味しい」とは同じ「美味しい」であっても微妙に異なるかと思います。(言葉の限界)2024/02/20 09:52:01809.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd何故なら、五感は人によって様々なのですから。2024/02/20 09:52:23810.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdそれを自分が美味しいと感じたからみんな同じように美味しいと感じなきゃ嫌だー!ってのはジャイアン。2024/02/20 09:53:30811.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdそれは違います!を連稿してくる荒らしさん。2024/02/20 09:54:17812.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd言語に良いようにもて遊ばれている人。2024/02/20 09:55:21813.リダン◆gEV3xsS//kDHxWv>>811なんで自ら召喚しようとするのw2024/02/20 09:55:46814.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd私が凡夫で未熟者だから。2024/02/20 09:56:56815.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdまだまだ、修行が足りてません。2024/02/20 09:57:19816.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdただね、そう言うことで彼の愚かな行為も皆が学び得る対象として認識されればそれはそれで彼の行為も生かされてくるでしょう。2024/02/20 09:59:02817.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd人のふり見て我がふり直せだな。2024/02/20 09:59:45818.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd今回のお話を理解して日蓮さんの次に紹介する言葉を読んでみると意味が良く解って来ると思います。『三世諸仏総勘文教相廃立』より抜粋します。2024/02/20 10:19:39819.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd此の前三教には仏に成らざる証拠を説き置き給いて末代の衆生に慧解を開かしむるなり九界の衆生は一念の無明の眠の中に於て生死の夢に溺れて本覚の寤を忘れ夢の是非に執して冥きより冥きに入る、是の故に如来は我等が生死の夢の中に入つて顚倒の衆生に同じて夢中の語を以て夢中の衆生を誘い夢中の善悪の差別の事を説いて漸漸に誘引し給うに、夢中の善悪の事重畳して様様に無量・無辺なれば先ず善事に付いて上中下を立つ三乗の法是なり、三三九品なり、此くの如く説き已つて後に又上上品の根本善を立て上中下・三三九品の善と云う、皆悉く九界生死の夢の中の善悪の是非なり今是をば総じて邪見外道と為す捜要記の意、此の上に又上上品の善心は本覚の寤の理なれば此れを善の本と云うと説き聞かせ給し時に夢中の善悪の悟の力を以ての故に寤の本心の実相の理を始めて聞知せられし事なり、是の時に仏説いて言く夢と寤との二は虚事と実事との二の事なれども心法は只一なり、眠の縁に値いぬれば夢なり眠去りぬれば寤の心なり心法は只一なりと開会せらるべき下地を造り置かれし方便なり此れは別教の中道の理是の故に未だ十界互具・円融相即を顕さざれば成仏の人無し故に三蔵教より別教に至るまで四十二年の間の八教は皆悉く方便・夢中の善悪なり、只暫く之を用いて衆生を誘引し給う支度方便なり此の権教の中にも分分に皆悉く方便と真実と有りて権実の法闕けざるなり、四教一一に各四門有つて差別有ること無し語も只同じ語なり文字も異ること無し斯れに由つて語に迷いて権実の差別を分別せざる時を仏法滅すと云う2024/02/20 10:20:05820.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd現代語訳では次のようになります。 釈尊はこの前三教では仏になることができない証拠を説き置かれて、末代の衆生に慧解を開かせられたのである。 九界の衆生は一念の無明という眠りのなかにあって、生死の夢に溺れて、本覚の寤を忘れ、夢のなかでの是非に執着して、冥きから冥きへとさまよっているのである。それゆえに如来は、我らの生死の夢のなかに入って、顚倒の衆生と同じ境界に立ち、夢のなかの言葉を使って、夢のなかにある衆生を誘い導き、夢のなかでの善悪の差別を説いて次第に誘引されるのであるが、夢のなかの善悪のことは、重なり合ってさまざまであり、無量無辺であるので、まず善のことについて上・中・下の三つを立てた。いわゆる声聞・縁覚・菩薩の三乗の法がこれである。この三乗の法を修行する人にまた上根・中根・下根の別があるので、三三九品となる。 このように説き終わって後に、上上品の根本の善を立てられたのを、上中下三三九品の善というのである。 しかしこれらは、皆ことごとく九界生死の夢のなかの是非善悪である。今これを総じて邪見であり、外道であるとするのである(これは妙楽大師の摩訶止観捜要記の意である)。 このうえにまた、上上品の善心は本覚の寤の法理だから、これが善の根本であると説き聞かせたときに、夢のなかながら善悪を立て分ける悟りの力によって寤の本心の実相の法理を初めて聞知することができたのである。 このときに仏は「夢と寤との二つは、架空のことと実際のこととの違いがあるけれども、心法はただ一つである。眠りの縁に値えば夢を見、眠りが去れば寤の心に戻るのであって、心法はただ一つである」と開会されたが、その開会の下地を作り置くための方便の教えである(これは別教の中道の法理についていっているのである)。2024/02/20 10:22:46821.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd このゆえに、未だ十界互具・円融相即を顕していないので、成仏の人はいないのである。このように三蔵教から別教に至るまで四十二年の間の八教は皆ことごとく方便の教えであり、夢のなかの善悪を説いたものである。ただしばらくの間、衆生を誘引するために用いられた支度・方便の教えなのである。 この権教のなかにも、それぞれに皆ことごとく方便と真実があり、権実の法が欠けていないのである。四教の一々にそれぞれ有門・空門・亦有亦空門・非有非空門の四門があって差別がないのである。また言葉も同じであり、文字にも違いがない。これによって、言葉に迷って権実の差別をわきまえないときを、仏法が滅びるというのである。2024/02/20 10:23:17822.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdまたぺージを飛んで次のような事も申されております。生と死と二つの理は生死の夢の理なり妄想なり顚倒なり本覚の寤を以て我が心性を糾せば生ず可き始めも無きが故に死す可き終りも無し既に生死を離れたる心法に非ずや、劫火にも焼けず水災にも朽ちず剣刀にも切られず弓箭にも射られず芥子の中に入るれども芥子も広からず心法も縮まらず虚空の中に満つれども虚空も広からず心法も狭からず善に背くを悪と云い悪に背くを善と云う、故に心の外に善無く悪無し此の善と悪とを離るるを無記と云うなり、善悪無記・此の外には心無く心の外には法無きなり故に善悪も浄穢も凡夫・聖人も天地も大小も東西も南北も四維も上下も言語道断し心行所滅す心に分別して思い言い顕す言語なれば心の外には分別も無分別も無し、言と云うは心の思いを響かして声を顕すを云うなり凡夫は我が心に迷うて知らず覚らざるなり、仏は之を悟り顕わして神通と名くるなり神通とは神の一切の法に通じて礙無きなり、此の自在の神通は一切の有情の心にて有るなり故に狐狸も分分に通を現ずること皆心の神の分分の悟なり此の心の一法より国土世間も出来する事なり、2024/02/20 10:37:07823.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd一代聖教とは此の事を説きたるなり此れを八万四千の法蔵とは云うなり是れ皆悉く一人の身中の法門にて有るなり、然れば八万四千の法蔵は我身一人の日記文書なり、此の八万法蔵を我が心中に孕み持ち懐き持ちたり我が身中の心を以て仏と法と浄土とを我が身より外に思い願い求むるを迷いとは云うなり此の心が善悪の縁に値うて善悪の法をば造り出せるなり、華厳経に云く「心は工なる画師の種種の五陰を造るが如く一切世間の中に法として造らざること無し心の如く仏も亦爾なり仏の如く衆生も然なり三界唯一心なり心の外に別の法無し心仏及び衆生・是の三差別無し」已上、無量義経に云く「無相・不相の一法より無量義を出生す」已上、無相・不相の一法とは一切衆生の一念の心是なり、文句に釈して云く「生滅無常の相無きが故に無相と云うなり二乗の有余・無余の二つの涅槃の相を離るが故に不相と云うなり」云云、心の不思議を以て経論の詮要と為すなり、此の心を悟り知るを名けて如来と云う之を悟り知つて後は十界は我が身なり我が心なり我が形なり本覚の如来は我が身心なるが故なり之を知らざる時を名けて無明と為す無明は明かなること無しと読むなり、我が心の有様を明かに覚らざるなり、之を悟り知る時を名けて法性と云う、故に無明と法性とは一心の異名なり、名と言とは二なりと雖も心は只一つ心なり斯れに由つて無明をば断ず可からざるなり夢の心の無明なるを断ぜば寤の心を失う可きが故に総じて円教の意は一毫の惑をも断ぜず故に一切の法は皆是れ仏法なりと云うなり2024/02/20 10:37:24824.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd現代語訳 生と死との二つの理は生死の夢の理であり、妄想であり、顚倒した見方である。本覚の寤の悟りをもって自身の心性をただしてみれば、生ずるという始めがないので、死ぬという終わりもないのである。とすれば既に生死を離れた心法ではないか。劫火にも焼けないし水災にも朽ちない。刀剣にも切られず、弓矢にも射られない。芥子の中に入れても芥子も広がらないし、心法も縮まらない。虚空のなかに満たしても虚空も広すぎることはないし、心法が狭いということもない。 善に背くのを悪といい、悪に背くのを善という。ゆえに心の外に善はなく、悪もない。この善と悪とを離れるのを無記というのである。善と悪と無記と、この外には心はなく、心の外には法はないのである。このゆえに、善悪も浄穢も凡夫と聖人も天地も大小も東西も南北も四維も上下も、すべて言語の道は断え、心行も所滅するのである。 心で分別した思いを言い表すのが言語であるから、心の外には分別も無分別もない。言葉というのは心の思いを響かせて声に表したものをいうのである。凡夫は自身の心に迷ってそれを知らず悟らないのである。仏はこの心の働きを悟りあらわして、神通と名づけたのである。神通とは神が一切の法に通じて礙りがないことをいうのである。この自在の神通は一切の有情の心に具わっている。ゆえに狐や狸がそれぞれに通力をあらわすことは皆、心の神を分々に悟っているからである。 この心という一法から国土世間も出てくるのである。2024/02/20 10:38:05825.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd一代聖教とはこのことを説いたのであり、これを八万四千の法蔵というのである。これは皆ことごとく釈尊一人の身中の法門である。したがって八万四千の法蔵は我が身一人の日記の文書なのである。この八万法蔵を我が心のなかに孕み、懐き持っているのである。それなのに我が身中の心で、仏と法と浄土とを我が身より外にあると思い、外に願い求めていくのを迷いというのである。 この心が善悪の縁に値って、善悪の法を作り出しているのである。華厳経には「優れた画家が種々の五陰を描きあらわすように、一切世間のなかでの法はすべて心が作り出したものである。この心のように仏もまた同じであり、仏のように衆生もまた同じである。三界はただ一心からあらわれたものであり、心の外には別の法はないのである。心と仏と衆生と、この三つは差別はないのである」と述べている。無量義経には「無相・不相の一法から無量義を出生したのである」と述べている。無相・不相の一法とは一切衆生の一念の心のことである。法華文句にこの経を釈して「生じ滅するという無常の相がないことを無相といい、二乗の有余涅槃・無余涅槃の二つの涅槃の相を離れていることを不相というのである」と述べている。この心の不思議を説き明かすことを経論の肝要といい、この心を悟り知った人を名づけて如来というのである。 これを悟り知ってみると、十界は我が身であり我が心であり我が形である。それは本覚の如来は我が身心であるからである。これを知らない時を名づけて無明とするのである。無明とは明らかなること無しと読む。我が心のありさまを明らかに覚らないことである。これを悟り知る時を名づけて法性という。ゆえに無明と法性とは一心の異名である。名と言とは二つであるけれども心はただ一つの心なのである。このゆえに無明を断じてはならないのである。無明である夢の心の心を断じてしまえば寤の心をも失ってしまうからである。総じて円教の意は一毫の惑をも断じないのである。ゆえに一切の法は皆これ仏法であるというのである。2024/02/20 10:38:47826.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd更にぺージを飛ばして 法華経に云く「如是相一切衆生の相好本覚の応身如来如是性一切衆生の心性本覚の報身如来如是体一切衆生の身体本覚の法身如来」此の三如是より後の七如是・出生して合して十如是と成れるなり、此の十如是は十法界なり、此の十法界は一人の心より出で八万四千の法門と成るなり、一人を手本として一切衆生平等なること是くの如し、三世の諸仏の総勘文にして御判慥かに印たる正本の文書なり仏の御判とは実相の一印なり印とは判の異名なり、余の一切の経には実相の印無ければ正本の文書に非ず全く実の仏無し実の仏無きが故に夢中の文書なり浄土に無きが故なり、十法界は十なれども十如是は一なり譬えば水中の月は無量なりと雖も虚空の月は一なるが如し、九法界の十如是は夢中の十如是なるが故に水中の月の如し仏法界の十如是は本覚の寤の十如是なれば虚空の月の如し、是の故に仏界の一つの十如是顕れぬれば九法界の十如是の水中の月の如きも一も闕減無く同時に皆顕れて体と用と一具にして一体の仏と成る、十法界を互に具足し平等なる十界の衆生なれば虚空の本月も水中の末月も一人の身中に具足して闕くること無し故に十如是は本末究竟して等しく差別無し、本とは衆生の十如是なり末とは諸仏の十如是なり諸仏は衆生の一念の心より顕れ給えば衆生は是れ本なり諸仏は是れ末なり、然るを経に云く「今此の三界は皆是我が有なり其の中の衆生は悉く是吾が子なり」と已上、仏成道の後に化他の為の故に迹の成道を唱えて生死の夢中にして本覚の寤を説き給うなり、智慧を父に譬え愚癡を子に譬えて是くの如く説き給えるなり、衆生は本覚の十如是なりと雖も一念の無明眠りの如く心を覆うて生死の夢に入つて本覚の理を忘れ髪筋を切る程に過去・現在・未来の三世の虚夢を見るなり、仏は寤の人の如くなれば生死の夢に入つて衆生を驚かし給える智慧は夢の中にて父母の如く夢の中なる我等は子息の如くなり、此の道理を以て悉是吾子と言い給うなり、此の理を思い解けば諸仏と我等とは本の故にも父子なり末の故にも父子なり父子の天性は本末是れ同じ、斯れに由つて己心と仏心とは異ならずと観ずるが故に生死の夢を覚まして本覚の寤に還えるを即身成仏と云うなり、即身成仏は今我が身の上の天性・地体なり煩も無く障りも無き衆生の運命なり果報なり冥加なり2024/02/20 10:45:07827.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd現代語訳 法華経方便品第二には「如是相(一切衆生の相好・本覚の応身如来)、如是性(一切衆生の心性・本覚の報身如来)、如是体(一切衆生の身体・本覚の法身如来)」とある。この三如是から後の七如是が出生して、十如是となるのである。 この十如是は十法界にわたるのであり、この十法界は一人の心から生み出されて八万四千の法門となるのである。 この法門は、一人を手本として一切衆生に平等にあてはまるのである。これは三世の諸仏の総勘文であって御判をたしかに押した正本の文書である。仏の御判とは実相の一印のことである。印とは判の異名である。 他の一切の経には実相の印がないので正本の文書ではないのである。そこには全く実の仏はない。実の仏がないゆえに夢中の文書である。浄土にないからなのである。 十法界は十であるけれども、十如是は一つである。たとえば水中の月は無量であっても、大空の月は一つであるようなものである。 九法界の十如是は夢の中の十如是であるから水中の月のようなものである。仏法界の十如是は本覚の寤の十如是であるから大空の月のようなものである。2024/02/20 10:46:42828.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd ゆえに仏界の一つの十如是があらわれると、水中の月のような九法界の十如是も一つも欠けることなく同時に皆あらわれて体と用とが一つに具わって一体の仏となるのである。2024/02/20 10:46:59829.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd 十法界を互いに具足して平等であるのが十界の衆生であるから、大空の本月も水中の末月も一人の身中に具足して欠けることはないのである。ゆえに十如是は本末究竟して等しく差別がないのである。 本とは衆生の十如是であり、末とは諸仏の十如是である。諸仏は衆生の一念の心からあらわれたのであるから、衆生は本であり諸仏は末なのである。2024/02/20 10:47:23830.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd ところが法華経譬喩品第三には「今この三界は皆これ我が所有するところである。その中の衆生はことごとく我が子である」と説かれている。 これは仏が成道した後に化他のために垂迹のうえの成道を唱えて生死の夢のなかにあって本覚の寤を説かれたのである。そして智慧を父にたとえ、愚癡を子にたとえてこのように説かれたのである。 衆生は本覚の十如是ではあるけれども、一念のなかの無明が眠りのように心を覆って、生死の夢のなかに入ってしまって本覚の法理を忘れ、一本の髪を切るほどのわずかな無明の心で過去・現在・未来の三世にわたる虚夢を見るのである。2024/02/20 10:48:15831.法介◆T3azX0Hk1UKrVMd 仏は夢から覚めた寤の人のようであるから、衆生の生死の夢のなかに入って衆生を目覚めさせるのであり、その智慧は、生死の夢のなかにあっては父母のようであり夢のなかにいる我ら衆生は子息のようなものである。この道理によって「悉く是れ吾が子なり」といわれたのである。 この法理を理解すれば諸仏と我らとは本のうえからも父子であり、末のうえからも父子である。父子の天性は本も末も同じである。これによって己心と仏心とは異ならないと観ずるゆえに生死の夢を覚まして本覚の寤に還るのを即身成仏というのである。即身成仏は、今、我が身に本来具わった天性であり、地体であって、煩いもなく、障りもない、衆生の運命であり、果報であり、冥加なのである。2024/02/20 10:48:37832.法介◆T3azX0Hk1UKrVMdhttp://blog.livedoor.jp/inae_sokagakkai/archives/cat_52407.html より重要部を抜粋2024/02/20 10:52:28833.神も仏も名無しさんEu0K8>>811反対することが仕事の野党のうるさい野次みたいだよなwその意味では鹿にとっては法介さんは与党ということになるw2024/02/20 10:53:43834.神も仏も名無しさんPIZhlローラーは向こうでお威張りご満悦のよーなのでしばらく平和かもしれない😄2024/02/20 11:15:25835.神も仏も名無しさんEu0K8プライドが満たしたいだけなんだからこっちこないのが鹿の幸せだ😆2024/02/20 13:21:16836.神も仏も名無しさん6qz0oほーかいくんパワー停止やな😭2024/02/20 19:28:46837.神も仏も名無しさんn2tMH189投稿したんだから今日はもうええやろw2024/02/20 23:00:40838.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT析空と体空の違いは語っている内容が「モノの状態」なのか「縁起」なのかで解ります。2024/02/21 04:13:22839.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT物理や科学といった学術は「モノの状態」の変化を科学的学術的に論証するものです。2024/02/21 04:15:42840.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT例えば析空の説明でよく用いられるテーブルのお話。2024/02/21 04:16:38841.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT目の前に「テーブル」があります。私たちはそれをテーブルとして見ていますがそれは「天板」と「脚」が仮和合して「テーブル」としてそこにある訳で「天板」と「脚」とバラしてしまえば「テーブル」は無くなります。2024/02/21 04:19:16842.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT「テーブル」なんて最初から存在していないのにそれを私たちはテーブルがそこに有ると勝手に思い込んでいる訳です。といったお話が「析空」で語る空です。2024/02/21 04:21:23843.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT禅宗の公案などは殆どがこういったモノの状態をトンチ的に語っているように見受けられます。2024/02/21 04:23:37844.法介◆T3azX0Hk1UEd7GTこの析空の特徴は「モノの状態」について語る空なのでモノがモノとして「有る」とか「無い」といった状態を中心に語られます。2024/02/21 04:25:41845.法介◆T3azX0Hk1UEd7GTモノの状態(見られる側=客体)がどのように存在しているかを説いたのが実在の真理である此縁性縁起です。これは「モノの状態」なのでこのモノを空じる空を析空と言います。2024/02/21 04:28:23846.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT対して、そのモノを認識する人の心を詳しく説いたのが「唯識」です。2024/02/21 04:29:18847.法介◆T3azX0Hk1UEd7GTモノのあり方(見られる側=客体)認識のあり様(見る側=主体)2024/02/21 04:30:49848.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT唯識はこの見る側である「人の心」を詳しく解き明かしております。2024/02/21 04:31:47849.法介◆T3azX0Hk1UEd7GTその「唯識」の日本における第一人者とも言える学者が横山紘一なのですが、氏の著書である『唯識の思想』は、唯識を学ぶにあたって多くの人が読まれたであろう有名な著書です。2024/02/21 04:35:06850.法介◆T3azX0Hk1UEd7GTその著書の内容を7分弱にまとめて紹介している動画がこちらにあります。https://youtu.be/Ze10wMOZdwQ2024/02/21 04:36:27851.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT「有る」とか「無い」と言った言葉がどれだけ頻繁に出て来るか意識して聞いてみてください。2024/02/21 04:37:45852.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT自分というものが「有る」でしょうか「有る」のは自分という言葉だけなのに自分が存在しない(無い)心だけしか存在しない(無い)2024/02/21 04:41:36853.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT無いモノをあたかも有るかのごとくといった感じで有る・無しで唯識が語られております。2024/02/21 04:42:45854.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT先日紹介しました量子力学で語ってる唯識の動画にしても同じです。彼は最後に何て言ってましたか「世界は無い」です。2024/02/21 04:44:03855.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT「有る」とか「無い」といったモノの状態で語る空は形容詞として空が用いられます。形容詞は「状態」を現わす言葉ですから。2024/02/21 04:46:01856.法介◆T3azX0Hk1UEd7GTそれに対し、体空では空が動詞として語られます。2024/02/21 04:47:07857.法介◆T3azX0Hk1UEd7GTでは先ほどの「テーブル」を体空の意識で観てみましょう。2024/02/21 04:47:48858.法介◆T3azX0Hk1UEd7GTそのテーブルを汗水ながして一生懸命に無心で制作に取り組む職人さんの姿が私には観えてきます。2024/02/21 04:49:35859.法介◆T3azX0Hk1UEd7GTかと思えば、そのテーブルを使って美味しそうに食事を楽しんでいる自分の姿がイメージとして沸いてきました。2024/02/21 04:50:56860.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT「良し! これを買おう!」それをまじまじと眺めていて私はそう決断しました。2024/02/21 04:51:50861.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT今の話の中に「有る」とか「無い」といった言葉は出来てません。2024/02/21 04:52:50862.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT出て来ませんがそれのどこが「空」を語っているのですかと突っ込みたくなりましたか?2024/02/21 04:53:43863.法介◆T3azX0Hk1UEd7GTちゃんと「縁起」で語られているでしょう。2024/02/21 04:54:21864.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT「空とは縁起である」と龍樹は言ってますよね。2024/02/21 04:55:00865.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT我々人間は、「有る・無し」で物事を考えたり捉えたりします。そういった二元論をお釈迦さまは有ると見るを常見、無しと見るを断見としてこの「有る無し」のモノの見方を外道の見解とされました。2024/02/21 04:58:05866.法介◆T3azX0Hk1UEd7GTそしてそういった見方考え方から離れて「縁起」で対象を捉える見方を「中道」とされ仏教を説かれました。2024/02/21 04:59:37867.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT対象を「縁起」で捉えてこそ仏教なのです。2024/02/21 05:00:13868.法介◆T3azX0Hk1UEd7GTその仏教の教えを世間一般のモノの見方・考え方で理解する段階を「世界悉檀」と龍樹は大智度論の中で説明されております。2024/02/21 05:02:19869.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT仏教の教えの解釈には四段階の解釈がありまして、最初は世間一般の考え方で理解する世界悉檀、境涯が高まる事で理解が深まっていく為人悉檀[いにんしつだん]。2024/02/21 05:04:47870.法介◆T3azX0Hk1UEd7GTこの為人悉檀では、同じ教えであってもその理解の深さの違いから解釈の相違が起こります。2024/02/21 05:06:30871.法介◆T3azX0Hk1UEd7GTこのスレに、事ある事に「違います!」を連稿して嫌がらせをしてくる荒らしさんがおられますが彼の理解と私の理解とでは同じ仏教の教えであっても全く別の理解になっているようですね。2024/02/21 05:08:19872.法介◆T3azX0Hk1UEd7GTそれが許せないようで「自分の理解」をこちらにゴリ押ししてきます。2024/02/21 05:09:52873.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT彼はどうも学者さんの本を沢山読まれて仏教を深く理解されてこられたようですが、私は日蓮さんや天台智顗の言葉を持って仏教が何たるかを習得して参りました。2024/02/21 05:12:00874.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT学者さんが説く仏教は横山先生や中村先生のように世間一般のモノの見方・考え方で論証がなされます。学術とはそういうものですから。2024/02/21 05:14:03875.法介◆T3azX0Hk1UEd7GTですから学者が語る仏教は、「唯識の思想」の動画のような世界悉檀でその内容が語られます。2024/02/21 05:15:37876.法介◆T3azX0Hk1UEd7GTこの龍樹が示した悉檀は、仏が衆生を悟りへ導く教説を4種類に分類したものです。2024/02/21 05:17:41877.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT初期仏教では、最初の世界悉檀を中心に法が説かれております。『阿含経典』などは実在の真理(実体の真理)でしてその内容はほぼ現代の科学や物理学の真理と一致します。(世間一般における真理)2024/02/21 05:21:43878.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT初期仏教のアビダルマに見られる三蔵(経蔵・律蔵・論蔵)でもって説かれた蔵教に対し、より難解な「般若経典」を中心とする通教では龍樹が空理を詳しくひも解きます。2024/02/21 05:27:06879.法介◆T3azX0Hk1UEd7GTこの通教における教説が第二悉檀の「為人悉檀」にあたります。2024/02/21 05:28:10880.法介◆T3azX0Hk1UEd7GTですから龍樹は空をこの四悉檀をもって 析空 体空 法空 非空の四段階に分け示しております。2024/02/21 05:30:33881.法介◆T3azX0Hk1UEd7GTどのように分け示しているか龍樹の論書からそれを読み取るのはとても難しいです。2024/02/21 05:31:46882.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT龍樹の空は中村元先生が自身の著書『龍樹』で紹介されておりまして、空の理解にあたって誰もが最初に読むであろう有名な著書です。2024/02/21 05:33:49883.法介◆T3azX0Hk1UEd7GTこの著書の中で中村先生は龍樹の空は「相依性縁起」であると紹介なされております。2024/02/21 05:34:55884.法介◆T3azX0Hk1UEd7GTそれが「学者」であった先生の理解の限界だったのでしょう。相依性縁起は空の四段階の理解で言えば二番目の理解となる体空にあたります。2024/02/21 05:38:04885.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT実は龍樹は「中論」の中で法空も非空も説いております。天台智顗はそれを読み取って自身の論書で詳しく紹介されております。2024/02/21 05:40:20886.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT智顗が説いた『四教義』がそれにあたります。2024/02/21 05:40:52887.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT龍樹が示した四つの空が蔵教・通教・別教・円教の四教として詳しくひも解かれております。 蔵教=析空 通教=体空 別教=法空 円教=非空2024/02/21 05:43:17888.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT先に紹介しました日蓮さんの『三世諸仏総勘文教相廃立』の中に「四教」や「四門」といった言葉が出てきます。2024/02/21 05:47:33889.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT>>821 ←この部分です。↓ このゆえに、未だ十界互具・円融相即を顕していないので、成仏の人はいないのである。このように三蔵教から別教に至るまで四十二年の間の八教は皆ことごとく方便の教えであり、夢のなかの善悪を説いたものである。ただしばらくの間、衆生を誘引するために用いられた支度・方便の教えなのである。 この権教のなかにも、それぞれに皆ことごとく方便と真実があり、権実の法が欠けていないのである。四教の一々にそれぞれ有門・空門・亦有亦空門・非有非空門の四門があって差別がないのである。また言葉も同じであり、文字にも違いがない。これによって、言葉に迷って権実の差別をわきまえないときを、仏法が滅びるというのである。2024/02/21 05:48:48890.法介◆T3azX0Hk1UEd7GTここで言う「四門」とは、有門・空門・亦有亦空門・非有非空門の四つの門のことです。2024/02/21 05:50:43891.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT蔵教で説かれた実体(実在)の真理が有門(有の側面から入る真理)。ここでとかれる真理は世間一般の真理なので現代科学や現代物理学と同じレベルの真理(世界悉檀)が展開されます。2024/02/21 05:54:08892.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT天台智顗はこの有門の中に、さらに有門・空門・亦有亦空門・非有非空門があると説いております。それを日蓮さんは次のように申されている訳です。「四教の一々にそれぞれ有門・空門・亦有亦空門・非有非空門の四門があって差別がない」2024/02/21 05:57:16893.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT十界が互具しますので同じ蔵教の教えであっても、声聞の境涯での理解、縁覚の境涯での理解、菩薩の境涯での理解と法を説く立場にある仏の境涯のお釈迦さま、の四つの境涯で法の解釈の相違が出てきます。2024/02/21 06:02:21894.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT蔵教(アビダルマを含む三蔵)をよりどころとするテーラワーダや「般若経、禅宗ではまじめに取り扱っていない」と自負しております禅宗※の空の理解(世界悉檀)で亦有亦空門の「唯識」を学んでも、析空で理解する「唯識」となります。※こちらの禅宗の解説動画でご確認下さい。https://www.youtube.com/watch?v=nNEUgdj_cuc1:10:30あたりから再生されてみて下さい。2024/02/21 06:15:07895.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT唯識を析空で理解しますと、「有る無し」で語る唯識となります。「有る無し」とはモノの状態です。「自分という存在(客観の世界では人もモノと同じ扱いとなります)は、無い」となります。2024/02/21 06:18:18896.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT智顗は『維摩経玄疏』の中で、三蔵教の四門の相を明かすとして「一念因縁所生の心の生滅を観じて析仮入空す」と申しております。2024/02/21 06:23:38897.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT「一念因縁所生の心の生滅」とは、今一瞬の心が捉える縁起によって生じた対象を生滅させるという意味です。2024/02/21 06:27:20898.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT蔵教では未だ「仏」については詳しく解き明かされておりません。ここでの心は凡夫の人間の「心」です。2024/02/21 06:29:22899.法介◆T3azX0Hk1UEd7GTその凡夫の心(主観と客観)で捉えた客観による認識を空じるのが析仮入空即ち析空観です。2024/02/21 06:34:02900.法介◆T3azX0Hk1UEd7GTどうやって空じるかと言えば仮和合して実体として認識される対象を細分化して捉えます。2024/02/21 06:36:17901.法介◆T3azX0Hk1UEd7GTテーブルを天板と脚とに細分化することで「テーブル」という物体は消滅します。2024/02/21 06:37:53902.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT休憩~2024/02/21 06:38:17903.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT>>894 ←ここでの動画、そもそも学者から僧侶が仏教を教えてもらうってどうなんでしょう、、、2024/02/21 06:41:16904.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT>>901水は水素と酸素に分解されると消えて無くなります。2024/02/21 06:55:20905.法介◆T3azX0Hk1UEd7GTでは「体空」はと言いますと、通教の四門の相を明かすとして智顗は次のように申しております。2024/02/21 07:01:33906.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT「因縁所生の一切法は、心は空なれば、 すなわち一切法も空なり。 これを体仮入空となす」2024/02/21 07:02:32907.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT通教に明かすところの行位と因果は、みなこれ(空)より起こるとあります。2024/02/21 07:03:49908.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT通教で空を詳しく解き明かした龍樹はその空を「空とは縁起である」と言いました。2024/02/21 07:04:58909.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT析空で対象となるモノの実体(言語化された実体)を空じそのモノがそのモノと成り得た因果(縁起)で対象を捉えます。2024/02/21 07:07:30910.法介◆T3azX0Hk1UEd7GTいわゆる「仏の認識」で(仏の視点)対象を捉えます。2024/02/21 07:09:28911.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT「色即是空」で対象の実体を空じ ---(析空)「空即是色」で阿頼耶識を因とした縁起で ---(体空)対象を捉えます。2024/02/21 07:18:34912.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT四教では、蔵教・通教の次に菩薩の境涯で理解する別教へ移ります。 蔵教=声聞 通教=縁覚 別教=菩薩 円教=仏2024/02/21 07:21:19913.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT別教は四悉檀で言うと第三悉檀の「対治悉檀」となります。2024/02/21 07:22:17914.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT自我意識を退治する(自我を空じる)ことで起こる縁起です。自我を退治(空じる)しておりますので凡夫の認識である「色即是空」と仏の認識である「空即是色」とが一つになり「色即是空 空即是色」となります。2024/02/21 07:25:45915.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT色即是空=有門(凡夫の世界観=仮観)空即是色=空門(仏の世界観=空観)色即是空 空即是色=亦有亦空門(凡夫+仏の世界観=中観)2024/02/21 07:28:21916.法介◆T3azX0Hk1UEd7GTとなって、別教は四門の中の「亦有亦空門」にあたります。2024/02/21 07:29:41917.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT「亦有亦空」は「有でもあり空でもある」という意味です。2024/02/21 07:30:40918.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT凡夫の真理(実在の真理=仮諦)では対象の実体(言語化された実体)は消滅し仏の真理(空=縁起=空諦)では対象は縁起で認識されます。2024/02/21 07:35:22919.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT色即是空と空即是色です。2024/02/21 07:36:12920.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT別教の四門の事を智顗は次のように説明されております。別教の四門の相は、「心を観ずるに、因縁所生は即ち仮名、一切恒沙の仏法を具足し、無明の阿頼耶識に依りて、無量の聖諦を分別す」2024/02/21 07:37:54921.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT「一切恒沙の仏法を具足し」の恒沙とは、塵沙惑の事で一切の惑(迷い・煩悩)を見思惑(けんじわく)・塵沙惑(じんじゃわく)・無明惑(むみょうわく)の三惑に分けた中の塵沙惑の事です。2024/02/21 07:46:17922.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT見思惑は声聞・縁覚・菩薩の三乗が共通して伏すべき迷いで通惑ともいいます。2024/02/21 07:46:54923.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT塵沙・無明の二惑は別して菩薩のみが断ずる惑なので別惑ともいう。2024/02/21 07:47:08924.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT「見思惑」は、見惑と思惑のことで見惑は、後天的に形成される思想・信条によって起こる迷い。2024/02/21 07:48:42925.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT「思惑」は、生まれながらにもつ感覚・感情の迷い。2024/02/21 07:49:24926.法介◆T3azX0Hk1UEd7GTこの見思惑を断じて声聞・縁覚の二乗の境地に至るとされる。2024/02/21 07:50:11927.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT塵沙惑とは、菩薩が人々を教え導くのに障害となる無数の迷い。菩薩が衆生を教化するためには、無数の惑を断じなければならない故にこういう。塵沙は無量無数の意。2024/02/21 07:50:44928.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT「無明惑」とは、仏法の根本の真理に暗い根源的な無知。別教では十二品、円教では四十二品に立て分けて、最後の一品を「元品の無明」とし、これを断ずれば成仏の境地を得るとしている。2024/02/21 07:51:46929.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT小乗では見惑を断じて聖者となり、思惑を断じて阿羅漢果に達するとされている。2024/02/21 07:52:28930.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT大乗では菩薩のみがさらに塵沙・無明の二惑を次第に断じていくとする。2024/02/21 07:52:58931.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT「一切恒沙の仏法を具足し」とは別教の菩薩が断ずる無数の別惑のことです。2024/02/21 07:57:26932.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT「無明の阿頼耶識に依りて」とは、別教の菩薩は阿頼耶識を因として縁起を起こしますがそこでの因は最後の一品である「元品の無明」を未だ含んでおります。2024/02/21 07:59:44933.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT「無量の聖諦を分別す」とは、四聖諦の中の声聞・縁覚・菩薩の三乗における各々の真理諦が分段的に起こるということで、三観が分段(分離)した分段三観として次第に各々の真理を観じ取って行きます(次第三観)。2024/02/21 08:04:11934.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT別相三観ともいいます。2024/02/21 08:04:35935.◆JBLfMwCXhYcGq8dすごいな?知りませんですた~😄2024/02/21 08:05:44936.法介◆T3azX0Hk1UEd7GTJB、おはよー2024/02/21 08:06:23937.◆JBLfMwCXhYcGq8dおはよ~ございます☀️😃❗️2024/02/21 08:06:47938.法介◆T3azX0Hk1UEd7GTリダンが片道切符とか往復切符といった表現で語っているのは、この凡夫視点で捉える真理(片道切符)--- 色即是空折り返して今度は阿頼耶識を因として仏視点で捉える真理(往復切符)--- 空即是色の事です。2024/02/21 08:10:07939.法介◆T3azX0Hk1UEd7GTリダンらしいかっ飛ばしたいかした表現ですね。2024/02/21 08:10:43940.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT唯識の清森さんの解説動画でも説明されてたでしょう。片目凡夫、片目仏みたいな感じで。2024/02/21 08:12:05941.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT片目凡夫=色即是空片目仏=空即是色ですね。2024/02/21 08:12:37942.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT日蓮さんが、「この権教のなかにも、それぞれに皆ことごとく方便と真実があり、権実の法が欠けていないのである。」と申されているのは、四教という各々のステージで説き示されたそれぞれの真理の事を言われております。2024/02/21 08:16:27943.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT蔵教では実在の真理として「此縁性縁起」が順観型の縁起として説かれ、通教では実体を空じた真理として逆観の「相依性縁起」が龍樹によって解き明かされてます。2024/02/21 08:18:30944.法介◆T3azX0Hk1UEd7GTそして別教では、「唯識」で阿頼耶識を因として起こる阿頼耶識縁起が世親によって解き明かされます。2024/02/21 08:19:45945.法介◆T3azX0Hk1UEd7GTそしてその先に、この別教の「亦有亦空」を空じた非空で入る「非有非空門」が最後の門として構えております。2024/02/21 08:22:40946.法介◆T3azX0Hk1UEd7GTこの仏の世界観である「空観」を空じる事を非空と言うのですが、「仏」という概念を超越した真如の世界、それが円教で説かれる非有非空門です。2024/02/21 08:25:16947.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT智顗は円教の四門の相を次のように述べています。「心は因縁所生なるを観じて、一切の十法界の法を具足するも、積聚するところなし。不縦不横、不思議の中道二諦の理は、一切の円教の明かすところ、行位と因果も、みなこれより起こる」2024/02/21 08:27:39948.法介◆T3azX0Hk1UEd7GTそして『維摩経玄疏』では、この四門の中の蔵教・通教・別教を、それぞれ三乗で開いて次のように示しております。<析空観に約して三蔵教を三乗に開く> 蔵教の声聞 蔵教の縁覚 蔵教の菩薩<体法観に約して通教を三乗に開く> 通教の声聞 通教の縁覚 通教の菩薩<別相の三観に約して別教を三乗に開く> 別教の声聞 別教の縁覚 別教の菩薩2024/02/21 08:29:45949.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT一つに、析空観に約して三蔵教を三乗に開く。析空観を持って三蔵教に三乗を開く義を明かさば、三蔵教は、三乗の行人が同じく因縁仮を析して以て空に入るを明かす。もしは声聞は、総相の析法入空をもて、真無漏を発して一切智を成ずるを、声聞乗と名ずく。もしは辟支佛は、別相の析法入空をもて、真無漏を発して一切智を成ずるを、辟支佛乗と名ずく。もしは菩薩は、総相と別相の析法入空もて、結を断ぜずして証を取り、多く俗仮に入りて六度を修行し、一切智・佛智・自然智・無師智を求む。すなわちこれ三蔵教の大乗なり。2024/02/21 08:31:01950.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT二つの、体法観に約して通教を三乗に開く。体法観もて通教の三乗を開くを明かさば、三乗の人は同じく因縁仮を体して以て空に入り、もしは真無漏を発して見思の惑を断ず。小乗は、根が鈍なれば、ただ正使を除きて一切智を成ずるは、声聞乗と名づく。縁覚は、中根なれば、習気を侵除して一切智を成ずるは、辟支佛乗と名ずく。菩薩は、一切智を得て仮に入り道種智を修し、衆生を教化して一切種智を求む。すなわちこれ通教の大乗なり。2024/02/21 08:31:37951.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT三つに、総じて析・体の別相の三観に約して別教の大乗を成ず。総じて析・体の別相三観に約して別教の大乗を成ずるを明かさば、もしはこれ別教の菩薩は、因縁を観じて別相の三観を修し、次第に一切智・道種智を成じ、ないし中道観を修して佛性を見、一切種智を成じて常住の涅槃を求む。すなわちこれ別教の大乗義なり。2024/02/21 08:32:06952.法介◆T3azX0Hk1UEd7GTこれによって浄土三部経の『観無量寿経』に説かれる九品往生(三三九品)を別相三観として解き明かしております。2024/02/21 08:43:17953.リダン◆gEV3xsS//kIQJ7Uおはようございます☀2024/02/21 09:49:39954.法介◆T3azX0Hk1UEd7GTリダン、おはよー2024/02/21 10:00:46955.神も仏も名無しさんktdeZリダンおはよーと大人の態度?😄2024/02/21 10:01:56956.神も仏も名無しさんktdeZほーかいくん御館様おはよ〜〜〜ん😄😄😄😄😄😄😄😄2024/02/21 10:02:13957.法介◆T3azX0Hk1UEd7GTでおー、おはよー2024/02/21 10:11:30958.法介◆T3azX0Hk1UEd7GTリダンは三惑を断じ切れているのかな?2024/02/21 10:12:22959.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT見思惑には、見惑と思惑の二種がある。見惑は、後天的に形成される思想・信条のうえでの迷い。思惑は、生まれながらにもつ感覚・感情の迷い。2024/02/21 10:14:28960.リダン◆gEV3xsS//kIQJ7U塵沙惑が何かよくわかりませんね2024/02/21 10:16:58961.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT末那識が濁ってしまうのはこの見惑・思惑によるところが大きい。2024/02/21 10:17:33962.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT誤った思想や価値観が後天的に阿頼耶識に薫習されることで末那識が汚染されてしまう。2024/02/21 10:20:02963.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT過去世でのそういった業を引き継いで転生するから生まれながらにもつ感覚や感情の狂いというか濁りが生じる。2024/02/21 10:22:44964.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT美味しものを美味しく食べれなかったり人の話を正しく聞けなかったり2024/02/21 10:23:34965.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT>>960塵沙惑は、菩薩が断じるべき惑で具体的に言えば、自我の克服。2024/02/21 10:25:41966.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT自我意識をどこまで空じる事が出来るか。2024/02/21 10:26:05967.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT自我という「私」があるから時間の流れを感じる。2024/02/21 10:26:34968.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT自我という「私」があるから、心地よい空間とか狭い空間といった空間の認識が起こる。2024/02/21 10:27:30969.法介◆T3azX0Hk1UEd7GTその自我の根源は、第七末那識に潜んでいる。2024/02/21 10:28:31970.リダン◆gEV3xsS//kIQJ7U>>966なるほどありがとうございます2024/02/21 10:29:24971.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT凡夫(通常の人間)は、この自我意識が働くことで自分の手、自分の眼、自分の鼻、自分の耳、自分の舌といった五感での意識が働く。2024/02/21 10:30:33972.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT五蘊を空じて意識が第六意識から第七末那識に変わっても、自我意識は働いている。2024/02/21 10:31:44973.法介◆T3azX0Hk1UEd7GTだから、そこでの末那識は阿頼耶識の「私」の記憶へのアクセスとなる。2024/02/21 10:32:52974.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT阿頼耶識といえども「私」の記憶であればそれは「凡夫の業」でしかない。2024/02/21 10:34:26975.法介◆T3azX0Hk1UEd7GTなので別教の菩薩には「元品の無明」が残る。2024/02/21 10:35:22976.法介◆T3azX0Hk1UEd7GTこの「元品の無明」を完全に絶ち切らないと覚りの境地である真如の世界観は顕われない。2024/02/21 10:36:35977.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT過去世で仏の元で修行を積んで来た者であれば「私」の阿頼耶識へのアクセスで「元品の無明」は断ち切れる。2024/02/21 10:38:14978.法介◆T3azX0Hk1UEd7GTこれが唯識で言う「無漏種子」。2024/02/21 10:39:11979.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT阿頼耶識に無漏種子が有るか無いかで覚りの境地に入れるか否かが決まる。2024/02/21 10:39:58980.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT阿頼耶識には自我意識は無い。なので根本的には阿頼耶識には仏に縁して修行して覚りを開いた修行者達の業は備わっている。2024/02/21 10:42:05981.鹿野園#Buddhist-RinzaiUvOJs>>972> 五蘊を空じて意識が第六意識から第七末那識に変わっても、>> 自我意識は働いている。違う!2024/02/21 10:42:35982.法介◆T3azX0Hk1UEd7GTなので仏性(無漏種子)は阿頼耶識にちゃんと備わっている。2024/02/21 10:42:43983.鹿野園#Buddhist-RinzaiUvOJs>>971> 凡夫(通常の人間)は、この自我意識が働くことで自分の手、自分の眼、自分の鼻、自分の耳、自分の舌といった五感での意識が働く。違う、2024/02/21 10:43:02984.鹿野園#Buddhist-RinzaiUvOJs法介の話は約八割デタラメ、一割は引用からの正解、残りの一割のは微妙解釈だな。2024/02/21 10:47:20985.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT日蓮さんの御書の中に『爾前二乗菩薩不作仏事』というのがあって、その中で次のように申されております。2024/02/21 10:47:27986.鹿野園#Buddhist-RinzaiUvOJs>>982> なので仏性(無漏種子)は阿頼耶識にちゃんと備わっている。違う、2024/02/21 10:47:39987.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT 問うて云く二乗成仏之無ければ菩薩の成仏も之無き正き証文如何、答えて云く涅槃経三十六に云く「仏性は是れ衆生に有りと信ずと雖も必ず一切に皆悉く之有らず是の故に名けて信不具足と為す」と三十六本三十二、此の文の如くんば先四味の諸菩薩は皆一闡提の人なり二乗作仏を許さず二乗の作仏を成ぜざるのみに非ず、将又(はたまた)菩薩の作仏も之を許さざる者なり、之を以て之を思うに四十余年の文二乗作仏を許さずんば菩薩の成仏も又之無きなり、一乗要決の中に云く「涅槃経三十六に云く仏性は是れ衆生に有りと信ずと雖も必ず一切皆悉く之有らず是の故に名けて信不具足と為すと三十六本三十二、第三十一に説く一切衆生及び一闡提に悉く仏性有りと信ずるを菩薩の十法の中の第一の信心具足と名くと三十六本第三十、一切衆生悉有仏性を明すは是れ少分に非ず、若し猶堅く少分の一切なりと執せば唯経に違するのみに非ず亦信不具なり何に因つてか楽つて一闡提と作るや此れに由つて全分の有性を許すべし理亦一切の成仏を許すべし」2024/02/21 10:48:09988.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT 慈恩の心経玄賛に云く「大悲の辺に約すれば常に闡提と為る大智の辺に約すれば亦当に作仏すべし、宝公の云く大悲闡提は是れ前経の所説なり前説を以て後説を難ず可からざるなり諸師の釈意大途之に同じ」文、金錍の註に云く「境は謂く四諦なり百界三千の生死は即ち苦なり此の生死即ち是れ涅槃なりと達するを衆生無辺誓願度と名く・百界三千に三惑を具足す此の煩悩即ち是れ菩提なりと達するを煩悩無辺誓願断と名く・生死即涅槃と円の仏性を証するは即ち仏道無上誓願成なり、惑即菩提にして般若に非ざること無ければ即ち法門無尽誓願知なり、惑智無二なれば生仏体同じ苦集唯心なれば四弘融摂す一即一切なりとは斯の言徴有り」文、慈覚大師の速証仏位集に云く「第一に唯今経の力用仏の下化衆生の願を満す故に世に出でて之を説く所謂諸仏の因位・四弘の願・利生・断惑・知法・作仏なり然るに因円果満なれば後の三の願は満ず、利生の一願甚だ満じ難しと為す彼の華厳の力十界皆仏道を成ずること能わず阿含・方等・般若も亦爾なり後番の五味・皆成仏道の本懐なる事能わず、今此の妙経は十界皆成仏道なること分明なり彼の達多無間に堕するに天王仏の記を授け竜女成仏し十羅刹女も仏道を悟り阿修羅も成仏の総記を受け人・天・二乗・三教の菩薩・円妙の仏道に入る、経に云く我が昔の所願の如きは今者已に満足しぬ一切衆生を化して皆仏道に入らしむと云云、衆生界尽きざるが故に未だ仏道に入らざる衆生有りと雖も然れども十界皆成仏すること唯今経の力に在り故に利生の本懐なり」と云云。2024/02/21 10:48:35989.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT 又云く「第一に妙経の大意を明さば諸仏は唯一大事の因縁を以ての故に世に出現し一切衆生・悉有仏性と説き聞法・観行・皆当に作仏すべし、抑仏何の因縁を以て十界の衆生悉く三因仏性有りと説きたもうや、天親菩薩の仏性論縁起分の第一に云く如来五種の過失を除き五種の功徳を生ずるが為の故に一切衆生悉有仏性と説きたもう已上謂く五種の過失とは一には下劣心・二には高慢心・三には虚妄執・四には真法を謗じ五には我執を起すなり、五種の功徳とは一には正勤・二には恭敬・三には般若・四には闍那・五には大悲なり、生ずること無しと疑うが故に大菩提心を発すこと能わざるを下劣心と名け、我に性有つて能く菩提心を発すと謂えるを高慢と名け、一切の法無我の中に於て有我の執を作すを虚妄執と名け一切諸法の清浄の智慧功徳を違謗するを謗真法と名け意唯己を存して一切衆生を憐むことを欲せざるを起我執と名く此の五に翻対して定めて性有りと知りて菩提心を発す」と。2024/02/21 10:48:49990.法介◆T3azX0Hk1UEd7GTこの部分の現代語訳を紹介します。2024/02/21 10:49:14991.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT現代語訳 問うて言う。二乗の成仏がなければ、菩薩の成仏もないという正(まさ)しき証文はあるか。答えて言う。涅槃経の巻三十六には「仏性はこれ衆生に有ると信ずるけれども、必ず一切に悉く有るのではない。このゆえに信不具足と名づける」とある(三十六巻本では巻三十二である)。この文のとおりならば、先の四味の諸菩薩はみな一闡提の人である。二乗作仏を許さないから、二乗が成仏しないだけではなく、更にまた菩薩の成仏も許さないものである。このことから考えると、四十余年の文に二乗作仏を許さないならば、菩薩の成仏もまたないのである。一乗要決のなかには「涅槃経巻三十六には『仏性はこれ衆生に有ると信ずるけれども、必ず一切に悉く有るのではない。このゆえに信不具足と名づける』とある(三十六巻本では巻三十二である)。第三十一の巻には『一切衆生および一闡提に悉く仏性が有ると信ずることを、菩薩の行法である十法のなかの第一の信心具足と名づける』とある(三十六巻本では巻三十である)。『一切衆生に悉く仏性がある』と明かすことは、一部分ではない。もしそれでも一切を一部分と執着するならば、ただ経文に違背するだけではなく、また信不具となる。どうして願って一闡提となるであろうか。これによって、全部に仏性が有ると許すべきである。法理からまた一切の成仏を許さなければならない……」。2024/02/21 10:49:48992.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT 慈恩の心経玄賛には「菩薩は大慈悲の方からいえば、常に一闡提となるが、大智慧の方からいえば、まさに成仏できる。宝公は『大慈悲の方からいえば、一闡提となるというのは、爾前経の所説である。前説をもって後説を非難してはならない。諸師の解釈は概略これと同じである』とある。金錍論の註には「境は四諦である。百界三千の生死は即ち苦である。この生死は即ちこれ涅槃であると通達するのを衆生無辺誓願度と名づける。百界三千に三惑を具えている。この煩悩は即ちこれ菩提であると通達するのを煩悩無辺誓願断と名づける。生死は即ち涅槃であるとして、円教の仏性を証得するのは、即ち仏道無上誓願成である。惑は即ち菩提であって般若であるから、即ち法門無尽誓願知である。惑と智慧とは無二であるから、衆生と仏とはその体は同じであり、苦も集もただ心のあらわれであるから、四弘誓願も一心に摂するのである。2024/02/21 10:50:15993.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT一即一切とは、この言は徴がある」と。慈覚大師の速証仏位集には「第一にただ法華経の力用は仏の下化衆生の願いを満足させるものであるゆえに、仏は世に出て法華経を説くためである。いわゆる諸仏の因位、四弘の願、利生断惑、知法作仏である。ところが、因行も果徳も円満であるので、後の三つの願いは満足するが、衆生を利益したいとの一願ははなはだ満足しがたいのである。かの華厳経の力用では、十界みな仏道を成ずることはできない。阿含経、方等経、般若経もまた同じである。後に涅槃経で説かれた五味でも、みな仏道を成じさせたいとの仏の本懐を満足することはできなかった。いまこの法華経は、十界みな仏道を成ずることができることは、明らかである。かの提婆達多が無間地獄に堕ちたにもかかわらず、天王如来の記別を受け、竜女は成仏し、十羅刹女も仏道を悟り、阿修羅王もすべて成仏の記別を受け、人界、天界、二乗、三教の菩薩も円妙の仏道に入ることができた。法華経には『自分が昔願ったところは、今は已に満足した。一切衆生を教化して、みな仏道に入れることができた』とある。衆生界は尽きないから、いまだ仏道に入らない衆生があるといっても、十界みな成仏することは、ただ法華経の力用である。ゆえに衆生を利益したいという本懐は満足したのである」とある。2024/02/21 10:50:33994.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT また「第一に法華経の大意を明かすならば、諸仏はただ一大事の因縁のために世に出現し、一切衆生に悉く仏性があると説き、法を聞き、修行すれば、みな必ず成仏することができる。ところで、仏はどのような因縁のために、十界の衆生にすべて三因仏性が有ると説かれたのであろうか。天親菩薩の仏性論の縁起分の第一には『如来は五種の過失を除いて五種の功徳を生ずるために、一切衆生に悉く仏性が有ると説かれたのである』とある。その五種の過失とは、一には下劣心、二には高慢心、三には虚妄執、四には真法を謗る、五には我執を起こす、である。五種の功徳とは、一には正勤・二には恭敬・三には般若・四には闍那・五には大悲である。生ずることはないと疑うために、大菩提心を発すことができないのを下劣心と名づけ、自分には仏性が有るから、よく菩提心を発すことができるというのを高慢と名づけ、一切の法は無我であるのに、有我であると執着するのを虚妄執と名づけ、一切諸法の清浄の智慧や功徳に違い謗るのを謗真法と名づけ、意にはただ自分の事のみあって、一切衆生を憐れむことを願わないのを起我執と名づける。この五つを翻して、必ず仏性があると知って菩提心を発すのである」とある。2024/02/21 10:50:52995.法介◆T3azX0Hk1UEd7GTこちらに講義文が乗っておりますので、興味がある方はご自分で学ばれて下さい。http://blog.livedoor.jp/inae_sokagakkai/archives/1998311.html2024/02/21 10:58:06996.法介◆T3azX0Hk1UEd7GT私の話は約八割がデタラメらしいので紹介だけに留めておきましょう。2024/02/21 10:59:56997.法介◆T3azX0Hk1UEd7GTレスも埋まって来ましたので2024/02/21 11:02:06998.法介◆T3azX0Hk1UEd7GTこの辺でそろそろ失礼致します。2024/02/21 11:02:33999.法介◆T3azX0Hk1UEd7GTご清聴、有難うございました。2024/02/21 11:02:551000.法介◆T3azX0Hk1UEd7GTさて、ジオラマの制作に戻ろう。2024/02/21 11:04:051001.Talk ★???このスレッドはコメントが1000件を超えました。新しいスレッドを立ててください。2024/02/21 11:04:051002.Talk ★???【プレミアムサービス無料期間延長!】プレミアムの無料期間を2025/3/31まで延長することになりました。広告除去や規制緩和など、ヘビーユーザーにとって欠かせない機能を無料でお楽しみいただけます。是非この機会にプレミアムサービスをお試しください!▼プレミアムサービスはこちらからhttps://talk.jp/premium2024/02/21 11:04:05
【埼玉栄高校】涙ぐむ人…高2死亡、窓から身を乗り出して車が横転 深夜グラウンドで 高校が説明会、保護者「ずさんであり得ない」 頭を下げてあいさつし、真面目な生徒が多い学校「いたたまれない」ニュース速報+6111337.72024/11/21 21:33:51
Talk 掲示板における一つの独立した空間で、争い事は決して好まず、他者に対する誹謗・中傷はナンセンス。しかし愛嬌はドンと来い。ユーモアはぶちかませ。エロい話はお好み次第。「人生楽しまなきゃ損だろう!」をモットーに互いの人間性を尊重しながらもじゃれ合い程度にはツツキ合い、もみもみしながら互いのゆゆしさを温かく且つ、深く理解し合いながら相互に人間性を高め合っていく。そんな素敵な関係のゆゆしき法界です。
前スレ
ゆゆしき法界 パート31
https://talk.jp/boards/psy/1703796902
下記の者は迷惑行為をやめないため、立ち入り禁止とします
↓
栖雲居士◆dqam8SqGUPdm
↓
法介の『ゆゆしき世界』
https://zawazawa.jp/yuyusiki/
仏道の『阿頼耶識システム』
https://zawazawa.jp/bison/
『法華玄義』と天台教学
https://zawazawa.jp/gengi/
人間はあらゆる物事を概念化してゆきそれを記憶に留めていく生き物です。
その人間の「概念」に対し仏教では物事の「真理」を説きます。
「人間の概念」は所詮人間が造り出すものであり、それが果たして信ずるに値する「真理」たり得るかと言えば、そうではない事が多々あります。その時はそれが「正しい」と思っていても振り返ってみると「間違い」だったという事は良くある事です。
例えば昨今の教科書から坂本竜馬が外されましたが、時代の時々によって人物の評価は変わっていきます。世の中は流動的に常に変化しておりますので、その世界にあって変わらずにあり続ける「正しさ」というものは、実はあり得ないんです。
なのに人々は「全体的な正しさが有る!」と思い込むんです。
この全体的な正しさが「有る!」と主張する行為は、物事を「有る無し」で見ている外道の見解にあたります。外道と言いますと「私は外道なんかじゃありません!」と激しく抗議されそうなので言い方を変えます。物事を「有る無し」で判断する行為を客観認識法と言います。
今の世の中、どれだけ人々が「全体的な正しさが有る!」と思い込んで生きているかというお話をわたしの大変愉快な体験談を通して紹介して参ります。
ブキペディアは皆で編集できるtalk掲示板、宗教板の仏教大辞典です。
コテハン語録集としてもご活用ください。
それ以外にもエロんな形でご活用ください。
但し、醜い内容もしくはユーモアのセンスが無い内容は管理サイドの判断で一方的に削除されます。
https://zawazawa.jp/Bukipedia/
「ほっかい」とも読む。
四法界とは、現象世界に対する四つのものの見方である。
事法界(じほっかい)
我々凡人の普通の物の見方である。
理法界(りほっかい)
すべての物に実体はなく、空であるという見方。
理事無礙法界(りじむげほっかい)
実体がなく空であるという理と具体的なものごとが妨げあわずに共存しているという見方。
事事無礙法界(じじむげほっかい)
一切の物が空であるという理が姿を消し、一切の物事が妨げあわずに共存するという見方。
空の世界に行きっぱなしではなく、空の世界に行ってから現象世界に戻ってくる
禅の十牛図で、最後に町中に帰ってくるのと同じ
次のは第二能変なり
是の識を末那と名づく
彼に依りて転じて彼を縁ず
思量するを性とも相とも為す
四の煩悩と常に倶なり
謂わく我癡と我見と
并びに我慢と我愛となり
及び余と触等と倶なり
と説かれてるのです。
で、末那識が仏の意識?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
つまり、仏の意識とは「我癡と我見と我慢と我愛」なんだ😂
ユーザー
法介◆T3azX0Hk1U
4TSqv(70/70)
俺が寝た頃に
馬は来るだろう。
2024/02/18 23:46:27
81.
ユーザー
パ
eJC0z(1/2)
>>79
よくわかってるじゃん!
何かよー(^o^)おー?
2024/02/19 00:23:49
82.
ユーザー
パ
eJC0z(2/2)
法すけくんは面倒な人
ワシは簡単にすませたいのだ‼️
2024/02/19 00:25:19
書き込みして来た
私と話出来ないのか
馬の奴は
用があるから
呼んでいるんだ
書いてたよな
>>743
その阿頼耶識からムクムクと表面意識へ浮かび上がっては消えまた浮かんでは消えする妄想分別と、パさんはどのようにして付き合っているのでしょうか?
750 パ 2024/02/16(金) 20:35:11.29 ID:9KbIR9dl
>>747
その現れのパターンは幾つかあると思います
① 現行している行動と関係無く、昨日見た動画や音楽が思い出されてくる
② 現行している行動と諸問題と関係したことの想いが浮かび上がってくる
③ 現行している五感に関連した想い
④ 現行する感情に関連した想い
⑤ 現行す欲望(知識欲、物欲、食欲、睡眠欲、性欲など)に関連した想い
ーーー
この様に、自動的妄想分別はその場その場で様々あります
①などは、相手にせず、見ることも掴むこともしなければ、独りでに自然に消えていきます
②の場合は、その問題に意識を向けると、脳は自動的に答を出すべく思考しますので、それを見ている、という感じで
満足する答が出たなら、その自動思考は自動的に停止します
③の場合は、現行する行動に即して起こって来て、即して消えて行くので、ただ流す感じです
④この感情に絡んで起こる自動思考は少し厄介です
自我=我執着(マナ識)から沸き起こるものは、意識と一体になって起こるので
この感情的想いと距離を取りつつ眺めるように意識が観照することができるならしますし、巻き込まれたら煩悩に繋がり、怒りや欲望への思いへ変化して行きます
⑤の浮かんでくる想いも厄介です、この場合は、身体的欲望が尤も手こずる
知識欲、物欲は、割合容易く意識は距離を取って流せますが
食欲、性欲、睡眠欲に関しては、この身体が即 “ 私 ” である!という同一化の状態しか知らない場合は、客観的に見ることは困難だと思いますし、即して欲望を充たすように行動してしまうと思います
何らか瞑想等で、この身体と意識の私は違うのだ同一ではないのだ!と分かっている場合は
その欲望から連想して沸き起こる強い想いと距離を持て、その時に欲望を充たせる状態に無いとか、その欲望を断じているなら完全に無視して消えるままに見ているようにします
2024/02/16 20:36:53
>>750
丁寧な回答ありがとうございます。
④現行する感情⑤現行する欲望に関連した想い
既に自我=我執着(マナ識)が出来上がっていて、そこから照射される想いといったものが前提となっている話のように思えるのですが、そういった理解でよろしいでしょうか?
752 パ 2024/02/16(金) 21:12:29.58 ID:9KbIR9dl
>>751
そういった欲望は、現行する行動に伴い外部からのまた内部からの印象によって生起されます
そのやって来た印象と生起された欲望の萌芽に触発されて、瞬時にムクムクと幾つもの想いが頭を駆け巡ります
自我というものが、思考する意識だけとせず、肉体の各部位にもあるとしたのはグルジェフですが
だとしたら、欲望に絡んだ想いは、肉体の欲望の発生する各部が、脳を使うという構図が見えて来るのです
754 パ 2024/02/16(金) 21:18:49.43 ID:9KbIR9dl
そのシステム全体の名称であると思います
2024/02/16 21:19:46
鹿野園供養スレにも
わざわざ貼り付けてもいたよな
小乗仏教実践者なのか?
小乗仏教における瞑想法
いわゆる「寂滅の理論」だ
寂滅させるかという
小乗特有の「煩悩の寂滅」だ
仏の覚りは得る事は無い
お前が書いている内容の
どこが仏の覚りにあたるんだ?
どれが妙観察智で
どれが平等性智で
どれが大円鏡智
にあたるのか
説明して頂きたい。
説明出来る訳がない。
小乗のそれは
寂滅の理論だからだ。
決して智慧が顕われることはない
煩悩即菩提を説く大乗から
批判されたんです。
覚りに至ることはない
「生滅無常の相無きが故に無相と云うなり二乗の有余・無余の二つの涅槃の相を離るが故に不相と云うなり」
http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E7%84%A1%E4%BD%99%E6%B6%85%E6%A7%83%E3%83%BB%E6%9C%89%E4%BD%99%E6%B6%85%E6%A7%83
これに対し、すべての煩悩を滅していても、未だ生存の根源である肉体が残っていて、五官によって快不快などを感じる状態を有余涅槃という。
仏の覚りは顕われると天台智顗は言っている訳です。
唯識三十頌
https://yuishiki30.blogspot.com/2013/02/blog-post_7.html
(7)
有覆無記に摂めらる 所生に随って繋せらる
阿羅漢と滅定と 出世道とには有ること無し
とありまして、これは第七末那識について説明されている項目です。
なので阿羅漢には末那識は寂滅して存在しません。
仏教史上まれにみる規模の教理的問題における討議で「三一権実論争」「三乗一乗権実諍論」「法華権実論争」などと言われたりしております。
「阿羅漢と滅定と 出世道とには有ること無し」
で言う「出世道」にあたります。
声聞の智慧
縁覚の智慧
菩薩の智慧
それは『法華経』で詳しく解き明かされております。
通教で縁覚の智慧が説かれ
別教で菩薩の智慧がそれぞれに説かれます。
善や悪、綺麗や汚い、長いや短いといった思考が働かないので、全ての行いがそのまま記録として蓄えられていきます。
「阿羅漢と滅定と出世道には末那識は無い」
の出世道はこの二乗の出世した修行者の仏道を意味しております。
その二乗における修行法なのですが
そこに覚りはあるんかい
https://youtu.be/Maus6Zi1Ra4
お前がいつもいってるロンさんって
5chのどのスレに居るんだ?
興味あっから
見てみたい
探したけど見つからなかった
シャロンさん?
見てみたいな
そのログ
どこで見れるんだ?
名無しで、文末に句点を2つ。。
0954神も仏も名無しさん
2024/02/18(日) 22:26:41.95ID:8E1FdgK6
何もなくなるわけだから、認識対象、言語が指し示す対象が、認識に過ぎない、実在ではない、ということがわかるわけです。。
だから、「千里向こうの灯火」など、もともとない、と気づくわけで、そういう意味で、
>次の入室で、その修行者は、坐ったまま両掌を頭上に合わせて、みずから一大燈明になりきって、「メラメラ、メラメラ」と燃えてみせました。
天地ひた一枚の燈火です。
では、まったくダメでしょうね。。w
お笑いレベルです。。w
やり合ってるんだ?
2024/02/18(日) 22:17:32.54ID:8E1FdgK6
主観と客観が、一つになったら、どうなるかって、何もなくなるということです。
認識するものも、認識されれるものも消える。
こういうのは、公案など持ち出さなくても、ある程度坐ってる人には、自然とわかることだと思うけど。。w
それがわかれば、猿芝居やる必要はないんです。。w
それはそれで
カムイを
一番ボコボコにした
天敵やな
😄
消されたんか?
😟
鹿野園が削除依頼出したんだろ
リダンの方が解っとるだろ
析空は超えている
リダンは
析空どまり
どっちもどっちって
感じ~
空の理解がまるで出来ていない。
唯識を語っているから
説得力もない。
ロンに
夢中だから
しばらく、こちらは
平和だろーな
鹿野園と良い勝負じゃないの
ほーかいくんのいうとおり、
カムイなら
相当メンタル
超ナイーブになってるな〜
アイサツ程度で
ゲキオコしてるから〜
😭
0127神も仏も名無しさん
2024/02/19(月) 08:10:54.93ID:YkwjnD2j
竹村せんせーはまだましだけど、秋月龍みん、はダメだね。。w
知識はあるのだろうけど。。w
こっち側の解釈は
仏霊的な調和と安穏と仏眼と観察
という結論に達した
😄
向こうは禅宗的仏教観のようで
そだね〜
ま、主な関心は
リダンとパ、
ムイムイは怨念の塊になっているのかの有無
😄
日蓮宗、浄土宗、イスラム、キリスト教、神道を
まとめて
研究模索してた
😄
意外とオモロイのがあった
😄
あっちの仏教観にこっちの仏教観を適用しても
対立しか起きないだろ
体空(相対認識で起こる縁起)を理解出来ずにいる
析空どまりの仏教観ね。
でおーのお薦めというのを見てみようか
勉強しよう
成長はあり得ない
それが用いるに値する内容であれば
用いるし
おみやけ、
ほい〜
いい暇つぶしだな
https://m.youtube.com/watch?v=XYpseElTOi0
用いない
まずはちゃんと理解しない事には
ちゃんとした判断も出来ない
ありがと
あとでじっくりと
見ておくよ
オモロイと思ったわ
呼吸法で鍛えあげる俺サイドと
異なる世界観は
😄
意外と面白かった
😄
神道と関係ある?
哲学語ってるだけじゃん
そう言えば誰かが言ってたなー
とも言っている。
2024/02/19(月) 10:11:29.48ID:7Qz2aD5V
>>162
>それも単なる認識、主観にすぎんよね?w
だから、
>見分は有りと雖も、而も無分別をなるをもって、能取に非ずと説けり。
>取ること全無には非ず。
なんですよ。
見分は主観、能取は客観。
つまり、それそのものが在っても、対象としての客観(体)がないんです。
あいつの脳内では
能取=捉えるもの。--- 主体
だろ。
見分=主観
所取=客体(見られる側=六境)
能取=主体(見る側=六根)
主体(能取)=認識のあり方(主観と客観)
主観と客観と主体と客体があいつごちゃになってるんだよな
これが実在の真理。
そのモノの真実の姿ではない。
そのモノがそのモノと成り得た此縁性縁起で観て始めて対象の存在を正しく認識出来る。
人の認識のあり方=空即是色
空即是色が体空で顕れる真理
この辺は理解に至らないだろう。
空即是色が体空で顕れる真理=従空入仮観
① 色即是空が析空で顕れる真理=従仮入空観
② 空即是色が体空で顕れる真理=従空入仮観
①が前五識を対象として起こる認識 --- 第六意識
②が前五識を空じる事で阿頼耶識を対象として起こる意識 --- 第七意識
その濁った末那識を深層意識として表層の第六意識が立ち上がる。
末那識が阿頼耶識に眠る真理を拾い上げて来る。
人為的な要因が全く加わらない無漏の種子。
まず最初に前五識に転識が起こります。
生命の霊的運用
みたいなヒラメキが
池田大作じゃあるまいし〜
😄
ろん
ロンに必死なので、
こちらは
平和でいいことである
😄
生命の霊的運用〜〜
😄
ロンだ~😄
最大のライバル関係だ~😂
>>127
> ロンさんって
>
> 鹿野園と良い勝負じゃないの
池田さんは析空の理解だよ。
析空は実体に即した真理だから物理や科学の法則と同じ次元の真理でしかない。
という世間一般に通ずる真理。
それが此縁性縁起だ。
http://mh357.web.fc2.com/ikeda.html
続きはまた後程~
次のは第二能変なり
是の識を末那と名づく
彼に依りて転じて彼を縁ず
思量するを性とも相とも為す
四の煩悩と常に倶なり
謂わく我癡と我見と
并びに我慢と我愛となり
及び余と触等と倶なり
と説かれてるのです。
で、末那識が仏の意識?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
つまり、仏の意識とは「我癡と我見と我慢と我愛」なんだ😂
> 凡夫の認識が仏の認識(縁起での認識)に変わるという転識がまず前五識で起こります。
違う、最後。
> この前五識の転識の事を起こすのが成所作智という声聞の智慧です。
違う
> その人間の概念を捨てて(空じる)対象を捉えたら、
>
> 末那識が阿頼耶識に眠る真理を拾い上げて来る。
違う
> 我々凡夫は、人間の概念で末那識が濁ってて真理に疎い(無明)
>
> その濁った末那識を深層意識として表層の第六意識が立ち上がる。
違う
> 解りやすく唯識的に言えば、
>
> ① 色即是空が析空で顕れる真理=従仮入空観
>
> ② 空即是色が体空で顕れる真理=従空入仮観
>
> ①が前五識を対象として起こる認識 --- 第六意識
> ②が前五識を空じる事で阿頼耶識を対象として起こる意識 --- 第七意識
違う
JBに一つ聞いていいかー
おいしそうな真っ赤に熟れたトマトがあります。
JBは、このトマトをどう捉える
あなたはそれをどう認識しますかって
ことね。
懲りないな〜〜
🤢
鹿野園も答えてみ
相手してやるぞ
天台・日蓮教学の空の理解とで
解釈の違いが顕われるだろう。
夕も馬も答えてみ
それが何になる。
体現しないと
意味ないだろう。
現実をどう生きて行くかを
説いている訳だ。
その認識で目の前に出されたトマトを見たら
そのトマトはどう認識されるんでしょうか。
馬も答えてみろ
実際にはトマトは存在しません。
とか言うんだろうな禅宗の人達は、、、
トマトと自分が一体になるように
意識を持っていきますとか
禅宗の空観認識って
食べようが食べまいが関係ないですよね
食べんで良いよ!
って私なら言う。
食べてもらいたくない
横レスだが捉え方はモードによって変わるな
食卓や出された料理、という捉え方であれば、食材として捉えるな
分別を排した捉え方であれが平らでツルツルした素材の上に置かれている真っ赤で丸い物体って感じだろう
丸い赤い物体は植物であることが分かる
そしてさらに観察を進めるとピンとハリのある皮の質感の内側に液状の状態の物質があることが分かるだろう
大歓迎!
自由気ままに
この時に、なぜこの赤い物体は平らな物質の上に置かれているのか、理解できるようになる
そうなると、もうやることは一つだ
「いただきます!」と感謝の念と共に赤い物体を有り難くほうばる
そして、口の中でハリのある皮の新鮮さを感じながら、内側から弾けだす酸味のある味わいと共に、「私はこの赤い物体を体内にいれることで、健康になる、フレッシュになる」という感覚を得ることだろう
サティーの見解なんだな
意見
ありがとう
分別を排した場合でも、結局は美味しそうに食べる
なぜなら、神が創造したものだから
本当の世界はイデア界にある、とか言いたかったとしても
イデア界の原因としての存在よりも荒い粒度で
物質は実在している、となる
もう少し詳しくいうと、「目に見える存在はイデア界における実在と同じように存在しているわけではない。違う在り方をしている」となる
https://news.mynavi.jp/article/20210525-1880768/
イデアはプラトン主義の用語
大体の「目の前のものは存在しない」という主張の根拠はプラトン主義と同系統ですな
ですです^^
良い言葉だ。
激しく共感する。
そのモノが、そのモノと成り得た因果(縁起)と同じ事を言っている。
待ってみよう。
気楽にどうぞー
えー全部妄想です
コンピューターの仮想現実内スレ住民としての意見です
妄想内の仕様上では物質は物質であると
言えると思います
食べても意味はない?
むしろ
食べない方が良い?
妄想に騙されたことになる
いや食べたら美味いですよ
妄想と看破してたら
自由にしたらええんですよ
トマトうまー
自我って素晴らしいですよね
妄想にリアル感をだすんですよ
いったん離席
と言う事になるかと
私は考えます。
五感によって生じるもの。
人間は実在の世界観の中で生活をしている。
前五識の感覚器官が情報を察知し
第六意識が働く。
実在してないと、この世を良くするとか、衆生を救済する、とか無意味になってしまう
人間は意識が無くなって
意識不明の状態になると
植物人間となります。
生きているか死んでいるかに分かれる。
瞳孔に反応が無ければ死亡と確認されます。
ほっぺをつねって痛くないという人
居るんですかね?
「五蘊が働いているのに」
です。
痛みも感じないんでしょう。
虫歯が痛くてたまらない時
瞑想から覚めれば
再び痛みが襲ってきます。
その痛みは治りません。
生活しております。
苦しみを転換していく事が
本当の解脱になると考えるのが大乗仏教です。
小乗の煩悩の寂滅に対し
煩悩即菩提を説きます。
仏の認識にスイッチする訳です。
どうやって。
仏を観じ取る瞑想を行うんです。
観法です。
五蘊の働きを停止させません。
心に仏を観じ取ります。
仏の意識へと変わっていきます。
凡夫の仮観と、仏の空観と、真如の中観の
三観を次第に観じ取って行きます。(次第三観)
内容が異なります。
モノの見方、感じ方が変わってきます。
「うぇ~、まずそ~。食いたくねー」
となるかと思います。
その人の阿頼耶識にインプットされているから
無意識的に「マズイ!」と思います。
末那識がその情報を拾い上げてきますので
おいしく食べれます。
表層の認識も異なって来ます。
あんなに酸っぱいレモンでも
「甘い!甘い!」といって丸かじりします。
それほどいい加減なものなんですね。
善人をまるっきし反対の極悪人と
認識したり
まずいと感じて食べれなかったり
真っ赤に熟しておいしそうだなー
って思うでしょう。
異例の盛り上がりやな〜
リダンも嬉しそーで
いいことや
😄
農家の人が本当に心を込めて栽培なされたからなんだろうなーと
育てた方の想いを感じ取るでしょう。
有難いなーと手を合わせて
頂きます!
して美味しく頂きます。
「このトマトどこで買って来たん?」
と尋ねるでしょう。
わざわざ遠出してまで買って来たと言う。
そうやって感謝の心で満たされる。
物事を捉えております。
驚きました。
縁起でちゃんと物事を観ているんだなーって
観心しました。
時間は「私」があるから生じると
発言されてましたよね。
仏教では「法空」と言います。
体空を覚る訳ですが
それがどういう事か
次にお話して参ります。
休憩を入れます。
その間、ご自由に
書き込みなされて下さいな。
やっぱり意識でそれらをリアル化するんだと思いますね
それがまあ場合によってはリアルすぎて苦になるわけで
んで止滅すると前五識がただの情報取得のみになり(あるがまま)
続けると前五識が解除され情報取得もなくなる
んで日常に戻ると元に戻って元の木阿弥
情報取得のみあるがままが禅の目指すところなんかな?話を聞いてると
法介さんがいいたいのは
妄想とはいえ仕様内では事実なのだから
自我に仏性を宿しなさいよってことかな
居場所は
ここだな
😄
ここに
来ないのは、
とても寂しいが
👽
プププwww ( ´_ゝ`)
プププwww ( ´_ゝ`)
プププwww ( ´_ゝ`)
プププwww ( ´_ゝ`)
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プププwww ( ´_ゝ`)
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実在の定義って何?
前五識による情報ですかね
人間の認識によって確認出来る存在な訳ね。
世間一般での実在の定義はそうではない。
実在は認識主体により生み出されたものと区別される。表象を変化させる働きをし、事物の背後にあるとされる、不変の実体を意味する場合もある。
2.哲学
われわれがそう思うからそこにあるように見えるというのではなく、われわれと離れて別に、客観的に存在するもの。
それだけですねいまのところ
結局それを意識がどう調理するかであって
俺の体験上の話しで悪いんですが
前五識で入る情報って物質ではないんですよ別の記述で
意識がからんでフォーマットされ
物質化されると解釈してます
いくら説明しても、くい違いが生じて互いに納得のいく話にはならないと思う。
私は、人の認識に関係なく存在し得るもの。
だけなんで特に矛盾はないと思いますが
それって人間の認識ですよね。
前五識で入る情報は
物質化されてない別の記述って主張なだけです
せやな
なんちゃって仏教徒は必殺技みたいに無我や縁起を語り、この世が幻想である、と主張する
中途半端なところで観察をやめてるんだと思うわ
それは思考停止の状態、わかったつもり、の無明と変わらない
法介さんみたくトマトの縁起を捉えたら感謝しかありまへんな
では聞くが
リダンの妄想の定義を言ってくれ。
永遠の瞬間ですな
あえて表現すると、永遠の瞬間の中にだけ、仮初の我ではない実存が生起する、と言いたい
すみませんwちょとまた離席
何に効くのか?
鹿の三毒に効くm9(^Д^)
リダンの実在の定義=人間の認識(前五識)
「先ほどもいったように妄想の仕様上でなら実在は客観的に存在するでいいですよ」
実在は客観的に存在する
とリダンは言っている。
「先ほどもいったように妄想の仕様上でなら実在は客観的に存在するでいいですよ」
リダンの↑これよ。
あとは、「どういった意味において実在を語っているか」の解像度があらいのでそれっぽい発言にしかならないのだと思われる
だろ
それは、一緒のような気がするが。
違うのか?
実存は霊魂のある人間の主観の足場となる「在る」を指してますな
基本的に個(の人間)にしか適応されない
実存は客観的に現象したと言える事象やじぶつ、人物など全般を指す単語でつ
「実在」は客観的に現象したと言える事象やじぶつ、人物など全般を指す単語でつ
アドバイス、ありがとう。
自我、意識が挟まった状態
実存は唯識でいうところの見分や自証分などの系列関連を指す単語ですな
神や仏の本質、また法などの本質は妄想ではない
それらは単に実存とは関係ないだけ、なんだけど色々とごっちゃになってるんだろうな
しかし、その状態、つまり悟りが妄想なのであれば、足元から仏教が瓦解しますな
法は本質やないやで
世界は
人間の認識どうりに存在している訳じゃない。
これは、主観が現実と異なる事態、例えば自分に対して高すぎるセルフイメージを持っていて自分は偉大な存在だと思っているが、実際は怠惰なニート、みたいな事態を妄想と言う
実存主義の哲学用語では法も本質に分類されますな
言葉で記述できる全ては本質だ
仏の認識(縁起)←正しい認識
何を指して法とするのかにもよる。
その場合、妄想かどうか、遍計所執性なのかどうか、は「現実と照らし合わせて」初めて確認できる
妄想ってのは識で客観的に確認できるものを足場としてるんだな
俺のいう法は不思議などのことで
記述できることやないで
引力の法則
妄想が生じるには、実在があり、それと違う思い込み、の二つの点が最低限必要となる
思い込み ←これ大事!
そうか
と、いうことでやはりリダンの思考の錯誤の話をしても、リダンの錯誤のポイント探しになり、本人は成長する気もなにもないから、不毛な議論になる、ということでありんす
勝手な思い込み
そうなん?
リダン
無いん?
分かったつもり発言を連発する人は基本的に、俺すげーを楽しみたい人
求道の道には入ってないので、その前提で話をする、となりますな
面倒なのは求道関連の話をしてる時にからまれること
そういう時は招かれてないからスルー、となりまつ
同感
それに意味を持たす、言語化することで
本質側になるわな
誰が?
自我が意味を持たすよね
それを妄想って解釈してるんよ
そう思い込み
だからリダンの「妄想」の定義を聞いたの。
「実在しないもの」
だから。
自我による言語化、意味づけだね
妄想は意味が違う。
例えて言えば、
実は花瓶として造ったと言う。
ほーかいくん御館様の
器量のデカさだな
ウマパーリー愉快犯や絶叫ローラーには
無理ぽ
器量がなさ過ぎ
😄
実は花瓶として存在していた。
ここで包囲されてるのか〜〜
😫
だが、リダン
ここでは
お前のレスは
尊重する〜
がんばるんや
😄
「勝手な妄想」とかも言うなー
話すすめちゃってくださいな
妄想内(自我内)では物は実在しますよ
勝手に思って話を進めます。
話の流れ的に
「法空」についてちょっと話させてくれ。
居るよね。
とか言って。
リダンは
「法介さんの考えではこうなんだろうか」って言ったよね。
いいましたね
「自分」で勝手に決め付けて来る訳ね。
まずもって「自分」を空じれていません。
自信の正しさや価値観、考え方を
ゴリ押ししてきます。
誰だとは言いません。
自分(自我)を空じる事が出来る人は
相手の立場で考えようとします。
この人はまた違った考えをされているんだなーと
覚っている人の振る舞いです。
5ちゃんでは
そのよーな
リダンを
特級呪霊、
どっから目線御厨子と
いう必殺技として
ネーミングしてます
😄
それが出来ている人だなーって
常々思っております。
ほーかいくん御館様〜〜
リダン
成敗っ!
(暴れん坊将軍風)
😄
器量かデカいな
ほーかいくんおやかたさまは〜〜
😄😄😄😄😄😄😄
でおーの言ってる通りのリダンの姿がそこにはありました。
ちょっと悲しかった、、、
そういう事です。
今回のように
ちゃんと相手の立場で考えられてます。
ほーかいくん御館様は
やさしー
お方なのですよー
俺なんかはリダンスルーですから〜
😄
その人の中に存在している
様々な心が表に顕われてきます。
向こうでは元からそうですよw
器量で
リダンの
世話を
よろしゅう〜〜
😄
凡夫=無明に心がおおわれている
と説かれてます。
人間の思考(思慮)の及ばない真如の世界に存在します。
無為と言います。
😄
そういう「無為の法」の事を言います。
しんどくなってきた
自由きままに
書いといて。
くるかも〜
😭
> 仏性とはそのような阿頼耶識に備わる無漏種子の事を言います。
違う、
> 仏教でいう「法」とは
>
> そういう「無為の法」の事を言います。
違う、
> 凡夫の心(第六意識)は前五識を対象として起こる縁起だからです。
違う、
精神病院に帰りなさい🫵👩⚕️
V!V!
V!V!
V!V!
俺は毎日布切れを着る
下着や服には本質があり、自我がそれを下着や服と意味を持たそうがそれが妄想だとは思わない
妄想なのは、服とは赤い球体の植物【トマト】のことを言うんだ、と信じ込んでる人がいたとしたら、それは妄想だと思うわ
そういうのを私的言語と言う
その建物に「お店」、物体に商品、人が立ってる場所にレジ、皮で作られた袋は財布、紙と金属はお金、商品とお金で価値交換するゲームに自我で意味を持たせても妄想だとは思わない
棚から商品をとって、そのまま店を出ていいんだ、と思い込んでる人がいたとしたら、それは窃盗だと思うわ
そういうのは犯罪と言う
それでも法やルールがあり、それを法やルールであると認知する自分がいる
実在しない、というがこれらは「ゲームの中でも成り立っている」こと
ゲームの中でもそれらは法であり、現実だ
何を持って現実というか
ゲームの中での事物は実在しないのか?いかなる意味で実在しないといえるのか?
ましてや、「ゲームの外はない」というリアリティなのであれば尚更だ
この世が幻想なのであれば、なぜ心霊を浄化する必要があるのか?
そんなのは考えるまでもない
ゲームの中で悪さする魂の存在であり、
その我執がさらに悪さに悪さを重ねてゲームの外に出れなくさせてるから、意外に理由はない
イマイチ伝わってないな
いうて俺も言語化が難しい
それに前提で俺の体験と断っている
何かちゃんとした裏付けがあるでもなし
まあなんとか例えて言えば
事象の認識は目などの感覚器官でおこなう空間認識もそう
それを違う記述に変換して脳が再生認識する
この時点であるがままとは言えないわけだ
仮に脳でそれら情報を物質化してると仮定すると感覚器官が捉えた情報は物質ではなく別の記述と言える
別の記述だとしてもその仕様内では
犯罪は犯罪だし、赤い丸い物体はリンゴと呼んだりするで
求道者は無明の中にあるからこそ求道するわけで、何かを得るために、変わるために、成熟するためにそれを行う
にも関わらず、いつも手垢と手グセにかまけて全てを判断するのであれば、何も増えないし得られるものがない
そうそうだから気づいたらやはり
どうあるべきかが重要だと思う
あるべきに執着していると論難されたが(Gさんに)
本質は妄想と「あるがまま」の「存在の状態」は具体的にどういう関係にあるん?
上で、そこら辺がごちゃまぜになってないか?と指摘はしましたな
本質とは自我の意味づけと言語化や
一つ一つ、ちゃんとやったほうがええで
元々の話の論点はリダンの
> 実体が存在しないという仕様においては、実在は客観的に存在する
の意味不明な言説に関しての話だったような(^_^;)
本質と自我は何の関係もないで?
法は確かに自我がその法則を言語化できるものだが、意味づけしてもしなくても法は働いとるやろ?
妄想の仕様において実在は存在する
やな
ほらな、やっぱり主張を繰り返すだけだろ?
深まろう、理解しようと、という状態じゃないから、有耶無耶な言葉のやり取りだけで終わるわけよ
だから不毛、となる
あるがままに働いている(不思議)ところの
表面上を、自我があれこれ見出すわけや
自我が見出さなくても本質はあり続ける、という主張をしてるわけだが…(^_^;)
鼻くそほじる時点でかゆいから
という意味づけしとるやろ
いや、加湿器って意味づけをしたのよ
いや君が理解しようとしないだけやん
仮和合だぞ
仮和合が鼻くそほじる行為に
自我がかゆいからと理由つけるやろ
だから本質を規定するのは誰か?
ってことや
加湿器?
それ、意味付けじゃなくて、縁起の話だろ?
身体の生理現象が生まれた時にその解消のためにほぼ万人がとる行為についての話し
自我や意味付け関係ある?
客観知
そう、自我が意味付けするってそういうことや
自我目線だとかゆいからだろ
あるがままならただの作用だ
痒かろうが痒くなかろうがかくんだよ
おまいは他者の痒さを内面から感じられるんか?
哲学的ゾンビってそういう話しだ
痒くなかろうが痒かろうが掻くんだよ
それは、過去の経験上から、自我がどうだろうが客観的な事実なんだよ
だから客観知を規定したのは誰か?
ってことだろ
過去の「現象」だ
自我は関係ない
いっておくが別にそれを否定してねえよ
ただし自我と意識と感覚器官のデバイスを通した仕様上でってこと
だから、その自我ってやつが「自分にしか適応されない」のに、なぜ本質と自我を結びつけられるんだ?って言ってるわけだが
単に、素朴にそう信じられてるだけだな
自分だけじゃなく皆だよ
本質ってのは自我と意識と感覚器官のデバイス上のことに過ぎないていう解釈だよ
その上でなら別に否定してねえっての
だから法介さんの話にも矛盾しねえの
みんなの自我はおまいのは分からんって話よ
おまいに分かるのはおまいの自我だけ
みんな自我を持ってる、と素朴に信じられるのは、それが
リダンが素朴みんな自我を持ってる論理者だからだなw
そういってるんだが
どうも実存を俺が勘違いしてるか
実存=無我でいいよな
リダンはいつと分かってるつもりでええ加減だから知らんw
しかし、朝太陽が昇り、夜太陽が沈む、と意味付けしてるなら、やろうがやってようがそれは客観的な事実だし、実在の銀河系はそういう風に動いている
朝太陽が昇り、夜太陽が沈む、という意味づけは自我が付与しようが常識としてあろうが、妄想ではない
それは前五識でも七識でも八識でも確認できる
いやあのな
無我の状態だと太陽がしずもうが
昇ろうが分からんのよ
自我があってそれを太陽と名づくんよ
だから法介さんは自我に仏性がやどらんと意味ないやろというわけ
> 無我の状態だと太陽がしずもうが
> 昇ろうが分からんのよ
まじでwww
そんな事態をリダンは体験したことあるなら、その時の体験をなるべく細かく描写してみてw
だから前五識の入力は
別のものに変換されて届くから
その時点で意識の変容次第ではあるがままではないのよ
いや、それ七識の話だし、なんなら阿頼耶識には全てが記憶されてるから太陽の昇降も普通に記憶されとるだろw
いや脳で再生してんだぞ俺ら
現代科学で考えても
脳に届くまでに一度変換されてるやろ情報が
太陽の昇降が脳で変換されるのと、変換されてるから元になってる太陽の昇降が存在しない、は一体どう繋がるんだw
物質化の話してんのよ
太陽の昇降が存在しないとはいってないわ
物質としての太陽が昇るのは
自我と意識と認識器官デバイス上だっつう話よ
自我は末那識で意識は六識で認識器官が生む像は五識だが、それがなんで自我の意味付けの妄想となるんだ?
なぜなら、概念は目的のためにあり、その目的が探究ではなく、分かったつもり、つまりプライドのためなら、それだけで充分となるから
いやいやどうあるべきかを探求せな
真如や法はあるがままだからだよ
分別しなきゃ太陽は認識できん
客観は相分だな
んで、妄想ってのは見分と末那識が交わるところで、
客観である相分を、客観とは違う形で意味付けを行う時、
のみに生じるもんだな
つまり、客観はあるし、実在もある
意味不明や
>>564
そういうのを妄想、私的言語という
見分と相分に分別して初めて
真如から実在を認識するんだろ
というか最初から俺の体験ですまんがと断っとるやろがいw
今の話に真如関係ないから
しかも真如は「状態」だから本質側の概念だ
リダン的には本質は自我が意味づける妄想だから
リダンにとっては真如も妄想になる
だからそういうのを「分かったつもり」と言うとるんじゃわい😆
いやだから真如に意味を見出して
如来となるんやろがい
だから最初にこの世は仮想現実から来ましたいうたろがい
リダンの持論を徹底すると、如来も妄想になるわい😆
それがリダンの妄想じゃろがい😆
うむ、リダンの自我が意味付けて妄想が生じていることをわたすは客観的に確認しますた😆
この世は全て妄想やからまあ
それも妄想やな
うむ、リダンにとっては全ては妄想になりますなw
そんな概念は何の役にも立たないことだけは客観的な事実だ😆
なんで最初に断ってんのに
仏陀になかれるんや
真如は状態じゃねえよ
あるがままだ
今日のやりとりはこれの注釈だ
> 例えば、悟りという個が到達する「状態」は状態であるから「本質側」になる
>
> しかし、その状態、つまり悟りが妄想なのであれば、足元から仏教が瓦解しますな
> >>413
> 分かったつもり発言を連発する人は基本的に、俺すげーを楽しみたい人
>
> 求道の道には入ってないので、その前提で話をする、となりますな
>
> 面倒なのは求道関連の話をしてる時にからまれること
>
> そういう時は招かれてないからスルー、となりまつ
悟りが状態であるのは同意や
無我と真如は悟りじゃねえよ
あるがままだ
それは君の決めつけ
リダンの言説が証明してるから(^_^)v
最初に断ってんのに
鬼の首とった勢いやな
存在は雄弁に自分の状態を語ってくれる
勝ち負けじゃないのよ
そのうちわかるようになるかもな
どうにも真如と悟りごっちゃやし
真如を状態っていうし
真如を状態とするなら
まさに太陽が昇ることをいう
現れに対して意味を付与するってことよ
とりあえず辞書で調べてくれw
真如の現れに状態をみるんだろが
そこかよ
もうそれは座れ俺のレベルでは言語化出来ん
ただあるのみや
リダンの文脈の真如の主張は主体であり状態だし、法である場合は本質側の話になるだけ
んで、法である本質はリダンは妄想だと言ってるから、残りは主体の状態だけよの
ただあるのみ、だけでは真如じゃないな
だから「分かったつもり」と言ってるんだ
何故そう思う?
本質と変容が欠けてるな
だから状態として見出すのは
自我だっつうの
んで人生の中で放蕩して位の高い本質を身につけて
存在の梯子を登ってゆく
だから受肉のフォーマット上なら
そうだってばよ
何度も、指摘してるけど何を指摘されてるか分かってないだろ?
分かってるつもりだとそうなるんだよ
求めてない
それは知ってるの
だから証明なわけよ
お、また私的言語の妄想がきましたなw
自我の意味付けではなく、現象の積み重ねで結論づけとるわけだ
これは客観なんだな
証明もなにも自我なきゃなんもわからんやろが
リダンがいなくても地球は続くから大丈夫(^_^)v
求道者が求めてることは一歩でもゴールに近付くこと
だから、自分の足りないところを知ることは、
最上にありがたいことなんや
鹿とリダンはどうもその真逆のように見える
まずな現象としてのそれは否定してない
ここはいいな?
んで自我の認識によるものを俺は妄想と呼んでると
しかし自我の立場からしたら
現実は現実だし事実は事実と認めとるわけ
だーかーらー
それは否定してねえっての
もしリダンが分からないなら求道者ではないからだと思うで
勝ち負けじゃないのよ
まぁ、そのままでええと思うで
リダンにはリダンのペースがあるからな
勝ち負けの話すきやなあ
うん、現行犯逮しても気付かない椰子と話してるからなw
唯、識=物質ではないで別におかしくないやろ
ほんと、学ばんやつやな
おやすみ💤
いや、最初から物質化の話してんじゃねえかw
リダンとサティーが結構書き込んでいたんで
一通り目を通した。
早速、新機能の「いいね」を押してみた。
リダンは見事なホームランをかっ飛ばすが
三振も多い
確実にヒットを打つ
決して三振する事はない
って時もあるんだけど
時々、おかしな表現になってる時もある。
「全ては自我による妄想である」
という表現なら違和感は感じない
「前五識による超リアルな妄想だ」
とか言う。
リダンが言う「妄想」って
実在していないという意味である「幻想」のことかなと
思ってしまう。
「妄想は自我仕様では実在する」
みたいに言う。
「バーチャルは自我仕様では実在す」
という風に置き換えられる。
それは間違いではないので違和感はない。
バーチャルとは仮想現実である。
リダンが言っているのは、
「本来は存在していない対象を自我が五蘊の働きで勝手に「有る」と思い込んでいる(妄想)んです!」
と成る。
それはバーチャルでは無く
確かに目の前に存在している。
と考えている。
↑これがその人の自我
実は人間が認識出来ていないもっと沢山の次元によって出来ている訳です。
人間の認識(前五識に依る認識)では
本当の世界の姿を認識出来ていはいない。
本当の世界だと勘違いして信じて疑わない。
それとも「実在しないもの」を意味しているのか
リダンの説明を聞いてみても
今一そこんとこが曖昧に感じる。
なにもリダンに限った事ではない。
そのあいまいな表現を用いている。
仏教用語を用いる事で
その曖昧さをおかしいと気づかずに
「人が認識されない事象(出来事)は存在しないのか」
というテーマで皆で討論した。
果たしてそのおかしい所に
何人が気づいただろうか
人間が認識しようがしまいが朝になれば太陽は昇り、夕方になれば沈んでいく
みたいな発言があった。
それは人間が言語化した現象で
実際のところは、「太陽」は無い。
無いものが昇る事も無い。
と言いたいのであろう。
大変重要な事です。
どうして起こるかを徹底的に探求されたものです。
その方が人間が生活するにおいて便利だからです。
とか言われたら人は戸惑います。
と指さして言いたくなります。
とか言われて
何か苦しみがとけるんですか?
とか言われて
何か悩みが無くなるんですか?
人を悩ませていませんか?
どれだけ無意味な論争が
5chで繰り広げられておりますか。
次のようになります。
「太陽が朝になれば昇る」
という現象は人間が言語化したもので
実際のところ人間の言語から離れれば
「太陽」も「昇る」も人間が勝手に付けた定義(本質)です。
人間の定義(概念)とは関係なく
そのモノがそのモノと成り得た縁起で成り立っています。
どのような縁起で今の姿があるんでしょうね。
わたしはまた別の事を考えます。
どんだけ人類はその恩恵を受けて生きてこれただろう
と。
って。
そんな感じで生まれたんじゃないでしょうかね。
サティーやリダンやわたしとでは
話す内容もその人それぞれです。
それで。
人は皆、考え方も感じ方もそれぞれです。
こう感じたが
この人はこんな風に感じるんだーって思えば
それで良いんじゃないんでしょうか。
家族みんな
ドラマや映画を観るのが好きです。
各々の感じた事、思う事を
言い合うんです。
このドラマ見てる?
あの映画観た?
って感じで話題が持ちきりです。
次男が『怒り』という映画を観て来て
こう言ったんです。
「何を言いたいのか今一良く解らんかった」
「でも、何か大事なことを訴えてるようにも思えた」
「お父さん、観て来て」
と。
おー、なかなか良く出来た作品だ
と思いました。
それを解りやすく次男に解説してあげました。
これは私の家庭教育の一環なんです。
人って自分とは違うんだ
という事を薫習させているんです。
なんでこいつはそう思えないのか
とか、ナンセンス。
育った環境も、教えられた教育も
学んで来た学問も宗教も
みんな異なります。
全て一つになるはずがありません。
必ずもめごとが起こります。
そういう人たちで禅宗の教えについて討論したら良いと思います。
参加しようとも思いません。
何で禅宗の教えをもって
意見しにズカズカと入ってこられるのか、、、
大変、迷惑なものです。
経典の解釈に違いが出てきます。
解釈が異なるので宗派に分かれてもいる訳です。
よそではでうなんだろうと
真理を探究する姿勢はサティも言ってましたが
大変すばらしい行為だと思います。
ゴリ押しして常に論争を引き起こす行為は
ただただ、迷惑でしかありません。
いくら論争したところで
何の意味が御座いましょうか。
同じ宗派同士の者で討論し
自宗の教えの理解を深めていかれる事が大事ではと
わたしなんかは思います。
論争が絶えないこの現状をお釈迦さまがみたら
どんなに悲しまれることでしょう。
しかし、
相手を小馬鹿にする必要ありますか?
皆が皆
自分と同じ考え感じ方をするとは限りません。
人間の心を中心にして起こる縁起になります。
析空=客体の真理(存在のあり方)
体空=主体の真理(認識のあり様)
それをもって世界は人間が認識するまで存在しないとかいってる方がおられますが、それは「量子力学」でのお話です。
果たして「人間の認識」だけでこの世界は出来ているんでしょうか。
人間が認識出来ていない事って実は一杯あるかと思います。
認識されるまで出来事が起きていないのであれば、
焼けていない状態で家は認識されなければなりません。
わたしはある事が頭に浮かびました。
↑のサイトから引用で紹介します。
すでにご存知に方ばかりと思いますが、 少しお話いたします。
探し探す間に地獄の入り口にたどりついた目連尊者はまさかと思いながら入ってみ ました。
焦熱地獄を覗いた時です、そこに横たわっているのはお母さんではありませんか。 目連尊者に駆け寄る母親は一杯の水を頼みました。しかし、水器で運んだ水は熱さで 煮えたぎり、持ち寄った食事は火と化したと経典には記されています。
目連尊者の母親は目連を大変かわいがりましたが、そのあまり、道理がわからなく なってしまっていたようです。
夏のある日、目連尊者の家の前を通りかかった人が一杯の水をめぐんでくれるよう に頼みました。水瓶の水はあふれんばかりでしたが、母親はふたを取ろうとしませ ん。何度も乞う声に母親は「この水は目連の水」とこたえたのでした。
インドは暑く、特に水はどこにでもあるというわけではありません。
おしゃか様は、布施(物を施すこと)は執着心を離れることとして奨励されました が、あながち「心」の問題ばかりでなく、社会の貧困を解決すること(助け合うこ と)を教えられていたように思えるのです。
もくれんを思うあまり施しを忘れ、道理を見失った母親は、その「おろかさ」 をもってあの世に行ったのでしょう。結果は地獄でした。目連尊者にとって、自分のた めに地獄にいる母親はおどろきであり、辛く苦しいことだったのでしょう。この気持 ちは私達もわかるような気がします。
悲しみに打ちしおれる目連尊者は再びおしゃか様をたずねました。
この日、目連尊者は百味、百果の食べ物を用意したそうです。誰にでも食べていた だこうとしたのでしょうね。
食事には多くの人々が集まってきました。おしゃか様を中心に法要も行われたことでしょう。法要は「さとりの心をよりどころにしなさい」ということですね。
白い雲に包まれた母親がうれしそうに空に登っていくところでした。目連尊者は飛 び上がらんばかりに喜び、おしゃか様に、 「もし後の世の人々がこのような行事をすればたとえ地獄にあろうとも救われようか」と尋ねました。
おしゃか様もうれしそうにこたえられました。 「いま、わたしが話そうとしたところだ。もし孝順心を持ってこの行事を行うなら必ずや善きことがおこるであろう」
その日、村のあちこちから歓声がきこえ、喜びのおどりはいつまでもつづいたそうです。
布教委員会編『お盆の献立』より
「これが世界だ」
と思っているのは
愚かな人間の勝手な思い込み(妄想)であって
世界は我々人間が思うような感じで実在していません。
世界は「実在の真理」と「認識における真理」とで捉えて始めて
本当のありのままの姿を正しく捉えることが出来ます。
「色即是空 空即是色」
です。
しかし「空即是色」はと言いますと
正しくそれを理解出来ている人は少ないのではないでしょうか。
色即是空=従仮入空観
空即是色=従空入仮観
と説いておられます。
色即是空=従仮入空観 --- 析空観
空即是色=従空入仮観 --- 体空観
仮の世界に身を置きながら、空の世界観に入るという意味です。
仏の空の世界観で、凡夫の仮の世界観を感じるという意味です。
サティーが縁起の観方でそれを語ってくれました。
それが、
仮の世界に身を置きながら、空の世界観に入るという「従仮入空観」、即ち「色即是空」です。
しかし私はこう観るぞ、と私の「色即是空」を語りました。
リダンにしても然りです。
それぞれに異なった「色即是空」が働いているんだなと
思える人は「空即是色」が働いております。
という相依性をきちんと理解し
それが阿頼耶識に薫習されていれば、そう思えてきますので
言い争いは起こりません。
自分の主張をゴリ押しして
常に言い争いが起こります。
今で覚り得ていない人の
人としての振る舞いに顕われる現象です。
前者の人は、見識を深めていきます。
この「八正道」を実践出来ている人は、人生を清く正しく喜びをもって生きて行けます。
朝の二度目の勤行・唱題行に励んで参ります。
プププwww ( ´_ゝ`)
プププwww ( ´_ゝ`)
プププwww ( ´_ゝ`)
前五識は情報収集のみという解釈です
そうですね
バーチャルという表現ぴったり
バーチャル化される前の情報としての事象はあるということです
自我がそれをバーチャル化(物質化)するという解釈です
情報としては存在するってことです
それを物質化する、影響下に入るということが妄想といってますね
>>バーチャル化(物質化)
って、書いてるけど
バーチャル=仮想だろ
物質=実在だろ
なんでバーチャル化が物質化と同等の意味になる?
世間一般の用語の活用として聞いてます。
https://youtu.be/0yks1BTPJBM
世間一般の用語の活用でなら
法介さんの言う通りですよ
俺の解釈は俺の体験上の話です
「この現実は人間が観測するまでは存在しない」
と言っているが、これは人間が認識する「現実」についての現代物理学の見解ね。
物質そのものが仮想だからですね
PCでたとえたら
モニターに映るのが物質で
それを構成するプログラムが法
動画今みれないので後ほど
人間の認識に関係なく存在している世界(客体の真理)
は別です。
この動画の中でも同じ事を言っているよね。
それについて少し話させてくれ。
例えば、
点いたり消えたりしているだけで
流れる光などは存在していない。
解りやすく「光の矢」と取り合えず表現します。
ただ、各々の電球が
点いたり消えたりを繰り返しているだけに過ぎません。
元から存在していないんです。
というのがリダンの主張ですよね。
そうですね
光の矢が物質化を指すならそうですね
これは「バーチャルの矢」です。
その矢を手に取る事は出来ません。
法介さんが素粒子の一つになりました
すると世界はどう見えますか?
ってことです
その矢を放った時、
同じ様にその矢は飛んで見えます。
実際に手に取る事が出来ます。
まだ物質と呼べますが
それでも自我が認識する物質とはもう違うのと似てますね
実在する矢です。
違いますか?
人間の五蘊の働きによるところです。
人間特有の現象です。
過去と今の違いから
人は時の流れを感じます。
そのような時の流れは感じられていないと思います。
今、一瞬の光景しか
見えていなと思います。
見た瞬間の記憶しかないので
それは「落ちた」のではなく
そこ(床)にあるリンゴとしてしか認知されず
重力は認識されません。
世界は成り立っていないと言いたいんです。
「この現実は人間が観測するまでは存在しない」
なのです。
世界は存在しております。
地球は人類が存在する以前から
確かに存在している訳ですから。
太陽は西から登って東に沈みます。
「太陽」とか「西」とか「東」は
言葉であって言語化された表現に過ぎません。
鏡に映されたリンゴは実在のリンゴそのものではない
映されたリンゴだ
そうではありません。
言語ってのは鏡像、つまり鏡と同じ機能だな
>>801 そう。
しかし、鏡に映っているリンゴは存在していないが
元となっているリンゴは存在している。
リダンが感じた「美味しい」と
私が感じた「美味しい」とは
同じ「美味しい」であっても微妙に異なるかと思います。(言葉の限界)
みんな同じように美味しいと感じなきゃ嫌だー!
ってのはジャイアン。
を連稿してくる
荒らしさん。
なんで自ら召喚しようとするのw
彼の愚かな行為も
皆が学び得る対象として認識されれば
それはそれで彼の行為も生かされてくるでしょう。
我がふり直せだな。
『三世諸仏総勘文教相廃立』より抜粋します。
釈尊はこの前三教では仏になることができない証拠を説き置かれて、末代の衆生に慧解を開かせられたのである。
九界の衆生は一念の無明という眠りのなかにあって、生死の夢に溺れて、本覚の寤を忘れ、夢のなかでの是非に執着して、冥きから冥きへとさまよっているのである。それゆえに如来は、我らの生死の夢のなかに入って、顚倒の衆生と同じ境界に立ち、夢のなかの言葉を使って、夢のなかにある衆生を誘い導き、夢のなかでの善悪の差別を説いて次第に誘引されるのであるが、夢のなかの善悪のことは、重なり合ってさまざまであり、無量無辺であるので、まず善のことについて上・中・下の三つを立てた。いわゆる声聞・縁覚・菩薩の三乗の法がこれである。この三乗の法を修行する人にまた上根・中根・下根の別があるので、三三九品となる。
このように説き終わって後に、上上品の根本の善を立てられたのを、上中下三三九品の善というのである。
しかしこれらは、皆ことごとく九界生死の夢のなかの是非善悪である。今これを総じて邪見であり、外道であるとするのである(これは妙楽大師の摩訶止観捜要記の意である)。
このうえにまた、上上品の善心は本覚の寤の法理だから、これが善の根本であると説き聞かせたときに、夢のなかながら善悪を立て分ける悟りの力によって寤の本心の実相の法理を初めて聞知することができたのである。
このときに仏は「夢と寤との二つは、架空のことと実際のこととの違いがあるけれども、心法はただ一つである。眠りの縁に値えば夢を見、眠りが去れば寤の心に戻るのであって、心法はただ一つである」と開会されたが、その開会の下地を作り置くための方便の教えである(これは別教の中道の法理についていっているのである)。
この権教のなかにも、それぞれに皆ことごとく方便と真実があり、権実の法が欠けていないのである。四教の一々にそれぞれ有門・空門・亦有亦空門・非有非空門の四門があって差別がないのである。また言葉も同じであり、文字にも違いがない。これによって、言葉に迷って権実の差別をわきまえないときを、仏法が滅びるというのである。
生と死と二つの理は生死の夢の理なり妄想なり顚倒なり本覚の寤を以て我が心性を糾せば生ず可き始めも無きが故に死す可き終りも無し既に生死を離れたる心法に非ずや、劫火にも焼けず水災にも朽ちず剣刀にも切られず弓箭にも射られず芥子の中に入るれども芥子も広からず心法も縮まらず虚空の中に満つれども虚空も広からず心法も狭からず善に背くを悪と云い悪に背くを善と云う、故に心の外に善無く悪無し此の善と悪とを離るるを無記と云うなり、善悪無記・此の外には心無く心の外には法無きなり故に善悪も浄穢も凡夫・聖人も天地も大小も東西も南北も四維も上下も言語道断し心行所滅す心に分別して思い言い顕す言語なれば心の外には分別も無分別も無し、言と云うは心の思いを響かして声を顕すを云うなり凡夫は我が心に迷うて知らず覚らざるなり、仏は之を悟り顕わして神通と名くるなり神通とは神の一切の法に通じて礙無きなり、此の自在の神通は一切の有情の心にて有るなり故に狐狸も分分に通を現ずること皆心の神の分分の悟なり此の心の一法より国土世間も出来する事なり、
生と死との二つの理は生死の夢の理であり、妄想であり、顚倒した見方である。本覚の寤の悟りをもって自身の心性をただしてみれば、生ずるという始めがないので、死ぬという終わりもないのである。とすれば既に生死を離れた心法ではないか。劫火にも焼けないし水災にも朽ちない。刀剣にも切られず、弓矢にも射られない。芥子の中に入れても芥子も広がらないし、心法も縮まらない。虚空のなかに満たしても虚空も広すぎることはないし、心法が狭いということもない。
善に背くのを悪といい、悪に背くのを善という。ゆえに心の外に善はなく、悪もない。この善と悪とを離れるのを無記というのである。善と悪と無記と、この外には心はなく、心の外には法はないのである。このゆえに、善悪も浄穢も凡夫と聖人も天地も大小も東西も南北も四維も上下も、すべて言語の道は断え、心行も所滅するのである。
心で分別した思いを言い表すのが言語であるから、心の外には分別も無分別もない。言葉というのは心の思いを響かせて声に表したものをいうのである。凡夫は自身の心に迷ってそれを知らず悟らないのである。仏はこの心の働きを悟りあらわして、神通と名づけたのである。神通とは神が一切の法に通じて礙りがないことをいうのである。この自在の神通は一切の有情の心に具わっている。ゆえに狐や狸がそれぞれに通力をあらわすことは皆、心の神を分々に悟っているからである。
この心という一法から国土世間も出てくるのである。
この心が善悪の縁に値って、善悪の法を作り出しているのである。華厳経には「優れた画家が種々の五陰を描きあらわすように、一切世間のなかでの法はすべて心が作り出したものである。この心のように仏もまた同じであり、仏のように衆生もまた同じである。三界はただ一心からあらわれたものであり、心の外には別の法はないのである。心と仏と衆生と、この三つは差別はないのである」と述べている。無量義経には「無相・不相の一法から無量義を出生したのである」と述べている。無相・不相の一法とは一切衆生の一念の心のことである。法華文句にこの経を釈して「生じ滅するという無常の相がないことを無相といい、二乗の有余涅槃・無余涅槃の二つの涅槃の相を離れていることを不相というのである」と述べている。この心の不思議を説き明かすことを経論の肝要といい、この心を悟り知った人を名づけて如来というのである。
これを悟り知ってみると、十界は我が身であり我が心であり我が形である。それは本覚の如来は我が身心であるからである。これを知らない時を名づけて無明とするのである。無明とは明らかなること無しと読む。我が心のありさまを明らかに覚らないことである。これを悟り知る時を名づけて法性という。ゆえに無明と法性とは一心の異名である。名と言とは二つであるけれども心はただ一つの心なのである。このゆえに無明を断じてはならないのである。無明である夢の心の心を断じてしまえば寤の心をも失ってしまうからである。総じて円教の意は一毫の惑をも断じないのである。ゆえに一切の法は皆これ仏法であるというのである。
法華経に云く「如是相一切衆生の相好本覚の応身如来如是性一切衆生の心性本覚の報身如来如是体一切衆生の身体本覚の法身如来」此の三如是より後の七如是・出生して合して十如是と成れるなり、此の十如是は十法界なり、此の十法界は一人の心より出で八万四千の法門と成るなり、一人を手本として一切衆生平等なること是くの如し、三世の諸仏の総勘文にして御判慥かに印たる正本の文書なり仏の御判とは実相の一印なり印とは判の異名なり、余の一切の経には実相の印無ければ正本の文書に非ず全く実の仏無し実の仏無きが故に夢中の文書なり浄土に無きが故なり、十法界は十なれども十如是は一なり譬えば水中の月は無量なりと雖も虚空の月は一なるが如し、九法界の十如是は夢中の十如是なるが故に水中の月の如し仏法界の十如是は本覚の寤の十如是なれば虚空の月の如し、是の故に仏界の一つの十如是顕れぬれば九法界の十如是の水中の月の如きも一も闕減無く同時に皆顕れて体と用と一具にして一体の仏と成る、十法界を互に具足し平等なる十界の衆生なれば虚空の本月も水中の末月も一人の身中に具足して闕くること無し故に十如是は本末究竟して等しく差別無し、本とは衆生の十如是なり末とは諸仏の十如是なり諸仏は衆生の一念の心より顕れ給えば衆生は是れ本なり諸仏は是れ末なり、然るを経に云く「今此の三界は皆是我が有なり其の中の衆生は悉く是吾が子なり」と已上、仏成道の後に化他の為の故に迹の成道を唱えて生死の夢中にして本覚の寤を説き給うなり、智慧を父に譬え愚癡を子に譬えて是くの如く説き給えるなり、衆生は本覚の十如是なりと雖も一念の無明眠りの如く心を覆うて生死の夢に入つて本覚の理を忘れ髪筋を切る程に過去・現在・未来の三世の虚夢を見るなり、仏は寤の人の如くなれば生死の夢に入つて衆生を驚かし給える智慧は夢の中にて父母の如く夢の中なる我等は子息の如くなり、此の道理を以て悉是吾子と言い給うなり、此の理を思い解けば諸仏と我等とは本の故にも父子なり末の故にも父子なり父子の天性は本末是れ同じ、斯れに由つて己心と仏心とは異ならずと観ずるが故に生死の夢を覚まして本覚の寤に還えるを即身成仏と云うなり、即身成仏は今我が身の上の天性・地体なり煩も無く障りも無き衆生の運命なり果報なり冥加なり
法華経方便品第二には「如是相(一切衆生の相好・本覚の応身如来)、如是性(一切衆生の心性・本覚の報身如来)、如是体(一切衆生の身体・本覚の法身如来)」とある。この三如是から後の七如是が出生して、十如是となるのである。
この十如是は十法界にわたるのであり、この十法界は一人の心から生み出されて八万四千の法門となるのである。
この法門は、一人を手本として一切衆生に平等にあてはまるのである。これは三世の諸仏の総勘文であって御判をたしかに押した正本の文書である。仏の御判とは実相の一印のことである。印とは判の異名である。
他の一切の経には実相の印がないので正本の文書ではないのである。そこには全く実の仏はない。実の仏がないゆえに夢中の文書である。浄土にないからなのである。
十法界は十であるけれども、十如是は一つである。たとえば水中の月は無量であっても、大空の月は一つであるようなものである。
九法界の十如是は夢の中の十如是であるから水中の月のようなものである。仏法界の十如是は本覚の寤の十如是であるから大空の月のようなものである。
本とは衆生の十如是であり、末とは諸仏の十如是である。諸仏は衆生の一念の心からあらわれたのであるから、衆生は本であり諸仏は末なのである。
これは仏が成道した後に化他のために垂迹のうえの成道を唱えて生死の夢のなかにあって本覚の寤を説かれたのである。そして智慧を父にたとえ、愚癡を子にたとえてこのように説かれたのである。
衆生は本覚の十如是ではあるけれども、一念のなかの無明が眠りのように心を覆って、生死の夢のなかに入ってしまって本覚の法理を忘れ、一本の髪を切るほどのわずかな無明の心で過去・現在・未来の三世にわたる虚夢を見るのである。
この法理を理解すれば諸仏と我らとは本のうえからも父子であり、末のうえからも父子である。父子の天性は本も末も同じである。これによって己心と仏心とは異ならないと観ずるゆえに生死の夢を覚まして本覚の寤に還るのを即身成仏というのである。即身成仏は、今、我が身に本来具わった天性であり、地体であって、煩いもなく、障りもない、衆生の運命であり、果報であり、冥加なのである。
反対することが仕事の野党のうるさい野次みたいだよなw
その意味では鹿にとっては法介さんは与党ということになるw
向こうで
お威張りご満悦のよーなので
しばらく平和かもしれない
😄
😭
語っている内容が
「モノの状態」なのか「縁起」なのかで解ります。
「モノの状態」の変化を科学的
学術的に論証するものです。
テーブルのお話。
私たちはそれをテーブルとして見ていますが
それは「天板」と「脚」が仮和合して「テーブル」としてそこにある訳で
「天板」と「脚」とバラしてしまえば「テーブル」は無くなります。
それを私たちはテーブルがそこに有ると勝手に思い込んでいる訳です。
といったお話が「析空」で語る空です。
殆どがこういった
モノの状態をトンチ的に語っているように見受けられます。
「モノの状態」について語る空なので
モノがモノとして「有る」とか「無い」といった
状態を中心に語られます。
どのように存在しているかを説いたのが実在の真理である此縁性縁起です。
これは「モノの状態」なのでこのモノを空じる空を析空と言います。
「唯識」です。
認識のあり様(見る側=主体)
https://youtu.be/Ze10wMOZdwQ
どれだけ頻繁に出て来るか
意識して聞いてみてください。
「有る」のは自分という言葉だけなのに
自分が存在しない(無い)
心だけしか存在しない(無い)
といった感じで
有る・無しで唯識が語られております。
彼は最後に何て言ってましたか
「世界は無い」
です。
形容詞として空が用いられます。
形容詞は「状態」を現わす言葉ですから。
体空の意識で観てみましょう。
一生懸命に無心で制作に取り組む職人さんの姿が
私には観えてきます。
美味しそうに食事を楽しんでいる
自分の姿がイメージとして沸いてきました。
それをまじまじと眺めていて
私はそう決断しました。
それのどこが「空」を語っているのですかと
突っ込みたくなりましたか?
と龍樹は言ってますよね。
そういった二元論をお釈迦さまは
有ると見るを常見、無しと見るを断見として
この「有る無し」のモノの見方を外道の見解とされました。
「縁起」で対象を捉える見方を
「中道」とされ仏教を説かれました。
最初は世間一般の考え方で理解する世界悉檀、
境涯が高まる事で理解が深まっていく為人悉檀[いにんしつだん]。
「違います!」
を連稿して嫌がらせをしてくる荒らしさんがおられますが
彼の理解と私の理解とでは同じ仏教の教えであっても全く別の理解になっているようですね。
私は日蓮さんや天台智顗の言葉を持って仏教が何たるかを習得して参りました。
学術とはそういうものですから。
仏が衆生を悟りへ導く教説を
4種類に分類したものです。
『阿含経典』などは実在の真理(実体の真理)でして
その内容はほぼ現代の科学や物理学の真理と一致します。(世間一般における真理)
析空
体空
法空
非空
の四段階に分け示しております。
相依性縁起は空の四段階の理解で言えば
二番目の理解となる体空にあたります。
天台智顗はそれを読み取って自身の論書で詳しく紹介されております。
蔵教=析空
通教=体空
別教=法空
円教=非空
このゆえに、未だ十界互具・円融相即を顕していないので、成仏の人はいないのである。このように三蔵教から別教に至るまで四十二年の間の八教は皆ことごとく方便の教えであり、夢のなかの善悪を説いたものである。ただしばらくの間、衆生を誘引するために用いられた支度・方便の教えなのである。
この権教のなかにも、それぞれに皆ことごとく方便と真実があり、権実の法が欠けていないのである。四教の一々にそれぞれ有門・空門・亦有亦空門・非有非空門の四門があって差別がないのである。また言葉も同じであり、文字にも違いがない。これによって、言葉に迷って権実の差別をわきまえないときを、仏法が滅びるというのである。
ここでとかれる真理は世間一般の真理なので現代科学や現代物理学と同じレベルの真理(世界悉檀)が展開されます。
それを日蓮さんは次のように申されている訳です。
「四教の一々にそれぞれ有門・空門・亦有亦空門・非有非空門の四門があって差別がない」
※こちらの禅宗の解説動画でご確認下さい。
https://www.youtube.com/watch?v=nNEUgdj_cuc
1:10:30あたりから再生されてみて下さい。
「有る無し」とはモノの状態です。
「自分という存在(客観の世界では人もモノと同じ扱いとなります)は、無い」となります。
「一念因縁所生の心の生滅を観じて析仮入空す」
と申しております。
今一瞬の心が捉える縁起によって生じた対象を生滅させる
という意味です。
ここでの心は
凡夫の人間の「心」です。
客観による認識を空じるのが析仮入空
即ち析空観です。
仮和合して実体として認識される対象を
細分化して捉えます。
天板と脚とに細分化することで
「テーブル」という物体は消滅します。
そもそも学者から僧侶が仏教を教えてもらうって
どうなんでしょう、、、
水は水素と酸素に分解されると消えて無くなります。
通教の四門の相を明かす
として智顗は次のように申しております。
すなわち一切法も空なり。
これを体仮入空となす」
みなこれ(空)より起こるとあります。
その空を
「空とは縁起である」と言いました。
そのモノがそのモノと成り得た因果(縁起)で
対象を捉えます。
「仏の認識」で(仏の視点)
対象を捉えます。
「空即是色」で阿頼耶識を因とした縁起で ---(体空)
対象を捉えます。
蔵教=声聞
通教=縁覚
別教=菩薩
円教=仏
自我を退治(空じる)しておりますので
凡夫の認識である「色即是空」と
仏の認識である「空即是色」とが一つになり
「色即是空 空即是色」となります。
空即是色=空門(仏の世界観=空観)
色即是空 空即是色=亦有亦空門(凡夫+仏の世界観=中観)
仏の真理(空=縁起=空諦)では対象は縁起で認識されます。
別教の四門の相は、「心を観ずるに、因縁所生は即ち仮名、一切恒沙の仏法を具足し、無明の阿頼耶識に依りて、無量の聖諦を分別す」
菩薩が衆生を教化するためには、無数の惑を断じなければならない故にこういう。
塵沙は無量無数の意。
別教では十二品、円教では四十二品に立て分けて、最後の一品を「元品の無明」とし、これを断ずれば成仏の境地を得るとしている。
知りませんですた~😄
この凡夫視点で捉える真理(片道切符)--- 色即是空
折り返して今度は阿頼耶識を因として
仏視点で捉える真理(往復切符)--- 空即是色
の事です。
かっ飛ばした
いかした表現ですね。
片目凡夫、片目仏
みたいな感じで。
片目仏=空即是色
ですね。
四教という各々のステージで説き示されたそれぞれの真理の事を言われております。
「心は因縁所生なるを観じて、一切の十法界の法を具足するも、積聚するところなし。不縦不横、不思議の中道二諦の理は、一切の円教の明かすところ、行位と因果も、みなこれより起こる」
<析空観に約して三蔵教を三乗に開く>
蔵教の声聞
蔵教の縁覚
蔵教の菩薩
<体法観に約して通教を三乗に開く>
通教の声聞
通教の縁覚
通教の菩薩
<別相の三観に約して別教を三乗に開く>
別教の声聞
別教の縁覚
別教の菩薩
析空観を持って三蔵教に三乗を開く義を明かさば、三蔵教は、三乗の行人が同じく因縁仮を析して以て空に入るを明かす。もしは声聞は、総相の析法入空をもて、真無漏を発して一切智を成ずるを、声聞乗と名ずく。もしは辟支佛は、別相の析法入空をもて、真無漏を発して一切智を成ずるを、辟支佛乗と名ずく。もしは菩薩は、総相と別相の析法入空もて、結を断ぜずして証を取り、多く俗仮に入りて六度を修行し、一切智・佛智・自然智・無師智を求む。すなわちこれ三蔵教の大乗なり。
体法観もて通教の三乗を開くを明かさば、三乗の人は同じく因縁仮を体して以て空に入り、もしは真無漏を発して見思の惑を断ず。小乗は、根が鈍なれば、ただ正使を除きて一切智を成ずるは、声聞乗と名づく。縁覚は、中根なれば、習気を侵除して一切智を成ずるは、辟支佛乗と名ずく。菩薩は、一切智を得て仮に入り道種智を修し、衆生を教化して一切種智を求む。すなわちこれ通教の大乗なり。
総じて析・体の別相三観に約して別教の大乗を成ずるを明かさば、もしはこれ別教の菩薩は、因縁を観じて別相の三観を修し、次第に一切智・道種智を成じ、ないし中道観を修して佛性を見、一切種智を成じて常住の涅槃を求む。すなわちこれ別教の大乗義なり。
おはよー
と
大人の態度?
😄
おはよ〜〜〜ん
😄😄😄😄😄😄😄😄
見惑は、後天的に形成される思想・信条のうえでの迷い。
思惑は、生まれながらにもつ感覚・感情の迷い。
この見惑・思惑によるところが大きい。
末那識が汚染されてしまう。
生まれながらにもつ感覚や感情の狂いというか濁りが生じる。
人の話を正しく聞けなかったり
塵沙惑は、菩薩が断じるべき惑で具体的に言えば、自我の克服。
時間の流れを感じる。
心地よい空間とか
狭い空間といった空間の認識が起こる。
なるほどありがとうございます
自我意識は働いている。
阿頼耶識の「私」の記憶へのアクセスとなる。
それは「凡夫の業」でしかない。
覚りの境地である真如の世界観は
顕われない。
仏の元で修行を積んで来た者であれば
「私」の阿頼耶識へのアクセスで
「元品の無明」は断ち切れる。
覚りの境地に入れるか否かが決まる。
なので根本的には阿頼耶識には
仏に縁して修行して
覚りを開いた修行者達の業は備わっている。
> 五蘊を空じて意識が第六意識から第七末那識に変わっても、
>
> 自我意識は働いている。
違う!
> 凡夫(通常の人間)は、この自我意識が働くことで自分の手、自分の眼、自分の鼻、自分の耳、自分の舌といった五感での意識が働く。
違う、
> なので仏性(無漏種子)は阿頼耶識にちゃんと備わっている。
違う、
問うて言う。二乗の成仏がなければ、菩薩の成仏もないという正(まさ)しき証文はあるか。答えて言う。涅槃経の巻三十六には「仏性はこれ衆生に有ると信ずるけれども、必ず一切に悉く有るのではない。このゆえに信不具足と名づける」とある(三十六巻本では巻三十二である)。この文のとおりならば、先の四味の諸菩薩はみな一闡提の人である。二乗作仏を許さないから、二乗が成仏しないだけではなく、更にまた菩薩の成仏も許さないものである。このことから考えると、四十余年の文に二乗作仏を許さないならば、菩薩の成仏もまたないのである。一乗要決のなかには「涅槃経巻三十六には『仏性はこれ衆生に有ると信ずるけれども、必ず一切に悉く有るのではない。このゆえに信不具足と名づける』とある(三十六巻本では巻三十二である)。第三十一の巻には『一切衆生および一闡提に悉く仏性が有ると信ずることを、菩薩の行法である十法のなかの第一の信心具足と名づける』とある(三十六巻本では巻三十である)。『一切衆生に悉く仏性がある』と明かすことは、一部分ではない。もしそれでも一切を一部分と執着するならば、ただ経文に違背するだけではなく、また信不具となる。どうして願って一闡提となるであろうか。これによって、全部に仏性が有ると許すべきである。法理からまた一切の成仏を許さなければならない……」。
http://blog.livedoor.jp/inae_sokagakkai/archives/1998311.html
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