法華の花道 乱舞一アーカイブ最終更新 2024/09/28 19:381.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i仏教の最高峰に位置する経典『法華経』について学ぶスレです。如何に示すテンプレの内容に沿ってこのスレは運営されます。2024/09/25 04:54:051000すべて|最新の50件2.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i『涅槃経』四依品に、衆生が依りどころとする四種の人が「人四依」として示されております。1.歓喜地(初地)の前にある菩薩2.初地から五地にある菩薩3.六地あるいは七地にある菩薩4.八地から十地にある菩薩1~4の菩薩とは、1.蔵教の菩薩2.通教の菩薩3.別教の菩薩4.円教の菩薩を意味します。具体的には如何に示す人物がそれにあたります。1.観音菩薩、弥勒菩薩、普賢菩薩、文殊菩薩2.龍樹菩薩3.天親菩薩(世親)4.天台大師、妙楽大師、伝教大師、日蓮大聖人このスレは、上記に示す人物の注釈書および論書を拠り所とした正しい法華経観にもとづいて運営されます。2024/09/25 05:02:253.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i醜い子供じみた言い争いをする場ではありません。自身の正しさをゴリ押しせず、互いの意見を尊重しあいながら円満に意見交流を楽しまれてください。2024/09/25 05:06:594.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0iスレ主は当面は、わたくし法介が務めさせて頂きます。スレ主は円満なるスレ運営にあたり、時として上から目線で俺様気質な威圧的発言を持って場を正す事もあります。その場合速やかにスレ主の指示に従ってください。そのような状況が起きないで済むように、他者を思いやる心を忘れずに謙虚なこころを忘れずに清き正しきこころで意見交流を楽しまれてください。2024/09/25 05:15:025.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i「如何に示す」ってどういう意味ですか?などという攻撃的かつ挑戦的なこころを捨て、誤字脱字があったとしても読む側で変換して読むぐらいのこころの余裕と思いやりのこころを持ってご参加ください。2024/09/25 05:19:386.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0iここは5ちゃんではありませんので、意味不明な実況解説は不必要です。でおーさん、あなたに言っております。宜しくご理解の程、お願い致します。2024/09/25 05:22:527.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i上記内容に反する者は、円満なるスレ運営を妨げる者とみなし、当スレへの出入り禁止をスレ主権限で申し付ける事もありますのでテンプレルールに従って有意義な掲示板トークをお楽しみください。2024/09/25 05:26:348.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0iテンプレはここまでです。以下、君たちキュウリ、パパイヤマンゴだね。https://youtu.be/BffM2bY7luo2024/09/25 05:29:019.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i色んな花を咲かせてください。2024/09/25 05:31:0810.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i花道ですから。2024/09/25 05:31:5111.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0iあなたらしい花を思いっきり咲かせて乱舞しましょう。2024/09/25 05:32:5012.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0ihttps://youtu.be/_X1XKFO8LGE2024/09/25 05:34:3613.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i「桜梅桃李」という言葉をご存じでしょか。2024/09/25 05:46:2014.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i『御義口伝』より第二量の字の事御義口伝に云く量の字を本門に配当する事は量とは権摂の義なり、本門の心は無作三身を談ず此の無作三身とは仏の上ばかりにて之を云わず、森羅万法を自受用身の自体顕照と談ずる故に迹門にして不変真如の理円を明かす処を改めずして己が当体無作三身と沙汰するが本門事円三千の意なり、是れ即ち桜梅桃李の己己の当体を改めずして無作三身と開見すれば是れ即ち量の義なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は無作三身の本主なり云云。2024/09/25 05:47:2815.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i桜梅桃李の己己の当体を改めずして無作三身と開見すれば是れ即ち量の義なり2024/09/25 05:48:2616.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i成仏というと何か人間離れした大そうな存在になると思われがちですが、日蓮さんは、その身そのままの境遇の中から得脱していくものですよーと仰せです。2024/09/25 05:51:5817.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i南無妙法蓮華経と唱え奉る者は無作三身の本主なり2024/09/25 05:54:0018.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i第一妙法蓮華経随喜功徳の事御義口伝に云く随とは事理に随順するを云うなり喜とは自他共に喜ぶ事なり、事とは五百塵点の事顕本に随順するなり理とは理顕本に随うなり所詮寿量品の内証に随順するを随とは云うなり、然るに自他共に智慧と慈悲と有るを喜とは云うなり所詮今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る時必ず無作三身の仏に成るを喜とは云うなり、然る間随とは法に約し喜とは人に約するなり、人とは五百塵点の古仏たる釈尊法とは寿量品の南無妙法蓮華経なり、是に随い喜ぶを随喜とは云うなり惣じて随とは信の異名なり云云、唯信心の事を随と云うなりされば二巻には随順此経非己智分と説かれたり云云。2024/09/25 05:56:0419.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i南無妙法蓮華経と唱え奉る時必ず無作三身の仏に成るを喜とは云うなり2024/09/25 05:56:5720.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i『当体義抄』より正直に方便を捨て但法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱うる人は煩悩・業・苦の三道・法身・般若・解脱の三徳と転じて三観・三諦・即一心に顕われ其の人の所住の処は常寂光土なり、能居所居・身土・色心・倶体倶用・無作三身の本門寿量の当体蓮華の仏とは日蓮が弟子檀那等の中の事なり是れ即ち法華の当体・自在神力の顕わす所の功能なり敢て之を疑う可からず之を疑う可からず2024/09/25 05:58:2021.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0ihttps://youtu.be/mF5Qq2YheTg2024/09/25 06:05:5222.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0iさて、どうして日蓮仏法では、桜梅桃李の己己の当体を改めずして無作三身の仏の境涯が開かれるのでしょう2024/09/25 06:08:4523.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0iこちらの図をご覧ください。https://hokekyou.up-jp.com/wp-content/uploads/2021/06/image023.jpg2024/09/25 06:10:0524.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i右側の一身三観が凡夫の身に顕れる三身如来です。一仮一切仮=応身如来一空一切空=報身如来一中一切中=法身如来2024/09/25 06:11:5325.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i応身如来は、相・性・体の三つの相を備え持ちます。2024/09/25 06:13:4226.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i「凡夫の相」と「仏の相」と「真如の相」の三つの相です。(一仮一切仮)(※ 図の左側参照)2024/09/25 06:15:5227.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0iここでいう「凡夫の相」とは、あなたです。2024/09/25 06:17:3228.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0ihttps://youtu.be/XbHBFCSfmOk2024/09/25 06:17:5229.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i「仏の相」は応身の釈迦、即ち『法華経』方便品の釈迦です。(※方便品読誦)2024/09/25 06:21:1630.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i「真如の相」は、十界曼荼羅本尊です。2024/09/25 06:22:0531.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i>>27 >>29 >>30 ←図の左項目 ↓(↑応身の相・性・体)一仮一切仮=応身如来2024/09/25 06:25:1932.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i報身如来も同じように相・性・体を備え持ちます。2024/09/25 06:27:1633.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0iしかし、報身如来のそれは、応身の「相」とは違い報身、即ち心性を中心とした「相・性・体」となります。2024/09/25 06:28:3434.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i「凡夫の性」と「仏の性」と「真如の性」の「相・性・体」です。2024/09/25 06:29:5335.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i「凡夫の性」とは、あなたのこころです(心性)。2024/09/25 06:30:2936.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i「仏の性」とは、『法華経』寿量品の釈迦です(寿量品の読誦)。2024/09/25 06:31:5537.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i「真如の性」とは、法華経の智恵です。2024/09/25 06:35:2238.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i>>35 >>36 >>37 ←図の左項目 ↓(↑報身の相・性・体)一空一切空=報身如来2024/09/25 06:36:4939.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i法身如来も同じように相・性・体を備え持ちます。2024/09/25 06:37:4240.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i「凡夫の体」と「仏の体」と「真如の体」の「相・性・体」です。2024/09/25 06:38:3041.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i「凡夫の体」とは、過去遠遠劫より業を積み重ねて来た真実のあなたの姿です。2024/09/25 06:41:1442.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i「仏の体」とは、自受用報身の久遠実成の釈迦です。2024/09/25 06:45:2943.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i「真如の体」とは、妙法蓮華経の五文字です。【本意の五重】 一に三観一心入寂門の機 二に一心三観入照門の機 三に住果還の一心三観 四に為果行因の一心三観 五に付法の一心三観2024/09/25 06:48:3244.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i>>41 >>42 >>43 ←図の左項目 ↓(↑法身の相・性・体)一中一切中=法身如来2024/09/25 06:49:4945.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0iこの三身如来の三つの「相・性・体」をまず方便品の「十如是」の三編読みで自身の阿頼耶識に薫習させます。2024/09/25 06:52:2746.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i「十如是」は因と縁と果が揃って収まっておりますので無為の法(無漏の種子)として自身の阿頼耶識に薫習されます。2024/09/25 06:55:1247.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i勤行(方便品と寿量品の読誦)をした後、お題目を唱えるとその薫習された自身の無漏種子を因として仏の覚りが末那識で現行します。2024/09/25 06:57:4148.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0iその末那識の現行を因として第六意識が縁となって凡夫に一身が次のように開花します。 妙=仏眼:第九識は法界体性智 法=法眼:第八識は大円鏡智 蓮=慧眼:第七識は平等性智 華=天眼:第六識は妙観察智 経=肉眼:前の五識は成所作智2024/09/25 06:59:0949.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0iこれが円融(一心三観)のメカニズムです。2024/09/25 07:00:2450.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0iここから先は、ご自身で実際に体感するしかないでしょう。2024/09/25 07:01:0751.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i法華経読誦はすぐには無理でしょうが、お題目は、誰でもすぐに唱えられます。2024/09/25 07:02:1752.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i試してみようと思われる方は、こちらの日蓮ご真筆曼荼羅本尊をスマホかPCの画面に表示してhttps://livedoor.blogimg.jp/butudou/imgs/2/b/2be3fde4.jpg手を合わせて正座もしくは椅子に座り姿勢を正して10程、南無妙法蓮華経のお題目を繰り返し唱えられてみて下さい。機根が整っている方であれば、何かしらを観じ取られていくでしょう。日常の中で不思議な出来事が起こったりもします。(不思議解脱)2024/09/25 07:07:4753.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i<補足説明>>>23 ←この図の左側の構図が三界。 凡夫の空・仮・中=欲界 仏の空・仮・中=色界 真如の空・仮・中=無色界2024/09/25 07:17:1354.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i図の右側の構図が三界の区切りが無くなった状態。2024/09/25 07:17:2655.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i唯識的に見たら、>>23 ←この図の左側の構図が八識。 凡夫の空・仮・中=1~6識 仏の空・仮・中=7識(末那識) 真如の空・仮・中=8識(阿頼耶識)2024/09/25 07:19:0556.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i図の右側の構図が八識の区切りが無くなった状態。2024/09/25 07:19:3457.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i>>54 ←空無辺>>56 ←識無辺2024/09/25 07:20:2458.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i五重玄義https://hokekyou.up-jp.com/roku-go/2024/09/25 07:24:5559.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i『十八円満抄』https://gosho-search.sokanet.jp/page.php?n=1362&k=%E5%8D%81%E5%85%AB%E5%86%86%E6%BA%80%E6%8A%84&o=a&c=10&p=12024/09/25 07:26:4160.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i『十八円満抄』講義http://blog.livedoor.jp/inae_sokagakkai/archives/cat_51957.html2024/09/25 07:28:0161.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i【現行菫種子】現行が種子を薫じること。顕在的な現れた心(現行)が潜在的な根本心(阿頼耶識)にその影響を薫じて植えつけること。薫じつけられた結果を植物のたねに喩えて種子という。この「現行薫種子」と「種子生種子」と「種子生現行」の3つの過程で阿頼耶識縁起が構成される。2024/09/25 15:20:2262.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i【種子生現行】種子が現行を生じること。潜在的な根本心(阿頼耶識)にある種子から顕在的な心(現行)が生じること。その現行が阿頼耶識に種子を植えつけることを「現行薫種子」といい、「種子生現行」と「現行薫種子」との一連の過程が同時に起こることを「三法展転因果同時」という。この二つの過程に「種子生種子」を加えた3つの過程で阿頼耶識縁起が構成される。2024/09/25 15:21:1163.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i【種子生種子】種子が種子を生じること。阿頼耶識の種子が生じた次の刹那にまた自らの種子を生じつつ相続する過程をいう。因としての前の種子と果としての後の種子とは時間的に異なって存在するから因果異時という。この過程と「種子生現行」と「現行薫種子」との三つの過程で阿頼耶識縁起が構成される。2024/09/25 15:22:2864.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i【阿頼耶識縁起】唯識独自の縁起説。この縁起説の縁起は次の3つの過程から成り立っている。1.種子生現行深層的な根本心である阿頼耶識のなかの種子(可能力)が原因となって、現行(現象的存在)が結果として生じ、2.現行薫種子生じた現行が原因となって阿頼耶識のなかに結果としての種子を薫じ、3.種子生種子薫じつけられた種子は、刹那に生滅しつつ、新たな種子を生じる(そして、その種子が縁をえて、再び現行を生じ、その現行が種子を薫じ……と因果の連鎖がつづく。この「種子生現行」「現行薫種子」「種子生種子」という三つの過程は、すべて「識」のなかで起こる出来事であり、この絶えることがない識の因果連続の循環活動のみが存在するから、唯だ識のみが存在し、識の外には物は存在しない(唯識無境)と唯識は主張する。2024/09/25 15:25:1165.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0ihttps://youtu.be/AWZCpuBvBxA2024/09/25 15:25:4866.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i【種子生現行】--- ① 阿頼耶識の種子(因)ーー→末那識(縁)--→現行(果)【現行菫種子】--- ② 現行(因)ーー→末那識(縁)--→阿頼耶識の種子(果)【種子生種子】①→②2024/09/25 15:38:1567.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i>>66 ←阿頼耶識縁起2024/09/25 15:39:0668.登り棒◆0mnwMe9WsADorNYボソッずっと覗いていますよ2024/09/25 16:00:1669.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i六識・七識・八識の関係https://livedoor.blogimg.jp/butudou/imgs/5/b/5b66d48d.jpg2024/09/25 16:02:4970.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i>>68了解2024/09/25 16:03:4271.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i「流転の縁起」と「還滅の縁起」という縁起をご存じでしょうか。2024/09/25 16:07:4672.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0iまたの名を「流転門」と「還滅門」と言います。 流転門=流転の縁起 還滅門=還滅の縁起2024/09/25 16:10:2673.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i大聖人様はこの二種の縁起について『御義口伝巻下』の中の「第三鬼子母神の事」で次のように述べられています。2024/09/25 16:12:2174.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i御義口伝に云く鬼とは父なり子とは十羅刹女なり母とは伽利帝母なり、逆次に次第する時は神とは九識なり母とは八識へ出づる無明なり子とは七識六識なり鬼とは五識なり、流転門の時は悪鬼なり還滅門の時は善鬼なり、仍つて十界互具百界千如の一念三千を鬼子母神十羅刹女と云うなり、三宝荒神とは十羅刹女の事なり所謂飢渇神・貪欲神・障碍神なり、今法華経の行者は三毒即三徳と転ずる故に三宝荒神に非ざるなり荒神とは法華不信の人なり法華経の行者の前にては守護神なり云云2024/09/25 16:12:4075.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0iここで言う、「流転門の時は悪鬼なり」の〝流転門〟が流転の縁起のことです。凡夫の認識ではその姿は悪鬼として認識されますが、「還滅門の時は善鬼なり」と、(五蘊皆空で)空観に入って還滅の縁起(心の変化)で顕れる姿は善鬼であると。そして、「十界互具百界千如の一念三千を鬼子母神十羅刹女と云うなり」悟りの中諦の真如として顕れる姿は、鬼子母神十羅刹女であるとの御指南です。2024/09/25 16:17:0576.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i流転門=流転の縁起 --- (凡夫の認識)還滅門=還滅の縁起 --- (仏の認識)2024/09/25 16:19:1877.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i流転門=色即是空(此縁性縁起)還滅門=空即是色(相依性縁起)です。2024/09/25 16:20:5978.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i流転門=有漏の縁起還滅門=無漏の縁起でもあります。2024/09/25 16:21:5779.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0iでは、此縁性縁起は全て有漏の縁起なのかと言えば、此縁性縁起にも無漏の縁起はあります。2024/09/25 16:23:2380.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i例えば、阿頼耶識の種子を因として>>66 の【種子生現行】--- ① が起こります。(此縁性縁起)2024/09/25 16:25:4481.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0iこの場合、阿頼耶識の種子は凡夫の種子なので無明(有漏)です。無明(迷い)を因として起こる縁起なので結果として起こる現行は妄想(有漏)です。2024/09/25 16:28:0682.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0iしかし、〝何らかの方法〟(←ここ重要!)で自身の阿頼耶識に覚りの因(無漏の種子)が備わってるとしましょう。2024/09/25 16:29:5883.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0iその場合、阿頼耶識の覚りの因を末那識が縁として、>>66 の【種子生現行】--- ① が起こります。(此縁性縁起)2024/09/25 16:31:1884.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i覚り(無漏)を因として起こる縁起なので生じる果も無漏です。この場合の此縁性縁起は、無漏の縁起となります。2024/09/25 16:32:5485.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i相依性縁起にしても同様の事が言えます。相依性縁起にも、有漏と無漏の両方のケースが起こります。2024/09/25 16:34:1686.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i仏法の法理は複雑なんです。仏と仏にしか伝わらないとお釈迦さまが言われたぐらいですから。2024/09/25 16:35:3587.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0iわたしのブログなんですが1-3.人の見え方https://hokekyou.up-jp.com/hitonomiekata/こちら↑の例え話を読まれてみて下さい。2024/09/25 16:50:1188.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i後ほど、その話に関してお話を致します。2024/09/25 16:51:2289.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i>>87↑の続きのこちら↓も参考になるかと、1-4.人の心https://hokekyou.up-jp.com/hitonokokoro/2024/09/25 16:59:1790.登り棒◆0mnwMe9WsAr5B3Uこの人の見え方はまさに今の話ですねぇ。ほーさんは今のここの状況から書き込んでおられる。まぁだからこそ順番に進んで行きたいのに脱線してしまうわけですが…伝えたいという気持ちが伝わってきますね。伝わるかどうかがまた別問題なのが悲しい所です。2024/09/25 18:28:4191.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i対象を見た目で判断するのではなく、そのモノがそのモノと成り得た因果で観ていくのが声聞の覚りです。(此縁性縁起)2024/09/25 19:22:4992.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i仏教を学んで此縁性縁起を覚っても、人間には一度身に付いた悪い癖は中々治りません。2024/09/25 19:23:5393.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i変な歩き方が身についてしまうと、気づいてそれを直そうと思っても中々治らなかったりするものです。2024/09/25 19:25:5094.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0iそれと同じで、いくら仏教を学んで真理を理解出来てもその種子が表層の意識に反映されなければ何にもなりません。2024/09/25 19:27:3595.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i例えば、相依性縁起を理解出来たとします。2024/09/25 19:29:3396.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0iそれは自身の阿頼耶識に種子として薫習されます。2024/09/25 19:30:1897.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0iしかし、末那識が濁っているとその種子を拾い上げずに、今まで通り凡夫の迷いの種子を拾ってきます。2024/09/25 19:31:5298.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0iなので、今まで通りの有漏の縁起が繰り返されます。2024/09/25 19:32:5099.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0iなので毎日、正しい種子を現行薫種子・種子生現行でぐるぐる種子生種子してやる事 >>66 が大事になってきます。2024/09/25 19:39:52100.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i只今も一念無明の迷心は磨かざる鏡なり是を磨かば必ず法性真如の明鏡と成るべし、深く信心を発して日夜朝暮に又懈らず磨くべし何様にしてか磨くべき只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり。『一生成仏抄』2024/09/25 19:41:19101.登り棒◆0mnwMe9WsAanz6q前五識と六識、七識、八識とあるけども、まずは前五識の浄化、そして六識の浄化、七識、八識の順番て浄化されると私は考えます。とはいえ、前五識の浄化と言っても前五識自体が汚れているというよりもそれを受け取る末那識が汚すと考えてます。だから正確には前五識と末那識の関係性を浄化する、そして意識と末那識の関係性を浄化する、そして末那識を浄化する。そして最後に阿頼耶識が浄化されると考えます。その辺はほーさん的にはどうでしょうか?2024/09/25 19:41:55102.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i>>101それについて、まず、『十八円満抄』の以下の内容を説明しましょう。 妙=仏眼:第九識は法界体性智 法=法眼:第八識は大円鏡智 蓮=慧眼:第七識は平等性智 華=天眼:第六識は妙観察智 経=肉眼:前の五識は成所作智2024/09/25 19:44:55103.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i成所作智というのは、作すべきことを成就する智慧という意味です。2024/09/25 19:47:59104.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i具体的にそれが何かと言いますと、モノが時間経緯の中で様々な要因が絡み合って仮和合で形成せれていく縁起、此縁性縁起です。2024/09/25 19:50:04105.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i蔵教で声聞に対して説かれた声聞の智恵です。成所作智=声聞の智恵(此縁性縁起)2024/09/25 19:51:04106.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0iこの声聞の智恵が自身の阿頼耶識に薫習される事で、>>66 の【種子生現行】--- ① 阿頼耶識の種子(因)ーー→末那識(縁)--→現行(果)が起き、眼識・耳識・鼻識・舌識・身識を転識させます。2024/09/25 19:53:19107.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i例えば、>>87 の例え話のパンを盗んだ男の話ですと、今までは「悪い人」と見えてた(眼識)のが、「そんなに悪い人なのな?」という観え方に変わります。2024/09/25 19:56:31108.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i次に、妙観察智。2024/09/25 20:00:04109.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i妙観察智で第六識に転識が起こるという事は、もう分かりますよね。心(意識)の変化で起こる縁起、相依性縁起です。2024/09/25 20:01:11110.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i通教の縁覚に対して説かれた縁覚の智恵です。妙観察智=縁覚の智恵(相依性縁起)2024/09/25 20:02:28111.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0iこの縁覚の智恵が自身の阿頼耶識に薫習される事で、>>66 の【現行菫種子】--- ② 現行(因)ーー→末那識(縁)--→阿頼耶識の種子(果)逆観で、現行が阿頼耶識の種子に影響を与えます。2024/09/25 20:05:40112.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i平等性智は、自己と他者とは平等であるとみる智慧です。これは別教で菩薩に対して説かれた菩薩の智慧です。2024/09/25 20:07:52113.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i具体的にどういった智慧かと言いますと、別教の菩薩に対して説かれた『唯識』です。2024/09/25 20:08:44114.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i唯識では最終的に後得智が顕れます。2024/09/25 20:09:19115.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i「片眼凡夫+片眼仏」といった後得智です。凡夫と仏が不二門(而二不二)で一如となります。2024/09/25 20:13:18116.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i次に八識が大円鏡智となる訳ですが、ここはちょっと理解するのが難しいです。2024/09/25 20:18:57117.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i何故かと言うと、馬ちゃんがさっぱり解らんというこの図の右側の<通相三観>の一心三観だからです。https://hokekyou.up-jp.com/wp-content/uploads/2021/06/image023.jpg2024/09/25 20:21:03118.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0iその説明にあたって日蓮さんの御書を紹介したいと思います。2024/09/25 20:21:44119.登り棒◆0mnwMe9WsAanz6qとてもわかりやすい。2024/09/25 20:22:07120.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i法華経の『見宝塔品第十一』で、大地から巨大な宝塔が出現し空中に留まります。その塔の中に禅座していた多宝如来が、自身の座を半分空けてお釈迦様に譲り、二仏並坐(にぶつびょうざ)して虚空会の儀式が始まります。2024/09/25 20:25:32121.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0iこの二仏が並んで座っている姿は、「境智の二法」を意味しています。2024/09/25 20:26:01122.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i大聖人様は「境智の二法」について『曾谷殿御返事』の中で次のように御指南あそばされています。2024/09/25 20:26:16123.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i仏になる道は豈(あに)境智の二法にあらずや、されば境と云うは万法の体を云い智と云うは自体顕照の姿を云うなり、而るに境の淵ほとりなく・ふかき時は智慧の水ながるる事つつがなし、此の境智合しぬれば即身成仏するなり、法華以前の経は境智・各別にして而も権教方便なるが故に成仏せず、今法華経にして境智一如なる間・開示悟入の四仏知見をさとりて成仏するなり2024/09/25 20:26:48124.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0iこの中に「自体顕照」という用語が出てきます。2024/09/25 20:27:38125.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i「自体顕照」というのは、「自らの体を照らし顕す」という意味で、「境」に照らされて自らの体が智慧として顕われることをいいます。2024/09/25 20:28:46126.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i境智一如とか境智冥合などとも言います。2024/09/25 20:29:13127.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i平等性智が別教の唯識の後得智なのに対し、この大円鏡智は、円教の円融三観(一心三観)になります。2024/09/25 20:32:09128.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i『法華経』では、仏の智慧は三乗の智慧を以て開かれる(開三顕一)と説かれております。2024/09/25 20:33:39129.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0iこの図の左側の<別相三観>の構図がその三乗にあたります。https://hokekyou.up-jp.com/wp-content/uploads/2021/06/image023.jpg「凡夫の空・仮・中」=声聞の智恵(蔵教)「仏の空・仮・中」=縁覚の智恵(通教)「覚りの空・仮・中」=菩薩の智恵(別教)2024/09/25 20:36:33130.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i>>123 の御文は、ご本尊に向かって唱題する凡夫の姿を言い現わしておられます。2024/09/25 20:42:10131.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i曼荼羅本尊は阿頼耶識を相として顕しております。2024/09/25 20:42:58132.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0iなのであらゆる仏菩薩、諸天の名が記されております。2024/09/25 20:43:58133.登り棒◆0mnwMe9WsAanz6q本質と、その本質を明らかにする智慧の両方を1つにってことかな。2024/09/25 20:45:04134.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i過去に仏や菩薩になった仏道者からインドにおけるバラモンの梵天・帝釈天なども記されております。2024/09/25 20:45:14135.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0iその曼荼羅にお題目と唱えていきますと、水が田んぼの淵を流れていくように曼荼羅の仏菩薩の淵を自身の生命がたどって流れていくように2024/09/25 20:47:47136.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i自身の心(生命)が阿頼耶識に照らされて(鏡のように)真実の自身の姿が顕れます。2024/09/25 20:48:58137.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i真実の自身の姿と言いますのは、自我による自己の認識ではなく過去遠遠劫より業を刻んで来た因果で観る自身の姿です。2024/09/25 20:50:36138.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0iこの大円鏡智の仏の智慧を開く為には三乗の智慧が必要不可欠なのです。それはこの図を見て頂ければ解るかと思います。https://hokekyou.up-jp.com/wp-content/uploads/2021/06/image023.jpg2024/09/25 20:52:30139.登り棒◆0mnwMe9WsAanz6qわかります。人ですらない頃から因果の流れで形作ってきた今ですね。2024/09/25 20:53:05140.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i三乗の智慧(図の左側)と、それを開く〝善知識の縁〟がないと開かない仏の智慧です。2024/09/25 20:53:37141.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i〝善知識の縁〟が図の左側の「覚りの空・仮・中」、即ち、「真如の空・仮・中」です。2024/09/25 20:55:39142.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i 妙=仏眼:第九識は法界体性智 法=法眼:第八識は大円鏡智 蓮=慧眼:第七識は平等性智 華=天眼:第六識は妙観察智 経=肉眼:前の五識は成所作智2024/09/25 20:56:22143.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i最後の「法界体性智」は、日蓮さんは、このように言われております。2024/09/25 20:57:19144.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0iされば三諦に於て三三九箇の三諦あり、先ず空諦にて三諦を云う時は空諦と呼出だすが仮諦・空諦なるは空諦なり・不二するは中道なり、三諦同じく此くの如く心得可きなり、所詮此の一切智地をば九識法性と心得可きなり、九識法性をば、迷悟不二・凡聖一如なれば空と云うなり、無分別智光を空と云うなり、此の九識法性とは、いかなる所の法界を指すや、法界とは十界なり、十界即諸法なり、此の諸法の当体・本有の妙法蓮華経なり、此の重に迷う衆生の為に、一仏現じて分別説三するは、九識本法の都を立出ずるなり、さて終に本の九識に引入する、夫れを法華経とは云うなり『御講聞書』2024/09/25 21:02:47145.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i「先ず空諦にて三諦を云う時は空諦と呼出だすが仮諦・空諦なるは空諦なり」この御文は、「一空一切空」を言われております。2024/09/25 21:04:52146.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0iそして「三諦同じく此くの如く心得可きなり」とありますので、他の二諦も同じように一仮一切仮、一中一切中となって図の右側の通相三観(一心三観)の事をいわれております。2024/09/25 21:07:01147.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i「所詮此の一切智地をば九識法性と心得可きなり」一仮一切仮=応身如来一空一切空=報身如来一中一切中=法身如来この三身が南無妙法蓮華経で凡夫の一身に顕れて三身即一の当体蓮華の本仏(真実の仏)となります。2024/09/25 21:10:08148.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i>>139棒さんは、機根が整っておられるから。2024/09/25 21:10:56149.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i質問があれば遠慮なく2024/09/25 21:12:35150.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i>>133仏教では本質は説きません。すべて因果と縁起で観ていきますので。2024/09/25 21:13:53151.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0iすべての因果と縁起が観えてくるという事です。2024/09/25 21:14:25152.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0iあと三乗の智慧=十如是です。2024/09/25 21:16:16153.登り棒◆0mnwMe9WsAanz6q法界体性智というのは、境智一如とかのさらに先の話?2024/09/25 21:16:24154.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i境智一如=因果異時(有為)法界体性智=因果具時(無為)2024/09/25 21:19:31155.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i 妙=仏眼:第九識は法界体性智 ---(一中一切中) 法=法眼:第八識は大円鏡智 ---(一仮一切仮) 蓮=慧眼:第七識は平等性智 ---(一空一切空) 華=天眼:第六識は妙観察智 ---(絶待妙) 経=肉眼:前の五識は成所作智 ---(相待妙)といった感じではないかと。2024/09/25 21:22:20156.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i蓮=慧眼:第七識は平等性智 ---(一空一切空)は、後得智(片眼凡夫+片眼仏)2024/09/25 21:23:31157.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i法=法眼:第八識は大円鏡智 ---(一仮一切仮)は、現実の中(現実の自身の日常)に顕れる覚り2024/09/25 21:25:13158.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i妙=仏眼:第九識は法界体性智 ---(一中一切中)は、時間軸を超越した覚り(未来に対する予知の覚り)2024/09/25 21:26:24159.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i>>156 実慧解脱>>157 方便解脱>>158 真性解脱2024/09/25 21:29:58160.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i>>159 この三つの解脱を「不思議解脱」と天台智顗は言っております。2024/09/25 21:30:50161.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i>>157 方便解脱で現在の因果を覚り、>>156 実慧解脱で過去の因果を覚り>>158 真性解脱で未来の因果を覚ります。2024/09/25 21:32:20162.登り棒◆0mnwMe9WsAanz6qこれを理解するのが難しい、と。まぁ言葉にして区別するとこうなるけども、全ては関連している事で同じであり同じでない。区別せずにありのままでいいんですね。やはり無常を真に理解する人などはほとんどいないと言うことがわかりました。言葉での理解の範疇を超えるというのは中々に難しいのでしょう。2024/09/25 21:34:16163.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i日蓮さんは、『開目抄』で心地観経に曰く「過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」等云云と言われております。2024/09/25 21:34:22164.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i今、一瞬の目の前の対象に現在・過去・未来を直感的に観じとるという事になります。2024/09/25 21:36:41165.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0iそれが一念三千の法門です。2024/09/25 21:37:09166.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i>>162自身が体感(体験)するしかありません。2024/09/25 21:38:10167.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i摩訶不思議な解脱を。2024/09/25 21:38:32168.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i摩訶不思議=人間の理解を超えた2024/09/25 21:39:06169.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0iでは、お風呂に入って来ます。2024/09/25 21:40:10170.登り棒◆0mnwMe9WsAanz6qいてらー色々教えてくれてありがとう。2024/09/25 21:41:36171.名無しさんGfKI3ブラザーの評価高くて鼻が高いやで2024/09/25 22:19:06172.リダン◆gEV3xsS//kGfKI3コテ外れてた2024/09/25 22:19:32173.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0iリダン、お疲れ2024/09/25 22:20:42174.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0iあれはサティーの方がよー分っとる2024/09/25 22:21:10175.リダン◆gEV3xsS//kGfKI3>>173お疲れ様です✨2024/09/25 22:21:12176.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0iおまえだんだん鹿野園化が進んどるぞ2024/09/25 22:22:17177.リダン◆gEV3xsS//kGfKI3>>174ほんとに〜法介さんのほうが理解上と判断したで俺は2024/09/25 22:22:19178.リダン◆gEV3xsS//kGfKI3法介さんの聡さを煎じて飲んだほうがええわあいつ2024/09/25 22:23:33179.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i後でここに↑の内容(棒さんに話してた内容)を唯識でひも解いて書いてみる。2024/09/25 22:24:42180.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0iおまえさー我がどんどん強くなってきてるぞ2024/09/25 22:25:48181.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i自分で分らんやろ2024/09/25 22:26:13182.リダン◆gEV3xsS//kGfKI3>>180まあそれは否定しないw2024/09/25 22:26:15183.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0iそっか自覚はあるか2024/09/25 22:27:05184.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0iまーでも今日はサティーとやり合って疲れただろ2024/09/25 22:27:52185.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i風呂入って早よ休め2024/09/25 22:28:15186.リダン◆gEV3xsS//kGfKI3>>185はーい2024/09/25 22:37:36187.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i>>161 ここの三つの解脱の説明をしておきます。2024/09/25 22:44:45188.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0iまず「方便解脱」について。---(前五識・第六意識の転識)『維摩経玄疏』より十二因縁で言えば過去・現在の三枝は、これ煩悩道。過去・現在の二枝は、これ業道。現在・未来の七枝は、これ苦道なり。いま十二因縁に三道を明かして三種の解脱を弁じ、思議・不思議の不同を分別せん。もしは通教には、苦道は即ち是れ真性と説くといえども、すなわちこれ偏真の法性の理、煩悩即空と説くも、空は実慧にあらず。業道即空と明かすといえども、空は方便にあらず。ゆえに三種は不思議の解脱にあらざるなり。2024/09/25 22:47:40189.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0iここで言っている「方便解脱」は、凡夫の前五識・第六意識から起こる「客観と主観」による無明(迷い)からの解脱です。これは『般若心経』で説かれる「色即是空 空即是色」による解脱です。<凡夫の世界観> ---(方便の解脱) 仮=「色即是空」順観の因縁 空=「空即是色」逆観の因縁 中=「色即是空 空即是色」2024/09/25 22:48:45190.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i次に「実慧解脱」について。---(第七意識の転識)『維摩経玄疏』よりもしは別教には、苦道は即ち是真性のの大涅槃にあらずと説きて、而も真性の涅槃の理あり。もしは生死の苦道は滅して、まさに真性を顕し、常住の涅槃を得て、煩悩道は即ち是れ実慧にあらざるを明かす。煩悩を断じて尽くさば、実慧はまさに円かに、業道は即ち是れ方便にあらざるを明かす。業を断じて別に方便を起こして物を化す。これすなわち十二因縁に三道は滅し、三種の解脱を得。真常の三種の解脱を弁ずといえども、なおこれ思議の相なり。2024/09/25 22:50:07191.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i煩悩を断じ尽くし、生死の苦道も滅した常住の涅槃を得た境地が実慧解脱と智顗は申しております。そしてもともとの業を断じて「別に方便を起こして物を化す」とありますが、これは阿頼耶識の自身の過去世の悪しき業を断じ尽くすことでそれまで濁っていた第七末那識がクリアーな状態へと変わります。2024/09/25 22:50:29192.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0iまた七識(末那識)について、次のように申しております。問うていわく。摂大乗論師(無著)は、〝七識はこれ執見の心〟と説く。なんぞこれ実慧の解脱というを得んや。答えていわく。迷を転じて解を成ず。もしは迷執を離れて、いずこにか別して実慧の解あらん。ゆえに知る、七識は非迷非解、迷解を説くを得る解のゆえに、即ち是れ実慧の解脱なり。2024/09/25 22:54:33193.神も仏も名無しさんV5rt0ほーかいくんも新スレ建ててレスするのも大変やなー俺もデンちゃん、リダン、サティに飽きた〜ま、仕事日のせいもあるけどなーほーかいくんわんばんこ〜😀2024/09/25 22:56:43194.神も仏も名無しさんV5rt0チャンネルもハジ公のせいで晃と糖質丸出しのスピ系統に占拠状態だー😭2024/09/25 23:02:18195.神も仏も名無しさんV5rt0外道丸出しすぎるとさすがのほーかいくんも飽きてくるやろなー😞2024/09/25 23:03:06196.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0iでおー、わんばんこー2024/09/25 23:11:34197.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i真性の解脱はすなわち阿黎耶識、実慧の解脱はすなわち七識、方便の解脱はすなわち六識。ってことは、ずれてるなー>>155 ←再考察が必要だな2024/09/25 23:17:42198.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i向こうのスレ晃が久々に書き込んでるな2024/09/25 23:19:14199.パAcUlW>66そう、こう言う図式が解り良いです法介さんはかなり勉強されて消化されていますね、感心しますわ、マジでマナ識を66のように、正しい教えを薫習して、転識して平等性に転換されると客観的に見て、他者の身勝手な言動に対し、何故?そのような言動をするのか?という因果の流れが解ってしまうという智恵がわきます、そうすると、Aさんの人の立場でなら、ああいう言動が出ても分かる!このようになります、また別なBさがAさんに対立して独自な言動をしたとしても、やはりBさんの言い分の因果が分かるので、Bさんの立場ならそれもあると、解ってきますABさんは意見が対立してるのに、その両方の言い分が分かっていると、片方の言い分だけをを支持することが不可能になりますなので、両方を支持も出来ず、良しとも悪いとも出来ません別々に話し合って分かってやることだけが可能であって、その意味で平等に分かってあげることになります世間では八方美人とか言われますけど、これまたしょうがないことです10人いたら10人の言い分があって、どの人の心をも害わず尊重してさしあげたい!という心それが平等性の心なのだろうと思います2024/09/25 23:28:00200.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i平等性の心そんな感じでしょうね。真理というのは、馬ちゃんが書いているようにそれが実生活にどう生かされていくかが大事だと思います。2024/09/25 23:33:44201.パAcUlWマナ識我法二執の根本である。八識はみな思量の作用があるが、末那識は特に恒(間断なく常に作用する)と審(明瞭に思惟する)との二義を兼ね有して他の七識に勝っているから末那(意)という。思量とは「恒審思量」といわれ、恒に睡眠中でも深層において働き続け、審(つまび)らかに根源的な心である阿頼耶識を対象として、それを自分であると考えて執着し続ける。この深層的な自我心を滅することによって、我々は初めて真の無我行を実践することができる。●第七識・末那識と相応するものは、我癡・我見・我慢・我愛の四煩悩、●作意・触・受・想・思の五遍行別境の慧、●大随惑の八(不信・懈怠・放逸・惛沈・掉挙・失念・不正知・散乱)であるとされるーーーなんか悪いのの見本だねマナ識って2024/09/25 23:36:01202.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i>66 の種子性種子で正しく書き換えられていくことで悪業が消えていき宿命が転換されていくものだと思います。2024/09/25 23:37:00203.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i>>192 〝七識はこれ執見の心〟2024/09/25 23:38:01204.パAcUlWそうですね、それ無くしては転識は起こり得ないと思いますねところで聖徳太子の伝説のように、10人の意見をそれぞれの因果を分かって其々に応じて理解する知恵は66図の何処にあたるんですかね?2024/09/25 23:41:19205.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i66図?どういう図2024/09/25 23:42:22206.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0iっていうか、ちょっと閃いた!書かせて2024/09/25 23:42:53207.パAcUlWあいや>66の図って意味です2024/09/25 23:42:54208.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i仏教を学んで例えば此縁性縁起を理解したとります。2024/09/25 23:43:51209.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i例えば今のリダンのように。2024/09/25 23:44:19210.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0iその真理(此縁性縁起)は、リダンの自身の阿頼耶識に熏習されます。2024/09/25 23:45:22211.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0iその阿頼耶識の真理(無漏)を因としてリダンの末那識が縁となって>>66 の種子生現行が起こります。【種子生現行】--- ① 阿頼耶識の種子(因)ーー→末那識(縁)--→現行(果)2024/09/25 23:47:25212.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0iその種子生現行で起こった現行を因としてリダンの第六識が縁となって表層の意識が起こります。2024/09/25 23:49:11213.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0iこうして起こったリダンの意識は無漏か有漏かと考えた時、2024/09/25 23:49:51214.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i因は真理なので無漏ですが、縁となるリダンの末那識が濁っているので種子生現行で起こる現行は有漏となる !!2024/09/25 23:51:11215.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0iだから、末那識がどうやったらクリヤー化されるかが最大のポイントとなってくる。2024/09/25 23:53:13216.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0iいくら無漏の種子を詰め込んでも末那識がクリヤー化されない限り意味が無い2024/09/25 23:53:57217.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i無漏の種子(結縁)がなければいくら修行しても仏の覚りは得られないっていうのは、そういう意味なんだろう。2024/09/25 23:55:14218.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i無漏の種子の場合、覚りの因と縁と果がセットで阿頼耶識に熏習されるから、↑のケースとは違ってくる。2024/09/25 23:56:53219.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i阿頼耶識の「覚りの因・縁・果」を末那識が拾いあげたら「覚りの果」が現行するんだろう。2024/09/25 23:59:07220.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0iそれにより末那識が浄化されていく。2024/09/25 23:59:34221.法介◆T3azX0Hk1Ui3h0i日々の唱題行で。2024/09/25 23:59:57222.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nそれが六根清浄。2024/09/26 00:00:12223.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nよし、寝よう!おやすみー2024/09/26 00:00:45224.パm38nM良いところまで迫りましたね~明日が楽しみ!おやすみなさい2024/09/26 00:38:49225.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nおはようございます、法介です。2024/09/26 05:49:24226.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n今日の仏教学会では、説一切有部の『倶舎論』で説かれている縁起を此縁性縁起といい、龍樹が『中論』で解き明かした縁起を相依性縁起といいます。2024/09/26 05:54:14227.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nこの二つの縁起の名は、経典には記されておりません。今日の学者さん達が学術研究する中で用いられた仏教用語です。2024/09/26 05:56:10228.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n唯識においても >>66 のような縁起が説かれております。2024/09/26 05:57:29229.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n【種子生現行】--- ① 阿頼耶識の種子(因)ーー→末那識(縁)--→現行(果)【現行菫種子】--- ② 現行(因)ーー→末那識(縁)--→阿頼耶識の種子(果)【種子生種子】①→②2024/09/26 05:58:12230.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n① の「種子生現行」は、阿頼耶識の種子を因として起こる縁起です。これは順観型の縁起です。因果異時です。2024/09/26 06:06:30231.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n以前、取り上げたこちらの「金 論文」、『心・意・識説に関する研究』― 阿頼耶識と末那識との関係を中心― 金 範松https://tais.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=277&file_id=22&file_no=12024/09/26 06:08:03232.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n昨日、読み返しておりましたら今トークしている内容に関わってくる内容が色々と論じられてますね。2024/09/26 06:10:22233.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nプリント下部No.220 と219 に目を向けてみてください。2024/09/26 06:11:44234.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nコピペすると文字化けするのでここには引用いたしません。ご了承ください。2024/09/26 06:12:41235.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nP.219 の左側上部に護法の正義(正しい説)が記されております。2024/09/26 06:15:16236.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n「種子生種子」は因果異時で、「種子生現行」は因果同時だと。なぜなら後の種子を引生しない(現行熏種子)からだと。2024/09/26 06:18:14237.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nああー、、、、、と、今驚いた、、、2024/09/26 06:19:21238.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n護法は、そこまで覚っていたのかと2024/09/26 06:20:15239.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n「種子生現行」は因果同時 ↑解ります、この意味。2024/09/26 06:21:01240.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n『法華経』で説かれる無為法は、十如是です。2024/09/26 06:25:45241.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n三周の説法で説き明かされた「十如是」は、因と縁と果を同時に備え持つ「無為の種子」なんですね。2024/09/26 06:27:35242.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n>>239ここで護法が言っているのは、もしかしたらその無為の種子(無漏種子)の事ではないかと。2024/09/26 06:29:49243.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nだとしたら確かに因果同時です。2024/09/26 06:30:17244.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n唯識で言う「無漏の種子」とは、通常の種子とは違い「因・縁・果」を同時に備え持つ種子を指して言う言葉なんでしょう。2024/09/26 06:32:25245.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n三周の説法は、どこで説明したっけ?こういう時の為に立てた、『法介スレ』全75シリーズの目録https://talk.jp/boards/psy/1727220658です。2024/09/26 06:34:16246.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nちょっと探してきます。2024/09/26 06:34:35247.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nありました。おはようございます、法介ですhttps://talk.jp/boards/psy/1726251553ですね。2024/09/26 06:45:35248.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nこれが声聞の因・縁・果。因=釈迦と弟子達の三千塵点劫の過去の因縁=十二因縁(順観と逆観)果=現在の師弟の関係(釈迦在世の)2024/09/26 06:46:22249.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nこれが縁覚の因・縁・果。因=三草二木の譬(相)縁=長者窮子の譬(性)果=三車火宅の譬(体)2024/09/26 06:46:59250.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nこれが菩薩の因・縁・果。因=縁因仏性(相=曼荼羅本尊)縁=了因仏性(性=法華経)果=正因仏性(体=南無妙法蓮華経)2024/09/26 06:47:28251.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n>>250 の菩薩の因・縁・果は、さらに次のように分けられると思います。2024/09/26 06:48:42252.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n阿頼耶識に収まっている菩薩の因・縁・果は、『法華経』で説かれている三身如来(※①後ほど詳しく)2024/09/26 06:50:39253.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n上行菩薩である日蓮大聖人が顕された菩薩の因・縁・果は、次のようになるかと。因=縁因仏性=十界曼荼羅本尊(三界唯心)縁=了因仏性=法華経(方便品と寿量品)果=正因仏性=南無妙法蓮華経(凡夫と仏の一如)2024/09/26 06:53:52254.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n>>253 =体の仏>>252 =用の仏2024/09/26 06:54:56255.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n十法界は十なれども十如是は一なり譬えば水中の月は無量なりと雖も虚空の月は一なるが如し、九法界の十如是は夢中の十如是なるが故に水中の月の如し仏法界の十如是は本覚の寤の十如是なれば虚空の月の如し、是の故に仏界の一つの十如是顕れぬれば九法界の十如是の水中の月の如きも一も闕減無く同時に皆顕れて体と用と一具にして一体の仏と成る、十法界を互に具足し平等なる十界の衆生なれば虚空の本月も水中の末月も一人の身中に具足して闕くること無し故に十如是は本末究竟して等しく差別無し、本とは衆生の十如是なり末とは諸仏の十如是なり諸仏は衆生の一念の心より顕れ給えば衆生は是れ本なり諸仏は是れ末なり2024/09/26 06:56:48256.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n「体と用と一具にして一体の仏と成る」と仰せの具体・具用の仏です。2024/09/26 06:58:22257.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n用の仏=阿頼耶識に収まっている体の仏=現実の世界に実在している2024/09/26 06:59:45258.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n>>252 の『法華経』で説かれている三身如来は、次の通りです。2024/09/26 07:16:33259.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n舎利弗に霊鷲山で説法する実在の応身の釈迦です(方便品)報身は寿量品の釈迦です。(虚空会)2024/09/26 07:22:29260.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nそして、寿量品の文底で密教として説かれているのが法身如来、即ち南無妙法蓮華経の真言です。2024/09/26 07:24:02261.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nここで、ちょっとおもしろい事に気づいたのでそれもお話しておきます。2024/09/26 07:24:47262.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n通教で般若経典群が龍樹によってひも解かれていった訳ですが、2024/09/26 07:26:11263.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nその中の『般若心経』の最後に記されている真言がありますよね。2024/09/26 07:27:09264.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nこれです。「羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」2024/09/26 07:27:45265.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nこれ、どういう意味があるのかなって解らずにおりました。2024/09/26 07:28:35266.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nこの真言の部分は、あえて訳すべからずとされているんですね。訳してしまうと、意味が限定されてしまうし、言葉としての力も無くなってしまうと。2024/09/26 07:29:43267.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nお釈迦さまは、何と賢いお方だなーとつくづく思いました。2024/09/26 07:30:52268.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n龍樹って、お釈迦さまが亡くなられた後の世に生まれ出た菩薩なんですね。2024/09/26 07:31:48269.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nおそらく、普賢菩薩あたりではと日蓮さんは何気に言われております。2024/09/26 07:33:21270.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nお釈迦さまは、応身として世に生まれ声聞に対して蔵教の教えを説かれました。2024/09/26 07:34:31271.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n蔵教の教えは人間の認識(言葉)で仏教はお釈迦さまの口で語られ説法がなされました。2024/09/26 07:36:19272.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n次のステップとしてお釈迦さまは、〝人間の認識〟から離れて説法をされます。2024/09/26 07:37:21273.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nその下準備として『般若心経』を残されていたと思います。いづれ生まれ出て来る通教の菩薩の為に。2024/09/26 07:39:16274.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nそしてその『般若心経』にこの合言葉を使って色界(禅天)に居る私を呼び出しなさいという意味で、「羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」の真言を書き残されたんだとわたくし法介は思います。2024/09/26 07:41:35275.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n天台教学では、観音菩薩は釈迦が意成身として顕れた姿(報身)だと説きます。2024/09/26 07:42:55276.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nハッジがもし本物の観音菩薩と向こうの世界で会っているのでしたら、それはお釈迦さまですよと教えてあげたいところです。2024/09/26 07:44:18277.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nしかし、観音菩薩は通教の菩薩に法を説く為に顕れた意成身なので、末法の今の世に観音さまが居る意味はないかとわたしなんんかは思います。2024/09/26 07:46:04278.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n天界(欲天)には、人を騙して楽しんでる悪しき天人達も沢山居るようです。騙されないようにご用心を。2024/09/26 07:47:32279.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nでは、朝食を食らってきます。2024/09/26 07:49:02280.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n『大乗起信論』に次のようにあります。眞如三昧者。不住見相不住得相。乃至出定亦無懈慢。所有煩惱漸漸微薄。若諸凡夫不習此三昧法。得入如來種性。無有是處。以修世間諸禪三昧多起味著。依於我見繋屬三界。與外道共。若離善知識所護。則起外道見故2024/09/26 08:10:59281.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n眞如三昧なる者は、見相に住せず得相に住せず、乃至定を出でても亦た懈慢無く、所有る煩悩は漸漸に微薄なり。若し諸の凡夫、此の三昧の法を習わざれば、如來の種性に入るを得ること是の処有ること無し。世間の諸禪三昧を修して多く味著を起こし、我見に依りて三界に繋屬するを以て、外道と共なり。若し善知識の護る所を離れるば、則ち外道の見を起こすが故に。2024/09/26 08:11:11282.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n若し諸の凡夫、(リダンや棒さん)此の三昧の法を習わざれば、如來の種性に入るを得ること是の処有ること無し。2024/09/26 08:12:25283.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n此の三昧の法とは、眞如三昧のことです。2024/09/26 08:12:57284.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n坐禅やスピ系瞑想(ヨーガなど)は、眞如三昧ではありません。2024/09/26 08:13:49285.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n眞如三昧とは、真如を対境として行う止観行です。2024/09/26 08:14:27286.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n世間の諸禪三昧を修して多く味著を起こし、(←坐禅はこれに入ります)我見に依りて三界に繋屬するを以て、外道と共なり。2024/09/26 08:16:02287.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n若し善知識の護る所を離れるば、則ち外道の見を起こすが故に。ここで言う「善知識」って何でしょう。2024/09/26 08:16:56288.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n坐禅やスピ系ではお師匠様を「善知識」と考えておられるようですね。2024/09/26 08:17:55289.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n道元さんも然り。(そう自身で書いておりました)2024/09/26 08:18:41290.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nが、しかし2024/09/26 08:18:56291.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n「法四依」というお釈迦さまのご遺言があるのをご存じでしょうか。2024/09/26 08:19:46292.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nお釈迦様は涅槃に入られる直前に『涅槃経』を説かれますが、その中の四依品では、釈迦亡き後、仏の法を正しく習得していく術として大事な四項目が「法四依」として示されております。2024/09/26 08:22:21293.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n依義不依語(義に依りて語に依らざれ)依智不依識(智に依りて識に依らざれ)依了義経不依不了義経(了義経に依りて不了義経に依らざれ)依法不依人(法に依りて人に依らざれ)2024/09/26 08:22:42294.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nこの仏が遺言として残された大事な指針を無視して真実の仏の教えの習得はあり得ません。2024/09/26 08:23:12295.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n依法不依人(法に依りて人に依らざれ)2024/09/26 08:23:35296.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n禅師やグル(師匠)を善知識としてはダメなんです。2024/09/26 08:24:15297.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n「法」を善知識としなければいけないのです。2024/09/26 08:24:55298.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n仏法でいう「法」とは、自然界に備わる法などではありません。2024/09/26 08:26:22299.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nそのような不変的な法は存在しないと説くのが仏教です。2024/09/26 08:27:10300.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nでは、仏教で言う「法」は何かと言いますと、縁起の法門などの様々な法理・法門です。2024/09/26 08:28:17301.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nそれを仏教では、諸法といいます。2024/09/26 08:28:43302.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n「諸法無我」という言葉がありますが、この言葉の意味は、諸法は縁起(無我)なんですよと言っているのです。2024/09/26 08:30:26303.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nAI もそう答えております。諸法無我(しょほうむが)とは、仏教の根本的な思想を表す成句で、「あらゆる存在(ダルマ:法)の中には我(アートマン)は無い」という意味です。言い換えると、そのもの自体で(自立的に)成り立っている存在は無いことを意味します。2024/09/26 08:31:42304.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n似たような用語で「諸行無常」というのがあります。2024/09/26 08:33:29305.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nリダンは最近しきりに「無常だ!」「無常を感じろ!」などと言っておりますが、どうやらリダンは無常を〝無為〟だと勘違いしているようにわたしには思えてなりません。2024/09/26 08:35:51306.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n「諸行無常」というのは、この世の現実存在(森羅万象)はすべて、すがたも本質も常に流動変化するものであり、一瞬といえども存在は同一性を保持することができないことをいう。「諸行」とは因縁によって起こるこの世の現象(サンカーラ)を指し、「無常」とは一切は常に変化し、不変のものはない(アニッチャ)という意味。とウィキペディアにも書いてあります。2024/09/26 08:37:04307.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nムムムーなどではありません。2024/09/26 08:37:42308.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n諸行無常とは、縁起のことです。2024/09/26 08:38:56309.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n対象となるモノの縁起を観じ取っていくということです。2024/09/26 08:39:43310.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nアッギヴェッサナよ、私はこのように弟子たちを戒める。このように頻繁に語る。「比丘たちよ、色は無常、受は無常、想は無常、行は無常、識は無常である。 比丘たちよ、色は無我、受は無我、想は無我、行は無我、識は無我である。 すべての行は無常である、すべての法は無我である。」と。—パーリ仏典, 中部35 薩遮迦小経, Sri Lanka Tripitaka Project2024/09/26 08:41:03311.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n諸行の行は、因縁によって起こるこの世の現象(サンカーラ)を指して言う言葉です。その行は無常である。全ての現象は、色は無常、受は無常、想は無常、行は無常、識は無常である。↑常に変わらないという事はないという意味2024/09/26 08:45:14312.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n人の見え方(眼識)が変らないという事はあり得ませんという事。2024/09/26 08:46:15313.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n学会員さんから見たら池田さんは、世界一の稀有なる偉大な指導者。法華講員さんから見たら、多くの人を迷わせている偽善仏法者。2024/09/26 08:48:39314.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n見る人が変れば眼識における見え方も異なってきます。2024/09/26 08:49:27315.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nそれはなにも見る人が変わらなくても同じ人物であっても見る人のこころが変れば同じ人物であってもその見え方(眼識)は異なってきます。2024/09/26 08:50:58316.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nそういう事を言っているのであってムームームーで「無心(無為)の境地に入ります」という意味などではありません。2024/09/26 08:52:14317.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n禅師が説く禅宗では、そうなのかも知れませんが仏が説く仏教ではそうではありません。2024/09/26 08:53:24318.リダン◆gEV3xsS//k1XMIg>>305呼んだかい😃無常は有為法だよおはようございます☀2024/09/26 08:54:26319.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n禅宗は、>>293 このお釈迦さまの遺言に従わないからそのような勘違い仏教を禅師が勝手に説くんです。2024/09/26 08:54:51320.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nリダン、おはよー2024/09/26 08:55:07321.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n無常を感じろー!って言ってなかった?2024/09/26 08:55:46322.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nhttps://talk.jp/boards/psy/1725614113>>111お釈迦様はもう無常と答えてる意識、意志の無い識って何か?それは単独で存在されるのか?↑無常そのものよ阿頼耶識も刹那滅(ソース)忘れたある意味阿頼耶識そのもの=無常そのもの一切法として有為法の根源の無常以外はもう無為法しかないやろ?2024/09/26 08:57:11323.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n117.リダン◆gEV3xsS//k>>115そうやろ?無常そのものであると気がつけば意識、意志の無い識って何か?それは単独で存在されるのか?↑これは愚問であることに気がつくやん2024/09/14 21:13:342024/09/26 08:58:09324.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n120.リダン◆gEV3xsS//k思いを相続する=自己を運んでしまっているそうじゃなくて無常に任せる最近馬さんは末那識を滅するとは言わないなあるいは最初からそうだったかその通り末那識は種子の刹那の心相続それらは全部お釈迦様は既におっしゃっておられる無常であると無常に、預けいれ任せれば無常そのものになる諸行無常諸法無我涅槃静寂2024/09/14 21:25:362024/09/26 08:59:07325.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n130.リダン◆gEV3xsS//k>>126いや馬さんさ無常が分からんのやろ?だから何か滅した先に何かあるんやないか?と思うわけや真如、ブラフマン、は少なくとも有為法ではないやろ?単純な話有為法の線上で追い求めてもまず辿り着かないことを理解した方がいい2024/09/14 21:39:592024/09/26 09:01:37326.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nリダンに問う。>>325 ←ここでの無常の意味は?2024/09/26 09:02:52327.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nおそらくリダンは、禅宗や説一切有部の無我説に侵されている。2024/09/26 09:07:41328.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n禅宗や説一切有部の無我説とは、縁起=無我=無2024/09/26 09:08:19329.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n縁起=無我=無の境地と書いたが良いかな。2024/09/26 09:09:14330.リダン◆gEV3xsS//k1XMIg>>326リンゴをずっとリンゴと認識した線上(縁起)では分からんということよリンゴそのものになる2024/09/26 09:11:29331.リダン◆gEV3xsS//k1XMIg分からんってのは無為法がねリンゴそのものになる有為法そのものになってやっと分かる2024/09/26 09:12:22332.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n龍樹はそうではなく、縁起=析空・体空・法空・非空と説いた。2024/09/26 09:12:34333.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n>>330客観であるリンゴと主観である自分とが一如になるってことだろ。2024/09/26 09:14:00334.リダン◆gEV3xsS//k1XMIg>>333そうそう有為法そのものになれば無為法が分かる2024/09/26 09:14:41335.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n見分と相分の一如って唯識で説いてるか?2024/09/26 09:15:14336.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nわたしが知らないだけかもしれないのでどこに説かれているのか教えてくれないか?2024/09/26 09:16:04337.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n相分無しといえども見分有りというのは知っているが。2024/09/26 09:17:17338.リダン◆gEV3xsS//k1XMIg>>336唯識はただの自我からみた分類だからねこのような仕組みで虚妄分別となりますっていう2024/09/26 09:17:43339.登り棒◆0mnwMe9WsACmb6t1つわかったことがあります。今までの話を聞いていて、如来という存在です。おそらく仏教では因果から生まれる現象は全て如来が内包しているという考え方がありませんか?なので、人の気付き、種子の薫習等は全て如来の慈悲で与えられたものだという考え方です。これは当然の事でありますが私は仏教徒ではないためその現象を如来と捉えていない。でもその慈悲はわかります。人によって見え方は違うので、それは仏教に関わらず等しく現れるものです。なので仏教の教えを知らない、や修行をしていないお前が理解しているはずかないという主張はそもそも仏教の教えから外れてる事を理解しなくてはいけない。平等というものを真に理解することは難しいでしょうが。2024/09/26 09:18:58340.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nいや、リダンの考えではなく『成唯識論』のどこにそれが書かれているかと訪ねている。2024/09/26 09:19:32341.リダン◆gEV3xsS//k1XMIgどちらかっていうとお釈迦様の八正道、正念やね2024/09/26 09:19:40342.リダン◆gEV3xsS//k1XMIg>>340だから分類だから一如のことは書いてないであろう2024/09/26 09:20:12343.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n棒さん、おはよー2024/09/26 09:20:44344.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n>>339ちょっと違うかと、、、、後で詳しくお話しましょう。まずはリダンの方から2024/09/26 09:21:36345.リダン◆gEV3xsS//k1XMIgただ唯識の仕組み刹那滅と心相続を考えたさいにお釈迦様の正念とは何かってのは分かるよねってこと2024/09/26 09:21:52346.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nお釈迦様の正念とは?2024/09/26 09:22:45347.リダン◆gEV3xsS//k1XMIg正念を相続する心相続を切るってこと2024/09/26 09:24:14348.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n正念とは?2024/09/26 09:24:37349.リダン◆gEV3xsS//k1XMIg虚妄分別の大半は心相続によるものだからね2024/09/26 09:25:01350.リダン◆gEV3xsS//k1XMIg>>348心相続の逆と思えばいい2024/09/26 09:25:28351.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nでは、心相続とは?2024/09/26 09:26:11352.リダン◆gEV3xsS//k1XMIg>>351刹那前と刹那後のそれは(法有、仮有)全く別物であってそれが連続することであたかもあるようにみえる一刹那で因縁果が行われている↑これはソース忘れた2024/09/26 09:30:17353.リダン◆gEV3xsS//k1XMIg刹那前と刹那後のそれは(法有、仮有)全く別物であってそれが連続することであたかもあるようにみえる↑心相続2024/09/26 09:32:01354.リダン◆gEV3xsS//k1XMIg一刹那で因縁果が行われている↑これはソース忘れた2024/09/26 09:32:18355.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nそのこころ(末那識)で起こる相続(心相続)を切るんだよね。2024/09/26 09:32:32356.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n刹那=静止した一コマ2024/09/26 09:32:57357.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nいま、無常について話しているよね。2024/09/26 09:33:30358.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nってことは、リダンが言う無常とは無為ってことかな?2024/09/26 09:33:57359.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n無為=縁起が起きない(切り離された刹那)2024/09/26 09:34:25360.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n無常=無為?2024/09/26 09:35:51361.リダン◆gEV3xsS//k1XMIg無常は有為法だよ人為はないけどね2024/09/26 09:36:20362.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n>>360 ←がリダンの言う無常なのかな?2024/09/26 09:36:21363.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n>>361無為=縁起が起きない(切り離された刹那)↑ではない?どっち?2024/09/26 09:37:23364.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n有為法であれば縁起が起きてるってことは、無為=縁起が起きない(切り離された刹那)ってことになるのでは?2024/09/26 09:38:46365.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nリダンの主張では。2024/09/26 09:39:12366.リダン◆gEV3xsS//k1XMIgうーん見る側からしたら一コマ、一コマだが一如すりゃ己自身が一コマ一コマと言えばわかるかな2024/09/26 09:39:33367.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n<リダンの主張>無為=縁起が起きない(切り離された刹那)2024/09/26 09:39:35368.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n>一如すりゃ己自身が一コマ一コマ>と言えばわかるかな↑それを唯識的にメカニズムで説明してみてくれないかな。2024/09/26 09:40:49369.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n私的にはそんな事本当にあり得るのかと甚だ疑問に思うので。2024/09/26 09:42:18370.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n自分がスマホになるとか自分が犬になるとか2024/09/26 09:42:47371.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n自分がロウソクになるとか2024/09/26 09:42:59372.リダン◆gEV3xsS//k1XMIg>>368龍樹のほうが分かりやすい去るものは去らない唯識的にいえば外から一コマ一コマを認識してるか(正念相続、刹那滅)己が一コマ一コマが(正念そのもの、無分別)2024/09/26 09:43:18373.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nどういう事?って思っております。2024/09/26 09:43:27374.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n>唯識的にいえば>外から一コマ一コマを認識してるか↑無為=縁起が起きない(切り離された刹那)2024/09/26 09:44:55375.リダン◆gEV3xsS//k1XMIg>>373そら坐禅や瞑想せな分からんて頭だけで理解できたらお釈迦様や2024/09/26 09:45:00376.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nリダンが言う無常とは、無為=縁起が起きない(切り離された刹那)なのですか?2024/09/26 09:45:40377.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n仏教でいう無常とは縁起(有為)なのですが。2024/09/26 09:46:13378.リダン◆gEV3xsS//k1XMIg>>376無常は有為法やて無常そのものであるならある意味無為だね2024/09/26 09:46:55379.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nそら坐禅や瞑想をしたら無常とは、無為=縁起が起きない(切り離された刹那)だと気づくのでしょうか?2024/09/26 09:47:14380.リダン◆gEV3xsS//k1XMIg龍樹の去らないものは去らないで分かるやろ?2024/09/26 09:47:32381.リダン◆gEV3xsS//k1XMIg>>379無常に限りらず有為法そのものになれば無為法がわかる2024/09/26 09:48:15382.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n>>380龍樹のそれは無為=縁起が起きない(切り離された刹那)↑法空を説いているものです。2024/09/26 09:48:54383.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n>有為法そのものになれば>無為法がわかる↑この文の意味が理解できないのですが解りやすく説明してもらえますか?2024/09/26 09:50:14384.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n坐禅や瞑想をしたら無常とは、無為=縁起が起きない(切り離された刹那)だと気づくということでしょうか?2024/09/26 09:51:07385.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n仏教でいう無常とは縁起(有為)なのですが。2024/09/26 09:51:39386.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n縁起を観じ取って行くのが仏法なのですが、、、、2024/09/26 09:52:30387.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n坐禅や瞑想をしたら無常とは、無為=縁起が起きない(切り離された刹那)だと感じ取ってしまうのですね。2024/09/26 09:53:09388.リダン◆gEV3xsS//k1XMIg>>383完全に同期するってこと連続したものを認識するのでなく点になったそれを認識するのでなく外から認識するんではなくそれと一如無分別2024/09/26 09:53:34389.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nそんな坐禅や瞑想をわたしはやろうとは思いません。2024/09/26 09:53:39390.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n>>388それって縁起を観じ取れてませんよね?2024/09/26 09:54:45391.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n対象を縁起で観てはじめてそのモノの真実の姿が読み取れてきます。2024/09/26 09:55:32392.リダン◆gEV3xsS//k1XMIgんで無分別を体感すれば無為法がわかり阿頼耶識に刻まれるその状態で縁起を観じとっていけば自我に執することなく縁起を観じれるやろ2024/09/26 09:56:01393.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nそろそろ朝の二回目の勤行・唱題行をやって来ます。2024/09/26 09:56:30394.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n>>392ここで言う無為法とは?2024/09/26 09:57:48395.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n無為=縁起が起きない(切り離された刹那)↑これですよね。2024/09/26 09:59:27396.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n>その状態で縁起を観じとっていけばだれが?あなたの末那識がですよね。2024/09/26 10:00:36397.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nあなたは仏さまですか?違いますよね凡夫(無明)ですよね2024/09/26 10:01:29398.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nそれともどこでいつあなたの末那識は浄化されましたか?(クリヤー化)2024/09/26 10:02:31399.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nでは勤行をしてきます。2024/09/26 10:03:12400.リダン◆gEV3xsS//k1XMIg唯識的には末那識がクリア化されるのは離繁果によるものだ執が離れるまあ自己評価で虚妄分別の可能性はあるが俺やブラザーはもうそれ執が離れている直感知覚が自我と同時に起動しているもちろんそう妄想している可能性はある2024/09/26 10:05:00401.リダン◆gEV3xsS//k1XMIgだから何度も直感知覚や無分別を行き来する必要がある2024/09/26 10:05:53402.リダン◆gEV3xsS//k1XMIg直感知覚、正念相続時は完全に執から離れている日常に戻れば直感知覚は自我とともにある同時起動、バックグラウンドで起動2024/09/26 10:12:45403.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nリダンは馬鹿じゃないのでわたしの言っている事はちゃんと理解出来ていると思います。2024/09/26 10:44:01404.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n執着の問題だと思います。2024/09/26 10:44:26405.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n>>400 >>401 >>402 後はリダンがどう答えを出していくかリダン自身の問題ではないでしょうかね。2024/09/26 10:46:15406.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n次に >>339 の棒さんの意見について、2024/09/26 10:47:32407.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n>おそらく仏教では因果から生まれる現象は全て如来が内包しているという考え方がありませんか?日蓮さんの御書の中に仏・菩薩、一切の諸天善神等は全て法華経、即ち妙法から生まれ出たものだという意味の言葉があります。2024/09/26 10:51:49408.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n>なので、人の気付き、種子の薫習等は全て如来の慈悲で与えられたものだという考え方です。まず、如来とは意識を持った存在ではありません。2024/09/26 10:54:42409.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n仏教で言う如来とは、「真如から来た」といういみであって「真如から来た人」ではありません。2024/09/26 10:55:38410.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n「真如」とは、真如を意味しますので、無為の世界観を意味します。2024/09/26 10:57:23411.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nその無為の世界に全ての業が種子として収まっている訳です。2024/09/26 10:58:11412.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nそこには当然、過去仏の慈悲として行じられた業(善業)も含まれております。2024/09/26 10:59:35413.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nその過去仏の一念(一刹那)が因となって十二因縁(一大事の因縁)の順観の縁起が起きて(種子生現行)、仏が世に出現します。2024/09/26 11:03:18414.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n>これは当然の事でありますが私は仏教徒ではないためその現象を如来と捉えていない。でもその慈悲はわかります。>人によって見え方は違うので、それは仏教に関わらず等しく現れるものです。おっしゃる通りだと思います。2024/09/26 11:04:35415.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n>なので仏教の教えを知らない、や修行をしていないお前が理解しているはずかないという主張はそもそも仏教の教えから外れてる事を理解しなくてはいけない。それはちょっと違うかなとわたしは思います。2024/09/26 11:05:49416.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nと、言いますのは、仏の智慧は、仏さまが考えられた智慧の法門なんです。2024/09/26 11:06:58417.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nですから、それがどのような智慧の法門なのかは、仏さまのお話を聞かないことには知り得ないのです。2024/09/26 11:08:04418.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n〝智慧の法門〟というのは、棒さんが、>>414 ←ここで言われるような「その現象を如来と捉えていない。」現象などではないんです。「人によって見え方は違うので」現象ではないので見え方とかないんです。2024/09/26 11:12:10419.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n仏が智慧であみだした法門なんです。2024/09/26 11:12:42420.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nその法門を覚る事で自身の悩みや苦しみが転換されるんです。2024/09/26 11:13:40421.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n世の中には、仏教に頼らずに自力でそういった悩みや苦しみを克服なされている方っておられますよね。2024/09/26 11:14:44422.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nそれは、仏の智慧を用いてる訳ではありません。2024/09/26 11:15:19423.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nご自身の力用です。2024/09/26 11:15:42424.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n自身の力用で解決出来る問題は、それはそれで宜しいんです。2024/09/26 11:16:20425.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nしかし、世の中には自身の力ではどうしようもない事って結構ありますよね。2024/09/26 11:17:11426.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nその時に、仏の智慧を授かる訳です。2024/09/26 11:17:37427.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nでは、どうしたらその智慧を授かる事が出来るのか。それは仏教を学ばないと分からない話なんです。2024/09/26 11:18:47428.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nなぜなら、仏の智慧とは仏さまが造られたオリジナルのストーリーだからです。2024/09/26 11:19:55429.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nそのストーリーが『法華経』です。2024/09/26 11:20:18430.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n壮大な民衆救済ストーリーです。仏さまに聞かないと知り得ないお話なんです。2024/09/26 11:22:21431.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n簡単にそのストーリーの概要を紹介しますと、2024/09/26 11:22:52432.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nまず時期弟子達を蔵教の教えで禅天に転生させます。(無余涅槃)2024/09/26 11:23:50433.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nと同時に『法華経』説法の時に天上界に居た菩薩衆(普賢や弥勒)には、地上に降りて通教を展開してこいと指示します。2024/09/26 11:26:00434.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n通教で衆生の仏教理解をワンランク上げるのが通教の菩薩の役目です。その役を担ったのが龍樹です。2024/09/26 11:27:43435.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n龍樹の次に別教の菩薩として世親が降りてきます。(天上界から)2024/09/26 11:28:53436.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nそして唯識を説き、衆生の仏教理解を更にワンランクアップさせます。2024/09/26 11:29:36437.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nそして円教の菩薩である天台の智顗(←薬王菩薩の生まれ変わり)と日蓮さん(上行菩薩の再誕)がストーリーの総仕上げに取り掛かります。2024/09/26 11:31:05438.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n天上界から地上に沢山の菩薩が日蓮さんと共に顕れます。そのような地上で民衆救済活動をする菩薩を地涌の菩薩と言います。2024/09/26 11:32:48439.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n対して天上界では禅天に転生した仏弟子達が天上から人衆救済活動を行います。2024/09/26 11:34:09440.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n具体的に言うと、地上で南無妙法蓮華経のお題目を唱えるを守護し法華経の智慧を覚るように神通力を用いて導いていきます。2024/09/26 11:35:29441.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nそれが仏さまが智慧で考え出された民衆救済の壮大なストーリーです。2024/09/26 11:36:12442.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nといった感じです。棒さん、ご理解いただけましたか?2024/09/26 11:36:59443.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n要はその話(仏の話)を信じるか信じないかの話なんです。2024/09/26 11:38:11444.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nだから『大乗起信論』では信じる事が説かれているんです。2024/09/26 11:38:44445.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n信心を起こしなさいと。2024/09/26 11:39:06446.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n信心とは信じるこころです。2024/09/26 11:39:25447.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n仏さまの話を信じるこころです。2024/09/26 11:39:46448.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n現象などのお話ではありません。2024/09/26 11:40:16449.登り棒◆0mnwMe9WsAyC8xKんー若干話の意図が伝わらなかったかな、と。最初に言った如来云々は信仰の話がベースです。縁起は仏教徒に関わらず等しく存在します。例えば、私も仏教徒ではないので仏教を知るわけではないですが因果から私は生じています。仏の智慧の枠外の事ではない、ということです。仏教徒でなくても因果によって悟りを開く事はあるでしょう。その時に仏教を知らないのだからその真理である仏の智慧は当然知りませんがその真理は理解している、ということです。あ、例えに私を出しましたが私がそう、とは言ってませんよ。2024/09/26 12:13:07450.神も仏も名無しさんAjtNgほーかいくんは末法思想なのでー末法思想の有無で解釈の差がでる😀2024/09/26 12:17:29451.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n>>449なるほどーそういう事でしたか。ではそれに対してお答えします。2024/09/26 12:24:00452.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n棒さんが言われる通り縁起のお話です。仏教をしらなくてもその縁起の法理は、法理としてあります。2024/09/26 12:27:06453.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nが、しかし2024/09/26 12:27:21454.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nそこでの因果は、真理としての因果です。2024/09/26 12:28:06455.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n因を覚って果得を得るという因果です。2024/09/26 12:28:53456.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n因と果が異時に生じる因果です。2024/09/26 12:29:16457.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n仏の智慧は、その因果が同時に発動する因果です。2024/09/26 12:30:52458.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nこれは仏教をしらない人が用いる事が出来ない因果なんです。2024/09/26 12:31:39459.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nそれが昨夜話したリダンを用いた例え話です2024/09/26 12:32:24460.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n勝手にリダンを用いて申し訳ないが、、、、2024/09/26 12:32:54461.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n>>206↑こっからの話です。2024/09/26 12:34:15462.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n日蓮仏法では「一念」という言葉をよく使います。2024/09/26 12:42:00463.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n「一如」はあんまし使いません。2024/09/26 12:42:27464.登り棒◆0mnwMe9WsAh81Y4なるほど、それに関しての返答はやめておきましょう。ところで先程のリダンとのやり取りですが、リダンの体験は何を指していると思いますか?2024/09/26 12:42:57465.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n一如でしょう。2024/09/26 12:43:27466.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n自身が客体と一緒になる一如。2024/09/26 12:43:54467.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n主客一体。2024/09/26 12:44:14468.登り棒◆0mnwMe9WsAh81Y4主客一体だと何も考えられない状態だと思います?2024/09/26 12:53:31469.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n意識が有為の境地にあれば考えるでしょうし意識が無為の境地にあれば考えは起こらないと思います。2024/09/26 12:56:18470.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nと、その前に主客一体って何ですか?とわたしはお聞きしたいのですが、、、2024/09/26 13:13:15471.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n仏教で「主客一体」など説かれてますか?と。2024/09/26 13:14:05472.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nAI による概要「主客一体」とは、茶道の精神を表す言葉で、主人と客人が対等な関係で、お互いに啓発しながらその場を創造するという意味です。2024/09/26 13:14:24473.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n主客一体の精神は、次のような特徴があります。主人が一方的にもてなすのではなく、客人がただもてなしを受け入れるのではなく、お互いが共感し、同じ視点で向き合う「おもてなし」の源流は京都で千利休が確立した茶道の精神にあります京都の祇園でのおもてなしは主客一体の思想に基づいています2024/09/26 13:16:10474.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n企業内においても、主客一体の考え方は適用できます。たとえば、社長と従業員が一体となって会社や労働環境、労働時間などを創り上げるという考え方です。また、主客一体の考え方は、サービス提供者と需要者という関係を関連付ける際にも適用できます。たとえば、スーパーホテルが実施している「エコひいき活動」は、環境負荷を下げる取り組みを主客一体となって実施するものです。2024/09/26 13:17:04475.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n「主客一体」という心https://ameblo.jp/and-kei/entry-12145360191.html2024/09/26 13:18:15476.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n唯識でも「主客一体」などは説かれておりませんよ。2024/09/26 13:20:37477.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n「見分はあるが相分はない」とは説かれております。2024/09/26 13:22:28478.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n人間の客観は自身の心が造り出しているものだと2024/09/26 13:23:31479.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n例えばあなたが見ている犬はあなたのこころによって造り出された幻影(妄想)に過ぎないと。2024/09/26 13:24:56480.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nあなたが勝手にそれを「犬」という存在だと決めつけて見てますよねと。2024/09/26 13:26:31481.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n>>480 逼計所執性2024/09/26 13:27:06482.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n対象を縁起で観ましょう。(依他起性)2024/09/26 13:27:47483.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nそしたらそれがそれと成り得た真実をあなたは覚るでしょう。(円成実性)2024/09/26 13:28:51484.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nでは、嫁と買い物に出かけてきます。2024/09/26 13:29:14485.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n「爾前の経の心心は、心より万法を生ず、譬へば心は大地のごとし 草木は万法のごとしと申す、法華経はしからず 心即ち大地 大地則草木なり、爾前の経経の心は心のすむは月のごとし 心のきよきは花のごとし、法華経はしからず 月こそ心よ 花こそ心よと申す法門なり」2024/09/26 13:30:51486.登り棒◆0mnwMe9WsA7FaEGいてらー。私はそもそも有為法そのものになるというのがよくわかりません。一如であってもそれは無為でなく認識はあります。ですがブラザーは認識出来ない状態をさしている。だから一如ではない何かの話をしていると思ってます。2024/09/26 13:36:32487.登り棒◆0mnwMe9WsA7FaEGちなみにAIによる答え仏教における「主客一体」とは、主体(自分)と客体(外界)が一体となる状態を指します。これは、自己と他者、内と外の区別が消え、すべてが一つの存在として認識される境地です。この概念は、特に禅宗や中観派の教えにおいて重要視されています12。例えば、禅の修行では、瞑想や日常の行動を通じて、自己と周囲のものが一体となる体験を目指します。この状態に達すると、心の中の分離感が消え、すべてが調和した一つの存在として感じられるようになります2。この考え方は、西田幾多郎の「主客合一」とも関連しています。彼は、純粋経験の中で主体と客体が合一することを説いており、これが愛や共感の深い状態であると述べています2。何か具体的な例やさらに詳しい説明が必要でしたら、教えてくださいね2024/09/26 13:46:51488.神も仏も名無しさんvlofZ大円鏡智と平等性智の関係は主客一体と解釈し得るななぜなら大円鏡智は主体と客体の区別がなくあるがままで、平等性智は自他の区別なくそれを平等に見つめるから2024/09/26 13:58:37489.リダン◆gEV3xsS//kBULH0>>486無分別の話だよ分別、認識がない2024/09/26 14:06:31490.登り棒◆0mnwMe9WsA7FaEG>>489無分別は別に認識がないという事ではないと思うぞ。2024/09/26 14:15:40491.リダン◆gEV3xsS//kBULH0>>490認識できないと言うべきか無分別三昧ってのは認識できるやつと人としての認識できないやつがある2024/09/26 14:18:57492.リダン◆gEV3xsS//kBULH0唯識学派の連中は皆、瞑想の達人だから唯識自体は人の虚妄分別がこのように起きますを分類したものだが当然皆無分別三昧はできるわけだ2024/09/26 14:21:05493.リダン◆gEV3xsS//kBULH0確認し精査しこれだけの心所を確認分類しましたってことだから無分別、分別を自由に出来なければ分類できない2024/09/26 14:35:20494.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nリダンにお伺いします。無分別三昧って何経で説かれてますか?2024/09/26 14:39:09495.登り棒◆0mnwMe9WsAcJWSz無分別というのは確かに平等性智や大円鏡智に通じる話だと思うけどもそれらは認識出来ない状態のことか?という話。認識出来ないということは何かを止めているということ。因縁果がなければ何も生じない。認識がないのならそれらは区別がなくなるんじゃなくて区別するしないに関わらずその対象自体が存在していないから区別出来ない。そこで得られるものはない。2024/09/26 14:41:04496.リダン◆gEV3xsS//kBULH0>>494仏教で説かれてるかは知らないヨガの話だしねヨガ行唯識とお釈迦様はヨガの達人だから2024/09/26 14:43:11497.リダン◆gEV3xsS//kBULH0>>495圧倒的作用してないと言う体感が得られるそれが離繁果になる2024/09/26 14:44:14498.神も仏も名無しさんvlofZ>>495唯識は全ては心であるって仕組みだから、「識だけ」で形作られとりますなつまり、認識に「ついてだけ」の世界のシステムだだから大円鏡智もそれと一になる平等性智も「認識は生じてる」に決まってる、とならざるを得ない2024/09/26 14:49:17499.リダン◆gEV3xsS//kBULH0それが末那識に作用することで平等性智へと向かう唯識での重要な部分だと思うで2024/09/26 14:49:27500.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nサティーさんにお伺いします。サティーさんは、大円鏡智と平等性智をどのような智慧だとお考えでしょうか?2024/09/26 14:52:01501.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n宜しかったら詳しくお聞かせください。2024/09/26 14:52:41502.神も仏も名無しさんvlofZ>>500大円鏡智は純粋認識すな私に関係付けられていないあるがままの世界であり真実であり法平等性智は慈悲によって対象を捉える関係性すな執着や煩悩が滅せられているから私との関係で捉える重力から脱しており、二元論を超えて一段上の次元の慈悲と全ての世界を関連づける働きだ2024/09/26 14:57:38503.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nそれは何を根拠として導き出されたお考えでしょうか?2024/09/26 14:59:39504.登り棒◆0mnwMe9WsAi2E1i>>498認識だけで話をするならなおさら。識がないのならそれを知る事は出来ない。元に戻った時に気付くのはその前後の差異だけ。寝るのが1番わかりやすいかな?ぐったり疲れてて横になったのが夜10時。ちょっと横になって目を開けたら朝7時。その間の事は何も覚えてない。気付くのは一瞬で寝てしまい9時間の経過。疲れが取れてるとか心が落ち着いているとかはその差異で感じ取るだろうけどもその間の事は何もないよ。だからあるとしたら認識しない事によって心が働かなかったことによって戻った時に静けさは感じるかもしれない。ただ本来深い瞑想って寝ることじゃないから意識は覚醒してるのよね。2024/09/26 15:18:13505.リダン◆gEV3xsS//kBULH0>>504坐禅してる人の脳波を測ると寝落ち寸前をずっと維持してるらしいね離脱も夢か現実かを彷徨うと前兆がくるというし2024/09/26 15:27:42506.神も仏も名無しさんvlofZ>>503単語の定義だから根拠も何もなくない?唯識について書いてある何かを数冊よんだら似たような内容がかいてあるでそ2024/09/26 15:53:05507.神も仏も名無しさんvlofZ>504識がない?全部、識の世界が唯識なんだから、識がない、がそもそもあり得ないんじゃん?睡眠云々の話も、寝てる時も識は生じ続けてるでそ覚醒してる時の意識の識しか、識とはみとめん、みたいなこと言われたら、お、おぉ、と答えるしかないけどw2024/09/26 15:56:13508.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n>>506このスレは、テンプレに記載してあります通り、>>2このスレは、上記に示す人物の注釈書および論書を拠り所とした正しい法華経観にもとづいて運営されます。という趣旨で運営されます。そこで、龍樹、世親、天台、日蓮といった「人四依」と呼ばれる聖人達の仏教観で、今からわたしが大円鏡智と平等性智をご説明したいと思います。説明を聞かれてご意見などありましたら、遠慮なく述べられてください。2024/09/26 16:08:18509.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n『法華経』で開三顕一が示されている事はご存じでしょうか。仏の智慧は三乗の智慧によって開かれるという「開三顕一」です。2024/09/26 16:11:58510.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n天台智顗は、その三乗の智慧を、声聞の智恵=蔵教で説かれた真理縁覚の智恵=通教で説かれた真理菩薩の智慧=別教で説かれた真理とひも解いて、別教では唯識が覚りの真理として説かれております。2024/09/26 16:14:30511.登り棒◆0mnwMe9WsA1iOIy>>507そりゃ睡眠は例え話だからな。ブラザーはそれを無為と言ってるでしょ?だから意識がない状態を例え話として識がなかったら、という話をしてる。2024/09/26 16:15:41512.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n声聞の智恵=実体における真理(此縁性縁起)縁覚の智恵=実体を空じた真理(相依性縁起)菩薩の智慧=覚りの真理(唯識)2024/09/26 16:15:51513.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nそれを日蓮さんが『十八円満抄』の中で次のように示されております。<仏意の五重玄>諸仏の内証に五眼の体を具する 妙=仏眼:第九識は法界体性智 法=法眼:第八識は大円鏡智 蓮=慧眼:第七識は平等性智 華=天眼:第六識は妙観察智 経=肉眼:前の五識は成所作智2024/09/26 16:18:52514.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n>>102 からそこのところを詳しく解説しております。今一度ご確認下さい。2024/09/26 16:21:31515.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n>>112 から平等性智の説明をしております。2024/09/26 16:22:19516.リダン◆gEV3xsS//ktyiMV>>511違う違う随眠ではない無分別三昧ってなあ認識があるのと認識がないのがあんのよもって言えば四種類くらいあんの2024/09/26 16:23:16517.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n平等性智とは唯識で説かれている「片眼凡夫+片眼仏」といった後得智です。2024/09/26 16:23:20518.神も仏も名無しさんvlofZ>>511うん、だから唯識では「識がなかったら」があり得ないって話し識がなかったら、唯識は「仕組みとして不完全」となるだけよの2024/09/26 16:24:07519.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n末那識の自我を退治して仏と凡夫の差別がなくなった境地です。2024/09/26 16:25:03520.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nサティーさんがおっしゃる通り、意識は存在しております。2024/09/26 16:26:06521.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nクリアーになった末那識で「片眼凡夫+片眼仏」で再認識する世界です。2024/09/26 16:26:58522.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nそれが平等性智を得たクリアー末那識で認識する世界です。2024/09/26 16:28:04523.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nでは、大円鏡智はと言いますと、>>116 にも書いておりますがここはちょっと理解するのが難しい智慧なんです。2024/09/26 16:29:29524.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n>>123 で日蓮さんがそれをどのように云われているのかを紹介しております。2024/09/26 16:30:55525.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n仏の境地は、「境智の二法」だと。2024/09/26 16:32:07526.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n平等性智は、「凡夫+仏」でした。2024/09/26 16:32:35527.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n大円鏡智は、「境智の二法」なんですね。2024/09/26 16:33:00528.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n天台智顗が『維摩經玄疏』の中でこの「境智の二法」を次のように紹介しております。2024/09/26 16:34:02529.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n今明此一心三觀亦爲三意。一明所觀不思議之境。二明能觀三觀。三明證成。2024/09/26 16:34:33530.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n現代語に訳しますと「今、此の一心三観を明かすに、亦た三意と為す。一に所観の不思議の境を明かし、二に能観の三観を明かし、三に証成を明かす。」となります。2024/09/26 16:35:02531.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n一心三観は「所観の不思議の境」と「能観の三観(能観の智)」と「証成」の三つの意味があると。2024/09/26 16:35:38532.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n「所観の不思議の境」「能観の三観(能観の智)」これが「境智の二法」の意味するところなんですね。2024/09/26 16:36:42533.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n「所観の不思議の境」って何だと思います。こちらの日蓮正宗のサイトでは、https://hokkekou.com/yougo/kyouti/境智冥合とは、境と智が融合した一体の境界をいいます。境とは所観の対象であり、主観に対する客観世界をいい、智とは境を観察する能観の智慧、すなわち認識する心の作用としての主観的世界をいいます。と紹介されております。2024/09/26 16:39:06534.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nこういう説明文を参考にされた方は、なんだ境とは客観世界で、智とは主観的世界のことかと理解します。2024/09/26 16:40:40535.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n『見宝塔品第十一』でお釈迦様と多宝如来が二人並んでお座りになられている姿は、まさに「境智の二法」を顕しております。2024/09/26 16:43:56536.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n>>534 こういうふうに理解されている方々は、この釈迦と多宝の二仏並座を客観と主観とが一体となった様子と理解します。2024/09/26 16:46:06537.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nしかし、智顗は、「所観の不思議の境」「能観の三観(能観の智)」と言われております。2024/09/26 16:47:00538.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n「所観の不思議の境」とは単なる客観ではないんです。2024/09/26 16:47:29539.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n賢いサティーならもうピンと来たのではないかと思います。2024/09/26 16:48:08540.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n「不思議」の言葉の意味するところ。2024/09/26 16:48:43541.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n但なる客観ではなく、阿頼耶識を意味しております。2024/09/26 16:49:11542.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n多宝如来は阿頼耶識から飛来して来たんです。2024/09/26 16:49:41543.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nお釈迦さまが法華三昧(観無量三昧)で三観を円融されたので無色界の多宝如来が姿を顕したのです。2024/09/26 16:51:38544.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n法華三昧(観無量三昧)による円融では意識は働いております。2024/09/26 16:52:11545.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nこの図の右側の通相三観(一心三観)がそれにあたります。https://hokekyou.up-jp.com/wp-content/uploads/2021/06/image023.jpg2024/09/26 16:53:07546.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n応身如来(一仮一切仮)として顕れたのが多宝如来です。2024/09/26 16:53:52547.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nお釈迦さまの一身に応身如来と報身如来と法身如来が顕れたのが『法華経』の虚空会の世界観です。2024/09/26 16:55:20548.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n報身如来は、どのように描かれているかと言いますと、2024/09/26 16:55:56549.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n真実の十界互具がそこに描かれております。十界互具=一念三千伝教云く「一念三千即自受用身・自受用身とは尊形を出でたる仏と・出尊形仏とは無作の三身と云う事なり」云云2024/09/26 16:57:43550.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nこれについてはまた後程詳しくお話しようかと思います。2024/09/26 16:58:21551.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nで、法身如来はと言いますと、2024/09/26 16:58:49552.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n七つの宝物で飾られた宝塔として描かれております。以下『阿仏房御書』より「妙法蓮華経より外に宝塔なきなり、法華経の題目・宝塔なり宝塔又南無妙法蓮華経なり。」「今阿仏上人の一身は地水火風空の五大なり、此の五大は題目の五字なり、然れば阿仏房さながら宝塔・宝塔さながら阿仏房・此れより外の才覚無益なり、聞・信・戒・定・進・捨・慚の七宝を以てかざりたる宝塔なり、多宝如来の宝塔を供養し給うかとおもへば・さにては候はず我が身を供養し給う我が身又三身即一の本覚の如来なり、かく信じ給いて南無妙法蓮華経と唱え給へ、ここさながら宝塔の住処なり、経に云く「法華経を説くこと有らん処は我が此の宝塔其の前に涌現す」とはこれなり」2024/09/26 17:03:04553.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n法華三昧でこの三身如来が凡夫の一身に顕れることを円融三観といいます。2024/09/26 17:05:50554.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nこの円融三観は図の左側の別相三観をベースとして開かれるもので、その別相三観が三乗の智慧にあたります。2024/09/26 17:07:08555.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nそのように三乗の智慧で開かれる仏の智慧が、大円鏡智の智恵の意味です。2024/09/26 17:08:35556.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n仏教理解を深めて頂けると嬉しいです。2024/09/26 17:09:23557.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nなにかご意見がありましたらお受けいたします。2024/09/26 17:09:56558.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n解りやすく言いますと十界曼荼羅本尊を対境としてお題目を唱えますと曼荼羅を鏡として自身の阿頼耶識が映し出されるという事です。2024/09/26 17:14:16559.リダン◆gEV3xsS//ktyiMV阿頼耶識から如来と無色界が如来の居場所みたいのってなんかソースあるの?2024/09/26 17:14:38560.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n天台教学を学べばそういう理解に辿り着きます。具体的ソースを示せというのでしたらちょっと探してみましょう。2024/09/26 17:17:00561.リダン◆gEV3xsS//ktyiMVまあ仏が色界であるなら如来が無色界でも変ではないが禅天にいる住人(瞑想)はある意味、如来と同じところにいるようなもんだがそういう理解でいい?2024/09/26 17:19:39562.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n『維摩経玄疏』より三識に類通せば、一つに、破陀那識はすなわち六識。二つに、阿陀那識はすなわち七識。三つに、阿黎耶識はすなわち八識なり。真性の解脱はすなわち阿黎耶識、実慧の解脱はすなわち七識、方便の解脱はすなわち六識。(※阿陀那識=末那識、阿黎耶識=阿頼耶識の意)2024/09/26 17:19:59563.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n「真性の解脱はすなわち阿黎耶識」とあります。2024/09/26 17:20:32564.リダン◆gEV3xsS//ktyiMVそうすると後は違和感あるのは阿頼耶識から如来かなあ2024/09/26 17:20:42565.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n同じく『維摩経玄疏』より三身の法身に類通せば、一つに、法身佛。二つに、報身佛。三つに、応身佛。なり。真性の解脱は即ち是れ法身の毘盧遮那佛。性浄の法身なり。実慧の解脱は即ち是れ報身の盧遮那佛。浄満の法身なり。方便の解脱は即ち是れ応身の釈迦牟尼佛。応化の法身なり。2024/09/26 17:22:55566.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n法身の毘盧遮那佛報身の盧遮那佛応身の釈迦牟尼2024/09/26 17:23:55567.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n毘盧遮那佛と盧遮那佛を同じ仏だと勘違いしている学者が沢山おられますが、毘盧遮那佛は法身で盧遮那佛は報身です。法身=無色界報身=色界応身=欲界2024/09/26 17:25:53568.リダン◆gEV3xsS//ktyiMVああそう言えば真言で悪いが阿頼耶識対応の如来と真言があるな別におかしくはないのかありがとう納得した2024/09/26 17:26:14569.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nおおー、リダンに礼を言われた。そんなこともあるのか2024/09/26 17:27:23570.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n良い傾向だな2024/09/26 17:27:41571.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nでは、ちょっとわたしは休憩を取ります。2024/09/26 17:28:43572.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n意見交流は自由になされて下さい。2024/09/26 17:29:11573.リダン◆gEV3xsS//ktyiMVお疲れ様ー2024/09/26 17:29:26574.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nありがとなリダン2024/09/26 17:31:00575.登り棒◆0mnwMe9WsAXId1q>>518ああ、やっと言ってる意味がわかった。認識と識の違いね。2024/09/26 18:12:32576.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n>>549 >>550 についてお話します。2024/09/26 18:42:18577.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n一如(主客一体)の話も関係してきます。2024/09/26 18:43:22578.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n虚空会で報身如来が顕れます。2024/09/26 18:44:07579.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n報身如来とは自受用報身の事です。報身は如来の智慧にあたりますので一念三千の法門がこれにあたります。2024/09/26 18:45:28580.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n『法華経』の迹門では三周の説法によって三乗の因果が詳しく説き明かされております。2024/09/26 18:46:25581.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nそれにより九界が出揃います。九界互具です。2024/09/26 18:47:07582.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n凡夫が六道でそれに三乗が加わって九界です。2024/09/26 18:47:40583.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n迹門では、一応十界互具が説かれておりますがそれは理としての十界互具で仏の因果が未だに説き明かされておりません。2024/09/26 18:49:16584.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nこれを日蓮大聖人は、これを『十法界事』の中で次のように言われてます。「大乗の菩薩に於て心生の十界を談ずと雖も而も心具の十界を論ぜず」2024/09/26 18:53:41585.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nまず「心生の十界」とは、どういう事をいうのか。2024/09/26 18:54:19586.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n心から生じる十界という意味で、例えば犬が居たとします。2024/09/26 18:54:56587.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nその犬は自身の心(概念)が造り出している「犬」です。2024/09/26 18:55:36588.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n主観である見分によって顕れている「犬」なのでそれは主観(見分)であり相分(客観)は存在しません。2024/09/26 18:57:15589.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n『唯識三十頌』の28頌「通達位」の、相分も見分もない相分も見分もある見分はあるが相分はないの正義である「見分はあるが相分はない」が>>588 これにあたります。https://youtu.be/JSXeKjpuC_U2024/09/26 19:02:24590.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nこの犬は、自身のこころから生じた犬です。2024/09/26 19:03:35591.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n>>590 これ「心生の十界」です。2024/09/26 19:04:15592.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nでは「心具の十界」は、と言いますとあなたの中に犬と同じ命が備わってますよねって事です。2024/09/26 19:05:37593.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n犬って十界で言うと畜生になります。2024/09/26 19:06:10594.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n激怒した時に「こん畜生!」とか言いますよね。2024/09/26 19:06:53595.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nそういう動物と同じ畜生の命が人間にも備わっているんです。2024/09/26 19:07:35596.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nそれが「心具の十界」です。2024/09/26 19:08:01597.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n禅宗で言うムームームーで犬になりきれ!と言うのをどういう意味で最初に言われたのかわたしは知りませんが、2024/09/26 19:09:56598.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nお前が犬と同じように畜生の命になってみろ!と言う意味で言われたのであれば、「分かっただろ、お前の生命にも犬と同じ畜生の命が備わっているんだぞ」とわたしなら諭します。2024/09/26 19:12:03599.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nしかし、禅宗の方がそのような事を言っているのをわたしは見たことがありません。2024/09/26 19:13:04600.法介◆T3azX0Hk1UdYy0n虚空会でその十界互具がどのように説かれたかは、こちらの244スレから読まれてみて下さい。法介の仏教談義8https://talk.jp/boards/psy/1725337701詳しく説明しております。2024/09/26 19:16:21601.法介◆T3azX0Hk1UdYy0nでは、夜の勤行をしてきます。2024/09/26 19:17:54602.神も仏も名無しさんvlofZ>>575識は心の働きそのものだけど、認識は具体的な知覚や理解を意味して厳密にそれぞれ使い分ける、みたいなことをするとややこしくなるだけですな(^_^;)2024/09/26 19:50:49603.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE只今こちらのスレッドで、法介論法『一念三千論』第一https://talk.jp/boards/psy/1727114389ここ最近で、上書きされたわたしの仏教観をブログ的に書いております。2024/09/27 10:39:19604.法介◆T3azX0Hk1U6mIWEえ!ブログ的にって、、、、そんな使い方ってありなんですかぁー!と思われたそこのあ・な・た2024/09/27 10:40:32605.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE固定概念で脳ミソがガチガチに固まってしまってませんか?2024/09/27 10:41:27606.法介◆T3azX0Hk1U6mIWEユーザーが、〝自由な発想〟で活用出来るのがこういった掲示板の魅力の一つでもあります。2024/09/27 10:42:43607.法介◆T3azX0Hk1U6mIWEで、本日、法介論法を書き進めておりましたら、210.神も仏も名無しさん>>181証拠の仏典を提示してください2024/09/27 10:08:53という投稿が入ってきました。2024/09/27 10:45:16608.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE向こうはブログ的な活用を考えておりますので、212.法介◆T3azX0Hk1U更にご意見があるようでしたらこちら↓でお受け致します。法華の花道 乱舞一https://talk.jp/boards/psy/1727207645宜しければコテハンで清く正しく議論を交わしましょう。2024/09/27 10:18:52と返信しておきました。2024/09/27 10:47:16609.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE更なるご意見が御座いましたら、こちらで是非、お聞かせください。2024/09/27 10:48:50610.法介◆T3azX0Hk1U6mIWEわたしが >>608 のブログ、いやスレッドで以下のような事を書いた事に対してのご意見のようです。181.法介◆T3azX0Hk1U何故かと言いますと、禅宗はこの「有る無し」の二元論で仏教を語る宗派だからです、2024/09/27 04:29:232024/09/27 10:57:36611.法介◆T3azX0Hk1U6mIWEそれに対し次のようにわたしは返答させて頂きました。211.法介◆T3azX0Hk1U>>210仏典を提示するまでもなく、今日の禅宗の実態をご確認いただいた方が早いかと。https://www.youtube.com/watch?v=nNEUgdj_cuc「1:11:38」あたりを再生されてみて下さい。空を何にもない無であると講師の仏教学の先生が講義されておられます。そもそも僧侶が、学者さんから仏教を教わっていること自体あり得ない話なのですが、、、2024/09/27 10:15:552024/09/27 10:58:54612.法介◆T3azX0Hk1U6mIWEAI による概要もこちらで紹介しておきます。禅宗では、〝実体がない〟という考え方が説かれます。禅宗の教旨では、「座禅を中心にした修行によって心の本性が明らかにされて悟りが得られる」とされています。この考え方は、次のような点で表現されます。「空」の思想 般若心経では、世のあらゆるものに〝実体がない〟という考え方が唱えられています。人間界の現象や存在はすべて〝実体がなく〟、空であるとされています。「本来無一物」 六祖慧能(637―713)は「本来無一物」という言葉を残しています。これは、身体も心もそのように立派なものではない、もともと〝実体など無い〟という意味です。2024/09/27 10:59:43613.法介◆T3azX0Hk1U6mIWEまた、曹洞宗 東海管区 教化センターのHPからも、https://soto-tokai.net/cgi-bin/kotoba.cgi?page=26&bl=1引用で紹介します。これは「この世のすべてのものごとは空であり〝実体がない〟、仮に和合したものである」ということであります。そしてこの諸法空相と諸法実相とは、結局同じことを意味する言葉なのであります。2024/09/27 11:03:45614.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE 曹洞宗 曹洞禅ネット SOTOZEN-NET 公式ページhttps://www.sotozen-net.or.jp/soto/sutra上記サイトより引用この「空」の概念は、ただ単に何物もない・空っぽである、という意味ではありません。すべてのものには「固定的な〝実体はない〟」という哲学的概念を含んでいます。2024/09/27 11:06:28615.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE臨済禅 黄檗禅 公式サイト臨黄ネットhttps://rinnou.net/language/481/上記サイトより引用これを聞いた寺男の盧行者(後の六祖慧能)は「身体も心もそのように立派なものではない。もともと〝実体など無い〟(本来無一物)のだ。どうして無いものの上に塵の溜ることがあろう」と、自分の心境を吐露した2024/09/27 11:10:54616.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE曹洞宗近畿管区教化センターhttps://www.soto-kinki.net/zenwa/lecture_live.php上記サイトより引用私たちの自己というのは、ほんとうは〝実体を持たないんです〟ね。「無我(むが)」ということを申しますが、私という〝実体的存在はない〟。2024/09/27 11:13:55617.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE禅宗って、お寺によって独自に仏教を研鑽なされておられるようで、真面目に経典を読んで仏教の法理を習得され、より深き仏教観に入って行かれている禅師さんも中には居られるようです。こちらのご住職さんも「空」をちゃんとお勉強なされておられるようで、他の禅寺の空解釈よりかは、多少まともな事を述べておられます。曹洞宗西光寺さんのHPhttps://www.saikoji.net/ques/ques20.htmlが、しかし(以下、引用)ちなみに「自我」の「本質の意味の実体」は「空」です。万物の実体(本質)も自我の実体(本質)も宇宙の実体(本質)も同じであると説いているのが般若心経です。「色」は人の思ったり感じたりする五感、すなわち「概念」を指します。「空」はその「本質」、つまり「実体」を指します。(引用、終わり)「空」は、本質でも実体でもありません、、、、、「空」は〝縁起〟なんですけど、、、、2024/09/27 11:28:26618.登り棒◆0mnwMe9WsAYXEmHこんにちはー2024/09/27 11:46:01619.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE棒さん、こんにちはー2024/09/27 12:12:46620.法介◆T3azX0Hk1U6mIWEわたしがネットで今日まで知る限り禅宗で「空」を正しく理解なされておられるのは、中野禅塾さんぐらいでした。2024/09/27 12:13:05621.登り棒◆0mnwMe9WsAYXEmH少し仏教とか何かの本とかからでもなく、私の内面の体験からのお話をします。観照での気付きです。それを聞いて何かしらの影響がほーさんに生まれるかな?程度の意図です。通常心の働きも全て相互作用です。なので区別、つまりは差異で物事を捉えている。元々眼識で捉えた画像は画像でしかなく、その画像が風景だったとしても木とかの区別はなく、画像である以上の認識はありません。その画像の木の部分に焦点をあてます。ですがそれを見て木だと捉えているのではなく、その差異、つまり特徴を見ているに過ぎません。色とか、形とかそういう差異、特徴の関連するものを引っ張り続けてそれを仮に木と捉えているに過ぎない。なのでそこには時間の概念さえも何もありません。時間、連続性があるようにみえるのもその関連するものとして蓄積されたものに時間というタグを作って仮に時間の流れと言うものを捉えているのです。だから画像に写っているAさんというのも、その画像からAさんとしてるのではなく、相互作用でその特徴に一致しているものを仮にAさんと捉えているのですね。なのでそこにAさんという実体があるわけでもなく、差異からそれを捉えている。例えば青、白、赤、黄等の色だけ見せて、何のアニメのキャラクター?と質問をするとドラえもんを思い浮かべます。そこにドラえもんの画像があるわけでもないのに特徴からドラえもんを作り出しているんですね。これは眼識だけでなく他もそう。2024/09/27 12:13:10622.法介◆T3azX0Hk1U6mIWEその中野さんがご自身のサイトでhttp://nakano-zenjuku.com/?p=36このような事を述べられております。これまでほとんどの禅師や仏教学舎が「空理論」の解釈を誤って「モノという実体はない」と解釈してきたものですから2024/09/27 12:14:47623.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE>それを聞いて何かしらの影響がほーさんに生まれるかな?程度の意図です。了解しました。2024/09/27 12:18:09624.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE棒さんのそのお話は、世親の三性説の「逼計所執性」をうまい事説明なされているなーと思いました。こちらの動画はご覧になられた事は御座いますか?https://youtu.be/id5juPwyJYo2024/09/27 12:27:34625.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE三性説や唯識思想を解りやすく解説されておられます。棒さんにあっては、共感なされる内容が多いのではないかと2024/09/27 12:29:38626.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE実は、龍樹の『中論』も世親の『唯識』もどちらも「空」を説いております。2024/09/27 12:31:51627.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE龍樹の場合は、空を縁起という角度から世親は空を因縁果という角度からそれぞれ空をひも解いております。2024/09/27 12:33:10628.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE10スレで、サティーと馬ちゃん、それに棒さんまでも加わってトークを展開しているけどさー2024/09/27 12:49:12629.法介◆T3azX0Hk1U6mIWEけどさー2024/09/27 12:49:32630.法介◆T3azX0Hk1U6mIWEなんかさー、、、、2024/09/27 12:49:51631.法介◆T3azX0Hk1U6mIWEあのさー、、、、、、2024/09/27 12:50:11632.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE馬ちゃんはこれだと思う。https://youtu.be/Mxks_HiI56k2024/09/27 12:53:00633.法介◆T3azX0Hk1U6mIWEで、サティーはと言うと、2024/09/27 12:53:50634.法介◆T3azX0Hk1U6mIWEこんな感じーhttps://youtu.be/cZrleKTcZlU2024/09/27 12:56:34635.法介◆T3azX0Hk1U6mIWEで、棒ちゃん(これからは親しみを込めてちゃん呼びさせて頂きます。)はー、、、、棒ちゃんは、、、、、2024/09/27 12:58:48636.法介◆T3azX0Hk1U6mIWEこれかなーhttps://youtu.be/abdoobSe3kg2024/09/27 13:03:41637.法介◆T3azX0Hk1U6mIWEリダンを曲に例えるならリダンはー2024/09/27 13:04:37638.法介◆T3azX0Hk1U6mIWEこれ以外に思いつかんのは何故?https://youtu.be/Mw3wBCO20UE2024/09/27 13:05:57639.法介◆T3azX0Hk1U6mIWEんで、でおーはまぎれもなくこれhttps://youtu.be/M7gZPrC5za82024/09/27 13:10:36640.法介◆T3azX0Hk1U6mIWEあくびし過ぎて口が大きくなって居眠りし過ぎて目が小さくなったでおー2024/09/27 13:11:18641.法介◆T3azX0Hk1U6mIWEえ?法介はってか?法介はですねーこんな感じですhttps://youtu.be/XfUet3Qinnk2024/09/27 13:17:19642.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE暇があったら一度寄ってみて下さいって感じです。2024/09/27 13:18:10643.法介◆T3azX0Hk1U6mIWEこんな感じでもいいですシェケナ・ベイビィ~~~~!って感じhttps://youtu.be/xsEsyWA2ve82024/09/27 13:23:31644.パue5x7>>632おれも風来坊が良いな!18才で地元から東京へ3度、静岡へ1度、インドへ2回数ヶ月、行き来して、気が付くともう36才36才でようやく地元に落ち着いたからねああ、40くらいにまた東京に行ったね、でも東京の夏の暑さに、人間のすむ処じゃねー❗って思って地元に帰ったんだったwまあまあ風来坊だったわ~2024/09/27 14:05:59645.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE馬ちゃんの地元ってどこなんだろ風来坊よりもこっちやろう!https://youtu.be/6TE0kOnRVMQデスペラード(ならず者)2024/09/27 14:15:30646.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE高市と石破の一騎打ちかー2024/09/27 14:18:50647.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE高市がなっても裏で麻生が良いように操るんだろう2024/09/27 14:21:06648.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE最終演説は、石破の方が上だな。高市、なにも伝わってこん2024/09/27 14:22:35649.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE麻生の裏工作で最高票を得ただけだろ2024/09/27 14:24:04650.法介◆T3azX0Hk1U6mIWEこの二人なら石破やねー2024/09/27 14:24:55651.法介◆T3azX0Hk1U6mIWEさーどっちに転ぶ2024/09/27 14:25:19652.パue5x7>>648石破は財務省の操り人形になる可能性が高く間違いなく消費税15%にいずれなるってことをもと内閣参与の高橋洋一さんが言ってたね財務省と繋がってるのが総理になった日には、庶民の暮らしはもうあきまへ~んになるよ>645おれは新潟です2024/09/27 14:58:41653.パue5x7アメリカは親中国の総理は望まない麻生さんはアメリカとつーつーだから、石破も中国よりだから絶対に石破を望んではおらず、高市を支持するでしょうって高橋洋一さんが言うてた2024/09/27 15:03:28654.パue5x7ああ議員に石破嫌いが多いらしいそれと積極財政出動しないと日本の景気は良くならず、庶民には厳しくなる石破は消極財政派で高市が積極財政派財務省とつーつーってことは、財政けちんぼ政策で庶民の首をきゅーっと絞める2024/09/27 15:09:34655.法介◆T3azX0Hk1U6mIWEどっちに転んでも日本の未来は暗い2024/09/27 15:10:16656.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE国政はもうどうにもならない2024/09/27 15:10:55657.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE地方が力をつけていくしかないとわたしは思う。2024/09/27 15:11:34658.パue5x7宮根誠司も言ってるw暗いな~!って2024/09/27 15:11:56659.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE大阪のように2024/09/27 15:12:07660.法介◆T3azX0Hk1U6mIWEそっちのチャンネル見てるのね2024/09/27 15:12:58661.法介◆T3azX0Hk1U6mIWEわたしはNスタ2024/09/27 15:13:29662.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE福岡も力をつけないかん、、、2024/09/27 15:14:02663.法介◆T3azX0Hk1U6mIWEネットはネットで法介党がどげんかせないかん2024/09/27 15:14:49664.法介◆T3azX0Hk1U6mIWEみなさん!われわれネット住民の力で今一度今一度、、、、、洗濯に入れて2024/09/27 15:17:02665.法介◆T3azX0Hk1U6mIWEんでもってそれをトイレに流して2024/09/27 15:17:41666.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE下水道に流れて浄化槽で綺麗な水に生まれ変わって2024/09/27 15:19:03667.法介◆T3azX0Hk1U6mIWEんでそれをリダンがくんで2024/09/27 15:19:45668.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE一気に飲み干して2024/09/27 15:20:03669.法介◆T3azX0Hk1U6mIWEそこから先は幹事長の馬ちゃんに任せよう!2024/09/27 15:20:38670.パue5x7ここで、今回出馬した派が、どちらに雪崩うつのか?が決定するって言ってた2024/09/27 15:22:10671.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE石破かぁ~2024/09/27 15:23:23672.法介◆T3azX0Hk1U6mIWEまー、高市よかは面白味はある2024/09/27 15:24:32673.パue5x7祝い❗‼️消費税15%決定しました‼️財務省に屈したな~底辺庶民には地獄の日々がやってくる~2024/09/27 15:25:13674.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE筋は通ってる人やからな2024/09/27 15:25:31675.パue5x7つまらん‼️2024/09/27 15:25:42676.パue5x7阿倍さんが言うてたらしいが絶対に総理にしてはならないのが石破だそうです関係ないが逢沢ってオカマらしいね2024/09/27 15:27:45677.神も仏も名無しさんXUall立民の野田さん的にはがっかりだ高市だったら裏金議員に甘く支持されてる高市をぼこって政権取れたのに😭2024/09/27 15:28:18678.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE>>676それは石破さんがバカボンに似ているからだ2024/09/27 15:29:01679.神も仏も名無しさんXUallそれに高市だったら中国脅威論をどんどん強化していって防衛予算を倍々で増やして増税に繋げるはずだったのに、、、2024/09/27 15:29:29680.神も仏も名無しさんXUall日本のネトウヨがっかりだ🥹2024/09/27 15:29:55681.パue5x7>>674高橋洋一さんが言うてたのは3分で終わる話を30分かけて話す人らしい2024/09/27 15:29:58682.パue5x7がっかりだよ2024/09/27 15:30:36683.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE>3分で終わる話を30分かけて話す人らしいああー、それはうなずける2024/09/27 15:31:01684.神も仏も名無しさんXUallアメリカのポチで新自由主義マンセーのネトウヨからしてみたら、小さな政府を志向して社会福祉を削ってくれる高市じゃなくてガッカリすぎる2024/09/27 15:31:07685.神も仏も名無しさんXUall石破さんが総理になったから東京一極集中の是正の動きが強まるな全国知事会でそれを推進するのはなんと鳥取県知事タッグ組んで進めるだろう石丸伸二さんを民間から地方創生大臣に登用したら完璧だな?2024/09/27 15:32:33686.法介◆T3azX0Hk1U6mIWEこう言えばああ言う大臣の見解は、それはそれで宜しいかと思います。2024/09/27 15:35:15687.法介◆T3azX0Hk1U6mIWEああ言えばこう言う大臣はどこに行ったぁ~!この大事な時にー2024/09/27 15:36:14688.パue5x7疑似政権交代だって言ってるね変わらん❗何も変わらん‼️消費税15%に変わって更に20%を狙うのが財務省だそうな先進国で、食品に消費税掛けているのは日本だけらしいよ母子家庭の子供が、夏休みにお昼ごはんが食べれない国日本‼️栄養失調の人が増えている日本‼️国外へ出稼ぎに行く若者多数の日本‼️若い女性の売春出稼ぎで、若い女性ってだけで、通関手続きが厳しくなる国日本‼️素晴らしい政権自民党www2024/09/27 15:36:47689.パue5x7ここは選挙で自民に一回ノーって言うべきか?2024/09/27 15:38:42690.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE石破よ!自民党をぶっ壊せ!!2024/09/27 15:38:51691.神も仏も名無しさんXUall麻生と高市派閥、つまり極右よりの方々が分裂するシナリオありそしたら、野田立民と変わらなくなるから合流する可能性あり中道右派の新自民党の誕生だーーー\(^o^)/2024/09/27 15:46:35692.神も仏も名無しさんXUall弦は、締め過ぎても、緩め過ぎても、いい音は出ない、程よく締められてこそいい音が出る、中道右派だろ?by偉い人2024/09/27 15:48:04693.法介◆T3azX0Hk1U6mIWEわたしが石破だったら野党からも入閣させるがな2024/09/27 15:48:39694.神も仏も名無しさんXUallこれでニポンは欧米と違い、極右と極左の衆愚制の争いのシナリオから逃れた時代に捨てられた極右と極左は新しい塊になってゆくだろう2024/09/27 15:49:32695.神も仏も名無しさんXUall野田立民からすると最悪な強敵(違いがあまりない石破さん)になってしまったから、ほぼ政権交代は「諦める」になりますな2024/09/27 15:50:24696.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE野党だの与党だのチッちゃいんだよ固定概念をぶち壊せ2024/09/27 15:51:07697.神も仏も名無しさんXUall野田陣営の今後の戦略の軌道修正に注目ダーーーーそして、安倍派の裏金議員たちの離党ラッシュになるだろう彼らの受け皿(自民より右寄りの政党)はどこになるのか?2024/09/27 15:52:45698.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE法介党しかないだろ2024/09/27 16:02:36699.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE受け皿になって受けこぼす2024/09/27 16:03:21700.法介◆T3azX0Hk1U6mIWEそういう輩は国政から去ってもらう2024/09/27 16:04:17701.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE政治はまともにやっても潰される如何に相手の攻撃を巧みにかわしそのエネルギーを利用して相手におみまいするかエステマだろ2024/09/27 16:07:12702.法介◆T3azX0Hk1U6mIWEエスティマだったっけ2024/09/27 16:07:40703.パ6oqCeエスティマ?2024/09/27 18:07:51704.法介◆T3azX0Hk1U6mIWEシステマやったhttps://youtu.be/ZesWYpGSeTQ2024/09/27 19:05:38705.法介◆T3azX0Hk1U6mIWEサティーが詳しいやつ2024/09/27 19:06:00706.法介◆T3azX0Hk1U6mIWEちょっと唯識の縁起について勉強しよう。2024/09/27 19:08:57707.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE『成唯識論』では、「此れいい等流と異熟と士用と増上との果を生ずるが故に、一切種子と名づく」と説いてある。2024/09/27 19:10:33708.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE阿頼耶識の転変によって、眼識等の多くの分別が生まれるという。この分別は、「虚妄分別は三界の心王・心所有法である」とされる、その分別のことであり、あらゆる識活動と見てよいであろう。2024/09/27 19:13:55709.法介◆T3azX0Hk1U6mIWEまた、この場合の「転変」は、スティラマティの『釈』によれば、「以前の位から異なること」であるという。「更互の力」とは、同じくスティラマティの『釈』によれば、七転識と阿頼耶識の間の、いわば「種子生現行・現行熏種子」の関係をいうもののようである。2024/09/27 19:14:59710.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE実はスティラマティの『釈』では、この第十八頌に関して、そのくらいの解説しかない。2024/09/27 19:15:27711.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE第十八頌とは、『唯識三十頌』の以下の内容。(阿頼耶)識は、一切の種子を有するものである。 その転変は、相互の力から、 そのように、そのように行われる。 それによって、それぞれの分別が生じる。2024/09/27 19:16:49712.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE一方、『成唯識論』は、まずこの第十八頌について、次のように訳している。2024/09/27 19:17:17713.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE若し唯だ識のみ有りて都て外縁無しといわば、何に由りてか而も種種の分別を生ずる。頌に曰く、一切種識の、是の如く是の如く變ずるに由り、展轉する力を以ての故に、彼彼の分別生ず。2024/09/27 19:18:02714.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE この第十八頌に対して、『成唯識論』は、次のように解説する。初めに、第一・二句の解説として、一切種識に対しては、識のことではなく種子のことなのだといい、転変に対しては、「転易変熟」ということ、すなわち種子が相続の中で次の刹那には現行するような状態に熟することであり、『唯識三十頌』第一頌・第二頌に見られたような「識体転じて二分に似る」こととしての転変ではないことを示している。2024/09/27 19:19:44715.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE 続いて、第三・四句の解説として、展轉する力とは、現行した八識の相分・見分等が、なんらか相互に助け合うことであるという。こうして、種子の力と、現行の相互資助の力とによって、その八識の活動(彼彼の分別)が成立するという。したがって、外界の存在がなくとも、感覚・知覚等は十分に成立しうるというのである。2024/09/27 19:20:07716.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE 『成唯識論』においては、以下、その種子の力と、現行の相互資助の力とに関 連 し て、 四 縁のことが詳しく述べられていくのであり、それはスティラマティの『釈』のかなり簡略な解説とは大いに異なるものとなっている。※ スティラマティ=安慧のこと2024/09/27 19:22:01717.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE引用元『成唯識論』の縁起思想 竹村 牧男(※法介はあまり信用していない学者)http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/30401/rbb041-19.pdf2024/09/27 19:23:19718.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE『成唯識論』は、ここで縁起の相状について、従来のアビダルマをふまえつつ、詳細に説くのである。 なお、今の頌の一切種子に関して、『成唯識論』は「此れいい等流と異熟と士用と増上との果を生ずるが故に、一切種子と名づく」と説明していた。種子は、五果のうち、離繋果を除く四果を生むという。五果は『倶舎論』で説かれていたものであって、異熟果・等流果・離繋・士用果・増上果のことである。『成唯識論』も、それらの内容を巻八に説明している。種子は、この中の離繋果を除く四果を生むというのである。2024/09/27 19:47:18719.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE種子は、この中の離繋果を除く四果を生むというのである。種子は、この中の離繋果を除く四果を生むというのである。種子は、この中の離繋果を除く四果を生むというのである。2024/09/27 19:49:40720.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE>>719リダンに見せてあげたい文である。2024/09/27 19:50:12721.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE【離繋果】 道を修して得た汚れがない智慧(無漏智)によって煩悩を減したところに顕れるもの。倶舎はそれを択滅無為、唯識は善無為と考える。2024/09/27 19:51:14722.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE「択滅」 涅槃の別名。智慧によって煩悩を斷滅させることによって得られる寂静の状態のこと。「択」とは、鍛錬された判断力・理解力などの智慧のことで、それによって誤った状態や見解から解放されて得られる状態を「択滅」という。『倶舎論』では、三無為(asaṃskṛta)の一つとして択滅無為を挙げている。2024/09/27 19:55:14723.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE【異熟果】 六因のなかの異熟因から生じる果。2世にわたる因果関係によってもたらされる果・原因は善か悪かであるが、その結果である異熟果は無記(善でも悪でもない)である。このように因と果とが価値を異にしているから異熟果を異類熟とよぶことがある。異熟果としては、たとえば殺生をしたり盗んだりする10種の悪業によって、来世に地獄・餓鬼・畜生に生まれることがあげられる。 唯識では前世の善悪業によって生じた阿頼耶識を根源的な異熟果と考え、それを真の異熟ととらえて「真異熟」とよぶ。これに対して阿頼耶識から生じた六識の異熟果(貴賎・苦楽・賢愚・美醜など)を「異熟生」とよぶ。2024/09/27 20:00:18724.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE【等流果】 因と等しく同じ種類のものとして生じた果・たとえば善因から善果、悪因から悪果、無記(善でも悪でもない)因から無記果が生じる場合の果をいう。六因のなかの同類因あるいは遍行因によってもたらされる果のこと。2024/09/27 20:01:55725.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE【士用果】 士用とは、詳しくは士夫の作用をいい、力強い人の働きをいう。力強い人によって種々に事業が成就されることに瞼えて士用果という。 具体的には、たとえば、農業によって穀物を得る、商業によって利益を得る、など世俗の仕事の成果をいう。六因のなかの倶有因と相応因とによってもたらされる果。⇒六因2024/09/27 20:03:01726.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE【増上果】 根本原因(因縁)を助ける補助原因の一つである増上縁によってもたらされた結果をいう。すべての存在(一切法)はそれ自ら(自性)を除いた他のすべての現象的存在のための増上縁であるから、それ自ら(自性)を除いた他のすべての現象的存在である有為が増上果といわれる。 たとえば一つの米粒が生じる場合、米粒の種子が因縁でそれ以外の大地や水や温度が積極的な増上縁であるが、それ以外の存在も米粒の発生をさまたげなかったという消極的な意味での増上縁と考えられ、そのような積極的な、消極的なさまざまの縁によって生じた米粒が増上果である。 積極的な増上縁としては二十二根がある。たとえば眼識(視覚)は眼根(眼の器官)という増上縁の結果であり、身体が腐らずに存続するのは命根という力の結果であると考える。六因のなかの能作因によってもたらされる果。2024/09/27 20:04:16727.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE「四縁」 増上縁・因縁・等無間縁・所縁縁2024/09/27 20:10:52728.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE【増上縁】名号を唱えれば、罪障が消滅し、臨終のときには必ず阿弥陀仏が来迎し、往生できること。2024/09/27 20:12:38729.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE【因縁】直接原因となる縁。たとえば草花に対する種のようなものであり、結果に対して明確な原因となるものが因縁である。2024/09/27 20:13:52730.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE【等無間縁】次第縁ともいわれる。この縁は心に関するもので、現在の心が生じるための原因となる過去の心のこと。現在の心は、直前の過去の心を拠り所として生じるもので、両者は心として等しく、また現在の心は直前の過去の心と連続して生じるもので、間をあけて生じないから、等無間縁という。2024/09/27 20:14:29731.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE【所縁縁】縁縁ともいわれる。所縁とは対象のことであり、所縁縁とは、認識の対象となって心を生じさせるあらゆるものごとのこと。2024/09/27 20:15:08732.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE【増上縁】間接的な原因となる縁であり、ある一つのものは、それ以外のすべてのものの増上縁である。つまり、ある一つのものは、その他すべてのものの存在を妨げないという点で、それらが存在するための原因とみなされる。これは、要するに、無関係であることを縁として認めたもの。また増上縁の「増上」とは「広い」ことを示すものであり、このような関係は、因縁・等無間縁・所縁縁よりも広く認められるから、増上縁と呼ばれる。なお浄土教では、善導の説示によって、念仏者のうける阿弥陀仏の本願力を増上縁といい、これに五種を説く。さらに善導は阿弥陀仏の放つ光明が、念仏者のみを救いとる理由として親縁・近縁ごんえん・増上縁の三種を挙げている。2024/09/27 20:16:59733.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE 種子には、一般に名言種子と業種子とがあるとされ、それは一つのものの二つの働きとされている。名言種子は、八識の相分・見分等の直接の種子であり、善因善果・悪因悪果(すなわち等流)の法則において機能するものである。一方、業種子は、その名言種子の善性もしくは悪性が、来世の受生の場を決定していくはたらきに名づけたもので、善因楽果・悪因苦果(すなわち異熟)の法則に関与するものである。したがって、種子が、等流果及び異熟果を生むことは、理解できよう。2024/09/27 20:18:57734.法介◆T3azX0Hk1U6mIWEまた、増上果を生むとは、種子が増上縁になることもあるということだが、増上縁はきわめて広い概念であるから、それはありうることと思われる。なお、『国訳大蔵経』の註釈では、「例えば第七識の種子を倶有依となして第八現行を生ずる時、即ち増上果を得るが如き之なり」とある。2024/09/27 20:20:03735.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE 問題は、士用果である。この種子の士用果ということについては、特に作意の心所有法の種子に関連して説かれていると解されている。確かに作意の心所は、「能く心を警するをもって性と為し、所縁の境の於に心を引くをもって業と為す。謂く、此れが応に起こすべき心の種を警覚し、引きて境に趣かしむるが故に」というものなのであった。ではここで、「応に起こすべき心の種を警覚」するとは、どのように行われるのであろうか。実にこれは、作意の心所の種子が次刹那に起こすべき心法の種子に作用することだという。ここに、「作者が作具(縁)を借りて」心法を作動せしめるということがあり、すなわち士用果を生むことが確認される。2024/09/27 20:21:27736.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE ただし士用果は、『倶舎論』では、倶有因および相応因の果と考えられており、一般には空間的(同時的)因果関係における果として語られるものである。そうだとして、では種子が自らの現行に対してとは別に、同時に果を生むということはありえるのであろうか。このことについても、作意の心所の種子が、同時にある他の次刹那に起こるべき心法の種子に作用しているのであるから、そこに同時の因果関係があり、すなわち同時の士用果があると見ることができるであろう。 以上により、種子が離繋果を除く四果を生むことが理解されたであろう。2024/09/27 20:23:11737.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE「種子が自らの現行に対してとは別に、同時に果を生むということはありえるのであろうか。」「作意の心所の種子が、同時にある他の次刹那に起こるべき心法の種子に作用しているのであるから、そこに同時の因果関係があり、すなわち同時の士用果があると見ることができる」2024/09/27 20:26:21738.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE説一切有部は、六因・四縁・五果の縁起説を説いたのであった。これに対し、『成唯識論』は、四縁・五果の説を取り入れてはいるものの、六因については採用していない。むしろ十因(十五依処)を述べている。2024/09/27 20:27:26739.法介◆T3azX0Hk1U6mIWEただしこの十因とは、四縁を詳しく説いたものにすぎず、それは、『倶舎論』の六因とはかなり異なるものである。2024/09/27 20:28:18740.法介◆T3azX0Hk1U6mIWEまた、前に種子は四果を生むとあったが、唯識ではそのすべての場合に種子が因となると見ているわけではない。たとえば異熟果を生むものは『倶舎論』では異熟因であるが、唯識では業種子で、それは異熟果を生むべき名言種子に対し、その現行を引き起こす縁となるものであり、実際には因ではないとされている。2024/09/27 20:29:04741.法介◆T3azX0Hk1U6mIWEでは、唯識は因というものをどのように捉えていたのであろうか。四縁の中にも因縁があり、これがいわゆる因(直接的原因)であることは、周知のことである。そこで、四縁の中の因縁の説明から、『成唯識論』の因の見方を探ってみよう。『成唯識論』では、「所説の種と現とを縁として分別を生ずといわば、云何ぞ應に此の縁と生との相を知るべき。縁に且く四有り」とあって、その中に因縁の説明がある。次のようにある。2024/09/27 20:30:38742.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE 一には因縁。謂く、有爲法の親しく自果を辨ずるぞ。此れが體に二有り。一には種子、二には現行なり。種子とは、謂く、本識の中の、善と染と無記と、諸の界と地との等きが功能差別ぞ。能く次後の自類の功能を引き、及び同時の自類の現果を起こす。此れは唯だ彼に望めてのみ是れ因縁の性なり。現行とは、謂く、七轉識と、及び彼の相應と、所變の相・見と、性と界と地との等きぞ。仏果の善と極劣の無記とを除いて、餘は本識に熏じて自類の種を生ず。此れは唯だ彼れに望めてのみ是れ因縁の性なり。2024/09/27 20:32:01743.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE このように、因縁は、種子生現行、及び種子生種子の(前の)種子、および現行熏種子の現行のみが因縁であるという。ということは、現行の法と法の間に、因果関係を認めず、したがってそのような因はありえないと見ているということである。このことは、唯識の縁起観の中核にかかわることとして、非常に注意を要することである。今の因縁の説明の文のあと、『成唯識論』は、さらに次のように言っている。2024/09/27 20:33:24744.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE「因縁は、種子生現行、及び種子生種子の(前の)種子、および現行熏種子の現行のみが因縁であるという。」「因縁は、種子生現行、及び種子生種子の(前の)種子、および現行熏種子の現行のみが因縁であるという。」「因縁は、種子生現行、及び種子生種子の(前の)種子、および現行熏種子の現行のみが因縁であるという。」2024/09/27 20:34:46745.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE<唯識における因縁> 種子生現行 種子生種子 現行熏種子2024/09/27 20:35:49746.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE 現行の同類は、展転して相望するに皆な因縁に非ず。自種より生ずるが故に。一切の異類を展転して相望しても、亦た因縁に非ず。親しく生ぜざるが故に。有るところに異類と同類との現行を展転して相望して因縁と為すとは、応に知るべし、仮説なり。或いは随転門なり。有るところに唯だ種のみを是れ因縁の性と説けるは、彼は顕わに勝れたるに依りていう、理を尽くして説けるには非ず。聖いい転識と阿頼耶とは展転して相望して因縁と為すと説きたまえるが故に。(七・二九~三〇)2024/09/27 20:36:16747.法介◆T3azX0Hk1U6mIWEこうして、唯識では、種子と現行とは相互に因・果となることが認められるものの、現行の諸法の自類・他類間の因果関係ないし縁起は仮説のことであるとして、実際には認めないのである。このことは、種子の本有・新熏の議論の中にも論じられている。2024/09/27 20:37:55748.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE「現行の諸法の自類・他類間の因果関係ないし縁起」とは。2024/09/27 20:39:41749.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE では、種子生種子の間には、因果を認めるのであろうか。確かに次後の自類の功能に対して因縁であることを認めるのであるから、そこに因果を認めるといってよいであろう。しかしその際にも、この因果関係はどのような意味で成立するのかは、よく理解すべきであると思われる。このことと関係するのが、阿頼耶識の相続における因果の問題である。『成唯識論』は、このことについて、次のように言っている。2024/09/27 20:40:54750.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE「種子生種子の間には、因果を認める」2024/09/27 20:42:13751.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE 前の因が滅する位に後の果も即ち生ずることは、秤の兩の頭(はし)の低(うなだ)り昂(あが)る時等しきがごとし。 應に大乗の縁起の正理を信ずべし。謂く、此の正理は深妙にして言を離れたり。因・果等の言は皆な假りて施設せり。現在の法が後のを引く用有るを觀じて、假りて當果を立てて、對して現の因を説く。現在の法が前に酬る相有るを觀じて、假りに曾の因を立てて、對して現の果を説く。假というは謂く、現の識が彼に似る相を現ずるぞ。是の如く因・果は理趣顯然なり。二邊を遠離して中道に契會せり。諸の有智の者、應に順じて修學すべし。2024/09/27 20:43:16752.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE「二邊を遠離して中道に契會せり」2024/09/27 20:44:33753.法介◆T3azX0Hk1U6mIWEこのように、『成唯識論」は、現在の法に対して、過去の法や、未来の法が因・果として想定され、それからかえって現在の法が、果・因として立てられているのみであり、真に因果関係が存在しているのではないという。おそらく、種子生種子の地平においても、非連続の連続として無に帰することを媒介としているのだから、その実情はなんら変わらないのであろう。このことは、現在のみ実有であり、過去や未来は存在しないのだということの明瞭な認識において導き出されることなのだと思う。とすれば、種子生種子において因果関係をいうとしても、それもやはり仮説であるというのが、唯識の究極の立場であると思われるのである。2024/09/27 20:45:06754.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE「おそらく、種子生種子の地平においても、非連続の連続として無に帰することを媒介としているのだから、その実情はなんら変わらないのであろう。」↑いい加減な事を言ってる気がする。(※ 法介は竹村 牧男 とい学者をあまり信用していない)後日、結城令聞著書の『唯識三十頌』を図書館から借りて来て調べてみよう。2024/09/27 20:49:35755.法介◆T3azX0Hk1U6mIWEここまで竹村 牧男の論文を読んで、こいつ分かってないな、、、、分かってない奴が、さも分かったふりして仏法を語ってるな、、、、という気がしてきた。2024/09/27 20:52:47756.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE結城令聞先生の『唯識三十頌』で18頌を読んでみよう。2024/09/27 20:53:49757.法介◆T3azX0Hk1U6mIWEええええええええ!うっそぉ~~~~~~!2024/09/27 20:54:46758.法介◆T3azX0Hk1U6mIWEhttps://toshokan.city.fukuoka.lg.jp/9月30日まで図書館閉まってるやん、、、、、、2024/09/27 20:55:59759.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE清森さんの動画を見てみよう。https://youtu.be/02cZKWA64U82024/09/27 21:01:00760.法介◆T3azX0Hk1U6mIWEなるほどーリダンは絶対観るべきだな。2024/09/27 21:21:06761.法介◆T3azX0Hk1U6mIWEリダンは唯識の肝心なところをすっ飛ばしとる気がする2024/09/27 21:22:42762.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE唯識は阿弥陀信仰があっての唯識だという事をリダンは知らないんじゃないのかな2024/09/27 21:24:24763.神も仏も名無しさんtuHQr>>759なるー親鸞会がらみの唯識かー762のレスの動機がいまなっとかしたわ〜ほーかいくん〜わんばんこ〜😀2024/09/27 21:34:50764.法介◆T3azX0Hk1U6mIWEでおー、わんばんこー2024/09/27 21:44:09765.神も仏も名無しさんtuHQr>唯識は阿弥陀信仰があっての唯識だという事をはずっと謎やったー😀2024/09/27 21:45:01766.法介◆T3azX0Hk1U6mIWE世親の浄土論読んだ事ないのか?2024/09/27 21:47:52767.神も仏も名無しさんwO6zlそーいう引用で清森氏は構築したのねーなるー😀2024/09/27 22:26:25768.神も仏も名無しさんwO6zl清森氏なら、そーいう引用理論構築しほーだなるー😀2024/09/27 22:27:12769.パ24Xmc世 親 の 『浄土論』 と 『摂大乗論釈』―その三厳二十九種功徳と十八円浄の関係について 土 屋 松 栄六波羅蜜とか十地とか三学などによって成就される実践結果なのでもある。この実践結果たる法身の相が,同 時にまた奢摩他(samatha)と 毘婆舎那(vipas・yana)と い う止観の実践対象であり,換 言すれば、ま さに後得智の観ずる境界なのであつて、し かしてこの止観の実践対象とされる十八円浄の浄土には,そ の往生の実践手段としても、乗 円浄たる止観に乗じて浄土に入ることができると明示している。翻って 『浄土論』の説示内容について検討するに、そ の解義分に善男子善女人に対する往生浄土の実践として五念門(礼 拝門・讃嘆門・作願門・観察門・廻向門)の行を開顕する、2024/09/27 22:46:55770.パ24Xmcこ の作願門と観察門の二門がまさに【奢摩他】と【毘婆舎那】の≪止観≫にほかならず、従 って 『浄土論』の場合にも往生の実践手段としては摂 大乗論などと同じく【止観】が重要であると知られる。なお観察門たる毘婆舎那の対境として願生偈のなかの八十二句を対配していることは上にも記したが、残 りの十四句はまさに冒頭の 「世尊我一心 帰命尽十方 無碍光如来 願生安楽国 我依修多羅 真実功徳相 説願偈総持 与仏教相応」と、さ らには国土荘厳の十七種に続いて 「故我願生彼 阿弥陀仏国」とあるものと末尾の 「我作論説偈 願見弥陀仏普共諸衆生 往生安楽国」であり、こ れらの諸句を通じて,世 親自らどれほど深くまた熱烈に安楽浄土に願生する心を有していたか察知されようが、か かる熱烈なほどの願生浄土の立場こそ、解 義分に願偈大意を略解して 「此願偈明何義示現観彼安楽世界見阿弥陀仏願生彼国故」とある文とも符合しており、ま た作願門を解して 「云何作願心常作願一心専念畢寛往生安楽国土欲如実修行奢摩他故」とある所釈とも符節合致するであろう。しかるに、こ の 『浄土論』の所説において、安楽浄土に一心に願生する、な いし【一心に作願する】ことがか奢摩他の行】であると解釈する立場は、瑜 伽行派の立場からして理解に窮する。瑜伽行派の理解では、奢摩他はつまり毘婆舎那の如量智に対する如理智を得るものであり、【法界真如】の≪無分別智≫を【証得する実践】とされる。故にこの浄土論』に説かれた作願門なる特異な実践思想は、瑜伽行派における奢摩他の理解と異なり、そ の内容が観察門たる毘婆舎那によつて観ずるところの三厳二十九種功徳の安楽浄土をその対象として一心作願、一 心願生する実践であることに注目するとき、それはやはり〈無量寿経〉〈阿弥陀経〉などの浄土経典に説示される、まさしく願生浄土の思想を受容しながら成立した実践思想であると理解されうるであろう。2024/09/27 22:47:20771.神も仏も名無しさんwO6zlま、初期の念仏聖は南都か、叡山か三井寺系統のいずれかで歴史上、唯識と念仏が近しいのは鎌倉時代の南都😀2024/09/27 22:52:04772.神も仏も名無しさんwO6zl叡山な先行して後に高野山鎌倉時代に南都がブーム😀2024/09/27 22:53:07773.神も仏も名無しさんwO6zlインドと浄土経典との関連のイメージはあんまり濃い感じがしないなー中国の法然が好きだったー善導大師する。貞観15年(641年)、晋陽(山西省太原市)にいた道綽を訪ね師事した。そして貞観19年(645年)に道綽が没するまで、『観無量寿経』などの教えを受けた。30年余りにわたり別の寝床をもたず、洗浴の時を除き衣を脱がず、目を上げて女人を見ず、一切の名利を心に起こすことがなかったという。托鉢にすすんで行き、数多く写経をし、200枚あまり浄土変曼荼羅を描き、修行僧からの供物は「私は釈尊でないから」と受け取らず、塔や廟を見かけると修復した。道綽没後は、終南山悟真寺に戻り厳しい修行をおこなう。その後長安に出て、『阿弥陀経』(10万巻)を書写して有縁の人々に与えたり、浄土の荘厳を絵図にして教化するなど、庶民の教化に専念する。2024/09/27 23:03:11774.神も仏も名無しさんOtHff大姐口技表演https://m.douyin.com/share/video/73920839362702082912024/09/28 02:12:49775.法介◆T3azX0Hk1UnSccoおはようございます、法介です。2024/09/28 04:48:07776.法介◆T3azX0Hk1UnScco唯識についてちょっと2024/09/28 04:49:25777.法介◆T3azX0Hk1UnScco唯識では識が智慧に変わると説きます。2024/09/28 04:51:04778.法介◆T3azX0Hk1UnScco第八識は大円鏡智に第七識は平等性智に第六識は妙観察智に前の五識は成所作智に2024/09/28 04:51:46779.法介◆T3azX0Hk1UnScco識とは、「こころ」です。2024/09/28 04:52:21780.法介◆T3azX0Hk1UnScco凡夫のこころです。2024/09/28 04:52:45781.法介◆T3azX0Hk1UnSccoその凡夫のこころが智慧に変わるんです。2024/09/28 04:53:22782.法介◆T3azX0Hk1UnSccoどんな智慧にかと言いますと、前五識は声聞の智慧(成所作智)に2024/09/28 04:54:51783.法介◆T3azX0Hk1UnScco第六識は縁覚の智慧(妙観察智)に第七識は菩薩の智慧(平等性智)に第八識は仏の智慧(大円鏡智)に2024/09/28 04:56:28784.法介◆T3azX0Hk1UnScco唯識が説かれた別教では実は「仏の智慧」は未だ解き明かされてはおりません。2024/09/28 04:58:11785.法介◆T3azX0Hk1UnScco「仏の智慧」がひも解かれたのは別教の次の円教に至ってなんです。2024/09/28 04:59:05786.法介◆T3azX0Hk1UnScco円教の『法華経』ではじめて明かされた仏の智慧です。2024/09/28 04:59:56787.法介◆T3azX0Hk1UnSccoですから別教の菩薩が修徳した唯識(別教の道諦)は、菩薩の智慧である「平等性智」どまりなんです。2024/09/28 05:01:59788.法介◆T3azX0Hk1UnScco別教の前の通教ではそこでの真理は、縁覚の智慧なので「妙観察智」が通教の道諦となります。2024/09/28 05:04:19789.法介◆T3azX0Hk1UnScco初期仏教の蔵教では、声聞の智慧の「成所作智」が蔵教における道諦となります。2024/09/28 05:05:41790.法介◆T3azX0Hk1UnScco第七識が平等性智に変わるという事は、それまで自我として作用していた末那識(自我の本体)が菩薩の修行によって完全に退治(自我の退治)され末那識→平等性智(菩薩の智慧)に変わるという事です。2024/09/28 05:13:01791.法介◆T3azX0Hk1UnScco自我を完全退治(末那識の消滅)する事で後得智(片眼凡夫+片眼仏)を得ます。2024/09/28 05:14:40792.法介◆T3azX0Hk1UnSccoしかし、この後得智(菩薩の智慧)を得るには、『浄土論』で説かれている阿弥陀信仰が大前提なんです。2024/09/28 05:17:08793.法介◆T3azX0Hk1UnScco阿弥陀佛を対境として三昧を行うからその功徳として(片眼凡夫+片眼仏)の後得智が果得(功徳)として得られるのです。2024/09/28 05:19:07794.法介◆T3azX0Hk1UnSccoその果得(功徳)が得られる縁(縁起)が >>732 の「増上縁」となります。2024/09/28 05:21:56795.法介◆T3azX0Hk1UnScco仏を対境として三昧もしない者にこの(片眼凡夫+片眼仏)の後得智が顕れる事はまずもってあり得ません。2024/09/28 05:24:28796.法介◆T3azX0Hk1UnScco瞑想や坐禅で仏視点(仏の認識)を得たなどと言っている人達は、自身が勝手に造り出した妄想でも見ているのでしょう。2024/09/28 05:26:44797.法介◆T3azX0Hk1UnSccoと、いう事に仏教の道理から見るとなるのではないでしょうか。2024/09/28 05:28:28798.法介◆T3azX0Hk1UnSccoでは、わたしは法介論法スレを書き進めに行って来ます。2024/09/28 05:32:17799.法介◆T3azX0Hk1UnScco法介論法スレはブログ的に活用しておりますのでサティーさんあまり荒らさないでくださいね。2024/09/28 05:33:23800.法介◆T3azX0Hk1UnScco文章が途切れて読みにくくなるので。2024/09/28 05:34:32801.法介◆T3azX0Hk1UnScco大変、わがままな困ったジジィなんですわたしは。2024/09/28 05:35:21802.法介◆T3azX0Hk1UnScco理解して頂けると嬉しいです。2024/09/28 05:36:10803.法介◆T3azX0Hk1UnScco理解される事であなた自身の成長にもつながって行くと思います。2024/09/28 05:38:50804.法介◆T3azX0Hk1UnSccoあのでおーでさえ成長しているんですよ2024/09/28 05:40:11805.法介◆T3azX0Hk1UnSccoでおー以下になっても良いんですか2024/09/28 05:40:52806.法介◆T3azX0Hk1UnScco向こうに書き込みに行ったらでおーが、、、、、やっぱりでおーに成長は望めないようだ、、、2024/09/28 05:50:44807.法介◆T3azX0Hk1UnSccoっていうか馬ちゃんまで書き込んでいるし、、、2024/09/28 05:52:33808.法介◆T3azX0Hk1UnScco向こうはブログ的に活用してるんです!!2024/09/28 05:53:01809.法介◆T3azX0Hk1UnScco言いたい事はこちらに書いていただけると嬉しいです2024/09/28 05:54:05810.パ4JCDSそうでしたね●| ̄|_2024/09/28 09:54:31811.パ4JCDSでは『「唯識三十頌」を読む』 廣澤隆之 P285)● なお、この【転識 - 得智】は【仏位】になってから、一気に【識】が【智慧】に【転換】するのではない。【初地】の【空性体験】に依って【平等証智】と【妙観察智(後得智)】が【獲得】され、【十地において】繰り返し【無分別智】を【体験した結果】【仏位】になると【大円鏡智】と【成所作智】が【獲得される】。ーーー『「唯識三十頌」を読む』 廣澤隆之 P285~286)● 伝統教学では、このような智慧の獲得の階位について、【妙観 - 平等】【初地 - 文得】【大円 - 成事】【唯仏 - 果起】【妙観察智と平等証智】は【初地】で文得され、【大円鏡智と成所作智】は【唯仏果】でおこる、という詩文で暗記することになっている。ーーー2024/09/28 09:56:07812.パ4JCDS『唯識のこころ 「観心覚夢鈔をよむ」』 竹村牧男 P252● こうした四智は、仏果に至ってはじめて得られるのではなく、十地の【初地位】で≪無分別智≫を起こして【見道】に入るのですが、そこにおいて【第六意識】が【妙観察智】となり、それに引かれて【第七末那識】が【平等証智】になる。● それらには先に一言したように、ともに≪根本無分別智≫と≪後得智≫があります。すなわち、まず≪真如を証し≫その上で広く【世界を分析していく】のが【妙観察智】で、また【平等証智】は【自他の平等性】をさとり、その上で【諸法を平等に縁ずる】わけであります。● このように【第六意識】と【第七末那識】とは≪見道≫において、それぞれ【妙観察智】【平等証智】を開くのですが、その後の≪修道≫で更に【二阿僧祇劫】の間【十地の修行を積んで】【仏果に至って】はじめて、【前五識】が、ようやく【成所作智】となり、【阿頼耶識】が【大円鏡智】になります。ーーーーー『唯識とは何か「法相二巻抄」を読む』 横山紘一 P384●この段階を【見道】という。≪真如≫に達するからまた【通達位】ともいわれる。具体的には、四智のうち【妙観察智】と【平等証智】との二つの智が生ずる。ーーー『唯識とは何か「法相二巻抄」を読む』 横山紘一 P405)● 前述したように【四智】のうちで【大円鏡智】と【成所作智】とは、この≪仏位において≫初めて生ずる。ーーーーー2024/09/28 09:56:19813.法介◆T3azX0Hk1UnScco【廣澤隆之】(ひろさわ たかゆき、1946年 - )日本の仏教学者で、真言宗の僧侶、大正大学元副学長。大正大学教授、真言宗智山派伝法院前院長、川崎大師教学研究所専門研究員。2024/09/28 10:04:36814.法介◆T3azX0Hk1UnScco「真言宗智山派伝法院前院長」禅宗のなんちゃって仏教の学者さんよりも仏教を解っておられそうですね。2024/09/28 10:06:09815.法介◆T3azX0Hk1UnScco【仏位】という言葉をちゃんと用いられておられますね。2024/09/28 10:07:32816.法介◆T3azX0Hk1UnScco【大円鏡智】と【成所作智】とは、この≪仏位において≫初めて生ずる。2024/09/28 10:08:03817.法介◆T3azX0Hk1UnScco法介論法スレに書いてたら次のような結論に辿り着きました。290.法介◆T3azX0Hk1U一仮一切仮で顕れる応身如来と一空一切空で顕れる報身如来と一中一切中で顕れる法身如来の凡夫の一身に顕れる三身如来です。2024/09/28 10:00:302024/09/28 10:10:00818.法介◆T3azX0Hk1UnScco>>155 の内容を修正しよう。2024/09/28 10:11:56819.法介◆T3azX0Hk1UnScco 妙=仏眼:第九識は法界体性智 ---( ) 法=法眼:第八識は大円鏡智 ---( ) 蓮=慧眼:第七識は平等性智 ---(一中一切中) 華=天眼:第六識は妙観察智 ---(一空一切空) 経=肉眼:前の五識は成所作智 ---(一仮一切仮)2024/09/28 10:12:57820.法介◆T3azX0Hk1UnScco法=法眼:第八識は大円鏡智は、三身即一か。2024/09/28 10:14:02821.法介◆T3azX0Hk1UnScco第九識は法界体性智 ---( )第八識は大円鏡智 ---(三身即一)第七識は平等性智 ---(一中一切中=法身如来)第六識は妙観察智 ---(一空一切空=報身如来)前の五識は成所作智 ---(一仮一切仮=応身如来)2024/09/28 10:15:25822.法介◆T3azX0Hk1UnScco第九識は法界体性智 ---(南無妙法蓮華経)第八識は大円鏡智 ---(三身即一)第七識は平等性智 ---(一中一切中=法身如来)第六識は妙観察智 ---(一空一切空=報身如来)前の五識は成所作智 ---(一仮一切仮=応身如来)2024/09/28 10:16:03823.法介◆T3azX0Hk1UnScco此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり、是を九識心王真如の都とは申すなり『日女御前御返事』2024/09/28 10:17:26824.法介◆T3azX0Hk1UnScco>>822 これが法介論法で導き出された〝法介〟の答え。2024/09/28 10:18:58825.法介◆T3azX0Hk1UnScco現時点における現時点の〝法介〟にとっての自身の答えです。2024/09/28 10:20:05826.法介◆T3azX0Hk1UnSccoわたしが導き出した考えと答えを紹介しているだけです。2024/09/28 10:21:24827.法介◆T3azX0Hk1UnSccoこれが絶対に正しいんだー!と、でおーのように他人にゴリ押ししているのではありません。2024/09/28 10:22:43828.法介◆T3azX0Hk1UnScco納得出来るところは参考にしてくれれば良いしそうでなければ聞き流してくれれば宜しいかと思います。2024/09/28 10:24:05829.法介◆T3azX0Hk1UnSccoそういう態度がとれる人が大人じゃないのでしょうか。2024/09/28 10:24:44830.法介◆T3azX0Hk1UnSccoねぇ、サティー。そうは思わないか。2024/09/28 10:25:35831.リダン◆gEV3xsS//kKvtE9>>830ここにサティを呼ぶのはどうなん?2024/09/28 10:55:47832.リダン◆gEV3xsS//kKvtE9あっここでいいのか向こうがアカンのやな2024/09/28 10:56:30833.法介◆T3azX0Hk1UnSccoなーリダン暇だからお題を出しても良いか。2024/09/28 12:01:15834.法介◆T3azX0Hk1UnScco包丁に十界はありますか?2024/09/28 12:02:06835.法介◆T3azX0Hk1UnSccoムムムーで自身が包丁になりきればそれは悟れますか?2024/09/28 12:10:51836.法介◆T3azX0Hk1UnSccoサティーも暇だったら答えてくれていいぞー2024/09/28 12:11:39837.法介◆T3azX0Hk1UnScco棒さんだっら何と答えるか聞いてみたいなー2024/09/28 12:12:42838.法介◆T3azX0Hk1UnScco透析さんも、何か言葉が浮かんだら書いてくれたら嬉しいなー2024/09/28 12:13:45839.リダン◆gEV3xsS//kN27rR>>834包丁に十界はないんやないか2024/09/28 12:42:00840.法介◆T3azX0Hk1UnScco妙楽大師の金錍論には、「乃ち是れ一草・一木・一礫・一塵・各一仏性・各一因果あり縁了を具足す」とある。2024/09/28 12:46:14841.法介◆T3azX0Hk1UnScco草にも木にも一かけら塵(ちり)にも仏性(十界の中の仏界)はあると2024/09/28 12:47:38842.法介◆T3azX0Hk1UnSccoこれを説明出来る人!2024/09/28 12:48:05843.リダン◆gEV3xsS//kN27rR>>841ほうほう2024/09/28 12:52:31844.登り棒◆0mnwMe9WsA7PwBpこんにちはー昼休憩~今日は現場が3人も休みなので外回りじゃなくて現場入ってるので見る暇はなさそーです。>>837私は離脱経験の内容も多種多様ですよ。タコだったり猫だったり岩だったりした事もあります。人間のような思考をするわけではないんです。でもそのものになっても対して変わりはしないです。その状態が当たり前なのでそれに違和感を持つこともありません。私がよく言う発想。何が思い浮かんで何が思い浮かばないか、それだけですよ。2024/09/28 12:53:09845.法介◆T3azX0Hk1UnScco棒ちゃん、お疲れちゃん>タコだったり猫だったり岩だったりした事もあります。大変興味深いお話です。2024/09/28 12:58:15846.法介◆T3azX0Hk1UnScco日蓮さんも『観心本尊抄』でこのように言われてます。摩訶止観の第五にいわく「非情の国土にも十如是がある故に悪国土には悪国土の相・性・体・力・作・因・縁・果・報・本末究竟等があり、同じく善国土にも二乗の国土にも菩薩の国土にも仏国土にもそれぞれの十如是を具している」と。釈籤の第六にいわく「相は外面に顕われたもので物質である。性は内在する性質であり心である。また体は物の本体で色心をかね、力は外に応ずる内在性で、作は外部への活動、縁は善悪の事態を生ずる助縁であり、これらの体力作縁は皆色心の二法を兼ね、因と果は唯心、報は唯色法である」と説いている。また金錍論にいわく「一本の草、一本の木、一つの礫、一つの塵等皆悉く一個の仏性、一つの因果が具わっており縁因・了因の性を具足している。すなわち実在する物はことごとく本有常住の三因仏性を具足しており、非情の草木であっても有情と同じく色心・因果を具足していて成仏するのである」と。2024/09/28 13:00:41847.法介◆T3azX0Hk1UnScco包丁はどうやって成仏するのでしょうか。2024/09/28 13:01:28848.リダン◆gEV3xsS//kN27rR>>847依報って考えたら見る側が包丁に仏性を観ると成仏やないかね2024/09/28 13:10:24849.法介◆T3azX0Hk1UnScco参考になりそうなお話を一つ。2024/09/28 13:12:05850.登り棒◆0mnwMe9WsA7PwBp岩そのものだったとしても私は自分を岩とは思ってません。ただあるがままにその状態を受け入れているだけです。思考もありません。ただ、存在のようなものを感じる事はあります。それは私が0地点に行こうとしてどんどん脱ぎ捨てられて何も感じないはずなのに感じる意志のようなものに近いかも。それは言葉には出来ないなぁ。流石に。猫やタコならまだ行動するだけ少し説明は可能かもしれないけども。2024/09/28 13:13:35851.法介◆T3azX0Hk1UnScco紹介しますお話は、お釈迦さまがインドの祇園精舎に滞在している時に、弟子の阿難に対して語られたものです。2024/09/28 13:14:54852.法介◆T3azX0Hk1UnScco昔、インドにバーラーナシーという国がありました。その国に黄金をこよなく愛する一人の男がいました。2024/09/28 13:15:33853.法介◆T3azX0Hk1UnScco仕事があればどこへでも出かけていき、毎日せっせと働きました。男はそうして働いて得た収入で黄金を買っては、かめに収めていました。2024/09/28 13:16:00854.法介◆T3azX0Hk1UnSccoやがてかめが黄金で一杯になると、庭に穴を掘ってそれを地中に埋めておきました。男はかめに黄金を満たすことだけを楽しみにして昼夜を問わず働き、ついにそのかめも七つになりました。2024/09/28 13:16:24855.法介◆T3azX0Hk1UnSccoところが長年の無理がたたって男は病気になり、あえなく死んでしまいました。2024/09/28 13:16:46856.法介◆T3azX0Hk1UnScco黄金に執着し続けていた男は死ぬとすぐに毒ヘビに生まれ変わり、かつて埋めたかめに巻きついたのでした。2024/09/28 13:17:06857.法介◆T3azX0Hk1UnSccoやがて住む人もいなくなったその家は、すっかり朽ち果てて崩れ去ってしまいました。黄金のかめに取りついていたヘビも間もなく死んでしまいましたが、何度生まれ変わってもヘビとしてしか生まれ変わることができませんでした。2024/09/28 13:17:23858.法介◆T3azX0Hk1UnSccoこうして永い年月が流れ、ようやく毒ヘビは、自分がヘビの姿から抜け出すことができないのは黄金に執着しすぎるからだということを悟り、黄金を修行者に施そうと考えました。2024/09/28 13:17:53859.法介◆T3azX0Hk1UnScco毒ヘビは道端の草むらに身を隠して通りがかりの人を待つと、しばらくして一人の男が通りかかったので、男に声をかけました。2024/09/28 13:18:12860.法介◆T3azX0Hk1UnScco「話があるのでこっちまできてくれないか」「お前さんは見たところ毒ヘビだな。私をおびき寄せて襲うつもりだな」2024/09/28 13:18:40861.法介◆T3azX0Hk1UnSccoするとヘビは荒々しく言いました。「私がもしその気なら、 こっちに来なくてもかみ殺すぐらいわけないことだ。 さあ、言うとおりにするのだ」2024/09/28 13:19:12862.法介◆T3azX0Hk1UnScco逆らえばただではすまないという気配に、男は少しずつヘビに近づき、すぐそばまで来ると、ヘビは言葉を続けました。2024/09/28 13:19:37863.法介◆T3azX0Hk1UnScco「ここには黄金を収めたかめが埋めてある。それを私に代わって修行者に施してもらいたいのだ。嫌ならそれなりの覚悟をしてもらわねばならん」2024/09/28 13:19:49864.法介◆T3azX0Hk1UnScco男は命を奪われてはかなわないのでヘビの言うとおりにすることを約束しました。そこでヘビは男にかめを掘り出させ、言いました。2024/09/28 13:20:15865.法介◆T3azX0Hk1UnScco「この黄金で修行者たちに供養をしてもらいたい。そしてその当日、かごを持ってきて私をその場所まで運んでほしいのだ」2024/09/28 13:20:37866.法介◆T3azX0Hk1UnScco男は早速近くの修行場を訪ね願い出ました。申し出は修行者たちに受け入れられ、やがて供養の日になりました。男が約束どおりかごを持ってヘビの住処に行くと、ヘビはたいそう喜んでかごの中に入り、男はかごを抱えて修行場に向かいました。2024/09/28 13:20:58867.法介◆T3azX0Hk1UnSccoその道中、男は通りすがりの人が男をねぎらって挨拶してきたのにも関わらず、素知らぬ顔をして通り過ぎてしまいました。2024/09/28 13:21:26868.法介◆T3azX0Hk1UnSccoヘビは男の無作法に腹を立ててかみついてやろうかと考えましたが、心を静めてかごから這い出し、見知らぬ人であろうと身分の低い者であろうと等しく慈悲の心を持って接しなければならないことを男に説き聴かせ、先程の驕った態度を戒めました。諭された男は自分の行いを恥じ、二度とこのようなことはしないと誓いました。2024/09/28 13:22:10869.法介◆T3azX0Hk1UnSccoやがて修行場につき、食事が始められました。ヘビは敬いの心を持ってそれを眺めていました。2024/09/28 13:22:39870.法介◆T3azX0Hk1UnScco食事が終わってから、修行者たちはヘビのために法を説きました。ヘビはそのありがたさに感激して修行者の一人をかめの埋めてある場所へと案内し、残りの黄金をすべて施しました。2024/09/28 13:23:02871.法介◆T3azX0Hk1UnSccoこうしてヘビは、修行者に施しをした功徳で死後は天界に生まれ変わることができたといいます。2024/09/28 13:23:28872.登り棒◆0mnwMe9WsA7PwBp>>871私の体験だと過去世の記憶はかなり強い力を持ってないと現れてはこないという印象です。それなりに強い人でも夢とか一瞬フラッシュバックするように記憶にない光景とかが浮かぶ程度でしょう。その話が作り話だとしても、その蛇は前世の記憶を普通にもっているのでその執着がなくなった時に元々の素質から天界に行ったのかな?という想像はあります。2024/09/28 13:29:24873.法介◆T3azX0Hk1UnScco棒さんの話は、かなり正解に近いです。2024/09/28 13:32:11874.リダン◆gEV3xsS//kN27rRいい話やけども蛇って非情なんか?包丁の成仏はどうなんや2024/09/28 13:33:48875.法介◆T3azX0Hk1UnScco昔、日蓮正宗の本で読んだんですが、人が無くなる時生前に本人が執着していたモノを絶対にそばに置いてはいけないと。2024/09/28 13:34:24876.法介◆T3azX0Hk1UnSccoまあ、リダン待て。2024/09/28 13:34:40877.法介◆T3azX0Hk1UnScco例えば、宝石に執着して臨終を迎えると死後、その執着が因となって宝石に意識が転移する。2024/09/28 13:36:04878.法介◆T3azX0Hk1UnScco結果としてその人の意識は、宝石と共に存在するようになる。2024/09/28 13:37:11879.法介◆T3azX0Hk1UnScco髪の毛が伸びる人形とかテレビで紹介してたりするだろ。2024/09/28 13:37:53880.法介◆T3azX0Hk1UnScco無情なモノでも人の意識は乗り移る2024/09/28 13:38:47881.法介◆T3azX0Hk1UnScco例えばわたしが大事に手入れしてたトヨタのセリカという車。2024/09/28 13:39:48882.法介◆T3azX0Hk1UnSccoわたしの意識がそのセリカにはやどっている。2024/09/28 13:40:28883.法介◆T3azX0Hk1UnScco息子が通勤に車が必要になった時、そのセリカを与えてやった。2024/09/28 13:41:09884.法介◆T3azX0Hk1UnScco息子は良くわたしにこう言ってた。2024/09/28 13:41:32885.法介◆T3azX0Hk1UnScco「このセリカには、本当に色々と助けられている」と。2024/09/28 13:42:05886.リダン◆gEV3xsS//kN27rRそういや神社でも道具や人形の供養ってあるな2024/09/28 13:43:03887.法介◆T3azX0Hk1UnSccoそのセリカが走行距離20万キロを超えてそろそろ寿命が来てるかなと思ってた時、2024/09/28 13:43:26888.法介◆T3azX0Hk1UnScco電気系のトラブルで何度かバッテリーが上がってエンジンが掛からなくなって息子から私にその都度連絡が入った。2024/09/28 13:44:56889.法介◆T3azX0Hk1UnSccoいずれのケースも息子が困らない状況と場所でバッテリーは上がった。2024/09/28 13:45:49890.法介◆T3azX0Hk1UnSccoわたしは息子に言った。2024/09/28 13:46:11891.法介◆T3azX0Hk1UnScco「お前が困らないで済むように、 セリカが一生懸命頑張ってここまで走って来てくれたんだね。 セリカにありがと言っとけよ」と。2024/09/28 13:47:51892.法介◆T3azX0Hk1UnSccoまた、家ってさー2024/09/28 13:48:13893.法介◆T3azX0Hk1UnScco人が住まなくなると痛みが進むのって早いじゃん2024/09/28 13:48:43894.法介◆T3azX0Hk1UnScco人が住んでる時は家も生き生きとしている。2024/09/28 13:49:07895.法介◆T3azX0Hk1UnSccoモノと言えどもそこに人が関わるとなにかしらの変化がそのモノに起こるんじゃないかとわたしは思う。2024/09/28 13:50:06896.法介◆T3azX0Hk1UnScco阿頼耶識レベルの種子生種子ね。2024/09/28 13:50:47897.法介◆T3azX0Hk1UnScco刹那の一瞬が連続再生してモノの変化が生じる。2024/09/28 13:51:48898.法介◆T3azX0Hk1UnScco一コマ一コマは静止している。2024/09/28 13:52:22899.法介◆T3azX0Hk1UnScco静止しているが前のコマと後のコマは全く同じではない。2024/09/28 13:52:48900.法介◆T3azX0Hk1UnScco前のコマと後のコマが変化しているからそれを連続再生した時動きが生じる。2024/09/28 13:53:28901.法介◆T3azX0Hk1UnScco教科書の隅にパラパラ漫画を描いて遊ばなかったか?2024/09/28 13:54:00902.法介◆T3azX0Hk1UnScco少しずつ書いてる人物が動いているから連続再生したらそれが動いて見える。2024/09/28 13:54:44903.法介◆T3azX0Hk1UnScco石や木といえども少しずつ変化している2024/09/28 13:55:23904.法介◆T3azX0Hk1UnSccoその変化を起こすのが種子生種子だろ。2024/09/28 13:56:04905.法介◆T3azX0Hk1UnSccoそれは人間に限って起こる縁起ではない2024/09/28 13:56:32906.法介◆T3azX0Hk1UnScco石ころは石ころなりに種子生種子が起きている。2024/09/28 13:56:56907.法介◆T3azX0Hk1UnSccoその石ころの種子生種子に人間の想いが乗っかったらどうなるか。2024/09/28 13:57:32908.法介◆T3azX0Hk1UnScco包丁もそれを凶暴な人物が持てばその人物の何かが種子生種子で包丁に加わるだろう。2024/09/28 13:58:51909.法介◆T3azX0Hk1UnSccoその場合の包丁は修羅の包丁。2024/09/28 13:59:12910.法介◆T3azX0Hk1UnSccoしかし、料理で人を喜ばす料理人がそれを手にすればその料理人のこころが種子生種子でその包丁の阿頼耶識を書き換える2024/09/28 14:00:37911.法介◆T3azX0Hk1UnSccoその時の包丁は菩薩の包丁と言えよう2024/09/28 14:01:05912.法介◆T3azX0Hk1UnSccoモノと言えどもそれに関わる人の境涯によってそのモノの境涯も変化する2024/09/28 14:01:44913.法介◆T3azX0Hk1UnSccoだから包丁と言えども十界は存在しえる。2024/09/28 14:02:08914.法介◆T3azX0Hk1UnSccoそれがわたしの思うところだ。2024/09/28 14:02:27915.リダン◆gEV3xsS//kHg4bBせやね2024/09/28 14:13:45916.法介◆T3azX0Hk1UnSccoリダンは今夜は何を作る?2024/09/28 14:14:34917.法介◆T3azX0Hk1UnSccoわたしは今から買い物に行ってくる2024/09/28 14:15:26918.リダン◆gEV3xsS//kHg4bB>>917まだ決まってない茄子が食いたい2024/09/28 14:16:38919.法介◆T3azX0Hk1UnSccoなすを油で素揚げしてアラビアータの即席パスタに乗っけて食べたら美味しいぞ2024/09/28 14:19:09920.パz3o8t旨そう!2024/09/28 14:28:05921.リダン◆gEV3xsS//kMttd0>>919晩飯は決定した2024/09/28 14:43:48922.法介◆T3azX0Hk1UnSccoスレ10では、https://talk.jp/boards/psy/1725614113瞑想三兄弟が向こうの世界の話で盛り上がっているようなので、その間、こちらで先ほどの「包丁にも十界があるか?」の続きを少しお話しておきます。2024/09/28 18:12:38923.法介◆T3azX0Hk1UnSccoリダンには以前、「石は成仏しますか?」というお題を出したことがある。2024/09/28 18:13:51924.法介◆T3azX0Hk1UnScco法介の『法華経談話』https://talk.jp/boards/psy/1710074267↑のスレ 187 あたりからかな。2024/09/28 18:16:22925.法介◆T3azX0Hk1UnSccoここでわたしは、193実は無情の成仏にはもう一つの見方があります。と言っております。2024/09/28 18:18:08926.神も仏も名無しさんqUEEU>>922そんな三バカラスみたいな2024/09/28 18:19:12927.リダン◆gEV3xsS//kqUEEUこてはずれた2024/09/28 18:19:34928.法介◆T3azX0Hk1UnScco実はそれ以前に、法介の『ゆゆしき世界』パート5https://talk.jp/boards/psy/1690750165↑で最初に石が成仏する話をしております。2024/09/28 18:19:58929.リダン◆gEV3xsS//kqUEEU>>928結局これでしょ>>8482024/09/28 18:20:50930.法介◆T3azX0Hk1UnScco今回は包丁でしたが、無情の成仏についてわたしは3つのパターンをこれまでに話して来ました。2024/09/28 18:22:20931.法介◆T3azX0Hk1UnScco>>929ブブー、ハズレ!2024/09/28 18:22:51932.法介◆T3azX0Hk1UnSccoまずは、三つのパターンの違いリダンに解るか?2024/09/28 18:23:33933.リダン◆gEV3xsS//kqUEEU>>931あら2024/09/28 18:24:27934.法介◆T3azX0Hk1UnScco>>928 の「パート5」は、スレ948あたりから。2024/09/28 18:25:31935.法介◆T3azX0Hk1UnSccoパターン ①法介の『ゆゆしき世界』パート5https://talk.jp/boards/psy/1690750165スレ948あたりから。パターン ②法介の『法華経談話』https://talk.jp/boards/psy/1710074267スレ 187 あたりから。パターン ③今回の包丁の話2024/09/28 18:27:43936.法介◆T3azX0Hk1UnScco夕食を食べて来ます~2024/09/28 18:31:27937.リダン◆gEV3xsS//kqUEEU>>935いやごめん見ないわ今からゲームするNFTをゲットしてドル円3円落ちの挽回しなきゃねさすがに奴が当選するとはこのリハクの目を以てしても看破できなかったわ2024/09/28 18:41:18938.リダン◆gEV3xsS//kqUEEUまとめといて2024/09/28 18:41:41939.法介◆T3azX0Hk1UnSccoほ~いじゃあ、解りやすくまとめておくよー2024/09/28 18:52:47940.法介◆T3azX0Hk1UnSccoまずパターン ① から2024/09/28 18:56:46941.法介◆T3azX0Hk1UnScco例えば宇宙空間に漂う石は、誰からも認識されません。その場合の石は「石」でも「Stone」でもなく石そのものの存在自体が生じません。存在しているにも関わらず、誰の心にもその石の存在が認識されない為、存在自体が認められないのです。誰かが肉眼で認識して初めて「石」とも「Stone」ともなります。その石が「石」や「Stone」であることを定義づけるのが〝概念〟です。2024/09/28 18:57:03942.法介◆T3azX0Hk1UnScco その概念から抜け出た世界。それがどのような世界なのか、少し考えてみましょう。まず石は〝石〟ではなくなる訳ですが、大きな〝それ〟を手に取ると〝重い〟と感じます。しかし〝重い〟という言葉もまた概念です。その〝それ〟が足に落ちれば〝痛い〟と感じます。〝痛い〟という表現もまた概念です。言葉の概念の中で生きている人は思わず「痛い!」と叫ぶでしょう。では言葉の概念がない人は、なんと叫ぶでしょう?2024/09/28 18:57:47943.法介◆T3azX0Hk1UnScco「あー!」とか「うぅぅぅ!」といったところでしょうか。実は「南無妙法蓮華経」とは、そういった概念から抜け出た言葉なのです。あるのは、ただ一つの一念三千という真理。今一瞬の光景は三千の要素が複雑に絡み合って立ち上がった自身の心が造り出す世界観であると。それを「南無妙法蓮華経」と名付けられたのです。2024/09/28 18:59:07944.法介◆T3azX0Hk1UnScco『白米一俵御書』に、〝月こそ心、花こそ心〟という一節があります。2024/09/28 19:00:34945.法介◆T3azX0Hk1UnScco「爾前の経の心心は、心より万法を生ず、譬へば心は大地のごとし 草木は万法のごとしと申す、法華経はしからず 心即ち大地 大地則草木なり、爾前の経経の心は心のすむは月のごとし 心のきよきは花のごとし、法華経はしからず 月こそ心よ 花こそ心よと申す法門なり」2024/09/28 19:00:47946.法介◆T3azX0Hk1UnScco蔵教では、「心から万法を生ずる」といった説き方をします。2024/09/28 19:01:26947.法介◆T3azX0Hk1UnSccoここでいう万法とは、因果と縁起のことで、最初に因があってそれが縁によって最終的に結果が生じるといった時間的流れに則った法理(声聞の悟り)です。それはちょうど「大地から時間をかけて草木が茂っていく」ようなものです。2024/09/28 19:01:39948.法介◆T3azX0Hk1UnSccoしかし法華経はそうではなく、「大地が即草木であり草木が即大地である」と説きます。2024/09/28 19:02:02949.法介◆T3azX0Hk1UnSccoこれは因と果が異時ではなく同時に存在するという法華経でしか説かれていない当体蓮華の法理を端的な言葉で言い表しています。2024/09/28 19:02:22950.法介◆T3azX0Hk1UnSccoまた心を中心に説く通教では、「心が澄むのは月のようである。心が清いのは花のようである」と説きます。2024/09/28 19:02:52951.法介◆T3azX0Hk1UnSccoこれは譬えであり譬えを説くのは通教が得意とするところです。澄んだ清らかな心が示すもの、それは縁覚の悟り「色即是空」です。2024/09/28 19:03:13952.法介◆T3azX0Hk1UnScco「空即是色」です。の間違いだな。2024/09/28 19:04:21953.法介◆T3azX0Hk1UnSccoしかし、どちらの譬えも心と月、心と花といったように心と物が分別によって対比され区別されています。2024/09/28 19:04:41954.法介◆T3azX0Hk1UnSccoそれに対し無分別の法を説く法華経は、「月こそ心、花こそ心」と、月も花も自身の心そのものであると説きます。2024/09/28 19:05:13955.法介◆T3azX0Hk1UnSccoこれを「不二の法門」とも「而二不二(ににふに)」の真理ともいいます。別教の菩薩に対して説かれた真理です。2024/09/28 19:06:04956.法介◆T3azX0Hk1UnSccoここ(パターン ① )では、自身のこころから生じた石であり、自身が仏の境涯でその石を見たら、その石は仏のこころから生じた石となります。(仏と同化した石)2024/09/28 19:11:32957.法介◆T3azX0Hk1UnScco① こころから生じた石=仏と同化した石2024/09/28 19:12:38958.法介◆T3azX0Hk1UnScco次にパターン ② の場合。2024/09/28 19:13:11959.法介◆T3azX0Hk1UnScco前回、リダンには墓石屋が見たらその石は「材料」であり漬物屋が見る石は「道具」である。石で出来た仏像を拝んでる人から見たらそれは「石」ではなく、「仏」そのものでしょうという説明をしました。2024/09/28 19:15:05960.法介◆T3azX0Hk1UnSccoわたしが見る(認識する)石が前回のお話(パターン ① )でした。2024/09/28 19:16:53961.法介◆T3azX0Hk1UnSccoこれは認識論です。今回(パターン ② )は存在論のお話です。2024/09/28 19:17:28962.法介◆T3azX0Hk1UnSccoわたしの認識に関係なく石は存在(実在)しております。2024/09/28 19:17:48963.法介◆T3azX0Hk1UnSccoしかし、わたしの認識とは関係なく存在している訳ですのでその場合のその「石」は「石」ではありません。2024/09/28 19:18:04964.法介◆T3azX0Hk1UnSccoわたしの認識で「石」なのですからそのわたしの認識から離れた「石」はただの物体です。2024/09/28 19:18:20965.法介◆T3azX0Hk1UnScco「物体」というのも「石」同様に人間の概念(定義)です。2024/09/28 19:18:33966.法介◆T3azX0Hk1UnSccoでは、そのモノを何と呼ぶべきでしょう。お釈迦さまはそれを「縁起によって形成されたモノ」と見ました。2024/09/28 19:18:49967.法介◆T3azX0Hk1UnScco実在の真理として(蔵教で)説かれた、此縁性縁起(声聞の智慧)です。2024/09/28 19:19:38968.法介◆T3azX0Hk1UnScco石を「石」として見るのではなくそのモノがそのモノとなり得た縁起(因果)で観るのが仏の見解(認識)です。2024/09/28 19:20:01969.法介◆T3azX0Hk1UnSccoカップを「カップ」として見るのではなく「これは誰がどういう意図をもってこのような形に造り」「それがどうして今ここにあるのだろう」と観るのが正しいモノの見方だとお釈迦さまは言われているのです。2024/09/28 19:20:51970.法介◆T3azX0Hk1UnScco此縁性縁起とはそういう事です。2024/09/28 19:21:07971.法介◆T3azX0Hk1UnSccoそうやって対象のモノを観察しますと、次に相依性縁起が自身の心の中で起こります。2024/09/28 19:21:24972.法介◆T3azX0Hk1UnScco「この形状、、、カップに似てるが カップじゃないかも、、、、 じゃあなんだろう、、、」2024/09/28 19:21:47973.法介◆T3azX0Hk1UnScco「匂いを嗅いでみよう。 なんだこれ、、、 尿の匂いがするぞ、、、、」2024/09/28 19:22:02974.法介◆T3azX0Hk1UnScco「げげげぇ~! これ! 尿瓶じゃん!」といった具合に五蘊の「想」と「行」が起こり此縁性縁起の「色」と「受」と相まって一連の縁起が阿頼耶識に「識」として記憶されます。2024/09/28 19:22:37975.法介◆T3azX0Hk1UnSccoこのように此縁性縁起で対象を観て外縁起が起き、(色即是空)相依性縁起でそれを心の中で展開する内縁起が起こる。(空即是色)この「色即是空・空即是色」で対象を捉える事で人は事象を正しく認識し正しい判断を得る事が出来ます。2024/09/28 19:22:54976.法介◆T3azX0Hk1UnSccoでは、その此縁性縁起と相依性縁起って誰がどうやって説きましたか?2024/09/28 19:23:36977.法介◆T3azX0Hk1UnScco此縁性縁起は世親が蔵教で『倶舎論』としてひも解きました。相依性縁起は龍樹が通教で『般若経典』をひも解いて解き明かしました。2024/09/28 19:24:52978.法介◆T3azX0Hk1UnScco声聞の智慧が此縁性縁起で縁覚の智慧が相依性縁起です。2024/09/28 19:25:04979.法介◆T3azX0Hk1UnSccoこの知恵はどこに収まっているかと言えば阿頼耶識に因果として収まっております。2024/09/28 19:25:19980.法介◆T3azX0Hk1UnScco三因仏性として阿頼耶識にその因果が収まっているのです。2024/09/28 19:25:34981.法介◆T3azX0Hk1UnScco対象の「石」を此縁性縁起と相依性縁起で観るという事は、2024/09/28 19:26:27982.法介◆T3azX0Hk1UnScco即ち、自身の心の中で声聞の智慧と縁覚の智慧が働いているという事になります。2024/09/28 19:26:51983.法介◆T3azX0Hk1UnScco声聞の智慧は、阿頼耶識の縁因仏性です。縁覚の智慧は、阿頼耶識の了因仏性です。2024/09/28 19:27:55984.法介◆T3azX0Hk1UnScco石を観ることで自身の心にこの二つの仏性が顕われました。2024/09/28 19:28:14985.法介◆T3azX0Hk1UnSccoどこからその仏性は顕われましたか?2024/09/28 19:28:28986.法介◆T3azX0Hk1UnScco阿頼耶識に眠ってた仏性です。2024/09/28 19:28:38987.法介◆T3azX0Hk1UnScco今は存在しない声聞衆と縁覚衆が修行(因)によって覚り得た(果)因果の二法です。2024/09/28 19:29:03988.法介◆T3azX0Hk1UnSccoこれは日蓮さんが、「妙法とは有情の成仏なり蓮華とは非情の成仏なり、有情は生の成仏・非情は死の成仏・生死の成仏と云うが有情非情の成仏の事なり」と仰せの「非情は死の成仏」のお話です。2024/09/28 19:30:52989.法介◆T3azX0Hk1UnScco塔婆を立てて死者の供養をするのは、この「非情の成仏」の意味によるところだと日蓮さんは言われております。2024/09/28 19:31:15990.法介◆T3azX0Hk1UnScco口決に云く「草にも木にも成る仏なり」。2024/09/28 19:33:16991.神も仏も名無しさんDj6k3ほーかいくんわんばんこ〜ほーかいくんスレは平穏であるー五チャンネルキリスト教スレが一番大紛争だなーレスする意欲がないー😃2024/09/28 19:33:44992.法介◆T3azX0Hk1UnSccoでおー、わんばんこ2024/09/28 19:34:22993.法介◆T3azX0Hk1UnSccoキリスト教スレは、興味ないから見とらん鹿野園がらみか?2024/09/28 19:35:07994.神も仏も名無しさんDj6k3ほーかいくんには悪いが新たな発見があったむろんレスしない😃2024/09/28 19:35:15995.法介◆T3azX0Hk1UnSccoスレが埋まって来たな、、、2024/09/28 19:36:29996.神も仏も名無しさんDj6k3>>993鹿がらみで幸福の科学信者のバトルから新興宗教秀明会の美魔女を巻き込みま、真の魔界だなーあれは😫2024/09/28 19:36:44997.法介◆T3azX0Hk1UnScco次スレを用意するかー2024/09/28 19:36:58998.神も仏も名無しさんDj6k3雑談スレ立てよろーリダン&デンちゃんにレスする意欲がない😫2024/09/28 19:37:28999.法介◆T3azX0Hk1UnScco言い争いが絶えないなー2024/09/28 19:37:571000.法介◆T3azX0Hk1UnSccoでは、乱舞二へ2024/09/28 19:38:221001.Talk ★???このスレッドはコメントが1000件を超えました。新しいスレッドを立ててください。2024/09/28 19:38:221002.Talk ★???【プレミアムサービス無料期間延長!】プレミアムの無料期間を2025/3/31まで延長することになりました。広告除去や規制緩和など、ヘビーユーザーにとって欠かせない機能を無料でお楽しみいただけます。是非この機会にプレミアムサービスをお試しください!▼プレミアムサービスはこちらからhttps://talk.jp/premium2024/09/28 19:38:22
【コメ】新米「5キロ4000円」カルフォルニア米は「1609円」 コメ高止まりで苦渋の"外国米シフト"、農家も「全く収入が増えない」負の連鎖ニュース速報+6381046.72024/12/04 02:32:44
如何に示すテンプレの内容に沿ってこのスレは運営されます。
1.歓喜地(初地)の前にある菩薩
2.初地から五地にある菩薩
3.六地あるいは七地にある菩薩
4.八地から十地にある菩薩
1~4の菩薩とは、
1.蔵教の菩薩
2.通教の菩薩
3.別教の菩薩
4.円教の菩薩
を意味します。具体的には如何に示す人物がそれにあたります。
1.観音菩薩、弥勒菩薩、普賢菩薩、文殊菩薩
2.龍樹菩薩
3.天親菩薩(世親)
4.天台大師、妙楽大師、伝教大師、日蓮大聖人
このスレは、上記に示す人物の注釈書および論書を拠り所とした正しい法華経観にもとづいて運営されます。
自身の正しさをゴリ押しせず、
互いの意見を尊重しあいながら円満に意見交流を楽しまれてください。
スレ主は円満なるスレ運営にあたり、時として上から目線で俺様気質な威圧的発言を持って場を正す事もあります。その場合速やかにスレ主の指示に従ってください。
そのような状況が起きないで済むように、他者を思いやる心を忘れずに謙虚なこころを忘れずに清き正しきこころで意見交流を楽しまれてください。
などという攻撃的かつ挑戦的なこころを捨て、誤字脱字があったとしても読む側で変換して読むぐらいのこころの余裕と思いやりのこころを持ってご参加ください。
でおーさん、あなたに言っております。
宜しくご理解の程、お願い致します。
以下、君たちキュウリ、パパイヤマンゴだね。
https://youtu.be/BffM2bY7luo
第二量の字の事
御義口伝に云く量の字を本門に配当する事は量とは権摂の義なり、本門の心は無作三身を談ず此の無作三身とは仏の上ばかりにて之を云わず、森羅万法を自受用身の自体顕照と談ずる故に迹門にして不変真如の理円を明かす処を改めずして己が当体無作三身と沙汰するが本門事円三千の意なり、是れ即ち桜梅桃李の己己の当体を改めずして無作三身と開見すれば是れ即ち量の義なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は無作三身の本主なり云云。
無作三身と開見すれば
是れ即ち量の義なり
日蓮さんは、
その身そのままの境遇の中から得脱していくものですよー
と仰せです。
御義口伝に云く随とは事理に随順するを云うなり喜とは自他共に喜ぶ事なり、事とは五百塵点の事顕本に随順するなり理とは理顕本に随うなり所詮寿量品の内証に随順するを随とは云うなり、然るに自他共に智慧と慈悲と有るを喜とは云うなり所詮今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る時必ず無作三身の仏に成るを喜とは云うなり、然る間随とは法に約し喜とは人に約するなり、人とは五百塵点の古仏たる釈尊法とは寿量品の南無妙法蓮華経なり、是に随い喜ぶを随喜とは云うなり惣じて随とは信の異名なり云云、唯信心の事を随と云うなりされば二巻には随順此経非己智分と説かれたり云云。
必ず無作三身の仏に成るを喜とは云うなり
正直に方便を捨て但法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱うる人は煩悩・業・苦の三道・法身・般若・解脱の三徳と転じて三観・三諦・即一心に顕われ其の人の所住の処は常寂光土なり、能居所居・身土・色心・倶体倶用・無作三身の本門寿量の当体蓮華の仏とは日蓮が弟子檀那等の中の事なり是れ即ち法華の当体・自在神力の顕わす所の功能なり敢て之を疑う可からず之を疑う可からず
桜梅桃李の己己の当体を改めずして
無作三身の仏の境涯が開かれるのでしょう
https://hokekyou.up-jp.com/wp-content/uploads/2021/06/image023.jpg
一仮一切仮=応身如来
一空一切空=報身如来
一中一切中=法身如来
相・性・体の三つの相を備え持ちます。
三つの相です。(一仮一切仮)
(※ 図の左側参照)
「凡夫の相」とは、
あなたです。
即ち
『法華経』方便品の釈迦です。(※方便品読誦)
十界曼荼羅本尊です。
↓(↑応身の相・性・体)
一仮一切仮=応身如来
相・性・体を備え持ちます。
応身の「相」とは違い
報身、即ち心性を中心とした「相・性・体」となります。
「相・性・体」です。
あなたのこころです(心性)。
『法華経』寿量品の釈迦です(寿量品の読誦)。
法華経の智恵です。
↓(↑報身の相・性・体)
一空一切空=報身如来
相・性・体を備え持ちます。
「相・性・体」です。
過去遠遠劫より
業を積み重ねて来た
真実のあなたの姿です。
自受用報身の久遠実成の釈迦です。
妙法蓮華経の五文字です。
【本意の五重】
一に三観一心入寂門の機
二に一心三観入照門の機
三に住果還の一心三観
四に為果行因の一心三観
五に付法の一心三観
↓(↑法身の相・性・体)
一中一切中=法身如来
まず方便品の「十如是」の三編読みで
自身の阿頼耶識に薫習させます。
無為の法(無漏の種子)として
自身の阿頼耶識に薫習されます。
お題目を唱えるとその薫習された自身の無漏種子を因として
仏の覚りが末那識で現行します。
第六意識が縁となって凡夫に一身が次のように開花します。
妙=仏眼:第九識は法界体性智
法=法眼:第八識は大円鏡智
蓮=慧眼:第七識は平等性智
華=天眼:第六識は妙観察智
経=肉眼:前の五識は成所作智
ご自身で実際に体感するしかないでしょう。
お題目は、誰でもすぐに唱えられます。
こちらの日蓮ご真筆曼荼羅本尊をスマホかPCの画面に表示して
https://livedoor.blogimg.jp/butudou/imgs/2/b/2be3fde4.jpg
手を合わせて正座もしくは椅子に座り姿勢を正して
10程、南無妙法蓮華経のお題目を繰り返し唱えられてみて下さい。
機根が整っている方であれば、
何かしらを観じ取られていくでしょう。
日常の中で不思議な出来事が起こったりもします。(不思議解脱)
>>23 ←この図の左側の構図が三界。
凡夫の空・仮・中=欲界
仏の空・仮・中=色界
真如の空・仮・中=無色界
>>23 ←この図の左側の構図が八識。
凡夫の空・仮・中=1~6識
仏の空・仮・中=7識(末那識)
真如の空・仮・中=8識(阿頼耶識)
>>56 ←識無辺
https://hokekyou.up-jp.com/roku-go/
https://gosho-search.sokanet.jp/page.php?n=1362&k=%E5%8D%81%E5%85%AB%E5%86%86%E6%BA%80%E6%8A%84&o=a&c=10&p=1
http://blog.livedoor.jp/inae_sokagakkai/archives/cat_51957.html
現行が種子を薫じること。顕在的な現れた心(現行)が潜在的な根本心(阿頼耶識)にその影響を薫じて植えつけること。薫じつけられた結果を植物のたねに喩えて種子という。
この「現行薫種子」と「種子生種子」と「種子生現行」の3つの過程で阿頼耶識縁起が構成される。
種子が現行を生じること。潜在的な根本心(阿頼耶識)にある種子から顕在的な心(現行)が生じること。
その現行が阿頼耶識に種子を植えつけることを「現行薫種子」といい、「種子生現行」と「現行薫種子」との一連の過程が同時に起こることを「三法展転因果同時」という。この二つの過程に「種子生種子」を加えた3つの過程で阿頼耶識縁起が構成される。
種子が種子を生じること。阿頼耶識の種子が生じた次の刹那にまた自らの種子を生じつつ相続する過程をいう。
因としての前の種子と果としての後の種子とは時間的に異なって存在するから因果異時という。この過程と「種子生現行」と「現行薫種子」との三つの過程で阿頼耶識縁起が構成される。
唯識独自の縁起説。この縁起説の縁起は次の3つの過程から成り立っている。
1.種子生現行
深層的な根本心である阿頼耶識のなかの種子(可能力)が原因となって、現行(現象的存在)が結果として生じ、
2.現行薫種子
生じた現行が原因となって阿頼耶識のなかに結果としての種子を薫じ、
3.種子生種子
薫じつけられた種子は、刹那に生滅しつつ、新たな種子を生じる(そして、その種子が縁をえて、再び現行を生じ、その現行が種子を薫じ
……と因果の連鎖がつづく。
この「種子生現行」「現行薫種子」「種子生種子」という三つの過程は、すべて「識」のなかで起こる出来事であり、この絶えることがない識の因果連続の循環活動のみが存在するから、唯だ識のみが存在し、識の外には物は存在しない(唯識無境)
と唯識は主張する。
阿頼耶識の種子(因)ーー→末那識(縁)--→現行(果)
【現行菫種子】--- ②
現行(因)ーー→末那識(縁)--→阿頼耶識の種子(果)
【種子生種子】①→②
ずっと覗いていますよ
https://livedoor.blogimg.jp/butudou/imgs/5/b/5b66d48d.jpg
了解
流転門=流転の縁起
還滅門=還滅の縁起
そして、
「十界互具百界千如の一念三千を鬼子母神十羅刹女と云うなり」
悟りの中諦の真如として顕れる姿は、
鬼子母神十羅刹女であるとの御指南です。
還滅門=還滅の縁起 --- (仏の認識)
還滅門=空即是色(相依性縁起)
です。
還滅門=無漏の縁起
でもあります。
此縁性縁起にも無漏の縁起はあります。
>>66 の【種子生現行】--- ① が起こります。(此縁性縁起)
無明(迷い)を因として起こる縁起なので
結果として起こる現行は妄想(有漏)です。
自身の阿頼耶識に
覚りの因(無漏の種子)が備わってるとしましょう。
阿頼耶識の覚りの因を末那識が縁として、
>>66 の【種子生現行】--- ① が起こります。(此縁性縁起)
この場合の此縁性縁起は、無漏の縁起となります。
相依性縁起にも、有漏と無漏の両方のケースが起こります。
仏と仏にしか伝わらないと
お釈迦さまが言われたぐらいですから。
1-3.人の見え方
https://hokekyou.up-jp.com/hitonomiekata/
こちら↑の例え話を読まれてみて下さい。
↑の続きのこちら↓も参考になるかと、
1-4.人の心
https://hokekyou.up-jp.com/hitonokokoro/
ほーさんは今のここの状況から書き込んでおられる。
まぁだからこそ順番に進んで行きたいのに脱線してしまうわけですが…
伝えたいという気持ちが伝わってきますね。伝わるかどうかがまた別問題なのが悲しい所です。
>>66 が大事になってきます。
とはいえ、前五識の浄化と言っても前五識自体が汚れているというよりもそれを受け取る末那識が汚すと考えてます。
だから正確には前五識と末那識の関係性を浄化する、そして意識と末那識の関係性を浄化する、そして末那識を浄化する。
そして最後に阿頼耶識が浄化されると考えます。
その辺はほーさん的にはどうでしょうか?
それについて、
まず、
『十八円満抄』の以下の内容を説明しましょう。
妙=仏眼:第九識は法界体性智
法=法眼:第八識は大円鏡智
蓮=慧眼:第七識は平等性智
華=天眼:第六識は妙観察智
経=肉眼:前の五識は成所作智
作すべきことを成就する智慧
という意味です。
成所作智=声聞の智恵(此縁性縁起)
【種子生現行】--- ①
阿頼耶識の種子(因)ーー→末那識(縁)--→現行(果)
が起き、眼識・耳識・鼻識・舌識・身識を転識させます。
今までは「悪い人」と見えてた(眼識)のが、
「そんなに悪い人なのな?」という観え方に変わります。
心(意識)の変化で起こる縁起、相依性縁起です。
妙観察智=縁覚の智恵(相依性縁起)
【現行菫種子】--- ②
現行(因)ーー→末那識(縁)--→阿頼耶識の種子(果)
逆観で、現行が阿頼耶識の種子に影響を与えます。
これは別教で菩薩に対して説かれた菩薩の智慧です。
凡夫と仏が不二門(而二不二)で一如となります。
ここはちょっと理解するのが難しいです。
馬ちゃんがさっぱり解らんという
この図の右側の<通相三観>の一心三観だからです。
https://hokekyou.up-jp.com/wp-content/uploads/2021/06/image023.jpg
「自らの体を照らし顕す」という意味で、
「境」に照らされて自らの体が智慧として顕われることをいいます。
境智冥合などとも言います。
この大円鏡智は、円教の円融三観(一心三観)になります。
三乗の智慧を以て開かれる(開三顕一)と
説かれております。
https://hokekyou.up-jp.com/wp-content/uploads/2021/06/image023.jpg
「凡夫の空・仮・中」=声聞の智恵(蔵教)
「仏の空・仮・中」=縁覚の智恵(通教)
「覚りの空・仮・中」=菩薩の智恵(別教)
水が田んぼの淵を流れていくように
曼荼羅の仏菩薩の淵を自身の生命がたどって流れていくように
真実の自身の姿が顕れます。
自我による自己の認識ではなく
過去遠遠劫より業を刻んで来た因果で観る自身の姿です。
三乗の智慧が必要不可欠なのです。
それはこの図を見て頂ければ解るかと思います。
https://hokekyou.up-jp.com/wp-content/uploads/2021/06/image023.jpg
それを開く〝善知識の縁〟がないと
開かない仏の智慧です。
即ち、「真如の空・仮・中」です。
法=法眼:第八識は大円鏡智
蓮=慧眼:第七識は平等性智
華=天眼:第六識は妙観察智
経=肉眼:前の五識は成所作智
日蓮さんは、このように言われております。
この御文は、「一空一切空」を言われております。
他の二諦も同じように
一仮一切仮、一中一切中
となって図の右側の通相三観(一心三観)の事をいわれております。
一仮一切仮=応身如来
一空一切空=報身如来
一中一切中=法身如来
この三身が南無妙法蓮華経で凡夫の一身に顕れて
三身即一の当体蓮華の本仏(真実の仏)となります。
棒さんは、機根が整っておられるから。
仏教では本質は説きません。
すべて因果と縁起で観ていきますので。
三乗の智慧=十如是
です。
法界体性智=因果具時(無為)
法=法眼:第八識は大円鏡智 ---(一仮一切仮)
蓮=慧眼:第七識は平等性智 ---(一空一切空)
華=天眼:第六識は妙観察智 ---(絶待妙)
経=肉眼:前の五識は成所作智 ---(相待妙)
といった感じではないかと。
は、後得智(片眼凡夫+片眼仏)
は、現実の中(現実の自身の日常)に顕れる覚り
は、時間軸を超越した覚り(未来に対する予知の覚り)
>>157 方便解脱
>>158 真性解脱
>>156 実慧解脱で過去の因果を覚り
>>158 真性解脱で未来の因果を覚ります。
まぁ言葉にして区別するとこうなるけども、全ては関連している事で同じであり同じでない。
区別せずにありのままでいいんですね。
やはり無常を真に理解する人などはほとんどいないと言うことがわかりました。言葉での理解の範疇を超えるというのは中々に難しいのでしょう。
心地観経に曰く「過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」等云云
と言われております。
現在・過去・未来を
直感的に観じとるという事になります。
一念三千の法門です。
自身が体感(体験)するしかありません。
鼻が高いやで
サティーの方が
よー分っとる
お疲れ様です✨
だんだん
鹿野園化が進んどるぞ
ほんとに〜
法介さんのほうが理解上と
判断したで俺は
飲んだほうがええわあいつ
↑の内容(棒さんに話してた内容)を
唯識でひも解いて書いてみる。
我がどんどん
強くなってきてるぞ
まあそれは否定しないw
自覚はあるか
今日はサティーとやり合って
疲れただろ
早よ休め
はーい
『維摩経玄疏』より
十二因縁で言えば過去・現在の三枝は、これ煩悩道。過去・現在の二枝は、これ業道。現在・未来の七枝は、これ苦道なり。いま十二因縁に三道を明かして三種の解脱を弁じ、思議・不思議の不同を分別せん。
もしは通教には、苦道は即ち是れ真性と説くといえども、すなわちこれ偏真の法性の理、煩悩即空と説くも、空は実慧にあらず。業道即空と明かすといえども、空は方便にあらず。ゆえに三種は不思議の解脱にあらざるなり。
<凡夫の世界観> ---(方便の解脱)
仮=「色即是空」順観の因縁
空=「空即是色」逆観の因縁
中=「色即是空 空即是色」
『維摩経玄疏』より
もしは別教には、苦道は即ち是真性のの大涅槃にあらずと説きて、而も真性の涅槃の理あり。もしは生死の苦道は滅して、まさに真性を顕し、常住の涅槃を得て、煩悩道は即ち是れ実慧にあらざるを明かす。煩悩を断じて尽くさば、実慧はまさに円かに、業道は即ち是れ方便にあらざるを明かす。業を断じて別に方便を起こして物を化す。これすなわち十二因縁に三道は滅し、三種の解脱を得。真常の三種の解脱を弁ずといえども、なおこれ思議の相なり。
問うていわく。摂大乗論師(無著)は、〝七識はこれ執見の心〟と説く。なんぞこれ実慧の解脱というを得んや。
答えていわく。迷を転じて解を成ず。もしは迷執を離れて、いずこにか別して実慧の解あらん。ゆえに知る、七識は非迷非解、迷解を説くを得る解のゆえに、即ち是れ実慧の解脱なり。
新スレ建ててレスするのも
大変やなー
俺もデンちゃん、リダン、サティに飽きた〜
ま、仕事日のせいもあるけどなー
ほーかいくん
わんばんこ〜
😀
ハジ公のせいで
晃と糖質丸出しのスピ系統に
占拠状態だー
😭
さすがの
ほーかいくんも飽きてくるやろなー
😞
ってことは、ずれてるなー
>>155 ←再考察が必要だな
晃が久々に書き込んでるな
そう、こう言う図式が解り良いです
法介さんはかなり勉強されて消化されていますね、感心しますわ、マジで
マナ識を66のように、正しい教えを薫習して、転識して平等性に転換されると
客観的に見て、他者の身勝手な言動に対し、何故?そのような言動をするのか?という
因果の流れが解ってしまうという智恵がわきます、そうすると、Aさんの人の立場でなら、ああいう言動が出ても分かる!
このようになります、また別なBさがAさんに対立して独自な言動をしたとしても、やはりBさんの言い分の因果が分かるので、Bさんの立場ならそれもあると、解ってきます
ABさんは意見が対立してるのに、その両方の言い分が分かっていると、片方の言い分だけをを支持することが不可能になります
なので、両方を支持も出来ず、良しとも悪いとも出来ません
別々に話し合って分かってやることだけが可能であって、その意味で平等に分かってあげることになります
世間では八方美人とか言われますけど、これまたしょうがないことです
10人いたら10人の言い分があって、どの人の心をも害わず尊重してさしあげたい!という心
それが平等性の心なのだろうと思います
そんな感じでしょうね。
真理というのは、馬ちゃんが書いているように
それが実生活にどう生かされていくかが大事だと思います。
我法二執の根本である。
八識はみな思量の作用があるが、末那識は特に恒(間断なく常に作用する)と審(明瞭に思惟する)との二義を兼ね有して他の七識に勝っているから末那(意)という。
思量とは「恒審思量」といわれ、恒に睡眠中でも深層において働き続け、審(つまび)らかに根源的な心である阿頼耶識を対象として、それを自分であると考えて執着し続ける。
この深層的な自我心を滅することによって、我々は初めて真の無我行を実践することができる。
●第七識・末那識と相応するものは、我癡・我見・我慢・我愛の四煩悩、
●作意・触・受・想・思の五遍行別境の慧、
●大随惑の八(不信・懈怠・放逸・惛沈・掉挙・失念・不正知・散乱)であるとされる
ーーー
なんか悪いのの見本だねマナ識って
悪業が消えていき
宿命が転換されていくものだと思います。
ところで
聖徳太子の伝説のように、10人の意見をそれぞれの因果を分かって其々に応じて理解する知恵は
66図の何処にあたるんですかね?
どういう図
ちょっと閃いた!
書かせて
リダンの末那識が縁となって>>66 の種子生現行が起こります。
【種子生現行】--- ①
阿頼耶識の種子(因)ーー→末那識(縁)--→現行(果)
リダンの第六識が縁となって
表層の意識が起こります。
縁となるリダンの末那識が濁っているので
種子生現行で起こる現行は有漏となる !!
最大のポイントとなってくる。
末那識がクリヤー化されない限り意味が無い
「覚りの果」が現行するんだろう。
おやすみー
明日が楽しみ!
おやすみなさい
説一切有部の『倶舎論』で説かれている縁起を此縁性縁起といい、
龍樹が『中論』で解き明かした縁起を相依性縁起といいます。
今日の学者さん達が学術研究する中で
用いられた仏教用語です。
阿頼耶識の種子(因)ーー→末那識(縁)--→現行(果)
【現行菫種子】--- ②
現行(因)ーー→末那識(縁)--→阿頼耶識の種子(果)
【種子生種子】①→②
これは順観型の縁起です。因果異時です。
『心・意・識説に関する研究』
― 阿頼耶識と末那識との関係を中心― 金 範松
https://tais.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=277&file_id=22&file_no=1
今トークしている内容に関わってくる内容が
色々と論じられてますね。
「種子生現行」は因果同時だと。
なぜなら後の種子を引生しない(現行熏種子)からだと。
と、今
驚いた、、、
↑
解ります、この意味。
因と縁と果を同時に備え持つ
「無為の種子」なんですね。
ここで護法が言っているのは、
もしかしたら
その無為の種子(無漏種子)の事ではないかと。
確かに因果同時です。
通常の種子とは違い
「因・縁・果」を同時に備え持つ種子を指して言う言葉なんでしょう。
こういう時の為に立てた、
『法介スレ』全75シリーズの目録
https://talk.jp/boards/psy/1727220658
です。
おはようございます、法介です
https://talk.jp/boards/psy/1726251553
ですね。
因=釈迦と弟子達の三千塵点劫の過去の因
縁=十二因縁(順観と逆観)
果=現在の師弟の関係(釈迦在世の)
因=三草二木の譬(相)
縁=長者窮子の譬(性)
果=三車火宅の譬(体)
因=縁因仏性(相=曼荼羅本尊)
縁=了因仏性(性=法華経)
果=正因仏性(体=南無妙法蓮華経)
さらに次のように分けられると思います。
菩薩の因・縁・果は、
『法華経』で説かれている三身如来(※①後ほど詳しく)
次のようになるかと。
因=縁因仏性=十界曼荼羅本尊(三界唯心)
縁=了因仏性=法華経(方便品と寿量品)
果=正因仏性=南無妙法蓮華経(凡夫と仏の一如)
>>252 =用の仏
と仰せの
具体・具用の仏です。
体の仏=現実の世界に実在している
次の通りです。
報身は寿量品の釈迦です。(虚空会)
法身如来、即ち
南無妙法蓮華経の真言です。
それもお話しておきます。
「羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」
解らずにおりました。
あえて訳すべからずとされているんですね。
訳してしまうと、意味が限定されてしまうし、
言葉としての力も無くなってしまうと。
何と賢いお方だなー
とつくづく思いました。
お釈迦さまが亡くなられた後の世に生まれ出た菩薩なんですね。
日蓮さんは何気に言われております。
声聞に対して蔵教の教えを説かれました。
仏教はお釈迦さまの口で語られ
説法がなされました。
〝人間の認識〟から離れて説法をされます。
いづれ生まれ出て来る通教の菩薩の為に。
この合言葉を使って色界(禅天)に居る私を呼び出しなさい
という意味で、
「羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」
の真言を書き残されたんだと
わたくし法介は思います。
人を騙して楽しんでる悪しき天人達も沢山居るようです。
騙されないようにご用心を。
眞如三昧者。不住見相不住得相。乃至出定亦無懈慢。
所有煩惱漸漸微薄。若諸凡夫不習此三昧法。得入如來種性。
無有是處。以修世間諸禪三昧多起味著。依於我見繋屬三界。
與外道共。若離善知識所護。則起外道見故
此の三昧の法を習わざれば、如來の種性に入るを得ること是の処有ること無し。
我見に依りて三界に繋屬するを以て、外道と共なり。
ここで言う「善知識」って何でしょう。
しかし
ご存じでしょうか。
依智不依識(智に依りて識に依らざれ)
依了義経不依不了義経(了義経に依りて不了義経に依らざれ)
依法不依人(法に依りて人に依らざれ)
真実の仏の教えの習得はあり得ません。
自然界に備わる法などではありません。
存在しないと説くのが仏教です。
縁起の法門などの様々な法理・法門です。
この言葉の意味は、
諸法は縁起(無我)なんですよと
言っているのです。
諸法無我(しょほうむが)とは、仏教の根本的な思想を表す成句で、「あらゆる存在(ダルマ:法)の中には我(アートマン)は無い」という意味です。言い換えると、そのもの自体で(自立的に)成り立っている存在は無いことを意味します。
などと言っておりますが、
どうやらリダンは
無常を〝無為〟だと勘違いしているように
わたしには思えてなりません。
この世の現実存在(森羅万象)はすべて、すがたも本質も常に流動変化するものであり、一瞬といえども存在は同一性を保持することができないことをいう。「諸行」とは因縁によって起こるこの世の現象(サンカーラ)を指し、「無常」とは一切は常に変化し、不変のものはない(アニッチャ)という意味。
とウィキペディアにも書いてあります。
縁起を観じ取っていくということです。
「比丘たちよ、色は無常、受は無常、想は無常、行は無常、識は無常である。
比丘たちよ、色は無我、受は無我、想は無我、行は無我、識は無我である。
すべての行は無常である、すべての法は無我である。」と。
—パーリ仏典, 中部35 薩遮迦小経, Sri Lanka Tripitaka Project
その行は無常である。
全ての現象は、色は無常、受は無常、想は無常、行は無常、識は無常である。
↑常に変わらないという事はないという意味
法華講員さんから見たら、多くの人を迷わせている偽善仏法者。
同じ人物であっても見る人のこころが変れば
同じ人物であってもその見え方(眼識)は異なってきます。
ムームームーで
「無心(無為)の境地に入ります」
という意味などではありません。
そうなのかも知れませんが
仏が説く仏教ではそうではありません。
呼んだかい😃
無常は有為法だよ
おはようございます☀
そのような勘違い仏教を禅師が勝手に説くんです。
って
言ってなかった?
>>111
お釈迦様はもう無常と
答えてる
意識、意志の無い識って何か?それは単独で存在されるのか?
↑
無常そのものよ
阿頼耶識も刹那滅(ソース)忘れた
ある意味阿頼耶識そのもの=無常そのもの
一切法として
有為法の根源の無常以外は
もう無為法しかないやろ?
>>115
そうやろ?
無常そのものであると
気がつけば
意識、意志の無い識って何か?それは単独で存在されるのか?
↑
これは愚問であることに
気がつくやん
2024/09/14 21:13:34
思いを相続する=自己を運んでしまっている
そうじゃなくて無常に任せる
最近馬さんは末那識を滅する
とは言わないな
あるいは最初からそうだったか
その通り末那識は種子の刹那の心相続
それらは全部
お釈迦様は既におっしゃっておられる
無常であると
無常に、預けいれ任せれば
無常そのものになる
諸行無常
諸法無我
涅槃静寂
2024/09/14 21:25:36
>>126
いや馬さんさ
無常が分からんのやろ?
だから何か滅した先に
何かあるんやないか?
と思うわけや
真如、ブラフマン、は
少なくとも有為法ではないやろ?
単純な話
有為法の線上で追い求めても
まず辿り着かないことを理解した方がいい
2024/09/14 21:39:59
>>325 ←ここでの無常の意味は?
禅宗や説一切有部の無我説に侵されている。
縁起=無我=無
と書いたが良いかな。
リンゴをずっとリンゴと
認識した線上(縁起)では分からんということよ
リンゴそのものになる
リンゴそのものになる
有為法そのものになって
やっと分かる
縁起=析空・体空・法空・非空
と説いた。
客観であるリンゴと
主観である自分とが
一如になるってことだろ。
そうそう
有為法そのものになれば
無為法が分かる
唯識で説いてるか?
どこに説かれているのか
教えてくれないか?
というのは知っているが。
唯識はただの自我からみた
分類だからね
このような仕組みで
虚妄分別となりますっていう
おそらく仏教では因果から生まれる現象は全て如来が内包しているという考え方がありませんか?
なので、人の気付き、種子の薫習等は全て如来の慈悲で与えられたものだという考え方です。
これは当然の事でありますが私は仏教徒ではないためその現象を如来と捉えていない。でもその慈悲はわかります。
人によって見え方は違うので、それは仏教に関わらず等しく現れるものです。
なので仏教の教えを知らない、や修行をしていないお前が理解しているはずかないという主張はそもそも仏教の教えから外れてる事を理解しなくてはいけない。
平等というものを真に理解することは難しいでしょうが。
『成唯識論』のどこに
それが書かれているかと訪ねている。
お釈迦様の八正道、正念やね
だから分類だから
一如のことは書いてないであろう
ちょっと違うかと、、、、
後で詳しくお話しましょう。
まずはリダンの方から
刹那滅と心相続を考えたさいに
お釈迦様の正念とは何かってのは
分かるよねってこと
心相続を切るってこと
心相続の逆と思えばいい
刹那前と刹那後のそれは(法有、仮有)全く別物であって
それが連続することで
あたかもあるようにみえる
一刹那で因縁果が行われている
↑
これはソース忘れた
それが連続することで
あたかもあるようにみえる
↑
心相続
↑
これはソース忘れた
切るんだよね。
リダンが言う無常とは
無為ってことかな?
人為はないけどね
無為=縁起が起きない(切り離された刹那)
↑
ではない?
どっち?
ってことは、
無為=縁起が起きない(切り離された刹那)
ってことになるのでは?
見る側からしたら
一コマ、一コマ
だが
一如すりゃ己自身が一コマ一コマ
と言えばわかるかな
無為=縁起が起きない(切り離された刹那)
>と言えばわかるかな
↑それを唯識的にメカニズムで説明してみてくれないかな。
そんな事
本当にあり得るのかと甚だ疑問に思うので。
自分が犬になるとか
龍樹のほうが分かりやすい
去るものは去らない
唯識的にいえば
外から一コマ一コマを認識してるか
(正念相続、刹那滅)
己が一コマ一コマが
(正念そのもの、無分別)
って思っております。
>外から一コマ一コマを認識してるか
↑無為=縁起が起きない(切り離された刹那)
そら坐禅や瞑想せな分からんて
頭だけで理解できたら
お釈迦様や
無為=縁起が起きない(切り離された刹那)
なのですか?
縁起(有為)なのですが。
無常は有為法やて
無常そのものであるなら
ある意味無為だね
無常とは、
無為=縁起が起きない(切り離された刹那)
だと気づくのでしょうか?
去らないものは去らないで
分かるやろ?
無常に限りらず
有為法そのものになれば
無為法がわかる
龍樹のそれは
無為=縁起が起きない(切り離された刹那)
↑法空を説いているものです。
>無為法がわかる
↑この文の意味が理解できないのですが
解りやすく説明してもらえますか?
無常とは、
無為=縁起が起きない(切り離された刹那)
だと気づく
ということでしょうか?
縁起(有為)なのですが。
無常とは、
無為=縁起が起きない(切り離された刹那)
だと
感じ取ってしまうのですね。
完全に同期するってこと
連続したものを認識するのでなく
点になったそれを認識するのでなく
外から認識するんではなく
それと一如
無分別
わたしは
やろうとは思いません。
それって縁起を観じ取れてませんよね?
はじめてそのモノの真実の姿が読み取れてきます。
無為法がわかり
阿頼耶識に刻まれる
その状態で縁起を観じとっていけば
自我に執することなく
縁起を観じれるやろ
二回目の勤行・唱題行をやって来ます。
ここで言う無為法とは?
↑これですよね。
だれが?
あなたの末那識がですよね。
違いますよね
凡夫(無明)ですよね
どこでいつ
あなたの末那識は浄化されましたか?(クリヤー化)
離繁果によるものだ
執が離れる
まあ自己評価で虚妄分別の可能性はあるが
俺やブラザーはもうそれ
執が離れている直感知覚が
自我と同時に起動している
もちろんそう妄想している
可能性はある
直感知覚や無分別を行き来する
必要がある
完全に執から離れている
日常に戻れば直感知覚は自我とともにある
同時起動、バックグラウンドで起動
わたしの言っている事は
ちゃんと理解出来ていると思います。
リダン自身の問題ではないでしょうかね。
日蓮さんの御書の中に仏・菩薩、一切の諸天善神等は全て法華経、即ち妙法から生まれ出たものだという意味の言葉があります。
まず、如来とは意識を持った存在ではありません。
無為の世界観を意味します。
>人によって見え方は違うので、それは仏教に関わらず等しく現れるものです。
おっしゃる通りだと思います。
それはちょっと違うかなとわたしは思います。
仏の智慧は、仏さまが考えられた智慧の法門なんです。
棒さんが、>>414 ←ここで言われるような
「その現象を如来と捉えていない。」
現象などではないんです。
「人によって見え方は違うので」
現象ではないので見え方とかないんです。
自力でそういった悩みや苦しみを克服なされている方っておられますよね。
それは仏教を学ばないと分からない話なんです。
仏の智慧とは
仏さまが造られた
オリジナルのストーリーだからです。
『法華経』です。
仏さまに聞かないと知り得ない
お話なんです。
その役を担ったのが龍樹です。
日蓮さん(上行菩薩の再誕)がストーリーの総仕上げに取り掛かります。
棒さん、ご理解いただけましたか?
信じるか信じないかの話なんです。
信じる事が説かれているんです。
信じるこころです。
信じる
こころです。
最初に言った如来云々は信仰の話がベースです。
縁起は仏教徒に関わらず等しく存在します。
例えば、私も仏教徒ではないので仏教を知るわけではないですが因果から私は生じています。
仏の智慧の枠外の事ではない、ということです。
仏教徒でなくても因果によって悟りを開く事はあるでしょう。
その時に仏教を知らないのだからその真理である仏の智慧は当然知りませんがその真理は理解している、ということです。
あ、例えに私を出しましたが私がそう、とは言ってませんよ。
末法思想なのでー
末法思想の有無で
解釈の差がでる
😀
なるほどー
そういう事でしたか。
ではそれに対してお答えします。
仏教をしらなくても
その縁起の法理は、法理としてあります。
しかし
真理としての因果です。
その因果が同時に発動する因果です。
用いる事が出来ない
因果なんです。
リダンを用いた
例え話です
申し訳ないが、、、、
↑こっからの話です。
「一念」という言葉をよく使います。
ところで先程のリダンとのやり取りですが、リダンの体験は何を指していると思いますか?
意識が無為の境地にあれば考えは起こらないと思います。
主客一体って何ですか?
とわたしはお聞きしたいのですが、、、
説かれてますか?
と。
「主客一体」とは、茶道の精神を表す言葉で、主人と客人が対等な関係で、お互いに啓発しながらその場を創造するという意味です。
主人が一方的にもてなすのではなく、
客人がただもてなしを受け入れるのではなく、
お互いが共感し、
同じ視点で向き合う「おもてなし」の源流は
京都で千利休が確立した茶道の精神にあります
京都の祇園でのおもてなしは主客一体の思想に基づいています
また、主客一体の考え方は、サービス提供者と需要者という関係を関連付ける際にも適用できます。たとえば、スーパーホテルが実施している「エコひいき活動」は、環境負荷を下げる取り組みを主客一体となって実施するものです。
https://ameblo.jp/and-kei/entry-12145360191.html
説かれておりませんよ。
とは説かれております。
あなたが見ている犬は
あなたのこころによって造り出された幻影(妄想)に過ぎないと。
私はそもそも有為法そのものになるというのがよくわかりません。
一如であってもそれは無為でなく認識はあります。
ですがブラザーは認識出来ない状態をさしている。だから一如ではない何かの話をしていると思ってます。
仏教における「主客一体」とは、主体(自分)と客体(外界)が一体となる状態を指します。これは、自己と他者、内と外の区別が消え、すべてが一つの存在として認識される境地です。この概念は、特に禅宗や中観派の教えにおいて重要視されています12。
例えば、禅の修行では、瞑想や日常の行動を通じて、自己と周囲のものが一体となる体験を目指します。この状態に達すると、心の中の分離感が消え、すべてが調和した一つの存在として感じられるようになります2。
この考え方は、西田幾多郎の「主客合一」とも関連しています。彼は、純粋経験の中で主体と客体が合一することを説いており、これが愛や共感の深い状態であると述べています2。
何か具体的な例やさらに詳しい説明が必要でしたら、教えてくださいね
なぜなら大円鏡智は主体と客体の区別がなくあるがままで、
平等性智は自他の区別なくそれを平等に見つめるから
無分別の話だよ
分別、認識がない
無分別は別に認識がないという事ではないと思うぞ。
認識できないと言うべきか
無分別三昧ってのは
認識できるやつと
人としての認識できないやつがある
唯識自体は人の虚妄分別がこのように
起きますを分類したものだが
当然皆無分別三昧はできるわけだ
これだけの心所を確認分類しました
ってことだから
無分別、分別を自由に出来なければ
分類できない
無分別三昧って何経で説かれてますか?
認識出来ないということは何かを止めているということ。
因縁果がなければ何も生じない。認識がないのならそれらは区別がなくなるんじゃなくて区別するしないに関わらずその対象自体が存在していないから区別出来ない。
そこで得られるものはない。
仏教で説かれてるかは知らない
ヨガの話だしね
ヨガ行唯識とお釈迦様は
ヨガの達人だから
圧倒的作用してない
と言う体感が得られる
それが離繁果になる
唯識は全ては心であるって仕組みだから、「識だけ」で形作られとりますな
つまり、認識に「ついてだけ」の世界のシステムだ
だから大円鏡智もそれと一になる平等性智も「認識は生じてる」に決まってる、とならざるを得ない
平等性智へと向かう
唯識での重要な部分だと思うで
サティーさんは、大円鏡智と平等性智を
どのような智慧だとお考えでしょうか?
大円鏡智は純粋認識すな
私に関係付けられていないあるがままの世界であり真実であり法
平等性智は慈悲によって対象を捉える関係性すな
執着や煩悩が滅せられているから私との関係で捉える重力から脱しており、二元論を超えて一段上の次元の慈悲と全ての世界を関連づける働きだ
導き出されたお考えでしょうか?
認識だけで話をするならなおさら。識がないのならそれを知る事は出来ない。元に戻った時に気付くのはその前後の差異だけ。
寝るのが1番わかりやすいかな?
ぐったり疲れてて横になったのが夜10時。ちょっと横になって目を開けたら朝7時。
その間の事は何も覚えてない。気付くのは一瞬で寝てしまい9時間の経過。
疲れが取れてるとか心が落ち着いているとかはその差異で感じ取るだろうけどもその間の事は何もないよ。
だからあるとしたら認識しない事によって心が働かなかったことによって戻った時に静けさは感じるかもしれない。
ただ本来深い瞑想って寝ることじゃないから意識は覚醒してるのよね。
坐禅してる人の脳波を測ると
寝落ち寸前をずっと維持してるらしいね
離脱も夢か現実かを彷徨うと
前兆がくるというし
単語の定義だから根拠も何もなくない?
唯識について書いてある何かを数冊よんだら似たような内容がかいてあるでそ
識がない?全部、識の世界が唯識なんだから、識がない、がそもそもあり得ないんじゃん?
睡眠云々の話も、寝てる時も識は生じ続けてるでそ
覚醒してる時の意識の識しか、識とはみとめん、みたいなこと言われたら、お、おぉ、と答えるしかないけどw
このスレは、テンプレに記載してあります通り、
>>2
このスレは、上記に示す人物の注釈書および論書を拠り所とした正しい法華経観にもとづいて運営されます。
という趣旨で運営されます。
そこで、龍樹、世親、天台、日蓮といった「人四依」と呼ばれる聖人達の仏教観で、今からわたしが大円鏡智と平等性智をご説明したいと思います。
説明を聞かれてご意見などありましたら、遠慮なく述べられてください。
仏の智慧は三乗の智慧によって開かれるという「開三顕一」です。
声聞の智恵=蔵教で説かれた真理
縁覚の智恵=通教で説かれた真理
菩薩の智慧=別教で説かれた真理
とひも解いて、別教では唯識が覚りの真理として説かれております。
そりゃ睡眠は例え話だからな。ブラザーはそれを無為と言ってるでしょ?だから意識がない状態を例え話として識がなかったら、という話をしてる。
縁覚の智恵=実体を空じた真理(相依性縁起)
菩薩の智慧=覚りの真理(唯識)
<仏意の五重玄>諸仏の内証に五眼の体を具する
妙=仏眼:第九識は法界体性智
法=法眼:第八識は大円鏡智
蓮=慧眼:第七識は平等性智
華=天眼:第六識は妙観察智
経=肉眼:前の五識は成所作智
今一度ご確認下さい。
違う違う随眠ではない
無分別三昧ってなあ
認識があるのと
認識がないのがあんのよ
もって言えば四種類くらいあんの
唯識で説かれている
「片眼凡夫+片眼仏」といった後得智です。
うん、だから唯識では「識がなかったら」があり得ないって話し
識がなかったら、唯識は「仕組みとして不完全」となるだけよの
仏と凡夫の差別がなくなった境地です。
意識は存在しております。
「片眼凡夫+片眼仏」で再認識する世界です。
>>116 にも書いておりますが
ここはちょっと理解するのが難しい智慧なんです。
「今、此の一心三観を明かすに、亦た三意と為す。一に所観の不思議の境を明かし、二に能観の三観を明かし、三に証成を明かす。」
となります。
「能観の三観(能観の智)」
これが「境智の二法」の意味するところなんですね。
こちらの日蓮正宗のサイトでは、
https://hokkekou.com/yougo/kyouti/
境智冥合とは、境と智が融合した一体の境界をいいます。境とは所観の対象であり、主観に対する客観世界をいい、智とは境を観察する能観の智慧、すなわち認識する心の作用としての主観的世界をいいます。
と紹介されております。
なんだ境とは客観世界で、
智とは主観的世界のことかと理解します。
「所観の不思議の境」
「能観の三観(能観の智)」
と言われております。
無色界の多宝如来が姿を顕したのです。
意識は働いております。
https://hokekyou.up-jp.com/wp-content/uploads/2021/06/image023.jpg
報身如来と法身如来が顕れたのが
『法華経』の虚空会の世界観です。
十界互具=一念三千
伝教云く「一念三千即自受用身・自受用身とは尊形を出でたる仏と・出尊形仏とは無作の三身と云う事なり」云云
以下『阿仏房御書』より
「妙法蓮華経より外に宝塔なきなり、法華経の題目・宝塔なり宝塔又南無妙法蓮華経なり。」
「今阿仏上人の一身は地水火風空の五大なり、此の五大は題目の五字なり、然れば阿仏房さながら宝塔・宝塔さながら阿仏房・此れより外の才覚無益なり、聞・信・戒・定・進・捨・慚の七宝を以てかざりたる宝塔なり、多宝如来の宝塔を供養し給うかとおもへば・さにては候はず我が身を供養し給う我が身又三身即一の本覚の如来なり、かく信じ給いて南無妙法蓮華経と唱え給へ、ここさながら宝塔の住処なり、経に云く「法華経を説くこと有らん処は我が此の宝塔其の前に涌現す」とはこれなり」
大円鏡智の智恵の意味です。
お受けいたします。
十界曼荼羅本尊を対境としてお題目を唱えますと
曼荼羅を鏡として自身の阿頼耶識が映し出されるという事です。
無色界が如来の居場所みたいのって
なんかソースあるの?
具体的ソースを示せというのでしたら
ちょっと探してみましょう。
如来が無色界でも変ではないが
禅天にいる住人(瞑想)は
ある意味、如来と同じところに
いるようなもんだが
そういう理解でいい?
三識に類通せば、一つに、破陀那識はすなわち六識。二つに、阿陀那識はすなわち七識。三つに、阿黎耶識はすなわち八識なり。真性の解脱はすなわち阿黎耶識、実慧の解脱はすなわち七識、方便の解脱はすなわち六識。
(※阿陀那識=末那識、阿黎耶識=阿頼耶識の意)
阿頼耶識から如来かなあ
三身の法身に類通せば、一つに、法身佛。二つに、報身佛。三つに、応身佛。なり。真性の解脱は即ち是れ法身の毘盧遮那佛。性浄の法身なり。実慧の解脱は即ち是れ報身の盧遮那佛。浄満の法身なり。方便の解脱は即ち是れ応身の釈迦牟尼佛。応化の法身なり。
報身の盧遮那佛
応身の釈迦牟尼
法身=無色界
報身=色界
応身=欲界
真言で悪いが
阿頼耶識対応の如来と真言があるな
別におかしくはないのか
ありがとう納得した
リダンに礼を言われた。
そんなこともあるのか
リダン
ああ、やっと言ってる意味がわかった。認識と識の違いね。
報身は如来の智慧にあたりますので
一念三千の法門がこれにあたります。
三乗の因果が詳しく説き明かされております。
九界が出揃います。
九界互具です。
十界互具が説かれておりますが
それは理としての十界互具で
仏の因果が未だに説き明かされておりません。
「大乗の菩薩に於て心生の十界を談ずと雖も而も心具の十界を論ぜず」
例えば犬が居たとします。
それは主観(見分)であり相分(客観)は存在しません。
相分も見分もない
相分も見分もある
見分はあるが相分はない
の正義である「見分はあるが相分はない」が
>>588 これにあたります。
https://youtu.be/JSXeKjpuC_U
自身のこころから生じた犬です。
あなたの中に犬と同じ命が備わってますよねって事です。
「こん畜生!」とか言いますよね。
ムームームーで犬になりきれ!
と言うのをどういう意味で最初に言われたのか
わたしは知りませんが、
と言う意味で言われたのであれば、
「分かっただろ、お前の生命にも犬と同じ畜生の命が備わっているんだぞ」
とわたしなら諭します。
わたしは見たことがありません。
こちらの244スレから読まれてみて下さい。
法介の仏教談義8
https://talk.jp/boards/psy/1725337701
詳しく説明しております。
識は心の働きそのものだけど、認識は具体的な知覚や理解を意味して厳密にそれぞれ使い分ける、みたいなことをするとややこしくなるだけですな(^_^;)
法介論法『一念三千論』第一
https://talk.jp/boards/psy/1727114389
ここ最近で、上書きされたわたしの仏教観を
ブログ的に書いております。
ブログ的にって、、、、
そんな使い方ってありなんですかぁー!
と思われたそこのあ・な・た
ガチガチに固まってしまってませんか?
〝自由な発想〟で活用出来るのが
こういった掲示板の魅力の一つでもあります。
本日、法介論法を書き進めておりましたら、
210.神も仏も名無しさん
>>181
証拠の仏典を提示してください
2024/09/27 10:08:53
という投稿が入ってきました。
212.法介◆T3azX0Hk1U
更にご意見があるようでしたら
こちら↓でお受け致します。
法華の花道 乱舞一
https://talk.jp/boards/psy/1727207645
宜しければコテハンで清く正しく議論を交わしましょう。
2024/09/27 10:18:52
と返信しておきました。
こちらで是非、お聞かせください。
以下のような事を書いた事に対してのご意見のようです。
181.法介◆T3azX0Hk1U
何故かと言いますと、
禅宗はこの「有る無し」の二元論で仏教を語る宗派だからです、
2024/09/27 04:29:23
211.法介◆T3azX0Hk1U
>>210
仏典を提示するまでもなく、
今日の禅宗の実態をご確認いただいた方が早いかと。
https://www.youtube.com/watch?v=nNEUgdj_cuc
「1:11:38」あたりを再生されてみて下さい。
空を何にもない無であると講師の仏教学の先生が講義されておられます。
そもそも僧侶が、
学者さんから仏教を教わっていること自体あり得ない話なのですが、、、
2024/09/27 10:15:55
禅宗では、〝実体がない〟という考え方が説かれます。
禅宗の教旨では、「座禅を中心にした修行によって心の本性が明らかにされて悟りが得られる」とされています。この考え方は、次のような点で表現されます。
「空」の思想 般若心経では、世のあらゆるものに〝実体がない〟という考え方が唱えられています。人間界の現象や存在はすべて〝実体がなく〟、空であるとされています。
「本来無一物」 六祖慧能(637―713)は「本来無一物」という言葉を残しています。これは、身体も心もそのように立派なものではない、もともと〝実体など無い〟という意味です。
曹洞宗 東海管区 教化センターのHPからも、
https://soto-tokai.net/cgi-bin/kotoba.cgi?page=26&bl=1
引用で紹介します。
これは「この世のすべてのものごとは空であり〝実体がない〟、仮に和合したものである」ということであります。そしてこの諸法空相と諸法実相とは、結局同じことを意味する言葉なのであります。
https://www.sotozen-net.or.jp/soto/sutra
上記サイトより引用
この「空」の概念は、ただ単に何物もない・空っぽである、という意味ではありません。すべてのものには「固定的な〝実体はない〟」という哲学的概念を含んでいます。
臨黄ネット
https://rinnou.net/language/481/
上記サイトより引用
これを聞いた寺男の盧行者(後の六祖慧能)は「身体も心もそのように立派なものではない。もともと〝実体など無い〟(本来無一物)のだ。どうして無いものの上に塵の溜ることがあろう」と、自分の心境を吐露した
https://www.soto-kinki.net/zenwa/lecture_live.php
上記サイトより引用
私たちの自己というのは、ほんとうは〝実体を持たないんです〟ね。「無我(むが)」ということを申しますが、私という〝実体的存在はない〟。
こちらのご住職さんも「空」をちゃんとお勉強なされておられるようで、他の禅寺の空解釈よりかは、多少まともな事を述べておられます。
曹洞宗西光寺さんのHP
https://www.saikoji.net/ques/ques20.html
が、
しかし(以下、引用)
ちなみに「自我」の「本質の意味の実体」は「空」です。
万物の実体(本質)も自我の実体(本質)も宇宙の実体(本質)も同じであると説いているのが般若心経です。
「色」は人の思ったり感じたりする五感、すなわち「概念」を指します。
「空」はその「本質」、つまり「実体」を指します。
(引用、終わり)
「空」は、本質でも実体でもありません、、、、、
「空」は〝縁起〟なんですけど、、、、
禅宗で「空」を正しく理解なされておられるのは、
中野禅塾さんぐらいでした。
それを聞いて何かしらの影響がほーさんに生まれるかな?程度の意図です。
通常心の働きも全て相互作用です。なので区別、つまりは差異で物事を捉えている。
元々眼識で捉えた画像は画像でしかなく、その画像が風景だったとしても木とかの区別はなく、画像である以上の認識はありません。
その画像の木の部分に焦点をあてます。ですがそれを見て木だと捉えているのではなく、その差異、つまり特徴を見ているに過ぎません。
色とか、形とかそういう差異、特徴の関連するものを引っ張り続けてそれを仮に木と捉えているに過ぎない。
なのでそこには時間の概念さえも何もありません。
時間、連続性があるようにみえるのもその関連するものとして蓄積されたものに時間というタグを作って仮に時間の流れと言うものを捉えているのです。
だから画像に写っているAさんというのも、その画像からAさんとしてるのではなく、相互作用でその特徴に一致しているものを仮にAさんと捉えているのですね。
なのでそこにAさんという実体があるわけでもなく、差異からそれを捉えている。
例えば青、白、赤、黄等の色だけ見せて、何のアニメのキャラクター?と質問をするとドラえもんを思い浮かべます。
そこにドラえもんの画像があるわけでもないのに特徴からドラえもんを作り出しているんですね。
これは眼識だけでなく他もそう。
http://nakano-zenjuku.com/?p=36
このような事を述べられております。
これまでほとんどの禅師や仏教学舎が「空理論」の解釈を誤って「モノという実体はない」と解釈してきたものですから
了解しました。
世親の三性説の「逼計所執性」をうまい事
説明なされているなーと思いました。
こちらの動画はご覧になられた事は御座いますか?
https://youtu.be/id5juPwyJYo
棒さんにあっては、共感なされる内容が多いのではないかと
世親の『唯識』も
どちらも「空」を説いております。
世親は空を因縁果という角度から
それぞれ空をひも解いております。
https://youtu.be/Mxks_HiI56k
サティーはと言うと、
https://youtu.be/cZrleKTcZlU
棒ちゃん(これからは親しみを込めてちゃん呼びさせて頂きます。)
はー、、、、
棒ちゃんは、、、、、
https://youtu.be/abdoobSe3kg
リダンはー
https://youtu.be/Mw3wBCO20UE
でおーは
まぎれもなくこれ
https://youtu.be/M7gZPrC5za8
居眠りし過ぎて目が小さくなったでおー
法介はってか?
法介はですねー
こんな感じです
https://youtu.be/XfUet3Qinnk
感じです。
シェケナ・ベイビィ~~~~!
って感じ
https://youtu.be/xsEsyWA2ve8
おれも風来坊が良いな!
18才で地元から東京へ3度、静岡へ1度、インドへ2回数ヶ月、行き来して、気が付くともう36才
36才でようやく地元に落ち着いたからね
ああ、40くらいにまた東京に行ったね、でも東京の夏の暑さに、人間のすむ処じゃねー❗って思って地元に帰ったんだったw
まあまあ風来坊だったわ~
風来坊よりも
こっちやろう!
https://youtu.be/6TE0kOnRVMQ
デスペラード(ならず者)
裏で麻生が良いように操るんだろう
高市、なにも伝わってこん
石破やねー
どっちに転ぶ
石破は財務省の操り人形になる可能性が高く
間違いなく消費税15%にいずれなる
ってことをもと内閣参与の高橋洋一さんが言ってたね
財務省と繋がってるのが総理になった日には、庶民の暮らしはもうあきまへ~んになるよ
>645おれは新潟です
麻生さんはアメリカとつーつーだから、石破も中国よりだから
絶対に石破を望んではおらず、高市を支持するでしょう
って高橋洋一さんが言うてた
議員に石破嫌いが多いらしい
それと積極財政出動しないと日本の景気は良くならず、庶民には厳しくなる
石破は消極財政派で高市が積極財政派
財務省とつーつーってことは、財政けちんぼ政策で庶民の首をきゅーっと絞める
日本の未来は暗い
どうにもならない
わたしは思う。
暗いな~!って
どげんかせないかん
われわれネット住民の力で
今一度
今一度、、、、、
洗濯に入れて
それをトイレに流して
浄化槽で綺麗な水に生まれ変わって
それをリダンがくんで
幹事長の馬ちゃんに任せよう!
今回出馬した派が、どちらに雪崩うつのか?が決定するって言ってた
高市よかは
面白味はある
消費税15%決定しました‼️
財務省に屈したな~
底辺庶民には地獄の日々がやってくる~
絶対に総理にしてはならないのが石破だそうです
関係ないが
逢沢ってオカマらしいね
高市だったら裏金議員に甘く支持されてる高市をぼこって政権取れたのに😭
それは
石破さんが
バカボンに似ているからだ
高橋洋一さんが言うてたのは
3分で終わる話を30分かけて話す人らしい
ああー、それはうなずける
全国知事会でそれを推進するのはなんと鳥取県知事
タッグ組んで進めるだろう
石丸伸二さんを民間から地方創生大臣に登用したら完璧だな?
それはそれで
宜しいかと思います。
どこに行ったぁ~!
この大事な時にー
変わらん❗何も変わらん‼️
消費税15%に変わって更に20%を狙うのが財務省だそうな
先進国で、食品に消費税掛けているのは日本だけらしいよ
母子家庭の子供が、夏休みにお昼ごはんが食べれない国日本‼️
栄養失調の人が増えている日本‼️
国外へ出稼ぎに行く若者多数の日本‼️
若い女性の売春出稼ぎで、若い女性ってだけで、通関手続きが厳しくなる国日本‼️
素晴らしい政権自民党www
自民党を
ぶっ壊せ!!
そしたら、野田立民と変わらなくなるから合流する可能性あり
中道右派の新自民党の誕生だーーー\(^o^)/
野党からも入閣させるがな
時代に捨てられた極右と極左は新しい塊になってゆくだろう
チッちゃいんだよ
固定概念をぶち壊せ
そして、安倍派の裏金議員たちの離党ラッシュになるだろう
彼らの受け皿(自民より右寄りの政党)はどこになるのか?
受けこぼす
国政から去ってもらう
如何に相手の攻撃を
巧みにかわし
そのエネルギーを利用して
相手におみまいするか
エステマだろ
https://youtu.be/ZesWYpGSeTQ
「此れいい等流と異熟と士用と増上との果を生ずるが故に、一切種子と名づく」
と説いてある。
ら異なること」であるという。「更互の力」とは、同じくスティラマティの『釈』によれば、七転識と阿頼耶識の間の、いわば「種子生現行・現行熏種子」の関係をいうもののようである。
(阿頼耶)識は、一切の種子を有するものである。
その転変は、相互の力から、
そのように、そのように行われる。
それによって、それぞれの分別が生じる。
※ スティラマティ=安慧のこと
『成唯識論』の縁起思想 竹村 牧男(※法介はあまり信用していない学者)
http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/30401/rbb041-19.pdf
細に説くのである。
なお、今の頌の一切種子に関して、『成唯識論』は「此れいい等流と異熟と士用と増上との果を生ずるが故に、一切種子と名づく」と説明していた。種子は、五果のうち、離繋果を除く四果を生むという。五果は『倶舎論』で説かれていたものであって、異熟果・等流果・離繋・士用果・増上果のことである。『成唯識論』も、それらの内容を巻八に説明している。種子は、この中の離繋果を除く四果を生むというのである。
種子は、この中の離繋果を除く四果を生むというのである。
種子は、この中の離繋果を除く四果を生むというのである。
リダンに見せてあげたい文である。
道を修して得た汚れがない智慧(無漏智)によって煩悩を減したところに顕れるもの。倶舎はそれを択滅無為、唯識は善無為と考える。
涅槃の別名。智慧によって煩悩を斷滅させることによって得られる寂静の状態のこと。「択」とは、鍛錬された判断力・理解力などの智慧のことで、それによって誤った状態や見解から解放されて得られる状態を「択滅」という。
『倶舎論』では、三無為(asaṃskṛta)の一つとして択滅無為を挙げている。
六因のなかの異熟因から生じる果。2世にわたる因果関係によってもたらされる果・原因は善か悪かであるが、その結果である異熟果は無記(善でも悪でもない)である。このように因と果とが価値を異にしているから異熟果を異類熟とよぶことがある。異熟果としては、たとえば殺生をしたり盗んだりする10種の悪業によって、来世に地獄・餓鬼・畜生に生まれることがあげられる。
唯識では前世の善悪業によって生じた阿頼耶識を根源的な異熟果と考え、それを真の異熟ととらえて「真異熟」とよぶ。これに対して阿頼耶識から生じた六識の異熟果(貴賎・苦楽・賢愚・美醜など)を「異熟生」とよぶ。
因と等しく同じ種類のものとして生じた果・たとえば善因から善果、悪因から悪果、無記(善でも悪でもない)因から無記果が生じる場合の果をいう。六因のなかの同類因あるいは遍行因によってもたらされる果のこと。
士用とは、詳しくは士夫の作用をいい、力強い人の働きをいう。力強い人によって種々に事業が成就されることに瞼えて士用果という。
具体的には、たとえば、農業によって穀物を得る、商業によって利益を得る、など世俗の仕事の成果をいう。六因のなかの倶有因と相応因とによってもたらされる果。⇒六因
根本原因(因縁)を助ける補助原因の一つである増上縁によってもたらされた結果をいう。すべての存在(一切法)はそれ自ら(自性)を除いた他のすべての現象的存在のための増上縁であるから、それ自ら(自性)を除いた他のすべての現象的存在である有為が増上果といわれる。
たとえば一つの米粒が生じる場合、米粒の種子が因縁でそれ以外の大地や水や温度が積極的な増上縁であるが、それ以外の存在も米粒の発生をさまたげなかったという消極的な意味での増上縁と考えられ、そのような積極的な、消極的なさまざまの縁によって生じた米粒が増上果である。
積極的な増上縁としては二十二根がある。たとえば眼識(視覚)は眼根(眼の器官)という増上縁の結果であり、身体が腐らずに存続するのは命根という力の結果であると考える。六因のなかの能作因によってもたらされる果。
増上縁・因縁・等無間縁・所縁縁
名号を唱えれば、罪障が消滅し、臨終のときには必ず阿弥陀仏が来迎し、往生できること。
直接原因となる縁。たとえば草花に対する種のようなものであり、結果に対して明確な原因となるものが因縁である。
次第縁ともいわれる。この縁は心に関するもので、現在の心が生じるための原因となる過去の心のこと。現在の心は、直前の過去の心を拠り所として生じるもので、両者は心として等しく、また現在の心は直前の過去の心と連続して生じるもので、間をあけて生じないから、等無間縁という。
縁縁ともいわれる。所縁とは対象のことであり、所縁縁とは、認識の対象となって心を生じさせるあらゆるものごとのこと。
間接的な原因となる縁であり、ある一つのものは、それ以外のすべてのものの増上縁である。つまり、ある一つのものは、その他すべてのものの存在を妨げないという点で、それらが存在するための原因とみなされる。これは、要するに、無関係であることを縁として認めたもの。また増上縁の「増上」とは「広い」ことを示すものであり、このような関係は、因縁・等無間縁・所縁縁よりも広く認められるから、増上縁と呼ばれる。なお浄土教では、善導の説示によって、念仏者のうける阿弥陀仏の本願力を増上縁といい、これに五種を説く。さらに善導は阿弥陀仏の放つ光明が、念仏者のみを救いとる理由として親縁・近縁ごんえん・増上縁の三種を挙げている。
以上により、種子が離繋果を除く四果を生むことが理解されたであろう。
「作意の心所の種子が、同時にある他の次刹那に起こるべき心法の種子に作用しているのであるから、そこに同時の因果関係があり、すなわち同時の士用果があると見ることができる」
「因縁は、種子生現行、及び種子生種子の(前の)種子、および現行熏種子の現行のみが因縁であるという。」
「因縁は、種子生現行、及び種子生種子の(前の)種子、および現行熏種子の現行のみが因縁であるという。」
種子生現行
種子生種子
現行熏種子
應に大乗の縁起の正理を信ずべし。謂く、此の正理は深妙にして言を離れたり。因・果等の言は皆な假りて施設せり。現在の法が後のを引く用有るを觀じて、假りて當果を立てて、對して現の因を説く。現在の法が前に酬る相有るを觀じて、假りに曾の因を立てて、對して現の果を説く。假というは謂く、現の識が彼に似る相を現ずるぞ。是の如く因・果は理趣顯然なり。二邊を遠離して中道に契會せり。諸の有智の者、應に順じて修學すべし。
↑いい加減な事を言ってる気がする。
(※ 法介は竹村 牧男 とい学者をあまり信用していない)
後日、結城令聞著書の『唯識三十頌』を図書館から借りて来て調べてみよう。
分かってない奴が、さも分かったふりして仏法を語ってるな、、、、
という気がしてきた。
うっそぉ~~~~~~!
9月30日まで図書館閉まってるやん、、、、、、
https://youtu.be/02cZKWA64U8
リダンは絶対観るべきだな。
すっ飛ばしとる気がする
阿弥陀信仰があっての唯識だという事を
リダンは知らないんじゃないのかな
なるー
親鸞会がらみの唯識かー
762のレスの動機が
いまなっとかしたわ〜
ほーかいくん〜
わんばんこ〜
😀
阿弥陀信仰があっての唯識だという事を
は
ずっと謎やったー
😀
読んだ事ないのか?
構築したのねー
なるー
😀
そーいう引用理論構築しほーだ
なるー
😀
六波羅蜜とか十地とか三学などによって成就される実践結果なのでもある。
この実践結果たる法身の相が,同 時にまた奢摩他(samatha)と 毘婆舎那(vipas・yana)と い う止観の実践対象であり,換 言すれば、ま さに後得智の観ずる境界なのであつて、
し かしてこの止観の実践対象とされる十八円浄の浄土には,そ の往生の実践手段としても、乗 円浄たる止観に乗じて浄土に入ることができると明示している。
翻って 『浄土論』の説示内容について検討するに、そ の解義分に善男子善女人に対する往生浄土の実践として五念門(礼 拝門・讃嘆門・作願門・観察門・廻向門)の行を開顕する、
従 って 『浄土論』の場合にも往生の実践手段としては摂 大乗論などと同じく【止観】が重要であると知られる。
なお観察門たる毘婆舎那の対境として願生偈のなかの八十二句を対配していることは上にも記したが、
残 りの十四句はまさに冒頭の 「世尊我一心 帰命尽十方 無碍光如来 願生安楽国 我依修多羅 真実功徳相 説願偈総持 与仏教相応」と、
さ らには国土荘厳の十七種に続いて 「故我願生彼 阿弥陀仏国」とあるものと末尾の 「我作論説偈 願見弥陀仏普共諸衆生 往生安楽国」であり、
こ れらの諸句を通じて,世 親自らどれほど深くまた熱烈に安楽浄土に願生する心を有していたか察知されようが、か かる熱烈なほどの願生浄土の立場こそ、解 義分に願偈大意を略解して 「此願偈明何義示現観彼安楽世界見阿弥陀仏願生彼国故」とある文とも符合しており、
ま た作願門を解して 「云何作願心常作願一心専念畢寛往生安楽国土欲如実修行奢摩他故」とある所釈とも符節合致するであろう。
しかるに、こ の 『浄土論』の所説において、安楽浄土に一心に願生する、な いし【一心に作願する】ことがか奢摩他の行】であると解釈する立場は、瑜 伽行派の立場からして理解に窮する。
瑜伽行派の理解では、奢摩他はつまり毘婆舎那の如量智に対する如理智を得るものであり、
【法界真如】の≪無分別智≫を【証得する実践】とされる。
故にこの浄土論』に説かれた作願門なる特異な実践思想は、瑜伽行派における奢摩他の理解と異なり、
そ の内容が観察門たる毘婆舎那によつて観ずるところの三厳二十九種功徳の安楽浄土をその対象として一心作願、一 心願生する実践であることに注目するとき、
それはやはり〈無量寿経〉〈阿弥陀経〉などの浄土経典に説示される、まさしく願生浄土の思想を受容しながら成立した実践思想であると理解されうるであろう。
初期の念仏聖は
南都か、叡山か三井寺系統のいずれかで
歴史上、
唯識と念仏が近しいのは
鎌倉時代の南都
😀
後に高野山
鎌倉時代に
南都がブーム
😀
浄土経典との
関連のイメージは
あんまり
濃い感じがしないなー
中国の法然が好きだったー
善導大師
する。
貞観15年(641年)、晋陽(山西省太原市)にいた道綽を訪ね師事した。そして貞観19年(645年)に道綽が没するまで、『観無量寿経』などの教えを受けた。30年余りにわたり別の寝床をもたず、洗浴の時を除き衣を脱がず、目を上げて女人を見ず、一切の名利を心に起こすことがなかったという。托鉢にすすんで行き、数多く写経をし、200枚あまり浄土変曼荼羅を描き、修行僧からの供物は「私は釈尊でないから」と受け取らず、塔や廟を見かけると修復した。道綽没後は、終南山悟真寺に戻り厳しい修行をおこなう。
その後長安に出て、『阿弥陀経』(10万巻)を書写して有縁の人々に与えたり、浄土の荘厳を絵図にして教化するなど、庶民の教化に専念する。
https://m.douyin.com/share/video/7392083936270208291
第七識は平等性智に
第六識は妙観察智に
前の五識は成所作智に
前五識は声聞の智慧(成所作智)に
第七識は菩薩の智慧(平等性智)に
第八識は仏の智慧(大円鏡智)に
実は「仏の智慧」は未だ
解き明かされてはおりません。
別教の次の円教に至ってなんです。
はじめて明かされた
仏の智慧です。
菩薩の智慧である「平等性智」どまりなんです。
そこでの真理は、縁覚の智慧なので
「妙観察智」が通教の道諦となります。
声聞の智慧の「成所作智」が
蔵教における道諦となります。
それまで自我として作用していた末那識(自我の本体)が
菩薩の修行によって完全に退治(自我の退治)され
末那識→平等性智(菩薩の智慧)
に変わるという事です。
後得智(片眼凡夫+片眼仏)を得ます。
『浄土論』で説かれている阿弥陀信仰が大前提なんです。
その功徳として
(片眼凡夫+片眼仏)の後得智が果得(功徳)として得られるのです。
この(片眼凡夫+片眼仏)の後得智が
顕れる事はまずもってあり得ません。
言っている人達は、
自身が勝手に造り出した妄想でも見ているのでしょう。
仏教の道理から見ると
なるのではないでしょうか。
法介論法スレを書き進めに行って来ます。
サティーさん
あまり荒らさないでくださいね。
読みにくくなるので。
困ったジジィなんです
わたしは。
嬉しいです。
あなた自身の成長にも
つながって行くと思います。
成長しているんですよ
良いんですか
でおーが、、、、、
やっぱりでおーに成長は望めないようだ、、、
馬ちゃんまで書き込んでいるし、、、
ブログ的に活用してるんです!!
こちらに書いていただけると
嬉しいです
『「唯識三十頌」を読む』 廣澤隆之 P285)
● なお、この【転識 - 得智】は【仏位】になってから、一気に【識】が【智慧】に【転換】するのではない。
【初地】の【空性体験】に依って【平等証智】と【妙観察智(後得智)】が【獲得】され、
【十地において】繰り返し【無分別智】を【体験した結果】
【仏位】になると【大円鏡智】と【成所作智】が【獲得される】。
ーーー
『「唯識三十頌」を読む』 廣澤隆之 P285~286)
● 伝統教学では、このような智慧の獲得の階位について、
【妙観 - 平等】【初地 - 文得】【大円 - 成事】【唯仏 - 果起】
【妙観察智と平等証智】は【初地】で文得され、
【大円鏡智と成所作智】は【唯仏果】でおこる、という詩文で暗記することになっている。
ーーー
● こうした四智は、仏果に至ってはじめて得られるのではなく、
十地の【初地位】で≪無分別智≫を起こして【見道】に入るのですが、
そこにおいて【第六意識】が【妙観察智】となり、それに引かれて【第七末那識】が【平等証智】になる。
● それらには先に一言したように、ともに≪根本無分別智≫と≪後得智≫があります。
すなわち、まず≪真如を証し≫その上で広く【世界を分析していく】のが【妙観察智】で、
また【平等証智】は【自他の平等性】をさとり、その上で【諸法を平等に縁ずる】わけであります。
● このように【第六意識】と【第七末那識】とは≪見道≫において、
それぞれ【妙観察智】【平等証智】を開くのですが、
その後の≪修道≫で更に【二阿僧祇劫】の間【十地の修行を積んで】【仏果に至って】はじめて、
【前五識】が、ようやく【成所作智】となり、【阿頼耶識】が【大円鏡智】になります。
ーーーーー
『唯識とは何か「法相二巻抄」を読む』 横山紘一 P384
●この段階を【見道】という。
≪真如≫に達するからまた【通達位】ともいわれる。
具体的には、四智のうち【妙観察智】と【平等証智】との二つの智が生ずる。
ーーー
『唯識とは何か「法相二巻抄」を読む』 横山紘一 P405)
● 前述したように【四智】のうちで【大円鏡智】と【成所作智】とは、
この≪仏位において≫初めて生ずる。
ーーーーー
日本の仏教学者で、真言宗の僧侶、大正大学元副学長。
大正大学教授、真言宗智山派伝法院前院長、川崎大師教学研究所専門研究員。
禅宗のなんちゃって仏教の学者さんよりも
仏教を解っておられそうですね。
この≪仏位において≫初めて生ずる。
290.法介◆T3azX0Hk1U
一仮一切仮で顕れる応身如来と
一空一切空で顕れる報身如来と
一中一切中で顕れる法身如来の
凡夫の一身に顕れる三身如来です。
2024/09/28 10:00:30
法=法眼:第八識は大円鏡智 ---( )
蓮=慧眼:第七識は平等性智 ---(一中一切中)
華=天眼:第六識は妙観察智 ---(一空一切空)
経=肉眼:前の五識は成所作智 ---(一仮一切仮)
第八識は大円鏡智 ---(三身即一)
第七識は平等性智 ---(一中一切中=法身如来)
第六識は妙観察智 ---(一空一切空=報身如来)
前の五識は成所作智 ---(一仮一切仮=応身如来)
第八識は大円鏡智 ---(三身即一)
第七識は平等性智 ---(一中一切中=法身如来)
第六識は妙観察智 ---(一空一切空=報身如来)
前の五識は成所作智 ---(一仮一切仮=応身如来)
〝法介〟の答え。
現時点の〝法介〟にとっての
自身の答えです。
紹介しているだけです。
と、でおーのように
他人にゴリ押ししているのではありません。
参考にしてくれれば良いし
そうでなければ聞き流してくれれば
宜しいかと思います。
大人じゃないのでしょうか。
そうは思わないか。
ここにサティを呼ぶのは
どうなん?
向こうがアカンのやな
暇だから
お題を出しても良いか。
それは悟れますか?
答えてくれていいぞー
包丁に十界はないんやないか
「乃ち是れ一草・一木・一礫・一塵・各一仏性・各一因果あり縁了を具足す」
とある。
ほうほう
昼休憩~今日は現場が3人も休みなので外回りじゃなくて現場入ってるので見る暇はなさそーです。
>>837
私は離脱経験の内容も多種多様ですよ。タコだったり猫だったり岩だったりした事もあります。
人間のような思考をするわけではないんです。でもそのものになっても対して変わりはしないです。その状態が当たり前なのでそれに違和感を持つこともありません。
私がよく言う発想。何が思い浮かんで何が思い浮かばないか、それだけですよ。
>タコだったり猫だったり岩だったりした事もあります。
大変興味深いお話です。
摩訶止観の第五にいわく「非情の国土にも十如是がある故に悪国土には悪国土の相・性・体・力・作・因・縁・果・報・本末究竟等があり、同じく善国土にも二乗の国土にも菩薩の国土にも仏国土にもそれぞれの十如是を具している」と。釈籤の第六にいわく「相は外面に顕われたもので物質である。性は内在する性質であり心である。また体は物の本体で色心をかね、力は外に応ずる内在性で、作は外部への活動、縁は善悪の事態を生ずる助縁であり、これらの体力作縁は皆色心の二法を兼ね、因と果は唯心、報は唯色法である」と説いている。また金錍論にいわく「一本の草、一本の木、一つの礫、一つの塵等皆悉く一個の仏性、一つの因果が具わっており縁因・了因の性を具足している。すなわち実在する物はことごとく本有常住の三因仏性を具足しており、非情の草木であっても有情と同じく色心・因果を具足していて成仏するのである」と。
依報って考えたら
見る側が包丁に仏性を観ると
成仏やないかね
思考もありません。ただ、存在のようなものを感じる事はあります。
それは私が0地点に行こうとしてどんどん脱ぎ捨てられて何も感じないはずなのに感じる意志のようなものに近いかも。
それは言葉には出来ないなぁ。流石に。猫やタコならまだ行動するだけ少し説明は可能かもしれないけども。
その国に黄金をこよなく愛する一人の男がいました。
あえなく死んでしまいました。
かつて埋めたかめに巻きついたのでした。
「お前さんは見たところ毒ヘビだな。私をおびき寄せて襲うつもりだな」
「私がもしその気なら、
こっちに来なくてもかみ殺すぐらいわけないことだ。
さあ、言うとおりにするのだ」
男は少しずつヘビに近づき、
すぐそばまで来ると、ヘビは言葉を続けました。
私の体験だと過去世の記憶はかなり強い力を持ってないと現れてはこないという印象です。
それなりに強い人でも夢とか一瞬フラッシュバックするように記憶にない光景とかが浮かぶ程度でしょう。
その話が作り話だとしても、その蛇は前世の記憶を普通にもっているのでその執着がなくなった時に元々の素質から天界に行ったのかな?
という想像はあります。
蛇って非情なんか?
包丁の成仏はどうなんや
生前に本人が執着していたモノを絶対にそばに置いてはいけないと。
死後、その執着が因となって
宝石に意識が転移する。
テレビで紹介してたりするだろ。
人の意識は乗り移る
そのセリカを与えてやった。
と。
そろそろ寿命が来てるかなと思ってた時、
バッテリーは上がった。
セリカが一生懸命頑張ってここまで走って来てくれたんだね。
セリカにありがと言っとけよ」
と。
痛みが進むのって早いじゃん
そこに人が関わると
なにかしらの変化がそのモノに起こるんじゃないかと
わたしは思う。
それを連続再生した時
動きが生じる。
連続再生したらそれが動いて見える。
少しずつ変化している
人間の想いが乗っかったら
どうなるか。
その人物の何かが種子生種子で包丁に加わるだろう。
修羅の包丁。
その料理人のこころが種子生種子でその包丁の阿頼耶識を書き換える
それに関わる人の境涯によって
そのモノの境涯も変化する
まだ決まってない
茄子が食いたい
アラビアータの即席パスタに乗っけて食べたら美味しいぞ
晩飯は決定した
https://talk.jp/boards/psy/1725614113
瞑想三兄弟が向こうの世界の話で盛り上がっているようなので、
その間、
こちらで先ほどの
「包丁にも十界があるか?」
の続きを少しお話しておきます。
「石は成仏しますか?」
というお題を出したことがある。
https://talk.jp/boards/psy/1710074267
↑のスレ 187 あたりからかな。
193
実は無情の成仏にはもう一つの見方があります。
と言っております。
そんな三バカラスみたいな
法介の『ゆゆしき世界』パート5
https://talk.jp/boards/psy/1690750165
↑で最初に石が成仏する話をしております。
結局これでしょ>>848
無情の成仏について
わたしは3つのパターンをこれまでに話して来ました。
ブブー、ハズレ!
リダンに解るか?
あら
スレ948あたりから。
法介の『ゆゆしき世界』パート5
https://talk.jp/boards/psy/1690750165
スレ948あたりから。
パターン ②
法介の『法華経談話』
https://talk.jp/boards/psy/1710074267
スレ 187 あたりから。
パターン ③
今回の包丁の話
いやごめん見ないわ
今からゲームするNFTをゲットして
ドル円3円落ちの挽回しなきゃね
さすがに奴が当選するとは
このリハクの目を以てしても看破できなかったわ
じゃあ、解りやすくまとめておくよー
実は「南無妙法蓮華経」とは、そういった概念から抜け出た言葉なのです。あるのは、ただ一つの一念三千という真理。今一瞬の光景は三千の要素が複雑に絡み合って立ち上がった自身の心が造り出す世界観であると。それを「南無妙法蓮華経」と名付けられたのです。
〝月こそ心、花こそ心〟という一節があります。
「大地が即草木であり草木が即大地である」
と説きます。
「心が澄むのは月のようである。心が清いのは花のようである」
と説きます。
の間違いだな。
「月こそ心、花こそ心」と、
月も花も自身の心そのものであると説きます。
別教の菩薩に対して説かれた真理です。
墓石屋が見たらその石は「材料」であり
漬物屋が見る石は「道具」である。
石で出来た仏像を拝んでる人から見たら
それは「石」ではなく、
「仏」そのものでしょうという説明をしました。
が前回のお話(パターン ① )でした。
今回(パターン ② )は存在論のお話です。
石は存在(実在)しております。
その場合のその「石」は
「石」ではありません。
そのわたしの認識から離れた「石」は
ただの物体です。
お釈迦さまはそれを
「縁起によって形成されたモノ」と見ました。
此縁性縁起(声聞の智慧)です。
そのモノがそのモノとなり得た縁起(因果)で観るのが
仏の見解(認識)です。
「これは誰がどういう意図をもってこのような形に造り」
「それがどうして今ここにあるのだろう」
と観るのが正しいモノの見方だとお釈迦さまは言われているのです。
次に相依性縁起が自身の心の中で起こります。
カップじゃないかも、、、、
じゃあなんだろう、、、」
なんだこれ、、、
尿の匂いがするぞ、、、、」
これ! 尿瓶じゃん!」
といった具合に五蘊の「想」と「行」が起こり
此縁性縁起の「色」と「受」と相まって
一連の縁起が阿頼耶識に「識」として記憶されます。
相依性縁起でそれを心の中で展開する内縁起が起こる。(空即是色)
この「色即是空・空即是色」で対象を捉える事で人は事象を
正しく認識し正しい判断を得る事が出来ます。
誰がどうやって説きましたか?
相依性縁起は龍樹が通教で『般若経典』をひも解いて解き明かしました。
縁覚の智慧が相依性縁起です。
阿頼耶識に因果として収まっております。
此縁性縁起と
相依性縁起で観るという事は、
声聞の智慧と縁覚の智慧が
働いているという事になります。
縁覚の智慧は、阿頼耶識の了因仏性です。
この二つの仏性が顕われました。
修行(因)によって覚り得た(果)
因果の二法です。
「妙法とは有情の成仏なり蓮華とは非情の成仏なり、有情は生の成仏・非情は死の成仏・生死の成仏と云うが有情非情の成仏の事なり」
と仰せの「非情は死の成仏」のお話です。
わんばんこ〜
ほーかいくんスレは
平穏であるー
五チャンネルキリスト教スレが
一番大紛争だなー
レスする意欲がないー
😃
鹿野園がらみか?
新たな発見があった
むろん
レスしない
😃
鹿がらみで
幸福の科学信者のバトルから
新興宗教秀明会の美魔女を巻き込み
ま、真の魔界だなー
あれは
😫
リダン&デンちゃんにレスする意欲がない
😫
プレミアムの無料期間を2025/3/31まで延長することになりました。
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