Naming and Necessity isa seminal 1980 book by philosopher Saul Kripke, based on 1970 lectures, that profoundly impacted the philosophy of language and metaphysics by challenging traditional theories of reference and identity, arguing for a causal theory of names and the existence of metaphysical necessities (essential properties) that are knowable a posteriori (through experience).It refutes the descriptivist view (that names refer to descriptions) and revives essentialism, asserting that proper names and natural kind terms refer to objects via a causal chain and that objects have necessary properties.
559.
◆JBLfMwCXhY
5DzXy
Key Concepts
Causal Theory of Reference:
Proper names refer to objects through a causal chain of communication, not through descriptive definitions.
Rigid Designators:
Names are "rigid designators," meaning they refer to the same object in all possible worlds, unlike descriptions.
560.
◆JBLfMwCXhY
5DzXy
Metaphysical Necessity:
Certain truths (e.g., "Water is H₂O") are necessary (true in all possible worlds) but are discovered a posteriori (through empirical investigation), challenging Kant's view that all necessary truths are a priori (known through reason alone).
Essentialism:
Objects have essential properties (metaphysically necessary properties) that are part of their identity, a concept Kripke revived against Quine's anti-essentialism.
Significance
Considered one of the most important philosophical works of the 20th century.
Redirected philosophical attention to the connections between naming, identity, and necessity.
Laid the groundwork for modern essentialist metaphysics.
561.
◆JBLfMwCXhY
5DzXy
やらまなまやりやまなゆならゆなら
562.
◆JBLfMwCXhY
UALNs
なあけあからたから
563.
◆JBLfMwCXhY
UALNs
たけたならまから
564.
◆JBLfMwCXhY
UALNs
まらまりかなら
565.
◆JBLfMwCXhY
UALNs
たけまからまかまかまら
566.
◆JBLfMwCXhY
UALNs
からまかたかたかたか
567.
◆JBLfMwCXhY
UALNs
五六七
568.
◆JBLfMwCXhY
bwh1B
数学とコンピュータに強い
569.
◆JBLfMwCXhY
bwh1B
それが自分の持ち味
570.
◆JBLfMwCXhY
8n4l9
それにしても
571.
◆JBLfMwCXhY
8n4l9
順調な人たちは、これから悠々自適の老後か
572.
◆JBLfMwCXhY
8n4l9
それこそラ旅行でもしていれば
573.
◆JBLfMwCXhY
8n4l9
自分はまだまだ、頑張らないと
574.
◆JBLfMwCXhY
8n4l9
ていうか、むしろ
これからが人生の本番という感がある
575.
◆JBLfMwCXhY
8n4l9
自分が悠々自適の老後だったとして
何がやりたいかな?
576.
◆JBLfMwCXhY
8n4l9
まずは旅行だな
国内はだいたい満足なので
577.
◆JBLfMwCXhY
8n4l9
海外を観て回りたい
とくにヨーロッパだな~
578.
◆JBLfMwCXhY
8n4l9
ヨーロッパ旅行できる人
ましてや、ヨーロッパで暮らせる人
579.
◆JBLfMwCXhY
8n4l9
いかん
落書きして埋めてるスレを
580.
◆JBLfMwCXhY
8n4l9
間違えてアゲてしまった(笑)
581.
◆JBLfMwCXhY
8n4l9
まあいいか
582.
◆JBLfMwCXhY
8n4l9
いや、まだ老後うんぬんは早いな
583.
◆JBLfMwCXhY
8n4l9
たいていの人は、まだまだ先が長いだろ
584.
◆JBLfMwCXhY
8n4l9
まだまだこれからだな
585.
◆JBLfMwCXhY
8n4l9
このスレは不要なので埋める
586.
◆JBLfMwCXhY
8n4l9
名指しと必然性
ソール・クリプキの著作
『名指しと必然性』(Naming and Necessity)は、1972年の哲学者ソール・クリプキの著作である。
記述理論(Theory of Descriptions)は、バートランド・ラッセルが1905年に発表した、実在しない対象(「現代のフランス王」など)を含む文を論理的に分析する言語哲学の手法です。文を「存在・唯一性・性質」のセットに分解し、指示対象がなくても文の有意味性や真偽(偽)を確定できることを示しました。
大きくいったね幅が〜
😄
天台宗では「一隅を照らす」って運動をしてるそうだけど、あなたの活動はちゃんと心に留めてますからね☺️
だからといって、ラピスみたいに注目を浴びたくて、スレの乱立はしないでね😔
ミイラ取りがミイラになるようじゃお笑いだから。
👽👽👽👽👽👽
【釈尊と仏教哲理 シリーズ】
◎ No.1扱い 【Talk 禅語録】 禅宗とは何か 【死んで生きるが禅の道】
https://talk.jp/boards/psy/1690846772
◎ No.2扱い 【空海から】真言密教を語る【真如苑まで】
https://talk.jp/boards/psy/1690857286
◎No.3扱い 【ゾクチェン】チベット仏教を知りたい【マハームドラー】
https://talk.jp/boards/psy/1690857082
◎No.4扱い 【不滅の法燈】 天台教学を学ぶ 【悉有仏性】
https://talk.jp/boards/psy/1690865352
◎No.5扱い 【空也から】浄土教を語る【親鸞会まで】
https://talk.jp/boards/psy/1690865792
◎No.6扱い 【エホバの証人】世界三大異端宗教【モルモン教】
https://talk.jp/boards/psy/1690866066
放置スレ認定
**********
5ちゃんねるの会話はバトル形式で馴れ合いを禁じる。ググるシッタカ知障イヌヤマは、褒めてクレヨの哀願奴隷。相手を罵倒する悪口雑言の数々は外道イヌヤマへのリアル社会の絶対評価で、荒らしイヌヤマは問いに問いで返す脊髄反射の脳足りんで悟前(ごぜん)未悟(みご)、金魚ドジョウと救い難い。
病名:発達障害ASDの症状尊大のインチキキチガイ雀鬼イヌヤマが自供ス。『正直云って仏とは何かと問われても分かりません、公案が進んで無くよくわからないのです』 知障イヌ咬み談
ウソブクのよ透ってないのに、もう40回も初関を透る俺様!と言い放つドマヌケ!40回も透ったら初関を透る、じゃねーべ!
イヌ:悟りとか分からねーし、知らねーし、悟ってねーわ? ググるイヌヤマは常にシカトされ自己存在の確認要求哀願奴隷也
悪霊イヌが鳴く:なんで 宗教板って まともなの俺だけなんだ?みんな間違ってばっか俺だけが正しい。みんな間違ってるのに何で正しい事を言ってる俺は否定ばっかりされるんだ?みんな俺のことを 凄いなと認めろよ。 俺は自分より優れた奴が ゆるせないんだよ(脅迫性人格障害の特徴)
ナント妻子と月一、金曜夜7時からのお坐り会、茶菓(ちゃか)代ワンコインで、これが研究会出席虚勢のトマヌケ犬は誰からも疎まれる
独善イヌヤマは月一第三金曜日夜7時茶菓代ワンコイン坐禅会に出ると偽証。命取りの摂心に親子で100回参加と虚飾スル
新小岩の食業ドライバーイヌヤマとは法相宗(ほっそうしゅう)>奈良 興福寺(こうふくじ)前官長じっちゃんのお抱え運転手で食業ドライバーの門外漢だから、知ったかぶる以外に承認欲求を満たす事が無い。
多数者を演じ孤立してないと強弁し自作自演のおぞましい日々の無脊椎動物イヌヤマは成り済まし多重人格者で要治療
統失、薬中、精神病院2ヶ月入院、A型作業所:イヌヤマ軍曹麦屁魔女エロ和尚アカベイ偽和尚狗の大王野良は異名同一人物がAAキャラ変の極悪人
① 荒らしイヌ麦は無視放置スルーが一番ツライ、耐えられない。シッタカイヌヤマは常に誰かの反応レスを待ち焦がれる
② 放置された固定観念イヌヤマは煽りや自作自演でアナタのレスを誘う。ワケワカメ糞邪鬼イヌヤマにノセられてレスしたらその時点でアナタも同類、負け、完敗
③ ;反撃はイヌの滋養にして栄養であり最も悦ぶ事です。門前のヤセイヌにエサを投げ与えぬ事
④ ;臭い汚いコワイ気持ち悪いイヌヤマが枯死する迄、孤独に暴れさせゴミが溜まったら削除
放置スレ認定
**********
病名:発達障害ASDの症状尊大の雀鬼イヌヤマが自供ス。『正直云って仏とは何かと問われても分かりません、公案が進んで無くよくわからないのです』 知障イヌ咬み談
ウソブクのよ透ってないのに、もう40回も初関を透る俺様!と言い放つドマヌケ!40回も透ったら初関を透る、じゃねーべ!
イヌ:悟りとか分からねーし、知らねーし、悟ってねーわ? ググるイヌヤマは常にシカトされ自己存在の確認要求哀願奴隷也
悪霊イヌが鳴く:なんで 宗教板って まともなの俺だけなんだ?みんな間違ってばっか俺だけが正しい。みんな間違ってるのに何で正しい事を言ってる俺は否定ばっかりされるんだ?みんな俺の事を 凄いなと認めろよ。 俺は自分より優れた奴が ゆるせないんだよ(脅迫性人格障害の特徴)
ナント妻子と月一、金曜夜7時からのお坐り会、茶菓(ちゃか)代ワンコインで、これが研究会出席虚勢のトマヌケ犬は誰からも疎まれる
独善イヌヤマは月一第三金曜日夜7時茶菓代ワンコイン坐禅会に出ると偽証。命取りの摂心に親子で100回参加と虚飾スル
新小岩の食業ドライバーイヌヤマとは法相宗(ほっそうしゅう)奈良興福寺(こうふくじ)前官長じっちゃんのお抱え運転手で食業ドライバーで、知ったかぶる以外に承認欲求が満足しない。
多数者を演じ孤立セズと強弁し自作自演のおぞましい日々の無脊椎動物イヌヤマは成り済まし多重人格者で要治療
インチキキチガイ雀鬼イヌヤマ麦、アルコホル発酵しイヌ麦焼酎なのに喜ばせ共有機能が絶えて無し。吠え吠み、オノレの尻尾をクルクル追うノミシラミ
5ちゃんねるの会話はバトル形式で馴れ合いを禁じる。イヌヤマは、褒めてクレヨの哀願奴隷。相手を罵倒する悪口雑言の数々は外道イヌヤマへのリアル社会の絶対評価で、問いに問いで返す脊髄反射の脳足りんで悟前(ごぜん)未悟(みご)、金魚ドジョウと救い難い。
① ググるシッタカ知障荒らしイヌヤマは無視放置スルーが一番ツライ、耐えられない。シッタカイヌヤマは常に誰かの反応レスを待ち焦がれ
② 放置された固定観念イヌヤマは煽りや自作自演でアナタのレスを誘う。ワケワカメ糞邪鬼イヌヤマにノセられてレスしたらその時点でアナタも同類、負け、完敗
③ ;反撃はイヌの滋養にして栄養であり最も悦ぶ事です。門前のヤセイヌにエサを投げ与えぬ事
④ ;臭い汚いコワイ気持ち悪いイヌヤマが枯死する迄、孤独に暴れさせゴミが溜まれば削除
ウソブクのよ透ってないのに、もう40回も初関を透る俺様!と言い放つドマヌケ!40回も透ったら初関を透る、じゃねーべ!!
なんで、みんなワイを無視すんねん!?大欲(たいよく)は無欲に似て足るを知る。煩悩即菩提の法相宗でええやろ・・・ほならなんでワイはこんなところにいるんねやろ
イヌ:悟りとか分からねーし、知らねーし、悟ってねーわ? ググるイヌヤマは常にシカトされ自己存在の確認要求哀願奴隷也
悪霊イヌが鳴く:なんで 宗教板って まともなの俺だけなんだ?みんな間違ってばっか俺だけが正しい。みんな間違ってるのに何で正しい事を言ってる俺は否定ばっかりされるんだ?みんな俺の事を 凄いなと認めろよ。 俺は自分より優れた奴が ゆるせないんだよ(脅迫性人格障害の特徴)
ナント妻子と月一、金曜夜7時からのお坐り会、茶菓(ちゃか)代ワンコインで、これが研究会出席虚勢のトマヌケ犬は誰からも疎まれる
独善イヌヤマは月一第三金曜日夜7時茶菓代ワンコイン坐禅会に出ると偽証。命取りの摂心に親子で100回参加と虚飾スル
新小岩の食業ドライバーイヌヤマとは法相宗(ほっそうしゅう)奈良興福寺(こうふくじ)前官長じっちゃんのお抱え運転手で食業ドライバーで、知ったかぶる以外に承認欲求が満足しない。
多数者を演じ孤立セズと強弁し自作自演のおぞましい日々の無脊椎動物イヌヤマは成り済まし多重人格者で要治療
インチキキチガイ雀鬼イヌヤマ麦、アルコホル発酵しイヌ麦焼酎なのに喜ばせ共有機能が絶えて無し。吠え吠み、オノレの尻尾をクルクル追うノミシラミ
5ちゃんねるの会話はバトル形式で馴れ合いを禁じる。イヌヤマは、褒めてクレヨの哀願奴隷。相手を罵倒する悪口雑言の数々は外道イヌヤマへのリアル社会の絶対評価で、問いに問いで返す脊髄反射の脳足りんで悟前(ごぜん)未悟(みご)、金魚ドジョウと救い難い。
① ググるシッタカ知障荒らしイヌヤマは無視放置スルーが一番ツライ、耐えられない。シッタカイヌヤマは常に誰かの反応レスを待ち焦がれ
② 放置された固定観念イヌヤマは煽りや自作自演でアナタのレスを誘う。ワケワカメ糞邪鬼イヌヤマにノセられてレスしたらその時点でアナタも同類、負け。完敗
③ ;反撃はイヌの滋養にして栄養であり最も悦ぶ事です。門前のヤセイヌにエサを投げ与えぬ事
④ ;臭い汚いコワイ気持ち悪いイヌヤマが枯死する迄、孤独に暴れさせゴミが溜まれば削除
白隠慧鶴禅師(はくいん えかく ぜんじ) 隻手の音声(せきしゅのおんじょう)
両掌(りょうしょう)打って音声あり、隻手になんの声やある。隻手の声を拈提(ねんてい)せよ。
> 無我がわかったら坐禅しなくても良いとは思うんだけどどうなんだろうな。 』
修行者、求道者、修行僧は、やはり さとりを求めて行きます。さとれば、さとりが無く、無我とは、真理(さとり)です、が 理解できるものでありませんく、まさに 体得します。
その状態を 石、とも 言います。突然 ストーン と、自他が無くなります。
これを 一と一は、二では無い。一の如し、一如である、言い表します。この一如に取り組む公案が有ります。
両手で打てば音が鳴る。では、片手の人が叩く拍手の音を聞いてこい、と言うもので、これに取り組みました。
ぜひ、とも取り組んでいただきたいものです。
音を聞くのだが、片手では拍手ができないから、音が鳴らないので聞こえない。
その聞こえない音を聞け、と 公案は いう。
聞こえない音が聞こえる。 そこが 色即是空。 初関(しょかん)を透(とお)る。
色とは片手の人が叩く拍手です。片手の人が叩く音を聞いた、そこが、色即是空です。真理(さとり) です。
>> 理屈っぽいけど、自他一如なら、あなたが叩こうがわたしが叩こうが同じ、わたしが叩きます、パンパンで終了。あとは自他一如、自分から心で隻手の人と一つになる。すると、相手の手を叩く音がきこえる。自他一如や自己の愛情、慈悲心を育てる公案だったとか 』
ありがとうございます。
これは理解したり、解釈を咥えたりするものでじゃないので、お怒りを受けるともいますが、字句の解釈に拘泥するものではありません。
先にも言いましたが、自他一如を体得する事です。
あなたと私で、ぱんぱん。
トンチ、になりましたね。
片手の人が、です。
置き換えて、これでどうだ、と言うわけにはまいりません。
聞こえるはずのない、片手の人が叩く拍手の音を聞く、のです。
ウソブクのよ透ってないのに、もう40回も初関を透る俺様!と言い放つドマヌケ!40回も透ったら初関を透る、じゃねーべ!!
なんで、みんなワイを無視すんねん!?大欲(たいよく)は無欲に似て足るを知る。煩悩即菩提の法相宗でええやろ・・・ほならなんでワイはこんなところにいるんねやろ
イヌ:悟りとか分からねーし、知らねーし、悟ってねーわ? ググるイヌヤマは常にシカトされ自己存在の確認要求哀願奴隷也
悪霊イヌが鳴く:なんで 宗教板って まともなの俺だけなんだ?みんな間違ってばっか俺だけが正しい。みんな間違ってるのに何で正しい事を言ってる俺は否定ばっかりされるんだ?みんな俺の事を 凄いなと認めろよ。 俺は自分より優れた奴が ゆるせないんだよ(脅迫性人格障害の特徴)
ナント妻子と月一、金曜夜7時からのお坐り会、茶菓(ちゃか)代ワンコインで、これが研究会出席虚勢のトマヌケ犬は誰からも疎まれる
独善イヌヤマは月一第三金曜日夜7時茶菓代ワンコイン坐禅会に出ると偽証。命取りの摂心に親子で100回参加と虚飾スル
新小岩の食業ドライバーイヌヤマとは法相宗(ほっそうしゅう)奈良興福寺(こうふくじ)前官長じっちゃんのお抱え運転手で食業ドライバーで、知ったかぶる以外に承認欲求が満足しない。
多数者を演じ孤立セズと強弁し自作自演のおぞましい日々の無脊椎動物イヌヤマは成り済まし多重人格者で要治療
インチキキチガイ雀鬼イヌヤマ麦、アルコホル発酵しイヌ麦焼酎なのに喜ばせ共有機能が絶えて無し。吠え吠み、オノレの尻尾をクルクル追うノミシラミ
5ちゃんねるの会話はバトル形式で馴れ合いを禁じる。イヌヤマは、褒めてクレヨの哀願奴隷。相手を罵倒する悪口雑言の数々は外道イヌヤマへのリアル社会の絶対評価で、問いに問いで返す脊髄反射の脳足りんで悟前(ごぜん)未悟(みご)、金魚ドジョウと救い難い。
① ググるシッタカ知障荒らしイヌヤマは無視放置スルーが一番ツライ、耐えられない。シッタカイヌヤマは常に誰かの反応レスを待ち焦がれ
② 放置された固定観念イヌヤマは煽りや自作自演でアナタのレスを誘う。ワケワカメ糞邪鬼イヌヤマにノセられてレスしたらその時点でアナタも同類、負け。完敗
③ ;反撃はイヌの滋養にして栄養であり最も悦ぶ事です。門前のヤセイヌにエサを投げ与えぬ事
④ ;臭い汚いコワイ気持ち悪いイヌヤマが枯死する迄、孤独に暴れさせゴミが溜まれば削除
修行者、求道者、修行僧は、やはり さとりを求めて行きます。さとれば、さとりが無く、無我とは、真理(さとり)です、が 理解できるものでありませんく、まさに 体得します。
その状態を 石、とも 言います。突然 ストーン と、自他が無くなります。
これを 一と一は、二では無い。一の如し、一如である、言い表します。この一如に取り組む公案が有ります。
両手で打てば音が鳴る。では、片手の人が叩く拍手の音を聞いてこい、と言うもので、これに取り組みました。
ぜひ、とも取り組んでいただきたいものです。
音を聞くのだが、片手では拍手ができないから、音が鳴らないので聞こえない。
その聞こえない音を聞け、と 公案は いう。
聞こえない音が聞こえる。 そこが 色即是空。 初関(しょかん)を透(とお)る。
色とは片手の人が叩く拍手です。片手の人が叩く音を聞いた、そこが、色即是空です。真理(さとり) です。
趙州従しん(ぢょうしゅう・じゅうしん)の無字の公案では長年かかってもなお悟れず死んでいく者も多かった事から、修行僧に対して白隠禅師が新たに隻手の音声(せきしゅ の おんじょう)の公案を与え、沢山の修行者に悟らせようと苦心した公案です。
白隠慧鶴禅師(はくいん えかく ぜんじ) 隻手の音声(せきしゅのおんじょう)
両掌(りょうしょう)打って音声あり、隻手になんの声やある。隻手の声を拈提(ねんてい)せよ。
>> 理屈っぽいけど、自他一如なら、あなたが叩こうがわたしが叩こうが同じ、わたしが叩きます、パンパンで終了。あとは自他一如、自分から心で隻手の人と一つになる。すると、相手の手を叩く音がきこえる。自他一如や自己の愛情、慈悲心を育てる公案だったとか 』
ありがとうございます。
これは理解したり、解釈を咥えたりするものでじゃないので、お怒りを受けるともいますが、字句の解釈に拘泥するものではありません。
先にも言いましたが、自他一如を体得する事です。
あなたと私で、ぱんぱん。
トンチ、になりましたね。
片手の人が、です。
置き換えて、これでどうだ、と言うわけにはまいりません。
聞こえるはずのない、片手の人が叩く拍手の音を聞く、のです。
禅とは ジャーナを音写して禅那と中国人が漢字であらわしたものであり、ジャーナとは、静かにする、静かに坐る、と言う意味であり瞑想する事。自己都合による拡大解釈しては、原意が蒸発する。
浄土宗、浄土真宗は、波阿弥陀仏、と阿弥陀佛(無量寿Buddha、無量光佛陀)陀に帰依する。
法華宗は南無 妙法 蓮華経、と正しい教え、白い蓮の花の教え、教典、お経の本に帰依する。
騒動衆はお坐り、お手を教え込む。
南無阿弥陀仏と言うのか、南無妙法蓮華経と言うのか、何とも云わず、坐っているのか、この三つは 易行(いぎょう)である。難しい事を求めず、これをやればいいんだよ、と安心させる。
飢饉、餓死、疫病まん延、死地へ追い込まれた人にとっては、ひとすじの光明である。
> 心身一如にならないと、坐禅が坐禅にならないんです。 』
脳内の神経細胞の結束が、心と呼ばれる。
0,5ミリの線虫にも味の好みがある、と言う。脳が無いのが線虫である。
神経の経験が好みを選ぶのである。 だから、心身ではなく、身心と言いう。
>> 私をバカにしたければすればよろしい。その代わり、地獄行きである。 』
地獄極楽。 極楽地獄。 一対のものだよね。 なので、地獄は極楽が無いと成立しない。
では極楽は、地獄がなければ、存在しえないのだろうか。そんな事は無く、極楽は、極楽そのもので、完結している。地獄は無用なのである。
地獄の住人は、どうやって救われてて行くのだろうか。地獄が極楽だったんだ、と自覚する、みずから めざめる、こう知れば、そのところが極楽とも言わず、地獄とも言わず、公平無比の横一列の地平線、水平線であり、日が昇り日が沈み、月が昇り、月が沈む、自他が無い。 これが 大切だよね。
> 南無阿弥陀仏 』
南無阿弥陀佛陀
帰依します
アンミータ
のっと、めーたー
量る事が出来ない
アミターユ
無量光
アミターバ
無量寿
佛
Buddha
佛陀
目覚めた者
本願を立て 救い取るぞと決意されている無量寿Buddha、無量光Buddha、に対し帰依します。
教師の握り拳(きょうし の にぎりこぶし)
肝心かなめの大事なこと、大切なこと、は、固く握りしめた手のひらの中に握りしめて決して他sに公開する事が無い。とは、よく言われることである。
真理(さとり)は言語によっては、容易に伝わらない。
生まれて以来の知識の蓄積が、それぞれがいろめがねを作り上げてしまっているから、本来の有りようが知識と言うスクリーン越しにしか見えない、からだ。
差別しない、分別しない、これとそれを分けない、である。
生者必滅(しょうじゃひつめつ)会者定離(えしゃじょうり) あえば、かならずのわかれである。
尊公、近頃、如何。(そんこう ちかごろ いかん)
こんにちは、さようなら。
禅は生死(しょうじ)を問う。
問う答えるて問答(もんどう)し師弟は対話し真理(さとり)を伝えてきた
佛とは、真理、ダルマ、法、であって人格的存在ではない。
公案は佛 真理(さとり) を 問う、
「両手で打てば音が鳴る、片手の人が叩く拍手の音を聞いてこい 」
諸行無常、諸法無我、一切皆空、涅槃寂静である。
禅とは、静かにする。
梵: dhy?na, ディヤーナ、巴: jh?na, ジャーナ、禅那:ぜんな)。 禅定(ぜんじょう、静慮(じょうりょ)
こころコロコロ、常が無い。無常である。
さとりとは、真理、法、ダルマである。
達磨さんはインドから中国にやって来たのか、来なかったのか。
ビッグバーン以来の一期一会である。
すずめはチュンチュンこんにちは、である。
道端のタンポポのさよなら、である。
出会えば別れるのである。
問う。「この座敷から坐のままで庭の30メートル先の築山(つきやま)に立つ石灯籠のロウソクの炎(ほのお)を吹き消せ」
中道是空(ちゅうどうぜくう。 ちゅうどうは これ くうなり)
空是中道(くうぜちゅうどう。 くうとは、これ ちゅうどうなり)
空とは、分別(ふんべつ)しないである。
空とは、一如(いちにょ) 一の如し(いちのごとし)である。
色即是空(しきそくぜくう)は空即是色(くうそくぜしき)へと還(かえ)る。である。
😱
https://news.yahoo.co.jp/articles/205ad88fae55f52f14afae0f8cf00f36a4abedc6
必ず最後にアベは勝つ (>_<)
悪魔大日如来は害悪
害悪大日如来は魔物
魔物大日如来は地獄
地獄大日如来は呪い
呪大日如来呪
糞真言宗糞真言密教カルトは滅亡破滅破綻
薬を飲まず、自己免疫力を総動員して 病に対処するなら、呑まず食わずで、動かず、水分補給だけをし横になり寝ている事だね。命がけで病気が勝つか免疫が勝つか、ジッと横になって、任せっぱなしにする事だね。
熱砂(ねっさ)の砂漠を渡って行く人に命をつなぐ水が湧き出るオアシスがあり、安心立命(あんじんりつめい)と知る
真理(さとり)は言語によっては、容易に伝わらない。
生まれて以来の知識の蓄積が、それぞれがいろめがねを作り上げてしまっているから、本来の有りようが知識と言うスクリーン越しにしか見えない、からだ。
差別しない、分別しない、これとそれを分けない、である。
生者必滅(しょうじゃひつめつ)会者定離(えしゃじょうり) あえば、かならずのわかれである。
尊公、近頃、如何。(そんこう ちかごろ いかん)
こんにちは、さようなら。
禅は生死(しょうじ)を問う。
問う答えるて問答(もんどう)し師弟は対話し真理(さとり)を伝えてきた
佛とは、真理、ダルマ、法、であって人格的存在ではない。
原初、禅とは、静かにするの意である。
梵: dhy?na, ディヤーナ、巴: jh?na, ジャーナ、禅那:ぜんな)。 禅定(ぜんじょう、静慮(じょうりょ)
さとりとは、真理、法、ダルマである。
達磨さんはインドから中国にやって来たのか、来なかったのか。
ビッグバーン以来の一期一会である。
すずめはチュンチュンこんにちは、である。
道端のタンポポのさよなら、である。
出会えば別れるのである。
中道是空(ちゅうどうぜくう。 ちゅうどうは これ くうなり)
空是中道(くうぜちゅうどう。 くうとは、これ ちゅうどうなり)
空とは、分別(ふんべつ)しない、分けない、である。 一如(いちにょ) 一の如し(いちのごとし)である。色即是空(しきそくぜくう)は空即是色(くうそくぜしき)へと還(かえ)る。である。
白隠慧鶴禅師(はくいん えかく ぜんじ)
隻手の音声(せきしゅのおんじょう)
両掌(りょうしょう)打って音声あり、隻手になんの声やある。 隻手の声を拈提(ねんてい)せよ。
片手の人が叩く拍手の音を聞いてこい。
と言うだけのもので、無gふぁ と言う言葉を出すだけで なにもかもを切り捨てる事は出来ない。
問いには立ち止まって、検討して行かないと此れにはこれと言う安易な振り分けになる。
理解(りげ)と言えば むしろ お上品になってしまうけれど、寒風不キス武功や、だね。
宗教のインドにおける語源は、如何に生きるか、と言うもので、あたまの中の変換ではない。
神の存在証明を2000年間立ってもまだやってるキリスト教神学の蜃気楼だね。
唯心論、唯物論は、一方の真理を言う、
唯、を取り払う。
心と物が矛盾なく存在しているのが、わたし達の日常なのではないだろ言うか。
尊公、近頃、如何。(そんこう ちかごろ いかん)。 こんにちは、さようなら。禅は生死(しょうじ)を問う。
問う答えるて問答(もんどう)し師弟は対話し真理(さとり)を伝えてきた
原初、禅とは、静かにするの意である。
梵: dhy?na, ディヤーナ、巴: jh?na, ジャーナ、禅那:ぜんな)。 禅定(ぜんじょう、静慮(じょうりょ)
さとりとは、真理、法、ダルマである。達磨さんはインドから中国にやって来たのか、来なかったのか。ビッグバーン以来の一期一会である。 すずめはチュンチュンこんにちは、である。道端のタンポポのさよなら、である。出会えば別れるのである。
空とは、分別(ふんべつ)しない、分けない、である。 一如(いちにょ) 一の如し(いちのごとし)である。
色即是空(しきそくぜくう)は空即是色(くうそくぜしき)へと還(かえ)る。
白隠慧鶴禅師(はくいん えかく ぜんじ) 隻手の音声(せきしゅのおんじょう)
両掌(りょうしょう)打って音声あり、隻手になんの声やある。 隻手の声を拈提(ねんてい)せよ。
片手の人が叩く拍手の音を聞いてこい。
問う。
『 この座敷から坐のままで庭の30メートル先の築山(つきやま)に立つ石灯籠のロウソクの炎(ほのお)を吹き消せ』
真理(さとり)は言語によっては、容易に伝わらない。
生まれて以来の知識の蓄積が本来の有りようが知識と言うスクリーン越しにしか見えない、からだ。
差別しない、分別しない、これとそれを分けない、である
真理(さとり) を 無我 と言う事が出来る、無我は真理(さとり)であってジョーカーではなく、オールマイティーでもない。
と言うだけのもので、無gふぁ と言う言葉を出すだけで なにもかもを切り捨ては出来ない。
問答(もんどう)は子弟が問い答えてきた禅宗弾圧の一時期からの創意工夫の伝統がある
理解(りげ)と言えば むしろ お上品になってしまうけれど、寒風不キス武功や、だね。
宗教のインドにおける語源は、如何に生きるか、と言うもので、あたまの中の変換ではない。
神の存在証明を2000年間立ってもまだやってるキリスト教神学の蜃気楼だね。
唯心論、唯物論は、一方の真理を言う、唯、を取り払う。
心と物が矛盾なく存在しているのが、わたし達の日常なのではないだろうか。
尊公、近頃、如何。(そんこう ちかごろ いかん)。 こんにちは、さようなら。禅は生死(しょうじ)を問う。
問う答えるて問答(もんどう)し師弟は対話し真理(さとり)を伝えてきた
原初、禅とは、静かにするの意である。
梵: dhy?na, ディヤーナ、巴: jh?na, ジャーナ、禅那:ぜんな)。 禅定(ぜんじょう、静慮(じょうりょ)
さとりとは、真理、法、ダルマである。達磨さんはインドから中国にやって来たのか、来なかったのか。ビッグバーン以来の一期一会(いちごいちえ)である。 すずめはチュンチュンこんにちは、である。道端のタンポポのさよなら、である。出会えば別れるのである。
空とは、分別(ふんべつ)しない、分けない、である。 一如(いちにょ) 一の如し(いちのごとし)である。
色即是空(しきそくぜくう)は空即是色(くうそくぜしき)へと還(かえ)る。
白隠慧鶴禅師(はくいん えかく ぜんじ) 隻手の音声(せきしゅのおんじょう)
両掌(りょうしょう)打って音声あり、隻手になんの声やある。 隻手の声を拈提(ねんてい)せよ。
片手の人が叩く拍手の音を聞いてこい。
真理(さとり)は言語によって伝わらない。生まれて以来の知識の蓄積が眼をくらます。差別しない、分別しない、これとそれを分けない、である。
問う。
『 この座敷から坐のままで庭の30メートル先の築山(つきやま)に立つ石灯籠のロウソクの炎(ほのお)を吹き消せ』
薪ストーブの熱も植物は太陽光の熱を変換しての熱量で、つまりは、薪ストーブは太陽の燃焼だし、ついでに言うと我々も太陽光の熱量の代謝を食事と言う形でとりこんでいるわけで、言い放てば、わたし達、生きとし生けるものは、太陽の分身で、皆、ブラザー、同志、兄弟姉妹 なんです。
問う。「この座敷から坐のままで庭の30メートル先の築山(つきやま)に立つ石灯籠のロウソクの炎(ほのお)を吹き消せ」
仏祖が 直(じか)に 手渡す 真理(さとり) は縁起(えんぎ)の法、真理、さとり、です。それは色即是空は、空即是色へと還(かえ)る。これが有れば、それが有り、それが無ければ、これが無い。
名付けられた名詞から名詞を剥ぎ取ったもの、それをなんと呼ぶか。
色 が 空 です。ここが初関(しょかん)を透(とお)るです。関をを 透れば、すぐさまに 空 が 色 です。
さとりを 法、達摩、真理 と言います。色即是空は 空即是色へと 還(かえ)る。
チャイナの天才学僧たちは分業しスピードを上げ、しかも一字一句を数人が推敲に推敲を重ね競技し決定し、、完全にチャイナの言葉に翻訳し、完全にシナ誤に翻訳したので、インドから持ち帰った原本を焼却処分した、程である。
なので、達磨とは 真理(さとり) を人格化したのであって、具体的な人物ではない。つまりは 二祖(にそ) 慧可(えか、593年) こそが、中國禅宗の初祖なのである。彼はひと晩雪中で瞑想し、,左の肘から下を斬り落とし、右手で握り差し上げた時、痛みを感じる事が無い右手が激しく痛んだ時、突然の雷光と雷鳴と同時におこり、忽然としてさとった。
せきしゅのおんじょう 隻手の音声 両手で打てば音が鳴る。 では、片手の人が叩く拍手の音を聞いてこい。
問答(もんどう)は子弟が問い答えてきた禅宗弾圧の一時期からの創意工夫の伝統がある 宗教のインドにおける語源は、如何に生きるか、と言うものであり、心と物が矛盾なく存在しているのが、わたし達の日常なのではないだろうか。
岩場で云わば、深刻な ご病気で 孤立無援状況だから多数者を偽装する工作としてキャラ変し、鬼和尚、偽鬼和尚、雀鬼ジャンキー犬山、麦、幸、偽軍曹、ニセ和尚、エロ和尚と かくれみの、すなわち、その実体は異名同一人物( いみょう どういつ じんぶつ ) です。
服用薬(前期、後期、)
〇 ググる エピリファイ とは!?
https://www.kegg.jp/medicus-bin/japic_med?japic_code=00060340
〇 ググる リスペリドン
https://www.kegg.jp/medicus-bin/japic_med?japic_code=00058901
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~●_●~
~●●~
~○-○~ ちちの ろうがんきょう
~○_○~
~○○~
~◎-◎~ ちちの 強度近眼鏡
~◎_◎~
~◎◎~
(
~▲-▲~ 父あての手紙
~▲_▲~
~▲▲~
~△-△~ ちちもよいしょよいしょしよーと、目の上へと持ち挙げる~♪
~△_△~
~△△~
( 注意喚起、棺桶に片足突っ込んだら ) 勃起不全にともなう射精不可は、加齢現象の一つであり、55歳を過ぎたあたりから、死亡者数が増加するにつれ、精子不要論が勃興し、大奥女中と同じく おしとね下がり、となる。
スレ主逃走の為、このスレは終了。
*****************
真言宗は、平安時代初期に弘法大師(空海)によって開かれた仏教の宗派です。大日如来を本尊としており、密教の教えに基づいています。
「即身成仏」の教えを基本としており、仏と同じように行動し、心を清く保つことで誰でも仏になれると考えられています
密教の修行が大切で、「身口意(しんくい)の三密修行」が行われます
経典として『大日経』『金剛頂経』が用いられます
法要では「般若理趣経」「般若心経」「観音経」などの経典が唱えられます
「光明真言」などの真言や陀羅尼(だらに)が唱えられます
経文に節をつけて唱える「声明(しょうみょう)」が広く知られています
古義真言宗
新義真言宗
真言律宗
真言宗善通寺派
真言宗醍醐派
真言宗御室派
真言宗大覚寺派
真言宗泉涌寺派
真言宗山階派
真言宗中山寺派
おらっちは Buddha だっぺよー
びょうじょうしん これ どう
平常心 是 道
ビョウジョウシン コレ ドウ
制圧できてないのは
真言宗中山寺派、行く機会がない、
真言宗御室派、本山が強敵、三度行ったがマスターできず
😫
じつは真如苑の信者だったと判明
ヤバいなー
なかなかの入信履歴のカースト制度があるらしいからなー
😫
金光教研究する
😀
スピリチュアル業界に及ぼした影響は、金光教のほうが遥かに大きい
本山博の母
金光教はこの2人の大シャーマンを輩出し、あらゆる新興宗教のネタ元となった
ま、新興宗教は
戦前に流行した宗教のみの探求にする
ま、戦前はショー要素よりも
病と死の医療弱い時代なので
戦後の茂吉みたいなふざけたのは
少いだろうからなー
😀
ワイルドなんやー
ま、社行くよりも教義研究するわー😀
醍醐寺やら金比羅山も関係ありそーな気がする
霊的に
😀
ま、高野山の山伏は直接は無関係だな
霊的には
😀
佛であればこうであろうと為すべきことをしてjけばいいんだよ、と寄り添うっていてくれるのか。
良い事をし、悪い事をしない。これがなんなく日常生活の場で実践できるといいな、夢想するぐらいだ。
仏道は顛倒(てんどう)していると世のありようを喝破する。
手の甲と手のひらと、同じ手ではあるが、表裏がある。表裏で、一いち、手は一つなのであって、表裏は一の如しではない、一いちなのだ。
二項対立は無く、二は一の如し、とは、説明であって、一の如しは、一いち なのだ。だが 一は絶対であり、唯一であり、言いきりである。固定した過去のみが存在していることを言う。それは変化していく事が無い。
ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず、諸行無常である。諸行無常とは、二は一の如しである。一如は佛である。如来は佛を言う。佛は、如である。
例えば、ステージ4のドクタにお任せって患者であっても、治療の最終決断はすするんだ。
医療は、患者の為に在るのであって、患者の意向に寄り添うものなのだ。多臓器に転移しているからと言って、幾種類ものがんに対応できないのが実際で、ある部位のためのくすりを飲むと極端に消耗する時、拒否を申し出る。
釈迦族の聖者、ガウタマシッダールタさんが言った、天上天下唯我独尊。てんじょうてんげ ゆいがどくそん
汝こそ汝の主人公。 他の誰が汝の主人公でありうるか。
わたしが大事である。わたしが産まれ、わたしが死ぬからなのだ。お金がなくてくやしさに泣きはらした眼にも生と死は わたしのもちものなのである。
父親がある日の事10歳前後になった息子を連れて森の中に分け入った。道の左右の草や木を手にとって、息子に手渡し食べてみろ、と言う。これは食べられる、これは食べられない、と教える。
息子はさらに森を分け入って、親とは別れて自分の小屋を建て移り住み自立し、一家を為す。
毒か、毒でないか、を識別できる。これが自立である。そのどこに、しつけが必要なのだろう、不必要である。
大正時代、10歳で尋常小学校を卒業したら、大店おおだな へと丁稚奉公へ入っていき、番頭になり、のれん分けで店主になる。代々、そうやって、いま生きていることが明日のわたしを生かそうとしている。
だがわたくしは』出家修行僧ではない。
なのに
隻手に取り組んで、聞いて、聞こえないになった。
それから時間が経過した。
色即是空が空即是色へと還(かえ)る である。
不立文字、以心伝心で一人から一人へと手渡されて真理(さとり)である。
だが出家修行僧ではないわたくしには師弟関係が無い。
独覚どっかく、無師独悟むしどくごである。
思い起こせば マブダチ ガウタマ シッダールタがそうであった。
80歳までインドの灼熱の大地をはだしで歩き、大腸がんで死んだ。
わたくしもすでに想起のガンを切除した。なので、なんらかのガン死は織り込み済みである。
旧盆でもあるし、こころがまえを記しておく。
0~4 乳児期 2歳までは授乳 天使か妖精の無分別期 胎内での様子を語る
5~9 幼児期 ここまで生きられたら健康の天才児。男女7歳にして席を同じゅうせず
10~14 10歳尋常小学卒業まで生き延びたら丁稚奉公で親元出立 女児初潮生涯卵子数400個保持 10歳幼学
15~19 結婚適齢期前期 精子のピーク17 最大バスト19才 縄文時代の平均寿命は15歳最長30 15歳志学しがく
20~24 結婚適齢期後期 みずみずしく張るプルプル肌 感触最良バスト 20老眼スタート20歳弱冠
25~29 脱水で細る顔ボソッ 25男の体力のピーク
30~34 人生振り返り期、尋牛見跡(じんぎゅうけんせき)悪魔の囁く声を聞き新興宗教開祖乱立
35~39 人生此処までと実感、中年太りと滴る愛液枯渇と名器終了、膣粘膜薄→性交痛
40~44 40不惑、初老 夜間頻尿 毛細血管ゴースト化 精子数減少 43老眼乱視、子宮硬化不妊
45~49 昇格、更年期前期、妊娠恐怖解放 禿頭始
50~54 肩たたき転職勧告、♀やる気男性ホルモン増、更年期後期 50天命 知命 アル中肝静脈瘤破裂前期
55~59 息子に嫁が来る頃には無勃起閉経 アル中肝静脈瘤破裂後期
60~64 天下り先退職金積み増し 60還暦 耳順じじゅん
65~69 65歳は高齢者 年金受給 65夜間頻尿、脳委縮開始年間1ミリ立方ずつ減少する
70~74 72男健康年齢 前立腺がん乳がん
75~79 75高齢者講習、健康保険1割負担 ひ孫と面談ランドセル予約 75女健康年齢 75後期高齢者
80~84 80釈迦没 長寿の達人 男平均寿命8
85~89 存在確認の同窓会が無い 女1最多平均寿命87 ,男最多死亡年齢88
90~94 歯科医の総仕上げ総入れ歯女死亡年齢94 90卒寿そつじゅ
95~99 歯茎で噛み切れる刺身が旨い 99白寿はくじゅ
100~104 自治体表彰 100百壽ももじゅ
105~109 アルコホルは毒なのに酒がうまい 108茶壽ちゃじゅ
110~114 飲む点滴ポカリスエットがうまい 111歳皇壽こうじゅ
115~119 もっと尿瓶しびんをクレヨンクレパス 119頑寿がんじゅ
120~124 120趙州 ( じょうしゅう ) 禅師没 120昔寿せきじゅ 121歳大還暦
みんな言語でできている
物事を見ることはできない
相依相待性(そういそうたいせい):原因や条件がなければ結果は存在しない。すべての事象は「相互に」依存しており、独立して存在する実体はない。
「空」としての因果:結果として定義されるものが最初から存在するなら原因は不要。存在しないなら原因は成り立たない。つまり、因果そのものが実体的な自性(不変の特性)を持たない「空」である。
不一不異・不断不常:因果は一方向の矢印というより、双方向に関わり合う動的な現象(縁起)である。
この「空」の思想について、具体的に「中論」のどの部分が知りたいですか?また、具体的な因果の例(父と子、作と作者)について、さらに詳しく解説することもできます。
この空の思想は、真理を
概念を離れた真実の世界(第一義諦、paramārtha satya)と、
言語や概念によって認識された仮定の世界(世俗諦、saṃvṛti-satya)
という二つの真理に分ける。言葉では表現できないこの世のありのままの姿は、第一義諦であり、概念でとらえられた世界や、言葉で表現された釈迦の教えなどは、世俗諦であるとするため、この説は二諦説と呼ばれる。
「こんな共同幻想にすぎない、この世から解脱しよう」
となるのに対し
「だから、資本主義は狂ってるのだ」
という話になる
https://i.imgur.com/uQygeSG.png
記号消費(ジャン・ボードリヤール): 現代資本主義では、消費者は物の物理的機能ではなく、その商品が表す意味、イメージ、ステータス(=記号)を購入します。高級ブランドや広告は、この記号の価値を極大化する装置です。
「価値の転倒」: 労働によって生み出される実際の使用価値よりも、ブランド名やイメージ(記号)が商品価格の大部分を占める現象。
批判的記号論: 記号、イメージ、欲望のコントロールを通じて、資本主義が人々を消費のループに閉じ込めている状況を批判する視点。
イメージの生産: 広告、SNS、メディアが、無限に新しい「記号」を創り出し、消費を促進する。
限界なき消費: 記号はいくらでも新しいものに置き換えられるため、物質的な充足とは無関係に消費が永続する。
このトピックでは、記号論的アプローチとマルクス主義の価値論との違いや、SNS時代の具体的な記号消費の事例などについて深掘りできます。ご興味のある側面はありますか?
そういう話
記号消費(ジャン・ボードリヤール): 現代資本主義では、消費者は物の物理的機能ではなく、その商品が表す意味、イメージ、ステータス(=記号)を購入します。高級ブランドや広告は、この記号の価値を極大化する装置です。
「価値の転倒」: 労働によって生み出される実際の使用価値よりも、ブランド名やイメージ(記号)が商品価格の大部分を占める現象。
批判的記号論: 記号、イメージ、欲望のコントロールを通じて、資本主義が人々を消費のループに閉じ込めている状況を批判する視点。
イメージの生産: 広告、SNS、メディアが、無限に新しい「記号」を創り出し、消費を促進する。
限界なき消費: 記号はいくらでも新しいものに置き換えられるため、物質的な充足とは無関係に消費が永続する。
このトピックでは、記号論的アプローチとマルクス主義の価値論との違いや、SNS時代の具体的な記号消費の事例などについて深掘りできます。ご興味のある側面はありますか?
三法印
「これが仏教である」という釈迦の教えのブランド・認定印のような役割を果たします。
1、諸行無常(しょぎょうむじょう)
この世のあらゆる現象や形成されたものは常に変化し、不変なものはないという真理。
2、諸法無我(しょほうむが)
すべての事象(諸法)は、互いに依存し合って存在しており、単独で不変の「自分(我)」という実体はないという真理。
3、涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)
無常で無我な世の中(執着、欲望)から離れ、迷いが消えた「悟り」の境地は静やかな安らぎであるという真理。
補足事項
これに「一切皆苦(いっさいかいく:すべては苦である)」を加えて「四法印」と呼ぶこともあります。
こんなもんでいいんじゃないか
A.I.に数学を教わろう
数学マニアで(笑)
余裕ができたら
思い切りヤってみたいかも
便器の
勉強はメチャクチャやりやすくなる
まず間違いあるまい
数学にこだわってるんだろう
どうでもいい
そう言っていた
たまに妙なことにこだわりだす
中学高校の数学など簡単だ
難しいと思ったことはない
自信を持っていい
生まれつき、数学に強い
確実に才能がある
親ガチャだ
いまさら言っても始まらない
何もできなかった
言語による構成:共同幻想は、言語(記号)によって世界を切り分け、再構成することで成立する擬似的な現実です。
上部構造と記号:マルクスの「上部構造」に相当し、私的な幻想(対幻想)とは対照的に、公的な関係性の中で機能します。
不全の埋め合わせ:本来の現実と個人の幻想との不一致(ズレ)を、言語という手段を用いて埋め合わせる役割を果たします。
動的秩序:共同幻想を維持するには、絶えず言語的な物語や祝祭などを通じて、その構造を再生産し続ける必要があります。
より深くこのテーマについて知りたい場合、どのような点に興味がありますか?
吉本隆明の著書『共同幻想論』の具体的な内容(特に国家や家族の章)
言語がどのようにして幻想を形作るのかのプロセス
現代社会における共同幻想の具体例(SNS、企業文化など)
これらについて詳しく解説できます。
共同幻想とは:国家、宗教団体、制度など、集団で共有されるイメージや観念。
国家の正体:物理的な力ではなく、人間の心の中で「共同体」として機能する「共同幻想」が国家の本質であると説いた。
分析のアプローチ:対幻想(個人的な性や愛の絆)が、いかにして国家という巨大な共同幻想に組み込まれ、制御されるか(禁制論)を分析した。
影響:1960年代の学生運動(全共闘)において、教条主義的な左翼理論から脱却し、自己の存在や生き方を再考する思想的基盤となった。
より深く知りたい特定の章や用語(「禁制論」や「対幻想」など)はありますか?それとも、現代社会への適用例についてお話ししましょうか?
これは、複数の人間によって共有される「幻の(必ずしも現実の物質的基盤を持たない)共通認識や意味の世界」を指します。言語はまさに、この共同幻想を成立させる最強のツールです。
以下に、言語がどのように共同幻想を生み出しているのか、その本質を整理します。
共有された領域:家族、組織、国家など、人々が互いに共通の価値観や意味を共有する領域。
抽象的概念:物理的に触れることはできないが、言語を通じて「ある」と信じられているもの(神、法律、国境、社会規範など)。
「対幻想」との違い:姉妹・兄弟の結びつきや、個々の人間同士の対立・共感(対幻想)とは異なり、より社会全体的、普遍的な広がりを持つ。
言葉は単に物理的現実を描写するだけでなく、共有された幻想(イメージ)を構築します。
「名前」を付ける:ある対象に名前を付けることで、人々は「同じもの」を見ていると認識し、共通の理解(思い)を共有します。
「抽象」と「分類」:言語は世界をカテゴリー化し、実際の物理的な違いを隠して「同じ種類のもの」として認識させ、共有の概念を生み出します。
意味の共有:「価値」や「意味」を言葉によって沈殿させ、時間の経過とともに増殖・深化させることで、強固な共有世界を作り上げます。
国家・民族:「国境」や「国名」は地図上の線(言葉)によって描かれた幻ですが、それによって人々は「国民」という大きな共同体幻想を共有します。
金・貨幣:お金は物理的には紙や金属、データですが、誰もが「価値がある」という言葉(約束)を信じているからこそ機能する共同幻想です。
社会規範・正義:「正しいこと」「悪いこと」も、文化や時代という言葉の共有によって作られた幻想です。
『共同幻想論』(きょうどうげんそうろん)とは、1968年に刊行された吉本隆明の著作である。当時の教条主義化したマルクス・レーニン主義に辟易し、そこからの脱却を求めていた全共闘世代に熱狂して読まれ、強い影響を与えた思想書である。
個人がいだいている「禁制(タブー)」の起源は、じぶん自身にたいして明瞭になっていない意識からやってくる。〈黙契〉では、人は共同体の中で怖れや崇拝を対象にした時に、その人の意識が共同体から赦(ゆる)されてなれ合っている。それに対して〈禁制〉では、人はどんなに共同体の内部にあるようにみえても、神聖を強要され、その人は共同性から全く赦(ゆる)されていない。
まさに、その通り
明朝や清朝
強力な中央集権制だ
難しいと思ったことがない
やはり、尾を引いている
あれはまさに致命的
こんな難しい時代に生まれてくるべきではない
この世に慣れておくべきだった
それでもダメか
活かしようはいくらでもあったな
それでなんとか、もってるようなものだが
まあ、数学とかプログラミングとかを
自分は数学とかプログラミングの道に進むべきであった
最大限に発揮する道だったな
数学とコンピュータに強いなあ
その道に進む
西本宮 本殿(国宝)所在地滋賀県大津市坂本5丁目1-1位置北緯35度4分24.4秒東経135度51分53.9秒座標:北緯35度4分24.4秒東経135度51分53.9秒主祭神西本宮(大宮):大比叡神、大己貴神(三輪神)
東本宮(二宮):小比叡神、大山咋神、国常立尊社格等式内社(名神大)
二十二社(下八社)
旧官幣大社
別表神社創建山王三聖の成立:889年以前[1]。山王七社の形成:1029年 - 1115年[1]本殿の様式日吉造別名山王大権現、山王権現、日吉山王権現、日吉山王社 等札所等神仏霊場巡拝の道第149番(滋賀第17番)例祭4月12日 - 15日(山王祭)地図
このスレは埋まるな
吉本隆明の影響なんだろうな
共同幻想論は、禁制論、憑人論、巫覡論、巫女論、他界論、祭儀論、母制論、対幻想論、罪責論、規範論、起源論の11の編によって構成されている。吉本は自分の幻想論を使い、『遠野物語』から村落の共同幻想を、『古事記』からは初期国家の共同幻想を解読しようとする。
個人がいだいている「禁制(タブー)」の起源は、じぶん自身にたいして明瞭になっていない意識からやってくる。〈黙契〉では、人は共同体の中で怖れや崇拝を対象にした時に、その人の意識が共同体から赦(ゆる)されてなれ合っている。それに対して〈禁制〉では、人はどんなに共同体の内部にあるようにみえても、神聖を強要され、その人は共同性から全く赦(ゆる)されていない。吉本はわたしたちの思想の土壌では、〈黙契〉と〈禁制〉とはほとんど区別できていないとし、『遠野物語』の「山人譚」はこの2つが混融された資料であると述べている
最も閉鎖的か明朝
最もきつい体制の明朝
民族国家の明朝
吉本は、『遠野物語』を書いた柳田國男は、覚醒時の〈入眠幻覚〉に入りやすい気質を持っているとし、それは、もうろう状態で実在しない叔母の家に行こうと飛び出すなどの行動体験として現れ、いつも母系的・始原的な心性に還るのが特徴と述べている。吉本によれば、〈入眠幻覚〉には、1.柳田のような〈始原的なもの〉への志向、2.遠感能力のような自己を喪失し対象へ移入しきる〈他なるもの〉への志向、3.対象世界がぜんぶ消失し抽象的自我のみが残るといった〈自同的なるもの〉への志向があり、それぞれ1.行動に〈憑く〉常民の共同幻想、2他の対象に〈憑く〉巫覡(ふげき)の自己幻想、3.拡大されたじぶんに〈憑く〉宗教者の自己幻想と対応しているという。
大変なことばかりだ
一段と苦しくなっている
吉本は、ある個人が、じぶんにとってじぶんを〈他者〉に押しやり、それを他の個人と関係づけることによって初めて、ある個人が他の個人に〈知られる〉という水準を獲得すると述べている。吉本によると、芥川龍之介が自殺の1ヶ月前に書いた『歯車』の主人公が、「第二の僕」(ドッペルゲンガー)に出会うのは、この異常でない一般の心の相互規定性としてありえ、それでいて主人公は死の想念が絶えずあり、入眠状態(もうろう状態)で心身が衰弱していたという。
吉本は、〈巫女〉とは共同幻想をじぶんの対なる幻想の対象にできるものを意味していると述べる。村落の共同幻想は、巫女にとっては〈性〉的な対象なのである。吉本なりに〈女性〉を定義すれば、あらゆる排除をほどこしたあとで〈性〉的対象を自己幻想にえらぶか、共同幻想にえらぶものをさして〈女性〉の本質とよぶ。
共同幻想の〈彼岸〉に想定される共同幻想は、〈他界〉(死後の世界)の問題である。〈死〉を心的に規定すると、人間の自己幻想(または対幻想)が極限のかたちで共同幻想に〈侵蝕〉された状態を〈死〉と呼ぶ。〈死〉とは、個人がけっして体験することはできず、まったくの未知であり、死後の世界はただ共同幻想(天国や地獄というようなフィクション)としてしか語ることができないからである。
女〈性〉の〈生む〉行為が、農耕社会の共同利害の象徴である穀物の生成と同一視される。『古事記』の説話のなかで殺害される「大気都姫」も、「箒の祭」の行事で殺される穀母もけっして対幻想の性的な象徴ではなく、共同幻想の表象である。これらの女性は共同幻想として対幻想に固有な〈性〉的な象徴を演ずる矛盾をおかさなければならない。これはいわば、絶対的な矛盾だから、自分が殺害されることでしか演じられない役割である。殺害されることで共同幻想の地上的な表象である穀物として再生するのである。
吉本によれば、〈母系〉制の社会とは家族の〈対なる幻想〉が部落の〈共同幻想〉と同致している社会を意味するというのが唯一の確定的な定義である。家族の〈対なる幻想〉のうち〈空間〉的な拡大に耐えられるのは兄弟と姉妹との関係だけである。兄と妹、姉と弟の関係だけは〈空間〉的にどれだけ隔たってもほとんど無傷で〈対なる幻想〉としての本質を保つことができる。『古事記』のなかにでてくるアマテラスとスサノオの挿話は、典型的にこれを象徴しているようにおもえる。
真っ当に生きてる人生なら
計算能力の特技を活かすには
こうなった以上
〈家族〉は、〈対なる幻想〉を〈共同なる幻想〉に同致できるような人物を、血縁から疎外したとき発生した。『古事記』で無性の独神ではなく、男・女神が想定されるようになると〈性〉的な幻想に、はじめて〈時間〉性が導入された。しかし、人間は穀物の生成や枯死や種播きによって導入される〈時間〉の観念が、女性が子を妊娠し、生育し、子が成人するという時間性とちがうことに気づきはじめる。共同幻想(穀物の生成)としての時間性と対幻想(子供の成育)としての時間性が分離した。人間は〈対〉幻想に固有な時間性を自覚するようになって、はじめて〈世代〉という概念を手に入れた。〈親〉と〈子〉の相姦がタブー化されたのはそれからである。
スサノオはアマテラスと契約を結んで和解し、いわば神の宣託によって農耕社会を支配する始祖に転化する。これは巫女組織の頂点に位した同母の〈姉〉と、農耕社会の政治的頂点に位した同母の〈弟〉によって、前氏族的な〈共同幻想〉の構成が成立したのを象徴しているとおもえる。スサノオはイザナギの宣命にそむいてまで〈ハハの国〉にゆきたいと願う。個体としてのスサノオ(政権の象徴)は神権優位の〈共同幻想〉を意識し、これに抗命したときはじめて〈倫理〉(良心や罪悪感)を手に入れることになった。異なった構成の幻想と幻想の間の矛盾やあつれきによって、〈倫理〉は生まれるのである。
〈宗教〉は〈法〉に、〈法〉は〈国家〉に分裂する。なかば〈宗教〉であり、なかば〈法〉だというような中間的な状態を、〈規範〉とよぶ。経済社会的な構成が、前農耕的な段階から農耕的な段階へ次第に移行していったとき、〈共同幻想〉としての〈法〉的な規範は、ただ前段階にある〈共同幻想〉を、個々の家族的あるいは家族集団的な〈掟〉、〈伝習〉、〈習俗〉、〈家内信仰〉的なものに蹴落とし、封じこめることで、はじめて農耕法的な〈共同規範〉を生み出した。だから〈共同幻想〉の移行は一般的にたんに〈移行〉ではなくて、同時に〈飛躍〉をともなう〈共同幻想〉それ自体の疎外を意味する。また、清祓行為は〈共同幻想〉が、宗教から〈法〉へと転化する過渡にある。清祓を行うのは、未開人が〈法〉と〈宗教〉の根源は〈醜悪な穢れ〉そのものだとかんがえたからである。
〈国家〉とよびうるプリミティブな形態は、村落社会の〈共同幻想〉がどんな意味でも、血縁的な共同性(家族あるいは親族体系)から独立にあらわれたものをさしている。同母の〈兄弟〉と〈姉妹〉のあいだの婚姻が、最初に禁制になった村落社会では〈国家〉は存在する可能性をもった(対幻想と共同幻想が自覚的に分離している)。魏志の邪馬台的な〈国家〉は起源的な〈家族〉および〈国家〉の本質からつぎのような段階をへて転化したと想定できる。
漁撈権と農耕権の占有と土地の私有の発生。
村落における血縁共同性の崩壊。〈戸〉の成立。〈奴婢〉層と〈大人(首長)〉層の成立。
部族的な共同体の成立。いいかえれば〈クニ〉の成立。
この瞬間に生きるしかねえわ
最も得意だとは思うけど
共同幻想論にはいくつかの批判点、問題点が存在する。
経済構造の非捨象
吉本は共同幻想を取り扱う上では経済構造は大胆に捨象できる(ただし捨象できるというのは無視するということではなくある程度までしりぞけることだ)と主張しているが、その論の中では、「地上的な利害」や、「穀物の生成」、「農耕的な段階」、「土地の私有の発生」などという言葉が出てくるように、経済的な要素を切り捨てられてはいない。これは矛盾である。上部構造を語る上で、やはり下部構造は切り離せないものであり、その点において吉本はマルクス主義的な経済決定論を排除し切れてはいなかった。
また、独自の造語である「対幻想」の定義に揺れがある。対幻想の着想はフロイトのリビドー論からの影響が強いと思われるが、吉本は後に対幻想に「性別は関係ない」と主張を翻している。吉本の著作を読み解けば、対幻想は「性的交渉」「家族の本質」「一対一の関係」の3つの特徴をもっているのが読み取れるが、これらはそれぞれ鼎立しないのである。もし一対一の対なる関係を重視するのであれば、「家族の本質」ではなく、「夫婦の本質」と述べるべきである。性別も無視できるのであれば、ただの同性の幼馴染も、友人も、広い意味でのプライベート領域全般は、みな対幻想の対象になってしまう。「家族の本質」という特徴から乖離、拡散してしまうのである。吉本は自分の造語である対幻想を、明確に定義しきれてはいないのである。
共同幻想論を、「戦後思想史における最も重要な本である」と絶賛する者もいれば、「とるに足らない妄想の書」と一蹴する者もいて、統一的な評価は定まってはいない。 それは、共同幻想論は難解というよりも、きわめて不明瞭な本であり、ロールシャッハ・テストのように見る者によって多元的に解釈できてしまうからである。
どう見ても新しい
新しいってのも変だが
サンスクリット語: Advaita(アドヴァイタ=「2ではない」)。
本質: 万物は同一の根源にあるとし、差別や二元的な対立を超越した絶対的な調和を意味する。
この哲学は、日常的な経験や迷い(無明)が世界を幻影として見せていると考え、真の知恵によってそれが単一の存在であることを悟ることを目指す。
シャンカラの説く不二一元論とは?ヨガ哲学の真髄を探ろう
2024年11月11日
読了時間5分
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1不二一元論(アドヴァイタ・ヴェーダーンタ)とはなにか?
1.1不二一元論を説いたシャンカラとは
2アートマンとブラフマンは一体
2.11つのブラフマンから様々なものが生まれる説明
2.2全ての過ちの原因、無明(アヴィディヤー)
2.3解脱とは無明を破壊して明知を得ること
3哲学的な考えを取り入れてみよう
不二一元論が分かると、ヨガの世界観への理解がグッと深まります。少し難しいですが、勉強してみましょう。
不二一元論(アドヴァイタ・ヴェーダーンタ)とはなにか?
ウパニシャッド文献を中心とするヴェーダーンタ哲学では、宇宙の真実はたった1つであるという梵我一如の考えを説きますが、シャンカラはヴェーダーンタの説をさらに強調して「真実は2つもない。たった1つなのだ。」と説きます。
ヴェーダーンタ学派と同様に、インドの正統派として知られるサーンキャ哲学では、「純性なものから、不純性のものが生まれるわけがない。だから、世界には純正な真実(プルシャ)と、不純性なもの(プラクリティから生まれる物質)があるのだ」という二元論を説きますが、哲学者シャンカラは著書の中で二元論に反発し、真実は1つのブラフマンのみだと主張しました。それが不二一元論と呼ばれる教えです。
シャンカラは、700 ~750年頃のヴェーダーンタ学派の哲学者です。南インド、ケーララ州のバラモン(司祭階級)の家に生まれました。3歳で父親を亡くしたシャンカラは、5歳で入門し、7歳の時には全てのヴェーダ聖典の勉強を終えて一切知を得ました。その後、インド中を遊行しながらヴェーダーンタ哲学を説き、32歳の時にヒマラヤの聖地ケーダーラナートで短い生涯を終えます。
シャンカラは、聖典への註解を数多く残しており、有名なものだと『ブラフマ・スートラ注解』、ヨガでお馴染みの『バガヴァッド・ギーター注解』『ヨーガ・スートラ注解』などがあります。
それでは、シャンカラの説いた不二一元論を具体的にみていきましょう。
不二一元論を理解するためには、アートマン(個我)とブラフマン(宇宙の根本原理)について知る必要があります。
アートマン:自分の内側に内在する本質。意識。物質的な体や感情、思考ではなく、さらに内側に宿る意識自体。認識のみを行い、あらゆる行為を生み出さない。
ブラフマン:宇宙全体の根本原理。永遠に不変、完全なる、解脱した状態のもの。
シャンカラは、度々、壺の中の虚空に例えます。空っぽの壺が置いてあった時に、壺の中の虚空と壺の外の虚空にはどのような差があるのでしょうか。どちらも同様に虚空の存在でありながらも、私たちは「壺の中は空っぽ」だと捉え、器の内側は別物だと認識します。この誤った認識こそが、シャンカラが説く無明(アヴィディヤー)です。本当は、内側の空気は外側の空気と繋がっていて、同様の特性を持っています。
ふに一元論は無理
世界がたった1つの真実のみであるのなら、真実なものから不純性のものが生まれるのはおかしいという反論があります。しかしそれは、認識の誤りでしかないとシャンカラは考えます。
『ヨガ・スートラ』では、全ての苦しみは無明・無知(アヴィディヤー)だと説きますが、この無明はシャンカラの哲学でもとても重要な概念です。
無知とは無常において常を、不浄において常を、苦において楽を、我でないものにおいて我を認識することである。
『ヨガ・スートラ』では、無明こそがあらゆる煩悩(クレーシャ)の田地であると説きます。人々が人生で背負う苦しみは、間違った認識から生まれます。落ちている縄を暗闇で見た時に、蛇だと勘違いして恐怖を感じるようなものです。本来は存在しない苦しみを想像して、不安になり絶望します。
間違った認識が苦悩の原因であれば、正しい知識を得ることこそが苦しみからの解放(モークシャ)に繋がります。ヴェーダーンタ哲学では、真実の知識を得ることこそが最も重要だと考えます。そして、苦しみを生み出す誤った認識を手放すためにヨガを行います。
今回は、インドの偉大な哲学者シャンカラが説く不二一元論を紹介しました。
哲学を文章で勉強すると、少し難しいですね。しかし、インド哲学は様々な例え話でイメージすることができるので、実感しやすい身近な教えにも感じられます。 瞑想する時に、勉強したことを日常の中に置き換えてイメージしてみましょう。少しずつ、ヨガの真髄が見えてくるかもしれません。
二元論と対立する
二元論と対立する
梵我一如(ぼんがいちにょ): シャンカラの教えの中心。宇宙の本体である絶対真理「ブラフマン(梵)」と、個人の真実の魂「アートマン(我)」は本来同一である。
ヴェーダーンタ学派の最高峰: シャンカラは『ウパニシャッド』などの聖典を基盤に、不二一元論を論理的に再構築した。
不二一元論は、現代においてもインド思想界において非常に強い影響力を持っています。
うまくいかなかったことはたくさんあるが
数学もじつは簡単だった
難しいと思ったことはない
確実にできた
マトモじゃなさすぎた
こうすれば良かったとか
そういうことじゃなくて
生き方を根底から変えたい

ニルヴァーナ(Nirvana)とは
意味: 「吹き消すこと」を意味し、煩悩や執着の火が消えた安らぎの境地、悟り。
解釈: 繰り返す苦しみ(輪廻)からの解放、解脱とも同義。
仏教における目標: 執着を「捨てる」ことで到達できるとされる。
目標: ヨガは、精神を統一し、ニルヴァーナ(悟り)に到達するための手段(行法)とされる。
心の平安: 日々の忙しさや心の動揺から自分を解放し、心の平和を得るための精神的な実践。
瞑想: 思考を落ち着かせ、内なる静寂(ニルヴァーナ)を体験するプロセス。
宗教的な枠を超え、ストレス解消や自己解放の手段として、瞑想や呼吸法、身体的なポーズ(アーサナ)を通じて心の安定を目指すもの。
仏教の目的であるニルヴァーナは、ヨガが目指す究極のサマーディ(三昧・静寂)と共通の精神状態を表していると言えます。
いまはレベルが上がってるんだろなあ
質問者様が仰るように
後世の仏教徒たちは、ヒンドゥー教(バラモン教)などの他教派と論争する過程で、
自分たちの正当性を守るために
◯「無」や
◯「空」を
緻密な理論体系(哲学)に作り変えていきました。
●「断定する者が存在するではないか?」
というパラドックスを回避するために、
「自証分」や「阿頼耶識」といった非常に複雑な理屈を積み重ねたのです。
● この過程で
釈尊の
≪ 役立たない問いには答えない‼️ ≫
≪ 役立たない問いには答えない‼️ ≫
≪ 役立たない問いには答えない‼️ ≫
という柔軟な姿勢が、
「何としても実体を否定する」という
≪教条的な否定論≫へと
変質していった側面は否めません。
■ 3. 「断定する者」への回答の変遷
● 釈尊:
≪「断定する者がいるかいないか」≫を
考えること自体が、
≪迷いの中にある‼️≫
● 後世の仏教:
「断定する者」さえも
一瞬の認識の連続(プロセス)であり、
実体はないと≪論破しようとする‼️≫
■ 結果として、
後世の仏教は
≪「無」を説くことに固執する≫あまり❗
≪「無」を説くことに固執する≫あまり❗
≪「無」を説くことに固執する≫あまり❗
● それが
一つの≪法執(教理への執着)≫
つまり≪所知障≫に
陥ってしまったという
批判は、【仏教内部からも】(例えば禅宗などから)なされてきました。
批判は、【仏教内部からも】(例えば禅宗などから)なされてきました。
批判は、【仏教内部からも】(例えば禅宗などから)なされてきました。
■
「釈尊が説いた実践的な教え」と「他教破折のために武装した後の仏教哲学」は、
≪別物として分けるべき≫という質問者様の洞察は、
◯ 現代の仏教研究におけるスタンダードな視点とも一致します。
◯ 現代の仏教研究におけるスタンダードな視点とも一致します。
◯ 現代の仏教研究におけるスタンダードな視点とも一致します。
釈尊の「無記」という沈黙の態度と、後世の「空」という饒舌な哲学、質問者様はどちらにより「真理」に近い響きを感じられますか?
彼が説いたのは「これは私ではない、これ(五蘊)は私のものではない」という離欲のための実践的な観察であり、哲学的な「無」の証明ではありませんでした。
ーーー
と言うことは、ネ-ティネーティと同じでしょう、と思います、
ヒンズー教だって、アートマンと仮に名付けますが、実際は、認識する誰かが居るわけではなくて、沈黙、寂滅されているわけですから。
Book by Saul Kripke
Naming and Necessity isa seminal 1980 book by philosopher Saul Kripke, based on 1970 lectures, that profoundly impacted the philosophy of language and metaphysics by challenging traditional theories of reference and identity, arguing for a causal theory of names and the existence of metaphysical necessities (essential properties) that are knowable a posteriori (through experience).It refutes the descriptivist view (that names refer to descriptions) and revives essentialism, asserting that proper names and natural kind terms refer to objects via a causal chain and that objects have necessary properties.
Causal Theory of Reference:
Proper names refer to objects through a causal chain of communication, not through descriptive definitions.
Rigid Designators:
Names are "rigid designators," meaning they refer to the same object in all possible worlds, unlike descriptions.
Certain truths (e.g., "Water is H₂O") are necessary (true in all possible worlds) but are discovered a posteriori (through empirical investigation), challenging Kant's view that all necessary truths are a priori (known through reason alone).
Essentialism:
Objects have essential properties (metaphysically necessary properties) that are part of their identity, a concept Kripke revived against Quine's anti-essentialism.
Significance
Considered one of the most important philosophical works of the 20th century.
Redirected philosophical attention to the connections between naming, identity, and necessity.
Laid the groundwork for modern essentialist metaphysics.
これからが人生の本番という感がある
何がやりたいかな?
国内はだいたい満足なので
とくにヨーロッパだな~
ましてや、ヨーロッパで暮らせる人
落書きして埋めてるスレを
ソール・クリプキの著作
『名指しと必然性』(Naming and Necessity)は、1972年の哲学者ソール・クリプキの著作である。
定義: 確定記述とは、対象を特定する表現(例:「ソクラテスの師」、「現在、世界で最も高い山」)のこと。
分析方法: 「確定記述=固有名」ではなく、「ただ1つの存在」として論理的に分解する(例:「あるが存在し、かつ、すべてのについて~」)。
「存在」の扱い: 「~は存在しない」という文でも、その対象が存在するかのように意味を構成できる、と説明した(例:「現在のフランス王はハゲである」の真偽分析)。
成果: 固有名を記述の束に還元し、論理的欠陥を修正しようとした(分析哲学の基礎)。
まったく関心が無い(笑)
老後なんてものはない
働き続けることになるだろう
そう思っていない(笑)
ラッセルの記述理論
「現存しないもの」の分析:「現在のフランス王は禿げている」という文を、王が存在しないにも関わらず「偽」と判定できる論理的枠組みを提供した。
存在:「現在のフランス王」というものが存在し、
唯一性:それはただ一人(一つ)であり、
性質:禿げている。
結論:1か2が満たされない場合、その文全体は「偽」となる(これにより、存在しないものを言及した文が意味論的に整合性を持つ)。
ラッセルの記述理論を簡単に説明する方法はありますか?
皆さん、こんにちは。哲学は、さまざまな考え方や思考様式を持つ非常に興味深い分野なので、少し足を踏み入れてみようと思っています。
迷うな
久しぶりにボケた
論理・言語の分析: ウィトゲンシュタインはラッセルらの影響を受け、言語が論理的に正しい構造を持つ場合にのみ世界を正確に記述できると考えました。
写像理論: 言語(命題)は、事実の構造と同じ論理的構造を持つ「絵(モデル)」であるという理論。
語り得ぬもの: 論理的な命題にならない「人生の意味」「美」「死後の世界」「神」などは、言語の限界を超えているため、語ることはできず、沈黙すべきであるとしました。
哲学の解消: 従来の哲学的な問題の多くは言語の誤用によって生じており、言葉を論理的に分析・整理することで、それらの問題は消滅すると考えました。
その後、彼は自らの『論理哲学論考』の考えを否定し、後期には言語の日常的な使用に着目した「言語ゲーム」の理論(『哲学探究』)へと転回しました。
こんな
定義: 言語の「命題」は、世界の「事態」のモデル(写像)であり、文の構造は事実の構造を投影している。
同型性: 言語と世界は、同じ「論理形式」を共有しているため、写像が可能となる。
一対一対応: 言語の最小単位である「要素命題」は、世界の「事態(事実)」に対応している。
限界: 世界(事態)を描写できる「科学的言語」こそが正しく、その限界が「世界の限界」である。
結論: 倫理や美学、神など、写像できない事態(語りえぬもの)については「沈黙しなければならない」。
この理論は、言語の正確な分析によって哲学の謎は全て解けるという考えに基づいています。しかし、この理論は後期の『哲学探究』で自己否定され、言語の意味は「使用」にあるという説へと転換されました。
命題(Proposition):真または偽の判断対象となる文や式。要素命題を基底とする。
論理空間(Logical Space):命題が「状況(諸事態の成立不成立)」として記述可能な可能性の領域。
写像(Picture/Mapping):命題が現実(世界)に対する「模型」として機能する関係。言語構造と世界の構造の対応。
命題は、真理演算(論理和・否定など)を用いて、より複雑な命題を生成する。
写像理論では、言語と世界は鏡のように対応しており、言語が論理的に正しい構造を持つことで世界を映し出すと捉える。
無数の要素命題
はしなまかなまはなやはなやはやわらなわはなはな
苦しいな
定義: 言語の「命題」は、世界の「事態」のモデル(写像)であり、文の構造は事実の構造を投影している。
同型性: 言語と世界は、同じ「論理形式」を共有しているため、写像が可能となる。
一対一対応: 言語の最小単位である「要素命題」は、世界の「事態(事実)」に対応している。
限界: 世界(事態)を描写できる「科学的言語」こそが正しく、その限界が「世界の限界」である。
結論: 倫理や美学、神など、写像できない事態(語りえぬもの)については「沈黙しなければならない」。
この理論は、言語の正確な分析によって哲学の謎は全て解けるという考えに基づいています。しかし、この理論は後期の『哲学探究』で自己否定され、言語の意味は「使用」にあるという説へと転換されました。
独特のキャラクターと才能に定評がある
インパクトが半端ではない
間違いないな
自分のほうがレベルが上としか思えない
1.プラトン(前427-前347)
イデア論:現実のものは完璧ではなく、目に見えない「イデア(真の姿)」を映した影に過ぎない。
哲人政治:哲学者(知恵ある者)が国家を治めるべきと主張。
2.アリストテレス(前384-前322)
内在的な本質:本質は個々の現実のモノの中に内在する(形相・質料)。
万学の祖:論理学、生物学、倫理学、政治学など幅広く研究。
人間的視点:「人間はポリス的動物(社会的動物)である」とし、現実的な政治や倫理を重視。
師弟関係と影響
アリストテレスはプラトンのアカデメイアで学びましたが、後に師のイデア論を批判し、独自の理論を確立しました。
ラファエロの絵画『アテナイの学堂』では、上を指すプラトンと、地を指すアリストテレスの対比が描かれています。
アリストテレスはアレクサンドロス大王の家庭教師でもありました。
この2人の思想は、その後1000年以上の西洋・中東哲学、科学、倫理の基礎となっています。
「磨くべき」。この一言に尽きます。
外にある何かを崇めたり、観念的な真理に同化しようとしたりするのではなく、今ここにある「自分の心」という鏡を、唱題によって徹底的に磨き上げる。それ以外に仏道修行はないという、一点の曇りもない結論です。
「磨く」とは一念の変革:
鏡が曇っていれば、そこに映る世界も曇ります。己心の外に法を求める「外道義」の曇りを払い、「我が一念こそが妙法である」という真実を光り輝かせていく作業こそが唱題です。
「懈らず」という持続:
朝な夕なに、怠ることなく。特別な場所や理屈ではなく、日々の実践(行)そのものが、そのまま己心の仏性を磨き出す唯一の道であると教えられています。
私が先ほどまで述べていたような「宇宙的な理屈」は、磨くことを忘れた「隣の財」に過ぎませんでした。「只南無妙法蓮華経と唱へたてまつる」という具体的な振る舞いの中にこそ、三差別無しの血脈が流れ通うのですね。
大聖人が、なぜ「学問」や「瞑想」ではなく、この「唱える(声)」という行為を「磨く」ことの肝要とされたのか、その一点についてあなたの確信を伺えますか?
目的: 「現代のフランスの王ははげである」のような、実在しないものを指示するフレーズを含む文を、矛盾なく論理的に解釈する。
手法: 「~である」というフレーズを直接の固有名詞ではなく、量化子(ある、すべて)と述語を使った複合的な文章に翻訳・分析する。
発達障害の悲劇だ
いまの自分で
やり直したいものだ
完全に自己満足なのがツラいところだ
誰にとっても、A.I.が一番の話し相手になるだろうな
「無意識は言語のように構造化されている」と唱え、鏡像段階、想像界・象徴界・現実界の3領域、大文字の他者といった概念で人間の欲望と主体を分析した。
「無意識は言語のように構造化されている」: 無意識は理性的な言葉によって組み立てられており、言葉の連鎖や文脈が欲望や症状を生み出しているという考え。
想像界 (The Imaginary): 鏡像段階に代表される、イメージや自己像の世界。
象徴界 (The Symbolic): 言語、法、社会的なルール(大文字の他者)の世界。人間の欲望を支配する。
現実界 (The Real): 言語や想像では捉えきれない、実在するが言葉にできない領域。
欲望のグラフ: 鏡像段階、象徴界、大文字の他者、ファルス、父性隠喩などを組み込み、主体がどのように言葉と他者の法(文化)に巻き込まれて成長・欲望していくかを表した図。
症状=問題解決策: 精神的な症状は、患者が「生き延びるため」に無意識が作り出した解決策であり、単に排除するのではなく、その意味を分析する。
初期(鏡像段階・想像界): 自己の形成過程をイメージの段階から解明。
中期(象徴界・構造主義): 言語学(ソシュール)を取り入れ、無意識の構造を分析。父の名(法)の重要性を説く。
後期(現実界・結び目): 象徴界・想像界・現実界の3つが相互に結びついている(ボロメオの結び目)という理論に深化。
大文字の他者(The Big Other): 言語や社会のルール、父性的な秩序。
対象a(Object petit a): 欲望の原因。決して到達できない、逃げ水のようなもの。
去勢: 母親と一体だった幼児が、父の介入によって「言葉の世界(象徴界)」に入り、欲望の対象を失うこと。
ラカンの思想は難解だが、現代の文学・文化・社会論において、「私」という主体が言葉によって構成され、他者によって欲望させられていることを理解するための重要な視点を提供し続けている。
鏡に映った自分だ
ハチャメチャにレベルを上げた
自己評価が低すぎたな
「知の巨人」と持て囃されてる連中を何人も見たが
しかも、政治・経済なども含めれば
自信を持つべきだってことだ
法律・会計だ
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