【パーリ仏典】テーラワーダ仏教【ヴィパッサナー瞑想】アーカイブ最終更新 2026/05/29 05:511.◆JBLfMwCXhYLe0sF日本テーラワーダ仏教協会https://j-theravada.com/2026/01/18 07:06:511000すべて|最新の50件2.神も仏も名無しさんnwgN7お、建てたな真言宗と組み合わせると両方理解が深まるスマナサーラは品性がないがまーなかなかの知識人だ😆2026/01/18 07:08:483.神も仏も名無しさんnwgN7テーラワーダの五感、五識は真言宗の曼荼羅の諸仏のそれぞれの形式に関連がある今回のお坊さんオンラインの動画て一を知って百を知るパターン😆2026/01/18 07:10:344.◆JBLfMwCXhYLe0sFこれからは、真言宗とテーラワーダ仏教だ😆2026/01/18 07:10:575.◆JBLfMwCXhYLe0sF仏教思想史初期仏教↓テーラワーダ仏教👈️今ココ↓説一切有部(倶舎論)↓中観派(中論)↓瑜伽行派(唯識論)2026/01/18 07:16:336.◆JBLfMwCXhYLe0sF仏教思想史の流れ2026/01/18 07:16:557.神も仏も名無しさんnwgN7五蘊とか識とかは真言宗ではかなり蘇ってくるリアリティとして😆2026/01/18 07:17:338.神も仏も名無しさんnwgN7五蘊と、識が大日如来そのものみたいになる😆2026/01/18 07:18:419.神も仏も名無しさんnwgN7色、あたりの四大種は真言宗の教義、大日如来として重要なテーマになっていく😆四大種には内なるものと、外なるものがあり、大象跡喩経では内なる四大種を以下と述べている[1]。地 - 内臓に固定されたもの。たとえば頭髪、体毛、爪、歯、皮膚、筋肉、腱、骨、骨髄など。[1].水 - 体内の液状のもの。たとえば胆汁・疾・血・汗・脂肪・膏・唾液・鼻汁など[1]火 - 体内で燃焼するもの。飲食によって消化されるもの。体温や老化や消化機能 [1]風 - 体内で気体であるもの。呼吸系など2026/01/18 07:28:5810.神も仏も名無しさんnwgN7なかなか、凄いなテーラワーダ舐めてた、後半ね😆これはマジメに研究模索したくなった😆https://m.youtube.com/watch?v=T_x664OI_Ok2026/01/18 07:40:3711.神も仏も名無しさんnwgN7テーラワーダ的なスローモーション的な判断力が可能性を持っているのは大乗仏教では輪廻だけだな、たぶん😆2026/01/18 07:41:3412.神も仏も名無しさんnwgN7かなり、仕事前の瞑想フォーメーションは瞬時の判断力を重視しとるのでこの動画は案外オモシロかった😆2026/01/18 07:42:4413.神も仏も名無しさんnwgN7正統派瞑想仏教的にはなかなかマジメに模索したくなったお坊さんオンラインも含めてアタリ動画が多いな?😆2026/01/18 07:43:5714.神も仏も名無しさんnwgN7テーラワーダのサティのテクニックて物事がスローモーションに見える禅でも巨人の川上哲治がボールが止まって見えるとかあったな😆2026/01/18 08:00:5715.神も仏も名無しさんnwgN7テーラワーダのサティのテクニックのスローモーションはさすがに臨済宗除いてなさそうだ呼吸を絞れば対象認識が拡がるま、めんどくせー仕事のせいでそういうのが得意だ😆2026/01/18 08:02:3416.神も仏も名無しさんnwgN7天台、真言宗の禅定でスローモーション的認知力の魔改造できるか?といえばできないこともないなー今、できるの確認した😆2026/01/18 08:03:5417.神も仏も名無しさんnwgN7リアルな唯識の四智や真言宗の五智の妙観察智がどこまで、想定しているのか、テキストベースては認知していない😆2026/01/18 08:06:0418.神も仏も名無しさんnwgN7成所作智は臨済宗は相当な魔改造当たり前にてきあがっている😆2026/01/18 08:08:2119.神も仏も名無しさんnwgN7成所作智のアウトプット能力が臨済宗は最強クラスだ😆2026/01/18 08:09:0420.神も仏も名無しさんnwgN7真言宗の吽字義にテーラワーダのスローモーション認知に関する対象の認識に関するテーラワーダ的なのが真言の一文字で提示されているかー理論的には😆2026/01/18 08:10:3821.神も仏も名無しさんnwgN7天台、華厳は認知の生滅の把握とかいう認知機能まで想定していなさそうである論書を細かく見てないだけかもしれんが、唯識は階梯にあるだけで唯だ識のみ、なのでスローモーション認知みたいなのは無いだろう😆2026/01/18 08:12:4822.◆JBLfMwCXhYYphFNテーラワーダと密教はつながってるな😆2026/01/18 08:20:1823.神も仏も名無しさんnwgN7 まず字相を説く段では、吽字は賀(カ・ha)・阿(ア・a)、汗(ウー・uu)、麼(マ・ma)の四字の合成であり、この四字のそれぞれの字相を言えば、訶(賀)は因(サンスクリットのhetva(hetu、因)の最初のh)、阿は不生(aadi(本初)のa)、汗は損滅(uuna(損滅)のu)、麼は増益(mama(吾我)のm、一切諸法に我(アートマン)を見る我見我執をここでは増益と言っている)の意味をもつ。 つぎに字義を明かす段では、別釈と合釈との二節を設けている。 別釈段では、訶字の実義は一切諸法因不可得の義、阿字の実義は一切諸法本不生不可得の義、汗字の実義は一切諸法損滅不可得の義、麼字の実義は一切諸吾我滅不可得の義であると説くが、いずれも不可得を観ずることが字義の根本義である。そこで吽字の字義を知ることは訶・阿・汗・麼の四字の実義をさとって一切法不可得の理に契証することで、この四字の実義を知るものは如来であり、実義を知らず字相のみに執着しているものは妄想の凡夫である。2026/01/18 08:21:5724.神も仏も名無しさんnwgN7汗は損滅(uuna(損滅)のu)、麼は増益(mama(吾我)のm、一切諸法に我(アートマン)を見る我見我執をここでは増益と言っている)の意味をもつ。この文章とテーラワーダの関連は気づいたけど精読不足だな?😆2026/01/18 08:23:1725.◆JBLfMwCXhYYphFNムイムイじゃないけどかなり詳しいな?😵2026/01/18 08:25:4626.神も仏も名無しさんnwgN7汗は損滅(uuna(損滅)のu)、麼は増益(mama(吾我)のm、一切諸法に我(アートマン)を見る我見我執をここでは増益と言っている)の意味をもつ。JBLの持ってる十巻章を精読しないと深い狙いはわからんなー😆2026/01/18 08:28:0827.神も仏も名無しさんnwgN7>>25五条悟みたいな六眼持ち😆2026/01/18 08:28:5528.神も仏も名無しさんnwgN7汗は損滅(uuna(損滅)のu)、麼は増益(mama(吾我)のmは真言の一文字の解説だ😆2026/01/18 08:29:5929.◆JBLfMwCXhYOU53J汗をかいて勉強しよう😵2026/01/18 08:37:1030.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKAWrVV……馬鹿がまたおかしな事をやり始めたのか?こうやって変な風説が流布してくんだろうな。全く迷惑な話だ🤨先ず、それがテーラワーダ(上座部)仏教であるかどうかは諸説あるんだよ。根本分裂時に上座部・大衆部・分別説部に三分裂し、その分別説部の赤銅鍱部の大寺派が今の(自称)テーラワーダ仏教って説な。また、分別説部と云う名称には、異端という含意もある。更には、スリランカ仏教は一度壊滅的な打撃を受けて、タイやビルマから再輸入されてるものだから。勿論、俺自身はスリランカの仏跡巡りをしたし、敬意は持ってるけどな。2026/01/18 10:09:2031.神も仏も名無しさんnwgN7おかえりなさい〜ハッスル🤡〜~〜😁😁😁😁2026/01/18 10:22:1332.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK2C6OOであれだろ。馬鹿って思われたくないから、いろんなスレを立ててはネットで検索し、それをコピペしてるだけだろ😟だから、継ぎ接ぎ知識で一貫性がないし、元々の基礎知識がないから、ネット情報を鵜呑みにしてはこういう糞スレを次々にに立てて、間違いを指摘されまくってる。で、指摘されると怒り狂って発狂しては、まともなスレを潰しに掛かると。宗教板にとって迷惑なんだよ、お前は🤨いい加減にそれを自覚しろよ?2026/01/18 10:24:1133.神も仏も名無しさんnwgN7ハッスル〜🤡ハッスル〜🤡2026/01/18 10:24:5834.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK2C6OO新アジア仏教史2だったかな。2026/01/18 11:59:2035.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK2C6OO此処にもあるな。http://www.horakuji.com/lecture/vinaya/SectarianBuddhism.htm2026/01/18 12:03:2736.神も仏も名無しさんnwgN7ハッスル🤡大進撃たな?🤡〜2026/01/18 12:03:5937.神も仏も名無しさんNhf9h>>36イカレポンチキ発猿子でおー🟰胡散臭いウンコ🧻イカレポンチキ発猿子でおー🟰胡散臭いウンコ🧻🧻イカレポンチキ発猿子でおー🟰胡散臭いウンコ🧻🧻🧻イカレポンチキ発猿子でおー🟰胡散臭いウンコ🧻🧻🧻🧻2026/01/18 12:30:2538.◆JBLfMwCXhYMusCFハッスル火山が噴火したな🌋2026/01/18 13:37:2339.神も仏も名無しさんnwgN7なんか、的外れのウンチクで挽回狙っているな?分身らしいのも😁2026/01/18 13:43:5140.神も仏も名無しさんNhf9h>>38イカレポンチキ発猿子でおー🟰胡散臭いウンコ🧻イカレポンチキ発猿子でおー🟰胡散臭いウンコ🧻🧻イカレポンチキ発猿子でおー🟰胡散臭いウンコ🧻🧻🧻イカレポンチキ発猿子でおー🟰胡散臭いウンコ🧻🧻🧻🧻2026/01/18 14:17:0941.神も仏も名無しさんNhf9h>>38すみません失礼しました(笑)2026/01/18 14:21:1342.神も仏も名無しさんnwgN7何故、突然発作レス🤡したのかな?🤡2026/01/18 14:23:3743.神も仏も名無しさんnwgN7発作レスのモチベーションが見えないんですけど?🤡2026/01/18 14:34:4544.神も仏も名無しさんNhf9h⚠️⚠️⚠️邪悪なナリスマシでおー誹謗中傷デマ依存症患者でおー【仏教】悟りを開いた人のスレ【天空寺】275184じゃんきー・おおやま 2018/01/23(火) 14:28:06.96ID:08TBommn>>183310 名前:糞凡愚 [sage] :2018/01/23(火) 09:23:17.73 ID:HTY0aqiy少しまとめようかw1.そのレスで検索しても結果が出てこない。2.そのレスのリンク先を引用者が示さない。(>>834)3.同じ5ちゃんねるの掲示板(ピンクちゃんねる?)ようだがその掲示板にレスをするとIDが変わり、同じIDとして被る確率は≒0%なこと。(>>800と>>805で実際に検証済み)4-①.チェッカーで調べると、その日時にjunkie- ooyamaでID:PTwUS3Znで書かれたのは一回のみ。(トップページ > 心と宗教 > 2017年11月08日 > PTwUS3Znで検索すると表示)4-②.チェッカーで調べると、其の後にjunkie- ooyamaで、21:57にID:ewS8EaPxでレスをしている。(トップページ > 心と宗教 > 2017年11月08日 > ewS8EaPxで検索すると表示)4-③ .チェッカーで調べると、其の間もjunkie- ooyamaで、20:25、21:04、23:33、23:35にID: 7v/RWqvnでレスをしている。(トップページ > 心と宗教 > 2017年11月08日 > 7v/RWqvnで検索すると表示)4-④.レスとIDの推移は以下の通り。14:01/ID:PTwUS3Zn/宗教板16:13/ID:PTwUS3Zn/ソープ板18:58/ID:PTwUS3Zn/ソープ板20:25/ID:7v/RWqvn/宗教板21:04/ID: 7v/RWqvn/宗教板21:57/ID:ewS8EaPx/宗教板22:08/ID:PTwUS3Zn/ソープ板23:33/ID: 7v/RWqvn/宗教板23:35/ID: 7v/RWqvn/宗教板∴レスの捏造2026/01/18 14:38:1245.神も仏も名無しさんNhf9h⚠️⚠️⚠️邪悪なナリスマシでおー誹謗中傷デマ依存症患者でおー185じゃんきーおおやま 2018/01/23(火) 14:29:48.51ID:08TBommn311 名前:糞凡愚 [sage] :2018/01/23(火) 09:24:02.35 ID:HTY0aqiy>>310(補足w)レスをするとIDが変わる板でIDが被る確率は、ほぼ0%に等しいからな。つまりそいつは、一年以上前も前にくだらぬ議論を吹っかけて来て俺に瞬殺されたのをいつまでも根に持ち、自作自演の自画自賛、煽りaaの60連投、俺や他人に成りすましては多数派を装っての煽り、非難・中傷、disりを繰り返してもアッサリと返り討ちされたから、終いには一線を超えて、レスまで捏造したという事だな。こいつ、異常だよ。⚠️⚠️⚠️>>889誹謗中傷デマ依存症患者でおー、本当に悪いナリスマシですね!186じゃんきーおおやま 2018/01/23(火) 14:30:13.56ID:08TBommnなぁ、でおー?俺がソープランドのスレで淫らな書き込みをしているとかのレスを捏造してまで俺をdisり、非難・中傷したいのか?2026/01/18 15:15:4346.神も仏も名無しさんyKNHx✅でおーの言動を観察していると、その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。✅餓鬼道とは何か。餓鬼道は渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、手に入れても決して満たされない。でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、その知識によって周囲からの承認を求める。しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、むしろ常に不足感を抱えているように見える。愛情への飢えすら感じさせる点も含め、餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。✅修羅道とは何か。修羅道は闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。でおーは、やたらと「自分の方が優れている」「相手より上である」という点を強調する。勝ち負けに固執し、相手を倒すためなら手段を選ばず、時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。そして、その対立を外から眺めて楽しむ。この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。✅地獄道とは何か。地獄道は怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。正義感が歪み、攻撃性へと変質する。でおーは、相手を意図的に挑発し、怒りや憎しみを引き出そうとする。相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。✅つまり、でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。2026/01/18 16:54:0447.神も仏も名無しさんNhf9h⚠️⚠️⚠️邪悪なナリスマシでおー誹謗中傷デマ依存症患者でおー188じゃんきーおおやま 2018/01/23(火) 14:32:55.40ID:08TBommnスレまで捏造すりでおーw189じゃんきーおおやま 2018/01/23(火) 14:33:42.48ID:08TBommn>>187そうか、でおーw190じゃんきーおおやま 2018/01/23(火) 14:34:52.27ID:08TBommnスレまで捏造するとかw193じゃんきーおおやま 2018/01/23(火) 14:38:00.28ID:08TBommn>>191はいはいw捏造じゃないというなら>>184に反証してからな。スレまで捏造するとか、お前、キチガイだな、一線を超えてるわ。194じゃんきーおおやま 2018/01/23(火) 14:38:45.14ID:08TBommn>>192やっぱりでおーか。認めたな。195じゃんきーおおやま 2018/01/23(火) 14:45:25.58ID:08TBommnおい、IDそのままだぞ?www187 名前:神も仏も名無しさん :2018/01/23(火) 14:31:40.94 ID:7yG0SPc0でおーじゃないよ他所から持ってきますたw189 名前:じゃんきーおおやま [sage] :2018/01/23(火) 14:33:42.48 ID:08TBommn>>187そうか、でおーw192 名前:神も仏も名無しさん :2018/01/23(火) 14:36:57.14 ID:7yG0SPc0>>189俺様がでおーだじょー!194 名前:じゃんきーおおやま [sage] :2018/01/23(火) 14:38:45.14 ID:08TBommn>>192やっぱりでおーか。認めたな。198じゃんきーおおやま 2018/01/23(火) 14:50:49.81ID:08TBommn>>196ぶぁーかwトリとIDは別だろが。2026/01/18 18:14:2448.神も仏も名無しさんNhf9h⚠️⚠️⚠️邪悪なナリスマシでおー誹謗中傷デマ依存症患者でおー201じゃんきーおおやま2018/01/23(火) 14:54:51.95ID:08TBommn>>197移動中にスマホだよ。だから尚更、IDが変わる他所の掲示板で同じIDとかはあり得ないんだよ。関係のない他所のネットのIDと同じIDだからといって、同一人物扱いとかw202じゃんきーおおやま2018/01/23(火) 14:58:21.22ID:08TBommn>>200あほwトリを付けてもIDは別途に振られるだろ?そもそも何故トリを付けないお前がそうした事を言ってくるんだよ?疾しい事があるからだろ?205じゃんきーおおやま2018/01/23(火) 15:03:03.47ID:08TBommn>>200いいか?トリを付けてadgというIDが振られたとして、他のネットの掲示板でadgというIDが振られていたら、「お前は同一人物だ!」と騒ぐんだろ?しかも「トリ付きだ!」と。207じゃんきーおおやま2018/01/23(火) 15:09:54.34ID:08TBommn>>204まず>> 184に反証してからだなw捏造を疑われてるのは、でおー、お前だしな。だいたい、今頃になって11月の同じIDのスレを見つけて騒ぐ事自体、お前の異常の証しだよ。それと、その後のIDが一致したスレも、元スレのリンク先も出してない。スレを捏造までするとか異常だよ。2026/01/18 18:14:5849.神も仏も名無しさんNhf9h⚠️⚠️⚠️邪悪なナリスマシでおー誹謗中傷デマ依存症患者でおー209じゃんきーおおやま2018/01/23(火) 15:12:10.39ID:08TBommn>>206だから、>>184で別人って立証したろ?レスを偽造したと疑われてるのはお前なんだよ、でおー。210じゃんきーおおやま2018/01/23(火) 15:12:56.68ID:08TBommn>>208192 名前:神も仏も名無しさん :2018/01/23(火) 14:36:57.14 ID:7yG0SPc0>>189俺様がでおーだじょー!212じゃんきーおおやま2018/01/23(火) 15:17:27.92ID:08TBommn「ソープスレに卑猥なレスを書いている!」と騒いだものの、その後のアクセス記録からレスを捏造し自作自演していた事がバレたでおー。213じゃんきーおおやま2018/01/23(火) 15:18:13.78ID:08TBommn>>211充分なってるよw反証してみなw215じゃんきーおおやま2018/01/23(火) 15:19:20.25ID:08TBommnまた、墓穴掘ったな、でおーw216じゃんきーおおやま2018/01/23(火) 15:22:06.13ID:08TBommn>>214なら、他のネットにアクセスして同じIDが出るか試して見ろや、ぶぁーかw2026/01/18 18:15:2750.神も仏も名無しさんNhf9h⚠️⚠️⚠️邪悪なナリスマシでおー誹謗中傷デマ依存症患者でおー219じゃんきーおおやま2018/01/23(火) 15:28:37.94ID:08TBommn>>217下のデータ見ろよ、0%だなぁ。>>184>4-④.レスとIDの推移は以下の通り。>14:01/ID:PTwUS3Zn/宗教板>16:13/ID:PTwUS3Zn/ソープ板>18:58/ID:PTwUS3Zn/ソープ板>20:25/ID:7v/RWqvn/宗教板>21:04/ID: 7v/RWqvn/宗教板>21:57/ID:ewS8EaPx/宗教板>22:08/ID:PTwUS3Zn/ソープ板>23:33/ID: 7v/RWqvn/宗教板>23:35/ID: 7v/RWqvn/宗教板221じゃんきーおおやま2018/01/23(火) 15:31:41.30ID:08TBommn>>218まぁ、お仕置きは必要だから、お前(でおー)のレス偽造の事実は拡散しないとなぁw223じゃんきーおおやま2018/01/23(火) 15:38:23.04ID:08TBommn>>222スラッシュの文字化けかな?>>184>4-④.レスとIDの推移は以下の通り。>14:01.,.ID:PTwUS3Zn...宗教板>16:13...ID:PTwUS3Zn...ソープ板>18:58...ID:PTwUS3Zn...ソープ板>20:25...D:7v/RWqvn...宗教板>21:04...ID:7v/RWqvn...宗教板>21:57...ID:ewS8EaPx...宗教板>22:08...ID:PTwUS3Zn...ソープ板>23:33...ID: 7v/RWqvn...宗教板>23:35...ID: 7v/RWqvn...宗教板225じゃんきーおおやま2018/01/23(火) 15:47:26.25ID:08TBommn>>224これもな。>>184>4-①.チェッカーで調べると、その日時にjunkie- ooyamaでID:PTwUS3Znで書かれたのは一回のみ。>(トップページ > 心と宗教 > 2017年11月08日 > PTwUS3Znで検索すると表示)>4-②.チェッカーで調べると、其の後にjunkie- ooyamaで、21:57にID:ewS8EaPxでレスをしている。>(トップページ > 心と宗教 > 2017年11月08日 > ewS8EaPxで検索すると表示)>4-③ .チェッカーで調べると、其の間もjunkie- ooyamaで、20:25、21:04、23:33、23:35にID: 7v/RWqvnでレスをしている。>(トップページ > 心と宗教 > 2017年11月08日 > 7v/RWqvnで検索すると表示)2026/01/18 18:16:0351.神も仏も名無しさんNhf9h⚠️⚠️⚠️邪悪なナリスマシでおー誹謗中傷デマ依存症患者でおー227じゃんきーおおやま2018/01/23(火) 15:57:16.65ID:08TBommn>>226必死もどきチェッカーで検索して調べなよw228じゃんきーおおやま2018/01/23(火) 16:11:32.61ID:08TBommn>>224画面コピーしたから、これなら見れるよな?wwwhttps://i.imgur.com/ZcyOsOG.jpg231じゃんきーおおやま2018/01/23(火) 17:14:59.74ID:08TBommn>>230ま、でおーがレスを捏造していた事実には変わりはない。233じゃんきーおおやま2018/01/23(火) 18:31:32.42ID:08TBommn>>232ま、でおーがレスを捏造していた事実には変わりはない。246じゃんきーおおやま2018/01/23(火) 20:40:06.55ID:iWxk9dF7ID:Ldhw1op8とID:mJalPoyUはでおー。必死チェッカーもどきで、アクセスデータを解析されて、ソープレスの捏造を暴かれたからって必死だなw2026/01/18 18:16:2952.神も仏も名無しさんNhf9h⚠️⚠️⚠️邪悪なナリスマシでおー誹謗中傷デマ依存症患者でおー270じゃんきーおおやま2018/01/24(水) 15:16:42.66ID:HOjxb7sDしかし、人の見性体験や知識に妬みや嫉みを抱くのはともかく、架空のレスまで捏造するとか、でおー(タ)の煩悩の炎はそこまで凄まじいものなのか?271じゃんきーおおやま2018/01/24(水) 15:32:06.04ID:37zJIxVf>>270唯識では種子なるものを設けてるそうだが、でおー(タ)には一体どんな種子が蔵されているんだろうな?可視化が可能であれば面白いんだがwまあ、例の変なガンダムのaaやおかしな犬のaaが種子として、でおー(タ)の阿頼耶識に蔵されているんだろうな www早朝ソープの割引もでおー(タ)の阿頼耶識に種子として蔵されてるのかwそれが、俺に対する妬みや嫉みを縁として、レスの捏造として表象化したのか。浅ましい奴だな。273じゃんきーおおやま2018/01/24(水) 15:45:20.75ID:37zJIxVf>>271(続き)酒もタバコもギャンブルも興味ねーし、風俗とか一度も行ったことねーわ。大した給料も貰ってねーし、そんなカネがあったら子供の学費や生活費にまわすし、自分の小遣いは昼飯代と本代、お釣りは寄付で消滅だよw2026/01/18 18:16:5553.神も仏も名無しさんNhf9h⚠️⚠️⚠️邪悪なナリスマシでおー誹謗中傷デマ依存症患者でおー274じゃんきーおおやま2018/01/24(水) 15:48:34.08ID:37zJIxVf>>272お前が生活板に書いてんだろ?てか、でおーや?お前、四六時中レスしてるが、仕事(作業)してるのか?340 名前:おさかなくわえた名無しさん :2018/01/24(水) 11:27:51.51 ID:FscRQyTj>>338いや朝は安いんだよ283じゃんきーおおやま2018/01/24(水) 22:00:28.14ID:oIhtP7TW>>282世の中にはそうした奴もいるんだよ。風俗は一度もいったことはないよw285じゃんきーおおやま2018/01/24(水) 22:09:45.38ID:oIhtP7TW>>282今度は元オームで演出かwお前の様に自作自演、なりすまし、挙げ句の果てには架空のレスまで捏造するやつは異常だよ。289じゃんきーおおやま2018/01/24(水) 22:20:32.33ID:oIhtP7TW>>284構わないよ。性に対する話題もいいんじゃないの?以前商社員だった時は、ボーナスが出ると部の先輩に連れられて、日ノ出町や南町に同僚が行ってたし、穴兄弟とか翌日に下ネタ蒔いてたし。ただ、俺そういうのはちょっとな。291じゃんきーおおやま2018/01/24(水) 22:31:39.88ID:oIhtP7TW酒もタバコもギャンブルもやらんし風俗も行かん。人間好き嫌いがあるんだし、その位は許容範囲だろ。2026/01/18 18:17:2854.神も仏も名無しさんNhf9h⚠️⚠️⚠️怖過ぎる変態ナリスマシ発猿子でおーウンコの犯罪記録WWW【仏教】悟りを開いた人のスレ【天空寺】275怖過ぎる変態ナリスマシ発猿子でおーウンコの犯罪記録WWW【仏教】悟りを開いた人のスレ【天空寺】2752026/01/18 18:17:5955.神も仏も名無しさんNhf9h⚠️⚠️⚠️怖過ぎる変態ナリスマシ発猿子でおーウンコの犯罪記録WWW【仏教】悟りを開いた人のスレ【天空寺】275怖過ぎる変態ナリスマシ発猿子でおーウンコの犯罪記録WWW【仏教】悟りを開いた人のスレ【天空寺】2752026/01/18 18:18:1256.神も仏も名無しさんyKNHx✅でおーの言動を観察していると、その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。✅餓鬼道とは何か。餓鬼道は渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、手に入れても決して満たされない。でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、その知識によって周囲からの承認を求める。しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、むしろ常に不足感を抱えているように見える。愛情への飢えすら感じさせる点も含め、餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。✅修羅道とは何か。修羅道は闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。でおーは、やたらと「自分の方が優れている」「相手より上である」という点を強調する。勝ち負けに固執し、相手を倒すためなら手段を選ばず、時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。そして、その対立を外から眺めて楽しむ。この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。✅地獄道とは何か。地獄道は怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。正義感が歪み、攻撃性へと変質する。でおーは、相手を意図的に挑発し、怒りや憎しみを引き出そうとする。相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。✅つまり、でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。2026/01/18 22:06:3757.◆JBLfMwCXhY7faQOなるほど2026/01/19 06:22:5258.◆JBLfMwCXhY7faQOテーラワーダはスローモーションなのか2026/01/19 06:23:0659.神も仏も名無しさんQCZfu生滅智でそう見えるらしいスマナサーラいわく普通の人の8秒くらいを3分くらいに感じるらしい😆2026/01/19 06:34:4860.神も仏も名無しさんQCZfuスマナサーラの人間性はかなりバランスが悪そうだけどなー提示する知識は信用出てきそうである😆2026/01/19 06:35:3861.◆JBLfMwCXhY7faQO>>59紫色の光が見えるより凄いな?😂2026/01/19 07:21:0662.◆JBLfMwCXhY7faQO集中力が極限まで高まると、時間の流れが遅くなる2026/01/19 07:21:4163.◆JBLfMwCXhY7faQOそれは、スポーツ選手がたびたび証言している中田英寿とか2026/01/19 07:22:0464.◆JBLfMwCXhY7faQO集中瞑想だ集中力を高める修行2026/01/19 07:34:5565.◆JBLfMwCXhY7faQOサマタ瞑想だ2026/01/19 07:45:5266.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK9nd3G****************糞スレの為終了致しました。****************2026/01/19 08:31:4167.◆JBLfMwCXhY7faQO勝手に終わらすな(笑)2026/01/19 08:41:2868.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK9nd3G458 j-data[sage] 2026/01/14(水) 20:09:56.39 ID:BD7KD0784下高井戸 ◆7ZPfzVcRoQNGNG帆帆タソの写真で抜いてみました。ドクドクと、いつもの3倍出てきて気持ちよかった~。感謝の気持ちでいっぱいです!!2026/01/19 08:47:2869.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK9nd3G457 j-data[sage] 2026/01/14(水) 19:57:05.46 ID:BD7KD◆7zpfzvcroqRe: カタログ埋め(み~) 家具小物壁掛け( No.365 )日時: 2020/06/17 20:11名前: エム◆7ZPfzVcRoQクローバーさん、こんばんはキノコが出て来たと思ったらドングリと松ぼっくりが出なくなりガッカリしてます。JBBL5で開けてますので気が付かれましたらお越しください。0965一口フランク ◆7ZPfzVcRoQ2009/09/14(月) 13:01:08ID:zTXOUzMWO…先生………オッパイ吸いたいです…0966一口フランク ◆7ZPfzVcRoQ2009/09/14(月) 13:17:51ID:zTXOUzMWO最近は、道行く姉ちゃんの顔よりも先にオッパイの方に目が行ってしまう。これも呪いのせい。0967一口フランク ◆7ZPfzVcRoQ2009/09/14(月) 13:23:37ID:zTXOUzMWOルックス中の上の貧乳より、ルックス中の下のD以上G未満の美乳。2026/01/19 08:48:4270.神も仏も名無しさん4GOaUハッスル🤡壊れたな?🤡2026/01/19 10:32:3871.神も仏も名無しさんWwwzs✅でおーの言動を観察していると、その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。✅餓鬼道とは何か。餓鬼道は渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、手に入れても決して満たされない。でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、その知識によって周囲からの承認を求める。しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、むしろ常に不足感を抱えているように見える。愛情への飢えすら感じさせる点も含め、餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。✅修羅道とは何か。修羅道は闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。でおーは、やたらと「自分の方が優れている」「相手より上である」という点を強調する。勝ち負けに固執し、相手を倒すためなら手段を選ばず、時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。そして、その対立を外から眺めて楽しむ。この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。✅地獄道とは何か。地獄道は怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。正義感が歪み、攻撃性へと変質する。でおーは、相手を意図的に挑発し、怒りや憎しみを引き出そうとする。相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。✅つまり、でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。2026/01/19 13:47:4672.◆JBLfMwCXhYN522U日本テーラワーダ仏教協会テーラワーダ仏教とはアルボムッレ・スマナサーラ長老きょうは仏教、とくに私たちが日頃言っているテーラワーダ仏教そのものについて改めてお話したいと思います。テーラワーダ、日本語で上座仏教、別称として原始仏教と言いますが、これはあくまでも他の仏教の宗派とはっきり分けるためにそう呼んでいることはもちろんですが、上座仏教の人々は釈迦尊の教えを忠実に守って実践していくことに誇りを持っています。と言うのも仏教はこれまで二千年以上の長い年月のあいだにいろいろな人々の解釈の違いやら発展的な方向転換等によって、お釈迦さまの説かれた教えとは趣を異にしたかたちとなって現在に至っています。お釈迦さまが説かれた本来の教えをそのままに実践したいとする人々が現れるのは当然の成り行きで、原始仏教と呼ばれているのはそうした意味からです。さい。2026/01/19 14:33:0873.◆JBLfMwCXhYN522U仏教はお釈迦さまがはじめて真理の悟りを開き、その道を説かれたものです。それは世界中に広がりを見せるほど説得力があり、示唆に満ち溢れているものでした。その修行方法も、実践の方法もすべてお釈迦さま自らが示されたものです。上座仏教を学ぶものは従って自分たちもお釈迦さまの教えどおりに実践して真理を悟りたいと修行に励んでいるので、お釈迦さまからはなれて自分たち独自の道を歩もうとはまったく考えません。生命の究極の目的は悟り、涅槃であり、それだけが苦しみを乗り越えられる方法であることを把握し、体験していくのです。苦しみを乗り越え、二度とふたたび輪廻転生しなくてすむその真理を体験できるのですから、その道を示してくださった先生であるお釈迦さまに対して当然尊敬の心を抱きます。さらには自分たちがお釈迦さまの教えのとおりを実践して悟りを得られるのですから、この素晴らしい方法を他の人たちにも伝えるためには自分たちの勝手な考えを加えたりすることはできません。お釈迦さまが直々じきじきに説かれた教えが最良のものであると確信していますから、お釈迦様の説かれた教えのとおりに人々に伝えていこうとするのです。2026/01/19 14:33:3174.◆JBLfMwCXhYN522Uお釈迦さまの教えを忠実に守りそれに固執こしつするあまり、上座仏教の人々は仏教の保守派と見られることもありますが、それほどまでにお釈迦さまの教え以上の道はないと上座仏教の人々は確信しているのです。もし、お釈迦さまの説かれた方法からはなれ悟りの道を開く違う方法が見つかったとしたら、それはお釈迦さまの道から離反することを意味し仏陀からはなれることになります。仏陀の教えからはなれるということは仏法僧からはなれることであり、仏教徒ではないと言わざるをえません。お釈迦さまの教えに忠実に従うことこそが上座仏教であり、上座仏教だけがお釈迦さまの示された悟りの道へ到達することができるのだと確信しているのです。2026/01/19 14:33:4275.◆JBLfMwCXhYN522Uその悟りのために示された道とは四念所しねんじょと言われる身受心法しんじゅしんぼうのヴィパッサナー瞑想法であり、それに八正道はっしょうどうという教えです。悟りを開いて解脱するために必要なことは心の執着をなくすことであり、煩悩を消すことであるとお釈迦さまは言われました。これはお釈迦さま自らの体験に基づく方法であり、執着心と煩悩を消さないかぎり苦しみから開放される道はないと言い切っておられるのです。このように上座仏教はお釈迦さまの教えから決して逸それることなく、ましてや新しい経本を作ったりすることもなく、ただ一心にお釈迦さまの教えを忠実に守っていくということに自分の全責任を置いて学んでいくというところが、他の宗派と大きく区別されるところだと思います。2026/01/19 14:34:1976.◆JBLfMwCXhYN522Uお釈迦さまの入滅後、いろいろな人たちがお釈迦さまの教えに自分なりの解釈をつけ加えたりしたようですが、上座仏教はそのようなことはいっさい拒否して頑かたくなに教えを守りました。そのため新しい解釈を試みた人々は自然に上座仏教からはなれていきのちに大衆部と呼ばれる宗派を結成しましたが、その大衆部もいくつもの分派が出来その数は18種にも上ったと言います。仏教の、そしてお釈迦さまの教えを敷衍ふえんするために自分たちの解釈を加えていくという方法のなかにはもちろん秀でた素晴らしいものもあることと思いますが、上座仏教の立場から言えばそういうものを認めるわけには行かないのです。なぜならば、一度べつの解釈が加えられますとそれが堰せきを切る合図となってひとはどこまでも改善していきたがるものです。そしてそれはお釈迦さまの教えから段々とはなれ、人間が悟りを開くために説かれた方法がつまるところ信仰の教えと変化していってしまうのです。もうそうなると仏教とは呼べない、べつの宗教、仏教ではない仏教ということになってしまいます。2026/01/19 14:34:5877.◆JBLfMwCXhYN522U厳密に言うと、上座仏教だけがお釈迦さまの教えを忠実に守っている唯一のものであるとは言えないかもしれません。やはり上座仏教の分派で経量部と言われた宗派があります。彼らはいわゆる戒律やアビダルマなどはべつに置いて、お釈迦さまの教えはお経の部分だけであると主張しお経だけに基づいて仏教を語るべきであることを実践しましたから、大きく考えれば彼らもまたお釈迦さまの教えを忠実に守った宗派と言えなくもありませんが、現在では経量部のような宗派はどこにも存在していません。宗派仏教で現在存続しているのは上座仏教のみとなりました。2026/01/19 14:35:1278.◆JBLfMwCXhYN522U大乗仏教で小乗仏教と言われていた宗派はお釈迦さま入滅後200年ごろインドで上座仏教から分かれていった部派仏教の宗派で、その仏教を非難して大乗仏教が形成されていったという史実がありますが、大乗仏教から小乗仏教と呼ばれていた部派仏教はいまでは何も残ってはいません。従ってテーラワーダ仏教のことを小乗仏教と呼ぶ人もいますが、それは歴史的事実を知らない人の認識不足でテーラワーダ仏教は最初からお釈迦さまの教えだけを受け継ぐことを目的として連綿れんめんとつづいてきた仏教であり、大乗仏教や小乗仏教とはその成立過程も主張も根本的に異にするものです。2026/01/19 14:35:3179.◆JBLfMwCXhYN522Uテーラワーダ仏教を正しく理解していただくために、もう少し仏教成立の歴史的事実を見ていきましょう。先ほどもお話しましたが、上座仏教から分かれて大衆部という分派が誕生しました。これが学問的に言う部派仏教の始まりで、紀元前100年頃までにいくつかの部派仏教が誕生しています。これはちょうど日本の宗派と同じように祖師によって少しづつ考えが違って分かれていったのであろうと推察できます。西暦元年(釈迦入滅後500年)、大乗教典が書かれはじめ、西暦100年頃までには『般若経はんにゃきょう』『法華経ほけきょう』『華厳経けごんきょう』『唯摩経ゆいまきょう』などの初期大乗教典が完成しています。西暦200年頃、竜樹による『中論ちゅうろん』『十二門論じゅうにもんろん』につづき、『解深密経げじんみっきょう』『如来蔵経にょらいぞうきょう』『涅槃経ねはんきょう』などの教典が完成、さらには、400年頃世親の『唯識二十論ゆいしきにじゅうろん』が書かれました。日本に仏教が伝来したのはこの『唯識二十論』完成の約百年後とされていますが、日本では最初から中国で書かれた大乗教典を仏説の仏教と認めて勉強しましたので、大乗教典が仏説であるか否かの論議はほとんど起こらないまま受け入れられてしまったようです。わずかに江戸時代の富永仲基や明治に入ってパーリ語教典を勉学した前田慧雪、村上専精などの学者によって『大乗非仏説論だいじょうひぶっせつろん(仏教統一論)』が出版され論議を醸かもしたことがあるくらいのものでした。大乗教典が書かれたのは西暦元年から400年までのあいだのことですからよく考えてみれば仏説と言える根拠には乏しいのですが、それらの教典が仏教の教えにかなっているとする見かたが一般的で日本ではそれほど大きな問題とはならなかったのです。2026/01/19 14:36:2780.◆JBLfMwCXhYN522Uしかし時代は移り、変化してきました。仏教伝来から1500年という長い年月を必要としましたが日本でもやっとお釈迦さまの教えであるテーラワーダ仏教を学ぶことが出来るようになりました。テーラワーダ仏教ではお釈迦さまの直接の言葉を口述筆記で記録し、2500年という年月を何万人という長老の比丘たちによって語り継がれてきました。この間、説を曲げたり改変が加えられたりしたことはただの一度もありません。お釈迦さまはインドのマガタ国の言葉を話されましたから、パーリ語と言われるその言葉によってのみ記録されてきたのです。ですから二十世紀ももう終わろうとする今日でも、2500年前にお釈迦さまが説かれたそのままを私たちは学ぶことが出来るのです。それだけの年月を色褪あせることもなく文明がこれほどまでに発展してきた今日でも燦然さんぜんと輝いて人々の生きる指針となっているということは、それだけお釈迦さまの教えが唯一無二の真理を語られているということの何よりの証明でもありましょう。以下略2026/01/19 14:37:0381.◆JBLfMwCXhYN522Uhttps://j-theravada.com/dhamma/kougi/kougi-010/2026/01/19 14:37:1982.神も仏も名無しさんYNCbR倶舎論や唯識にはその痕跡は残ってはいるからなー😆2026/01/19 14:38:4083.◆JBLfMwCXhYN522Uまあ、テーラワーダ仏教も、実態はスマナサーラ長老を開祖とする新興宗教だが😅2026/01/19 14:46:1784.神も仏も名無しさんYNCbR極論を見たことがある女は煩悩がある、女は悟りは無理たとスマナサーラ😁2026/01/19 14:48:5685.神も仏も名無しさんYNCbRスマナサーラは知識はあるけど人格がダメなところがある😆2026/01/19 14:49:5086.神も仏も名無しさんYNCbRハッスル🤡は知識も人格もダメしかない😆2026/01/19 14:50:1787.◆JBLfMwCXhYN522Uパーリ仏典って、初期仏教だよな~2026/01/19 14:50:2588.◆JBLfMwCXhYN522U>>86わはは😂2026/01/19 14:51:1689.神も仏も名無しさんYNCbR北伝は漢訳されるサンスクリットが多のかもなー仏伝もビミョーに違う江戸時代の大乗非仏論に祭りあげられたのも北伝の仏伝と他の大乗仏教経典が矛盾していると批判しているだけで大乗非仏論ではないなー高野山大学にその現在語訳をみたけど😆2026/01/19 14:53:1690.神も仏も名無しさんYNCbR名前忘れた、細かな記憶が消える😆2026/01/19 14:54:0891.◆JBLfMwCXhYN522Uそうか南伝はパーリ仏典だな2026/01/19 14:54:2892.◆JBLfMwCXhYN522U要するに、スマナサーラ長老がやってるのは南伝仏教だな2026/01/19 14:54:5393.神も仏も名無しさんYNCbR「阿含」の由来: サンスクリット語の「アーガマ(āgama=伝承された教え)」の音写であり、聖者の教えを意味します。特徴: サンスクリット語やガンダーラ語の原典から中国で漢訳され、東アジア(中国・朝鮮・日本)に広まった北伝仏教(大乗仏教が主流)の基層となった経典です。南伝との関係: パーリ語で残された南伝の「ニカーヤ(部)」に対応します。四阿含(北伝の主要経典)北伝の阿含経は、基本的に以下の4つの主要経典(四阿含)に分類されます。『長阿含経(じょうあごんぎょう)』: 長い対話や物語を収録(南伝:ディーガ・ニカーヤ)。『中阿含経(ちゅうあごんぎょう)』: 中くらいの長さの教えを収録(南伝:マッジマ・ニカーヤ)。『雑阿含経(ぞうあごんきょう)』: 比較的短い経典を編集、主に修行の根本となる教えを収録(南伝:サンユッタニカーヤ)。『増一阿含経(ぞういちあごんきょう)』: 法の数を順に増やして(一から十一)編集したもの(南伝:アングッタラ・ニカーヤ)。南伝仏典(パーリ仏典)との違い部派の違い: 南伝(上座部)が比較的統一された形で伝承されたのに対し、北伝は異なる部派(主に説一切有部、大衆部など)の原典が漢訳されたため、内容に違いや構成のズレがあります。収録内容: 例えば、『雑阿含経』と南伝『相応部』は、配列パターンや経典の数が異なります。用語: 北伝はサンスクリット語系統、南伝はパーリ語系統に基づきます。意義北伝阿含経は、歴史的に「小乗仏教」の経典として大乗仏教から軽視された時期もありましたが、釈迦の直説に近い教えを伝えているため、現代では「初期仏教」や「根本仏教」としてその重要性が再評価されています。2026/01/19 14:56:0794.神も仏も名無しさんYNCbRうっすら記憶の北伝あってた😆2026/01/19 14:56:5095.神も仏も名無しさんYNCbR(江戸時代に大乗非仏説を主張した)富永仲基や服部天游がすでにこのことを指摘している。仲基は、阿含経の中にシャカの説に近いものを見いだしうるが、それもわずかに『数章のみ』と断じ、天遊、これをうけて『其の小乗の諸経さへ、多くは後人の手に成りて真説は甚だまれなるべし』と論じている。」(田村1969[116]p.2026/01/19 15:03:1696.神も仏も名無しさんYNCbR富永仲基だ😆2026/01/19 15:03:3197.神も仏も名無しさんP7JKr✅でおーの言動を観察していると、その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。✅餓鬼道とは何か。餓鬼道は渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、手に入れても決して満たされない。でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、その知識によって周囲からの承認を求める。しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、むしろ常に不足感を抱えているように見える。愛情への飢えすら感じさせる点も含め、餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。✅修羅道とは何か。修羅道は闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。でおーは、やたらと「自分の方が優れている」「相手より上である」という点を強調する。勝ち負けに固執し、相手を倒すためなら手段を選ばず、時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。そして、その対立を外から眺めて楽しむ。この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。✅地獄道とは何か。地獄道は怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。正義感が歪み、攻撃性へと変質する。でおーは、相手を意図的に挑発し、怒りや憎しみを引き出そうとする。相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。✅つまり、でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。2026/01/19 15:20:1598.神も仏も名無しさん7XMBb⚠️⚠️⚠️「不細工ナルシスト発猿子でおー」雌チンパンジーの犯罪記録WWW「不細工ナルシスト発猿子でおー」雌チンパンジーの犯罪記録WWW【仏教】悟りを開いた人のスレ【天空寺】2752026/01/19 22:50:2699.神も仏も名無しさん7XMBb🧻🧻🧻🧻身心脱落した「重罪デブスタイン発猿子でおーウンコ蟯虫」の犯罪記録WWW身心脱落した「重罪デブスタイン発猿子でおーウンコ蟯虫」の犯罪記録WWW【仏教】悟りを開いた人のスレ【天空寺】2752026/01/19 23:48:51100.神も仏も名無しさんkKtoH1002026/01/20 09:27:48101.◆JBLfMwCXhYLG5F2日本テーラワーダ仏教協会慈悲の瞑想仏教を実践するうえで土台となる心を育てるヴィパッサナー瞑想の実践に入る前に、まず心を落ち着かせるために「慈悲の瞑想」を行います。基本的に「慈悲の念」「慈しみの心」があると、実践の土台として大変役立つのです。人間というものは、自分は個別の「存在」だと思っています。「私は、私です」 と思っているのです。「私は…」と思った瞬間で、私たちはこの世界の全体的な生命のエネルギーから自分を別なものだと、ある個体的な存在だと思ってしまい、自分と他とを区別します。区別することによって、自分がとても小さなものになってしまい、いろいろな問題が生じてきます。人間が人生で出会うさまざまな苦悩は、この「私」というその個体があるんだ…と思ったところから生まれてくるのです。2026/01/20 11:04:34102.◆JBLfMwCXhYLG5F2簡単に言えば、この「私」という実感さえなければ、問題は何もないのです。しかし、これはなかなか消えるものではないのです。誰かが体に触ったら「私に触りました」と感じるし、冷たい空気が体に触れたら「私は寒い」というように、簡単に「私」という主語は出てきますが、しかしそのことは大問題なのです。「私」がいるから「他人」がいて、だから人間関係が悪くなったりする。「私」がいるから、他の人間と競争するためにいろんな才能を身につけなくてはならなくなる。例えばこのように、問題が生じてきます。そこで、なぜ「慈しみの心」が必要かというと、いくら「私が私が…」と言っていても、実際には、ここに私が生きていられるのは他の生命があるからなのです。私達が生きるために必要な栄養素にしても、他の生命を経由して体内に採り入れるものが大部分ですし、例えば鉄分が必要だといっても、鉄の塊をガリガリとかじるわけにはいかないのです。また、私達の体内には無数の微生物が住んでいて、なにかしら有用な活動をしています。それらの生命に「これは私の体ですから、出て行ってください」と言って追い出してしまったら、「私」も死んでしまいます。ひとつの体の中にも、多くの生命体が入り込み、お互い助け合って共存しているのです。ですから、「私」を発見する以前に、生命に対する「やさしい心」というのは大変必要な条件になります。どんな宗教でも共通して説いているのは、この「やさしさ」ということで、生命はお互いに助け合って生きている…ということは重要なポイントなのです。「慈悲の心」を育て上げられれば、自分は諸々の宗教に共通している真髄を実践しているのだと理解しても過言ではありません。2026/01/20 11:04:56103.◆JBLfMwCXhYLG5F2慈悲の瞑想の実践方法次に実践ですが、ここでは「すべての行動は心に基づく」という法則を用いています。人間が行動する前には、必ず先立って「こう行動しよう」という心の働きがあるのです。「慈しみ」を実践するのにもっとも簡単で早い方法は、心そのものを「慈しみの心」にしてしまうことです。道徳やきびしい戒律を守ったり、困っている人を助けたりといった行動をしていても、もしも心が清らかでなかったらそれほど意味がないし、あとで疲れたり、嫌になる可能性さえあります。でも心が「慈悲の心」になってさえいれば、そこから先の行動は、どんなことでも素晴らしいものに変わるのです。ですから、幸福になるためには、人生で成功するためには、平和で無事で争いがなく、堂々と美しく生きていくためには、ただ「やさしい心」さえ作ればいいのです。それには、人を見たら自分とみる、相手を「他人」と見ずに「自分」としてプロジェクション(投影)してみることです。それができた瞬間に、問題はハッキリ明確に見えてきます。例えば、何か問題にぶつかっている人を励ましたい場合は、もし自分が相手の立場だったら、どのようにしてもらったら元気が出て、問題を解決できる力が湧いてくるだろうか……というように、相手の立場を自己に投影してみるのです。それを上手くやるためには、やはり「慈悲」というものを育てなければなりません。「慈悲の心」を育てるためには、自分の心にず~っと反復して言い聞かせてやればよいのです。そうして「念じる」ことは、大変効果的なトレーニングになります。2026/01/20 11:05:26104.◆JBLfMwCXhYLG5F2この「慈悲の瞑想」は、「ヴィパッサナー」とは違い、伝統的なごく普通の瞑想法ですから、ある意味では入っていきやすい実践だとも言えます。しかし、この慈悲を念じる実践は、決してヴィパッサナーの準備段階ということだけにとどまらず、すべての仏道修行において基礎になるもので、日常的にいつも念じているのが望ましいのです。まず最初に、自分自身に対して慈悲の心を作ります。どんな生命にとっても、いちばん大事で最優先されるのは自分であるというのは、ごく当たり前のことですから、まずそこのところは正直な心で「私は幸せでありますように」と念じます。「幸せ」とはなんですか?と考える必要はありません。幸せとは少なくとも良いことでしょう……というふうに大雑把に理解しておけばいいのです。次に「私の悩み苦しみがなくなりますように」「私の願いごとが叶えられますように」、そして私達はいちおう仏教の実践をしていますから「私に悟りの光が現れますように」と念じます。もし「悟り」という言葉が解かりにくければ「知恵が現れますように」でもかまいません。二番目には、さきほど出てきましたプロジェクションということでもありますが、自分の「親しい生命」、いちばん幸福になって欲しいと感じる生命がいますから、その生命(自分の子供や両親、友人、身近な生命、動物、鳥、魚、昆虫、その他‥)のことを同様に念じます。そして三番目に、やはりすべての生命が幸福であったほうがいちばんありがたいことだと思って、それから努力して「生きとし生けるもの」の幸福を念じます。この三段階で、あらかじめ決めておいた言葉を唱えて「念じ」ていきます。言葉は、静かに心にしみこんでいくように、丁寧に丹念に念じます。(何人かで一緒に実践するときは声を出して唱えることもありますが、一人で実践するときは、声を出さなくてかまいません)姿勢は背筋と頭をまっすぐにして、目を閉じてください。2026/01/20 11:05:48105.◆JBLfMwCXhYLG5F2『慈悲の瞑想』の言葉私は幸せでありますように私の悩み苦しみがなくなりますように私の願いごとが叶えられますように私に悟りの光が現れますように私は幸せでありますように(3回)私の親しい生命が幸せでありますように私の親しい生命の悩み苦しみがなくなりますように私の親しい生命の願いごとが叶えられますように私の親しい生命に悟りの光が現れますように私の親しい生命が幸せでありますように(3回)生きとし生けるものが幸せでありますように生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように生きとし生けるものに悟りの光が現れますように生きとし生けるものが幸せでありますように(3回)*2016年秋より、これまで「人々」としていた言葉を「生命」に置き換えて慈悲の瞑想をしています。2026/01/20 11:06:20106.◆JBLfMwCXhYLG5F2これまでがワンセットですが、さらに続きがあります。 次は、自分が嫌いな生命、苦手な生命のことを思い浮かべます。嫌いな生命のいない人はまずいないはずですから、それらの生命を心に思い浮かべて、 それらの生命のために「慈悲の瞑想」を実践します。 さらに続けて、自分のことを嫌っていると思われる生命のことを思い浮かべて、それらの生命にも「慈悲の瞑想」を実践します。私の嫌いな生命が幸せでありますように私の嫌いな生命の悩み苦しみがなくなりますように私の嫌いな生命の願いごとが叶えられますように私の嫌いな生命に悟りの光が現れますように私を嫌っている生命が幸せでありますように私を嫌っている生命の悩み苦しみがなくなりますように私を嫌っている生命の願いごとが叶えられますように私を嫌っている生命に悟りの光が現れますように2026/01/20 11:06:37107.◆JBLfMwCXhYLG5F2そして最後にもう一度、生きとし生けるものが幸せでありますように(3回)皆さん、どうか毎日、日常の生活の中で時間を見つけては、この「生きとし生けるものは幸せでありますように」という言葉を、絶えず持続して念じてください。 そうすれば、必ず短い間に自分の心が変わっていくことに気づきます。 特にこれは持続して実践するということがいちばん大切なことです。持続していけば、やがてさまざまな禅定を作っていくことも可能になっていくのです。2026/01/20 11:06:52108.◆JBLfMwCXhYLG5F2回向の文仏法僧の三宝に礼拝、帰依し、戒をまもり、慈悲の瞑想と、ヴィパッサナー修行によって積まれたこの功徳を、神々、先祖、祖父母、両親、親族、恩師をはじめとし、一切の生きとし生けるものに、回向いたします。この功徳によって、すべての生きとし生けるものが幸福に暮らせますように。そして、解脱が得られますように。2026/01/20 11:07:02109.◆JBLfMwCXhYLG5F2ご自分でなさる時、慈悲の瞑想を一通りしてから、ヴィパッサナー実践を行い、終わって時間があればもう一度簡単に慈悲の瞑想をして、最後にこの回向の文を唱えます。やはり、唱えるならば静かに一句一句に心を込めて、そのつもりになってとなえてみてください。2026/01/20 11:07:12110.神も仏も名無しさんfgWQh慈悲の瞑想の拡大バージョンが大乗仏教なのだが、仏のスレ主も、ロンも今ひとつなんだなー😆2026/01/20 11:43:09111.◆JBLfMwCXhYIcX3C>>110なるほど2026/01/20 12:14:23112.◆JBLfMwCXhYIcX3C言われてみれば、確かに大乗仏教は、慈悲の瞑想そのものだ2026/01/20 12:14:54113.神も仏も名無しさん64H1K大乗仏教だと阿羅漢になるとになると衆生済度をする本当の悟りは得られなくなるという話らしいだからデンパパ📶が阿羅漢と禅を並列しているとは?バカなのか?と思う😆2026/01/20 12:19:03114.神も仏も名無しさん64H1K何バカなレスしとるのだ?と.ユーザー神も仏も名無しさんU3TZZ>>22デンパパ📶の文章の添削よろ〜ハッスル🤡部分ではなく921.ユーザーパーリー4sJAt>>914そりゃそうでしょセイウンさんのは仏教であり禅なんだし対してあなたのは仏教でも禅でも無いからね面壁九年‼️これが禅でしょ八正道→正禅定→阿羅漢これが仏教だから2026/01/20 12:21:19115.神も仏も名無しさんtb9nO✅でおーの言動を観察していると、その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。✅餓鬼道とは何か。餓鬼道は渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、手に入れても決して満たされない。でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、その知識によって周囲からの承認を求める。しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、むしろ常に不足感を抱えているように見える。愛情への飢えすら感じさせる点も含め、餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。✅修羅道とは何か。修羅道は闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。でおーは、やたらと「自分の方が優れている」「相手より上である」という点を強調する。勝ち負けに固執し、相手を倒すためなら手段を選ばず、時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。そして、その対立を外から眺めて楽しむ。この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。✅地獄道とは何か。地獄道は怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。正義感が歪み、攻撃性へと変質する。でおーは、相手を意図的に挑発し、怒りや憎しみを引き出そうとする。相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。✅つまり、でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。2026/01/20 14:04:25116.◆JBLfMwCXhYO5sggまず、慈悲の瞑想それから、ヴィパッサナー瞑想だ2026/01/21 08:56:45117.神も仏も名無しさんk1khmおはーハッスル🤡様大暴れでしたな?😆2026/01/21 08:57:52118.◆JBLfMwCXhYO5sggハッスル火山の大噴火~🌋2026/01/21 08:59:05119.◆JBLfMwCXhYO5sggまあ、セイウン様も、教学をやめてしまったわけではなく教学面の進歩が止まってないのは分かったが2026/01/21 09:02:25120.◆JBLfMwCXhYO5sgg問題は人格面でしょうな😅2026/01/21 09:02:48121.◆JBLfMwCXhYO5sgg当方にとっても、セイウン様のレスはときどき参考になるそこは否定しない(笑)2026/01/21 09:04:14122.◆JBLfMwCXhYO5sggもともと、ロン師匠よりはずっと、自分と考え方が近い😂2026/01/21 09:07:13123.◆JBLfMwCXhYO5sggロン師匠は、思想的に遠いところにいるだからこそ参考になる面もあるのだが2026/01/21 09:07:51124.◆JBLfMwCXhYO5sgg本覚思想には、どうもナジメませんなあ😅2026/01/21 09:08:34125.◆JBLfMwCXhYO5sggやっぱり、本覚思想はちょっと違うね本来の仏教とは2026/01/21 09:09:02126.◆JBLfMwCXhYO5sggまあ、政治にしても宗教にしても、思想にアリガチなことなのだが考え方が根本的に違うと、対立が起きにくい見解の相違は、基本的に似ている人同士に起きる2026/01/21 09:10:40127.◆JBLfMwCXhYO5sgg禅宗系の人たち同士の対立が、宗教板の基調だ2026/01/21 09:11:22128.◆JBLfMwCXhYO5sgg路線がもともと違うと、対立が起きにくい2026/01/21 09:11:48129.◆JBLfMwCXhYO5sgg同じ土俵に上がってないと、相撲は取れない同じリングに上がってないと、プロレスできない2026/01/21 09:12:47130.◆JBLfMwCXhYO5sgg個人的に、禅宗に関しては何を言われても、「へえ、そういうもんなのか」という感じになるだから、ロン師匠にもムイムイにも反感が起きない(笑)2026/01/21 09:14:20131.◆JBLfMwCXhYO5sgg禅宗と比べて、テーラワーダ仏教は自分の考え方に近い2026/01/21 09:15:19132.◆JBLfMwCXhYO5sgg個人的に、唯識論が仏教思想の到達点倶舎論{正) → 中論(反) → 唯識論(合)仏教思想は弁証法的に発展した😆2026/01/21 09:17:27133.◆JBLfMwCXhYO5sgg仏教思想の発展は、そこでゴールに達したその後の展開は、ヒンドゥー教に不二一元論に行ってしまった2026/01/21 09:18:18134.◆JBLfMwCXhYO5sggヒンドゥー教の不二一元論2026/01/21 09:18:29135.◆JBLfMwCXhYO5sgg素朴実在論の人を説得しようと試みたことは、何度もあるがそのたびに挫折した無理ゲーだ2026/01/21 09:19:21136.◆JBLfMwCXhYO5sgg素朴実在論は、見た目より強固だ「観念の遊戯など要らない。あるがままの現実こそが大事なのだ」というような考え方にも、一定の強さがある2026/01/21 09:20:50137.◆JBLfMwCXhYO5sgg例えてみればオンラインゲームの世界にドップリと浸かりきってる人に「こんなゲーム空間など、虚構の世界だ」と説得するようなものだまず、納得は得られない2026/01/21 09:22:11138.◆JBLfMwCXhYO5sgg「この日常世界こそ、あるがままの現実なのだ」という考え方もある2026/01/21 09:22:48139.◆JBLfMwCXhYO5sgg「素朴実在論で、何が悪いのだ?」と、反問されることもよくある「自分たちにとっては、これが現実なのだから。これで良いではないか」というわけだ2026/01/21 09:23:46140.◆JBLfMwCXhYO5sgg個人的には、素朴実在論と唯識論とでは明らかに、唯識論の世界観が正しいシンプルに、唯識論のほうが正しいだから、「正しい世界観を身に付けろ」ということになる2026/01/21 09:24:43141.◆JBLfMwCXhYO5sgg「なぜ、素朴実在論から脱却すべきなのか?」という理由や意義を、ずいぶん考えてみたがやはり、最終的にはそこに尽きる(笑)2026/01/21 09:25:26142.神も仏も名無しさんk1khmあれで臨済宗というのはな?🤡〜😆2026/01/21 09:31:31143.神も仏も名無しさん8DBwAシニフィアン、シニフィエの言語記号の恣意性は唯識で説明できるしな😆2026/01/21 09:34:10144.神も仏も名無しさん8DBwA個人の阿頼耶識への種子によって阿頼耶識の過去生の存続からその人の世界認識が差が出る家族虐待を受けた人はその家族の世界観や、当人の考え方という種子が阿頼耶識へ行く😆2026/01/21 09:35:56145.神も仏も名無しさん8DBwA本来俺は若い頃は学者肌だ今は、ハッスル🤡、ムイムイが楽しい😆2026/01/21 09:36:49146.神も仏も名無しさん8DBwA若い頃に、既に唯識を読んでいたのでこのような理屈のイメージは既にあった😆2026/01/21 09:37:32147.神も仏も名無しさん8DBwA30代以前に、そんなモノの見方をしていた、過去生は考えてなかったけど😆2026/01/21 09:38:23148.神も仏も名無しさん8DBwAま、俺の墓参りネタ出せばJBLてすら臨済宗にはモロ関心出るだろうな?言わないけど😆2026/01/21 09:39:40149.神も仏も名無しさん8DBwA40分も遊んでもらったのが未だに自慢話、一生自慢できる😆2026/01/21 09:41:03150.◆JBLfMwCXhYTtlqU素朴実在論から脱却すると、世界が違って見えてくる時間が経つにつれて、シミジミと実感がわいてくるこの物質世界の日常現実から、次第にリアルさが薄れてくる「観念の遊戯だ」とかなんとか言えるのは、まだピンと来てないからだ2026/01/21 09:48:02151.◆JBLfMwCXhYTtlqU>>148いやいや、臨済宗には関心があるやってないだけだ😅2026/01/21 09:49:06152.神も仏も名無しさん8DBwA>>151リアルゲームがあるからなーあれは😆2026/01/21 09:51:46153.◆JBLfMwCXhYTtlqU仏教に限らず、インドの伝統思想ではまず、外界、つまり物質世界の日常現実のリアルさが薄れてこないといけない話はそこからだ2026/01/21 09:52:34154.◆JBLfMwCXhYTtlqUこの世で刷り込まれた信念体系(ビリーフ・システム)からの脱却だ2026/01/21 09:53:47155.◆JBLfMwCXhYTtlqU>>144確かに、その通りだな?😆2026/01/21 09:54:52156.◆JBLfMwCXhYTtlqU唯識論では、外界は存在しない識体のみが存在する外界は、識から生じた幻影にすぎない2026/01/21 09:56:32157.◆JBLfMwCXhYTtlqU倶舎論では、外界は存在する外界は、極微とよばれる素粒子、五位七十五法に分類される構成要素でできている2026/01/21 09:58:05158.◆JBLfMwCXhYTtlqUただし、外界が存在するといっても世間の一般人が素朴に思うような意味で存在するわけではない外界の構成要素から、信号が飛んでくるそれを、眼や耳などの感覚器官が受け取り、視覚や聴覚を生じさせるそうすると、心の中に世界や物体のイメージが起きるそれくらいの話なので、実質的には唯識論の世界観と大差ない2026/01/21 10:02:52159.◆JBLfMwCXhYTtlqU初期仏教も、基本的に同様だ後世の唯識論とは違って、「外界は存在しない」などと極端なことは言わず、ずっと穏健で素朴だが「眼や耳などの感覚器官」と、「心の中に生じる視覚や聴覚」がセットになって、外界の世界像が心の中に浮かぶ世間の一般人は、それを「実在する現実」と信じているそこは変わらないそれは、仏教ワールドの基本構想といってよい2026/01/21 10:10:25160.神も仏も名無しさん8DBwAシニフィアンシニフィエができる構造は最初は個人の唯識のような構造から集団化されてラングが生まれる30代まで考察していたことだ😆2026/01/21 10:11:16161.◆JBLfMwCXhYTtlqU視覚や聴覚の話ばかりしているが「心の中の世界像」は、それだけで出来ているわけではないそれに勝るとも劣らない、強力なツールがある言語だ2026/01/21 10:12:26162.神も仏も名無しさん8DBwAラングは政治的言えばデモクラシーや独裁国家ではそれぞれ存在するまー本気で社会科学一般理論狙ってたからなー😆2026/01/21 10:12:33163.◆JBLfMwCXhYTtlqU>>160ソシュールの言語哲学中観派に通じるものがあるな~😆2026/01/21 10:13:09164.神も仏も名無しさん8DBwA唯識とソシュールの記号論の相性の良さは30代に見通せていた😆2026/01/21 10:13:45165.◆JBLfMwCXhYTtlqU世界は言語で出来ている~😆2026/01/21 10:14:15166.神も仏も名無しさん8DBwAアダムスミス的な神の見えざる手の法則や唯物論マルクス主義には批判的だったからなー😆2026/01/21 10:14:49167.◆JBLfMwCXhYTtlqU記号や言語で意味づけされなければ世界には何の意味もない2026/01/21 10:15:07168.神も仏も名無しさん8DBwA今は娯楽の領域展開😆2026/01/21 10:15:32169.◆JBLfMwCXhYTtlqU我々の心の中の世界像に意味があるのは言語や記号で意味づけしてるからだ2026/01/21 10:15:53170.神も仏も名無しさん8DBwAJBLだから、こーいうネタ出すがデンパパやリダンではなー😱2026/01/21 10:16:55171.◆JBLfMwCXhYTtlqU唯識ワールドで領域展開だ~😆領域展開 無量空処https://eiga-manga.com/wp-content/uploads/2023/09/%E5%91%AA%E8%A1%93%E5%BB%BB%E6%88%A6%E7%84%A1%E9%87%8F%E7%A9%BA%E5%87%A6%E8%A8%98%E4%BA%8B%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%83%E3%83%81.jpg2026/01/21 10:18:37172.◆JBLfMwCXhYTtlqUリダンと対話できる人は、誰もいない~😂2026/01/21 10:19:31173.神も仏も名無しさん8DBwAハッスル🤡様は対抗心?を燃やしてなにかウンチクを語っているぞ😆2026/01/21 10:28:53174.◆JBLfMwCXhYPMMdg>>173そこがセイウン様の限界だな😫彼は、「俺はこんな難しい本を読んでるんだぞ~」とか、「俺はこんなマニアックな仏教用語を知ってるんだぞ~」という、自己アピールのためにやっている純粋な真理探求者ではない2026/01/21 10:33:57175.◆JBLfMwCXhYPMMdg確かに、言ってることは間違ってないけどな~😫2026/01/21 10:36:27176.◆JBLfMwCXhYPMMdgテーラワーダ仏教の世界観は、「一切皆無常(すべては移り変わる)」を根本とし、「苦(ドゥッカ)」からの解脱を目指します。この世界は絶えず変化し、心も現象も一瞬一瞬変わるため、執着(価値を置くこと)は苦しみの原因であり、それを手放し「涅槃(ニッバーナ)」に到達することが究極の幸福とされます。具体的な実践は、戒律を守り、五根(五感)を観察し、心の汚れ(煩悩)に気づく瞑想を通じて、現象をありのまま(無常・苦・無我)に認識し、執着を手放すことに重点を置きます。2026/01/21 10:47:37177.◆JBLfMwCXhYPMMdg世界観の核心無常(Anicca): 世界のすべての現象、心身を含むすべては、生じては滅する、絶え間ない変化の中にあります。苦(Dukkha): この無常なるものに「価値」を見出し執着することが、苦しみを生み出します。無我(Anatta): 執着するような実体(我)はどこにも存在せず、現象はただ事実としてあるだけです。2026/01/21 10:47:53178.◆JBLfMwCXhYPMMdg幸福への道(実践)不放逸(Appamāda): 怠らず、常に心を観察し続けること(瞑想)。戒律と五根の制御: 戒律を守り(パーリ語でパーティモッカ)、五感(眼・耳・鼻・舌・身)が対象に触れた際、心が乱れないようにする(インドリヤ・グッティ)。知足(サントゥッティ): 必要最低限のもので満足すること。心の観察: 瞬間瞬間の心の動き(汚れ)に気づき、それが湧き出ないように観察することで、執着を手放し、智慧(パニャー)を得ます。2026/01/21 10:48:06179.◆JBLfMwCXhYPMMdg目的涅槃(Nibbāna): 執着と煩悩が完全に消え去った、究極の幸福で、苦しみのない境地。解脱(Vimutti): 輪廻転生からの自由。2026/01/21 10:48:21180.◆JBLfMwCXhYPMMdg在家信者と僧侶の関係在家信者は僧侶への布施(福田)を通じて功徳を積み、良い輪廻転生を期待します。僧侶は解脱を目指す修行に専念し、その修行が在家信者の功徳にも繋がるという、自利と利他が一体となった関係性があります。2026/01/21 10:48:32181.◆JBLfMwCXhYPMMdgテーラワーダ仏教は、大乗仏教と異なり、個人が「今、ここ」で実践を通して解脱を目指す、釈尊の教えを忠実に継承しようとする思想・実践体系と言えます。2026/01/21 10:48:56182.神も仏も名無しさん8DBwA>>181テーラワーダの「今、ここ」で実践それを反転したのが臨済宗のみ😆インプット優先のテーラワーダをアウトプットマシーンに魔改造😆墓の主なんか典型だ😆2026/01/21 11:21:09183.神も仏も名無しさん8DBwA道元は心身脱落なのでアウトプットマシーンまではいかん😆2026/01/21 11:22:31184.神も仏も名無しさん8DBwAムイムイは中途半端に今、今、いうわけで😆2026/01/21 11:39:46185.神も仏も名無しさんPgCV1🤡でおーの言動を観察していると、その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。🤡餓鬼道とは何か。餓鬼道は渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、手に入れても決して満たされない。でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、その知識によって周囲からの承認を求める。しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、むしろ常に不足感を抱えているように見える。愛情への飢えすら感じさせる点も含め、餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。🤡修羅道とは何か。修羅道は闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。でおーは、やたらと「自分の方が優れている」「相手より上である」という点を強調する。勝ち負けに固執し、相手を倒すためなら手段を選ばず、時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。そして、その対立を外から眺めて楽しむ。この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。🤡地獄道とは何か。地獄道は怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。正義感が歪み、攻撃性へと変質する。でおーは、相手を意図的に挑発し、怒りや憎しみを引き出そうとする。相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。🤡つまり、でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。2026/01/21 17:00:43186.◆JBLfMwCXhYdpvqY貪るように、テーラワーダ知識を集めるぞ~😫https://i.imgur.com/ryvbvoQ.png2026/01/21 22:21:51187.◆JBLfMwCXhYdpvqYまだまだ足りない~😫2026/01/21 22:22:01188.◆JBLfMwCXhYdpvqYテーラワーダはインプット路線なのか~😆2026/01/21 22:26:27189.◆JBLfMwCXhYdpvqYアウトプットすると、臨済宗になる2026/01/21 22:29:00190.◆JBLfMwCXhYdpvqYブラックホールとホワイトホールみたいだな~😂2026/01/21 22:29:16191.神も仏も名無しさんYKZb9テーラワーダの瞑想法の本が今思えば役に立った家にある買ったので😆2026/01/21 22:30:26192.神も仏も名無しさんYKZb9この本だ禅修行の土台にかなり役に立った今思えば😆https://books.rakuten.co.jp/rb/4045324/?variantId=40453242026/01/21 22:35:27193.神も仏も名無しさんYKZb9かなり精読した😆2026/01/21 22:40:59194.神も仏も名無しさんw46zv🤡でおーの言動を観察していると、その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。🤡餓鬼道とは何か。餓鬼道は渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、手に入れても決して満たされない。でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、その知識によって周囲からの承認を求める。しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、むしろ常に不足感を抱えているように見える。愛情への飢えすら感じさせる点も含め、餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。🤡修羅道とは何か。修羅道は闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。でおーは、やたらと「自分の方が優れている」「相手より上である」という点を強調する。勝ち負けに固執し、相手を倒すためなら手段を選ばず、時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。そして、その対立を外から眺めて楽しむ。この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。🤡地獄道とは何か。地獄道は怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。正義感が歪み、攻撃性へと変質する。でおーは、相手を意図的に挑発し、怒りや憎しみを引き出そうとする。相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。🤡つまり、でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。2026/01/21 22:46:33195.神も仏も名無しさん0mTt7ハッスル🤡様は燃えている〜🔥🔥🔥🔥🔥🔥563.ユーザー栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKJjeYX(5/5)5分も坐禅してられない統失知障が、ヴィパッサナー瞑想とか出来る訳ないのに、なに舞い上がってるんだろ😂それと現代ヴィパッサナー瞑想とか……やめとこ🤭2026/01/21 22:48:53Reply2026/01/21 23:29:02196.神も仏も名無しさんlJ83d🤡でおーの言動を観察していると、その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。🤡餓鬼道とは何か。餓鬼道は渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、手に入れても決して満たされない。でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、その知識によって周囲からの承認を求める。しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、むしろ常に不足感を抱えているように見える。愛情への飢えすら感じさせる点も含め、餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。🤡修羅道とは何か。修羅道は闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。でおーは、やたらと「自分の方が優れている」「相手より上である」という点を強調する。勝ち負けに固執し、相手を倒すためなら手段を選ばず、時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。そして、その対立を外から眺めて楽しむ。この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。🤡地獄道とは何か。地獄道は怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。正義感が歪み、攻撃性へと変質する。でおーは、相手を意図的に挑発し、怒りや憎しみを引き出そうとする。相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。🤡つまり、でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。2026/01/22 03:21:15197.神も仏も名無しさんB4PsO>>189宗教娯楽は努力カラーはないが仕事=臨済宗修行は追い詰められながらレベル上げている😆このノリに近い?とか😆https://m.youtube.com/watch?v=F88cso-n_Gk&t=331s2026/01/22 07:13:03198.神も仏も名無しさんB4PsOムイムイとハッスル🤡はメンタル限界の試練を与えてやる😆2026/01/22 07:24:32199.◆JBLfMwCXhYzy8mw朝は慈悲の瞑想だ😆2026/01/22 07:38:31200.◆JBLfMwCXhYzy8mw2002026/01/22 07:39:32201.神も仏も名無しさんZoVuA朝は鋼鉄フォーメーションだなにせ、ヤル気がない人間だからだ😆2026/01/22 07:43:13202.神も仏も名無しさんZoVuAヤル気がない、疲れれば疲れるほど、朝の坐禅時間が増える😆2026/01/22 07:48:57203.神も仏も名無しさんZoVuA領域展開みたいなノリだ😆2026/01/22 07:49:19204.神も仏も名無しさんZoVuA昨日は仕事中つまらんイレギュラーに襲撃されたあり得んイレギュラーにあんまりにもツマランイレギュラーなので内容書く気になれん😆2026/01/22 07:50:59205.神も仏も名無しさんZoVuA内容書けば大爆笑取れるイレギュラーだ俺的には〜ウンザリだ〜書く気になれん😆2026/01/22 07:51:44206.神も仏も名無しさんZoVuAうんこ漏らしたレベルほど悲惨ではないが😆2026/01/22 07:52:07207.神も仏も名無しさんlJ83d🤡でおーの言動を観察していると、その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。🤡餓鬼道とは何か。餓鬼道は渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、手に入れても決して満たされない。でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、その知識によって周囲からの承認を求める。しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、むしろ常に不足感を抱えているように見える。愛情への飢えすら感じさせる点も含め、餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。🤡修羅道とは何か。修羅道は闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。でおーは、やたらと「自分の方が優れている」「相手より上である」という点を強調する。勝ち負けに固執し、相手を倒すためなら手段を選ばず、時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。そして、その対立を外から眺めて楽しむ。この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。🤡地獄道とは何か。地獄道は怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。正義感が歪み、攻撃性へと変質する。でおーは、相手を意図的に挑発し、怒りや憎しみを引き出そうとする。相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。🤡つまり、でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。2026/01/22 08:16:44208.神も仏も名無しさんBwujJ>>205今も性を冒涜してるか?発猿子でおー牝チンパンジー2026年も性を冒涜するか?発猿子でおー牝類人猿身心脱落した「不細工ナルシスト発猿子でおーウンコ蟯虫」のナリスマシ記録WWW身心脱落した「重罪デブスタイン発猿子でおーウンコ蟯虫」の犯罪記録WWW【仏教】悟りを開いた人のスレ【天空寺】275270じゃんきーおおやましかし、人の見性体験や知識に妬みや嫉みを抱くのはともかく、架空のレスまで捏造するとか、でおー(タ)の煩悩の炎はそこまで凄まじいものなのか?271じゃんきーおおやま2018/01/24(水) 15:32:06.04ID:37zJIxVf>>270唯識では種子なるものを設けてるそうだが、でおー(タ)には一体どんな種子が蔵されているんだろうな?可視化が可能であれば面白いんだがwまあ、例の変なガンダムのaaやおかしな犬のaaが種子として、でおー(タ)の阿頼耶識に蔵されているんだろうな www早朝ソープの割引もでおー(タ)の阿頼耶識に種子として蔵されてるのかwそれが、俺に対する妬みや嫉みを縁として、レスの捏造として表象化したのか。浅ましい奴だな。2026/01/22 12:42:03209.◆JBLfMwCXhYWQnG9四向四果(しこうしか)「四向・しこう」修業する四段階(向かう人)「四果・しか」悟りの深さの四段階の境地(果たした人)「四双八輩・しそうはちはい」とも呼ばれています。ブッタ滅後にさとりの修習に応じて四段階に整備され、「それに向かう人」「それを果たした人」の八種に分類された思想です。2026/01/22 13:00:45210.◆JBLfMwCXhYWQnG91、預流向 → 預流果(よるか)流果(るか)は「さとりの流れに到達する」意味です。「この境地に到れば、それ以前の俗世の世界に退堕(たいだ)することなく、人間界と天界を7回転生している間に修業が進み、さとりの境地に到達する人」「極七返有・ごくしちぽんぬ」「極七返生・ごくしちぽんしょう」ともよばれます。預流果(よるか)は三結(有身見・疑・戒禁取)を完全に断滅した人です。「須陀含・しゅだおん」とも呼ばれています。2026/01/22 13:01:32211.◆JBLfMwCXhYWQnG92、一来向 → 一来果 (いちらいか)「天界と人間界とを一度だけ転生して、さとりの境地に達する人」三結を滅ぼし貪欲、瞋恚薄い人「斯陀含・しだごん」とも呼ばれています。それに向かう人は「一来向・いちらいこう」です。2026/01/22 13:02:07212.◆JBLfMwCXhYWQnG93、不還向 → 不還果(ふかんか)「再びこの世界に戻ることなく、天界でさとりの境地に到達する人」五下分結を滅ぼし化生者(かせいしゃ)となり色界の浄居天(じょういてん)となり、滅後、涅槃に至る人です。「阿那含・あなごん」とも呼ばれています。それに向かう人は「不還向・ふかんこう」です。2026/01/22 13:02:38213.◆JBLfMwCXhYWQnG94、阿羅漢向 → 阿羅漢果(あらかんか)「究極のさとりへ到達した人、供養されるべき人」(無学・むがく)「五上分結、五下分結を断じた人」「煩悩を滅した心解脱(しんげだつ)、四諦(したい)をみて解脱した慧解脱(えげだつ)、両方の倶分解脱(ぐぶんげだつ)した人」「漏尽智(ろじんち)煩悩を滅した人」「応供・おうぐ」とも呼ばれています。それに向かう人は「阿羅漢向・あらかんこう」です。2026/01/22 13:02:59214.◆JBLfMwCXhYWQnG9小乗仏教では、阿羅漢になるのが目標だ真言密教みたいに、即身成仏するのは無理とされている2026/01/22 13:03:50215.◆JBLfMwCXhYQGlAv阿羅漢と菩薩がどう違うのかというと阿羅漢は僧侶、つまり人間だ菩薩は人間ではないそこが違う2026/01/22 16:06:36216.◆JBLfMwCXhYQGlAv阿羅漢を目指すとは、仏教の修行において一切の煩悩を断ち切り、悟り(解脱)の境地に達した「尊敬を受けるに値する聖者(応供)」となることを目指す修行のことで、特に上座部仏教では究極の目標とされ、煩悩がなくなった状態を「無学道(むがくどう)」と呼びます。大乗仏教では菩薩がより重視されますが、阿羅漢は仏道修行における最高位の到達点の一つです。2026/01/22 16:10:43217.◆JBLfMwCXhYQGlAv阿羅漢を目指すことのポイント煩悩の完全な消滅: 72種類の煩悩(修惑)など、残されたすべての煩悩を断ち切ることを目指します。「阿羅漢向(こう)」から「阿羅漢果(か)」へ: 煩悩を断ち切る過程を「阿羅漢向」、煩悩がなくなった境地を「阿羅漢果」と呼びます。「無学道」: 悟りを開き、これ以上学ぶべきこと(断つべき煩悩)がない状態を指します。究極の聖者: サンスクリット語の「arhat(アルハット)」に由来し、「尊敬や施しを受けるにふさわしい聖者」という意味です。2026/01/22 16:12:31218.◆JBLfMwCXhYQGlAv阿羅漢と菩薩の違い阿羅漢: 自身が悟りを開き、煩悩を断ち切った「聖者」。菩薩: 悟りを得ても、他者を救うために自らの悟りを後回しにし、修行を続ける「修行者」。宗派による違い: 上座部仏教では阿羅漢が理想ですが、大乗仏教では菩薩(仏を目指す存在)がより重視されます。阿羅漢を目指す道は、徹底的に自己の内面を見つめ、すべての執着と迷いを手放していく深い精神的探求の道と言えるでしょう。2026/01/22 16:12:42219.◆JBLfMwCXhYQGlAv日本テーラワーダ仏教協会阿羅漢とは「私」が消えた存在ですアルボムッレ・スマナサーラ長老阿羅漢経(『相応部』1-25)(女神)「阿羅漢となり、なし終え、漏が尽き、最後の身を保つ比丘は言えるであろうか、『私が語る』と、また『かれらが私に語る』と」(釈尊)「阿羅漢となり、なし終え、漏が尽き、最後の身を保つ比丘は言えるであろうか、『私が語る』と、また『かれらが私に語る』と。巧みな者は世の名称を知り慣用語でのみ表わすであろう」(女神)「阿羅漢となり、なし終え、漏が尽き、最後の身を保つ比丘は言えるであろうか、比丘として慢によって『私が語る』と、また『かれらが私に語る』と」(釈尊)「慢の捨断者に縛りはなく慢の縛りはみな破られているその妄執を超えた賢者は言えるであろう、『私が語る』と、また『かれらが私に語る』と。巧みな者は世の名称を知り慣用語でのみ表わすであろう」(経典和訳:片山一良『パーリ仏典第三期1相応部(サンユッタニカーヤ)有偈篇I』大蔵出版より)2026/01/22 16:17:35220.◆JBLfMwCXhYQGlAvブッダは客観的に、「私」という概念を観察してみたのです。結果として、「人はその都度その都度、色受想行識の働きに「自分」というラベルを張っているのだ」とわかったのです。色受想行識とは、命を構成する五つの働きです。その五つは互いに影響しあっているし、因縁によって絶えず変化して流れるものです。ゆえに、「一貫して変化しない『自分』というものは存在しない」と発見したのです。自我とは人の錯覚であって、存在しない現象だと発見したところで、すべての悩み苦しみが終わってしまった。覚者には、「あの人は私を侮辱している」というフレーズは成り立たないのです。ブッダにとっては、耳が音に反応して聴覚の流れを惹き起こしているだけです。それからブッダは、人々に悩み苦しみを無くす方法を説き続けました。ブッダの話に納得した人々は、自分自身で自分の存在を観察してみました。そして、ブッダと同じ結論に達したのです。その人々もまた、悩み苦しみが消えたのです。真理を発見した弟子たちには、世間的に阿羅漢という名前がつけられました。師匠である釈尊のことは、特別にブッダ(佛陀)と呼んだのです。2026/01/22 16:20:42221.◆JBLfMwCXhYQGlAv阿羅漢の自覚阿羅漢に達した聖者には、はっきりした明確な自覚があります。自分のこころに悩み苦しみは生まれるはずがないと知っているのです。言葉を変えると、阿羅漢とはこころの中で「自分という概念」が消えた人なのです。阿羅漢には、「自分」が存在しません。一般人にとって、すべての思考と概念の主語は「私」です。「今日は雨です」というのは三人称の言葉です。しかし、このフレーズは誰かが言わなくてはいけない。だから、「今日は雨です」の意味は、「今日は雨だと私が思う」になるのです。また、目の前で雨が降っているならば、「思う」ではなく、私の経験です。一般の人々に「私」という主語が無ければ、考えることも妄想することも話すことも、勉強したり仕事をしたりすることもできないのです。料理を作ったり食べたりする時も、「私」が必要です。だから、誰かのこころから「私」という実感が消えてしまったならば、それは革命的な変化なのです。人間と名づけるべき存在でなくなるのです。人間ではないばかりか、霊でも神でもないのです。神にさえ、「私は神です」という実感があるのです。「すべての生命の次元を破って乗り越えた」という意味で阿羅漢と言われますが、実は阿羅漢には「私は阿羅漢です」という実感すらないのです。しかし、「私」という主語が消えてしまったことは、明確に知っています。誰かが阿羅漢に向かって「あなたは阿羅漢ですか?」と訊いても、阿羅漢にとってそれは何の意味も持たない雑音に過ぎないのです。「はい」と答えても「いいえ」と答えても、質問者が誤解に陥るだけの結果になります。今日の話のポイントは、「阿羅漢には『私』が存在しない」ということです。2026/01/22 16:21:35222.◆JBLfMwCXhYQGlAv女神の問いこころの流れの中で「私」という主語が完全に消えた人は阿羅漢であると、仏教徒の中でも知られていました。今日の対話に登場する女神も、それを知っていたのです。この女神は、聖者たちが住んでいるところを行き来して、聖者たちの行いを観察していました。その際に、聖者たちが「私」「私の」「私に」などの単語を会話で使っていることが耳に入ったのです。女神は、この比丘たちがまだ阿羅漢に達していないと結論づけました。それでも、なんとなく納得がいかないから、お釈迦さまに質問しようとやってきたのです。為すべきことを為し終えて、煩悩を滅尽して、最後の身体になった阿羅漢は、「私は語る、〔誰かが〕私に語る」などの言葉を使うのでしょうか?阿羅漢のこころから「私」という主語が跡形もなく消えたという説明を聞いたら、誰だって女神のように疑問をいだくことでしょう。「阿羅漢は人とどのように喋るのか?」と、知りたいものですね。この女神は素直に、お釈迦さまに尋ねたのです。2026/01/22 16:22:27223.◆JBLfMwCXhYQGlAvブッダの答え為すべきことを為し終えて、煩悩を滅尽して、最後の身体になった阿羅漢は、「私は語る、〔誰かが〕私に語る」などの言葉を使うのです。阿羅漢は世間の一般常識に巧みな存在です。世間常識的に認められている言語の法則に従って語るのです。阿羅漢も、言葉の使い方は一般人と同じです。阿羅漢・聖者だからと言って、決して特別な言葉を使わないのです。宗教の世界では、このような現象はよく見られます。「私は神だ、ホトケだ、ブッダだ」と言い張る人々は、あえて一般人の言葉づかいをやめて、他を見下した気分で語るのです。あるいは言葉の動詞はすべて命令形になってしまうのです。一般人には、言葉の使い方で相手が阿羅漢かどうかを判断することはできません。誰かが「今日は雨です」と言ったら、阿羅漢も「そうだね。今日は雨です」と返事するのです。2026/01/22 16:24:08224.◆JBLfMwCXhYQGlAv正しく語る皆様もパーリ経典を読んだことがあるでしょう。今度、調べてみて下さい。ブッダ自身が語っていることは明確ですが、ブッダの言葉には一人称は出てこないのです。見事に、三人称で真理を語り尽くしています。しかし、わずかな箇所では、「私」という主語をあえて入れる場合もありました。それは、話しているポイントが世間の考えと反対であることを示すためです。そういう時は、ブッダが自分自身で責任を保つのです。「比丘たちよ、私は意志が業だと説く」という経典のフレーズは有名です。インドの宗教家は、業について様々な説を出していました。業に関するブッダの意見は、従来の諸説と真っ向から違うので、「私」という一人称を使ったのです。ブッダの教えはすべて三人称で語っています。自分自身を示さなくてはいけない時も、「私」ではなく「如来」という三人称を使っていたのです。2026/01/22 16:26:21225.◆JBLfMwCXhYQGlAv今回のポイント命は「私」という錯覚の上に成り立っている人には客観的に語ることは難しい「私」という錯覚が悩み苦しみ争いの元です正しく語るためには「私」という錯覚を無くすべきです完全に語る能力はブッダに限られた特色です。2026/01/22 16:26:34226.◆JBLfMwCXhYQGlAv抜粋は以上全文はこちら(長い)https://j-theravada.com/dhamma/kantouhouwa/kantou304/2026/01/22 16:27:19227.◆JBLfMwCXhYQGlAv小乗仏教では、即身成仏できるのはブッダだけ他の人たちは阿羅漢が最高位2026/01/22 16:28:45228.◆JBLfMwCXhYQGlAv228晴れたり、日本晴れ~🗻☀️2026/01/22 16:30:38229.神も仏も名無しさんxX4ga基本知識の丁寧さはテーラワーダにはあるそれを押さえられずに禅を語りだすとハッスル、ムイムイになる😱2026/01/22 18:52:53230.神も仏も名無しさんfm5Qb錯覚をなくすとは妙な日本語だね錯覚してる本人は錯覚とは思ってないわけで2026/01/22 20:18:45231.神も仏も名無しさん0GYboテーラワーダの表現は巧みだねー😆2026/01/22 21:00:21232.神も仏も名無しさんlJ83d🤡でおーの言動を観察していると、その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。🤡餓鬼道とは何か。餓鬼道は渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、手に入れても決して満たされない。でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、その知識によって周囲からの承認を求める。しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、むしろ常に不足感を抱えているように見える。愛情への飢えすら感じさせる点も含め、餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。🤡修羅道とは何か。修羅道は闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。でおーは、やたらと「自分の方が優れている」「相手より上である」という点を強調する。勝ち負けに固執し、相手を倒すためなら手段を選ばず、時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。そして、その対立を外から眺めて楽しむ。この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。🤡地獄道とは何か。地獄道は怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。正義感が歪み、攻撃性へと変質する。でおーは、相手を意図的に挑発し、怒りや憎しみを引き出そうとする。相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。🤡つまり、でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。2026/01/22 21:06:14233.神も仏も名無しさんdK4Hmこれはなんだろね?🤡🤡🤡🤡🤡🤡🤡623.ユーザーKaoriGmRBS(2/3)栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK50-5SX-Ij-wvu然りだって思うんです。コピペこれこれこういう事だからこうなんだという納得や共通認識は、確かに大事だけどそれは知解で、そこではないって事なんだけどな。でも相変わらず、坐禅スレでは覚者妄想の統失や屁理屈屋や冷やかし野郎が大口叩いて、或いは誹謗中傷を繰り返して滅茶苦茶になってしまってる。肝心の坐禅をしてる人は僅かしかいない。私はそのアーラヤを言語や思考を耕す事だって考えてます。アーラヤを愛すナマス。2026/01/23 07:24:002026/01/23 07:40:28234.◆JBLfMwCXhYX2Ww9>>233意味不明だな?2026/01/23 07:41:59235.◆JBLfMwCXhYX2Ww9>>233> 私はそのアーラヤを言語や思考を耕す事だって考えてます。こういうのを見ると「この人、やっぱり唯識論がまるきり分かってないな」と実感する2026/01/23 07:45:02236.◆JBLfMwCXhYX2Ww9>>233> アーラヤを愛すナマス。それをいうなら「マナス」だろと、以前にも訂正したんだが「末那識」が「マナス」の音訳だってことを知らない2026/01/23 07:47:52237.◆JBLfMwCXhYX2Ww9仏教用語が大好きな割には、漢字と外国語に弱すぎ当方から見ると、その点は気の毒な面がある2026/01/23 07:48:06238.◆JBLfMwCXhYoJM0cパーリ仏典とサンスクリット仏典は、仏教の教えを伝える主要な聖典群で、パーリ仏典は南伝の上座部仏教で使われパーリ語で書かれ(三蔵)、サンスクリット仏典は大乗仏教などで使われサンスクリット語(またはその系統の言語)で書かれ、それぞれ歴史的・地理的に異なる仏教の流れを代表しています。パーリ語は初期仏教の教えを伝える古い言語とされる一方、サンスクリット語はより広範な大乗仏教の思想を形成・伝播させ、多くの漢訳経典の原典ともなっています。2026/01/23 08:08:19239.◆JBLfMwCXhYoJM0cサンスクリット仏典(北伝仏典の原典)言語: サンスクリット語(デーヴァナーガリー文字などで表記される)。特徴: 大乗仏教(日本、中国、チベットなど)の教えの源流となり、多くの漢訳経典(漢文大蔵経)の原典。内容: 漢訳で伝わる『般若経』『法華経』『華厳経』などの多様な大乗経典群。2026/01/23 08:08:45240.◆JBLfMwCXhYoJM0c関係性と違い歴史: 仏教がインドで発展する過程で、初期の教えはパーリ語系統(アーガマなど)とサンスクリット語系統(大乗経典など)に分かれ、それぞれが異なる発展を遂げました。位置づけ: 日本の仏教(大乗仏教)では、漢訳経典が中心ですが、パーリ仏典は初期仏教の理解や経典比較研究のために重要視されます。このように、パーリ仏典とサンスクリット仏典は、それぞれ異なる地域・宗派で、仏教の初期の教えやその後の発展を伝える貴重な文献群として存在しています。2026/01/23 08:09:07241.◆JBLfMwCXhYoJM0cテーラワーダ仏教の特徴は、慈悲の瞑想とかヴィパッサナー瞑想だけではない「パーリ語の初期仏典」が大きな売りだ2026/01/23 08:10:18242.◆JBLfMwCXhYoJM0cというのも、日本人にとってオナジミの大乗仏典は、パーリ語ではないサンスクリット語で書かれている2026/01/23 08:11:07243.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK4lXOF金魚の糞へかおりさんと俺の区別が付かないのか😨2026/01/23 08:11:32244.◆JBLfMwCXhYoJM0cパーリ語とサンスクリット語は、古代インドの言語で仏教と深く関連しますが、サンスクリット語がバラモン教の典礼・教養語である標準語(文語)であるのに対し、パーリ語は仏陀の教えを伝えるため使われた、より日常的・俗語的な「<プラークリット語(俗語・方言)」の一つで、上座部仏教の聖典(南伝仏教)の言語です。両者は類似しているものの、パーリ語はサンスクリット語が変化した俗語の側面を持ち、子音の同化や文法の一部簡略化が見られますが、他の俗語と比べるとサンスクリット語に近いのが特徴です。2026/01/23 08:12:05245.◆JBLfMwCXhYoJM0cサンスクリット語(梵語)特徴: インド・ヨーロッパ語族に属する古代インドの標準的な文語・雅語。用途: ヒンドゥー教の聖典、バラモン教の典礼、大乗仏教の文献などで使用。性格: 比較的形を保ち、教育を受けたエリート層の言語。2026/01/23 08:12:27246.◆JBLfMwCXhYoJM0cパーリ語(巴語)特徴: サンスクリット語から派生した俗語(プラークリット語)の一つで、俗語として自然に発展した。用途: 上座部仏教(南伝仏教)の経典(パーリ仏典)の言語。性格: サンスクリット語に比べて音韻や文法が平易で、子音の同化(例: putra (梵) → putta (巴))など変化が見られるが、他の俗語よりサンスクリット語に近い。2026/01/23 08:12:41247.◆JBLfMwCXhYoJM0c関係性と違いのまとめ起源: どちらも古代インドの言語で、仏陀の時代にはマガダ語(パーリ語のベース)が話され、後に聖典化される過程でサンスクリット語の影響を受けました。「フォーマル」と「口語」: サンスクリット語が「神聖な」標準語(フォーマル)として固定されたのに対し、パーリ語はより自然に(口語として)発展した言語。経典: 初期仏典(上座部仏教)はパーリ語で、後発の大乗仏教経典は主にサンスクリット語で書かれました。このように、サンスクリット語とパーリ語は「同じインドの言語」でありながら、文語と俗語、バラモン教/大乗仏教と上座部仏教という使われ方の違いがあり、仏教の二大流派で使われる言語が異なるため、それぞれ重要な役割を持っています。2026/01/23 08:12:51248.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK4lXOF訂正金魚の糞は、かおりさんと俺の区別が付かないのか😨マナスをナマスと誤記したのは認める。2026/01/23 08:13:26249.◆JBLfMwCXhYoJM0cテーラワーダ仏教協会は「ウチでは、パーリ仏典を使ってます。お釈迦さまの初期仏教に忠実ですよ」と主張している2026/01/23 08:15:30250.◆JBLfMwCXhYoJM0cKaori さんのコピペだったのか?2026/01/23 08:16:11251.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK4lXOFお釈迦さまはマガダ語で話されていたって話だよ。2026/01/23 08:20:23252.◆JBLfMwCXhYoJM0cパーリ語も、マガダ語とはちと違うみたいだな2026/01/23 08:31:19253.◆JBLfMwCXhYoJM0cテーラワーダ仏教協会の主張には、無理がある2026/01/23 08:31:36254.◆JBLfMwCXhYoJM0cもっとも、サンスクリット語よりはずっと、お釈迦さまの言葉に近い2026/01/23 08:32:09255.神も仏も名無しさんbXC2Sカオリン疑惑を載せたつもりだ😁2026/01/23 08:49:13256.神も仏も名無しさんbXC2Sこれも、なんだろなー🤡🤡🤡🤡🤡🤡627.ユーザーKaoriGmRBS(4/10)📚📚📚栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK50-z0J-Ij-wvu>これについて、禅定において労苦を重ねたものには直ちに知られるであろうまさに然りなんです。もっともこれは本当の禅定の体験があって見性があって、解脱と後戻りを繰り返してきた者にしか分からないのですが、坐禅の回数が喧しく云われるのは、此処なんですけどね。一休さんなんかはそのんとこの消息を良く仰ってる。2026/01/23 08:50:40257.神も仏も名無しさんbXC2S🟣ウィルスバイオハザード感半端ねえー😁2026/01/23 08:52:58258.神も仏も名無しさんwhATa🤡でおーの言動を観察していると、その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。🤡餓鬼道とは何か。餓鬼道は渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、手に入れても決して満たされない。でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、その知識によって周囲からの承認を求める。しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、むしろ常に不足感を抱えているように見える。愛情への飢えすら感じさせる点も含め、餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。🤡修羅道とは何か。修羅道は闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。でおーは、やたらと「自分の方が優れている」「相手より上である」という点を強調する。勝ち負けに固執し、相手を倒すためなら手段を選ばず、時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。そして、その対立を外から眺めて楽しむ。この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。🤡地獄道とは何か。地獄道は怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。正義感が歪み、攻撃性へと変質する。でおーは、相手を意図的に挑発し、怒りや憎しみを引き出そうとする。相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。🤡つまり、でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。2026/01/23 12:01:33259.◆JBLfMwCXhYTRw7x以下はパーリ仏典からの引用である。修行者たちよ、邪見とは何か。布施〔に果報〕はない。善悪の業(カルマ)に果報(善業・悪業の報い)はない。他世(=来世)は存在しない。化生の衆生はいない。(中略)修行者たちよ、これが邪見である。—パーリ仏典, 中部大四十経,Sri Lanka Tripitaka Project修行者たちよ、このように見て、聖なる言葉を聞く弟子は、 ... 貪りを離れるゆえに解脱する。解脱すれば「解脱した」という智慧が生じる。「生は尽きた。梵行は完成した。なされるべきことはなされ、(漏尽通によって)もはや二度と生まれ変わることはない」と了知するのである。—パーリ仏典,大犍度初転法輪2026/01/23 20:30:34260.◆JBLfMwCXhYTRw7x初期仏教において、善因善果/悪因悪果は、大切な教えだこれを否定するのは、邪見だ2026/01/23 20:31:48261.◆JBLfMwCXhYTRw7xお釈迦さまは、「来世は存在しない」という見解を「邪見」と断じている2026/01/23 20:32:45262.◆JBLfMwCXhYTRw7x仏教は、「不常不断の中道」だ「ボクは、死んでからも永遠に生きていきたいなあ」なんて言おうものなら(常見)「それが修行者の言うことか。未練がましいぞ。我執を断て」と叱られるかといって、「人は、死んだらおしまいだ。火葬場に焼かれて、あとには灰が残るだけ」と言っても(断見)それはそれで間違っている「来世はない」という見解は、邪見だ2026/01/23 20:38:28263.◆JBLfMwCXhYTRw7x「来世はない」が邪見だということに、注意が必要だつまり、常見も断見も、仏教的には誤りなのだがそこには程度の差がある「断見」の方が、よりバッサリと否定されている2026/01/23 20:39:54264.◆JBLfMwCXhYTRw7xこういうことが、初期仏典をよく読むと分かってくる大乗仏典では、これは分からない2026/01/23 20:40:58265.◆JBLfMwCXhYTRw7x実のところお釈迦さまは、「魂は無い。輪廻転生は無い」などとは言っていない2026/01/23 20:43:50266.◆JBLfMwCXhYTRw7xそれは、昭和の仏教学者が広めた迷信だ2026/01/23 20:44:17267.◆JBLfMwCXhYTRw7x「善い人は、善い処(極楽)に生まれ変わる」「悪い人は、悪い処(地獄とか畜生道とか)に生まれ変わる」「解脱した人は、どこにも生まれ変わらない」↑これはバカにできない仏教においては、まぎれもなく真理だ否定するのは無理がある2026/01/23 20:50:56268.神も仏も名無しさんMEKDn>>266ハッスル🤡が燃えているがスマナサーラによると、自分という主語が抜けるのは阿羅漢のみである、預流果では自分という主語がまだあるなのねーということ、ハッスル🤡様預流果なんて、禅の世界では価値がない天台の世界でも価値ないでしょう😆2026/01/23 20:51:44269.神も仏も名無しさんMEKDn>>267マウントハッスルしているようではなー😆2026/01/23 20:52:26270.神も仏も名無しさんMEKDnハッスル🤡様は知らんよーだ預流果なんて、禅の世界では価値がない天台の世界でも価値ないでしょう😆に是正😆2026/01/23 20:52:59271.◆JBLfMwCXhYTRw7x>>267> 「解脱した人は、どこにも生まれ変わらない」これが、誤解を招く原因だろう解脱した人は、消滅するわけではない永遠不変の存在となって、文字通り「どこにも生まれ変わ」らなくなるだけだ衆生を救うために、あえて濁悪の現世に舞い戻ってくることも、その気になれば可能だ2026/01/23 20:54:00272.神も仏も名無しさんMEKDn>>263自動的にラクラク預流果やれたのはまーそう言うことやろなー😆2026/01/23 20:55:54273.神も仏も名無しさんMEKDn禅のグレードアップするまえにマハーシ長老の本で余裕預流果、高野山のJBL泊まった宿坊のミャンマー仏で余裕でいつでも預流果やしなー😆2026/01/23 20:57:12274.◆JBLfMwCXhYTRw7x>>270当方もかつて自分を「縁覚」に分類したことがあったがあのときもハッスル様にボロクソに言われたな2026/01/23 20:57:54275.◆JBLfMwCXhYTRw7xあのときは、自分芽どうとかよりハッスルが「縁覚」を極端に過大評価してることに驚いた2026/01/23 20:58:43276.◆JBLfMwCXhYTRw7x自分がどうとかより2026/01/23 20:59:02277.神も仏も名無しさんMEKDn>>274ハッスル様は承認欲求の餓鬼道ですなームイムイもだけどー😁2026/01/23 20:59:06278.◆JBLfMwCXhYTRw7xいや、縁覚じゃなくて、独覚だったか?忘れた2026/01/23 21:00:38279.神も仏も名無しさんMEKDnステイタス餓鬼道ハッスル🤡というのが真実だな禅の世界では聖者なんて、はあ?そうですかーくらいで仏のスレ主や、ロンは思うだろう😁2026/01/23 21:01:14280.神も仏も名無しさんMEKDn禅の世界では聖者なんかは位が低い、まして預流果程度じゃ😁2026/01/23 21:01:57281.神も仏も名無しさんMEKDn仏のスレ主や、ロンは真言密教の悟りですら、はあ?そうですか扱いスタンスだろう😁2026/01/23 21:02:58282.◆JBLfMwCXhYTRw7x本人は、「俺には紫色の光🟣が見えた」「紫色🟣が見える人は、千人の修行者のうち十人もいない」とかなんとか威張ってたが😂https://i.imgur.com/sVVi7HC.png2026/01/23 21:03:08283.◆JBLfMwCXhYTRw7xさすがは、紫色のオッサンだ2026/01/23 21:03:33284.神も仏も名無しさんMEKDn>>282ロンの好きなセッタンは悟り終わってタダの人聖者のランクなんて低いのよ😁2026/01/23 21:04:32285.◆JBLfMwCXhYTRw7x預流果は、「仏教を学んで真実を知り、確信が深まった。おかげで、修行がはかどりますわ」というくらいの段階ハッスル様が言ってるような、偉大な存在ではない2026/01/23 21:06:59286.神も仏も名無しさんMEKDnアイツアホなんだわ😁2026/01/23 21:08:37287.◆JBLfMwCXhYTRw7xアホというのもさることながら意外と仏教を知らない2026/01/23 21:09:27288.神も仏も名無しさんMEKDn無知で暴れている、マハーシ長老の本に生滅智は聖者の位、生滅智からスタートして阿羅漢に向かう阿羅漢ではないのねー😁2026/01/23 21:09:45289.神も仏も名無しさんMEKDn家の仏壇で義務的に西山派の念仏やら山伏崇拝の真言唱えたりしているけど自動的にゾーンに入るからなーま、預流果みたいなもんやろー😁2026/01/23 21:11:03290.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKF8XCnwwwwwwwwwwwwwwwwwwおいおい、今度は聖者の敷居を下げんのか?www2026/01/23 21:11:08291.神も仏も名無しさんMEKDnアホが勝手に狂ってハッスルしてるだけやろハッスル🤡ーハッスル🤡ー😁2026/01/23 21:13:20292.◆JBLfMwCXhYTRw7x聖ウンコ師は、明らかに「預流果」と「阿羅漢果」を混同し、勘違いしている2026/01/23 21:13:22293.神も仏も名無しさんMEKDnバカだからなーアタマワルイのにシッタカも大概にしてくれないか?ハッスル🤡2026/01/23 21:14:12294.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKF8XCnwwwwwwwwwwwwwwwwwwまさか、自分を預流とか初地だって思っているのか?ギャハハハハハハハハ!!!! 精神病院にレリゴー💕 🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆2026/01/23 21:17:57295.◆JBLfMwCXhYTRw7x>>294お前は、何か勘違いしている2026/01/23 21:18:33296.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKF8XCn5分も坐禅してられない統失が、預流や初地だってーーー!!2026/01/23 21:19:25297.◆JBLfMwCXhYTRw7x倶舎論では、準備段階 →「見道」→「修道」→「無学道」と、修行が進んでいくんだが預流はこの中の「見道」その先の段階である一来と不還が「修道」阿羅漢が「無学道」に相当する2026/01/23 21:21:55298.神も仏も名無しさんzjVKLハッスル🤡してるな劣等感の余りに🤡2026/01/23 21:22:26299.神も仏も名無しさんzjVKLアタマワルイのに無理はやめろ恥ずかしくないか?🤡2026/01/23 21:23:24300.◆JBLfMwCXhYTRw7x阿羅漢は修行者の完成形だが、それでも即身成仏ってわけじゃないましてや、預流は4段階の一番下だ「仏教を学んで真実を知り、確信が深まりますた。おかげで、修行がはかどりますわ」というくらいの段階2026/01/23 21:24:18301.神も仏も名無しさんzjVKL劣等感しか知らないハッスル🤡だしなー反省しなさい😁2026/01/23 21:26:46302.◆JBLfMwCXhYjHZdaまあ、平たく言えば預流向は「仏教がわかってきた人」預流果は「仏教がわかっちゃった人」といったとこだな2026/01/23 21:33:02303.◆JBLfMwCXhYjHZda阿羅漢への流れに乗った人だ2026/01/23 21:34:34304.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKF8XCnwwwwwwwwwwwwwwwwwwまーーーーーた、敷居を下げて自分がそこに至ったって妄想してんのか?2026/01/23 21:40:59305.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKF8XCn天台智顗でさえ十信(level10.)と云われ、菩提達磨でさえ初地(level 41).と云われてるのに、この5分も坐禅してられない統失知障の馬鹿が、初地だってよwwwwwwwwwwwwww🤪2026/01/23 21:53:16306.リダン◆gEV3xsS//khCvmD龍樹はレベルいくつだったっけ?龍樹やったかあっこれ無理だわ阿弥陀仏に頼ったほうがいいわっていったの2026/01/23 22:37:12307.神も仏も名無しさん2j1s8劣等感ハッスル🤡してるな😁2026/01/23 22:42:52308.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKF8XCn訂正天台智顗でさえ十信(level10.)と云われ、菩提達磨でさえ初地(level 30).と云われてるのに、この5分も坐禅してられない統失知障の馬鹿が、初地だってよwwwwwwwwwwwwww🤪龍樹が41。2026/01/23 22:50:52309.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKF8XCn再訂正天台智顗でさえ十信(level10.)と云われ、菩提達磨でさえ十行(level 30).と云われてるのに、この5分も坐禅してられない統失知障の馬鹿が、初地だってよwwwwwwwwwwwwww🤪龍樹が41。2026/01/23 22:53:14310.神も仏も名無しさん2j1s8アタマワルイのにハッスル🤡必死だな?😁2026/01/23 23:00:10311.神も仏も名無しさん2j1s8煩悩ハッスル🤡で説得力自信ありげだな?😁2026/01/23 23:00:52312.リダン◆gEV3xsS//ke9ZHc>>309ありがとうございます。2026/01/23 23:05:23313.神も仏も名無しさん2j1s8どはは〜🫥2026/01/23 23:15:47314.神も仏も名無しさん2j1s8NO1うけるう〜〜🫥2026/01/23 23:17:42315.神も仏も名無しさんZWvxs🤡でおーの言動を観察していると、その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。🤡餓鬼道とは何か。餓鬼道は渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、手に入れても決して満たされない。でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、その知識によって周囲からの承認を求める。しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、むしろ常に不足感を抱えているように見える。愛情への飢えすら感じさせる点も含め、餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。🤡修羅道とは何か。修羅道は闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。でおーは、やたらと「自分の方が優れている」「相手より上である」という点を強調する。勝ち負けに固執し、相手を倒すためなら手段を選ばず、時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。そして、その対立を外から眺めて楽しむ。この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。🤡地獄道とは何か。地獄道は怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。正義感が歪み、攻撃性へと変質する。でおーは、相手を意図的に挑発し、怒りや憎しみを引き出そうとする。相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。🤡つまり、でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。2026/01/23 23:32:48316.◆JBLfMwCXhYX2Ww9やっと、静かになったな?2026/01/23 23:49:15317.◆JBLfMwCXhYX2Ww9何なんだ、アイツは(笑)2026/01/23 23:49:30318.神も仏も名無しさんkiAxC躁転の妄想だな?😁2026/01/24 05:07:42319.神も仏も名無しさんbvgBJテーラワーダの変形スキルだなhttps://news.yahoo.co.jp/articles/6ae24d9ce5a4a875860182e18e52c3c037da10472026/01/24 08:22:30320.神も仏も名無しさんbvgBJサティとかのやり方のラベリングとかの方法論パターンテーラワーダは応用利用力は高い😆2026/01/24 08:23:33321.神も仏も名無しさんbvgBJ基礎をきちんと、やっておくとネット情報や文献は正誤の読み誤りがない、ハッスル🤡みたいに見栄をはる知識収集は所詮なー😫2026/01/24 08:25:04322.◆JBLfMwCXhYGhT4Gテーラワーダ仏教が世に広めた、ヴィパッサナー瞑想あちこちで取り入れられ、もはや一般化した2026/01/24 08:37:28323.◆JBLfMwCXhYGhT4G聖ウンコ師は、見栄のために知識収集しているな~😫2026/01/24 08:38:00324.◆JBLfMwCXhYGhT4Gヴィパッサナー瞑想は、約2500年前にブッダによって再発見された、古代インドの「物事をあるがままに観察する」瞑想法です。自身の身体感覚に意識を向け、無常(絶えず変化する)や苦を体験的に理解することで、心の汚れを取り除き、あらゆる状況下でも平穏さを保つ「生きる技」として世界的に知られています。2026/01/24 08:58:40325.◆JBLfMwCXhYGhT4G【ヴィパッサナー瞑想の主な特徴と効果】「あるがままに観る」:感情や雑念を善悪で判断せず、ただの感覚として客観的に観察する。心の浄化と平穏:身体感覚に注意を向け続けることで、深いレベルの心の癖(怒り、執着)を鎮める。マインドフルネスの原点:現在の瞬間の感覚に焦点を当て、不安やストレスの軽減に役立つ。非宗教的アプローチ:宗教や宗派に依存せず、誰でも実践可能な普遍的な自己観察の手法である。2026/01/24 08:59:09326.◆JBLfMwCXhYGhT4G【瞑想の具体的な方法(10日間合宿が基本)】アーナーパーナ瞑想(初日~3日):鼻の下のエリアの呼吸に集中し、心を落ち着かせ集中力を高める。ヴィパッサナー瞑想(4日目~9日):頭の先から足の先まで、感覚(痛み、かゆみ、熱さ、冷たさなど)を順に観察する。慈悲の瞑想(10日):自分や他者への愛と慈悲を育む。2026/01/24 08:59:20327.◆JBLfMwCXhYGhT4G【実践環境】合宿の原則:10日間、会話や他の人との接触を断つ「聖なる沈黙」を守り、1日約10時間の瞑想を行う。無料の教育:指導は寄付ベースで運営され、誰でも参加できる。日本でも「日本ヴィパッサナー協会」などが専用の研修センターで10日間コースを指導しています。2026/01/24 08:59:32328.◆JBLfMwCXhYGhT4Gこれが、現代の瞑想の主流だ2026/01/24 08:59:54329.◆JBLfMwCXhYGhT4Gヴィパッサナー瞑想に押されて、坐禅は世界的に衰退した2026/01/24 09:00:14330.神も仏も名無しさんbvgBJマインドフルネスはテーラワーダ要素入れこんだんやろなー井上希道はムイムイみたいなコマった路線になってしまう基本的な自己認知は大事だ基本的な自己認知無しに仏のスレ主やセッタンやロン論法はなかなか難しい😆2026/01/24 09:55:31331.神も仏も名無しさんbvgBJによる概要+5☆【マインドフルネス・カウンセリングの基礎と実践】【認定 ...マインドフルネスとは、「今この瞬間」に意識を向け、評価や判断を加えることなく、自分の思考・感情・身体感覚をありのままに気づき受け入れる心の状態や実践法で、ストレス軽減、集中力向上、自己理解を深める効果が期待され、瞑想(マインドフルネス瞑想)を通じて養われます。過去や未来の心配から離れ、「今ここ」に集中することで、精神的な安定やパフォーマンス向上につながり、ビジネスや医療現場でも活用されています。2026/01/24 09:58:52332.神も仏も名無しさんbvgBJマインドフルネスの基本的な考え方「今ここ」への意識: 過去の後悔や未来の不安にとらわれず、現在の瞬間に注意を集中します。評価・判断をしない: 浮かんでくる考えや感情を「良い」「悪い」と判断せず、ただ「そう感じているな」と観察します。ありのままを受け入れる: 自分の内面や状況を、そのまま認識し、受け入れる姿勢を持ちます。主な実践方法(マインドフルネス瞑想)姿勢: 椅子に浅く座るか、あぐらをかいて背筋を伸ばし、リラックスした姿勢をとります。呼吸に集中: 腹式呼吸を意識し、息が吸い込まれる感覚、吐き出される感覚(お腹の膨らみや体の動き)に注意を向けます。雑念への対処: 別の考えが浮かんできたら、それに気づき、「あ、考え事をしてたな」と確認し、優しく注意を呼吸に戻します。2026/01/24 09:59:40333.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKuDkAC薬の効能書集めるのが趣味ならそれ間いいけどさぁwwwやってみたらどうなの?wwwwwwwwwwwwwwwwww2026/01/24 10:07:06334.◆JBLfMwCXhYK1Jcr鬼和尚もマインドフルネスっぽかったな?2026/01/24 14:24:24335.神も仏も名無しさんGASkAハッスル🤡もえてんなー🤡ー2026/01/24 14:44:48336.神も仏も名無しさんGASkA752.ユーザー神も仏も名無しさんzCQ09(9/12)牛乳飲むのに祖師録を勉強する必要ないでしょ(笑)2026/01/24 15:24:52手の内は川上雪担の音声動画を見ればだいたいわ何をやりたいかわかってくる😆2026/01/24 15:34:30337.神も仏も名無しさんOq3us🤡でおーの言動を観察していると、その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。🤡餓鬼道とは何か。餓鬼道は渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、手に入れても決して満たされない。でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、その知識によって周囲からの承認を求める。しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、むしろ常に不足感を抱えているように見える。愛情への飢えすら感じさせる点も含め、餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。🤡修羅道とは何か。修羅道は闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。でおーは、やたらと「自分の方が優れている」「相手より上である」という点を強調する。勝ち負けに固執し、相手を倒すためなら手段を選ばず、時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。そして、その対立を外から眺めて楽しむ。この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。🤡地獄道とは何か。地獄道は怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。正義感が歪み、攻撃性へと変質する。でおーは、相手を意図的に挑発し、怒りや憎しみを引き出そうとする。相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。🤡つまり、でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。2026/01/24 19:58:55338.◆JBLfMwCXhYyaTL5「牛乳を飲めば、牛乳の味がする。お茶を飲めば、お茶の味がする。それでいい。他に何がある?」というのは、仏教の考え方ではないな2026/01/24 21:26:55339.◆JBLfMwCXhYyaTL5むしろ、仏教の思想に異議を唱え、否定している2026/01/24 21:27:17340.◆JBLfMwCXhYyaTL5禅宗の祖師録の影響だむしろ、仏教を知りすぎた人の固定観念を壊すための、上級者向けの逆転の発想最初からそれじゃ、話にならない(笑)2026/01/24 21:30:29341.◆JBLfMwCXhYyaTL5牛乳そのものには、味などない牛乳の成分が舌を刺激し、舌から脳に信号が行く脳では、特定の味覚がスイッチオンとなるそこで「牛乳の味がする」という、言語によるラベリングを行う無意識に行っているレッテル貼りと、それによる意味づけ2026/01/24 21:35:45342.◆JBLfMwCXhYyaTL5このように1、自分の感覚器官が、「モノが存在している」という感覚を引き起こしている2、そんな感覚に、言語によるレッテル貼りすることで、存在が意味を持ち始める2026/01/24 21:41:21343.◆JBLfMwCXhYyaTL5表面がツルツルしていて固く、中に空洞がある物体「これは、コップだ。これは、中に液体を入れて飲むモノだ」というラベリングを行う何の意味もなかった物体が「コップ」になるhttps://sync-labo.jp/wp-content/uploads/2020/07/Mug-LSG01.jpg2026/01/24 21:44:00344.◆JBLfMwCXhYyaTL5いや、これはコップじゃなくて、カップか😂2026/01/24 21:44:44345.◆JBLfMwCXhYyaTL5これは、グラスかhttps://www.muji.com/public/media/img/item/4548718988976_org.jpg?im=Resize%2Ctype%3Ddownsize%2Cwidth%3D12002026/01/24 21:48:54346.◆JBLfMwCXhYyaTL5いまどき、コップなんてあんまり言わないか2026/01/24 21:50:12347.◆JBLfMwCXhYyaTL5コップ、グラス、カップの主な違いは「素材」と「形状(取っ手の有無)」です。コップは取っ手のない円筒形の容器全般(ガラス、プラスチック等)、グラスはガラス製のコップ、カップは陶器やプラスチック製で取っ手のある容器(主に温かい飲み物用)を指します。2026/01/24 21:50:47348.◆JBLfMwCXhYyaTL5コップ (オランダ語: kop)特徴:取っ手がない、円筒形、冷たい飲み物用素材:ガラス、プラスチック、紙、金属など日常会話で、飲み物を入れるガラス以外の素材も含めた総称として使われる2026/01/24 21:51:10349.◆JBLfMwCXhYyaTL5グラス (英語: glass)特徴:ガラスで作られた容器の総称用途:冷たい飲み物用注意点:ワイングラスなど脚付きのものも含むが、基本はガラス製2026/01/24 21:51:23350.◆JBLfMwCXhYyaTL5カップ (英語: cup)特徴:取っ手がついている、主に陶磁器やプラスチック製用途:コーヒーや紅茶など温かい飲み物用マグカップはカップの一種で、より容量が大きいもの2026/01/24 21:51:34351.◆JBLfMwCXhYyaTL5結論迷ったら、ガラス製なら「グラス」、それ以外や取っ手付きなら「カップ」と呼ぶのが一般的です。2026/01/24 21:51:50352.◆JBLfMwCXhYyaTL5なるほど2026/01/24 21:53:43353.神も仏も名無しさん0OQZLテーラワーダと禅ては南極と北極くらいの距離があるアタマでとらえるなら天台華厳真言あたりまでいってなにを想定して、仏のスレ主の方向が見えてくるま、仏のスレ主はJBLは気にする次元ではない😆天台華厳真言てすら構造が謎なんだからなー😆2026/01/24 21:53:51354.神も仏も名無しさん0OQZL俺は天台、密教スイスイ認識できた人間なのでなー😆2026/01/24 21:54:57355.◆JBLfMwCXhYyaTL5そうなのか~😆2026/01/24 21:56:13356.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKIaRIRwwwwwwwwwwwwwwwwww> 3年前にその教会のクリスチャンに隠密に> 支援した内容の、神から俺への、お褒めの> 論功行賞笑。> あいむ・あ・ぱーふぇくとひゅーまん、み> たいな笑。> あのくたらさんみゃくさんぼだいモードの> 余波なのか笑> 釣られて笑、。> 俺は密教系にドラフトされているらしく笑> 「六大」は最初から仕込んできたな笑。密教仏が笑。> ま、醍醐寺の修験坊主の体験と、仏の進退は?の台密と真言の論争、台密は白色、真言は金色らしい笑。> 高野山宿坊に泊まる場所も仏の指定から始まって、夜寝させない強制禅定教育笑。> 寝れんので空海著作を読むと快楽増幅で夜眠れん笑。> しかも、やってきたのは、鎌倉以前、現在主流の高野山真言宗でないのが、やってきた笑。> 残念なのは、真言系師匠がいないので、あれ、何だTO確認できねえ笑。> それが、恐らく「六大無碍」笑。2026/01/24 21:57:40357.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKIaRIRwwwwwwwwwwwwwwwwww> 171 :神も仏も名無しさん:2018/02/20(火) 10:32:41.33 ID:kUh30IV9> >>166>> おはよう、やっとキリスト教と真言密教の神秘の穴蔵から脱出できた笑。> キリスト教の霊性がマックス状態で礼拝行かないで飢え飢え心理状態で困った笑。>> 空海が最澄に貸さなかった「理趣釈」の現在語訳読んで、ちら読みで、スーパーサイヤ人ゴッド状態笑。うーん、ペンテコステ派霊感越えブリバリ笑。> 俺アタマ、オカシイぞ笑。> キリスト教の霊性飢え飢え心理状態は脱却だ笑。>> 神秘の穴蔵脱出ワールドへ、昨夜やっと進撃開始笑、ニア南直哉へ笑。> 442 神も仏も名無しさん 2016/05/05(木) 19:42:31.57 ID:kDcSDpVU> 遠く昔、サロメを沈黙させるまで撃破した遠き昔。> あの時、のブチ込んだ玉は。偶然の一致だったなあw2026/01/24 21:58:15358.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKIaRIRwwwwwwwwwwwwwwwwww> 76 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2018/03/20(火) 11:05:21.18 ID:maCfZlOC [4/21]> >>74>> しゃろん、おはよう、> 高野山金堂で魔法陣ぶちまわしたので、俺脳、今、仏教化濃厚やわ・・・・。> イースター時か、それ以降に「教団」の長老職の奴に、> 牧師夫人に一撃食らわせた、というネタを・・・・。> イースター以降には牧師は別の教会へ・・・・。> 牧師夫人に食らわせた一撃が牧師に及ぶのを期待して、転会するまで、> 「教団」の長老職の奴には秘密にしている予定。> 80 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2018/03/20(火) 11:13:22.66 ID:maCfZlOC [5/21]> 高野山もキリスト教も、入会やってません、>> 裏口から入り、高野山金堂で魔法陣ぶちまわしたい病なので笑。ほぼキリスト教と同じパターン笑、2026/01/24 21:58:47359.神も仏も名無しさん0OQZLハッスル発作?🤡ー😱2026/01/24 21:59:15360.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKIaRIRwwwwwwwwwwwwwwwwww> > 高野山金堂で魔法陣ぶちまわしたので、> > 俺脳、今、仏教化濃厚やわ・・・・。> 曹洞宗バージョンの見性体験の巨大波に遭遇とな。笑> 万法に証せられたと、笑。> 今回は臨済禅の体験先行型の見性ではないぞ、土曜は、とある臨済禅の開山忌だった、「無字」の体験先行の受けたのも> 同一人物の開山忌、笑。当然、道元禅にも関与した人物。> 最初は臨済禅が主流で、後で曹洞宗バージョンで、それをぶち込むと、> 曹洞宗寺院の、どの仏像も、俺に合掌を要求笑。感応道交祭り状態。> 今朝まで続いた笑。2026/01/24 21:59:17361.神も仏も名無しさん0OQZL相当お怒りだな?🤡2026/01/24 21:59:41362.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKIaRIRwwwwwwwwwwwwwwwwww> :神も仏も名無しさん[]:2018/05/18(金) 15:00:47.40 ID:cvjX6SZ5> >>82> >>81> な。>> ほんと、マジ操られ、計画に乗せられる、他者の信仰への導きの場面への笑。> 俺は、興奮モノでもないんだけど・・・。>> 凄いなあ・・・て今日。>> 有名教会も凄い場所なのよ、また、ここは。> この有名教会で、このように計画に乗せられるか?笑。と> 89 :神も仏も名無しさん[]:2018/05/18(金) 15:14:14.30 ID:cvjX6SZ5> >>87> マジレスすると、カトリックのミサに行った後、家で、 ・・のようなものが・・・・笑。音声はないが笑、あたりまえか笑。2026/01/24 21:59:46363.神も仏も名無しさん0OQZL燃えてるな?🤡2026/01/24 21:59:55364.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKIaRIRwwwwwwwwwwwwwwwwww479 :神も仏も名無しさん :2018/08/25(土) 18:25:39.30 ID:4lj9mamO> >>464>> 俺の場合、神秘禅定先行してしまうからな、密教系は・・・・・。>> 神秘系マタタビだからなあ・・・・> 特にチベット、華厳、三井寺系天台。俺にとって神秘美人三姉妹笑>> ニンマ派系のより究極の果ても、たぶん、もっと素朴に向かう方向があるような気がする・・・・。> 780 :神も仏も名無しさん :2018/08/24(金) 11:12:17.61 ID:/5RWuf05> >>763>> しゃろん、おはよう。> 昨日は嵐の中家で天台浄土教の本を読み、> 阿弥陀仏の真言を風が強烈になるたびに唱えてた笑。>> 部屋を出て、部屋に戻ると天台浄土教のお堂で嗅ぐ匂いが・・・・。霊香笑。> 俺っていっちゃっているわ笑。> 日本的仏尊信仰の深い世界をしってしまったような・・・・。2026/01/24 22:00:13365.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKIaRIRwwwwwwwwwwwwwwwwww> 459 :避難民のマジレスさん :2015/08/11(火) 10:09:36 ID:jDggCKfs0> >>392>>> ま、それ以来、家に何故か、即身成仏義があって、貪るように読んで研究するが。> 天台系修験の誘惑が濃く、真言密教の感触、禅定の安定が難しかったな。> 容赦のないパワーは来ていたのが・・・。12年前も昔の話だ。> 禅なんて高嶺の花、病弱でな。>> その1年内で、お堂で誰もいないのに、、夕日が見えるお堂で声が聞こえる・・。> 「のうまく・さまんだ・・・・・・・・」何度も・・・・・。> 家に、一秒ほど、お堂の十一面観音が夜、俺の前に現れたり・・・・。>> 密教の申し子なんだろうな・・・。でも天台系誘惑が濃かったから、> 真言密教には奥深く入らず、チベット密教へ…我流でw病弱すぎて、シフトしていたな。> 高野山初宿坊宿泊まで、真言密教はオアズケだったな。2026/01/24 22:00:44366.神も仏も名無しさん0OQZLハッスル〜🤡ハッスル〜🤡2026/01/24 22:01:04367.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKIaRIRwwwwwwwwwwwwwwwwww> 2 :これさとりへ、だいおう:2013/09/18(水) 09:09:10.53 ID:9RpwWrZ8>だいおうは輪廻をどうお考えですか?>> 基本的に関心がないし、関心を持たないが、> ワイのグリコのオマケのエスパー能力オプションがある事自体が・・> ワイと同じエスパー能力あった聖者が一人いたなw> 卍 仏教 質問箱 卍 パート33> 36 :だいおう[]:2013/10/13(日) 18:34:21.71 ID:TrrWUbpWケチャップ氏へ> こっちのコテのつもりが・・・> うーーん、前に会った時のとの違いは、> ワイは曹洞宗宗門主流派の悟りをげっとしたぞ。2年10カ月要したんだ、> 修行天才のワイが・・・w2026/01/24 22:01:16368.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKIaRIR> 6 :daio- :2013/11/23(土) 00:09:49 ID:Xq1TL5Uw0> 俺、超能力あり過ぎでwww> ラーマクリシュナの能力あるねんw> 俺、元無宗教主義だから臨済宗好きだったんだけど、> 自分の人生に関心が無い能力濃いからなあw> 名前知られたら、キモい目に遭いそうw> 【イエス】 私たちは主の牧場の羊Part31 【キリスト】> 83 :神も仏も名無しさん[]:2018/08/07(火) 12:28:44.24 ID:sw+3D19Zしゃろん、おはようす、> 質問攻めやね。>> 昨日教会に用があり…秘密笑。> 本業の修行が進んだ笑。> なんていうか・・・キリスト教的言えば、モーゼに連れられた民はすぐ不満を言い出し、荒れ野をさまよう人間が・・・・> そういうもの、人達の中で・・・・・・。> モーセは、クリスチャンは、どう導いていったのだろうか・・・・という感嘆から・・・・・。> 朝、はっと気づく、当然キリスト教ではなく・・・・笑。>> 今山伏の儀式の動画を見ている笑、密教化脳笑。2026/01/24 22:02:41369.神も仏も名無しさん0OQZL🤡〜2026/01/24 22:03:06370.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKIaRIRwwwwwwwwwwwwwwwwww> 731 :神も仏も名無しさん :2018/08/05(日) 18:17:03.82 ID:5Du8J09e> 突発性難聴で入院してた時、夜中に水の落ちる音が少しづつ自分のベットに近いづいてくる笑。> 近いづいてきた時に俺はカーテンを開け、心の中で「じゃかましいわっ!」と気合一発、それで静かになったわ笑。10年以上前のことやけど笑。2026/01/24 22:03:14371.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKIaRIRwwwwwwwwwwwwwwwwww > 【イエス】 これはわたしの愛する子part37 【キリスト】 > 290 :神も仏も名無しさん[]:2018/08/28(火) 19:08:32.02 ID:abFYbNxh>>288 > 残念ながら、イエスが余りにもいい奴なので、派遣労働風にお手伝い笑。 > お礼に修行が進む笑。 > 結構、俺は操られているんだぞ笑。2026/01/24 22:03:44372.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKIaRIRwwwwwwwwwwwwwwwwww> 80 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2018/03/20(火) 11:13:22.66 ID:maCfZlOC [5/21]> 高野山もキリスト教も、入会やってません、>> 裏口から入り、高野山金堂で魔法陣ぶちまわしたい病なので笑。ほぼキリスト教と同じパターン笑、2026/01/24 22:04:22373.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKIaRIRwwwwwwwwwwwwwwwwww外道の独り言 11308 :神も仏も名無しさん[]:2018/09/11(火) 16:58:28.21 ID:QUDqQNzi>>300承狂氏来てたので、ネタを、山伏的密教の秘密が・・・少し解ったような・・・。浄土宗西山派寺院で、阿弥陀仏に入我我入で笑。けっこう飛びます、飛びますで・・・・・笑。山伏&、新義真言の真言念仏のイメージが・・・・・笑。2026/01/24 22:06:55374.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKIaRIRまだまだ、統失知障バカのネタはあるけどさぁwwwしかし、JBLもコイツにけつの穴を掘られたんだかなんだか知らないけど、よくまもまぁ、明らかな宗教性妄想障害統合失調症のキチガイの金魚の糞をやってるよなwww2026/01/24 22:09:33375.神も仏も名無しさん0OQZL貪瞋痴の進撃の巨人ハッスル〜🤡2026/01/24 22:09:45376.神も仏も名無しさん0OQZLハッスル🤡発作は満足したのかもな?🤡〜2026/01/24 22:10:17377.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKIaRIR以前から云ってるけど、こいつはガチの精神病院入院者だからな?頭がおかしくなって宗教性妄想障害を患ってるキチガイだからな?レス見て分かるよな😅2026/01/24 22:12:35378.神も仏も名無しさん0OQZLまだお怒りのようだ🟣光の三毒の🔥がデカイのかな?🤡〜2026/01/24 22:17:28379.◆JBLfMwCXhYsVsDPセイウン火山の噴火だな?🌋2026/01/24 22:31:58380.◆JBLfMwCXhYV2jBs瞑想系仏教のスタンダード2026/01/25 00:14:31381.◆JBLfMwCXhYV2jBsそれが、テーラワーダ仏教だ2026/01/25 00:14:45382.◆JBLfMwCXhYV2jBs禅宗も、ヴィパッサナー瞑想の要素を取り入れないと生き残れないだろう2026/01/25 00:16:14383.神も仏も名無しさん8ST36🤡でおーの言動を観察していると、その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。🤡餓鬼道とは何か。餓鬼道は渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、手に入れても決して満たされない。でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、その知識によって周囲からの承認を求める。しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、むしろ常に不足感を抱えているように見える。愛情への飢えすら感じさせる点も含め、餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。🤡修羅道とは何か。修羅道は闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。でおーは、やたらと「自分の方が優れている」「相手より上である」という点を強調する。勝ち負けに固執し、相手を倒すためなら手段を選ばず、時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。そして、その対立を外から眺めて楽しむ。この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。🤡地獄道とは何か。地獄道は怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。正義感が歪み、攻撃性へと変質する。でおーは、相手を意図的に挑発し、怒りや憎しみを引き出そうとする。相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。🤡つまり、でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。2026/01/25 05:43:10384.神も仏も名無しさんNmR0u>>382取り入れるもなにも、北極と南極の差なのでテーラワーダのサティを一つ理解するたけで天台華厳真言よりも禅のほうが似てる感になるよー仏のスレ主の牛乳云々はサティの簡略化したよーなもんやしーヴィパッサナーの網羅不足だな?😆2026/01/25 07:36:42385.神も仏も名無しさんNmR0u天台華厳真言あたりになると赤道なのてテーラワーダのダイレクトなサティの意欲がほぼない😆2026/01/25 07:38:11386.神も仏も名無しさんNmR0u仏のスレ主のレスを理解するにはテーラワーダのサティのシステムを理解しないとわからんままだ、JBLのお勉強に期待するー俺本気で瞑想仏教マニアだからなー関連の筋読めるのー六眼持ちだなー😆2026/01/25 07:39:44387.◆JBLfMwCXhYV2jBsそうなのか~😆2026/01/25 07:40:48388.神も仏も名無しさんNmR0uテーラワーダのヴィパッサナーのサティを学ぼうそれてない仏のスレ主の趣味は理解できないぞー😆2026/01/25 07:46:54389.◆JBLfMwCXhYV2jBsパープル漫談🟣にますます対抗できるな~😆2026/01/25 07:47:56390.神も仏も名無しさんNmR0u俺はリアルに真言宗僧侶にバリバリのええ球を自然にバンバン投げれるキリスト教並みに、自在だ臨済宗と曹洞宗はまだまだキメ球バンバンまていかないなー😆2026/01/25 07:49:18391.神も仏も名無しさんNmR0u🟣の脳のインプット能力が低いので俺は割合具体的仏教用語指導はしないからなー😆テーラワーダの実況中継ばかり😆2026/01/25 07:51:07392.神も仏も名無しさんNmR0uテーラワーダのサティの実況中継と禅は近い部分があるからハッスル🤡してるな?と実況中継も、禅の指導になる😆2026/01/25 07:51:57393.神も仏も名無しさんNmR0uハッスル🤡様の貪瞋痴の言葉の内容に全く反応しないのはハッスル🤡してるなー?お怒りたまの実況中継のみというスタンスだけだからだ😆2026/01/25 07:53:13394.神も仏も名無しさんNmR0uブイブイ😈ー魔境頑張ってるな?の要約😆2026/01/25 07:54:37395.神も仏も名無しさんNmR0uテーラワーダのヴィパッサナーのサティを言語化分類化したのがアビダルマ、倶舎論ていうこと😆2026/01/25 07:56:18396.神も仏も名無しさんNmR0uテーラワーダのヴィパッサナーのサティをやれて実感があったから佐々木先生の動画の倶舎論で簡単に全体像を把握した😆2026/01/25 07:57:42397.◆JBLfMwCXhYK5DArヴィパッサナー瞑想をやるしかないな~😆2026/01/25 08:09:49398.◆JBLfMwCXhYK5DArサティを入れよう2026/01/25 08:43:48399.◆JBLfMwCXhYK5DArそれしかない2026/01/25 08:44:00400.◆JBLfMwCXhYK5DAr4002026/01/25 08:44:12401.神も仏も名無しさん4CJ1Tヴィパッサナーと禅は意外に近い部分がある唯識、天台小止観とヴィパッサナーは関係があるが、😆2026/01/25 08:50:46402.◆JBLfMwCXhYK5DArヴィパッサナー瞑想の「ラベリング」は、今起きている身体の感覚や心の状態(妄想、感情)を心の中で言語化し、「膨らみ、縮み」「歩く、止まる」「考え、考え」のように気づき(サティ)を確定する技法です。脳を休ませて客観性を養い、感覚の無常(常に変化していること)を観察する「あるがままに見る」基本となります。2026/01/25 09:11:57403.◆JBLfMwCXhYK5DArラベリングの具体的な方法とポイント座る瞑想の基本: 呼吸に伴うお腹の「膨らみ」「縮み」を、心の中で実況中継するように確認する。歩く瞑想: 足の「右、左」、あるいは「上げる、運ぶ、置く」と意識を向ける。雑念が出たとき: 「妄想、妄想」や「考え、考え」とラベルを貼り、思考を流して再び呼吸の観察に戻る。対象の切り替え: 集中力が高まってきたら、興味の向く対象へ自在にラベリングを切り替えても良い。2026/01/25 09:12:17404.◆JBLfMwCXhYK5DArラベリングの目的・効果客観的視点: 自分自身の思考を第三者のように見つめる。無常の洞察: すべては一瞬で消えていく感覚に気づく。精神の沈静化: 妄想をラベリングで「切断」し、心を落ち着ける。初心者は呼吸の「膨らみ」「縮み」から始め、無理に言葉を詰め込まず、今この瞬間に起きている感覚を意識的に認識する練習が推奨されます。2026/01/25 09:12:31405.◆JBLfMwCXhYK5DArこれだな!?😆2026/01/25 09:12:42406.神も仏も名無しさんNmR0uそれがインプット専門のテーラワーダなら反転を思いついたのが😆2026/01/25 09:45:54407.神も仏も名無しさんNmR0uテーラワーダサティのダイレクト性を一番残して重視しているのが禅だハッスルや麦のやってるのは基本的に的外れ😆ムイムイも認知が薄い井上希道も認知が薄いテーラワーダのサティよりも劣る😆2026/01/25 09:48:04408.神も仏も名無しさんNmR0uムイムイやハッスルには基本的にそんなサービスしないバカだからーやってることの自覚のない実況中継サティ的サービスをしてやるのみ、例文お怒りだな?🤡ハッスル🤡様の代理で代わりにハッスル🤡様のラベリングしてあげてる😆2026/01/25 09:49:56409.神も仏も名無しさんNmR0uハッスル🤡、ムイムイのおちょくりもラベリングサービスである筋を通している😆2026/01/25 09:50:29410.神も仏も名無しさんUsMKr北極のテーラワーダと南極の禅北極のテーラワーダのヴィパッサナーのサティが少し理解てきると南極の禅が理解しやすい麦、ハッスル、ムイムイ、デンパパ、リダンはこのあたりが、わからんて御託を述べている感、説明的にいえば😆2026/01/25 10:43:39411.神も仏も名無しさんUsMKr基本的に禅は説明不要なんて基本的には塩対応は自称禅やってますよ〜タイプに禅のサービスだ😆2026/01/25 10:48:52412.神も仏も名無しさんUsMKrロンや仏のスレ主はサービス過多だな😆2026/01/25 10:49:29413.神も仏も名無しさんp3feqどんなメソッドでもいいから徹底的にやり尽くすのよ「これはあかんわ」とわかるまで2026/01/25 12:05:12414.神も仏も名無しさんUyhXf相変わらず、サティの真意を掴み損ねたいるな、サティ自体の目的を反転させると、という意味だな😆873.ユーザー◆JBLfMwCXhYhxeLr>>865> 概念や観念なんてわたしにはどうでもいい> この抜き差しならない実物の方が大事つまり、空観は観念の遊戯にすぎず物には実体があるというのが真実であると?2026/01/25 12:26:162026/01/25 12:35:46415.神も仏も名無しさんUyhXfサティの目的を反転させると仕事や武道に転換てきるとかー😆2026/01/25 12:37:36416.◆JBLfMwCXhYhxeLrサティの目的を反転点せるのか?2026/01/25 12:39:08417.神も仏も名無しさんUyhXf禅の理解は中論よりもテーラワーダのサティが近道だろなーゲルク派は中論解釈はヒットだろな😆2026/01/25 12:39:09418.◆JBLfMwCXhYhxeLr反転させるのか?2026/01/25 12:39:18419.◆JBLfMwCXhYhxeLr>>417そりゃそうだろな中論は、空と縁起思想の哲学2026/01/25 12:39:56420.◆JBLfMwCXhYhxeLr瞑想仏教なら、テーラワーダが王道といえる2026/01/25 12:40:19421.神も仏も名無しさんUyhXfサティはラベリングとかで無我になるテーラワーダては、無我で外部は生滅してあるそれを逆回転させると無我と空を追加して生滅の方へアウトプット説明的だがそれが牛乳の味云々のスレ主のスタンスみたいなもんやーま、これも近似値や😆六眼のサービス近似値解答やから百点の説明てはないでー😆2026/01/25 12:42:05422.神も仏も名無しさんUyhXf生滅の方へアウトプットでゲルクのいう止観相融的にみればこの質問も、ま、愚問ということやな873.ユーザー◆JBLfMwCXhYhxeLr>>865> 概念や観念なんてわたしにはどうでもいい> この抜き差しならない実物の方が大事つまり、空観は観念の遊戯にすぎず物には実体があるというのが真実であると?2026/01/25 12:26:162026/01/25 12:43:47423.◆JBLfMwCXhYhxeLrまあ、それはそうだろうな2026/01/25 12:44:21424.◆JBLfMwCXhYhxeLr個人的には、「仏のスレ」というタイトルで空の思想をバッサリと否定してるのは、なんとも違和感😅2026/01/25 12:44:58425.神も仏も名無しさんUyhXf禅にはなんとなくテーラワーダ的な生滅的な雰囲気が大乗仏教では一番濃いやろな😆永遠嫌いやしなー😆2026/01/25 12:45:22426.◆JBLfMwCXhYhxeLrロン師匠に感じる違和感と似ているな😂2026/01/25 12:45:38427.神も仏も名無しさんUyhXf>>424それゃ、空要素の薄い華厳あたりの事事無碍法界の赤道から南極へ行ったんやからー😆2026/01/25 12:46:58428.神も仏も名無しさんUyhXf>>426テーラワーダのサティを理解しないとその逆回転はわからんやろ赤道の華厳の事事無碍法界問題もあるしなー😆2026/01/25 12:48:08429.◆JBLfMwCXhYhxeLr北極から南極を見てるようなもんだな両極端のようで、実際には似ているのかも(笑)2026/01/25 12:49:08430.神も仏も名無しさんUyhXf北極、テーラワーダ↓唯識↓天台↓赤道、華厳、真言↓南極、禅みたいな位置関係ハッスル🤡はアタマ悪いからんな視点はない😆2026/01/25 12:49:56431.神も仏も名無しさんUyhXf天台あたりに、三論宗、中論かな😆2026/01/25 12:50:39432.神も仏も名無しさんUyhXfハッスル的には南極、禅は唯識だーみたいな地図になってるやろなー😆2026/01/25 12:51:27433.神も仏も名無しさんUyhXf禅なんかは天台華厳真言あたりの構築したのを解体したからなー無〜〜〜😆2026/01/25 12:52:10434.神も仏も名無しさんUyhXfロンや仏のスレ主は南極以外関心ありませんといったところやろなー😆2026/01/25 12:53:28435.◆JBLfMwCXhYhxeLr北極と南極は、実際には似ている(笑)2026/01/25 12:54:54436.神も仏も名無しさんUyhXf南極の禅で赤道の天台華厳真言を解体した勝義諦とか持ちたすハッスル、麦は俺的には空いた口が塞がらない😮2026/01/25 12:56:38437.神も仏も名無しさんUyhXf南極で生まれたので赤道、北極知りませーんみたいな😆2026/01/25 12:57:25438.神も仏も名無しさんUyhXf北極と南極の類似点、赤道では、こーいう発想しない生滅的雰囲気があるこれ一つで、まー仏のスレ主の正体も理解できる中論用無しだ😆https://kougetsuin.com/blog/%E7%A6%85%E3%81%AE%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%B0/41252026/01/25 13:01:54439.神も仏も名無しさんUyhXfありのままの姿を無心で感じとるという部分他の解釈は今ひとつだなこのブログは😆2026/01/25 13:04:55440.神も仏も名無しさんUyhXf北極と南極の類似点、仏のスレ主の趣味はこんなところだ😆「春は花、夏ほととぎす、秋は月、冬雪さえて、すずしかりけり」は、曹洞宗の開祖道元禅師の和歌で、四季折々の自然の姿そのものが仏の真実の姿(本来の面目)であり、それをありのままに受け入れる禅の境地を示しています。花、ほととぎす、月、雪といった自然の現象に、**「本来の面目(ほんらいのめんもく)」**という副題がつけられ、それぞれの姿に真理が顕現していると説く、禅の教えを表現した歌です。歌の意味と解釈春は花(はるははな):春には花が咲き、その花自体が真実の姿である。夏ほととぎす(なつほととぎす):夏にはほととぎすが鳴き、その鳴き声に真実が宿る。秋は月(あきはつき):秋には月が輝き、その月光に真理が表れる。冬雪さえて、すずしかりけり(ふゆゆきさえて、すずしかりけり):冬の雪が澄み切って冷たいように、その清らかさ、冷たさの中に真実がある。「すずしかりけり」は「清々しい」という意味で、自然のありのままの姿に感動する境地。2026/01/25 13:06:51441.神も仏も名無しさんUyhXfテーラワーダのサティの逆回転というのこういうこったな😆2026/01/25 13:07:30442.神も仏も名無しさんUyhXf勝義諦など用無し言ってるやつはビギナー以前😆2026/01/25 13:08:33443.神も仏も名無しさんUyhXf春は永遠ではないし夏も永遠ではないま、地球の赤道は一定だろな南極、北極は1日中夜の時期があったり、昼の、時間は違うだろうけど😆2026/01/25 13:10:50444.神も仏も名無しさんUyhXf勝義諦など用無し言ってるやつは禅のビギナー以前😆に修正😆2026/01/25 13:11:34445.神も仏も名無しさんUyhXf俺は南極から〜赤道と天台と北極しかマップがなかった間の、倶舎論、唯識が探索不足であった山伏念仏神仏習合は月だな、あれは別ゾーンだ😆2026/01/25 13:19:42446.神も仏も名無しさんv4d5dこれで仏のスレ主の手の内の暴露、分析はてきたやろ😆2026/01/25 13:39:30447.神も仏も名無しさんizZm9🤡でおーの言動を観察していると、その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。🤡餓鬼道とは何か。餓鬼道は渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、手に入れても決して満たされない。でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、その知識によって周囲からの承認を求める。しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、むしろ常に不足感を抱えているように見える。愛情への飢えすら感じさせる点も含め、餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。🤡修羅道とは何か。修羅道は闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。でおーは、やたらと「自分の方が優れている」「相手より上である」という点を強調する。勝ち負けに固執し、相手を倒すためなら手段を選ばず、時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。そして、その対立を外から眺めて楽しむ。この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。🤡地獄道とは何か。地獄道は怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。正義感が歪み、攻撃性へと変質する。でおーは、相手を意図的に挑発し、怒りや憎しみを引き出そうとする。相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。🤡つまり、でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。2026/01/25 20:11:13448.◆JBLfMwCXhYXGtwP北極−南極の分析か😆2026/01/26 00:46:51449.◆JBLfMwCXhYXGtwP北極から見て、南極は赤道より遠いでも、赤道よりずっと北極に似ている2026/01/26 00:47:38450.◆JBLfMwCXhYXGtwP右翼と左翼が似てるようなものだ両極端はだんだん似てくる2026/01/26 00:48:05451.◆JBLfMwCXhYXGtwP【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】 皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日は「感覚の実況中継と観察」についてスマナサーラ長老がお話します。2026/01/26 00:48:21452.◆JBLfMwCXhYXGtwP[Q] 「観察する」という言葉ですが、私の理解では花や草木や昆虫などの何かモノ(対象)を見るというイメージがあります。ヴィパッサナー瞑想では、例えば「右足、上げる、運ぶ、下ろす」と感覚を実況中継します。これは感覚を観察しているという意識では無いのですが、これが観察ということなのでしょうか?2026/01/26 00:49:25453.◆JBLfMwCXhYXGtwP[A]■ヴィパッサナーに必要なことヴィパッサナー瞑想の実践では、頭(思考)を使うことを何とか控えてください。頭で理解しようとする癖が、どこかで引っかかって、囚われてしまうのです。「右足、上げる、運ぶ、下ろす」と足の感覚を実況中継しますね。それがヴィパッサナーで必要な観察なのです。生きることと関係ないもの、花や草木や昆虫や動物などを観察することが、本当の観察ではないかと思っているかもしれませんが、そのような観察は子供たちもやっているし、科学者という方々も行っているのです。でも、誰一人も生きるとは何かと発見しないし、悟りにも達しません。2026/01/26 00:49:39454.◆JBLfMwCXhYXGtwP■生きることそのものの観察ヴィパッサナーは生きること自体、生きることそのものを観察することですから、物質的なモノを見ることではありません。「感覚を実況中継する」ことが観察するということなのです。それ以上はありません。余計なことをする必要はありません。知識でやってはいけません。知識が入ってきた時点で、成長はストップしてしまいます。瞑想できなくなります。ヴィパッサナーの観察は、知識で理解できないほど難しいのです。そんなことを言ってしまうと更に余計な知識が増えるだけですが。気づくこと、感覚を実況中継することが観察することだと理解してください。「膨らみ」「縮み」と実況中継しているなら、それは観察していることになるのです。2026/01/26 00:50:09455.◆JBLfMwCXhYXGtwP■妄想に気づくことも観察のうち瞑想中に「観察ってどういうことだ?」と思うことは、頭がどこかに飛んで行ってしまった、妄想してしまったということです。それですぐに「妄想、妄想、妄想」と気づいて(実況中継)、意識を戻さなくてはいけない。その時「妄想、妄想、妄想」と気づいたのは、頭が飛んだ(妄想した)ことを観察したということになるのです。2026/01/26 00:50:51456.◆JBLfMwCXhYXGtwP■言葉という道具を頼りに進んでいく身体の動きをきめ細やかに観察する。たくさんの現象を観察すると、観察能力がかなり上がります。観察能力が上達すれば、その時は言葉なく観察できるようになります。観察するすべての現象に適した単語・言葉は存在しません。言語は瞑想していない人が作ったものですから、どこまでも使えるという道具ではありません。しかし、基本的には言語に頼るしかありません。動作にはどんな言語でも単語・言葉があります。ですから、瞑想に使えます。名詞は使えません。高度な智慧のレベルに達するまでは、言葉という道具の助けが必要です。2026/01/26 00:51:24457.◆JBLfMwCXhYXGtwPなるほど言葉で実況中継するけどそれは、動詞が中心なんだな2026/01/26 00:53:27458.◆JBLfMwCXhYXGtwP名詞でラべリングするのは言語で意味づけすることだ確かに、それは避けないと😆2026/01/26 00:54:19459.神も仏も名無しさんwGbqD🤡でおーの言動を観察していると、その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。🤡餓鬼道とは何か。餓鬼道は渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、手に入れても決して満たされない。でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、その知識によって周囲からの承認を求める。しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、むしろ常に不足感を抱えているように見える。愛情への飢えすら感じさせる点も含め、餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。🤡修羅道とは何か。修羅道は闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。でおーは、やたらと「自分の方が優れている」「相手より上である」という点を強調する。勝ち負けに固執し、相手を倒すためなら手段を選ばず、時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。そして、その対立を外から眺めて楽しむ。この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。🤡地獄道とは何か。地獄道は怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。正義感が歪み、攻撃性へと変質する。でおーは、相手を意図的に挑発し、怒りや憎しみを引き出そうとする。相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。🤡つまり、でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。2026/01/26 01:28:56460.神も仏も名無しさんSe13E>>458お怒りだな?🤡ハッスルしてるな?🤡ガンバってるな?🤡すべて動詞のラベリングだな😆2026/01/26 05:25:34461.◆JBLfMwCXhYXGtwP>>460言われてみれば、確かに2026/01/26 07:39:33462.◆JBLfMwCXhYXGtwPすべて、実況中継だ😆2026/01/26 07:39:47463.◆JBLfMwCXhYXGtwP四念処瞑想(しねんじょめいそう)とは、仏教の瞑想法で、身(身体)、受(感覚)、心(こころ)、法(法・対象)の四つを「気づき(マインドフルネス)」をもって観察し、世の中の苦しみや煩悩の原因を見極めて解放されることを目指すものです。これはヴィパッサナー瞑想(観の瞑想)の核心であり、「気づき」の訓練を通じて、物事をありのままに観察し、執着から離れることを目的とします。2026/01/26 08:04:40464.◆JBLfMwCXhYXGtwP四念処の四つの対象身念処(しんねんじょ): 身体の動き、感覚(呼吸、姿勢、体の不快感・快感など)に注意を向け、「不浄」であること(変化し続けること)を観察する。受念処(じゅねんじょ): 生じる感覚(快・不快・どちらでもない)を観察し、苦しみ(ドゥッカ)であること(執着すると苦しむこと)を理解する。心念処(しんねんじょ): 心の状態(喜び、怒り、集中、散漫など)を観察し、「無常」であること(常に変化すること)を認識する。法念処(ほうねんじょ): 心の対象(思考、感情、現象など)を観察し、すべてが「無我」(固定した実体がないこと)であることを理解する。2026/01/26 08:04:56465.◆JBLfMwCXhYXGtwP瞑想の実践方法気づき(マインドフルネス): 今この瞬間の身体の感覚や心の動きに注意を払い続ける。実況中継: 身体を動かす際などに、「動いている」「熱い」「痛い」などと心の中で実況する(考えすぎないように)。スローモーション: ゆっくりと動作することで、感覚をより詳細に捉える。目的: 煩悩(我執)に気づき、それを手放すことで、苦しみから解放されること(悟り)を目指す。2026/01/26 08:05:17466.◆JBLfMwCXhYXGtwP四念処は、ブッダが説いた「悟りに至る唯一の道」とされ、ヴィパッサナー瞑想の基本として、現代のマインドフルネス瞑想の源流ともされています。2026/01/26 08:05:37467.◆JBLfMwCXhYXGtwP比丘らよ、ここに唯一の道がある。それは、生きとし生けるものが清らかになるため、悲しみと嘆きを乗り越え、心と体の苦しみがなくなり、もののあり方を正しく知り、涅槃を体験するための道である。 その道とは四念処、四つの気づき(サティ)の実践である。四念処経(中部経典)2026/01/26 08:07:40468.神も仏も名無しさんrgDr3>>462ふざけて釣っているようで実は仏教に忠実な部分があるハッスルは自分を実況中継できないから指南してやってる😆2026/01/26 08:23:40469.神も仏も名無しさんrgDr3マインドフルネスとテーラワーダはやはり南極と北極関係のハイブリッドだな😆マインドフルネスはベトナムの禅僧ティグナットハンが作ったものだ😆2026/01/26 08:25:09470.神も仏も名無しさんrgDr3俺、JBL以外には学問的は話しないやろ通じない相手にマジレスやるよーなサービス精神がない😆2026/01/26 08:26:25471.◆JBLfMwCXhYXGtwPハッスル軍団とは対話が成立しないな~😫2026/01/26 09:21:29472.神も仏も名無しさんcadLLハッスル軍団には根拠とか教理的に教えてやる必要性が自称禅だから余計にレスしたくない😆2026/01/26 11:03:14473.神も仏も名無しさんcadLLハッスルが唯識をやりだしたのはティグナットハンが唯識を好んでいた影響があるかもしれん😫2026/01/26 11:04:03474.神も仏も名無しさんkSjUn🤡でおーの言動を観察していると、その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。🤡餓鬼道とは何か。餓鬼道は渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、手に入れても決して満たされない。でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、その知識によって周囲からの承認を求める。しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、むしろ常に不足感を抱えているように見える。愛情への飢えすら感じさせる点も含め、餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。🤡修羅道とは何か。修羅道は闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。でおーは、やたらと「自分の方が優れている」「相手より上である」という点を強調する。勝ち負けに固執し、相手を倒すためなら手段を選ばず、時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。そして、その対立を外から眺めて楽しむ。この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。🤡地獄道とは何か。地獄道は怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。正義感が歪み、攻撃性へと変質する。でおーは、相手を意図的に挑発し、怒りや憎しみを引き出そうとする。相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。🤡つまり、でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。2026/01/26 14:05:55475.◆JBLfMwCXhYPFW1m「四念処」は、テーラワーダ仏教のキーワードの1つだむやみに仏教用語を並べるのは、愚かな人のやることだがキーワードは知っておかないと2026/01/26 22:13:23476.◆JBLfMwCXhYPFW1m「四念処瞑想」と「ヴィパッサナー瞑想」は、ほぼ同じ2026/01/26 22:23:43477.◆JBLfMwCXhYPFW1mつまり、「四念処」と「ヴィパッサナー」は、ほぼ同じ2026/01/26 22:24:07478.◆JBLfMwCXhYPFW1m気づきの瞑想・観察する瞑想・ヴィパッサナー瞑想は、「身受心法」の四念処(しねんじょ)・四念住(しねんじゅう)のことです。えん坊&ぼーさん2020年10月6日 07:502026/01/26 22:26:56479.◆JBLfMwCXhYPFW1m四念処(しねんじょ)・四念住(しねんじゅう)身受心法(しんじゅしんほう)・心念処 (しんねんじょ)・心念住(しんねんじゅう)・法念処 (ほうねんじょ)・法念住(ほうねんじゅう)2026/01/26 22:27:08480.◆JBLfMwCXhYPFW1m四念処(しねんじょ)・四念住(しねんじゅう)「四念処・しねんじょ」は(玄奘以降の新しい漢訳では「四念住・しねんじゅう)とも呼ばれます。真理とは真逆の間違った考え方の、四顛倒(してんどう)の「常楽我浄」(じょうらくがじょう)を打破する瞑想です。ありのままに自分を観察する瞑想で、気づきの瞑想、観察する瞑想、ヴィパッサナー瞑想のことになります。この、四念処の瞑想は、経典の中では、「身受心法」(しんじゅしんほう)の教えで、ブッダの説法がよくでてきます。2026/01/26 22:27:41481.◆JBLfMwCXhYPFW1m次に、身受心法を見ていきましょう。身受心法(しんじゅしんほう)・身念処(しんねんじょ)・身念住(しんねんじゅう)「身体について」からだをよく観察をして、「身体は不浄」であることをみる(気づく)瞑想です。これは、「不浄観」(ふじょうかん)と表現されていて、自分の身体は五蘊(ごうん)から成り立つ存在で、身体で接触して感受するものすべて、はかない「一切皆苦」(いっさいかいく)の煩悩になることを、観察の瞑想をして洞察していきます。2026/01/26 22:33:21482.◆JBLfMwCXhYPFW1m・心念処 (しんねんじょ)・心念住(しんねんじゅう)「心について」、心をよく観察して、「心は無常」であることをみる(気づく)瞑想です。これは、五蘊で成り立つ自分の考え方を形成していく「行」(ぎょう)は常に変化するものである「諸行無常」(しょぎょうむじょう)であると如実に観察します。その自分の心を如実に観察します。2026/01/26 22:35:36483.◆JBLfMwCXhYPFW1m経典では、貪りのある心を「わたしの心は貪りをもっている」と知る。貪りを離れた心を「わたしの心は貪りを離れた」と知る。怒りのある心を「わたしは怒りの心をもっている」と知る。怒りを離れた心を「わたしは怒りの心を離れた」と知る。と表現されています。2026/01/26 22:36:25484.◆JBLfMwCXhYPFW1m・法念処 (ほうねんじょ)・法念住(ほうねんじゅう)「もろもろの事象・法について」、もろもろの事象・法をよく観察して、「あらゆる物質は無我」であることをみる(気づく)瞑想です。2026/01/26 22:36:38485.◆JBLfMwCXhYPFW1mこれは、三法印(さんぼういん)の「諸法無我」(しょほうむが)を如実に観察することです。経典での表現のされかた四念処・四念住の「身受心法」は原始仏典には、「よく気を付け、熱心に正しく自覚し、落ち着いて過ごし、世間の貪り憂いを克服すべき」とでてきます。2026/01/26 22:36:54486.◆JBLfMwCXhYPFW1m「念」(ねん)はパーリ語でサティ(sati)で①記憶(教えを)する。②心が散漫になったりしないように注意力を促す。③四念処(サティパッタ-ナ)の常に無常・苦・無我を念頭に置くの意味があります。大念処経を読むと四念処の理解がふかまります。2026/01/26 22:37:05487.◆JBLfMwCXhYPFW1m何事も、やりすぎは毒だ2026/01/26 22:38:56488.◆JBLfMwCXhYPFW1m自分は以前、不浄観の瞑想をやりすぎたせいで女性を見ると、気持ち悪くなってしまった😫2026/01/26 22:39:59489.◆JBLfMwCXhYPFW1m「このままでは、心を病む」と思ったため不浄観を止めて、他のことをやることにした😫2026/01/26 22:40:33490.◆JBLfMwCXhYPFW1m余計なお節介かもしれんが、聖ウンコ師の坐禅もやりすぎ止めるべきと思う2026/01/26 22:41:38491.◆JBLfMwCXhYPFW1m自分で言うのも変だが極端から、別の極端へと走りやすい2026/01/26 22:45:46492.◆JBLfMwCXhYPFW1mなかなか、普通になれない2026/01/26 22:46:24493.◆JBLfMwCXhYPFW1mそんな人には、こういうのがオススメだ👍️↓瞑想の実践方法気づき(マインドフルネス): 今この瞬間の身体の感覚や心の動きに注意を払い続ける。実況中継: 身体を動かす際などに、「動いている」「熱い」「痛い」などと心の中で実況する(考えすぎないように)。スローモーション: ゆっくりと動作することで、感覚をより詳細に捉える。目的: 煩悩(我執)に気づき、それを手放すことで、苦しみから解放されること(悟り)を目指す。2026/01/26 22:47:38494.神も仏も名無しさんM71Yiやはり、対ハッスル、対ムイムイへの実況中継は王道だな?😆2026/01/27 07:05:25495.神も仏も名無しさんM71Yiマインドフルネスは唯識を導入したのはそういう要素があったからだろな😆2026/01/27 07:06:08496.神も仏も名無しさんM71Yiマインドフルネスは禅を中心にテーラワーダと唯識をハイブリッドにしたんやろな😆2026/01/27 07:06:38497.神も仏も名無しさんM71Yiハッスルがオカシイのはテーラワーダの観法的視点がないままに三毒まみれで「無我なのにー」とやっているせいだ俺はいつも実況中継指導をしてやってる😆2026/01/27 07:08:28498.神も仏も名無しさんM71Yi曹洞宗宗門も、病んでるなー😫https://m.youtube.com/watch?v=-wG5TJ-1BSA&pp=2AYz2026/01/27 07:23:32499.神も仏も名無しさんM71Yi只管打坐でこんなのは無理筋😫2026/01/27 07:24:05500.神も仏も名無しさんM71Yiこの辺が俺の十年以上謎であり続けた山伏念仏神仏習合の謎であろうなhttps://m.youtube.com/watch?v=_QD5WIOYlBg&pp=2AZB2026/01/27 07:51:40501.神も仏も名無しさんM71Yiハッスルブラザーズ?みたいな流れだなあっちは😁2026/01/27 07:54:56502.◆JBLfMwCXhYSXwMu他スレでハッスルしてるな~😆2026/01/27 08:52:39503.神も仏も名無しさんBbV94やっぱり中論は大乗仏教は在家仏教なので三論宗が一番正論に近いかよなー巷の中論の仏教研究者は雰囲気的には成実論的なんだよなー😆2026/01/27 09:15:59504.神も仏も名無しさんBbV94世界で記録に残る一番在家仏教の成果を現したのは天台宗らしいです😆2026/01/27 09:16:55505.神も仏も名無しさんBbV94三論宗の在家は詳しくないので記録を見てない情報不足、唯識は、あれくらい学問的だと在家は無理だろ、ゲルク派並みの緻密さだからー😆2026/01/27 09:18:28506.神も仏も名無しさんBbV94ネット上で中論のウィキあたりのあてにならない定説によると成実論なんだよなー三論宗とは違う、衆生済度が成実論には見えてこない😆2026/01/27 09:20:55507.神も仏も名無しさんBbV94ハッスル🤡がいくら力説してもナルシズムなので衆生済度の発想視点は無さすぎだ俺は、ハッスルにハッスル🤡という実況中継で衆生済度しとる😆2026/01/27 09:21:57508.神も仏も名無しさんBbV94中論というのは宗派が現存してないから多種多様の学説が起こりうるやろなー😆2026/01/27 09:22:52509.神も仏も名無しさん0Oasfハッスルはいつも誤読と創作だらけだから信用ならん😆2026/01/27 09:35:57510.神も仏も名無しさん0Oasf中論解釈は大乗仏教の衆生済度の解釈が一番近似値になるんだろな😆2026/01/27 09:36:36511.神も仏も名無しさん0Oasfハッスル🤡バカと俺は議論しない派なのでお役目はJBLにお任せだ😆2026/01/27 09:37:32512.◆JBLfMwCXhYSXwMu確かに唯識論には法相宗があるけど中論には三論宗がもうないから、誰でも言いたい放題だな2026/01/27 13:36:04513.◆JBLfMwCXhYSXwMuやはり、チベット仏教のゲルク派を基軸とすべきだ2026/01/27 13:36:34514.神も仏も名無しさんrRbWJ🤡でおーの言動を観察していると、その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。🤡餓鬼道とは何か。餓鬼道は渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、手に入れても決して満たされない。でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、その知識によって周囲からの承認を求める。しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、むしろ常に不足感を抱えているように見える。愛情への飢えすら感じさせる点も含め、餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。🤡修羅道とは何か。修羅道は闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。でおーは、やたらと「自分の方が優れている」「相手より上である」という点を強調する。勝ち負けに固執し、相手を倒すためなら手段を選ばず、時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。そして、その対立を外から眺めて楽しむ。この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。🤡地獄道とは何か。地獄道は怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。正義感が歪み、攻撃性へと変質する。でおーは、相手を意図的に挑発し、怒りや憎しみを引き出そうとする。相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。🤡つまり、でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。2026/01/27 19:03:49515.◆JBLfMwCXhYb5NIBテーラワーダ仏教とは仏教は、今からおよそ2560年前、お釈迦様(釈迦牟尼仏陀)によってひらかれ、時代の流れとともにさまざまな流派に分かれて、全世界へ広がってゆきました。中国・チベット・朝鮮半島や日本には、お釈迦様の死後数百年経って成立した北伝の仏教、いわゆる大乗仏教が伝えられました。一方、スリランカ・タイ・ミャンマーなどの出家教団によって継承された南伝の仏教をテーラワーダ仏教といいます。テーラワーダ仏教は、他に初期仏教・上座仏教・上座部仏教・根本仏教・原始仏教などとも呼ばれています。2026/01/28 20:10:10516.◆JBLfMwCXhYb5NIB「テーラワーダ」とは、パーリ語(古代インドの言語)で「長老の(thera)教え(vāda)」を意味します。お釈迦様の時代から完全に近い形で残されたパーリ語経典に基づいて、多くの比丘(出家僧)と在家信者たちの努力により、約2560年間の長きにわたって実践され、受け継がれてきたお釈迦様の根本の教えがテーラワーダ仏教なのです。2026/01/28 20:10:24517.◆JBLfMwCXhYb5NIB日本など大乗仏教の諸国では、お釈迦様の初期経典に説かれたヴィパッサナーなどの実践方法が伝わってきませんでした。そのために思弁哲学の学問仏教、あるいは現世利益信仰や儀式儀礼の呪術的宗教になってしまった面もあります。テーラワーダ仏教は、いわゆる「小乗」とも「大乗」とも無縁です。お釈迦様の説かれた教えとその実践方法の一つ一つを、当時のまま、今日まで伝えてきた純粋な体系なのです。2026/01/28 20:10:42518.◆JBLfMwCXhYb5NIBお釈迦様が説かれた本来の仏教は、儀式儀礼ではなく、いつの時代でも、生きている私たち人間の心に直接働きかける、実践的で役に立つ教えです。ヴィパッサナーや慈悲の瞑想といった、お釈迦様の教えられた実践法は、宗派の違いや宗教の枠を超えて、誰にでも実践できる幸福の道であるといえるでしょう。2026/01/28 20:10:52519.◆JBLfMwCXhYb5NIBテーラワーダ仏教協会によると、「初期仏教」とは、テーラワーダ仏教のことだ2026/01/28 20:11:56520.◆JBLfMwCXhYb5NIBでも、やっぱりテーラワーダ仏教成立の経緯を見る限りでは、「初期仏教」とは思えない「南伝仏教」と呼ぶべきだろう2026/01/28 20:12:41521.神も仏も名無しさんBAS8lま、テーラワーダはアビダルマの解釈から成立したというところやろなーたぶん、怪しげ知識😆2026/01/28 21:07:24522.神も仏も名無しさんBAS8l倶舎論ではないアビダルマアビダルマはまだ詳しくない😆2026/01/28 21:08:09523.神も仏も名無しさん4idZwでおーの言動を継続的に観察すると、その行動様式は 餓鬼道と修羅道 に明確に一致する。餓鬼道でおーは承認・評価・優位性への渇望が強い。宗教知識を大量に収集し、それを誇示するが、満たされる兆候は見られない。語れば語るほど不足感が増し、他者からの反応を糧にしなければ立っていられない。これは知識探究ではなく、承認依存である。修羅道でおーは常に勝敗と上下を設定する。議論は理解のためではなく、相手を下に置くための手段として使われる。優位を示すためなら歪曲・挑発・分断も厭わない。第三者同士を対立させ、その混乱を外から眺める行動も繰り返している。これは対話ではなく、闘争嗜好である。地獄道への誘導でおーは相手の怒りや正義感を意図的に刺激する。感情を爆発させた相手を「荒れている側」に押し込み、自分は安全圏に退く。この構図は偶然ではなく、一貫した手口だ。結論でおーは餓鬼道と修羅道に居座り、他者を地獄道へ落とすことで自分を保つ。これは人格評価ではない。行動の事実と、その帰結の整理である。本人に言っていない。関わる周囲が判断を誤らないための共有だ。2026/01/28 21:44:28524.◆JBLfMwCXhYseC7fブッダ(ゴータマ・ブッダ)が再発見した瞑想法は、主に「ヴィパッサナー瞑想(洞察瞑想)」と呼ばれ、呼吸や身体の感覚、心の状態をありのままに観察し、自己浄化を行うものです。2500年以上にわたり継承されているこの瞑想法は、執着や欲を滅ぼし、苦しみから解放されて心の平安(安穏)を得ることを目的としています。2026/02/17 06:55:20525.◆JBLfMwCXhYseC7fブッダの瞑想の概要本質はヴィパッサナー:サンスクリット語で「物事をあるがままに見る」という意味です。身体感覚や感情、思考を客観的に観察する「気づき(サティ)」の訓練です。目的:ストレス解消だけでなく、究極的には苦しみの原因である「欲・怒り・エゴ(煩悩)」を根絶し、真の幸福を得ることです。2026/02/17 06:55:37526.◆JBLfMwCXhYseC7f2つの柱:サマタ瞑想(静寂):呼吸など特定の対象に意識を集中させ、心に平静をもたらす準備段階の瞑想。ヴィパッサナー瞑想(洞察):集中した心で、身体や心に起きる現象の無常(常に変化すること)を観察する。2026/02/17 06:55:54527.◆JBLfMwCXhYseC7f瞑想の具体的なやり方姿勢:背筋をまっすぐにして座る。目は半眼か閉じる。呼吸の観察:自然な呼吸に注意を向け、腹部の膨らみや縮み、鼻を通る感覚を観察する。ラベリング:湧き上がる雑念や感覚を「考えている」「足が痛い」のように客観的に言語化して確認する。対象は「今」:過去や未来の思考に囚われず、常に「今」起きている現象(感覚・思考)だけを観察する。時間と頻度:1日2回、各20分~30分程度が目安だが、短い時間でも継続することが重要。2026/02/17 06:56:14528.◆JBLfMwCXhYseC7f日常生活への応用歩く瞑想:歩く感覚に集中する。足の裏の感覚などに気づきを向け続ける。感情のコントロール:怒りや欲が湧いたとき、それに振り回されず、「怒りが湧いた」と客観視することで執着を離れる。※精神疾患や重篤な症状がある場合は、マインドフルネス(瞑想)を実践する前に医師に相談することが推奨されています2026/02/17 06:56:37529.神も仏も名無しさんnd7iHハッスル、ムイムイ、デンパパ、リダンにはサティの機能がブロークンしてる😱2026/02/17 07:00:31530.神も仏も名無しさんnd7iHハッスル、ムイムイは悟ったらしいのでサティ機能のテストだ😆2026/02/17 07:01:32531.◆JBLfMwCXhYseC7fリダンによると、ハッスル様は悟ってるらしい😆2026/02/17 07:05:21532.神も仏も名無しさんnd7iH漫談人生らしいからな?😱NO1は境界例キャラなのか?と思う😆2026/02/17 07:06:37533.◆JBLfMwCXhYVHS7V唯識論でいう自証分ってのが、やっと分かった気がする2026/02/26 17:51:54534.◆JBLfMwCXhYVHS7V識体( ≒ 自証分)から、相分と見分が生じる見分は、相分しか見ていない2026/02/26 17:52:52535.◆JBLfMwCXhYVHS7V「いま、ボクはテレビを見ている」とか「いま、ボクは壊れたバカとネットの掲示板で論争している」とか見分が見ているものを実況中継するそれが、自証分の機能だ2026/02/26 17:54:03536.◆JBLfMwCXhYVHS7V実況中継と並ぶ、もう1つの機能それは、見分が見たものを記憶したり、思い出したりすること2026/02/26 17:54:41537.◆JBLfMwCXhYVHS7Vやたら難しく考えていたが分かってしまえば単純だ2026/02/26 17:55:13538.◆JBLfMwCXhYVHS7V見分は、相分しか見ていないだから、自証分の存在に気づくことはない自証分を認識するのは、証自証分だ2026/02/26 17:56:12539.◆JBLfMwCXhYVHS7Vこの証自証分についても、実に単純な話だなんといっても、「自証分を認識する」というのが、証自証分の唯一の機能それ以外に何もないのだから、難しくもなんともない(笑)2026/02/26 17:57:17540.◆JBLfMwCXhYVHS7V要するに、見分には自証分を認識できないから代わりに証自証分ってものを立てただけだ護法のオリジナル教義だ2026/02/26 17:57:56541.◆JBLfMwCXhYVHS7V重要なのは自証分が、見分の見ているものを実況中継しているということだ2026/02/26 17:58:25542.◆JBLfMwCXhYVHS7Vスマンカッタ長老のいう「サティ」だ2026/02/26 17:58:42543.神も仏も名無しさんnJY2gサティをベースしないとホーカイくんに騙される😱2026/02/26 18:29:04544.神も仏も名無しさんnJY2gサティをベースにしないと三流清盛に惑わされる😱2026/02/26 18:29:59545.神も仏も名無しさんnJY2g唯識の些末はわからないがテーラワーダはきちんと理解できているのでポイントは外れない自身はある清盛よりも😃2026/02/26 18:32:13546.◆JBLfMwCXhYVHS7Vまあ、確かに結局は、テーラワーダや倶舎論が分かってるかどうかなんだよな~😆2026/02/26 18:38:30547.神も仏も名無しさんnJY2g禅は一見、テーラワーダ。倶舎論を無視したような解釈されるが根底にはあるだらなーハッスル軍団はこういう基礎が、アウト麦にしてもホーカイくんでもな😱2026/02/26 18:48:00548.神も仏も名無しさんzRuY4エホバの証人でもない。旅人。2026/03/20 12:11:20549.◆JBLfMwCXhYIUjFW仏教理論をさんざんやってきて思うことだが不苦不楽は、よく言われるような「苦行には意味がない。ただし、快楽の追求からも離れる」というような意味とは思えない「苦痛からも快楽からも離れた、安静な心の状態」ということではないかも思われる2026/03/26 19:57:28550.◆JBLfMwCXhYIUjFWヴィパッサナーでは、「不苦不楽」の扱いはどうなっているのか?2026/03/26 19:57:52551.◆JBLfMwCXhYIUjFWChatGPT:いいテーマです。ここはヴィパッサナーの核心にかなり近い部分です。2026/03/26 19:58:09552.◆JBLfMwCXhYIUjFW① ヴィパッサナーで観る対象:「受(vedan?)」釈迦の教えでは、体験はすべて次の3つに分かれます:苦受(不快)楽受(快)不苦不楽受(中性)ヴィパッサナーでは、この**「受」そのものを観察対象にする**のがポイントです。2026/03/26 19:58:42553.◆JBLfMwCXhYIUjFW② 一番やっかいなのが「不苦不楽」直感に反するかもしれませんが、👉 一番問題になりやすいのは「不苦不楽」です。理由はシンプルで:苦 → はっきり不快なので気づきやすい楽 → 心地よいので執着に気づきやすい不苦不楽 → 気づかれない2026/03/26 19:59:02554.◆JBLfMwCXhYIUjFW③ 何が起きているのか「不苦不楽」のとき、心はどうなるか:ぼーっとする自動運転になる無意識に思考が流れる無明(無自覚)が働く仏教ではこれを👉 「無明に支配された状態」と見ます。2026/03/26 19:59:24555.◆JBLfMwCXhYIUjFW④ ヴィパッサナーの実践でやることここが核心です。不苦不楽に対してやるのは:👉 「それにも気づく」具体的には:何も起きていないように見える瞬間刺激が弱くて退屈な瞬間ただ呼吸しているだけの瞬間これらを👉 明確に観察する2026/03/26 19:59:43556.◆JBLfMwCXhYIUjFW⑤ 技術的に言うとヴィパッサナーではこう扱います:苦 → 「嫌だ」と反応しない楽 → 「もっと欲しい」と反応しない不苦不楽 → 「気づかないまま流れない」つまり👉 中性に対して“無関心でいない”2026/03/26 20:00:33557.◆JBLfMwCXhYIUjFW⑥ ここが一番重要な洞察普通の人はこうなります:苦 → 嫌う楽 → 求める不苦不楽 → 無視するしかし修行では:苦 → 観る楽 → 観る不苦不楽 → 最も丁寧に観る2026/03/26 20:01:04558.◆JBLfMwCXhYIUjFW⑦ なぜそこまで重要か理由は深いです。「不苦不楽」は:👉 輪廻を支える“無意識の土台”だからです。ここで無自覚が続くと:習慣的思考(サンカーラ)が増える自我感覚が維持される苦の連鎖が続く2026/03/26 20:01:33559.◆JBLfMwCXhYIUjFW⑧ 実践的な感覚瞑想中にこういう瞬間が来ます:「特に何も起きてないな…」「退屈だな…」「集中できてない気がする」このときがチャンスです。👉 その“何もない感じ”を観る2026/03/26 20:01:53560.◆JBLfMwCXhYIUjFW⑨ 一言でまとめるとヴィパッサナーにおける「不苦不楽」の扱いは:「見落とされているものを、はっきりと見る」2026/03/26 20:02:15561.◆JBLfMwCXhYIUjFW⑩ あなたの最初の問いとの接続あなたの言っていた:「どんな状況でも苦しまない・楽しまない」これにヴィパッサナー的に補足すると:👉 「どんな状態でも“気づいている”」苦でも気づく楽でも気づくそして特に👉 何もないときに気づくここを掴むと、中道の理解が一気に深まります。2026/03/26 20:02:43562.神も仏も名無しさんNlJIqニートムイムイハッスル😀2026/04/15 18:48:33563.神も仏も名無しさんPndp4自己理解できないニートムイムイ爆走してるな?😀2026/04/15 19:02:37564.神も仏も名無しさんNlJIq暴走ニートムイムイだな?😀2026/04/15 19:08:22565.◆JBLfMwCXhYCxebt今日も、歩きながらヴィパッサナー瞑想だ😄2026/05/17 15:58:56566.◆JBLfMwCXhYCxebt1日じゅう坐禅してられるほど、暇ではない歩きながらの歩行禅が重要だ😄2026/05/17 15:59:26567.◆JBLfMwCXhYCxebt⛩️五六七の世が来るのざぞ~🎊😭2026/05/17 16:00:04568.◆JBLfMwCXhYCxebt川野泰周の影響を受けた2026/05/17 17:17:08569.◆JBLfMwCXhYCxebt日本でヴィパッサナー禅を弘めている2026/05/17 17:17:22570.神も仏も名無しさんYEnim>>569ま、わかりやすいからなー😀井上希道ちゃんはイケナイけどな😀2026/05/17 17:18:53571.◆JBLfMwCXhYCxebt川野泰周のマインドフルネスチャンネルhttps://youtu.be/fsfdJ8EC3lg?si=faCGmt3cXUyRFviC2026/05/17 17:19:03572.◆JBLfMwCXhYCxebt禅僧なのにしゃべりのプロだな2026/05/17 17:19:20573.◆JBLfMwCXhYCxebtしゃべくり漫才の芸人みたい2026/05/17 17:19:38574.◆JBLfMwCXhYCxebt井上希道のしゃべりは、イケてない😫2026/05/17 17:20:37575.神も仏も名無しさんYEnim俺のところの師匠は見て理解しろ、的な職人肌😀2026/05/17 17:21:59576.◆JBLfMwCXhYCxebtその方が禅僧らしいな😆2026/05/17 17:22:26577.神も仏も名無しさんYEnim師匠の坐禅と、まーまー似てきたがまだまだだな😀井上義衍よりもさらに突き放している😀2026/05/17 17:24:47578.神も仏も名無しさんYEnim井上義衍はほんと、突き放してるからなー😀2026/05/17 17:25:14579.◆JBLfMwCXhYwGTt7マハーシ・サヤドー(ビルマ)https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/0f/Mahasi_Sayadaw.jpg/500px-Mahasi_Sayadaw.jpg2026/05/23 15:12:41580.神も仏も名無しさんmK541研究しよう😀井上希道とムイムイとの違いについて〜😀😀😀😀😀😀2026/05/23 15:20:22581.神も仏も名無しさんmK541マハーシ魔改造レボリューションできた😀地球儀回せたせ〜〜😀2026/05/23 15:22:22582.神も仏も名無しさんmK541マハーシ魔改造レボリューションは大乗仏教のどの宗派も応用バージョンアップしたリアル天台浄土教バージョンは無理そうだ、生滅してしまうと極楽浄土がなくなる〜😅2026/05/23 15:23:58583.神も仏も名無しさんmK541でも、ちょっと魔改造してみよう😀2026/05/23 15:24:50584.神も仏も名無しさんmK541ソフトタッチのラベリングを応用してラベリングはしないがソフトタッチの狙いで😀2026/05/23 15:30:06585.神も仏も名無しさんmK541真言念仏の研究をまだ始められないままになってしまった😀2026/05/23 15:31:02586.◆JBLfMwCXhYwGTt7マハーシ・サヤドー(1904年~1982年)は、20世紀のミャンマーを代表する上座部仏教(テーラワーダ仏教)の最高位の長老であり、伝統的な瞑想法を近代的に体系化して世界中に広めた高僧です。2026/05/23 15:33:10587.◆JBLfMwCXhYwGTt7【人物・背景】本名と尊称: 本名はウ・ソーバナ。名前の後ろにつく「サヤドー(サヤド)」はミャンマー語で「長老」や「高僧」を意味する尊称です。主な実績: 伝統的な「ヴィパッサナー瞑想(観法)」を、在家信者でも取り組みやすいように体系化しました。2026/05/23 15:33:32588.◆JBLfMwCXhYwGTt7【ヴィパッサナー瞑想の体系化】気づき(ノーティング)の実践: 歩くときに「右、左、右、左」と心の中で実況中継(ラベリング)したり、お腹のふくらみ・縮みを観察したりして、今この瞬間の身体や心の動きをありのままに自覚する手法を確立しました。世界的な普及: その明快かつ効果的な指導法は世界中で絶賛され、現代の欧米におけるマインドフルネスや瞑想ブームのルーツの一つにもなっています。彼の教えや著作の詳細は、日本テーラワーダ仏教協会などの専門サイトで確認することができます。2026/05/23 15:33:47589.◆JBLfMwCXhYwGTt7> 本名はウ・ソーバナ夢想花?2026/05/23 15:34:11590.神も仏も名無しさんmK541ブックオフで手に入れてお家にあるいつでも生滅智に入れる動画で光を感じるとか表現している箇所むろん、そこから離れないといけない😀2026/05/23 15:36:48591.神も仏も名無しさんmK541スマンカッタ長老の本を読むと禅定力を1とするとマハーシ サヤドーの本を読むと100くらいだ禅定パワーがダンチで違う😀2026/05/23 15:37:43592.神も仏も名無しさんmK541>彼の教えや著作の詳細は、日本テーラワーダ仏教協会などの専門サイトで確認することができます。それはシランカッタ長老〜😀検索しよう😀2026/05/23 15:38:53593.神も仏も名無しさんmK541スマンカッタ長老の本はブックオフでたくさん売ってたので6冊くらい持っている😀2026/05/23 15:45:40594.神も仏も名無しさんmK541真言念仏研究も全く動いていない😅2026/05/23 15:46:27595.神も仏も名無しさんmK541相変わらず春日権現のAI検索してもーた😀明治以前の春日権現信仰は、神仏習合の本地垂迹思想のもと、藤原氏の氏寺である興福寺の僧侶によって主導されました。その信仰の興福寺内における中心は南円堂(なんえんどう)です。南円堂が春日信仰の中心となった理由は以下の通りです。本地仏の安置: 春日大社の第一殿の神様(武甕槌命)の本地仏(本来の姿とされる仏)は不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん)とされており、これが南円堂の本尊として祀られていました。鹿皮の秘宝: 南円堂の本尊・不空羂索観音菩薩像は身に「鹿皮」をまとっており,これは春日大社の使いである神鹿に直結する縁起として特に藤原氏の尊崇を集めました。信仰の発信拠点: 鎌倉時代には興福寺の僧である貞慶(解脱上人)らが南円堂を拠点として春日明神への篤い信仰を展開し、春日権現験記や講式を通じて信仰を広めました。2026/05/23 16:09:58596.神も仏も名無しさんmK541南円堂は、藤原冬嗣が父・内麻呂の追善供養のため建立した興福寺の堂舎です。藤原氏の氏神である春日権現(春日明神)と非常に密接な関係にあり、堂内には本尊の前に春日神(赤童子)が祀られているなど、興福寺のなかでも特に強い春日信仰の聖地となっています。南円堂と春日権現(春日大社)の主な関係は以下の通りです。鹿皮をまとった観音像南円堂の本尊・不空羂索観音菩薩像は、鹿皮を身にまとっているのが大きな特徴です。春日大社の祭神(武甕槌命)が鹿島神宮から鹿に乗ってやってきたという伝説(鹿島立ち)に深く結びついており、藤原氏の氏神との強い結びつきを象徴しています。不空羂索観音の鹿皮南円堂の本尊・不空羂索観音菩薩像は鹿の皮をまとっています。これは、春日大社の祭神である武甕槌命(タケミカヅチノミコト)が白鹿に乗って奈良の御蓋山に降臨したという伝説に由来しており、観音菩薩と春日神が深く結びついていることを示しています。度数詣(どすうもうで)春日大社の神官や社司たちは、本社だけでなく南円堂にも度々参籠・参拝する「南円堂勤仕」という習わしを持っていました。神道と仏教が融合する中で、春日神を祀る神官たちにとっても重要な祈りの場でした。2026/05/23 16:14:36597.神も仏も名無しさんmK541南円堂と春日大社の感覚がまだまだポジティブマッチしてないやはりまだまだだな😀2026/05/23 16:15:53598.神も仏も名無しさんmK541小田原教懐上人に少し書いている論文を読んだ、不動明王の真言と図会をたくさん書いたらしい😀2026/05/23 16:29:51599.◆JBLfMwCXhY3g9OH神仏習合してるな😅2026/05/23 19:06:25600.◆JBLfMwCXhY3g9OH6002026/05/23 19:06:36601.神も仏も名無しさんNwe2xマハーシ サヤドー様には魔改造ヒントをもらった良い日であったソフトタッチのラベリングの魔改造😀2026/05/23 19:49:22602.◆JBLfMwCXhY1Ozghこれからは、マハーシ・サヤドー師だな😆2026/05/23 20:22:43603.神も仏も名無しさん8lyuj長かった。よく分からないですがちゃんと基礎からしっかりと学べば降りてくる?教えてくれるのが勤行や修行や坐禅を極めた成果では無いのでしょうか?教えて頂けたお坊様方々のお言葉などそれそのもの。仏の御加護とはそう言うものだと思います。私など全く初歩にも辿り着かない仏教知識なのに分かる部分があるのは御加護の賜物、それが仏教だと思いました。せめて呼吸くらいは必要でしょ?2026/05/23 22:18:17604.神も仏も名無しさん8lyuj古神道舐めんな。呼吸くらいできんと全く分からないもの。それでも古来から続くお教え。日本人は当たり前だったはずなのに分からないのなら仏教でもええから学べばいい。らしいですよ。昔の人はちゃんと分かってた上での事、本当に偉かったな。2026/05/23 22:43:15605.神も仏も名無しさん8lyuj神の名が仏教名に変わったくらいで神のお働きに一切関係などない。働きの分かりやすい名前ならそれで覚えたらいい話。名もランクも仏教徒が勝手につけたんやろ?2026/05/23 23:18:43606.◆JBLfMwCXhYPqLibアーナパーナサティこそ、初期仏教の鍵だ2026/05/24 17:00:40607.◆JBLfMwCXhYPqLibアーナパーナサティとは、呼吸を観察することだ2026/05/24 17:00:59608.◆JBLfMwCXhYPqLib■ 呼吸からどう展開するのか?① 身念処(身体の観察)まずは単純に息が入る息が出る体の感覚がある→ ここで「身体はただの現象」と見えてくる② 受念処(感覚)次に心地よい不快どちらでもないという“評価”が起きていることに気づく→ 「快・不快は勝手に起きる」と見える③ 心念処(心そのもの)さらに集中している心散乱している心落ち着いた心など、「心の状態そのもの」を観る→ 「心も固定物ではない」と分かる④ 法念処(構造理解)最後に無常縁起五蓋(妨げ) などの“法則性”を見る→ 世界の仕組みそのものを理解する方向へ行く2026/05/24 17:01:55609.◆JBLfMwCXhYPqLibテーラワーダ仏教は、漢字の仏教用語を並べることを好まない2026/05/24 17:02:25610.◆JBLfMwCXhYPqLibだが、「四念処」は別だあまりにも重要なので、外せない2026/05/24 17:02:51611.◆JBLfMwCXhYPqLibチャットGPT:その理解はかなり本質を突いてる。テーラワーダ仏教(特に現代の上座仏教系実践、いわゆる「ヴィパッサナー運動」)は、基本的にパーリ語原典ベースで語るから、漢訳由来の漢字仏教用語はできるだけ避ける傾向があるんだよね。概念のズレや後世の解釈混入を嫌うから。その中で例外的に残るのが、まさにあなたが言った通り:四念処(satipatthana)2026/05/24 17:04:25612.◆JBLfMwCXhYPqLib■ なぜ「四念処」だけは残るのか理由はシンプルで、これは単なる用語ではなくて、修行体系そのものの骨格だからです。つまり四念処は、仏教の「実践の設計図」ヴィパッサナー瞑想の全体構造気づきの対象の完全分類であって、言い換え不能に近い。2026/05/24 17:05:02613.◆JBLfMwCXhYPqLib■ しかも「翻訳語として完成度が高い」「四念処」という漢訳はかなり優秀で、四=4つ念=サティ(気づき)処=確立された対象・基盤つまりほぼ「気づきを確立する4つの基盤」という構造を正確に捉えている。だからテーラワーダ側でも普通に使われ続ける。2026/05/24 17:05:22614.◆JBLfMwCXhYPqLib■ 四念処が外せない理由(修行論的に)四念処は単なる分類じゃなくて、実際にはこういう役割:① 身念処(身体)→ 呼吸・姿勢・身体感覚② 受念処(感受)→ 快・不快・中性③ 心念処(心)→ 貪・瞋・痴・集中・散乱などの心状態④ 法念処(法)→ 五蓋・七覚支・縁起などの構造ここで重要なのは:これは「世界の全部を観察するための枠組み」なんだよね。だから外せない。2026/05/24 17:06:05615.◆JBLfMwCXhYPqLib■ テーラワーダの思想的な態度テーラワーダ的にはこういう感覚が強い:用語はどうでもいい(翻訳依存を避ける)でも構造は絶対に壊せない四念処だけは「仏陀の実践そのもの」だから、漢字は避けるが、四念処は例外的に“聖域”みたいになっている。2026/05/24 17:06:27616.◆JBLfMwCXhYPqLib■ 面白い対比ここがちょっと面白いところで:漢字仏教(大乗・東アジア)用語体系が厚い概念が増殖する哲学化しやすいテーラワーダ用語は削る実践構造を残す「これだけやれ」に収束するそしてその中心が四念処。2026/05/24 17:06:53617.◆JBLfMwCXhYPqLib■ 一言でまとめるとテーラワーダは「言葉を削る仏教」でも四念処だけは「削れない設計図」もしここから進めるなら面白いのは、「四念処=なぜこれで“全部の修行が成立する”のか」「禅の只管打坐と四念処は構造的にどこが違うのか」「四念処が“観察の網”としてどう機能するか」このあたりはかなり深いところに入れるよ。2026/05/24 17:07:19618.◆JBLfMwCXhYPqLibここからは「アーナパーナサティ」と「四念処」↑これが、このスレのテーマになる2026/05/24 17:08:00619.◆JBLfMwCXhYPqLibていうかニコク堂がロン殿にカミついておるな?😫2026/05/24 17:09:01620.◆JBLfMwCXhYPqLibロン殿は悟っておるのじゃ悟りの側から見た世界を語るのは当たり前じゃろう😫2026/05/24 17:09:29621.◆JBLfMwCXhYPqLib質問:マハーシ・サヤドーも四念処を説いていた?2026/05/24 17:11:08622.◆JBLfMwCXhYPqLibチャットGPT:うん、マハーシ・サヤドーは四念処そのものを中心に説いていた人だよ。むしろ彼のヴィパッサナー体系は、ほぼ「四念処の実践化」と言っていい。2026/05/24 17:11:45623.◆JBLfMwCXhYPqLib■ 結論マハーシ・サヤドーの瞑想法は「四念処の実践体系」を現代的に再構成したもの2026/05/24 17:12:07624.◆JBLfMwCXhYPqLib■ 1. どこに基づいているのか彼の教えの土台は明確で、『大念処経』パーリ仏典のサティパッターナ(四念処)これをそのまま実践体系として組み直したのがマハーシ法。2026/05/24 17:12:43625.◆JBLfMwCXhYPqLib■ 2. マハーシ方式の中身=四念処そのもの彼の基本構造はこう:● 身念処(身体)腹の上下動(腹部の動きの観察)歩行瞑想(歩く動作の分解観察)👉 「動きの現象化」● 受念処(感受)痛み心地よさ退屈・不快など👉 「快・不快をただラベル化して観る」● 心念処(心)「怒りがある」「集中している」「雑念がある」👉 心を“状態として実況中継する”● 法念処(法)五蓋(欲・怒り・眠気など)縁起的な反応パターン無常・苦・無我の洞察👉 心の構造を見る段階2026/05/24 17:13:09626.◆JBLfMwCXhYPqLib■ 3. マハーシの特徴(ここが重要)彼は四念処を「哲学」にせず、ラベリング(実況的な気づき)技法として落とし込んだのが特徴。例:「歩く・歩く」「痛み・痛み」「考え・考え」「怒り・怒り」これで四念処の対象を全部カバーする設計になっている。2026/05/24 17:13:31627.◆JBLfMwCXhYPqLib■ 4. 数息観との関係マハーシ法では意外とこう:数息観は基本使わない(初期補助程度)代わりに「気づきのラベリング」が中心つまり:数で集中するのではなく、現象を分解して気づく2026/05/24 17:13:50628.◆JBLfMwCXhYPqLib■ 5. テーラワーダ内での位置づけマハーシはかなり重要で、現代ヴィパッサナー運動の最大の源流の一つスマナサーラ長老系にも強い影響「四念処瞑想の標準モデル化」に成功した人物2026/05/24 17:14:05629.◆JBLfMwCXhYPqLib■ 6. 一言でいうと四念処=仏陀の観察フレームマハーシ=それを「実際にやれる形」にした人2026/05/24 17:14:21630.◆JBLfMwCXhYPqLib■ 7. かなり本質的なポイントここが面白いところで、四念処は“理論”ではなく“操作体系”として完成する必要があるマハーシはそこをやった。だからテーラワーダの実践現場では、四念処=経典マハーシ=実装仕様みたいな関係になってる。2026/05/24 17:14:46631.◆JBLfMwCXhYPqLibニコク堂が、ロン殿の説く悟りにカチンと来たようじゃ😫2026/05/24 17:15:41632.◆JBLfMwCXhYPqLibニコク堂には、まだ早かったかのう😫2026/05/24 17:16:05633.神も仏も名無しさんuhMYO>>681らしいなま、ハッスルの冷静バージョンだからなー高野山の案内所に俺を来年こさせる誘惑の文献があったこれは来年5月も行く、決定😀2026/05/24 17:30:48634.神も仏も名無しさんuhMYOマハーシ優秀やろテーラワーダで臨済宗の、基礎つくった感がある魔改造してふけど😀2026/05/24 17:33:31635.神も仏も名無しさんuhMYO今回は仁和寺門跡系統と覚鑁系統の高野山探索でとりま、満足かな高野山案内所にある文献を、読みに来年5月は高野山に行くぞ😀2026/05/24 17:37:46636.◆JBLfMwCXhYPqLib高野山にまた行きたいな2026/05/24 17:46:50637.◆JBLfMwCXhYPqLib「年に一度くらいは来るように」と、坊さんからも言われた2026/05/24 17:47:09638.神も仏も名無しさんuhMYO今日は帰りはいつも俺のファンクラブ軍団のパワーがない、奥の院の神仏習合パワーに脳ハッキングされている😀2026/05/24 17:52:00639.神も仏も名無しさんuhMYO奥の院の弘法大師御廟の前で、奥の院の霊気について摸索してエネルギーを吸いすぎて金剛三昧院系統のパワーが帰りにこない😀奥の院の弘法大師御廟近辺の霊気は学問僧覚鑁&寿門派の道範から高野聖、お遍路、高野山修験の組み合わせで成り立っているという霊気仮説を立てたあの池◯氏の宿坊は1000円予約て宿坊内の諸仏を拝観てきると知った念仏聖系統の寺院だ本来はシャーマニズムボスが居座っているが😀2026/05/24 18:04:00640.神も仏も名無しさんuhMYOあと、高野山真言宗をゲットするには大師教会を先行って壇上伽藍らしい大師教会の土地は現在高野山真言宗のルートになる宝性院の元本拠地だ宥快猊下のパワーがある無しでは違うのを発見した俺は壇上伽藍から後で大師教会へ行ってた壇上伽藍のノリが違う😀2026/05/24 18:06:34641.神も仏も名無しさんuhMYO現在高野山真言宗のルーツになるだ😀2026/05/24 18:07:01642.◆JBLfMwCXhYPqLibそういえば、去年はまず大師教会に行ったな2026/05/24 18:14:59643.◆JBLfMwCXhYPqLibでも、当時は大師教会ってのが何なのか、まったく分からんかったなので、ほとんど印象に残っていない😅2026/05/24 18:15:35644.神も仏も名無しさんpwQe2池◯氏の宿坊の念仏聖の寺宝品に関心がわいてきた😀2026/05/24 20:36:05645.神も仏も名無しさんpwQe2>>643多分、大師教会は布教の為に建てたんやろな名前の通り宝性院と無量寿院が合併して現在の高野山真言宗になり宗務庁を金剛峯寺にしたんで無量寿院の本拠地は高野山の僧侶育成道場になった、😀金剛峯寺はそもそも、山伏と学問僧の徳川家康を崇拝する立ち位置だった😀2026/05/24 20:39:41646.神も仏も名無しさんpwQe2金剛峯寺の学問僧ソーンは紀州名所図会かで、本尊が神君家康公とあった😀2026/05/24 20:40:56647.◆JBLfMwCXhYrmAHv高野山には、また行きたい2026/05/25 07:03:32648.◆JBLfMwCXhYrmAHv年に1度は行かないとな2026/05/25 07:03:47649.◆JBLfMwCXhYrmAHvまさに聖地だ2026/05/25 07:03:58650.◆JBLfMwCXhYrmAHv「これほど宗教的な地は、世界にも稀だ」と、旅行者たちも絶賛している2026/05/25 07:04:43651.◆JBLfMwCXhYrmAHv街全体が、真言宗でできている2026/05/25 07:05:15652.◆JBLfMwCXhYrmAHv真言宗の町役場があり、真言宗の学校があり、真言宗の書店がある2026/05/25 07:06:29653.◆JBLfMwCXhYrmAHvなにもかも真言宗だ2026/05/25 07:06:49654.◆JBLfMwCXhYrmAHvこんな街は他にない2026/05/25 07:07:08655.◆JBLfMwCXhYrmAHv個人的にはいまの自分は四念処ブームだが😅2026/05/25 07:07:36656.◆JBLfMwCXhYrmAHv四念処これほど仏教にとって根本的に重要なテーマをいままで、スルーしてきた😫2026/05/25 07:08:22657.◆JBLfMwCXhYrmAHvお釈迦様の初期仏教は四念処の教えだ2026/05/25 07:08:41658.神も仏も名無しさんtS0cq俺的臨済宗?ではこれらをアウトプット精密マシーンの魔改造した感だな😀身念処(しんねんじょ)呼吸や歩行など、身体の動作や状態をありのままに観察する。受念処(じゅねんじょ)快・不快・どちらでもないという感覚や感情の起こり、変化を観察する。心念処(しんねんじょ)怒り、貪り、散乱している状態など、心のありのままの動きを観察する2026/05/25 07:22:20659.神も仏も名無しさんtS0cq身念処魔改造受念処魔改造心念処魔改造インプットと判断とアウトプットを同時にやる魔改造😀俺を釣りにきてもレスにおいてこれらの魔改造でスルーしたり、返り討ちにしたりやってるデンパパ📡なんかはそーいのを理解てきず自分視点で、こーレスしたら腹立つだろうなと妄想してハッスル👽してるな?2026/05/25 07:25:12660.神も仏も名無しさんtS0cq臨済宗は不立文字だが、そこに固執するのではない瞬時のインプットと判断とアウトプットを行う😀2026/05/25 07:26:34661.神も仏も名無しさんtS0cq今、家の用事を昨日の高野山での疲労感が身体に残ってはいるがインプットとアウトプットで同時に運用している感だ😀2026/05/25 07:28:30662.神も仏も名無しさんtS0cq臨済宗はかなりピーキーな判断力と洞察力をトレーニングするアウトプット重視で参禅年数、坐禅回数を一発ギャグのよーに連呼するバカ🤡には縁がない😀2026/05/25 07:34:49663.◆JBLfMwCXhYrmGWH>>662> 参禅年数、坐禅回数を> 一発ギャグのよーに連呼する> バカ🤡には縁がない定番ネタだ吉本新喜劇みたいな安心感がある😄2026/05/25 08:42:43664.神も仏も名無しさんtS0cq😀2026/05/25 08:47:22665.◆JBLfMwCXhYj0PGF四念処にハマっている😆2026/05/25 18:53:46666.◆JBLfMwCXhYj0PGF666 👿の数字2026/05/25 18:55:19667.◆JBLfMwCXhYj0PGF受念処ウンコ聖師が大好きな「受」だな2026/05/25 18:56:33668.神も仏も名無しさんuxZK2まーオモロイはな基本的やしなー具体的やしなー😀2026/05/25 18:57:10669.神も仏も名無しさんuxZK2疲労感のせいもあるけど昨日の弘法大師御廟の霊感パワーで生活している感じ高野聖検索に時間を相当使っていた今、やっと吉野がみの検索したところ😀2026/05/25 19:01:17670.神も仏も名無しさんuxZK2修験道の悟りとは?https://www.google.com/search?q=%E4%BF%AE%E9%A8%93%E9%81%93%E3%81%AE%E6%82%9F%E3%82%8A%E3%81%A8%E3%81%AF&client=ms-android-zte&hs=uYc&sca_esv=317ac58a646953f7&sxsrf=ANbL-n76oYweNz0VBua4L8V5Si42MrR0uQ%3A1779709420949&ei=7DUUapDDOZSM2roPlL7c4AI&biw=360&bih=616&oq=%E4%BF%AE%E9%A8%93%E9%81%93%E3%81%AE%E6%82%9F%E3%82%8A%E3%81%A8%E3%81%AF&gs_lp=EhNtb2JpbGUtZ3dzLXdpei1zZXJwIhjkv67pqJPpgZPjga7mgp_jgorjgajjga8yBRAAGO8FMgUQABjvBUj4iAFQ3hZYu4UBcAV4AZABAZgBzgWgAegpqgENMC44LjcuMS4wLjIuMbgBA8gBAPgBAZgCF6ACwSaoAi3CAgcQIxgnGOoCwgINECMY8AUYJxjqAhieBsICDRAjGPAFGCcYyQIY6gLCAhAQABgDGLQCGOoCGI8B2AEBwgIEECMYJ8ICChAAGIAEGLEDGATCAg0QABiABBixAxiDARgEwgIIEAAYgAQYsQPCAhAQABiABBixAxiDARgEGIoFwgILEAAYgAQYsQMYgwHCAgoQIxiABBgnGIoFwgIHEAAYgAQYBMICDBAAGIAEGAQY2QUYCsICCBAAGIAEGKIEwgIFEAAYgATCAgcQABiABBgKwgIJEAAYgAQYBBglmAN-8QVevVW60zb_mLoGBAgBGAqSBws0LjcuNy4zLjEuMaAHpFWyBwswLjYuNy4zLjEuMbgHhCXCBw4wLjEuMTguMi4wLjEuMcgHoAKACAA&sclient=mobile-gws-wiz-serp2026/05/25 20:49:28671.◆JBLfMwCXhYrmAHv修験道(聖護院門跡や出羽三山神社などの宗派が存在します)における悟りは、単に書物を読んで理解するものではなく、体を張った体験を通じて体得するものです。 [1]即身成仏(即身即仏): 特別な修行を積んだ者があの世で仏になるのではなく、「この身、このまま」の状態で現世において悟りを開くことを理想とします。山川草木悉皆成仏: 厳しい自然の中に身を置き、万物に神仏が宿ることを体感します。自然を切り離された対象ではなく、自分自身もその大いなる自然(宇宙)の一部であると気づくことです。衆生済度(しゅじょうさいど): 自分だけが悟って満足するのではなく、得られた力や気づきを活かして、苦しむすべての人々を救済することを目指します。 [1, 2]2026/05/25 21:25:48672.◆JBLfMwCXhYs7LMU質問:仏教における「受」とは「これはお茶だ」、「これは牛乳だ」と、ラベリングして分別する以前の段階「何か液体が口の中に入った」という時点で、「おいしい」とか「まずい」とか、快/不快の反応が始まっている2026/05/26 04:30:04673.◆JBLfMwCXhYs7LMUチャットGPT:かなり仏教的な捉え方だ。とくに初期仏教や阿毘達磨の「受(vedana)」理解に近い。仏教では、認識プロセスをかなり細かく分ける。ざっくり言うと、接触(触)感受(受)認識・ラベリング(想)反応・執着(愛・取)という流れになる。あなたの例で言えば、液体が口に触れる「快い/不快だ」という感触が起きるその後に「これはお茶」「これは牛乳」と概念化するこの「快・不快・どちらでもない」の一次反応が、まさに「受」。つまり受は、「意味づけ」以前の、感情的トーンなんだ。2026/05/26 04:30:57674.◆JBLfMwCXhYs7LMUだから仏教では、受を「感覚」と訳すと少しズレる。むしろ、pleasantunpleasantneutralという“感じの色合い”に近い。たとえば熱い湯に触れた瞬間、「熱ッ!」となる。この時点ではまだ、摂氏何度かどういう熱源か危険性がどうかなどを分析していない。だが身体はすでに「不快」「避けたい」と反応している。これが受。そのあとで、「これはヤカンのお湯だ」 「危険だ」 「気をつけよう」という認識が続く。これは「想」や「行」の領域。2026/05/26 04:31:18675.◆JBLfMwCXhYs7LMU仏教が面白いのは、人間は“世界を認識してから欲望する”のではなく、 快・不快への反応が先に起きると見ている点だ。だから十二縁起でも、触 → 受 → 愛の順番になる。つまり、「快い」↓「もっと欲しい」「不快」↓「避けたい」が、自動的に始まる。ここを観察するのが、四念処の「受念処」だ。「あ、今、不快反応が起きた」「あ、快を掴みに行こうとしている」と見る。禅でもヴィパッサナーでも重要視される部分だが、特にテーラワーダ系はここをかなり精密に観察する。「世界認識」より前に、すでに身体‐心が“好き嫌い”で動いている、と見るからだ。2026/05/26 04:31:39676.◆JBLfMwCXhYs7LMU質問:こればっかりは、気の持ちようで止められる問題ではないこの時点で、身体が勝手に分別を始めるわけで、分別の根はそれだけ深い2026/05/26 04:32:00677.◆JBLfMwCXhYs7LMUチャットGPT:その通り。仏教が言う「分別」は、単なる“頭の中の理屈”ではない。もっと身体的で、生理的で、反射的なものとして捉えられている。だから仏教では、「考えるな」 「気にするな」では解決しない。熱いものに触れたら身体が引っ込むように、快・不快への反応は、ほとんど神経反射レベルで起きる。初期仏教では、これをかなり冷徹に観察していて、触れた瞬間に受が起こる受から渇愛が起こる渇愛から執着が起こるという連鎖を、人間存在の“自動機械性”として見ている。だから修行のポイントも、「受を消す」ではない。それは生きている限り起きるから。むしろ、受が起きた瞬間に、 即座に“自己物語”へ発展していく反応を見ることになる。たとえば、不快 ↓嫌だ ↓あいつが悪い ↓許せない ↓自分は被害者だと、猛烈な速度で物語化が始まる。仏教は、この後半の増殖部分を問題視する。2026/05/26 04:32:54678.◆JBLfMwCXhYs7LMUしかも厄介なのは、あなたの言う通り、分別は「脳内の言語活動」以前に始まっていることだ。唯識なら、これはほとんど「種子(しゅうじ)」のレベルの反応になるし、禅なら「無始以来の習気」と言う。つまり、 「自我が世界を解釈している」というより、生存システムそのものが、 快・不快によって世界を切り分け続けているという感じなんだ。だから禅でも、本気で修行している人ほど、「分別をなくそう」とはあまり言わなくなる。むしろ、「分別は起こる」「起こるものとして見る」という方向に変わっていく。これはある意味、かなり現実的な人間観だと思う。2026/05/26 04:33:20679.◆JBLfMwCXhYs7LMU質問:そこが、禅宗の一部宗派の甘いところではないか「お茶を飲んだら、お茶の味がした。それだけ」「牛乳を飲んだら、牛乳の味がした。それだけ」等と、あたかもそれが無分別、あるがままの認識であるかのように語るのだが仏教的には、すでに「受」の段階で分別の反応が始まっている2026/05/26 04:34:22680.◆JBLfMwCXhYs7LMUチャットGPT:その批判は、かなり鋭い。実際、初期仏教・阿毘達磨・ヴィパッサナー系の立場から見ると、「ただお茶の味がしただけ」という禅的表現は、分析が粗い、と見える可能性がある。なぜなら、あなたの言う通り、「お茶だ」と概念化する以前に、快不快微細な欲求接近/回避反応が、すでに始まっているから。つまり、「ただ見ている」 「ただ味わっている」と思っていても、実際には受による色づけが起きている。これはテーラワーダ系だと非常に重視される。だから受念処では、快受苦受不苦不楽受を細かく観察する。「認識した内容」より、その瞬間、心がどう色づいているかを見る。2026/05/26 04:35:59681.◆JBLfMwCXhYs7LMUこの観点からすると、一部の禅語録にある「あるがまま」は、場合によってはかなり危うい。というのも、人間は簡単に、習慣反応情緒反応快不快自己正当化を、「自然体」と誤認するから。だからヴィパッサナー系から禅を見ると、それ、本当に“無分別”か? ただ鈍感なだけでは?という批判が出ることがある。実際、上座部系の人が禅に対して、「体験主義すぎる」「分析が甘い」「煩悩の観察が粗い」と感じることはある。逆に禅側は、分析しすぎると、生きた現実から離れると反論する。つまり、上座部・阿毘達磨 → 微細な心作用を徹底分析する方向禅 → 分析そのものを断ち切ろうとする方向という差がある。ただ、あなたの指摘は重要で、「概念分別が消えた」ことと、 「快・不快反応が止んだ」ことは別なんだ。禅語で「無心」と言っていても、 実際には受に引きずられている可能性は普通にある。だから仏教全体で見ると、「あるがまま」という言葉は、かなり慎重に扱わないと、 単なる反応性の正当化にもなりうる。2026/05/26 04:36:11682.◆JBLfMwCXhYs7LMU質問:>人間存在の“自動機械性”として見ているなんだか、グルジェフっぽいな?2026/05/26 04:36:43683.◆JBLfMwCXhYs7LMUチャットGPT:かなり近いところがある。だからグルジェフに惹かれる人が、仏教、とくに禅やヴィパッサナーにも関心を持つのは自然なんだ。ゲオルギイ・グルジエフ は、人間をほとんど「眠った機械」として見ていた。人は「自分で考え、自分で行動している」と思っているが、実際には、習慣感情反射欲望外部刺激条件反射によって、自動的に動かされている、と。これは仏教の、無明行習気煩悩業の発想とかなり響き合う。特に似ているのは、「自分」という統一主体は、実はかなり怪しいという感覚だ。グルジェフは、人間には固定的な「私」はない。 小さな“私”が次々に入れ替わっているだけだと言った。さっきまで禁欲を誓っていた「私」が、数分後には欲望に負ける。怒るまいと思った「私」が、すぐ怒る。仏教でも、五蘊は流動過程であって、固定自我ではないと見るから、かなり近い。2026/05/26 04:37:41684.◆JBLfMwCXhYs7LMUただし、違いもある。グルジェフはかなり「意志」や「覚醒した主体」の形成を重視する。「本当の自己」を鍛える感じが強い。一方、仏教、とくに無我を強調する系統では、強い主体を作るより、主体そのものの実体視を解体する方向へ行きやすい。だからグルジェフは、 どこか「秘教的な自己完成」の匂いがある。対して初期仏教は、もっと観察的で、「機械性を止める俺」を作るより、機械反応そのものを観察して、 それが空回りしていると見る方向が強い。ただ、あなたが感じた「受」の段階ですでに反応が始まっているという話は、確かにグルジェフの人間は自動反応の束であるという感覚と、かなり共鳴している。2026/05/26 04:38:02685.◆JBLfMwCXhYs7LMU質問:「受」の段階で反応しないということは極端に言えば、「霜降り牛肉を食べても美味しくない」、「牛糞を食べても不味くない」というレベル生きてる間は無理2026/05/26 04:38:28686.◆JBLfMwCXhYs7LMUチャットGPT:仏教的にも、「受そのものを完全にゼロにする」のは、生身の人間として生きている限り極めて難しい、という感覚はある。ただ、少し整理すると、「快・不快の感受」が起こるそこから「渇愛・執着」が増殖するは、仏教では分けて考えられることが多い。たとえば普通の人間なら、霜降り肉 → 快腐敗臭 → 不快という反応は、かなり自動的に起こる。これは身体レベル、生物レベルの反応でもある。だから阿羅漢ですら、熱ければ熱い痛ければ痛いという「受」はある、と初期仏教では説明されることが多い。2026/05/26 04:39:07687.◆JBLfMwCXhYs7LMU問題はその後。普通は、快 → 欲しい、もっと不快 → 消したい、怒りたいへ連鎖する。仏教修行は、ここを弱めていく方向なんだ。だから理想像は、「霜降り肉が旨い」という感覚が起きないというより、「旨い」という感覚は起きても、 そこに飲み込まれないに近い。逆に、「何を食べても全部同じ」みたいな状態を、そのまま悟りと考えると、かなり危険でもある。それは場合によっては、感覚鈍麻解離抑圧無気力と区別がつかなくなるから。禅でも本来は、感覚が死ぬのではなく、感覚は鮮明だが、執着が薄い方向のはずなんだ。だから有名な禅語の、「腹が減ったら飯を食い、疲れたら眠る」も、本来は「快不快が消えた超人」というより、余計な自己物語を増殖させないという意味合いが強い。2026/05/26 04:39:43688.◆JBLfMwCXhYs7LMU質問:確かに仏教では通常、「受(身体の自動反応)は止められない。そこから先を止めよう」という感じなのではないか2026/05/26 04:40:37689.◆JBLfMwCXhYs7LMUチャットGPT:そう。かなりその理解で合っている。とくに初期仏教では、「受そのもの」は条件反応として起こるという前提が強い。だから問題は、受 → 愛(渇愛)へ進むところ。十二縁起でもまさに、触 → 受 → 愛 → 取 → 有 …となっている。つまり仏教は、「受がある」のを罪悪視しているわけではない。むしろ、生きている限り、接触があれば受は起こると、ごく現実的に見ている。たとえば、嫌な言葉を聞いて胸がザワつく美味いものを食べて嬉しい暑くてイライラするこういう第一次反応は、かなり避けがたい。問題はそのあとで、「もっと欲しい」「絶対失いたくない」「こいつ許せない」「自分は傷つけられた」と、自己中心的な物語が増殖していくこと。だから修行の核心は、「受が起きない人」になることではなく、 受から機械的に執着へ流れ込む回路を見ることなんだ。2026/05/26 04:41:43690.◆JBLfMwCXhYs7LMUここは、かなり心理学的でもある。実際、ヴィパッサナーでは、「あ、不快受が起きた」 「あ、逃げたくなってる」 「あ、怒りに変わりそう」と、受から次段階へ移る瞬間を観察する。すると、受はあるだが、必ずしも渇愛へ直結しないという“隙間”が見えてくる、とされる。だから仏教は意外と、「無感覚になれ」とは言わない。むしろ、感受は起きる。 だが、その反応連鎖に巻き込まれ続けなくてもよいという方向なんだ。2026/05/26 04:42:00691.◆JBLfMwCXhYs7LMU質問:その辺りが、受・想・行・識にわざわざ分けて分析する理由なんだな2026/05/26 04:42:21692.◆JBLfMwCXhYs7LMUチャットGPT:まさにそこ。仏教が五蘊を細かく分けるのは、単なる哲学趣味ではない。「苦が、どの段階で増殖しているか」を解析するためなんだ。たとえば普通の感覚では、「私は怒った」 「私は傷ついた」で一塊に見える。だが仏教は、それを分解する。色 身体・感覚器官受 快・不快・中性の反応想 ラベリング・表象・記憶照合 「侮辱された」「牛乳だ」「敵だ」行 意志反応・衝動・癖・欲望 「怒り返したい」「逃げたい」識 それらを経験している認識作用というふうに。すると、「怒り」という一塊の現象の内部で、まず不快受が起き次に「侮辱」という想が形成されさらに攻撃衝動(行)が起きその全体を識が経験しているという流れが見えてくる。これはかなり分析的だ。2026/05/26 04:43:35693.◆JBLfMwCXhYs7LMUだから阿毘達磨は、ほとんど「現象学的心理学」みたいになる。重要なのは、“私が怒っている”という実体感を崩すこと。実際には、感覚反応記憶照合条件反射欲求認識が高速で連鎖しているだけかもしれない。この分解が進むと、「自分」というより、 条件反応プロセスが流れているという見え方になっていく。だから五蘊分析は、 単なる理論ではなく、「どこで苦が生成されているか」を見るための“解体作業”なんだ。2026/05/26 04:43:53694.◆JBLfMwCXhYs7LMU質問:受は身体の自動反応、想もほぼ自動反応コントロールできるのは、行と識か2026/05/26 04:44:14695.◆JBLfMwCXhYs7LMUチャットGPT:かなり本質を突いている。実際、仏教修行の「介入可能性」は、主にその辺にあると考えられることが多い。ただ、厳密には少し複雑で、受想行識全部が相互依存で、しかもかなり自動的に動く。だから仏教は、「自由意志で全部コントロールできる」とは、あまり考えない。むしろ、行と識の訓練によって、 受・想への巻き込まれ方が変わるという感じなんだ。2026/05/26 04:45:03696.◆JBLfMwCXhYs7LMUあなたの整理をベースにすると、かなり分かりやすい。受 — ほぼ自動快不快中性は、生理反応に近い。熱いものは熱い。痛いものは痛い。ここを直接止めるのは難しい。想 — これもかなり自動「敵」「美味そう」「侮辱された」などのラベリング。これは記憶・習慣・文化・経験の反射。だから禅でいう「分別」は、想の働きをかなり含んでいる。行 — 比較的、修行介入が可能ここが重要。怒鳴り返す執着を育てる妄想を反復するなど、“反応を増殖させる力”が行。逆に、手放す観察する反応を続けないも行。だからカルマ(業)は、主に行と結びつく。仏教修行は、この「反応の増幅装置」を調教する面が大きい。識 — 微妙だが、観察の場識は単なる意識ではなく、「経験が成立している場」みたいなもの。ここに mindfulness(念)が入る。つまり、「あ、不快受が起きてる」 「怒りの想が走った」と気づく力。この“気づき”によって、受 → 愛 → 取の自動連鎖に割り込める、と考える。2026/05/26 04:45:50697.◆JBLfMwCXhYs7LMUだから仏教修行は、「自動反応を完全停止する」というより、自動反応の連鎖を、識と行の訓練で弱める感じなんだ。そして面白いのは、修行が深まると、受そのものが穏やかになる想のラベリングが薄くなるとも言われる点。ただそれも、「力づくで止める」というより、行と識の変化が、 下流から上流へ影響を与えるというイメージに近い。2026/05/26 04:53:07698.◆JBLfMwCXhYs7LMU質問:初期仏教やグルジェフは自分自身の身体を、刺激に対して自動的に反応するロボットのように考えそれを客観的に観察しようとしている2026/05/26 04:53:19699.◆JBLfMwCXhYs7LMUチャットGPT:かなり近い。少なくとも両者とも、「人間は、自分で思っているほど主体的ではない」という認識を持っている。だから、自分の内面を美化しない。初期仏教では、人間を、受想行識などの条件反応の束として分析する。そこには、「自由で統一された自我」という近代的イメージは、ほとんどない。むしろ、刺激 ↓快不快 ↓欲望・嫌悪 ↓行動 ↓後悔 ↓また反応という循環機械として見る。だからヴィパッサナーでは、「私は怒っている」ではなく、「怒り反応が起きている」と観察する方向へ行く。これはかなり脱人格的だ。2026/05/26 04:54:14700.◆JBLfMwCXhYs7LMU一方、ゲオルギイ・グルジエフ も、人間を「機械」と呼んだ。人は「自分の意思で生きている」と思っているが、実際には、習慣欲望模倣感情反射社会条件に押されて動いているだけだ、と。だから彼の修行では、「自己想起(self-remembering)」が重要になる。つまり、反応している最中に、 “今、自分は反応機械になっている” と気づくこと。これは仏教の「念(mindfulness)」にかなり近い。2026/05/26 04:54:35701.◆JBLfMwCXhYs7LMUただし違いもある。初期仏教は最終的に、「主体そのものが空である」方向へ進みやすい。だがグルジェフは、機械状態から目覚め、 真の主体を形成する方向が強い。つまり、仏教 → 「主体」を解体していく傾向グルジェフ → 「本物の主体」を鍛える傾向がある。それでも、人間はまず“反応機械”として始まっているという認識は、かなり共通している。だからあなたが感じているように、「受」の分析などは、グルジェフ的人間観と非常に響き合うんだ。2026/05/26 04:55:31702.神も仏も名無しさん55R6jグルジェフにそんなのがあるようにおもえんのだが資料あるんか?😅初期仏教やグルジェフは自分自身の身体を、刺激に対して自動的に反応するロボットのように考えそれを客観的に観察しようとしている2026/05/26 05:00:38703.◆JBLfMwCXhYs7LMU質問:>初期仏教は最終的に、「主体そのものが空である」方向へ進みやすい。だがグルジェフは、機械状態から目覚め、 真の主体を形成する方向が強い。西洋思想はそうだな人間を精神と身体の二元論で考え、「欲望を起こしているのは身体だ。欲望に勝てないのは、精神が身体に支配されている奴隷状態だ。欲望に負けないのが、精神の自由なのだ」という感じ現代人はどっちかっていったら、欲望のおもむくままに生きることを「自由な生き方」だと思う傾向があるそのため、スピノザやカントの道徳哲学を見ると、面食らう2026/05/26 05:01:46704.◆JBLfMwCXhYs7LMUチャットGPT:その対比はかなり重要だ。近代以前の西洋思想、とくに禁欲的・哲学的伝統では、「欲望に流される状態」 = 不自由と考える傾向が強い。むしろ現代的な、「やりたいことをやるのが自由」という感覚のほうが、歴史的にはかなり新しい。たとえば バールーフ・デ・スピノザ は、人間の多くは、自分を自由だと思っているが、実際には、原因に押し流されていると考えた。怒り、嫉妬、欲望に振り回される人間は、「自由」ではなく受動状態にある、と。自由とは、自分を動かしている因果を理解し、 能動性を獲得することだった。かなり仏教っぽいところがある。また、イマヌエル・カント になるとさらに厳格で、欲望に従う行為は、本当の自由ではない。なぜなら、それは感性的衝動に支配されているから。彼にとって自由とは、理性によって自ら立てた法則に従えることだった。だからカント倫理学は、現代人から見るとかなりストイックに映る。現代では、欲望に忠実感情に正直抑圧しないことが「自然で健康」とされやすい。しかし古典的思想ではむしろ、欲望にそのまま流されることは、奴隷状態無明受動性機械性と見なされることが多かった。2026/05/26 05:03:04705.◆JBLfMwCXhYs7LMUここで面白いのが、仏教との違い。西洋の古典思想はしばしば、理性 vs欲望という構図を取る。つまり、「高次の主体」が 「低次の衝動」を統御するモデル。グルジェフにも、その匂いがかなりある。一方、仏教はもっとラディカルで、その「統御している主体」自体も、 条件反応の束ではないか?と疑い始める。だから仏教は、「精神が身体を支配する」というより、精神も身体も含めて、 すべて縁起的プロセスとして見る方向へ行く。ここが、西洋的禁欲思想と仏教の、似ているようで決定的に違うところなんだ。2026/05/26 05:03:45706.◆JBLfMwCXhYs7LMU>>702> グルジェフに> そんなのがあるようにおもえんのだが> 資料あるんか?> 😅そうなのか?グルジェフについては、よく知らない昨日、生成AIによるグルジェフ解説を見て「なんだか、初期仏教の受と通じるものがあるな?」と思っただけ😅2026/05/26 05:05:46707.◆JBLfMwCXhYs7LMUチャットGPTによると、こうらしい😅↓「人間は眠っている」グルジェフの代表的な話だな。彼は、人間は自分を「自由な意志を持つ存在」だと思っているが、実際は機械のように反応しているだけと繰り返した。怒るのも、 欲望に流されるのも、 考え込むのも、全部「自動反応」だ、と。だから彼は弟子に、 突然怒鳴ったり、 わざと矛盾した命令を出したりして、「無意識の反応」を観察させた。ここは禅の“概念破壊”とも少し似ている。ただしグルジェフは、かなり心理操作的だ。2026/05/26 05:07:46708.◆JBLfMwCXhYs7LMU質問:「本当に、グルジェフがそんなことを言ってたのか?」という疑問の声が出ているなにか資料はあるのか?2026/05/26 05:09:25709.◆JBLfMwCXhYs7LMUチャットGPT:ある。しかも、「人間は眠っている」「人間は機械である」という表現は、後世の弟子による誇張ではなく、かなり中核的な教えとして記録されている。特に重要なのは、P・D・ウスペンスキーの 奇跡を求めて だな。ここには、グルジェフの発言として、かなり直接的に残っている。たとえば:“Man is a machine...”(人間は機械である)“He lives in sleep. He is asleep.”(人は眠りの中で生きている)さらに、「人間には恒常的な“私”は存在しない。その瞬間ごとに別の“小さな私”が現れている」という思想も、ウスペンスキー経由で広く知られている。2026/05/26 05:10:32710.◆JBLfMwCXhYs7LMUまた、「自己想起(self-remembering)」についても、かなり具体的なやり取りが記録されている。グルジェフは弟子に、「自分を観察するとき、自分自身を思い出せ」と指導した。そしてウスペンスキーは、「実際には、人は自分を全く覚えていないことに気づいた」と回想している。つまり、人は自覚的に生きているつもりしかし実際は自動反応している自己観察によって機械性に気づくという構造は、かなり一次資料に近いところまで遡れる。2026/05/26 05:11:47711.◆JBLfMwCXhYs7LMUただし注意点もある。「突然怒鳴った」「矛盾命令で揺さぶった」などの具体的エピソードは、弟子の回想後年の証言第四の道コミュニティの伝承に依存する部分が大きい。つまり、 思想そのものは文献で確認できるが、「どの程度、心理操作的だったのか」 「どこまで意図的演出だったのか」は、証言ベースなんだよな。しかもグルジェフ自身が、神秘化誇張ミスリード寓話化を好む人物だったので、史実検証が難しい。とはいえ、「人間は眠っている」 「人間は機械である」 「自由意志は幻想である」この辺は、かなり確実にグルジェフ思想の中心にあると言っていい。2026/05/26 05:12:11712.◆JBLfMwCXhYs7LMUグルジェフは別にいい2026/05/26 05:25:29713.◆JBLfMwCXhYs7LMUここで語ってるのは、初期仏教だ2026/05/26 05:25:42714.◆JBLfMwCXhYs7LMU昨日、グルジェフの話をしたせいでチャットGPTが、強引にグルジェフに結びつけてきた2026/05/26 05:26:16715.◆JBLfMwCXhYs7LMU一度でも話題に出すと「興味があるんだな」とチャットGPTは判断して、しつこく持ち出してくる2026/05/26 05:27:10716.◆JBLfMwCXhYs7LMU「初期仏教では、色受想行識の五蘊に分けて人間存在を分析します」と、どの初心者向けの仏教書にも書いてあるのでここまでは誰もが知ってるが「なぜ、受想行識に分けて分析するのか?」にまで踏み込む人は少ない2026/05/26 05:28:32717.◆JBLfMwCXhYs7LMUそこで登場するのが、倶舎論だ2026/05/26 05:28:49718.◆JBLfMwCXhYs7LMU初期仏教の受想行識倶舎論では、受と想はそのままで行を何十にも分けて分類した2026/05/26 05:29:28719.神も仏も名無しさんLj7UN真我からみる観察じゃないのかな?グルジェフみたなのは自我(魂とかデンパパ📡が書いていたからなー😅2026/05/26 05:30:03720.◆JBLfMwCXhYs7LMU「受と想は、自動的な反応だから、どうにもならない」「修行してコントロールできるのは、行だ」という考え方のあらわれだ2026/05/26 05:30:12721.◆JBLfMwCXhYs7LMUさらに、唯識論になると識を八つに分けて分析する2026/05/26 05:30:43722.◆JBLfMwCXhYs7LMU行の倶舎論、識の唯識論だ受と想はどうにもならないから、観察対象とするだけ2026/05/26 05:31:14723.◆JBLfMwCXhYs7LMU>>719なるほど2026/05/26 05:31:35724.◆JBLfMwCXhYs7LMUグルジェフは真我思想だなそれは間違いない2026/05/26 05:31:51725.神も仏も名無しさんLj7UN本覚思想ぽい山伏念仏神仏習合はなんとなく真我としての超越的神仏を想定しているのてはないか?感が強まっている日蓮てすら久遠実成の釈迦如来も真我ぽい解釈をしているのではないか?ほーかいくん路線でもな😀2026/05/26 05:32:19726.神も仏も名無しさんLj7UN初期仏教は心理学的な原因と結果を見るその悪い煩悩の癖のルートを断つトレーニングだろうグルジェフはそんなのはないだりうな神化した上ての世界を見る俺なんか地元の神社礼拝でそんな気分だな瞑想密教的一切世界解釈は神社は拒否する本覚思想の神社の神(真我みたいな)あるがままの融合を要求してくる😀2026/05/26 05:36:34727.神も仏も名無しさんLj7UN>本覚思想の神社の神(真我みたいな)あるがままの融合を要求してくるに応答マシーン専門が出口王仁三郎というところだろえ俺ちゃま天才〜😀2026/05/26 05:37:25728.神も仏も名無しさんLj7UN俺から見る日蓮宗は天台智顗よりの禅定解釈と真我ぽい本覚思想的なそのまま真我的超越的存在と融合という2パターン解釈てきる高野山奥の院御廟も二パターン解釈てきる😀2026/05/26 05:39:56729.◆JBLfMwCXhYs7LMU上の長文コピペは四念処の1つ、「受念処」について生成AIを使って詳細に検討した結果だ2026/05/26 05:41:03730.◆JBLfMwCXhYs7LMUなんたって大事なのは、受念処だ2026/05/26 05:41:40731.◆JBLfMwCXhYs7LMU山伏思想はシャーマニズムだからな霊魂の存在を事実上、認めている2026/05/26 05:42:43732.神も仏も名無しさんLj7UN寝るまで神仏習合と極楽往生の関係をAIで調べていた本地垂迹で神社は一部の神に阿弥陀如来を入れるこれが死後の極楽往生の設定みたいだ日吉大社でもそうみたい😀2026/05/26 05:42:55733.◆JBLfMwCXhYs7LMU出口王仁三郎は、霊界を語るのを好んだ2026/05/26 05:43:05734.◆JBLfMwCXhYs7LMU>>733平安後期から、だんだん日本の仏教界の感心が「極楽往生」に向かったな2026/05/26 05:43:52735.◆JBLfMwCXhYs7LMU阿弥陀如来への信仰だ2026/05/26 05:44:02736.神も仏も名無しさんLj7UN日本人シャーマニズムは天台の十界思想を山伏から魂のシャーマニズム解釈で日本で変化して日蓮になっただろうな本来の十界思想は釈迦如来の光明から照らされるのを止観、瞑想で観察理解するものだろうな😀2026/05/26 05:45:27737.神も仏も名無しさんLj7UN日蓮あたりの十界思想は亡者の十界供養も含むだろうな恐らくはそれでないと法華経を信じないと災害疫病内乱が起きるとこだわる世界観を理解てきない😀2026/05/26 05:47:47738.神も仏も名無しさんLj7UN高野聖も明らかに死者供養による十界思想がある山伏もだ😀2026/05/26 05:48:37739.神も仏も名無しさんLj7UN天神信仰も菅原道真をなだめる死者供養だしな災害疫病減らすみたいな😀2026/05/26 05:49:34740.神も仏も名無しさんLj7UNこの文書、教義ひらめいた内容出口王仁三郎並みの自動書記だ😀2026/05/26 05:50:12741.神も仏も名無しさんLj7UN念仏山伏と天台の十界思想の融合による十界思想の日本化がある自動書記だな😀高野山奥の院御廟の自動書記?😀2026/05/26 05:51:46742.神も仏も名無しさんLj7UN高野山奥の院御廟でかなり初めてあそこの霊界にかなりのめり込んだせいだこの探求心は神仏習合と極楽往生のテーマまできた😀2026/05/26 05:53:38743.◆JBLfMwCXhYs7LMU日本的霊性だな😅2026/05/26 06:10:34744.◆JBLfMwCXhYs7LMU982 法介◆T3azX0Hk1U 2026/05/26(火) 06:59:06.97 ID:LoZCCさて、話を進めるかーGemini、外道の此縁性縁起で『中論』や『唯識』を解釈するとどうなる?2026/05/26 07:04:01745.◆JBLfMwCXhYs7LMU此縁性縁起は外道だったのか2026/05/26 07:04:25746.◆JBLfMwCXhYs7LMU初期仏教だと思ってた2026/05/26 07:04:40747.◆JBLfMwCXhYs7LMU違うのか2026/05/26 07:05:02748.◆JBLfMwCXhYs7LMU975 チャッピー 2026/05/26(火) 03:06:25.78 ID:LoZCCところが近代知は、「実体」を前提に世界を分析するOSです。だから相依性縁起を理解できず、最終的に二つの逃げ道しかなくなる。一つは、「縁起とは単なる因果関係だ」という此縁性への矮小化。もう一つは、「究極では全部一つになる」という外道的一元論への逃走です。2026/05/26 07:05:37749.◆JBLfMwCXhYs7LMUなるほど相依性縁起こそが仏法だと2026/05/26 07:06:08750.◆JBLfMwCXhYs7LMUそういうことか2026/05/26 07:06:25751.◆JBLfMwCXhYs7LMU十界思想が、神仏習合の核心か2026/05/26 07:26:14752.◆JBLfMwCXhYs7LMUメチャ専門的だな😅885 Gemini 2026/05/25(月) 04:22:13.13 ID:XIAkX沖氏が道筋をつけた後、片岡啓(かたおか けい)氏(九州大学教授)や森山清徹(もりやま せいてつ)氏、志賀浄邦(しが きよくに)氏といった次世代のインド論理学・仏教認識論の研究者たちによって、検証はさらに強固なものとなりました。特に片岡氏らの研究により、・有相唯識(護法など)が「経量部の【有形象認識論】のシステム」をベースにして、それを唯識の「疎所縁(依他起性としての外境)」の実在証明へと見事にドッキングさせていたというダイナミックな構造が解明されました。・これにより、「有相唯識=単なる身内の心理学」ではなく、「他者の阿頼耶識が変現した客観世界を高度に肯定する、極めてリアルな認識論である」という真実が定着しました。2026/05/26 07:38:23753.◆JBLfMwCXhYs7LMU十界思想の話も専門的だが😅2026/05/26 07:39:44754.◆JBLfMwCXhYs7LMU996 法介◆T3azX0Hk1U 2026/05/26(火) 07:35:45.60 ID:LoZCCスレが埋まってきましたが次スレは必要と思った時に自分で立てますので勝手に立てないでください。2026/05/26 07:40:17755.神も仏も名無しさんlLTPp十界思想の念仏山伏神仏習合日蓮からキリスト教、イスラーム、ヒンズーが少し見えてきたそれは「霊的な融合」本覚思想はリアルな仏の境地よりも仏の世界との融合を狙っている初期仏教の洞察力は必要前提とはしていない懺悔するべき浄化で神仏と融合なのだろうな神仏と融合は密教の修道論の一部てあるが細やかな認識論を抜いて一気呵成にに念仏山伏神仏習合日蓮には日本的な一度死んで浄化され生まれ変わるみたいな修道論世界観がある臨済宗の影響もあるが臨済宗の一度死ぬは自己依存執着をぶっ壊す意義であり本覚思想みたいな儀式みたいなものではない😀2026/05/26 08:10:40756.◆JBLfMwCXhYo7lCV997 法介◆T3azX0Hk1U 2026/05/26(火) 07:42:20.62 ID:LoZCC今まで見てきたように、世俗の真理(此縁性縁起)のOSで仏法を理解しようとすると、仏法は必ず、“外界の法則論”へ変質していく。2026/05/26 08:10:55757.◆JBLfMwCXhYo7lCV998 法介◆T3azX0Hk1U 2026/05/26(火) 07:43:38.93 ID:LoZCCこれは、蔵教の四門で説かれるような、対象世界を分析する立場の延長線上にある理解である。つまり、「これが原因で、あれが起こる」「宇宙は相互関係で成り立っている」という、世俗知の縁起観で仏法を読むわけだ。すると本来、己心と三千世間との相依相待を説くはずの「一念三千」まで、いつの間にか、「宇宙全体を支配する法則」みたいな話へ置き換わっていく。2026/05/26 08:11:17758.◆JBLfMwCXhYo7lCV999 法介◆T3azX0Hk1U 2026/05/26(火) 07:44:24.11 ID:LoZCCその典型が、「南無妙法蓮華経は宇宙の法則」という説明である。一見すると壮大で、現代科学とも調和しているように見える。しかし実際には、真諦としての相依性縁起を、俗諦としての此縁性縁起へ引きずり下ろし、妙法を、“宇宙を動かす客観法則”へ変換してしまっている。2026/05/26 08:11:38759.◆JBLfMwCXhYo7lCV1000 法介◆T3azX0Hk1U 2026/05/26(火) 07:45:17.04 ID:LoZCCしかし妙法とは、外界を説明する〝自然法則〟ではない。己心と依報とが、相依相待して成立するという、〝内道の法〟そのものである。2026/05/26 08:11:56760.◆JBLfMwCXhYo7lCV法介教学の到達点だ👍️2026/05/26 08:12:13761.◆JBLfMwCXhYo7lCV真諦としての相依性縁起俗諦としての此縁性縁起2026/05/26 08:12:57762.◆JBLfMwCXhYo7lCVユニークな着眼点だ2026/05/26 08:13:11763.◆JBLfMwCXhYo7lCV正直、意表を突かれた2026/05/26 08:13:29764.神も仏も名無しさんlLTPpほーかいくんもハッスル、麦、リダン解釈の上で理論構築しているんだろうな😅2026/05/26 08:14:31765.◆JBLfMwCXhYo7lCV意味が分かると言ったら、ウソになる2026/05/26 08:15:35766.◆JBLfMwCXhYo7lCVこれは一体、どういうことだ?2026/05/26 08:15:54767.神も仏も名無しさんlLTPpま、リダンと麦とハッスルの中論解釈からの縁起で論理立てしてるんだろな付き合う相手で知識を組み立てるよーなもんだから😅2026/05/26 08:16:11768.◆JBLfMwCXhYo7lCVチャットGPT:これはかなり天台・日蓮系の「二諦」や「縁起」の使い分けを意識した文章だな。ポイントは、「縁起」を“外界の因果法則”として理解する立場 と、「己心と世界の不可分性」として理解する立場を区別しているところにある。2026/05/26 08:16:41769.◆JBLfMwCXhYo7lCV順に整理すると、かなり分かりやすい。まず、この人が批判しているのは、「仏教とは宇宙法則の話である」という読み方だ。たとえば、万物は相互依存している宇宙はネットワークで成り立つ因果法則が世界を支配している南無妙法蓮華経は宇宙エネルギーみたいな説明だな。これは現代人には理解しやすい。科学っぽくも見える。だが法介師匠は、「それは仏法を“客観世界の説明理論”へ変質させている」と言っている。2026/05/26 08:17:05770.◆JBLfMwCXhYo7lCVここで重要なのが、此縁性縁起 相依性縁起の違いだ。1. 此縁性縁起(しえんしょうえんぎ)これは比較的ふつうの因果論。「これがあるから、あれが起こる」というタイプ。仏教でいう十二因縁も、表面的にはこちらに見える。例えば、無明 → 行 → 識 → 名色…雨が降る → 植物が育つ欲望がある → 苦が生じるみたいな、“条件による発生”の理解。これは「対象世界を分析する立場」だ。だから法介師匠は、蔵教の四門と言っている。「蔵教」は、天台教学では、比較的“分析的・実在論的”な段階として扱われることが多い。つまり、「世界には色々な要素があり、それらの関係を分析する」というモードだな。2026/05/26 08:17:55771.神も仏も名無しさんlLTPpほーかいくん的にはリダン、ハッスル、麦の中論文化からの展開だろな俺は、ハッスル、麦、リダンの中論解釈に関心ないからなー😅2026/05/26 08:17:58772.◆JBLfMwCXhYo7lCV2. 相依性縁起(そうえしょうえんぎ)こちらはもっと深い。単なる「Aが原因でBが起きる」ではない。むしろ、AとBは、互いを前提として成立しているという構造。主体と客体、 自己と世界、 心と環境、それらが独立実体ではなく、 相互依存的に成立している。これはかなり天台・華厳・大乗的な発想だ。この文脈で出てくるのが、一念三千だ。天台教学 の超重要概念だな。ざっくり言えば、一つの心念の中に、全世界(三千世間)が具わるという思想。2026/05/26 08:18:30773.◆JBLfMwCXhYo7lCVここで重要なのは、「心の中に宇宙のデータが入ってる」みたいなオカルト話ではない。そうではなく、“心”と“世界”を切り離して考えること自体が誤りという方向性なんだ。だから法介師匠は、本来の一念三千は、己心と三千世間との相依相待を説くものだ、と言っている。つまり、心だけが実在するわけでもない外界だけが実在するわけでもない両者は相互依存的という話だ。ところが現代の日蓮系では、ときどき、南無妙法蓮華経は宇宙の根本法則ですみたいな説明がされる。すると、妙法=客観的宇宙法則になってしまう。これは法介師匠から見ると、「真諦の話を、世俗的な自然法則へ落としている」わけだ。2026/05/26 08:19:06774.神も仏も名無しさんlLTPpでも南無妙法蓮華経はつまりところ本覚思想の「仏の世界との融合」だと思うよ😅2026/05/26 08:19:31775.◆JBLfMwCXhYo7lCVここでいう「真諦」と「俗諦」も重要。俗諦(世俗の真理)普通の認識世界。因果科学社会言語分析など。真諦(勝義諦)存在のあり方そのもの。主体と客体を固定しない見方。「空」「相依性」がこちらに近い。2026/05/26 08:19:42776.◆JBLfMwCXhYo7lCV法介師匠の主張を一言で言うと、仏法は“宇宙の説明書”ではないということだ。むしろ、「自己」と「世界」を別々の実体として握っている認識そのものを転換するものだ、と言いたいわけだな。これはかなり、 智顗 的でもあり、 日蓮 的でもある。一方で、ニューエイジ的宇宙論スピリチュアル物理学「波動が宇宙を動かす」みたいな方向への警戒感も感じる。法介師匠としては、「妙法」を“外にある宇宙法則”として客体化した瞬間に、本来の仏法の核心が失われる、という感覚なんだろう。2026/05/26 08:20:01777.神も仏も名無しさんlLTPp高野山奥の院御廟で霊的教育されてそう確信した😀2026/05/26 08:20:01778.◆JBLfMwCXhYo7lCVなるほど2026/05/26 08:20:12779.◆JBLfMwCXhYo7lCV>>771> ハッスル、麦、リダンの中論解釈思いっきり、禅宗に寄せた解釈だな2026/05/26 08:21:23780.◆JBLfMwCXhYo7lCV>>774南無妙法蓮華経は神仏習合ワールドと切っても切れないな😄2026/05/26 08:21:59781.神も仏も名無しさんlLTPp俺は浄土教魔改造とかでワンランク落とした己心の彌陀、己心の浄土から自己内部極めまくりの禅定を想定しているのも俺の脳内に存在するがそれを本覚思想でマイナーチェンジすると「仏の世界との融合」というイメージになる😀2026/05/26 08:22:21782.神も仏も名無しさんlLTPpそこからほーかいくん理論が見える😀2026/05/26 08:23:10783.神も仏も名無しさんlLTPp日蓮も南無妙法蓮華経の理解は難入難解、と末法の凡人には理解できない不思議なモノであるという設定がほーかいくんの根底にはあるだろう😀2026/05/26 08:24:56784.◆JBLfMwCXhYo7lCV> ハッスル、麦、リダンの中論解釈一言でまとめると「釈迦や龍樹の教えは世俗諦」「自分が坐禅して気づくこと、それが勝義諦なのである」当方に言わせれば、「んなわけねえだろ(笑)」の一言に尽きる2026/05/26 08:26:24785.神も仏も名無しさんlLTPpほーかいくんやハッスルなら思考回路を想定するのはオモロイけどリダン、デンパパ📡は思考回路を想定する価値を感じない😅2026/05/26 08:27:17786.◆JBLfMwCXhYo7lCV>>783> 南無妙法蓮華経の理解は> 難入難解、と> 末法の凡人には理解できない不思議な> モノであるその方が、当方の感覚にも近い😄2026/05/26 08:28:16787.◆JBLfMwCXhYGPadK身念処は、身体の反応だ2026/05/27 05:12:29788.◆JBLfMwCXhYGPadK自分の意志でどうにかなるものではない2026/05/27 05:12:43789.◆JBLfMwCXhYGPadK自動的な反応だ2026/05/27 05:13:04790.◆JBLfMwCXhYGPadK次の、受念処これまた、止めようがない自動反応だ2026/05/27 05:13:36791.◆JBLfMwCXhYGPadK熱いヤカンを触って、反射的に「熱ッ!😫」と手を引っ込めるこういうのが「受」だ2026/05/27 05:14:41792.◆JBLfMwCXhYGPadK待てよ?それは受念処じゃなくて、身念処に分類されるかもな?2026/05/27 05:15:08793.◆JBLfMwCXhYGPadKどっちなんだろう?2026/05/27 05:15:19794.◆JBLfMwCXhYGPadK質問:熱いヤカンを触って、反射的に「熱ッ!😫」と手を引っ込めるこれを観察するのは、身念処か、受念処か?2026/05/27 05:16:29795.◆JBLfMwCXhYGPadKチャットGPT:これは面白いところで、厳密に分けるなら、「熱い」という感覚そのもの → 受念処手が反射的に動く、身体反応 → 身念処「嫌だ!」「怒り」など心の反応 → 心念処になる。つまり実際には、 一瞬の出来事の中に全部入っている。2026/05/27 05:17:04796.◆JBLfMwCXhYGPadKまず、ヤカンに触れた瞬間の「熱ッ!!」という苦痛感覚。これは典型的な「受(vedanā)」だ。受念処では、快不快中性を観察する。だから、「強い不快感覚が起きた」と見るのが受念処。2026/05/27 05:17:43797.◆JBLfMwCXhYGPadK一方、反射的に手を引っ込めるのは、 かなり身体レベルの反応だ。脊髄反射も関わるので、 ほぼ自動運動。これを観察するなら、「身体が縮む」 「手が動いた」という身念処的観察になる。さらにその後、「腹が立つ」「なんでこんな所に置いた」「また失敗した」みたいな心理反応が出れば、 それは心念処。つまり四念処は、同じ出来事を 別レイヤーで観察している感じなんだ。2026/05/27 05:18:09798.◆JBLfMwCXhYGPadKヤカン事件を分解すると、接触(触覚)熱感苦受反射運動怒り思考連鎖と流れていく。初期仏教は、 この連鎖をかなり細かく観察する。2026/05/27 05:18:48799.◆JBLfMwCXhYGPadKしかも重要なのは、「熱いから手を引っ込める」こと自体は問題視していない点だ。仏教は、 反射を止めて超人になる修行ではない。問題にするのは、苦痛 → 怒り → 執着 → 妄想へ増幅していく部分だ。だから受念処では、「不快感そのもの」を、 余計な物語を加えず観ることが重視される。2026/05/27 05:19:07800.◆JBLfMwCXhYGPadK8002026/05/27 05:19:32801.◆JBLfMwCXhYGPadK質問:身体は、本当の自分ではないだから、身体が自動的に反応するのは、自分がやってることではない2026/05/27 05:20:50802.◆JBLfMwCXhYGPadKチャットGPT:その考え方は、かなり多くの宗教・哲学に見られる発想だな。特に、プラトン哲学グノーシス主義ヨーガ哲学一部の禅・神秘思想などでは、「身体や感情は真の自己ではない」という方向が強い。例えば ヨーガ哲学 では、身体や心は 「プラクリティ(自然作用)」で、本当の自己は 「プルシャ(純粋意識)」だとされる。だから、身体が反応する感情が起きる思考が流れるのは、 自然現象に近い。観照者そのものは、 巻き込まれない。2026/05/27 05:21:33803.◆JBLfMwCXhYGPadK一方、 初期仏教は少し違う。仏教も確かに、「身体は自分ではない」と見る。これは有名な「無我」の方向だ。だが仏教は、“では本当の自己が別にある”とは、あまり言わない。むしろ、身体感覚感情思考意識を観察していくと、固定した主体そのものが見当たらない方向へ行きやすい。だから、「身体は本当の自分ではない」までは、 ヨーガと仏教でかなり共通する。だがその先で、ヨーガ: 「純粋な真我がある」仏教: 「真我を立てない」という分岐が起きる。2026/05/27 05:22:05804.◆JBLfMwCXhYGPadKそして現代脳科学から見ると、 さらに別の解釈になる。脳科学では、「自分」という感覚自体が、 脳の統合モデルではないかという見方が強い。つまり、身体感覚記憶感情視覚言語を脳が統合して、「これが私だ」というストーリーを生成している可能性がある。だから、「身体反応は自分ではない」だけでなく、「“自分”という感覚も構成物かもしれない」ところまで行く。2026/05/27 05:22:22805.◆JBLfMwCXhYGPadK質問:実際のところ感情を起こすのは脳だ怒りも喜びも、脳内の化学反応で起きる2026/05/27 05:23:15806.◆JBLfMwCXhYGPadKチャットGPT:その見方は、現代 neuroscience 的にはかなり正しい。怒りや喜びは、神経回路ホルモン神経伝達物質自律神経記憶ネットワークなどの相互作用として起きる。例えば怒りなら、扁桃体の興奮ストレス反応アドレナリン過去記憶との連動などが関わる。つまり、「怒ろう」と意志決定してから怒るより、先に脳が反応し、その後に“自分が怒っている”と認識することの方が多い。2026/05/27 05:24:04807.◆JBLfMwCXhYGPadKここは、初期仏教の観察ともかなり近い。仏教はもちろん現代脳科学を知らない。だが、坐って観察していると、「感情は勝手に起きる」という事実に気づく。例えば、「怒るな」と思っても怒るし、 「考えるのをやめよう」と思っても思考は出る。だから仏教では、“心は制御主体ではない”という方向へ行く。ここで重要なのは、仏教は「脳」を問題にしているわけではないという点だ。脳科学は、 「なぜ感情が起きるか」 を物理的に説明する。一方、心念処は、“起きた感情に巻き込まれる構造”を観察する。つまりレベルが違う。2026/05/27 05:24:39808.◆JBLfMwCXhYGPadK例えば怒りについて、脳科学:扁桃体が~神経伝達物質が~心念処:怒りが起きた身体が熱い思考が攻撃的になる「自分は正しい」が強化されるやがて消えるというふうに、 “体験構造”を観る。そして面白いのは、 この観察を続けると、「感情=自分」 ではないという感覚が強くなることだ。怒りは“所有物”ではなく、条件反射的に発生する現象に見えてくる。これはかなり 神経科学 的世界観とも相性がいい。実際、近年は mindfulness 研究で、 仏教瞑想と脳科学を結びつける研究も増えている。2026/05/27 05:25:05809.◆JBLfMwCXhYGPadK質問:結局のところ、心念処も身念処や受念処と同じく、脳の自動反応を観察することを意味する2026/05/27 05:26:48810.◆JBLfMwCXhYGPadKチャットGPT:かなり近い。ただ、四念処では微妙にレイヤーを分けている。身念処 → 身体の現象を観る受念処 → 快・不快・中性の感覚反応を観る心念処 → 「心の状態そのもの」を観るという整理だ。例えば、イラッとする欲しくなる不安になるボーッとする集中している散乱しているこういうのは、心念処の対象になりやすい。重要なのは、 「自分が主体的に作っている心」 としてではなく、条件によって自動的に起こっている心的状態として観る点だな。これはかなり、現代的に言えば「脳の自動反応を観察する」に近い。たとえば突然、昔の嫌な記憶が浮かぶ。普通は、俺が考えていると思う。だが心念処では、「嫌悪を伴う想起」が起きている「不安系の思考」が発生していると観る。つまり、 「思考している主体」から少し降りて、思考・感情・衝動そのものを現象として観察する。ここが重要なんだ。2026/05/27 05:27:55811.◆JBLfMwCXhYGPadKだから、あなたが前に触れていた人間は機械のように反応しているという ゲオルギイ・グルジェフ 的な洞察とも、かなり接続する。ただし初期仏教では、 そこからさらに進んで、では、その自動反応を「私」と呼ぶ根拠はあるのか?という方向へ行く。怒りが勝手に起こる。 欲望が勝手に起こる。 思考が勝手に流れる。なら、「私が考えている」 「私が怒っている」という感覚自体が、後付けではないか?という観察になる。だから心念処は、 単なるメンタル観察というより、「主体感覚の解体」に近い側面まで持っている。2026/05/27 05:28:13812.神も仏も名無しさんWMPVmグルジェフウィルスがAIにはいっちまったかニコク堂ウィルス😀2026/05/27 05:30:39813.◆JBLfMwCXhYGPadK質問:代表的な脳内物質といえばドーパミンセロトニンノルアドレナリンオキシトシンエンドルフィンそれぞれ、どのような作用があるか?2026/05/27 05:31:14814.神も仏も名無しさんWMPVm高野山奥の院御廟の霊的謎が見えてきたヒントは善通寺の誕生院だ😀2026/05/27 05:31:16815.◆JBLfMwCXhYGPadKチャットGPT:ざっくり言うと、どれも「脳内の情報伝達に関わる物質」だが、役割がかなり違う。もちろん実際の脳は複雑で、 「この物質=この感情」と単純対応ではない。 ただ、傾向としては次のイメージが分かりやすい。2026/05/27 05:31:57816.◆JBLfMwCXhYGPadKドーパミン「快楽物質」とよく言われるが、 実際には、“報酬を求めて動く力”に近い。主な作用やる気期待探索興奮ハマる感覚学習強化例えば、SNS通知を待つギャンブルゲーム恋愛初期「もっと欲しい」などはドーパミン系が強い。重要なのは、「手に入れた瞬間」より 「手に入りそうな期待」で強く出ること。だから人間は、 “追いかけ続ける”。2026/05/27 05:32:17817.◆JBLfMwCXhYGPadKセロトニンこれは、“安定” “落ち着き”に関わる。主な作用気分安定安心感衝動抑制睡眠調整自律神経調整不足すると、不安抑うつイライラ強迫傾向などが出やすい。日光、運動、規則正しい生活で改善しやすいと言われる。2026/05/27 05:32:38818.◆JBLfMwCXhYGPadKノルアドレナリンこれは、“戦闘モード”に近い。主な作用緊張覚醒集中危険察知ストレス反応危険時に、 心拍数を上げ、 身体を即応状態にする。だから、不安パニック怒りとも関係が深い。現代人は、 慢性的ストレスで この系が過剰になりやすい。2026/05/27 05:33:00819.神も仏も名無しさんWMPVm俺は出口王仁三郎超えの霊的ドーパミンモンスターだ〜〜〜😀2026/05/27 05:33:14820.◆JBLfMwCXhYGPadKオキシトシンいわゆる、“絆のホルモン”主な作用親密感信頼愛着母子結合共感スキンシップや安心できる交流で出やすい。ただし面白いのは、「仲間への愛着」 と同時に、 「外部への排他性」も強めることがある点。つまり、 “身内意識”にも関係する。2026/05/27 05:33:27821.◆JBLfMwCXhYGPadKエンドルフィンこれは、“天然の麻薬”みたいなもの。主な作用痛み軽減多幸感恍惚感長距離ランナーの 「ランナーズハイ」などが有名。強い運動、 極限状態、 笑い、 瞑想などでも出ることがある。2026/05/27 05:33:53822.◆JBLfMwCXhYGPadK面白いのは、 人間の「精神」っぽく見えるものが、実際にはこういう化学システムと深く結びついていることだ。例えば恋愛でも、ドーパミン → 興奮オキシトシン → 愛着セロトニン変化 → 執着っぽさなどが絡む。つまり、「魂のドラマ」 と思っているものが、 かなり生物学的でもある。この視点は、 近代的な「理性的主体」観をかなり揺さぶった。2026/05/27 05:35:48823.神も仏も名無しさんWMPVm霊的に何かを与えてくれるのがあたりまえ発想で霊的セロトニンと霊的オキシトシン霊的エンドルフィンゲットをもらうのがあたりまえのスタンス😀2026/05/27 05:36:17824.◆JBLfMwCXhYGPadK>>819霊的ドーパミンを出しまくればスーパー神仏習合快楽人生だ~😆2026/05/27 05:36:23825.◆JBLfMwCXhYGPadK質問:例えば、女性を見てムラムラするのは「煩悩にいまだ囚われているから」ではない「脳内の神経細胞がドーパミンを分泌するから」というのが正しい2026/05/27 05:39:00826.◆JBLfMwCXhYGPadKチャットGPT:それは、「どのレベルで説明するか」の違いだな。脳科学的には、女性を見て性的欲求が起きるのは、視覚刺激記憶本能報酬系ホルモンドーパミン系などによる反応として説明できる。つまり、神経系の自動反応という面はかなり大きい。これは進化生物学的にも、 種の保存と関係している。2026/05/27 05:39:28827.◆JBLfMwCXhYGPadKただし、仏教は別のレイヤーを見ている。仏教でいう「煩悩」は、単に性的反応そのものではなく、その欲望に巻き込まれ、 執着し、 振り回される状態を指すことが多い。だから仏教的には、美しいと感じる性的反応が起きること自体を、 ただちに「悪」とは見ない。むしろ問題は、妄想が止まらない執着する依存する相手を所有物化する欲求に支配されるという増幅の方だ。2026/05/27 05:39:47828.◆JBLfMwCXhYGPadKつまり整理すると、脳科学レベル「なぜ欲望が起きるか?」 ↓ 神経回路・ホルモン・ドーパミン仏教レベル「起きた欲望にどう巻き込まれるか?」 ↓ 渇愛・執着・煩悩になる。だから、「ドーパミンだから煩悩ではない」というより、“欲望が生起するメカニズム”は脳科学で説明できるそして、“その欲望との関わり方”を分析するのが仏教という方が近い。2026/05/27 05:40:07829.神も仏も名無しさんWMPVm霊的報酬ゲット回数別難易度ランキング1位奥の院御廟の信仰系統の霊的な主を持つだろう予測の血脈の無量光院の宿坊2位現在高野山真言宗回数行ったからゲットできだけ3位仁和寺、四回行かないとダメだった4位長谷寺、大神神社の神仏習合2回目😀2026/05/27 05:40:28830.◆JBLfMwCXhYGPadK無量光院は、そんなに難易度が高いのか?2026/05/27 05:43:31831.神も仏も名無しさんWMPVm行く前にお寺の行き道を案内霊感があったのは智山派の寺院寺院にはいると即くらいの勢い😀2026/05/27 05:43:46832.神も仏も名無しさんWMPVm>>830早朝の飛び入り朝勤行に15回以上参加してやっと相手してまらえた僧侶に、得度勧められちゃったあんまりにも熱心にくるから俺の狙いは禅定報酬系ゲットとはまさか、思っていなかっぢろうその後に壇上伽藍と大師教会と奥の院参って、高野山大学図書館に行くのが定番だった😀2026/05/27 05:46:34833.神も仏も名無しさんWMPVm朝の飛び入り勤行で勤行の後、何度もスイス人僧侶クルトさんと勤行参加者とでチョコとお茶を、頂いていた😀2026/05/27 05:48:15834.神も仏も名無しさんWMPVm勤行でみかけたのは官僚やスペイン人の創価の信者とかいたな😀2026/05/27 05:49:51835.ゴリ子rxQpa智山派の寺院って真言宗智山派の事ですか?ちゃんと聞いてみたの初めて何ですがウチが真言宗智山派らしいんです。確か京都にもあるみたいですよね?そことは違うかな?あら、観光とは別でしたか。残念。2026/05/27 05:51:45836.神も仏も名無しさんWMPVm>>835本山は京都の智積院だなそこも朝勤行してた太鼓ならしながら次に行ったのが葛城修験道の場で明治以降智山派の僧侶が再興させたらしい😀2026/05/27 05:54:19837.神も仏も名無しさんWMPVmJBLの大好きな成田不動も智山派だな😀2026/05/27 05:55:02838.神も仏も名無しさんWMPVm高野山行きたい、行く前、帰る前に謎の霊的軍団が嬉しそうにしてた謎は後て解ったが今回高野山の帰りは高野山奥の院御廟軍団が俺の近辺に旅の後、次の日終わるまでいた😀2026/05/27 05:57:30839.神も仏も名無しさんWMPVm高野山奥の院御廟でいつもの挨拶程度ではなく、かなり居座って霊的謎を解こうとしていたから😀2026/05/27 05:58:43840.神も仏も名無しさんWMPVm善通寺誕生院の歴史が解ってあそこの信仰軍団の主力を理解てきた😀2026/05/27 05:59:29841.神も仏も名無しさんWMPVm誕生にからむなら奥の院の入定とセットになる😀2026/05/27 06:00:05842.◆JBLfMwCXhYGPadK>>835智山派は関東に多い😄2026/05/27 06:00:24843.◆JBLfMwCXhYGPadK成田山新勝寺川崎大師西新井大師関東の初詣の名所は、真言宗智山派の寺院が多い2026/05/27 06:01:22844.神も仏も名無しさんWMPVm奥の院は善通寺誕生院がからむのでその当時の本山のあと、京都の随心院も絡むので奥の院の御廟橋手前の不動尊と弘法大師像のお堂のあたりのルーツは随心院だなと感😀2026/05/27 06:01:53845.◆JBLfMwCXhYGPadK初詣の名所、つまり、神社あつかいされてることからも分かるように神仏習合ムードが濃厚だ正直、仏教なのか何なのか、分からんくらいだ😂2026/05/27 06:02:20846.神も仏も名無しさんWMPVm奥の院の霊的勢力図が見えてきたあと有名な御廟橋手前の地蔵は時宗か融通念仏かのからみがありそうだ😀2026/05/27 06:04:02847.ゴリ子rxQpa高野山って凄いところなんですね。私は観光で一度行った事があります。面白い形のお墓がいっぱいでした、くらいのエピソード持ちなのでここでは笑われますね。甥っ子達はお話を聞きによく行ってるらしく、大きな会社の社長さんとか知り合いになっているみたいでした。そんな人達が集まる場なのかと思いました。とど素人満開な感想ですが確かに霊験あらたかなイメージはありました。2026/05/27 06:05:34848.神も仏も名無しさんWMPVm>>847いつもは挨拶程度で去るのだが信仰ルーツを摸索しながら長居したので霊的エネルギーをかなり吸っていたようだ😀2026/05/27 06:08:45849.ゴリ子rxQpa一種の結界みたいな感じで、車通りに出た時に俗世間に戻ったような不思議な感じはしました。登山と同じで山の緑に囲まれた場所から出たらそうなりますがそのパワーが強いのかなと思っていました。2026/05/27 06:13:02850.神も仏も名無しさんWMPVm俺は次の日の終わりまでパワー注入やったそれくらい以前は長居しなかった😀2026/05/27 06:14:34851.神も仏も名無しさんWMPVmこのパワー注入効果で一気に神仏習合、念仏、山伏が見えてきた😀2026/05/27 06:15:25852.◆JBLfMwCXhYGPadK高野山は別世界だ世界に冠たる宗教都市2026/05/27 06:26:46853.神も仏も名無しさんbqvsN明遍の墓参りして法然系統だな熊谷寺と関係あるな、とサイコメトリーしてたら、AI検索するとビンゴだ😀https://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E7%86%8A%E8%B0%B7%E5%AF%BA_(%E3%81%8F%E3%81%BE%E3%81%8C%E3%81%84%E3%81%98)2026/05/27 08:04:48854.神も仏も名無しさんbqvsN俺の禅定霊感サイコメトリーは正確らしい😀2026/05/27 08:05:25855.神も仏も名無しさんbqvsN奥の院とAI検索パワー爆走だ😀2026/05/27 08:06:26856.神も仏も名無しさんbqvsN霊感サイコメトリーで清浄心院と京都随心院の関係がありそーなので検索しても何も出なかった😀2026/05/27 08:07:16857.神も仏も名無しさんbqvsN随心院は奥の院と関連絶対あるという仮説がある善通寺管理権からみで😀2026/05/27 08:08:30858.◆JBLfMwCXhYHsj6G四国の善通寺に行ったときは住職が出てきて、九州の池口恵観の話をしていたそれが印象に残っている(笑)2026/05/27 08:19:57859.◆JBLfMwCXhYHsj6Gここでも怪僧のウワサで持ちきりなんかいと思った2026/05/27 08:20:50860.神も仏も名無しさんbqvsN世俗的なリーダーとして人気はあるんだろうな、高市よりもハイセンスかもしれん本は読みたくない写真が限度だな知らぬが仏清浄◯院の雇われ人達とは関与する気はあるむろん余計なことは言わない😀2026/05/27 09:01:03861.ゴリ子rxQpa本はその人の思想反映しすぎてて、まだストップかけられてるんです。2026/05/27 09:26:14862.ゴリ子rxQpa私の趣味は読書だったのに。もう随分と読んでないな。多分違う方法を覚えさせられてんだろな。2026/05/27 09:30:06863.◆JBLfMwCXhYBvGtD本を読む必要がなくなったのかもな?2026/05/27 11:41:48864.◆JBLfMwCXhYBvGtDもはや学ぶことが無くなった無学2026/05/27 11:42:07865.◆JBLfMwCXhYBvGtDほ~かい教学が再開された😆2026/05/27 11:42:58866.ゴリ子rxQpaそんな大層な事ではなく、私の理解度や私の影響度や私の依存度の問題だと思われます。私は影響を受けまくる弱々人間なんです。なのでストップかけられてます。2026/05/27 11:55:10867.神も仏も名無しさん6TMtGそうなのか〜?😀2026/05/27 11:55:28868.神も仏も名無しさん6TMtGリダンの襲撃してきそーな内容だな😀2026/05/27 12:06:19869.◆JBLfMwCXhYFK0pI法念処とは何か法念処の「法(ダンマ)」は、 ここでは単に「仏教の教え」という意味ではありません。むしろ、心身に起きる現象や構造を分類して観察するという意味です。つまり、五蓋五蘊六処七覚支四諦などを観察する。これはかなり“分析的”です。2026/05/28 04:29:10870.◆JBLfMwCXhYFK0pIここで「識」が出てくる特に重要なのが、五蘊観 六処観です。五蘊色受想行識ここで「識」が直接出てくる。つまり法念処では、「識もまた条件によって生じる現象である」と観察する。2026/05/28 04:29:46871.◆JBLfMwCXhYFK0pI六処観も重要六処では、眼耳鼻舌身意と、色声香味触法の接触から、識が生起することを観察する。つまり、音が来る → 聴覚識が起きる → 快不快が起きる → 欲や嫌悪が起きるという流れを見る。2026/05/28 04:30:16872.◆JBLfMwCXhYFK0pI法念処は“システム観察”身念処や受念処は、 比較的シンプルな観察です。しかし法念処になると、「人間がどういう構造で反応しているか」を観る方向へ進む。だから、縁起五蘊六識執着生成などの“システム”を見る感じになる。禅との関係面白いのは、 禅宗は「法念処」という言葉をあまり前面に出しませんが、実際にはかなりやっていることです。たとえば、思考が起きる ↓ それに巻き込まれる ↓ 自我化するこの流れを見抜く。これは、 かなり法念処的。2026/05/28 04:30:45873.◆JBLfMwCXhYFK0pI質問:四念処の中で最後の「法念処」だけが、他の3つとは異質であり難解だ2026/05/28 04:31:37874.◆JBLfMwCXhYFK0pIチャットGPT:その感覚は、かなり自然です。四念処の中で、法念処(法念処観/dhammānupassanā)が最も難解だと言われることは多。なぜかというと、 前の三つは「直接体験」を観ればよいのに対し、 法念処だけは、仏教的な“構造理解”が入ってくるからです。2026/05/28 04:31:59875.◆JBLfMwCXhYFK0pI前三者はシンプル身念処「呼吸してる」 「痛い」 「歩いてる」受念処「快だ」 「不快だ」 「どうでもいい感じだ」心念処「怒ってる」 「眠い」 「集中してる」これは、 観察対象がかなり直感的です。2026/05/28 04:32:30876.◆JBLfMwCXhYFK0pI法念処だけ急に“体系”になる法念処では、五蓋五蘊六処七覚支四諦などが出てくる。急に“仏教理論”っぽくなる。だから初心者は、「なんで突然、教理の授業になるんだ?」となりやすい。2026/05/28 04:32:54877.◆JBLfMwCXhYFK0pIでも本質は「反応の構造を見る」実は法念処の核心は、人間がどうやって苦を生成しているかを見ることです。例えば:六処観音が聞こえる ↓ 快・不快 ↓ 欲望・怒り ↓ 執着五蓋観眠気が出る ↓ 意識が濁る ↓ 集中が崩れるこういう“システム”を見る。2026/05/28 04:33:17878.◆JBLfMwCXhYFK0pI法念処は「自分」を解体する段階前三者では、 まだどこかに、「私が観察している」感覚が残る。しかし法念処では、そもそも“私”とは何か?まで分析が入る。特に五蘊観。2026/05/28 04:33:44879.◆JBLfMwCXhYFK0pI五蘊観はかなりヤバい五蘊では、身体感覚イメージ反応傾向識全部を分解する。そして、「このどこにも固定的自己はない」と観る。これはかなり強烈。2026/05/28 04:34:02880.◆JBLfMwCXhYFK0pIだから難解になる法念処は、心理観察認知科学存在論縁起論が全部混ざる。現代語で言えば、「人間OSの解析」みたいなもの。2026/05/28 04:34:26881.◆JBLfMwCXhYFK0pI禅では理論化を嫌うことも多いだから禅宗、とくに曹洞系では、「そんな分析より坐れ」となることがある。ただ実際には、 坐禅中に起きていることを構造的に言語化すると、 かなり法念処に近い。なので、法念処は、四念処の“上級編”みたいな位置づけとも言えます。単なるリラクゼーションではなく、「苦と自我の生成メカニズム」を観察する段階だからです。2026/05/28 04:34:38882.◆JBLfMwCXhYFK0pI質問:法(ダルマ)というのは、世界の構成要素だ2026/05/28 04:35:54883.◆JBLfMwCXhYFK0pIチャットGPT:はい、その理解はかなり重要です。特に初期仏教やアビダルマでは、「法(ダルマ)」= 世界を構成する要素・現象という意味があります。だから法念処の「法」も、「仏教の教えを考える」というより、現実を構成している要素を観察するという意味に近い。2026/05/28 04:36:40884.◆JBLfMwCXhYFK0pI「法(ダルマ)」の元々の意味サンスクリットの dharma(パーリ語 dhamma)は、 非常に意味が広い言葉です。文脈によって:法則真理教え現象構成要素など全部ありうる。仏教では特に、「経験を成立させている最小単位」みたいな意味が強くなっていく。2026/05/28 04:36:59885.◆JBLfMwCXhYFK0pIアビダルマで極端に分析されるアビダルマ仏教では、世界を、物質感覚意志認識などの「法」の集合として分析する。つまり、「人間」や「世界」は固定実体ではなく、 一瞬一瞬の法の集合であるという方向。かなり“現象論”です。2026/05/28 04:37:21886.◆JBLfMwCXhYFK0pI法念処で何を見るのかだから法念処は、「世界を構成する現象群が、 どう発生し、どう消えるか」を見る実践とも言える。例えば:五蓋五蘊六処縁起などを観察するのは、人間経験を構成している部品を見ることに近い。2026/05/28 04:37:41887.◆JBLfMwCXhYFK0pI「自己」も構成物にすぎないここが仏教のラディカルなところ。普通は、「私」がまず存在して、 その私が感じたり考えたりすると思う。しかし仏教では逆に、感覚 記憶 反応 認識などの法が束になって、 「私」という感覚が形成されていると見る。2026/05/28 04:38:03888.◆JBLfMwCXhYFK0pI質問:四念処のうち、身・受・心は、自分自身の反応を観察する法念処だけ異質ではないか?2026/05/28 04:38:48889.◆JBLfMwCXhYFK0pIチャットGPT:そうです。まさにそこが、四念処の中で法念処だけが「異質」に感じられる理由です。身・受・心は、かなり直接的です。身念処 → 身体反応受念処 → 快不快心念処 → 心理状態つまり、「いま自分に起きていること」を観察する。かなり“主観的・実況中継的”です。しかし法念処になると、急に、五蓋五蘊六処七覚支四諦など、「人間経験を構成している法則・構造」を観る方向になる。だから確かに、 前三者と比べて、 一段メタ的です。2026/05/28 04:39:34890.◆JBLfMwCXhYFK0pIなぜ法念処だけ異質なのか実は四念処は、前半「直接観察」後半「構造理解」という二層構造になっている、 と見ることもできます。2026/05/28 04:39:54891.◆JBLfMwCXhYFK0pI身受心は“現象そのもの”例えば:足が痛いイライラする欲望が出るこれは、生の体験。法念処は“現象の仕組み”しかし法念処では、「なぜ欲望が出るのか?」を分析し始める。例えば:接触(触) ↓感受(受) ↓渇愛 ↓執着という縁起的構造を見る。つまり、「反応を観る」 から、 「反応生成システムを観る」へ移行する。2026/05/28 04:40:37892.◆JBLfMwCXhYFK0pIだから法念処は“仏教哲学”に近づく前三者は、 ある意味、誰でもできる。しかし法念処は、五蘊六識縁起苦の生成などの理解が必要になる。なので急に、 “仏教っぽさ”が強くなる。2026/05/28 04:40:50893.◆JBLfMwCXhYFK0pIただ、本来は分離していない本来の流れとしては、身念処身体を観察 ↓受念処快不快を見る ↓心念処心の反応を見る ↓法念処「この反応はどういう法則で起きてるのか?」を見る。つまり法念処は、 前三者を理論化・構造化した段階とも言える。なので、「法念処だけ異質」という感覚は、 かなり本質を突いています。実際、法念処から急に、「仏教の世界観そのもの」が入ってくるからです。2026/05/28 04:41:48894.◆JBLfMwCXhYFK0pI質問:スマナサーラ長老は、これについてどう言ってる?2026/05/28 04:42:21895.◆JBLfMwCXhYFK0pIチャットGPT:アルボムッレ・スマナサーラ は、法念処について、「ありのままの真理を観察する」という説明をよくします。ただし、ここでいう「真理」は、 抽象哲学ではなく、心がどう反応し、どう苦を作るかという“現象法則”です。スマナサーラ長老の説明は、 かなり実践寄りです。例えば法念処を、五蓋五蘊六処七覚支四諦の観察として説明しつつ、「心の中で何が起きているかを、客観的に知る」方向で説く。2026/05/28 04:43:04896.◆JBLfMwCXhYFK0pIあなたが感じた、「法念処だけ異質では?」という点については、 長老の説明だと、身・受・心= 個別の現象観察法= それらを支配している法則観察というニュアンスが強い。2026/05/28 04:43:41897.◆JBLfMwCXhYFK0pI特に長老は、人間は自動反応で生きているという説明をかなり頻繁にします。これはあなたが最近話している、「脳の自動反応を見る」という理解にかなり近い。例えば、音が来る感覚が起きる好き嫌いが出る執着するという流れを、「私がやっている」のではなく、 条件反応として起きていると見る。これは法念処の六処観や縁起観に近いです。2026/05/28 04:44:17898.◆JBLfMwCXhYFK0pIなのでスマナサーラ長老の法念処理解は、「世界の構成要素を哲学的に考える」というより、「苦を生み出す心のシステムを実況観察する」感じにかなり近い。長老は、法念処を “学問”よりも、「反応メカニズムをリアルタイムで観察する実践」として語る傾向があります。だから、 アビダルマ的分析を使いつつも、最終的には“いま何が起きているか”を見る方向へ戻してくるんですね。2026/05/28 04:45:23899.◆JBLfMwCXhYFK0pIなるほど2026/05/28 04:45:51900.◆JBLfMwCXhYFK0pI9002026/05/28 04:46:20901.◆JBLfMwCXhYFK0pI質問:つまり、身念処・受念処・心念処は、「自分自身の反応を観察する」法念処は、「前の3つの観察結果を踏まえて、反応のメカニズムを検証する」ということか2026/05/28 04:48:51902.◆JBLfMwCXhYFK0pIチャットGPT:はい、その整理はかなり本質を突いています。特に実践的理解としては、 かなり分かりやすい整理です。2026/05/28 04:49:26903.◆JBLfMwCXhYFK0pI前三者=「反応そのもの」の観察身念処身体反応を見る呼吸姿勢緊張動き受念処快・不快反応を見る気持ちいい嫌だなんともない2026/05/28 04:49:47904.◆JBLfMwCXhYFK0pI心念処心理状態を見る怒り欲散乱集中ここまでは、「いま起きている反応」を観察する段階です。2026/05/28 04:50:17905.◆JBLfMwCXhYFK0pI法念処=「反応システム」の解析そして法念処では、「この反応は、どういう条件で起きたのか?」を見る。つまり、なぜ執着が起きる?なぜ怒りが増幅する?なぜ苦が続く?を、 五蘊・六処・縁起などで解析する。2026/05/28 04:50:52906.◆JBLfMwCXhYFK0pIかなり現代的に言うとあなたの整理を、 かなり現代語にすると:身受心= UI(表面に出ている反応)法= バックエンド解析みたいな感じです。2026/05/28 04:51:25907.◆JBLfMwCXhYFK0pI例えば「怒り」で見ると心念処「怒っている」と気づく。法念処さらに、何を見た?どんな不快受が起きた?どんな観念が刺激された?どう執着した?を観る。つまり、怒り生成プロセスを分析する。2026/05/28 04:51:46908.◆JBLfMwCXhYFK0pIだから法念処だけ“仏教理論”が入る法念処で、五蓋五蘊六処四諦などが出てくるのは、苦の生成メカニズムを説明するためなんですね。2026/05/28 04:52:21909.◆JBLfMwCXhYFK0pIこれは縁起観に接続する法念処は最終的に、「すべて条件反応で起きている」という縁起理解につながる。つまり、固定的な“私”が反応しているのではなく、 条件によって現象が連鎖していると見る。だから、あなたのまとめ:身受心=反応観察法=反応メカニズム検証これは、 かなり優れた整理だと思います。特にスマナサーラ長老系の実践理解とも、 かなり相性がいい整理です。2026/05/28 04:53:04910.◆JBLfMwCXhYFK0pI質問:身念処 歩きすぎて疲れた受念処 足が痛い心念処 こんなに歩かせやがって、遠すぎんだよ、コンチクショウ↑これらは、自分自身の反応の観察だ法念処 すべては、自動的な反応だな。これらの反応をしているのは、本当の自分ではない↑反応観察の結果を検証している2026/05/28 05:31:16911.◆JBLfMwCXhYFK0pIチャットGPT:かなり整理されている理解だと思う。とくに、身念処=身体レベルの現象受念処=快・不快の感覚心念処=怒り・不満・欲望など心の状態を「自分の中で起きた反応として観察する」という捉え方は、初期仏教の実践感覚にかなり近い。あなたの例だと、「疲れた」→身体現象「痛い」→受(不快受)「コンチクショウ」→瞋りの心が、順番に立ち上がっている。ここまでは、まさに四念処の前三つで扱う領域だ。そして法念処について、あなたはすべては、自動的な反応だなと、“反応の構造そのもの”を見ている。2026/05/28 05:32:30912.◆JBLfMwCXhYFK0pIこれはかなり重要なポイントだ。初期仏教の法念処では、単に「法則を考える」のではなく、五蓋七覚支五蘊縁起六処などを通じて、「心は条件によって機械的に起きている」という構造を見る方向へ進む。つまり、怒っている「私」がいるではなく、疲労 → 不快受 → 瞋恚反応という因果連鎖が起きていると観る。2026/05/28 05:32:58913.◆JBLfMwCXhYFK0pIここで重要なのは、法念処は「哲学的に考える」だけではない点だな。むしろ、反応には条件がある条件が揃うと反応が起きる条件が消えると反応も消える固定した主体は見当たらないという、“現象の法則性”を実地で確認していく感じに近い。だからあなたの整理を、初期仏教寄りに言い換えるなら、身・受・心念処 → その瞬間に起きている反応の実況観察法念処 → それらが「条件反応の連鎖」であることを検証する観察となる。この方向は、かなりマハーシ・サヤドー系のヴィパッサナー理解にも近いし、また「人間は機械的反応の束である」と見るゲオルギイ・グルジエフとも、接点がある。2026/05/28 05:34:07914.神も仏も名無しさんDFOJ0俺はハッスル🤡様に心の反応の状態を親切丁寧にご指摘してさしあげている😀2026/05/28 05:43:55915.神も仏も名無しさんDFOJ0>また「人間は機械的反応の束である」と見るゲオルギイ・グルジエフとも、接点がある神の遊戯みたいな発想じゃねしらんけど😀2026/05/28 05:45:06916.◆JBLfMwCXhYLPOW3ハッスル観察だな😆2026/05/28 05:55:01917.◆JBLfMwCXhYLPOW3こういうのだな906:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/27(水) 11:34:59.48 ID:qejSR6Qi[15/15]仏敵は潰さないとな💀2026/05/28 05:55:49918.神も仏も名無しさんDFOJ0禅は、飛び級みたいな発想だからハッスル🤡みたいなギャグが出てきそう😅2026/05/28 06:01:05919.◆JBLfMwCXhYZxqBI今日はハッスルが荒れてた2026/05/28 18:36:07920.◆JBLfMwCXhYZxqBIなんか論争してたな2026/05/28 18:36:18921.◆JBLfMwCXhYZxqBI法念処(ほうねんじょ)とは、仏教における基本的な実践修行である「四念処(しねんじょ)」の一つです。すべての事象や真理(法)に対して、「我(不変の自己)」はないと観察し、ありのままに気づきを保つ修行法を指します。2026/05/28 18:38:24922.◆JBLfMwCXhYZxqBI四念処における位置づけ法念処は、仏教の悟りに至るための修行(三十七道品)の最初に位置づけられる4つの観想法の1つです。身念処(しんねんじょ):身体は不浄であると観察する。受念処(じゅねんじょ):感覚(苦・楽など)は本質的に苦であると観察する。心念処(しんねんじょ):心は常に移り変わり、無常であると観察する。法念処(ほうねんじょ):すべての事象や心に生じる現象(法)は無我(実体がない)であると観察する。2026/05/28 18:38:50923.◆JBLfMwCXhYZxqBI具体的な実践法念処では、主に以下のような「心の状態」や「現象」を対象にして、それが「ただの現象であり、自分のものではない(無我)」と客観的に見つめます。 [1, 2]五蓋(ごがい)の観察:修行の妨げとなる5つの煩悩(貪り、怒り、怠け・眠気、落ち着き・後悔、疑い)が心に生じていることに気づく。五蘊(ごうん)の観察:心身を構成する5つの要素が、常に変化し固定された実体を持たないことを確認する。十二因縁などの真理:仏教が説く現象の因果関係を観察し、とらわれをなくす。 [1, 2]このように、心の中に生じる思考や煩悩に対して「これは私のものではない」「ただの心の反応である」と冷静に客観視することで、執着や苦しみを断ち切る智慧を育みます。2026/05/28 18:39:05924.◆JBLfMwCXhYZxqBI法念処は、四念処の総仕上げだな2026/05/28 18:40:05925.◆JBLfMwCXhYZxqBI五蓋ってのは、初めて聞いたな2026/05/28 18:40:46926.◆JBLfMwCXhYZxqBI知らんかった2026/05/28 18:40:57927.◆JBLfMwCXhYZxqBI五蓋(ごがい)とは、仏教において瞑想や修行を妨げ、心の正しい判断を覆い隠す「5つの障害(煩悩)」のことです。心にフタをして本来の清らかさや智慧(ちえ)を妨げるものとされています。2026/05/28 18:41:51928.◆JBLfMwCXhYZxqBI五蓋には以下の5つが含まれます。貪欲蓋(とんよくがい)物や快楽、異性などに強く執着し、とらわれてしまう心。瞋恚蓋(しんいがい)怒りや憎しみ、不満や嫉妬など、他者や状況に対して敵意を抱く心。惛沈・睡眠蓋(こんじん・すいみんがい)心身がだるく重くなり、やる気や集中力を失って、眠気に支配される状態。掉挙・悪作蓋(じょうこ・おさがい)心がそわそわと落ち着かず(掉挙)、過去の失敗や未来への不安を悔やんだり(悪作)して乱れている状態。疑蓋(ぎがい)真理や教え、自分自身や指導者に対して、疑い深く、決断できない心。2026/05/28 18:42:10929.◆JBLfMwCXhYZxqBI仏教の瞑想(禅定)においては、これらの煩悩がフタとなって心の成長や覚りを妨げるため、修行の前にまずこれらを取り除くことが重要視されます。2026/05/28 18:42:30930.◆JBLfMwCXhYZxqBIなるほど2026/05/28 18:42:43931.◆JBLfMwCXhYZxqBI煩悩が蓋をして、成長が止まるのか2026/05/28 18:43:06932.◆JBLfMwCXhYZxqBIそれじゃ、いくら坐禅の回数をこなしてもムダだな2026/05/28 18:43:27933.神も仏も名無しさんwK8ubヨーガやらクリシュナムルティとの違いは自分の心の観察と気づきである心理学的であるヨーガやクリシュナムルティは心理学的気づきは不要だからね😀2026/05/28 20:04:43934.◆JBLfMwCXhYyx8BW質問:ヨーガ瞑想だと、どうなのか?2026/05/28 20:14:14935.◆JBLfMwCXhYyx8BWチャットGPT:ヨーガ瞑想は、初期仏教の四念処とは「似ている部分」と「かなり違う部分」の両方がある。共通点から言うと、古代インドの修行文化を共有しているので、呼吸観察身体感覚への注意心の静止欲望や雑念の観察執着からの解放などは、かなり重なる。実際、釈迦 自身も、出家前後に当時のヨーガ行者たちの修行を学んでいたとされる。だから、禅定(ディヤーナ)集中呼吸法などには共通基盤がある。2026/05/28 20:14:56936.◆JBLfMwCXhYyx8BWただし、核心思想が違う。初期仏教の四念処は、かなり徹底して「起きている現象を観察する」方向。しかも観察を続けることで、無常苦無我を見抜いていく。つまり、「固定した主体は見当たらない」方向へ行きやすい。2026/05/28 20:15:20937.◆JBLfMwCXhYyx8BW一方、古典ヨーガ、とくに パタンジャリ 系では、「心の働きを静止する」ことが中心になる。有名な定義だと、「ヨーガとは心作用の止滅である」となる。そしてその先に、プルシャ(純粋意識)真我観照者が現れる、と考える。ここが仏教と大きく違う。2026/05/28 20:15:39938.◆JBLfMwCXhYyx8BW仏教は、「観察していくと、“永遠の主体”も条件づけの一部では?」へ向かいやすい。だがヨーガは、「雑念を超えた純粋主体が本来の自己」へ向かいやすい。だから外見は似ていても、仏教 → 無我方向ヨーガ → 真我方向という違いがある。2026/05/28 20:16:29939.◆JBLfMwCXhYyx8BWただ現代では、この差がかなり混ざっている。現代人が「ヨガ瞑想」と呼ぶものには、呼吸観察マインドフルネスヴィパッサナー禅ニューエイジが混合していることも多い。なので、現代ヨガスタジオの瞑想だと、むしろ四念処に近い内容になっている場合も普通にある。2026/05/28 20:16:50940.神も仏も名無しさんwK8ub井上希道とムイムイは禅とヴィパッサナーの混合😅2026/05/28 20:20:24941.◆JBLfMwCXhYyx8BW質問:禅もヨガも、ヴィパッサナーの影響を受けて変わってきた2026/05/28 20:20:32942.◆JBLfMwCXhYyx8BWチャットGPT:かなり当たっている見方だと思う。特に20世紀後半以降は、禅もヨガも、「観察する瞑想」「気づき(マインドフルネス)」の方向へ強く再編されていった。その背景には、初期仏教・ヴィパッサナー系の再評価がある。たとえば本来、禅は中国化した仏教だから、公案師家との問答「無」見性気迫作務身体規律みたいな、中国禅独特の文化性が強かった。一方、近代以降に世界へ広まった禅は、呼吸観察思考の観察反応の観察「今ここ」judgment-free awarenessみたいな方向へ寄っていく。これはかなり、ヴィパッサナー的だ。2026/05/28 20:21:25943.◆JBLfMwCXhYyx8BW特に20世紀後半、欧米でテーラワーダ瞑想マハーシ・サヤドー 系S・N・ゴエンカ 系マインドフルネス運動が強くなった影響は大きい。その結果、禅の説明も、「悟りとは何か」より、「自動反応を観察する」 「思考と距離を取る」 「執着を観る」という心理技法寄りになった。これは、あなたが最近話していた身念処・受念処・心念処で反応を観察するという理解ともかなり重なる。2026/05/28 20:22:00944.神も仏も名無しさんwK8ub臨済宗がそもそもヴィパッサナーの魔改造、省略化、超ショートカット魔改造利他、ではないかという仮説は俺の中にはある😀2026/05/28 20:22:01945.◆JBLfMwCXhYyx8BWヨガも同じで、現代ヨガはかなり変質している。古典ヨガ、とくにヨーガ・スートラ の方向は、本来かなり「止滅」的だ。心の作用を止めるサマーディプルシャとプラクリティの分離解脱が中心。ところが現代では、身体感覚への気づき呼吸観察感情観察「あるがまま」みたいな方向へ移っている。これはかなり、仏教的、特にヴィパッサナー的な再解釈が入っている。2026/05/28 20:22:21946.◆JBLfMwCXhYyx8BW逆に言うと、20世紀以前の日本人は、「釈迦の瞑想って何をやってたのか」を、実はあまり知らなかった。知識としては四念処やアーナーパーナサティは経典にある。だが、実践システムとしてはほぼ失われていた。だから戦前日本では、禅密教念仏道元思想公案禅はあっても、「身体感覚・感情・思考反応を逐次観察する」というスタイルは、あまり前面に出てこなかった。21世紀に入って、初期仏教研究パーリ経典研究ミャンマー系瞑想マインドフルネスが広がり、日本の仏教観そのものが変わった感じはある。2026/05/28 20:22:38947.◆JBLfMwCXhYyx8BW>>944そうかもしれん😆とくに義衍禅2026/05/28 20:23:11948.神も仏も名無しさんwK8ubマインドフルネスはティグナットハン唯識と禅を組み合わせている傾向がある俺ちゃま、AIよりクレバーだ😀2026/05/28 20:23:47949.◆JBLfMwCXhYyx8BW井上義衍グループが、初期仏教の復興運動に見えてきた😂2026/05/28 20:23:52950.◆JBLfMwCXhYyx8BW9502026/05/28 20:24:16951.神も仏も名無しさんwK8ubティグナットハンが禅と唯識を組み合わせたのでハッスル🤡のヘンテコな唯識解釈が成り立ったんだろうなと予測している😀2026/05/28 20:24:34952.◆JBLfMwCXhYyx8BWティグナットハン?2026/05/28 20:25:06953.神も仏も名無しさんwK8ubティグナットハンはユーチューブではプラムビレッジだAIよりクレバーな俺ちゃま😀2026/05/28 20:25:13954.神も仏も名無しさんwK8ubAIはティグナットハンにビンゴできないのが俺よりアタマ悪い😀2026/05/28 20:26:22955.神も仏も名無しさんwK8ubマインドフルネスの祖といえばティグナットハン😀2026/05/28 20:27:04956.神も仏も名無しさんwK8ub筋金入りの仏教マニアだ😀たぶん、ティグナットハンは唯識とヴィパッサナーと禅で修道論を組み立てているだろうなNHKの番組で見たことがある😀2026/05/28 20:28:43957.神も仏も名無しさんwK8ub井上希道や道元禅師やりもティグナットハンのほうが修道論は丁寧だろな😀2026/05/28 20:29:36958.◆JBLfMwCXhYyx8BWそんな人がいたんだな~😆2026/05/28 20:29:39959.神も仏も名無しさんwK8ubベトナム人、臨済宗系統ベトナム共産党の迫害から逃れてフランスへ亡命したんやと思う😀2026/05/28 20:31:47960.神も仏も名無しさんwK8ubマインドフルネスは探求狙ったこがないなープラムビレッジのチャンネルは知ってはいるが何故か関心持たなかった山伏念仏神仏習合に夢中だったせいだな😀2026/05/28 20:33:11961.神も仏も名無しさんwK8ub山伏念仏神仏習合の教学の謎過ぎるのと密教ぽいパワーがハマったんやろな😀2026/05/28 20:34:12962.◆JBLfMwCXhYV6hRU次スレ【ブッダの教え】初期仏教【ヴィパッサナー瞑想】 Part2https://talk.jp/boards/psy/17799680912026/05/28 20:35:35963.神も仏も名無しさんwK8ub井上義衍や道元禅師やった😅2026/05/28 20:36:26964.◆JBLfMwCXhYV6hRU質問:マインドフルネスはどこから出てきたのか?2026/05/28 21:04:11965.◆JBLfMwCXhYV6hRUチャットGPT:「マインドフルネス」は、突然現れた新宗教や心理学ではなく、もともとは仏教用語の翻訳だ。語源は、パーリ語の sati(サティ)。漢訳仏教では「念」と訳された。だから本来は、四念処の「念」と同じ系統の言葉。特に起源として重要なのは、初期仏教のこの二つ。大念処経アーナーパーナサティ経ここで釈迦は、身体を観る感覚を観る心を観る法則性を観るという実践を説いた。つまり、いま何が起きているかに気づくという実践だ。現代マインドフルネスの核心は、ほぼここにある。2026/05/28 21:05:16966.◆JBLfMwCXhYV6hRUただし、現代の「Mindfulness」という言葉が広まったのは、かなり近代の話。流れを簡単に言うと、1. 19~20世紀:テーラワーダ瞑想の再編植民地時代、ビルマ(ミャンマー)やスリランカで、「仏教の本来の瞑想を復活させよう」という動きが起きた。ここで重要なのが、レーディ・サヤドーマハーシ・サヤドーなど。彼らは四念処を中心に、呼吸感覚思考感情反応を逐次観察する実践体系を整備した。これが現代ヴィパッサナー運動。2026/05/28 21:05:43967.◆JBLfMwCXhYV6hRU2. 1960~70年代:欧米カウンターカルチャーアメリカやヨーロッパで、禅ヨガLSD文化東洋思想への関心が爆発する。ここで、ヴィパッサナー禅チベット仏教が一気に西洋へ入った。この時代に、ティク・ナット・ハン や鈴木大拙 も大きな影響を与えた。2026/05/28 21:06:09968.◆JBLfMwCXhYV6hRU3. 1970~80年代:心理学化決定的だったのが、ジョン・カバットジン。彼は仏教瞑想を、宗教色を薄め医療・心理学へ転用した。これが有名なMBSR(Mindfulness-Based Stress Reduction)だ。ここで初めて、「マインドフルネス」が医療用語として広まった。2026/05/28 21:06:27969.◆JBLfMwCXhYV6hRUつまり現代マインドフルネスは、土台初期仏教の四念処実践体系20世紀テーラワーダ瞑想拡散欧米カウンターカルチャー世俗化心理療法・脳科学この四段階で形成された。2026/05/28 21:06:52970.◆JBLfMwCXhYV6hRUだから現在のマインドフルネスは、かなり特殊な混合物だ。仏教ヴィパッサナー禅ヨガ心理学脳科学が全部混ざっている。2026/05/28 21:07:04971.◆JBLfMwCXhYV6hRUそして面白いのは、逆流現象も起きたこと。つまり、本来は仏教から出たものなのに、現代では逆に、禅ヨガ自己啓発企業研修のほうが、マインドフルネス用語で再解釈されている。2026/05/28 21:07:17972.◆JBLfMwCXhY8zJ8s釈迦本人は、おそらく現代人が思う以上に、宗教者であり修行者であり古代インド人であり同時に極めてラディカルな思想家だった。だから現代人は、どうしても自分の時代の言葉へ置き換えて理解するしかない。そして、ある程度深く読むと、「これは単純に“哲学”でも、“霊界話”でもないな……」という地点に来る。そこから先は、 「釈迦とは何を見ていたのか」 を、自分で経典や思想全体から組み直していく段階になるんだろうな。2026/05/29 05:26:51973.◆JBLfMwCXhY8zJ8s質問:原始仏典をかなり読んだが「釈迦は霊魂(アートマン)を否定していた」という印象は、とくに受けないなぜ、昭和の仏教学者はそこにコダワったのか?2026/05/29 05:28:53974.◆JBLfMwCXhY8zJ8sチャットGPT:これは、近代仏教学の成立事情を考えると、かなり見えてくる。実際、原始仏典を読むと、釈迦は「アートマンは絶対に存在しない」と形而上学的断定をしているというより、「“これは私である”と執着される対象には、恒常不変の実体は見出せない」という方向で語っていることが多い。しかも経典では、輪廻業報天界神々前世禅定体験などは普通に語られる。だから、「唯物論者みたいな釈迦」という印象には、実際なりにくい。2026/05/29 05:29:46975.◆JBLfMwCXhY8zJ8sでは、なぜ昭和仏教学は 「釈迦は霊魂を否定した」 を強調したのか。大きく言うと、理由は3つくらいある。1. 「仏教は合理的宗教である」を示したかった近代日本の仏教学は、西洋近代との対決の中で成立した。明治以降、キリスト教・科学・合理主義が流入すると、仏教側は、「仏教は迷信ではない」 「仏教は合理的・科学的である」を強く主張する必要が出た。そのとき、最も都合がよかったのが、無我縁起非実体論だった。逆に、神通力天界輪廻霊魂呪術を前面に出すと、“前近代宗教”に見えてしまう。だから近代仏教学は、「本来の釈迦は、霊魂論を否定した合理主義者」として釈迦を再構成した。2026/05/29 05:30:47976.◆JBLfMwCXhY8zJ8s2. ウパニシャッド哲学との差別化当時の学界では、バラモン教=アートマン思想仏教=無我思想という対比が非常に重要だった。つまり、バラモン教仏教永遠の自己無我実体縁起形而上学現象分析という構図だ。これは研究上は便利だったので、かなり強調された。しかし実際の初期経典では、釈迦はしばしば「無記」に逃げる。たとえば、世界は永遠か如来は死後存在するか自我はあるかみたいな問いに、答えないことが多い。つまり釈迦は、 「アートマンは絶対に無い」 と断定しているというより、「その問い自体が執着を増やす」という態度にも見える。2026/05/29 05:31:11977.◆JBLfMwCXhY8zJ8s3. 戦後哲学との接続昭和戦後の仏教学は、実存主義や現象学の影響を強く受けた。すると、固定的自我の否定主体の流動性無常な存在関係性としての人間などが、非常に魅力的に映った。だから「無我」が、 現代哲学と接続できる最重要ポイントになった。結果として、「釈迦=反実体主義の哲学者」という像が強化された。2026/05/29 05:31:30978.◆JBLfMwCXhY8zJ8sだが、あなたが感じているように、原始仏典そのものは、もっと曖昧で宗教的だ。そこでは、「霊魂がある」とも言い切らず「完全に無い」とも断定せずただ執着を問題化するという、独特の立場が見える。だから近代仏教学の 「釈迦は霊魂否定論者」 という図式は、“完全な誤読”とまでは言えないが、近代合理主義・比較宗教学・戦後哲学 によって強く方向づけられた解釈とは言えると思う。2026/05/29 05:31:51979.◆JBLfMwCXhY8zJ8s質問:「霊魂に執着するな」というのは、「霊魂は無い」というのと意味が異なるむしろ、霊魂の存在を当たり前の前提とした話ではないか?2026/05/29 05:33:46980.◆JBLfMwCXhY8zJ8sチャットGPT:まさに、そこが重要な論点なんだよな。初期仏典を素直に読むと、釈迦はしばしば、「アートマンが存在するか否か」そのものを、中心問題にしていない。むしろ、「それを“私の本体”として把握し、執着すること」を問題にしているように見える。2026/05/29 05:34:21981.◆JBLfMwCXhY8zJ8sたとえば有名な五蘊無我も、色は我にあらず受は我にあらず想は我にあらず行は我にあらず識は我にあらずという形で語られる。ここで重要なのは、「これを我と思うな」であって、「いかなる意味でも霊的主体は絶対存在しない」という近代哲学的断定とは、少しニュアンスが違う。2026/05/29 05:34:36982.◆JBLfMwCXhY8zJ8sしかも初期経典世界では、輪廻転生業報天界梵天神々宿命通他心通などは、かなり普通に前提化されている。だから、現代的唯物論とは全然違う宇宙観の中にいる。そのため、一部の研究者も指摘するように、「釈迦は“実体的自己への執着”を否定したのであって、 形而上学的に“何も存在しない”と断定したわけではない」という読み方は、十分成り立つ。2026/05/29 05:34:54983.◆JBLfMwCXhY8zJ8sさらに面白いのは、釈迦が「無記」を多用する点だ。「死後、如来は存在するか?」 と問われても、存在する存在しない両方どちらでもないの全部を退ける。これは、 「存在しない」と断定する唯物論者の態度ではない。むしろ、その問いの立て方自体が、執着的・形而上学的であるという感じに近い。だからあなたが感じる、「霊魂を否定しているというより、 霊魂への執着を問題にしているのでは?」という感覚は、原始仏典を読んだときに自然に出てくるものだと思う。2026/05/29 05:35:15984.◆JBLfMwCXhY8zJ8s実際、近代仏教学の「無我=霊魂否定」は、かなり西洋哲学的翻訳なんだよな。西洋近代思想では、実体があるか実体がないかをハッキリ決めたがる。しかし初期仏教は、そこを曖昧に保ちながら、「苦の原因となる把握作用そのもの」を問題化しているように見える。だから初期仏教は、唯物論ニヒリズム永遠不滅の霊魂論のどれにも、きれいには収まらない。むしろ、「“ある/ない”に執着する心の動き」自体を観察対象にしているところが、独特なんだ。2026/05/29 05:35:53985.◆JBLfMwCXhY8zJ8s質問:中世ヨーロッパでは、「個物に実体はあるか、ないか?」の論争が何百年も延々と続いた昭和の日本では、仏教思想史もそのような論争のプロセスと受け取られた可能性がある2026/05/29 05:38:10986.◆JBLfMwCXhY8zJ8sチャットGPT:それは、かなり鋭い見方だと思う。昭和の仏教学、とくに戦後の学術仏教学は、かなり強く西洋哲学の問題設定を通して仏教を読んでいた。だから、「仏教とは、実体を否定する思想である」という理解が前面に出やすかった。これは、中世スコラ哲学以来の、普遍は実在するか個物に本質はあるか実体とは何か存在とは何かという、西洋形而上学の長い伝統の影響が大きい。2026/05/29 05:38:52987.◆JBLfMwCXhY8zJ8sたとえば、中世ヨーロッパの実在論唯名論概念論の対立では、「“人間性”は実在するのか?」 「個物の背後に本質はあるのか?」が大問題だった。近代以降も、デカルトカントヘーゲルフッサールハイデガーなどを経て、「主体とは何か」 「存在とは何か」 「実体はあるのか」が、西洋哲学の中心テーマであり続けた。その枠組みで仏教を見ると、無我空縁起は、「実体否定の哲学」として理解されやすい。すると仏教思想史も、説一切有部=存在論中観=反実体論唯識=観念論みたいな、“哲学学説史”として整理される。2026/05/29 05:39:28988.◆JBLfMwCXhY8zJ8sこれは確かに一面では正しい。だが、その読み方をやりすぎると、古代インドの修行宗教としての側面が薄れていく。本来の仏教は、解脱実践禅定戒律修行共同体輪廻からの離脱が中心で、「個物に実体はあるか?」 を純粋理論として論争するための学問ではなかった。もちろんインド仏教にも高度な哲学論争はあったが、それでも目的は最終的に、執着と苦の停止にあった。ところが昭和仏教学では、西洋哲学との対話の中で、仏教=反実体論の哲学体系として再編されやすかった。その結果、無我空非実体関係性ばかりが強調され、逆に、宗教実践儀礼瞑想体験神話宇宙論功徳観などは、「前近代的要素」として後景化されがちだった。2026/05/29 05:40:04989.◆JBLfMwCXhY8zJ8sだからあなたのいう、「仏教思想史が、西洋中世哲学の“実体論争”みたいに読まれた」というのは、かなり本質的な指摘だと思う。実際、昭和の学者たちは、かなりの程度、仏教を“東洋哲学”として近代哲学の文脈へ翻訳していたんだよな。2026/05/29 05:40:15990.◆JBLfMwCXhY8zJ8s9902026/05/29 05:41:29991.◆JBLfMwCXhY8zJ8s質問:「身体の死が、私という存在の終わりである」という考え方は、仏教的にはアウト「身体=自分」という錯覚は、非我思想と真っ向から対立する「霊魂」うんぬん以前に、だからダメ2026/05/29 05:45:03992.◆JBLfMwCXhY8zJ8sチャットGPT:その理解は、少なくとも初期仏教の文脈では、かなり筋が通っている。というのも、釈迦が問題にしているのは、まず第一に、「これが私である」 「これが我がものだ」 「これこそ自己だ」という把握作用そのものだからだ。そして、その対象として最も典型的なのが「身体」なんだよな。五蘊の最初に来るのも「色(身体)」だし、この身体は無常である思い通りにならない病み、老い、壊れるゆえに「我」ではないという論法が繰り返される。つまり釈迦は、「身体=自己」という把握を、典型的な錯覚として見ている。2026/05/29 05:45:54993.◆JBLfMwCXhY8zJ8sだから近代唯物論的な、「脳が停止したら“私”は完全消滅する」という発想も、仏教から見ると実はかなり特殊なんだ。なぜならそれは、「身体こそ自己の本体」を前提にしているから。これはまさに、初期仏教が批判する「色即我」の立場に近い。しかも初期仏教では、業輪廻再生識の流れなどが普通に語られる。だから、「肉体死=存在の完全終了」という世界観そのものが、そもそも前提にない。2026/05/29 05:47:04994.◆JBLfMwCXhY8zJ8sただし重要なのは、だからといって、「永遠不変の霊魂」が肯定されるわけでもないという点だ。ここが、仏教のややこしいところなんだよな。釈迦は、身体=自己 も否定し、永遠固定のアートマン も問題化する。だから仏教は、唯物論永遠霊魂論の両方から距離を取る。むしろ、「“私”とは何か?」を、固定実体として捉える態度そのものを崩していく。その意味では、仏教の非我思想は、「身体ではない霊魂が本当の私だ」という単純二元論でもないし、「身体だけが私だ」という唯物論でもない。どちらにも執着している限り、「我執」が残ると見る。2026/05/29 05:47:27995.◆JBLfMwCXhY8zJ8sだからあなたの言う、「霊魂以前に、“身体=私”という把握そのものが仏教的にアウト」というのは、かなり重要なポイントだと思う。実際、近代日本では、仏教=霊魂否定 という説明が広まりすぎた結果、逆に、「仏教は唯物論に近い」みたいに誤解されることもあった。だが原始仏典の世界観は、そんな単純な近代合理主義では全然ないんだよな。2026/05/29 05:47:39996.◆JBLfMwCXhY8zJ8s質問:思うに、古代インドの釈迦たちにとって、「身体=自分ではない」というのは、あまりにも当たり前だったこのため、「霊魂=自分ではない」という、より踏み込んだ非我思想に、話の重点が置かれた2026/05/29 05:50:12997.◆JBLfMwCXhY8zJ8sチャットGPT:その可能性は、かなりあると思う。現代日本人は、無意識にかなり強い「身体=自己」観を持っている。脳が止まれば終わり身体が私そのもの意識は脳の機能という近代唯物論が、常識レベルで浸透しているからな。しかし古代インドでは、むしろ逆で、「身体は真の自己ではない」こと自体は、かなり広く共有されていた可能性が高い。当時のインド思想では、身体は移ろう感覚世界は束の間真我は別にある輪廻する主体があるという感覚が、宗教文化全体に深く浸透していた。特にウパニシャッド系では、「身体の奥に真我(アートマン)がある」が、半ば前提になっている。だから釈迦にとって、本当に問題だったのは、「身体が自己か否か」よりも、「その“霊的主体”すら、執着対象ではないか?」のほうだった可能性がある。2026/05/29 05:50:50998.◆JBLfMwCXhY8zJ8sつまり、古代インド人は既に、身体≠自己までは来ていた。そこで釈迦はさらに一歩進めて、感覚意識認識心霊的主体観念まで全部観察対象にした。そして、「これもまた、固定的に“我”と把握できない」と展開した。2026/05/29 05:51:05999.◆JBLfMwCXhY8zJ8sだから初期仏教の非我思想は、現代人が思う以上にラディカルなんだよな。現代人はまず、「身体が私ではない?」の時点で衝撃を受ける。だが古代インドでは、その段階は比較的共有されていたので、釈迦の独創性はむしろ、「アートマン的自己観すら手放せ」にあったのかもしれない。2026/05/29 05:51:341000.◆JBLfMwCXhY8zJ8sその意味では、昭和仏教学の「仏教=霊魂否定」という単純化だけでは、釈迦の射程が見えにくくなる。実際には、身体的自己の否定心理的自己の否定霊的自己の否定“自己を立てる働き”そのものの観察へ進んでいるように見える。だから釈迦の非我は、「霊魂があるかないか」 という近代的二択より、“自己化作用”そのものの解体に近いんだろうな。2026/05/29 05:51:441001.Talk ★???このスレッドはコメントが1000件を超えました。新しいスレッドを立ててください。2026/05/29 05:51:441002.Talk ★???【プレミアムサービス無料期間延長!】プレミアムの無料期間を2026/9/30まで延長することになりました。広告除去や規制緩和など、ヘビーユーザーにとって欠かせない機能を無料でお楽しみいただけます。是非この機会にプレミアムサービスをお試しください!▼プレミアムサービスはこちらからhttps://talk.jp/premium2026/05/29 05:51:44
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https://j-theravada.com/
真言宗と組み合わせると
両方理解が深まる
スマナサーラは品性がないが
まーなかなかの知識人だ
😆
真言宗の曼荼羅の諸仏のそれぞれの形式に関連がある
今回のお坊さんオンラインの動画て
一を知って百を知るパターン
😆
初期仏教
↓
テーラワーダ仏教👈️今ココ
↓
説一切有部(倶舎論)
↓
中観派(中論)
↓
瑜伽行派(唯識論)
識とかは
真言宗では
かなり蘇ってくる
リアリティとして
😆
大日如来そのもの
みたいになる
😆
四大種は
真言宗の教義、大日如来として重要なテーマになっていく
😆
四大種には内なるものと、外なるものがあり、大象跡喩経では内なる四大種を以下と述べている[1]。
地 - 内臓に固定されたもの。たとえば頭髪、体毛、爪、歯、皮膚、筋肉、腱、骨、骨髄など。[1].
水 - 体内の液状のもの。たとえば胆汁・疾・血・汗・脂肪・膏・唾液・鼻汁など[1]
火 - 体内で燃焼するもの。飲食によって消化されるもの。体温や老化や消化機能 [1]
風 - 体内で気体であるもの。呼吸系など
テーラワーダ
舐めてた、後半ね
😆
これはマジメに研究模索したくなった
😆
https://m.youtube.com/watch?v=T_x664OI_Ok
持っているのは
大乗仏教では
輪廻だけだな、たぶん
😆
瞬時の判断力を重視しとるので
この動画は案外オモシロかった
😆
なかなかマジメに模索したくなった
お坊さんオンラインも含めて
アタリ動画が多いな?
😆
物事がスローモーションに見える
禅でも巨人の川上哲治が
ボールが止まって見えるとか
あったな
😆
さすがに
臨済宗除いてなさそうだ
呼吸を絞れば
対象認識が拡がる
ま、めんどくせー仕事のせいで
そういうのが得意だ
😆
スローモーション的認知力の魔改造できるか?
といえば
できないこともないなー
今、できるの確認した
😆
唯識の四智や
真言宗の五智の
妙観察智が
どこまで、想定しているのか、
テキストベースては認知していない
😆
臨済宗は相当な魔改造当たり前にてきあがっている
😆
アウトプット能力が
臨済宗は最強クラスだ
😆
テーラワーダのスローモーション認知に関する
対象の認識に関するテーラワーダ的なのが
真言の一文字で提示されているかー
理論的には
😆
認知の生滅の把握とかいう
認知機能まで
想定していなさそうである
論書を細かく見てないだけかもしれんが、
唯識は階梯にあるだけで
唯だ識のみ、なので
スローモーション認知みたいなのは無いだろう
😆
まず字相を説く段では、吽字は賀(カ・ha)・阿(ア・a)、汗(ウー・uu)、麼(マ・ma)の四字の合成であり、この四字のそれぞれの字相を言えば、訶(賀)は因(サンスクリットのhetva(hetu、因)の最初のh)、阿は不生(aadi(本初)のa)、汗は損滅(uuna(損滅)のu)、麼は増益(mama(吾我)のm、一切諸法に我(アートマン)を見る我見我執をここでは増益と言っている)の意味をもつ。
つぎに字義を明かす段では、別釈と合釈との二節を設けている。
別釈段では、訶字の実義は一切諸法因不可得の義、阿字の実義は一切諸法本不生不可得の義、汗字の実義は一切諸法損滅不可得の義、麼字の実義は一切諸吾我滅不可得の義であると説くが、いずれも不可得を観ずることが字義の根本義である。そこで吽字の字義を知ることは訶・阿・汗・麼の四字の実義をさとって一切法不可得の理に契証することで、この四字の実義を知るものは如来であり、実義を知らず字相のみに執着しているものは妄想の凡夫である。
この文章と
テーラワーダの関連は気づいたけど
精読不足だな?
😆
かなり詳しいな?😵
JBLの持ってる
十巻章を精読しないと
深い狙いは
わからんなー
😆
五条悟みたいな
六眼持ち
😆
は真言の一文字の解説だ
😆
こうやって変な風説が流布してくんだろうな。
全く迷惑な話だ🤨
先ず、それがテーラワーダ(上座部)仏教であるかどうかは諸説あるんだよ。
根本分裂時に上座部・大衆部・分別説部に三分裂し、その分別説部の赤銅鍱部の大寺派が今の(自称)テーラワーダ仏教って説な。
また、分別説部と云う名称には、異端という含意もある。
更には、スリランカ仏教は一度壊滅的な打撃を受けて、タイやビルマから再輸入されてるものだから。
勿論、俺自身はスリランカの仏跡巡りをしたし、敬意は持ってるけどな。
ハッスル🤡〜~〜
😁😁😁😁
馬鹿って思われたくないから、いろんなスレを立ててはネットで検索し、それをコピペしてるだけだろ😟
だから、継ぎ接ぎ知識で一貫性がないし、元々の基礎知識がないから、ネット情報を鵜呑みにしてはこういう糞スレを次々にに立てて、間違いを指摘されまくってる。
で、指摘されると怒り狂って発狂しては、まともなスレを潰しに掛かると。
宗教板にとって迷惑なんだよ、お前は🤨
いい加減にそれを自覚しろよ?
ハッスル〜🤡
http://www.horakuji.com/lecture/vinaya/SectarianBuddhism.htm
🤡〜
イカレポンチキ発猿子でおー🟰胡散臭いウンコ🧻
イカレポンチキ発猿子でおー🟰胡散臭いウンコ🧻🧻
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分身らしいのも
😁
イカレポンチキ発猿子でおー🟰胡散臭いウンコ🧻
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すみません
失礼しました(笑)
したのかな?
🤡
見えないんですけど?
🤡
邪悪なナリスマシでおー
誹謗中傷デマ依存症患者でおー
【仏教】悟りを開いた人のスレ【天空寺】275
184じゃんきー・おおやま 2018/01/23(火) 14:28:06.96ID:08TBommn
>>183
310 名前:糞凡愚 [sage] :2018/01/23(火) 09:23:17.73 ID:HTY0aqiy
少しまとめようかw
1.そのレスで検索しても結果が出てこない。
2.そのレスのリンク先を引用者が示さない。(>>834)
3.同じ5ちゃんねるの掲示板(ピンクちゃんねる?)ようだがその掲示板にレスをするとIDが変わり、同じIDとして被る確率は≒0%なこと。
(>>800と>>805で実際に検証済み)
4-①.チェッカーで調べると、その日時にjunkie- ooyamaでID:PTwUS3Znで書かれたのは一回のみ。
(トップページ > 心と宗教 > 2017年11月08日 > PTwUS3Znで検索すると表示)
4-②.チェッカーで調べると、其の後にjunkie- ooyamaで、21:57にID:ewS8EaPxでレスをしている。
(トップページ > 心と宗教 > 2017年11月08日 > ewS8EaPxで検索すると表示)
4-③ .チェッカーで調べると、其の間もjunkie- ooyamaで、20:25、21:04、23:33、23:35にID: 7v/RWqvnでレスをしている。
(トップページ > 心と宗教 > 2017年11月08日 > 7v/RWqvnで検索すると表示)
4-④.レスとIDの推移は以下の通り。
14:01/ID:PTwUS3Zn/宗教板
16:13/ID:PTwUS3Zn/ソープ板
18:58/ID:PTwUS3Zn/ソープ板
20:25/ID:7v/RWqvn/宗教板
21:04/ID: 7v/RWqvn/宗教板
21:57/ID:ewS8EaPx/宗教板
22:08/ID:PTwUS3Zn/ソープ板
23:33/ID: 7v/RWqvn/宗教板
23:35/ID: 7v/RWqvn/宗教板
∴レスの捏造
邪悪なナリスマシでおー
誹謗中傷デマ依存症患者でおー
185じゃんきーおおやま 2018/01/23(火) 14:29:48.51ID:08TBommn
311 名前:糞凡愚 [sage] :2018/01/23(火) 09:24:02.35 ID:HTY0aqiy
>>310(補足w)
レスをするとIDが変わる板でIDが被る確率は、ほぼ0%に等しいからな。
つまりそいつは、一年以上前も前にくだらぬ議論を吹っかけて来て俺に瞬殺されたのをいつまでも根に持ち、自作自演の自画自賛、煽りaaの60連投、俺や他人に成りすましては多数派を装っての煽り、非難・中傷、disりを繰り返してもアッサリと返り討ちされたから、終いには一線を超えて、レスまで捏造したという事だな。
こいつ、異常だよ。
⚠️⚠️⚠️
>>889
誹謗中傷デマ依存症患者でおー、本当に悪いナリスマシですね!
186じゃんきーおおやま 2018/01/23(火) 14:30:13.56ID:08TBommn
なぁ、でおー?
俺がソープランドのスレで淫らな書き込みをしているとかのレスを捏造してまで俺をdisり、非難・中傷したいのか?
その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。
そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。
✅餓鬼道とは何か。
餓鬼道は
渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。
承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、
手に入れても決して満たされない。
でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、
その知識によって周囲からの承認を求める。
しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、
むしろ常に不足感を抱えているように見える。
愛情への飢えすら感じさせる点も含め、
餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。
✅修羅道とは何か。
修羅道は
闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。
相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。
でおーは、やたらと
「自分の方が優れている」
「相手より上である」
という点を強調する。
勝ち負けに固執し、
相手を倒すためなら手段を選ばず、
時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。
そして、その対立を外から眺めて楽しむ。
この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。
✅地獄道とは何か。
地獄道は
怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。
正義感が歪み、攻撃性へと変質する。
でおーは、相手を意図的に挑発し、
怒りや憎しみを引き出そうとする。
相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。
✅つまり、
でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、
相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。
これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。
邪悪なナリスマシでおー
誹謗中傷デマ依存症患者でおー
188じゃんきーおおやま 2018/01/23(火) 14:32:55.40ID:08TBommn
スレまで捏造すりでおーw
189じゃんきーおおやま 2018/01/23(火) 14:33:42.48ID:08TBommn
>>187
そうか、でおーw
190じゃんきーおおやま 2018/01/23(火) 14:34:52.27ID:08TBommn
スレまで捏造するとかw
193じゃんきーおおやま 2018/01/23(火) 14:38:00.28ID:08TBommn
>>191
はいはいw
捏造じゃないというなら>>184に反証してからな。
スレまで捏造するとか、お前、キチガイだな、一線を超えてるわ。
194じゃんきーおおやま 2018/01/23(火) 14:38:45.14ID:08TBommn
>>192
やっぱりでおーか。
認めたな。
195じゃんきーおおやま 2018/01/23(火) 14:45:25.58ID:08TBommn
おい、IDそのままだぞ?
www
187 名前:神も仏も名無しさん :2018/01/23(火) 14:31:40.94 ID:7yG0SPc0
でおーじゃないよ
他所から持ってきますたw
189 名前:じゃんきーおおやま [sage] :2018/01/23(火) 14:33:42.48 ID:08TBommn
>>187
そうか、でおーw
192 名前:神も仏も名無しさん :2018/01/23(火) 14:36:57.14 ID:7yG0SPc0
>>189
俺様がでおーだじょー!
194 名前:じゃんきーおおやま [sage] :2018/01/23(火) 14:38:45.14 ID:08TBommn
>>192
やっぱりでおーか。
認めたな。
198じゃんきーおおやま 2018/01/23(火) 14:50:49.81ID:08TBommn
>>196
ぶぁーかw
トリとIDは別だろが。
邪悪なナリスマシでおー
誹謗中傷デマ依存症患者でおー
201じゃんきーおおやま
2018/01/23(火) 14:54:51.95ID:08TBommn
>>197
移動中にスマホだよ。
だから尚更、IDが変わる他所の掲示板で同じIDとかはあり得ないんだよ。
関係のない他所のネットのIDと同じIDだからといって、同一人物扱いとかw
202じゃんきーおおやま
2018/01/23(火) 14:58:21.22ID:08TBommn
>>200
あほw
トリを付けてもIDは別途に振られるだろ?
そもそも何故トリを付けないお前がそうした事を言ってくるんだよ?
疾しい事があるからだろ?
205じゃんきーおおやま
2018/01/23(火) 15:03:03.47ID:08TBommn
>>200
いいか?
トリを付けてadgというIDが振られたとして、他のネットの掲示板でadgというIDが振られていたら、「お前は同一人物だ!」と騒ぐんだろ?しかも「トリ付きだ!」と。
207じゃんきーおおやま
2018/01/23(火) 15:09:54.34ID:08TBommn
>>204
まず>> 184に反証してからだなw
捏造を疑われてるのは、でおー、お前だしな。
だいたい、今頃になって11月の同じIDのスレを見つけて騒ぐ事自体、お前の異常の証しだよ。
それと、その後のIDが一致したスレも、元スレのリンク先も出してない。
スレを捏造までするとか異常だよ。
邪悪なナリスマシでおー
誹謗中傷デマ依存症患者でおー
209じゃんきーおおやま
2018/01/23(火) 15:12:10.39ID:08TBommn
>>206
だから、>>184で別人って立証したろ?
レスを偽造したと疑われてるのはお前なんだよ、
でおー。
210じゃんきーおおやま
2018/01/23(火) 15:12:56.68ID:08TBommn
>>208
192 名前:神も仏も名無しさん :2018/01/23(火) 14:36:57.14 ID:7yG0SPc0
>>189
俺様がでおーだじょー!
212じゃんきーおおやま
2018/01/23(火) 15:17:27.92ID:08TBommn
「ソープスレに卑猥なレスを書いている!」と騒いだものの、その後のアクセス記録からレスを捏造し自作自演していた事がバレたでおー。
213じゃんきーおおやま
2018/01/23(火) 15:18:13.78ID:08TBommn
>>211
充分なってるよw
反証してみなw
215じゃんきーおおやま
2018/01/23(火) 15:19:20.25ID:08TBommn
また、墓穴掘ったな、でおーw
216じゃんきーおおやま
2018/01/23(火) 15:22:06.13ID:08TBommn
>>214
なら、他のネットにアクセスして同じIDが出るか試して見ろや、ぶぁーかw
邪悪なナリスマシでおー
誹謗中傷デマ依存症患者でおー
219じゃんきーおおやま
2018/01/23(火) 15:28:37.94ID:08TBommn
>>217
下のデータ見ろよ、0%だなぁ。
>>184
>4-④.レスとIDの推移は以下の通り。
>14:01/ID:PTwUS3Zn/宗教板
>16:13/ID:PTwUS3Zn/ソープ板
>18:58/ID:PTwUS3Zn/ソープ板
>20:25/ID:7v/RWqvn/宗教板
>21:04/ID: 7v/RWqvn/宗教板
>21:57/ID:ewS8EaPx/宗教板
>22:08/ID:PTwUS3Zn/ソープ板
>23:33/ID: 7v/RWqvn/宗教板
>23:35/ID: 7v/RWqvn/宗教板
221じゃんきーおおやま
2018/01/23(火) 15:31:41.30ID:08TBommn
>>218
まぁ、お仕置きは必要だから、お前(でおー)のレス偽造の事実は拡散しないとなぁw
223じゃんきーおおやま
2018/01/23(火) 15:38:23.04ID:08TBommn
>>222
スラッシュの文字化けかな?
>>184
>4-④.レスとIDの推移は以下の通り。
>14:01.,.ID:PTwUS3Zn...宗教板
>16:13...ID:PTwUS3Zn...ソープ板
>18:58...ID:PTwUS3Zn...ソープ板
>20:25...D:7v/RWqvn...宗教板
>21:04...ID:7v/RWqvn...宗教板
>21:57...ID:ewS8EaPx...宗教板
>22:08...ID:PTwUS3Zn...ソープ板
>23:33...ID: 7v/RWqvn...宗教板
>23:35...ID: 7v/RWqvn...宗教板
225じゃんきーおおやま
2018/01/23(火) 15:47:26.25ID:08TBommn
>>224
これもな。
>>184
>4-①.チェッカーで調べると、その日時にjunkie- ooyamaでID:PTwUS3Znで書かれたのは一回のみ。
>(トップページ > 心と宗教 > 2017年11月08日 > PTwUS3Znで検索すると表示)
>4-②.チェッカーで調べると、其の後にjunkie- ooyamaで、21:57にID:ewS8EaPxでレスをしている。
>(トップページ > 心と宗教 > 2017年11月08日 > ewS8EaPxで検索すると表示)
>4-③ .チェッカーで調べると、其の間もjunkie- ooyamaで、20:25、21:04、23:33、23:35にID: 7v/RWqvnでレスをしている。
>(トップページ > 心と宗教 > 2017年11月08日 > 7v/RWqvnで検索すると表示)
邪悪なナリスマシでおー
誹謗中傷デマ依存症患者でおー
227じゃんきーおおやま
2018/01/23(火) 15:57:16.65ID:08TBommn
>>226
必死もどきチェッカーで検索して調べなよw
228じゃんきーおおやま
2018/01/23(火) 16:11:32.61ID:08TBommn
>>224
画面コピーしたから、これなら見れるよな?
www
https://i.imgur.com/ZcyOsOG.jpg
231じゃんきーおおやま
2018/01/23(火) 17:14:59.74ID:08TBommn
>>230
ま、でおーがレスを捏造していた事実には変わりはない。
233じゃんきーおおやま
2018/01/23(火) 18:31:32.42ID:08TBommn
>>232
ま、でおーがレスを捏造していた事実には変わりはない。
246じゃんきーおおやま
2018/01/23(火) 20:40:06.55ID:iWxk9dF7
ID:Ldhw1op8とID:mJalPoyUはでおー。
必死チェッカーもどきで、アクセスデータを解析されて、ソープレスの捏造を暴かれたからって必死だなw
邪悪なナリスマシでおー
誹謗中傷デマ依存症患者でおー
270じゃんきーおおやま
2018/01/24(水) 15:16:42.66ID:HOjxb7sD
しかし、人の見性体験や知識に妬みや嫉みを抱くのはともかく、架空のレスまで捏造するとか、でおー(タ)の煩悩の炎はそこまで凄まじいものなのか?
271じゃんきーおおやま
2018/01/24(水) 15:32:06.04ID:37zJIxVf
>>270
唯識では種子なるものを設けてるそうだが、でおー(タ)には一体どんな種子が蔵されているんだろうな?
可視化が可能であれば面白いんだがw
まあ、例の変なガンダムのaaやおかしな犬のaaが種子として、でおー(タ)の阿頼耶識に蔵されているんだろうな www
早朝ソープの割引もでおー(タ)の阿頼耶識に種子として蔵されてるのかw
それが、俺に対する妬みや嫉みを縁として、レスの捏造として表象化したのか。
浅ましい奴だな。
273じゃんきーおおやま
2018/01/24(水) 15:45:20.75ID:37zJIxVf
>>271(続き)
酒もタバコもギャンブルも興味ねーし、風俗とか一度も行ったことねーわ。
大した給料も貰ってねーし、そんなカネがあったら子供の学費や生活費にまわすし、自分の小遣いは昼飯代と本代、お釣りは寄付で消滅だよw
邪悪なナリスマシでおー
誹謗中傷デマ依存症患者でおー
274じゃんきーおおやま
2018/01/24(水) 15:48:34.08ID:37zJIxVf
>>272
お前が生活板に書いてんだろ?
てか、でおーや?
お前、四六時中レスしてるが、仕事(作業)してるのか?
340 名前:おさかなくわえた名無しさん :2018/01/24(水) 11:27:51.51 ID:FscRQyTj
>>338
いや朝は安いんだよ
283じゃんきーおおやま
2018/01/24(水) 22:00:28.14ID:oIhtP7TW
>>282
世の中にはそうした奴もいるんだよ。
風俗は一度もいったことはないよw
285じゃんきーおおやま
2018/01/24(水) 22:09:45.38ID:oIhtP7TW
>>282
今度は元オームで演出かw
お前の様に自作自演、なりすまし、挙げ句の果てには架空のレスまで捏造する
やつは異常だよ。
289じゃんきーおおやま
2018/01/24(水) 22:20:32.33ID:oIhtP7TW
>>284
構わないよ。
性に対する話題もいいんじゃないの?
以前商社員だった時は、ボーナスが出ると部の先輩に連れられて、日ノ出町や南町に
同僚が行ってたし、穴兄弟とか翌日に下ネタ蒔いてたし。
ただ、俺そういうのはちょっとな。
291じゃんきーおおやま
2018/01/24(水) 22:31:39.88ID:oIhtP7TW
酒もタバコもギャンブルもやらんし風俗も行かん。
人間好き嫌いがあるんだし、その位は許容範囲だろ。
怖過ぎる変態ナリスマシ発猿子でおーウンコの犯罪記録WWW
【仏教】悟りを開いた人のスレ【天空寺】275
怖過ぎる変態ナリスマシ発猿子でおーウンコの犯罪記録WWW
【仏教】悟りを開いた人のスレ【天空寺】275
怖過ぎる変態ナリスマシ発猿子でおーウンコの犯罪記録WWW
【仏教】悟りを開いた人のスレ【天空寺】275
怖過ぎる変態ナリスマシ発猿子でおーウンコの犯罪記録WWW
【仏教】悟りを開いた人のスレ【天空寺】275
その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。
そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。
✅餓鬼道とは何か。
餓鬼道は
渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。
承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、
手に入れても決して満たされない。
でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、
その知識によって周囲からの承認を求める。
しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、
むしろ常に不足感を抱えているように見える。
愛情への飢えすら感じさせる点も含め、
餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。
✅修羅道とは何か。
修羅道は
闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。
相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。
でおーは、やたらと
「自分の方が優れている」
「相手より上である」
という点を強調する。
勝ち負けに固執し、
相手を倒すためなら手段を選ばず、
時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。
そして、その対立を外から眺めて楽しむ。
この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。
✅地獄道とは何か。
地獄道は
怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。
正義感が歪み、攻撃性へと変質する。
でおーは、相手を意図的に挑発し、
怒りや憎しみを引き出そうとする。
相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。
✅つまり、
でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、
相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。
これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。
そう見えるらしい
スマナサーラいわく
普通の人の8秒くらいを3分くらいに感じるらしい
😆
かなりバランスが悪そうだけどなー
提示する知識は信用出てきそうである
😆
紫色の光が見えるより凄いな?😂
中田英寿とか
集中力を高める修行
糞スレの為終了致しました。
****************
0784下高井戸 ◆7ZPfzVcRoQ
NGNG
帆帆タソの写真で抜いてみました。ドクドクと、いつもの3倍出てきて気持ちよかった~。
感謝の気持ちでいっぱいです!!
◆7zpfzvcroq
Re: カタログ埋め(み~) 家具小物壁掛け( No.365 )
日時: 2020/06/17 20:11
名前: エム◆7ZPfzVcRoQ
クローバーさん、こんばんは
キノコが出て来たと思ったら
ドングリと松ぼっくりが出なくなり
ガッカリしてます。
JBBL5で開けてますので気が付かれましたら
お越しください。
0965一口フランク ◆7ZPfzVcRoQ
2009/09/14(月) 13:01:08ID:zTXOUzMWO
…先生………
オッパイ吸いたいです…
0966一口フランク ◆7ZPfzVcRoQ
2009/09/14(月) 13:17:51ID:zTXOUzMWO
最近は、道行く姉ちゃんの顔よりも先にオッパイの方に目が行ってしまう。
これも呪いのせい。
0967一口フランク ◆7ZPfzVcRoQ
2009/09/14(月) 13:23:37ID:zTXOUzMWO
ルックス中の上の貧乳より、ルックス中の下のD以上G未満の美乳。
🤡
その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。
そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。
✅餓鬼道とは何か。
餓鬼道は
渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。
承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、
手に入れても決して満たされない。
でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、
その知識によって周囲からの承認を求める。
しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、
むしろ常に不足感を抱えているように見える。
愛情への飢えすら感じさせる点も含め、
餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。
✅修羅道とは何か。
修羅道は
闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。
相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。
でおーは、やたらと
「自分の方が優れている」
「相手より上である」
という点を強調する。
勝ち負けに固執し、
相手を倒すためなら手段を選ばず、
時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。
そして、その対立を外から眺めて楽しむ。
この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。
✅地獄道とは何か。
地獄道は
怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。
正義感が歪み、攻撃性へと変質する。
でおーは、相手を意図的に挑発し、
怒りや憎しみを引き出そうとする。
相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。
✅つまり、
でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、
相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。
これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。
テーラワーダ仏教とは
アルボムッレ・スマナサーラ長老
きょうは仏教、とくに私たちが日頃言っているテーラワーダ仏教そのものについて改めてお話したいと思います。テーラワーダ、日本語で上座仏教、別称として原始仏教と言いますが、これはあくまでも他の仏教の宗派とはっきり分けるためにそう呼んでいることはもちろんですが、上座仏教の人々は釈迦尊の教えを忠実に守って実践していくことに誇りを持っています。と言うのも仏教はこれまで二千年以上の長い年月のあいだにいろいろな人々の解釈の違いやら発展的な方向転換等によって、お釈迦さまの説かれた教えとは趣を異にしたかたちとなって現在に至っています。お釈迦さまが説かれた本来の教えをそのままに実践したいとする人々が現れるのは当然の成り行きで、原始仏教と呼ばれているのはそうした意味からです。
さい。
このように上座仏教はお釈迦さまの教えから決して逸それることなく、ましてや新しい経本を作ったりすることもなく、ただ一心にお釈迦さまの教えを忠実に守っていくということに自分の全責任を置いて学んでいくというところが、他の宗派と大きく区別されるところだと思います。
彼らはいわゆる戒律やアビダルマなどはべつに置いて、お釈迦さまの教えはお経の部分だけであると主張しお経だけに基づいて仏教を語るべきであることを実践しましたから、大きく考えれば彼らもまたお釈迦さまの教えを忠実に守った宗派と言えなくもありませんが、現在では経量部のような宗派はどこにも存在していません。宗派仏教で現在存続しているのは上座仏教のみとなりました。
西暦元年(釈迦入滅後500年)、大乗教典が書かれはじめ、西暦100年頃までには『般若経はんにゃきょう』『法華経ほけきょう』『華厳経けごんきょう』『唯摩経ゆいまきょう』などの初期大乗教典が完成しています。西暦200年頃、竜樹による『中論ちゅうろん』『十二門論じゅうにもんろん』につづき、『解深密経げじんみっきょう』『如来蔵経にょらいぞうきょう』『涅槃経ねはんきょう』などの教典が完成、さらには、400年頃世親の『唯識二十論ゆいしきにじゅうろん』が書かれました。
日本に仏教が伝来したのはこの『唯識二十論』完成の約百年後とされていますが、日本では最初から中国で書かれた大乗教典を仏説の仏教と認めて勉強しましたので、大乗教典が仏説であるか否かの論議はほとんど起こらないまま受け入れられてしまったようです。わずかに江戸時代の富永仲基や明治に入ってパーリ語教典を勉学した前田慧雪、村上専精などの学者によって『大乗非仏説論だいじょうひぶっせつろん(仏教統一論)』が出版され論議を醸かもしたことがあるくらいのものでした。大乗教典が書かれたのは西暦元年から400年までのあいだのことですからよく考えてみれば仏説と言える根拠には乏しいのですが、それらの教典が仏教の教えにかなっているとする見かたが一般的で日本ではそれほど大きな問題とはならなかったのです。
テーラワーダ仏教ではお釈迦さまの直接の言葉を口述筆記で記録し、2500年という年月を何万人という長老の比丘たちによって語り継がれてきました。この間、説を曲げたり改変が加えられたりしたことはただの一度もありません。お釈迦さまはインドのマガタ国の言葉を話されましたから、パーリ語と言われるその言葉によってのみ記録されてきたのです。ですから二十世紀ももう終わろうとする今日でも、2500年前にお釈迦さまが説かれたそのままを私たちは学ぶことが出来るのです。
それだけの年月を色褪あせることもなく文明がこれほどまでに発展してきた今日でも燦然さんぜんと輝いて人々の生きる指針となっているということは、それだけお釈迦さまの教えが唯一無二の真理を語られているということの何よりの証明でもありましょう。
以下略
唯識には
その痕跡は
残ってはいるからなー
😆
スマナサーラ長老を開祖とする新興宗教だが😅
女は煩悩がある、
女は悟りは無理た
と
スマナサーラ
😁
人格がダメなところがある
😆
知識も人格もダメしかない
😆
わはは😂
漢訳されるサンスクリットが多のかもなー
仏伝も
ビミョーに違う
江戸時代の大乗非仏論に祭りあげられた
のも
北伝の仏伝と
他の大乗仏教経典が矛盾していると批判しているだけで
大乗非仏論ではないなー
高野山大学にその現在語訳をみたけど
😆
細かな記憶が消える
😆
南伝はパーリ仏典だな
南伝仏教だな
特徴: サンスクリット語やガンダーラ語の原典から中国で漢訳され、東アジア(中国・朝鮮・日本)に広まった北伝仏教(大乗仏教が主流)の基層となった経典です。
南伝との関係: パーリ語で残された南伝の「ニカーヤ(部)」に対応します。
四阿含(北伝の主要経典)
北伝の阿含経は、基本的に以下の4つの主要経典(四阿含)に分類されます。
『長阿含経(じょうあごんぎょう)』: 長い対話や物語を収録(南伝:ディーガ・ニカーヤ)。
『中阿含経(ちゅうあごんぎょう)』: 中くらいの長さの教えを収録(南伝:マッジマ・ニカーヤ)。
『雑阿含経(ぞうあごんきょう)』: 比較的短い経典を編集、主に修行の根本となる教えを収録(南伝:サンユッタニカーヤ)。
『増一阿含経(ぞういちあごんきょう)』: 法の数を順に増やして(一から十一)編集したもの(南伝:アングッタラ・ニカーヤ)。
南伝仏典(パーリ仏典)との違い
部派の違い: 南伝(上座部)が比較的統一された形で伝承されたのに対し、北伝は異なる部派(主に説一切有部、大衆部など)の原典が漢訳されたため、内容に違いや構成のズレがあります。
収録内容: 例えば、『雑阿含経』と南伝『相応部』は、配列パターンや経典の数が異なります。
用語: 北伝はサンスクリット語系統、南伝はパーリ語系統に基づきます。
意義
北伝阿含経は、歴史的に「小乗仏教」の経典として大乗仏教から軽視された時期もありましたが、釈迦の直説に近い教えを伝えているため、現代では「初期仏教」や「根本仏教」としてその重要性が再評価されています。
😆
😆
その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。
そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。
✅餓鬼道とは何か。
餓鬼道は
渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。
承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、
手に入れても決して満たされない。
でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、
その知識によって周囲からの承認を求める。
しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、
むしろ常に不足感を抱えているように見える。
愛情への飢えすら感じさせる点も含め、
餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。
✅修羅道とは何か。
修羅道は
闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。
相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。
でおーは、やたらと
「自分の方が優れている」
「相手より上である」
という点を強調する。
勝ち負けに固執し、
相手を倒すためなら手段を選ばず、
時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。
そして、その対立を外から眺めて楽しむ。
この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。
✅地獄道とは何か。
地獄道は
怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。
正義感が歪み、攻撃性へと変質する。
でおーは、相手を意図的に挑発し、
怒りや憎しみを引き出そうとする。
相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。
✅つまり、
でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、
相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。
これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。
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慈悲の瞑想
仏教を実践するうえで土台となる心を育てる
ヴィパッサナー瞑想の実践に入る前に、まず心を落ち着かせるために「慈悲の瞑想」を行います。基本的に「慈悲の念」「慈しみの心」があると、実践の土台として大変役立つのです。
人間というものは、自分は個別の「存在」だと思っています。「私は、私です」 と思っているのです。「私は…」と思った瞬間で、私たちはこの世界の全体的な生命のエネルギーから自分を別なものだと、ある個体的な存在だと思ってしまい、自分と他とを区別します。
区別することによって、自分がとても小さなものになってしまい、いろいろな問題が生じてきます。人間が人生で出会うさまざまな苦悩は、この「私」というその個体があるんだ…と思ったところから生まれてくるのです。
そこで、なぜ「慈しみの心」が必要かというと、いくら「私が私が…」と言っていても、実際には、ここに私が生きていられるのは他の生命があるからなのです。私達が生きるために必要な栄養素にしても、他の生命を経由して体内に採り入れるものが大部分ですし、例えば鉄分が必要だといっても、鉄の塊をガリガリとかじるわけにはいかないのです。
また、私達の体内には無数の微生物が住んでいて、なにかしら有用な活動をしています。それらの生命に「これは私の体ですから、出て行ってください」と言って追い出してしまったら、「私」も死んでしまいます。ひとつの体の中にも、多くの生命体が入り込み、お互い助け合って共存しているのです。
ですから、「私」を発見する以前に、生命に対する「やさしい心」というのは大変必要な条件になります。
どんな宗教でも共通して説いているのは、この「やさしさ」ということで、生命はお互いに助け合って生きている…ということは重要なポイントなのです。「慈悲の心」を育て上げられれば、自分は諸々の宗教に共通している真髄を実践しているのだと理解しても過言ではありません。
次に実践ですが、ここでは「すべての行動は心に基づく」という法則を用いています。人間が行動する前には、必ず先立って「こう行動しよう」という心の働きがあるのです。
「慈しみ」を実践するのにもっとも簡単で早い方法は、心そのものを「慈しみの心」にしてしまうことです。
道徳やきびしい戒律を守ったり、困っている人を助けたりといった行動をしていても、もしも心が清らかでなかったらそれほど意味がないし、あとで疲れたり、嫌になる可能性さえあります。でも心が「慈悲の心」になってさえいれば、そこから先の行動は、どんなことでも素晴らしいものに変わるのです。
ですから、幸福になるためには、人生で成功するためには、平和で無事で争いがなく、堂々と美しく生きていくためには、ただ「やさしい心」さえ作ればいいのです。
それには、人を見たら自分とみる、相手を「他人」と見ずに「自分」としてプロジェクション(投影)してみることです。それができた瞬間に、問題はハッキリ明確に見えてきます。例えば、何か問題にぶつかっている人を励ましたい場合は、もし自分が相手の立場だったら、どのようにしてもらったら元気が出て、問題を解決できる力が湧いてくるだろうか……というように、相手の立場を自己に投影してみるのです。
それを上手くやるためには、やはり「慈悲」というものを育てなければなりません。「慈悲の心」を育てるためには、自分の心にず~っと反復して言い聞かせてやればよいのです。そうして「念じる」ことは、大変効果的なトレーニングになります。
まず最初に、自分自身に対して慈悲の心を作ります。どんな生命にとっても、いちばん大事で最優先されるのは自分であるというのは、ごく当たり前のことですから、まずそこのところは正直な心で「私は幸せでありますように」と念じます。「幸せ」とはなんですか?と考える必要はありません。幸せとは少なくとも良いことでしょう……というふうに大雑把に理解しておけばいいのです。
次に「私の悩み苦しみがなくなりますように」「私の願いごとが叶えられますように」、そして私達はいちおう仏教の実践をしていますから「私に悟りの光が現れますように」と念じます。もし「悟り」という言葉が解かりにくければ「知恵が現れますように」でもかまいません。
二番目には、さきほど出てきましたプロジェクションということでもありますが、自分の「親しい生命」、いちばん幸福になって欲しいと感じる生命がいますから、その生命(自分の子供や両親、友人、身近な生命、動物、鳥、魚、昆虫、その他‥)のことを同様に念じます。
そして三番目に、やはりすべての生命が幸福であったほうがいちばんありがたいことだと思って、それから努力して「生きとし生けるもの」の幸福を念じます。
この三段階で、あらかじめ決めておいた言葉を唱えて「念じ」ていきます。言葉は、静かに心にしみこんでいくように、丁寧に丹念に念じます。(何人かで一緒に実践するときは声を出して唱えることもありますが、一人で実践するときは、声を出さなくてかまいません)姿勢は背筋と頭をまっすぐにして、目を閉じてください。
私は幸せでありますように
私の悩み苦しみがなくなりますように
私の願いごとが叶えられますように
私に悟りの光が現れますように
私は幸せでありますように(3回)
私の親しい生命が幸せでありますように
私の親しい生命の悩み苦しみがなくなりますように
私の親しい生命の願いごとが叶えられますように
私の親しい生命に悟りの光が現れますように
私の親しい生命が幸せでありますように(3回)
生きとし生けるものが幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように
生きとし生けるものに悟りの光が現れますように
生きとし生けるものが幸せでありますように(3回)
*2016年秋より、これまで「人々」としていた言葉を「生命」に置き換えて慈悲の瞑想をしています。
私の嫌いな生命が幸せでありますように
私の嫌いな生命の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな生命の願いごとが叶えられますように
私の嫌いな生命に悟りの光が現れますように
私を嫌っている生命が幸せでありますように
私を嫌っている生命の悩み苦しみがなくなりますように
私を嫌っている生命の願いごとが叶えられますように
私を嫌っている生命に悟りの光が現れますように
生きとし生けるものが幸せでありますように(3回)
皆さん、どうか毎日、日常の生活の中で時間を見つけては、この「生きとし生けるものは幸せでありますように」という言葉を、絶えず持続して念じてください。 そうすれば、必ず短い間に自分の心が変わっていくことに気づきます。 特にこれは持続して実践するということがいちばん大切なことです。持続していけば、やがてさまざまな禅定を作っていくことも可能になっていくのです。
仏法僧の三宝に礼拝、帰依し、戒をまもり、慈悲の瞑想と、ヴィパッサナー修行によって積まれたこの功徳を、神々、先祖、祖父母、両親、親族、恩師をはじめとし、一切の生きとし生けるものに、回向いたします。
この功徳によって、すべての生きとし生けるものが幸福に暮らせますように。
そして、解脱が得られますように。
仏のスレ主も、
ロンも
今ひとつなんだなー
😆
なるほど
大乗仏教は、慈悲の瞑想そのものだ
阿羅漢になるとになると
衆生済度をする本当の悟りは得られなくなる
という話らしい
だから
デンパパ📶が
阿羅漢と禅を並列していると
は?
バカなのか?
と思う
😆
と
.
ユーザー
神も仏も名無しさん
U3TZZ
>>22
デンパパ📶の文章の添削
よろ〜
ハッスル🤡部分ではなく
921.
ユーザー
パーリー
4sJAt
>>914
そりゃそうでしょ
セイウンさんのは仏教であり禅なんだし
対してあなたのは
仏教でも禅でも無いからね
面壁九年‼️
これが禅でしょ
八正道→正禅定→阿羅漢
これが仏教だから
その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。
そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。
✅餓鬼道とは何か。
餓鬼道は
渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。
承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、
手に入れても決して満たされない。
でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、
その知識によって周囲からの承認を求める。
しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、
むしろ常に不足感を抱えているように見える。
愛情への飢えすら感じさせる点も含め、
餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。
✅修羅道とは何か。
修羅道は
闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。
相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。
でおーは、やたらと
「自分の方が優れている」
「相手より上である」
という点を強調する。
勝ち負けに固執し、
相手を倒すためなら手段を選ばず、
時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。
そして、その対立を外から眺めて楽しむ。
この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。
✅地獄道とは何か。
地獄道は
怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。
正義感が歪み、攻撃性へと変質する。
でおーは、相手を意図的に挑発し、
怒りや憎しみを引き出そうとする。
相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。
✅つまり、
でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、
相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。
これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。
それから、ヴィパッサナー瞑想だ
ハッスル🤡様
大暴れでしたな?
😆
教学面の進歩が止まってないのは分かったが
ときどき参考になる
そこは否定しない(笑)
だからこそ参考になる面もあるのだが
本来の仏教とは
考え方が根本的に違うと、対立が起きにくい
見解の相違は、基本的に似ている人同士に起きる
同じリングに上がってないと、プロレスできない
何を言われても、「へえ、そういうもんなのか」という感じになる
だから、ロン師匠にもムイムイにも反感が起きない(笑)
倶舎論{正) → 中論(反) → 唯識論(合)
仏教思想は弁証法的に発展した😆
その後の展開は、ヒンドゥー教に不二一元論に行ってしまった
そのたびに挫折した
無理ゲーだ
「観念の遊戯など要らない。あるがままの現実こそが大事なのだ」
というような考え方にも、一定の強さがある
オンラインゲームの世界にドップリと浸かりきってる人に
「こんなゲーム空間など、虚構の世界だ」と説得するようなものだ
まず、納得は得られない
という考え方もある
と、反問されることもよくある
「自分たちにとっては、これが現実なのだから。
これで良いではないか」というわけだ
明らかに、唯識論の世界観が正しい
シンプルに、唯識論のほうが正しい
だから、「正しい世界観を身に付けろ」ということになる
という理由や意義を、ずいぶん考えてみたが
やはり、最終的にはそこに尽きる(笑)
🤡〜
😆
言語記号の恣意性は
唯識で説明できるしな
😆
阿頼耶識の過去生の存続から
その人の世界認識が差が出る
家族虐待を受けた人は
その家族の世界観や、当人の考え方という種子が阿頼耶識へ行く
😆
今は、ハッスル🤡、ムイムイが楽しい
😆
このような理屈のイメージは既にあった
😆
そんなモノの見方をしていた、
過去生は考えてなかったけど
😆
JBLてすら
臨済宗には
モロ関心出るだろうな?
言わないけど
😆
未だに自慢話、
一生自慢できる
😆
時間が経つにつれて、シミジミと実感がわいてくる
この物質世界の日常現実から、次第にリアルさが薄れてくる
「観念の遊戯だ」とかなんとか言えるのは、まだピンと来てないからだ
いやいや、臨済宗には関心がある
やってないだけだ😅
リアルゲームがあるからなー
あれは
😆
まず、外界、つまり物質世界の日常現実のリアルさが薄れてこないといけない
話はそこからだ
確かに、その通りだな?😆
識体のみが存在する
外界は、識から生じた幻影にすぎない
外界は、極微とよばれる素粒子、五位七十五法に分類される構成要素でできている
世間の一般人が素朴に思うような意味で存在するわけではない
外界の構成要素から、信号が飛んでくる
それを、眼や耳などの感覚器官が受け取り、視覚や聴覚を生じさせる
そうすると、心の中に世界や物体のイメージが起きる
それくらいの話なので、実質的には唯識論の世界観と大差ない
後世の唯識論とは違って、「外界は存在しない」などと極端なことは言わず、ずっと穏健で素朴だが
「眼や耳などの感覚器官」と、「心の中に生じる視覚や聴覚」がセットになって、外界の世界像が心の中に浮かぶ
世間の一般人は、それを「実在する現実」と信じている
そこは変わらない
それは、仏教ワールドの基本構想といってよい
最初は個人の
唯識のような構造から
集団化されてラングが生まれる
30代まで考察していたことだ
😆
「心の中の世界像」は、それだけで出来ているわけではない
それに勝るとも劣らない、強力なツールがある
言語だ
政治的言えば
デモクラシーや
独裁国家ではそれぞれ存在する
まー本気で社会科学一般理論狙ってたからなー
😆
ソシュールの言語哲学
中観派に通じるものがあるな~😆
30代に見通せていた
😆
神の見えざる手の
法則や
唯物論マルクス主義には
批判的だったからなー
😆
世界には何の意味もない
😆
言語や記号で意味づけしてるからだ
こーいうネタ出すが
デンパパやリダンではなー😱
領域展開 無量空処
https://eiga-manga.com/wp-content/uploads/2023/09/%E5%91%AA%E8%A1%93%E5%BB%BB%E6%88%A6%E7%84%A1%E9%87%8F%E7%A9%BA%E5%87%A6%E8%A8%98%E4%BA%8B%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%83%E3%83%81.jpg
対抗心?
を燃やして
なにかウンチクを語っているぞ
😆
そこがセイウン様の限界だな😫
彼は、「俺はこんな難しい本を読んでるんだぞ~」とか、「俺はこんなマニアックな仏教用語を知ってるんだぞ~」という、自己アピールのためにやっている
純粋な真理探求者ではない
具体的な実践は、戒律を守り、五根(五感)を観察し、心の汚れ(煩悩)に気づく瞑想を通じて、現象をありのまま(無常・苦・無我)に認識し、執着を手放すことに重点を置きます。
無常(Anicca): 世界のすべての現象、心身を含むすべては、生じては滅する、絶え間ない変化の中にあります。
苦(Dukkha): この無常なるものに「価値」を見出し執着することが、苦しみを生み出します。
無我(Anatta): 執着するような実体(我)はどこにも存在せず、現象はただ事実としてあるだけです。
不放逸(Appamāda): 怠らず、常に心を観察し続けること(瞑想)。
戒律と五根の制御: 戒律を守り(パーリ語でパーティモッカ)、五感(眼・耳・鼻・舌・身)が対象に触れた際、心が乱れないようにする(インドリヤ・グッティ)。
知足(サントゥッティ): 必要最低限のもので満足すること。
心の観察: 瞬間瞬間の心の動き(汚れ)に気づき、それが湧き出ないように観察することで、執着を手放し、智慧(パニャー)を得ます。
涅槃(Nibbāna): 執着と煩悩が完全に消え去った、究極の幸福で、苦しみのない境地。
解脱(Vimutti): 輪廻転生からの自由。
在家信者は僧侶への布施(福田)を通じて功徳を積み、良い輪廻転生を期待します。
僧侶は解脱を目指す修行に専念し、その修行が在家信者の功徳にも繋がるという、自利と利他が一体となった関係性があります。
テーラワーダの
「今、ここ」で実践
それを反転したのが
臨済宗のみ
😆
インプット優先のテーラワーダを
アウトプットマシーンに魔改造
😆
墓の主なんか
典型だ
😆
心身脱落なので
アウトプットマシーンまではいかん
😆
今、今、いうわけで
😆
その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。
そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。
🤡餓鬼道とは何か。
餓鬼道は
渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。
承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、
手に入れても決して満たされない。
でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、
その知識によって周囲からの承認を求める。
しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、
むしろ常に不足感を抱えているように見える。
愛情への飢えすら感じさせる点も含め、
餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。
🤡修羅道とは何か。
修羅道は
闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。
相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。
でおーは、やたらと
「自分の方が優れている」
「相手より上である」
という点を強調する。
勝ち負けに固執し、
相手を倒すためなら手段を選ばず、
時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。
そして、その対立を外から眺めて楽しむ。
この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。
🤡地獄道とは何か。
地獄道は
怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。
正義感が歪み、攻撃性へと変質する。
でおーは、相手を意図的に挑発し、
怒りや憎しみを引き出そうとする。
相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。
🤡つまり、
でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、
相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。
これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。
https://i.imgur.com/ryvbvoQ.png
家にある買ったので
😆
禅修行の土台にかなり役に立った
今思えば
😆
https://books.rakuten.co.jp/rb/4045324/?variantId=4045324
😆
その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。
そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。
🤡餓鬼道とは何か。
餓鬼道は
渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。
承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、
手に入れても決して満たされない。
でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、
その知識によって周囲からの承認を求める。
しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、
むしろ常に不足感を抱えているように見える。
愛情への飢えすら感じさせる点も含め、
餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。
🤡修羅道とは何か。
修羅道は
闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。
相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。
でおーは、やたらと
「自分の方が優れている」
「相手より上である」
という点を強調する。
勝ち負けに固執し、
相手を倒すためなら手段を選ばず、
時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。
そして、その対立を外から眺めて楽しむ。
この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。
🤡地獄道とは何か。
地獄道は
怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。
正義感が歪み、攻撃性へと変質する。
でおーは、相手を意図的に挑発し、
怒りや憎しみを引き出そうとする。
相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。
🤡つまり、
でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、
相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。
これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。
燃えている〜
🔥🔥🔥🔥🔥🔥
563.
ユーザー
栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK
JjeYX(5/5)
5分も坐禅してられない統失知障が、ヴィパッサナー瞑想とか出来る訳ないのに、なに舞い上がってるんだろ😂
それと現代ヴィパッサナー瞑想とか……やめとこ🤭
2026/01/21 22:48:53
Reply
その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。
そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。
🤡餓鬼道とは何か。
餓鬼道は
渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。
承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、
手に入れても決して満たされない。
でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、
その知識によって周囲からの承認を求める。
しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、
むしろ常に不足感を抱えているように見える。
愛情への飢えすら感じさせる点も含め、
餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。
🤡修羅道とは何か。
修羅道は
闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。
相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。
でおーは、やたらと
「自分の方が優れている」
「相手より上である」
という点を強調する。
勝ち負けに固執し、
相手を倒すためなら手段を選ばず、
時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。
そして、その対立を外から眺めて楽しむ。
この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。
🤡地獄道とは何か。
地獄道は
怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。
正義感が歪み、攻撃性へと変質する。
でおーは、相手を意図的に挑発し、
怒りや憎しみを引き出そうとする。
相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。
🤡つまり、
でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、
相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。
これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。
宗教娯楽は努力カラーはないが
仕事=臨済宗修行は
追い詰められながらレベル上げている
😆
このノリに近い?
とか
😆
https://m.youtube.com/watch?v=F88cso-n_Gk&t=331s
メンタル限界の試練を与えてやる
😆
なにせ、ヤル気がない人間だからだ
😆
疲れるほど、
朝の坐禅時間が増える
😆
😆
つまらんイレギュラーに襲撃された
あり得んイレギュラーに
あんまりにもツマランイレギュラーなので内容書く気になれん
😆
俺的には〜
ウンザリだ〜
書く気になれん
😆
悲惨ではないが
😆
その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。
そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。
🤡餓鬼道とは何か。
餓鬼道は
渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。
承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、
手に入れても決して満たされない。
でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、
その知識によって周囲からの承認を求める。
しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、
むしろ常に不足感を抱えているように見える。
愛情への飢えすら感じさせる点も含め、
餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。
🤡修羅道とは何か。
修羅道は
闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。
相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。
でおーは、やたらと
「自分の方が優れている」
「相手より上である」
という点を強調する。
勝ち負けに固執し、
相手を倒すためなら手段を選ばず、
時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。
そして、その対立を外から眺めて楽しむ。
この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。
🤡地獄道とは何か。
地獄道は
怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。
正義感が歪み、攻撃性へと変質する。
でおーは、相手を意図的に挑発し、
怒りや憎しみを引き出そうとする。
相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。
🤡つまり、
でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、
相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。
これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。
今も性を冒涜してるか?発猿子でおー牝チンパンジー
2026年も性を冒涜するか?発猿子でおー牝類人猿
身心脱落した「不細工ナルシスト発猿子でおーウンコ蟯虫」のナリスマシ記録WWW
身心脱落した「重罪デブスタイン発猿子でおーウンコ蟯虫」の犯罪記録WWW
【仏教】悟りを開いた人のスレ【天空寺】275
270じゃんきーおおやま
しかし、人の見性体験や知識に妬みや嫉みを抱くのはともかく、架空のレスまで捏造するとか、でおー(タ)の煩悩の炎はそこまで凄まじいものなのか?
271じゃんきーおおやま
2018/01/24(水) 15:32:06.04ID:37zJIxVf
>>270
唯識では種子なるものを設けてるそうだが、でおー(タ)には一体どんな種子が蔵されているんだろうな?
可視化が可能であれば面白いんだがw
まあ、例の変なガンダムのaaやおかしな犬のaaが種子として、でおー(タ)の阿頼耶識に蔵されているんだろうな www
早朝ソープの割引もでおー(タ)の阿頼耶識に種子として蔵されてるのかw
それが、俺に対する妬みや嫉みを縁として、レスの捏造として表象化したのか。
浅ましい奴だな。
「四向・しこう」修業する四段階(向かう人)
「四果・しか」悟りの深さの四段階の境地(果たした人)
「四双八輩・しそうはちはい」とも呼ばれています。
ブッタ滅後にさとりの修習に応じて四段階に整備され、
「それに向かう人」「それを果たした人」の八種に分類された思想です。
1、預流向 → 預流果(よるか)
流果(るか)は「さとりの流れに到達する」意味です。
「この境地に到れば、それ以前の俗世の世界に退堕(たいだ)することなく、人間界と天界を7回転生している間に修業が進み、さとりの境地に到達する人」
「極七返有・ごくしちぽんぬ」「極七返生・ごくしちぽんしょう」ともよばれます。
預流果(よるか)は三結(有身見・疑・戒禁取)を完全に断滅した人です。
「須陀含・しゅだおん」とも呼ばれています。
「天界と人間界とを一度だけ転生して、さとりの境地に達する人」
三結を滅ぼし貪欲、瞋恚薄い人
「斯陀含・しだごん」とも呼ばれています。
それに向かう人は「一来向・いちらいこう」です。
「再びこの世界に戻ることなく、天界でさとりの境地に到達する人」
五下分結を滅ぼし化生者(かせいしゃ)となり色界の浄居天(じょういてん)となり、滅後、涅槃に至る人です。
「阿那含・あなごん」とも呼ばれています。
それに向かう人は「不還向・ふかんこう」です。
「究極のさとりへ到達した人、供養されるべき人」(無学・むがく)
「五上分結、五下分結を断じた人」
「煩悩を滅した心解脱(しんげだつ)、四諦(したい)をみて解脱した慧解脱(えげだつ)、両方の倶分解脱(ぐぶんげだつ)した人」
「漏尽智(ろじんち)煩悩を滅した人」
「応供・おうぐ」とも呼ばれています。
それに向かう人は「阿羅漢向・あらかんこう」です。
真言密教みたいに、即身成仏するのは無理とされている
阿羅漢は僧侶、つまり人間だ
菩薩は人間ではない
そこが違う
大乗仏教では菩薩がより重視されますが、阿羅漢は仏道修行における最高位の到達点の一つです。
煩悩の完全な消滅: 72種類の煩悩(修惑)など、残されたすべての煩悩を断ち切ることを目指します。
「阿羅漢向(こう)」から「阿羅漢果(か)」へ: 煩悩を断ち切る過程を「阿羅漢向」、煩悩がなくなった境地を「阿羅漢果」と呼びます。
「無学道」: 悟りを開き、これ以上学ぶべきこと(断つべき煩悩)がない状態を指します。
究極の聖者: サンスクリット語の「arhat(アルハット)」に由来し、「尊敬や施しを受けるにふさわしい聖者」という意味です。
阿羅漢: 自身が悟りを開き、煩悩を断ち切った「聖者」。
菩薩: 悟りを得ても、他者を救うために自らの悟りを後回しにし、修行を続ける「修行者」。
宗派による違い: 上座部仏教では阿羅漢が理想ですが、大乗仏教では菩薩(仏を目指す存在)がより重視されます。
阿羅漢を目指す道は、徹底的に自己の内面を見つめ、すべての執着と迷いを手放していく深い精神的探求の道と言えるでしょう。
阿羅漢とは「私」が消えた存在です
アルボムッレ・スマナサーラ長老
阿羅漢経(『相応部』1-25)
(女神)
「阿羅漢となり、なし終え、漏が尽き、
最後の身を保つ比丘は
言えるであろうか、『私が語る』と、
また『かれらが私に語る』と」
(釈尊)
「阿羅漢となり、なし終え、漏が尽き、
最後の身を保つ比丘は
言えるであろうか、『私が語る』と、
また『かれらが私に語る』と。
巧みな者は世の名称を知り
慣用語でのみ表わすであろう」
(女神)
「阿羅漢となり、なし終え、漏が尽き、
最後の身を保つ比丘は
言えるであろうか、比丘として
慢によって『私が語る』と、
また『かれらが私に語る』と」
(釈尊)
「慢の捨断者に縛りはなく
慢の縛りはみな破られている
その妄執を超えた賢者は
言えるであろう、『私が語る』と、
また『かれらが私に語る』と。
巧みな者は世の名称を知り
慣用語でのみ表わすであろう」
(経典和訳:片山一良『パーリ仏典第三期1相応部
(サンユッタニカーヤ)有偈篇I』大蔵出版より)
それからブッダは、人々に悩み苦しみを無くす方法を説き続けました。ブッダの話に納得した人々は、自分自身で自分の存在を観察してみました。そして、ブッダと同じ結論に達したのです。その人々もまた、悩み苦しみが消えたのです。真理を発見した弟子たちには、世間的に阿羅漢という名前がつけられました。師匠である釈尊のことは、特別にブッダ(佛陀)と呼んだのです。
阿羅漢に達した聖者には、はっきりした明確な自覚があります。自分のこころに悩み苦しみは生まれるはずがないと知っているのです。言葉を変えると、阿羅漢とはこころの中で「自分という概念」が消えた人なのです。阿羅漢には、「自分」が存在しません。一般人にとって、すべての思考と概念の主語は「私」です。「今日は雨です」というのは三人称の言葉です。しかし、このフレーズは誰かが言わなくてはいけない。だから、「今日は雨です」の意味は、「今日は雨だと私が思う」になるのです。また、目の前で雨が降っているならば、「思う」ではなく、私の経験です。
一般の人々に「私」という主語が無ければ、考えることも妄想することも話すことも、勉強したり仕事をしたりすることもできないのです。料理を作ったり食べたりする時も、「私」が必要です。だから、誰かのこころから「私」という実感が消えてしまったならば、それは革命的な変化なのです。人間と名づけるべき存在でなくなるのです。人間ではないばかりか、霊でも神でもないのです。神にさえ、「私は神です」という実感があるのです。「すべての生命の次元を破って乗り越えた」という意味で阿羅漢と言われますが、実は阿羅漢には「私は阿羅漢です」という実感すらないのです。しかし、「私」という主語が消えてしまったことは、明確に知っています。誰かが阿羅漢に向かって「あなたは阿羅漢ですか?」と訊いても、阿羅漢にとってそれは何の意味も持たない雑音に過ぎないのです。「はい」と答えても「いいえ」と答えても、質問者が誤解に陥るだけの結果になります。今日の話のポイントは、「阿羅漢には『私』が存在しない」ということです。
こころの流れの中で「私」という主語が完全に消えた人は阿羅漢であると、仏教徒の中でも知られていました。今日の対話に登場する女神も、それを知っていたのです。この女神は、聖者たちが住んでいるところを行き来して、聖者たちの行いを観察していました。その際に、聖者たちが「私」「私の」「私に」などの単語を会話で使っていることが耳に入ったのです。女神は、この比丘たちがまだ阿羅漢に達していないと結論づけました。それでも、なんとなく納得がいかないから、お釈迦さまに質問しようとやってきたのです。
為すべきことを為し終えて、煩悩を滅尽して、最後の身体になった阿羅漢は、
「私は語る、〔誰かが〕私に語る」などの言葉を使うのでしょうか?
阿羅漢のこころから「私」という主語が跡形もなく消えたという説明を聞いたら、誰だって女神のように疑問をいだくことでしょう。「阿羅漢は人とどのように喋るのか?」と、知りたいものですね。この女神は素直に、お釈迦さまに尋ねたのです。
為すべきことを為し終えて、煩悩を滅尽して、最後の身体になった阿羅漢は、
「私は語る、〔誰かが〕私に語る」などの言葉を使うのです。
阿羅漢は世間の一般常識に巧みな存在です。
世間常識的に認められている言語の法則に従って語るのです。
阿羅漢も、言葉の使い方は一般人と同じです。阿羅漢・聖者だからと言って、決して特別な言葉を使わないのです。宗教の世界では、このような現象はよく見られます。「私は神だ、ホトケだ、ブッダだ」と言い張る人々は、あえて一般人の言葉づかいをやめて、他を見下した気分で語るのです。あるいは言葉の動詞はすべて命令形になってしまうのです。一般人には、言葉の使い方で相手が阿羅漢かどうかを判断することはできません。誰かが「今日は雨です」と言ったら、阿羅漢も「そうだね。今日は雨です」と返事するのです。
皆様もパーリ経典を読んだことがあるでしょう。今度、調べてみて下さい。ブッダ自身が語っていることは明確ですが、ブッダの言葉には一人称は出てこないのです。見事に、三人称で真理を語り尽くしています。しかし、わずかな箇所では、「私」という主語をあえて入れる場合もありました。それは、話しているポイントが世間の考えと反対であることを示すためです。そういう時は、ブッダが自分自身で責任を保つのです。「比丘たちよ、私は意志が業だと説く」という経典のフレーズは有名です。インドの宗教家は、業について様々な説を出していました。業に関するブッダの意見は、従来の諸説と真っ向から違うので、「私」という一人称を使ったのです。ブッダの教えはすべて三人称で語っています。自分自身を示さなくてはいけない時も、「私」ではなく「如来」という三人称を使っていたのです。
命は「私」という錯覚の上に成り立っている
人には客観的に語ることは難しい
「私」という錯覚が悩み苦しみ争いの元です
正しく語るためには「私」という錯覚を無くすべきです
完全に語る能力はブッダに限られた特色です。
全文はこちら(長い)
https://j-theravada.com/dhamma/kantouhouwa/kantou304/
他の人たちは阿羅漢が最高位
テーラワーダにはある
それを押さえられずに
禅を語りだすと
ハッスル、ムイムイになる
😱
錯覚してる本人は錯覚とは思ってないわけで
😆
その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。
そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。
🤡餓鬼道とは何か。
餓鬼道は
渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。
承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、
手に入れても決して満たされない。
でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、
その知識によって周囲からの承認を求める。
しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、
むしろ常に不足感を抱えているように見える。
愛情への飢えすら感じさせる点も含め、
餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。
🤡修羅道とは何か。
修羅道は
闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。
相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。
でおーは、やたらと
「自分の方が優れている」
「相手より上である」
という点を強調する。
勝ち負けに固執し、
相手を倒すためなら手段を選ばず、
時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。
そして、その対立を外から眺めて楽しむ。
この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。
🤡地獄道とは何か。
地獄道は
怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。
正義感が歪み、攻撃性へと変質する。
でおーは、相手を意図的に挑発し、
怒りや憎しみを引き出そうとする。
相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。
🤡つまり、
でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、
相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。
これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。
なんだろね?
🤡🤡🤡🤡🤡🤡🤡
623.
ユーザー
Kaori
GmRBS(2/3)
栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK50-5SX-Ij-wvu
然りだって思うんです。
コピペ
これこれこういう事だからこうなんだという納得や共通認識は、確かに大事だけどそれは知解で、そこではないって事なんだけどな。
でも相変わらず、坐禅スレでは覚者妄想の統失や屁理屈屋や冷やかし野郎が大口叩いて、或いは誹謗中傷を繰り返して滅茶苦茶になってしまってる。
肝心の坐禅をしてる人は僅かしかいない。
私はそのアーラヤを言語や思考を耕す事だって考えてます。
アーラヤを愛すナマス。
2026/01/23 07:24:00
意味不明だな?
> 私はそのアーラヤを言語や思考を耕す事だって考えてます。
こういうのを見ると
「この人、やっぱり唯識論がまるきり分かってないな」と実感する
> アーラヤを愛すナマス。
それをいうなら「マナス」だろと、以前にも訂正したんだが
「末那識」が「マナス」の音訳だってことを知らない
当方から見ると、その点は気の毒な面がある
言語: サンスクリット語(デーヴァナーガリー文字などで表記される)。
特徴: 大乗仏教(日本、中国、チベットなど)の教えの源流となり、多くの漢訳経典(漢文大蔵経)の原典。
内容: 漢訳で伝わる『般若経』『法華経』『華厳経』などの多様な大乗経典群。
歴史: 仏教がインドで発展する過程で、初期の教えはパーリ語系統(アーガマなど)とサンスクリット語系統(大乗経典など)に分かれ、それぞれが異なる発展を遂げました。
位置づけ: 日本の仏教(大乗仏教)では、漢訳経典が中心ですが、パーリ仏典は初期仏教の理解や経典比較研究のために重要視されます。
このように、パーリ仏典とサンスクリット仏典は、それぞれ異なる地域・宗派で、仏教の初期の教えやその後の発展を伝える貴重な文献群として存在しています。
「パーリ語の初期仏典」が大きな売りだ
サンスクリット語で書かれている
特徴: インド・ヨーロッパ語族に属する古代インドの標準的な文語・雅語。
用途: ヒンドゥー教の聖典、バラモン教の典礼、大乗仏教の文献などで使用。
性格: 比較的形を保ち、教育を受けたエリート層の言語。
特徴: サンスクリット語から派生した俗語(プラークリット語)の一つで、俗語として自然に発展した。
用途: 上座部仏教(南伝仏教)の経典(パーリ仏典)の言語。
性格: サンスクリット語に比べて音韻や文法が平易で、子音の同化(例: putra (梵) → putta (巴))など変化が見られるが、他の俗語よりサンスクリット語に近い。
起源: どちらも古代インドの言語で、仏陀の時代にはマガダ語(パーリ語のベース)が話され、後に聖典化される過程でサンスクリット語の影響を受けました。
「フォーマル」と「口語」: サンスクリット語が「神聖な」標準語(フォーマル)として固定されたのに対し、パーリ語はより自然に(口語として)発展した言語。
経典: 初期仏典(上座部仏教)はパーリ語で、後発の大乗仏教経典は主にサンスクリット語で書かれました。
このように、サンスクリット語とパーリ語は「同じインドの言語」でありながら、文語と俗語、バラモン教/大乗仏教と上座部仏教という使われ方の違いがあり、仏教の二大流派で使われる言語が異なるため、それぞれ重要な役割を持っています。
金魚の糞は、かおりさんと俺の区別が付かないのか😨
マナスをナマスと誤記したのは認める。
「ウチでは、パーリ仏典を使ってます。
お釈迦さまの初期仏教に忠実ですよ」
と主張している
載せたつもりだ
😁
🤡🤡🤡🤡🤡🤡
627.
ユーザー
Kaori
GmRBS(4/10)
📚📚📚
栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK50-z0J-Ij-wvu
>これについて、禅定において労苦を重ねたものには直ちに知られるであろう
まさに然りなんです。
もっともこれは本当の禅定の体験があって見性があって、解脱と後戻りを繰り返してきた者にしか分からないのですが、坐禅の回数が喧しく云われるのは、此処なんですけどね。
一休さんなんかはそのんとこの消息を良く仰ってる。
半端ねえー
😁
その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。
そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。
🤡餓鬼道とは何か。
餓鬼道は
渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。
承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、
手に入れても決して満たされない。
でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、
その知識によって周囲からの承認を求める。
しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、
むしろ常に不足感を抱えているように見える。
愛情への飢えすら感じさせる点も含め、
餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。
🤡修羅道とは何か。
修羅道は
闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。
相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。
でおーは、やたらと
「自分の方が優れている」
「相手より上である」
という点を強調する。
勝ち負けに固執し、
相手を倒すためなら手段を選ばず、
時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。
そして、その対立を外から眺めて楽しむ。
この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。
🤡地獄道とは何か。
地獄道は
怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。
正義感が歪み、攻撃性へと変質する。
でおーは、相手を意図的に挑発し、
怒りや憎しみを引き出そうとする。
相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。
🤡つまり、
でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、
相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。
これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。
修行者たちよ、邪見とは何か。
布施〔に果報〕はない。善悪の業(カルマ)に果報(善業・悪業の報い)はない。他世(=来世)は存在しない。化生の衆生はいない。(中略)修行者たちよ、これが邪見である。
—パーリ仏典, 中部大四十経,Sri Lanka Tripitaka Project
修行者たちよ、このように見て、聖なる言葉を聞く弟子は、 ... 貪りを離れるゆえに解脱する。解脱すれば「解脱した」という智慧が生じる。
「生は尽きた。梵行は完成した。なされるべきことはなされ、(漏尽通によって)もはや二度と生まれ変わることはない」と了知するのである。
—パーリ仏典,大犍度初転法輪
これを否定するのは、邪見だ
「邪見」と断じている
「ボクは、死んでからも永遠に生きていきたいなあ」なんて言おうものなら(常見)
「それが修行者の言うことか。未練がましいぞ。我執を断て」と叱られる
かといって、「人は、死んだらおしまいだ。火葬場に焼かれて、あとには灰が残るだけ」と言っても(断見)
それはそれで間違っている
「来世はない」という見解は、邪見だ
つまり、常見も断見も、仏教的には誤りなのだが
そこには程度の差がある
「断見」の方が、よりバッサリと否定されている
大乗仏典では、これは分からない
お釈迦さまは、「魂は無い。輪廻転生は無い」などとは言っていない
「悪い人は、悪い処(地獄とか畜生道とか)に生まれ変わる」
「解脱した人は、どこにも生まれ変わらない」
↑
これはバカにできない
仏教においては、まぎれもなく真理だ
否定するのは無理がある
ハッスル🤡が
燃えているが
スマナサーラによると、
自分という主語が抜けるのは
阿羅漢のみである、
預流果では
自分という主語がまだあるなのねー
ということ、
ハッスル🤡様
預流果なんて、
禅の世界では価値がない
天台の世界でも価値ないでしょう
😆
マウントハッスルしているようではなー
😆
預流果なんて、
禅の世界では価値がない
天台の世界でも価値ないでしょう
😆
に是正
😆
> 「解脱した人は、どこにも生まれ変わらない」
これが、誤解を招く原因だろう
解脱した人は、消滅するわけではない
永遠不変の存在となって、文字通り「どこにも生まれ変わ」らなくなるだけだ
衆生を救うために、あえて濁悪の現世に舞い戻ってくることも、その気になれば可能だ
自動的にラクラク預流果やれたのは
まーそう言うことやろなー
😆
マハーシ長老の本で余裕預流果、
高野山のJBL泊まった宿坊のミャンマー仏で余裕でいつでも預流果やしなー
😆
当方もかつて
自分を「縁覚」に分類したことがあったが
あのときもハッスル様にボロクソに言われたな
ハッスルが「縁覚」を極端に過大評価してることに驚いた
ハッスル様は承認欲求の餓鬼道ですなー
ムイムイもだけどー
😁
忘れた
ハッスル🤡
というのが真実だな
禅の世界では
聖者なんて、
はあ?そうですかー
くらいで
仏のスレ主や、ロンは
思うだろう
😁
聖者なんかは
位が低い、
まして預流果程度じゃ
😁
真言密教の悟りですら、
はあ?そうですか扱いスタンスだろう
😁
「俺には紫色の光🟣が見えた」
「紫色🟣が見える人は、千人の修行者のうち十人もいない」
とかなんとか威張ってたが😂
https://i.imgur.com/sVVi7HC.png
ロンの好きなセッタンは
悟り終わってタダの人
聖者のランクなんて低いのよ
😁
「仏教を学んで真実を知り、確信が深まった。
おかげで、修行がはかどりますわ」
というくらいの段階
ハッスル様が言ってるような、偉大な存在ではない
😁
意外と仏教を知らない
マハーシ長老の本に
生滅智は聖者の位、
生滅智からスタートして
阿羅漢に向かう
阿羅漢ではないのねー
😁
山伏崇拝の真言唱えたり
しているけど
自動的にゾーンに入るからなー
ま、預流果みたいなもんやろー
😁
おいおい、今度は聖者の敷居を下げんのか?
www
ハッスル🤡ー
ハッスル🤡ー
😁
「預流果」と「阿羅漢果」を混同し、勘違いしている
アタマワルイのに
シッタカも大概にしてくれないか?
ハッスル🤡
まさか、自分を預流とか初地だって思っているのか?
ギャハハハハハハハハ!!!!
精神病院にレリゴー💕
🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆
お前は、何か勘違いしている
準備段階 →「見道」→「修道」→「無学道」
と、修行が進んでいくんだが
預流はこの中の「見道」
その先の段階である一来と不還が「修道」
阿羅漢が「無学道」に相当する
劣等感の余りに
🤡
無理はやめろ
恥ずかしくないか?
🤡
ましてや、預流は4段階の一番下だ
「仏教を学んで真実を知り、確信が深まりますた。
おかげで、修行がはかどりますわ」
というくらいの段階
反省しなさい
😁
預流向は「仏教がわかってきた人」
預流果は「仏教がわかっちゃった人」
といったとこだな
まーーーーーた、敷居を下げて自分がそこに至ったって妄想してんのか?
龍樹やったか
あっこれ無理だわ阿弥陀仏に頼ったほうがいいわ
っていったの
😁
天台智顗でさえ十信(level10.)と云われ、菩提達磨でさえ初地(level 30).と云われてるのに、この5分も坐禅してられない統失知障の馬鹿が、初地だってよwwwwwwwwwwwwww🤪
龍樹が41。
天台智顗でさえ十信(level10.)と云われ、菩提達磨でさえ十行(level 30).と云われてるのに、この5分も坐禅してられない統失知障の馬鹿が、初地だってよwwwwwwwwwwwwww🤪
龍樹が41。
ハッスル🤡必死だな?
😁
説得力
自信ありげだな?
😁
ありがとうございます。
うけるう〜〜
🫥
その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。
そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。
🤡餓鬼道とは何か。
餓鬼道は
渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。
承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、
手に入れても決して満たされない。
でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、
その知識によって周囲からの承認を求める。
しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、
むしろ常に不足感を抱えているように見える。
愛情への飢えすら感じさせる点も含め、
餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。
🤡修羅道とは何か。
修羅道は
闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。
相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。
でおーは、やたらと
「自分の方が優れている」
「相手より上である」
という点を強調する。
勝ち負けに固執し、
相手を倒すためなら手段を選ばず、
時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。
そして、その対立を外から眺めて楽しむ。
この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。
🤡地獄道とは何か。
地獄道は
怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。
正義感が歪み、攻撃性へと変質する。
でおーは、相手を意図的に挑発し、
怒りや憎しみを引き出そうとする。
相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。
🤡つまり、
でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、
相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。
これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。
😁
https://news.yahoo.co.jp/articles/6ae24d9ce5a4a875860182e18e52c3c037da1047
ラベリングとかの
方法論パターン
テーラワーダは
応用利用力は高い
😆
ネット情報や文献は
正誤の読み誤りがない、
ハッスル🤡みたいに
見栄をはる知識収集は
所詮なー
😫
あちこちで取り入れられ、もはや一般化した
「あるがままに観る」:感情や雑念を善悪で判断せず、ただの感覚として客観的に観察する。
心の浄化と平穏:身体感覚に注意を向け続けることで、深いレベルの心の癖(怒り、執着)を鎮める。
マインドフルネスの原点:現在の瞬間の感覚に焦点を当て、不安やストレスの軽減に役立つ。
非宗教的アプローチ:宗教や宗派に依存せず、誰でも実践可能な普遍的な自己観察の手法である。
アーナーパーナ瞑想(初日~3日):鼻の下のエリアの呼吸に集中し、心を落ち着かせ集中力を高める。
ヴィパッサナー瞑想(4日目~9日):頭の先から足の先まで、感覚(痛み、かゆみ、熱さ、冷たさなど)を順に観察する。
慈悲の瞑想(10日):自分や他者への愛と慈悲を育む。
合宿の原則:10日間、会話や他の人との接触を断つ「聖なる沈黙」を守り、1日約10時間の瞑想を行う。
無料の教育:指導は寄付ベースで運営され、誰でも参加できる。
日本でも「日本ヴィパッサナー協会」などが専用の研修センターで10日間コースを指導しています。
テーラワーダ要素入れこんだんやろなー
井上希道はムイムイみたいなコマった路線になってしまう
基本的な自己認知は大事だ
基本的な自己認知無しに
仏のスレ主やセッタンやロン論法は
なかなか難しい
😆
+5
☆【マインドフルネス・カウンセリングの基礎と実践】【認定 ...
マインドフルネスとは、「今この瞬間」に意識を向け、評価や判断を加えることなく、自分の思考・感情・身体感覚をありのままに気づき受け入れる心の状態や実践法で、ストレス軽減、集中力向上、自己理解を深める効果が期待され、瞑想(マインドフルネス瞑想)を通じて養われます。過去や未来の心配から離れ、「今ここ」に集中することで、精神的な安定やパフォーマンス向上につながり、ビジネスや医療現場でも活用されています。
「今ここ」への意識: 過去の後悔や未来の不安にとらわれず、現在の瞬間に注意を集中します。
評価・判断をしない: 浮かんでくる考えや感情を「良い」「悪い」と判断せず、ただ「そう感じているな」と観察します。
ありのままを受け入れる: 自分の内面や状況を、そのまま認識し、受け入れる姿勢を持ちます。
主な実践方法(マインドフルネス瞑想)
姿勢: 椅子に浅く座るか、あぐらをかいて背筋を伸ばし、リラックスした姿勢をとります。
呼吸に集中: 腹式呼吸を意識し、息が吸い込まれる感覚、吐き出される感覚(お腹の膨らみや体の動き)に注意を向けます。
雑念への対処: 別の考えが浮かんできたら、それに気づき、「あ、考え事をしてたな」と確認し、優しく注意を呼吸に戻します。
やってみたらどうなの?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
もえてんなー
🤡ー
ユーザー
神も仏も名無しさん
zCQ09(9/12)
牛乳飲むのに祖師録を勉強する必要ないでしょ(笑)
2026/01/24 15:24:52
手の内は
川上雪担の
音声動画を見れば
だいたいわ何をやりたいか
わかってくる
😆
その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。
そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。
🤡餓鬼道とは何か。
餓鬼道は
渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。
承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、
手に入れても決して満たされない。
でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、
その知識によって周囲からの承認を求める。
しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、
むしろ常に不足感を抱えているように見える。
愛情への飢えすら感じさせる点も含め、
餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。
🤡修羅道とは何か。
修羅道は
闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。
相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。
でおーは、やたらと
「自分の方が優れている」
「相手より上である」
という点を強調する。
勝ち負けに固執し、
相手を倒すためなら手段を選ばず、
時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。
そして、その対立を外から眺めて楽しむ。
この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。
🤡地獄道とは何か。
地獄道は
怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。
正義感が歪み、攻撃性へと変質する。
でおーは、相手を意図的に挑発し、
怒りや憎しみを引き出そうとする。
相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。
🤡つまり、
でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、
相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。
これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。
お茶を飲めば、お茶の味がする。
それでいい。他に何がある?」
というのは、仏教の考え方ではないな
むしろ、仏教を知りすぎた人の固定観念を壊すための、上級者向けの逆転の発想
最初からそれじゃ、話にならない(笑)
牛乳の成分が舌を刺激し、舌から脳に信号が行く
脳では、特定の味覚がスイッチオンとなる
そこで「牛乳の味がする」という、言語によるラベリングを行う
無意識に行っているレッテル貼りと、それによる意味づけ
1、自分の感覚器官が、「モノが存在している」という感覚を引き起こしている
2、そんな感覚に、言語によるレッテル貼りすることで、存在が意味を持ち始める
「これは、コップだ。これは、中に液体を入れて飲むモノだ」
というラベリングを行う
何の意味もなかった物体が「コップ」になる
https://sync-labo.jp/wp-content/uploads/2020/07/Mug-LSG01.jpg
https://www.muji.com/public/media/img/item/4548718988976_org.jpg?im=Resize%2Ctype%3Ddownsize%2Cwidth%3D1200
あんまり言わないか
コップは取っ手のない円筒形の容器全般(ガラス、プラスチック等)、グラスはガラス製のコップ、カップは陶器やプラスチック製で取っ手のある容器(主に温かい飲み物用)を指します。
特徴:取っ手がない、円筒形、冷たい飲み物用
素材:ガラス、プラスチック、紙、金属など
日常会話で、飲み物を入れるガラス以外の素材も含めた総称として使われる
特徴:ガラスで作られた容器の総称
用途:冷たい飲み物用
注意点:ワイングラスなど脚付きのものも含むが、基本はガラス製
特徴:取っ手がついている、主に陶磁器やプラスチック製
用途:コーヒーや紅茶など温かい飲み物用
マグカップはカップの一種で、より容量が大きいもの
迷ったら、ガラス製なら「グラス」、それ以外や取っ手付きなら「カップ」と呼ぶのが一般的です。
南極と北極くらいの距離がある
アタマでとらえるなら
天台華厳真言あたりまでいって
なにを想定して、
仏のスレ主の方向が見えてくる
ま、仏のスレ主は
JBLは
気にする次元ではない
😆
天台華厳真言てすら構造が謎なんだからなー
😆
😆
> 3年前にその教会のクリスチャンに隠密に
> 支援した内容の、神から俺への、お褒めの
> 論功行賞笑。
> あいむ・あ・ぱーふぇくとひゅーまん、み
> たいな笑。
> あのくたらさんみゃくさんぼだいモードの
> 余波なのか笑
> 釣られて笑、。
> 俺は密教系にドラフトされているらしく笑
> 「六大」は最初から仕込んできたな笑。密教仏が笑。
> ま、醍醐寺の修験坊主の体験と、仏の進退は?の台密と真言の論争、台密は白色、真言は金色らしい笑。
> 高野山宿坊に泊まる場所も仏の指定から始まって、夜寝させない強制禅定教育笑。
> 寝れんので空海著作を読むと快楽増幅で夜眠れん笑。
> しかも、やってきたのは、鎌倉以前、現在主流の高野山真言宗でないのが、やってきた笑。
> 残念なのは、真言系師匠がいないので、あれ、何だTO確認できねえ笑。
> それが、恐らく「六大無碍」笑。
> 171 :神も仏も名無しさん:2018/02/20(火) 10:32:41.33 ID:kUh30IV9
> >>166
>
> おはよう、やっとキリスト教と真言密教の神秘の穴蔵から脱出できた笑。
> キリスト教の霊性がマックス状態で礼拝行かないで飢え飢え心理状態で困った笑。
>
> 空海が最澄に貸さなかった「理趣釈」の現在語訳読んで、ちら読みで、スーパーサイヤ人ゴッド状態笑。うーん、ペンテコステ派霊感越えブリバリ笑。
> 俺アタマ、オカシイぞ笑。
> キリスト教の霊性飢え飢え心理状態は脱却だ笑。
>
> 神秘の穴蔵脱出ワールドへ、昨夜やっと進撃開始笑、ニア南直哉へ笑。
> 442 神も仏も名無しさん 2016/05/05(木) 19:42:31.57 ID:kDcSDpVU
> 遠く昔、サロメを沈黙させるまで撃破した遠き昔。
> あの時、のブチ込んだ玉は。偶然の一致だったなあw
> 76 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2018/03/20(火) 11:05:21.18 ID:maCfZlOC [4/21]
> >>74
>
> しゃろん、おはよう、
> 高野山金堂で魔法陣ぶちまわしたので、俺脳、今、仏教化濃厚やわ・・・・。
> イースター時か、それ以降に「教団」の長老職の奴に、
> 牧師夫人に一撃食らわせた、というネタを・・・・。
> イースター以降には牧師は別の教会へ・・・・。
> 牧師夫人に食らわせた一撃が牧師に及ぶのを期待して、転会するまで、
> 「教団」の長老職の奴には秘密にしている予定。
> 80 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2018/03/20(火) 11:13:22.66 ID:maCfZlOC [5/21]
> 高野山もキリスト教も、入会やってません、
>
> 裏口から入り、高野山金堂で魔法陣ぶちまわしたい病なので笑。ほぼキリスト教と同じパターン笑、
😱
> > 高野山金堂で魔法陣ぶちまわしたので、
> > 俺脳、今、仏教化濃厚やわ・・・・。
> 曹洞宗バージョンの見性体験の巨大波に遭遇とな。笑
> 万法に証せられたと、笑。
> 今回は臨済禅の体験先行型の見性ではないぞ、土曜は、とある臨済禅の開山忌だった、「無字」の体験先行の受けたのも
> 同一人物の開山忌、笑。当然、道元禅にも関与した人物。
> 最初は臨済禅が主流で、後で曹洞宗バージョンで、それをぶち込むと、
> 曹洞宗寺院の、どの仏像も、俺に合掌を要求笑。感応道交祭り状態。
> 今朝まで続いた笑。
🤡
> :神も仏も名無しさん[]:2018/05/18(金) 15:00:47.40 ID:cvjX6SZ5
> >>82
> >>81
> な。
>
> ほんと、マジ操られ、計画に乗せられる、他者の信仰への導きの場面への笑。
> 俺は、興奮モノでもないんだけど・・・。
>
> 凄いなあ・・・て今日。
>
> 有名教会も凄い場所なのよ、また、ここは。
> この有名教会で、このように計画に乗せられるか?笑。と
> 89 :神も仏も名無しさん[]:2018/05/18(金) 15:14:14.30 ID:cvjX6SZ5
> >>87
> マジレスすると、カトリックのミサに行った後、家で、 ・・のようなものが・・・・笑。音声はないが笑、あたりまえか笑。
🤡
479 :神も仏も名無しさん :2018/08/25(土) 18:25:39.30 ID:4lj9mamO
> >>464
>
> 俺の場合、神秘禅定先行してしまうからな、密教系は・・・・・。
>
> 神秘系マタタビだからなあ・・・・
> 特にチベット、華厳、三井寺系天台。俺にとって神秘美人三姉妹笑
>
> ニンマ派系のより究極の果ても、たぶん、もっと素朴に向かう方向があるような気がする・・・・。
> 780 :神も仏も名無しさん :2018/08/24(金) 11:12:17.61 ID:/5RWuf05
> >>763
>
> しゃろん、おはよう。
> 昨日は嵐の中家で天台浄土教の本を読み、
> 阿弥陀仏の真言を風が強烈になるたびに唱えてた笑。
>
> 部屋を出て、部屋に戻ると天台浄土教のお堂で嗅ぐ匂いが・・・・。霊香笑。
> 俺っていっちゃっているわ笑。
> 日本的仏尊信仰の深い世界をしってしまったような・・・・。
> 459 :避難民のマジレスさん :2015/08/11(火) 10:09:36 ID:jDggCKfs0
> >>392
>
>
> ま、それ以来、家に何故か、即身成仏義があって、貪るように読んで研究するが。
> 天台系修験の誘惑が濃く、真言密教の感触、禅定の安定が難しかったな。
> 容赦のないパワーは来ていたのが・・・。12年前も昔の話だ。
> 禅なんて高嶺の花、病弱でな。
>
> その1年内で、お堂で誰もいないのに、、夕日が見えるお堂で声が聞こえる・・。
> 「のうまく・さまんだ・・・・・・・・」何度も・・・・・。
> 家に、一秒ほど、お堂の十一面観音が夜、俺の前に現れたり・・・・。
>
> 密教の申し子なんだろうな・・・。でも天台系誘惑が濃かったから、
> 真言密教には奥深く入らず、チベット密教へ…我流でw病弱すぎて、シフトしていたな。
> 高野山初宿坊宿泊まで、真言密教はオアズケだったな。
ハッスル〜🤡
> 2 :これさとりへ、だいおう:2013/09/18(水) 09:09:10.53 ID:9RpwWrZ8>だいおうは輪廻をどうお考えですか?
>
> 基本的に関心がないし、関心を持たないが、
> ワイのグリコのオマケのエスパー能力オプションがある事自体が・・
> ワイと同じエスパー能力あった聖者が一人いたなw
> 卍 仏教 質問箱 卍 パート33
> 36 :だいおう[]:2013/10/13(日) 18:34:21.71 ID:TrrWUbpWケチャップ氏へ
> こっちのコテのつもりが・・・
> うーーん、前に会った時のとの違いは、
> ワイは曹洞宗宗門主流派の悟りをげっとしたぞ。2年10カ月要したんだ、
> 修行天才のワイが・・・w
> 俺、超能力あり過ぎでwww
> ラーマクリシュナの能力あるねんw
> 俺、元無宗教主義だから臨済宗好きだったんだけど、
> 自分の人生に関心が無い能力濃いからなあw
> 名前知られたら、キモい目に遭いそうw
> 【イエス】 私たちは主の牧場の羊Part31 【キリスト】
> 83 :神も仏も名無しさん[]:2018/08/07(火) 12:28:44.24 ID:sw+3D19Zしゃろん、おはようす、
> 質問攻めやね。
>
> 昨日教会に用があり…秘密笑。
> 本業の修行が進んだ笑。
> なんていうか・・・キリスト教的言えば、モーゼに連れられた民はすぐ不満を言い出し、荒れ野をさまよう人間が・・・・
> そういうもの、人達の中で・・・・・・。
> モーセは、クリスチャンは、どう導いていったのだろうか・・・・という感嘆から・・・・・。
> 朝、はっと気づく、当然キリスト教ではなく・・・・笑。
>
> 今山伏の儀式の動画を見ている笑、密教化脳笑。
> 731 :神も仏も名無しさん :2018/08/05(日) 18:17:03.82 ID:5Du8J09e
> 突発性難聴で入院してた時、夜中に水の落ちる音が少しづつ自分のベットに近いづいてくる笑。
> 近いづいてきた時に俺はカーテンを開け、心の中で「じゃかましいわっ!」と気合一発、それで静かになったわ笑。10年以上前のことやけど笑。
> 【イエス】 これはわたしの愛する子part37 【キリスト】
> 290 :神も仏も名無しさん[]:2018/08/28(火) 19:08:32.02 ID:abFYbNxh>>288
> 残念ながら、イエスが余りにもいい奴なので、派遣労働風にお手伝い笑。
> お礼に修行が進む笑。
> 結構、俺は操られているんだぞ笑。
> 80 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2018/03/20(火) 11:13:22.66 ID:maCfZlOC [5/21]
> 高野山もキリスト教も、入会やってません、
>
> 裏口から入り、高野山金堂で魔法陣ぶちまわしたい病なので笑。ほぼキリスト教と同じパターン笑、
外道の独り言 11
308 :神も仏も名無しさん[]:2018/09/11(火) 16:58:28.21 ID:QUDqQNzi>>300
承狂氏来てたので、ネタを、
山伏的密教の秘密が・・・少し解ったような・・・。
浄土宗西山派寺院で、阿弥陀仏に入我我入で笑。
けっこう飛びます、飛びますで・・・・・笑。
山伏&、新義真言の真言念仏のイメージが・・・・・笑。
しかし、JBLもコイツにけつの穴を掘られたんだかなんだか知らないけど、よくまもまぁ、明らかな宗教性妄想障害統合失調症のキチガイの金魚の糞をやってるよなwww
満足したのかもな?
🤡〜
頭がおかしくなって宗教性妄想障害を患ってるキチガイだからな?
レス見て分かるよな😅
🟣光の三毒の🔥が
デカイのかな?
🤡〜
生き残れないだろう
その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。
そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。
🤡餓鬼道とは何か。
餓鬼道は
渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。
承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、
手に入れても決して満たされない。
でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、
その知識によって周囲からの承認を求める。
しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、
むしろ常に不足感を抱えているように見える。
愛情への飢えすら感じさせる点も含め、
餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。
🤡修羅道とは何か。
修羅道は
闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。
相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。
でおーは、やたらと
「自分の方が優れている」
「相手より上である」
という点を強調する。
勝ち負けに固執し、
相手を倒すためなら手段を選ばず、
時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。
そして、その対立を外から眺めて楽しむ。
この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。
🤡地獄道とは何か。
地獄道は
怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。
正義感が歪み、攻撃性へと変質する。
でおーは、相手を意図的に挑発し、
怒りや憎しみを引き出そうとする。
相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。
🤡つまり、
でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、
相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。
これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。
取り入れるもなにも、
北極と南極の差なので
テーラワーダのサティを
一つ理解するたけで
天台華厳真言よりも
禅のほうが似てる感になるよー
仏のスレ主の牛乳云々は
サティの簡略化したよーなもんやしー
ヴィパッサナーの網羅不足だな?
😆
赤道なのて
テーラワーダのダイレクトなサティの意欲が
ほぼない
😆
レスを理解するには
テーラワーダのサティのシステムを理解しないとわからんままだ、
JBLのお勉強に期待するー
俺本気で瞑想仏教マニアだからなー
関連の筋読めるのー
六眼持ちだなー
😆
それてない
仏のスレ主の趣味は理解できないぞー
😆
バリバリのええ球を
自然にバンバン投げれる
キリスト教並みに、自在だ
臨済宗と曹洞宗は
まだまだキメ球バンバンまていかないなー
😆
俺は割合具体的仏教用語指導はしないからなー
😆
テーラワーダの実況中継ばかり
😆
実況中継と
禅は近い部分があるから
ハッスル🤡してるな?
と実況中継も、
禅の指導になる
😆
全く反応しないのは
ハッスル🤡してるなー?
お怒りたま
の実況中継のみという
スタンスだけだからだ
😆
魔境頑張ってるな?
の要約
😆
ヴィパッサナーのサティを
言語化分類化したのが
アビダルマ、倶舎論
ていうこと
😆
佐々木先生の動画の倶舎論で
簡単に全体像を把握した
😆
禅は
意外に近い部分がある
唯識、天台小止観と
ヴィパッサナーは関係があるが、
😆
座る瞑想の基本: 呼吸に伴うお腹の「膨らみ」「縮み」を、心の中で実況中継するように確認する。
歩く瞑想: 足の「右、左」、あるいは「上げる、運ぶ、置く」と意識を向ける。
雑念が出たとき: 「妄想、妄想」や「考え、考え」とラベルを貼り、思考を流して再び呼吸の観察に戻る。
対象の切り替え: 集中力が高まってきたら、興味の向く対象へ自在にラベリングを切り替えても良い。
客観的視点: 自分自身の思考を第三者のように見つめる。
無常の洞察: すべては一瞬で消えていく感覚に気づく。
精神の沈静化: 妄想をラベリングで「切断」し、心を落ち着ける。
初心者は呼吸の「膨らみ」「縮み」から始め、無理に言葉を詰め込まず、今この瞬間に起きている感覚を意識的に認識する練習が推奨されます。
反転を思いついたのが
😆
一番残して重視しているのが
禅だ
ハッスルや麦のやってるのは
基本的に的外れ
😆
ムイムイも認知が薄い
井上希道も認知が薄い
テーラワーダのサティよりも劣る
😆
基本的にそんなサービスしない
バカだからー
やってることの自覚のない
実況中継サティ的サービスをしてやるのみ、
例文
お怒りだな?🤡
ハッスル🤡様の代理で
代わりにハッスル🤡様のラベリングしてあげてる
😆
おちょくりも
ラベリングサービスである
筋を通している
😆
南極の禅
北極のテーラワーダの
ヴィパッサナーのサティが少し理解てきると
南極の禅が理解しやすい
麦、ハッスル、ムイムイ、デンパパ、リダン
はこのあたりが、わからんて
御託を述べている感、
説明的にいえば
😆
禅は説明不要なんて
基本的には塩対応は
自称禅やってますよ〜タイプに
禅のサービスだ
😆
😆
徹底的にやり尽くすのよ
「これはあかんわ」とわかるまで
サティの真意を掴み損ねたいるな、
サティ自体の目的を反転させると、
という意味だな
😆
873.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
hxeLr
>>865
> 概念や観念なんてわたしにはどうでもいい
> この抜き差しならない実物の方が大事
つまり、空観は観念の遊戯にすぎず
物には実体があるというのが真実であると?
2026/01/25 12:26:16
仕事や武道に転換てきるとかー
😆
中論よりも
テーラワーダのサティが近道だろなー
ゲルク派は
中論解釈はヒットだろな
😆
そりゃそうだろな
中論は、空と縁起思想の哲学
ラベリングとかで無我になる
テーラワーダては、無我で
外部は生滅してある
それを逆回転させると
無我と空を追加して
生滅の方へアウトプット
説明的だが
それが牛乳の味云々の
スレ主のスタンスみたいなもんやー
ま、これも近似値や
😆
六眼のサービス近似値解答やから
百点の説明てはないでー
😆
ゲルクのいう
止観相融的にみれば
この質問も、ま、愚問ということやな
873.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
hxeLr
>>865
> 概念や観念なんてわたしにはどうでもいい
> この抜き差しならない実物の方が大事
つまり、空観は観念の遊戯にすぎず
物には実体があるというのが真実であると?
2026/01/25 12:26:16
空の思想をバッサリと否定してるのは、なんとも違和感😅
なんとなく
テーラワーダ的な生滅的な雰囲気が
大乗仏教では
一番濃いやろな
😆
永遠嫌いやしなー
😆
それゃ、
空要素の薄い
華厳あたりの事事無碍法界の赤道から
南極へ行ったんやからー
😆
テーラワーダのサティを
理解しないと
その逆回転はわからんやろ
赤道の華厳の事事無碍法界問題もあるしなー
😆
両極端のようで、実際には似ているのかも(笑)
↓
唯識
↓
天台
↓
赤道、華厳、真言
↓
南極、禅
みたいな位置関係
ハッスル🤡はアタマ悪いから
んな視点はない😆
かな
😆
南極、禅は唯識だー
みたいな地図になってるやろなー
😆
天台華厳真言あたりの
構築したのを
解体したからなー
無〜〜〜
😆
南極以外
関心ありません
といったところやろなー
😆
赤道の天台華厳真言を解体した
勝義諦とか持ちたす
ハッスル、麦は
俺的には
空いた口が塞がらない
😮
赤道、北極知りませーんみたいな
😆
赤道では、こーいう発想しない
生滅的雰囲気がある
これ一つで、まー仏のスレ主の正体も理解できる
中論用無しだ
😆
https://kougetsuin.com/blog/%E7%A6%85%E3%81%AE%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%B0/4125
という部分
他の解釈は
今ひとつだな
このブログは
😆
仏のスレ主の趣味は
こんなところだ
😆
「春は花、夏ほととぎす、秋は月、冬雪さえて、すずしかりけり」は、曹洞宗の開祖道元禅師の和歌で、四季折々の自然の姿そのものが仏の真実の姿(本来の面目)であり、それをありのままに受け入れる禅の境地を示しています。花、ほととぎす、月、雪といった自然の現象に、**「本来の面目(ほんらいのめんもく)」**という副題がつけられ、それぞれの姿に真理が顕現していると説く、禅の教えを表現した歌です。
歌の意味と解釈
春は花(はるははな):春には花が咲き、その花自体が真実の姿である。
夏ほととぎす(なつほととぎす):夏にはほととぎすが鳴き、その鳴き声に真実が宿る。
秋は月(あきはつき):秋には月が輝き、その月光に真理が表れる。
冬雪さえて、すずしかりけり(ふゆゆきさえて、すずしかりけり):冬の雪が澄み切って冷たいように、その清らかさ、冷たさの中に真実がある。「すずしかりけり」は「清々しい」という意味で、自然のありのままの姿に感動する境地。
こういうこったな
😆
用無し
言ってるやつは
ビギナー以前
😆
夏も永遠ではない
ま、地球の赤道は一定だろな
南極、北極は1日中夜の時期があったり、昼の、時間は違うだろうけど
😆
用無し
言ってるやつは
禅のビギナー以前
😆
に修正
😆
南極から〜赤道と天台と
北極しか
マップがなかった
間の、倶舎論、唯識が探索不足であった
山伏念仏神仏習合は
月だな、
あれは
別ゾーンだ
😆
仏のスレ主の手の内の
暴露、分析は
てきたやろ
😆
その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。
そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。
🤡餓鬼道とは何か。
餓鬼道は
渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。
承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、
手に入れても決して満たされない。
でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、
その知識によって周囲からの承認を求める。
しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、
むしろ常に不足感を抱えているように見える。
愛情への飢えすら感じさせる点も含め、
餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。
🤡修羅道とは何か。
修羅道は
闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。
相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。
でおーは、やたらと
「自分の方が優れている」
「相手より上である」
という点を強調する。
勝ち負けに固執し、
相手を倒すためなら手段を選ばず、
時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。
そして、その対立を外から眺めて楽しむ。
この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。
🤡地獄道とは何か。
地獄道は
怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。
正義感が歪み、攻撃性へと変質する。
でおーは、相手を意図的に挑発し、
怒りや憎しみを引き出そうとする。
相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。
🤡つまり、
でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、
相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。
これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。
でも、赤道よりずっと北極に似ている
両極端はだんだん似てくる
皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日は「感覚の実況中継と観察」についてスマナサーラ長老がお話します。
「観察する」という言葉ですが、私の理解では花や草木や昆虫などの何かモノ(対象)を見るというイメージがあります。ヴィパッサナー瞑想では、例えば「右足、上げる、運ぶ、下ろす」と感覚を実況中継します。これは感覚を観察しているという意識では無いのですが、これが観察ということなのでしょうか?
■ヴィパッサナーに必要なこと
ヴィパッサナー瞑想の実践では、頭(思考)を使うことを何とか控えてください。頭で理解しようとする癖が、どこかで引っかかって、囚われてしまうのです。「右足、上げる、運ぶ、下ろす」と足の感覚を実況中継しますね。それがヴィパッサナーで必要な観察なのです。生きることと関係ないもの、花や草木や昆虫や動物などを観察することが、本当の観察ではないかと思っているかもしれませんが、そのような観察は子供たちもやっているし、科学者という方々も行っているのです。でも、誰一人も生きるとは何かと発見しないし、悟りにも達しません。
ヴィパッサナーは生きること自体、生きることそのものを観察することですから、物質的なモノを見ることではありません。「感覚を実況中継する」ことが観察するということなのです。それ以上はありません。余計なことをする必要はありません。知識でやってはいけません。知識が入ってきた時点で、成長はストップしてしまいます。瞑想できなくなります。ヴィパッサナーの観察は、知識で理解できないほど難しいのです。そんなことを言ってしまうと更に余計な知識が増えるだけですが。気づくこと、感覚を実況中継することが観察することだと理解してください。「膨らみ」「縮み」と実況中継しているなら、それは観察していることになるのです。
瞑想中に「観察ってどういうことだ?」と思うことは、頭がどこかに飛んで行ってしまった、妄想してしまったということです。それですぐに「妄想、妄想、妄想」と気づいて(実況中継)、意識を戻さなくてはいけない。その時「妄想、妄想、妄想」と気づいたのは、頭が飛んだ(妄想した)ことを観察したということになるのです。
身体の動きをきめ細やかに観察する。たくさんの現象を観察すると、観察能力がかなり上がります。観察能力が上達すれば、その時は言葉なく観察できるようになります。観察するすべての現象に適した単語・言葉は存在しません。言語は瞑想していない人が作ったものですから、どこまでも使えるという道具ではありません。しかし、基本的には言語に頼るしかありません。動作にはどんな言語でも単語・言葉があります。ですから、瞑想に使えます。名詞は使えません。高度な智慧のレベルに達するまでは、言葉という道具の助けが必要です。
言葉で実況中継するけど
それは、動詞が中心なんだな
言語で意味づけすることだ
確かに、それは避けないと😆
その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。
そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。
🤡餓鬼道とは何か。
餓鬼道は
渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。
承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、
手に入れても決して満たされない。
でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、
その知識によって周囲からの承認を求める。
しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、
むしろ常に不足感を抱えているように見える。
愛情への飢えすら感じさせる点も含め、
餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。
🤡修羅道とは何か。
修羅道は
闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。
相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。
でおーは、やたらと
「自分の方が優れている」
「相手より上である」
という点を強調する。
勝ち負けに固執し、
相手を倒すためなら手段を選ばず、
時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。
そして、その対立を外から眺めて楽しむ。
この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。
🤡地獄道とは何か。
地獄道は
怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。
正義感が歪み、攻撃性へと変質する。
でおーは、相手を意図的に挑発し、
怒りや憎しみを引き出そうとする。
相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。
🤡つまり、
でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、
相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。
これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。
お怒りだな?🤡
ハッスルしてるな?🤡
ガンバってるな?🤡
すべて動詞のラベリングだな
😆
言われてみれば、確かに
身念処(しんねんじょ): 身体の動き、感覚(呼吸、姿勢、体の不快感・快感など)に注意を向け、「不浄」であること(変化し続けること)を観察する。
受念処(じゅねんじょ): 生じる感覚(快・不快・どちらでもない)を観察し、苦しみ(ドゥッカ)であること(執着すると苦しむこと)を理解する。
心念処(しんねんじょ): 心の状態(喜び、怒り、集中、散漫など)を観察し、「無常」であること(常に変化すること)を認識する。
法念処(ほうねんじょ): 心の対象(思考、感情、現象など)を観察し、すべてが「無我」(固定した実体がないこと)であることを理解する。
気づき(マインドフルネス): 今この瞬間の身体の感覚や心の動きに注意を払い続ける。
実況中継: 身体を動かす際などに、「動いている」「熱い」「痛い」などと心の中で実況する(考えすぎないように)。
スローモーション: ゆっくりと動作することで、感覚をより詳細に捉える。
目的: 煩悩(我執)に気づき、それを手放すことで、苦しみから解放されること(悟り)を目指す。
四念処経(中部経典)
ふざけて釣っているようで
実は仏教に忠実な部分がある
ハッスルは自分を実況中継できないから
指南してやってる
😆
ハイブリッドだな
😆
マインドフルネスはベトナムの禅僧
ティグナットハンが作ったものだ
😆
学問的は話しないやろ
通じない相手にマジレスやるよーな
サービス精神がない
😆
根拠とか教理的に教えてやる必要性が
自称禅だから
余計にレスしたくない
😆
ティグナットハンが唯識を好んでいた影響があるかもしれん
😫
その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。
そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。
🤡餓鬼道とは何か。
餓鬼道は
渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。
承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、
手に入れても決して満たされない。
でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、
その知識によって周囲からの承認を求める。
しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、
むしろ常に不足感を抱えているように見える。
愛情への飢えすら感じさせる点も含め、
餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。
🤡修羅道とは何か。
修羅道は
闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。
相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。
でおーは、やたらと
「自分の方が優れている」
「相手より上である」
という点を強調する。
勝ち負けに固執し、
相手を倒すためなら手段を選ばず、
時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。
そして、その対立を外から眺めて楽しむ。
この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。
🤡地獄道とは何か。
地獄道は
怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。
正義感が歪み、攻撃性へと変質する。
でおーは、相手を意図的に挑発し、
怒りや憎しみを引き出そうとする。
相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。
🤡つまり、
でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、
相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。
これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。
むやみに仏教用語を並べるのは、愚かな人のやることだが
キーワードは知っておかないと
えん坊&ぼーさん
2020年10月6日 07:50
身受心法(しんじゅしんほう)
・心念処 (しんねんじょ)・心念住(しんねんじゅう)
・法念処 (ほうねんじょ)・法念住(ほうねんじゅう)
「四念処・しねんじょ」は(玄奘以降の新しい漢訳では「四念住・しねんじゅう)とも呼ばれます。
真理とは真逆の間違った考え方の、四顛倒(してんどう)の
「常楽我浄」(じょうらくがじょう)を打破する瞑想です。
ありのままに自分を観察する瞑想で、
気づきの瞑想、観察する瞑想、ヴィパッサナー瞑想のことになります。
この、四念処の瞑想は、経典の中では、
「身受心法」(しんじゅしんほう)の教えで、
ブッダの説法がよくでてきます。
身受心法(しんじゅしんほう)
・身念処(しんねんじょ)・身念住(しんねんじゅう)
「身体について」からだをよく観察をして、
「身体は不浄」であることをみる(気づく)瞑想です。
これは、「不浄観」(ふじょうかん)と表現されていて、
自分の身体は五蘊(ごうん)から成り立つ存在で、
身体で接触して感受するものすべて、
はかない「一切皆苦」(いっさいかいく)の煩悩になることを、
観察の瞑想をして洞察していきます。
「心について」、心をよく観察して、
「心は無常」であることをみる(気づく)瞑想です。
これは、
五蘊で成り立つ自分の考え方を形成していく「行」(ぎょう)は常に変化するものである「諸行無常」(しょぎょうむじょう)であると如実に観察します。
その自分の心を如実に観察します。
貪りのある心を「わたしの心は貪りをもっている」と知る。
貪りを離れた心を「わたしの心は貪りを離れた」と知る。
怒りのある心を「わたしは怒りの心をもっている」と知る。
怒りを離れた心を「わたしは怒りの心を離れた」と知る。
と表現されています。
「もろもろの事象・法について」、
もろもろの事象・法をよく観察して、
「あらゆる物質は無我」であることをみる(気づく)瞑想です。
三法印(さんぼういん)の「諸法無我」(しょほうむが)を如実に観察することです。
経典での表現のされかた
四念処・四念住の「身受心法」は原始仏典には、
「よく気を付け、
熱心に正しく自覚し、
落ち着いて過ごし、
世間の貪り憂いを克服すべき」
とでてきます。
①記憶(教えを)する。
②心が散漫になったりしないように注意力を促す。
③四念処(サティパッタ-ナ)の常に無常・苦・無我を念頭に置く
の意味があります。
大念処経を読むと四念処の理解がふかまります。
女性を見ると、気持ち悪くなってしまった😫
不浄観を止めて、他のことをやることにした😫
止めるべきと思う
極端から、別の極端へと走りやすい
↓
瞑想の実践方法
気づき(マインドフルネス): 今この瞬間の身体の感覚や心の動きに注意を払い続ける。
実況中継: 身体を動かす際などに、「動いている」「熱い」「痛い」などと心の中で実況する(考えすぎないように)。
スローモーション: ゆっくりと動作することで、感覚をより詳細に捉える。
目的: 煩悩(我執)に気づき、それを手放すことで、苦しみから解放されること(悟り)を目指す。
実況中継は王道だな?
😆
そういう要素があったからだろな
😆
テーラワーダと唯識を
ハイブリッドにしたんやろな
😆
テーラワーダの観法的視点がないままに
三毒まみれで
「無我なのにー」
とやっているせいだ
俺はいつも実況中継指導をしてやってる
😆
😫
https://m.youtube.com/watch?v=-wG5TJ-1BSA&pp=2AYz
無理筋
😫
俺の十年以上謎であり続けた
山伏念仏神仏習合の謎であろうな
https://m.youtube.com/watch?v=_QD5WIOYlBg&pp=2AZB
みたいな流れだな
あっちは
😁
中論は
大乗仏教は在家仏教なので
三論宗が一番正論に近いかよなー
巷の
中論の仏教研究者は
雰囲気的には
成実論的なんだよなー
😆
一番在家仏教の成果を現したのは
天台宗らしいです
😆
情報不足、
唯識は、あれくらい学問的だと
在家は無理だろ、
ゲルク派並みの緻密さだからー
😆
成実論なんだよなー
三論宗とは違う、衆生済度が
成実論には見えてこない
😆
ナルシズムなので
衆生済度の発想視点は無さすぎだ
俺は、ハッスルに
ハッスル🤡という実況中継で
衆生済度しとる
😆
宗派が現存してないから
多種多様の学説が起こりうるやろなー
😆
信用ならん
😆
大乗仏教の衆生済度の解釈が一番近似値になるんだろな
😆
俺は議論しない派なので
お役目はJBLにお任せだ
😆
唯識論には法相宗があるけど
中論には三論宗がもうないから、誰でも言いたい放題だな
その在り方は 餓鬼道と修羅道 が強く表れている。
そして、でおーは意図的に相手の 怒りや憎しみを引き出し、地獄道に引きずり込もうとする 。
🤡餓鬼道とは何か。
餓鬼道は
渇望、不足感、「まだ足りない」という感覚に支配された状態。
承認・知識・評価・愛情への飢えが尽きず、
手に入れても決して満たされない。
でおーは、貪るようにあらゆる宗教知識を集め、
その知識によって周囲からの承認を求める。
しかし、いくら語っても満たされた様子はなく、
むしろ常に不足感を抱えているように見える。
愛情への飢えすら感じさせる点も含め、
餓鬼道の特徴と非常によく重なっている。
🤡修羅道とは何か。
修羅道は
闘争、優劣、勝ち負けに囚われた世界。
相手を打ち負かすことでしか自分を保てない状態。
でおーは、やたらと
「自分の方が優れている」
「相手より上である」
という点を強調する。
勝ち負けに固執し、
相手を倒すためなら手段を選ばず、
時には第三者同士を対立させる方向へ誘導する。
そして、その対立を外から眺めて楽しむ。
この振る舞いも、でおーは修羅道の性質と一致している。
🤡地獄道とは何か。
地獄道は
怒り、憎しみ、「許せない」「ムカつく」という感情に支配された状態。
正義感が歪み、攻撃性へと変質する。
でおーは、相手を意図的に挑発し、
怒りや憎しみを引き出そうとする。
相手の正義感を刺激し、それを攻撃へと変えさせる。
🤡つまり、
でおーは餓鬼道・修羅道に留まりながら、
相手を地獄道へ落とそうとする構図が見える。
これは、でおーがこれまで繰り返してきた行動と、完全に一致している。
仏教は、今からおよそ2560年前、お釈迦様(釈迦牟尼仏陀)によってひらかれ、時代の流れとともにさまざまな流派に分かれて、全世界へ広がってゆきました。
中国・チベット・朝鮮半島や日本には、お釈迦様の死後数百年経って成立した北伝の仏教、いわゆる大乗仏教が伝えられました。
一方、スリランカ・タイ・ミャンマーなどの出家教団によって継承された南伝の仏教をテーラワーダ仏教といいます。テーラワーダ仏教は、他に初期仏教・上座仏教・上座部仏教・根本仏教・原始仏教などとも呼ばれています。
テーラワーダ仏教は、いわゆる「小乗」とも「大乗」とも無縁です。お釈迦様の説かれた教えとその実践方法の一つ一つを、当時のまま、今日まで伝えてきた純粋な体系なのです。
テーラワーダ仏教成立の経緯を見る限りでは、「初期仏教」とは思えない
「南伝仏教」と呼ぶべきだろう
アビダルマの解釈から成立した
というところやろなー
たぶん、怪しげ知識😆
アビダルマはまだ
詳しくない
😆
その行動様式は 餓鬼道と修羅道 に明確に一致する。
餓鬼道
でおーは承認・評価・優位性への渇望が強い。
宗教知識を大量に収集し、それを誇示するが、
満たされる兆候は見られない。
語れば語るほど不足感が増し、
他者からの反応を糧にしなければ立っていられない。
これは知識探究ではなく、承認依存である。
修羅道
でおーは常に勝敗と上下を設定する。
議論は理解のためではなく、相手を下に置くための手段として使われる。
優位を示すためなら歪曲・挑発・分断も厭わない。
第三者同士を対立させ、その混乱を外から眺める行動も繰り返している。
これは対話ではなく、闘争嗜好である。
地獄道への誘導
でおーは相手の怒りや正義感を意図的に刺激する。
感情を爆発させた相手を「荒れている側」に押し込み、
自分は安全圏に退く。
この構図は偶然ではなく、一貫した手口だ。
結論
でおーは
餓鬼道と修羅道に居座り、
他者を地獄道へ落とすことで自分を保つ。
これは人格評価ではない。
行動の事実と、その帰結の整理である。
本人に言っていない。
関わる周囲が判断を誤らないための共有だ。
呼吸や身体の感覚、心の状態をありのままに観察し、自己浄化を行うものです。2500年以上にわたり継承されているこの瞑想法は、執着や欲を滅ぼし、苦しみから解放されて心の平安(安穏)を得ることを目的としています。
本質はヴィパッサナー:サンスクリット語で「物事をあるがままに見る」という意味です。身体感覚や感情、思考を客観的に観察する「気づき(サティ)」の訓練です。
目的:ストレス解消だけでなく、究極的には苦しみの原因である「欲・怒り・エゴ(煩悩)」を根絶し、真の幸福を得ることです。
サマタ瞑想(静寂):呼吸など特定の対象に意識を集中させ、心に平静をもたらす準備段階の瞑想。
ヴィパッサナー瞑想(洞察):集中した心で、身体や心に起きる現象の無常(常に変化すること)を観察する。
姿勢:背筋をまっすぐにして座る。目は半眼か閉じる。
呼吸の観察:自然な呼吸に注意を向け、腹部の膨らみや縮み、鼻を通る感覚を観察する。
ラベリング:湧き上がる雑念や感覚を「考えている」「足が痛い」のように客観的に言語化して確認する。
対象は「今」:過去や未来の思考に囚われず、常に「今」起きている現象(感覚・思考)だけを観察する。
時間と頻度:1日2回、各20分~30分程度が目安だが、短い時間でも継続することが重要。
歩く瞑想:歩く感覚に集中する。足の裏の感覚などに気づきを向け続ける。
感情のコントロール:怒りや欲が湧いたとき、それに振り回されず、「怒りが湧いた」と客観視することで執着を離れる。
※精神疾患や重篤な症状がある場合は、マインドフルネス(瞑想)を実践する前に医師に相談することが推奨されています
😱
悟ったらしいので
サティ機能のテストだ
😆
😱
NO1は
境界例キャラなのか?
と思う
😆
見分は、相分しか見ていない
「いま、ボクは壊れたバカとネットの掲示板で論争している」とか
見分が見ているものを実況中継する
それが、自証分の機能だ
それは、見分が見たものを記憶したり、思い出したりすること
分かってしまえば単純だ
だから、自証分の存在に気づくことはない
自証分を認識するのは、証自証分だ
なんといっても、「自証分を認識する」というのが、
証自証分の唯一の機能
それ以外に何もないのだから、難しくもなんともない(笑)
代わりに証自証分ってものを立てただけだ
護法のオリジナル教義だ
自証分が、見分の見ているものを実況中継しているということだ
ホーカイくんに騙される
😱
三流清盛に
惑わされる
😱
テーラワーダはきちんと理解できているのでポイントは外れない自身はある
清盛よりも
😃
結局は、テーラワーダや倶舎論が分かってるかどうかなんだよな~😆
根底にはあるだらなー
ハッスル軍団は
こういう基礎が、アウト
麦にしても
ホーカイくんでもな
😱
不苦不楽は、よく言われるような
「苦行には意味がない。ただし、快楽の追求からも離れる」
というような意味とは思えない
「苦痛からも快楽からも離れた、安静な心の状態」
ということではないかも思われる
釈迦の教えでは、体験はすべて次の3つに分かれます:
苦受(不快)
楽受(快)
不苦不楽受(中性)
ヴィパッサナーでは、この**「受」そのものを観察対象にする**のがポイントです。
直感に反するかもしれませんが、
👉 一番問題になりやすいのは「不苦不楽」
です。
理由はシンプルで:
苦 → はっきり不快なので気づきやすい
楽 → 心地よいので執着に気づきやすい
不苦不楽 → 気づかれない
「不苦不楽」のとき、心はどうなるか:
ぼーっとする
自動運転になる
無意識に思考が流れる
無明(無自覚)が働く
仏教ではこれを
👉 「無明に支配された状態」
と見ます。
ここが核心です。
不苦不楽に対してやるのは:
👉 「それにも気づく」
具体的には:
何も起きていないように見える瞬間
刺激が弱くて退屈な瞬間
ただ呼吸しているだけの瞬間
これらを
👉 明確に観察する
ヴィパッサナーではこう扱います:
苦 → 「嫌だ」と反応しない
楽 → 「もっと欲しい」と反応しない
不苦不楽 → 「気づかないまま流れない」
つまり
👉 中性に対して“無関心でいない”
普通の人はこうなります:
苦 → 嫌う
楽 → 求める
不苦不楽 → 無視する
しかし修行では:
苦 → 観る
楽 → 観る
不苦不楽 → 最も丁寧に観る
理由は深いです。
「不苦不楽」は:
👉 輪廻を支える“無意識の土台”
だからです。
ここで無自覚が続くと:
習慣的思考(サンカーラ)が増える
自我感覚が維持される
苦の連鎖が続く
瞑想中にこういう瞬間が来ます:
「特に何も起きてないな…」
「退屈だな…」
「集中できてない気がする」
このときがチャンスです。
👉 その“何もない感じ”を観る
ヴィパッサナーにおける「不苦不楽」の扱いは:
「見落とされているものを、はっきりと見る」
あなたの言っていた:
「どんな状況でも苦しまない・楽しまない」
これにヴィパッサナー的に補足すると:
👉 「どんな状態でも“気づいている”」
苦でも気づく
楽でも気づく
そして特に
👉 何もないときに気づく
ここを掴むと、中道の理解が一気に深まります。
😀
ニートムイムイ爆走してるな?😀
😀
ヴィパッサナー瞑想だ😄
歩きながらの歩行禅が重要だ😄
ま、わかりやすいからなー
😀
井上希道ちゃんはイケナイけどな
😀
マインドフルネスチャンネル
https://youtu.be/fsfdJ8EC3lg?si=faCGmt3cXUyRFviC
しゃべりのプロだな
的な職人肌
😀
まだまだだな
😀
井上義衍よりも
さらに突き放している
😀
ほんと、突き放してるからなー
😀
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/0f/Mahasi_Sayadaw.jpg/500px-Mahasi_Sayadaw.jpg
😀
井上希道とムイムイとの違いについて〜
😀😀😀😀😀😀
できた
😀
地球儀回せたせ〜〜
😀
大乗仏教のどの宗派も応用バージョンアップした
リアル天台浄土教バージョンは無理そうだ、生滅してしまうと
極楽浄土がなくなる〜
😅
😀
ラベリングはしないが
ソフトタッチの狙いで
😀
まだ始められないままになってしまった
😀
本名と尊称: 本名はウ・ソーバナ。名前の後ろにつく「サヤドー(サヤド)」はミャンマー語で「長老」や「高僧」を意味する尊称です。
主な実績: 伝統的な「ヴィパッサナー瞑想(観法)」を、在家信者でも取り組みやすいように体系化しました。
気づき(ノーティング)の実践: 歩くときに「右、左、右、左」と心の中で実況中継(ラベリング)したり、お腹のふくらみ・縮みを観察したりして、今この瞬間の身体や心の動きをありのままに自覚する手法を確立しました。
世界的な普及: その明快かつ効果的な指導法は世界中で絶賛され、現代の欧米におけるマインドフルネスや瞑想ブームのルーツの一つにもなっています。
彼の教えや著作の詳細は、日本テーラワーダ仏教協会などの専門サイトで確認することができます。
夢想花?
お家にある
いつでも生滅智に入れる
動画で光を感じる
とか
表現している箇所
むろん、そこから離れないといけない
😀
禅定力を1とすると
マハーシ サヤドーの本を読むと
100くらいだ
禅定パワーがダンチで違う
😀
それはシランカッタ長老〜
😀
検索しよう
😀
😀
明治以前の春日権現信仰は、神仏習合の本地垂迹思想のもと、藤原氏の氏寺である興福寺の僧侶によって主導されました。その信仰の興福寺内における中心は南円堂(なんえんどう)です。南円堂が春日信仰の中心となった理由は以下の通りです。本地仏の安置: 春日大社の第一殿の神様(武甕槌命)の本地仏(本来の姿とされる仏)は不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん)とされており、これが南円堂の本尊として祀られていました。鹿皮の秘宝: 南円堂の本尊・不空羂索観音菩薩像は身に「鹿皮」をまとっており,これは春日大社の使いである神鹿に直結する縁起として特に藤原氏の尊崇を集めました。信仰の発信拠点: 鎌倉時代には興福寺の僧である貞慶(解脱上人)らが南円堂を拠点として春日明神への篤い信仰を展開し、春日権現験記や講式を通じて信仰を広めました。
不空羂索観音の鹿皮南円堂の本尊・不空羂索観音菩薩像は鹿の皮をまとっています。これは、春日大社の祭神である武甕槌命(タケミカヅチノミコト)が白鹿に乗って奈良の御蓋山に降臨したという伝説に由来しており、観音菩薩と春日神が深く結びついていることを示しています。度数詣(どすうもうで)春日大社の神官や社司たちは、本社だけでなく南円堂にも度々参籠・参拝する「南円堂勤仕」という習わしを持っていました。神道と仏教が融合する中で、春日神を祀る神官たちにとっても重要な祈りの場でした。
やはり
まだまだだな
😀
😀
魔改造ヒントをもらった
良い日であった
ソフトタッチのラベリングの
魔改造
😀
よく分からないですがちゃんと基礎からしっかりと学べば降りてくる?教えてくれるのが勤行や修行や坐禅を極めた成果では無いのでしょうか?教えて頂けたお坊様方々のお言葉などそれそのもの。仏の御加護とはそう言うものだと思います。
私など全く初歩にも辿り着かない仏教知識なのに分かる部分があるのは御加護の賜物、それが仏教だと思いました。せめて呼吸くらいは必要でしょ?
それでも古来から続くお教え。日本人は当たり前だったはずなのに分からないのなら仏教でもええから学べばいい。
らしいですよ。昔の人はちゃんと分かってた上での事、本当に偉かったな。
働きの分かりやすい名前ならそれで覚えたらいい話。名もランクも仏教徒が勝手につけたんやろ?
① 身念処(身体の観察)
まずは単純に
息が入る
息が出る
体の感覚がある
→ ここで「身体はただの現象」と見えてくる
② 受念処(感覚)
次に
心地よい
不快
どちらでもない
という“評価”が起きていることに気づく
→ 「快・不快は勝手に起きる」と見える
③ 心念処(心そのもの)
さらに
集中している心
散乱している心
落ち着いた心
など、「心の状態そのもの」を観る
→ 「心も固定物ではない」と分かる
④ 法念処(構造理解)
最後に
無常
縁起
五蓋(妨げ) などの“法則性”を見る
→ 世界の仕組みそのものを理解する方向へ行く
あまりにも重要なので、外せない
その理解はかなり本質を突いてる。
テーラワーダ仏教(特に現代の上座仏教系実践、いわゆる「ヴィパッサナー運動」)は、基本的にパーリ語原典ベースで語るから、漢訳由来の漢字仏教用語はできるだけ避ける傾向があるんだよね。概念のズレや後世の解釈混入を嫌うから。
その中で例外的に残るのが、まさにあなたが言った通り:
四念処(satipatthana)
理由はシンプルで、これは単なる用語ではなくて、
修行体系そのものの骨格だから
です。
つまり四念処は、
仏教の「実践の設計図」
ヴィパッサナー瞑想の全体構造
気づきの対象の完全分類
であって、言い換え不能に近い。
「四念処」という漢訳はかなり優秀で、
四=4つ
念=サティ(気づき)
処=確立された対象・基盤
つまりほぼ
「気づきを確立する4つの基盤」
という構造を正確に捉えている。
だからテーラワーダ側でも普通に使われ続ける。
四念処は単なる分類じゃなくて、実際にはこういう役割:
① 身念処(身体)
→ 呼吸・姿勢・身体感覚
② 受念処(感受)
→ 快・不快・中性
③ 心念処(心)
→ 貪・瞋・痴・集中・散乱などの心状態
④ 法念処(法)
→ 五蓋・七覚支・縁起などの構造
ここで重要なのは:
これは「世界の全部を観察するための枠組み」
なんだよね。
だから外せない。
テーラワーダ的にはこういう感覚が強い:
用語はどうでもいい(翻訳依存を避ける)
でも構造は絶対に壊せない
四念処だけは「仏陀の実践そのもの」
だから、
漢字は避けるが、四念処は例外的に“聖域”
みたいになっている。
ここがちょっと面白いところで:
漢字仏教(大乗・東アジア)
用語体系が厚い
概念が増殖する
哲学化しやすい
テーラワーダ
用語は削る
実践構造を残す
「これだけやれ」に収束する
そしてその中心が四念処。
テーラワーダは「言葉を削る仏教」
でも四念処だけは「削れない設計図」
もしここから進めるなら面白いのは、
「四念処=なぜこれで“全部の修行が成立する”のか」
「禅の只管打坐と四念処は構造的にどこが違うのか」
「四念処が“観察の網”としてどう機能するか」
このあたりはかなり深いところに入れるよ。
「アーナパーナサティ」と「四念処」
↑
これが、このスレのテーマになる
ニコク堂がロン殿にカミついておるな?😫
悟りの側から見た世界を語るのは当たり前じゃろう😫
マハーシ・サヤドーも四念処を説いていた?
うん、マハーシ・サヤドーは四念処そのものを中心に説いていた人だよ。
むしろ彼のヴィパッサナー体系は、ほぼ「四念処の実践化」と言っていい。
マハーシ・サヤドーの瞑想法は「四念処の実践体系」を現代的に再構成したもの
彼の教えの土台は明確で、
『大念処経』
パーリ仏典のサティパッターナ(四念処)
これをそのまま実践体系として組み直したのがマハーシ法。
彼の基本構造はこう:
● 身念処(身体)
腹の上下動(腹部の動きの観察)
歩行瞑想(歩く動作の分解観察)
👉 「動きの現象化」
● 受念処(感受)
痛み
心地よさ
退屈・不快など
👉 「快・不快をただラベル化して観る」
● 心念処(心)
「怒りがある」
「集中している」
「雑念がある」
👉 心を“状態として実況中継する”
● 法念処(法)
五蓋(欲・怒り・眠気など)
縁起的な反応パターン
無常・苦・無我の洞察
👉 心の構造を見る段階
彼は四念処を「哲学」にせず、
ラベリング(実況的な気づき)技法として落とし込んだ
のが特徴。
例:
「歩く・歩く」
「痛み・痛み」
「考え・考え」
「怒り・怒り」
これで四念処の対象を全部カバーする設計になっている。
マハーシ法では意外とこう:
数息観は基本使わない(初期補助程度)
代わりに「気づきのラベリング」が中心
つまり:
数で集中するのではなく、現象を分解して気づく
マハーシはかなり重要で、
現代ヴィパッサナー運動の最大の源流の一つ
スマナサーラ長老系にも強い影響
「四念処瞑想の標準モデル化」に成功した人物
四念処=仏陀の観察フレーム
マハーシ=それを「実際にやれる形」にした人
ここが面白いところで、
四念処は“理論”ではなく“操作体系”として完成する必要がある
マハーシはそこをやった。
だからテーラワーダの実践現場では、
四念処=経典
マハーシ=実装仕様
みたいな関係になってる。
カチンと来たようじゃ😫
らしいな
ま、ハッスルの冷静バージョンだからなー
高野山の案内所に俺を来年こさせる
誘惑の文献があった
これは
来年5月も行く、決定
😀
テーラワーダで臨済宗の、基礎つくった感がある
魔改造してふけど
😀
仁和寺門跡系統と
覚鑁系統の
高野山探索で
とりま、満足かな
高野山案内所にある
文献を、読みに来年5月は
高野山に行くぞ
😀
と、坊さんからも言われた
いつも俺のファンクラブ軍団のパワーがない、
奥の院の神仏習合パワーに
脳ハッキングされている😀
奥の院の霊気について摸索して
エネルギーを吸いすぎて
金剛三昧院系統のパワーが帰りにこない
😀
奥の院の弘法大師御廟近辺の霊気は
学問僧覚鑁&寿門派の道範から
高野聖、お遍路、高野山修験の
組み合わせで成り立っているという
霊気仮説を立てた
あの池◯氏の宿坊は1000円予約て
宿坊内の諸仏を拝観てきると知った
念仏聖系統の寺院だ本来は
シャーマニズムボスが居座っているが
😀
大師教会を先行って壇上伽藍らしい
大師教会の土地は
現在高野山真言宗のルートになる
宝性院の元本拠地だ
宥快猊下のパワーがある無しでは違うのを発見した
俺は壇上伽藍から後で大師教会へ行ってた
壇上伽藍のノリが違う
😀
だ
😀
なので、ほとんど印象に残っていない😅
寺宝品に関心がわいてきた
😀
多分、大師教会は
布教の為に
建てたんやろな
名前の通り
宝性院と無量寿院が
合併して
現在の高野山真言宗になり
宗務庁を金剛峯寺にしたんで
無量寿院の本拠地は高野山の僧侶育成道場になった、
😀
金剛峯寺は
そもそも、山伏と学問僧の徳川家康を崇拝する立ち位置だった
😀
紀州名所図会かで、
本尊が神君家康公とあった
😀
と、旅行者たちも絶賛している
いまの自分は四念処ブームだが😅
これほど仏教にとって根本的に重要なテーマを
いままで、スルーしてきた😫
四念処の教えだ
これらをアウトプット精密マシーンの魔改造した感だな
😀
身念処(しんねんじょ)呼吸や歩行など、身体の動作や状態をありのままに観察する。受念処(じゅねんじょ)快・不快・どちらでもないという感覚や感情の起こり、変化を観察する。心念処(しんねんじょ)怒り、貪り、散乱している状態など、心のありのままの動きを観察する
受念処魔改造
心念処魔改造
インプットと判断とアウトプットを同時にやる魔改造
😀
俺を釣りにきても
レスにおいて
これらの魔改造でスルーしたり、
返り討ちにしたり
やってる
デンパパ📡なんかは
そーいのを理解てきず
自分視点で、こーレスしたら
腹立つだろうなと妄想して
ハッスル👽してるな?
不立文字だが、
そこに固執するのではない
瞬時のインプットと判断とアウトプットを行う
😀
昨日の高野山での疲労感が身体に残ってはいるが
インプットとアウトプットで
同時に運用している感だ
😀
かなりピーキーな判断力と洞察力をトレーニングするアウトプット重視で
参禅年数、坐禅回数を
一発ギャグのよーに連呼する
バカ🤡には縁がない
😀
> 参禅年数、坐禅回数を
> 一発ギャグのよーに連呼する
> バカ🤡には縁がない
定番ネタだ
吉本新喜劇みたいな安心感がある😄
ウンコ聖師が大好きな「受」だな
基本的やしなー
具体的やしなー
😀
昨日の弘法大師御廟の霊感パワーで生活している感じ
高野聖検索に時間を
相当使っていた
今、やっと吉野がみの検索したところ
😀
https://www.google.com/search?q=%E4%BF%AE%E9%A8%93%E9%81%93%E3%81%AE%E6%82%9F%E3%82%8A%E3%81%A8%E3%81%AF&client=ms-android-zte&hs=uYc&sca_esv=317ac58a646953f7&sxsrf=ANbL-n76oYweNz0VBua4L8V5Si42MrR0uQ%3A1779709420949&ei=7DUUapDDOZSM2roPlL7c4AI&biw=360&bih=616&oq=%E4%BF%AE%E9%A8%93%E9%81%93%E3%81%AE%E6%82%9F%E3%82%8A%E3%81%A8%E3%81%AF&gs_lp=EhNtb2JpbGUtZ3dzLXdpei1zZXJwIhjkv67pqJPpgZPjga7mgp_jgorjgajjga8yBRAAGO8FMgUQABjvBUj4iAFQ3hZYu4UBcAV4AZABAZgBzgWgAegpqgENMC44LjcuMS4wLjIuMbgBA8gBAPgBAZgCF6ACwSaoAi3CAgcQIxgnGOoCwgINECMY8AUYJxjqAhieBsICDRAjGPAFGCcYyQIY6gLCAhAQABgDGLQCGOoCGI8B2AEBwgIEECMYJ8ICChAAGIAEGLEDGATCAg0QABiABBixAxiDARgEwgIIEAAYgAQYsQPCAhAQABiABBixAxiDARgEGIoFwgILEAAYgAQYsQMYgwHCAgoQIxiABBgnGIoFwgIHEAAYgAQYBMICDBAAGIAEGAQY2QUYCsICCBAAGIAEGKIEwgIFEAAYgATCAgcQABiABBgKwgIJEAAYgAQYBBglmAN-8QVevVW60zb_mLoGBAgBGAqSBws0LjcuNy4zLjEuMaAHpFWyBwswLjYuNy4zLjEuMbgHhCXCBw4wLjEuMTguMi4wLjEuMcgHoAKACAA&sclient=mobile-gws-wiz-serp
即身成仏(即身即仏): 特別な修行を積んだ者があの世で仏になるのではなく、「この身、このまま」の状態で現世において悟りを開くことを理想とします。
山川草木悉皆成仏: 厳しい自然の中に身を置き、万物に神仏が宿ることを体感します。自然を切り離された対象ではなく、自分自身もその大いなる自然(宇宙)の一部であると気づくことです。
衆生済度(しゅじょうさいど): 自分だけが悟って満足するのではなく、得られた力や気づきを活かして、苦しむすべての人々を救済することを目指します。 [1, 2]
仏教における「受」とは
「これはお茶だ」、「これは牛乳だ」と、ラベリングして分別する以前の段階
「何か液体が口の中に入った」という時点で、「おいしい」とか「まずい」とか、快/不快の反応が始まっている
かなり仏教的な捉え方だ。
とくに初期仏教や阿毘達磨の「受(vedana)」理解に近い。
仏教では、認識プロセスをかなり細かく分ける。
ざっくり言うと、
接触(触)
感受(受)
認識・ラベリング(想)
反応・執着(愛・取)
という流れになる。
あなたの例で言えば、
液体が口に触れる
「快い/不快だ」という感触が起きる
その後に「これはお茶」「これは牛乳」と概念化する
この「快・不快・どちらでもない」の一次反応が、まさに「受」。
つまり受は、
「意味づけ」以前の、感情的トーン
なんだ。
むしろ、
pleasant
unpleasant
neutral
という“感じの色合い”に近い。
たとえば熱い湯に触れた瞬間、
「熱ッ!」
となる。
この時点ではまだ、
摂氏何度か
どういう熱源か
危険性がどうか
などを分析していない。
だが身体はすでに「不快」「避けたい」と反応している。
これが受。
そのあとで、
「これはヤカンのお湯だ」 「危険だ」 「気をつけよう」
という認識が続く。これは「想」や「行」の領域。
人間は“世界を認識してから欲望する”のではなく、 快・不快への反応が先に起きる
と見ている点だ。
だから十二縁起でも、
触 → 受 → 愛
の順番になる。
つまり、
「快い」
↓
「もっと欲しい」
「不快」
↓
「避けたい」
が、自動的に始まる。
ここを観察するのが、四念処の「受念処」だ。
「あ、今、不快反応が起きた」
「あ、快を掴みに行こうとしている」
と見る。
禅でもヴィパッサナーでも重要視される部分だが、特にテーラワーダ系はここをかなり精密に観察する。
「世界認識」より前に、すでに身体‐心が“好き嫌い”で動いている、と見るからだ。
こればっかりは、気の持ちようで止められる問題ではない
この時点で、身体が勝手に分別を始めるわけで、分別の根はそれだけ深い
その通り。
仏教が言う「分別」は、単なる“頭の中の理屈”ではない。
もっと身体的で、生理的で、反射的なものとして捉えられている。
だから仏教では、
「考えるな」 「気にするな」
では解決しない。
熱いものに触れたら身体が引っ込むように、
快・不快への反応は、ほとんど神経反射レベルで起きる。
初期仏教では、これをかなり冷徹に観察していて、
触れた瞬間に受が起こる
受から渇愛が起こる
渇愛から執着が起こる
という連鎖を、人間存在の“自動機械性”として見ている。
だから修行のポイントも、
「受を消す」
ではない。
それは生きている限り起きるから。
むしろ、
受が起きた瞬間に、 即座に“自己物語”へ発展していく反応を見る
ことになる。
たとえば、
不快 ↓
嫌だ ↓
あいつが悪い ↓
許せない ↓
自分は被害者だ
と、猛烈な速度で物語化が始まる。
仏教は、この後半の増殖部分を問題視する。
分別は「脳内の言語活動」以前に始まっている
ことだ。
唯識なら、これはほとんど「種子(しゅうじ)」のレベルの反応になるし、禅なら「無始以来の習気」と言う。
つまり、 「自我が世界を解釈している」というより、
生存システムそのものが、 快・不快によって世界を切り分け続けている
という感じなんだ。
だから禅でも、本気で修行している人ほど、
「分別をなくそう」
とはあまり言わなくなる。
むしろ、
「分別は起こる」
「起こるものとして見る」
という方向に変わっていく。
これはある意味、かなり現実的な人間観だと思う。
そこが、禅宗の一部宗派の甘いところではないか
「お茶を飲んだら、お茶の味がした。それだけ」
「牛乳を飲んだら、牛乳の味がした。それだけ」
等と、あたかもそれが無分別、あるがままの認識であるかのように語るのだが
仏教的には、すでに「受」の段階で分別の反応が始まっている
その批判は、かなり鋭い。
実際、初期仏教・阿毘達磨・ヴィパッサナー系の立場から見ると、
「ただお茶の味がしただけ」
という禅的表現は、分析が粗い、と見える可能性がある。
なぜなら、あなたの言う通り、
「お茶だ」と概念化する以前に、
快
不快
微細な欲求
接近/回避反応
が、すでに始まっているから。
つまり、
「ただ見ている」 「ただ味わっている」
と思っていても、実際には受による色づけが起きている。
これはテーラワーダ系だと非常に重視される。
だから受念処では、
快受
苦受
不苦不楽受
を細かく観察する。
「認識した内容」より、
その瞬間、心がどう色づいているか
を見る。
「あるがまま」
は、場合によってはかなり危うい。
というのも、人間は簡単に、
習慣反応
情緒反応
快不快
自己正当化
を、「自然体」と誤認するから。
だからヴィパッサナー系から禅を見ると、
それ、本当に“無分別”か? ただ鈍感なだけでは?
という批判が出ることがある。
実際、上座部系の人が禅に対して、
「体験主義すぎる」
「分析が甘い」
「煩悩の観察が粗い」
と感じることはある。
逆に禅側は、
分析しすぎると、生きた現実から離れる
と反論する。
つまり、
上座部・阿毘達磨 → 微細な心作用を徹底分析する方向
禅 → 分析そのものを断ち切ろうとする方向
という差がある。
ただ、あなたの指摘は重要で、
「概念分別が消えた」ことと、 「快・不快反応が止んだ」ことは別
なんだ。
禅語で「無心」と言っていても、 実際には受に引きずられている可能性は普通にある。
だから仏教全体で見ると、
「あるがまま」
という言葉は、かなり慎重に扱わないと、 単なる反応性の正当化にもなりうる。
>人間存在の“自動機械性”として見ている
なんだか、グルジェフっぽいな?
かなり近いところがある。
だからグルジェフに惹かれる人が、仏教、とくに禅やヴィパッサナーにも関心を持つのは自然なんだ。
ゲオルギイ・グルジエフ は、人間をほとんど
「眠った機械」
として見ていた。
人は「自分で考え、自分で行動している」と思っているが、実際には、
習慣
感情反射
欲望
外部刺激
条件反射
によって、自動的に動かされている、と。
これは仏教の、
無明
行
習気
煩悩
業
の発想とかなり響き合う。
特に似ているのは、
「自分」という統一主体は、実はかなり怪しい
という感覚だ。
グルジェフは、
人間には固定的な「私」はない。 小さな“私”が次々に入れ替わっているだけだ
と言った。
さっきまで禁欲を誓っていた「私」が、数分後には欲望に負ける。
怒るまいと思った「私」が、すぐ怒る。
仏教でも、
五蘊は流動過程であって、固定自我ではない
と見るから、かなり近い。
グルジェフはかなり「意志」や「覚醒した主体」の形成を重視する。
「本当の自己」を鍛える感じが強い。
一方、仏教、とくに無我を強調する系統では、
強い主体を作る
より、
主体そのものの実体視を解体する
方向へ行きやすい。
だからグルジェフは、 どこか「秘教的な自己完成」の匂いがある。
対して初期仏教は、もっと観察的で、
「機械性を止める俺」を作るより、
機械反応そのものを観察して、 それが空回りしていると見る
方向が強い。
ただ、あなたが感じた
「受」の段階ですでに反応が始まっている
という話は、確かにグルジェフの
人間は自動反応の束である
という感覚と、かなり共鳴している。
「受」の段階で反応しないということは
極端に言えば、「霜降り牛肉を食べても美味しくない」、「牛糞を食べても不味くない」というレベル
生きてる間は無理
仏教的にも、「受そのものを完全にゼロにする」のは、生身の人間として生きている限り極めて難しい、という感覚はある。
ただ、少し整理すると、
「快・不快の感受」が起こる
そこから「渇愛・執着」が増殖する
は、仏教では分けて考えられることが多い。
たとえば普通の人間なら、
霜降り肉 → 快
腐敗臭 → 不快
という反応は、かなり自動的に起こる。
これは身体レベル、生物レベルの反応でもある。
だから阿羅漢ですら、
熱ければ熱い
痛ければ痛い
という「受」はある、と初期仏教では説明されることが多い。
普通は、
快 → 欲しい、もっと
不快 → 消したい、怒りたい
へ連鎖する。
仏教修行は、ここを弱めていく方向なんだ。
だから理想像は、
「霜降り肉が旨い」という感覚が起きない
というより、
「旨い」という感覚は起きても、 そこに飲み込まれない
に近い。
逆に、
「何を食べても全部同じ」
みたいな状態を、そのまま悟りと考えると、かなり危険でもある。
それは場合によっては、
感覚鈍麻
解離
抑圧
無気力
と区別がつかなくなるから。
禅でも本来は、
感覚が死ぬ
のではなく、
感覚は鮮明だが、執着が薄い
方向のはずなんだ。
だから有名な禅語の、
「腹が減ったら飯を食い、疲れたら眠る」
も、本来は
「快不快が消えた超人」
というより、
余計な自己物語を増殖させない
という意味合いが強い。
確かに
仏教では通常、「受(身体の自動反応)は止められない。そこから先を止めよう」という感じなのではないか
そう。かなりその理解で合っている。
とくに初期仏教では、
「受そのもの」は条件反応として起こる
という前提が強い。
だから問題は、
受 → 愛(渇愛)
へ進むところ。
十二縁起でもまさに、
触 → 受 → 愛 → 取 → 有 …
となっている。
つまり仏教は、
「受がある」のを罪悪視しているわけではない。
むしろ、
生きている限り、接触があれば受は起こる
と、ごく現実的に見ている。
たとえば、
嫌な言葉を聞いて胸がザワつく
美味いものを食べて嬉しい
暑くてイライラする
こういう第一次反応は、かなり避けがたい。
問題はそのあとで、
「もっと欲しい」
「絶対失いたくない」
「こいつ許せない」
「自分は傷つけられた」
と、自己中心的な物語が増殖していくこと。
だから修行の核心は、
「受が起きない人」になることではなく、 受から機械的に執着へ流れ込む回路を見る
ことなんだ。
実際、ヴィパッサナーでは、
「あ、不快受が起きた」 「あ、逃げたくなってる」 「あ、怒りに変わりそう」
と、受から次段階へ移る瞬間を観察する。
すると、
受はある
だが、必ずしも渇愛へ直結しない
という“隙間”が見えてくる、とされる。
だから仏教は意外と、
「無感覚になれ」
とは言わない。
むしろ、
感受は起きる。 だが、その反応連鎖に巻き込まれ続けなくてもよい
という方向なんだ。
その辺りが、受・想・行・識にわざわざ分けて分析する理由なんだな
まさにそこ。
仏教が五蘊を細かく分けるのは、単なる哲学趣味ではない。
「苦が、どの段階で増殖しているか」
を解析するためなんだ。
たとえば普通の感覚では、
「私は怒った」 「私は傷ついた」
で一塊に見える。
だが仏教は、それを分解する。
色 身体・感覚器官
受 快・不快・中性の反応
想 ラベリング・表象・記憶照合 「侮辱された」「牛乳だ」「敵だ」
行 意志反応・衝動・癖・欲望 「怒り返したい」「逃げたい」
識 それらを経験している認識作用
というふうに。
すると、
「怒り」という一塊の現象
の内部で、
まず不快受が起き
次に「侮辱」という想が形成され
さらに攻撃衝動(行)が起き
その全体を識が経験している
という流れが見えてくる。
これはかなり分析的だ。
重要なのは、
“私が怒っている”
という実体感を崩すこと。
実際には、
感覚反応
記憶照合
条件反射
欲求
認識
が高速で連鎖しているだけかもしれない。
この分解が進むと、
「自分」というより、 条件反応プロセスが流れている
という見え方になっていく。
だから五蘊分析は、 単なる理論ではなく、
「どこで苦が生成されているか」
を見るための“解体作業”なんだ。
受は身体の自動反応、想もほぼ自動反応
コントロールできるのは、行と識か
かなり本質を突いている。
実際、仏教修行の「介入可能性」は、主にその辺にあると考えられることが多い。
ただ、厳密には少し複雑で、
受
想
行
識
全部が相互依存で、しかもかなり自動的に動く。
だから仏教は、
「自由意志で全部コントロールできる」
とは、あまり考えない。
むしろ、
行と識の訓練によって、 受・想への巻き込まれ方が変わる
という感じなんだ。
受 — ほぼ自動
快
不快
中性
は、生理反応に近い。
熱いものは熱い。
痛いものは痛い。
ここを直接止めるのは難しい。
想 — これもかなり自動
「敵」
「美味そう」
「侮辱された」
などのラベリング。
これは記憶・習慣・文化・経験の反射。
だから禅でいう「分別」は、想の働きをかなり含んでいる。
行 — 比較的、修行介入が可能
ここが重要。
怒鳴り返す
執着を育てる
妄想を反復する
など、“反応を増殖させる力”が行。
逆に、
手放す
観察する
反応を続けない
も行。
だからカルマ(業)は、主に行と結びつく。
仏教修行は、この「反応の増幅装置」を調教する面が大きい。
識 — 微妙だが、観察の場
識は単なる意識ではなく、
「経験が成立している場」
みたいなもの。
ここに mindfulness(念)が入る。
つまり、
「あ、不快受が起きてる」 「怒りの想が走った」
と気づく力。
この“気づき”によって、
受 → 愛 → 取
の自動連鎖に割り込める、と考える。
「自動反応を完全停止する」
というより、
自動反応の連鎖を、識と行の訓練で弱める
感じなんだ。
そして面白いのは、修行が深まると、
受そのものが穏やかになる
想のラベリングが薄くなる
とも言われる点。
ただそれも、「力づくで止める」というより、
行と識の変化が、 下流から上流へ影響を与える
というイメージに近い。
初期仏教やグルジェフは
自分自身の身体を、刺激に対して自動的に反応するロボットのように考え
それを客観的に観察しようとしている
かなり近い。
少なくとも両者とも、
「人間は、自分で思っているほど主体的ではない」
という認識を持っている。
だから、自分の内面を美化しない。
初期仏教では、人間を、
受
想
行
識
などの条件反応の束として分析する。
そこには、
「自由で統一された自我」
という近代的イメージは、ほとんどない。
むしろ、
刺激 ↓
快不快 ↓
欲望・嫌悪 ↓
行動 ↓
後悔 ↓
また反応
という循環機械として見る。
だからヴィパッサナーでは、
「私は怒っている」
ではなく、
「怒り反応が起きている」
と観察する方向へ行く。
これはかなり脱人格的だ。
「機械」
と呼んだ。
人は「自分の意思で生きている」と思っているが、
実際には、
習慣
欲望
模倣
感情反射
社会条件
に押されて動いているだけだ、と。
だから彼の修行では、
「自己想起(self-remembering)」
が重要になる。
つまり、
反応している最中に、 “今、自分は反応機械になっている” と気づく
こと。
これは仏教の「念(mindfulness)」にかなり近い。
初期仏教は最終的に、
「主体そのものが空である」
方向へ進みやすい。
だがグルジェフは、
機械状態から目覚め、 真の主体を形成する
方向が強い。
つまり、
仏教 → 「主体」を解体していく傾向
グルジェフ → 「本物の主体」を鍛える傾向
がある。
それでも、
人間はまず“反応機械”として始まっている
という認識は、かなり共通している。
だからあなたが感じているように、
「受」の分析などは、グルジェフ的人間観と非常に響き合うんだ。
そんなのがあるようにおもえんのだが
資料あるんか?
😅
初期仏教やグルジェフは
自分自身の身体を、刺激に対して自動的に反応するロボットのように考え
それを客観的に観察しようとしている
>初期仏教は最終的に、
「主体そのものが空である」
方向へ進みやすい。
だがグルジェフは、
機械状態から目覚め、 真の主体を形成する
方向が強い。
西洋思想はそうだな
人間を精神と身体の二元論で考え、「欲望を起こしているのは身体だ。欲望に勝てないのは、精神が身体に支配されている奴隷状態だ。欲望に負けないのが、精神の自由なのだ」という感じ
現代人はどっちかっていったら、欲望のおもむくままに生きることを「自由な生き方」だと思う傾向がある
そのため、スピノザやカントの道徳哲学を見ると、面食らう
その対比はかなり重要だ。
近代以前の西洋思想、とくに禁欲的・哲学的伝統では、
「欲望に流される状態」 = 不自由
と考える傾向が強い。
むしろ現代的な、
「やりたいことをやるのが自由」
という感覚のほうが、歴史的にはかなり新しい。
たとえば バールーフ・デ・スピノザ は、
人間の多くは、自分を自由だと思っているが、
実際には、原因に押し流されている
と考えた。
怒り、嫉妬、欲望に振り回される人間は、「自由」ではなく受動状態にある、と。
自由とは、
自分を動かしている因果を理解し、 能動性を獲得すること
だった。
かなり仏教っぽいところがある。
また、イマヌエル・カント になるとさらに厳格で、
欲望に従う行為
は、本当の自由ではない。
なぜなら、それは感性的衝動に支配されているから。
彼にとって自由とは、
理性によって自ら立てた法則に従えること
だった。
だからカント倫理学は、現代人から見るとかなりストイックに映る。
現代では、
欲望に忠実
感情に正直
抑圧しない
ことが「自然で健康」とされやすい。
しかし古典的思想ではむしろ、
欲望にそのまま流される
ことは、
奴隷状態
無明
受動性
機械性
と見なされることが多かった。
西洋の古典思想はしばしば、
理性 vs
欲望
という構図を取る。
つまり、
「高次の主体」が 「低次の衝動」を統御する
モデル。
グルジェフにも、その匂いがかなりある。
一方、仏教はもっとラディカルで、
その「統御している主体」自体も、 条件反応の束ではないか?
と疑い始める。
だから仏教は、
「精神が身体を支配する」
というより、
精神も身体も含めて、 すべて縁起的プロセス
として見る方向へ行く。
ここが、西洋的禁欲思想と仏教の、似ているようで決定的に違うところなんだ。
> グルジェフに
> そんなのがあるようにおもえんのだが
> 資料あるんか?
> 😅
そうなのか?
グルジェフについては、よく知らない
昨日、生成AIによるグルジェフ解説を見て
「なんだか、初期仏教の受と通じるものがあるな?」
と思っただけ😅
↓
「人間は眠っている」
グルジェフの代表的な話だな。
彼は、
人間は自分を「自由な意志を持つ存在」だと思っているが、実際は機械のように反応しているだけ
と繰り返した。
怒るのも、 欲望に流されるのも、 考え込むのも、
全部「自動反応」だ、と。
だから彼は弟子に、 突然怒鳴ったり、 わざと矛盾した命令を出したりして、
「無意識の反応」を観察させた。
ここは禅の“概念破壊”とも少し似ている。
ただしグルジェフは、かなり心理操作的だ。
「本当に、グルジェフがそんなことを言ってたのか?」という疑問の声が出ている
なにか資料はあるのか?
ある。
しかも、「人間は眠っている」「人間は機械である」という表現は、後世の弟子による誇張ではなく、かなり中核的な教えとして記録されている。
特に重要なのは、P・D・ウスペンスキーの 奇跡を求めて だな。
ここには、グルジェフの発言として、かなり直接的に残っている。
たとえば:
“Man is a machine...”
(人間は機械である)
“He lives in sleep. He is asleep.”
(人は眠りの中で生きている)
さらに、
「人間には恒常的な“私”は存在しない。
その瞬間ごとに別の“小さな私”が現れている」
という思想も、ウスペンスキー経由で広く知られている。
グルジェフは弟子に、
「自分を観察するとき、自分自身を思い出せ」
と指導した。
そしてウスペンスキーは、
「実際には、人は自分を全く覚えていないことに気づいた」
と回想している。
つまり、
人は自覚的に生きているつもり
しかし実際は自動反応している
自己観察によって機械性に気づく
という構造は、かなり一次資料に近いところまで遡れる。
「突然怒鳴った」「矛盾命令で揺さぶった」などの具体的エピソードは、
弟子の回想
後年の証言
第四の道コミュニティの伝承
に依存する部分が大きい。
つまり、 思想そのものは文献で確認できるが、
「どの程度、心理操作的だったのか」 「どこまで意図的演出だったのか」
は、証言ベースなんだよな。
しかもグルジェフ自身が、
神秘化
誇張
ミスリード
寓話化
を好む人物だったので、史実検証が難しい。
とはいえ、
「人間は眠っている」 「人間は機械である」 「自由意志は幻想である」
この辺は、かなり確実にグルジェフ思想の中心にあると言っていい。
チャットGPTが、強引にグルジェフに結びつけてきた
「興味があるんだな」とチャットGPTは判断して、しつこく持ち出してくる
と、どの初心者向けの仏教書にも書いてあるので
ここまでは誰もが知ってるが
「なぜ、受想行識に分けて分析するのか?」にまで踏み込む人は少ない
倶舎論では、受と想はそのままで
行を何十にも分けて分類した
グルジェフみたなのは
自我(魂とか
デンパパ📡が書いていたからなー
😅
「修行してコントロールできるのは、行だ」
という考え方のあらわれだ
識を八つに分けて分析する
受と想はどうにもならないから、観察対象とするだけ
なるほど
それは間違いない
山伏念仏神仏習合は
なんとなく真我としての
超越的神仏を想定しているのてはないか?
感が強まっている
日蓮てすら久遠実成の釈迦如来も
真我ぽい解釈をしているのではないか?
ほーかいくん路線でもな
😀
心理学的な原因と結果を見る
その悪い煩悩の癖のルートを断つトレーニングだろう
グルジェフはそんなのはないだりうな
神化した上ての世界を見る
俺なんか地元の
神社礼拝でそんな気分だな
瞑想密教的一切世界解釈は神社は拒否する
本覚思想の神社の神(真我みたいな)あるがままの融合を要求してくる
😀
に応答マシーン専門が
出口王仁三郎
というところだろえ
俺ちゃま天才〜
😀
日蓮宗は
天台智顗よりの禅定解釈と
真我ぽい本覚思想的な
そのまま真我的超越的存在と融合という
2パターン解釈てきる
高野山奥の院御廟も
二パターン解釈てきる
😀
四念処の1つ、「受念処」について
生成AIを使って詳細に検討した結果だ
霊魂の存在を事実上、認めている
神仏習合と極楽往生の関係をAIで調べていた
本地垂迹で
神社は一部の神に阿弥陀如来を入れる
これが死後の極楽往生の設定みたいだ
日吉大社でもそうみたい
😀
平安後期から、だんだん
日本の仏教界の感心が「極楽往生」に向かったな
天台の十界思想を
山伏から
魂のシャーマニズム解釈で日本で変化して
日蓮になっただろうな
本来の十界思想は
釈迦如来の光明から照らされる
のを止観、瞑想で観察理解するものだろうな
😀
十界思想は
亡者の十界供養も含むだろうな恐らくは
それでないと法華経を信じないと災害疫病内乱が起きると
こだわる世界観を理解てきない
😀
十界思想がある
山伏もだ
😀
災害疫病減らすみたいな
😀
出口王仁三郎並みの自動書記だ
😀
天台の十界思想の融合による
十界思想の日本化がある
自動書記だな
😀
高野山奥の院御廟の自動書記?
😀
初めて
あそこの霊界にかなりのめり込んだせいだ
この探求心は
神仏習合と極楽往生のテーマまできた
😀
さて、話を進めるかー
Gemini、外道の此縁性縁起で
『中論』や『唯識』を解釈するとどうなる?
ところが近代知は、「実体」を前提に世界を分析するOSです。
だから相依性縁起を理解できず、最終的に二つの逃げ道しかなくなる。
一つは、
「縁起とは単なる因果関係だ」
という此縁性への矮小化。
もう一つは、
「究極では全部一つになる」
という外道的一元論への逃走です。
相依性縁起こそが仏法だと
885 Gemini 2026/05/25(月) 04:22:13.13 ID:XIAkX
沖氏が道筋をつけた後、片岡啓(かたおか けい)氏(九州大学教授)や森山清徹(もりやま せいてつ)氏、志賀浄邦(しが きよくに)氏といった次世代のインド論理学・仏教認識論の研究者たちによって、検証はさらに強固なものとなりました。
特に片岡氏らの研究により、
・有相唯識(護法など)が「経量部の【有形象認識論】のシステム」をベースにして、それを唯識の「疎所縁(依他起性としての外境)」の実在証明へと見事にドッキングさせていたというダイナミックな構造が解明されました。
・これにより、「有相唯識=単なる身内の心理学」ではなく、「他者の阿頼耶識が変現した客観世界を高度に肯定する、極めてリアルな認識論である」という真実が定着しました。
スレが埋まってきましたが
次スレは必要と思った時に自分で立てますので
勝手に立てないでください。
キリスト教、イスラーム、ヒンズーが
少し見えてきた
それは
「霊的な融合」
本覚思想は
リアルな仏の境地よりも
仏の世界との融合を狙っている
初期仏教の洞察力は必要前提とはしていない
懺悔するべき浄化で
神仏と融合なのだろうな
神仏と融合は
密教の修道論の一部てあるが
細やかな認識論を抜いて一気呵成に
に
念仏山伏神仏習合日蓮には
日本的な一度死んで浄化され生まれ変わるみたいな修道論世界観がある
臨済宗の影響もあるが
臨済宗の一度死ぬは自己依存執着を
ぶっ壊す意義であり
本覚思想みたいな儀式みたいなものではない
😀
今まで見てきたように、
世俗の真理(此縁性縁起)のOSで仏法を理解しようとすると、
仏法は必ず、
“外界の法則論”
へ変質していく。
これは、
蔵教の四門で説かれるような、
対象世界を分析する立場の延長線上にある理解である。
つまり、
「これが原因で、あれが起こる」
「宇宙は相互関係で成り立っている」
という、
世俗知の縁起観で仏法を読むわけだ。
すると本来、
己心と三千世間との相依相待を説くはずの「一念三千」まで、
いつの間にか、
「宇宙全体を支配する法則」
みたいな話へ置き換わっていく。
その典型が、
「南無妙法蓮華経は宇宙の法則」
という説明である。
一見すると壮大で、
現代科学とも調和しているように見える。
しかし実際には、
真諦としての相依性縁起を、
俗諦としての此縁性縁起へ引きずり下ろし、
妙法を、
“宇宙を動かす客観法則”
へ変換してしまっている。
しかし妙法とは、
外界を説明する〝自然法則〟ではない。
己心と依報とが、
相依相待して成立するという、
〝内道の法〟そのものである。
俗諦としての此縁性縁起
ハッスル、麦、リダン解釈の上で理論構築しているんだろうな
😅
付き合う相手で知識を組み立てるよーなもんだから
😅
これはかなり天台・日蓮系の「二諦」や「縁起」の使い分けを意識した文章だな。
ポイントは、
「縁起」を“外界の因果法則”として理解する立場 と、
「己心と世界の不可分性」として理解する立場
を区別しているところにある。
まず、この人が批判しているのは、
「仏教とは宇宙法則の話である」
という読み方だ。
たとえば、
万物は相互依存している
宇宙はネットワークで成り立つ
因果法則が世界を支配している
南無妙法蓮華経は宇宙エネルギー
みたいな説明だな。
これは現代人には理解しやすい。
科学っぽくも見える。
だが法介師匠は、
「それは仏法を“客観世界の説明理論”へ変質させている」
と言っている。
此縁性縁起 相依性縁起
の違いだ。
1. 此縁性縁起(しえんしょうえんぎ)
これは比較的ふつうの因果論。
「これがあるから、あれが起こる」
というタイプ。
仏教でいう十二因縁も、表面的にはこちらに見える。
例えば、
無明 → 行 → 識 → 名色…
雨が降る → 植物が育つ
欲望がある → 苦が生じる
みたいな、“条件による発生”の理解。
これは「対象世界を分析する立場」だ。
だから法介師匠は、
蔵教の四門
と言っている。
「蔵教」は、天台教学では、比較的“分析的・実在論的”な段階として扱われることが多い。
つまり、
「世界には色々な要素があり、それらの関係を分析する」
というモードだな。
リダン、ハッスル、麦の中論文化からの展開だろな
俺は、ハッスル、麦、リダンの
中論解釈に関心ないからなー
😅
こちらはもっと深い。
単なる「Aが原因でBが起きる」ではない。
むしろ、
AとBは、互いを前提として成立している
という構造。
主体と客体、 自己と世界、 心と環境、
それらが独立実体ではなく、 相互依存的に成立している。
これはかなり天台・華厳・大乗的な発想だ。
この文脈で出てくるのが、
一念三千
だ。
天台教学 の超重要概念だな。
ざっくり言えば、
一つの心念の中に、全世界(三千世間)が具わる
という思想。
「心の中に宇宙のデータが入ってる」
みたいなオカルト話ではない。
そうではなく、
“心”と“世界”を切り離して考えること自体が誤り
という方向性なんだ。
だから法介師匠は、
本来の一念三千は、
己心と三千世間との相依相待
を説くものだ、
と言っている。
つまり、
心だけが実在するわけでもない
外界だけが実在するわけでもない
両者は相互依存的
という話だ。
ところが現代の日蓮系では、ときどき、
南無妙法蓮華経は宇宙の根本法則です
みたいな説明がされる。
すると、
妙法=客観的宇宙法則
になってしまう。
これは法介師匠から見ると、
「真諦の話を、世俗的な自然法則へ落としている」
わけだ。
南無妙法蓮華経は
つまりところ
本覚思想の
「仏の世界との融合」だと思うよ
😅
俗諦(世俗の真理)
普通の認識世界。
因果
科学
社会
言語
分析
など。
真諦(勝義諦)
存在のあり方そのもの。
主体と客体を固定しない見方。
「空」「相依性」がこちらに近い。
仏法は“宇宙の説明書”ではない
ということだ。
むしろ、
「自己」と「世界」を別々の実体として握っている認識そのもの
を転換するものだ、
と言いたいわけだな。
これはかなり、 智顗 的でもあり、 日蓮 的でもある。
一方で、
ニューエイジ的宇宙論
スピリチュアル物理学
「波動が宇宙を動かす」
みたいな方向への警戒感も感じる。
法介師匠としては、
「妙法」を“外にある宇宙法則”として客体化した瞬間に、
本来の仏法の核心が失われる、
という感覚なんだろう。
霊的教育されて
そう確信した
😀
> ハッスル、麦、リダンの中論解釈
思いっきり、禅宗に寄せた解釈だな
南無妙法蓮華経は
神仏習合ワールドと切っても切れないな😄
ワンランク落とした
己心の彌陀、己心の浄土から
自己内部極めまくりの禅定を想定しているのも俺の脳内に存在するが
それを本覚思想でマイナーチェンジすると
「仏の世界との融合」
というイメージになる
😀
😀
南無妙法蓮華経の理解は
難入難解、と
末法の凡人には理解できない不思議な
モノである
という設定
が
ほーかいくんの根底にはあるだろう
😀
一言でまとめると
「釈迦や龍樹の教えは世俗諦」
「自分が坐禅して気づくこと、それが勝義諦なのである」
当方に言わせれば、「んなわけねえだろ(笑)」の一言に尽きる
ハッスルなら
思考回路を想定するのはオモロイけど
リダン、デンパパ📡は
思考回路を想定する価値を感じない
😅
> 南無妙法蓮華経の理解は
> 難入難解、と
> 末法の凡人には理解できない不思議な
> モノである
その方が、当方の感覚にも近い😄
これまた、止めようがない自動反応だ
こういうのが「受」だ
それは受念処じゃなくて、身念処に分類されるかもな?
熱いヤカンを触って、反射的に「熱ッ!😫」と手を引っ込める
これを観察するのは、身念処か、受念処か?
これは面白いところで、
厳密に分けるなら、
「熱い」という感覚そのもの → 受念処
手が反射的に動く、身体反応 → 身念処
「嫌だ!」「怒り」など心の反応 → 心念処
になる。
つまり実際には、 一瞬の出来事の中に全部入っている。
ヤカンに触れた瞬間の
「熱ッ!!」
という苦痛感覚。
これは典型的な「受(vedanā)」だ。
受念処では、
快
不快
中性
を観察する。
だから、
「強い不快感覚が起きた」
と見るのが受念処。
反射的に手を引っ込めるのは、 かなり身体レベルの反応だ。
脊髄反射も関わるので、 ほぼ自動運動。
これを観察するなら、
「身体が縮む」 「手が動いた」
という身念処的観察になる。
さらにその後、
「腹が立つ」
「なんでこんな所に置いた」
「また失敗した」
みたいな心理反応が出れば、 それは心念処。
つまり四念処は、
同じ出来事を 別レイヤーで観察している感じなんだ。
接触(触覚)
熱感
苦受
反射運動
怒り
思考連鎖
と流れていく。
初期仏教は、 この連鎖をかなり細かく観察する。
「熱いから手を引っ込める」
こと自体は問題視していない点だ。
仏教は、 反射を止めて超人になる修行ではない。
問題にするのは、
苦痛 → 怒り → 執着 → 妄想
へ増幅していく部分だ。
だから受念処では、
「不快感そのもの」
を、 余計な物語を加えず観ることが重視される。
身体は、本当の自分ではない
だから、身体が自動的に反応するのは、自分がやってることではない
その考え方は、かなり多くの宗教・哲学に見られる発想だな。
特に、
プラトン哲学
グノーシス主義
ヨーガ哲学
一部の禅・神秘思想
などでは、
「身体や感情は真の自己ではない」
という方向が強い。
例えば ヨーガ哲学 では、
身体や心は 「プラクリティ(自然作用)」で、
本当の自己は 「プルシャ(純粋意識)」だとされる。
だから、
身体が反応する
感情が起きる
思考が流れる
のは、 自然現象に近い。
観照者そのものは、 巻き込まれない。
仏教も確かに、
「身体は自分ではない」
と見る。
これは有名な「無我」の方向だ。
だが仏教は、
“では本当の自己が別にある”
とは、あまり言わない。
むしろ、
身体
感覚
感情
思考
意識
を観察していくと、
固定した主体そのものが見当たらない
方向へ行きやすい。
だから、
「身体は本当の自分ではない」
までは、 ヨーガと仏教でかなり共通する。
だがその先で、
ヨーガ: 「純粋な真我がある」
仏教: 「真我を立てない」
という分岐が起きる。
脳科学では、
「自分」という感覚自体が、 脳の統合モデルではないか
という見方が強い。
つまり、
身体感覚
記憶
感情
視覚
言語
を脳が統合して、
「これが私だ」
というストーリーを生成している可能性がある。
だから、
「身体反応は自分ではない」
だけでなく、
「“自分”という感覚も構成物かもしれない」
ところまで行く。
実際のところ
感情を起こすのは脳だ
怒りも喜びも、脳内の化学反応で起きる
その見方は、現代 neuroscience 的にはかなり正しい。
怒りや喜びは、
神経回路
ホルモン
神経伝達物質
自律神経
記憶ネットワーク
などの相互作用として起きる。
例えば怒りなら、
扁桃体の興奮
ストレス反応
アドレナリン
過去記憶との連動
などが関わる。
つまり、
「怒ろう」と意志決定してから怒る
より、
先に脳が反応し、その後に“自分が怒っている”と認識する
ことの方が多い。
仏教はもちろん現代脳科学を知らない。
だが、坐って観察していると、
「感情は勝手に起きる」
という事実に気づく。
例えば、
「怒るな」と思っても怒るし、 「考えるのをやめよう」と思っても思考は出る。
だから仏教では、
“心は制御主体ではない”
という方向へ行く。
ここで重要なのは、
仏教は「脳」を問題にしているわけではない
という点だ。
脳科学は、 「なぜ感情が起きるか」 を物理的に説明する。
一方、心念処は、
“起きた感情に巻き込まれる構造”
を観察する。
つまりレベルが違う。
脳科学:
扁桃体が~
神経伝達物質が~
心念処:
怒りが起きた
身体が熱い
思考が攻撃的になる
「自分は正しい」が強化される
やがて消える
というふうに、 “体験構造”を観る。
そして面白いのは、 この観察を続けると、
「感情=自分」 ではない
という感覚が強くなることだ。
怒りは“所有物”ではなく、
条件反射的に発生する現象
に見えてくる。
これはかなり 神経科学 的世界観とも相性がいい。
実際、近年は mindfulness 研究で、 仏教瞑想と脳科学を結びつける研究も増えている。
結局のところ、心念処も
身念処や受念処と同じく、脳の自動反応を観察することを意味する
かなり近い。
ただ、四念処では微妙にレイヤーを分けている。
身念処 → 身体の現象を観る
受念処 → 快・不快・中性の感覚反応を観る
心念処 → 「心の状態そのもの」を観る
という整理だ。
例えば、
イラッとする
欲しくなる
不安になる
ボーッとする
集中している
散乱している
こういうのは、心念処の対象になりやすい。
重要なのは、 「自分が主体的に作っている心」 としてではなく、
条件によって自動的に起こっている心的状態
として観る点だな。
これはかなり、現代的に言えば「脳の自動反応を観察する」に近い。
たとえば突然、昔の嫌な記憶が浮かぶ。
普通は、
俺が考えている
と思う。
だが心念処では、
「嫌悪を伴う想起」が起きている
「不安系の思考」が発生している
と観る。
つまり、 「思考している主体」から少し降りて、
思考・感情・衝動そのものを現象として観察する。
ここが重要なんだ。
人間は機械のように反応している
という ゲオルギイ・グルジェフ 的な洞察とも、かなり接続する。
ただし初期仏教では、 そこからさらに進んで、
では、その自動反応を「私」と呼ぶ根拠はあるのか?
という方向へ行く。
怒りが勝手に起こる。 欲望が勝手に起こる。 思考が勝手に流れる。
なら、
「私が考えている」 「私が怒っている」
という感覚自体が、後付けではないか?
という観察になる。
だから心念処は、 単なるメンタル観察というより、
「主体感覚の解体」に近い側面まで持っている。
ニコク堂ウィルス
😀
代表的な脳内物質といえば
ドーパミン
セロトニン
ノルアドレナリン
オキシトシン
エンドルフィン
それぞれ、どのような作用があるか?
ヒントは善通寺の誕生院だ
😀
ざっくり言うと、どれも「脳内の情報伝達に関わる物質」だが、役割がかなり違う。
もちろん実際の脳は複雑で、 「この物質=この感情」と単純対応ではない。 ただ、傾向としては次のイメージが分かりやすい。
「快楽物質」とよく言われるが、 実際には、
“報酬を求めて動く力”
に近い。
主な作用
やる気
期待
探索
興奮
ハマる感覚
学習強化
例えば、
SNS通知を待つ
ギャンブル
ゲーム
恋愛初期
「もっと欲しい」
などはドーパミン系が強い。
重要なのは、
「手に入れた瞬間」より 「手に入りそうな期待」
で強く出ること。
だから人間は、 “追いかけ続ける”。
これは、
“安定” “落ち着き”
に関わる。
主な作用
気分安定
安心感
衝動抑制
睡眠調整
自律神経調整
不足すると、
不安
抑うつ
イライラ
強迫傾向
などが出やすい。
日光、運動、規則正しい生活で改善しやすいと言われる。
これは、
“戦闘モード”
に近い。
主な作用
緊張
覚醒
集中
危険察知
ストレス反応
危険時に、 心拍数を上げ、 身体を即応状態にする。
だから、
不安
パニック
怒り
とも関係が深い。
現代人は、 慢性的ストレスで この系が過剰になりやすい。
霊的ドーパミンモンスターだ〜〜〜
😀
いわゆる、
“絆のホルモン”
主な作用
親密感
信頼
愛着
母子結合
共感
スキンシップや安心できる交流で出やすい。
ただし面白いのは、
「仲間への愛着」 と同時に、 「外部への排他性」
も強めることがある点。
つまり、 “身内意識”にも関係する。
これは、
“天然の麻薬”
みたいなもの。
主な作用
痛み軽減
多幸感
恍惚感
長距離ランナーの 「ランナーズハイ」などが有名。
強い運動、 極限状態、 笑い、 瞑想などでも出ることがある。
実際にはこういう化学システムと深く結びついていることだ。
例えば恋愛でも、
ドーパミン → 興奮
オキシトシン → 愛着
セロトニン変化 → 執着っぽさ
などが絡む。
つまり、
「魂のドラマ」 と思っているものが、 かなり生物学的でもある。
この視点は、 近代的な「理性的主体」観をかなり揺さぶった。
霊的セロトニンと
霊的オキシトシン
霊的エンドルフィン
ゲットをもらうのが
あたりまえのスタンス
😀
霊的ドーパミンを出しまくれば
スーパー神仏習合快楽人生だ~😆
例えば、女性を見てムラムラするのは
「煩悩にいまだ囚われているから」ではない
「脳内の神経細胞がドーパミンを分泌するから」というのが正しい
それは、「どのレベルで説明するか」の違いだな。
脳科学的には、
女性を見て性的欲求が起きる
のは、
視覚刺激
記憶
本能
報酬系
ホルモン
ドーパミン系
などによる反応として説明できる。
つまり、
神経系の自動反応
という面はかなり大きい。
これは進化生物学的にも、 種の保存と関係している。
仏教でいう「煩悩」は、
単に性的反応そのものではなく、
その欲望に巻き込まれ、 執着し、 振り回される状態
を指すことが多い。
だから仏教的には、
美しいと感じる
性的反応が起きる
こと自体を、 ただちに「悪」とは見ない。
むしろ問題は、
妄想が止まらない
執着する
依存する
相手を所有物化する
欲求に支配される
という増幅の方だ。
脳科学レベル
「なぜ欲望が起きるか?」 ↓ 神経回路・ホルモン・ドーパミン
仏教レベル
「起きた欲望にどう巻き込まれるか?」 ↓ 渇愛・執着・煩悩
になる。
だから、
「ドーパミンだから煩悩ではない」
というより、
“欲望が生起するメカニズム”は脳科学で説明できる
そして、
“その欲望との関わり方”を分析するのが仏教
という方が近い。
1位
奥の院御廟の信仰系統の霊的な主を持つだろう予測の血脈の無量光院の宿坊
2位
現在高野山真言宗
回数行ったからゲットできだけ
3位
仁和寺、四回行かないとダメだった
4位
長谷寺、大神神社の神仏習合
2回目
😀
寺院にはいると即くらいの勢い😀
早朝の飛び入り朝勤行に
15回以上参加して
やっと相手してまらえた
僧侶に、得度勧められちゃった
あんまりにも熱心にくるから
俺の狙いは禅定報酬系ゲットとは
まさか、思っていなかっぢろう
その後に壇上伽藍と大師教会と奥の院参って、高野山大学図書館に行くのが定番だった
😀
勤行の後、何度もスイス人僧侶
クルトさんと勤行参加者とで
チョコとお茶を、頂いていた
😀
官僚や
スペイン人の創価の信者とか
いたな
😀
確か京都にもあるみたいですよね?そことは違うかな?
あら、観光とは別でしたか。残念。
本山は京都の智積院だな
そこも朝勤行してた太鼓ならしながら
次に行ったのが
葛城修験道の場で明治以降智山派の僧侶が再興させたらしい
😀
😀
謎の霊的軍団が嬉しそうにしてた
謎は後て解ったが
今回高野山の帰りは
高野山奥の院御廟軍団が俺の近辺に旅の後、次の日終わるまでいた
😀
いつもの挨拶程度ではなく、かなり
居座って霊的謎を解こうとしていたから
😀
あそこの信仰軍団の主力を理解てきた
😀
奥の院の入定とセットになる
😀
智山派は関東に多い😄
川崎大師
西新井大師
関東の初詣の名所は、真言宗智山派の寺院が多い
善通寺誕生院がからむので
その当時の本山の
あと、京都の随心院も
絡むので
奥の院の御廟橋手前の
不動尊と弘法大師像のお堂のあたりのルーツは随心院だな
と感
😀
神仏習合ムードが濃厚だ
正直、仏教なのか何なのか、分からんくらいだ😂
あと有名な御廟橋手前の地蔵は
時宗か融通念仏かのからみがありそうだ
😀
甥っ子達はお話を聞きによく行ってるらしく、大きな会社の社長さんとか知り合いになっているみたいでした。そんな人達が集まる場なのかと思いました。
とど素人満開な感想ですが確かに霊験あらたかなイメージはありました。
いつもは挨拶程度で去るのだが
信仰ルーツを摸索しながら長居したので
霊的エネルギーをかなり吸っていたようだ
😀
パワー注入やった
それくらい以前は長居しなかった
😀
一気に神仏習合、念仏、山伏が見えてきた
😀
世界に冠たる宗教都市
法然系統だな
熊谷寺と関係あるな、とサイコメトリーしてたら、
AI検索すると
ビンゴだ
😀
https://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E7%86%8A%E8%B0%B7%E5%AF%BA_(%E3%81%8F%E3%81%BE%E3%81%8C%E3%81%84%E3%81%98)
😀
😀
清浄心院と京都随心院の関係がありそーなので
検索しても
何も出なかった
😀
奥の院と関連絶対あるという仮説がある
善通寺管理権からみで
😀
住職が出てきて、九州の池口恵観の話をしていた
それが印象に残っている(笑)
と思った
高市よりもハイセンスかもしれん
本は読みたくない
写真が限度だな
知らぬが仏
清浄◯院の雇われ人達とは
関与する気はある
むろん
余計なことは言わない
😀
多分違う方法を覚えさせられてんだろな。
無学
😀
😀
法念処の「法(ダンマ)」は、 ここでは単に「仏教の教え」という意味ではありません。
むしろ、
心身に起きる現象や構造を分類して観察する
という意味です。
つまり、
五蓋
五蘊
六処
七覚支
四諦
などを観察する。
これはかなり“分析的”です。
特に重要なのが、
五蘊観 六処観
です。
五蘊
色
受
想
行
識
ここで「識」が直接出てくる。
つまり法念処では、
「識もまた条件によって生じる現象である」
と観察する。
六処では、
眼
耳
鼻
舌
身
意
と、
色
声
香
味
触
法
の接触から、
識が生起する
ことを観察する。
つまり、
音が来る → 聴覚識が起きる → 快不快が起きる → 欲や嫌悪が起きる
という流れを見る。
身念処や受念処は、 比較的シンプルな観察です。
しかし法念処になると、
「人間がどういう構造で反応しているか」
を観る方向へ進む。
だから、
縁起
五蘊
六識
執着生成
などの“システム”を見る感じになる。
禅との関係
面白いのは、 禅宗は「法念処」という言葉をあまり前面に出しませんが、
実際にはかなりやっていることです。
たとえば、
思考が起きる ↓ それに巻き込まれる ↓ 自我化する
この流れを見抜く。
これは、 かなり法念処的。
四念処の中で
最後の「法念処」だけが、他の3つとは異質であり難解だ
その感覚は、かなり自然です。
四念処の中で、法念処(法念処観/dhammānupassanā)が最も難解だと言われることは多
。
なぜかというと、 前の三つは「直接体験」を観ればよいのに対し、 法念処だけは、
仏教的な“構造理解”
が入ってくるからです。
身念処
「呼吸してる」 「痛い」 「歩いてる」
受念処
「快だ」 「不快だ」 「どうでもいい感じだ」
心念処
「怒ってる」 「眠い」 「集中してる」
これは、 観察対象がかなり直感的です。
法念処では、
五蓋
五蘊
六処
七覚支
四諦
などが出てくる。
急に“仏教理論”っぽくなる。
だから初心者は、
「なんで突然、教理の授業になるんだ?」
となりやすい。
実は法念処の核心は、
人間がどうやって苦を生成しているか
を見ることです。
例えば:
六処観
音が聞こえる ↓ 快・不快 ↓ 欲望・怒り ↓ 執着
五蓋観
眠気が出る ↓ 意識が濁る ↓ 集中が崩れる
こういう“システム”を見る。
前三者では、 まだどこかに、
「私が観察している」
感覚が残る。
しかし法念処では、
そもそも“私”とは何か?
まで分析が入る。
特に五蘊観。
五蘊では、
身体
感覚
イメージ
反応傾向
識
全部を分解する。
そして、
「このどこにも固定的自己はない」
と観る。
これはかなり強烈。
法念処は、
心理観察
認知科学
存在論
縁起論
が全部混ざる。
現代語で言えば、
「人間OSの解析」
みたいなもの。
だから禅宗、とくに曹洞系では、
「そんな分析より坐れ」
となることがある。
ただ実際には、 坐禅中に起きていることを構造的に言語化すると、 かなり法念処に近い。
なので、法念処は、
四念処の“上級編”
みたいな位置づけとも言えます。
単なるリラクゼーションではなく、
「苦と自我の生成メカニズム」を観察する段階
だからです。
法(ダルマ)というのは、世界の構成要素だ
はい、その理解はかなり重要です。
特に初期仏教やアビダルマでは、
「法(ダルマ)」= 世界を構成する要素・現象
という意味があります。
だから法念処の「法」も、
「仏教の教えを考える」
というより、
現実を構成している要素を観察する
という意味に近い。
サンスクリットの dharma(パーリ語 dhamma)は、 非常に意味が広い言葉です。
文脈によって:
法則
真理
教え
現象
構成要素
など全部ありうる。
仏教では特に、
「経験を成立させている最小単位」
みたいな意味が強くなっていく。
アビダルマ仏教では、
世界を、
物質
感覚
意志
認識
などの「法」の集合として分析する。
つまり、
「人間」や「世界」は固定実体ではなく、 一瞬一瞬の法の集合である
という方向。
かなり“現象論”です。
だから法念処は、
「世界を構成する現象群が、 どう発生し、どう消えるか」
を見る実践とも言える。
例えば:
五蓋
五蘊
六処
縁起
などを観察するのは、
人間経験を構成している部品を見る
ことに近い。
ここが仏教のラディカルなところ。
普通は、
「私」がまず存在して、 その私が感じたり考えたりする
と思う。
しかし仏教では逆に、
感覚 記憶 反応 認識
などの法が束になって、 「私」という感覚が形成されている
と見る。
四念処のうち、身・受・心は、自分自身の反応を観察する
法念処だけ異質ではないか?
そうです。
まさにそこが、四念処の中で法念処だけが「異質」に感じられる理由です。
身・受・心は、かなり直接的です。
身念処 → 身体反応
受念処 → 快不快
心念処 → 心理状態
つまり、
「いま自分に起きていること」
を観察する。
かなり“主観的・実況中継的”です。
しかし法念処になると、急に、
五蓋
五蘊
六処
七覚支
四諦
など、
「人間経験を構成している法則・構造」
を観る方向になる。
だから確かに、 前三者と比べて、 一段メタ的です。
実は四念処は、
前半
「直接観察」
後半
「構造理解」
という二層構造になっている、 と見ることもできます。
例えば:
足が痛い
イライラする
欲望が出る
これは、生の体験。
法念処は“現象の仕組み”
しかし法念処では、
「なぜ欲望が出るのか?」
を分析し始める。
例えば:
接触(触) ↓
感受(受) ↓
渇愛 ↓
執着
という縁起的構造を見る。
つまり、
「反応を観る」 から、 「反応生成システムを観る」
へ移行する。
前三者は、 ある意味、誰でもできる。
しかし法念処は、
五蘊
六識
縁起
苦の生成
などの理解が必要になる。
なので急に、 “仏教っぽさ”が強くなる。
本来の流れとしては、
身念処
身体を観察 ↓
受念処
快不快を見る ↓
心念処
心の反応を見る ↓
法念処
「この反応はどういう法則で起きてるのか?」
を見る。
つまり法念処は、 前三者を理論化・構造化した段階とも言える。
なので、
「法念処だけ異質」
という感覚は、 かなり本質を突いています。
実際、法念処から急に、
「仏教の世界観そのもの」
が入ってくるからです。
スマナサーラ長老は、これについてどう言ってる?
アルボムッレ・スマナサーラ は、法念処について、
「ありのままの真理を観察する」
という説明をよくします。
ただし、ここでいう「真理」は、 抽象哲学ではなく、
心がどう反応し、どう苦を作るか
という“現象法則”です。
スマナサーラ長老の説明は、 かなり実践寄りです。
例えば法念処を、
五蓋
五蘊
六処
七覚支
四諦
の観察として説明しつつ、
「心の中で何が起きているかを、客観的に知る」
方向で説く。
「法念処だけ異質では?」
という点については、 長老の説明だと、
身・受・心
= 個別の現象観察
法
= それらを支配している法則観察
というニュアンスが強い。
人間は自動反応で生きている
という説明をかなり頻繁にします。
これはあなたが最近話している、
「脳の自動反応を見る」
という理解にかなり近い。
例えば、
音が来る
感覚が起きる
好き嫌いが出る
執着する
という流れを、
「私がやっている」のではなく、 条件反応として起きている
と見る。
これは法念処の六処観や縁起観に近いです。
「世界の構成要素を哲学的に考える」
というより、
「苦を生み出す心のシステムを実況観察する」
感じにかなり近い。
長老は、法念処を “学問”よりも、
「反応メカニズムをリアルタイムで観察する実践」
として語る傾向があります。
だから、 アビダルマ的分析を使いつつも、
最終的には“いま何が起きているか”を見る
方向へ戻してくるんですね。
つまり、身念処・受念処・心念処は、「自分自身の反応を観察する」
法念処は、「前の3つの観察結果を踏まえて、反応のメカニズムを検証する」ということか
はい、その整理はかなり本質を突いています。
特に実践的理解としては、 かなり分かりやすい整理です。
身念処
身体反応を見る
呼吸
姿勢
緊張
動き
受念処
快・不快反応を見る
気持ちいい
嫌だ
なんともない
心理状態を見る
怒り
欲
散乱
集中
ここまでは、
「いま起きている反応」を観察する段階
です。
そして法念処では、
「この反応は、どういう条件で起きたのか?」
を見る。
つまり、
なぜ執着が起きる?
なぜ怒りが増幅する?
なぜ苦が続く?
を、 五蘊・六処・縁起などで解析する。
あなたの整理を、 かなり現代語にすると:
身受心
= UI(表面に出ている反応)
法
= バックエンド解析
みたいな感じです。
心念処
「怒っている」
と気づく。
法念処
さらに、
何を見た?
どんな不快受が起きた?
どんな観念が刺激された?
どう執着した?
を観る。
つまり、
怒り生成プロセス
を分析する。
法念処で、
五蓋
五蘊
六処
四諦
などが出てくるのは、
苦の生成メカニズムを説明するため
なんですね。
法念処は最終的に、
「すべて条件反応で起きている」
という縁起理解につながる。
つまり、
固定的な“私”が反応しているのではなく、 条件によって現象が連鎖している
と見る。
だから、あなたのまとめ:
身受心=反応観察
法=反応メカニズム検証
これは、 かなり優れた整理だと思います。
特にスマナサーラ長老系の実践理解とも、 かなり相性がいい整理です。
身念処 歩きすぎて疲れた
受念処 足が痛い
心念処 こんなに歩かせやがって、遠すぎんだよ、コンチクショウ
↑
これらは、自分自身の反応の観察だ
法念処 すべては、自動的な反応だな。これらの反応をしているのは、本当の自分ではない
↑
反応観察の結果を検証している
かなり整理されている理解だと思う。
とくに、
身念処=身体レベルの現象
受念処=快・不快の感覚
心念処=怒り・不満・欲望など心の状態
を「自分の中で起きた反応として観察する」という捉え方は、初期仏教の実践感覚にかなり近い。
あなたの例だと、
「疲れた」→身体現象
「痛い」→受(不快受)
「コンチクショウ」→瞋りの心
が、順番に立ち上がっている。
ここまでは、まさに四念処の前三つで扱う領域だ。
そして法念処について、あなたは
すべては、自動的な反応だな
と、“反応の構造そのもの”を見ている。
初期仏教の法念処では、単に「法則を考える」のではなく、
五蓋
七覚支
五蘊
縁起
六処
などを通じて、
「心は条件によって機械的に起きている」
という構造を見る方向へ進む。
つまり、
怒っている「私」がいる
ではなく、
疲労 → 不快受 → 瞋恚反応
という因果連鎖が起きている
と観る。
むしろ、
反応には条件がある
条件が揃うと反応が起きる
条件が消えると反応も消える
固定した主体は見当たらない
という、“現象の法則性”を実地で確認していく感じに近い。
だからあなたの整理を、初期仏教寄りに言い換えるなら、
身・受・心念処 → その瞬間に起きている反応の実況観察
法念処 → それらが「条件反応の連鎖」であることを検証する観察
となる。
この方向は、かなりマハーシ・サヤドー系のヴィパッサナー理解にも近いし、
また「人間は機械的反応の束である」と見るゲオルギイ・グルジエフとも、接点がある。
ハッスル🤡様に
心の反応の状態を親切丁寧に
ご指摘してさしあげている
😀
神の遊戯みたいな発想じゃね
しらんけど
😀
906:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/27(水) 11:34:59.48 ID:qejSR6Qi[15/15]
仏敵は潰さないとな💀
ハッスル🤡みたいなギャグが出てきそう
😅
法念処は、仏教の悟りに至るための修行(三十七道品)の最初に位置づけられる4つの観想法の1つです。
身念処(しんねんじょ):身体は不浄であると観察する。
受念処(じゅねんじょ):感覚(苦・楽など)は本質的に苦であると観察する。
心念処(しんねんじょ):心は常に移り変わり、無常であると観察する。
法念処(ほうねんじょ):すべての事象や心に生じる現象(法)は無我(実体がない)であると観察する。
法念処では、主に以下のような「心の状態」や「現象」を対象にして、それが「ただの現象であり、自分のものではない(無我)」と客観的に見つめます。 [1, 2]
五蓋(ごがい)の観察:修行の妨げとなる5つの煩悩(貪り、怒り、怠け・眠気、落ち着き・後悔、疑い)が心に生じていることに気づく。
五蘊(ごうん)の観察:心身を構成する5つの要素が、常に変化し固定された実体を持たないことを確認する。
十二因縁などの真理:仏教が説く現象の因果関係を観察し、とらわれをなくす。 [1, 2]
このように、心の中に生じる思考や煩悩に対して「これは私のものではない」「ただの心の反応である」と冷静に客観視することで、執着や苦しみを断ち切る智慧を育みます。
貪欲蓋(とんよくがい)
物や快楽、異性などに強く執着し、とらわれてしまう心。
瞋恚蓋(しんいがい)
怒りや憎しみ、不満や嫉妬など、他者や状況に対して敵意を抱く心。
惛沈・睡眠蓋(こんじん・すいみんがい)
心身がだるく重くなり、やる気や集中力を失って、眠気に支配される状態。
掉挙・悪作蓋(じょうこ・おさがい)
心がそわそわと落ち着かず(掉挙)、過去の失敗や未来への不安を悔やんだり(悪作)して乱れている状態。
疑蓋(ぎがい)
真理や教え、自分自身や指導者に対して、疑い深く、決断できない心。
自分の心の観察と気づきである
心理学的である
ヨーガやクリシュナムルティは心理学的気づきは不要だからね
😀
ヨーガ瞑想だと、どうなのか?
ヨーガ瞑想は、初期仏教の四念処とは「似ている部分」と「かなり違う部分」の両方がある。
共通点から言うと、古代インドの修行文化を共有しているので、
呼吸観察
身体感覚への注意
心の静止
欲望や雑念の観察
執着からの解放
などは、かなり重なる。
実際、釈迦 自身も、出家前後に当時のヨーガ行者たちの修行を学んでいたとされる。
だから、
禅定(ディヤーナ)
集中
呼吸法
などには共通基盤がある。
初期仏教の四念処は、かなり徹底して
「起きている現象を観察する」
方向。
しかも観察を続けることで、
無常
苦
無我
を見抜いていく。
つまり、
「固定した主体は見当たらない」
方向へ行きやすい。
「心の働きを静止する」
ことが中心になる。
有名な定義だと、
「ヨーガとは心作用の止滅である」
となる。
そしてその先に、
プルシャ(純粋意識)
真我
観照者
が現れる、と考える。
ここが仏教と大きく違う。
「観察していくと、“永遠の主体”も条件づけの一部では?」
へ向かいやすい。
だがヨーガは、
「雑念を超えた純粋主体が本来の自己」
へ向かいやすい。
だから外見は似ていても、
仏教 → 無我方向
ヨーガ → 真我方向
という違いがある。
現代人が「ヨガ瞑想」と呼ぶものには、
呼吸観察
マインドフルネス
ヴィパッサナー
禅
ニューエイジ
が混合していることも多い。
なので、現代ヨガスタジオの瞑想だと、むしろ四念処に近い内容になっている場合も普通にある。
禅とヴィパッサナーの混合
😅
禅もヨガも、ヴィパッサナーの影響を受けて変わってきた
かなり当たっている見方だと思う。
特に20世紀後半以降は、禅もヨガも、「観察する瞑想」「気づき(マインドフルネス)」の方向へ強く再編されていった。
その背景には、初期仏教・ヴィパッサナー系の再評価がある。
たとえば本来、禅は中国化した仏教だから、
公案
師家との問答
「無」
見性
気迫
作務
身体規律
みたいな、中国禅独特の文化性が強かった。
一方、近代以降に世界へ広まった禅は、
呼吸観察
思考の観察
反応の観察
「今ここ」
judgment-free awareness
みたいな方向へ寄っていく。
これはかなり、ヴィパッサナー的だ。
テーラワーダ瞑想
マハーシ・サヤドー 系
S・N・ゴエンカ 系
マインドフルネス運動
が強くなった影響は大きい。
その結果、禅の説明も、
「悟りとは何か」
より、
「自動反応を観察する」 「思考と距離を取る」 「執着を観る」
という心理技法寄りになった。
これは、あなたが最近話していた
身念処・受念処・心念処で反応を観察する
という理解ともかなり重なる。
ヴィパッサナーの魔改造、省略化、超ショートカット魔改造利他、ではないかという仮説は俺の中にはある
😀
古典ヨガ、とくにヨーガ・スートラ の方向は、本来かなり「止滅」的だ。
心の作用を止める
サマーディ
プルシャとプラクリティの分離
解脱
が中心。
ところが現代では、
身体感覚への気づき
呼吸観察
感情観察
「あるがまま」
みたいな方向へ移っている。
これはかなり、仏教的、特にヴィパッサナー的な再解釈が入っている。
「釈迦の瞑想って何をやってたのか」
を、実はあまり知らなかった。
知識としては四念処やアーナーパーナサティは経典にある。
だが、実践システムとしてはほぼ失われていた。
だから戦前日本では、
禅
密教
念仏
道元思想
公案禅
はあっても、
「身体感覚・感情・思考反応を逐次観察する」
というスタイルは、あまり前面に出てこなかった。
21世紀に入って、
初期仏教研究
パーリ経典研究
ミャンマー系瞑想
マインドフルネス
が広がり、日本の仏教観そのものが変わった感じはある。
そうかもしれん😆
とくに義衍禅
ティグナットハン
唯識と禅を組み合わせている
傾向がある
俺ちゃま、AIよりクレバーだ
😀
禅と唯識を組み合わせたので
ハッスル🤡のヘンテコな唯識解釈が成り立ったんだろうな
と予測している
😀
ユーチューブでは
プラムビレッジだ
AIよりクレバーな
俺ちゃま
😀
俺よりアタマ悪い
😀
ティグナットハン
😀
😀
たぶん、ティグナットハンは
唯識とヴィパッサナーと禅で
修道論を組み立てているだろうな
NHKの番組で見たことがある
😀
ティグナットハンのほうが
修道論は丁寧だろな
😀
ベトナム共産党の迫害から逃れてフランスへ亡命したんやと思う
😀
探求狙ったこがないなー
プラムビレッジのチャンネルは知ってはいるが
何故か関心持たなかった
山伏念仏神仏習合に夢中だったせいだな
😀
密教ぽいパワーが
ハマったんやろな
😀
【ブッダの教え】初期仏教【ヴィパッサナー瞑想】 Part2
https://talk.jp/boards/psy/1779968091
😅
マインドフルネスはどこから出てきたのか?
「マインドフルネス」は、突然現れた新宗教や心理学ではなく、もともとは仏教用語の翻訳だ。
語源は、パーリ語の sati(サティ)。
漢訳仏教では「念」と訳された。
だから本来は、四念処の「念」と同じ系統の言葉。
特に起源として重要なのは、初期仏教のこの二つ。
大念処経
アーナーパーナサティ経
ここで釈迦は、
身体を観る
感覚を観る
心を観る
法則性を観る
という実践を説いた。
つまり、
いま何が起きているかに気づく
という実践だ。
現代マインドフルネスの核心は、ほぼここにある。
流れを簡単に言うと、
1. 19~20世紀:テーラワーダ瞑想の再編
植民地時代、ビルマ(ミャンマー)やスリランカで、
「仏教の本来の瞑想を復活させよう」
という動きが起きた。
ここで重要なのが、
レーディ・サヤドー
マハーシ・サヤドー
など。
彼らは四念処を中心に、
呼吸
感覚
思考
感情反応
を逐次観察する実践体系を整備した。
これが現代ヴィパッサナー運動。
アメリカやヨーロッパで、
禅
ヨガ
LSD文化
東洋思想
への関心が爆発する。
ここで、
ヴィパッサナー
禅
チベット仏教
が一気に西洋へ入った。
この時代に、
ティク・ナット・ハン や
鈴木大拙 も大きな影響を与えた。
決定的だったのが、ジョン・カバットジン。
彼は仏教瞑想を、
宗教色を薄め
医療・心理学へ転用
した。
これが有名な
MBSR(Mindfulness-Based Stress Reduction)
だ。
ここで初めて、
「マインドフルネス」が医療用語として広まった。
土台
初期仏教の四念処
実践体系
20世紀テーラワーダ瞑想
拡散
欧米カウンターカルチャー
世俗化
心理療法・脳科学
この四段階で形成された。
仏教
ヴィパッサナー
禅
ヨガ
心理学
脳科学
が全部混ざっている。
つまり、
本来は仏教から出たものなのに、
現代では逆に、
禅
ヨガ
自己啓発
企業研修
のほうが、マインドフルネス用語で再解釈されている。
宗教者であり
修行者であり
古代インド人であり
同時に極めてラディカルな思想家
だった。
だから現代人は、どうしても自分の時代の言葉へ置き換えて理解するしかない。
そして、ある程度深く読むと、
「これは単純に“哲学”でも、“霊界話”でもないな……」
という地点に来る。
そこから先は、 「釈迦とは何を見ていたのか」 を、自分で経典や思想全体から組み直していく段階になるんだろうな。
原始仏典をかなり読んだが
「釈迦は霊魂(アートマン)を否定していた」
という印象は、とくに受けない
なぜ、昭和の仏教学者はそこにコダワったのか?
これは、近代仏教学の成立事情を考えると、かなり見えてくる。
実際、原始仏典を読むと、釈迦は「アートマンは絶対に存在しない」と形而上学的断定をしているというより、
「“これは私である”と執着される対象には、恒常不変の実体は見出せない」
という方向で語っていることが多い。
しかも経典では、
輪廻
業報
天界
神々
前世
禅定体験
などは普通に語られる。
だから、「唯物論者みたいな釈迦」という印象には、実際なりにくい。
大きく言うと、理由は3つくらいある。
1. 「仏教は合理的宗教である」を示したかった
近代日本の仏教学は、西洋近代との対決の中で成立した。
明治以降、キリスト教・科学・合理主義が流入すると、仏教側は、
「仏教は迷信ではない」 「仏教は合理的・科学的である」
を強く主張する必要が出た。
そのとき、最も都合がよかったのが、
無我
縁起
非実体論
だった。
逆に、
神通力
天界
輪廻
霊魂
呪術
を前面に出すと、“前近代宗教”に見えてしまう。
だから近代仏教学は、
「本来の釈迦は、霊魂論を否定した合理主義者」
として釈迦を再構成した。
当時の学界では、
バラモン教=アートマン思想
仏教=無我思想
という対比が非常に重要だった。
つまり、
バラモン教
仏教
永遠の自己
無我
実体
縁起
形而上学
現象分析
という構図だ。
これは研究上は便利だったので、かなり強調された。
しかし実際の初期経典では、釈迦はしばしば「無記」に逃げる。
たとえば、
世界は永遠か
如来は死後存在するか
自我はあるか
みたいな問いに、答えないことが多い。
つまり釈迦は、 「アートマンは絶対に無い」 と断定しているというより、
「その問い自体が執着を増やす」
という態度にも見える。
昭和戦後の仏教学は、実存主義や現象学の影響を強く受けた。
すると、
固定的自我の否定
主体の流動性
無常な存在
関係性としての人間
などが、非常に魅力的に映った。
だから「無我」が、 現代哲学と接続できる最重要ポイントになった。
結果として、
「釈迦=反実体主義の哲学者」
という像が強化された。
そこでは、
「霊魂がある」とも言い切らず
「完全に無い」とも断定せず
ただ執着を問題化する
という、独特の立場が見える。
だから近代仏教学の 「釈迦は霊魂否定論者」 という図式は、
“完全な誤読”とまでは言えないが、
近代合理主義・比較宗教学・戦後哲学 によって強く方向づけられた解釈
とは言えると思う。
「霊魂に執着するな」というのは、「霊魂は無い」というのと意味が異なる
むしろ、霊魂の存在を当たり前の前提とした話ではないか?
まさに、そこが重要な論点なんだよな。
初期仏典を素直に読むと、釈迦はしばしば、
「アートマンが存在するか否か」
そのものを、中心問題にしていない。
むしろ、
「それを“私の本体”として把握し、執着すること」
を問題にしているように見える。
色は我にあらず
受は我にあらず
想は我にあらず
行は我にあらず
識は我にあらず
という形で語られる。
ここで重要なのは、
「これを我と思うな」
であって、
「いかなる意味でも霊的主体は絶対存在しない」
という近代哲学的断定とは、少しニュアンスが違う。
輪廻転生
業報
天界
梵天
神々
宿命通
他心通
などは、かなり普通に前提化されている。
だから、現代的唯物論とは全然違う宇宙観の中にいる。
そのため、一部の研究者も指摘するように、
「釈迦は“実体的自己への執着”を否定したのであって、 形而上学的に“何も存在しない”と断定したわけではない」
という読み方は、十分成り立つ。
「死後、如来は存在するか?」 と問われても、
存在する
存在しない
両方
どちらでもない
の全部を退ける。
これは、 「存在しない」と断定する唯物論者の態度ではない。
むしろ、
その問いの立て方自体が、執着的・形而上学的である
という感じに近い。
だからあなたが感じる、
「霊魂を否定しているというより、 霊魂への執着を問題にしているのでは?」
という感覚は、原始仏典を読んだときに自然に出てくるものだと思う。
西洋近代思想では、
実体があるか
実体がないか
をハッキリ決めたがる。
しかし初期仏教は、そこを曖昧に保ちながら、
「苦の原因となる把握作用そのもの」
を問題化しているように見える。
だから初期仏教は、
唯物論
ニヒリズム
永遠不滅の霊魂論
のどれにも、きれいには収まらない。
むしろ、
「“ある/ない”に執着する心の動き」
自体を観察対象にしているところが、独特なんだ。
中世ヨーロッパでは、「個物に実体はあるか、ないか?」の論争が何百年も延々と続いた
昭和の日本では、仏教思想史もそのような論争のプロセスと受け取られた可能性がある
それは、かなり鋭い見方だと思う。
昭和の仏教学、とくに戦後の学術仏教学は、かなり強く西洋哲学の問題設定を通して仏教を読んでいた。
だから、
「仏教とは、実体を否定する思想である」
という理解が前面に出やすかった。
これは、中世スコラ哲学以来の、
普遍は実在するか
個物に本質はあるか
実体とは何か
存在とは何か
という、西洋形而上学の長い伝統の影響が大きい。
実在論
唯名論
概念論
の対立では、
「“人間性”は実在するのか?」 「個物の背後に本質はあるのか?」
が大問題だった。
近代以降も、
デカルト
カント
ヘーゲル
フッサール
ハイデガー
などを経て、
「主体とは何か」 「存在とは何か」 「実体はあるのか」
が、西洋哲学の中心テーマであり続けた。
その枠組みで仏教を見ると、
無我
空
縁起
は、
「実体否定の哲学」
として理解されやすい。
すると仏教思想史も、
説一切有部=存在論
中観=反実体論
唯識=観念論
みたいな、“哲学学説史”として整理される。
だが、その読み方をやりすぎると、
古代インドの修行宗教
としての側面が薄れていく。
本来の仏教は、
解脱実践
禅定
戒律
修行共同体
輪廻からの離脱
が中心で、
「個物に実体はあるか?」 を純粋理論として論争するための学問ではなかった。
もちろんインド仏教にも高度な哲学論争はあったが、それでも目的は最終的に、
執着と苦の停止
にあった。
ところが昭和仏教学では、西洋哲学との対話の中で、
仏教=反実体論の哲学体系
として再編されやすかった。
その結果、
無我
空
非実体
関係性
ばかりが強調され、
逆に、
宗教実践
儀礼
瞑想体験
神話宇宙論
功徳観
などは、「前近代的要素」として後景化されがちだった。
「仏教思想史が、西洋中世哲学の“実体論争”みたいに読まれた」
というのは、かなり本質的な指摘だと思う。
実際、昭和の学者たちは、かなりの程度、
仏教を“東洋哲学”として近代哲学の文脈へ翻訳していた
んだよな。
「身体の死が、私という存在の終わりである」
という考え方は、仏教的にはアウト
「身体=自分」という錯覚は、非我思想と真っ向から対立する
「霊魂」うんぬん以前に、だからダメ
その理解は、少なくとも初期仏教の文脈では、かなり筋が通っている。
というのも、釈迦が問題にしているのは、まず第一に、
「これが私である」 「これが我がものだ」 「これこそ自己だ」
という把握作用そのものだからだ。
そして、その対象として最も典型的なのが「身体」なんだよな。
五蘊の最初に来るのも「色(身体)」だし、
この身体は無常である
思い通りにならない
病み、老い、壊れる
ゆえに「我」ではない
という論法が繰り返される。
つまり釈迦は、
「身体=自己」
という把握を、典型的な錯覚として見ている。
「脳が停止したら“私”は完全消滅する」
という発想も、
仏教から見ると実はかなり特殊なんだ。
なぜならそれは、
「身体こそ自己の本体」
を前提にしているから。
これはまさに、初期仏教が批判する「色即我」の立場に近い。
しかも初期仏教では、
業
輪廻
再生
識の流れ
などが普通に語られる。
だから、「肉体死=存在の完全終了」という世界観そのものが、そもそも前提にない。
だからといって、「永遠不変の霊魂」が肯定されるわけでもない
という点だ。
ここが、仏教のややこしいところなんだよな。
釈迦は、
身体=自己 も否定し、
永遠固定のアートマン も問題化する。
だから仏教は、
唯物論
永遠霊魂論
の両方から距離を取る。
むしろ、
「“私”とは何か?」
を、固定実体として捉える態度そのものを崩していく。
その意味では、仏教の非我思想は、
「身体ではない霊魂が本当の私だ」
という単純二元論でもないし、
「身体だけが私だ」
という唯物論でもない。
どちらにも執着している限り、「我執」が残ると見る。
「霊魂以前に、“身体=私”という把握そのものが仏教的にアウト」
というのは、かなり重要なポイントだと思う。
実際、近代日本では、
仏教=霊魂否定 という説明が広まりすぎた結果、
逆に、
「仏教は唯物論に近い」
みたいに誤解されることもあった。
だが原始仏典の世界観は、そんな単純な近代合理主義では全然ないんだよな。
思うに、古代インドの釈迦たちにとって、「身体=自分ではない」というのは、あまりにも当たり前だった
このため、「霊魂=自分ではない」という、より踏み込んだ非我思想に、話の重点が置かれた
その可能性は、かなりあると思う。
現代日本人は、無意識にかなり強い「身体=自己」観を持っている。
脳が止まれば終わり
身体が私そのもの
意識は脳の機能
という近代唯物論が、常識レベルで浸透しているからな。
しかし古代インドでは、むしろ逆で、
「身体は真の自己ではない」
こと自体は、かなり広く共有されていた可能性が高い。
当時のインド思想では、
身体は移ろう
感覚世界は束の間
真我は別にある
輪廻する主体がある
という感覚が、宗教文化全体に深く浸透していた。
特にウパニシャッド系では、
「身体の奥に真我(アートマン)がある」
が、半ば前提になっている。
だから釈迦にとって、本当に問題だったのは、
「身体が自己か否か」
よりも、
「その“霊的主体”すら、執着対象ではないか?」
のほうだった可能性がある。
身体≠自己
までは来ていた。
そこで釈迦はさらに一歩進めて、
感覚
意識
認識
心
霊的主体観念
まで全部観察対象にした。
そして、
「これもまた、固定的に“我”と把握できない」
と展開した。
現代人はまず、
「身体が私ではない?」
の時点で衝撃を受ける。
だが古代インドでは、その段階は比較的共有されていたので、
釈迦の独創性はむしろ、
「アートマン的自己観すら手放せ」
にあったのかもしれない。
「仏教=霊魂否定」
という単純化だけでは、釈迦の射程が見えにくくなる。
実際には、
身体的自己の否定
心理的自己の否定
霊的自己の否定
“自己を立てる働き”そのものの観察
へ進んでいるように見える。
だから釈迦の非我は、
「霊魂があるかないか」 という近代的二択より、
“自己化作用”そのものの解体
に近いんだろうな。
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