ゆゆしき法界 パート34アーカイブ最終更新 2024/03/01 18:321.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq【ゆゆしき法界とは】Talk 掲示板における一つの独立した空間で、争い事は決して好まず、他者に対する誹謗・中傷はナンセンス。しかし愛嬌はドンと来い。ユーモアはぶちかませ。エロい話はお好み次第。「人生楽しまなきゃ損だろう!」をモットーに互いの人間性を尊重しながらもじゃれ合い程度にはツツキ合い、もみもみしながら互いのゆゆしさを温かく且つ、深く理解し合いながら相互に人間性を高め合っていく。そんな素敵な関係のゆゆしき法界です。前スレゆゆしき法界 パート32https://talk.jp/boards/psy/1708210151ゆゆしき法界 パート33https://talk.jp/boards/psy/17084812822024/02/26 03:13:451000すべて|最新の50件2.法介◆T3azX0Hk1UjjfDqスレ主不在の場合は、JBL、サティー、リダン、閃の四方にスレ主権限を託します。スレの円満な進行の妨げになるような事態が生じた際は、各々がスレ主権限をもって対処にあたって下さいますようスレ主より深くお願い申し上げます。下記の者は迷惑行為をやめないため、立ち入り禁止とします↓栖雲居士◆dqam8SqGUPdm(旧コテ名:鹿野園)2024/02/26 03:14:503.法介◆T3azX0Hk1UjjfDqスレ主のサイトはこちら↓『仏道』https://hokekyou.up-jp.com/仏道 ~ その壱『空の巻』~https://butudou.blog.jp/仏道 ~ その弐『別相の巻』~https://butudou.livedoor.blog/仏道 ~ その参『円融の巻』~https://enkyo.blog.jp/仏道 ~ その四『真如の巻』~https://sinnyo.blog.jp/創価学会と日蓮正宗の方に読んで頂きたい教学https://niti-ren.blog.jp/2024/02/26 03:16:584.法介◆T3azX0Hk1UjjfDqスレ主のブログはこちら↓法介の『ゆゆしき世界』https://zawazawa.jp/yuyusiki/仏道の『阿頼耶識システム』https://zawazawa.jp/bison/『法華玄義』と天台教学https://zawazawa.jp/gengi/2024/02/26 03:17:525.法介◆T3azX0Hk1UjjfDqスレ主紹介『法介伝』~世の中の間違いを正す!編 より人間はあらゆる物事を概念化してゆきそれを記憶に留めていく生き物です。その人間の「概念」に対し仏教では物事の「真理」を説きます。「人間の概念」は所詮人間が造り出すものであり、それが果たして信ずるに値する「真理」たり得るかと言えば、そうではない事が多々あります。その時はそれが「正しい」と思っていても振り返ってみると「間違い」だったという事は良くある事です。例えば昨今の教科書から坂本竜馬が外されましたが、時代の時々によって人物の評価は変わっていきます。世の中は流動的に常に変化しておりますので、その世界にあって変わらずにあり続ける「正しさ」というものは、実はあり得ないんです。なのに人々は「全体的な正しさが有る!」と思い込むんです。この全体的な正しさが「有る!」と主張する行為は、物事を「有る無し」で見ている外道の見解にあたります。外道と言いますと「私は外道なんかじゃありません!」と激しく抗議されそうなので言い方を変えます。物事を「有る無し」で判断する行為を客観認識法と言います。今の世の中、どれだけ人々が「全体的な正しさが有る!」と思い込んで生きているかというお話をわたしの大変愉快な体験談を通して紹介して参ります。2024/02/26 03:19:196.法介◆T3azX0Hk1UjjfDqスレ主のボキャブラリー↓『ブキペディア』ブキペディアは皆で編集できるtalk掲示板、宗教板の仏教大辞典です。コテハン語録集としてもご活用ください。それ以外にもエロんな形でご活用ください。但し、醜い内容もしくはユーモアのセンスが無い内容は管理サイドの判断で一方的に削除されます。https://zawazawa.jp/Bukipedia/2024/02/26 03:20:357.法介◆T3azX0Hk1UjjfDqテンプレはここまで2024/02/26 03:21:488.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq『諸法実相抄』御抄は、日蓮大聖人が52歳の御時、文永10年(1273)5月17日に、御配流の地、佐渡の一の谷で著され、最蓮房日浄に与えられた御抄である。2024/02/26 04:53:229.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq最蓮房は、天台宗の僧侶で大聖人と同じように佐渡(新潟県)に配流されておりました。そこで日蓮さんに出会い弟子入りします。2024/02/26 04:58:1310.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq元が天台宗の僧侶ですから、この方へ宛てたお手紙の内容はどれも内容が高度です。2024/02/26 04:59:4311.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq日蓮さんは、阿頼耶識に眠る三因仏性の中の「縁因仏性」を一枚の曼荼羅に顕しました。2024/02/26 05:07:5712.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq『法華経』の本門で説かれている「虚空絵の儀式」を曼荼羅として御図顕あそばされた訳です。2024/02/26 05:11:2113.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq第三悉壇の空の理解と言いますのは、煩悩の根源であるところの「自我」を退治して起こる縁起です。2024/02/26 05:12:3414.法介◆T3azX0Hk1UjjfDqここでの意識は、仏と同じ意識となりますので今まで凡夫の意識で認識していた対象が仏の意識で認識されます。(七転識)2024/02/26 05:15:0415.法介◆T3azX0Hk1UjjfDqその仏の意識を空じるのが「非空」という空の一番難しい理解になります。2024/02/26 05:16:3716.法介◆T3azX0Hk1UjjfDqそれを詳しく解き明かしているのが『法華経』です。2024/02/26 05:17:0817.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq日蓮大聖人は、曼荼羅ご本尊を顕わすにあたって、『法華経』寿量品の中の「如来秘密神通之力」の御文を依文となされている旨が『御義口伝』の中に示されております。「此の本尊の依文とは如来秘密神通之力の文なり」 ※ 依文とはより所となる経文のこと。2024/02/26 05:23:0518.法介◆T3azX0Hk1UjjfDqまた、 「今 日蓮等の類いの意は即身成仏と開覚するを如来秘密神通之力とは云うなり」 と、「即身成仏」とは即ち「如来秘密神通之力」であるとも仰せになられております。2024/02/26 05:24:3519.法介◆T3azX0Hk1UjjfDqではこの寿量品の「如来秘密神通之力」とはどういうことなのか。大聖人は、「如来秘密」について、『三大秘法抄』 で、「一身即三身なるを名けて秘と為し三身即一身なるを名けて密と為す、又昔より説かざる所を名けて秘と為し唯仏のみ自ら知るを名けて密と為す、仏三世に於て等しく三身有り諸教の中に於て之を秘して伝えず」 と仰せになられております。2024/02/26 05:26:0220.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq爾前経(法華経以前に説かれた経)においては、「法身の無始・無終はとけども応身・報身の顕本はとかれず」と『開目抄上』で云われるように、別教において大日法身の無始無終(有名無実の権仏)は説かれておりますが、応身・報身の本地は秘して顕さず、法華経に至って初めてその本地は明かされます。2024/02/26 05:29:4321.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq迹門・方便品—三千塵点劫—始成正覚の釈迦本門・寿量品—五百塵点劫—無始無終の本仏の本地2024/02/26 05:30:4622.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq『法華経』の迹門と本門に分けて解き明かされた始成正覚と久遠実成のいわゆる「三五の法門」です。2024/02/26 05:32:2223.法介◆T3azX0Hk1UjjfDqこの「三五の法門」によって明かされる「本因本果の法門」の理解できてはじめて一身即三身、三身即一身の「三身の法門」の理解に至ります。2024/02/26 05:33:3824.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq『法華経』では、「三五の法門」「本因本果の法門」「三身の法門」「十界互具の法門」と重要な法門が沢山解き明かされております。2024/02/26 05:35:3125.法介◆T3azX0Hk1UjjfDqどれも仏が他経では決して明かす事が無かった法門で仏(如来)だけが知り得る秘密の教えなので「如来秘密」です。2024/02/26 05:40:4126.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq「神通之力」については、『諸法実相抄』 で、「神通之力とは三身の用なり、神は是れ天然不動の理、即ち法性身なり。通は無壅不思議の慧、即ち報身なり。力は是れ幹用自在、即ち応身なり」 と、法身、報身、応身の「用の三身」であると大聖人は、仰せになられております。2024/02/26 05:44:0427.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq「用の三身」は「体の三身」に対する用語で、『諸法実相抄』に、 「凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり」 と仰せの「倶体・倶用の三身」のことです。2024/02/26 05:44:4728.法介◆T3azX0Hk1UjjfDqこれは「仏」と言いましても「体の仏と用の仏」とがあると日蓮さんは申されている訳です。2024/02/26 05:46:2329.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq三身とは「法身、報身、応身」の事ですが、その三身に「用の三身」と「体の三身」とがあると。2024/02/26 05:53:2330.法介◆T3azX0Hk1UjjfDqお釈迦さまは、応身の釈迦、報身の釈迦、法身の釈迦と三身の姿がある事は良く知られております。2024/02/26 05:55:4931.法介◆T3azX0Hk1UjjfDqこの仏の三身を「用の仏」と言い対して凡夫が「体の仏」となります。2024/02/26 06:04:3532.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq「用の仏」が、仏の応身、報身、法身の三身であるなら「体の仏」は、何なのか。2024/02/26 06:07:2733.法介◆T3azX0Hk1UjjfDqそれが「非空」で凡夫の一身に顕われる応身、報身、法身の三身如来となります。2024/02/26 06:08:5934.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq「仏」という〝概念〟もそこ(真如の世界)には存在し得ません。2024/02/26 06:10:0135.法介◆T3azX0Hk1UjjfDqこの「体の仏」と「用の仏」の事を「倶体・倶用の三身」と言いまして、一念三千と同義語として日蓮さんは御書の中で用いられております。2024/02/26 06:14:1636.法介◆T3azX0Hk1UjjfDqたとえば『三世諸仏総勘文教相廃立』では、十法界は十なれども十如是は一なり譬えば水中の月は無量なりと雖も虚空の月は一なるが如し、九法界の十如是は夢中の十如是なるが故に水中の月の如し仏法界の十如是は本覚の寤の十如是なれば虚空の月の如し、是の故に仏界の一つの十如是顕れぬれば九法界の十如是の水中の月の如きも一も闕減無く同時に皆顕れて体と用と一具にして一体の仏と成る、十法界を互に具足し平等なる十界の衆生なれば虚空の本月も水中の末月も一人の身中に具足して闕くること無し故に十如是は本末究竟して等しく差別無し、本とは衆生の十如是なり末とは諸仏の十如是なり諸仏は衆生の一念の心より顕れ給えば衆生は是れ本なり諸仏は是れ末なり2024/02/26 06:15:4137.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq「体と用と一具にして一体の仏と成る」と。2024/02/26 06:16:3938.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq『当体義抄』では、南岳大師の云く「心体に染浄の二法を具足して而も異相無く一味平等なり」云云、又明鏡の譬真実に一二なり委くは大乗止観の釈の如し又能き釈には籤の六に云く「三千理に在れば同じく無明と名け三千果成ずれば咸く常楽と称す三千改むること無ければ無明即明・三千並に常なれば倶体倶用なり」文、此の釈分明なり。2024/02/26 06:19:2439.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq同じく『当体義抄』より所詮妙法蓮華の当体とは法華経を信ずる日蓮が弟子檀那等の父母所生の肉身是なり、正直に方便を捨て但法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱うる人は煩悩・業・苦の三道・法身・般若・解脱の三徳と転じて三観・三諦・即一心に顕われ其の人の所住の処は常寂光土なり、能居所居・身土・色心・倶体倶用・無作三身の本門寿量の当体蓮華の仏とは日蓮が弟子檀那等の中の事なり2024/02/26 06:20:5940.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq先ほどの『三世諸仏総勘文教相廃立』の別の文段では、故に守護国界章に云く「有為の報仏は夢中の権果前三教の修行の仏無作の三身は覚前の実仏なり後の円教の観心の仏」又云く「権教の三身は未だ無常を免れず前三教の修行の仏実教の三身は倶体倶用なり後の円教の観心の仏」此の釈を能く能く意得可きなり2024/02/26 06:22:5341.法介◆T3azX0Hk1UjjfDqそして今回お話致します『諸法実相抄』では、されば法界のすがた妙法蓮華経の五字にかはる事なし、釈迦多宝の二仏と云うも妙法等の五字より用の利益を施し給ふ時・事相に二仏と顕れて宝塔の中にして・うなづき合い給ふ、かくの如き等の法門・日蓮を除きては申し出す人一人もあるべからず、天台・妙楽・伝教等は心には知り給へども言に出し給ふまではなし・胸の中にしてくらし給へり、其れも道理なり、付属なきが故に・時のいまだ・いたらざる故に・仏の久遠の弟子にあらざる故に、地涌の菩薩の中の上首唱導・上行・無辺行等の菩薩より外は、末法の始の五百年に出現して法体の妙法蓮華経の五字を弘め給うのみならず、宝塔の中の二仏並座の儀式を作り顕すべき人なし、是れ即本門寿量品の事の一念三千の法門なるが故なり、されば釈迦・多宝の二仏と云うも用の仏なり、妙法蓮華経こそ本仏にては御座候へ、経に云く「如来秘密神通之力」是なり、2024/02/26 06:26:4942.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq如来秘密は体の三身にして本仏なり、神通之力は用の三身にして迹仏ぞかし、凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり、然れば釈迦仏は我れ等衆生のためには主師親の三徳を備へ給うと思ひしに、さにては候はず返つて仏に三徳をかふらせ奉るは凡夫なり、其の故は如来と云うは天台の釈に「如来とは十方三世の諸仏・二仏・三仏・本仏・迹仏の通号なり」と判じ給へり、此の釈に本仏と云うは凡夫なり迹仏と云ふは仏なり、然れども迷悟の不同にして生仏・異なるに依つて倶体・倶用の三身と云ふ事をば衆生しらざるなり2024/02/26 06:27:2843.法介◆T3azX0Hk1UjjfDqと申されております。2024/02/26 06:28:3844.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq休憩~2024/02/26 06:28:4845.神も仏も名無しさん5zFEyほーかいくん御館様〜〜〜〜おはよ〜〜〜ん〜〜😄😄😄😄😄😄😄2024/02/26 07:25:5046.法介◆T3azX0Hk1UjjfDqでおー、おはよー2024/02/26 08:06:2247.◆JBLfMwCXhYl1zthおはよ~ございます😄2024/02/26 08:17:1048.◆JBLfMwCXhYl1zth新スレ乙~😄2024/02/26 08:17:2249.法介◆T3azX0Hk1UjjfDqJB、おはよー2024/02/26 08:57:5150.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq天台教学と言えば、『摩訶止観』『法華玄義』『法華文句』といった天台三大部が有名なところです。2024/02/26 09:15:5351.法介◆T3azX0Hk1UjjfDqしかし、智顗の思想を解明する上でこれら三大部を基礎資料とすることには、一定の注意が必要である。2024/02/26 09:16:4652.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq菅野教授も言っておられましたが、こちらの論文でも同じような事が書かれております。『四教義』と『維摩経玄疏』「四教分別」の比較研究 横 溝 靖 彦https://core.ac.uk/download/pdf/270258153.pdf2024/02/26 09:18:2053.法介◆T3azX0Hk1UjjfDqこれら(天台三大部)は、智顗の講義を弟子の灌頂(561-632)が筆録したもので、灌頂による加筆も多く含まれていることが指摘されている。2024/02/26 09:19:1354.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq一方、晋王広(後の隋の煬帝、569-618)の要請により献上した智顗の一連の『維摩経』注釈書(以下、「維摩経疏」)は、三大部と同じく智顗の晩年時代に取り組んだものであり、智顗の親撰もしくは親撰に準ずるものとして、資料的価値が高いとされる2。智顗の維摩経疏には、『維摩経玄疏』六巻(以下、『玄疏』)、『維摩経文疏』二十八巻3(以下、『文疏』)および維摩経疏から別行したとされる『三観義』二巻、『四教義』十二巻があり、また、散逸した『四悉檀義』もこれに含まれる。2024/02/26 09:20:0255.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq晋王広の要請による智顗の維摩経疏は、佐藤哲英氏の研究により、三回にわたって献上されたことが知られるが4、なぜ三回にもわたって献上する必要があったのか、そこに内容的な変化、思想の変遷・進展が見られるのかなど、複数回献上された文献のそれぞれの関係性を検討することは、智顗の晩年の思想を探求する上で重要な課題である。2024/02/26 09:21:2356.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq仏教においては維摩経において「概念の固定化」が戒められております。2024/02/26 09:23:1757.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq智顗は晩年に至っても尚、自身の教学を上書きし続けていた事が隋朝の第二代皇帝、煬帝(晋王広)とのエピソードから伺えます。2024/02/26 09:29:4458.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq佐藤哲英氏は、『国清百録』に収録された智顗と晋王広の往復書簡を精査し、それまで維摩経疏の献上が前後二回と考えられていたものを、都合三回にわたって献上したとする「三回献上説」を提唱した5。佐藤氏の研究を参考にして、智顗の維摩経疏献上の流れを示すと次のようになる。2024/02/26 09:31:2259.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq第一回献上は、開皇十五年(595)六・七月頃と推定される。先に「初巻義疏」と呼ばれるものを献上し、その後、残余の部分を献上した。すべてを合わせたものが「十巻玄義」と称される。この「十巻玄義」を別行したものが、『四悉檀義』(散逸)や『三観義』『四教義』とされるが、最初に献上された「初巻義疏」には、四悉檀についての解釈があり、その内容が前代未聞であることを晋王広が称嘆しているため、散逸した『四悉檀義』に相当する部分が書かれていたと推定される。また、『国清百録』や灌頂著『隋天台智者大師別伝』(以下、『別伝』)の記述から、第一回献上本は、智顗が自ら著したものだとされている。2024/02/26 09:32:4460.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq第二回献上は、開皇十七年(597)三・四月頃とされる。『国清百録』巻第四「秘書監柳顧言書第一百一」に「新治六卷并入文八軸」(T46, no. 1934, p. 821, c16-17)とあることから、玄義六巻と文句八巻を献上したと考えられている。この時点で、第一回献上本の「十巻玄義」は、現行の『玄疏』と同じ六巻本に整理されたと考えられ、また、文句(随文釈義)が八巻に至っているということは、現行の『文疏』の構成から推定して、仏国品第一の釈がそれにあたると思われる。2024/02/26 09:36:0061.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq第三回献上は、智顗の示寂後の開皇十八年(598)一月に、『玄疏』六巻、『文疏』二十五巻(仏道品第八までの釈)を、弟子の灌頂等が献上したものである。その後、残りの入不二法門品第九以降の釈を灌頂が補遺したものが現行の『文疏』二十八巻であるが、二十八巻本の『文疏』は、『国清百録』などにも献上に関する記述がないことから、晋王広に献上されていないものと考えられている。2024/02/26 09:36:5162.法介◆T3azX0Hk1UjjfDqなお、第三回献上本は、後に引用する智顗の遺書の内容から、智顗が口述したものを弟子が筆録したことが窺える。さらに、智顗が死の直前まで修治していたことがわかるため、親撰に準ずるものとして扱われてきた。2024/02/26 09:37:2363.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq第一回献上と第三回献上(従来はこれが二回目と考えられていた)の間に、第二回の献上があったことを明らかにしたのが佐藤氏の成果である。智顗が晋王広に与えた遺書には、『国清百録』巻第三「遺書与晋王第六十五」此之義疏、口授出本。一遍自治、皆未搜簡經論、僻謬尚多、不堪流布。既為王造、寧羞其拙。囑弟子抄寫後本。仰簡前所送玄義及入文者、請付弟子焚之。(T46, no. 1934, p. 810, a10-13)この義疏は、口述して本にしたものです。一遍は自分で修治しましたが、すべてにわたって経論を調べてはいないため、まだ誤りが多く、流布に堪えるものではありません。王のために造りながらも、その拙さを羞じるものです。弟子に託して後本を部分的に写させます。どうか前に送った玄義と文句を簡(えら)んで、弟子に付して焼却するようにお願いします。2024/02/26 09:38:5564.法介◆T3azX0Hk1UjjfDqとあり、前に献上したものは焼却されるはずであったが、献上を二回とすると、第一回献上本である「十巻玄義」の焼却を指示したことになり、「十巻玄義」から別行したとされる『三観義』『四教義』などが現存していることや、特に『玄疏』の中で、「悉檀大本」「三観大本」「四教大本」などと、第一回献上本を指示して詳説を譲る箇所があるなど、第一回献上本を焼却したならば成立しないいくつかの矛盾があった。これらの矛盾が、佐藤氏の研究により解消されたのである。2024/02/26 09:43:5265.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq(引用が長くなってきているが、、、、区切れん!)2024/02/26 09:45:0666.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq2.『玄疏』と『文疏』の関係山口弘江氏は、『玄疏』の冒頭の文に、「今ただちに文(随文釈義)の前で五重玄義について述べる」(「今輒於文前、撰五重玄義」、T38, no. 1777, p. 519, a8-9)とあり、さらに『文疏』の冒頭が、「次にこの経(『維摩経』)の文〔の解釈〕に入るにあたり、おおよそ五つの意として明らかにする」(「次明入此經文、大為五意」、X18, no. 338, p. 464, a10)と唐突に始まることから、「『玄疏』六巻の内容が先行し『文疏』が続くという構成をもった一書として成立している」(山口[2017: 4])と指摘する。そして後に、湛然が『文疏』を要約して『維摩経略疏』十巻を著し、それが流布され、研鑽される中で、『玄疏』と『文疏』がそれぞれ独立した別の書として扱われるようになったと、山口氏は主張する。2024/02/26 09:46:4467.法介◆T3azX0Hk1UjjfDqしかし、『法華文句』の冒頭にも、「詳しい経題の解釈は、すでに前に説いた通りである」(「委釋經題、已如上説」、T34, no. 1718, p. 1, b23)とあって、『法華玄義』との一体性を看取できることから、『文疏』の冒頭の一文だけで、『玄疏』と『文疏』が「一書として成立している」かどうかを判定するのは難しい。2024/02/26 09:47:2168.法介◆T3azX0Hk1UjjfDqそこで筆者は、智顗が晋王広に与えた遺書と、その遺書に晋王広が答えた文に見られる、『玄疏』六巻と『文疏』二十五巻(仏道品第八までの釈)を合わせて「三十一巻」と表現する箇所に注目したい。『玄疏』『文疏』を献上した智顗も、それを受け取った晋王広も、同じく「三十一巻」と表現していることから、『玄疏』と『文疏』が「一書」であるとまではいえないまでも、より強い一体性が確認されるのである。2024/02/26 09:48:1669.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq中国における経典注釈書の歴史および伝統の中で、経典の思想の全体を総合的に論ずる「玄義」と、その経典の文々句々を解釈する随文釈義からなる「文句」が別のものとして成立するのは智顗や吉蔵からで、菅野博史氏は、「智顗、吉蔵の注釈書の第一の特徴は、随文釈義を含まず、経典の思想を総合的に明らかにする注釈書が著されたことである」(菅野[2005])と述べている。2024/02/26 09:49:1070.法介◆T3azX0Hk1UjjfDqそれまでの注釈書は「義疏」もしくは「義記」と呼ばれ、それぞれの義疏・義記の冒頭には、経典の中心思想や経題の解釈、翻訳の経緯などが記された「総序」とも呼ぶべきもの(「総序」という術語はテキストに出ないが、以下、便宜上「総序」を用いる)が付された。この「総序」が後に「玄義」へと発展していった。前述の晋王広が智顗の遺書に答えた文にも、『玄疏』と『文疏』をあわせて「浄名義疏」とあり、これまでの伝統に則った表現ともいえる。2024/02/26 09:50:0171.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq3.第一回献上本の別行についてここで、第一回献上本である「十巻玄義」から、『四悉檀義』『三観義』『四教義』へと別行したことについて、佐藤哲英氏と宇衛康弘氏の見解を確認しておきたい。佐藤[1961: 429-433]では、第一回献上本と第三回献上本の内容を検討し、「維摩経玄疏における第一回献上本の依用にあたって、『玄義大本』とか『前玄』とかいわずして、悉檀大本、三観大本、四教大本といっているのは、智顗自身もこれを別行して独立の価値あるものと認めていたのではあるまいか」と述べている。2024/02/26 09:52:1072.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq宇衛[1984]は、『三観義』と『玄疏』「三観解釈」との比較対照を行い、結論として、「『玄疏』では『三観義』に見られる詳細な説明を削除している箇所が、多々見られることからして、『玄疏』は『三観義』を前提としている、といえるのである。すなわち、『三観義』を前提として、初めて『玄疏』が理解されるものであるといえよう」と述べている。さらに注記において、前述の佐藤氏の見解を紹介しながら、「特にここで問題となるのは、智顗自身に別行の意志があったのか、さらにいえば、第三回献上本の六巻玄疏の成立時点において、既に別行されていたのかどうかである。佐藤氏は断定を避けて、『別行して独立の価値あるものと認めていたのではあるまいか』と、控え目に述べているが、筆者は、別行の意志あり、さらには別行されていた、と断定してもよいと考えている」と述べ、佐藤氏の説を一歩進めたとしている。2024/02/26 09:53:2873.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq宇衛氏が、『玄疏』が成立した時点で別行されていたと考えているのに対して、筆者は、第一回献上本がもともと『四悉檀義』『三観義』『四教義』の三つの書で構成されており、それを「十巻玄義」と総称したのではないかと考えている。その理由について、『玄疏』中の第一回献上本を指示する文を確認しつつ述べてみたい。2024/02/26 09:57:2174.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq(間を抜きます)これらのことから、宇衛氏がいうように、『玄疏』成立の時点で、『四悉檀義』『三観義』『四教義』が別行されていたことは明らかである。2024/02/26 09:58:0875.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq(間を抜きます)これらの理由から、筆者は、第一回献上本がもともと『四悉檀義』『三観義』『四教義』の三つの書で構成され、それを「十巻玄義」と総称したものと考える。2024/02/26 09:58:3876.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq(間を抜きます)その意味において、晋王広の要請に直接応えたのは、『玄疏』『文疏』であったということができよう。しかし、『玄疏』『文疏』で展開される智顗の教学思想を理解するには、「四悉檀」「三観」「四教」の理解が不可欠である。2024/02/26 10:01:1177.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq(間を抜きます)その意味において、晋王広の要請に直接応えたのは、『玄疏』『文疏』であったということができよう。しかし、『玄疏』『文疏』で展開される智顗の教学思想を理解するには、「四悉檀」「三観」「四教」の理解が不可欠である。2024/02/26 10:02:2578.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq『四教義』巻第一には、次のような表現が見られる。(引用省略)ここでは、天台教学の立場から、古今の所説の運用、すなわち他宗との違いを明らかにするために、最初に「四悉檀」を明かし、次に「三観」を明かし、さらに「四教」を明かすというのである。これは『四教義』の文であるが、『四悉檀義』『三観義』『四教義』の順序とともに、それぞれの撰述の意図をも表明している。2024/02/26 10:04:3979.法介◆T3azX0Hk1UjjfDqさらに『四教義』巻第一には、次のような問答料簡もある。(引用文省略)ここでは、問答料簡の形ではあるが、『維摩経』の随文釈義である『文疏』の前に、広く四教を明らかにする理由が述べられている。若杉見龍氏は、「『三観義』を通読してみる限り、『三観』を説くのに主眼がおかれ、『維摩経』の注釈書たる性格たるべきにも拘らず、『維摩経』名や『維摩経』一部を解説するのは従となっている……智顗にしてみれば、『三観義』においては、自己の主張しようとする『三観』を力説したかったことが理解できるであろう」(若杉[1990])と述べるが、『四教義』についても、同様のことがいえる。第一回献上本は「四悉檀」「三観」「四教」について説くことが主眼であり、第三回献上本の前提として献上されたと見ることができる。2024/02/26 10:06:4480.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq2で考察した通り、『玄疏』と『文疏』には強い一体性が看取され、『玄疏』は随文釈義である『文疏』の前にあって「総序」としての役割を果たしていると考えられる。したがって、在俗の晋王広に対し、『維摩経』の義疏の理解を助けるために、事前に『四悉檀義』『三観義』『四教義』を献上したといえるのではないであろうか。2024/02/26 10:07:3381.法介◆T3azX0Hk1UjjfDqこれまでは、第一回献上本を内容的に劣るものとし、それを修治して内容を更新したものが第三回献上本であるとの見方があったが、第一回献上本と第三回献上本には、それぞれの目的に応じた固有の価値があり、優劣をつけるべきものではないと考える。内容的に見ても、わかりやすく改めたと思われる箇所がいくつかあるが、教学思想としては大きな変化は認められない。その点については、第2章で検証する。2024/02/26 10:09:0182.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq論文内容の紹介はここまで。ここから、法介の語り。2024/02/26 10:11:0983.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq以上のように、昨今の研究において「天台教学」を正しく理解するには、「三観義」「四教義」「四悉壇」の正しい理解が必要となってきます。2024/02/26 10:14:4484.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq「三観義」とは天台の「空・仮・中」の三諦論に於ける三観・三諦思想です。2024/02/26 10:15:5385.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq「四教義」とは先に紹介しました「蔵・通・別・円」の四教の教えです。2024/02/26 10:17:0386.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq「四悉壇」は今、お話しました龍樹が『大智度論』で説き明かした四悉壇です。2024/02/26 10:18:2287.法介◆T3azX0Hk1UjjfDqこの「三観義」「四教義」「四悉壇」の理解が出来てはじめて、維摩経疏という維摩経の注釈書の一群の理解に至るというお話です。2024/02/26 10:20:4688.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq『維摩経玄疏』、『維摩経文疏』からなるこの維摩経疏には、天台教学の中でも最も重要な教理である三観・三諦説の最終形態がまとめられた『三観義』、『四教義』も当然、含まれております。2024/02/26 10:22:0889.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq智顗の維摩経疏には、『維摩経玄疏』六巻(以下、『玄疏』)、『維摩経文疏』二十八巻3(以下、『文疏』)および維摩経疏から別行したとされる『三観義』二巻、『四教義』十二巻があり、また、散逸した『四悉檀義』もこれに含まれる。2024/02/26 10:23:3390.法介◆T3azX0Hk1UjjfDqわたくし法介は、ここ「Talk掲示板」において、智顗の三諦論、四教義、龍樹の四悉壇を中心に色々とお話をして参りました。2024/02/26 10:27:3591.法介◆T3azX0Hk1UjjfDqこれらの教学をきちんと理解しないと天台が説き明かした「一念三千の法門」の正しい理解には至りません。2024/02/26 10:29:2292.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq今からお話する内容は天台教学の究極の極意日蓮が魂とまで言われた2024/02/26 10:31:4893.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq仏教の最高峰に位置する『一念三千の法門』のお話です。2024/02/26 10:33:2794.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq休憩~2024/02/26 10:33:4195.神も仏も名無しさん8wsPzシカは5chで退屈しつつあるかもしれん😫ここもシカ怪しげアラート近いかもしれん😫2024/02/26 10:37:0996.神も仏も名無しさん8wsPz動画プレゼントだ😄https://m.youtube.com/watch?v=N_qI5UE7WFQ&t=28s2024/02/26 11:01:4197.神も仏も名無しさん8wsPz5ch過疎りだしたなあれではな〜😫やべし?😫2024/02/26 11:24:3298.神も仏も名無しさん8wsPz文体が怪しげだな😫.ユーザー麦◆MUGITANx95DjjzJPG>>205∞ノノハ∞川^〇^ハレ以前鹿野園さんがレスをされていました>「空手にして鋤頭すきを把り、歩行して水牛に騎る、人、橋上より過ぐれば、橋は流れて水は流れず(空手把鋤頭歩行騎水牛、人従橋上過橋流水不流)」無心なので鋤頭や牛と一体になっていて鋤や牛が有るでもなく無いでもない非有非無お茶の味も無心なのでお茶の味が有るでもなく無いでもない非有非無ではありませんか?大円鏡智かなぁ?って2024/02/26 09:58:392024/02/26 11:25:2499.◆JBLfMwCXhYf9H6X>>95シカがいると過疎るんだよな~😫2024/02/26 12:03:51100.◆JBLfMwCXhYf9H6Xシカは波動が荒い2024/02/26 12:05:10101.神も仏も名無しさんaub55>>100真言宗寺院から情報流入だなかなかの良い情報である仕事日とは関連が薄いが😄2024/02/26 12:42:13102.神も仏も名無しさんaub55仕事日の瞬間芸能ではないワールド情報だ😄2024/02/26 12:44:33103.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq>>98「有る」「無し」で語るのは析空でしかありません。2024/02/26 12:50:01104.神も仏も名無しさんaub55俺の仕事日の瞬間芸能やほーかいくん御館様系統や日蓮宗の勤行系統とは違う情報流入である😄2024/02/26 12:50:29105.神も仏も名無しさんaub55>大円鏡智かなぁ?って語尾がシカってる🤢2024/02/26 12:51:18106.神も仏も名無しさんaub55語尾がきんもー🤢2024/02/26 12:51:42107.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq「非有非無」(=空)は、有ると見る訳では無く、無いと見る訳でもない縁起で対象を観るのが空です。2024/02/26 12:51:55108.神も仏も名無しさんaub55浄土宗バージョンで遊べるぐらいにオモロイ情報流入があった😄2024/02/26 12:53:00109.法介◆T3azX0Hk1UjjfDqでおーが、天台宗のお坊さんが語る『法華経』の動画を >>96 ←で紹介してくれてますが、 日蓮さんが臨終間際に選ばれた六老僧(日昭、日朗、日向、日頂、日持、日興)のお一人であられました日興上人がご自身の『日興遺誡置文』の中で次のような事を書き綴っておられます。「義道の落居無くして天台の学文す可からざる事」2024/02/26 16:41:06110.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq「義道」とは大聖人の仏法の教義と道理のことで、「落居」とは習得してしっかり胸中に収めることを言います。2024/02/26 16:41:35111.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq日蓮仏法を学び習得してからでないと「天台の学問」をいてはならないと戒められている訳です。2024/02/26 16:41:51112.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq何故かと言いますと日蓮さんの時代、叡山の密教化が進んでおりました。2024/02/26 16:43:03113.法介◆T3azX0Hk1UjjfDqチベット仏教の外道義が混ざり込んだ仏教が中国に入ってきてその教えを叡山でも天台密教として積極的に取り入れておりました。2024/02/26 16:46:04114.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq日蓮さんは、天台宗55代明雲座主(1135~1184年)にふれ、比叡山を真言山としたということが『下山御消息』に次のように記されております。「後白河の法皇の御宇(中略)天台座主明雲、伝教大師の止観院法華堂の三部をすてて、慈覚大師の総持院大日の三部に付給。天台山は名計りになり、法華経の所領は大日経の地となる」2024/02/26 16:48:10115.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq「叡山五十五代の座主明雲、人王八十一代の安徳天皇より已来は叡山一向に真言宗となりぬ」2024/02/26 16:48:40116.法介◆T3azX0Hk1UjjfDqこれより比叡山は真言宗になったと。2024/02/26 16:49:26117.法介◆T3azX0Hk1UjjfDqまた、日蓮さんは、61代座主顕真(1131~1192年)を、「一向謗法の法然が弟子」『神国王御書』と言われてもおりました。2024/02/26 16:51:35118.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq顕真は承安3年(1173年)に比叡山より大原別所に隠棲し、文治2年(1186年)に勝林院に法然・重源・貞慶・明遍・証真らの碩学を集めて大原問答を行ったとされます。翌年勝林院で不断念仏をはじめ建久元年(1190年)に天台座主に就任しています。2024/02/26 16:53:21119.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq日蓮聖人は浄土信仰に傾斜した顕真を法然の弟子とみられ、この顕真が座主になったことを謗法とされたのです。2024/02/26 16:53:52120.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq日蓮聖人は最澄が受け継いだ、天台大師の純粋な法華教学に、密教を混入させたことを、比叡山は濁れる山と批判しました。2024/02/26 16:54:38121.法介◆T3azX0Hk1UjjfDqでは、日蓮さんはいつころ密教化したとみていたかというと、さきにのべたように、円仁・円珍のチベット密教受容が叡山を真言宗に近づけたと指摘されております。2024/02/26 16:55:53122.法介◆T3azX0Hk1UjjfDqそういった天台宗の教学の真言化があっての日興上人の「義道の落居無くして天台の学文す可からざる事」のお言葉です。2024/02/26 16:59:06123.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq天台智顗の純粋な天台教学(法華学)は日蓮さんのお言葉を通してでないと決して知り得る事は出来ないのです。2024/02/26 17:02:44124.法介◆T3azX0Hk1UjjfDqしかし、そういった高度な智顗の教学を理解しないと「仏の世界観」が開けないのかと言いますと、そうではありません。2024/02/26 17:05:45125.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq『四信五品抄』で日蓮さんは、次のような質問に対し、「質問する。その意味が分からない人がただ南無妙法蓮華経とだけ唱えても、意味を理解したという功徳はそなわるのか。」2024/02/26 17:09:44126.法介◆T3azX0Hk1UjjfDqこのように答えられておられます。「答える。小さい子供が乳を吸えば、その味が分からなくても、自然と体を成長させる。耆婆の素晴らしい薬を、誰が中身や作り方を理解した上で飲んでいるだろうか。水には心がないが、火を消す。火は物を焼くが、どうして自覚があるだろうか。竜樹菩薩も天台大師智顗もみなこうした考えである。」と。2024/02/26 17:11:36127.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq更に問者は問う。「質問する。どうして妙法蓮華経という題名が全ての教えを含んでいるのか?」2024/02/26 17:13:17128.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq答える。章安大師灌頂は次のように述べている。「思うに巻頭の序というものは、経典の奥深い意味を説く、奥深い意味は、経文の核心を述べる。経文の核心は、迹門と本門以外にはない」と。2024/02/26 17:14:37129.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq妙楽大師は次のように述べている。「この文は法華経の経文の核心を出し、様々な教えの根拠を立て分けている。」2024/02/26 17:16:00130.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq 濁った水には心がないが、月が映れば自然に清らかになる。草木に雨が降った時、どうして自覚があって花が咲くだろうか。「妙法蓮華経」という五字は経文ではない。その文に即した教えでもない。法華経全体の本意に他ならない。初めて覚りを求める心を起こした修行者は、その本意を知らなくとも、それでもこれを実践すれば、自然とその本意に合致するのである。2024/02/26 17:16:29131.法介◆T3azX0Hk1UjjfDqですから取り合えず手を合わせてお題目三唱!https://livedoor.blogimg.jp/butudou/imgs/2/b/2be3fde4.jpg2024/02/26 17:18:46132.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq「質問する。あなたの弟子が、すこしの理解もなく、ただ一回だけ声を出して南無妙法蓮華経と唱えた場合、その人の修行段階はどのようなものなのか?」2024/02/26 17:19:50133.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq「答える、この人は、単に四味・三教の最後の修行段階の者や、爾前の円教の人を超えるだけでなく、さらには真言宗などの様々な宗派の開祖である善無畏・智儼・慈恩大師・吉蔵・道宣・達磨・善導らよりも勝れること百千万億である。」2024/02/26 17:20:33134.法介◆T3azX0Hk1UjjfDqそして日蓮さんは次のように話を進めます。 是非とも、日本国中の人々よ、私の弟子たちを軽んじないでいただきたい。 時代をさかのぼって過去世を調べれば、八十万億劫の間、仏たちに供養した偉大な菩薩である。どうして、熈連河の砂の数ほどの仏のもとで覚りを求める心を起こしさた者やガンジス河の砂の数ほどの仏のもとで覚りを起こした者でないことがあろうか。 未来世を論ずれば、八十年にわたって布施を行った者を超え五十番目に法華経を伝え聞いた者と同じ功徳を備えるに違いない。皇帝に生まれた時は産着に包まれており、巨大な竜も生まれたての時は小さいようなものである。決してないがしろにしてはならない。2024/02/26 17:24:52135.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq(ここからが大事です) 妙楽大師は「もし、法華経を説く者を悩ますなら、頭が七つに割れ、供養すれば、その福徳は十の称号を持つ仏を供養した場合を超える」とのべている。2024/02/26 17:25:33136.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq 優陀延王は賓頭盧尊者をないがしろにし、七年の内に身体の自由を失った。北条時宗は日蓮を流罪し百日の内に内乱に遭った。2024/02/26 17:25:53137.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq 経には次のようにある。「もしこの経典を学び記憶して保持する者を見て、その人を悪く言うようなことがあれば、もしそれが事実であっても事実でなくても、この、悪口を言う人は、生きているうちに白癩病になるだろう。…様々な重篤の病にかかるであろう」と。また、「生まれるたびに、生まれつき盲目であるだろう」とある。2024/02/26 17:26:19138.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq 明心と円智とは生きているうちに白癩病にかかり、道阿弥は盲目の者となった。日本全国の疫病は「頭が七つに割れ」という経文通りである。誹謗した者たちが受けた罰によって、法華経を信じる者の功徳を推しはかるなら、私の弟子たちは「十の称号を持つ仏を供養した場合を超える」という経文通りになるのは疑いないことである。2024/02/26 17:26:50139.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq以上が『四信五品抄』での日蓮さんのお言葉です。2024/02/26 17:30:52140.神も仏も名無しさん93w5Lウマは最近、俺にゲキオコである😫2024/02/26 19:20:37141.法介◆T3azX0Hk1UjjfDqなんでやろ2024/02/26 19:21:56142.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq鹿野園に感化され悪業を増幅させ末那識の汚染が進んでいる?2024/02/26 19:25:00143.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq日蓮さんは『唱法華題目抄』でこんな事を言われております。涅槃経二十二には「悪象等に対しては心に恐怖を懐くことはない。悪知識に対しては恐れる心をもつべきである。なぜかといえば、悪象等は身を壊ることはあっても心を破ることこはできない。しかし、悪知識は身と心の二つを倶に壊るからである。(乃至)悪象の為に殺されても三悪道に至ることはないが、悪友のために殺されるならば必ず三悪道に至るのである」と説かれている。2024/02/26 19:28:01144.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq この文の意について章安大師は「諸の悪象等はただの悪縁であって、人に悪心を生じさせることはできない。しかし悪知識は甘い言葉や偽りや媚びを使い、また巧みな言葉や人当たりのよい顔をもって人をひきずって、悪を行わせる。そして、悪を作させることをもって人の善心を破る。この善心を破ることを名づけて殺というのである」と言っている。2024/02/26 19:28:15145.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq この章安大師の文の意は、悪知識とは甘い言葉で語りかけ、偽りあざむいて媚びをうり、言葉巧みに愚癡の人の心を奪って善心を破るというのである。全体としてこの涅槃経の文意は、十悪や五逆の者よりも謗法や一闡提の者を恐れるべきであると戒められているのである。2024/02/26 19:29:13146.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq 一闡提の人というのは法華経・涅槃経を口に出して忌み嫌う者のことと思われる。当世の念仏者等が、法華経を究めつくしたということを示そうとして、因縁や譬喩を使って巧みに解釈し、本当によく法華経を知っているかのように人に思わせておいて、その後、法華経はあまりに貴い教えであるから末法の機根の低い者には手が出せないということを言い、強い弓や重い鎧は力のない人の役にはたたないようなものだといえば、仏法に無智な僧俗はなるほどと思って、本当はまったく役にたたない権教に心を移し、わずかに法華経に結縁していたのに、それも心を飜し、また他人が法華経を修行しているのを見ても随喜しないので、師弟ともに謗法の者となるのである。2024/02/26 19:30:58147.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq これによって、謗法の衆生が国中に充満し、たまたま仏事をいとなんで法華経で追善供養しても、念仏などを行じている謗法の邪師の僧が来て、「法華経は末法の人々の機根にあわない」という。そのため、法華経で追善供養しようとしている施主も邪師の説を真実であると信じて、法華経を捨ててしまうので、弔われる亡父母・夫婦・兄弟などは、さらに地獄の苦しみが増し、追善供養をする孝子も不孝・謗法の者となってしまう。そして邪師の説法を聴いた者は邪法を随喜して悪魔の眷属となるのである。日本国中の人々は仏法を行じているように見えて、実は仏法を行じていないのである。2024/02/26 19:31:53148.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq たまたま仏法を知る智者がいて国の人から捨てられ、守護する諸天善神は法味をなめることができない故に威光を失って人々を利益しなくなり、この国を捨てて他方の国土へ去られた。悪鬼がそれにつけこんで国中に入り替わり、大地を動かし暴風を吹かせ、天下を悩ませ五穀を損なうのである。その結果飢饉が起こり、人の五根にも悪鬼が入って精気を奪う。これを疫病というのである。一切の諸人は善心を失って、その多くが三悪道に堕ちる。これらはひとえに悪知識の教えを信ずるために起こるのである。2024/02/26 19:33:50149.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq 仁王経にはつぎのように説かれている。 「諸の悪比丘の多くが名声と利益を求め、国王・太子・王子の前で自ら仏法を破る教えを説く。それを聞いた王は仏法の正邪を弁えず、悪比丘の言葉を信じ、道理に背いた法制を作って仏の戒めを無視していく。これを破仏法・破国の因縁とするのである」と。2024/02/26 19:34:11150.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq この文の意味は、末法の諸の悪比丘が国王や大臣の前で国を安穏にさせるようなことを言って最後には国を滅ぼし、仏法を弘めるような姿をして、かえって仏法を破るであろう。国王や大臣はこの道理を深くわきまえずに悪僧の言葉を信じてしまうため、国を破り、仏教を失うことになる、というのである。2024/02/26 19:34:22151.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq このような時には太陽や月の運行も乱れ、季節も狂って、夏に寒く冬は暖かくなり、秋には暴風が吹く。また赤い太陽や月が出たり、日蝕・月触が起こり、二つ三つ等の日が出たりする。また大火や大風、彗星などが起こり、飢饉・疫病などが現れると仁王経に書かれている。このように、国を滅ぼし、人を悪道に堕とす者として悪知識以上のものはないのである。2024/02/26 19:34:43152.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq日蓮さんはこのように申され続いて『法華経』を読み唱える功徳を『法華経』法師品第十、並に神力品第二十一を通して教えられます。2024/02/26 19:57:57153.法介◆T3azX0Hk1UjjfDqその「法師品」は、薬王菩薩に対して釈迦が法を説く場面です。日蓮さんは、薬王菩薩の再誕が天台智顗であると御書の随所で申されております。2024/02/26 20:00:36154.法介◆T3azX0Hk1UjjfDqその『法華経』法師品第十の現代語訳をここで紹介致します。2024/02/26 20:01:11155.法介◆T3azX0Hk1UjjfDqその時、世尊は、薬王菩薩に向かって呼びかけて、八万人の悟りを求める修行者にお告げになった。薬王よ、おまえはこの大衆の中の数え切れないほどの天人・龍王・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩睺羅伽と、人間と、人でないものと、出家男子、出家女子、在家信士、在家信女と、自己の悟りのみを求める修行者・独力で悟りながら他人に説かない小乗の聖者・仏道を求める者たちが見えるか。これらの者達が全て皆、仏の前で、妙法華経の一つの詩、一つの句を聞いて、たとえ非常に短い時間でも、ありがたく思い大いに喜ぶならば、そのような者に私はみな未来世の成仏の証言を与え授ける。「当然、一切の真理をあまねく知った最上の智慧を得るであろう。」2024/02/26 20:01:44156.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq仏は、薬王にお告げになった。また、如来がこの世を去った後に、もしも、ある人が妙法華経の一つの詩、一つの句でも聞いて、非常に短い時間でもありがたく思い大いに喜ぶのであれば、その者に私は、一切の真理をあまねく知った最上の智慧を得るであろうと未来世の成仏の証言を与えるであろう。もしも、またある人が、この妙法華経を銘記して忘れず、読み節をつけて唱え、解説し、書写して、この経典を敬い見るさまが、仏を敬い見るようであり、種々に花や、香や、珠玉を連ねた首飾りや腕輪や、沈香・栴檀・白檀・丁子を合わせて作った香や、身体に塗る香や、焼香や、絹の天蓋や、竿柱に長い帛を垂れ下げた旗や、衣服や、妓楽を供養し、合掌し、恭しく敬うのであったら、薬王よ、当然知るべきである。この人々は既に過去に於いて十万億の仏を供養し、諸々の仏のところにおいて大願を成就して、生命のあるものすべてを憐れむために、この人間に生まれて来たのである。2024/02/26 20:02:04157.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq薬王よ、もしも、ある人が、「どのような生命のあるもが、未来世において仏になる事が出来るのであるか」と問うならば、きっと示すであろう。「この人々こそが未来世において必ず仏になる事が出来るであろう」と。何の理由のためかというと、もしも、仏法に帰依した男子や仏法に帰依した女子が、法華経の一句でも教えを銘記して忘れず、読み節をつけて唱え、解説し、書写して、種々に経巻に花や、香や、珠玉を連ねた首飾りや腕輪や、沈香・栴檀・白檀・丁子を合わせて作った香や、身体に塗る香や、焼香や、網の天蓋や、竿柱に長い帛を垂れ下げた旗や、衣服や、妓楽を供養し、合掌し、恭しく敬うのであったら、この人は、一切世間の仰ぎ見るべきところだからである。如来を供養するように、この人を供養すべきである。2024/02/26 20:02:34158.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq当然知るべきである、この人は偉大な悟りを求める大菩薩で、一切の真理をあまねく知った最上の智慧を成就して、生命のあるものすべてを憐れみ、自ら願ってこの人間の間に生まれ、広く妙法華経を演説し、もろもろの事理を思量し識別するのである。まして仏の教えを銘記して忘れず、種々に供養する者は言うもでもない。薬王よ、当然知るべきである。この人は自ら清浄な前世や過去におこなった善の行為による報いを捨てて、私がこの世を去った後において、生命のあるものすべてを憐れむために仏法の衰えた悪世に生まれて、広くこの経を演説するのである。もしも、この仏法に帰依した男子や仏法に帰依した女子が、私がこの世を去った後に、ひそかに、一人の人の為にでも、法華経のたとえ一句でも説くのであれば、当然知るべきである、この人は、如来の使者である。如来から遣わされ、如来の事を行ずるのである。まして大衆の中に於いて、広く人の為に説くならば、言うまでもない。2024/02/26 20:03:02159.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq薬王よ、もし悪人がいて、よくない心によって一劫という長い間、現に仏の前において常に仏をそしりひどい言葉で悪口を言ったとしても、その罪は軽い。もしも、ある人が、あしざまにののしる言葉によって、在家者や出家者の法華経を読み節をつけて唱えている人をそしったとしたら、その罪は非常に重い。薬王よ、この法華経を読誦する者がいるならば、当然知るべきである。この人は仏の智慧・福徳で、自らを荘厳すると。すなわちそれは如来の肩に背負われることである。その至るところにしたがって、向かって当然礼拝するべきである。一心に合掌し、つつしみ敬い、供養し、恭しく敬い、讃嘆し、花や、香や、珠玉を連ねた首飾りや腕輪や、沈香・栴檀・白檀・丁子を合わせて作った香や、身体に塗る香や、焼香や、絹の天蓋や、竿柱に長い帛を垂れ下げた旗や、衣服や、飲食物や、諸々の妓楽をなすことや、人間の世界の最上の供養物をもってこれを供養せよ。天の宝石をもってこれを散ぜよ。天上の秘蔵の宝を当然たてまつるべきである。理由は何故かというと、この人が歓喜して教えを説くときに、ほんの少しの間でもこれを聞いたならば、一切の真理をあまねく知った最上の智慧を窮める事が出来るからである。その時に、世尊は、重ねてこの意義を述べようとして、仏徳を賛歌して詩を説いて言われた。2024/02/26 20:03:43160.法介◆T3azX0Hk1UjjfDqもしも、仏の道に留まって 師の教えを受けないで自然に悟りを開いた智を成就しようと願うなら当然常に努めて 法華経の教えを銘記して忘れない者を供養すべきである早く一切のものについて 個々の具体的、特殊的な姿を知る智慧を得ようと願うなら当然この経の教えを銘記して忘れず また、受持する者を供養すべきであるもしも、よく妙法華経の 教えを銘記して忘れない者がいるなら当然知るべきである。仏の使いとして 諸々の生命のあるものすべてを哀れみ思いやるのだと諸々の妙法華経の 教えをよく銘記して忘れない者は清浄な国土を捨てて 生命のあるものすべてを憐れむためにここに生まれたのである当然知るべきである、この様な人は 生まれようと思う所に自在に生まれることができるこの仏法の衰えた時代において この上ない教えを広くよく説く2024/02/26 20:04:26161.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq天の花と香 および天の宝石の衣服天上の素晴らしい秘蔵の宝石をもって 教えを説く者に供養せよ私が世を去った後の仏法の衰えた時代に よくこの経の教えを銘記して忘れない者を当然合掌し礼拝して 世尊を供養するようにするべきである優れた供え物と、諸々の甘美と 種々の衣服とをこの仏の弟子に供養して 少しの間でも教えを聞きたいと願えもしも、後の世において この経の教えをよく銘記して忘れない者があるとしたら私が遭わして人の中に存在させ 如来の行為をさせているもしも、一劫の間に於いて 常によくない心を懐き怒りによって仏を罵ったなら 無量の罪を得るこの法華経を 見て読み節をつけて唱え教えを銘記して忘れない者にその人にほんの少しの間でも悪言を加えたとしたら その罪はそれ以上となるある人が仏道を求めて 一劫という長い間において合掌し私の前にいて 無数の詩によって讃嘆すればこの仏を讃嘆した事により 無量の現世や来世に幸福をもたらすもとになる善行を得るであろう経の教えを銘記して忘れない者を歎美すれば その福徳はそれ以上となるであろう2024/02/26 20:04:51162.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq八十億劫の間に於いて 最も優れた形や声および香、味、感触によって 経の教えを銘記して忘れない者を供養せよこのように供養し終って もし少しの間でも教えを聞く事ができたならすなわちきっと自ら喜ぶであろう 私は今大きな利を得たと薬王よ、今おまえに告げる 私の説いた諸々の経でしかもこのすべての経の中において 法華経は最も第一であるその時に仏はまた、薬王菩薩摩訶薩にお告げになった。私の説く経典は無量千万億であり、過去において説き、今説き、未来においても説くであろう。しかも、その中に於いてこの法華経は最も信じ難く、理解し難い。薬王よ、この経は諸仏がみだりに人に教えない重要な教えであるから、広くあちこち配布してみだりに人に授与してはならない。諸仏世尊の守護したまう所である。昔から今まで、未だかつてはっきりと説いたことはない。しかも、この経は、如来が現に存在していてもなお怨みや嫉妬が多い、言うまでもなく如来がこの世を去った後においては尚更である。2024/02/26 20:05:32163.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq薬王よ、当然知るべきである、如来がこの世を去った後に、この経をよく書写し、教えを銘記して忘れず、見て読み節をつけて唱え、供養し、他人の為に説く者を、如来は衣によってこれを被うであろう、また、他の地方の現在世に出られている諸仏に、心にかけられて守られることを得る。この人には、仏やその教えを信じ従う強い気持ち、望み願う力、諸々のよい報いを招くもとになる行いをする力がある。当然知るべきである、この人は如来と共にあるのだ。そして、如来の手によってその頭を撫で給うことを得る。薬王よ、あちらこちらにおいて或いは説き、或いは読み、或いは節をつけて唱え、或いは書き、或いは経巻を置く所には、皆七宝の塔を建てきわめて高く、広く、荘厳に飾りなさい。そこには仏の遺骨を置く必要はない。理由は何故かというと、この経巻の中には既に如来の全身があるからだ。この塔を、一切の花や、香や、珠玉を連ねた飾りや、天蓋や、竿柱に長い帛を垂れ下げた旗や、妓楽や、歌曲によって供養し、恭しく敬い、尊重し、讃嘆し奉るべきである。もしも、ある人がこの塔を見たてまつることができ、礼拝し、供養するならば、当然知るべきである。これらの人々は皆、一切の真理をあまねく知った最上の智慧に近づいていることを。2024/02/26 20:05:44164.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq薬王よ、多くの人がいて在家者や出家者が悟りを求める修行者の道を行ずる時に、もしこの法華経を見たり、聞いたり、見て読み節をつけて唱えたり、書写して教えを銘記して忘ず、供養する事が出来ないならば、当然知るべきである。これらの人は、未だよく悟りを求める修行者の道を行じてはいないのだと。もしも、この経典を聞く事を得たものは、すなわちよく悟りを求める修行者の道を行じているのだ。生命のあるもので仏道を求める者がいて、この法華経を或いは見て、或いは聞いて、聞き終って信じ理解し、教えを銘記して忘れないならば、当然知るべきである。この人はこの上なく正しい悟りに近づく事を得たのであると。薬王よ、例えば、ある人がのどが乾いて水を飲もうとして、あの高原に穴を掘り水を求めているとき、まだ乾いた土が出て来るのを見れば、水はまだ遠いと知る。工事を止めないで、湿った土が出て来るのを見て、ついに泥が出るようになれば、その心は確信して、水は近いと知るように、悟りを求める修行者も、またこれと同じようである。もしも、この法華経を未だ聞いたことなく、未だ理解せず、未だ習い修めることができないならば、当然知るべきである、この人はこの上なく正しい悟りから離れてなお遠いと。もしも、この法華経を聞き、悟り、心に浮かべてよく考え、修習する事ができたら、この人は必ず一切の真理をあまねく知った最上の智慧に近づく事ができたのであると知れ。理由は何故かというと、一切の悟りを求める修行者の一切の真理をあまねく知った最上の智慧は、皆この経に属しているからである。この経は人を真実の教えに導くため仮にとる便宜的な手段の門を開いて、真実の姿を示す。この法華経の蔵は、深く堅固で奥深くはるかであるから、人はよく至ることはできない。今、仏は悟りを求める修行者を教化し成就させるために、これを説き明かし示す。2024/02/26 20:06:04165.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq薬王よ、もし悟りを求める修行者がいて、この法華経を聞いて、驚き疑い、おそれるならば、当然知るべきである、これは、出家して間もない悟りを求める修行者であると。もしも、自己の解脱のみを得ることに専念し、利他の行を欠いた阿羅漢を目指す修行者がいて、この経を聞いて、驚き疑い、おそれるならば、当然知るべきである。これは高慢な者であると。薬王よ、もし仏法に帰依した男子や仏法に帰依した女子がいて、如来が世を去られたのちに、出家者と在家者の男女の四種の衆の為にこの法華経を説こうとするときは、どのように説くべきか。この仏法に帰依した男子や女子は、如来の室に入り、如来の衣を着、如来の座に坐って、出家者と在家者の男女の四種の衆の為に、広くこの経を説くべきである。如来の室とは、一切の生命のあるものすべてに対する大慈悲心がこれである。如来の衣とは、柔和な忍耐の心がこれである。如来の座とは、諸々の事物は、因縁によって仮に和合して存在しているのであって、固定的な実体はないというこれである。この立場にたって、しかるのちに善行を修めるのに積極的な心で、諸々の悟りを求める修行者と出家者と在家者の男女の衆の為に、広くこの法華経を説くべきである。2024/02/26 20:07:14166.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq薬王よ、私は他の国土において、神通力で作った人を遣わして、そのために教えを聞く人々を集め、また、神通力で作った出家男子、出家女子、在家信士、在家信女を遣わして、その説法を聴かせよう。この諸々の仮に人の姿になった人々は、教えを聞いて信じ受け入れ、随順して逆らわないであろう。もしも、教えを説く者が、人の中から離れた静かで修行に適した場所にいるならば、私はその時には広く天人・龍・鬼神・ガンダルヴァ・アシュラたちを遣わして、その説法を聴かせよう。私が他の国土に在ったとしても、時々は教えを説く者が、私の身を見る事が出来る様にしよう。もしも、この経において字句を忘れる様な事があったら、私は帰ってその為に説いて身につけさせよう。その時に世尊は、重ねてこの意義を述べようとして、仏徳を賛歌して詩を説いて言われた、諸々の善行を修めるのに積極的でない心の状態を捨て去ろうと願うならば 当然この経を聞くべきであるこの経を聞く機会を得ることは困難である 信じて受け入れる者はまた得がたいある人がのどが乾き水をほしがって 高原に穴を掘るときになお乾いた土を見たならば 自ら遠ざかっていてなお遠いと知るようやく湿った土を見て 確信して水は近いと知ることのようである2024/02/26 20:07:33167.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq薬王よ、当然知るべきである、 このような人々は法華経を聞かないならば 仏の知恵から遠ざかっていて非常に遠いもしも、これが深い教えの教典であると聞き 自己の悟りのみを求める修行者の教えを達成してもしも、この経が諸々の経典の王であることを聞いて 聞き終わって明らかに心に浮かべてよく考えるならば当然知るべきである、この人々は 仏の知恵に近づいたともしも、ある人がこの経を説くならば きっと如来の室に入り如来の衣を着て しかも如来の座に座り大衆に対して恐れることなく 広く大衆のためにもろもろの事理を思量し識別して説くであろう大慈悲を室とし 柔和な忍耐の心を衣とし諸々の事物は、因縁いんねんによって仮に和合して存在しているのであって、固定的な実体はないとする教えを座とし この観点によって大衆のために教えを説けもしこの経を説くときに ある人が悪口をいいののしり刀や杖やかわらや石を投げても 仏を念ずるがためにきっと忍ぶであろう私は千万億の国土に 清く堅固な身を現して無量億劫という長い時間において 生きるものたちのために教えを説くもしも、私が世を去った後に よくこの経を説く者には私は神通力で作った四衆 出家した男子出家した女子および在家者の男女を遣わして 仏法によく通じ人々を導く師となる者を供養させ諸々の生きるものたちを悟りの道に導いて これを集めて教えを聞かせよう2024/02/26 20:08:37168.法介◆T3azX0Hk1UjjfDqもしも、ある人が悪いことをして 刀や杖および瓦や石を投げようとすればすなわち姿を変えた人を遣わして このために付き添い守らせるもし説法する人が 一人で人の中から離れた静かで修行に適した場所にいて静まりかえって人の声がしないのに この経典を見て読みそらで唱えるならば私はその時に説法する人のために 清浄で光り輝く体を出現させるもしも、章や句を忘れたならば そのために説いて精通させるもしも、ある人が徳をそなえて あるいは出家者と在家者の男女のために説き空虚なところで経を見て読みそらで唱えれば みな私の身体を見ることができるもしも、ある人が人の中から離れた静かで修行に適した場所にいるならば 私は天龍王夜叉や鬼神たちを遣わして そのために教えを聞く聴衆とするこの人は教えを説くことを楽しみ もろもろの事理を思量し識別し障害はない諸仏が心にかけて守るために よく大衆を歓喜させるもしも、この法師に親しく近づけば 早く悟りを求める修行者の道を得るこの師に随順して学べば ガンジス川の砂の数ほどの仏を見奉ることを得る2024/02/26 20:09:04169.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq以下のサイトより転載https://syoubou.wordpress.com/%E5%A6%99%E6%B3%95%E8%93%AE%E8%8F%AF%E7%B5%8C%E6%B3%95%E5%B8%AB%E5%93%81%E7%AC%AC%E5%8D%81%EF%BC%88%E3%81%BB%E3%81%A3%E3%81%97%E3%81%BB%E3%82%93%E3%81%A0%E3%81%84%E3%81%98%E3%82%85%E3%81%86%EF%BC%89/2024/02/26 20:10:05170.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X悟りスレで麦と馬が鹿に突っ込み入れてるよ2024/02/27 01:46:22171.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X二人もそろそろ気づきだしたかな鹿野園の仏教音痴に2024/02/27 01:47:07172.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X仏教用語を適当に並べてそれらしく見せているだけ2024/02/27 01:47:56173.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X法理的理解がまるで出来ていない2024/02/27 01:48:55174.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xそんな鹿・麦・馬の三役(猪鹿蝶みたいだな)は、ほっておき話を進めよう2024/02/27 01:52:14175.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X凡夫の認識は「主観と客観」です。見られる側のモノは、客観的に存在しています。(実在論)それを見る側の人間の認識は人間の主観(見分)と客観(相分)とで「実体」として認識されます。(認識論)2024/02/27 01:57:12176.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X<凡夫の認識> 客観(相分) ---(相) 主観(見分) ---(性) 相分+見分=実体 ---(体)2024/02/27 02:00:28177.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xこの「凡夫の認識」は前五識を対象として第六意識で立ち上がる縁起です。2024/02/27 02:02:25178.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xこの「凡夫の認識」における第六意識は汚染された末那識が深層下で働いております。ですから凡夫は「歪んだ世界」を見ている事になります。2024/02/27 02:07:21179.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X仏道修行に励む事で末那識が清浄されると六根の認識に変化が起こります。(六根清浄)2024/02/27 02:09:13180.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xクリヤー化された末那識は対象となるモノの阿頼耶識情報を拾い上げそれを第六意識に手渡します。2024/02/27 02:11:06181.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xすると第六意識にも変化が起こります。2024/02/27 02:11:44182.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X今まで「主観と客観」で対象を(有る無しで)見ていたのが<凡夫の認識> 客観(相分) ---(相) 主観(見分) ---(性) 相分+見分=実体 ---(体)仏の認識で対象が観えだします。<仏の認識> 此縁性縁起 ---(色即是空) 相依性縁起 ---(空即是色) 此縁性縁起+相依性縁起 ---(色即是空・空即是色)2024/02/27 02:16:08183.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xこれが唯識動画解説の中で清森さんが言っておりました「片目凡夫、片目仏」の事です。2024/02/27 02:17:45184.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X客観を空じ(析空)主観を空じる(体空)事で人間の第六意識で立ち上がっていた「実体」が消滅します。2024/02/27 02:23:09185.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X「実体」が消滅する事で前五識に向いていた「意識」が阿頼耶識へと向きます。2024/02/27 02:24:51186.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X「意識」が阿頼耶識に向く事で対象のモノが今の姿に成り得た「因縁」が観えてきます。(此縁性縁起)2024/02/27 02:27:01187.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xここでの「意識」の変化は対象が変わる※事で起こる相依性縁起です。※意識の対象が前五識から阿頼耶識に変わる2024/02/27 02:29:44188.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X<仏の認識> 此縁性縁起 ---(色即是空) 相依性縁起 ---(空即是色) 此縁性縁起+相依性縁起 ---(色即是空・空即是色)↑は、↓このようにも表現出来るかと思います。<仏の認識> 此縁性縁起 ---(色即是空) 相依性縁起 ---(空即是色) 阿頼耶識縁起 ---(色即是空・空即是色)2024/02/27 02:33:17189.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X末那識は常に「俺!、俺!」の意識です。しかしクリヤー化されますと対象の「モノ」を「縁」としてそのモノの阿頼耶識情報を拾い上げて来ます。2024/02/27 02:36:35190.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xでは、対象の「モノ」が〝仏〟だったらどうでしょう。例えば〝仏像〟を目の前に置いた時2024/02/27 02:38:29191.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xその〝仏像〟が縁となって仏の阿頼耶識情報を拾い上げて来ます。2024/02/27 02:39:40192.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X縁とは三因仏性は有りと雖も善知識の縁に値わざれば悟らず知らず顕れず善知識の縁に値えば必ず顕るるが故に縁と云うなり、然るに今此の一と大と事と因と縁との五事和合して値い難き善知識の縁に値いて五仏性を顕さんこと何の滞りか有らんや春の時来りて風雨の縁に値いぬれば無心の草木も皆悉く萠え出生して華敷き栄えて世に値う気色なり秋の時に至りて月光の縁に値いぬれば草木皆悉く実成熟して一切の有情を養育し寿命を続き長養し終に成仏の徳用を顕す之を疑い之を信ぜざる人有る可しや無心の草木すら猶以て是くの如し何に況や人倫に於てをや、我等は迷の凡夫なりと雖も一分の心も有り解も有り善悪も分別し折節を思知る然るに宿縁に催されて生を仏法流布の国土に受けたり善知識の縁に値いなば因果を分別して成仏す可き身を以て善知識に値うと雖も猶草木にも劣つて身中の三因仏性を顕さずして黙止せる謂れ有る可きや『三世諸仏総勘文教相廃立』2024/02/27 02:44:17193.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X我々「人間の世界」は物質から出来ています。2024/02/27 02:53:59194.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xその物質を空じると仏の世界観が開けてきます。2024/02/27 02:55:25195.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xこの仏の世界観を「空観」と言います。2024/02/27 02:55:50196.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xそこは意識だけの世界です。2024/02/27 02:57:08197.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xその世界は物質世界から離れておりますので「欲界」ではなくなります。2024/02/27 03:04:24198.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xしかし「肉体」は未だ備わっております。肉体=色です。なのでこの意識として入る仏の世界観は「色界」です。2024/02/27 03:04:41199.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xではその「肉体」を空じるとどうなるか。2024/02/27 03:05:56200.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X完全に「自我」は無くなります。2024/02/27 03:06:45201.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X「自分」という存在も「仏」という存在すらも無くなります。2024/02/27 03:07:43202.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xそれが「非空」という空の最終段階の理解です。2024/02/27 03:08:38203.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X完全に自我を空じて肉体も無くなって入る世界観それが無色界という「真如の世界観」です。2024/02/27 03:10:06204.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X実体も肉体も存在しないこの真如の世界にあるのは「当体蓮華」という当体です。2024/02/27 03:12:19205.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X我が身を「当体蓮華」と開く法門が、『法華経』本門で詳しく説かれております。2024/02/27 03:16:01206.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X天台智顗はこの「当体蓮華」を「円融三観」として顕しております。2024/02/27 03:18:10207.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X「凡夫の仮観」と「仏の空観」とが円かに融けあって「如来の中観」が顕われる訳です。2024/02/27 03:20:00208.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X「当体蓮華」について日蓮さんは、『生死一大事血脈抄』で次のように説明なされておられます。2024/02/27 03:32:58209.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X「妙は死 法は生なり 此の生死の二法が十界の当体なり 又此れを当体蓮華とも云うなり、天台云く「当に知るべし依正の因果は悉く是れ蓮華の法なり」と云云 此の釈に依正と云うは生死なり生死之有れば因果又蓮華の法なる事明けし(明らかである)、伝教大師云く「生死の二法は一心の妙用・有無の二道は本覚の真徳」と文、天地・陰陽・日月・五星・地獄・乃至仏果・生死の二法に非ずと云うことなし、是くの如く生死も唯妙法蓮華経の生死なり、天台の止観(摩訶止観)に云く「起は是れ法性の起・滅は是れ法性の滅」云云、釈迦多宝の二仏も生死の二法なり、然れば久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無しと解りて妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり」2024/02/27 03:33:25210.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X大変重要な御文ですので詳しくひも解いて今から説明して参ります。2024/02/27 03:38:05211.リダン◆gEV3xsS//kmlTaxおはようございます☀2024/02/27 09:17:53212.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xリダン、おはよー2024/02/27 09:40:30213.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X『生死一大事血脈抄』の >>209 の御文の中でまず説明しておきたいのが「一大事」という言葉です。2024/02/27 09:42:22214.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X重大な出来事や容易でない事態の事を世間では「一大事だぁ~!」と言います。2024/02/27 09:44:43215.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X例えば、リダンが過去にお酒に酔って他人様の車9台をボコボコにしてしまった出来事2024/02/27 09:45:47216.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xこれはリダンにとっては一大事な出来事だったでしょう。2024/02/27 09:46:42217.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X世間一般で使われるこの「一大事」実は仏教から来ている言葉なんですね。2024/02/27 09:47:24218.リダン◆gEV3xsS//k7fopE>>215ディーラーに塗装してもらって新品同樣の見た目にまあまあ満足気味でしたねただ査定に響くだろうから申し訳ない2024/02/27 09:47:42219.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X『法華経』の方便品第二に次のような文句があります。「諸佛世尊は唯(ただ)一大事の因縁を以ての故にのみ世に出現したもう」2024/02/27 09:48:54220.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X仏はただ一つの大事をなす為だけにこの世に現れるという意味です。これを「一大事の因縁」といいます。2024/02/27 09:49:51221.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X仏が云う「一大事」とは仏自らが悟った「智慧」を衆生にも開かせ、示し、悟らせ、そしてその境地に入らせることで、これを開示悟入の「四仏知見」といいます。2024/02/27 09:51:18222.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X「一大事」について大聖人は、『御義口伝巻上』の中で、「一とは中諦・大とは空諦・事とは仮諦なり此の円融の三諦は何物ぞ所謂南無妙法蓮華経是なり」と仰せになり、空・仮・中の三諦が円融することが南無妙法蓮華経であると申されております。2024/02/27 09:53:36223.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xこの「方便品第二」では一大事因縁を含めて次のような内容が説かれております。1.諸法実相2.十如是3.一大事因縁4.開三顕一2024/02/27 09:56:14224.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X大聖人は『三大秘法抄』の中で、「一念三千の証文は如何に」と問われて次のように返答されております。2024/02/27 09:57:20225.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X「問う一念三千の正しき証文如何、答う次に出し申す可し此に於て二種有り、方便品に云く「諸法実相・所謂諸法・如是相・乃至欲令衆生開仏知見」等云云、底下の凡夫・理性所具の一念三千か、寿量品に云く「然我実成仏已来・無量無辺」等云云、大覚世尊・久遠実成の当初証得の一念三千なり」2024/02/27 09:57:44226.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X一つは「方便品」の諸法実相として示された十如是と衆生をして仏知見を開かせ、示し、悟らせ、入らしめ(開示悟入)ようとする仏の一大事因縁の御文。2024/02/27 09:58:16227.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xもう一つは「寿量品」の「我実に成仏してより已来、無量無辺百千万億那由他劫なり」の本地を明かす御文。2024/02/27 09:58:36228.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X「寿量品」の方はまた後程ご説明させて頂くとしましてここでは「方便品」に絞って解説させて頂きます。2024/02/27 09:59:18229.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X図書館に行くと「大正蔵」という漢訳大蔵経を読むことが出来ます。2024/02/27 10:00:01230.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X大正蔵は、正蔵(中国所伝)55巻、続蔵(日本撰述)30巻、別巻15巻(図像部12巻、昭和法宝総目録3巻)の全100巻から成る漢訳の仏典の最高峰と呼ばれている大蔵経です。2024/02/27 10:00:21231.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X近年では電子データ化された大蔵経も利用できるようになっております。「大正新脩大藏經」https://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/satdb2015.php2024/02/27 10:00:56232.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xデータベース版の大蔵経では「方便品第二」は、鳩摩羅什による漢訳で、T0262_.09.0005b24: 6妙法蓮華經方便品第二から始まります。2024/02/27 10:01:42233.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X「T0262」はデータベース版での振り分け番号でその次の「09」が書籍の第9巻を示し「0005」がその巻内のページ数で「b」はページ内の上段(a)・中段(b)・下段(c)を意味します。最後の「24」はその段の先頭行から24行目ということです。2024/02/27 10:02:07234.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X大聖人が一念三千の証文とされている箇所は、T0262_.09.0007a21: 能知之。所以者何。諸佛世尊。唯以一大事から始まります。2024/02/27 10:02:40235.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X私達が日ごろ目にしない「方便品長行」の部分です。2024/02/27 10:03:27236.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X所以者何。諸仏世尊。唯以一大事因縁故。出現於世。舎利弗。云何名諸仏世尊。唯以一大事因縁故。出現於世①。諸仏世尊。欲令衆生。開仏知見。使得清浄故。出現於世。欲示衆生。仏知見故。出現於世。欲令衆生。悟仏知見故。出現於世。欲令衆生。入仏知見道故。出現於世。舎利弗。是為諸仏。唯以一大事因縁故。出現於世②。仏告舎利弗。諸仏如来。但教化菩薩。諸有所作。常為一事。唯以仏之知見。示悟衆生。舎利弗。如来但以。一仏乗故。為衆生説法。無有余乗。若二。若三③。2024/02/27 10:03:49237.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X①②③と番号を振りましたので順番に説明します。2024/02/27 10:04:42238.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X①の真読を、所以者何。諸仏世尊。唯以一大事因縁故。出現於世。舎利弗。云何名諸仏世尊。唯以一大事因縁故。出現於世。訓読に訳すと次のようになります。2024/02/27 10:05:39239.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X[訓読]所以は何ん、諸仏世尊は、唯一大事の因縁を以ての故に世に出現したもう。舎利弗、云何なるをか、諸仏世尊は唯一大事の因縁を以ての故に世に出現したもうと名くる。2024/02/27 10:06:40240.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X仏は「一大事の因縁」を以てこの世に出現するんだと舎利弗尊者にお釈迦さまが説いております。2024/02/27 10:08:20241.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X②[真読]諸仏世尊。欲令衆生。開仏知見。使得清浄故。出現於世。欲示衆生。仏知見故。出現於世。欲令衆生。悟仏知見故。出現於世。欲令衆生。入仏知見道故。出現於世。舎利弗。是為諸仏。唯以一大事因縁故。出現於世。2024/02/27 10:09:00242.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X[訓読]諸仏世尊は、衆生をして仏知見を開かしめ清浄なることを得せしめんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして仏知見を示さんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして仏知見を悟らせめんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして仏知見の道に入らしめんと欲するが故に、世に出現したもう。舎利弗、是れを諸仏は唯一大事因縁を以ての故に世に出現したもうとなづく。2024/02/27 10:09:25243.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X「開示悟入」の四つの仏知見を示す箇所ですが、この四仏知見は、「十如是」を三つの教え(三周の説法)として開いて蔵教の声聞衆・通教の縁覚衆・別教の菩薩衆の三衆各々の境涯に即して方便品以下で詳しく説かれていきます。2024/02/27 10:14:33244.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xいわゆる「開三顕一」の法門です。2024/02/27 10:15:41245.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X一乗の仏の教えを三乗の境涯に即した形で蔵教・通教・別教の三乗の教えとしてお釈迦さまは個別に各々の真理を説かれた訳です。2024/02/27 10:18:22246.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X③[真読]仏告舎利弗。諸仏如来。但教化菩薩。諸有所作。常為一事。唯以仏之知見。示悟衆生。舎利弗。如来。但以一仏乗故。為衆生説法。無有余乗。若二。若三。2024/02/27 10:19:02247.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X[訓読]仏、舎利弗に告げたまわく、諸仏如来は但菩薩を教化したもう。諸の所作あるは常に一事の為なり。唯仏の知見を以て衆生に示悟したまわんとなり。舎利弗、如来は但一仏乗を以ての故に、衆生の為に法を説きたもう。余乗の若しは二、若しは三あることなし。2024/02/27 10:19:21248.神も仏も名無しさん5ek9Vほーかいくん御館様〜〜〜おはよ〜〜〜ん😄😄😄😄😄😄😄😄2024/02/27 10:21:07249.神も仏も名無しさん5ek9Vコマッタウマだ👽231.ユーザーパtd05n(2/2)>>226誰が➰そんなことはない、鹿野園さんこそ5チャンの良識であり良心だ!と、常々言っておろうが!お前らと目の付け所が違うんだよブンブンくん2024/02/27 04:51:45ReplyGood2024/02/27 10:22:05250.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xでおー、おはよーここではリダンと仲良くケンカしろよー2024/02/27 10:22:34251.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xそれは馬ちゃんのジョークだろ。2024/02/27 10:22:58252.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xこの分段の「唯仏の知見を以て衆生に示悟したまわん」の文句を日蓮さんの『御義口伝』に習って解釈しますと、2024/02/27 10:23:46253.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X「仏の知見とは即ち応身と報身をもって衆生に三乗の教えを示し、 悟りをもって常寂光土へ入らせたもう」となります。2024/02/27 10:24:07254.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X『御義口伝』の中で大聖人がそこのところを詳しく御指南あそばされておりますので後程、詳しく紹介いたします。2024/02/27 10:26:41255.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X「方便品」の更に15進んで、T0262_.09.0007b18から舎利弗。我今亦復如是。知諸衆生。有種種欲。深心所著。随其本性。以種種因縁。譬喩言辞。方便力故。而為説法。舎利弗。如此皆為。得一仏乗。一切種智故。舎利弗。十方世界中。尚無二乗。何況有三。舎利弗。諸仏出於。五濁悪世。所謂劫濁。煩悩濁。衆生濁。見濁。命濁。如是。舎利弗。劫濁乱時。衆生垢重。慳貪嫉妬。成就諸不善根故。諸仏以方便力。於一仏乗。分別説三。2024/02/27 10:28:54256.神も仏も名無しさん5ek9Vこのスレではほーかいくんの平和パワーでウマやリダンとは敵対しないのであーるおもろーなネタはアゲルが😄2024/02/27 10:29:37257.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X現代語訳では次のようになります。舎利弗よ、われも今、またかくの如し。諸の衆生に、種種の欲と深く心に著する所とあることを知りて、その本性に随って、種種の因縁と譬喩と言辞と方便力とをもっての故に、しかも、ために法を説くなり。舎利弗よ、かくの如きは、皆、一仏乗の一切種智を得せしめんがための故なり。舎利弗よ、十方世界の中には、なお二乗すらなし。何に況や、三あらんや。舎利弗よ、諸仏は、五濁の悪世に出でたもう。謂う所は、劫濁と煩悩濁と衆生濁と見濁と命濁との、かくの如きなり。 舎利弗よ、劫の濁乱の時には、衆生は垢重く、慳貪・嫉妬にして、諸の不善根を成就するが故に、諸仏は方便力をもって、一仏乗において分別して三と説きたもう。2024/02/27 10:29:45258.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X↑の中で重要な箇所↓「舎利弗よ、かくの如きは、皆、一仏乗の一切種智を得せしめんがための故なり。」「方便力をもって、一仏乗において分別して三と説きたもう。」2024/02/27 10:31:22259.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X『法華経』譬諭品第三にも同じような御文があります。T0262_.09.0013c13初説三乗。引導衆生。然後但以大乗。而度脱之。何以故。如来。有無量智慧。力無所畏。諸法之蔵。能与一切衆生。大乗之法。但不尽能受。舎利弗。以是因縁。当知諸仏。方便力故。於一仏乗。分別三説。2024/02/27 10:32:29260.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X【現代語訳】初め三乗を説きて衆生を引導し、しかして後、但、大乗のみをもって、これを度脱するなり。何をもっての故なりや。如来には無量の智慧・力・無所畏の諸法の蔵有りて、能く一切衆生に大乗の法を与うるに、但し、尽くは受くること能わざればなり。舎利弗よ、この因縁をもって、当に知るべし、諸仏は方便力の故に、一仏乗において、分別して三と説きたもうなり。2024/02/27 10:32:42261.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X↑の中で重要な箇所↓「初め三乗を説きて衆生を引導し、しかして後、但、大乗のみをもって、これを度脱するなり。」「諸仏は方便力の故に、一仏乗において、分別して三と説きたもうなり。」2024/02/27 10:33:39262.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xまたページをまたいで「T0262_.09.0014c28」から「T0262_.09.0015a02」にも、(現代語訳で紹介します)また教え詔すと雖も、しかも信受せず、諸の欲染において、貪著すること深きが故なり。ここをもって方便して、ために三乗を説きて、諸の衆生をして、三界の苦を知らしめ、出世間の道を、開示し演説するなり。とあります。2024/02/27 10:35:04263.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X↑の中で重要な箇所↓「ここをもって方便して、ために三乗を説き」「出世間の道を、開示し演説するなり。」2024/02/27 10:35:51264.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xこれらの御文から開示悟入とは、「三乗に〝開〟いて〝示〟し〝悟〟らせ一仏乗に〝入〟らせる」ということが読み取れます。2024/02/27 10:38:23265.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X休憩タイム~2024/02/27 10:38:46266.リダン◆gEV3xsS//k7fopEお疲れ様〜2024/02/27 10:48:38267.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xここでリダンに出題!次の( )の中を埋めよ。1.妙観察智とは( )の境涯に対して説かれた真理( )である。2.成所作智とは( )の境涯に対して説かれた真理( )である。3.平等性智とは( )の境涯に対して説かれた真理( )である。2024/02/27 10:57:46268.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X和尚も見ていたら答えてみ2024/02/27 11:01:45269.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X東大頭脳のJBは答えられるだろうから聞かなーい2024/02/27 11:02:56270.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xでおーは、こんなだから聞くだけ無駄だもんなーhttps://tc-animate.techorus-cdn.com/resize_image/resize_image.php?image=4573155995454_3.jpg&width=5002024/02/27 11:04:02271.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xサティーは仏教徒じゃないから知らないで当然。2024/02/27 11:05:05272.リダン◆gEV3xsS//k7fopE>>267昼頃書き込みますわ2024/02/27 11:06:53273.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X閃は猫に金タマを噛まれたようでそれどころではないようだ!2024/02/27 11:08:07274.神も仏も名無しさんC1QMIリダン三世きとる😃2024/02/27 11:35:33275.神も仏も名無しさんC1QMIウマもアバレウマだがきてない😃2024/02/27 11:36:45276.リダン◆gEV3xsS//k7fopE>>2671.妙観察智とは(声聞)の境涯に対して説かれた真理(蔵経)である。2.成所作智とは(縁覚)の境涯に対して説かれた真理(通教)である。3.平等性智とは(菩薩)の境涯に対して説かれた真理(別教)である埋めてみるだけみたけど妙観察智成所作智平等性智ってそういうことだっけ?2024/02/27 11:41:49277.神も仏も名無しさんC1QMI😃2024/02/27 11:58:07278.エロ和尚◆ERO.Kk3nCApkf6F>>268南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経https://www.youtube.com/watch?v=qhSRBpML-3U2024/02/27 12:00:58279.神も仏も名無しさんC1QMI😃2024/02/27 12:04:55280.神も仏も名無しさんC1QMI久しぶり〜😃2024/02/27 12:05:09281.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X>>276リダンはホント単純というか読みが浅い!2024/02/27 12:18:09282.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xまんまと引っ掛かっとる2024/02/27 12:18:33283.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X1.2.3の並びおまえ単純に声聞・縁覚・菩薩の並びだと思っただろ2024/02/27 12:19:47284.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xわざと並びを変えて提示している。縁覚・声聞・菩薩の並びね。2024/02/27 12:20:42285.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X>妙観察智>成所作智>平等性智>ってそういうことだっけ?というリダンにまず、「成所作智」ってなんでこう言うか知ってるか?と問うてみる。2024/02/27 12:22:30286.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xでおーがリダンの事を心配するのが良く解る確かに反抗期だな2024/02/27 12:35:13287.リダン◆gEV3xsS//kyPDay>>285なんでです?2024/02/27 12:35:28288.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X素直に人の話が聞けなくなってきているな2024/02/27 12:35:44289.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X馬ちゃん化が進んでいるな2024/02/27 12:36:32290.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X「馬ちゃん化」ってどういう進化だか解るか?2024/02/27 12:36:58291.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X慢心が酷くなっていくって事ね2024/02/27 12:37:18292.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X解ってもいない癖に解った気でいること2024/02/27 12:37:41293.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X「成所作智」ってどういう意味だが答えてみ2024/02/27 12:38:13294.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X解っているから>ってそういうことだっけ?って言っているんだろ?2024/02/27 12:38:55295.リダン◆gEV3xsS//kyPDay>>294いや分かってないですよ2024/02/27 12:39:33296.リダン◆gEV3xsS//kyPDayそもそも俺が順番間違えてるじゃないですかw2024/02/27 12:40:18297.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X解っていないのになんで>ってそういうことだっけ?という突っ込みを入れてくる?2024/02/27 12:40:47298.リダン◆gEV3xsS//kyPDay阿頼耶識とかの転識と言う理解くらいだからかな2024/02/27 12:41:46299.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X解っていないのならなるほど~法介さんはそう考えるんだ~になる。2024/02/27 12:41:58300.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xそれを>ってそういうことだっけ?って突っ込んでくる君は何様?2024/02/27 12:42:39301.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X随分と出世なされたんですねおめでとー!2024/02/27 12:43:04302.リダン◆gEV3xsS//kyPDay>>299いや誤解があるようですが妙観察智ってなんだっけ?くらいですよ俺2024/02/27 12:43:08303.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xそうかーじゃあこれを見よhttp://www.wikidharma.org/index.php/%E3%81%98%E3%82%87%E3%81%86%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%95%E3%81%A12024/02/27 12:44:13304.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X成所作智の説明何て書いてある。2024/02/27 12:44:54305.リダン◆gEV3xsS//kyPDay成所作智が五識の転識かそれが妙観察智だと思ってたw2024/02/27 12:46:33306.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X「作すべきことを成就する智慧。」ってどんな智慧だと思う。2024/02/27 12:46:35307.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X「作すべきこと」って意味解るか?2024/02/27 12:47:35308.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X対象のモノがそのモノと成り得た因果だよ。2024/02/27 12:48:11309.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X凡夫の「有る」と見る、また「無い」と見る見解から離れ、仏の「因果」で観るとそのモノがそのモノとなり得た因果が観えて来る。2024/02/27 12:49:52310.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xその因果の事を何と言うでしょう。2024/02/27 12:50:11311.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X次に、WikiDharmaの検索覧に「妙観察智」って入れて検索かけてみ。2024/02/27 12:52:40312.リダン◆gEV3xsS//kyPDayちょっと待って離席2024/02/27 12:52:41313.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X出てこないだろ。2024/02/27 12:53:16314.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xあ、あった。http://www.wikidharma.org/index.php/%E3%81%BF%E3%82%87%E3%81%86%E3%81%8B%E3%82%93%E3%81%96%E3%81%A4%E3%81%A12024/02/27 12:55:14315.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X意識を変化せしめて得られる。妙にものごとを観察する智慧。存在おのおのに固有のすがた(自相)とすべての存在に共通するすがた(共相)とを把握する智慧。 この智慧によって総持(陀羅尼。無量の教えを忘れずに心にとどめること)と定門(三摩地。心を一つの対象に集中せしめた状態)と功徳(六波羅蜜多・十カ・四無畏などの功徳)とを身につけ、説法の集会において無辺の働きを示し、すぐれた教えを垂れて人びとのあらゆる疑問を断じることができる智慧。2024/02/27 12:55:46316.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X要するに、妙法で対象を観察することで意識が変わる事。心の(意識の)変化を起こす「相依性縁起」でしょう。2024/02/27 12:58:43317.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X通教で説かれた「縁覚の智慧」ね。2024/02/27 12:59:11318.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xでは、平等性智はと言うと、http://www.wikidharma.org/index.php/%E3%81%B3%E3%82%87%E3%81%86%E3%81%A9%E3%81%86%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%86%E3%81%A12024/02/27 13:00:12319.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X 末那識を変化せしめて得られる。深層的な自我執着心である末那識が質的に変化して、自己と他者とは平等であるとみる智慧。 あらゆる存在は一味・平等であるとさとり、大慈悲心を起こして人びとの願いに応じて他受用身と他受用身の国士とを示現する智慧。2024/02/27 13:00:22320.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xこの説明は、菩薩の境涯を言い顕した内容です。2024/02/27 13:01:31321.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X「法空」を覚る事で末那識の自我意識が退治されそれによって末那識がクリヤー化される事で対象となるモノの阿頼耶識情報を拾い上げてそれを第六意識に手渡すことでそれまでの対象に対する意識(認識)が変わる。2024/02/27 13:05:04322.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X別教で菩薩に対して説かれた菩薩の智慧(而二不二)。阿頼耶識縁起で起こる「片眼凡夫・片眼仏」(色即是空・空即是色)だ。2024/02/27 13:07:15323.リダン◆gEV3xsS//kVHTiTなるほどなるほど2024/02/27 13:07:52324.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X凡夫の認識(色即是空)の中に仏の認識(空即是色)がクロスオーバーして顕れて来る2024/02/27 13:08:38325.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xそれが「色即是空 空即是色」ね。2024/02/27 13:09:05326.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X1.妙観察智とは(縁覚)の境涯に対して説かれた真理(此縁性縁起)である。2.成所作智とは(声聞)の境涯に対して説かれた真理(相依性縁起)である。3.平等性智とは(菩薩)の境涯に対して説かれた真理(而二不二)である。2024/02/27 13:10:56327.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xそして、これら三乗の智慧が一つに集約して仏の智慧が「大円鏡智」として顕れる。2024/02/27 13:13:18328.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xhttp://www.wikidharma.org/index.php/%E3%81%A0%E3%81%84%E3%81%88%E3%82%93%E3%81%8D%E3%82%87%E3%81%86%E3%81%A1大円鏡智ādarśa-jñāna (S)、仏の持つ四智の一つ。 大きな円い鏡に一切がありのままに映し出されるように、すべてを明らかにする曇り一つない清浄な仏智のこと。唯識で第8阿頼耶識を転じて得られる無漏の清浄智をいう。 密教ではこの智を五智のうちでも金剛部(こんごうぶ)東方・阿閦如来(あしゅくによらい)の成ずる智と特定するが、これら五智すべてが大日如来の円満なる智体を構成する点では、究極的には大日如来に属するものである、とする。 鏡といふは、衆生本有の大円鏡智の鏡、諸仏已証の名号なり 〔一遍語録〕2024/02/27 13:14:09329.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X「密教では」とあるが、この解説文はチベット仏教による外道義混入によるところの解釈文になります。2024/02/27 13:16:41330.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X「大円鏡智」の正しい解釈は、天台智顗や日蓮さんの釈を用いないと正しくは理解出来ません。2024/02/27 13:18:03331.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xただ、「大円鏡智」という呼び名の中に〝円〟と〝鏡〟とが含まれております。2024/02/27 13:19:40332.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X鏡は、対象物を映し出すものです。対象となるモノがどこかにある訳ですね。2024/02/27 13:20:55333.リダン◆gEV3xsS//kVHTiTイメージ的には妙観察智までに至れば自我ではなく仏性的なものが働きかけ続け大円鏡智に至る感じですね2024/02/27 13:21:40334.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xどこかと言えば、『唯識』では「唯識で第8阿頼耶識を転じて得られる無漏の清浄智をいう。」と説かれております。2024/02/27 13:22:24335.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X>仏性的なものが働きかけ続け「仏性的なもの」って何?具体的に2024/02/27 13:23:07336.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X唯識では「無漏の清浄智」と説かれている。2024/02/27 13:23:42337.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X「無漏」って意味解るか2024/02/27 13:24:13338.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xこれじゃないぞhttps://moviewalker.jp/api/resizeimage/person/8d/0e/8d0e69b778ea78456fed9351b16ed393.jpg?w=6902024/02/27 13:25:14339.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xこれね。http://labo.wikidharma.org/index.php/%E7%84%A1%E6%BC%8F2024/02/27 13:26:10340.リダン◆gEV3xsS//kVHTiT>>335ん?よく法介さんが自我に仏性が宿ると言ってませんてした?2024/02/27 13:26:23341.リダン◆gEV3xsS//kVHTiT自我じゃなかった未那識か2024/02/27 13:28:51342.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xhttps://blog.goo.ne.jp/seikannamo/e/edb68d44666b91c9eb527d8c154eb5fd?fm=entry_awp_sleep『論』(成唯識論の事)には「若し始起のみなりといはば、有為の無漏は因縁無きが故に生ずることを得ざるべし。有漏を無漏の種と為すべからず。」2024/02/27 13:31:12343.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X「自我に仏性が宿る」そんな事言ったか?2024/02/27 13:31:58344.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xいう訳ないとおもうんだが、、、2024/02/27 13:32:18345.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X自我意識は末那識に潜んでいる。末那識に仏性がある訳ないだろ。2024/02/27 13:33:06346.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X仏性(三因仏性)は阿頼耶識にあるって何度も言っているじゃん。2024/02/27 13:33:43347.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xリダンおまえ大丈夫か?2024/02/27 13:34:13348.リダン◆gEV3xsS//kVHTiT>>345あらそうなの?2024/02/27 13:34:13349.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X物事の正しい認識及び判断が出来なくなって来てないか?2024/02/27 13:34:56350.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X六根の汚染が進んでるように見受けられるぞ2024/02/27 13:35:26351.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X悪知識と交わり過ぎだろ2024/02/27 13:35:57352.リダン◆gEV3xsS//kVHTiTあるっていうか宿るって言ってなかった?2024/02/27 13:36:17353.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X自我意識に?2024/02/27 13:37:19354.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X末那識に仏性が?言う訳ないだろ2024/02/27 13:37:40355.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xそれもしかして2024/02/27 13:37:52356.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X仏の意識は「末那識」の事か?2024/02/27 13:38:15357.リダン◆gEV3xsS//kVHTiT>>356それかな2024/02/27 13:38:38358.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X意識と仏性(無漏種子)は別だぞ2024/02/27 13:39:15359.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X阿頼耶識に意識は存在しない2024/02/27 13:39:35360.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xあるのは「業」行いね。2024/02/27 13:39:57361.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X過去一切の行いの記録。2024/02/27 13:40:18362.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X意識は唯識では第六識と第七識のみとされている。2024/02/27 13:40:53363.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X何を学んで来たんだ、、、、、2024/02/27 13:41:08364.リダン◆gEV3xsS//kVHTiTああ意味わかった2024/02/27 13:41:16365.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xちょいリダンに聞くが、仏が説法する時の意識ってどの識層の意識がそうさせていると思う?2024/02/27 13:46:56366.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X肉体から解脱している仏に第六意識は起こらない2024/02/27 13:47:32367.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xなぜなら第六意識は前五識を対象として起こる意識だからです。2024/02/27 13:48:08368.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xでは肉体を持たない仏はどの意識で説法をしているんでしょうか。2024/02/27 13:48:59369.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X答えてみ。2024/02/27 13:49:20370.リダン◆gEV3xsS//kVHTiT七識ちょっと離席2024/02/27 13:54:28371.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xこの事について日蓮さんは何と言われているか紹介します。2024/02/27 13:55:34372.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X『真言天台勝劣事』という御書がありまして、この御書は天台宗と真言宗の勝劣を詳しく説明なされている御書です。2024/02/27 13:58:47373.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xその中で日蓮さんは真言宗で説かれる大日説法について痛い程の突っ込みを入れておられます。2024/02/27 13:59:57374.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X中でも最も痛いのが法身仏である大日法身が「どうして説法出来るのですか?」と2024/02/27 14:01:44375.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X報身仏は巧みに身を変幻させて様々な形で法を説きます。2024/02/27 14:02:45376.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X『般若心経』を説く観音菩薩や『阿弥陀経』で説かれている阿彌陀佛などはどれも釈迦の化身であると説くのが「仏の四身説」を説く、天台教学です。2024/02/27 14:05:11377.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X応身仏報身仏(自受用報身と他受用報身)法身仏の四身です。2024/02/27 14:06:19378.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X法身仏ってどういう存在だかご存知でしょうか。2024/02/27 14:07:29379.リダン◆gEV3xsS//kVHTiTほぼ真如?2024/02/27 14:11:31380.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X「法」そのもので、無為とされます。2024/02/27 14:12:36381.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X「無為」とは人為的縁起が生じないという事を言います。2024/02/27 14:13:16382.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X縁起が生じないので時間認識も空間認識も起こりません。2024/02/27 14:13:52383.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X縁起が起きないという事はこの世界では「説法」はまずもってあり得ません。2024/02/27 14:14:44384.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X『法華経』の虚空絵で多宝如来が顕われますよね。2024/02/27 14:15:20385.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X普通、最上級の仏が説法するものでしょう。2024/02/27 14:15:47386.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X最高の究極の真理を説く場面なのですから。2024/02/27 14:16:17387.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X果たしてその場で説法を始めたのは誰だったでしょう?2024/02/27 14:17:03388.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xリダン、答えてみ2024/02/27 14:17:14389.リダン◆gEV3xsS//kVHTiT>>388報身のお釈迦様?2024/02/27 14:19:20390.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X(リダンが何と答えるか予想がつく!)2024/02/27 14:19:23391.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X>>389リダンの事だから地涌の菩薩!とか言うかと思った2024/02/27 14:20:07392.リダン◆gEV3xsS//kVHTiT>>391俺のイメージはいまだに河童2024/02/27 14:20:33393.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X罰あたるぞ2024/02/27 14:20:59394.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xおまえ地涌の菩薩を軽んじ過ぎ2024/02/27 14:21:44395.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xまず、多宝如来は説法はしていない。2024/02/27 14:22:09396.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X虚空絵で説法したのはお釈迦さま。2024/02/27 14:22:25397.リダン◆gEV3xsS//kVHTiT>>393認識を改めねば2024/02/27 14:22:54398.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xお釈迦さまだがその場合のお釈迦さまは応身なのか報身なのか法身なのか2024/02/27 14:23:06399.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X虚空絵ではお釈迦さまは仏の本地を顕して久遠実成の釈迦と成っております。2024/02/27 14:24:12400.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X時間軸も空間も空じて「非空」で入っている世界それが法華経で説かれている「虚空絵」です。2024/02/27 14:25:21401.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xという事はお釈迦さまは久遠釈迦=法身2024/02/27 14:26:17402.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xとなりますがではなぜ法身の釈迦が説法するのか2024/02/27 14:26:52403.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xこの場に於ける本物の法身は多宝如来です。2024/02/27 14:27:31404.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X感の良い人はピンと来たでしょう。2024/02/27 14:28:18405.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X感の冴えないリダンは何のことだか解らずにいるでしょう。2024/02/27 14:28:54406.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X>>331 ←これ見てみ2024/02/27 14:29:56407.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X家事ってきます~2024/02/27 14:30:37408.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmVfEbA345 法介◆T3azX0Hk1U[] 2024/02/27(火) 13:33:06.30 ID:dMf9X自我意識は末那識に潜んでいる。末那識に仏性がある訳ないだろ。 ↓251 法介◆T3azX0Hk1U[] 2024/02/16(金) 10:19:08.39 ID:XlNtu阿頼耶識を因として縁起が起こりますので仏の意識は第七末那識となります。2024/02/27 14:33:32409.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xリダン、おまえその内>>408 ←こんな風になるぞ2024/02/27 14:36:40410.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X人の話をちゃんと読み取れなくなるってことね2024/02/27 14:37:17411.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X六根が濁って来るとこうなってくる。2024/02/27 14:37:35412.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X意識と仏性は別だってちゃんと説明しただろ。2024/02/27 14:38:20413.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X鹿野園には説明しても無駄だからほっておく。2024/02/27 14:39:15414.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X理解出来ない奴に説明しても意味が無い2024/02/27 14:39:51415.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X買い物に出かけて来ます。2024/02/27 14:40:10416.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmVfEbA>>412> 意識と仏性は別だって> ちゃんと説明しただろ。仏の意識と仏性は別?仏性が意識として顕在化されたのが仏の意識じゃないのか?2024/02/27 14:49:37417.リダン◆gEV3xsS//kU2Ihx>>406如来を鏡にコンバートしたお釈迦様2024/02/27 15:05:51418.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmVfEbA>>417横からですが、どういう意味ですか?2024/02/27 15:09:42419.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X>>417 正解!2024/02/27 15:11:59420.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X〝顕在化〟とは、潜んでいたことがはっきりと表面にあらわれる、または形として顕すことを言います。2024/02/27 15:14:12421.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xさてどこに何が顕われるのでしょうか?鹿野園さん、お答えください。2024/02/27 15:15:17422.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xどこに?そして何が?2024/02/27 15:16:03423.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X(さて、なんと答えるやら)2024/02/27 15:17:09424.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmVfEbA>>421意識だろ。2024/02/27 15:18:54425.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X>>424どういう意識がどこに顕われるんですか?2024/02/27 15:19:53426.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X阿頼耶識にですか?2024/02/27 15:20:07427.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xそれとも阿頼耶識が意識に変わるんですか?2024/02/27 15:20:31428.リダン◆gEV3xsS//kU2Ihx>>418俺のよく言う無分別を自我にコンバートってやつですよ後得知の意味合いでいいました2024/02/27 15:21:10429.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X「無分別を自我にコンバート」って言葉の用い方おかしいでしょ。2024/02/27 15:22:23430.神も仏も名無しさんO3QzD大円鏡智は所詮、後得智円だ鏡だ、言語は嘘をつく、方便ともいうし、解釈の幅もあるし如来は仏、人物鏡は物質一緒にしてはイカンのでは?2024/02/27 15:22:46431.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X自我は分別で起こる意識です。2024/02/27 15:22:50432.リダン◆gEV3xsS//kU2Ihx>>429無為だからってことでしょ2024/02/27 15:23:25433.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X>>430議論に参加されたいのでしたらコテハンで宜しくお願いいたします。呼び名に困ります、、、。2024/02/27 15:24:19434.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmVfEbA>>425仏性。2024/02/27 15:24:51435.リダン◆gEV3xsS//kU2Ihxちょっと離席します2024/02/27 15:24:55436.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X>>430 さんのその発言こそ言葉にえらく執着しているように私には見えて仕方ないのですが、、、2024/02/27 15:25:02437.神も仏も名無しさんO3QzD議論に参加するならコテハンで、ですか失礼しました2024/02/27 15:25:58438.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X>>434用語でごまかさずにちゃんとご説明ください。2024/02/27 15:26:54439.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmVfEbAもう一度いう。転識得智によって仏性が意識として顕れればそれを妙観察智と云い、末那識に顕れれば平等性智という。2024/02/27 15:27:28440.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xどのような意識がどこに顕われるのですか?2024/02/27 15:28:15441.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X>>439だめだこりゃ議論になりゃしない2024/02/27 15:29:03442.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xリダンと話そうっと。2024/02/27 15:29:24443.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmVfEbA>>428如来が如来にコンバートする必要はないですからね。2024/02/27 15:29:29444.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X「無為」って人為的要素が全く関与しないって意味なんですけど自我って人の心ですよ。2024/02/27 15:30:31445.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmINWDTもう一度いう。転識得智によって仏性が意識として顕れればそれを妙観察智と云い、末那識に顕れれば平等性智という。(二回目)2024/02/27 15:31:17446.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xリダンが言わんとするところは解る。しかし表現がおかしい。2024/02/27 15:31:33447.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X>>445鹿野園さんはそのようにお考えなのですね。承知しました。2024/02/27 15:32:30448.神も仏も名無しさんO3QzD自分の意図することを正確に伝える納得頂けるようにと、するほど執着になりますね確かに失礼しました2024/02/27 15:32:32449.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X私は、私の考えをここで述べているだけです。2024/02/27 15:32:51450.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X考えを戦わせたいのであればわたしの問いにお答えください。2024/02/27 15:33:22451.リダン◆gEV3xsS//kU2Ihx>>444それはまあ瞑想や禅の効果です無分別に至るてのは2024/02/27 15:33:29452.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmINWDT>>447私じゃない。大乗仏教だ。2024/02/27 15:33:34453.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X出なければ議論になりませんので。2024/02/27 15:33:40454.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X>私じゃない。>大乗仏教だ。大乗のどの経典にどのように記されているのですか?2024/02/27 15:36:10455.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmINWDT>転識得智によって仏性が意識として顕れればそれを妙観察智と云い、末那識に顕れれば平等性智という。つまりだ。仏性が転識得智によって仏の意識としての平等証智に至ってない末那識は、仏の意識ではない。2024/02/27 15:36:26456.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmINWDT>>454解深密経に説かれた内容を解釈した成唯識論。2024/02/27 15:37:39457.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X>>455あなたが言う妙観察智とはなんですか?あなたが言う平等性智とはなんですか?ご説明ください。2024/02/27 15:38:01458.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X>>456成唯識論のその文句をここに提示されてください。2024/02/27 15:38:40459.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmVfEbAま、いい加減な事を言わない事だな😟時折りチェックして〆にくるから。調子こくなよ😧2024/02/27 15:39:57460.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xご提示ください。2024/02/27 15:40:38461.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xあなたがいい加減な事を言っているんじゃない事を証明する為に成唯識論のその文句をここにご提示ください。2024/02/27 15:41:52462.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xわたしは根拠をきちんと示しながらここでお話をしております。2024/02/27 15:42:39463.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X根拠も示されず相手の主張をただ否定なされてもそれでは議論は成り立ちません。2024/02/27 15:44:03464.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X迷惑でしかありません。出禁者のあなたが誰の許可を得て書き込みなされて来たのですか?2024/02/27 15:45:05465.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xあなたとの無益な対話にお付き合いする程暇でもないのでとっとと立ち去られて下さい。2024/02/27 15:46:41466.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X困った奴だ、、、、これで〆ている気でいるんだから逃げてっただけじゃん2024/02/27 15:54:28467.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X>>254 の『御義口伝』で日蓮さんがどのような事を申されているのかをここで紹介致します。2024/02/27 16:00:22468.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X『御義口伝』の「第三 唯以一大事因縁の事」の中で大聖人は、「方便品第二」について次のような御指南をなされております。2024/02/27 16:01:23469.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X「此の大事を説かんが為に仏は出世したもう 我等が一身の妙法五字なりと開仏知見する時・即身成仏するなり、開とは信心の異名なり信心を以て妙法を唱え奉らば軈(やが)て開仏知見するなり、然る間信心を開く時南無妙法蓮華経と示すを示仏知見と云うなり、示す時に霊山浄土の住処と悟り即身成仏と悟るを悟仏知見と云うなり、悟る当体・直至道場なるを入仏知見と云うなり、然る間信心の開仏知見を以て正意とせり、入仏知見の入の字は迹門の意は実相の理内に帰入するを入と云うなり本門の意は理即本覚と入るなり、 今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る程の者は宝塔に入るなり云云、又云く開仏知見の仏とは九界所具の仏界なり知見とは妙法の二字 止観の二字 寂照の二徳 生死の二法なり色心因果なり、所詮知見とは妙法なり九界所具の仏心を法華経の知見にて開く事なり、爰を以て之を思う に仏とは九界の衆生の事なり」2024/02/27 16:01:37470.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xこの御文の内容を詳しく解説してまいります。2024/02/27 16:02:50471.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X仏は「一大事の因縁」を説かんが為にこの世に出現します。我らの一身が妙法五字であると悟った時が即身成仏だと仰せです。そして「開示悟入」の四仏知見を開くというのは信心の別名であると申されております。2024/02/27 16:04:32472.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X「開とは信心の異名なり 信心を以て妙法を唱え奉らば軈(やが)て開仏知見するなり」の御文の意味は、「南無妙法蓮華経」と唱え奉るならば我が身が即空・即仮・即中と開くということです。2024/02/27 16:07:31473.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X「然る間信心を開く時 南無妙法蓮華経と示すを示仏知見と云うなり」その信心を開くにあたり、南無妙法蓮華経を声聞・縁覚・菩薩の三乗の教えとして示すことが示仏知見と云うのです。2024/02/27 16:08:49474.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X「示す時に霊山浄土の住処と悟り即身成仏と悟るを悟仏知見と云うなり」(三乗の教えの中で)示された悟りの国土が一身に現われるを悟ることを悟仏知見といいます。2024/02/27 16:09:49475.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X「悟る当体・直至道場なるを入仏知見と云うなり」直至道場(じきしどうじょう)とは、「直達正観」といいまして瞑想や禅定をするまでもなく直ちに即身成仏することを言います。私達の身にあてはめるなら御本尊と境智冥合した当にその体こそが当体蓮華の入仏知見となります。2024/02/27 16:10:57476.◆JBLfMwCXhYuPMOI大聖人の御書ありがたや~😭2024/02/27 16:11:37477.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X「然る間信心の開仏知見を以て正意とせり、入仏知見の入の字は迹門の意は実相の理内に帰入するを入と云うなり本門の意は理即本覚と入るなり」空・仮・中に開いた三諦を正意とするのですが、入仏知見の入の字は迹門の意で解釈すると実相ではあるものの理の範囲内での悟りであって、本門に入って考えると入の意は理論を超えた悟りそのものになるのです。2024/02/27 16:11:54478.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る程の者は宝塔に入るなり云云、又云く開仏知見の仏とは九界所具の仏界なり知見とは妙法の二字 止観の二字 寂照の二徳 生死の二法なり色心因果なり、所詮知見とは妙法なり九界所具の仏心を法華経の知見にて開く事なり 、爰を以て之を思う に仏とは九界の衆生の事なり」今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る程の者は宝塔に入ることであり、開仏知見の「仏」とは九界所具の仏界であり、「知見」とは妙法の二字、止観の二字、寂照の二徳、生死の二法であり、色心因果であり、所詮知見とは妙法をみることであり、九界所具の仏界を法華経の知見にて開く事です。2024/02/27 16:12:51479.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xこの部分は少しわかり難いので、もう少しかみ砕いて説明します。2024/02/27 16:13:07480.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X止観の二字については、【止観】仏教では瞑想を止と観の二つに大別する。止とは、心の動揺をとどめて本源の真理に住することで観とは、不動の心が智慧のはたらきとなって事物を真理に即して正しく観察することをいう。このように止は禅定に当たり、観は智慧に相当する。ブッダは止により、人間の苦の根本原因が無明であることを自覚し、十二因縁を順逆に観想する観によって無明を脱したとされる。止観の止はサマタ瞑想を意味し、観はヴィパッサナー瞑想を意味します。詳しくはこちらをご覧ください。サマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想https://zawazawa.jp/bison/topic/172024/02/27 16:17:36481.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X寂照の二徳は、【寂照】 寂照とは、小乗に説く「寂滅」に対する語。小乗教では「生滅滅已・寂滅為楽」とあるように、煩悩を断じ尽くし、生死をはなれるところに悟りがあるとする。それに対し、大乗で説く「寂照」は、煩悩即菩提であり生死即涅槃のことである。此の土こそ常寂光土と説き、この世をはなれて悟りはなく、この身体はそのまま常楽我浄なりと説く。とありますように煩悩(寂)即菩提(照)となります。2024/02/27 16:18:34482.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X生死の二法は、「釈迦多宝の二仏も生死の二法なり」と仰せになられるように「体の仏と用の仏」の倶体倶用の関係を示し、色心因果は「色心の二法十如是是なり」と仰せになられております。2024/02/27 16:19:29483.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X妙法の二字の解釈は、様々な言葉が含まれてきますので判断が難しいところですが「妙法の二字に諸仏皆収まれり」との御指南からここでは「諸仏の智慧」と解釈しておくのが妥当かと思われます。2024/02/27 16:19:54484.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xそういったことをふまえて、「知見とは妙法の二字 止観の二字 寂照の二徳 生死の二法なり色心因果なり」の御文を解釈すると、2024/02/27 16:20:33485.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X「知」は真実を知るということで色心の因果は十如実相に収まるということで、「見」はありのままを見るということになるかと思います。止観の止がまさにそれにあたるでしょう。2024/02/27 16:21:39486.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xまた寂照の二徳とは「煩悩即菩提」で、「生死の二法」は仏の用の働きと凡夫の体の働き(具体具用の仏)、それらをふまえて「妙法の二字」には一切の諸仏の智慧が収まります。2024/02/27 16:22:48487.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X要するに「仏知見」の「仏」は法身、「知」は報身、「見」は応身を意味し、九界所具の仏界(法身)を法華経の知(報身)見(応身)で開くという意味になります。2024/02/27 16:24:50488.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X法華経の本門で「自受用報身」が解き明かされております。何だかご存ででしょうか。2024/02/27 16:26:52489.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X伝教大師云く「一念三千即自受用身・自受用身とは出尊形の仏」2024/02/27 16:34:30490.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X三十二相・八十種好をかねそなえた色相荘厳の仏の事を「尊形の仏」と言います。それに対し、法華経で説かれる「自受用身」は色相を備えない「一念三千の法門」の事を言うと伝教大師(最澄)は申されております。2024/02/27 16:38:44491.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xでは『法華経』の応身はなんでしょう。2024/02/27 16:39:25492.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X応身の意味は、凡夫の認識に応じて顕われるという意味です。2024/02/27 16:40:10493.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X凡夫の認識とは、「色・受・想・行・識」で起こる認識です。2024/02/27 16:41:19494.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X凡夫が認識出来る形でそれを顕されたのが日蓮さんが顕された十界曼荼羅本尊です。2024/02/27 16:42:48495.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xでは、九界所具の仏界(法身)はと言いますと、十界を備えた仏の相である応身(十界曼荼羅本尊)と一念三千を説く法華経の心(心性=報身)と2024/02/27 16:46:10496.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xそれを当体蓮華として我が身に体現する法華経の行者の姿に他なりません。2024/02/27 16:48:26497.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xこれ即ち体の仏です。俱体俱用の三身の「体の三身」にあたります。2024/02/27 16:50:55498.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X阿頼耶識の「用の三身(三因仏性)」がクリアー化された末那識が鏡となって表に映し出された姿です。2024/02/27 16:53:55499.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xこれを「大円鏡智」と言います。2024/02/27 16:54:34500.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X天台教学で言うところの「一心三観」です。2024/02/27 16:57:55501.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X凡夫の心に凡夫の世界観・仏の世界観・真如の世界観の三っつの世界観が円かに融けあって顕れます。2024/02/27 16:59:26502.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X鏡に映っているのは九識心王真如の「南無妙法蓮華経」という無為の真如の法です。2024/02/27 17:01:42503.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xhttps://livedoor.blogimg.jp/butudou/imgs/2/b/2be3fde4.jpgお題目三唱!2024/02/27 17:02:43504.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X六根が濁っているなーと思う人は沢山唱えましょう。2024/02/27 17:03:57505.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X基本は108回2024/02/27 17:04:17506.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xどうしてって?だって煩悩の数って108でしょう。2024/02/27 17:05:01507.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X日蓮正宗のお数珠って108個ついてるって知ってます?2024/02/27 17:06:07508.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xお題目を唱える時一個づつずらしていくんです。2024/02/27 17:06:49509.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xさて、家事に戻るか~2024/02/27 17:08:05510.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X十法界は十なれども十如是は一なり譬えば水中の月は無量なりと雖も虚空の月は一なるが如し、九法界の十如是は夢中の十如是なるが故に水中の月の如し仏法界の十如是は本覚の寤の十如是なれば虚空の月の如し、是の故に仏界の一つの十如是顕れぬれば九法界の十如是の水中の月の如きも一も闕減無く同時に皆顕れて体と用と一具にして一体の仏と成る、十法界を互に具足し平等なる十界の衆生なれば虚空の本月も水中の末月も一人の身中に具足して闕くること無し故に十如是は本末究竟して等しく差別無し、本とは衆生の十如是なり末とは諸仏の十如是なり諸仏は衆生の一念の心より顕れ給えば衆生は是れ本なり諸仏は是れ末なり 『三世諸仏総勘文教相廃立』より2024/02/27 17:24:58511.神も仏も名無しさんVONspリダン三世とローラーちゃまのダブルできてたのか〜😃2024/02/27 19:09:45512.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X>>455 ←この発言を見る限り鹿野野は、末那識は平等性智に転識して仏の識層には「末那識」は、無くなるものと勘違いしているようだな。2024/02/27 20:16:19513.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X仏教音痴のあいつらしい勘違いだな。2024/02/27 20:17:01514.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X説明してもだだこねるだけだからほっとこ2024/02/27 20:18:46515.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xっていうかおまえは出禁なんだから勝手に入ってくるんじゃない2024/02/27 20:19:39516.神も仏も名無しさんC1QMIリダン、麦、パーリーがくるとローラーはのさばってくる🤢👽🤢🤢2024/02/27 21:37:14517.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xあーそんな鹿野園向けの話があったひと眠りしてから話そう2024/02/27 21:54:24518.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X九次第定で末那識を止滅させた声聞の話。2024/02/27 21:59:57519.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X九次第定と三昧の違いが解る話ね。2024/02/27 22:03:14520.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xリダンや馬ちゃんにも是非聞かせたい。2024/02/27 22:04:55521.法介◆T3azX0Hk1UdMf9X法華経は三昧で説かれた説法ね。2024/02/27 22:12:05522.法介◆T3azX0Hk1UdMf9Xさて寝よっと2024/02/27 22:12:38523.神も仏も名無しさんC1QMIローラーは5chの別の仏教スレをウマパーリーと共に破壊ナウ🤢👽2024/02/27 23:22:56524.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbなんか眠れん2024/02/28 00:12:12525.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbでおーが一匹2024/02/28 00:13:01526.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbでおーが二匹2024/02/28 00:13:22527.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb三匹めは鹿野園で2024/02/28 00:13:56528.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb四匹めは麦2024/02/28 00:14:50529.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb五匹めは和尚2024/02/28 00:17:49530.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb麦が和尚の曲がったキュウリをもてあそんでいる2024/02/28 00:20:40531.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbそれを見て鹿野園がおれのは大根だぜと言った。2024/02/28 00:23:33532.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb鹿の大根に飛びつく麦2024/02/28 00:24:35533.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbそこにリダンが幽体離脱でやって来た。2024/02/28 00:26:12534.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbリダンは言った。2024/02/28 00:28:48535.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbふ~じこちゃ~ん!2024/02/28 00:29:33536.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbでおーがすかさず突っ込んだ。2024/02/28 00:30:25537.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbおまえはリダン三世か!2024/02/28 00:31:03538.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbカッパ?2024/02/28 00:35:00539.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb気がつけばリダンはカッパになっていた!2024/02/28 00:36:07540.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb地涌の菩薩をカッパ呼ばわりしたからだ。2024/02/28 00:37:01541.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbリダンはカッパになって馬と鹿と一緒に麦法師様のお供をしながら5chへ旅だって行った。2024/02/28 00:41:18542.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb銭形警部になりきってリダ~ン! と叫ぶでおーを残して2024/02/28 00:45:16543.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb和尚はと言えば、曲がったキュウリで波動砲をぶっ飛ばしていた。2024/02/28 00:48:35544.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb後ろで香りが100㌧ハンマーを振り上げているとは知らずに、、、2024/02/28 00:51:50545.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb5ちゃんでも覗いてくるか~2024/02/28 01:11:47546.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb見てきたが読む意味を見出せん、、、2024/02/28 01:16:04547.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbうどん屋で酔っぱらい共が病棟騒ぎ2024/02/28 01:18:43548.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb禅をやるとあんなふうになるんだはかなし はかなし2024/02/28 01:21:33549.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb禅やりて炎吹き消す妄想の君2024/02/28 01:25:31550.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb眠れん!2024/02/28 01:45:13551.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb「悟りを開いた人のレス」に対抗する新スレでも立ててくるかー2024/02/28 01:48:11552.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbだめだ、昨日新スレ立てたばかりだった。立てられん、、、2024/02/28 01:55:27553.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb「股間を開いた人のスレ」いつか立てよう。2024/02/28 01:56:31554.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb麦がゆうこときかん時に「股間を開いた麦のスレ」で立てよう。2024/02/28 01:58:00555.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbそうだ、鹿野園がローカルルールを破ったからこらしめに奴のスレを上げておこう。2024/02/28 02:15:22556.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb5ちゃんを見て思った。宗教板ってまともな奴居ないじゃん、、、2024/02/28 02:50:04557.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbそういう私もまともじゃない2024/02/28 02:51:37558.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbリダンももはやカッパにしか見えん。2024/02/28 02:54:10559.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbここで語ることに意味があるのだろうか。2024/02/28 02:56:38560.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbそう考えさせられる5ちゃんの書き込み内容であった。2024/02/28 02:58:21561.神も仏も名無しさんICdl4ヒント心と宗教板2024/02/28 03:26:56562.神も仏も名無しさんICdl4宗教は逃げ道として「も」機能しているんで、それでもいいし、それだからこそいいんだよ2024/02/28 03:28:05563.◆JBLfMwCXhYjFRSdローラー様が荒らしているな?😫2024/02/28 06:40:32564.神も仏も名無しさんfrcLjローラーちゃまは威張るのやめると劣等感で死んでしまいます〜🤢ウマはかまってもらえないと寂しさで死んでしまいます👽リダンは、お勉強してる風をかましたり、たまに優越感を感じられないと死んでしまいます🤢2024/02/28 07:27:00565.神も仏も名無しさんfrcLj3人共ある種の餓鬼道なのです🤢👽🤢2024/02/28 07:28:20566.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbおはよー、さっき目がさめた2024/02/28 07:56:50567.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb瞑想や禅や幽体離脱をやっても覚りには至りませんよ~!って話を今からします。2024/02/28 07:58:38568.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb「瞑想」や「禅」や「幽体離脱」をやっても覚りには至らないという事は、瞑想をやっている馬パーリーや座禅をやっている鹿野園や幽体離脱をやっているリダン等の5ちゃんやここでの振舞いを見て見れば誰しもが納得されることでしょう。2024/02/28 08:02:10569.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbでは、どうして瞑想や座禅や幽体離脱では覚りを得るに至らないかを解りやすくお話して参ります。2024/02/28 08:03:31570.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbまずお釈迦さまは早い時点で九次第定の瞑想では覚りには至らないことに気づいておられました。2024/02/28 08:04:49571.◆JBLfMwCXhYpsUgJおはよ~ございます😄2024/02/28 08:05:05572.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbJB、おはよー2024/02/28 08:12:47573.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbJBは >>570 ←これ知ってたか?2024/02/28 08:13:26574.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb結構有名な話。2024/02/28 08:13:48575.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb初期仏教を学ばれている方なら大体知っている感じ。2024/02/28 08:14:20576.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbいい感じでまとめている文献があった。2024/02/28 08:17:59577.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb真宗のサイトだな。2024/02/28 08:18:24578.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb釈尊がはじめに指導を仰いだのは、アーラーダ・カーラーマ という名のシュラマナでした。仏典の伝えるところによれば、彼が教えたのは、「無所有処」という境地に達するための瞑想(禅定)であったとのことです。これは、今日の体系化された仏教が「九次第定」と呼ぶところの、9段階の境地の第7番目に相当します。「無所有処」とは、 「何ものも真実には存在せず、見る自分(主体)と見られるもの(客体)の区別もない」という境地をいうとされています。すなわち「無の境地」のことです。釈尊はこの境地にすみやかに達することを得ましたが、これに満足することはできませんでした。そこで、次に師事したのがウドラカ・ラーマプトラで、ここでは「非想非非想処」の境地について学びました。これは「意識(精神作用)があるのでもなくないのでもないという境地」を意味し、「九次第定」でいえば、第8番目に位置します。そしてこの境地にも速やかに達することを得たけれども、これに満足することはできなかった、と仏典は伝えています。ここで「九次第定」とは、具体的には、初禅・第二禅・第三禅・第四禅・空無辺処定・識無辺処定・無所有処定・非想非非想処定・滅尽定を指します。もちろん、アーラーダ・カーラーマ 自身は無所有処を最高の境地と考え、ウドラカ・ラーマプトラ自身は非想非非想処を最高の境地と考えていたことは間違いありません。しかし釈尊がそれらに満足しなかったことから、更に高次元の境地があるはずと考えた後代の仏弟子が上記のように体系化したのです。おそらく釈尊自身は、そのような体系化は考えていなかったでしょう。いずれにしても釈尊は、このような境地が自らの求めることとは違うことに気づいたのです。釈尊は後に、瞑想(禅定)を修行の方法として重視しましたが、それはあくまでも手段としてであり、ある境地に達することが悟りではないことに注意する必要があります。2024/02/28 08:18:34579.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb3-4-2 修定主義の問題点このような禅定をもってある境地に達することを目的とする考え方を「修定主義」といいます。その特徴は、次のようにまとめられます。「修定主義というのは、精神を肉体の外に抽出しようとするもので、精神の陶冶に眼目をおき、精神を統一鎮静し、精神の奔放な活動である邪念を制御して、肉体とのかかわりから起こる物質的欲望の発動を抑え、平静な精神的至福の境地に入ることを念願する。つまり、われわれの邪念の根源である意識を滅ぼすことによって、絶対空無の境地に入ろうとする。」2024/02/28 08:20:11580.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb(山口益「仏教思想入門」)釈尊はなぜここで満足することができなかったのでしょうか。第一に考えられることは、瞑想に入って意識・邪念を滅することに成功しても、それはあくまでも瞑想中だけのことであり、そこから出ればけっきょく元に戻ってしまうという、単純な事実です。2024/02/28 08:20:34581.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb第二は、意識を滅ぼすことによって、邪念とともに感動する心や慈しむ心も失ってしまうではないか、という問題点です。これでは「産湯と共に赤子を流す」ことになってしまいます。無心の状態になることがほんとうに望ましいことなのでしょうか。これでは植物と変わらないのではないでしょうか。2024/02/28 08:21:15582.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb第三に、仏教においては「身心不二」ということをいいますが、肉体と精神とは一体となって人間を形成しているわけですから、精神なき肉体、肉体なき精神は考えられません。つまるところ、アーラーダ・カーラーマ やウドラカ・ラーマプトラの誤りは、霊肉二元論的な発想にあったといえます。2024/02/28 08:21:40583.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb天台宗の祖である隋の天台智顗(Zhiyu、538-597)は、「止観」(=シャマタ・ヴィパシャナ=禅)ということを重視しましたが、精神作用を止滅すること「止」だけでは意味がなく、「観」すなわち正しい智慧となって働かなければならない、と説明しています。2024/02/28 08:22:21584.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbhttps://www.nagoya30.net/study/basis/sakya_sramana.html より2024/02/28 08:23:58585.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbお釈迦さまが『法華経』を説かれた時に行っていたのは「三昧」です。2024/02/28 08:26:33586.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb「三昧」では五蘊を空じません。2024/02/28 08:27:05587.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb意識を以て「仏」を感じとっていく観法です。2024/02/28 08:27:40588.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb瞑想や禅や幽体離脱ではこの「仏」を観じとる事はありません。2024/02/28 08:28:32589.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb意識を止滅させるのが九次第定や禅の瞑想です。2024/02/28 08:29:31590.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbこの法華経を説くにあたってお釈迦さまが行った三昧法を天台智顗が「法華三昧」として解き明かしております。2024/02/28 08:31:08591.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb三昧と瞑想の違いが実は経典の中でちゃんと示されております。2024/02/28 08:32:18592.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb以前にも紹介したかと思いますが、「天台五時教判の根拠と意味」崔 箕杓https://www.min.ac.jp/img/pdf/labo-sh17_27L.pdfこちらの論文の中でそれが書かれております。2024/02/28 08:36:16593.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb b.説法を聞くことができなかった声聞達という項に目を通されてみて下さい。2024/02/28 08:39:31594.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb「入法界品」が説かれた給孤独園の会座には声聞の弟子達も参席していたが、彼らは集まってきた菩薩の大衆達を見ることができず、法門の内容も聞くことができなかった。2024/02/28 08:41:55595.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb入法界品は、大乗仏教経典『華厳経』の締めとなる大部の経典(品)で、サンスクリットの原題は『ガンダヴィユーハ・スートラ』(梵 : Gandavyūha Sūtra)。成立した経緯は明確ではないが、西暦200年から300年頃には完成していたようである[1]。2024/02/28 08:43:00596.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbスダナ少年[2](スダナ・クマーラ、善財童子)が、文殊菩薩に促されて悟りを求める旅に出発、53人の善知識(仏道の仲間・師)を訪ねて回り、最後に普賢菩薩の元で悟りを得る様が描かれる。2024/02/28 08:43:23597.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbとあるように入法界品は菩薩衆を対象に説かれた経典です。2024/02/28 08:44:24598.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbその場に声聞衆も居ましたが、彼らはその菩薩達の姿を見る事は出来ませんでした。2024/02/28 08:45:38599.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbさて、何故でしょう。2024/02/28 08:45:55600.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbちなみに集まって来た菩薩衆とは、文殊菩薩や普賢菩薩といった『法華経』にも出て来る菩薩達です。2024/02/28 08:47:08601.リダン◆gEV3xsS//k80jaT>>600おはようございます☀止滅してるからだね2024/02/28 08:52:13602.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbリダン、おはよー>>601 正解!2024/02/28 08:53:55603.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb菩薩に対して説かれた教えは別教です。入法界品は『華厳経典』ですが別教では浄土宗における浄土三部経なども菩薩に対して説かれております。2024/02/28 08:55:24604.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb中でも有名な『阿弥陀経』ですが、〝無問自説〟の経といわれているのはご存知でしょうか。2024/02/28 08:57:03605.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbお釈迦さまの大部分の説法は、誰かに尋ねられて教えを説かれるのですが、この『阿弥陀経』は誰も尋ねていないのに、いきなりお釈迦さまのほうから説き始められます。これを〝無問自説〟の経と言います。2024/02/28 08:57:38606.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb理由は、「お釈迦さまが説きたくて説きたくて仕方がなかった内容だから、嬉しくてたまらずに自分から語り出した」というのが〝学者さん達〟の見解です。2024/02/28 08:58:46607.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbなぜ〝〟を付けているか。重要なところだからです。2024/02/28 08:59:28608.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb学者さん達は「主観と客観」で仏教を探求しますので「空観」で説かれている教えをしばし勘違いなされます。2024/02/28 09:00:59609.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb皆さんはこの『阿弥陀経』を読まれた事ありますか?2024/02/28 09:02:10610.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbそんなに長い経典ではないのでこの機会に是非目を通されてみて下さい。仏説阿弥陀経(現代語訳)http://www.yamadera.info/seiten/a/shokyo_j.htm2024/02/28 09:04:38611.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb読むと解りますが、お釈迦さまは何度も何度も舎利弗に話しかけております。2024/02/28 09:05:37612.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb「舎利弗よ、」と概ね35回くらい呼びかけておられます。2024/02/28 09:06:33613.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb師匠様がそうやって話しかけておられるのに弟子である舎利弗はうんともすんとも言いません。2024/02/28 09:07:32614.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbリダン君、どうしてだと君は思いますか?2024/02/28 09:08:00615.リダン◆gEV3xsS//k80jaT>>614無分別に漂って意識が切られてるから2024/02/28 09:10:16616.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb>>615 正解です!2024/02/28 09:16:05617.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbでは、同じ浄土三部経の中の『無量寿経』はどうでしょう。無量寿経(現代語訳)https://www.zenpoji.or.jp/?p=8762024/02/28 09:17:39618.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbお釈迦さまは阿難尊者と会話しておられます。お釈迦さまが阿難に問いかけると阿難はちゃんと返答して自身の考えを述べております。2024/02/28 09:19:32619.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb阿難は〝声聞〟の弟子です。この無量寿経の説法の場には、冒頭で記されておりますが菩薩衆も参列しております。 また、大乗の菩薩たちともご緒であった。すなわち、普賢・文殊・弥勒など賢劫の時代のすべての菩薩と、さらに賢護などの十六名の菩薩、および、善思議・信慧・空無・神通華・光英・慧上・智幢・寂根・願慧・香象・宝英・中住・制行・解脱などの菩薩たちとである。2024/02/28 09:22:27620.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbそもそも別教は菩薩に対して説いている教えなので声聞の阿難が受け答えしていることが不思議です。2024/02/28 09:23:43621.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbさてリダン君どうして菩薩に対して説かれた無量寿経なのに声聞の弟子である阿難尊者が受け答えしていると思いますか?2024/02/28 09:24:48622.リダン◆gEV3xsS//k80jaT>>621アーナンダは無分別にもどるときのタイミングでハッとなったから止滅ではないんかな2024/02/28 09:30:30623.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb>>622 ブブー!2024/02/28 09:36:31624.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb天台智顗は「四門の料簡」を説いております。その内容は次の通りです。<析空観に約して三蔵教を三乗に開く> 蔵教の声聞 蔵教の縁覚 蔵教の菩薩<体法観に約して通教を三乗に開く> 通教の声聞 通教の縁覚 通教の菩薩<別相の三観に約して別教を三乗に開く> 別教の声聞 別教の縁覚 別教の菩薩2024/02/28 09:40:17625.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb感のいい人はこれを見てピンとくると思います。2024/02/28 09:40:50626.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbリダンは感が冴えないので気づかないかと思います。2024/02/28 09:41:39627.リダン◆gEV3xsS//k80jaT全く分からない2024/02/28 09:43:33628.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb蔵教の声聞衆といっても三乗の境涯に分かれます。2024/02/28 09:46:14629.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb同じ説法を聞いても各々の境涯でその理解は異なって来ます。2024/02/28 09:47:03630.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb四悉壇ですね。2024/02/28 09:47:20631.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb阿難は声聞の弟子ですがこの時点では既に声聞の境涯を抜け出ているんです。2024/02/28 09:48:16632.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbでは、菩薩の境涯に至っているのかと言えばそうではありません。2024/02/28 09:48:59633.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb菩薩の境涯にまでは至っていないから菩薩の境涯に至る為の説法をお釈迦さまから受けているのです。2024/02/28 09:50:24634.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbこの無量寿経の中でしつこい程お釈迦さまが言われている言葉があります。2024/02/28 09:51:47635.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb「わたしが仏になるとき、」です。2024/02/28 09:52:08636.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbざっと見て48回も言われております。2024/02/28 09:52:55637.リダン◆gEV3xsS//k80jaT如来から仏になるときですかな?2024/02/28 09:53:47638.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb>>637 じゃなく声聞→縁覚→菩薩→仏のお話ね。2024/02/28 09:55:01639.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbでは、菩薩に昇格していった声聞の弟子は誰でしょう。2024/02/28 09:57:59640.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb仏説観無量寿経を読んだら解ります。http://www.yamadera.info/seiten/a/kangyo_j.htm2024/02/28 09:59:15641.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbここでは皆、一生懸命韋提希夫人を苦しみの世界から救おうと菩薩行に励んでおります。2024/02/28 10:00:58642.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbここに登場する目連や阿難は、菩薩の境涯に至っております。2024/02/28 10:03:05643.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbそこで問題です。2024/02/28 10:03:27644.リダン◆gEV3xsS//k80jaTちょっと離席2024/02/28 10:03:39645.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbお釈迦のこういった空観(天上界)に於ける説法は解脱を習得していなければ聞く事が出来ません。2024/02/28 10:05:19646.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb阿弥陀経で舎利弗が口が聞けなかったのは、舎利弗が九次第定の瞑想をしていたからでしょう。説法も聞こえていなかったと思われます。2024/02/28 10:07:03647.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb三昧法でなければ仏の空観説法(報身説法)は聞けません。2024/02/28 10:07:42648.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb三昧による観法を習得する事で解脱によってお釈迦さまの空観説法を聞く事が可能となります。2024/02/28 10:09:05649.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbでは、阿難はその解脱をいつマスターしたでしょう。2024/02/28 10:09:34650.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb答えはウィキペディアに書かれております。阿難https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E9%9B%A32024/02/28 10:10:31651.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb出家後、釈迦が死ぬまで25年間常に近侍し、身の回りの世話も行っていた。そのため釈迦の弟子の中で教説を最も多く聞きよく記憶していたので「多聞第一」といわれ、第1回の仏典結集には彼の参加が望まれたが、当時結集への参加資格であった阿羅漢果を未だ得ていなかったので、釈迦の後継者であった摩訶迦葉(まかかしょう)は、阿難の参加を認めなかった。そのため彼は熱誠を込めて瞑想修行を続け、あるときその疲れから寝具に倒れ込んだ拍子に忽然と悟り、ついに阿羅漢果に達したという。ときに仏典結集当日の朝のことであったという。2024/02/28 10:11:12652.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb阿弥陀経や無量寿経では天上界に住んで居る菩薩衆も参列しております。2024/02/28 10:13:20653.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbですからこれらの説法が天上界で行われた事は容易に察しがつきます。2024/02/28 10:14:17654.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbこれらの事をふまえて考察するとある答えが出てきます。2024/02/28 10:15:44655.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb浄土三部経はいつ、誰が説いた説いた説法を経典化したものかという事です。2024/02/28 10:17:17656.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbわたしも休憩しよっと2024/02/28 10:17:53657.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb阿弥陀経(仏説阿弥陀経)の成立紀元一巻からなる。浄土真宗の根本経典「浄土三部経」と呼ばれる経典群の中の一つ。『小経』、『小本』、『護念ごねん経きょう』、『四紙しし経きょう』などとも呼ばれる。梵語ぼんご(サンスクリット)での原題は『スカーヴァティー・ヴィユーハ(極楽の荘厳しょうごん)』。『無量寿経』と同じ原題のため、『小スカーヴァティー・ヴィユーハ』と呼ぶこともある。亀茲きじ国こく(新疆しんきょうウイグル自治区クチャ県)の西域せいいき僧である鳩摩羅くまら什じゅう(344-413、350-409という説もある)が紀元402年ごろに訳したとされる。異訳に『称讃しょうさん浄土じょうど仏ぶつ摂受しょうじゅ経きょう』(『称讃浄土経』ともいう)が現存している。また、サンスクリット原典も早くから日本に伝えられ、天台宗の円仁えんにん (794-864) や真言宗の宗叡しゅうえい(809-884)らによって悉しっ曇たん本ぼん(サンスクリット原典)として紹介されているが、この大元となる原本はいまだにインドでは発見されていない。2024/02/28 11:21:22658.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb無量寿経経典成立時期と編纂者「仏説[注 9]」とは、釈尊が自ら口で説いた教えのことである。しかし、釈尊の在世時から滅後100年頃までは口伝によって教えである「法」と規則である「律」が伝えられる。それら「法」と「律」は、「結集」によって認証確定されていく。そして滅後100年を過ぎた頃に、「法」を集めた「経蔵」と「律」を集めた「律蔵」が成立したものと考えられる[11]。(詳細は、大乗非仏説を参照)。成立時期などに関する諸説仏典研究上では、阿弥陀仏に対する信仰は、客観的な資料がとぼしく諸説[12]存在するが、インドおよび近隣諸国の思想の影響下、「釈尊観の展開によるとする説」が有力である。原始仏教以来の釈尊観の発展、および『無量寿経』の法蔵菩薩説話における仏伝の投影から、浄土教は大乗仏教が伝播するに伴う菩薩思想の深化の中で、釈尊観の展開としたものと考えられる。仏教学者の中村元は、浄土教・浄土経典は部派仏教がいちおう確立したのちに出現したものとする[13]。140年頃かそれ以前には、『無量寿経』・『阿弥陀経』が漢訳されたとする。(『浄土三部経』下を参照。)信楽峻麿は、釈尊入滅から500年前後には大乗仏教が成立したものと考え、『無量寿経』の成立時期について、釈尊入滅後約500年とし、編纂者は不明とする(信楽峻麿「阿弥陀仏論」P.251を参照)。藤田宏達は、原始仏教において、阿弥陀仏、極楽浄土の観念、浄土思想が存在しなかったとする。(教学本部編『伝道』29号、80P.を参照)2024/02/28 11:24:39659.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb【成立】紀元後間もない頃(AD100年頃)、北西インドにおいて成立したと考えられている。https://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/410985#:~:text=%E7%B4%80%E5%85%83%E5%BE%8C%E9%96%93%E3%82%82%E3%81%AA%E3%81%84,%E3%81%A8%E8%80%83%E3%81%88%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%80%82&text=2%E5%B7%BB%E3%80%82,%EF%BC%88%E4%BA%BA%E9%96%93%EF%BC%89%E3%80%8D%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E8%AA%AC%E3%81%8F%E3%80%822024/02/28 11:26:59660.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb観無量寿経サンスクリット語原典とチベット語訳はなく、いわゆる原典的な資料は確認されていない。漢訳経典とウイグル語訳が現存するが、ウイグル語訳は漢訳からの翻訳と考えられている。本経典の成立に関しては、①訳語中に葡萄の存在を示唆する「瓔珞盛漿」や、仏身の巨大性などから、中央アジアを成立地とする説、②九品が中国の九品官人法に由来することから、中国での編纂を主張する中国撰述説、③阿闍世説話の存在がある一方で、訳語中に「丈六八尺」など中国独自の単位があることから、原典は中央アジアでできており、これを漢訳時に多分に中国的要素を追加しつつ経典を翻訳したとする折中説が提唱されている。近年の研究ではこのうち③折中説が有力視されている。また各種の観仏系経典類との内容的な近似性を考慮すると、具体的な観仏を実践していた部派の影響を受けていることが分かる。漢訳は畺良耶舎が訳出し、僧含が筆受したと伝えている。また訳語中に「亦説法蔵比丘四十八願」とあることから、本経典は『無量寿経』成立後の成立であるとともに、『無量寿経』の影響を強く受けつつ成立したことが分かる。中国では訳出後、金石文などに「九品」などの用例を確認することができるが、本格的な引用は曇鸞の『往生論註』が初出である。その後、隋代から唐代にかけて、浄影寺慧遠じょうようじえおん『観経義疏』、吉蔵『観経義疏』、敦煌文献『無量寿観経纉述』、善導『観経疏』、道誾どうぎん『観経疏』、龍興『観経記』など、多くの註釈書が作成された。http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E8%A6%B3%E7%84%A1%E9%87%8F%E5%AF%BF%E7%B5%8C2024/02/28 11:28:49661.神も仏も名無しさんfrcLjリダン三世がきてた〜😃2024/02/28 11:57:01662.◆JBLfMwCXhYjN28b>>573知らなかった2024/02/28 12:19:12663.◆JBLfMwCXhYjN28b「第三禅はまだ最高の境地ではない」といって第四禅を始めたという話なら、聞いたことがある2024/02/28 12:19:54664.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbパート19あたりで『十法界事』の前半部の重要箇所の説明をしました。2024/02/28 13:10:40665.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbそこで第二難詰の話を紹介しました。以下の内容です。(現代語訳)難詰して問う。小乗教は、ただ心から生ずる六道を説いているのであって、心に具する六界を説いたのではない。このゆえに二乗は六界を顕さないし、心に六界が具することを明らかにしない。したがって、どうしてただ六界にある見思惑を断じて六道を出離することができようか。ゆえに法華経如来寿量品第十六にいう「一切世間の天・人・及び阿修羅」とは、爾前経・法華経迹門の両教の二乗、蔵・通・別の三教の菩薩、ならびに五時中の法華経迹門の円人を天・人・修羅と表現したのである。したがって、これらの人々は全く未だ見思惑を断じていない人というべきである。2024/02/28 13:12:31666.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb「二乗は六界を顕さないし、心に六界が具することを明らかにしない。」二乗とは声聞と縁覚の事です。2024/02/28 13:13:59667.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbこの二乗が行っていたのは九次第定の瞑想です。2024/02/28 13:14:32668.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb六道って欲界を住処とする事はご存知でしょうか。2024/02/28 13:15:35669.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb九次第定では色界禅定で五蘊を空じて「色界」へ入ります。2024/02/28 13:16:40670.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbなので「二乗は六界を顕さないし、心に六界が具することを明らかにしない。」と日蓮さんは言われている訳です。2024/02/28 13:17:35671.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb瞑想が終われば再び欲界に戻ります。その時、織田裕二が叫びます!2024/02/28 13:18:43672.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb「煩悩は、色界じゃない! 欲界で起きているんだ!」と。2024/02/28 13:19:40673.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb>>580 ←ここで言われている事です。2024/02/28 13:21:35674.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbなので日蓮さんは、「したがって、どうしてただ六界にある見思惑を断じて六道を出離することができようか。」と言われております。2024/02/28 13:22:58675.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb「これらの人々は全く未だ見思惑を断じていない人というべきである。」見思惑とは、見惑と思惑のこと。見惑は、後天的に形成される思想・信条のうえでの迷い。思惑は、生まれながらにもつ感覚・感情の迷い。2024/02/28 13:24:58676.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbでは、菩薩はどうなんでしょう。2024/02/28 13:25:45677.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb菩薩に対しては「唯識」が説かれます。2024/02/28 13:26:19678.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbそして瞑想法も三昧による観法が示されます。2024/02/28 13:26:57679.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb龍樹が『大智度論』の中で「般舟三昧」と「首楞厳三昧」についてふれております。2024/02/28 13:29:23680.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb『大智度論』における般舟三昧と首楞厳三昧の関係 澤 﨑 瑞 央https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk/69/2/69_761/_pdf2024/02/28 13:30:08681.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb般舟三昧と首楞厳三昧は,『大智度論』(以下,『智度論』)において,大乗菩薩の行道過程における代表的な三昧として示される.注釈元である『摩訶般若波羅蜜経』と比較すれば,『智度論』の特徴として,不退転と般舟三昧が密接な関係にあることはすでに先行研究で指摘されているが1),首楞厳三昧と般舟三昧を菩薩の行道過程に関連付けて言及する視点は十分とは言い難い.そのため本論では,『智度論』が般舟三昧と首楞厳三昧を大乗菩薩の三昧の代表格とみなす要因と,行道過程上に位置づけられる両者の関係に着目する2024/02/28 13:31:24682.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb般舟三昧と首楞厳三昧は、「大乗菩薩の行道過程における代表的な三昧」なんです。2024/02/28 13:32:31683.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb解脱して天上界に入って仏の報身説法を聞けたのはこういった三昧による観法を習得した阿羅漢達だった訳です。2024/02/28 13:34:14684.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb仏の空観(色界)で説法するお釈迦さまの事を「報身」と言います。2024/02/28 13:36:32685.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb我々が知っているお釈迦さまは、肉体を備えた「応身」の仏です。2024/02/28 13:37:22686.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb「大乗非仏説」なんて言ってネットで一時期大はしゃぎされていた方々が沢山おられました。2024/02/28 13:38:33687.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbウィキペディアの内容は、概ね学者さん達が書かれた文献をもとに編集がなされます。2024/02/28 13:39:45688.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb学者さん達の見解は、「客観性」にもとづく論証です。2024/02/28 13:40:58689.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbそういった見解で言えば、大乗経典は、お釈迦さまが直接説かれた教え(説法)ではありません。2024/02/28 13:42:53690.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbしかし、それは「応身」としての釈迦が説かれた説法という意味においての話です。2024/02/28 13:43:46691.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb大乗仏典は、「報身」としてのお釈迦さまが天上界で説かれた説法になります。2024/02/28 13:44:43692.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb原典など存在する訳もありません。2024/02/28 13:45:20693.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb阿羅漢達が三昧で天上界に入りそこで聞いて来た説法なのですから。2024/02/28 13:46:04694.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbですから『唯識』の基となっている『解深密経』などは弥勒が説いたとなっているのです。解脱をマスターした阿羅漢が兜率天に入って弥勒菩薩の説法を聞いて来たのでしょう。2024/02/28 13:48:52695.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbまた、『般若心経』は、観音菩薩による説法です。2024/02/28 13:49:58696.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbよく『法華経』は誰が説いたのですか?とか質問が立ちますがお釈迦さまに決まっているでしょう。2024/02/28 13:51:31697.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbしかし、お釈迦さま以前の遠い過去において実は『法華経』は既に説かれております。2024/02/28 13:52:44698.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb『法華経』第三巻化城喩第七では、三千塵点劫という昔に出現した大通智勝仏という仏が法華経を説いた話が紹介されております。2024/02/28 13:56:31699.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbまた『法華経』薬王菩薩本事品では、幾恒河沙もの量り知れないほど無数の劫の前、日月浄明徳仏と言う称号の仏が『法華経』を説いたお話が紹介されております。2024/02/28 14:01:56700.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbちょっと知恵袋で遊んでくる~2024/02/28 15:16:37701.リダン◆gEV3xsS//kTYl9Wいてら〜2024/02/28 15:20:40702.神も仏も名無しさんFlmgCリダン三世だ〜😃2024/02/28 19:03:47703.リダン◆gEV3xsS//kzegHy>>702せっかくだから意味分からないと思われてる同士で話そうかでおさんの感応道交は現実風景に映し出すAR(拡張現実)方式じゃないのか?後はアーナンダは気が緩んだときに六識から前五識が切り離され体外離脱したんじゃないかと思う2024/02/28 19:12:19704.神も仏も名無しさんFlmgCま、どーてもええわ😄リダン三世のレスをここで拝めるだけでいいことだ😄2024/02/28 19:17:51705.神も仏も名無しさんFlmgCローラーちゃま、もそのうちやってくるなたぶんな😄2024/02/28 19:18:29706.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb>>704リダン的にはそうなるんでしょう。リダンがそれで納得出来ていればそれはそれで宜しいのではないでしょうか。2024/02/28 21:15:00707.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbわたし的には虫歯が痛いからとて幽体離脱したところで何にも現実の解決には至らない(苦しみの解決)としか思えません。2024/02/28 21:22:27708.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb日常の意識感覚の中で解脱が起きないと意味がないでしょというのが日蓮さんの主張です。2024/02/28 21:23:34709.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb阿難のエピソードもそういった事を意味しているものだと私は思います。2024/02/28 21:25:19710.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb天台智顗も不思議解脱が前五識で方便解脱として起こると言われておりますしね。2024/02/28 21:27:14711.神も仏も名無しさんMdt0bほーかいくん御館様〜知識で攻めマンなあ〜😄2024/02/28 21:52:28712.神も仏も名無しさんMdt0bほーかいくん御館様の天台知識量で勝負ですな〜😄2024/02/28 21:53:09713.神も仏も名無しさんMdt0bほーかいくん御館様は情報量物量レスでローラーに対峙する潜在的パワーがあるな〜😄2024/02/28 21:54:28714.神も仏も名無しさんMdt0bあいさつわすれてた〜ほーかいくん御館様〜〜〜わんばんこ〜〜〜😄😄😄😄😄😄😄2024/02/28 21:55:12715.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbは~い、わんばんこー2024/02/28 21:57:12716.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb冷えるな~2024/02/28 21:58:27717.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbアイス食べよっと2024/02/28 21:59:14718.神も仏も名無しさんMdt0bまーな、今日はゴキゲンな仕事やった〜新たなシステムができた〜気分は〜https://m.youtube.com/watch?v=I4FfFUvF97s&pp=ygUQ5p2x5aCC6JG1IOaIpumXmA%3D%3D2024/02/28 22:00:38719.神も仏も名無しさんMdt0bこれは、他の宗派を魔改造不可能かもしれん😄2024/02/28 22:01:27720.法介◆T3azX0Hk1UuDwLb小説を書いてくる~ビンビン物語ね。2024/02/28 22:06:31721.法介◆T3azX0Hk1UuDwLbあ!かーちゃん迎えに行ってくるー2024/02/28 22:07:23722.法介◆T3azX0Hk1UvApBs>>708天台智顗も『維摩経玄疏』の中で次のように申されております。法華経に明かす父母所生の六根の清浄は、自ずから湛然たるをもって十方界境を照らす。あに六識が滅して別に真の縁修あることあらんや。ゆえに経にいわく、「佛は、一切衆生は畢竟して寂滅なり、すなわち大涅槃もまた滅すべからず、一切衆生もまた滅すべからざるを知る」と。すなわちこれ六識は滅すべからず。2024/02/29 06:29:32723.法介◆T3azX0Hk1UvApBs智顗は、前五識・第六意識における転識を「方便解脱」と説き玄疏の中で次のようにそれを説明されております。十二因縁で言えば過去・現在の三枝は、これ煩悩道。過去・現在の二枝は、これ業道。現在・未来の七枝は、これ苦道なり。いま十二因縁に三道を明かして三種の解脱を弁じ、思議・不思議の不同を分別せん。もしは通教には、苦道は即ち是れ真性と説くといえども、すなわちこれ偏真の法性の理、煩悩即空と説くも、空は実慧にあらず。業道即空と明かすといえども、空は方便にあらず。ゆえに三種は不思議の解脱にあらざるなり。2024/02/29 06:33:52724.法介◆T3azX0Hk1UvApBsここで言っている「方便解脱」は、凡夫の前五識・第六意識から起こる「客観と主観」による無明(迷い)からの解脱です。2024/02/29 06:34:30725.法介◆T3azX0Hk1UvApBsその解脱とは、『般若心経』で説かれるところの「色即是空 空即是色」による解脱です。<凡夫の世界観からの解脱> ---(方便の解脱) 仮=「色即是空」順観の十二因縁 空=「空即是色」逆観の十二因縁 中=「色即是空 空即是色」2024/02/29 06:37:27726.法介◆T3azX0Hk1UvApBs順観の十二因縁(此縁性縁起)と逆観の十二因縁(相依性縁起)の二種の縁起が起きる事で勝手な自身の思い込みで立ち上がっていた凡夫の世界観(仮観)が消滅し、 客観における真理「色即是空」--- (此縁性縁起) 主観における真理「空即是色」--- (相依性縁起) 実体の真理「色即是空 空即是色」--- (実体→当体)(※当体=真実の姿)2024/02/29 06:41:55727.法介◆T3azX0Hk1UvApBs凡夫の迷いの「仮観」が真理を覚った「仮諦」へと変わります。2024/02/29 06:43:20728.法介◆T3azX0Hk1UvApBsこの方便の解脱は、前五識・第六意識において起こります。即ち、現実の世界である人間の「主観と客観」といった世界観の中で不思議な出来事(縁起)が起こる訳です。2024/02/29 06:47:17729.法介◆T3azX0Hk1UvApBs具体的にどのような事がリアル(現実)の世界の中で起きるのか以前にもお話しましたが今一度紹介しておきます。2024/02/29 06:49:06730.法介◆T3azX0Hk1UvApBs13法介 259e67dbae 2023/10/12 (木) 04:32:51 修正私の父が亡くなった時に私が体験した不思議なお話を少々。私の父は、母と結婚するまではキリスト教信者だったのですが、母が長女を生んで翌年に二卵性の長男と次女が双子で生まれまして、三人の育児に気がめいった母が育児ノイローゼになり、母方の創価学会員の叔母から折伏されて学会に入りました。何事もやる以上は徹底的にやる性分の父で、当時としてはお医者さんの学会員はめずらしくあっという間に初代九州ドクター部長の職無につきました。父が九州幹部を任された当時九州創価学会の総責任者は、戸田先生から九州広布を託された戸田門下の一番弟子、石田次男さんでした。教学において彼の右に出る者はないと言われた程、教学に精通されていた人物です。創価学会の池田先生の教学が「おかしい」と真っ先に気づかれたのもこの石田次男さんです。戸田先生亡き後三代会長の打診も戸田先生は次男さんになされていたようですが、「自分はまだ会長職を引き受ける程、覚ってはおりません。」とお断りなされていたようです。それをここぞとばかり古参の原島宏治理事長を言いくるめて、さっさと会長職をゲットしたのが池田先生です。(原島理事の息子さんが自身の著書の中で当時の状況を詳しく綴っております)ですから池田先生にとって先輩にあたる石田次男さんは、大変やっかいな存在だったのでしょう、小説『人間革命』を使って石田さんのイメージを徹底的に陥れたりしております。その石田さんが九州広布の総責任者として九州創価学会の基盤を築いておられた昭和30年代、私の父もその石田次男さんの教学を受け継ぐ一人でした。2024/02/29 06:51:35731.法介◆T3azX0Hk1UvApBs父の仏教観は池田先生のそれ(外道義)とは異なり、徹底した〝己心の法〟でした。父は毎日朝必ず2時間の唱題を行いその後に御書を読み、数回に渡って御書を完読しておりました。私も小学生の頃から自分用の御書を与えられ、中学生の時に最初の教学試験いわゆる任用試験を受けました。事あるごとに御書を通して日蓮仏法の正しさ、素晴らしさを私達五人の子供達に教えてくれました。そんな父が長年住み慣れた福岡の地を去り、兄が住む北九州に母と弟を連れ引っ越しました。そのころに私はネットで石田次男さんが書かれた池田先生の外道義教学を論破された論文と巡り合い、外道信仰(宇宙の法則)になり果てた学会を私は去りました。姉(長女)からは仏敵呼ばわりされ兄(長男)からも非道者呼ばわりされ、親戚一同からも村八分され、学会定番の脱会者=極悪人のレッテルも貼られました。2024/02/29 06:53:01732.法介◆T3azX0Hk1UvApBs14法介 259e67dbae 2023/10/12 (木) 04:37:51私は元々、常に学会活動の中に「なにかおかしい」を観じておりましたのでこういった性分ゆえに、九州の学会本部にもたびたび物申しに行かせてもらっておりました。父からよく、「また吉橋さん(←当時の九州総合長)から、あんたんとこの息子が本部に文句言いに来よったぞ、と言われたよ。」と、言われて申し訳なかったのですが、何分納得のいかない事に対しては一歩も引けない融通の利かないゆゆしき奴なので^^そんな父が北九州の病院に入院したと聞いて、東京に就職してちょうど里帰りしていた私の次男を連れて病院に見舞いに行きました。思ったよりも元気そうで安心し、近くの資さんうどんに次男とお昼を取りにいって病室に戻ってみると姉(長女)が同じように見舞いに来ており、「お父さん! 大丈夫!」と慌てふためいておりました。主治医の先生も様子を見にこられたんですが、父が先生になにやら必死に伝えておりました。どうやら父は主治医に「家に帰る」と言いっているようで先生は、「そんな事は許可出来ません!」と当たり前のように跳ね除けていたのですが、駆けつけた長男(←こやつも医者)が、「私が全責任を取りますから」と申し出て、父を救急車で病院から兄の自宅へと搬送する事になりました。担当医はあきれた容姿で言いました。「こんな事、私は医者をやってて始めてですよ、、、」そうですよね。普通は家から病院に救急車で運ばれるものですよね。流石私の父ですね^^人がやらない事をやりたがるんです。うちの血筋は、、、。2024/02/29 06:53:41733.法介◆T3azX0Hk1UvApBs15法介 259e67dbae 2023/10/12 (木) 04:42:53救急車で兄の自宅まで運ばれた父は、病院で付けられていた管や装置は一切外され、仏間の御本尊の前に布団を敷き、後ろに布団をあてがって上半身を起こして父は唱題を始めました。私達兄姉も父を囲むように座り父の唱える声にならないお題目にあわせ皆で唱題しました。十数分でしょうか父がもういいといって今度は自分の御書をくれと言い、兄が手渡すと自分が好きな御書のページを開いて目を通すと満足そうに兄に御書を返して、「寝かせてくれ」といって当てていた布団をどけ、寝床に就かせると静かに眠りについた。いや、まだ死んではおりません。ただ、眠りについただけです。眠りについてどれくらい経ったであろうか。2~3時間ぐらいだったかと思います。私が父の様子を見に行くと、呼吸がだんだん弱くなっていくのを確認しました。兄が、「そろそろやね」と言った。皆が父を囲み右手を私が左手を長女がそれぞれ握りしめ、「お父さんありがとう」と皆がそれぞれ最後の別れを告げた。それを聞き取ったかのように父の呼吸が静かに止まった。お父さん、あなたの子として生まれて来た事を誇りに思います。兄姉皆、同じことを心の中でつぶやいたであろう。ここに、わたしのyahoo知恵袋での投稿があります。どうか目を通されて下さい。https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q142803611742024/02/29 06:54:11734.法介◆T3azX0Hk1UvApBs16法介 259e67dbae 2023/10/12 (木) 04:48:31父が亡くなる三年前、母が先に旅立ちました。母の最期は病院でだった。深夜だった為北九州の長男夫婦と次女の三人が付き添っての臨終でした。姉(次女)が後に私にこう言った。「法介が居なくて良かった」その言葉の意味は、兄姉の中で人一倍母を慕っていたのが私だったからです。姉(長男の嫁)がある時何気に口にした。「お母さんの時は、ちょっと可哀そうだったよね」と。母の死を聞いて良く朝私は父の北九州の家(←長男の家の近所に立てた)に駆け付けた。横たわる母の顔は、少し苦しげだった。私は、母の枕もとに寄り添ってずっと一人、題目を送った。私の妻と三人の子供達も福岡からやって来た。会館で母と最期の一夜を過ごした時、我が家の皆で母に法華経を唱えお題目を送った。うちの子供達は父が私にしてくれたように、事あるごとに私がこの仏法の正しさ素晴らしさを子供達一人一人に語って来た。皆、どこの宗派にも団体にも属してはいないが、日蓮仏法を自分の意志で実践している。家族での勤行・唱題を終えて母の顔を見た妻が言った。「お母さん、って呼びかけたら今にも目が開きそうな、まるで生きてる見たいに眠ってるね」と。翌日、葬儀を終え出棺のさい、皆で棺のふたを閉める時、母の最期の顔は優しく微笑んでいた。2024/02/29 06:54:47735.法介◆T3azX0Hk1UvApBs私の娘が小学生だった頃、一緒にモルモットを買って飼育していた。モコちゃんという名を娘が付けて可愛がっていた。そのモコがある朝急に亡くなって、ゲージから取り上げると既にカチコチに硬直していた。その亡骸を御本尊の前に寝かせて私はずっとお題目をモコちゃんに送った。そして娘が学校から帰って来て、「モコちゃん抱っこしてごらん」と娘に渡すと、娘は驚いた。「柔らかくなってる」カチコチに硬直していたモコちゃんの体は、生きている時のようにしなやかになっていた。モコちゃんは娘にお題目の凄さを身をもって教えてくれた。2024/02/29 06:54:59736.法介◆T3azX0Hk1UvApBs17法介 259e67dbae 2023/10/12 (木) 04:53:16父が亡くなった通夜の前の夜、兄の家で父と最後の夜を過ごした。深夜一人で2~3時間は父にお題目を送っただろうか。唱題を終えて父の枕もとに於いてある父の御書をふと手に取り、何気に開いたページに目をやると、そこには偶然にも次の文句が記されていた。御書の984ページ『始聞仏乗義』、「末代の凡夫此の法門を聞かば唯我一人のみ成仏するに非ず父母も又即身成仏せん此れ第一の孝養なり」その御文を目にした私の目から止めどもない涙があふれ出た。おしまい。https://zawazawa.jp/yuyusiki/topic/24 より2024/02/29 06:55:38737.神も仏も名無しさんq8drUほーかいくんおはよお〜〜〜ん😄😄😄😄😄😄😄😄2024/02/29 07:13:21738.神も仏も名無しさんq8drU深夜はウマとローラーがなにかシコシコと独り言で燃え盛っていたよーだ🤢👽2024/02/29 07:14:02739.法介◆T3azX0Hk1UvApBsおはよう、でおー2024/02/29 07:31:03740.法介◆T3azX0Hk1UvApBsリダンの5ちゃんでの発言0534リダンツァー ◆gEV3xsS//k2024/02/29(木) 07:52:53.29ID:Wfx9HP2X>>498仏教とは関係なく俺の疑問なんだがお茶が真如をあらわに現前していることであなたは何に気づく、悟るのでしょう?ただ単に五識が六鏡と同一して真如を感じたにすぎないがそこに何を見出したのですか良い事言った!そこなんです。2024/02/29 08:05:07741.法介◆T3azX0Hk1UvApBs現実の世界で現実の感覚で覚ることで現実の苦しみの世界を覚りの世界へと変えていく事が出来ます。2024/02/29 08:07:02742.法介◆T3azX0Hk1UvApBsそれが三諦の円融です。2024/02/29 08:07:29743.法介◆T3azX0Hk1UvApBs仮諦で此縁性縁起で対象の真理を覚り空諦で相依性縁起が起きて意識が変わり中諦で阿頼耶識を因とした縁起が起こります。2024/02/29 08:09:10744.法介◆T3azX0Hk1UvApBsそうした意識と認識の変化が七つの識で起こります(七転識)。2024/02/29 08:10:41745.法介◆T3azX0Hk1UvApBsそれによって小乗仏教では滅するしかなかった「煩悩」を滅する事無く菩提(覚り)へと転じていく煩悩即菩提の法門(法理)を大乗では解き明かしました。2024/02/29 08:12:46746.法介◆T3azX0Hk1UvApBs「安藤大尉」って安堂商会?2024/02/29 08:14:09747.法介◆T3azX0Hk1UvApBs>>740 しかし、その後のこれはなんじゃらホイ、、、、、。0541リダンツァー ◆gEV3xsS//k2024/02/29(木) 08:23:34.85ID:Wfx9HP2X物理法則という真如の現れとして1+1=2なんだなあ☺とたしかに真に理解しているでしょう2は1と1がの合わさりを離れてあるわけではないとしかし=2というのは無限大数と無限大数の無限の組み合わせがあるわけで何故俺らは無限大数と無限大数の組み合わせに影響を受けるのか?2024/02/29 08:47:42748.法介◆T3azX0Hk1UvApBsそこでの突っ込みは、0540神も仏も名無しさん2024/02/29(木) 08:23:18.58ID:HHWoNhM6>>534禅が設定する「真如」は「心境不二」なので「お茶を飲んでいる」ということに集中することを通して「お茶」と「わたし」という「鏡」と「心」が一つになる時「わたし」が忘我されて、それが自然と進むとわたしがそもそも真如だったと発見することになるということですまずお茶を飲みましょう(ここから↓お手本)わたしがそもそも真如だったと発見すること?わたしが真如?わたしが覚り?わたしって何の覚りですか?となれば、上出来。2024/02/29 08:51:00749.法介◆T3azX0Hk1UvApBsまー、あなたの突っ込みは凡人ですね。https://www.mbs.jp/mbs-column/p-battle/thumb/20181108191013-5e1b2acc9b60229b6d294235f5e0e782dfec8c30.jpg2024/02/29 08:53:38750.麦◆MUGITANx95DjWdfUX∞ノノハ∞川^〇^ハレおはよう♪麦が社会に出たての頃職場の愚痴を母にこぼしていたんだけどwww暇だから悩むんだよwww石の上にも三年以上www2024/02/29 08:55:46751.法介◆T3azX0Hk1UvApBsでは、才能ありの人の場合はそこで何を覚かと言いますと、2024/02/29 08:58:30752.法介◆T3azX0Hk1UvApBs才能ありの人は物事を因果で捉えます。例えば、2024/02/29 08:59:25753.法介◆T3azX0Hk1UvApBs「今日のお茶はいつも出されるお茶とは また一味違った味がしますな。」2024/02/29 09:00:43754.法介◆T3azX0Hk1UvApBs「さて、どなたがいれたお茶ですか?」2024/02/29 09:01:13755.法介◆T3azX0Hk1UvApBs主人「おおー、これはこれは 流石法介さん、違いが解るんですね」2024/02/29 09:02:36756.法介◆T3azX0Hk1UvApBs法介「どこぞの茶道の先生でも 御こしですかな?」2024/02/29 09:03:51757.法介◆T3azX0Hk1UvApBs主人「いや~、参った参った! わたしが立てた事にしておこうと思っておりましたが 真実を覚られてしまいましたわー!」2024/02/29 09:05:15758.法介◆T3azX0Hk1UvApBsと、なります。2024/02/29 09:05:29759.法介◆T3azX0Hk1UvApBsリダン、何いってんのよあなた(夏井先生っぽく)0554リダンツァー ◆gEV3xsS//k2024/02/29(木) 08:57:26.47ID:6H0lVwdw>>549真如に同一してドラッグでアヘッてるのと変わらん何? このセンスのない例え2024/02/29 09:08:51760.法介◆T3azX0Hk1UvApBsそこは、漫画禅だけにマン〇にちんちん突っ込んでアヘッてるのと変わらんでしょうに~2024/02/29 09:10:49761.リダン◆gEV3xsS//k3eON3>>759いやマジでドラッグですよサーマディ、無分別ってのは脳死といっていいか2024/02/29 09:11:09762.法介◆T3azX0Hk1UvApBsおはよー、リダン2024/02/29 09:12:19763.法介◆T3azX0Hk1UvApBs無分別=脳死確かに。2024/02/29 09:12:51764.法介◆T3azX0Hk1UvApBs意識が働かない世界が真如だからね。2024/02/29 09:13:17765.法介◆T3azX0Hk1UvApBshttps://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11294165311↑ここの「245158782*******さん」の回答覧見てみ感動すっから2024/02/29 09:15:36766.法介◆T3azX0Hk1UvApBsこういう事が出来る人が「才能あり」なのよ!(夏井先生)2024/02/29 09:16:32767.リダン◆gEV3xsS//k3eON3おはようございます☀2024/02/29 09:17:21768.法介◆T3azX0Hk1UvApBs麦が来とった。見落としてた。ごめんよ麦。おはよー^^2024/02/29 09:22:01769.神も仏も名無しさんCpiArリダン三世おはよ〜😃ここでリダン三世のレスを拝めるのは悪くはない😃2024/02/29 09:23:10770.神も仏も名無しさんCpiAr麦まで来てたか〜ローラー襲来のカウントダウンだな😃2024/02/29 09:24:06771.法介◆T3azX0Hk1UvApBs鹿野園は「また〆に来てやる」とか言ってたがどこかで鹿野園に〆られたか?2024/02/29 09:26:58772.法介◆T3azX0Hk1UvApBs鹿野園なんどに〆られた記憶がないんだがどこで〆られたんだ?教えてくれないか麦ちゃん。2024/02/29 09:28:00773.法介◆T3azX0Hk1UvApBsそれともあいつ幻影を見ているのか、、、、2024/02/29 09:29:19774.法介◆T3azX0Hk1UvApBsあ!zenさんが回答して来たー2024/02/29 09:56:35775.法介◆T3azX0Hk1UvApBs知恵袋ね。2024/02/29 09:56:54776.神も仏も名無しさんCpiArま、脳内ナルシズムであいつを〆たぞ〜と脳内ホルモン出して自家発電ローラーしとるのでしょうな〜😃2024/02/29 10:00:03777.リダン◆gEV3xsS//kjeOOE>>747無限大数と無限大数の組み合わせの下りは相依性縁起ととっていですよ2024/02/29 10:11:50778.神も仏も名無しさん5Iu9lリダン三世だ😃2024/02/29 10:22:09779.法介◆T3azX0Hk1UvApBs>>777うぅ~~~~~んマンダムとしか返答できん。2024/02/29 10:33:26780.法介◆T3azX0Hk1UvApBs何、これ?0560神も仏も名無しさん2024/02/29(木) 09:43:52.84ID:7UyPqNuT集中は、対象(境)があるわけだから、三昧じゃないんだよ。。集中とかの力を抜いて坐らないと、三昧にならない。。三昧は対象性を欠いた意識です。。2024/02/29 10:35:14781.法介◆T3azX0Hk1UvApBs三昧の意味、解ってないじゃん。2024/02/29 10:35:35782.法介◆T3azX0Hk1UvApBs仏を対境として観法で欲界・色界・無色界の三界を観じとるのが三昧だぞ。2024/02/29 10:36:52783.法介◆T3azX0Hk1UvApBs小乗仏教では唯識が説かれていないから「三昧」をより深い瞑想みたいに勘違いしているがな。2024/02/29 10:38:01784.法介◆T3azX0Hk1UvApBs「サマーディ」の発音が「サンマイ」になって「三昧」になりましたってどこの勘違い学者の説をウィキペディアに編集してんだよ。2024/02/29 10:39:42785.法介◆T3azX0Hk1UvApBs困ったもんだ、、、、、。素人さんはウィキペディアに書かれている情報を真に受ける。2024/02/29 10:40:33786.法介◆T3azX0Hk1UvApBs般舟三昧経や首楞厳三昧経をちゃんと読みましょう。2024/02/29 10:43:01787.神も仏も名無しさんCpiAr>>786ここでシカを厳しく躾してやってる〜😄総合】仏教質問スレ☆彡その9【初心者歓迎】2024/02/29 10:49:16788.リダン◆gEV3xsS//koMVNt>>781ロンさんのここでいう三昧はサーマディの意味です音写ですね2024/02/29 10:51:27789.リダン◆gEV3xsS//koMVNtだから三昧というよりサーマディと言ったほうがいいですね2024/02/29 10:52:58790.法介◆T3azX0Hk1UvApBsその「サーマディ」が小乗の三昧の理解。2024/02/29 10:53:52791.法介◆T3azX0Hk1UvApBs大乗では三昧=観法2024/02/29 10:54:16792.リダン◆gEV3xsS//koMVNt>>790そうそうその意味でロンさんは言ってます2024/02/29 10:54:35793.法介◆T3azX0Hk1UvApBs禅宗はほぼ小乗仏教2024/02/29 10:55:15794.リダン◆gEV3xsS//koMVNtもっと言えば単なるヨガ2024/02/29 10:55:56795.法介◆T3azX0Hk1UvApBs近年の禅宗の宗派ではそれではまずいと覚って唯識とか空理を取り入れて説いているみたいだが。2024/02/29 10:56:45796.リダン◆gEV3xsS//koMVNtお釈迦様はサーマディは単なるツールとしか扱っていない2024/02/29 10:57:03797.法介◆T3azX0Hk1UvApBs>>794そんな感じ。2024/02/29 10:57:08798.法介◆T3azX0Hk1UvApBs単なるツール?2024/02/29 10:57:45799.法介◆T3azX0Hk1UvApBs真理を覚る法門だとわたしは理解しているが。2024/02/29 10:58:18800.法介◆T3azX0Hk1UvApBsヨガはそうだろうけど。(単なるツール)2024/02/29 10:59:09801.神も仏も名無しさんCpiArリダン三世も好きだなあ〜スルーされるのにがんばるのを😃2024/02/29 11:04:35802.神も仏も名無しさんCpiAr>>798リダン三世的には自分の知らないものは自分よりも劣っていると解釈しているリダン三世故に世界一の怪盗?😃2024/02/29 11:06:21803.法介◆T3azX0Hk1UvApBsうぅ~~~~~んこ。2024/02/29 11:10:04804.リダン◆gEV3xsS//koMVNt>>799サーマディの話ですよ2024/02/29 11:11:48805.神も仏も名無しさんCpiAr>>803ローラーさまをお呼びですね〜😄2024/02/29 11:21:21806.法介◆T3azX0Hk1UvApBs>>804ふむふむ。テーラワーダとかが言う「サーマディ」はリダンが言う通り単なるヨガ。心の体操。2024/02/29 11:22:48807.法介◆T3azX0Hk1UvApBs>>805お呼びじゃない。鹿野園は出禁。2024/02/29 11:23:33808.神も仏も名無しさんCpiArローラーちゃまは5chの他人のスレを荒らすのにご執心ですな〜リダン三世隊員ウマデンパパ隊員の協力の下過疎り廃墟になるまでお頑張りなさるよーです😃2024/02/29 11:23:45809.法介◆T3azX0Hk1UvApBs鹿野園とのお遊びは向こうでやっとくれ2024/02/29 11:24:07810.法介◆T3azX0Hk1UvApBsリダンは鹿野園の隊員なのか?2024/02/29 11:25:06811.法介◆T3azX0Hk1UvApBsダーク・ファミリー?2024/02/29 11:25:25812.神も仏も名無しさんCpiArローラーちゃまは今、リダン三世と共に荒らしている他人の立てた5chスレを破壊にご執心なので満足なされると、こちらにお現れになられると思います😃2024/02/29 11:25:25813.リダン◆gEV3xsS//koMVNt瑜伽行唯識というでしょ瑜伽行(サーマディをツールとして)唯識を説いたということです2024/02/29 11:25:30814.法介◆T3azX0Hk1UvApBs>>813ふむふむ。2024/02/29 11:27:13815.神も仏も名無しさんCpiAr>>810影の軍団シッカーローラー総帥デンパパウマ隊員リダン三世隊員麦隊員裏側潜入隊員は暇人隊員ですね、スレが過疎り廃墟になるまで頑張られるよーですな😃2024/02/29 11:27:32816.法介◆T3azX0Hk1UvApBs法介逝きます!出動!2024/02/29 11:28:51817.神も仏も名無しさんCpiArどこへ?😄2024/02/29 11:32:45818.リダン◆gEV3xsS//kanAFE禅やらないから知らないですが少なくとも禅もどきはサーマディがゴールと思ってるんですよね2024/02/29 11:42:37819.神も仏も名無しさんCpiArスレを乗っ取り過疎らせたローラーちゃまの一言〜🤢0795 栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm 2024/02/29(木) 11:28:51.96過疎ってていいんだよwwwどうせ質問は誰かの自演なんだしwwwID:pKJTXD/F(3/3)2024/02/29 11:44:12820.神も仏も名無しさんCpiAr>>818ローラーちゃまとパーリーちゃまにいってあげなよ〜リダン三世の御威光で😃2024/02/29 11:45:25821.神も仏も名無しさんCpiArリダン三世的にはメンタル強そーなローラーちゃまやウマちゃまとは闘いたくない?😃2024/02/29 11:46:26822.リダン◆gEV3xsS//kanAFE>>820馬さんは前はそうだったけど今はそうじゃないでしょ2024/02/29 11:46:34823.神も仏も名無しさんCpiAr>>822このスレではサービスいいやろ😃他の特定スレは刈り取りに行く悪い警官役😄2024/02/29 11:48:21824.神も仏も名無しさんCpiAr一人二役ぐらいやらんとな〜😃2024/02/29 11:48:53825.リダン◆gEV3xsS//kanAFE>>821馬さんとは何か議論したよ鹿ちゃんはサーマディがゴールとは思ってないだろ2024/02/29 11:49:47826.神も仏も名無しさんCpiAr>>825金星人と交信したり、悟りの魔術使用がゴールらしいですよ😃2024/02/29 11:52:42827.神も仏も名無しさんCpiArここではリダン三世にはサービスを良くするとキメている😃2024/02/29 11:53:23828.リダン◆gEV3xsS//kanAFE>>826まああまりスピ色強いときは聞きにまわるわ2024/02/29 11:54:00829.神も仏も名無しさんCpiArリダン三世は一面的な理解しかてきなさそうやな、このスレでの俺のレスをみれば多面性あると理解できるもんだ役割プレーしとるだけと洞察できなさそうやもんなリダン三世は😃2024/02/29 11:56:39830.神も仏も名無しさんCpiArムイムイ応対ですら多面性対応だ😃ローラーだけは一定対応かな😃2024/02/29 11:58:03831.神も仏も名無しさんCpiArローラーはオモシロ人気者大スターやからな、あんな器量の人間はとても大事にしたらなあかん😄2024/02/29 11:59:08832.法介◆T3azX0Hk1UC8YeO>>817只今、我が家の経済大臣を送迎中~2024/02/29 12:05:07833.神も仏も名無しさんCpiArごくろうたん〜荒らし暇人がローラー達を引き寄せているので、このスレにはローラーは上陸してこない、と予測です😄2024/02/29 12:15:06834.神も仏も名無しさんCpiArリダン三世気質の暇人がローラー、リダン、パーリーを釣っていると言うスレ主にとっては迷惑な展開😭2024/02/29 12:16:07835.神も仏も名無しさんCpiArリダン三世と暇人の対話を見ているとにたもの同士が鏡のよーにレスの応酬しているので基本的には彼らの対話はどーでもええ😃2024/02/29 12:17:24836.神も仏も名無しさんCpiArつまるところ、荒らし暇人がローラー、リダン、パーリーを釣ってもりあがっているという呆れた展開だな😃2024/02/29 12:18:39837.◆JBLfMwCXhYLxdq9シカはまた、焦土作戦か😫2024/02/29 12:40:58838.◆JBLfMwCXhYLxdq9シカのいるところは、浄土ならぬ焦土😫2024/02/29 12:41:18839.◆JBLfMwCXhYLxdq9スレが廃墟になったら、別のスレに移る😫2024/02/29 12:41:44840.法介◆T3azX0Hk1UvApBs5ちゃんのスレに目を通したが、リダン無分別智って勘違いしていないか。2024/02/29 13:01:43841.法介◆T3azX0Hk1UvApBs多分ロンさんも馬も鹿野園も勘違いしていると思うな。2024/02/29 13:02:29842.法介◆T3azX0Hk1UvApBs自分とお茶が無分別で一如になるぐらいに考えてないか?2024/02/29 13:03:33843.法介◆T3azX0Hk1UvApBs本当の三昧を経験しないと解らない境地だ。2024/02/29 13:04:22844.法介◆T3azX0Hk1UvApBs無分別の智慧ってのは、欲界の凡夫と色界の仏とが阿頼耶識の無分別の智慧で一体となって顕れることを言う。2024/02/29 13:06:05845.法介◆T3azX0Hk1UvApBs仏像や曼荼羅を対境とした三昧による観法でないと観じ取れない境地だ。2024/02/29 13:07:02846.法介◆T3azX0Hk1UvApBs九次第定の瞑想や、座禅で観じとっているのは「自身の心」でしかない。2024/02/29 13:08:08847.法介◆T3azX0Hk1UvApBs向き合っているのが自身の心な訳だからな。2024/02/29 13:08:34848.法介◆T3azX0Hk1UvApBs「仏」を対境とした観法でなければ観得出来ない境地だ。2024/02/29 13:09:20849.法介◆T3azX0Hk1UvApBs「仏」といっても種類がある。2024/02/29 13:09:51850.法介◆T3azX0Hk1UvApBs応身・報身・法身の三身ね。2024/02/29 13:10:22851.法介◆T3azX0Hk1UvApBs阿彌陀佛とか釈迦仏の「仏像」を対境とするのは、釈迦=応身阿彌陀佛=他自受用報身2024/02/29 13:12:40852.法介◆T3azX0Hk1UvApBs『法華経』本門の久遠実成の仏(虚空絵)は自受用報身如来2024/02/29 13:14:21853.法介◆T3azX0Hk1UvApBs法身は自身の心の中に顕われる。2024/02/29 13:15:52854.リダン◆gEV3xsS//k1J2UO>>842まあ無分別はそれくらいの話です法介さんの言う無分別智とは違う話ですよ2024/02/29 13:18:29855.法介◆T3azX0Hk1UvApBs仏の三身について、日蓮さんの『四条金吾釈迦仏供養事』という御書を紹介します。2024/02/29 13:27:13856.法介◆T3azX0Hk1UvApBs現代語訳で紹介三身の事について普賢経には「仏の三種の身は大乗経から生ずる。この大法印は、仏の涅槃という成仏の大海を証明したものである。この大涅槃海の中から、よく仏の三身の清浄の身を生ずるのである。この三種の身は、人天の衆生が縁して善根を生ずる福田であり、また人天から供養を受ける資格をもつものの中で最高のものである」と説かれている。 三身というのは、一には法身如来であり、二には報身如来、三には応身如来である。この三身如来を一切の諸仏は必ず具えている。たとえば月の体は法身にあたり、月の光は報身であり、月の影は応身にたとえられる。一つの月にも三つの側面があるように、一仏には、三身如来の徳が具わっているのである。2024/02/29 13:28:02857.法介◆T3azX0Hk1UvApBs この五眼・三身の法門は、法華経以外には全く説かれていない。ゆえに天台大師は法華文句巻第九に「仏は三世にわたって等しく三身を具えている。しかし諸経の中にはこれを秘して伝えていない」と説いている。この釈の中で「諸教の中に於いて」とかかれているのは、華厳、方等、般若だけではなく、法華経以外の一切経のことである。「之を秘して伝えず」とかかれているのは、法華経の寿量品以外の一切経には、教主釈尊があえてこれを秘して説かれなかったとの意味である。 であるから、画像・木像の仏を開眼供養することは、法華経・天台宗に限るのである。2024/02/29 13:28:45858.法介◆T3azX0Hk1UvApBs五眼・三身の法門とは凡夫の一身に三身が顕れ五眼が次のように開かれると『十八円満抄』で説明されております。 妙=仏眼:第九識は法界体性智 法=法眼:第八識は大円鏡智 蓮=慧眼:第七識は平等性智 華=天眼:第六識は妙観察智 経=肉眼:前の五識は成所作智2024/02/29 13:32:46859.法介◆T3azX0Hk1UvApBsリダンやJBは、サーンキヤ学派って知ってるか?知恵袋でsiaさんって方が詳しくて今、対話中~2024/02/29 18:20:05860.法介◆T3azX0Hk1UvApBsヨーガを理論面から基礎付ける役目をになっている学派のようだ。馬ちゃんが詳しそうだな。2024/02/29 18:22:10861.◆JBLfMwCXhYfqfQ7>>859> リダンやJBは、サーンキヤ学派って知ってるか?そりゃもう個人的に、大好きなテーマですがな😂2024/02/29 18:22:33862.リダン◆gEV3xsS//kGiDTPさっぱりわからん2024/02/29 18:25:31863.◆JBLfMwCXhYfqfQ7あれ?ヨーガスートラのスレを立てた覚えがあるのだが、今はないみたいだな?2024/02/29 18:25:44864.◆JBLfMwCXhYfqfQ7あれは、5chだったか2024/02/29 18:25:58865.◆JBLfMwCXhYfqfQ7去年の5月頃だ2024/02/29 18:26:20866.◆JBLfMwCXhYfqfQ7あった😄【ヨーガ・スートラ】インド思想【バガヴァッド・ギーター】https://itest.○ch.net/rio2016/test/read.cgi/psy/16799896812024/02/29 18:31:10867.法介◆T3azX0Hk1UvApBsJB、サーンキヤ学派と仏教の関係は?2024/02/29 18:32:02868.◆JBLfMwCXhYCzJO8仏教から見れば、サーンキヤ哲学は外道の思想2024/02/29 18:34:19869.◆JBLfMwCXhYCzJO8サーンキヤ哲学は、仏教から大きな影響を受けている2024/02/29 18:35:11870.法介◆T3azX0Hk1UvApBs>>866開かんがな~〇ってなんだよ↓https://itest.○ch.net/rio2016/test/read.cgi/psy/16799896812024/02/29 18:35:54871.神も仏も名無しさんaYT9bどっちかっていうと、仏教よりは西洋のイデア論に近い思想に見えるね、これ2024/02/29 18:35:54872.法介◆T3azX0Hk1UvApBs>>869唯識をパクってない?2024/02/29 18:36:37873.法介◆T3azX0Hk1UvApBs>>871 サティーかな?2024/02/29 18:37:15874.◆JBLfMwCXhYCzJO8ある意味、サーンキヤ哲学の思想は、インド思想の歴史そのものと同じくらい古いでも、サーンキヤ哲学として体系的にまとめられたのは、仏教よりもずっと後の時代当然、仏教からは深い影響を受けている2024/02/29 18:37:58875.法介◆T3azX0Hk1UvApBs馬がやってんのこれじゃないの。2024/02/29 18:38:17876.◆JBLfMwCXhYCzJO8>>872もちろん、唯識論からも影響を受けている2024/02/29 18:38:48877.◆JBLfMwCXhYCzJO8>>870◯のところには、5 が入る2024/02/29 18:39:30878.法介◆T3azX0Hk1UvApBsチベット仏教との関係は?2024/02/29 18:40:03879.法介◆T3azX0Hk1UvApBs>>877 サンキュー2024/02/29 18:40:53880.法介◆T3azX0Hk1UvApBs開いた。後でゆっくり目を通してみる。2024/02/29 18:42:52881.◆JBLfMwCXhYCzJO8>>878そりゃ、地理的に近いし、影響を受けている2024/02/29 18:45:23882.法介◆T3azX0Hk1UvApBsヨーガって最近流行ってるの?2024/02/29 18:45:45883.法介◆T3azX0Hk1UvApBsスピの次の波?2024/02/29 18:46:28884.法介◆T3azX0Hk1UvApBsマインドフルネス・ブーム ↓スピリチュアル・ブーム ↓ヨーガ?2024/02/29 18:47:29885.◆JBLfMwCXhYCzJO8いつも言ってることだけど日本では、「仏教は無我の思想、サーンキヤ学派などのインド哲学は真我の思想」と図式化して、正反対の思想であるかのように語る人がよくいる(聖ウンコ師もその1人)でも、この2つには見た目ほどの違いがない仏教以後のインド哲学は、仏教から深い影響を受けている根本的に似た思想2024/02/29 18:48:34886.◆JBLfMwCXhYCzJO8>>883う~ん、どうかなあ?😅2024/02/29 18:50:09887.法介◆T3azX0Hk1UvApBs>>885臨済宗のどっかのHPでは、「真我」という言葉を用いてたぞ。2024/02/29 18:52:59888.法介◆T3azX0Hk1UvApBs仏性=真我で、禅宗とヒンズー教は共感し合う。2024/02/29 18:54:29889.法介◆T3azX0Hk1UvApBsどちらも『法華経』に詳しくないから仏性を「光り輝く存在」のように解釈している。2024/02/29 18:55:28890.◆JBLfMwCXhYfqfQ7法華経だと違うのか2024/02/29 19:15:27891.法介◆T3azX0Hk1UvApBs>>890『法華経』では本因と本果として仏性が説き明かされている。2024/02/29 19:26:47892.法介◆T3azX0Hk1UvApBs釈迦が仏になった因と果だ。2024/02/29 19:27:24893.法介◆T3azX0Hk1UvApBs凡夫がどうやって仏の覚りの因を自分の阿頼耶識としそれを因として縁起を起こすか2024/02/29 19:28:55894.法介◆T3azX0Hk1UvApBs『法華経』の文底に秘められた法門を天台が一念三千の法門として説き明かした。2024/02/29 19:30:02895.法介◆T3azX0Hk1UvApBs仏が秘して決して他経では明かさなかった秘密の法門2024/02/29 19:30:54896.法介◆T3azX0Hk1UvApBsその法理を天台智顗が説き明かし日蓮さんがそれを本尊(対境)として顕した。2024/02/29 19:32:04897.法介◆T3azX0Hk1UvApBs『法華経』本門で説かれる「虚空絵の儀式」が何を意味するのかその深い意味を天台と日蓮は知り得た。2024/02/29 19:33:30898.法介◆T3azX0Hk1UvApBs天台は薬王菩薩の再誕(三千塵点劫の迹化の弟子)日蓮は上行菩薩の再誕(五千塵点劫の本化の弟子)2024/02/29 19:35:16899.法介◆T3azX0Hk1UvApBs天台は『法華経』迹門で説かれている理の一念三千を顕し、日蓮は『法華経』本門で説かれている事の一念三千を顕した。2024/02/29 19:37:02900.神も仏も名無しさんCpiAr5chのローラー達に荒らされているスレ主はスルー戦術をとらないので、ほーかいくんスレにはあらわれない〜あらためて、ほーかいくん御館様〜〜〜わんばんこ〜〜〜〜😄😄😄😄😄😄😄😄😄2024/02/29 20:23:55901.神も仏も名無しさんCpiAr5chではリダン三世とデンパパがテンパノリでアンドーをいじって遊んで廃墟である🤢👽2024/02/29 22:07:00902.法介◆T3azX0Hk1U4DNlmおーい、JBちょっと聞きたい事がある。2024/03/01 06:46:39903.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm中国にチベット仏教の密教思想が伝わったのって西暦でいうと何年頃?2024/03/01 06:48:02904.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm天台智顗の時代には密教思想は無かったと思う。2024/03/01 06:48:47905.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm天台密教は、智顗より後の時代に成立しているはずだが。2024/03/01 06:50:28906.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm9世紀の中ごろ円仁(慈覚大師)・円珍(智証大師)が唐に渡って中国密教を本格的に学んだことから、日本の天台宗は密教を包含した。このあたりだろうけど。2024/03/01 06:52:00907.神も仏も名無しさんGftjC>>904法華経に陀羅尼があるよ😄2024/03/01 06:58:04908.神も仏も名無しさんGftjCマジメに法華経どるかーー?😄2024/03/01 06:58:37909.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm「真言」は仏教で説かれているだろ。『般若心経』の最後でも真言が説かれている。2024/03/01 07:05:01910.法介◆T3azX0Hk1U4DNlmわたしが言っているのは「チベット密教」。2024/03/01 07:05:38911.法介◆T3azX0Hk1U4DNlmチベット密教独自に解き明かされた密教。2024/03/01 07:06:28912.法介◆T3azX0Hk1U4DNlmhttps://www.circam.jp/kobore/中国(南北朝~隋)の天台宗の祖である天台大師智顗(ちぎ、538~597)は、坐禅の指導書『天台小止観』で、「半跏趺坐ならば左足を右足の上に置く、結跏趺坐ならば半跏趺坐の時に下になっている右足を持ち上げて左足の上に置く(=左足の上に右足を重ねて置く)。右手の上に左手を置き、手を重ねて相対する」と記しています。この『天台小止観』は、後世に大きな影響を与えました。2024/03/01 07:09:08913.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm>>912 ←これは智顗が説いた止観法2024/03/01 07:10:04914.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm智顗は仏性を「光輝く心」などとは説いていない。仏性を「光輝く心」と説いているのはチベット密教。2024/03/01 07:11:44915.法介◆T3azX0Hk1U4DNlmこのヒンズー教が混入したチベット密教が智顗の後の時代に中国に伝わって来ているはず。2024/03/01 07:13:16916.神も仏も名無しさんGftjC>>914オレ的は、よーわ変わらん意味だな😄2024/03/01 07:13:30917.神も仏も名無しさんGftjC914から915への流れの想定ならば、よくわからん、915自体はあるだろうけど😄2024/03/01 07:15:07918.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm円仁(慈覚大師)・円珍(智証大師)が唐に渡った時代中国にはチベット密教が既に伝わっていた。そのチベット密教を円仁・円珍が日本の天台宗に取り入れていった。2024/03/01 07:16:20919.神も仏も名無しさんGftjCヒット・アンド・アウェイ的にレスしよー微妙なセンスで😄2024/03/01 07:16:44920.法介◆T3azX0Hk1U4DNlmこの前言ったろ、天台智顗や日蓮さんに本覚思想はないって。2024/03/01 07:17:22921.神も仏も名無しさんGftjC>>918?もし、チベット密教=ゲルク派中心と考えると、その発想はビミョーである😄2024/03/01 07:18:00922.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm本覚思想はヒンズー教の要素が混ざり込んだチベット密教から来たもの。2024/03/01 07:18:09923.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm本覚思想=真我説2024/03/01 07:18:41924.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm真我=光輝く心2024/03/01 07:19:00925.神も仏も名無しさんGftjC?😄2024/03/01 07:19:01926.法介◆T3azX0Hk1U4DNlmでおー、おはよー2024/03/01 07:19:16927.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm>>925なんだよ?2024/03/01 07:19:51928.神も仏も名無しさんGftjCヒットアンドアウェーな忖度カマスレスにしとくよ〜ほーかいくん御館様は貴重なお祭り男だからだ😄2024/03/01 07:19:55929.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm俺、なんか勘違いしてるか?2024/03/01 07:20:20930.神も仏も名無しさんGftjC唯識のただ識のみの理解の発展形とみないとほーかいくん御館様〜おはよ〜〜〜ん😄😄😄😄2024/03/01 07:20:59931.法介◆T3azX0Hk1U4DNlmリダンの通訳がいるなーでおーのトークは2024/03/01 07:21:20932.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm>>930それについては後程話すつもり2024/03/01 07:22:15933.神も仏も名無しさんGftjCざっと大乗仏教は感覚的に2つぐらいありそーだテーラーワーダ的方向性の禅唯識から展開した他の仏教各派日本で生まれた本覚思想それだけよん、😄2024/03/01 07:22:52934.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm「唯識の識のみ」について今回、あることに気づいた。2024/03/01 07:22:59935.神も仏も名無しさんGftjC>>931リダンデも無理ださらに忖度しながらレスしてるし〜😄2024/03/01 07:23:46936.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm>>933最初からそう言ってくれその通りだな。2024/03/01 07:24:06937.神も仏も名無しさんGftjC俺が唯一忖度してるのは掲示板ではほーかいくん御館様だけだな他は基本遠慮なし😄2024/03/01 07:24:39938.法介◆T3azX0Hk1U4DNlmそれが「無形象唯識派」と「有形象唯識派」だ。無形象唯識派=テーラーワーダ的方向性有形象唯識派=法相宗や日蓮仏法2024/03/01 07:25:53939.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm無形象唯識派=光輝く心(真我)有形象唯識派=天台・日蓮仏法(法華経で示された本因本果)2024/03/01 07:27:33940.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm要するに、大乗でも仏性の正体を覚ったグループと覚れづに「光輝く心」でごまかしたグループとに分かれた。2024/03/01 07:29:17941.法介◆T3azX0Hk1U4DNlmって事。2024/03/01 07:29:30942.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm「光輝く心」、即ち仏性が何なのかを詳しく説いているのが『法華経』2024/03/01 07:30:20943.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm知恵袋でその件について今からzenさんと話をするところ。https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q112941653112024/03/01 07:34:38944.法介◆T3azX0Hk1U4DNlmあとJB、今回も自分で新スレ立てるから~2024/03/01 07:36:11945.神も仏も名無しさんGftjC>「光輝く心」、即ち仏性それ自体が外れている、ま、八宗綱要という明治以前までは大乗仏教の入門書と呼ばれるヤツのサワリがわからないのがトークと5chの大方だろうな、それの土台システムがわからんとチベット密教もわからんよ5chレスしとる禅系統のカムイを除く名無し2名ぐらいはその土台前提の話しは通じる理事無間法界とか事事無碍法界とか知らんでレスしとるのが大方やからな〜その土台でマトモにレスしとるのは現在は曹洞宗系統1〜2名だよ😄2024/03/01 07:44:49946.神も仏も名無しさんGftjCほーかいくんからみて俺はほとんどマジレスしてないのわかるやろ〜マジレスする相手とタイミングはえらんでいるタイプタイミング選べるの妙観察智と成所作智があるということやな😄2024/03/01 07:46:37947.神も仏も名無しさんGftjCはっきりいえば密教は華厳系統の教義学があるだから日蓮がギャーギャーやっとたんやろ天台宗も、そーだが天台よりも華厳の方が上においとるとかチベット密教もそういう感じさ、八宗綱要の理解が、ないとそういうのも見えん理屈としても😄2024/03/01 07:50:15948.麦◆MUGITANx95DjpkOgx∞ノノハ∞川^〇^ハレ神秀禅師は始覚で>身は是れ菩提樹 心は明鏡の台のごとし時時に勤めて払拭し 塵埃に染さしむること莫れ慧能禅師は本覚で>菩提は本より樹無し 明鏡も亦た台に非ず本来無一物 何れの処にか塵埃有らんでおーたんが以前UPした真言宗のお坊さんの動画事事無碍法界感動しました♪2024/03/01 08:23:22949.◆JBLfMwCXhYg3CxH仏性とは何なのか?2024/03/01 08:29:24950.◆JBLfMwCXhYg3CxHだんだん分かってきたな~😄2024/03/01 08:29:36951.法介◆T3azX0Hk1U4DNlmJB、麦、おはよー2024/03/01 09:21:37952.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm本日の法介説法は知恵袋で行っております。https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q112941653112024/03/01 09:22:22953.法介◆T3azX0Hk1U4DNlmでおーは、もう少し解りやすく話さんとそれじゃ言っている内容が伝わってこないぞ。2024/03/01 09:23:50954.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm華厳教義を日蓮さんが何と言っているかは、また後程詳しく紹介しましょう。2024/03/01 09:24:49955.法介◆T3azX0Hk1U4DNlmでおーは、チベット密教詳しいんだろ。も少しちゃんと語ってみ。2024/03/01 09:26:00956.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm真面目にってことね。2024/03/01 09:26:18957.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm次スレhttps://talk.jp/boards/psy/17092529472024/03/01 09:33:09958.麦◆MUGITANx95DjpkOgx>>951∞ノノハ∞川^〇^ハレおはよう♪2024/03/01 09:45:11959.法介◆T3azX0Hk1U4DNlmこういうのも紹介しておきます。中期密教における真言について~『金剛手潅頂タントラ』を中心として~ 元 山 公 寿(大 正 大 学)https://nbra.jp/publications/70/pdf/70_23.pdf2024/03/01 10:07:14960.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm⑷ 法界・大乗このように二諦に似た構造によって,真言を説明しているのは,この最勝心真言や,平等性の位に関してだけではない。それが以下のように法界に関しての記述である。諸如来と諸菩薩が,「これは真言である」「これは印である」「これは本尊である」と安立した。その法界は,色あるものでなく,説かれることなく,執着されるものではなく,動かされるものではなく,如来が,縁起していると安立したことによって,安立されたものである。縁起しているから,一切の所作を為すのである。2024/03/01 10:10:30961.法介◆T3azX0Hk1U4DNlmすなわち,法界は,本来,不可説であり,色形もない,平等性の位にあるものである。そこに,その法界の本来の姿を知っている菩薩や如来が,縁起を安立することで,身語意によるあらゆる所作が起こり,そこに真言が安立されるのである。ここに,法界の本来の姿である勝義と,その法界を縁起によって安立された姿である世俗という二諦の構造が見て取れ,そこに真言を見ているのである。これと同様のことは,大乗に関しても次のように説かれている。2024/03/01 10:11:33962.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm私が大乗に入ることと,大乗に入る所依を説きましょう。善男子よ,そのうち,大乗といわれるこれは,不可思議の法性の異名である。それに入ることが菩提である。善男子よ,所依といわれるこれは,根本である。<中略> 善男子よ,さらにまた,大乗は二種であり,有為として開示されたものと,無為として開示されたものである。そのうち,有為として開示されたものは,行の自体である。無為として開示された大乗性が大乗である。善男子よ,さらにまた,有為は,縁によって生じたもので,縁起の相である。善男子よ,無為は,不生の法性と空性を自体としている。善男子よ,さらにまた,行の自体である大乗とは何かといえば,空性を証得して,如来応供正遍智の境と時の力によって,衆生を調伏する力を摂受し,所作と業によって起こる道が施設されることである。善男子よ,これが行の自体である大乗である。善男子よ,そのうち,無為の大乗性とは何かといえば,すなわち,如実に住する法性の異名である。善男子よ,如実に住する法性といわれるこれは,不可思議法性の異名である。「金剛手 頂タントラ」では,ここで説かれている大乗に入ることを一つの目的としている。その目的である大乗には有為という面と無為という面とがあり,ここでの記述から,前者が法界の世俗的な面を表し,後者が勝義的な面を表しており,そのうち,後者の法界の本来の姿が法性であることがわかる。2024/03/01 10:14:44963.法介◆T3azX0Hk1U4DNlmしたがって,これまで考察してきたように,あらゆる真言や心真言の根源である最勝心真言とは,身語意平等性の位であったので,これが法界の本来の姿である法性を示しているということができる。そして,さまざまな真言は,この法性を得た者が,その法性に基づいて,縁起の構造の中で,その内実をそれぞれに説いたものであると考えられる。2024/03/01 10:16:14964.神も仏も名無しさんzVsm0麦がきた〜ここではスルーはしないぞ〜😃😃😃😃😃😃2024/03/01 12:12:30965.神も仏も名無しさんzVsm0チベット仏教サイドから言わせれば、中国、朝鮮、日本の仏教は中論の正式な後継者てはない、という扱いになる、とくにゲルク派の立ち位置では😄2024/03/01 12:19:03966.神も仏も名無しさんzVsm0ゲルク派では中論などの論書をキチンと学習して合格しないと正式な密教を教えてもらえないシステムである😄2024/03/01 12:20:33967.神も仏も名無しさんzVsm0ま、ほーかいくんのいうよーな単純なチベット仏教理解は無理がある😄2024/03/01 12:21:21968.法介◆T3azX0Hk1U4DNlmゲルク派の中論解釈(理解)とは?2024/03/01 13:22:02969.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm天台智顗の中論解釈との違いは?2024/03/01 13:22:32970.法介◆T3azX0Hk1U4DNlmでおーは、「単純なチベット仏教理解」ではなくそこら辺をちゃんと理解しているんですよね。ご説明ください。2024/03/01 13:23:41971.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm(でおーが説明出来る訳がないと思うんだが、、、)2024/03/01 13:24:12972.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm>>967 ←こう言うからにはちゃんと説明してもらおう。2024/03/01 13:24:49973.法介◆T3azX0Hk1U4DNlmあと、JB唯識の事で知ってたら教えて欲しい。2024/03/01 13:25:57974.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm清森さんの動画解説、JBも見てるだろ。2024/03/01 13:26:25975.法介◆T3azX0Hk1U4DNlmhttps://www.youtube.com/watch?v=KEV6ClxWYrk↑これとか↓これ。https://www.youtube.com/watch?v=JSXeKjpuC_U&t=1732s2024/03/01 13:28:19976.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm清森さんの解説でおかしな箇所がある。それを確認したいんだ。2024/03/01 13:29:06977.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm清森さんは覚りを開いた境地にあっては見分は有るが相分はないが正義とする(護法説)と説明してるよな。2024/03/01 13:34:19978.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm浄土真宗本願寺派初代伝道院長の結城令聞氏による著書や、https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/7/1/7_1_13/_pdf/-char/en根本智については見有相無読が正義であり、後得智については見相倶有読が正義とされている。と述べられております。2024/03/01 13:38:17979.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm後得智あっては見分も相分も共に有るんだと。2024/03/01 13:38:55980.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm清森さん、間違って説明してない?2024/03/01 13:39:21981.法介◆T3azX0Hk1U4DNlmっていうか、清森さんの説明しいててちゃんと解って説明してるのかな?と疑問に思う発言がちょいちょい見受けられる。2024/03/01 13:40:59982.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm鹿野園が『国訳大蔵経 論部第十巻 国訳成唯識論』の和訳文をここにアップしている。https://zawazawa.jp/ih7rwppzfjg3bxul/topic/112024/03/01 13:43:44983.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm >有義此智見有相無。 (有義は、此の智慧には、見は有りて相は無し) >説無相取不取相故。 (相無くして取る、相をば取らずと説けるが故に) >雖有見分而無分別説非能取非取全無。 (見分は有りと雖も、而も無分別なるをもって、能取に非ずと説けり。取ること全無には非ず) >雖無相分而可説此帶如相起不離如故。 (相分は無しと雖も、而も此れいい如の相を帯して起こると説くべし。如に離れざるが故に) >如自證分縁見分時不變而縁此亦應爾。 (自証分いい見分を縁ずる時に変せずして縁ずるが如く、此れも亦た応に璽るべし) >變而縁者便非親證如後得智應有分別。 (変じて縁ぜば便ち親しく証するに非ずなんぬ。後得智の如く応に分別あるべし) >故應許此有見無相。 (故に応に此れには見のみありて相は無しを許すべし)2024/03/01 13:44:23984.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm>>983 この部分は、「無分別智」を説いている箇所です。2024/03/01 13:46:31985.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm後得智の説明はこの箇所ね。>諸後得智有二分耶。有義倶無離二取故。>(諸の後得智には二分有りや。有義は、倶に無し二取を離るるが故にという)>有義此智見有相無。説此智品有分別故。>(有義は、此の智には見有って相無し。此の智品には分別有りと説けるが故に)>聖智皆能親照境故。不執著故説離二取。>(聖智は皆能く親しく境を照らすが故に、執著せざるが故に、二取を離れたりと説くという。)>有義此智二分倶有。此思惟似眞如相不見眞實眞如性故。>(有義は此の智には二分倶に有り、此は似の真如の相を思惟して、真実の真如の性をば見ずと説けるが故に)>又説此智分別諸法自共相等觀諸有情根性差別而爲説故。>(又た此の智は諸法自共相等を分別し、諸の有情の根性の差別を観じて而も爲に説くと説けるが故に)>又説此智現身土等爲諸有情説正法故。>(又此の智は、身と土との等きを現じて、諸の有情為に正法を説くと説けるが故に。)>若不變現似色聲等寧有現身説法等事。>(若し現似の色聲等を変ぜざれば、寧んぞ身を現ぜし法を説くが等き事の有らむや)>轉色蘊依不現色者轉四蘊依應無受等。>(色蘊の依を転ずるをもって色を現ぜずといわば、四蘊の依を転ずるをもって受等も無かる應し)>又若此智不變似境離自體法應非所縁。>(又若し、此の智は変じて境に似ずといわば、自体に離れたる法は所縁に非ざる應し。)>縁色等時應縁聲等。又縁無法等應無所縁縁。>(色等を縁ぜむ時には、聲等を縁ず應し。又無法等きを縁せしむるときは所縁縁無いかる應し)>彼體非實無縁用故。(彼は体実に非ざるをもって、縁用無きが故に)>由斯後智二分倶有。此二見道與六現觀相攝云何。(斯に由って後智には二分倶に有り。此の二の見道と六現観と相攝すること云何。)2024/03/01 13:53:23986.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm「斯に由って後智には二分倶に有り。」これ↑を以て後得智には、見分も相分も有りとするのが正義です。2024/03/01 13:54:56987.法介◆T3azX0Hk1U4DNlmこれがどういう事を言っているのか知恵袋の方で後程、語って来る。2024/03/01 13:56:38988.法介◆T3azX0Hk1U4DNlmzenさんの回答覧ね。2024/03/01 13:57:12989.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm>>978 ここで言う「根本智」が無分別智の事ね。(根本無分別智)2024/03/01 14:01:17990.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm>>978 ←勝又論文のその個所↓ね。これによつて即ち成唯識論では根本智と後得智とを通じて、見相倶無読と見相倶有読と見有相無読との三読が掲げられているが、このうち根本智については見有相無読が正義であり、後得智については見相倶有読が正義とされている。2024/03/01 14:04:06991.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm「根本智については見有相無読が正義であり、 後得智については見相倶有読が正義とされている。」2024/03/01 14:04:44992.法介◆T3azX0Hk1U4DNlmhttps://www.youtube.com/watch?v=KEV6ClxWYrk↑の27:58から29:28の間で根本智と後得智の説明がなされている。後得智では相分は復活するといっているものの、その後、根本智の話を全面に出して根本智の「見分は有るが相分はない」があたかも真如の世界観かと聞き手が勘違いする説明の仕方をされてます。2024/03/01 14:14:31993.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm後得智(覚りの世界)にあっては「見分も相分も有る」が正義です。2024/03/01 14:15:35994.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm『成唯識論』にはそう書かれております。2024/03/01 14:16:31995.リダン◆gEV3xsS//kpDxEO>>993そう思いますね2024/03/01 18:23:47996.法介◆T3azX0Hk1U4DNlmリダンはちゃんと理解出来ているよね。2024/03/01 18:29:56997.法介◆T3azX0Hk1U4DNlmでおー!おまえのチベット仏教解説はまだか~~~~~!2024/03/01 18:30:30998.法介◆T3azX0Hk1U4DNlmず~~~~と待っているんだぞ~~~~!2024/03/01 18:31:02999.法介◆T3azX0Hk1U4DNlmそれとも何かぁ~2024/03/01 18:31:261000.法介◆T3azX0Hk1U4DNlmおまえはやっぱりレレレのおじさんなのか~~~~~!2024/03/01 18:32:311001.Talk ★???このスレッドはコメントが1000件を超えました。新しいスレッドを立ててください。2024/03/01 18:32:311002.Talk ★???【プレミアムサービス無料期間延長!】プレミアムの無料期間を2025/3/31まで延長することになりました。広告除去や規制緩和など、ヘビーユーザーにとって欠かせない機能を無料でお楽しみいただけます。是非この機会にプレミアムサービスをお試しください!▼プレミアムサービスはこちらからhttps://talk.jp/premium2024/03/01 18:32:31
Talk 掲示板における一つの独立した空間で、争い事は決して好まず、他者に対する誹謗・中傷はナンセンス。しかし愛嬌はドンと来い。ユーモアはぶちかませ。エロい話はお好み次第。「人生楽しまなきゃ損だろう!」をモットーに互いの人間性を尊重しながらもじゃれ合い程度にはツツキ合い、もみもみしながら互いのゆゆしさを温かく且つ、深く理解し合いながら相互に人間性を高め合っていく。そんな素敵な関係のゆゆしき法界です。
前スレ
ゆゆしき法界 パート32
https://talk.jp/boards/psy/1708210151
ゆゆしき法界 パート33
https://talk.jp/boards/psy/1708481282
下記の者は迷惑行為をやめないため、立ち入り禁止とします
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栖雲居士◆dqam8SqGUPdm(旧コテ名:鹿野園)
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『仏道』
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仏道 ~ その壱『空の巻』~
https://butudou.blog.jp/
仏道 ~ その弐『別相の巻』~
https://butudou.livedoor.blog/
仏道 ~ その参『円融の巻』~
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仏道 ~ その四『真如の巻』~
https://sinnyo.blog.jp/
創価学会と日蓮正宗の方に読んで頂きたい教学
https://niti-ren.blog.jp/
↓
法介の『ゆゆしき世界』
https://zawazawa.jp/yuyusiki/
仏道の『阿頼耶識システム』
https://zawazawa.jp/bison/
『法華玄義』と天台教学
https://zawazawa.jp/gengi/
『法介伝』~世の中の間違いを正す!編 より
人間はあらゆる物事を概念化してゆきそれを記憶に留めていく生き物です。
その人間の「概念」に対し仏教では物事の「真理」を説きます。
「人間の概念」は所詮人間が造り出すものであり、それが果たして信ずるに値する「真理」たり得るかと言えば、そうではない事が多々あります。その時はそれが「正しい」と思っていても振り返ってみると「間違い」だったという事は良くある事です。
例えば昨今の教科書から坂本竜馬が外されましたが、時代の時々によって人物の評価は変わっていきます。世の中は流動的に常に変化しておりますので、その世界にあって変わらずにあり続ける「正しさ」というものは、実はあり得ないんです。
なのに人々は「全体的な正しさが有る!」と思い込むんです。
この全体的な正しさが「有る!」と主張する行為は、物事を「有る無し」で見ている外道の見解にあたります。外道と言いますと「私は外道なんかじゃありません!」と激しく抗議されそうなので言い方を変えます。物事を「有る無し」で判断する行為を客観認識法と言います。
今の世の中、どれだけ人々が「全体的な正しさが有る!」と思い込んで生きているかというお話をわたしの大変愉快な体験談を通して紹介して参ります。
↓
『ブキペディア』
ブキペディアは皆で編集できるtalk掲示板、宗教板の仏教大辞典です。
コテハン語録集としてもご活用ください。
それ以外にもエロんな形でご活用ください。
但し、醜い内容もしくはユーモアのセンスが無い内容は管理サイドの判断で一方的に削除されます。
https://zawazawa.jp/Bukipedia/
御抄は、日蓮大聖人が52歳の御時、文永10年(1273)5月17日に、御配流の地、佐渡の一の谷で著され、最蓮房日浄に与えられた御抄である。
大聖人と同じように佐渡(新潟県)に配流されておりました。
そこで日蓮さんに出会い弟子入りします。
一枚の曼荼羅に顕しました。
曼荼羅として御図顕あそばされた訳です。
今まで凡夫の意識で認識していた対象が
仏の意識で認識されます。(七転識)
『法華経』です。
「此の本尊の依文とは如来秘密神通之力の文なり」
※ 依文とはより所となる経文のこと。
「今 日蓮等の類いの意は即身成仏と開覚するを如来秘密神通之力とは云うなり」
と、「即身成仏」とは即ち「如来秘密神通之力」であるとも仰せになられております。
大聖人は、「如来秘密」について、『三大秘法抄』 で、
「一身即三身なるを名けて秘と為し三身即一身なるを名けて密と為す、又昔より説かざる所を名けて秘と為し唯仏のみ自ら知るを名けて密と為す、仏三世に於て等しく三身有り諸教の中に於て之を秘して伝えず」
と仰せになられております。
「法身の無始・無終はとけども応身・報身の顕本はとかれず」
と『開目抄上』で云われるように、別教において大日法身の無始無終(有名無実の権仏)は説かれておりますが、応身・報身の本地は秘して顕さず、法華経に至って初めてその本地は明かされます。
本門・寿量品—五百塵点劫—無始無終の本仏の本地
始成正覚と久遠実成のいわゆる
「三五の法門」です。
仏(如来)だけが知り得る秘密の教えなので
「如来秘密」です。
「神通之力とは三身の用なり、神は是れ天然不動の理、即ち法性身なり。通は無壅不思議の慧、即ち報身なり。力は是れ幹用自在、即ち応身なり」
と、法身、報身、応身の「用の三身」であると大聖人は、仰せになられております。
「凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり」
と仰せの「倶体・倶用の三身」のことです。
「体の仏と用の仏」とがある
と日蓮さんは申されている訳です。
応身の釈迦、報身の釈迦、法身の釈迦と
三身の姿がある事は良く知られております。
対して凡夫が「体の仏」となります。
仏の応身、報身、法身の三身であるなら
「体の仏」は、何なのか。
応身、報身、法身の三身如来となります。
一念三千と同義語として日蓮さんは御書の中で用いられております。
十法界は十なれども十如是は一なり譬えば水中の月は無量なりと雖も虚空の月は一なるが如し、九法界の十如是は夢中の十如是なるが故に水中の月の如し仏法界の十如是は本覚の寤の十如是なれば虚空の月の如し、是の故に仏界の一つの十如是顕れぬれば九法界の十如是の水中の月の如きも一も闕減無く同時に皆顕れて体と用と一具にして一体の仏と成る、十法界を互に具足し平等なる十界の衆生なれば虚空の本月も水中の末月も一人の身中に具足して闕くること無し故に十如是は本末究竟して等しく差別無し、本とは衆生の十如是なり末とは諸仏の十如是なり諸仏は衆生の一念の心より顕れ給えば衆生は是れ本なり諸仏は是れ末なり
と。
南岳大師の云く「心体に染浄の二法を具足して而も異相無く一味平等なり」云云、又明鏡の譬真実に一二なり委くは大乗止観の釈の如し又能き釈には籤の六に云く「三千理に在れば同じく無明と名け三千果成ずれば咸く常楽と称す三千改むること無ければ無明即明・三千並に常なれば倶体倶用なり」文、此の釈分明なり。
所詮妙法蓮華の当体とは法華経を信ずる日蓮が弟子檀那等の父母所生の肉身是なり、正直に方便を捨て但法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱うる人は煩悩・業・苦の三道・法身・般若・解脱の三徳と転じて三観・三諦・即一心に顕われ其の人の所住の処は常寂光土なり、能居所居・身土・色心・倶体倶用・無作三身の本門寿量の当体蓮華の仏とは日蓮が弟子檀那等の中の事なり
故に守護国界章に云く「有為の報仏は夢中の権果前三教の修行の仏無作の三身は覚前の実仏なり後の円教の観心の仏」又云く「権教の三身は未だ無常を免れず前三教の修行の仏実教の三身は倶体倶用なり後の円教の観心の仏」此の釈を能く能く意得可きなり
されば法界のすがた妙法蓮華経の五字にかはる事なし、釈迦多宝の二仏と云うも妙法等の五字より用の利益を施し給ふ時・事相に二仏と顕れて宝塔の中にして・うなづき合い給ふ、かくの如き等の法門・日蓮を除きては申し出す人一人もあるべからず、天台・妙楽・伝教等は心には知り給へども言に出し給ふまではなし・胸の中にしてくらし給へり、其れも道理なり、付属なきが故に・時のいまだ・いたらざる故に・仏の久遠の弟子にあらざる故に、地涌の菩薩の中の上首唱導・上行・無辺行等の菩薩より外は、末法の始の五百年に出現して法体の妙法蓮華経の五字を弘め給うのみならず、宝塔の中の二仏並座の儀式を作り顕すべき人なし、是れ即本門寿量品の事の一念三千の法門なるが故なり、されば釈迦・多宝の二仏と云うも用の仏なり、妙法蓮華経こそ本仏にては御座候へ、経に云く「如来秘密神通之力」是なり、
おはよ〜〜〜ん〜〜
😄😄😄😄😄😄😄
『四教義』と『維摩経玄疏』「四教分別」の比較研究 横 溝 靖 彦
https://core.ac.uk/download/pdf/270258153.pdf
隋朝の第二代皇帝、煬帝(晋王広)とのエピソードから伺えます。
『国清百録』巻第三「遺書与晋王第六十五」
此之義疏、口授出本。一遍自治、皆未搜簡經論、僻謬尚多、不堪流布。既為王造、寧羞其拙。囑弟子抄寫後本。仰簡前所送玄義及入文者、請付弟子焚之。(T46, no. 1934, p. 810, a10-13)この義疏は、口述して本にしたものです。一遍は自分で修治しましたが、すべてにわたって経論を調べてはいないため、まだ誤りが多く、流布に堪えるものではありません。王のために造りながらも、その拙さを羞じるものです。弟子に託して後本を部分的に写させます。どうか前に送った玄義と文句を簡(えら)んで、弟子に付して焼却するようにお願いします。
山口弘江氏は、『玄疏』の冒頭の文に、「今ただちに文(随文釈義)の前で五重玄義について述べる」(「今輒於文前、撰五重玄義」、T38, no. 1777, p. 519, a8-9)とあり、さらに『文疏』の冒頭が、「次にこの経(『維摩経』)の文〔の解釈〕に入るにあたり、おおよそ五つの意として明らかにする」(「次明入此經文、大為五意」、X18, no. 338, p. 464, a10)と唐突に始まることから、「『玄疏』六
巻の内容が先行し『文疏』が続くという構成をもった一書として成立している」(山口[2017: 4])と指摘する。そして後に、湛然が『文疏』を要約して『維摩経略疏』十巻を著し、それが流布され、研鑽される中で、『玄疏』と『文疏』がそれぞれ独立した別の書として扱われるようになったと、山口氏は主張する。
ここで、第一回献上本である「十巻玄義」から、『四悉檀義』『三観義』『四教義』へと別行したことについて、佐藤哲英氏と宇衛康弘氏の見解を確認しておきたい。
佐藤[1961: 429-433]では、第一回献上本と第三回献上本の内容を検討し、「維摩経玄疏における第一回献上本の依用にあたって、『玄義大本』とか『前玄』とかいわずして、悉檀大本、三観大本、四教大本といっているのは、智顗自身もこれを別行して独立の価値あるものと認めていたのではあるまいか」と述べている。
これらのことから、宇衛氏がいうように、『玄疏』成立の時点で、『四悉檀義』『三観義』『四教義』が別行されていたことは明らかである。
これらの理由から、筆者は、第一回献上本がもともと『四悉檀義』『三観義』『四教義』の三つの書で構成され、それを「十巻玄義」と総称したものと考える。
その意味において、晋王広の要請に直接応えたのは、『玄疏』『文疏』であったということができよう。しかし、『玄疏』『文疏』で展開される智顗の教学思想を理解するには、「四悉檀」「三観」「四教」の理解が不可欠である。
その意味において、晋王広の要請に直接応えたのは、『玄疏』『文疏』であったということができよう。しかし、『玄疏』『文疏』で展開される智顗の教学思想を理解するには、「四悉檀」「三観」「四教」の理解が不可欠である。
(引用省略)
ここでは、天台教学の立場から、古今の所説の運用、すなわち他宗との違いを明らかにするために、最初に「四悉檀」を明かし、次に「三観」を明かし、さらに「四教」を明かすというのである。これは『四教義』の文であるが、『四悉檀義』『三観義』『四教義』の順序とともに、それぞれの撰述の意図をも表明している。
(引用文省略)
ここでは、問答料簡の形ではあるが、『維摩経』の随文釈義である『文疏』の前に、広く四教を明らかにする理由が述べられている。
若杉見龍氏は、「『三観義』を通読してみる限り、『三観』を説くのに主眼がおかれ、『維摩経』の注釈書たる性格たるべきにも拘らず、『維摩経』名や『維摩経』一部を解説するのは従となっている……智顗にしてみれば、『三観義』においては、自己の主張しようとする『三観』を力説したかったことが理解できるであろう」(若杉[1990])と述べるが、『四教義』についても、同様のことがいえる。第一回献上本は「四悉檀」「三観」「四教」について説くことが主眼であり、第三回献上本の前提として献上されたと見ることができる。
ここから、法介の語り。
「天台教学」を正しく理解するには、
「三観義」「四教義」「四悉壇」
の正しい理解が必要となってきます。
維摩経疏という維摩経の注釈書の一群の理解に至るというお話です。
智顗の三諦論、四教義、龍樹の四悉壇を中心に
色々とお話をして参りました。
天台が説き明かした「一念三千の法門」の
正しい理解には至りません。
天台教学の究極の極意
日蓮が魂とまで言われた
『一念三千の法門』
のお話です。
5chで退屈しつつあるかもしれん
😫
ここもシカ怪しげアラート近いかもしれん
😫
😄
https://m.youtube.com/watch?v=N_qI5UE7WFQ&t=28s
あれではな〜
😫
やべし?
😫
😫
.
ユーザー
麦◆MUGITANx95Dj
jzJPG
>>205
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ以前鹿野園さんがレスをされていました
>「空手にして鋤頭すきを把り、歩行して水牛に騎る、人、橋上より過ぐれば、橋は流れて水は流れず
(空手把鋤頭歩行騎水牛、人従橋上過橋流水不流)」
無心なので鋤頭や牛と一体になっていて
鋤や牛が有るでもなく無いでもない
非有非無
お茶の味も無心なのでお茶の味が有るでもなく無いでもない
非有非無ではありませんか?
大円鏡智かなぁ?って
2024/02/26 09:58:39
シカがいると過疎るんだよな~😫
真言宗寺院から
情報流入
だ
なかなかの良い情報である
仕事日とは関連が薄いが
😄
😄
「有る」「無し」で語るのは析空でしかありません。
ほーかいくん御館様系統や
日蓮宗の勤行系統とは
違う情報流入である
😄
語尾が
シカってる
🤢
きんもー
🤢
有ると見る訳では無く、無いと見る訳でもない
縁起で対象を観るのが空です。
オモロイ情報流入があった
😄
>>96 ←で紹介してくれてますが、
日蓮さんが臨終間際に選ばれた六老僧(日昭、日朗、日向、日頂、日持、日興)のお一人であられました日興上人がご自身の『日興遺誡置文』の中で次のような事を書き綴っておられます。
「義道の落居無くして天台の学文す可からざる事」
「落居」とは習得してしっかり胸中に収めることを言います。
「天台の学問」をいてはならないと戒められている訳です。
日蓮さんの時代、
叡山の密教化が進んでおりました。
その教えを叡山でも天台密教として積極的に取り入れておりました。
「後白河の法皇の御宇(中略)天台座主明雲、伝教大師の止観院法華堂の三部をすてて、慈覚大師の総持院大日の三部に付給。天台山は名計りになり、法華経の所領は大日経の地となる」
61代座主顕真(1131~1192年)を、
「一向謗法の法然が弟子」『神国王御書』
と言われてもおりました。
この顕真が座主になったことを謗法とされたのです。
密教を混入させたことを、比叡山は濁れる山と批判しました。
さきにのべたように、
円仁・円珍のチベット密教受容が叡山を真言宗に近づけたと指摘されております。
「義道の落居無くして天台の学文す可からざる事」
のお言葉です。
日蓮さんのお言葉を通してでないと
決して知り得る事は出来ないのです。
「仏の世界観」が開けないのかと言いますと、
そうではありません。
「質問する。その意味が分からない人がただ南無妙法蓮華経とだけ唱えても、意味を理解したという功徳はそなわるのか。」
「答える。小さい子供が乳を吸えば、その味が分からなくても、自然と体を成長させる。耆婆の素晴らしい薬を、誰が中身や作り方を理解した上で飲んでいるだろうか。水には心がないが、火を消す。火は物を焼くが、どうして自覚があるだろうか。竜樹菩薩も天台大師智顗もみなこうした考えである。」
と。
「質問する。どうして妙法蓮華経という題名が全ての教えを含んでいるのか?」
章安大師灌頂は次のように述べている。「思うに巻頭の序というものは、経典の奥深い意味を説く、奥深い意味は、経文の核心を述べる。経文の核心は、迹門と本門以外にはない」と。
取り合えず手を合わせて
お題目三唱!
https://livedoor.blogimg.jp/butudou/imgs/2/b/2be3fde4.jpg
是非とも、日本国中の人々よ、私の弟子たちを軽んじないでいただきたい。
時代をさかのぼって過去世を調べれば、八十万億劫の間、仏たちに供養した偉大な菩薩である。どうして、熈連河の砂の数ほどの仏のもとで覚りを求める心を起こしさた者やガンジス河の砂の数ほどの仏のもとで覚りを起こした者でないことがあろうか。
未来世を論ずれば、八十年にわたって布施を行った者を超え五十番目に法華経を伝え聞いた者と同じ功徳を備えるに違いない。皇帝に生まれた時は産着に包まれており、巨大な竜も生まれたての時は小さいようなものである。決してないがしろにしてはならない。
妙楽大師は「もし、法華経を説く者を悩ますなら、頭が七つに割れ、供養すれば、その福徳は十の称号を持つ仏を供養した場合を超える」とのべている。
最近、
俺に
ゲキオコである
😫
悪業を増幅させ
末那識の汚染が進んでいる?
涅槃経二十二には「悪象等に対しては心に恐怖を懐くことはない。悪知識に対しては恐れる心をもつべきである。なぜかといえば、悪象等は身を壊ることはあっても心を破ることこはできない。しかし、悪知識は身と心の二つを倶に壊るからである。(乃至)悪象の為に殺されても三悪道に至ることはないが、悪友のために殺されるならば必ず三悪道に至るのである」と説かれている。
「諸の悪比丘の多くが名声と利益を求め、国王・太子・王子の前で自ら仏法を破る教えを説く。それを聞いた王は仏法の正邪を弁えず、悪比丘の言葉を信じ、道理に背いた法制を作って仏の戒めを無視していく。これを破仏法・破国の因縁とするのである」と。
続いて『法華経』を読み唱える功徳を
『法華経』法師品第十、並に神力品第二十一を通して教えられます。
日蓮さんは、薬王菩薩の再誕が天台智顗であると御書の随所で申されております。
ここで紹介致します。
薬王よ、おまえはこの大衆の中の数え切れないほどの天人・龍王・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩睺羅伽と、
人間と、人でないものと、出家男子、出家女子、在家信士、在家信女と、自己の悟りのみを求める修行者・独力で悟りながら他人に説かない小乗の聖者・仏道を求める者たちが見えるか。
これらの者達が全て皆、仏の前で、妙法華経の一つの詩、一つの句を聞いて、たとえ非常に短い時間でも、ありがたく思い大いに喜ぶならば、そのような者に私はみな未来世の成仏の証言を与え授ける。「当然、一切の真理をあまねく知った最上の智慧を得るであろう。」
また、如来がこの世を去った後に、もしも、ある人が妙法華経の一つの詩、一つの句でも聞いて、非常に短い時間でもありがたく思い大いに喜ぶのであれば、その者に私は、一切の真理をあまねく知った最上の智慧を得るであろうと未来世の成仏の証言を与えるであろう。
もしも、またある人が、この妙法華経を銘記して忘れず、読み節をつけて唱え、解説し、書写して、この経典を敬い見るさまが、仏を敬い見るようであり、
種々に花や、香や、珠玉を連ねた首飾りや腕輪や、沈香・栴檀・白檀・丁子を合わせて作った香や、身体に塗る香や、焼香や、絹の天蓋や、竿柱に長い帛を垂れ下げた旗や、衣服や、妓楽を供養し、合掌し、恭しく敬うのであったら、
薬王よ、当然知るべきである。この人々は既に過去に於いて十万億の仏を供養し、諸々の仏のところにおいて大願を成就して、生命のあるものすべてを憐れむために、この人間に生まれて来たのである。
何の理由のためかというと、もしも、仏法に帰依した男子や仏法に帰依した女子が、法華経の一句でも教えを銘記して忘れず、読み節をつけて唱え、解説し、書写して、
種々に経巻に花や、香や、珠玉を連ねた首飾りや腕輪や、沈香・栴檀・白檀・丁子を合わせて作った香や、身体に塗る香や、焼香や、網の天蓋や、竿柱に長い帛を垂れ下げた旗や、衣服や、妓楽を供養し、合掌し、恭しく敬うのであったら、
この人は、一切世間の仰ぎ見るべきところだからである。
如来を供養するように、この人を供養すべきである。
生命のあるものすべてを憐れみ、自ら願ってこの人間の間に生まれ、広く妙法華経を演説し、もろもろの事理を思量し識別するのである。
まして仏の教えを銘記して忘れず、種々に供養する者は言うもでもない。
薬王よ、当然知るべきである。この人は自ら清浄な前世や過去におこなった善の行為による報いを捨てて、私がこの世を去った後において、生命のあるものすべてを憐れむために仏法の衰えた悪世に生まれて、広くこの経を演説するのである。
もしも、この仏法に帰依した男子や仏法に帰依した女子が、私がこの世を去った後に、ひそかに、一人の人の為にでも、法華経のたとえ一句でも説くのであれば、
当然知るべきである、この人は、如来の使者である。
如来から遣わされ、如来の事を行ずるのである。
まして大衆の中に於いて、広く人の為に説くならば、言うまでもない。
もしも、ある人が、あしざまにののしる言葉によって、在家者や出家者の法華経を読み節をつけて唱えている人をそしったとしたら、その罪は非常に重い。
薬王よ、この法華経を読誦する者がいるならば、当然知るべきである。この人は仏の智慧・福徳で、自らを荘厳すると。
すなわちそれは如来の肩に背負われることである。
その至るところにしたがって、向かって当然礼拝するべきである。
一心に合掌し、つつしみ敬い、供養し、恭しく敬い、讃嘆し、花や、香や、珠玉を連ねた首飾りや腕輪や、沈香・栴檀・白檀・丁子を合わせて作った香や、身体に塗る香や、焼香や、絹の天蓋や、竿柱に長い帛を垂れ下げた旗や、衣服や、飲食物や、諸々の妓楽をなすことや、人間の世界の最上の供養物をもってこれを供養せよ。
天の宝石をもってこれを散ぜよ。
天上の秘蔵の宝を当然たてまつるべきである。
理由は何故かというと、この人が歓喜して教えを説くときに、ほんの少しの間でもこれを聞いたならば、一切の真理をあまねく知った最上の智慧を窮める事が出来るからである。
その時に、世尊は、重ねてこの意義を述べようとして、仏徳を賛歌して詩を説いて言われた。
当然常に努めて 法華経の教えを銘記して忘れない者を供養すべきである
早く一切のものについて 個々の具体的、特殊的な姿を知る智慧を得ようと願うなら
当然この経の教えを銘記して忘れず また、受持する者を供養すべきである
もしも、よく妙法華経の 教えを銘記して忘れない者がいるなら
当然知るべきである。仏の使いとして 諸々の生命のあるものすべてを哀れみ思いやるのだと
諸々の妙法華経の 教えをよく銘記して忘れない者は
清浄な国土を捨てて 生命のあるものすべてを憐れむためにここに生まれたのである
当然知るべきである、この様な人は 生まれようと思う所に自在に生まれることができる
この仏法の衰えた時代において この上ない教えを広くよく説く
天上の素晴らしい秘蔵の宝石をもって 教えを説く者に供養せよ
私が世を去った後の仏法の衰えた時代に よくこの経の教えを銘記して忘れない者を
当然合掌し礼拝して 世尊を供養するようにするべきである
優れた供え物と、諸々の甘美と 種々の衣服とを
この仏の弟子に供養して 少しの間でも教えを聞きたいと願え
もしも、後の世において この経の教えをよく銘記して忘れない者があるとしたら
私が遭わして人の中に存在させ 如来の行為をさせている
もしも、一劫の間に於いて 常によくない心を懐き
怒りによって仏を罵ったなら 無量の罪を得る
この法華経を 見て読み節をつけて唱え教えを銘記して忘れない者に
その人にほんの少しの間でも悪言を加えたとしたら その罪はそれ以上となる
ある人が仏道を求めて 一劫という長い間において
合掌し私の前にいて 無数の詩によって讃嘆すれば
この仏を讃嘆した事により 無量の現世や来世に幸福をもたらすもとになる善行を得るであろう
経の教えを銘記して忘れない者を歎美すれば その福徳はそれ以上となるであろう
および香、味、感触によって 経の教えを銘記して忘れない者を供養せよ
このように供養し終って もし少しの間でも教えを聞く事ができたなら
すなわちきっと自ら喜ぶであろう 私は今大きな利を得たと
薬王よ、今おまえに告げる 私の説いた諸々の経で
しかもこのすべての経の中において 法華経は最も第一である
その時に仏はまた、薬王菩薩摩訶薩にお告げになった。
私の説く経典は無量千万億であり、過去において説き、今説き、未来においても説くであろう。
しかも、その中に於いてこの法華経は最も信じ難く、理解し難い。
薬王よ、この経は諸仏がみだりに人に教えない重要な教えであるから、
広くあちこち配布してみだりに人に授与してはならない。
諸仏世尊の守護したまう所である。
昔から今まで、未だかつてはっきりと説いたことはない。
しかも、この経は、如来が現に存在していてもなお怨みや嫉妬が多い、言うまでもなく如来がこの世を去った後においては尚更である。
また、他の地方の現在世に出られている諸仏に、心にかけられて守られることを得る。
この人には、仏やその教えを信じ従う強い気持ち、望み願う力、諸々のよい報いを招くもとになる行いをする力がある。
当然知るべきである、この人は如来と共にあるのだ。
そして、如来の手によってその頭を撫で給うことを得る。
薬王よ、あちらこちらにおいて或いは説き、或いは読み、或いは節をつけて唱え、或いは書き、或いは経巻を置く所には、皆七宝の塔を建てきわめて高く、広く、荘厳に飾りなさい。
そこには仏の遺骨を置く必要はない。
理由は何故かというと、この経巻の中には既に如来の全身があるからだ。
この塔を、一切の花や、香や、珠玉を連ねた飾りや、天蓋や、竿柱に長い帛を垂れ下げた旗や、妓楽や、歌曲によって供養し、恭しく敬い、尊重し、讃嘆し奉るべきである。
もしも、ある人がこの塔を見たてまつることができ、礼拝し、供養するならば、
当然知るべきである。これらの人々は皆、一切の真理をあまねく知った最上の智慧に近づいていることを。
当然知るべきである。これらの人は、未だよく悟りを求める修行者の道を行じてはいないのだと。
もしも、この経典を聞く事を得たものは、すなわちよく悟りを求める修行者の道を行じているのだ。
生命のあるもので仏道を求める者がいて、この法華経を或いは見て、或いは聞いて、聞き終って信じ理解し、教えを銘記して忘れないならば、
当然知るべきである。この人はこの上なく正しい悟りに近づく事を得たのであると。
薬王よ、例えば、ある人がのどが乾いて水を飲もうとして、あの高原に穴を掘り水を求めているとき、まだ乾いた土が出て来るのを見れば、水はまだ遠いと知る。
工事を止めないで、湿った土が出て来るのを見て、ついに泥が出るようになれば、その心は確信して、水は近いと知るように、
悟りを求める修行者も、またこれと同じようである。
もしも、この法華経を未だ聞いたことなく、未だ理解せず、未だ習い修めることができないならば、当然知るべきである、この人はこの上なく正しい悟りから離れてなお遠いと。
もしも、この法華経を聞き、悟り、心に浮かべてよく考え、修習する事ができたら、この人は必ず一切の真理をあまねく知った最上の智慧に近づく事ができたのであると知れ。
理由は何故かというと、一切の悟りを求める修行者の一切の真理をあまねく知った最上の智慧は、皆この経に属しているからである。
この経は人を真実の教えに導くため仮にとる便宜的な手段の門を開いて、真実の姿を示す。
この法華経の蔵は、深く堅固で奥深くはるかであるから、人はよく至ることはできない。
今、仏は悟りを求める修行者を教化し成就させるために、これを説き明かし示す。
当然知るべきである、これは、出家して間もない悟りを求める修行者であると。
もしも、自己の解脱のみを得ることに専念し、利他の行を欠いた阿羅漢を目指す修行者がいて、この経を聞いて、驚き疑い、おそれるならば、
当然知るべきである。これは高慢な者であると。
薬王よ、もし仏法に帰依した男子や仏法に帰依した女子がいて、如来が世を去られたのちに、出家者と在家者の男女の四種の衆の為にこの法華経を説こうとするときは、どのように説くべきか。
この仏法に帰依した男子や女子は、如来の室に入り、如来の衣を着、如来の座に坐って、出家者と在家者の男女の四種の衆の為に、広くこの経を説くべきである。
如来の室とは、一切の生命のあるものすべてに対する大慈悲心がこれである。
如来の衣とは、柔和な忍耐の心がこれである。
如来の座とは、諸々の事物は、因縁によって仮に和合して存在しているのであって、固定的な実体はないというこれである。
この立場にたって、しかるのちに善行を修めるのに積極的な心で、諸々の悟りを求める修行者と出家者と在家者の男女の衆の為に、広くこの法華経を説くべきである。
この諸々の仮に人の姿になった人々は、教えを聞いて信じ受け入れ、随順して逆らわないであろう。
もしも、教えを説く者が、人の中から離れた静かで修行に適した場所にいるならば、私はその時には広く天人・龍・鬼神・ガンダルヴァ・アシュラたちを遣わして、その説法を聴かせよう。
私が他の国土に在ったとしても、時々は教えを説く者が、私の身を見る事が出来る様にしよう。
もしも、この経において字句を忘れる様な事があったら、私は帰ってその為に説いて身につけさせよう。
その時に世尊は、重ねてこの意義を述べようとして、仏徳を賛歌して詩を説いて言われた、
諸々の善行を修めるのに積極的でない心の状態を捨て去ろうと願うならば 当然この経を聞くべきである
この経を聞く機会を得ることは困難である 信じて受け入れる者はまた得がたい
ある人がのどが乾き水をほしがって 高原に穴を掘るときに
なお乾いた土を見たならば 自ら遠ざかっていてなお遠いと知る
ようやく湿った土を見て 確信して水は近いと知ることのようである
法華経を聞かないならば 仏の知恵から遠ざかっていて非常に遠い
もしも、これが深い教えの教典であると聞き 自己の悟りのみを求める修行者の教えを達成して
もしも、この経が諸々の経典の王であることを聞いて 聞き終わって明らかに心に浮かべてよく考えるならば
当然知るべきである、この人々は 仏の知恵に近づいたと
もしも、ある人がこの経を説くならば きっと如来の室に入り
如来の衣を着て しかも如来の座に座り
大衆に対して恐れることなく 広く大衆のためにもろもろの事理を思量し識別して説くであろう
大慈悲を室とし 柔和な忍耐の心を衣とし
諸々の事物は、因縁いんねんによって仮に和合して存在しているのであって、固定的な実体はないとする教えを座とし この観点によって大衆のために教えを説け
もしこの経を説くときに ある人が悪口をいいののしり
刀や杖やかわらや石を投げても 仏を念ずるがためにきっと忍ぶであろう
私は千万億の国土に 清く堅固な身を現して
無量億劫という長い時間において 生きるものたちのために教えを説く
もしも、私が世を去った後に よくこの経を説く者には
私は神通力で作った四衆 出家した男子出家した女子
および在家者の男女を遣わして 仏法によく通じ人々を導く師となる者を供養させ
諸々の生きるものたちを悟りの道に導いて これを集めて教えを聞かせよう
すなわち姿を変えた人を遣わして このために付き添い守らせる
もし説法する人が 一人で人の中から離れた静かで修行に適した場所にいて
静まりかえって人の声がしないのに この経典を見て読みそらで唱えるならば
私はその時に説法する人のために 清浄で光り輝く体を出現させる
もしも、章や句を忘れたならば そのために説いて精通させる
もしも、ある人が徳をそなえて あるいは出家者と在家者の男女のために説き
空虚なところで経を見て読みそらで唱えれば みな私の身体を見ることができる
もしも、ある人が人の中から離れた静かで修行に適した場所にいるならば 私は天龍王
夜叉や鬼神たちを遣わして そのために教えを聞く聴衆とする
この人は教えを説くことを楽しみ もろもろの事理を思量し識別し障害はない
諸仏が心にかけて守るために よく大衆を歓喜させる
もしも、この法師に親しく近づけば 早く悟りを求める修行者の道を得る
この師に随順して学べば ガンジス川の砂の数ほどの仏を見奉ることを得る
https://syoubou.wordpress.com/%E5%A6%99%E6%B3%95%E8%93%AE%E8%8F%AF%E7%B5%8C%E6%B3%95%E5%B8%AB%E5%93%81%E7%AC%AC%E5%8D%81%EF%BC%88%E3%81%BB%E3%81%A3%E3%81%97%E3%81%BB%E3%82%93%E3%81%A0%E3%81%84%E3%81%98%E3%82%85%E3%81%86%EF%BC%89/
麦と馬が
鹿に突っ込み入れてるよ
気づきだしたかな
鹿野園の仏教音痴に
それらしく
見せているだけ
まるで出来ていない
ほっておき
話を進めよう
見られる側のモノは、客観的に存在しています。(実在論)
それを見る側の人間の認識は人間の主観(見分)と客観(相分)とで「実体」として認識されます。(認識論)
客観(相分) ---(相)
主観(見分) ---(性)
相分+見分=実体 ---(体)
前五識を対象として
第六意識で立ち上がる縁起です。
汚染された末那識が深層下で働いております。
ですから凡夫は「歪んだ世界」を見ている事になります。
末那識が清浄されると
六根の認識に変化が起こります。(六根清浄)
対象となるモノの阿頼耶識情報を拾い上げ
それを第六意識に手渡します。
<凡夫の認識>
客観(相分) ---(相)
主観(見分) ---(性)
相分+見分=実体 ---(体)
仏の認識で対象が観えだします。
<仏の認識>
此縁性縁起 ---(色即是空)
相依性縁起 ---(空即是色)
此縁性縁起+相依性縁起 ---(色即是空・空即是色)
「片目凡夫、片目仏」
の事です。
主観を空じる(体空)事で
人間の第六意識で立ち上がっていた「実体」が消滅します。
前五識に向いていた「意識」が
阿頼耶識へと向きます。
対象のモノが
今の姿に成り得た「因縁」が観えてきます。(此縁性縁起)
対象が変わる※事で起こる
相依性縁起です。
※意識の対象が前五識から阿頼耶識に変わる
此縁性縁起 ---(色即是空)
相依性縁起 ---(空即是色)
此縁性縁起+相依性縁起 ---(色即是空・空即是色)
↑は、↓このようにも表現出来るかと思います。
<仏の認識>
此縁性縁起 ---(色即是空)
相依性縁起 ---(空即是色)
阿頼耶識縁起 ---(色即是空・空即是色)
しかしクリヤー化されますと
対象の「モノ」を「縁」として
そのモノの阿頼耶識情報を拾い上げて来ます。
〝仏〟だったらどうでしょう。
例えば〝仏像〟を目の前に置いた時
仏の阿頼耶識情報を拾い上げて来ます。
物質から出来ています。
仏の世界観が開けてきます。
物質世界から離れておりますので
「欲界」ではなくなります。
肉体=色です。
なのでこの意識として入る仏の世界観は「色界」です。
その「肉体」を空じるとどうなるか。
「仏」という存在すらも
無くなります。
肉体も無くなって入る世界観
それが無色界という「真如の世界観」です。
この真如の世界にあるのは
「当体蓮華」という当体です。
『法華経』本門で詳しく説かれております。
「円融三観」として顕しております。
「仏の空観」とが
円かに融けあって「如来の中観」が顕われる訳です。
『生死一大事血脈抄』で
次のように説明なされておられます。
詳しくひも解いて
今から説明して参ります。
まず説明しておきたいのが
「一大事」という言葉です。
容易でない事態の事を
世間では「一大事だぁ~!」と言います。
過去にお酒に酔って他人様の車9台を
ボコボコにしてしまった出来事
一大事な出来事だったでしょう。
実は仏教から来ている言葉なんですね。
ディーラーに塗装してもらって
新品同樣の見た目にまあまあ満足気味でしたね
ただ査定に響くだろうから
申し訳ない
「諸佛世尊は唯(ただ)一大事の因縁を以ての故にのみ世に出現したもう」
この世に現れるという意味です。
これを「一大事の因縁」といいます。
仏自らが悟った「智慧」を
衆生にも開かせ、示し、悟らせ、
そしてその境地に入らせることで、
これを開示悟入の「四仏知見」といいます。
「一とは中諦・大とは空諦・事とは仮諦なり此の円融の三諦は何物ぞ所謂南無妙法蓮華経是なり」
と仰せになり、空・仮・中の三諦が円融することが南無妙法蓮華経であると申されております。
1.諸法実相
2.十如是
3.一大事因縁
4.開三顕一
「一念三千の証文は如何に」と問われて
次のように返答されております。
ここでは「方便品」に絞って解説させて頂きます。
「大正新脩大藏經」
https://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/satdb2015.php
T0262_.09.0005b24: 6妙法蓮華經方便品第二
から始まります。
T0262_.09.0007a21: 能知之。所以者何。諸佛世尊。唯以一大事
から始まります。
諸仏世尊。欲令衆生。開仏知見。使得清浄故。出現於世。欲示衆生。仏知見故。出現於世。欲令衆生。悟仏知見故。出現於世。欲令衆生。入仏知見道故。出現於世。舎利弗。是為諸仏。唯以一大事因縁故。出現於世②。
仏告舎利弗。諸仏如来。但教化菩薩。諸有所作。常為一事。唯以仏之知見。示悟衆生。舎利弗。如来但以。一仏乗故。為衆生説法。無有余乗。若二。若三③。
順番に説明します。
所以者何。諸仏世尊。唯以一大事因縁故。出現於世。舎利弗。云何名諸仏世尊。唯以一大事因縁故。出現於世。
訓読に訳すと次のようになります。
所以は何ん、諸仏世尊は、唯一大事の因縁を以ての故に世に出現したもう。
舎利弗、云何なるをか、諸仏世尊は唯一大事の因縁を以ての故に世に出現したもうと名くる。
この世に出現するんだと
舎利弗尊者にお釈迦さまが説いております。
諸仏世尊。欲令衆生。開仏知見。使得清浄故。出現於世。欲示衆生。仏知見故。出現於世。欲令衆生。悟仏知見故。出現於世。欲令衆生。入仏知見道故。出現於世。舎利弗。是為諸仏。唯以一大事因縁故。出現於世。
諸仏世尊は、衆生をして仏知見を開かしめ清浄なることを得せしめんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして仏知見を示さんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして仏知見を悟らせめんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして仏知見の道に入らしめんと欲するが故に、世に出現したもう。舎利弗、是れを諸仏は唯一大事因縁を以ての故に世に出現したもうとなづく。
この四仏知見は、
「十如是」を三つの教え(三周の説法)として開いて蔵教の声聞衆・通教の縁覚衆・別教の菩薩衆の三衆各々の境涯に即して方便品以下で詳しく説かれていきます。
三乗の境涯に即した形で
蔵教・通教・別教の三乗の教えとして
お釈迦さまは個別に各々の真理を説かれた訳です。
仏告舎利弗。諸仏如来。但教化菩薩。諸有所作。常為一事。唯以仏之知見。示悟衆生。舎利弗。如来。但以一仏乗故。為衆生説法。無有余乗。若二。若三。
仏、舎利弗に告げたまわく、諸仏如来は但菩薩を教化したもう。諸の所作あるは常に一事の為なり。唯仏の知見を以て衆生に示悟したまわんとなり。舎利弗、如来は但一仏乗を以ての故に、衆生の為に法を説きたもう。余乗の若しは二、若しは三あることなし。
おはよ〜〜〜ん
😄😄😄😄😄😄😄😄
👽
231.
ユーザー
パ
td05n(2/2)
>>226
誰が➰
そんなことはない、鹿野園さんこそ5チャンの良識であり良心だ!と、常々言っておろうが!
お前らと目の付け所が違うんだよ
ブンブンくん
2024/02/27 04:51:45
Reply
Good
ここではリダンと仲良くケンカしろよー
ジョークだろ。
「唯仏の知見を以て衆生に示悟したまわん」
の文句を日蓮さんの『御義口伝』に習って解釈しますと、
悟りをもって常寂光土へ入らせたもう」
となります。
大聖人がそこのところを詳しく御指南あそばされておりますので
後程、詳しく紹介いたします。
舎利弗。我今亦復如是。知諸衆生。有種種欲。深心所著。随其本性。以種種因縁。譬喩言辞。方便力故。而為説法。舎利弗。如此皆為。得一仏乗。一切種智故。舎利弗。十方世界中。尚無二乗。何況有三。舎利弗。諸仏出於。五濁悪世。所謂劫濁。煩悩濁。衆生濁。見濁。命濁。如是。舎利弗。劫濁乱時。衆生垢重。慳貪嫉妬。成就諸不善根故。諸仏以方便力。於一仏乗。分別説三。
ほーかいくんの平和パワーで
ウマや
リダンとは
敵対しないのであーる
おもろーなネタはアゲルが
😄
舎利弗よ、われも今、またかくの如し。諸の衆生に、種種の欲と深く心に著する所とあることを知りて、その本性に随って、種種の因縁と譬喩と言辞と方便力とをもっての故に、しかも、ために法を説くなり。舎利弗よ、かくの如きは、皆、一仏乗の一切種智を得せしめんがための故なり。
舎利弗よ、十方世界の中には、なお二乗すらなし。何に況や、三あらんや。舎利弗よ、諸仏は、五濁の悪世に出でたもう。謂う所は、劫濁と煩悩濁と衆生濁と見濁と命濁との、かくの如きなり。 舎利弗よ、劫の濁乱の時には、衆生は垢重く、慳貪・嫉妬にして、諸の不善根を成就するが故に、諸仏は方便力をもって、一仏乗において分別して三と説きたもう。
「舎利弗よ、かくの如きは、皆、一仏乗の一切種智を得せしめんがための故なり。」
「方便力をもって、一仏乗において分別して三と説きたもう。」
初説三乗。引導衆生。然後但以大乗。而度脱之。何以故。如来。有無量智慧。力無所畏。諸法之蔵。能与一切衆生。大乗之法。但不尽能受。舎利弗。以是因縁。当知諸仏。方便力故。於一仏乗。分別三説。
初め三乗を説きて衆生を引導し、しかして後、但、大乗のみをもって、これを度脱するなり。何をもっての故なりや。如来には無量の智慧・力・無所畏の諸法の蔵有りて、能く一切衆生に大乗の法を与うるに、但し、尽くは受くること能わざればなり。舎利弗よ、この因縁をもって、当に知るべし、諸仏は方便力の故に、一仏乗において、分別して三と説きたもうなり。
「初め三乗を説きて衆生を引導し、しかして後、但、大乗のみをもって、これを度脱するなり。」
「諸仏は方便力の故に、一仏乗において、分別して三と説きたもうなり。」
(現代語訳で紹介します)
また教え詔すと雖も、しかも信受せず、諸の欲染において、貪著すること深きが故なり。ここをもって方便して、ために三乗を説きて、諸の衆生をして、三界の苦を知らしめ、出世間の道を、開示し演説するなり。
とあります。
「ここをもって方便して、ために三乗を説き」
「出世間の道を、開示し演説するなり。」
開示悟入とは、
「三乗に〝開〟いて〝示〟し〝悟〟らせ一仏乗に〝入〟らせる」
ということが読み取れます。
次の( )の中を埋めよ。
1.妙観察智とは( )の境涯に対して説かれた真理( )である。
2.成所作智とは( )の境涯に対して説かれた真理( )である。
3.平等性智とは( )の境涯に対して説かれた真理( )である。
聞くだけ無駄だもんなー
https://tc-animate.techorus-cdn.com/resize_image/resize_image.php?image=4573155995454_3.jpg&width=500
昼頃書き込みますわ
それどころではないようだ!
😃
アバレウマだ
が
きてない
😃
1.妙観察智とは(声聞)の境涯に対して説かれた真理(蔵経)である。
2.成所作智とは(縁覚)の境涯に対して説かれた真理(通教)である。
3.平等性智とは(菩薩)の境涯に対して説かれた真理(別教)である
埋めてみるだけみたけど
妙観察智
成所作智
平等性智
ってそういうことだっけ?
南無妙法蓮華経
南無妙法蓮華経
南無妙法蓮華経
https://www.youtube.com/watch?v=qhSRBpML-3U
😃
リダンはホント単純というか
読みが浅い!
おまえ単純に声聞・縁覚・菩薩の並びだと思っただろ
縁覚・声聞・菩薩の並びね。
>成所作智
>平等性智
>ってそういうことだっけ?
というリダンにまず、
「成所作智」ってなんでこう言うか知ってるか?
と問うてみる。
心配するのが良く解る
確かに反抗期だな
なんでです?
進んでいるな
どういう進化だか解るか?
解った気でいること
どういう意味だが答えてみ
>ってそういうことだっけ?
って言っているんだろ?
いや分かってないですよ
なんで
>ってそういうことだっけ?
という突っ込みを入れてくる?
理解くらいだからかな
なるほど~
法介さんはそう考えるんだ~
になる。
>ってそういうことだっけ?
って突っ込んでくる君は
何様?
おめでとー!
いや誤解があるようですが
妙観察智ってなんだっけ?
くらいですよ俺
じゃあこれを見よ
http://www.wikidharma.org/index.php/%E3%81%98%E3%82%87%E3%81%86%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%95%E3%81%A1
何て書いてある。
それが妙観察智だと思ってたw
どんな智慧だと思う。
そのモノと成り得た因果だよ。
仏の「因果」で観ると
そのモノがそのモノとなり得た因果が観えて来る。
あった。
http://www.wikidharma.org/index.php/%E3%81%BF%E3%82%87%E3%81%86%E3%81%8B%E3%82%93%E3%81%96%E3%81%A4%E3%81%A1
この智慧によって総持(陀羅尼。無量の教えを忘れずに心にとどめること)と定門(三摩地。心を一つの対象に集中せしめた状態)と功徳(六波羅蜜多・十カ・四無畏などの功徳)とを身につけ、説法の集会において無辺の働きを示し、すぐれた教えを垂れて人びとのあらゆる疑問を断じることができる智慧。
心の(意識の)変化を起こす「相依性縁起」でしょう。
http://www.wikidharma.org/index.php/%E3%81%B3%E3%82%87%E3%81%86%E3%81%A9%E3%81%86%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%86%E3%81%A1
あらゆる存在は一味・平等であるとさとり、大慈悲心を起こして人びとの願いに応じて他受用身と他受用身の国士とを示現する智慧。
それによって末那識がクリヤー化される事で
対象となるモノの阿頼耶識情報を拾い上げて
それを第六意識に手渡すことでそれまでの対象に対する意識(認識)が変わる。
阿頼耶識縁起で起こる「片眼凡夫・片眼仏」(色即是空・空即是色)だ。
仏の認識(空即是色)が
クロスオーバーして顕れて来る
2.成所作智とは(声聞)の境涯に対して説かれた真理(相依性縁起)である。
3.平等性智とは(菩薩)の境涯に対して説かれた真理(而二不二)である。
仏の智慧が「大円鏡智」として顕れる。
大円鏡智
ādarśa-jñāna (S)、仏の持つ四智の一つ。
大きな円い鏡に一切がありのままに映し出されるように、すべてを明らかにする曇り一つない清浄な仏智のこと。唯識で第8阿頼耶識を転じて得られる無漏の清浄智をいう。
密教ではこの智を五智のうちでも金剛部(こんごうぶ)東方・阿閦如来(あしゅくによらい)の成ずる智と特定するが、これら五智すべてが大日如来の円満なる智体を構成する点では、究極的には大日如来に属するものである、とする。
鏡といふは、衆生本有の大円鏡智の鏡、諸仏已証の名号なり 〔一遍語録〕
天台智顗や日蓮さんの釈を用いないと
正しくは理解出来ません。
〝円〟と〝鏡〟とが含まれております。
対象となるモノがどこかにある訳ですね。
妙観察智までに至れば自我ではなく
仏性的なものが働きかけ続け大円鏡智に至る感じですね
「唯識で第8阿頼耶識を転じて得られる無漏の清浄智をいう。」
と説かれております。
「仏性的なもの」って何?
具体的に
解るか
https://moviewalker.jp/api/resizeimage/person/8d/0e/8d0e69b778ea78456fed9351b16ed393.jpg?w=690
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E7%84%A1%E6%BC%8F
ん?よく法介さんが自我に仏性が宿ると言ってませんてした?
『論』(成唯識論の事)には「若し始起のみなりといはば、有為の無漏は因縁無きが故に生ずることを得ざるべし。有漏を無漏の種と為すべからず。」
そんな事言ったか?
末那識に仏性がある訳ないだろ。
阿頼耶識にあるって
何度も言っているじゃん。
おまえ
大丈夫か?
あらそうなの?
及び判断が
出来なくなって来てないか?
進んでるように
見受けられるぞ
交わり過ぎだろ
言う訳ないだろ
もしかして
の事か?
それかな
仏性(無漏種子)は
別だぞ
行いね。
仏が説法する時の意識って
どの識層の意識がそうさせていると思う?
第六意識は起こらない
前五識を対象として起こる意識だからです。
肉体を持たない仏は
どの意識で説法をしているんでしょうか。
ちょっと離席
紹介します。
この御書は天台宗と真言宗の勝劣を
詳しく説明なされている御書です。
真言宗で説かれる大日説法について
痛い程の突っ込みを入れておられます。
法身仏である大日法身が
「どうして説法出来るのですか?」と
様々な形で法を説きます。
『阿弥陀経』で説かれている阿彌陀佛などは
どれも釈迦の化身であると説くのが「仏の四身説」を説く、天台教学です。
報身仏(自受用報身と他受用報身)
法身仏
の四身です。
ご存知でしょうか。
時間認識も空間認識も起こりません。
この世界では「説法」は
まずもってあり得ません。
誰だったでしょう?
報身のお釈迦様?
リダンの事だから
地涌の菩薩!
とか言うかと思った
俺のイメージはいまだに河童
認識を改めねば
その場合のお釈迦さまは
応身なのか報身なのか法身なのか
久遠実成の釈迦と成っております。
「非空」で入っている世界
それが法華経で説かれている「虚空絵」です。
お釈迦さまは
久遠釈迦=法身
ではなぜ法身の釈迦が説法するのか
本物の法身は多宝如来です。
何のことだか
解らずにいるでしょう。
自我意識は末那識に潜んでいる。
末那識に仏性がある訳ないだろ。
↓
251 法介◆T3azX0Hk1U[] 2024/02/16(金) 10:19:08.39 ID:XlNtu
阿頼耶識を因として縁起が起こりますので
仏の意識は第七末那識となります。
おまえその内
>>408 ←こんな風になるぞ
ちゃんと読み取れなく
なるってことね
こうなってくる。
ちゃんと説明しただろ。
説明しても無駄だから
ほっておく。
意味が無い
> 意識と仏性は別だって
> ちゃんと説明しただろ。
仏の意識と仏性は別?
仏性が意識として顕在化されたのが仏の意識じゃないのか?
如来を鏡にコンバートしたお釈迦様
横からですが、どういう意味ですか?
潜んでいたことがはっきりと表面にあらわれる、
または形として顕すことを言います。
どこに何が顕われるのでしょうか?
鹿野園さん、お答えください。
そして何が?
意識だろ。
どういう意識が
どこに顕われるんですか?
阿頼耶識が意識に変わるんですか?
俺のよく言う無分別を自我にコンバートってやつですよ
後得知の意味合いでいいました
言葉の用い方おかしいでしょ。
円だ鏡だ、言語は嘘をつく、方便ともいうし、解釈の幅もあるし
如来は仏、人物
鏡は物質
一緒にしてはイカンのでは?
無為だからってことでしょ
議論に参加されたいのでしたら
コテハンで宜しくお願いいたします。
呼び名に困ります、、、。
仏性。
言葉にえらく執着しているように
私には見えて仕方ないのですが、、、
コテハンで、ですか
失礼しました
用語でごまかさずに
ちゃんとご説明ください。
転識得智によって仏性が意識として顕れればそれを妙観察智と云い、末那識に顕れれば平等性智という。
どこに顕われるのですか?
だめだこりゃ
議論になりゃしない
如来が如来にコンバートする必要はないですからね。
自我って人の心ですよ。
転識得智によって仏性が意識として顕れればそれを妙観察智と云い、末那識に顕れれば平等性智という。
(二回目)
解る。
しかし表現がおかしい。
鹿野園さんはそのようにお考えなのですね。
承知しました。
納得頂けるようにと、するほど執着になりますね確かに
失礼しました
わたしの問いにお答えください。
それはまあ瞑想や禅の効果です
無分別に至るてのは
私じゃない。
大乗仏教だ。
>大乗仏教だ。
大乗のどの経典にどのように記されているのですか?
つまりだ。
仏性が転識得智によって仏の意識としての平等証智に至ってない末那識は、仏の意識ではない。
解深密経に説かれた内容を解釈した成唯識論。
あなたが言う妙観察智とはなんですか?
あなたが言う平等性智とはなんですか?
ご説明ください。
成唯識論のその文句をここに提示されてください。
時折りチェックして〆にくるから。
調子こくなよ😧
成唯識論のその文句をここにご提示ください。
ここでお話をしております。
相手の主張をただ否定なされても
それでは議論は成り立ちません。
出禁者のあなたが
誰の許可を得て書き込みなされて来たのですか?
暇でもないので
とっとと立ち去られて下さい。
これで〆ている気でいるんだから
逃げてっただけじゃん
大聖人は、「方便品第二」について次のような御指南をなされております。
我らの一身が妙法五字であると悟った時が即身成仏だと仰せです。
そして「開示悟入」の四仏知見を開くというのは信心の別名であると申されております。
の御文の意味は、「南無妙法蓮華経」と唱え奉るならば我が身が即空・即仮・即中と開くということです。
その信心を開くにあたり、南無妙法蓮華経を声聞・縁覚・菩薩の三乗の教えとして示すことが示仏知見と云うのです。
(三乗の教えの中で)示された悟りの国土が一身に現われるを悟ることを悟仏知見といいます。
直至道場(じきしどうじょう)とは、「直達正観」といいまして瞑想や禅定をするまでもなく直ちに即身成仏することを言います。私達の身にあてはめるなら御本尊と境智冥合した当にその体こそが当体蓮華の入仏知見となります。
ありがたや~😭
空・仮・中に開いた三諦を正意とするのですが、入仏知見の入の字は迹門の意で解釈すると実相ではあるものの理の範囲内での悟りであって、本門に入って考えると入の意は理論を超えた悟りそのものになるのです。
今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る程の者は宝塔に入ることであり、開仏知見の「仏」とは九界所具の仏界であり、「知見」とは妙法の二字、止観の二字、寂照の二徳、生死の二法であり、色心因果であり、所詮知見とは妙法をみることであり、九界所具の仏界を法華経の知見にて開く事です。
【止観】
仏教では瞑想を止と観の二つに大別する。止とは、心の動揺をとどめて本源の真理に住することで観とは、不動の心が智慧のはたらきとなって事物を真理に即して正しく観察することをいう。このように止は禅定に当たり、観は智慧に相当する。ブッダは止により、人間の苦の根本原因が無明であることを自覚し、十二因縁を順逆に観想する観によって無明を脱したとされる。
止観の止はサマタ瞑想を意味し、観はヴィパッサナー瞑想を意味します。
詳しくはこちらをご覧ください。
サマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想
https://zawazawa.jp/bison/topic/17
【寂照】
寂照とは、小乗に説く「寂滅」に対する語。小乗教では「生滅滅已・寂滅為楽」とあるように、煩悩を断じ尽くし、生死をはなれるところに悟りがあるとする。それに対し、大乗で説く「寂照」は、煩悩即菩提であり生死即涅槃のことである。此の土こそ常寂光土と説き、この世をはなれて悟りはなく、この身体はそのまま常楽我浄なりと説く。
とありますように煩悩(寂)即菩提(照)となります。
「知見とは妙法の二字 止観の二字 寂照の二徳 生死の二法なり色心因果なり」
の御文を解釈すると、
止観の止がまさにそれにあたるでしょう。
「生死の二法」は仏の用の働きと凡夫の体の働き(具体具用の仏)、
それらをふまえて「妙法の二字」には一切の諸仏の智慧が収まります。
何だかご存ででしょうか。
「一念三千即自受用身・自受用身とは出尊形の仏」
それに対し、法華経で説かれる「自受用身」は色相を備えない「一念三千の法門」の事を言うと伝教大師(最澄)は申されております。
日蓮さんが顕された十界曼荼羅本尊です。
十界を備えた仏の相である応身(十界曼荼羅本尊)と
一念三千を説く法華経の心(心性=報身)と
法華経の行者の姿に他なりません。
体の仏です。
俱体俱用の三身の「体の三身」にあたります。
クリアー化された末那識が鏡となって
表に映し出された姿です。
凡夫の世界観・仏の世界観・真如の世界観の
三っつの世界観が円かに融けあって顕れます。
「南無妙法蓮華経」という
無為の真如の法です。
お題目三唱!
沢山唱えましょう。
108回
だって煩悩の数って
108でしょう。
108個ついてるって
知ってます?
一個づつずらしていくんです。
家事に戻るか~
ローラーちゃま
のダブルで
きてたのか〜
😃
鹿野野は、
末那識は平等性智に転識して
仏の識層には「末那識」は、無くなるものと
勘違いしているようだな。
あいつらしい勘違いだな。
もだだこねるだけだから
ほっとこ
おまえは出禁なんだから
勝手に入ってくるんじゃない
ローラーは
のさばってくる
🤢👽🤢🤢
そんな鹿野園向けの話があった
ひと眠りしてから話そう
末那識を止滅させた
声聞の話。
是非聞かせたい。
5chの別の仏教スレを
ウマパーリーと共に破壊ナウ
🤢👽
もてあそんでいる
おれのは大根だぜと言った。
リダ~ン! と叫ぶ
でおーを残して
曲がったキュウリで
波動砲をぶっ飛ばしていた。
100㌧ハンマーを振り上げているとは
知らずに、、、
読む意味を見出せん、、、
酔っぱらい共が
病棟騒ぎ
あんなふうになるんだ
はかなし はかなし
炎吹き消す
妄想の君
に対抗する新スレでも立ててくるかー
立てられん、、、
いつか立てよう。
「股間を開いた麦のスレ」
で立てよう。
鹿野園がローカルルールを破ったから
こらしめに奴のスレを上げておこう。
宗教板ってまともな奴居ないじゃん、、、
まともじゃない
カッパにしか見えん。
意味があるのだろうか。
5ちゃんの書き込み内容であった。
心と宗教板
んで、それでもいいし、それだからこそいいんだよ
威張るのやめると
劣等感で
死んでしまいます〜
🤢
ウマは
かまってもらえないと
寂しさで
死んでしまいます
👽
リダンは、
お勉強してる風をかましたり、
たまに優越感を感じられないと
死んでしまいます
🤢
ある種の餓鬼道なのです
🤢👽🤢
覚りには至りませんよ~!
って話を今からします。
覚りには至らないという事は、
瞑想をやっている馬パーリーや
座禅をやっている鹿野園や
幽体離脱をやっているリダン等の
5ちゃんやここでの振舞いを見て見れば
誰しもが納得されることでしょう。
覚りを得るに至らないかを
解りやすくお話して参ります。
九次第定の瞑想では
覚りには至らないことに気づいておられました。
大体知っている感じ。
釈尊はこの境地にすみやかに達することを得ましたが、これに満足することはできませんでした。そこで、次に師事したのがウドラカ・ラーマプトラで、ここでは「非想非非想処」の境地について学びました。これは「意識(精神作用)があるのでもなくないのでもないという境地」を意味し、「九次第定」でいえば、第8番目に位置します。そしてこの境地にも速やかに達することを得たけれども、これに満足することはできなかった、と仏典は伝えています。
ここで「九次第定」とは、具体的には、初禅・第二禅・第三禅・第四禅・空無辺処定・識無辺処定・無所有処定・非想非非想処定・滅尽定を指します。もちろん、アーラーダ・カーラーマ 自身は無所有処を最高の境地と考え、ウドラカ・ラーマプトラ自身は非想非非想処を最高の境地と考えていたことは間違いありません。しかし釈尊がそれらに満足しなかったことから、更に高次元の境地があるはずと考えた後代の仏弟子が上記のように体系化したのです。おそらく釈尊自身は、そのような体系化は考えていなかったでしょう。
いずれにしても釈尊は、このような境地が自らの求めることとは違うことに気づいたのです。釈尊は後に、瞑想(禅定)を修行の方法として重視しましたが、それはあくまでも手段としてであり、ある境地に達することが悟りではないことに注意する必要があります。
このような禅定をもってある境地に達することを目的とする考え方を「修定主義」といいます。その特徴は、次のようにまとめられます。
「修定主義というのは、精神を肉体の外に抽出しようとするもので、精神の陶冶に眼目をおき、精神を統一鎮静し、精神の奔放な活動である邪念を制御して、肉体とのかかわりから起こる物質的欲望の発動を抑え、平静な精神的至福の境地に入ることを念願する。つまり、われわれの邪念の根源である意識を滅ぼすことによって、絶対空無の境地に入ろうとする。」
釈尊はなぜここで満足することができなかったのでしょうか。第一に考えられることは、瞑想に入って意識・邪念を滅することに成功しても、それはあくまでも瞑想中だけのことであり、そこから出ればけっきょく元に戻ってしまうという、単純な事実です。
この「仏」を観じとる事はありません。
天台智顗が「法華三昧」として解き明かしております。
実は経典の中でちゃんと示されております。
「天台五時教判の根拠と意味」崔 箕杓
https://www.min.ac.jp/img/pdf/labo-sh17_27L.pdf
こちらの論文の中でそれが書かれております。
という項に目を通されてみて下さい。
おはようございます☀
止滅してるからだね
>>601 正解!
入法界品は『華厳経典』ですが
別教では浄土宗における浄土三部経なども菩薩に対して説かれております。
〝無問自説〟の経といわれているのはご存知でしょうか。
「お釈迦さまが説きたくて説きたくて仕方がなかった内容だから、嬉しくてたまらずに自分から語り出した」
というのが〝学者さん達〟の見解です。
重要なところだからです。
「空観」で説かれている教えを
しばし勘違いなされます。
ありますか?
この機会に是非目を通されてみて下さい。
仏説阿弥陀経(現代語訳)
http://www.yamadera.info/seiten/a/shokyo_j.htm
お釈迦さまは何度も何度も
舎利弗に話しかけております。
弟子である舎利弗は
うんともすんとも言いません。
どうしてだと君は思いますか?
無分別に漂って意識が切られてるから
無量寿経(現代語訳)
https://www.zenpoji.or.jp/?p=876
お釈迦さまが阿難に問いかけると
阿難はちゃんと返答して自身の考えを述べております。
この無量寿経の説法の場には、冒頭で記されておりますが菩薩衆も参列しております。
また、大乗の菩薩たちともご緒であった。すなわち、普賢・文殊・弥勒など賢劫の時代のすべての菩薩と、さらに賢護などの十六名の菩薩、および、善思議・信慧・空無・神通華・光英・慧上・智幢・寂根・願慧・香象・宝英・中住・制行・解脱などの菩薩たちとである。
声聞の阿難が受け答えしていることが不思議です。
どうして菩薩に対して説かれた無量寿経なのに
声聞の弟子である阿難尊者が受け答えしていると思いますか?
アーナンダは無分別にもどるときの
タイミングでハッとなったから
止滅ではないんかな
その内容は次の通りです。
<析空観に約して三蔵教を三乗に開く>
蔵教の声聞
蔵教の縁覚
蔵教の菩薩
<体法観に約して通教を三乗に開く>
通教の声聞
通教の縁覚
通教の菩薩
<別相の三観に約して別教を三乗に開く>
別教の声聞
別教の縁覚
別教の菩薩
三乗の境涯に分かれます。
各々の境涯でその理解は異なって来ます。
この時点では既に声聞の境涯を抜け出ているんです。
そうではありません。
菩薩の境涯に至る為の説法を
お釈迦さまから受けているのです。
お釈迦さまが言われている言葉があります。
です。
声聞→縁覚→菩薩→仏
のお話ね。
http://www.yamadera.info/seiten/a/kangyo_j.htm
韋提希夫人を苦しみの世界から救おうと
菩薩行に励んでおります。
解脱を習得していなければ聞く事が出来ません。
舎利弗が九次第定の瞑想をしていたからでしょう。
説法も聞こえていなかったと思われます。
解脱によってお釈迦さまの空観説法を
聞く事が可能となります。
その解脱をいつマスターしたでしょう。
阿難
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E9%9B%A3
天上界に住んで居る菩薩衆も参列しております。
天上界で行われた事は容易に察しがつきます。
ある答えが出てきます。
誰が説いた説いた説法を
経典化したものかという事です。
一巻からなる。浄土真宗の根本経典「浄土三部経」と呼ばれる経典群の中の一つ。『小経』、『小本』、『護念ごねん経きょう』、『四紙しし経きょう』などとも呼ばれる。梵語ぼんご(サンスクリット)での原題は『スカーヴァティー・ヴィユーハ(極楽の荘厳しょうごん)』。『無量寿経』と同じ原題のため、『小スカーヴァティー・ヴィユーハ』と呼ぶこともある。亀茲きじ国こく(新疆しんきょうウイグル自治区クチャ県)の西域せいいき僧である鳩摩羅くまら什じゅう(344-413、350-409という説もある)が紀元402年ごろに訳したとされる。異訳に『称讃しょうさん浄土じょうど仏ぶつ摂受しょうじゅ経きょう』(『称讃浄土経』ともいう)が現存している。また、サンスクリット原典も早くから日本に伝えられ、天台宗の円仁えんにん (794-864) や真言宗の宗叡しゅうえい(809-884)らによって悉しっ曇たん本ぼん(サンスクリット原典)として紹介されているが、この大元となる原本はいまだにインドでは発見されていない。
経典成立時期と編纂者
「仏説[注 9]」とは、釈尊が自ら口で説いた教えのことである。しかし、釈尊の在世時から滅後100年頃までは口伝によって教えである「法」と規則である「律」が伝えられる。それら「法」と「律」は、「結集」によって認証確定されていく。そして滅後100年を過ぎた頃に、「法」を集めた「経蔵」と「律」を集めた「律蔵」が成立したものと考えられる[11]。(詳細は、大乗非仏説を参照)。
成立時期などに関する諸説
仏典研究上では、阿弥陀仏に対する信仰は、客観的な資料がとぼしく諸説[12]存在するが、インドおよび近隣諸国の思想の影響下、「釈尊観の展開によるとする説」が有力である。原始仏教以来の釈尊観の発展、および『無量寿経』の法蔵菩薩説話における仏伝の投影から、浄土教は大乗仏教が伝播するに伴う菩薩思想の深化の中で、釈尊観の展開としたものと考えられる。
仏教学者の中村元は、浄土教・浄土経典は部派仏教がいちおう確立したのちに出現したものとする[13]。140年頃かそれ以前には、『無量寿経』・『阿弥陀経』が漢訳されたとする。(『浄土三部経』下を参照。)
信楽峻麿は、釈尊入滅から500年前後には大乗仏教が成立したものと考え、『無量寿経』の成立時期について、釈尊入滅後約500年とし、編纂者は不明とする(信楽峻麿「阿弥陀仏論」P.251を参照)。
藤田宏達は、原始仏教において、阿弥陀仏、極楽浄土の観念、浄土思想が存在しなかったとする。(教学本部編『伝道』29号、80P.を参照)
紀元後間もない頃(AD100年頃)、北西インドにおいて成立したと考えられている。
https://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/410985#:~:text=%E7%B4%80%E5%85%83%E5%BE%8C%E9%96%93%E3%82%82%E3%81%AA%E3%81%84,%E3%81%A8%E8%80%83%E3%81%88%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%80%82&text=2%E5%B7%BB%E3%80%82,%EF%BC%88%E4%BA%BA%E9%96%93%EF%BC%89%E3%80%8D%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E8%AA%AC%E3%81%8F%E3%80%82
サンスクリット語原典とチベット語訳はなく、いわゆる原典的な資料は確認されていない。漢訳経典とウイグル語訳が現存するが、ウイグル語訳は漢訳からの翻訳と考えられている。本経典の成立に関しては、①訳語中に葡萄の存在を示唆する「瓔珞盛漿」や、仏身の巨大性などから、中央アジアを成立地とする説、②九品が中国の九品官人法に由来することから、中国での編纂を主張する中国撰述説、③阿闍世説話の存在がある一方で、訳語中に「丈六八尺」など中国独自の単位があることから、原典は中央アジアでできており、これを漢訳時に多分に中国的要素を追加しつつ経典を翻訳したとする折中説が提唱されている。近年の研究ではこのうち③折中説が有力視されている。また各種の観仏系経典類との内容的な近似性を考慮すると、具体的な観仏を実践していた部派の影響を受けていることが分かる。漢訳は畺良耶舎が訳出し、僧含が筆受したと伝えている。また訳語中に「亦説法蔵比丘四十八願」とあることから、本経典は『無量寿経』成立後の成立であるとともに、『無量寿経』の影響を強く受けつつ成立したことが分かる。中国では訳出後、金石文などに「九品」などの用例を確認することができるが、本格的な引用は曇鸞の『往生論註』が初出である。その後、隋代から唐代にかけて、浄影寺慧遠じょうようじえおん『観経義疏』、吉蔵『観経義疏』、敦煌文献『無量寿観経纉述』、善導『観経疏』、道誾どうぎん『観経疏』、龍興『観経記』など、多くの註釈書が作成された。
http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E8%A6%B3%E7%84%A1%E9%87%8F%E5%AF%BF%E7%B5%8C
😃
知らなかった
以下の内容です。(現代語訳)
難詰して問う。小乗教は、ただ心から生ずる六道を説いているのであって、心に具する六界を説いたのではない。このゆえに二乗は六界を顕さないし、心に六界が具することを明らかにしない。したがって、どうしてただ六界にある見思惑を断じて六道を出離することができようか。ゆえに法華経如来寿量品第十六にいう「一切世間の天・人・及び阿修羅」とは、爾前経・法華経迹門の両教の二乗、蔵・通・別の三教の菩薩、ならびに五時中の法華経迹門の円人を天・人・修羅と表現したのである。したがって、これらの人々は全く未だ見思惑を断じていない人というべきである。
二乗とは声聞と縁覚の事です。
「二乗は六界を顕さないし、心に六界が具することを明らかにしない。」
と日蓮さんは言われている訳です。
その時、
織田裕二が叫びます!
欲界で起きているんだ!」
と。
「したがって、どうしてただ六界にある見思惑を断じて六道を出離することができようか。」
と言われております。
見思惑とは、見惑と思惑のこと。
見惑は、後天的に形成される思想・信条のうえでの迷い。思惑は、生まれながらにもつ感覚・感情の迷い。
「般舟三昧」と「首楞厳三昧」についてふれております。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk/69/2/69_761/_pdf
行道過程における代表的な三昧として示される.注釈元である『摩訶般若波羅蜜経』と比較すれば,『智度論』の特徴として,不退転と般舟三昧が密接な関係にあることはすでに先行研究で指摘されているが1),首楞厳三昧と般舟三昧を菩薩の行道過程に関連付けて言及する視点は十分とは言い難い.そのため本論では,『智度論』が般舟三昧と首楞厳三昧を大乗菩薩の三昧の代表格とみなす要因と,行道過程上に位置づけられる両者の関係に着目する
「大乗菩薩の行道過程における代表的な三昧」
なんです。
仏の報身説法を聞けたのは
こういった三昧による観法を習得した阿羅漢達だった訳です。
大はしゃぎされていた方々が沢山おられました。
天上界で説かれた説法になります。
そこで聞いて来た説法なのですから。
弥勒が説いたとなっているのです。
解脱をマスターした阿羅漢が
兜率天に入って弥勒菩薩の説法を聞いて来たのでしょう。
とか質問が立ちますが
お釈迦さまに決まっているでしょう。
実は『法華経』は既に説かれております。
幾恒河沙もの量り知れないほど無数の劫の前、日月浄明徳仏と言う称号の仏が『法華経』を説いたお話が紹介されております。
😃
せっかくだから
意味分からないと思われてる同士で話そうか
でおさんの感応道交は
現実風景に映し出すAR(拡張現実)方式じゃないのか?
後はアーナンダは気が緩んだときに
六識から前五識が切り離され体外離脱したんじゃないかと思う
😄
リダン三世のレスを
ここで拝めるだけで
いいことだ
😄
そのうち
やってくるな
たぶんな
😄
リダン的にはそうなるんでしょう。
リダンがそれで納得出来ていれば
それはそれで
宜しいのではないでしょうか。
虫歯が痛いからとて
幽体離脱したところで
何にも現実の解決には至らない(苦しみの解決)としか思えません。
解脱が起きないと
意味がないでしょというのが
日蓮さんの主張です。
そういった事を意味しているものだと
私は思います。
不思議解脱が前五識で方便解脱として起こると
言われておりますしね。
知識で
攻めマンなあ〜
😄
天台知識量で
勝負ですな〜
😄
情報量物量レスで
ローラーに対峙する
潜在的パワーがあるな〜
😄
ほーかいくん御館様〜〜〜
わんばんこ〜〜〜
😄😄😄😄😄😄😄
今日はゴキゲンな仕事やった〜
新たなシステムができた〜
気分は〜
https://m.youtube.com/watch?v=I4FfFUvF97s&pp=ygUQ5p2x5aCC6JG1IOaIpumXmA%3D%3D
魔改造不可能かもしれん
😄
ビンビン物語ね。
かーちゃん迎えに行ってくるー
天台智顗も『維摩経玄疏』の中で次のように申されております。
法華経に明かす父母所生の六根の清浄は、自ずから湛然たるをもって十方界境を照らす。あに六識が滅して別に真の縁修あることあらんや。ゆえに経にいわく、「佛は、一切衆生は畢竟して寂滅なり、すなわち大涅槃もまた滅すべからず、一切衆生もまた滅すべからざるを知る」と。すなわちこれ六識は滅すべからず。
十二因縁で言えば過去・現在の三枝は、これ煩悩道。過去・現在の二枝は、これ業道。現在・未来の七枝は、これ苦道なり。いま十二因縁に三道を明かして三種の解脱を弁じ、思議・不思議の不同を分別せん。
もしは通教には、苦道は即ち是れ真性と説くといえども、すなわちこれ偏真の法性の理、煩悩即空と説くも、空は実慧にあらず。業道即空と明かすといえども、空は方便にあらず。ゆえに三種は不思議の解脱にあらざるなり。
「色即是空 空即是色」による解脱です。
<凡夫の世界観からの解脱> ---(方便の解脱)
仮=「色即是空」順観の十二因縁
空=「空即是色」逆観の十二因縁
中=「色即是空 空即是色」
客観における真理「色即是空」--- (此縁性縁起)
主観における真理「空即是色」--- (相依性縁起)
実体の真理「色即是空 空即是色」--- (実体→当体)(※当体=真実の姿)
真理を覚った「仮諦」へと変わります。
即ち、現実の世界である人間の「主観と客観」といった世界観の中で
不思議な出来事(縁起)が起こる訳です。
以前にもお話しましたが今一度紹介しておきます。
法介 259e67dbae 2023/10/12 (木) 04:32:51 修正
私の父が亡くなった時に私が体験した不思議なお話を少々。
私の父は、母と結婚するまではキリスト教信者だったのですが、母が長女を生んで翌年に二卵性の長男と次女が双子で生まれまして、三人の育児に気がめいった母が育児ノイローゼになり、母方の創価学会員の叔母から折伏されて学会に入りました。
何事もやる以上は徹底的にやる性分の父で、当時としてはお医者さんの学会員はめずらしくあっという間に初代九州ドクター部長の職無につきました。
父が九州幹部を任された当時九州創価学会の総責任者は、戸田先生から九州広布を託された戸田門下の一番弟子、石田次男さんでした。教学において彼の右に出る者はないと言われた程、教学に精通されていた人物です。創価学会の池田先生の教学が「おかしい」と真っ先に気づかれたのもこの石田次男さんです。戸田先生亡き後三代会長の打診も戸田先生は次男さんになされていたようですが、
「自分はまだ会長職を引き受ける程、覚ってはおりません。」
とお断りなされていたようです。それをここぞとばかり古参の原島宏治理事長を言いくるめて、さっさと会長職をゲットしたのが池田先生です。(原島理事の息子さんが自身の著書の中で当時の状況を詳しく綴っております)ですから池田先生にとって先輩にあたる石田次男さんは、大変やっかいな存在だったのでしょう、小説『人間革命』を使って石田さんのイメージを徹底的に陥れたりしております。
その石田さんが九州広布の総責任者として九州創価学会の基盤を築いておられた昭和30年代、私の父もその石田次男さんの教学を受け継ぐ一人でした。
父は毎日朝必ず2時間の唱題を行いその後に御書を読み、数回に渡って御書を完読しておりました。私も小学生の頃から自分用の御書を与えられ、中学生の時に最初の教学試験いわゆる任用試験を受けました。事あるごとに御書を通して日蓮仏法の正しさ、素晴らしさを私達五人の子供達に教えてくれました。
そんな父が長年住み慣れた福岡の地を去り、兄が住む北九州に母と弟を連れ引っ越しました。そのころに私はネットで石田次男さんが書かれた池田先生の外道義教学を論破された論文と巡り合い、外道信仰(宇宙の法則)になり果てた学会を私は去りました。姉(長女)からは仏敵呼ばわりされ兄(長男)からも非道者呼ばわりされ、親戚一同からも村八分され、学会定番の脱会者=極悪人のレッテルも貼られました。
法介 259e67dbae 2023/10/12 (木) 04:37:51
私は元々、常に学会活動の中に「なにかおかしい」を観じておりましたのでこういった性分ゆえに、九州の学会本部にもたびたび物申しに行かせてもらっておりました。
父からよく、
「また吉橋さん(←当時の九州総合長)から、あんたんとこの息子が本部に文句言いに来よったぞ、と言われたよ。」
と、言われて申し訳なかったのですが、何分納得のいかない事に対しては一歩も引けない融通の利かないゆゆしき奴なので^^
そんな父が北九州の病院に入院したと聞いて、東京に就職してちょうど里帰りしていた私の次男を連れて病院に見舞いに行きました。思ったよりも元気そうで安心し、近くの資さんうどんに次男とお昼を取りにいって病室に戻ってみると姉(長女)が同じように見舞いに来ており、
「お父さん! 大丈夫!」
と慌てふためいておりました。主治医の先生も様子を見にこられたんですが、父が先生になにやら必死に伝えておりました。
どうやら父は主治医に「家に帰る」と言いっているようで先生は、
「そんな事は許可出来ません!」
と当たり前のように跳ね除けていたのですが、駆けつけた長男(←こやつも医者)が、
「私が全責任を取りますから」
と申し出て、父を救急車で病院から兄の自宅へと搬送する事になりました。担当医はあきれた容姿で言いました。
「こんな事、私は医者をやってて始めてですよ、、、」
そうですよね。普通は家から病院に救急車で運ばれるものですよね。
流石私の父ですね^^
人がやらない事をやりたがるんです。うちの血筋は、、、。
法介 259e67dbae 2023/10/12 (木) 04:42:53
救急車で兄の自宅まで運ばれた父は、病院で付けられていた管や装置は一切外され、仏間の御本尊の前に布団を敷き、後ろに布団をあてがって上半身を起こして父は唱題を始めました。
私達兄姉も父を囲むように座り父の唱える声にならないお題目にあわせ皆で唱題しました。十数分でしょうか父がもういいといって今度は自分の御書をくれと言い、兄が手渡すと自分が好きな御書のページを開いて目を通すと満足そうに兄に御書を返して、
「寝かせてくれ」
といって当てていた布団をどけ、寝床に就かせると静かに眠りについた。
いや、まだ死んではおりません。
ただ、眠りについただけです。
眠りについてどれくらい経ったであろうか。
2~3時間ぐらいだったかと思います。
私が父の様子を見に行くと、呼吸がだんだん弱くなっていくのを確認しました。
兄が、
「そろそろやね」
と言った。
皆が父を囲み右手を私が左手を長女がそれぞれ握りしめ、
「お父さんありがとう」
と皆がそれぞれ最後の別れを告げた。
それを聞き取ったかのように父の呼吸が静かに止まった。
お父さん、あなたの子として生まれて来た事を誇りに思います。
兄姉皆、同じことを心の中でつぶやいたであろう。
ここに、わたしのyahoo知恵袋での投稿があります。どうか目を通されて下さい。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14280361174
法介 259e67dbae 2023/10/12 (木) 04:48:31
父が亡くなる三年前、母が先に旅立ちました。
母の最期は病院でだった。深夜だった為北九州の長男夫婦と次女の三人が付き添っての臨終でした。
姉(次女)が後に私にこう言った。
「法介が居なくて良かった」
その言葉の意味は、兄姉の中で人一倍母を慕っていたのが私だったからです。
姉(長男の嫁)がある時何気に口にした。
「お母さんの時は、ちょっと可哀そうだったよね」
と。
母の死を聞いて良く朝私は父の北九州の家(←長男の家の近所に立てた)に駆け付けた。
横たわる母の顔は、少し苦しげだった。
私は、母の枕もとに寄り添ってずっと一人、題目を送った。
私の妻と三人の子供達も福岡からやって来た。
会館で母と最期の一夜を過ごした時、我が家の皆で母に法華経を唱えお題目を送った。うちの子供達は父が私にしてくれたように、事あるごとに私がこの仏法の正しさ素晴らしさを子供達一人一人に語って来た。
皆、どこの宗派にも団体にも属してはいないが、日蓮仏法を自分の意志で実践している。
家族での勤行・唱題を終えて母の顔を見た妻が言った。
「お母さん、って呼びかけたら今にも目が開きそうな、まるで生きてる見たいに眠ってるね」
と。
翌日、葬儀を終え出棺のさい、皆で棺のふたを閉める時、母の最期の顔は優しく微笑んでいた。
モコちゃんという名を娘が付けて可愛がっていた。そのモコがある朝急に亡くなって、ゲージから取り上げると既にカチコチに硬直していた。その亡骸を御本尊の前に寝かせて私はずっとお題目をモコちゃんに送った。そして娘が学校から帰って来て、
「モコちゃん抱っこしてごらん」
と娘に渡すと、娘は驚いた。
「柔らかくなってる」
カチコチに硬直していたモコちゃんの体は、生きている時のようにしなやかになっていた。
モコちゃんは娘にお題目の凄さを身をもって教えてくれた。
法介 259e67dbae 2023/10/12 (木) 04:53:16
父が亡くなった通夜の前の夜、兄の家で父と最後の夜を過ごした。
深夜一人で2~3時間は父にお題目を送っただろうか。
唱題を終えて父の枕もとに於いてある父の御書をふと手に取り、何気に開いたページに目をやると、そこには偶然にも次の文句が記されていた。
御書の984ページ『始聞仏乗義』、
「末代の凡夫此の法門を聞かば唯我一人のみ成仏するに非ず父母も又即身成仏せん此れ第一の孝養なり」
その御文を目にした私の目から止めどもない涙があふれ出た。
おしまい。
https://zawazawa.jp/yuyusiki/topic/24 より
😄😄😄😄😄😄😄😄
ウマとローラーが
なにかシコシコと独り言で燃え盛っていたよーだ
🤢👽
0534リダンツァー ◆gEV3xsS//k
2024/02/29(木) 07:52:53.29ID:Wfx9HP2X
>>498
仏教とは関係なく俺の疑問なんだが
お茶が真如をあらわに現前していることで
あなたは何に気づく、悟るのでしょう?
ただ単に五識が六鏡と同一して真如を感じたにすぎないが
そこに何を見出したのですか
良い事言った!
そこなんです。
現実の感覚で
覚ることで
現実の苦しみの世界を
覚りの世界へと
変えていく事が出来ます。
空諦で相依性縁起が起きて意識が変わり
中諦で阿頼耶識を因とした縁起が起こります。
滅するしかなかった「煩悩」を
滅する事無く菩提(覚り)へと転じていく
煩悩即菩提の法門(法理)を大乗では解き明かしました。
安堂商会?
0541リダンツァー ◆gEV3xsS//k
2024/02/29(木) 08:23:34.85ID:Wfx9HP2X
物理法則という真如の現れとして
1+1=2なんだなあ☺
と
たしかに真に理解しているでしょう
2は1と1がの合わさりを離れてあるわけではないと
しかし=2というのは無限大数と無限大数の無限の組み合わせがあるわけで
何故俺らは無限大数と無限大数の組み合わせに影響を受けるのか?
0540神も仏も名無しさん
2024/02/29(木) 08:23:18.58ID:HHWoNhM6
>>534
禅が設定する「真如」は「心境不二」なので
「お茶を飲んでいる」ということに集中することを通して
「お茶」と「わたし」という「鏡」と「心」が一つになる時
「わたし」が忘我されて、それが自然と進むと
わたしがそもそも真如だったと発見することになるということです
まずお茶を飲みましょう
(ここから↓お手本)
わたしがそもそも真如だったと発見すること?
わたしが真如?
わたしが覚り?
わたしって何の覚りですか?
となれば、上出来。
凡人ですね。
https://www.mbs.jp/mbs-column/p-battle/thumb/20181108191013-5e1b2acc9b60229b6d294235f5e0e782dfec8c30.jpg
川^〇^ハレおはよう♪
麦が社会に出たての頃
職場の愚痴を母にこぼしていたんだけどwww
暇だから悩むんだよwww
石の上にも三年
以上www
物事を因果で捉えます。
例えば、
また一味違った味がしますな。」
流石法介さん、違いが解るんですね」
御こしですかな?」
わたしが立てた事にしておこうと思っておりましたが
真実を覚られてしまいましたわー!」
0554リダンツァー ◆gEV3xsS//k
2024/02/29(木) 08:57:26.47ID:6H0lVwdw
>>549
真如に同一してドラッグでアヘッてるのと変わらん
何? このセンスのない例え
マン〇にちんちん突っ込んでアヘッてるのと変わらん
でしょうに~
いやマジでドラッグですよ
サーマディ、無分別ってのは
脳死といっていいか
確かに。
真如だからね。
↑ここの「245158782*******さん」の回答覧見てみ
感動すっから
「才能あり」なのよ!(夏井先生)
見落としてた。
ごめんよ麦。
おはよー^^
😃
ここでリダン三世のレスを
拝めるのは
悪くはない
😃
ローラー襲来の
カウントダウンだな
😃
「また〆に来てやる」とか言ってたが
どこかで鹿野園に〆られたか?
どこで〆られたんだ?
教えてくれないか麦ちゃん。
あいつ
幻影を見ているのか、、、、
zenさんが回答して来たー
あいつを〆たぞ〜
と
脳内ホルモン出して
自家発電ローラーしとるのでしょうな〜
😃
無限大数と無限大数の組み合わせの下りは
相依性縁起ととっていですよ
😃
うぅ~~~~~ん
マンダム
としか返答できん。
0560神も仏も名無しさん
2024/02/29(木) 09:43:52.84ID:7UyPqNuT
集中は、対象(境)があるわけだから、三昧じゃないんだよ。。
集中とかの力を抜いて坐らないと、三昧にならない。。
三昧は対象性を欠いた意識です。。
「三昧」をより深い瞑想みたいに
勘違いしているがな。
どこの勘違い学者の説をウィキペディアに編集してんだよ。
素人さんはウィキペディアに書かれている情報を真に受ける。
ここで
シカを
厳しく躾してやってる〜
😄
総合】仏教質問スレ☆彡その9【初心者歓迎】
ロンさんのここでいう三昧は
サーマディの意味です
音写ですね
サーマディと言ったほうがいいですね
そうそうその意味でロンさんは言ってます
小乗仏教
それではまずいと覚って
唯識とか空理を取り入れて説いているみたいだが。
そんな感じ。
わたしは理解しているが。
スルーされるのに
がんばるのを
😃
リダン三世的には
自分の知らないものは
自分よりも劣っていると
解釈している
リダン三世故に
世界一の怪盗?
😃
こ。
サーマディの話ですよ
ローラーさまを
お呼びですね〜
😄
ふむふむ。
テーラワーダとかが言う「サーマディ」は
リダンが言う通り単なるヨガ。
心の体操。
お呼びじゃない。
鹿野園は出禁。
ちゃまは
5chの他人のスレを荒らすのに
ご執心ですな〜
リダン三世隊員
ウマデンパパ隊員の
協力の下
過疎り廃墟になるまで
お頑張りなさるよーです
😃
向こうでやっとくれ
今、リダン三世と共に荒らしている
他人の立てた5chスレを破壊に
ご執心なので
満足なされると、こちらに
お現れになられると
思います
😃
瑜伽行(サーマディをツールとして)
唯識を説いたということです
ふむふむ。
影の軍団シッカー
ローラー総帥
デンパパウマ隊員
リダン三世隊員
麦隊員
裏側潜入隊員は
暇人隊員ですね、
スレが過疎り廃墟になるまで
頑張られるよーですな
😃
出動!
😄
少なくとも禅もどきはサーマディがゴールと思ってるんですよね
ローラーちゃまの
一言〜
🤢
0795 栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm 2024/02/29(木) 11:28:51.96
過疎ってていいんだよwww
どうせ質問は誰かの自演なんだしwww
ID:pKJTXD/F(3/3)
ローラーちゃまと
パーリーちゃまに
いってあげなよ〜
リダン三世の御威光で
😃
メンタル強そーな
ローラーちゃまや
ウマちゃまとは
闘いたくない?
😃
馬さんは前はそうだったけど
今はそうじゃないでしょ
このスレではサービスいいやろ
😃
他の特定スレは刈り取りに行く
悪い警官役
😄
😃
馬さんとは何か議論したよ
鹿ちゃんはサーマディがゴールとは思ってないだろ
金星人と交信したり、
悟りの魔術使用がゴールらしいですよ
😃
リダン三世には
サービスを
良くすると
キメている
😃
まああまりスピ色強いときは
聞きにまわるわ
一面的な理解しかてきなさそうやな、
このスレでの俺のレスをみれば
多面性あると
理解できるもんだ
役割プレーしとるだけ
と
洞察できなさそうやもんな
リダン三世は
😃
多面性対応だ
😃
ローラーだけは
一定対応かな
😃
オモシロ人気者
大スターやからな、
あんな器量の人間は
とても
大事にしたらなあかん
😄
只今、我が家の経済大臣を送迎中~
荒らし暇人がローラー達を引き寄せているので、
このスレには
ローラーは
上陸してこない、
と
予測です
😄
ローラー、リダン、パーリーを
釣っていると言う
スレ主にとっては
迷惑な展開
😭
にたもの同士が
鏡のよーに
レスの応酬しているので
基本的には
彼らの対話は
どーでもええ
😃
荒らし暇人が
ローラー、リダン、パーリーを釣ってもりあがっているという
呆れた展開だな
😃
リダン
無分別智って勘違いしていないか。
勘違いしていると思うな。
ぐらいに考えてないか?
解らない境地だ。
欲界の凡夫と色界の仏とが
阿頼耶識の無分別の智慧で
一体となって顕れることを言う。
観じ取れない境地だ。
座禅で観じとっているのは
「自身の心」でしかない。
自身の心な訳だからな。
観得出来ない境地だ。
種類がある。
釈迦=応身
阿彌陀佛=他自受用報身
まあ無分別はそれくらいの話です
法介さんの言う無分別智とは違う話ですよ
三身の事について普賢経には「仏の三種の身は大乗経から生ずる。この大法印は、仏の涅槃という成仏の大海を証明したものである。この大涅槃海の中から、よく仏の三身の清浄の身を生ずるのである。この三種の身は、人天の衆生が縁して善根を生ずる福田であり、また人天から供養を受ける資格をもつものの中で最高のものである」と説かれている。
三身というのは、一には法身如来であり、二には報身如来、三には応身如来である。この三身如来を一切の諸仏は必ず具えている。たとえば月の体は法身にあたり、月の光は報身であり、月の影は応身にたとえられる。一つの月にも三つの側面があるように、一仏には、三身如来の徳が具わっているのである。
であるから、画像・木像の仏を開眼供養することは、法華経・天台宗に限るのである。
五眼が次のように開かれると
『十八円満抄』で説明されております。
妙=仏眼:第九識は法界体性智
法=法眼:第八識は大円鏡智
蓮=慧眼:第七識は平等性智
華=天眼:第六識は妙観察智
経=肉眼:前の五識は成所作智
知恵袋でsiaさんって方が詳しくて
今、対話中~
馬ちゃんが詳しそうだな。
> リダンやJBは、サーンキヤ学派って知ってるか?
そりゃもう
個人的に、大好きなテーマですがな😂
ヨーガスートラのスレを立てた覚えがあるのだが、今はないみたいだな?
【ヨーガ・スートラ】インド思想【バガヴァッド・ギーター】
https://itest.○ch.net/rio2016/test/read.cgi/psy/1679989681
開かんがな~
〇ってなんだよ↓
https://itest.○ch.net/rio2016/test/read.cgi/psy/1679989681
唯識をパクってない?
でも、サーンキヤ哲学として体系的にまとめられたのは、仏教よりもずっと後の時代
当然、仏教からは深い影響を受けている
もちろん、唯識論からも影響を受けている
◯のところには、5 が入る
後でゆっくり目を通してみる。
そりゃ、地理的に近いし、影響を受けている
↓
スピリチュアル・ブーム
↓
ヨーガ?
日本では、
「仏教は無我の思想、サーンキヤ学派などのインド哲学は真我の思想」
と図式化して、正反対の思想であるかのように語る人がよくいる
(聖ウンコ師もその1人)
でも、この2つには見た目ほどの違いがない
仏教以後のインド哲学は、仏教から深い影響を受けている
根本的に似た思想
う~ん、どうかなあ?😅
臨済宗のどっかのHPでは、「真我」という言葉を用いてたぞ。
仏性を「光り輝く存在」
のように解釈している。
『法華経』では本因と本果として仏性が説き明かされている。
自分の阿頼耶識とし
それを因として縁起を起こすか
天台が一念三千の法門として
説き明かした。
決して他経では明かさなかった
秘密の法門
日蓮さんがそれを本尊(対境)として顕した。
何を意味するのか
その深い意味を天台と日蓮は知り得た。
日蓮は上行菩薩の再誕(五千塵点劫の本化の弟子)
日蓮は『法華経』本門で説かれている事の一念三千を顕した。
荒らされている
スレ主は
スルー戦術を
とらないので、
ほーかいくんスレにはあらわれない〜
あらためて、
ほーかいくん御館様〜〜〜
わんばんこ〜〜〜〜
😄😄😄😄😄😄😄😄😄
リダン三世と
デンパパが
テンパノリで
アンドーを
いじって遊んで
廃墟である
🤢👽
ちょっと聞きたい事がある。
西暦でいうと何年頃?
このあたりだろうけど。
法華経に
陀羅尼があるよ
😄
😄
『般若心経』の最後でも真言が説かれている。
中国(南北朝~隋)の天台宗の祖である天台大師智顗(ちぎ、538~597)は、坐禅の指導書『天台小止観』で、「半跏趺坐ならば左足を右足の上に置く、結跏趺坐ならば半跏趺坐の時に下になっている右足を持ち上げて左足の上に置く(=左足の上に右足を重ねて置く)。右手の上に左手を置き、手を重ねて相対する」と記しています。この『天台小止観』は、後世に大きな影響を与えました。
仏性を「光輝く心」と説いているのはチベット密教。
智顗の後の時代に中国に伝わって来ているはず。
オレ的は、
よーわ変わらん意味だな
😄
よくわからん、
915自体はあるだろうけど
😄
中国にはチベット密教が既に伝わっていた。
そのチベット密教を円仁・円珍が日本の天台宗に取り入れていった。
微妙なセンスで
😄
天台智顗や日蓮さんに
本覚思想はないって。
?
もし、チベット密教=ゲルク派
中心と考えると、
その発想はビミョーである
😄
チベット密教から来たもの。
😄
なんだよ?
忖度カマスレスに
しとくよ〜
ほーかいくん御館様は
貴重なお祭り男だからだ
😄
勘違いしてるか?
ただ識のみ
の理解の発展形と
みないと
ほーかいくん御館様〜
おはよ〜〜〜ん
😄😄😄😄
でおーのトークは
それについては後程
話すつもり
感覚的に
2つぐらいありそーだ
テーラーワーダ的方向性の禅
唯識から展開した他の仏教各派
日本で生まれた本覚思想
それだけよん、
😄
今回、
あることに気づいた。
リダンデも無理だ
さらに
忖度しながら
レスしてるし〜
😄
最初からそう言ってくれ
その通りだな。
してるのは
掲示板では
ほーかいくん御館様だけだな
他は基本遠慮なし
😄
無形象唯識派=テーラーワーダ的方向性
有形象唯識派=法相宗や日蓮仏法
有形象唯識派=天台・日蓮仏法(法華経で示された本因本果)
仏性の正体を覚ったグループと
覚れづに「光輝く心」でごまかしたグループとに分かれた。
何なのかを詳しく説いているのが
『法華経』
今からzenさんと話をするところ。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11294165311
今回も自分で新スレ立てるから~
それ自体が外れている、
ま、八宗綱要という明治以前までは
大乗仏教の入門書と呼ばれるヤツの
サワリがわからないのが
トークと5chの大方だろうな、
それの土台システムがわからんと
チベット密教もわからんよ
5chレスしとる禅系統のカムイを除く名無し2名ぐらいは
その土台前提の話しは通じる
理事無間法界とか
事事無碍法界とか
知らんで
レスしとるのが大方やからな〜
その土台でマトモにレスしとるのは
現在は曹洞宗系統1〜2名だよ
😄
俺は
ほとんどマジレスしてないの
わかるやろ〜
マジレスする相手と
タイミングはえらんでいるタイプ
タイミング選べるの
妙観察智と成所作智があるということやな
😄
密教は華厳系統の教義学がある
だから
日蓮がギャーギャーやっとたんやろ
天台宗も、そーだが
天台よりも華厳の方が上においとるとか
チベット密教もそういう感じさ、
八宗綱要の理解が、ないと
そういうのも見えん
理屈としても
😄
川^〇^ハレ神秀禅師は始覚で
>身は是れ菩提樹 心は明鏡の台のごとし
時時に勤めて払拭し 塵埃に染さしむること莫れ
慧能禅師は本覚で
>菩提は本より樹無し 明鏡も亦た台に非ず
本来無一物 何れの処にか塵埃有らん
でおーたんが以前UPした真言宗のお坊さんの動画
事事無碍法界感動しました♪
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11294165311
解りやすく話さんと
それじゃ言っている内容が
伝わってこないぞ。
また後程詳しく紹介しましょう。
も少しちゃんと語ってみ。
https://talk.jp/boards/psy/1709252947
∞ノノハ∞
川^〇^ハレおはよう♪
中期密教における真言について
~『金剛手潅頂タントラ』を中心として~ 元 山 公 寿(大 正 大 学)
https://nbra.jp/publications/70/pdf/70_23.pdf
このように二諦に似た構造によって,真言を説明しているのは,この最勝心真言や,平等性の位に関してだけではない。それが以下のように法界に関しての記述である。
諸如来と諸菩薩が,「これは真言である」「これは印である」「これは本尊である」と安立した。その法界は,色あるものでなく,説かれることなく,執着されるものではなく,動かされるものではなく,如来が,縁起していると安立したことによって,安立されたものである。縁起しているから,一切の所作を為すのである。
これと同様のことは,大乗に関しても次のように説かれている。
善男子よ,如実に住する法性といわれるこれは,不可思議法性の異名である。
「金剛手 頂タントラ」では,ここで説かれている大乗に入ることを一つの目的としている。その目的である大乗には有為という面と無為という面とがあり,ここでの記述から,前者が法界の世俗的な面を表し,後者が勝義的な面を表しており,そのうち,後者の法界の本来の姿が法性であることがわかる。
ここでは
スルーはしないぞ〜
😃😃😃😃😃😃
中国、朝鮮、日本の仏教は
中論の正式な後継者てはない、
という扱いになる、
とくに
ゲルク派の立ち位置では
😄
中論などの論書をキチンと学習して合格しないと
正式な密教を教えてもらえないシステムである
😄
単純なチベット仏教理解は無理がある
😄
そこら辺をちゃんと理解しているんですよね。
ご説明ください。
ちゃんと説明してもらおう。
唯識の事で
知ってたら教えて欲しい。
↑これとか↓これ。
https://www.youtube.com/watch?v=JSXeKjpuC_U&t=1732s
それを確認したいんだ。
見分は有るが相分はないが
正義とする(護法説)と説明してるよな。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/7/1/7_1_13/_pdf/-char/en
根本智については見有相無読が正義であり、後得智については見相倶有読が正義とされている。
と述べられております。
ちゃんと解って説明してるのかな?
と疑問に思う発言がちょいちょい見受けられる。
ここにアップしている。
https://zawazawa.jp/ih7rwppzfjg3bxul/topic/11
(有義は、此の智慧には、見は有りて相は無し)
>説無相取不取相故。
(相無くして取る、相をば取らずと説けるが故に)
>雖有見分而無分別説非能取非取全無。
(見分は有りと雖も、而も無分別なるをもって、能取に非ずと説けり。取ること全無には非ず)
>雖無相分而可説此帶如相起不離如故。
(相分は無しと雖も、而も此れいい如の相を帯して起こると説くべし。如に離れざるが故に)
>如自證分縁見分時不變而縁此亦應爾。
(自証分いい見分を縁ずる時に変せずして縁ずるが如く、此れも亦た応に璽るべし)
>變而縁者便非親證如後得智應有分別。
(変じて縁ぜば便ち親しく証するに非ずなんぬ。後得智の如く応に分別あるべし)
>故應許此有見無相。
(故に応に此れには見のみありて相は無しを許すべし)
>諸後得智有二分耶。有義倶無離二取故。
>(諸の後得智には二分有りや。有義は、倶に無し二取を離るるが故にという)
>有義此智見有相無。説此智品有分別故。
>(有義は、此の智には見有って相無し。此の智品には分別有りと説けるが故に)
>聖智皆能親照境故。不執著故説離二取。
>(聖智は皆能く親しく境を照らすが故に、執著せざるが故に、二取を離れたりと説くという。)
>有義此智二分倶有。此思惟似眞如相不見眞實眞如性故。
>(有義は此の智には二分倶に有り、此は似の真如の相を思惟して、真実の真如の性をば見ずと説けるが故に)
>又説此智分別諸法自共相等觀諸有情根性差別而爲説故。
>(又た此の智は諸法自共相等を分別し、諸の有情の根性の差別を観じて而も爲に説くと説けるが故に)
>又説此智現身土等爲諸有情説正法故。
>(又此の智は、身と土との等きを現じて、諸の有情為に正法を説くと説けるが故に。)
>若不變現似色聲等寧有現身説法等事。
>(若し現似の色聲等を変ぜざれば、寧んぞ身を現ぜし法を説くが等き事の有らむや)
>轉色蘊依不現色者轉四蘊依應無受等。
>(色蘊の依を転ずるをもって色を現ぜずといわば、四蘊の依を転ずるをもって受等も無かる應し)
>又若此智不變似境離自體法應非所縁。
>(又若し、此の智は変じて境に似ずといわば、自体に離れたる法は所縁に非ざる應し。)
>縁色等時應縁聲等。又縁無法等應無所縁縁。
>(色等を縁ぜむ時には、聲等を縁ず應し。又無法等きを縁せしむるときは所縁縁無いかる應し)
>彼體非實無縁用故。
(彼は体実に非ざるをもって、縁用無きが故に)
>由斯後智二分倶有。此二見道與六現觀相攝云何。
(斯に由って後智には二分倶に有り。此の二の見道と六現観と相攝すること云何。)
これ↑を以て後得智には、見分も相分も有りとするのが正義です。
知恵袋の方で後程、
語って来る。
これによつて即ち成唯識論では根本智と後得智とを通じて、見相倶無読と見相倶有読と見有相無読との三読が掲げられているが、このうち根本智については見有相無読が正義であり、後得智については見相倶有読が正義とされている。
後得智については見相倶有読が正義とされている。」
↑の27:58から29:28の間で根本智と後得智の説明がなされている。
後得智では相分は復活するといっているものの、
その後、根本智の話を全面に出して根本智の
「見分は有るが相分はない」があたかも真如の世界観かと聞き手が勘違いする説明の仕方をされてます。
「見分も相分も有る」が正義です。
そう書かれております。
そう思いますね
おまえのチベット仏教解説は
まだか~~~~~!
待っているんだぞ~~~~!
やっぱり
レレレのおじさんなのか~~~~~!
プレミアムの無料期間を2025/3/31まで延長することになりました。
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