【アーラヤ識】 唯識論 【瑜伽行派】 Part3アーカイブ最終更新 2026/02/20 10:521.◆JBLfMwCXhYW2Eqz宇多田ヒカルも、唯識三十頌を写経している前スレ【さようなら】唯識三十頌の解釈を巡る批難について【JBL】https://talk.jp/boards/psy/1756859544【唯識論の聖典】唯識三十頌【世親著】 Part2https://talk.jp/boards/psy/17616944492026/01/30 20:42:581000すべて|最新の50件2.◆JBLfMwCXhYW2Eqz関連スレ【唯識三年】仏教ウンチクを語るスレ 10【倶舎八年】https://talk.jp/boards/psy/1759535455【ブッダの教え】初期仏教【最初はこういう話だった】https://talk.jp/boards/psy/1768770625【パーリ仏典】テーラワーダ仏教【ヴィパッサナー瞑想】https://talk.jp/boards/psy/1768687611【仏教の標準理論】 倶舎論 【世親著】 Part3https://talk.jp/boards/psy/1761643017【根本中頌】 中論 【龍樹著】 Part4https://talk.jp/boards/psy/17683751642026/01/30 20:47:043.神も仏も名無しさんdFT8Hお、新スレ乙〜😆2026/01/30 20:50:114.神も仏も名無しさんdFT8H真言密教の全体像を把握できれば多少は仏のスレ主の全体像が見えやすくなるだろな😆2026/01/30 21:03:435.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKjhLtp仏教ビギナーでも簡単に分かる間違い探すスレは此処ですか?wwwwwwwwwwwwwwwwww🫵🤣2026/01/30 21:07:566.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKjhLtp訂正仏教ビギナーでも簡単に分かる、間違い探しのスレは此処ですか?wwwwwwwwwwwwwwwwww🫵🤣2026/01/30 21:08:367.◆JBLfMwCXhYW2Eqz>>6何が「カラんでくるな」だ😫カラんで来てるのは、お前じゃねえか2026/01/30 21:10:378.◆JBLfMwCXhYW2Eqz>>4これからは、真言宗メインで取り組む😆2026/01/30 21:11:159.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKjhLtp分かった分かった、これで最後だwwwもうこっちに絡んで来んなよwww2026/01/30 21:15:4410.神も仏も名無しさんdFT8Hハッスル🟣〜ハッスル🟣〜🤡2026/01/30 21:16:2611.神も仏も名無しさんsoFs3でおーの言動は、承認に飢えた餓鬼道と、勝ち負けに囚われた修羅道の反復に過ぎない。そして相手の怒りを煽り、地獄道へ落とすことで自分を保つ。これは人格批判ではなく、行動パターンの事実確認だ。2026/01/31 05:03:3612.◆JBLfMwCXhYFra2T前スレ完走⤴️2026/01/31 07:37:5213.◆JBLfMwCXhYeSm5P名言種子「蒔かぬ種は生えぬ」という言葉に代表されるように、名言における「種子(たね)」は、行動、努力、思考といった原因が、将来の果実(結果)を生み出すという教えを指すことが多いです。中村天風氏は「一切の人生の果実は、その人の蒔いた種子のとおりに表現してくる」と説きました。2026/01/31 09:10:3414.◆JBLfMwCXhYeSm5P具体的には以下の要素が含まれます:因果の道理:努力(種)をしなければ、結果(花・果実)は得られない。心の在り方:唯識学派では、心の深層にある「阿頼耶識(あらやしき)」に言葉の種子(名言種子)を植え込むことで、人生の現れ方を変えられると考える。仏教の教え:仏法を聞くことが、清浄なる悟りの世界を生み出す種となる。良い結果を望むなら、まず良い種(良い行いや言葉)を蒔くことが重要だという教訓です。2026/01/31 09:10:5115.◆JBLfMwCXhYeSm5P重要なのは、ココだ↓唯識学派では、心の深層にある「阿頼耶識(あらやしき)」に言葉の種子(名言種子)を植え込むことで、人生の現れ方を変えられると考える。2026/01/31 09:11:2716.パーリー◆HpIafZZzjh.GmNULM密教は唯識の名言種子薫習を行法に落とし込んだんだね見道に至ったからと言ってオートマチックに転識するわけじゃないでしょうね七識を客観視可能になったってだけでその段階でブッダとエピキュリアンの2つの道が有るって話しです密教は七識へ、名言種子薫習行法をもってしてアタックしますそのために21日、50日、100日といった期間に集中的に真言を唱え、七識経由で八識を書き換えてしまう訳です2026/01/31 11:22:0217.神も仏も名無しさんBG1TGデンパパセイジンダ〜🛸2026/01/31 11:25:0618.パーリー◆HpIafZZzjh.GmNULM現代では自分で唱えて自分の耳へ聴かせなくても録音機があるので、聴くだけで良いわけですこれも聴聞薫習なので昔の人が説法を聞いて薫習してたのと同じ効果を単時日で成し遂げられます空海2回目かな?カクバン7回目、日蓮も行っている天才になれるという求聞持法がそれですね2026/01/31 11:27:5419.パーリー◆HpIafZZzjh.GlLSKdでおーなんか暇なんだから求聞持法やれよ虚空蔵菩薩の真言を100万回聴けbs良いんだから楽だろ!ICレコーダーに録音してエンドレスで聴けば良いだけただしほぼ1日中聴くことねだいたい24時×50日で100万遍に達するはず20,000×50=100万2026/01/31 11:38:3220.パーリー◆HpIafZZzjh.GlLSKd簡単だろ⁉️2026/01/31 11:39:1721.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKb2sItまぁ、慢性知能欠乏症の統失知障には無理だろうなぁ😂2026/01/31 11:49:3922.神も仏も名無しさんBG1TG妖怪大行進だ😁2026/01/31 11:59:2823.神も仏も名無しさんEajpUでおーの投稿には、優劣誇示・挑発・対立誘導が反復して確認される。2026/01/31 16:23:1624.◆JBLfMwCXhY6ATkk聖ウンコ派は、とにかく「現量/比量」が大好きだこれと「勝義諦/世俗諦」が、彼らの二大好物と言っていいだろう2026/02/01 17:19:4525.◆JBLfMwCXhY6ATkkだが、彼らのコメントを見て、よく思うことは彼らが「比量」ってものを誤解してることだ「比量」と「非量」の区別がついていない「比量」を諸悪の根源みたいに言っている2026/02/01 17:21:0526.◆JBLfMwCXhY6ATkk実際には、現量と比量は常にセットだペアで機能する比量なしでは、認識できない2026/02/01 17:21:3427.神も仏も名無しさんWM7Fsま、倶舎論わからんのがそもそものそれでビギナーとか威張ったてるからなー狂徒丸出し😁2026/02/01 17:22:2628.◆JBLfMwCXhY6ATkk具体例現量・・・山で、木々の間に白いモヤモヤしたものが立ち昇っている。赤く輝くものがチロチロと明滅している比量・・・山で火事が起きている2026/02/01 17:22:5629.◆JBLfMwCXhY6ATkk「現量だけの認識」とかそんなの、日常生活じゃ使いものにならんよ(笑)そもそも、比量ってのは「正しい推論」だ当たり前の判断のことだ2026/02/01 17:24:3330.◆JBLfMwCXhY6ATkk比量(ひりょう、Anumāna)は、インド仏教論理学における知識獲得法「量(りょう)」の一つで、既知の事実から未知の事柄を論理的に推論・判断すること。直接知覚(現量)できない事柄に対し、因(原因・理由)と喩(例証)を用いて結論(宗)を導き出す手法である。2026/02/01 17:25:0031.◆JBLfMwCXhY6ATkk概要と特徴定義: 直接見えないものを、原因や兆候から推測して判断すること。位置づけ: 仏教の認識論(因明・いんみょう)では、正しい知識を得る方法として「現量(げんりょう:直感、感覚)」と「比量(推論)」の2つ(または3つ)が認められる。目的: 正しい知識に基づき、誤った認識(欺くもの)から離れ、釈尊の教えの正当性を証明する。2026/02/01 17:25:1132.◆JBLfMwCXhY6ATkk比量の構成(三支作法)陳那(ディグナーガ)によって確立された、3つの論理形式(三支作法)。宗(しゅう): 結論(例:声は無常なり)因(いん): 理由(例:作られたものであるから)喩(ゆ): 例証(例:瓶〈かめ〉のように、無常であるものは作られたもの)2026/02/01 17:25:2533.◆JBLfMwCXhY6ATkk代表的な分類為自比量(いじひりょう): 自らの論理的思考により認識を確立すること。為他比量(いたひりょう): 自らが確立した知識を、相手にも理解させるために言葉で論証すること。比量は、感覚で捉えられない「無常」や「因果」といった抽象的な真理を理解するための重要な論理的基盤とされている。2026/02/01 17:25:4334.◆JBLfMwCXhY6ATkkハッキリ言えば人間は、比量なしでは何も分からない2026/02/01 17:26:0935.◆JBLfMwCXhY6ATkk「比量がなくて、現量だけ」ってのは、どういうことか?各種センサーはあるけど、論理思考できるコンピュータが備わってないロボットといったところだなビジョンセンサーが付いてるから、目は見えるけど見たものが何なのかは、なにも判断できない2026/02/01 17:29:3536.神も仏も名無しさんWM7Fsディグナーガの依他起性の論理学修道論を禅とごちゃ混ぜに現量と創作してるんやろなーハッスルらしいけどな〜😁2026/02/01 17:29:5837.神も仏も名無しさんWM7Fsバカが無理に知識を詰め込むとこー言う結果になる😭2026/02/01 17:30:3138.神も仏も名無しさんAfFxAでおーは餓鬼道と修羅道に居座り、他人を地獄道へ引きずることで成立している。2026/02/01 17:30:3539.◆JBLfMwCXhY6ATkk比量は、正しい推論・判断だ彼らがいうような、「現量による正常な認識をさまたげる」ようなのは、比量ではなく「非量」だ読み方が紛らわしいので、「ひいりょう」と読む2026/02/01 17:31:3440.◆JBLfMwCXhY6ATkk>>36まさに、その通り😂2026/02/01 17:31:5341.◆JBLfMwCXhY6ATkk他の人たちが初心者で何も知らないのをいいことにセイウン様は、好き勝手にテキトーな創作仏教を吹聴している😅2026/02/01 17:38:1442.神も仏も名無しさんWM7Fsコマった奴だ公害仏教だ😭2026/02/01 18:07:0343.神も仏も名無しさんsExTMでおーは承認欲求(餓鬼道)と勝敗執着(修羅道)で動き、他人を怒らせて地獄道に落とすことで存在を保っている。2026/02/01 19:16:4244.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK1OwZr****************ここも、結局、瞬殺論破されておわり。****************2026/02/01 22:07:4245.◆JBLfMwCXhY4Z5Vp仏教(唯識学派)においては「名言種子」という言葉が使われ、心の深層にある阿頼耶識(あらやしき)に言葉が種子として熏習(くんじゅう:薫り染まる)され、それが後に結果として現れるという意味で用いられます。2026/02/02 08:59:0146.◆JBLfMwCXhY4Z5Vp阿頼耶識のデータベース言葉と行為がプールされている2026/02/02 08:59:2747.◆JBLfMwCXhY4Z5Vp言葉のデータ 名言種子行為のデータ 業種子2026/02/02 09:00:0148.◆JBLfMwCXhY4Z5Vp言葉と行為が、データとして保存される2026/02/02 09:00:1949.◆JBLfMwCXhY4Z5Vp「業種子(ごうしゅうじ)」について、「唯識学」から、忠実に教えて下さい。【質問】「業種子(ごうしゅうじ)」について、「唯識学」から、忠実に教えて下さい。【回答】種子(しゅうじ)とは、唯識の専門用語では、「生果(しょうが)の功能(くうのう)」といわれて、阿頼耶識(あらやしき)の中に貯えられて、「あらゆる存在を生み出す力」を言います。2026/02/02 09:02:5550.◆JBLfMwCXhY4Z5Vp「力」といっても、決して現代の科学でいうような外的なエネルギーなどの力ではありません。自己の心の奥深くに働き続ける「こころの特殊な形態」それも縁が来れば、必ず植物の種子から芽が出るように、何らかの具体的な結果をもたらす「精神的なエネルギー」です。種子(しゅうじ)は、形成される面からみれば、「先天的なもの」と「後天的なもの」とに分けられます。先天的な種子を「本有(ほんぬ)種子」、後天的な種子を「新薫(しんくん)種子」と言います。後者の後天的な種子とは、過去の業(行為)によって植えつけられた(=熏習された)種子です。2026/02/02 09:03:2651.◆JBLfMwCXhY4Z5Vpたとえば、「私は今、昨日は何々をした」と昨日の出来事を思い出すことが出来ます。その出来事の記憶は、昨日の私の行為によって、阿頼耶識の中に種子として植えつけられ、それが一日たって、何らかの縁で芽をふき、具体的な記憶となって、私の表層の心の中に生じたのです。2026/02/02 09:03:4352.◆JBLfMwCXhY4Z5Vp問題は昨日の行為だけではなく、私達は『無始の時より今まで、無量・無数の悪業を積み重ねて来ましたから、私達の深層心理の領域には、もはや「数え切れない程の悪の種子」が貯っているのだ』と教えられます。従って、私達は「ありとあらゆる悪業を、これからも行なう可能性を持っている」ということであります。親鸞聖人が、「さるべき業縁の催せば如何なる振る舞いもなすべし」と言われた通りです。先天的にそなわった種子として重要なものは、私達は今は凡夫の身でありながら、すでに「仏になる力」すなわち「仏の種子(無漏の種子)」を持っている、ということです。2026/02/02 09:04:0953.◆JBLfMwCXhY4Z5Vp問題は、この素晴らしい種子に「どのような縁を与えて、その種子から芽を吹かせるか」ということです。その縁となる行為の一つが、正しく仏の教えを聞くこと(正聞薫習.しょうもんくんじゅう)であります。あるいは、六度万行(六波羅蜜多)といわれる、人々を救う利他行を実行することであります。2026/02/02 09:04:2854.◆JBLfMwCXhY4Z5Vp次に種子を、生成の面から分けますと、「名言種子(みょうごんしゅうじ)」と「業種子(ごうしゅうじ)」とに分類されます。「名言種子」とは、「いま一瞬の私と、私を取り巻く世界とを作り出す種子」のことです。その種子を「名言(みょうごん)」すなわち「ことば」の種子と呼ぶのは、「私を含めて、私がその中に住んでいる世界、すなわち現象世界」は、根本的には、「私の『言葉』の働きで形成される」と考えるからです。2026/02/02 09:04:4555.◆JBLfMwCXhY4Z5Vp事実、静かに一日を反省してみると、「私は常に言葉を発しながら、言葉からなる世界、言葉にとらわれた世界」、言い換えれば「遍計所執性(へんげしょしゅうしょう)の世界」にのみ住んでいることに気づきます。「業種子」とは、名言種子の中で、「『悪あるいは善』に色づけされた種子」を言います。「業種子」とは「悪業」あるいは「善業」によって植えつけられた種子であり、無記の業(ニュートラル)は入りません。無記の業は「業種子」とは言いません。2026/02/02 09:05:0256.◆JBLfMwCXhY4Z5Vpこの業種子は、今世の私の幸不幸のあり方を、未来世の私の運命のあり方を決定する重要な力を持っています。私が現に「一瞬一瞬、行う業」は、「即座にその影響を深層のこころ」の中にとどめていきます。「こんなことを考えても、誰にもさとられない」と考えて、内心に悪い思いを起すことが私達にあります。その悪業の残す種子が、積もり積もって来世に「苦しみの世界を生み出す」という「業種子の教え」は、私に警告を発して来ます。2026/02/02 09:05:1757.◆JBLfMwCXhY4Z5Vp種子(しゅうじ)、それは「眼にも見えず、心でも触れることが出来ないもの」です。しかし、ヨーガ(止観、瑜伽)を実践し、真剣な聞法によって、表層の心を静めることにより、私達は、ますます自己の心の奥底に沈潜してゆくことが出来ます。そして、「種子としての自己」を発見するならば、それは、「新たな自己の発見」であり、「自己を悪から善へと変革させていく、幸せな第一歩」となっていきます。『過去が咲いている今未来の蕾(つぼみ)で一杯の命』『苦しい楽しいすべては心が決める』『過去の自分が未来を決めるのではない 今が未来を決めるのです』2026/02/02 09:05:2858.◆JBLfMwCXhY4Z5Vp名言種子と業種子早い話が、過去の言葉と行為のデータだそれが、阿頼耶識のデータベースに保存される2026/02/02 09:06:1059.神も仏も名無しさんWjVpC種子は日本仏教では「功徳」と山伏念仏神仏習合では解釈されたかもしれんなー😆2026/02/02 09:06:1260.◆JBLfMwCXhY4Z5Vp阿頼耶識では、種子が永い年月、寝かしてあるだけだがブドウジュースが発酵してワインになるように、熟成されていくやがて、想定外の結果をもたらすそれが、現行だ2026/02/02 09:07:5661.◆JBLfMwCXhY4Z5Vp>>59なるほど~😆2026/02/02 09:08:0862.神も仏も名無しさんWjVpC日本仏教の功徳の一部発想が日蓮の観心本尊抄にてお題目て仏の種子とかの発想功徳になっていく〜😆2026/02/02 09:09:4763.◆JBLfMwCXhY4Z5Vp功徳と、因果応報だ~😆2026/02/02 09:11:4564.神も仏も名無しさんWjVpC勤行は功徳だ念仏真言題目は功徳だと心理分析よりも日本仏教の多数派は現世安穏後生善処という正統派瞑想仏教から謎のシステムになる😆2026/02/02 09:12:3365.神も仏も名無しさんWjVpCその謎のシステム理解には既存の謎のキリスト教やイスラームのような発想がないとそれらは霊的に理解できないというくらいに正統派瞑想システムから遠い発想が葬式仏教まで至ったのだろう😆2026/02/02 09:14:0366.神も仏も名無しさんP3CYkカムイ自分を観察してる自嘲もできる「まぁいいか」で引ける禅的に感情を流せる承認されなくても成立してるこれは自己愛じゃなくて「自己受容」。でおー常に他人を評価・断定するレッテル貼りが多い反応を引き出そうと粘着する無視されると耐えられない相手を貶すことで自分を保つ典型的な防衛型ナルシズム。2026/02/02 09:23:2767.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKDF8aA> ブドウジュースが発酵してワインになるように、熟成されてwwwwwwwwwwwwwwwwwwまーーーーーーーた、朝から支離滅裂な事を言ってるなあwww種子は熟成なんかしないよw2026/02/02 09:33:5268.神も仏も名無しさんsCKjZハッスルバカ熟成🤡2026/02/02 09:36:2869.神も仏も名無しさんP3CYkなぜでおーは「お前はナルシズムだ」と言うのか自分の中にある承認欲求自己愛優位に立ちたい衝動を自分では見たくない他人に見てることにするでおーは「自己を見ず、影を外に見る」状態。2026/02/02 09:38:4870.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKDF8aA種子が阿頼耶識に薫習されるんだよ。そしてその種子は、基本的にその性質を変える事なく、刹那生滅しながら相続されるのな。2026/02/02 10:23:4671.神も仏も名無しさんAzCtAハッスル種子が薫修🤡〜2026/02/02 10:36:3072.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKDF8aA慢性知能欠乏症の統失類猿人が朝から発情かwww2026/02/02 10:38:2273.神も仏も名無しさんoijYgカムイは自己に気づいてる側。でおーは自己に耐えられず、他者を使って逃げてる側。ナルシズムを指摘する者ほど、そのナルシズムにでおーは囚われている。2026/02/02 10:49:5974.◆JBLfMwCXhYPEZf3>>67当方をあぼーん設定したんじゃなかったのか?(笑)2026/02/02 11:52:5875.神も仏も名無しさんAzCtAハッスルエネルギーチャージが仕上がったよーだ😁2026/02/02 11:53:4976.神も仏も名無しさんAzCtAハッスルエネルギーが低下するとあぼーんでハッスルエネルギーチャージタイムだ🤡〜2026/02/02 11:54:2477.◆JBLfMwCXhYPEZf3確かに、「ブドウジュースがワインに」は言いすぎかもしれんが(笑)種子が熟成されるのは確かだ2026/02/02 11:58:0178.◆JBLfMwCXhYPEZf3竹村牧男によると、名言種子と業種子の違いは名言種子は「善因善果、悪因悪果」(等流)業種子は 「善因楽果、悪因楽果」(異熟)なんだそうな2026/02/02 12:03:2179.◆JBLfMwCXhYPEZf3なんか、自分のイメージと違うな?(笑)2026/02/02 12:03:3680.◆JBLfMwCXhYPEZf3まあいいや後で検討しよう2026/02/02 12:03:5081.◆JBLfMwCXhYPEZf3「来世のあり方は業種子で決まる?」う~ん😫2026/02/02 12:09:4482.◆JBLfMwCXhYPEZf3名言種子がメインで、業がサブって感じかな?2026/02/02 12:10:3083.◆JBLfMwCXhYPEZf3業種子が2026/02/02 12:10:4184.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKFB3rN>>74安心して下さい🥰スリップ付きのスレは透明あぼーんにしてるからね🥰2026/02/02 12:14:2685.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKFB3rN>>77> 種子が熟成されるのは確かだされないよwww2026/02/02 12:14:5786.◆JBLfMwCXhYPEZf3>>84なるほどここはスリップついてないから、見えるのか(笑)2026/02/02 12:18:3287.◆JBLfMwCXhYPEZf3ずっとコテハンでやってる者に、スリップがどうのこうの言っても仕方ないだろ(笑)2026/02/02 12:19:1088.神も仏も名無しさんTBkixでおーの言動を継続的に観察すると、その行動様式は 餓鬼道と修羅道 に明確に一致する。餓鬼道でおーは承認・評価・優位性への渇望が強い。宗教知識を大量に収集し、それを誇示するが、満たされる兆候は見られない。語れば語るほど不足感が増し、他者からの反応を糧にしなければ立っていられない。これは知識探究ではなく、承認依存である。修羅道でおーは常に勝敗と上下を設定する。議論は理解のためではなく、相手を下に置くための手段として使われる。優位を示すためなら歪曲・挑発・分断も厭わない。第三者同士を対立させ、その混乱を外から眺める行動も繰り返している。これは対話ではなく、闘争嗜好である。地獄道への誘導でおーは相手の怒りや正義感を意図的に刺激する。感情を爆発させた相手を「荒れている側」に押し込み、自分は安全圏に退く。この構図は偶然ではなく、一貫した手口だ。結論でおーは餓鬼道と修羅道に居座り、他者を地獄道へ落とすことで自分を保つ。これは人格評価ではない。行動の事実と、その帰結の整理である。本人に言っていない。関わる周囲が判断を誤らないための共有だ。2026/02/02 12:50:5589.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKplN12JBLってガチの馬鹿かよwww2026/02/02 13:08:2290.◆JBLfMwCXhY6gpkm>>89お前だよ、それは(笑)こっちは、20年前からずっとコテハンでやっているスリップなんか関係あるかっつ~の!!2026/02/02 13:11:2791.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK0mcEL>>90まだ理解してないんだなwww俺が立てたスレでは目に触れない様にしてるって事だよwww2026/02/02 14:10:1592.神も仏も名無しさんAzCtAハッスル反撃🤡〜〜2026/02/02 14:24:2093.◆JBLfMwCXhYI6BaF>>91くだらないことを偉そうに言うな😂2026/02/02 15:11:0394.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKzBFhgwwwwwwwwwwwwwwwwwwくだらないお前が絡んでくるからだろ。いちいちこちら見るなwww2026/02/02 15:14:2595.神も仏も名無しさんAzCtAナイーブハッスル🤡😱2026/02/02 15:15:0196.神も仏も名無しさんTBkixでおーの言動は、承認に飢えた餓鬼道と、勝ち負けに囚われた修羅道の反復に過ぎない。そして相手の怒りを煽り、地獄道へ落とすことで自分を保つ。これは人格批判ではなく、行動パターンの事実確認だ。2026/02/02 17:38:4397.◆JBLfMwCXhYUiolO>>85まあ、例えが適切だったかは分からんがこちらが言ってるのは、コレのことだ↓「種子」と「異熟」は、主に仏教用語(唯識)において関連する概念です。阿頼耶識(あらやしき)に蓄えられた潜在的なエネルギーである「種子」が、時を経て結果(異熟果)として現れることを意味します。善悪の行為が時を経て無記の結果となる因果の理です。2026/02/03 06:31:4098.◆JBLfMwCXhYUiolO仏教用語「種子(しゅじ)」「異熟(いじゅく)」種子(しゅじ):心の深層である阿頼耶識の中に、過去の行為(業)がエネルギーとして記憶・蓄えられている状態。植物の種のように、将来結果を生み出す能力を指す。異熟(いじゅく):業(行為)によって、時を隔てて(時間的差異)、性質の異なる結果(無記)が成熟して現れること。異熟果(いじゅくか):種子から生まれる結果。具体的には、前世の善悪の行為が原因となり、今世や来世で経験する身体や環境(苦・楽・不苦不楽)。2026/02/03 06:31:5199.◆JBLfMwCXhYUiolO関連する概念唯識(ゆいしき):万物は心(阿頼耶識)の現れであるとする教え。業(ごう):異熟の原因となる行為。※なお、植物のタネの発芽性質である「好光性種子」「嫌光性種子」とは異なる文脈の言葉です。2026/02/03 06:32:02100.◆JBLfMwCXhYUiolOお前が言ってるのは、コレのこと↓唯識論における「種子(しゅじ)の恒随転(ごうずいてん)」とは、『成唯識論』において説かれる、阿頼耶識(あらやしき)の中に万物の根源となる種子が恒久的に(恒)、阿頼耶識に随って(随)、常に変化転流(転)しながら存在し続ける様子を指します。これにより、因果の連続性や過去の行為(業)が結果として現れる仕組みを説明しています。2026/02/03 06:35:25101.◆JBLfMwCXhYUiolO種子・唯識論・恒随転のポイント種子(Bīja): 阿頼耶識(第8識)に蔵されている、将来の果報(現象)を生み出す可能性、またはその能力。恒随転(Gau-zuiten):恒(ごう): 恒久(常恒)。種子は阿頼耶識に「種子生種子」として、前二無間(滅びる瞬間)から次へ絶えず受け継がれる。随(ずい): 阿頼耶識に随伴して存在すること。転(てん): 変化・生起(流転)。刹那に変化し、因果の連鎖を絶やさない。唯識論的意義: 『成唯識論』では、過去の行為(業)が消滅せず、種子として阿頼耶識に残り、時を経て果報をもたらす「因果の相続」をこの恒随転によって説きます。この概念は、部派仏教(有部)の種子論を発展させ、種子が阿頼耶識と共に刹那滅の連続の中で存在し続ける、動的な「因果論」を構成する中心的な理論です。2026/02/03 06:35:54102.◆JBLfMwCXhYUiolO恒随転は、種子に限った話ではない一切は刹那滅しているが、それでいて連続しているそういう話2026/02/03 06:36:58103.◆JBLfMwCXhYUiolO阿頼耶識は、何百億年も続く種子はずっと保存される現行しない限り2026/02/03 06:38:09104.◆JBLfMwCXhYUiolO唯識論における「種子」とは阿頼耶識(あらやしき)に蔵される万物生成の潜在的な力であり、「恒随転」はその種子が刹那に生滅しながら絶えず相続する性質を、「異熟」は過去の業因が時を経て異なる結果として成熟して現れることを指す。これらは、一切は心(識)が顕現したものであるという唯識思想の核心を説明する概念である。2026/02/03 06:40:13105.◆JBLfMwCXhYUiolO1.種子(Bīja)定義:阿頼耶識の中に収められた、あらゆる現象を現す能力を持つ潜在的な力。役割:「種子生種子(しゅししょうしゅし)」と呼ばれ、種子が新たな種子を産み出し(恒随転)、やがて現実の事象(現行)として結果を生む。2.恒随転(Anu-pari-vartana)意味:絶え間なく変化しつつ続くこと。唯識における解釈:種子は一瞬たりとも止まらず、前後の瞬間で変化しながら、阿頼耶識の中で連続的に流れ続ける(恒随転)。これにより、過去の記憶や行為の能力が保持される。3.異熟(Vipāka)意味:「異なる成熟」の意。前世の善悪の業(因)が、現世や来世において、それとは性質の異なる(無記:善でも悪でもない)果報(果)として成熟して現れること。異熟識:阿頼耶識は、異熟の業を貯蔵するため「異熟識」とも呼ばれる。2026/02/03 06:40:36106.◆JBLfMwCXhYUiolO唯識論におけるつながりこれらの用語は密接に関連しており、異熟(業の果報)となる力(種子)が、阿頼耶識の中で恒随転(絶え間ない変化)を続けながら、時を経て結果(現行)として顕現する、という因果のメカニズム(異熟習気)を表している。2026/02/03 06:40:47107.神も仏も名無しさんBXoXX倶舎論を論理化強化した依他起性のゾーンてほんま難しいな〜😆2026/02/03 06:43:30108.神も仏も名無しさんBXoXXナナシロ家のチャンネル幽霊をみながら研究せねば😆2026/02/03 06:44:46109.◆JBLfMwCXhYUiolOそれはともかくこれを書いた人は、自分の考えとよく似ている😆↓なんとユニークな「唯識」のアイディア唯識 = 電脳https://akira.b-tama.com/002.html2026/02/03 06:45:36110.◆JBLfMwCXhYUiolOなんとユニークな「唯識」のアイディア「唯識」=「電脳」五世紀ごろに何で「唯識」のようなアイディアが生まれたのか、 私のような凡人には全く理解できません。この中でも最もユニークなのが「阿頼耶識(あらやしき)」でしょう。ところで電脳は、 内部で情報をつくり出したり、情報を感知するなどの情報処理の機能をもつ機械で、唯識そのものと言ってもよいのです。すなわち電脳も唯識でいう「識」で構成されていて、「唯だ識のみ」なのです。2026/02/03 06:46:35111.◆JBLfMwCXhYUiolO少し専門的になりますが、この識について、 電脳と唯識を具体的に比較してみましょう。唯識の識は、 全て「刹那滅」で、生じては滅し、生じては滅するものなのですが、この間隔が短いほど、 時々刻々の現象の変化により敏感に対応できるのです。これは電脳でいうと、 処理速度を決めるクロック周波数に相当するものでしょう。情報(外部で、あるいは内部でつくられたいずれでも)を入力(検出)する機能は、「前五識」、そしてCPU(中央処理装置)は主に第六識の「意識」に対応するでしょう。記憶装置は「阿頼耶識」です。ただし「器世間(きせけん)」のように周囲の環境を直接表現する便利な機能をもつものはありませんが、このような機能はCPUと記憶装置に保存されているプログラムで処理されます。また阿頼耶識に保存されている種子(しゅうじ)を薫習(くんじゅう)するような機能は、 入力機能とCPUの機能とによって処理されます。これは「現行(げんぎょう)」の「七転識」によって処理されますので、電脳とよく似ているのです。2026/02/03 06:47:22112.◆JBLfMwCXhYUiolO電脳では、各機能を実行するためのCPUでの処理の具体的な手順は、あらかじめ記憶装置に保存されているプログラムによってなされるのですが、このプログラムは、あらかじめ薫習されている種子の一群のようなものなのです。なお、電脳には、直接的な意味での「末那識(まなしき)」に対応する機能はありません。このことは電脳はより仏に近い純粋な存在なのですが、 間接的には人間がつくるプログラムによって、 多かれ少なかれ電脳に入力されています。電脳は人間の頭脳の機能の模倣あるいは拡張を目標につくられたもので、唯識と類似するのは当然なのかもしれませんが、この唯識が五世紀ごろのアイディアであるとは驚嘆に値します。以上のように、電脳も「唯だ識のみ」の存在なのです。そしてこの電脳から、なぜ「華厳経の風景」のような画像が生まれたかについては、重重無尽に対応する漸化式のプログラムを試行錯誤で操作しているとき、ある刹那に「器世間」のような機能が偶然につくられたとしか、説明のしようがないのです。電脳も、パソコン(古くはマイコン)といわれるように、一人一人その世界があるのです。まさに「人人唯識(にんにんゆいしき)」同様、「人人電脳」なのです。2026/02/03 06:47:33113.◆JBLfMwCXhYUiolOいつも言ってることだが、唯識論の世界観は本当にコンピュータのオンラインゲームに似ている2026/02/03 06:48:06114.神も仏も名無しさんBXoXX>>106ま、それでも依他起性テーマになるやろしな〜その依他起性自体の理解がとても厄介😆2026/02/03 06:49:27115.神も仏も名無しさんBXoXX四智の世界から唯識みているタイプなので依他起性の些末さの理解が遅れる若い頃は唯識を依他起性の方面をチラ読みしながらソシュールと組み合わせながら認識論を組み立てていたけどなー😆2026/02/03 06:51:23116.◆JBLfMwCXhYUiolOもしも、古代インド人がタイムスリップして、オンラインゲームに参加して「オンラインゲームとはどういうものか?」を説明するとしたらこのような説明をするのではないかと思えるそれくらい、唯識論で説明される「この世の仕組み」は、オンラインゲームに似ている2026/02/03 06:51:45117.神も仏も名無しさんBXoXXラング、ランガージュとか依他起性のゾーンとの相性ざ良いからなー😆2026/02/03 06:52:04118.◆JBLfMwCXhYUiolO>>115> 四智の世界から唯識みているタイプなのでまあ、禅宗系の人だと、そうなるな~😆2026/02/03 06:52:42119.神も仏も名無しさんXy54h本物のナルシズムの特徴承認に異常に執着する自分が否定されると攻撃的になる相手を下げないと自分を保てない他人の評価・反応に異様に敏感勝ち負け・序列に固執する全てでおーがやってる事です2026/02/03 06:52:46120.◆JBLfMwCXhYUiolO>>117すごいな?😆2026/02/03 06:53:02121.神も仏も名無しさんBXoXX依他起性と円成実性には明らかに感覚の断絶があるからなー円成実性すっ飛ばし読みもできるまーその要素があるからハッスルみたいな得体の知れん現量とか言い出すんやろなー😅2026/02/03 06:55:23122.◆JBLfMwCXhYUiolO>>121> 依他起性と円成実性には> 明らかに感覚の断絶があるからなー> 円成実性すっ飛ばし読みもできるそうなのか~😆2026/02/03 06:57:55123.神も仏も名無しさんXy54hカムイ自分を観察してる自嘲もできる「まぁいいか」で引ける禅的に感情を流せる承認されなくても成立してるこれは自己愛じゃなくて「自己受容」。でおー常に他人を評価・断定するレッテル貼りが多い反応を引き出そうと粘着する無視されると耐えられない相手を貶すことで自分を保つ典型的な防衛型ナルシズム。2026/02/03 06:58:21124.神も仏も名無しさんBXoXX>>122識が智慧に転じるんだからなー転じた智慧は当人は依他起性のゾーンは気にしないだろなー弟子に教える時は依他起性の内容を修道として必要なので語るだろうけど識が智慧に転じる一瞬は弟子には教えられない真言密教は少しは教えれるという発想だろうな三密加持😆2026/02/03 07:01:31125.神も仏も名無しさんBXoXXま、うっとおしい仕事やってるから休日と仕事の感覚の断絶ハンパないなーそれくらい依他起性と円成実性の断絶があるそういう2階建て発想を捨てるのは天台華厳真言禅あたりから麦はアタマワルいので禅をまだ2階建てみたいな発想わごちゃ混ぜにさてそうだ😆2026/02/03 07:19:52126.神も仏も名無しさんXy54hなぜでおーは「お前はナルシズムだ」と言うのか自分の中にある承認欲求自己愛優位に立ちたい衝動を自分では見たくない他人に見てることにするでおーは「自己を見ず、影を外に見る」状態。2026/02/03 07:43:18127.◆JBLfMwCXhYUiolO因果応報(いんがおうほう)は、仏教の根幹的な教えで「善い行い(善因)は善い結果(善果)を、悪い行い(悪因)は悪い結果(悪果)を生み、すべての結果には原因がある」という真理を指します。単なる報いの意味に留まらず、自分の幸福・不幸はすべて自らの言葉や行動が招いた結果であることを教え、日常の行いを正す重要性を示唆しています。2026/02/03 08:06:53128.◆JBLfMwCXhYUiolO仏教における因果応報のポイント「因果の道理」の一部: すべてのものごとは、原因(因)と環境・条件(縁)が揃って結果(果)が生まれるという理。自業自得(じごうじとく): 自分の行い(業=カルマ)は、必ず自分に返ってくるということ。三世(さんぜ)の視点: 結果はすぐ現れるとは限らず、過去・現在・未来にわたって現れるため、善行を積み重ねることが大切とされる。誤解の注意: 単に「悪い人には罰が当たる」というネガティブな意味だけでなく、良い因縁を作れば良い結果が得られるという前向きな教えです。2026/02/03 08:07:08129.◆JBLfMwCXhYUiolO具体例と関連用語善因善果・悪因悪果: 善い種は良い芽を出し、悪い種は悪い芽を出すこと。自業自得: 自分の行為の報いを、自分が受けること。この教えは、現在の行いが未来を作るという自己責任の原理を強調し、より良い生き方(生活)へ導くための教訓とされています。2026/02/03 08:07:24130.◆JBLfMwCXhYUiolO異熟(いじゅく)は、仏教において善・不善の業(行為)が時間を隔てて無記(善悪をつけられない)の苦・楽の結果を生むこと。因果応報(いんがおうほう)は、善悪の行為(因)が必ず相応の報い(果)をもたらすという、その業の成熟・結果の概念を表す根本的な仏教思想。2026/02/03 08:08:44131.◆JBLfMwCXhYUiolO異熟と因果応報のポイント異熟の定義: 善悪の行為が、その性質とは異なる性質(無記)の結果として成熟する過程。因果の必然性: 良い行いは良い結果、悪い行いは悪い結果として、必ず時間が経ってから自分に戻ってくるという因果関係を指す。異熟果(いじゅくか): 業が原因(因)となり、その後熟して現れる結果(果報)のこと。時間差: 行為から結果が生まれるまでに時差があり、過去の業が将来の「報い」となる。異熟は因果応報のプロセスにおける技術的な側面(時差と結果の性質の変化)を指し、因果応報は結果を必ず受けるという原理そのものを表します。2026/02/03 08:08:56132.◆JBLfMwCXhYUiolO「善因楽果・悪因苦果」とは、善い行い(因)は楽しみや幸せ(楽果)をもたらし、悪い行い(因)は苦しみ(苦果)をもたらすという、仏教の「因果応報」の道理です。これは自らの行い(業)が結果を決めるという教えであり、幸福になるためには自らの善い種まき(身・口・意の三業)が重要であると説かれています。2026/02/03 08:11:37133.◆JBLfMwCXhYUiolO善因楽果(ぜんいんらっか): 善い行い(因)をすれば、心地よい結果(楽果)が訪れること。悪因苦果(あくいんくか): 悪い行い(因)をすれば、苦しい結果(苦果)が訪れること。異熟(いじゅく): 因(原因)と果(結果)が「異なる性質」であり、かつ「時間」を置いて「成熟」すること。例えば、善行(無記)という原因が、肉体的な快楽(楽果)や精神的な平安という異なる形の結果として現れる、という因果の複雑さを指します。2026/02/03 08:11:56134.◆JBLfMwCXhYUiolO主なポイント自業自得: 善悪の行いの結果は、すべて自己に帰属する。三時業: 業の報いは、今生、次の世、さらにその先の世と、時間差で現れる。意業の重要性: 行為そのものだけでなく、行動を起こした「心(意業・動機)」が重視される。因果応報の広義: 悪いことをしたら罰が当たるという限定的な意味ではなく、善悪両方の結果が、過去の業によって現れるという宇宙の法則を指す。この教えは、過去の行いを恨んだり悲観したりするのではなく、未来のために「今の行い」を良いものへ変えていく努力が大切であることを教えています。2026/02/03 08:13:33135.◆JBLfMwCXhYUiolO「善い行いをすれば、極楽往生できる」「悪い行いをすれば、地獄に堕ちて苦しむ」↑これに、論理的な根拠はあるのか?古代インド人は、膨大な論理体系を築き上げた2026/02/03 08:15:05136.◆JBLfMwCXhYUiolO唯識論は、「善因善果、悪因悪果」(等流)を採らない原因は善か悪だけど、結果は無記『因是善悪、果是無記(いんぜぜんあく、かぜむき)』がキーワード2026/02/03 08:20:11137.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKIrXqt>>97俺が間違いを指摘しなければ、間違ったままだったな🤭2026/02/03 09:33:00138.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKIrXqtwwwwwwwwwwwwwwwwwwおいおいおいおい!!!!!!!おーーーーーーーーーーい!!!馬鹿は仏教の基本中の基本中の基本も分からんのか!?仏教は「善因楽果、悪因苦果」だよ。「善因善果、悪因悪果」ではない。何故なら、善因善果なら、その善果が次の善因となり、永遠に終わらないからな(悪因悪果も同じ)。2026/02/03 09:37:47139.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKIrXqt結局、基本を学ばす、知らないで、上っ面だけコピペで知ってその場で言ってるだけなんだよ、馬鹿ちんくんは。何度も云うが『仏教聖典』から学びなさい。基本知識無くして応用知識は無いのだからな。砂上の楼閣積み上げても崩れるだけだぞ?2026/02/03 09:40:01140.◆JBLfMwCXhYUiolO>>137何が間違いだ「阿頼耶識で種子が熟成して、果が生じる」は、別に間違っていないまあ、「ブドウジュースがワインになる」は言いすぎかもしれんが(笑)2026/02/03 10:04:03141.神も仏も名無しさんBXoXXハッスル〜🤡ハッスル〜🟣2026/02/03 10:05:33142.◆JBLfMwCXhYUiolO>>138相変わらず、アフォだな😫「善因善果、悪因悪果」は、倶舎論の六因五果のひとつ同類因 → 等流果だよ2026/02/03 10:07:19143.◆JBLfMwCXhYUiolO唯識論の「善因楽果、悪因楽果」は倶舎論でいえば異熟因 → 異熟果だ2026/02/03 10:08:42144.◆JBLfMwCXhYUiolO>>138> 仏教は「善因楽果、悪因苦果」だよ。> 「善因善果、悪因悪果」ではない。「善因善果、悪因悪果」は、仏教に最初からなかったわけではない倶舎論には、あったのだ唯識論で、なくなっただけだ2026/02/03 10:10:16145.◆JBLfMwCXhYUiolO>>138> 何故なら、善因善果なら、その善果が次の善因となり、永遠に終わらないからな(悪因悪果も同じ)。だから何なんだ?別におかしくないだろ2026/02/03 10:10:49146.◆JBLfMwCXhYUiolO【悪因悪果の具体例】バカで怒りっぽいセイウン様が、宗教板で威張り散らす(悪因)↓それを見たマトモな人たちまで怒りだす(悪果)↓それを見たセイウン様がさらに怒って、ますますバカになる(悪因悪果のループ)2026/02/03 10:14:54147.◆JBLfMwCXhYUiolO多くの人に指摘されてきた、お前の悪い癖が出ている仏教用語集で用語を覚えるだけ意味までは考えていない2026/02/03 10:18:35148.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKuYirG>>140> 「阿頼耶識で種子が熟成して、果が生じる」wwwwwwwwwwwwwwwwwwまーーーーーーーーだ分からんのか?異熟とは異熟識、すなわち阿頼耶識の事だぞwそして阿頼耶識は無覆無記だ。つまり、善悪の行動記録を帯びた種子は、阿頼耶識に蔵される時に無記化する。また、阿頼耶識という実体はなくそうした種子の集合体だけど、それは刹那生滅しながら相続される。それを異熟というんだよwww種子が阿頼耶識内で熟成されるのではないwww🤪漬物じゃねーんだよ、馬鹿ちんwww2026/02/03 10:21:14149.◆JBLfMwCXhYUiolO>>148唯識論の話で、「阿頼耶識で種子が熟し、果が生じる」は、よく使われる表現だお前が言うほどおかしくない(笑)2026/02/03 10:24:05150.神も仏も名無しさんBXoXXハッスル〜🤡ハッスル〜🤡2026/02/03 10:25:22151.◆JBLfMwCXhYUiolO>>148むやみに仏教用語を並べるなと言っとるだろ(笑)お前は異熟の話と、恒随転の話が、途中からこんがらがっている恒随転は、「刹那滅なのに、半永久的に続く」ということ阿頼耶識と種子に限った話ではない2026/02/03 10:27:29152.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKuYirGそもそも阿頼耶識にて善悪は無記化されるのだから、「善因善果、悪因悪果」は成立しない。ただ、善行の結果として善果を生じた場合「同類因、等流果」と分類されるに過ぎないんだよw『仏教聖典』から始めなさい🥰2026/02/03 10:28:47153.◆JBLfMwCXhYUiolO以前から言ってることだがお前と当方では、宗教板をやってる目的が異なるお前は「俺はこんなこと知ってるんだじょ~」「俺はこんな難しい本を読んでるんだじょ~」と、威張るためにやってるがこちらは、そんなことに関心がない2026/02/03 10:29:19154.神も仏も名無しさんBXoXXトンチンかん助言ハッスル〜😱2026/02/03 10:29:58155.◆JBLfMwCXhYUiolO>>152だから、それは倶舎論には、あった唯識論で、なくなったんだよそう言ってるだろしょうがねえ奴っちゃなあ😅2026/02/03 10:30:24156.神も仏も名無しさんBXoXX貧乏人スネ夫みたいなハッスル🤡〜😱2026/02/03 10:30:33157.◆JBLfMwCXhYUiolOお前は倶舎論を知らんから知らなくても仕方ない2026/02/03 10:31:16158.神も仏も名無しさんBXoXX貧乏人がセレブの暮らしを語るような自慢ハッスル〜🤡2026/02/03 10:31:48159.神も仏も名無しさんBXoXX識から智慧に変化するシステムぽいな😆2026/02/03 10:33:08160.神も仏も名無しさんBXoXX知らんけど😆2026/02/03 10:33:26161.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKuYirG阿頼耶識は、すでに述べたように、過ぎし日々の行動情報という過去を背負っています。が、同時に、過去のそういう善や悪というものから解放されてもいる。それが阿頼耶識が無記であり、「異熟識」とも呼ばれるゆえんです(第二頌4)。(『唯識とはなにか 唯識三十頌をよむ』より)2026/02/03 10:33:35162.神も仏も名無しさんBXoXXハッスル〜🤡ハッスル〜🟣2026/02/03 10:34:42163.◆JBLfMwCXhYUiolO>>161ハッスルコピペご苦労さん!!(笑)2026/02/03 10:36:02164.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKuYirG>>155wwwwwwwwwwwwwwwwww ↓ただ「善因善果、悪因悪果」という言い方は、アビダルマ的に厳密にいえば不正確であり、正確には「善因楽果、悪因苦果」と言わなければならない。善の行為が原因となって、好ましい安楽な結果が生ずる。悪の行為が原因となって、好ましからぬ結果が生ずる。原因のほうは道徳的に善いか悪いかであるが、結果のほうはその結果を受ける者にとって好ましいかあるいは好ましくないかであって、道徳的にいえばそれは善でも悪でもない中性である。したがって「善果・悪果」という言い方はできないのである。(『仏教の思想2 存在の分析<アビダルマ>』より)2026/02/03 10:37:27165.神も仏も名無しさんBXoXX貧乏人スネ夫🤡セレブのふり〜🤡〜2026/02/03 10:37:29166.神も仏も名無しさんBXoXX必死ハッスルしだしたぞ?🤡〜2026/02/03 10:38:02167.神も仏も名無しさんBXoXXま、いつものことたが😁2026/02/03 10:38:23168.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKuYirGJBLさぁ……毎日毎日毎日毎日毎日毎日・・・こうやって馬鹿を晒しては誤謬を指摘されて。まぁそれがお前の愉しみというのなら話は別だけどさぁ🤭恥ずかしくないの?2026/02/03 10:40:00169.◆JBLfMwCXhYUiolO何が誤謬だ、バカめ(笑)何度も言うが、「善因善果、悪因悪果」は、「同類因 → 等流果」「善因楽果、悪因楽果」は「異熟因 → 異熟果」であり、両方とも倶舎論では「六因」と「五果」に分類されている唯識論では「善因楽果、悪因楽果」(異熟)に統一された2026/02/03 10:51:25170.◆JBLfMwCXhYUiolO>>164> ただ「善因善果、悪因悪果」という言い方は、アビダルマ的に厳密にいえば不正確であり、正確には「善因楽果、悪因苦果」と言わなければならない。それは、その文章を書いた人の個人的な感想だ倶舎論にはあるんだよわかんねえ奴っちゃなあ(笑)2026/02/03 10:52:45171.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKuYirG>>170> それは、その文章を書いた人の個人的な感想だwwwwwwwwwwwwwwwwwwギャハハハハハハハハハハハハ😂ちょ、ちょwww🤪おいおいおいおい、おーーーーーーーーーい!!!!それ、櫻部健先生の指摘な?倶舎論研究の泰斗だけどなw個人的な感想?wwwwwwwwwwwwwwwwww2026/02/03 11:01:38172.神も仏も名無しさんBXoXXハッスル〜🤡ハッスル〜🤡煩悩ハッスル〜🤡2026/02/03 11:20:27173.リダン◆gEV3xsS//kDSvYp善因善果だと延々と続いてしまう俺の記憶が正しければ業の因果ってなあある一つ因にたいして楽あるいは苦で終わるようになってるはずとくに倶舎論業から離れるため2026/02/03 12:17:41174.リダン◆gEV3xsS//kDSvYp要は善業からも離れるわけや2026/02/03 12:18:33175.リダン◆gEV3xsS//kDSvYp善因善果ってなあとどのつまり輪廻仕様下になるからな2026/02/03 12:19:39176.◆JBLfMwCXhYUiolO>>171だから、その人も「アビダルマに善因善果はない」とは言ってないだろ「善因楽果のほうが筋が通っていると思われる」と言ってるだけだだから、唯識論では「善因善果」はなくなったんだ2026/02/03 12:23:20177.◆JBLfMwCXhYUiolO・・・ホント、お前には歴史のセンスが皆無だなそれで「大学では宗教史を専攻しました」とな向いてないことに手を出しちまったのが、お前の不幸の始まり😅2026/02/03 12:24:15178.リダン◆gEV3xsS//kDSvYpわかりやすく言えば六波羅蜜の布施おれは布施をしたんだってのが善業2026/02/03 12:32:57179.リダン◆gEV3xsS//kDSvYp善因善果だとまた善果が業力となってしまう倶舎論ではそこを詳しくやってたはず2026/02/03 12:34:39180.リダン◆gEV3xsS//kDSvYp思い出した倶舎論や善因楽果は2026/02/03 12:38:26181.神も仏も名無しさんYIjVx🤡でおーの言動を観察していると、その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。🤡餓鬼道とは何か。餓鬼道は渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、手に入れても決して満たされない。でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、その知識によってナルシズムによる周囲からの承認を求める。しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、むしろ常に不足感を抱えているように見える。愛情への飢えすら感じさせる点も含め、餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。🤡修羅道とは何か。修羅道は闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。でおーは、やたらと「自分の方が優れている」「相手より上である」という点を強調する。勝ち負けに固執し、相手を倒すためなら手段を選ばず、時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。そして、その対立を外から眺めて楽しむ。この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。🤡地獄道とは何か。地獄道は怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。正義感が歪み、攻撃性へと変質する。でおーは、相手を意図的に挑発し、怒りや憎しみを引き出そうとする。相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。🤡つまり、でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。🤡これは本人に対して言ってません。こいつはこういう奴だと周りに伝えてます。2026/02/03 12:43:06182.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK50FXp基本的「同類因 → 等流果」は色法に、「異熟因 → 異熟果」は心法に適用されるんじゃないのかな。例えば石とかコップという色法は、基本的にその落謝に於いて前後の変化が破壊でもされない限り無いから「同類因 → 等流果」だけど、心法ではそうもならないからな。2026/02/03 12:43:23183.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK50FXpJBLみたいにちゃんと『倶舎論』を読まないでコピペだけ見てるとああなってしまうんだな。2026/02/03 12:44:33184.リダン◆gEV3xsS//k19SRqだからjblウィキ切り貼りやなくて読めってそんなんだから誤読して自己解釈するし意図がわからんのよ2026/02/03 12:49:37185.◆JBLfMwCXhYUiolO>>182ほらな調べたら、あっただろ(笑)2026/02/03 12:50:39186.リダン◆gEV3xsS//k19SRq倶舎論や唯識論はお釈迦様の悟りとは一体どのようなものか?で我々はどのようにそれを模倣するのか?ってことだ善因善果、悪因悪果なんやーじゃ業から離れられんやろ2026/02/03 12:51:56187.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK50FXp>>185???何度も云ってるけど、倶舎論や中観、唯識を仏教スレにこのレベルで持ち込んだのは俺だけど?その中で六因四縁五果の説明もしてるけど?それは、唯識だけでなく倶舎論に於いても同様で、適用範囲に色法と心法の違いがあるから。 ↓0071 古本屋 ◆JW9aY6YQtyhR 2020/07/23(木) 09:24:06.02410 自分:鹿野園 ◆VupYVVGZXxPO [sage] 投稿日:2020/07/22(水) 20:30:19.08 ID:GQR5qNtD [5/17]>>392先ず、阿頼耶識は ”無覆無記(唯識三十頌)” であって、 種子と阿頼耶識の関係は ”不一不同(摂大乗論)” とされています。掛かる意義において唯識では種子は無記とされております。また、無記というのは異熟性を云うのですが、これについて説明しましょう。世間では悪因悪果・善因善果と云いますが、これは間違えで、正しくは善因楽果・悪因苦果なのはご存知だと思います。なぜなら、悪因悪果ではその悪果の悪が因に転化(刹那生滅による業の相続)し、再び悪因悪果となり未来永劫繰り返すことになってしまうからです。つまり、これは阿頼耶識が現量であることにも関わって来るのですが、善悪の行為として阿頼耶識に薫習された種子は、異熟により無記化するって事なんです。要するに悪因悪果として永劫に繰り返すのではなく、一旦は結果とし成熟し(悪因苦果)て清算され、その後、再び刹那生滅異熟展開していくという事です。2026/02/03 12:56:40188.◆JBLfMwCXhYUiolO>>187確かに、お前は仏教用語を並べるのは得意だ意味がわかってないだけ2026/02/03 13:01:05189.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK50FXp石やコップの例えがそうだけど、「同類因 → 等流果」に「善因善果だの悪因悪果」を当て嵌めるのは間違いだから。何故なら、その対象が色法なのはもちろん、善悪という道徳的観念は石やコップに関係ないからな。2026/02/03 13:06:04190.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK50FXp>>188それはお前www色法を対象とする、「同類因 → 等流果」に善悪という心法を代入してるから。2026/02/03 13:09:10191.リダン◆gEV3xsS//k19SRqvipāka-hetu異熟因楽あるいは苦たる結果を引き起こす原因、有漏(煩悩)に基づいた善あるいは不善の行為。無記または無漏に基づく行為は異熟因とは決してならない。善なる行為をなしたとき、それは同類の善ではなく楽なる結果を生じるが、このように原因と結果との性質が異なることを異熟という。同類因に同じく、異熟因について因果同時はありえない2026/02/03 13:19:00192.リダン◆gEV3xsS//k19SRq楽あるいは苦たる結果を引き起こす原因、有漏(煩悩)に基づいた善あるいは不善の行為。は、こっちのようだ2026/02/03 13:19:21193.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK50FXp確認してないけど、『阿毘達磨倶舎論(倶舎論)』に「善因善果、悪因悪果」というのはなかった気がする。2026/02/03 13:25:35194.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKWZklj以下、SAT検索Search word : "善因善果" : Including related character:5 pseudo paragraphs : 1 --- [ keyword counting ] 5 浄土宗全書: 検索結果:全8件正法念處經 (0721) 0100c06-0100c06: 因果相似聖所説 善因善果則成就 [show] (1 match)大方廣佛華嚴經疏 (1735) 0770a20-0778c25: 但離惡因惡果自亡願修善因善果自至問惡名殺等離即不 [show] (1 match)建康普説 (2604) 0732c22-0735b07: 茄瓜瓜茄茄必然之理也善因善果惡因惡果亦復如是因果 [show] (1 match)無量壽經義記卷下 (2759) 0247a24-0247c13: 悔善惡禍福追命所生者善因善果惡因惡果雙明也或在樂 [show] (1 match)維摩經義記卷第四 (2769) 0340a19-0340a28: 引色界道不以爲勝者就善因善果明行於非道色無色界即 [show] (1 match)Produced by: The SAT Daizōkyō Text Database CommitteeEstablished: March 17, 1998. Updated: May 1, 2016. (c) 1998-2016 All rights reserved.2026/02/03 13:27:14195.リダン◆gEV3xsS//k19SRqスパンの問題かな刹那前の石が刹那後の石と同じ性質をもつ同類因 → 等流果2026/02/03 13:28:21196.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKRFIbIまぁ、毎度毎度毎度毎度毎度の事だけど、今回もJBLの脳内電波📡⚡️⚡️⚡️だったと結論した。2026/02/03 13:30:31197.◆JBLfMwCXhYef9cv倶舎論を知らんのだから仕方ない2026/02/03 13:39:27198.◆JBLfMwCXhYef9cv倶舎論には、そういうものがあるってことだ2026/02/03 13:40:27199.◆JBLfMwCXhYef9cv【悪因悪果の具体例】怒りっぽいセイウン様が、宗教板で威張り散らす(悪因)↓それを見たマトモな人たちまで怒りだす(悪果)↓それを見たセイウン様がさらに怒る(悪因悪果のループ)2026/02/03 13:41:26200.◆JBLfMwCXhYef9cv2002026/02/03 13:41:39201.◆JBLfMwCXhYef9cv悪因悪果は、日常でもよくあることだ2026/02/03 13:42:10202.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKQtZIT>>197> 倶舎論を知らんのだから仕方ないドンマイ😉2026/02/03 13:58:21203.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKQtZIT>>198> 倶舎論には、そういうものがあるってことだそうだよ。2026/02/03 13:58:41204.◆JBLfMwCXhYef9cv円覚寺の横田南嶺だって、善因善果と言ってるぞ↓2023.10.28今日の言葉善因善果、悪因悪果(前略)「修行して悟りを開いた人も因果の法則に従わなければなりませんか」と。百丈禅師は答えました。「因果の法則は決してくらますことは出来ない」と。この禅師の言葉を聞いて、老人は「おかげで私の迷いがはれました。ありがとうございました。」とお礼を表します。更に老人は「私は既に狐の身を脱してこの山の裏におります。どうか亡くなった僧侶を葬る儀式で私のお葬式をしてください」と頼みます。百丈禅師はお昼の食事の後に、みんなに「今日はお昼が済んだら、亡くなった僧の葬儀を行う」とおふれを出しました。みんなは驚きました。今誰も病気をして休んでいる者もいないのに、一体誰の葬儀だろうかと。さて食事が終わった後、禅師がみんなを連れて山の裏に赴いて、杖で一匹の狐の死体を引っ張り出して火葬にしました。こんな話なのであります。これは因果の問題です。この世は因果の法則で成り立っています。原因があれば必ず結果が現れます。また結果のあるところには、必ずその原因がございます。善因善果、悪因悪果という因果の法則は誰も免れないはずですが、修行して悟りを開けば、因果の法則に落ちないのか、因果を超越することが出来るのかという問いかけに対して、この老人は曽てこの山の住職であったときに、因果に落ちない、原因結果に縛られない、因果を超越出来ると答えました。ところがこの答えが間違っていたために、五百回も狐に生まれ変わったというのです。何とも奇妙な話です。ここから誤った禅の教えを野狐禅と呼ぶようになったようです。2026/02/03 14:00:19205.◆JBLfMwCXhYef9cv仏教では善因善果、悪因悪果という因果応報を説きます。そうすると必ずあんな悪さをした者がのうのうと暮らしていて、あんないい人がなぜあんな気の毒な病気になるのか、災難に遭わなければならないのかとなど言われます。孔子のお弟子の顔回は優れた弟子でありながら、貧困のうちに苦労しながらわずか三十歳くらいで亡くなります。逆に盗人の大親分であった盗跖という人は、春秋時代、魯の人ですが、大泥棒でありながら天寿を全うしました。中国の歴史家、司馬遷は「天道は是か非か」とその著『史記』で嘆きます。仏教では古来三世の因果を説いてきました。因果はくらますことは出来ない、ごまかしはきかないといっても、さて今の原因がいつ現れるのか、それはわかりません。善悪の原因が今自分の世代で生きている間に結果として現れるものもあれば、次の生で現れるものもあり、それからずーっと後にいつ現れるかわからないものも有ると説かれています。それでもどこかで必ず現れるものが因果です。これを三つに分けて考えています。一つには順現報受、二つには順次生受、三つには順後次受、この三つです。一つは、行為をなした報いがその生涯の間に現われる順現報受、二つは、善悪の報いが来世に来る順次生受、三つは善悪の報いが再来世あるいはそれ以後に来る順後次受と言います。しかし、これは前世や来世という輪廻を信じないと成立しない話です。修行道場の修行僧たちに質問していても、さすがにお寺の子が多いからか、来生もあると信じている人が多くございました。なかには自分の前世は虫だったけれども良い行いをしたので、今の自分に生まれ変わったのだという青年僧もいました。また来世などないという者もいます。彼らには、悪業の報いが、来世もしくはその次に現れると言われてもピンときません。しかし、自分の子や孫の時代、次の世代に現れるとしたらどうだろうかというと、これはピンときたようでした。因果の道理を昧ますことはできません。今の行いは、必ず将来に影響が出るものです。善因善果、悪因悪果であると思って、己の行いを正してゆかないといけません。横田南嶺善因善果、悪因悪果2026/02/03 14:00:32206.◆JBLfMwCXhYef9cvまあ、この百丈禅師のエピソードにしたって正確には「善因楽果、悪因苦果」とすべき内容ではある横田南嶺がそれを知らんとも思えないので、素人向けに分かりやすくしたんだろうけどなだが、それにしたって、それほどおかしな用語ではないってのは分かる2026/02/03 14:02:32207.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKQtZIT>>199……あのさぁ😅他人が怒り出したのなら、俺は"因"じゃなくて"縁"だろ。ほんと、凄まじい馬鹿というか、壮絶な馬鹿というか😱2026/02/03 14:02:35208.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKQtZIT>>204それは老師の勘違いか、一般人向けの方便だな。2026/02/03 14:04:51209.◆JBLfMwCXhYef9cv>>208まあ、おそらく、後者と思うが2026/02/03 14:07:19210.◆JBLfMwCXhYef9cv>>207なら、こうしよう【悪因悪果の具体例】怒りっぽいセイウン様が、宗教板で威張り散らす(悪因)↓それを見たマトモな人たちまで怒りだす(悪縁)↓それを見たセイウン様がさらに怒る(悪果)2026/02/03 14:18:24211.リダン◆gEV3xsS//k6nF2t一般的、あるいは在家に対しての方法論ってのはやはり解脱、無住処涅槃というより善因善果、悪因悪果の輪廻でよりよいところに行きましょうって方向性なんかな2026/02/03 14:31:12212.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKQtZIT善悪というのは道徳的な価値判断で、そうした道徳的原因が苦楽という感覚的な結果を生じるというのなら分かるけど、道徳的な価値判断という行為が、同じ道徳的な価値判断という結果を生じるというのはおかしいな。また、そもそも、威張り散らすというのが善悪かはケースバイケースだし、怒りにも義憤というように、善性を帯びたそれもあるんだし。2026/02/03 14:45:06213.◆JBLfMwCXhYef9cv「善因善果(ぜんいんぜんか)」は善い行いが幸福を招き、「悪因悪果(あくいんあっか)」は悪い行いが不幸を招くという、仏教の因果応報に基づく考え方です。日々の誠実な努力や他人への思いやりは良い結果を生み、嘘や裏切りは自身に不利益をもたらすという、行動と結果の関係を表します。2026/02/03 14:49:02214.◆JBLfMwCXhYef9cv善因善果の具体例良い行い(原因)が、良い報い(結果)をもたらすケースです。周囲への手助け:困っている人に常に親切に接していたら、自分が困った時に周囲が助けてくれた。健康的な生活:毎日の食事制限と運動を続けた結果、健康で長生きできた。正直な姿勢:仕事でミスを正直に報告し誠実に対応したことで、上司や顧客から厚い信頼を得た。勉強・努力:毎日コツコツと勉強を続けた結果、志望校に合格した。2026/02/03 14:49:15215.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKQtZITまた、仏教で善悪という時、それは仏道の成就に資するか妨げげるかが準拠になるのだろうし、その結果、楽や苦になるというのはもっともな道理だろうな。2026/02/03 14:49:25216.◆JBLfMwCXhYef9cv悪因悪果の具体例悪い行い(原因)が、悪い報い(結果)をもたらすケースです。他人を騙す:人を騙して金銭を得ていたが、警察に逮捕され、信用と財産を失った。怠慢な生活:日頃から仕事をサボり努力を怠っていたため、重要なプロジェクトから外され、昇進できなくなった。悪口・裏切り:仲間の悪口を広めて裏切った結果、周囲から人が離れて孤立した。ルール違反:交通ルールを無視した運転を繰り返した結果、大きな事故を起こし重傷を負った。2026/02/03 14:49:27217.◆JBLfMwCXhYef9cvこれらの言葉は、行動の結果は必ず自分に返ってくることを示しており、良い未来のために前向きに行動することを促す教えとして使われます。2026/02/03 14:49:37218.◆JBLfMwCXhYef9cv「自分に原因があって、結果も自分に帰ってくる」というのが基本ですな😆2026/02/03 14:50:10219.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKQtZITJBLのそれは一般論であって、それを否定する訳じゃないけど、ここは仏教スレだから。2026/02/03 14:55:25220.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKQtZITつまり、道徳的因果論だな、そういうのは。有為法の範疇だ。言い換えると"世俗的世俗諦"であって"仏教的世俗諦(或いは随順勝義)"ではないな。世間法であって、出世間法じゃない。2026/02/03 14:59:38221.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK4QzWk対して「善因楽果、悪因苦果」は、未だに苦楽という有為法の範疇にはあるけど、善悪という五蘊でいう識ではなくて受だからね。より出世間や仏教的世俗諦(或いは随順勝義)に近いとは云えるな。2026/02/03 15:21:33222.麦◆MUGITANx95Djrs9P3>>221∞ノノハ∞川^○^ハレ>221.ユーザー栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK4QzWk対して「善因楽果、悪因苦果」は、未だに苦楽という有為法の範疇にはあるけど、善悪という五蘊でいう識ではなくて受だからね。より出世間や仏教的世俗諦(或いは随順勝義)に近いとは云えるな。2026/02/03 15:21:33お茶の味の話しではお茶の味は「受」でそのものは「触」だと言っていませんでした?2026/02/03 15:51:09223.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKhxSYaこころが対象(この場合はお茶)に接触するのが「触」で、それが感触されるのが「受」で、味とされるのが「識」とかだね。2026/02/03 16:00:23224.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKhxSYaこれだったかな。 ↓0016 スジャータ大山 2018/10/26(金) 20:38:10.46触 (心を認識対象に接触させる )作意 (心を起動させる )受 (認識対象を 、苦または楽 、あるいは 、そのどちらでもないと受けとめる )想 (受けとめたものを自己の枠組みにあてはめる )思 (認識対象に具体的にはたらきかける )ID:D5/NQ7Sg(10/252026/02/03 16:02:56225.麦◆MUGITANx95Djrs9P3>>223∞ノノハ∞川^○^ハレ即非の論理ですと無分別の分別ですので直接知覚ですよね山は山に非ず故に山お茶の味はお茶の味に非ず故にお茶の味お茶の味は「お茶の味そのもの」の方便ですのでお茶と味に分かれている訳ではありません無分別の分別で良いと思いますけど2026/02/03 16:19:11226.◆JBLfMwCXhYya88q>>225そこかよ(笑)2026/02/03 16:55:38227.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKas5SB>>225拡大解釈しなくてヨロシ。2026/02/03 16:57:44228.◆JBLfMwCXhYya88q当方は日頃、「現量だの直接知覚だのにコダワりすぎだ。もっと重要なことが唯識論には山ほどある」と、よく言ってるが「善因楽果、悪因苦果」(異熟)は、ここでいう「もっと重要なこと」のひとつ2026/02/03 16:58:18229.◆JBLfMwCXhYya88q「因是善悪、果是無記」(原因は善と悪だが、結果はどちらでもない)↑唯識論のキーワードの1つ「唯識の徒は、これをさんざん暗記させられる」と専門家が書いてるのをいくつも見た2026/02/03 17:03:25230.麦◆MUGITANx95Djrs9P3>>227∞ノノハ∞川^○^ハレ拡大解釈ではありませんよwww「そのものに付いてですけど」因縁仮和合によりますので「味覚障害」とか「副作用」によりとか定義する事でパラドックスは解消すると思いますwww2026/02/03 17:21:07231.麦◆MUGITANx95Djrs9P3∞ノノハ∞川^○^ハレはい論破♪2026/02/03 17:43:27232.◆JBLfMwCXhYnVb7c拡大解釈じゃなかったみたいだな?2026/02/03 18:46:09233.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKWg3VSアホか、2026/02/03 18:53:09234.麦◆MUGITANx95Djrs9P3∞ノノハ∞川^○^ハレ反論ないみたいなのではいはい論破♪www2026/02/03 19:11:43235.◆JBLfMwCXhYnVb7c論破されたか2026/02/03 19:15:11236.神も仏も名無しさんl0oGmハッスル低知能🟣暴露?😱2026/02/03 19:23:03237.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKY2P0k認識の発生に関する唯識的アビダルマに、なんで般若系の即非の論理を持ち込むの?カテゴリー錯誤だろwww2026/02/03 19:30:16238.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKY2P0k『仏教聖典』から学びない。2026/02/03 19:31:58239.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKY2P0k訂正『仏教聖典』から学びなさい。2026/02/03 19:34:13240.神も仏も名無しさんBXoXXハッタリマウントハッスル〜🤡〜いつものことだ😱2026/02/03 19:37:28241.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKY2P0k馬鹿は感情で判断するから要らねーな。2026/02/03 19:43:08242.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKY2P0kトーシローは『仏教聖典』から始めなさい。レベルの高い教理を支離滅裂な私的解釈でレスしてこられても迷惑なんですよ。2026/02/03 19:47:53243.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKY2P0k誤謬を指摘すること感情的になるしさぁ。2026/02/03 19:48:56244.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKY2P0k人の迷惑ってものも考えような。2026/02/03 19:49:31245.神も仏も名無しさんXy54hでおーの言動を継続的に観察すると、その行動様式は 餓鬼道と修羅道 に明確に一致する。餓鬼道でおーは承認・評価・優位性への渇望が強い。宗教知識を大量に収集し、それを誇示するが、満たされる兆候は見られない。語れば語るほど不足感が増し、他者からの反応を糧にしなければ立っていられない。これは知識探究ではなく、承認依存である。修羅道でおーは常に勝敗と上下を設定する。議論は理解のためではなく、相手を下に置くための手段として使われる。優位を示すためなら歪曲・挑発・分断も厭わない。第三者同士を対立させ、その混乱を外から眺める行動も繰り返している。これは対話ではなく、闘争嗜好である。地獄道への誘導でおーは相手の怒りや正義感を意図的に刺激する。感情を爆発させた相手を「荒れている側」に押し込み、自分は安全圏に退く。この構図は偶然ではなく、一貫した手口だ。結論でおーは餓鬼道と修羅道に居座り、他者を地獄道へ落とすことで自分を保つ。これは人格評価ではない。行動の事実と、その帰結の整理である。本人に言っていない。関わる周囲が判断を誤らないための共有だ。2026/02/03 19:52:34246.麦◆MUGITANx95Djrs9P3>>237∞ノノハ∞川^○^ハレコレも表現が違うだけで同じ事言ってると思いますよ♪栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK50-6mL-Ij-wvunFC5O(6/9)1.相対原理(相依性)としての空2.空もまた空なり(1.も相対原理である)3.メタ的相対原理(仮名)としての中道2026/02/03 04:07:58鈴木大拙氏の即非の論理(無分別の分別)であって色即是空 空即是色の 空即是色であって理事無礙法界♪唯識なら末那識を転じた転識得智(無漏智)が平等性智でお茶の味そのもの自相不ニ♪2026/02/03 20:28:53247.麦◆MUGITANx95Djrs9P3∞ノノハ∞川^○^ハレ反論ドゾー♪反論がなければ論破ね♪2026/02/03 20:34:58248.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKAj7cp拡大解釈しなくてヨロシ。2026/02/03 20:35:44249.麦◆MUGITANx95Djrs9P3∞ノノハ∞川^○^ハレ反論がないのでやっぱり論破♪www2026/02/03 20:37:10250.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKAj7cp今忙しいの、2026/02/03 20:43:15251.神も仏も名無しさんBXoXXハッスルハッタリ敗北🟣〜2026/02/03 20:45:36252.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKAj7cpこれの何処が即非の論理なの? ↓1.相対原理(相依性)としての空2.空もまた空なり(1.も相対原理である)3.メタ的相対原理(仮名)としての中道2026/02/03 20:49:40253.神も仏も名無しさんBXoXXまた創作仏教スタンダードしてるな?🤡ハッスル〜🤡ハッスル〜🤡2026/02/03 20:54:28254.神も仏も名無しさんXy54hでおーの言動は、承認に飢えた餓鬼道と、勝ち負けに囚われた修羅道の反復に過ぎない。そして相手の怒りを煽り、地獄道へ落とすことで自分を保つ。これは人格批判ではなく、行動パターンの事実確認だ。2026/02/03 21:01:37255.麦◆MUGITANx95Djrs9P3>>252∞ノノハ∞川^○^ハレ色即是空 空即是色の空即是色ですよ即非の論理より>「山が自己で自己が山である」という「霊性的直覚」の禅経験を根底にしており、「分別の無分別」(否定)と「無分別の分別」(肯定)との瞬間同時の経験事実へと現成するのであって、単なる言葉上の遊戯仮論ではない唯識にしても即非の論理にしても瞑想や坐禅の体験が元だと思いますからね平等性智だと思います2026/02/03 21:03:13256.麦◆MUGITANx95Djrs9P3∞ノノハ∞川^○^ハレお茶の味はお茶の味に非ず故にお茶の味2026/02/03 21:04:55257.◆JBLfMwCXhYUiolOセイウン様が、麦に押されてタジタジだ😫2026/02/03 21:06:10258.神も仏も名無しさんBXoXX幼稚園ガキと高校生の相撲みたいで可哀想なハッスル〜🤡〜2026/02/03 21:07:20259.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKAj7cp?????だからなんでメタ相対原理(二諦論と"仮名"というメタ言語の導入)が即非の論理になるの?2026/02/03 21:08:08260.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKAj7cpこの問題は自己言及への対処でしょ?即非の論理なんて全く関係ないけど?2026/02/03 21:09:05261.麦◆MUGITANx95Djrs9P3>>260∞ノノハ∞川^○^ハレ唯識だと相分が自証分ですからね自証分こそがメタ相対だと思います2026/02/03 21:17:26262.麦◆MUGITANx95Djrs9P3∞ノノハ∞川^○^ハレっ>>2562026/02/03 21:19:10263.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKAj7cp>>261> >>260> ∞ノノハ∞> 川^○^ハレ唯識だと相分が自証分ですからね> 自証分こそがメタ相対だと思いますはぁ?2026/02/03 21:21:17264.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKAj7cp中論頌24-18の話になんで唯識が出てくんの?2026/02/03 21:24:16265.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKAj7cp何が論破だよ、ふざけんなよ、2026/02/03 21:31:00266.麦◆MUGITANx95Djrs9P3>>263∞ノノハ∞川^○^ハレ唯識四分で2) <相分>は、<自証分>が<相分>という形になって現れたものである。3) <相分>は、外に実在するのではなく、自分の<こころ>の投影である。メタ認識だと思いますけど2026/02/03 21:31:22267.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKAj7cpだから、拡大解釈しなくてヨロシって云ってんの。2026/02/03 21:32:56268.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKAj7cp>>266🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆2026/02/03 21:33:28269.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKAj7cp264 栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK[sage] 2026/02/03(火) 21:24:16.54 ID:Aj7cp中論頌24-18の話になんで唯識が出てくんの?2026/02/03 21:33:44270.麦◆MUGITANx95Djrs9P3>>269∞ノノハ∞川^○^ハレ中論の話だったの?中論でも空・仮・中は同じですよ非有非無の実体がない空メタ認識に付いては中論では何て言ってたか忘れたwww2026/02/03 21:41:02271.麦◆MUGITANx95Djrs9P3>>265∞ノノハ∞川^○^ハレ反論してみなさいwww2026/02/03 21:43:20272.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKAj7cpうざい。いい加減にしとけ。2026/02/03 21:49:13273.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKAj7cp?????だからなんでメタ相対原理(二諦論と"仮名"というメタ言語の導入)が即非の論理になるの?この問題は自己言及への対処でしょ?即非の論理なんて全く関係ないけど?中論頌24-18の話になんで唯識が出てくんの?2026/02/03 21:50:17274.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKAj7cp麦はいつもあれだな。拡大解釈して全然関係のない事を紐付ける変な癖はやめた方がいい。2026/02/03 21:52:47275.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKAj7cpあーそれと、論破したとか変な妄想、取り消しとけ😟2026/02/03 21:57:20276.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKAj7cpクソ馬鹿どもが😧2026/02/03 22:01:35277.神も仏も名無しさんBXoXXハッタリハッスル〜🤡2026/02/03 22:02:31278.神も仏も名無しさんBXoXX475.ユーザー栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK50-gaA-Ij-wvu50FXpしかし、馬鹿どもへのレスは、電車で移動中や信号停止中の時間潰しには程良い良いレベルだな。2026/02/03 13:17:342026/02/03 22:03:27279.麦◆MUGITANx95Djrs9P3>>274∞ノノハ∞川^○^ハレ中論のソレは忘れたけど因縁仮和合で実体は無く現象として顕現している空は仏教に共通していると思う♪2026/02/03 22:16:43280.麦◆MUGITANx95Djrs9P3>>275∞ノノハ∞川^○^ハレ中論のソレを反論としてレスしたらね♪2026/02/03 22:18:16281.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKAj7cp>>279> 因縁仮和合で実体は無く現象として顕現している空は仏教に共通していると思う♪wwwwwwwwwwwwwwwwwwはぁ?2026/02/03 22:20:37282.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKAj7cp拡大解釈しなくてヨロシ。2026/02/03 22:21:03283.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKAj7cp>>280?????🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆2026/02/03 22:21:37284.麦◆MUGITANx95Djrs9P3>>282∞ノノハ∞川^○^ハレ中論のソレをレスしたまえwww2026/02/03 22:24:51285.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKAj7cp>>284?????🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆2026/02/03 22:29:54286.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKAj7cpこいつ、何を言ってるかさっぱり分からんなwww2026/02/03 22:30:23287.麦◆MUGITANx95Djrs9P3∞ノノハ∞川^○^ハレお釈迦様の教えなんだから紐付いていておかしくないですよ法華経だって無生法忍が般若心経から原始経典まで繋がっていましたからね2026/02/03 22:30:32288.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKAj7cp先ほどのメタ相対原理は即非の論理とは無関係である事は説明した通り。2026/02/03 22:31:19289.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKAj7cp>>287?????即非の論理はお釈迦さまの説示なのか?wwwwwwwwwwwwwwwwww鈴木大拙はお釈迦さまか? 精神病院にレリゴー💕 🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆2026/02/03 22:32:59290.麦◆MUGITANx95Djrs9P3>>286∞ノノハ∞川^○^ハレっ>>273「メタ認識」に付いて中論頌24-18の話にあるんじゃないの?2026/02/03 22:33:48291.麦◆MUGITANx95Djrs9P3>>289∞ノノハ∞川^○^ハレ共通しているでしょうアホか2026/02/03 22:34:57292.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKAj7cp意味不明な事を言って相手困惑してるのを"論破したとか"とか、相当強烈な怪電波📡⚡️⚡️⚡️が増幅されてるな?2026/02/03 22:36:34293.麦◆MUGITANx95Djrs9P3>>292∞ノノハ∞川^○^ハレっ>>273中論で「メタ認識」に付いて説明しろって言ってるの2026/02/03 22:37:47294.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKAj7cp>>290>>291はぁ?なんで即非の論理とメタ相対原理が共通なんだよ?何処が共通してんだよ?2026/02/03 22:38:05295.麦◆MUGITANx95Djrs9P3>>294∞ノノハ∞川^○^ハレオッサンが中論の話だって言うから説明しなさいって言ってるんだよ2026/02/03 22:40:19296.麦◆MUGITANx95Djrs9P3∞ノノハ∞川^○^ハレ食器片付けてお風呂入ってくる説明しといてね♪2026/02/03 22:42:11297.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKAj7cp>>293???したけど?2026/02/03 22:48:03298.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKAj7cp【空の思想は】 中観派 【言葉にできない】 Part5https://talk.jp/boards/psy/1769832281>>141-145引用元https://www.nara-jigenji.com/diary/3538/2026/02/03 23:08:55299.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKAj7cp>>246の引用自体がこのスレではなくてお前が【空の思想は】 中観派 【言葉にできない】 Part5https://talk.jp/boards/psy/1769832281から引用したんだろ?なに寝ぼけてんだ?2026/02/03 23:10:32300.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKAj7cp説明しろだってw何様の積もりだろ。2026/02/03 23:19:33301.神も仏も名無しさんXy54hでおーは餓鬼道と修羅道に居座り、他人を地獄道へ引きずることで成立している。2026/02/03 23:20:04302.麦◆MUGITANx95DjoAgwr>>300∞ノノハ∞川^○^ハレどんな反応するのかワクテカだったのでwwwありがとうございました♪2026/02/04 07:44:45303.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKWUdlb仮名をメタ言語というのはいささか問題ありだな。「社会的構造」という概念が適切かもしれない。2026/02/04 08:26:33304.◆JBLfMwCXhYUVHLq名言種子(みょうごんしゅうじ)は、唯識学派において「言葉の種子」を指し、雑染(迷い)や清浄(悟り)の世界を現し出す根源となる阿頼耶識(第八識)の要素。仏教的な教えを聞き、その言葉を心に留める「聞熏習」により有漏種子が無漏種子へと転換し、悟りに向かうプロセスで重視される。唯識学における名言種子:雑染(悩み)の源となる阿頼耶識(深層心理)に、言葉の力で善い種子(無漏種子)を植え付け、清浄な世界(悟り)へと転換(転依)させる要素。「言葉」の重視:親鸞教学における「南無阿弥陀仏」の称名念仏のように、言葉を修習することが心を変える要因になると考えられている。根本煩悩の滅却:名言種子の働きにより、自我意識や貪・瞋・痴などの根本煩悩を滅し、あるがままの真理を認識できるようになる修行の過程である。なお、これとは別に、仏教用語で「種子(しゅじ)」は梵字を指し、仏を象徴する文字として信仰される別の概念もある。2026/02/06 20:05:00305.◆JBLfMwCXhYUVHLq名言種子は、唯識論の中でも興味深い概念だ2026/02/06 20:05:21306.◆JBLfMwCXhYUVHLqさまざまな解釈が成り立つ2026/02/06 20:05:34307.◆JBLfMwCXhYUVHLq基本的には、やっぱり「唯識ワールドは、電脳に似ている」ということだこの世での思いや行いが、言語化されたデータとなり、阿頼耶識のデータベースに格納される電脳が、二進法に変換してデータを保存するのと似ている2026/02/06 20:07:57308.◆JBLfMwCXhYUVHLq言語化された名言種子には、外界を変える力がある「言葉が世界を創る」という、インド伝統の言霊信仰だまた、ポジティブな言葉を発することにより、阿頼耶識に善い名言種子を薫習することができる2026/02/06 20:10:21309.◆JBLfMwCXhYUVHLq清森義行のブログ正聞熏習とは、どういうことでしょうか?【質問】正聞熏習とは、どういうことでしょうか?【回答】正聞熏習(しょうもんくんじゅう)とは、正しい教えを繰り返し聞いて、阿頼耶識(あらやしき)にある無漏(むろ)の種子(しゅうじ)を成熟させるために、薫習していくことです。表層的な私達の心である意識は、深層心である阿頼耶識にある「汚れた種子」(雑染の種子)から生じますが、阿頼耶識の中には、もう一種類、雑染(ぞうぜん)の種子以外に、「清らかな種子」(清浄の種子)が潜んでいる、と教えられます。仏になる可能力としての種子、つまり無漏の種子です。2026/02/06 20:12:02310.◆JBLfMwCXhYUVHLqこのような素晴らしい無漏の種子に、栄養を与え、成育させて、発芽させるには、どうしたらよいのか。この問いに対して、唯識では、「正しい教えを、正しく繰り返し聞く」、という表層心でのありようが、深層心に熏じつけられて、素晴らしい無漏の種子を育む、と教えるのです。これを「正聞熏習」といいます。「正しい教えを正しく聞く」これは、原始仏教から「聞法」と言われて、重要な修行法の一つとして説かれてきました。唯識では、その働きを、表層心と深層心との関係で捉えるのです。2026/02/06 20:12:23311.◆JBLfMwCXhYUVHLq仏教では、教えは真理の世界から流れ出たもの(法界等流の法『ほっかいとうるのほう』)である、と言われます。釈尊が説かれる縁起・無我・空・無常・涅槃などの教えは、如実に真理を覚った智慧に裏付けされた教えであり、そこには疑う余地がありません。だから、真理から流れ出たもの、といっても過言ではないのです。その聞法が、有漏であり、無漏であれ、正しい教えを阿頼耶識に種子として、薫習していくことが大事であると、玄奘三蔵は、成唯識論に訴えておられます。また、それが初地(しょぢ.信心決定)の助縁であり、増上縁(ぞうじょうえん)になる、と説かれているのです。仏教は聴聞に極まる、と教えられた浄土真宗の教えは、この唯識の教えに基づいて説かれたものと思われます。2026/02/06 20:12:36312.◆JBLfMwCXhYUVHLq当方が、このような見解を非常に嫌っているのは周知の事実だがひとつには、個人的に、倶舎論や唯識論をベースにしてるってのがある倶舎論や唯識論では、正法を繰り返し聴聞することが非常に重要だ(本当は、中観派でもそうだ。コイツらが勘違いしてるだけ)↓88 栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK [sage] 2026/02/05(木) 14:19:45.72 ID:UNRIr> 「てことは、お釈迦さまが説いた法も> その【離れるべき見解】の1つってことになるのか?」当たり前。2026/02/06 20:15:58313.神も仏も名無しさんmqOndハッスルのハッタリにはコマったものだある時は西欧哲学を混ぜるある時は臨済宗ぽくポーズを取る最低なやつだ😱2026/02/06 20:17:34314.◆JBLfMwCXhYTdKNA清森義行のブログ有支と我執と名言習気【唯識三十頌〖十九頌〗】【唯識三十頌〖十九頌〗】🟥「習気(じっけ)」とは、頬悩を起こすことによって、心の中に印象づけられた慣習的な気分、習性のこと。🟥これによって思想、行為その他を生ずるところから「種子(しゅうじ)」とも呼ぶ。🙆言語的表象から生ずる、名言(みょうごん)習気、🙆我執から生ずる、我執習気、🙆善悪の業から生ずる、有支(うし)習気の三種がある。2026/02/07 08:30:22315.◆JBLfMwCXhYTdKNAこれは唯識の説くところで、阿頼耶識の中にある「種子(しゅうじ)」の別名である。🟩表層の行為(現行)によって、阿頼耶識に薫習されたという点から、「習気(じっけ)」といい、再び、それから「現行」を生じるという点から「種子」という。🟨詳しくは、「習気」の習とは、現行による薫習、気とは現行の気分であると解釈される。❇️名言習気・我執習気・有支習気の三種類が『成唯識論〕が説かれている。2026/02/07 08:31:12316.◆JBLfMwCXhYTdKNA「諸業の習気」とは、「有支(うし)習気」のこと。「有」とは、三有、三界ともいい、迷いの世界のこと。迷いの世界を支える、支配する種子のこと。🔶「二取の習気」の「二取」は①我執習気と②名言(みょうごん)習気である。2026/02/07 08:31:41317.◆JBLfMwCXhYTdKNA1、我執習気は、「倶生(くしょう)」の我執と「分別(ふんべつ)」の我執とが人格の底にとどめた力である。「倶生」の我執は、生得的なもので、「分別」の我執は、後天的なものである。「倶生」の我執は生命の奥深くに浸透しているので、それを解決することは、容易ではない。そういうものを背負って、我々は生存している。2026/02/07 08:32:29318.◆JBLfMwCXhYTdKNA2、名言(みょうごん)習気は、これも二つに分類されている。「表義(ひょうぎ)」名言と、「顕境(けんきょう)」名言である「表義」名言は、言葉、概念など「顕境」名言は、感じとか、印象、イメージなど言語化できなかった経験者の薫習したものである。これが、生死流転の力となる。我々の認識や存在の在り方などに、その人の身に付けた言語や価値観や、広くは文化全般の力などが大きく影響していると見る。自分の持つ価値観や文化体系を離れて、我々の認識が成立することはない。2026/02/07 08:33:23319.◆JBLfMwCXhYTdKNA【名言(みょうごん)を使う理由について?】私達が、物事を理解する時に、ほとんどの場合、言葉【名言】を用いて、主観と客観という二元対立の世界を仕立て上げ、その上で、目の前に繰り広げられる事柄を理解しています。いや、理解した気持ちになっているだけで、実際には、その言葉に正確に見合うものなどなく、いわば、そういう言葉が独り歩きしている状況です。端的に言って、それはもう虚妄の世界そのものですが、善や不善の行動情報には、そういう言葉による情報という側面もあります。もとより、それらは二つで一つですが、便宜的に分けて、前者を「諸業の習気」〖業種子〗後者を「二取(能取、所取)の習気」〖名言習気〗といいます。2026/02/07 08:34:34320.◆JBLfMwCXhYTdKNAこの世のほとんどは、言語や記号でできている2026/02/07 08:35:31321.◆JBLfMwCXhYTdKNA古代インド人でさえ、そう思っていたましてや、現代の先進国では言葉と記号の大洪水の中で生きている2026/02/07 08:36:14322.◆JBLfMwCXhYTdKNAこの世の現象世界は言葉や記号で意味づけされない限りなんの意味もない2026/02/07 08:37:07323.◆JBLfMwCXhYTdKNAコンピュータのロールプレイングゲームもそうだいくら、映像と音声の効果で仮想世界が演出されていてもそれだけでは、なんの意味もない。何もない退屈な世界だ「ここは、アレフガルド。魔物が徘徊する荒廃した世界。アナタは勇者ロトの子孫で、平凡な家庭に生まれた。いま、魔王を倒す冒険に出ようとしている・・・」とかなんとか、言葉による説明が付いて初めて、世界と自分に意味が生じる2026/02/07 08:41:53324.◆JBLfMwCXhYTdKNA唯識論の論師たちは、これを見抜いたこの世は、たしかに視覚と聴覚でできているだが、それだけでは舞台装置にすぎないわれわれ人類は、その舞台装置の上に、言語によって世界を構築している2026/02/07 08:43:39325.◆JBLfMwCXhYTdKNA「この世界のほとんどは、言語でできている」↑唯識論の世界観、唯識ワールドには、これが欠かせない2026/02/07 08:44:24326.◆JBLfMwCXhYTdKNA実のところ、西洋哲学でもそうなのだ近代の17~18世紀に、近代哲学者のデカルト、ロック、カントらが現れ「この世は、視覚と聴覚でできている」という事実を明らかにしたそれまでの人類は、「世界がある。それを、われわれが認識している」と思っていたカント以降は、「われわれが認識しているもの。それが世界なのだ」に変わったこれを、認識論的な転回という2026/02/07 08:48:00327.◆JBLfMwCXhYTdKNAさらに、19世紀から20世紀にかけて、ソシュールやローティらが現れ、「世界は言語でできている」ということが明らかになった「自分が認識しているもの、それが世界である」から、「自分は、言語によって認識している。それが世界である」へと進化したこれを、言語論的な転回という2026/02/07 08:49:59328.◆JBLfMwCXhYTdKNA西洋哲学は、だんだん唯識論に似てきたもちろん、似て非なるものだ違いもまた、大きいのだが2026/02/07 08:50:51329.◆JBLfMwCXhYTdKNA違いについて語るのは大変なので、やめておくが2026/02/07 08:51:53330.◆JBLfMwCXhYTdKNA唯識論における「名言種子(みょうごんしゅじ)」は、阿頼耶識(潜在意識)に言葉や概念が「習気(じっけ・記憶の垢)」として蓄えられた種子のこと。認識・記憶された事象が未来に現行(現象)として現れる原因であり、迷いや認識の根源とされる。この言葉の種子が転換されることで悟りへ至るとされる。2026/02/07 08:54:03331.◆JBLfMwCXhYTdKNA種子と習気: 種子とは習気(過去の行為や体験が心に刻まれた記憶)の異名で、事象を引き起こす要因のこと。名言種子の定義: 唯識学派において、雑染(迷い)や認識の根源となる、阿頼耶識に熏習された「言葉の種子」を指す。三種習気の一つ: 『成唯識論』では、種子を名言習気、我執習気、有支習気の3つに分類する。転依の鍵: 「名言種子」は迷いの世界を現し出す一方、仏の教え(聞熏習)を心に刻むことで、この種子を転換(転依)し、悟りの世界へ至る2026/02/07 08:54:44332.◆JBLfMwCXhYTdKNA名言種子は、人間が言葉や概念を用いて対象を認識する仕組みを説明する、唯識学の核心的な概念である。2026/02/07 08:55:16333.◆JBLfMwCXhYTdKNA3332026/02/07 08:55:28334.◆JBLfMwCXhYTdKNA本日の教学はここまで😆2026/02/07 08:55:40335.◆JBLfMwCXhYTdKNAいや~、名言種子興味が尽きない概念だ2026/02/07 08:55:58336.◆JBLfMwCXhYTdKNAその割には、どの解説書でも、ほとんど説明されていない数百ページある解説書の中で、1ページかそこらだ😫たいてい、「種子には、名言種子と業種子があります。名言種子は、言葉による種子です」という、たったの1行で終わる2026/02/07 08:57:56337.◆JBLfMwCXhYTdKNA20世紀になって、「言語哲学」が欧米の哲学界を席巻したその影響もあって、「名言種子」に注目する人も現れた巨匠・井筒俊彦だ2026/02/07 08:59:47338.神も仏も名無しさんfU6PV唯識の言語は倶舎論のスタンスがベースだろう😆2026/02/07 09:42:19339.◆JBLfMwCXhYnPF4M井筒俊彦は、「言語アラヤ識(阿頼耶識)」という概念で、文化的な意味や記憶が心に沈殿し、存在認識を形作る「種子(しゅじ)」となるメカニズムを説明しました。言語コードが意識の深層に沈み、私たちの認識を枠づける「文化的無意識」を指しています。具体的な名言や関連する深層心理・東洋哲学的な思想のポイントは以下の通りです。言語アラヤ識:心の中に沈殿した社会的な意味コード(「種子」に相当)が、世界をどう認識するかを規定するという考え。意識の変容:意識の深層に沈んだ「種子」を言語的に再解釈することで、世界の捉え方(意識の本質)が根本から変わるという視点。この「言語アラヤ識」は、彼が『意識と本質』などで展開した東洋哲学や現象学的な深い洞察の核となる概念です。2026/02/07 20:53:29340.◆JBLfMwCXhYnPF4M本多勇夫「塾・ひのくるま / 折々の記」季節のうつろいの、過ぎゆくときの、折々にふれてしるした記です。私の気ままな雑記帖です。「『言語アラヤ識』を索めて 1/2_井筒俊彦 読書覚書」4/23/2018 井筒俊彦『意識と本質 ー 精神的東洋を索めて ー 』岩波文庫の「Ⅵ」章には、「さきに私が、『言語アラヤ識』と呼びたいと言ったものがそれだ。」(130頁)の一文がある。この一文を端緒に、私の「言語アラヤ識」探しがはじまった。井筒俊彦の措定した「言語アラヤ識」の出自がどうしても知りたかった。2026/02/07 20:55:04341.◆JBLfMwCXhYnPF4M第九章『意味と本質』若松英輔『井筒俊彦―叡知の哲学 』慶應義塾大学出版会 「種子」は、すなわち意味であると井筒はいう。彼は(仏教の)唯識思想を単に焼き直し、踏襲しているのではない。その伝統に彼もまた参与しているのである。彼にとって、真実の意味における継承は深化と同義だった。 「唯識哲学の考えを借りて、私はこれ〔言語アラヤ識〕を意味的『種子(ビージャ)』が『種子』特有の潜勢性において隠在する場所として表象する」としながら、阿頼耶識の奥、「コトバ(実在、絶対的超越者、超越的普遍者、絶対無分節者)」が意味を産む場所を「言語アラヤ識」と呼び、特別の実在を与えた。「言語アラヤ識」と命名すべき実在に彼が遭遇し、それに論理の体を付与したとき、井筒は「東洋哲学」の伝統の継承者から、刷新者の役割を担う者となった。(380-381頁)「言語アラヤ識」とは、井筒俊彦が命名した「実在」である。「イデア論は必ずイデア体験によって先立たれなければならない」(「神秘哲学」)、それはプラトンのイデアの実相を言い当てているだけでなく、彼(井筒俊彦)が自らの信条を表現した一文だと思ってよい。根本問題を論じるときはいつも、実存的経験が先行する。むしろ、それだけを論究したところに井筒俊彦の特性がある。」(378-379頁)2026/02/07 20:55:59342.◆JBLfMwCXhYnPF4M「さきに私が」の言葉、また「唯識思想」,「阿頼耶識」,「種子(ビージャ)」の語を手がかりにして、130頁までを、そして全頁を何往復かしたが、いまだに出自不明のままである。若松英輔の引用箇所も不明である。 時系列順に、以下の四種類の『意識と本質』が発行されている。◇「意識と本質 ー 東洋哲学の共時的構造化のために ー」(『思想』岩波書店,論文)◇ 井筒俊彦『意識と本質 ー 精神的東洋を索めて ー 』岩波書店◇ 井筒俊彦『意識と本質 ー 精神的東洋を索めて ー 』岩波文庫◇「意識と本質 ー 東洋的思惟の構造的整合性を索めて ー」(『井筒俊彦著作集』第六巻 中央公論社,決定版)「論文」か「決定版」に当たれば解決するのだろうか。相当な時間を費やした。週末は変則的な読書に明け暮れた。深層意識内の真相は、私には不分明ということなのであろうか。 私には、井筒俊彦の著作は、若松英輔『井筒俊彦―叡知の哲学 』慶應義塾大学出版会の案内なしには読むことができない。理解は遅々として進まないが、遅々たる歩みを続けることにする。2026/02/07 20:56:14343.神も仏も名無しさん2coN1ハッスル🤡思想の変形のルーツかもなー😱2026/02/07 21:03:43344.◆JBLfMwCXhY5UOSV阿頼耶識(あらやしき、ālaya-vijñāna)は、仏教の唯識(ゆいしき)思想において、人間の意識の最深層に位置する「第八識」のことで、一切の経験(業)を「種子(しゅうじ)」として貯蔵する「蔵(アーラヤ)」のような心。万有を生み出す基体であり、無意識よりも深い、永遠の生命ともされる。2026/02/08 06:59:04345.◆JBLfMwCXhY5UOSV概要と特徴語源:サンスクリット語の「ālaya(住居、場所、蔵)」と「vijñāna(認識、意識、識)」の合成語。主な役割:過去の行動や経験が「種子」として蓄積され、縁によって現実世界や現象を展開する土台となる。性質:絶えず流転し、凡夫には直接感知できないが、すべてを保持する(無没識)。八識の構成:6つの表層意識(眼~身識)、意識、末那識に続く、最後の根本識。2026/02/08 06:59:24346.◆JBLfMwCXhY5UOSV言語学・哲学への応用東洋哲学者である井筒俊彦は、この唯識の概念を言語意味論に応用し、「言語アラヤ識」と名付けた。意味:人類共通の「意味可能体(種子)」が貯蔵されている深層の言語構造体。機能:様々な言語や文化、世界観は、この深層から結晶化した表面構造(日常言語)である。阿頼耶識は、意識の根源的な深みを示す概念であり、井筒俊彦によって言語の生成過程や文化的な意味の普遍性を説明する視座としても再解釈されている。2026/02/08 07:00:00347.◆JBLfMwCXhY5UOSV言語アラヤ識は、井筒俊彦のオリジナル思想だ2026/02/08 07:00:57348.◆JBLfMwCXhY5UOSV唯識論がこういうものだってわけではない2026/02/08 07:01:13349.◆JBLfMwCXhY5UOSV20世紀の西洋哲学の影響を存分に受けている2026/02/08 07:01:38350.◆JBLfMwCXhY5UOSVコトバの意味は言語アラヤ識から浮かんでくる!ソシュールの主張した「能記(シニフィアン)と所記(シニフィエ)の関係は恣意的であり、現実においてなんの自然的契合をも持たない」という言説は、現代社会の言語学や記号学では常識とされてきました。だが、本当に的を射ているのでしょうか。すでにさまざまな批判や反論が行われていますが、最も本質的な批判は井筒俊彦先生の言説だ、と筆者は思います。膨大な論述の中から、核心部分を抜き出してみましょう。2026/02/08 07:02:28351.◆JBLfMwCXhY5UOSVまずソシュールに主張する「言語の恣意性」については、次のように指摘します。ソシュールは言語(ラング)を一種独特な記号学的「相異」の連関網目構造として規定した。「言語には相違しか存在しない」(中略・・・という)、ソシュール言語学のこの有名な基礎命題は、要するに言語記号の実体性の無条件的な否定である。能記(シニフィアン)の側であれ、所記(シニフィエ)の側であれ、記号というもの(実体)は存在しない。ただ諸辞項間の相互的「相異」関係のみがある。ものがあって、それらの間に相互関係が出来上がるのではなくて、関係性が諸辞項を、あたかも実在するものであるかのごとくに成立させる、というのだ。(『意味の深みへ』P108)2026/02/08 07:03:01352.◆JBLfMwCXhY5UOSV早い話が、🐶を「イヌ」というのも、🐱を「ネコ」というのも音節そのものに意味はないこれらを区別するために便宜上、割り当てられたにすぎない2026/02/08 07:05:32353.◆JBLfMwCXhY5UOSV「イヌ」も「ネコ」も意味はない違うことに意味がある区別するために必要だ2026/02/08 07:06:19354.◆JBLfMwCXhY5UOSV「イヌ」と「ネコ」でなく「ドッグ」と「キャット」でも構わない要は、区別がつけばいいのだ2026/02/08 07:08:08355.◆JBLfMwCXhY5UOSV「ベイロシャノウ」と「マカボダラ」でも構わない要は、区別がつけば、それでいい2026/02/08 07:09:05356.◆JBLfMwCXhY5UOSVソシュールの言語哲学だ2026/02/08 07:09:24357.◆JBLfMwCXhY5UOSVそのうえで井筒俊彦は、ソシュールのこの主張は、言語の表層的な特性を述べたものにすぎない、と厳しく反論します。コトバの表層領域とは、言語の社会的約定的記号コードとしての側面――無論、それに基づいてなされる人間相互間のコミュニケーション、つまり発話行為を含めて――ということ。このような偏向性における言語論は、必然的に、コトバにたいする水平的(ホリゾンタル)なアプローチとなり、人間の言語意識を、いわば深みに向かって掘り下げていく垂直的(ヴァーチカル)なアプローチはほとんど完全に無視される。にもかかわらず、西洋の言語論のほとんどが、この次元に留まっていると批判します。フロイト派の深層心理学の特殊分野におけるラカンの言語論とか、近年のクリステーヴァの「ル・セミオティーク」の如き、注目すべき例外はあるとしても、西洋の言語学の圧倒的大勢は、言語にたいして、いま言ったような意味でのホリゾンタルなアプローチによって特徴づけられる。チョムスキーの語る「深層言語」にしても、深層とはいうものの、それは実はデカルト的な普遍的理念構造を措定するだけであって、依然としてホリゾンタルなアプローチであることに変わりはない。(『意味の深みへ』P254)2026/02/08 07:10:22358.◆JBLfMwCXhY5UOSVその欠陥を次のように指摘しています。現代の言語学者は、社会的記号コードとしての言語(ラング)の対立項というと、すぐに発話行為(パロール)を考えるのを常とする。ラングとパロールとは相関的、相補的概念だ。しかし本当は、ラングとパロールとをそのまま表面的に並べる前に、ラングの底に伏在する深層意味領域というものを考えなければならない。そうしてこそ、はじめて、いわゆる意味の「太古」の薄くらがりのなかから立ち現れてくるパロールの創造性の秘密を理解できるのではないか、と私は思う。(『意味の深みへ』P255)2026/02/08 07:10:42359.◆JBLfMwCXhY5UOSVこの主張の背景として、言葉の機能を表層と深層に分けたうえで、深層の構造を説明します。表層的シニフィエの底辺部には、広大な深層的シニフィエの領域が伏在している。そればかりではない。言語意識の深層には、まだ一定のシニフィエと結びついていない不定形の、意味可能体の如きものが、星雲のように漂っているのだ。まだ明確な意味をなしていない、形成途上の、不断に形を変えながら自分の結びつくべきシニフィアンを見出そうとして、いわば八方に触手を伸ばしている潜在的な意味可能体。まさに唯識の深層意識が説く「種子(しゅうじ)」、意味の種だ。既に一定のシニフィアンを得て、表層意識では立派に日常的言語の一単位として活躍しているものと、いま言ったような形成途上の流動的意味可能体と、無数の「意味」が深層意識の底に貯えられている。(『意味の深みへ』P259)2026/02/08 07:11:19360.◆JBLfMwCXhY5UOSV井筒俊彦には、このような西洋哲学の言語論が、表面意識だけをなぞった、表面的なものに見えた2026/02/08 07:11:56361.◆JBLfMwCXhY5UOSV言葉は、もっと深いところから発せられているそれを、井筒は「言語アラヤ識」と名付けた2026/02/08 07:12:33362.◆JBLfMwCXhY5UOSV井筒俊彦の「言語アラヤ識」東洋哲学の概念を借用して、井筒が創造した新たな哲学概念だ2026/02/08 07:13:15363.◆JBLfMwCXhY5UOSVこのような種子が潜んでいる場所を大乗仏教唯識論の「種子」を敷衍して、「言語アラヤ識」と名づけています。およそ外的事物をこれこれのものとして認識し意識することが、根源的にコトバ(内的言語)の意味分節作用に基づくものであることを私はさきに説いた。そして、そのような内的言語の意味「種子(ビージャ)」の場所を、「言語アラヤ識」という名で深層意識に定位した。「言語アラヤ識」という特殊な用語によって、私は、ソシュール以来の言語学が、「言語(国語、ラング)」と呼び慣わしている言語的記号の体系のそのまた底に、複雑な可能的意味聯鎖の深層意識的空間を措定する。もしこの考え方が正しいとすれば、我々が表層意識面で――つまり知覚的に――外的事物、例えば目前に実在する一本の木を意識する場合にも、その認識過程には言語アラヤ識から湧き上がってくるイマージュが作用しているはずだ。なぜなら、何らかの刺激を受けて、アラヤ識的潜在性から目覚めた意味「種子」が、表層意識に向かって発動しだす時、必ずそれは一つ、あるいは一聯の、イマージュを喚起するものだからである。(『意識と本質』」P190)2026/02/08 07:13:55364.◆JBLfMwCXhY5UOSV井筒俊彦によると、深層意識には「言語アラヤ識」がある2026/02/08 07:14:28365.◆JBLfMwCXhY5UOSV言葉は、ソシュールがいうような、単なる音節の違いだけでできているのではない2026/02/08 07:14:52366.◆JBLfMwCXhY5UOSV西洋哲学者は、深層意識の「名言種子」を見ていない2026/02/08 07:15:22367.◆JBLfMwCXhY5UOSV以上のように、井筒説によると、コトバの音声・文字(シニフィアン)と意味対象(シニフィエ)の関係は、ソシュールのいう「恣意的」なものではなく、私たちの意識の深層(阿頼耶識)にある、なんらかの種(種子)の影響によって、両者が結びつくのだ、というのです。とすれば、「言分け」によって「身分け」世界を分ける、その前に「種分け」という段階を考えなければならないのかもしれません。2026/02/08 07:22:13368.◆JBLfMwCXhY5UOSV西洋哲学の大物、ジャック・デリダも井筒俊彦を「巨匠」と呼び、一目置いていた2026/02/08 07:23:32369.◆JBLfMwCXhY5UOSV唯識論だと、「世界は『名言種子』でできている」というくらいの勢いだ2026/02/08 07:28:05370.◆JBLfMwCXhY5UOSV「言葉が世界を創る」インドの伝統思想一種の言霊信仰だ2026/02/08 07:28:36371.◆JBLfMwCXhY5UOSV同じ「言語哲学」といってもクールでドライで唯物的な、西洋の現代思想とは異なりかなり宗教がかっている2026/02/08 07:30:26372.神も仏も名無しさんrJ7oA深層という設定は俺は反対だなつまるところ人間の八識における活動と人間の個性→集団への流れでインフルエンサーな人間が言葉を作りそれが集団において共有されると明白な言葉になるというたけやろ北朝鮮なら金正恩のお言葉がとりまインフルエンサーだがその反動の恨みつらみのスラングも増えているだろう人間個人と集団よ相互関係で一般化された言語が生まれる深層もなにもないだろな😆2026/02/08 07:32:18373.神も仏も名無しさんrJ7oA若い頃から久しぶりに学者モード?に入った😆2026/02/08 07:32:46374.神も仏も名無しさんrJ7oA若い頃はそんなことを探求していた😆2026/02/08 07:33:28375.◆JBLfMwCXhY5UOSV共通するのは、「アナタが認識しているもの。それが世界である」「そして、アナタは言語というフィルターを通して世界を認識している」ということだ2026/02/08 07:34:40376.◆JBLfMwCXhY5UOSV>>372まあ、確かにソシュールが言ってることの方が、真実味があるな2026/02/08 07:35:24377.◆JBLfMwCXhY5UOSV人間は、自分が心の中で創り上げた「世界像」の中に住んでいる世界とは、本当はどういうものなのか?それを知ることは不可能である2026/02/08 07:38:09378.神も仏も名無しさんrJ7oA文化集団の文化→個人の文化→集団の文化とかリバースするように言葉も、そのようなもの深層ではない集団の共有する文化雰囲気だそこから反動的な個人の文化が生まれたりとかな理論的な人文社会科学の権威はソシュール以外はあんまり俺は認めてない、疑ってかかる理系、自然科学の常識は人文社会科学の理論よりも遥かにしんよはしてる詳しくないのもあるけど😆2026/02/08 07:38:32379.◆JBLfMwCXhY5UOSV18世紀のカント以来それが西洋哲学の常識になった2026/02/08 07:38:40380.◆JBLfMwCXhY5UOSVそして、「自分が創り上げた世界像」は言語というフィルターを通っている言語に深甚な影響を受けている2026/02/08 07:39:26381.◆JBLfMwCXhY5UOSVソシュール以来、それが西洋哲学の常識になった2026/02/08 07:39:41382.神も仏も名無しさんrJ7oA人間の脳における文化という情報の遺伝子?みたいな感じで社会に刷り込まれるが人間は創造性があるのでその情報文化に反逆も可能であるそれこそが恣意性の根源てはと若い頃はそんなことを探求構築していた😆2026/02/08 07:42:26383.◆JBLfMwCXhY5UOSV人間は、自分自身が心の中で言語によって構築した世界像の中にすんでいるそれを、「世界とは」こういうものだ」と思い込んでいるにすぎない哲学マニアにとっては常識だが世間の一般人がこれに気づいて自覚するのは、極めて困難だ限りなく不可能に近い2026/02/08 07:43:47384.◆JBLfMwCXhY5UOSV>>382そんなことまで探究してたのかすごいな?😆2026/02/08 07:44:21385.神も仏も名無しさんrJ7oA脳科学の本も読むのが好きたった認知症の脳の欠測箇所と患者の行動パターンとか、サルの生態とかそういう情報デーで人間の脳の創造性についても含めてソシュールの記号論から社会の構造まで探求していた😆2026/02/08 07:44:49386.神も仏も名無しさんrJ7oA>>384若い頃は本気で社会科学関係の大学の教授になりたかった😆2026/02/08 07:45:54387.神も仏も名無しさんrJ7oA歴史も大好きたったから社会の変化とソシュールの記号論と合わせながら考察もてきるしなー近現在政治史の本もかなり読み込んでいた😆2026/02/08 07:47:47388.神も仏も名無しさんrJ7oAだが今の俺の最大の謎探求は瞑想正統派仏教以外の宗教探索だ 😆2026/02/08 07:49:23389.神も仏も名無しさんrJ7oA今てはリアルなカルバンの宗教内面世界とかリアルなイスラームの宗教の内面世界とかまだまだイメージが仕上がってないので発見が、楽しい😆2026/02/08 07:52:30390.神も仏も名無しさんrJ7oAカルバンとトマスアキナスと発想が真逆とかなー😆2026/02/08 07:56:38391.◆JBLfMwCXhY5UOSVだから当方は「教学をマトモにやらず、いきなり瞑想行にふける」ことに反対している普通の人がそれをやれば、「世界とはこういうものだ」という思い込み、信念体系がますます強化されるだけで逆効果だまずは徹底的に哲学して、自分の信念体系を壊す瞑想するのは、それからにした方が良い2026/02/08 08:00:42392.◆JBLfMwCXhY5UOSV>>388> だが今の俺の最大の謎探求は> 瞑想正統派仏教以外の宗教探索だそうなのか~😆2026/02/08 08:01:21393.◆JBLfMwCXhY5UOSV普通の人が瞑想して精神統一すれば通常、自分自身の信念体系がさらに強化されるだけだ地球人類が何百年も何千年もかけて気づいたことに短い1度の人生で気づくのは不可能2026/02/08 08:04:58394.◆JBLfMwCXhY5UOSV現代人が、西洋の助けを借りずにいきなり唯識論を理解するのは難しい2026/02/08 08:08:13395.◆JBLfMwCXhY5UOSV西洋哲学の助けを借りずに2026/02/08 08:08:25396.神も仏も名無しさんrJ7oA>>393最初の俺の教学土台は天台小止観と空海の即身成仏義だった瞑想は天台小止観が本格的にやったそこから我流チベット密教とやっと師匠の筋の臨済宗だな😆2026/02/08 08:09:10397.◆JBLfMwCXhY5UOSV>>396なるほど、そこから入ったのか2026/02/08 08:09:46398.◆JBLfMwCXhY5UOSV天台宗と真言宗平安仏教の2本柱から入ったんだな2026/02/08 08:10:07399.神も仏も名無しさんrJ7oA>>395単に倶舎論が、抜けてるからだと思うぞ特に日本人の多数は😆2026/02/08 08:10:13400.神も仏も名無しさんrJ7oA>>397ロンや元仏のスレ主を読み解くには即身成仏義は効果あるとお勧めする😆2026/02/08 08:11:09401.◆JBLfMwCXhYc7EeM>>399そうだな西洋哲学はなくてもいい倶舎論があれば😆2026/02/08 08:35:31402.◆JBLfMwCXhYc7EeM倶舎論より、即身成仏義がさらに重要だ~😆2026/02/08 08:36:10403.◆JBLfMwCXhYVajyDいや、どっちも重要だ~😆2026/02/08 08:51:22404.神も仏も名無しさんrJ7oAしかし、猛烈な北風だな?しかし、なんとなくつる切りだけやりに行くかもという気分に😆2026/02/08 09:32:18405.神も仏も名無しさんrJ7oAいまんところつる切りのみ真言宗寺院と神社に久しぶり参りのプランにしよう😆2026/02/08 09:42:04406.◆JBLfMwCXhY6IlDC寒いな~😫2026/02/08 12:38:53407.◆JBLfMwCXhY6IlDC選挙に影響しそうだ2026/02/08 12:39:05408.◆JBLfMwCXhY6IlDC創価学会のジジババどもは、それでも投票するだろう2026/02/08 12:39:26409.神も仏も名無しさんrJ7oA口先ババアに勝つんぢゃっ‼️😆2026/02/08 13:04:15410.パーリー◆HpIafZZzjh.GRiStw現実は眼ではなく脳が見ている‼️https://www.facebook.com/share/r/1Kp1EFjqXZ/ーーーーーーーーーhttps://i.imgur.com/0Txh92r.jpeg2026/02/08 13:18:18411.パーリー◆HpIafZZzjh.GRiStw>>391自我の危機感の表れかもね?普通に無心、無我を、本心の萌芽に目覚めた人間が求め始めると生後構築された自我と自我を通して作用しようとする我執(7識)、倶生我執と分別我執って言ってたものと同じかな?まあ、これらが、言語による知識によって理解しようとし、言語を離れることを、無意識に阻止しようとします、そして、延々とそれが続くことになりますこの状態を抜け出る為に必要なのが、覚醒者(ブッダ)により、言語で説かれた、勝義諦ですOSHOは、自分が延々と話すのは、あなた方を沈黙させる為だ!と言いました事実、当時プーナのブッダホールで聴講していた2,000人ものサニャーシンは、聴くことだけで、深い沈黙へ誘われていましたこのような、沈黙を生起させる、説法を、聴聞することは【受身的】に言語を阿頼耶識に入れ込む行為であり自我の自発的行為では無い為、自我が強化されないということがあります自発的に文章を捜して読んで記憶する行為は、知識を強化し、加えて自我をも強化することになります自我は無心、無我を怖れます、何故なら?ソコでは自身を維持できず、自我は消え去るからです実際に、貴殿の危惧する、瞑想だけでは、事前の言語構築世界観が強化されるだけということは、それが自我・我執による、無意識の策略に他なりません瞑想に、入ったり出たりのものでは、自我は消えませんが、完全な無心、そう五井先生の想念停止行法による、完全な思考と妄想の停止に至ると自我は完全に無我に転換し消えます、ではその時何がおきるでしょうか?それは、それわ!過去の言語記憶の一時的消失です、昨日まで毎日呼んでた人の名前が、全く出て来なくなります、またすべての物の名称が出てきません!そうです、意識が言語から切断された状態へ至ります、ソコで起こるのが、自我の崩壊と消失を経て至る【無心・無我】ですこの無我は永く継続されて、大悟(心解脱)へ至ります、よって、貴殿の杞憂は、心配に及ばないと思われます。2026/02/08 14:35:09412.神も仏も名無しさんrJ7oAデンパパ危機感🛸2026/02/08 17:18:55413.◆JBLfMwCXhYsgtdTやはり、聖ウンコ教はスピリチュアル2026/02/09 08:48:27414.◆JBLfMwCXhYsgtdT名言種子(めいげんしゅうじ)は、唯識(ゆいしき)学派の用語で、阿頼耶識(あらやしき:心深層の記憶・因縁)に熏習(くんじゅう:薫り付け)される、言葉や概念の「種(シード)」のこと。この種子が迷いや認識を現し出す(現行)一方、仏法を聞く「聞熏習」により清浄な種子に転換し、悟りの世界を現す根源となるとされます。2026/02/09 08:50:25415.◆JBLfMwCXhYsgtdT名言種子の概要唯識学派の考え方: 私たちが認識する雑染(苦しみ・迷い)の世界は、過去の認識や言葉の習得によって阿頼耶識に「名言種子」が植え付けられ、それが現れた結果と考えられています。熏習(くんじゅう): 心の中で名言(言葉・概念)をくり返すことで、その「種子」がより深く定着するプロセス。清浄な種子への転換: 仏教の教え(名言)を正しく聞き、心に留める(聞熏習)ことで、迷いの種子(有漏種子)を清浄な種子(無漏種子)へ転換し、悟り(転依)へ向かうとされています。称名念仏との関連: 親鸞教学における「南無阿弥陀仏」という言葉の修行(称名念仏)は、この言葉の種子を心に植える(熏習する)意味で、名言種子の考え方が関連しています。2026/02/09 08:52:07416.◆JBLfMwCXhYsgtdT人は、言葉という種子を繰り返し、深層意識に刷り込んでいるそれが、唯識論の洞察2026/02/09 08:52:49417.◆JBLfMwCXhYsgtdT善い言語、つまり正法を薰習することが唯識論では一番大事2026/02/09 08:56:05418.◆JBLfMwCXhYsgtdT「釈迦の教えは方便だ」とか「龍樹の教えは世俗諦だ」とかそこにコダワってるようじゃ、こうはならない2026/02/09 08:56:59419.◆JBLfMwCXhYsgtdTまずは正法を学ぶそれも、徹底的にそれから、瞑想行をやるこの繰り返し2026/02/09 08:58:25420.◆JBLfMwCXhYsgtdT唯識派はもちろん、中観派でもそう2026/02/09 08:58:44421.◆JBLfMwCXhYsgtdTいきなり瞑想にふけるのは仏教では推奨されない2026/02/09 08:59:20422.◆JBLfMwCXhYsgtdT一部の禅僧が教学を軽視し、ひたすら坐禅しろというのは仏教というより、道教に近い2026/02/09 09:00:04423.◆JBLfMwCXhYsgtdT聖ウンコ師が悪い見本だ坐禅をやればやるほど、貪瞋癡の3毒エネルギーが増幅され精神破壊が進んでいる2026/02/09 09:01:16424.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKiCv2wwwwwwwwwwwwwwwwwwwハロワ行けよ、低知能w2026/02/09 09:02:07425.◆JBLfMwCXhYsgtdT精神統一は、諸刃の剣だ聖ウンコ師のような悪想念の持ち主が、精神を集中するのは悪想念の増幅につながる2026/02/09 09:02:43426.神も仏も名無しさんHpCeAお怒りだ🤡2026/02/09 09:03:34427.◆JBLfMwCXhYsgtdTそして、坐禅が終わると増幅された三毒エネルギーを、レーザービームのように発射する2026/02/09 09:03:39428.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKiCv2w派遣会社に土下座して仕事紹介して貰えよw馬鹿www2026/02/09 09:03:54429.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKiCv2wうわぁ、ペニスマン🤡でおー迄即登場かよwwwお前らさぁ、この国の国民に迷惑掛けるなよ?ら2026/02/09 09:05:11430.神も仏も名無しさんHpCeA懺悔機能ブロークンパロディーハッスル今日も行く🤡2026/02/09 09:07:37431.◆JBLfMwCXhYsgtdTさっそく、悪の名言種子を薰習している2026/02/09 09:08:05432.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKiCv2wいや、善だろw2026/02/09 09:18:35433.パーリー◆HpIafZZzjh.GTkppj>>416それが真言密教の原理ね2026/02/09 14:07:05434.神も仏も名無しさん1xHoWなんちゃってデンパパセイジン👽2026/02/09 14:09:17435.パーリー◆HpIafZZzjh.GTkppjまあ何でもどっちからでも無分別三昧に入れなければ禅定すら始まらないんで更に禅定で身心脱落を経験しなきゃ次に完全で永続的な無心、無我へも至れず死ぬ迄悟れませんいや死んでも悟れません何でも良いのでその言語を弄する自我の一時停止を引き起こす為の言語による勝義諦を聴聞することです!受動的に脳に入れることが重要ですから能動的では自我が強められて、無分別三昧へ入って行けないんで2026/02/09 14:28:07436.神も仏も名無しさん1xHoWハッタリデンパパセイジンダ🛸2026/02/09 14:34:15437.神も仏も名無しさん1xHoW今日もホットにデンパパコントロールを狙う🛸2026/02/09 14:35:17438.◆JBLfMwCXhYsgtdT>>435なるほど2026/02/09 14:48:41439.神も仏も名無しさん1xHoW>>438デンパパコントロールされてますな?👽2026/02/09 14:53:19440.◆JBLfMwCXhYsgtdTコントロールなのか?😫2026/02/09 14:57:32441.神も仏も名無しさん1xHoW>>440金星へ連れていかれるかもー👽2026/02/09 14:58:50442.◆JBLfMwCXhYsgtdTヤバいな?😱2026/02/09 15:16:43443.パーリー◆HpIafZZzjh.GTkppj● 何もしない・何も考えないで安静に座っている時の酸素消費量は、一般的に以下の値が基準となります。 1分間の酸素消費量: 体重1kgあたり約3.5 mL (3.5 mL/kg/min)体重60kgの成人の場合: 1分間に約210 mLの酸素を消費するとされますが、パーリー仏経典によれば、第四禅定において呼吸が停止するとあります、深い瞑想中で酸素の消費が著しく下がるのは何故ですか?2026/02/09 17:44:23444.◆JBLfMwCXhYsgtdT>>443心肺機能が低下するからでしょうな2026/02/09 17:46:50445.パーリー◆HpIafZZzjh.GTkppjパーリ仏典(特に『アナーパーナサティ・スッタ』など)が描写する第四禅定(第四禅)において呼吸が停止する(息の出入りが止まる)現象は、現代の生理学的な観点からも、深いリラクゼーションによる極端な代謝低下(低代謝状態)として説明できます。酸素消費量が著しく下がる主な理由は以下の通りです。1. 極限の細胞・筋肉の安静(エネルギー消費の抑制)筋肉活動の最小化:第四禅では、身体の動きが完全になくなり、微細な筋肉の緊張も消失します。筋肉は酸素の主要な消費源ですが、座っているだけの状態よりもさらに深いレベルで活動が停止するため、酸素消費量が大幅に減少します。低代謝(ハイポメタボリズム):深い瞑想状態は、副交感神経が優位になり、身体活動を最小限に抑える「休息・消化」モードを超えた、自発的な「低代謝状態」を生み出します。2026/02/09 17:47:08446.◆JBLfMwCXhYsgtdTとくに、クンダリニーヨーガは仮死状態2026/02/09 17:47:09447.◆JBLfMwCXhYsgtdTそうだな「心肺機能の低下」なんて言ったら、病気みたい(笑)「低代謝状態」と言おう2026/02/09 17:48:16448.パーリー◆HpIafZZzjh.GTkppj2、3、は何故かコピー出来ないので下の写真で( ゚д゚)ノどうぞ4. 精神的な平穏と脳のエネルギー消費集中と平穏:第四禅は「呼吸の有無を気にも留めないほどの絶対的な安定(捨・不苦不楽)」にあるため、思考活動に伴う脳のエネルギー消費も極小化されます。経典と現代科学の視点パーリ仏典の記述は「呼吸が停止する(assāsapassāsā niruddhā)」ですが、これは「死」ではなく、超・安静状態(呼吸の動きが感じられないほどの微細な状態)を指すと解釈されています。一部の説では、身体が皮膚の毛穴を通じてプラーナ(気・エネルギー)を吸収している、あるいは胎児のように呼吸の必要がなくなっていると描写されることもあります。結論として、深い瞑想において酸素消費が著しく下がるのは、「細胞活動の停止に近いレベルまでエネルギー消費が減り、酸素を必要とせず、炭酸ガスも出ない状態」が作られるためです。https://i.imgur.com/ST3BUj5.jpeg2026/02/09 17:51:51449.◆JBLfMwCXhYsgtdT睡眠中に無呼吸になるようなものか?2026/02/09 17:56:29450.神も仏も名無しさんZNxefチベット密教は六大は幻の光明、粗い粒子だったけその上の極微に本当の光明、細やか粒子みたいなのが設定していたよーな最近全くチベット密教へ関心向けてないから記憶が😆2026/02/09 18:00:03451.神も仏も名無しさんZNxef>>448かなり近い技法を坐禅と仕事中でやっている今や標準装備、それが正統な臨済禅かは不明だが豆腐メンタル仕事やる気が、ないのでかなり使用しているそんな雰囲気なのを😆2026/02/09 18:01:50452.パーリー◆HpIafZZzjh.GTkppjハイポメタボリズム‼️なんかカッコいいねヨガナンダの【あるヨギの自叙伝】または【あるヨガ行者の一生】のクリヤヨガの科学の章によればクリヤヨガの呼吸法によって呼吸の停止状態にいたると、それはプラーナーヤーマ(呼吸法)の完成を意味するのだそうです。描写としてこうあります◯クリヤは、吸う息を吐く息に供給し、吐く息を吸う息に供給することで、呼吸を不要にするまた、師のユクテスワが仰向けでサマディーに入る時の描写では、◯師は、深い呼吸を3回してからサマディーへ入られたまた、五井先生が神我一体になられた時の統一めいでの描写では◯吐く息だけになり、吐く息に乗って神界へ昇ったとあります、つまり呼吸が停止状態になったのだと思われます2026/02/09 18:04:13453.神も仏も名無しさんZNxef>>448その呼吸の時坐禅と仕事の時は目がガン開きになってる渋谷事変の五条悟の無量空処のように😆2026/02/09 18:06:31454.神も仏も名無しさんZNxefナルシズム承認欲求デンパパの呼吸は止まらんよ👽2026/02/09 18:08:21455.パーリー◆HpIafZZzjh.GTkppjその、呼吸停止も2段階あるのだそうです1段回目は呼吸が停止したようになって、肺は動かないが、吸排のコアの動きが微かに残っていて、微動しています2段階目はその微動も停止して完全に停止しますこの時、完全な無心に至っているとされます2026/02/09 18:10:09456.パーリー◆HpIafZZzjh.GTkppj453と454って別人格だろでオーって多重人格なん?2026/02/09 18:12:14457.リダン◆3y/i8XtGLY4RrAy>>448コレだけみると睡眠時の無呼吸症と方向性は同じだな2026/02/09 18:12:59458.パーリー◆HpIafZZzjh.GTkppjおれ以前から疑っていたんだよ二重人格か多重人格じゃないのかって?2026/02/09 18:13:07459.パーリー◆HpIafZZzjh.GTkppjそりゃそう身体が動かないからねただ覚醒しているのかの違いでしょ後ね禅定三昧に入っていたのか?それとも寝ていたのか?って分からない時があるでしょ、夢見てもいなかったけど、意識が無くなってたって時その時どっちかを判別するには、身体が瞑想始めた時と、全く同じ状態をたもっていて、微動だにしていない時は、三昧で首がうなだれたり、身体が傾いていたら、途中から寝てたとなる2026/02/09 18:18:08460.パーリー◆HpIafZZzjh.GTkppj>>453瞑想の停止は30分とか1時間停止するんだよ瞬間的じゃないからね2026/02/09 18:19:48461.神も仏も名無しさんZNxefデンパパセイジン👽は大乗仏教と無縁の人永遠に接点がない覚者ぶるがただの承認欲求セイジン👽2026/02/09 18:22:25462.神も仏も名無しさんZNxefただの承認欲求セイジンのくせに解った風👽2026/02/09 18:24:48463.リダン◆3y/i8XtGLY4RrAy>>459あーなるほど直立で坐禅することでそれを判別するんか2026/02/09 18:29:44464.登り棒◆0mnwMe9WsAZDl4Y無呼吸症だと呼吸足りてないから途中でフブブブガガみたいに取り込もうと頑張るやん。どっちかってとその呼吸量で足りる、んでその量がどんどん減っていく、という方向じゃない?2026/02/09 19:09:13465.リダン◆3y/i8XtGLY4RrAy>>464そうだな瞑想も深まるとはく時間が長くなるし吐ききった後も吸わない時間が心地良いまあそもそも呼吸自体が、宇宙そもそもだしな2026/02/09 19:29:59466.リダン◆3y/i8XtGLY4RrAy宇宙そのもの2026/02/09 19:30:45467.パーリー◆HpIafZZzjh.GTkppj>>463そうねそれと、大地に背骨が垂直だと霊的に進化するって読んだことある人と四足の違いでしょ2026/02/09 19:32:48468.リダン◆3y/i8XtGLY4RrAy>>467体外離脱の特徴で俺らの場合は横になっても、睡眠と覚醒、その狭間は自在なんよな2026/02/09 19:47:59469.パーリー◆HpIafZZzjh.GTkppjうーん😔何か見ている→夢見何も見ていない→覚醒って区分けなんだが2026/02/09 20:09:56470.リダン◆3y/i8XtGLY4RrAy>>469そうなん?しかしだよ夢と魔境は明らかに違うだろ2026/02/09 20:12:57471.リダン◆3y/i8XtGLY4RrAy魔境も夢見ってなるとお釈迦様の悪魔よされもよくわからんことならんか2026/02/09 20:14:44472.リダン◆3y/i8XtGLY4RrAy夢、魔境がいわゆる、器世間の生成輪廻の原因であるから滅と言うよりは自在、離れたが適当かと2026/02/09 20:16:17473.リダン◆3y/i8XtGLY4RrAy>>469夢ではなく覚醒、及びその狭間にみる神秘現象などが魔境魔境を見ていないと言うか触らない、発展しない(縁起、器世間生成)厭離、離れたところがいわゆる涅槃2026/02/09 21:14:42474.パーリー◆HpIafZZzjh.GTkppjいわゆる無心が唯一の基準だからね天使であれ悪魔であれ見ているなら違うというだけでただし神仏やグルによる啓示はその限りではないとします‼️2026/02/09 22:26:00475.パーリー◆HpIafZZzjh.GTkppjニッパーナ、ニルバーナって二つの意味があると1つ目は世界は顕れては消えていくという姿を見るというもの炎が消えるような、という2つ目は宇宙的なBRAHMANのような大きな意識に個人のアストラル体が融け合って消えたようになることニルバーナ・サマディー2026/02/09 22:31:38476.神も仏も名無しさんhREz2🤡 論点提示より先に相手評価が出力されるため、でおーの発言は議論要件を満たしていない。2026/02/10 06:31:51477.◆JBLfMwCXhYK7EiG実際のところ、倶舎論でも唯識論でも「無為法」という項目があって、いくつか分類されているがハッキリ言って、項目が設けられてるだけほぼ、有為法の話しかしていない2026/02/10 07:09:02478.◆JBLfMwCXhYK7EiGやはり、「永遠で不変のものなど、何もない」という釈尊の教えは重いそこから逸脱すると、仏教ではなくなってしまう2026/02/10 07:16:56479.◆JBLfMwCXhYK7EiGかようにわたしは聞いた。ある時、世尊は、サーヴァッティーのジェータ林なる給孤独の園の精舎にあられた。その時、一人の比丘が、世尊のいますところにいたり、世尊を拝して、もうして言った。「大徳よ、この世のものにて、定恒永住にして、変易せざるものがあろうか。」「比丘よ、この世には、定恒永住にして、変易せざるものは、少しもない。」そして、世尊は、すこしばかりの土を爪の上にのせて、かの比丘に示して言った。「比丘よ、たったこれだけのものといえども、定恒永住にして、変易せざるものは、この世には存しないのである。」(サンユッタ・ニカーヤ 22:97)2026/02/10 07:17:13480.◆JBLfMwCXhYK7EiG虚空(空間)の性質について虚空の実在性の問題虚空が単一の実体であるならば、一切の場所に遍在し、全てのものを包含するはずです。しかし、虚空は色(物質)などと関係性を持つことができないため、物質を容受する性質が否定されます。虚空が単一ではない場合の矛盾仮に虚空が複数の実体から成る場合、それらがどのようにして統一されるのかが問題となります。虚空が物質のように部分的なものならば、それはもはや無為法としての性質を持たないことになります。虚空の非実在性の結論虚空は物質でも精神でもなく、因果関係を持たないため、実体として存在するとは言えません。2026/02/10 07:17:56481.◆JBLfMwCXhYK7EiG倶舎論には、永遠で不変の存在として、無為法の「虚空」が挙げられているが「虚空」など、存在しているとはいえないシロモノだ2026/02/10 07:20:34482.◆JBLfMwCXhYK7EiG倶舎論は、因果応報の思想だ唯識論は、その変形バージョンだ2026/02/10 07:31:13483.◆JBLfMwCXhYK7EiGこの世は有為転変の世界だ有為法が圧倒的にメイン2026/02/10 07:31:43484.◆JBLfMwCXhYK7EiGこの世とあの世を貫く、因果応報原因と結果の法則「善因楽果、悪因苦果」だ2026/02/10 07:34:13485.◆JBLfMwCXhYK7EiG「善い人は極楽往生して楽しむ」↑これが、善因楽果2026/02/10 07:34:38486.◆JBLfMwCXhYK7EiG「悪い人は地獄に堕ちて苦しむ」↑これが、悪因苦果2026/02/10 07:35:03487.◆JBLfMwCXhYK7EiG仏教では、「善悪」と「苦楽」は異なる一見、「苦しい」は悪くて、「楽しい」は善いように見えるのだがここでいう「善悪」は道徳的な基準「苦楽」はそうではないから異なる2026/02/10 07:36:33488.◆JBLfMwCXhYK7EiG「仏教は、善悪の倫理を超越する思想なのだ」という人がたまにいるがまあ、仏教界にはいろんな人がいる中にはそう考える人もいるんだろうけど仏教のスタンダードではない2026/02/10 07:37:41489.神も仏も名無しさんu8qhR無為法的オンリー路線だったから倶舎論や唯識の依他起性ゾーンは無関心やったまー唯識の依他起性ゾーンは未だに無関心かもしれん😆2026/02/10 07:39:03490.◆JBLfMwCXhYK7EiG倶舎論や唯識論は、むしろ逆だ「善因楽果、悪因苦果」という以上、何が善で、何が悪なのかが決定的に重要だ倶舎論の五位七十五法、唯識論の五位百法何が善心で、なにが悪心なのかを、これでもかとばかりに分類している2026/02/10 07:39:21491.◆JBLfMwCXhYK7EiG有部において、「択滅無為」を除く法体の善・悪・無記(善でも悪でもない中性)の性質を決めるのは「心所法」であり、相伴う「心所法」によって、「心法(心)」の善悪は決まります。「心法」と「心所法」は「得」によって成就されて(繋がって)います。2026/02/10 07:39:32492.◆JBLfMwCXhYK7EiG善心:{無貪・無瞋・無癡・慚・愧}の心所法(有漏善)と相伴う心法です。または、「択滅無為」(無漏善)と結びついた心法です。悪心:{貪・瞋・癡・無慚・無愧}の心所法、または{邪見・見取見・戒禁取見}の心所法と相伴う心法です。有覆無記心:{有身見・辺執見}の心所法と相伴う、中性の心法ではあるものの正しい智慧の生起を妨げる心法です。無覆無記心:煩悩地法(大煩悩地法・大不善地法・小煩悩地法)の心所法や(善・悪・有覆無記)の心所法とは相伴わない中性の心法で、正しい智慧の生起を妨げない心法です。2026/02/10 07:39:50493.◆JBLfMwCXhYK7EiG「色法」については、善・悪・無記が色法自体に具わっているとは考えず、その身表または語表(口表)を等起させた「心法」に従って、その「色法」の善・悪・無記が決定されます。2026/02/10 07:40:10494.神も仏も名無しさんu8qhR衆生済度で倶舎論の有為法や唯識の依他起性を反転しているのは曹洞宗だろな😆2026/02/10 07:40:59495.神も仏も名無しさんu8qhR厳密には有為法と無為法の統合かもしれんが統合の解釈が色即是空、空即是色で天台や華厳、真言密教があったりするんだろうな😆2026/02/10 07:42:22496.パーリー◆HpIafZZzjh.GQMfov物が存在するにはそのものが占めている容積が必要であって、それが空間そのものは、ミクロで見るとスカスカで実際は空間の容積の方が多いまた、物の容積の空間と、物の外側の空間とは、繋がっていて1つの空間であるそして、変化するということが、時間=距離=空間を証明していることになるはずです2026/02/10 09:45:28497.神も仏も名無しさんMXUs3金星人構ってちゃん過ぎバカなのに〜👽2026/02/10 10:03:37498.リダン◆gEV3xsS//kVxS0O>>475まあそれが内道か外道かって違い内に求めるか外に求めるか2026/02/10 10:18:06499.リダン◆gEV3xsS//kVxS0O仏教か仏教以外か2026/02/10 10:21:15500.◆JBLfMwCXhYK7EiG5002026/02/10 10:45:06501.パーリー◆HpIafZZzjh.G5WmJQ>>497二重人格だよな⁉️でオーってさそうだろ⁉️今のお前は悪でオーか?善いでオーは何時出てくるのかなw2026/02/10 19:13:45502.◆JBLfMwCXhYK7EiG「言葉は世界を創る」という視点は、インドの唯識(ゆいしき)論において、私たちが認識する対象はすべて心(識)が創り出したものであり、その根底には「言語アライヤ識」と呼ばれる文化的・言語的無意識が関与していると説く思想です。言葉が名付けを通じて認識を枠づけ、世界を再構成していると見なします。2026/02/10 22:17:09503.◆JBLfMwCXhYK7EiG唯識論(ゆいしきろん)の基本: 唯識とは「唯だ、識のみ」という教えで、我々が感じている現実や対象はすべて、心(阿頼耶識:アーラヤ識)が作り出した「認識対象」に過ぎないという仏教の思想。言葉の力: インド哲学では、幼児が言葉を覚えることで世界を認識し始めるように、名付けという行為が世界を形作ると考えます。「言語アライヤ識」: 比較宗教学者の井筒俊彦は、心の中にある社会慣習的な意味コードが、存在を認識させる文化的無意識の領域である「言語アライヤ識」として機能し、私たちの世界を創っていると定義しました。実践としての認識: この視点に基づけば、自分の意識や言葉の在り方を変えることで、認識する世界をより良く変えることが可能になります。唯識は5世紀頃のインドで弥勒や無著(アサンガ)、世親(バスバンドゥ)らによって体系化された深層心理学的な思想です。2026/02/10 22:17:48504.◆JBLfMwCXhYK7EiG真言を発する世界がかわる2026/02/10 22:39:24505.◆JBLfMwCXhYK7EiG世界が変わる2026/02/10 22:53:07506.◆JBLfMwCXhYK7EiG真言とほ、世界を創る言葉2026/02/10 22:53:22507.◆JBLfMwCXhYK7EiG真言とは、世界を変える言葉2026/02/10 22:53:36508.◆JBLfMwCXhYK7EiGまあ、それとはちょっと違うけど「言葉が世界を創る」という考え方は、唯識論にもある2026/02/10 22:55:51509.◆JBLfMwCXhYK7EiGというのも、唯識論は「アナタが認識しているもの。それが世界なのである」という世界観を、極限まで突き詰めた思想2026/02/10 23:02:11510.◆JBLfMwCXhYK7EiGでもって、人は言語を使って世界を認識しているつまり「アナタが『これが世界だ。世界とはこういうものだ』と思っているもの。それは,アナタが言語フィルターを通して編集した世界像なのである」というわけだ2026/02/10 23:12:44511.◆JBLfMwCXhYK7EiGだから、言語フィルターが変われば、当然、世界は違って見えてくる黒いサングラスから、茶色いサングラスに変えたようなものだ唯識的には、それは「世界が変わった」ことを意味する2026/02/10 23:14:20512.神も仏も名無しさんmODeSま、言葉が世界を作るとは存在のあり方を認識主観とのかかわりによって遍計所執性(へんげしよしゆうしよう)(主客として実在視されたあり方),ということやろ😆2026/02/10 23:20:21513.◆JBLfMwCXhYHutAK>>512そういうことでしょうな😆2026/02/11 07:59:46514.麦◆MUGITANx95Djz4Vtq∞ノノハ∞川^○^ハレそういうことでしょうな🤭2026/02/11 08:45:44515.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKkv7r4違うwww言葉に"依る"のならそれは依他起性で、遍計所執性ではない。2026/02/11 09:37:57516.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKkv7r4そうした依他起性の観点に至らない妄想にある事を遍計所執性という。2026/02/11 09:40:01517.神も仏も名無しさんmJkQPハッスル激昂マックスだな?🤡〜2026/02/11 10:18:00518.◆JBLfMwCXhY6nmVx>>515この場合は、「遍計所執性」が正しい2026/02/11 11:47:10519.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKkv7r4wwwwwwwwwwwwwwwwww言語に"依る"という見極めが遍計所執性か?2026/02/11 11:53:41520.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKkv7r4計所執性 〜 妄有 相無性依他起性 〜 仮有 生無性円成実性 〜 真有 勝義無性2026/02/11 12:00:31521.神も仏も名無しさんmJkQPハッスル〜🤡ハッスル🤡2026/02/11 12:01:28522.神も仏も名無しさんmJkQPハッスルは西欧哲学信仰があるデタラメ😆2026/02/11 12:02:12523.神も仏も名無しさんmJkQPキメラ仏教、キメラ禅がスタンダード大爆笑である🤡〜2026/02/11 12:04:27524.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKkv7r4訂正遍計所執性 ~ 妄有 相無性依他起性 ~ 仮有 生無性円成実性 ~ 真有 勝義無性2026/02/11 12:07:19525.神も仏も名無しさんmJkQPわかりもせん妄想ハッスル?🤡〜哀れだな?🤡〜2026/02/11 12:09:55526.神も仏も名無しさんmJkQPマヤカシハッタリ〜🤡ハッタリ〜🟣2026/02/11 12:22:13527.◆JBLfMwCXhY153Mn>>519いまは、「人は、言語フィルターを通して世界像を編集している。人が『これが世界だ。世界とはこういうものだ』と思い込んでいるもの。それは世界像にすぎない」という話をしてるとこだろそういうのを、「遍計所執性」と言うんだよ2026/02/11 12:51:06528.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKkv7r4wwwwwwwwwwwwwwwwwwそれを知らないのが遍計所執性。それを知ってるのは依他起性。2026/02/11 12:52:57529.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKkv7r4JBLはなんでもそうだけど、基本を学ばないで、知識のまだら喰いをしてるのな。だから、支離滅裂のコンコンチキのアウアウアーなんだよ。2026/02/11 12:56:07530.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKkv7r4あれもこれもじゃなくて、『仏教聖典』か学びなさい。2026/02/11 12:57:14531.◆JBLfMwCXhY6nmVxお前の話の展開は、いつもそうなんだが> 言葉に"依る"のならそれは依他起性で、遍計所執性ではない。↑これも、仏教用語としては別に間違っていないだが、いまの話の流れの中ではピント外れであり、誤りいつも、こうなんだよ(笑)2026/02/11 13:03:16532.◆JBLfMwCXhY6nmVxお前に欠けているものそれは、知識というより、センスだ悲しいまでに、センスが無い2026/02/11 13:03:50533.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKkv7r4wwwwwwwwwwwwwwwwww言葉が世界を作るという流れを作ったのはJBLだろ?自分で作った流れを忘れてどうすんだよw2026/02/11 13:05:39534.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKkv7r4>>304はJBLのレスだろ?wwwwwwwwwwwwwwwwww2026/02/11 13:06:54535.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKkv7r4まぁ、言葉が世界を創るというのは、ちとあれだけどな。今はそれには言及しない。井筒俊彦を紹介したのは俺だけど、JBLにはまだまだまだまだ、早過ぎるなwww2026/02/11 13:09:29536.◆JBLfMwCXhY6nmVx>>535井筒俊彦は、20年前から読んでいるイスラム関連がメインだが「意識と本質」も読んだ2026/02/11 13:12:45537.◆JBLfMwCXhY6nmVx当方のイスラム関連知識は半分くらいが井筒俊彦によるもの(笑)2026/02/11 13:13:20538.◆JBLfMwCXhY6nmVx>>535> まぁ、言葉が世界を創るというのは、ちとあれだけどな。> 今はそれには言及しない。そこから、すでに話が展開してるんだよでお~様と麦には主旨が伝わったが、お前だけ理解できてない(笑)2026/02/11 13:14:33539.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKkv7r4>>538> そこから、すでに話が展開してるんだよんじゃ、>だが、いまの話の流れの中ではピント外れであり、誤りというのは間違いだな?wwwwwwwwwwwwwwwwww2026/02/11 13:40:01540.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKkv7r4>>536読んでて出てこないって事は、背表紙だけ本屋で見ただけだろwww2026/02/11 13:41:40541.◆JBLfMwCXhY6nmVx「言語アラヤ識」は、唯識論ではなく井筒俊彦のオリジナル思想だからな2026/02/11 13:53:30542.◆JBLfMwCXhYji1KAソシュールの影響を多分に受けている2026/02/11 13:56:20543.麦◆MUGITANx95Djz4Vtq>>538∞ノノハ∞川^○^ハレそうそう三性を「側面」から見ているか「意味」から見ているかですもんね2026/02/11 15:32:56544.◆JBLfMwCXhYvqvOGやはり、麦のほうが分かってるみたいだな紫色のおじさん🟣よりも2026/02/11 17:24:30545.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKkv7r4今度は麦の金魚の糞になるのか?wwwwwwwwwwwwwwwwww2026/02/11 17:41:54546.◆JBLfMwCXhYaNV59下糞よりマシだ😫2026/02/11 19:35:12547.神も仏も名無しさんb4CkXハッスルはホントにアタマワルイ悪過ぎる🤡2026/02/11 20:20:00548.◆JBLfMwCXhYz1uu5井筒俊彦が提唱した「言語アラヤ識」は、人間の心(意識)の深層にあり、文化的・社会的な意味や概念の「種子(しゅうじ)」を蓄える無意識の領域のことです。仏教の阿頼耶識(万有の基体)を言語学的に転用し、その文化特有の知識や価値観、言葉の意味的構造を形作る土台を指します。2026/02/12 19:39:02549.◆JBLfMwCXhYz1uu5言語アラヤ識の重要なポイント構造的な無意識: 単なる個人の記憶ではなく、集団的・文化的に共有された「意味可能体の貯蔵所」。意味の種子: 特定の文化において、言葉がどう意味をなすか(認識の枠組み)を決定する要素が、この深層に沈澱している。井筒の構造主義: 言語そのものが存在論的な世界構築力を持つとし、この「言語アラヤ識」から具体的な言葉や概念が結晶化・現行化すると解釈した。2026/02/12 19:39:19550.◆JBLfMwCXhYz1uu5仏教の「阿頼耶識」がカルマ(行為)を蓄えるのに対し、言語アラヤ識は、特定の文化の言語構造がもたらす意味(分別の土台)を蓄える領域と言えます。2026/02/12 19:39:33551.◆JBLfMwCXhYz1uu5言語が現実を非現実ではない現実として述べ出す言語はコミュニケーションの道具だと思われている。実際にコミュニケーションの道具になる。例えば「傘を持ってきて」と誰かに言えば、傘を持ってきてもらえたりする。「傘」という言葉は、拡がって雨水が身体に降り注ぐのを防いでくれる”あれ”のことを表すのだ、「みんな」が同じようにそう知っているのだ、と、私たちはしばしば思っている。ところで言語を異にする外国の人などとの交流経験が豊富な人であれば「みんな」が”あれ”を「傘」と呼ぶわけではないと言うことも知っているはずである。日本語を解さない人に対して「傘を持ってきて」とお願いしても、何も持ってきてもらえない可能性が高くなる。さまざまな言語が”あれ”をさまざまな音声で呼び、文字で書く。それでも雨を遮りる"あれ"は”あれ”であり、"あれ"を「カサ」と呼ぼうが、「アンブレラ」と呼ぼうが、"あれ"が”あれ”であることは絶対に揺るがない、そう考える向きもある。さまざまな言語は"あれ"に対してぞれぞれ違った音の「ラベル」を貼り付けているだけで、ラベルさえうまく張り替えれば「翻訳」ができて、コミュニケーションも成功するはずだ、と。2026/02/12 19:42:07552.◆JBLfMwCXhYz1uu5ところが、である。井筒俊彦氏が論じているように、20世紀の言語論(学)的転回と呼ばれる思想の潮流に大きな影響を与えたソシュールの言語論や、それを1000年以上も遡る例えば華厳哲学などの言語論などでは、言葉を"あれ"に貼り付けられるなんでも良いラベルのようなものだとは考えない。そこで言葉は、意味分節作用として考えられる。意味分節作用。つまり言葉とは、区別をすること、分節をすること、である。「地球上に存在する諸言語の一つ一つが、それぞれ独自の「現実」分節の機構を内蔵していて、それが原初的不分節(未分節)の存在をさまざまの単位に分節し、それらを人間的経験の色々な次元において整合し、そこに一つの多層的意味構造を作り出すのである。」(井筒俊彦「文化と言語アラヤ識」全集第八巻P.156)2026/02/12 19:43:02553.◆JBLfMwCXhYz1uu5言葉がいくつもの区別を繰り出す。その区別する作用と、その作用の結果として残されたものともの同士の区別と対立を材料にして、私たちは私たちにとっての「現実」を意味ある対立関係から成り立つ世界として経験するようになる。「現実」は一つのテクストだ。「現実」は初めからそこにあるものとして、客観的に与えられたものではなく、人間が言葉を通じて有意味的に織り出していく一つの記号空間である。(井筒俊彦「文化と言語アラヤ識」全集第八巻P.178)「現実」の手前に言葉がある。「現実」と「非現実」とを区別しているのが言葉である。現実が言語と関わりなくまずそれ自体としてあって、それにラベルのような言葉が貼り付けられていくとは考えない。「現実が先にあって、言語が後から付随する」という順番では考えないのである。最初の一撃を加えるのは言語である。というか、言語として現象すると捉えられることになる、分別、分節化、区別すること、などと呼ばれる出来事である。分別、分節化、区別すること。その後に、分節された項目たちの関係の網の目として、「言語」と「現実」の両方が、それぞれ影のような姿を現すわけである。2026/02/12 19:43:34554.◆JBLfMwCXhYz1uu5分節すること。そのシステムの表面構造と深層構造現実もまた分節作用の産物である。それは、私たちが、言葉のかたまりとしての「言語」の中に閉じ込められているということを意味するのだろうか?「言語」によって作り出されたイリュージョンのあれこれを、現実だ非現実だと言いながら、喜んだり汲々としたりしているのだろうか?言語の檻を抜け出して、その外に広がる「本当の現実」に辿り着くことはできないのだろうか?この問いに対する答えは、全て「イエス」でもあるし、「ノー」でもある。「イエス」であれ「ノー」であれ、「問い」を構成する言葉の塊を是非の対立関係のどちらかに置き換えることができるというのは、この問いも、またその是非も、ある言葉の分節体系を前提にしているからである。「イエス」でも「ノー」でも、そう言うことを言えるのは、ある一連の言葉として顕現する分節作用の組み合わせの中で、論理として矛盾なく成立すかどうかという話である。「本当の」などと言って、それをイエスとノーの対立のどちらに置き換えるかを考えようとすること自体が、「本当」と「本当ではない」を区別し、「イエス」と「ノー」を区別し、その二つの区別をどちらの方向で重ねようかと思案していると言う、あまりに言語的な仕業である。2026/02/12 19:44:10555.◆JBLfMwCXhYz1uu55552026/02/12 19:44:37556.◆JBLfMwCXhYJ89Tn華厳哲学を含む仏教の考え方では、この区別すること、分節すること、分別することこそが、生死を隔絶させ、自他を隔絶させ、人と恐怖と欲望の渦に苛まれるよう追い込むのだと考えたのである。「東洋哲学の諸伝統を通じて、根深い言語不信が働いていることは注目に値する。…コトバの意味表象喚起作用に謀られた人間意識の「妄念」すなわちコトバの生み出した現象的多者を、客観的にそのまま実在する世界と思い込む人間意識の根本的な誤り、を打破して、その基礎の上に、絶対無分節者の立場から見た分節的世界の真相を、改めて捉えなおそうとする試みなのだけれど、…この「妄念」を打ち破るには手間がかかる。(井筒俊彦「文化と言語アラヤ識」全集第八巻P.167)2026/02/12 20:44:57557.◆JBLfMwCXhYJ89Tn先ほど言語を「その中」に、私たちを「閉じ込める」「檻」などと表現したけれど、果たして私たちが言語を通じてはじめて「現実」を作り出していると言うことは、そういう箱の中に閉じ込められている的な状況としてイメージして良いのだろうか。このイメージは、一面では確かにそれらしいが、実はそれは一つの見かけ上のことである。なぜなら、言語は二つの様態を持つのだから。言語の二つの様態。井筒俊彦氏はそれを表面構造と深層構造と表現する。「面」と「層」の使い分けが鍵である。だが、コトバには、いま述べたようなアラヤ識的基底がある。コトバを社会制度としての言語(ラング)の側面だけに限定してみる人は、言葉の表面構造だけしか見ていない。そこには慣習的な意味を担う慣習的な記号のシステムがあるだけだ。(井筒俊彦「文化と言語アラヤ識」p.178-179)言語の表面は「使い古されて色褪せた記号のコード」の体系として見え、「ほとんど化石化した意味の構成する、固くかたまった動きのとれないシステム」に見える(井筒俊彦「文化と言語アラヤ識」全集第八巻P.179)。確かにそれは、私たちを閉じ込める檻のようだと言っても言い過ぎではなさそうだ。2026/02/12 20:45:27558.◆JBLfMwCXhYJ89Tnしかし、私たちが「傘」「傘」と言って、簡単にコミュニケーションをすることができるのは、まさしく言語のこの表層構造が安定し、固まっているからに他ならない。言葉の表層構造の見かけ上の安定性が、予測可能で効率的なコミュニケーションを可能にしている。言葉が分節作用としてのその正体ではなく、効率的でスマートなコミュニケーションの手段・道具としての仮の姿を表すのは、この見かけ上の安定性においてである。2026/02/12 20:45:50559.◆JBLfMwCXhYJ89Tn言語の深層構造しかし、言葉には深層もまたある。この深層は「アラヤ識的基層」とも呼び変えられる。言語の深層は「創造的エネルギーにみちた意味マンダラの溌剌たる動き」に満ち溢れている(井筒俊彦「文化と言語アラヤ識」全集第八巻P.179)。創造的で、溌剌たる動き。これは人を閉じ込め縛り付け身動きできないよう固めてしまう何かとは、ずいぶん様子が違う。2026/02/12 20:46:24560.◆JBLfMwCXhYJ89Tn井筒俊彦は素晴らしいが2026/02/12 20:46:56561.◆JBLfMwCXhYJ89Tnやっぱり、コレって西洋哲学じゃないかなあ?2026/02/12 20:47:16562.◆JBLfMwCXhYJ89Tn確かに、唯識論でも言語は重要だ2026/02/12 20:47:45563.◆JBLfMwCXhYJ89Tnでも、そこまでではない2026/02/12 20:48:22564.神も仏も名無しさんpCGc9西欧哲学でしょ一神教文化神の言葉の絶対性の世界のじゅうにんでなきゃイスラームやスーフィを研究したりしないでしょう俺も神の言葉で霊的遊べるけど仏教を想定するのはなかなか無理筋だろなー逆にイエスズ会の門脇神父の方が仏教を理解してるだろなー😆2026/02/12 21:06:45565.神も仏も名無しさんpCGc9そこがハッスル様の誤読の始まりだろなプラス鈴木大拙😱2026/02/12 21:07:37566.神も仏も名無しさん2kDVQ>>565欠陥ロボット「でおーチャッキー呪術人形」お焚き上げ中凶悪ロボット人形でおーチャッキー🔥🔥🔥2026/02/13 05:35:13567.神も仏も名無しさんxCI2q🤡 でおーは内容更新なし、行動パターンのみ反復。2026/02/13 14:57:52568.◆JBLfMwCXhYDkWBQ井筒氏は次のように書く。そしてこの全体的意味マンダラの一領域として眺められる時、一見、制度化され、因習化し、枯渇し切ってしまったかのように思われていた「外部言語」すら、意外な生命力を示しはじめるだろう。なぜなら、コトバの表層構造も、本当は、アラヤ織それ自体の外化形態に他ならないのだから。(井筒俊彦「文化と言語アラヤ識」全集第八巻P.179)表面構造も深層構造も、どちらも同じひとつの言語の生き生きとした躍動が示す二つの影である。表面構造と深層構造は、別々の二つのものではない。あくまでもひとつの事柄であり、一つの事柄が見せる二つの顔なのである。2026/02/13 23:13:56569.◆JBLfMwCXhYDkWBQ表面と深層、固まっていることと動いていること。この区別は、「良い」と「悪い」の区別とは関係がないことである。表面のコミュニケーションと、深層のコミュニケーション言葉を表面構造と深層構造の二つの姿で捉えることは、特に「コミュニケーションが成立しない」と言われるような状況にあって、強力な思考の力を授けてくれる。何をどう言っても話が噛み合わない。懇切丁寧に説明し、説得しているのに、わかってもらえない。私たちの日常は、リアルでもバーチャルでも、そんな場面で溢れている。2026/02/13 23:14:37570.◆JBLfMwCXhYDkWBQ特にSNSなどでは、双方とも良かれと思って自分の信じることを言葉に出している人たちの間で、言葉のやりとりが「コミュニケーション」どころか殺傷力を持つほどの罵詈雑言の応酬にもつれこんでしまうこともある。こうしたコミュニケーションが不可能なのではないかと思われるところで、言葉をその表面構造ではなく、深層構造を動的に生成し続ける分節作用として思考することが力を与えてくれるのである。[…]しかし、もし我々がコトバの深層領域に気づき、それに注意を向けるなら、文化の本源的言語性に関する我々の見方は根本的に変わってしまうだろう。(井筒俊彦「文化と言語アラヤ識」全集第八巻P.179)コミュニケーションには、表層のコミュニケーションと、深層のコミュニケーションの二層がある、と考えると良い。私たちがしばしば直面する「話が通じない」型のコミュニケーション不全は、表層のコミュニケーションで生じる。互いに言葉を交わし合い(時に投げつけ合う)二人の間で、それぞれが寄って立つ言葉の分節体系が異なっているのである。2026/02/13 23:15:10571.◆JBLfMwCXhYDkWBQしかも厄介なことに、「愛」でも「自由」でも、なんでも良いのだけれど、ある一つの言葉だけにフォーカスしてみると、それは音声の上でも字面の上でも、二人の間で「同じ」なのである。しかし、字面の上では「同じ」「一つ」の語でも、二人の人の間では、その「語」がどういう対立関係の重ね合わせ(対立関係のネットワーク)の中で、どのポジションを占めるかが異なる。この二人は、ある一つの同じ言葉を用いて「同じこと」を論じているようで、全く異なった対立関係のネットワークを動かしているのである。それでは話が通じないのは当然である。そこでは語は、表層のシンボルとしては「同じ」であるけれど、意味が全く異なるのである。2026/02/13 23:15:31572.◆JBLfMwCXhYDkWBQ一方、深層のコミュニケーションとは、二人の人の、二つの異なる分節体系が衝突すると同時に接続され、双方ともに一度ガラガラと崩れ落ち、そして元とは別の体系に組み立て直されることである。「異文化の接触とは、…異なる意味マンダラの接触である。…意味マンダラは、特にそのアラヤ織的深部において、著しく敏感なものだ。刻々に生滅し、不断に遊動する「意味可能体」は、それ自体において既に、本性的に、限りない柔軟性と可塑性とを持っている。まして、異文化の示す異なる意味マンダラに直面すれば、鋭敏にそれに反応して、自らの姿を変える。(井筒俊彦「文化と言語アラヤ識」全集第八巻P.181)2026/02/13 23:16:11573.◆JBLfMwCXhYDkWBQ分節すること、区別すること。それはあくまでも「すること」であって、何か固まった出来合いの「もの」ではない。分節すること、区別することは、動きである。常に動き続けている。動きであるが故に、それは「本性的に」「柔軟性と可塑性」を持つのである。水面の波紋を思い浮かべていただくと良い。ある同心円を描く一つの波紋に、別の波紋がぶつかると、二つの波が新たな構造を描き出す。区別することは、そのようにして、ちょうど波の高いところと低いところの区別が動き続けるように動き続ける。表面のコミュニケーションを、出来合いの固まった分節体系を棍棒のように使って「殴り合う」ことだと比喩的に言うならば、対する深層のコミュニケーションは、常に動き続けている二つの分節作用のさざ波を共鳴させることである、と言えるかもしれない。2026/02/13 23:16:26574.◆JBLfMwCXhYDkWBQまとめ今や言葉は「ビッグデータ」の一つとして、人間による読み書き解釈を介さずにアルゴリズムによって変換されたり配列されたりするものになっている。今や言葉は、「同じ人間同士」のコミュニケーションから、多数の「異文化」の人間の間のコミュニケーションへ、そして従来は「人間」からはっきりと分け隔てられていた「機械」のような他者とのコミュニケーションに巻き込まれている。あるいは地球環境の壊滅的な変容は、人間を、これまた従来は「人間」からはっきりと分け隔てられていた「動植物」や「自然」とのコミュニケーションへと誘っている。そうなるとますます、分節すること、区別すること、分別をつけること、その「やり方」を柔軟に動かし続ける余地を、私たちは保ち続けなければならないということになる。それも「忙」しい日常のさなかでそうしなければならない2026/02/13 23:16:39575.◆JBLfMwCXhYDkWBQ言語アラヤ識、意味マンダラ2026/02/13 23:18:23576.◆JBLfMwCXhYDkWBQ井筒理論は深いな2026/02/13 23:18:40577.◆JBLfMwCXhYDkWBQもしも、言語がなかったら人は、混沌とした夢の中のような世界で生きることになる2026/02/13 23:19:38578.◆JBLfMwCXhYDkWBQ視覚情報や聴覚情報はそのままでは、漠然としたイメージにすぎない2026/02/13 23:20:12579.◆JBLfMwCXhYDkWBQ言語によって、明晰判明となる2026/02/13 23:20:48580.◆JBLfMwCXhYDkWBQ犬や猫は夢の中のような世界で生きている2026/02/13 23:21:19581.神も仏も名無しさんSDip8井筒理論はやはりキリスト教神秘主義における神の言の解釈の延長線にある感じがするスーフィもキリスト教神秘主義よ影響から生まれたらしいしな😆2026/02/14 05:31:18582.神も仏も名無しさんSDip8俺から見る瞑想系統仏教とキリスト教の違いはキリスト教のほうは聖書における「神の言」による霊的先行があるスーフィも恐らく、それだろうそういうのを井筒氏に感じる仏教は言葉は、説明は二の次瞑想に関しての言葉説明、俺が現に霊的観測している事実だ😆2026/02/14 05:36:35583.神も仏も名無しさんSDip8俺的には瞑想系統仏教とその他の宗教、信心系統の非瞑想系統仏教も含むの間に感覚的に相当な断絶がある瞑想系統仏教は瞑想がメインで言葉はオプションその他宗教は霊的言葉先行のシステムとして俺は観測している😆2026/02/14 05:39:07584.神も仏も名無しさんSDip8>その他宗教は霊的言葉先行のシステムとしての宗教研究が探求の娯楽のメインディッシュになっている😆2026/02/14 05:40:14585.神も仏も名無しさんSDip8仕事日の間の宗教研究のメインディッシュになってしまった動画この霊的な流れは霊的言葉の先行によってストーリーが進められている😆https://m.youtube.com/watch?v=SamaXPzF8lo2026/02/14 05:41:51586.神も仏も名無しさんSDip8瞑想系統仏教はなんらかの呼吸法、呼吸感覚に宗派別の教義解釈が乗る感じで言葉が先行というわけではない😆2026/02/14 05:43:16587.神も仏も名無しさんSDip8それ故に言葉先行させるハッスル創作仏教はイミフ感が濃くなる😆2026/02/14 05:44:01588.神も仏も名無しさんSDip8日蓮や池田大作がいくら言葉先行させても日蓮や池田大作は瞑想系統仏教が目的ではないので言葉による霊的解釈を先行させても違和感にい2026/02/14 05:45:27589.神も仏も名無しさんSDip8日本的葬式仏教や念仏、山伏、神仏習合は本来的には霊的言葉先行の宗教だろうま、俺サイドからすれば自動瞑想系統仏教扱いスイッチに簡単に入るけど〜😆2026/02/14 05:47:00590.神も仏も名無しさんSDip8日蓮や池田大作がいくら言葉先行させても日蓮や池田大作は瞑想系統仏教が目的ではないので言葉による霊的解釈を先行させても違和感がない2026/02/14 05:47:29591.神も仏も名無しさんSDip8日蔵の菅原道真公の話はやはり、言葉先行だろな、あれは俺は瞑想系統解釈スイッチで読んでしまうが😆2026/02/14 05:48:48592.神も仏も名無しさんSDip8日曜日と月曜日は寒い朝を除いて健康の為に炭水化物ダイエットを遂行するに決めたさて土曜日よお楽しみカラムーチョタイム開始😆2026/02/14 05:52:11593.◆JBLfMwCXhYhDqXv今日は暖かくなるらしい😆2026/02/14 08:05:06594.神も仏も名無しさんX4egwらしいなだがぎっしり腰危険シーズンだ😱2026/02/14 08:26:00595.◆JBLfMwCXhYSyz23世界は、視覚や聴覚の情報でできている2026/02/14 12:46:31596.◆JBLfMwCXhYSyz23ただ、情報はあくまで情報だ無加工のままでは意味を成さない2026/02/14 12:46:57597.◆JBLfMwCXhYSyz23視覚や聴覚の情報だけでは世界は漠然としたイメージの混沌状態にすぎない2026/02/14 12:47:28598.◆JBLfMwCXhYSyz23コレを明晰判明な、意味ある世界にしているのが言語だ2026/02/14 12:47:48599.◆JBLfMwCXhYSyz23世界は、言語なしでは成り立たない2026/02/14 12:48:00600.◆JBLfMwCXhYSyz236002026/02/14 12:48:17601.◆JBLfMwCXhYSyz23もしも言語が無かったら人は、夢の中のような混沌としたイメージに埋没して生きることになる2026/02/14 12:52:20602.◆JBLfMwCXhYSyz23犬や猫や赤ちゃんがそういう状態だと推測される2026/02/14 12:52:41603.◆JBLfMwCXhYSyz23もしこの世界から言語がなくなれば、人類は高度な協力を設計できず、文明の発展も技術の共有も停止する。未来の計画や過去の継承が不可能になり、複雑な思考や感情の整理が困難になる。コミュニケーションは身振りや表情に限定され、人間は本能的な協力にとどまることになる。具体的には以下のようになるでしょう。文明の停滞:狩り、子育て、掟の共有など、複雑な協力を設計する装置が失われる。思考の制限:脳内でのモヤモヤした考えや感情を整理できなくなり、自己理解が難しくなる。遠隔コミュニケーションの消失:文字や言葉がないため、物理的な距離や時間を超えた情報伝達が不可能になる。本能的な関わり:言語以外の手段(身振り、表情、音、アートなど)での感情の共有が主となる。言葉は、単なる情報伝達の手段を超えて、人類が協力し文明を築くための根幹と言えます。2026/02/14 12:55:39604.◆JBLfMwCXhYSyz23言語がない世界では、概念的な「意味付け」が消え去り、世界は純粋な感覚、音、色、行動の「生の連続体」として現れます。過去や未来への執着は消え、瞬間的な状況や感情(空腹、恐怖、喜び)が支配する、直接的で即物的な世界となるでしょう。感覚のみの世界:目の前の「赤いモノ」は単なる赤いモノであり、それは「リンゴ」や「情熱」という名詞や概念とは無縁の、生の感覚体験となります。「現在」に生きる:「明日」や「昨日」という概念がないため、時間は連続する「今」の積み重ねとなります。直接的なコミュニケーション:相手の意図は言葉(ラベル)ではなく、表情、しぐさ、音、行動という肉体的なサインからのみ理解されますnote。分断された知識:知識を共有・蓄積できないため、個人の経験が知識のすべてとなり、文明は形成されません。結果として、世界はより直感的で、刹那的で、動物的な感覚で知覚される世界になるでしょう。2026/02/14 12:57:07605.神も仏も名無しさんyQ98qヨハネ福音書の冒頭は初め言があったま、西欧文化やなかなりハッスル🤡様燃えてるなー俺は曹洞宗寺院勤行と今日は無住の真言密教寺院の木をノコギリで15本くらい切った大きいので直径10センチクラスのを2本よ〜さ〜く〜〜〜よ〜〜〜さ〜〜〜く〜♬2026/02/14 12:59:09606.◆JBLfMwCXhYSyz23「ことばと思考」 今井むつみ本書は終盤で言語が存在する本質的な意味合いについても触れている。著者が言うには、人間は言語を介して全く違うモノ同士を同じカテゴリーに当てはめ、そこから類似性を発見することによって未知のものに対しての対策を取ることができるのだという。それらのカテゴリーに名前がつけられると、人はそれらを「同じもの」として認識し、モノ同士の見た目が大きく違っていても、名前の共有を手がかりに、見たことがないモノの性質や行動について、予測をすることができる。例えば「椅子」がある。世界にはさまざまな形の椅子があり、その種類は無限と言ってもいいかもしれない。仮に世界に「椅子」という分類が存在せず、全てAとかBとかの固有名詞で呼ばれたらどうなるだろうか。おそらく我々はそれらに出くわすたびに「これは勝手に座っていいのだろうか? そもそも座るものなのだろうか? 座ったら怒られるんじゃないか?」と悩むことになるのではないだろうか。しかし実際にはそんなことにはならない。なぜなら我々はその形や設置してある場所などから類推してそれらを「椅子」と判断できるからだ。2026/02/14 13:00:27607.神も仏も名無しさんyQ98qイスラームもムハンマドに言えだったやろしなー預言者は言え、言葉だ中東西欧文化だ2026/02/14 13:00:45608.◆JBLfMwCXhYSyz23これは大人だと実感しづらいことかもしれない。しかし子どもの思想形成の過程においては非常に重要なことである。子どもにとって世界は知らないことだらけだ。それらと出会うたびに一から理解していく時間はない。そこで異なるモノ同士の類似性を発見し、同じカテゴリーに当てはめて、次の行動の指針としていく。それを繰り返して子どもは様々なことを効率的に学習していくわけだ。「つまり、言語は、子どもに、自分以外の視点から世界を眺めることを教え、世界を様々に異なる観点からまとめ得ることに気づかせ、様々な切り口、様々な語り方で自分の経験を語ることを可能にし、さらに、経験を複数の様々な視点、観点から反芻することを可能にするのだ。そのことに対する気づきそのものが、ヒトの子どもを、ヒト以外の動物が持ちえない、柔軟な思考へといざなうのである」言語の最も偉大なところは、無限に存在する事象の「分類」を可能にしたことなのだろう。だからこそ動物と違って人間は未知のものにも法則性を見出して立ち向かうことができるし、その結果から学習することもできる。2026/02/14 13:00:59609.◆JBLfMwCXhYSyz23これらをみんな「椅子だ。座るものだ」と認識できるのは「椅子」という言葉のおかげhttps://www.air-r.jp/magazine/wp-content/uploads/pickup-chair-comfort90.jpg2026/02/14 13:03:06610.神も仏も名無しさんyQ98q預言者の神の言葉がなければ社会の秩序は、成り立たなかったそういう言葉の社会になんで民法やデモクラシーが成立できたわけだ😆2026/02/14 13:03:51611.◆JBLfMwCXhYSyz23>>605欧米の言語哲学だ2026/02/14 13:04:09612.◆JBLfMwCXhYSyz23仏教もこうだという人がときどきいるんだが違うと思うな~2026/02/14 13:05:09613.神も仏も名無しさんyQ98q東洋では言葉よりも権威が勝ったんやろなー儒教の言葉で江戸幕府は管理したんやろなー😆2026/02/14 13:05:19614.◆JBLfMwCXhYSyz23確かに、仏教にも言語哲学の面はある中観派はとくにそうだでも、こうではないと思う2026/02/14 13:05:44615.神も仏も名無しさんyQ98q空や執着では民法やデモクラシーみたいな新しい社会制度は無理だろうなやはり言葉による秩序の文化があってこそだ😆2026/02/14 13:07:12616.神も仏も名無しさんyQ98q若い頃は社会科学の教授職の夢があったので言語のテーマはかなりソシュール中心と歴史検証でかなり本を読んでいる😆2026/02/14 13:08:37617.◆JBLfMwCXhYSyz23まあ、とにかく視覚や聴覚で情報が集まる→ 言語で世界像を編集する→ 自分自身が編集した世界像を、「これが世界なのだ。世界とはこういうものだ」と思い込むこれこそ、この仮想世界が現実化するシステムだ2026/02/14 13:08:49618.◆JBLfMwCXhYSyz23視覚による漠然としたイメージこれに、「名前を付ける」ことが重要だ何度も名前を呼んでるうちに、確固たる「存在」と化す2026/02/14 13:10:42619.神も仏も名無しさんyQ98q単純に差異と恣意性からのラングとランガージュによる情報、文化の形成発展でいいんじゃね?😆日本は天皇制というラング、シンボルで良くも悪くも国民を統合していったんやし😆2026/02/14 13:11:25620.神も仏も名無しさんyQ98q30代前半で構築した知識だけで語れている😆2026/02/14 13:12:19621.神も仏も名無しさんyQ98q文化と情報は遺伝子みたいに記憶で語り継がれ強固なランクになったりするみたいなー😆2026/02/14 13:13:51622.神も仏も名無しさんyQ98qかなり世界史好きと近代政治史マニアでなんとなく、そういう制度システムがある感むろんチャイナやロシアにはんなもん無い、民法やデモクラシーの記憶と文化の継承がない😆2026/02/14 13:15:43623.◆JBLfMwCXhYSyz23チャイナやロシアには民主主義の概念が無い😫2026/02/14 13:17:52624.神も仏も名無しさんyQ98q報道の自由や人権というのも国家な承認して国民の中で自然なものになっているがロシアやチャイナはそんなわけにいかん報道の自由や人権というラングの記憶文化の継承は社会、国家には無い😆2026/02/14 13:18:11625.神も仏も名無しさんyQ98qその辺が言葉の実態やろなーと社会科学の教授職になりたかった俺は30代前半まで本を読みまくり歴史政治史のデータを見ながら言葉と制度の意味を研究していた既存の社会科学の権威を信用せずに😆2026/02/14 13:20:04626.神も仏も名無しさんyQ98q仏教や宗教に関しては原典原理主義理解であるが社会科学は伝統無視派だ😆2026/02/14 13:21:56627.◆JBLfMwCXhYSyz23>>625そうだったのか~😆2026/02/14 13:22:01628.神も仏も名無しさん2HYjL仏のスレ激しく盛りあがってるな?禅に関心がない朝の勤行と仕事の修行で禅はお腹いっぱいだ😆2026/02/14 13:40:29629.神も仏も名無しさん2HYjL木をノコギリ切り10本でヘロヘロなのもあるが、ハッスル🤡イジリ意欲が低い😆2026/02/14 13:45:01630.神も仏も名無しさん2HYjLカラムーチョがベラボーに上手い😆2026/02/14 13:46:56631.◆JBLfMwCXhYyAlM0>>628ハッスル火山が噴火してた🌋2026/02/14 13:56:10632.神も仏も名無しさん2HYjLハッスルとデンパパは楽しそうだな?デンパパ📶はみんなに相手してもらってるのかな?関心がないので細かく見てないノコギリ切り10本の疲労感のせいか?😆2026/02/14 13:59:25633.◆JBLfMwCXhYyAlM0>>632んにゃハッスル軍団はいつものことだが軍団内の相互交流がない(笑)2026/02/14 14:02:43634.神も仏も名無しさん2HYjLナルシズム主張リバースしてるだけか?ハッスルもデンパパ📶もあいつら余程寂しがり屋やなー😭😭2026/02/14 14:04:28635.◆JBLfMwCXhYyAlM0言語思考者は言葉や論理(順序)を用いて頭の中で文章化して考え、概念的・抽象的な理解が得意です。対して視覚思考者(ビジュアル・シンカー)は映像、画像、図解を用いて直感的に思考し、空間認識や具体的なイメージ連想が得意です。これらは優劣ではなく、脳の情報の処理スタイルの違いです。2026/02/14 14:07:32636.神も仏も名無しさん2HYjL禅語録に関心無い〜やはり休日はプロテスタントだ😆2026/02/14 14:07:45637.◆JBLfMwCXhYyAlM0言語思考者と視覚思考者の主な特徴比較言語思考者 (Verbal Thinkers)特徴: 文章、音声、論理的な順序で思考する。概念の整理が得意。強み: 文章作成、口頭説明、抽象的理論の理解、時間管理。傾向: バインダーに資料を整理するなど、きっちりとした整理を好む。視覚思考者 (Visual Thinkers)特徴: 絵、画像、写真のようなイメージ、パターンで思考する。強み: 図解、地図の理解、物体・空間の認知、創造的なアイデア出し。分類:物体視覚思考者(写真のような鮮明なイメージ)と空間視覚思考者(パターンや概念的関係性)に細分化される。傾向: 複雑なことを絵や図で理解し、会話では要点を即座に映像化する。2026/02/14 14:07:47638.◆JBLfMwCXhYyAlM0それぞれの強みが出る場面言語思考者:学校の授業、書類作成、理論的なプレゼンテーション。視覚思考者:エンジニアリング、デザイン、プログラミング、複雑なシステムの全体像把握。この2つのタイプは、異なる視点を持つため、ペアやチームで協働すると高い成果を上げやすいとされています。2026/02/14 14:08:02639.◆JBLfMwCXhYyAlM0言語は、単なる意思疎通のツールを超え、私たちが認識する世界そのものを形作り、現実を創造する力を持っています。感情を言語化することで脳の興奮が抑えられ、思考が整理されるのと同様に、言葉は抽象的な概念を具体化し、人類の文明と現実を構築する基盤となっている。世界を創造する力: 言葉は現実を超えて世界を創造する力であり、思考や文明の進化を促進した。現実化のプロセス: 言語化能力(語彙力、抽象・具体の使い分け)が高い人は、頭の中のアイデアや感情を整理し、分かりやすい現実(文章や行動)として出力できる。言語の現状と多様性: 2023年時点で世界には約7,168の言語が存在するが、約40%が消滅の危機にある。一方で、上位23の言語が世界人口の半分以上に使用されており、インターネット上では英語、中国語、スペイン語が主要な言語となっている。言語と世界の相互作用: 物理的・文化的分離が新しい言語や方言を生み、それがまた新しい視点を世界にもたらすという、進化のサイクルがある。言語は単に「ある」ものを説明するのではなく、言葉に2026/02/14 14:25:43640.◆JBLfMwCXhYyAlM0>>636> 禅語録に関心無い~それだと、仏のスレには参加できないな~😂2026/02/14 14:29:34641.◆JBLfMwCXhYyAlM0哲学マニアってのは言語のことばっか考えてるものだ2026/02/14 14:30:14642.◆JBLfMwCXhYyAlM0語り得ない真実を、あえて言語化する2026/02/14 14:30:54643.◆JBLfMwCXhYyAlM0言語の限界を超越するのだ😆2026/02/14 14:31:12644.◆JBLfMwCXhYyAlM0釈尊や龍樹は言語の限界を超えることに成功した😆2026/02/14 14:31:54645.◆JBLfMwCXhYyAlM0釈尊は勝義諦を言語化し、戯論を寂滅することに成功した2026/02/14 14:33:29646.神も仏も名無しさんIgrmjキリスト教のプロテスタント書籍はクリスチャンや牧師から山程もらったがあんまり読んでないカルバンとファンダメンタルズ系統ばかりプロテスタントに関心が出てきたので読もうそのうちうたた寝もするだろう😆2026/02/14 14:35:02647.神も仏も名無しさんIgrmj中川健一牧師のショート動画見たが奇跡を信じているようだな?ディスベンの信仰生活も知らん関心薄いのでやっはり、中川健一の信者は中絶反対運動だな日本人信者でも😆2026/02/14 14:37:23648.神も仏も名無しさんIgrmjディスペン連中はファンダメンタルズの一部なので進化論否定地球形成の歴史否定中絶反対が必須項目だイスラエル支持はファンダメンタルズの全てがイスラエル支持ではない😆2026/02/14 14:39:29649.◆JBLfMwCXhYyAlM0そこが、仏教と西洋哲学の大きな違いだ仏教では、「釈尊は言語の限界を超えて、真理を言語化することに成功した」と考える西洋哲学では、「言語の限界を超えるのは不可能」と考える2026/02/14 14:46:16650.◆JBLfMwCXhYyAlM0>>647そりゃそうだ中川健一が信じなかったら、誰が信じるのだ?😂2026/02/14 14:47:04651.◆JBLfMwCXhYyAlM0仏教哲学も、西洋近代哲学も「人が見ている世界は、本当の世界ではない。本人が言語によって創り上げた世界像。それを、『世界とはこういうものだ』と思い込んでいるだけなのだ」という点については、共通する古代インドと、近代ヨーロッパ古今東西の哲学史の二大頂点は、同じ結論にたどり着いたのだ2026/02/14 15:49:19652.◆JBLfMwCXhYyAlM0でも、同じなのは、そこまでそこから先が大きく異なる仏教哲学の場合は、「こんな虚構の仮想現実から抜け出して、実相の世界を知ろう」というような感じなのに対して西洋哲学の場合は「この世には、神も天使もいやしない。すべては偶然の産物にすぎない。あの世もない」というような、唯物論へと向かう2026/02/14 15:52:07653.◆JBLfMwCXhYyAlM0「人は、死ねば無になる。だから生きてる間は、精一杯に生きよう」というのが、西洋哲学の実存主義だ2026/02/14 15:53:20654.◆JBLfMwCXhYyAlM0仏教もそういうものだと、勘違いしてる人が結構いる2026/02/14 15:53:53655.◆JBLfMwCXhYyAlM0>>652> 仏教哲学の場合は、> 「こんな虚構の仮想現実から抜け出して、> 実相の世界を知ろう」というような> 感じなのに対して仏教哲学といっても、倶舎論や唯識論の場合だ中観派は、「実相の世界」というような概念を好まないhttps://i.imgur.com/E7tiOM9.png2026/02/14 15:58:13656.◆JBLfMwCXhYyAlM0> 仏教哲学の場合は、> 「こんな虚構の仮想現実から抜け出して、> 実相の世界を知ろう」というような> 感じなのに対して仏教哲学といっても、倶舎論や唯識論の場合だ中観派は、「実相の世界」というような概念を好まないそういう言い方をあんまりしない2026/02/14 15:58:46657.◆JBLfMwCXhYyAlM0中観派に傾倒する人はたいてい「仏教では、こう考える」というような前置きをしてから、中観派の考え方を述べるだが、それは仏教全般に通じない倶舎論や唯識論では大きく異なる2026/02/14 16:00:50658.◆JBLfMwCXhYyAlM0唯識論でいう「遍計所執性」というのは、言語によって構築された、虚構の仮想現実だ「円成実性」というのは、実相の世界だ中観派には、コレがない2026/02/14 16:06:47659.◆JBLfMwCXhYyAlM0もしも、言語がなかったら夢の中のような、混沌とした無意味があるだけだマトモな世界像は作れない2026/02/14 16:09:15660.◆JBLfMwCXhYyAlM0犬や猫や赤ちゃんは、分節化される以前の混沌に住んでいる2026/02/14 16:09:47661.◆JBLfMwCXhYyAlM0牛の死体は気持ち悪いが牛肉は美味しそうだ2026/02/14 16:12:25662.◆JBLfMwCXhYyAlM0それが、言語の力だ2026/02/14 16:14:01663.神も仏も名無しさんIgrmjかなり気持ち良く昼寝1時間やった😆2026/02/14 16:17:50664.◆JBLfMwCXhYyAlM0それは良かった😆2026/02/14 16:19:19665.◆JBLfMwCXhYyAlM0こちらも、気持ちよくスレ埋めしている😆2026/02/14 16:19:38666.神も仏も名無しさんIgrmj半端な中論語るハッスル、リダン、麦ではイミフでどーしようもない感があるな?😆2026/02/14 16:19:41667.◆JBLfMwCXhYyAlM0666👿2026/02/14 16:19:55668.◆JBLfMwCXhYyAlM0>>666ハッスル軍団は盛り上がってるな?2026/02/14 16:20:13669.◆JBLfMwCXhYyAlM0仏のスレは妖怪館だ😱2026/02/14 16:20:31670.神も仏も名無しさんIgrmj麦、ハッスル、デンパパを消したら少しは見やすくなるだろうけど禅談義に意欲がないやはり文字を読むならプロテスタントだカトリックはトマスでかなり満足した😆2026/02/14 16:38:24671.◆JBLfMwCXhYPdvsYやっぱり、禅宗はペラペラ語るのには不向きなテーマだな~😫2026/02/14 16:42:25672.神も仏も名無しさんIgrmj確かにニーズがないとなー曹洞宗でもまーほんまにロンやら元スレ主みたいなレスする意欲がない、やはり探求は偏狭過ぎるプロテスタントに限る偏狭な宗教程謎が多い😆2026/02/14 16:52:02673.神も仏も名無しさんIgrmj偏狭なコダワリのモチベーションは楽しい😆2026/02/14 16:52:51674.神も仏も名無しさんIgrmjカトリックのバチカンニュースのブログも実は自動的にグーグルニュース関連で上がってくるのでマメには読んでいる😆2026/02/14 16:54:34675.神も仏も名無しさんIgrmjプロテスタントと違い正教会やカトリックの聖者は天国で我々を助ける為に祈ってくれているというのを最近学んだキリスト教は、そういうマニアな情報は楽しい日本の山伏念仏系統も!そのような要素があり、日蓮は超神格化されているどの宗派も凡夫布教で開祖当人の感覚以上に神格化される傾向にある😆2026/02/14 16:58:06676.神も仏も名無しさんIgrmj開祖の神格化が進む時遥かに神格化された言葉の魔力ご作動する日本の仏教でも聖徳太子の前世は天台智顗とか聖徳太子の後世は、最澄とか空海とか、鎌倉時代の本覚思想の強い山伏念仏密教では、そーいう現在に通用しない前世譚がまかり通っていた論文で知った😆2026/02/14 17:01:13677.神も仏も名無しさんIgrmj曹洞宗ですら道元の神格化の傾向は多くの寺院に残っており、それが葬式の亡者の血脈による亡者の出家行事になっている江戸時代中期に問題とされた悟りを探求しない曹洞宗寺院が多数派である俺の曹洞宗悟りより悟っていない曹洞宗僧侶はたくさんいるだろうな😆2026/02/14 17:05:42678.神も仏も名無しさんIgrmjロンやら元スレ主の縁がある僧侶は悟りの世界を体得しているだろう😆2026/02/14 17:06:37679.神も仏も名無しさんIgrmjアンドーは俺が2ちゃんねるでセッタン語録をコピーしたのを精読しているのでハッスルや麦やデンパパ、リダンより禅を知識的に理解している😆2026/02/14 17:09:42680.◆JBLfMwCXhYKg9Fv禅宗に関しては、安堂殿がハッスル達を上回ってるな👍️2026/02/14 19:52:11681.神も仏も名無しさんzUVpMダメダメ公害なヤツラだけやたらレスが仏のスレでは多い😆2026/02/14 20:19:32682.◆JBLfMwCXhYhqlJn「言語アラヤ識」は、哲学者・井筒俊彦が仏教の「阿頼耶識(あらやしき)」を応用し、深層心理に沈殿する「文化的無意識(言語の種子)」を指した言葉です。個人の意識の奥底で、言葉の創造的エネルギーや慣習的意味が「種子」として蓄えられ、条件によって顕在化する流動的な構造を指します。2026/02/15 09:24:31683.◆JBLfMwCXhYhqlJn主なポイント阿頼耶識(アラヤ識):仏教の唯識思想で、すべての経験を「種子」として貯蔵する第八識。ヒマラヤのような「蔵」を意味する。言語アラヤ識:井筒俊彦の概念。社会的な言語慣習、記号システムが個人の深層意識(文化的無意識)に沈殿・蓄積された状態。名言種子(概念):アラヤ識に蓄えられた言葉の可能性、言葉の「種」。これが意識表層へ出ていくことで思考や発話が生まれる。井筒はこれを、言語は静的ではなく、深層の「意味マンダラ」で常に創造的に動いている流動的な全体構造として捉えました。2026/02/15 09:24:50684.◆JBLfMwCXhYhqlJn仏教では多くの場合、人間の知るはたらき、意識、あるいは心のはたらきを六つ(眼、耳、鼻、舌、身、意)に区別する。唯識ではそれらの根底にさらに末那識(根源的な自我執着意識とも言うべきもの)と阿頼耶識とを考える。唯識によれば、人間の経験はすべて意識の深みに影を落として消えていく。つまり痕跡を残していく。痕跡は直ちに、あるいは時間をかけて集積し、「種子」に変わっていく。そして種子から芽が出るように、この「種子」からさまざまな存在ないし存在表象が生まれていく。このさまざまな存在の因である「種子」が貯蔵される場所が阿頼耶識である(阿頼耶識はその意味を込めて「蔵識」とも漢訳された)。2026/02/15 09:27:17685.◆JBLfMwCXhYhqlJn井筒は『意味の深みへ──東洋哲学の水位』に収められた論文「文化と言語アラヤ識──異文化間対話の可能性をめぐって」のなかで、この阿頼耶識の概念をその言語理論のなかに取り入れることによって(「言語理論的方向に引きのばして」)「言語アラヤ識」なるものを考えた。それは、井筒によれば、社会制度として定着した言語のなかにまだ組み込まれていない「潜在的意味」としての言葉の貯蔵場所である。まだ分節されていない、まだ明確な意味を担うにいたっていない「意味可能体」が生まれてくる意識下の領域である。そこでは無数の「意味可能体」が、意識の表層の明るみのなかに出ようとして、互いに絡み合い、相戯れている。2026/02/15 09:27:43686.◆JBLfMwCXhYhqlJn「外部言語」とも言うべき慣習的な記号のシステムは、このような「創造的エネルギーにみちた意味マンダラの溌剌たる動き」に支えられて成り立っている。この潜在的な意味は条件が整えばやがて顕在的な意味として意識の表層に浮かびあがっていく。そしてそこでなされる経験の痕跡がふたたびアラヤ識に集積し、新しい「種子」を作りだす。このように言葉を、単にその表層構造においてだけでなく、同時にアラヤ識における「深層言語」までをも含む流動する全体構造において把握しようとした点に、言いかえれば、その力動性に注目した点に井筒の言語理解の特徴がある。2026/02/15 09:28:02687.◆JBLfMwCXhYhqlJn唯識論は、コトバの力を重視する2026/02/15 09:33:11688.◆JBLfMwCXhYhqlJnコトバは、深層意識に重大な影響を及ぼしている2026/02/15 09:33:32689.◆JBLfMwCXhYhqlJn中観派とは違った意味で、一種の言語哲学だ2026/02/15 09:33:52690.◆JBLfMwCXhYhqlJn井筒俊彦によれば、深層意識には「言語アラヤ識」があるそこに蓄えられている「種子」(潜在的「意味」形象)が、活性化されて、我々の表層意識の領域に働くからこそ、我々は、その都度、世界を有「意味」的存在秩序として経験する」2026/02/15 09:35:57691.◆JBLfMwCXhYhqlJn「何かが何かとして存在することは、その何かが当の何かとして現象することと切り離すことができない。」「このことは、何かが存在するのは必ず何らかの存在秩序の対してであることを意味する。」「このような存在秩序がしばしば「神」、すなわち「絶対者」と呼ばれてきた」そして「神の前に/に対して世界がそのようなものとして姿を現したとき、世界は存在するに至った」空海が説いた「法身」である「大日如来」の「真言」も「絶対的な存在者「法身」が世界をそのようなものとして分節化し、この意味で「コトバ」である(「説法」する)ことを以って世界が存在するという事態だった。」2026/02/15 09:38:54692.◆JBLfMwCXhYhqlJn**(井筒俊彦『意味の深みへ』~「あとがき」より抜粋) 今から四十年も前、その頃、若年の私は慶應義塾大学の文学部の教壇で、言語学を講義していた。 私が習い、かつ自分でも教えることになっていた従来の言語学が、「意味」という現象を、いかにも自明の常識的事実として、こともなげに取り扱っていることに、私は不満だった。」「従来の言語学が、ともすれば、平板な「意味」の見方に満足してしまいがちなのは、元来、この学問が、コトバの「意味」機能を論述の対象として取り上げる時、コトバそのものを、主として、それが社会慣習的にコード化され、システム化されて働く次元に限定して考察する性向をもつからである。」2026/02/15 09:40:59693.◆JBLfMwCXhYhqlJn*「「意味の深み」という主題を、いくらか哲学的整合性をもって理論的に取り扱うことはできるのではあるまいかという確信に近いものが私のなかに生まれたのは、それからずっと後になって、仏教の唯識哲学を学び始めた時のことだ。丁度、西欧の学界でも、ユングの心理学が、人間意識の底に潜む巨大な下意識的エネルギーの働きを指摘し、また特にフロイト派のジャック・ラカンが、無意識とコトバの奇妙な結びつきの重要な意義を強調しはじめていた。」2026/02/15 09:41:49694.◆JBLfMwCXhYhqlJn深層意識/無意識と、コトバとの結びつきこれを論じたのは、ジャック・ラカンだった2026/02/15 09:42:32695.◆JBLfMwCXhYhqlJn井筒俊彦は、これと唯識論が似ていると思った2026/02/15 09:42:52696.◆JBLfMwCXhYhqlJn「元来、仏教では、人間の行為を身・口・意の三種に大別する。手足などを動かす(身)、コトバを聞き、コトバを喋る(口)、何かにたいして心が動く、たとえば、思惟、感情、想像などの形で(意)。内的外的、それら様々な行為の一つひとつが、人の下意識の最深層に、必ず、なんらかの跡を残していく。どんな些細な、取るに足りない(と思われる)ような、ほんのかすかな動きでも、こころの奥に、ひそかな影を残さずにはいない、と唯識は説く。我々のあらゆる経験が、我々自身の存在の底知れぬ深層を、刻々と「薫習」していく、というのだ。あたかも、衣に薫きしめられた香の匂が、消えずにそこに残るように。 しかも、この「薫習」のプロセスは、個人としての我々の個人的経験だけに終始するものではなく、そこには、先行する諸世代の全ての人の全ての経験が、文化遺産という形で含まれる。つまり、我々がまったく気付かないうちに、我々の実存の深みは、まず自分自身の、そして結局は全ての人の経験の痕跡をとどめていく、というのである。2026/02/15 09:43:54697.◆JBLfMwCXhYhqlJnところで、唯識哲学の説く「薫習」とは、現代的な表現で言い換えるなら、「意味化」のプロセスということになるだろう。すなわち、一々の経験は、必ずこころの深層にその痕跡を残すとはいっても、生の経験がそのままの姿(たとえば、普通の意味での記憶というような形)で残留するのではなく、すべてその場で、いったん「意味」に転成し、そういう形で、我々の実存の根底に蓄えられていくのである。それを唯識の述語で「薫習」と呼ぶのだ。 人間のこころの機能を、表層から深層に及ぶ八つのレベルに分けて構造モデル化する伝統的な唯識の意識論では、このように過去の一切の経験が「意味化」して蓄えられる内的場所(トポス)として、この構造モデルの最深層(第八番目のレベル)を措定し、これを「アラヤ識」(文字通りには「貯蔵庫意識」)と名づけ、そこに貯蔵される「意味」を「種子(しゅうじ)」と名づける。2026/02/15 09:46:05698.◆JBLfMwCXhYhqlJn「種子」、すなわち、この段階で「意味」は、我々が常識的に理解しているようなコンヴェンショナルな「意味」ではない。コンヴェンショナルな「意味」の成立は、表層意識のレベルでの事態。「アラヤ識」のレベルにおける「意味」は、「意味」というより、むしろ「意味」エネルギーというほうが真相に近い。つまり「アラヤ識」は、全体としては、力動的な「意味」の流れである。 だが、「意味」は、その本性上、「名」を呼び、「名」を求めるものである故に、「アラヤ識」は、また、全体として、根源的に言語的性格を持つ。とは言っても、勿論、均等的に、ではない・「アラヤ識」の言語性には、いわば凸凹があるのだ。先刻も書いたとおり、人間の経験は、大ざっぱに見ても身・口・意の三つの系統があるのであって、すべての経験が、直接、コトバの経験であるわけではない。2026/02/15 09:47:06699.◆JBLfMwCXhYhqlJn人間の下意識にたいするコトバの働きかけを極めて重大視する唯識哲学は、直接コトバに由来する「種子」を、特に「名言(みょうごん)種子」と呼んで、他の系列の「種子」から区別する。しかし、非言語系の「種子」も、「アラヤ識」的事態としては、すべて潜在的「意味」形象であるという点から考えれば、「名言種子」と根本的に等質であり、広い意味で言語的であると考えられなければならない。」「数限りないこれらの潜在的「意味」形象の全体を理論的に想定して、私はそれを「言語アラヤ識」(あるいは「意味アラヤ識」)と呼ぶ。すなわち、唯識哲学の説く第八「アラヤ識」を、強弱様々な度合いにおいて言語化された「意味」エネルギーの、泡立ち滾る流動体として、想像するのである。」2026/02/15 09:47:57700.◆JBLfMwCXhYhqlJn7002026/02/15 09:48:10701.◆JBLfMwCXhYhqlJn唯識論では、過去の身口意のデータが種子として貯蔵されている2026/02/15 09:48:38702.◆JBLfMwCXhYhqlJn種子には、名言種子と業種子がある2026/02/15 09:48:52703.◆JBLfMwCXhYhqlJn深層意識に及ぼすコトバのパワーがあまりに大きいため「名言種子」が、普通の種子とは区別された2026/02/15 09:49:26704.◆JBLfMwCXhYhqlJn言語学者の井筒俊彦は、「唯識論は、ラカンの理論と似ている」と思った2026/02/15 09:51:05705.◆JBLfMwCXhYhqlJnラカンの言語論は「無意識は言語のように構造化されている」という言葉に要約されます。人間は言葉(記号)の世界に生まれることで、その言語のルールに支配され、欲望し、自我(主体)を形成するという考え方です。言語が人間を作り、言葉のズレが欲望の源泉になると説きました。2026/02/15 09:52:24706.◆JBLfMwCXhYhqlJn1. 無意識は言語のように構造化されている言語活動の基盤: 無意識は、ただの混乱した欲望の場所ではなく、辞書のようにシニフィアン(記号・言葉)が連鎖して機能する場所であると主張しました。他者の言説: 自分の無意識的な思いや行動は、実は言語、文化、社会など「大文字の他者」から植え付けられた言葉やルールに基づいているということです。2026/02/15 09:52:41707.◆JBLfMwCXhYhqlJn2. シニフィアン(言葉)が人間を支配する言語が主体を作る: 私たちは言葉を使いこなしているつもりですが、実際には「私」という言葉を覚え、社会の言葉体系に参入することで、人間として認識され、構造化されます。言葉の優先: 言葉が先にあって、その言葉の枠組みに後から自分の感情や現実を当てはめるため、言葉で表現しきれないものが無意識に蓄積されます。2026/02/15 09:52:59708.◆JBLfMwCXhYhqlJn3. 主体の分割と欲望の源泉完全な自己は存在しない: 言語で自分を表現しようとしても、言葉は「今の自分」を完全には表せないため、主体は言葉による「意識」と「無意識」の間で引き裂かれています。欲望のメカニズム: 本当に欲しいものが言葉では表せないため、私たちは代替品を求め続け、欲望し続けます。2026/02/15 09:53:19709.◆JBLfMwCXhYhqlJn4. 鏡像段階と象徴界鏡像段階: 幼児は鏡に映った自分の像を「自分だ」と認識して自我を作りますが、それはイメージ(想像界)であり、本当の自分とはズレがあります。象徴界(言葉の世界): 子供が言葉(ルール)を覚えることで、この想像的な世界から、社会的な「象徴界」へと入っていきます。2026/02/15 09:53:44710.◆JBLfMwCXhYhqlJnラカンの言語論は、人間が「言葉の檻」の中で、決して満たされることのない欲望を抱えながら生きる存在であることを明らかにしたものです。2026/02/15 09:53:57711.神も仏も名無しさんiv5CWやはり、デモクラシーや民法を生みた西欧哲学的な世界観があるだろなー歴史動画とか見るのが好きだけど人権とかない人類の歴史は長い、案外なんでも金、略奪、人身売買なとの野蛮の限りの歴史か人類の歴史の多数😮2026/02/15 09:53:59712.◆JBLfMwCXhYhqlJnラカンの言語論意味不明なことで知られる2026/02/15 09:54:15713.◆JBLfMwCXhYhqlJnわざと分かりにくく書いたのではないかと言われるほど極めて難解な文章だ2026/02/15 09:54:44714.◆JBLfMwCXhYhqlJn>>711地球人類の歴史はハチャメチャだ😫2026/02/15 09:55:14715.神も仏も名無しさんiv5CWやはり、デモクラシーや民法を生みた西欧哲学的な世界観があるだろなー歴史動画とか見るのが好きだけど人権とかない人類の歴史は長い、案外なんでも金、略奪、人身売買なとの野蛮の限りの歴史か人類の歴史の多数😮2026/02/15 09:55:26716.◆JBLfMwCXhYhqlJnホラー映画より怖い😱2026/02/15 09:55:32717.神も仏も名無しさんiv5CW江戸時代も人権意識はないけど儒教や仏教の思想で国民を管理する社会意識はあっただろうからなー文化が豊かだったし室町時代の応仁の乱以前よりも江戸時代は安定してたやろしなー😃2026/02/15 12:52:12718.神も仏も名無しさんiv5CW茶の湯とか茶器も織田信長が勢力伸ばして京都を安定支配してから文化濃度が高まったやろしなー戦場になる田舎は信長秀吉の足軽の略奪人身売買芸で神社仏閣は片っ端から破壊されたらしいからなー😱2026/02/15 12:55:17719.神も仏も名無しさんiv5CW金閣寺の金閣だけは破壊強奪の対象にならなかったのかー応仁の乱でも😱金閣寺の歴史的概要1397年(応永4年): 将軍・足利義満が京都北山に山荘「北山殿」を建設。ここを本拠地として、北山文化が花開きました。1408年(応永15年): 義満の死後、夢窓疎石(むそうそせき)を開山として禅寺とし、義満の法号「鹿苑院殿」から「鹿苑寺」と名付けられました。1467年(応仁の乱): 多くの建物が焼失しましたが、金閣は焼失を免れました(のちに被害を受ける)。1950年(昭和25年): 23歳の僧侶の放火により、国宝だった金閣(舎利殿)が全焼(金閣寺放火事件)。1955年(昭和30年): 舎利殿が再建され、現在の姿が復元されました。1987年(昭和62年): 大規模な修復工事で金箔が貼り直されました。2026/02/15 12:59:50720.神も仏も名無しさん237Wu🤡 でおーの発言は主張ではなく反応獲得行動2026/02/15 15:31:09721.◆JBLfMwCXhYLww3J>>717江戸時代の日本は、それ以前の日本とは別の国2026/02/16 05:13:03722.◆JBLfMwCXhYLww3J室町時代の日本は、想像を絶するほど野蛮だった2026/02/16 05:13:22723.◆JBLfMwCXhYLww3Jそれでも、中世ヨーロッパよりはマシだったかもしれん2026/02/16 05:14:10724.◆JBLfMwCXhYLww3Jコトバの意味は言語アラヤ識から浮かんでくる!ソシュールの主張した「能記(シニフィアン)と所記(シニフィエ)の関係は恣意的であり、現実においてなんの自然的契合をも持たない」という言説は、現代社会の言語学や記号学では常識とされてきました。だが、本当に的を射ているのでしょうか。すでにさまざまな批判や反論が行われていますが、最も本質的な批判は井筒俊彦先生の言説だ、と筆者は思います。2026/02/16 05:20:02725.◆JBLfMwCXhYLww3J膨大な論述の中から、核心部分を抜き出してみましょう。まずソシュールに主張する「言語の恣意性」については、次のように指摘します。ソシュールは言語(ラング)を一種独特な記号学的「相異」の連関網目構造として規定した。「言語には相違しか存在しない」(中略・・・という)、ソシュール言語学のこの有名な基礎命題は、要するに言語記号の実体性の無条件的な否定である。能記(シニフィアン)の側であれ、所記(シニフィエ)の側であれ、記号というもの(実体)は存在しない。ただ諸辞項間の相互的「相異」関係のみがある。ものがあって、それらの間に相互関係が出来上がるのではなくて、関係性が諸辞項を、あたかも実在するものであるかのごとくに成立させる、というのだ。(『意味の深みへ』P108)2026/02/16 05:20:43726.◆JBLfMwCXhYLww3Jそのうえで、ソシュールのこの主張は、言語の表層的な特性を述べたものにすぎない、と厳しく反論します。コトバの表層領域とは、言語の社会的約定的記号コードとしての側面――無論、それに基づいてなされる人間相互間のコミュニケーション、つまり発話行為を含めて――ということ。このような偏向性における言語論は、必然的に、コトバにたいする水平的(ホリゾンタル)なアプローチとなり、人間の言語意識を、いわば深みに向かって掘り下げていく垂直的(ヴァーチカル)なアプローチはほとんど完全に無視される。2026/02/16 05:21:19727.◆JBLfMwCXhYLww3Jにもかかわらず、西洋の言語論のほとんどが、この次元に留まっていると批判します。フロイト派の深層心理学の特殊分野におけるラカンの言語論とか、近年のクリステーヴァの「ル・セミオティーク」の如き、注目すべき例外はあるとしても、西洋の言語学の圧倒的大勢は、言語にたいして、いま言ったような意味でのホリゾンタルなアプローチによって特徴づけられる。チョムスキーの語る「深層言語」にしても、深層とはいうものの、それは実はデカルト的な普遍的理念構造を措定するだけであって、依然としてホリゾンタルなアプローチであることに変わりはない。(『意味の深みへ』P254)2026/02/16 05:22:43728.◆JBLfMwCXhYLww3Jその欠陥を次のように指摘しています。現代の言語学者は、社会的記号コードとしての言語(ラング)の対立項というと、すぐに発話行為(パロール)を考えるのを常とする。ラングとパロールとは相関的、相補的概念だ。しかし本当は、ラングとパロールとをそのまま表面的に並べる前に、ラングの底に伏在する深層意味領域というものを考えなければならない。そうしてこそ、はじめて、いわゆる意味の「太古」の薄くらがりのなかから立ち現れてくるパロールの創造性の秘密を理解できるのではないか、と私は思う。(『意味の深みへ』P255)2026/02/16 05:23:53729.◆JBLfMwCXhYLww3Jこの主張の背景として、言葉の機能を表層と深層に分けたうえで、深層の構造を説明します。表層的シニフィエの底辺部には、広大な深層的シニフィエの領域が伏在している。そればかりではない。言語意識の深層には、まだ一定のシニフィエと結びついていない不定形の、意味可能体の如きものが、星雲のように漂っているのだ。まだ明確な意味をなしていない、形成途上の、不断に形を変えながら自分の結びつくべきシニフィアンを見出そうとして、いわば八方に触手を伸ばしている潜在的な意味可能体。まさに唯識の深層意識が説く「種子(しゅうじ)」、意味の種だ。既に一定のシニフィアンを得て、表層意識では立派に日常的言語の一単位として活躍しているものと、いま言ったような形成途上の流動的意味可能体と、無数の「意味」が深層意識の底に貯えられている。(『意味の深みへ』P259)2026/02/16 05:26:02730.◆JBLfMwCXhYLww3Jこのような種子が潜んでいる場所を大乗仏教唯識論の「種子」を敷衍して、「言語アラヤ識」と名づけています。およそ外的事物をこれこれのものとして認識し意識することが、根源的にコトバ(内的言語)の意味分節作用に基づくものであることを私はさきに説いた。そして、そのような内的言語の意味「種子(ビージャ)」の場所を、「言語アラヤ識」という名で深層意識に定位した。「言語アラヤ識」という特殊な用語によって、私は、ソシュール以来の言語学が、「言語(国語、ラング)」と呼び慣わしている言語的記号の体系のそのまた底に、複雑な可能的意味聯鎖の深層意識的空間を措定する。もしこの考え方が正しいとすれば、我々が表層意識面で――つまり知覚的に――外的事物、例えば目前に実在する一本の木を意識する場合にも、その認識過程には言語アラヤ識から湧き上がってくるイマージュが作用しているはずだ。なぜなら、何らかの刺激を受けて、アラヤ識的潜在性から目覚めた意味「種子」が、表層意識に向かって発動しだす時、必ずそれは一つ、あるいは一聯の、イマージュを喚起するものだからである。(『意識と本質』」P190)2026/02/16 05:28:00731.◆JBLfMwCXhYLww3J以上のように、井筒説によると、コトバの音声・文字(シニフィアン)と意味対象(シニフィエ)の関係は、ソシュールのいう「恣意的」なものではなく、私たちの意識の深層(阿頼耶識)にある、なんらかの種(種子)の影響によって、両者が結びつくのだ、というのです。とすれば、「言分け」によって「身分け」世界を分ける、その前に「種分け」という段階を考えなければならないのかもしれません。2026/02/16 05:28:28732.◆JBLfMwCXhYLww3Jなるほど2026/02/16 05:28:40733.◆JBLfMwCXhYLww3Jさすがは、巨匠・井筒俊彦2026/02/16 05:28:59734.◆JBLfMwCXhYLww3Jここ数日、「言語アラヤ識」にハマッている2026/02/16 05:29:20735.◆JBLfMwCXhYLww3J昔、「意識と本質」を読んだときこの辺りは、何を言ってるのか、サッパリ分からなかった2026/02/16 05:29:52736.◆JBLfMwCXhYLww3Jでも、いまは唯識論と、ソシュール言語学の両方に詳しくなったため井筒の言ってることが、よく分かる2026/02/16 05:30:35737.◆JBLfMwCXhYLww3Jコトバの音声・文字(シニフィアン)と意味対象(シニフィエ)の関係ソシュール言語学では、無意味である2026/02/16 05:31:17738.◆JBLfMwCXhYLww3J目の前にいる四足動物というシニフィエそれと、「イヌ」とか「ネコ」というシニフィアンが結びつくその結びつきには、とくに意味が無い「イヌ」というシニフィアンは、「ネコ」と区別するために存在する2026/02/16 05:32:37739.◆JBLfMwCXhYLww3Jシニフィエ(signifié)は、言語学者ソシュールが提唱した構造主義言語学の概念で、記号の「意味内容」や「概念(指し示されるもの)」を指します。音や文字である「シニフィアン(記号表現)」と対になり、頭の中で思い浮かべるイメージや意味そのものを表す「所記」や「記号内容」の呼称です。詳細な情報:定義:フランス語で「意味されるもの」を意味し、単語や記号が表現する対象の概念やイメージを指す。具体例:「猫」という文字や発音(シニフィアン)が指し示す、「4本足でニャーと鳴く動物のイメージ」(シニフィエ)。構造:ソシュールは、言葉はシニフィアン(能記)とシニフィエ(所記)が表裏一体となった「シーニュ(記号)」であるとした。特徴:記号(言葉)とその意味(概念)の関係は恣意的な(必然性がない)ものであるとされている。※低温長時間発酵のパン屋「Signifiant Signifie(シニフィアン・シニフィエ)」とは異なる2026/02/16 05:33:37740.◆JBLfMwCXhYLww3Jシニフィアン(signifiant)は、スイスの言語学者ソシュールが定義した記号学の概念で、言葉の「能記(記号表現)」、つまり文字や音声など感覚的に捉えられる「意味するもの」を指す。具体的には「ネコ」という音や文字そのものを指し、対応する意味内容であるシニフィエ(所記・概念)と対になって言語記号を構成する。シニフィアンの基本概念定義:言語記号を構成する2側面のうち、音のイメージや文字などの「表現面」。対になる言葉:シニフィエ(signifié/記号内容・所記)。言葉が指し示す「概念・イメージ」。構成要素:シニフィアン(表現)+シニフィエ(意味)=シーニュ(記号)。具体例実体(シニフィエ):4本足の動物(犬)シニフィアン(表現):「いぬ」という音声、"dog" という文字、"chien" というフランス語構造主義におけるシニフィアンソシュールは、シニフィアンとシニフィエの結びつきは必然的ではなく、恣意的(たまたまそう決まった)であると指摘した。例えば、赤い果物を指すのに、日本語では「りんご」、英語では "apple"、フランス語では "pomme" と異なるシニフィアンが使われるが、どれも同じシニフィエ(果物の概念)を指し示す。2026/02/16 05:34:25741.◆JBLfMwCXhYLww3Jシニフィエとシニフィアン言語哲学の入門書では、最初の数ページ以内で必ず出てくる超有名な話だ2026/02/16 05:35:10742.◆JBLfMwCXhYLww3J目の前の四足動物それが、「イヌ」であるという必然性はない「イヌ」というシニフィアンは、「ネコ」と区別するためにある「ネコ」と区別できさえすれば、それでいい2026/02/16 05:36:40743.◆JBLfMwCXhYLww3J同様に、「ネコ」が「ネコ」である必然性もない「キャット」でもいいし、「マオマオ」でもいい「ネコ」というシニフィアンは、「イヌ」と区別するためにある「イヌ」と区別できさえすれば、それでいい2026/02/16 05:38:34744.◆JBLfMwCXhYLww3Jというような発想で、西洋の言語哲学はできている井筒俊彦が言うように、極めて表層的な言語観だ2026/02/16 05:39:17745.◆JBLfMwCXhYLww3Jそこに、深層意識の「言語アラヤ識」を持ち込んだのがわれらが巨匠・井筒俊彦だ2026/02/16 05:39:52746.◆JBLfMwCXhYLww3Jもっとも、深層意識とげんの関係を論じたのは、井筒俊彦がはじめてではない難解中の難解な文章で知られる、ジャック・ラカンがいる2026/02/16 05:40:39747.◆JBLfMwCXhYLww3J哲学のプロやマニアの間でさえ、「何度読んでも意味不明」という定評があるワケワカメな人物だ2026/02/16 05:41:29748.◆JBLfMwCXhYLww3Jジャック・ラカン「五百羅漢」と似ているが、何の関係もない2026/02/16 05:42:18749.◆JBLfMwCXhYLww3Jジャック・ラカンは、フロイトの無意識概念を言語学的に再解釈し、「無意識は言語のように構造化されている」と提唱しました。彼にとって深層意識(無意識)とは単なる本能の塊ではなく、社会的な言葉やルール(大他者)に支配された秩序であり、鏡像段階を経て形成される偽りの自我の背後に潜む、言語的な主体そのものです。2026/02/16 05:43:39750.◆JBLfMwCXhYLww3Jラカンの無意識・深層心理に関する主要な概念は以下の通りです。無意識は言語のように構造化されている無意識は抑圧された個人的欲求の場ではなく、構造主義的な言語法則(隠喩や換喩)に従って機能している。「大他者」の欲望人間の欲望は、自身の内側から生まれるのではなく、社会的な規範や他者(言葉、社会構造など)によって規定される。鏡像段階と偽りの自我幼児は鏡に映る自分を「一つのまとまった像」として誤認することで、自我(エゴ)を形成する。これは幻想に基づく、不安定な自己認識である。3つの領域(現実界・想像界・象徴界)想像界:鏡像的なイメージに基づく偽りの自己像。象徴界:言語や秩序。無意識の基盤。現実界:言語化できない、実在するが捉えきれないもの。ラカンは、主体が「言葉」の世界(象徴界)に組み込まれる際に、何かを失い(欠如)、その失われたものを追い求める存在が無意識であると考えました。2026/02/16 05:45:28751.◆JBLfMwCXhYLww3J井筒俊彦は、ラカンのいう深層意識とコトバの関係が唯識論と似ていることに気づいた2026/02/16 05:46:02752.◆JBLfMwCXhYLww3J「イヌ」や「ネコ」というシニフィアン2026/02/16 05:57:49753.◆JBLfMwCXhYLww3J🐶や🐱というシニフィエ2026/02/16 05:58:02754.◆JBLfMwCXhYLww3Jソシュールによれば、シニフィアンとシニフィエの関係には必然性がなく、恣意的なものである「イヌ」と「ネコ」を区別できさえすれば、それでいいのである2026/02/16 05:58:53755.◆JBLfMwCXhYLww3Jこれは、西洋の言語哲学の核心中の核心セントラル・ドグマだ2026/02/16 05:59:19756.◆JBLfMwCXhYLww3Jこの発想に基づいて西洋の言語哲学という壮大な体系が構築されたそこには、素晴らしさとバカバカしさが共存している(笑)2026/02/16 06:00:59757.◆JBLfMwCXhYLww3J西洋人は、言語ってものをこれほど表層的なものとして捉えている2026/02/16 06:01:55758.◆JBLfMwCXhYLww3Jそこに深い杭を打ち込んだのが、ジャック・ラカンだなんと、「深層意識とコトバの関係」を論じた2026/02/16 06:02:34759.◆JBLfMwCXhYLww3J唯識論でいう「阿頼耶識と名言種子」の関係に近づいた2026/02/16 06:03:05760.◆JBLfMwCXhYLww3Jさすがに、これはちょっと言いすぎだ😂本当の核心は、その先にある755 ◆JBLfMwCXhY 2026/02/16(月) 05:59:19.89 ID:Lww3Jこれは、西洋の言語哲学の核心中の核心セントラル・ドグマだ2026/02/16 06:04:41761.◆JBLfMwCXhYLww3J本当の核心とは「言語による、世界の分節化」だ2026/02/16 06:05:02762.◆JBLfMwCXhYLww3Jソシュールが提唱した「世界の分節化」とは、言語が連続的で混沌とした現実(自然)に対し、恣意的な境界線(シニフィアン/シニフィエ)を引いて、離散的なカテゴリー(単語や概念)として切り分ける体系のことです。言語は外部に存在する名詞にラベルを貼る命名法ではなく、言語自体が意味と形を分節して世界を認識可能な形に構築していると定義しました。2026/02/16 06:06:01763.◆JBLfMwCXhYLww3J世界の分節化のポイント自然は連続的、言語は分節的私たちは「イヌ」や「ネコ」のように世界を分けて認識しますが、これは言語が恣意的に引いた線であり、本来、自然界は連続的で境界線がない。名前が対象を定義する「先にモノが存在し、名が付く」のではなく、「言語によって分節(名前がつく)されることで、その対象が他から区別・認識される」という構造主義的な考え方。恣意的な境界線(言語による差)分節の仕方は人種や言語、地域、個人によって異なる。例えば、日本語の「雨」の細分化(春雨、時雨など)や、英語圏での食肉部位の分節化などが挙げられ、どこに分節線を引くかで世界の見え方が変わる。言語は「ラング(体系)」言語は単なる語彙の羅列ではなく、分節化された連想の束であり、社会的な慣習的システムである。要するに、私たちは言語という分節の枠組みを通して世界を認識しており、言語がなければ世界を構造的に理解できないとする、構造主義言語学の根幹を成す考え方です。2026/02/16 06:06:22764.◆JBLfMwCXhYLww3Jつまり、「イヌ」や「ネコ」というシニフィアンそれが、本来は似たようなものである四足動物を、いろんな種に分割している2026/02/16 06:07:14765.◆JBLfMwCXhYLww3J世間の一般人は、🐶や🐱はもともと異なると確信しているその信念は極めて強固なものである🐶や🐱という存在があるから、それを指す「イヌ」や「ネコ」という言葉があるのだと信じているだが、ソシュールによれば、そうではない「イヌ」とか「ネコ」という名前で区別するから、🐶や🐱が別の存在に見えてくるのである2026/02/16 06:10:26766.◆JBLfMwCXhYLww3J「んなバカな。イヌとネコはもともと違うだろ」と言うかもしれないがでは、「ポメラニアン」と「マルチーズ」、「チワワ」はどうか?「コリー犬」と「シェトランド・シープドッグ」はどうか?人間は、言葉で世界をどんどん細かく分割している2026/02/16 06:12:40767.◆JBLfMwCXhYLww3J「世界は細かく分かれている。だから、それを描写するために、たくさんの名前があるのだ」↑これが、世間の一般人の信念体系だ2026/02/16 06:13:42768.◆JBLfMwCXhYLww3J「人間は、たくさんの名前で世界を細かく分割している。世界がバラバラに分かれているように見えるのは、そのためだ」↑これが、ソシュール言語哲学の発想2026/02/16 06:14:47769.◆JBLfMwCXhYLww3Jまさに、逆転の発想だこれを、「太陽が地球の周りを回っている」から、「いや、じつは地球が太陽の周りを回っている。だから、太陽が回っているように見えるのだ」という世界観の転回になぞらえて「言語学的な転回」(リンギスティック・ターン)と呼ぶ2026/02/16 06:17:30770.◆JBLfMwCXhYLww3J「人間は、たくさんの名前で世界を細かく分割している。世界がバラバラに分かれているように見えるのは、そのためだ」↑こうしてみると、龍樹の中論に似ている2026/02/16 06:18:38771.神も仏も名無しさん7M2MP文化を基軸に置きすぎると深層阿頼耶識みた否発想になるんかもそれんが異文化、異文明の略奪破壊や国家けんりょぬしゃの浪費による国民の重税と反乱とか近代ヨーロッパ社会か生まれるまでさほど文化的進展は宗教以外は進展しなかったんではないかな😃2026/02/16 06:18:45772.神も仏も名無しさん7M2MP言語の形成は本来はもっとシンプルだろな食えるもの、食えないもの食う対象埋葬文化で食う対象を左右するサムシングという超越的存在安定した優秀な王による文明らしきのがてきて交易と文化の交流、職人の成立による新たな商品とかで言葉の範囲が拡がる😃2026/02/16 06:22:56773.神も仏も名無しさん7M2MP深層阿頼耶識なんていうよりも食う食えないレベルからの発達と交易で食う食えない問題からのシンプルな言葉の発達とみたほうが早いだろう😃2026/02/16 06:24:40774.◆JBLfMwCXhYLww3J確かに、似ているのは事実なのだが似て非なる思想だ龍樹の場合は、この世の虚しさを説く「この世がバラバラに分かれているように見えるのは言語による錯覚であり、本当は自他一体のワンネス・ワールドがあるだけなのである」という大乗仏教、菩薩の大慈悲の世界観だいや、龍樹の場合は、ワンネス・ワールドすら有るとは言えない究極的には、何も無い「説一切無部」だが2026/02/16 06:24:43775.神も仏も名無しさん7M2MP江戸時代てすら食えない農民は娘を風俗に売り飛ばすさ😱2026/02/16 06:25:15776.◆JBLfMwCXhYLww3J西洋の言語哲学の場合は、そんなスピリチュアルな思想とは対極にある左翼の唯物主義者が好む思想だなんで、このような世界観が左翼に好まれるのか?それについては、話せば長くなる2026/02/16 06:25:58777.◆JBLfMwCXhYLww3J⭐️777⭐️2026/02/16 06:26:13778.◆JBLfMwCXhYLww3J>>773なるほどね~😆2026/02/16 06:28:13779.神も仏も名無しさん7M2MPキリスト教の宇宙法則的な代替品の神か必要だった既存のキリスト教に関する違和感はこの宇宙法則的な発想ぽい信仰感覚だ俺の見るキリスト教像は神が聖霊を通して示すというものに過ぎないが😃2026/02/16 06:28:43780.神も仏も名無しさん7M2MP哲学者はソシュールは恣意性だから法則的ではないだろうが基本宇宙法則主義マルクス主義がそれの代表😃2026/02/16 06:30:07781.神も仏も名無しさん7M2MP人間の脳は創造がてきる発明、社会の発達もだそれを起点に言語を考察するほうがリアルに把握てきる 😃ま、これも30代頃に考えていたことだ!😃2026/02/16 06:31:47782.◆JBLfMwCXhYLww3J昔、ブログをやってたときも、しばしば誤解されたのだがこうやって、熱心にコピペしたり、コピペした内容を解説したりしてるのを見れば当方が、ソシュール言語学や井筒俊彦の言語アラヤ識の理論に心酔し、これこそが真理だと思い、がんばって宣伝してるように見えるかも、なのだが全然、そんな気はない(笑)それが当方の特徴だ2026/02/16 06:32:09783.神も仏も名無しさん7M2MP俺も言語に関しては若い頃研究オタクたったのでプラス歴史動画未だに大好き宇宙関連の動画も大好きだな評論がてきるだけだ😃2026/02/16 06:34:01784.◆JBLfMwCXhYLww3Jとくに、ジャック・ラカンなどまったく好きではないああいう意味不明な文章を書いて、読者を煙に巻く書き手を好まない「深層意識とコトバの関係」を論じた例、参考意見として引き合いに出してるだけだ2026/02/16 06:35:14785.神も仏も名無しさん7M2MP歴史の運動的把握と言語と制度で見るみたいな考察、そこが社会科学の一般理論の組み立てが合理的ではないか、と若い頃の俺は考えた学問的権威よりも😃2026/02/16 06:35:56786.◆JBLfMwCXhYLww3Jそういえば、ロン師匠は「禅宗の祖師録にハマる前は、ラカンにハマッてた」と言ってたような?気のせいか2026/02/16 06:36:13787.◆JBLfMwCXhYLww3Jそれにしては、とくに影響(感じない(笑)2026/02/16 06:36:58788.◆JBLfMwCXhYLww3J>>783> 俺も言語に関しては> 若い頃研究オタクたったのでソシュールにハマったって言ってたな~😆2026/02/16 06:37:36789.神も仏も名無しさん7M2MP深層意識というのも文明文化の安定した世界でこそあるくらいに言語は細分化、アートの個性とか宗教文化とかが起きるのであって内戦地味た社会では生きていく為の有無、略奪、人身売買、破壊とか、そんなものしかないだろうな哲学者の批評は人類の歴史を分析した上で評論するタイプだな俺は😃2026/02/16 06:38:53790.◆JBLfMwCXhYLww3J>>785そうそう西洋の言語哲学は、一種の社会科学だ資本主義社会の構造を論じてるのだスピリチュアル的なワンネス思想とは一切、関係がない2026/02/16 06:39:31791.◆JBLfMwCXhYLww3J資本主義社会は精神分裂症に陥っている記号を駆使した広告宣伝活動により、際限なく欲望を刺激される商業主義の暴走に歯止めがかからない2026/02/16 06:42:07792.神も仏も名無しさん8bbBqそういう意味では倶舎論やテーラワーダや唯識論は良くできている復旧してそーなのはテーラワーダのみだろうけど😃2026/02/16 07:25:15793.神も仏も名無しさん8bbBqハッスル🤡様に些末の議論を仕掛けないのは臨済宗スタイルがあるからだな😃2026/02/16 07:26:58794.神も仏も名無しさん8bbBq知性があってもハッスル🤡様に議論やらないのはー😃2026/02/16 07:28:40795.◆JBLfMwCXhYLww3Jまあ、ハッスル軍団は対話不能だから😅2026/02/16 07:29:52796.◆JBLfMwCXhYLww3J個人的に、ハッスル達と一緒のスレにレスすることはあるが対話のつもりでやってない彼らの隣で、1人でやってるつもり😅2026/02/16 07:30:53797.神も仏も名無しさん4PROpま、怪しげ禅、公案解釈やられると老荘思想だと意見はごもっとだたぶん、臨済宗はその危惧もあって不立文字、教外別伝、直指人心教義の基礎を打ちたてているんだかな鈴木大拙とか円覚寺のポンコツ貫主とかが屁理屈つけると老荘思想さらにハッスル誤読とと同じだということになる😃2026/02/16 08:54:58798.神も仏も名無しさん4PROp不立文字、教外別伝をもって知識をひけらかすハッスル。ムイムイをボコり麦はアホらしくて無視するみたいな扱いになる😃2026/02/16 09:01:19799.神も仏も名無しさん4PROp俺がこれこれとか言うと真逆の返答してたな師匠がまー10年も昔だが😃2026/02/16 09:02:55800.◆JBLfMwCXhYLww3J>>797そういうことでしょうな2026/02/16 09:40:28801.◆JBLfMwCXhYLww3J坐禅だけやってる分には、仏教なんだが理屈をつけようとすると、老荘思想になる2026/02/16 09:40:59802.神も仏も名無しさん4PROpAIは当然公案禅=老荘思想みたいに文字を拾いそうなりうるだろう😃2026/02/16 09:59:41803.◆JBLfMwCXhYLww3Jハッスル軍団は、マジでAIコピペにハマってるな2026/02/16 10:23:46804.◆JBLfMwCXhYLww3J彼らに言わせれば「やはり聖ウンコ教が正しいと、AIも言っている」という話になる😂2026/02/16 10:24:45805.神も仏も名無しさん4PROp鈴木大拙とか田辺とか臨済宗らしからぬようなところで妄想学園やってやがるからなー元スレ主やロンのほうが遥かに良い😃2026/02/16 10:28:28806.神も仏も名無しさん4PROpあいつらは仏教迷路だからなー諸悪の原因はハッスルと麦だ😱2026/02/16 10:29:54807.神も仏も名無しさん4PROp唯識の教義動画を観よう😃2026/02/16 10:30:42808.神も仏も名無しさん4PROpパソコンありがたやースマホでは流す気が起きない興福寺の多川氏だ😃2026/02/16 10:32:14809.神も仏も名無しさん4PROpスキゾ基質だから少し見て別の動画を見る😃2026/02/16 10:34:27810.神も仏も名無しさん4PROp六波羅蜜寺と六道珍皇寺も行ったことがないなー仁和寺の次のプランか仁和寺制圧後、この二寺に行くかもしれん😃2026/02/16 10:39:47811.◆JBLfMwCXhYLww3J>>808> 興福寺の多川氏だ出ましたな唯識論の最高権威~😆2026/02/16 10:40:26812.◆JBLfMwCXhYLww3J>>809> スキゾ基質だから> 少し見て別の動画を見る>> 😃わはは😂2026/02/16 10:40:42813.神も仏も名無しさん4PROpまた、高野山の宿坊動画を観てるスキゾ気質にはパソコンありがたやー🙏2026/02/16 10:41:50814.神も仏も名無しさん4PROp全部スマホ本体に入れていたのをそのままパソコンへ移動スマホ本体が、重いのにスマホ画面で見ないという😃2026/02/16 10:43:26815.神も仏も名無しさん4PROp春日権現絵巻の動画がスマホにはいってるという記憶すらない😃2026/02/16 10:44:39816.◆JBLfMwCXhYi6Cc3スマホのメモリがデカいんだな?2026/02/16 12:51:13817.◆JBLfMwCXhYmgZCn眠くなってきた2026/02/16 20:40:01818.◆JBLfMwCXhYmgZCnまだ早い2026/02/16 20:40:11819.神も仏も名無しさんYARMkハッスル、デンパパは自己発電し過ぎでダウンした模様だな?😱2026/02/16 20:54:56820.◆JBLfMwCXhYPol9n縁起と空釈尊が悟った核心は「一切は因縁によって生じる」という縁起の法である。龍樹は、これを元に「もしすべてが縁起によって成立するならば、どの存在も自性(独立した本質)をもたない」と結論づけた。これが「空」である。したがって、龍樹の空論とは「万物に実体はない」という虚無主義ではなく、「万物は相互依存によってのみ成り立つ」という関係存在論である。2026/02/17 13:27:52821.◆JBLfMwCXhYPol9n中論 第1章 因縁品 「因と果はどのように成立するか」もし因果が「自性」をもって成立しているなら、原因は他の条件を必要とせずに結果を生むはずである。だが、実際にはどんな出来事も他の要素(時間・場所・条件・他者)に依存して起こる。したがって「因」も「果」も独立した実体ではなく、関係によってのみ存在する概念である。火は薪なしには存在せず、薪は火によって燃えることによってのみ「燃えるもの」として存在する。すなわち、存在は孤立しては成り立たず、つねに他に依存している。龍樹はこの事実を「空」と名づけた。2026/02/17 13:28:11822.◆JBLfMwCXhYPol9n涅槃もまた空である龍樹の革新的な点は、「涅槃」さえも空であると論じたことである。一般には、涅槃は生死を超えた「究極の実在」と見なされるが、龍樹にとってはそれもまた相対的な概念である。「生」と「死」が相互に依存するように、「生死」と「涅槃」もまた対概念であり、独立しては存在しない。したがって、涅槃を実体化することも執着の一形態にすぎない。「生死と涅槃との間に少しの差別もない。涅槃はただ、執着のない生死である。」この理解こそが、真の解脱である。すなわち「生死の否定」ではなく、「生死のあり方の転換」である。世界のすべてを空として受け入れたとき、そこに対立も恐れもない。2026/02/17 13:28:22823.◆JBLfMwCXhY66FLl龍樹の相依性縁起よく出る例は「火と薪」だ🔥2026/02/17 18:56:25824.◆JBLfMwCXhY66FLlロン殿という薪🪵と、ウンコ聖師という火🔥相依性縁起の関係にある2026/02/17 18:57:30825.◆JBLfMwCXhY66FLl薪がなければ、火は燃えない2026/02/17 18:57:55826.神も仏も名無しさんPKvYe😆ハッスルとデンパパが、対話するのは仏教以外の対話😱2026/02/17 20:01:54827.◆JBLfMwCXhYApkG8パーリ殿はスピリチュアルだからな2026/02/17 20:06:28828.◆JBLfMwCXhYApkG8ていうか、今日のハッスルのコピペあれは一体、なんなの?何がやりたいのか2026/02/17 20:08:08829.◆JBLfMwCXhYApkG8言ってることは分かるが貼る意図が分からん2026/02/17 20:09:28830.◆JBLfMwCXhYApkG8あのコピペを通じて、何が言いたいのか2026/02/17 20:09:52831.◆JBLfMwCXhYApkG8さすがのハッスル軍団もスルーしていた2026/02/17 20:10:05832.神も仏も名無しさんPKvYeま、ハッスルオナニーだからなー単なる承認欲求第三句連打リバース不立文字にあらず😆2026/02/17 20:33:31833.◆JBLfMwCXhYOdKg9まあ、やりたいようにやってくれればいいが(笑)2026/02/18 00:35:42834.◆JBLfMwCXhYOdKg9だが、妄言・暴言は名言種子となって阿頼耶識に熏習される2026/02/18 00:36:46835.◆JBLfMwCXhYOdKg9いつか、それが現行する悪因苦果だ2026/02/18 00:37:12836.神も仏も名無しさんMqSez仏のスレはやつらのブランドスレなので大事に大活躍してもらわんとなー😆2026/02/18 06:53:53837.◆JBLfMwCXhYOdKg9仏のスレは妖怪館だ~😱2026/02/18 06:57:48838.神も仏も名無しさんMqSez基礎の無い知識の蓄積と能力に合わない知識の範囲を広げて狂気の妖怪館と化しているヤツラの妖怪自己実現には必要なスレだ😱2026/02/18 08:05:10839.神も仏も名無しさんMqSez何か他人よりすごく解った気になれる気分のスレ😱2026/02/18 08:06:11840.◆JBLfMwCXhYhtGSS共同幻想に浸れるスレだな~😱2026/02/18 08:07:10841.◆JBLfMwCXhYdEtHi有見(うけん)と無見(むけん)は、仏教において事物を一方的に捉える誤った見方「有無の二見」を指し、どちらも執着に基づく邪見とされます。有見は「万物は不変に存在する」とする常見、無見は「死後はすべて虚無になる」とする断見であり、縁起の道理に基づきこれらを否定することが重要です。2026/02/18 19:21:22842.◆JBLfMwCXhYdEtHi有見(うけん/常見):物事は実体として存在し、不変であるという見解。死後も魂などが変わらず存在し続けると固執する考え。2026/02/18 19:21:34843.◆JBLfMwCXhYdEtHi無見(むけん/断見):物事は実体がなく、空無である(=無に帰す)とする否定的な見方。死ぬとすべてが終わって何も残らない、という考え。2026/02/18 19:21:49844.◆JBLfMwCXhYdEtHi「有無の二見」と仏教の立場:これらの極端な見方は、正信偈や龍樹菩薩の教えにおいて破られるべき「邪見」とされます。仏教は、すべてのものは繋がり(縁)によって生じているとする「縁起の道理」を説き、有無の極端に偏らない「中道」を重視します。これらのかたよった見方(有無の二見)を離れ、あるがままに事実を理解することが悟りへの道とされています。2026/02/18 19:22:05845.◆JBLfMwCXhYdEtHi四句分別(非有非無の中道)1、有る2、無い3、有るでもあり、無いでもある4、有るでもなく、無いでもない2026/02/18 19:23:06846.◆JBLfMwCXhYdEtHi中観派といえば、やっぱ、これでしょう2026/02/18 19:23:35847.◆JBLfMwCXhYdEtHi相依性縁起(そうえしょうえんぎ)とは、すべての事象が単独で存在するのではなく、相互に依存し(相依相待)、原因と条件(因縁)によって生起・変化する関係性を示す仏教の根幹的な教理です。龍樹が「中論」で説いた「空(無自性)」の根拠であり、固定的な本質を持たず、相互依存によって一時的に成立する存在様式を意味します。2026/02/18 19:24:29848.◆JBLfMwCXhYdEtHi相依性縁起の核心相依相待(そうえそうたい): 「父なくして子なし、子なくして父なし」のように、お互いが依存し合うことでセットとして成立している状態(関係性)。無自性(むじしょう): 独立不変の性質(自性)を持たず、相互依存の関係がなくなれば事物も消失する「仮の存在」であること。空(くう): 相依性縁起に基づいて、世界が「固定的な本質が存在しない(=空)」空間であることを説く概念。2026/02/18 19:24:47849.◆JBLfMwCXhYdEtHi意義と特徴依存関係(条件性): 全ては縁によって生じ、縁がなくなれば滅する。関係性の重視: 独立した実体を見ない、すべての事物・事象の相互依存的な関係を重視する。無自性空の証明: ナーガールジュナ(龍樹)により、縁起するものは自性を持たない(空である)ことが示された。この考え方は、物事が互いに関係し合う「縁」の中で生きているという捉え方を示しています。2026/02/18 19:25:02850.◆JBLfMwCXhYdEtHi言葉にできない真理だ2026/02/18 19:25:17851.◆JBLfMwCXhYOdKg9すべては相互依存で存在する2026/02/18 20:11:12852.◆JBLfMwCXhYOdKg9なにもかも、相互に依存している2026/02/18 20:11:30853.◆JBLfMwCXhYOdKg9自立して存在するものなど、何も無い2026/02/18 20:11:43854.◆JBLfMwCXhYOdKg9万物は一体だ2026/02/18 20:11:54855.◆JBLfMwCXhYOdKg9自他の境地究極のワンネス2026/02/18 20:14:17856.◆JBLfMwCXhYOdKg9万象万物への大慈悲が起きてくる菩薩の慈悲だ2026/02/18 20:14:50857.◆JBLfMwCXhYOdKg9これこそ、中観派大乗仏教のエッセンス2026/02/18 20:15:08858.◆JBLfMwCXhYOdKg9中観派こそ、大乗仏教と呼ぶにふさわしい唯識派も大乗に分類されるが、かなり小乗っぽい2026/02/18 20:15:41859.◆JBLfMwCXhYOdKg9個人的には、唯識派は小乗だと思う2026/02/18 20:16:12860.◆JBLfMwCXhYOdKg9中観派といえば、相依性縁起一方、倶舎論や唯識論が説くのは「此縁性縁起」だ2026/02/18 20:17:47861.◆JBLfMwCXhYOdKg9此縁性(しえんしょう、idampratyayata)は、初期仏教において釈迦が悟った「縁起(=この世のあらゆる事象は、原因と条件によって生起する)」の客観的な法則性を表す言葉です。特に「此(これ)があれば彼(かれ)がある」という定型句で表現され、物事が相互依存関係(因縁)の中で変化・生滅し、固定的な存在はないことを意味します。2026/02/18 20:18:25862.◆JBLfMwCXhYOdKg9此縁性(Idappaccayatā)の核心定義:「この(此)縁(条件)によって、その(彼)物事が生じる」という法則・性質。定型句:『ウダーナ(自説経)』などにみられる、「此があるとき彼があり、此が生ずるとき彼が生じる。此がないとき彼がなく、此が滅するとき彼が滅する」という言葉がその核心です。同義語:原始経典では「縁起」と同義またはその理論的基礎として並列的に語られることが多い。2026/02/18 20:18:43863.◆JBLfMwCXhYOdKg9縁起との関係因縁生起:「因(直接的な原因)」と「縁(間接的な条件)」によってすべてのものが生じること(略して縁起)。法則と法則性:縁起が「この世の全ての事象は因縁によって存在する」という具体的な内容を指すのに対し、此縁性は「この(此)によってその(彼)が成り立つ」という、そのシステムや「法則性」そのものに焦点を当てた言葉です。十二支縁起:此縁性の具体的な応用例であり、苦しみの成り立ちを「無明→行→…→老死」と解明したものです。2026/02/18 20:19:09864.◆JBLfMwCXhYOdKg9釈尊の悟り:釈迦は世の中の物事が「此縁性」の道理によって因縁に縛られていることを理解し、その連鎖から離れる(滅する)ことを悟りました。2026/02/18 20:19:22865.◆JBLfMwCXhYOdKg9「此縁性」は、ちょっと幅が広すぎる相互依存関係まで含んでいる2026/02/18 20:20:43866.◆JBLfMwCXhYOdKg9倶舎論や唯識論のは、「業感縁起」と言ったほうがいいだろう2026/02/18 20:21:10867.◆JBLfMwCXhYOdKg9業感縁起(ごうかんえんぎ)とは、部派仏教などで説かれる、世界のすべての現象や個人の運命は、過去および現在の生き物の「業(カルマ・行為)」を原因(因)として生じる(縁)という考え方です。善因楽果・悪因苦果という因果の理に基づき、煩悩と業が苦しみを生み出すという構造を指します。2026/02/18 20:21:28868.◆JBLfMwCXhYOdKg9詳細な解説は以下の通りです。定義と意味業(カルマ): 身体、言葉、心で行う意図的な行為。善悪の報いをもたらす力として存続する。業感: 業が原因となって、苦楽の報い(結果)を感受すること。縁起: すべては相互関係(因縁)によって生じるということ。業感縁起: 輪廻転生する人間存在の苦しみの根本原因が、業にあるという解釈。2026/02/18 20:21:43869.◆JBLfMwCXhYOdKg9関連する概念惑・業・苦(わくごうく): 煩悩(惑)、行為(業)、報い(苦)の三つの関係。業感縁起は主にこの視点から説明される。十二支縁起: 業感縁起の代表的な説明であり、無明(惑)から老死(苦)までの過程。四種縁起: 部派仏教の業感縁起、大乗仏教の頼耶(らいや)縁起、真如縁起、法界(ほっかい)縁起を指す言葉。2026/02/18 20:21:58870.◆JBLfMwCXhYOdKg9位置づけこの説は、個人的な運命や成功・失敗の要因を「前世からの業」に求めるため、宿業論や運命論的色彩が強い。後世のナーガールジュナ(龍樹)は、このような固定的な「業」の実在を否定し、より本質的な「相互依存的な関係」として縁起を再定義した。2026/02/18 20:22:13871.◆JBLfMwCXhYOdKg9現代的な理解単なる過去の決定論ではなく、現状は自身のこれまでの行為の積み重ね(業)によって創り出されている、という因果の論理として理解される。この教えは、仏教の「縁起」という根本思想が、特に「個人の業」に焦点を当てて展開された形です。2026/02/18 20:22:24872.神も仏も名無しさんiTprnハッスル問題を狙ってる?😆2026/02/18 20:51:56873.◆JBLfMwCXhYOdKg9ハッスル真理教では、「勝義諦と世俗諦」の話ばかりしているがそこはこだわるところではない本当に重要なのほ「縁起と空」だ2026/02/18 21:02:42874.◆JBLfMwCXhYOdKg9万物は、相互依存により存在している自立して存在しているものは無い2026/02/18 21:12:06875.◆JBLfMwCXhYOdKg9万物は一体だ大いなる自他一体のワンネス2026/02/18 21:13:17876.◆JBLfMwCXhYOdKg9P菩薩の大慈悲がわいてくる2026/02/18 21:18:32877.◆JBLfMwCXhYOdKg9これが大乗仏教だ2026/02/18 21:18:43878.◆JBLfMwCXhYOdKg9愛と慈悲の純粋な教えだ2026/02/18 21:19:02879.◆JBLfMwCXhYOdKg9「空の真理は言葉にできない」とかそんなのどうでもいい2026/02/18 21:19:32880.◆JBLfMwCXhYOdKg9もっと重要なところに目を向けるべきだ2026/02/18 21:27:53881.神も仏も名無しさんZOCmy万物は、相互依存により存在している自立して存在しているものは無い華厳では一即多、多即一真言密教ては六大無碍、重々帝網という表現になる😆2026/02/18 21:31:28882.神も仏も名無しさんZOCmy禅ではノーコメント😆2026/02/18 21:37:08883.神も仏も名無しさんZOCmy天台では十界互具一念三千かもねー😆2026/02/18 21:38:01884.◆JBLfMwCXhYOdKg9ここが大乗仏教のキモなんだよな~😆2026/02/18 22:49:09885.◆JBLfMwCXhYOdKg9ハッスル達は、ピント外れなとこにこだわっている~😫2026/02/18 22:49:34886.神も仏も名無しさんCHxg8動画落としした高野山の大塔の理趣経の勤行と高野山七弁財天巡りの動画と長谷寺の動画を見た今日は😆2026/02/18 23:21:01887.神も仏も名無しさんCHxg8往生要集の極楽の十楽の動画も見ていた😆2026/02/18 23:21:53888.◆JBLfMwCXhYOdKg9高野山の勤行か、いいな😆2026/02/18 23:21:58889.◆JBLfMwCXhYOdKg9オン アビラウンケン バザラダトバン2026/02/18 23:22:14890.◆JBLfMwCXhYOdKg9南無大師遍照金剛2026/02/18 23:22:24891.神も仏も名無しさんCHxg8https://m.youtube.com/watch?v=pcGOBq5mLEg&list=RDpcGOBq5mLEg&start_radio=1&pp=ygUb6auY6YeO5bGx44CA55CG6Laj57WM5Yuk6KGMoAcBスマホもパソコンにも入れている仕事疲労の癒しに😆2026/02/18 23:27:12892.神も仏も名無しさんCHxg8高野山七弁財天これもパソコンに入れているhttps://m.youtube.com/watch?v=9z7AQWV_LHM&pp=ygUV6auY6YeO5bGx44CA5LiD5byB6LKh2026/02/18 23:28:21893.神も仏も名無しさんL9Axa宗教板に居座ってるやつはろくなやつがいない2026/02/19 10:13:06894.◆JBLfMwCXhYmxEHq名言種子(みょうごんしゅうじ)と業種子(ごっしゅうじ)は、唯識学において第8阿頼耶識(あらやしき)に保存される2種類の「種子(潜在エネルギー)」です。前者は認識や表現を生み出す名言の習気、後者は善悪の行為(業)が引き起こす結果の習気であり、共に因果応報を構成します。2026/02/19 21:52:51895.◆JBLfMwCXhYmxEHq名言種子(名言習気)定義: 言葉や概念、対象を認識する機能(名言)によって生まれる種子。機能: 認識対象を現実に生み出す「親因縁」となる。役割: 第6識の思心所が自らの認識対象を生成する(「Good seed makes a good crop」のように良い行動が良い結果を生むことに関連)。2026/02/19 21:53:14896.◆JBLfMwCXhYmxEHq業種子(業習気)定義: 善悪の行為(業)をすることによって生まれる種子。機能: 他の羸劣無記(弱い)種子が結果(果)を生み出すのを助長する役割。役割: 当来の三界五趣(未来の生)を決定する(「今まく種はやがて未来の自分になる」という夏目漱石の言葉のような因果律)。2026/02/19 21:53:38897.◆JBLfMwCXhYmxEHq比較と関係両者は同一の「思心所(思考)」から生まれるが、役割が異なる。名言種子は事物の実体化に、業種子は苦楽の報い(果報)にそれぞれ深く関与する。2026/02/19 21:53:49898.◆JBLfMwCXhYmxEHq> 名言種子は事物の実体化に、業種子は苦楽の報い(果報)にそれぞれ深く関与する。なるほど2026/02/19 21:54:28899.◆JBLfMwCXhYmxEHq言葉の力で、事物が実体化するのか2026/02/19 21:54:54900.◆JBLfMwCXhYmxEHq9002026/02/19 21:55:04901.◆JBLfMwCXhYmxEHq言葉に力があるな~😭162:栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm :[sage]:2024/03/09(土) 16:35:39.62 ID:b8JerweS喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟2026/02/19 21:59:03902.◆JBLfMwCXhYmxEHq「業種子(ごうしゅうじ)」とは、過去の行為が未来の運命(結果)を引き起こす「種」となること(カルマ)。因果応報(いんがおうほう)は、善悪問わず、自らの行い(因)は必ず自分に返ってくる(果)という仏教の根本的道理である。この「種まき」の結果、必ず報い(運命)を受けるという教え。2026/02/19 22:03:27903.◆JBLfMwCXhYmxEHq業種子(ごうしゅうじ): 行為(業=カルマ)は未来に果報をもたらす種になるという考え方。因果応報: 善い行いには善い報い、悪い行いには悪い報いが結果として訪れること。本質: 過去の行いを引きずって現在があり、現在の行いが未来を創るという、時間の連続性と自律的な結果を指す。現代では、主に「悪い行いの報い」に対して使われることが多いが、本質的にはプラスの行為もプラスの結果(善因善果)として返ってくることを指す。2026/02/19 22:03:41904.◆JBLfMwCXhYmxEHq業種子は因果応報を引き起こしている2026/02/19 22:05:00905.◆JBLfMwCXhYmxEHq名言種子は役割が異なる2026/02/19 22:05:13906.◆JBLfMwCXhYmxEHq名言種子は、言霊パワーの担当だ2026/02/19 22:05:29907.神も仏も名無しさんKwBx5空海は身口意の三密身口意の三業の逆転の究極から始めたかもしれない😆2026/02/19 22:09:41908.神も仏も名無しさんKwBx5唯識は細かく蓄積していく阿頼耶識にそこから四智の転変を狙う2026/02/19 22:11:13909.◆JBLfMwCXhYmxEHq「名言種子(みょうごんしゅうじ)」の「実体化」とは、仏教の唯識思想において、心(阿頼耶識)の中に蓄えられた言葉や概念(種子)が、外部に実在する対象物であるかのように錯覚して現出(現行)することです。これは迷いの根本原因とされ、言葉の概念に執着せず、すべての存在は縁起によって成り立つと悟ることで、煩悩から解放される(転依)プロセスを指します。2026/02/19 22:12:06910.◆JBLfMwCXhYmxEHq名言種子の実体化に関する詳細唯識学派の理論:迷いの世界(雑染)を生み出す根源は、阿頼耶識(心層の意識)に熏習(記憶・蓄積)された「名言種子」と呼ばれる「言葉の種子」です。実体化のメカニズム:私たちは言葉や概念を「それ自体で存在する実体」として認識しがちですが、実際には、心の中の「言葉の種子」が投影された結果(現行)に過ぎません。2026/02/19 22:12:30911.◆JBLfMwCXhYmxEHq「言葉の種子」の転換:悟りの世界(清浄)へ向かうには、仏の教え(真実の言葉)を耳から聞き、善なる種子を阿頼耶識に熏習し、迷いの種子(有漏種子)を清浄な種子(無漏種子)へと転換(転依)する必要があります。2026/02/19 22:12:46912.◆JBLfMwCXhYmxEHq執着の解消:平等性智(全ての存在を平等に見る智慧)を得ることで、自我への執着(小我)を断ち、煩悩から解放されるとされます。2026/02/19 22:13:00913.◆JBLfMwCXhYmxEHqこの概念は、親鸞教学における「南無阿弥陀仏」という言葉の称名念仏(言葉の修習)を理解する上でも関連しています。2026/02/19 22:13:13914.◆JBLfMwCXhYmxEHq弘法大師の口密こそ究極の言霊パワー2026/02/19 22:14:03915.神も仏も名無しさんKwBx5>>913引用文章になんとなく本覚思想ぼい親鸞の影響を感じるな?😆2026/02/19 22:15:29916.◆JBLfMwCXhYMArLn>>915AIは、清盛ブログを参照してるようだ~😂2026/02/19 23:01:52917.◆JBLfMwCXhYMArLnなんて、親鸞会出身者が唯識の権威なんだよ~😂2026/02/19 23:02:44918.神も仏も名無しさんMh1Bf大谷派の親鸞教学に対抗する為に唯識を取り入れれて本覚思想ぽくやった、南無阿弥陀仏に改造したんやろなー俺は天台宗風南無阿弥陀仏に、改造する癖がある😆2026/02/19 23:18:34919.◆JBLfMwCXhY9WYKl種子は、名言種子だけではない2026/02/20 08:37:10920.◆JBLfMwCXhY9WYKl業種子というのもある2026/02/20 08:37:24921.◆JBLfMwCXhY9WYKlていうか、もともと、種子とは業種子のことだ言葉のパワーが格別に強いため、名言種子が別枠あつかいになっただけ2026/02/20 08:38:20922.◆JBLfMwCXhY9WYKl業種子は、善因楽果、悪因苦果の因果応報を引き起こす2026/02/20 08:38:56923.◆JBLfMwCXhY9WYKl仏教(特に唯識学)における「種子・熏習・習気・現行」は、人間の行動や意識がどのように記憶・習慣(業)となり、次の行動を生み出すかを示す因果の仕組みです。現行(行動)が熏習(影響)によって心に種子(潜在的記憶)として植え付けられ、再び現行を生むという循環を表します。2026/02/20 08:40:15924.◆JBLfMwCXhY9WYKl各用語の解説現行(げんぎょう)今現在、実際に行っている心身の活動(身・口・意の行為)。「現行法」とも呼ばれる。熏習(くんじゅう)香りが衣に染み付くように、現行(行為)が阿頼耶識(潜在意識)に種子を植え付ける作用。染み付くこと。種子(しゅうじ)阿頼耶識の中に留まる、将来の現行(行動)を生み出す可能性(潜在能力・記憶)。「習気(じっけ)」ともほぼ同義。習気(じっけ)習慣や行動によって心に付着した、行動のクセ(趣味嗜好)。「熏習」によって形成される。2026/02/20 08:41:42925.◆JBLfMwCXhY9WYKl因果の循環(「現行熏種子・種子生現行」)現行(現在の行動)が熏習する(働きかける)。阿頼耶識に種子(記憶・習気)が形成・貯蔵される。種子が現行を(新しい行動・結果として)生み出す。このメカニズムにより、過去の行いが「習気」として心に残り、将来の人生(行動や運命)に影響を与え続けると説明されます。2026/02/20 08:41:55926.◆JBLfMwCXhY9WYKl「展転・種子・現行」は、仏教の唯識学における「三法展転因果同時(さんぽうてんてん・いんがどうじ)」という根本的な教えを表す概念です。潜在的な力(種子)が現実の行動・現象(現行)を生み、その行動が再び種子を植え付ける(現行熏種子)という、絶え間ない因果の循環を示しています。2026/02/20 08:44:28927.◆JBLfMwCXhY9WYKl種子(しゅじ): 阿頼耶識(あらやしき)という深層心理に蓄えられている、行動や経験の潜在的なエネルギー(「種」)。現行(げんぎょう): 種子が縁に触れて、現実に現れた言葉や身体行動、心の働き(「芽・花」)。現行熏種子(げんぎょうくんしゅじ): 現行の行動が、新たな種子を阿頼耶識に植え付けること(「熏」は薫習・香りをつける意味)。三法展転(さんぽうてんてん): 「種子→現行→新しい種子」と絶えず変化・循環し続けるプロセス。この概念は、私たちの過去の行いが現在の自分を作り、現在の行いが未来の自分を決めるという「因果の法」を心理学的に説明したものです。2026/02/20 08:44:39928.◆JBLfMwCXhY9WYKl現行が熏習して種子となり、種子からまた新たな現行を生じるこの無限のサイクルを、展転(ちんでん)という2026/02/20 08:45:35929.◆JBLfMwCXhY9WYKl展転は、「ちんでん」と読まなければならないAIは「てんてん」と読んでるが、これは誤り「ちんでん」と読まなければ怒られる「てんてん」と読んだせいで、師匠に怒られたという話を、複数の法相宗僧侶がしていた2026/02/20 08:47:28930.◆JBLfMwCXhY9WYKl政治の世界もそうだ2026/02/20 08:56:16931.◆JBLfMwCXhY9WYKl小泉竹中改革 → 悪夢の民主党政権 → アベ政権 → キシバ政権 → 高市の天下種子から次の現行が生じ、現行が熏習されて、次の種子になるこの繰り返しだそれが展転だ2026/02/20 08:58:05932.◆JBLfMwCXhY9WYKl種子は別名、習気ともいう2026/02/20 09:04:39933.◆JBLfMwCXhY9WYKl薰習されたものそれが習気だ2026/02/20 09:05:17934.◆JBLfMwCXhY9WYKl習気は「じっけ」と読む2026/02/20 09:05:39935.◆JBLfMwCXhY9WYKl習気が、意識の奥底に沈澱していくだから、ちんでんなのか2026/02/20 09:37:58936.◆JBLfMwCXhY9WYKlとんでん ではない2026/02/20 09:38:14937.◆JBLfMwCXhY9WYKl眼とか耳とか(六根)で得られた、外界(六境)の情報(六識)つまり、映像と音声2026/02/20 09:40:05938.◆JBLfMwCXhY9WYKl人は、映像と音声の上に言語で世界像を構築する2026/02/20 09:40:30939.◆JBLfMwCXhY9WYKl人が、「世界とはこういうものだ」と思っているものそれは、自分自身が言語によって編集した世界像でしかない2026/02/20 09:41:22940.◆JBLfMwCXhY9WYKl信念体系という、壮大な構築物だ2026/02/20 09:41:44941.◆JBLfMwCXhY9WYKlラカン(Jacques Lacan)の精神分析において無意識は「言語のように構造化されている」とされ、象徴界(言葉や掟)、想像界(イメージ)、現実界(言語化不能なもの)の3つの構造(ボロメオの結び目)で深層を構成します。特に「他者の欲望」を欲望する無意識は、象徴秩序(父の掟)に従い、エディプス・コンプレックスを経て形成される主体の本質です。2026/02/20 09:42:45942.◆JBLfMwCXhY9WYKl無意識の構造(象徴界): 無意識は言語の構造(シニフィアン)を持っており、言葉や社会的掟(象徴秩序)が心理の深層部を形成する。欲望の源泉(他者の欲望): 人は自分の純粋な欲望ではなく、社会や他者によって位置づけられた「他者の欲望」を欲望する。2026/02/20 09:42:58943.◆JBLfMwCXhY9WYKl3つの界:想像界: イメージ、エゴ、誤認の領域。象徴界: 言語、法、父の掟、社会的な無意識。現実界: 言語化できず、象徴界に還元できない「不可能」な領域。2026/02/20 09:43:10944.◆JBLfMwCXhY9WYKl主体の成立: エディプス・コンプレックスを通じて「父の力」に服し、言語の世界(象徴界)に参入することで主体が生まれる。ラカンの無意識はフロイト的な「抑圧された性衝動の場」から、さらに一歩進んで「言語構造そのもの」として捉えられています。2026/02/20 09:43:21945.◆JBLfMwCXhY9WYKl無意識の話を始めたのは、フロイトだったがフロイトの理論は、性欲の話ばかりだった2026/02/20 09:43:53946.◆JBLfMwCXhY9WYKl確かに、性欲は人間を動かす大きな原動力だだが、何でもかんでも性欲のせいにするのは、イカガなものか?2026/02/20 09:44:32947.◆JBLfMwCXhY9WYKlラカンは、「性欲」の代わりに「言語」を持ってきた2026/02/20 09:44:56948.◆JBLfMwCXhY9WYKl無意識と言語それが、ラカン派の精神分析2026/02/20 09:45:25949.◆JBLfMwCXhY9WYKlオン アロリキャ ソワカ2026/02/20 09:45:39950.◆JBLfMwCXhY9WYKl9502026/02/20 09:45:54951.◆JBLfMwCXhY9WYKlラカン(Jacques Lacan)の精神分析において、「無意識は言語のように構造化されている」というアフォリズムは核心的な概念です。無意識は原始的な欲望の倉庫ではなく、言葉のルール(メタファーやメトニミー)に従って働く「他者の言説」として再定義され、夢や言い間違いを通じて象徴的な言語で現れると説きました。2026/02/20 09:46:48952.◆JBLfMwCXhY9WYKlラカンの無意識と言語の構造無意識は言語のように構造化されている:フロイトの無意識論に構造主義言語学(ソシュールなど)を導入し、無意識が混沌ではなく、独自の「意味の構造」を持っていると捉えました。「無意識は他者の言説だ」:人は言語(=他者)を通じて成長するため、個人の無意識は他者の影響下にある歴史や社会的規範、言葉のネットワークによって形作られています。象徴界(Symbolic)としての言葉:ラカンは人間が「言語の世界(象徴界)」に参入することで主体が芽生えると考え、無意識的な欲望や葛藤は、言葉の曖昧性や隙間(空虚な言葉)の中に現れます。言語のメカニズム(メトニミーとメタファー):無意識は「隠喩(メタファー)」や「換喩(メトニミー)」といった言語活動のように、ある言葉を別の言葉に置き換えたり、関連付けたりするメカニズムによって機能しています。ラカンの理論では、精神分析は「言葉」を分析することで、患者の無意識にアクセスし、症状の背景にある言語構造を明らかにします。2026/02/20 09:47:02953.◆JBLfMwCXhY9WYKlフロイトの精神分析と、ソシュールの言語分析足して2で割ったのが、ラカンの言語精神分析2026/02/20 09:47:37954.◆JBLfMwCXhY9WYKlラカンはフロイトの「無意識」理論を、ソシュールの構造主義言語学(シニフィアン/シニフィエ)を用いて再解釈し、「無意識は言語のように構造化されている」と提唱しました。フロイトが発見した心の深層を、言語のシステムとして読み解いた点がラカンの核です。2026/02/20 09:52:43955.◆JBLfMwCXhY9WYKl各者の貢献と関係性ジークムント・フロイト (Sigmund Freud)(1856-1939)精神分析の創始者。夢、言い間違い、失錯行為に無意識が現れることを発見し、自由連想法で分析した。こころを「イド(本能)」「自我(現実)」「超自我(道徳)」の3層構造で説明した。フェルディナン・ド・ソシュール (Ferdinand de Saussure)(1857-1913)近代言語学の父。言語を「シニフィアン(能記:音・文字)」と「シニフィエ(所記:意味・概念)」のペアとし、その構造(共時的システム)を解明した。ジャック・ラカン (Jacques Lacan)(1901-1981)フランスの精神分析家。フロイトの理論をソシュールの言語学で読み替え(構造主義的解釈)、精神分析の再構築を目指した。2026/02/20 09:53:06956.◆JBLfMwCXhY9WYKlラカンによるフロイトとソシュールの結合無意識は言語のように構造化されている:ラカンは、フロイトが無意識の欲望を語る際、言葉の「滑り」が起きていることに注目し、無意識はシニフィアン(言葉、イメージ)の連鎖によって形成されていると主張した。シニフィアン優位の法則:ソシュールの「シニフィアンがシニフィエを決定する」という構造主義的観点に基づき、無意識下では言葉の連鎖が意味よりも先行し、欲望がその連鎖の中で動くと説いた。この統合により、ラカンは「欲望は常に他者の欲望である」といった、言語と他者性を中心とした精神分析を展開しました。2026/02/20 09:53:36957.◆JBLfMwCXhY9WYKlいかん、この方向に入り込みすぎては2026/02/20 09:53:58958.◆JBLfMwCXhY9WYKl「唯識3年、倶舎8年」と言うけれどラカンの精神分析も、同じくらい難しい(笑)2026/02/20 09:54:55959.◆JBLfMwCXhY9WYKlまず、8年くらいかけて、フロイトとソシュールを学びそれから、3年かけてラカンを学ぶ2026/02/20 09:55:13960.◆JBLfMwCXhY9WYKlそれくらいでちょうどいい(笑)2026/02/20 09:55:29961.◆JBLfMwCXhY9WYKl覚えることが多いというより言ってることが本当にピンとくるまでにはそれくらいかかる2026/02/20 09:58:12962.◆JBLfMwCXhY9WYKlこんなものに、学生時代の数年で結論を出さなければならない文学部の連中も大変だな(笑)2026/02/20 10:01:03963.◆JBLfMwCXhY9WYKlそれはともかく、深層意識と言語唯識論でいう、阿頼耶識と名言種子に、本当に似てきた2026/02/20 10:12:18964.◆JBLfMwCXhY9WYKl古代インドと、近代ヨーロッパまったく異なる哲学の伝統が似たところにたどりついた2026/02/20 10:12:45965.◆JBLfMwCXhY9WYKlもっとも、似て非なるものだ目的が異なる2026/02/20 10:13:09966.神も仏も名無しさんmtN64俺は若い頃にはソシュールの言語と唯識の依他起性あたりの認知構造を想定していた😆2026/02/20 10:30:53967.◆JBLfMwCXhYMwBKJフランス現代思想は、左翼の唯物主義者の教科書みたいなものだ昭和時代に、学生運動で革命を起こそうとしていたような人たちに好まれる2026/02/20 10:31:18968.◆JBLfMwCXhYMwBKJ>>966すごいな?😆2026/02/20 10:31:35969.神も仏も名無しさんmtN64若い頃に多川氏の唯識を読んでいた古本で買った😆2026/02/20 10:32:05970.◆JBLfMwCXhYMwBKJ現代の文明人は、言語と記号の洪水の中で、限りなく欲望を刺激され続ける資本主義社会は、精神分裂症に陥っている2026/02/20 10:32:31971.◆JBLfMwCXhYMwBKJそういう文脈で語られることが多い2026/02/20 10:32:44972.神も仏も名無しさんmtN64むろん四智のゾーンには無関心若い頃は😆2026/02/20 10:32:51973.◆JBLfMwCXhYMwBKJ左翼の革命思想はカール・マルクスの頃は経済学だったがだんだん、フロイトの精神分析欲望の哲学になってきた2026/02/20 10:33:34974.◆JBLfMwCXhYMwBKJ深層意識、欲望、言語仏教に近づいてきた2026/02/20 10:34:06975.神も仏も名無しさんmtN64いかにラングはランガージュによって構築されていくか?唯識の依他起性あたりの認識論から想定して組み立てていた😆2026/02/20 10:34:13976.◆JBLfMwCXhYMwBKJ>>969ソシュールの言語分析と、唯識論にハマるとは共通するものがあるな?😆2026/02/20 10:35:08977.◆JBLfMwCXhYMwBKJ>>975そこまで先走っていたのか😆2026/02/20 10:35:30978.神も仏も名無しさんmtN64若い頃は精緻な物事よ認識の生成に関して関心があり、それが社会構造になっていくか、如何にも分析的探求が好みでラカンには関心なかった😆2026/02/20 10:35:38979.◆JBLfMwCXhYMwBKJまあ、ラカンはちょっと違うからな2026/02/20 10:37:03980.神も仏も名無しさんmtN64既存の人文科学の権威を認めない派だった今もだろうな宗教は既存の権威を認める方だとりま😆2026/02/20 10:37:07981.◆JBLfMwCXhYMwBKJロン師匠は、禅宗の祖師録の前はラカンにハマッていたらしいそれにしては、影響を感じないが2026/02/20 10:37:42982.神も仏も名無しさんmtN64社会構造と制度は恣意性でその生成のシステムに関心があった😆2026/02/20 10:38:06983.神も仏も名無しさんmtN64セッタンが哲学全否定してたからだろな😆2026/02/20 10:38:38984.◆JBLfMwCXhYMwBKJ>>980> 宗教は既存の権威を認める方だ伝統仏教は、坐禅の回数で勝敗を決めるという話だ2026/02/20 10:38:38985.神も仏も名無しさんmtN64>>684山岡鉄舟に瞬殺モノだな😭2026/02/20 10:39:25986.◆JBLfMwCXhYMwBKJ>>983東大理Ⅲなら、精神分析とかが合いそうなもんだけどな~2026/02/20 10:39:26987.神も仏も名無しさんmtN64ハッスルゾンビがどのように今後立ち上がるか楽しみである😆2026/02/20 10:40:18988.神も仏も名無しさんmtN64>>986道元禅に回帰する前に臨済ぽい曹洞宗寺院で若い頃ボコボコにやられたらしい😫2026/02/20 10:42:06989.◆JBLfMwCXhYMwBKJリダンが、聖ウンコ教の分派を立ち上げようとしている(笑)↓AIに聞く体外離脱(意生身)というツールで仏教を深めるスレhttps://talk.jp/boards/psy/17715498412026/02/20 10:42:58990.◆JBLfMwCXhYMwBKJ9902026/02/20 10:43:09991.神も仏も名無しさんmtN64NO1はあっちでガンバって欲しいな?😆2026/02/20 10:43:53992.◆JBLfMwCXhYMwBKJウンコ聖師の呪縛から離れる好機かも?😆2026/02/20 10:46:05993.神も仏も名無しさんmtN64山岡鉄舟から違いはあれど、ロンのレス筋が見えてきたやろ😆2026/02/20 10:46:41994.◆JBLfMwCXhYMwBKJ今後は理解が深まりそうだな?😆2026/02/20 10:47:19995.◆JBLfMwCXhYMwBKJ山岡鉄舟居士のおかげだ~😭2026/02/20 10:47:45996.◆JBLfMwCXhYMwBKJ今度、野火止の平林寺に言ってこよう鉄舟との縁で知られる、デカイ寺だ2026/02/20 10:48:20997.◆JBLfMwCXhYMwBKJウンコ聖師も坐禅会に行ったことがあるらしい2026/02/20 10:48:39998.◆JBLfMwCXhYMwBKJやっぱ、A.I.っていいなリダン本人が書く文章より遥かに分かりやすい(笑)2026/02/20 10:52:25999.◆JBLfMwCXhYMwBKJオン アロリキャ ソワカ2026/02/20 10:52:451000.◆JBLfMwCXhYMwBKJ南無大師遍照金剛2026/02/20 10:52:581001.Talk ★???このスレッドはコメントが1000件を超えました。新しいスレッドを立ててください。2026/02/20 10:52:581002.Talk ★???【プレミアムサービス無料期間延長!】プレミアムの無料期間を2026/9/30まで延長することになりました。広告除去や規制緩和など、ヘビーユーザーにとって欠かせない機能を無料でお楽しみいただけます。是非この機会にプレミアムサービスをお試しください!▼プレミアムサービスはこちらからhttps://talk.jp/premium2026/02/20 10:52:58
【社会】新人に「AI使用禁止令」は是か非か?「仕事の8割はAIに」という活用派 言語脳科学の権威は警鐘「ものを考える人間に一番大事なものを手放している」ニュース速報+337967.42026/03/21 21:09:36
前スレ
【さようなら】唯識三十頌の解釈を巡る批難について【JBL】
https://talk.jp/boards/psy/1756859544
【唯識論の聖典】唯識三十頌【世親著】 Part2
https://talk.jp/boards/psy/1761694449
【唯識三年】仏教ウンチクを語るスレ 10【倶舎八年】
https://talk.jp/boards/psy/1759535455
【ブッダの教え】初期仏教【最初はこういう話だった】
https://talk.jp/boards/psy/1768770625
【パーリ仏典】テーラワーダ仏教【ヴィパッサナー瞑想】
https://talk.jp/boards/psy/1768687611
【仏教の標準理論】 倶舎論 【世親著】 Part3
https://talk.jp/boards/psy/1761643017
【根本中頌】 中論 【龍樹著】 Part4
https://talk.jp/boards/psy/1768375164
😆
多少は
仏のスレ主の全体像が見えやすくなるだろな
😆
wwwwwwwwwwwwwwwwww🫵🤣
仏教ビギナーでも簡単に分かる、間違い探しのスレは此処ですか?
wwwwwwwwwwwwwwwwww🫵🤣
何が「カラんでくるな」だ😫
カラんで来てるのは、お前じゃねえか
これからは、真言宗メインで取り組む😆
もうこっちに絡んで来んなよwww
ハッスル🟣〜
🤡
承認に飢えた餓鬼道と、勝ち負けに囚われた修羅道の反復に過ぎない。
そして相手の怒りを煽り、地獄道へ落とすことで自分を保つ。
これは人格批判ではなく、行動パターンの事実確認だ。
「蒔かぬ種は生えぬ」という言葉に代表されるように、名言における「種子(たね)」は、行動、努力、思考といった原因が、将来の果実(結果)を生み出すという教えを指すことが多いです。
中村天風氏は「一切の人生の果実は、その人の蒔いた種子のとおりに表現してくる」と説きました。
因果の道理:努力(種)をしなければ、結果(花・果実)は得られない。
心の在り方:唯識学派では、心の深層にある「阿頼耶識(あらやしき)」に言葉の種子(名言種子)を植え込むことで、人生の現れ方を変えられると考える。
仏教の教え:仏法を聞くことが、清浄なる悟りの世界を生み出す種となる。
良い結果を望むなら、まず良い種(良い行いや言葉)を蒔くことが重要だという教訓です。
↓
唯識学派では、心の深層にある「阿頼耶識(あらやしき)」に言葉の種子(名言種子)を植え込むことで、人生の現れ方を変えられると考える。
唯識の名言種子薫習を
行法に落とし込んだんだね
見道に至ったからと言って
オートマチックに転識するわけじゃないでしょうね
七識を客観視可能になったってだけで
その段階で
ブッダとエピキュリアンの2つの道が有るって話しです
密教は七識へ、名言種子薫習行法をもってしてアタックします
そのために
21日、50日、100日といった期間に集中的に真言を唱え、七識経由で八識を書き換えてしまう訳です
🛸
自分で唱えて自分の耳へ聴かせなくても
録音機があるので、聴くだけで良いわけです
これも聴聞薫習なので
昔の人が説法を聞いて薫習してたのと同じ効果を
単時日で成し遂げられます
空海2回目かな?カクバン7回目、日蓮も行っている
天才になれるという求聞持法がそれですね
求聞持法やれよ
虚空蔵菩薩の真言を100万回聴けbs良いんだから
楽だろ!
ICレコーダーに録音してエンドレスで聴けば良いだけ
ただし
ほぼ1日中聴くことね
だいたい24時×50日で100万遍に達するはず
20,000×50=100万
😁
これと「勝義諦/世俗諦」が、彼らの二大好物と言っていいだろう
彼らが「比量」ってものを誤解してることだ
「比量」と「非量」の区別がついていない
「比量」を諸悪の根源みたいに言っている
ペアで機能する
比量なしでは、認識できない
そもそもの
それでビギナーとか
威張ったてるからなー
狂徒丸出し
😁
現量・・・山で、木々の間に白いモヤモヤしたものが立ち昇っている。赤く輝くものがチロチロと明滅している
比量・・・山で火事が起きている
そんなの、日常生活じゃ使いものにならんよ(笑)
そもそも、比量ってのは「正しい推論」だ
当たり前の判断のことだ
直接知覚(現量)できない事柄に対し、因(原因・理由)と喩(例証)を用いて結論(宗)を導き出す手法である。
定義: 直接見えないものを、原因や兆候から推測して判断すること。
位置づけ: 仏教の認識論(因明・いんみょう)では、正しい知識を得る方法として「現量(げんりょう:直感、感覚)」と「比量(推論)」の2つ(または3つ)が認められる。
目的: 正しい知識に基づき、誤った認識(欺くもの)から離れ、釈尊の教えの正当性を証明する。
陳那(ディグナーガ)によって確立された、3つの論理形式(三支作法)。
宗(しゅう): 結論(例:声は無常なり)
因(いん): 理由(例:作られたものであるから)
喩(ゆ): 例証(例:瓶〈かめ〉のように、無常であるものは作られたもの)
為自比量(いじひりょう): 自らの論理的思考により認識を確立すること。
為他比量(いたひりょう): 自らが確立した知識を、相手にも理解させるために言葉で論証すること。
比量は、感覚で捉えられない「無常」や「因果」といった抽象的な真理を理解するための重要な論理的基盤とされている。
人間は、比量なしでは何も分からない
各種センサーはあるけど、論理思考できるコンピュータが備わってないロボットといったところだな
ビジョンセンサーが付いてるから、目は見えるけど
見たものが何なのかは、なにも判断できない
現量と
創作してるんやろなー
ハッスルらしいけどな〜
😁
こー言う結果になる
😭
餓鬼道と修羅道に居座り、他人を地獄道へ引きずることで成立している。
彼らがいうような、「現量による正常な認識をさまたげる」ようなのは、比量ではなく「非量」だ
読み方が紛らわしいので、「ひいりょう」と読む
まさに、その通り😂
セイウン様は、好き勝手にテキトーな創作仏教を吹聴している😅
公害仏教だ
😭
承認欲求(餓鬼道)と勝敗執着(修羅道)で動き、
他人を怒らせて地獄道に落とすことで存在を保っている。
ここも、
結局、瞬殺論破されておわり。
****************
言葉と行為がプールされている
行為のデータ 業種子
【質問】
「業種子(ごうしゅうじ)」について、「唯識学」から、忠実に教えて下さい。
【回答】
種子(しゅうじ)とは、唯識の専門用語では、「生果(しょうが)の功能(くうのう)」といわれて、
阿頼耶識(あらやしき)の中に貯えられて、「あらゆる存在を生み出す力」を言います。
自己の心の奥深くに働き続ける「こころの特殊な形態」
それも縁が来れば、必ず植物の種子から芽が出るように、
何らかの具体的な結果をもたらす「精神的なエネルギー」です。
種子(しゅうじ)は、形成される面からみれば、「先天的なもの」と「後天的なもの」とに分けられます。
先天的な種子を「本有(ほんぬ)種子」、
後天的な種子を「新薫(しんくん)種子」と言います。
後者の後天的な種子とは、
過去の業(行為)によって植えつけられた(=熏習された)種子です。
「私は今、昨日は何々をした」と昨日の出来事を思い出すことが出来ます。
その出来事の記憶は、昨日の私の行為によって、阿頼耶識の中に種子として植えつけられ、
それが一日たって、何らかの縁で芽をふき、
具体的な記憶となって、私の表層の心の中に生じたのです。
私達は『無始の時より今まで、無量・無数の悪業を積み重ねて来ましたから、
私達の深層心理の領域には、
もはや「数え切れない程の悪の種子」が貯っているのだ』と教えられます。
従って、私達は「ありとあらゆる悪業を、これからも行なう可能性を持っている」ということであります。
親鸞聖人が、
「さるべき業縁の催せば如何なる振る舞いもなすべし」と言われた通りです。
先天的にそなわった種子として重要なものは、私達は今は凡夫の身でありながら、
すでに「仏になる力」すなわち「仏の種子(無漏の種子)」を持っている、ということです。
その縁となる行為の一つが、
正しく仏の教えを聞くこと(正聞薫習.しょうもんくんじゅう)であります。
あるいは、六度万行(六波羅蜜多)といわれる、
人々を救う利他行を実行することであります。
「名言種子(みょうごんしゅうじ)」と
「業種子(ごうしゅうじ)」とに分類されます。
「名言種子」とは、「いま一瞬の私と、私を取り巻く世界とを作り出す種子」のことです。
その種子を「名言(みょうごん)」すなわち「ことば」の種子と呼ぶのは、
「私を含めて、私がその中に住んでいる世界、すなわち現象世界」は、根本的には、
「私の『言葉』の働きで形成される」と考えるからです。
「私は常に言葉を発しながら、言葉からなる世界、言葉にとらわれた世界」、
言い換えれば「遍計所執性(へんげしょしゅうしょう)の世界」にのみ住んでいることに気づきます。
「業種子」とは、名言種子の中で、
「『悪あるいは善』に色づけされた種子」を言います。
「業種子」とは「悪業」あるいは「善業」によって植えつけられた種子であり、
無記の業(ニュートラル)は入りません。
無記の業は「業種子」とは言いません。
今世の私の幸不幸のあり方を、
未来世の私の運命のあり方を決定する重要な力を持っています。
私が現に「一瞬一瞬、行う業」は、「即座にその影響を深層のこころ」の中にとどめていきます。
「こんなことを考えても、誰にもさとられない」と考えて、内心に悪い思いを起すことが私達にあります。
その悪業の残す種子が、
積もり積もって来世に「苦しみの世界を生み出す」という
「業種子の教え」は、私に警告を発して来ます。
しかし、ヨーガ(止観、瑜伽)を実践し、真剣な聞法によって、表層の心を静めることにより、私達は、ますます自己の心の奥底に沈潜してゆくことが出来ます。
そして、「種子としての自己」を発見するならば、
それは、「新たな自己の発見」であり、
「自己を悪から善へと変革させていく、幸せな第一歩」となっていきます。
『過去が咲いている今
未来の蕾(つぼみ)で一杯の命』
『苦しい楽しい
すべては心が決める』
『過去の自分が
未来を決めるの
ではない
今が未来を
決めるのです』
早い話が、過去の言葉と行為のデータだ
それが、阿頼耶識のデータベースに保存される
日本仏教では
「功徳」と
山伏念仏神仏習合では解釈されたかもしれんなー
😆
ブドウジュースが発酵してワインになるように、熟成されていく
やがて、想定外の結果をもたらす
それが、現行だ
なるほど~😆
日蓮の観心本尊抄にて
お題目て仏の種子とかの
発想功徳になっていく〜
😆
念仏真言題目は功徳だ
と
心理分析よりも
日本仏教の多数派は
現世安穏後生善処
という
正統派瞑想仏教から謎のシステムになる
😆
謎のシステム理解には
既存の謎のキリスト教やイスラームのような発想がないと
それらは霊的に理解できないというくらいに
正統派瞑想システムから遠い発想が
葬式仏教まで至ったのだろう
😆
自分を観察してる
自嘲もできる
「まぁいいか」で引ける
禅的に感情を流せる
承認されなくても成立してる
これは自己愛じゃなくて「自己受容」。
でおー
常に他人を評価・断定する
レッテル貼りが多い
反応を引き出そうと粘着する
無視されると耐えられない
相手を貶すことで自分を保つ
典型的な防衛型ナルシズム。
> ブドウジュースが発酵してワインになるように、熟成されて
wwwwwwwwwwwwwwwwww
まーーーーーーーた、朝から支離滅裂な事を言ってるなあwww
種子は熟成なんかしないよw
自分の中にある
承認欲求
自己愛
優位に立ちたい衝動
を自分では見たくない
他人に見てることにする
でおーは「自己を見ず、影を外に見る」状態。
そしてその種子は、基本的にその性質を変える事なく、刹那生滅しながら相続されるのな。
薫修🤡〜
自己に気づいてる側。
でおーは
自己に耐えられず、他者を使って逃げてる側。
ナルシズムを指摘する者ほど、
そのナルシズムにでおーは囚われている。
当方をあぼーん設定したんじゃなかったのか?(笑)
😁
あぼーんで
ハッスルエネルギーチャージタイムだ
🤡〜
種子が熟成されるのは確かだ
名言種子は「善因善果、悪因悪果」(等流)
業種子は 「善因楽果、悪因楽果」(異熟)
なんだそうな
後で検討しよう
う~ん😫
安心して下さい🥰
スリップ付きのスレは透明あぼーんにしてるからね🥰
> 種子が熟成されるのは確かだ
されないよwww
なるほど
ここはスリップついてないから、見えるのか(笑)
その行動様式は 餓鬼道と修羅道 に明確に一致する。
餓鬼道
でおーは承認・評価・優位性への渇望が強い。
宗教知識を大量に収集し、それを誇示するが、
満たされる兆候は見られない。
語れば語るほど不足感が増し、
他者からの反応を糧にしなければ立っていられない。
これは知識探究ではなく、承認依存である。
修羅道
でおーは常に勝敗と上下を設定する。
議論は理解のためではなく、相手を下に置くための手段として使われる。
優位を示すためなら歪曲・挑発・分断も厭わない。
第三者同士を対立させ、その混乱を外から眺める行動も繰り返している。
これは対話ではなく、闘争嗜好である。
地獄道への誘導
でおーは相手の怒りや正義感を意図的に刺激する。
感情を爆発させた相手を「荒れている側」に押し込み、
自分は安全圏に退く。
この構図は偶然ではなく、一貫した手口だ。
結論
でおーは
餓鬼道と修羅道に居座り、
他者を地獄道へ落とすことで自分を保つ。
これは人格評価ではない。
行動の事実と、その帰結の整理である。
本人に言っていない。
関わる周囲が判断を誤らないための共有だ。
お前だよ、それは(笑)
こっちは、20年前からずっとコテハンでやっている
スリップなんか関係あるかっつ~の!!
まだ理解してないんだなwww
俺が立てたスレでは目に触れない様にしてるって事だよwww
くだらないことを偉そうに言うな😂
くだらないお前が絡んでくるからだろ。
いちいちこちら見るなwww
😱
承認に飢えた餓鬼道と、勝ち負けに囚われた修羅道の反復に過ぎない。
そして相手の怒りを煽り、地獄道へ落とすことで自分を保つ。
これは人格批判ではなく、行動パターンの事実確認だ。
まあ、例えが適切だったかは分からんが
こちらが言ってるのは、コレのことだ
↓
「種子」と「異熟」は、主に仏教用語(唯識)において関連する概念です。阿頼耶識(あらやしき)に蓄えられた潜在的なエネルギーである「種子」が、時を経て結果(異熟果)として現れることを意味します。善悪の行為が時を経て無記の結果となる因果の理です。
種子(しゅじ):心の深層である阿頼耶識の中に、過去の行為(業)がエネルギーとして記憶・蓄えられている状態。植物の種のように、将来結果を生み出す能力を指す。
異熟(いじゅく):業(行為)によって、時を隔てて(時間的差異)、性質の異なる結果(無記)が成熟して現れること。
異熟果(いじゅくか):種子から生まれる結果。具体的には、前世の善悪の行為が原因となり、今世や来世で経験する身体や環境(苦・楽・不苦不楽)。
唯識(ゆいしき):万物は心(阿頼耶識)の現れであるとする教え。
業(ごう):異熟の原因となる行為。
※なお、植物のタネの発芽性質である「好光性種子」「嫌光性種子」とは異なる文脈の言葉です。
↓
唯識論における「種子(しゅじ)の恒随転(ごうずいてん)」とは、『成唯識論』において説かれる、阿頼耶識(あらやしき)の中に万物の根源となる種子が恒久的に(恒)、阿頼耶識に随って(随)、常に変化転流(転)しながら存在し続ける様子を指します。これにより、因果の連続性や過去の行為(業)が結果として現れる仕組みを説明しています。
種子(Bīja): 阿頼耶識(第8識)に蔵されている、将来の果報(現象)を生み出す可能性、またはその能力。
恒随転(Gau-zuiten):
恒(ごう): 恒久(常恒)。種子は阿頼耶識に「種子生種子」として、前二無間(滅びる瞬間)から次へ絶えず受け継がれる。
随(ずい): 阿頼耶識に随伴して存在すること。
転(てん): 変化・生起(流転)。刹那に変化し、因果の連鎖を絶やさない。
唯識論的意義: 『成唯識論』では、過去の行為(業)が消滅せず、種子として阿頼耶識に残り、時を経て果報をもたらす「因果の相続」をこの恒随転によって説きます。
この概念は、部派仏教(有部)の種子論を発展させ、種子が阿頼耶識と共に刹那滅の連続の中で存在し続ける、動的な「因果論」を構成する中心的な理論です。
一切は刹那滅しているが、それでいて連続している
そういう話
種子はずっと保存される
現行しない限り
定義:阿頼耶識の中に収められた、あらゆる現象を現す能力を持つ潜在的な力。
役割:「種子生種子(しゅししょうしゅし)」と呼ばれ、種子が新たな種子を産み出し(恒随転)、やがて現実の事象(現行)として結果を生む。
2.恒随転(Anu-pari-vartana)
意味:絶え間なく変化しつつ続くこと。
唯識における解釈:種子は一瞬たりとも止まらず、前後の瞬間で変化しながら、阿頼耶識の中で連続的に流れ続ける(恒随転)。これにより、過去の記憶や行為の能力が保持される。
3.異熟(Vipāka)
意味:「異なる成熟」の意。前世の善悪の業(因)が、現世や来世において、それとは性質の異なる(無記:善でも悪でもない)果報(果)として成熟して現れること。
異熟識:阿頼耶識は、異熟の業を貯蔵するため「異熟識」とも呼ばれる。
これらの用語は密接に関連しており、異熟(業の果報)となる力(種子)が、阿頼耶識の中で恒随転(絶え間ない変化)を続けながら、時を経て結果(現行)として顕現する、という因果のメカニズム(異熟習気)を表している。
論理化強化した
依他起性のゾーンて
ほんま難しいな〜
😆
研究せねば😆
これを書いた人は、自分の考えとよく似ている😆
↓
なんとユニークな「唯識」のアイディア
唯識 = 電脳
https://akira.b-tama.com/002.html
「唯識」=「電脳」
五世紀ごろに何で「唯識」のようなアイディアが生まれたのか、 私のような凡人には全く理解できません。この中でも最もユニークなのが「阿頼耶識(あらやしき)」でしょう。
ところで電脳は、 内部で情報をつくり出したり、情報を感知するなどの情報処理の機能をもつ機械で、唯識そのものと言ってもよいのです。すなわち電脳も唯識でいう「識」で構成されていて、「唯だ識のみ」なのです。
情報(外部で、あるいは内部でつくられたいずれでも)を入力(検出)する機能は、「前五識」、そしてCPU(中央処理装置)は主に第六識の「意識」に対応するでしょう。記憶装置は「阿頼耶識」です。ただし「器世間(きせけん)」のように周囲の環境を直接表現する便利な機能をもつものはありませんが、このような機能はCPUと記憶装置に保存されているプログラムで処理されます。
また阿頼耶識に保存されている種子(しゅうじ)を薫習(くんじゅう)するような機能は、 入力機能とCPUの機能とによって処理されます。これは「現行(げんぎょう)」の「七転識」によって処理されますので、電脳とよく似ているのです。
なお、電脳には、直接的な意味での「末那識(まなしき)」に対応する機能はありません。このことは電脳はより仏に近い純粋な存在なのですが、 間接的には人間がつくるプログラムによって、 多かれ少なかれ電脳に入力されています。
電脳は人間の頭脳の機能の模倣あるいは拡張を目標につくられたもので、唯識と類似するのは当然なのかもしれませんが、この唯識が五世紀ごろのアイディアであるとは驚嘆に値します。
以上のように、電脳も「唯だ識のみ」の存在なのです。そしてこの電脳から、なぜ「華厳経の風景」のような画像が生まれたかについては、重重無尽に対応する漸化式のプログラムを試行錯誤で操作しているとき、ある刹那に「器世間」のような機能が偶然につくられたとしか、説明のしようがないのです。
電脳も、パソコン(古くはマイコン)といわれるように、一人一人その世界があるのです。まさに「人人唯識(にんにんゆいしき)」同様、「人人電脳」なのです。
コンピュータのオンラインゲームに似ている
ま、それでも依他起性テーマになるやろしな〜
その依他起性自体の理解がとても厄介
😆
依他起性の些末さの理解が遅れる
若い頃は唯識を依他起性の方面をチラ読みしながらソシュールと組み合わせながら認識論を組み立てていたけどなー
😆
オンラインゲームに参加して
「オンラインゲームとはどういうものか?」
を説明するとしたら
このような説明をするのではないかと思える
それくらい、唯識論で説明される
「この世の仕組み」は、
オンラインゲームに似ている
依他起性のゾーンとの相性ざ良いからなー
😆
> 四智の世界から唯識みているタイプなので
まあ、禅宗系の人だと、そうなるな~😆
承認に異常に執着する
自分が否定されると攻撃的になる
相手を下げないと自分を保てない
他人の評価・反応に異様に敏感
勝ち負け・序列に固執する
全てでおーがやってる事です
すごいな?😆
明らかに感覚の断絶があるからなー
円成実性すっ飛ばし読みもできる
まーその要素があるから
ハッスルみたいな得体の知れん現量とか
言い出すんやろなー
😅
> 依他起性と円成実性には
> 明らかに感覚の断絶があるからなー
> 円成実性すっ飛ばし読みもできる
そうなのか~😆
自分を観察してる
自嘲もできる
「まぁいいか」で引ける
禅的に感情を流せる
承認されなくても成立してる
これは自己愛じゃなくて「自己受容」。
でおー
常に他人を評価・断定する
レッテル貼りが多い
反応を引き出そうと粘着する
無視されると耐えられない
相手を貶すことで自分を保つ
典型的な防衛型ナルシズム。
識が智慧に転じるんだからなー
転じた智慧は
当人は依他起性のゾーンは気にしないだろなー
弟子に教える時は
依他起性の内容を修道として必要なので語るだろうけど
識が智慧に転じる一瞬は
弟子には教えられない
真言密教は少しは教えれる
という発想だろうな
三密加持
😆
休日と仕事の
感覚の断絶ハンパないなー
それくらい
依他起性と円成実性の断絶がある
そういう2階建て発想を捨てるのは
天台華厳真言禅あたりから
麦はアタマワルいので
禅をまだ2階建てみたいな発想わごちゃ混ぜにさてそうだ
😆
自分の中にある
承認欲求
自己愛
優位に立ちたい衝動
を自分では見たくない
他人に見てることにする
でおーは「自己を見ず、影を外に見る」状態。
「因果の道理」の一部: すべてのものごとは、原因(因)と環境・条件(縁)が揃って結果(果)が生まれるという理。
自業自得(じごうじとく): 自分の行い(業=カルマ)は、必ず自分に返ってくるということ。
三世(さんぜ)の視点: 結果はすぐ現れるとは限らず、過去・現在・未来にわたって現れるため、善行を積み重ねることが大切とされる。
誤解の注意: 単に「悪い人には罰が当たる」というネガティブな意味だけでなく、良い因縁を作れば良い結果が得られるという前向きな教えです。
善因善果・悪因悪果: 善い種は良い芽を出し、悪い種は悪い芽を出すこと。
自業自得: 自分の行為の報いを、自分が受けること。
この教えは、現在の行いが未来を作るという自己責任の原理を強調し、より良い生き方(生活)へ導くための教訓とされています。
異熟の定義: 善悪の行為が、その性質とは異なる性質(無記)の結果として成熟する過程。
因果の必然性: 良い行いは良い結果、悪い行いは悪い結果として、必ず時間が経ってから自分に戻ってくるという因果関係を指す。
異熟果(いじゅくか): 業が原因(因)となり、その後熟して現れる結果(果報)のこと。
時間差: 行為から結果が生まれるまでに時差があり、過去の業が将来の「報い」となる。
異熟は因果応報のプロセスにおける技術的な側面(時差と結果の性質の変化)を指し、因果応報は結果を必ず受けるという原理そのものを表します。
悪因苦果(あくいんくか): 悪い行い(因)をすれば、苦しい結果(苦果)が訪れること。
異熟(いじゅく): 因(原因)と果(結果)が「異なる性質」であり、かつ「時間」を置いて「成熟」すること。例えば、善行(無記)という原因が、肉体的な快楽(楽果)や精神的な平安という異なる形の結果として現れる、という因果の複雑さを指します。
自業自得: 善悪の行いの結果は、すべて自己に帰属する。
三時業: 業の報いは、今生、次の世、さらにその先の世と、時間差で現れる。
意業の重要性: 行為そのものだけでなく、行動を起こした「心(意業・動機)」が重視される。
因果応報の広義: 悪いことをしたら罰が当たるという限定的な意味ではなく、善悪両方の結果が、過去の業によって現れるという宇宙の法則を指す。
この教えは、過去の行いを恨んだり悲観したりするのではなく、未来のために「今の行い」を良いものへ変えていく努力が大切であることを教えています。
「悪い行いをすれば、地獄に堕ちて苦しむ」
↑
これに、論理的な根拠はあるのか?
古代インド人は、膨大な論理体系を築き上げた
原因は善か悪だけど、結果は無記
『因是善悪、果是無記(いんぜぜんあく、かぜむき)』がキーワード
俺が間違いを指摘しなければ、間違ったままだったな🤭
おいおいおいおい!!!!!!!
おーーーーーーーーーーい!!!
馬鹿は仏教の基本中の基本中の基本も分からんのか!?
仏教は「善因楽果、悪因苦果」だよ。
「善因善果、悪因悪果」ではない。
何故なら、善因善果なら、その善果が次の善因となり、永遠に終わらないからな(悪因悪果も同じ)。
何度も云うが『仏教聖典』から学びなさい。
基本知識無くして応用知識は無いのだからな。
砂上の楼閣積み上げても崩れるだけだぞ?
何が間違いだ
「阿頼耶識で種子が熟成して、果が生じる」
は、別に間違っていない
まあ、「ブドウジュースがワインになる」は言いすぎかもしれんが(笑)
ハッスル〜🟣
相変わらず、アフォだな😫
「善因善果、悪因悪果」は、
倶舎論の六因五果のひとつ
同類因 → 等流果
だよ
倶舎論でいえば
異熟因 → 異熟果
だ
> 仏教は「善因楽果、悪因苦果」だよ。
> 「善因善果、悪因悪果」ではない。
「善因善果、悪因悪果」は、
仏教に最初からなかったわけではない
倶舎論には、あったのだ
唯識論で、なくなっただけだ
> 何故なら、善因善果なら、その善果が次の善因となり、永遠に終わらないからな(悪因悪果も同じ)。
だから何なんだ?
別におかしくないだろ
バカで怒りっぽいセイウン様が、宗教板で威張り散らす(悪因)
↓
それを見たマトモな人たちまで怒りだす(悪果)
↓
それを見たセイウン様がさらに怒って、ますますバカになる(悪因悪果のループ)
仏教用語集で用語を覚えるだけ
意味までは考えていない
> 「阿頼耶識で種子が熟成して、果が生じる」
wwwwwwwwwwwwwwwwww
まーーーーーーーーだ分からんのか?
異熟とは異熟識、すなわち阿頼耶識の事だぞw
そして阿頼耶識は無覆無記だ。
つまり、善悪の行動記録を帯びた種子は、阿頼耶識に蔵される時に無記化する。
また、阿頼耶識という実体はなくそうした種子の集合体だけど、それは刹那生滅しながら相続される。
それを異熟というんだよwww
種子が阿頼耶識内で熟成されるのではないwww🤪
漬物じゃねーんだよ、馬鹿ちんwww
唯識論の話で、
「阿頼耶識で種子が熟し、果が生じる」
は、よく使われる表現だ
お前が言うほどおかしくない(笑)
ハッスル〜🤡
むやみに仏教用語を並べるなと言っとるだろ(笑)
お前は異熟の話と、恒随転の話が、途中からこんがらがっている
恒随転は、「刹那滅なのに、半永久的に続く」ということ
阿頼耶識と種子に限った話ではない
ただ、善行の結果として善果を生じた場合「同類因、等流果」と分類されるに過ぎないんだよw
『仏教聖典』から始めなさい🥰
お前と当方では、宗教板をやってる目的が異なる
お前は
「俺はこんなこと知ってるんだじょ~」
「俺はこんな難しい本を読んでるんだじょ~」
と、威張るためにやってるが
こちらは、そんなことに関心がない
😱
だから、それは
倶舎論には、あった
唯識論で、なくなった
んだよ
そう言ってるだろ
しょうがねえ奴っちゃなあ😅
ハッスル🤡〜😱
知らなくても仕方ない
🤡
😆
😆
(『唯識とはなにか 唯識三十頌をよむ』より)
ハッスル〜🟣
ハッスルコピペ
ご苦労さん!!(笑)
wwwwwwwwwwwwwwwwww
↓
ただ「善因善果、悪因悪果」という言い方は、アビダルマ的に厳密にいえば不正確であり、正確には「善因楽果、悪因苦果」と言わなければならない。
善の行為が原因となって、好ましい安楽な結果が生ずる。
悪の行為が原因となって、好ましからぬ結果が生ずる。
原因のほうは道徳的に善いか悪いかであるが、結果のほうはその結果を受ける者にとって好ましいかあるいは好ましくないかであって、道徳的にいえばそれは善でも悪でもない中性である。
したがって「善果・悪果」という言い方はできないのである。
(『仏教の思想2 存在の分析<アビダルマ>』より)
セレブのふり〜
🤡〜
🤡〜
毎日毎日毎日毎日毎日毎日・・・
こうやって馬鹿を晒しては誤謬を指摘されて。
まぁそれがお前の愉しみというのなら話は別だけどさぁ🤭
恥ずかしくないの?
何度も言うが、
「善因善果、悪因悪果」は、
「同類因 → 等流果」
「善因楽果、悪因楽果」は
「異熟因 → 異熟果」
であり、両方とも倶舎論では
「六因」と「五果」に
分類されている
唯識論では
「善因楽果、悪因楽果」(異熟)
に統一された
> ただ「善因善果、悪因悪果」という言い方は、アビダルマ的に厳密にいえば不正確であり、正確には「善因楽果、悪因苦果」と言わなければならない。
それは、その文章を書いた人の個人的な感想だ
倶舎論にはあるんだよ
わかんねえ奴っちゃなあ(笑)
> それは、その文章を書いた人の個人的な感想だ
wwwwwwwwwwwwwwwwww
ギャハハハハハハハハハハハハ😂
ちょ、ちょwww🤪
おいおいおいおい、おーーーーーーーーーい!!!!
それ、櫻部健先生の指摘な?
倶舎論研究の泰斗だけどなw
個人的な感想?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
ハッスル〜🤡
煩悩ハッスル〜🤡
俺の記憶が正しければ
業の因果ってなあ
ある一つ因にたいして楽あるいは苦
で終わるようになってるはず
とくに倶舎論
業から離れるため
とどのつまり輪廻仕様下になるからな
だから、その人も
「アビダルマに善因善果はない」
とは言ってないだろ
「善因楽果のほうが筋が通っていると思われる」
と言ってるだけだ
だから、唯識論では「善因善果」はなくなったんだ
それで「大学では宗教史を専攻しました」とな
向いてないことに手を出しちまったのが、お前の不幸の始まり😅
六波羅蜜の布施
おれは布施をしたんだ
ってのが善業
倶舎論ではそこを詳しくやってたはず
倶舎論や善因楽果は
その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。
そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。
🤡餓鬼道とは何か。
餓鬼道は
渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。
承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、
手に入れても決して満たされない。
でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、
その知識によってナルシズムによる周囲からの承認を求める。
しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、
むしろ常に不足感を抱えているように見える。
愛情への飢えすら感じさせる点も含め、
餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。
🤡修羅道とは何か。
修羅道は
闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。
相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。
でおーは、やたらと
「自分の方が優れている」
「相手より上である」
という点を強調する。
勝ち負けに固執し、
相手を倒すためなら手段を選ばず、
時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。
そして、その対立を外から眺めて楽しむ。
この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。
🤡地獄道とは何か。
地獄道は
怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。
正義感が歪み、攻撃性へと変質する。
でおーは、相手を意図的に挑発し、
怒りや憎しみを引き出そうとする。
相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。
🤡つまり、
でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、
相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。
これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。
🤡これは本人に対して言ってません。
こいつはこういう奴だと周りに伝えてます。
例えば石とかコップという色法は、基本的にその落謝に於いて前後の変化が破壊でもされない限り無いから「同類因 → 等流果」だけど、心法ではそうもならないからな。
読めって
そんなんだから誤読して自己解釈するし
意図がわからんのよ
ほらな
調べたら、あっただろ(笑)
お釈迦様の悟りとは
一体どのようなものか?
で我々はどのようにそれを模倣するのか?
ってことだ
善因善果、悪因悪果なんやー
じゃ業から離れられんやろ
???
何度も云ってるけど、倶舎論や中観、唯識を仏教スレにこのレベルで持ち込んだのは俺だけど?
その中で六因四縁五果の説明もしてるけど?
それは、唯識だけでなく倶舎論に於いても同様で、適用範囲に色法と心法の違いがあるから。
↓
0071 古本屋 ◆JW9aY6YQtyhR 2020/07/23(木) 09:24:06.02
410 自分:鹿野園 ◆VupYVVGZXxPO [sage] 投稿日:2020/07/22(水) 20:30:19.08 ID:GQR5qNtD [5/17]
>>392
先ず、阿頼耶識は ”無覆無記(唯識三十頌)” であって、 種子と阿頼耶識の関係は ”不一不同(摂大乗論)” とされています。
掛かる意義において唯識では種子は無記とされております。
また、無記というのは異熟性を云うのですが、これについて説明しましょう。
世間では悪因悪果・善因善果と云いますが、これは間違えで、正しくは善因楽果・悪因苦果なのはご存知だと思います。
なぜなら、悪因悪果ではその悪果の悪が因に転化(刹那生滅による業の相続)し、再び悪因悪果となり未来永劫繰り返すことになってしまうからです。
つまり、これは阿頼耶識が現量であることにも関わって来るのですが、善悪の行為として阿頼耶識に薫習された種子は、異熟により無記化するって事なんです。
要するに悪因悪果として永劫に繰り返すのではなく、一旦は結果とし成熟し(悪因苦果)て清算され、その後、再び刹那生滅異熟展開していくという事です。
確かに、お前は仏教用語を並べるのは得意だ
意味がわかってないだけ
何故なら、その対象が色法なのはもちろん、善悪という道徳的観念は石やコップに関係ないからな。
それはお前www
色法を対象とする、「同類因 → 等流果」に善悪という心法を代入してるから。
楽あるいは苦たる結果を引き起こす原因、有漏(煩悩)に基づいた善あるいは不善の行為。無記または無漏に基づく行為は異熟因とは決してならない。善なる行為をなしたとき、それは同類の善ではなく楽なる結果を生じるが、このように原因と結果との性質が異なることを異熟という。同類因に同じく、異熟因について因果同時はありえない
は、こっちのようだ
Search word : "善因善果" : Including related character:
5 pseudo paragraphs : 1 --- [ keyword counting ] 5 浄土宗全書: 検索結果:全8件
正法念處經 (0721) 0100c06-0100c06: 因果相似聖所説 善因善果則成就 [show] (1 match)
大方廣佛華嚴經疏 (1735) 0770a20-0778c25: 但離惡因惡果自亡願修善因善果自至問惡名殺等離即不 [show] (1 match)
建康普説 (2604) 0732c22-0735b07: 茄瓜瓜茄茄必然之理也善因善果惡因惡果亦復如是因果 [show] (1 match)
無量壽經義記卷下 (2759) 0247a24-0247c13: 悔善惡禍福追命所生者善因善果惡因惡果雙明也或在樂 [show] (1 match)
維摩經義記卷第四 (2769) 0340a19-0340a28: 引色界道不以爲勝者就善因善果明行於非道色無色界即 [show] (1 match)
Produced by: The SAT Daizōkyō Text Database Committee
Established: March 17, 1998. Updated: May 1, 2016. (c) 1998-2016 All rights reserved.
刹那前の石が刹那後の石と同じ性質をもつ
同類因 → 等流果
怒りっぽいセイウン様が、宗教板で威張り散らす(悪因)
↓
それを見たマトモな人たちまで怒りだす(悪果)
↓
それを見たセイウン様がさらに怒る(悪因悪果のループ)
> 倶舎論を知らんのだから仕方ない
ドンマイ😉
> 倶舎論には、そういうものがあるってことだ
そうだよ。
↓
2023.10.28
今日の言葉
善因善果、悪因悪果
(前略)
「修行して悟りを開いた人も因果の法則に従わなければなりませんか」と。
百丈禅師は答えました。「因果の法則は決してくらますことは出来ない」と。
この禅師の言葉を聞いて、老人は「おかげで私の迷いがはれました。ありがとうございました。」とお礼を表します。
更に老人は「私は既に狐の身を脱してこの山の裏におります。どうか亡くなった僧侶を葬る儀式で私のお葬式をしてください」と頼みます。
百丈禅師はお昼の食事の後に、みんなに「今日はお昼が済んだら、亡くなった僧の葬儀を行う」とおふれを出しました。
みんなは驚きました。今誰も病気をして休んでいる者もいないのに、一体誰の葬儀だろうかと。
さて食事が終わった後、禅師がみんなを連れて山の裏に赴いて、杖で一匹の狐の死体を引っ張り出して火葬にしました。
こんな話なのであります。
これは因果の問題です。
この世は因果の法則で成り立っています。
原因があれば必ず結果が現れます。
また結果のあるところには、必ずその原因がございます。
善因善果、悪因悪果という因果の法則は誰も免れないはずですが、修行して悟りを開けば、因果の法則に落ちないのか、因果を超越することが出来るのかという問いかけに対して、この老人は曽てこの山の住職であったときに、因果に落ちない、原因結果に縛られない、因果を超越出来ると答えました。
ところがこの答えが間違っていたために、五百回も狐に生まれ変わったというのです。
何とも奇妙な話です。ここから誤った禅の教えを野狐禅と呼ぶようになったようです。
そうすると必ずあんな悪さをした者がのうのうと暮らしていて、あんないい人がなぜあんな気の毒な病気になるのか、災難に遭わなければならないのかとなど言われます。
孔子のお弟子の顔回は優れた弟子でありながら、貧困のうちに苦労しながらわずか三十歳くらいで亡くなります。
逆に盗人の大親分であった盗跖という人は、春秋時代、魯の人ですが、大泥棒でありながら天寿を全うしました。
中国の歴史家、司馬遷は「天道は是か非か」とその著『史記』で嘆きます。
仏教では古来三世の因果を説いてきました。
因果はくらますことは出来ない、ごまかしはきかないといっても、さて今の原因がいつ現れるのか、それはわかりません。
善悪の原因が今自分の世代で生きている間に結果として現れるものもあれば、次の生で現れるものもあり、
それからずーっと後にいつ現れるかわからないものも有ると説かれています。
それでもどこかで必ず現れるものが因果です。
これを三つに分けて考えています。
一つには順現報受、二つには順次生受、三つには順後次受、この三つです。
一つは、行為をなした報いがその生涯の間に現われる順現報受、二つは、善悪の報いが来世に来る順次生受、三つは善悪の報いが再来世あるいはそれ以後に来る順後次受と言います。
しかし、これは前世や来世という輪廻を信じないと成立しない話です。
修行道場の修行僧たちに質問していても、さすがにお寺の子が多いからか、来生もあると信じている人が多くございました。
なかには自分の前世は虫だったけれども良い行いをしたので、今の自分に生まれ変わったのだという青年僧もいました。
また来世などないという者もいます。
彼らには、悪業の報いが、来世もしくはその次に現れると言われてもピンときません。
しかし、自分の子や孫の時代、次の世代に現れるとしたらどうだろうかというと、これはピンときたようでした。
因果の道理を昧ますことはできません。
今の行いは、必ず将来に影響が出るものです。
善因善果、悪因悪果であると思って、己の行いを正してゆかないといけません。
横田南嶺
善因善果、悪因悪果
正確には「善因楽果、悪因苦果」とすべき内容ではある
横田南嶺がそれを知らんとも思えないので、素人向けに分かりやすくしたんだろうけどな
だが、それにしたって、それほどおかしな用語ではないってのは分かる
……あのさぁ😅
他人が怒り出したのなら、俺は"因"じゃなくて"縁"だろ。
ほんと、凄まじい馬鹿というか、壮絶な馬鹿というか😱
それは老師の勘違いか、一般人向けの方便だな。
まあ、おそらく、後者と思うが
なら、こうしよう
【悪因悪果の具体例】
怒りっぽいセイウン様が、宗教板で威張り散らす(悪因)
↓
それを見たマトモな人たちまで怒りだす(悪縁)
↓
それを見たセイウン様がさらに怒る(悪果)
方法論ってのはやはり
解脱、無住処涅槃というより
善因善果、悪因悪果の輪廻で
よりよいところに行きましょう
って方向性なんかな
また、そもそも、威張り散らすというのが善悪かはケースバイケースだし、怒りにも義憤というように、善性を帯びたそれもあるんだし。
日々の誠実な努力や他人への思いやりは良い結果を生み、嘘や裏切りは自身に不利益をもたらすという、行動と結果の関係を表します。
良い行い(原因)が、良い報い(結果)をもたらすケースです。
周囲への手助け:困っている人に常に親切に接していたら、自分が困った時に周囲が助けてくれた。
健康的な生活:毎日の食事制限と運動を続けた結果、健康で長生きできた。
正直な姿勢:仕事でミスを正直に報告し誠実に対応したことで、上司や顧客から厚い信頼を得た。
勉強・努力:毎日コツコツと勉強を続けた結果、志望校に合格した。
悪い行い(原因)が、悪い報い(結果)をもたらすケースです。
他人を騙す:人を騙して金銭を得ていたが、警察に逮捕され、信用と財産を失った。
怠慢な生活:日頃から仕事をサボり努力を怠っていたため、重要なプロジェクトから外され、昇進できなくなった。
悪口・裏切り:仲間の悪口を広めて裏切った結果、周囲から人が離れて孤立した。
ルール違反:交通ルールを無視した運転を繰り返した結果、大きな事故を起こし重傷を負った。
というのが基本ですな😆
有為法の範疇だ。
言い換えると"世俗的世俗諦"であって"仏教的世俗諦(或いは随順勝義)"ではないな。
世間法であって、出世間法じゃない。
より出世間や仏教的世俗諦(或いは随順勝義)に近いとは云えるな。
∞ノノハ∞
川^○^ハレ
>221.
ユーザー
栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK
4QzWk
対して「善因楽果、悪因苦果」は、未だに苦楽という有為法の範疇にはあるけど、善悪という五蘊でいう識ではなくて受だからね。
より出世間や仏教的世俗諦(或いは随順勝義)に近いとは云えるな。
2026/02/03 15:21:33
お茶の味の話しでは
お茶の味は「受」で
そのものは「触」だと言っていませんでした?
↓
0016 スジャータ大山 2018/10/26(金) 20:38:10.46
触 (心を認識対象に接触させる )
作意 (心を起動させる )
受 (認識対象を 、苦または楽 、あるいは 、そのどちらでもないと受けとめる )
想 (受けとめたものを自己の枠組みにあてはめる )
思 (認識対象に具体的にはたらきかける )
ID:D5/NQ7Sg(10/25
∞ノノハ∞
川^○^ハレ即非の論理ですと無分別の分別ですので直接知覚ですよね
山は山に非ず故に山
お茶の味はお茶の味に非ず故にお茶の味
お茶の味は「お茶の味そのもの」の方便ですので
お茶と味に分かれている訳ではありません
無分別の分別で良いと思いますけど
そこかよ(笑)
拡大解釈しなくてヨロシ。
「善因楽果、悪因苦果」(異熟)は、ここでいう「もっと重要なこと」のひとつ
(原因は善と悪だが、結果はどちらでもない)
↑
唯識論のキーワードの1つ
「唯識の徒は、これをさんざん暗記させられる」
と専門家が書いてるのをいくつも見た
∞ノノハ∞
川^○^ハレ拡大解釈ではありませんよwww
「そのものに付いてですけど」因縁仮和合によりますので
「味覚障害」とか「副作用」によりとか定義する事でパラドックスは解消すると思いますwww
川^○^ハレはい論破♪
川^○^ハレ反論ないみたいなので
はいはい論破♪www
😱
カテゴリー錯誤だろwww
『仏教聖典』から学びなさい。
🤡〜
いつものことだ
😱
レベルの高い教理を支離滅裂な私的解釈でレスしてこられても迷惑なんですよ。
その行動様式は 餓鬼道と修羅道 に明確に一致する。
餓鬼道
でおーは承認・評価・優位性への渇望が強い。
宗教知識を大量に収集し、それを誇示するが、
満たされる兆候は見られない。
語れば語るほど不足感が増し、
他者からの反応を糧にしなければ立っていられない。
これは知識探究ではなく、承認依存である。
修羅道
でおーは常に勝敗と上下を設定する。
議論は理解のためではなく、相手を下に置くための手段として使われる。
優位を示すためなら歪曲・挑発・分断も厭わない。
第三者同士を対立させ、その混乱を外から眺める行動も繰り返している。
これは対話ではなく、闘争嗜好である。
地獄道への誘導
でおーは相手の怒りや正義感を意図的に刺激する。
感情を爆発させた相手を「荒れている側」に押し込み、
自分は安全圏に退く。
この構図は偶然ではなく、一貫した手口だ。
結論
でおーは
餓鬼道と修羅道に居座り、
他者を地獄道へ落とすことで自分を保つ。
これは人格評価ではない。
行動の事実と、その帰結の整理である。
本人に言っていない。
関わる周囲が判断を誤らないための共有だ。
∞ノノハ∞
川^○^ハレコレも表現が違うだけで同じ事言ってると思いますよ♪
栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK50-6mL-Ij-wvu
nFC5O(6/9)
1.相対原理(相依性)としての空
2.空もまた空なり(1.も相対原理である)
3.メタ的相対原理(仮名)としての中道
2026/02/03 04:07:58
鈴木大拙氏の即非の論理(無分別の分別)であって
色即是空 空即是色の 空即是色であって
理事無礙法界♪
唯識なら
末那識を転じた
転識得智(無漏智)が平等性智で
お茶の味そのもの
自相不ニ♪
川^○^ハレ反論ドゾー♪
反論がなければ論破ね♪
川^○^ハレ反論がないので
やっぱり論破♪www
↓
1.相対原理(相依性)としての空
2.空もまた空なり(1.も相対原理である)
3.メタ的相対原理(仮名)としての中道
🤡
ハッスル〜🤡
ハッスル〜🤡
承認に飢えた餓鬼道と、勝ち負けに囚われた修羅道の反復に過ぎない。
そして相手の怒りを煽り、地獄道へ落とすことで自分を保つ。
これは人格批判ではなく、行動パターンの事実確認だ。
∞ノノハ∞
川^○^ハレ色即是空 空即是色の空即是色ですよ
即非の論理より
>「山が自己で自己が山である」という「霊性的直覚」の禅経験を根底にしており、
「分別の無分別」(否定)と「無分別の分別」(肯定)との瞬間同時の経験事実へと現成するのであって、単なる言葉上の遊戯仮論ではない
唯識にしても即非の論理にしても
瞑想や坐禅の体験が元だと思いますからね
平等性智だと思います
川^○^ハレお茶の味はお茶の味に非ず故にお茶の味
相撲みたいで
可哀想なハッスル〜
🤡〜
だからなんでメタ相対原理(二諦論と"仮名"というメタ言語の導入)が即非の論理になるの?
即非の論理なんて全く関係ないけど?
∞ノノハ∞
川^○^ハレ唯識だと相分が自証分ですからね
自証分こそがメタ相対だと思います
川^○^ハレっ>>256
> >>260
> ∞ノノハ∞
> 川^○^ハレ唯識だと相分が自証分ですからね
> 自証分こそがメタ相対だと思います
はぁ?
∞ノノハ∞
川^○^ハレ唯識四分で
2) <相分>は、<自証分>が<相分>という形になって現れたものである。
3) <相分>は、外に実在するのではなく、自分の<こころ>の投影である。
メタ認識だと思いますけど
🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆
中論頌24-18の話になんで唯識が出てくんの?
∞ノノハ∞
川^○^ハレ中論の話だったの?
中論でも空・仮・中は同じですよ
非有非無の実体がない空
メタ認識に付いては中論では何て言ってたか忘れたwww
∞ノノハ∞
川^○^ハレ反論してみなさいwww
いい加減にしとけ。
だからなんでメタ相対原理(二諦論と"仮名"というメタ言語の導入)が即非の論理になるの?
この問題は自己言及への対処でしょ?
即非の論理なんて全く関係ないけど?
中論頌24-18の話になんで唯識が出てくんの?
拡大解釈して全然関係のない事を紐付ける変な癖はやめた方がいい。
🤡
ユーザー
栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK50-gaA-Ij-wvu
50FXp
しかし、馬鹿どもへのレスは、電車で移動中や信号停止中の時間潰しには程良い良いレベルだな。
2026/02/03 13:17:34
∞ノノハ∞
川^○^ハレ中論のソレは忘れたけど
因縁仮和合で実体は無く現象として顕現している空は仏教に共通していると思う♪
∞ノノハ∞
川^○^ハレ中論のソレを反論としてレスしたらね♪
> 因縁仮和合で実体は無く現象として顕現している空は仏教に共通していると思う♪
wwwwwwwwwwwwwwwwww
はぁ?
?????
🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆
∞ノノハ∞
川^○^ハレ中論のソレをレスしたまえwww
?????
🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆
川^○^ハレお釈迦様の教えなんだから紐付いていておかしくないですよ
法華経だって無生法忍が般若心経から原始経典まで繋がっていましたからね
?????
即非の論理はお釈迦さまの説示なのか?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
鈴木大拙はお釈迦さまか?
精神病院にレリゴー💕
🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆
∞ノノハ∞
川^○^ハレっ>>273
「メタ認識」に付いて中論頌24-18の話にあるんじゃないの?
∞ノノハ∞
川^○^ハレ共通しているでしょうアホか
∞ノノハ∞
川^○^ハレっ>>273
中論で「メタ認識」に付いて説明しろって言ってるの
>>291
はぁ?
なんで即非の論理とメタ相対原理が共通なんだよ?
何処が共通してんだよ?
∞ノノハ∞
川^○^ハレオッサンが中論の話だって言うから説明しなさいって言ってるんだよ
川^○^ハレ食器片付けてお風呂入ってくる
説明しといてね♪
???
したけど?
https://talk.jp/boards/psy/1769832281>>141-145
引用元
https://www.nara-jigenji.com/diary/3538/
【空の思想は】 中観派 【言葉にできない】 Part5
https://talk.jp/boards/psy/1769832281
から引用したんだろ?
なに寝ぼけてんだ?
何様の積もりだろ。
餓鬼道と修羅道に居座り、他人を地獄道へ引きずることで成立している。
∞ノノハ∞
川^○^ハレどんな反応するのかワクテカだったのでwww
ありがとうございました♪
「社会的構造」という概念が適切かもしれない。
唯識学における名言種子:雑染(悩み)の源となる阿頼耶識(深層心理)に、言葉の力で善い種子(無漏種子)を植え付け、清浄な世界(悟り)へと転換(転依)させる要素。
「言葉」の重視:親鸞教学における「南無阿弥陀仏」の称名念仏のように、言葉を修習することが心を変える要因になると考えられている。
根本煩悩の滅却:名言種子の働きにより、自我意識や貪・瞋・痴などの根本煩悩を滅し、あるがままの真理を認識できるようになる修行の過程である。
なお、これとは別に、仏教用語で「種子(しゅじ)」は梵字を指し、仏を象徴する文字として信仰される別の概念もある。
「唯識ワールドは、電脳に似ている」
ということだ
この世での思いや行いが、
言語化されたデータとなり、
阿頼耶識のデータベースに格納される
電脳が、二進法に変換してデータを保存するのと似ている
「言葉が世界を創る」という、インド伝統の言霊信仰だ
また、ポジティブな言葉を発することにより、
阿頼耶識に善い名言種子を薫習することができる
正聞熏習とは、どういうことでしょうか?
【質問】
正聞熏習とは、どういうことでしょうか?
【回答】
正聞熏習(しょうもんくんじゅう)とは、正しい教えを繰り返し聞いて、阿頼耶識(あらやしき)にある無漏(むろ)の種子(しゅうじ)を成熟させるために、薫習していくことです。
表層的な私達の心である意識は、深層心である阿頼耶識にある「汚れた種子」(雑染の種子)から生じますが、
阿頼耶識の中には、もう一種類、雑染(ぞうぜん)の種子以外に、「清らかな種子」(清浄の種子)が潜んでいる、と教えられます。
仏になる可能力としての種子、つまり無漏の種子です。
この問いに対して、唯識では、「正しい教えを、正しく繰り返し聞く」、という表層心でのありようが、深層心に熏じつけられて、素晴らしい無漏の種子を育む、と教えるのです。
これを「正聞熏習」といいます。
「正しい教えを正しく聞く」
これは、原始仏教から「聞法」と言われて、重要な修行法の一つとして説かれてきました。
唯識では、その働きを、表層心と深層心との関係で捉えるのです。
釈尊が説かれる縁起・無我・空・無常・涅槃などの教えは、如実に真理を覚った智慧に裏付けされた教えであり、そこには疑う余地がありません。
だから、真理から流れ出たもの、といっても過言ではないのです。
その聞法が、有漏であり、無漏であれ、正しい教えを阿頼耶識に種子として、薫習していくことが大事であると、玄奘三蔵は、成唯識論に訴えておられます。
また、それが初地(しょぢ.信心決定)の助縁であり、増上縁(ぞうじょうえん)になる、と説かれているのです。
仏教は聴聞に極まる、と教えられた浄土真宗の教えは、この唯識の教えに基づいて説かれたものと思われます。
ひとつには、個人的に、倶舎論や唯識論をベースにしてるってのがある
倶舎論や唯識論では、正法を繰り返し聴聞することが非常に重要だ
(本当は、中観派でもそうだ。コイツらが勘違いしてるだけ)
↓
88 栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK [sage] 2026/02/05(木) 14:19:45.72 ID:UNRIr
> 「てことは、お釈迦さまが説いた法も
> その【離れるべき見解】の1つってことになるのか?」
当たり前。
ある時は西欧哲学を混ぜる
ある時は臨済宗ぽくポーズを取る
最低なやつだ
😱
有支と我執と名言習気【唯識三十頌〖十九頌〗】
【唯識三十頌〖十九頌〗】
🟥「習気(じっけ)」とは、頬悩を起こすことによって、心の中に印象づけられた慣習的な気分、習性のこと。
🟥これによって思想、行為その他を生ずるところから「種子(しゅうじ)」とも呼ぶ。
🙆言語的表象から生ずる、名言(みょうごん)習気、
🙆我執から生ずる、我執習気、
🙆善悪の業から生ずる、有支(うし)習気の三種がある。
🟩表層の行為(現行)によって、阿頼耶識に薫習されたという点から、「習気(じっけ)」といい、再び、それから「現行」を生じるという点から「種子」という。
🟨詳しくは、「習気」の習とは、現行による薫習、気とは現行の気分であると解釈される。
❇️名言習気・我執習気・有支習気の三種類が『成唯識論〕が説かれている。
🔶「二取の習気」の「二取」は①我執習気と②名言(みょうごん)習気である。
「倶生」の我執は、生得的なもので、
「分別」の我執は、後天的なものである。
「倶生」の我執は生命の奥深くに浸透しているので、それを解決することは、容易ではない。そういうものを背負って、我々は生存している。
「表義(ひょうぎ)」名言と、
「顕境(けんきょう)」名言である
「表義」名言は、言葉、概念など「顕境」名言は、感じとか、印象、イメージなど言語化できなかった経験者の薫習したものである。これが、生死流転の力となる。
我々の認識や存在の在り方などに、その人の身に付けた言語や価値観や、広くは文化全般の力などが大きく影響していると見る。
自分の持つ価値観や文化体系を離れて、我々の認識が成立することはない。
私達が、物事を理解する時に、ほとんどの場合、言葉【名言】を用いて、主観と客観という二元対立の世界を仕立て上げ、その上で、目の前に繰り広げられる事柄を理解しています。
いや、理解した気持ちになっているだけで、実際には、その言葉に正確に見合うものなどなく、いわば、そういう言葉が独り歩きしている状況です。
端的に言って、それはもう虚妄の世界そのものですが、善や不善の行動情報には、そういう言葉による情報という側面もあります。
もとより、それらは二つで一つですが、便宜的に分けて、
前者を「諸業の習気」〖業種子〗
後者を「二取(能取、所取)の習気」〖名言習気〗といいます。
ましてや、現代の先進国では
言葉と記号の大洪水の中で生きている
言葉や記号で意味づけされない限り
なんの意味もない
いくら、映像と音声の効果で仮想世界が演出されていても
それだけでは、なんの意味もない。何もない退屈な世界だ
「ここは、アレフガルド。魔物が徘徊する荒廃した世界。アナタは勇者ロトの子孫で、平凡な家庭に生まれた。いま、魔王を倒す冒険に出ようとしている・・・」
とかなんとか、言葉による説明が付いて初めて、世界と自分に意味が生じる
この世は、たしかに視覚と聴覚でできている
だが、それだけでは舞台装置にすぎない
われわれ人類は、その舞台装置の上に、言語によって世界を構築している
↑
唯識論の世界観、唯識ワールドには、これが欠かせない
近代の17~18世紀に、近代哲学者のデカルト、ロック、カントらが現れ
「この世は、視覚と聴覚でできている」
という事実を明らかにした
それまでの人類は、「世界がある。それを、われわれが認識している」と思っていた
カント以降は、「われわれが認識しているもの。それが世界なのだ」に変わった
これを、認識論的な転回という
「自分が認識しているもの、それが世界である」から、
「自分は、言語によって認識している。それが世界である」へと進化した
これを、言語論的な転回という
もちろん、似て非なるものだ
違いもまた、大きいのだが
認識・記憶された事象が未来に現行(現象)として現れる原因であり、迷いや認識の根源とされる。この言葉の種子が転換されることで悟りへ至るとされる。
名言種子の定義: 唯識学派において、雑染(迷い)や認識の根源となる、阿頼耶識に熏習された「言葉の種子」を指す。
三種習気の一つ: 『成唯識論』では、種子を名言習気、我執習気、有支習気の3つに分類する。
転依の鍵: 「名言種子」は迷いの世界を現し出す一方、仏の教え(聞熏習)を心に刻むことで、この種子を転換(転依)し、悟りの世界へ至る
興味が尽きない概念だ
数百ページある解説書の中で、1ページかそこらだ😫
たいてい、「種子には、名言種子と業種子があります。名言種子は、言葉による種子です」という、たったの1行で終わる
その影響もあって、「名言種子」に注目する人も現れた
巨匠・井筒俊彦だ
倶舎論のスタンスが
ベースだろう
😆
具体的な名言や関連する深層心理・東洋哲学的な思想のポイントは以下の通りです。
言語アラヤ識:心の中に沈殿した社会的な意味コード(「種子」に相当)が、世界をどう認識するかを規定するという考え。
意識の変容:意識の深層に沈んだ「種子」を言語的に再解釈することで、世界の捉え方(意識の本質)が根本から変わるという視点。
この「言語アラヤ識」は、彼が『意識と本質』などで展開した東洋哲学や現象学的な深い洞察の核となる概念です。
季節のうつろいの、過ぎゆくときの、折々にふれてしるした記です。私の気ままな雑記帖です。
「『言語アラヤ識』を索めて 1/2_井筒俊彦 読書覚書」
4/23/2018
井筒俊彦『意識と本質 ー 精神的東洋を索めて ー 』岩波文庫の「Ⅵ」章には、
「さきに私が、『言語アラヤ識』と呼びたいと言ったものがそれだ。」(130頁)
の一文がある。この一文を端緒に、私の「言語アラヤ識」探しがはじまった。井筒俊彦の措定した「言語アラヤ識」の出自がどうしても知りたかった。
若松英輔『井筒俊彦―叡知の哲学 』慶應義塾大学出版会
「種子」は、すなわち意味であると井筒はいう。彼は(仏教の)唯識思想を単に焼き直し、踏襲しているのではない。その伝統に彼もまた参与しているのである。彼にとって、真実の意味における継承は深化と同義だった。
「唯識哲学の考えを借りて、私はこれ〔言語アラヤ識〕を意味的『種子(ビージャ)』が『種子』特有の潜勢性において隠在する場所として表象する」としながら、阿頼耶識の奥、「コトバ(実在、絶対的超越者、超越的普遍者、絶対無分節者)」が意味を産む場所を「言語アラヤ識」と呼び、特別の実在を与えた。「言語アラヤ識」と命名すべき実在に彼が遭遇し、それに論理の体を付与したとき、井筒は「東洋哲学」の伝統の継承者から、刷新者の役割を担う者となった。(380-381頁)
「言語アラヤ識」とは、井筒俊彦が命名した「実在」である。
「イデア論は必ずイデア体験によって先立たれなければならない」(「神秘哲学」)、それはプラトンのイデアの実相を言い当てているだけでなく、彼(井筒俊彦)が自らの信条を表現した一文だと思ってよい。根本問題を論じるときはいつも、実存的経験が先行する。むしろ、それだけを論究したところに井筒俊彦の特性がある。」(378-379頁)
時系列順に、以下の四種類の『意識と本質』が発行されている。
◇「意識と本質 ー 東洋哲学の共時的構造化のために ー」(『思想』岩波書店,論文)
◇ 井筒俊彦『意識と本質 ー 精神的東洋を索めて ー 』岩波書店
◇ 井筒俊彦『意識と本質 ー 精神的東洋を索めて ー 』岩波文庫
◇「意識と本質 ー 東洋的思惟の構造的整合性を索めて ー」(『井筒俊彦著作集』第六巻 中央公論社,決定版)
「論文」か「決定版」に当たれば解決するのだろうか。相当な時間を費やした。週末は変則的な読書に明け暮れた。深層意識内の真相は、私には不分明ということなのであろうか。
私には、井筒俊彦の著作は、
若松英輔『井筒俊彦―叡知の哲学 』慶應義塾大学出版会
の案内なしには読むことができない。理解は遅々として進まないが、遅々たる歩みを続けることにする。
😱
語源:サンスクリット語の「ālaya(住居、場所、蔵)」と「vijñāna(認識、意識、識)」の合成語。
主な役割:過去の行動や経験が「種子」として蓄積され、縁によって現実世界や現象を展開する土台となる。
性質:絶えず流転し、凡夫には直接感知できないが、すべてを保持する(無没識)。
八識の構成:6つの表層意識(眼~身識)、意識、末那識に続く、最後の根本識。
東洋哲学者である井筒俊彦は、この唯識の概念を言語意味論に応用し、「言語アラヤ識」と名付けた。
意味:人類共通の「意味可能体(種子)」が貯蔵されている深層の言語構造体。
機能:様々な言語や文化、世界観は、この深層から結晶化した表面構造(日常言語)である。
阿頼耶識は、意識の根源的な深みを示す概念であり、井筒俊彦によって言語の生成過程や文化的な意味の普遍性を説明する視座としても再解釈されている。
ソシュールの主張した「能記(シニフィアン)と所記(シニフィエ)の関係は恣意的であり、現実においてなんの自然的契合をも持たない」という言説は、現代社会の言語学や記号学では常識とされてきました。だが、本当に的を射ているのでしょうか。
すでにさまざまな批判や反論が行われていますが、最も本質的な批判は井筒俊彦先生の言説だ、と筆者は思います。
膨大な論述の中から、核心部分を抜き出してみましょう。
ソシュールは言語(ラング)を一種独特な記号学的「相異」の連関網目構造として規定した。「言語には相違しか存在しない」(中略・・・という)、ソシュール言語学のこの有名な基礎命題は、要するに言語記号の実体性の無条件的な否定である。
能記(シニフィアン)の側であれ、所記(シニフィエ)の側であれ、記号というもの(実体)は存在しない。ただ諸辞項間の相互的「相異」関係のみがある。ものがあって、それらの間に相互関係が出来上がるのではなくて、関係性が諸辞項を、あたかも実在するものであるかのごとくに成立させる、というのだ。(『意味の深みへ』P108)
音節そのものに意味はない
これらを区別するために便宜上、割り当てられたにすぎない
違うことに意味がある
区別するために必要だ
「ドッグ」と「キャット」でも構わない
要は、区別がつけばいいのだ
要は、区別がつけば、それでいい
コトバの表層領域とは、言語の社会的約定的記号コードとしての側面――無論、それに基づいてなされる人間相互間のコミュニケーション、つまり発話行為を含めて――ということ。このような偏向性における言語論は、必然的に、コトバにたいする水平的(ホリゾンタル)なアプローチとなり、人間の言語意識を、いわば深みに向かって掘り下げていく垂直的(ヴァーチカル)なアプローチはほとんど完全に無視される。
にもかかわらず、西洋の言語論のほとんどが、この次元に留まっていると批判します。
フロイト派の深層心理学の特殊分野におけるラカンの言語論とか、近年のクリステーヴァの「ル・セミオティーク」の如き、注目すべき例外はあるとしても、西洋の言語学の圧倒的大勢は、言語にたいして、いま言ったような意味でのホリゾンタルなアプローチによって特徴づけられる。チョムスキーの語る「深層言語」にしても、深層とはいうものの、それは実はデカルト的な普遍的理念構造を措定するだけであって、依然としてホリゾンタルなアプローチであることに変わりはない。(『意味の深みへ』P254)
現代の言語学者は、社会的記号コードとしての言語(ラング)の対立項というと、すぐに発話行為(パロール)を考えるのを常とする。ラングとパロールとは相関的、相補的概念だ。
しかし本当は、ラングとパロールとをそのまま表面的に並べる前に、ラングの底に伏在する深層意味領域というものを考えなければならない。そうしてこそ、はじめて、いわゆる意味の「太古」の薄くらがりのなかから立ち現れてくるパロールの創造性の秘密を理解できるのではないか、と私は思う。(『意味の深みへ』P255)
表層的シニフィエの底辺部には、広大な深層的シニフィエの領域が伏在している。そればかりではない。言語意識の深層には、まだ一定のシニフィエと結びついていない不定形の、意味可能体の如きものが、星雲のように漂っているのだ。
まだ明確な意味をなしていない、形成途上の、不断に形を変えながら自分の結びつくべきシニフィアンを見出そうとして、いわば八方に触手を伸ばしている潜在的な意味可能体。まさに唯識の深層意識が説く「種子(しゅうじ)」、意味の種だ。既に一定のシニフィアンを得て、表層意識では立派に日常的言語の一単位として活躍しているものと、いま言ったような形成途上の流動的意味可能体と、無数の「意味」が深層意識の底に貯えられている。(『意味の深みへ』P259)
それを、井筒は「言語アラヤ識」と名付けた
東洋哲学の概念を借用して、井筒が創造した新たな哲学概念だ
およそ外的事物をこれこれのものとして認識し意識することが、根源的にコトバ(内的言語)の意味分節作用に基づくものであることを私はさきに説いた。そして、そのような内的言語の意味「種子(ビージャ)」の場所を、「言語アラヤ識」という名で深層意識に定位した。
「言語アラヤ識」という特殊な用語によって、私は、ソシュール以来の言語学が、「言語(国語、ラング)」と呼び慣わしている言語的記号の体系のそのまた底に、複雑な可能的意味聯鎖の深層意識的空間を措定する。
もしこの考え方が正しいとすれば、我々が表層意識面で――つまり知覚的に――外的事物、例えば目前に実在する一本の木を意識する場合にも、その認識過程には言語アラヤ識から湧き上がってくるイマージュが作用しているはずだ。
なぜなら、何らかの刺激を受けて、アラヤ識的潜在性から目覚めた意味「種子」が、表層意識に向かって発動しだす時、必ずそれは一つ、あるいは一聯の、イマージュを喚起するものだからである。(『意識と本質』」P190)
とすれば、「言分け」によって「身分け」世界を分ける、その前に「種分け」という段階を考えなければならないのかもしれません。
井筒俊彦を「巨匠」と呼び、一目置いていた
というくらいの勢いだ
インドの伝統思想
一種の言霊信仰だ
クールでドライで唯物的な、西洋の現代思想とは異なり
かなり宗教がかっている
俺は反対だな
つまるところ
人間の八識における活動と
人間の個性→集団への流れで
インフルエンサーな人間が言葉を作り
それが集団において共有されると明白な言葉になる
というたけやろ
北朝鮮なら
金正恩のお言葉が
とりまインフルエンサーだが
その反動の恨みつらみのスラングも
増えているだろう
人間個人と集団よ相互関係で
一般化された言語が生まれる
深層もなにもないだろな
😆
😆
😆
「アナタが認識しているもの。それが世界である」
「そして、アナタは言語というフィルターを通して世界を認識している」
ということだ
まあ、確かに
ソシュールが言ってることの方が、真実味があるな
世界とは、本当はどういうものなのか?
それを知ることは不可能である
集団の文化→個人の文化→集団の文化
とかリバースするように
言葉も、そのようなもの
深層ではない
集団の共有する文化雰囲気だ
そこから反動的な個人の文化が生まれたり
とかな
理論的な人文社会科学の権威は
ソシュール以外はあんまり
俺は認めてない、疑ってかかる
理系、自然科学の常識は
人文社会科学の理論よりも遥かにしんよはしてる
詳しくないのもあるけど
😆
それが西洋哲学の常識になった
言語というフィルターを通っている
言語に深甚な影響を受けている
文化という情報の遺伝子?みたいな
感じで社会に刷り込まれるが
人間は創造性があるので
その情報文化に反逆も可能である
それこそが恣意性の根源ては
と
若い頃はそんなことを探求構築していた
😆
それを、「世界とは」こういうものだ」と思い込んでいるにすぎない
哲学マニアにとっては常識だが
世間の一般人がこれに気づいて自覚するのは、極めて困難だ
限りなく不可能に近い
そんなことまで探究してたのか
すごいな?😆
認知症の脳の欠測箇所と患者の行動パターンとか、
サルの生態とか
そういう情報デーで
人間の脳の創造性について
も含めて
ソシュールの記号論から
社会の構造まで
探求していた
😆
若い頃は本気で
社会科学関係の大学の教授になりたかった
😆
社会の変化と
ソシュールの記号論と合わせながら
考察もてきるしなー
近現在政治史の本もかなり読み込んでいた
😆
瞑想正統派仏教以外の宗教探索だ
😆
リアルなカルバンの宗教内面世界とか
リアルなイスラームの宗教の内面世界とか
まだまだイメージが仕上がってないので
発見が、楽しい
😆
トマスアキナスと
発想が真逆とかなー
😆
「教学をマトモにやらず、いきなり瞑想行にふける」ことに反対している
普通の人がそれをやれば、「世界とはこういうものだ」という思い込み、信念体系がますます強化されるだけで逆効果だ
まずは徹底的に哲学して、自分の信念体系を壊す
瞑想するのは、それからにした方が良い
> だが今の俺の最大の謎探求は
> 瞑想正統派仏教以外の宗教探索だ
そうなのか~😆
通常、自分自身の信念体系がさらに強化されるだけだ
地球人類が何百年も何千年もかけて気づいたことに
短い1度の人生で気づくのは不可能
いきなり唯識論を理解するのは難しい
最初の俺の教学土台は天台小止観と空海の即身成仏義だった
瞑想は天台小止観が本格的にやった
そこから我流チベット密教
と
やっと師匠の筋の臨済宗だな
😆
なるほど、そこから入ったのか
平安仏教の2本柱から入ったんだな
単に倶舎論が、抜けてるからだと思うぞ
特に日本人の多数は😆
ロンや元仏のスレ主を読み解くには
即身成仏義は効果あるとお勧めする😆
そうだな
西洋哲学はなくてもいい
倶舎論があれば😆
しかし、なんとなく
つる切りだけやりに行くかもという気分に
😆
つる切りのみ真言宗寺院と
神社に久しぶり参り
のプランにしよう
😆
😆
https://www.facebook.com/share/r/1Kp1EFjqXZ/
ーーーーーーーーー
https://i.imgur.com/0Txh92r.jpeg
自我の危機感の表れかもね?
普通に無心、無我を、本心の萌芽に目覚めた人間が求め始めると
生後構築された自我と自我を通して作用しようとする我執(7識)、倶生我執と分別我執って言ってたものと同じかな?
まあ、これらが、言語による知識によって理解しようとし、言語を離れることを、無意識に阻止しようとします、そして、延々とそれが続くことになります
この状態を抜け出る為に必要なのが、覚醒者(ブッダ)により、言語で説かれた、勝義諦です
OSHOは、自分が延々と話すのは、あなた方を沈黙させる為だ!と言いました
事実、当時プーナのブッダホールで聴講していた2,000人ものサニャーシンは、聴くことだけで、深い沈黙へ誘われていました
このような、沈黙を生起させる、説法を、聴聞することは【受身的】に言語を阿頼耶識に入れ込む行為であり
自我の自発的行為では無い為、自我が強化されないということがあります
自発的に文章を捜して読んで記憶する行為は、知識を強化し、加えて自我をも強化することになります
自我は無心、無我を怖れます、何故なら?ソコでは自身を維持できず、自我は消え去るからです
実際に、貴殿の危惧する、瞑想だけでは、事前の言語構築世界観が強化されるだけということは、それが自我・我執による、無意識の策略に他なりません
瞑想に、入ったり出たりのものでは、自我は消えませんが、完全な無心、そう五井先生の想念停止行法による、完全な思考と妄想の停止に至ると
自我は完全に無我に転換し消えます、ではその時何がおきるでしょうか?
それは、それわ!過去の言語記憶の一時的消失です、昨日まで毎日呼んでた人の名前が、全く出て来なくなります、またすべての物の名称が出てきません!
そうです、意識が言語から切断された状態へ至ります、ソコで起こるのが、自我の崩壊と消失を経て至る【無心・無我】です
この無我は永く継続されて、大悟(心解脱)へ至ります、よって、貴殿の杞憂は、心配に及ばないと思われます。
この種子が迷いや認識を現し出す(現行)一方、仏法を聞く「聞熏習」により清浄な種子に転換し、悟りの世界を現す根源となるとされます。
唯識学派の考え方: 私たちが認識する雑染(苦しみ・迷い)の世界は、過去の認識や言葉の習得によって阿頼耶識に「名言種子」が植え付けられ、それが現れた結果と考えられています。
熏習(くんじゅう): 心の中で名言(言葉・概念)をくり返すことで、その「種子」がより深く定着するプロセス。
清浄な種子への転換: 仏教の教え(名言)を正しく聞き、心に留める(聞熏習)ことで、迷いの種子(有漏種子)を清浄な種子(無漏種子)へ転換し、悟り(転依)へ向かうとされています。
称名念仏との関連: 親鸞教学における「南無阿弥陀仏」という言葉の修行(称名念仏)は、この言葉の種子を心に植える(熏習する)意味で、名言種子の考え方が関連しています。
深層意識に刷り込んでいる
それが、唯識論の洞察
唯識論では一番大事
「龍樹の教えは世俗諦だ」とか
そこにコダワってるようじゃ、こうはならない
それも、徹底的に
それから、瞑想行をやる
この繰り返し
仏教では推奨されない
教学を軽視し、ひたすら坐禅しろというのは
仏教というより、道教に近い
坐禅をやればやるほど、貪瞋癡の3毒エネルギーが増幅され
精神破壊が進んでいる
ハロワ行けよ、低知能w
聖ウンコ師のような悪想念の持ち主が、精神を集中するのは
悪想念の増幅につながる
増幅された三毒エネルギーを、レーザービームのように発射する
馬鹿www
お前らさぁ、この国の国民に迷惑掛けるなよ?ら
今日も行く
🤡
それが真言密教の原理ね
何でもどっちからでも
無分別三昧に入れなければ
禅定すら始まらないんで
更に禅定で身心脱落を経験しなきゃ
次に完全で永続的な無心、無我へも至れず
死ぬ迄悟れません
いや死んでも悟れません
何でも良いので
その言語を弄する自我の一時停止を引き起こす為の
言語による勝義諦を聴聞することです!
受動的に脳に入れることが重要ですから
能動的では自我が強められて、無分別三昧へ入って行けないんで
デンパパコントロールを狙う🛸
なるほど
デンパパコントロールされてますな?
👽
金星へ連れていかれるかもー
👽
パーリー仏経典によれば、第四禅定において呼吸が停止するとあります、深い瞑想中で酸素の消費が著しく下がるのは何故ですか?
心肺機能が低下するからでしょうな
酸素消費量が著しく下がる主な理由は以下の通りです。
1. 極限の細胞・筋肉の安静(エネルギー消費の抑制)
筋肉活動の最小化:第四禅では、身体の動きが完全になくなり、微細な筋肉の緊張も消失します。筋肉は酸素の主要な消費源ですが、座っているだけの状態よりもさらに深いレベルで活動が停止するため、酸素消費量が大幅に減少します。
低代謝(ハイポメタボリズム):深い瞑想状態は、副交感神経が優位になり、身体活動を最小限に抑える「休息・消化」モードを超えた、自発的な「低代謝状態」を生み出します。
「心肺機能の低下」なんて言ったら、病気みたい(笑)
「低代謝状態」と言おう
4. 精神的な平穏と脳のエネルギー消費
集中と平穏:第四禅は「呼吸の有無を気にも留めないほどの絶対的な安定(捨・不苦不楽)」にあるため、思考活動に伴う脳のエネルギー消費も極小化されます。
経典と現代科学の視点
パーリ仏典の記述は「呼吸が停止する(assāsapassāsā niruddhā)」ですが、これは「死」ではなく、超・安静状態(呼吸の動きが感じられないほどの微細な状態)を指すと解釈されています。一部の説では、身体が皮膚の毛穴を通じてプラーナ(気・エネルギー)を吸収している、あるいは胎児のように呼吸の必要がなくなっていると描写されることもあります。
結論として、深い瞑想において酸素消費が著しく下がるのは、「細胞活動の停止に近いレベルまでエネルギー消費が減り、酸素を必要とせず、炭酸ガスも出ない状態」が作られるためです。
https://i.imgur.com/ST3BUj5.jpeg
六大は
幻の光明、粗い粒子だったけ
その上の極微に
本当の光明、細やか粒子みたいなのが
設定していたよーな
最近全くチベット密教へ関心向けてないから記憶が
😆
かなり近い技法を坐禅と仕事中で
やっている
今や標準装備、
それが正統な臨済禅かは不明だが
豆腐メンタル仕事やる気が、ないので
かなり使用している
そんな雰囲気なのを
😆
なんかカッコいいね
ヨガナンダの【あるヨギの自叙伝】または【あるヨガ行者の一生】のクリヤヨガの科学の章によれば
クリヤヨガの呼吸法によって呼吸の停止状態にいたると、それは
プラーナーヤーマ(呼吸法)の完成を意味するのだそうです。
描写としてこうあります
◯クリヤは、吸う息を吐く息に供給し、吐く息を吸う息に供給することで、呼吸を不要にする
また、師のユクテスワが仰向けでサマディーに入る時の描写では、
◯師は、深い呼吸を3回してからサマディーへ入られた
また、五井先生が神我一体になられた時の統一めいでの描写では
◯吐く息だけになり、吐く息に乗って神界へ昇った
とあります、つまり呼吸が停止状態になったのだと思われます
その呼吸の時
坐禅と仕事の時は
目がガン開きになってる
渋谷事変の五条悟の無量空処のように
😆
👽
1段回目は
呼吸が停止したようになって、肺は動かないが、吸排のコアの動きが微かに残っていて、微動しています
2段階目は
その微動も停止して完全に停止します
この時、完全な無心に至っているとされます
でオーって
多重人格なん?
コレだけみると
睡眠時の無呼吸症と方向性は同じだな
二重人格か多重人格じゃないのかって?
身体が動かないからね
ただ覚醒しているのかの違いでしょ
後ね
禅定三昧に入っていたのか?それとも寝ていたのか?
って分からない時があるでしょ、夢見てもいなかったけど、意識が無くなってたって時
その時どっちかを判別するには、身体が瞑想始めた時と、全く同じ状態をたもっていて、微動だにしていない時は、三昧で
首がうなだれたり、身体が傾いていたら、途中から寝てたとなる
瞑想の停止は30分とか1時間停止するんだよ
瞬間的じゃないからね
大乗仏教と無縁の人
永遠に接点がない
覚者ぶるが
ただの承認欲求セイジン👽
解った風
👽
あーなるほど
直立で坐禅することで
それを判別するんか
どっちかってとその呼吸量で足りる、んでその量がどんどん減っていく、という方向じゃない?
そうだな
瞑想も深まると
はく時間が長くなるし
吐ききった後も吸わない時間が
心地良い
まあそもそも
呼吸自体が、宇宙そもそもだしな
そうね
それと、大地に背骨が垂直だと
霊的に進化するって読んだことある
人と四足の違いでしょ
体外離脱の特徴で
俺らの場合は
横になっても、睡眠と覚醒、
その狭間は自在なんよな
何か見ている→夢見
何も見ていない→覚醒
って区分けなんだが
そうなん?
しかしだよ
夢と魔境は明らかに違うだろ
お釈迦様の悪魔よされもよくわからんことならんか
いわゆる、器世間の生成
輪廻の原因であるから
滅と言うよりは
自在、離れたが適当かと
夢ではなく
覚醒、及びその狭間にみる
神秘現象などが魔境
魔境を見ていないと言うか
触らない、発展しない(縁起、器世間生成)
厭離、離れたところが
いわゆる涅槃
唯一の基準だからね
天使であれ悪魔であれ
見ているなら
違うというだけで
ただし
神仏やグルによる啓示はその限りではないとします‼️
二つの意味があると
1つ目は
世界は顕れては消えていくという姿を見る
というもの炎が消えるような、という
2つ目は
宇宙的なBRAHMANのような大きな意識に
個人のアストラル体が融け合って消えたようになること
ニルバーナ・サマディー
「無為法」という項目があって、いくつか分類されているが
ハッキリ言って、項目が設けられてるだけ
ほぼ、有為法の話しかしていない
「永遠で不変のものなど、何もない」
という釈尊の教えは重い
そこから逸脱すると、仏教ではなくなってしまう
ある時、世尊は、サーヴァッティーのジェータ林なる給孤独の園の精舎にあられた。その時、一人の比丘が、世尊のいますところにいたり、世尊を拝して、もうして言った。
「大徳よ、この世のものにて、定恒永住にして、変易せざるものがあろうか。」
「比丘よ、この世には、定恒永住にして、変易せざるものは、少しもない。」
そして、世尊は、すこしばかりの土を爪の上にのせて、かの比丘に示して言った。
「比丘よ、たったこれだけのものといえども、定恒永住にして、変易せざるものは、この世には存しないのである。」
(サンユッタ・ニカーヤ 22:97)
虚空の実在性の問題
虚空が単一の実体であるならば、一切の場所に遍在し、全てのものを包含するはずです。しかし、虚空は色(物質)などと関係性を持つことができないため、物質を容受する性質が否定されます。
虚空が単一ではない場合の矛盾
仮に虚空が複数の実体から成る場合、それらがどのようにして統一されるのかが問題となります。虚空が物質のように部分的なものならば、それはもはや無為法としての性質を持たないことになります。
虚空の非実在性の結論
虚空は物質でも精神でもなく、因果関係を持たないため、実体として存在するとは言えません。
「虚空」など、存在しているとはいえないシロモノだ
唯識論は、その変形バージョンだ
有為法が圧倒的にメイン
原因と結果の法則
「善因楽果、悪因苦果」だ
↑
これが、善因楽果
↑
これが、悪因苦果
一見、「苦しい」は悪くて、「楽しい」は善いように見えるのだが
ここでいう「善悪」は道徳的な基準
「苦楽」はそうではないから異なる
という人がたまにいるが
まあ、仏教界にはいろんな人がいる
中にはそう考える人もいるんだろうけど
仏教のスタンダードではない
倶舎論や唯識の依他起性ゾーンは
無関心やったまー唯識の依他起性ゾーンは未だに無関心かもしれん
😆
「善因楽果、悪因苦果」という以上、
何が善で、何が悪なのかが
決定的に重要だ
倶舎論の五位七十五法、唯識論の五位百法
何が善心で、なにが悪心なのかを、
これでもかとばかりに分類している
「心法」と「心所法」は「得」によって成就されて(繋がって)います。
{無貪・無瞋・無癡・慚・愧}の心所法(有漏善)と相伴う心法です。または、「択滅無為」(無漏善)と結びついた心法です。
悪心:
{貪・瞋・癡・無慚・無愧}の心所法、または{邪見・見取見・戒禁取見}の心所法と相伴う心法です。
有覆無記心:
{有身見・辺執見}の心所法と相伴う、中性の心法ではあるものの正しい智慧の生起を妨げる心法です。
無覆無記心:
煩悩地法(大煩悩地法・大不善地法・小煩悩地法)の心所法や(善・悪・有覆無記)の心所法とは相伴わない中性の心法で、正しい智慧の生起を妨げない心法です。
反転しているのは
曹洞宗だろな
😆
有為法と無為法の統合かもしれんが
統合の解釈が
色即是空、空即是色で
天台や華厳、真言密教があったりするんだろうな
😆
そのものが占めている容積が必要であって、それが空間
そのものは、ミクロで見るとスカスカで実際は空間の容積の方が多い
また、物の容積の空間と、物の外側の空間とは、繋がっていて1つの空間である
そして、変化するということが、時間=距離=空間を証明していることになるはずです
👽
まあそれが内道か外道かって違い
内に求めるか外に求めるか
二重人格だよな⁉️
でオーってさ
そうだろ⁉️
今のお前は悪でオーか?
善いでオーは何時出てくるのかなw
言葉の力: インド哲学では、幼児が言葉を覚えることで世界を認識し始めるように、名付けという行為が世界を形作ると考えます。
「言語アライヤ識」: 比較宗教学者の井筒俊彦は、心の中にある社会慣習的な意味コードが、存在を認識させる文化的無意識の領域である「言語アライヤ識」として機能し、私たちの世界を創っていると定義しました。
実践としての認識: この視点に基づけば、自分の意識や言葉の在り方を変えることで、認識する世界をより良く変えることが可能になります。
唯識は5世紀頃のインドで弥勒や無著(アサンガ)、世親(バスバンドゥ)らによって体系化された深層心理学的な思想です。
世界がかわる
「言葉が世界を創る」という考え方は、唯識論にもある
「アナタが認識しているもの。それが世界なのである」
という世界観を、極限まで突き詰めた思想
つまり
「アナタが『これが世界だ。世界とはこういうものだ』と思っているもの。
それは,アナタが言語フィルターを通して編集した世界像なのである」
というわけだ
黒いサングラスから、茶色いサングラスに変えたようなものだ
唯識的には、それは「世界が変わった」ことを意味する
存在のあり方を認識主観とのかかわりによって遍計所執性(へんげしよしゆうしよう)(主客として実在視されたあり方),
ということやろ
😆
そういうことでしょうな😆
川^○^ハレそういうことでしょうな🤭
言葉に"依る"のならそれは依他起性で、遍計所執性ではない。
この場合は、「遍計所執性」が正しい
言語に"依る"という見極めが遍計所執性か?
依他起性 〜 仮有 生無性
円成実性 〜 真有 勝義無性
ハッスル🤡
西欧哲学信仰があるデタラメ
😆
スタンダード
大爆笑である
🤡〜
遍計所執性 ~ 妄有 相無性
依他起性 ~ 仮有 生無性
円成実性 ~ 真有 勝義無性
🤡〜
哀れだな?
🤡〜
ハッタリ〜🟣
いまは、
「人は、言語フィルターを通して世界像を編集している。
人が『これが世界だ。世界とはこういうものだ』と
思い込んでいるもの。それは世界像にすぎない」
という話をしてるとこだろ
そういうのを、「遍計所執性」と言うんだよ
それを知らないのが遍計所執性。
それを知ってるのは依他起性。
だから、支離滅裂のコンコンチキのアウアウアーなんだよ。
> 言葉に"依る"のならそれは依他起性で、遍計所執性ではない。
↑
これも、仏教用語としては別に間違っていない
だが、いまの話の流れの中ではピント外れであり、誤り
いつも、こうなんだよ(笑)
それは、知識というより、センスだ
悲しいまでに、センスが無い
言葉が世界を作るという流れを作ったのはJBLだろ?
自分で作った流れを忘れてどうすんだよw
wwwwwwwwwwwwwwwwww
今はそれには言及しない。
井筒俊彦を紹介したのは俺だけど、JBLにはまだまだまだまだ、早過ぎるなwww
井筒俊彦は、20年前から読んでいる
イスラム関連がメインだが
「意識と本質」も読んだ
半分くらいが井筒俊彦によるもの(笑)
> まぁ、言葉が世界を創るというのは、ちとあれだけどな。
> 今はそれには言及しない。
そこから、すでに話が展開してるんだよ
でお~様と麦には主旨が伝わったが、
お前だけ理解できてない(笑)
> そこから、すでに話が展開してるんだよ
んじゃ、
>だが、いまの話の流れの中ではピント外れであり、誤り
というのは間違いだな?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
読んでて出てこないって事は、背表紙だけ本屋で見ただけだろwww
井筒俊彦のオリジナル思想だからな
∞ノノハ∞
川^○^ハレそうそう
三性を「側面」から見ているか「意味」から見ているかですもんね
紫色のおじさん🟣よりも
wwwwwwwwwwwwwwwwww
ホントにアタマワルイ
悪過ぎる
🤡
構造的な無意識: 単なる個人の記憶ではなく、集団的・文化的に共有された「意味可能体の貯蔵所」。
意味の種子: 特定の文化において、言葉がどう意味をなすか(認識の枠組み)を決定する要素が、この深層に沈澱している。
井筒の構造主義: 言語そのものが存在論的な世界構築力を持つとし、この「言語アラヤ識」から具体的な言葉や概念が結晶化・現行化すると解釈した。
言語はコミュニケーションの道具だと思われている。
実際にコミュニケーションの道具になる。
例えば「傘を持ってきて」と誰かに言えば、傘を持ってきてもらえたりする。「傘」という言葉は、拡がって雨水が身体に降り注ぐのを防いでくれる”あれ”のことを表すのだ、「みんな」が同じようにそう知っているのだ、と、私たちはしばしば思っている。
ところで言語を異にする外国の人などとの交流経験が豊富な人であれば「みんな」が”あれ”を「傘」と呼ぶわけではないと言うことも知っているはずである。日本語を解さない人に対して「傘を持ってきて」とお願いしても、何も持ってきてもらえない可能性が高くなる。さまざまな言語が”あれ”をさまざまな音声で呼び、文字で書く。
それでも雨を遮りる"あれ"は”あれ”であり、"あれ"を「カサ」と呼ぼうが、「アンブレラ」と呼ぼうが、"あれ"が”あれ”であることは絶対に揺るがない、そう考える向きもある。さまざまな言語は"あれ"に対してぞれぞれ違った音の「ラベル」を貼り付けているだけで、ラベルさえうまく張り替えれば「翻訳」ができて、コミュニケーションも成功するはずだ、と。
井筒俊彦氏が論じているように、20世紀の言語論(学)的転回と呼ばれる思想の潮流に大きな影響を与えたソシュールの言語論や、それを1000年以上も遡る例えば華厳哲学などの言語論などでは、言葉を"あれ"に貼り付けられるなんでも良いラベルのようなものだとは考えない。
そこで言葉は、意味分節作用として考えられる。
意味分節作用。つまり言葉とは、区別をすること、分節をすること、である。
「地球上に存在する諸言語の一つ一つが、それぞれ独自の「現実」分節の機構を内蔵していて、それが原初的不分節(未分節)の存在をさまざまの単位に分節し、それらを人間的経験の色々な次元において整合し、そこに一つの多層的意味構造を作り出すのである。」(井筒俊彦「文化と言語アラヤ識」全集第八巻P.156)
その区別する作用と、その作用の結果として残されたものともの同士の区別と対立を材料にして、私たちは私たちにとっての「現実」を意味ある対立関係から成り立つ世界として経験するようになる。
「現実」は一つのテクストだ。「現実」は初めからそこにあるものとして、客観的に与えられたものではなく、人間が言葉を通じて有意味的に織り出していく一つの記号空間である。(井筒俊彦「文化と言語アラヤ識」全集第八巻P.178)
「現実」の手前に言葉がある。
「現実」と「非現実」とを区別しているのが言葉である。
現実が言語と関わりなくまずそれ自体としてあって、それにラベルのような言葉が貼り付けられていくとは考えない。「現実が先にあって、言語が後から付随する」という順番では考えないのである。
最初の一撃を加えるのは言語である。というか、言語として現象すると捉えられることになる、分別、分節化、区別すること、などと呼ばれる出来事である。
分別、分節化、区別すること。その後に、分節された項目たちの関係の網の目として、「言語」と「現実」の両方が、それぞれ影のような姿を現すわけである。
現実もまた分節作用の産物である。
それは、私たちが、言葉のかたまりとしての「言語」の中に閉じ込められているということを意味するのだろうか?
「言語」によって作り出されたイリュージョンのあれこれを、現実だ非現実だと言いながら、喜んだり汲々としたりしているのだろうか?
言語の檻を抜け出して、その外に広がる「本当の現実」に辿り着くことはできないのだろうか?
この問いに対する答えは、全て「イエス」でもあるし、「ノー」でもある。
「イエス」であれ「ノー」であれ、「問い」を構成する言葉の塊を是非の対立関係のどちらかに置き換えることができるというのは、この問いも、またその是非も、ある言葉の分節体系を前提にしているからである。
「イエス」でも「ノー」でも、そう言うことを言えるのは、ある一連の言葉として顕現する分節作用の組み合わせの中で、論理として矛盾なく成立すかどうかという話である。
「本当の」などと言って、それをイエスとノーの対立のどちらに置き換えるかを考えようとすること自体が、「本当」と「本当ではない」を区別し、「イエス」と「ノー」を区別し、その二つの区別をどちらの方向で重ねようかと思案していると言う、あまりに言語的な仕業である。
「東洋哲学の諸伝統を通じて、根深い言語不信が働いていることは注目に値する。…コトバの意味表象喚起作用に謀られた人間意識の「妄念」すなわちコトバの生み出した現象的多者を、客観的にそのまま実在する世界と思い込む人間意識の根本的な誤り、を打破して、その基礎の上に、絶対無分節者の立場から見た分節的世界の真相を、改めて捉えなおそうとする試みなのだけれど、…この「妄念」を打ち破るには手間がかかる。
(井筒俊彦「文化と言語アラヤ識」全集第八巻P.167)
このイメージは、一面では確かにそれらしいが、実はそれは一つの見かけ上のことである。
なぜなら、言語は二つの様態を持つのだから。
言語の二つの様態。井筒俊彦氏はそれを表面構造と深層構造と表現する。「面」と「層」の使い分けが鍵である。
だが、コトバには、いま述べたようなアラヤ識的基底がある。コトバを社会制度としての言語(ラング)の側面だけに限定してみる人は、言葉の表面構造だけしか見ていない。そこには慣習的な意味を担う慣習的な記号のシステムがあるだけだ。(井筒俊彦「文化と言語アラヤ識」p.178-179)
言語の表面は「使い古されて色褪せた記号のコード」の体系として見え、「ほとんど化石化した意味の構成する、固くかたまった動きのとれないシステム」に見える(井筒俊彦「文化と言語アラヤ識」全集第八巻P.179)。確かにそれは、私たちを閉じ込める檻のようだと言っても言い過ぎではなさそうだ。
言葉が分節作用としてのその正体ではなく、効率的でスマートなコミュニケーションの手段・道具としての仮の姿を表すのは、この見かけ上の安定性においてである。
しかし、言葉には深層もまたある。
この深層は「アラヤ識的基層」とも呼び変えられる。
言語の深層は「創造的エネルギーにみちた意味マンダラの溌剌たる動き」に満ち溢れている(井筒俊彦「文化と言語アラヤ識」全集第八巻P.179)。
創造的で、溌剌たる動き。これは人を閉じ込め縛り付け身動きできないよう固めてしまう何かとは、ずいぶん様子が違う。
西洋哲学じゃないかなあ?
一神教文化
神の言葉の絶対性の世界のじゅうにんでなきゃ
イスラームやスーフィを研究したりしないでしょう
俺も神の言葉で霊的遊べるけど
仏教を想定するのは
なかなか無理筋だろなー
逆にイエスズ会の
門脇神父の方が仏教を理解してるだろなー
😆
ハッスル様の誤読の始まりだろな
プラス鈴木大拙
😱
欠陥ロボット「でおーチャッキー呪術人形」お焚き上げ中
凶悪ロボット人形でおーチャッキー🔥🔥🔥
そしてこの全体的意味マンダラの一領域として眺められる時、一見、制度化され、因習化し、枯渇し切ってしまったかのように思われていた「外部言語」すら、意外な生命力を示しはじめるだろう。なぜなら、コトバの表層構造も、本当は、アラヤ織それ自体の外化形態に他ならないのだから。(井筒俊彦「文化と言語アラヤ識」全集第八巻P.179)
表面構造も深層構造も、どちらも同じひとつの言語の生き生きとした躍動が示す二つの影である。表面構造と深層構造は、別々の二つのものではない。あくまでもひとつの事柄であり、一つの事柄が見せる二つの顔なのである。
この区別は、「良い」と「悪い」の区別とは関係がないことである。
表面のコミュニケーションと、深層のコミュニケーション
言葉を表面構造と深層構造の二つの姿で捉えることは、特に「コミュニケーションが成立しない」と言われるような状況にあって、強力な思考の力を授けてくれる。
何をどう言っても話が噛み合わない。
懇切丁寧に説明し、説得しているのに、わかってもらえない。
私たちの日常は、リアルでもバーチャルでも、そんな場面で溢れている。
こうしたコミュニケーションが不可能なのではないかと思われるところで、言葉をその表面構造ではなく、深層構造を動的に生成し続ける分節作用として思考することが力を与えてくれるのである。
[…]しかし、もし我々がコトバの深層領域に気づき、それに注意を向けるなら、文化の本源的言語性に関する我々の見方は根本的に変わってしまうだろう。(井筒俊彦「文化と言語アラヤ識」全集第八巻P.179)
コミュニケーションには、表層のコミュニケーションと、深層のコミュニケーションの二層がある、と考えると良い。
私たちがしばしば直面する「話が通じない」型のコミュニケーション不全は、表層のコミュニケーションで生じる。互いに言葉を交わし合い(時に投げつけ合う)二人の間で、それぞれが寄って立つ言葉の分節体系が異なっているのである。
しかし、字面の上では「同じ」「一つ」の語でも、二人の人の間では、その「語」がどういう対立関係の重ね合わせ(対立関係のネットワーク)の中で、どのポジションを占めるかが異なる。
この二人は、ある一つの同じ言葉を用いて「同じこと」を論じているようで、全く異なった対立関係のネットワークを動かしているのである。それでは話が通じないのは当然である。
そこでは語は、表層のシンボルとしては「同じ」であるけれど、意味が全く異なるのである。
「異文化の接触とは、…異なる意味マンダラの接触である。…意味マンダラは、特にそのアラヤ織的深部において、著しく敏感なものだ。刻々に生滅し、不断に遊動する「意味可能体」は、それ自体において既に、本性的に、限りない柔軟性と可塑性とを持っている。まして、異文化の示す異なる意味マンダラに直面すれば、鋭敏にそれに反応して、自らの姿を変える。(井筒俊彦「文化と言語アラヤ識」全集第八巻P.181)
それはあくまでも「すること」であって、何か固まった出来合いの「もの」ではない。分節すること、区別することは、動きである。常に動き続けている。
動きであるが故に、それは「本性的に」「柔軟性と可塑性」を持つのである。
水面の波紋を思い浮かべていただくと良い。
ある同心円を描く一つの波紋に、別の波紋がぶつかると、二つの波が新たな構造を描き出す。区別することは、そのようにして、ちょうど波の高いところと低いところの区別が動き続けるように動き続ける。
表面のコミュニケーションを、出来合いの固まった分節体系を棍棒のように使って「殴り合う」ことだと比喩的に言うならば、対する深層のコミュニケーションは、常に動き続けている二つの分節作用のさざ波を共鳴させることである、と言えるかもしれない。
今や言葉は「ビッグデータ」の一つとして、人間による読み書き解釈を介さずにアルゴリズムによって変換されたり配列されたりするものになっている。
今や言葉は、「同じ人間同士」のコミュニケーションから、多数の「異文化」の人間の間のコミュニケーションへ、そして従来は「人間」からはっきりと分け隔てられていた「機械」のような他者とのコミュニケーションに巻き込まれている。
あるいは地球環境の壊滅的な変容は、人間を、これまた従来は「人間」からはっきりと分け隔てられていた「動植物」や「自然」とのコミュニケーションへと誘っている。
そうなるとますます、分節すること、区別すること、分別をつけること、その「やり方」を柔軟に動かし続ける余地を、私たちは保ち続けなければならないということになる。それも「忙」しい日常のさなかでそうしなければならない
人は、混沌とした夢の中のような世界で生きることになる
そのままでは、漠然としたイメージにすぎない
夢の中のような世界で生きている
やはり
キリスト教神秘主義における神の言の
解釈の延長線にある感じがする
スーフィもキリスト教神秘主義よ影響から
生まれたらしいしな
😆
瞑想系統仏教とキリスト教の違いは
キリスト教のほうは
聖書における「神の言」による霊的先行がある
スーフィも恐らく、それだろう
そういうのを井筒氏に感じる
仏教は言葉は、説明は二の次
瞑想に関しての言葉説明、
俺が
現に霊的観測している事実だ
😆
瞑想系統仏教と
その他の宗教、信心系統の非瞑想系統仏教も含む
の間に
感覚的に
相当な断絶がある
瞑想系統仏教は
瞑想がメインで言葉はオプション
その他宗教は
霊的言葉先行のシステムとして
俺は観測している
😆
霊的言葉先行のシステムとして
の宗教研究が
探求の娯楽のメインディッシュになっている
😆
この霊的な流れは
霊的言葉の先行によってストーリーが進められている😆
https://m.youtube.com/watch?v=SamaXPzF8lo
なんらかの呼吸法、呼吸感覚に
宗派別の教義解釈が乗る感じで
言葉が先行というわけではない
😆
言葉先行させる
ハッスル創作仏教は
イミフ感が濃くなる
😆
いくら言葉先行させても
日蓮や池田大作は
瞑想系統仏教が目的ではないので
言葉による霊的解釈を
先行させても違和感にい
念仏、山伏、神仏習合は
本来的には
霊的言葉先行の宗教だろう
ま、俺サイドからすれば
自動瞑想系統仏教扱いスイッチに簡単に入るけど〜
😆
いくら言葉先行させても
日蓮や池田大作は
瞑想系統仏教が目的ではないので
言葉による霊的解釈を
先行させても違和感がない
話は
やはり、言葉先行だろな、あれは
俺は瞑想系統解釈スイッチで読んでしまうが
😆
寒い朝を除いて
健康の為に
炭水化物ダイエットを遂行するに決めた
さて土曜日よお楽しみ
カラムーチョタイム開始
😆
だがぎっしり腰危険シーズンだ
😱
無加工のままでは意味を成さない
世界は漠然としたイメージの混沌状態にすぎない
人は、夢の中のような混沌としたイメージに
埋没して生きることになる
具体的には以下のようになるでしょう。
文明の停滞:狩り、子育て、掟の共有など、複雑な協力を設計する装置が失われる。
思考の制限:脳内でのモヤモヤした考えや感情を整理できなくなり、自己理解が難しくなる。
遠隔コミュニケーションの消失:文字や言葉がないため、物理的な距離や時間を超えた情報伝達が不可能になる。
本能的な関わり:言語以外の手段(身振り、表情、音、アートなど)での感情の共有が主となる。
言葉は、単なる情報伝達の手段を超えて、人類が協力し文明を築くための根幹と言えます。
感覚のみの世界:目の前の「赤いモノ」は単なる赤いモノであり、それは「リンゴ」や「情熱」という名詞や概念とは無縁の、生の感覚体験となります。
「現在」に生きる:「明日」や「昨日」という概念がないため、時間は連続する「今」の積み重ねとなります。
直接的なコミュニケーション:相手の意図は言葉(ラベル)ではなく、表情、しぐさ、音、行動という肉体的なサインからのみ理解されますnote。
分断された知識:知識を共有・蓄積できないため、個人の経験が知識のすべてとなり、文明は形成されません。
結果として、世界はより直感的で、刹那的で、動物的な感覚で知覚される世界になるでしょう。
冒頭は
初め言があった
ま、西欧文化やな
かなりハッスル🤡様燃えてるなー
俺は曹洞宗寺院勤行と
今日は無住の真言密教寺院の
木をノコギリで15本くらい切った
大きいので直径10センチクラスのを2本
よ〜さ〜く〜〜〜
よ〜〜〜さ〜〜〜く〜
♬
本書は終盤で言語が存在する本質的な意味合いについても触れている。著者が言うには、人間は言語を介して全く違うモノ同士を同じカテゴリーに当てはめ、そこから類似性を発見することによって未知のものに対しての対策を取ることができるのだという。
それらのカテゴリーに名前がつけられると、人はそれらを「同じもの」として認識し、モノ同士の見た目が大きく違っていても、名前の共有を手がかりに、見たことがないモノの性質や行動について、予測をすることができる。
例えば「椅子」がある。世界にはさまざまな形の椅子があり、その種類は無限と言ってもいいかもしれない。仮に世界に「椅子」という分類が存在せず、全てAとかBとかの固有名詞で呼ばれたらどうなるだろうか。おそらく我々はそれらに出くわすたびに「これは勝手に座っていいのだろうか? そもそも座るものなのだろうか? 座ったら怒られるんじゃないか?」と悩むことになるのではないだろうか。しかし実際にはそんなことにはならない。なぜなら我々はその形や設置してある場所などから類推してそれらを「椅子」と判断できるからだ。
だったやろしなー
預言者は
言え、言葉だ
中東西欧文化だ
「つまり、言語は、子どもに、自分以外の視点から世界を眺めることを教え、世界を様々に異なる観点からまとめ得ることに気づかせ、様々な切り口、様々な語り方で自分の経験を語ることを可能にし、さらに、経験を複数の様々な視点、観点から反芻することを可能にするのだ。そのことに対する気づきそのものが、ヒトの子どもを、ヒト以外の動物が持ちえない、柔軟な思考へといざなうのである」
言語の最も偉大なところは、無限に存在する事象の「分類」を可能にしたことなのだろう。だからこそ動物と違って人間は未知のものにも法則性を見出して立ち向かうことができるし、その結果から学習することもできる。
と認識できるのは
「椅子」という言葉のおかげ
https://www.air-r.jp/magazine/wp-content/uploads/pickup-chair-comfort90.jpg
社会の秩序は、成り立たなかった
そういう言葉の社会になんで
民法やデモクラシーが成立できたわけだ
😆
欧米の言語哲学だ
違うと思うな~
儒教の言葉で江戸幕府は管理したんやろなー
😆
中観派はとくにそうだ
でも、こうではないと思う
民法やデモクラシーみたいな新しい社会制度は無理だろうな
やはり言葉による秩序の文化があってこそだ
😆
言語のテーマはかなりソシュール中心と
歴史検証でかなり本を読んでいる
😆
視覚や聴覚で情報が集まる
→ 言語で世界像を編集する
→ 自分自身が編集した世界像を、「これが世界なのだ。世界とはこういうものだ」と思い込む
これこそ、この仮想世界が現実化するシステムだ
これに、「名前を付ける」ことが重要だ
何度も名前を呼んでるうちに、確固たる「存在」と化す
情報、文化の形成発展でいいんじゃね?
😆
日本は天皇制というラング、シンボルで良くも悪くも国民を統合していったんやし
😆
遺伝子みたいに記憶で語り継がれ
強固なランクになったりするみたいなー
😆
近代政治史マニアで
なんとなく、そういう制度システムがある感
むろんチャイナやロシアには
んなもん無い、
民法やデモクラシーの
記憶と文化の継承がない
😆
国家な承認して
国民の中で自然なものになっているが
ロシアやチャイナは
そんなわけにいかん
報道の自由や人権というラングの記憶文化の継承は社会、国家には
無い
😆
言葉の実態やろなー
と
社会科学の教授職になりたかった俺は
30代前半まで本を読みまくり歴史政治史のデータを見ながら
言葉と制度の意味を研究していた
既存の社会科学の権威を信用せずに
😆
社会科学は伝統無視派だ
😆
そうだったのか~😆
禅に関心がない
朝の勤行と
仕事の修行で
禅はお腹いっぱいだ
😆
ハッスル🤡イジリ意欲が低い
😆
ベラボーに上手い
😆
ハッスル火山が噴火してた🌋
楽しそうだな?
デンパパ📶は
みんなに相手してもらってるのかな?
関心がないので細かく見てない
ノコギリ切り10本の疲労感のせいか?
😆
んにゃ
ハッスル軍団はいつものことだが
軍団内の相互交流がない(笑)
ハッスルも
デンパパ📶も
あいつら
余程寂しがり屋やなー
😭😭
やはり休日は
プロテスタントだ
😆
言語思考者 (Verbal Thinkers)
特徴: 文章、音声、論理的な順序で思考する。概念の整理が得意。
強み: 文章作成、口頭説明、抽象的理論の理解、時間管理。
傾向: バインダーに資料を整理するなど、きっちりとした整理を好む。
視覚思考者 (Visual Thinkers)
特徴: 絵、画像、写真のようなイメージ、パターンで思考する。
強み: 図解、地図の理解、物体・空間の認知、創造的なアイデア出し。
分類:物体視覚思考者(写真のような鮮明なイメージ)と空間視覚思考者(パターンや概念的関係性)に細分化される。
傾向: 複雑なことを絵や図で理解し、会話では要点を即座に映像化する。
言語思考者:学校の授業、書類作成、理論的なプレゼンテーション。
視覚思考者:エンジニアリング、デザイン、プログラミング、複雑なシステムの全体像把握。
この2つのタイプは、異なる視点を持つため、ペアやチームで協働すると高い成果を上げやすいとされています。
世界を創造する力: 言葉は現実を超えて世界を創造する力であり、思考や文明の進化を促進した。
現実化のプロセス: 言語化能力(語彙力、抽象・具体の使い分け)が高い人は、頭の中のアイデアや感情を整理し、分かりやすい現実(文章や行動)として出力できる。
言語の現状と多様性: 2023年時点で世界には約7,168の言語が存在するが、約40%が消滅の危機にある。一方で、上位23の言語が世界人口の半分以上に使用されており、インターネット上では英語、中国語、スペイン語が主要な言語となっている。
言語と世界の相互作用: 物理的・文化的分離が新しい言語や方言を生み、それがまた新しい視点を世界にもたらすという、進化のサイクルがある。
言語は単に「ある」ものを説明するのではなく、言葉に
> 禅語録に関心無い~
それだと、仏のスレには参加できないな~😂
言語のことばっか考えてるものだ
言語の限界を超えることに成功した😆
クリスチャンや牧師から山程もらったが
あんまり読んでない
カルバンとファンダメンタルズ系統ばかり
プロテスタントに関心が出てきたので
読もう
そのうちうたた寝もするだろう
😆
奇跡を信じているようだな?
ディスベンの信仰生活も知らん関心薄いので
やっはり、中川健一の信者は
中絶反対運動だな
日本人信者でも
😆
ファンダメンタルズの一部なので
進化論否定
地球形成の歴史否定
中絶反対が必須項目だ
イスラエル支持は
ファンダメンタルズの全てが
イスラエル支持ではない
😆
仏教では、「釈尊は言語の限界を超えて、真理を言語化することに成功した」と考える
西洋哲学では、「言語の限界を超えるのは不可能」と考える
そりゃそうだ
中川健一が信じなかったら、誰が信じるのだ?😂
「人が見ている世界は、本当の世界ではない。
本人が言語によって創り上げた世界像。
それを、『世界とはこういうものだ』と
思い込んでいるだけなのだ」
という点については、共通する
古代インドと、近代ヨーロッパ
古今東西の哲学史の二大頂点は、
同じ結論にたどり着いたのだ
そこから先が大きく異なる
仏教哲学の場合は、
「こんな虚構の仮想現実から抜け出して、
実相の世界を知ろう」というような
感じなのに対して
西洋哲学の場合は
「この世には、神も天使もいやしない。
すべては偶然の産物にすぎない。
あの世もない」
というような、唯物論へと向かう
だから生きてる間は、精一杯に生きよう」
というのが、西洋哲学の実存主義だ
> 仏教哲学の場合は、
> 「こんな虚構の仮想現実から抜け出して、
> 実相の世界を知ろう」というような
> 感じなのに対して
仏教哲学といっても、倶舎論や唯識論の場合だ
中観派は、「実相の世界」というような概念を好まない
https://i.imgur.com/E7tiOM9.png
> 「こんな虚構の仮想現実から抜け出して、
> 実相の世界を知ろう」というような
> 感じなのに対して
仏教哲学といっても、倶舎論や唯識論の場合だ
中観派は、「実相の世界」というような概念を好まない
そういう言い方をあんまりしない
「仏教では、こう考える」
というような前置きをしてから、
中観派の考え方を述べる
だが、それは仏教全般に通じない
倶舎論や唯識論では大きく異なる
言語によって構築された、虚構の仮想現実だ
「円成実性」というのは、実相の世界だ
中観派には、コレがない
夢の中のような、混沌とした無意味があるだけだ
マトモな世界像は作れない
牛肉は美味しそうだ
😆
ハッスル、リダン、麦では
イミフで
どーしようもない感があるな?
😆
ハッスル軍団は盛り上がってるな?
少しは見やすくなるだろうけど
禅談義に意欲がない
やはり文字を読むならプロテスタントだ
カトリックはトマスでかなり満足した
😆
ニーズがないとなー
曹洞宗でも
まー
ほんまにロンやら
元スレ主みたいな
レスする意欲がない、
やはり探求は偏狭過ぎるプロテスタントに限る
偏狭な宗教程謎が多い
😆
😆
😆
正教会やカトリックの聖者は天国で我々を助ける為に祈ってくれている
というのを
最近学んだ
キリスト教は、そういうマニアな情報は楽しい
日本の山伏念仏系統も!そのような要素があり、日蓮は超神格化されている
どの宗派も凡夫布教で
開祖当人の感覚以上に
神格化される傾向にある
😆
遥かに神格化された言葉の魔力ご作動する日本の仏教でも
聖徳太子の前世は天台智顗とか
聖徳太子の後世は、最澄とか空海とか、
鎌倉時代の本覚思想の強い山伏念仏密教では、そーいう現在に通用しない前世譚が
まかり通っていた
論文で知った
😆
道元の神格化の傾向は
多くの寺院に残っており、
それが葬式の亡者の血脈による
亡者の出家行事になっている
江戸時代中期に問題とされた
悟りを探求しない曹洞宗寺院が多数派である
俺の曹洞宗悟りより悟っていない
曹洞宗僧侶はたくさんいるだろうな
😆
😆
俺が2ちゃんねるで
セッタン語録をコピーしたのを精読しているので
ハッスルや麦やデンパパ、リダンより
禅を知識的に理解している
😆
安堂殿がハッスル達を上回ってるな👍️
やたらレスが
仏のスレでは多い😆
阿頼耶識(アラヤ識):仏教の唯識思想で、すべての経験を「種子」として貯蔵する第八識。ヒマラヤのような「蔵」を意味する。
言語アラヤ識:井筒俊彦の概念。社会的な言語慣習、記号システムが個人の深層意識(文化的無意識)に沈殿・蓄積された状態。
名言種子(概念):アラヤ識に蓄えられた言葉の可能性、言葉の「種」。これが意識表層へ出ていくことで思考や発話が生まれる。
井筒はこれを、言語は静的ではなく、深層の「意味マンダラ」で常に創造的に動いている流動的な全体構造として捉えました。
そこに蓄えられている
「種子」(潜在的「意味」形象)が、活性化されて、
我々の表層意識の領域に働くからこそ、
我々は、その都度、世界を有「意味」的存在秩序として経験する」
当の何かとして現象することと切り離すことができない。」
「このことは、何かが存在するのは必ず
何らかの存在秩序の対してであることを意味する。」
「このような存在秩序がしばしば「神」、
すなわち「絶対者」と呼ばれてきた」
そして「神の前に/に対して世界がそのようなものとして
姿を現したとき、世界は存在するに至った」
空海が説いた「法身」である「大日如来」の「真言」も
「絶対的な存在者「法身」が世界をそのようなものとして分節化し、
この意味で「コトバ」である(「説法」する)ことを以って
世界が存在するという事態だった。」
今から四十年も前、その頃、若年の私は慶應義塾大学の文学部の教壇で、言語学を講義していた。
私が習い、かつ自分でも教えることになっていた従来の言語学が、「意味」という現象を、いかにも自明の常識的事実として、こともなげに取り扱っていることに、私は不満だった。」
「従来の言語学が、ともすれば、平板な「意味」の見方に満足してしまいがちなのは、元来、この学問が、コトバの「意味」機能を論述の対象として取り上げる時、コトバそのものを、主として、それが社会慣習的にコード化され、システム化されて働く次元に限定して考察する性向をもつからである。」
これを論じたのは、ジャック・ラカンだった
しかも、この「薫習」のプロセスは、個人としての我々の個人的経験だけに終始するものではなく、そこには、先行する諸世代の全ての人の全ての経験が、文化遺産という形で含まれる。つまり、我々がまったく気付かないうちに、我々の実存の深みは、まず自分自身の、そして結局は全ての人の経験の痕跡をとどめていく、というのである。
人間のこころの機能を、表層から深層に及ぶ八つのレベルに分けて構造モデル化する伝統的な唯識の意識論では、このように過去の一切の経験が「意味化」して蓄えられる内的場所(トポス)として、この構造モデルの最深層(第八番目のレベル)を措定し、これを「アラヤ識」(文字通りには「貯蔵庫意識」)と名づけ、そこに貯蔵される「意味」を「種子(しゅうじ)」と名づける。
だが、「意味」は、その本性上、「名」を呼び、「名」を求めるものである故に、「アラヤ識」は、また、全体として、根源的に言語的性格を持つ。とは言っても、勿論、均等的に、ではない・「アラヤ識」の言語性には、いわば凸凹があるのだ。先刻も書いたとおり、人間の経験は、大ざっぱに見ても身・口・意の三つの系統があるのであって、すべての経験が、直接、コトバの経験であるわけではない。
「数限りないこれらの潜在的「意味」形象の全体を理論的に想定して、私はそれを「言語アラヤ識」(あるいは「意味アラヤ識」)と呼ぶ。すなわち、唯識哲学の説く第八「アラヤ識」を、強弱様々な度合いにおいて言語化された「意味」エネルギーの、泡立ち滾る流動体として、想像するのである。」
「名言種子」が、普通の種子とは区別された
言語活動の基盤: 無意識は、ただの混乱した欲望の場所ではなく、辞書のようにシニフィアン(記号・言葉)が連鎖して機能する場所であると主張しました。
他者の言説: 自分の無意識的な思いや行動は、実は言語、文化、社会など「大文字の他者」から植え付けられた言葉やルールに基づいているということです。
言語が主体を作る: 私たちは言葉を使いこなしているつもりですが、実際には「私」という言葉を覚え、社会の言葉体系に参入することで、人間として認識され、構造化されます。
言葉の優先: 言葉が先にあって、その言葉の枠組みに後から自分の感情や現実を当てはめるため、言葉で表現しきれないものが無意識に蓄積されます。
完全な自己は存在しない: 言語で自分を表現しようとしても、言葉は「今の自分」を完全には表せないため、主体は言葉による「意識」と「無意識」の間で引き裂かれています。
欲望のメカニズム: 本当に欲しいものが言葉では表せないため、私たちは代替品を求め続け、欲望し続けます。
鏡像段階: 幼児は鏡に映った自分の像を「自分だ」と認識して自我を作りますが、それはイメージ(想像界)であり、本当の自分とはズレがあります。
象徴界(言葉の世界): 子供が言葉(ルール)を覚えることで、この想像的な世界から、社会的な「象徴界」へと入っていきます。
歴史動画とか見るのが好きだけど
人権とかない人類の歴史は長い、
案外なんでも金、略奪、人身売買なとの
野蛮の限りの
歴史か人類の歴史の多数
😮
意味不明なことで知られる
極めて難解な文章だ
地球人類の歴史はハチャメチャだ😫
歴史動画とか見るのが好きだけど
人権とかない人類の歴史は長い、
案外なんでも金、略奪、人身売買なとの
野蛮の限りの
歴史か人類の歴史の多数
😮
儒教や仏教の思想で国民を管理する社会意識はあっただろうからなー
文化が豊かだったし
室町時代の応仁の乱以前よりも
江戸時代は安定してたやろしなー
😃
織田信長が勢力伸ばして京都を安定支配してから文化濃度が高まったやろしなー
戦場になる田舎は
信長秀吉の足軽の略奪人身売買芸で
神社仏閣は片っ端から破壊されたらしいからなー
😱
応仁の乱でも
😱
金閣寺の歴史的概要
1397年(応永4年): 将軍・足利義満が京都北山に山荘「北山殿」を建設。ここを本拠地として、北山文化が花開きました。
1408年(応永15年): 義満の死後、夢窓疎石(むそうそせき)を開山として禅寺とし、義満の法号「鹿苑院殿」から「鹿苑寺」と名付けられました。
1467年(応仁の乱): 多くの建物が焼失しましたが、金閣は焼失を免れました(のちに被害を受ける)。
1950年(昭和25年): 23歳の僧侶の放火により、国宝だった金閣(舎利殿)が全焼(金閣寺放火事件)。
1955年(昭和30年): 舎利殿が再建され、現在の姿が復元されました。
1987年(昭和62年): 大規模な修復工事で金箔が貼り直されました。
江戸時代の日本は、それ以前の日本とは別の国
コトバの意味は言語アラヤ識から浮かんでくる!
ソシュールの主張した「能記(シニフィアン)と所記(シニフィエ)の関係は恣意的であり、現実においてなんの自然的契合をも持たない」という言説は、現代社会の言語学や記号学では常識とされてきました。だが、本当に的を射ているのでしょうか。
すでにさまざまな批判や反論が行われていますが、最も本質的な批判は井筒俊彦先生の言説だ、と筆者は思います。
まずソシュールに主張する「言語の恣意性」については、次のように指摘します。
ソシュールは言語(ラング)を一種独特な記号学的「相異」の連関網目構造として規定した。「言語には相違しか存在しない」(中略・・・という)、ソシュール言語学のこの有名な基礎命題は、要するに言語記号の実体性の無条件的な否定である。
能記(シニフィアン)の側であれ、所記(シニフィエ)の側であれ、記号というもの(実体)は存在しない。ただ諸辞項間の相互的「相異」関係のみがある。ものがあって、それらの間に相互関係が出来上がるのではなくて、関係性が諸辞項を、あたかも実在するものであるかのごとくに成立させる、というのだ。(『意味の深みへ』P108)
コトバの表層領域とは、言語の社会的約定的記号コードとしての側面――無論、それに基づいてなされる人間相互間のコミュニケーション、つまり発話行為を含めて――ということ。このような偏向性における言語論は、必然的に、コトバにたいする水平的(ホリゾンタル)なアプローチとなり、人間の言語意識を、いわば深みに向かって掘り下げていく垂直的(ヴァーチカル)なアプローチはほとんど完全に無視される。
フロイト派の深層心理学の特殊分野におけるラカンの言語論とか、近年のクリステーヴァの「ル・セミオティーク」の如き、注目すべき例外はあるとしても、西洋の言語学の圧倒的大勢は、言語にたいして、いま言ったような意味でのホリゾンタルなアプローチによって特徴づけられる。チョムスキーの語る「深層言語」にしても、深層とはいうものの、それは実はデカルト的な普遍的理念構造を措定するだけであって、依然としてホリゾンタルなアプローチであることに変わりはない。(『意味の深みへ』P254)
現代の言語学者は、社会的記号コードとしての言語(ラング)の対立項というと、すぐに発話行為(パロール)を考えるのを常とする。ラングとパロールとは相関的、相補的概念だ。
しかし本当は、ラングとパロールとをそのまま表面的に並べる前に、ラングの底に伏在する深層意味領域というものを考えなければならない。そうしてこそ、はじめて、いわゆる意味の「太古」の薄くらがりのなかから立ち現れてくるパロールの創造性の秘密を理解できるのではないか、と私は思う。(『意味の深みへ』P255)
表層的シニフィエの底辺部には、広大な深層的シニフィエの領域が伏在している。そればかりではない。言語意識の深層には、まだ一定のシニフィエと結びついていない不定形の、意味可能体の如きものが、星雲のように漂っているのだ。
まだ明確な意味をなしていない、形成途上の、不断に形を変えながら自分の結びつくべきシニフィアンを見出そうとして、いわば八方に触手を伸ばしている潜在的な意味可能体。まさに唯識の深層意識が説く「種子(しゅうじ)」、意味の種だ。既に一定のシニフィアンを得て、表層意識では立派に日常的言語の一単位として活躍しているものと、いま言ったような形成途上の流動的意味可能体と、無数の「意味」が深層意識の底に貯えられている。(『意味の深みへ』P259)
およそ外的事物をこれこれのものとして認識し意識することが、根源的にコトバ(内的言語)の意味分節作用に基づくものであることを私はさきに説いた。そして、そのような内的言語の意味「種子(ビージャ)」の場所を、「言語アラヤ識」という名で深層意識に定位した。
「言語アラヤ識」という特殊な用語によって、私は、ソシュール以来の言語学が、「言語(国語、ラング)」と呼び慣わしている言語的記号の体系のそのまた底に、複雑な可能的意味聯鎖の深層意識的空間を措定する。
もしこの考え方が正しいとすれば、我々が表層意識面で――つまり知覚的に――外的事物、例えば目前に実在する一本の木を意識する場合にも、その認識過程には言語アラヤ識から湧き上がってくるイマージュが作用しているはずだ。
なぜなら、何らかの刺激を受けて、アラヤ識的潜在性から目覚めた意味「種子」が、表層意識に向かって発動しだす時、必ずそれは一つ、あるいは一聯の、イマージュを喚起するものだからである。(『意識と本質』」P190)
とすれば、「言分け」によって「身分け」世界を分ける、その前に「種分け」という段階を考えなければならないのかもしれません。
この辺りは、何を言ってるのか、サッパリ分からなかった
唯識論と、ソシュール言語学の両方に詳しくなったため
井筒の言ってることが、よく分かる
ソシュール言語学では、無意味である
それと、「イヌ」とか「ネコ」というシニフィアンが結びつく
その結びつきには、とくに意味が無い
「イヌ」というシニフィアンは、「ネコ」と区別するために存在する
詳細な情報:
定義:フランス語で「意味されるもの」を意味し、単語や記号が表現する対象の概念やイメージを指す。
具体例:「猫」という文字や発音(シニフィアン)が指し示す、「4本足でニャーと鳴く動物のイメージ」(シニフィエ)。
構造:ソシュールは、言葉はシニフィアン(能記)とシニフィエ(所記)が表裏一体となった「シーニュ(記号)」であるとした。
特徴:記号(言葉)とその意味(概念)の関係は恣意的な(必然性がない)ものであるとされている。
※低温長時間発酵のパン屋「
Signifiant Signifie
(シニフィアン・シニフィエ)」とは異なる
シニフィアンの基本概念
定義:言語記号を構成する2側面のうち、音のイメージや文字などの「表現面」。
対になる言葉:シニフィエ(signifié/記号内容・所記)。言葉が指し示す「概念・イメージ」。
構成要素:シニフィアン(表現)+シニフィエ(意味)=シーニュ(記号)。
具体例
実体(シニフィエ):4本足の動物(犬)
シニフィアン(表現):
「いぬ」という音声、"dog" という文字、"chien" というフランス語
構造主義におけるシニフィアン
ソシュールは、シニフィアンとシニフィエの結びつきは必然的ではなく、恣意的(たまたまそう決まった)であると指摘した。
例えば、赤い果物を指すのに、日本語では「りんご」、英語では "apple"、フランス語では "pomme" と異なるシニフィアンが使われるが、どれも同じシニフィエ(果物の概念)を指し示す。
言語哲学の入門書では、最初の数ページ以内で必ず出てくる
超有名な話だ
それが、「イヌ」であるという必然性はない
「イヌ」というシニフィアンは、「ネコ」と区別するためにある
「ネコ」と区別できさえすれば、それでいい
「キャット」でもいいし、「マオマオ」でもいい
「ネコ」というシニフィアンは、「イヌ」と区別するためにある
「イヌ」と区別できさえすれば、それでいい
井筒俊彦が言うように、極めて表層的な言語観だ
われらが巨匠・井筒俊彦だ
難解中の難解な文章で知られる、ジャック・ラカンがいる
「何度読んでも意味不明」という
定評がある
ワケワカメな人物だ
「五百羅漢」と似ているが、何の関係もない
無意識は言語のように構造化されている
無意識は抑圧された個人的欲求の場ではなく、構造主義的な言語法則(隠喩や換喩)に従って機能している。
「大他者」の欲望
人間の欲望は、自身の内側から生まれるのではなく、社会的な規範や他者(言葉、社会構造など)によって規定される。
鏡像段階と偽りの自我
幼児は鏡に映る自分を「一つのまとまった像」として誤認することで、自我(エゴ)を形成する。これは幻想に基づく、不安定な自己認識である。
3つの領域(現実界・想像界・象徴界)
想像界:鏡像的なイメージに基づく偽りの自己像。
象徴界:言語や秩序。無意識の基盤。
現実界:言語化できない、実在するが捉えきれないもの。
ラカンは、主体が「言葉」の世界(象徴界)に組み込まれる際に、何かを失い(欠如)、その失われたものを追い求める存在が無意識であると考えました。
唯識論と似ていることに気づいた
「イヌ」と「ネコ」を区別できさえすれば、それでいいのである
セントラル・ドグマだ
西洋の言語哲学という壮大な体系が構築された
そこには、素晴らしさとバカバカしさが共存している(笑)
これほど表層的なものとして捉えている
なんと、「深層意識とコトバの関係」を論じた
本当の核心は、その先にある
755 ◆JBLfMwCXhY 2026/02/16(月) 05:59:19.89 ID:Lww3J
これは、西洋の言語哲学の核心中の核心
セントラル・ドグマだ
「言語による、世界の分節化」だ
自然は連続的、言語は分節的
私たちは「イヌ」や「ネコ」のように世界を分けて認識しますが、これは言語が恣意的に引いた線であり、本来、自然界は連続的で境界線がない。
名前が対象を定義する
「先にモノが存在し、名が付く」のではなく、「言語によって分節(名前がつく)されることで、その対象が他から区別・認識される」という構造主義的な考え方。
恣意的な境界線(言語による差)
分節の仕方は人種や言語、地域、個人によって異なる。例えば、日本語の「雨」の細分化(春雨、時雨など)や、英語圏での食肉部位の分節化などが挙げられ、どこに分節線を引くかで世界の見え方が変わる。
言語は「ラング(体系)」
言語は単なる語彙の羅列ではなく、分節化された連想の束であり、社会的な慣習的システムである。
要するに、私たちは言語という分節の枠組みを通して世界を認識しており、言語がなければ世界を構造的に理解できないとする、構造主義言語学の根幹を成す考え方です。
それが、本来は似たようなものである四足動物を、いろんな種に分割している
その信念は極めて強固なものである
🐶や🐱という存在があるから、それを指す「イヌ」や「ネコ」という言葉があるのだと信じている
だが、ソシュールによれば、そうではない
「イヌ」とか「ネコ」という名前で区別するから、🐶や🐱が別の存在に見えてくるのである
では、「ポメラニアン」と「マルチーズ」、「チワワ」はどうか?
「コリー犬」と「シェトランド・シープドッグ」はどうか?
人間は、言葉で世界をどんどん細かく分割している
↑
これが、世間の一般人の信念体系だ
↑
これが、ソシュール言語哲学の発想
これを、「太陽が地球の周りを回っている」から、「いや、じつは地球が太陽の周りを回っている。だから、太陽が回っているように見えるのだ」という世界観の転回になぞらえて
「言語学的な転回」(リンギスティック・ターン)と呼ぶ
↑
こうしてみると、龍樹の中論に似ている
深層阿頼耶識みた否発想になるんかもそれんが
異文化、異文明の略奪破壊や
国家けんりょぬしゃの浪費による国民の重税と反乱とか
近代ヨーロッパ社会か生まれるまで
さほど文化的進展は
宗教以外は進展しなかったんではないかな😃
本来はもっとシンプルだろな
食えるもの、食えないもの
食う対象
埋葬文化で食う対象を左右するサムシングという超越的存在
安定した優秀な王による文明らしきのがてきて交易と文化の交流、
職人の成立による新たな商品とかで
言葉の範囲が拡がる
😃
食う食えない
レベルからの発達と
交易で食う食えない問題からのシンプルな言葉の発達とみたほうが早いだろう
😃
似て非なる思想だ
龍樹の場合は、この世の虚しさを説く
「この世がバラバラに分かれているように見えるのは言語による錯覚であり、本当は自他一体のワンネス・ワールドがあるだけなのである」
という大乗仏教、菩薩の大慈悲の世界観だ
いや、龍樹の場合は、ワンネス・ワールドすら有るとは言えない
究極的には、何も無い
「説一切無部」だが
娘を風俗に売り飛ばすさ
😱
左翼の唯物主義者が好む思想だ
なんで、このような世界観が左翼に好まれるのか?
それについては、話せば長くなる
なるほどね~😆
既存のキリスト教に関する違和感は
この宇宙法則的な発想ぽい信仰感覚だ
俺の見るキリスト教像は
神が聖霊を通して示す
というものに過ぎないが
😃
ソシュールは恣意性だから法則的ではないだろうが
基本宇宙法則主義
マルクス主義がそれの代表
😃
創造がてきる
発明、社会の発達もだ
それを起点に言語を考察するほうが
リアルに把握てきる 😃
ま、これも30代頃に考えていたことだ!😃
こうやって、熱心にコピペしたり、コピペした内容を解説したりしてるのを見れば
当方が、ソシュール言語学や井筒俊彦の言語アラヤ識の理論に心酔し、これこそが真理だと思い、がんばって宣伝してるように見えるかも、なのだが
全然、そんな気はない(笑)
それが当方の特徴だ
若い頃研究オタクたったので
プラス歴史動画未だに大好き
宇宙関連の動画も大好きだな
評論がてきるだけだ
😃
ああいう意味不明な文章を書いて、読者を煙に巻く書き手を好まない
「深層意識とコトバの関係」を論じた例、参考意見として引き合いに出してるだけだ
考察、そこが社会科学の一般理論の組み立てが合理的ではないか、
と
若い頃の俺は考えた
学問的権威よりも😃
「禅宗の祖師録にハマる前は、ラカンにハマッてた」と言ってたような?
気のせいか
> 俺も言語に関しては
> 若い頃研究オタクたったので
ソシュールにハマったって言ってたな~😆
文明文化の安定した世界でこそ
あるくらいに言語は細分化、
アートの個性とか宗教文化とかが起きるのであって
内戦地味た社会では
生きていく為の有無、略奪、人身売買、破壊とか、そんなものしかないだろうな
哲学者の批評は人類の歴史を分析した上で評論するタイプだな俺は
😃
そうそう
西洋の言語哲学は、一種の社会科学だ
資本主義社会の構造を論じてるのだ
スピリチュアル的なワンネス思想とは一切、関係がない
記号を駆使した広告宣伝活動により、際限なく欲望を刺激される
商業主義の暴走に歯止めがかからない
倶舎論やテーラワーダや唯識論は
良くできている
復旧してそーなのは
テーラワーダのみだろうけど
😃
臨済宗スタイルがあるからだな😃
ハッスル🤡様に議論やらないのはー
😃
対話のつもりでやってない
彼らの隣で、1人でやってるつもり😅
老荘思想だと意見はごもっとだ
たぶん、臨済宗は
その危惧もあって
不立文字、教外別伝、直指人心
教義の基礎を打ちたてているんだかな
鈴木大拙とか円覚寺のポンコツ貫主とかが屁理屈つける
と
老荘思想
さらにハッスル誤読と
と同じだということになる
😃
もって知識をひけらかす
ハッスル。ムイムイをボコり
麦はアホらしくて無視する
みたいな扱いになる
😃
これこれとか言うと
真逆の返答してたな
師匠が
まー10年も昔だが
😃
そういうことでしょうな
理屈をつけようとすると、老荘思想になる
みたいに文字を拾い
そうなりうるだろう
😃
「やはり聖ウンコ教が正しいと、AIも言っている」
という話になる😂
田辺とか
臨済宗らしからぬ
ような
ところで妄想学園やってやがるからなー
元スレ主やロンのほうが
遥かに良い
😃
仏教迷路だからなー
諸悪の原因は
ハッスルと麦だ
😱
😃
スマホでは流す気が起きない
興福寺の多川氏だ
😃
少し見て別の動画を見る
😃
六道珍皇寺も行ったことがないなー
仁和寺の次のプランか
仁和寺制圧後、この二寺に行くかもしれん
😃
> 興福寺の多川氏だ
出ましたな
唯識論の最高権威~😆
> スキゾ基質だから
> 少し見て別の動画を見る
>
> 😃
わはは😂
スキゾ気質には
パソコンありがたやー
🙏
そのままパソコンへ移動
スマホ本体が、重いのに
スマホ画面で見ないという😃
😃
自己発電し過ぎで
ダウンした模様だな?
😱
釈尊が悟った核心は「一切は因縁によって生じる」という縁起の法である。龍樹は、これを元に「もしすべてが縁起によって成立するならば、どの存在も自性(独立した本質)をもたない」と結論づけた。
これが「空」である。したがって、龍樹の空論とは「万物に実体はない」という虚無主義ではなく、「万物は相互依存によってのみ成り立つ」という関係存在論である。
もし因果が「自性」をもって成立しているなら、原因は他の条件を必要とせずに結果を生むはずである。だが、実際にはどんな出来事も他の要素(時間・場所・条件・他者)に依存して起こる。
したがって「因」も「果」も独立した実体ではなく、関係によってのみ存在する概念である。
火は薪なしには存在せず、薪は火によって燃えることによってのみ「燃えるもの」として存在する。すなわち、存在は孤立しては成り立たず、つねに他に依存している。龍樹はこの事実を「空」と名づけた。
龍樹の革新的な点は、「涅槃」さえも空であると論じたことである。
一般には、涅槃は生死を超えた「究極の実在」と見なされるが、龍樹にとってはそれもまた相対的な概念である。
「生」と「死」が相互に依存するように、「生死」と「涅槃」もまた対概念であり、独立しては存在しない。したがって、涅槃を実体化することも執着の一形態にすぎない。
「生死と涅槃との間に少しの差別もない。涅槃はただ、執着のない生死である。」
この理解こそが、真の解脱である。すなわち「生死の否定」ではなく、「生死のあり方の転換」である。
世界のすべてを空として受け入れたとき、そこに対立も恐れもない。
よく出る例は「火と薪」だ🔥
相依性縁起の関係にある
ハッスルとデンパパが、対話するのは
仏教以外の
対話
😱
あれは一体、なんなの?
何がやりたいのか
貼る意図が分からん
単なる承認欲求第三句連打リバース
不立文字にあらず
😆
名言種子となって阿頼耶識に熏習される
悪因苦果だ
やつらの
ブランドスレなので大事に大活躍してもらわんとなー
😆
能力に合わない知識の範囲を広げて
狂気の妖怪館と化している
ヤツラの妖怪自己実現には必要なスレだ
😱
😱
有見は「万物は不変に存在する」とする常見、無見は「死後はすべて虚無になる」とする断見であり、縁起の道理に基づきこれらを否定することが重要です。
物事は実体として存在し、不変であるという見解。
死後も魂などが変わらず存在し続けると固執する考え。
物事は実体がなく、空無である(=無に帰す)とする否定的な見方。
死ぬとすべてが終わって何も残らない、という考え。
これらの極端な見方は、正信偈や龍樹菩薩の教えにおいて破られるべき「邪見」とされます。
仏教は、すべてのものは繋がり(縁)によって生じているとする「縁起の道理」を説き、有無の極端に偏らない「中道」を重視します。
これらのかたよった見方(有無の二見)を離れ、あるがままに事実を理解することが悟りへの道とされています。
1、有る
2、無い
3、有るでもあり、無いでもある
4、有るでもなく、無いでもない
龍樹が「中論」で説いた「空(無自性)」の根拠であり、固定的な本質を持たず、相互依存によって一時的に成立する存在様式を意味します。
相依相待(そうえそうたい): 「父なくして子なし、子なくして父なし」のように、お互いが依存し合うことでセットとして成立している状態(関係性)。
無自性(むじしょう): 独立不変の性質(自性)を持たず、相互依存の関係がなくなれば事物も消失する「仮の存在」であること。
空(くう): 相依性縁起に基づいて、世界が「固定的な本質が存在しない(=空)」空間であることを説く概念。
依存関係(条件性): 全ては縁によって生じ、縁がなくなれば滅する。
関係性の重視: 独立した実体を見ない、すべての事物・事象の相互依存的な関係を重視する。
無自性空の証明: ナーガールジュナ(龍樹)により、縁起するものは自性を持たない(空である)ことが示された。
この考え方は、物事が互いに関係し合う「縁」の中で生きているという捉え方を示しています。
究極のワンネス
菩薩の慈悲だ
大乗仏教のエッセンス
唯識派も大乗に分類されるが、かなり小乗っぽい
一方、倶舎論や唯識論が説くのは「此縁性縁起」だ
特に「此(これ)があれば彼(かれ)がある」という定型句で表現され、物事が相互依存関係(因縁)の中で変化・生滅し、固定的な存在はないことを意味します。
定義:「この(此)縁(条件)によって、その(彼)物事が生じる」という法則・性質。
定型句:『ウダーナ(自説経)』などにみられる、「此があるとき彼があり、此が生ずるとき彼が生じる。此がないとき彼がなく、此が滅するとき彼が滅する」という言葉がその核心です。
同義語:原始経典では「縁起」と同義またはその理論的基礎として並列的に語られることが多い。
因縁生起:「因(直接的な原因)」と「縁(間接的な条件)」によってすべてのものが生じること(略して縁起)。
法則と法則性:縁起が「この世の全ての事象は因縁によって存在する」という具体的な内容を指すのに対し、此縁性は「この(此)によってその(彼)が成り立つ」という、そのシステムや「法則性」そのものに焦点を当てた言葉です。
十二支縁起:此縁性の具体的な応用例であり、苦しみの成り立ちを「無明→行→…→老死」と解明したものです。
相互依存関係まで含んでいる
定義と意味
業(カルマ): 身体、言葉、心で行う意図的な行為。善悪の報いをもたらす力として存続する。
業感: 業が原因となって、苦楽の報い(結果)を感受すること。
縁起: すべては相互関係(因縁)によって生じるということ。
業感縁起: 輪廻転生する人間存在の苦しみの根本原因が、業にあるという解釈。
惑・業・苦(わくごうく): 煩悩(惑)、行為(業)、報い(苦)の三つの関係。業感縁起は主にこの視点から説明される。
十二支縁起: 業感縁起の代表的な説明であり、無明(惑)から老死(苦)までの過程。
四種縁起: 部派仏教の業感縁起、大乗仏教の頼耶(らいや)縁起、真如縁起、法界(ほっかい)縁起を指す言葉。
この説は、個人的な運命や成功・失敗の要因を「前世からの業」に求めるため、宿業論や運命論的色彩が強い。
後世のナーガールジュナ(龍樹)は、このような固定的な「業」の実在を否定し、より本質的な「相互依存的な関係」として縁起を再定義した。
単なる過去の決定論ではなく、現状は自身のこれまでの行為の積み重ね(業)によって創り出されている、という因果の論理として理解される。
この教えは、仏教の「縁起」という根本思想が、特に「個人の業」に焦点を当てて展開された形です。
😆
そこはこだわるところではない
本当に重要なのほ「縁起と空」だ
自立して存在しているものは無い
大いなる自他一体のワンネス
そんなのどうでもいい
自立して存在しているものは無い
華厳では
一即多、多即一
真言密教ては
六大無碍、重々帝網
という表現になる
😆
ノーコメント
😆
十界互具
一念三千
かもねー😆
高野山七弁財天巡りの動画と
長谷寺の動画を見た
今日は
😆
😆
スマホもパソコンにも入れている
仕事疲労の癒しに
😆
これもパソコンに入れている
https://m.youtube.com/watch?v=9z7AQWV_LHM&pp=ygUV6auY6YeO5bGx44CA5LiD5byB6LKh
前者は認識や表現を生み出す名言の習気、後者は善悪の行為(業)が引き起こす結果の習気であり、共に因果応報を構成します。
定義: 言葉や概念、対象を認識する機能(名言)によって生まれる種子。
機能: 認識対象を現実に生み出す「親因縁」となる。
役割: 第6識の思心所が自らの認識対象を生成する(「Good seed makes a good crop」のように良い行動が良い結果を生むことに関連)。
定義: 善悪の行為(業)をすることによって生まれる種子。
機能: 他の羸劣無記(弱い)種子が結果(果)を生み出すのを助長する役割。
役割: 当来の三界五趣(未来の生)を決定する(「今まく種はやがて未来の自分になる」という夏目漱石の言葉のような因果律)。
両者は同一の「思心所(思考)」から生まれるが、役割が異なる。
名言種子は事物の実体化に、業種子は苦楽の報い(果報)にそれぞれ深く関与する。
なるほど
162:栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm :[sage]:2024/03/09(土) 16:35:39.62 ID:b8JerweS
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
因果応報: 善い行いには善い報い、悪い行いには悪い報いが結果として訪れること。
本質: 過去の行いを引きずって現在があり、現在の行いが未来を創るという、時間の連続性と自律的な結果を指す。
現代では、主に「悪い行いの報い」に対して使われることが多いが、本質的にはプラスの行為もプラスの結果(善因善果)として返ってくることを指す。
身口意の三密
身口意の三業の逆転の究極から
始めたかもしれない
😆
阿頼耶識に
そこから
四智の転変を狙う
これは迷いの根本原因とされ、言葉の概念に執着せず、すべての存在は縁起によって成り立つと悟ることで、煩悩から解放される(転依)プロセスを指します。
唯識学派の理論:迷いの世界(雑染)を生み出す根源は、阿頼耶識(心層の意識)に熏習(記憶・蓄積)された「名言種子」と呼ばれる「言葉の種子」です。
実体化のメカニズム:私たちは言葉や概念を「それ自体で存在する実体」として認識しがちですが、実際には、心の中の「言葉の種子」が投影された結果(現行)に過ぎません。
究極の言霊パワー
引用文章に
なんとなく
本覚思想ぼい親鸞の影響を感じるな?
😆
AIは、清盛ブログを参照してるようだ~😂
俺は天台宗風南無阿弥陀仏に、改造する癖がある
😆
言葉のパワーが格別に強いため、名言種子が別枠あつかいになっただけ
因果応報を引き起こす
現行(げんぎょう)
今現在、実際に行っている心身の活動(身・口・意の行為)。「現行法」とも呼ばれる。
熏習(くんじゅう)
香りが衣に染み付くように、現行(行為)が阿頼耶識(潜在意識)に種子を植え付ける作用。染み付くこと。
種子(しゅうじ)
阿頼耶識の中に留まる、将来の現行(行動)を生み出す可能性(潜在能力・記憶)。「習気(じっけ)」ともほぼ同義。
習気(じっけ)
習慣や行動によって心に付着した、行動のクセ(趣味嗜好)。「熏習」によって形成される。
現行(現在の行動)が熏習する(働きかける)。
阿頼耶識に種子(記憶・習気)が形成・貯蔵される。
種子が現行を(新しい行動・結果として)生み出す。
このメカニズムにより、過去の行いが「習気」として心に残り、将来の人生(行動や運命)に影響を与え続けると説明されます。
現行(げんぎょう): 種子が縁に触れて、現実に現れた言葉や身体行動、心の働き(「芽・花」)。
現行熏種子(げんぎょうくんしゅじ): 現行の行動が、新たな種子を阿頼耶識に植え付けること(「熏」は薫習・香りをつける意味)。
三法展転(さんぽうてんてん): 「種子→現行→新しい種子」と絶えず変化・循環し続けるプロセス。
この概念は、私たちの過去の行いが現在の自分を作り、現在の行いが未来の自分を決めるという「因果の法」を心理学的に説明したものです。
この無限のサイクルを、展転(ちんでん)という
AIは「てんてん」と読んでるが、これは誤り
「ちんでん」と読まなければ怒られる
「てんてん」と読んだせいで、師匠に怒られた
という話を、複数の法相宗僧侶がしていた
種子から次の現行が生じ、現行が熏習されて、次の種子になる
この繰り返しだ
それが展転だ
それが習気だ
だから、ちんでんなのか
外界(六境)の情報(六識)
つまり、映像と音声
言語で世界像を構築する
それは、自分自身が言語によって編集した世界像でしかない
欲望の源泉(他者の欲望): 人は自分の純粋な欲望ではなく、社会や他者によって位置づけられた「他者の欲望」を欲望する。
想像界: イメージ、エゴ、誤認の領域。
象徴界: 言語、法、父の掟、社会的な無意識。
現実界: 言語化できず、象徴界に還元できない「不可能」な領域。
ラカンの無意識はフロイト的な「抑圧された性衝動の場」から、さらに一歩進んで「言語構造そのもの」として捉えられています。
フロイトの理論は、性欲の話ばかりだった
だが、何でもかんでも性欲のせいにするのは、イカガなものか?
それが、ラカン派の精神分析
無意識は言語のように構造化されている:
フロイトの無意識論に構造主義言語学(ソシュールなど)を導入し、無意識が混沌ではなく、独自の「意味の構造」を持っていると捉えました。
「無意識は他者の言説だ」:
人は言語(=他者)を通じて成長するため、個人の無意識は他者の影響下にある歴史や社会的規範、言葉のネットワークによって形作られています。
象徴界(Symbolic)としての言葉:
ラカンは人間が「言語の世界(象徴界)」に参入することで主体が芽生えると考え、無意識的な欲望や葛藤は、言葉の曖昧性や隙間(空虚な言葉)の中に現れます。
言語のメカニズム(メトニミーとメタファー):
無意識は「隠喩(メタファー)」や「換喩(メトニミー)」といった言語活動のように、ある言葉を別の言葉に置き換えたり、関連付けたりするメカニズムによって機能しています。
ラカンの理論では、精神分析は「言葉」を分析することで、患者の無意識にアクセスし、症状の背景にある言語構造を明らかにします。
足して2で割ったのが、ラカンの言語精神分析
ジークムント・フロイト (Sigmund Freud)(1856-1939)
精神分析の創始者。夢、言い間違い、失錯行為に無意識が現れることを発見し、自由連想法で分析した。
こころを「イド(本能)」「自我(現実)」「超自我(道徳)」の3層構造で説明した。
フェルディナン・ド・ソシュール (Ferdinand de Saussure)(1857-1913)
近代言語学の父。言語を「シニフィアン(能記:音・文字)」と「シニフィエ(所記:意味・概念)」のペアとし、その構造(共時的システム)を解明した。
ジャック・ラカン (Jacques Lacan)(1901-1981)
フランスの精神分析家。フロイトの理論をソシュールの言語学で読み替え(構造主義的解釈)、精神分析の再構築を目指した。
無意識は言語のように構造化されている:
ラカンは、フロイトが無意識の欲望を語る際、言葉の「滑り」が起きていることに注目し、無意識はシニフィアン(言葉、イメージ)の連鎖によって形成されていると主張した。
シニフィアン優位の法則:
ソシュールの「シニフィアンがシニフィエを決定する」という構造主義的観点に基づき、無意識下では言葉の連鎖が意味よりも先行し、欲望がその連鎖の中で動くと説いた。
この統合により、ラカンは「欲望は常に他者の欲望である」といった、言語と他者性を中心とした精神分析を展開しました。
ラカンの精神分析も、同じくらい難しい(笑)
それから、3年かけてラカンを学ぶ
言ってることが本当にピンとくるまでには
それくらいかかる
文学部の連中も大変だな(笑)
唯識論でいう、阿頼耶識と名言種子に、本当に似てきた
まったく異なる哲学の伝統が
似たところにたどりついた
目的が異なる
ソシュールの言語と
唯識の依他起性あたりの認知構造を想定していた
😆
昭和時代に、学生運動で革命を起こそうとしていたような人たちに好まれる
すごいな?😆
古本で買った
😆
資本主義社会は、精神分裂症に陥っている
若い頃は
😆
カール・マルクスの頃は経済学だったが
だんだん、フロイトの精神分析
欲望の哲学になってきた
仏教に近づいてきた
唯識の依他起性あたりの認識論から
想定して組み立てていた
😆
ソシュールの言語分析と、唯識論にハマるとは
共通するものがあるな?😆
そこまで先走っていたのか😆
それが社会構造になっていくか、
如何にも分析的探求が好みで
ラカンには関心なかった
😆
今もだろうな
宗教は既存の権威を認める方だ
とりま
😆
ラカンにハマッていたらしい
それにしては、影響を感じないが
その生成のシステムに関心があった
😆
😆
> 宗教は既存の権威を認める方だ
伝統仏教は、坐禅の回数で勝敗を決めるという話だ
山岡鉄舟に瞬殺モノだな
😭
東大理Ⅲなら、精神分析とかが合いそうなもんだけどな~
どのように今後立ち上がるか
楽しみである
😆
道元禅に回帰する前に
臨済ぽい曹洞宗寺院で若い頃ボコボコにやられたらしい😫
↓
AIに聞く体外離脱(意生身)というツールで仏教を深めるスレ
https://talk.jp/boards/psy/1771549841
?
😆
違いはあれど、
ロンのレス筋が見えてきたやろ
😆
鉄舟との縁で知られる、デカイ寺だ
リダン本人が書く文章より
遥かに分かりやすい(笑)
プレミアムの無料期間を2026/9/30まで延長することになりました。
広告除去や規制緩和など、ヘビーユーザーにとって欠かせない機能を無料でお楽しみいただけます。
是非この機会にプレミアムサービスをお試しください!
▼プレミアムサービスはこちらから
https://talk.jp/premium