【唯識三年】仏教理論を学ぶスレ 4【倶舎八年】アーカイブ最終更新 2023/12/29 06:001.◆JBLfMwCXhYptW6V倶舎論、中論、唯識論難しい話はこちらで前スレ【唯識三年】仏教理論を学ぶスレ 3【倶舎八年】https://talk.jp/boards/psy/17010536122023/12/06 08:38:521000すべて|最新の50件2.◆JBLfMwCXhYptW6Vインドの仏教思想 主な流れ1、初期仏教:紀元前6世紀頃お釈迦様の教え2、上座部(テーラワーダ):紀元前5世紀頃仏教界の根本分裂3、説一切有部(倶舎論):西暦200年頃~仏教の基礎理論を体系化4、経量部(倶舎論):西暦300年頃~説一切有部からの分派5、中観派(中論):西暦200年頃~すべては空であり実体が無い6、唯識派(唯識論):西暦400年頃~世界は認識のみ7、如来蔵思想:誰でも成仏できる上記2~6と同時並行的に発展(2~4が小乗仏教、5~7が大乗仏教)※ チベット仏教ゲルク派では、説一切有部・経量部・中観派・唯識派が「四大学派」とされる2023/12/06 08:40:063.◆JBLfMwCXhYptW6V初期仏教の世界観人間は、五蘊を寄せ集めた仮の姿。「我」として執着するような実体は無い自分が認識しているもの、それが世界のすべてである↓五蘊・十二処・十八界1、五蘊(ごうん)・色 物質的な存在(身体)・受 感受する作用・想 表象する作用・行 意志する作用・識 認識する作用2、十二処(じゅうにしょ)・六根:六つの認識器官眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・意根・六境:六つの認識対象色境・声境・香境・味境・触境・法境六根と六境を合わせて十二処3、十八界(じゅうはちかい)・六識:六つの認識作用眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識十二処に六識を加えて十八界2023/12/06 08:40:194.◆JBLfMwCXhYptW6Vお釈迦様の入滅後、多くの部派に分かれて、仏教理論の体系化が進んだ最も有力な「説一切有部」は、存在を「五位七十五法」に分類した初期仏教の「五蘊・十二処・十八界」よりだいぶ数が増えた説一切有部の思想は、後に「倶舎論」としてまとめられた↓(1)五位七十五法法(ダルマ)=存在するものに2種類・有為(うい)…煩悩で汚れたもの・無為(むい)…煩悩で汚れてないもの1~4は有為法、5は無為法1、色・・・物質的現象 11種類 眼・耳・鼻・舌・身・ 色・声・香・味・触・ 無表色2、心・・・心の本体 1種類3、心所・・・心の作用 46種類 大地 常駐する心の動き 大善地 善の動き 大不善地 悪の動き 不定 どちらでもない心の動き 大煩悩地 根本的な煩悩 小煩悩地 付随する煩悩4、心不相応行・・・ 14種類色(物質)にも、心(精神)にも分類されないもの5、無為・・・ 3種類常住不変な存在虚空、択滅、非択滅2023/12/06 08:40:345.◆JBLfMwCXhYptW6V中観派は「空」の思想を唱えた実体を持って存在するものなど一切、認めなかった「空」の理論の大成は、龍樹の『中論』などの著作によって果たされた空と中観は大乗仏教の基礎理論であり、龍樹は大乗の第一祖とされる後に、中国仏教の天台智顗の三諦論(中、空、仮の3つの諦)という形でまとめられた2023/12/06 08:40:516.◆JBLfMwCXhYptW6V唯識派は、倶舎論の五位七十五法を「空」の思想に基づいて書き換えた眼耳鼻舌身の五識と意識に、深層意識の「末那識」と「阿頼耶識」が加わった心の分析が細かくなり、五位百法に増えた「物質は意識から生じる」とされたため、色法(物質的存在)を後回しにして心法(精神的存在)を先に持ってきた↓五位百法① 心王(表面意識と深層意識)眼・耳・鼻・舌・身・意の六識と、マナ識・アーラヤ識の8種。② 心所(精神的な作用)51種。③色(物質的な作用)眼・耳・鼻・舌・身の五根と、色・声・香・味・触法の五対境、および意識のみの対象である法処所摂色11種。④ 心不相応法(物質でも精神でもないもの)24種。⑤無為法(はたらきを起こすことがないもの)虚空・択滅・非択滅・不動滅・想受滅・真如6種。2023/12/06 08:41:057.◆JBLfMwCXhYptW6Vテンプレはここまで2023/12/06 08:41:188.◆JBLfMwCXhYptW6V1、パーリ語の初期仏典を尊重2、ヴィパッサナー瞑想これらが、テーラワーダ仏教の2本柱だ2023/12/06 21:00:449.◆JBLfMwCXhYptW6Vパーリ語の初期仏典は、三蔵で構成されている三蔵とは、「経蔵・律蔵・論蔵」の総称2023/12/06 21:01:5310.◆JBLfMwCXhYptW6V律蔵とは、仏陀サンガーの戒律のことだ「パーリ律」とも呼ばれる2023/12/06 21:02:5111.◆JBLfMwCXhYptW6V論蔵とは、論師たちが書いた論書(アビダルマ)、つまり注釈書とか解説書のことだ2023/12/06 21:05:0012.◆JBLfMwCXhYptW6Vメインは、なんといっても「経蔵」だ経蔵は、その名の通り、お経のこと初期仏教の経典だ2023/12/06 21:05:4813.◆JBLfMwCXhYptW6Vパーリ語の初期仏典の経蔵は、「五部」で構成されている五部とは長部中部相応部増支部小部2023/12/06 21:06:5814.◆JBLfMwCXhYptW6V「お釈迦様の言葉を伝える、最古の原始仏典」として知られる、ダンマパダとかスッタニパータこれらは、『小部』におさめられている2023/12/06 21:07:4215.◆JBLfMwCXhYptW6V「犀の角のようにただ独り歩め」というスッタニパータの有名な言葉は、ニーチェにも影響を与えた2023/12/06 21:10:1916.◆JBLfMwCXhYptW6V長部・中部・小部は、経典の長さで分類されている長部経典は、長編だ小部経典は、短編集や詩句集2023/12/06 21:11:5017.◆JBLfMwCXhYptW6V長部で有名なのは、『大般涅槃経』(だいはつねはんぎょう)だろう『大パリニッバーナ経』ともいう80歳の釈迦が、王舎城東部の霊鷲山から最後の旅に出発し、マッラ国のクシナーラーにて入滅(般涅槃)するまでの言行、及び、その後の火葬・遺骨分配の様子が描かれる。2023/12/06 21:15:5818.◆JBLfMwCXhYptW6V小部で有名なのは、ダンマパダとスッタニパータ、あとは、これも古い経典とされるテーラーガータージャータカもある。これは、お釈迦様の過去世の転生譚だ『小部』というわりに、二十二編からなる大規模な経典2023/12/06 21:18:3919.◆JBLfMwCXhYptW6Vいま、テーラワーダ仏教が熱い2023/12/06 21:23:0020.◆JBLfMwCXhYptW6V時代はいま、テーラワーダ仏教2023/12/06 21:23:5321.◆JBLfMwCXhYptW6Vテーラワーダ仏教とは何かっていったら日蓮宗の信者が法華経を信仰するように、パーリ語の初期仏典を信仰する宗派だ2023/12/06 21:25:4522.◆JBLfMwCXhYptW6V教学の柱は、パーリ仏典修法の柱は、かの有名なヴィパッサナー瞑想だ2023/12/06 21:26:3323.神も仏も名無しさんY8KYw瑜伽行唯識学派における通達位(見道)についての考察https://talk.jp/boards/psy/169940372845.ユーザー神も仏も名無しさんY8KYw>>35要するに我々凡夫は 1.見るものと見られるものに別れてる → 主体や客体があると得られる事。 2.しかしそれは心の表れで外界というものがある主客がある訳では無い → 客体は無いので得られない事。 3.主客がないから主客がないというのも無い → 主客がないので得られないということも得られない事。という考えなんです。-----------------------------------------------------≪相分と見分の説明≫にどうして主体と客体の話をもって説明なされるのですか。こちらの図で確認しましたがhttps://note.com/hiruandondesu/n/n12419e2866ef相分と見分は≪客観と主観≫、主体と客体は≪見られる側と見る側≫のはずです。 客体(見られる側)=モノのあり様 主体(見る側) =認識のあり様 ≪主観(見分)と客観(相分)≫鹿野園さんが語る仏教の殆どが、勘違いによるところだと最近ようやく気付きました。2023/12/07 06:38:5724.神も仏も名無しさんzKOJKダルマ 仏教好きの素人によるnoteです。特に古代インドの原始仏教~大乗仏教が好きです。更新は気まぐれになると思いますが、よろしくお願いします。 ※「クリエイターへのお問い合わせ」について基本的に返信は行いませんので、予めご了承願います。仏教好き素人さんの論ですね、これ。2023/12/07 09:30:5825.神も仏も名無しさんY8KYwhttps://note.com/hiruandondesu/n/n9a1394571105私が仏教を学ぶ上で、参考にさせて頂いた著書を紹介させて頂きます。残念ながら、既に絶版になっている著書も少なくないようです。【原始仏教・上座部仏教】○著者名:中村 元、他 ・原始仏典 シリーズ 単行本○著者名:中村 元 ・ブッダのことば―スッタニパータ(岩波文庫) ・ブッダの真理のことば・感興のことば(岩波文庫) ・ブッダ最後の旅―大パリニッバーナ経(岩波文庫) ・ブッダ神々との対話―サンユッタ・ニカーヤ1(岩波文庫) ・ブッダ悪魔との対話―サンユッタ・ニカーヤ2(岩波文庫) ・仏弟子の告白―テーラガーター(岩波文庫) ・尼僧の告白―テーリーガーター(岩波文庫) ・ブッダ伝(角川ソフィア文庫)○著者名:片山 一良 ・パーリ仏典 シリーズ 単行本 ・ブッダのことば パーリ仏典入門 単行本○著者名:早島 鏡正 ・ゴータマ・ブッダ(講談社学術文庫)○著者名:アルボムッレ・スマナサーラ ・沙門果経(サンガ文庫) ・瞑想経典編 (初期仏教経典解説シリーズII) 単行本○著者名:宮本 啓一 ・ブッダが考えたこと 仏教のはじまりを読む(角川ソフィア文庫)○著者名:ベック ・仏教〈上〉(岩波文庫) ・仏教〈下〉(岩波文庫)○著者名:藤本 晃 ・ブッダの神通力(サンガ選書) 単行本○著書名︰増谷 文雄、梅原 猛 ・仏教の思想 1 知恵と慈悲<ブッダ>(角川ソフィア文庫)○著者名:桜部 建、上山 春平 ・仏教の思想 2 存在の分析<アビダルマ>(角川文庫ソフィア)○訳:原 実 ・大乗仏典〈13〉ブッダ・チャリタ(仏陀の生涯)(中公文庫)○著者名:ショバ・ラニ ダシュ、訳:福田 琢 ・マハーパジャーパティー: 最初の比丘尼 単行本2023/12/07 09:48:3526.神も仏も名無しさんY8KYw【大乗仏教・密教】○著者名:梶山 雄一、他 ・梶山雄一著作集〈第5巻〉中観と空2 単行本 ・梶山雄一著作集〈第7巻〉認識論と論理学 単行本○著者名:梶山 雄一、上山 春平 ・仏教の思想 3 空の論理<中観>(角川文庫ソフィア)○著者名:梶山 雄一、丹治 昭義 ・大乗仏典〈2〉八千頌般若経I (1)(中公文庫) ・大乗仏典〈3〉八千頌般若経II (2)(中公文庫)○著者名:梶山 雄一、瓜生津 隆真 ・大乗仏典〈14〉龍樹論集(中公文庫)○著者名:中村 元、紀野 一義 ・般若心経・金剛般若経(岩波文庫)○著者名:中村 元、紀野 一義、早島 鏡正 ・浄土三部経〈上〉無量寿経(岩波文庫) ・浄土三部経〈下〉観無量寿経・阿弥陀経(岩波文庫)○著者名:中村 元 ・龍樹(講談社学術文庫)○著者名:松涛 誠廉、丹治 昭義、他 ・大乗仏典〈4〉法華経I (1) (中公文庫) ・大乗仏典〈5〉法華経II (2) (中公文庫)○著者名:長尾 雅人、丹治 昭義 ・大乗仏典〈7〉維摩経・首楞厳三昧経(中公文庫)○著者名:荒牧 典俊 ・大乗仏典〈8〉十地経(中公文庫)○著者名:原田 霊道 ・現代意訳 華厳経 単行本2023/12/07 09:50:2027.神も仏も名無しさんY8KYw○著者名:木村 清孝 ・華厳経入門(角川ソフィア文庫)○著者名:高崎 直道 ・大乗仏典〈12〉如来蔵系経典(中公文庫)○著者名:高崎 直道、下田 正弘、他 ・仏性とは何か(法蔵館文庫)○著者名:田上 太秀 ・『涅槃経』を読む ブッダ臨終の説法(講談社学術文庫)○著者名:長尾 雅人、梶山 雄一、他 ・大乗仏典〈15〉世親論集(中公文庫)○著者名:服部 正明、上山 春平 ・仏教の思想 4 認識と超越<唯識>(角川ソフィア文庫)○著者名:宮坂 宥洪 ・真釈 般若心経(角川ソフィア文庫)○著者名:松長 有慶 ・密教(岩波新書)○訳:川崎 信定 ・原典訳 チベットの死者の書(ちくま学芸文庫)○訳:宇井 伯寿、高崎 直道 ・大乗起信論(岩波文庫)○著者名:石井 公成 ・東アジア仏教史(岩波新書)○訳:入矢 義高 ・臨済録(岩波文庫)○著者名:田村 芳朗、梅原 猛 ・仏教の思想5絶対の真理<天台>(角川ソフィア文庫)○著者名:鎌田 茂雄、上山 春平 ・仏教の思想6無限の世界観<華厳>(角川ソフィア文庫)○著者名:柳田 聖山、梅原 猛 ・仏教の思想7無の探求<中国禅>(角川ソフィア文庫)○著者名:梅原 猛、塚本 善隆 ・仏教の思想8不安と欣求<中国浄土>(角川ソフィア文庫)○著者名:梅原 猛、宮坂 宥勝 ・仏教の思想9生命の命<空海>(角川ソフィア文庫)○著者名:増谷 文雄、梅原 猛 ・仏教の思想10絶望と歓喜<親鸞>(角川ソフィア文庫)○著者名:高崎 直道、梅原 猛 ・仏教の思想11古仏のまなび<道元>(角川ソフィア文庫)○著者名:梅原 猛、紀野 一義 ・仏教の思想12永遠のいのち<日蓮>(角川ソフィア文庫)○著者名:西田 幾多郎 ・善の研究(岩波文庫)○著者名:西田 幾多郎、(編集)上田 閑照 ・西田幾多郎哲学論集Ⅰ場所・私と汝 他六篇(岩波文庫) ・西田幾多郎哲学論集Ⅱ論理と生命 他4篇(岩波文庫) ・西田幾多郎哲学論集Ⅲ自覚について 他四篇(岩波文庫)○著者名:鈴木 大拙、(校訂)篠田 英雄 ・日本的霊性(岩波文庫)○著者名:三島 由紀夫 ・豊饒の海 第一巻 春の雪(新潮文庫) ・豊饒の海 第二巻 奔馬(新潮文庫) ・豊饒の海 第三巻 暁の寺(新潮文庫) ・豊饒の海 第四巻 天人五衰(新潮文庫)2023/12/07 09:50:3628.神も仏も名無しさんY8KYw【インド哲学】○著者名:宮本 啓一 ・インド最古の二大哲人 Kindle版 ・インドの「一元論哲学」を読む ―シャンカラ『ウパデーシャサーハスリー』散文篇 (シリーズ・インド哲学への招待) 単行本 ・インドの「二元論哲学」を読む ―イーシュヴァラクリシュナ『サーンキヤ・カーリカー』 (シリーズ・インド哲学への招待) 単行本 ・インドの「多元論哲学」を読む ―プラシャスタパーダ『パダールタダルマ・サングラハ』 (シリーズ・インド哲学への招待) 単行本○著者名:スワミ・ヨーゲシヴァラナンダ、木村 慧心 ・魂の科学 単行本2023/12/07 09:50:5529.◆JBLfMwCXhYX2Vbj>>28宮元啓一ですな2023/12/07 09:54:1330.ざぜんぼさつeYO2t坐禅菩薩(ざぜんぼさつ)。ただひたすら坐禅(ざぜん)する。無我の境地になることで真理と融合(ゆうごう)する。2023/12/07 16:11:3231.◆JBLfMwCXhYX2Vbj私達は二種の知識で世界を認識しています。 一つは直接知で、 私たちの五感が感じる知識です。 もう一つは、その直接知から推量して得られる知です。 仏教では、 直接知を現量、 推量知を比量と呼びまます。先日、近所で火事がありました。 夜中に娘にたたき起こされると、 サイレンがうなっています。 外を見ると消防自動車が赤いライトを回してずらっと並んでいます。 これは大変と上着を 羽織って外に出ると、 隠居所の向こうの家の二階から盛んに火を噴き出しています。 すぐに消 火活動が始まり、20分ほどで鎮火しました。 幸い私の寺には何の被害もありませんでした が、その家は内部が全焼しました。ここで、サイレンの音や、 ライトの光は直接知です。そこから私は火事を推量しました。ホースがふくらんでいくのを見て、 消火活動が始まったことを認識します。 火が見えなくなると、鎮火を推量できました。このように私たちは、現量と比量を繰り返して世界を認識していきます。しかし、現量と比量だけで世界を理解するのは無理だと、経験は教えます。 私達は完全なる論理を組み立てることができないからです。 そこで必要なのが先人の知恵、 特に仏の教えです。それを聖教量と呼びます。現量、比量、聖教量の三つがそろって、私たちは世界を正しく知ることができるのです。2023/12/07 19:45:4932.◆JBLfMwCXhYX2Vbjコピペ元宗教法人 照栄院石川 恒彦(日蓮宗 総本山 池上本門寺114世のご隠居ブログ)https://www.shoueiin.jp/tayori/back_number/16_3.html2023/12/07 19:46:2733.◆JBLfMwCXhYX2Vbj聖者の修行者が空性を現量によって体験しているとき、その三昧を「無漏(むろ)の等引(とういん)」といい、空性を直接了解(りょうげ)している智慧を「等引智」という。無漏の等引の状態では――あたかも、雲の上の飛行機からは地上の世界が見えないように――世俗の顕現は全く消えてしまう。例えば、眼前に瓶があっても、瓶の空性だけが瑜伽現量の認識対象となり、瓶の色彩や形状は何も見えてこない。それゆえ、等引智によって了解される勝義における空性は「虚空の如き空性」と表現される。2023/12/07 19:47:2334.◆JBLfMwCXhYX2Vbjけれども修行者は、集中力が衰える前に、等引から起きて日常の世界へ戻らなければならない。そのとき――あたかも、地上へ降りたら雲の上の世界が見えないのと同様――瓶の空性は直接認識の対象から消えてしまい、入れ替わりに瓶の色彩や形状が再び見えてくる。しかし、無限なる虚空の広がりにも比すべき勝義の空性を、直感的に了解した強烈な体験の印象は、三昧から起きた後も消えることがない。その効果は絶大で、瓶の色彩や形状といった世俗の世界が、ニ顕現を伴って再び現われても、「それらは幻の如きもので、決して諦成就なのではない」という点を――単なる論理としてではなく――強い実感を伴って了解できる。そのような智慧を「後得智(ごとくち)」といい、それによって了解される世俗における空性は「幻の如き空性」と表現される。2023/12/07 19:48:0035.◆JBLfMwCXhYX2Vbjコピペ元「チベット般若心経」http://mitsubachi-bros.seesaa.net/article/155004381.html2023/12/07 19:48:3936.◆JBLfMwCXhYX2Vbjさすがは、チベット仏教ゲルク派だ瞑想で、中観派の「空の思想」を直覚体験しているこういうのを、「体空観」という2023/12/07 20:07:1737.◆JBLfMwCXhYX2Vbj「体空観」の反対は、「析空観」だあれこれと分析することにより、「そうか、モノには実体がないんだな?」と、納得するそういうのが、「析空観」2023/12/07 20:08:4938.◆JBLfMwCXhYX2Vbj空性の現量了解(りょうげ)目の前のモノが忽然と虚空に没し、あらわになった空性を直接に知覚する瞑想による、中観派思想の奥義への到達だ😄2023/12/07 20:12:5039.神も仏も名無しさんxM17Kローラーウンコや麦リダン、ウマぱーりーのレスよりも論文のほうがマシだ😄2023/12/07 20:29:3340.ざぜんぼさつeYO2t坐禅菩薩(ざぜんぼさつ)。ただひたすら坐禅(ざぜん)する。無我の境地になることで真理と融合(ゆうごう)する。2023/12/07 21:11:3641.神も仏も名無しさんY8KYwダルマさんが四分についても説明されてました。https://note.com/hiruandondesu/n/n689adb194a88鹿野園さんの説明は全くあてになりません。2023/12/07 21:15:2242.ざぜんぼさつeYO2t坐禅菩薩(ざぜんぼさつ)。ただひたすら坐禅(ざぜん)する。無我の境地に至(いた)ることで真理と融合(ゆうごう)する。2023/12/07 21:17:4143.ざぜんぼさつeYO2tそう、私は神に成る。2023/12/07 21:37:2744.ざぜんぼさつeYO2t坐禅菩薩(ざぜんぼさつ)。ただひたすら坐禅(ざぜん)する。無我の境地に至(いた)ることで真理と融合(ゆうごう)する。そう、私は神に成る。2023/12/07 21:51:2745.(。~^~)(~^~。) ポッたん もちのろん モチツケflSMiイヌ:悟りとか分からねーし、知らねーし、悟ってねーわ? ググるイヌヤマは常にシカトされ自己存在の確認要求哀願奴隷也悪霊イヌが鳴く:なんで 宗教板って まともなの俺だけなんだ?みんな間違ってばっか俺だけが正しい。みんな間違ってるのに何で正しい事を言ってる俺は否定ばっかりされるんだ?みんな俺の事を 凄いなと認めろよ。 俺は自分より優れた奴が ゆるせないんだよ(脅迫性人格障害の特徴)イヌがぼやく。なんで、みんなワイを無視すんねん大欲(たいよく)は無欲に似て足るを知り煩悩即菩提の法相宗でええやろ、ほならなんでワイはこんなところにいるんねやろ病名:発達障害ASDの症状尊大の雀鬼イヌヤマが自供ス。『正直云って仏とは何かと問われても分かりません、公案が進んで無くよくわからないのです』 知障イヌ咬み談ウソブクのよ透ってないのに、もう40回も初関を透る俺様!と言い放つドマヌケ!40回も透ったら初関を透る、じゃねーべ!!ナント妻子と月一、金曜夜7時からのお坐り会、茶菓(ちゃか)代ワンコインで、これが研究会出席虚勢のトマヌケ犬は誰からも疎まれる独善イヌヤマは月一第三金曜日夜7時茶菓代ワンコイン坐禅会に出ると偽証。命取りの摂心に親子で100回参加と虚飾スル新小岩の食業ドライバーイヌヤマとは法相宗(ほっそうしゅう)奈良興福寺(こうふくじ)前官長じっちゃんのお抱え運転手で食業ドライバーで、知ったかぶる以外に承認欲求が満足しない。多数者を演じ孤立セズと強弁し自作自演のおぞましい日々の無脊椎動物イヌヤマは成り済まし多重人格者で要治療インチキキチガイ雀鬼イヌヤマ麦、アルコホル発酵しイヌ麦焼酎なのに喜ばせ共有機能が絶えて無し。吠え吠み、オノレの尻尾をクルクル追うノミシラミ5ちゃんねるの会話はバトル形式で馴れ合いを禁じる。イヌヤマは、褒めてクレヨの哀願奴隷。相手を罵倒する悪口雑言の数々は外道イヌヤマへのリアル社会の絶対評価で、問いに問いで返す脊髄反射の脳足りんで悟前(ごぜん)未悟(みご)、金魚ドジョウと救い難い。① ググるシッタカ知障荒らしイヌヤマは無視放置スルーが一番ツライ、耐えられない。シッタカイヌヤマは常に誰かの反応レスを待ち焦がれ② 放置された固定観念イヌヤマは煽りや自作自演でアナタのレスを誘う。ワケワカメ糞邪鬼イヌヤマにノセられてレスしたらその時点でアナタも同類、負け。完敗③ ;反撃はイヌの滋養にして栄養であり最も悦ぶ事です。門前のヤセイヌにエサを投げ与えぬ事④ ;臭い汚いコワイ気持ち悪いイヌヤマが枯死する迄、孤独に暴れさせゴミが溜まれば削除2023/12/07 21:55:4346.ざぜんぼさつeYO2t坐禅菩薩(ざぜんぼさつ)。ただひたすら坐禅(ざぜん)する。無我の境地に至(いた)ることで真理と融合(ゆうごう)する。そう、私は神に成(な)る。2023/12/07 21:57:1347.◆JBLfMwCXhYtfwg6やはり、チベット仏教ゲルク派だ2023/12/08 06:01:0448.◆JBLfMwCXhYtfwg6中観派を学ぶなら、それに限る2023/12/08 06:01:1849.◆JBLfMwCXhYtfwg6奈良時代の日本には、唯識論の法相宗、中観派の三論宗があったが三論宗は消えてしまった法相宗はかろうじて続いている2023/12/08 06:03:0350.◆JBLfMwCXhYtfwg6唯識論なら、法相宗中論なら、ゲルク派2023/12/08 06:03:5151.◆JBLfMwCXhYtfwg6チベット仏教ゲルク派 宗学研究室http://rdor-sems.jp/index.php?%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%9E%E3%83%83%E3%83%972023/12/08 06:04:0652.ざぜんぼさつrMHGJ坐禅菩薩(ざぜんぼさつ)。ただひたすら坐禅(ざぜん)する。無我の境地に至(いた)ることで真理と融合(ゆうごう)する。そう、私は人間を辞めて神に成(な)る。2023/12/08 06:16:0653.ざぜんぼさつrMHGJ坐禅菩薩(ざぜんぼさつ)。ただひたすら坐禅(ざぜん)する。無我の境地に至(いた)ることで真理と融合(ゆうごう)する。そう、私は人間を辞めて神に成(な)る。神経疲労に効く漢方薬は加味帰脾湯(かみきひとう)である。2023/12/08 08:05:4754.◆JBLfMwCXhYSerFH唯識派の教えを学ぶなら、日本の法相宗中観派の教えを学ぶなら、チベットのゲルク派↑ここ重要2023/12/08 08:24:2855.神も仏も名無しさんKb9oVローラーは唯識も中観派もレスを信用してはならない〜ベルゼブブ麦のよーなバカに成り果てる〜🤢2023/12/08 09:26:3256.◆JBLfMwCXhYnMBPR>>55聖ウンコ教の信者1号だな~😭2023/12/08 11:41:1557.ざぜんぼさつrMHGJ坐禅菩薩(ざぜんぼさつ)。ただひたすら坐禅(ざぜん)する。無我の境地で人生を遣(や)り過ごす。神経疲労に効く漢方薬は加味帰脾湯(かみきひとう)である。2023/12/08 17:07:3758.神も仏も名無しさんaLHES何のために空を覚るのかhttp://rdor-sems.jp/index.php?%E4%BD%95%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AB%E7%A9%BA%E3%82%92%E8%A6%9A%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%81%8B【道諦】● そうした理想の境地を実現するための手段が、修行の道として設定されます。今までの流れから分かるように、【道】の主たる内容は、【諸煩悩】を【種子】から断じることです。そのためには、【諸煩悩】の大本にある【無明】を【種子】から断じなければなりません。【無明】とは、何かと問えば、私たち輪廻の衆生に生まれつき具わっている、㊙️【実体視】の【習性】です。それを【種子】から【断じる】ためには、【空性】の【現量了解】(空を直観的に体得している智慧)が必要になります。なぜなら、【無明の心】が【虚構】している【実体性】の【非存在】こそが、【空】の意味だからです。● 以上のように【四諦】を概観することで、仏教一般に共通する宗教的な理想は【解脱・涅槃】であり、それを実現する手段として【空性の体得】が必要不可欠であるという、そうした点をよく認識することができるでしょう。● この【四諦】の枠組みを【大乗仏教】のレベルで解釈すると、宗教的な理想は、【大解脱や無住処涅槃】、つまり一切衆生を救済し得る【仏陀の境地】になります。それを【実現する】ために【断じ】なければならないのは、㊙️【諸煩悩】と【所知障】です。【所知障】とは、中観帰謬論証派の見解によれば、㊙️【煩悩】の【薫習】だといいます。恰も汚物を完全に取り除いた後にも悪臭が残るように、㊙️【煩悩の影響】で後に残っている【心の汚れ】です。これを【断じる】のも、【空性の現量了解】にほかなりません。● さて、【無明を種子から断じる】ためには、【空性の了解】が必要なわけですが、これは【空を直観的に体得している智慧】でなければなりません。それを、仏教哲学の用語では、㊙️【空性の現量了解】(げんりょう りょうげ)」といいます。【空という真理】は、目で見たり手で触れたりできません。しかし、恰も目で見ているように、手で触れているように、意識によって直観的に空を体得しなければならないということです。そのようなレベルの智慧を獲得しない限り、諸煩悩を種子から断じることはできません。私のような凡夫は、まだ空性の現量了解を得ていないから、煩悩を抑制することはできても、根絶することは不可能なのです。2023/12/08 18:27:0259.香りBNbYV📄📄📄「自分は救世主でも仏教徒でもない」チベット高僧の“転生者“とされたスペイン人男性が振り返る「我が人生」チベット僧の転生者が、スペイン南部アルプハラに生まれた──。オセルは「あり得ない現象」であり、「信仰のなせる技」でもあった。マリアという名の女性と、レンガ職人の夫との間に生まれた5番目の子供であるオセルは、かつてないほど大きな話題になった。それから約40年後、テンジン・オセル・リンポチェというチベット名を持つものの、スペインでは永遠に「幼なきラマ僧」として知られるオセルが、再び注目を集めるようになっている。彼のドキュメンタリーをHBOが1作、そしてアルプハラ出身の作家で映画監督のサマジ・モレノがもう1作、製作したからだ。HBOのドキュメンタリーは、オセルの次のような人生を伝えている。アンダルシア地方に生まれ、一連の託宣がなされたことで、生後14ヵ月のときに両親からチベット僧たちに引き渡される。前世で高僧ラマ・トゥプテン・イェシェだった頃に所有していた品々を僧侶たちの前で言い当て、ダライ・ラマにイェシェの生まれ変わりであると認知される。世界各地をめぐって弟子たちの前に姿を見せ、それからインドにあるチベット寺院で僧侶として17年間、俗世間を離れて中世と変わらない教育を受ける。だが、やがて僧院を飛び出し、2度と戻らない──。2023/12/08 18:30:2060.香りBNbYV📄📄📄「自分は救世主でも仏教徒でもない」チベット高僧の“転生者“とされたスペイン人男性が振り返る「我が人生」一方、モレノ監督のドキュメンタリーは、HBOのドキュメンタリーの前日譚であり、オセルの前世とされるトゥプテン・イェシェの人物像に迫るものだ。イェシェは「ヒッピー・ラマ」と呼ばれ、英語を学んでいたことから他の僧侶たちにからかわれた。だが、彼は仏教を欧米に紹介し、まるでスーパースターのようにワールドツアーに出て、寺院を各地に設立し、最終的にはカリフォルニア大学で教鞭を執った。坊主頭にサフラン色の袈裟を着て、資本主義の国で仏教をカウンターカルチャーの象徴にし、ウッドストック世代が好んだ紋様を描き、リチャード・ギアやオセルの母マリアなど、多くの人を惹きつけた。モレノ監督は、自身のドキュメンタリー『転生者』を、イビサ島のなかほどにある石灰石の採掘場で上映する。上映会にはオセルも来る予定だ。ラマ・イェシェの転生者であることを辞め、西洋人として生きることを選んだ、あるいは、それこそラマ・イェシェが望んだ通りの人生を歩むことにした元「幼きラマ」。自らの人生を描く映画のなかで、自分は「救世主」ではないと訴え続けるオセルに、スペイン紙「エル・ムンド」がインタビューした。2023/12/08 18:32:3061.香りBNbYV📄📄📄「自分は救世主でも仏教徒でもない」チベット高僧の“転生者“とされたスペイン人男性が振り返る「我が人生」──私が読んだところでは、あなたは自分がラマ・イェシェの転生者であろうとなかろうと、どうでもいいと考えてはいますが、ダライ・ラマとあなたの師匠については信頼しているとのことでした。つまり、自身が転生者であると認めている、ということですよね。自分が転生者かどうかは重要ではないということです。私は私で、ただそれだけのことです。自分に関する評判は、自分でどうこうできるものではありません。けれども自分の人格は、自分で作りあげていける。私は、そこに気持ちを集中させています。自分が転生者かどうかは、どうでもいいのです。──仏教では、命あるものが何度も生まれ変わることを「輪廻」と呼び、それは苦痛で不満に満ちたものとされています。輪廻の教義では、衆生は、天、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄の六道のうちのひとつに生まれ変わるとされています。実際には、もっとたくさんの世界や次元があります。過去と未来を理解したければ、現在を見つめなければなりません。輪廻は生と死のサイクルです。そう説明されています。輪廻では、すべてが幻で、人はその幻に執着するあまり苦しむ。でも、幻であることを理解して、それほど執着しなければ、それほど苦しまないですむのです。2023/12/08 18:33:0062.香りBNbYV📄📄📄「自分は救世主でも仏教徒でもない」チベット高僧の“転生者“とされたスペイン人男性が振り返る「我が人生」──では良い行いをすれば、いまより良いものに生まれ変わることができ、逆に行いが悪ければ、アリとか、そういったものに生まれ変わるのでしょうか。まず最初に、私は仏教徒ではありません。いろんな哲学を学ぶのが好きで、宗教的な視点からだけでは、すべてを説明することはできないと考えています。私が好きなのは、誰もが使えて、共感できる普遍的な視点から物事を見ることです。──ラマ・イェシェからオセルに転生することは、褒美なのでしょうか、それとも罰なのでしょうか。ラマ・イェシェは西洋人に転生して、その経験がどんなものか知りたかったのだと確信しています。彼の直近の前世は、チベットの尼僧だったようです。チベット僧としての人生を繰り返し生きて、西洋人として生きたことはありませんでした。ですから、彼は私の身体を楽しんだと思いますよ。私は無意識のうちに彼の仕事を引き継いでいます。でもそれは私の仕事でもあるのです。ラマ・イェシェは、いわゆる普通の僧ではありませんでした。──仏教徒ではないせいか、頭を抱え込む感じなのですが。仏教徒である必要はありません。人はみな学習者です。ブッダは「私の教えを疑いなさい」と言いました。私は仏教について学んでいますが、心穏やかでいるためにも、肩書きは欲しくありません。また、誰かに何かを証明したいとも思っていません。もし仏教に、人格の向上に役立つものがあれば、それを活用します。でも、そうしたからといって仏教徒であることにはなりません。私はコーランも聖書も読みます。何らかの経験や知識を持つ人々の本を読むようにね。共感すれば、参考にしますし、そうでなければ、棚に戻すまでです。僧院にいた頃の私の師は、信頼すること、そしてどんな宗教哲学のなかにも、特別なものがあることを教えてくれました。また、すべての宗教に黄金の規則があり、それは「他者への愛」であることを教えてくれました。私はその教えに従っています。もし私の師があのような人でなければ、私は仏教の共鳴者にはならなかったでしょう。2023/12/08 18:33:4763.香りBNbYV📄📄📄「自分は救世主でも仏教徒でもない」チベット高僧の“転生者“とされたスペイン人男性が振り返る「我が人生」オセルは18歳のときに僧院を飛び出し、スペインのイビサ島を目指した。このとき、彼は後世に語り継がれるであろうこんな言葉を口にした。「もし人が、科学者の言うとおりの存在だったとしたら? 脳がすべてを司っていて、死んだら終わりで、すべては暗闇に包まれる。もしそうなら、人生を楽しまなくては」こうして彼はカナダに移住し、セント・マイケルズ・ユニバーシティ・スクールに進学。さらにスイスで西洋哲学、人権、フランス語、美術を学び、その後は一時、ボローニャで撮影助手を務めたのち、最終的には「ニコラス」という偽名を使って、マドリード・フィルム・インスティチュートで学んだ。「私は僧院の外の世界を知りませんでした。スペインに帰ったのは、自分とのつながりを感じていたからです」だが、そうするまでの間にブラジル人の女性と付き合い、現在6歳となる息子1人をもうけたのち、彼女とは別れることとなった。──ダライ・ラマは、オセルのような存在はもうこの世に送り出さないと宣言しています。また、ラマの転生者を探し回るのはもうやめるよう命じました。人々は実際には、ダライ・ラマの言いつけをあまり守っていません。ダライ・ラマのことを導師やグルと呼んではいますが、人は自分に都合のいいように行動して、それがダライ・ラマの言うことと合致していれば幸いであり、そうでなくても改めることはありません。2023/12/08 18:34:2564.香りBNbYV🐾 🐾 👣この人、チベット仏教寺院から逃亡してますよ💧2023/12/08 18:41:3465.ざぜんぼさつrMHGJ坐禅菩薩(ざぜんぼさつ)。ただひたすら坐禅(ざぜん)する。無我の境地で人生を遣(や)り過ごす。神経疲労に効く漢方薬は加味帰脾湯(かみきひとう)である。2023/12/08 19:47:3066.◆JBLfMwCXhYRhaoCゲルク派にハマってますなあ😅2023/12/08 19:50:3067.ざぜんぼさつrMHGJ坐禅菩薩(ざぜんぼさつ)。ただひたすら坐禅(ざぜん)する。無我の境地で人生を遣(や)り過ごす。神経疲労に効く漢方薬は加味帰脾湯(かみきひとう)である。悟(さと)った悟った本当に悟った。自由が無いのが本当の自由である。2023/12/08 20:31:2368.◆JBLfMwCXhYIsPp3集中力を高めよう2023/12/09 06:47:4669.◆JBLfMwCXhYIsPp3精神統一だ2023/12/09 06:48:0070.◆JBLfMwCXhYIsPp3南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏2023/12/09 06:48:1371.◆JBLfMwCXhYIsPp3合掌 (-人-)2023/12/09 06:48:2672.◆JBLfMwCXhYIsPp3ひたすら念仏を唱えるひたすら坐禅する2023/12/09 06:49:0373.◆JBLfMwCXhYIsPp3同じような効果が得られる2023/12/09 06:49:1474.ざぜんぼさつxvndC坐禅菩薩(ざぜんぼさつ)。ただひたすら坐禅(ざぜん)する。無我の境地で人生を遣(や)り過ごす。神経疲労に効く漢方薬は加味帰脾湯(かみきひとう)である。悟(さと)った悟った本当に悟った。自由が無いのが本当の自由である。坐禅(ざぜん)、読書、囲碁、将棋。2023/12/09 07:27:1175.ざぜんぼさつxvndC一切皆苦(いっさいかいく)とは、人生はままならないと云(い)う意味である。坐禅菩薩(ざぜんぼさつ)。ただひたすら坐禅(ざぜん)する。無我の境地で人生を遣(や)り過ごす。神経疲労に効く漢方薬は加味帰脾湯(かみきひとう)である。悟(さと)った悟った本当に悟った。自由が無いのが本当の自由である。坐禅(ざぜん)、読書、囲碁、将棋。2023/12/09 08:39:4676.神も仏も名無しさんxglynひろおおおおきいいい〜〜〜〜〜糖質アタックっ〜〜〜!!!🤢2023/12/09 09:35:1777.ざぜんぼさつxvndC大乗仏教。宗派には拘(こだわ)らないからこそ曹洞宗(そうとうしゅう)に傾倒(けいとう)している。坐禅菩薩(ざぜんぼさつ)。ただひたすら坐禅(ざぜん)する。坐禅(ざぜん)、読書、囲碁、将棋。神経疲労に効く漢方薬は加味帰脾湯(かみきひとう)である。程好(ほどよ)い煩悩(ぼんのう)は必要である。多くの人と喜びや悲しみを共有することに人生の意味が有る。2023/12/09 09:59:4978.ざぜんぼさつxvndC坐禅菩薩(ざぜんぼさつ)。ただひたすら坐禅(ざぜん)する。無我の境地で人生を遣(や)り過ごす。神経疲労に効く漢方薬は加味帰脾湯(かみきひとう)である。2023/12/09 14:17:5079.ざぜんぼさつxvndC坐禅菩薩(ざぜんぼさつ)。ただひたすら坐禅(ざぜん)する。無我の境地で人生を遣(や)り過ごす。神経疲労に効く漢方薬は加味帰脾湯(かみきひとう)である。清らかな心で清らかな人生を送れれば全て良し。テレビもラジオもNHK。2023/12/09 16:32:3480.ざぜんぼさつxvndC坐禅菩薩(ざぜんぼさつ)。ただひたすら坐禅(ざぜん)する。無我の境地で人生を遣(や)り過ごす。神経疲労に効く漢方薬は加味帰脾湯(かみきひとう)である。清(きよ)らかな心で清(きよ)らかな人生を送れれば全て良し。テレビもラジオもNHK。2023/12/09 16:43:5281.ざぜんぼさつxvndC坐禅菩薩(ざぜんぼさつ)。ただひたすら坐禅(ざぜん)する。無我の境地で人生を遣(や)り過ごす。神経疲労に効く漢方薬は加味帰脾湯(かみきひとう)である。清(きよ)らかな心で清(きよ)らかな人生を送れれば全て良し。テレビもラジオもNHK。恋愛も結婚も子作りも穢(けが)れである。2023/12/09 16:59:5385.◆JBLfMwCXhYIsPp3ヴァイシェーシカ学派 インド六派哲学の一つ。カテゴリー論に基づき外界と普遍の実在を説くインドの実在論哲学で、仏教など非実在論思想各派と鋭く対立した。創始者はカナーダ仙人、別名カナブジュあるいはウルーカで、根本聖典『ヴァイシェーシカ・スートラ』(以下VS)は彼の作と伝えられる。 VSの現形は後2世紀前半までに成立したと推定される。その思想は論理学に形而上学的基盤を与え、ニヤーヤ学派の成立・発展に寄与した。2023/12/09 20:58:0286.◆JBLfMwCXhYIsPp3当初の思想はカテゴリー論と宇宙論の二面性を有したが、徐々にカテゴリー論による学説の体系化がはかられ、プラシャスタパーダ(5-6世紀)の『パダールタ・ダルマ・サングラハ』(以下PDh)において実体・属性・運動・普遍・特殊・内属の6カテゴリーの体系が完成して古典期の定説となった。2023/12/09 20:58:2287.◆JBLfMwCXhYIsPp3PDhによる標準的な学説の思想内容は次の通り。世界を実体・属性・運動・普遍・特殊・内属の6カテゴリーによって説明する。 実体としては、地(もしくは、土)・水・火・風(空気)・虚空(エーテル)・時間・方角・アートマン(自我あるいは霊魂)・マナス(こころ)の9種が立てられる。それぞれの実体は、それぞれに定まった「属性」、「普遍」および「特殊」を有する。そして、遍在する実体すなわち、虚空・時間・方角・アートマン以外の実体には「運動」がある。これらのカテゴリー間の関係は、不可分離な関係で「内属」と呼ばれる。一例を挙げれば、「実体」である布とその「属性」である色の不可分な関係が「内属」である。 物体は、地(もしくは、土)・水・火・風(空気)の4種の原子によって構成されるが、結果(全体)はそれを構成する原因(部分)の総和とは別の語で表される別の実在であるとする。たとえば、布はそれを構成する原因である糸とは別の実在で、結果である布は原因である糸に「内属」しているとされる。2023/12/09 20:59:0988.◆JBLfMwCXhYIsPp3 このホーリスティックな因果説は因中無果論あるいは集積説といわれ、サーンキヤ派に代表される因中有果論あるいは開展説と鋭く対立した。開展説によれば、現象している一切万物は唯一の根本原質であるプラクリティから開展して現れてくる。結果はすべて原因の中に潜在的に存在しており、結果の発生とは、それが開展により現れ出てくることである。1) 一方、因中無果論によれば、原因の中に結果が予定されているのではなく、結果は原因とはまったく別の実在として、新たに生み出されるとする。 「内属」は、上述の通り、糸と布のように不可分でありながら別個の実在とされる原因(部分)と結果(全体)の関係を表すために立てられたカテゴリーであるが、実体・属性・運動・普遍・特殊のカテゴリー間の分立不可能な関係にも適用される。2023/12/09 20:59:2589.◆JBLfMwCXhYIsPp3実体・属性・運動の知覚は対象・感覚器官・意・アートマンの接触から生ずるが、知覚がことばで表されるのは、それらに内属する「普遍」と「特殊」の2カテゴリーの限定作用による。 「普遍」は同類のものに同じ知を生ずる原理、「特殊」は異類のものとの区別知を生ずる原理でともに実在とされる。「究極の特殊」は、常住な実体、すなわち地(もしくは、土)・水・火・風(空気)の4種の原子・虚空・時間・方角・アートマン(自我あるいは霊魂)・マナス(こころ)のひとつひとつに内属し、それぞれ個々の独自性を明らかにする原理であるが、一般人には不可知でヨーガ行者により瞑想の中でのみ知られうるという。(このように個々の存在がすべて独自性をもって現れてくる世界がどのようなものであるか想像されたし)2023/12/09 20:59:4290.◆JBLfMwCXhYIsPp3以上のような6つのカテゴリーによる世界の正しい理解が得られると、無知が消え執着(こだわり)がなくなる。執着を離れると欲望や憎しみ(などの煩悩)が消滅して、それらから生ずる善悪の行為の結果が発生しなくなる。そしてついに、過去に積み重ねられた行為の結果が尽きて、身体が再び発生することがなくなると、燃え尽きた薪のように寂静な解脱にいたると説く。2023/12/09 21:00:1292.◆JBLfMwCXhYB22Zhヴァイシェーシカ学派大乗仏教と同じ頃に台頭してきたヒンドゥー教系の哲学思想大乗仏教にとってはライバルだ2023/12/10 03:46:3993.◆JBLfMwCXhYB22Zhインドの実在論哲学仏教は非実在論なので対立は深い2023/12/10 03:47:3594.◆JBLfMwCXhYB22Zh昨日のコピペを読み返したが、意味がわからん😅2023/12/10 03:48:1195.◆JBLfMwCXhYB22Zhもうちょい、わかるものはないか?😅2023/12/10 04:05:0596.◆JBLfMwCXhYB22Zhヴァイシェーシカ学派は、インド哲学(ダルシャナ)の学派であり、現代では六派哲学の一つに数えられる。カナーダが書いたとされる『ヴァイシェーシカ・スートラ』を根本経典とする。現代では一種の自然哲学と見なされることもある。漢訳は勝論、勝宗。2023/12/10 04:06:2997.◆JBLfMwCXhYB22Zh6種のカテゴリー『ヴァイシェーシカ・スートラ』では、全存在を6種のカテゴリー(padārtha)、すなわち実体・属性・運動・特殊・普遍・内属の6種から説明する。言葉は実在に対応しており、カテゴリーは思惟の形式ではなく客観的なものであるとする。2023/12/10 04:06:5098.◆JBLfMwCXhYB22Zh実体実体(dravya)は以下のように分けられる。地 (pṛthivī)水 (āpas)火 (tejas)風 (vāyu)虚空 (ākāśa)時間 (kāla)方向 (dik)アートマン(ātman)意(マナス) (manas)2023/12/10 04:07:1399.◆JBLfMwCXhYB22Zhあ~、あれか!「地・水・火・風・空」の神秘思想あの有名な話ではないか😅2023/12/10 04:08:21100.◆JBLfMwCXhYB22Zh龍樹の中観派と同じ時期に台頭した、強力なヒンドゥー教神秘思想2023/12/10 04:09:18101.◆JBLfMwCXhYB22Zh中観派のライバルは、説一切有部や経量部だけではなかった仏教界の外にもライバルはいた2023/12/10 04:10:17102.◆JBLfMwCXhYB22Zh五大(ごだい)とは、宇宙(あらゆる世界)を構成しているとする地(ち)・水(すい)・火(か)・風(ふう)・空(くう)の五つの要素のこと。2023/12/10 04:16:03103.◆JBLfMwCXhYB22Zh五つの要素編集地- 大地・地球を意味し、固い物、動きや変化に対して抵抗する性質。水- 流体、無定形の物、流動的な性質、変化に対して適応する性質。火- 力強さ、情熱、何かをするための動機づけ、欲求などを表す。風- 成長、拡大、自由を表す。空 -サンスクリット語:आकाश,Ākāśa(アーカーシャ)の訳。虚空とも訳される。※仏教でいう「空」(シューニャ)ではない2023/12/10 04:16:53104.◆JBLfMwCXhYB22Zhこの思想は、古くからインド哲学(六師外道・六派哲学の思想など)にあり、古代インド思想では、火・水・地を「三大」、または地・水・火・風を「四大」とする。これらに「虚空(アーカーシャ)」を加えて「五大」とする思想が現れた。さらに後には第六の要素として「識」(意識)を加えて「六大」とする思想、近年の神秘学では、アストラル、エーテル、あるいはこれらを超越しているとする第七の要素を加えて語られることもある(チャクラなど)。だが、五大までにおいては、インド思想家と仏教徒との教学論議を経るうち、これらの思想がその時々に応じて仏教の思想体系中に取り込まれていったものである。やがて原始仏教や部派仏教に暫時取り入れられたのを契機に、主に大乗仏教思想として東アジア一帯に広まった。仏教の一派である密教では五大を五輪(ごりん)と呼び、この思想に基づく塔婆として五輪塔を造立する。2023/12/10 04:17:55105.◆JBLfMwCXhYB22Zh四元素(しげんそ)とは、この世界の物質は、火・空気(もしくは風)・水・土の4つの元素から構成されるとする概念である。四元素は、日本語では四大元素、四大、四元、四原質ともよばれる。古代ギリシア・ローマ、イスラーム世界、および18~19世紀頃までのヨーロッパで支持された。古代インドにも同様の考え方が見られる。中国の五行説と類比されることも多い。2023/12/10 04:19:14106.◆JBLfMwCXhYB22Zhエンペドクレスの説がよく知られるが、アラビア・ヨーロッパの西洋文化圏で広く支持されたのはアリストテレスの説であり、四元素を成さしめる「熱・冷・湿・乾」の4つの性質を重視するため、四性質ともいわれる。4つの元素は、土や水など、実際にその名でよばれている具体物を指すわけではなく、物質の状態であり、様相であり、それぞれの物質を支える基盤のようなものだとされた。2023/12/10 04:19:42107.◆JBLfMwCXhYB22Zhインドでは、紀元前5世紀ごろにアーリア人の定住地域が拡大すると、他民族との混血・文化面での混合が進み、ヴェーダの権威を無視した自由な思索が行われた。ブッダに先行するこうした思想家たちは、仏教側からは「六師外道」「六十二見」などと呼ばれる。世界が多元の要素の集合から構成されるという思想は、インドでは積集説(アーランバ・ヴァーダ)と呼ばれるが、その先駆として、地・水・火・風の四元素と苦・楽・霊魂の7つを構成要素とするパクダ・カッチャーヤナの要素集合説が見られる。四元素説としてはアジタ・ケーサカンバリンがおり、世界を構成するものは四元素以外になく、死によって実体を構成する元素は四散し、人間は無となる。霊魂はなく、来世もなく、父母もなく、有徳の師もなく、善悪もなく、業もなく因果もなく、布施も祭祀も供儀も無意味であると主張した。哲学としては唯物論であり、認識においては感覚論、道徳を否定し現世での享楽のみを肯定するため、快楽主義に分類される。2023/12/10 04:21:21108.◆JBLfMwCXhYB22Zhまた、六派哲学(4~5世紀頃)のひとつで、厳密な二元論の立場に立つサーンキヤ学派は、プルシャ(純粋精神)とプラクリティ(根本原質)を根源だと想定した。プラクリティ(根本原質)の展開によって世界が形成され、物質はプラクリティ(根本原質)から展開した五大(五粗大元素、四元素と虚空(空,アーカーシャ))からなると主張した。積集説を代表するヴァイシェーシカ学派は、多言論的世界観を展開し、実体(実)・属性(徳)・運動(業)・普遍(同)・特殊(異)・内属(和合)の6つのパダールタ(六句義)を想定して世界を分析した。実体は四大と虚空、時間、方角、アートマン(我)、マナス(意)からなり、四元素は原子(極微)からなると考えた。2023/12/10 04:21:57109.◆JBLfMwCXhYB22Zhやたら難しい書き方してるが、要するに「地水火風空」だ2023/12/10 04:22:21110.◆JBLfMwCXhYB22Zh近現代のインド哲学研究では、ヴァイシェーシカの思想は「自然哲学」「原子論」「実体」「普遍と特殊」といった西洋哲学の術語で説明され、アリストテレス等としばしば比較される。2023/12/10 04:23:11111.◆JBLfMwCXhYB22Zh早い話が、ヴァイシェーシカ学派は原子論なんだな2023/12/10 04:24:46112.◆JBLfMwCXhYB22Zh説一切有部の原子論大乗仏教では、「物質には実体が無い」とされたため、仏教界では影が薄くなっていたでも、ヒンドゥー教思想には原子論が受け継がれたそれが、ヴァイシェーシカ学派2023/12/10 04:25:18113.◆JBLfMwCXhYB22Zh哲学ちゃんねる【インド哲学講義】ヴァイシェーシカ学派https://youtu.be/i_GX0qVq6rc?si=-YnXwd8uOV023Z2Y2023/12/10 04:26:29114.◆JBLfMwCXhYB22Zh「原子は小さすぎて見えないのに、なぜ原子が集まった物体は見えるのか?」原子論の難問だ古代の経量部も、この難問に取り組んでいた残念ながら、これを説明するためには、20世紀の素粒子論や電磁気学が要る大昔の人には、いくら考えたところで分かるはずもなかった(笑)2023/12/10 04:29:02115.◆JBLfMwCXhYB22Zh「原子は目に見えないのだが、原子が元ネタになって、人の意識の中で物体の姿が浮かぶのである」経量部では、このように考えた古代人にしては、驚くほど真相に近づいていたと言える2023/12/10 04:32:29116.◆JBLfMwCXhYB22Zh地水火風の四元素論古代ギリシャにも、古代インドにもあったただし、意味が異なる古代ギリシャでは、「熱い・冷たい・湿っている・乾いている」という性質とか状態を説明する理論だったこれに対して、古代インドのは原子論物質は、これらの元素が集まってできている2023/12/10 04:36:01117.◆JBLfMwCXhYB22Zh古代ギリシャにも、デモクリトスの原子論があった古代インドの原子論は、デモクリトスの影響と考えられているもっとも、ギリシャでは原子論が主流にならなかったプラトンやアリストテレスの哲学が主流になったプラトンは、デモクリトスが大嫌いだった「デモクリトスの原子論が西洋で埋もれたのは、プラトンがデモクリトスの著作を燃やしてしまったからだ」という話もある2023/12/10 04:38:55118.◆JBLfMwCXhYB22Zh人間は、実体を持った存在ではない人間は、70兆の細胞の集まりであり、無数の原子の集まりだひとつひとつの細胞は、微生物だ「人間」という実体など無いってことは、これを考えただけでも、すぐ分かる世間の一般人もみんな、理科の授業で教わる話だが「へえ、そうなんだ」で通り過ぎてしまう突き詰めて考えれば、もっと深甚な衝撃を受けるべき事実だ(笑)「自分」という存在が、極めて疑わないものになる2023/12/10 04:43:55119.◆JBLfMwCXhYB22Zh疑わないものになるじゃない疑わしいものになるだ2023/12/10 04:44:33120.◆JBLfMwCXhYB22Zh話が脱線したがここでは、「説一切有部の原子論は、大乗仏教では物質の非実在論に押されて衰退した。だが、ヒンドゥー教系のヴァイシェーシカ学派により、原子論は継承された」↑これが、インド思想史として重要だろう2023/12/10 04:47:59121.◆JBLfMwCXhYB22Zhインドでも、ギリシャでもそうなんだが神秘主義者というのは、物質という存在自体を否定したい原子論は、物質的な思想だ基本的に唯物思想だだから、プラトン哲学や大乗仏教とは相性が悪く、嫌われるこのため、インドでもギリシャでも、原子論は衰退した2023/12/10 04:53:12122.神も仏も名無しさんnDT5rおほよ〜昨夜は10時寝だったので今起きた😄2023/12/10 04:59:30123.神も仏も名無しさんnDT5r昼寝三時間しているので、眠気、疲労ばっちり回復〜😄2023/12/10 05:00:22124.◆JBLfMwCXhYB22Zhまあ、要するに、世の中にはいろんな考え方があるってことだ部派仏教(説一切有部や経量部)の時代に一世を風靡した原子論大乗仏教(中観派や唯識派)の時代になると、「物質など存在しない」というのに押されて衰退したでも、世の中の誰もがそれに賛成するかっていったら、そんなことはない(笑)原子論は、「ヴァイシェーシカ学派」に受け継がれた2023/12/10 05:08:28125.◆JBLfMwCXhYB22Zh>>123いいね~😄休養十分2023/12/10 05:08:48126.神も仏も名無しさんnDT5r>>124真言密教とチベット密教には物質の構成要素ラシキモノガ瞑想体系にある😄2023/12/10 05:11:59127.◆JBLfMwCXhYB22Zhチベット密教では、瞑想することにより空性を現量了解している😄2023/12/10 05:13:50128.神も仏も名無しさんnDT5r天台、華厳、禅ですら、これらは物質の構成要素は設定はしないが色即是空、空即是色の解釈学で全く物質ゼロ設定とは言い切れない要素がある、それが俺流に語る空間認識の瞑想😄2023/12/10 05:14:02129.神も仏も名無しさんnDT5r>>127チベット密教には空間認識におけるルン、の設定、真言密教には六大の設定、むろん、教学的に存在し、むろん、俺は瞑想感覚でそれを認識している😄2023/12/10 05:17:55130.神も仏も名無しさんnDT5rチベット密教のルンは2005年には我流ながら、農作業しながら自在に使いこなせてた真言密教の六大の感覚の運用は今年6月以降だ😄2023/12/10 05:20:21131.◆JBLfMwCXhYB22Zh農作業しながら六大か~😄2023/12/10 05:22:15132.神も仏も名無しさんnDT5r農作業葉チベット密教だけだ2005年だけ😄マントラでルンで肉体疲労を分解させながらワークしてた〜チベット密教坊主の鍛えたのはヒマラヤ高山の坂を高速であるけるらしい😄2023/12/10 05:43:26133.神も仏も名無しさんnDT5rルンは風と訳されるらしい😄2023/12/10 05:44:12134.神も仏も名無しさんnDT5rあ、11月だシキミの葉の香りで換算して体得したか〜真言密教は〜😄2023/12/10 05:45:44139.◆JBLfMwCXhYWrlzU「勝義諦」は分かるが「世俗諦」って、具体的にどういう内容?2023/12/10 19:27:08140.◆JBLfMwCXhYWrlzU龍樹の「中論」によると、こうだこれだと、「世俗諦」は、つまらん世間的道徳なんかじゃない俗世間の衆生に向けてブッダが説いた、わざとランクを落とした教えのことだ↓(8) 二つの真理(二諦)に依拠して、もろもろのブッダは法(教え)を説いた。〔その二つの真理とは〕世俗の覆われた立場での真理(世俗諦)と、究極の立場から見た真理(第一義諦, 勝義諦)とである。(9) この二つの真理の区別を知らない人々は、ブッダの教えにおける深遠な真理を理解していないのである。2023/12/10 19:27:54141.◆JBLfMwCXhYWrlzU(10) 言語表現に依拠しないでは究極の真理(勝義)を説くことはできない。究極の真理に通暁することなく、涅槃を体得することはできない。(11) 悪しく見られた空性は知恵の鈍い者を害する。あたかも悪しく捕らえられた蛇あるいは悪しく成し遂げられた咒術(じゅじゅつ)のごとくである。(12) それ故に聖者(ブッダ)の法を説こうという心は抑えられた。〔この〕法が〔知恵の〕鈍い者たちには領解し難いことを思って。2023/12/10 19:28:26142.◆JBLfMwCXhYWrlzU「勝義諦と世俗諦」は、何よりも中観派の概念だ龍樹の中論による定義を第一に考えるべきであろう2023/12/10 19:28:56143.◆JBLfMwCXhYWrlzUだが、浄土真宗ではニュアンスが異なるこれだと、世俗諦は「世間的な道徳」のことだ↓浄土真宗末法灯明記には、二諦の意味を転用して、仏法を真諦とし王法を俗諦とする記述があり、浄土真宗はこの説を受けて、宗教的信仰(安心)の面を真諦とし、世間的道徳の面を俗諦とする。2023/12/10 19:29:56144.◆JBLfMwCXhYWrlzU「倶舎論」では、さらにニュアンスが異なる↓瓶や衣や水や火は、形が壊れたり、慧によって分析して見ることで要素に分けられてしまえば、「瓶・衣・水・火」などと名づけられるべきものが無い。だが、世間では仮にそれらのものに名を与えて、「瓶がある」などと言う。このように、世間一般の常識において「誤りのない真実」とされることを世俗諦とする。それに対して、いわゆる五位七十五法として説かれる存在の構成要素としての法は、出世間的な真理(仏教の真理)として存在を認められるものであるから、「これらの法がある」と説くことを勝義諦とする。2023/12/10 19:32:20145.◆JBLfMwCXhYWrlzUこれだと、勝義諦とは、説一切有部の説く仏教的な存在論(五位七十五法)のことだ世俗諦というのは、世間の一般人が囚われている信念(素朴実在論)を意味する2023/12/10 19:34:16146.◆JBLfMwCXhYWrlzU大毘婆沙論巻七七では、世間で常識的に知られている事柄や、世間で便宜的に約束として決めている道理などを世俗諦とし、無漏の聖智によって見とおされた真実の真理を勝義諦としている↑これだと、やっぱり世間の常識、それが世俗諦2023/12/10 19:35:12147.◆JBLfMwCXhYWrlzUこのように、人によって「世俗諦」の意味するところは異なる2023/12/10 19:35:38148.◆JBLfMwCXhYWrlzU「勝義諦」と「世俗諦」は、何よりも中観派の理念だ中観派の解釈を優先すべきだろう2023/12/10 19:36:38149.神も仏も名無しさんnDT5r「勝義諦」と「世俗諦を分けるのは中国仏教では唯識まで天台以降はその区分けよりも中道、「勝義諦」と「世俗諦を同列に扱う荒芸になっていく、華厳、真言、禅、チベット密教も「勝義諦」と「世俗諦を分けるゾーンと天台以降のラインでは凄まじい解釈の落差がある、その落差を理解できず、禅をドヤるローラーと麦がいる😭😭2023/12/10 20:12:12150.神も仏も名無しさんnDT5r中論や唯識よりも、凡人には難解?な天台、華厳、真言、禅の関連の文献のほうが俺的には簡単だ瞑想ゾーンから逆算しやすいからだな😄2023/12/10 20:13:46151.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmVII4Iすべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う日本国憲法第二十七条一項2023/12/10 20:21:51152.神も仏も名無しさんTiBNxローラー大爆発🤢🤢🤢🤢2023/12/10 20:23:52155.◆JBLfMwCXhY49Pq7スリランカの仏教は、3つの派に別れています。1つ目はシャム派、2つ目はアマラプラ派、3つ目はラーマンニャ派です。2023/12/11 08:39:38156.◆JBLfMwCXhY49Pq7シャム派は、上位カーストのゴイガマ・カーストだけが入れます。2023/12/11 08:39:54157.◆JBLfMwCXhY49Pq7現代のスリランカ上座部は大別すれば三派の並立(支派は多数ある)なのであるが、実はこの並立の社会的背景としては、インド伝来の、この国独自のカースト制度が介在している。すなわちシャム派は上位カーストたるゴイガマ(農業カースト)、特にそのうちでも上位の「高地ゴイガマ」を中心として結成され、他の低カーストの出身者は原則として入団させず、もし入団を認めても生涯沙弥のままで比丘にはさせないという牢固たる身分差別が存在する。(引用:奈良康明 、下田正弘 『新アジア仏教史』)2023/12/11 08:40:33158.◆JBLfMwCXhY49Pq712世紀から13世紀にかけてスリランカから東南アジアに大寺派の仏教が伝来し、現在でもその伝統は根強く維持されている。スリランカではその後、16世紀以降のポルトガル・オランダ・イギリスによる植民地化によって仏教が衰え、18世紀からタイやビルマの仏教を介して上座部仏教を復興した。現在は、シャム・ニカーヤ(シャム派、1753年設立)アマラプラ・ニカーヤ(アマラプラ派、1803年設立)ラーマンニャ・ニカーヤ(ラーマンニャ派、1864年設立)の三つの宗派に分かれているが、いずれもタイとビルマに因んでいる。2023/12/11 08:43:24159.◆JBLfMwCXhY49Pq7まずシャム派は、タイ(アユタヤ王朝)のマハーニカーイのウパーリ長老一行がキールティ・スリー・ラージャシンハ王によって招請され、1753年に受具式が行われたことで成立した。しかし、インド由来のカースト制が独自の形で根付いていたシンハラ人社会の混乱を懸念した王は、受具式への参加を最上位のゴイガマ(農民)カーストにしか認めなかった。このことが続くアマラプラ派成立の契機になった。シャム派の制限を受け、非ゴイガマ・カーストの人々は、ビルマ(コンバウン王朝)の首都アマラプラへ赴き受具式を受けた。その後帰国し1803年に受具式を開始した。こうしてアマラプラ派が成立した。2023/12/11 08:43:58160.◆JBLfMwCXhY49Pq7カースト制限を設けるシャム派にも、村住で因習にまみれるアマラプラ派にも満足できなかったアンバガハヴァテー・サラナンカラは、独自にビルマへと赴き、受具式を受け、帰国後1864年にラーマンニャ派を設立した。森林修行、戒律重視、理想主義的な志向を特徴とする。ラーマンニャ派は、当初はアマラプラ派内の改革派といった程度の存在だったが、神智学協会がもたらしたスリランカ国内の宗教改革の波に乗って勢力を拡大した[。1881年には、スリランカへの赴任経験を持つ英国公務員リス・デービッズによって、ロンドンにパーリ聖典協会(Pali Text Society, PTS)が設立され、その刊行物によって、上座部仏教やパーリ語経典は、世界的に知られるようになった。2023/12/11 08:44:10161.◆JBLfMwCXhY49Pq7カーストによって、宗派が分かれているこれが、スリランカの仏教界の実態だ2023/12/11 08:45:02162.◆JBLfMwCXhY49Pq7上位カーストはタイ系、下位カーストはビルマ系の仏教をやっている2023/12/11 08:45:52163.◆JBLfMwCXhY49Pq7タイのほうが高級なのか2023/12/11 08:46:11164.神も仏も名無しさんxdSIPアマラプラ派か、Amazonpuraimeアマプラににている。2023/12/11 19:31:26165.◆JBLfMwCXhYlQrZ4確かにアマプラ派に見える2023/12/11 19:59:53166.◆JBLfMwCXhYlQrZ4カーストの低い人でも、アマプラ派なら入れるシャム派には入れない2023/12/11 20:16:13168.神も仏も名無しさんSsShcJBLは、AUの通信障害だったんか?😟2023/12/11 20:47:26169.◆JBLfMwCXhYlQrZ4んにゃ、スーパー銭湯に入ってた2023/12/11 20:51:10170.神も仏も名無しさんSsShcすげえ昼間過疎ってた〜ムイムイもローラーもレス無しで〜😫2023/12/11 20:54:23171.神も仏も名無しさんSsShcあの龍虎二人が昼間静かだった〜😫2023/12/11 20:55:13172.◆JBLfMwCXhYlQrZ4やはり、ほ~かい師匠がいないとウンコローラーもおとなしいな2023/12/11 20:56:03173.神も仏も名無しさんSsShcほーかいくんお館様はやはりビッグなお方だ😄2023/12/11 21:15:48177.◆JBLfMwCXhYL0u6xチベット仏教と中観派のつながりは、思想面に限らず様々な面でとても深い。というのも、地理的・歴史的条件ゆえに、チベットの王が国家規模で仏教指導を請う先は、ナーランダー大僧院やヴィクラマシーラ大僧院等にならざるを得ず、そこから派遣され、チベット仏教を形作っていったインド僧は、この中観派に属する者(中観思想を信奉する者)が多かったからである。2023/12/13 18:51:51178.◆JBLfMwCXhYL0u6xまず、吐蕃のティソン・デツェン王に招請されたナーランダー大僧院のシャーンタラクシタ(寂護)は、チベット初の仏教僧院サムイェー寺を建立し、密教僧パドマサンバヴァと共に、チベット仏教の始祖となった。更に、その弟子であるカマラシーラ(蓮華戒)は、中国禅僧である摩訶衍との論争に勝利し、チベット仏教の方向性を決定づけた(サムイェー寺の宗論)。2023/12/13 18:52:22179.◆JBLfMwCXhYL0u6xその後、吐蕃の滅亡に伴い、チベット仏教界は打撃を受けるが、グゲ王国の保護によって復興が始まる。その際、グゲの王がヴィクラマシーラ大僧院から招請したのが、アティーシャであった。彼は中観思想と無上瑜伽タントラを信奉する、顕密統合志向の僧であったが、これが現在のチベット仏教の雛形となった。これは後に、最大宗派ゲルク派の祖となるツォンカパによって、確固たるものになる。2023/12/13 18:52:58180.◆JBLfMwCXhYL0u6xツォンカパは、ブッダパーリタ(仏護)の『中論註』によって、帰謬派(プラーサンギカ派)的な中論理解に確信を抱き、アティーシャの『菩提道灯論』を参考にしつつ、『秘密集会タントラ』を中心とする密教との顕密統合の手がかりとした。2023/12/13 18:53:18181.◆JBLfMwCXhYL0u6xこのように、チベット仏教と中観派は、思想的にも人的にも、とてもつながりが深い。そして、総合仏教たるチベット仏教の、密教面の柱が無上瑜伽タントラだとするならば、顕教面の柱はこの中観派の著作・思想と言っても過言ではない。2023/12/13 18:53:29182.◆JBLfMwCXhYL0u6x顕教の柱は、中観思想密教の柱は無上瑜伽タントラ2023/12/13 19:09:07183.◆JBLfMwCXhYvQKiQまずは、中観思想を学ぼう2023/12/13 19:22:22184.◆JBLfMwCXhYL0u6x瑜伽行中観派(ゆがぎょうちゅうがんは)とは、大乗仏教において、瑜伽行派(唯識派)の教説を中観派へと吸収・統合することを志向した、後期中観派スヴァータントリカ(自立論証派)の総称。チベット仏教に多大な影響を与えた。なお、同じくスヴァータントリカ(自立論証派)で経量部に近接していると見られた人々は「経量(行)中観派」「経部行中観派」と呼ばれたりもした。2023/12/13 19:38:42185.◆JBLfMwCXhYL0u6x松本史朗八世紀後半にインド仏教がチベットに本格的に導入されてから、チベット人はナーガールジュナを祖とする中観派の哲学に対して、様々な解釈を行ってきた。その最も初期の解釈の一つは、九世紀初頭に活躍した翻訳者イェシェーデ の 『見差別』という著作の中に見出すことができる。『見差別』の中観思想については、今なお問題とすべき点が多いが、一つ確実なことは、『見差別』以来チベットでは常に中観が仏教の全哲学の中で最高のものと見なされてきたという事実である。従って極言すれば、 チベット人仏教徒はすべて中観派であり、チベットには自ら唯識派と称する思想家は存在しなかったのである。2023/12/13 19:44:57186.◆JBLfMwCXhYL0u6x中観派のない仏教理論などハンバーグのないハンバーガーのようなものだ2023/12/13 19:46:24187.神も仏も名無しさんOzbLV天台華厳真言禅はそれぞれの中論解釈がある、細かくは語らないが、ゲルク派の中論は相当な理論ではある😄2023/12/13 21:03:54188.◆JBLfMwCXhYM8Dun華厳宗(けごんしゅう)は、中国大乗仏教の宗派のひとつであり、杜順を開祖とする。『大方広仏華厳経』(『華厳経』)を所依の経典として、独自の教学体系を立てた宗派である。日本、韓国、ベトナムにも広まった。日本仏教における華厳宗は、審祥により736年に伝えられた。南都六宗の一つ。東大寺盧舎那仏像(奈良の大仏)が建立された。華厳宗の本尊は、歴史上の仏を超えた絶対的な毘盧遮那仏と一体になっている。菩薩の修行の階梯を説いた「十地品」、善財童子の遍歴を描いた「入法界品」などが有名。東大寺の大仏も本経の教主・毘盧舎那仏であり、日本仏教の黎明期に重用されたが、大乗仏教の中でも独特の教学を持つため宗勢は徐々に衰えていった。2023/12/14 06:54:12189.◆JBLfMwCXhYM8Dun開祖は杜順(557年-640年)、第2祖は智儼(602年-668年)、第3祖は法蔵(643年-712年)、第4祖は澄観(738年-839年)、第5祖は宗密(780年-839年)と相承されている。この中国の五祖の前に、2世紀頃のインドの馬鳴(アシュヴァゴーシャ)と龍樹(ナーガールジュナ)を加えて七祖とすることもある。また朝鮮半島(古代新羅)にも伝わり、義湘によって広められる。日本における華厳宗は、第3祖法蔵門下の審祥によって736年に伝えられた。金鐘寺(後の東大寺)の良弁の招きを受けた審祥は、この寺において『華厳経』・『梵網経』に基づく講義を行い、その思想が反映されて東大寺盧舎那仏像(奈良の大仏)が建立(743年-749年)された。鎌倉仏教期には、明恵によって密教思想が取り込まれ、さらに凝然による教学の確立がなされている。法相宗や律宗と並ぶ、南都六宗の一つで、十三宗五十六派の一つである。2023/12/14 06:54:40190.◆JBLfMwCXhYM8Dunこういうのも、過去に調べたことあるけど2023/12/14 06:55:00191.◆JBLfMwCXhYM8Dun華厳の話は、何度きいても忘れてしまう😅2023/12/14 06:55:19192.◆JBLfMwCXhYM8Dun初心者用のコピペで思いだそう😄2023/12/14 06:55:43193.◆JBLfMwCXhYM8Dun重々無尽の縁起華厳思想の中心になるのは、この世界の実相は個別具体的な事物が、相互に関係しあい(相即相入)無限に重なりあっているという考え方(重々無尽の縁起)である。この実相を4つの見方「四法界」に分ける。我々の通常のものの見方は事法界で、無自性・空の見方の理法界は仏の世界である。この両者を止揚した無自性・空の世界と具体的個物や現象が妨げあわず共存する理事無礙法界が、修行をすると顕れるが、これは天台の考え方で理と事を分けている点が不徹底である。この分裂をなくせば、最後に、理すなわち無自性・空も消え去り、ただ事物と事物が融通無碍に共存する事々無礙法界という仏の見方に到達し、これが本来の真実一如の世界である。また、華厳では仏の立場になって見るので、三性説もまた唯識とは逆に、仏の側から順に円成実性、依他起性、遍計所執性と説かれる。仏になることを目的とするのではなく、最初から仏の立場に自分を置いて考え、行動することを求めるのが華厳思想であるから、華厳経の一部の十地品に説かれるとおり、菩薩初地で信不退転となれば、あとは菩薩第十地までは自ずから到達するはずで、結局菩薩の初心にあるべき金剛の信が決定的に重要だと考える。2023/12/14 06:56:36194.◆JBLfMwCXhYM8Dun性起説仏性についての考え方では天台宗が性具説を説き凡夫が次第に修行によって自らに十分備わっていない外来の仏性に救いとられて、目覚めさせられて行くと説くのに対し、華厳宗では性起説を説き、もともと衆生には円満な仏性が備わっているという如来蔵の考え方をとり、それが信じられず自覚しようとしないので迷うのだと考える。2023/12/14 06:56:51195.◆JBLfMwCXhYM8Dun華厳経の位置づけ天台宗の教相判釈(経典の内容を分析し、成立の順序や内容の高低を判定する)・五時八教の教判(天台大師智顗による)では、華厳経は最初に説かれ、仏のさとったままの言葉を記したもので、凡夫には理解しがたいものとしている。2023/12/14 06:57:11196.◆JBLfMwCXhYM8Dunそうだ華厳といえば、事々無礙法界だ思い出した😄2023/12/14 06:59:41197.◆JBLfMwCXhYM8Dunゲルク派は中論、法相宗は唯識論ん華厳宗は如来蔵思想2023/12/14 07:00:25198.◆JBLfMwCXhYM8Dun法華経を信仰するのが天台宗で、華厳経を信仰するのが華厳宗だ2023/12/14 07:08:15199.◆JBLfMwCXhYM8Dun「倶舎論や唯識論の話は、何度きいても忘れてしまう」という人もいるけど当方も同じだ華厳宗や浄土真宗の話は、何度きいても忘れてしまうそのたびに、最初からやり直しだ😅2023/12/14 07:09:38200.神も仏も名無しさんAUPyF>>196俺は華厳のほうが板についてる〜華厳宗高山寺派の唯一一子伝承者様だからな〜😄2023/12/14 07:15:02201.神も仏も名無しさんAUPyF臨済宗禅では俺よりレベル高いのはいるので威張れない😄2023/12/14 07:15:42202.神も仏も名無しさんAUPyF華厳宗高山寺派が現存してないのでとても威張れる😄2023/12/14 07:16:43203.神も仏も名無しさんAUPyF現在華厳宗もさほど神秘主義極めてなさそうなので割合威張れるな天台宗、真言宗は少数鍛えているのはいそうである唯識は、鍛えているのはなさそう😄2023/12/14 07:18:49204.神も仏も名無しさんAUPyF>>193余裕でその内容を日常生活で禅定ダウンロードてきるな〜😄2023/12/14 07:25:04205.神も仏も名無しさんAUPyFほーかいくんがやや、メンタルピンチ〜😫2023/12/14 07:53:04206.◆JBLfMwCXhYxzoEU>>205相変わらず、ナイーブですな~😅鹿なんか、ふだんは無視してたまに気が向いたときだけ小バカにしてりゃいいのに😂2023/12/14 08:16:52207.◆JBLfMwCXhYxzoEU>>200素晴らしいな?😆2023/12/14 08:17:29208.◆JBLfMwCXhYxzoEUこれからは華厳だ~😄2023/12/14 08:17:45209.神も仏も名無しさんAUPyF>>208華厳の悟りは海印三昧と華厳三昧、海印なので光はブルーたビューティフル〜😄どやピンポイントは抑えとる、唯識やキリスト教神学、ゲルク派よりもリアクションしやすい仕事日でも😄2023/12/14 08:55:18210.神も仏も名無しさんAUPyF仕事日の神秘主義系統でリアクションてきるのは天台華厳真言あたりやな😄2023/12/14 08:56:16211.◆JBLfMwCXhYDYyT5華厳のピンポイントを押さえたな~😄2023/12/14 15:14:33215.神も仏も名無しさん7TQHSアポーンボタンぽちっとな2023/12/14 20:27:37216.◆JBLfMwCXhY6Mkd6華厳といえば、第一人者鎌田 茂雄華厳の思想 (講談社学術文庫)2023/12/15 06:24:13217.◆JBLfMwCXhY6Mkd6目次序 日本文化と『華厳経』 1.『華厳経』の世界 2.日本人の自然観のなかに定着した華厳思想 3.新しい世界観としての華厳思想1 『華厳経』とは何か――『華厳経』の構成と思想 1.雑華(ぞうけ)によって飾られた無限大の仏 2.『華厳経』の構成 3.善財童子の求道(ぐどう) 4.『華厳経』の説く仏とは何か 5.2つの心――浄心と妄心 6.人間の心の構造――唯識と華厳2 華厳宗の成立 1.華厳宗成立の思想的背景 2.華厳宗の開祖・杜順(とじゅん) 3.華厳教学の創始者・智儼(ちごん) 4.華厳宗の大成者・法蔵 5.華厳と禅との融合・澄観(ちょうかん) 6.『円覚経(えんがくきょう)』の大研究者・宗密3 華厳思想の核心 1.小乗と大乗 2.大乗始教(しきょう)と大乗終教(じっきょう) 3.大乗頓教――一念不生を仏となす 4.大乗円教――華厳思想の至境 5.四種(ししゅ)の真理の領域――四種法界(ほっかい) 6.華厳の観法4 華厳思想の流れ 1.新羅(しらぎ)の華厳 2.日本の華厳2023/12/15 06:24:30218.◆JBLfMwCXhY6Mkd6目次を見ただけで、華厳宗の概要を思い出せるな(笑)2023/12/15 06:25:01219.◆JBLfMwCXhY6Mkd6日頃、華厳宗について考えることがないので時間がたつと忘れる(笑)2023/12/15 06:25:25220.◆JBLfMwCXhY6Mkd6浄土真宗とかもそうだが2023/12/15 06:25:39221.神も仏も名無しさんYXS1c3.善財童子の求道(ぐどう)俺はリアル善財童子の求道(ぐどう)😄ほんと超能力で霊的なイエス・キリストの話まで聞きに行く😄2023/12/15 07:00:39222.神も仏も名無しさんYXS1cイエス・キリストからのお役目が仏教修行のネタになる華厳そのものだ😄2023/12/15 07:01:31223.◆JBLfMwCXhY6Mkd6リアル善財童子か、いいな~😄2023/12/15 07:06:42224.◆JBLfMwCXhY6Mkd6まあ、善財童子もリアルじゃ会えないお方たちと、神通力で面会してるしな~😄2023/12/15 07:07:17225.◆JBLfMwCXhY6Mkd6沢庵和尚とも対話できるな~😄2023/12/15 07:08:52226.神も仏も名無しさんYXS1c大乗頓教――一念不生を仏となす真言では阿字本不生とかに変化ただろなロンなら、当人はわかっちゃいないが、あれだ😄俺は魔改造するので仏すらなく、流動化魔改造まで解釈してまう一即多多即一をやりつつ😄華厳、真言は板についているのでスイスイと出てくるな〜板についているのに出しようがないのが臨済宗曹洞宗なら仕事日無関係でも出やすいほうだ😄2023/12/15 07:10:00227.神も仏も名無しさんYXS1c>>223最近はリアル善財童子で休日は山伏念仏ブームだった>>225沢庵和尚は対話したことない😫裏で俺を本気で操る裏元締め存在、どちらかというと修行ヒントネタで武道がらみの山岡鉄舟がらみの系統が宿題を多くもらう、修行実践対話体得はいつも墓参りした高僧と妙心寺開山だ😄2023/12/15 07:14:10228.神も仏も名無しさんYXS1cな、華厳は俺の裏庭だあの華厳宗高山寺派の舎利礼文作ったスター坊主にめちゃんこ好かれとる、霊的には相当な相思相愛に近い、関与少ないし修行意欲ゼロなんだけど休日のマイブームは念仏山伏であり、来週は神道、ヒンズー教、イスラム教、ユダヤ教、キリスト教に霊的探求したい😄2023/12/15 07:18:50229.神も仏も名無しさんYXS1cローラーは爆発するのに期待昨夜ローラー爆破魚雷〜架空仏教パーティー魚雷を連射した😄2023/12/15 07:40:48230.◆JBLfMwCXhYIZ2bLウンコローラーは、停戦協定を結んでいるな?2023/12/15 13:01:03231.◆JBLfMwCXhYIZ2bLさすがに、敵を増やしすぎたか2023/12/15 13:01:24232.◆JBLfMwCXhYIZ2bLあれじゃ、やりにくいだろ、さすがに😅2023/12/15 13:02:05233.神も仏も名無しさんVpc4jJBLさんは平和協定しないんですか?2023/12/15 18:09:35234.◆JBLfMwCXhY4RpmR平和協定?2023/12/15 18:15:58235.◆JBLfMwCXhY4RpmR鹿が、麦を除く全員に対して一方的に攻撃してただけだ😅2023/12/15 18:30:25236.◆JBLfMwCXhY4RpmR「お互いさま」みたいな話に持っていきたがるのは、インチキ宗教のバカ信者の常套手段😅2023/12/15 18:30:58237.◆JBLfMwCXhYiSBxH華厳宗とは、当時の中国である唐の地論宗を原点に、唐の僧、杜順が興した宗派です。華厳宗の教示である華厳経学は、歴史の中でさまざまな宗派の教示を取り入れて完成に至りました。現代では、仏教思想の代表のひとつとされています。華厳宗は葬礼を行う慣習がないため、華厳宗の方の葬礼をする際は、他の宗派にお願いし執り行います。ここでは現代仏教のひとつ、華厳宗について紹介します。2023/12/16 07:53:12238.◆JBLfMwCXhYiSBxH華厳宗とは華厳宗は奈良仏教に属し、三論宗、法相宗、倶舎宗、律宗、成実宗と合わせて南都六宗と呼ばれます。南都六宗は奈良仏教が開かれた当時からの呼び名ではなく、平安仏教が興った際に、京都から見て南で起きた宗派という意味でつけられました。華厳宗を興したのは唐の僧侶である杜順です。2023/12/16 07:53:50239.◆JBLfMwCXhYiSBxH華厳宗のもとになった地論宗は、唯識派の世親が解説した十地経論を原点に、唐で興りました。十地経論は華厳経に組み込まれたとされているため、大きな影響を受けていることがわかります。その後、杜順が当時の中国で信仰されていた地論宗をもとにして華厳宗を興しました。華厳宗には宗祖の系譜が存在し、日本における華厳宗は、華厳宗の第3祖法蔵の門下である審祥によって伝えられました。2023/12/16 07:54:27240.◆JBLfMwCXhYiSBxH日本で華厳宗が本格的に広まるきっかけとなったのが、審祥が東大寺で華厳宗の講義をした時代であるとされています。しかし、鎌倉時代に入ると鎌倉仏教が主流となり、教示が哲学的で難しかった華厳宗は庶民にうまく広まらず、一時期は勢いが弱まりました。しかし、高弁や凝然の働きにより華厳宗は再び勢いを強めました。そして現代では、華厳経学は仏教思想の代表として位置づけられています。2023/12/16 07:54:52241.◆JBLfMwCXhYiSBxH大本山は奈良時代、聖武天皇によって建立された東大寺です。金光明四天王護国之寺、総国分寺、大華厳寺と呼ばれることもあります。本尊は「奈良の大仏様」で親しまれている毘盧舎那仏です。2023/12/16 07:55:05242.◆JBLfMwCXhYiSBxH華厳宗の教示である華厳経は経典の中でも体得が困難なものと位置づけられています。その理由は、歴史の流れの中で法相宗や天台宗の教示を取り入れて発展してきたことにあります。華厳宗の教示である華厳経は、さまざまな宗派の教示を取り入れて完成しました。そのため、ほかの宗派と比べて独特な体系が築かれています。また、華厳宗は修練が厳しいことで知られており、高名な僧でも完全な悟りに至るのは難しかったようです。華厳宗を興した杜順も最後まで終えられず、華厳宗の祖師にあたるインド仏教の僧、ナーガールジュナも52段中41段までの悟りが限度だったようです。2023/12/16 07:55:49243.◆JBLfMwCXhYiSBxH華厳宗の教示である華厳経学は、華厳経をもとに日本で独自の発展を経て体系化された宗学です。華厳経学の特徴としてよく例にあがるのは、四法界という世界の見方です。四法界とは仏の心に映る世界を表します。四法界の名の通り、世界は4つの見方ができるということです。4つの見方にはそれぞれ名前があり、事法界、理法界、理事無礙法界(りじむげほっかい)、事事無礙法界(じじむげほっかい)と呼ばれています。四法界という世界の見方を通じて示されていることは「自分本位にならない」ということです。偏ったものの見方や、自分に都合のいいように物事を解釈せず、出来事や存在するものをありのままに見ることが大切だと教えられています。2023/12/16 07:56:32244.◆JBLfMwCXhYiSBxH華厳宗と天台宗はよく対比されます。両宗派に共通することは、どちらも独自の宗学体系を築き上げているということです。現代まで、華厳経学派と天台学派は対立してきました。華厳経学派と天台学派には優劣問題が生じており、華厳経学派は、天台宗を一段下ったところに位置づけていたことがわかっています。一方で、唐の僧である宗密は華厳経を最高のものとしながらも、顕示真心即性教に属すし、深浅に違いがないと記しています。このように議論はありますが、華厳経学が四法界なのに対して、天台学は十界という世界の見方があり、両宗派の宗学ではものの捉え方が違うことがわかります。2023/12/16 07:57:08245.◆JBLfMwCXhYiSBxH日本では、天台宗系が仏教界の主流派2023/12/16 07:57:49246.◆JBLfMwCXhYiSBxH日蓮宗は、民衆のための天台宗2023/12/16 07:58:00247.◆JBLfMwCXhYiSBxH朝鮮では、華厳宗系が仏教界の本流だった2023/12/16 07:58:22248.神も仏も名無しさんfm2P5>>240高弁の唯一一子継承者の俺ちゃまだ〜😄弟子は現存してないので明言できる〜ほんと、高弁の修行の地を利用した天台密教寺院があるが高弁とコンタクトとったあとは、その天台密教の禅定をぶっ壊して高弁がく〜るきっと、く〜る♫華厳宗高山寺派の禅定で俺の脳はハイジャックされ天台密教の欠片もない😄2023/12/16 08:08:03249.神も仏も名無しさんfm2P5俺にとれば中論、唯識、ゲルク中論、キリスト教神学がとても難解だ華厳教学、真言密教教学のほうはめちゃんこ楽チン😄2023/12/16 08:09:14250.神も仏も名無しさんfm2P5>>247華厳と禅のハイブリッド😄2023/12/16 08:10:06251.神も仏も名無しさんfm2P5>>242>華厳宗の教示である華厳経は経典の中でも体得が困難なものと位置づけられています。高弁の修行の地にある真言宗寺院で華厳経の現在語訳を読み、高弁とディープナ関係になった😄其れ故に天台密教寺院我あっても俺の脳内は華厳経と高弁によってその禅定に強制介入されて天台密教の禅定我あじわえない〜😄2023/12/16 08:13:35252.神も仏も名無しさんfm2P5三井寺、チベット、華厳は俺に強烈な好みの禅定快感で攻めてくるのでほぼ休日には関心持たない😄脳は謎多き山伏と當麻寺などの念仏から突入する😄2023/12/16 08:15:46253.神も仏も名無しさんfm2P5https://www.yuasa-kankokyokai.com/spot/2104/ここでお堂周りの板の上て高弁明恵と華厳経の現在語訳を読みディープな禅定デートしてたな〜😄一度で大快楽で満足したのでここへは行っていない😄2023/12/16 08:18:51254.◆JBLfMwCXhYiSBxH高弁明恵(みょうえ)は、鎌倉時代前期の華厳宗の僧。法諱は高弁(こうべん)。明恵上人・栂尾(とがのお)上人とも呼ばれる。父は平重国。母は湯浅宗重の四女。現在の和歌山県有田川町出身。華厳宗中興の祖と称される。2023/12/16 08:23:59255.◆JBLfMwCXhYiSBxHへえ、そんな人がいたのか2023/12/16 08:24:10256.神も仏も名無しさんfm2P5このお堂に座り華厳経の現在語訳を読みながら華厳経ワールド堪能しながら〜一時間ディープな禅定にハマっていた😄https://encrypted-tbn0.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcSSklnieL7SgaZd35EQUnuH40kwXzzYd5W7Fw&usqp=CAU2023/12/16 08:24:13257.◆JBLfMwCXhYiSBxH華厳宗は、鎌倉時代に盛り返していたのか2023/12/16 08:24:34258.神も仏も名無しさんfm2P5>>255法然批判の急先鋒😄2023/12/16 08:24:43259.◆JBLfMwCXhYiSBxH>>256すばらしいな?😄2023/12/16 08:24:49260.◆JBLfMwCXhYiSBxH>>258そうだったのか2023/12/16 08:25:09261.神も仏も名無しさんfm2P5>>257仏教寺院で読まれる舎利礼文は明恵作だったと思う😄2023/12/16 08:25:34262.神も仏も名無しさんfm2P5休日娯楽では法然軍団大好きやけどな〜😄明恵へ無関心😄2023/12/16 08:27:52263.神も仏も名無しさんfm2P5今日は脳内では、法然軍団と當麻寺が脳内探求してるかも〜仕事疲れ回復に😄2023/12/16 08:29:13264.神も仏も名無しさんfm2P5明恵に関与したのは2006年に高野山宿坊初泊まりしたのでそれから後近辺の頃やろな😄2023/12/16 08:42:23265.神も仏も名無しさんfm2P52005年頃は明恵に関与してなかったので明恵を祭りあげている天台密教寺院の禅定雰囲気を味わえたのになあ〜😄2023/12/16 08:43:35266.◆JBLfMwCXhYRE4Fr法然と明恵がせめぎあっているんだな😄2023/12/16 12:33:21267.神も仏も名無しさんB0bFEというか明恵に満足して法然に謎を感じているという感じかな😄2023/12/16 15:55:13268.神も仏も名無しさんB0bFE昼寝2時間半お目覚めごきげんだ〜クリスマス外人賛美動画をみる😄2023/12/16 15:56:18269.神も仏も名無しさんB0bFE黒人がご機嫌に賛美歌ってる😄2023/12/16 15:56:59270.神も仏も名無しさんB0bFEhttps://m.youtube.com/watch?v=SuioyS6bGz42023/12/16 15:57:59271.神も仏も名無しさんB0bFEサティが嫌って絶対に見ない教団動画😄2023/12/16 15:58:43272.神も仏も名無しさんB0bFE魂は主を賛美だ〜〜〜😄2023/12/16 15:59:04273.◆JBLfMwCXhYP2LLi華厳宗日本では、南都六宗の一つであり、奈良の東大寺を総本山とする宗派。2023/12/17 06:46:25274.◆JBLfMwCXhYP2LLi教義華厳宗の教義は、すべてのものの円融無碍(えんにゅうむげ)なる関係を説くもので、大乗仏教の縁起説の究極的な発展形態を示す。密教の教理の背景は華厳思想にあり、さらに禅の思想のなかにも生きている。東大寺を中心として栄えた華厳宗は、明治初年に浄土宗の所轄となったことがあったが、1886年(明治19)に一宗として独立し現在に至っている。2023/12/17 06:46:52275.◆JBLfMwCXhYP2LLi中国の華厳宗唐代の杜順を始祖として、至相、賢首と相続し、彼が体系を作ったので、賢首宗(げんじゅしゅう)とも呼ばれる。賢首から、清涼、宗密と続き、以上の5人が大唐の五祖と言われる。宋代の浄源は、大唐の五祖の上に、インドの馬鳴と龍樹を置いて七組を唱えた。2023/12/17 06:47:42276.◆JBLfMwCXhYP2LLi『華厳経』を所依の経典とし、天台宗と並んで中国仏教の双璧(そうへき)といわれる。東晋(とうしん)末、北インド出身の僧ブッダバドラ(仏駄跋陀羅)によって『華厳経』が翻訳されてから、『華厳経』の研究が盛んとなり、とくに511年にはインドの論師バスバンドゥ(世親)の著書『十地経論』(『十地経』として単独で流布した『華厳経』十地品(じゅうじぼん)に解釈を施した論書)が、勒那摩提と菩提流支の2人によって伝訳された。この『十地経論』を所依として南北朝時代に成立した学派が地論宗である。地論宗南道派から出た浄影寺の慧遠は、『大乗義章』を著して地論宗の教義を大成した。その地論宗の教義が華厳宗成立の学問的基礎となった。2023/12/17 06:48:14277.◆JBLfMwCXhYP2LLi一方、『華厳経』を信仰するグループもつくられ、華厳宗成立の基盤が成熟した。そこに現れたのが神秘を現ずる杜順であり、彼が華厳宗の信仰面における宗祖とされた。また新しく中国に伝えられた玄奘の唯識説を採用しながら、従来の地論宗の学説を発展させたのが、華厳宗の第二祖とされる智儼である。この智儼の学問を受けて華厳宗の哲学を大成させたのが賢首大師法蔵であった。それ以後、澄観(ちょうかん)、宗密(しゅうみつ)が出て華厳宗を中興させたが、優れた後継者が得られず、禅宗の勃興(ぼっこう)に押されて衰亡した。宋(そう)代に一時復興したが、その後は衰微した。2023/12/17 06:48:42278.◆JBLfMwCXhYP2LLi日本の華厳宗日本には、公式には、天平8年、唐の道璿が来朝して、華厳の章疏を伝えた。これ以前に、新羅の審祥が唐に行き、賢首について華厳を学び、来朝して大安寺に住んだという記録が残っている。天平12年、良辨が審祥を東大寺に迎えて、初めて華厳を講義させたことが初めである。鎌倉時代には宗性、凝然が出て中興し、また高弁(=明恵)が栂尾(とがのお)高山寺を開き、華厳の宗風を宣揚した。しかし江戸以降は檀(だん)信徒主体の宗派のなかで宗勢は振るわなかった。2023/12/17 06:49:00279.◆JBLfMwCXhYP2LLi天台宗と華厳宗中国仏教の双璧2023/12/17 06:49:27280.◆JBLfMwCXhYP2LLi天台宗と華厳宗は、日本と朝鮮にも伝わった2023/12/17 06:49:52281.◆JBLfMwCXhYP2LLi天台宗は、日本の仏教界の主流になり華厳宗は、朝鮮の仏教の主流になった2023/12/17 06:50:27282.◆JBLfMwCXhY0EpDQ華厳宗が衰退した理由として挙げられるのは1、教義が難解2、檀家制度がなかった3、葬式をやらない2023/12/17 06:51:50283.◆JBLfMwCXhY0EpDQ華厳宗の寺といったら、奈良の大仏こと東大寺だ2023/12/17 06:52:52284.神も仏も名無しさんXNh8J高弁の華厳は東大寺に来た華厳よりも中国後半の華厳の影響がある密教と組み合わせたそれを華厳宗高山寺派という現存してないので俺は唯一一子継承者を自称てきる😄2023/12/17 07:01:29285.神も仏も名無しさんXNh8J奈良は華厳宗の寺はいくらかある、だが空海時代の華厳は密教化、あとは念仏軍団が多くなったらしい😄2023/12/17 07:02:35286.◆JBLfMwCXhY0EpDQ法相宗は、薬師寺と興福寺しかないけど華厳宗はいくつかあるんだな~😄2023/12/17 07:17:46287.◆JBLfMwCXhY0EpDQ高弁明恵の継承者か~😄2023/12/17 07:18:16288.神も仏も名無しさんXNh8J>>286独立したの京都清水寺、斑鳩の法隆寺は元法相宗マニヤやろ〜😄2023/12/17 07:52:44289.神も仏も名無しさんXNh8J三論宗も滅びたので自称唯一伝承者が言えるなあ〜😄2023/12/17 07:53:54290.神も仏も名無しさんXNh8J鎌倉期以降の奈良仏教の念仏軍団と山伏軍団は未だに謎が多い、単立になってる奈良正暦寺の禅定感覚は異様だ謎だ😄2023/12/17 07:55:38291.神も仏も名無しさんXNh8J奈良の寺院は超マニアっくに攻めているドマイナーな寺とかも禅定狙い〜😄2023/12/17 07:57:39292.神も仏も名無しさんXNh8Jマニアな誰も知らないだろう寺は正暦寺、霊山寺、奈良の四天王寺墓地分院、室生寺とかな〜大阪方面だと国分寺、千手寺、あと、もう一つ東大阪にある、名前デテコん😄生駒の山伏寺はまだ行ったことがない2023/12/17 08:00:32293.◆JBLfMwCXhYmj6UO>>288マニアですな~😄2023/12/17 08:05:58294.◆JBLfMwCXhYiZsE2ちと、テンプレを見直すか2023/12/17 09:07:22295.◆JBLfMwCXhYiZsE2中観派のとこが弱すぎる(笑)2023/12/17 09:07:42296.◆JBLfMwCXhYiZsE2中観派ちゅうがんはインド大乗仏教において瑜伽行(ゆがぎょう)派と並んで重要な学派で、龍樹(りゅうじゅ)(2、3世紀)の『中論』などを基本的な典籍とする。龍樹は般若(はんにゃ)経典を背景として、「すべては、人間が想定しがちな不変で固定的な本質をもつものではない」という空(くう)の思想を、論理性の高い表現によって、日常的なことばや思考のもつ矛盾を暴露することを通じて明らかにした。その後、提婆(だいば)(3世紀)は龍樹の考えを体系化しようと努力し、5、6世紀には仏護(ぶつご)が『中論』の忠実な注釈を試み、清弁(しょうべん)は空の思想を論理学的な推論式で積極的に論証する方法を確立、7世紀には月称(げっしょう)が清弁を批判して、相手の論法に沿った形でその論法の不合理性を明らかにする帰謬(きびゅう)論証のほうがより有効であるとした。後代、中観派が清弁側の独立論証派と月称側の帰謬論証派に分裂するのは、この月称の批判が起因とみなされる。この時期、瑜伽行派と鋭く対立したが、8世紀には、中観派優位の立場で総合が図られる。[江島惠教]2023/12/17 09:08:12297.◆JBLfMwCXhYiZsE2インドの仏教思想 主な流れ1、初期仏教:紀元前6世紀頃お釈迦様の教え2、上座部(テーラワーダ):紀元前5世紀頃仏教界の根本分裂3、説一切有部(倶舎論):西暦200年頃~仏教の基礎理論を体系化4、経量部(倶舎論):西暦300年頃~説一切有部からの分派5、中観派(中論):西暦200年頃~すべては空であり実体が無い6、唯識派(唯識論):西暦400年頃~世界は認識のみ7、如来蔵思想:誰でも成仏できる上記2~6と同時並行的に発展(2~4が小乗仏教、5~7が大乗仏教)※ チベット仏教ゲルク派では、説一切有部・経量部・中観派・唯識派が「四大学派」とされる2023/12/17 09:08:26298.◆JBLfMwCXhYiZsE2う~ん「唯識派(唯識論)」というのは、いかがなものか2023/12/17 09:09:03299.◆JBLfMwCXhYiZsE2それを言うなら、瑜伽行派(唯識論)でしょうな、やっぱり2023/12/17 09:10:00300.◆JBLfMwCXhYiZsE2インドの仏教思想 主な流れ1、初期仏教:紀元前6世紀頃 お釈迦様の教え2、上座部(テーラワーダ仏教):紀元前5世紀頃 仏教界の根本分裂3、説一切有部(倶舎論):紀元前1世紀頃 仏教の基礎理論を体系化4、経量部(倶舎論):西暦300年頃~ 説一切有部からの分派5、中観派(中論):西暦200年頃~ 大乗仏教はここから始まる6、瑜伽行派(唯識論):西暦400年頃~ 中観派と並ぶ大乗仏教の二大学派7、如来蔵思想:上記の流れとは独自に展開、 誰でも成仏できるという思想2023/12/17 09:19:51301.◆JBLfMwCXhYiZsE2だいぶ、スッキリしたな2023/12/17 09:20:07302.◆JBLfMwCXhY1NSQiインドの仏教思想 主な流れ1、初期仏教:紀元前6世紀頃 お釈迦様の教え2、上座部 (テーラワーダ仏教) : 紀元前5世紀頃 仏教界の根本分裂3、説一切有部 (倶舎論) : 紀元前1世紀頃 仏教の基礎理論を体系化4、経量部 (倶舎論) : 西暦300年頃~ 説一切有部からの分派5、中観派 (中論) : 西暦200年頃~ 大乗仏教はここから始まる6、瑜伽行派 (唯識論) : 西暦400年頃~ 中観派と並ぶ大乗仏教の二大学派7、如来蔵思想 : 上記の流れとは独自に展開、 誰でも成仏できるという思想2023/12/17 09:22:17303.◆JBLfMwCXhYAEAAX説一切有部が西暦200年になってた2023/12/17 09:23:55304.◆JBLfMwCXhY4YWfcこれは大きな誤りだ2023/12/17 09:24:03305.◆JBLfMwCXhYkTiF3インドの仏教思想 主な流れ1、初期仏教 : 紀元前6世紀頃 お釈迦様の教え2、上座部(テーラワーダ仏教):紀元前5世紀頃 いわゆる小乗仏教、南方で継承される3、説一切有部(倶舎論):紀元前1世紀頃 部派仏教の時代、最も有力な部派4、経量部(倶舎論):西暦300年頃~ 説一切有部から分派、世親はここの出身5、中観派(中論):西暦200年頃~ 空と縁起の思想、大乗仏教の始まり6、瑜伽行派(唯識論):西暦400年頃~ 阿頼耶識が登場、大乗二大学派のひとつ7、如来蔵思想:上記の流れとは独自に展開、 「誰でも成仏できる」という思想2023/12/17 09:31:04306.◆JBLfMwCXhYvrI9aこんな感じでいいか2023/12/17 09:31:28307.◆JBLfMwCXhYJ8AEbインドの仏教思想 主な流れ1、初期仏教:紀元前6世紀頃 お釈迦様の教え2、上座部 (テーラワーダ仏教) : 紀元前5世紀頃 いわゆる小乗仏教、南方で継承される3、説一切有部 (倶舎論) : 紀元前1世紀頃 部派仏教の時代、最も有力な部派4、経量部 (倶舎論) : 西暦300年頃~ 説一切有部から分派、世親はここの出身5、中観派 (中論) : 西暦200年頃~ 空と縁起の思想、龍樹が始めた大乗仏教6、瑜伽行派 (唯識論) : 西暦400年頃~ 阿頼耶識が登場、大乗二大学派のひとつ7、如来蔵思想 : 上記の流れとは独自に展開、 「誰でも成仏できる」という思想2023/12/17 09:34:44308.◆JBLfMwCXhYsRf8yインドの仏教思想 主な流れ1、初期仏教 : 紀元前6世紀頃 お釈迦様の教え2、上座部 (テーラワーダ仏教) : 紀元前5世紀頃 いわゆる小乗仏教、南方で継承される3、説一切有部 (倶舎論) : 紀元前1世紀頃 部派仏教の時代、最も有力な部派4、経量部 (倶舎論) : 西暦300年頃~ 説一切有部から分派、世親はここの出身5、中観派 (中論) : 西暦200年頃~ 空と縁起の思想、龍樹が始めた大乗仏教6、瑜伽行派 (唯識論) : 西暦400年頃~ 阿頼耶識が登場、大乗二大学派のひとつ7、如来蔵思想 : 上記の流れとは独自に展開、 「誰でも成仏できる」という思想2023/12/17 09:35:15309.◆JBLfMwCXhYDmg3c毎回、内容が変わるようじゃテンプレとは言えない(笑)2023/12/17 09:35:37310.◆JBLfMwCXhYApZHFラピスのスレくらいワンパターンじゃないと2023/12/17 09:35:53311.◆JBLfMwCXhY7iNsW仏 教龍樹と空(中観)龍樹 龍樹は西暦150~250年頃の人で、ナーガールジュナ(Nagarjuna)といいます。デカン高原のクリシュナ川流域にナーガルジュナコンダ Nagarjunakonda(ナーガルジュナサーガル Nagarjuna Sagar)という地名があり、そこに有名な仏教遺跡がありますが、そこの出身ともいわれます。 インドのバラモン(婆羅門)の学問をすべて習得したのち仏教に転向して、当時の上座部仏教と初期大乗仏教とを学んで大乗仏教に傾倒し、あまたの諸経典に通暁し、初期般若経典の空をもって大乗仏教の地位を確立した大論師です。2023/12/17 09:37:55312.◆JBLfMwCXhY7iNsW龍樹出現の意義 龍樹の功績はなんといっても、大乗仏教を体系づけ、理論武装して伝統的な部派仏教(小乗)に比肩するに値するものとならしめたことにあります。龍樹の出現がなければ、大乗仏教はただの異端な在俗信徒による俗信に留まっていたかもしれません。2023/12/17 09:38:08313.◆JBLfMwCXhY7iNsW龍樹の教学龍樹は、仏教の原初からあった「空」の考えかたを、般若経の「空」の解釈により深め体系化しました。その「空」の思想は中観派として後に多大な影響を及ぼします。龍樹以後の大乗仏教は多かれ少なかれ彼の影響下にあり、龍樹は八宗の祖とたたえられます。ただし、その仏教は在俗信徒をも含めた在家仏教的な初期大乗を、出家仏教にならしめてしまったという面があります。さらには、上座部仏教の煩瑣な教理に対峙していた大衆的で平易な初期大乗を、煩瑣で難解なものにしてしまったかも知れません。2023/12/17 09:38:33314.◆JBLfMwCXhY7iNsW空「空」のサンスクリットの原語は sunya であり、欠如という意味です。また、インド人が発見した0(ゼロ)という数字を表します。当初の仏教経典では単に「空虚」や「欠如」という意味に用いられていたようです。紀元前後に『般若経』が成立する以前には、「空」が仏教の中心思想であるような主張はないそうです。初期大乗の『般若経』が成立しだすと、『般若経』は部派仏教(小乗)を批判します。上座部仏教の固定化した型に対して、「空」の立場から批判するのです。また、『般若経』では何ものにもとらわれない「空」の立場に立ち、またその境地に至るための菩醍の行(六波羅蜜)の実践を説きます。その中でも般若波羅蜜の体得が強調されます。龍樹はこれを受けて、空の思想を論理的・哲学的に整理し、それまでの部派仏教の思想がその原理を固定化・実体化すると矛盾に陥ることを示して論破しています。すべてのものは実体がなく空である(無自性)という立場を表明しています。2023/12/17 09:38:49315.◆JBLfMwCXhY7iNsW龍樹の著作主著は『中論』(『中頌』 大正新脩大藏經 30巻1頁)です。また、『大智度論』『十住毘婆沙論』『十二門論』などは有名で、中国や日本に重要な影響を与えました。しかし『大智度論』『十住毘婆沙論』『十二門論』は、漢訳のみしか存在せず、真作であるかどうか疑われています。なお、真作としては、『廻諍論』(大正新脩大藏經 32巻13頁)『空七十論』『広破論』があります。2023/12/17 09:39:05316.◆JBLfMwCXhY7iNsW龍樹の逸話龍樹について面白い伝承があります。龍樹が出家する前に、隠身の術により仲間とともに宮中の美女のいる後宮(こうきゅう)に忍び込んで快楽を尽くしました。しかし、対策を講じた王により、忍び込んだ4人のうち龍樹を除く3人が即死する結果となり、欲望は苦の原因であると悟って出家したということが、鳩摩羅什訳の『龍樹菩薩傳』(大正新脩大藏經50巻184頁)の前半にあります。2023/12/17 09:39:32317.◆JBLfMwCXhY7iNsW龍樹と中国仏教 龍樹の中観仏教を中国にもたらしたのは、訳経者として著名な鳩摩羅什(350-409頃)です。この系統から三論宗が成立しました。この鳩摩羅什は、『坐禅三昧経』『阿弥陀経』『大品般若経』『法華経』『維摩経』『大智度論』『中論』などを訳している名訳者です。ただ、その訳経には般若経典に関わりのない『法華経』にすら中観派の思想が混入しているという指摘もあります。2023/12/17 09:39:48318.◆JBLfMwCXhY7iNsWう~ん最後の天台智顗うんぬんが余計かも😅5 ◆JBLfMwCXhY 2023/12/06(水) 08:40:51.58 ID:ptW6V中観派は「空」の思想を唱えた実体を持って存在するものなど一切、認めなかった「空」の理論の大成は、龍樹の『中論』などの著作によって果たされた空と中観は大乗仏教の基礎理論であり、龍樹は大乗の第一祖とされる後に、中国仏教の天台智顗の三諦論(中、空、仮の3つの諦)という形でまとめられた2023/12/17 09:41:43319.◆JBLfMwCXhY7iNsWまあいいや中観派は苦手だ説明できん(笑)2023/12/17 09:43:14320.◆JBLfMwCXhY7iNsW次からは、>>5を外そう2023/12/17 09:43:37321.◆JBLfMwCXhY7iNsW大乗仏教の創始者はナーガールジュナ(龍樹)といい、大乗仏教の第一祖で龍樹菩薩とも呼ばれます。大乗仏教が確立したのはナーガールジュナが空論と中観論という理論を作ったからです。この空と中観の概念がお釈迦様が悟ったことというのが大乗仏教の立場です。2023/12/17 09:46:09322.◆JBLfMwCXhY7iNsW大切なのは大乗仏教では無条件の信仰も超自然的なオカルト的精神状態も必要としていません。空と中観を思考によって理解し納得することが仏教の核心です。2023/12/17 09:46:19323.◆JBLfMwCXhY7iNsW何かが分かるとは理解すること、その理解に基づいて納得することです。そのためにはその何かがきちんと説明されていないといけません。お釈迦様の時代の人類の発展度ではお釈迦様が悟った内容は説明が難しかったのだと思います。お釈迦様の教えはお経などの仏教の文書で残されていますがお釈迦様が悟ったことが空や中観であるかどうかもはっきりしません。おそらく当時の知的水準ではお釈迦様の空と中観の説明も曖昧だったのかもしれません。またお釈迦様の教えを残した人々も正しく教えを理解していたかどうかも怪しいと思います。2023/12/17 09:46:59324.◆JBLfMwCXhY7iNsWナーガールジュナが仏教の核心として再発見した空と中観は例えば中国仏教の天台智顗の三諦論(中、空、戯(仮)の3つの諦(真理)からなる論)という形でまとめられます。仏教の核心を簡略に伝えると言われる般若心経の「色即是空 空即是色」という言葉は有名でしょう。日本仏教で日蓮は(日蓮が空と中を正しく理解していたかは実際は疑問がある)「三諦論と法華経に帰れ」と主張しました。2023/12/17 09:47:15325.◆JBLfMwCXhY7iNsW仏教の中核は「空」と「中観」であって仏教の必要条件と言えます。極論、独断でいえばお釈迦様にせよその後の宗派にせよ、「空」と「中観」以外の要素は文化や伝統として親しみ継承していけば十分でしょう。2023/12/17 09:47:25326.◆JBLfMwCXhY7iNsW倶舎論と唯識論この2つが、このスレのテーマだ2023/12/17 09:47:47327.◆JBLfMwCXhY7iNsW中観派は、参考意見にすぎない2023/12/17 09:48:03328.◆JBLfMwCXhY7iNsWだが、チベットでは仏教哲学といえば中観派2023/12/17 09:48:50329.神も仏も名無しさんXNh8J二度寝をしてた寒さ故に毛布敷ふとんの中が幸せである〜😄2023/12/17 10:16:14330.神も仏も名無しさんX7tFRお、初雪だ〜クリスマス気分だな〜😄2023/12/17 10:21:55331.◆JBLfMwCXhYEoNBs「ヨーガとは心の働きの止滅(ニローダ)である」という定義から始まる2023/12/17 15:27:45332.◆JBLfMwCXhYEoNBsヨーガ学派の世界観・哲学はサーンキヤ学派(数論)に多くを拠っており、合わせて「サーンキヤ・ヨーガ」学派とも呼ばれるヨーガ・スートラは、ヨガをする人が読んでおきたい基本の教典ヨーガが単なるトレーニングと異なるのは、哲学があることヨーガの哲学が記された書物、それが「ヨーガ・スートラ」2023/12/17 15:28:54333.◆JBLfMwCXhYEoNBs『ヨーガ・スートラ』はラージャ・ヨガを実践し、解脱を得るための知識と実践に関するヨガの教えが書かれた、言わばガイドブック。パタンジャリが編纂したヨガ哲学の根本教典で、「本来の自分とは?」を体験で知る知識(理論)が書かれている。2023/12/17 15:29:13334.◆JBLfMwCXhYEoNBs冒頭でパタンジャリは「心の働きを止滅して」、マインド(心)の活動を止めれば「真我は自分の本来の姿」にとどまる、それ以外の時は「真我は想念の中に同一化する」と教える。理論を支えるのはサーンキャ哲学だ。2023/12/17 15:29:32335.◆JBLfMwCXhYEoNBs解脱したい人のガイドブックそれが、ヨーガ・スートラ2023/12/17 15:29:46336.◆JBLfMwCXhYEoNBsインドの宗教哲学の叡智それが凝縮されている2023/12/17 15:30:00337.◆JBLfMwCXhYEoNBs10分でわかる!わかりやすいヨガ・スートラhttps://www.yoga-gene.com/post-48895/2023/12/17 15:30:15338.◆JBLfMwCXhYEoNBsヨガ・スートラはインドの正統学派の1つであるヨガ派の教典です。現代でもヨガのもっとも権威ある教典として世界中の人に読まれています。2023/12/17 15:30:27339.◆JBLfMwCXhYEoNBs成立時期:4-5世紀ごろ編纂者※1:パタンジャリ流派:ヨガ派哲学・宇宙観:サーンキャ哲学ヨガの種類:ラージャ・ヨガ(王のヨガ)実践法:八支則(アシュタンガ・ヨガ)2023/12/17 15:30:46340.◆JBLfMwCXhYEoNBsヨガ・スートラは4-5世紀ごろにパタンジャリという名前のリシ(聖者)によってまとめられたヨガの教典です。ヨガ・スートラのスートラには「糸」という意味があります。教典の生まれた当時は木の葉に文字を書いて、それを糸で括って書物にしていました。スートラとは、そのように教典をまとめた糸を意味しています。ヨガ・スートラを編纂したとされるパタンジャリがどのような人物であったのかは全く記録が残っていません。誰が書いたのかも不明なのに現代まで読まれているのは神秘的ですね。2023/12/17 15:31:02341.◆JBLfMwCXhYEoNBsインドには6つの正統な哲学学派があるとされますが、ヨガ・スートラはその中のヨガ派の教典です。ヨガ・スートラで実践されるヨガのことをラージャ・ヨガ(王のヨガ)と呼びます。2023/12/17 15:31:15342.◆JBLfMwCXhYEoNBsラージャ・ヨガは心の働きを制御することに重きをおいています。ヨガとは心の働きを止滅させることである。(ヨガ・スートラ1章2節)ヨガ・スートラの冒頭に書いてある通り、最終的には心の働きを完全にコントロールして止めていきます。自分の心や精神について理解してコントロールできるようになるために、八支則(アシュタンガ・ヨガ)という8つの段階を1つずつ順番に練習します。2023/12/17 15:31:29343.神も仏も名無しさん14o17シヴァナンダヨーガもアシュタンガヨガだと聞いたよーな気がする〜😄2023/12/17 16:05:14344.神も仏も名無しさん14o17アタマワルイので脳が疲れすい〜ヨガスートラ読書停止中〜😄😄2023/12/17 16:11:49346.神も仏も名無しさん640sR夕食でタンパク質だらけだがエネルギー充電故にヨーガスートラ読書再開だ〜😄2023/12/17 17:59:37347.◆JBLfMwCXhYoB5zVまた、ヨーガスートラ読書か2023/12/17 18:12:18348.◆JBLfMwCXhYoB5zVすごいな?😄2023/12/17 18:12:33349.神も仏も名無しさんD8yh0>>348夕飯食ったからな〜だが、いきなり唯識に近い難易度高いのが〜本章に入るまえなんだが〜パリナーマ😭2023/12/17 18:15:44350.神も仏も名無しさんD8yh0挫折しそうだ😫2023/12/17 18:16:25351.神も仏も名無しさんD8yh0寝転がりながら、ヨーガスートラにチャレンジする汁〜😄2023/12/17 18:20:35352.神も仏も名無しさんD8yh0ヨーガスートラよむと眠くなってきた〜また、夕寝?する〜?とりま、寝る、夜中に起きるやろ😄2023/12/17 18:27:17353.◆JBLfMwCXhYoB5zV唯識論とヨーガ哲学は、似たような思想であり、同レベルの難易度と思うが😅2023/12/17 18:27:27356.◆JBLfMwCXhYoB5zVこっちも、ヨーガスートラの本でも読むか😄2023/12/17 20:34:14357.◆JBLfMwCXhYoB5zVレベル高いな~😅2023/12/17 20:34:27358.◆JBLfMwCXhYoB5zV日本とASEANの特別首脳会議 本格的な討議 始まる2023年12月17日 12時33分日本とASEAN=東南アジア諸国連合の特別首脳会議は17日、本格的な討議が始まりました。午前中は安全保障などが議題となり、海洋進出を強める中国なども念頭に、防衛面での協力強化をめぐって意見が交わされたものとみられます。2023/12/17 20:36:47359.◆JBLfMwCXhYoB5zV岸田総理大臣は午前9時半ごろ、会場で各国首脳らを出迎えたあと、一緒に記念撮影に臨みました。2023/12/17 20:37:10360.◆JBLfMwCXhYoB5zVこのあと始まった討議の冒頭、岸田総理大臣は「我々は歴史の転換点にあり、法の支配に基づく自由で開かれた国際秩序は重大な挑戦を受け、気候変動や格差など、複雑で複合的な課題に直面している。具体的な協力を打ち出すため、ASEANの友人と率直に議論したい」と呼びかけました。2023/12/17 20:37:23361.◆JBLfMwCXhYoB5zV午前中の討議では安全保障や地域情勢が議題となり、海洋進出を強める中国なども念頭に、防衛装備品の提供や部隊の共同訓練など、防衛面での協力強化をめぐって意見が交わされたものとみられます。2023/12/17 20:37:34362.◆JBLfMwCXhYoB5zV午後は経済連携などをテーマに議論が行われ、成果をまとめた共同声明などが発表される予定です。2023/12/17 20:37:44363.◆JBLfMwCXhYoB5zV岸田総理大臣としては「日ASEAN」の友好協力関係がことしで50年を迎えたことを踏まえ、これまで積み上げてきた協力をさらに発展させることで、地域の平和と安定につなげていきたい考えです。2023/12/17 20:37:59364.◆JBLfMwCXhYoB5zVキシダの晴れ舞台だ2023/12/17 20:38:12365.◆JBLfMwCXhYoB5zV中国包囲網を形成できるか?2023/12/17 20:38:25366.◆JBLfMwCXhYoB5zVそれはともかく2023/12/17 20:39:41367.◆JBLfMwCXhYoB5zVポタラ・カレッジ齋藤保高の個人サイトです。チベット仏教の伝統教学について、質の高い情報を提供します。チベット仏教ゲルク派 宗学研究室2023/12/17 20:41:18368.◆JBLfMwCXhYoB5zVこのサイトは勉強になる2023/12/17 20:41:29369.◆JBLfMwCXhYoB5zV「空」の本当の意味を深く知るには、中観自立論証派と中観帰謬論証派の見解の僅かな差を吟味する必要があります。なぜなら、その僅かな差こそが、中観哲学の最も微妙な部分だからです。2023/12/17 20:42:17370.◆JBLfMwCXhYoB5zVチベット仏教の伝統では、中観帰謬論証派の見解を、思想哲学の究極と位置づけています。これに次ぐのが、中観自立論証派の見解です。それゆえ、最高の見解と次位の見解の差異を吟味することにより、究極の真理である「空」の意味を深く知ることができるわけです。2023/12/17 20:42:28371.◆JBLfMwCXhYoB5zVでは、何が両学派の見解の差なのでしょうか? よく知られているのは、空の論証方法の相異でしょう。これは、両学派の呼称にもなっています。けれども、一番本質的な差異は、世俗の次元での自相(自性)の有無です。http://rdor-sems.jp/index.php?%E8%AA%B0%E3%82%82%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E7%81%AB%E4%BA%8B2023/12/17 20:42:46372.神も仏も名無しさんnt20Wゲルク派やっとりますなあ〜今起きた😄さ、ヨーガスートラを読もう😄2023/12/17 20:52:05373.◆JBLfMwCXhYoB5zVゲルク派の中論はディープすぎますな~😅2023/12/17 20:54:09374.◆JBLfMwCXhYoB5zVヨーガスートラのほうがいい😄2023/12/17 20:54:20376.◆JBLfMwCXhYS3ZOcさあ、今日はヨーガスートラを読めるかな?2023/12/18 06:49:42377.◆JBLfMwCXhYS3ZOc昨日は読まなかった😅2023/12/18 06:49:56378.◆JBLfMwCXhYS3ZOcヨーガは柔軟体操ではない2023/12/18 07:39:45379.◆JBLfMwCXhYS3ZOcヨーガは哲学だ2023/12/18 07:39:59380.◆JBLfMwCXhYS3ZOcそれにしても寒い2023/12/18 07:40:12381.◆JBLfMwCXhYS3ZOc本当に冬になった2023/12/18 07:40:22382.◆JBLfMwCXhYS3ZOc12月後半ともなれば、こんなもんか2023/12/18 07:46:33383.◆JBLfMwCXhYS3ZOc寒いのは苦手😫2023/12/18 07:46:58384.◆JBLfMwCXhYS3ZOc温泉に行きたいものだ2023/12/18 07:48:23385.◆JBLfMwCXhYS3ZOc何か食べれば、少しはマシになるかも2023/12/18 07:50:44386.◆JBLfMwCXhYS3ZOc外にはいられませんなあ2023/12/18 07:51:00387.◆JBLfMwCXhYS3ZOcこれで、電車の中は暑かったりするんだよな~2023/12/18 07:52:42388.◆JBLfMwCXhYS3ZOc立ち食いソバにでも入るか2023/12/18 07:57:50389.◆JBLfMwCXhYS3ZOc朝からか?2023/12/18 07:58:05390.◆JBLfMwCXhYS3ZOcやっぱヤメとこう(笑)2023/12/18 07:58:15391.◆JBLfMwCXhYS3ZOc食べれば暖かくはなるだろうが2023/12/18 07:58:45392.◆JBLfMwCXhYS3ZOc電車の中が意外と暑いことがよくある2023/12/18 07:59:04393.◆JBLfMwCXhYS3ZOc遠藤航はリバプールの中盤に定着したな2023/12/18 08:00:54394.◆JBLfMwCXhYS3ZOc長年の宿敵マンチェスター・ユナイテッドとの決戦に、スタメンでフル出場2023/12/18 08:01:29395.◆JBLfMwCXhYS3ZOc完全に主力の位置づけ2023/12/18 08:01:41396.◆JBLfMwCXhYS3ZOcさすがに、日本代表のキャプテンだ世界屈指のトップクラブに適応してきた2023/12/18 08:02:18397.神も仏も名無しさんRyv4F俺も昨夜、寝てしまった〜ヨーガスートラ読まずであった😄2023/12/18 08:40:35398.◆JBLfMwCXhYS3ZOcなかなか、読めそうで読めないな~😅2023/12/18 08:47:11399.◆JBLfMwCXhYS3ZOc天気がいい2023/12/18 08:47:28400.◆JBLfMwCXhYS3ZOc4002023/12/18 08:47:41401.◆JBLfMwCXhYS3ZOcだいぶ暖かくなってきた2023/12/18 08:47:52402.神も仏も名無しさんm8DLBヨーガスートラをチラ読みした成果で日本土着仏教の念仏山伏の呼吸法?みたいなイメージがてきた〜行事ヨーガからのヒラメキだ多少の魔改造?😄2023/12/18 09:23:25403.神も仏も名無しさんm8DLB念仏山伏の聖なる呼吸法?みたいな行事ヨーガの魔改造?😄2023/12/18 09:25:33404.神も仏も名無しさんm8DLB今日はコロワクの副反応はない、昨日はとにかく眠かった軽い頭痛あった前に打った時は火曜日までクラクラしていた水曜日にやっと半分体力回復😄2023/12/18 09:27:21405.神も仏も名無しさんm8DLB行事ヨーガの魔改造の念仏山伏を模索する汁〜😄2023/12/18 09:31:40406.◆JBLfMwCXhYS3ZOcワクチンを打つとしばらく体調わるいんだよな~😫2023/12/18 10:26:57407.◆JBLfMwCXhYS3ZOcだから打ってない😫2023/12/18 10:27:13408.◆JBLfMwCXhYS3ZOc今日は本当に寒い日だ2023/12/18 10:38:53409.◆JBLfMwCXhYS3ZOc朝よりはだいぶマシになったが2023/12/18 10:39:10410.◆JBLfMwCXhYS3ZOc帰ったらヨーガスートラの本を読もう😄2023/12/18 10:41:44411.◆JBLfMwCXhYS3ZOcヨガ・スートラは4つの章に分かれています。2023/12/18 15:19:32412.◆JBLfMwCXhYS3ZOc第1章:サマディ・パーダ(三昧の章)ヨガとは何か?ヨガの八支則で到達するサマディ(三昧)とは何か?について説かれています。また、ヨガの実践で私たちが制御すべき心の働きとは何かについても説明されています。2023/12/18 15:19:48413.◆JBLfMwCXhYS3ZOc第2章:サーダナ・パーダ(実践の章)ヨガの実践について書かれています。最初はクリヤ・ヨガ(行動のヨガ)と呼ばれる3つの基本の実践。クリヤ・ヨガにはタパス(苦行)、スヴァーディヤーヤ(読誦)、イシュワラ・プラニダーナ(神への祈念)の3つが含まれています。2章の後半では八支則の説明のうち、1つ目のヤマから5つ目のプラティヤハーラまでが説かれています。2023/12/18 15:20:04414.◆JBLfMwCXhYS3ZOc第3章:ヴィブーティ・パーダ(超自然能力の章)3章では八支則の中の6番目であるダーラナ(集中)から8番目のサマディ(三昧)について書かれています。この章で説かれるのは深い瞑想状態であり、ダーラナ(集中)・ディヤーナ(静慮)・サマディ(三昧)の3つを合わせてサンヤマ(綜制)と呼びます。2023/12/18 15:20:26415.◆JBLfMwCXhYS3ZOc瞑想が深まって人が自身の心の限界を飛び越えることができると、スピリチュアル的な超自然能力を発揮できると考えられています。3章では、瞑想の結果身につく様々な超自然能力について説明しながらも、そのような不思議な力には執着しないようにと注意しています。2023/12/18 15:20:39416.◆JBLfMwCXhYS3ZOc第4章:カイヴァリャ・パーダ(独存の章)サマディ(三昧)が確立するとどうなるのかが説かれています。ヨガ哲学では、本当の自分は心ではなくてプルシャ(真我)と呼ばれる意識体だと考えられています。サマディの実践によって心の働きが制御されると、そとの世界のあらゆるものに左右されない、本当の自分自身が独立した状態になれると説かれます。それがヨガで目指すべき解放された状態であり、本当の幸福だとされます。2023/12/18 15:21:00417.◆JBLfMwCXhYS3ZOcヨガの実践方法「八支則」とは?ヨガ・スートラの中で最も有名な部分が、実践パートである八支則です。八支則では8種類のヨガの修業を行いますが、1番目から順番に行うことで徐々に心をコントロールできるようになります。2023/12/18 15:21:55418.◆JBLfMwCXhYS3ZOcヨーガ・スートラは4章から成る2023/12/18 15:22:15419.神も仏も名無しさんnxkAB>スヴァーディヤーヤ(読誦)、イシュワラ・プラニダーナ(神への祈念)の3つが含まれています。で山伏念仏の魔改造強化をした😄2023/12/18 15:22:26420.◆JBLfMwCXhYS3ZOc八支則は、第2章と第3章に分けて書かれている2023/12/18 15:22:28421.◆JBLfMwCXhYS3ZOcつまり、全4章のうち第2章と第3章が実践編2023/12/18 15:22:41422.◆JBLfMwCXhYS3ZOc第1章と第4章が理論編といったとこか2023/12/18 15:22:57423.◆JBLfMwCXhYS3ZOc>>419さっそく、魔改造か~😄2023/12/18 15:23:23424.神も仏も名無しさんnxkABヨーガスートラのゴール結論は理解できるがプロセスの些末な理論、ザンスカーラとかで止まっている😄リアルヨーガスートラ理解はしてない、バクティヨーガ的な解釈になっているだろな😄2023/12/18 15:24:30425.◆JBLfMwCXhYS3ZOcヨーガスートラは4章構成1章と4章が理論編2章と3章が「八支則」と呼ばれる実践編2023/12/18 15:25:25426.◆JBLfMwCXhYS3ZOc>>424ヨーガの実践編で引っ掛かっているんだな2023/12/18 15:26:00427.神も仏も名無しさんnxkAB>>436翻訳者の解説レベルで?となっている、脳がオーバーヒートだIQ高級レベルてはないからな〜😄2023/12/18 15:28:00428.神も仏も名無しさんnxkABムイムイもお怒りだ😫2023/12/18 15:37:33429.◆JBLfMwCXhYS3ZOcもう4時か2023/12/18 16:00:24430.◆JBLfMwCXhYS3ZOc1日の大半が終わったな2023/12/18 16:00:38431.◆JBLfMwCXhYS3ZOcまだまだ、夜までは長い2023/12/18 16:00:59433.◆JBLfMwCXhYS3ZOcまだ、たくさんのことが今日できる2023/12/18 16:45:54434.神も仏も名無しさんnxkABカトリック教会の配付雑誌を読むか〜😄2023/12/18 18:26:15435.◆JBLfMwCXhYEFoXCすっかりクリスチャンだな~😄2023/12/18 18:29:42436.◆JBLfMwCXhYEFoXC今日の聖句2023年12月18日神のしるし主はさらにアハズに語られた。「あなたの神である主にしるしを求めよ。陰府の深みへと、あるいは天へと高く求めよ。」しかしアハズは、「私は求めません。主を試すようなことはしません」と言った。イザヤは言った。「聞け、ダビデの家よ。あなたがたは人間を煩わすだけでは足りず、私の神をも煩わすのか。それゆえ、主ご自身があなたがたにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。悪を退け善を選ぶことを知るようになるまで、彼は凝乳と蜜を食べる。その子が悪を退け善を選ぶことを知る前に、あなたが恐れている二人の王の領土は必ず捨てられる。主は、あなたとあなたの民とあなたの父祖の家に、エフライムがユダから分かれた日以来、臨んだことのないような日々をもたらす。それはアッシリアの王だ。」(イザヤ書 7:10-17)2023/12/18 18:31:02437.◆JBLfMwCXhYEFoXCアッシリアの脅威を前にした、預言者イザヤの活躍だ2023/12/18 18:31:33438.◆JBLfMwCXhYEFoXCいまでいったら、中国の脅威だな😫2023/12/18 18:31:51439.◆JBLfMwCXhYEFoXC顕正会では、「日蓮大聖人を信じなければ、シナが攻めてくる」と言ってるようだが2023/12/18 18:32:37440.◆JBLfMwCXhYEFoXC本当かもしれん2023/12/18 18:32:49441.神も仏も名無しさんnxkAB日米安保が弱体化すれば台湾が先だろな😒2023/12/18 18:36:58442.神も仏も名無しさんnxkAB中国が日本に攻めてくると思ったのは大川隆法かもしれん、映画ドラマを作ったしな😫2023/12/18 18:39:53443.神も仏も名無しさんnxkABローラーははげしくは暴れてないな〜😫2023/12/18 18:46:34444.◆JBLfMwCXhYEFoXC大川隆法は、現代の大聖人だったか~😭2023/12/18 18:50:48445.◆JBLfMwCXhYEFoXCヨガとは心の働きを止滅させることである。(ヨガ・スートラ1章2節)2023/12/18 18:52:25446.◆JBLfMwCXhYEFoXCラージャ・ヨガは心の働きを制御することに重きをおいています。ヨガ・スートラの冒頭に書いてある通り、最終的には心の働きを完全にコントロールして止めていきます。自分の心や精神について理解してコントロールできるようになるために、八支則(アシュタンガ・ヨガ)という8つの段階を1つずつ順番に練習します。2023/12/18 18:53:28447.◆JBLfMwCXhYEFoXCヨガ哲学では、本当の自分は心ではなくてプルシャ(真我)と呼ばれる意識体だと考えられています。サマディの実践によって心の働きが制御されると、そとの世界のあらゆるものに左右されない、本当の自分自身が独立した状態になれると説かれます。それがヨガで目指すべき解放された状態であり、本当の幸福だとされます。2023/12/18 18:55:40448.◆JBLfMwCXhYEFoXC唯識論でいえば、「表面意識と末那識の働きを止めて、阿頼耶識だけになる」というのが目標だ2023/12/18 18:56:20449.◆JBLfMwCXhYEFoXCでも、ヒンドゥー教だから阿頼耶識ではない真我だ2023/12/18 18:56:49450.◆JBLfMwCXhYEFoXCヨガの実践方法八支則(アシュタンガ・ヨガ)とは?ヨガ・スートラの中で最も有名な部分が、実践パートである八支則です。八支則では8種類のヨガの修業を行いますが、1番目から順番に行うことで徐々に心をコントロールできるようになります。それぞれを簡単にみていきましょう。2023/12/18 18:57:21451.◆JBLfMwCXhYEFoXC1:ヤマ(制戒)ヤマは社会的な禁止事項です。ヨガを志す人は、まず最初に日常の生活習慣から見直して、ヨガの実践にふさわしい状態に整えます。ヤマには5つの実践が含まれます。アヒムサー(非暴力):肉体的に、言語的に、思考のレベルでも暴力を振るわないこと。サティヤ(正直): 嘘をつかなこと。アスティヤ(不盗):他人のものを盗まないこと。ブラフマチャリヤ(禁欲):性欲などでエネルギーの無駄遣いをしないこと。アパリグラハ(不貪):所有しないこと。日常の生活で心の中に不純な思考を生み出し続けていると、どれだけ瞑想をしても心の中が綺麗になりません。ヨガをする人にとってヤマはとても大切な教えです。2023/12/18 18:57:48452.◆JBLfMwCXhYEFoXC2:ニヤマ(内制)ニヤマはヤマと同じく、日常から気を付けるべき自分自身を制御する実践です。ヤマと同じように5つの実践方法が含まれています。シャウチャ(清浄):自身を清潔に保つこと。サントーシャ(知足):自身に与えられたものに満足すること。タパス(苦行・熱業):困難をやり遂げること。スヴァディアーヤ(読誦):聖典を読むこと。イシュワラ・プラニダーナ(祈念):神への信仰。ニヤマを実践することで、心の中の不純性は消えていき、深いヨガの練習の準備が整います。2023/12/18 18:58:14453.◆JBLfMwCXhYEFoXC3:アーサナ(座法)アーサナは安定して快適な座り方です。ヨガ・スートラは精神面に特化して説かれた教典なので、具体的なアーサナの名前や練習方法については書かれていませんが、瞑想のために行うパドマ・アーサナ(蓮華座)のようなアーサナを意味していると考えられています。アーサナが安定したものとなると、実践者は緊張から解放されます。また、熱い寒い、苦楽などの感覚から解放され、より内側に意識が向きます。2023/12/18 18:58:55454.◆JBLfMwCXhYEFoXC4:プラーナーヤーマ(調気法)プラーナヤーマとは、プラーナ(気)をコントロールする方法です。プラーナは私たちが生命活動を行うのに必要な生命エネルギーのことを意味しています。プラーナは呼吸法によってコントロールすることができます。心の働きと呼吸の働きは常につながっているため、不安定な呼吸の流れを制御することによって、心の働きも徐々に穏やかになり止まっていきます。その結果様々な雑念は消えていき、瞑想状態に入っていくことができます。2023/12/18 18:59:15455.◆JBLfMwCXhYEFoXC5:プラティヤーハーラ(制感)プラティヤハーラは、外の世界に心が完全に結びつかなくなった状態です。まるで亀が手足や頭、しっぽを甲羅の中にしまい込んでしまうように、外で音が鳴っていても気が付かず、気温が暑くても寒くても感じません。それは、自分の意識が完全に内側に向いているからです。プラティヤハーラの具体的な方法は書いていませんが、プラーナヤーマの実践を続けることで自然に起こると考えられます。2023/12/18 18:59:46456.◆JBLfMwCXhYEFoXC6:ダーラナ(集中)ダーラナからは深い瞑想状態に入ります。ダーラナは心の中の意識が1点に集中した状態を意味しています。例えば蓮の花に対して瞑想すると、意識が完全に蓮の花に縛り付けられることによって、その他の雑念は全く生まれなくなっている状態です。2023/12/18 19:00:00457.◆JBLfMwCXhYEFoXC7:ディヤーナ(静慮)ディヤーナはダーラナの実践が深まった結果、継続して途絶えなくなった状態です。始めは1点の蓮の花という意識ですが、そのイメージがどんどん膨らんでいき、心の中を満たしていきます。2023/12/18 19:00:14458.◆JBLfMwCXhYEFoXC8:サマーディ(三昧)サマディは、ディヤーナがさらに深まり、自分自身の存在さえも忘れてしまった状態です。ヨガの目的は「私は○○である」というエゴ(自我意識)を手放していくことです。人にとって1番大きな執着は自我意識です。そのエゴを手放していくことによって、心は世界のどのような対象からも自由になることができます。2023/12/18 19:00:49459.◆JBLfMwCXhYEFoXC>>455> まるで亀が手足や頭、しっぽを甲羅の中にしまい込んでしまうように、外で音が鳴っていても気が付かず、気温が暑くても寒くても感じません。寒いといってるうちは、まだ甘いってことだな~😫2023/12/18 19:01:36460.◆JBLfMwCXhYEFoXC>それは、自分の意識が完全に内側に向いているからです。これなんだよな~ラマナ・マハルシも、「外界に関心をなくし、自分自身に意識を集中せよ」と説いていた2023/12/18 19:02:28461.◆JBLfMwCXhYEFoXC無我だけど、自分自身に意識を集中する2023/12/18 19:02:52462.◆JBLfMwCXhYEFoXC逆説的だが、それが正解だ2023/12/18 19:03:04463.◆JBLfMwCXhYEFoXC世界は無い有るのは、意識だけ2023/12/18 19:03:25464.◆JBLfMwCXhYEFoXC唯識論もそうだ2023/12/18 20:00:54465.◆JBLfMwCXhYEFoXC「唯識論は空の思想だ。阿頼耶識や末那識も、本当は存在しないのである」というのを強調する人がよくいるのだが確かに、その通り。間違ってはいないでも、そこはこだわるところではないそこを強調すると、唯識論の主旨がわからなくなる2023/12/18 20:02:13466.◆JBLfMwCXhYEFoXC端的にいって、唯識論は「世界は無い。意識だけが有る」という思想意識は有るんである「究極的には空であり、いつかは終わる」とされてるが終わるまでには百億年以上もかかる2023/12/18 20:03:54467.◆JBLfMwCXhYEFoXC仏教だから、無我ってとこを外すわけにいかないのでいろんな理屈がついてるが事実上、「識は実在して、永遠の輪廻転生を続ける」という思想とみて間違いない2023/12/18 20:04:52468.◆JBLfMwCXhYEFoXC「世界は無い。識のみが有る」それが、唯識論という思想だ2023/12/18 20:05:12469.◆JBLfMwCXhYEFoXCラマナ・マハルシのようなヒンドゥー教の聖者が言ってることは、それと同じだ2023/12/18 20:05:53470.◆JBLfMwCXhYEFoXCヨーガスートラにも通じるものがある2023/12/18 20:07:13471.◆JBLfMwCXhYEFoXC自分自身の意識に集中する2023/12/18 20:08:50472.◆JBLfMwCXhYEFoXC外界は立体映画のような虚構だただ、意識のみが存在する2023/12/18 20:09:33473.◆JBLfMwCXhYEFoXCその実感があるかどうかが鍵だ2023/12/18 20:10:16474.◆JBLfMwCXhYEFoXCそういう非現実な感覚を体質的に持たないタイプの人だと、唯識論を理解するのは難しい2023/12/18 20:10:48475.◆JBLfMwCXhYEFoXCこればっかりは、人による2023/12/18 20:11:37476.◆JBLfMwCXhYEFoXCそういう感覚が体質的に無いのなら、唯識論より中観派がいい2023/12/18 20:12:01477.◆JBLfMwCXhYEFoXC中観派なら、理論だけで行ける2023/12/18 20:12:15478.◆JBLfMwCXhYEFoXCでも、チベット仏教の中観派は「瞑想による、空性の現量了解」を目指している2023/12/18 20:12:55479.神も仏も名無しさんnxkAB寒さに感じては仕事しない日は寒いメンタルコントロールしてないからな〜てきるだけ凡人モードでかつ、コロワク副反応で余計にな〜あと、寒さは身体の痛みを呼ぶ仕事するにはケアがいるヨガ行者のよーな世捨て人ならそういう配慮もいらないだろが苦行がメインでいいんだろな😄2023/12/18 20:14:09480.◆JBLfMwCXhYEFoXC中観派と一言でいっても自立論証派と帰謬論証派がある2023/12/18 20:15:11481.◆JBLfMwCXhYEFoXC>>479ヨーガの行者は、寒さを感じないらしい2023/12/18 20:15:41482.◆JBLfMwCXhYEFoXC仕事しながらじゃ無理だ2023/12/18 20:16:01483.◆JBLfMwCXhYEFoXC洞窟の中で瞑想してるような世捨て人じゃないと2023/12/18 20:16:28484.神も仏も名無しさんnxkABしかし、ひろきの意味不明建てたスレには必ずぼったんが埋める不思議な関係だなヤツラは😄2023/12/18 20:16:32485.◆JBLfMwCXhYEFoXC日本では、山伏でさえ下界と山を行き来して日常生活と山伏活動を両立してるからな~2023/12/18 20:17:11486.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmpfriB>>482> 仕事しながらじゃ無理だ吹いた😂2023/12/18 20:17:19487.神も仏も名無しさんnxkAB>>483仕事に合わせて身体管理をしないといけないからな、老化によっては身体のコントロールは必要になる😄2023/12/18 20:17:30488.◆JBLfMwCXhYEFoXC>>484あの2人は別人だと思うのだが連動しているな2023/12/18 20:17:46489.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmpfriBJBLさん、頑張ってチャレンジしてみてね❤️あなたならすぐチャレンジは出来る!!!チャレンジはね😘2023/12/18 20:19:13490.神も仏も名無しさんnxkAB>>485山伏の世界ではいつまでも苦行修行するのはバカだと考える上級のやまふがいるらしい本でよんだことがある、お、ローラー様が威張りに来たな🤢2023/12/18 20:19:50491.◆JBLfMwCXhYEFoXCローラー様だ~😆2023/12/18 20:20:17492.神も仏も名無しさんnxkABローラー様は何かに怒り燃えているよーだ🤢2023/12/18 20:20:39493.◆JBLfMwCXhYEFoXCローラー様が燃えている~🔥2023/12/18 20:22:36494.神も仏も名無しさんnxkABさてと。カトリックの雑誌を読む、普通には人生の多くには闇がある闇の少ない仏道修行に明け暮れるよーな幸せな人間はいるのも確かだが😄2023/12/18 20:23:46495.神も仏も名無しさんnxkABトー横は闇の世界だああいう人生の闇は当たり前にある😫2023/12/18 20:24:53496.神も仏も名無しさんnxkAB闇の世界がゆえにイエス・キリストへの信仰があるらしい〜😟2023/12/18 20:26:59497.神も仏も名無しさんnxkABローラーは闇の住人なのに自覚がない🤢2023/12/18 20:27:46498.◆JBLfMwCXhYEFoXC闇の住人、ウンコローラー😫2023/12/18 20:29:07499.◆JBLfMwCXhYEFoXC自覚がないな?😫2023/12/18 20:29:17500.◆JBLfMwCXhYEFoXC5002023/12/18 20:29:27501.◆JBLfMwCXhYEFoXCトー横ってのは、昔の新宿コマ劇場前の広場のことか2023/12/18 20:30:23502.◆JBLfMwCXhYEFoXC昔からヤバい場所だったな2023/12/18 20:30:35503.◆JBLfMwCXhYEFoXC学生のときは、よく過ごした場所だ2023/12/18 20:30:52504.神も仏も名無しさんnxkAB家庭虐待でメンタル破綻したのやら、ホスト狂い依存症が集まる場所のよーだまさに人間世界の闇、ロシアや中国やガザ地区よりは楽園かもしれんが😟2023/12/18 20:47:08505.神も仏も名無しさんnxkAB北朝鮮が一番最下層の地獄だな次の日一家が強制収容所送りは当たり前だろうからな😫2023/12/18 20:48:27506.神も仏も名無しさんnxkAB平壌は急に強制収容所送り地方は餓死と兵士の強盗😫2023/12/18 20:49:32507.神も仏も名無しさんnxkABまだガザ地区の方が北朝鮮よりマシかもしれん😫2023/12/18 20:50:22508.◆JBLfMwCXhYEFoXC北朝鮮は死んだほうがマシな環境だな😫2023/12/18 20:56:04509.神も仏も名無しさんnxkAB北朝鮮で自由なく恐怖に怯え飢餓でじっくり死ぬやら自殺するぐらいなら、ガザ地区のほうがマシだろな病死怪我死の確率があるが国連の支援物資を強奪しに行ける可能性はあるから😫2023/12/18 21:00:32510.神も仏も名無しさんnxkAB北朝鮮の意味不明の逮捕と虐待よりはガザ地区のイスラエルの意味不明の逮捕と虐待の方がマシな気がする😫ロシアは地方出身の兵士で死ぬ突撃させられるのはあっという間に死ねるだろうしな😫ロシア正教で闇の中の死後の天国を信じて戦死できる可能性もあるか〜ロシアでは😟2023/12/18 21:06:20511.神も仏も名無しさんnxkABローラー様はほーかいくんがレスしないと超元気にはならなさそうだな〜😫2023/12/18 21:09:04512.◆JBLfMwCXhYS3ZOcほ~かい師匠がいなくなったら、ローラー様の元気がなくなったな~😫2023/12/18 21:34:09513.◆JBLfMwCXhYS3ZOcロシア軍の兵隊は、すでに半分くらいが死んだそうだな2023/12/18 21:34:40514.◆JBLfMwCXhYS3ZOc日本製鉄がUSスチールを買収2023/12/18 21:37:28515.◆JBLfMwCXhYS3ZOcそんな時代が来たんだな2023/12/18 21:37:55516.神も仏も名無しさんnxkAB>>513プーチンの賢いのはネット環境などの金銭面で貧乏そうな地方民を戦場におくる、少数民族やチベット密教の住人とかいそうなのを戦場に送るらしいモスクワやサンクトペテルブルクなどの大都市民は戦場に送らないオソロシヤ〜EU、アメリカ支援が減りそうなのでロシアのウクライナ打倒の可能性が高まってきたらしい😫2023/12/18 21:43:05519.◆JBLfMwCXhYF4Noaおはよ~ございます☀️😃❗2023/12/19 05:38:00520.◆JBLfMwCXhYF4Noa起きたけど眠い2023/12/19 05:38:12521.◆JBLfMwCXhYF4Noaまだボーッとしている2023/12/19 05:38:25522.◆JBLfMwCXhYF4Noaだんだん目が覚めてくるはず2023/12/19 05:38:46523.◆JBLfMwCXhYF4Noa中観帰謬派の出現とその思想伝承2023/12/19 05:57:08524.◆JBLfMwCXhYF4Noa研究成果の概要インド大乗仏教の一学派である中観派は「帰謬派」と「自立論証派」に分けられるが、その区分を行ったのは、11世紀後半にカシミールで学んだチベット人学者パツァプ・ニマタクであることが、彼の著作『根本中論般若釈』の解読により確認された。本研究は、その意図が、8世紀の中観学匠にしてチベットに仏教を伝えたシャーンタラクシタとカマラシーラ師弟が構築した仏教内外の諸学説を批判し、その最高位に中観学説があることを論証する方法に倣いながらも、パツァプが翻訳してチベットへ伝えたチャンドラキールティ(7世紀)の中観帰謬派の学説を彼らの自立論証派説よりもさらに上位にあることを証明しようとしたことにある、と明らかにした。2023/12/19 05:57:42525.◆JBLfMwCXhYF4Noaそうだったのか! Σ( ̄ロ ̄lll)2023/12/19 05:58:01526.◆JBLfMwCXhYF4Noa中観派を「帰謬派」と「自立論証派」に分けたのが、チベット人だったとは2023/12/19 05:58:37527.◆JBLfMwCXhYF4Noaインド人じゃないのかよ2023/12/19 05:58:47528.◆JBLfMwCXhYF4Noa自立論証派(読み)じりつろんしょうは世界大百科事典内の自立論証派の言及【チャンドラキールティ】より…空性の論証が自立的に成立するとする清弁(しようべん)の自立論証の思想と,認識が自立的に成立するとする唯識派の自己認識の理論を批判して,すべては相関的であるという空性の本義を高揚した。その立場は,チベットの伝承で〈自立論証派〉と呼ばれる清弁の立場に対し,自らは主張をもたずただ対論者の主張の過失を指摘することによって空性を論証すべきことを主張し,〈帰謬論証派〉と呼ばれ,特にツォンカパにおいて絶対視された。著書に,《入中論》《中論註プラサンナパダー》(両者ともサンスクリット原典現存)の二大主著のほか,《空七十論》《六十頌如理論》《四百論》などの注釈がある2023/12/19 06:00:37529.◆JBLfMwCXhYF4Noa自立論証派(読み)じりつろんしょうは世界大百科事典内の自立論証派の言及【チャンドラキールティ】より…空性の論証が自立的に成立するとする清弁(しようべん)の自立論証の思想と,認識が自立的に成立するとする唯識派の自己認識の理論を批判して,すべては相関的であるという空性の本義を高揚した。その立場は,チベットの伝承で〈自立論証派〉と呼ばれる清弁の立場に対し,自らは主張をもたずただ対論者の主張の過失を指摘することによって空性を論証すべきことを主張し,〈帰謬論証派〉と呼ばれ,特にツォンカパにおいて絶対視された。著書に,《入中論》《中論註プラサンナパダー》(両者ともサンスクリット原典現存)の二大主著のほか,《空七十論》《六十頌如理論》《四百論》などの注釈がある。…【ブッダパーリタ】より…470‐540年ころのインドの大乗中観(ちゆうがん)派の学者。仏護と音訳される。南インドに生まれ,清弁(しようべん)とともにサンガラクシタ(衆護)に就いて竜樹の教説を学び,空の思想を強調した。清弁が中観派と並ぶ大乗仏教学派である唯識学派との対抗上,師説に反して自派の主張を確立する立場(スバタントラ)を主張したのに対し,仏護は師とともに竜樹のプラサンガ論法(相手の論理の矛盾をつき,過誤を認めさせる帰謬論証法)を守って,《中論注》を著した2023/12/19 06:01:13530.◆JBLfMwCXhYF4Noa自分の説を主張するのが、自立論証派2023/12/19 06:01:35531.◆JBLfMwCXhYF4Noa自らは主張せず、ただ他人の説を批判するだけなのが〈帰謬論証派〉か2023/12/19 06:02:41532.◆JBLfMwCXhYF4Noaへえ、そうなのか2023/12/19 06:02:57533.◆JBLfMwCXhYF4Noaよくわからないけど、すごいな?2023/12/19 06:03:12534.◆JBLfMwCXhYF4Noaチベット仏教ゲルク派 宗学研究室誰も知らない火事「空」の本当の意味を深く知るには、中観自立論証派と中観帰謬論証派の見解の僅かな差を吟味する必要があります。なぜなら、その僅かな差こそが、中観哲学の最も微妙な部分だからです。2023/12/19 06:08:10535.◆JBLfMwCXhYF4Noaチベット仏教の伝統では、中観帰謬論証派の見解を、思想哲学の究極と位置づけています。これに次ぐのが、中観自立論証派の見解です。それゆえ、最高の見解と次位の見解の差異を吟味することにより、究極の真理である「空」の意味を深く知ることができるわけです。2023/12/19 06:08:42536.◆JBLfMwCXhYF4Noaなるほど2023/12/19 06:08:58537.◆JBLfMwCXhYF4Noaきびゅう論証派が最高で、自立論証派がそれに次ぐのか2023/12/19 06:09:30538.◆JBLfMwCXhYF4Noa深いな?2023/12/19 06:09:41539.◆JBLfMwCXhYF4Noaでは、何が両学派の見解の差なのでしょうか?よく知られているのは、空の論証方法の相異でしょう。これは、両学派の呼称にもなっています。けれども、一番本質的な差異は、世俗の次元での自相(自性)の有無です。2023/12/19 06:10:21540.◆JBLfMwCXhYF4Noa自相rang gi mtshan nyidとは、「それをそれたらしめている本質的な要素がそれ自体の側にある」と私たちが自然と思い込んでいる、その心が向かっている先です。2023/12/19 06:11:06541.◆JBLfMwCXhYF4Noa例をあげると、少し分かりやすくなります。熱くて物を燃やす作用のある化学反応を見て、私たちは「火」だと認識します。そのとき私たちは、「火を火たらしめている本質的な要素は、熱さや燃焼作用である。それは、火自体の側にある固有の要素だ」と、習慣的に思い込んでいます。もちろん、火を見たとき一々そのように考えるわけではありませんが、当然のこととしてそう思い込んでいるはずです。そのときの熱さや燃焼作用が、「火の自相」にほかなりません。2023/12/19 06:12:02542.◆JBLfMwCXhYF4Noaでは、そうした火の熱さや燃焼作用などについて、因果関係を徹底的に分析し、また全体と部分の関係を徹底的に分析して、火の自相の正体をどこまでも追求してゆくと、一体どうなるでしょうか?火も、その熱さも、燃焼作用も、様々な原因や条件によって発生し、諸々の部分によって構成され、その本質を「これだ」と掴むことはできません。そのように徹底的に分析・追求してゆく智慧(正理知の量)が認識する世界(勝義)では、火の自相は何一つ成立しません。これが、「火は空である」という意味です。この点では、自立論証派も帰謬論証派も、見解が一致します。2023/12/19 06:12:42543.◆JBLfMwCXhYF4Noaところが、そのように徹底的に分析・追求しない日常の心(言説の量)が認識する世界(世俗)で、火の自相が成立するか否かについては、両学派の見解が分かれます。これこそが、両学派の差異の最も本質的な部分なのです。2023/12/19 06:13:08544.◆JBLfMwCXhYF4Noaなるほど2023/12/19 06:13:22545.◆JBLfMwCXhYF4Noaなんとなく、みえてきた2023/12/19 06:13:39546.◆JBLfMwCXhYF4Noa人は、火を見ると「自力で燃えている」と習慣的に思い込む2023/12/19 06:14:03547.◆JBLfMwCXhYF4Noaだが、実際には酸素とか、薪とかそういう回りの力が、火を成り立たせている2023/12/19 06:15:04548.神も仏も名無しさんsxNTCやるな〜地アタマの良さだな〜俺は副反応抜けてもむりぽ😄2023/12/19 06:15:22549.◆JBLfMwCXhYF4Noa火は、自分で燃えているわけではない周囲の環境が、火を燃えさせているのだ2023/12/19 06:15:45550.◆JBLfMwCXhYF4Noaいかにも、中観派っぽい考えだ2023/12/19 06:16:05551.◆JBLfMwCXhYF4Noaそこまでは、中観派の見解が一致する2023/12/19 06:16:21552.◆JBLfMwCXhYF4Noaそこからが、きびゅう論証派と自立論証派では違うらしい2023/12/19 06:17:00553.◆JBLfMwCXhYF4Noa自立論証派は、「火を火たらしめている本質的な要素は、熱さや燃焼作用である。それは、火自体の側にある固有の要素だ」という自相を、世俗の次元では承認します。つまり、上記のように徹底的に分析・追求していったら、火の自相は何も得られないけれど、そのように追求しなければ、熱さや燃焼作用が火の自相として認められる・・・ということです。これは、私たちの常識的な考え方に近い立場でしょう。2023/12/19 06:17:35554.◆JBLfMwCXhYF4Noa一方帰謬論証派は、そのような自相を、世俗の次元でも否定します。従って帰謬論証派の立場からすると、私たちが「火を火たらしめている本質的な要素は、熱さや燃焼作用である。それは、火自体の側にある固有の要素だ」と、潜在的・習慣的に知覚・認識している心は、全て迷乱だということになります。2023/12/19 06:18:13555.◆JBLfMwCXhYF4Noaならば「火」という存在は、一体どうやって成立するのでしょうか?帰謬論証派は、「分別によって仮説したのみ」と述べています。分別とは、名称や概念と結びつけて認識することです。つまり、熱くて燃焼作用のある化学反応を誰かが見て、彼の意識に既に存在する「火」の概念や「火」という言葉(記号)と結びつけて、彼が「火だ」と分別したことによって、その化学反応は「火」として仮に設定される・・・というのが帰謬論証派の見解です。2023/12/19 06:18:45556.◆JBLfMwCXhYF4Noaう~んとりあえずコピペしといた2023/12/19 06:18:57557.◆JBLfMwCXhYF4Noa意味は、後で考えよう😅2023/12/19 06:19:09558.◆JBLfMwCXhYF4Noa火は、自分で燃えているわけではない2023/12/19 06:29:25559.◆JBLfMwCXhYF4Noa薪に含まれる炭素とか、空気に含まれる酸素とか周囲の環境が、火を燃えさせている2023/12/19 06:30:10560.◆JBLfMwCXhYF4Noa火には、自性がない2023/12/19 06:30:23561.◆JBLfMwCXhYF4Noaすべては、空だ2023/12/19 06:30:33562.◆JBLfMwCXhYF4Noa空こそがすべて2023/12/19 06:30:44563.◆JBLfMwCXhYF4Noa「火」という言語により、分別された2023/12/19 06:31:56564.◆JBLfMwCXhYF4Noa「火」という言語による分別により、仮説されたのみ2023/12/19 06:32:24565.◆JBLfMwCXhYF4Noaなるほど2023/12/19 06:32:39566.◆JBLfMwCXhYF4Noaよくわからないけど、すごいな?2023/12/19 06:32:57567.◆JBLfMwCXhYF4Noa意味は、後で考えよう2023/12/19 06:33:23568.◆JBLfMwCXhYF4Noaとりあえず、「中観派を自立論証派と帰謬論証派に分けて、帰謬論証派を上位に置く。これは、チベット仏教の考え方」ここまでは分かった2023/12/19 06:39:58569.◆JBLfMwCXhYF4Noa仏教界というより、チベット仏教の考え方だ2023/12/19 06:40:38570.◆JBLfMwCXhYF4Noaそろそろ出よう2023/12/19 07:00:43571.◆JBLfMwCXhYF4Noaまだ寒い2023/12/19 07:00:59572.◆JBLfMwCXhYF4Noa続きは後だ2023/12/19 07:01:18575.◆JBLfMwCXhYhKyDB昼は暖かくなったな😄2023/12/19 11:54:14576.◆JBLfMwCXhYhKyDB中国人が日本の仏教に心酔する理由12/18(月)20:35配信中国では文革期に仏教がつぶされ、私は日本に来てから仏教の素晴らしさを知った。多くの在日中国人経営者も、読経や写経、座禅を経験している詳しくは11月14日号(もしくはウェブサイト)で読んでいただけたらと思うが、前回のコラムで、元従業員に裁判で負けて大金を失った話を書いた。 あまりに理不尽な結果で気がめいっていたため、気持ちを紛らわせようと自宅から程近い圓照寺(えんしょうじ)を訪れた。東京・北新宿にある真言宗豊山派のお寺で、小規模だが素晴らしい日本庭園がある。実は写真家の篠山紀信さんの実家で、これまでも度々訪れていた。 春には紅白2色の梅、中央に鎮座する枝垂(しだ)れ桜、春から初夏にかけては色とりどりの牡丹(ぼたん)、秋には見事な紅葉と、境内の庭園で季節ごとの植物を楽しめる。 その日はちょうどベテランの庭師が笹の根を掘っていて、私は思わず話しかけた。日本文化が好きで、自宅にも猫の額ほどの日本庭園を造って庭いじりを楽しんでいるんです、ここは本当に立派ですね......と。2023/12/19 11:59:01577.◆JBLfMwCXhYhKyDB荒井さんというその庭師によれば、圓照寺はかつて桜の御寺として名高く、庭園の桜は「江戸の三桜」の1つにも数えられていた。その後、戦災があり桜の木も焼失したが、20数年前から荒井さんが中心になって、枝垂れ桜の若木を探しに福島まで足を延ばし、石も群馬などから徐々に集め、時間をかけて庭を造っていったという。 お寺の庭なので、仏様のいる本堂からどう見えるかを考える。木を植えるときも、石を置くときも、仏様に「これでいいか」と聞く。自分が造りたい庭ではなく、自然のままに造ること。我を入れると庭が死んでしまう。最も大切なのは自然と無我だ──。実は僧侶でもあるという荒井さんは、私にそんな庭造りの神髄を教えてくれた。 しかし、今の世の中は「無我」とは程遠く、皆自分のことばかり考えている。争いが絶えず、ウクライナやパレスチナでは今も殺し合いが行われている。慈愛の精神を大切にする仏教がもっと広く信仰されていれば、もっと違う世の中になっていたのではないかと思ってしまう。 中国では文化大革命期に仏教がつぶされ、私自身、宗教に興味を持つことなく育った。仏教に引かれるようになったのは日本に来てからだ。どこに住んでも近所にお寺があり、それらは中国の寺院と違って素朴だが、きちんと守られ、手入れされている(圓照寺ほどの見事な庭園は珍しいが)。2023/12/19 11:59:16578.◆JBLfMwCXhYhKyDB在日中国人の経営者の間では、お寺での修行がブームになっている当然、京都には何度も行き、国宝を見たりもしてきた。読経や写経、座禅の経験もある。同じ東洋文化ということもあるが、私にとって最も身近であり、また最も平和的な宗教だと思う。 一方、神社に対しては当初、なんとなく縁遠さを感じてしまった。こんなことを言うと怒られそうだが、しめ縄などに付けられている白い紙(紙垂〔しで〕)は中国人から見ると不思議な印象があるのだ。 仏教に心酔している中国人は、私だけではない。在日中国人の経営者の間では、お寺での修行がある種のブームになっていて、週末になると、東京なら立川や武蔵野あたりのお寺で座禅や読経をしている。金儲けに邁進してきた人生に疑問を抱き、心の平穏を求めるようになるのだろう。中国国内でも同様の「宗教回帰」があると聞く。 私には幼い子供もいるし、まだ現役で働き続けるつもりだが、引退する時が来たら仏門に入りたいと本気で思っている。でも、そのためにはまず慈愛の精神を養わなければ──。いくぶん気持ちの整理がついたとはいえ、内心はまだ裁判で争った相手側への怒りを静められていないから。 前回のコラムでは反響を頂き、同じように理不尽な判決に苦しむ会社が多くあることを知った。 そういえば圓照寺には、医薬の仏である薬師如来がまつられている。薬師如来様、私を苦しめたあの元従業員たちを懲らしめるおきゅうはないかしら......いや、まだ煩悩が消えていないようだ。 周 来友(しゅう・らいゆう)2023/12/19 12:00:09579.◆JBLfMwCXhYhKyDB中国人といえば、「拝金主義のエコノミック・アニマル」というイメージが強いが2023/12/19 12:00:53580.◆JBLfMwCXhYhKyDB中国人も、日本にきて真言宗豊山派の素晴らしさに目覚めているようだ2023/12/19 12:01:20581.◆JBLfMwCXhYhKyDBなにもかも、大日如来のおかげだ2023/12/19 12:02:19582.◆JBLfMwCXhYhKyDBありがたや~😭2023/12/19 12:02:31583.神も仏も名無しさんbQdTp豊山派やるな〜〜😄2023/12/19 14:34:19584.神も仏も名無しさんbQdTp教会から戻りだ😄2023/12/19 14:36:24587.◆JBLfMwCXhYg0Ja3ならば、誰かが見て分別しない限り、火は存在しないのでしょうか? そこで、自立論証派の立場にたってみて、世俗の次元での自相の存在を論証するため、次のような主張命題を立ててみましょう。1.火を主題として、自相がある。なぜなら、分別されていなくても、熱さや燃焼作用があるゆえに。実例は、誰も気づいていないときの山火事の如し。2023/12/20 06:01:19588.◆JBLfMwCXhYg0Ja3誰も気づかず、誰も「火だ」と分別していなくても、小さな山火事がどこかで発生することはあるでしょう。その山火事の火には、熱さや燃焼作用という属性も具わっています。だから、現実に山林を焼くという効果的作用が発生するのです。もし帰謬論証派の言うように、誰かが「火だ」と分別したことによって火として成立するならば、この山火事は火ではないことになります。でもそうしたら、現実に山林を焼いたのは、火ではないのでしょうか?それは、常識から認められないでしょう。誰かが分別しようがしまいが、火には、熱さや燃焼作用という属性が具わっています。これこそ「火自体の側にあるところの、火を火たらしめている本質的な要素」であり、すなわち火の自相なのです。従って、徹底的に分析・追求しない限り、「火には自相がある」と結論づけられる・・・というのが、主張命題1の論旨です。2023/12/20 06:02:04589.◆JBLfMwCXhYg0Ja3この自立論証派の主張に対して、今度は帰謬論証派の立場にたって、次のように反論してみましょう。2.論拠(宗法)が成立しない。なぜなら、分別されなければ、その法が火として設定されないゆえに。汝の言う「誰も気づいていない山火事」も、いま我らによって分別されているゆえに。2023/12/20 06:02:33590.◆JBLfMwCXhYg0Ja3確かに、1の論証式にあるように、誰も気づいていなくても、山火事は山林を燃やすことになるでしょう。「誰も気づいていなければ燃えない」というならば、山火事の被害も随分少なくなるはずですが、現実にはそうはゆきません。しかし帰謬論証派は、その山火事を、複雑な相互縁起の中で様々に生じている諸現象の一つとして位置づけます。それを人が分別するときに、「火」だとか「火事」だとか認識することになるのです。この分別は、火を直接見る場合、遠方から煙を見て推論する場合、後からそれについて語る場合など、いろいろな形で成立します。この問答では、過去に於てどこかで発生した「誰も気づかなかった山火事」という一現象について、今まさに両者が論議する場面に於て、「火」として分別されているのです。2023/12/20 06:03:10591.◆JBLfMwCXhYg0Ja3帰謬論証派は、次のように考えます。「様々なものごとに自相がある」というのは、私たちの思い込みにすぎません。しかし、そのような思い込みを積み重ねて、私たちは日常生活を送っているのです。「自相があると思い込む」という意味は、何らかの法をxとして分別するだけではなく、「xをxたらしめている本質的なものがx自体の側にある」と私たちが潜在的・習慣的に思うことを指します。そしてこのとき、私たちの思いが指向している先が「自相」なのです。それは、本当は無いのに、「有る」と潜在的・習慣的に思うことによって虚構されているのです。2023/12/20 06:04:03592.◆JBLfMwCXhYg0Ja3帰謬論証派といえども、人が見ていないときに火(後から「火」だと分別されるところのもの)が存在すること、その火には物を燃やすという効果的作用があることを認めます。けれども、自立論証派のように、熱さや燃焼作用を火の自相として承認するわけではありません。帰謬論証派に言わせれば、誰も気づいていない山火事は、単なる現象です。その熱さや燃焼作用は、単なる現象の単なる属性にすぎません。後からそれを語る者たちが、自己の意識の中にある概念や名称と結びつけ、それらを「山火事」や「熱さ」や「燃焼」だと分別しているのです。そのように分別された火も、自相によって成立しているわけではないので、「単なる火」にすぎません。2023/12/20 06:04:33593.◆JBLfMwCXhYg0Ja3自立論証派が1の論証式を立てたとき心の中で思っていることに対し、最も本質的な反論はを述べるならば、「必然関係がない(不遍充)」という方向になります。つまり、「誰も見ていないときに属性があるからといって、自相があることにはならない」という意味です。2023/12/20 06:05:01594.◆JBLfMwCXhYg0Ja33.論拠と帰結に必然関係がない(不遍充)。 熱さや燃焼作用は、単なる現象の単なる属性であるゆえに。 実例は、後から「山火事」と分別されるところの単なる現象の如し。2023/12/20 06:05:14595.◆JBLfMwCXhYg0Ja3なるほど、そういうことか2023/12/20 06:05:25596.◆JBLfMwCXhYg0Ja3「誰も見ていない山火事は、火ではないのか?」というのが、自立論証派の問い2023/12/20 06:06:14597.◆JBLfMwCXhYg0Ja3西洋哲学でも、唯心論者に対して「誰も月を見ていないとき、月は存在しないのか?」という問いがある2023/12/20 06:07:00598.◆JBLfMwCXhYg0Ja3それと似たような論法だ2023/12/20 06:07:11599.◆JBLfMwCXhYg0Ja3認識されないものは存在しないのなら、山火事を誰も見ていないとき、そこに火はないのか?2023/12/20 06:07:47600.◆JBLfMwCXhYg0Ja36002023/12/20 06:08:03602.◆JBLfMwCXhYg0Ja3これがチベット仏教だ2023/12/20 06:25:47603.◆JBLfMwCXhYg0Ja3チベット仏教といえば、ミラレパ大師2023/12/20 06:25:58604.◆JBLfMwCXhYg0Ja3カギュ派の宗祖だ2023/12/20 06:26:10605.◆JBLfMwCXhYg0Ja3カギュ派は、最も密教色が濃い2023/12/20 06:26:28606.◆JBLfMwCXhYg0Ja3ミラレパ大師は、数々の奇跡を起こした2023/12/20 06:26:48609.◆JBLfMwCXhY8T7nCヨーガスートラの八支則を実践すると、寒くなくなる2023/12/21 06:06:54610.◆JBLfMwCXhY8T7nCだが、寒くないのは瞑想してる間だけだ2023/12/21 06:07:16611.◆JBLfMwCXhY8T7nC日常生活に戻れば、また寒くなる2023/12/21 06:07:39612.神も仏も名無しさん6X356チベット聖者は恐らくは寒さに強い、禅坊主でも真に鍛え上げれば60ぐらいまでは寒さに強そうな気がする若き頃の師匠の冬の武勇伝を本で見たことが😄2023/12/21 06:56:05613.◆JBLfMwCXhY8T7nCチベットの自然環境はすごそうだ2023/12/21 06:59:10614.◆JBLfMwCXhYNysW0今朝も寒いな~😫2023/12/22 05:34:58615.◆JBLfMwCXhYNysW0今日は12月22日の冬至か~2023/12/22 05:35:17616.◆JBLfMwCXhYNysW01年で一番、夜が長くて昼が短い日2023/12/22 05:35:42617.◆JBLfMwCXhYNysW0瑜伽行中観派瑜伽行中観派(ゆがぎょうちゅうがんは)とは、大乗仏教において、瑜伽行派(唯識派)の教説を中観派へと吸収・統合することを志向した、後期中観派スヴァータントリカ(自立論証派)の総称。チベット仏教に多大な影響を与えた。なお、同じくスヴァータントリカ(自立論証派)で経量部に近接していると見られた人々は「経量(行)中観派」「経部行中観派」と呼ばれたりもした。2023/12/22 05:44:04618.◆JBLfMwCXhYNysW0中観派と瑜伽行唯識学派はかなり対立していたそうですが、 両者は特にどういう点で対立していたのですか? 争点を教えてください2023/12/22 05:46:19619.◆JBLfMwCXhYNysW0ベストアンサーID非表示さんはぁ~、、、難しい、、、 簡潔にまとめられるかどうか、、、以下、あくまでも歴史的流れから推論した、知ったかぶっだ的意見です。 学術的正確な意見は、他の回答者様の回答を参考にした方が安全です。 ・・・・ 七世紀、大乗の総合大学であるナーランダー寺院では、中観派・唯識派だけでなく、それぞれの派の中でも、 中観学派は自立論証派と帰謬論証派、 唯識学派は有相唯識派と無相唯識派、とに分かれ対立したそうです。中でも、中観派の大学僧チャンドラキールティと、在家でありながら唯識の立場に立つチャンドラゴーミンは、それぞれの学派を代表し、七年もの間、対論したとのこと。結果はどちらが勝つということでもなく、この論争は終わったそうですが、二人の対論は、学者、修行僧ばかりではなく村の子供たちまで集まり、これを聴く者みな中観と唯識の教えについて理解を深めたといいます。2023/12/22 05:47:44620.◆JBLfMwCXhYNysW0サテ、この時代の中観派と唯識派の争点についてですが、○中観学派は、一切皆空の立場から、人間の存在を万物の存在の関わり方から眺め、一切のものと煩悩まで含めて〈無自性-空〉であるという考え方の立場に立ち、○唯識学派は、自己を内証することによって、自我の持つ煩悩性を正しく理解把握し、深く掘り下げることにより自己の煩悩性の根源として阿頼耶識の存在を(あくまでも空の立場に立ち仮有としながらも)その存在を認める立場にあった、という点が争点となった、と考えます。 したがって、そこから延長される修行法も当然異なってきます。つまり、 ・中観理論から導くと、ひたすら一切合切を空と観じ、その空もまた空であると体得する禅定となるのに対し、 ・唯識理論では、目に見えるもの手に触れるもの、一切の思惟となる対象すべてを心識の表象であると観て、一切を一心に集約し、そしてそれらは全て阿頼耶識の虚妄であると観、最後にはその阿頼耶識もまた識の虚妄であると観る禅定になる、 ということかな?と思います。2023/12/22 05:48:55621.◆JBLfMwCXhYNysW0しかし結局、これらは、さらに時代を経て融合します。その理由として、次の二点あげます。・まず、中観ですが、 縁起→無自性→空の龍樹尊者の一切皆空の理論から、八不中道、つまり実在の絶対的否定の立場から、それを超越した絶対的境地=諸法実相(空)を導き出し、そしてそれは本来清浄なるものであり般若であるとしました。 ・また、唯識では、 ありとあらゆる種子が阿頼耶識に納められているとの考えから、仏と同じ悟りの種子もあると考えました。つまり、如来蔵識や仏性です。 これが第一点目ですが、絶対的境地も悟りの種子も〝仏の悟り・境地〟のことなので、結局同じことを指していることになります。2023/12/22 05:49:53622.◆JBLfMwCXhYNysW0また、第二点目として、〝存在の在り方〟についての考え方です。 ・中観では、わたしたちが実在と思っているのは実在ではなく、因縁によって仮合されたものに過ぎず、それを言葉が実在として捉えて表現しているから、倒錯した思惟が出てくるのだ、とします。・唯識では、仮構された存在形態は識の表象に過ぎないのであり、それを言葉によって実在するがごとく誤解して表現するから、思惟の倒錯が出てくるのだ、といいます。 要するに、中観も唯識も、同じ「言葉の仮構性」とそれによる「思惟の倒錯」のことを言っていて、ただどちらに重点を置くかの違いです。おんなじです。 ですから、後期大乗(つまり密教)に至って、この中観と唯識と如来蔵識と、さらにクンダリニーヨーガによる霊的禅定も組み込まれ、それまでの大乗仏教の修行法が融合されたわけです。2023/12/22 05:51:17623.◆JBLfMwCXhYNysW0結論からいうと、七世紀のナーランダー寺院における論争は、学僧が中心となった教義のための論争であったということ。 しかしながら、それによって深められた論議により、究極的な大乗仏教の修行理論が、最終的にチベット仏教において確立された、というように解釈します。そしてさらにさらに、絶対的境地や仏の種子等、いわゆる如来蔵識は、本来ニルヴァーナにつながらないものであり、現代の高度に発達した仏教学と最新の科学的知見によって、論議はもっともっと専門の学僧・出家修行僧の方によって深められなければならない、と個人的に思ってます。2023/12/22 05:51:29624.◆JBLfMwCXhYNysW0中観派と唯識派ナーランダー寺院で論争が続き、融合が進んでユガ行唯識学派となった2023/12/22 05:53:56625.◆JBLfMwCXhYNysW0チベット仏教において大成された2023/12/22 05:54:22626.◆JBLfMwCXhYNysW0「瞑想で深い境地に入り、空性を現量了解する」中観派の奥義を、瑜伽行により体感するこれぞ、瑜伽行中観派の奥義だ2023/12/22 05:56:54627.◆JBLfMwCXhYNysW0もともと中観派は、そういうものではなかった中観派は、論理で悟りを目指す析空観2023/12/22 05:57:34628.◆JBLfMwCXhYNysW0それが、瞑想により体空観を目指す思想に変わった2023/12/22 05:58:02629.神も仏も名無しさんlI0j1仏教学者のよると中国の玄奘三蔵の時代では天台は当然、唯識も禅のやりかたを取り入れていたというらしい日本現在唯識は今は坐禅は残ってない唯識関連の書物を1人で集中的に読むという感じらしい、加行というので密教みたいなイメージを唯識関連文章でやる修行なのかもしれん、俺は法華経や華厳経や空海著作、密教経典で確かに観想ぽい読み方ができる〜ゾーンに入れるしな😄だが、唯識関連書物で些末な観想はなかなか難しい😄2023/12/22 07:23:08630.神も仏も名無しさんlI0j1ほーかいくんには知らなくてよい、伝えない極秘話😄2023/12/22 07:23:55631.◆JBLfMwCXhYxspiiここだけの話にしておこう~😂2023/12/22 07:34:16632.◆JBLfMwCXhYxspiiさすがに冬至の朝から早くは出れんなあ2023/12/22 07:35:07633.◆JBLfMwCXhYxspii朝の5時なんか、まだ深夜の雰囲気だった2023/12/22 07:35:24634.◆JBLfMwCXhYxspii2時くらいで目が覚めたかと思った2023/12/22 07:35:39635.◆JBLfMwCXhYxspiiこれからは、夜が明けるのがだんだん早くなる2023/12/22 07:35:58636.◆JBLfMwCXhYxspii気温はまだまだ下がるが、朝が明るければ気分も変わる2023/12/22 07:36:30637.神も仏も名無しさんpsgr7>>636一年前は毎日早朝起きたら即動画落としに励んでいが今は動画落としの時間を10時ぐらいにしてる😄2023/12/22 07:43:27638.神も仏も名無しさんpsgr7不眠は認知症発症確率をあげると記事にあったやはり睡眠確保は大事だなただ、冬は乾燥でノドがガラガラになるので夜中にうがいと歯磨きをして再び浅い眠りでねるよーにしている😄2023/12/22 07:45:29639.神も仏も名無しさんpsgr7夜中に三毒怒りで眠れないローラーはやはり〜😫2023/12/22 07:46:13640.◆JBLfMwCXhYoDiECローラーは心を病んでるな~😫2023/12/22 08:02:21641.神も仏も名無しさんdRtObローラー様は、まだ目覚めずだ〜ニート寝は10時起きだが、深夜爆発で今日はレスがないかも〜😭2023/12/22 09:26:30642.神も仏も名無しさんdRtOb丑三つ時の三毒大爆発ローラー様の力量はモノホンだ〜😫2023/12/22 09:27:19643.神も仏も名無しさんdRtObまだ、シカタカヤマノボレない〜ローラー作戦は停止中〜である😫2023/12/22 09:46:25644.神も仏も名無しさんdRtObローラー様がお目覚めだ〜😫2023/12/22 11:00:49645.◆JBLfMwCXhYlDXDl華厳経の世界 2.悟りへの道斉藤 征雄 大乗仏教では、あらゆる衆生の心の中に仏性がそなわっているとする(如来蔵思想)。そして華厳経は、衆生のそれぞれの中にすでに存在している仏のいのちが顕現(性起)するという考え、つまりわれわれの心そのものが仏のいのちの現れとするのである(性起品)。こうしたことから、悟りとは自己を知ることともいわれる。華厳経で、初めて道を求める心を発心したときにはすでに悟りの域に達しているといわれるのも、心が仏のいのちの現れと考えることから来ていると思われる。2023/12/23 06:20:20646.◆JBLfMwCXhYlDXDl華厳経では、菩薩の修行の階梯が十段階に設定されており、それを十地という(十地品)。十地の実践は瞑想によって得ることが基本である。 十地のうち第一から第六までが智慧の完成を目指す階梯、すなわち空を観じ悟りの境地に至る階梯である。そして第七から第十が、慈悲の心をもって衆生を救済する階梯である。前者を自利、後者を利他の階梯と言えるが、衆生済度は自分の喜びつまり自利でもある。2023/12/23 06:20:47647.◆JBLfMwCXhYlDXDl【三界唯心】 十地の第六(現前地)で、悟りの境地が次の言葉で表現されている。「三界は虚妄にして但だ是れ心の作なり。十二縁分も是れ皆心に依る」(三界唯心偈) 三界は欲界、色界、無色界のこと、つまり迷いの世界であるが、これらは皆心の持ち方によって現れ出る仮の姿。迷いの要素(十二因縁の諸項目)もまた心のあり方によって起こる。したがって心の持ち方によって仏の世界も出現するのである。それを瞑想による直観によって観ずるのが悟りの境地、仏の智慧と説く。2023/12/23 06:21:07648.◆JBLfMwCXhYlDXDl【善財童子の求道物語】 華厳経の最後は、善財という少年の求道物語で締めくくられる(入法界品)。 文殊菩薩がインドの南方を旅していると、ある町で善財童子に逢う。そして迷いの中にあって文殊の導きを願う善財童子の気持ちを聞いて求道の旅へ出ることをいざなう。 善財童子は文殊の説示にしたがって、菩薩の行いを知るために53人という多くの人びとを訪ね歩いて教えを請う。会った人びとは善知識と呼ばれる師であるが、その身分、職業、性別はさまざまだった。具体的には菩薩、修行者、仙人、バラモン、少年、少女、女神、商人、長者など、そして遊女までが含まれていた。 こうした多岐にわたる人びとが師たり得たのは、人間の平等、在家者を尊重する考えが反映していると考えられている。 善財童子は最後に弥勒菩薩、文殊菩薩、普賢菩薩に教えを受けて菩薩の道を完成し、悟りの境地に導かれるという物語である。 この物語によって、華厳経には難しい哲学だけではなく、宗教としての実践面も強調されていることがわかるのである。2023/12/23 06:21:21649.◆JBLfMwCXhYlDXDl法相宗は唯識論ゲルク派は中観派華厳宗は如来蔵思想の宗派2023/12/23 06:22:30650.◆JBLfMwCXhYlDXDl如来蔵思想それが、華厳宗のエッセンス2023/12/23 06:22:48651.◆JBLfMwCXhYlDXDl如来蔵縁起中国華厳教学の大成者である賢首大師法蔵(643-712)の『大乗起信論義記』に出るのが最初である。そこではインド伝来の一切の経論を4宗に分けている。随相法執宗 小乗諸部の立場真空無相宗 龍樹・提婆の所立、般若などの経と中観などの論の所説唯識法相宗 無著・世親の所立、『解深密経』などと『瑜伽師地論』など如来蔵縁起宗 『楞伽経』・『密厳経』などの経と『起信論』・『宝性論』などの論の所説2023/12/23 06:48:17652.◆JBLfMwCXhYlDXDlそれは、事を会して理を顕わす第2の立場と、理に依りて事の差別を起こす第3の立場とを止揚した、理事融通無礙の世界を示しうる立場であると位置づけた。 すでに、『華厳経』十地品あるいは『十地経』の第六現前地の経文に「三界唯一心作、十二因縁分皆依心」の句があり、また初期如来蔵系経典である『勝鬘経』にも、「生死者依如来蔵」あるいは「有如来蔵故説生死」といって、如来蔵が染浄の依止となることを説いている。2023/12/23 06:48:46653.◆JBLfMwCXhYlDXDlしかし、『勝鬘経』においてもまたそれを承けた『宝性論』においても、如来蔵が衆生の生死のよりどころであるという面は、あまり問題にされていない。如来蔵と無明とが一体となった阿梨耶識を立てて、現実における衆生の迷いの生存の心識面での展開と、そこにおける無明の断尽を、縁起の理論を適用して組織的に示したのは『大乗起信論』である。2023/12/23 06:48:58654.◆JBLfMwCXhYlDXDl上の『大乗起信論義記』中の第四の立場は、如来蔵系諸経論を広く考えているようであるが、法蔵の華厳教学における如来蔵縁起説なるものの実質は、『起信論』における心生滅門の所説とそれに対する法蔵の理解内容を指すと考えてよい。2023/12/23 06:49:10655.◆JBLfMwCXhYlDXDl法相宗が唯識論の宗派であるのと同様に華厳宗は如来蔵思想の宗派であると言ってよいだろう2023/12/23 07:08:48656.◆JBLfMwCXhYlDXDlまあ、如来蔵思想の宗派は言いすぎかもしれんがそれが思想的な中核であるのは間違いない2023/12/23 07:11:30657.◆JBLfMwCXhYlDXDl天台宗は法華経を信仰するテーラワーダ仏教は阿含宗を信仰する華厳宗は華厳経を信仰する2023/12/23 07:12:26658.◆JBLfMwCXhYfDOcK桐山靖雄管長も、テーラワーダをまねて「阿含宗」を創立したが2023/12/23 07:34:41659.◆JBLfMwCXhYfDOcK桐山管長本人は、阿含経を読んだことがなく、内容を知らなかった2023/12/23 07:35:19660.◆JBLfMwCXhYfDOcKそれはともかく華厳宗の教えそれは、華厳経に書いてある2023/12/23 07:36:01661.◆JBLfMwCXhYfDOcK>>657> テーラワーダ仏教は阿含宗を信仰する訂正テーラワーダ仏教は阿含経を信仰する2023/12/23 07:36:33662.◆JBLfMwCXhYfDOcK大変、失礼なことを書いてしまった2023/12/23 07:36:47663.◆JBLfMwCXhYfDOcKテーラワーダ仏教さん、すみませんでした2023/12/23 07:36:58664.◆JBLfMwCXhYfDOcK東大寺は、奈良時代に聖武天皇が仏教の教えを中心にして、国を守るために建てたお寺です。国民ひとりひとりが思いやりの心でつながるように、その上で東アジア地域において日本の国造りを考えました。そのために建築・河川の整備・福祉・医療など人々が安心して暮らせるような政治をおこないました。「奈良の大仏さま」が有名で、大仏さまを拝むために、昔も今もたくさんの人々が訪れる日本を代表するお寺のひとつです。2023/12/23 07:38:05665.◆JBLfMwCXhYfDOcK『華厳経』は、何十巻もある大きなお経ですが、何が説かれてているのかを一言でいうと、仏のさとりそのものです。その仏の心に、唯一絶対の真実の世界のすべてが、同時に映っているありさまを、海にたとえて「海印三昧かいいんざんまい」といいます。それは、時間的にも空間的にも、すべてがお互いに邪魔することなく完全に解け合っている究極の真理の世界で、これを「法界縁起ほっかいえんぎ」ともいわれます。2023/12/23 07:39:13666.◆JBLfMwCXhYfDOcK666👿2023/12/23 07:39:27667.◆JBLfMwCXhYsS5a1審祥(しんじょう、生没年不詳)は、奈良時代の華厳宗の僧。出自については不詳。審詳とも書く。良弁(ろうべん)とともに日本における華厳宗の基礎を築いた。また、唐に渡って法蔵から華厳を学んだ。2023/12/23 07:57:59668.◆JBLfMwCXhYsS5a1「新羅学生」の呼称があり、「新羅出身」とも、「新羅へ留学した学僧」とも解釈されるが、『一乗開心論』などの華厳宗の古伝記は「青丘留学生」とし、新羅に留学して華厳教学を学び、帰国後は大安寺に止住していたとあり、「新羅へ留学した学僧」と解釈される場合が多い。天平年間(729年 - 749年)に帰国して、奈良大安寺に住した。740年(天平12年)、良弁が金鐘寺で始めた華厳経の講説では3年間講師をつとめた。当時、有数の経論の所蔵者であったようで、写経所に対して頻繁に経論を貸し出していたようである。2023/12/23 07:58:30669.◆JBLfMwCXhYsS5a1明恵(みょうえ)は、鎌倉時代前期の華厳宗の僧。法諱は高弁(こうべん)。明恵上人・栂尾(とがのお)上人とも呼ばれる。父は平重国。母は湯浅宗重の四女。現在の和歌山県有田川町出身。華厳宗中興の祖と称される。2023/12/23 07:59:21670.◆JBLfMwCXhYsS5a1明恵は和歌にも長けており、家集『明恵上人和歌集』がある。次の短歌が知られる。むらさきの 雲のうえへにぞ みをやどす 風にみだるる 藤をしたててあかあかや あかあかあかや あかあかや あかあかあかや あかあかや月夢の世の うつつなりせば いかがせむ さめゆくほどを 待てばこそあれ(新勅撰和歌集選)また、栄西請来の茶の種子を栂尾にまき、茶の普及の契機をなしたことは有名である。2023/12/23 08:00:23671.◆JBLfMwCXhYsS5a1承久の乱で敗兵をかくまったことを機縁として、鎌倉方の総司令官として入京した六波羅探題初代長官(のちの鎌倉幕府第3代執権)北条泰時との親交がはじまっている。山本七平によれば、泰時は明恵の学徳を深く尊敬し、明恵は泰時の政治思想、とくに御成敗式目の制定の基礎となる「道理」の思想形勢に大きな影響を与えている。その学徳は後鳥羽上皇・北条泰時のみならず、公家では九条兼実、九条道家、西園寺公経、武家では安達景盛、婦人では平徳子(建礼門院)など多くの人びとからの尊崇を集めた。2023/12/23 08:00:42672.◆JBLfMwCXhYsS5a1明恵の著作おもな著書には、浄土宗をひらいた法然の『選択本願念仏集』(選択集)を読んでこれを批判した上述の『摧邪輪』(ざいじゃりん、正しくは『於一向専修宗選択集中摧邪輪』)全3巻、『同荘厳記』1巻がある。『華厳経』で高唱される菩提心を重視した明恵は、『摧邪輪』・『同荘厳記』において、称名念仏こそが浄土往生の正業であり、もっぱら念仏を唱えることによって救われるとする法然の教説(専修念仏)に対して、その著作には大乗仏教における発菩提心(悟りを得たいと願う心)が欠けているとして、激しくこれを非難している。40年におよぶ観行での夢想を記録した『夢記』のほか、著作は70余巻におよび、『唯心観行式』『三時三宝礼釈』『華厳仏光三昧観秘宝蔵』『華厳唯心義』『四座講式』『入解脱門義』『華厳信種義』『光明真言句義釈』などがある。2023/12/23 08:01:26673.◆JBLfMwCXhYfDOcK華厳宗は衰退していたが鎌倉幕府の明恵上人が盛り返した2023/12/23 08:11:14674.◆JBLfMwCXhYfDOcK華厳経の教え日本で絶やしてはならない2023/12/23 08:11:40675.神も仏も名無しさんLZp0m明恵は死後は栄西か、栄西の弟子に教えてもらえといったらしい😄2023/12/23 08:37:11676.神も仏も名無しさんLZp0m>>674俺ちゃまがいる期間は安泰だ?😄2023/12/23 08:38:03677.神も仏も名無しさんLZp0mしかし、昨日、仕事始めに短時間に脳を使用したせいか脳がシンプルモード過ぎて神秘主義探求能力がスタートしないな〜😄2023/12/23 08:42:23678.◆JBLfMwCXhYsS5a1明恵上人の直伝か~😄2023/12/23 08:44:46679.神も仏も名無しさんLZp0m明恵上人も厳密に言えば華厳密教らしいからな〜真言密教と近いからな😄2023/12/23 08:47:15680.神も仏も名無しさんLZp0m空間認識において華厳と真言密教の理論は密接だからな😄空海著作の十住心論、秘蔵宝鑰(ひぞうほうやくでは、真言密教の次のレベルが、華厳としており、このあたりが日蓮ちゃまがゲキオコされる😄2023/12/23 08:50:40681.神も仏も名無しさんWlyodさて、ノーマル天台華厳真言密教あたりまで降りてきたたが、そこからの模索が停止だ〜😄2023/12/23 11:53:27682.◆JBLfMwCXhYJ0nUiなるほど2023/12/23 12:10:48683.◆JBLfMwCXhYJ0nUi天台華厳真言密教ってのは、「天台密教・華厳密教・真言密教」なんだな😄2023/12/23 12:11:51684.神も仏も名無しさんWlyod空間的にはノーマル天台、ノーマル華厳もイケているという意味だなどれも密教化はしてるみたいらしいけど😄2023/12/23 12:22:00685.神も仏も名無しさんWlyodノーマル山伏、念仏ゾーンに入れる手前感覚、脳が仕事で瞬間高速労働したせいでそのモードマックスから戻れなくなってた10時ぐらいまで😄2023/12/23 12:27:32686.◆JBLfMwCXhYe3gU0なるほど密教化してない、ノーマル華厳か😄2023/12/23 12:29:05687.神も仏も名無しさんWlyodよし〜ヒンズーヨガ系統のイメージが戻ってきた〜ま〜ま〜脳内が宗教臭い神秘主義になってきた😄2023/12/23 12:32:10688.神も仏も名無しさんWlyodヨーガは神聖なる呼吸だ〜😄2023/12/23 12:33:03689.神も仏も名無しさんWlyodだが神学的キリスト教、イスラム教やノーマルな念仏山伏のゾーンには入れていないやはり俺的には外国なのら〜😄2023/12/23 12:34:04690.神も仏も名無しさんWlyodお〜さらに639の内容に脳内霊感が近づいてきた〜😄2023/12/23 12:35:06691.神も仏も名無しさんWlyod689の内容だった〜😄2023/12/23 12:37:55692.神も仏も名無しさんWlyod密教初ゾーンは仏の゙智慧と一体化する観想であることを仕事世界のせいで忘れてた😄2023/12/23 13:00:02693.神も仏も名無しさんWlyodノーマル浄土宗系統は仏の世界の観想でツナガルか〜〜だが、やはり脳が仕事モードから抜けでもない〜密教初歩止まりノーマルなキリスト教へは脳が切り替わらない😫2023/12/23 16:57:54694.◆JBLfMwCXhYXDIxwノーマル浄土宗か~2023/12/23 17:59:00695.◆JBLfMwCXhYXDIxwザ・日本仏教って感じ2023/12/23 17:59:18696.神も仏も名無しさんWlyod密教ゾーンからぬけでられへん〜三密加持から抜け出られへん〜極楽浄土と阿弥陀仏のノーマルなパワーが来ない〜関与しても自動三密加持だ〜😫2023/12/23 18:19:15697.神も仏も名無しさんWlyod𦍌文学のサウンドから中島みゆきを聞くぐらいに脳の展開がムズイ😄2023/12/23 18:20:11698.◆JBLfMwCXhYwGuiE三密とは?天台密教・真言密教・華厳密教のこと2023/12/23 18:34:06699.神も仏も名無しさんWlyodちゃう、仏の身仏の口 、眞言仏の意を観想して一体化それが三密加持浄土宗の阿弥陀仏ですら、その扱い解釈でノーマル解釈がブレイクしとるな〜😫2023/12/23 18:43:48700.神も仏も名無しさんWlyod脳が三密加持を解除しない〜😫2023/12/23 18:51:10701.神も仏も名無しさんWlyod近所の真言密教寺院へお参りしたから余計にだ😄2023/12/23 18:52:04702.◆JBLfMwCXhYQScf6ずっと三密加持状態なのか~😄2023/12/23 18:55:51703.◆JBLfMwCXhYQScf6そりゃ、すごいな?😄2023/12/23 18:56:03704.◆JBLfMwCXhYwGuiE華厳と禅東京大学名誉教授 鶴見大学教授 木村清孝華厳にも禅にも、いろんな側面があります。華厳という言葉にはおおよそ、華厳経という経典、それを拠り所として形成された華厳宗独自の体系的な思想「華厳教学」、華厳教学も含め華厳経の強い影響下に誕生した思想一般の3つの意味があります。禅という語も、その原語、サンスクリット語のディヤーナ(心を落ち着け澄ませる実践のあり方)やその概念をやや広げた禅の境地の実現に関わる実践一般をいう「禅観」、あるいは「禅宗」の意で用いられます。この華厳と禅は、全然違うものとされがちですが、どうもそうではないようです。まず華厳経にどういう禅の思想や禅観の問題が出てくるのでしょうか。2023/12/23 19:15:50705.◆JBLfMwCXhYwGuiE華厳経は、基本的に釈尊の悟りの世界に到る道筋を明らかにした経典です。そこで初めに仏の悟りの世界の実現を宣言します。仏の悟りの場が、華厳経の根本の舞台なのです。ところがこの仏は、一箇所に留まることも自ら説法することもありません。では教えを説くのは誰かと言えば、それは主に菩薩たちです。このような仏の押さえ方から言えば、華厳経の構想が禅的な深い瞑想の世界を前提にし、そこに現れてくる真実の在り方を提示していると言えます。ですから華厳経はある意味、禅の経典なのです。2023/12/23 19:16:18706.◆JBLfMwCXhYwGuiE更に、具体的な教説として華厳経には三昧について丁寧な開示が見られます。例えば賢首菩薩品では、私たちの感覚意識器官と三昧との関係を丁寧に描き出していきます。見るという目の働きを通じて瞑想の世界に入っていき、見られた世界を介してその瞑想の場から出てくる、と述べているのです。2023/12/23 19:17:01707.◆JBLfMwCXhYwGuiE次に、華厳経の念仏三昧についてですが、普通、念仏と言うと、口で南無阿弥陀仏を唱えることを指すと思いますが、本来は仏を憶念すること、つまり、仏の姿や仏の世界を深く心の中に思い浮かべて意識の世界においてそれと一体化していく一種の瞑想を言います。この意味での念仏・念仏三昧が、華厳経の入法界品に出てきます。2023/12/23 19:17:33708.◆JBLfMwCXhYwGuiEところで、華厳宗では後に「一即一切、一切即一」「一入一切、一切入一」と言いますが、これは1つのものの中に美しく大きな真実の世界が全部詰っている、ということです。このようなあり方は、禅定、瞑想的な世界の内景と言うべきものではないでしようか。2023/12/23 19:17:52709.◆JBLfMwCXhYwGuiEところが華厳宗が注目したのは、これまで述べたようなことよりも、海印三昧や華厳三昧でした。特に海印三昧は、仏の根本の禅定と見なされました。大きな海が静まり返り、少しも波立たない。そんな大いに静まった仏の瞑想の世界に、あらゆるものがありのままに刻印され、映し出される。そこにくっきりと如実に真実のすべてが浮かび上がる。中国華厳宗の人々は、仏教の根源的なありようをそのように捉えたのでしょう。更に、韓国の華厳系仏教の初祖、義湘は、海印三昧によって宗教的世界の全体が成り立っているという見解を示しています。韓国の華厳宗、そしてその影響を強く受けた禅仏教は、こういう考え方がベースになっているのです。2023/12/23 19:18:22710.◆JBLfMwCXhYwGuiEところで中国の居士仏教の代表者、李通玄が華厳宗とは違う瞑想実践の方法を提唱しています。それは華厳経の光明覚品に基づく仏光観です。仏の体から放たれた光が次第に宇宙全体に広がっていく、という記述に基づき、李通玄は、いわば光を心の中で追跡し、光の広がりに応じて自分の心も拡大し普遍化していき、自分と光の世界が1つになり同時に自分自身の真実の姿が顕わになる。仏光観は、そういうありようをめざす観法と言ってよいでしょう。2023/12/23 19:19:04711.神も仏も名無しさんWlyod>>704だから八宗綱要の華厳の内容をアタマに叩き込むべしと初期から推奨してんま〜😄2023/12/23 19:19:12712.◆JBLfMwCXhYwGuiEでは禅宗における華厳思想の問題はどうでしょうか。華巌経や華厳教学の影響を受けた禅者の一人に碧巌録の編者として知られる圜悟克勤(えんごこくごん)がいます。彼は華厳経に言及するだけでなく、自分の体験を通してそれを読み解くという態度を取っています。特に思想史的に興味深いのは、華厳宗の存在論とも言える四法界に関する考え方です。四法界とは、存在するものの世界を見方の深さにより4つに区分したもので、事法界(事象の世界)、理法界(真理の世界)、理事無礙法界(事象と真理が障害なく関わり合い融合する世界)、事事無礙法界(あらゆる事象と事象が障害なく自在に関わり合い調和する世界)のことです。圜悟は、これと禅の境地の対応を論じ、結局のところ、四法界の範疇ないし領域が消滅して、そこで初めて禅の世界が開け、禅の世界は事事無礙法界の上にある。そういう自由の境地こそが禅が目指すもの、と説いているのです。2023/12/23 19:19:37713.◆JBLfMwCXhYwGuiEこのように、禅者の立場からは、華厳は教義的な枠組みを脱していないという批判がなされますが、中身からいうと、華厳の世界が深く禅の世界と通じ合っていることは確かだと思われます。2023/12/23 19:19:51714.◆JBLfMwCXhYwGuiEなるほど2023/12/23 19:20:03715.◆JBLfMwCXhYwGuiE禅も念仏も、華厳からの派生ということだ2023/12/23 19:20:22716.神も仏も名無しさんWlyod>>703なんとなくのメンタルの疲労あまり、メンタルが宗教的に三密加持の方向へのリンク志向が続いていてキリスト教やらノーマルな浄土宗に展開できん😄2023/12/23 19:20:56717.◆JBLfMwCXhYwGuiE南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏2023/12/23 19:22:00718.神も仏も名無しさんWlyod>>712まさに、空間認識と俺が言うJBLの前に立ちはだかる壁、これが大乗仏教の基礎認識四法界とは、存在するものの世界を見方の深さにより4つに区分したもので、事法界(事象の世界)、理法界(真理の世界)、理事無礙法界(事象と真理が障害なく関わり合い融合する世界)、事事無礙法界(あらゆる事象と事象が障害なく自在に関わり合い調和する世界)のことです。2023/12/23 19:22:57719.神も仏も名無しさんWlyod三密加持は禅よりも華厳に遥かに近い😄2023/12/23 19:23:46720.◆JBLfMwCXhYwGuiE華厳はすばらしいな~😄2023/12/23 19:24:49721.神も仏も名無しさんWlyod俺の脳はまさに浄土宗ですら下記状態三密加持化しとる😄>次に、華厳経の念仏三昧についてですが、普通、念仏と言うと、口で南無阿弥陀仏を唱えることを指すと思いますが、本来は仏を憶念すること、つまり、仏の姿や仏の世界を深く心の中に思い浮かべて意識の世界においてそれと一体化していく一種の瞑想を言います。この意味での念仏・念仏三昧が、華厳経の入法界品に出てきます。2023/12/23 19:26:31722.神も仏も名無しさんWlyod明治の浄土宗の聖者山崎弁栄は浄土宗に華厳思想我流入している坊主故に浄土宗が三密加持化するのもありえない話ではない😄2023/12/23 19:27:48723.神も仏も名無しさんA17Gc〈有〉→〈仮〉→≪中≫←〈空〉←〈無〉2023/12/23 21:32:05724.神も仏も名無しさんJigBa>>723天台華厳真言密教禅では、そんなのは関係がない😄2023/12/23 21:34:09725.神も仏も名無しさんZj0UYしらんがな😩2023/12/23 22:24:50726.神も仏も名無しさんJigBaノーマル浄土宗にスイッチが入らんな〜😫2023/12/23 22:40:40727.神も仏も名無しさんJigBaやっと脳内疲労が減ってきたのでリアル浄土教やれそー😄2023/12/23 22:49:45728.神も仏も名無しさんJigBa西山派の當麻曼陀羅絵解きをよもー😄2023/12/23 22:51:58729.神も仏も名無しさんJigBa當麻曼陀羅の拝し方を読んで、イメージがわいてスイッチがさらに入った😄2023/12/23 22:55:20730.◆JBLfMwCXhYEJDBL今日は早起きだ2023/12/24 04:39:28731.◆JBLfMwCXhYEJDBL寒いな~2023/12/24 04:39:43732.◆JBLfMwCXhYEJDBLまだ雰囲気は深夜2023/12/24 04:40:07733.神も仏も名無しさんN8oSqこちらも休日は早起きになってきたな〜😄おはよ〜😄2023/12/24 05:15:54734.神も仏も名無しさんN8oSq西山派の當麻曼陀羅絵解きをよもー再び😄2023/12/24 05:16:55735.神も仏も名無しさんN8oSq夏場ならば、この時間に目覚めたら即動画おとしするが〜😄2023/12/24 05:18:11736.◆JBLfMwCXhYEJDBL西山派かノーマル浄土宗だ😄2023/12/24 05:46:01737.神も仏も名無しさんs6V6R當麻曼陀羅の絵解きの本を買っておいたのが寝所の部屋においていたやはり、おもろい當麻曼陀羅=観無量寿経だからな😄2023/12/24 06:08:16738.神も仏も名無しさんs6V6R當麻曼陀羅の霊的ワールドの突入やっとでき始めた昨日なら現世の三密加持に処理してまう日だった仕事疲労?せいなのか?😄2023/12/24 06:09:41739.神も仏も名無しさんs6V6R當麻寺自体は知恩院のほうの浄土宗と真言宗の管理なのだが當麻曼陀羅を広めたのは西山派らしいので西山派の寺院には當麻曼陀羅のレプリカがあるお寺が割合ある😄2023/12/24 06:11:24740.◆JBLfMwCXhYEJDBL三密加持密教用語。 衆生と仏とは本来同一であるから,衆生が身に印を結び (身密) ,口に真言を称え (口密) ,心に本尊を観じる (意密) とき,それがそのまま仏の三密と相応して,仏の加護を受け,仏と同一となること。2023/12/24 07:44:05741.◆JBLfMwCXhYEJDBL密教修法の基本が「三密加持」密教を習得しようとする人なら、必ず修める必要があるのが「三密加持」といわれる「行」です。密教で行われるすべての儀礼の基本には、この「三密加持」があります。では、「三密加持」とは、何か。まず、「三密」は、「身密(しんみつ)」「口密(くみつ)」「意密(いみつ)」を指します。具体的に言うと、こうなります。本尊を現す「印(いん)」を手で結ぶことを、「身密」。真言を、口で唱えることを「口密」。ご本尊の姿を心(意)に思い描くことが、「意密」です。この3つが完璧にできたとき、ご本尊と一体となることができ、その身そのままで「即身成仏」を達成することができます。これを、達成することを、「加持(かじ)」といいます。2023/12/24 07:44:50742.◆JBLfMwCXhYEJDBL三密は煩悩の源泉も受け入れる密教以外の宗派では、「身・口・意」の3つは、「煩悩の源泉」と考え「三業(さんごう)」と呼んでいます。「三業」身体=楽をしたい、美味しいものを食べたい、異性と交わりたい口=悪口や陰口、自慢話、噂話意識(心)=バレなければ何をしてもいいと思う心、ズルをしようと思う心人の煩悩は、この3つのどれかに集約できるというのが、この「三業」の由縁でもあります。確かに、人の背負う業でもある「三業」ですが、密教では、この3つの業でさえ、受け入れます。なぜなら、この世のすべてのものは、大日如来が遍在しているものだからです。つまり、こうした煩悩の中にも、何かの真理が隠されていて、これを正しく用いることこそが、「悟り」へ導く材料になると考えているわけです。2023/12/24 07:45:26743.◆JBLfMwCXhYEJDBL三密加持で仏と一体になる「入我我入」「即身成仏」は、「とても凡人には達成できない」ような気がしますが、密教では、「どんな人間も、本質は大日如来の一部であり、その本質さえ明らかにすれば、大日如来と一体になれる」と説いています。もちろん、大日如来の一部としての本質は、「煩悩」で厚くおおわれているため、誰もがこの覆いを取れるわけではありません。「三密加持」をもとにした、瞑想や儀礼を通じて初めて、仏と一体化できます。また、仏と自身が一体化することを、「入我我入(にゅうががにゅう)」と言います。「入我」=ご本尊が行者の中に入ること。「我入」=行者がご本尊の中に入ること。つまり、自己と仏の境目も区別もなくなり、完全に一体化することを指します。こうすることで、「即身成仏」が達成されると説いているのが、真言密教です。2023/12/24 07:45:56744.◆JBLfMwCXhYEJDBL真言密教は三密加持だな~😄2023/12/24 07:46:30745.◆JBLfMwCXhYEJDBLどんなに支持率が低くても驚異の粘り岸田文雄政権2023/12/24 07:49:52746.◆JBLfMwCXhYEJDBL自民党を揺るがしているパーティー券を巡る裏金問題。年末から来年にかけての焦点は、次期通常国会が始まる前、あるいは始まったあとに議員辞職する安倍派議員が出るかどうか。2023/12/24 07:50:47747.◆JBLfMwCXhYEJDBL「岸田降ろし」が始まるかどうかも、3月15日の衆参補選期日までに、何人が起訴され、何人が自分から議員辞職するのかということを見極めてからの動きになる。2023/12/24 07:51:00748.◆JBLfMwCXhYEJDBLその時に、大量の議員辞職が出れば、3月15日までに岸田さんが総辞職を決断し、自民党総裁選をやったうえで新任総理総裁が解散という可能性もゼロではないが、岸田首相を降ろしたところで、火中の栗を拾う人がいるだろうか。2023/12/24 07:51:14749.◆JBLfMwCXhYEJDBL「パクられるのではないか?」という疑いがかけられているのは、パー券の「営業力」が大きかった元五輪相の橋本聖子さんのような、派閥とは別の資金源を引き継いだ大物政治家です。2023/12/24 07:52:07750.◆JBLfMwCXhYEJDBL国会議員も大変だな2023/12/24 07:54:37751.◆JBLfMwCXhYEJDBL南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏2023/12/24 07:54:52752.神も仏も名無しさんvcAif驕れるアベひさしからず〜全部アベの傲慢の゙せいだ😫マスコミをコントロールできるくらいの民主主義の首相はやはり有害だな😫2023/12/24 07:58:28753.神も仏も名無しさんvcAifアベの゙有害さのせいでかえってアベシの後で検察が頑張りやすくなったともいえるか〜😄2023/12/24 07:59:24754.神も仏も名無しさんvcAifほーかいくん絶好調だが〜ローラーはまだ寝てるよーだ😫2023/12/24 08:00:16755.神も仏も名無しさんs6V6R西山派も浄土宗系統の割に薄っすらと天台密教系統の三密加持思想が混じっている、それが西山派😄2023/12/24 08:16:31756.神も仏も名無しさんs6V6Rベルゼブブが目覚めた😫2023/12/24 08:17:27757.神も仏も名無しさんs6V6R脳内は西山派の當麻曼陀羅絵解きの本でキリスト教ラインも含めてスイッチが入った〜😄2023/12/24 08:18:39758.神も仏も名無しさんvcAif二度寝してる間にローラー様だいかつやくしてますやん〜😫2023/12/24 11:18:12759.◆JBLfMwCXhYPq5kE三毒ローラー様が大人気だ~😄2023/12/24 11:30:03760.神も仏も名無しさんs6V6Rホワイトほーかいくんとブラック三毒ローラー様がいるとトーク板宗教板は盛り上がる、彼らはスターだやはりジャイアント馬場とタイガー・ジェット・シンは必要だ😄2023/12/24 11:57:41761.神も仏も名無しさんDQYQXシャーマニズムと三密の壁〜カオリンの貼り付け文章はシャーマンニズムモード、ワールド😄それに対してブラマーナンダジは、「スディール(シュッダーナンダジの出家前の名前)、今の私にはこの世界は影のように見えている。この状態から心を引き戻して日常の仕事に集中するのは難しいのだ」と答えました。ブラマーナンダジの心は絶えず超越の状態(グナーティタ)にあったので、彼にとって非実在に見える普通のこまごまとした仕事に集中するのは困難だったのです。ブラマーナンダジは書類への署名というすぐにでもできそうな簡単な依頼に対しても、「後で」と先延ばしすることがありました。ブラマーナンダジの兄弟弟子のサラダーナンダジがある時、「マハラジ、今日こそは絶対にサインしてもらわないと困ります」と迫った時のブラマーナンダジの答えは、「私は自分の名前の綴りを忘れてしまった」2023/12/24 12:42:28762.神も仏も名無しさんDQYQX初歩三密は意外に実用可能だ、シャバに使える〜だがリアル浄土教あたりになるとシャバでの実用性は低下しつつある〜😄2023/12/24 12:44:23763.◆JBLfMwCXhYp6CtEこれからは大乗起信論で本覚思想だ~😄2023/12/25 09:40:14766.◆JBLfMwCXhYXOulx『大乗起信論』と一元的世界観(1/2ページ)仏典翻訳者 大竹晋氏おおたけ・すすむ氏=1974年生まれ。岐阜県出身。筑波大大学院哲学・思想研究科修了。博士(文学)。専攻は大乗仏教。著訳書多数。近著に『大乗非仏説をこえて』(国書刊行会)、『「悟り体験」を読む』(新潮社)。『大乗起信論』成立問題の概要『大乗起信論』は、6世紀前半、南北朝時代末期の中国に、漢文のかたちで現われた仏典である。南朝のインド人僧侶、真諦(499~569)の訳であると伝えられる。ただし、同論については、それが北朝の学派、地論宗――のちに南道派と北道派とに分裂した――の作であるという伝承もあった。その伝承をヒントとして、『大乗起信論』成立問題の解決への道を開いたのは、望月信亨(1869~1948)、竹村牧男(1948~)、高崎直道(1926~2013)ら日本の仏教学者である。望月は、同論を現存する地論宗南道派の文献と比較して、最終的に、同論を地論宗南道派の作と結論した。竹村は、同論が北朝の漢訳に準拠していることを指摘して同論を分裂以前の地論宗の作と結論した。高崎は、同論が北朝の漢訳に準拠していることをさらに指摘しつつも、同論を南北朝いずれかのインド人の口述と結論した。2023/12/25 17:46:05767.◆JBLfMwCXhYXOulx『大乗起信論』成立問題の解決近年、仏教学に発展をもたらしたのは、①漢文大蔵経の電子化、②敦煌出土北朝仏教文献の翻刻出版――という二大成果である。この二大成果は、結果的に、『大乗起信論』成立問題にも解決をもたらすこととなった。①によって、同論が先行する漢訳仏典からの一種のパッチワークであることが判明し、②によって、同論が地論宗より前の北朝仏教文献に特有の説をいくつか含んでいることが判明したのである。2023/12/25 17:46:19768.◆JBLfMwCXhYXOulx筆者はそのことをまとめ、国書刊行会から『大乗起信論成立問題の研究』(2017年11月)を公刊し、同論を地論宗より前の北朝人の作と結論した。幸いなことに、筆者の結論は、仏教学部の研究紀要(18年3月)に出された石井公成・駒澤大教授の書評、宗教系専門紙(18年5月)に出された末木文美士・東京大名誉教授の書評、新書『大乗仏教』(19年1月)に付された佐々木閑・花園大教授の「補講」によって承認された。同書において、筆者はさらに『大乗起信論』がインド大乗仏教と異なる奇説をいくつか含んでいることを指摘した。ここでは、そのような奇説のうち、日本仏教に大きな影響を与えた一元的世界観を採り上げ、その問題性について再考したい。2023/12/25 17:47:29769.◆JBLfMwCXhYXOulxインド大乗仏教の説インド大乗仏教においては、現象を構成しているあらゆる法(枠組み)は、空(からっぽ)、すなわち、無我(おのれがない)と説かれている。言い換えれば、インド大乗仏教においては、あらゆる法に、空性(からっぽさ)、すなわち、無我性(おのれのなさ)という共通的属性が内在すると説かれている。この、空性、すなわち、無我性は、真如(そのとおりのまこと)と呼ばれる。われわれはこの真如について伝聞するにすぎないが、インド大乗仏教の聖者は、修行によってこの真如を実見し、最終的にブッダとなる。2023/12/25 17:47:42770.◆JBLfMwCXhYXOulx『大乗起信論』の奇説ところが、『大乗起信論』においては、インド大乗仏教と異なる奇説が説かれている。具体的に言えば、『大乗起信論』においては、あらゆる法は一なる真如であり、われわれの妄念によって、あらゆる法へと分節されていると説かれている。インド大乗仏教においては、あらゆる法に内在する共通的属性が真如なのであるが、『大乗起信論』においては、あらゆる法が真如なのである。インド大乗仏教は二元的世界観である。あらゆる法と、真如との二元にもとづいて、あらゆる法を実見する凡夫と、真如を実見する聖者との区別がある。それに対し『大乗起信論』は一元的世界観である。そこには凡夫と聖者との区別が曖昧になる危険性があった。2023/12/25 17:47:59772.◆JBLfMwCXhYXOulxなるほどそれは言える2023/12/25 17:51:05773.◆JBLfMwCXhYvjxJW仏教は二元論的な世界観だでも、大乗起信論は一元論なのか2023/12/25 17:52:21774.◆JBLfMwCXhYvjxJWそれは確かに奇妙だ2023/12/25 17:52:34775.◆JBLfMwCXhYvjxJW凡夫と聖者の区別があいまいになる恐れがある2023/12/25 17:53:29776.◆JBLfMwCXhYvjxJW別にいいか2023/12/25 17:53:47777.◆JBLfMwCXhYvjxJW7772023/12/25 17:54:05778.◆JBLfMwCXhYvjxJW「迷人は方に依るが故に迷うも、若し方より離るるときは、則ち迷うことあること無し」馬鳴『大乗起信論』(『大乗起信論』岩波文庫 34頁)https://www.otani.ac.jp/yomu_page/kotoba/nab3mq000005mqm7-img/nab3mq000005mqn4.gif2023/12/25 17:56:37779.◆JBLfMwCXhYvjxJW 『大乗起信論』は「大乗」に対する信を我々に起こす目的で著された仏典です。ここでの「大乗」は我々の心に宿る「さとり」(覚)を意味するものとされています。また、心は常に「さとり」を覆い隠す「まよい」(不覚)に支配されています。そのため、「まよい」を取り除くことで、心に宿る「さとり」がはっきりと顕現するということ、その事実に対する信を起こすことが『大乗起信論』の目的です。2023/12/25 17:57:10780.◆JBLfMwCXhYvjxJW さて、標題のことばは、心を支配する「まよい」のはたらきを端的に示した比喩です。意訳すれば「道に迷う人は、方角を立てるから道に迷うけれども、方角を立てなければ、道に迷うことはない」となるでしょうか。「方に依る」(方角を立てる、方角を決める)という比喩表現は、どこかに「正しい答えがある」と思い込んでいる心の状態を指しています。例えば、私たちは何かを決断するとき、知らず識らず、どこかに「正しい選択」があるはずだ、正しい選択をしさえすれば「正解」に辿り着けるはずだ、という前提に立っています。しかし、そうした「正解」は、実はどこにもありません。自分の進むべき道、自分の選択の結果が「正しい」かどうかは、誰にもわかりません。それと同じように、間違った道順、不正解があるわけでもないのです。それにもかかわらず、そうだと思い込んだ「正解」との距離を推し測り、「私は正しい道を歩んでいる」と過信したり、「私は道を誤ってしまった」と後悔することがあります。このように、自分の目が届く範囲の中で基準を作り出し、「正しさ」に振り回される心のありようが「道に迷う」と比喩的に表現されているのです。2023/12/25 17:57:25781.◆JBLfMwCXhYvjxJWこのことばに引き続き、『大乗起信論』では、「まよい」は「さとり」と対比されることではじめて「まよい」となり、「まよい」というものがもともとあるのではない、と述べられています。つまり、「まよい」とは私たち自身が生み出すものでもあるのです。「これが正しいのだ」との思い込みと決めつけにとらわれ、自分で自分を縛りつけて、その結果、道に迷ってしまう。そうした私たちの心の傾向が明らかにされています。2023/12/25 17:57:38782.◆JBLfMwCXhYvjxJW三月になり、これまでのことを振り返り、これからのことを考える人も少なくないでしょう。標題のことばは、この節目の時を迎えた私たちに向けて、これまでの、そしてこれからの道のりに「正解」も「不正解」もないことを伝えているのかもしれません。2023/12/25 17:57:51783.◆JBLfMwCXhYvjxJW>>779> 『大乗起信論』は「大乗」に対する信を我々に起こす目的で著された仏典です。なるほど「大乗への信を起こす論」なのか2023/12/25 17:58:57784.◆JBLfMwCXhYvjxJW>>780> さて、標題のことばは、心を支配する「まよい」のはたらきを端的に示した比喩です。意訳すれば「道に迷う人は、方角を立てるから道に迷うけれども、方角を立てなければ、道に迷うことはない」となるでしょうか。「方角を立てるから道に迷う」か2023/12/25 18:01:17785.◆JBLfMwCXhYvjxJW>>780> 「方に依る」(方角を立てる、方角を決める)という比喩表現は、どこかに「正しい答えがある」と思い込んでいる心の状態を指しています。「正しい答えがある」というのが誤りだごもっとも2023/12/25 18:02:36786.神も仏も名無しさん5bCiSこの手の言説はナンセンスだと思う方に依る、が誤りを生む、という言説も方として受け取られるなら、それも方角として拒否しないといけなくなるしかも、仏教という方角からそれを語ってるという自己矛盾2023/12/25 19:16:30787.神も仏も名無しさん5bCiSでも、言わんとしていることは分かるこういうのは個別事象に適応すべき事で、普遍的にそう言ってるわけではない2023/12/25 19:17:04788.神も仏も名無しさん5bCiS盲信の中にある人にはそう語るべきだが、生真面目に全てに適応してはならないことなぜなら、それを受け入れたら方に依る方すらも知ることが出来ないから2023/12/25 19:18:15789.◆JBLfMwCXhYvjxJW確かに「方より離るる」と言いつつ、華厳宗を信仰するのは矛盾2023/12/25 20:26:02790.◆JBLfMwCXhYvjxJW華厳宗は、天台宗の歴史的ライバル2023/12/25 20:26:23791.◆JBLfMwCXhYvjxJW唐朝では、天台宗と華厳宗はともに有力だった日本では天台宗が主流派になり、朝鮮では華厳宗が主流派になった大陸では、両方とも衰退した2023/12/25 20:27:44792.◆JBLfMwCXhYvjxJW今回、中国天台宗の性具説(一多相即論)と中国華厳宗の性起説(一即多・多即一)をそれぞれかなり大雑把にではありますが、少しお話ししたいと思います。中国天台宗と中国華厳宗の両宗は論争を通じ、互いの思想に大きな影響を与え合ってきたと言われています。2023/12/25 20:27:58793.◆JBLfMwCXhYvjxJWそれぞれの哲学において用いられる用語を使用すると、ややこしくなるため、天台と華厳の両思想とも普遍なる「一」を「理」、三界階層(欲界・色界・無色界)の万有・個物の「多(一切)」を「事」で表現します。前回の記事における三界唯心の一心を「理」、三界を「事」に変換した感じと考えて頂けると幸いです。2023/12/25 20:28:11794.◆JBLfMwCXhYvjxJWさて、前回のお話の流れで説明しやすい華厳宗の性起説を先に見ていきたいと思います。そして、性起説と性具説の違いを分かりやすくするため、日本が生んだ最高峰の哲学者西田幾多郎(1870~1945)の「絶対矛盾的自己同一」を参考にしたいと思います。2023/12/25 20:28:26795.◆JBLfMwCXhYvjxJWう~ん中国仏教は、そこにこだわるのか2023/12/25 20:32:02796.◆JBLfMwCXhYvjxJW一即多・多即一確かに、西田幾多郎っぽいな?2023/12/25 20:34:03797.◆JBLfMwCXhYvjxJWまあいいや2023/12/25 20:34:15798.◆JBLfMwCXhYvjxJWシリーズ大乗仏教 <全10巻> 8如来蔵と仏性著者名高崎 直道 (監修)、下田 正弘 (編著)本書は、70名を超える国内外の研究者が寄稿し、2011年から2014年にかけて出版された「シリーズ大乗仏教」全10巻のなかの一冊として刊行された。大乗仏教は、紀元前5世紀のインドでブッダ (釈迦) によって興された仏教を継承しながら、紀元前後にあらたな経典制作を通してその存在を顕在化させた思想運動であり、その後数百年の時をかけて認識論と存在論を中心とする仏教思想の深化発展を強力に牽引した。本書の主題である如来蔵と仏性は、大乗仏教の最終段階の思想であり、東アジアやチベットの仏教思想の形成に大きな影響を与えた。ことに中国において、華厳の哲学と融合しながら朱子学の理論形成に影響を与えるとともに、近代になって辛亥革命の指導者たちの理論的支柱になったことは注目に値するだろう。2023/12/25 20:34:39799.◆JBLfMwCXhYvjxJW如来蔵と仏性は、煩悩の汚れに覆われ、迷いのなかにある衆生が、一点の曇りもない智慧のさとりに達した如来あるいは仏の本性を有すること示す術語であり、端的にいえば衆生の位相にある如来、仏を指す。いまだ迷いや苦悩のなかにあるものにとってのさとりや救いの成り立ちを、すでに迷いや苦悩から解放され真理が実現された如来や仏の境位から言明する如来蔵・仏性思想は、超時間的な絶対的真理が、歴史的あるいは人格的な次元にどう現れてくるかを課題とする救済論soteriology、あるいは神義論theodicyとしての特徴を備えている。一つの思想史の円熟期に位置する思想は、先行する歴史のなかで生まれた異なる文脈の諸概念を共存させるための、より高次の概念を生み出す。衆生の位相における如来、仏を指す如来蔵と仏性は、衆生と如来をともに包摂する、両者よりも一段高い次元の概念となっている。2023/12/25 20:35:26800.◆JBLfMwCXhYvjxJW迷いとさとりを同時に課題化する如来蔵・仏性思想が成立する根底には、宗教思想一般における救済論の特徴と仏教に固有の真理観との二つがある。宗教思想一般における救済論は、世界の様相を、人の国と神の国、此岸と彼岸、輪廻と涅槃など、相対、有限、無常の世界と、絶対、無限、永遠の世界という二元的なものとしてとらえる。前者の様相から後者の様相への移行は連続的なものではなく、回心やさとりといった存在次元の転換ともいうべきできごとを必要とする。個人のなかに起こるこの経験は、単層にしか見えなかった世界の様相を一変し、それまで隠れていた世界の神秘的な面を露わにする。少なからぬ宗教がここで言説を止めるのに対して、大乗仏教は、いったん現れた二元性をさらに仮象としてとらえ、両者を究極的に無区別とみる点にまで至りつく。彼岸から見た此岸の景色、菩提に浄化される煩悩、涅槃の風光に照らされる輪廻は、なんら否定される必要のないものとして、あるがままに受容される。そこでは世界の二元性は超克され、個々の差異を認めたまま、高次の平等の様相が現れている。2023/12/25 20:36:00801.◆JBLfMwCXhYvjxJWこれですな2023/12/25 20:36:15802.◆JBLfMwCXhYvjxJW「一即多・多即一」もいいけどやっぱり、如来蔵思想に関心がある2023/12/25 20:36:50803.◆JBLfMwCXhYvjxJW凡夫と如来を包摂する一元論2023/12/25 20:37:12804.◆JBLfMwCXhYvjxJWかなり無理があるけど、すごいな?2023/12/25 20:37:26805.◆JBLfMwCXhYp6CtE本覚思想といえば、藤村潔先生か2023/12/25 21:39:17806.◆JBLfMwCXhYp6CtEすごいんだな2023/12/25 21:39:28807.◆JBLfMwCXhYp6CtEなるほど「大乗起信論」を書いたのは馬鳴漢訳したのは真諦註釈したのは法蔵の「大乗起信論義記」2023/12/25 21:53:33808.◆JBLfMwCXhYp6CtE法蔵の註釈に依って読むのが、後世のスタンダードとなった2023/12/25 21:54:03809.◆JBLfMwCXhYp6CtE法蔵っていったら「中国華厳宗の実質的な開祖」と言われる人2023/12/25 21:54:57810.◆JBLfMwCXhYp6CtE早い話が、「大乗起信論」は事実上、華厳宗2023/12/25 21:55:21811.神も仏も名無しさんW0EeV俺流には空間の一切認識と呼ぶ〜〜むろん禅定の感覚であって、対象を詳細にみれば煩悩の山の世界はなのだが禅定の世界から世界を、見ればま、それよりレベルをわざと落として、その初歩レベル三密加持が解除できんとか云々、日曜朝の昼寝後までいってたわけで、😄仕事コロワク疲れの反動でそれらの禅定ゾーンから抜け出れない〜リアルなキリスト教や浄土教が楽しめない😭とか〜〜禅定の世界からの空間の一切認識モードから抜け出れず霊的遊戯ができないと〜不満〜〜😄2023/12/25 21:58:50812.◆JBLfMwCXhYp6CtEほんがく・しかく/本覚・始覚本覚とは本来的に衆生には自覚の性質があることで、始覚とは自覚していない衆生が始めて自覚に至ること。『起信論』が初出。『起信論』では「心真如門」において仏の法身が真如の智慧そのものであることを示す。2023/12/25 21:59:42813.神も仏も名無しさんW0EeV>禅定の世界からの空間の一切認識JBLが西欧哲学的、論理的に対処不可能なワールド、それが華厳への流れ😄2023/12/25 21:59:55814.◆JBLfMwCXhYp6CtEう~ん始覚ってのは、「覚醒し始める」という意味なのか?2023/12/25 22:00:33815.◆JBLfMwCXhYp6CtEなるほど華厳は空間の一切認識か~😄2023/12/25 22:01:05816.神も仏も名無しさんW0EeV>>812桜ん坊のあの動画をある程度知識を集めてから見てみるとさらに理解が深まる、あれは上手くまとめている学者やろしな😄2023/12/25 22:01:25817.神も仏も名無しさんW0EeV>>814桜ん坊の動画では、その件で大乗起信論と天台本覚思想の真如観との違いを解説していた、知識を集めるたびに何度も見なければ、大乗起信論の壁は越えないがんばり〜😄2023/12/25 22:03:23818.神も仏も名無しさんW0EeV>>815リダンやほーかいくんではなく、こちらはマジで体験して、それを分析研究している仕事日を中心に😄2023/12/25 22:04:54819.◆JBLfMwCXhYp6CtE>>816いきなり、レベル高いな😅2023/12/25 22:06:02820.◆JBLfMwCXhYp6CtE予備知識が無さすぎる😅2023/12/25 22:06:18821.神も仏も名無しさんW0EeV>>814桜ん坊の最後のほうで親鸞と道元の違いとかをやってたぞあれは知識集めた後のまとめる見事なわかりやすい知識の、宝庫だ😄2023/12/25 22:07:11822.神も仏も名無しさんW0EeV>>814親鸞、道元からの始覚、本覚に関するクロージングやったしね〜😄2023/12/25 22:08:24823.◆JBLfMwCXhYp6CtE本覚思想の論理とは仮説- -①修行の実践が無用ということ。 ②煩悩の当体のまま、仏である。③歴劫の修行を否定したこと。kiyoshi fujimura少なくとも、こうした3つの側面を踏まえて、はじめて本覚思想と定義できるのではないか。⇒究極的な悟りを遠い理想と置くのではなく、現実の衆生に具現化する。⇒修行というものを成仏という目的のための手段として捉えるのではない。 すなわち、修行そのものが仏の振る舞い (具現) である。 (=③始覚門×)①③の面は、即身成仏という点に帰結する。 (=歴劫成仏X) ②「仏に成る」のではなく、「仏である」 (実相論)と明かされる。2023/12/25 22:30:17824.◆JBLfMwCXhYp6CtE 天台本覚思想と鎌倉仏教鎌倉新仏教は天台本覚思想を思想史的母胎としながらも、一種のアンチ テーゼであると評される所以は、天台本覚思想はあくまで智顗教学の論理 |的な展開であるから、 無分別の仏凡一如の実相の理をその基底に置いて いる。 すなわち論理的には、不信・不行の者も実相の理においては仏の当 体(これを理即仏と言う)として肯定されている。 しかし、鎌倉新仏教の祖師 たちは、論理的にも実践的にも、不信・不行の者をそのまま肯定することを しなかった。道元は仏を目指してひたすら打坐を修する行者の振舞に仏の現成を見た のであり、 親鸞は仏の絶対的な本願力を信ずる一念に如来等同の救いを 見たのである。日蓮は仏凡一如の実相の理を観ずる止観行を智者の行と して否定し、末法の劣機は本門の教主釈尊(=本門の本尊) を信じて、法華 経の題目を唱えることによって救われる (即身成仏する) と論じた。kiyoshi Fujimura| 花野充道 「智顗の法華経観から日本天台の四重興廃思想へ」 『伝教大師一千二百年大遠忌記念出版 平安・鎌倉の天台』 (山喜房仏書林 2021年)p.4082023/12/25 22:31:16825.◆JBLfMwCXhYp6CtE天台本覚思想と鎌倉仏教鎌倉新仏教は天台本覚思想を思想史的母胎としながらも、一種のアンチテーゼであると評される所以は、天台本覚思想はあくまで智顗教学の論理 |的な展開であるから、 無分別の仏凡一如の実相の理をその基底に置いて いる。 すなわち論理的には、不信・不行の者も実相の理においては仏の当体(これを理即仏と言う)として肯定されている。しかし、鎌倉新仏教の祖師たちは、論理的にも実践的にも、不信・不行の者をそのまま肯定することを しなかった。2023/12/25 22:32:46826.◆JBLfMwCXhYp6CtE>>822これですな道元は仏を目指してひたすら打坐を修する行者の振舞に仏の現成を見たのであり、親鸞は仏の絶対的な本願力を信ずる一念に如来等同の救いを 見たのである。日蓮は仏凡一如の実相の理を観ずる止観行を智者の行として否定し、末法の劣機は本門の教主釈尊(=本門の本尊) を信じて、法華経の題目を唱えることによって救われる (即身成仏する) と論じた。kiyoshi Fujimura2023/12/25 22:33:46827.神も仏も名無しさんW0EeVいいポイントついていて大乗起信論も見えてきやすいまとめ方をしている、松本史朗はダメだな、そういう論文みたが、この人の方が大乗起信論と本覚思想の違いを上手くまとめている😄2023/12/25 22:52:47828.神も仏も名無しさんW0EeV日蓮、浄土教、山伏へのいい霊的インスピレーションを与えてくれる良い動画だった後半のクロージングは傑作だ😄2023/12/25 23:04:56834.◆JBLfMwCXhYQxRwz本覚思想こそが仏教だ~😆2023/12/26 19:06:34835.◆JBLfMwCXhYQxRwzみんな、本当は悟っているんだよ2023/12/26 19:06:54836.◆JBLfMwCXhYQxRwzそこに気づけばいいだけなんだ2023/12/26 19:07:10837.◆JBLfMwCXhYQxRwzし‐かく【始覚】の解説仏語。発心修行して迷いから覚め、初めて悟りを開くこと。2023/12/26 19:08:04838.◆JBLfMwCXhYQxRwz本覚 本有の覚性の意味。始覚の反対語である。すなわち本来覚知の離念の心体を言う。2023/12/26 19:10:40839.◆JBLfMwCXhYQxRwz言う所の覚の義とは、謂はく心体は離念なり。離念の相とは虚空界に等しく、徧ぜざる所なく、法界一相なり。即ち是れ如来の平等法身なり。此の法身に依りて説いて本覚と名づく。本覚の義は始覚の義に対して説く、始覚は即ち本覚に同ずるを以ってなり。〔大乗起信論、T32.0576b〕2023/12/26 19:11:25840.◆JBLfMwCXhYQxRwzと『起信論』にある。これは阿梨耶識中の覚に本覚と始覚を分けて、発心修行して漸次に心源を覚知するのを始覚と名づけ、これに対して離念の心体である如来の平等法身を本覚と名づけたものであり、本有の覚性を指している。2023/12/26 19:11:36841.◆JBLfMwCXhYQxRwz本覚とは本来的に衆生には自覚の性質があることで、始覚とは自覚していない衆生が始めて自覚に至ること。『起信論』が初出。2023/12/26 19:12:27842.◆JBLfMwCXhYQxRwz「みんな、本当は悟っているんだよ」↑これを、本覚という2023/12/26 19:14:08843.◆JBLfMwCXhYQxRwz「だけど、それに気づかない」↑これを、不覚という2023/12/26 19:14:44844.◆JBLfMwCXhYQxRwz「本当は悟ってるんだってことに気づいた」↑これを、始覚という2023/12/26 19:15:55845.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmpHeILwww違うだろwww2023/12/26 19:35:52846.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmpHeIL通年不覚で全然仏教理解が進まないJBLくん萌え😘2023/12/26 19:36:38847.神も仏も名無しさんqEfOJ悪業の人が来た😆2023/12/26 19:55:59848.◆JBLfMwCXhYU9Hi0おっ、聖ウンコ師の登場か😄2023/12/26 20:02:30849.◆JBLfMwCXhYU9Hi0>>846わかった、わかった(笑)2023/12/26 20:02:46850.栖雲居士◆dqam8SqGUPdm5Za0E一生不覚なJBLくん😚2023/12/26 20:04:29851.神も仏も名無しさんqEfOJ法介さんがいなくてJBLさんにキャンキャン構ってアピールする鹿萌え、じゃなくてきんもぉ〜😩2023/12/26 20:08:20852.◆JBLfMwCXhYU9Hi0抜粋コピペ(要約)インド大乗仏教においては、現象を構成しているあらゆる法(枠組み)は、空(からっぽ)、すなわち、無我(おのれがない)と説かれている。この、空性、すなわち、無我性は、真如(そのとおりのまこと)と呼ばれる。インド大乗仏教の聖者は、修行によってこの真如を実見し、最終的にブッダとなる。ところが、『大乗起信論』においては、インド大乗仏教と異なる奇説が説かれている。具体的に言えば、『大乗起信論』においては、あらゆる法は一なる真如であり、われわれの妄念によって、あらゆる法へと分節されていると説かれている。インド大乗仏教においては、あらゆる法に内在する共通的属性が真如なのであるが、『大乗起信論』においては、あらゆる法が真如なのである。インド大乗仏教は二元的世界観である。それに対し『大乗起信論』は一元的世界観である。2023/12/26 20:14:51853.◆JBLfMwCXhYU9Hi0なるほどこれを読んで、わかった2023/12/26 20:15:04854.◆JBLfMwCXhYU9Hi0仏教は基本的に二元論の思想だが「大乗起信論」は一元論っぽいということだ2023/12/26 20:15:43855.◆JBLfMwCXhYU9Hi0インドの大乗仏教は、プラトン的大乗起信論はアリストテレス的とでも言おうか2023/12/26 20:16:55856.◆JBLfMwCXhYU9Hi0大乗起信論では、実存たる目の前の個物がそのまま真如である2023/12/26 20:18:21857.◆JBLfMwCXhYU9Hi0で、いいのかな?😅2023/12/26 20:18:36858.◆JBLfMwCXhYU9Hi0>>852>> 具体的に言えば、『大乗起信論』においては、あらゆる法は一なる真如であり、われわれの妄念によって、あらゆる法へと分節されていると説かれている。>> インド大乗仏教においては、あらゆる法に内在する共通的属性が真如なのであるが、『大乗起信論』においては、あらゆる法が真如なのである。これを見ると、そんな感じだな😄2023/12/26 20:19:21859.◆JBLfMwCXhYU9Hi0コピペ続き『大乗起信論』と一元的世界観(2/2ページ)仏典翻訳者 大竹晋氏2020年2月18日 11時42分『大乗起信論』から生まれた修行軽視現実に、『大乗起信論』からは、凡夫はすでに真如のうちにいる以上もともと悟っていると説く、修行軽視の学説が生まれた。中国においては、唐の偽経『円覚経』(8世紀初頭)に次のようにある。善男子よ、〔あらゆる者には〕悟っていることが完成されているゆえに、「菩薩は法によって縛られもせず、法から脱がれることを求めもせず、輪廻を厭いもせず、涅槃を愛しもせず、持戒を敬いもせず、破戒を憎みもせず、長期修行者を重んじもせず、初心者を軽んじもしない」と知るべきである。それはなぜかというならば、あらゆる者は悟っているからである。2023/12/26 20:20:55860.◆JBLfMwCXhYU9Hi0おそらく『円覚経』のような説に対する批判と考えられるが、唐の偽経『楞厳経』(8世紀初頭)においては、天魔に取り憑かれた人々の説として次のようにある(文中、「法身」とあるのは真如を指す)。これらの人々は「仏の涅槃や菩提や法身は、目の前にあるわが肉体の上にある。父から子へと代々生まれてきたことこそが、法身が常住かつ途絶えないことである」と思い込む。(巻九)これら愚かで惑わされている人々は菩薩となってその心を推し進め、仏の律儀(戒)を破り、貪欲を潜行させ、口で好んで「眼耳鼻舌はいずれも浄土である。男女の性器は菩提や涅槃という真の場所である」と言う。(巻九)2023/12/26 20:21:21861.◆JBLfMwCXhYU9Hi0日本においては、『大乗起信論』にもとづいて天台宗において発生した本覚思想(誰でももともと悟っているという思想)の文献、『真如観』(13世紀)に次のようにある。今日よりのちは、わが心こそ真如であると知り、悪業や煩悩も〔極楽往生にとって〕障りとならず、名声や利得も却って仏果たる菩提にとって備えとなる以上、ただただ破戒無慙であり懈怠嬾惰であるにすぎなくても、もしつねに真如を観じて忘れることがないならば、悪業や煩悩を極楽往生にとって障りと思ってはならない。これらはいずれも『大乗起信論』の一元的世界観にもとづく修行軽視(特に戒の軽視)である。2023/12/26 20:21:35862.◆JBLfMwCXhYU9Hi0なるほどそうだったのか2023/12/26 20:21:46863.◆JBLfMwCXhYU9Hi0「大乗起信論」が、本覚思想の元ネタか2023/12/26 20:22:02864.◆JBLfMwCXhYU9Hi0ロンが好きそうだな2023/12/26 20:22:15865.神も仏も名無しさんkdcAH禅定が決まった世界から見る不覚、覚始覚、本覚天台小止観でも既に悟りを完成した時は修行の始めた初発心を知るとあるので天台小止観ですら、その要素はある😄2023/12/26 21:04:35870.◆JBLfMwCXhYFGwCK763 法介◆T3azX0Hk1U 2023/12/27(水) 08:00:59.10 ID:x3Lscこちらの「仏教ウェブ講座」で詳しく説明されておられますので宜しかったらご覧ください。密教とは何か 「仏教ウェブ入門講座」https://true-buddhism.com/shuha/mikkyo/2023/12/27 12:46:37871.◆JBLfMwCXhYFGwCK764 法介◆T3azX0Hk1U 2023/12/27(水) 08:04:27.61 ID:x3Lsc↑そこでは次のような↓説明がなされております。東密は、空海が805年に中国の恵果から、胎蔵界と金剛界の両部を伝授されたものです。やがて空海は密教を体系化し、即身成仏を理論的に裏付けたものが東密です。台密は、最澄が中国で受け継いできた密教が不完全だったために、円仁が中国に渡って、恵果の弟子たちから、840年に金剛界、胎蔵界、蘇悉地の三部の伝授を受けたものです。その後も、円珍が中国で三部の伝授を受け、安然によって大成されたのが台密です。2023/12/27 12:46:54872.◆JBLfMwCXhYFGwCK765 法介◆T3azX0Hk1U 2023/12/27(水) 08:05:38.37 ID:x3Lsc東密と台密では色々な違いがあります。例えばどんなところが違うかというと、東密では顕劣密勝ですが、台密では顕密一致といいます。また、東密では、大日如来と釈迦如来は別の仏であり、大日如来が最高の仏だとしますが、台密では大日如来と釈迦如来は本来は一仏とします。また、東密では、金剛界と胎蔵界の両部ですが、台密ではその二つを総括する不二の秘教として蘇悉地があり、三部です。このように、真言密教と天台密教では、色々なところで違いがあります。2023/12/27 12:47:08873.◆JBLfMwCXhYFGwCK767 法介◆T3azX0Hk1U 2023/12/27(水) 08:10:38.10 ID:x3Lsc天台密教では、大日如来や阿弥陀如来などは釈迦の化身の顕われと考えます。これは仏身仏土説(仏身仏土論)によるところです。2023/12/27 12:48:06874.◆JBLfMwCXhYFGwCK768 法介◆T3azX0Hk1U 2023/12/27(水) 08:14:33.96 ID:x3Lsc大乗起信論で取り上げられた「一切衆生 悉有仏性」ですが、これは『大般涅槃経』の「迦葉品」の、如来常住 無有変易 常楽我浄 終不畢竟 入於涅槃 一切衆生 悉有仏性という文句になります。2023/12/27 12:48:22875.◆JBLfMwCXhYFGwCK770 法介◆T3azX0Hk1U 2023/12/27(水) 08:18:24.35 ID:x3Lsc大乗解釈(起信論解釈)では、「如来常住にして変易有ること無し」と解釈します。涅槃においては如来は常住であると。ですから「永遠不滅の仏」を崇拝する思想が大乗仏教では弘まりました。大日如来(毘盧遮那仏)や阿弥陀信仰がそれです。2023/12/27 12:48:36876.◆JBLfMwCXhYFGwCK773 法介◆T3azX0Hk1U 2023/12/27(水) 08:22:49.47 ID:x3Lscしかし日蓮はそういった心の外に存在する〝仏〟を「厭離断九の仏」として退けました。2,仏教の中にひそむ外道https://enkyo.blog.jp/archives/18899233.html2023/12/27 12:48:54877.◆JBLfMwCXhYFGwCK780 法介◆T3azX0Hk1U 2023/12/27(水) 08:30:37.52 ID:x3Lscちなみに「一切衆生 悉有仏性」の解釈ですが、 大乗解釈=「如来は常住にして変易有ること無し」 日蓮解釈=「如来は有無に変易しながら常に法を説く」となり、日蓮さんのそれは仏身仏土説(仏身仏土論)の智顗解釈によるところです。仏土論http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E4%BB%8F%E5%9C%9F%E8%AB%962023/12/27 12:49:10878.◆JBLfMwCXhYFGwCKう~ん、なんだか、わかってきた気がするな?😆2023/12/27 12:50:09879.◆JBLfMwCXhYFGwCKまだまだ、続きがあるようだ~😆2023/12/27 12:50:29880.◆JBLfMwCXhYFGwCKということは、違うということ?758 法介◆T3azX0Hk1U 2023/12/27(水) 07:38:42.37 ID:x3LscでおーやJBLは、日蓮さんや智顗が本覚思想だと思い込んでおられるようですのでその事についてわたしの見解をここで述べさせて頂きます。2023/12/27 12:51:48881.◆JBLfMwCXhYFGwCK759 法介◆T3azX0Hk1U 2023/12/27(水) 07:44:50.43 ID:x3Lsc日蓮さんは、元は比叡山延暦寺で天台宗の教えを修学した天台僧でした。760 法介◆T3azX0Hk1U 2023/12/27(水) 07:52:20.61 ID:x3Lscしかしその時代の天台宗は、伝教大師(最澄)の時代に比べより密教化が進んだ天台宗(台密)であったと思われます。2023/12/27 12:52:15882.◆JBLfMwCXhYFGwCK台密か、いいねえ~😄神秘の教えですな~2023/12/27 12:52:56883.◆JBLfMwCXhYFGwCKう~ん、確かに華厳宗の法蔵はともかく天台智顗が本覚思想とは思わんな~2023/12/27 12:54:45884.◆JBLfMwCXhYFGwCK法蔵こそ、本覚思想の創始者2023/12/27 12:55:01885.◆JBLfMwCXhYFGwCKだということを今日、知った😅2023/12/27 12:55:23886.◆JBLfMwCXhYFGwCK天台本覚思想とはいうけれど本覚思想の出どころは、天台というより華厳2023/12/27 12:56:45887.◆JBLfMwCXhYFGwCK日本の仏教史はややこしい2023/12/27 12:57:19888.◆JBLfMwCXhYFGwCK中国のと言うべきか2023/12/27 12:57:29889.◆JBLfMwCXhYFGwCK天台三年、華厳八年2023/12/27 12:59:04890.◆JBLfMwCXhYFGwCKそう言いたくなるほど難しい😫2023/12/27 12:59:16891.◆JBLfMwCXhYFGwCKていうか、個人的に、本覚思想になじみがないだけだが2023/12/27 13:01:32892.◆JBLfMwCXhYFGwCKかつては、ロンが主張する本覚思想に強烈な違和感を覚えボロクソに文句を言ってた時期もある2023/12/27 13:02:22893.◆JBLfMwCXhYFGwCKだが、文句を言いながらも気がつけば、影響を受けていた2023/12/27 13:02:45894.◆JBLfMwCXhYFGwCKいまでは、「大乗起信論」を語るほど本覚思想に染まっている2023/12/27 13:03:13895.◆JBLfMwCXhYFGwCKそういえば、ロンは「俺が言ってるのは天台本覚思想なんかじゃない」と言ってた2023/12/27 13:03:46896.◆JBLfMwCXhYFGwCK本人に言わせれば坐禅していて気づいた真実なんだそうな2023/12/27 13:04:14897.◆JBLfMwCXhYFGwCK本覚思想ではない坐禅で悟った真実だった2023/12/27 13:05:14898.◆JBLfMwCXhYFGwCKみんな、本当は仏なんだよ2023/12/27 13:05:35899.◆JBLfMwCXhYFGwCKそれに気づけばいいだけなんだ2023/12/27 13:05:48900.◆JBLfMwCXhYFGwCK9002023/12/27 13:05:59901.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmZLttmアホかこいつw2023/12/27 16:36:07902.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmZLttm結局こいつは口先とコピペだけで、仏教の事を殆ど知らないだけじゃんwビックマウスってやつだな😂2023/12/27 16:37:05904.◆JBLfMwCXhYFGwCK>>902わかった、わかった(笑)2023/12/27 18:12:43905.◆JBLfMwCXhYFGwCKローラー様は毎日、ご苦労さんだなあ(笑)2023/12/27 18:14:15906.◆JBLfMwCXhYFGwCKおっ、今日はほ~かい師がローラー様のお相手をしてくれてるじゃないか😄2023/12/27 18:54:46907.◆JBLfMwCXhYFGwCK良かったな~😆2023/12/27 18:55:06908.◆JBLfMwCXhYFGwCK理事無礙法界理法界と事法界が、お互いに邪魔することなくとけあっていることを理事無礙法界といいます。ちょうど、それぞれの波は千差万別ですが、すべての波は、固定不変なものではなく、等しく水でできているようなものです。水を理法界とすれば、波が事法界です。水と波がお互いに邪魔することなく、融通無碍にとけあっている世界を理事無礙法界といいます。2023/12/27 18:58:39909.◆JBLfMwCXhYFGwCKなるほど2023/12/27 18:58:52910.◆JBLfMwCXhYFGwCK水を理法界とすれば、波が事法界か2023/12/27 18:59:22911.◆JBLfMwCXhYFGwCKそういうことでしたか2023/12/27 18:59:38912.◆JBLfMwCXhYFGwCK事々無礙法界それぞれの事象と事象が邪魔することなく融合している世界を事々無礙法界といいます。一切の事象は、どの事象同士も大宇宙の真理である因果の道理によってお互いに関連し合っているということです。2023/12/27 19:00:50913.◆JBLfMwCXhYFGwCK仏教では、「芥子粒の中に 大千世界を入れて 広からず 狭からず」と言われます。芥子粒というのは、あんぱんにのっている小さな芥子の種です。なぜ芥子の種ができたかというと、芥子の花が咲いたからです。なぜ芥子の花が咲いたのかというと、芥子の芽が出てきたからです。なぜ芥子の芽が出てきたかというと、その芥子の種があったからです。2代前の芥子も、3代前の芥子もあります。この芥子の種にも、遠い過去からの歴史があったということです。そのどの一本がかけても、目の前の芥子粒はありません。同時に、芥子の種があるだけでは芽を出すことはできません。太陽や土、空気など、色々な条件があって生えてきたのです。2023/12/27 19:01:09914.◆JBLfMwCXhYFGwCKこうしてみると、因果の道理にしたがって、大宇宙が総動員して、この芥子の種ができたということです。これを大宇宙が芥子の種におさまっていると言います。このように芥子粒だけでなく、一つの事象それぞれの中に、他の一切の事象がおさまっているということが事々無礙法界です。一切の事象は同じ因果の道理によって、お互いの相互関係によって成立していることを「相即相入そうそくそうにゅう」といいます。「相即」とは、すべての事象が同じ真理によって成立していること、「相入」とは、すべての事象がお互いに関係し合って成立していることです。これを「重々無尽」の因果とか「無尽縁起」ともいわれます。この事々無礙法界の「相即相入」を、色々な面から教えられているのが華厳宗です。2023/12/27 19:01:26915.◆JBLfMwCXhYFGwCKなるほど、なるほど2023/12/27 19:01:52916.◆JBLfMwCXhYFGwCK天台宗と華厳宗は、宿命のライバルだ2023/12/27 19:02:10917.◆JBLfMwCXhYFGwCK唐朝は仏教王国その中でも、天台宗と華厳宗は双璧とうたわれた2023/12/27 19:02:55918.◆JBLfMwCXhYFGwCK朝鮮半島では、華厳宗が主流になった日本でも、奈良時代までは華厳宗が有力だったが平安時代以降は天台宗がメインストリームに😫2023/12/27 19:04:03919.◆JBLfMwCXhYFGwCK天台宗と華厳宗は、どう違うのかというと2023/12/27 19:04:19920.◆JBLfMwCXhYFGwCK天台宗は、法華経を奉じる華厳宗は、華厳経を奉じる2023/12/27 19:04:40921.◆JBLfMwCXhYFGwCK天台宗と華厳宗思想的なスタンスの違いとして、よく引き合いに出されるのは、「性具説」と「性起説」だ2023/12/27 19:05:36922.◆JBLfMwCXhYFGwCK華厳宗と天台宗の違い華厳宗も天台宗も、中国で開かれた仏教の宗派としては最も高度な領域に到達しています。天台宗では、一つの現象に地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上、声聞、縁覚、菩薩、仏の十界がおさまっていると考えていますので、これを「性具しょうぐ」といいます。それに対して華厳宗では仏のさとりである真如法性がそのまま、あらゆる現象となって現れると考えます。これを「性起しょうき」といいます。天台宗の「性具」では、一つの現象に仏の世界も地獄をも含む十界がおさまっていると見るのに対して、華厳宗の「性起」では、一つの現象が真如法性の現れと見るところに違いがあります。2023/12/27 19:06:59923.◆JBLfMwCXhYFGwCKムムム?2023/12/27 19:07:18924.◆JBLfMwCXhYFGwCK性具説はわかるが性起説がいまいちわからんな?(>_<)2023/12/27 19:07:54925.◆JBLfMwCXhYFGwCK華厳宗はよく知らない苦手な分野だ (>_<)2023/12/27 19:08:30926.◆JBLfMwCXhYFGwCKほ~かい師匠の説法待ちだな (>_<)2023/12/27 19:08:50927.◆JBLfMwCXhYFGwCKでお~尊者も、華厳に詳しいようだ2023/12/27 19:12:53928.◆JBLfMwCXhYFGwCKそれはともかく、ラーメン屋が混んでるな2023/12/27 19:14:28929.◆JBLfMwCXhYFGwCKここ、行列ができるような店だったっけ?2023/12/27 19:14:42930.◆JBLfMwCXhYFGwCK寒い夜だからだな~2023/12/27 19:15:00931.◆JBLfMwCXhYFGwCKやっぱりたまたま、団体さんがドッと来ただけだ(笑)2023/12/27 19:15:36932.◆JBLfMwCXhYFGwCKたいして混んでない2023/12/27 19:15:51933.◆JBLfMwCXhYbvnda華厳宗か日本仏教の奥義だな2023/12/27 19:20:29934.◆JBLfMwCXhYbvnda深すぎて人気が盛り上がらず衰退2023/12/27 19:21:02935.◆JBLfMwCXhYbvnda鎌倉時代に明恵上人が再興した2023/12/27 19:21:28936.◆JBLfMwCXhYbvnda( ´,_ゝ`)プッ例によって、いつものごとくやたら偉そうにしてた割には自分の言葉で語れない聖ウンコ師😂829 法介◆T3azX0Hk1U 2023/12/27(水) 16:46:07.99 ID:x3Lscでは鹿野園さんは、『起信論』とは何を説いたものだとお考えでしょうか?832 栖雲居士◆dqam8SqGUPdm [sage] 2023/12/27(水) 19:22:32.14 ID:ZLttm『大乗起信論』の序文分に書いてある通りだよ。https://i.imgur.com/Mwg8bPK.jpgw2023/12/27 19:26:27937.◆JBLfMwCXhYbvndaここまでのお方だったか~😭2023/12/27 19:27:04938.神も仏も名無しさんs9YKL本は持ってるよアピールしてるがそのアピールが一体何についてのアピールなのか、は永遠の謎なのである😆2023/12/27 19:42:38939.◆JBLfMwCXhY8tJ4sいまどき、本を待ってる自慢とか😅2023/12/27 20:23:38940.◆JBLfMwCXhY8tJ4s紙の本の時代じゃないだろ2023/12/27 20:23:51941.神も仏も名無しさんDUc6X>>924プラクリティー→世界 ↓真如法界→世界ちょっと違うけど、👆みたいなのかな?2023/12/27 20:25:48942.◆JBLfMwCXhY8tJ4sこの世の現象が、そのまま真如だっていうのかな?2023/12/27 20:46:34943.◆JBLfMwCXhY8tJ4sいや、いくらなんでも、それはおかしいなさすがにおかしい(笑)2023/12/27 20:46:54944.◆JBLfMwCXhY8tJ4s仏教用語。 華厳教学で用いられる。悟った仏の立場からみれば,あらゆる現象はその真実の本性に従って現れるという意味。2023/12/27 20:48:30945.神も仏も名無しさんyUFl8941 神も仏も名無しさん 2023/12/27(水) 20:25:48.71 ID:DUc6X>>924プラクリティー→世界 ↓真如法界→世界←見者(離念)漢文に離念が真如ってなんか書いてあったような?2023/12/27 20:49:05946.◆JBLfMwCXhY8tJ4sしょうき/性起華厳教学の中心的思想の一つ。縁起との対比によっても知られる。原因(行)から結果(覚り、智慧、法身など)の流れが縁起であるが、結果からの顕現(仏、如来蔵)の強調が性起である。性起思想については、教学面で多様な考察が行われ、言及範囲も広い。その源泉は『六十華厳』宝王如来性起品に求められ、如来蔵思想への強い影響も知られる。そこに説かれる性起は、「如来の家に生まれた」「如来の出生」「如来の出現」「如来の種の流れ(を断たぬ)」「如来の性(を示現する)」に意味分類できるという。性起思想は如来出現の因果を仏身論、特に法身の顕現という面から捉えた点に大きな特徴がある。因とは法身であり、果とは如来の出現・作用(仏のはたらき)である。如来蔵思想では法身の顕現が衆生にまで及び、個々に仏性を有することが主張される。中国華厳宗法蔵の『探玄記』一六は、性起を理仏性、行仏性、果仏性を承けた理性起、行性起、果性起の三種に分類している。2023/12/27 20:50:00947.◆JBLfMwCXhY8tJ4s聖ウンコ師が、滑りまくって焦ってるな2023/12/27 21:52:37948.◆JBLfMwCXhY8tJ4sいつも偉そうにコピペ、コピペとバカにするが、本人は本の表紙を写真に撮って「これを見ろ」とな(笑)2023/12/27 21:53:35949.◆JBLfMwCXhY8tJ4sこっちもコピペといったって動画の画面をキャプチャーして、画像から文字起こしとかかなり器用なことをやってるんだが(笑)2023/12/27 21:55:11950.◆JBLfMwCXhY8tJ4s9502023/12/27 21:55:40951.◆JBLfMwCXhY8tJ4s表紙の写真が不評だった😫2023/12/27 21:56:06952.◆JBLfMwCXhY8tJ4s当たり前だが😂2023/12/27 21:56:21953.神も仏も名無しさんTkCinだから、本覚思想は桜ん坊の動画にあったよーに恵心僧都ノの偽作と言われる真如観、そこで、一心三観から初めて観心、という言葉が使われだす、と動画で述べていた、日蓮は教義のメインの観心本尊抄で観心についてであり日蓮の教義的中心である華厳から本覚思想ではなく、華厳→真言密教→天台密教の本覚讃本覚讃を調べろ、華厳よりも😄2023/12/27 22:05:34954.KaorilsIPu1年以上もモラルハラスメントされています 1年以上もモラルハラスメントされています>>953ラブ注入でおー、謝れよ!憎しみ注入してるよ、おまえは!2023/12/28 01:38:52955.◆JBLfMwCXhYqZU0eなるほど本覚讃か2023/12/28 05:08:23956.◆JBLfMwCXhYqZU0e867 法介◆T3azX0Hk1U 2023/12/27(水) 22:34:43.78 ID:x3LscJBLの為に貼り付けしておきます。日蓮宗の妙覚寺のサイト記事からです。http://myoukakuji.com/html/telling/benkyonoto/index69.htm また、日蓮聖人は61代座主顕真(1131~1192年)を、「一向謗法の法然が弟子」『神国王御書』(同889頁)となったとみています。顕真は承安3年(1173年)に比叡山より大原別所に隠棲し、文治2年(1186年)に勝林院に法然・重源・貞慶・明遍・証真らの碩学を集めて大原問答を行ったとされます。翌年勝林院で不断念仏をはじめ建久元年(1190年)に天台座主に就任しています。日蓮聖人は浄土信仰に傾斜した顕真を法然の弟子とみられ、この顕真が座主になったことを謗法とされたのです。日蓮聖人の日本仏教史観の特徴は、正法である法華経の伝来と発展に注意が注がれていました。聖徳太子の仏教興隆の徳を称え、南都仏教の伝来も鑑真を法華仏教の先駆者として位置づけ、それを最澄の天台法華宗の前提とみなします。最澄は南都仏教界と対決し、比叡山を建立して法華経を宣揚してきましたが、日蓮聖人の感心は、その後の天台宗の座主が、最澄の意思通りに法華一乗を伝えているのか、という懐疑から謗法へと視野が移ります。日蓮聖人は最澄が受け継いだ、天台大師の純粋な法華教学に、密教を混入させたことを、比叡山は濁れる山と批判しました。では、日蓮聖人はいつころ密教化したとみていたかというと、さきにのべたように、円仁・円珍の密教受容が叡山を真言宗に近づけたと指摘されたのです。佐渡配流以前は、安然の『普通広釈』などを真言批判に引用していますが、身延期には比叡山を密教化させ、最澄に背反した円仁に源信をくわえて、正統天台の獅子身中の三虫と批判するようになります。円仁は天台宗を密教化し、安然は禅宗化し、慧心僧都源信は念仏化して最澄の法華思想から離れることになったのです。2023/12/28 05:10:17957.◆JBLfMwCXhYqZU0eなるほど大聖人は、天台宗が密教化したことを批判していたのか2023/12/28 05:11:22958.◆JBLfMwCXhYqZU0e浄土信仰化したことも批判していた2023/12/28 05:12:14959.◆JBLfMwCXhYqZU0e円仁・円珍で密教化したというのは、その通りだが2023/12/28 05:13:24960.◆JBLfMwCXhYqZU0e純粋な法華経信仰じゃなくなっていったんだな2023/12/28 05:13:47961.◆JBLfMwCXhYqZU0e本覚讃本覚讃(ほんがくさん)は、本覚思想を要約した56文字の偈である。妙法蓮華三昧秘密三昧耶経の冒頭の偈から抜粋し作られた。本覚思想を要約したものなので、天台宗の勤行で唱えられる。また、修験道でも般若心経や真言、不動経など並んで修行時によく唱えられる。真言宗醍醐派の当山方の勤行でも唱えるほか、高野山真言宗でも金剛峰寺奥の院の御廟橋を渡る際に唱える。本覚讃の解釈本として、良源著と伝わる「本覚讃 註本覚讃」や源信著と伝わる「本覚讃釈」がある。2023/12/28 05:15:43962.◆JBLfMwCXhYqZU0e天台宗の公式サイトによれば、以下の通り。帰命本覚心法身(きみょうほんがくしんぽっしん)常住妙法心蓮台(じょうじゅうみょうほうしんれんだい)本来具足三身徳(ほんらいぐそくさんじんとく)三十七尊住心城(さんじゅうしちそんじゅうしんじょう)普門塵数諸三昧(ふもんじんじゅしょさんまい)遠離因果法然具(おんりいんがほうねんぐ)無辺徳海本円満(むへんとくかいほんえんまん)還我頂礼心諸仏(げんがちょうらいしんしょぶつ)2023/12/28 05:16:17963.◆JBLfMwCXhYqZU0e本覚讃 解説これも、天台系で頻繁に使うお経です実は真言でも使います真言の坊さんでも知らない人が多いと思いますが、高野山の奥の院の御廟橋を渡るときに唱える偈文がこれです本覚讃の一行目と二行目を唱えます真面目に加行しなかった奴は、御廟橋を渡るときに偈を唱えることすら知らないかも、ですが(^^;)滋賀の石山寺あたりで天台と真言はかなり混じり合いましたそれで、細かい作法はかなり影響しあっていますまあ、本覚讃の考え方が、密教全般通じて基本的なものであるということです2023/12/28 05:17:11964.◆JBLfMwCXhYqZU0e帰命本覚心法身本(来)覚っている心の法身に帰命したてまつる常住妙法心蓮台妙なる法が心の蓮台に常に住んでいる本来具足三身徳本来より(法身報身応身の)三身の徳が具足している三十七尊住心城(金剛界の)三十七尊が心の城に住んでいる普門塵数諸三味塵の数ほどの諸々の三昧にあまねく(開かれた)門がある遠離因果法然具因果を遠く離れ法然として具(足)している無辺徳海本円満無辺の徳の海が本より円満している還我頂礼心諸仏(外にするべき頂礼を)我に環して心の諸仏を頂礼する2023/12/28 05:17:41965.◆JBLfMwCXhYqZU0eと、言うことなんですが三身(さんじん)というのが、ちょっとややこしい概念ですねこれ、いつ頃から言い始めたかよく知りませんが、お釈迦様が入滅して、それでも、その存在感が失われないという事実をどう説明するか、ということから出来てきた説でしょうかね仏陀としての本質が法身(ほっしん)修行の成果として仏陀となったのが報身(ほうしん)衆生の願いに応じて現れたのが応身で、同じ仏陀であっても、その性格を、本質・自利・利他と三種類に分けることができるという見方なんですけどどうも、時代や、学派によって違う解釈があったりして一定しません軽く流しておいてくださいお釈迦様の入滅後、応身として存在し続け、本質は法身として失われていない、などと理屈をつけるわけです2023/12/28 05:17:52966.◆JBLfMwCXhYqZU0e三十七尊というのは、金剛界曼陀羅の三十七尊ですね五仏、四波羅蜜菩薩、十六大菩薩、八供養菩薩、四摂菩薩で三十七尊になります転識得智といってアラヤ識(記憶を貯蔵する心の作用)が大円鏡智になり阿しゅく如来となりますマナ識(エゴや自他の区別をつける心の作用)が平等性智となり宝生如来になり意識が妙観察智となって阿弥陀如来になり前五識(眼耳鼻舌身)が成所作智になって不空成就如来となりますこれは、大日如来の徳を東南西北の四つに展開したものです四仏をまた東南西北の四つに展開して十六大菩薩になり四仏から大日に奉仕するために働くのが四波羅蜜菩薩大日が四仏に供養して四供養、四仏が大日に供養して四供養、合わせて八供養菩薩ですその全ての徳を衆生に及ぼすために働くのが四摂菩薩となります言うなれば、仏の働きの論理的な展開図です2023/12/28 05:19:24967.◆JBLfMwCXhYqZU0e次スレ【唯識三年】仏教理論を学ぶスレ 5【倶舎八年】https://talk.jp/boards/psy/17037084412023/12/28 05:59:21968.◆JBLfMwCXhYqZU0eいまや、talk宗教板は「本覚思想」がブームだ(笑)2023/12/28 06:27:36969.◆JBLfMwCXhYqZU0e大乗起信論ブームでもある2023/12/28 06:27:52970.◆JBLfMwCXhYqZU0eほ~かい師が、鹿野園を相手に大乗起信論の講義をしている2023/12/28 06:28:32971.◆JBLfMwCXhYqZU0e鹿野園は態度の悪い聴講生(笑)2023/12/28 06:28:51972.◆JBLfMwCXhYqZU0e「俺は本をたくさん持ってるんだぞ~」と自慢してた2023/12/28 06:29:30973.◆JBLfMwCXhYqZU0e出来の悪い生徒、鹿野園😅2023/12/28 06:50:42974.神も仏も名無しさんkOCdTま、ほーかいくんの日蓮判断は別として、日蓮の観心という当時の天台の概念は恵心僧都の偽書の真如観から展開だつまり、日蓮の時代は比叡山は天台本覚思想が、メインだったということ😄2023/12/28 07:09:39975.神も仏も名無しさんkOCdTま、山伏念仏研究オタの俺ゆえにヨ−見えてきたということやな😄そういう新しい発見大好きやからね〜😄2023/12/28 07:10:43976.神も仏も名無しさんkOCdT本覚思想の論文も割合読んでたからね2.3年前かな😄2023/12/28 07:11:15977.神も仏も名無しさんkOCdT桜ん坊の動画でも最後のほうに鎌倉仏教と本覚思想の関連をみてほしい〜本覚思想の影響にありながら本覚思想ではないとあれはやはり秀逸なわかりやすい動画だ何度もみたほーがいいな宝庫や😄2023/12/28 07:16:35978.神も仏も名無しさんkOCdT鎌倉仏教の先頭をきった法然が阿弥陀仏によらなければ末法の世なので地獄に落ちると当時の社会は平家源氏の戦乱の時代なのでイスラエルガザ、ウクライナロシアをみれば兵士の気質がわかるかと想うが、手当たり次第暴行略奪、末法だ法然自体がこの世は悟った世界ではないむしろ末法だと考えたのたのだからその影響があるであろう日蓮はなおも😄2023/12/28 07:21:57979.神も仏も名無しさんfL8in日蓮さんが法然の影響を?2023/12/28 07:54:01980.神も仏も名無しさんfL8inでおーさんの仏教観っておかしくないですか?2023/12/28 07:55:06981.神も仏も名無しさんfL8in日蓮さんは法然の仏教観を徹底的に破折された方ですよ2023/12/28 07:56:24982.神も仏も名無しさんtvjRm演繹法仏法😄2023/12/28 09:22:44983.神も仏も名無しさんtvjRmまず、先に理論ありき理論から対象の判定をなす、演繹法する理論が異なれば結論は異なる😄2023/12/28 09:23:57984.神も仏も名無しさんtvjRmすばっとシンプル回答話を広げない😄2023/12/28 09:24:34985.神も仏も名無しさんtvjRmどの仏教宗派でも宗派なりの理論体系を残していなければ存立できないのは確か、理論体系を絶対化神聖化しないと信仰が潰れてしまうので理論体系破壊という破天荒な発想路線はあるにもあるが😄2023/12/28 09:29:25986.神も仏も名無しさん2jrwa若い頃にフェルディナンドソシュールの言語記号の恣意性が思考回路の大方のベースにあるので演繹法的思考は信用してない根っこのスタンスはこれであるこのテーゼに選択は解答を与えられるベースにある😄なーんていいながら休日は神秘主義コリコリですけどな〜😄2023/12/28 11:27:29987.◆JBLfMwCXhYfkk6D日蓮大聖人も、若い頃は念仏を唱えていたはず2023/12/28 12:39:46988.◆JBLfMwCXhYfkk6D題目に転じたのは、それからでしょ2023/12/28 12:40:05989.◆JBLfMwCXhYfkk6Dもちろん、信仰する上では、浄土宗の影響など考える必要はないが思想史としては、また話が別になる2023/12/28 12:41:38990.◆JBLfMwCXhYfkk6D>>986> フェルディナンドソシュールの> 言語記号の恣意性が> 思考回路の> 大方のベースにあるのでということは井筒俊彦みたいな、言語論的な仏教観が合うのでは2023/12/28 12:42:58991.神も仏も名無しさんpM5tF>>990恣意性=一切諸行無常😄形式破壊てきるのはあの世界だけ〜ブイブイバッバッバッダァ〜〜😄2023/12/28 18:57:42992.◆JBLfMwCXhY4KZrlいよいよ年末だ~😄2023/12/28 19:41:03994.神も仏も名無しさんpM5tF明日が仕事納めだ坊主に自慢しにいく〜2件ほど😄2023/12/28 20:21:47998.◆JBLfMwCXhYNzkrI今日は12月29日2023/12/29 06:00:12999.◆JBLfMwCXhYNzkrI明日から休みの人が多いようだ2023/12/29 06:00:441000.◆JBLfMwCXhYNzkrI10002023/12/29 06:00:561001.Talk ★???このスレッドはコメントが1000件を超えました。新しいスレッドを立ててください。2023/12/29 06:00:561002.Talk ★???【プレミアムサービス無料期間延長!】プレミアムの無料期間を2025/3/31まで延長することになりました。広告除去や規制緩和など、ヘビーユーザーにとって欠かせない機能を無料でお楽しみいただけます。是非この機会にプレミアムサービスをお試しください!▼プレミアムサービスはこちらからhttps://talk.jp/premium2023/12/29 06:00:56
【埼玉栄高校】涙ぐむ人…高2死亡、窓から身を乗り出して車が横転 深夜グラウンドで 高校が説明会、保護者「ずさんであり得ない」 頭を下げてあいさつし、真面目な生徒が多い学校「いたたまれない」ニュース速報+690834.42024/11/22 06:28:16
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1、初期仏教:紀元前6世紀頃
お釈迦様の教え
2、上座部(テーラワーダ):紀元前5世紀頃
仏教界の根本分裂
3、説一切有部(倶舎論):西暦200年頃~
仏教の基礎理論を体系化
4、経量部(倶舎論):西暦300年頃~
説一切有部からの分派
5、中観派(中論):西暦200年頃~
すべては空であり実体が無い
6、唯識派(唯識論):西暦400年頃~
世界は認識のみ
7、如来蔵思想:
誰でも成仏できる
上記2~6と同時並行的に発展
(2~4が小乗仏教、5~7が大乗仏教)
※ チベット仏教ゲルク派では、説一切有部・経量部・中観派・唯識派が「四大学派」とされる
人間は、五蘊を寄せ集めた仮の姿。
「我」として執着するような実体は無い
自分が認識しているもの、
それが世界のすべてである
↓
五蘊・十二処・十八界
1、五蘊(ごうん)
・色 物質的な存在(身体)
・受 感受する作用
・想 表象する作用
・行 意志する作用
・識 認識する作用
2、十二処(じゅうにしょ)
・六根:六つの認識器官
眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・意根
・六境:六つの認識対象
色境・声境・香境・味境・触境・法境
六根と六境を合わせて十二処
3、十八界(じゅうはちかい)
・六識:六つの認識作用
眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識
十二処に六識を加えて十八界
多くの部派に分かれて、
仏教理論の体系化が進んだ
最も有力な「説一切有部」は、
存在を「五位七十五法」に分類した
初期仏教の「五蘊・十二処・十八界」
よりだいぶ数が増えた
説一切有部の思想は、後に「倶舎論」
としてまとめられた
↓
(1)五位七十五法
法(ダルマ)=存在するものに2種類
・有為(うい)…煩悩で汚れたもの
・無為(むい)…煩悩で汚れてないもの
1~4は有為法、5は無為法
1、色・・・物質的現象 11種類
眼・耳・鼻・舌・身・
色・声・香・味・触・
無表色
2、心・・・心の本体 1種類
3、心所・・・心の作用 46種類
大地 常駐する心の動き
大善地 善の動き
大不善地 悪の動き
不定 どちらでもない心の動き
大煩悩地 根本的な煩悩
小煩悩地 付随する煩悩
4、心不相応行・・・ 14種類
色(物質)にも、心(精神)にも
分類されないもの
5、無為・・・ 3種類
常住不変な存在
虚空、択滅、非択滅
実体を持って存在するものなど一切、
認めなかった
「空」の理論の大成は、龍樹の『中論』
などの著作によって果たされた
空と中観は大乗仏教の基礎理論であり、
龍樹は大乗の第一祖とされる
後に、中国仏教の天台智顗の三諦論
(中、空、仮の3つの諦)という形で
まとめられた
「空」の思想に基づいて書き換えた
眼耳鼻舌身の五識と意識に、深層意識の
「末那識」と「阿頼耶識」が加わった
心の分析が細かくなり、五位百法に増えた
「物質は意識から生じる」とされたため、
色法(物質的存在)を後回しにして
心法(精神的存在)を先に持ってきた
↓
五位百法
① 心王(表面意識と深層意識)
眼・耳・鼻・舌・身・意の
六識と、マナ識・アーラヤ識の8種。
② 心所(精神的な作用)
51種。
③色(物質的な作用)
眼・耳・鼻・舌・身の五根と、
色・声・香・味・触法の五対境、
および意識のみの対象である法処所摂色11種。
④ 心不相応法(物質でも精神でもないもの)
24種。
⑤無為法(はたらきを起こすことがないもの)
虚空・択滅・非択滅・不動滅・想受滅・真如
6種。
2、ヴィパッサナー瞑想
これらが、テーラワーダ仏教の2本柱だ
三蔵とは、「経蔵・律蔵・論蔵」の総称
「パーリ律」とも呼ばれる
経蔵は、その名の通り、お経のこと
初期仏教の経典だ
五部とは
長部
中部
相応部
増支部
小部
これらは、『小部』におさめられている
長部経典は、長編だ
小部経典は、短編集や詩句集
『大パリニッバーナ経』ともいう
80歳の釈迦が、王舎城東部の霊鷲山から最後の旅に出発し、マッラ国のクシナーラーにて入滅(般涅槃)するまでの言行、及び、その後の火葬・遺骨分配の様子が描かれる。
ジャータカもある。これは、お釈迦様の過去世の転生譚だ
『小部』というわりに、二十二編からなる大規模な経典
日蓮宗の信者が法華経を信仰するように、パーリ語の初期仏典を信仰する宗派だ
修法の柱は、かの有名なヴィパッサナー瞑想だ
https://talk.jp/boards/psy/1699403728
45.
ユーザー
神も仏も名無しさん
Y8KYw
>>35
要するに我々凡夫は
1.見るものと見られるものに別れてる → 主体や客体があると得られる事。
2.しかしそれは心の表れで外界というものがある主客がある訳では無い → 客体は無いので得られない事。
3.主客がないから主客がないというのも無い → 主客がないので得られないということも得られない事。
という考えなんです。
-----------------------------------------------------
≪相分と見分の説明≫にどうして主体と客体の話をもって説明なされるのですか。
こちらの図で確認しましたが
https://note.com/hiruandondesu/n/n12419e2866ef
相分と見分は≪客観と主観≫、主体と客体は≪見られる側と見る側≫のはずです。
客体(見られる側)=モノのあり様
主体(見る側) =認識のあり様 ≪主観(見分)と客観(相分)≫
鹿野園さんが語る仏教の殆どが、勘違いによるところだと最近ようやく気付きました。
仏教好き素人さんの論ですね、これ。
私が仏教を学ぶ上で、参考にさせて頂いた著書を紹介させて頂きます。残念ながら、既に絶版になっている著書も少なくないようです。
【原始仏教・上座部仏教】
○著者名:中村 元、他
・原始仏典 シリーズ 単行本
○著者名:中村 元
・ブッダのことば―スッタニパータ(岩波文庫)
・ブッダの真理のことば・感興のことば(岩波文庫)
・ブッダ最後の旅―大パリニッバーナ経(岩波文庫)
・ブッダ神々との対話―サンユッタ・ニカーヤ1(岩波文庫)
・ブッダ悪魔との対話―サンユッタ・ニカーヤ2(岩波文庫)
・仏弟子の告白―テーラガーター(岩波文庫)
・尼僧の告白―テーリーガーター(岩波文庫)
・ブッダ伝(角川ソフィア文庫)
○著者名:片山 一良
・パーリ仏典 シリーズ 単行本
・ブッダのことば パーリ仏典入門 単行本
○著者名:早島 鏡正
・ゴータマ・ブッダ(講談社学術文庫)
○著者名:アルボムッレ・スマナサーラ
・沙門果経(サンガ文庫)
・瞑想経典編 (初期仏教経典解説シリーズII) 単行本
○著者名:宮本 啓一
・ブッダが考えたこと 仏教のはじまりを読む(角川ソフィア文庫)
○著者名:ベック
・仏教〈上〉(岩波文庫)
・仏教〈下〉(岩波文庫)
○著者名:藤本 晃
・ブッダの神通力(サンガ選書) 単行本
○著書名︰増谷 文雄、梅原 猛
・仏教の思想 1 知恵と慈悲<ブッダ>(角川ソフィア文庫)
○著者名:桜部 建、上山 春平
・仏教の思想 2 存在の分析<アビダルマ>(角川文庫ソフィア)
○訳:原 実
・大乗仏典〈13〉ブッダ・チャリタ(仏陀の生涯)(中公文庫)
○著者名:ショバ・ラニ ダシュ、訳:福田 琢
・マハーパジャーパティー: 最初の比丘尼 単行本
○著者名:梶山 雄一、他
・梶山雄一著作集〈第5巻〉中観と空2 単行本
・梶山雄一著作集〈第7巻〉認識論と論理学 単行本
○著者名:梶山 雄一、上山 春平
・仏教の思想 3 空の論理<中観>(角川文庫ソフィア)
○著者名:梶山 雄一、丹治 昭義
・大乗仏典〈2〉八千頌般若経I (1)(中公文庫)
・大乗仏典〈3〉八千頌般若経II (2)(中公文庫)
○著者名:梶山 雄一、瓜生津 隆真
・大乗仏典〈14〉龍樹論集(中公文庫)
○著者名:中村 元、紀野 一義
・般若心経・金剛般若経(岩波文庫)
○著者名:中村 元、紀野 一義、早島 鏡正
・浄土三部経〈上〉無量寿経(岩波文庫)
・浄土三部経〈下〉観無量寿経・阿弥陀経(岩波文庫)
○著者名:中村 元
・龍樹(講談社学術文庫)
○著者名:松涛 誠廉、丹治 昭義、他
・大乗仏典〈4〉法華経I (1) (中公文庫)
・大乗仏典〈5〉法華経II (2) (中公文庫)
○著者名:長尾 雅人、丹治 昭義
・大乗仏典〈7〉維摩経・首楞厳三昧経(中公文庫)
○著者名:荒牧 典俊
・大乗仏典〈8〉十地経(中公文庫)
○著者名:原田 霊道
・現代意訳 華厳経 単行本
・華厳経入門(角川ソフィア文庫)
○著者名:高崎 直道
・大乗仏典〈12〉如来蔵系経典(中公文庫)
○著者名:高崎 直道、下田 正弘、他
・仏性とは何か(法蔵館文庫)
○著者名:田上 太秀
・『涅槃経』を読む ブッダ臨終の説法(講談社学術文庫)
○著者名:長尾 雅人、梶山 雄一、他
・大乗仏典〈15〉世親論集(中公文庫)
○著者名:服部 正明、上山 春平
・仏教の思想 4 認識と超越<唯識>(角川ソフィア文庫)
○著者名:宮坂 宥洪
・真釈 般若心経(角川ソフィア文庫)
○著者名:松長 有慶
・密教(岩波新書)
○訳:川崎 信定
・原典訳 チベットの死者の書(ちくま学芸文庫)
○訳:宇井 伯寿、高崎 直道
・大乗起信論(岩波文庫)
○著者名:石井 公成
・東アジア仏教史(岩波新書)
○訳:入矢 義高
・臨済録(岩波文庫)
○著者名:田村 芳朗、梅原 猛
・仏教の思想5絶対の真理<天台>(角川ソフィア文庫)
○著者名:鎌田 茂雄、上山 春平
・仏教の思想6無限の世界観<華厳>(角川ソフィア文庫)
○著者名:柳田 聖山、梅原 猛
・仏教の思想7無の探求<中国禅>(角川ソフィア文庫)
○著者名:梅原 猛、塚本 善隆
・仏教の思想8不安と欣求<中国浄土>(角川ソフィア文庫)
○著者名:梅原 猛、宮坂 宥勝
・仏教の思想9生命の命<空海>(角川ソフィア文庫)
○著者名:増谷 文雄、梅原 猛
・仏教の思想10絶望と歓喜<親鸞>(角川ソフィア文庫)
○著者名:高崎 直道、梅原 猛
・仏教の思想11古仏のまなび<道元>(角川ソフィア文庫)
○著者名:梅原 猛、紀野 一義
・仏教の思想12永遠のいのち<日蓮>(角川ソフィア文庫)
○著者名:西田 幾多郎
・善の研究(岩波文庫)
○著者名:西田 幾多郎、(編集)上田 閑照
・西田幾多郎哲学論集Ⅰ場所・私と汝 他六篇(岩波文庫)
・西田幾多郎哲学論集Ⅱ論理と生命 他4篇(岩波文庫)
・西田幾多郎哲学論集Ⅲ自覚について 他四篇(岩波文庫)
○著者名:鈴木 大拙、(校訂)篠田 英雄
・日本的霊性(岩波文庫)
○著者名:三島 由紀夫
・豊饒の海 第一巻 春の雪(新潮文庫)
・豊饒の海 第二巻 奔馬(新潮文庫)
・豊饒の海 第三巻 暁の寺(新潮文庫)
・豊饒の海 第四巻 天人五衰(新潮文庫)
○著者名:宮本 啓一
・インド最古の二大哲人 Kindle版
・インドの「一元論哲学」を読む
―シャンカラ『ウパデーシャサーハスリー』散文篇
(シリーズ・インド哲学への招待) 単行本
・インドの「二元論哲学」を読む
―イーシュヴァラクリシュナ『サーンキヤ・カーリカー』
(シリーズ・インド哲学への招待) 単行本
・インドの「多元論哲学」を読む
―プラシャスタパーダ『パダールタダルマ・サングラハ』
(シリーズ・インド哲学への招待) 単行本
○著者名:スワミ・ヨーゲシヴァラナンダ、木村 慧心
・魂の科学 単行本
宮元啓一ですな
ただひたすら坐禅(ざぜん)する。
無我の境地になることで真理と融合(ゆうごう)する。
先日、近所で火事がありました。 夜中に娘にたたき起こされると、 サイレンがうなっています。 外を見ると消防自動車が赤いライトを回してずらっと並んでいます。 これは大変と上着を 羽織って外に出ると、 隠居所の向こうの家の二階から盛んに火を噴き出しています。 すぐに消 火活動が始まり、20分ほどで鎮火しました。 幸い私の寺には何の被害もありませんでした が、その家は内部が全焼しました。
ここで、サイレンの音や、 ライトの光は直接知です。そこから私は火事を推量しました。ホースがふくらんでいくのを見て、 消火活動が始まったことを認識します。 火が見えなくなると、鎮火を推量できました。このように私たちは、現量と比量を繰り返して世界を認識していきます。
しかし、現量と比量だけで世界を理解するのは無理だと、経験は教えます。 私達は完全なる論理を組み立てることができないからです。 そこで必要なのが先人の知恵、 特に仏の教えです。それを聖教量と呼びます。
現量、比量、聖教量の三つがそろって、私たちは世界を正しく知ることができるのです。
宗教法人 照栄院
石川 恒彦
(日蓮宗 総本山 池上本門寺114世のご隠居ブログ)
https://www.shoueiin.jp/tayori/back_number/16_3.html
無漏の等引の状態では――あたかも、雲の上の飛行機からは地上の世界が見えないように――世俗の顕現は全く消えてしまう。
例えば、眼前に瓶があっても、瓶の空性だけが瑜伽現量の認識対象となり、瓶の色彩や形状は何も見えてこない。それゆえ、等引智によって了解される勝義における空性は「虚空の如き空性」と表現される。
そのとき――あたかも、地上へ降りたら雲の上の世界が見えないのと同様――瓶の空性は直接認識の対象から消えてしまい、入れ替わりに瓶の色彩や形状が再び見えてくる。
しかし、無限なる虚空の広がりにも比すべき勝義の空性を、直感的に了解した強烈な体験の印象は、三昧から起きた後も消えることがない。
その効果は絶大で、瓶の色彩や形状といった世俗の世界が、ニ顕現を伴って再び現われても、「それらは幻の如きもので、決して諦成就なのではない」という点を――単なる論理としてではなく――強い実感を伴って了解できる。
そのような智慧を「後得智(ごとくち)」といい、それによって了解される世俗における空性は「幻の如き空性」と表現される。
「チベット般若心経」
http://mitsubachi-bros.seesaa.net/article/155004381.html
瞑想で、中観派の「空の思想」を直覚体験している
こういうのを、「体空観」という
あれこれと分析することにより、
「そうか、モノには実体がないんだな?」
と、納得する
そういうのが、「析空観」
目の前のモノが忽然と虚空に没し、
あらわになった空性を直接に知覚する
瞑想による、中観派思想の奥義への到達だ😄
リダン、ウマぱーりー
のレスよりも
論文のほうがマシだ
😄
ただひたすら坐禅(ざぜん)する。
無我の境地になることで真理と融合(ゆうごう)する。
https://note.com/hiruandondesu/n/n689adb194a88
鹿野園さんの説明は全くあてになりません。
ただひたすら坐禅(ざぜん)する。
無我の境地に至(いた)ることで真理と融合(ゆうごう)する。
ただひたすら坐禅(ざぜん)する。
無我の境地に至(いた)ることで真理と融合(ゆうごう)する。
そう、私は神に成る。
悪霊イヌが鳴く:なんで 宗教板って まともなの俺だけなんだ?みんな間違ってばっか俺だけが正しい。みんな間違ってるのに何で正しい事を言ってる俺は否定ばっかりされるんだ?みんな俺の事を 凄いなと認めろよ。 俺は自分より優れた奴が ゆるせないんだよ(脅迫性人格障害の特徴)
イヌがぼやく。なんで、みんなワイを無視すんねん大欲(たいよく)は無欲に似て足るを知り煩悩即菩提の法相宗でええやろ、ほならなんでワイはこんなところにいるんねやろ
病名:発達障害ASDの症状尊大の雀鬼イヌヤマが自供ス。『正直云って仏とは何かと問われても分かりません、公案が進んで無くよくわからないのです』 知障イヌ咬み談
ウソブクのよ透ってないのに、もう40回も初関を透る俺様!と言い放つドマヌケ!40回も透ったら初関を透る、じゃねーべ!!
ナント妻子と月一、金曜夜7時からのお坐り会、茶菓(ちゃか)代ワンコインで、これが研究会出席虚勢のトマヌケ犬は誰からも疎まれる
独善イヌヤマは月一第三金曜日夜7時茶菓代ワンコイン坐禅会に出ると偽証。命取りの摂心に親子で100回参加と虚飾スル
新小岩の食業ドライバーイヌヤマとは法相宗(ほっそうしゅう)奈良興福寺(こうふくじ)前官長じっちゃんのお抱え運転手で食業ドライバーで、知ったかぶる以外に承認欲求が満足しない。
多数者を演じ孤立セズと強弁し自作自演のおぞましい日々の無脊椎動物イヌヤマは成り済まし多重人格者で要治療
インチキキチガイ雀鬼イヌヤマ麦、アルコホル発酵しイヌ麦焼酎なのに喜ばせ共有機能が絶えて無し。吠え吠み、オノレの尻尾をクルクル追うノミシラミ
5ちゃんねるの会話はバトル形式で馴れ合いを禁じる。イヌヤマは、褒めてクレヨの哀願奴隷。相手を罵倒する悪口雑言の数々は外道イヌヤマへのリアル社会の絶対評価で、問いに問いで返す脊髄反射の脳足りんで悟前(ごぜん)未悟(みご)、金魚ドジョウと救い難い。
① ググるシッタカ知障荒らしイヌヤマは無視放置スルーが一番ツライ、耐えられない。シッタカイヌヤマは常に誰かの反応レスを待ち焦がれ
② 放置された固定観念イヌヤマは煽りや自作自演でアナタのレスを誘う。ワケワカメ糞邪鬼イヌヤマにノセられてレスしたらその時点でアナタも同類、負け。完敗
③ ;反撃はイヌの滋養にして栄養であり最も悦ぶ事です。門前のヤセイヌにエサを投げ与えぬ事
④ ;臭い汚いコワイ気持ち悪いイヌヤマが枯死する迄、孤独に暴れさせゴミが溜まれば削除
ただひたすら坐禅(ざぜん)する。
無我の境地に至(いた)ることで真理と融合(ゆうごう)する。
そう、私は神に成(な)る。
中観派の三論宗があったが
三論宗は消えてしまった
法相宗はかろうじて続いている
中論なら、ゲルク派
http://rdor-sems.jp/index.php?%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%9E%E3%83%83%E3%83%97
ただひたすら坐禅(ざぜん)する。
無我の境地に至(いた)ることで真理と融合(ゆうごう)する。
そう、私は人間を辞めて神に成(な)る。
ただひたすら坐禅(ざぜん)する。
無我の境地に至(いた)ることで真理と融合(ゆうごう)する。
そう、私は人間を辞めて神に成(な)る。
神経疲労に効く漢方薬は加味帰脾湯(かみきひとう)である。
中観派の教えを学ぶなら、チベットのゲルク派
↑
ここ重要
唯識も
中観派も
レスを信用してはならない〜
ベルゼブブ麦のよーな
バカに成り果てる〜
🤢
聖ウンコ教の信者1号だな~😭
ただひたすら坐禅(ざぜん)する。
無我の境地で人生を遣(や)り過ごす。
神経疲労に効く漢方薬は加味帰脾湯(かみきひとう)である。
http://rdor-sems.jp/index.php?%E4%BD%95%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AB%E7%A9%BA%E3%82%92%E8%A6%9A%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%81%8B
【道諦】
● そうした理想の境地を実現するための手段が、修行の道として設定されます。
今までの流れから分かるように、【道】の主たる内容は、【諸煩悩】を【種子】から断じることです。
そのためには、【諸煩悩】の大本にある【無明】を【種子】から断じなければなりません。
【無明】とは、何かと問えば、私たち輪廻の衆生に生まれつき具わっている、
㊙️【実体視】の【習性】です。
それを【種子】から【断じる】ためには、【空性】の【現量了解】(空を直観的に体得している智慧)が必要になります。
なぜなら、【無明の心】が【虚構】している【実体性】の【非存在】こそが、【空】の意味だからです。
● 以上のように【四諦】を概観することで、仏教一般に共通する宗教的な理想は【解脱・涅槃】であり、それを実現する手段として【空性の体得】が必要不可欠であるという、そうした点をよく認識することができるでしょう。
● この【四諦】の枠組みを【大乗仏教】のレベルで解釈すると、宗教的な理想は、【大解脱や無住処涅槃】、つまり一切衆生を救済し得る【仏陀の境地】になります。
それを【実現する】ために【断じ】なければならないのは、
㊙️【諸煩悩】と【所知障】です。
【所知障】とは、中観帰謬論証派の見解によれば、
㊙️【煩悩】の【薫習】だといいます。
恰も汚物を完全に取り除いた後にも悪臭が残るように、
㊙️【煩悩の影響】で後に残っている【心の汚れ】です。
これを【断じる】のも、【空性の現量了解】にほかなりません。
● さて、【無明を種子から断じる】ためには、【空性の了解】が必要なわけですが、
これは【空を直観的に体得している智慧】でなければなりません。
それを、仏教哲学の用語では、
㊙️【空性の現量了解】(げんりょう りょうげ)」といいます。
【空という真理】は、目で見たり手で触れたりできません。
しかし、恰も目で見ているように、手で触れているように、意識によって直観的に空を体得しなければならないということです。
そのようなレベルの智慧を獲得しない限り、諸煩悩を種子から断じることはできません。
私のような凡夫は、まだ空性の現量了解を得ていないから、煩悩を抑制することはできても、根絶することは不可能なのです。
「自分は救世主でも仏教徒でもない」
チベット高僧の“転生者“とされたスペイン人男性が振り返る「我が人生」
チベット僧の転生者が、スペイン南部アルプハラに生まれた──。
オセルは「あり得ない現象」であり、「信仰のなせる技」でもあった。マリアという名の女性と、レンガ職人の夫との間に生まれた5番目の子供であるオセルは、かつてないほど大きな話題になった。
それから約40年後、テンジン・オセル・リンポチェというチベット名を持つものの、スペインでは永遠に「幼なきラマ僧」として知られるオセルが、再び注目を集めるようになっている。彼のドキュメンタリーをHBOが1作、そしてアルプハラ出身の作家で映画監督のサマジ・モレノがもう1作、製作したからだ。
HBOのドキュメンタリーは、オセルの次のような人生を伝えている。
アンダルシア地方に生まれ、一連の託宣がなされたことで、生後14ヵ月のときに両親からチベット僧たちに引き渡される。前世で高僧ラマ・トゥプテン・イェシェだった頃に所有していた品々を僧侶たちの前で言い当て、ダライ・ラマにイェシェの生まれ変わりであると認知される。
世界各地をめぐって弟子たちの前に姿を見せ、それからインドにあるチベット寺院で僧侶として17年間、俗世間を離れて中世と変わらない教育を受ける。だが、やがて僧院を飛び出し、2度と戻らない──。
「自分は救世主でも仏教徒でもない」
チベット高僧の“転生者“とされたスペイン人男性が振り返る「我が人生」
一方、モレノ監督のドキュメンタリーは、HBOのドキュメンタリーの前日譚であり、オセルの前世とされるトゥプテン・イェシェの人物像に迫るものだ。イェシェは「ヒッピー・ラマ」と呼ばれ、英語を学んでいたことから他の僧侶たちにからかわれた。だが、彼は仏教を欧米に紹介し、まるでスーパースターのようにワールドツアーに出て、寺院を各地に設立し、最終的にはカリフォルニア大学で教鞭を執った。
坊主頭にサフラン色の袈裟を着て、資本主義の国で仏教をカウンターカルチャーの象徴にし、ウッドストック世代が好んだ紋様を描き、リチャード・ギアやオセルの母マリアなど、多くの人を惹きつけた。
モレノ監督は、自身のドキュメンタリー『転生者』を、イビサ島のなかほどにある石灰石の採掘場で上映する。上映会にはオセルも来る予定だ。
ラマ・イェシェの転生者であることを辞め、西洋人として生きることを選んだ、あるいは、それこそラマ・イェシェが望んだ通りの人生を歩むことにした元「幼きラマ」。自らの人生を描く映画のなかで、自分は「救世主」ではないと訴え続けるオセルに、スペイン紙「エル・ムンド」がインタビューした。
「自分は救世主でも仏教徒でもない」
チベット高僧の“転生者“とされたスペイン人男性が振り返る「我が人生」
──私が読んだところでは、あなたは自分がラマ・イェシェの転生者であろうとなかろうと、どうでもいいと考えてはいますが、ダライ・ラマとあなたの師匠については信頼しているとのことでした。つまり、自身が転生者であると認めている、ということですよね。
自分が転生者かどうかは重要ではないということです。私は私で、ただそれだけのことです。自分に関する評判は、自分でどうこうできるものではありません。けれども自分の人格は、自分で作りあげていける。私は、そこに気持ちを集中させています。自分が転生者かどうかは、どうでもいいのです。
──仏教では、命あるものが何度も生まれ変わることを「輪廻」と呼び、それは苦痛で不満に満ちたものとされています。輪廻の教義では、衆生は、天、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄の六道のうちのひとつに生まれ変わるとされています。
実際には、もっとたくさんの世界や次元があります。過去と未来を理解したければ、現在を見つめなければなりません。輪廻は生と死のサイクルです。そう説明されています。輪廻では、すべてが幻で、人はその幻に執着するあまり苦しむ。でも、幻であることを理解して、それほど執着しなければ、それほど苦しまないですむのです。
「自分は救世主でも仏教徒でもない」
チベット高僧の“転生者“とされたスペイン人男性が振り返る「我が人生」
──では良い行いをすれば、いまより良いものに生まれ変わることができ、逆に行いが悪ければ、アリとか、そういったものに生まれ変わるのでしょうか。
まず最初に、私は仏教徒ではありません。いろんな哲学を学ぶのが好きで、宗教的な視点からだけでは、すべてを説明することはできないと考えています。私が好きなのは、誰もが使えて、共感できる普遍的な視点から物事を見ることです。
──ラマ・イェシェからオセルに転生することは、褒美なのでしょうか、それとも罰なのでしょうか。
ラマ・イェシェは西洋人に転生して、その経験がどんなものか知りたかったのだと確信しています。彼の直近の前世は、チベットの尼僧だったようです。チベット僧としての人生を繰り返し生きて、西洋人として生きたことはありませんでした。
ですから、彼は私の身体を楽しんだと思いますよ。私は無意識のうちに彼の仕事を引き継いでいます。でもそれは私の仕事でもあるのです。ラマ・イェシェは、いわゆる普通の僧ではありませんでした。
──仏教徒ではないせいか、頭を抱え込む感じなのですが。
仏教徒である必要はありません。人はみな学習者です。ブッダは「私の教えを疑いなさい」と言いました。私は仏教について学んでいますが、心穏やかでいるためにも、肩書きは欲しくありません。また、誰かに何かを証明したいとも思っていません。
もし仏教に、人格の向上に役立つものがあれば、それを活用します。でも、そうしたからといって仏教徒であることにはなりません。私はコーランも聖書も読みます。何らかの経験や知識を持つ人々の本を読むようにね。共感すれば、参考にしますし、そうでなければ、棚に戻すまでです。
僧院にいた頃の私の師は、信頼すること、そしてどんな宗教哲学のなかにも、特別なものがあることを教えてくれました。また、すべての宗教に黄金の規則があり、それは「他者への愛」であることを教えてくれました。私はその教えに従っています。もし私の師があのような人でなければ、私は仏教の共鳴者にはならなかったでしょう。
「自分は救世主でも仏教徒でもない」
チベット高僧の“転生者“とされたスペイン人男性が振り返る「我が人生」
オセルは18歳のときに僧院を飛び出し、スペインのイビサ島を目指した。このとき、彼は後世に語り継がれるであろうこんな言葉を口にした。
「もし人が、科学者の言うとおりの存在だったとしたら? 脳がすべてを司っていて、死んだら終わりで、すべては暗闇に包まれる。もしそうなら、人生を楽しまなくては」
こうして彼はカナダに移住し、セント・マイケルズ・ユニバーシティ・スクールに進学。さらにスイスで西洋哲学、人権、フランス語、美術を学び、その後は一時、ボローニャで撮影助手を務めたのち、最終的には「ニコラス」という偽名を使って、マドリード・フィルム・インスティチュートで学んだ。
「私は僧院の外の世界を知りませんでした。スペインに帰ったのは、自分とのつながりを感じていたからです」
だが、そうするまでの間にブラジル人の女性と付き合い、現在6歳となる息子1人をもうけたのち、彼女とは別れることとなった。
──ダライ・ラマは、オセルのような存在はもうこの世に送り出さないと宣言しています。また、ラマの転生者を探し回るのはもうやめるよう命じました。
人々は実際には、ダライ・ラマの言いつけをあまり守っていません。ダライ・ラマのことを導師やグルと呼んではいますが、人は自分に都合のいいように行動して、それがダライ・ラマの言うことと合致していれば幸いであり、そうでなくても改めることはありません。
この人、チベット仏教寺院から逃亡してますよ💧
ただひたすら坐禅(ざぜん)する。
無我の境地で人生を遣(や)り過ごす。
神経疲労に効く漢方薬は加味帰脾湯(かみきひとう)である。
ただひたすら坐禅(ざぜん)する。
無我の境地で人生を遣(や)り過ごす。
神経疲労に効く漢方薬は加味帰脾湯(かみきひとう)である。
悟(さと)った悟った本当に悟った。
自由が無いのが本当の自由である。
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
ひたすら坐禅する
ただひたすら坐禅(ざぜん)する。
無我の境地で人生を遣(や)り過ごす。
神経疲労に効く漢方薬は加味帰脾湯(かみきひとう)である。
悟(さと)った悟った本当に悟った。
自由が無いのが本当の自由である。
坐禅(ざぜん)、読書、囲碁、将棋。
坐禅菩薩(ざぜんぼさつ)。
ただひたすら坐禅(ざぜん)する。
無我の境地で人生を遣(や)り過ごす。
神経疲労に効く漢方薬は加味帰脾湯(かみきひとう)である。
悟(さと)った悟った本当に悟った。
自由が無いのが本当の自由である。
坐禅(ざぜん)、読書、囲碁、将棋。
糖質アタックっ〜〜〜!!!
🤢
坐禅菩薩(ざぜんぼさつ)。
ただひたすら坐禅(ざぜん)する。
坐禅(ざぜん)、読書、囲碁、将棋。
神経疲労に効く漢方薬は加味帰脾湯(かみきひとう)である。
程好(ほどよ)い煩悩(ぼんのう)は必要である。多くの人と喜びや悲しみを共有することに人生の意味が有る。
ただひたすら坐禅(ざぜん)する。
無我の境地で人生を遣(や)り過ごす。
神経疲労に効く漢方薬は加味帰脾湯(かみきひとう)である。
ただひたすら坐禅(ざぜん)する。
無我の境地で人生を遣(や)り過ごす。
神経疲労に効く漢方薬は加味帰脾湯(かみきひとう)である。
清らかな心で清らかな人生を送れれば全て良し。
テレビもラジオもNHK。
ただひたすら坐禅(ざぜん)する。
無我の境地で人生を遣(や)り過ごす。
神経疲労に効く漢方薬は加味帰脾湯(かみきひとう)である。
清(きよ)らかな心で清(きよ)らかな人生を送れれば全て良し。
テレビもラジオもNHK。
ただひたすら坐禅(ざぜん)する。
無我の境地で人生を遣(や)り過ごす。
神経疲労に効く漢方薬は加味帰脾湯(かみきひとう)である。
清(きよ)らかな心で清(きよ)らかな人生を送れれば全て良し。
テレビもラジオもNHK。
恋愛も結婚も子作りも穢(けが)れである。
インド六派哲学の一つ。カテゴリー論に基づき外界と普遍の実在を説くインドの実在論哲学で、仏教など非実在論思想各派と鋭く対立した。
創始者はカナーダ仙人、別名カナブジュあるいはウルーカで、根本聖典『ヴァイシェーシカ・スートラ』(以下VS)は彼の作と伝えられる。
VSの現形は後2世紀前半までに成立したと推定される。その思想は論理学に形而上学的基盤を与え、ニヤーヤ学派の成立・発展に寄与した。
実体としては、地(もしくは、土)・水・火・風(空気)・虚空(エーテル)・時間・方角・アートマン(自我あるいは霊魂)・マナス(こころ)の9種が立てられる。それぞれの実体は、それぞれに定まった「属性」、「普遍」および「特殊」を有する。そして、遍在する実体すなわち、虚空・時間・方角・アートマン以外の実体には「運動」がある。これらのカテゴリー間の関係は、不可分離な関係で「内属」と呼ばれる。一例を挙げれば、「実体」である布とその「属性」である色の不可分な関係が「内属」である。
物体は、地(もしくは、土)・水・火・風(空気)の4種の原子によって構成されるが、結果(全体)はそれを構成する原因(部分)の総和とは別の語で表される別の実在であるとする。たとえば、布はそれを構成する原因である糸とは別の実在で、結果である布は原因である糸に「内属」しているとされる。
一方、因中無果論によれば、原因の中に結果が予定されているのではなく、結果は原因とはまったく別の実在として、新たに生み出されるとする。
「内属」は、上述の通り、糸と布のように不可分でありながら別個の実在とされる原因(部分)と結果(全体)の関係を表すために立てられたカテゴリーであるが、実体・属性・運動・普遍・特殊のカテゴリー間の分立不可能な関係にも適用される。
「普遍」は同類のものに同じ知を生ずる原理、「特殊」は異類のものとの区別知を生ずる原理でともに実在とされる。「究極の特殊」は、常住な実体、すなわち地(もしくは、土)・水・火・風(空気)の4種の原子・虚空・時間・方角・アートマン(自我あるいは霊魂)・マナス(こころ)のひとつひとつに内属し、それぞれ個々の独自性を明らかにする原理であるが、一般人には不可知でヨーガ行者により瞑想の中でのみ知られうるという。(このように個々の存在がすべて独自性をもって現れてくる世界がどのようなものであるか想像されたし)
大乗仏教と同じ頃に台頭してきた
ヒンドゥー教系の哲学思想
大乗仏教にとってはライバルだ
仏教は非実在論なので対立は深い
『ヴァイシェーシカ・スートラ』では、全存在を6種のカテゴリー(padārtha)、すなわち実体・属性・運動・特殊・普遍・内属の6種から説明する。言葉は実在に対応しており、カテゴリーは思惟の形式ではなく客観的なものであるとする。
実体(dravya)は以下のように分けられる。
地 (pṛthivī)
水 (āpas)
火 (tejas)
風 (vāyu)
虚空 (ākāśa)
時間 (kāla)
方向 (dik)
アートマン(ātman)
意(マナス) (manas)
「地・水・火・風・空」の神秘思想
あの有名な話ではないか😅
仏教界の外にもライバルはいた
地- 大地・地球を意味し、固い物、動きや変化に対して抵抗する性質。
水- 流体、無定形の物、流動的な性質、変化に対して適応する性質。
火- 力強さ、情熱、何かをするための動機づけ、欲求などを表す。
風- 成長、拡大、自由を表す。
空 -サンスクリット語:आकाश,Ākāśa(アーカーシャ)の訳。虚空とも訳される。
※仏教でいう「空」(シューニャ)ではない
これらに「虚空(アーカーシャ)」を加えて「五大」とする思想が現れた。
さらに後には第六の要素として「識」(意識)を加えて「六大」とする思想、近年の神秘学では、アストラル、エーテル、あるいはこれらを超越しているとする第七の要素を加えて語られることもある(チャクラなど)。
だが、五大までにおいては、インド思想家と仏教徒との教学論議を経るうち、これらの思想がその時々に応じて仏教の思想体系中に取り込まれていったものである。やがて原始仏教や部派仏教に暫時取り入れられたのを契機に、主に大乗仏教思想として東アジア一帯に広まった。
仏教の一派である密教では五大を五輪(ごりん)と呼び、この思想に基づく塔婆として五輪塔を造立する。
四元素は、日本語では四大元素、四大、四元、四原質ともよばれる。
古代ギリシア・ローマ、イスラーム世界、および18~19世紀頃までのヨーロッパで支持された。古代インドにも同様の考え方が見られる。中国の五行説と類比されることも多い。
4つの元素は、土や水など、実際にその名でよばれている具体物を指すわけではなく、物質の状態であり、様相であり、それぞれの物質を支える基盤のようなものだとされた。
世界が多元の要素の集合から構成されるという思想は、インドでは積集説(アーランバ・ヴァーダ)と呼ばれるが、その先駆として、地・水・火・風の四元素と苦・楽・霊魂の7つを構成要素とするパクダ・カッチャーヤナの要素集合説が見られる。
四元素説としてはアジタ・ケーサカンバリンがおり、世界を構成するものは四元素以外になく、死によって実体を構成する元素は四散し、人間は無となる。
霊魂はなく、来世もなく、父母もなく、有徳の師もなく、善悪もなく、業もなく因果もなく、布施も祭祀も供儀も無意味であると主張した。
哲学としては唯物論であり、認識においては感覚論、道徳を否定し現世での享楽のみを肯定するため、快楽主義に分類される。
プラクリティ(根本原質)の展開によって世界が形成され、物質はプラクリティ(根本原質)から展開した五大(五粗大元素、四元素と虚空(空,アーカーシャ))からなると主張した。
積集説を代表するヴァイシェーシカ学派は、多言論的世界観を展開し、実体(実)・属性(徳)・運動(業)・普遍(同)・特殊(異)・内属(和合)の6つのパダールタ(六句義)を想定して世界を分析した。
実体は四大と虚空、時間、方角、アートマン(我)、マナス(意)からなり、四元素は原子(極微)からなると考えた。
大乗仏教では、「物質には実体が無い」とされたため、仏教界では影が薄くなっていた
でも、ヒンドゥー教思想には原子論が受け継がれた
それが、ヴァイシェーシカ学派
ヴァイシェーシカ学派
https://youtu.be/i_GX0qVq6rc?si=-YnXwd8uOV023Z2Y
原子論の難問だ
古代の経量部も、この難問に取り組んでいた
残念ながら、これを説明するためには、20世紀の素粒子論や電磁気学が要る
大昔の人には、いくら考えたところで分かるはずもなかった(笑)
経量部では、このように考えた
古代人にしては、驚くほど真相に近づいていたと言える
古代ギリシャにも、古代インドにもあった
ただし、意味が異なる
古代ギリシャでは、「熱い・冷たい・湿っている・乾いている」という性質とか状態を説明する理論だった
これに対して、古代インドのは原子論
物質は、これらの元素が集まってできている
古代インドの原子論は、デモクリトスの影響と考えられている
もっとも、ギリシャでは原子論が主流にならなかった
プラトンやアリストテレスの哲学が主流になった
プラトンは、デモクリトスが大嫌いだった
「デモクリトスの原子論が西洋で埋もれたのは、プラトンがデモクリトスの著作を燃やしてしまったからだ」という話もある
人間は、70兆の細胞の集まりであり、無数の原子の集まりだ
ひとつひとつの細胞は、微生物だ
「人間」という実体など無いってことは、これを考えただけでも、すぐ分かる
世間の一般人もみんな、理科の授業で教わる話だが
「へえ、そうなんだ」で通り過ぎてしまう
突き詰めて考えれば、もっと深甚な衝撃を受けるべき事実だ(笑)
「自分」という存在が、極めて疑わないものになる
疑わしいものになるだ
ここでは、
「説一切有部の原子論は、大乗仏教では物質の非実在論に押されて衰退した。だが、ヒンドゥー教系のヴァイシェーシカ学派により、原子論は継承された」
↑
これが、インド思想史として重要だろう
神秘主義者というのは、物質という存在自体を否定したい
原子論は、物質的な思想だ
基本的に唯物思想だ
だから、プラトン哲学や大乗仏教とは相性が悪く、嫌われる
このため、インドでもギリシャでも、原子論は衰退した
昨夜は
10時寝だったので
今起きた
😄
回復〜
😄
部派仏教(説一切有部や経量部)の時代に一世を風靡した原子論
大乗仏教(中観派や唯識派)の時代になると、「物質など存在しない」というのに押されて衰退した
でも、世の中の誰もがそれに賛成するかっていったら、そんなことはない(笑)
原子論は、「ヴァイシェーシカ学派」に受け継がれた
いいね~😄
休養十分
真言密教とチベット密教には
物質の構成要素ラシキモノガ
瞑想体系にある
😄
これらは物質の構成要素は
設定はしないが
色即是空、空即是色の
解釈学で
全く物質ゼロ設定とは
言い切れない要素がある、
それが
俺流に語る
空間認識の瞑想
😄
チベット密教には
空間認識における
ルン、
の設定、
真言密教には
六大
の設定、
むろん、
教学的に存在し、
むろん、
俺は瞑想感覚で
それを認識している
😄
ルンは
2005年には
我流ながら、
農作業しながら
自在に使いこなせてた
真言密教の六大の感覚の運用は
今年6月以降だ
😄
2005年だけ
😄
マントラで
ルンで肉体疲労を分解させながら
ワークしてた〜
チベット密教坊主の鍛えたのは
ヒマラヤ高山の坂を
高速であるけるらしい
😄
は
風
と訳されるらしい
😄
シキミの葉の香りで
換算して体得したか〜真言密教は〜
😄
「世俗諦」って、具体的にどういう内容?
これだと、「世俗諦」は、つまらん世間的道徳なんかじゃない
俗世間の衆生に向けてブッダが説いた、わざとランクを落とした教えのことだ
↓
(8) 二つの真理(二諦)に依拠して、もろもろのブッダは法(教え)を説いた。〔その二つの真理とは〕世俗の覆われた立場での真理(世俗諦)と、究極の立場から見た真理(第一義諦, 勝義諦)とである。
(9) この二つの真理の区別を知らない人々は、ブッダの教えにおける深遠な真理を理解していないのである。
(11) 悪しく見られた空性は知恵の鈍い者を害する。あたかも悪しく捕らえられた蛇あるいは悪しく成し遂げられた咒術(じゅじゅつ)のごとくである。
(12) それ故に聖者(ブッダ)の法を説こうという心は抑えられた。〔この〕法が〔知恵の〕鈍い者たちには領解し難いことを思って。
龍樹の中論による定義を第一に考えるべきであろう
これだと、世俗諦は「世間的な道徳」のことだ
↓
浄土真宗
末法灯明記には、二諦の意味を転用して、仏法を真諦とし王法を俗諦とする記述があり、浄土真宗はこの説を受けて、宗教的信仰(安心)の面を真諦とし、世間的道徳の面を俗諦とする。
↓
瓶や衣や水や火は、形が壊れたり、慧によって分析して見ることで要素に分けられてしまえば、「瓶・衣・水・火」などと名づけられるべきものが無い。
だが、世間では仮にそれらのものに名を与えて、「瓶がある」などと言う。
このように、世間一般の常識において「誤りのない真実」とされることを世俗諦とする。
それに対して、いわゆる五位七十五法として説かれる存在の構成要素としての法は、出世間的な真理(仏教の真理)として存在を認められるものであるから、「これらの法がある」と説くことを勝義諦とする。
世俗諦というのは、世間の一般人が囚われている信念(素朴実在論)を意味する
↑
これだと、やっぱり
世間の常識、それが世俗諦
中観派の解釈を優先すべきだろう
分けるのは
中国仏教では
唯識まで
天台以降は
その区分けよりも
中道、「勝義諦」と「世俗諦を
同列に扱う荒芸になっていく、
華厳、真言、禅、チベット密教も
「勝義諦」と「世俗諦を
分けるゾーンと
天台以降のラインでは
凄まじい解釈の
落差がある、
その落差を理解できず、
禅をドヤるローラーと麦がいる
😭
😭
唯識よりも、
凡人には
難解?な
天台、華厳、真言、禅の関連の文献のほうが俺的には簡単だ
瞑想ゾーンから逆算しやすいからだな
😄
日本国憲法第二十七条一項
🤢🤢🤢🤢
1つ目はシャム派、
2つ目はアマラプラ派、
3つ目はラーマンニャ派です。
すなわちシャム派は上位カーストたるゴイガマ(農業カースト)、特にそのうちでも上位の「高地ゴイガマ」を中心として結成され、他の低カーストの出身者は原則として入団させず、もし入団を認めても生涯沙弥のままで比丘にはさせないという牢固たる身分差別が存在する。
(引用:奈良康明 、下田正弘 『新アジア仏教史』)
スリランカではその後、16世紀以降のポルトガル・オランダ・イギリスによる植民地化によって仏教が衰え、18世紀からタイやビルマの仏教を介して上座部仏教を復興した。現在は、
シャム・ニカーヤ(シャム派、1753年設立)
アマラプラ・ニカーヤ(アマラプラ派、1803年設立)
ラーマンニャ・ニカーヤ(ラーマンニャ派、1864年設立)
の三つの宗派に分かれているが、いずれもタイとビルマに因んでいる。
しかし、インド由来のカースト制が独自の形で根付いていたシンハラ人社会の混乱を懸念した王は、受具式への参加を最上位のゴイガマ(農民)カーストにしか認めなかった。このことが続くアマラプラ派成立の契機になった。
シャム派の制限を受け、非ゴイガマ・カーストの人々は、ビルマ(コンバウン王朝)の首都アマラプラへ赴き受具式を受けた。その後帰国し1803年に受具式を開始した。こうしてアマラプラ派が成立した。
1881年には、スリランカへの赴任経験を持つ英国公務員リス・デービッズによって、ロンドンにパーリ聖典協会(Pali Text Society, PTS)が設立され、その刊行物によって、上座部仏教やパーリ語経典は、世界的に知られるようになった。
これが、スリランカの仏教界の実態だ
アマプラ派に見える
シャム派には入れない
AUの通信障害だったんか?
😟
昼間過疎ってた〜
ムイムイもローラーもレス無しで〜
😫
昼間静かだった〜
😫
ウンコローラーもおとなしいな
やはり
ビッグな
お方だ
😄
というのも、地理的・歴史的条件ゆえに、チベットの王が国家規模で仏教指導を請う先は、ナーランダー大僧院やヴィクラマシーラ大僧院等にならざるを得ず、そこから派遣され、チベット仏教を形作っていったインド僧は、この中観派に属する者(中観思想を信奉する者)が多かったからである。
更に、その弟子であるカマラシーラ(蓮華戒)は、中国禅僧である摩訶衍との論争に勝利し、チベット仏教の方向性を決定づけた(サムイェー寺の宗論)。
その際、グゲの王がヴィクラマシーラ大僧院から招請したのが、アティーシャであった。
彼は中観思想と無上瑜伽タントラを信奉する、顕密統合志向の僧であったが、これが現在のチベット仏教の雛形となった。
これは後に、最大宗派ゲルク派の祖となるツォンカパによって、確固たるものになる。
そして、総合仏教たるチベット仏教の、密教面の柱が無上瑜伽タントラだとするならば、顕教面の柱はこの中観派の著作・思想と言っても過言ではない。
密教の柱は無上瑜伽タントラ
なお、同じくスヴァータントリカ(自立論証派)で経量部に近接していると見られた人々は「経量(行)中観派」「経部行中観派」と呼ばれたりもした。
八世紀後半にインド仏教がチベットに本格的に導入されてから、チベット人はナーガールジュナを祖とする中観派の哲学に対して、様々な解釈を行ってきた。
その最も初期の解釈の一つは、九世紀初頭に活躍した翻訳者イェシェーデ の 『見差別』という著作の中に見出すことができる。
『見差別』の中観思想については、今なお問題とすべき点が多いが、一つ確実なことは、『見差別』以来チベットでは常に中観が仏教の全哲学の中で最高のものと見なされてきたという事実である。
従って極言すれば、 チベット人仏教徒はすべて中観派であり、チベットには自ら唯識派と称する思想家は存在しなかったのである。
ハンバーグのないハンバーガーのようなものだ
それぞれの中論解釈がある、
細かくは語らないが、
ゲルク派の中論は
相当な理論ではある
😄
日本仏教における華厳宗は、審祥により736年に伝えられた。南都六宗の一つ。東大寺盧舎那仏像(奈良の大仏)が建立された。
華厳宗の本尊は、歴史上の仏を超えた絶対的な毘盧遮那仏と一体になっている。菩薩の修行の階梯を説いた「十地品」、善財童子の遍歴を描いた「入法界品」などが有名。東大寺の大仏も本経の教主・毘盧舎那仏であり、日本仏教の黎明期に重用されたが、大乗仏教の中でも独特の教学を持つため宗勢は徐々に衰えていった。
日本における華厳宗は、第3祖法蔵門下の審祥によって736年に伝えられた。金鐘寺(後の東大寺)の良弁の招きを受けた審祥は、この寺において『華厳経』・『梵網経』に基づく講義を行い、その思想が反映されて東大寺盧舎那仏像(奈良の大仏)が建立(743年-749年)された。鎌倉仏教期には、明恵によって密教思想が取り込まれ、さらに凝然による教学の確立がなされている。法相宗や律宗と並ぶ、南都六宗の一つで、十三宗五十六派の一つである。
華厳思想の中心になるのは、この世界の実相は個別具体的な事物が、相互に関係しあい(相即相入)無限に重なりあっているという考え方(重々無尽の縁起)である。この実相を4つの見方「四法界」に分ける。我々の通常のものの見方は事法界で、無自性・空の見方の理法界は仏の世界である。この両者を止揚した無自性・空の世界と具体的個物や現象が妨げあわず共存する理事無礙法界が、修行をすると顕れるが、これは天台の考え方で理と事を分けている点が不徹底である。この分裂をなくせば、最後に、理すなわち無自性・空も消え去り、ただ事物と事物が融通無碍に共存する事々無礙法界という仏の見方に到達し、これが本来の真実一如の世界である。
また、華厳では仏の立場になって見るので、三性説もまた唯識とは逆に、仏の側から順に円成実性、依他起性、遍計所執性と説かれる。
仏になることを目的とするのではなく、最初から仏の立場に自分を置いて考え、行動することを求めるのが華厳思想であるから、華厳経の一部の十地品に説かれるとおり、菩薩初地で信不退転となれば、あとは菩薩第十地までは自ずから到達するはずで、結局菩薩の初心にあるべき金剛の信が決定的に重要だと考える。
仏性についての考え方では天台宗が性具説を説き凡夫が次第に修行によって自らに十分備わっていない外来の仏性に救いとられて、目覚めさせられて行くと説くのに対し、華厳宗では性起説を説き、もともと衆生には円満な仏性が備わっているという如来蔵の考え方をとり、それが信じられず自覚しようとしないので迷うのだと考える。
天台宗の教相判釈(経典の内容を分析し、成立の順序や内容の高低を判定する)・五時八教の教判(天台大師智顗による)では、華厳経は最初に説かれ、仏のさとったままの言葉を記したもので、凡夫には理解しがたいものとしている。
華厳といえば、事々無礙法界だ
思い出した😄
ん華厳宗は如来蔵思想
当方も同じだ
華厳宗や浄土真宗の話は、何度きいても忘れてしまう
そのたびに、最初からやり直しだ😅
俺は華厳のほうが板についてる〜
華厳宗高山寺派の
唯一一子伝承者様だからな〜
😄
俺よりレベル高いのは
いるので
威張れない
😄
現存してないので
とても
威張れる
😄
さほど
神秘主義極めてなさそうなので
割合威張れるな
天台宗、真言宗は
少数鍛えているのは
いそうである
唯識は、鍛えているのは
なさそう
😄
余裕で
その内容を
日常生活で
禅定ダウンロードてきるな〜
😄
やや、
メンタルピンチ〜
😫
相変わらず、ナイーブですな~😅
鹿なんか、ふだんは無視して
たまに気が向いたときだけ
小バカにしてりゃいいのに😂
素晴らしいな?😆
華厳の悟りは
海印三昧
と
華厳三昧、
海印なので
光はブルーた
ビューティフル〜
😄
どや
ピンポイントは
抑えとる、唯識やキリスト教神学、
ゲルク派よりもリアクションしやすい仕事日でも
😄
リアクションてきるのは
天台華厳真言
あたりやな
😄
鎌田 茂雄
華厳の思想 (講談社学術文庫)
序 日本文化と『華厳経』
1.『華厳経』の世界
2.日本人の自然観のなかに定着した華厳思想
3.新しい世界観としての華厳思想
1 『華厳経』とは何か――『華厳経』の構成と思想
1.雑華(ぞうけ)によって飾られた無限大の仏
2.『華厳経』の構成
3.善財童子の求道(ぐどう)
4.『華厳経』の説く仏とは何か
5.2つの心――浄心と妄心
6.人間の心の構造――唯識と華厳
2 華厳宗の成立
1.華厳宗成立の思想的背景
2.華厳宗の開祖・杜順(とじゅん)
3.華厳教学の創始者・智儼(ちごん)
4.華厳宗の大成者・法蔵
5.華厳と禅との融合・澄観(ちょうかん)
6.『円覚経(えんがくきょう)』の大研究者・宗密
3 華厳思想の核心
1.小乗と大乗
2.大乗始教(しきょう)と大乗終教(じっきょう)
3.大乗頓教――一念不生を仏となす
4.大乗円教――華厳思想の至境
5.四種(ししゅ)の真理の領域――四種法界(ほっかい)
6.華厳の観法
4 華厳思想の流れ
1.新羅(しらぎ)の華厳
2.日本の華厳
時間がたつと忘れる(笑)
俺はリアル善財童子の求道(ぐどう)
😄
ほんと
超能力で
霊的なイエス・キリストの話まで聞きに行く
😄
お役目が
仏教修行のネタになる
華厳そのものだ
😄
リアルじゃ会えないお方たちと、
神通力で面会してるしな~😄
真言では阿字本不生とかに
変化ただろな
ロンなら、当人は
わかっちゃいないが、あれだ
😄
俺は魔改造するので
仏すらなく、
流動化魔改造まで解釈してまう
一即多多即一をやりつつ
😄
華厳、真言は板についているので
スイスイと出てくるな〜
板についているのに
出しようがないのが臨済宗
曹洞宗なら
仕事日無関係でも
出やすいほうだ
😄
最近はリアル善財童子で
休日は山伏念仏ブームだった
>>225
沢庵和尚は対話したことない
😫
裏で俺を本気で操る裏元締め存在、
どちらかというと修行ヒントネタで
武道がらみの山岡鉄舟がらみの系統が
宿題を多くもらう、
修行実践対話体得はいつも墓参りした高僧と
妙心寺開山だ
😄
あの
華厳宗高山寺派の
舎利礼文作ったスター坊主に
めちゃんこ好かれとる、
霊的には
相当な相思相愛に近い、
関与少ないし修行意欲ゼロなんだけど
休日のマイブームは
念仏山伏であり、
来週は神道、ヒンズー教、イスラム教、
ユダヤ教、キリスト教に
霊的探求したい
😄
爆発するのに期待
昨夜
ローラー爆破魚雷〜
架空仏教パーティー魚雷を
連射した
😄
一方的に攻撃してただけだ😅
華厳宗とは
華厳宗は奈良仏教に属し、三論宗、法相宗、倶舎宗、律宗、成実宗と合わせて南都六宗と呼ばれます。南都六宗は奈良仏教が開かれた当時からの呼び名ではなく、平安仏教が興った際に、京都から見て南で起きた宗派という意味でつけられました。
華厳宗を興したのは唐の僧侶である杜順です。
その後、杜順が当時の中国で信仰されていた地論宗をもとにして華厳宗を興しました。華厳宗には宗祖の系譜が存在し、日本における華厳宗は、華厳宗の第3祖法蔵の門下である審祥によって伝えられました。
その理由は、歴史の流れの中で法相宗や天台宗の教示を取り入れて発展してきたことにあります。華厳宗の教示である華厳経は、さまざまな宗派の教示を取り入れて完成しました。そのため、ほかの宗派と比べて独特な体系が築かれています。また、華厳宗は修練が厳しいことで知られており、高名な僧でも完全な悟りに至るのは難しかったようです。華厳宗を興した杜順も最後まで終えられず、華厳宗の祖師にあたるインド仏教の僧、ナーガールジュナも52段中41段までの悟りが限度だったようです。
華厳経学の特徴としてよく例にあがるのは、四法界という世界の見方です。四法界とは仏の心に映る世界を表します。四法界の名の通り、世界は4つの見方ができるということです。
4つの見方にはそれぞれ名前があり、事法界、理法界、理事無礙法界(りじむげほっかい)、事事無礙法界(じじむげほっかい)と呼ばれています。
四法界という世界の見方を通じて示されていることは「自分本位にならない」ということです。偏ったものの見方や、自分に都合のいいように物事を解釈せず、出来事や存在するものをありのままに見ることが大切だと教えられています。
両宗派に共通することは、どちらも独自の宗学体系を築き上げているということです。現代まで、華厳経学派と天台学派は対立してきました。
華厳経学派と天台学派には優劣問題が生じており、華厳経学派は、天台宗を一段下ったところに位置づけていたことがわかっています。一方で、唐の僧である宗密は華厳経を最高のものとしながらも、顕示真心即性教に属すし、深浅に違いがないと記しています。
このように議論はありますが、華厳経学が四法界なのに対して、天台学は十界という世界の見方があり、両宗派の宗学ではものの捉え方が違うことがわかります。
高弁の唯一一子継承者の
俺ちゃまだ〜
😄
弟子は
現存してないので
明言できる〜
ほんと、高弁の修行の地を
利用した
天台密教寺院があるが
高弁とコンタクトとったあとは、
その天台密教の禅定をぶっ壊して
高弁が
く〜る
きっと、く〜る♫
華厳宗高山寺派の禅定で俺の脳は
ハイジャックされ
天台密教の欠片もない
😄
中論、唯識、ゲルク中論、キリスト教神学が
とても難解だ
華厳教学、真言密教教学のほうは
めちゃんこ楽チン
😄
華厳と
禅のハイブリッド
😄
>華厳宗の教示である華厳経は経典の中でも体得が困難なものと位置づけられています。
高弁の修行の地にある真言宗寺院で
華厳経の現在語訳を読み、
高弁とディープナ関係になった
😄
其れ故に天台密教寺院我あっても
俺の脳内は
華厳経と高弁によって
その禅定に強制介入されて
天台密教の禅定我あじわえない〜
😄
は
俺に強烈な好みの禅定快感で攻めてくるので
ほぼ休日には関心持たない
😄
脳は謎多き山伏と當麻寺などの念仏から
突入する
😄
ここでお堂周りの板の上て
高弁明恵と
華厳経の現在語訳を読み
ディープな禅定デートしてたな〜
😄
一度で大快楽で
満足したので
ここへは行っていない
😄
明恵(みょうえ)は、鎌倉時代前期の華厳宗の僧。法諱は高弁(こうべん)。明恵上人・栂尾(とがのお)上人とも呼ばれる。父は平重国。母は湯浅宗重の四女。現在の和歌山県有田川町出身。華厳宗中興の祖と称される。
華厳経の現在語訳を読みながら
華厳経ワールド堪能しながら〜
一時間ディープな禅定にハマっていた
😄
https://encrypted-tbn0.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcSSklnieL7SgaZd35EQUnuH40kwXzzYd5W7Fw&usqp=CAU
法然批判の急先鋒
😄
すばらしいな?😄
そうだったのか
仏教寺院で読まれる
舎利礼文は
明恵作だったと思う
😄
😄
明恵へ無関心
😄
脳内では、
法然軍団と
當麻寺が
脳内探求してるかも〜
仕事疲れ回復に
😄
2006年に高野山宿坊初泊まりしたので
それから後近辺の頃やろな
😄
明恵に関与してなかったので
明恵を祭りあげている天台密教寺院の
禅定雰囲気を味わえたのになあ〜
😄
明恵に満足して
法然に
謎を感じているという感じかな
😄
お目覚めごきげんだ〜
クリスマス外人賛美動画を
みる
😄
ご機嫌に
賛美歌ってる
😄
嫌って絶対に見ない教団動画
😄
主を賛美だ〜〜〜
😄
日本では、南都六宗の一つであり、奈良の東大寺を総本山とする宗派。
華厳宗の教義は、すべてのものの円融無碍(えんにゅうむげ)なる関係を説くもので、大乗仏教の縁起説の究極的な発展形態を示す。密教の教理の背景は華厳思想にあり、さらに禅の思想のなかにも生きている。
東大寺を中心として栄えた華厳宗は、明治初年に浄土宗の所轄となったことがあったが、1886年(明治19)に一宗として独立し現在に至っている。
唐代の杜順を始祖として、至相、賢首と相続し、彼が体系を作ったので、賢首宗(げんじゅしゅう)とも呼ばれる。
賢首から、清涼、宗密と続き、以上の5人が大唐の五祖と言われる。
宋代の浄源は、大唐の五祖の上に、インドの馬鳴と龍樹を置いて七組を唱えた。
東晋(とうしん)末、北インド出身の僧ブッダバドラ(仏駄跋陀羅)によって『華厳経』が翻訳されてから、『華厳経』の研究が盛んとなり、とくに511年にはインドの論師バスバンドゥ(世親)の著書『十地経論』(『十地経』として単独で流布した『華厳経』十地品(じゅうじぼん)に解釈を施した論書)が、勒那摩提と菩提流支の2人によって伝訳された。
この『十地経論』を所依として南北朝時代に成立した学派が地論宗である。地論宗南道派から出た浄影寺の慧遠は、『大乗義章』を著して地論宗の教義を大成した。その地論宗の教義が華厳宗成立の学問的基礎となった。
日本には、公式には、天平8年、唐の道璿が来朝して、華厳の章疏を伝えた。
これ以前に、新羅の審祥が唐に行き、賢首について華厳を学び、来朝して大安寺に住んだという記録が残っている。天平12年、良辨が審祥を東大寺に迎えて、初めて華厳を講義させたことが初めである。
鎌倉時代には宗性、凝然が出て中興し、また高弁(=明恵)が栂尾(とがのお)高山寺を開き、華厳の宗風を宣揚した。しかし江戸以降は檀(だん)信徒主体の宗派のなかで宗勢は振るわなかった。
中国仏教の双璧
華厳宗は、朝鮮の仏教の主流になった
1、教義が難解
2、檀家制度がなかった
3、葬式をやらない
東大寺に来た華厳よりも
中国後半の華厳の影響がある
密教と組み合わせた
それを
華厳宗高山寺派という
現存してないので
俺は
唯一一子継承者を
自称てきる
😄
いくらかある、
だが空海時代の華厳は
密教化、あとは
念仏軍団が多くなったらしい
😄
華厳宗はいくつかあるんだな~😄
独立したの
京都清水寺、
斑鳩の法隆寺は
元法相宗
マニヤやろ〜
😄
滅びたので
自称唯一伝承者が言えるなあ〜
😄
奈良仏教の念仏軍団と
山伏軍団は
未だに謎が多い、
単立になってる
奈良正暦寺の
禅定感覚は
異様だ
謎だ
😄
超マニアっくに攻めている
ドマイナーな寺とかも
禅定狙い〜
😄
誰も知らないだろう
寺は
正暦寺、霊山寺、奈良の四天王寺墓地分院、室生寺
とかな〜
大阪方面だと国分寺、千手寺、あと、もう一つ東大阪にある、名前デテコん
😄
生駒の山伏寺はまだ行ったことがない
マニアですな~😄
ちゅうがんは
インド大乗仏教において瑜伽行(ゆがぎょう)派と並んで重要な学派で、龍樹(りゅうじゅ)(2、3世紀)の『中論』などを基本的な典籍とする。
龍樹は般若(はんにゃ)経典を背景として、「すべては、人間が想定しがちな不変で固定的な本質をもつものではない」という空(くう)の思想を、論理性の高い表現によって、日常的なことばや思考のもつ矛盾を暴露することを通じて明らかにした。
その後、提婆(だいば)(3世紀)は龍樹の考えを体系化しようと努力し、5、6世紀には仏護(ぶつご)が『中論』の忠実な注釈を試み、
清弁(しょうべん)は空の思想を論理学的な推論式で積極的に論証する方法を確立、7世紀には月称(げっしょう)が清弁を批判して、相手の論法に沿った形でその論法の不合理性を明らかにする帰謬(きびゅう)論証のほうがより有効であるとした。
後代、中観派が清弁側の独立論証派と月称側の帰謬論証派に分裂するのは、この月称の批判が起因とみなされる。この時期、瑜伽行派と鋭く対立したが、8世紀には、中観派優位の立場で総合が図られる。
[江島惠教]
1、初期仏教:紀元前6世紀頃
お釈迦様の教え
2、上座部(テーラワーダ):紀元前5世紀頃
仏教界の根本分裂
3、説一切有部(倶舎論):西暦200年頃~
仏教の基礎理論を体系化
4、経量部(倶舎論):西暦300年頃~
説一切有部からの分派
5、中観派(中論):西暦200年頃~
すべては空であり実体が無い
6、唯識派(唯識論):西暦400年頃~
世界は認識のみ
7、如来蔵思想:
誰でも成仏できる
上記2~6と同時並行的に発展
(2~4が小乗仏教、5~7が大乗仏教)
※ チベット仏教ゲルク派では、説一切有部・経量部・中観派・唯識派が「四大学派」とされる
「唯識派(唯識論)」
というのは、いかがなものか
瑜伽行派(唯識論)
でしょうな、やっぱり
1、初期仏教:紀元前6世紀頃
お釈迦様の教え
2、上座部(テーラワーダ仏教):紀元前5世紀頃
仏教界の根本分裂
3、説一切有部(倶舎論):紀元前1世紀頃
仏教の基礎理論を体系化
4、経量部(倶舎論):西暦300年頃~
説一切有部からの分派
5、中観派(中論):西暦200年頃~
大乗仏教はここから始まる
6、瑜伽行派(唯識論):西暦400年頃~
中観派と並ぶ大乗仏教の二大学派
7、如来蔵思想:上記の流れとは独自に展開、
誰でも成仏できるという思想
1、初期仏教:紀元前6世紀頃
お釈迦様の教え
2、上座部 (テーラワーダ仏教) : 紀元前5世紀頃
仏教界の根本分裂
3、説一切有部 (倶舎論) : 紀元前1世紀頃
仏教の基礎理論を体系化
4、経量部 (倶舎論) : 西暦300年頃~
説一切有部からの分派
5、中観派 (中論) : 西暦200年頃~
大乗仏教はここから始まる
6、瑜伽行派 (唯識論) : 西暦400年頃~
中観派と並ぶ大乗仏教の二大学派
7、如来蔵思想 : 上記の流れとは独自に展開、
誰でも成仏できるという思想
1、初期仏教 : 紀元前6世紀頃
お釈迦様の教え
2、上座部(テーラワーダ仏教):紀元前5世紀頃
いわゆる小乗仏教、南方で継承される
3、説一切有部(倶舎論):紀元前1世紀頃
部派仏教の時代、最も有力な部派
4、経量部(倶舎論):西暦300年頃~
説一切有部から分派、世親はここの出身
5、中観派(中論):西暦200年頃~
空と縁起の思想、大乗仏教の始まり
6、瑜伽行派(唯識論):西暦400年頃~
阿頼耶識が登場、大乗二大学派のひとつ
7、如来蔵思想:上記の流れとは独自に展開、
「誰でも成仏できる」という思想
1、初期仏教:紀元前6世紀頃
お釈迦様の教え
2、上座部 (テーラワーダ仏教) : 紀元前5世紀頃
いわゆる小乗仏教、南方で継承される
3、説一切有部 (倶舎論) : 紀元前1世紀頃
部派仏教の時代、最も有力な部派
4、経量部 (倶舎論) : 西暦300年頃~
説一切有部から分派、世親はここの出身
5、中観派 (中論) : 西暦200年頃~
空と縁起の思想、龍樹が始めた大乗仏教
6、瑜伽行派 (唯識論) : 西暦400年頃~
阿頼耶識が登場、大乗二大学派のひとつ
7、如来蔵思想 : 上記の流れとは独自に展開、
「誰でも成仏できる」という思想
1、初期仏教 : 紀元前6世紀頃
お釈迦様の教え
2、上座部 (テーラワーダ仏教) : 紀元前5世紀頃
いわゆる小乗仏教、南方で継承される
3、説一切有部 (倶舎論) : 紀元前1世紀頃
部派仏教の時代、最も有力な部派
4、経量部 (倶舎論) : 西暦300年頃~
説一切有部から分派、世親はここの出身
5、中観派 (中論) : 西暦200年頃~
空と縁起の思想、龍樹が始めた大乗仏教
6、瑜伽行派 (唯識論) : 西暦400年頃~
阿頼耶識が登場、大乗二大学派のひとつ
7、如来蔵思想 : 上記の流れとは独自に展開、
「誰でも成仏できる」という思想
テンプレとは言えない(笑)
龍樹と空(中観)
龍樹
龍樹は西暦150~250年頃の人で、ナーガールジュナ(Nagarjuna)といいます。デカン高原のクリシュナ川流域にナーガルジュナコンダ Nagarjunakonda(ナーガルジュナサーガル Nagarjuna Sagar)という地名があり、そこに有名な仏教遺跡がありますが、そこの出身ともいわれます。
インドのバラモン(婆羅門)の学問をすべて習得したのち仏教に転向して、当時の上座部仏教と初期大乗仏教とを学んで大乗仏教に傾倒し、あまたの諸経典に通暁し、初期般若経典の空をもって大乗仏教の地位を確立した大論師です。
龍樹の功績はなんといっても、大乗仏教を体系づけ、理論武装して伝統的な部派仏教(小乗)に比肩するに値するものとならしめたことにあります。龍樹の出現がなければ、大乗仏教はただの異端な在俗信徒による俗信に留まっていたかもしれません。
龍樹は、仏教の原初からあった「空」の考えかたを、般若経の「空」の解釈により深め体系化しました。その「空」の思想は中観派として後に多大な影響を及ぼします。龍樹以後の大乗仏教は多かれ少なかれ彼の影響下にあり、龍樹は八宗の祖とたたえられます。
ただし、その仏教は在俗信徒をも含めた在家仏教的な初期大乗を、出家仏教にならしめてしまったという面があります。さらには、上座部仏教の煩瑣な教理に対峙していた大衆的で平易な初期大乗を、煩瑣で難解なものにしてしまったかも知れません。
「空」のサンスクリットの原語は sunya であり、欠如という意味です。また、インド人が発見した0(ゼロ)という数字を表します。当初の仏教経典では単に「空虚」や「欠如」という意味に用いられていたようです。紀元前後に『般若経』が成立する以前には、「空」が仏教の中心思想であるような主張はないそうです。
初期大乗の『般若経』が成立しだすと、『般若経』は部派仏教(小乗)を批判します。上座部仏教の固定化した型に対して、「空」の立場から批判するのです。また、『般若経』では何ものにもとらわれない「空」の立場に立ち、またその境地に至るための菩醍の行(六波羅蜜)の実践を説きます。その中でも般若波羅蜜の体得が強調されます。
龍樹はこれを受けて、空の思想を論理的・哲学的に整理し、それまでの部派仏教の思想がその原理を固定化・実体化すると矛盾に陥ることを示して論破しています。すべてのものは実体がなく空である(無自性)という立場を表明しています。
主著は『中論』(『中頌』 大正新脩大藏經 30巻1頁)です。また、『大智度論』『十住毘婆沙論』『十二門論』などは有名で、中国や日本に重要な影響を与えました。しかし『大智度論』『十住毘婆沙論』『十二門論』は、漢訳のみしか存在せず、真作であるかどうか疑われています。
なお、真作としては、『廻諍論』(大正新脩大藏經 32巻13頁)『空七十論』『広破論』があります。
龍樹について面白い伝承があります。
龍樹が出家する前に、隠身の術により仲間とともに宮中の美女のいる後宮(こうきゅう)に忍び込んで快楽を尽くしました。しかし、対策を講じた王により、忍び込んだ4人のうち龍樹を除く3人が即死する結果となり、欲望は苦の原因であると悟って出家したということが、鳩摩羅什訳の『龍樹菩薩傳』(大正新脩大藏經50巻184頁)の前半にあります。
龍樹の中観仏教を中国にもたらしたのは、訳経者として著名な鳩摩羅什(350-409頃)です。この系統から三論宗が成立しました。この鳩摩羅什は、『坐禅三昧経』『阿弥陀経』『大品般若経』『法華経』『維摩経』『大智度論』『中論』などを訳している名訳者です。ただ、その訳経には般若経典に関わりのない『法華経』にすら中観派の思想が混入しているという指摘もあります。
最後の天台智顗うんぬんが余計かも😅
5 ◆JBLfMwCXhY 2023/12/06(水) 08:40:51.58 ID:ptW6V
中観派は「空」の思想を唱えた
実体を持って存在するものなど一切、
認めなかった
「空」の理論の大成は、龍樹の『中論』
などの著作によって果たされた
空と中観は大乗仏教の基礎理論であり、
龍樹は大乗の第一祖とされる
後に、中国仏教の天台智顗の三諦論
(中、空、仮の3つの諦)という形で
まとめられた
中観派は苦手だ
説明できん(笑)
この2つが、このスレのテーマだ
仏教哲学といえば中観派
二度寝をしてた
寒さ故に
毛布敷ふとんの中が幸せである〜
😄
クリスマス気分だな〜
😄
ヨーガ・スートラは、ヨガをする人が読んでおきたい基本の教典
ヨーガが単なるトレーニングと異なるのは、哲学があること
ヨーガの哲学が記された書物、それが「ヨーガ・スートラ」
それが、ヨーガ・スートラ
それが凝縮されている
https://www.yoga-gene.com/post-48895/
編纂者※1:パタンジャリ
流派:ヨガ派
哲学・宇宙観:サーンキャ哲学
ヨガの種類:ラージャ・ヨガ(王のヨガ)
実践法:八支則(アシュタンガ・ヨガ)
ヨガ・スートラのスートラには「糸」という意味があります。教典の生まれた当時は木の葉に文字を書いて、それを糸で括って書物にしていました。スートラとは、そのように教典をまとめた糸を意味しています。
ヨガ・スートラを編纂したとされるパタンジャリがどのような人物であったのかは全く記録が残っていません。誰が書いたのかも不明なのに現代まで読まれているのは神秘的ですね。
ヨガ・スートラで実践されるヨガのことをラージャ・ヨガ(王のヨガ)と呼びます。
ヨガとは心の働きを止滅させることである。(ヨガ・スートラ1章2節)
ヨガ・スートラの冒頭に書いてある通り、最終的には心の働きを完全にコントロールして止めていきます。
自分の心や精神について理解してコントロールできるようになるために、八支則(アシュタンガ・ヨガ)という8つの段階を1つずつ順番に練習します。
アシュタンガヨガだと
聞いたよーな気がする〜
😄
脳が疲れすい〜
ヨガスートラ読書停止中〜
😄
😄
エネルギー充電故に
ヨーガスートラ読書再開だ〜
😄
夕飯食ったからな〜
だが、いきなり
唯識に近い難易度高いのが〜
本章に入るまえなんだが〜
パリナーマ
😭
😫
ヨーガスートラにチャレンジする汁〜
😄
眠くなってきた〜
また、夕寝?する〜?
とりま、寝る、夜中に起きるやろ
😄
2023年12月17日 12時33分
日本とASEAN=東南アジア諸国連合の特別首脳会議は17日、本格的な討議が始まりました。午前中は安全保障などが議題となり、海洋進出を強める中国なども念頭に、防衛面での協力強化をめぐって意見が交わされたものとみられます。
午前中の討議では安全保障や地域情勢が議題となり、海洋進出を強める中国なども念頭に、防衛装備品の提供や部隊の共同訓練など、防衛面での協力強化をめぐって意見が交わされたものとみられます。
チベット仏教ゲルク派 宗学研究室
http://rdor-sems.jp/index.php?%E8%AA%B0%E3%82%82%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E7%81%AB%E4%BA%8B
今起きた
😄
さ、ヨーガスートラを読もう
😄
世界屈指のトップクラブに適応してきた
ヨーガスートラ読まずであった
😄
日本土着仏教の
念仏山伏の
呼吸法?
みたいな
イメージがてきた〜
行事ヨーガからのヒラメキだ
多少の魔改造?
😄
聖なる呼吸法?
みたいな
行事ヨーガの魔改造?
😄
昨日はとにかく眠かった
軽い頭痛あった
前に打った時は
火曜日までクラクラしていた
水曜日にやっと半分体力回復
😄
念仏山伏を
模索する汁〜
😄
ヨガとは何か?ヨガの八支則で到達するサマディ(三昧)とは何か?について説かれています。
また、ヨガの実践で私たちが制御すべき心の働きとは何かについても説明されています。
ヨガの実践について書かれています。
最初はクリヤ・ヨガ(行動のヨガ)と呼ばれる3つの基本の実践。クリヤ・ヨガにはタパス(苦行)、スヴァーディヤーヤ(読誦)、イシュワラ・プラニダーナ(神への祈念)の3つが含まれています。
2章の後半では八支則の説明のうち、1つ目のヤマから5つ目のプラティヤハーラまでが説かれています。
第3章:ヴィブーティ・パーダ(超自然能力の章)
3章では八支則の中の6番目であるダーラナ(集中)から8番目のサマディ(三昧)について書かれています。
この章で説かれるのは深い瞑想状態であり、ダーラナ(集中)・ディヤーナ(静慮)・サマディ(三昧)の3つを合わせてサンヤマ(綜制)と呼びます。
3章では、瞑想の結果身につく様々な超自然能力について説明しながらも、そのような不思議な力には執着しないようにと注意しています。
サマディ(三昧)が確立するとどうなるのかが説かれています。
ヨガ哲学では、本当の自分は心ではなくてプルシャ(真我)と呼ばれる意識体だと考えられています。サマディの実践によって心の働きが制御されると、そとの世界のあらゆるものに左右されない、本当の自分自身が独立した状態になれると説かれます。
それがヨガで目指すべき解放された状態であり、本当の幸福だとされます。
ヨガ・スートラの中で最も有名な部分が、実践パートである八支則です。
八支則では8種類のヨガの修業を行いますが、1番目から順番に行うことで徐々に心をコントロールできるようになります。
ヨーガ・スートラは4章から成る
で
山伏念仏の魔改造強化をした
😄
第2章と第3章が実践編
さっそく、魔改造か~😄
理解できるが
プロセスの些末な理論、
ザンスカーラとかで
止まっている
😄
リアルヨーガスートラ理解はしてない、
バクティヨーガ的な解釈になっているだろな
😄
1章と4章が理論編
2章と3章が「八支則」と呼ばれる実践編
ヨーガの実践編で引っ掛かっているんだな
翻訳者の
解説レベルで?
となっている、
脳がオーバーヒートだ
IQ高級レベルてはないからな〜
😄
お怒りだ
😫
😄
2023年12月18日
神のしるし
主はさらにアハズに語られた。
「あなたの神である主にしるしを求めよ。陰府の深みへと、あるいは天へと高く求めよ。」
しかしアハズは、「私は求めません。主を試すようなことはしません」と言った。
イザヤは言った。「聞け、ダビデの家よ。あなたがたは人間を煩わすだけでは足りず、私の神をも煩わすのか。
それゆえ、主ご自身があなたがたにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。
悪を退け善を選ぶことを知るようになるまで、彼は凝乳と蜜を食べる。
その子が悪を退け善を選ぶことを知る前に、あなたが恐れている二人の王の領土は必ず捨てられる。
主は、あなたとあなたの民とあなたの父祖の家に、エフライムがユダから分かれた日以来、臨んだことのないような日々をもたらす。それはアッシリアの王だ。」
(イザヤ書 7:10-17)
台湾が先だろな
😒
😫
暴れてないな〜
😫
(ヨガ・スートラ1章2節)
ヨガ・スートラの冒頭に書いてある通り、最終的には心の働きを完全にコントロールして止めていきます。
自分の心や精神について理解してコントロールできるようになるために、八支則(アシュタンガ・ヨガ)という8つの段階を1つずつ順番に練習します。
サマディの実践によって心の働きが制御されると、そとの世界のあらゆるものに左右されない、本当の自分自身が独立した状態になれると説かれます。
それがヨガで目指すべき解放された状態であり、本当の幸福だとされます。
真我だ
ヨガ・スートラの中で最も有名な部分が、実践パートである八支則です。
八支則では8種類のヨガの修業を行いますが、1番目から順番に行うことで徐々に心をコントロールできるようになります。それぞれを簡単にみていきましょう。
ヤマは社会的な禁止事項です。ヨガを志す人は、まず最初に日常の生活習慣から見直して、ヨガの実践にふさわしい状態に整えます。ヤマには5つの実践が含まれます。
アヒムサー(非暴力):肉体的に、言語的に、思考のレベルでも暴力を振るわないこと。
サティヤ(正直): 嘘をつかなこと。
アスティヤ(不盗):他人のものを盗まないこと。
ブラフマチャリヤ(禁欲):性欲などでエネルギーの無駄遣いをしないこと。
アパリグラハ(不貪):所有しないこと。
日常の生活で心の中に不純な思考を生み出し続けていると、どれだけ瞑想をしても心の中が綺麗になりません。ヨガをする人にとってヤマはとても大切な教えです。
ニヤマはヤマと同じく、日常から気を付けるべき自分自身を制御する実践です。ヤマと同じように5つの実践方法が含まれています。
シャウチャ(清浄):自身を清潔に保つこと。
サントーシャ(知足):自身に与えられたものに満足すること。
タパス(苦行・熱業):困難をやり遂げること。
スヴァディアーヤ(読誦):聖典を読むこと。
イシュワラ・プラニダーナ(祈念):神への信仰。
ニヤマを実践することで、心の中の不純性は消えていき、深いヨガの練習の準備が整います。
アーサナは安定して快適な座り方です。
ヨガ・スートラは精神面に特化して説かれた教典なので、具体的なアーサナの名前や練習方法については書かれていませんが、瞑想のために行うパドマ・アーサナ(蓮華座)のようなアーサナを意味していると考えられています。
アーサナが安定したものとなると、実践者は緊張から解放されます。また、熱い寒い、苦楽などの感覚から解放され、より内側に意識が向きます。
プラーナヤーマとは、プラーナ(気)をコントロールする方法です。プラーナは私たちが生命活動を行うのに必要な生命エネルギーのことを意味しています。
プラーナは呼吸法によってコントロールすることができます。心の働きと呼吸の働きは常につながっているため、不安定な呼吸の流れを制御することによって、心の働きも徐々に穏やかになり止まっていきます。その結果様々な雑念は消えていき、瞑想状態に入っていくことができます。
プラティヤハーラは、外の世界に心が完全に結びつかなくなった状態です。
まるで亀が手足や頭、しっぽを甲羅の中にしまい込んでしまうように、外で音が鳴っていても気が付かず、気温が暑くても寒くても感じません。それは、自分の意識が完全に内側に向いているからです。
プラティヤハーラの具体的な方法は書いていませんが、プラーナヤーマの実践を続けることで自然に起こると考えられます。
ダーラナからは深い瞑想状態に入ります。
ダーラナは心の中の意識が1点に集中した状態を意味しています。例えば蓮の花に対して瞑想すると、意識が完全に蓮の花に縛り付けられることによって、その他の雑念は全く生まれなくなっている状態です。
ディヤーナはダーラナの実践が深まった結果、継続して途絶えなくなった状態です。
始めは1点の蓮の花という意識ですが、そのイメージがどんどん膨らんでいき、心の中を満たしていきます。
サマディは、ディヤーナがさらに深まり、自分自身の存在さえも忘れてしまった状態です。
ヨガの目的は「私は○○である」というエゴ(自我意識)を手放していくことです。
人にとって1番大きな執着は自我意識です。
そのエゴを手放していくことによって、心は世界のどのような対象からも自由になることができます。
> まるで亀が手足や頭、しっぽを甲羅の中にしまい込んでしまうように、外で音が鳴っていても気が付かず、気温が暑くても寒くても感じません。
寒いといってるうちは、まだ甘いってことだな~😫
これなんだよな~
ラマナ・マハルシも、「外界に関心をなくし、自分自身に意識を集中せよ」と説いていた
有るのは、意識だけ
というのを強調する人がよくいるのだが
確かに、その通り。間違ってはいない
でも、そこはこだわるところではない
そこを強調すると、唯識論の主旨がわからなくなる
「世界は無い。意識だけが有る」という思想
意識は有るんである
「究極的には空であり、いつかは終わる」とされてるが
終わるまでには百億年以上もかかる
いろんな理屈がついてるが
事実上、「識は実在して、永遠の輪廻転生を続ける」という思想とみて間違いない
それが、唯識論という思想だ
ただ、意識のみが存在する
「瞑想による、空性の現量了解」を目指している
仕事しない日は寒い
メンタルコントロールしてないからな〜
てきるだけ
凡人モードでかつ、
コロワク副反応で余計にな〜
あと、寒さは身体の痛みを呼ぶ
仕事するにはケアがいる
ヨガ行者のよーな
世捨て人なら
そういう配慮もいらないだろが
苦行がメインでいいんだろな
😄
自立論証派と帰謬論証派がある
ヨーガの行者は、寒さを感じないらしい
ひろきの意味不明建てたスレに
は
必ずぼったんが埋める
不思議な関係だな
ヤツラは
😄
下界と山を行き来して
日常生活と山伏活動を
両立してるからな~
> 仕事しながらじゃ無理だ
吹いた😂
仕事に合わせて
身体管理をしないといけないからな、
老化によっては
身体のコントロールは必要になる
😄
あの2人は別人だと思うのだが
連動しているな
あなたならすぐチャレンジは出来る!!!
チャレンジはね😘
山伏の世界では
いつまでも苦行修行するのは
バカだ
と考える上級のやまふがいるらしい本でよんだことがある、
お、
ローラー様が
威張りに来たな
🤢
何かに怒り
燃えているよーだ
🤢
カトリックの雑誌を読む、
普通には
人生の多くには闇がある
闇の少ない仏道修行に明け暮れるよーな
幸せな人間はいるのも確かだが
😄
闇の世界だ
ああいう人生の闇は
当たり前にある
😫
イエス・キリストへの信仰があるらしい〜
😟
闇の住人なのに
自覚がない
🤢
まさに
人間世界の闇、
ロシアや中国やガザ地区よりは
楽園かもしれんが
😟
次の日一家が強制収容所送りは当たり前だろうからな
😫
地方は餓死と
兵士の強盗
😫
ガザ地区の方が北朝鮮よりマシかもしれん😫
ガザ地区のほうがマシだろな
病死怪我死の確率があるが
国連の支援物資を強奪しに行ける可能性はあるから
😫
ガザ地区のイスラエルの意味不明の逮捕と虐待の方がマシな気がする
😫
ロシアは
地方出身の兵士で死ぬ突撃させられるのはあっという間に死ねるだろうしな
😫
ロシア正教で闇の中の死後の天国を信じて戦死できる可能性もあるか〜
ロシアでは
😟
ほーかいくんが
レスしないと
超元気には
ならなさそうだな〜
😫
ローラー様の元気がなくなったな~😫
プーチンの賢いのは
ネット環境などの金銭面で
貧乏そうな地方民を戦場におくる、
少数民族やチベット密教の住人とかいそうなのを
戦場に送るらしい
モスクワやサンクトペテルブルクなどの大都市民は戦場に送らない
オソロシヤ〜
EU、アメリカ支援が減りそうなので
ロシアのウクライナ打倒の可能性が高まってきたらしい
😫
インド大乗仏教の一学派である中観派は「帰謬派」と「自立論証派」に分けられるが、その区分を行ったのは、11世紀後半にカシミールで学んだチベット人学者パツァプ・ニマタクであることが、彼の著作『根本中論般若釈』の解読により確認された。
本研究は、その意図が、8世紀の中観学匠にしてチベットに仏教を伝えたシャーンタラクシタとカマラシーラ師弟が構築した仏教内外の諸学説を批判し、その最高位に中観学説があることを論証する方法に倣いながらも、パツァプが翻訳してチベットへ伝えたチャンドラキールティ(7世紀)の中観帰謬派の学説を彼らの自立論証派説よりもさらに上位にあることを証明しようとしたことにある、と明らかにした。
世界大百科事典内の自立論証派の言及
【チャンドラキールティ】より
…空性の論証が自立的に成立するとする清弁(しようべん)の自立論証の思想と,認識が自立的に成立するとする唯識派の自己認識の理論を批判して,すべては相関的であるという空性の本義を高揚した。
その立場は,チベットの伝承で〈自立論証派〉と呼ばれる清弁の立場に対し,自らは主張をもたずただ対論者の主張の過失を指摘することによって空性を論証すべきことを主張し,〈帰謬論証派〉と呼ばれ,特にツォンカパにおいて絶対視された。
著書に,《入中論》《中論註プラサンナパダー》(両者ともサンスクリット原典現存)の二大主著のほか,《空七十論》《六十頌如理論》《四百論》などの注釈がある
世界大百科事典内の自立論証派の言及
【チャンドラキールティ】より
…空性の論証が自立的に成立するとする清弁(しようべん)の自立論証の思想と,認識が自立的に成立するとする唯識派の自己認識の理論を批判して,すべては相関的であるという空性の本義を高揚した。その立場は,チベットの伝承で〈自立論証派〉と呼ばれる清弁の立場に対し,自らは主張をもたずただ対論者の主張の過失を指摘することによって空性を論証すべきことを主張し,〈帰謬論証派〉と呼ばれ,特にツォンカパにおいて絶対視された。著書に,《入中論》《中論註プラサンナパダー》(両者ともサンスクリット原典現存)の二大主著のほか,《空七十論》《六十頌如理論》《四百論》などの注釈がある。…
【ブッダパーリタ】より
…470‐540年ころのインドの大乗中観(ちゆうがん)派の学者。仏護と音訳される。南インドに生まれ,清弁(しようべん)とともにサンガラクシタ(衆護)に就いて竜樹の教説を学び,空の思想を強調した。清弁が中観派と並ぶ大乗仏教学派である唯識学派との対抗上,師説に反して自派の主張を確立する立場(スバタントラ)を主張したのに対し,仏護は師とともに竜樹のプラサンガ論法(相手の論理の矛盾をつき,過誤を認めさせる帰謬論証法)を守って,《中論注》を著した
誰も知らない火事
「空」の本当の意味を深く知るには、中観自立論証派と中観帰謬論証派の見解の僅かな差を吟味する必要があります。
なぜなら、その僅かな差こそが、中観哲学の最も微妙な部分だからです。
これに次ぐのが、中観自立論証派の見解です。
それゆえ、最高の見解と次位の見解の差異を吟味することにより、究極の真理である「空」の意味を深く知ることができるわけです。
よく知られているのは、空の論証方法の相異でしょう。
これは、両学派の呼称にもなっています。
けれども、一番本質的な差異は、世俗の次元での自相(自性)の有無です。
「それをそれたらしめている本質的な要素がそれ自体の側にある」
と私たちが自然と思い込んでいる、その心が向かっている先です。
熱くて物を燃やす作用のある化学反応を見て、私たちは「火」だと認識します。
そのとき私たちは、「火を火たらしめている本質的な要素は、熱さや燃焼作用である。それは、火自体の側にある固有の要素だ」と、習慣的に思い込んでいます。
もちろん、火を見たとき一々そのように考えるわけではありませんが、当然のこととしてそう思い込んでいるはずです。
そのときの熱さや燃焼作用が、「火の自相」にほかなりません。
火も、その熱さも、燃焼作用も、様々な原因や条件によって発生し、諸々の部分によって構成され、その本質を「これだ」と掴むことはできません。
そのように徹底的に分析・追求してゆく智慧(正理知の量)が認識する世界(勝義)では、火の自相は何一つ成立しません。
これが、「火は空である」という意味です。
この点では、自立論証派も帰謬論証派も、見解が一致します。
これこそが、両学派の差異の最も本質的な部分なのです。
酸素とか、薪とか
そういう回りの力が、火を成り立たせている
地アタマの良さだな〜
俺は副反応抜けてもむりぽ
😄
周囲の環境が、火を燃えさせているのだ
つまり、上記のように徹底的に分析・追求していったら、火の自相は何も得られないけれど、そのように追求しなければ、熱さや燃焼作用が火の自相として認められる・・・ということです。
これは、私たちの常識的な考え方に近い立場でしょう。
従って帰謬論証派の立場からすると、私たちが
「火を火たらしめている本質的な要素は、熱さや燃焼作用である。それは、火自体の側にある固有の要素だ」
と、潜在的・習慣的に知覚・認識している心は、全て迷乱だということになります。
帰謬論証派は、「分別によって仮説したのみ」と述べています。
分別とは、名称や概念と結びつけて認識することです。
つまり、熱くて燃焼作用のある化学反応を誰かが見て、彼の意識に既に存在する「火」の概念や「火」という言葉(記号)と結びつけて、彼が「火だ」と分別したことによって、その化学反応は「火」として仮に設定される・・・というのが帰謬論証派の見解です。
とりあえずコピペしといた
周囲の環境が、火を燃えさせている
「中観派を自立論証派と帰謬論証派に分けて、帰謬論証派を上位に置く。これは、チベット仏教の考え方」
ここまでは分かった
12/18(月)20:35配信
中国では文革期に仏教がつぶされ、私は日本に来てから仏教の素晴らしさを知った。多くの在日中国人経営者も、読経や写経、座禅を経験している
詳しくは11月14日号(もしくはウェブサイト)で読んでいただけたらと思うが、前回のコラムで、元従業員に裁判で負けて大金を失った話を書いた。 あまりに理不尽な結果で気がめいっていたため、気持ちを紛らわせようと自宅から程近い圓照寺(えんしょうじ)を訪れた。東京・北新宿にある真言宗豊山派のお寺で、小規模だが素晴らしい日本庭園がある。実は写真家の篠山紀信さんの実家で、これまでも度々訪れていた。
春には紅白2色の梅、中央に鎮座する枝垂(しだ)れ桜、春から初夏にかけては色とりどりの牡丹(ぼたん)、秋には見事な紅葉と、境内の庭園で季節ごとの植物を楽しめる。 その日はちょうどベテランの庭師が笹の根を掘っていて、私は思わず話しかけた。日本文化が好きで、自宅にも猫の額ほどの日本庭園を造って庭いじりを楽しんでいるんです、ここは本当に立派ですね......と。
実は僧侶でもあるという荒井さんは、私にそんな庭造りの神髄を教えてくれた。 しかし、今の世の中は「無我」とは程遠く、皆自分のことばかり考えている。争いが絶えず、ウクライナやパレスチナでは今も殺し合いが行われている。慈愛の精神を大切にする仏教がもっと広く信仰されていれば、もっと違う世の中になっていたのではないかと思ってしまう。 中国では文化大革命期に仏教がつぶされ、私自身、宗教に興味を持つことなく育った。仏教に引かれるようになったのは日本に来てからだ。どこに住んでも近所にお寺があり、それらは中国の寺院と違って素朴だが、きちんと守られ、手入れされている(圓照寺ほどの見事な庭園は珍しいが)。
当然、京都には何度も行き、国宝を見たりもしてきた。読経や写経、座禅の経験もある。同じ東洋文化ということもあるが、私にとって最も身近であり、また最も平和的な宗教だと思う。 一方、神社に対しては当初、なんとなく縁遠さを感じてしまった。こんなことを言うと怒られそうだが、しめ縄などに付けられている白い紙(紙垂〔しで〕)は中国人から見ると不思議な印象があるのだ。
仏教に心酔している中国人は、私だけではない。在日中国人の経営者の間では、お寺での修行がある種のブームになっていて、週末になると、東京なら立川や武蔵野あたりのお寺で座禅や読経をしている。金儲けに邁進してきた人生に疑問を抱き、心の平穏を求めるようになるのだろう。中国国内でも同様の「宗教回帰」があると聞く。
私には幼い子供もいるし、まだ現役で働き続けるつもりだが、引退する時が来たら仏門に入りたいと本気で思っている。でも、そのためにはまず慈愛の精神を養わなければ──。いくぶん気持ちの整理がついたとはいえ、内心はまだ裁判で争った相手側への怒りを静められていないから。 前回のコラムでは反響を頂き、同じように理不尽な判決に苦しむ会社が多くあることを知った。 そういえば圓照寺には、医薬の仏である薬師如来がまつられている。薬師如来様、私を苦しめたあの元従業員たちを懲らしめるおきゅうはないかしら......いや、まだ煩悩が消えていないようだ。
周 来友(しゅう・らいゆう)
😄
😄
1.火を主題として、自相がある。
なぜなら、分別されていなくても、熱さや燃焼作用があるゆえに。
実例は、誰も気づいていないときの山火事の如し。
その山火事の火には、熱さや燃焼作用という属性も具わっています。
だから、現実に山林を焼くという効果的作用が発生するのです。
もし帰謬論証派の言うように、誰かが「火だ」と分別したことによって火として成立するならば、この山火事は火ではないことになります。
でもそうしたら、現実に山林を焼いたのは、火ではないのでしょうか?
それは、常識から認められないでしょう。
誰かが分別しようがしまいが、火には、熱さや燃焼作用という属性が具わっています。
これこそ「火自体の側にあるところの、火を火たらしめている本質的な要素」であり、すなわち火の自相なのです。
従って、徹底的に分析・追求しない限り、「火には自相がある」と結論づけられる・・・というのが、主張命題1の論旨です。
2.論拠(宗法)が成立しない。
なぜなら、分別されなければ、その法が火として設定されないゆえに。
汝の言う「誰も気づいていない山火事」も、いま我らによって分別されているゆえに。
「誰も気づいていなければ燃えない」というならば、山火事の被害も随分少なくなるはずですが、現実にはそうはゆきません。
しかし帰謬論証派は、その山火事を、複雑な相互縁起の中で様々に生じている諸現象の一つとして位置づけます。
それを人が分別するときに、「火」だとか「火事」だとか認識することになるのです。
この分別は、火を直接見る場合、遠方から煙を見て推論する場合、後からそれについて語る場合など、いろいろな形で成立します。
この問答では、過去に於てどこかで発生した「誰も気づかなかった山火事」という一現象について、今まさに両者が論議する場面に於て、「火」として分別されているのです。
「様々なものごとに自相がある」というのは、私たちの思い込みにすぎません。しかし、そのような思い込みを積み重ねて、私たちは日常生活を送っているのです。
「自相があると思い込む」という意味は、何らかの法をxとして分別するだけではなく、「xをxたらしめている本質的なものがx自体の側にある」と私たちが潜在的・習慣的に思うことを指します。
そしてこのとき、私たちの思いが指向している先が「自相」なのです。それは、本当は無いのに、「有る」と潜在的・習慣的に思うことによって虚構されているのです。
けれども、自立論証派のように、熱さや燃焼作用を火の自相として承認するわけではありません。
帰謬論証派に言わせれば、誰も気づいていない山火事は、単なる現象です。その熱さや燃焼作用は、単なる現象の単なる属性にすぎません。
後からそれを語る者たちが、自己の意識の中にある概念や名称と結びつけ、それらを「山火事」や「熱さ」や「燃焼」だと分別しているのです。
そのように分別された火も、自相によって成立しているわけではないので、「単なる火」にすぎません。
つまり、「誰も見ていないときに属性があるからといって、自相があることにはならない」という意味です。
熱さや燃焼作用は、単なる現象の単なる属性であるゆえに。
実例は、後から「山火事」と分別されるところの単なる現象の如し。
「誰も月を見ていないとき、月は存在しないのか?」
という問いがある
山火事を誰も見ていないとき、そこに火はないのか?
禅坊主でも
真に鍛え上げれば60ぐらいまでは
寒さに強そうな気がする
若き頃の師匠の冬の武勇伝を本で見たことが
😄
瑜伽行中観派(ゆがぎょうちゅうがんは)とは、大乗仏教において、瑜伽行派(唯識派)の教説を中観派へと吸収・統合することを志向した、後期中観派スヴァータントリカ(自立論証派)の総称。チベット仏教に多大な影響を与えた。
なお、同じくスヴァータントリカ(自立論証派)で経量部に近接していると見られた人々は「経量(行)中観派」「経部行中観派」と呼ばれたりもした。
ID非表示さん
はぁ~、、、難しい、、、 簡潔にまとめられるかどうか、、、
以下、あくまでも歴史的流れから推論した、知ったかぶっだ的意見です。
学術的正確な意見は、他の回答者様の回答を参考にした方が安全です。
・・・・ 七世紀、大乗の総合大学であるナーランダー寺院では、中観派・唯識派だけでなく、それぞれの派の中でも、 中観学派は自立論証派と帰謬論証派、 唯識学派は有相唯識派と無相唯識派、とに分かれ対立したそうです。
中でも、中観派の大学僧チャンドラキールティと、在家でありながら唯識の立場に立つチャンドラゴーミンは、それぞれの学派を代表し、七年もの間、対論したとのこと。
結果はどちらが勝つということでもなく、この論争は終わったそうですが、二人の対論は、学者、修行僧ばかりではなく村の子供たちまで集まり、これを聴く者みな中観と唯識の教えについて理解を深めたといいます。
○中観学派は、一切皆空の立場から、人間の存在を万物の存在の関わり方から眺め、一切のものと煩悩まで含めて〈無自性-空〉であるという考え方の立場に立ち、
○唯識学派は、自己を内証することによって、自我の持つ煩悩性を正しく理解把握し、深く掘り下げることにより自己の煩悩性の根源として阿頼耶識の存在を(あくまでも空の立場に立ち仮有としながらも)その存在を認める立場にあった、
という点が争点となった、と考えます。
したがって、そこから延長される修行法も当然異なってきます。つまり、 ・中観理論から導くと、ひたすら一切合切を空と観じ、その空もまた空であると体得する禅定となるのに対し、 ・唯識理論では、目に見えるもの手に触れるもの、一切の思惟となる対象すべてを心識の表象であると観て、一切を一心に集約し、そしてそれらは全て阿頼耶識の虚妄であると観、最後にはその阿頼耶識もまた識の虚妄であると観る禅定になる、 ということかな?と思います。
その理由として、次の二点あげます。
・まず、中観ですが、 縁起→無自性→空の龍樹尊者の一切皆空の理論から、八不中道、つまり実在の絶対的否定の立場から、それを超越した絶対的境地=諸法実相(空)を導き出し、そしてそれは本来清浄なるものであり般若であるとしました。
・また、唯識では、 ありとあらゆる種子が阿頼耶識に納められているとの考えから、仏と同じ悟りの種子もあると考えました。つまり、如来蔵識や仏性です。
これが第一点目ですが、絶対的境地も悟りの種子も〝仏の悟り・境地〟のことなので、結局同じことを指していることになります。
・中観では、わたしたちが実在と思っているのは実在ではなく、因縁によって仮合されたものに過ぎず、それを言葉が実在として捉えて表現しているから、倒錯した思惟が出てくるのだ、とします。
・唯識では、仮構された存在形態は識の表象に過ぎないのであり、それを言葉によって実在するがごとく誤解して表現するから、思惟の倒錯が出てくるのだ、といいます。
要するに、中観も唯識も、同じ「言葉の仮構性」とそれによる「思惟の倒錯」のことを言っていて、ただどちらに重点を置くかの違いです。おんなじです。 ですから、後期大乗(つまり密教)に至って、この中観と唯識と如来蔵識と、さらにクンダリニーヨーガによる霊的禅定も組み込まれ、それまでの大乗仏教の修行法が融合されたわけです。
そしてさらにさらに、絶対的境地や仏の種子等、いわゆる如来蔵識は、本来ニルヴァーナにつながらないものであり、現代の高度に発達した仏教学と最新の科学的知見によって、論議はもっともっと専門の学僧・出家修行僧の方によって深められなければならない、と個人的に思ってます。
ナーランダー寺院で論争が続き、融合が進んでユガ行唯識学派となった
中観派の奥義を、瑜伽行により体感する
これぞ、瑜伽行中観派の奥義だ
中観派は、論理で悟りを目指す析空観
中国の玄奘三蔵の時代では
天台は当然、
唯識も
禅のやりかたを取り入れていたというらしい
日本現在唯識は今は坐禅は残ってない
唯識関連の書物を1人で集中的に読むという感じらしい、
加行というので
密教みたいな
イメージを唯識関連文章でやる修行なのかもしれん、
俺は法華経や華厳経や空海著作、密教経典で
確かに観想ぽい読み方ができる〜
ゾーンに入れるしな
😄
だが、
唯識関連書物で些末な観想は
なかなか難しい
😄
知らなくてよい、
伝えない極秘話
😄
一年前は毎日
早朝起きたら即
動画落としに励んでいが
今は動画落としの時間を10時ぐらいにしてる
😄
認知症発症確率をあげると
記事にあった
やはり
睡眠確保は大事だな
ただ、冬は乾燥でノドがガラガラになるので夜中にうがいと歯磨きを
して再び浅い眠りでねるよーにしている
😄
やはり〜
😫
ニート寝は
10時起きだが、
深夜爆発で
今日はレスがないかも〜
😭
力量は
モノホンだ〜
😫
シカタカヤマノボレ
ない〜
ローラー作戦は停止中〜である
😫
お目覚めだ〜
😫
斉藤 征雄
大乗仏教では、あらゆる衆生の心の中に仏性がそなわっているとする(如来蔵思想)。そして華厳経は、衆生のそれぞれの中にすでに存在している仏のいのちが顕現(性起)するという考え、つまりわれわれの心そのものが仏のいのちの現れとするのである(性起品)。こうしたことから、悟りとは自己を知ることともいわれる。華厳経で、初めて道を求める心を発心したときにはすでに悟りの域に達しているといわれるのも、心が仏のいのちの現れと考えることから来ていると思われる。
十地のうち第一から第六までが智慧の完成を目指す階梯、すなわち空を観じ悟りの境地に至る階梯である。そして第七から第十が、慈悲の心をもって衆生を救済する階梯である。前者を自利、後者を利他の階梯と言えるが、衆生済度は自分の喜びつまり自利でもある。
十地の第六(現前地)で、悟りの境地が次の言葉で表現されている。
「三界は虚妄にして但だ是れ心の作なり。十二縁分も是れ皆心に依る」(三界唯心偈)
三界は欲界、色界、無色界のこと、つまり迷いの世界であるが、これらは皆心の持ち方によって現れ出る仮の姿。迷いの要素(十二因縁の諸項目)もまた心のあり方によって起こる。したがって心の持ち方によって仏の世界も出現するのである。それを瞑想による直観によって観ずるのが悟りの境地、仏の智慧と説く。
華厳経の最後は、善財という少年の求道物語で締めくくられる(入法界品)。
文殊菩薩がインドの南方を旅していると、ある町で善財童子に逢う。そして迷いの中にあって文殊の導きを願う善財童子の気持ちを聞いて求道の旅へ出ることをいざなう。
善財童子は文殊の説示にしたがって、菩薩の行いを知るために53人という多くの人びとを訪ね歩いて教えを請う。会った人びとは善知識と呼ばれる師であるが、その身分、職業、性別はさまざまだった。具体的には菩薩、修行者、仙人、バラモン、少年、少女、女神、商人、長者など、そして遊女までが含まれていた。 こうした多岐にわたる人びとが師たり得たのは、人間の平等、在家者を尊重する考えが反映していると考えられている。
善財童子は最後に弥勒菩薩、文殊菩薩、普賢菩薩に教えを受けて菩薩の道を完成し、悟りの境地に導かれるという物語である。
この物語によって、華厳経には難しい哲学だけではなく、宗教としての実践面も強調されていることがわかるのである。
ゲルク派は中観派
華厳宗は如来蔵思想の宗派
それが、華厳宗のエッセンス
中国華厳教学の大成者である賢首大師法蔵(643-712)の『大乗起信論義記』に出るのが最初である。
そこではインド伝来の一切の経論を4宗に分けている。
随相法執宗 小乗諸部の立場
真空無相宗 龍樹・提婆の所立、般若などの経と中観などの論の所説
唯識法相宗 無著・世親の所立、『解深密経』などと『瑜伽師地論』など
如来蔵縁起宗 『楞伽経』・『密厳経』などの経と『起信論』・『宝性論』などの論の所説
すでに、『華厳経』十地品あるいは『十地経』の第六現前地の経文に「三界唯一心作、十二因縁分皆依心」の句があり、また初期如来蔵系経典である『勝鬘経』にも、「生死者依如来蔵」あるいは「有如来蔵故説生死」といって、如来蔵が染浄の依止となることを説いている。
如来蔵と無明とが一体となった阿梨耶識を立てて、現実における衆生の迷いの生存の心識面での展開と、そこにおける無明の断尽を、縁起の理論を適用して組織的に示したのは『大乗起信論』である。
華厳宗は如来蔵思想の宗派であると言ってよいだろう
それが思想的な中核であるのは間違いない
テーラワーダ仏教は阿含宗を信仰する
華厳宗は華厳経を信仰する
華厳宗の教え
それは、華厳経に書いてある
> テーラワーダ仏教は阿含宗を信仰する
訂正
テーラワーダ仏教は阿含経を信仰する
そのために建築・河川の整備・福祉・医療など人々が安心して暮らせるような政治をおこないました。
「奈良の大仏さま」が有名で、大仏さまを拝むために、昔も今もたくさんの人々が訪れる日本を代表するお寺のひとつです。
何が説かれてているのかを一言でいうと、仏のさとりそのものです。
その仏の心に、唯一絶対の真実の世界のすべてが、
同時に映っているありさまを、海にたとえて
「海印三昧かいいんざんまい」といいます。
それは、時間的にも空間的にも、
すべてがお互いに邪魔することなく
完全に解け合っている究極の真理の世界で、
これを「法界縁起ほっかいえんぎ」ともいわれます。
天平年間(729年 - 749年)に帰国して、奈良大安寺に住した。
740年(天平12年)、良弁が金鐘寺で始めた華厳経の講説では3年間講師をつとめた。
当時、有数の経論の所蔵者であったようで、写経所に対して頻繁に経論を貸し出していたようである。
むらさきの 雲のうえへにぞ みをやどす 風にみだるる 藤をしたてて
あかあかや あかあかあかや あかあかや あかあかあかや あかあかや月
夢の世の うつつなりせば いかがせむ さめゆくほどを 待てばこそあれ(新勅撰和歌集選)
また、栄西請来の茶の種子を栂尾にまき、茶の普及の契機をなしたことは有名である。
その学徳は後鳥羽上皇・北条泰時のみならず、公家では九条兼実、九条道家、西園寺公経、武家では安達景盛、婦人では平徳子(建礼門院)など多くの人びとからの尊崇を集めた。
おもな著書には、浄土宗をひらいた法然の『選択本願念仏集』(選択集)を読んでこれを批判した上述の『摧邪輪』(ざいじゃりん、正しくは『於一向専修宗選択集中摧邪輪』)全3巻、『同荘厳記』1巻がある。
『華厳経』で高唱される菩提心を重視した明恵は、『摧邪輪』・『同荘厳記』において、称名念仏こそが浄土往生の正業であり、もっぱら念仏を唱えることによって救われるとする法然の教説(専修念仏)に対して、その著作には大乗仏教における発菩提心(悟りを得たいと願う心)が欠けているとして、激しくこれを非難している。
40年におよぶ観行での夢想を記録した『夢記』のほか、著作は70余巻におよび、『唯心観行式』『三時三宝礼釈』『華厳仏光三昧観秘宝蔵』『華厳唯心義』『四座講式』『入解脱門義』『華厳信種義』『光明真言句義釈』などがある。
鎌倉幕府の明恵上人が盛り返した
日本で絶やしてはならない
栄西か、栄西の弟子に教えてもらえ
といったらしい
😄
俺ちゃまがいる期間は
安泰だ?
😄
脳が
シンプルモード過ぎて
神秘主義探求能力がスタートしないな〜
😄
厳密に言えば華厳密教らしいからな〜
真言密教と近いからな
😄
華厳と真言密教の理論は密接だからな
😄
空海著作の
十住心論、
秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく
では、真言密教の次のレベルが、
華厳としており、
このあたりが
日蓮ちゃまが
ゲキオコされる
😄
降りてきたたが、そこからの模索が停止だ〜
😄
「天台密教・華厳密教・真言密教」
なんだな😄
ノーマル天台、ノーマル華厳も
イケているという意味だな
どれも密教化はしてるみたいらしいけど
😄
脳が
仕事で瞬間高速労働したせいで
そのモードマックスから
戻れなくなってた10時ぐらいまで
😄
密教化してない、ノーマル華厳か😄
ヒンズーヨガ系統の
イメージが
戻ってきた〜
ま〜ま〜脳内が宗教臭い神秘主義になってきた
😄
神聖なる呼吸だ〜
😄
ノーマルな念仏山伏のゾーンに
は
入れていない
やはり俺的には外国なのら〜
😄
さらに
639の内容に
脳内霊感が近づいてきた〜
😄
😄
仏の゙智慧と一体化する観想であることを
仕事世界のせいで忘れてた
😄
仏の世界の観想でツナガルか〜〜
だが、
やはり脳が
仕事モードから抜けでもない〜
密教初歩止まり
ノーマルなキリスト教へは脳が切り替わらない
😫
三密加持から抜け出られへん〜
極楽浄土と阿弥陀仏のノーマルなパワーが来ない〜
関与しても
自動三密加持だ〜
😫
中島みゆきを
聞くぐらいに
脳の展開がムズイ
😄
天台密教・真言密教・華厳密教のこと
仏の身
仏の口 、眞言
仏の意
を観想して一体化
それが三密加持
浄土宗の阿弥陀仏ですら、
その扱い解釈で
ノーマル解釈が
ブレイクしとるな〜
😫
三密加持を
解除しない〜
😫
真言密教寺院へ
お参りしたから
余計にだ
😄
華厳にも禅にも、いろんな側面があります。
華厳という言葉にはおおよそ、華厳経という経典、それを拠り所として形成された華厳宗独自の体系的な思想「華厳教学」、華厳教学も含め華厳経の強い影響下に誕生した思想一般の3つの意味があります。
禅という語も、その原語、サンスクリット語のディヤーナ(心を落ち着け澄ませる実践のあり方)やその概念をやや広げた禅の境地の実現に関わる実践一般をいう「禅観」、あるいは「禅宗」の意で用いられます。
この華厳と禅は、全然違うものとされがちですが、どうもそうではないようです。
まず華厳経にどういう禅の思想や禅観の問題が出てくるのでしょうか。
そこで初めに仏の悟りの世界の実現を宣言します。仏の悟りの場が、華厳経の根本の舞台なのです。
ところがこの仏は、一箇所に留まることも自ら説法することもありません。では教えを説くのは誰かと言えば、それは主に菩薩たちです。
このような仏の押さえ方から言えば、華厳経の構想が禅的な深い瞑想の世界を前提にし、そこに現れてくる真実の在り方を提示していると言えます。
ですから華厳経はある意味、禅の経典なのです。
例えば賢首菩薩品では、私たちの感覚意識器官と三昧との関係を丁寧に描き出していきます。
見るという目の働きを通じて瞑想の世界に入っていき、見られた世界を介してその瞑想の場から出てくる、と述べているのです。
この意味での念仏・念仏三昧が、華厳経の入法界品に出てきます。
このようなあり方は、禅定、瞑想的な世界の内景と言うべきものではないでしようか。
特に海印三昧は、仏の根本の禅定と見なされました。
大きな海が静まり返り、少しも波立たない。そんな大いに静まった仏の瞑想の世界に、あらゆるものがありのままに刻印され、映し出される。
そこにくっきりと如実に真実のすべてが浮かび上がる。中国華厳宗の人々は、仏教の根源的なありようをそのように捉えたのでしょう。
更に、韓国の華厳系仏教の初祖、義湘は、海印三昧によって宗教的世界の全体が成り立っているという見解を示しています。
韓国の華厳宗、そしてその影響を強く受けた禅仏教は、こういう考え方がベースになっているのです。
それは華厳経の光明覚品に基づく仏光観です。
仏の体から放たれた光が次第に宇宙全体に広がっていく、という記述に基づき、李通玄は、いわば光を心の中で追跡し、光の広がりに応じて自分の心も拡大し普遍化していき、自分と光の世界が1つになり同時に自分自身の真実の姿が顕わになる。
仏光観は、そういうありようをめざす観法と言ってよいでしょう。
だから
八宗綱要の華厳の内容をアタマに
叩き込むべしと
初期から
推奨してんま〜
😄
華巌経や華厳教学の影響を受けた禅者の一人に碧巌録の編者として知られる圜悟克勤(えんごこくごん)がいます。
彼は華厳経に言及するだけでなく、自分の体験を通してそれを読み解くという態度を取っています。
特に思想史的に興味深いのは、華厳宗の存在論とも言える四法界に関する考え方です。
四法界とは、存在するものの世界を見方の深さにより4つに区分したもので、事法界(事象の世界)、理法界(真理の世界)、理事無礙法界(事象と真理が障害なく関わり合い融合する世界)、事事無礙法界(あらゆる事象と事象が障害なく自在に関わり合い調和する世界)のことです。
圜悟は、これと禅の境地の対応を論じ、結局のところ、四法界の範疇ないし領域が消滅して、そこで初めて禅の世界が開け、禅の世界は事事無礙法界の上にある。
そういう自由の境地こそが禅が目指すもの、と説いているのです。
なんとなくの
メンタルの疲労あまり、
メンタルが
宗教的に
三密加持の方向への
リンク志向が続いていて
キリスト教やら
ノーマルな浄土宗に展開できん
😄
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
まさに、空間認識と俺が言う
JBLの前に立ちはだかる壁、
これが大乗仏教の基礎認識
四法界とは、存在するものの世界を見方の深さにより4つに区分したもので、事法界(事象の世界)、理法界(真理の世界)、理事無礙法界(事象と真理が障害なく関わり合い融合する世界)、事事無礙法界(あらゆる事象と事象が障害なく自在に関わり合い調和する世界)のことです。
禅よりも
華厳に
遥かに近い
😄
浄土宗ですら下記状態三密加持化しとる
😄
>次に、華厳経の念仏三昧についてですが、普通、念仏と言うと、口で南無阿弥陀仏を唱えることを指すと思いますが、本来は仏を憶念すること、つまり、仏の姿や仏の世界を深く心の中に思い浮かべて意識の世界においてそれと一体化していく一種の瞑想を言います。
この意味での念仏・念仏三昧が、華厳経の入法界品に出てきます。
山崎弁栄は
浄土宗に華厳思想我流入している坊主故に
浄土宗が三密加持化するのも
ありえない話ではない
😄
天台華厳真言密教禅では、
そんなのは
関係がない
😄
😫
リアル浄土教やれそー
😄
當麻曼陀羅絵解きを
よもー
😄
拝し方を
読んで、
イメージがわいて
スイッチがさらに
入った
😄
休日は早起きになってきたな〜
😄
おはよ〜
😄
當麻曼陀羅絵解きを
よもー
再び
😄
即動画おとしするが〜
😄
ノーマル浄土宗だ😄
買っておいたのが
寝所の部屋においていた
やはり、おもろい
當麻曼陀羅=
観無量寿経だからな
😄
でき始めた
昨日なら現世の三密加持に処理してまう日だった仕事疲労?せいなのか?
😄
知恩院のほうの
浄土宗と
真言宗の管理なのだが
當麻曼陀羅を広めたのは西山派らしいので
西山派の寺院には
當麻曼陀羅のレプリカがあるお寺が割合ある
😄
密教用語。 衆生と仏とは本来同一であるから,衆生が身に印を結び (身密) ,口に真言を称え (口密) ,心に本尊を観じる (意密) とき,それがそのまま仏の三密と相応して,仏の加護を受け,仏と同一となること。
密教を習得しようとする人なら、必ず修める必要があるのが「三密加持」といわれる「行」です。密教で行われるすべての儀礼の基本には、この「三密加持」があります。
では、「三密加持」とは、何か。まず、「三密」は、「身密(しんみつ)」「口密(くみつ)」「意密(いみつ)」を指します。具体的に言うと、こうなります。
本尊を現す「印(いん)」を手で結ぶことを、「身密」。
真言を、口で唱えることを「口密」。
ご本尊の姿を心(意)に思い描くことが、「意密」です。
この3つが完璧にできたとき、ご本尊と一体となることができ、その身そのままで「即身成仏」を達成することができます。これを、達成することを、「加持(かじ)」といいます。
密教以外の宗派では、「身・口・意」の3つは、「煩悩の源泉」と考え「三業(さんごう)」と呼んでいます。
「三業」
身体=楽をしたい、美味しいものを食べたい、異性と交わりたい
口=悪口や陰口、自慢話、噂話
意識(心)=バレなければ何をしてもいいと思う心、ズルをしようと思う心
人の煩悩は、この3つのどれかに集約できるというのが、この「三業」の由縁でもあります。
確かに、人の背負う業でもある「三業」ですが、密教では、この3つの業でさえ、受け入れます。なぜなら、この世のすべてのものは、大日如来が遍在しているものだからです。
つまり、こうした煩悩の中にも、何かの真理が隠されていて、これを正しく用いることこそが、「悟り」へ導く材料になると考えているわけです。
「即身成仏」は、「とても凡人には達成できない」ような気がしますが、密教では、「どんな人間も、本質は大日如来の一部であり、その本質さえ明らかにすれば、大日如来と一体になれる」と説いています。
もちろん、大日如来の一部としての本質は、「煩悩」で厚くおおわれているため、誰もがこの覆いを取れるわけではありません。「三密加持」をもとにした、瞑想や儀礼を通じて初めて、仏と一体化できます。
また、仏と自身が一体化することを、「入我我入(にゅうががにゅう)」と言います。
「入我」=ご本尊が行者の中に入ること。
「我入」=行者がご本尊の中に入ること。
つまり、自己と仏の境目も区別もなくなり、完全に一体化することを指します。こうすることで、「即身成仏」が達成されると説いているのが、真言密教です。
岸田文雄政権
南無阿弥陀仏
全部アベの傲慢の゙せいだ
😫
マスコミをコントロールできるくらいの民主主義の首相は
やはり
有害だな
😫
かえってアベシの
後で検察が
頑張りやすくなったともいえるか〜
😄
ローラーは
まだ寝てるよーだ
😫
浄土宗系統の割に
薄っすらと天台密教系統の
三密加持思想が混じっている、
それが西山派
😄
😫
西山派の當麻曼陀羅絵解きの本で
キリスト教ラインも含めて
スイッチが入った〜
😄
間に
ローラー様
だいかつやくしてますやん〜
😫
ブラック三毒ローラー様がいると
トーク板宗教板は
盛り上がる、
彼らはスターだ
やはり
ジャイアント馬場と
タイガー・ジェット・シンは
必要だ
😄
三密の壁〜
カオリンの貼り付け文章は
シャーマンニズムモード、ワールド
😄
それに対してブラマーナンダジは、「スディール(シュッダーナンダジの出家前の名前)、今の私にはこの世界は影のように見えている。この状態から心を引き戻して日常の仕事に集中するのは難しいのだ」と答えました。
ブラマーナンダジの心は絶えず超越の状態(グナーティタ)にあったので、彼にとって非実在に見える普通のこまごまとした仕事に集中するのは困難だったのです。
ブラマーナンダジは書類への署名というすぐにでもできそうな簡単な依頼に対しても、「後で」と先延ばしすることがありました。
ブラマーナンダジの兄弟弟子のサラダーナンダジがある時、「マハラジ、今日こそは絶対にサインしてもらわないと困ります」と迫った時のブラマーナンダジの答えは、「私は自分の名前の綴りを忘れてしまった」
意外に
実用可能だ、
シャバに使える〜
だがリアル浄土教あたりになると
シャバでの実用性は
低下しつつある〜
😄
仏典翻訳者 大竹晋氏
おおたけ・すすむ氏=1974年生まれ。岐阜県出身。筑波大大学院哲学・思想研究科修了。博士(文学)。専攻は大乗仏教。著訳書多数。近著に『大乗非仏説をこえて』(国書刊行会)、『「悟り体験」を読む』(新潮社)。
『大乗起信論』成立問題の概要
『大乗起信論』は、6世紀前半、南北朝時代末期の中国に、漢文のかたちで現われた仏典である。南朝のインド人僧侶、真諦(499~569)の訳であると伝えられる。
ただし、同論については、それが北朝の学派、地論宗――のちに南道派と北道派とに分裂した――の作であるという伝承もあった。その伝承をヒントとして、『大乗起信論』成立問題の解決への道を開いたのは、望月信亨(1869~1948)、竹村牧男(1948~)、高崎直道(1926~2013)ら日本の仏教学者である。
望月は、同論を現存する地論宗南道派の文献と比較して、最終的に、同論を地論宗南道派の作と結論した。竹村は、同論が北朝の漢訳に準拠していることを指摘して同論を分裂以前の地論宗の作と結論した。高崎は、同論が北朝の漢訳に準拠していることをさらに指摘しつつも、同論を南北朝いずれかのインド人の口述と結論した。
近年、仏教学に発展をもたらしたのは、①漢文大蔵経の電子化、②敦煌出土北朝仏教文献の翻刻出版――という二大成果である。この二大成果は、結果的に、『大乗起信論』成立問題にも解決をもたらすこととなった。①によって、同論が先行する漢訳仏典からの一種のパッチワークであることが判明し、②によって、同論が地論宗より前の北朝仏教文献に特有の説をいくつか含んでいることが判明したのである。
同書において、筆者はさらに『大乗起信論』がインド大乗仏教と異なる奇説をいくつか含んでいることを指摘した。ここでは、そのような奇説のうち、日本仏教に大きな影響を与えた一元的世界観を採り上げ、その問題性について再考したい。
インド大乗仏教においては、現象を構成しているあらゆる法(枠組み)は、空(からっぽ)、すなわち、無我(おのれがない)と説かれている。
言い換えれば、インド大乗仏教においては、あらゆる法に、空性(からっぽさ)、すなわち、無我性(おのれのなさ)という共通的属性が内在すると説かれている。
この、空性、すなわち、無我性は、真如(そのとおりのまこと)と呼ばれる。われわれはこの真如について伝聞するにすぎないが、インド大乗仏教の聖者は、修行によってこの真如を実見し、最終的にブッダとなる。
ところが、『大乗起信論』においては、インド大乗仏教と異なる奇説が説かれている。
具体的に言えば、『大乗起信論』においては、あらゆる法は一なる真如であり、われわれの妄念によって、あらゆる法へと分節されていると説かれている。
インド大乗仏教においては、あらゆる法に内在する共通的属性が真如なのであるが、『大乗起信論』においては、あらゆる法が真如なのである。
インド大乗仏教は二元的世界観である。あらゆる法と、真如との二元にもとづいて、あらゆる法を実見する凡夫と、真如を実見する聖者との区別がある。それに対し『大乗起信論』は一元的世界観である。そこには凡夫と聖者との区別が曖昧になる危険性があった。
それは言える
でも、大乗起信論は一元論なのか
馬鳴『大乗起信論』(『大乗起信論』岩波文庫 34頁)
https://www.otani.ac.jp/yomu_page/kotoba/nab3mq000005mqm7-img/nab3mq000005mqn4.gif
> 『大乗起信論』は「大乗」に対する信を
我々に起こす目的で著された仏典です。
なるほど
「大乗への信を起こす論」なのか
> さて、標題のことばは、心を支配する「まよい」の
はたらきを端的に示した比喩です。
意訳すれば「道に迷う人は、方角を立てるから
道に迷うけれども、方角を立てなければ、
道に迷うことはない」となるでしょうか。
「方角を立てるから道に迷う」か
> 「方に依る」(方角を立てる、方角を決める)
という比喩表現は、どこかに「正しい答えがある」
と思い込んでいる心の状態を指しています。
「正しい答えがある」というのが誤りだ
ごもっとも
方に依る、が誤りを生む、という言説も方として受け取られるなら、それも方角として拒否しないといけなくなる
しかも、仏教という方角からそれを語ってるという自己矛盾
こういうのは個別事象に適応すべき事で、普遍的にそう言ってるわけではない
生真面目に全てに適応してはならないこと
なぜなら、それを受け入れたら方に依る方すらも知ることが出来ないから
「方より離るる」と言いつつ、華厳宗を信仰するのは矛盾
日本では天台宗が主流派になり、
朝鮮では華厳宗が主流派になった
大陸では、両方とも衰退した
中国仏教は、そこにこだわるのか
確かに、西田幾多郎っぽいな?
著者名
高崎 直道 (監修)、下田 正弘 (編著)
本書は、70名を超える国内外の研究者が寄稿し、2011年から2014年にかけて出版された「シリーズ大乗仏教」全10巻のなかの一冊として刊行された。大乗仏教は、紀元前5世紀のインドでブッダ (釈迦) によって興された仏教を継承しながら、紀元前後にあらたな経典制作を通してその存在を顕在化させた思想運動であり、その後数百年の時をかけて認識論と存在論を中心とする仏教思想の深化発展を強力に牽引した。
本書の主題である如来蔵と仏性は、大乗仏教の最終段階の思想であり、東アジアやチベットの仏教思想の形成に大きな影響を与えた。ことに中国において、華厳の哲学と融合しながら朱子学の理論形成に影響を与えるとともに、近代になって辛亥革命の指導者たちの理論的支柱になったことは注目に値するだろう。
一つの思想史の円熟期に位置する思想は、先行する歴史のなかで生まれた異なる文脈の諸概念を共存させるための、より高次の概念を生み出す。衆生の位相における如来、仏を指す如来蔵と仏性は、衆生と如来をともに包摂する、両者よりも一段高い次元の概念となっている。
宗教思想一般における救済論は、世界の様相を、人の国と神の国、此岸と彼岸、輪廻と涅槃など、相対、有限、無常の世界と、絶対、無限、永遠の世界という二元的なものとしてとらえる。前者の様相から後者の様相への移行は連続的なものではなく、回心やさとりといった存在次元の転換ともいうべきできごとを必要とする。個人のなかに起こるこの経験は、単層にしか見えなかった世界の様相を一変し、それまで隠れていた世界の神秘的な面を露わにする。
少なからぬ宗教がここで言説を止めるのに対して、大乗仏教は、いったん現れた二元性をさらに仮象としてとらえ、両者を究極的に無区別とみる点にまで至りつく。彼岸から見た此岸の景色、菩提に浄化される煩悩、涅槃の風光に照らされる輪廻は、なんら否定される必要のないものとして、あるがままに受容される。そこでは世界の二元性は超克され、個々の差異を認めたまま、高次の平等の様相が現れている。
やっぱり、如来蔵思想に関心がある
「大乗起信論」を書いたのは馬鳴
漢訳したのは真諦
註釈したのは法蔵の「大乗起信論義記」
「中国華厳宗の実質的な開祖」と言われる人
空間の一切認識と
呼ぶ〜〜
むろん禅定の感覚であって、
対象を詳細にみれば
煩悩の山の世界はなのだが
禅定の世界から世界を、見れば
ま、それよりレベルをわざと落として、
その初歩レベル三密加持が
解除できんとか云々、
日曜朝の昼寝後まで
いってたわけで、
😄
仕事コロワク疲れの反動で
それらの禅定ゾーンから
抜け出れない〜
リアルなキリスト教や浄土教が楽しめない
😭
とか〜〜
禅定の世界からの空間の一切認識
モードから抜け出れず
霊的遊戯ができないと〜
不満〜〜
😄
本覚とは本来的に衆生には自覚の性質があることで、始覚とは自覚していない衆生が始めて自覚に至ること。
『起信論』が初出。
『起信論』では「心真如門」において仏の法身が真如の智慧そのものであることを示す。
JBLが
西欧哲学的、論理的に対処不可能な
ワールド、それが
華厳への流れ
😄
始覚ってのは、「覚醒し始める」という意味なのか?
華厳は空間の一切認識か~😄
桜ん坊の
あの動画を
ある程度知識を集めてから
見てみると
さらに
理解が深まる、
あれは
上手くまとめている
学者やろしな
😄
桜ん坊の
動画では
、その件で
大乗起信論と
天台本覚思想の真如観との
違いを解説していた、
知識を集めるたびに
何度も見なければ、
大乗起信論の壁は越えない
がんばり〜
😄
リダンや
ほーかいくんではなく、
こちらは
マジで体験して、
それを分析研究している
仕事日を中心に
😄
いきなり、レベル高いな😅
桜ん坊の最後のほうで
親鸞と道元の違いとかを
やってたぞ
あれは
知識集めた後のまとめる見事な
わかりやすい知識の、宝庫だ
😄
親鸞、道元からの
始覚、本覚に関する
クロージングやったしね〜
😄
仮説- -
①修行の実践が無用ということ。
②煩悩の当体のまま、仏である。
③歴劫の修行を否定したこと。
kiyoshi fujimura
少なくとも、こうした3つの側面を踏まえて、はじめて本覚思想と定義できるのではないか。
⇒究極的な悟りを遠い理想と置くのではなく、現実の衆生に具現化する。
⇒修行というものを成仏という目的のための手段として捉えるのではない。 すなわち、修行そのものが仏の振る舞い (具現) である。 (=③始覚門×)
①③の面は、即身成仏という点に帰結する。 (=歴劫成仏X) ②「仏に成る」のではなく、「仏である」 (実相論)と明かされる。
鎌倉新仏教は天台本覚思想を思想史的母胎としながらも、一種のアンチ テーゼであると評される所以は、天台本覚思想はあくまで智顗教学の論理 |的な展開であるから、 無分別の仏凡一如の実相の理をその基底に置いて いる。 すなわち論理的には、不信・不行の者も実相の理においては仏の当 体(これを理即仏と言う)として肯定されている。 しかし、鎌倉新仏教の祖師 たちは、論理的にも実践的にも、不信・不行の者をそのまま肯定することを しなかった。
道元は仏を目指してひたすら打坐を修する行者の振舞に仏の現成を見た のであり、 親鸞は仏の絶対的な本願力を信ずる一念に如来等同の救いを 見たのである。日蓮は仏凡一如の実相の理を観ずる止観行を智者の行と して否定し、末法の劣機は本門の教主釈尊(=本門の本尊) を信じて、法華 経の題目を唱えることによって救われる (即身成仏する) と論じた。
kiyoshi Fujimura
| 花野充道 「智顗の法華経観から日本天台の四重興廃思想へ」 『伝教大師一千二百年大遠忌記念出版 平安・鎌倉の天台』 (山喜房仏書林 2021年)p.408
鎌倉新仏教は天台本覚思想を思想史的母胎
としながらも、一種のアンチテーゼであると
評される所以は、天台本覚思想はあくまで
智顗教学の論理 |的な展開であるから、
無分別の仏凡一如の実相の理をその基底に置いて いる。
すなわち論理的には、不信・不行の者も
実相の理においては仏の当体(これを理即仏と言う)
として肯定されている。
しかし、鎌倉新仏教の祖師たちは、
論理的にも実践的にも、
不信・不行の者をそのまま
肯定することを しなかった。
これですな
道元は仏を目指してひたすら打坐を修する
行者の振舞に仏の現成を見たのであり、
親鸞は仏の絶対的な本願力を信ずる一念に
如来等同の救いを 見たのである。
日蓮は仏凡一如の実相の理を観ずる
止観行を智者の行として否定し、
末法の劣機は本門の教主釈尊(=本門の本尊) を信じて、
法華経の題目を唱えることによって救われる
(即身成仏する) と論じた。
kiyoshi Fujimura
大乗起信論も
見えてきやすい
まとめ方をしている、
松本史朗は
ダメだな、
そういう論文みたが、
この人の方が
大乗起信論と
本覚思想の違いを
上手くまとめている
😄
いい
霊的インスピレーションを
与えてくれる
良い動画だった
後半のクロージングは
傑作だ
😄
の解説
仏語。発心修行して迷いから覚め、初めて悟りを開くこと。
本有の覚性の意味。始覚の反対語である。すなわち本来覚知の離念の心体を言う。
離念の相とは虚空界に等しく、徧ぜざる所なく、法界一相なり。
即ち是れ如来の平等法身なり。
此の法身に依りて説いて本覚と名づく。
本覚の義は始覚の義に対して説く、始覚は即ち本覚に同ずるを以ってなり。
〔大乗起信論、T32.0576b〕
『起信論』が初出。
↑
これを、本覚という
↑
これを、不覚という
↑
これを、始覚という
違うだろwww
わかった、わかった(笑)
インド大乗仏教においては、現象を構成しているあらゆる法(枠組み)は、空(からっぽ)、すなわち、無我(おのれがない)と説かれている。
この、空性、すなわち、無我性は、真如(そのとおりのまこと)と呼ばれる。インド大乗仏教の聖者は、修行によってこの真如を実見し、最終的にブッダとなる。
ところが、『大乗起信論』においては、インド大乗仏教と異なる奇説が説かれている。
具体的に言えば、『大乗起信論』においては、あらゆる法は一なる真如であり、われわれの妄念によって、あらゆる法へと分節されていると説かれている。
インド大乗仏教においては、あらゆる法に内在する共通的属性が真如なのであるが、『大乗起信論』においては、あらゆる法が真如なのである。
インド大乗仏教は二元的世界観である。それに対し『大乗起信論』は一元的世界観である。
これを読んで、わかった
「大乗起信論」は一元論っぽいということだ
大乗起信論はアリストテレス的とでも言おうか
>
> 具体的に言えば、『大乗起信論』においては、あらゆる法は一なる真如であり、われわれの妄念によって、あらゆる法へと分節されていると説かれている。
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> インド大乗仏教においては、あらゆる法に内在する共通的属性が真如なのであるが、『大乗起信論』においては、あらゆる法が真如なのである。
これを見ると、そんな感じだな😄
『大乗起信論』と一元的世界観(2/2ページ)
仏典翻訳者 大竹晋氏
2020年2月18日 11時42分
『大乗起信論』から生まれた修行軽視
現実に、『大乗起信論』からは、凡夫はすでに真如のうちにいる以上もともと悟っていると説く、修行軽視の学説が生まれた。
中国においては、唐の偽経『円覚経』(8世紀初頭)に次のようにある。
善男子よ、〔あらゆる者には〕悟っていることが完成されているゆえに、「菩薩は法によって縛られもせず、法から脱がれることを求めもせず、輪廻を厭いもせず、涅槃を愛しもせず、持戒を敬いもせず、破戒を憎みもせず、長期修行者を重んじもせず、初心者を軽んじもしない」と知るべきである。それはなぜかというならば、あらゆる者は悟っているからである。
これらの人々は「仏の涅槃や菩提や法身は、目の前にあるわが肉体の上にある。父から子へと代々生まれてきたことこそが、法身が常住かつ途絶えないことである」と思い込む。(巻九)
これら愚かで惑わされている人々は菩薩となってその心を推し進め、仏の律儀(戒)を破り、貪欲を潜行させ、口で好んで「眼耳鼻舌はいずれも浄土である。男女の性器は菩提や涅槃という真の場所である」と言う。(巻九)
今日よりのちは、わが心こそ真如であると知り、悪業や煩悩も〔極楽往生にとって〕障りとならず、名声や利得も却って仏果たる菩提にとって備えとなる以上、ただただ破戒無慙であり懈怠嬾惰であるにすぎなくても、もしつねに真如を観じて忘れることがないならば、悪業や煩悩を極楽往生にとって障りと思ってはならない。
これらはいずれも『大乗起信論』の一元的世界観にもとづく修行軽視(特に戒の軽視)である。
そうだったのか
覚
始覚、本覚
天台小止観でも
既に
悟りを完成した時は
修行の始めた初発心を知るとあるので
天台小止観ですら、
その要素はある
😄
こちらの「仏教ウェブ講座」で詳しく説明されておられますので宜しかったらご覧ください。
密教とは何か 「仏教ウェブ入門講座」
https://true-buddhism.com/shuha/mikkyo/
↑そこでは次のような↓説明がなされております。
東密は、空海が805年に中国の恵果から、胎蔵界と金剛界の両部を伝授されたものです。やがて空海は密教を体系化し、即身成仏を理論的に裏付けたものが東密です。
台密は、最澄が中国で受け継いできた密教が不完全だったために、円仁が中国に渡って、恵果の弟子たちから、840年に金剛界、胎蔵界、蘇悉地の三部の伝授を受けたものです。その後も、円珍が中国で三部の伝授を受け、安然によって大成されたのが台密です。
東密と台密では色々な違いがあります。
例えばどんなところが違うかというと、東密では顕劣密勝ですが、台密では顕密一致といいます。また、東密では、大日如来と釈迦如来は別の仏であり、大日如来が最高の仏だとしますが、台密では大日如来と釈迦如来は本来は一仏とします。
また、東密では、金剛界と胎蔵界の両部ですが、台密ではその二つを総括する不二の秘教として蘇悉地があり、三部です。
このように、真言密教と天台密教では、色々なところで違いがあります。
天台密教では、大日如来や阿弥陀如来などは釈迦の化身の顕われと考えます。これは仏身仏土説(仏身仏土論)によるところです。
大乗起信論で取り上げられた「一切衆生 悉有仏性」ですが、これは『大般涅槃経』の「迦葉品」の、
如来常住 無有変易 常楽我浄 終不畢竟 入於涅槃 一切衆生 悉有仏性
という文句になります。
大乗解釈(起信論解釈)では、「如来常住にして変易有ること無し」と解釈します。
涅槃においては如来は常住であると。
ですから「永遠不滅の仏」を崇拝する思想が大乗仏教では弘まりました。
大日如来(毘盧遮那仏)や阿弥陀信仰がそれです。
しかし日蓮はそういった心の外に存在する〝仏〟を「厭離断九の仏」として退けました。
2,仏教の中にひそむ外道
https://enkyo.blog.jp/archives/18899233.html
ちなみに「一切衆生 悉有仏性」の解釈ですが、
大乗解釈=「如来は常住にして変易有ること無し」
日蓮解釈=「如来は有無に変易しながら常に法を説く」
となり、日蓮さんのそれは仏身仏土説(仏身仏土論)の智顗解釈によるところです。
仏土論
http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E4%BB%8F%E5%9C%9F%E8%AB%96
なんだか、わかってきた気がするな?😆
758 法介◆T3azX0Hk1U 2023/12/27(水) 07:38:42.37 ID:x3Lsc
でおーやJBLは、日蓮さんや智顗が本覚思想だと思い込んでおられるようですのでその事についてわたしの見解をここで述べさせて頂きます。
日蓮さんは、元は比叡山延暦寺で天台宗の教えを修学した天台僧でした。
760 法介◆T3azX0Hk1U 2023/12/27(水) 07:52:20.61 ID:x3Lsc
しかしその時代の天台宗は、伝教大師(最澄)の時代に比べより密教化が進んだ天台宗(台密)であったと思われます。
神秘の教えですな~
華厳宗の法蔵はともかく
天台智顗が本覚思想とは思わんな~
本覚思想の出どころは、天台というより華厳
ボロクソに文句を言ってた時期もある
気がつけば、影響を受けていた
本覚思想に染まっている
「俺が言ってるのは天台本覚思想なんかじゃない」
と言ってた
坐禅していて気づいた真実なんだそうな
坐禅で悟った真実だった
ビックマウスってやつだな😂
わかった、わかった(笑)
理法界と事法界が、お互いに邪魔することなくとけあっていることを
理事無礙法界といいます。
ちょうど、それぞれの波は千差万別ですが、
すべての波は、固定不変なものではなく、
等しく水でできているようなものです。
水を理法界とすれば、波が事法界です。
水と波がお互いに邪魔することなく、
融通無碍にとけあっている世界を
理事無礙法界といいます。
それぞれの事象と事象が邪魔することなく融合している世界を
事々無礙法界といいます。
一切の事象は、どの事象同士も
大宇宙の真理である因果の道理によって
お互いに関連し合っているということです。
「芥子粒の中に 大千世界を入れて 広からず 狭からず」
と言われます。
芥子粒というのは、あんぱんにのっている小さな芥子の種です。
なぜ芥子の種ができたかというと、
芥子の花が咲いたからです。
なぜ芥子の花が咲いたのかというと、
芥子の芽が出てきたからです。
なぜ芥子の芽が出てきたかというと、
その芥子の種があったからです。
2代前の芥子も、3代前の芥子もあります。
この芥子の種にも、遠い過去からの歴史があったということです。
そのどの一本がかけても、目の前の芥子粒はありません。
同時に、芥子の種があるだけでは
芽を出すことはできません。
太陽や土、空気など、
色々な条件があって生えてきたのです。
大宇宙が総動員して、この芥子の種ができたということです。
これを大宇宙が芥子の種におさまっていると言います。
このように芥子粒だけでなく、
一つの事象それぞれの中に、他の一切の事象がおさまっている
ということが事々無礙法界です。
一切の事象は同じ因果の道理によって、
お互いの相互関係によって成立していることを
「相即相入そうそくそうにゅう」といいます。
「相即」とは、すべての事象が同じ真理によって成立していること、
「相入」とは、すべての事象がお互いに関係し合って成立していることです。
これを「重々無尽」の因果とか「無尽縁起」ともいわれます。
この事々無礙法界の「相即相入」を、色々な面から
教えられているのが華厳宗です。
その中でも、天台宗と華厳宗は双璧とうたわれた
日本でも、奈良時代までは華厳宗が有力だったが
平安時代以降は天台宗がメインストリームに😫
華厳宗は、華厳経を奉じる
思想的なスタンスの違いとして、よく引き合いに出されるのは、「性具説」と「性起説」だ
華厳宗も天台宗も、中国で開かれた仏教の宗派としては最も高度な領域に到達しています。
天台宗では、一つの現象に
地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上、声聞、縁覚、菩薩、仏の
十界がおさまっていると考えていますので、これを「性具しょうぐ」といいます。
それに対して華厳宗では仏のさとりである真如法性がそのまま、あらゆる現象となって現れると考えます。
これを「性起しょうき」といいます。
天台宗の「性具」では、一つの現象に仏の世界も地獄をも含む十界がおさまっていると見るのに対して、華厳宗の「性起」では、一つの現象が真如法性の現れと見るところに違いがあります。
性起説がいまいちわからんな?(>_<)
苦手な分野だ (>_<)
たまたま、団体さんがドッと来ただけだ(笑)
日本仏教の奥義だな
例によって、いつものごとく
やたら偉そうにしてた割には
自分の言葉で語れない聖ウンコ師😂
829 法介◆T3azX0Hk1U 2023/12/27(水) 16:46:07.99 ID:x3Lsc
では鹿野園さんは、『起信論』とは何を説いたものだとお考えでしょうか?
832 栖雲居士◆dqam8SqGUPdm [sage] 2023/12/27(水) 19:22:32.14 ID:ZLttm
『大乗起信論』の序文分に書いてある通りだよ。
https://i.imgur.com/Mwg8bPK.jpg
w
そのアピールが一体何についてのアピールなのか、
は永遠の謎なのである😆
プラクリティー→世界
↓
真如法界→世界
ちょっと違うけど、👆みたいなのかな?
さすがにおかしい(笑)
>>924
プラクリティー→世界
↓
真如法界→世界←見者(離念)
漢文に離念が真如ってなんか書いてあったような?
華厳教学の中心的思想の一つ。縁起との対比によっても知られる。原因(行)から結果(覚り、智慧、法身など)の流れが縁起であるが、結果からの顕現(仏、如来蔵)の強調が性起である。
性起思想については、教学面で多様な考察が行われ、言及範囲も広い。その源泉は『六十華厳』宝王如来性起品に求められ、如来蔵思想への強い影響も知られる。
そこに説かれる性起は、「如来の家に生まれた」「如来の出生」「如来の出現」「如来の種の流れ(を断たぬ)」「如来の性(を示現する)」に意味分類できるという。
性起思想は如来出現の因果を仏身論、特に法身の顕現という面から捉えた点に大きな特徴がある。因とは法身であり、果とは如来の出現・作用(仏のはたらき)である。如来蔵思想では法身の顕現が衆生にまで及び、個々に仏性を有することが主張される。中国華厳宗法蔵の『探玄記』一六は、性起を理仏性、行仏性、果仏性を承けた理性起、行性起、果性起の三種に分類している。
動画の画面をキャプチャーして、画像から文字起こしとか
かなり器用なことをやってるんだが(笑)
本覚思想は
桜ん坊の
動画に
あったよーに
恵心僧都ノの偽作と言われる
真如観、
そこで、
一心三観から
初めて観心、という言葉が使われだす、
と動画で述べていた、
日蓮は教義のメインの
観心本尊抄
で
観心について
であり
日蓮の教義的中心である
華厳から
本覚思想ではなく、
華厳→真言密教→天台密教の本覚讃
本覚讃を
調べろ、
華厳よりも
😄
>>953
ラブ注入でおー、謝れよ!
憎しみ注入してるよ、おまえは!
本覚讃か
JBLの為に貼り付けしておきます。
日蓮宗の妙覚寺のサイト記事からです。
http://myoukakuji.com/html/telling/benkyonoto/index69.htm
また、日蓮聖人は61代座主顕真(1131~1192年)を、「一向謗法の法然が弟子」『神国王御書』(同889頁)となったとみています。顕真は承安3年(1173年)に比叡山より大原別所に隠棲し、文治2年(1186年)に勝林院に法然・重源・貞慶・明遍・証真らの碩学を集めて大原問答を行ったとされます。翌年勝林院で不断念仏をはじめ建久元年(1190年)に天台座主に就任しています。日蓮聖人は浄土信仰に傾斜した顕真を法然の弟子とみられ、この顕真が座主になったことを謗法とされたのです。
日蓮聖人の日本仏教史観の特徴は、正法である法華経の伝来と発展に注意が注がれていました。聖徳太子の仏教興隆の徳を称え、南都仏教の伝来も鑑真を法華仏教の先駆者として位置づけ、それを最澄の天台法華宗の前提とみなします。最澄は南都仏教界と対決し、比叡山を建立して法華経を宣揚してきましたが、日蓮聖人の感心は、その後の天台宗の座主が、最澄の意思通りに法華一乗を伝えているのか、という懐疑から謗法へと視野が移ります。
日蓮聖人は最澄が受け継いだ、天台大師の純粋な法華教学に、密教を混入させたことを、比叡山は濁れる山と批判しました。では、日蓮聖人はいつころ密教化したとみていたかというと、さきにのべたように、円仁・円珍の密教受容が叡山を真言宗に近づけたと指摘されたのです。
佐渡配流以前は、安然の『普通広釈』などを真言批判に引用していますが、身延期には比叡山を密教化させ、最澄に背反した円仁に源信をくわえて、正統天台の獅子身中の三虫と批判するようになります。円仁は天台宗を密教化し、安然は禅宗化し、慧心僧都源信は念仏化して最澄の法華思想から離れることになったのです。
大聖人は、天台宗が密教化したことを批判していたのか
本覚讃(ほんがくさん)は、本覚思想を要約した56文字の偈である。
妙法蓮華三昧秘密三昧耶経の冒頭の偈から抜粋し作られた。本覚思想を要約したものなので、天台宗の勤行で唱えられる。
また、修験道でも般若心経や真言、不動経など並んで修行時によく唱えられる。
真言宗醍醐派の当山方の勤行でも唱えるほか、高野山真言宗でも金剛峰寺奥の院の御廟橋を渡る際に唱える。
本覚讃の解釈本として、良源著と伝わる「本覚讃 註本覚讃」や源信著と伝わる「本覚讃釈」がある。
帰命本覚心法身(きみょうほんがくしんぽっしん)
常住妙法心蓮台(じょうじゅうみょうほうしんれんだい)
本来具足三身徳(ほんらいぐそくさんじんとく)
三十七尊住心城(さんじゅうしちそんじゅうしんじょう)
普門塵数諸三昧(ふもんじんじゅしょさんまい)
遠離因果法然具(おんりいんがほうねんぐ)
無辺徳海本円満(むへんとくかいほんえんまん)
還我頂礼心諸仏(げんがちょうらいしんしょぶつ)
これも、天台系で頻繁に使うお経です
実は真言でも使います
真言の坊さんでも知らない人が多いと思いますが、高野山の奥の院の御廟橋を渡るときに唱える偈文がこれです
本覚讃の一行目と二行目を唱えます
真面目に加行しなかった奴は、御廟橋を渡るときに偈を唱えることすら知らないかも、ですが(^^;)
滋賀の石山寺あたりで天台と真言はかなり混じり合いました
それで、細かい作法はかなり影響しあっています
まあ、本覚讃の考え方が、密教全般通じて基本的なものであるということです
本(来)覚っている心の法身に帰命したてまつる
常住妙法心蓮台
妙なる法が心の蓮台に常に住んでいる
本来具足三身徳
本来より(法身報身応身の)三身の徳が具足している
三十七尊住心城
(金剛界の)三十七尊が心の城に住んでいる
普門塵数諸三味
塵の数ほどの諸々の三昧にあまねく(開かれた)門がある
遠離因果法然具
因果を遠く離れ法然として具(足)している
無辺徳海本円満
無辺の徳の海が本より円満している
還我頂礼心諸仏
(外にするべき頂礼を)我に環して心の諸仏を頂礼する
三身(さんじん)というのが、ちょっとややこしい概念ですね
これ、いつ頃から言い始めたかよく知りませんが、お釈迦様が入滅して、それでも、その存在感が失われないという事実をどう説明するか、ということから出来てきた説でしょうかね
仏陀としての本質が法身(ほっしん)
修行の成果として仏陀となったのが報身(ほうしん)
衆生の願いに応じて現れたのが応身
で、同じ仏陀であっても、その性格を、本質・自利・利他と三種類に分けることができるという見方
なんですけど
どうも、時代や、学派によって違う解釈があったりして一定しません
軽く流しておいてください
お釈迦様の入滅後、応身として存在し続け、本質は法身として失われていない、などと理屈をつけるわけです
五仏、四波羅蜜菩薩、十六大菩薩、八供養菩薩、四摂菩薩で三十七尊になります
転識得智といって
アラヤ識(記憶を貯蔵する心の作用)が大円鏡智になり阿しゅく如来となります
マナ識(エゴや自他の区別をつける心の作用)が平等性智となり宝生如来になり
意識が妙観察智となって阿弥陀如来になり
前五識(眼耳鼻舌身)が成所作智になって不空成就如来となります
これは、大日如来の徳を東南西北の四つに展開したものです
四仏をまた東南西北の四つに展開して十六大菩薩になり
四仏から大日に奉仕するために働くのが四波羅蜜菩薩
大日が四仏に供養して四供養、四仏が大日に供養して四供養、合わせて八供養菩薩です
その全ての徳を衆生に及ぼすために働くのが四摂菩薩となります
言うなれば、仏の働きの論理的な展開図です
【唯識三年】仏教理論を学ぶスレ 5【倶舎八年】
https://talk.jp/boards/psy/1703708441
大乗起信論の講義をしている
ほーかいくんの日蓮判断は別として、
日蓮の観心という当時の天台の概念は
恵心僧都の偽書の真如観から
展開だ
つまり、日蓮の時代は
比叡山は天台本覚思想が、メインだったということ
😄
俺ゆえに
ヨ−見えてきたということやな
😄
そういう新しい発見大好きやからね〜
😄
割合読んでたからね
2.3年前かな
😄
最後のほうに鎌倉仏教と
本覚思想の関連をみてほしい〜
本覚思想の影響にありながら
本覚思想ではないと
あれは
やはり
秀逸なわかりやすい動画だ
何度もみたほーがいいな
宝庫や
😄
法然が
阿弥陀仏によらなければ
末法の世なので
地獄に落ちると
当時の社会は平家源氏の戦乱の時代なのでイスラエルガザ、ウクライナロシアをみれば兵士の気質がわかるかと
想うが、手当たり次第暴行略奪、
末法だ
法然自体が
この世は悟った世界ではない
むしろ末法だ
と
考えたのたのだから
その影響があるであろう日蓮は
なおも
😄
😄
理論から
対象の判定をなす、
演繹法する理論が異なれば
結論は異なる
😄
シンプル回答
話を広げない
😄
宗派なりの理論体系を
残していなければ
存立できないのは確か、
理論体系を絶対化神聖化しないと
信仰が潰れてしまうので
理論体系破壊という破天荒な発想路線はあるにもあるが
😄
フェルディナンドソシュールの
言語記号の恣意性が
思考回路の
大方のベースにあるので
演繹法的思考は
信用してない
根っこのスタンスはこれである
このテーゼに
選択は解答を与えられるベースにある
😄
なーんていいながら
休日は神秘主義コリコリですけどな〜
😄
思想史としては、また話が別になる
> フェルディナンドソシュールの
> 言語記号の恣意性が
> 思考回路の
> 大方のベースにあるので
ということは
井筒俊彦みたいな、言語論的な仏教観が合うのでは
恣意性=一切諸行無常
😄
形式破壊てきるのは
あの世界だけ〜
ブイブイバッバッバッダァ〜〜
😄
仕事納めだ
坊主に自慢しにいく〜
2件ほど
😄
プレミアムの無料期間を2025/3/31まで延長することになりました。
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