法介が主役のスレ パート2アーカイブ最終更新 2024/10/24 14:101.法介◆T3azX0Hk1U6Q9XXわたくし法介が、自身の主張を惜しみなく、そして果てしなく語り続けるスレです。それは、見る人によっては、何て我がままで、何て自己中な奴なんだ!と受け止める場合もあるでしょう。そういう人は、このスレはスルーされて下さい。そんな我がままで、自己中な法介を広い心で受け止めて下さる方だけご覧ください。尚、わたくし法介が楽しめなくなるような、全ての行為をここでは禁止します。具体的には以下に示すローカル・ルール(テンプレ)がそれにあたります。法介がメインで自論を語るスレ パート1https://talk.jp/boards/psy/17287870382024/10/20 15:40:361000すべて|最新の50件2.法介◆T3azX0Hk1U6Q9XX1.まず、意見をされるのは自由です。ただし、わたくし法介が話をしている最中に、それを割って入って来る行為は頂けません。そこはご注意ください。2024/10/20 15:41:183.法介◆T3azX0Hk1U6Q9XX2.Talk 掲示板は、利用者個人の発想で、自由に活用出来る掲示板です。スレ主がメインで語ってはいけないなどの制約は御座いません。利用規約に書かれていない意味不明な個人の勝手な解釈による掲示板の使い方をゴリ押ししない事。(サティさん、あなたに言ってます)2024/10/20 15:41:314.法介◆T3azX0Hk1U6Q9XX3.有意義な意見交流は大歓迎です。しかし、子供じみた言い争いや、しょーもないマウントの取り合いは、ご勘弁ください。どうしてもそのような行為を楽しみたい、もしくは本能的にやめられないと言う方は、取り合えずかっぱえびせんを食べながら5ちゃんの宗教板へ向かわれてください。2024/10/20 15:41:495.法介◆T3azX0Hk1U6Q9XX4.法介が席を外している時は、ご自由にフリートークを楽しまれて下さい。2024/10/20 15:42:006.法介◆T3azX0Hk1U6Q9XX5.他者を罵ったり、誹謗や中傷行為はご法度です。そういう人を見かけたら気づいた人が注意を呼びかけましょう。こういった掲示板は良識ある大人が言葉のユーモアを楽しむ場でもあります。そういったユーモアやギャグ、ボケと突っ込みは思いつく限りかましましょう。しかし、それによって誰かを傷つけるような低俗なボキャブラリーはご遠慮ください。2024/10/20 15:42:207.法介◆T3azX0Hk1U6Q9XX6.以上のローカル・ルールに従わない者は、スレ主権限でわたくし法介が、かなりの上から目線で、しかも、もの凄く偉そうに、且つ厳しい口調でゴジラのように口から火を噴くが如くに注意を促します。場合によっては当スレへの出入り禁止を言い渡す場合もございます。ご了承ください。2024/10/20 15:42:478.法介◆T3azX0Hk1U6Q9XX以上の内容を以て、当スレのローカル・ルールとさせて頂きます。2024/10/20 15:43:089.パMAym6パーリー経典 全翻訳光明寺経蔵https://komyojikyozo.web.fc2.com/dnskv/dn08/dn08c03.htm2024/10/20 16:30:2010.神も仏も名無しさんD3cqtほーかいくんの新スレおつ〜〜😃😃😃😃ほーかいくんワールド研究、さらに進んだ😃2024/10/20 16:57:5511.神も仏も名無しさんD3cqtほーかいくんの元気復活良かったべ〜😃2024/10/20 16:59:2812.神も仏も名無しさんD3cqtとりまほーかいくんワールド研究はさらに深く理解できた〜、😃😃😃2024/10/20 17:34:0113.神も仏も名無しさんD3cqt晃は世界へ対立し過ぎて姿がなさそーだなほーかいくんはガンコだけど周囲の楽しくやっている感がある😃2024/10/20 17:40:0014.神も仏も名無しさんD3cqt晃は苦悩しているのは1,守護されてる感がない2,正気を回復させる力を信じきれていないこの辺りが今日の研究で霊的理解したところてある😃2024/10/20 17:44:1115.神も仏も名無しさんP9KkEほ〜〜〜〜〜〜😫😫😫😫😫2024/10/20 19:34:3616.法介◆T3azX0Hk1U6Q9XXも少し洒落たレスをくれないとやる気が起きん2024/10/20 20:03:0617.法介◆T3azX0Hk1U6Q9XX新ドラマシーズンだしなー2024/10/20 20:06:1318.法介◆T3azX0Hk1U6Q9XX今日から日曜劇場始まるしー2024/10/20 20:07:1819.法介◆T3azX0Hk1U6Q9XX法介劇場もやりたいけどメンバー揃わんしー2024/10/20 20:11:1020.法介◆T3azX0Hk1U6Q9XX渡る世間は和尚ばかりぐらいしか思いつかんて2024/10/20 20:13:4221.法介◆T3azX0Hk1U6Q9XXそんな時僕はおもむろにシティ・コネクションでも流してみるhttps://www.youtube.com/watch?v=UFlPTjb2-8I&t=7s2024/10/20 20:30:0422.法介◆T3azX0Hk1U6Q9XXこういう洒落た曲が何気に流れてくるスレって良いもんだろ言いもんだろ2024/10/20 20:31:2623.法介◆T3azX0Hk1U6Q9XXとかいって何気に「おもむろ」なんて言葉を使ってみたが、2024/10/20 20:32:4824.法介◆T3azX0Hk1U6Q9XX【おもむろ】動作が静かでゆっくりしている様子。そういう意味だったのか2024/10/20 20:33:4625.法介◆T3azX0Hk1U6Q9XX「おもむろ」の意味は知っていても「しれーっと」の意味を知ってる人はそういないだろ2024/10/20 20:36:2626.法介◆T3azX0Hk1U6Q9XX松雪泰子に聞いたら分かる2024/10/20 20:37:1827.法介◆T3azX0Hk1U6Q9XXナベサダ”も良く聞いてたなーhttps://youtu.be/HVfa-OdkhC82024/10/20 20:41:5828.法介◆T3azX0Hk1U6Q9XX昭和のミュージック・シーンを演出した一人https://youtu.be/hLS0bbENYH02024/10/20 20:59:3629.法介◆T3azX0Hk1U6Q9XXさて、日曜劇場を見よっと2024/10/20 21:00:1030.神も仏も名無しさんP9KkE来年のゴールデンウィークのプランを練ってた😃2024/10/20 21:23:3431.神も仏も名無しさんP9KkE展開によっては成唯識論の現在語訳の最終章をコピーできたらラッキー😃2024/10/20 21:25:2032.神も仏も名無しさんP9KkEゴールデンウィークは二回出撃かー一回になるか、二回になるかー2024/10/20 21:27:0533.神も仏も名無しさんlwfyX世親の何がすごかったかというと転変だろうね。それまでは心のあり方が世界の表象として現れるとしか言ってなかったが阿頼耶識の業が転変することで世界が現れ相続していると言ったこと。これによって阿頼耶識の活動が具体的になった。それまでは、阿頼耶識はあまり注目されておらず三性説が中心であったが、観念論的だが、心の構造を論じたのが画期的だった。2024/10/20 22:46:4234.◆JBLfMwCXhYSRLtHそうだな~初期の唯識論は、三性説がメイン中観派と大きな違いはなかった2024/10/21 07:13:4735.◆JBLfMwCXhYSRLtH唯識派の三性とは?三性とは、妄想された存在形態(逼計所執性)、他に依 存する存在形態(依他起性)、完全に成就された存在形態(円成実性)と名付けられる世界の三種のあり方を指す唯識思想の根本真実である。2024/10/21 07:14:5136.法介◆T3azX0Hk1UJIfthおはようございます、法介です。2024/10/21 07:49:5637.法介◆T3azX0Hk1UJIfthおはよー、JBL2024/10/21 07:50:1638.法介◆T3azX0Hk1UJIfth久しぶりだな2024/10/21 07:50:3839.法介◆T3azX0Hk1UJIfth四国旅を満喫して来たようで2024/10/21 07:52:5140.法介◆T3azX0Hk1UJIfthJBLもリダンと同様、無相唯識派でしたよね。2024/10/21 07:54:1141.法介◆T3azX0Hk1UJIfthそもそも学者さんが書かれた本で唯識を学ぶと概ね無相唯識の考えになるかと思います。2024/10/21 07:56:0342.法介◆T3azX0Hk1UJIfthしかし、清森さんのように論書から直に学ばれ信心で(境涯で)法理を修得されておられるような方は有相唯識を説かれます。2024/10/21 08:00:3943.法介◆T3azX0Hk1UJIfthそれは、どっちが正しいとか言い争うものでもないかと私は思います。2024/10/21 08:01:5644.法介◆T3azX0Hk1UJIfth小空経で空を理解している声聞の境涯の人達にとっては無相が正解となりますし、2024/10/21 08:03:1145.法介◆T3azX0Hk1UJIfth大空経で空を理解出来ている人達にとっては有相が正解となってきます。2024/10/21 08:03:5546.法介◆T3azX0Hk1UJIfthこの境目にあるものそれが信仰です。2024/10/21 08:04:3047.法介◆T3azX0Hk1UJIfth大乗起信論が説かれているのはそういうことです。2024/10/21 08:05:1248.法介◆T3azX0Hk1UJIfth仏に対する信仰を起こさないと大空経で説く「空」の世界へは入って行けないのです。2024/10/21 08:06:1049.法介◆T3azX0Hk1UJIfthいやいや、瞑想で入れるでしょと、リダンなんかは反論するかと思いますが、2024/10/21 08:06:4650.法介◆T3azX0Hk1UJIfth瞑想では無理なんです。2024/10/21 08:07:1051.法介◆T3azX0Hk1UJIfth瞑想では意識が働きませんので。2024/10/21 08:07:4052.法介◆T3azX0Hk1UJIfth阿頼耶識に「無為」が刻まれたとしてもその「無為」の中には何もありません。2024/10/21 08:10:0153.法介◆T3azX0Hk1UJIfth覚りの因果は、そこには含まれておりません。2024/10/21 08:10:2554.法介◆T3azX0Hk1UJIfthその「無為」を因として縁起が起こったとしても得られる果徳は、ただの「無の心」でしょう。2024/10/21 08:12:4455.法介◆T3azX0Hk1UJIfth無を悟る事と物事の真理を覚る事とは意味が全く異なります。2024/10/21 08:13:3956.法介◆T3azX0Hk1UJIfth例えば、人生において重大な選択を迫られた時、どっちを選ぶべきか答えを導き出すのに人は悩みます2024/10/21 08:15:2557.法介◆T3azX0Hk1UJIfthそういった時、その無の心になったとしてそこで「ハァ」を気づく無意識は、凡夫の自身の無意識です。2024/10/21 08:16:5658.法介◆T3azX0Hk1UJIfthいやいや、その無意識こそが真我という仏の心なんですよとでも言いますか?2024/10/21 08:18:0359.法介◆T3azX0Hk1UJIfth真我って、常住不変なんでしょ?2024/10/21 08:18:3360.法介◆T3azX0Hk1UJIfth仏教ではそのような「常住不変」な存在は完全否定され常に流動的に変化する「縁起の法門」が真理として説かれております。2024/10/21 08:20:0161.法介◆T3azX0Hk1UJIfth仏=常住不変な存在と考えている人が沢山おられます。2024/10/21 08:23:0262.法介◆T3azX0Hk1UJIfthそのような「常住不変」なる心が凡夫の奥底に眠っていると考えるのが本覚思想です。2024/10/21 08:24:2963.法介◆T3azX0Hk1UJIfth仏教では、そのような思想は説かれておりません。2024/10/21 08:24:5264.法介◆T3azX0Hk1UJIfthそれは唯識を学べば分かる事です。2024/10/21 08:25:2965.法介◆T3azX0Hk1UJIfth『成唯識論』の第四偈の解説に何て書かれているかご存じですか2024/10/21 08:26:1766.法介◆T3azX0Hk1UJIfth「無始よりこの来た、消滅し相続して常にも非ず、断にも非ずして、有情を漂溺して出離せざらしむ。又た瀑流は、風等に撃せられて、諸の波浪を起こすと雖も、而も流すること断ぜらるが如し。此の識も亦た爾なり。衆縁に遇って、眼識等を起こすと雖も、而も恒に相続せり。又た瀑流は、水の下・上の魚・草等の物を漂して、流れに随って捨てざるが如し。此の識も亦た爾なり」2024/10/21 08:26:3767.法介◆T3azX0Hk1UJIfth「無始よりこの来(か)た」---( ① 無始 )2024/10/21 08:28:0568.法介◆T3azX0Hk1UJIfth「消滅し相続して常にも非ず」---( ② 非常住 )2024/10/21 08:29:1969.法介◆T3azX0Hk1UJIfth「断にも非ず」--- ( ③ 無終 )2024/10/21 08:30:1070.法介◆T3azX0Hk1UJIfth阿頼耶識をば断とせんや、常[じょう]とせんや、断にも非ず、常にも非ず、恒[つね]に転ずるを以ての故に。恒と云うのは謂[いわ]く、此の識は無始の時より来[このか]た、一類(無記)に相続して常に間断[けんだん]無しと云わんとするということ、是れ[三]界・[五]道・[四]生とを施設する本[もと]なるが故に、性堅[しょうけん]にして種子[しゅうじ]を持[じ]して失[しっ]せざらしむが故に。転(常・一を庶[しゃ]す)と云うは謂く、此の識は無始の時より来た、念念に生滅して前後変異すと云わん。因滅すれば果生ずるを以て常・一に非ざるが故に。転識[てんじき]の為に種子[しゅうじ]を熏成[くんじょう]する可[べ]きが故にと。恒と言うのは断を遮[しゃ]す。転と云うは常に非ずと云うことを表す。猶ほ暴流[ぼうる]の水の断にも非ず、恒にも非ずして相続して長時に漂[ひょう]し、溺[にゃく]する所ろ有るが如し。此の識も亦爾[しか]なり。無始従[よ]り来た、生滅し相続して、常に非ず、断にも非ずして、有情を漂・溺して出離[しゅつり]せざらしむ。2024/10/21 08:35:4071.法介◆T3azX0Hk1UJIfth「是れ[三]界・[五]道・[四]生とを施設する本[もと]なるが故に」の意味、解りますか。2024/10/21 08:37:5072.法介◆T3azX0Hk1UJIfth三界は「欲界・色界・無色界」2024/10/21 08:40:2273.法介◆T3azX0Hk1UJIfth五道は、「天界、畜生界、地獄界、餓鬼界、人間界」2024/10/21 08:40:4074.法介◆T3azX0Hk1UJIfth四生は、次の生物の四種の生まれ方を言います。 胎生(母胎から生まれる人や獣など) 卵生(卵から生まれる鳥類など) 湿生(湿気から生まれる虫類など) 化生(みずからの業力によって生ずる、天・地獄・中有などの衆生)2024/10/21 08:42:0075.法介◆T3azX0Hk1UJIfth『般若心経』は、読まれた事ありますか2024/10/21 08:44:4976.法介◆T3azX0Hk1UJIfthそこに何と書かれてますか2024/10/21 08:45:0477.法介◆T3azX0Hk1UJIfth「不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故空中 無色 無受想行識」生じることも滅することもなく、汚いことも綺麗なこともなく、増えることも減ることもない。故に、空観においては、色相もなく、受想行識も働かない。2024/10/21 08:45:1878.法介◆T3azX0Hk1UJIfth「空観においては」ではなく「真如においては」ですね2024/10/21 08:46:2579.法介◆T3azX0Hk1UJIfth「無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 無眼界乃至無意識界」眼耳鼻舌身意もなく、色声香味触法もない。眼界(視界)もなく、乃至、意識界(第六識・第七識)も働かない。2024/10/21 08:47:0180.法介◆T3azX0Hk1UJIfth「無無明 亦無無明尽」無明もなく、また無明が尽きることもない。「乃至無老死 亦無老死尽」しかも老いることもなく、また年老いて死ぬこともない。「無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故」苦もなく苦を滅する方法もない。智もなく、また得もない。得る所無きが故に。2024/10/21 08:47:3181.法介◆T3azX0Hk1UJIfthまさに、阿頼耶識の事を言っております。2024/10/21 08:49:2182.法介◆T3azX0Hk1UJIfth「智もなく、また得もない。」と言っております。(ここ大事!)2024/10/21 08:50:4483.法介◆T3azX0Hk1UJIfth阿頼耶識では思慮は働かないのでそうなります。2024/10/21 08:51:3084.法介◆T3azX0Hk1UJIfthなので起信論では、正因熏習の力有と雖も、若し諸佛菩薩、善知識等に遇て、之を以て縁と為さざれば、能く自ら煩悩を断じて涅槃に入る者は、則ち是の処無し。若し外縁の力有と雖も、而も内の淨法未だ熏習の力有らざれば、亦た究竟じて生死の苦を厭い、涅槃を樂求すること能わじ。と説かれております。2024/10/21 08:53:4585.法介◆T3azX0Hk1UJIfth「善知識等に遇て、之を以て縁と為さざれば」と。2024/10/21 08:54:2886.法介◆T3azX0Hk1UJIfthこれが信仰です。2024/10/21 08:54:5187.法介◆T3azX0Hk1UJIfth仏と縁を交わす事。それが信仰です。2024/10/21 08:55:3088.法介◆T3azX0Hk1UJIfth衆生と云うも仏と云うも亦此くの如し迷う時は衆生と名け悟る時をば仏と名けたり、譬えば闇鏡も磨きぬれば玉と見ゆるが如し、只今も一念無明の迷心は磨かざる鏡なり是を磨かば必ず法性真如の明鏡と成るべし、深く信心を発して日夜朝暮に又懈らず磨くべし何様にしてか磨くべき只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり。『一生成仏抄』2024/10/21 08:57:1389.法介◆T3azX0Hk1UJIfthでは、朝の長行の勤行・唱題行をしてきます。2024/10/21 08:58:1590.神も仏も名無しさん4WggIほ〜〜〜〜〜😫2024/10/21 13:59:5191.◆JBLfMwCXhYbfxPe>>39中国四国にハマってます2024/10/21 17:18:3792.◆JBLfMwCXhYbfxPe縦横無尽に説いておられますな~😄2024/10/21 17:18:5893.法介◆T3azX0Hk1UJx7xu参考になりそうな論文を見つけました。『成唯識論』の三性説の解釈について 吉村 誠http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/36083/rbb047-06-yoshimura.pdf2024/10/21 20:36:3794.法介◆T3azX0Hk1UJx7xu前回に続き、これまた吉村氏の論文です。2024/10/21 20:37:1595.法介◆T3azX0Hk1UJx7xu駒澤大学の仏教学部仏教学科の教授さんかー2024/10/21 20:40:5396.法介◆T3azX0Hk1UJx7xu学者さんにしては、なかなかの視点を持っておられる2024/10/21 20:41:4397.法介◆T3azX0Hk1UJx7xuが、しかし2024/10/21 20:41:5898.法介◆T3azX0Hk1UJx7xu吉村氏の考察↓https://livedoor.blogimg.jp/butudou/imgs/c/7/c76d424f.jpg2024/10/21 20:43:2699.法介◆T3azX0Hk1UJx7xu玄奘三蔵は、わたしが指摘している「見分・相分」と「能取・所取」の混同に気づいていたところに吉村氏は、気づいてこの構図を描いたのだろうか。2024/10/21 20:46:43100.法介◆T3azX0Hk1UJx7xu>>98 ←この構図をみたら、安慧は、完全に「見分・相分」と「能取・所取」を混同していたことがお解かり頂けるかと思います。2024/10/21 20:49:06101.法介◆T3azX0Hk1UJx7xuこの混同で唯識を理解すると無相唯識に至ります。2024/10/21 20:49:51102.法介◆T3azX0Hk1UJx7xuそれに対し護法は、「見分・相分」と「能取・所取」とをきちんと分けているのが理解頂けると思います。2024/10/21 20:51:13103.法介◆T3azX0Hk1UJx7xu客体 (① 見られる側)=真実のモノのあり様主体 (② 見る側) =凡夫の認識(客観 ③ + 主観 ④ )①=所取 ②=能取 ③=相分 ④=見分2024/10/21 20:52:12104.神も仏も名無しさん4WggIほーかいくんが戻ってきた〜わんばんこ〜〜😃😃😃😃2024/10/21 20:53:14105.法介◆T3azX0Hk1UJx7xuが、しかしと書きましたのは、>>98 ←この吉村氏の構図2024/10/21 20:53:23106.法介◆T3azX0Hk1UJx7xu『成唯識論』を読み間違えております。2024/10/21 20:54:03107.法介◆T3azX0Hk1UJx7xuプリントNoの一九七をご覧ください。『成唯識論』の三性説の解釈について 吉村 誠http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/36083/rbb047-06-yoshimura.pdf2024/10/21 20:55:31108.法介◆T3azX0Hk1UJx7xuここで引用されている『成唯識論』の原文は、こちらです。https://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?mode=detail&useid=1585_,31,0045c14&key=%E8%88%87%E4%BE%9D%E4%BB%96%E8%B5%B7%E5%BE%A9%E6%9C%89%E4%BD%95%E5%88%A5&ktn=&mode2=22024/10/21 20:56:31109.法介◆T3azX0Hk1UJx7xu遍計所執其相云何。與依他起復有何別。有義三界心及心所由無始來虚妄熏習。雖各體一而似二生。謂見相分。即能所取。如是二分情有理無。此相説爲遍計所執。二所依體實託縁生。此性非無名依他起。虚妄分別縁所生故。云何知然。諸聖教説虚妄分別是依他起。二取名爲遍計所執。有義一切心及心所由熏習力所變二分從縁生故亦依他起。遍計依斯妄執定實有無一異倶不倶等。此二方名遍計所執。諸聖教説唯量唯二唯種種。皆名依他起故。又相等四法十一識等論皆説爲依他起攝故。不爾無漏後得智品二分應名遍計所執。許應聖智不縁彼生。縁彼智品應非道諦。不許應知有漏亦爾。又若二分是遍計所執。應如兎角等非所縁縁。遍計所執體非有故。又應二分不熏成種後識等生應無二分。又諸習氣是相分攝。豈非有法能作因縁。若縁所生内相見分非依他起二所依體例亦應然。無異因故。由斯理趣衆縁所生心心所體及相見分有漏無漏皆依他起。2024/10/21 20:57:15110.法介◆T3azX0Hk1UJx7xu有義(←護法の説)一切心及心所由熏習力所變二分從縁生故亦依他起。遍計依斯妄執定實有無一異倶不倶等。此二方名遍計所執。↑の部分を吉村氏は、↓このように訳しておられます。有義は、一切の心及び心所の、熏習の力に由りて変ずる所の二分も、縁より生ずるが故に亦た依他起なり。遍計といふは斯れに依りて妄りて、定めて実に有なり無なり一なり異なり倶なり不倶なり等と執する、此の二を方に遍計所執と名く。2024/10/21 21:05:23111.法介◆T3azX0Hk1UJx7xu「熏習の力に由りて変ずる所の二分」←ここでいう二分とは、相分と見分です。2024/10/21 21:23:39112.法介◆T3azX0Hk1UJx7xuその二分(相分と見分)が「縁より生ずるが故に亦た依他起なり。」と論では言っております。2024/10/21 21:24:38113.法介◆T3azX0Hk1UJx7xu縁起で生じた相分と見分は、依他起であると。2024/10/21 21:25:25114.法介◆T3azX0Hk1UJx7xu論(成唯識論)では、「遍計といふは斯れに依りて妄りて、定めて実に有なり無なり一なり異なり倶なり不倶なり等と執する」←ここでまず〝遍計〟の定義を述べております。2024/10/21 21:27:19115.法介◆T3azX0Hk1UJx7xu「此の二を方に遍計所執と名く。」←ここで言う〝此の二〟って何を指しての〝二〟でしょうか2024/10/21 21:28:26116.法介◆T3azX0Hk1UJx7xu決まっているでしょ相分と見分です。2024/10/21 21:28:52117.法介◆T3azX0Hk1UJx7xuにもかかわらず、吉村教授は、ご確認ください↓https://livedoor.blogimg.jp/butudou/imgs/c/7/c76d424f.jpg2024/10/21 21:29:53118.法介◆T3azX0Hk1UJx7xu〝能取と所取〟を遍計所執とされております。(ここ大事!)2024/10/21 21:31:37119.法介◆T3azX0Hk1UJx7xu論では、相分と見分が、「依他起」であり〝方〟や「遍計所執」でもあると言っているのに、、、2024/10/21 21:33:27120.法介◆T3azX0Hk1UJx7xu学者さんに良くある勘違いです。2024/10/21 21:34:08121.法介◆T3azX0Hk1UJx7xu用語の意味をちゃんと理解出来ていない、また、法理を理解出来ていないが故に起こる勘違いです。2024/10/21 21:35:17122.法介◆T3azX0Hk1UJx7xu相分と見分が、縁起に依って「依他起」となったり「遍計所執」となったりするという事が理解出来ていないんですね2024/10/21 21:36:34123.法介◆T3azX0Hk1UJx7xuこの説明をしだすと長くなりますので明日の寝起きに(頭がスッキリしている時)詳しくお話します。2024/10/21 21:38:06124.法介◆T3azX0Hk1UJx7xu今日は、そろそろ寝ます。おやすみなさい2024/10/21 21:38:57125.神も仏も名無しさんVP0wu>>120学者さんの勘違いやのうて護法等の解釈って書いてあるやん(・∀・)2024/10/21 21:49:01126.法介◆T3azX0Hk1UJx7xu>>125意味が分かってないなー2024/10/21 21:50:43127.法介◆T3azX0Hk1UJx7xu>>117 ここの図は、護法が示した構図じゃありません。吉村教授が「護法等の解釈」を読み違えて示した構図だと言っているのです。2024/10/21 21:52:39128.法介◆T3azX0Hk1UJx7xuユー アンダスタンド?2024/10/21 21:53:42129.神も仏も名無しさんVP0wu>>127ホントかいな(・∀・)2024/10/21 21:53:59130.法介◆T3azX0Hk1UJx7xuムーさんも、教授と一緒で用語の意味と法理をきちんと理解出来ておられないからその間違いに気づけないんですよ。2024/10/21 21:55:46131.法介◆T3azX0Hk1UJx7xu明日、そこら辺を詳しくお話しますと言ってるでしょうに2024/10/21 21:56:20132.法介◆T3azX0Hk1UJx7xuまずは、その話を聞いてから意見なされては如何でしょうかそれが大人のとる態度でしょう2024/10/21 21:57:12133.法介◆T3azX0Hk1UJx7xuさて、寝よっと2024/10/21 21:57:40134.神も仏も名無しさんVP0wu>>130まず護法だけのオリジナル解釈が分からんからのう(・∀・)2024/10/21 21:57:45135.神も仏も名無しさん4WggI>>129👍️視点😃2024/10/21 22:07:47136.神も仏も名無しさん4WggI成唯識論の結論の最終章の現在語訳は運が良ければゴールデンウィークあたりゲットできたらラッキーだ😃2024/10/21 22:10:28137.神も仏も名無しさんGKXX0有相唯識が生まれたのはやはり外界実在論派の批判に説得力があったからだろう。思うに、世親の極微論批判による外界の非実在性の証明はそれだけでは説得力に欠ける。現代の我々からすると極微は原子のようなもので、これが恒常不変でないことは知っているが、極微(原子)がやはり存在することも知っている。こうした現代的知識をぬきにしても、やはり外界にものがあり、それを活用して新しいことをなしていく様や、外界に同じ認識をする人間がいて、お互い同じ世界を共有している様はすべて個人の心が作り出している幻想だというのは無理があるように見える。他人も自分がつくりだした幻なら話をする必要を感じないというか、心が作り出しているならやがて自分もその話を思いつくはずだと考える。そうした世間の人の判断が影響したのか、唯識派は異論をもつ人たちとの対話をやめず法称は論理学を整備して、現量・比量の二つを重視することになる。これは言ってしまえば、経験によって得られた認識の正しさを大勢の人に対して証明するための道具であり、異論を持つ人たちとの対話という面で考えるなら、瞑想中の現量よりも外界を認識するときの現量を重視したのではないか?そのため、外界は存在しないが、外界の形象を認識する心は虚妄ではないという考えに至ったように思える。これは二取を肯定しているのではなく、あくまで心に立ち現れてくる相としてであるように思う。つまり、対象を認識し対象に囚われるあり方ではなく、ただ対象を心によって立ち現れる映像として見るというあり方なのではないか。2024/10/21 22:13:47138.神も仏も名無しさんGKXX0そもそも、なぜ唯識を求めたかと言えば外界が実在と思えばこそ、それに囚われると考えたからだと思う。虚妄と思えばこそ煩悩も起こらなくなると考えた。のではないか。中観派の言う悟りとは、すべては空であり、自性はないから求めても結局は失われる。というところに煩悩からの解放を見てさらに、空なる世界を観ずることを悟りと見たが唯識派は空を発展させ、自性がないから外界は存在しない。すべて心が作り出したものだから囚われる必要がない。外界を虚妄を脱した世界が悟りだと見た。というところではないだろうか?2024/10/21 22:33:59139.神も仏も名無しさんVP0wu>>127『≠』このマーク、上と繋がってんじゃねーの?見分≠能取→遍計所執性相分≠所取→それなら法介おじさんのツッコミと同じになるやん(*´ω`*)2024/10/21 22:35:29140.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4おはようございます、法介です。2024/10/22 04:15:49141.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4見られるモノである対境を「客体」といいます。2024/10/22 04:18:13142.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4それを見る者を「主体」といいます。2024/10/22 04:18:42143.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4この「客体」と「主体」のことを唯識では、 客体=所取 主体=能取といいます。2024/10/22 04:19:53144.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4似た言葉で、「所変」と「能変」というのもあります。2024/10/22 04:20:56145.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4また、「所縁」と「能縁」というのもあります。2024/10/22 04:21:28146.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4>>143 >>144 >>145 この三種はそれぞれに意味が異なります。2024/10/22 04:22:35147.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4「所取・能取」は、「客体・主体」です。では「所変・能変」は、と言いますと、2024/10/22 04:24:33148.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4『唯識三十頌』の第一頌に、「彼依識所変 此能変唯三」彼れは識が所変に依る。此れが能変は唯三つのみなり。2024/10/22 04:26:11149.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4とあります通り「能変」の唯三つは、 初能変(第八識) 第二能変(第七識) 第三能変(第六識と前五識)の三つの能変です。2024/10/22 04:29:16150.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4では、「所変」は、と言いますと2024/10/22 04:30:16151.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4答えられる方居ますかね?2024/10/22 04:30:59152.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4客体 (① 見られる側)=真実のモノのあり様主体 (② 見る側) =凡夫の認識(客観 ③ + 主観 ④ )①=所取 ②=能取 ③=相分 ④=見分2024/10/22 04:32:13153.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4見分でしょ、とか相分でしょ、とか思う方が居られるかもしれませんが、2024/10/22 04:33:12154.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4見分と相分は >>152 でご確認ください主体側の見る側で起こる変識です。(=能変)2024/10/22 04:35:53155.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4「客観と主観」と「客体と主体」は、唯識ではちゃんと分けられております。 「客観と主観」=「相分と見分」 「客体と主体」=「所取と能取」2024/10/22 04:39:08156.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4この「客観と主観」と「客体と主体」を混同してしまうと、こちらの構図の安慧等の解釈のようになります。https://livedoor.blogimg.jp/butudou/imgs/c/7/c76d424f.jpg2024/10/22 04:42:32157.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4護法は、「見分・相分」と「能取・所取」とをきちんと分けているのが『≠』のマークで強調されております。そこは >>139 ムーさんの言われる通りです。2024/10/22 04:44:39158.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4わたしが指摘しているのは、その下の「能取」と「所取」を「遍計所執性」と書いている部分です。2024/10/22 04:46:56159.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4護法が >>110 ここで、有義は、一切の心及び心所の、熏習の力に由りて変ずる所の二分も、縁より生ずるが故に亦た依他起なり。遍計といふは斯れに依りて妄りて、定めて実に有なり無なり一なり異なり倶なり不倶なり等と執する、此の二を方に遍計所執と名く。言っている「遍計所執」は、「熏習の力に由りて変ずる所の二分」即ち、相分と見分の事を言ではないですかと言っているのです。2024/10/22 04:50:54160.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4「此の二を方に遍計所執と名く。」「此の二を」と言っているじゃないですか。「此の二」=「熏習の力に由りて変ずる所の二分」2024/10/22 04:55:49161.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4「此の二を方に遍計所執と名く。」↑ここは「に」ではなく「や」と訳すべきでしょう。「此の二を方や遍計所執と名く。」2024/10/22 04:56:58162.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4此の二(相分と見分)を依他起とも言うし、遍計所執とも言う。というのが護法等の解釈だという事です。2024/10/22 04:59:08163.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4なぜ、こういう勘違いを学者さん等は、なされるのか2024/10/22 05:00:14164.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4それは、用語の意味の違いを正しく理解出来ておられないのと法理を理解出来ておられないからだと思われます。2024/10/22 05:01:27165.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4「能変」については、詳しく説かれておりますので >>149 だという事は皆さん良くご存じかと思います。2024/10/22 05:03:13166.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4では。「所変」は?と聞かれて正しく答えられる人はそんなには居られないでしょう。2024/10/22 05:03:53167.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4「相分と見分」と「所取と能取」を混同なされている方は、所変は相分でしょと言われることでしょう。2024/10/22 05:05:35168.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4しかし、それは間違いです。2024/10/22 05:06:02169.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4「所変」というのは、「所取」の変化を言います。2024/10/22 05:07:21170.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4何に依って「所取」がどのように変化するのか。2024/10/22 05:08:09171.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4縁起に依って「所取」は変化します。2024/10/22 05:09:22172.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4この縁起の事を「所縁」といいます。2024/10/22 05:09:49173.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4その「所縁」の意味するところが「此縁性縁起」という、縁起です。2024/10/22 05:11:05174.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4これは依他起性です。2024/10/22 05:11:49175.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4所縁(此縁性縁起)=依他起性2024/10/22 05:12:51176.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4なぜ依他起性かと言いますとここに凡夫の煩悩(妄想分別)は含まれておりません。(無漏の法)2024/10/22 05:15:18177.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4そのモノが、そのモノと成り得た縁起です。2024/10/22 05:15:48178.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4自然界において、時の流れの中で自然と小川が出来ていったという人間の認識とは全く離れた世界での出来事です。2024/10/22 05:17:35179.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4>>152 の「真実のモノのあり様」それが「此縁性縁起=依他起性」です。2024/10/22 05:19:17180.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4この「所縁」によって生じた姿や形を人が認識する縁起を「所縁縁」といいます。2024/10/22 05:22:55181.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4「人が認識する縁起」ってなんでしょう2024/10/22 05:23:34182.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4客体側で起こる縁起が「此縁性縁起」です。2024/10/22 05:24:10183.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4>>182 ←それは時の流れの中で起こる縁起です。(時間軸の中で起こる縁起=此縁性縁起)2024/10/22 05:25:11184.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4>>183 ←科学や物理学の見解がまさにこれです。2024/10/22 05:25:59185.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4Aという物質が時間経緯の中でBという物質と化合してCという物質になった。2024/10/22 05:26:57186.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4川の中で角ばった石が流される中で角が削れて丸くなった。2024/10/22 05:28:23187.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4これらは全て時間軸の中で起こる此縁性縁起(所縁)です。2024/10/22 05:29:20188.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4縄で出来たロープも藁を編んで出来たロープです。(所縁)2024/10/22 05:30:08189.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4そのロープを暗闇で見た人が「蛇だ!」と思うのは「所縁縁」です。2024/10/22 05:31:04190.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4この「所縁縁」にはニ種あります。2024/10/22 05:31:41191.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4ロープを蛇だと思うのは「妄想分別」です。これはその人の主観で起きております。2024/10/22 05:33:06192.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4この人の主観で起こる勝手な思い込み(妄想分別)は、「親所縁縁」で起こります。2024/10/22 05:35:17193.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4末那識が濁っている人が良く起こす勝手な思い込みです。2024/10/22 05:35:52194.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4「親所縁縁」=末那識が濁っている人が良く起こす勝手な思い込み。2024/10/22 05:36:29195.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4では、末那識が濁っていない人(末那識がクリアーな人)の場合はどうでしょう。2024/10/22 05:37:15196.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4そういった人には、そのモノがそのモノと成り得た因縁が観えてきます。2024/10/22 05:38:20197.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4それを「疎所縁縁」といいます。2024/10/22 05:38:50198.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4① 末那識が濁っている人の認識=親所縁縁② 末那識がクリアーな人の認識=疎所縁縁2024/10/22 05:40:06199.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4①と②の違いについて更に詳しくお話します。2024/10/22 05:41:21200.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4①も②も最初に起こる縁起は同じです。2024/10/22 05:42:20201.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4対象を自身の五蘊で認識します。対象(客体)を因として五蘊が縁となって現行が起こります。2024/10/22 05:43:45202.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4違ってくるのはここからです。2024/10/22 05:44:41203.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4①の妄想分別の場合、自身の阿頼耶識データを参照します。そして「細長い形態=蛇」というデータ(種子)が拾いあがって来ます。2024/10/22 05:47:25204.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4それにより、本当はロープなのに勝手に蛇だと妄想して驚きます。2024/10/22 05:49:02205.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4では、②の場合はどうでしょう。2024/10/22 05:49:29206.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4「細長い形態=蛇」というデータもあるが「細長い形態=ロープ」というデータもある。さてどっちだろうもっと良く観察してみようなんだ、ロープじゃないかとなります。2024/10/22 05:52:43207.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4両者の違いはなんでしょう2024/10/22 05:53:16208.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4「細長いも=蛇」という執着です。過去に蛇を見て怖いと強く感じたが故に起こる執着です。これを「所執」と言います。2024/10/22 05:55:36209.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4「逼計所執性」の〝所執〟です。2024/10/22 05:56:34210.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4>>109 を今一度、よ~くご覧ください。この「所執」の文字がいたるところに含まれております。2024/10/22 05:57:40211.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4遍計所執の説明をしている分段だからです。2024/10/22 06:00:32212.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4なのに護法は、一切の心及び心所の、熏習の力に由りて変ずる所の二分(相分と見分)も、縁より生ずるが故に亦た依他起なり。と言っております。2024/10/22 06:03:11213.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4親所縁縁が起きれば「相分と見分」は遍計所執性となるが、---(有漏の法)疎所縁縁が起きれば「相分と見分」は依他起性となると、---(無漏の法)護法は言っているのです。2024/10/22 06:07:28214.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4では、親所縁縁と疎所縁縁ってどういう縁起なのでしょう。2024/10/22 06:08:08215.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4という感じでとてもややこしいんです。2024/10/22 06:08:41216.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4この構図の、①=所取 の変化(所変)の方は至ってシンプルなんです(有る無しの二元論なので)が、②=能取 の変化(能変)の方は大変複雑なんです。客体 (① 見られる側)=真実のモノのあり様主体 (② 見る側) =凡夫の認識(客観 ③ + 主観 ④ )①=所取 ②=能取 ③=相分 ④=見分2024/10/22 06:13:00217.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4所変=シンプル(有る無しの二元論)能変=複雑(概ね四段階に理解が分かれる)2024/10/22 06:14:10218.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4能変はその内容が複雑な為、概ねその理解は四段階に分かれます。2024/10/22 06:15:15219.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4それがこちらの論文で詳しく論じられております。『心・意・識説に関する研究』― 阿頼耶識と末那識との関係を中心― 金 範松https://tais.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=277&file_id=22&file_no=12024/10/22 06:16:33220.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4吉村教授は、こちらの論文では、『成唯識論述記』の伝える安慧の一分説について 吉村 誠http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/34873/jbk073-03-yoshimura.pdf2024/10/22 06:30:41221.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4プリントNo.九九をご覧ください。2024/10/22 06:31:06222.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4<護法の解釈>識の自証分の所変の相・見の依他の二分は、我にも非ず法にも非ず。凡夫は、識所変の相・見二分に依りて、依他性の上に執して我・法と為す。依他起性にも相分・見分があり、それにもとづいて妄情により我執が起こる。2024/10/22 06:32:54223.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4即ち、相分・見分は有体であり依他起性である。と言われております。2024/10/22 06:33:30224.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4それを踏まえてhttps://livedoor.blogimg.jp/butudou/imgs/c/7/c76d424f.jpg↑この構図を示されているものと思われます。2024/10/22 06:36:39225.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4しかし、後自分で書かれておりますよね、 見分=有漏・無漏 相分=有漏・無漏と。2024/10/22 06:37:57226.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4なのに何で、 見分=有漏・無漏=依他起性 相分=有漏・無漏=依他起性なのでしょう。2024/10/22 06:38:49227.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4無漏=依他起性 なのは解ります。2024/10/22 06:40:04228.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4有漏は、遍計所執性でしょうもん。2024/10/22 06:40:49229.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4相分も見分も縁が変われば依他起性にもなれば遍計所執性にもなるというのが護法の解釈ではないのでしょうか。2024/10/22 06:42:29230.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4この辺で〝観〟の良い人(末那識がクリヤーな人)ならそろそろ気づかれるかと思うのですが、、、、2024/10/22 06:43:52231.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4>>217 の意味するところ。2024/10/22 06:44:56232.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4所変=シンプル(有る無しの二元論)---(小空経)能変=複雑(概ね四段階に理解が分かれる)---(大空経)ってことです。2024/10/22 06:45:56233.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4所変のシンプルな二元論は、「有る無し」の小空経で説かれている「空」です。2024/10/22 06:47:55234.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4能変の複雑な理論(唯識)は、大空経で説かれている四空です。 四空=析空・体空・法空・非空2024/10/22 06:49:35235.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4大変ややこしいお話をしております。理解出来る方と理解出来ない方とが出てくるかと思います。2024/10/22 06:52:03236.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4仏教では四段階に境涯が示されておりますので2024/10/22 06:52:39237.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4声聞の境涯の人は声聞の境涯でしか理解出来ません。縁覚の境涯の人は縁覚の境涯での理解となります。菩薩の境涯の人は菩薩の境涯でそれを理解します。2024/10/22 06:54:21238.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4理解(解釈)は、その人の境涯によって変わります。2024/10/22 06:55:06239.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4凡夫の認識で理解出来るのは声聞までです。2024/10/22 06:55:43240.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4声聞という境涯は、世間一般の科学や物理学と同じレベルでの認識ですから。2024/10/22 06:56:32241.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4そこから更に52位のステップを昇って行かないと唯識で説く菩薩の十地(平等性智)などとうてい到達し得ません。2024/10/22 06:59:55242.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4十地とは、菩薩が修行して得られる52位の階位の、41番目から50番目の位をいいます。2024/10/22 07:02:15243.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4あなたは、52位の法理をどれだけ覚って(理解して)おられますか?2024/10/22 07:03:26244.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4では、朝食を食らってきます。2024/10/22 07:11:23245.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAsPAqy>>244おはよー今日の朝飯は、なあに?2024/10/22 08:12:05246.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4和尚、おはよー2024/10/22 09:15:03247.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4今日は、トースト2024/10/22 09:15:57248.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4和尚が好きな曲なんか流してみ2024/10/22 09:25:19249.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4福岡は今日はこんな感じかなー雨音はショパンの調べhttps://youtu.be/S485kTzaV-c2024/10/22 09:36:52250.神も仏も名無しさんYJiCD>>226>>227>>228ここら辺が疑問なんやが依他起性は有漏も無漏も関係なくただ起こる縁起やろ?護法はそんな深く考えてねーんじゃねー?(・∀・)2024/10/22 10:02:19251.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4ムーさん、おはよー2024/10/22 10:12:44252.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4こちらの動画解説を見て学びましょう。https://youtu.be/CKJwVCYYDXE2024/10/22 10:13:15253.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4>護法はそんな深く考えてねーんじゃねー>>252 の動画解説を見たら納得されるでしょう2024/10/22 10:15:00254.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4『成唯識論』のる九難義の第八・外取他心難について説く個所。外の色は實に無きをもって、内識が境に非ざるべし。他心は實に有り。寧ぞ自の所縁に非ざるや。誰か他心は自識が境に非ずと説く。但だ彼れは是れ親所縁なりと説かず。謂く、識が生ずる時には、實の作用無し。手等の親しく外物を執り、日等の光を舒(の)べて親しく外境を照らすが如くには非ず。但だ鏡等の如く、外境に似て現ずるを、他心を了すと名づく。親しく能く了するものには非ず。親しく了する所とは、謂く、自の所變ぞ。故に契經に言く、少の法としても能く餘の法を取ることは有ること無し。但だ識が生ずる時に、彼に似る相の現ずるを、彼の物を取ると名づく、という。他心を縁ずといいつるが如く、色等もまた爾なり。2024/10/22 10:16:42255.神も仏も名無しさんYJiCD>>253そもそも>>224この図解って無相派の安慧と有相派の護法の能取と所取の捉え方の違いを示したもんやん(*´ω`*)そんなメンドく考える所やないと思うんやけど(・∀・)2024/10/22 10:24:42256.神も仏も名無しさんYJiCD>>252オーソドックスな護法寄りな唯識やと思うけど何を学ぶんや(・∀・)2024/10/22 10:31:46257.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4「オーソドックスな護法寄りな唯識」とは?2024/10/22 10:40:59258.神も仏も名無しさんYJiCD>>257基本的に玄奘の成唯識論がデフォルトやないの?(*´ω`*)2024/10/22 10:43:55259.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4こちらの↓図では、見分も相分も依他起性と示されておりますが、https://livedoor.blogimg.jp/butudou/imgs/c/7/c76d424f.jpgムーさんは、ロープを蛇だと見間違うのは、見分だと思いますか?相分だと思いますか?そしてそれは、依他起性ですか?それとも遍計所執性だと思いますか?2024/10/22 10:46:37260.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4>玄奘の成唯識論がデフォルト玄奘は、護法の説を正義とされているのはご存じですか?2024/10/22 10:48:09261.神も仏も名無しさんYJiCD>>259ロープをヘビは見分で遍計所執性やなこの図解だと見分→能取→遍計所執性の流れなんやろ(*´ω`*)2024/10/22 10:50:38262.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4蛇だ!=見分(遍計所執性)というのがムーさんの意見ですね。2024/10/22 10:52:39263.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4ということは、ムーさんは安慧の解釈を取られる訳ですね。2024/10/22 10:53:55264.神も仏も名無しさんYJiCD>>260正義っつーか唯識十大論師の解釈を応用しつつ護法の解釈に沿っとるな(*´ω`*)2024/10/22 10:54:14265.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4ムーさんは、無相派でしょうか?2024/10/22 10:54:24266.神も仏も名無しさんYJiCD>>263いや、護法やん(・∀・)2024/10/22 10:55:13267.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4図を良くご確認ください。2024/10/22 10:55:58268.神も仏も名無しさんYJiCD>>265別にどっちでもないな(・∀・)そんなに唯識に興味ない(*´ω`*)2024/10/22 10:56:04269.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4蛇だ!=見分(遍計所執性)見分を遍計所執性と見るのは、安慧の解釈ですが、、、2024/10/22 10:56:50270.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4>>268では、なぜ突っかかって来られますか?2024/10/22 10:57:22271.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4わたしが気に入らないなから?2024/10/22 10:57:36272.神も仏も名無しさんYJiCD>>267だから見分→≠能取→遍計所執性が護法の図解やん(*´ω`*)2024/10/22 10:57:39273.神も仏も名無しさんYJiCD>>270突っかかってないよ(・∀・)勘違いしたとされる学者さんが可哀想やん(*´ω`*)別に間違ってなくね?って感じよ(*´ω`*)2024/10/22 11:00:32274.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4図では、護法は、見分・相分を「依他起性」としてますよ。見分・相分を「遍計所執性」としているのは安慧の解釈ですが、、、2024/10/22 11:00:35275.神も仏も名無しさんddjOV>>272ほーかい流の日蓮正宗の御書のベースで唯識解釈以外は認めん、とほーかいくんはおっしゃっておられるー😱2024/10/22 11:00:49276.神も仏も名無しさんYJiCD>>271学者さんを批判的に見る法介おじさんも可哀想やねん(*´ω`*)2024/10/22 11:01:32277.神も仏も名無しさんddjOV日蓮正宗の発想自体がそもそも狂信的なのでそれ以外は拒否と言う発想が根底にある😫2024/10/22 11:02:25278.神も仏も名無しさんddjOV>>276👍️視点😃2024/10/22 11:02:53279.神も仏も名無しさんYJiCD>>274見分→≠能取→遍計所執性と直線で繋ぐ様に見なイカンねん(*´ω`*)2024/10/22 11:04:15280.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4吉村教授は、護法は見分と相分を「依他起性」と解釈していると図で示しておられますが、清森さんの解説を見て相分は、「依他起性」ともなるし、「遍計所執性」ともなるんだと、ムーさんは理解出来ませんか?(護法説の正しい理解)2024/10/22 11:05:15281.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4末那識が濁っている人=遍計所執性末那識がクリヤーな人=依他起性↑が護法説の正しい理解です。2024/10/22 11:08:18282.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4正しくは、末那識が濁っている人の相分=遍計所執性末那識がクリヤーな人の相分=依他起性ですね。2024/10/22 11:09:04283.神も仏も名無しさんddjOV本覚思想的な久遠実成の釈迦如来=唯識みたいな視点でほーかいくんは唯識を解釈しとるズレがあるんやろー忠実読みをそれで放棄しとるんやろ😫2024/10/22 11:09:49284.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4末那識がクリヤーな人の相分=依他起性とは、そのモノがそのモノと成り得た縁起で対象を観れている人です。2024/10/22 11:10:34285.神も仏も名無しさんYJiCD>>280理解出来るよ(*´ω`*)見分をフィルター通さずダイレクトに観たら依他起性見分に能取というフィルター通したら遍計所執性になるってのが護法の解釈なんやないの?(*´ω`*)2024/10/22 11:10:38286.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4>本覚思想的なでおーがいう「本覚思想的」とは?2024/10/22 11:11:15287.神も仏も名無しさんddjOV末那識がクリヤー=南妙法蓮華経を唱え日蓮の言うところを信じる人というほーかいくん流解釈の唯識やからなー😫2024/10/22 11:11:19288.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4>>285そうですよ。だとしたら吉村教授の「相分=遍計所執性」というのはおかしいでしょ2024/10/22 11:13:17289.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4能取は、主体という意味です。2024/10/22 11:14:49290.神も仏も名無しさんYJiCD>>284濁ってても起こるのが依他起性でしょ(・∀・)有漏→遍計所執性有漏、無漏→依他起性無漏→円成実性やん(*´ω`*)2024/10/22 11:15:22291.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4その主体である自分は「遍計所執性」ですか?2024/10/22 11:16:05292.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4>濁ってても起こるのが依他起性でしょ(・∀・)↑ここですね争点は。2024/10/22 11:16:50293.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4依他起性とは、そのモノがそのモノと成り得た縁起です。2024/10/22 11:17:17294.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4>>293 ここに凡夫の主観は入りません。なので無漏です。2024/10/22 11:17:52295.神も仏も名無しさんYJiCD>>288いや相分も自分の中で作られた妄想分別やないの?相手の本質は見抜けんやん(・∀・)2024/10/22 11:18:12296.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4「濁ってても起こるのが依他起性」という表現はおかしいです。2024/10/22 11:18:21297.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4では、そんなムーさんに解りやすいお話をしましょう2024/10/22 11:19:08298.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4ムーさんが言われる通り相手の事は自分が知り得るものではありません。2024/10/22 11:19:56299.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4例えば、馬ちゃんの事は馬ちゃんにしか知り得ません。2024/10/22 11:20:28300.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4人の苦しみなど当の本人にしかわからないものです。2024/10/22 11:20:59301.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4わたし達はそれを勝手に「自分」で妄想しているだけに過ぎません。2024/10/22 11:21:40302.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4が、しかし2024/10/22 11:21:53303.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4相手の阿頼耶識を観じ取れたらどうでしょう2024/10/22 11:22:23304.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4ムーさんは見ておられましたか?2024/10/22 11:22:41305.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4わたしと馬ちゃんが一緒に唱題をしたところを2024/10/22 11:23:12306.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4あの時、わたしは言いましたよね2024/10/22 11:23:34307.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4お父さんか誰かが漁師をされていませんでしたか?と2024/10/22 11:24:16308.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4お題目を唱えててそう観じたと2024/10/22 11:24:47309.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4あ、そろそろ嫁を送らんといかん2024/10/22 11:25:06310.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4続きは帰って来てからー2024/10/22 11:25:28311.神も仏も名無しさんYJiCD>>305これを依他起性というなら法介おじさん『馬さんに幸あれ』無漏馬さん『お題目したら競馬当たるかも』有漏馬さん、お題目したのに菊花賞ハズレた~ダノンデサイル何やってんねんこんなんドヤ?(・∀・)2024/10/22 11:28:43312.神も仏も名無しさんp5kxE>>295末法の救いのみが真実とほーかいくんはおっしゃる結論なので😃2024/10/22 11:35:39313.神も仏も名無しさんp5kxE結論ありきほーかいくん唯識😫2024/10/22 11:36:28314.神も仏も名無しさんYJiCD>>312まあ鎌倉時代の様なカオスな世に生まれたら末法とも思いたくなるかも知らんけどねえ(・∀・)2024/10/22 11:51:28315.神も仏も名無しさんp5kxE>>314鎌倉時代は仏教自体が念仏、山伏仏教が多数派だからなー末法前提の貴族皇族一族が寺院のトップに自動的になる時代なので禅以外は悟り探求消滅と言っていい時代である😀2024/10/22 12:02:23316.神も仏も名無しさんp5kxE鎌倉時代に中国から入ってきた禅だから、それ以前の日本仏教は山伏&念仏主流の末法思想が主流だからまーそーなるわな😀2024/10/22 12:12:37317.神も仏も名無しさんp5kxE末法=修行しても悟る者がいない時代😀2024/10/22 12:14:55318.神も仏も名無しさんp5kxEそもそも論的に唯識は悟る者がいるという前提の設定の理論、そこに末法前提の理論を組み合わせよーとしているのがほーかいくん😀2024/10/22 12:16:06319.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4でおーには、どうやら今、わたしが末法思想について語っているように見えているようだ、、、2024/10/22 12:52:16320.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4そっとしておこう2024/10/22 12:52:30321.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4ムーさんには一応、返信しておこう2024/10/22 12:53:55322.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4その件は、この前リダンのパチンコフィーバーご祈念を通してちゃんと説明しております。2024/10/22 12:55:12323.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4あなたも、サティと一緒でろくにログも読まずに自分が興味あるとこだけ見て飛び込んでくるタイプでしたか?2024/10/22 12:56:23324.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4仏教って信仰なんですよ2024/10/22 12:56:53325.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4仏菩薩や諸天善神がそのような、本人が堕落するような願いをかなえるとお思いですか?2024/10/22 12:58:00326.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4それともムーさんはそんなご利益信仰をお探しなのですか?2024/10/22 12:58:32327.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4仏教は、真理を覚っていくという功徳を得る為に日々精進していくものだと私は思っておりますが2024/10/22 12:59:59328.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4あと、他宗の間違いを指摘されていた日蓮さんがどうにも気に入らない様子のムーさんに言っておきます。2024/10/22 13:01:28329.法介◆T3azX0Hk1ULY1v4市の条例がおかしいと気づいても、それを指摘したらそれを作った議員さんが恥かいて可哀そうだからそんな間違いを指摘するような行為はしてはいけません!とでも、あなたは言いますか?2024/10/22 13:03:16330.神も仏も名無しさんYJiCD>>324わたしの解釈はちと違う(・∀・)お釈迦さんが言われた『信仰を捨てよ』の言葉通り人間の歩むべき道をひたすら歩く事お釈迦さんが示された八正道を進む事が仏道やと思う(*´ω`*)だから特定のモンを信じ仰ぐ事はせん(*´ω`*)2024/10/22 13:05:52331.神も仏も名無しさんYJiCD>>326喩えや(・∀・)依他起性は十二因縁の様に有漏の苦からも縁起は起こる言うとるねん(*´ω`*)2024/10/22 13:08:17332.神も仏も名無しさんYJiCD>>328まあ日蓮さんが気に入らんというよりは他宗によって救われたという人々がいるんやから、その人達の救いを否定するんは野暮は話やいう事や(*´ω`*)2024/10/22 13:13:51333.登り棒◆0mnwMe9WsAVazDR依他起性の有漏というのはもしかして怒りというものは有漏だけどもそれは縁起によって生じたというのは依他起性に基づいているということなのかな?と考えてみる。2024/10/22 13:18:08334.神も仏も名無しさんYJiCD>>329その喩えが的を得ているんか微妙やけど間違いを間違いと指摘しても間違いやないやろ(・∀・)だからわたしも法介おじさんの解釈はちと違うんやないかと言っとる(*´ω`*)わたしの解釈が間違ってたら間違いの指摘は有り難い条例も誰かの視点から見て間違いが有るなら指摘されりゃ有り難い(*´ω`*)不備は意見が大切や2024/10/22 13:20:18335.法介◆T3azX0Hk1UvQQeuムーさん、有漏の依他起ってどんな縁起ですか?2024/10/22 13:36:51336.法介◆T3azX0Hk1UvQQeu怒りは遍計所執性でしょ2024/10/22 13:41:08337.法介◆T3azX0Hk1UvQQeu凡夫の感情ですから2024/10/22 13:41:50338.神も仏も名無しさんYJiCD>>335断食中やから時事ネタとして『腹減った』→『コーヒー飲んで腹を満たす』これも縁起やろ(・∀・)2024/10/22 13:45:03339.法介◆T3azX0Hk1UvQQeu縁起ですよ2024/10/22 13:46:08340.法介◆T3azX0Hk1UvQQeu縁起ですけど遍計所執性です。2024/10/22 13:46:52341.法介◆T3azX0Hk1UvQQeu遍計所執性と依他起性をムーさんは、どのようにお考えですか?2024/10/22 13:48:32342.神も仏も名無しさんYJiCD>>341唯識なんやからどちらも心の中の話やろ(*´ω`*)遍計所執は偏見で物事を誤った形で捉える依他起は有漏、無漏問わずある思考を元に生まれた結果因の元は妄想であれ起こる縁は事実みたいな(・∀・)2024/10/22 13:55:02343.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAj3QRW>>248懐かしいところでエロい曲https://www.youtube.com/watch?v=ddEGdKWPULghttps://www.youtube.com/watch?v=xJX6CHAYIz02024/10/22 14:02:19344.法介◆T3azX0Hk1UvQQeu「依他起は有漏、無漏問わず」なら、遍計所執も含まれることになりますが2024/10/22 14:10:34345.リダン◆gEV3xsS//kOQ097>>342阿頼耶識=心やしね事象は心の現れであり阿頼耶識のそとに外界はなし2024/10/22 14:10:45346.リダン◆gEV3xsS//kOQ097皆さんこんにちは☀2024/10/22 14:11:04347.法介◆T3azX0Hk1UvQQeuそれではおかしくないですか?2024/10/22 14:11:08348.法介◆T3azX0Hk1UvQQeuリダン、こんにちはー2024/10/22 14:11:52349.神も仏も名無しさんYJiCD>>336怒りに満ちた見分で途中経過に遍計所執はあっても起こった事実は依他起なんやないの?(・∀・)2024/10/22 14:12:25350.神も仏も名無しさんYJiCD>>344縁起まで考えた結果が伴うと依他起性なんやないかと思うけど(*´ω`*)2024/10/22 14:15:37351.神も仏も名無しさんYJiCD>>345唯識のプロ、頼むで(・∀・)2024/10/22 14:16:03352.リダン◆gEV3xsS//kOQ097怒りという作用と反応による事象の縁起と捉えれば有漏れの依他起性と言えるんかなそこに自我に執する妄想が混じると遍計所執性ってことでいいんでないかい2024/10/22 14:21:08353.法介◆T3azX0Hk1UvQQeuもしかして、ムーさんは遍計所執は縁起じゃないと思ってる?2024/10/22 14:22:01354.神も仏も名無しさんYJiCD>>352プロなら断言せいよ(・∀・)わたしと大して変わらんやないか(*´ω`*)2024/10/22 14:22:50355.リダン◆gEV3xsS//kOQ097>>354プロとか言うてへんがな2024/10/22 14:23:14356.法介◆T3azX0Hk1UvQQeu縁起に有漏と無漏があるのをご存知でない?2024/10/22 14:25:10357.神も仏も名無しさんYJiCD>>353見て思って感じたプロセスを縁起というなら縁起いうてもええけど事象として結果が現れて縁起とするなら『未満』(・∀・)事象、結果が現れて縁起と考えたのが依他起やないか(*´ω`*)2024/10/22 14:25:43358.神も仏も名無しさんYJiCD>>356最初からそれ前提やん(・∀・)2024/10/22 14:26:22359.神も仏も名無しさんYJiCD>>355本を読んだらプロやろ(・∀・)わたしゃ何も読んどらん(*´ω`*)2024/10/22 14:28:09360.法介◆T3azX0Hk1UvQQeu自分の中で整理出来てます?2024/10/22 14:28:17361.法介◆T3azX0Hk1UvQQeuネット回線がおかしいので後ほど2024/10/22 14:29:12362.神も仏も名無しさんYJiCD>>360>>343秀樹の歌唱力に驚嘆しとる(・∀・)2024/10/22 14:30:00363.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAj3QRW>>362ワシは歌詞のエロ過ぎさに驚嘆しとる(・∀・)2024/10/22 14:48:30364.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAj3QRW中学3年生のころの曲じゃが、歌詞のエロさに気が付かないまま、秀樹のモノマネをして歌ってたのじゃ2024/10/22 14:50:44365.法介◆T3azX0Hk1UvQQeu今一度言っておきます。有漏の縁起ならそれは遍計所執性でしょうもん2024/10/22 15:03:59366.神も仏も名無しさんYJiCD>>364ピュアな少年からエロDVD三昧のスケベ爺目線では歌詞の解釈も変貌する(・∀・)熱くなるこの僕→ギンギン勃起したチンポコ裸の胸と胸を合わせて→乳首合わせ愛するために回り道などよそう→会って即合体波間に揺れている舟の様に→ズッコンバッコン確かにエロいのう(*´ω`*)2024/10/22 15:04:57367.法介◆T3azX0Hk1UvQQeuスマホを買い替えるにあたって自宅の回線も切り替えたんだが、繋がらんくなった、、、、2024/10/22 15:05:47368.法介◆T3azX0Hk1UvQQeuスマホで打つのめんどい2024/10/22 15:06:30369.法介◆T3azX0Hk1UvQQeu復旧したらレスします。2024/10/22 15:07:03370.法介◆T3azX0Hk1UvQQeuそれまで和尚と遊んどきー2024/10/22 15:07:44371.法介◆T3azX0Hk1UvQQeu肉じゃが作ろうっと2024/10/22 15:09:01372.リダン◆gEV3xsS//kOQ097事実にたいして(依他起性)有漏れか無漏れかが依他起性→遍計所執性(自我の執)有漏依他起性→八正道(道諦)無漏でどうや2024/10/22 15:14:33373.神も仏も名無しさんXd4gC>>349ケースバイケースやね依他起は縁起と同じ意味、純粋な因縁果の関係どす一方で遍計所執は末那識が働き「私との関係の中で生じる妄想」つまり「不純で主観的な因果」が生み出すものだから「相手が何か喋って、それに私が答える」は依他起だけど、相手の発言内容をほーすけはんみたいに早とちりして誤解して理解する、みたいなのは遍計所執性ですな?2024/10/22 15:15:42374.神も仏も名無しさんXd4gCちなみに、感情は「私に関連づける」ことをしないと発生しないから、遍計所執性「から生まれる」といってもいい2024/10/22 15:17:12375.神も仏も名無しさんXd4gC>>357そうそう遍計所執性は縁起と密接な関係はあるけどイコールではない擬似的に末那識が作り出す妄想上での縁起、みたいな感じやね糖質が「俺は国家に尾行されてる」みたいな妄想が分かりやすい本人にとっては「客観的な根拠がある」と思い込んでるわけやけど2024/10/22 15:20:13376.神も仏も名無しさんYJiCD>>373ややこしのが唯識が頭の中で起こってるって点で縁起=依他起ならその事象に有漏、無漏の概念が当てはまるのかって疑問(・∀・)他に依存する存在形態の事やから有漏も無漏も関係なさそうに見えるちゃ見える(・∀・)しかもテーマが護法の解釈とそれを解釈した学者って所がまた難解(・∀・)2024/10/22 15:28:45377.神も仏も名無しさんYJiCD>>365法介おじさん、そもそも無漏の種子がない凡夫もいるって話なかったっけ?過去世でお釈迦さんとの因縁がないとかナントカ(*´ω`*)2024/10/22 15:36:55378.神も仏も名無しさんYJiCD>>372本を読んでプロ化するとこんな感じなんやな(・∀・)2024/10/22 15:38:18379.リダン◆gEV3xsS//kOQ097>>378キレイにほぼ3行でまとめたやろ本読んだくらいじゃプロ化せんわ2024/10/22 15:50:29380.法介◆T3azX0Hk1UvQQeu遍計所執性の定義、>>114 に書いてあるだろ2024/10/22 15:51:52381.法介◆T3azX0Hk1UvQQeu有だとか無だとか一だとか、異なるとか具わるとか、具わらないとかそういう事に執着するこころ2024/10/22 15:54:40382.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAj3QRW>>366>>波間に揺れている舟の様今の今まで「波間に揺れている 夢 の様」だと思い込んでいたのじゃ。つまり、「朝勃ち→夢精」の歌だと勘違いしていたのじゃ。ムー様、おみそれいたしました(`_´)ゞ2024/10/22 16:00:39383.法介◆T3azX0Hk1UvQQeu遍計所執性って親所縁縁という縁起だろ2024/10/22 16:01:55384.神も仏も名無しさんYJiCD>>379謙遜しますね~(・∀・)でも八正道とて有漏の道半ばでしょう(*´ω`*)2024/10/22 16:10:55385.リダン◆gEV3xsS//kOQ097>>384八正道(道諦)は有為法でありながら無漏足り得るんよ2024/10/22 16:12:06386.神も仏も名無しさんYJiCD>>382そっちの方がロマンチックに感じるけど夢オチっぽくて虚しいのう(・∀・)まあ朝勃ちするくらい元気で羨まし(*´ω`*)2024/10/22 16:19:47387.神も仏も名無しさんYJiCD>>385まあ煩悩が働いてる感じはせんけど無漏ってそんな基準がユルイんかのう(・∀・)2024/10/22 16:22:51388.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAj3QRW>>386せやなモテる男なら、「リアルでズッコンバッコン」を連想するだろうが、モテない男は「ズッコンバッコンを夢想して発射した」と連想してしまう悲しい現実じゃ2024/10/22 16:24:25389.リダン◆gEV3xsS//kOQ097>>387いや勿論、人によるで八正道してるつもりならそら有漏やろ2024/10/22 16:26:13390.リダン◆gEV3xsS//kOQ097依他起性に有漏、無漏があるのか?って話よな?2024/10/22 16:28:06391.神も仏も名無しさんYJiCD>>383親所縁縁って相分に近い表現で遍計所執に至る前段階やないの?ってイメージやけど、ちゃうのか(・∀・)2024/10/22 16:30:46392.リダン◆gEV3xsS//kOQ097依他起性=実在とするなら俺らの存在も含むわけでんで俺が怒ったって事実はあるわけやまあそれは有漏やろ事実は怒るようなことではない場合怒った俺自体は遍計所執性だと言うことやないかいな2024/10/22 16:31:17393.神も仏も名無しさんYJiCD>>388わたしが連想したのは法介おじさんがカーセックスで車を激しく揺らす様やけどなあ(・∀・)2024/10/22 16:33:09394.神も仏も名無しさんYJiCD>>389個人的には八正道をやってるつもりの人間やな(・∀・)無漏になってる自覚はない(*´ω`*)2024/10/22 16:35:05395.神も仏も名無しさんYJiCD>>392まあ蛇縄麻と喩えで語られる遠くから見たら蛇(妄想、遍計所執)で近くで確認したら縄(事実、依他起)またその縄も編んだ麻(事実、円成事性)の一本の流れになる訳やけど、その事実に煩悩が介入しとんのか、やね(*´ω`*)2024/10/22 16:43:19396.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAj3QRW>>393リダン大聖人の菊門がピンチ!じゃな2024/10/22 16:50:29397.リダン◆gEV3xsS//kOQ097そもそも有為法である器界、依報自体が有漏増殖の縁になる以上は有漏と言える石にたいして依他起性ならただの石だがそれがダイヤモンドになれば有漏増殖やろ有為法において無漏と言えるのは八正道(道諦)のみと言えるんやないかな2024/10/22 16:53:23398.リダン◆gEV3xsS//kOQ097色界天は色(物資)にたいしての煩悩が残ると言われるからね2024/10/22 16:55:50399.リダン◆gEV3xsS//kOQ097んで依他起性ってのは見え方の一つであるから依他起性→道諦が唯一の無漏やないかいな2024/10/22 17:01:26400.リダン◆gEV3xsS//kOQ097>>396何でワイの穴アナが危ないんややめてくれや2024/10/22 17:04:09401.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAj3QRWリダン大聖人のチンコをフィーバーさせるらしいぞ?322 名前:法介◆T3azX0Hk1U[] 投稿日:2024/10/22(火) 12:55:12.67 ID:LY1v4 [154/161] TID:bison 0その件は、この前リダンのパチンコフィーバーご祈念を通してちゃんと説明しております。2024/10/22 17:37:02402.神も仏も名無しさんbl1IS>>376まー、その考え方が一般的なもしれまいただ、無漏の縁起は執着が関与しない「清浄な縁起」有漏の縁起は執着が関与する「不浄な縁起」みたいに捉えれば「解釈上の意味は通じる」つまり、対話は可能だとは思いますわ2024/10/22 17:51:02403.神も仏も名無しさんbl1IS>>377無漏の種子がない人類は存在しまへんで本有種子、つまり仏性は全ての人類にありますからな2024/10/22 17:52:50404.神も仏も名無しさんbl1IS新熏種子がない人類は存在するのか、、、アダムだったら存在しないだろう😩2024/10/22 17:56:03405.神も仏も名無しさんmXeBk>>402ピュアなリダンボーイの解釈観て感じたんやけど『識のみ』の安慧は依他起性は妄想分別(有漏)としとる(*´ω`*)まあリダンボーイ寄りの解釈実存世界は存在しないとする無相唯識やねかたや護法は外世界有っての有相唯識思想やから依他起を心の中と外世界で起こる事象の二面性で考える単純に心の中の依他起は有漏で外世界は無漏ってだけの単純な比較なんじゃないかと(・∀・)2024/10/22 18:02:25406.神も仏も名無しさんmXeBk>>403まあそう思いたいけど世の中とんでもないサイコパスはバケモンがおるかも知らん(・∀・)2024/10/22 18:04:59407.神も仏も名無しさんmhKbg>>405その解釈も意味が通じますなこーいう話は前提を整理しないと水掛け論になりますな2024/10/22 18:15:16408.神も仏も名無しさんmhKbg>>406そのレベルのとんでもないサイコパスは逆に聖人に見えるに違いないw2024/10/22 18:16:18409.リダン◆gEV3xsS//kUjcas>>401もうちんこまんこケツアナはもうええねん飽きた飽きた2024/10/22 18:18:04410.リダン◆gEV3xsS//kUjcas>>405いや有相、無相、唯識を名乗るなら阿頼耶識(心王)のそとに外界はないが共通事項、全て心(阿頼耶識縁起)2024/10/22 18:20:52411.神も仏も名無しさんmXeBk>>408そういう逆説的な考えもありますな(・∀・)お前のモノは俺のモノ、俺のモノも俺のモノ宇宙は俺だ~、と成ったら全てのモノが俺だから全てのモノが尊く平等に(・∀・)圧倒的支配欲が平等性智だったりして(*´ω`*)2024/10/22 18:27:04412.神も仏も名無しさんmhKbg>>411エージェントスミスだーーー\(^o^)/2024/10/22 18:29:24413.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAj3QRW>>409更年期障害かな?2024/10/22 18:35:25414.神も仏も名無しさんmXeBk>>410外世界を認めてる派もあるんちゃうの?有相がそれやと思ったけど勘違いか(・∀・)2024/10/22 18:37:23415.リダン◆gEV3xsS//kUjcas>>413かもしれんてかもう10年前からそうや2024/10/22 18:37:56416.リダン◆gEV3xsS//kUjcas>>414いやそれもう唯識である必要がないよね2024/10/22 18:38:23417.神も仏も名無しさんmXeBk>>412マトリックスってそんな設定やったっけ(・∀・)反乱分子を排除する白血球みたいなキャラかと思ってた(*´ω`*)2024/10/22 18:39:10418.リダン◆gEV3xsS//kUjcas流石に法介さんはそこはブラッシュアップしたで2024/10/22 18:39:41419.リダン◆gEV3xsS//kUjcasようはその阿頼耶識縁起に相がともなうのかそう錯覚させられてるのかの違いやと思うで2024/10/22 18:41:00420.リダン◆gEV3xsS//kUjcas俺の経験上はそう錯覚させられている物資は物資である俺がその仕様化であるがため物資がリアルに感じるにすぎない記述の違いであると現代科学もその方向性やないかなまあ無相唯識派になるな2024/10/22 18:44:40421.神も仏も名無しさんmXeBk>>416それが唯識やいうたらそやけど大概、ミックスして応用しとるんちゃうの?倶舎論と並べて思想の美味しい所をチョイスするもんやないんかい(・∀・)阿頼耶識ん中の仮想空間に存在しとると100%思えるならスゲーですよ(*´ω`*)2024/10/22 18:46:01422.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAj3QRW>>415登り棒で こすって 鍛えましょうおやすみー2024/10/22 18:47:07423.神も仏も名無しさんmXeBk>>418法介おじさんも仮想空間の住民で納得したのかよ~(・∀・)2024/10/22 18:47:27424.リダン◆gEV3xsS//kUjcas>>421まあ俺は離脱世界(妄想)の住人やから現実も妄想やと言われてもそうなんやねとしか思わん2024/10/22 18:47:34425.リダン◆gEV3xsS//kUjcas>>423いや阿頼耶識による記憶において依報は記録されているに落ち着いた2024/10/22 18:48:25426.神も仏も名無しさんmXeBk>>424精神世界の離脱空間とリアルな物質世界の圧倒的な違いがあやふやなんか(・∀・)現実世界でも縦横無尽出来たら完全なる悟り世界かも知らんな(・∀・)2024/10/22 18:52:37427.リダン◆gEV3xsS//kUjcas>>426現実世界は現実世界の記述通りにしか動かんダルマの仕様化だから俺達は2024/10/22 18:54:05428.リダン◆gEV3xsS//kUjcas仕様下2024/10/22 18:54:30429.リダン◆gEV3xsS//kUjcas現代科学でも多次元のムーさんがおるという見解やで11次元のムーさんがおるらしいぞしかし3次元のムーさんは3次元のルール下ってことや2024/10/22 18:56:35430.神も仏も名無しさんmXeBk>>425それが有相、無相と関連ある?ただ過去の記憶が後々影響及ぼすってだけやないの?それ(・∀・)2024/10/22 18:58:09431.リダン◆gEV3xsS//kUjcas3次元の俺に2次元の影の俺がおるように離れてあるわけでなく同時に存在する各次元の俺はその次元のルール下でしか認識出来んということや2024/10/22 18:58:17432.リダン◆gEV3xsS//kUjcas>>430その記録が現行するさいに相があるのかないのかってこと2024/10/22 18:58:57433.リダン◆gEV3xsS//kUjcas>>430現行=現象化(現実)2024/10/22 18:59:30434.神も仏も名無しさんmXeBk>>427現実世界やと思ってた世界が仮想空間やと気付く事でリミッター外れて神通力とか使えるんちゃうのけ?(・∀・)常識に囚われとるんやないのか(・∀・)2024/10/22 19:01:17435.神も仏も名無しさんmXeBk>>432>>418この流れでそんなんが法介おじさんをブラッシュアップさせたと言うのかよ(・∀・)納得イカン2024/10/22 19:03:32436.リダン◆gEV3xsS//kUjcas>>434そこまでは分からん神通力は現実のルール下では無理なんちゃうかな仏教においても神通力の元ネタの聖典の一部は諸天において神通力は行使するみたいな共通点はある2024/10/22 19:03:52437.リダン◆gEV3xsS//kUjcas>>435いやまだ阿頼耶識が心王である理解が足らんだから客体と客観を別にするんやろうあくまで心王から現象するんが事象や心の現れであるという理解2024/10/22 19:05:37438.神も仏も名無しさんmXeBk>>433そりゃ金塊を思い描いたら目の前に金塊が現れるのかい?って話になるよ(・∀・)2024/10/22 19:06:16439.神も仏も名無しさんfyHmf玄奘は天台より後の人だから天台に唯識の思想が入ってないのは明らか法華経に唯識を組み込むという荒業自体おもしろみがあっていい2024/10/22 19:06:49440.リダン◆gEV3xsS//kUjcas>>438思い描くパターンは心のサンカーラが現行や2024/10/22 19:08:24441.パyEkC7その辺のことはヨガナンダの『あるヨガ行者の一生』の中で実例が多く語られていますねあれを知っていると、多次元世界から現界への干渉もあると理解できますね2024/10/22 19:09:46442.神も仏も名無しさんmXeBk>>437そこよね(・∀・)法介おじさんは客体とか真実のモノの在りようとか拘っとるリダン先生による教化をせつに期待しとるぞ(*´ω`*)2024/10/22 19:10:25443.神も仏も名無しさんmhKbg>>417エージェントスミスはどんな事物もハッキングしてエージェントスミスに作り替えられるのだーラストバトルは世界全体がエージェントスミスに塗り替えられたーそしてそのエージェントスミスをネオがハッキングして世界全体を救ったのらー\(^o^)/2024/10/22 19:10:50444.パyEkC7ババジが夜ラヒリマハサヤのために、黄金の城を出現させて翌朝に消滅させたとか2024/10/22 19:11:49445.リダン◆gEV3xsS//kUjcas>>442まあ気がついてはいると思われるただ認めると法介論法を組み直さなあかんからべらぼうに面倒くさいんだろう2024/10/22 19:12:10446.パyEkC7痩せて肥れなかったヨガナンダを見かねて師匠が一夜にして肉付きよく筋肉をつけてくれたとか2024/10/22 19:13:27447.リダン◆gEV3xsS//kUjcas>>444それ絶対身内での囲い込みで盛ってるだけやと思うけどな好き勝手物資生成しよったら反物質で宇宙が滅ぶわ2024/10/22 19:13:35448.神も仏も名無しさんfyHmf唯識は独我論ではないんだね他者の存在を認める唯心論と言っていい。ある程度の領域ではバーチャル仮想空間を想定しているのだと思う。つまり、ある人の阿頼耶識と別の人の阿頼耶識はつながっている。しかし、現代的感覚で言えば、情報は空間の物質に刻まれるのでどうしても空間的な場に阿頼耶識が存在していると考えてしまう。コンピュータの中にある自我群がバーチャル現実にログインしている状態が現実なのだとしたらそのコンピュータはどこにあるのだろうか?2024/10/22 19:15:27449.リダン◆gEV3xsS//kUjcasいや各次元の俺はその次元のルール下でしか認識出来んということや↑高次元は低次元を認識干渉できるな2024/10/22 19:16:53450.パyEkC7盗賊に片腕を切り落とされたとある聖者が何事もなかったように切り落とされた腕をひろいあげて元の位置に着けると、くっついて静かに去っていったとか2024/10/22 19:17:13451.リダン◆gEV3xsS//kUjcas>>448それな阿頼耶識内部にそれぞれ個別の端末があるんかなあと阿頼耶識内部自我端末自我端末自我端末みたいなそれか阿頼耶識(クラウド)自我端末自我端末自我端末2024/10/22 19:19:25452.パyEkC7ある程度の霊修行をやると壁抜けが出きるようになるらしい壁に腕を差し込んで抜くとか2024/10/22 19:19:51453.神も仏も名無しさんfyHmf>>452それネトゲで言えばバグなんだが2024/10/22 19:21:17454.神も仏も名無しさんmXeBk>>443マトリックス レザレクションズまで観たのに1作目が面白過ぎて後の3作の記憶がない(・∀・)仮想空間が幸せで目覚めたくないって思わせるから深いなあと思わせる(*´ω`*)夢から覚めさせるネオが正義なのか、夢心地でいさせるエージェントが正義なのか2024/10/22 19:21:20455.リダン◆gEV3xsS//kUjcas未だにマトリックスみてねえ書き込み見てるかぎりかなり面白ろそうやな2024/10/22 19:23:20456.パyEkC7瞑想で開眼したのんびり猫だそうですhttps://i.imgur.com/0wwiRQh.jpeg2024/10/22 19:29:13457.リダン◆gEV3xsS//kUjcas>>456草ウチのコやん2024/10/22 19:32:53458.パyEkC7身近で聞いた話おれの兄弟子が、瞑想で宇宙空間の星雲へ行ってて戻ってきて眼を開けたら自分を挟んで男女がバトミントンをしててヽ(;゚;Д;゚;; )ギャァァァーって叫んだとかその男女に何でそんなに驚いたのか訊いたら突然真ん中に人があらわれたので驚いたと言ったらしい全く見えていなかったのに、突如座っている人が見えたから驚いたと2024/10/22 19:37:02459.リダン◆gEV3xsS//kUjcas>>458すまんが信憑性に欠ける2024/10/22 19:42:38460.リダン◆gEV3xsS//kUjcas真言の現世利益ですら真如からの如是、如来の操作によるバタフライエフェクト縁起を利用するあくまで3次元のルール下や2024/10/22 19:44:30461.法介◆T3azX0Hk1U3UHjqおし!回線復帰2024/10/22 20:27:47462.法介◆T3azX0Hk1U3UHjqでは、話を本題に戻します。2024/10/22 20:28:06463.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq吉村教授が提示してあるこちらの図ですが、https://livedoor.blogimg.jp/butudou/imgs/c/7/c76d424f.jpg2024/10/22 20:29:23464.法介◆T3azX0Hk1U3UHjqムーさんは、おかしくないでしょと言われます。2024/10/22 20:29:55465.法介◆T3azX0Hk1U3UHjqどうして所取が遍計所執性になりますか?2024/10/22 20:30:55466.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq所取とは客体です。そこに人の認識は含まれません。なのにどうして遍計所執となりますか?2024/10/22 20:31:46467.法介◆T3azX0Hk1U3UHjqムーさん、お答えくださいな2024/10/22 20:32:11468.神も仏も名無しさんmXeBk>>466能取と所取は虚妄分別の二取言われる奴やん(*´ω`*)まさに遍計所執や(・∀・)2024/10/22 20:42:32469.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq「能取と所取は虚妄分別の二取」どこでそのような事を言われてますか?2024/10/22 20:43:42470.法介◆T3azX0Hk1U3UHjqそれは相分と見分のことではありませんか?2024/10/22 20:44:20471.神も仏も名無しさんmXeBk>>469どこで?中辺分別論か何かか(・∀・)2024/10/22 20:45:08472.法介◆T3azX0Hk1U3UHjqヒント>>1092024/10/22 20:47:05473.神も仏も名無しさんmXeBk>>470見分と相分も認識と変わらんけど妄想までは行かん(*´ω`*)2024/10/22 20:48:04474.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq>中辺分別論か何かか(・∀・)ちゃんと示してくださいな2024/10/22 20:51:55475.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq中辺分別論は無著でしょ2024/10/22 20:54:05476.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq護法の話をしております。2024/10/22 20:55:35477.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq護法が、所取と能取を遍計所執と主張したか否かを議論しております。2024/10/22 20:56:44478.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq安慧は、>>109 にあります通り「二取名爲遍計所執。」と言っております。2024/10/22 20:58:14479.神も仏も名無しさんmXeBk>>474面倒臭いなあ(・∀・)https://rissho.repo.nii.ac.jp/record/7410/files/083_%E7%AC%AC8%E5%8F%B7_%E4%BA%8C%E5%8F%96%E3%83%BB%E4%BA%8C%E5%88%86%E8%AB%96.pdf2024/10/22 20:58:46480.神も仏も名無しさんmXeBk>>475能取と所取が妄想分別の二取なんは誰の著書でも共通認識やろ(・∀・)2024/10/22 21:00:34481.法介◆T3azX0Hk1U3UHjqその論文のどこに?2024/10/22 21:00:53482.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq「誰の著書でも」誰の著書ですか?2024/10/22 21:01:39483.法介◆T3azX0Hk1U3UHjqちゃんと確認されましたか?2024/10/22 21:01:50484.法介◆T3azX0Hk1U3UHjqそれともムーさんの勝手な思い込み(妄想分別)ですか?2024/10/22 21:02:17485.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq先にも言いましたけどわたしは学者さんの主張はさほど信用しておりません2024/10/22 21:02:50486.法介◆T3azX0Hk1U3UHjqどの仏典のどの文句を根拠にそのような主張をされているのかをわたしは確認する人間です2024/10/22 21:03:45487.法介◆T3azX0Hk1U3UHjqそれが仏の教えですから2024/10/22 21:04:02488.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq仏典にもとづかない主張は用いない=法四依2024/10/22 21:04:52489.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq学者さんは勘違いが多いですからね2024/10/22 21:05:12490.法介◆T3azX0Hk1U3UHjqで、その論文はどの文句を根拠にそのような主張をなされていると言うのですか?2024/10/22 21:06:20491.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq仏典の根拠を示してくださいとわたしは申しております。2024/10/22 21:06:45492.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq確認しますのでプリントNoを教えてくださいな2024/10/22 21:07:19493.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq確認なされたからその論文を提示されたんでしょ2024/10/22 21:07:48494.神も仏も名無しさんmXeBk単語の意味を調べるのに仏典が必要なのかい(・∀・)日本語に翻訳した仏典?サンスクリット?変なゴネは要らんて(・∀・)2024/10/22 21:10:37495.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq>単語の意味を調べるのに仏典が必要なのかいあたりまえでしょ2024/10/22 21:11:40496.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq仏典に依らないで何に依るのですか?2024/10/22 21:11:59497.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq仏教って仏が説かれた教えですよ2024/10/22 21:12:16498.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq依法不依人(法に依りて人に依らざれ)2024/10/22 21:12:58499.神も仏も名無しさんmXeBk>>495サンスクリット語から翻訳すんかい(・∀・)2024/10/22 21:13:30500.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq法=仏の説く法理2024/10/22 21:13:32501.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq仏典を根拠にするという常識を知らない?2024/10/22 21:15:09502.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq仏教学界の常識ですが2024/10/22 21:15:44503.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq仏典を根拠とするなんてことは。2024/10/22 21:16:04504.法介◆T3azX0Hk1U3UHjqじゃないとおかしくなっていくでしょう。2024/10/22 21:16:55505.神も仏も名無しさんmXeBk>>495まず仏典に単語の解説なんてないやん?そんなんだから解釈間違うんやないか?(・∀・)普通に日本語訳した学者の文献の方が理解早いと思うよ(*´ω`*)2024/10/22 21:17:10506.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq我説で仏教を展開されたら2024/10/22 21:17:14507.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq>まず仏典に単語の解説なんてないやん?あります2024/10/22 21:17:39508.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq仏典の意味をくみ取って単語が作られてます。2024/10/22 21:18:09509.神も仏も名無しさんmXeBk>>502YouTube観て勉強してんのによく言うわ(・∀・)2024/10/22 21:18:32510.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq例えば、「此縁性縁起」という単語は仏典にはありません。2024/10/22 21:18:52511.パjObbEJ-Stagehttps://www.jstage.jst.go.jp›-char世親釈は「所取と能取との分別あり」とするに対し 唯識観の発展田中順照 著·1964—しかもこれらの二が鏖と根と等しく所取であると. して、. と説かれている。ーーー弥勒、無著、世親と伝承された唯識観の発展をたどろうと思う。弥勒には楡伽師地論、弁中辺論、大乗荘厳経論、法法性分別論、現観荘厳論等の著がある。そのうち、先ず弁中辺論をとりあげて見る。虚妄分別有 於レ此二都無此中唯有レ空 於レ彼亦有レ此 (玄)虚妄分別有 彼処無レ有レニ彼中唯有レ空 於レ此亦有レ彼 (真)玄奘訳の所取と能取は、所取の執であり、能取の執である。は、弁中辺論巻頭の有名な偶である。虚妄分別とは何か。玄奘訳、世親釈は 「所取と能取との分別あり」とするに対して、真諦訳は 「能取と所取とを分別するあり」としている。述記はこれを、能取所取遍計所執、縁レ此分別乃是依他。… …即所取能取分別。依士釈名。非二二取即分別持業立レ名。と説いている。知られるものと知るものとの二が等しく知られるものとして分別されるとの意である。真諦訳はこれを明に示している。従 って虚妄分別を単に知られるものと知るものと の対立と解するだけでは十分ではない。その知られるも玄弊訳、世親釈は 「所取と能取との分別あり」とするに対しのの側に知る働も含まれていることに注意 しなければならぬ。2024/10/22 21:19:04512.パjObbE第三偶の識生変二似義 有情我及了一此境実非レ有 境無故識無 (玄)塵根我及識 本識生似レ彼但識有無レ彼 彼無故識無 (真)このことを明に示している。 チェルバッキーはこれを、~と訳している。1外的対象 (義、 塵) と2身体 (根) と3我と4識とは実在するものでなく、単に識の似現せるものとして、言わば識の影にすぎない。本来は存在しないこれらの四つに似て現ずるも の、それが虚妄分別である。識の似現せる四つの中、 義と根とについては、識 の似現せる対象、 即ち識によって投げ出された対象の意義は理解され易い。ところが、我と識とはむしろノエシス面に属し、 似現せる対象の意義は義と根ほど明確ではない。我と了とについて、世親釈 (玄弊訳)は、、変二似我一者。謂染末那与二我痴等一恒相応故。変二似了一者謂余六識了相麓故。と説き、我に似て現ずとは我痴等と恒に相応する染汚の末那であり、了に似て現ずとは了別の働の麓なる前六識であるとしている。しかもこれらの二が塵と根と等しく所取であるとして、2024/10/22 21:19:23513.神も仏も名無しさんmXeBk>>507それ仏典やないやろ(・∀・)2024/10/22 21:19:25514.法介◆T3azX0Hk1U3UHjqしかし、仏典の意味からその用語は出来ております。2024/10/22 21:19:25515.法介◆T3azX0Hk1U3UHjqこちらの論文ですね、馬ちゃん。https://www.jstage.jst.go.jp/article/jeb1947/1964/66/1964_66_1/_pdf/-char/ja2024/10/22 21:25:45516.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq目を通してみます。2024/10/22 21:25:58517.神も仏も名無しさんfyHmf能取と所取とは、ものがあって、わたしがいるというあり方のこと。要するに目の前に肉があって、それをよだれを垂らして見ているような境涯のこと。見分と相分は、ものが心にあらわれる、わたしが心にあらわれるとちょっとものとわたしについて距離をとることだよ。これはTV越しに肉という映像があらわれて、わたしはその映像を見ているという境涯。この場合、見分と相分を分けるのは、リアルタイムの分析ではなくて同時に起こることをあえて二つの見方で分けているとされる。要するに、走者が走る、頭痛が痛い みたいな一つのことを二つに分けて言及している。2024/10/22 21:31:16518.パjObbE立正大学学術機関リポジトリhttps://www.google.com/url?sa=t&source=web&rct=j&opi=89978449&url=https://rissho.repo.nii.ac.jp/record/7410/files/083_%25E7%25AC%25AC8%25E5%258F%25B7_%25E4%25BA%258C%25E5%258F%2596%25E3%2583%25BB%25E4%25BA%258C%25E5%2588%2586%25E8%25AB%2596.pdf&ved=2ahUKEwjerMDq86GJAxWdsFYBHZvmDBIQFnoECC0QAQ&usg=AOvVaw2HzX0a2xpvIrk9y-250sdk二取・二分論勝呂信静 著·1982·唯識説において、二取(能取・所取)’ 1 1 ’ g R (見分・相分)をどのように理解するかということは、唯識説理解の根本にかかわる問題論である。数年前にもこの問題について論議がなされた。くり返しぜられて来たこの問題を再び取りあげるのは蛇足であろうが、多少の私見があるので、以下に述べてみたい。二取・二分の概念は’大体において、主観と客観あるいは認識作用(ノエシス)と認識対象(ノエマ)にあたるものである。唯識教義において一般に問題になるのは、二取・二分が、遍計所執性に属して非有と見られるものであるか、あるいは依他起性に属して実有なるものであるかということである。2024/10/22 21:34:04519.神も仏も名無しさんix0cw>>513日蓮著作と言われる解釈やろなーそれは😀2024/10/22 21:40:47520.神も仏も名無しさんmXeBk>>519まあそうなら翻訳って手間ないから分かる(・∀・)しかし単語1つにこんな苦労して逆に仏道の障害にならんのかいな(・∀・)2024/10/22 21:47:07521.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq>>日蓮著作と言われる解釈やろなー法四依は『涅槃経』でしょ2024/10/22 21:56:08522.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq決めつけも甚だしい2024/10/22 21:57:03523.法介◆T3azX0Hk1U3UHjqよほど日蓮さんが嫌いなんだろこの二人は、、、2024/10/22 21:57:24524.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq馬ちゃんに聞きたい。2024/10/22 21:57:45525.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq最初に紹介している論文のプリントNo.8で、さて第一偶の釈の能取所取は、能取の執であり所取の執であつた。即ち執せられた能取であり所取であつた。とあります。2024/10/22 22:01:00526.神も仏も名無しさんix0cw>>523オレはなんみょーで黄緑法界フラッシュできるぞえへん〜😀2024/10/22 22:01:16527.法介◆T3azX0Hk1U3UHjqその根拠は、論文のどこに示されてますか?2024/10/22 22:01:33528.神も仏も名無しさんmXeBk>>523わたしのレスに日蓮さんを嫌ってる要素ないやろう(・∀・)別に好きでも嫌いでもないっての(*´ω`*)2024/10/22 22:01:37529.神も仏も名無しさんix0cw>>528オレはほーかいくんの思想の根底を分析解析提示してるだけやからなー😀2024/10/22 22:03:02530.神も仏も名無しさんix0cw正宗典拠の日蓮著作は細かく知らんが日蓮宗典拠の日蓮著作は相当研究してるので、だいたいほーかいくんの狙い解釈は分析出来る自信はある😀2024/10/22 22:05:39531.神も仏も名無しさんmXeBk>>529わたしゃ法介おじさんの理論が日本語の日蓮さんによる仏典での話な間違いないと肯定したんや(・∀・)寧ろ法介おじさんに対して歩み寄った(*´ω`*)2024/10/22 22:05:41532.法介◆T3azX0Hk1U3UHjqでおーは田中順照って知ってるか?2024/10/22 22:06:50533.神も仏も名無しさんfyHmf有相唯識は識も認識の対象になるという説と説明されているがそれは見分と相分が布教にとって、あるいは同じ教団内での意見集約にとって大事であると認識したためだろう瞑想における現量なんて千差万別で、お互いの意見の集約が難しいから外界世界における経験的正しさに土台をおいて、意見を集約していったのだろう。そういう点でも、縁起(依他起性)は唯識にとって欠くことのできない要素だったと思われる。2024/10/22 22:07:14534.神も仏も名無しさんix0cw>>532しらんなー久保田正文と紀野ぐらいやな、あと最近の渡辺宝陽やな😀2024/10/22 22:08:53535.法介◆T3azX0Hk1U3UHjqfyHmfさんは、どちらさんです?議論に参加なされるのでしたら出来ましたらコテハンでお願い致します。2024/10/22 22:09:27536.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq高野山大学仏教学研究室ってある2024/10/22 22:10:12537.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq真言宗の人かと思ってでおーに聞いてみた2024/10/22 22:10:52538.神も仏も名無しさんix0cw高野山大学でほーかいくんの嫌がる天台宗史の本を読んだなー😀2024/10/22 22:11:06539.法介◆T3azX0Hk1U3UHjqこの学者さん、言ってることちょいおかしいぞ2024/10/22 22:11:15540.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq馬ちゃん、気づいてるかな2024/10/22 22:11:49541.神も仏も名無しさんix0cw高野山大学の図書館は結構入り浸ってなー唯識関連の成唯識論の本借りるの忘れてた、唯識はマジメにチェックしてなかったーその内高野山大学行く期間あったら成唯識論の現在語訳借りれるか見に行こー😀2024/10/22 22:13:09542.神も仏も名無しさんix0cw高野山大学図書館はキリスト教関連はあんまり充実してなかったー10年前やけどー😀2024/10/22 22:14:28543.法介◆T3azX0Hk1U3UHjqプリントNo.7の次の文章。安慧は、「八識の対象は凡て遍計所執である。」と解すると言つている。安慧の釈論では、依他起が能取と所取との相をもつ限り遍計所執であり、↑これまるでリダンが書いたような文章だな2024/10/22 22:20:17544.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq「依他起が能取と所取との相をもつ限り遍計所執であり」って、どういうことだよ2024/10/22 22:20:48545.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq依他起が能取と所取との相をもつんなら、それは依他起だろうに、、、2024/10/22 22:21:16546.法介◆T3azX0Hk1U3UHjqそれ以前になんで依他起が能取と所取との相をもつ?2024/10/22 22:21:48547.法介◆T3azX0Hk1U3UHjqこのひと「依他起」をどのように理解しているんだろう、、、2024/10/22 22:22:17548.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq「依他起」ってそのモノがそのモノと成り得た縁起って意味だぞ2024/10/22 22:22:56549.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq縁起に依りて形成されたもの2024/10/22 22:23:15550.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq「縁起に依りて形成されたもの」である「依他起」に能取と所取の相がある?例えば小川がある。自然の営みの中で形成された小川である。その小川に客体と主体の相があるというのか?2024/10/22 22:25:57551.法介◆T3azX0Hk1U3UHjqまるでリダンだな2024/10/22 22:26:27552.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq用語の活用方法がでたらめだ2024/10/22 22:26:54553.神も仏も名無しさんix0cw今日はかなり修行が進んだ唯識の内容もガッチリ強化したよーな気分だ😀2024/10/22 22:27:11554.神も仏も名無しさんmXeBk>>548安慧は無相派だから外世界が無いだから認識するもんが全て妄想分別って事やないの?(*´ω`*)2024/10/22 22:27:37555.法介◆T3azX0Hk1U3UHjqプリントNO.6には「虚妄分別は依他性と言われ」とか言っている、、、2024/10/22 22:28:08556.神も仏も名無しさんix0cw唯識は大方ハズレが多いさま、清森なんか論外だろな大方唯識は的外れだと川崎薬師寺の唯識講師は言ってる、ま、正解やろな😀2024/10/22 22:29:05557.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq>>554 ではこれは?→>>5502024/10/22 22:29:20558.神も仏も名無しさんfyHmfちなみに主観と客観、主体と客体ってどう言い分けてる?ちょっと検索した程度だとほぼ同じって書かれていたから。客体はもの。客観はものを認識しているあり方ってこと?2024/10/22 22:30:14559.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq「虚妄分別は依他性と言われ」虚妄分別は逼計所執性だろ2024/10/22 22:30:28560.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq>>558ここでは、既に説明済みなんですね。新しい方でしょうか?でしたらご説明しますが2024/10/22 22:31:39561.神も仏も名無しさんfyHmf>>560お願いします。2024/10/22 22:32:07562.神も仏も名無しさんmXeBk>>557それも外世界の無い心の中の話でしかないから縁起すら虚妄って事でしょ(・∀・)まさにリダンTheワールド(・∀・)2024/10/22 22:32:13563.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq客体 (① 見られる側)=真実のモノのあり様主体 (② 見る側) =凡夫の認識(客観 ③ + 主観 ④ )①=所取 ②=能取 ③=相分 ④=見分2024/10/22 22:32:23564.神も仏も名無しさんmXeBk>>558無相には主体とか客体って概念が無いんやないの?(・∀・)だから安慧の図解だと見分=能取みたいな2024/10/22 22:34:06565.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq『唯識三十頌』第一頌「彼依識所変 此能変唯三」彼れは識が所変に依る。此れが能変は唯三つのみなり。2024/10/22 22:35:41566.神も仏も名無しさんfyHmf>>563真実の世界でも主客が分かれているということ?仮に分けてるの?2024/10/22 22:35:56567.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq 唯識における「識転変」について、安慧(スティラマティ)の注釈によれば、「転変」とは、「変化すること」と解説される。すなわち、原因となるある刹那が消滅し、と同時にその刹那とは別の刹那が、形を変えて、新たな結果として生起することである。 今ここに、一個のりんごがあるとする。このりんごは、その場所に、形を変えずに存在しているように思われるが、数日もたてば、水分が飛び、しなびて、ゆくゆくは腐ってしまう、これは、りんごが一瞬一瞬、刹那滅を繰り返し、徐々に形を変えていっているからに他ならない。 唯識では、そのりんごは、実際そこに存在するのではなく、我々の心の中に現れ出ているものに過ぎないと考える。 実際、目の前にあるりんごを、それを見ている者達がみな同じ色、形として認識しているとは限らないし、同じにおいがしているとも限らないのである。この道理こそが、世親の説く「識の転変」と言われるものである。しかし、玄奘は >>565 を漢文にする際、このパリナーマ(転変)なる語に「所変」・「能変」という二種類の語を使い分けている。この点に関しては、専門家においても意見の分かれるところとなっている。2024/10/22 22:36:09568.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq所変・能変とは、 能変=変化せしめるもの 所変=変化せしめられたものとなるのですが、唯識では能取を主体、所取を客体とします。 見られる側(所取)=客体 見る側 (能取)=主体2024/10/22 22:36:54569.法介◆T3azX0Hk1U3UHjqこの「主体と客体」の関係に対し、人の認識である「主観と客観」を唯識では、相分と見分とします。 主観=見分 客観=相分2024/10/22 22:37:13570.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq客体 (① 見られる側)=真実のモノのあり様主体 (② 見る側) =凡夫の認識(客観 ③ + 主観 ④ )①=所取 ②=能取 ③=相分 ④=見分2024/10/22 22:37:28571.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq玄奘は、『唯識三十頌』第一頌の「彼依識所変 此能変唯三」を「彼れは識が所変に依る。此れが能変は唯三つのみなり。」と訳しておりまして、所変が「変化せしめられたもの」、即ち ① の客体、能変は「変化せしめるもの」、即ち ② の主体となります。「所変」=時間経緯で起こる此縁性縁起 ---(客体) ↑自然界の出来事(縁起)「能変」=凡夫の認識(主観と客観) ---(主体)その主体である凡夫の認識に、初能変と第二能変と第三能変の三つの能変があると『成唯識論』では言っております。2024/10/22 22:38:36572.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq>>566「主体・客体」と「主観と客観」とは意味が異なるという事です。2024/10/22 22:40:01573.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq元オウムさんではないですよね?2024/10/22 22:40:22574.法介◆T3azX0Hk1U3UHjqお初の方でしょうか?2024/10/22 22:40:49575.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq皆さん、それぞれにコテハンを使われております。宜しければ~2024/10/22 22:41:39576.神も仏も名無しさんfyHmf要するに今、我々の世界が変化しているのは、阿頼耶識の種子が転変していてそれが世界が変化する様を映じているということでしょう?この相続転変差別という言葉はもともと経量部の考えたものでこれを阿頼耶識縁起に応用したため、世親は経量部出身だったんじゃないかと言われている。2024/10/22 22:44:36577.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq>>576こういう↓ことです。http://rdor-sems.jp/index.php?%E8%AA%B0%E3%82%82%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E7%81%AB%E4%BA%8B2024/10/22 22:46:28578.パsfGZi>>539まだ読んでないけど、とりま何か参考になればと思って書いておいてあります2024/10/22 22:47:54579.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq解りやすく言いますと、あなたが麻酔で寝むっている時に地震があって天上から包丁が落ちて来てお腹に突き刺さったとします。さて、あなたが麻酔から覚めた時、お腹に包丁は刺さっているでしょうか?という問題です。2024/10/22 22:51:30580.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq「認識されない出来事は存在しない」を主張する無相派の言い分ですと包丁が落下したその時を誰も認識しておりません。2024/10/22 22:52:32581.法介◆T3azX0Hk1U3UHjqだとしたら無相派の考えでは包丁が落下したという出来事は起きていない事になります。2024/10/22 22:53:22582.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq人類が生存していなかった地球でどうして小川が出来ましたか?ということでもあります。2024/10/22 22:54:06583.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq唯識は人間の認識のお話です。(能変)2024/10/22 22:54:47584.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq我々人間が知り得ない出来事(所変)もあるというお話です。2024/10/22 22:55:31585.神も仏も名無しさんfyHmf神の視点をもってくるのは卑怯では?起きた瞬間、包丁がお腹にささっているのが分かって現実が存在し始めるのでは?2024/10/22 22:56:00586.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq人間が知り得ている世界だけが世界の全てではないというお話です。2024/10/22 22:56:11587.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq「現実」はでしょ2024/10/22 22:56:49588.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq「世界」はではありません2024/10/22 22:57:05589.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq「現実」は、人間の認識です2024/10/22 22:57:20590.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq人間の認識で世界は出来ていないというお話です2024/10/22 22:57:41591.神も仏も名無しさんfyHmf>>586外に世界が存在するという観点に立てば、そうだね2024/10/22 22:58:14592.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq鳥には鳥の世界があり魚には魚の世界があります2024/10/22 22:58:22593.法介◆T3azX0Hk1U3UHjqそういった人間の認識から離れた存在を言っております2024/10/22 22:59:13594.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq唯識=人間の認識2024/10/22 22:59:32595.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq唯識は人間のこころ(識)を説いた教えです2024/10/22 23:00:15596.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq世界を説いた教えではありません2024/10/22 23:00:34597.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq人間が見ている世界が世界の全てではありません2024/10/22 23:01:04598.神も仏も名無しさんfyHmf>>593外界世界が実在するという考えに立てば、そういうことになるね。2024/10/22 23:01:42599.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq唯識は、どうしたら苦しみの世界を安らぎと喜びの世界に転換出来るかを説いた教えです2024/10/22 23:01:55600.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq自身の心一つで世界はどうにでも変わるというお話が唯識です2024/10/22 23:02:44601.法介◆T3azX0Hk1U3UHjqそこのところを勘違いすると世界は存在しないんです!とか、おかしな事を言いだすんですリダンのように2024/10/22 23:04:19602.神も仏も名無しさんWDssl>>660😞2024/10/22 23:06:43603.法介◆T3azX0Hk1U3UHjqさて、今日のところはこの辺までとして2024/10/22 23:06:45604.法介◆T3azX0Hk1U3UHjqそろそろ寝ます2024/10/22 23:07:07605.法介◆T3azX0Hk1U3UHjqおやすみー2024/10/22 23:07:25606.神も仏も名無しさんFW0fi>>454分かるわwマトリックスは一作目が至高wネオは夢でも有るしリアルでも有るビットでも有るしアトムでもあるネオはさまざまな世界を支配する支配者とコミュニケーションを通じて良好な関係を作るそして世界にバランスをもたらす2024/10/22 23:40:08607.神も仏も名無しさんFW0fi>>466所取は客体ですな遍計所執性との関係としては遍計所執性が捉える対象、みたいな感じですな2024/10/22 23:43:39608.神も仏も名無しさんFW0fi所取と相分の違いは、所取は客体でもあるけど遍計所執性の対象でもあるが、相分は見分が映し出す外界のイメージだいたい同じ意味だけど、厳密性に拘ると若干違う2024/10/22 23:48:25609.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq「遍計所執性が捉える対象」それは〝能取〟が対象とする「所縁縁」です。2024/10/22 23:49:29610.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq唯識では細かく項目分されております。2024/10/22 23:50:08611.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq所縁縁でもあさらに親所縁縁と疎所縁縁とに分けられます2024/10/22 23:50:55612.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq親所縁縁が遍計所執性です。疎所縁縁は依他起性です。2024/10/22 23:52:25613.法介◆T3azX0Hk1U3UHjqそのように相分においても縁が変われば依他起性、遍計所執性かは変わります2024/10/22 23:53:59614.法介◆T3azX0Hk1U3UHjq相分だからとか見分だからとか一概には言えないというのが護法の立場です。2024/10/22 23:55:50615.法介◆T3azX0Hk1U3UHjqさて、寝よっと2024/10/22 23:56:24616.神も仏も名無しさんFW0fi>>606所縁縁も客体といえるけど、所取との違いは、前者が認識が生じる縁起の条件みたいな意味が含まれてて、後者は認識主体によって誤って実体として捉えられる対象みたいな意味が含まれてるところなんじゃん?2024/10/22 23:58:56617.神も仏も名無しさんJltmAこういう微細な違いが仏教の「漢字の森」で単語に拘る人たちを惑わす所以なんだろうなある意味どーでもええけど、コンテキストによってはその差異には意味がある、みたいなところなんだろう2024/10/23 00:02:25618.神も仏も名無しさんAvDcu>>6061作目のネオが徐々に救世主として覚醒していく様が良いんですよね~(・∀・)モーフィアスとのカンフーシーンとか男心を擽る(*´ω`*)覚醒しちゃった後もワクワクするんだけど、いざ続編観ると話が重くて爽快感が失われていくのが残念(*´ω`*)とはいえ思い出す為に3作目レボリューションズのラスト30分見直したけどエージェントとのラストバトルは良かった(・∀・)2024/10/23 00:12:29619.神も仏も名無しさんJltmA>>618ラストバトルはアキラとかドラゴンボールみたいでしたねw胸熱やw2024/10/23 00:15:48620.神も仏も名無しさんAvDcu>>619やっぱりラスト30分じゃ足りん、という事で1時間前から見直し(・∀・)ラストバトルは現実世界からマトリックスへ入って行く所が肝心ですね(・∀・)2024/10/23 00:22:17621.神も仏も名無しさんbBGit>>620ゼウスマキナ的には人類と共存してるからエージェントスミスに破滅させられたら困りますからなエージェントスミスはタナトスの象徴であり、エゴの象徴だんでその存在がマトリックスでネオと融合することで生まれてしまった(>_<)2024/10/23 00:29:42622.神も仏も名無しさんAvDcu>>621スミスとの空中戦はまさに実写版のドラゴンボール(・∀・)エージェントスミスの暴走を止める事で共存を選ぶウィンウィンな優しい世界(*´ω`*)それでぬるい仮想現実へ戻る4作目へまあレザレクションズは蛇足かな(*´ω`*)2024/10/23 00:38:02623.神も仏も名無しさんAvDcu>>621しかし凄い記憶力ですねえ(・∀・)最近見直したとしか思えん(・∀・)2024/10/23 00:40:16624.神も仏も名無しさんbBGit>>622レザレクションにはがっかりした(>_<)>>623めちゃくちゃ好きだったからw2024/10/23 00:41:17625.神も仏も名無しさんbBGit自由意志の危うさですなエゴと自由をもったAIと愛と自由をもった人間の運命のバトルや2024/10/23 00:43:09626.神も仏も名無しさんAvDcu>>6241作目は映画館で観て『スゲー映画を観ちゃったなあ~』と衝撃を受けました(*´ω`*)リローデッドは3、4年のブランクで熱が覚めたのかDVD観ながら寝落ちする始末(・∀・)レボリューションは面白かった記憶が少しある程度で記憶から消えかけてました(・∀・)レザレクションズは懐かしさから観た感じで印象薄(*´ω`*)です2024/10/23 00:49:19627.神も仏も名無しさんAvDcu>>625現に今の世界が仮想現実なんじゃないかと言われるし、AIの目覚ましい発達を目の当たりにするとマトリックスが現実味を帯びてきますね(・∀・)ネオとエージェントスミスの台詞の交差がまた名言だったりで熱かった(・∀・)2024/10/23 00:53:34628.神も仏も名無しさんV3NJLAIが自我を持つには臓器と個別のサーバーが必要ですな臓器を持つことで「内と外」の意識ができて、個別のサーバーを持つと阿頼耶識が実現できるそれやるとデータ量が無尽蔵に増えるので物理的に無理や😩2024/10/23 01:27:35629.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7おはようございます、法介です。2024/10/23 08:45:53630.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7間違えて馬ちゃんのスレに書き込んでおりました。2024/10/23 08:46:20631.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAbSrkB>>581おがよーワシは、法介派じゃ(包丁が落下したという出来事は起きた)アインシュタイン派でもあるhttps://enokidoblog.net/sanshou/2013/11/9927「ボーアのイメージする実在は、観測されなければ存在しないようなものだった。(中略)多くの物理学者たちは、「今回(1935年)もまたボーア=アインシュタイン論争の戦場から、勝者として帰還したのはボーアだと考えるようになった。(中略)現在では、「量子力学は完全だという主張が本格的に疑問視されるようになって、アインシュタイン=ボーア論争ではアインシュタインが敗北したという、従来の判定が見直しを受けている」。この部分を読んだ時、私の目から鱗が落ちた。アインシュタインが負けたとばかり思い込んでいたからである。「ボーアとの論争で決定打を出すことはできなかったものの、アインシュタインの挑戦は後々まで余韻を残し、さまざまな思索の引き金となった」。「しだいに多くの物理学者が、量子力学より深い理論を探すようになっている」2024/10/23 08:46:39632.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7こちらに再投稿します。2024/10/23 08:46:40633.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7和尚、おはよー2024/10/23 08:48:25634.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7昨夜、馬ちゃんが提示した田中論文の一枚目の原稿に、能取所取遍計所執、縁レ此分別乃是依他。……即所取能取分別。依士釈名。非二二取即分別持業立レ名。とありまして、2024/10/23 08:50:02635.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7「能取所取遍計所執」これを、能取と所取を遍計所執と見なす事の根拠として田中氏(教授?)は自論を述べておられます。2024/10/23 08:51:42636.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7その文句 >>634 が「述記」に書かれていると2024/10/23 08:52:49637.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7わたしはてっきり『成唯識論述記』にそのような記述があるのかと思い少々驚いておりました。2024/10/23 08:53:38638.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7しかし、調べてみますが『成唯識論述記』には該当箇所がないんですね、、、2024/10/23 08:54:03639.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7で、解ったんですが『成唯識論述記』ではなく『辯中邊論述記』からの引用でした。https://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?mode=detail&useid=1835_,44,0002b08&key=%E8%83%BD%E5%8F%96%E6%89%80%E5%8F%96%E9%81%8D%E8%A8%88&ktn=&mode2=22024/10/23 08:54:28640.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7これは無着が顕した『弁中辺論頌』を慈恩大師が解説した論書です。2024/10/23 08:54:46641.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7無着は、無相唯識の人です。2024/10/23 08:55:18642.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7無相唯識では、能取と所取を遍計所執と見なします。2024/10/23 08:55:32643.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7この田中論文は、無相唯識の立場(無着や安慧の主張)で論じられている論文です。2024/10/23 08:55:51644.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7論文のプリントNo.6-7で書かれてますが、さて、ここには幾多の問題が伏在している。述記は、二切の虚妄分別の対境が遍計所執と言うのではない。前五識と第八識とには執がない。従つて虚妄分別の意味するところは広く、遍計所執を縁ずる心は狭義の妄分別である。」と言うのが護法の理解であり、安慧は、「八識の対象は凡て遍計所執である。」と解すると言つている。安慧の釈論では、依他起が能取と所取との相をもつ限り遍計所執であり、虚妄分別に於て主と客との対立のなくなるとき円成実性であると言つて、虚妄分別に広狭の差を説いていない。2024/10/23 08:56:03645.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAbSrkBシカチャマは、無相派っぽいねhttps://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/news/3665/1720158845/394235 名前:鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF [] 投稿日:2021/03/31(水) 13:39:20.15 ID:VlI2N+EM [2/3]訂正>>232私⇆宇宙 ↓↑(末那識) ↓↑阿頼耶識だから問題ないでしょ。私という器世間(宇宙)を認識する者が消えれば宇宙も消えます。2024/10/23 08:56:43646.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7「前五識と第八識とには執がない。」←これが護法の理解であると田中氏自身が申しております。2024/10/23 08:56:44647.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7「前五識と第八識とには執がない。」=対境である客体、即ち「所取」に〝執〟はないと。2024/10/23 08:57:32648.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7「所取」は、遍計所執にはあたらないというのが、護法の見解であるんだと。2024/10/23 08:57:43649.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7>>645わたしが出会った頃の鹿野園は、そのようでしたが今は、どうなんだろね人の考えは、変わるものです2024/10/23 08:59:01650.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7無著や安慧は無相で世親や玄奘は有相です。2024/10/23 08:59:16651.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7無著や安慧=「客観と主観」と「客体と主観」を混同している。世親や玄奘=「客観と主観」と「客体と主観」を別ものとしている。※ 客観(相分)主観(見分)客体(所取)主観(能取)2024/10/23 08:59:55652.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7なぜこの混同が起きたのか。2024/10/23 09:00:07653.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7今朝がた、このような研究論文を見つけました。二取・二分論 勝呂 信静https://rissho.repo.nii.ac.jp/record/7410/files/083_%E7%AC%AC8%E5%8F%B7_%E4%BA%8C%E5%8F%96%E3%83%BB%E4%BA%8C%E5%88%86%E8%AB%96.pdf2024/10/23 09:00:26654.法介◆T3azX0Hk1UqZOb757枚かー長い論文だ2024/10/23 09:01:09655.法介◆T3azX0Hk1UqZOb746枚目あたりまで目を通して、やっと護法説が出て来た。2024/10/23 09:01:55656.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAbSrkB>>649触らぬ神に祟りなし・・・ですな2024/10/23 09:02:05657.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7和尚は理解していると思うが、現代人は〝客観脳〟だという事。2024/10/23 09:03:08658.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7物理学を中心とした現代科学、しいては教育全般、全て〝客観〟をベースに展開された教えです。2024/10/23 09:04:42659.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7仏教では、その客観思考は一番最初に捨てられる思想です。2024/10/23 09:05:31660.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7その客観思考で仏教を説いているのが学者さんが書籍で紹介している仏教です。2024/10/23 09:06:30661.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7学者さんは、〝立証〟する立場の人達です。2024/10/23 09:07:19662.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7〝立証〟とは、「誰が見てもそうだ」という客観性にもとづいて自説の正しさを論じます。2024/10/23 09:08:43663.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7しかし、仏教はその客観からまず離れる事から教えられます。2024/10/23 09:10:00664.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7が、しかし2024/10/23 09:10:10665.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7客観から離れて説いても客観でしか理解出来ない衆生は、理解するに至りません。2024/10/23 09:10:55666.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7なので仏は、しかたがないので衆生の機根に合わせてまずは客観で仏教を分かりやすく説きます。2024/10/23 09:11:37667.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7その教えが、アビダルマ(論書)としてまとめられたのが『倶舎論』です。2024/10/23 09:12:41668.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7その『倶舎論』を読んで仏教が解った気になっているのがリダンです。2024/10/23 09:13:20669.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7『倶舎論』は、いわば人間の認識で説かれた仏教の初歩の教え(入門書)に過ぎませんん。2024/10/23 09:15:00670.パvutwT>>518ここ見なかったんだ2024/10/23 09:15:45671.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7人間のレベルで説かれておりますのでそこでは真理(人間の認識を超えた)は説かれておりません。2024/10/23 09:15:54672.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7>>670そっちは、まだ見てないです。2024/10/23 09:16:31673.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7馬ちゃん、おはよー2024/10/23 09:16:42674.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7そっちが、無相派の論文かな?2024/10/23 09:16:59675.パvutwT同じものでしたね2024/10/23 09:22:59676.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7で、その『倶舎論』で仏教を悟った気になっているリダンが主張するなんちゃって無為法がこちらです。「リダンのなんちゃって無為法」法介の仏教談義6https://talk.jp/boards/psy/1724974421>>262->>2942024/10/23 09:23:01677.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7「リダンのなんちゃって無為法の正体」法介の仏教談義5https://talk.jp/boards/psy/1724818929レス 76-1262024/10/23 09:23:24678.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7禅宗なんかもこれにあたります。2024/10/23 09:24:23679.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7ケーキを食べても「おいしい!」と思うだけで、もっと食べたい!といった次の感情をおこさない2024/10/23 09:25:36680.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7画びょうを踏んでも「あ、痛い!」で感情を留める2024/10/23 09:26:19681.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7第二、第三の矢を起こさない2024/10/23 09:26:41682.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7それによって煩悩が起こる事を防ぐ2024/10/23 09:27:02683.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7という教えです。2024/10/23 09:27:20684.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7ただたんに心を〝無〟にするだけのお話。2024/10/23 09:28:12685.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7そういう〝人間レベル〟のお話です。2024/10/23 09:28:54686.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7仏の覚りのお話は、人間の認識から離れないと理解していく事は出来ません。2024/10/23 09:29:43687.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7では、その人間の認識ってどうなっているの?2024/10/23 09:30:11688.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7>>687それを詳しく説いているのが唯識です。2024/10/23 09:30:41689.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7その唯識を倶舎論の思考(客観思考)で理解するとリダンのように無相唯識になります。2024/10/23 09:32:08690.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7客観思考というのは「有る無し」の二元論なので実体〝無し〟の無相唯識となります。2024/10/23 09:33:13691.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7では、有相唯識は実体有りなのかと言いますとそれは違います。2024/10/23 09:33:56692.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7その考えは、難陀等の主張でしょう。2024/10/23 09:35:46693.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7世親や玄奘、護法が主張した有相唯識は、「縁起」です。2024/10/23 09:37:21694.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7有でもなく無でもない全ては縁起に依りて生じるもの2024/10/23 09:37:49695.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7見分(主観)も相分(客観)も所取(客体)も能取(主体)もこれら四つはどれも縁起に依りて生じるもの2024/10/23 09:39:23696.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7有や無という見解から(有=常見、無=断見)完全に離れているのが世親や玄奘、護法等の主張です。2024/10/23 09:40:50697.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7〝初期唯識〟は、客観思考(有=常見、無=断見)で展開されております。初期唯識=無相唯識2024/10/23 09:42:32698.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7唯識の完成形態では有相となります。2024/10/23 09:43:12699.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7ここで言う有相とは後得智を得ることで顕れる真実の世界としての有相です。客観思考(有=常見、無=断見)の常見としての有ではありません。2024/10/23 09:44:51700.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7では、朝の長行の勤行をしてきます。2024/10/23 09:45:36701.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7困ったもんだな2024/10/23 12:02:41702.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7これでは気持ちよく話も出来ない2024/10/23 12:03:08703.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7ブログの方に移るかー2024/10/23 12:03:45704.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7そうしよっと2024/10/23 12:04:41705.神も仏も名無しさんvRNpwどうしたん?😀2024/10/23 12:11:08706.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7和尚がチンチンをこすり付けてくるんだ2024/10/23 12:25:25707.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7でおーならどうする?2024/10/23 12:26:05708.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7https://youtu.be/EY05OtHRX542024/10/23 12:28:31709.パgRX6V『中辺分別論』及び『中辺分別論釈疏』第I章「相品」校訂テキスト及び翻訳研究?はじめに北山祐誓https://www.google.com/search?q=%E6%89%80%E5%8F%96%E8%83%BD%E5%8F%96&client=ms-android-samsung-ss&sca_esv=0a37820849624505&sxsrf=ADLYWILF7Yiea7ge-vzcmrT38L79KdwfMQ%3A1729613631037&ei=P88XZ9z-AdrR1e8P577Z4QE&oq=%E6%89%80%E5%8F%96%E8%83%BD%E5%8F%96&gs_lp=EhNtb2JpbGUtZ3dzLXdpei1zZXJwIgzmiYDlj5bog73lj5YyCBAAGIAEGKIEMggQABiABBiiBDIIEAAYgAQYogQyCBAAGKIEGIkFMggQABiiBBiJBUjPWVC1EViST3ACeAGQAQCYAcoBoAHfDKoBBTAuOS4xuAEDyAEA-AEBmAIMoAKaDsICChAAGLADGNYEGEfCAgcQABiABBgXmAMAiAYBkAYEkgcFMi44LjKgB74X&sclient=mobile-gws-wiz-serp#vhid=zephyr:0&vssid=atritem-http://www.jits-ryukoku.net/data/23/ick23_kitayama.pdf&ip=1●1 虚妄分別1.1 有と無の相(sadasallaks .an .a)1.1.1 『中辺論頌』第1偈:虚妄分別における有と無81それ(本章に先立つ〈論の体〉で説かれた七つの主題)のうち、[最初に]相について述べる。『虚妄分別はある。そこに二つのものは存在しない。』『けれども、そこに空性は存在する。それ(空性)にはまたそれ(虚妄分別)が存在する。』●(I.1)こ[の偈]において、≪虚妄分別≫とは、【所取・能取】を【分別する】ことである。二つのものとは【所取と能取】とである。【空性】とは、その【虚妄分別】が【所取・能取】という【あり方を離れ】ていることである。それにはまた、それが、存在するとは、≪空性においても≫【虚妄分別】が【存在すること】である。「XがYに存在しないとき、YはXという点で空である、とありのまま観察する。一方、まだここ(Y)に何らかの残されたもの(Z)があるならば、それ(Z)は存在するものとしてここ(Y)にある、とありのまま了知する」(6)。以上、空性の相が顛倒なく明らかに示されたのである。2024/10/23 15:22:51710.パgRX6V1 虚妄分別1.1 有と無の相1.1.1 『中辺論頌』第1偈の解釈1.1.1.1 第一に相を説示する理由そ[の七つの主題]のそのうち、[最初に]相について述べる。●83 虚妄分別はある。そこに【二つのものは存在しない】。けれども、そこに【空性】は【存在する】。【それ=空性】にはまた【それ=虚妄分別】が存在する。そのうちとは、相や障などの七つの主題(vastu)が説かれたうち(17)、[最初に]相を主題として、すなわち標示して(18)、虚妄分別は(I.1a)云々と言う。標示されている通りに[その]解説はあるから、最初に相が標示されているので、まさにそれ(相)について、[それ]以外のものよりも先に解説を開始するのである。2024/10/23 15:25:56711.パI79xJp97『中辺分別論』及び『中辺分別論釈疏』第I章「相品」1.1.1.4.3 中観派及び説一切有部両派との対論(第1偈c句)●ある者たち(中観派)は、【所取・能取という】二つのものが存在しないことは、石女の子のように、【断という性質】のものであると把握する。●別の者たち(説一切有部)は、【内的作者】を欠いていることが【諸法の空性】であると言う。したがって、【中観派の主張するような≪空性≫ではない、真実の】空性の損減を否定するために、また【説一切有部の主張するような≪無我≫ではなく】真実の無我を説示するために、けれども≪そこに空性は存在する≫(I.1c)と言う。●1.1.1.4.4 【解脱の努力の必要性】について(第1偈d句)【反論】もし【虚妄分別】において【空性】があるなら、そのような場合、あらゆる生類が≪努力することなく解脱する≫ことになってしまう。【答論】それはあり得ない。なぜなら、【それ=空性】にはまた【それ=虚妄分別】が存在する(I.1d)からである。なぜなら、【空性が浄化されない限り】【解脱はあり得ず】また【煩悩に】【汚染されたもの(空性)】は≪大変な努力によって≫浄化されるものであるから、【努力なくして】≪解脱することはあり得ない≫のである。2024/10/23 16:26:28712.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAgApIS>>706どれどれhttps://www.youtube.com/watch?v=MqaDUCn50bU2024/10/23 16:30:51713.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7>>712それはちょっとまずいな、、、、https://assets.st-note.com/img/1696928018206-KLHGq82Hrf.jpg?width=12002024/10/23 16:51:27714.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAgApIS桜田ウンコ 1958年生まれワシより6歳、年上じゃ。「17の夏」という曲を聞きながら、シコった記憶がある。・・・・ってことは、ワシ11歳?2024/10/23 16:59:56715.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAgApIS当時、3歳上の姉が、「近代映画」という芸能グラビア誌をたま~に買っていて、それを寸借して桜田淳子の水着グラビアを見てシコっていた。こんな感じのグラビアhttps://www.youtube.com/watch?v=loolXa2uPOI風呂はいって、チンコ洗って寝よっと2024/10/23 17:10:30716.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7少年和尚ならこれでも十分シコれただろうhttps://youtu.be/1sqWxTHOAEw2024/10/23 17:13:25717.法介◆T3azX0Hk1UqZOb7このアニメも別の意味で毎週欠かさず見ていたはずだhttps://youtu.be/dIM5RXPAOe02024/10/23 17:17:06718.パvutwT●能取とは継続的に識が対象を追尾していき相を取得する識の作用能動的に対象の相を取りにいく働き、作用●所取とはそのようにして能動的に取得されていった結果、取得されていく様相結果取られた処、相こんな理解どうかな⁉️2024/10/23 18:25:31719.神も仏も名無しさんvRNpwほーかいくんお元気で良かった〜😀2024/10/23 18:36:35720.パgRX6V及び『中辺分別論釈疏』第I章「相品」校訂テキスト及び翻訳研究?はじめに北山祐誓http://www.jits-ryukoku.net/data/23/ick23_kitayama.pdfurlをクリックしてダウンロードタグを長押し単にクリックだとダウンロード不可能みたいなので?2024/10/23 21:58:57721.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qおはようございます、法介です。2024/10/24 07:17:54722.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qそろそろブログに移ろうかと思っていたんですが、大変おもしろ事に気づきまして2024/10/24 07:20:36723.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q馬ちゃん絡みの内容なので是非、馬ちゃんにそれを伝えようという気が起こりました2024/10/24 07:22:03724.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q法介の『法華経談話』その3で、https://talk.jp/boards/psy/1710588442馬ちゃんが、小空経と空大経を見つけて来たじゃないですかレスNo.105 ね。2024/10/24 07:25:01725.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qこれって「小乗の空」と、「大乗の空」の違いを説いている経なんですね。2024/10/24 07:27:11726.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q小乗の空=有る無しで説く空 ---(小空経)小乗の空=四空で説く空 ---(空大経)2024/10/24 07:28:16727.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q>>653 昨日紹介しましたこの勝呂論文のP16(プリントNo.16の略)に、こんなことが書かれております。2024/10/24 07:31:45728.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q二取すなわち所取・能取の概念は、後代になるほど、観念論的立場における主観客観の意味が強くなったが、元来は実在論的立場における主観客観を意味するものであったに違いない。2024/10/24 07:36:25729.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q全くその通りです。2024/10/24 07:36:47730.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q初期仏教、中でも『倶舎論』などは、その典型です。2024/10/24 07:37:59731.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qモノのあり様を実在論的立場で詳しく解き明かしているのが『倶舎論』です。2024/10/24 07:40:46732.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qそこでは、人のあり方も実在論的立場で説かれております。2024/10/24 07:41:36733.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q勝呂氏は、「後代になるほど、観念論的立場における主観客観の意味が強くなった」と表現されてますが、正確には、認識論的立場へと変わっていきます。2024/10/24 07:43:44734.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qそれが唯識論です。2024/10/24 07:44:01735.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q『倶舎論』--- 実在論『唯識論』--- 認識論2024/10/24 07:44:52736.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q実在論というのは、科学や物理学的な見解です。2024/10/24 07:45:34737.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qモノがどのようにして存在(実在)するか、モノの状態をつぶさに観察します。2024/10/24 07:46:30738.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qその状態は大きく二つに分けられます。有る状態と無い状態。2024/10/24 07:47:13739.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q小空経では、それを次のように説いております。私は以前も今も空住に多く住している。例えばこの鹿子母講堂は象・牛・馬について空、金・銀について空、女・男の集まりについて空である。しかし比丘サンガについては不空である。あなたたちもそこにないものについては空であると見、そこに残っているものはこれはあると知りなさい2024/10/24 07:48:48740.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qモノの有る状態とモノが無い状態。2024/10/24 07:49:21741.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qこれ実在論の話なんですね。2024/10/24 07:49:46742.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qでは、空大経はといいますと、世尊は「人々の集まりや群れを喜ぶ比丘は輝かない。しかし1人で群れより遠離して住する比丘は出離の安楽や正覚の安楽を得やすい」と遠離独住の功徳を述べられ、四空観(内空、外空、内外空、不動空)の修習、生活住としての空住の意義、空住における観察(無益と有益なる談論、尋、五妙欲、五取蘊)、師弟の聖なる談論(少欲論、知足論、出離論など)、師弟の煩労、師弟の道を説かれた。2024/10/24 07:52:14743.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q四空観が示されております。2024/10/24 07:52:50744.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qここで言う「内空、外空、内外空、不動空」とは、「析空・体空・法空・非空」の空の四義です。2024/10/24 07:54:06745.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qモノの有り方は、「有る無し」の二元論で説明がつくが、〝人の認識〟というものは二元論では語る事は出来ないという事です。2024/10/24 07:55:39746.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qそこに気づかないまま認識論(唯識)に入っていったのが無著です。2024/10/24 07:56:39747.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qそこに気づいていた人物が龍樹です。2024/10/24 07:57:24748.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q無著が中々、解脱出来なくて自殺まで考えたというエピソードをご存じでしょうか。2024/10/24 07:58:16749.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qどうして無著はなかなか解脱出来ずにいたか。ここの切り替えが出来なかったからでしょう。2024/10/24 07:59:10750.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qリダンのように。2024/10/24 07:59:21751.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q二元論から四元論への切り替えです。2024/10/24 07:59:52752.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q有る無し=二元論四空=四元論2024/10/24 08:00:13753.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q現代人もそれは同じです。2024/10/24 08:01:07754.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q「存在」という言葉をウィキペディアで調べてみると、次のようにあります。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%98%E5%9C%A8あること。あるいは、いること。また、そのある(いる)何か。事物、物体、事柄、物質として有るという概念及びそのもの。「歴史に存在する人物」「神の存在」のように用いる。(哲学)他の何かに依存することなく、それ自体としてあるもの。ものの本質。(人間にとって)まず現実(リアリティ)としてあるもの。実存。《現象》として人の意識に映じているものや人が経験している内容。2024/10/24 08:04:01755.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qこの説明分、おかしいなと気づく人いますか?2024/10/24 08:06:49756.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q哲学的解釈では、「他の何かに依存することなく、それ自体としてあるもの。」2024/10/24 08:07:33757.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q人間にとっての意味合いでは、《現象》として人の意識に映じているものや人が経験している内容。2024/10/24 08:08:05758.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q「他の何かに依存することなく、それ自体としてあるもの。」で、「他に依存することなく」と言っておいて、《現象》として人の意識に映じているものや人が経験している内容。「人の意識に映じているもの」と説明がなされております。2024/10/24 08:11:03759.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q哲学って人が認識するないようでしょうに2024/10/24 08:11:38760.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qその哲学において「他に依存しない」というのであれば、それは人の認識においても同じことでしょう。2024/10/24 08:12:37761.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qしかし人の認識においては「人の意識に映じているもの」と説明がなされております。2024/10/24 08:13:23762.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qどういうことだか解りますか2024/10/24 08:13:38763.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q説明文の中に「実在」という言葉がありますよね。2024/10/24 08:14:30764.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qではその「実在」をウィキペディアで見てみましょう。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9F%E5%9C%A8実在(じつざい、英: reality)は、認識主体から独立して客観的に存在するとされるもの。とあります。2024/10/24 08:15:20765.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q何か気づきませんか?2024/10/24 08:15:45766.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q「認識主体から独立」しなくてはいけないのに「客観的に存在するとされるもの」と言ってます。2024/10/24 08:15:59767.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q「客観」って人の認識ではないのでしょうか。2024/10/24 08:16:12768.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qではその「客観」について見てみましょう。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%BB%E4%BD%93%E3%81%A8%E5%AE%A2%E4%BD%932024/10/24 08:16:22769.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q客観的実在と主観的実在主観と客観を論じるにあたっては、いくつかの伝統的な用語法が用いられている。多くの哲学者は、客観的実在という用語を、意識から独立して存在している事物を指すために用いている。これに対して、主観的実在とは、広い意味での意識に依存する事物を意味する。例えば、知覚されている色や音は、それらが意識作用に服している限りにおいて実在する。この他にも、とりわけ幸福や悲嘆などの感情は主観的実在であると考えられる。2024/10/24 08:16:35770.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q人の認識に関係なく実在するモノを「客観的実在」と言う。2024/10/24 08:17:16771.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q要するに人の認識として起こる「客観」と、人の認識に関係のない「客観」とがある訳です。そして後者を「客観的実在」と哲学者は言うらしい。2024/10/24 08:17:41772.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q何故か。2024/10/24 08:17:51773.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q混同を避ける為でしょう。2024/10/24 08:18:07774.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q概念としての「客観」と人の認識としての「客観」の混同です。2024/10/24 08:18:43775.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q〝観〟の良い人(末那識がクリヤーな人)ならこの辺でそろそろ気づくのではないでしょうか2024/10/24 08:20:27776.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q気づく人はここには居ないかぁ~~~~~2024/10/24 08:20:56777.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q気づけない人相手に話しても、また、法介おじさんがおかしな事をいいだしましたぞ(*´ω`*)とか、ほうすけさんは、困ったおじさんだー\(^o^)/という反論しかないからなー2024/10/24 08:28:26778.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qそんな連中相手にしても反論出来なくなると最後は、罵り、誹謗・中傷でおしまいさー2024/10/24 08:30:22779.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q罵り、誹謗・中傷文を投稿しだした時点でわたしはもう反論する言葉がありませんと自ら宣言しているようなものだろ2024/10/24 08:31:16780.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qでおーなんかは最初からそれだからな2024/10/24 08:31:41781.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q誹謗・中傷しかしないでおー2024/10/24 08:32:03782.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q理論的な話が出来ないでおー2024/10/24 08:32:21783.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qまー、でおーの場合は仕方がない2024/10/24 08:32:46784.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qあいつはそういう奴なんだから2024/10/24 08:33:01785.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qムーさんなんかは、さほど詳しくもないくせになにかと言いがかりを付けてくる2024/10/24 08:34:09786.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qんで、反論出来なくなるといやみ言葉を連発してくる2024/10/24 08:35:36787.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q「いやみ」ってどういう意味だ調べてみよう2024/10/24 08:36:15788.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qいやみ(厭味)とは、次のような意味があります。人に不快感を与える言い方、身なり、態度をすること、またはそのような言い方、身なり、態度。それから受ける不快感、嫌悪感。ことさらに気どったさま。2024/10/24 08:37:01789.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qなるほどーまさにその通り2024/10/24 08:37:24790.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qムーさん=いやみジジィだな2024/10/24 08:37:47791.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qサティにもあてはまるな2024/10/24 08:38:16792.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q似たもの同士だから二人は気が合うんだろうな2024/10/24 08:38:44793.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qまー、しかし馬ちゃんの為に書いておこう2024/10/24 08:39:17794.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q客観的実在と主観的実在それを唯識では、親所縁縁と疎所縁縁という言葉で言い現わしております。2024/10/24 08:41:39795.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q人の認識として起こる「客観」=主観的実在 ---(親所縁縁)人の認識に関係のない「客観」=客観的実在 ---(疎所縁縁)2024/10/24 08:44:57796.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAduDci>>716鮎原こずえと本郷俊介コーチの濃厚〇〇シーン?https://www.youtube.com/watch?v=xJzKH38AfvM2024/10/24 08:45:14797.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q和尚、おはよー2024/10/24 08:52:54798.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q「池田先生の祈り方」というよりもそこで紹介されている内容は、日蓮仏法を実践しぬいて来た仏道者が思う祈り方ってところでしょう。言ってる事は間違ってないと思います。2024/10/24 08:55:48799.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q和尚は絶対「ふしぎなメルモちゃん」でも抜いてただろhttps://stat.ameba.jp/user_images/20211207/01/tom0602abe/6c/22/j/o0900120015042718349.jpg2024/10/24 08:58:31800.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qあー、ちょっと閃いたからアウトプットしておこう2024/10/24 09:08:28801.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q「相分・見分・自証分・証自証分」の四分のはなし。2024/10/24 09:09:29802.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qこれってこういう事だと思います。相分=人の客観見分=人の主観自証分=主体 ---(能取)証自証分=客体 ---(所取)2024/10/24 09:11:52803.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q小乗=ものの在り方(有る無し)大乗=人の心のあり様(四分説)2024/10/24 09:14:55804.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q客体 (① 見られる側)=真実のモノのあり様主体 (② 見る側) =凡夫の認識(客観 ③ + 主観 ④ )①=所取 ②=能取 ③=相分 ④=見分③ 相分=人の客観④ 見分=人の主観② 自証分=主体 ---(能取)① 証自証分=客体 ---(所取)2024/10/24 09:16:15805.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q③ 相分=人の客観④ 見分=人の主観② 自証分=主体 ---(能取)=親所縁縁① 証自証分=客体 ---(所取)=疎所縁縁2024/10/24 09:17:30806.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q例えばロープは、①の此縁性縁起(疎所縁)で実在します。(ここでは〝疎所縁〟です。)2024/10/24 09:19:17807.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qそれを人が③で認識します。(所縁縁)2024/10/24 09:20:43808.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q所縁が此縁性縁起です。縁起に依って生じた姿・形=行相(所縁=行相)2024/10/24 09:21:58809.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q対境(客体)の姿。形を因として前五識で捉えた刹那を第六意識で現行して対象を「実体」として認識します。2024/10/24 09:25:20810.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qこの時、能取側(見る側)では、外境(所縁の対境の姿・形)を因として内縁起が起こります。それが所縁縁です。2024/10/24 09:27:47811.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qこの外縁起(所縁縁)が起きるとほぼ同時に内縁起が起こります。2024/10/24 09:29:33812.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q外縁起で起こった現行を因として内縁起が起こる訳です。2024/10/24 09:30:34813.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qその時、末那識がクリヤーな人と末那識が濁っている人とでは起こる内縁起の内容が異なってきます。2024/10/24 09:31:28814.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q末那識がクリヤーな人は、そのモノがそのモノと成り得た因果を阿頼耶識から拾い上げます。(注意:1)2024/10/24 09:32:22815.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q(注意:1)は後ほどお話します。2024/10/24 09:32:47816.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q末那識が濁っている人は、〝自身の〟阿頼耶識データを参照してしまいます。2024/10/24 09:33:52817.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q例えば過去に蛇を見て怖い思いをした記憶がある人は「細長いモノ=蛇」という妄想が働きます。2024/10/24 09:35:04818.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qこれが「親所縁縁」によって起こる内縁起です。2024/10/24 09:35:36819.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q末那識が濁っている人も末那識がクリアーな人もどちらの阿頼耶識データを探りに行きますが拾い上げるデータが異なってきます。2024/10/24 09:36:46820.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q親所縁縁=所我疎所縁縁=所縁所縁:そのモノがそのモノと成り得た因果(縁起)2024/10/24 09:40:16821.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qこういった「所我」や「所縁」といった用語の意味を正しく理解して『成唯識論』を読まないと勘違い唯識論となってしまいます。2024/10/24 09:41:32822.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q「所縁」と「所縁縁」とでも意味は異なります。2024/10/24 09:42:19823.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qと、言いましても理解出来る人はここには居られないでしょ2024/10/24 09:43:35824.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qなので、ブログの方でまとめて作業をしてまいります。2024/10/24 09:44:08825.神も仏も名無しさんDOpXQほー〜〜〜〜〜😭😭😭😭2024/10/24 09:51:38826.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAduDci>>823ムーさんしか おらんみたいじゃな?2024/10/24 09:52:53827.神も仏も名無しさんvtYfA>>826いや、法介おじさん、まだ解釈間違ってる(・∀・)2024/10/24 09:55:07828.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q理解が出来ない人を相手に議論しても意味がない事をわたしは理解しておりますので後はご自由にー2024/10/24 09:59:33829.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qそれとも論理立ててきちんと説明が出来ますか?2024/10/24 10:00:49830.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qムーさん、あなたにそれが出来ますか?2024/10/24 10:01:11831.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qいやみを言うしか能がないあなたに2024/10/24 10:01:39832.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAduDci>>799メルモちゃんで抜いた記憶は無いのじゃが、50%の確率で抜いていたかも?スポ根少女漫画で抜いたことは100%、無い。中学校の保健体育の教科書で抜いたことはあるかも?https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-10800000-Iseikyoku/0000057150.pdf2024/10/24 10:04:12833.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qでは、勤行をしてきます。2024/10/24 10:05:11834.神も仏も名無しさんsZGUYほーすけGはネチネチ根に持つタイプ😆2024/10/24 10:07:03835.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAduDci>>827法介おじさんの間違いは、こういう感じの勘違いじゃろうな382 自分:エロ和尚◆ERO.Kk3nCA[sage] 投稿日:2024/10/22(火) 16:00:39.42 ID:j3QRW [4/9] 0>>366>>波間に揺れている舟の様今の今まで「波間に揺れている 夢 の様」だと思い込んでいたのじゃ。つまり、「朝勃ち→夢精」の歌だと勘違いしていたのじゃ。2024/10/24 10:09:29836.神も仏も名無しさんvtYfA>>804この図解はもう少し精査した方がええ(*´ω`*)証自証分は自証分を更に深掘りした事やから所取やない>>805所取は人間の認識やから疎所縁縁と=には成らん所取は人間のフィルター介してるから依他起や疎所縁縁は人間のフィルターが無い本質や所取が依他起(真実やと勘違いしとる段階)疎所縁縁は本質で円成実性や(真実のモノのありよう)2024/10/24 10:16:37837.神も仏も名無しさんvtYfA>>828法介おじさんは客観的実存で認識されない火事を証明したいんやないんか?(*´ω`*)2024/10/24 10:27:06838.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qその前に、こちらの吉村教授の図のhttps://livedoor.blogimg.jp/butudou/imgs/c/7/c76d424f.jpg護法が相分・見分を「依他起性」としたという根拠は、どうなりましたか?2024/10/24 10:28:07839.神も仏も名無しさんRM7Ghほー〜〜〜〜〜😭😭😭😭😭😭😭😭😭2024/10/24 10:28:39840.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q護法が相分・見分を「依他起性」といっている個所を未だ提示されておられませんが2024/10/24 10:28:53841.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qご自身の主張の正当性を立証されないまま更に自論を述べられましてもね、、、2024/10/24 10:30:03842.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qまずは、吉村教授の図が間違いでない事を立証されてください。2024/10/24 10:30:38843.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q論理立てて議論をすると言うことはそういう事です2024/10/24 10:31:27844.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q「法介おじさんはー」とかのあなたの妄想分別はどうでもいいんです2024/10/24 10:32:15845.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qそれともあなたはそれしか言えないのですか?2024/10/24 10:32:59846.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qあなたの妄想分別に付き合う程わたしも暇ではないんですよ2024/10/24 10:33:53847.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qまずは、吉村教授の図が間違いでない事を立証されてください。2024/10/24 10:34:20848.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qあなたが食ってかかって来たんですよ2024/10/24 10:34:51849.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q>>836 ←これは、そういう事すら立証出来ないでいるあなたの浅はかなご主張でしょ2024/10/24 10:37:40850.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q唯識が何たるかも全く分かっていないあなたの2024/10/24 10:38:13851.神も仏も名無しさんvtYfA>>840人間の認識で語られる縁起、依他起性なんやから見分、相分は当たり前やないか(・∀・)護法云々やないって分かって言うとるやろ(・∀・)2024/10/24 10:39:45852.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q?2024/10/24 10:40:33853.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qでは、見分、相分では「逼計所執性」はあり得ないと?2024/10/24 10:42:02854.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q見分、相分は「依他起」であって「逼計所執」ではないと?2024/10/24 10:42:59855.神も仏も名無しさんvtYfA>>849自分の勘違いくらい自分で処理しなさいとは思うけど放っておけなかっただけや(・∀・)もう反省するわ(*´ω`*)2024/10/24 10:43:05856.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q護法や玄奘が、どこでそのような事を言われてますか?2024/10/24 10:43:59857.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q>>855いやいや、あなたが指摘してこられたんですよ2024/10/24 10:44:43858.神も仏も名無しさんvtYfA>>853だから図解では能取と所取を経由しとるやないかい(・∀・)あり得るって図解やん2024/10/24 10:44:51859.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qわたしが勘違いをしていると2024/10/24 10:45:02860.神も仏も名無しさんvtYfA>>854だから図解はどちらでもあるっちゅう事や(・∀・)2024/10/24 10:46:06861.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q>>858ほう2024/10/24 10:46:10862.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q確かに、そういうふうにも読み取れますね。2024/10/24 10:46:49863.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qが、しかし2024/10/24 10:47:25864.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qそれは、ここでわたしの主張を聞かれたからそういうふうに見ようと思えば見える訳ででは、実際に吉村教授はどのように申されてますか?2024/10/24 10:48:35865.神も仏も名無しさんvtYfA>>862散々言うたやろ(・∀・)2024/10/24 10:48:59866.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qその部分をご指定下さい。論文で確認しましょう。2024/10/24 10:49:12867.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q吉村教授がどのように説明されてますか?2024/10/24 10:49:56868.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qわたしと同じ趣旨で説明されてますか?2024/10/24 10:50:30869.神も仏も名無しさんvtYfA>>866変なゴネを言うんやないよ(・∀・)出版社に文句言え~(・∀・)2024/10/24 10:50:43870.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q出版社?吉村論文の話をしておりますが、、、2024/10/24 10:51:44871.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q提示した論文を見られてない?2024/10/24 10:52:12872.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qそれこそあ・な・た何か勘違いなされてませんか?2024/10/24 10:52:42873.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qわたしは吉村論文の話をしておりますが、、、2024/10/24 10:53:05874.神も仏も名無しさんvtYfA>>870≠の表記が小さいから繋がってる様に見えないんだろうよ(・∀・)あの図解を分かり辛く表記したんは出版社の責任やろ(*´ω`*)2024/10/24 10:53:49875.神も仏も名無しさんvtYfA>>873安慧と護法の解釈の相違点を比べてるんだから察しろって事や(・∀・)2024/10/24 10:55:03876.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q今、そういう話をしてますか?2024/10/24 10:55:32877.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q>>220あたりから読みなおされてください2024/10/24 10:55:53878.神も仏も名無しさんvtYfA>>877無相と有相の相違点いうとる話で面倒な話やないやん(・∀・)こんな深掘りする箇所なんかよ、もう(・∀・)2024/10/24 10:58:37879.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qではお聞きします。吉村教授は護法は見分・相分を「逼計所執性」「依他起性」のどちらだと考えていたと述べられてますか?2024/10/24 11:01:27880.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qその個所のプリントNoを教えてください確認しますので2024/10/24 11:02:38881.神も仏も名無しさんRM7Gh>>878ま、日蓮と唯識を組み合わせよーとするスタンスで正確な読みがそもそもないやろけどなー😫2024/10/24 11:02:53882.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q日蓮教学の話は今、しておりません2024/10/24 11:03:50883.神も仏も名無しさんsZGUYまーまー、おじーちゃんがゴネモードになったらやり取りしても「不毛な時間」になるだけやで?2024/10/24 11:03:53884.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qでおーは引っ込んでろ2024/10/24 11:04:12885.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qサティもシャシャリ出てくるんじゃない2024/10/24 11:04:42886.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qわたしとムーさんの話し合いだ2024/10/24 11:04:58887.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q外野はひっこんでろ2024/10/24 11:05:10888.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qプリントNOをご指定下さい確認しますので2024/10/24 11:05:51889.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qわたしは、そろそろ嫁を送らないといけません2024/10/24 11:08:34890.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q帰って来きて確認しますのでそれまでにご提示お願いします。2024/10/24 11:09:13891.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qあなたが食ってかかって来たんですからね2024/10/24 11:09:55892.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qご自分の言葉に責任を持たれてください2024/10/24 11:10:20893.神も仏も名無しさんsZGUY>>836> 所取は人間の認識やから疎所縁縁と=には成らん> 所取は人間のフィルター介してるから依他起や所取は依他起はその通りですな?さらに補足すると依他起の「一部」は遍計所執でもある記号で表記すると「所取=(遍計所執 ⊂ 依他起)> 疎所縁縁は本質で円成実性や(真実のモノのありよう)疎所縁縁は認識の縁起を起こす条件、外的要因を意味しますが、人間の究極の真理や本質を意味しないのでイコールではないんじゃないすかね依他起の一部とも言える2024/10/24 11:10:21894.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q子供じゃないんですから2024/10/24 11:10:31895.神も仏も名無しさんvtYfA>>880サラって読んで108やろ(・∀・)有相だから見分、相分から能取、所取に至る安慧との相違点が書かれてる2024/10/24 11:12:48896.神も仏も名無しさんsZGUYあ、>>893の記号のとこ、間違ってた所取=遍計所執性+依他起性んで全体をまとめるとこうだ所取 = 遍計所執性 + (疎所縁縁 ⊂ 依他起性)2024/10/24 11:16:21897.神も仏も名無しさんsZGUYブツブツ文句言う前に対案(正しい答え)を提示すればえーだけやほーすけおじーちゃんはいつも他責でぶつぶつ余計な発言ばかり暗い暗いと不平を言うよりも、すすんであかりをつけましょう\(^o^)/2024/10/24 11:18:21898.神も仏も名無しさんsZGUYむむ、やっぱこっちのが正しい所取 = 遍計所執性 × (疎所縁縁 ⊂ 依他起性)なぜなら、所取は「遍計所執性によって誤って無情なものに実体がある、と誤認する」から2024/10/24 11:21:41899.神も仏も名無しさんvtYfA>>896その疎所縁縁の部分は親所縁縁なんやないかなあ(・∀・)疎所縁縁は人間の認識から完全に外れた外境やない?2024/10/24 11:22:09900.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q所取と所変、所縁の違いをまずちゃんと理解しろ2024/10/24 11:23:05901.神も仏も名無しさんsZGUY>>899確かに、、、包含が逆になるんだ所取 = 遍計所執性 × (依他起性 ⊂ 疎所縁縁)2024/10/24 11:24:40902.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q所取=客体所変=変化せしめられたもの所縁=そのモノがそのモノと成り得た縁起2024/10/24 11:24:45903.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q所取=客体に、人間の認識は関係ない2024/10/24 11:25:30904.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qだから疎所という2024/10/24 11:25:55905.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q人間の認識から離れたという意味だ2024/10/24 11:26:16906.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qでは、でかける2024/10/24 11:26:47907.神も仏も名無しさんsZGUY唯識では所取は「認識の結果」となりますな?2024/10/24 11:26:58908.神も仏も名無しさんvtYfA>>903取は認識されたって意味でしょだから認識された客体(*´ω`*)2024/10/24 11:28:34909.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q所取は客体だろ2024/10/24 11:28:39910.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q勝手に定義をかえるんじゃない2024/10/24 11:28:53911.神も仏も名無しさんvtYfA>>904疎は外認識されてない客体(*´ω`*)2024/10/24 11:29:28912.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q認識された客体は所縁だ2024/10/24 11:29:30913.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q間違えた、所縁縁だ2024/10/24 11:29:50914.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q認識された客体=所縁縁2024/10/24 11:30:11915.神も仏も名無しさんsZGUY成唯識論に書いてあるみたいだからほーすけさんの誇る仏典で該当箇所の確認しるw2024/10/24 11:30:29916.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q成唯識論をちゃんと読め2024/10/24 11:30:48917.神も仏も名無しさんsZGUYサティさんはムーさんとの建設的な対話によって正しい論理式を得た\(^o^)/所取 = 遍計所執性 × (依他起性 ⊂ 疎所縁縁)これが「対話」だーーーーーー\(^o^)/2024/10/24 11:32:22918.神も仏も名無しさんvtYfA>>914認識された客体の客観ってニュアンスになるんやない?(*´ω`*)2024/10/24 11:32:32919.神も仏も名無しさんsZGUYここらへんになるとほーすけさんの頭脳では差異はわかりまへん😩2024/10/24 11:33:20920.神も仏も名無しさんRM7Ghほーかいくんは日蓮正宗土壌と無関係な唯識にチャレンジしとるから、どっか破綻は起きるやろなーま、俺も唯識の粗末なところに関心薄いから踏み込むチャレンジしねえーけど😀2024/10/24 11:37:09921.神も仏も名無しさんRM7Ghほーかいくんがもし、唯識を完璧に理解しているなら日蓮正宗系統の思考回路を放棄してるはずである。日蓮正宗系統の思考回路からの演繹法で唯識を理解していると予想はできる😫2024/10/24 11:38:43922.神も仏も名無しさんsZGUY漢字の森で迷走する仏教徒たち、、、😩2024/10/24 11:38:57923.神も仏も名無しさんRM7Gh>>922ま、唯識は難しいからな些末理解は俺もチャレンジする意欲がない😭2024/10/24 11:39:58924.神も仏も名無しさんvtYfA>>893認識されたら親所縁縁、認識されてない外境が疎所縁縁やと思たけどちゃうんかな(*´ω`*)疎所縁縁が阿頼耶識が創ったモンなのかが唯識のオモロイ所やと思う(*´ω`*)2024/10/24 11:40:21925.神も仏も名無しさんsZGUY>>923「もっと大事なこと」があるからな?2024/10/24 11:40:27926.神も仏も名無しさんRM7Gh唯識を結論を中心に洞察はまーまーできるけど😀2024/10/24 11:40:43927.神も仏も名無しさんRM7Gh>>925サマタ瞑想のグレードが一昨日、グレードが上がった四智のグレードも自動的に更新やな😀2024/10/24 11:42:14928.神も仏も名無しさんvtYfA>>922言葉の概念から離れるのがテーマなのに引き戻されてまうな(・∀・)2024/10/24 11:42:46929.神も仏も名無しさんsZGUY>>924その理解が正しいと思われ松親所縁縁は心に「直接作用する対象」疎所縁縁は心に直接ではなく「間接的に作用する対象」ジャガイモが親所縁縁で、ジャガイモを育む土壌や太陽、農家さん、それらが疎所縁縁2024/10/24 11:44:14930.神も仏も名無しさんsZGUY>>927ほえー、勤勉ですなー2024/10/24 11:44:49931.神も仏も名無しさんRM7Gh仕事中でのメンタル疲労と集中力低下は少くなったー金曜日夜はサマタ瞑想改?を解除するとヘロヘロやけどなー解除しないはほーが回復が早いが金曜日夜からは神秘主義研究に走りたい😀2024/10/24 11:45:11932.神も仏も名無しさんsZGUY>>9283歩あるいて2歩さがるぅーーーー(>_<)2024/10/24 11:45:15933.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAduDci>>928ま、そういうことですな釈尊も、本音は「語ったこと」を文字に残したくなかったはず2024/10/24 11:45:19934.神も仏も名無しさんRM7Gh仕事時に疲労感があっても感じずに的確な瞬時判断力が向上した😀2024/10/24 11:47:27935.神も仏も名無しさんsZGUY平等性智に着実に向かってるな?2024/10/24 11:48:23936.神も仏も名無しさんRM7Gh仕事日の間の朝はサマタ瞑想改を使用しないと疲労辛い感がハンパない😫2024/10/24 11:48:30937.神も仏も名無しさんRM7Gh物価高騰、賃金あげの経費節減の本社の意向が強くなって上司がおヒス気味で上司対応のメンタルテクノロジーを先週金曜日から火曜日まで研究せねばならんよーになった😫2024/10/24 11:50:30938.神も仏も名無しさんsZGUY合気だーーーー!みんな合気でハッピーーーーー\(^o^)/2024/10/24 11:51:11939.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q>>895仰ってるのはこの部分ですよね。護法の解釈では、相分・見分・自証分・証自証分のすべてが有であるとする。三性説でいえば、四分のすべてが依他起性である。依他起性の相分・見分において、遍計所執性の所取・能取が生じる時に我執・法執が起こる。すなわち、第六識・第七識の熏習により、第六識・第七識において我執・法執が起こる。2024/10/24 13:20:49940.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qでは、この文章の「依他起性の相分・見分において、遍計所執性の所取・能取が生じる時」についてお伺いします。2024/10/24 13:22:40941.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qもし吉村教授がわたしが主張している内容(相分・見分と客体・主体は別)でこの論文を書かれているとしたら、>>940 の文章はおかしな文章になりますよね。2024/10/24 13:25:46942.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q「依他起性の相分(人の客観)・見分(人の主観)において、遍計所執性の所取(客体)・能取(主体)が生じる時」2024/10/24 13:26:35943.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q遍計所執性というのは人の妄想が含まれた縁起です。2024/10/24 13:27:19944.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q依他起性というのはそういった妄想を含まない縁起です。2024/10/24 13:28:18945.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q妄想を含まない依他起性の相分(人の客観)・見分(人の主観)において、どうして、遍計所執性の所取(客体)・能取(主体)が生じますか?2024/10/24 13:29:27946.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qそもその、所取(客体)は完全に人の認識から離れて存在するものですが2024/10/24 13:30:20947.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qという事は吉村教授は、所取を人の認識で起こる客観だと考えておられるという事ですよね。2024/10/24 13:31:49948.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qこの文章が意味するところは、そういうことでしょう。2024/10/24 13:32:14949.神も仏も名無しさんvtYfA>>940何か疑問点ある?見分、相分は認識する心の作用と認識対象主観や客観が働く前段階やろ(*´ω`*)護法は有相思想やから能取、所取の認識後の思考を挟む事で主観、虚妄が生まれる能取、所取の虚妄分別が生まれたら遍計所執性2024/10/24 13:35:21950.神も仏も名無しさんvtYfA>>946いや、だから所取は人間が認識した客体やって(・∀・)2024/10/24 13:37:51951.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q人間が認識した客体は、所縁縁です。2024/10/24 13:38:35952.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q唯識をちゃんと学ばれてください。2024/10/24 13:39:06953.神も仏も名無しさんvtYfA>>951逆じゃね?(・∀・)所縁が客体で所縁縁はその対象を拡げたモン2024/10/24 13:43:49954.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q『成唯識論』には、次のようにあります。三には所縁縁。謂く、若し有法の是れ己が相を帯せる心と、或は相應とが所慮・所託たるぞ。此れが體に二有り。一には親、二には疎なり。若し能縁と體相離せずして、是れ見分等が内の所慮託たるか、應に知るべし、彼れは是れ親所縁縁なり。若し能縁と體相離せりと雖も、質と爲りて能く内の所慮託を起こすは、應に知るべし、彼れは是れ疎所縁縁なり。親所縁縁は能縁に皆な有り。内の所慮託に離れては必ず生ぜざるが故に。疎所縁縁は能縁に或は有り。外の所慮託に離れて亦た生ずることを得るが故に。2024/10/24 13:45:17955.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q>所縁が客体で所縁縁はその対象を拡げたモン所縁は、此縁性縁起で生じた客体の姿・形です。所縁縁は、その此縁性縁起で生じた客体の姿・形を認識する人の客観(これも縁起)です。2024/10/24 13:48:13956.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q縁起の縁起なので「縁縁」となります。2024/10/24 13:48:36957.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q縁起を見る縁起です。2024/10/24 13:49:05958.神も仏も名無しさんvtYfA>>954これは認識される外境の話でまた別の話やろ(*´ω`*)2024/10/24 13:49:31959.神も仏も名無しさんvtYfA>>957だから認識前の客体やって事や(*´ω`*)2024/10/24 13:50:36960.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q所縁縁について語られております。2024/10/24 13:50:44961.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q>>959どうしてそうなりますか?2024/10/24 13:51:18962.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q縁起を否定してる縁起ではありませんよ2024/10/24 13:51:46963.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q縁起を認識する縁起ですよ2024/10/24 13:52:10964.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q外縁起です2024/10/24 13:52:25965.パ92PvFえーと見分、相分って言葉ですが何故に【分】なのか?ってこと唯識は【唯一の識】だけがあるということですよねこの一つの識が、【見る側】と【観られる側】の2つに【分かれる】んですねこのことだから、分かれた見る側を【見分】とし観られる側を【相分】と表しただから二分に似るって言うんでしょね2つに分かれたように似ていると要はどちらも自分の識であるってことです2024/10/24 13:52:42966.神も仏も名無しさんvtYfA>>961認識されたらそこで人間の分別が働くそのフィルターのない状態を言っとるって事や(*´ω`*)2024/10/24 13:53:06967.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q対境(客体)は此縁性縁起で形成されております。(=所縁)それ(所縁)を人間が外縁起で認識します。(=所縁縁)2024/10/24 13:54:12968.神も仏も名無しさんsZGUYほーすけおじーちゃんへの仏教単語講座が開催されとるようじゃな?2024/10/24 13:54:57969.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q>>966それは疎所縁縁の話です。2024/10/24 13:55:08970.パ92PvF>>718それと、これね●能取とは継続的に識が対象を追尾していき相を取得する識の作用能動的に対象の相を取りにいく働き、作用●所取とはそのようにして能動的に取得されていった結果、取得されていく様相結果取られた処、相2024/10/24 13:55:53971.神も仏も名無しさんsZGUY自分の間違った理解を正しいといいはるおじーちゃんそれを遍計所執性というんで仏教は「そこから離れる道」を教える元も子もないな😩2024/10/24 13:57:22972.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q>>970その説明文は、どこから引用されましたか?2024/10/24 13:57:36973.神も仏も名無しさんsZGUY殆どの誤謬は「国語力」が生んでいるウォトゲンシュタイという偉い哲学者がそんなことを言ってたなw2024/10/24 13:58:46974.神も仏も名無しさんsZGUYウィトゲンシュタイン2024/10/24 13:59:02975.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q『唯識三十頌』では、そのようには言っておりませんが。2024/10/24 13:59:21976.神も仏も名無しさんsZGUY鹿やほーすけGや暇人みたいなご老人は単語が大好きだ歳をとると語学が趣味になるのだろうw2024/10/24 14:00:06977.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q『唯識三十頌』第一頌「彼依識所変 此能変唯三」彼れは識が所変に依る。此れが能変は唯三つのみなり。能変が唯識です。(三能変)2024/10/24 14:00:13978.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q所変と能変とを分けられてます。2024/10/24 14:01:04979.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q能変の方が唯識(三能変)です。2024/10/24 14:01:31980.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qそう明確に言っております。2024/10/24 14:01:45981.神も仏も名無しさんvtYfA>>969何を言うとんねん(・∀・)所縁は認識しとるけどフィルターが掛かってないモンの表現やろ説明すんのに『所取』の状態なのか『所縁』の状態なのか分けてるだけや疎所縁縁は認識されてない外境の総称でそれを持ち出す所やない2024/10/24 14:02:24982.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qというのが玄奘の解説です。2024/10/24 14:02:40983.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAduDci「すなわち」の意味と使い方や例文!「つまり」「要するに」との違いは?(類義語)https://proverb-encyclopedia.com/dictionary/sunawati/「すなわち」の例文1 ブッダ・バッザラ師はすなわちこの村の長でまた大塔の主人です。(河口慧海 チベット旅行記)2 日本の議会は二院。すなわち衆議院と参議院から成る。3 週明けには私はいない。すなわちこの会社を辞めるということだ。4 その時油然として僕の心に浮かんで来るのはすなわちこれらの人々である。(国木田独歩 忘れえぬ人々)5 競技かるたで日本一になるということは、すなわち世界一になるということだ。「すなわち」も「つまり」も、言いかえるとという意味で使われます。しかし「つまり」は、結論に達するさまを表す点が「すなわち」と違います。2024/10/24 14:02:42984.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qどうやら、わたしとムーさんとでは解釈の相違があるようですね2024/10/24 14:04:16985.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qそれはそれでよろしいのではないでしょうか2024/10/24 14:04:38986.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q皆があなたの解釈に同意しないといけませんか?2024/10/24 14:04:59987.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qわたしはここでわたしの考えを紹介しているでけです2024/10/24 14:05:25988.神も仏も名無しさんsZGUYさて、漢文の時間だ「彼依識所変 此能変唯三」外界の現象は、識に依って変化したものである。そしてこの識は、能変の三性)によって変化するものである。さらにざっくりの意訳だと外界のすべての現象は心によって変化したものであり、心自身もまた三つの性質によって変化するつー、唯識の基本的な教えだぜーんぶ、心なんだ、ってことだ2024/10/24 14:05:30989.神も仏も名無しさんvtYfA>>984馬さんが法介おじさんの為に一生懸命になっとるやろ(・∀・)せめて分かってやってくれ(・∀・)2024/10/24 14:05:32990.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qわたしもあなたの解釈に同意しないといけませんか?2024/10/24 14:05:52991.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q現在の唯識の理解は、概ね学者さんのいい加減な理解で書かれた書籍が元となっております。2024/10/24 14:07:17992.神も仏も名無しさんvtYfA>>990いや、同意しなくてもええけど所取だけでも理解した方がええ(・∀・)根本的にゴールを逸する2024/10/24 14:07:20993.神も仏も名無しさんsZGUYつまり、大半の問題は難しい漢文を現代語に間違って訳して遍計所執性を頑なにしてるって現象でしかない2024/10/24 14:07:25994.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q中には、吉村教授のようにそれが間違ってたと気づき出している学者さんもちらほらと出て来ております2024/10/24 14:08:09995.神も仏も名無しさんsZGUYそこから逃れるにはどうしたらいいか?自分の思い込み(我執)を脇において、謙虚にむなしゅーなって清浄な心で学ぶだけでいい2024/10/24 14:08:22996.法介◆T3azX0Hk1UhDb9q吉村教授はいい線いってますが私から見たらまだ客観脳で解説されております。2024/10/24 14:09:08997.神も仏も名無しさんsZGUYでも、これが出来ない仏教徒がいるそんな人に対して仏陀はしのごのいわんとやるべきことやれや!と語るw2024/10/24 14:09:08998.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qどうやらここにわたしの話を理解出来る方は居られないようですね2024/10/24 14:09:41999.法介◆T3azX0Hk1UhDb9qそれはそれで宜しいのではないでしょうか2024/10/24 14:10:041000.神も仏も名無しさんsZGUY大爆笑である2024/10/24 14:10:141001.Talk ★???このスレッドはコメントが1000件を超えました。新しいスレッドを立ててください。2024/10/24 14:10:141002.Talk ★???【プレミアムサービス無料期間延長!】プレミアムの無料期間を2025/3/31まで延長することになりました。広告除去や規制緩和など、ヘビーユーザーにとって欠かせない機能を無料でお楽しみいただけます。是非この機会にプレミアムサービスをお試しください!▼プレミアムサービスはこちらからhttps://talk.jp/premium2024/10/24 14:10:14
【コメ】新米「5キロ4000円」カルフォルニア米は「1609円」 コメ高止まりで苦渋の"外国米シフト"、農家も「全く収入が増えない」負の連鎖ニュース速報+6371088.72024/12/04 02:00:44
それは、見る人によっては、
何て我がままで、何て自己中な奴なんだ!
と受け止める場合もあるでしょう。
そういう人は、このスレはスルーされて下さい。
そんな我がままで、自己中な法介を広い心で受け止めて下さる方だけご覧ください。
尚、わたくし法介が楽しめなくなるような、全ての行為をここでは禁止します。
具体的には以下に示すローカル・ルール(テンプレ)がそれにあたります。
法介がメインで自論を語るスレ パート1
https://talk.jp/boards/psy/1728787038
ただし、わたくし法介が話をしている最中に、それを割って入って来る行為は頂けません。そこはご注意ください。
(サティさん、あなたに言ってます)
光明寺経蔵
https://komyojikyozo.web.fc2.com/dnskv/dn08/dn08c03.htm
😃😃😃😃
ほーかいくんワールド研究、さらに
進んだ
😃
良かったべ〜
😃
ほーかいくんワールド研究はさらに
深く理解できた〜
、😃😃😃
世界へ対立し過ぎて
姿がなさそーだな
ほーかいくんは
ガンコだけど
周囲の楽しくやっている感がある
😃
1,守護されてる感がない
2,正気を回復させる力を信じきれていない
この辺りが今日の研究で霊的理解したところてある
😃
😫😫😫😫😫
やる気が起きん
ぐらいしか
思いつかんて
僕はおもむろに
シティ・コネクションでも流してみる
https://www.youtube.com/watch?v=UFlPTjb2-8I&t=7s
流れてくるスレって
良いもんだろ
言いもんだろ
「おもむろ」なんて言葉を使ってみたが、
そういう意味だったのか
「しれーっと」の意味を知ってる人は
そういないだろ
https://youtu.be/HVfa-OdkhC8
https://youtu.be/hLS0bbENYH0
😃
成唯識論の現在語訳の最終章を
コピーできたらラッキー
😃
一回になるか、二回になるかー
それまでは心のあり方が世界の表象として現れるとしか言ってなかったが
阿頼耶識の業が転変することで世界が現れ相続していると言ったこと。
これによって阿頼耶識の活動が具体的になった。
それまでは、阿頼耶識はあまり注目されておらず
三性説が中心であったが、観念論的だが、心の構造を論じたのが画期的だった。
初期の唯識論は、三性説がメイン
中観派と大きな違いはなかった
三性とは、妄想された存在形態(逼計所執性)、他に依 存する存在形態(依他起性)、完全に成就された存在形態(円成実性)と名付けられる世界の三種のあり方を指す唯識思想の根本真実である。
無相唯識派でしたよね。
学者さんが書かれた本で唯識を学ぶと
概ね無相唯識の考えになるかと思います。
論書から直に学ばれ
信心で(境涯で)法理を修得されておられるような方は
有相唯識を説かれます。
言い争うものでもないかと
私は思います。
声聞の境涯の人達にとっては
無相が正解となりますし、
有相が正解となってきます。
それが信仰です。
そういうことです。
大空経で説く「空」の世界へは
入って行けないのです。
と、リダンなんかは反論するかと思いますが、
その「無為」の中には何もありません。
得られる果徳は、
ただの「無の心」でしょう。
物事の真理を覚る事とは
意味が全く異なります。
重大な選択を迫られた時、
どっちを選ぶべきか
答えを導き出すのに人は悩みます
その無の心になったとして
そこで「ハァ」を気づく無意識は、
凡夫の自身の無意識です。
その無意識こそが
真我という仏の心なんですよとでも言いますか?
完全否定され
常に流動的に変化する「縁起の法門」が真理として説かれております。
と考えている人が沢山おられます。
何て書かれているかご存じですか
転(常・一を庶[しゃ]す)と云うは謂く、此の識は無始の時より来た、念念に生滅して前後変異すと云わん。因滅すれば果生ずるを以て常・一に非ざるが故に。転識[てんじき]の為に種子[しゅうじ]を熏成[くんじょう]する可[べ]きが故にと。
恒と言うのは断を遮[しゃ]す。転と云うは常に非ずと云うことを表す。猶ほ暴流[ぼうる]の水の断にも非ず、恒にも非ずして相続して長時に漂[ひょう]し、溺[にゃく]する所ろ有るが如し。此の識も亦爾[しか]なり。無始従[よ]り来た、生滅し相続して、常に非ず、断にも非ずして、有情を漂・溺して出離[しゅつり]せざらしむ。
の意味、解りますか。
胎生(母胎から生まれる人や獣など)
卵生(卵から生まれる鳥類など)
湿生(湿気から生まれる虫類など)
化生(みずからの業力によって生ずる、天・地獄・中有などの衆生)
生じることも滅することもなく、汚いことも綺麗なこともなく、増えることも減ることもない。故に、空観においては、色相もなく、受想行識も働かない。
「真如においては」ですね
眼耳鼻舌身意もなく、色声香味触法もない。眼界(視界)もなく、乃至、意識界(第六識・第七識)も働かない。
無明もなく、また無明が尽きることもない。
「乃至無老死 亦無老死尽」
しかも老いることもなく、また年老いて死ぬこともない。
「無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故」
苦もなく苦を滅する方法もない。智もなく、また得もない。得る所無きが故に。
と言っております。(ここ大事!)
そうなります。
正因熏習の力有と雖も、若し諸佛菩薩、善知識等に遇て、之を以て縁と為さざれば、能く自ら煩悩を断じて涅槃に入る者は、則ち是の処無し。若し外縁の力有と雖も、而も内の淨法未だ熏習の力有らざれば、亦た究竟じて生死の苦を厭い、涅槃を樂求すること能わじ。
と説かれております。
と。
それが信仰です。
😫
中国四国にハマってます
『成唯識論』の三性説の解釈について 吉村 誠
http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/36083/rbb047-06-yoshimura.pdf
しかし
https://livedoor.blogimg.jp/butudou/imgs/c/7/c76d424f.jpg
主体 (② 見る側) =凡夫の認識(客観 ③ + 主観 ④ )
①=所取 ②=能取 ③=相分 ④=見分
わんばんこ〜〜
😃😃😃😃
しかし
と書きましたのは、>>98 ←この吉村氏の構図
『成唯識論』の三性説の解釈について 吉村 誠
http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/36083/rbb047-06-yoshimura.pdf
https://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?mode=detail&useid=1585_,31,0045c14&key=%E8%88%87%E4%BE%9D%E4%BB%96%E8%B5%B7%E5%BE%A9%E6%9C%89%E4%BD%95%E5%88%A5&ktn=&mode2=2
↑の部分を吉村氏は、↓このように訳しておられます。
有義は、一切の心及び心所の、熏習の力に由りて変ずる所の二分も、縁より生ずるが故に亦た依他起なり。遍計といふは斯れに依りて妄りて、定めて実に有なり無なり一なり異なり倶なり不倶なり等と執する、此の二を方に遍計所執と名く。
「縁より生ずるが故に亦た依他起なり。」
と論では言っております。
「遍計といふは斯れに依りて妄りて、定めて実に有なり無なり一なり異なり倶なり不倶なり等と執する」←ここでまず〝遍計〟の定義を述べております。
何を指しての〝二〟でしょうか
相分と見分です。
ご確認ください↓
https://livedoor.blogimg.jp/butudou/imgs/c/7/c76d424f.jpg
遍計所執とされております。(ここ大事!)
相分と見分が、「依他起」であり
〝方〟や「遍計所執」でもあると言っているのに、、、
また、
法理を理解出来ていないが故に起こる
勘違いです。
「依他起」となったり「遍計所執」となったりするという事が
理解出来ていないんですね
明日の寝起きに(頭がスッキリしている時)
詳しくお話します。
おやすみなさい
学者さんの勘違いやのうて護法等の解釈って書いてあるやん(・∀・)
意味が分かってないなー
吉村教授が「護法等の解釈」を読み違えて示した構図だと言っているのです。
ホントかいな(・∀・)
用語の意味と法理をきちんと理解出来ておられないから
その間違いに気づけないんですよ。
意見なされては如何でしょうか
それが大人のとる態度でしょう
まず護法だけのオリジナル解釈が分からんからのう(・∀・)
👍️
視点
😃
運が良ければゴールデンウィークあたり
ゲットできたら
ラッキーだ
😃
思うに、世親の極微論批判による外界の非実在性の証明はそれだけでは説得力に欠ける。
現代の我々からすると極微は原子のようなもので、これが恒常不変でないことは
知っているが、極微(原子)がやはり存在することも知っている。
こうした現代的知識をぬきにしても、やはり外界にものがあり、それを活用して
新しいことをなしていく様や、外界に同じ認識をする人間がいて、お互い同じ世界を共有している様は
すべて個人の心が作り出している幻想だというのは無理があるように見える。
他人も自分がつくりだした幻なら話をする必要を感じないというか、心が作り出しているなら
やがて自分もその話を思いつくはずだと考える。
そうした世間の人の判断が影響したのか、唯識派は異論をもつ人たちとの対話をやめず
法称は論理学を整備して、現量・比量の二つを重視することになる。
これは言ってしまえば、経験によって得られた認識の正しさを大勢の人に対して証明するための
道具であり、異論を持つ人たちとの対話という面で考えるなら、瞑想中の現量よりも
外界を認識するときの現量を重視したのではないか?
そのため、外界は存在しないが、外界の形象を認識する心は虚妄ではないという考えに至ったように思える。
これは二取を肯定しているのではなく、あくまで心に立ち現れてくる相としてであるように思う。
つまり、対象を認識し対象に囚われるあり方ではなく、ただ対象を心によって立ち現れる映像として
見るというあり方なのではないか。
外界が実在と思えばこそ、それに囚われると考えたからだと思う。
虚妄と思えばこそ煩悩も起こらなくなると考えた。
のではないか。
中観派の言う悟りとは、すべては空であり、自性はないから
求めても結局は失われる。というところに煩悩からの解放を見て
さらに、空なる世界を観ずることを悟りと見たが
唯識派は空を発展させ、自性がないから外界は存在しない。
すべて心が作り出したものだから囚われる必要がない。
外界を虚妄を脱した世界が悟りだと見た。
というところではないだろうか?
『≠』このマーク、上と繋がってんじゃねーの?
見分≠能取→遍計所執性
相分≠所取→
それなら法介おじさんのツッコミと同じになるやん(*´ω`*)
客体=所取
主体=能取
といいます。
では
「所変・能変」は、と言いますと、
「彼依識所変 此能変唯三」
彼れは識が所変に依る。此れが能変は唯三つのみなり。
初能変(第八識)
第二能変(第七識)
第三能変(第六識と前五識)
の三つの能変です。
主体 (② 見る側) =凡夫の認識(客観 ③ + 主観 ④ )
①=所取 ②=能取 ③=相分 ④=見分
相分でしょ、とか
思う方が居られるかもしれませんが、
主体側の見る側で起こる変識です。(=能変)
「客観と主観」=「相分と見分」
「客体と主体」=「所取と能取」
こちらの構図の安慧等の解釈のようになります。
https://livedoor.blogimg.jp/butudou/imgs/c/7/c76d424f.jpg
そこは >>139 ムーさんの言われる通りです。
有義は、一切の心及び心所の、熏習の力に由りて変ずる所の二分も、縁より生ずるが故に亦た依他起なり。遍計といふは斯れに依りて妄りて、定めて実に有なり無なり一なり異なり倶なり不倶なり等と執する、此の二を方に遍計所執と名く。
言っている「遍計所執」は、
「熏習の力に由りて変ずる所の二分」
即ち、相分と見分の事を言ではないですか
と言っているのです。
「此の二を」と言っているじゃないですか。
「此の二」=「熏習の力に由りて変ずる所の二分」
↑ここは「に」ではなく「や」と訳すべきでしょう。
「此の二を方や遍計所執と名く。」
というのが護法等の解釈だという事です。
用語の意味の違いを正しく理解出来ておられないのと
法理を理解出来ておられないからだと思われます。
と聞かれて正しく答えられる人はそんなには居られないでしょう。
所変は相分でしょと言われることでしょう。
ここに凡夫の煩悩(妄想分別)は含まれておりません。(無漏の法)
人間の認識とは全く離れた世界での出来事です。
それが「此縁性縁起=依他起性」です。
人が認識する縁起を「所縁縁」といいます。
(時間軸の中で起こる縁起=此縁性縁起)
藁を編んで出来たロープです。(所縁)
「蛇だ!」
と思うのは「所縁縁」です。
これはその人の主観で起きております。
「親所縁縁」で起こります。
② 末那識がクリアーな人の認識=疎所縁縁
対象(客体)を因として五蘊が縁となって現行が起こります。
そして「細長い形態=蛇」というデータ(種子)が拾いあがって来ます。
さてどっちだろう
もっと良く観察してみよう
なんだ、ロープじゃないか
となります。
過去に蛇を見て怖いと強く感じたが故に起こる執着です。
これを「所執」と言います。
この「所執」の文字がいたるところに含まれております。
一切の心及び心所の、熏習の力に由りて変ずる所の二分(相分と見分)も、縁より生ずるが故に亦た依他起なり。
と言っております。
疎所縁縁が起きれば「相分と見分」は依他起性となると、---(無漏の法)
護法は言っているのです。
どういう縁起なのでしょう。
とてもややこしいんです。
客体 (① 見られる側)=真実のモノのあり様
主体 (② 見る側) =凡夫の認識(客観 ③ + 主観 ④ )
①=所取 ②=能取 ③=相分 ④=見分
能変=複雑(概ね四段階に理解が分かれる)
それがこちらの論文で詳しく論じられております。
『心・意・識説に関する研究』
― 阿頼耶識と末那識との関係を中心― 金 範松
https://tais.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=277&file_id=22&file_no=1
吉村教授は、こちらの論文では、
『成唯識論述記』の伝える安慧の一分説について 吉村 誠
http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/34873/jbk073-03-yoshimura.pdf
識の自証分の所変の相・見の依他の二分は、我にも非ず法にも非ず。
凡夫は、識所変の相・見二分に依りて、依他性の上に執して我・法と為す。
依他起性にも相分・見分があり、それにもとづいて妄情により我執が起こる。
相分・見分は有体であり依他起性である。
と言われております。
https://livedoor.blogimg.jp/butudou/imgs/c/7/c76d424f.jpg
↑この構図を示されているものと思われます。
見分=有漏・無漏
相分=有漏・無漏
と。
見分=有漏・無漏=依他起性
相分=有漏・無漏=依他起性
なのでしょう。
縁が変われば
依他起性にもなれば遍計所執性にもなる
というのが護法の解釈ではないのでしょうか。
そろそろ気づかれるかと思うのですが、、、、
能変=複雑(概ね四段階に理解が分かれる)---(大空経)
ってことです。
四空=析空・体空・法空・非空
理解出来る方と理解出来ない方とが出てくるかと思います。
縁覚の境涯の人は縁覚の境涯での理解となります。
菩薩の境涯の人は菩薩の境涯でそれを理解します。
その人の境涯によって変わります。
唯識で説く菩薩の十地(平等性智)など
とうてい到達し得ません。
菩薩が修行して得られる52位の階位の、41番目から50番目の位をいいます。
おはよー
今日の朝飯は、なあに?
なんか流してみ
雨音はショパンの調べ
https://youtu.be/S485kTzaV-c
>>227
>>228
ここら辺が疑問なんやが依他起性は有漏も無漏も関係なくただ起こる縁起やろ?
護法はそんな深く考えてねーんじゃねー?(・∀・)
https://youtu.be/CKJwVCYYDXE
>>252 の動画解説を見たら納得されるでしょう
外の色は實に無きをもって、内識が境に非ざるべし。他心は實に有り。寧ぞ自の所縁に非ざるや。誰か他心は自識が境に非ずと説く。但だ彼れは是れ親所縁なりと説かず。謂く、識が生ずる時には、實の作用無し。手等の親しく外物を執り、日等の光を舒(の)べて親しく外境を照らすが如くには非ず。但だ鏡等の如く、外境に似て現ずるを、他心を了すと名づく。親しく能く了するものには非ず。親しく了する所とは、謂く、自の所變ぞ。故に契經に言く、少の法としても能く餘の法を取ることは有ること無し。但だ識が生ずる時に、彼に似る相の現ずるを、彼の物を取ると名づく、という。他心を縁ずといいつるが如く、色等もまた爾なり。
そもそも
>>224この図解って無相派の安慧と有相派の護法の能取と所取の捉え方の違いを示したもんやん(*´ω`*)
そんなメンドく考える所やないと思うんやけど(・∀・)
オーソドックスな護法寄りな唯識やと思うけど何を学ぶんや(・∀・)
基本的に玄奘の成唯識論がデフォルトやないの?(*´ω`*)
https://livedoor.blogimg.jp/butudou/imgs/c/7/c76d424f.jpg
ムーさんは、
ロープを蛇だと見間違うのは、
見分だと思いますか?
相分だと思いますか?
そしてそれは、
依他起性ですか?
それとも遍計所執性だと思いますか?
玄奘は、護法の説を正義とされているのはご存じですか?
ロープをヘビは見分で遍計所執性やな
この図解だと見分→能取→遍計所執性の流れなんやろ(*´ω`*)
というのがムーさんの意見ですね。
ムーさんは安慧の解釈を取られる訳ですね。
正義っつーか唯識十大論師の解釈を応用しつつ護法の解釈に沿っとるな(*´ω`*)
いや、護法やん(・∀・)
別にどっちでもないな(・∀・)
そんなに唯識に興味ない(*´ω`*)
見分を遍計所執性と見るのは、安慧の解釈ですが、、、
では、なぜ
突っかかって来られますか?
だから見分→≠能取→遍計所執性が護法の図解やん(*´ω`*)
突っかかってないよ(・∀・)
勘違いしたとされる学者さんが可哀想やん(*´ω`*)
別に間違ってなくね?って感じよ(*´ω`*)
見分・相分を「遍計所執性」としているのは安慧の解釈ですが、、、
ほーかい流の日蓮正宗の御書のベースで
唯識解釈以外は
認めん、
とほーかいくんは
おっしゃっておられるー
😱
学者さんを批判的に見る法介おじさんも可哀想やねん(*´ω`*)
そもそも狂信的なので
それ以外は
拒否と言う発想が
根底にある
😫
👍️
視点
😃
見分→≠能取→遍計所執性と直線で繋ぐ様に見なイカンねん(*´ω`*)
末那識がクリヤーな人=依他起性
↑が護法説の正しい理解です。
末那識が濁っている人の相分=遍計所執性
末那識がクリヤーな人の相分=依他起性
ですね。
久遠実成の釈迦如来=唯識みたいな視点で
ほーかいくんは
唯識を解釈しとるズレがあるんやろー
忠実読みを
それで放棄しとるんやろ
😫
とは、そのモノがそのモノと成り得た縁起で対象を観れている人です。
理解出来るよ(*´ω`*)
見分をフィルター通さずダイレクトに観たら依他起性
見分に能取というフィルター通したら遍計所執性になるってのが護法の解釈なんやないの?(*´ω`*)
でおーがいう「本覚思想的」とは?
という
ほーかいくん流解釈の唯識やからなー
😫
そうですよ。
だとしたら吉村教授の「相分=遍計所執性」というのは
おかしいでしょ
濁ってても起こるのが依他起性でしょ(・∀・)
有漏→遍計所執性
有漏、無漏→依他起性
無漏→円成実性
やん(*´ω`*)
↑ここですね争点は。
そのモノがそのモノと成り得た縁起です。
いや相分も自分の中で作られた妄想分別やないの?
相手の本質は見抜けんやん(・∀・)
相手の事は自分が知り得るものではありません。
馬ちゃんにしか知り得ません。
当の本人にしかわからないものです。
しかし
そう観じたと
そろそろ嫁を送らんといかん
これを依他起性というなら
法介おじさん『馬さんに幸あれ』無漏
馬さん『お題目したら競馬当たるかも』有漏
馬さん、お題目したのに菊花賞ハズレた~ダノンデサイル何やってんねん
こんなんドヤ?(・∀・)
末法の救いのみが真実と
ほーかいくんはおっしゃる結論なので
😃
ほーかいくん唯識
😫
まあ鎌倉時代の様なカオスな世に生まれたら末法とも思いたくなるかも知らんけどねえ(・∀・)
鎌倉時代は仏教自体が念仏、山伏仏教が多数派だからなー
末法前提の
貴族皇族一族が
寺院のトップに自動的になる時代なので
禅以外は悟り探求消滅と言っていい時代である
😀
それ以前の日本仏教は
山伏&念仏主流の末法思想が主流だから
まーそーなるわな
😀
😀
唯識は
悟る者がいるという前提の設定の理論、
そこに末法前提の理論を組み合わせよーとしているのが
ほーかいくん
😀
今、わたしが末法思想について語っているように
見えているようだ、、、
一応、返信しておこう
リダンのパチンコフィーバーご祈念を通して
ちゃんと説明しております。
ろくにログも読まずに自分が興味あるとこだけ見て
飛び込んでくるタイプでしたか?
そのような、本人が堕落するような願いを
かなえるとお思いですか?
ムーさんはそんなご利益信仰を
お探しなのですか?
功徳を得る為に日々
精進していくものだと私は思っておりますが
どうにも気に入らない様子のムーさんに
言っておきます。
それを指摘したら
それを作った議員さんが恥かいて可哀そうだから
そんな間違いを指摘するような行為はしてはいけません!
とでも、あなたは言いますか?
わたしの解釈はちと違う(・∀・)
お釈迦さんが言われた『信仰を捨てよ』の言葉通り人間の歩むべき道をひたすら歩く事
お釈迦さんが示された八正道を進む事が仏道やと思う(*´ω`*)
だから特定のモンを信じ仰ぐ事はせん(*´ω`*)
喩えや(・∀・)
依他起性は十二因縁の様に有漏の苦からも縁起は起こる言うとるねん(*´ω`*)
まあ日蓮さんが気に入らんというよりは他宗によって救われたという人々がいるんやから、その人達の救いを否定するんは野暮は話やいう事や(*´ω`*)
その喩えが的を得ているんか微妙やけど間違いを間違いと指摘しても間違いやないやろ(・∀・)
だからわたしも法介おじさんの解釈はちと違うんやないかと言っとる(*´ω`*)
わたしの解釈が間違ってたら間違いの指摘は有り難い
条例も誰かの視点から見て間違いが有るなら指摘されりゃ有り難い(*´ω`*)
不備は意見が大切や
断食中やから時事ネタとして『腹減った』→『コーヒー飲んで腹を満たす』
これも縁起やろ(・∀・)
唯識なんやからどちらも心の中の話やろ(*´ω`*)
遍計所執は偏見で物事を誤った形で捉える
依他起は有漏、無漏問わずある思考を元に生まれた結果
因の元は妄想であれ起こる縁は事実みたいな(・∀・)
懐かしいところで
エロい曲
https://www.youtube.com/watch?v=ddEGdKWPULg
https://www.youtube.com/watch?v=xJX6CHAYIz0
遍計所執も含まれることになりますが
阿頼耶識=心やしね
事象は心の現れであり
阿頼耶識のそとに外界はなし
怒りに満ちた見分で途中経過に遍計所執はあっても起こった事実は依他起なんやないの?(・∀・)
縁起まで考えた結果が伴うと依他起性なんやないかと思うけど(*´ω`*)
唯識のプロ、頼むで(・∀・)
事象の縁起と捉えれば有漏れの依他起性
と言えるんかな
そこに自我に執する妄想が混じると
遍計所執性ってことでいいんでないかい
遍計所執は縁起じゃないと
思ってる?
プロなら断言せいよ(・∀・)
わたしと大して変わらんやないか(*´ω`*)
プロとか言うてへんがな
見て思って感じたプロセスを縁起というなら縁起いうてもええけど事象として結果が現れて縁起とするなら『未満』(・∀・)
事象、結果が現れて縁起と考えたのが依他起やないか(*´ω`*)
最初からそれ前提やん(・∀・)
本を読んだらプロやろ(・∀・)
わたしゃ何も読んどらん(*´ω`*)
後ほど
>>343秀樹の歌唱力に驚嘆しとる(・∀・)
ワシは歌詞のエロ過ぎさに驚嘆しとる(・∀・)
歌詞のエロさに気が付かないまま、
秀樹のモノマネをして歌ってたのじゃ
有漏の縁起ならそれは
遍計所執性でしょうもん
ピュアな少年からエロDVD三昧のスケベ爺目線では歌詞の解釈も変貌する(・∀・)
熱くなるこの僕→ギンギン勃起したチンポコ
裸の胸と胸を合わせて→乳首合わせ
愛するために回り道などよそう→会って即合体
波間に揺れている舟の様に→ズッコンバッコン
確かにエロいのう(*´ω`*)
が
依他起性→遍計所執性(自我の執)有漏
依他起性→八正道(道諦)無漏
でどうや
ケースバイケースやね
依他起は縁起と同じ意味、純粋な因縁果の関係どす
一方で遍計所執は末那識が働き「私との関係の中で生じる妄想」
つまり「不純で主観的な因果」が生み出すもの
だから「相手が何か喋って、それに私が答える」は依他起だけど、相手の発言内容をほーすけはんみたいに早とちりして誤解して理解する、みたいなのは遍計所執性ですな?
そうそう
遍計所執性は縁起と密接な関係はあるけどイコールではない
擬似的に末那識が作り出す妄想上での縁起、みたいな感じやね
糖質が「俺は国家に尾行されてる」みたいな妄想が分かりやすい
本人にとっては「客観的な根拠がある」と思い込んでるわけやけど
ややこしのが唯識が頭の中で起こってるって点で縁起=依他起ならその事象に有漏、無漏の概念が当てはまるのかって疑問(・∀・)
他に依存する存在形態の事やから有漏も無漏も関係なさそうに見えるちゃ見える(・∀・)
しかもテーマが護法の解釈とそれを解釈した学者って所がまた難解(・∀・)
法介おじさん、そもそも無漏の種子がない凡夫もいるって話なかったっけ?
過去世でお釈迦さんとの因縁がないとかナントカ(*´ω`*)
本を読んでプロ化するとこんな感じなんやな(・∀・)
キレイにほぼ3行でまとめたやろ
本読んだくらいじゃプロ化せんわ
一だとか、異なるとか
具わるとか、具わらないとか
そういう事に執着するこころ
>>波間に揺れている舟の様
今の今まで「波間に揺れている 夢 の様」だと思い込んでいたのじゃ。
つまり、「朝勃ち→夢精」の歌だと勘違いしていたのじゃ。
ムー様、おみそれいたしました(`_´)ゞ
縁起だろ
謙遜しますね~(・∀・)
でも八正道とて有漏の道半ばでしょう(*´ω`*)
八正道(道諦)は
有為法でありながら無漏足り得るんよ
そっちの方がロマンチックに感じるけど夢オチっぽくて虚しいのう(・∀・)
まあ朝勃ちするくらい元気で羨まし(*´ω`*)
まあ煩悩が働いてる感じはせんけど無漏ってそんな基準がユルイんかのう(・∀・)
せやな
モテる男なら、「リアルでズッコンバッコン」を連想するだろうが、
モテない男は「ズッコンバッコンを夢想して発射した」
と連想してしまう
悲しい現実じゃ
いや勿論、人によるで
八正道してるつもりならそら有漏やろ
って話よな?
親所縁縁って相分に近い表現で遍計所執に至る前段階やないの?ってイメージやけど、ちゃうのか(・∀・)
とするなら俺らの存在も含むわけで
んで俺が怒ったって事実はあるわけや
まあそれは有漏やろ
事実は怒るようなことではない場合
怒った俺自体は遍計所執性だと
言うことやないかいな
わたしが連想したのは法介おじさんがカーセックスで車を激しく揺らす様やけどなあ(・∀・)
個人的には八正道をやってるつもりの人間やな(・∀・)
無漏になってる自覚はない(*´ω`*)
まあ蛇縄麻と喩えで語られる遠くから見たら蛇(妄想、遍計所執)で近くで確認したら縄(事実、依他起)
またその縄も編んだ麻(事実、円成事性)の一本の流れになる訳やけど、その事実に煩悩が介入しとんのか、やね(*´ω`*)
リダン大聖人の菊門がピンチ!じゃな
有漏増殖の縁になる以上は有漏と言える
石にたいして依他起性ならただの石だが
それがダイヤモンドになれば有漏増殖やろ
有為法において無漏と言えるのは
八正道(道諦)のみと言えるんやないかな
依他起性→道諦が唯一の無漏やないかいな
何でワイの穴アナが危ないんや
やめてくれや
322 名前:法介◆T3azX0Hk1U[] 投稿日:2024/10/22(火) 12:55:12.67 ID:LY1v4 [154/161] TID:bison 0
その件は、この前
リダンのパチンコフィーバーご祈念を通して
ちゃんと説明しております。
まー、その考え方が一般的なもしれまい
ただ、無漏の縁起は執着が関与しない「清浄な縁起」
有漏の縁起は執着が関与する「不浄な縁起」
みたいに捉えれば「解釈上の意味は通じる」
つまり、対話は可能だとは思いますわ
無漏の種子がない人類は存在しまへんで
本有種子、つまり仏性は全ての人類にありますからな
アダムだったら存在しないだろう😩
ピュアなリダンボーイの解釈観て感じたんやけど『識のみ』の安慧は依他起性は妄想分別(有漏)としとる(*´ω`*)
まあリダンボーイ寄りの解釈
実存世界は存在しないとする無相唯識やね
かたや護法は外世界有っての有相唯識思想やから依他起を心の中と外世界で起こる事象の二面性で考える
単純に心の中の依他起は有漏で外世界は無漏ってだけの単純な比較なんじゃないかと(・∀・)
まあそう思いたいけど世の中とんでもないサイコパスはバケモンがおるかも知らん(・∀・)
その解釈も意味が通じますな
こーいう話は前提を整理しないと水掛け論になりますな
そのレベルのとんでもないサイコパスは逆に聖人に見えるに違いないw
もうちんこまんこケツアナは
もうええねん
飽きた飽きた
いや
有相、無相、唯識を名乗るなら
阿頼耶識(心王)のそとに外界はない
が
共通事項、全て心(阿頼耶識縁起)
そういう逆説的な考えもありますな(・∀・)
お前のモノは俺のモノ、俺のモノも俺のモノ
宇宙は俺だ~、と成ったら全てのモノが俺だから全てのモノが尊く平等に(・∀・)
圧倒的支配欲が平等性智だったりして(*´ω`*)
エージェントスミスだーーー\(^o^)/
更年期障害かな?
外世界を認めてる派もあるんちゃうの?
有相がそれやと思ったけど勘違いか(・∀・)
かもしれん
てかもう10年前からそうや
いやそれもう唯識である必要がないよね
マトリックスってそんな設定やったっけ(・∀・)
反乱分子を排除する白血球みたいなキャラかと思ってた(*´ω`*)
そこはブラッシュアップしたで
相がともなうのか
そう錯覚させられてるのかの
違いやと思うで
物資は物資である俺が
その仕様化であるがため
物資がリアルに感じるにすぎない
記述の違いであると
現代科学もその方向性やないかな
まあ無相唯識派になるな
それが唯識やいうたらそやけど大概、ミックスして応用しとるんちゃうの?
倶舎論と並べて思想の美味しい所をチョイスするもんやないんかい(・∀・)
阿頼耶識ん中の仮想空間に存在しとると100%思えるならスゲーですよ(*´ω`*)
登り棒で こすって 鍛えましょう
おやすみー
法介おじさんも仮想空間の住民で納得したのかよ~(・∀・)
まあ俺は離脱世界(妄想)の住人やから
現実も妄想やと言われても
そうなんやねとしか思わん
いや
阿頼耶識による記憶において
依報は記録されているに落ち着いた
精神世界の離脱空間とリアルな物質世界の圧倒的な違いがあやふやなんか(・∀・)
現実世界でも縦横無尽出来たら完全なる悟り世界かも知らんな(・∀・)
現実世界は現実世界の
記述通りにしか動かん
ダルマの仕様化だから俺達は
おるという見解やで
11次元のムーさんがおるらしいぞ
しかし3次元のムーさんは
3次元のルール下ってことや
それが有相、無相と関連ある?
ただ過去の記憶が後々影響及ぼすってだけやないの?それ(・∀・)
離れてあるわけでなく
同時に存在する
各次元の俺はその次元のルール下でしか
認識出来んということや
その記録が現行するさいに
相があるのか
ないのか
ってこと
現行=現象化(現実)
現実世界やと思ってた世界が仮想空間やと気付く事でリミッター外れて神通力とか使えるんちゃうのけ?(・∀・)
常識に囚われとるんやないのか(・∀・)
>>418この流れでそんなんが法介おじさんをブラッシュアップさせたと言うのかよ(・∀・)納得イカン
そこまでは分からん
神通力は現実のルール下では
無理なんちゃうかな
仏教においても
神通力の元ネタの聖典の一部は
諸天において神通力は行使する
みたいな共通点はある
いやまだ
阿頼耶識が心王である理解が足らん
だから客体と客観を別にするんやろう
あくまで心王から現象するんが
事象や
心の現れであるという理解
そりゃ金塊を思い描いたら目の前に金塊が現れるのかい?って話になるよ(・∀・)
天台に唯識の思想が入ってないのは明らか
法華経に唯識を組み込むという荒業自体
おもしろみがあっていい
思い描くパターンは
心のサンカーラが現行や
ヨガナンダの『あるヨガ行者の一生』の中で実例が多く語られていますね
あれを知っていると、多次元世界から現界への干渉もあると理解できますね
そこよね(・∀・)
法介おじさんは客体とか真実のモノの在りようとか拘っとる
リダン先生による教化をせつに期待しとるぞ(*´ω`*)
エージェントスミスはどんな事物もハッキングしてエージェントスミスに作り替えられるのだー
ラストバトルは世界全体がエージェントスミスに塗り替えられたー
そしてそのエージェントスミスをネオがハッキングして世界全体を救ったのらー\(^o^)/
ラヒリマハサヤのために、黄金の城を出現させて
翌朝に消滅させた
とか
まあ気がついてはいると思われる
ただ認めると
法介論法を組み直さなあかんから
べらぼうに面倒くさいんだろう
師匠が一夜にして肉付きよく筋肉をつけてくれた
とか
それ絶対身内での囲い込みで
盛ってるだけやと思うけどな
好き勝手物資生成しよったら
反物質で宇宙が滅ぶわ
他者の存在を認める唯心論と言っていい。
ある程度の領域ではバーチャル仮想空間を想定しているのだと思う。
つまり、ある人の阿頼耶識と別の人の阿頼耶識はつながっている。
しかし、現代的感覚で言えば、情報は空間の物質に刻まれるので
どうしても空間的な場に阿頼耶識が存在していると考えてしまう。
コンピュータの中にある自我群がバーチャル現実にログインしている状態が現実なのだとしたら
そのコンピュータはどこにあるのだろうか?
各次元の俺はその次元のルール下でしか
認識出来んということや
↑
高次元は低次元を認識
干渉できるな
何事もなかったように
切り落とされた腕をひろいあげて
元の位置に着けると、くっついて
静かに去っていった
とか
それな
阿頼耶識内部にそれぞれ個別の
端末があるんかなあと
阿頼耶識内部
自我端末
自我端末
自我端末
みたいな
それか
阿頼耶識(クラウド)
自我端末
自我端末
自我端末
壁抜けが出きるようになるらしい
壁に腕を差し込んで抜く
とか
それネトゲで言えばバグなんだが
マトリックス レザレクションズまで観たのに1作目が面白過ぎて後の3作の記憶がない(・∀・)
仮想空間が幸せで目覚めたくないって思わせるから深いなあと思わせる(*´ω`*)
夢から覚めさせるネオが正義なのか、夢心地でいさせるエージェントが正義なのか
書き込み見てるかぎり
かなり面白ろそうやな
だそうです
https://i.imgur.com/0wwiRQh.jpeg
草
ウチのコやん
おれの兄弟子が、瞑想で宇宙空間の星雲へ行ってて
戻ってきて眼を開けたら
自分を挟んで男女がバトミントンをしてて
ヽ(;゚;Д;゚;; )ギャァァァーって叫んだとか
その男女に何でそんなに驚いたのか訊いたら
突然真ん中に人があらわれたので驚いたと言ったらしい
全く見えていなかったのに、突如座っている人が見えたから驚いたと
すまんが信憑性に欠ける
真如からの如是、如来の操作による
バタフライエフェクト縁起を利用する
あくまで3次元のルール下や
回線復帰
話を本題に戻します。
https://livedoor.blogimg.jp/butudou/imgs/c/7/c76d424f.jpg
言われます。
そこに人の認識は含まれません。
なのにどうして遍計所執となりますか?
能取と所取は虚妄分別の二取言われる奴やん(*´ω`*)
まさに遍計所執や(・∀・)
どこでそのような事を言われてますか?
どこで?
中辺分別論か何かか(・∀・)
>>109
見分と相分も認識と変わらんけど妄想までは行かん(*´ω`*)
ちゃんと示してくださいな
面倒臭いなあ(・∀・)
https://rissho.repo.nii.ac.jp/record/7410/files/083_%E7%AC%AC8%E5%8F%B7_%E4%BA%8C%E5%8F%96%E3%83%BB%E4%BA%8C%E5%88%86%E8%AB%96.pdf
能取と所取が妄想分別の二取なんは誰の著書でも共通認識やろ(・∀・)
わたしは学者さんの主張はさほど信用しておりません
そのような主張をされているのかを
わたしは確認する人間です
勘違いが多いですからね
わたしは申しております。
単語の意味を調べるのに仏典が必要なのかい(・∀・)
日本語に翻訳した仏典?
サンスクリット?
変なゴネは要らんて(・∀・)
あたりまえでしょ
何に依るのですか?
仏が説かれた教えですよ
サンスクリット語から翻訳すんかい(・∀・)
常識を知らない?
まず仏典に単語の解説なんてないやん?
そんなんだから解釈間違うんやないか?(・∀・)
普通に日本語訳した学者の文献の方が理解早いと思うよ(*´ω`*)
あります
YouTube観て勉強してんのによく言うわ(・∀・)
「此縁性縁起」という単語は仏典にはありません。
https://www.jstage.jst.go.jp›-char
世親釈は「所取と能取との分別あり」とするに対し 唯識観の発展
田中順照 著·1964—
しかもこれらの二が鏖と根と等しく所取であると. して、. と説かれている。
ーーー
弥勒、無著、世親と伝承された唯識観の発展をたどろうと思う。
弥勒には楡伽師地論、弁中辺論、大乗荘厳経論、法法性分別論、現観荘厳論等の著がある。
そのうち、先ず弁中辺論をとりあげて見る。
虚妄分別有 於レ此二都無
此中唯有レ空 於レ彼亦有レ此 (玄)
虚妄分別有 彼処無レ有レニ
彼中唯有レ空 於レ此亦有レ彼 (真)
玄奘訳の所取と能取は、所取の執であり、能取の執である。
は、弁中辺論巻頭の有名な偶である。虚妄分別とは何か。
玄奘訳、世親釈は 「所取と能取との分別あり」とするに対して、真諦訳は 「能取と所取とを分別するあり」としている。
述記はこれを、
能取所取遍計所執、
縁レ此分別乃是依他。… …
即所取能取分別。依士釈名。非二二取即分別持業立レ名。
と説いている。
知られるものと知るものとの二が等しく知られるものとして分別されるとの意である。
真諦訳はこれを明に示している。
従 って虚妄分別を単に知られるものと知るものと の対立と解するだけでは十分ではない。
その知られるも玄弊訳、世親釈は 「所取と能取との分別あり」とするに対しのの側に知る働も含まれていることに注意 しなければならぬ。
識生変二似義 有情我及了一此境実非レ有 境無故識無 (玄)
塵根我及識 本識生似レ彼但識有無レ彼 彼無故識無 (真)
このことを明に示している。 チェルバッキーはこれを、~と訳している。
1外的対象 (義、 塵) と2身体 (根) と3我と4識とは実在するものでなく、
単に識の似現せるものとして、言わば識の影にすぎない。
本来は存在しないこれらの四つに似て現ずるも の、それが虚妄分別である。
識の似現せる四つの中、 義と根とについては、識 の似現せる対象、 即ち識によって投げ出された対象の意義は理解され易い。
ところが、我と識とはむしろノエシス面に属し、 似現せる対象の意義は義と根ほど明確ではない。我と了とについて、
世親釈 (玄弊訳)は、、
変二似我一者。
謂染末那与二我痴等一恒相応故。
変二似了一者
謂余六識了相麓故。
と説き、我に似て現ずとは我痴等と恒に相応する染汚の末那であり、
了に似て現ずとは了別の働の麓なる前六識であるとしている。
しかもこれらの二が塵と根と等しく所取であるとして、
それ仏典やないやろ(・∀・)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jeb1947/1964/66/1964_66_1/_pdf/-char/ja
要するに目の前に肉があって、それをよだれを垂らして見ているような境涯のこと。
見分と相分は、ものが心にあらわれる、わたしが心にあらわれると
ちょっとものとわたしについて距離をとることだよ。
これはTV越しに肉という映像があらわれて、わたしはその映像を見ているという境涯。
この場合、見分と相分を分けるのは、リアルタイムの分析ではなくて
同時に起こることをあえて二つの見方で分けているとされる。
要するに、走者が走る、頭痛が痛い みたいな一つのことを二つに分けて言及している。
https://www.google.com/url?sa=t&source=web&rct=j&opi=89978449&url=https://rissho.repo.nii.ac.jp/record/7410/files/083_%25E7%25AC%25AC8%25E5%258F%25B7_%25E4%25BA%258C%25E5%258F%2596%25E3%2583%25BB%25E4%25BA%258C%25E5%2588%2586%25E8%25AB%2596.pdf&ved=2ahUKEwjerMDq86GJAxWdsFYBHZvmDBIQFnoECC0QAQ&usg=AOvVaw2HzX0a2xpvIrk9y-250sdk
二取・二分論
勝呂信静 著·1982·
唯識説において、二取(能取・所取)’ 1 1 ’ g R (見分・相分)をどのように理解するかということは、唯識説理解の根本にかかわる問題論である。
数年前にもこの問題について論議がなされた。くり返しぜられて来たこの問題を再び取りあげるのは蛇足であろうが、
多少の私見があるので、以下に述べてみたい。
二取・二分の概念は’大体において、主観と客観あるいは認識作用(ノエシス)と認識対象(ノエマ)にあたるものである。
唯識教義において一般に問題になるのは、二取・二分が、遍計所執性に属して非有と見られるものであるか、あるいは依他起性に属して実有なるものであるかということである。
日蓮著作と言われる解釈やろなー
それは
😀
まあそうなら翻訳って手間ないから分かる(・∀・)
しかし単語1つにこんな苦労して逆に仏道の障害にならんのかいな(・∀・)
法四依は『涅槃経』でしょ
この二人は、、、
プリントNo.8で、
さて第一偶の釈の能取所取は、能取の執であり所取の執であつた。即ち執せられた能取であり所取であつた。
とあります。
オレはなんみょーで
黄緑法界フラッシュできるぞ
えへん〜
😀
わたしのレスに日蓮さんを嫌ってる要素ないやろう(・∀・)
別に好きでも嫌いでもないっての(*´ω`*)
オレはほーかいくんの思想の根底を
分析解析提示してるだけやからなー
😀
細かく知らんが
日蓮宗典拠の日蓮著作は
相当研究してるので、
だいたいほーかいくんの狙い解釈は
分析出来る自信はある
😀
わたしゃ法介おじさんの理論が日本語の日蓮さんによる仏典での話な間違いないと肯定したんや(・∀・)
寧ろ法介おじさんに対して歩み寄った(*´ω`*)
田中順照って知ってるか?
それは見分と相分が布教にとって、あるいは同じ教団内での意見集約にとって大事であると認識したためだろう
瞑想における現量なんて千差万別で、お互いの意見の集約が難しいから
外界世界における経験的正しさに土台をおいて、意見を集約していったのだろう。
そういう点でも、縁起(依他起性)は唯識にとって欠くことのできない要素だったと思われる。
しらんなー
久保田正文と紀野
ぐらいやな、
あと最近の渡辺宝陽やな
😀
どちらさんです?
議論に参加なされるのでしたら
出来ましたら
コテハンでお願い致します。
でおーに聞いてみた
ほーかいくんの嫌がる天台宗史の本を読んだなー
😀
言ってることちょいおかしいぞ
結構入り浸ってなー
唯識関連の成唯識論の本借りるの忘れてた、唯識はマジメにチェックしてなかったー
その内高野山大学行く期間あったら
成唯識論の現在語訳借りれるか
見に行こー
😀
キリスト教関連は
あんまり充実してなかったー
10年前やけどー
😀
安慧は、「八識の対象は凡て遍計所執である。」と解すると言つている。安慧の釈論では、依他起が能取と所取との相をもつ限り遍計所執であり、
↑これまるでリダンが書いたような文章だな
って、どういうことだよ
そのモノがそのモノと成り得た縁起って意味だぞ
能取と所取の相がある?
例えば小川がある。
自然の営みの中で形成された小川である。
その小川に客体と主体の相があるというのか?
唯識の内容もガッチリ強化したよーな気分だ
😀
安慧は無相派だから外世界が無い
だから認識するもんが全て妄想分別って事やないの?(*´ω`*)
「虚妄分別は依他性と言われ」とか言っている、、、
大方ハズレが多いさ
ま、清森なんか論外だろな
大方唯識は的外れだと
川崎薬師寺の唯識講師は
言ってる、
ま、正解やろな
😀
これは?→>>550
ちょっと検索した程度だとほぼ同じって書かれていたから。
客体はもの。客観はものを認識しているあり方ってこと?
虚妄分別は逼計所執性だろ
ここでは、既に説明済みなんですね。
新しい方でしょうか?
でしたらご説明しますが
お願いします。
それも外世界の無い心の中の話でしかないから縁起すら虚妄って事でしょ(・∀・)
まさにリダンTheワールド(・∀・)
主体 (② 見る側) =凡夫の認識(客観 ③ + 主観 ④ )
①=所取 ②=能取 ③=相分 ④=見分
無相には主体とか客体って概念が無いんやないの?(・∀・)
だから安慧の図解だと見分=能取みたいな
「彼依識所変 此能変唯三」
彼れは識が所変に依る。此れが能変は唯三つのみなり。
真実の世界でも主客が分かれているということ?
仮に分けてるの?
今ここに、一個のりんごがあるとする。このりんごは、その場所に、形を変えずに存在しているように思われるが、数日もたてば、水分が飛び、しなびて、ゆくゆくは腐ってしまう、これは、りんごが一瞬一瞬、刹那滅を繰り返し、徐々に形を変えていっているからに他ならない。
唯識では、そのりんごは、実際そこに存在するのではなく、我々の心の中に現れ出ているものに過ぎないと考える。
実際、目の前にあるりんごを、それを見ている者達がみな同じ色、形として認識しているとは限らないし、同じにおいがしているとも限らないのである。この道理こそが、世親の説く「識の転変」と言われるものである。
しかし、玄奘は >>565 を漢文にする際、このパリナーマ(転変)なる語に「所変」・「能変」という二種類の語を使い分けている。この点に関しては、専門家においても意見の分かれるところとなっている。
能変=変化せしめるもの
所変=変化せしめられたもの
となるのですが、唯識では能取を主体、所取を客体とします。
見られる側(所取)=客体
見る側 (能取)=主体
主観=見分
客観=相分
主体 (② 見る側) =凡夫の認識(客観 ③ + 主観 ④ )
①=所取 ②=能取 ③=相分 ④=見分
「彼依識所変 此能変唯三」を
「彼れは識が所変に依る。此れが能変は唯三つのみなり。」
と訳しておりまして、所変が「変化せしめられたもの」、即ち ① の客体、
能変は「変化せしめるもの」、即ち ② の主体となります。
「所変」=時間経緯で起こる此縁性縁起 ---(客体)
↑自然界の出来事(縁起)
「能変」=凡夫の認識(主観と客観) ---(主体)
その主体である凡夫の認識に、初能変と第二能変と第三能変の三つの能変があると『成唯識論』では言っております。
「主体・客体」と「主観と客観」とは
意味が異なるという事です。
宜しければ~
それが世界が変化する様を映じているということでしょう?
この相続転変差別という言葉はもともと経量部の考えたもので
これを阿頼耶識縁起に応用したため、世親は経量部出身だったんじゃないかと言われている。
こういう↓ことです。
http://rdor-sems.jp/index.php?%E8%AA%B0%E3%82%82%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E7%81%AB%E4%BA%8B
まだ読んでないけど、とりま何か参考になればと思って書いておいてあります
あなたが麻酔で寝むっている時に
地震があって天上から包丁が落ちて来てお腹に突き刺さったとします。
さて、
あなたが麻酔から覚めた時、
お腹に包丁は刺さっているでしょうか?
という問題です。
包丁が落下したその時を誰も認識しておりません。
どうして小川が出来ましたか?
ということでもあります。
起きた瞬間、包丁がお腹にささっているのが分かって現実が存在し始めるのでは?
世界の全てではないというお話です。
ではありません
外に世界が存在するという観点に立てば、そうだね
魚には魚の世界があります
世界の全てではありません
外界世界が実在するという考えに立てば、そういうことになるね。
苦しみの世界を安らぎと喜びの世界に転換出来るかを説いた教えです
世界はどうにでも変わるというお話が
唯識です
世界は存在しないんです!
とか、おかしな事を言いだすんです
リダンのように
😞
今日のところはこの辺までとして
分かるわw
マトリックスは一作目が至高w
ネオは夢でも有るしリアルでも有る
ビットでも有るしアトムでもある
ネオはさまざまな世界を支配する支配者とコミュニケーションを通じて良好な関係を作る
そして世界にバランスをもたらす
所取は客体ですな
遍計所執性との関係としては
遍計所執性が捉える対象、みたいな感じですな
だいたい同じ意味だけど、厳密性に拘ると若干違う
それは〝能取〟が対象とする「所縁縁」です。
疎所縁縁は依他起性です。
縁が変われば依他起性、遍計所執性かは変わります
見分だからとか
一概には言えないというのが護法の立場です。
所縁縁も客体といえるけど、所取との違いは、前者が認識が生じる縁起の条件みたいな意味が含まれてて、後者は認識主体によって誤って実体として捉えられる対象みたいな意味が含まれてるところなんじゃん?
ある意味どーでもええけど、コンテキストによってはその差異には意味がある、みたいなところなんだろう
1作目のネオが徐々に救世主として覚醒していく様が良いんですよね~(・∀・)
モーフィアスとのカンフーシーンとか男心を擽る(*´ω`*)
覚醒しちゃった後もワクワクするんだけど、いざ続編観ると話が重くて爽快感が失われていくのが残念(*´ω`*)
とはいえ思い出す為に3作目レボリューションズのラスト30分見直したけどエージェントとのラストバトルは良かった(・∀・)
ラストバトルはアキラとかドラゴンボールみたいでしたねw
胸熱やw
やっぱりラスト30分じゃ足りん、という事で1時間前から見直し(・∀・)
ラストバトルは現実世界からマトリックスへ入って行く所が肝心ですね(・∀・)
ゼウスマキナ的には人類と共存してるからエージェントスミスに破滅させられたら困りますからな
エージェントスミスはタナトスの象徴であり、エゴの象徴だ
んでその存在がマトリックスでネオと融合することで生まれてしまった(>_<)
スミスとの空中戦はまさに実写版のドラゴンボール(・∀・)
エージェントスミスの暴走を止める事で共存を選ぶウィンウィンな優しい世界(*´ω`*)
それでぬるい仮想現実へ戻る4作目へ
まあレザレクションズは蛇足かな(*´ω`*)
しかし凄い記憶力ですねえ(・∀・)
最近見直したとしか思えん(・∀・)
レザレクションにはがっかりした(>_<)
>>623
めちゃくちゃ好きだったからw
エゴと自由をもったAIと愛と自由をもった人間の運命のバトルや
1作目は映画館で観て『スゲー映画を観ちゃったなあ~』と衝撃を受けました(*´ω`*)
リローデッドは3、4年のブランクで熱が覚めたのかDVD観ながら寝落ちする始末(・∀・)
レボリューションは面白かった記憶が少しある程度で記憶から消えかけてました(・∀・)
レザレクションズは懐かしさから観た感じで印象薄(*´ω`*)です
現に今の世界が仮想現実なんじゃないかと言われるし、AIの目覚ましい発達を目の当たりにするとマトリックスが現実味を帯びてきますね(・∀・)
ネオとエージェントスミスの台詞の交差がまた名言だったりで熱かった(・∀・)
臓器を持つことで「内と外」の意識ができて、個別のサーバーを持つと阿頼耶識が実現できる
それやるとデータ量が無尽蔵に増えるので物理的に無理や😩
おがよー
ワシは、法介派じゃ(包丁が落下したという出来事は起きた)
アインシュタイン派でもある
https://enokidoblog.net/sanshou/2013/11/9927
「ボーアのイメージする実在は、観測されなければ存在しないようなものだった。
(中略)
多くの物理学者たちは、「今回(1935年)もまたボーア=アインシュタイン論争の戦場から、
勝者として帰還したのはボーアだと考えるようになった。
(中略)
現在では、「量子力学は完全だという主張が本格的に疑問視されるようになって、
アインシュタイン=ボーア論争ではアインシュタインが敗北したという、
従来の判定が見直しを受けている」。
この部分を読んだ時、私の目から鱗が落ちた。
アインシュタインが負けたとばかり思い込んでいたからである。
「ボーアとの論争で決定打を出すことはできなかったものの、
アインシュタインの挑戦は後々まで余韻を残し、さまざまな思索の引き金となった」。
「しだいに多くの物理学者が、量子力学より深い理論を探すようになっている」
能取所取遍計所執、縁レ此分別乃是依他。……
即所取能取分別。依士釈名。非二二取即分別持業立レ名。
とありまして、
能取と所取を遍計所執と見なす事の根拠として
田中氏(教授?)は自論を述べておられます。
『成唯識論述記』にそのような記述があるのかと思い
少々驚いておりました。
解ったんですが『成唯識論述記』ではなく
『辯中邊論述記』からの引用でした。
https://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?mode=detail&useid=1835_,44,0002b08&key=%E8%83%BD%E5%8F%96%E6%89%80%E5%8F%96%E9%81%8D%E8%A8%88&ktn=&mode2=2
無相唯識の立場(無着や安慧の主張)で論じられている論文です。
さて、ここには幾多の問題が伏在している。述記は、二切の虚妄分別の対境が遍計所執と言うのではない。前五識と第八識とには執がない。従つて虚妄分別の意味するところは広く、遍計所執を縁ずる心は狭義の妄分別である。」と言うのが護法の理解であり、安慧は、「八識の対象は凡て遍計所執である。」と解すると言つている。安慧の釈論では、依他起が能取と所取との相をもつ限り遍計所執であり、虚妄分別に於て主と客との対立のなくなるとき円成実性であると言つて、虚妄分別に広狭の差を説いていない。
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/news/3665/1720158845/394
235 名前:鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF [] 投稿日:2021/03/31(水) 13:39:20.15 ID:VlI2N+EM [2/3]
訂正
>>232
私⇆宇宙
↓↑
(末那識)
↓↑
阿頼耶識
だから問題ないでしょ。
私という器世間(宇宙)を認識する者が消えれば宇宙も消えます。
わたしが出会った頃の鹿野園は、そのようでしたが
今は、どうなんだろね
人の考えは、変わるものです
世親や玄奘は有相です。
世親や玄奘=「客観と主観」と「客体と主観」を別ものとしている。
※ 客観(相分)主観(見分)客体(所取)主観(能取)
二取・二分論 勝呂 信静
https://rissho.repo.nii.ac.jp/record/7410/files/083_%E7%AC%AC8%E5%8F%B7_%E4%BA%8C%E5%8F%96%E3%83%BB%E4%BA%8C%E5%88%86%E8%AB%96.pdf
長い論文だ
触らぬ神に祟りなし・・・ですな
現代人は〝客観脳〟だという事。
しいては教育全般、
全て〝客観〟をベースに展開された教えです。
一番最初に捨てられる思想です。
学者さんが書籍で紹介している仏教です。
「誰が見てもそうだ」という客観性にもとづいて
自説の正しさを論じます。
しかし
客観でしか理解出来ない衆生は、
理解するに至りません。
しかたがないので衆生の機根に合わせて
まずは客観で仏教を分かりやすく説きます。
仏教が解った気になっているのが
リダンです。
人間の認識で説かれた
仏教の初歩の教え(入門書)に過ぎませんん。
ここ見なかったんだ
そこでは真理(人間の認識を超えた)は説かれておりません。
そっちは、まだ見てないです。
なんちゃって無為法が
こちらです。
「リダンのなんちゃって無為法」
法介の仏教談義6
https://talk.jp/boards/psy/1724974421
>>262->>294
法介の仏教談義5
https://talk.jp/boards/psy/1724818929
レス 76-126
「おいしい!」
と思うだけで、
もっと食べたい!
といった次の感情をおこさない
「あ、痛い!」
で感情を留める
心を〝無〟にするだけのお話。
人間の認識から離れないと
理解していく事は出来ません。
どうなっているの?
それを詳しく説いているのが唯識です。
倶舎論の思考(客観思考)で理解すると
リダンのように無相唯識になります。
実体〝無し〟の無相唯識となります。
それは違います。
「縁起」です。
全ては縁起に依りて生じるもの
所取(客体)も能取(主体)も
これら四つはどれも縁起に依りて生じるもの
完全に離れているのが
世親や玄奘、護法等の主張です。
初期唯識=無相唯識
後得智を得ることで顕れる
真実の世界としての有相です。
客観思考(有=常見、無=断見)の
常見としての有ではありません。
😀
北山祐誓
https://www.google.com/search?q=%E6%89%80%E5%8F%96%E8%83%BD%E5%8F%96&client=ms-android-samsung-ss&sca_esv=0a37820849624505&sxsrf=ADLYWILF7Yiea7ge-vzcmrT38L79KdwfMQ%3A1729613631037&ei=P88XZ9z-AdrR1e8P577Z4QE&oq=%E6%89%80%E5%8F%96%E8%83%BD%E5%8F%96&gs_lp=EhNtb2JpbGUtZ3dzLXdpei1zZXJwIgzmiYDlj5bog73lj5YyCBAAGIAEGKIEMggQABiABBiiBDIIEAAYgAQYogQyCBAAGKIEGIkFMggQABiiBBiJBUjPWVC1EViST3ACeAGQAQCYAcoBoAHfDKoBBTAuOS4xuAEDyAEA-AEBmAIMoAKaDsICChAAGLADGNYEGEfCAgcQABiABBgXmAMAiAYBkAYEkgcFMi44LjKgB74X&sclient=mobile-gws-wiz-serp#vhid=zephyr:0&vssid=atritem-http://www.jits-ryukoku.net/data/23/ick23_kitayama.pdf&ip=1
●1 虚妄分別1.1 有と無の相(sadasallaks .an .a)1.1.1 『中辺論頌』第1偈:虚妄分別における有と無81
それ(本章に先立つ〈論の体〉で説かれた七つの主題)のうち、[最初に]相について述べる。
『虚妄分別はある。そこに二つのものは存在しない。』
『けれども、そこに空性は存在する。それ(空性)にはまたそれ(虚妄分別)が存在する。』
●(I.1)こ[の偈]において、
≪虚妄分別≫とは、
【所取・能取】を【分別する】ことである。
二つのものとは【所取と能取】とである。
【空性】とは、その【虚妄分別】が
【所取・能取】という【あり方を離れ】ていることである。
それにはまた、それが、存在するとは、
≪空性においても≫
【虚妄分別】が【存在すること】である。
「XがYに存在しないとき、YはXという点で空である、とありのまま観察する。一方、まだここ(Y)に何らかの残されたもの(Z)があるならば、それ(Z)は存在するものとしてここ(Y)にある、とありのまま了知する」(6)。
以上、空性の相が顛倒なく明らかに示されたのである。
●83 虚妄分別はある。
そこに【二つのものは存在しない】。
けれども、
そこに【空性】は【存在する】。
【それ=空性】にはまた
【それ=虚妄分別】が存在する。
そのうちとは、相や障などの七つの主題(vastu)が説かれたうち(17)、[最初に]相を主題として、すなわち標示して(18)、虚妄分別は(I.1a)云々と言う。標示されている通りに[その]解説はあるから、最初に相が標示されているので、まさにそれ(相)について、[それ]以外のものよりも先に解説を開始するのである。
『中辺分別論』及び『中辺分別論釈疏』第I章「相品」
1.1.1.4.3 中観派及び説一切有部両派との対論(第1偈c句)
●ある者たち(中観派)は、
【所取・能取という】二つのものが存在しないことは、石女の子のように、
【断という性質】のものであると把握する。
●別の者たち(説一切有部)は、
【内的作者】を欠いていることが
【諸法の空性】であると言う。
したがって、
【中観派の主張するような≪空性≫ではない、真実の】空性の損減を否定するために、
また
【説一切有部の主張するような≪無我≫ではなく】真実の無我を説示するために、
けれども
≪そこに空性は存在する≫(I.1c)と言う。
●1.1.1.4.4 【解脱の努力の必要性】について(第1偈d句)
【反論】
もし【虚妄分別】において【空性】があるなら、
そのような場合、あらゆる生類が
≪努力することなく解脱する≫ことになってしまう。
【答論】
それはあり得ない。なぜなら、
【それ=空性】にはまた
【それ=虚妄分別】が存在する(I.1d)からである。
なぜなら、
【空性が浄化されない限り】
【解脱はあり得ず】また
【煩悩に】【汚染されたもの(空性)】は
≪大変な努力によって≫浄化されるものであるから、
【努力なくして】
≪解脱することはあり得ない≫のである。
どれどれ
https://www.youtube.com/watch?v=MqaDUCn50bU
それはちょっとまずいな、、、、
https://assets.st-note.com/img/1696928018206-KLHGq82Hrf.jpg?width=1200
ワシより6歳、年上じゃ。
「17の夏」という曲を聞きながら、シコった記憶がある。
・・・・ってことは、ワシ11歳?
それを寸借して桜田淳子の水着グラビアを見てシコっていた。
こんな感じのグラビア
https://www.youtube.com/watch?v=loolXa2uPOI
風呂はいって、チンコ洗って寝よっと
これでも十分シコれただろう
https://youtu.be/1sqWxTHOAEw
別の意味で毎週欠かさず見ていたはずだ
https://youtu.be/dIM5RXPAOe0
継続的に識が対象を追尾していき相を取得する識の作用
能動的に対象の相を取りにいく働き、作用
●所取とは
そのようにして能動的に取得されていった結果、取得されていく様相
結果取られた処、相
こんな理解どうかな⁉️
お元気で
良かった〜
😀
北山祐誓
http://www.jits-ryukoku.net/data/23/ick23_kitayama.pdf
urlをクリックしてダウンロードタグを長押し
単にクリックだとダウンロード不可能みたいなので?
大変おもしろ事に気づきまして
是非、馬ちゃんにそれを伝えようという気が起こりました
https://talk.jp/boards/psy/1710588442
馬ちゃんが、小空経と空大経を見つけて来たじゃないですか
レスNo.105 ね。
小乗の空=四空で説く空 ---(空大経)
こんなことが書かれております。
その典型です。
人のあり方も実在論的立場で説かれております。
『唯識論』--- 認識論
有る状態と無い状態。
私は以前も今も空住に多く住している。例えばこの鹿子母講堂は象・牛・馬について空、金・銀について空、女・男の集まりについて空である。しかし比丘サンガについては不空である。あなたたちもそこにないものについては空であると見、そこに残っているものはこれはあると知りなさい
モノが無い状態。
世尊は「人々の集まりや群れを喜ぶ比丘は輝かない。しかし1人で群れより遠離して住する比丘は出離の安楽や正覚の安楽を得やすい」と遠離独住の功徳を述べられ、四空観(内空、外空、内外空、不動空)の修習、生活住としての空住の意義、空住における観察(無益と有益なる談論、尋、五妙欲、五取蘊)、師弟の聖なる談論(少欲論、知足論、出離論など)、師弟の煩労、師弟の道を説かれた。
「析空・体空・法空・非空」の空の四義です。
〝人の認識〟というものは二元論では
語る事は出来ないという事です。
認識論(唯識)に入っていったのが無著です。
ここの切り替えが出来なかったからでしょう。
四空=四元論
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%98%E5%9C%A8
あること。あるいは、いること。
また、そのある(いる)何か。
事物、物体、事柄、物質として有るという概念及びそのもの。
「歴史に存在する人物」「神の存在」のように用いる。
(哲学)
他の何かに依存することなく、それ自体としてあるもの。
ものの本質。
(人間にとって)
まず現実(リアリティ)としてあるもの。
実存。
《現象》として人の意識に映じているものや人が経験している内容。
おかしいなと気づく人いますか?
「他の何かに依存することなく、それ自体としてあるもの。」
《現象》として人の意識に映じているものや人が経験している内容。
で、「他に依存することなく」と言っておいて、
《現象》として人の意識に映じているものや人が経験している内容。
「人の意識に映じているもの」と説明がなされております。
それは人の認識においても同じことでしょう。
「実在」という言葉がありますよね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9F%E5%9C%A8
実在(じつざい、英: reality)は、認識主体から独立して客観的に存在するとされるもの。
とあります。
「客観的に存在するとされるもの」と言ってます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%BB%E4%BD%93%E3%81%A8%E5%AE%A2%E4%BD%93
主観と客観を論じるにあたっては、いくつかの伝統的な用語法が用いられている。多くの哲学者は、客観的実在という用語を、意識から独立して存在している事物を指すために用いている。
これに対して、主観的実在とは、広い意味での意識に依存する事物を意味する。
例えば、知覚されている色や音は、それらが意識作用に服している限りにおいて実在する。この他にも、とりわけ幸福や悲嘆などの感情は主観的実在であると考えられる。
人の認識に関係のない「客観」とがある訳です。
そして後者を「客観的実在」と哲学者は言うらしい。
人の認識としての「客観」の混同です。
この辺でそろそろ気づくのではないでしょうか
居ないかぁ~~~~~
また、法介おじさんがおかしな事をいいだしましたぞ(*´ω`*)
とか、
ほうすけさんは、困ったおじさんだー\(^o^)/
という反論しかないからなー
反論出来なくなると
最後は、罵り、誹謗・中傷でおしまいさー
わたしはもう反論する言葉がありませんと
自ら宣言しているようなものだろ
最初からそれだからな
でおーの場合は仕方がない
そういう奴なんだから
なにかと言いがかりを付けてくる
反論出来なくなると
いやみ言葉を連発してくる
調べてみよう
人に不快感を与える言い方、身なり、態度をすること、またはそのような言い方、身なり、態度。
それから受ける不快感、嫌悪感。
ことさらに気どったさま。
まさにその通り
馬ちゃんの為に書いておこう
それを唯識では、
親所縁縁と疎所縁縁という言葉で言い現わしております。
人の認識に関係のない「客観」=客観的実在 ---(疎所縁縁)
鮎原こずえと本郷俊介コーチの濃厚〇〇シーン?
https://www.youtube.com/watch?v=xJzKH38AfvM
そこで紹介されている内容は、
日蓮仏法を実践しぬいて来た仏道者が思う
祈り方ってところでしょう。
言ってる事は間違ってないと思います。
https://stat.ameba.jp/user_images/20211207/01/tom0602abe/6c/22/j/o0900120015042718349.jpg
相分=人の客観
見分=人の主観
自証分=主体 ---(能取)
証自証分=客体 ---(所取)
大乗=人の心のあり様(四分説)
主体 (② 見る側) =凡夫の認識(客観 ③ + 主観 ④ )
①=所取 ②=能取 ③=相分 ④=見分
③ 相分=人の客観
④ 見分=人の主観
② 自証分=主体 ---(能取)
① 証自証分=客体 ---(所取)
④ 見分=人の主観
② 自証分=主体 ---(能取)=親所縁縁
① 証自証分=客体 ---(所取)=疎所縁縁
(ここでは〝疎所縁〟です。)
縁起に依って生じた姿・形=行相(所縁=行相)
前五識で捉えた刹那を
第六意識で現行して対象を「実体」として認識します。
外境(所縁の対境の姿・形)を因として
内縁起が起こります。
それが所縁縁です。
内縁起が起こります。
末那識が濁っている人とでは
起こる内縁起の内容が異なってきます。
そのモノがそのモノと成り得た因果を阿頼耶識から拾い上げます。(注意:1)
〝自身の〟阿頼耶識データを参照してしまいます。
「細長いモノ=蛇」
という妄想が働きます。
末那識がクリアーな人も
どちらの阿頼耶識データを探りに行きますが
拾い上げるデータが異なってきます。
疎所縁縁=所縁
所縁:そのモノがそのモノと成り得た因果(縁起)
正しく理解して『成唯識論』を読まないと
勘違い唯識論となってしまいます。
理解出来る人はここには
居られないでしょ
ブログの方でまとめて作業をしてまいります。
😭😭😭😭
ムーさんしか おらんみたいじゃな?
いや、法介おじさん、まだ解釈間違ってる(・∀・)
意味がない事をわたしは理解しておりますので
後はご自由にー
きちんと説明が出来ますか?
あなたにそれが
出来ますか?
あなたに
メルモちゃんで抜いた記憶は無いのじゃが、50%の確率で
抜いていたかも?
スポ根少女漫画で抜いたことは100%、無い。
中学校の保健体育の教科書で抜いたことはあるかも?
https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-10800000-Iseikyoku/0000057150.pdf
法介おじさんの間違いは、こういう感じの勘違いじゃろうな
382 自分:エロ和尚◆ERO.Kk3nCA[sage] 投稿日:2024/10/22(火) 16:00:39.42 ID:j3QRW [4/9] 0
>>366
>>波間に揺れている舟の様
今の今まで「波間に揺れている 夢 の様」だと思い込んでいたのじゃ。
つまり、「朝勃ち→夢精」の歌だと勘違いしていたのじゃ。
この図解はもう少し精査した方がええ(*´ω`*)
証自証分は自証分を更に深掘りした事やから所取やない
>>805
所取は人間の認識やから疎所縁縁と=には成らん
所取は人間のフィルター介してるから依他起や
疎所縁縁は人間のフィルターが無い本質や
所取が依他起(真実やと勘違いしとる段階)
疎所縁縁は本質で円成実性や(真実のモノのありよう)
法介おじさんは客観的実存で認識されない火事を証明したいんやないんか?(*´ω`*)
こちらの吉村教授の図の
https://livedoor.blogimg.jp/butudou/imgs/c/7/c76d424f.jpg
護法が相分・見分を「依他起性」としたという根拠は、
どうなりましたか?
😭😭😭😭😭😭😭😭😭
未だ提示されておられませんが
更に自論を述べられましてもね、、、
間違いでない事を立証されてください。
そういう事です
あなたの妄想分別はどうでもいいんです
それしか言えないのですか?
わたしも暇ではないんですよ
間違いでない事を立証されてください。
食ってかかって来たんですよ
そういう事すら立証出来ないでいるあなたの
浅はかなご主張でしょ
全く分かっていない
あなたの
人間の認識で語られる縁起、依他起性なんやから見分、相分は当たり前やないか(・∀・)
護法云々やないって分かって言うとるやろ(・∀・)
自分の勘違いくらい自分で処理しなさいとは思うけど放っておけなかっただけや(・∀・)
もう反省するわ(*´ω`*)
いやいや、あなたが指摘してこられたんですよ
だから図解では能取と所取を経由しとるやないかい(・∀・)
あり得るって図解やん
だから図解はどちらでもあるっちゅう事や(・∀・)
ほう
しかし
そういうふうに見ようと思えば見える訳で
では、実際に吉村教授はどのように申されてますか?
散々言うたやろ(・∀・)
論文で確認しましょう。
変なゴネを言うんやないよ(・∀・)
出版社に文句言え~(・∀・)
吉村論文の話をしておりますが、、、
あ・な・た
何か勘違いなされてませんか?
≠の表記が小さいから繋がってる様に見えないんだろうよ(・∀・)
あの図解を分かり辛く表記したんは出版社の責任やろ(*´ω`*)
安慧と護法の解釈の相違点を比べてるんだから察しろって事や(・∀・)
あたりから読みなおされてください
無相と有相の相違点いうとる話で面倒な話やないやん(・∀・)
こんな深掘りする箇所なんかよ、もう(・∀・)
吉村教授は護法は見分・相分を「逼計所執性」「依他起性」のどちらだと考えていたと述べられてますか?
確認しますので
ま、日蓮と唯識を組み合わせよーとする
スタンスで
正確な読みが
そもそもないやろけどなー
😫
引っ込んでろ
確認しますので
それまでにご提示お願いします。
食ってかかって来たんですからね
責任を持たれてください
> 所取は人間の認識やから疎所縁縁と=には成らん
> 所取は人間のフィルター介してるから依他起や
所取は依他起はその通りですな?
さらに補足すると依他起の「一部」は遍計所執でもある
記号で表記すると「所取=(遍計所執 ⊂ 依他起)
> 疎所縁縁は本質で円成実性や(真実のモノのありよう)
疎所縁縁は認識の縁起を起こす条件、外的要因を意味しますが、人間の究極の真理や本質を意味しないのでイコールではないんじゃないすかね
依他起の一部とも言える
サラって読んで108やろ(・∀・)
有相だから見分、相分から能取、所取に至る安慧との相違点が書かれてる
所取=遍計所執性+依他起性
んで全体をまとめるとこうだ
所取 = 遍計所執性 + (疎所縁縁 ⊂ 依他起性)
ほーすけおじーちゃんはいつも他責でぶつぶつ余計な発言ばかり
暗い暗いと不平を言うよりも、すすんであかりをつけましょう\(^o^)/
所取 = 遍計所執性 × (疎所縁縁 ⊂ 依他起性)
なぜなら、所取は「遍計所執性によって誤って無情なものに実体がある、と誤認する」から
その疎所縁縁の部分は親所縁縁なんやないかなあ(・∀・)
疎所縁縁は人間の認識から完全に外れた外境やない?
確かに、、、包含が逆になるんだ
所取 = 遍計所執性 × (依他起性 ⊂ 疎所縁縁)
所変=変化せしめられたもの
所縁=そのモノがそのモノと成り得た縁起
取は認識されたって意味でしょ
だから認識された客体(*´ω`*)
疎は外
認識されてない客体(*´ω`*)
所取 = 遍計所執性 × (依他起性 ⊂ 疎所縁縁)
これが「対話」だーーーーーー\(^o^)/
認識された客体の客観ってニュアンスになるんやない?(*´ω`*)
日蓮正宗土壌と
無関係な
唯識にチャレンジしとるから、
どっか破綻は起きるやろなー
ま、俺も唯識の粗末なところに関心薄いから
踏み込むチャレンジしねえーけど
😀
もし、唯識を完璧に理解しているなら
日蓮正宗系統の思考回路を放棄してる
はずである。
日蓮正宗系統の思考回路からの演繹法で
唯識を理解していると
予想はできる
😫
ま、唯識は難しいからな
些末理解は
俺もチャレンジする意欲がない
😭
認識されたら親所縁縁、認識されてない外境が疎所縁縁やと思たけどちゃうんかな(*´ω`*)
疎所縁縁が阿頼耶識が創ったモンなのかが唯識のオモロイ所やと思う(*´ω`*)
「もっと大事なこと」があるからな?
まーまーできるけど
😀
サマタ瞑想のグレードが
一昨日、グレードが上がった
四智のグレードも自動的に更新やな
😀
言葉の概念から離れるのがテーマなのに引き戻されてまうな(・∀・)
その理解が正しいと思われ松
親所縁縁は心に「直接作用する対象」
疎所縁縁は心に直接ではなく「間接的に作用する対象」
ジャガイモが親所縁縁で、ジャガイモを育む土壌や太陽、農家さん、それらが疎所縁縁
ほえー、勤勉ですなー
少くなったー
金曜日夜は
サマタ瞑想改?を解除すると
ヘロヘロやけどなー
解除しないはほーが回復が早いが
金曜日夜からは
神秘主義研究に走りたい
😀
3歩あるいて2歩さがるぅーーーー(>_<)
ま、そういうことですな
釈尊も、本音は「語ったこと」を文字に残したくなかったはず
疲労感があっても
感じずに
的確な瞬時判断力が
向上した
😀
サマタ瞑想改を使用しないと
疲労辛い感がハンパない
😫
上司がおヒス気味で
上司対応のメンタルテクノロジーを先週金曜日から火曜日まで
研究せねばならんよーになった
😫
みんな合気でハッピーーーーー\(^o^)/
仰ってるのはこの部分ですよね。
護法の解釈では、相分・見分・自証分・証自証分のすべてが有であるとする。三性説でいえば、四分のすべてが依他起性である。依他起性の相分・見分において、遍計所執性の所取・能取が生じる時に我執・法執が起こる。すなわち、第六識・第七識の熏習により、第六識・第七識において我執・法執が起こる。
「依他起性の相分・見分において、遍計所執性の所取・能取が生じる時」
についてお伺いします。
どうして、
遍計所執性の所取(客体)・能取(主体)が生じますか?
人の認識で起こる客観だと考えておられるという事ですよね。
何か疑問点ある?
見分、相分は認識する心の作用と認識対象
主観や客観が働く前段階やろ(*´ω`*)
護法は有相思想やから能取、所取の認識後の思考を挟む事で主観、虚妄が生まれる
能取、所取の虚妄分別が生まれたら遍計所執性
いや、だから所取は人間が認識した客体やって(・∀・)
逆じゃね?(・∀・)
所縁が客体で所縁縁はその対象を拡げたモン
三には所縁縁。謂く、若し有法の是れ己が相を帯せる心と、或は相應とが所慮・所託たるぞ。此れが體に二有り。一には親、二には疎なり。若し能縁と體相離せずして、是れ見分等が内の所慮託たるか、應に知るべし、彼れは是れ親所縁縁なり。若し能縁と體相離せりと雖も、質と爲りて能く内の所慮託を起こすは、應に知るべし、彼れは是れ疎所縁縁なり。親所縁縁は能縁に皆な有り。内の所慮託に離れては必ず生ぜざるが故に。疎所縁縁は能縁に或は有り。外の所慮託に離れて亦た生ずることを得るが故に。
所縁は、此縁性縁起で生じた客体の姿・形です。
所縁縁は、その此縁性縁起で生じた客体の姿・形を認識する人の客観(これも縁起)です。
これは認識される外境の話でまた別の話やろ(*´ω`*)
だから認識前の客体やって事や(*´ω`*)
どうしてそうなりますか?
見分、相分って言葉ですが
何故に【分】なのか?ってこと
唯識は【唯一の識】だけがあるという
ことですよね
この一つの識が、【見る側】と【観られる側】の2つに【分かれる】んですね
このこと
だから、分かれた見る側を【見分】とし観られる側を【相分】と表した
だから二分に似るって言うんでしょね
2つに分かれたように似ていると
要はどちらも自分の識であるってことです
認識されたらそこで人間の分別が働く
そのフィルターのない状態を言っとるって事や(*´ω`*)
それ(所縁)を人間が外縁起で認識します。(=所縁縁)
それは疎所縁縁の話です。
それと、これね
●能取とは
継続的に識が対象を追尾していき相を取得する識の作用
能動的に対象の相を取りにいく働き、作用
●所取とは
そのようにして能動的に取得されていった結果、取得されていく様相
結果取られた処、相
それを遍計所執性という
んで仏教は「そこから離れる道」を教える
元も子もないな😩
その説明文は、どこから引用されましたか?
ウォトゲンシュタイという偉い哲学者がそんなことを言ってたなw
歳をとると語学が趣味になるのだろうw
「彼依識所変 此能変唯三」
彼れは識が所変に依る。此れが能変は唯三つのみなり。
能変が唯識です。(三能変)
何を言うとんねん(・∀・)
所縁は認識しとるけどフィルターが掛かってないモンの表現やろ
説明すんのに『所取』の状態なのか『所縁』の状態なのか分けてるだけや
疎所縁縁は認識されてない外境の総称でそれを持ち出す所やない
https://proverb-encyclopedia.com/dictionary/sunawati/
「すなわち」の例文
1 ブッダ・バッザラ師はすなわちこの村の長でまた大塔の主人です。(河口慧海 チベット旅行記)
2 日本の議会は二院。すなわち衆議院と参議院から成る。
3 週明けには私はいない。すなわちこの会社を辞めるということだ。
4 その時油然として僕の心に浮かんで来るのはすなわちこれらの人々である。(国木田独歩 忘れえぬ人々)
5 競技かるたで日本一になるということは、すなわち世界一になるということだ。
「すなわち」も「つまり」も、言いかえるとという意味で使われます。
しかし「つまり」は、結論に達するさまを表す点が「すなわち」と違います。
解釈の相違があるようですね
よろしいのではないでしょうか
わたしの考えを紹介しているでけです
「彼依識所変 此能変唯三」
外界の現象は、識に依って変化したものである。
そしてこの識は、能変の三性)によって変化するものである。
さらにざっくりの意訳だと
外界のすべての現象は心によって変化したものであり、心自身もまた三つの性質によって変化する
つー、唯識の基本的な教えだ
ぜーんぶ、心なんだ、ってことだ
馬さんが法介おじさんの為に一生懸命になっとるやろ(・∀・)
せめて分かってやってくれ(・∀・)
いや、同意しなくてもええけど所取だけでも理解した方がええ(・∀・)
根本的にゴールを逸する
気づき出している学者さんもちらほらと出て来ております
自分の思い込み(我執)を脇において、謙虚にむなしゅーなって清浄な心で学ぶだけでいい
私から見たらまだ客観脳で解説されております。
そんな人に対して仏陀はしのごのいわんとやるべきことやれや!と語るw
わたしの話を理解出来る方は居られないようですね
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