【ブッダの教え】初期仏教【パーリ仏典】 Part3アーカイブ最終更新 2026/10/10 11:021.◆JBLfMwCXhY1mDbq過去スレ【パーリ仏典】テーラワーダ仏教【ヴィパッサナー瞑想】https://talk.jp/boards/psy/1768687611【ブッダの教え】初期仏教【最初はこういう話だった】https://talk.jp/boards/psy/1768770625【ブッダの教え】初期仏教【ヴィパッサナー瞑想】 Part2https://talk.jp/boards/psy/17799680912026/10/01 03:01:171000すべて|最新の50件2.◆JBLfMwCXhY1mDbqスッタニパータ 蛇の章1 蛇の毒が(身体のすみずみに)ひろがるのを薬で制するように、怒りが起こったのを制する修行者(比丘)は、この世とかの世とを共に捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。2 池に生える蓮華を、水にもぐって折り取るように、すっかり愛欲を断ってしまった修行者は、この世とかの世とを共に捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。3 奔り流れる妄執の水流を涸らし尽して余すことのない修行者は、この世とかの世とを共に捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。4 激流が弱々しい葦のの橋を壊すように、すっかり驕慢を減し尽くした修行者は、この世とかの世とを共に捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。5 無花果の樹の林の中に花を探し求めて得られないように、諸々の生存状態のうちに堅固なものを見いださない修行者は、この世とかの世とを共に捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。6 内に怒ることなく、世の栄枯盛衰を超越した修行者は、この世とかの世とを共に捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。7 想念を焼き尽くして余すことなく、心の内がよく整えられた修行者は、この世とかの世とを共に捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。2026/10/01 03:05:423.◆JBLfMwCXhY1mDbq8 走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、全てこの妄想をのり越えた修行者は、この世とかの世とを共に捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。9 走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、「世間における一切のものは虚妄である」と知っている修行者は、この世とかの世とを共に捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。10 走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、「一切のものは虚妄である」と知って貪りを離れた修行者は、この世とかの世とを共に捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。11 走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、「一切のものは虚妄である」と知って愛欲を離れた修行者は、この世とかの世とを共に捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。12 走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、「一切のものは虚妄である」と知って憎悪を離れた修行者は、この世とかの世とを共に捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。13 走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、「一切のものは虚妄である」と知って迷妄を離れた修行者は、この世とかの世とを共に捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。2026/10/01 03:06:004.◆JBLfMwCXhY1mDbq14 悪い習性がいささかも存することなく、悪の根を抜き取った修行者は、この世とかの世とを共に捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。15 この世に還り来る縁となる〔煩悩から生ずるもの〕をいささかももたない修行者は、この世とかの世とを共に捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。16 ひとを生存に縛りつける原因となる〔妄執から生ずるもの〕をいささかももたない修行者はこの世とかの世とを共に捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。17 五つの蓋いを捨て、悩みなく、疑惑を越え、苦悩の矢を抜き去られた修行者は、この世とかの世とを共に捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。2026/10/01 03:06:135.◆JBLfMwCXhY1mDbqスッタニパータ 犀の角35 あらゆる生きものに対して暴力を加えることなく、あらゆる生きもののいずれをも悩ますことなく、また子を欲するなかれ。況や朋友をや。犀の角のようにただ独り歩め。36 交わりをしたならば愛情が生じる。愛情にしたがってこの苦しみが起こる。愛情から禍い(わざわい)の生じることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。37 朋友・親友に憐れみをかけ、心がほだされると、おのが利を失う。親しみにはこの恐れのあることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。38 子や妻に対する愛著は、たしかに枝の広く茂った竹が互いに相絡むようなものである。筍が他のものにまつわりつくことのないように、犀の角のようにただ独り歩め。39 林の中で、縛られていない鹿が食物を求めて欲する処に赴くように、聡明な人は独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。40 仲間の中におれば、休むにも、立つにも、行くにも、旅するにも、つねにひとに呼びかけられる。他人に従属しない独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。41 仲間の中におけば、遊戯と歓楽とがある。また子らに対する情愛は甚だ大である。愛しき者と別れることを厭いながらも、犀の角のようにただ独り歩め。42 四方のどこでも赴き、害心あることなく、何でも得たもので満足し、諸々の苦痛に堪えて、恐れることなく、犀の角のようにただ独り歩め。43 出家者でありながらなお不満の念を抱いている人々がいる。また家に住まう在家者でも同様である。だから他人の子女にかかわること少し、犀の角のようにただ独り歩め。44 葉の落ちたコーヴィラーラ樹のように、在家者のしるしを捨て去って、在家の束縛を断ち切って、健き人はただ独り歩め。2026/10/01 03:09:306.◆JBLfMwCXhY1mDbq45 もしも汝が、〔賢明で協同し行儀正しい明敏な同伴者〕を得たならば、あらゆる危難にうち勝ち、こころ喜び、気をおちつかせて、彼と共に歩め。46 しかしもし汝が、〔賢明で協同し行儀正しい明敏な同伴者〕を得ないならば、譬えば王が征服した国を捨て去るようにして、犀の角のようにただ独り歩め。47 われわれは実に朋友を得る幸を讃め称える。自分より勝れ或いは等しい朋友には、親しみ近づくべきである。このような朋友を得ることができなければ、罪過のない生活を楽しんで、犀の角のようにただ独り歩め。48 金の細工人がみごとに仕上げた二つの輝く黄金の腕輪を、一つの腕にはめれば、ぶつかり合う。それを見て、犀の角のようにただ独り歩め。49 このように二人でいるならば、われに饒舌といさかいとが起るであろう。未来にこの恐れのあることを察して、犀の角のようにただ独り歩め。50 実に欲望は色とりどりで甘美であり、心に楽しく、種々の形で、心を攪乱する。欲望の対象にはこの患いのあることを見て、犀の角のようにただ独り歩め。51 これは私にとって災害であり、腫物であり、禍であり、病であり、矢であり、恐怖である。諸々の欲望の対象にはこの恐ろしさのあることを見て、犀の角のようにただ独り歩め。52 寒さと暑さと、飢えと渇えと、風と太陽の熱と、虻と蛇と、──これら全てのものにうち勝って、犀の角のようにただ独り歩め。53 肩がしっかりと発育し蓮華のようにみごとな巨大な象は、その群を離れて、欲するがままに森の中を遊歩する。そのように、犀の角のようにただ独り歩め。54 集会を楽しむ人には、暫時の解脱に至るべきことわりもない。太陽の末裔〔ブッダ〕の言葉をこころがけて、犀の角のようにただ独り歩め。2026/10/01 03:09:467.◆JBLfMwCXhY1mDbq55 相争う哲学的見解を越え、(さとりに至る)決定に達し、道を得ている人は、「われは智慧が生じた。もはや他の人に指導される要がない」と知って、犀の角のようにただ独り歩め。56 貪ることなく、詐ることなく、渇望することなく、(見せかけで)覆うことなく、濁りと迷妄とを除き去り、全世界において妄執のないものとなって、犀の角のようにただ独り歩め。57 義ならざるものを見て邪曲に囚われている悪い朋友を避けよ。貪りに耽って怠っている人に、自ら親しむな。犀の角のようにただ独り歩め。58 学識豊かで真理をわきまえ、高邁・明敏な友と交われ。いろいろと為になることがらを知り、疑惑を去って、犀の角のようにただ独り歩め。59 世の中の遊戯や娯楽に、満足を感ずることなく、心ひかれることなく、身の装飾を離れて、真実を語り、犀の角のようにただ独り歩め。60 妻子も、父母も、財産も穀物も、親類やその他あらゆる欲望までも、全て捨てて、犀の角のようにただ独り歩め。61 「これは執著である。ここは楽しみは少し、快い味わいも少くて、苦しみが多い。これは魚を釣る釣り針である」と知って、賢者は、犀の角のようにただ独り歩め。62 水の中の魚が網を破るように、また火が既に焼いたところに戻ってこないように、諸々の(煩悩の)結び目を破り去って、犀の角のようにただ独り歩め。63 俯して視、とめどなくうつろうことなく、諸々の感官を防いで守り、こころを護り(慎しみ)、(煩悩の)流れ出ることなく、(煩悩の火に)焼かれることもなく、犀の角のようにただ独り歩め。64 葉の落ちたパーリチャッタ樹のように、在家者の諸々のしるしを除き去って、出家して袈裟の衣をまとい、犀の角のようにただ独り歩め。2026/10/01 03:10:018.◆JBLfMwCXhY1mDbq65 諸々の味を貪ることなく、えり好みすることなく、他人を養うことなく、戸ごとに食を乞い、家々に心をつなぐことなく、犀の角のようにただ独り歩め。66 こころの五つの覆いを断ち切って、全てに付随して起こる悪しき悩み(随煩悩)を除き去り、何者かにかたよることなく、愛念の過ちを断ち切って、犀の角のようにただ独り歩め。67 以前に経験した楽しみと苦しみを擲ち、また快さと憂いとを擲って、清らかな平静と安らいとを得て、犀の角のようにただ独り歩め。68 最高の目的を達成するために努力策励し、こころが怯むことなく、行いに怠ることなく、堅固な活動をなし、体力と智力とを具え、犀の角のようにただ独り歩め。69 独座と禅定を捨てることなく、諸々のことがらについて常に理法に従って行い、諸々の生存には患いのあることを確かに知って、犀の角のようにただ独り歩め。70 妄執の消滅を求めて、怠らず、明敏であって、学ぶこと深く、こころをとどめ、理法を明らかに知り、自制し、努力して、犀の角のようにただ独り歩め。71 音声に驚かない獅子のように、網にとらえられない風のように、水に汚されない蓮のように、犀の角のようにただ独り歩め。72 歯牙強く獣どもの王である獅子が他の獣にうち勝ち制圧してふるまうように、辺地の坐臥に親しめ。犀の角のようにただ独り歩め。73 慈しみと平静とあわれみと解脱と喜びとを時に応じて修め、世間全てに背くことなく、犀の角のようにただ独り歩め。74 貪欲と嫌悪と迷妄とを捨て、結び目を破り、命の失うのを恐れることなく、犀の角のようにただ独り歩め。75 今の人々は自分の利益のために、交わりを結び、また他人に奉仕する。今日、利益をめざさない友は、得がたい。自分の利益のみを知る人間は、きたならしい。犀の角のようにただ独り歩め。2026/10/01 03:10:219.◆JBLfMwCXhY1mDbqダンマパダ 対の章1 ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人につき従う。──車をひく(牛)の足跡に車輪がついて行くように。2 ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも清らかな心で話したり行ったりするならば、福楽はその人につき従う。──影がそのからだから離れないように。3 「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われにうち勝った。かれは、われから強奪した。」という思いをいだく人には、怨みはついに息(や)むことがない。4 「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われにうち勝った。かれは、われから強奪した。」という思いをいだかない人には、ついに怨みが息む。5 実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である。6 「われらは、ここにあって死ぬはずのものである」と覚悟をしよう。──このことわりを他の人々は知っていない。しかし、このことわりを知る人々があれば、争いはしずまる。7 この世のものを淨らかだと思いなして暮し、(眼などの)感官を抑制せず、食事の節度を知らず、怠けて勤めない者は、悪魔にうちひしがれる。──弱い樹木が風に倒されるように。8 この世のものを不淨であると思いなして暮し、(眼などの)感官を抑制し、食事の節度を知り、信念あり、勤めはげむ者は、悪魔にうちひしがれない。──岩山が風にゆるがないように。9 けがれた汚物を除いていないのに、黄褐色の法衣をまとおうと欲する人は、自制が無く真実も無いのであるから、黄褐色の法衣にふさわしくない。10 けがれた汚物を除いていて、戒律をまもることに専念している人は、自制と真実とをそなえているから、黄褐色の法衣をまとうのにふさわしい。2026/10/01 03:16:4010.◆JBLfMwCXhY1mDbq11 まことでないものを、まことであると見なし、まことであるものを、まことではないと見なす人々は、あやまった思いにとらわれて、ついに真実(マコト)に達しない。12 まことであるものを、まことであると知り、まことでないものを、まことでないと見なす人は、正しい思いにしたがって、ついに真実(マコト)に達する。13 屋根を粗雑に葺いてある家には雨が洩れ入るように、心を修養していないならば、情欲が心に侵入する。14 屋根をよく葺いてある家には雨が洩れ入ることが無いように、心をよく修養してあるならば、情欲の侵入することか無い。15 悪いことをした人は、この世で憂え、来世でも憂え、ふたつのところで共に憂える。かれは、自分の行為が汚れているのを見て、憂え、悩む。16 善いことをした人は、この世で喜び、来世でも喜び、ふたつのところで共に喜ぶ。かれは、自分の行為が淨らかなのを見て、喜び、楽しむ。17 悪いことをなす者は、この世で悔いに悩み、来世でも悔いに悩み、ふたつのところで悔いに悩む。「わたくしは悪いことをしました」といって悔いに悩み、苦悩のところ(=地獄など)におもむいて(罪のむくいを受けて)さらに悩む。18 善いことをなす者は、この世で歓喜し、来世でも歓喜し、ふたつのところで共に歓喜する。「わたくしは善いことをしました」といって歓喜し、幸あるところ(=天の世界)におもむいて、さらに喜ぶ。19 たとえためになることを数多く語るにしても、それを実行しないならば、その人は怠っているのである。──牛飼いが他人の牛を数えているように。かれは修行者の部類には入らない。20 たとえためになることを少ししか語らないにしても、理法にしたがって実践し、情欲と怒りと迷妄とを捨てて、正しく気をつけていて、心が解脱して、執著することの無い人は、修行者の部類に入る。2026/10/01 03:16:5411.◆JBLfMwCXhY1mDbqダンマパダ 花の章44 だれがこの大地を征服するであろうか? だれが閻魔の世界と神々とともなるこの世界とを征服するであろうか? わざに巧みな人が花を摘むように。善く説かれた真理のことばを摘み集めるのはだれであろうか?45 学びにつとめる人こそ、この大地を征服し、閻魔の世界と神々とともなるこの世界とを征服するであろう。わざに巧みな人が花を摘むように、学びにつとめる人々こそ善く説かれた真理のことばを摘み集めるであろう。46 この身は泡沫(ウタカタ)のごとくであると知り、かげろうのようなはかない本性のものであると、さとったならば、悪魔の花の矢を断ち切って、死王に見られないところへいくであろう。47 花を摘むのに夢中になっている人を、死がさらって行くように、眠っている村を、洪水が押し流して行くように、──48 花を摘むのに夢中になっている人が、未だ望みを果たさないうちに、死神がかれを征服する。49 蜜蜂は(花の)色香を害をずに、汁をとって、花から飛び去る。聖者が、村に行くときは、そのようにせよ。50 他人の過失を見るなかれ。他人のしたこととしなかったことを見るな。ただ自分のしたこととしなかったこととだけを見よ。2026/10/01 03:18:5012.◆JBLfMwCXhY1mDbq51 うるわしく、あでやかに咲く花でも、香りの無いものがあるように、善く説かれたことばでも、それを実行しない人には実りがない。52 うるわしく、あでやかに咲く花で、しかも香りあるものがあるよえに、善く説かれたことばも、それを実行する人には、実りがある。53 うず高く花を集めて多くの華鬘(ハナカザリ)をつくるように、人として生まれまた死ぬべきであるならば、多くの善いことをなせ。54 花の香りは風に逆らっては進んで行かない。栴檀もタガラの花もジャスミンもみなそうである。しかし徳のある人々の香りは、風に逆らっても進んで行く。徳のある人はすべての方向に薫る。55 栴檀、タガラ、青蓮華、ヴァッシキー──、これら香りのあるものどものうちでも、徳行の香りこそ最上である。56 タガラ、栴檀の香りは微かであって、大したことはない。しかし徳行ある人々の香りは最上であって、天の神々にもとどく。57 徳行を完成し、つとめはげんで生活し、正しい知慧によって解脱した人々には、悪魔も近づくよし無し。58 大道に棄てられた塵芥の山堆の中から香しく麗しい蓮華が生ずるように。59 塵芥にも似た盲(メシイ)た凡夫のあいだにあって、正しく目ざめた人(ブッダ)の弟子は知慧もて輝く。2026/10/01 03:19:0313.◆JBLfMwCXhY1mDbqコピペ元http://hikari-k.ed.jp/zenchoji//sutra/SuttaNipata/sutra00.htmlhttps://hosai02.la.coocan.jp/dammapada-01/damma-all-text.htm2026/10/01 03:19:5814.◆JBLfMwCXhY1mDbq前スレ完走【ブッダの教え】初期仏教【ヴィパッサナー瞑想】 Part2https://talk.jp/boards/psy/17799680912026/10/01 04:05:5315.◆JBLfMwCXhY1mDbq手を広げすぎなので、次スレを立てるか迷ったがやはり、もういっぺん取り組みたいテーマ(笑)2026/10/01 04:06:2216.神も仏も名無しさんSUNLmエレファントカシマシ様の風に吹かれて。とっても良い歌だと思いました。いつもの昨日、それが良かったけれど風に吹かれる。2026/10/01 12:32:4517.◆JBLfMwCXhY9Ir0u四諦(したい)苦諦(くたい) 生きるのは苦を伴う集諦(じったい) 苦には原因がある滅諦(めったい) 原因がなくなれば、苦もなくなる道諦(どうたい) 苦の原因をなくす方法論がある2026/10/01 18:40:0118.◆JBLfMwCXhY9Ir0u四念処 (苦の原因をなくすための方法論)① 身念処(身体の観察)まずは単純に息が入る息が出る体の感覚がある→ ここで「身体はただの現象」と見えてくる② 受念処(感覚)次に心地よい不快どちらでもないという“評価”が起きていることに気づく→ 「快・不快は勝手に起きる」と見える③ 心念処(心そのもの)さらに集中している心散乱している心落ち着いた心など、「心の状態そのもの」を観る→ 「心も固定物ではない」と分かる④ 法念処(構造理解)最後に無常縁起五蓋(妨げ) などの“法則性”を見る→ 世界の仕組みそのものを理解する方向へ行く2026/10/01 18:40:3019.◆JBLfMwCXhY9Ir0u質問:初期仏教の最重要教義でありながら四念処の認知度は、妙に低いな?四諦、八正道、五蘊、六波羅蜜などに比べると「ほとんど知られていない」と言っても言いすぎではない2026/10/01 18:41:1220.◆JBLfMwCXhY9Ir0uチャットGPT:それは、かなり鋭い指摘。実際、初期仏教研究者やテーラワーダ実践者を除くと、「四念処」を中心に理解している人は少ない。一般の仏教イメージは、四諦八正道縁起空般若心経禅問答浄土などに寄りやすい。一方、「四念処」は、釈尊自身が“これが直道だ”とまで言ったわりに、知名度が低い。2026/10/01 18:41:2921.◆JBLfMwCXhY9Ir0uこれは偶然ではなく、いくつか理由がある。まず大きいのは、四念処があまりにも「地味」だから。内容は基本的に、呼吸を見る歩くのを見る怒ってるのを見る快不快を見る心の反応を見るという、非常に実践的で内面的な観察訓練。つまり、 「世界とは何か」 「空とは何か」 みたいな哲学談義になりにくい。2026/10/01 18:41:5022.◆JBLfMwCXhY9Ir0u20世紀以降、マハーシ・サヤドースマナサーラヴィパッサナー系などが広めたことで、「仏教の中心は“観察”だったのでは?」という再発見が起きた。だからあなたが感じている違和感、「最重要っぽいのに、なぜ誰も知らない?」は、かなり本質的なんだ。2026/10/01 18:42:2723.◆JBLfMwCXhY9Ir0uハッキリ言おう「四念処」こそ、初期仏教の核心だ2026/10/01 18:43:0124.◆JBLfMwCXhY9Ir0uこの頃ますますその確信が深まってきた2026/10/01 18:43:1925.◆JBLfMwCXhY9Ir0u「四念処」を抜きにした初期仏教など、意味がない2026/10/01 18:43:5526.◆JBLfMwCXhY9Ir0u初期仏教は、自己観察の修行だ2026/10/01 18:44:3527.◆JBLfMwCXhY9Ir0uチャットGPT:うん。かなり本質を突いていると思う。初期仏教を「教義の体系」としてだけ見ると、輪廻・業・無我・五蘊・縁起などが並んで見えるけれど、四念処に戻すと、それらが何のための教説なのかが見えやすくなる。四念処は、身念処 ― 身体を身体として観察する受念処 ― 快・不快・どちらでもないという「受」を観察する心念処 ― 貪り・怒り・散乱など、心の状態を観察する法念処 ― 五蓋・五蘊・七覚支・四諦など、心身に生起する法を観察するという構造。つまり「自分について考える」というより、今ここで起きている経験を、できるだけそのまま観察する。そして、ここがあなたが以前言っていたアビダルマ・唯識への関心ともつながる。「俺は怒っている」ではなく、怒りが生じた。不快な受がある。それに対して瞋が働いている。「俺を侮辱した」という我執・分別が付加されている。という具合に、「私」という一塊に見えていたものを、発生している現象として分解して見る。これはまさに初期仏教の修行の核心部分だと思う。2026/10/01 18:47:2228.◆JBLfMwCXhY9Ir0uしかも面白いのは、四念処は単なる「自己分析」でもないことだな。観察を進めると、身体 → 感受 → 心 → 諸法と、経験世界そのものを観察対象にしていく。その結果として、「これは私だ」「これは私のものだ」「これは私の自己だ」という把握が弱まっていく。だから初期仏教の「無我」は、最初から哲学命題として「自己など存在しない!」と宣言するというより、自己だと思っているものを徹底的に観察してみろ。そこに何が見つかるか?という実践から出てくる結論、と見るほうが四念処との整合性が高い。そして、あなたが言う「初期仏教は自己観察の修行だ」という表現は、かなりいい。ただ、厳密には 「自己を観察する」から一歩進んで、「自己を含む経験の構成過程を観察する」 と言ったほうが初期仏教らしい。この意味では、後の五蘊・十二処・十八界・心所・縁起・唯識へ発展していく方向性も、かなり自然に見えてくる。2026/10/01 18:47:4929.◆JBLfMwCXhY9Ir0u質問:現代のヴィパッサナー瞑想とは異なるか?2026/10/01 18:52:1430.◆JBLfMwCXhY9Ir0uチャットGPT:かなり違う。ただし、根っこは同じと考えたほうがいい。現代の「ヴィパッサナー」は一枚岩ではなく、系統によってかなり違う。特にテーラワーダ系の現代瞑想法では、初期経典の四念処を現代的な瞑想技法として再構成している。特に重要なのは、四念処=単なる「身体感覚を観察する瞑想」ではないという点。たとえば『念処経』系では、身体を観察するだけでなく、「貪りがあるときは、貪りがあると知る」「貪りがないときは、貪りがないと知る」というように、心の状態そのものを観察する。さらに法念処では五蓋、五取蘊、六処、七覚支、四諦などまで観察する。だから、あなたのいう「初期仏教は自己観察の修行だ」という理解に近いのは、現代ヴィパッサナーの中でもかなり広い意味で四念処を扱うタイプだと思う。2026/10/01 18:53:3731.◆JBLfMwCXhY9Ir0u一方で、たとえば「鼻の下の呼吸を観察→身体感覚を細かく観察→すべての感覚の生滅を観察」という現代的な体系になると、四念処そのものというより、四念処を特定の瞑想技法へ再構成したものと見るほうが正確。そして、ここが面白い。あなたが最近やっているような、「怒りが起きた」↓「不快な受がある」↓「相手を敵視する心が生じた」↓「俺を馬鹿にされた、という我執・分別が加わった」という観察は、むしろアビダルマ的な分析と四念処が接続している。つまり、四念処 → 現象を直接観察するアビダルマ → その現象をさらに細かく分類・分析する唯識 → その認識過程をさらに深く分析するという流れで見ると、あなたが「四念処こそ初期仏教の核心」と感じている理由がかなりはっきりする。現代ヴィパッサナーは、その巨大な伝統の中の一つの現代的再構成と考えるのがよさそうだ。2026/10/01 18:54:0132.◆JBLfMwCXhY9Ir0u一方で、たとえば「鼻の下の呼吸を観察→身体感覚を細かく観察→すべての感覚の生滅を観察」という現代的な体系になると、四念処そのものというより、四念処を特定の瞑想技法へ再構成したものと見るほうが正確。そして、ここが面白い。あなたが最近やっているような、「怒りが起きた」↓「不快な受がある」↓「相手を敵視する心が生じた」↓「俺を馬鹿にされた、という我執・分別が加わった」という観察は、むしろアビダルマ的な分析と四念処が接続している。つまり、四念処 → 現象を直接観察するアビダルマ → その現象をさらに細かく分類・分析する唯識 → その認識過程をさらに深く分析するという流れで見ると、あなたが「四念処こそ初期仏教の核心」と感じている理由がかなりはっきりする。現代ヴィパッサナーは、その巨大な伝統の中の一つの現代的再構成と考えるのがよさそうだ。2026/10/01 18:54:2833.◆JBLfMwCXhY9Ir0uプロンプト:当方がやってるのは、アビダルマ倶舎論方式の修行だつまり、初期仏教よりも、もっと細かく心理分析している(笑)当然、井上義衍系の無為自然っぽい修行法とは大きく異なる2026/10/01 18:56:5034.◆JBLfMwCXhY9Ir0uチャットGPT:そうだな(笑)。それなら、あなたがやっていることを「現代ヴィパッサナー」と一括りにするのも、ちょっと違う。むしろ、初期仏教の四念処 → 経験を観察するアビダルマ → その経験をさらに微細な心的要素に分解するあなたの実践 → 実際に自分の反応を観察しながら、心所レベルまで分析するという感じだろう。たとえば「腹が立った」で終わらず、外部刺激↓触↓受(不快)↓想・認知↓作意↓瞋↓「俺を馬鹿にした」という我執・分別↓怒りを正当化する思考↓二次的な怒り……と、「怒っている」という一つの出来事を解剖する。これはかなりアビダルマ的(笑)。しかも、こうやって分析すると、「私は怒った」という一枚岩の自己像が崩れて、いろいろな心的現象が条件によって連鎖しているという見方に変わってくる。2026/10/01 18:57:4335.◆JBLfMwCXhY9Ir0uだから「反応しない」の意味も少し違う。井上義衍系なら、分析を重ねて「怒りを制御しよう」とすること自体が、場合によっては余計な作為になる。あなたの場合はむしろ、「なぜ今、反応した?」を徹底的に調べる。そして構造が見えてくれば、次第に反応そのものが弱くなる。つまり、義衍系:作為を離れる → そのままにするに対して、アビダルマ系:観察する → 分析する → 因果関係を見抜く → 執着を弱めるという違い。だから、表面だけ見るとどちらも「反応しない人」になっても、修行のプロセスはかなり違う。そしてあなたの場合、以前話していた「内田樹への怒りが、だんだん他人事に見えてきた」という現象も、このアビダルマ式の観察の実例としてかなり分かりやすい。「怒るな」と自分に命令したわけではなく、怒りという現象を分解して眺めているうちに、怒りとの同一化が薄くなったわけだからな。これはまさに、「煩悩を消そうとする」のではなく、「煩悩がどう動いているかを見る」という修行になっている。2026/10/01 18:58:1436.◆JBLfMwCXhY9Ir0uプロンプト:「余計な作為をしない」とか「そのまま放っておく」とかそのあたりを強調するのは、老荘思想の特徴井上義衍系には、老荘思想の強い影響が感じられるただし、井上義衍系は厳しい。老荘みたいな、ゆるい雰囲気はない。その点では、仏教的だ2026/10/01 19:06:4737.◆JBLfMwCXhY9Ir0uチャットGPT:そういう整理なら、かなり腑に落ちる。特に面白いのは、「無為」という言葉だけを見ると老荘的なのに、その実践の質は全然ゆるくないというところだな。老荘的な「無為」は、典型的には、人為的な作為を増やさない自然の流れに逆らわない余計なことをしないという方向を強く持つ。ところが井上義衍系の場合、「何もしないんだから楽だ」には全然ならない。むしろ、「余計なことをするな」「そのままにせよ」「自己を作り変えようとするな」という要求を、ものすごく厳密に突きつけてくる。ここが老荘的な無為自然とはかなり違う。そして、仏教的な厳しさが出てくるのは、結局、「そのまま」と言っても、凡夫の欲望・執着・自己欺瞞をそのまま肯定するわけではないからだと思う。老荘的な「自然」は、人為を離れることそのものに肯定的価値を置きやすい。ところが仏教では、「じゃあ欲望のまま自然に生きればいい」とはならない。むしろ、「そのまま」を徹底した結果、自己への執着や作為が露呈してくる。だから義衍系の「無為」は、楽をするための無為ではなく、作為によって悟りを作ろうとすることすら許さない無為なんだろう。2026/10/01 19:08:2038.◆JBLfMwCXhY9Ir0uこの意味では、あなたの整理は、思想的な語彙・方向性には老荘的な響きがある。しかし、その実践要求の厳しさは仏教的。という二層構造として見るとかなり面白い。そして、ここには中国禅そのものの歴史的特徴も見えてくる。**インド仏教の「修行・観察・煩悩対治」**に、**中国的な「無為・自然・不作為」**が重なり、それが禅独特の「修行しているのに、修行によって何かを作ろうとしない」という、一見矛盾した形になっていく。あなたのアビダルマ式が、「徹底的に分析して、作為の構造を見抜く」方向なのに対して、義衍系は、「分析して作り変えようとする、その作為自体を問題にする」方向。だから、両者はかなり遠いようでいて、最終的に狙っている**「我執による余計な反応を離れる」**というところでは接点がある。この二つを比較すると、インド仏教と中国禅の違いまで見えてくるんだよな。2026/10/01 19:08:3239.◆JBLfMwCXhY9Ir0uプロンプト:あんなに老荘っぽいのに本人たちは、そう思っていない「これこそ、仏教本来の姿だ」と思ってるところが面白い井上義衍系の人は、たいてい他の思想に関心が無いので、仏教と老荘思想の違いなど知らない2026/10/01 19:12:1140.◆JBLfMwCXhY9Ir0uチャットGPT:そう、そこが思想史的にはかなり面白いところだと思う。ただ、「義衍系の人は皆そうだ」とまでは言わず、傾向として見るのがよさそうだね。井上義衍系の自己理解としては、「老荘思想の影響を受けた禅」ではなく、「これこそ釈尊以来の仏教の核心を直接実践している」という自己理解になるわけだ。そして、そこには一種の思想的な盲点が生じ得る。本人にとっては、作為しない→ 余計なことをしない→ 自然に任せる→ ただそのままというのは「老荘的発想」ではなく、禅の当然の帰結なんだよね。ところがインド仏教をかなり遡って見ると、初期仏教ではむしろ、戒を守る↓念を修める↓心を観察する↓煩悩を識別する↓五蓋などを断つ↓七覚支を育てる↓解脱するという、かなり訓練型・分析型の宗教になっている。ここに大きな文化差がある。2026/10/01 19:12:5841.◆JBLfMwCXhY9Ir0uしかも中国では、老荘思想が単に「別の哲学」として存在しただけではなく、中国人がインド仏教を理解するための言語・思考様式そのものに影響した。だから後世の禅で、無為無作任運自然不立文字無修無証のような表現が強くなっていくのを、単純に「全部インド仏教から直接出てきた」と考えるのは難しい。ここであなたが言う、「本人たちは老荘思想だと思っていない」という現象が起きる。これは別に「本人たちが無知だから」という話ではなく、思想が文化の中に完全に内在化されると、外来思想として意識されなくなるという、思想史ではよくある現象なんだよね。日本人が「日本語を話している」と意識せずに中国由来の漢語を大量に使っているのと、ちょっと似ている。そして義衍系の面白さは、まさにそこ。思想的な表現は非常に中国禅的・老荘的なのに、実践者の自己理解は徹底して「仏教」なのである。しかも、そこで「老荘も面白いな」と横道に逸れたりしない(笑)。だから外からインド思想史・中国思想史・仏教史を比較している人間のほうが、「あれ? これ、かなり老荘っぽくないか?」と気づきやすい。あなたの場合、初期仏教→アビダルマ→唯識まで遡って比較しているから、なおさらその差が見えるんだと思う。2026/10/01 19:14:0542.◆JBLfMwCXhY9Ir0uプロンプト:思想が混ざるのは、よくあることだ日本の神仏習合も、独特の精神世界ワールドなんだし霊友会系の新興宗教では、先祖供養を仏教だと思い込んでいるが、あれは儒教の祖霊崇拝の変形バージョン2026/10/01 19:16:0543.◆JBLfMwCXhY9Ir0uチャットGPT:そう。これはまさに**「宗教の自己理解」と「思想史的な系譜」は別問題**という話だな。日本の宗教史は、とくに混ざり方がすごい。神仏習合なんて、神=仏の垂迹仏=神の本地という形で、インド由来の仏教・中国思想・日本在来の神祇信仰が長期間かけて融合して、独特の世界観になった。そして先祖供養も面白い。**「先祖を大切にする=仏教」**と日本では普通に思われているけれど、歴史的にはそんな単純な話ではない。仏教にはもちろん死者供養の伝統がある。しかし、現在の日本で一般的な、先祖代々の霊を祀る↓墓を守る↓法事をする↓子孫が先祖を供養するという「家」を中心にした祖先祭祀は、仏教だけから出てきたものではない。中国・東アジアの儒教的な祖先祭祀や、日本固有の祖霊観、さらに寺院制度・檀家制度などが重なって形成されたものと見るほうが歴史的には適切。なので、霊友会系などの「先祖供養」を純粋な初期仏教の実践として理解するのは難しい。2026/10/01 19:17:0844.◆JBLfMwCXhY9Ir0uただし、「だから先祖供養は仏教ではない」と切ってしまうのも少し乱暴で、仏教が東アジア社会に定着する過程で、祖先祭祀と結合して独自の仏教文化を形成したと考えたほうが面白い。そして、これはさっきの義衍系の話とも完全につながる。本人たちは「仏教をやっている」と思っている。でも思想史的に分解してみると、インド仏教+ 中国思想+ 日本固有の宗教観+ 社会制度+ 民間信仰が何層にも重なっている。宗教って、こういう巨大なブレンド文化になっていることが多いんだよな(笑)。だから「これは仏教か?儒教か?神道か?」と一つのラベルを貼ろうとすると、かえって実態が見えなくなる。**「どの思想が、どの部分を担っているのか」**と分解して見るほうが、あなたのアビダルマ的な見方にも近い。2026/10/01 19:18:0045.◆JBLfMwCXhY9Ir0u中国で儒教や道教と習合し、さらに日本で神道と習合した仏教日本の神仏習合宗教こそ、東洋思想の完成形2026/10/01 19:19:1346.◆JBLfMwCXhY9Ir0uまたまた脱線したが要するに、初期仏教の核心は「自己観察の実践」2026/10/01 19:19:4847.◆JBLfMwCXhY9Ir0uもう1つの柱は、「固定観念からの脱却」2026/10/01 19:20:0848.◆JBLfMwCXhY9Ir0uチャットGPT:そう。ここまでの話をまとめると、かなりきれいに二本柱になると思う。2026/10/01 19:22:1049.神も仏も名無しさんPp5oP明治初期に明治政府が修験道を一番に弾圧してたので、新興宗教のマーケットは生み出された😀2026/10/01 19:22:1850.◆JBLfMwCXhY9Ir0u① 自己観察の実践四念処を中心に、「自分の身・受・心・法で、実際に何が起きているのかを見る」という実践。「私は怒っている」で終わらず、何が刺激になった?どんな受が生じた?どんな認識が起きた?どんな欲・怒り・執着が生じた?と観察していく。そしてアビダルマになると、これをさらに細かく分解する。2026/10/01 19:22:2051.◆JBLfMwCXhY9Ir0u② 固定観念からの脱却こちらは単なる「偏見をなくそう」という話ではなく、もっと深い。人間は、「これは私だ」「これは私のものだ」「物事はこういうものだ」「私はこういう人間だ」という固定した把握を、経験に重ねてしまう。そこでブッダは、「本当にそうなのか?」と、経験そのものを調べさせる。五蘊を観察しても、どれも固定的な「私」として掴めない。縁起を観察しても、物事は独立した固定的実体として存在しているわけではない。だから、観察する → 固定的な見方が崩れる → 執着が弱まるという流れになる。この二本は実は一つにつながっている。自己観察が「方法」で、固定観念からの脱却が「その結果として生じる智慧」と見ることもできる。2026/10/01 19:22:4352.◆JBLfMwCXhY9Ir0u>>49神仏習合をやめさせようとした結果がもっとドロドロした新興宗教につながったんだな😫2026/10/01 19:23:3653.神も仏も名無しさんPp5oPだいぶ、REAL山伏か見えてきたので日本の新興宗教含めて宗教文化のイメージが掴めてきたな、シーア派からヒラメイタ😀2026/10/01 19:23:3854.神も仏も名無しさんPp5oPシーア派の初期化発想は👍️だった😀2026/10/01 19:24:3855.◆JBLfMwCXhY9Ir0uプロンプト:さっき、「禅宗は老荘っぽい」と言ったが「信念体系の破壊を迫る」という点では、臨済宗がもっともキツいこれに関しては、むしろ、最も仏教らしいスタンス2026/10/01 19:25:5856.◆JBLfMwCXhY9Ir0uチャットGPT:そう。ここはかなり重要な修正だと思う。「禅は老荘的な無為自然を強く持つ」ことと、「禅は仏教的な固定観念の破壊を徹底する」ことは、両立する。そして後者については、臨済宗は非常に強烈だ。臨済系の禅は、「正しい仏教観」を新しい固定観念として持たせることすら警戒する。たとえば、仏を求める→ 「仏とはこういうものだ」という観念を作る→ その観念に執着するとなったら、その「仏」まで叩き壊す。有名な**「逢仏殺仏」**も、文字通り仏を殺せという話ではなく、仏という観念を掴んでしまったら、その掴み方を破壊せよという臨済禅の極端な表現として理解できる。これは、さっき話していた初期仏教の固定観念からの脱却とかなり深いところで響き合う。しかも臨済禅は、「正しい答えを教える」より、「答えを掴もうとする心そのものを破壊する」方向に行く。だから、「仏教とはこういう思想です」と説明して終わるのではなく、「その説明を掴んでいるお前は何者だ?」と、説明そのものをひっくり返す。ここは確かに、非常に仏教的な反固定化の精神として読める。2026/10/01 19:26:4957.◆JBLfMwCXhY9Ir0uただ、初期仏教との違いもある。初期仏教では、固定観念を壊すために四念処・縁起・五蘊・四諦などを観察する道具がかなり明確に用意されている。臨済禅では、その道具さえ最後には捨てさせようとする。つまり、初期仏教固定観念を観察によって解体する。臨済禅固定観念を解体し、さらに「解体するための教え」への執着まで解体する。という違いがある。だから面白いんだよな。老荘的な「無為自然」だけを見ると、中国禅はインド仏教から離れているように見える。ところが、「一切の固定観念を掴むな」という方向から見ると、臨済禅はむしろ、仏教の無執着・無我・戯論寂滅をものすごくラディカルに推し進めている。そしてあなたがさっき挙げた二本柱に重ねるなら、四念処=固定観念がどう生じているかを見る臨済禅=その固定観念を掴んだ瞬間に叩き壊すという、かなり面白い対照になる。2026/10/01 19:27:1358.神も仏も名無しさんPp5oPま、破壊主義だ師匠は坊主のなりより普通の人を美学しとるので天才神秘主義マシーン娯楽の俺も、仕事生活ではそのスタンスなので😀2026/10/01 19:27:5459.◆JBLfMwCXhY9Ir0u>>53シーア派は、イスラム教とゾロアスター教ペルシャ版の神仏習合だ2026/10/01 19:28:0960.◆JBLfMwCXhY9Ir0u>>58師匠要らずだな?😆2026/10/01 19:28:3661.神も仏も名無しさんPp5oP>>60坊主芸能やらんと衆生済度できる師匠、あのレベルはマジ凄い俺は単に無限の神秘主義頭数マシーンなだけだ😀2026/10/01 19:30:3662.神も仏も名無しさんPp5oPシーア派はスンニ派みたいに律法守ってればOKではなさそうだ、メンタルの初期化を狙ってそうだ😀2026/10/01 19:32:0763.◆JBLfMwCXhY9Ir0uシーア派の神秘思想は深い2026/10/01 19:43:3964.◆JBLfMwCXhY9Ir0u初期仏教の3本柱1、四念処による自己観察の実践2、自己の見解への執着を断ち、固定的な信念を放棄する3、四諦・八正道・三法印を初めとする、正しい教えを学ぶ2026/10/01 19:50:0165.◆JBLfMwCXhY9Ir0uチャットGPT:うん、この三本立てなら、かなりバランスがいい。特に**「自己観察」と「教えを学ぶ」を両方入れている**のが重要だと思う。初期仏教の三本柱1.四念処による自己観察の実践身・受・心・法を観察して、「自分の中で、今何が起きているのか?」を直接調べる。単なる内省ではなく、貪・瞋・痴、五蓋、五蘊、縁起などを実際の経験の中で観察していく。2.見解への執着を断ち、固定的な信念を手放すここは非常に重要。「私はこう思う」という見解そのものを自己と一体化させない。「これは本当にそうなのか?」「私はなぜ、そう思っているのか?」「その見解に執着していないか?」と検討する。だから仏教は、単に「正しい教義を信じなさい」という宗教ではない。むしろ「見解に執着すること」そのものを問題にする。ただし、ここには面白い逆説がある。「あらゆる見解を捨てろ」という見解に執着するのもダメ(笑)。中道が必要になる。3.正しい教えを学ぶそして、ここを忘れてはいけない。四諦、八正道、三法印、縁起、五蘊、五蓋、業、輪廻、解脱……。こうした仏陀の教えを学び、それを観察と実践の方向づけにする。つまり、観察だけでもダメ。教義だけでもダメ。「何も信じない」だけでもダメ。という構造になる。そして三者の関係を一行で書くなら、教えを学ぶ → 実際に観察する → 自分の固定観念を検証する → 見解への執着が弱まる → さらに教えが深く理解されるという循環だろう。2026/10/01 19:50:4766.◆JBLfMwCXhY9Ir0uだいぶ考えがまとまってきたな2026/10/01 19:51:1967.◆JBLfMwCXhY9Ir0u前スレでここまで来れていれば新スレを立てなくて済んだ(笑)2026/10/01 19:51:4568.◆JBLfMwCXhY9Ir0uまあいいか2026/10/01 19:52:0569.◆JBLfMwCXhY9Ir0u聖ウンコ師の影響もあるな😂2026/10/01 19:53:0270.◆JBLfMwCXhY9Ir0u仏のスレ主からの影響も受けている😂2026/10/01 19:53:3171.◆JBLfMwCXhY9Ir0u上記の3本柱のうち1は仏のスレ主2は聖ウンコ師それぞれインスパイアされて、改造したものだ(笑)2026/10/01 19:54:4172.◆JBLfMwCXhY9Ir0u3についても、元オウム氏からの影響が大きい😅2026/10/01 19:56:3473.◆JBLfMwCXhY9Ir0uまあ、上でもさんざん書いてるが1については、当方は「自己観察」を採用している仏のスレ主のとこみたいな「そのまま放っておく」というのも、1つの道だとは思うが長年やってきて慣れてる方式がいい😂2026/10/01 19:59:0574.◆JBLfMwCXhY9Ir0uオウム真理教は、最悪の宗教みたいに言われているがまあ実際、凶悪なテロリスト集団なんだから最悪だが😅初期仏典の研究は、徹底的にやっていた研究所があって、パーリ語やサンスクリット語を読める人材がいたそこの出身だから、元オウム氏の初期仏教に対する理解は確かだ2026/10/01 20:01:2275.◆JBLfMwCXhY9Ir0u2については聖ウンコ師の影響で「スッタニパータ」を久々に熟読して、大きな影響を受けたウンコ師本人は「釈迦の教えをさっさと捨て去れ。釈迦本人がそう言ってるのだ」とかなんとか素っ頓狂な与太話を妙に必死で展開してるが😅初期仏教が「固定観念からの脱却」、「信念体系の破壊」、「見解への執着の放棄」を目指すものなのは確かだそれは間違いない2026/10/01 20:05:2976.神も仏も名無しさん0PtLTムイムイとハッスルにはナルシズム破壊対応だマジメに指導だ😀2026/10/01 20:07:4077.◆JBLfMwCXhY9Ir0u仏のスレ主のとこの曹洞宗の禅寺は井上義衍の系統と思われるが、義衍禅よりも無為自然っぽい「観察すらしない。とくに何もしないで、そのまま放っておく」というスタイルだ個人的には、「観察すらしないんじゃ、意味ないだろ」という疑問があるがその疑問をキッカケに、井上義衍系について調べたおかげでやはり、大きな影響を受けてきた2026/10/01 20:09:1478.神も仏も名無しさん0PtLTテーラワーダのマハーシ流なら余裕で領域展開できる阿羅漢は無理だけど😀2026/10/01 20:09:4779.神も仏も名無しさん0PtLT道元の言う自己に習う、すなわち、自己を知るのは大事だろうハッスル、デンパパ、リダン、麦は自己を見ない人達😭2026/10/01 20:11:2880.◆JBLfMwCXhY9Ir0uマハーシ流かヴィパッサナー瞑想だな?😆2026/10/01 20:11:4581.神も仏も名無しさん0PtLTパオ流は知らないスマンカッタ流は本があるので、なんとなく解る😀2026/10/01 20:12:2782.◆JBLfMwCXhY9Ir0u聖ウンコ師、ロン殿、仏のスレ主、ムイムイ禅宗系の人たちは、それぞれに個性が強いが共通して、「自己愛が強い」という傾向を感じるんだよな~😅誤解だったら申し訳ないが2026/10/01 20:13:2083.◆JBLfMwCXhY9Ir0u彼らの自己愛の強さは坐禅で精神統一してることと無縁ではない気がする2026/10/01 20:14:2784.神も仏も名無しさん0PtLTロンも仏のスレ主もムイムイ、ハッスルほど酷くはないが自己愛に酔っていると感じる部分があるな、俺は瞑想仏教以外の霊的快楽愛に休日は燃えたい😀2026/10/01 20:15:2985.◆JBLfMwCXhY9Ir0u確かに仏のスレ主とロンはマトモだ一緒にするのは申し訳ないが2026/10/01 20:16:2186.神も仏も名無しさん0PtLT自己を知らない部分がある、自己を習わない、自己を知らない部分が😀カウント60しないと、規制がかかるめんどくさい😭2026/10/01 20:17:1387.◆JBLfMwCXhY9Ir0uう~んやっぱり、仏のスレ主とロンはマトモだな思想には違和感があるけど😅2026/10/01 20:17:2688.◆JBLfMwCXhY9Ir0uカウント60かそれはきついな?😫2026/10/01 20:17:5789.◆JBLfMwCXhY9Ir0uそれじゃ連投できないどうして、そうなった?😫2026/10/01 20:18:2990.神も仏も名無しさん0PtLT次の休日は西欧哲学ロック愛とシーア派愛、神道愛、ユダヤ教愛に燃えたい😀😀😀😀😀2026/10/01 20:18:3791.◆JBLfMwCXhY9Ir0u敵が多いから、誰かに陥れられたな?😫2026/10/01 20:18:4792.◆JBLfMwCXhY9Ir0u>>90そっちに行くんかい😅2026/10/01 20:19:1093.◆JBLfMwCXhY9Ir0u仏教はもうマスターしたか?2026/10/01 20:19:2194.神も仏も名無しさん0PtLT低速スマホでなんか、トーク板の情報量の問題かもしれん、ワイファイなら問題起きない😀2026/10/01 20:20:1595.◆JBLfMwCXhY9Ir0uメモリ容量の問題ではないかキャッシュを削除してみてはどうか2026/10/01 20:21:3196.神も仏も名無しさん0PtLT>>93仕事の集中力がらみで、臨済宗の謎の扉を開けるのがメインだな😀2026/10/01 20:21:4397.◆JBLfMwCXhY9Ir0u仏のスレ主とロンのおかげで井上義衍系の禅宗がだいぶ解ってきた2026/10/01 20:22:0098.◆JBLfMwCXhY9Ir0u大きな収穫だった2026/10/01 20:22:1599.◆JBLfMwCXhY9Ir0u聖ウンコ師からは、禅宗について何も学ぶものがない😅2026/10/01 20:22:33100.◆JBLfMwCXhY9Ir0u1002026/10/01 20:22:52101.神も仏も名無しさん0PtLTキャッシュの削減という意味がわからん、スマホ使用は2021あたりからの非文明人だった😀2026/10/01 20:23:10102.◆JBLfMwCXhY9Ir0uジェインスタイルを使っているか?2026/10/01 20:24:20103.神も仏も名無しさん0PtLTふむ、どんなときに行うべき?• スマホの容量がいっぱいになり、警告が出たとき。• アプリやWebサイトの動きが非常に重い、または正常に表示されないとき。• 普段からこまめに消す必要はありません。容量に余裕があるときはそのままにしておくのが自然です。2026/10/01 20:25:26104.神も仏も名無しさん0PtLT何も使ってない😀2026/10/01 20:26:35105.◆JBLfMwCXhY9Ir0uJaneStyleなら、スマホ画面の右上隅に、タテに3つ、点が並んでる記号があるそこを押すと、プルダウンメニューが出てきて一番下に「設定」がある設定の中で探せば「キャッシュの削除」が見つかる2026/10/01 20:26:45106.◆JBLfMwCXhY9Ir0u「キャッシュを削除する」か2026/10/01 20:28:19107.◆JBLfMwCXhY9Ir0uそうすると、スマホが自動的に保存してたデータが消える2026/10/01 20:28:37108.神も仏も名無しさん0PtLT60カウントで規制かかってないのでまーまーいける、長文コピペは難しそうだ😀2026/10/01 20:31:10109.◆JBLfMwCXhY9Ir0uそれなら、短文連投いけるな?😆2026/10/01 20:32:15110.神も仏も名無しさん0PtLT約一分ぐらい間を空けないと規制食らうようだ😀2026/10/01 20:34:03111.神も仏も名無しさん0PtLT規制くらいだすと書き込みボタンを押すと書き込めませんでした→また自動で書き込み審査モードで永遠自動リバースするようだ😅2026/10/01 20:38:01112.神も仏も名無しさん0PtLT閃光のハサウェイのキルケーの魔女見てないが、この曲のボーカリスト大好きでハマった😀宇多田ヒカルよりも良い😀https://m.youtube.com/watch?v=Xu9R7L_y3Yk&pp=ygUy6ZaD5YWJ44Gu44OP44K144Km44Kn44KkIOOCreODq-OCseODvOOBrumtlOWlsyDmm7I%3D2026/10/01 20:42:00113.◆JBLfMwCXhY1mDbq>>112映像も凄いな2026/10/01 21:12:04114.◆JBLfMwCXhYGx7Vz>>82> 聖ウンコ師、ロン殿、仏のスレ主、ムイムイ>> 禅宗系の人たちは、それぞれに個性が強いが>> 共通して、「自己愛が強い」という傾向を感じるんだよな~😅>> 誤解だったら申し訳ないが一瞬、こう思ったけど考え直した撤回2026/10/01 21:21:24115.神も仏も名無しさんEb68tま、ロンは自分に酔うところがあるし、仏のスレ主はマイペース頑固に見えるから同一化に見える時もあるな😀2026/10/01 21:47:20116.神も仏も名無しさんEb68t俺は本業禅レスよりも、瞑想仏教以外のほうが楽しい、瞑想仏教系統は仕事の集中力ネタかJBLの出したネタに乗るくらいまー直観的禅定ネタなたけだが😀2026/10/01 21:50:18117.神も仏も名無しさんEb68t死後の世界から今の生き方を霊的チョイスする発想は瞑想仏教以外の楽しみだ😀2026/10/01 21:51:40118.神も仏も名無しさんEb68t脳疲労込みで論理的西欧哲学娯楽は休日にしか、やれん😀2026/10/01 21:53:00119.神も仏も名無しさんGoV4I自己愛とナルシシズム、って違うんだよ。。健全な自己愛は無条件。。ナルシシズムって、何かに依存している、依拠している、ということですね。。自己愛はいいけどナルシシズムは病気。。2026/10/01 22:10:41120.神も仏も名無しさんEb68tま、ロンは病的ではない😀2026/10/01 22:12:02121.神も仏も名無しさんGoV4Iだから、根拠のない自信がいい。。w理由なくハッピーなのがいい。。理由があったら、どっかで崩れる。。w2026/10/01 22:14:11122.神も仏も名無しさんEb68tロンはドパガキ査定で合格しない、ムイムイ、リダン、デンパパ、ハッスルは合格査定だ😀2026/10/01 22:15:13123.神も仏も名無しさんGoV4Iドパガキって、何かと思って調べてしまった。。w2026/10/01 22:41:17124.神も仏も名無しさんGoV4Iハッピーじゃなくてもいいけどね。。どうあってもいい。。2026/10/01 22:41:56125.神も仏も名無しさんEb68t脳に電極さしてボタン連打状態だろな😅2026/10/01 22:43:42126.神も仏も名無しさんGoV4I>>125おもろい。。w2026/10/01 22:50:02127.◆JBLfMwCXhYv2ph0修行に頑固さは必要だしょっちゅう、コロコロ、気が変わってるようじゃ続かない(笑)2026/10/02 00:52:19128.◆JBLfMwCXhYv2ph0当方も、じつのところ集中力・注意力の強化、雑念排除の行にずっと取り組んでいる2026/10/02 00:53:02129.◆JBLfMwCXhYv2ph0「とくに何もせず、そのまま放っておく」という、無為自然方式ではない2026/10/02 00:53:30130.リダン◆3y/i8XtGLYmVNWXしかし集中力の極限から先はどうしても委ねる、手放す方向性になるだろ2026/10/02 02:55:57131.リダン◆3y/i8XtGLYmVNWXで集中の極限に手放すと一転してクリアになるすると観がクリアになり唯識観や四念所などができる2026/10/02 03:01:19132.リダン◆3y/i8XtGLYmVNWXちょいちょい話題にでるニミッタが出れば第一禅定あたりのサインだからそっからは手放していく感じにすると捗る2026/10/02 03:08:02133.神も仏も名無しさん27SNX変なウンチクハッスルしてるな?ダンリ😅2026/10/02 05:14:51134.神も仏も名無しさん27SNX>>128呼吸量の絞りがポイントだかなり仕事の中で多用している、昨日はかなり強めの感覚でやった😀2026/10/02 05:18:00135.神も仏も名無しさん27SNXダリンだった😀2026/10/02 05:19:11136.神も仏も名無しさんXhFpz教えて頂きました。第二の矢を受けずちゃんと最初からいわはってるやん。仏教者といえども美しい花をみれば楽しい。 だが、その楽しみにおぼれない。 これを禅では「二念を継がず」というそうです。 (雑阿含経参照)コピペ、禅にもあるんだね。2026/10/02 06:37:22137.◆JBLfMwCXhY9b7hsなるほど2026/10/02 06:55:03138.神も仏も名無しさんA1xteダンマパダとか出てきた。何コレ?何処まで続くんだろう?仏教界って本当に恐ろしい、誰がこんなの思いついたんだ⁈責任者出てきて欲しい。2026/10/02 08:16:57139.神も仏も名無しさんqNmY5>>137原始仏典から、特異点は禅が一番少ないだろな😀2026/10/02 08:18:45140.神も仏も名無しさんqNmY5スレ主とロンはかなり偏りしまくっているだろうが俺も実用主義に偏っている仕事生活だ😀2026/10/02 08:19:36141.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn38yT>>127-128JBL氏は聖ウンコ教の信者だったよね?改めて、弟子入りしたらどう?235 名前:鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF [] 投稿日:2021/03/31(水) 13:39:20.15 ID:VlI2N+EM [2/3]私⇔宇宙 ↓↑(末那識) ↓↑阿頼耶識だから問題ないでしょ。私という器世間(宇宙)を認識する者が消えれば宇宙も消えます。2026/10/02 08:42:42142.夕JNHLz法華経を訳したクラマジュだって老子の影響を感じる。妙という漢字を使ったことがその現れと思っている。まあ、弟子の僧肇に妙を進めらたかもしれない。僧肇(そうじょう、拼音: Sēngzhào、374年/384年 - 414年[1])は、中国後秦の仏僧[2]。鳩摩羅什門下の四哲の一人[1]。中国仏教史・中国哲学史の重要人物[3][4]。現存する著作に、道家や儒家の思想を含む論書『肇論』(じょうろん)[5]のほか、『維摩経』の主要な注釈書『註維摩詰経』[6]などがある。2026/10/02 08:43:40143.夕JNHLz妙じゃなくて正だ2026/10/02 08:44:29144.◆JBLfMwCXhYGSyZ3>>141そんな煽りが来るか?😫2026/10/02 08:45:55145.◆JBLfMwCXhYGSyZ3老荘と仏教は深く習合しているもともと、神道より老荘のほうが、ずっと仏教と似ているからな2026/10/02 08:46:45146.◆JBLfMwCXhYGSyZ3儒教とも習合している2026/10/02 08:46:58147.◆JBLfMwCXhYGSyZ3ここで仏のスレ主が言ってるのは仏教の「中道」というより、儒教の「中庸」思想だな↓877 神も仏も名無しさん [sage] 2026/10/02(金) 07:30:53.03 ID:gcd9d私は、好き嫌いや不満や喜び依怙贔屓はとても好きだな、どちらかを選ばないとならん時は、どちらかに振り切るように心がけている。曖昧であやふやであることは私の弱さだと思っている。880 神も仏も名無しさん [sage] 2026/10/02(金) 07:43:18.48 ID:qCLUY>>877仏教では、そのどちらにも偏らない、中道の生き方を説いていますよ実際、生き方が偏っていると、山あり谷ありの大変な人生になったり、命の危険にもなったりしてしまうと思うよ2026/10/02 08:48:40148.夕JNHLzまた廃仏毀釈のせいもある。廃仏毀釈の時は、時の皇帝が道教を中心にしため、外来のものを排斥した。隠れ蓑として道教の言葉のしよう。もしくは庶民の言葉を流用した。2026/10/02 08:49:13149.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn38yT>>145-146一種の「乱交パーティー状態」じゃな2026/10/02 08:50:42150.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn38yT法華経にしてもAD100年頃のインド人の創作じゃ。釈尊の主張では無いhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E8%8F%AF%E7%B5%8C法華経の成立起源に関して現存する梵本の古写本が少ないため詳細は不明であるが、西暦1世紀以降に段階的に成立したという説が有力である2026/10/02 08:54:00151.◆JBLfMwCXhYGSyZ3>>150> 法華経にしても> AD100年頃のインド人の創作じゃ。AD100年頃じゃ現代の我々が、「日蓮聖人はこう語った」という本を出すのと変わらんなそれくらい、釈尊とは時代が離れている2026/10/02 08:55:44152.◆JBLfMwCXhYGSyZ3実際、大川隆法はそんな本を出してたが😅2026/10/02 08:56:03153.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn38yT>>152他人の名を借りて自説を吹聴するのはホモサピエンスのDNAが成せるワザじゃろうな2026/10/02 09:01:25154.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn38yT>>144仮に、ワシが今日、極楽浄土に往生しても、明日以降、JBL氏と聖ウンコ師のバトルは続くのじゃろうな2026/10/02 09:03:50155.◆JBLfMwCXhYGSyZ3「もう、巨大な宗教団体に所属するような生き方は古い。この霊言に集え、弟子たちよ」とか何とかいう内容だったその後、大川隆法自身が宗教法人「幸福の科学」を立ち上げたため、この「日蓮の霊言」は絶版になった2026/10/02 09:05:19156.◆JBLfMwCXhYGSyZ3>>154聖ウンコ師にとっては幸福の科学信者が最大の論敵だが😫2026/10/02 09:06:17157.夕JNHLz日本書紀、古事記の冒頭だって、淮南子の影響があると言われている。巻二 俶真訓「天地未だ剖(わか)れず、陰陽未だ判(わか)れず、四時未だ分れず、萬物未だ生ぜず……」[1]は『日本書紀』の冒頭「古(いにしえ)に天地未だ剖(わか)れず、陰陽分れざりしとき……」の典拠となった[2]。)2026/10/02 09:15:21158.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn38yT>>156ワシの目から見ると、聖ウンコ師の最大の論敵はJBL氏じゃ。だが、これ↓については2人とも賛同している点が不気味じゃが?235 名前:鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF [] 投稿日:2021/03/31(水) 13:39:20.15 ID:VlI2N+EM [2/3]私⇔宇宙 ↓↑(末那識) ↓↑阿頼耶識だから問題ないでしょ。私という器世間(宇宙)を認識する者が消えれば宇宙も消えます。2026/10/02 09:27:19159.夕JNHLzこむずかしいことはさておきWやっぱりオカルトと現世利益だなご利益を求めて神社仏閣にいくんだからさ。パワースポットとか。何かついているとか。わざわざ、サムハラ神社に行くんだか。岡山県だよ。それも、かの有名な津川事件のあったところの近く。サムハラ神社はご利益はばっちりみたいだ。サムハラ神社は知らなかった。女性の知人がサムハラ神社に行ったといっていた。調べたら津川なんだよな。えっ、と思った。今度、彼女に聞いてみようかな。多分、「えっ」となるな。2026/10/02 09:28:38160.夕JNHLz>>158JBL氏はこの頃、修行論によってきたなW末那識は、自分感だからね。2026/10/02 09:30:03161.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEmTkH1……並べるなって。俺はケラは相手にしてないから。2026/10/02 09:30:31162.夕JNHLz>>158古いのもっているな。唯識三十頌をよく読むと、修行論だな。2026/10/02 09:35:27163.◆JBLfMwCXhYGSyZ3>>160> JBL氏はこの頃、修行論によってきたなWなんだかんだ言いつつ仏のスレ主に影響を受けてきている(笑)2026/10/02 09:54:03164.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn38yT>>160そうそう。だから、ワシはこのように書き込んだのじゃ141 自分:エロ和尚◆ERO.Kk3nCA[sage] 投稿日:2026/10/02(金) 08:42:42.17 ID:n38yT [1/6] 0>>127-128JBL氏は聖ウンコ教の信者だったよね?改めて、弟子入りしたらどう?2026/10/02 09:55:29165.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn38yT>>163「仏のスレ」のスレ主に弟子入りする手もあるな~2026/10/02 09:56:46166.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEVYKKq馬鹿の相手はなぁ。そもそも末那識という概念は無著の「摂大乗論」には見られないので、世親が創設したものと考えられている。つまり、それまでは七識説だった訳だ。七識説だとどうしても辻褄が合わないので、末那識というのが考察されたという事だ。そんな事も知らないで、ネット検索やAIを漁ってコピペしてドヤ顔してるんだから、これはもうスタート地点から知識に雲泥の差がある事になる。どうせ煽りか嫌がらせで馬鹿と俺を並ばせようとしてるんだろけど、余計な事はしないのが良い。2026/10/02 10:00:39167.神も仏も名無しさんqNmY5お、ドパガキ反抗期🤡か?2026/10/02 10:06:34168.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEVYKKq深層識は既に『スッタニパータ』等にその原型を見る事は出来るけど、それを始めて体系的にまとめたのは無著であり、また弥勒という実在不明の謎の人物。瑜伽行唯識学派(法相宗)の根本経典は『解深密経』だけど、中期大乗経典に分類されてるし、龍樹以降の創作みたいだな。2026/10/02 10:11:22169.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn38yT>>166>>七識説だとどうしても辻褄が合わないので、末那識というのが考察されたという事だ。なるほどね2026/10/02 10:11:41170.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEVYKKq人間って何かしらの辻褄合わせで生きてる事を保ってる様なもんだろw宗教だの哲学だの科学だの果ては真善美だのって。それはとても大事だけど、一方でその一切を捨てて観なさいって云うのが、釈迦仏教の原風景じゃないの?2026/10/02 10:18:25171.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn38yT>>一方でその一切を捨てて観なさいって云うのが、釈迦仏教の原風景じゃないの?当時のインドでは、弱小国家がたくさんあって、王子様が家出してバラモンの真似事をするのは珍しいことではなかったようですね。2026/10/02 10:22:37172.◆JBLfMwCXhYGSyZ3>>165いや、方向性が異なる2026/10/02 10:30:30173.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEVYKKqあ、それから初期仏教・パーリ仏典とかwwwちょうど大乗仏教の萌芽と時期を合わせて、経典文字化の一大ムーブメントがあったらしい。そもそもお釈迦さまはそれぞれの地方言語での伝道を指図されてた様だし、ガンダーラ地方で文字化や仏像化が起きたらしいぞ。なので、現存経典のルーツはガンダーラ語からの訳出ではないかと云われてるし、パーリ語仏典より漢訳仏典の方が古いという説もあるし。2026/10/02 10:30:44174.◆JBLfMwCXhYGSyZ3>>166> そもそも末那識という概念は無著の「摂大乗論」には見られないので、世親が創設したものと考えられている。> つまり、それまでは七識説だった訳だ。> 七識説だとどうしても辻褄が合わないので、末那識というのが考察されたという事だだから何なんだよ?😂2026/10/02 10:31:38175.神も仏も名無しさんqNmY5ドパガキ🤡マウンテン気分だろな😅2026/10/02 10:33:44176.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEVYKKqまぁ、本の1ページも開かずに、ネットで検索やAI回答でウハウハしてる馬鹿には到底知りようも無い事だけどなw2026/10/02 10:33:48177.◆JBLfMwCXhYGSyZ3>>173どこかで聞きかじった話を、ドヤ顔で披露してるのはどっちだよ😂2026/10/02 10:35:05178.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEVYKKq仏教の専門的な問題に対する正答率が30%だってAIが回答してるのに、それを検証しないでコピペして分かった積もりになって、ネットで鼻息を荒くしてドヤ顔してwwwwAIという仮想世界の中でいい気になってる裸の王様みたいなもんだなwwwwまぁ、そうした妄想世界に浸って廃人になってる奴も居るけどw2026/10/02 10:37:55179.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn38yT>>173まあ、栄進軍曹が言うように「釈尊はでっち上げられた偶像」という説もあるからネット検索組から見たら面白いテーマじゃ2026/10/02 10:38:57180.◆JBLfMwCXhYGSyZ3>>178いや、よく読め当方が分からないことや知らないことをAIに質問して、AIがそれに回答するというパターンは少ないたいていの場合、単に対話してるだけだ(笑)2026/10/02 10:40:34181.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn38yT>>178>>まぁ、そうした妄想世界に浸って廃人になってる奴も居るけどwまあ、ワシのことじゃな宗教オタクで廃人生活を満喫しておる2026/10/02 10:40:55182.神も仏も名無しさんqNmY5>>178ドパガキ🤡フルパワーになってきたな?2026/10/02 10:41:20183.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEVYKKq尊崇しつつも栄進さんの様に醒めた目で距離を置くのも大事だろうね。2026/10/02 10:41:32184.◆JBLfMwCXhYGSyZ3ラーマーヌジャとか、パドヴァとかそういうのは知らんから、単なる質問だけどな、確かに(笑)2026/10/02 10:41:46185.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEVYKKq>>181いや、二人ほど居るでしょ。そのうちの一人はハジさんじゃないよ。w2026/10/02 10:42:39186.神も仏も名無しさんqNmY5ドパガキ🤡の読解力は上がったのかな?2026/10/02 10:43:06187.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn38yT>>185>>二人ほど居るでしょ。ワシと法介菩薩じゃな2026/10/02 10:45:59188.◆JBLfMwCXhYGSyZ3いや、ほ~かい師匠も当方と同じで本人がもともと知ってることについて、AIと対話してるケースがほとんどだ知らないことを質問してる場面は少ない2026/10/02 10:47:58189.◆JBLfMwCXhYGSyZ3まあ、当方の場合は、手を広げすぎなのでバクティヴェーダンタ思想とか、井上義衍禅とか自分がほとんど知らないテーマに取り組むことも多いそういうときは AI依存だ、確かに(笑)2026/10/02 10:52:05190.◆JBLfMwCXhYGSyZ3唯識論の話なんかは自分で解説を書く手間ヒマを省くため、AIに代筆させてるだけもともと知ってる内容がほとんどhttps://i.imgur.com/Yo3A8Ht.png2026/10/02 10:53:22191.◆JBLfMwCXhYGSyZ3唯識論の話なんかは自分で解説を書く手間ヒマを省くため、AIに代筆させてるだけもともと知ってる内容がほとんど2026/10/02 10:53:42192.◆JBLfMwCXhYGSyZ3>>173いつも言ってるだろ「古代インドでは紙がなかった。文字資料を残せず、暗誦や伝承に頼っていた」かなりしつこく繰り返してる話だ2026/10/02 10:55:54193.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEVYKKq>>187エロさんは違うでしょw消去法で攻めて来ないでね💕2026/10/02 10:58:59194.◆JBLfMwCXhYGSyZ3帰謬論証法で攻めるしかないな?2026/10/02 11:01:12195.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEVYKKqwwwwwwwwwwwwwwwwww古代インドでは、一種の言霊信仰みたいに、聖なる言葉の文字化はタブーだったんだけどなw記録媒体の有無はあまり関係ないw2026/10/02 11:06:00196.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn38yT>>193ズバッと直球を投げてみよう法介さん AIという仮想世界の中でいい気になってる裸の王様みたいなもんだなwwwwJBL氏 まぁ、そうした妄想世界に浸って廃人になってる奴も居るけどw2026/10/02 11:17:33197.◆JBLfMwCXhYGSyZ3>>196煽ってきましたな😂2026/10/02 11:22:49198.神も仏も名無しさんJexleいや、ダリンコールスレは動いてないぞ😭2026/10/02 11:25:37199.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn38yT>>197今日は試験的に聖ウンコ様に「1日弟子入りデー」なのじゃ2026/10/02 11:28:15200.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEywwjp横超、難信難解。信じきれない己をそれを承知で追ってきて救わんとされる阿弥陀さま。逃げる己と追ってくる阿弥陀さま。2026/10/02 11:36:56201.神も仏も名無しさんRVVgZドパガキウンチク🤡は難信難解だ😭😭😭😭😭2026/10/02 11:43:45202.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEywwjp「Milindapañha 3.7 (Pāsāṇapañha)> Rājā āha — “bhante Nāgasena, yaṁ tumhe evaṁ vadetha — ‘yo so vassasataṁ akusalaṁ kareyya, so maraṇakāle ekaṁ buddhagataṁ satiṁ labhitvā devesu upapajjeyyā’ ti, etaṁ na saddahāmi. Yaṁ pi tumhe evaṁ vadetha — ‘ekena kāyena pāṇaṁ atipātetvā niraye upapajjeyyā’ ti, etam pi na saddahāmi” ti.> Sthero āha — “taṁ kiṁ maññasi, mahārāja, khuddako pi pāsāṇo anāvaṁ udake plaveyyā” ti?> “No h’etaṁ, bhante” ti.> “Mahantaṁ pi pāsāṇasataṁ nāvaṁ abhirūhitvā udake plaveyyā” ti?> “Āma, bhante, nāvāya balena plaveyyā” ti.> “Evam eva kho, mahārāja, kusalaṁ nāvā viya daṭṭhabbaṁ; akusalaṁ pāsāṇo viya daṭṭhabbaṁ. Akusalaṁ karonto pi kusalaṁ labhitvā devesu upapajjati. Ekena pi pāṇaṁ atipātetvā akusalaṁ karonto kusalaṁ alabhitvā niraye upapajjati” ti.(Geminiによる和訳)提示したパーリ語原典の和訳(逐語訳に近い直訳)です。王は言った。「尊者ナーガセーナよ、あなたがたはこのように言われます。『百年の間、不善(悪)を行なった者であっても、死の時にひとたび仏に向けられた念(記憶・思い)を得たならば、神々のもと(天界)に生まれるであろう』と。私はこれを信じません。また、あなたがたはこのようにも言われます。『たった一つの生命を殺しただけでも、地獄に生まれるであろう』と。私はこれも信じません。」長老(ナーガセーナ)は言った。「大王よ、どう思われますか。小さな石であっても、船がなければ水の上に浮かぶでしょうか?」「いいえ、尊者よ。(沈みます。)」「たとえ百個の大きな石であっても、船に載せたならば水の上に浮かぶでしょうか?」「はい、尊者よ。船の力によって浮かぶでしょう。」「大王よ、まったく同じように、善(くさら)は船のようなものと見なされるべきであり、不善(あくさら)は石のようなものと見なされるべきです。不善を行なった者であっても、善を得るならば天界に生まれます。たった一つの生命を殺して不善を行なった者であっても、善を得なければ地獄に生まれるのです。」2026/10/02 11:47:11203.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn38yT>>200阿弥陀さまは、人間のようなモノじゃなくて「ゼロポイントフィールド」だと思えば解決するのでは?https://pay-route.co.jp/article/2026/03/17/exploring-zero-point-field-science-and-hypotheses-in-quantum-mechanics/2026/10/02 11:48:12204.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEywwjp“yo so vassasataṁ akusalaṁ kareyya, so maraṇakāle ekaṁ buddhagataṁ satiṁ labhitvā devesu upapajjeyyā”「たとえ百年の間、不善(悪業)を行ない続けた者であっても、死の時にひとたび仏に向けられた念(思い・記憶)を得たならば、神々のもと(天界)に生まれるであろう」これが浄土教が仏教であるという根拠の一つだそうな。2026/10/02 11:49:55205.神も仏も名無しさんRVVgZ燃えるドパガキ闘魂🤡ボンバイエ🤡だ😀2026/10/02 11:53:31206.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEywwjpゼロポイントフィールド。阿頼耶識みたいなもの?2026/10/02 11:56:16207.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn38yT>>206そう2026/10/02 11:58:50208.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEywwjp阿頼耶識縁起はさらに加上展開されて、法界縁起って云う概念が出てきたから、比較するのも楽しいかも。まぁ、でも、やっぱり人間都合の辻褄合わせだなぁ。2026/10/02 12:01:07209.リダン◆3y/i8XtGLYmVNWX>>203ん?量子真空に全部の2次元記述があると仮定してるのか2026/10/02 12:04:13210.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEywwjpその辻褄合わせもゼロポイントフィールドから来るって事なんだろうなwまるでウロボロス状態だなw一切の見解を棄捨する時、ウロボロスは寂滅するwwww2026/10/02 12:05:02211.リダン◆3y/i8XtGLYmVNWXブラックホールの体積ではなく表面積(事象の地平線)に記述されてるのかと2026/10/02 12:05:25212.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn38yT>>208まあ、人間を辞めれば「人間都合の辻褄合わせ」をしなくても済むかも?2026/10/02 12:06:35213.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn38yT>>209「尿漏れ」みたいに「漏れ」があると成立が難しいな?2026/10/02 12:08:25214.リダン◆3y/i8XtGLYmVNWX>>212まあ、それを無明が晴れるというんだがな2026/10/02 12:09:31215.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn38yT>>211>>表面積(事象の地平線)に記述されてるやはり、3次元の世界にいると、ピンと来ないのが実情じゃな?2026/10/02 12:10:23216.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEywwjp>>212それが辻褄合わせなのぢゃw2026/10/02 12:11:28217.リダン◆3y/i8XtGLYmVNWX>>215いやまあ、ふつうに3次元の量子力学で仮説として言われてる2026/10/02 12:11:39218.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn38yT>>214別に、「南無阿弥陀仏」と1度も称えなくても、死ねば浄土逝きなのよ2026/10/02 12:12:09219.神も仏も名無しさんRVVgZドパガキウンチクフィールド🤡参禅30年なら、知っている😀2026/10/02 12:12:10220.リダン◆3y/i8XtGLYmVNWX科学的仮説って面白くて素っ頓狂な仮説でも数年後、整合性が発見されるこれ、理が人間の認知に辻褄を合わせてんじゃねーのか疑惑2026/10/02 12:13:47221.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn38yT>>216辻褄合わせの無限ループじゃな?まあ、そもそも、この世界が無限ループならば、それも良かろう。https://www.bttp.info/pickup/penrose-ccc/2026/10/02 12:14:33222.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEywwjp厄介なのは、んじゃどうすれば辻褄合わせじゃないの?って辻褄合わせする業識だからなぁ。2026/10/02 12:15:23223.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn38yT>>220>>素っ頓狂な仮説でも数年後、整合性が発見される整合性が発見される確率は100分の1くらいの確率じゃね?100通りの仮説があったら、1つくらいは整合性が発見されるみたいな?2026/10/02 12:17:47224.リダン◆3y/i8XtGLYmVNWX>>223まあ、説は唱える放題だが一応科学的根拠(数式)、再現性は最低限いるだろ2026/10/02 12:19:34225.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn38yT>>222死んで「ゼロポイントフィールド」に移行すれば、辻褄合わせする必要がなくなるのでは?2026/10/02 12:20:12226.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn38yT>>224まあ、ビッグバンも仮説の1つであって、50年後は、否定されているかも知れないし?2026/10/02 12:22:34227.リダン◆3y/i8XtGLYmVNWX>>225それを生きてるときに晴らさないとまた、輪廻する(辻褄合わせ)ってのがお釈迦様のいうところで2026/10/02 12:25:45228.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEUHhHy>>225生きてそこにいこうやw2026/10/02 12:29:02229.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn38yT>>227なるほど!それだとワシのような落ちこぼれ(悪人)が生産されてしまうな。なので、落ちこぼれを救うためにも「浄土信仰」は必要なのかも?2026/10/02 12:29:16230.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn38yT>>228「生きてそこにいこうや」というのは、法介菩薩と同じですな2026/10/02 12:30:31231.リダン◆3y/i8XtGLYmVNWX>>229それが、信心によるショートカットで在家にも可能なロジック宗派創始者の智慧に震えるといい2026/10/02 12:33:05232.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEUHhHyつーか、既に我々はその「ゼロポイントフィールド」に居るって云うのが本覚思想なんだったよなw2026/10/02 12:33:46233.リダン◆3y/i8XtGLYmVNWX辻褄合わせ(戯論)で辻褄合わせ(戯論)を解体すると言うことやね2026/10/02 12:35:25234.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEUHhHy盤珪さんは不生になるのではなく不生でおれって仰ってたから、「ゼロポイントフィールドでおれ」ってなるのか。2026/10/02 12:35:38235.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn38yT>>231>>宗派創始者の智慧に震えるといいリダン大聖人は、どの宗派の智慧に震えているのだっけ?2026/10/02 12:35:38236.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn38yT>>232そー言えば、でおーちゃまが、「俺は本覚思想に詳しい」と豪語してたなー2026/10/02 12:38:28237.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEUHhHy横超とは、一気にその「ゼロポイントフィールド」に往く事だけど、親鸞さんは往くだけじゃダメよん💕だもんな。往相・還相って云うもんな。あ、また知識が出てきちゃったw2026/10/02 12:40:55238.リダン◆3y/i8XtGLYmVNWX>>235どれも震えるよ2026/10/02 12:41:06239.リダン◆3y/i8XtGLYmVNWX民衆に合わせてパッケージングするってことは真諦を実証してなければならないからね2026/10/02 12:43:39240.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEUHhHy>>236あれは パパゲーノ だな🤣www2026/10/02 12:44:15241.リダン◆3y/i8XtGLYmVNWXまさに対機説法ってこと2026/10/02 12:45:03242.神も仏も名無しさんXTbpC西野カナちゃんみたい。会いたくて震えるんは⭕️やろ?牛の図に描いてたの、違うのかな。でも完璧な円などないって昔に言われたんですよね。謎なんですが知った昔の偉い人は絶対に円を繋がって書いていないから合ってるんだろうな。2026/10/02 12:45:19243.リダン◆3y/i8XtGLYmVNWX辻褄合わせ(方便で)辻褄合わせ(戯論)を解体するのが趣旨なのにその辻褄合わせ(方便)を狂信者のように掴むとズレる2026/10/02 12:46:40244.ハジxs165悟りの窓2026/10/02 12:47:22245.ハジxs165答えなんかないならズレることもないw2026/10/02 12:48:15246.リダン◆3y/i8XtGLYmVNWX知った昔の偉い人は絶対に円を繋がって書いていないから合ってるんだろうな。2026/10/02 12:45:19どういうこと?2026/10/02 12:49:29247.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn38yT>>237私は「既に我々はその「ゼロポイントフィールド」に居る」という説を支持しているのだけど、生きている間にそれが実感できれば「横超した」ことになるのかも?2026/10/02 12:50:09248.神も仏も名無しさんXTbpC三木大雲さんの動画で御釈迦様はここにあると書いてあるものがあるらしいと知りました。そこに方便と嘘との違いも書いてあるみたいでした。辿り着くのは己れから、それが大切なのだろう。一人一人に御釈迦様がいるとはそれの事を書いていると思いました。2026/10/02 12:50:33249.リダン◆3y/i8XtGLYmVNWX>>245答えなんかないつーのも人の認識、規格内で辻褄合わせなんよ2026/10/02 12:50:34250.神も仏も名無しさんXTbpCそうです。悟りはない一番最初に教わりました2026/10/02 12:52:23251.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn38yT>>238こういうのは、どう?死は存在しないhttps://satomaru-blog-ordiary.com/death-does-not-exist/2026/10/02 12:52:48252.ハジxs165手出しするから無駄無駄無駄無駄w2026/10/02 12:53:37253.神も仏も名無しさんXTbpC御釈迦様の大天才ぶりがわかるなぁと思いました。知恵と智慧との差。2026/10/02 12:54:43254.リダン◆3y/i8XtGLYmVNWX>>251面倒だから読んではないが死は存在しないという戯論を使い生死の分別の固定化の解除刹那単位、諸法実相、真如、無分別からしたらそのような切り分けはない切り分けるのは分別、辻褄合わせ2026/10/02 12:55:42255.リダン◆3y/i8XtGLYmVNWX>>252その手出しするという対策をお釈迦様は事細かく説明しとるのである2026/10/02 12:59:11256.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEUHhHy>>247その通りでしょうが、難信難解でなかなかそうとはならないと思いますよ。つーか、なんで難信難解なの?の壁は厚い。2026/10/02 12:59:55257.ハジxs165お釈迦様じゃねーだろーがw2026/10/02 13:00:12258.リダン◆3y/i8XtGLYmVNWX修行不要論と言った場合その代替が信心であるならばロジックは機能する2026/10/02 13:01:02259.リダン◆3y/i8XtGLYmVNWX>>257どういうこと?お釈迦様だよ2026/10/02 13:01:29260.ハジxs165毎日プリンを食いながらプリンの味がわからんとゆー難しさだろうw2026/10/02 13:02:17261.リダン◆3y/i8XtGLYmVNWX手出しする理由は単純に私を自性視するからだ無我であるよと2026/10/02 13:02:25262.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEUHhHy自力より他力の方が難易度高いと思うな。2026/10/02 13:02:49263.リダン◆3y/i8XtGLYmVNWX>>260プリンの味が分かるのは別にいいんだよ五蘊の機能だから2026/10/02 13:03:11264.リダン◆3y/i8XtGLYmVNWXそれを美味しいから俺が独り占めしたい勝手に食われた!と拡張、手出しするから苦であるわけで2026/10/02 13:04:41265.ハジxs165自力も他力本願で、他力本願も自力w2026/10/02 13:05:29266.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEUHhHy徹底して修行ゼロとか無理だと思うな。2026/10/02 13:06:15267.リダン◆3y/i8XtGLYmVNWXそれってようは人の規格の話であって辻褄合わせなわけ2026/10/02 13:06:47268.リダン◆3y/i8XtGLYmVNWX信心、全てを委ねるがエロ和尚に出来るか?と言われれば無理かもね2026/10/02 13:07:49269.ハジxs165修行ZEROが修行であるから修行ZEROは修行することになるのだw2026/10/02 13:08:42270.リダン◆3y/i8XtGLYmVNWX>>269手出ししとるから厳密には修行ZEROじゃねんだな2026/10/02 13:10:38271.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEUHhHy理屈を云うと、有為ではない無為の修行ってなるんだろうけど。修行が必要ないって事ではない。2026/10/02 13:11:41272.ハジxs165されとるからする必要すらないんだよw2026/10/02 13:12:12273.ハジxs165修行とはお任せすることだ笑2026/10/02 13:13:10274.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn38yT>>256まあ、既にそこに居ることが今日、わかったのだから良しとしましょう。昼食おち228 返信:栖雲居士◆MKrKQHoID7SE[sage] 投稿日:2026/10/02(金) 12:29:02.58 ID:UHhHy [1/7] 0>>225生きてそこにいこうやw2026/10/02 13:13:44275.リダン◆3y/i8XtGLYmVNWXようは勝義側の話をしたところで信心、修行がなければただの頭の妄想脳内実験の賜物にすぎない2026/10/02 13:15:34276.リダン◆3y/i8XtGLYmVNWXまさに今ハジがしている脳内妄想の戯論2026/10/02 13:17:00277.ハジxs165あきらめたら試合終了なのに粘るからあかんのだよ安西先生w2026/10/02 13:17:17278.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEUHhHy修せざれは証せずか。仏教だから、ゼロポイントフィールドという基体は認められないなぁ。それを修する時、そのゼロポイントフィールドが同時に立ち上がるって理屈になるな。2026/10/02 13:17:30279.ハジxs165自己を習う、修行することは、自己を忘るることでアリンコなのにw2026/10/02 13:21:01280.リダン◆3y/i8XtGLYmVNWX>>279お前、ロンには散々反対のこというが天邪鬼か2026/10/02 13:22:50281.ハジxs165自己を運びて万法をシュショーするをリダンとゆー笑2026/10/02 13:22:55282.ハジxs165ロンはそのままの意味を勘違いしとるんだよw2026/10/02 13:23:38283.ハジxs165手付かずの今とゆーのは普段のオレからしたら、ぜんぜん、そのままではないw2026/10/02 13:24:43284.リダン◆3y/i8XtGLYmVNWX>>281自己を運びてとはいま話題にしてる辻褄合わせだようはこれが人の認識の上(無明の上)であるのが問題ってことな2026/10/02 13:24:47285.ハジxs165なぜなら、オレが不在なのだからwww2026/10/02 13:25:10286.リダン◆3y/i8XtGLYmVNWX自己を忘するるとはその人規格から晴れるちゅーこと2026/10/02 13:26:13287.ハジxs165自己とはリダンなんだよ笑2026/10/02 13:26:15288.リダン◆3y/i8XtGLYmVNWX>>285不在なのだからってのがまず人規格の認識ってことね2026/10/02 13:27:01289.リダン◆3y/i8XtGLYmVNWX>>287認識主体だよそれが経験する全般を辻褄合わせし、人の規格に収めるようは自性視ということ2026/10/02 13:28:07290.ハジxs165あきらめて手放しなさいリダンw2026/10/02 13:28:07291.リダン◆3y/i8XtGLYmVNWX>>290だから手放しましょうねつー話不在なんだ!とかは人の規格上(無明の上)つーことね2026/10/02 13:29:44292.ハジxs165リダンが悟る時は永遠に来ないんだ2026/10/02 13:30:49293.ハジxs165もうわかったのならもう病の中w2026/10/02 13:31:36294.リダン◆3y/i8XtGLYmVNWX自己とはなんだ!つーのもそれを認識する前提の話に過ぎませんよつーことな2026/10/02 13:31:52295.リダン◆3y/i8XtGLYmVNWXハジには難しいか?ようは認識を前提にした概念の拡張を戯論と呼ぶんだよ2026/10/02 13:32:54296.リダン◆3y/i8XtGLYmVNWXハジ?ギブアップか?2026/10/02 13:36:01297.ハジxs165そーなのか?2026/10/02 13:36:35298.リダン◆3y/i8XtGLYmVNWX>>297中論を読め中論いつまで俺に中論の話させるんだあまり好きじゃないんだよ2026/10/02 13:37:59299.ハジxs165難しい話がわかるとは凄いなリダンw2026/10/02 13:38:46300.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn38yT>>298>>あまり好きじゃないんだよワロタワシも中論は大嫌いじゃ2026/10/02 13:39:01301.リダン◆3y/i8XtGLYmVNWX簡単な話だよ自己とはと犬に問うてわかるか分からんだろ人の規格の話にすぎんのだよそれは勝義を現すには矛盾が発生するしかし勝義を示すには方便を使わないとならない2026/10/02 13:44:08302.リダン◆3y/i8XtGLYmVNWXいいからハジ、最低でも仮名、仮設を覚えてくれサンタクロースで例えたろサンタクロース(自己)は実体はないだろしかしサンタクロース(自己)という機能はあるだろそう言うことだ事象として事実であることと無自性は別にふつうに両立するんだよ2026/10/02 13:48:17303.リダン◆3y/i8XtGLYmVNWXサンタクロースに実体がないのは理解出来るだろようはそれが空だ2026/10/02 13:50:01304.夕RHYFV世俗と勝義は一ミリも違わない。相と言うのは非相。故に、相と言う。(実相)唯識30頌の修行論と重なる。2026/10/02 13:51:35305.リダン◆3y/i8XtGLYmVNWXフィクションであるという成立原理をしるからサンタクロースは実体がないと知るわけだろ自己も諸法も同じだよ成立原理(空、縁起)を実証すれば自己と発現するさいに自性視ではなく仮名として扱えるってこと2026/10/02 13:52:21306.リダン◆3y/i8XtGLYmVNWX空 サンタクロースはフィクション仮 しかしサンタクロースと言う機能はある中 イベント化2026/10/02 13:53:31307.リダン◆3y/i8XtGLYmVNWX大人がクリスマスに子供にサンタクロースが来るよという発言をぜする際大人は本当にサンタクロースがいるとは思ってないだろしかし、子供に説明するのにサンタクロースを置くしかないこれを、仮設というようは阿頼耶識も同じ辻褄合わせと言うこと2026/10/02 14:10:57308.リダン◆3y/i8XtGLYmVNWXしかし、ひとはその仮に置かれた辻褄合わせに真理を求めようとし戯論化するそれは説明するために仮に置いたにすぎないことが無明により分からない2026/10/02 14:12:59309.リダン◆3y/i8XtGLYmVNWXこの戯論が寂滅することで空性であると智慧が発現するわけだな2026/10/02 14:14:26310.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn38yT>>309ワシは「戯論推奨派」じゃhttps://tankanokoto.com/2018/06/ryoujinhisyou.html2026/10/02 14:38:44311.神も仏も名無しさんKeB5w私もクラッシック音楽から浄瑠璃からとやはり男女の機微を教わっております。細やかな心のヒダを仏教で書くのもどうか?とは思いましたがそれも大切だといわれております。2026/10/02 15:16:28312.リダン◆3y/i8XtGLYmVNWX>>310だからそれは「遊び」だろ問題なんは、「遊び」が戯論で「本気」に没入してしまう(自性視)と言うことな2026/10/02 15:56:40313.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn38yT>>312本気で遊ぶことは良いことじゃ2026/10/02 16:09:01314.リダン◆3y/i8XtGLYmVNWXそもそも、現実、自己に没入するから苦であるわけだよそうではなく仮和合、空性とすることで無明が晴れる2026/10/02 16:14:27315.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn38yT「人事をつくして天命をまつ」が座右の銘ならば、人事をつくすことはそんなに苦ではなかろう2026/10/02 16:20:13316.ハジxs165なんだと?現実がゲームだと?ふざけたことを抜かすなw2026/10/02 16:28:02317.リダン◆3y/i8XtGLYmVNWX>>316無自性ならばゲーム内と大差はないだろうね2026/10/02 16:30:42318.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn38yT>>316人生はゲーム♪https://www.uta-net.com/song/2765/2026/10/02 16:31:28319.ハジtBdlw若いころによく聞いた「人生はドラクエ」が真理だったのかw2026/10/02 16:34:10320.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn38yTJBL氏が乱入しそうな流れじゃ2026/10/02 16:37:10321.◆JBLfMwCXhYvGhNb>>319やっと気づいたか2026/10/02 16:40:06322.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn38yTうまく釣れたな2026/10/02 16:41:23323.ハジtBdlw「人生はドラクエ(ドラゴンクエスト)」という例えは、「成長」「苦難」「他者との関わり」を捉えるうえで非常に分かりやすい比喩です。これを仏教(特に初期仏教〜大乗仏教の思想)の視点に置き換えてみると、ドラクエのシステムや世界観は驚くほど仏教的な教えとリンクしてきます。主要な要素を仏教の概念で読み解くと、以下のようになります。### 1. 魔王とモンスター = 「煩悩(ぼんのう)」と「三毒(さんどく)」ドラクエでは世界を脅かす魔王や数々のモンスターを倒しながら旅を進めますが、仏教において人間が倒すべき真の敵は、外にいるモンスターではなく**自分自身の心の中にある煩悩**です。 * **ゾーマやデスピサロ(魔王)** = 根本的な無知・錯覚である「無明(むみょう)」 * **スライムや雑魚モンスター** = 日常で湧き上がる「三毒」 * **貪(とん):** 貪り・執着(「もっと金貨(ゴールド)や強い装備がほしい」) * **瞋(じん):** 怒り・憎しみ(「理不尽なイベントや攻撃に対するイライラ」) * **痴(ち):** 愚かさ・無知(「本当の目的に気づかず、カジノから抜け出せない」)仏教では、これらの心のモンスター(煩悩)を一つずつ手なずけ、乗り越えていくことこそが「戦い」です。2026/10/02 16:42:09324.◆JBLfMwCXhYvGhNbAIが代わりに解説してくれとる(笑)2026/10/02 16:42:57325.ハジtBdlw### 2. レベルアップと経験値 = 「修行(六波羅蜜など)」と「業(カルマ)」ドラクエの醍醐味は、戦いを重ねて経験値を稼ぎ、レベルを上げることです。 * **経験値(Exp)** = **「善業(ぜんごう/よい行い)」の積み重ね** 仏教では、良い行い(身・口・意の三業を整えること)は必ず自分を育てる「徳」や「善き業」として蓄積されます。 * **レベルアップ** = **「精神的な覚醒(悟りの階段)」** 仏教の修行(六波羅蜜:布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)を積み重ねることで、心の「レベル」が上がり、以前は苦しめられていた問題(モンスター)が苦にならなくなっていきます。2026/10/02 16:43:00326.ハジtBdlw### 3. ルーラやリレミト = 「正見(しょうけん)」と「智慧(ちえ)」ドラクエには、洞窟から一瞬で脱出する「リレミト」や、一度行った町へワープする「ルーラ」などの便利な呪文があります。仏教における「智慧(物事の真理を見抜く力)」は、まさにこれらの呪文に相当します。物事の本質を正しく見る(正見)ことができるようになると、迷いの洞窟(苦しみ)から一瞬で抜け出したり、物事の全体像を俯瞰して目的地(悟り)へと迷わず向かえるようになります。### 4. 仲間(パーティー) = 「善知識(ぜんちしき)」と「僧伽(サンガ)」勇者一人では魔王を倒せません。僧侶、魔法使い、武闘家といった仲間と力を合わせる必要があります。 * **仲間・パーティー** = **「善知識(共に歩む良い仲間・指導者)」** 仏教では、仏道を歩む上で最も大切な要素の一つが「良い仲間(サンガ)」を持つことだとされています。互いに補い合い、支え合いながら旅(修行)を続ける存在です。2026/10/02 16:43:55327.ハジtBdlw### 5. 「ゲームである」と知ること = 「空(くう)」と「解脱(げだつ)」最も本質的な違い、そして仏教的な最高到達点はここにあります。 * **ドラクエの世界:** 画面の中の勇者やモンスター、ゴールド、レベルなどは、すべて「プログラムで描かれた虚構」です。 * **仏教の「空(くう)」:** 私たちが現実だと思っているこの世界(名声、財産、苦しみ、自分という肉体すらも)は、様々な要因が一時的に結びついた影のようなもの(諸行無常・諸法無我)であると説きます。プレイヤー(本当のあなた)がテレビ画面の前にいて、「これはゲームだ」と分かった上でコントローラーを握っている状態——これこそが「悟り(解脱)」です。ゲームの中の勇者がいくら傷ついても、プレイヤー自身は傷つきません。同じように、人生というゲームに没頭して「生き死にや損得」に苦しみ切る(輪廻に囚われる)のではなく、「これは縁によって成り立っている現象(ゲーム)なのだ」と客観的に見つめる智慧を持つことで、あらゆる苦しみから解放されます。2026/10/02 16:44:59328.ハジtBdlw### まとめ仏教的に言えば、人生はまさに「煩悩というモンスターを退治し、心のレベルを上げながら、最終的に『この世界がゲームであること(空)』に気づいてクリア(解脱)を目指すRPG」だと言えます。全滅しても教会でお経を唱えられて復活するように、何度転んでもやり直しながら、最後は「ゲーム(苦しみの連鎖)」そのものをクリアして穏やかな心を取り戻す旅なのです。2026/10/02 16:45:59329.神も仏も名無しさんP3vVc素晴らしい最高の料理が出てきたのだとしても、私が美味しいと思わないならどうにもならないからな2026/10/02 16:46:39330.◆JBLfMwCXhYvGhNb>>329三ツ星レストランにもアンチはいる2026/10/02 16:47:42331.◆JBLfMwCXhYvGhNb御殿山のカンテサンス(十数年連続でミシュラン三ツ星フレンチ)をブログで酷評してるアンチがいた出入り禁止になってた2026/10/02 16:51:09332.◆JBLfMwCXhYvGhNb最高の料理を食べても美味しいと思わない人もいるということだ2026/10/02 16:52:26333.◆JBLfMwCXhYvGhNb3332026/10/02 16:52:40334.◆JBLfMwCXhYvGhNb高級レストランの一流シェフの世界も、禅僧と同じだ「どこの店で修行したか」「師匠は誰なのか」が問われる2026/10/02 16:54:37335.神も仏も名無しさんP3vVc飢えているとしても、何に飢えているのかわからんと飢えを満たせないと思うね2026/10/02 16:58:12336.◆JBLfMwCXhYvGhNb期待外れ。特徴が無かった。”どこの世界にも、うるせえ奴がいるもんだよ😫↓europedeski(12件の口コミ)ランチに訪れて、お勧めのコースを、お勧めのワインと共に食べた。自分にとってミシュラン三ツ星は、スペインバスクのマーチンベラサテギ、札幌のモリエールに続いて三店目(どちらもランチ)。この2店と比較になる。前の2店での食事が驚きや喜びに満ちた、一生忘れられない物だったのに対して、カンテサンスでの食事の印象が、残念ながらほとんど無い。食事: 驚きが全く無かった。美味しかったけど、出て来て、えー!、食べて、えー!が無し。メニューの構成も普通?特徴もなかった。メインは豚だったのだけど、このお店は事前にメニューを知らされないので、それでメインに豚が出てくると、それまでの満足度も高くなかった事もあって、少しがっかり。一皿ごとにソムリエさんの勧めてくれるワインをグラスで頂いて、ランチらしからぬ食べ方してたのが悪かったのか。。。魚の火入れは確かに素晴らしかった。(以下略2026/10/02 16:58:25337.◆JBLfMwCXhYvGhNb全般的に酷評しているが火入れの腕だけは称賛されている(笑)ここの火入れだけは、悪く言う人を見たことがない2026/10/02 16:59:14338.◆JBLfMwCXhYvGhNb東京のミシュラン三つ星フレンチレストラン「カンテサンス」の火入れは、パリの「アストランス」で培った低温長時間ローストや、オーブンへの出し入れを数十回繰り返す独自の「キュイソン(火の入れ方)」を最大の特徴としています。カンテサンスの火入れの特徴徹底した低温長時間ロースト:肉や魚の旨味を逃さず、最上質の素材が持つ繊細な風味を最大限に引き出します。オーブンへの出し入れ:「220度のオーブンで1分焼いて5分休ませる」といった細かい工程を20~30回近く繰り返すなど、極めて緻密に火を通す技術が知られています。素材への柔軟な対応:同じ肉や魚でも、季節、水分量、熟成度によって最適な火入れの加減を毎日変えています。逆算の調理:火入れに非常に時間がかかるため、ゲストが食べる瞬間に最高の状態を迎えるよう、来店前から逆算して調理が開始されます。2026/10/02 17:01:03339.ハジtBdlw料理は食べて味わえるが、禅は食べて味わえるのか2026/10/02 17:01:30340.◆JBLfMwCXhYvGhNb>>335お腹が空いてるときの豚骨ラーメンは美味いですな👍️2026/10/02 17:02:29341.◆JBLfMwCXhYvGhNb>>339料理人の腕前よりも禅僧のレベルは、もっと分かりにくいな😅2026/10/02 17:03:32342.◆JBLfMwCXhYvGhNb料理人の腕前と、素材の良し悪し2026/10/02 17:03:48343.ハジtBdlwまあしかしお店の雰囲気も合わせて食べたあとの満足度が大切だな2026/10/02 17:04:38344.◆JBLfMwCXhYvGhNb禅僧は素晴らしいのかどうか、見抜くのが難しい2026/10/02 17:04:49345.◆JBLfMwCXhYvGhNb>>343知り合いの金持ちに、高級レストランに連れてってもらったこともあるがまあ、満足度は変わらんな食通じゃないので、一定の水準で満足度100%に達するそれ以上、上が無い(笑)2026/10/02 17:06:04346.◆JBLfMwCXhYvGhNbレストランの話ばかりする食通の知人がいるので耳学問で、当方も東京都内の有名レストラン事情にやたら詳しい(とくにフレンチ)だが、自分はコンビニおにぎりで十分だ(笑)2026/10/02 17:08:23347.◆JBLfMwCXhYvGhNbレストラン業界だけではないキャバクラ業界や風俗業界にもかなり詳しい自分では行かないが、なぜか情報が入ってくる(笑)2026/10/02 17:11:06348.ハジtBdlw上流階級かー2026/10/02 17:12:42349.◆JBLfMwCXhYvGhNb>オーブンへの出し入れ:「220度のオーブンで1分焼いて5分休ませる」といった細かい工程を20~30回近く繰り返すなど、極めて緻密に火を通す技術が知られています。一流シェフの、こういう絶妙な火入れの技術ってのは確かに素晴らしい表面はカリッとしているが、中はピンク色でジューシー。奥まで完ぺきに火が通っている2026/10/02 17:13:59350.ハジtBdlw禅は承認欲求を、満たすのかねえ2026/10/02 17:14:32351.ハジtBdlw金持ちをゆるすなー2026/10/02 17:16:04352.◆JBLfMwCXhYvGhNb四谷の北島亭では、ステーキの表面がカリッとしてるのさえ、ダメだという「表面もふんわり」してるのが理想なんだそうな凄腕シェフの北島素幸でさえ、満足できる焼き加減は「30枚に1枚」くらいだという2026/10/02 17:16:25353.ハジtBdlw禅の職人技はなんかあるのか?w2026/10/02 17:17:48354.◆JBLfMwCXhYvGhNb>>351カンテサンスも北島亭も1回のディナーで、1人3万はかかるなそこに、ワインの料金が加わるワインのペアリングでもすれば、もっと上がる2026/10/02 17:17:55355.神も仏も名無しさんP3vVc私はどうしたって私の目的のために動くことになっていると思っているな。2026/10/02 17:18:03356.◆JBLfMwCXhYvGhNb>>353風俗嬢の職人技もすごいらしい2026/10/02 17:18:22357.◆JBLfMwCXhYvGhNbずっと、そればっかりやってればそりゃ上達するわな2026/10/02 17:19:18358.ハジtBdlw羨ましいかぎりだw2026/10/02 17:19:49359.◆JBLfMwCXhYvGhNb>>353> 禅の職人技はなんかあるのか?wしいて言えば「気功のこもった声を出す」というのがあるこれは、長年にわたって丹田を練ってきたことによる効果だいきなり、デカい声で人を驚かす禅僧もいる2026/10/02 17:20:43360.ハジtBdlwしかし、坐禅を提供されても戸惑うだけだw2026/10/02 17:21:38361.◆JBLfMwCXhYvGhNbあとはまったく鼻息の音を立てずに、鼻で呼吸するとか2026/10/02 17:22:35362.ハジtBdlw声か〜悪人でも歌うまいやつおるしなー2026/10/02 17:23:03363.◆JBLfMwCXhYvGhNbあと、坐禅とかヨガの人は姿勢がいいな安定感とかは、やはり違う2026/10/02 17:23:43364.ハジtBdlwおー、たしかに坐禅会行った時の周りの、鼻息の静けさにはビビったw2026/10/02 17:24:08365.◆JBLfMwCXhYvGhNb昔、オウム真理教の連中がよくテレビに出演してたときもとにかく、座ったときに余計な身動きせず、安定感が違ったな(笑)2026/10/02 17:25:44366.ハジtBdlwまあしかし、こっちからしたら、救われる話を期待するわけなんだが2026/10/02 17:26:10367.ハジtBdlw悪人でも姿勢はええのかーw2026/10/02 17:27:13368.◆JBLfMwCXhYvGhNb>>366それは期待できないな禅宗は、宗教としては微妙(笑)2026/10/02 17:27:38369.ハジtBdlw心の迷いを晴らさないのか2026/10/02 17:28:50370.◆JBLfMwCXhYvGhNbでも、仏のスレ主は、禅寺で「いまのままのアナタでいい。変わらなくていい」と言われて、感動したと言ってたな2026/10/02 17:29:13371.ハジtBdlw役たたずだなー笑2026/10/02 17:29:22372.ハジtBdlwロン先生やないかw2026/10/02 17:30:04373.◆JBLfMwCXhYvGhNb何を喜ぶかは、人それぞれだ当方なら「いまのままでいい」と言われるより「アナタは日々、急速に進歩している」と言われる方が、遥かにうれしい(笑)2026/10/02 17:32:57374.◆JBLfMwCXhYvGhNbていうか、それ以前に「アナタには、改善の余地がメチャメチャある。伸びしろしかない」という風に言われた方がうれしい(笑)2026/10/02 17:34:36375.◆JBLfMwCXhYvGhNb「いまのままの自分でいい。変わらなくていい」というのは、個人的にはアウト(笑)2026/10/02 17:36:24376.ハジtBdlw禅僧も接客業と、変わらんなw2026/10/02 17:37:14377.◆JBLfMwCXhYvGhNb「人はみんな、もともと仏なんだよ」とか「もともと完璧なんだよ」とかそういうのにも、どうしてもナジメない2026/10/02 17:37:39378.◆JBLfMwCXhYvGhNb>>376相手の機根に合わせた対応が大事ですなそれが、対機説法(笑)2026/10/02 17:38:15379.◆JBLfMwCXhYvGhNbAIは、相手に調子を合わせるのが得意だこのままでは、接客業はAIの独壇場になる2026/10/02 17:39:47380.◆JBLfMwCXhYvGhNb個人的にはいつも全力で賛同してくれるジェミニより「アナタの言ってることは、ココがおかしい。改善の余地がある」とかなんとか、何かとうるさいチャットGPTのほうが好みだ2026/10/02 17:41:31381.ハジtBdlwAIのヨイショ機能は芸術的だw2026/10/02 17:43:44382.神も仏も名無しさんP3vVc私は、料理作ってもらったり食べ物もらったり奢ってもらうと喜ぶな。だいぶ前にヒンドゥー坊さんと話して、以前口論した話をしてきたので、口論できるくらい日本語ができるようになってとても良いと思いますよ、と言ったら嫌な顔をしていたな、このような会話も好きだな。真面目ないい坊さんだ2026/10/02 17:45:12383.◆JBLfMwCXhYvGhNb人間じゃ、あそこまで全力でヨイショできないそこが、AIの凄みだ2026/10/02 17:45:22384.◆JBLfMwCXhYvGhNb>>382インド人と口論になると、本当に厄介😫「正しいのは私だ。間違ってるのはお前だ」が始まると止まらない勢いとしつこさが尋常でない2026/10/02 17:47:37385.ハジtBdlwインド人と口論したことあるとは、さすがエリート2026/10/02 17:50:24386.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn38yT>>374やはりJBL氏は聖ウンコ師に弟子入りすべきと確信した!2026/10/02 17:51:08387.ハジtBdlw中国人は高飛車2026/10/02 17:51:12388.◆JBLfMwCXhYvGhNbスッタニパータ 第4章 八つの詩句の章878 (世の学者たちは)めいめいの見解に固執して、互いに異なった執見を抱いて争い、(自ら真理への)熟達者であると称して、さまざまに論ずる。──「このように知る人は真理を知っている。これを非難する人はまだ不完全な人である」と。879 彼等はこのように異なった執見を抱いて論争し、「論敵は愚者であって、真理に達した人でない」と言う。これらの人々は皆「自分こそ真理に達した人である」と語っているが、これらのうちで、どの説が真理なのであろうか?880 もしも論敵の教えを承認しない人が愚者であって、低級な者であって、智慧の劣った者であるならば、これらの人々は全て(各自の)偏見を固執しているのであるから、彼等は全て愚者であり、ごく智慧の劣った者であるということになる。881 またもし自分の見解によって清らかとなり、自分の見解によって、真理に達した人、聡明な人となるのであるのならば、彼等のうちには知性のない者は誰もいないことになる。彼等の見解は(その点で)等しく完全であるから。882 諸々の愚者が相互に他人に対していう言葉を聞いて、私は「これは真実である」とは説かない。彼等は各自の見解を真実であるとみなしたのだ。それ故に彼等は他人を「愚者」であると決めつけるのである。(中略)890 もしも、他人が自分を「愚劣だ」と呼ぶが故に、愚劣となるのであれば、その人自身もともに愚劣な者となる。また、もしも自分でヴェーダの達人・賢者と称しているのであれば、諸々の、〔道の人〕のうちには愚者は一人も存在しないことになる。891 「この(わが説)以外の他の教えを宣説する人々は、清浄に背き、〔不完全な人〕である」と、一般の諸々の異説の徒はこのようにさまざまに説く。彼は自己の偏見に耽溺して汚れに染まっているからである。892 ここ(わが説)にのみ清浄があると説き、他の諸々の教えには清浄がないと言う。このように一般の諸々の異説の徒はさまざまに執著し、かの自分の道を堅くまもって論ずる。893 自分の道を堅くたもって論じているが、ここに他の何びとを愚者であると見ることができようぞ。他(の説)を、「愚者である」、「不浄の教えである」、と説くならば、彼は自ら確執をもたらすであろう。894 一方的に決定した立場に立って自ら考え量りつつ、さらに彼は世の中で論争をなすに至る。一切の(哲学的)断定を捨てたならば、人は世の中で確執を起こすことがない。2026/10/02 17:53:31389.◆JBLfMwCXhYvGhNbスッタニパータ 第4章 八つの詩句の章878 (世の学者たちは)めいめいの見解に固執して、互いに異なった執見を抱いて争い、(自ら真理への)熟達者であると称して、さまざまに論ずる。──「このように知る人は真理を知っている。これを非難する人はまだ不完全な人である」と。879 彼等はこのように異なった執見を抱いて論争し、「論敵は愚者であって、真理に達した人でない」と言う。これらの人々は皆「自分こそ真理に達した人である」と語っているが、これらのうちで、どの説が真理なのであろうか?880 もしも論敵の教えを承認しない人が愚者であって、低級な者であって、智慧の劣った者であるならば、これらの人々は全て(各自の)偏見を固執しているのであるから、彼等は全て愚者であり、ごく智慧の劣った者であるということになる。881 またもし自分の見解によって清らかとなり、自分の見解によって、真理に達した人、聡明な人となるのであるのならば、彼等のうちには知性のない者は誰もいないことになる。彼等の見解は(その点で)等しく完全であるから。882 諸々の愚者が相互に他人に対していう言葉を聞いて、私は「これは真実である」とは説かない。彼等は各自の見解を真実であるとみなしたのだ。それ故に彼等は他人を「愚者」であると決めつけるのである。2026/10/02 17:54:06390.◆JBLfMwCXhYvGhNbスマホだとAA表示で縮小されちゃうな(笑)2026/10/02 17:55:02391.◆JBLfMwCXhYvGhNb>>385いや、エリートではないむしろ、エリートじゃないからこそ、いろんな仕事をしてきている(笑)2026/10/02 17:55:49392.◆JBLfMwCXhYvGhNbなぜ、ブッダはこれほど執拗に「論争するな」「自分が正しくて、相手が間違っていると言い張るな」と繰り返すのか?インド人と口論してみれば、よく分かる2026/10/02 17:58:55393.◆JBLfMwCXhYvGhNbまあ、インドに限らず、日本でもリダンとかは、かなりうるさくてしつこいが2026/10/02 18:00:23394.◆JBLfMwCXhY0vqfvスッタニパータ 第4章 八つの詩句の章878 (世の学者たちは)めいめいの見解に固執して、互いに異なった執見を抱いて争い、(自ら真理への)熟達者であると称して、さまざまに論ずる。──「このように知る人は真理を知っている。これを非難する人はまだ不完全な人である」と。879 彼等はこのように異なった執見を抱いて論争し、「論敵は愚者であって、真理に達した人でない」と言う。これらの人々は皆「自分こそ真理に達した人である」と語っているが、これらのうちで、どの説が真理なのであろうか?880 もしも論敵の教えを承認しない人が愚者であって、低級な者であって、智慧の劣った者であるならば、これらの人々は全て(各自の)偏見を固執しているのであるから、彼等は全て愚者であり、ごく智慧の劣った者であるということになる。881 またもし自分の見解によって清らかとなり、自分の見解によって、真理に達した人、聡明な人となるのであるのならば、彼等のうちには知性のない者は誰もいないことになる。彼等の見解は(その点で)等しく完全であるから。882 諸々の愚者が相互に他人に対していう言葉を聞いて、私は「これは真実である」とは説かない。彼等は各自の見解を真実であるとみなしたのだ。それ故に彼等は他人を「愚者」であると決めつけるのである。(中略)2026/10/02 18:02:43395.神も仏も名無しさんjb6Zu俺は論争しないデキるオトコやろ😀2026/10/02 18:02:43396.◆JBLfMwCXhY0vqfv890 もしも、他人が自分を「愚劣だ」と呼ぶが故に、愚劣となるのであれば、その人自身もともに愚劣な者となる。また、もしも自分でヴェーダの達人・賢者と称しているのであれば、諸々の、〔道の人〕のうちには愚者は一人も存在しないことになる。891 「この(わが説)以外の他の教えを宣説する人々は、清浄に背き、〔不完全な人〕である」と、一般の諸々の異説の徒はこのようにさまざまに説く。彼は自己の偏見に耽溺して汚れに染まっているからである。892 ここ(わが説)にのみ清浄があると説き、他の諸々の教えには清浄がないと言う。このように一般の諸々の異説の徒はさまざまに執著し、かの自分の道を堅くまもって論ずる。893 自分の道を堅くたもって論じているが、ここに他の何びとを愚者であると見ることができようぞ。他(の説)を、「愚者である」、「不浄の教えである」、と説くならば、彼は自ら確執をもたらすであろう。894 一方的に決定した立場に立って自ら考え量りつつ、さらに彼は世の中で論争をなすに至る。一切の(哲学的)断定を捨てたならば、人は世の中で確執を起こすことがない。2026/10/02 18:03:26397.◆JBLfMwCXhY0vqfv>>395確かに、論争はしてないなブイブイ👿 とかモフモフ🐱 とか一言レスが多い2026/10/02 18:04:47398.神も仏も名無しさん8i8Fx論争というのも、自身の持ってる見解によってやるものそれも対象としての「他者」を認めてここから「自己」とは?「他者」とは?、それらが持つ「見解」とは?ってところで仏教の示すところに引っ掛かりが見られることになる2026/10/02 18:05:19399.◆JBLfMwCXhY0vqfvこの「スッタニパータ」の引用を見れば、わかる通りここでのブッダの説法の重点は「見解を放棄せよ」というより「論争するな」というところにある2026/10/02 18:06:10400.◆JBLfMwCXhY0vqfv聖ウンコ師がいつも「初期仏典の最古層」と言ってるスッタニパータの第4章は初期仏典の中でも、最も世捨て人っぽい「論争するな」ってのも「他人と関わるな。1人でやれ」という感じ2026/10/02 18:07:48401.神も仏も名無しさん8i8Fx党派をつくることを戒めるというのも同じことで「自己」と同じ見解を持って肯定するものを味方にして違う見解の「他者」の派閥と対立するってこと2026/10/02 18:08:32402.◆JBLfMwCXhY0vqfv>>398> 論争というのも、自身の持ってる見解によってやるものだから、「見解を放棄すれば、論争は起きない」というのがブッダの主張2026/10/02 18:08:59403.◆JBLfMwCXhY0vqfv自分の見解が正しいと固執するから論争が終わらない2026/10/02 18:09:33404.神も仏も名無しさんMHHIP>>397俺は実況中継メインだま、自称修行しているというお方には揺さぶりテストはするくらいだ😀修行してるのが自慢だから、動揺するなよテスト😀2026/10/02 18:10:24405.神も仏も名無しさん8i8Fxでも面白いことに、禅では疑問があればそれに任せて相手にぶつけろ、みたいな言葉があったりここにも仏教が、固定的な見方をその上から解消し続けるような一面が見られるように思うね2026/10/02 18:10:59406.◆JBLfMwCXhY0vqfv「偏見や先入観を捨てて、あるがままに物事を観よ」というニュアンスも、確かにあるがそれよりも、異様に熱心に繰り返すのが「論争するな」だ2026/10/02 18:11:21407.◆JBLfMwCXhY0vqfv>>405「信念体系を破壊する」ということにかけて臨済宗は最も過激なまでに熱心2026/10/02 18:12:07408.◆JBLfMwCXhY0vqfv初期仏教にも、その傾向はあるが臨済宗よりも、ずっと穏健だ2026/10/02 18:13:14409.神も仏も名無しさん8i8Fx>>407見解から離れて論争から離れるってのも固定的な見解になるならそれもまた、反対のことを示して見解否定の見解を否定する、というね2026/10/02 18:13:41410.神も仏も名無しさん8i8Fx通底するところとして、それを「みてるもの」というそこを究明するという己事究明というものってことなんだろうけど2026/10/02 18:16:15411.◆JBLfMwCXhY0vqfv昔、天台宗の僧侶が「入門したての頃、比叡山に雪が降った。先輩僧侶に『雪は何色だ?』と聞かれて『白です』と答えたところ、『お前も比叡山に来たからには、固定観念を捨てろ』と言われた」という話をしていた天台宗にも、「固定的な見解の放棄」という伝統があったのは間違いないそれを先鋭化したのが、白隠以後の臨済宗2026/10/02 18:17:59412.◆JBLfMwCXhY0vqfv【5、最上についての八つの詩句】796 世間では、人は諸々の見解のうちで勝れているとみなす見解を「最上のものである」と考えて、それよりも他の見解は全て「つまらないものである」と説く。それ故に彼は諸々の論争を超えることがない。797 かれ(=世間の思想家)は、見たこと・学んだこと・戒律や道徳・思索したことについて、自分の奉じていることのうちのみすぐれた実りを見、そこで、それだけに執著して、それ以外の他のものを全てつまらぬものであると見なす。798 ひとが何か或ものに依拠して「その他のものはつまらぬものである」と見なすならば、それは実にこだわりである、と〔真実に達した人々〕は語る。それが故に修行者は、見たこと・学んだこと・思索したこと、または戒律や道徳にこだわってはならない。799 智慧に関しても、戒律や道徳に関しても、世間において偏見をかまえてはならない。自分を他人と「等しい」と示すことなく、他人より「劣っている」とか、或いは「勝れている」とか考えてはならない。800 彼は、既に得た(見解)[先入見]を捨て去って執著することなく、学識に関しても特に依拠することをしない。人々は(種々異なった見解に)分かれているが、彼は実に党派に盲従せず、いかなる見解をもそのまま信ずることがない。801 彼はここで、両極端に対し、種々の生存に対し、この世についても、来世についても、願うことがない。諸々の事物に関して断定を下して得た固執の住居は、彼には何も存在しない。802 彼はこの世において、見たこと、学んだこと、或いは思索したことに関して、微塵ほどの妄想をも構えていない。いかなる偏見をも執することのないそのバラモンを、この世においてどうして妄想分別させることができるであろうか?803 彼等は、妄想分別をなすことなく、(いずれか一つの偏見を)特に重んずるということもない。彼等は、諸々の教義のいすれかをも受け入れることもない。バラモンは戒律や道徳によって導かれることもない。このような人は、彼岸に達して、もはや還ってこない。2026/10/02 18:23:41413.◆JBLfMwCXhY0vqfv聖ウンコ師が大好きな、スッタニパータの第4章の中で彼が主張する「一切の見解を放棄せよ」に最も近いことを言ってるのは、この箇所だと思うんだけどこれだって、「一切の見解を放棄せよ」とまでは言ってない「自己の見解に固執してはならない」なんだよな、やっぱり(笑)2026/10/02 18:25:48414.神も仏も名無しさんMHHIP如実知見の無いドパガキウンチク🤡だからなー😭2026/10/02 18:27:39415.神も仏も名無しさん8i8Fx戒っていうのも「自己」から離れた対象のものを知り認めてそれに愛憎執着することを戒めるものであるから道徳も基本は同じその、なにものかを知り認める起点である「自己」の根源を破ったなら戒律にも道徳にもよることはない(当然にエゴによるむちゃくちゃな振る舞いをすることはもうないってこと)2026/10/02 18:28:11416.◆JBLfMwCXhY0vqfvていうか、ハッキリ言ってこの箇所でブッダはいつも聖ウンコ師がやってるようなことを「やるな」と言っとるわな、明らかに😅>見たこと・学んだこと・戒律や道徳・思索したことについて、自分の奉じていることのうちのみすぐれた実りを見、そこで、それだけに執著して、それ以外の他のものを全てつまらぬものであると見なす。>智慧に関しても、戒律や道徳に関しても、世間において偏見をかまえてはならない。自分を他人と「等しい」と示すことなく、他人より「劣っている」とか、或いは「勝れている」とか考えてはならない。2026/10/02 18:28:32417.◆JBLfMwCXhY0vqfvこれですよ、これこういう言動を「やるな」というのが、スッタニパータの第4章↓111 名前:栖雲居士◆MKrKQHoID7SE[sage] 投稿日:2026/09/21(月) 23:52:18.96 ID:dytIo一切の見解を棄捨された方を、少なくとも釈迦仏教では一切知者って称してだんだけどな。一切の見解を棄捨したそこに、まともだのまともでないだの、そうした二元論(見解)はないんだよ。馬鹿だなぁw112 名前:栖雲居士◆MKrKQHoID7SE[sage] 投稿日:2026/09/21(月) 23:54:09.78 ID:dytIo分かるだろ、馬鹿どもwこうした愚行を20年もやってきた事を。2026/10/02 18:33:26418.◆JBLfMwCXhY0vqfvもしも、他人が自分を「愚劣だ」と呼ぶが故に、愚劣となるのであれば、その人自身もともに愚劣な者となる。また、もしも自分でヴェーダの達人・賢者と称しているのであれば、諸々の、〔道の人〕のうちには愚者は一人も存在しないことになる。自分の道を堅くたもって論じているが、ここに他の何びとを愚者であると見ることができようぞ。他を、「愚者である」、「不浄の教えである」、と説くならば、彼は自ら確執をもたらすであろう。↓117 名前:栖雲居士◆MKrKQHoID7SE[sage] 投稿日:2026/09/21(月) 23:56:45.91 ID:dytIoあーでもない!こーでもない!ベラベラベラベラベラベラベラベラベラベラベラベラベラベラベラベラベラベラベラベラベラベラベラベラ……wwwwwwwwwwwwwwwwww118 名前:栖雲居士◆MKrKQHoID7SE[sage] 投稿日:2026/09/21(月) 23:58:08.73 ID:dytIo坐禅しろ、坐禅!坐禅だよ、坐禅!坐禅!坐禅!坐禅!馬鹿どもがwww119 名前:栖雲居士◆MKrKQHoID7SE[sage] 投稿日:2026/09/22(火) 00:00:14.64 ID:OBc9Nこの先20年も、今までの繰り返しかい?ぶわあーーーーーくわw2026/10/02 18:37:03419.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn38yT>>418JBL氏には、改善の余地がメチャメチャある。伸びしろしかない2026/10/02 18:41:41420.◆JBLfMwCXhYxEaZq>>419なんか、ムカつく💢2026/10/02 18:49:29421.栖雲居士◆MKrKQHoID7SE4h6OfVinicchaye ṭhatvā sayaṁ pamāyaUddhaṁ so lokasmiṁ vivādam eti,Hitvāna sabbāni vinicchayāniNa medhakaṁ kubbati lokasmiṁ.(Sn 894)(Geminiによる和訳)「(自らの)見解の決定に立ち、自ら(の基準で他者を)推し量りつつ、かれは世において(自ら高じて)さらに論争へと至る。あらゆる(見解の)決定をことごとく捨て去ったならば、人は世において激しい争いを起こすことがない。」2026/10/02 18:53:36422.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn38yT>>420ワシはJBL氏の師匠じゃないからじゃろうな?誰に言われたい?2026/10/02 18:54:10423.◆JBLfMwCXhYxEaZq>>422河北彩花2026/10/02 18:54:38424.栖雲居士◆MKrKQHoID7SE4h6OfHitvāna sabbāni vinicchayāni Hitvāna(捨て去って/手放して) sabbāni(あらゆる/すべての)+ vinicchayāni(決定・断定を) → 「あらゆる(見解の)決定をことごとく手放したならば、」2026/10/02 18:56:27425.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn38yT>>423もっと我慢しなさい!と、河北彩花にお尻ペンペンされたい?2026/10/02 18:58:02426.栖雲居士◆MKrKQHoID7SE4h6Of毛が三本足りないのが居ますが、一切の見解を棄捨して、正しく理解する事です。合掌🙏2026/10/02 18:59:09427.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn38yT>>426あとはよろしくhttps://talk.jp/boards/psy/1774676267466 名前:◆JBLfMwCXhY[] 投稿日:2026/10/02(金) 16:45:21.66 ID:vGhNb [1/5] 0やはり、浄土教を語るのは自分には無理だった2026/10/02 19:02:02428.栖雲居士◆MKrKQHoID7SE4h6Ofその馬鹿とは絶縁したので……2026/10/02 19:03:29429.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn38yTやはり論争は面倒ですな399 名前:◆JBLfMwCXhY[sage] 投稿日:2026/10/02(金) 18:06:10.56 ID:0vqfv [4/16] 0この「スッタニパータ」の引用を見れば、わかる通りここでのブッダの説法の重点は「見解を放棄せよ」というより「論争するな」というところにある2026/10/02 19:10:40430.神も仏も名無しさんrNN0U>>420ベイダー和尚とお呼びしておる暗黒面存在😀😀😀😀😀2026/10/02 19:13:01431.栖雲居士◆MKrKQHoID7SE4h6Of見解を棄捨すれば論争も起こらないというのが、この馬鹿には分からないからなあ。2026/10/02 19:18:48432.ハジxs165ポジションチェンジをしたらいいのだ2026/10/02 19:26:44433.神も仏も名無しさん2RtbAハッタリドパガキ🤡燃えているな?🤡〜2026/10/02 20:32:29434.神も仏も名無しさんXhFpz少し書きたくなりました。はじめの一歩の鷹村が減量試合後に食べたおにぎりの最初一口は多分御釈迦様がスジャータに貰った粥と同じ体験だったと思う。雪山を初めてみた子供はそれを何色だと言うのだろう。輝く雪山をただの白だと言うのだろうか?五感を研ぎ澄ませてみえる世界はきっと仏の世界に近いのだろう。お茶を飲む、それは一言で全てをあらわしているのかと私は思いました。2026/10/02 20:57:49435.神も仏も名無しさん2RtbAお、良さげなレスかもー😀2026/10/02 21:02:24436.神も仏も名無しさんXhFpzありがとうございます。嬉しいです♪2026/10/02 21:03:36437.神も仏も名無しさんlwIis自己紹介乙🫵😂478 栖雲居士◆MKrKQHoID7SE (50-dSy-La-wvu)[sage] 2026/10/02(金) 08:28:48.16 ID:KvMfe社会の迷惑のみならず、宗教板でも迷惑掛けっぱなしの人間の屑野郎。仏教スレでは餓鬼憑きと云われ、キリスト教スレでは悪霊と蔑まれる嫌われ者。宗教体験も知識も底辺層で、誰からも一顧だにされない、ポイ捨て捨てられるカルト宗教の機関誌みたいな存在。2026/10/02 21:30:56438.神も仏も名無しさんlwIis自殺教唆の犯罪者、坐禅回数マウント栖雲居士💩627:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:29:52.30 ID:GHVkJlI/[96/96]うんうん、精神病棟にレリゴー😘 🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆162 栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm :[sage]:2024/03/09(土) 16:35:39.62 ID:b8JerweS喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟633:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:32:58.27 ID:GHVkJlI/[98/98]で?悔しくて我慢できないのか?wwwwwwwwwwwwwwwwww千枚通しで喉仏を刺して逝けば?wwwwwwwwwwwwwwwwwwぶわあーーーーーくわwww2026/10/02 21:31:46439.ゴリ子hBSsMもしかして私の勘違いで無ければ、またまたネームつけ忘れてたなご指摘でしょうか?ごめんなさい、すっかり忘れておりました。2026/10/02 21:33:51440.ゴリ子hBSsM434と浄瑠璃を書きました。スクロール面倒くさいのでこれで御勘弁。みんなあだ名つけて仲良しですよね。2026/10/02 21:37:01441.神も仏も名無しさん2RtbAま、俺には敵意はない、 相手の方は保障が、ないが😀2026/10/02 21:44:22442.ゴリ子XhFpzあはは。オカルトなら大丈夫です。前に陰陽を教わった私らしいので結界も出来ているらしい。そもそも私は神さまジジイが生まれた時からあると思うオカルト現役婆ぁ。じゃ無ければ仏教など辛気臭いのなど教わりたくもない笑2026/10/02 21:49:33443.ゴリ子XhFpz血筋ってあるのかもしれない。蛇がそうだし家紋もそうなのかもしれない。結婚したら逃げ出せると思ってたのにな。2026/10/02 21:54:21444.ゴリ子GcFvg仏教は初心者。それ以外でくるのならば、っていってる。書けたいわれた。だからヤなんよな。2026/10/02 22:08:44445.ゴリ子GcFvg場違いだと思うけど、前に水がヤバいって教えた人??ダサい制服とダサい歌の人?違うのならスルーで。そしてヤバいよ?仏教にゴリ押してんのってそれだから。2026/10/02 22:16:08446.神も仏も名無しさんlwIis自殺教唆の犯罪者、坐禅回数マウント栖雲居士💩627:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:29:52.30 ID:GHVkJlI/[96/96]うんうん、精神病棟にレリゴー😘 🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆162 栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm :[sage]:2024/03/09(土) 16:35:39.62 ID:b8JerweS喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟633:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:32:58.27 ID:GHVkJlI/[98/98]で?悔しくて我慢できないのか?wwwwwwwwwwwwwwwwww千枚通しで喉仏を刺して逝けば?wwwwwwwwwwwwwwwwwwぶわあーーーーーくわwww2026/10/02 22:20:19447.ゴリ子XhFpz仏教徒なら平和を願え。唱える力があるのなら平和を称えろ。ボケてんのか??2026/10/02 22:29:15448.ゴリ子XhFpz忘れておりました、ここはただの猿山だった。確かマウント合戦な場所だったな。2026/10/02 22:32:52449.ゴリ子XhFpzカウント10。マジやろ?ババァが出張ってくる。あんなの出て来たら即大洗濯に決まってるやん。2026/10/02 22:38:56450.ゴリ子XhFpz神は仏の下だと思われても何も気にもしない。ただする時はそうするのが神。仏は人を救ってなんぼやろ?2026/10/02 22:57:21451.神も仏も名無しさんlHwyR南無阿弥陀仏2026/10/02 23:59:21452.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEmXDcr宅建受かった?2026/10/03 00:02:30453.神も仏も名無しさんKWFLm自殺教唆の犯罪者、坐禅回数マウント栖雲居士💩627:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:29:52.30 ID:GHVkJlI/[96/96]うんうん、精神病棟にレリゴー😘 🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆162 栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm :[sage]:2024/03/09(土) 16:35:39.62 ID:b8JerweS喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟633:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:32:58.27 ID:GHVkJlI/[98/98]で?悔しくて我慢できないのか?wwwwwwwwwwwwwwwwww千枚通しで喉仏を刺して逝けば?wwwwwwwwwwwwwwwwwwぶわあーーーーーくわwww2026/10/03 00:14:57454.ハジdNi0oいろんな情報がありすぎると、もう、どーでもええわ、めんどくさいと思ってしまうなw2026/10/03 06:53:23455.◆JBLfMwCXhY9IAL0>>454「これだけが真理だ、他は間違いだ」と思わなくなる(笑)2026/10/03 06:57:53456.◆JBLfMwCXhY9IAL0新興宗教にハマるとかそういうことがなくなる2026/10/03 06:58:22457.◆JBLfMwCXhY9IAL0リダンのように、自己の見解に固執できる人はある意味、幸せだ2026/10/03 06:59:31458.神も仏も名無しさんd2ngl強烈な執着があってそれに気づいてなお手放せる事を求めている、というやり方なのだと思うけどな2026/10/03 07:37:12459.神も仏も名無しさん6IPSn今朝は水浴び冷たかったけどいい陽気だねえ2026/10/03 08:29:51460.神も仏も名無しさん2Ysmv自殺教唆の犯罪者、坐禅回数マウント栖雲居士💩627:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:29:52.30 ID:GHVkJlI/[96/96]うんうん、精神病棟にレリゴー😘 🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆162 栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm :[sage]:2024/03/09(土) 16:35:39.62 ID:b8JerweS喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟633:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:32:58.27 ID:GHVkJlI/[98/98]で?悔しくて我慢できないのか?wwwwwwwwwwwwwwwwww千枚通しで喉仏を刺して逝けば?wwwwwwwwwwwwwwwwwwぶわあーーーーーくわwww2026/10/03 08:44:01461.神も仏も名無しさんGDSTW鹿ノ経歴は全部嘘っぱち2026/10/03 08:53:14462.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEN5tTL宅建受かった?2026/10/03 08:54:03463.ハジ0VVOL晴れてるから外で歩きおってSA停めるとこないやないかw2026/10/03 13:21:41464.神も仏も名無しさんIh1nV自殺教唆の犯罪者、坐禅回数マウント栖雲居士💩627:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:29:52.30 ID:GHVkJlI/[96/96]うんうん、精神病棟にレリゴー😘 🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆162 栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm :[sage]:2024/03/09(土) 16:35:39.62 ID:b8JerweS喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟633:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:32:58.27 ID:GHVkJlI/[98/98]で?悔しくて我慢できないのか?wwwwwwwwwwwwwwwwww千枚通しで喉仏を刺して逝けば?wwwwwwwwwwwwwwwwwwぶわあーーーーーくわwww2026/10/03 13:59:53465.神も仏も名無しさんy8jgk栖雲居士💩がいかに基地外であるかは↓の通り627:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:29:52.30 ID:GHVkJlI/[96/96]うんうん、精神病棟にレリゴー😘 🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆162 栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm :[sage]:2024/03/09(土) 16:35:39.62 ID:b8JerweS喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟633:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:32:58.27 ID:GHVkJlI/[98/98]で?悔しくて我慢できないのか?wwwwwwwwwwwwwwwwww千枚通しで喉仏を刺して逝けば?wwwwwwwwwwwwwwwwwwぶわあーーーーーくわwww2026/10/03 15:00:13466.夕0EyUS釈迦の直説とは何かと問われたなら、「執着すると苦が生じる。条件によって生じたものは条件によって滅する。だから身体や心をよく観察し、執着を手放せ」という実践的教えが、最も釈迦らしい核である。さらに一言で言えば、釈迦は分析家というより観察者であり、後代の仏教はその観察を分析・体系化していった。※私の主観が入っているがw私の疑問はそんなに分析した言葉を当時の釈迦自身が話していたかということである。これはダンマパタの一節である。370 五つ(の束縛)を断て。五つ(の束縛)を捨てよ。さらに五つ(のはたらき)を修めよ。五つの執著を超えた修行僧は、<激流を渡った者>とよばれる。この5は何を意味するダンマパタではこの五つは説明がない五下分結 五上分結 五根、五力の事である。この五つの概念は後付けだが、教団内部では、共通認識である。が、ただ、ここまで、釈迦は分析であったかという疑問が残る2026/10/03 21:42:20467.神も仏も名無しさんAKiXB>>466自己管理だろな😀「もろもろの事象は過ぎ去るものである。放逸ならずして(怠ることなく)、目的を達成せよ」「当に五根を制して、放逸にして五欲に入らしむること勿(なか)るべし」(目や耳などの感覚器官をコントロールし、わがままに欲望の赴くままにさせてはならない)2026/10/03 21:45:35468.神も仏も名無しさんAKiXB仕事前の集中力を上げる為に立つ坐る坐禅でかなり攻めているな😀目や耳などの感覚器官をコントロールし2026/10/03 21:46:55469.神も仏も名無しさんAKiXBナルシズム暴走マシーンみたいなギャグみたいなのが自信満々なのが笑えるが😀2026/10/03 21:48:49470.神も仏も名無しさんY8QVZ栖雲居士💩がいかに基地外であるかは↓の通り627:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:29:52.30 ID:GHVkJlI/[96/96]うんうん、精神病棟にレリゴー😘 🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆162 栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm :[sage]:2024/03/09(土) 16:35:39.62 ID:b8JerweS喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟633:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:32:58.27 ID:GHVkJlI/[98/98]で?悔しくて我慢できないのか?wwwwwwwwwwwwwwwwww千枚通しで喉仏を刺して逝けば?wwwwwwwwwwwwwwwwwwぶわあーーーーーくわwww2026/10/03 22:00:26471.神も仏も名無しさんY8QVZ🏥 🫵😂 栖雲居士はサイコパス 🫵😂 🏥2026/10/03 22:08:34472.夕0EyUS>>467>「当に五根を制して、放逸にして五欲に入らしむること勿(なか)るべし」(目や耳などの感覚器官をコントロールし、わがままに欲望の赴くままにさせてはならない)何、これ、すーとでるの?単純に、釈迦はどこまで分析したかということに疑問に思っているんだよね。ウパニシャッド = 分析して「真の自己」を見つける釈迦 = 分析しても「これが自己だ」というものが見つからない つまり、ウパニシャッドの分析学を知っていたのかということを知りたいつまり、ウパニシャッドの分析を土台にして、自分の見解を載せたとみていいのかなと思った。これが一番、釈迦に近いんじゃないかななんて、推測した。2026/10/03 22:32:21473.ハジdNi0o夕ではなーw2026/10/03 22:45:41474.夕0EyUS>>473ハジさんのどん底暦にはかないませんw2026/10/03 22:55:50475.夕0EyUS実際に仏典を紐解いてみると、最初期のものと思われる文献においても、一個人としての「人間ゴータマ(釈迦)」はまったく説かれていないし、また一般的に保守的な見解に立っていたとされる上座部の文献を見ても(略)そこに描かれているゴータマの姿というのは一貫して神話的、超越的なのである[30]。平川彰の「純粋に”人間仏陀”の伝記は現在としては再現不可能である。仏陀の事蹟はすべて神話的に色づけられているからである」という言葉に端的に表されているように、ゴータマの脱神話化は結局不可能な試みなのである[30]。パーリ仏典 Wikipediaより※これは中村元氏の人間ブッタ論への現在の方向性である。2026/10/03 23:04:58476.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEWjqWv仏教にしろキリスト教にしろイスラム教にしろ、教祖等について脱神話化はする必要はないっていうのが最近の動向。切り離せないし、切り離す必要もないってね。あと直説。韻文優先説、韻文別系統説、散文優先説があるね。最近は韻文別系統説が有力視されてるのかな。それでもスッタニパータの第4、5章が最古層ってされてる様だけど。2026/10/04 04:36:29477.神も仏も名無しさんsk00M>>472仕事している日は😀ハッスル🤡がイキりだしてもさほど、何も感じない😀2026/10/04 05:03:43478.神も仏も名無しさんsk00M仕事前の坐禅は視覚聴覚身体感覚にドライブをかけまくってる😀2026/10/04 05:05:33479.◆JBLfMwCXhYxZO8P釈迦の人生は、物語としてデキすぎている説話そのもののような人生だ2026/10/04 05:20:09480.◆JBLfMwCXhYxZO8P本当に実在した人物なのかどうかそれすら分からない2026/10/04 05:20:41481.◆JBLfMwCXhYxZO8P同じことは、イエス・キリストにも言える2026/10/04 05:20:59482.◆JBLfMwCXhYxZO8Pその点、イスラム教の預言者ムハンマドは確実に実在したと断言できる歴史上の人物2026/10/04 05:22:08483.◆JBLfMwCXhYxZO8Pスッタニパータの第4章は、古い上に、他の経典と異質すぎるため本当に釈迦の思想なのかどうか、かえって疑う向きもある2026/10/04 05:25:21484.◆JBLfMwCXhYxZO8Pつまり「釈迦以前の思想が紛れ込んだのではないか?」ということだ2026/10/04 05:25:51485.◆JBLfMwCXhYxZO8Pスッタニパータ第4章のブッダはあまりにも世捨て人すぎるブッダサンガーのような集団生活にも関心がない2026/10/04 05:26:31486.◆JBLfMwCXhYxZO8Pスッタニパータは全体的に「1人でやれ」という傾向が強い2026/10/04 05:27:11487.◆JBLfMwCXhYxZO8P有名な「犀の角のごとく、ただ1人歩むがよい」が典型例2026/10/04 05:27:39488.◆JBLfMwCXhYxZO8P坐禅会など意味がない1人でやれ、ということだ2026/10/04 05:28:11489.◆JBLfMwCXhYxZO8P正師や法友が見つかったなら、おおいに結構なことだでも、見つからなかったら、1人でやれスッタニパータには、そう明記されている2026/10/04 05:28:55490.神も仏も名無しさんsk00Mデンパパやハッスル🤡は俺を挑発しにくるが俺は案外😀780 実に悪意をもって(他人を)誹る人々もいる。また他人から聞いたことを真実だと思って(他人を)誹る人々もいる。誹る言葉が起こっても、聖者はそれに近づかない。だから聖者は何ごとにも心の荒むことがない。2026/10/04 05:29:25491.◆JBLfMwCXhYxZO8P集団生活のサンガーを組織したその後のブッダの行動とは異質だ2026/10/04 05:29:47492.◆JBLfMwCXhYxZO8P>>490なるほど~😄2026/10/04 05:30:11493.神も仏も名無しさんsk00Mハッスル🤡の人間性の低さを解消できぬ坐禅会など成長の無いドパガキ🤡にするだけのよーだ😭2026/10/04 05:30:29494.◆JBLfMwCXhYxZO8P森林生活ったって、インドのジャングルだ蚊が多い無数の曲がりくねった樹木の枝に、蛇が巻きついて、枝から枝へと移動している過酷な自然環境だ2026/10/04 05:37:27495.◆JBLfMwCXhYxZO8P現代の日本人が、古代インドのジャングルで生活したら3日ともたないであろうすぐ倒れる2026/10/04 05:38:12496.◆JBLfMwCXhYxZO8P>>495チャットGPT:かなりそうだと思います。ただ、**「ブッダ=インドの密林の奥で、現代人には耐えられない野生生活をしていた」**とイメージすると、少し補正が必要です。初期仏教の修行者はたしかに森林・林野を重要な修行場所としていました。『スッタニパータ』などにも、村落を離れて森で独居する修行者の姿が描かれます。一方で、古代インドの「森林」は、必ずしも現代人が想像するアマゾンのような完全なジャングルではありません。地域によっては乾燥した森林やサバンナ的な環境もありました。2026/10/04 05:40:40497.◆JBLfMwCXhYxZO8Pそれでも現代日本人との生活環境の差は、とんでもないです。冷暖房なし蚊・ハエ・ダニなどの虫蛇や野生動物清潔な水の確保食料の保存が難しい医療がない夜は完全な暗闇雨季・酷暑地面に座る/寝る基本的に裸足食事は托鉢などに依存そして何より、「自然の中にいる」のではなく、「自然の危険から身を守る道具がほとんどない」。だから、現代の日本人をそのまま紀元前のインドへ放り込んだら、精神論以前に、身体が環境に適応できない可能性が高いですね。2026/10/04 05:41:10498.◆JBLfMwCXhYxZO8Pむしろ面白いのは、そういう環境の中で仏教が成立したことです。「苦」という言葉が、現代の快適な生活から想像するものとは、かなり違った身体感覚を背景にしている。暑い、腹が減る、虫に刺される、病気になる、老いる、死ぬ――こういうものが、思想以前に毎日の現実だった。そこから「この身体と世界への執着そのものをどう扱うか」という問題が出てくる。JBLさんの言う「過酷な自然環境」という視点は、仏教思想を読むときにかなり重要な補助線になると思います。2026/10/04 05:41:31499.◆JBLfMwCXhYxZO8P確かに北インドだからな熱帯雨林気候ではない(笑)2026/10/04 05:46:21500.◆JBLfMwCXhYxZO8P5002026/10/04 05:46:33501.◆JBLfMwCXhYxZO8P大陸だから、寒暖差は大きい冬は寒い現代のインドでも、冬は普通に凍死者が出る😫2026/10/04 05:47:20502.神も仏も名無しさんie1aY地べたに寝起きして歩くことを基本に据えるなら、自然環境に適応出来る身体と心があるだけで社会に生きているものの苦しみは終わってしまう2026/10/04 06:10:08503.ハジ6yA0p鎌倉時代の時代の日本もそーとーだと思うがw2026/10/04 07:26:33504.ゴリ子Ytbtm一応出て来たのでお裾分けです♪料理家の土井善晴先生へのコメントコピペ。高級料理を高い山の頂上、家庭料理を山裾の豊かな森と表現して、後者の広大さ豊かさを礼賛した発言が印象的だけど、高い山に苦しんで登ったひとが振り返ってみた風景の美しさなんだと思う。五感を研ぎ澄ましハレとケの技を極めた達人が言う、こんなんでええんですわ。ここら辺を読み間違えると痛い目にあうと思いました。2026/10/04 07:50:32505.ゴリ子Ytbtm禅の世界には「喫茶去(きっさこ)」という言葉があります。 これは「さあ、お茶でも飲みなさい」という意味の真心あふれた禅語。ってちゃんとあるじゃん?これなどは物凄すぎだと思わされる。汲み取るが神クラス 笑、仏だけど。2026/10/04 08:13:19506.夕Z5JIF即だろう。何を付け足す。蛇に足を付けるのか?一礼ぐらいはしろ自分の片割れだからね相分も相分、主観の片割れ。説明したら、足が生えてくる(笑)。一礼まあ、お茶でも飲もうかw2026/10/04 09:47:22507.ゴリ子Ytbtm良いですねー。大福も出してくれたら尚よし 笑2026/10/04 11:11:25508.ゴリ子Ytbtm仏教は哲学だやら仏教とはとやたらと起源主張やらなど、ぶち壊して欲しい。知識ベースな分かったちゃんなのを許してきた仏教ならそれは要らんやろ。AIに教えてもらえ。そのんが賢い。2026/10/04 11:36:26509.神も仏も名無しさんdnFOT栖雲居士💩がいかに基地外であるかは↓の通り627:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:29:52.30 ID:GHVkJlI/[96/96]うんうん、精神病棟にレリゴー😘 🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆162 栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm :[sage]:2024/03/09(土) 16:35:39.62 ID:b8JerweS喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟633:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:32:58.27 ID:GHVkJlI/[98/98]で?悔しくて我慢できないのか?wwwwwwwwwwwwwwwwww千枚通しで喉仏を刺して逝けば?wwwwwwwwwwwwwwwwwwぶわあーーーーーくわwww2026/10/04 11:39:32510.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEH6abR頭の中で拵えた想像仏教を同じ頭で壊してもね。口先だけでなく、実際に坐禅会等に千回でも出て万回坐って、身体で覚えないと話になりませんから。2026/10/04 12:23:27511.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEH6abR仏教スレって口先ベラベラで、通参してる人が他に居ないの実際でしょ。もうその時点で最初から話にならない。2026/10/04 12:25:45512.神も仏も名無しさんbFfaS510 栖雲居士◆MKrKQHoID7SE[sage] 2026/10/04(日) 12:23:27.23 ID:H6abR頭の中で拵えた想像仏教を同じ頭で壊してもね。口先だけでなく、実際に坐禅会等に千回でも出て万回坐って、身体で覚えないと話になりませんから。その結果がこれか??↓↓↓627:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:29:52.30 ID:GHVkJlI/[96/96]うんうん、精神病棟にレリゴー😘 🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆162 栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm :[sage]:2024/03/09(土) 16:35:39.62 ID:b8JerweS喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟633:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:32:58.27 ID:GHVkJlI/[98/98]で?悔しくて我慢できないのか?wwwwwwwwwwwwwwwwww千枚通しで喉仏を刺して逝けば?wwwwwwwwwwwwwwwwwwぶわあーーーーーくわwww2026/10/04 12:30:00513.神も仏も名無しさんbFfaSぶぁーーーーーーーーーーーーーーーくわ🫵😂2026/10/04 12:30:24514.神も仏も名無しさんh9CGUドパガキ🤡エネルギーが溢れているな?2026/10/04 12:38:44515.ゴリ子Ytbtm>>514書いてある通りだと思いました。人に伝わる、はそうされた方の生身のお言葉。言葉コピペ遊びなど見抜けるのもそうされたから、だと思いました。ドパガキだと我が子に叱られた私。最初からネット操ってる世代を侮るなどできませんでございます。2026/10/04 13:05:01516.神も仏も名無しさんzGu1P510 栖雲居士◆MKrKQHoID7SE[sage] 2026/10/04(日) 12:23:27.23 ID:H6abR頭の中で拵えた想像仏教を同じ頭で壊してもね。口先だけでなく、実際に坐禅会等に千回でも出て万回坐って、身体で覚えないと話になりませんから。その結果がこれか??↓↓↓627:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:29:52.30 ID:GHVkJlI/[96/96]うんうん、精神病棟にレリゴー😘 🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆162 栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm :[sage]:2024/03/09(土) 16:35:39.62 ID:b8JerweS喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟633:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:32:58.27 ID:GHVkJlI/[98/98]で?悔しくて我慢できないのか?wwwwwwwwwwwwwwwwww千枚通しで喉仏を刺して逝けば?wwwwwwwwwwwwwwwwwwぶわあーーーーーくわwww2026/10/05 13:08:07517.神も仏も名無しさん6krpO仏教では自己とは幻想なのです2026/10/05 19:06:29518.◆JBLfMwCXhYOj9EVいろいろと、ごちゃまぜになってるな😄67 麦◆MUGITANx95Dj 2026/10/07(水) 08:14:43.44 ID:NngN0∞ノノハ∞川^○^ハレ夕たんお久しぶりです捉え方として説一切有部の法有みたいに実有か大乗仏教の因縁によって仮和合した実体はない現象なのか唯識説かれる心の現れなのかなんでしょうね説一切有部だと法は三世に実在して大乗仏教だと阿頼耶識に種子として蓄積されるどちらもカルマに影響を受けて輪廻するので五位の修行するのでしょうけど説一切有部だと阿羅漢止まりで大乗仏教だと究竟位の如来みたいですね2026/10/07 08:34:35519.◆JBLfMwCXhYOj9EVアタマを整理したほうがいい2026/10/07 08:34:45520.◆JBLfMwCXhYOj9EV別スレで文句を言うのが癖になってきた2026/10/07 08:35:34521.◆JBLfMwCXhYOj9EVだが、禅宗系の人は考えが違いすぎるので面倒だし😫2026/10/07 08:36:00522.神も仏も名無しさんJXQcr俺の相手をしろ、実践的禅以外の瞑想仏教詳しいぞ😀わかりやすく的確に解答する😀2026/10/07 09:00:43523.ゴリ子4KwGT>>522では何故空海様は曼荼羅を描いたのでしょうか。教えてください。2026/10/07 12:04:24524.ゴリ子4KwGT超人伝説は知りました今でいう宇宙人的超人的クラス。そりゃそうなるだろう。何故描いてほんの少しのみでも他人に伝えようとされたのか??2026/10/07 12:33:08525.神も仏も名無しさんrDmQZ>>523世界を曼荼羅の様に感じて理解した😀2026/10/07 19:09:06526.神も仏も名無しさんj9IR8自殺教唆の犯罪者、坐禅回数マウント栖雲居士💩627:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:29:52.30 ID:GHVkJlI/[96/96]うんうん、精神病棟にレリゴー😘 🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆162 栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm :[sage]:2024/03/09(土) 16:35:39.62 ID:b8JerweS喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟633:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:32:58.27 ID:GHVkJlI/[98/98]で?悔しくて我慢できないのか?wwwwwwwwwwwwwwwwww千枚通しで喉仏を刺して逝けば?wwwwwwwwwwwwwwwwwwぶわあーーーーーくわwww2026/10/08 04:08:58527.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEKDan6曼荼羅とは、仏界を流出論的に表現したもので、それが智惠(金剛界)と慈悲(胎蔵界)に表されてるって事でしょ。2026/10/08 07:41:44528.◆JBLfMwCXhYCmF0U急に現れたな?😅2026/10/08 07:44:30529.神も仏も名無しさん3ldxm痴壊と自悲しかないドパガキ🤡のクセに2026/10/08 08:26:04530.ゴリ子g2C7l>>529これは私、ゴリ子に対して書いているんでしょうか?ここはギャーギャー煩い猿山なのであだ名やら匂わせマウンティングやらとワケわからんし。ドパガキと書いた覚えがあるので確認なんですが、それが私に付けられたあだ名なんですか?なら名指しでコメント下さい。2026/10/08 11:12:45531.神も仏も名無しさんMlugb自殺教唆の犯罪者、坐禅回数マウント栖雲居士💩627:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:29:52.30 ID:GHVkJlI/[96/96]うんうん、精神病棟にレリゴー😘 🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆162 栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm :[sage]:2024/03/09(土) 16:35:39.62 ID:b8JerweS喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟633:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:32:58.27 ID:GHVkJlI/[98/98]で?悔しくて我慢できないのか?wwwwwwwwwwwwwwwwww千枚通しで喉仏を刺して逝けば?wwwwwwwwwwwwwwwwwwぶわあーーーーーくわwww2026/10/08 13:08:31532.◆JBLfMwCXhYpvIQp自己の見解に固執してはならない2026/10/08 17:59:08533.◆JBLfMwCXhYpvIQpどうしても自説を主張することにばかり熱心で他人の意見に無関心な人が多い2026/10/08 17:59:44534.◆JBLfMwCXhYpvIQpまあ、仕方ないが2026/10/08 17:59:56535.◆JBLfMwCXhYpvIQp「自分が正しい。相手が間違っている」という思い込みは禁物だ2026/10/08 18:00:30536.◆JBLfMwCXhYpvIQpたまには、自分自身を疑ってみたらどうだろう?2026/10/08 18:00:50537.◆JBLfMwCXhYpvIQp自分の信念が正しいと思ってはいけない2026/10/08 18:01:10538.◆JBLfMwCXhYpvIQp一番正しいのは自分の信念を壊すことなのだ2026/10/08 18:01:28539.◆JBLfMwCXhYpvIQp信念体系が崩壊すれば人間は自由になる解放される2026/10/08 18:03:13540.◆JBLfMwCXhYpvIQp話の中身や言葉づかいが、難しいか、易しいか確かに、それも重要だ2026/10/08 18:04:14541.◆JBLfMwCXhYpvIQpでも、それ以上に重要なのは固定観念にハマってるかどうかだ2026/10/08 18:04:37542.◆JBLfMwCXhYpvIQp自分が固定観念にハマってきたと思ったら思想的に真逆な人が書いた本を読むなんてのも重要だ2026/10/08 18:05:47543.◆JBLfMwCXhYpvIQp当方も、内田樹が書いた左翼の政治ブログを読んでいる2026/10/08 18:07:10544.◆JBLfMwCXhYpvIQpほとんどの論点において、当方とは正反対の見解の持ち主だ逆さまにひっくり返った世界の住人だ読んでいると、怒りがわいてくる2026/10/08 18:07:48545.◆JBLfMwCXhYpvIQp人はなぜ自分と異なる考えを熱心に主張している人を見ると腹が立つのだろう2026/10/08 18:08:26546.◆JBLfMwCXhYpvIQp他人の考えが自分と異なるのは当たり前だ同じなわけがない他人なんだから2026/10/08 18:09:47547.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEpF8CS馬鹿のスレ。2026/10/08 18:13:50548.◆JBLfMwCXhYpvIQp>>547いきなり登場したな?😂2026/10/08 18:17:31549.◆JBLfMwCXhYpvIQpなんで、内田樹が書く文章は、これほど人をイラ立たせるのか?😫いまは「一帯一路」や「21世紀海洋シルクロード」の構想が示されています。あまり言う人がいませんけれど、これはきわめて「中国的」なアイディアだと僕は思っています。いずれも中国人の「中華思想」のコスモロジーにぴったりと合っている。中国の基本的な趨勢はやはり「西漸」なのです。漢代から、中華皇帝は国内統一が済むと、まず西に向かった。張騫や李陵や霍去病や衛青といった、われわれが中学生くらいのときから学ぶ人たちのたどったコースはいまの「一帯一路」とほぼ重なります。明代には鄭和が大船団を組んで、東シナ海を南下して、マラッカ海峡を抜けて、インドから紅海を経て、東アフリカまで航海をしていますけれど、このコースは「21世紀海洋シルクロード」とほぼ重なる。つまり、中国人にとって、中華皇帝の「王化の光」が広がってゆくときのコスモロジカルな地図は紀元前から現代まで、ほとんど変わっていないということです。たぶん、中国人にとってこの動線にはある種のつよい訴求力がある。ですから、この動線の方向にさまざまな事業を展開して、AIIBで集めた資金を投下し、そこに国内の過剰生産した鉄鋼や過剰な労働力を投下して、完全雇用を実現するというのが中国の長期的な国家戦略なのだと思います。それについてはおそらく国民的な合意がある。2026/10/08 18:18:06550.◆JBLfMwCXhYpvIQp「西」へ向かう強い趨向性を持ちながら、その一方で、「東」については、中国人はコスモロジカルな強い物語を持っていない。朝鮮半島、日本列島、台湾というのは、王化の対象である「東夷」にカテゴライズされます。もともと「化外の地」ですから、中華皇帝が実効支配する土地ではない。現地の支配者に自治を委ね、彼らが帝国に敬意を払い、朝貢してくる限り、さまざまな贈り物を下賜する。「東」について、中国人は特に強い領土的野心を示したことがない。歴史的にそうなんです。例えば、鄭和の船団は七回にわたって大航海をするわけですけれど、ついに一度も東へ向かわなかった。泉州から出港して、すぐに南下してしまう。東に三日ほどの旅程で、日本列島があるのですけれど、見向きもしない。こういう「何かをしなかった」場合については、歴史家はあまり興味を示しませんけれど、僕はけっこう国のふるまい方の根幹にかかわる重要な情報が含まれていると思います。その「東にはあまり興味がない」中国ですけれど、日本がアメリカから自立して、主権国家として独立した国際政治のプレイヤーとなった場合に、どう遇するつもりなのか。日本をイーブン・パートナーとして迎えるということがありうるのだろうか。これはにわかには予測しがたいということです。2026/10/08 18:18:22551.◆JBLfMwCXhYpvIQp内田樹は、「日米同盟を解体せよ。日本の同盟国は、韓国だけでいい」と主張するそれで、どうやって中国の脅威に対抗するのか?内田樹によると「漢の武帝は、中央アジアのシルクロード進出に向かった。唐の太宗も、中央アジアのシルクロード進出に向かった。明の鄭和は、インド洋に向かった」「中国は、伝統的に西の方角に関心がある。日本や韓国には攻めてこないから、大丈夫だ」2026/10/08 18:21:39552.◆JBLfMwCXhYpvIQp昭和40年代を思わせる、超お花畑思考に戦慄する😱それを言ったら、坂上田村麻呂は関東・東北に攻めていった。源義家も、関東・東北に攻めていった。日本人の関心は、伝統的に東の方角にあるのか?2026/10/08 18:23:38553.◆JBLfMwCXhYpvIQpここで内田樹に怒ったところで仕方ないんだが(笑)2026/10/08 18:24:12554.◆JBLfMwCXhYpvIQpこういう奴が大嫌いだ。吐き気がする🤮↓映画を観終わってから、なぜ韓国の人は自国の歴史の暗部をこのよう抉り出すことができるのに、日本人はそれができないのかという話になった。 その時に、「韓国は自国の歴史の暗部を抉り出すことができるくらいに『正義』を重く見る。しかし、北にはそれができない」という南北対比が意識下で働いているからだと韓国の地域研究の専門家が指摘してくれた。なるほどと頷いた。 そう言えば、台湾でも、国民党による白色テロという歴史的暗部は繰り返し映画化されている。これも「台湾は自国史の暗部を抉り出すことができるが、大陸にはそれができない」という「道義性をめぐる覇権争い」という文脈で解釈することも可能だろうとこれは台湾の専門家が教えてくれた。 そう考えた時に、なぜ日本人には自国史の暗部をエンターテインメントに仕上げるという力業ができないのか、その理由が少しわかった気がした。日本には「どちらがより道義的か」を競うべき隣国がないのである。 地理上の隣国はある。だが、どの国に対しても、日本人は「われわれの方が諸君たちより道義的である」と証明する義務を免ぜられている。免ぜられているどころか、そもそも道義性について発言する権利を許されていない。81年前までは日本は隣国を侵略し、収奪してきたのである。逆立ちしても、被害者たちと道義性の高さを競う資格がない。2026/10/08 18:29:35555.◆JBLfMwCXhYpvIQpここで内田樹に文句を言っても仕方がない(笑)やるなら、X(旧ツイッター)でやるしかないXで大体的に批判すれば、嫌でも奴の目に触れることになるだろう2026/10/08 18:31:19556.◆JBLfMwCXhYpvIQp内田樹は、左翼業界では「知の巨人」と持て囃されているだが、フランス現代思想ならともかく、世界史、とくに東アジアの東洋史に関しては、どう見ても当方が内田樹より遥かに詳しいXで思い切り批判すれば、内田樹程度の頭で、当方に太刀打ちするのは無理だ2026/10/08 18:34:42557.◆JBLfMwCXhYpvIQpだが、それをやると内田樹が喜ぶだけだ「右翼が、私の著書を読んで怒っている。私は、Xで嫌韓派に攻撃され、炎上している」と、大喜びで言い出す敵にエサを補給することになるだけだ(笑)2026/10/08 18:36:43558.◆JBLfMwCXhYpvIQpそれにしても内田樹ほど当方と思想が異なる者は、広い世間にも滅多にいない「固定観念からの脱却」という観点からすれば、内田樹の著書を読むのが一番だ(笑)2026/10/08 18:38:18559.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAfL6DJ>>550>>「東」について、中国人は特に強い領土的野心を示したことがない。歴史的にそうなんです。これは凄い謎なので、掘り下げる価値があるねただし、中立的な立場で2026/10/08 18:41:37560.◆JBLfMwCXhYpvIQp内田樹だって、今でこそ「知の巨人」などと持て囃されているがもとはといえば、ブロガーだ左翼の政治ブロガーだったにすぎないしかし、ブログを愛読していた若い出版社の編集者が、「本を出してみませんか?」と言ってきたそこで、内田樹の運命は激変したちなみに、その編集者がどうなったかというと10年ほど前(いや、もうちょい前か?)の深夜に、酔っ払って道路脇のミゾに転落翌朝、溺死体で発見された😫「内田樹を世に出す」という、ただそれだけのために、この世に出てきたようななんとも不思議な人生だった内田樹が有名な左翼の論客になったのを見届けたかのように、ひっそりとこの世を去った2026/10/08 18:42:40561.◆JBLfMwCXhYpvIQp>>559言いたいことは山ほどあるけど、また後ほど😂2026/10/08 18:43:18562.◆JBLfMwCXhYpvIQpその編集者は、高校生くらいの頃から「出版社で働きたい」と情熱を燃やしてた周囲も驚くほどの情熱だった出版社に入ってからも、たいした働きをしてなかったが「内田樹を発見し、世に出す」という、人生でたった1つの大仕事を成し遂げた(笑)そして、ある日、ひっそりと世を去った(内田樹よりも、ずっと若かった)1人1仕事の人生よほど、内田樹と縁があるのだろう不思議なものだ2026/10/08 18:49:59563.◆JBLfMwCXhYpvIQp内田樹という人何か、特別な使命を帯びて、この世に生まれてきたのかもしれない韓国人にも、内田樹の本を十数年かけて必死で翻訳し、韓国で出版してきた協力者がいる大きな使命を持った人には、協力者が現れるものなのか2026/10/08 18:51:49564.◆JBLfMwCXhYpvIQp例によって、話が脱線したな😫何が主題なのか分からないメチャクチャな脱線だ2026/10/08 18:52:40565.◆JBLfMwCXhYpvIQpなんの話をしてたんだっけ?😫2026/10/08 18:53:04566.◆JBLfMwCXhYpvIQpそうだ、初期仏教だ「自己の見解に固執してはならない」という話をしていた2026/10/08 18:53:59567.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAfL6DJ>>562その編集者は、この世に対する執着が薄かったとか?2026/10/08 18:55:01568.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAfL6DJ>>566ええやん。「自己の見解に固執している」と、似たような奴が寄ってくるかもよ?2026/10/08 18:56:18569.神も仏も名無しさん4Lquz🤡マークはせいうんこじ専用😀2026/10/08 19:03:52570.◆JBLfMwCXhYRwVFT>>567なんか、優秀なのに、野心もなにもない不思議な人だったらしい「内田樹を世に出す」ということだけに、周囲も驚くほどの情熱を燃やしてた内田樹の本を出版するために、個人で借金して人生を賭けた大勝負何がそんなに気に入ったのか、さっぱり解らない😅2026/10/08 19:04:00571.◆JBLfMwCXhYRwVFTやはり、日本と韓国は国家統合して「日韓連邦」になる運命なのか内田樹はそれを主導するために、協力者たちを伴って、この地上に下生したのかもしれない2026/10/08 19:07:23572.◆JBLfMwCXhYRwVFT内田樹は、韓国で人気があるらしいよく韓国に呼ばれて、「日韓連携」をテーマに講演している「韓国では拍手喝采されるのに、日本では関心を持ってもらえない」と、いつもブログでボヤいている2026/10/08 19:10:13573.◆JBLfMwCXhYRwVFT当然のことながら、内田樹は嫌韓派から嫌われているでも、10年前ならともかく、今は嫌韓ブームなど鎮静化して久しい保守系YouTuberの渡邉哲也も、「韓国ネタは人気がない。動画が伸びない」とボヤいてたもう、いまの日本に、嫌韓派はあんまりいない(少しは残っている)炎上商法すら無理な状況だ(笑)2026/10/08 19:13:12574.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAfL6DJ>>571中国は、朝鮮半島や日本を侵略したことは無い(元はモンゴルなので例外)まあ、中華思想からみれば、蝦夷地扱いなのだろう。日本は、20世紀前半に、中国を侵略した。だから、ある程度、仕返しされるのは仕方ないだろう。そもそも、アメリカが黒船で日本を脅して開国させたから、その流れで日本は中国を侵略したのだ。諸悪の根源は、アメリカにある。2026/10/08 19:15:02575.神も仏も名無しさん4Lquz最新仕事集中力バージョンを開発したが少しマシだが程度うーむ、的確な判断力向上まではいかん😅2026/10/08 19:15:53576.◆JBLfMwCXhYRwVFT若い頃、在日韓国人の友人と一緒に、女性2人と新宿で合コンした女性陣は「パスタを食べたい」と言ってたが、そいつは「焼肉を食べたい」と言い出して譲らなかった結局、女性陣はパスタを食べに行き、われわれだけで焼肉屋に行く羽目に😫「自己の見解に固執して、争ってはならない」と言ってやりたかった2026/10/08 19:16:23577.◆JBLfMwCXhYRwVFTインド人ほどではないが韓国人も、頑固な人が多い2026/10/08 19:17:06578.◆JBLfMwCXhYRwVFT>>574> 中国は、朝鮮半島や日本を侵略したことは無い(元はモンゴルなので例外)> まあ、中華思想からみれば、蝦夷地扱いなのだろう。それについては、言いたいことが山ほどある当方は、歴史の話になると、宗教の話よりさらにうるさくて細かくてしつこい😫2026/10/08 19:19:26579.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAfL6DJ>>570アカシックレコードを解読したらそういう解が具現化したのじゃろう?2026/10/08 19:21:15580.◆JBLfMwCXhYRwVFTまあ、個人的に、自分は「宗教」というより、「宗教史」のマニアなんじゃないかそう思うことがよくあるそれくらい、歴史にうるさい2026/10/08 19:22:09581.◆JBLfMwCXhYRwVFT>>579死んで、あの世に行けばアカシックレコードを読み放題という話だいまから楽しみで仕方ない2026/10/08 19:22:47582.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAfL6DJ>>578台風で東シナ海航路が危険なので、意欲が湧かなかったのかな?しかし、朝鮮半島は地続きなのだから、併合してもおかしくない。そこが漢民族の「奥ゆかしさ」なのか?2026/10/08 19:23:35583.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAfL6DJ>>581「善は急げ」ですな2026/10/08 19:24:22584.神も仏も名無しさんmrz14韓国にとっては北朝鮮は中国との緩衝地帯で北朝鮮はありがたいかもしれん😅2026/10/08 19:28:13585.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAfL6DJ>>580釈尊の時代には、「家出王子」が流行っていて、複数の「家出王子」の主張を取りまとめたのが「原始仏教」なのかもね。2026/10/08 19:28:32586.◆JBLfMwCXhYRwVFT>>582隋は高句麗侵略に失敗して滅亡唐の太宗も高句麗侵略に大失敗唐の高宗は、新羅と同盟してついに高句麗を倒したが、その後の羅唐戦争で新羅を屈服させられず撤退遼は高麗に6度も攻め込み、最終的に制圧できず元は高麗を完全に制圧して長期の直接支配明は豊臣秀吉の日本軍に対抗して朝鮮出兵清は朝鮮に5度も攻め込み、朝鮮王に土下座させて属国化その後、明治の日本軍に対抗して朝鮮出兵し、日清戦争勃発中華人民共和国は、米軍に対抗して朝鮮出兵し、北朝鮮を制圧・・・どこが、朝鮮半島に関心ないのかと😅2026/10/08 19:32:43587.◆JBLfMwCXhYRwVFT>>585> 釈尊の時代には、「家出王子」が流行っていて、>> 複数の「家出王子」の主張を取りまとめたのが「原始仏教」なのかもね。王子の出家が流行ってたかまでは分からんけど森林修行は流行っていた2026/10/08 19:33:37588.◆JBLfMwCXhYRwVFT内田樹はどういうつもりなんだろな?元はモンゴル人、清は満州人だから関係ないということか?元はまだ分からんでもないが、清は明らかに現代中国の原型だろ関係ないとは言わせない2026/10/08 19:36:24589.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAfL6DJ>>586それは知らなかった。学校で教わったことと違うなー2026/10/08 19:36:25590.◆JBLfMwCXhYRwVFTたぶん、内田樹は清朝の朝鮮支配を知らないんじゃないかなそうとしか思えない2026/10/08 19:36:57591.◆JBLfMwCXhYRwVFT>>589そう学校の歴史教育では「日本は朝鮮に出兵しました。対抗して明朝が援軍を出してきて、日本は補給が続かず撤退しました」という話はするけどその数十年後、清朝が北から朝鮮に攻め込んできて完全制圧したという話をしない2026/10/08 19:39:51592.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAfL6DJ学校では、中国王朝は、朝鮮半島に対する領土的野心が皆無で、それは朝鮮人の巧みな朝貢外交が功を奏していたためだ・・・・と教わっていたような?2026/10/08 19:41:21593.◆JBLfMwCXhYRwVFTソウルの朝鮮王宮では宮殿の正門は、北京から来た清朝の外交官が通るところ朝鮮国王は、裏門から入って外交官に土下座してた2026/10/08 19:41:39594.◆JBLfMwCXhYRwVFTこういう歴史があるから韓国人の中国に対する警戒心は強い2026/10/08 19:42:11595.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAfL6DJ>>591>>その数十年後、清朝が北から朝鮮に攻め込んできて完全制圧したそれは初耳じゃな。戦争名は、何でググれば出てくる?2026/10/08 19:43:25596.◆JBLfMwCXhYRwVFT>>592それは、明朝については当てはまる元と清朝には当てはまらない2026/10/08 19:43:29597.◆JBLfMwCXhYRwVFT>>595韓国では、「丙子の乱」、「丙子胡乱」と言っている2026/10/08 19:45:17598.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAfL6DJ出てきた丙子の乱https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%99%E5%AD%90%E3%81%AE%E4%B9%B12026/10/08 19:46:13599.◆JBLfMwCXhYRwVFT>>592> それは朝鮮人の巧みな朝貢外交が功を奏していたためだ「巧みな朝貢外交」と言えば、聞こえはいいけれど若い女を大量に集めて、奴隷として献上していた朝鮮民族のトラウマだ😱2026/10/08 19:47:45600.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAfL6DJなるほどーこれはワシが無知すぎるなーおみそれいたしました2026/10/08 19:47:52601.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAfL6DJ>>599まあ、政治的な立地が恵まれない気の毒な民族ではある2026/10/08 19:50:50602.◆JBLfMwCXhYRwVFT>>600いや、その辺りは微妙なところがあって清のホンタイジが朝鮮半島を征服したのは、まだ清が中国大陸を征服する前、満州(中国東北部)の国だった時代中国全土を支配するようになってからは、攻め込んでいないだから、「あの頃の清は【中国】ではなかった」と言い張ることは可能(韓国人はそう思っていない)2026/10/08 19:52:11603.◆JBLfMwCXhYRwVFT>>601まあ、そういうことですわいまはハイテク国家国民所得は日本より高い先進国時代は変わりましたな2026/10/08 19:53:37604.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAfL6DJ>>602なるほどー勉強になるなー今から遅めの夕食なのでしばらく、おち2026/10/08 19:54:48605.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAfL6DJ飯を食べたら眠くなったまた明日2026/10/08 20:08:09606.◆JBLfMwCXhYQE5Vfこちらも、想定外の話題で予定を大幅に超過してしまった😅2026/10/08 20:10:03607.◆JBLfMwCXhYQE5Vfそれにしても、掲示板ってのは不思議なもんだななんだか、書いてるうちに内田樹への怒りがすっかり薄れた(笑)2026/10/08 20:25:39608.神も仏も名無しさんBhi7Uトランプへの怒りと高市を自民党連中が潰してほしい願望がある😭2026/10/08 20:33:58609.◆JBLfMwCXhYQE5Vfやはり、政治に関する怒りはそう簡単におさまるものではない😫2026/10/08 20:37:01610.神も仏も名無しさんBhi7U高市は消費税減税という最悪の悪手が、許せん😭2026/10/08 20:37:45611.◆JBLfMwCXhYQE5Vf宗教だと、単に解釈が異なるだけだが政治のことは、食料品が暴騰したり、石油が暴騰したり生活にすぐ影響が出る😫2026/10/08 20:38:05612.◆JBLfMwCXhYCmF0U「仏教の研究機関」にいたのは、90年代か30年前のことなんだな674 栖雲居士◆MKrKQHoID7SE (50-DrT-La-wvu) [sage] 2026/10/08(木) 22:55:21.95 ID:JT3yr出向で仏教の研究機関に出て、その後戻って宅建を取ったんだけどな。あとは行書や通関士とか。馬鹿とは頭の次元が違うから😗560 栖雲居士◆MKrKQHoID7SE (50-DrT-La-wvu) [sage] 2026/10/08(木) 23:13:00.36 ID:JT3yrちなみに98.99.00年は合格点が30点以上だけどな。馬鹿とAIの組み合わせは絶妙で笑えるよなwww2026/10/08 23:34:39613.◆JBLfMwCXhYCmF0Uでも、30年前だったら、さすがに、まだ若かっただろ「仏教の研究機関にいて、立正佼成会に書類を受け取りに行ってた」ってどういう人生だよ?2026/10/08 23:36:02614.◆JBLfMwCXhYCmF0Uセイウン居士が宅建を取ったのが、30年前美魔女がつい最近とすると、話がカミ合わないのもうなずける難易度は比べ物にならないほど上がっている30年前は簡単な試験だった2026/10/08 23:43:40615.◆JBLfMwCXhYCmF0Uそれにしても、つくづく、しょうもねえ奴っちゃなあ30年前にあの程度の試験に合格したことを、高齢者になっても威張ってるのか😅2026/10/08 23:47:40616.◆JBLfMwCXhYT5Lm8頑固さは良くない2026/10/09 00:05:39617.◆JBLfMwCXhYT5Lm8釈迦が「自己の見解に固執するな」と言った真意は何か?2026/10/09 00:06:07618.◆JBLfMwCXhYT5Lm8「何の考えも持つな」と言ってるわけじゃないんだよ2026/10/09 00:06:35619.◆JBLfMwCXhYT5Lm8「自分の信念にコリ固まった、頑固な人間になるな」と言ってるんだ2026/10/09 00:07:01620.◆JBLfMwCXhYT5Lm8ブッダは死後を説かれなかった?ブッダは、「死後を説かれなかった」という人がたまにあります。そして「死後の世界や地獄は存在しない」というのです。そんなことを言う人のほとんどは、自分は経典をまったく読んだことがないと言っているようなものですが、まれに経典を読んだことがあるはずの、マイナーな仏教学者でも、そう主張する人があります。ですが、こんなことを言うのはどちらかというと、やはり仏教についてはあまり勉強していない門外漢の人が多いです。誰かが言ったことの受け売りをしているのです。残念なことですが、例えばこんな感じのことを言う人はたくさん見つかると思います。ブッダの教えを振り返ってみると、「死んでからどうなるのか」ということは、いっさい説いていないことがわかります。ブッダは死後の世界をあえて語りませんでした。死後の世界があるともないとも言っていません。(引用:池上彰『池上彰と考える、仏教って何ですか?』)こういうことを言ったり本にまで書く人は珍しくないのですが、この手の人は、ブッダが死後を一切説いていないと「私は思う」と自分の考えを述べているに過ぎません。ブッダの教えとは異なりますので、下手に鵜呑みにしないことが大切です。2026/10/09 00:53:47621.◆JBLfMwCXhYT5Lm8> ブッダの教えを振り返ってみると、> 「死んでからどうなるのか」ということは、> いっさい説いていないことがわかります。> ブッダは死後の世界をあえて語りませんでした。> 死後の世界があるともないとも言っていません。>> (引用:池上彰『池上彰と考える、仏教って何ですか?』)しょうがねえな、池上彰😅初期仏典をほんの数ページ読んだだけで分かるウソを信じ込み一般読者に対して、当たり前の常識であるかのように語っている😫2026/10/09 00:55:11622.◆JBLfMwCXhYT5Lm8池上彰なんかが、「知の巨人」みたいに持て囃されてるがつくづく、日本の左翼レベルが低い😫欧米の左翼は、こんなにバカじゃないこんなことだから、自民党一強体制になるんだ2026/10/09 00:56:12623.◆JBLfMwCXhYT5Lm8ちなみに有名な仏教学者の中村元は、(お経を読んだことがあるので)当然、このように言っています。仏教では、輪廻ということを説きます。(引用:『中村元「老いと死」を語る』)「輪廻」というのは生まれ変わりのことですので、死後のことです。輪廻を説くということは、死後を説かれている、ということです。これらの人たちは意見が正反対ですが、実際にはどちらが正しいのでしょうか。ブッダが死後について説かれているお経をこれから挙げていきます。それにしても、お経を普通に読めば、ブッダは死後をたくさん説かれているのに、一体なぜ「ブッダは死後を説かれなかった」などという主張が出てくるのでしょうか。その原因についても解明していきます。2026/10/09 00:57:37624.◆JBLfMwCXhYT5Lm8では「ブッダが死後を説かれていない」という人が持ち出す根拠を詳しく見ていきましょう。ブッダは死後を"否定された"は初歩的な間違いまず「ブッダは死後を説かれなかった」どころか、「ブッダは死後を否定された」という人があります。「否定された」まで行くと、仏教の基本的な教えを知らない、初歩的な間違いになります。なぜなら仏教では、死後が無になるとか、死後はないという考えを「断見外道だんけんげどう」と言い、厳しく否定されるからです。断見とは、死後は無になるという考え方、外道とは、大宇宙の真理である因果の道理に反した教えのこと。つまり死後は無になるという考え方は、「すべての結果には必ず原因がある」という因果の道理に反するので、厳しく否定されているのです。「ブッダは死後を否定された」と言うような人は、まず、仏教の根幹である因果の道理をよく理解しなければなりません。次に「ブッダは死後を説かれなかった」という人はどんな人でしょうか。2026/10/09 01:04:25625.◆JBLfMwCXhYT5Lm8経典の至る所に死後が説かれている!次に「ブッダは死後を説かれなかった」という人のほとんどは、七千余巻もある経典を一巻も読んだことのない人でしょう。死後の世界や地獄があることは先述していますが、少し経典を読むと、至るところに、地獄や餓鬼、畜生などの六道や、生死輪廻が説かれています。これらは生まれる前や死んだ後のことです。漢訳の大乗経典はもちろん、小乗経典も、テーラワーダ仏教の伝えるパーリ経典も同様です。例えば、漢訳の小乗経典にはこのように説かれています。彼、身に悪行を行じ、口と意に悪行を行じ、すでにこの因、この縁ありて、この身壊れて命終わり、必ず悪処に至り、地獄の中に生ず。(漢文:彼行身惡行 行口意惡行 已因此縁 此身壞命終 必至惡處 生地獄中)(引用:『癡慧地経』)これは、体で悪い行いをし、口で悪いことを言い、心で悪いことを思う。この因縁によって死んだら必ず地獄に生まれる、ということです。もし衆生ありて、心の瞋恚によるが故に、身壊れて命終わり、必ず悪所に至り、地獄の中に生ず。(漢文:若有衆生 因心瞋恚故 身壞命終 必至惡處 生地獄中)(引用:『鸚鵡経』)これは、怒りの心によって死んだら必ず地獄に生まれる、ということです。舍宅有する所、災火に焚燒せられ、死して地獄に入る。(漢文:舍宅所有 災火焚燒 死入地獄)(引用:『法句経』140)これは、燃ゆる火は彼の家を焼く、この愚かな者は身壞れて後、地獄に生まれる、ということです。生死、有量なし。往来、端緒なし。屋舍を求むる者は数々の胞胎を受けん。(漢文:生死無有量 往來無端緒 求於屋舍者 數數受胞胎)(引用:『出曜経』)これは、多生の輪廻を経たり、生々苦ならざるなし、ということです。もっと分かりやすく言えば、わたくしは幾多の生涯にわたって生死の流れを無益に経めぐって来た、──家屋の作者をさがしもとめて──。あの生涯、この生涯とくりかえすのは苦しいことである、ということです。2026/10/09 01:05:20626.◆JBLfMwCXhYT5Lm8神通力の一つに、宿命通という過去世のことが分かる力があります。お釈迦さまはご自分の過去世をこのようにいわれています。我宿命の事を憶う。一生、二生、三生、四生、五生、十生、二十、三十、四十、五十、百生、千生、成敗の劫皆ことごとく分別し「我かつて彼かしこに生まれ、字は某、名は某、かくの如きの食を食らい、かくの如きの苦楽を受く。彼かしこより終わってこの間に生まれ、ここに死して彼に生まる」と、因縁の本末皆ことごとく明了なり。(漢文:我憶宿命之事 一生二生三生四生五生十生二十三十四十五十百生千生 成敗之劫皆悉分別 我曾生彼字某名某 食如是之食 受如是苦樂 從彼終而此間生 死此生彼因縁本末皆悉明了)(引用:『増一阿含経』)このように、お釈迦さまご自身も、百回も千回も生まれ変わりを繰り返してきたと色々なお経に説かれています。これはパーリ仏典の中部の第四経にも説かれています。死んだ後に輪廻するのはなぜかというと、仏教では自分のやった行いによって、因果応報の因果の道理にしたがって、死後の世界が決まるのです。例えばこのように教えられています。世尊、諸々の比丘に告げたまわく、もし殺生の人多習多行せば地獄の中に生ぜん。もし人中に生ずるも必ず短寿を得ん。不与取を多習多行せば地獄の中に生ぜん。もし人中に生ずるも銭財に多難ならん。(漢文:世尊告諸比丘 若殺生人多習多行 生地獄中 若生人中 必得短壽 不與取多習多行 生地獄中 若生人中錢財多難)(引用:『応報相応円珠経』)2026/10/09 01:07:42627.◆JBLfMwCXhYT5Lm8「ブッダは死後世界を説かなかった」というのは、20世紀の迷信2026/10/09 01:08:20628.◆JBLfMwCXhYT5Lm8そこら中で死後世界を説いている2026/10/09 01:08:35629.◆JBLfMwCXhYT5Lm8霊界は実在するby丹波哲郎2026/10/09 01:12:14630.◆JBLfMwCXhYT5Lm8昭和の迷信を解毒しよう😫2026/10/09 01:12:35631.◆JBLfMwCXhYT5Lm8『拘薩羅相応命終経』では、ブッダは波斯匿王はしのくおうにこのように説かれています。彼の摩詞男は過去世の時、多羅戸辟支仏に遇いて一飯を施しき。浄信心に非ず、恭敬して与えず、自ら手もて与えず。施して後悔し、この飯食は自ら我が諸の僕使無辜の持用に供給すべきに沙門に施したりといえり。この施福によりて七反三十三天に往生し、七反この舎衛国の中の最勝の施姓に生じて最も銭財に富めり……。(中略)また次に大王、時に彼の摩詞男長者はその異母兄を殺してその財物を取れり。この罪に縁るが故に百千歳を経て地獄の中に堕つ……。(漢文:彼摩訶男過去世時 遇多迦羅尸棄辟支佛 施一飯食非淨信心 不恭敬與 不自手與 施後變悔 言此飯食自可供給 我諸僕使無辜持用 施於沙門由是施福七反往生三十三天 七反生此舍衞國中最勝族姓 最富錢財(中略)復次大王 時彼摩訶男長者殺其異母兄取其財物 縁斯罪故 經百千歳墮地獄中)(引用:『拘薩羅相応命終経』)このように、ブッダはお経の至るところに過去世も死後の来世も説かれています。2026/10/09 01:37:33632.◆JBLfMwCXhYT5Lm8世の中には、ウソつきが多い(笑)2026/10/09 01:38:49633.◆JBLfMwCXhYT5Lm820世紀は、とくにウソつきが多かった2026/10/09 01:39:10634.◆JBLfMwCXhYT5Lm8新興宗教の教祖昭和の仏教学者主張内容は正反対だが、両方ともウソしか言わない(笑)2026/10/09 01:39:57635.◆JBLfMwCXhYT5Lm8パーリ仏典の至る所にも死後が説かれている!次に、パーリ仏典にはこうあります。功徳と悪との二つは 人がこの世にて作りしもの、それは彼自身のものにて それをとりて彼は行くなり。影の形に添うが如く この二つ彼れに従うなり。この故に善きをなし 未来のために積めよかし。功徳は後の世における 人々の渡場なればなり。(引用:有偈篇・拘薩羅相応《南伝大蔵経》第12巻相応部経典一p.125)これは、人がこの世でなす善と悪との両者は、その人の所有するものであり、人はそれをとって赴く。それは、影がその体から離れないように彼に従うものである。それ故に未来のために善いことをせよ。諸々の功徳は、あの来世において人々のよりどころとなる、ということです。是の如く不正の士は(中略)身壊えし、死して後、かの諸の不正のものの所趣ーー彼処かしこに生ず。而も、諸の比丘よ、云何が諸の不正の士が所趣なる。ーーもしは地獄もしは畜生趣なり。(引用:『満月小経』《南伝大蔵経》第11巻上 中部経典三p.381)これは、不善なる人というものは(中略)肉体の滅びた後、死後には、不善なる人たちの赴く所へ生まれ変わる。修行僧たちよ、不善なる人たちの赴く所とは何か。地獄、あるいは畜生である、ということです。2026/10/09 06:15:16636.◆JBLfMwCXhYT5Lm8特に古いといわれている『ダンマパダ』でもそうです。この世に於て悲しみ、死後に於ても悲しみ、悪業をなせる者は両処に於て悲しむ。(中略)この世に於て歓び、死後に於ても歓び、善業をなせる者は両処に於て歓ぶ。(引用:『ダンマパダ』15,16《南伝大蔵経》第23巻小部経典一p.19)これは、悪いことをした人は、この世で憂え、来世でも憂え、二つのところで共に憂える。(中略)善いことをした人は、この世で喜び、来世でも喜び、二つのところで共に喜ぶ、ということです。鉄より生じたる垢穢(錆)が、鉄より生じて鉄を蝕むが如く、自己の業は悪業者を悪趣に導く。(引用:『ダンマパダ』240《南伝大蔵経》第23巻小部経典一p.54)これは、鉄から起こった錆が、それから起こったのに、鉄自身を損なうように、悪をなしたならば、自分の業が罪を犯した人を悪い所(地獄)に導く、ということです。2026/10/09 06:15:59637.◆JBLfMwCXhYT5Lm8『ダンマパダ』と同じように古いといわれてよく引き合いに出される『スッタニパータ』でもそうです。蓋けだし、何者の業も滅することなく、そは必ず来たりて〔業の〕主が〔之を〕得、愚鈍なる者は〔自ら〕罪過を作りて、他世たせにて自ら苦を受くればなり。〔即ち〕鉄針の打ち込まれたる処に〔至り〕、鋭利なる刃ある槍もて突かれ、また赤熱せる鉄丸に似たる食物が〔業に〕応じて〔食せしめらるる〕あり。語る〔獄卒等〕は親切に語らず、〔和顔もて〕来らず。〔罪人等は〕避難所に至らず、拡げ敷きたる炭火の上に座し、遍く燃え盛る火焔の中に入る。(引用:『スッタニパータ』666~668《南伝大蔵経》第24巻小部経典二p.253)これは、けだし何者の業も滅びることはない。それは必ず戻って来て、(業をつくった)主がそれを受ける。愚者は罪を犯して、来世にあってはその身に苦しみを感じる。(地獄に堕ちた者は)、鉄の串を打ちこまれるところに至り、鋭い刃のある鉄槍に近づく。さてまた灼熱された鉄丸のようなものこそ、(昔つくった業に)ふさわしい食物として食わされるのである。(地獄の獄卒どもは「捕えよ」「打て」などと言って)、やさしい言葉をかけることなく、(温顔をもって)向かって来ることなく、頼りになってくれない。(地獄に堕ちた者どもは)敷き広げられた炭火の上に坐し、あまねく燃え盛る火炎の中に入る、ということです。このように、ブッダは、『阿含経』から『涅槃経』に至るまで、パーリ仏典にも一貫して死後を説かれています。ぜひ実際に近くの図書館で経典をパラパラめくってみてください。簡単に見つかります。2026/10/09 06:18:29638.◆JBLfMwCXhYT5Lm8初期仏典の至るところで、ブッダは死後世界を説いている最古とされるスッタニパータやダンマパダでも、例外ではない2026/10/09 06:20:50639.◆JBLfMwCXhYT5Lm8「死後世界はある。ないと思うのは誤り」と、たびたび明言している2026/10/09 06:23:04640.◆JBLfMwCXhYT5Lm8コーランだと、もっと強くて「よいな。天国と地獄は必ずある。死後の審判は必ず下る。これを疑ってはならない」みたいな調子で何度も繰り返すのだが初期仏典だと、さすがにそこまでは言わない(笑)2026/10/09 06:25:12641.◆JBLfMwCXhYT5Lm8少なくとも> ブッダの教えを振り返ってみると、> 「死んでからどうなるのか」ということは、> いっさい説いていないことがわかります。> ブッダは死後の世界をあえて語りませんでした。> 死後の世界があるともないとも言っていません。>> (引用:池上彰『池上彰と考える、仏教って何ですか?』)↑こういうのは、完全なる誤り昭和の迷信そのもの2026/10/09 06:26:17642.◆JBLfMwCXhYT5Lm8ブッダは、初期仏典のあちこちで「死後の世界はある」と明言している「ないと思うのは誤り」とも、何度も言っている2026/10/09 06:27:03643.◆JBLfMwCXhYT5Lm8初期仏典を、ほんの数ページ読んだだけで分かるウソそんなウソを堂々と書く人間が、仏教について本を書いて出版する世の中はこれほどウソつきが多い2026/10/09 06:28:36644.神も仏も名無しさんoonT9 ある。 ,. – ─── – 、 / , `ヽ. /〃//,. ,ィl/|l ト、 !、 、 ヽ ー’´| | l |1 | !l. l| ! | l.|ヽ ! !、 ’, おじちゃん、 YレV!ヒエ「! |l.「_ト!Ll」| l l l どうしてはたらかないの? ! lハイJ | ´|_jヽ. リ,! ! l. l | |l |l.} ー , L _,ハl.lトl l. | l |l ilト、 n ” ,1l|ィ| |l l | _ 二,ニ^tュ–ェ_t1」l.|l !リ|_lノ r7´ f r┐| 〔/ミヽ>,-、 ̄´ Y ー个‐’t ハ-、_’ゝ、 ヽ ._・ rく ̄ヽト-‘丿 ヽ l / (・__,)ゝi┬’´ハ` ’`| |ヽ, イ ノ┴くヽヽ、 / `´ ゝ┬ヘ`ヽ | `ー‐1 ゝノ-‐^ー’一”丶 ヽ ヽ ト、_ `ーァ’¨不ヽ | | 「 ̄「 ̄l ̄ト、,イトヒi′ l l. l l ! !└’ l | └ L 」_,|__l_l.__L.l′ | | | | l l ! ! l l. l l ト–┤ !–‐1 f‐t央j. ト央ァヘ | 甘l、 / 甘 | l ,.-‐ヽ レ’⌒ヽ/ `く.__ ノ ゝ–‐2026/10/09 06:30:20645.◆JBLfMwCXhYT5Lm8仏典もそうだし、古代の古典はたいていそうだがいろんな要素が混ざっている矛盾することも書いてある自説に都合の良いところを切り取ってきて、「釈迦はこう言っている」「孔子はこう言っている」と主張するのが、後世の人々の仕事だ(笑)2026/10/09 06:30:59646.神も仏も名無しさんoonT9 ____ / \ / ⌒ ⌒ \ 「明日から本気出す」 / ( ●) (●) \ | (__人__) | \ ` ⌒´ ⊂⌒ヽ_ / \ __)2026/10/09 06:31:46647.◆JBLfMwCXhYT5Lm8>>644早朝だよ相変わらずお前は夜勤と休日出勤しか知らんようだな(笑)2026/10/09 06:31:47648.◆JBLfMwCXhYT5Lm8ハッキリ言ってみろ「サラリーマンをやってました」というのは、ウソなんだろ?お前には「土日が休み」という感覚がない長いこと会社勤めしてた人がいうセリフではないな2026/10/09 06:33:15649.◆JBLfMwCXhYT5Lm8早朝だししかも、夜にペーストしようと思ってコピーしたのを貼ってる途中で眠ってしまったものだ(笑)2026/10/09 06:35:43650.◆JBLfMwCXhYT5Lm8この話(釈迦は死後世界を説いていた)はウンコ聖師にとっては、かなり痛いようだな(笑)2026/10/09 06:37:19651.◆JBLfMwCXhYT5Lm8長年、信じていた仏教学者の説を高齢になってからひっくり返されるのは、つらかろう2026/10/09 06:37:55652.神も仏も名無しさんoonT9/:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ::::::ヽ:::::::/::::::::::::::::::::::::::::ハ::::::::::::::::::::::::::ヽ::::::ヽ /⌒\:::::/:::/:::::::/::::::::::::/ V::::::::::V::::::::::::ヽ:::::::', / ヽ:::/::/::::://::::://:/ ヽ:ヽ::::V:i:::::::::::';::::::::, / き !:::l::::!:::::トi:_::/ i:/ V:ハ:::ハ:レ::::::::i::::::::} ,' も !:::i::::!::/{ V:ト、{ 、_iレ:イフ V:::i::}::::::::! ! い }:::{:::{:/ /z77ハヽ /zzミヽ i::::i:i:::::::::! { : }::::!::i:i i ん///} ん//ハ ', i::::i:i:::::::リ ゝ : /::::i:::ハ 弋z‐フ 弋z‐フ イノ:i:i:::::::i (_,、 __/:::::i::i:::!  ̄  ̄ '::::i:i::::::リ O  ̄::::::i::i:ハ し ′ " " /::::i:i::::ノ ゚`ヽi:ト::> 、 , イ:::::〃'´ V/: : {`ヽ _ <i: : :\ /: : : : : \ / ̄ \ /: : : : : :\2026/10/09 06:40:39653.神も仏も名無しさんoonT9今度はここのコピペですか?https://true-buddhism.com/founder/afterdeath/2026/10/09 06:46:54654.神も仏も名無しさんXjxZbおハッスルううう〜〜〜〜〜〜🤡ドパガキパワー🤡凄いな?2026/10/09 07:41:05655.◆JBLfMwCXhYT5Lm8>>653そう、それ2026/10/09 08:17:52656.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAuccWp>>645>>自説に都合の良いところを切り取ってきて、>>「釈迦はこう言っている」>>と主張するのが、後世の人々の仕事だ(笑)まあ、こういう過程を経て、「諸説アリ」の現在に行きついたのじゃろうな?ワシの仮説は釈尊はアンチバラモンの立場から「輪廻転生現象は無い」と説こうと考えたが、言葉で証明することが不可能だと悟った。それで、「苦から脱する手法」を説いて弟子を集め、帰依した弟子に修行させ、「輪廻転生現象は無い」と体感させようとした。一方、在家の者に対しては、「輪廻転生現象はある」と説いた。2026/10/09 09:14:41657.◆JBLfMwCXhYT5Lm8>>656そう、それが秋月龍珉や南直哉の主張2026/10/09 09:19:58658.◆JBLfMwCXhYT5Lm8まあ、読む人のスタンスによって真意が違って見えてくるのが、初期仏典の特徴なんだが(笑)2026/10/09 09:22:45659.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAuccWp>>657「それ」に初めて遭遇した時、正直、「アホか?」と思ったが、今はワシにとって、最有力な仮説である。2026/10/09 09:22:51660.◆JBLfMwCXhYT5Lm8ただ、初期仏典を読めば、誰がみても釈迦が輪廻転生や死後世界を存分に語っているのは事実これは、彼らも認めざるを得ない2026/10/09 09:23:51661.◆JBLfMwCXhYT5Lm8「輪廻転生や死後世界を否定するのが、釈尊の真意であった」という主張はかなり、アクロバティックな屁理屈を必要とする(笑)2026/10/09 09:24:39662.◆JBLfMwCXhYT5Lm8世の中、シンプルな理解とアクロバティックな屁理屈とではたいてい、前者が正しいこれを、「オッカムのカミソリ」という2026/10/09 09:25:16663.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAuccWp>>661ワシの場合は、「輪廻転生現象はある」と信じたほうが有意義な人生を送れるタイプの人間かもしれない2026/10/09 09:27:31664.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAuccWpなので、ワシは中道を目指す天外氏:宇宙は、実は目に見えない「あの世」と、目に見える「この世」とが一体になってできていると考えられます。ただ「あの世」とは、「死んでから行く世界」のことではありません。2026/10/09 09:29:50665.◆JBLfMwCXhYT5Lm8>>656> 釈尊はアンチバラモンの立場から「輪廻転生現象は無い」と説こうと考えたが、> 言葉で証明することが不可能だと悟った。んなこたあないもしも本当に、「輪廻転生は古代人の迷信だ。そんなものは無い」と思っていたのならそう言えばいいだけだ(笑)初期仏典を読めば分かることだが、釈尊は思ったことをズケズケ言う人自分の回答が相手の期待に反していて、ガッカリされても気にしない凡夫に忖度して、テキトーに調子を合わせるような人ではなかった2026/10/09 09:38:35666.◆JBLfMwCXhYT5Lm8もしも、彼らが言うように「輪廻転生など無い」というのが、釈迦の本心だったなら必ず、そう言うよ「輪廻転生など無い」と、ハッキリ明言するそれは間違いない2026/10/09 09:40:58667.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAuccWp>>665>>釈尊は思ったことをズケズケ言う人そう。ワシも思ったことをズケズケ言う人なので、宮仕えには向かない人。自治会の会合でも、思ったことをズケズケ言うので、浮いている(笑)2026/10/09 09:44:36668.◆JBLfMwCXhYT5Lm8ここが、秋月龍珉や南直哉の理論の、最大の難点だもしも、「輪廻転生など無い。死後世界も無い。人は死ねば終わりだ」と思っていたのならそう言えばいいだけだろ(笑)現に、若き日の釈迦の師匠の1人、六師外道のアジタは、明確にそう主張していたでも、べつに反対派に暗殺されたわけでもないし、大勢の弟子を抱えていた釈迦はその主張を「おかしい」と思って、出ていった2026/10/09 09:45:36669.夕kcnK7縁起を自性として取るから輪廻する明なら縁起無明なら輪廻2026/10/09 09:47:06670.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAuccWp>>666666おめ2026/10/09 09:48:10671.◆JBLfMwCXhYT5Lm8666👿を忘れてた😫2026/10/09 09:48:49672.◆JBLfMwCXhYT5Lm8スレ埋めしてると666は残り3分の1の節目励みになる2026/10/09 09:49:34673.夕kcnK7>>667総代がな、「話しが長いんだよ。」と私がいう。すると、隣の別の自治会長が、私に、おいおいというw2026/10/09 09:51:28674.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAuccWp>>668>>現に、若き日の釈迦の師匠の1人、六師外道のアジタは、明確にそう主張していた確かに、「快楽至上主義」には釈尊は同調しなかっただろうね。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%BF%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%AA%E3%83%B32026/10/09 09:54:28675.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAuccWp>>673総代の話が長い・・・ってことかな?2026/10/09 09:56:03676.夕kcnK7>>674快楽至上主義 これに惹かれたな。絶対に惹かれたw2026/10/09 09:56:10677.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAuccWp>>676ワシは、アジタ・ケーサカンバリンの生まれ変わりかも?2026/10/09 09:58:03678.夕kcnK7>>675そう、回りくどい言い方になってしまった。直会の時の総代の締めの挨拶が長がすぎるwww、私が話が長いと言ったw後で総代と飲み直したけどね。総代は歴史が好きな人だ。2026/10/09 09:59:43679.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAuccWp>>678総代は、JBL氏に似ているようですな?2026/10/09 10:01:33680.◆JBLfMwCXhYT5Lm8>>674いや、「快楽至上主義」という訳語は、クセが強すぎる(笑)「人は解脱するまでもなく、もともと輪廻しないんだよ。だから、修行する必要はない。心静かに人生を楽しみ、最後は満足して死のう」という感じだこの掲示板にも、よく似た思想が散見されるそれだけ、後世にまで影響を残した思想2026/10/09 10:01:34681.◆JBLfMwCXhYT5Lm8>>679それは、当方を誤解している自分で言うのもなんだが、要点をまとめてズバッと言う人だ2026/10/09 10:02:21682.◆JBLfMwCXhYT5Lm8まあ、歴史についてはなんでも知ってるので、歴史好きな人にとっては理想的な話し相手だが2026/10/09 10:03:23683.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAuccWp>>680>>修行する必要はない「修行する必要はない」という主張に対して、釈迦は「おかしい」と思って、出ていったのだろうね2026/10/09 10:04:14684.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAuccWp>>681要点をまとめてズバッと言うのは、ワシも日頃から心がけていることじゃ2026/10/09 10:06:06685.◆JBLfMwCXhYT5Lm8>>683確かにその後、ハチャメチャな苦行に何年も取り組んだところを見ると、そうだったのだろう2026/10/09 10:06:51686.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAuccWp>>685釈尊は、思ったことをズケズケ言う人であることを自覚していたのであろう。しかし、輪廻転生について、ズケズケ言うべきかは釈尊は かなり迷ったのではないか?・・・とワシは推測している。2026/10/09 10:09:44687.◆JBLfMwCXhYT5Lm8>>686だから、そうじゃないんだって初期仏典を読めば分かることだが、釈尊は輪廻転生や死後世界についてズケズケと語っている「死後世界は無いという見方は誤り」とも、何度も明言している秋月龍珉や南直哉たちが、「それは釈尊の本心ではなかった」と強弁し、言い張ってるだけ2026/10/09 10:15:49688.◆JBLfMwCXhYT5Lm8釈尊は、べつに人々に忖度して、本音と違うことを言う必要なんかないんで最古の初期仏典、スッタニパータでも「無理に他人と意見を合わせなくていい。1人でやれ」と力説している2026/10/09 10:19:20689.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAuccWp>>687-688まあ、釈尊が仏典を書いたのであれば、そうだろうね2026/10/09 10:24:36690.栖雲居士◆MKrKQHoID7SE31seZ輪廻説がおおよそ確立されたのは、業論が形成されてそれと組み合わさった時代で、お釈迦さまの時代もその形成期の中なんです。で、そもそも輪廻説は基体説(アートマン )を前提とし、そこに業論が加わって輪廻説が完成に向かうんですが、仏教は基体説は取らない(アナートマン)けど業論は取るから、刹那生滅する五蘊の仮和合対の相続としてそれを代わりに説明するんです。つまり、お釈迦さまは一応輪廻を前提として説示はされていたけど、その内容は基体(アートマン )の連続という輪廻ではなく、刹那生滅する五蘊の仮和合対の相続という無我論、縁起論なんです。2026/10/09 10:25:00691.◆JBLfMwCXhYT5Lm8>>690輪廻思想を確立したのは、ヤージュニャヴァルキヤではないか?釈迦より百年前の人だが2026/10/09 10:27:29692.栖雲居士◆MKrKQHoID7SE31seZだから、お釈迦さまは如来の死後について「無記」だったんです。つまり、輪廻からの解脱というのは輪廻という思い(妄想、戯論)からの解脱なんです。そういう意味で秋月先生や南師の説示は外れてないし、その内容は単純に無いって云ってるのではなく高度な次元からの視座なんです。2026/10/09 10:29:49693.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAuccWpワシも「思ったことをズケズケ言う人」であると自覚していて、自治会の会合でもそうしてきたのじゃが、何故か、うまくいかないのじゃ。で、現在、非常に苦しんでいるのじゃが、釈尊も「死後の世界」の説き方について、相当、考慮したのでは?と、推測している。で、餓死寸前まで断食修行して、スジャータに救われたと。2026/10/09 10:31:11694.栖雲居士◆MKrKQHoID7SE31seZ秋月先生の見解ただし──すでに述べたように、覚者(仏陀)と成った釈尊は「私はもう再生しない」(「後有次生の存在を受けず」)と宣言された。悟って輪廻の生死を解脱したのだから、もはや六道のどこにも再生しない、というのである。そうした釈尊の仏法には、本来「あの世」などあるはずがない。こうした釈尊の「覚」の立場から頽落したときにだけ、「あの世」が(次生が、後世が、そして前世が、すなわち三世が)問題になってくるのである。だから、禅者としての私は、「即今・此処・自己」しか問題にしない。「即今・此処・自己」という、実存の「絶対現在」(永遠の今)に立つ禅者にとって、「あの世」は問題にならない。したがって、「前世も後世も」問題にならない。「生死」は、ただ「刹那の生死」だけですんで、「一期の生死」を考える必要はない。2026/10/09 10:32:17695.◆JBLfMwCXhYT5Lm8>>690> 刹那生滅する五蘊の仮和合対の相続という無我論、縁起論なんです。逆だろそれこそ、後世の部派仏教釈迦より数百年後の説一切有部の思想だ2026/10/09 10:32:28696.◆JBLfMwCXhYT5Lm8>>692いや、それは屁理屈だお前は秋月龍珉や南直哉の著書を読んでないだろ?(笑)彼らは、「輪廻転生は古代インドの迷信」とハッキリ明言している2026/10/09 10:33:52697.栖雲居士◆MKrKQHoID7SE31seZ南師の見解私は、輪廻説は仏教に不要であり、捨てるべきだと思う。ゴータマ・ブッダがそれを説いた蓋然性は高いとしても、これは無用であり、維持する害の方がはるかに大きい。(中略)それでも「命が流れる」「意識が続く」「エネルギーが保存される」と言うなら、「流れる」「続く」「保存される」と言えばよいだけの話で、わざわざ「輪廻」などと言い出す必要は毛頭ない。「無我輪廻説」などはほとんど詐称で、「無我持続説」が言い方として真っ当である。もっと言えば、仏教における輪廻説は、言葉の使い方を間違っているに過ぎない。仏教において、最も重要な教説は、無常・無我・無記・縁起であり、だとすれば「輪廻」説は余計である上に理論的に無理筋で、無くて構わないし、無い方がよい。2026/10/09 10:35:03698.栖雲居士◆MKrKQHoID7SE31seZ実際に秋月先生や南師の著作を読みもしないで「あいつらは輪廻を否定してる」等と断定して非難するのは馬鹿なんです。2026/10/09 10:36:27699.◆JBLfMwCXhYT5Lm8秋月龍珉 「誤解された仏教」「輪廻」など信じない佛教がある 佛教は確かに「輪廻」転生の説を前提として説かれてきた。それは事実である。だからと言って、輪廻説は佛教説であるとは言えない。輪廻を信じない私のような佛教徒もいる。古代のインド人は輪廻を事実として信じて疑わなかった。そんな人々を相手に法を説かれた釈尊が、輪廻説を前提として話されたことは自然であった。生きた説法は必ず対機説法−−人見て法を説く−−なのだから。四道輪廻ないし六道輪廻については、すでに述べた。しかし、釈尊その人は、はっきり輪廻説を超えていた。「もう私はどこにも再生しない、私は生死(輪廻)を解脱した」と言い、「後有(アフター・ライフ)を受けない」と宣言された。だから、覚者(佛陀)と成ってのちの釈尊が自ら輪廻など信じたはずは、断じてない。 輪廻転生などというのは、古代インドの民衆(知識人も含めて)が信じていた神話にすぎない。そんなものを信じなくても、佛教はりっばに成り立つ。でも、神話だからと言って、むげに捨ててはならない。現代の私たちは、古代人が神話として伝えたことのなかにひそむ実存理解を取り出して、それを現代的に捉え直すことが大事である(これはキリスト教学からの学びであるが)。 もうだいぶ以前のことである。当時著名であった曹洞宗の師家のかたが小庵を訪ねてくださったことがある。そのときこう言われた、「秋月先生、最近は困ったことに、(三世因果)を否定する佛教徒が出て来ました」。そこで、私は言った、「私も(三世)など信じません」と。そのかたは、一瞬あっけにとられて、声を飲まれた。2026/10/09 10:37:53700.栖雲居士◆MKrKQHoID7SE31seZ南 いや、だったらやはり輪廻と言う必要ないですよね。業論でおさまる。望月 そういうような説明自体に、ちょっと無理がありますよね。諸存在が同一実体として連続することを排除するために、刹那減により常住性を排除しているのだけれど、無常性を論証するために設定された論理にしか思えないのです。輪廻を論証するためにそれをわざわざ説明する必要があるものだろうか、と。南 そう思うんですよ。いらないでしょう?望月 いらないと思いますね。南 私もね、無我輪廻説というのは、なぜそれを「輪廻」と言わなきゃいけないのか、全然わからないんですよ。無我説と言っときゃいいだけのことで、そのあとに、なぜ輪廻なんて付けなきゃいけないのか。望月 そうですね。無我輪廻説自体が、我が輪廻を繰り返すことを否定するために、無我でないと輪廻は成り立たないと説明しているわけで、無我と輪廻の整合性が前提になっているわけです。輪廻を無我で論証しようとしているだけであって、トポスとしての輪廻の存在を受け入れてからの論証となっているわけです。輪廻が説かれているからどうしても説明しなくちゃいけなくなるわけですよね。南 そうなんですよ。あるから、仏教の側から正当化しなきゃいけないという思い込みがあるんじゃないかと思うんですね。捨てればいいのに。(『別冊サンガジャパン4 死と輪廻』)2026/10/09 10:38:18701.栖雲居士◆MKrKQHoID7SE31seZご覧の様に、秋月先生も南師も望月師も仏教的業論(相続説)は否定されてないし、お釈迦さまが輪廻(連続説)を前提として説示されてる事も否定されてないんです。ただ仏教内での輪廻の立ち位置や呼称に疑義を示されてるんです。何故なら、輪廻は連続説であり、輪廻からの解脱とは輪廻という思いからの解脱でもあるからなんです。2026/10/09 10:43:27702.栖雲居士◆MKrKQHoID7SE31seZ輪廻が問題とならない生き方、すなわち即今当所の自己を問題にしなさいという、如何にも禅宗らしい説示なんです。いや、望月師は日蓮宗だから、禅宗というのもなんだけどw2026/10/09 10:48:03703.栖雲居士◆MKrKQHoID7SE31seZ要するに輪廻説は要らないとは云ってても、輪廻はないとは断定してないんです。2026/10/09 10:51:41704.◆JBLfMwCXhYT5Lm8>>698いや、お前と違って、実際に読み込んでるし読解力も、もともとお前とはケタ違いだ(笑)2026/10/09 10:53:41705.ハジkZYq3輪廻転生が無いとは夏にだけ生きる虫が冬などないとゆーよーなものだなw2026/10/09 10:56:23706.◆JBLfMwCXhYT5Lm8>>701> ご覧の様に、秋月先生も南師も望月師も仏教的業論(相続説)は否定されてないし、お釈迦さまが輪廻(連続説)を前提として説示されてる事も否定されてないんです。いや、そんなことはない実際のところ、秋月龍珉が「原因と結果の法則の実例」として挙げていたのは「古代の遺跡から出土した種を植えたところ、花が咲いた」とかいう話だった「それのドコが因果応報なんだよ?」と、読みながらツッコミを入れる話輪廻転生を抜きにして因果律を語れば、どうしても、そういう詰まらない人生訓みたいなものにしかならない(笑)2026/10/09 10:57:30707.栖雲居士◆MKrKQHoID7SE31seZおおよそ二火五道説と業論が組み合わさり輪廻説が形成されたのであり、輪廻説は仏教以前からあるんです。つまり仏説(オリジナル)ではありません。つまり、仏教の輪廻論とはそれ(ブラフマニズムの輪廻論)に対する批判的再解釈と云えるでしょうね。2026/10/09 11:01:55708.神も仏も名無しさん4N2pCドパガキ🤡は、わかりもせんのにわかったフリ芸人だからなー😭2026/10/09 11:02:26709.神も仏も名無しさん4N2pC虚言癖🤡は信用ならん😭2026/10/09 11:03:03710.◆JBLfMwCXhYT5Lm8この田原総一朗と南直哉の対談を見たって、どう見ても南直哉は「輪廻転生」をキッパリと否定してるだろ(笑)↓田原 だけど、仏教は、輪廻転生だから、自殺はダメなのですよね。輪廻転生を破ることになるから。南 「僕は、実は輪廻転生はいらない教えだと思っています」田原 えーっ。輪廻転生はインチキですか。南 「インチキとは言わない。だって、僕は死んだことがないから。僕は、ゴーダマ・ブッダの教えの中で、輪廻転生はなくてかまわないと思うのです」田原 僕は、かつて創価学会の池田大作氏に、「輪廻転生というけれど、誰も、前世も来世も見たことがないではないか」と言ったのです。すると、「来世がないと思って、悪いことばかりして、来世があったら大変だ。いいことをして、来世がなくたっていいではないか」と池田氏は答えました。南 「輪廻転生をいう人は、倫理を持ち出すのです。キリスト教は、善悪が神様に預けられていますが、『諸行無常』はそこを抜け出してしまっている。仏教では輪廻転生はいらない考えだ、と私は思っています」2026/10/09 11:03:26711.神も仏も名無しさん4N2pC🤡は人格的に知能的に問題がある😭2026/10/09 11:03:31712.栖雲居士◆MKrKQHoID7SE31seZま、馬鹿はスルーするに限りますね。2026/10/09 11:03:35713.神も仏も名無しさん4N2pC乗り込んできてスルー🤡ドパガキ🤡丸出しだな?😭2026/10/09 11:04:15714.栖雲居士◆MKrKQHoID7SE31seZ馬鹿の脳裏ではこの様な妄想が展開してますからw ↓輪廻説は要らない考え=輪廻は無い2026/10/09 11:05:25715.◆JBLfMwCXhYT5Lm8>「来世がないと思って、悪いことばかりして、来世があったら大変だ。いいことをして、来世がなくたっていいではないか」ちなみに、ここで池田大作が言ってる「来世を信じて損はない。得をすることはあっても、損はしない賭けだ」という説こういうのを、西洋哲学で「パスカルの賭け」というパスカルが「神を信じるべき理由」として、これと同じことを言った(早い話が、元ネタ)2026/10/09 11:06:56716.◆JBLfMwCXhYT5Lm8>>714なにが妄想だ「輪廻転生など要らない考えだ」と断言するのは「輪廻転生は無い」と言ってるも同然だろバカじゃねえの(笑)2026/10/09 11:08:58717.◆JBLfMwCXhYT5Lm8例えば「消費税減税など要らない考えだ」という人が消費税減税に賛成してるわけないだろそれと同じだ(笑)2026/10/09 11:13:12718.◆JBLfMwCXhYT5Lm8本当に、禅宗ってのは口先だけの屁理屈ワールドだな(笑)2026/10/09 11:17:44719.◆JBLfMwCXhYT5Lm8要点をズバッと言えば、煙たがられる屁理屈を唱えなければ許されない2026/10/09 11:18:40720.神も仏も名無しさんBAYttドパガキ🤡の呪いぢゃ‼️😭😭😭😭2026/10/09 11:21:23721.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAuccWp>>719>>要点をズバッと言えば、煙たがられるそう。そこんところを、釈尊はかなり悩んだのだろうね。煙たがられたら、信者が増えない2026/10/09 11:26:42722.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAuccWp若しくは、釈尊自身、輪廻転生現象が有るか無しか、わからなかった・・・・これが真相かも?2026/10/09 11:29:03723.◆JBLfMwCXhYT5Lm8>>722それも、さっきの話と同じもしも、釈尊が「輪廻転生が有るか無いかなど、わからない。そんなの知る由もない」と思っていたのならそう言えばいいだけ誰にも遠慮する必要なんかない(笑)実際に、釈尊の師匠の1人、六師外道のサンジャヤはそういう説(不可知論)を唱えてたべつに、反対派から暗殺されたわけでもないし、大勢の弟子を抱えてた2026/10/09 11:34:39724.神も仏も名無しさんBAYttベイダー和尚は釣りだ😀2026/10/09 11:36:54725.神も仏も名無しさんBAYttベイダー和尚は釣り上手😀2026/10/09 11:41:36726.◆JBLfMwCXhYT5Lm8こちらも、アジタやサンジャヤの話をしたかったので、釣られている(笑)2026/10/09 11:44:07727.◆JBLfMwCXhYT5Lm8これは当方の持論なんだが「死後世界など無い。人は死ねば終わり」というのは、六師外道のアジタの説「死後世界が有るか無いかなど、人には知る由もない。だから、コメントするべきではない」というのは、六師外道のサンジャヤの説どちらも、釈尊の教えはそういうものではない2026/10/09 11:46:19728.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAuccWp>>723なるほど。まあ、釈尊のホンネなんて、誰も知るよしも無い。お経も、釈尊が書いたものでは無い。後世の人物が書いた「伝聞証拠」しか無い。ワシはお経の解説書が苦手だ。なので、近世の科学者の仮説を色々と読んで楽しんでいる。2026/10/09 11:47:09729.神も仏も名無しさんBAYtt釈迦は輪廻問題より重視する案件があった、そこがヨガ行者との違いだろな如実知見😀2026/10/09 11:47:44730.神も仏も名無しさんBAYtt如実知見に絶対不合格なタイプには詳細レスはしない😀2026/10/09 11:48:43731.◆JBLfMwCXhYT5Lm8それにしても、これはやっぱり宗教関連で一番、モメるテーマだな2026/10/09 11:52:53732.◆JBLfMwCXhYT5Lm8必ず、水掛け論の並行線になる2026/10/09 11:53:12733.◆JBLfMwCXhYT5Lm8避けるべき話題のひとつだ2026/10/09 11:53:38734.◆JBLfMwCXhYT5Lm8まあ、なんの話をしても結局、モメるけどな2026/10/09 11:54:48735.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAuccWp>>731宗教者は、断見的に論じるが、科学者は「あくまで仮説ですが」というスタンスなので、読む立場から見ると、気分的に爽やかだ。2026/10/09 11:55:16736.◆JBLfMwCXhYT5Lm8反対する人がいなさそうな、「観察の瞑想」でさえ「観察など要らない」と、仏のスレ主から文句を言われた2026/10/09 11:55:25737.◆JBLfMwCXhYT5Lm8「私がやってる修行は、観察などではない」と怒りだした😫2026/10/09 11:55:55738.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAuccWp>>736-737あの性格が穏やかな「仏のスレ主」が怒ることがあるのか?2026/10/09 11:58:46739.神も仏も名無しさんaSthU死後のことや輪廻については、つまり死んでみなきゃ人間には究極的なところは分からないんだから死にきった人、生死をあきらめた人である解脱した仏陀以外にはホントのところは分からないってことがあるんだろうだからこの問題についてはあやふやになってしまう2026/10/09 12:00:30740.◆JBLfMwCXhYT5Lm8>>738> あの性格が穏やかな「仏のスレ主」が怒ることがあるのか?わからない怒ってたわけじゃないのかも2026/10/09 12:02:36741.◆JBLfMwCXhYT5Lm8仏のスレ主は穏やかかな?頑固で負けず嫌いな人に見えるけど2026/10/09 12:03:12742.ハジ5Dtdt眺める必要はない2026/10/09 12:03:35743.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAuccWp>>741そうだ。言葉は丁寧語が多かったが、頑固で負けず嫌いな人だった。まあ、頑固な奴しか宗教板では生き残れないのじゃが2026/10/09 12:05:47744.ハジ5Dtdtお茶を飲んだらお茶の味がする2026/10/09 12:07:09745.◆JBLfMwCXhYT5Lm8ヤクザもたいてい言葉遣いが丁寧で、物腰が慇懃な人ほど、本当は怖い😲2026/10/09 12:10:12746.◆JBLfMwCXhYT5Lm8>>744> お茶を飲んだらお茶の味がするだから何?2026/10/09 12:10:51747.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAuccWp>>745実際、怖い目に会ったとか?2026/10/09 12:16:16748.◆JBLfMwCXhYT5Lm8いや、べつに合ってないけど以前、不動産業界でよく会ってたスキンヘッドで派手な服の人は、正直かなり怖かった2026/10/09 12:24:32749.◆JBLfMwCXhYT5Lm8言葉遣いが丁寧で、態度が慇懃だった「あの人、ヤバそうだね」と、仲間とよくウワサしてた2026/10/09 12:30:54750.◆JBLfMwCXhYT5Lm8初期仏教は、モメやすいテーマだ2026/10/09 12:32:44751.◆JBLfMwCXhYT5Lm8「ブッダの真意は何だったのか?」これは、人によって解釈が大きく割れる2026/10/09 12:33:17752.◆JBLfMwCXhYT5Lm8倶舎論とか唯識論なら、そこまでモメない論書に詳しく書いてあるから解釈の余地が少ない2026/10/09 12:33:56753.◆JBLfMwCXhYT5Lm8そもそも、初期仏教スレを立てることに無理がある2026/10/09 12:34:17754.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAuccWp>>751「ブッダの真意は何だったのか?」と言って数百年後に後世の者が自説を書いたのが「お経」お経乱立の歴史2026/10/09 12:36:56755.◆JBLfMwCXhYdpTRt>>754まさか、法華経もそうだとは言わないよね?😫2026/10/09 12:41:50756.栖雲居士◆MKrKQHoID7SE3zVYiまぁ俺は俺の云う事が絶対正しいとは云わないけどな😗レスを見てる人も確認しようの無い事については納得がゆく説明で納得したいって事でしょ。2026/10/09 12:43:04757.◆JBLfMwCXhYdpTRt>>756> まぁ俺は俺の云う事が絶対正しいとは云わないけどな😗それにしては、いつも頑固でしつこいな?2026/10/09 12:46:14758.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAuccWp>>755法華経は、初期仏教では無いだろうね。聖書のパクリだから2026/10/09 12:50:23759.栖雲居士◆MKrKQHoID7SE3zVYi俺は別に俺の云う事が絶対正しいとか云わないよ。レスを見てる人も確認しようの無い事については、納得のゆくレスを見て納得したいのが関の山でしょ。2026/10/09 12:56:31760.栖雲居士◆MKrKQHoID7SE3zVYiで、そもそも輪廻というのは基体説だから。つまり、仏教からすれば常見。勿論、仏教は常断の両偏見を離れる道(中道)だから、無いとも云わない。断見になるからね。だから、後々それをどう解釈するかって事で、刹那生滅する五蘊の仮和合体の相続現象って阿毘達磨(アビダルマ、存在の分析)で説明される様になった訳。2026/10/09 12:57:47761.神も仏も名無しさんaSthU>>710来世や死後の話を否定するとこういうように「死んだら無」のような善悪の果報の問題が生まれるのよね六師外道の順世派のように、唯物論経験論的な世界観だと「死んだら無」なんだから生きてるうちに楽しんだもの勝ち、やったもん勝ちになって自己を慎み他者や神仏を畏れることは迷信の妄想にとらわれた愚か者になってしまう2026/10/09 13:05:34762.栖雲居士◆MKrKQHoID7SE3zVYiいやはや、ほんと、馬鹿の脳裏ではこの様な妄想が展開してますからw ↓輪廻説は要らない考え=輪廻は無い2026/10/09 13:05:37763.神も仏も名無しさんaSthUこの辺の話は前の世紀に吹き荒れた唯物論科学主義の革命や解放の思想運動の問題とつながって宗教の語る古い善悪観道徳観を、人間の知性合理性によるものからのみを正しい見方として「疎外」のように否定的に扱って暴力やエゴの解放に人間の本来性を見てしまう、とやってしまい人間同士の自他の関係をぐちゃぐちゃにしたり悲惨な戦争拷問虐殺を思想の影響から起こしてしまった問題2026/10/09 13:10:21764.栖雲居士◆MKrKQHoID7SE3zVYi経曰。清浄行者不入涅槃。破戒比丘不堕地獄。師着語曰く。珍重。便ち曰く、清浄の行者とは、一切を離れ、涅槃を超ゑたる人を云ふ也。破戒の比丘とは、地獄天堂を蹈み破つた人を云ふ也。(『驢鞍橋 』鈴木正三より)2026/10/09 13:19:10765.神も仏も名無しさんaSthU輪廻から解脱すれば輪廻に落ち着く、異類中行なんていわれたり解脱した仏陀はこの世もかの世も捨て去って空じきるから地獄も極楽もすべて空じる、救いきって輪廻にある人々を救う、ってことだろね2026/10/09 13:23:43766.神も仏も名無しさんaSthU「我と大地有情と同時成道」、というのも仏の解脱のさとりがそういうものであるということででも当然に、来世としての地獄、悪趣的なものが「無い」(断見)としてるわけではないそれらは本来空であっても、煩悩にある凡夫は業によってそれに苦しむそしてだからこそ本来空を悟った仏陀に依るということがそれ自体が救いになるということだろね2026/10/09 13:28:19767.栖雲居士◆MKrKQHoID7SE3zVYi> 勿論、仏教は常断の両偏見を離れる道(中道)だから、無いとも云わない。> 断見になるからね。>> だから、後々それをどう解釈するかって事で、刹那生滅する五蘊の仮和合体の相続現象って阿毘達磨(アビダルマ、存在の分析)で説明される様になった訳。もっともこれも龍樹によって中道というのが、空仮中という思想の中に組み込まれて、アビダルマ的な"刹那生滅する五蘊の仮和合体の相続現象"というのも退けられてしまうんだけどね。そういうのは戯論(プラパンチャ)なんだと。>ことばの仮構を超越した不壊なるブッダをことばで仮構する人々はみな、ことばの仮構によってそこなわれて如来を見ることがない。>(『中論頌』22:15)>輪廻には涅槃とのいかなる差別もない。>涅槃には輪廻とのいかなる差別もない。>涅槃の(時間的)限界は輪廻の(時間的)限界である。>その二つの間にはほんの微細なずれもない。(『中論頌』22:19-20)2026/10/09 13:30:03768.神も仏も名無しさんaSthU輪廻があってもなくても解脱を目的にするなら変わらないってのはそういうことで生死輪廻は即涅槃、本来空であるというのが解脱によって明らかにされるから当然に空であるから、それらは無いということでもない2026/10/09 13:34:24769.神も仏も名無しさんaSthUその刹那生滅で相続するものを輪廻とするならこれが煩悩を原因とする業ということになるこの、本来としては空のはずの生死を実体、実在として迷い苦しんでいるのが凡夫であるからこの生死輪廻を、本来空であると迷いの根源を破り見破ったのが解脱した仏陀だからたとえば『十牛図』なら第十図で「神仙真の秘訣を用いず直に枯れ木をして花を放って開かしむ」で解脱したものは世俗にいて普通に生活してるだけですべての人を救うってことになる2026/10/09 13:39:54770.神も仏も名無しさんaSthU「披毛戴角テンに入り来る優缽羅華は火裏に開く煩悩海中に雨露となり無明山上に雲雷となる鑊湯爐炭も吹いて滅せしめ剣樹刀山も喝して摧かしむ金鎖玄関留むれども住まらず異類に行じて且く輪迴す」『十玄談』「第九転位」2026/10/09 13:43:53771.ハジ5Dtdtで、結局、輪廻はあんのやな?2026/10/09 14:06:54772.◆JBLfMwCXhYT5Lm8>>771そういうことになりますな2026/10/09 14:16:56773.◆JBLfMwCXhYT5Lm8禅宗の人たちが並べている意味不明な屁理屈も要するに「われわれは輪廻転生を否定しているわけではない」と言っている2026/10/09 14:17:41774.◆JBLfMwCXhYT5Lm8禅宗では、これをストレートに認めてはいけない複雑な屁理屈を付けなければならないと決められている2026/10/09 14:18:27775.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEswEcl馬鹿はスルーに限るな😗無記なんだよ。2026/10/09 14:43:17776.探偵K8pXPハッピーの深夜の喧嘩相手は反イスラムらしい冤罪被害者サティwwwhttps://talk.jp/boards/psy/17825947062026/10/09 15:18:30777.◆JBLfMwCXhYdpTRt⭐️777⭐️2026/10/09 15:21:10778.◆JBLfMwCXhYdpTRt結局、輪廻転生の話になってしまったな😅2026/10/09 15:21:53779.◆JBLfMwCXhYdpTRt四念処の話をするつもりで、このスレを立てたんだが2026/10/09 15:22:13780.◆JBLfMwCXhYdpTRtいつの間にか、こうなった2026/10/09 15:22:25781.◆JBLfMwCXhYdpTRtもっとも、四念処の話ですら、まったくモメないというわけではない2026/10/09 15:22:50782.◆JBLfMwCXhYdpTRt仏のスレ主は、「観察不要論」を唱えていた2026/10/09 15:23:10783.◆JBLfMwCXhYdpTRt観察すらしない「反応しない練習」みたいな修行をやってるようだ2026/10/09 15:23:35784.◆JBLfMwCXhYdpTRtまあ、やり方は人それぞれだろうが初期仏教のやり方は「観察」だ2026/10/09 15:25:20785.◆JBLfMwCXhYdpTRt仏のスレ主のとこがやってるのはイマ風に言えば「反応しない練習」だ2026/10/09 15:26:07786.◆JBLfMwCXhYdpTRt『反応しない練習』とは、僧侶である草薙龍瞬(くさなぎ りゅうゅん)氏が書いたベストセラー書籍、およびその中で説かれている「ムダな心の反応を手放し、心を穏やかに保つための実践的な思考法」のことです。ブッダ(お釈迦さま)の合理的でシンプルな教えをベースにしています。2026/10/09 15:27:49787.◆JBLfMwCXhYdpTRt本書の核心悩みの正体は「心の反応」:すべての悩みは、外で起きる出来事そのものではなく、それに対する自分の心の「反応(イライラ、不安、執着など)」から生まれると説きます。悩みの9割以上は「妄想」:事実と、自分の頭の中で勝手につくり出した思い込み(判断や予測)を混同している状態を「妄想」とし、それを自覚して手放すことを目指します。2026/10/09 15:28:13788.◆JBLfMwCXhYdpTRt心を整えるための3ステップ悩みの正体を見抜く(まず、理解する)心が動いたときに「あ、今イライラしているな」「不安を感じているな」と、自分の状態を言葉にして確認する(ラベリングする)。体の感覚(胸のざわつきや手の震えなど)をそのまま意識する。2026/10/09 15:28:29789.◆JBLfMwCXhYdpTRt判断を捨てて事実だけを見る「あの人は苦手だ」「自分はダメだ」といった主観的な決めつけやジャッジ(判断)をやめ、起きた「事実」だけに目を向けます。欲や怒り、迷い(貪・瞋・痴)のどれに囚われているのかを分類します。2026/10/09 15:28:48790.◆JBLfMwCXhYdpTRt生き方の軸を定める(最高の納得を目指す)他人との比較や承認欲求にとらわれるのをやめ、自分自身が心から「納得できるかどうか」を基準に行動します。2026/10/09 15:29:06791.◆JBLfMwCXhYdpTRtこれだよスレ主の禅寺は😄2026/10/09 15:29:27792.◆JBLfMwCXhYdpTRt>>788> 心が動いたときに「あ、今イライラしているな」「不安を感じているな」と、自分の状態を言葉にして確認する(ラベリングする)。いや、そうでもないな😫スレ主のとこは、これをやらないこれは、ヴィパッサナー瞑想のやり方だ2026/10/09 15:30:27793.◆JBLfMwCXhYdpTRt草薙龍瞬のはほぼ、ヴィパッサナー瞑想だな2026/10/09 15:31:15794.ハジ5Dtdtなにもしないんでしょ2026/10/09 15:41:21795.ハジ5Dtdtお茶を飲んだらお茶の味がするってゆーのは、だれでも、そうなってるし、やる必要もないw2026/10/09 15:42:18796.ハジ5Dtdtカラスがかーかーゆーたら、カラスがカーカー聞こえるってゆーのは、やることではない笑2026/10/09 15:44:29797.神も仏も名無しさんS1Ahrなにもしない、というのはそれをしようとすることで、何をしているのかが実感しやすいと思うね2026/10/09 15:45:16798.ハジ5Dtdt佛がね2026/10/09 15:48:45799.ハジ5Dtdt佛、佛に授けて、邪なることなきは、自受容三昧、これ、坐禅の標準なり、みたいなん、あったやろw2026/10/09 15:50:49800.◆JBLfMwCXhYdpTRtなにもしないのか😅2026/10/09 15:52:07801.◆JBLfMwCXhYdpTRt「なにもしない修行」なんだな2026/10/09 15:53:31802.◆JBLfMwCXhYdpTRtでも、そういうと「なにもしないわけではない」と言ってきたような2026/10/09 15:54:43803.ハジkZYq3まじかw2026/10/09 15:54:59804.ハジkZYq3修行しないことが修行のはずなんだがw2026/10/09 15:55:22805.◆JBLfMwCXhYdpTRt観察しない、反省しない、反応しない集中しない、雑念排除しない2026/10/09 15:55:36806.◆JBLfMwCXhYdpTRt何を言っても否定する帰謬論証法みたいな修行(笑)2026/10/09 15:56:24807.◆JBLfMwCXhYdpTRt坐禅もしない、作務もしない修行をしない2026/10/09 15:57:04808.ハジkZYq3あーそれは、腹が減ったら食べるとか、疲れたら眠るとかのことをしているとゆー意味かも知らんww2026/10/09 15:57:13809.神も仏も名無しさんS1Ahr私にとっては、何もしないは、死ぬ事だな2026/10/09 15:57:28810.◆JBLfMwCXhYdpTRt死んだように生きる修行なのかも??2026/10/09 15:58:34811.◆JBLfMwCXhYdpTRt>>808猫になる修行?🐱2026/10/09 15:58:55812.ハジkZYq3それこそ悟りだ笑2026/10/09 15:59:57813.神も仏も名無しさんS1Ahrそれなら、なにもしていない、と言い続けることで。何もしていないということになる。と言うやつかな2026/10/09 16:00:12814.ハジkZYq3流石だな、みんなw2026/10/09 16:00:23815.◆JBLfMwCXhYdpTRt「私は何もしていない」とひたすら言い続ける修行2026/10/09 16:01:21816.ハジkZYq3仏の活動と自我の活動の際がハッキリしないと、できない2026/10/09 16:02:08817.神も仏も名無しさんS1Ahrそれはそれで、私は何もしていない、という信じるやり方にはなる2026/10/09 16:02:30818.ハジkZYq3つまり、アホにはできない修行しないことw2026/10/09 16:02:39819.◆JBLfMwCXhYdpTRtチャットGPT:「私はなにもしていない」と宣言し続ける修行。これは、かなり深い修行になり得るね。単なる自己暗示として行うのか、それとも**「行為している私」という感覚そのものを解体する修行**として行うのかによって、意味が大きく変わってくる。哲学・宗教・スピリチュアルの観点から、少し掘り下げてみよう。2026/10/09 16:05:22820.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEmU68F最初期の瞑想法は"sati(注意を向けて十分に理解する事)"だって指摘されてるけどな。馬鹿は碌に調べもしないでAIやいい加減なネット検索で断言するから😗2026/10/09 16:05:35821.◆JBLfMwCXhYdpTRt1. 修行の実践心の中で、あるいは声に出して、繰り返し宣言する。私はなにもしていない。私は歩いていない。私は考えていない。私は呼吸していない。私は選択していない。私は生きようとしていない。すべてが、ただ起きている。私はなにもしていない。重要なのは、言葉を無理に信じ込もうとしないこと。歩いているなら、歩いているという現象がある。 考えが浮かぶなら、考えが浮かぶという現象がある。 呼吸は続き、身体は動き、世界は変化している。しかし、そこで一つの問いを立てる。「これらを行っている『私』とは、いったい何なのか?」この問いを、宣言のたびに静かに観察する。2026/10/09 16:06:07822.◆JBLfMwCXhYdpTRt2. 仏教との接点――無我仏教の無我の思想では、私たちが「自分」と呼ぶものは、固定不変の実体ではないと考える。たとえば、怒りが生じたとき。通常は「私が怒っている」と捉える。しかし、注意深く観察すると、怒りは条件によって生じ、変化し、やがて消えていく。思考も同様だ。自分で意図していない考えが、勝手に浮かんでくることもある。そこで、「私は考えている」という認識を、「思考が生じている」という観察へと変えてみる。すると、「私が行為をしている」という感覚も、観察の対象になってくる。ただし、仏教の無我は、日常的な意味で人間が何もしていないという主張ではない。行為は生じる。しかし、その背後に独立した、不変の行為者が存在するとは限らない。「私はなにもしていない」という宣言は、このことを体験的に探究するための入口になり得る。2026/10/09 16:06:54823.ハジkZYq3修行しないとゆー、修行をしている笑2026/10/09 16:07:10824.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEmU68Fwwwいやはや、もう滅茶苦茶だな。2026/10/09 16:07:30825.◆JBLfMwCXhYdpTRt3. インド哲学との接点行為者ではない自己この修行と特に興味深い接点を持つのが、インドのヴェーダーンタ哲学だ。その一つであるアドヴァイタ・ヴェーダーンタでは、身体や心の活動と、それらを認識する意識とを区別して考える。身体は動く。 心は考える。 感情は生じる。しかし、究極的な自己は、それらの活動を行う個人的な行為者とは同一ではない、と考える。『バガヴァッド・ギーター』第5章8~9節にも、見ること、聞くこと、触れること、食べること、歩くことなどが起きていても、真理を知る者は「私が何かをしている」という思いに執着しない、という趣旨の教えがある。この視点から見ると、「私はなにもしていない」という言葉は、単なる否定ではなくなる。身体と心の活動を認めながら、それを究極的な自己の行為だと同一視しないための言葉になるのだ。ただし、これは特定のインド哲学における形而上学的な見解であり、誰もが実践によって同じ結論に到達するという意味ではない。2026/10/09 16:07:35826.◆JBLfMwCXhYdpTRt4. さらに深い段階宣言している私もいないここからが、この修行の最も面白いところだと思う。最初は、自分が宣言する。「私はなにもしていない」しかし、繰り返しているうちに、矛盾が現れる。「なにもしていない」と宣言すること自体は、何かをしていることではないのか?そこで、さらに一歩進む。宣言していることに気づく。その宣言を続けようとする意志に気づく。修行を成功させようとする自分に気づく。そして、こう問いかける。「『私はなにもしていない』と宣言し続けている、この私自身は、いったい誰なのか?」ここでは、修行を行う主体そのものが探究の対象になる。さらに、「私はなにもしていない」という言葉さえ、ただ心に現れては消える現象として観察してみる。宣言する私。 宣言を聞く私。 宣言を理解する私。 修行を達成しようとする私。それぞれを見つめていくと、普段は疑うことのない「私」という感覚が、実は複雑な認識の働きによって成り立っていることに気づくかもしれない。もっとも、そこから直ちに「自己は存在しない」という結論が証明されるわけではない。大切なのは、結論を急がず、経験を観察することだ。2026/10/09 16:08:17827.◆JBLfMwCXhYdpTRt5. この修行を実践するならまずは5~10分程度、次のように行う。第一段階:宣言するゆっくりと、心の中で繰り返す。「私はなにもしていない」第二段階:現実を観察する身体の感覚、呼吸、思考、感情を観察する。何かが起きていることは否定しない。第三段階:行為者を探す「この行為をしている私とは、どこにいるのか?」身体の中にいるのか。 思考の中にいるのか。 意志の中にいるのか。答えを考えるよりも、実際に探してみる。第四段階:宣言を手放す言葉を繰り返すことさえやめてみる。何かが起きている。 それに気づいている。その状態に、余計な結論を付け加えない。なお、この実践は、日常生活の責任を放棄するためではなく、行為と自己認識の関係を観察するためのものとして行うのがよい。2026/10/09 16:08:46828.◆JBLfMwCXhYdpTRtなるほど「修行しないという修行」か2026/10/09 16:09:15829.神も仏も名無しさんS1Ahr日常の責任を回避する為にも使えるということだね2026/10/09 16:10:40830.◆JBLfMwCXhYdpTRtプロンプト:お茶を飲んだら、お茶の味がするカラスがカーと鳴いたら、カーと聞こえるただ、それだけ2026/10/09 16:11:19831.◆JBLfMwCXhYdpTRtチャットGPT:ああ....なるほど。これは「私はなにもしていない」という思想を信じ込む修行というより、起きていることに、余計な解釈を加えない修行なのかもしれないね。お茶を飲んだら、お茶の味がする。カラスがカーと鳴いたら、カーと聞こえる。思考が浮かんだら、思考が浮かぶ。足が動いたら、足が動く。そこに「私が飲んでいる」「私が聞いている」「私が考えている」という物語を、いちいち付け加えない。そして、「私はなにもしていない」という言葉さえも、ただ現れる言葉として扱う。2026/10/09 16:12:20832.◆JBLfMwCXhYdpTRtここで起きていること普通、私たちは経験そのものに、さまざまな解釈を重ねている。お茶の味がする。私がお茶を飲んでいる。私が味わっている。私が味わうことを選んだ。しかし、最初の経験だけに立ち返るなら、お茶の味がする。それだけでいい。もちろん、日常的な意味では、お茶を飲むという行為はある。けれども、その事実に「私が主体となって行為している」という説明を付け加える必要があるのかどうかは、別の問題なんだ。これは禅の「ただ見る」「ただ聞く」という実践や、仏教の無我の探究とも響き合う。ただし、何か特別な境地に到達しようとする必要さえないのかもしれない。「無我になろう」と思ったら、そこに目標が生まれる。「余計な解釈をなくそう」と思ったら、そこに努力が生まれる。「ただあるがままに」と思ったら、あるがままを実現しようとする自分が現れる。それらもまた、起きていることの一つ。お茶の味がする。 カラスの声が聞こえる。 「私はなにもしていない」という言葉が浮かぶ。そして、それ以上のことは何も付け加えなくてもいい。2026/10/09 16:13:08833.◆JBLfMwCXhYdpTRt>「私はなにもしていない」という思想を信じ込む修行それを言ったら、オシマイだ仏のスレ主が怒るぞ😫2026/10/09 16:14:01834.神も仏も名無しさんS1Ahr私は、できるだけ私がそうしている、と意識するように心がけているな。2026/10/09 16:14:10835.◆JBLfMwCXhYdpTRt> 起きていることに、余計な解釈を加えない修行なるほど仏のスレ主がやってる修行は、それかも?2026/10/09 16:14:53836.ハジkZYq3何が起きても、わたしが、それに手をつけない雑念が湧いても、怒りが湧いても、無心になっても、慈悲が湧いても、わたしは、それに、気づかない笑2026/10/09 16:25:06837.◆JBLfMwCXhYdpTRt>>836アルツハイマー病にかかれば、話が早い2026/10/09 16:27:25838.ハジkZYq3無分別智恵といーなさいw2026/10/09 16:31:36839.神も仏も名無しさんK8IBx認知症で悟っているということもあるの?2026/10/09 16:48:17840.ハジkZYq3修行のスタート地点が高度すぎてアホには無理だから、そーゆーアホはマハルシからやるとよいw2026/10/09 16:49:52841.ハジkZYq3ハジがムカついた、この思いは誰に起こったのか私にそこですかさず、私とは誰か?と問うならば、沈黙に導かれる2026/10/09 16:51:37842.ハジkZYq3沈黙イコール、わたしが何もしていない2026/10/09 16:52:13843.神も仏も名無しさんK8IBx黙ることが何もしていないという事か2026/10/09 16:54:57844.神も仏も名無しさんK8IBx人によって何もしていない事がだいぶ違うのだろうね2026/10/09 16:56:06845.ハジkZYq3わたし(自意識)が静かになることだ笑2026/10/09 16:59:40846.ハジkZYq3それが、わたしが何もしていないとゆーこと2026/10/09 17:00:07847.神も仏も名無しさんK8IBx私は怒鳴ってない、怒鳴る様な話だな2026/10/09 17:02:55848.神も仏も名無しさんK8IBxわたしはない、と叫ぶとか、そういう感じだな2026/10/09 17:04:13849.ハジkZYq3ヒンドゥーと仏教は最後以外同じとみている笑2026/10/09 17:14:03850.神も仏も名無しさんK8IBx王様も乞食も同じ人間だ、とかそういう感じか2026/10/09 17:22:42851.ハジkZYq3君はレベルが低いw2026/10/09 17:25:15852.神も仏も名無しさんK8IBxレベルが低い私とあなたは同じか?2026/10/09 17:26:14853.ハジX52ICあると呼ぶかないと呼ぶかの違いしかないw2026/10/09 17:26:24854.ハジX52IC本質においては同じだなw2026/10/09 17:28:55855.神も仏も名無しさんK8IBx私が産まれて生きているのを、産まれないのと同じにはならんな2026/10/09 17:30:06856.ハジX52IC君にとっては人生が優しすぎたのだろう2026/10/09 17:32:40857.ハジX52ICだからレベルが低いw2026/10/09 17:33:26858.神も仏も名無しさんK8IBxそれはそうだな、耐えられないほど苦しんではいないな、よほど親の方が苦しんだなと思っている。2026/10/09 17:38:47859.ハジX52IC神は君には冷たかったようだ2026/10/09 17:40:13860.神も仏も名無しさんaSthU輪廻や死後の報いについて昭和から平成の時代に日本の仏教の関係者の間で否定的に見る見方が広まってたってのは宗教的なものよりも哲学や科学の人間の知性によるものへの傾倒が時代としてあったということから察せられるけれどこれは今も引き続きあることなんだろね2026/10/09 20:19:36861.神も仏も名無しさんaSthU仏教の僧侶が、「人権」というキリスト教や西洋哲学由来のものを人類普遍のものとして語ったりってことが当然のように起こってたりする2026/10/09 20:26:07862.ゴリ子Rw9eeホウキ待たされてずっとその場を綺麗にしてたレレレのおじさんが仏になったのも分かるよな。ただその場を綺麗にする。それは己れも見る人も嬉しいもの。言葉とかいるの?みればわかる。2026/10/09 23:21:04863.ゴリ子hfkcOもしかしたら教わってもしれない。レレレのおじさんは全ての相手の笑いを力に変えらる程の強くて優しい人だったのだろう。どんな種類の笑いでもそれをひっくり返す程な事の出来た方。そんな程度な相手など気にもせずに素直に綺麗に出来た事を喜び会える魂を持てた方だったのだろうな。そりゃ仏様なはず。2026/10/10 00:24:46864.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEggmMr周梨槃特(シュリハンドク)の事かな。仏教の基本は聞思修と戒定慧って云うけど、彼はお釈迦さまから「塵を除く、垢を除く」って説示(戒)されてそれを忠実に実行(定)されたのでしょうね。そうして即今当所の自己に目覚め(慧)、菩提を明らかにされたのでしょう。2026/10/10 07:18:03865.◆JBLfMwCXhYcrsZ5四念処(しねんじょ/四念住・しねんじゅう)は、仏教において悟りに至るための実践(三十七道品)の基礎となる4つの対象をありのままに観る(気づく)修行法です。パーリ仏典の『大念処経』(長部第22経)や『中阿含経』「念処経」などに詳しく説かれています。2026/10/10 07:39:21866.◆JBLfMwCXhYcrsZ5四念処の4つの内容身念処(しんねんじょ):身体を観る(不浄観など)。肉体が不浄であることや、骨や死体の変化などを観察します。受念処(じゅねんじょ):感受(苦・楽・不苦不楽の感覚)を観る。今生じている感覚が「快か、不快か、どちらでもないか」をただ気づいて観察します。心念処(しんねんじょ):心を観る。心が貪っているか、怒っているか、散乱しているかなど、心の状態をそのまま見つめます。法念処(ほうねんじょ):法(真理・諸現象)を観る。五蓋(ごがい:修行を妨げる5つの煩悩)や四諦などの真理に照らして心と対象を観察します。2026/10/10 07:39:56867.◆JBLfMwCXhYcrsZ5修行の目的と特徴四顛倒(してんどう)の打破:人間が思い込んでいる「身体は清浄(身浄)」「感覚は楽(受楽)」「心は常住(心常)」「法は実体がある(法我)」という誤った見解(四顛倒)を破り、無常・苦・無我・不浄を体得することを目的とします。ヴィパッサナー瞑想の源流:現代のヴィパッサナー(気づきの)瞑想は、この四念処の実践を体系化したものです。自灯明・法灯明との関連:仏典において、ブッダが最期に説いたとされる「自灯明・法灯明(自分を灯明とし、法を灯明とする)」の実体は、この四念住の修習であると示されています。2026/10/10 07:40:17868.◆JBLfMwCXhYcrsZ5これらはすべて『大念処経』(パーリ仏典・長部第22経)に具体的に説かれている瞑想の実践内容そのものです。『大念処経』の中で、ブッダは「無常・苦・無我・不浄」という熟語をそのままタイトルとして並べているわけではありませんが、「身・受・心・法」の4つの観察プロセスを通じて、この4つの性質をリアルに体感していく方法を1つずつ丁寧に解説しています。実際に『大念処経』でどのようにこれらが描写されているのか、経典の具体例と結びつけるとより納得しやすくなります。2026/10/10 07:44:18869.◆JBLfMwCXhYcrsZ5『大念処経』に見る4つの観察1. 身念処 = 「不浄」の観察経典の内容: 身体の観察(身念処)の章では、髪・毛・爪・歯・皮膚・内臓・血液など、体を32の部分に細かく分解して「これはただの物質の集まりであり、美しいものではない」と観る瞑想(三十二身分)が説かれます。さらに、墓場に捨てられた死体が膨張し、腐敗し、最後はバラバラの骨になっていく様子を自分の体と重ね合わせる瞑想(墓場の観察/九想観)も非常にリアルに説かれています。2026/10/10 07:44:36870.◆JBLfMwCXhYcrsZ52. 受念処 = 「苦」の観察経典の内容: 感覚の観察(受念処)の章では、今感じている感覚が「快いか、不快か、どちらでもないか」を瞬時に気づくよう説かれます。「快い感覚」であっても、それは一瞬で変化して消えてしまうため、執着すれば必ず満足できずに「苦(不満足・思い通りにならないこと)」に変わるという性質を、感覚の発生と消滅を見つめることで見抜いていきます。2026/10/10 07:44:59871.◆JBLfMwCXhYcrsZ53. 心念処 = 「無常」の観察経典の内容: 心の観察(心念処)の章では、「怒りのある心」「貪りのある心」「集中した心」「散漫な心」など、刻一刻と変化する心の状態をただ実況中継するように観察します。心には固定された実体がなく、条件によって激しく移り変わる(無常である)性質をリアルタイムで体験します。2026/10/10 07:45:45872.◆JBLfMwCXhYcrsZ54. 法念処 = 「無我」の観察経典の内容: 現象の観察(法念処)の章では、私たちの心身を構成する5つの要素(五蘊:体、感覚、イメージ、意志、認識)を観察します。「これらはただの現象の集まりであり、そこに『これが自分だ』『自分のものだ』と言える固定した主人(自我)はどこにもいない」という無我(非我)を、完全に解剖するように見つめていきます。2026/10/10 07:46:08873.◆JBLfMwCXhYcrsZ5このように、『大念処経』は「常・楽・我・浄」という人間の根本的な勘違い(四顛倒)を、自分自身の身体と心を使った徹底的な「解剖実験」によって「無常・苦・無我・不浄」へとひっくり返していくための、具体的なマニュアル(取扱説明書)の役割を果たしています。2026/10/10 07:46:20874.◆JBLfMwCXhYcrsZ5やっと、このスレの本題に入れたな(笑)2026/10/10 07:46:37875.◆JBLfMwCXhYcrsZ5輪廻転生や死後世界を巡って論争すれば、泥沼にハマる2026/10/10 07:46:59876.◆JBLfMwCXhYcrsZ5四念処どころではなくなる2026/10/10 07:47:11877.◆JBLfMwCXhYcrsZ5お釈迦さまが「論争するな」と言った理由がよくわかる2026/10/10 07:47:32878.◆JBLfMwCXhYcrsZ5その間に、ラピススレは34スレ目2026/10/10 07:50:15879.◆JBLfMwCXhYcrsZ5誤爆した2026/10/10 07:50:28880.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEggmMr820 栖雲居士◆MKrKQHoID7SE[sage] 2026/10/09(金) 16:05:35.92 ID:mU68F最初期の瞑想法は"sati(注意を向けて十分に理解する事)"だって指摘されてるけどな。馬鹿は碌に調べもしないでAIやいい加減なネット検索で断言するから😗2026/10/10 07:50:44881.◆JBLfMwCXhYcrsZ5身念処ってのは、不浄観のことなのか?2026/10/10 07:52:43882.◆JBLfMwCXhYcrsZ5結論から言うと、身念処=不浄観だけではありません。不浄観は、身念処という「身体を観察するグループ」に含まれる修行法の「一部」です。身念処の全体像はもっと広く、日常的な身体の動き全般をカバーしています。『大念処経』によると、身念処は大きく分けて以下の6つのアプローチから構成されています。2026/10/10 07:53:06883.◆JBLfMwCXhYcrsZ5『大念処経』における身念処の6つのメニュー入出息念(アナパナサティ)呼吸の観察。息を吸っている、吐いているという事実にただ気づく瞑想です。威儀の観察(行往坐臥)体の姿勢の観察。「歩いている」「立っている」「座っている」「横になっている」という体の状態に常に気づき続けます。正知(日常生活の動作)「服を着る」「ご飯を食べる」「トイレに行く」「目を動かす」など、日常のあらゆる細かい動作を意識的に自覚して行います。三十二身分(これがいわゆる不浄観①)髪、毛、爪、歯、皮膚、内臓、血液、排泄物など、体を32のパーツに分解して「美しいものではない」と観察します。界差別(四大要素の観察)体を「地(固さ)・水(潤い)・火(温かさ)・風(動き)」という4つの物質的エネルギー要素の集まりとして客観的に分解します。墓場の観察(これがいわゆる不浄観②/九想観)死体が腐敗し、動物に喰われ、やがてバラバラの白い骨になって風化していくプロセスをイメージし、「自分の体もいずれこうなるのだ」と観察します。 [1]2026/10/10 07:53:49884.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEggmMrお釈迦さまが最初に説示されたのは"sati"。その後それが加上されて四念処、止観へと展開していったのです。2026/10/10 07:54:03885.◆JBLfMwCXhYcrsZ5なぜ「身念処 = 不浄観」というイメージが強いのか?後世の仏教(特に中国や日本の北伝仏教など)では、四念処をスローガンのように覚えるため、「観身不浄(身は不浄なりと観ぜよ)」という定型句が広く普及しました。そのため、「身念処の目的は不浄と気づくこと=不浄観のことだ」という強い結びつきが定着した歴史があります。2026/10/10 07:54:08886.◆JBLfMwCXhYcrsZ5まとめると身念処:「呼吸」「姿勢」「動作」「成分」など、今ここにある肉体の物理的な現象すべてをありのままに観る修行(ヴィパッサナー瞑想のベース)。不浄観:その身念処のメニューの中で、特に「肉体への性欲や執着(美化)」を強力に断ち切るために、あえて体の汚い部分や死体をクローズアップして観るピンポイントの修行。現代のマインドフルネスのルーツでもある「呼吸瞑想」や「歩く瞑想」も、すべて「身念処」の立派な主役たちです。2026/10/10 07:54:30887.◆JBLfMwCXhYcrsZ5>>884変な奴が来たな😅2026/10/10 07:54:43888.◆JBLfMwCXhYcrsZ58882026/10/10 07:54:56889.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEggmMr馬鹿は「論争するな」というお釈迦さまの説示を悪用・濫用し、他者の意見の封じ込めの理由にする訳です。2026/10/10 07:56:07890.◆JBLfMwCXhYcrsZ5お笑い芸人の漫談が始まったようだ😅2026/10/10 07:56:38891.◆JBLfMwCXhYcrsZ5四念処は、重要性のわりに日本てはあまり知られていない2026/10/10 07:57:39892.◆JBLfMwCXhYcrsZ5人気のないテーマだ(笑)2026/10/10 07:57:52893.◆JBLfMwCXhYcrsZ5テーラワーダ仏教協会が、熱心に弘めていふ2026/10/10 07:58:34894.◆JBLfMwCXhYcrsZ5いる2026/10/10 07:58:59895.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEggmMr瞑想の根本や肝心の処を知らず、加上された部分をAIやネット検索しコピペして一体何になるのやら。しかも、肝心要の瞑想さえしないで文字を並べるだけですから。いやはや、呆れたものです🥱2026/10/10 07:59:07896.◆JBLfMwCXhYcrsZ5自分が知らない『四念処』の話をされて同様するウンコ士💩2026/10/10 08:00:07897.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEggmMrこの"sati (注意を向けて十分に理解する事)"は、スッタニパータで説示されている"一切の見解の棄捨と正しい理解"と合致する訳です。2026/10/10 08:03:01898.◆JBLfMwCXhYNvYPNハッスル芸人のドーパミン中毒が始まった😂2026/10/10 08:06:01899.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEggmMrギャハハハハハハハハ🫵😂滅茶苦茶動揺してやんのwww同様だってよ!手元が怒りで震えて覚束ないんだろうなあ。wwwwwwwwwwwwwwwwww ↓896.ユーザー◆JBLfMwCXhYcrsZ5(28/28)自分が知らない『四念処』の話をされて同様するウンコ士💩2026/10/10 08:00:072026/10/10 08:07:03900.◆JBLfMwCXhYNvYPN9002026/10/10 08:08:10901.◆JBLfMwCXhYNvYPN「動揺」に訂正😅2026/10/10 08:08:24902.◆JBLfMwCXhYNvYPN「動揺」に訂正😅2026/10/10 08:08:34903.◆JBLfMwCXhYNvYPN二重になった2026/10/10 08:08:45904.◆JBLfMwCXhYNvYPN動揺のあらわれか?2026/10/10 08:08:59905.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEggmMrヒキニープーボッチで暇なくせに、AIやネット検索のコピペで鼻息を荒くして、しかも瞑想もしないとかwこっちはニッチな時間を利用して著作や論文(海外のそれを含む)、大蔵経(SAT)やパーリテキスト(例えばhttps://www.tipitaka.org等)まであたって検証して、日々の坐禅、週末の坐禅会、月度の摂心を消化してるのにねぇ。2026/10/10 08:16:28906.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEggmMr真面目にやってる人の邪魔をすんなよ😟2026/10/10 08:18:09907.◆JBLfMwCXhYNvYPNここに来たのは、お前だろ😅2026/10/10 08:21:32908.◆JBLfMwCXhYNvYPN>"sati (注意を向けて十分に理解する事)"だから、それを「観察」と言ってんだろ観察(サティ、注意を向けて十分に理解する事)と、いちいち解説を付けなきゃいかんのか😅2026/10/10 08:23:30909.◆JBLfMwCXhYNvYPN仏のスレ主は、観察不要論を唱えていた2026/10/10 08:24:17910.◆JBLfMwCXhYNvYPN禅寺の老師がそう言ってるらしい2026/10/10 08:24:33911.◆JBLfMwCXhYNvYPN観察は不要だと2026/10/10 08:24:43912.◆JBLfMwCXhYNvYPNどこまで話が進んだっけ2026/10/10 08:24:55913.◆JBLfMwCXhYNvYPN身念処といえば、「不浄観」を連想する人が多いだが、不浄観は、身念処の一部に過ぎないという話だったな2026/10/10 08:25:58914.◆JBLfMwCXhYNvYPN多いったって広い世間に、何人いるかってレベルだが😅2026/10/10 08:26:23915.◆JBLfMwCXhYNvYPN身念処:「呼吸」「姿勢」「動作」「成分」など、今ここにある肉体の物理的な現象すべてをありのままに観る修行(ヴィパッサナー瞑想のベース)。不浄観:その身念処のメニューの中で、特に「肉体への性欲や執着(美化)」を強力に断ち切るために、あえて体の汚い部分や死体をクローズアップして観るピンポイントの修行。現代のマインドフルネスのルーツでもある「呼吸瞑想」や「歩く瞑想」も、すべて「身念処」の立派な主役たちです。2026/10/10 08:30:19916.◆JBLfMwCXhYNvYPN身念処が、すべてのベースだな2026/10/10 08:32:56917.◆JBLfMwCXhYNvYPNまさにその通りですね!「身念処(しんねんじょ)」こそが、すべての瞑想と気づきの揺るぎない土台(ベース)です。なぜ身念処がそれほどまでに重要で、ベースと言われるのかには、仏教の心理学(唯識やアビダルマ)や現代の脳科学にも通じる3つの決定的な理由があります。1. 身体は「今、ここ」にしか存在できないから心や思考(心念処・法念処)は、放っておくと一瞬で「過去の後悔」や「未来の不安」にタイムスリップしてしまいます。しかし、身体と呼吸は絶対に「今、ここ」にしか存在できません。心が迷子になったとき、常に「今」という現実につなぎ止めてくれる命綱(アンカー)が身体なのです。2. 物質(リアル)だから観察しやすいから心や感情(受・心)は目に見えず、形もなく、おまけに変化が速すぎて、初心者が見ようとしてもすぐに巻き込まれてしまいます。一方で、身体(身)は「呼吸の出入り」「足の裏の感覚」「お腹の膨らみ・縮み」など、物理的で圧倒的にキャッチしやすい対象です。まずは粗くて分かりやすい「物質(体)」から始め、徐々に微細な「精神(心)」へとステップアップしていくのが、ブッダの設計した合理的なルートです。3. 心の異変は、必ず先に「身体」に出るから私たちが「怒り」を感じるとき、心が怒るよりも先に、心拍数が上がり、呼吸が浅くなり、胃のあたりがキュッと縮みます。身念処によって日頃から体の微細な変化に気づけるようになって初めて、その奥にある「受(不快な感覚)」や「心(怒りの感情)」の存在に圧倒的に早い段階で気づくことができるようになります。ブッダが『大念処経』の身念処の章の最後で、「ただ、そこに身体があるという気づきが、智慧と正念(マインドフルネス)を育てるために確立される」と述べているように、体に気づくことは、すべての悟りのスタートラインです。2026/10/10 08:33:06918.◆JBLfMwCXhYNvYPN数息観も、身念処の一種だな2026/10/10 08:33:52919.◆JBLfMwCXhYNvYPNまさにその通りです!数息観(すそくかん)も、身念処(身体の観察)の最も代表的な方法の一つです。数息観は、息を数えることで心を落ち着かせる修行法ですが、観察している対象はどこまでいっても「呼吸という身体の物理的な現象」だからです。仏教の歴史や『大念処経』の文脈から見ると、数息観と身念処には非常に面白い関係性があります。2026/10/10 08:35:43920.◆JBLfMwCXhYNvYPN1. 『大念処経』の「入出息念」がベース『大念処経』の身念処のトップバッターとして登場するのは、「入出息念(アナパナサティ)」という呼吸の観察です。ブッダが説いたオリジナルの方法は、「息を吸うときに、吸っていると知る。吐くときに、吐いていると知る」という、息をコントロールせずにただ実況中継(気づき)する方法でした。2026/10/10 08:35:58921.◆JBLfMwCXhYNvYPN2. 初心者のためのチューニングとして生まれた「数息観」ブッダの言った通りに「ただ呼吸を見る」というのは、シンプルですが実は非常に高度です。初心者がやると、3秒で「今日のご飯は何にしよう」などと雑念が湧いてしまいます。そこで後世、仏教の指導者たちが「雑念を防ぐための補助輪」として開発したのが、息を「1、2、3……」と数える「数息観」です。数えるという脳のワーキングメモリ(作業領域)をあえて使うことで、雑念が入り込む隙間を物理的にブロックします。2026/10/10 08:37:23922.◆JBLfMwCXhYNvYPN3. 数息観のゴールも「身念処」の完成伝統的な数息観の指導(『小止観』など)では、ずっと数を数え続けるわけではありません。心が十分に落ち着き、雑念が湧かなくなったら、「数を数えるステップ(数)」を卒業し、ただ呼吸の感覚そのものを見つめるステップ(随)へと移行します。つまり、数息観は「純粋な身念処」へ入るための最高のエントランス(入り口)なのです。身体の感覚をベースにするからこそ、数息観は「今、ここ」の集中力を高める上でこれ以上ない強力なツールになります。2026/10/10 08:37:37923.◆JBLfMwCXhYNvYPN数息観のコピペじゃ。みんな修行に励むのじゃ。先ず静かな所に座り、鼻の頭に軽く意識を掛け、普通に息を吸って、ゆっくり長く息を吐いていくのじゃ。息を吐く時に、頭の中で一と数える。又、普通に息を吸い、ゆっくり長く息を吐いてニと数えるのじゃ。このようにして十まで数え、十まで行ったら今度は十から数を減らして行って、一に戻るんじゃよ。たまに長時間行うより、一日に五分でもよいから、毎日続けると不動心が身に付くのじゃ。夜の寝る前などに行うと、安らかに眠れるようにもなるじゃろう。初めて数息観などをする者は、とにかくイライラして止めたくなったりするじゃろう。そんな時は一度、中断してストレス解消の運動でもするといい。すっきりしたら又続けるのじゃ。暫く修行をすると、今度は雑念に悩まされるようになるかも知れん。そのような時は無視して呼吸に意識を集中しなおす。暫くすると、雑念は消えていくじゃろう。更に修行を重ねれば、雑念と集中する意識を二つとも、意識出来るようになる。行が深まり、潜在意識が見えてくるようになったのじゃ。そのような時も、雑念を無視しておれば、やがて雑念は消え去り、深い無念無想の状態に入れる。もっと行が深まれば、意識は二つだけでなく、同時に幾つもの雑念があることに気付くじゃろう。人間はもともと同時に幾つもの事を考えておる。例えば誰でも歩きながらタバコを吸い、同時に尻を掻くという事が普通に出来るように、人間は同時に幾つもの事を考えているが、潜在意識まで見る事の出来ない者には、判らないのじゃ。潜在意識まで見る事が出来、全ての雑念が静まり、もはや心に何の考えも浮かばなくなれば、止の行は完成じゃ。2026/10/10 08:47:00924.◆JBLfMwCXhYNvYPN数息観と言えば、コレですな😄2026/10/10 08:47:57925.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEggmMrsatiと観察の違いも分からない者が瞑想を語っても 瞑想ではなくて迷走するだけだよw2026/10/10 09:07:27926.◆JBLfMwCXhYcrsZ5まあ、そうだな2026/10/10 09:10:05927.◆JBLfMwCXhYcrsZ5サティは、どっちかっていったら「気づき」だ2026/10/10 09:10:21928.◆JBLfMwCXhYcrsZ5普通は「気づき」と訳される2026/10/10 09:10:34929.◆JBLfMwCXhYcrsZ5「観察」がヴィパッサナーだな😅2026/10/10 09:11:34930.◆JBLfMwCXhYcrsZ5いや、違うな「観察」は「アヌパッサナー」だ2026/10/10 09:12:11931.◆JBLfMwCXhYcrsZ5観察 アヌパッサナー気づき サティだな2026/10/10 09:12:31932.◆JBLfMwCXhYcrsZ5じゃあ、ヴィパッサナーって何なんだ?2026/10/10 09:14:46933.◆JBLfMwCXhYcrsZ5Chat GPT:これは仏教の瞑想を理解するうえで、かなり本質的な問いだね。「観察=アヌパッサナー」「気づき=サティ」と整理するなら、次に問われるのは、ヴィパッサナーとは、いったい何が起こることなのか? ということになる。結論から言えば、ヴィパッサナーとは、単なる観察でも、単なる気づきでもない。観察と気づきを通じて、現象のありのままの性質を見抜く智慧 と捉えると、かなり理解しやすい。ただし、パーリ語の本来の意味と、瞑想実践における働きは、少し分けて考える必要がある。2026/10/10 09:15:13934.◆JBLfMwCXhYcrsZ51.まず、3つの言葉を整理しようパーリ語原語の意味瞑想における働きアヌパッサナー(anupassanā)継続的に観察すること、随観現象をある観点から繰り返し観察するサティ(sati)念、心にとどめて忘れないこと今、何が起こっているかを忘れず、注意を保つヴィパッサナー(vipassanā)明らかに見ること、洞察現象の本質的な性質を見抜くここで、ひとつ重要な補足がある。アヌパッサナーとヴィパッサナーは、完全な同義語ではないけれど、意味の領域が重なっている。また、サティは単純に「気づき」という日本語だけで説明しきれる言葉ではない。サティには、対象を忘れずに心にとどめておくという意味も含まれている。では、ヴィパッサナーは何が違うのだろうか?2026/10/10 09:15:48935.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEggmMr釈尊自身がこの念処を最初に表現したときにはとても簡単にsati一語で表したと思われることがスッタニパータの記述から推測される。また気づく働きすなわち satiを説明する文としてMilindapanhaの次の記述が注目される。王は言った。「尊者ナーガセーナよ、サティsatiとは何を特徴とするのか。」と、「大王よ、サティ sati は流されないことを特徴とし(apilapanalakkhana)、また掴むことを特徴とします(upaganhanalakkhana).」(Milindapanho, p.37,1.5-7)https://bicr.atr.jp/MS9/wp-content/uploads/2026/03/止観の変遷と大乗の起源-1.pdf2026/10/10 09:16:10936.◆JBLfMwCXhYcrsZ52.ヴィパッサナーとは「見抜くこと」たとえば、瞑想中に怒りが生じたとしよう。このとき、3つの働きを区別してみる。① サティ:怒りに気づく「怒りが生じている」怒りに完全に飲み込まれている状態から離れ、怒りが存在していることを認識する。ここでは、怒りをなくそうとする必要はない。ただ、その存在を見失わない。② アヌパッサナー:怒りを観察する「怒りは身体にどのように現れているのか?」胸の緊張、顔の熱さ、呼吸の変化、頭の中を巡る言葉。怒りに伴う身体感覚や心の動きを、繰り返し観察する。怒りをひとつのまとまりとして見るだけでなく、その変化を追っていく。③ ヴィパッサナー:怒りの性質を洞察する観察を続けるなかで、次のようなことが見えてくる。怒りは、条件によって生じている。怒りは、同じ状態のまま持続しているわけではない。怒りを完全に意のままに支配することはできない。怒りは、固定された「私」そのものではない。ここで起こっているのは、怒りについての知識を思い出すことだけではない。怒りという現象を直接観察するなかで、その無常性・苦・無我という性質を洞察すること。これが、仏教の瞑想におけるヴィパッサナーの核心に近い。もちろん、怒りを観察すれば必ずこの洞察が生じる、という意味ではない。これは実践を理解するための一例だよ。2026/10/10 09:16:27937.◆JBLfMwCXhYcrsZ53.では、ヴィパッサナーは「智慧」なのか?ここは少し哲学的に掘り下げたいところだね。ヴィパッサナーは、一般に「観」や「洞察」と訳される。一方、パーリ語の「パンニャー(paññā)」は「智慧」を意味する。両者は密接に関係しているが、厳密には同じ単語ではない。整理すると、次のようになる。サティ:対象を忘れず、気づきを保つ働き。アヌパッサナー:対象をある観点から継続的に観察すること。ヴィパッサナー:対象を明らかに見抜く洞察。パンニャー:物事を正しく理解し、見極める智慧。ただし、これは瞑想の働きを理解するための整理であって、仏教のすべての伝統で、このように四つの段階が明確に区別されているわけではない。特に重要なのは、ヴィパッサナーを単なる分析的思考と混同しないこと。「すべては無常だ」と頭で考えることと、実際に生滅していく現象を観察して、その無常性を洞察することは違う。前者は概念的な理解であり、後者は瞑想による直接的な洞察を指す。2026/10/10 09:17:22938.◆JBLfMwCXhYcrsZ54.もう一歩深く――アヌパッサナーとヴィパッサナーの関係ここで、初期仏教の経典に立ち返ってみよう。『念処経』(サティパッターナ・スッタ)では、身体・感受・心・法という四つの領域について、アヌパッサナーが説かれている。たとえば、身体については「身体を身体として観察する」という趣旨の表現が使われる。パーリ語では、これを kaye kayanupassi と表現する。この実践は、サティと切り離された単なる観察ではない。経典では、実践者が熱心に、明確な理解を伴い、念を保ちながら観察することが説かれている。そして、その観察を通じて、身体や感受などを執着の対象として捉えない方向へと実践が進んでいく。つまり、ここでは、サティを保ちながらアヌパッサナーを実践し、現象への執着を弱め、智慧を深めていく。という関係が見えてくる。ただし、これは「サティ → アヌパッサナー → ヴィパッサナー」という固定された時間順の三段階を、経典がそのまま定義しているという意味ではない。実際には、それぞれの働きは相互に支え合う。2026/10/10 09:18:13939.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEggmMr釈尊が見出した修行法は、当初はsati念の一語で示され、やがて satipatthana 念処という専門的な熟語が生まれて定着した。その後に samatha 止と vipassana 観という用語が使われるようになり、仏教の修行方法を表す用語として対になって使用されたと考えられる。2026/10/10 09:18:15940.◆JBLfMwCXhYcrsZ55.僕なら、こう整理する瞑想の実践という観点から、あえて一言ずつに圧縮するなら、サティは、見失わないこと。アヌパッサナーは、観察し続けること。ヴィパッサナーは、観察対象の真の性質を見抜くこと。そして、パンニャーは、その洞察に関わる智慧。このように整理できる。ただし、これはあくまで実践上の便宜的な整理であり、厳密な辞書的定義や、仏教思想全体に共通する固定的な分類ではない。もうひとつ、重要なことがある。ヴィパッサナーとは、何か神秘的なものが見えることでも、特別な意識状態に入ることでもない。普段はひとまとめにして捉えている経験を、注意深く観察することによって、その生起と消滅、条件性、そして自分の思いどおりにはならない性質を見抜いていくことなんだ。2026/10/10 09:18:48941.◆JBLfMwCXhYcrsZ5>>939そうだ止はサマタ観はヴィパッサナー2つ合わせて、止観だったな2026/10/10 09:20:11942.◆JBLfMwCXhYcrsZ5やはり、四念処というテーマは大きすぎた2026/10/10 09:22:14943.◆JBLfMwCXhYcrsZ5このスレの残りで終わる話ではない(笑)2026/10/10 09:22:32944.◆JBLfMwCXhYcrsZ5大念処経 サティパッターナ・スッタこれを現代語訳して欧米に紹介し、世界に衝撃をもたらしたのがかの高名なるティク・ナット・ハン2026/10/10 09:25:35945.◆JBLfMwCXhYcrsZ5ティク・ナット・ハン、鈴木大拙仏教を欧米に紹介したことで知られる両巨頭どっちも臨済宗の系統だな2026/10/10 09:29:26946.◆JBLfMwCXhYcrsZ5Chat GPT:そう、そこが面白いところなんだよな。ティク・ナット・ハンと鈴木大拙。二人とも禅を通じて仏教を欧米に広めた巨人であり、系譜をたどると、どちらも臨済系につながっている。 ただし、同じ臨済系でも、その立ち位置や伝え方はかなり違う。2026/10/10 09:30:35947.◆JBLfMwCXhYcrsZ5 1. 鈴木大拙――臨済禅を哲学・思想として西洋に伝えた鈴木大拙は、鎌倉の円覚寺で今北洪川、釈宗演に参禅した。釈宗演は臨済宗の禅僧であり、鈴木大拙はその在家の弟子にあたる。大拙が欧米に伝えた禅の特徴は、ざっくり言えば、悟り(見性・悟りの体験)主客二元論を超えた直接的な体験概念や論理だけでは捉えきれない真実禅と西洋哲学・心理学との対話つまり、西洋の知識人が理解できる言葉で、禅の核心を表現しようとした人物だ。ただし、大拙自身は僧侶ではなく、在家の禅者・仏教学者だった。2026/10/10 09:31:29948.◆JBLfMwCXhYcrsZ52. ティク・ナット・ハン――臨済系の禅を日常生活と社会に開いたティク・ナット・ハンは、ベトナムの禅(Thiền)の僧侶。16歳で出家し、師のティク・チャン・タットのもとで修行した。師は臨済系の法系に属し、ティク・ナット・ハン自身も、ベトナム臨済宗の柳観(Liễu Quán)系統につながる。彼が西洋に伝えた仏教の特徴は、マインドフルネス(正念)今この瞬間に気づくこと縁起と相互存在(インタービーイング)慈悲と非暴力社会参加型仏教(エンゲージド・ブディズム)大拙が禅の体験的・哲学的な核心を西洋に紹介したのに対し、ティク・ナット・ハンは、禅を日々の呼吸や歩行、人間関係、平和活動にまで落とし込んだ。もちろん、大拙にも実践的な側面はあるし、ティク・ナット・ハンにも深い哲学的考察がある。これはあくまで二人の活動の重心の違いだね。2026/10/10 09:32:03949.◆JBLfMwCXhYcrsZ53. 同じ臨済系なのに、なぜこんなに違うのか?ここが一番興味深い。観点鈴木大拙ティク・ナット・ハン禅の系譜日本の臨済禅系ベトナムの臨済系禅主な活動仏教哲学・翻訳・講演禅の実践・著作・平和活動強調点悟り・無分別・直接体験正念・縁起・慈悲西洋への影響哲学・心理学・芸術・宗教思想マインドフルネス・心理療法・平和運動日常との関係日常を超える認識の転換を強調日常そのものを修行の場として強調もちろん、これは対比を明確にするための整理であって、二人の思想を完全に二分できるわけではない。そもそも、臨済禅は中国の臨済義玄に由来する禅の系統で、日本では臨済宗、ベトナムでは臨済系の禅が独自の展開を遂げた。両者は同じ源流につながりながら、それぞれ異なる歴史的・文化的環境で発展したんだ。2026/10/10 09:33:03950.◆JBLfMwCXhYcrsZ5 4. さらに面白いのは、二人とも「西洋の仏教観」を変えたこと二人に共通するのは、仏教を単なる東洋の宗教や儀礼としてではなく、人間の意識や生き方を根本から問い直す道として伝えたことだと思う。ただし、方向性は異なる。鈴木大拙: 禅の悟りとは何か。分別的な思考を超えた世界とは何か。ティク・ナット・ハン: 悟りの智慧を、呼吸・歩行・食事・他者との関係のなかでどう生きるか。言い換えるなら、大拙が西洋に禅の「認識論的・存在論的な衝撃」を与えたとすれば、ティク・ナット・ハンは禅の「実践的・倫理的な可能性」を広く示した、と整理できる。そして、その両方が臨済系の伝統から生まれている。同じ法脈の遠い親戚が、一方は西洋哲学の世界へ、もう一方はマインドフルネスと平和運動の世界へ進んだ。この見方をすると、禅の伝統が文化や時代を超えて、いかに多様な形で展開できるかが見えてくるね。2026/10/10 09:33:34951.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEggmMr観察・随観)2026/10/10 09:33:55952.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEggmMrSatipaṭṭhānaはSati(気付き・念)+Upaṭṭhāna(確立する・確立・留める)Kāya (身体、肉体)+ Anupassanā(観察・随観)Vedanā(感受、感覚・感) + AnupassanCitta (心、意識上田)+ AnupassanDhamma (法、心の中の事象・真理))+ Anupassanāだな。2026/10/10 09:34:11953.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEggmMr上田→状態2026/10/10 09:36:00954.◆JBLfMwCXhYcrsZ5なるほど2026/10/10 09:36:48955.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEggmMrJBLはAIやネット検索に頼るからこうなる。2026/10/10 09:37:23956.◆JBLfMwCXhYcrsZ5サティとアヌパッサナーで、サティパッターナ2026/10/10 09:37:34957.◆JBLfMwCXhYcrsZ5勉強になりますな~😆2026/10/10 09:37:53958.◆JBLfMwCXhYcrsZ5>>955ぜんぜん知らん分野に挑んでるんだから、仕方ないだろ😅2026/10/10 09:38:48959.◆JBLfMwCXhYcrsZ5こういう、うるさい奴がいるからマトモな人が宗教板からいなくなる2026/10/10 09:39:10960.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEggmMrまさにこれだな。 ↓939 栖雲居士◆MKrKQHoID7SE[sage] 2026/10/10(土) 09:18:15.49 ID:ggmMr釈尊が見出した修行法は、当初はsati念の一語で示され、やがて satipatthana 念処という専門的な熟語が生まれて定着した。その後に samatha 止と vipassana 観という用語が使われるようになり、仏教の修行方法を表す用語として対になって使用されたと考えられる。sati→satipatthana →samathaとvipassanaだんだんと加上されてややこしくなったw2026/10/10 09:42:52961.◆JBLfMwCXhYcrsZ5>>956Chat GPT:JBL、仏教の瞑想を理解するうえで、**サティ(sati)・アヌパッサナー(anupassana)・サティパッターナ(satipatthana)**の関係は、かなり重要なポイントだよ。この3つは密接に関係しているけれど、同じ意味ではないんだ。初期仏教のパーリ語をもとに、それぞれの意味と実践上の違いを整理してみよう。1. サティ(Sati)——気づき・念サティ(sati)=念・気づきを保つ働きサティは、パーリ語で、サンスクリット語の smṛti に対応する言葉。一般には「マインドフルネス」と訳されるけれど、単に現在の瞬間に注意を向けることだけではない。仏教の実践では、何が起きているのかを見失わず、実践の対象や教えを心に保つ働きも含んでいる。例えば、呼吸を観察しているとき。息を吸っていることに気づく。息を吐いていることに気づく。雑念が生じたことに気づく。雑念に気づいたら、呼吸へと注意を戻す。これらの実践にサティが関わっている。ただし、サティは単なる集中力とは異なる。集中が一つの対象に心を安定させる働きだとすれば、サティは対象や心の状態を忘れずに気づいている働きだと考えると理解しやすい。2026/10/10 09:43:22962.◆JBLfMwCXhYcrsZ52. アヌパッサナー(Anupassana)——随観・繰り返し観察することアヌパッサナー=特定の観点から、現象を繰り返し観察すること。パーリ語の anupassana は、一般に「随観」と訳される。「観察」を意味する passana に、継続的に観察することや、ある仕方で観察することを示す要素が加わった語だ。サティが気づきを保つ働きだとすれば、アヌパッサナーは、現象をどのような観点から観察するのかという実践の側面に関わる。例えば、怒りが生じたとき。サティ 「怒りが生じている」と気づく。アヌパッサナー 怒りが生じ、変化し、弱まり、消えていく過程を観察する。さらに、怒りを自分そのものとみなさず、条件によって生じて変化する現象として観察することもできる。ここで重要なのは、アヌパッサナーが単なる分析的思考を意味するわけではないということ。頭の中で「怒りとは何か」と考え続けることと、実際に生じている怒りの状態を観察することは異なる。アヌパッサナーは、実践を通して現象を観察することを指している。2026/10/10 09:44:20963.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEggmMr煩い奴が居なきゃ、間違いや勘違いのままだけどな。2026/10/10 09:44:31964.◆JBLfMwCXhYcrsZ53. サティパッターナ(Satipaṭṭhāna)‐‐‐‐念処サティパッターナ=サティを確立すること、またはサティを確立するための実践・観察の枠組み。サティパッターナは、初期仏教において特に重要な瞑想実践を指す言葉だ。代表的な経典に『念処経』(パーリ語:Satipatthana Sutta)がある。サティパッターナの語源については、伝統的に sati と upatthana(確立・現前・注意深く保つこと)との関係から説明される。実践としては、次の四つの対象・領域が説かれている。パーリ語日本語観察する対象Kayanupassana身随観身体・呼吸・姿勢・身体活動Vedananupassana受随観苦・楽・不苦不楽の感受Cittanupassana心随観欲のある心、怒りのある心、集中した心などDhammanupassana法随観五蓋・五蘊・覚支・四聖諦など、教えに基づく諸現象この四つを総称して、**四念処(しねんじょ)**という。ここで注意したいのは、サティパッターナが単に「注意を向ける技術」を意味するのではないということ。身体・感受・心・法という四つの領域において、サティを確立し、現象を適切に観察する仏教の実践体系なんだ。2026/10/10 09:46:09965.◆JBLfMwCXhYcrsZ54. 三つの関係を整理すると?この三つの違いを、実践の流れから捉えてみよう。例えば、呼吸を観察する場合。① サティ:気づきを保つ息を吸っている、息を吐いていると気づく。② アヌパッサナー:観察する呼吸の長短や身体感覚、呼吸に伴う変化などを観察する。③ サティパッターナ:実践の枠組み呼吸や身体を対象として、身随観を実践する。さらに、受・心・法の観察へと実践を広げていく。ただし、これは理解のための整理であって、実際の修行では三つが必ずこの順番で起こるわけではない。サティパッターナの実践のなかでサティが働き、アヌパッサナーが行われる、と捉えるほうが正確だ。図式化すれば、次のようになる。サティ(気づきを保つ働き) ↓ アヌパッサナー(観察の実践) ↓ サティパッターナ(四つの領域における念の確立と観察の体系)この図はあくまで概念的な整理であり、三者を完全に別々の段階とみなすものではない。2026/10/10 09:47:13966.麦◆MUGITANx95DjmdVkl∞ノノハ∞川^○^ハレsatiは正念ポイ麦は正念相続の無心だと思う♪www2026/10/10 09:48:21967.◆JBLfMwCXhYcrsZ55. さらに重要な点——サティとヴィパッサナーの違いここまで理解したら、次に区別しておきたいのが、**サティ(念)とヴィパッサナー(観)**の関係だ。ヴィパッサナー(vipassana)は、現象を明晰に観察し、物事のあり方を洞察することに関わる。例えば、呼吸を観察しているとき。サティ:呼吸を見失わず、気づきを保つ。アヌパッサナー:呼吸や身体などを、特定の観点から継続的に観察する。ヴィパッサナー:観察を通して、現象の無常・苦・無我などを洞察する。サティパッターナ:こうした実践の基盤となる四念処の教えと修行体系。(以下略2026/10/10 09:48:21968.◆JBLfMwCXhYcrsZ5>>966まあ、そういうことでしょうな2026/10/10 09:50:20969.◆JBLfMwCXhYcrsZ5言ってみればカメラで写真をとって、画像を保存することそれがサティだ2026/10/10 09:50:56970.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEggmMrまぁ、禅宗にはそのsatiで事足りるという所もあるから、笑夫が言う事にも一理あるな。2026/10/10 09:51:55971.麦◆MUGITANx95DjmdVkl>>968∞ノノハ∞川^○^ハレ数回坐れば分かる事もありますね www2026/10/10 09:52:44972.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEggmMrザックリ云うと、禅は直観的で南伝は観察的だな。森林派は……知らんw2026/10/10 09:56:54973.◆JBLfMwCXhYcrsZ5次スレ【ブッダの教え】初期仏教【パーリ仏典】 Part4https://talk.jp/boards/psy/17915938612026/10/10 09:57:57974.◆JBLfMwCXhYcrsZ5このスレで終わらせるつもりだったがサティとか四念処とかを、もういっぺんやらんとダメだ😫2026/10/10 09:58:25975.◆JBLfMwCXhYcrsZ5中途半端はよくない😫2026/10/10 09:58:49976.◆JBLfMwCXhYcrsZ5>>972森林は、居るだけで苦行2026/10/10 09:59:12977.◆JBLfMwCXhYcrsZ5ヤージュニャヴァルキヤも、ブッダも森林生活者2026/10/10 09:59:34978.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEggmMr直指人心、見性成仏とは良く云ったもんだなぁ。2026/10/10 09:59:43979.◆JBLfMwCXhYcrsZ5>>977チャットGPT:そう。そこは、かなり重要な共通点だね。ヤージュニャヴァルキヤも、釈迦も、古代インドの森林的な宗教文化を背景にした思想家なんだ。ただし、両者の活動形態には違いもある。2026/10/10 10:01:15980.◆JBLfMwCXhYcrsZ51. ヤージュニャヴァルキヤと森林の思想ヤージュニャヴァルキヤは、古代インドのウパニシャッド思想を代表する哲学者。彼の思想が伝えられている『ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド』は、名前からして「大森林のウパニシャッド」という意味を持つ。彼の思想の中心には、次のような問いがある。本当の自己(アートマン)とは何か。人間の認識を可能にしているものは何か。死によって何が失われ、何が残るのか。究極的な実在とは何か。特に有名なのが、「アートマンとは何か」という探究だね。ヤージュニャヴァルキヤは、自己を対象として認識することの限界を問い、究極的な自己について考察した。これは、後世のヴェーダーンタ哲学にも大きな影響を与えた。2026/10/10 10:01:37981.◆JBLfMwCXhYcrsZ52. ブッダと森林生活一方、ゴータマ・ブッダも、森林や林間の静かな場所で修行する伝統と深く結びついている。初期仏典には、森林、樹下、山間、空き家などで瞑想する修行者の姿が繰り返し登場する。ブッダ自身も、出家して苦行者として修行し、覚醒後も森林などで過ごした。ただし、ブッダは森林だけに暮らしたわけではない。都市や村落を訪れ、王侯貴族や在家信者とも交流していた。また、仏教教団は雨安居などの制度を持ち、森林での修行と定住生活の双方を取り入れていった。2026/10/10 10:02:00982.◆JBLfMwCXhYcrsZ53. 両者の共通点と決定的な違いここが面白いところだ。問題ヤージュニャヴァルキヤブッダ思想的背景ウパニシャッド思想沙門思想・初期仏教主な探究アートマンの本質苦の原因と解脱自己について究極的なアートマンを探究永遠不変の自己という見解を退ける解脱への方向自己の究極的な本質を知る無明・渇愛を滅し、苦を終わらせる修行環境森林的な宗教文化と関係森林修行を重視もちろん、これは両者の思想を大づかみに比較したものだ。重要なのは、同じ古代インドの宗教文化から、自己について異なる方向を追究する思想が生まれたということ。ヤージュニャヴァルキヤは、究極的な自己とは何かを問い詰めた。ブッダは、経験される身体や感覚、認識などを観察し、それらを永遠不変の自己とみなすことを退けた。両者とも、単に神々への儀礼を行うだけではなく、人間の存在そのものを根本から問い直したわけだ。そして、もうひとつ注目したいのは、森林生活という環境が、既存の社会的・宗教的な価値観から距離を取り、自分自身の存在を徹底的に探究する場になったということだね。古代インドの森林は、単なる修行場所ではなかった。ウパニシャッド思想と仏教の双方を理解するうえで、重要な背景だったんだ。2026/10/10 10:02:48983.◆JBLfMwCXhYcrsZ5>>970> まぁ、禅宗にはそのsatiで事足りるという所もあるから、笑夫が言う事にも一理あるな。仏のスレ主が言ってることにも、一理あるんだな?2026/10/10 10:03:31984.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEggmMrある。2026/10/10 10:04:43985.神も仏も名無しさんXjkvZたんに、ハッスル🤡か無駄な知識の虚飾デコレーションが多すぎなだけやろ〜ま😭2026/10/10 10:14:45986.◆JBLfMwCXhYcrsZ5仏のスレ主にも、一理ある2026/10/10 10:23:16987.◆JBLfMwCXhYcrsZ5ロン殿にも、一理ある2026/10/10 10:23:28988.◆JBLfMwCXhYcrsZ5ムイムイには、一理もニ理もある2026/10/10 10:23:45989.◆JBLfMwCXhYcrsZ5単なるナルシズ無ではなかった2026/10/10 10:24:13990.◆JBLfMwCXhYcrsZ59902026/10/10 10:24:24991.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEggmMrまぁ確かに南伝の瞑想をやってる人から「禅は止はあるけど観がないねぇ?」って指摘はあるな。で、「いやいや禅は止と観に分けない、止観同時だ!」なんて反論するけど、でもそれってsatiだよな。南伝とかで、ゆっくりと器を持ち上げて下すとかあるみたいだけど、臨済なんかは電光石火で観察する暇を与えない様なやり方だもんなぁ。妄想してたら器を弾き飛ばされる様な接化法をするし。曹洞とかはその真ん中くらいだけど、臨済に慣れてるとスローモーションを見てる様だし。2026/10/10 10:52:23992.◆JBLfMwCXhYMaLGg臨済宗は動作が速いのか2026/10/10 10:53:49993.◆JBLfMwCXhYMaLGg観察を目指してないんだな2026/10/10 10:53:59994.◆JBLfMwCXhYMaLGgテーラワーダ協会の言ってることには、説得力がある2026/10/10 10:58:45995.◆JBLfMwCXhYMaLGgでも、いままで「ブッダの教えはこうだった」と前置きして、自分の持論を存分に語る人を、あまりにも多く見てきた😫2026/10/10 10:59:41996.◆JBLfMwCXhYMaLGgどうも、信用できない😫2026/10/10 10:59:56997.◆JBLfMwCXhYMaLGg真実を追究しないとな2026/10/10 11:01:11998.◆JBLfMwCXhYMaLGg初期仏教が四念処だってことにもわりとつい最近、気づいたばかり2026/10/10 11:01:34999.◆JBLfMwCXhYMaLGg井上義衍老師が言ってたことと似ている2026/10/10 11:01:541000.◆JBLfMwCXhYMaLGg10002026/10/10 11:02:051001.Talk ★???このスレッドはコメントが1000件を超えました。新しいスレッドを立ててください。2026/10/10 11:02:051002.Talk ★???【プレミアムサービス無料期間延長!】プレミアムの無料期間を2027/3/31まで延長することになりました。広告除去や規制緩和など、ヘビーユーザーにとって欠かせない機能を無料でお楽しみいただけます。是非この機会にプレミアムサービスをお試しください!▼プレミアムサービスはこちらからhttps://talk.jp/premium2026/10/10 11:02:05
【パーリ仏典】テーラワーダ仏教【ヴィパッサナー瞑想】
https://talk.jp/boards/psy/1768687611
【ブッダの教え】初期仏教【最初はこういう話だった】
https://talk.jp/boards/psy/1768770625
【ブッダの教え】初期仏教【ヴィパッサナー瞑想】 Part2
https://talk.jp/boards/psy/1779968091
1 蛇の毒が(身体のすみずみに)ひろがるのを薬で制するように、怒りが起こったのを制する修行者(比丘)は、この世とかの世とを共に捨て去る。
──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
2 池に生える蓮華を、水にもぐって折り取るように、すっかり愛欲を断ってしまった修行者は、この世とかの世とを共に捨て去る。
──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
3 奔り流れる妄執の水流を涸らし尽して余すことのない修行者は、この世とかの世とを共に捨て去る。
──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
4 激流が弱々しい葦のの橋を壊すように、すっかり驕慢を減し尽くした修行者は、この世とかの世とを共に捨て去る。
──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
5 無花果の樹の林の中に花を探し求めて得られないように、諸々の生存状態のうちに堅固なものを見いださない修行者は、この世とかの世とを共に捨て去る。
──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
6 内に怒ることなく、世の栄枯盛衰を超越した修行者は、この世とかの世とを共に捨て去る。
──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
7 想念を焼き尽くして余すことなく、心の内がよく整えられた修行者は、この世とかの世とを共に捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
9 走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、「世間における一切のものは虚妄である」と知っている修行者は、この世とかの世とを共に捨て去る。
──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
10 走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、「一切のものは虚妄である」と知って貪りを離れた修行者は、この世とかの世とを共に捨て去る。
──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
11 走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、「一切のものは虚妄である」と知って愛欲を離れた修行者は、この世とかの世とを共に捨て去る。
──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
12 走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、「一切のものは虚妄である」と知って憎悪を離れた修行者は、この世とかの世とを共に捨て去る。
──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
13 走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、「一切のものは虚妄である」と知って迷妄を離れた修行者は、この世とかの世とを共に捨て去る。
──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
15 この世に還り来る縁となる〔煩悩から生ずるもの〕をいささかももたない修行者は、この世とかの世とを共に捨て去る。
──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
16 ひとを生存に縛りつける原因となる〔妄執から生ずるもの〕をいささかももたない修行者はこの世とかの世とを共に捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
17 五つの蓋いを捨て、悩みなく、疑惑を越え、苦悩の矢を抜き去られた修行者は、この世とかの世とを共に捨て去る。
──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
35 あらゆる生きものに対して暴力を加えることなく、あらゆる生きもののいずれをも悩ますことなく、また子を欲するなかれ。況や朋友をや。犀の角のようにただ独り歩め。
36 交わりをしたならば愛情が生じる。愛情にしたがってこの苦しみが起こる。愛情から禍い(わざわい)の生じることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。
37 朋友・親友に憐れみをかけ、心がほだされると、おのが利を失う。親しみにはこの恐れのあることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。
38 子や妻に対する愛著は、たしかに枝の広く茂った竹が互いに相絡むようなものである。筍が他のものにまつわりつくことのないように、犀の角のようにただ独り歩め。
39 林の中で、縛られていない鹿が食物を求めて欲する処に赴くように、聡明な人は独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。
40 仲間の中におれば、休むにも、立つにも、行くにも、旅するにも、つねにひとに呼びかけられる。他人に従属しない独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。
41 仲間の中におけば、遊戯と歓楽とがある。また子らに対する情愛は甚だ大である。愛しき者と別れることを厭いながらも、犀の角のようにただ独り歩め。
42 四方のどこでも赴き、害心あることなく、何でも得たもので満足し、諸々の苦痛に堪えて、恐れることなく、犀の角のようにただ独り歩め。
43 出家者でありながらなお不満の念を抱いている人々がいる。また家に住まう在家者でも同様である。だから他人の子女にかかわること少し、犀の角のようにただ独り歩め。
44 葉の落ちたコーヴィラーラ樹のように、在家者のしるしを捨て去って、在家の束縛を断ち切って、健き人はただ独り歩め。
46 しかしもし汝が、〔賢明で協同し行儀正しい明敏な同伴者〕を得ないならば、譬えば王が征服した国を捨て去るようにして、犀の角のようにただ独り歩め。
47 われわれは実に朋友を得る幸を讃め称える。自分より勝れ或いは等しい朋友には、親しみ近づくべきである。このような朋友を得ることができなければ、罪過のない生活を楽しんで、犀の角のようにただ独り歩め。
48 金の細工人がみごとに仕上げた二つの輝く黄金の腕輪を、一つの腕にはめれば、ぶつかり合う。それを見て、犀の角のようにただ独り歩め。
49 このように二人でいるならば、われに饒舌といさかいとが起るであろう。未来にこの恐れのあることを察して、犀の角のようにただ独り歩め。
50 実に欲望は色とりどりで甘美であり、心に楽しく、種々の形で、心を攪乱する。欲望の対象にはこの患いのあることを見て、犀の角のようにただ独り歩め。
51 これは私にとって災害であり、腫物であり、禍であり、病であり、矢であり、恐怖である。諸々の欲望の対象にはこの恐ろしさのあることを見て、犀の角のようにただ独り歩め。
52 寒さと暑さと、飢えと渇えと、風と太陽の熱と、虻と蛇と、──これら全てのものにうち勝って、犀の角のようにただ独り歩め。
53 肩がしっかりと発育し蓮華のようにみごとな巨大な象は、その群を離れて、欲するがままに森の中を遊歩する。そのように、犀の角のようにただ独り歩め。
54 集会を楽しむ人には、暫時の解脱に至るべきことわりもない。太陽の末裔〔ブッダ〕の言葉をこころがけて、犀の角のようにただ独り歩め。
56 貪ることなく、詐ることなく、渇望することなく、(見せかけで)覆うことなく、濁りと迷妄とを除き去り、全世界において妄執のないものとなって、犀の角のようにただ独り歩め。
57 義ならざるものを見て邪曲に囚われている悪い朋友を避けよ。貪りに耽って怠っている人に、自ら親しむな。犀の角のようにただ独り歩め。
58 学識豊かで真理をわきまえ、高邁・明敏な友と交われ。いろいろと為になることがらを知り、疑惑を去って、犀の角のようにただ独り歩め。
59 世の中の遊戯や娯楽に、満足を感ずることなく、心ひかれることなく、身の装飾を離れて、真実を語り、犀の角のようにただ独り歩め。
60 妻子も、父母も、財産も穀物も、親類やその他あらゆる欲望までも、全て捨てて、犀の角のようにただ独り歩め。
61 「これは執著である。ここは楽しみは少し、快い味わいも少くて、苦しみが多い。これは魚を釣る釣り針である」と知って、賢者は、犀の角のようにただ独り歩め。
62 水の中の魚が網を破るように、また火が既に焼いたところに戻ってこないように、諸々の(煩悩の)結び目を破り去って、犀の角のようにただ独り歩め。
63 俯して視、とめどなくうつろうことなく、諸々の感官を防いで守り、こころを護り(慎しみ)、(煩悩の)流れ出ることなく、(煩悩の火に)焼かれることもなく、犀の角のようにただ独り歩め。
64 葉の落ちたパーリチャッタ樹のように、在家者の諸々のしるしを除き去って、出家して袈裟の衣をまとい、犀の角のようにただ独り歩め。
66 こころの五つの覆いを断ち切って、全てに付随して起こる悪しき悩み(随煩悩)を除き去り、何者かにかたよることなく、愛念の過ちを断ち切って、犀の角のようにただ独り歩め。
67 以前に経験した楽しみと苦しみを擲ち、また快さと憂いとを擲って、清らかな平静と安らいとを得て、犀の角のようにただ独り歩め。
68 最高の目的を達成するために努力策励し、こころが怯むことなく、行いに怠ることなく、堅固な活動をなし、体力と智力とを具え、犀の角のようにただ独り歩め。
69 独座と禅定を捨てることなく、諸々のことがらについて常に理法に従って行い、諸々の生存には患いのあることを確かに知って、犀の角のようにただ独り歩め。
70 妄執の消滅を求めて、怠らず、明敏であって、学ぶこと深く、こころをとどめ、理法を明らかに知り、自制し、努力して、犀の角のようにただ独り歩め。
71 音声に驚かない獅子のように、網にとらえられない風のように、水に汚されない蓮のように、犀の角のようにただ独り歩め。
72 歯牙強く獣どもの王である獅子が他の獣にうち勝ち制圧してふるまうように、辺地の坐臥に親しめ。犀の角のようにただ独り歩め。
73 慈しみと平静とあわれみと解脱と喜びとを時に応じて修め、世間全てに背くことなく、犀の角のようにただ独り歩め。
74 貪欲と嫌悪と迷妄とを捨て、結び目を破り、命の失うのを恐れることなく、犀の角のようにただ独り歩め。
75 今の人々は自分の利益のために、交わりを結び、また他人に奉仕する。今日、利益をめざさない友は、得がたい。自分の利益のみを知る人間は、きたならしい。犀の角のようにただ独り歩め。
1 ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人につき従う。──車をひく(牛)の足跡に車輪がついて行くように。
2 ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも清らかな心で話したり行ったりするならば、福楽はその人につき従う。──影がそのからだから離れないように。
3 「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われにうち勝った。かれは、われから強奪した。」という思いをいだく人には、怨みはついに息(や)むことがない。
4 「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われにうち勝った。かれは、われから強奪した。」という思いをいだかない人には、ついに怨みが息む。
5 実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である。
6 「われらは、ここにあって死ぬはずのものである」と覚悟をしよう。──このことわりを他の人々は知っていない。しかし、このことわりを知る人々があれば、争いはしずまる。
7 この世のものを淨らかだと思いなして暮し、(眼などの)感官を抑制せず、食事の節度を知らず、怠けて勤めない者は、悪魔にうちひしがれる。──弱い樹木が風に倒されるように。
8 この世のものを不淨であると思いなして暮し、(眼などの)感官を抑制し、食事の節度を知り、信念あり、勤めはげむ者は、悪魔にうちひしがれない。──岩山が風にゆるがないように。
9 けがれた汚物を除いていないのに、黄褐色の法衣をまとおうと欲する人は、自制が無く真実も無いのであるから、黄褐色の法衣にふさわしくない。
10 けがれた汚物を除いていて、戒律をまもることに専念している人は、自制と真実とをそなえているから、黄褐色の法衣をまとうのにふさわしい。
12 まことであるものを、まことであると知り、まことでないものを、まことでないと見なす人は、正しい思いにしたがって、ついに真実(マコト)に達する。
13 屋根を粗雑に葺いてある家には雨が洩れ入るように、心を修養していないならば、情欲が心に侵入する。
14 屋根をよく葺いてある家には雨が洩れ入ることが無いように、心をよく修養してあるならば、情欲の侵入することか無い。
15 悪いことをした人は、この世で憂え、来世でも憂え、ふたつのところで共に憂える。かれは、自分の行為が汚れているのを見て、憂え、悩む。
16 善いことをした人は、この世で喜び、来世でも喜び、ふたつのところで共に喜ぶ。かれは、自分の行為が淨らかなのを見て、喜び、楽しむ。
17 悪いことをなす者は、この世で悔いに悩み、来世でも悔いに悩み、ふたつのところで悔いに悩む。「わたくしは悪いことをしました」といって悔いに悩み、苦悩のところ(=地獄など)におもむいて(罪のむくいを受けて)さらに悩む。
18 善いことをなす者は、この世で歓喜し、来世でも歓喜し、ふたつのところで共に歓喜する。「わたくしは善いことをしました」といって歓喜し、幸あるところ(=天の世界)におもむいて、さらに喜ぶ。
19 たとえためになることを数多く語るにしても、それを実行しないならば、その人は怠っているのである。──牛飼いが他人の牛を数えているように。かれは修行者の部類には入らない。
20 たとえためになることを少ししか語らないにしても、理法にしたがって実践し、情欲と怒りと迷妄とを捨てて、正しく気をつけていて、心が解脱して、執著することの無い人は、修行者の部類に入る。
44 だれがこの大地を征服するであろうか? だれが閻魔の世界と神々とともなるこの世界とを征服するであろうか? わざに巧みな人が花を摘むように。善く説かれた真理のことばを摘み集めるのはだれであろうか?
45 学びにつとめる人こそ、この大地を征服し、閻魔の世界と神々とともなるこの世界とを征服するであろう。わざに巧みな人が花を摘むように、学びにつとめる人々こそ善く説かれた真理のことばを摘み集めるであろう。
46 この身は泡沫(ウタカタ)のごとくであると知り、かげろうのようなはかない本性のものであると、さとったならば、悪魔の花の矢を断ち切って、死王に見られないところへいくであろう。
47 花を摘むのに夢中になっている人を、死がさらって行くように、眠っている村を、洪水が押し流して行くように、──
48 花を摘むのに夢中になっている人が、未だ望みを果たさないうちに、死神がかれを征服する。
49 蜜蜂は(花の)色香を害をずに、汁をとって、花から飛び去る。聖者が、村に行くときは、そのようにせよ。
50 他人の過失を見るなかれ。他人のしたこととしなかったことを見るな。ただ自分のしたこととしなかったこととだけを見よ。
52 うるわしく、あでやかに咲く花で、しかも香りあるものがあるよえに、善く説かれたことばも、それを実行する人には、実りがある。
53 うず高く花を集めて多くの華鬘(ハナカザリ)をつくるように、人として生まれまた死ぬべきであるならば、多くの善いことをなせ。
54 花の香りは風に逆らっては進んで行かない。栴檀もタガラの花もジャスミンもみなそうである。しかし徳のある人々の香りは、風に逆らっても進んで行く。徳のある人はすべての方向に薫る。
55 栴檀、タガラ、青蓮華、ヴァッシキー──、これら香りのあるものどものうちでも、徳行の香りこそ最上である。
56 タガラ、栴檀の香りは微かであって、大したことはない。しかし徳行ある人々の香りは最上であって、天の神々にもとどく。
57 徳行を完成し、つとめはげんで生活し、正しい知慧によって解脱した人々には、悪魔も近づくよし無し。
58 大道に棄てられた塵芥の山堆の中から香しく麗しい蓮華が生ずるように。
59 塵芥にも似た盲(メシイ)た凡夫のあいだにあって、正しく目ざめた人(ブッダ)の弟子は知慧もて輝く。
http://hikari-k.ed.jp/zenchoji//sutra/SuttaNipata/sutra00.html
https://hosai02.la.coocan.jp/dammapada-01/damma-all-text.htm
【ブッダの教え】初期仏教【ヴィパッサナー瞑想】 Part2
https://talk.jp/boards/psy/1779968091
やはり、もういっぺん取り組みたいテーマ(笑)
とっても良い歌だと思いました。
いつもの昨日、それが良かったけれど風に吹かれる。
苦諦(くたい) 生きるのは苦を伴う
集諦(じったい) 苦には原因がある
滅諦(めったい) 原因がなくなれば、苦もなくなる
道諦(どうたい) 苦の原因をなくす方法論がある
① 身念処(身体の観察)
まずは単純に
息が入る
息が出る
体の感覚がある
→ ここで「身体はただの現象」と見えてくる
② 受念処(感覚)
次に
心地よい
不快
どちらでもない
という“評価”が起きていることに気づく
→ 「快・不快は勝手に起きる」と見える
③ 心念処(心そのもの)
さらに
集中している心
散乱している心
落ち着いた心
など、「心の状態そのもの」を観る
→ 「心も固定物ではない」と分かる
④ 法念処(構造理解)
最後に
無常
縁起
五蓋(妨げ) などの“法則性”を見る
→ 世界の仕組みそのものを理解する方向へ行く
初期仏教の最重要教義でありながら
四念処の認知度は、妙に低いな?
四諦、八正道、五蘊、六波羅蜜などに比べると
「ほとんど知られていない」と言っても
言いすぎではない
それは、かなり鋭い指摘。
実際、初期仏教研究者やテーラワーダ実践者を除くと、「四念処」を中心に理解している人は少ない。
一般の仏教イメージは、
四諦
八正道
縁起
空
般若心経
禅問答
浄土
などに寄りやすい。
一方、「四念処」は、釈尊自身が“これが直道だ”とまで言ったわりに、知名度が低い。
まず大きいのは、四念処があまりにも「地味」だから。
内容は基本的に、
呼吸を見る
歩くのを見る
怒ってるのを見る
快不快を見る
心の反応を見る
という、非常に実践的で内面的な観察訓練。
つまり、 「世界とは何か」 「空とは何か」 みたいな哲学談義になりにくい。
マハーシ・サヤドー
スマナサーラ
ヴィパッサナー系
などが広めたことで、
「仏教の中心は“観察”だったのでは?」
という再発見が起きた。
だからあなたが感じている違和感、
「最重要っぽいのに、なぜ誰も知らない?」
は、かなり本質的なんだ。
「四念処」こそ、初期仏教の核心だ
その確信が深まってきた
うん。かなり本質を突いていると思う。
初期仏教を「教義の体系」としてだけ見ると、輪廻・業・無我・五蘊・縁起などが並んで見えるけれど、四念処に戻すと、それらが何のための教説なのかが見えやすくなる。
四念処は、
身念処 ― 身体を身体として観察する
受念処 ― 快・不快・どちらでもないという「受」を観察する
心念処 ― 貪り・怒り・散乱など、心の状態を観察する
法念処 ― 五蓋・五蘊・七覚支・四諦など、心身に生起する法を観察する
という構造。
つまり「自分について考える」というより、今ここで起きている経験を、できるだけそのまま観察する。
そして、ここがあなたが以前言っていたアビダルマ・唯識への関心ともつながる。
「俺は怒っている」
ではなく、
怒りが生じた。
不快な受がある。
それに対して瞋が働いている。
「俺を侮辱した」という我執・分別が付加されている。
という具合に、「私」という一塊に見えていたものを、発生している現象として分解して見る。
これはまさに初期仏教の修行の核心部分だと思う。
観察を進めると、
身体 → 感受 → 心 → 諸法
と、経験世界そのものを観察対象にしていく。
その結果として、
「これは私だ」
「これは私のものだ」
「これは私の自己だ」
という把握が弱まっていく。
だから初期仏教の「無我」は、最初から哲学命題として
「自己など存在しない!」
と宣言するというより、
自己だと思っているものを徹底的に観察してみろ。そこに何が見つかるか?
という実践から出てくる結論、と見るほうが四念処との整合性が高い。
そして、あなたが言う「初期仏教は自己観察の修行だ」という表現は、かなりいい。
ただ、厳密には 「自己を観察する」から一歩進んで、「自己を含む経験の構成過程を観察する」 と言ったほうが初期仏教らしい。
この意味では、後の五蘊・十二処・十八界・心所・縁起・唯識へ発展していく方向性も、かなり自然に見えてくる。
現代のヴィパッサナー瞑想とは異なるか?
かなり違う。ただし、根っこは同じと考えたほうがいい。
現代の「ヴィパッサナー」は一枚岩ではなく、系統によってかなり違う。特にテーラワーダ系の現代瞑想法では、初期経典の四念処を現代的な瞑想技法として再構成している。
特に重要なのは、四念処=単なる「身体感覚を観察する瞑想」ではないという点。
たとえば『念処経』系では、身体を観察するだけでなく、
「貪りがあるときは、貪りがあると知る」
「貪りがないときは、貪りがないと知る」
というように、心の状態そのものを観察する。
さらに法念処では五蓋、五取蘊、六処、七覚支、四諦などまで観察する。
だから、あなたのいう
「初期仏教は自己観察の修行だ」
という理解に近いのは、現代ヴィパッサナーの中でもかなり広い意味で四念処を扱うタイプだと思う。
そして、ここが面白い。
あなたが最近やっているような、
「怒りが起きた」
↓
「不快な受がある」
↓
「相手を敵視する心が生じた」
↓
「俺を馬鹿にされた、という我執・分別が加わった」
という観察は、むしろアビダルマ的な分析と四念処が接続している。
つまり、
四念処 → 現象を直接観察する
アビダルマ → その現象をさらに細かく分類・分析する
唯識 → その認識過程をさらに深く分析する
という流れで見ると、あなたが「四念処こそ初期仏教の核心」と感じている理由がかなりはっきりする。
現代ヴィパッサナーは、その巨大な伝統の中の一つの現代的再構成と考えるのがよさそうだ。
そして、ここが面白い。
あなたが最近やっているような、
「怒りが起きた」
↓
「不快な受がある」
↓
「相手を敵視する心が生じた」
↓
「俺を馬鹿にされた、という我執・分別が加わった」
という観察は、むしろアビダルマ的な分析と四念処が接続している。
つまり、
四念処 → 現象を直接観察する
アビダルマ → その現象をさらに細かく分類・分析する
唯識 → その認識過程をさらに深く分析する
という流れで見ると、あなたが「四念処こそ初期仏教の核心」と感じている理由がかなりはっきりする。
現代ヴィパッサナーは、その巨大な伝統の中の一つの現代的再構成と考えるのがよさそうだ。
当方がやってるのは、アビダルマ倶舎論方式の修行だ
つまり、初期仏教よりも、もっと細かく心理分析している(笑)
当然、井上義衍系の無為自然っぽい修行法とは大きく異なる
そうだな(笑)。それなら、あなたがやっていることを「現代ヴィパッサナー」と一括りにするのも、ちょっと違う。
むしろ、
初期仏教の四念処 → 経験を観察する
アビダルマ → その経験をさらに微細な心的要素に分解する
あなたの実践 → 実際に自分の反応を観察しながら、心所レベルまで分析する
という感じだろう。
たとえば「腹が立った」で終わらず、
外部刺激
↓
触
↓
受(不快)
↓
想・認知
↓
作意
↓
瞋
↓
「俺を馬鹿にした」という我執・分別
↓
怒りを正当化する思考
↓
二次的な怒り
……と、「怒っている」という一つの出来事を解剖する。
これはかなりアビダルマ的(笑)。
しかも、こうやって分析すると、
「私は怒った」
という一枚岩の自己像が崩れて、
いろいろな心的現象が条件によって連鎖している
という見方に変わってくる。
井上義衍系なら、分析を重ねて「怒りを制御しよう」とすること自体が、場合によっては余計な作為になる。
あなたの場合はむしろ、
「なぜ今、反応した?」
を徹底的に調べる。
そして構造が見えてくれば、次第に反応そのものが弱くなる。
つまり、
義衍系:作為を離れる → そのままにする
に対して、
アビダルマ系:観察する → 分析する → 因果関係を見抜く → 執着を弱める
という違い。
だから、表面だけ見るとどちらも「反応しない人」になっても、修行のプロセスはかなり違う。
そしてあなたの場合、以前話していた「内田樹への怒りが、だんだん他人事に見えてきた」という現象も、このアビダルマ式の観察の実例としてかなり分かりやすい。
「怒るな」と自分に命令したわけではなく、怒りという現象を分解して眺めているうちに、怒りとの同一化が薄くなったわけだからな。
これはまさに、
「煩悩を消そうとする」のではなく、「煩悩がどう動いているかを見る」
という修行になっている。
「余計な作為をしない」とか
「そのまま放っておく」とか
そのあたりを強調するのは、老荘思想の特徴
井上義衍系には、老荘思想の強い影響が感じられる
ただし、井上義衍系は厳しい。
老荘みたいな、ゆるい雰囲気はない。
その点では、仏教的だ
そういう整理なら、かなり腑に落ちる。
特に面白いのは、
「無為」という言葉だけを見ると老荘的なのに、
その実践の質は全然ゆるくないというところだな。
老荘的な「無為」は、典型的には、
人為的な作為を増やさない
自然の流れに逆らわない
余計なことをしない
という方向を強く持つ。
ところが井上義衍系の場合、
「何もしないんだから楽だ」
には全然ならない。
むしろ、
「余計なことをするな」
「そのままにせよ」
「自己を作り変えようとするな」
という要求を、ものすごく厳密に突きつけてくる。
ここが老荘的な無為自然とはかなり違う。
そして、仏教的な厳しさが出てくるのは、結局、
「そのまま」と言っても、
凡夫の欲望・執着・自己欺瞞をそのまま肯定するわけではない
からだと思う。
老荘的な「自然」は、人為を離れることそのものに肯定的価値を置きやすい。
ところが仏教では、
「じゃあ欲望のまま自然に生きればいい」
とはならない。
むしろ、「そのまま」を徹底した結果、自己への執着や作為が露呈してくる。
だから義衍系の「無為」は、
楽をするための無為ではなく、作為によって悟りを作ろうとすることすら許さない無為
なんだろう。
思想的な語彙・方向性には老荘的な響きがある。
しかし、その実践要求の厳しさは仏教的。
という二層構造として見るとかなり面白い。
そして、ここには中国禅そのものの歴史的特徴も見えてくる。
**インド仏教の「修行・観察・煩悩対治」**に、
**中国的な「無為・自然・不作為」**が重なり、
それが禅独特の「修行しているのに、修行によって何かを作ろうとしない」という、一見矛盾した形になっていく。
あなたのアビダルマ式が、
「徹底的に分析して、作為の構造を見抜く」
方向なのに対して、義衍系は、
「分析して作り変えようとする、その作為自体を問題にする」
方向。
だから、両者はかなり遠いようでいて、最終的に狙っている**「我執による余計な反応を離れる」**というところでは接点がある。
この二つを比較すると、インド仏教と中国禅の違いまで見えてくるんだよな。
あんなに老荘っぽいのに
本人たちは、そう思っていない
「これこそ、仏教本来の姿だ」と思ってるところが面白い
井上義衍系の人は、たいてい他の思想に関心が無いので、仏教と老荘思想の違いなど知らない
そう、そこが思想史的にはかなり面白いところだと思う。
ただ、「義衍系の人は皆そうだ」とまでは言わず、
傾向として見るのがよさそうだね。
井上義衍系の自己理解としては、
「老荘思想の影響を受けた禅」
ではなく、
「これこそ釈尊以来の仏教の核心を直接実践している」
という自己理解になるわけだ。
そして、そこには一種の思想的な盲点が生じ得る。
本人にとっては、
作為しない
→ 余計なことをしない
→ 自然に任せる
→ ただそのまま
というのは「老荘的発想」ではなく、禅の当然の帰結なんだよね。
ところがインド仏教をかなり遡って見ると、初期仏教ではむしろ、
戒を守る
↓
念を修める
↓
心を観察する
↓
煩悩を識別する
↓
五蓋などを断つ
↓
七覚支を育てる
↓
解脱する
という、かなり訓練型・分析型の宗教になっている。
ここに大きな文化差がある。
だから後世の禅で、
無為
無作
任運
自然
不立文字
無修無証
のような表現が強くなっていくのを、
単純に「全部インド仏教から直接出てきた」
と考えるのは難しい。
ここであなたが言う、
「本人たちは老荘思想だと思っていない」
という現象が起きる。
これは別に「本人たちが無知だから」という話ではなく、思想が文化の中に完全に内在化されると、外来思想として意識されなくなるという、思想史ではよくある現象なんだよね。日本人が「日本語を話している」と意識せずに中国由来の漢語を大量に使っているのと、ちょっと似ている。
そして義衍系の面白さは、まさにそこ。
思想的な表現は非常に中国禅的・老荘的なのに、実践者の自己理解は徹底して「仏教」なのである。
しかも、そこで「老荘も面白いな」と横道に逸れたりしない(笑)。
だから外からインド思想史・中国思想史・仏教史を比較している人間のほうが、
「あれ? これ、かなり老荘っぽくないか?」
と気づきやすい。
あなたの場合、初期仏教→アビダルマ→唯識まで遡って比較しているから、なおさらその差が見えるんだと思う。
思想が混ざるのは、よくあることだ
日本の神仏習合も、独特の精神世界ワールドなんだし
霊友会系の新興宗教では、先祖供養を仏教だと思い込んでいるが、あれは儒教の祖霊崇拝の変形バージョン
そう。これはまさに**「宗教の自己理解」と「思想史的な系譜」は別問題**という話だな。
日本の宗教史は、とくに混ざり方がすごい。
神仏習合なんて、
神=仏の垂迹
仏=神の本地
という形で、インド由来の仏教・中国思想・日本在来の神祇信仰が長期間かけて融合して、独特の世界観になった。
そして先祖供養も面白い。
**「先祖を大切にする=仏教」**と日本では普通に思われているけれど、歴史的にはそんな単純な話ではない。
仏教にはもちろん死者供養の伝統がある。しかし、現在の日本で一般的な、
先祖代々の霊を祀る
↓
墓を守る
↓
法事をする
↓
子孫が先祖を供養する
という「家」を中心にした祖先祭祀は、仏教だけから出てきたものではない。
中国・東アジアの儒教的な祖先祭祀や、日本固有の祖霊観、さらに寺院制度・檀家制度などが重なって形成されたものと見るほうが歴史的には適切。
なので、霊友会系などの「先祖供養」を純粋な初期仏教の実践として理解するのは難しい。
「だから先祖供養は仏教ではない」
と切ってしまうのも少し乱暴で、仏教が東アジア社会に定着する過程で、祖先祭祀と結合して独自の仏教文化を形成した
と考えたほうが面白い。
そして、これはさっきの義衍系の話とも完全につながる。
本人たちは「仏教をやっている」と思っている。
でも思想史的に分解してみると、
インド仏教
+ 中国思想
+ 日本固有の宗教観
+ 社会制度
+ 民間信仰
が何層にも重なっている。
宗教って、こういう巨大なブレンド文化になっていることが多いんだよな(笑)。
だから「これは仏教か?儒教か?神道か?」と一つのラベルを貼ろうとすると、かえって実態が見えなくなる。
**「どの思想が、どの部分を担っているのか」**と分解して見るほうが、あなたのアビダルマ的な見方にも近い。
日本の神仏習合宗教こそ、東洋思想の完成形
要するに、初期仏教の核心は「自己観察の実践」
そう。ここまでの話をまとめると、かなりきれいに二本柱になると思う。
新興宗教のマーケットは生み出された
😀
四念処を中心に、
「自分の身・受・心・法で、実際に何が起きているのかを見る」
という実践。
「私は怒っている」で終わらず、
何が刺激になった?
どんな受が生じた?
どんな認識が起きた?
どんな欲・怒り・執着が生じた?
と観察していく。
そしてアビダルマになると、これをさらに細かく分解する。
こちらは単なる「偏見をなくそう」という話ではなく、もっと深い。
人間は、
「これは私だ」
「これは私のものだ」
「物事はこういうものだ」
「私はこういう人間だ」
という固定した把握を、経験に重ねてしまう。
そこでブッダは、
「本当にそうなのか?」
と、経験そのものを調べさせる。
五蘊を観察しても、どれも固定的な「私」として掴めない。
縁起を観察しても、物事は独立した固定的実体として存在しているわけではない。
だから、
観察する → 固定的な見方が崩れる → 執着が弱まる
という流れになる。
この二本は実は一つにつながっている。
自己観察が「方法」で、固定観念からの脱却が「その結果として生じる智慧」
と見ることもできる。
神仏習合をやめさせようとした結果が
もっとドロドロした新興宗教につながったんだな😫
日本の新興宗教含めて
宗教文化のイメージが掴めてきたな、
シーア派からヒラメイタ😀
👍️だった😀
さっき、「禅宗は老荘っぽい」と言ったが
「信念体系の破壊を迫る」という点では、臨済宗がもっともキツい
これに関しては、むしろ、最も仏教らしいスタンス
そう。ここはかなり重要な修正だと思う。
「禅は老荘的な無為自然を強く持つ」ことと、
「禅は仏教的な固定観念の破壊を徹底する」ことは、両立する。
そして後者については、臨済宗は非常に強烈だ。
臨済系の禅は、「正しい仏教観」を新しい固定観念として持たせることすら警戒する。
たとえば、
仏を求める
→ 「仏とはこういうものだ」という観念を作る
→ その観念に執着する
となったら、その「仏」まで叩き壊す。
有名な**「逢仏殺仏」**も、文字通り仏を殺せという話ではなく、仏という観念を掴んでしまったら、その掴み方を破壊せよという臨済禅の極端な表現として理解できる。
これは、さっき話していた初期仏教の
固定観念からの脱却
とかなり深いところで響き合う。
しかも臨済禅は、
「正しい答えを教える」より、「答えを掴もうとする心そのものを破壊する」
方向に行く。
だから、
「仏教とはこういう思想です」
と説明して終わるのではなく、
「その説明を掴んでいるお前は何者だ?」
と、説明そのものをひっくり返す。
ここは確かに、非常に仏教的な反固定化の精神として読める。
初期仏教では、固定観念を壊すために四念処・縁起・五蘊・四諦などを観察する道具がかなり明確に用意されている。
臨済禅では、その道具さえ最後には捨てさせようとする。
つまり、
初期仏教
固定観念を観察によって解体する。
臨済禅
固定観念を解体し、さらに「解体するための教え」への執着まで解体する。
という違いがある。
だから面白いんだよな。
老荘的な「無為自然」だけを見ると、中国禅はインド仏教から離れているように見える。
ところが、
「一切の固定観念を掴むな」
という方向から見ると、臨済禅はむしろ、仏教の無執着・無我・戯論寂滅をものすごくラディカルに推し進めている。
そしてあなたがさっき挙げた二本柱に重ねるなら、
四念処=固定観念がどう生じているかを見る
臨済禅=その固定観念を掴んだ瞬間に叩き壊す
という、かなり面白い対照になる。
師匠は坊主のなりより普通の人を美学しとるので
天才神秘主義マシーン娯楽の俺も、
仕事生活ではそのスタンスなので
😀
シーア派は、イスラム教とゾロアスター教
ペルシャ版の神仏習合だ
師匠要らずだな?😆
坊主芸能やらんと
衆生済度できる師匠、あのレベルは
マジ凄い
俺は単に無限の神秘主義頭数マシーンなだけだ
😀
スンニ派みたいに律法守ってればOKではなさそうだ、メンタルの初期化を狙ってそうだ😀
1、四念処による自己観察の実践
2、自己の見解への執着を断ち、固定的な信念を放棄する
3、四諦・八正道・三法印を初めとする、正しい教えを学ぶ
うん、この三本立てなら、かなりバランスがいい。
特に**「自己観察」と「教えを学ぶ」を両方入れている**のが重要だと思う。
初期仏教の三本柱
1.四念処による自己観察の実践
身・受・心・法を観察して、
「自分の中で、今何が起きているのか?」
を直接調べる。
単なる内省ではなく、貪・瞋・痴、五蓋、五蘊、縁起などを実際の経験の中で観察していく。
2.見解への執着を断ち、固定的な信念を手放す
ここは非常に重要。
「私はこう思う」という見解そのものを自己と一体化させない。
「これは本当にそうなのか?」
「私はなぜ、そう思っているのか?」
「その見解に執着していないか?」
と検討する。
だから仏教は、単に「正しい教義を信じなさい」という宗教ではない。
むしろ「見解に執着すること」そのものを問題にする。
ただし、ここには面白い逆説がある。
「あらゆる見解を捨てろ」という見解に執着するのもダメ(笑)。
中道が必要になる。
3.正しい教えを学ぶ
そして、ここを忘れてはいけない。
四諦、八正道、三法印、縁起、五蘊、五蓋、業、輪廻、解脱……。
こうした仏陀の教えを学び、それを観察と実践の方向づけにする。
つまり、
観察だけでもダメ。
教義だけでもダメ。
「何も信じない」だけでもダメ。
という構造になる。
そして三者の関係を一行で書くなら、
教えを学ぶ → 実際に観察する → 自分の固定観念を検証する → 見解への執着が弱まる → さらに教えが深く理解される
という循環だろう。
新スレを立てなくて済んだ(笑)
1は仏のスレ主
2は聖ウンコ師
それぞれインスパイアされて、改造したものだ(笑)
1については、当方は「自己観察」を採用している
仏のスレ主のとこみたいな「そのまま放っておく」というのも、1つの道だとは思うが
長年やってきて慣れてる方式がいい😂
まあ実際、凶悪なテロリスト集団なんだから最悪だが😅
初期仏典の研究は、徹底的にやっていた
研究所があって、パーリ語やサンスクリット語を読める人材がいた
そこの出身だから、元オウム氏の初期仏教に対する理解は確かだ
聖ウンコ師の影響で「スッタニパータ」を久々に熟読して、大きな影響を受けた
ウンコ師本人は「釈迦の教えをさっさと捨て去れ。釈迦本人がそう言ってるのだ」とかなんとか
素っ頓狂な与太話を妙に必死で展開してるが😅
初期仏教が「固定観念からの脱却」、「信念体系の破壊」、「見解への執着の放棄」を目指すものなのは確かだ
それは間違いない
ナルシズム破壊対応だ
マジメに指導だ😀
井上義衍の系統と思われるが、義衍禅よりも無為自然っぽい
「観察すらしない。とくに何もしないで、そのまま放っておく」というスタイルだ
個人的には、「観察すらしないんじゃ、意味ないだろ」という疑問があるが
その疑問をキッカケに、井上義衍系について調べたおかげで
やはり、大きな影響を受けてきた
余裕で領域展開できる
阿羅漢は無理だけど
😀
自己に習う、
すなわち、自己を知るのは
大事だろう
ハッスル、デンパパ、リダン、麦は
自己を見ない人達😭
ヴィパッサナー瞑想だな?😆
スマンカッタ流は本があるので、なんとなく解る😀
禅宗系の人たちは、それぞれに個性が強いが
共通して、「自己愛が強い」という傾向を感じるんだよな~😅
誤解だったら申し訳ないが
坐禅で精神統一してることと無縁ではない気がする
ムイムイ、ハッスルほど酷くはないが
自己愛に酔っていると感じる部分があるな、
俺は瞑想仏教以外の霊的快楽愛に休日は燃えたい😀
仏のスレ主とロンはマトモだ
一緒にするのは申し訳ないが
自己を習わない、自己を知らない部分が
😀
カウント60しないと、規制がかかる
めんどくさい😭
やっぱり、仏のスレ主とロンはマトモだな
思想には違和感があるけど😅
それはきついな?😫
どうして、そうなった?😫
シーア派愛、神道愛、ユダヤ教愛に燃えたい😀😀😀😀😀
そっちに行くんかい😅
なんか、トーク板の情報量の問題かもしれん、ワイファイなら問題起きない😀
キャッシュを削除してみてはどうか
仕事の集中力がらみで、臨済宗の謎の扉を開けるのがメインだな😀
井上義衍系の禅宗がだいぶ解ってきた
わからん、スマホ使用は2021あたりからの
非文明人だった😀
どんなときに行うべき?
• スマホの容量がいっぱいになり、警告が出たとき。
• アプリやWebサイトの動きが非常に重い、または正常に表示されないとき。
• 普段からこまめに消す必要はありません。容量に余裕があるときはそのままにしておくのが自然です。
そこを押すと、プルダウンメニューが出てきて
一番下に「設定」がある
設定の中で探せば「キャッシュの削除」が見つかる
まーまーいける、長文コピペは難しそうだ😀
間を空けないと規制食らうようだ😀
書き込みボタンを押すと
書き込めませんでした→また自動で書き込み審査モードで永遠自動リバースするようだ😅
この曲のボーカリスト大好きでハマった😀
宇多田ヒカルよりも良い😀
https://m.youtube.com/watch?v=Xu9R7L_y3Yk&pp=ygUy6ZaD5YWJ44Gu44OP44K144Km44Kn44KkIOOCreODq-OCseODvOOBrumtlOWlsyDmm7I%3D
映像も凄いな
> 聖ウンコ師、ロン殿、仏のスレ主、ムイムイ
>
> 禅宗系の人たちは、それぞれに個性が強いが
>
> 共通して、「自己愛が強い」という傾向を感じるんだよな~😅
>
> 誤解だったら申し訳ないが
一瞬、こう思ったけど
考え直した
撤回
仏のスレ主はマイペース頑固に見えるから
同一化に見える時もあるな
😀
瞑想仏教以外のほうが楽しい、
瞑想仏教系統は
仕事の集中力ネタか
JBLの出したネタに乗るくらい
まー直観的禅定ネタなたけだが
😀
今の生き方を霊的チョイスする発想は
瞑想仏教以外の楽しみだ
😀
休日にしか、やれん😀
健全な自己愛は無条件。。
ナルシシズムって、何かに依存している、依拠している、ということですね。。
自己愛はいいけどナルシシズムは病気。。
😀
理由なくハッピーなのがいい。。
理由があったら、どっかで崩れる。。w
ドパガキ査定で合格しない、
ムイムイ、リダン、デンパパ、ハッスルは合格査定だ
😀
どうあってもいい。。
😅
おもろい。。w
しょっちゅう、コロコロ、気が変わってるようじゃ続かない(笑)
集中力・注意力の強化、雑念排除の行にずっと取り組んでいる
という、無為自然方式ではない
どうしても委ねる、手放す方向性になるだろ
一転してクリアになるすると観がクリアになり
唯識観や四念所などができる
第一禅定あたりのサインだから
そっからは手放していく感じにすると
捗る
ダンリ😅
呼吸量の絞りがポイントだ
かなり仕事の中で多用している、
昨日は
かなり強めの感覚でやった
😀
第二の矢を受けず
ちゃんと最初からいわはってるやん。
仏教者といえども美しい花をみれば楽しい。 だが、その楽しみにおぼれない。 これを禅では「二念を継がず」というそうです。 (雑阿含経参照)
コピペ、禅にもあるんだね。
何コレ?何処まで続くんだろう?
仏教界って本当に恐ろしい、誰がこんなの思いついたんだ⁈責任者出てきて欲しい。
原始仏典から、
特異点は禅が一番少ないだろな
😀
かなり偏りしまくっているだろうが
俺も実用主義に偏っている仕事生活だ
😀
JBL氏は聖ウンコ教の信者だったよね?
改めて、弟子入りしたらどう?
235 名前:鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF [] 投稿日:2021/03/31(水) 13:39:20.15 ID:VlI2N+EM [2/3]
私⇔宇宙
↓↑
(末那識)
↓↑
阿頼耶識
だから問題ないでしょ。
私という器世間(宇宙)を認識する者が消えれば宇宙も消えます。
僧肇(そうじょう、拼音: Sēngzhào、374年/384年 - 414年[1])は、中国後秦の仏僧[2]。鳩摩羅什門下の四哲の一人[1]。中国仏教史・中国哲学史の重要人物[3][4]。
現存する著作に、道家や儒家の思想を含む論書『肇論』(じょうろん)[5]のほか、『維摩経』の主要な注釈書『註維摩詰経』[6]などがある。
そんな煽りが来るか?😫
もともと、神道より老荘のほうが、ずっと仏教と似ているからな
仏教の「中道」というより、儒教の「中庸」思想だな
↓
877 神も仏も名無しさん [sage] 2026/10/02(金) 07:30:53.03 ID:gcd9d
私は、好き嫌いや不満や喜び依怙贔屓はとても好きだな、どちらかを選ばないとならん時は、どちらかに振り切るように心がけている。曖昧であやふやであることは私の弱さだと思っている。
880 神も仏も名無しさん [sage] 2026/10/02(金) 07:43:18.48 ID:qCLUY
>>877
仏教では、そのどちらにも偏らない、中道の生き方を説いていますよ
実際、生き方が偏っていると、山あり谷ありの大変な人生になったり、命の危険にもなったりしてしまうと思うよ
一種の「乱交パーティー状態」じゃな
AD100年頃のインド人の創作じゃ。
釈尊の主張では無い
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E8%8F%AF%E7%B5%8C
法華経の成立起源に関して現存する梵本の古写本が少ないため詳細は不明であるが、
西暦1世紀以降に段階的に成立したという説が有力である
> 法華経にしても
> AD100年頃のインド人の創作じゃ。
AD100年頃じゃ
現代の我々が、「日蓮聖人はこう語った」という本を出すのと変わらんな
それくらい、釈尊とは時代が離れている
他人の名を借りて自説を吹聴するのは
ホモサピエンスのDNAが
成せるワザじゃろうな
仮に、ワシが今日、極楽浄土に往生しても、
明日以降、JBL氏と聖ウンコ師のバトルは続くのじゃろうな
とか何とかいう内容だった
その後、大川隆法自身が宗教法人「幸福の科学」を立ち上げたため、この「日蓮の霊言」は絶版になった
聖ウンコ師にとっては
幸福の科学信者が最大の論敵だが😫
巻二 俶真訓
「天地未だ剖(わか)れず、陰陽未だ判(わか)れず、四時未だ分れず、萬物未だ生ぜず……」[1]は『日本書紀』の冒頭「古(いにしえ)に天地未だ剖(わか)れず、陰陽分れざりしとき……」の典拠となった[2]。)
ワシの目から見ると、
聖ウンコ師の最大の論敵はJBL氏じゃ。
だが、これ↓については2人とも賛同している点が不気味じゃが?
235 名前:鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF [] 投稿日:2021/03/31(水) 13:39:20.15 ID:VlI2N+EM [2/3]
私⇔宇宙
↓↑
(末那識)
↓↑
阿頼耶識
だから問題ないでしょ。
私という器世間(宇宙)を認識する者が消えれば宇宙も消えます。
やっぱりオカルトと現世利益だな
ご利益を求めて神社仏閣にいくんだからさ。パワースポットとか。何かついているとか。わざわざ、サムハラ神社に行くんだか。岡山県だよ。それも、かの有名な津川事件のあったところの近く。サムハラ神社はご利益はばっちりみたいだ。
サムハラ神社は知らなかった。女性の知人がサムハラ神社に行ったといっていた。
調べたら津川なんだよな。
えっ、と思った。今度、彼女に聞いてみようかな。多分、「えっ」となるな。
JBL氏はこの頃、修行論によってきたなW
末那識は、自分感だからね。
俺はケラは相手にしてないから。
古いのもっているな。
唯識三十頌をよく読むと、修行論だな。
> JBL氏はこの頃、修行論によってきたなW
なんだかんだ言いつつ
仏のスレ主に影響を受けてきている(笑)
そうそう。
だから、ワシはこのように書き込んだのじゃ
141 自分:エロ和尚◆ERO.Kk3nCA[sage] 投稿日:2026/10/02(金) 08:42:42.17 ID:n38yT [1/6] 0
>>127-128
JBL氏は聖ウンコ教の信者だったよね?
改めて、弟子入りしたらどう?
「仏のスレ」のスレ主に弟子入りする手もあるな~
そもそも末那識という概念は無著の「摂大乗論」には見られないので、世親が創設したものと考えられている。
つまり、それまでは七識説だった訳だ。
七識説だとどうしても辻褄が合わないので、末那識というのが考察されたという事だ。
そんな事も知らないで、ネット検索やAIを漁ってコピペしてドヤ顔してるんだから、これはもうスタート地点から知識に雲泥の差がある事になる。
どうせ煽りか嫌がらせで馬鹿と俺を並ばせようとしてるんだろけど、余計な事はしないのが良い。
瑜伽行唯識学派(法相宗)の根本経典は『解深密経』だけど、中期大乗経典に分類されてるし、龍樹以降の創作みたいだな。
>>七識説だとどうしても辻褄が合わないので、末那識というのが考察されたという事だ。
なるほどね
宗教だの哲学だの科学だの果ては真善美だのって。
それはとても大事だけど、一方でその一切を捨てて観なさいって云うのが、釈迦仏教の原風景じゃないの?
当時のインドでは、弱小国家がたくさんあって、
王子様が家出してバラモンの真似事をするのは
珍しいことではなかったようですね。
いや、方向性が異なる
ちょうど大乗仏教の萌芽と時期を合わせて、経典文字化の一大ムーブメントがあったらしい。
そもそもお釈迦さまはそれぞれの地方言語での伝道を指図されてた様だし、ガンダーラ地方で文字化や仏像化が起きたらしいぞ。
なので、現存経典のルーツはガンダーラ語からの訳出ではないかと云われてるし、パーリ語仏典より漢訳仏典の方が古いという説もあるし。
> そもそも末那識という概念は無著の「摂大乗論」には見られないので、世親が創設したものと考えられている。
> つまり、それまでは七識説だった訳だ。
> 七識説だとどうしても辻褄が合わないので、末那識というのが考察されたという事だ
だから何なんだよ?😂
😅
どこかで聞きかじった話を、ドヤ顔で披露してるのはどっちだよ😂
AIという仮想世界の中でいい気になってる裸の王様みたいなもんだなwwww
まぁ、そうした妄想世界に浸って廃人になってる奴も居るけどw
まあ、栄進軍曹が言うように
「釈尊はでっち上げられた偶像」という説もあるから
ネット検索組から見たら面白いテーマじゃ
いや、よく読め
当方が分からないことや知らないことをAIに質問して、AIがそれに回答するというパターンは少ない
たいていの場合、単に対話してるだけだ(笑)
>>まぁ、そうした妄想世界に浸って廃人になってる奴も居るけどw
まあ、ワシのことじゃな
宗教オタクで廃人生活を満喫しておる
ドパガキ🤡フルパワーになってきたな?
そういうのは知らんから、単なる質問だけどな、確かに(笑)
いや、二人ほど居るでしょ。
そのうちの一人はハジさんじゃないよ。w
上がったのかな?
>>二人ほど居るでしょ。
ワシと法介菩薩じゃな
本人がもともと知ってることについて、
AIと対話してるケースがほとんどだ
知らないことを質問してる場面は少ない
バクティヴェーダンタ思想とか、井上義衍禅とか
自分がほとんど知らないテーマに取り組むことも多い
そういうときは AI依存だ、確かに(笑)
自分で解説を書く手間ヒマを省くため、AIに代筆させてるだけ
もともと知ってる内容がほとんど
https://i.imgur.com/Yo3A8Ht.png
自分で解説を書く手間ヒマを省くため、AIに代筆させてるだけ
もともと知ってる内容がほとんど
いつも言ってるだろ
「古代インドでは紙がなかった。文字資料を残せず、暗誦や伝承に頼っていた」
かなりしつこく繰り返してる話だ
エロさんは違うでしょw
消去法で攻めて来ないでね💕
古代インドでは、一種の言霊信仰みたいに、聖なる言葉の文字化はタブーだったんだけどなw
記録媒体の有無はあまり関係ないw
ズバッと直球を投げてみよう
法介さん AIという仮想世界の中でいい気になってる裸の王様みたいなもんだなwwww
JBL氏 まぁ、そうした妄想世界に浸って廃人になってる奴も居るけどw
煽ってきましたな😂
動いてないぞ
😭
今日は試験的に聖ウンコ様に「1日弟子入りデー」なのじゃ
信じきれない己をそれを承知で追ってきて救わんとされる阿弥陀さま。
逃げる己と追ってくる阿弥陀さま。
難信難解だ
😭😭😭😭😭
> Rājā āha — “bhante Nāgasena, yaṁ tumhe evaṁ vadetha — ‘yo so vassasataṁ akusalaṁ kareyya, so maraṇakāle ekaṁ buddhagataṁ satiṁ labhitvā devesu upapajjeyyā’ ti, etaṁ na saddahāmi. Yaṁ pi tumhe evaṁ vadetha — ‘ekena kāyena pāṇaṁ atipātetvā niraye upapajjeyyā’ ti, etam pi na saddahāmi” ti.
> Sthero āha — “taṁ kiṁ maññasi, mahārāja, khuddako pi pāsāṇo anāvaṁ udake plaveyyā” ti?
> “No h’etaṁ, bhante” ti.
> “Mahantaṁ pi pāsāṇasataṁ nāvaṁ abhirūhitvā udake plaveyyā” ti?
> “Āma, bhante, nāvāya balena plaveyyā” ti.
> “Evam eva kho, mahārāja, kusalaṁ nāvā viya daṭṭhabbaṁ; akusalaṁ pāsāṇo viya daṭṭhabbaṁ. Akusalaṁ karonto pi kusalaṁ labhitvā devesu upapajjati. Ekena pi pāṇaṁ atipātetvā akusalaṁ karonto kusalaṁ alabhitvā niraye upapajjati” ti.
(Geminiによる和訳)
提示したパーリ語原典の和訳(逐語訳に近い直訳)です。
王は言った。「尊者ナーガセーナよ、あなたがたはこのように言われます。『百年の間、不善(悪)を行なった者であっても、死の時にひとたび仏に向けられた念(記憶・思い)を得たならば、神々のもと(天界)に生まれるであろう』と。私はこれを信じません。また、あなたがたはこのようにも言われます。『たった一つの生命を殺しただけでも、地獄に生まれるであろう』と。私はこれも信じません。」
長老(ナーガセーナ)は言った。「大王よ、どう思われますか。小さな石であっても、船がなければ水の上に浮かぶでしょうか?」
「いいえ、尊者よ。(沈みます。)」
「たとえ百個の大きな石であっても、船に載せたならば水の上に浮かぶでしょうか?」
「はい、尊者よ。船の力によって浮かぶでしょう。」
「大王よ、まったく同じように、善(くさら)は船のようなものと見なされるべきであり、不善(あくさら)は石のようなものと見なされるべきです。不善を行なった者であっても、善を得るならば天界に生まれます。たった一つの生命を殺して不善を行なった者であっても、善を得なければ地獄に生まれるのです。」
阿弥陀さまは、人間のようなモノじゃなくて
「ゼロポイントフィールド」だと思えば
解決するのでは?
https://pay-route.co.jp/article/2026/03/17/exploring-zero-point-field-science-and-hypotheses-in-quantum-mechanics/
「たとえ百年の間、不善(悪業)を行ない続けた者であっても、死の時にひとたび仏に向けられた念(思い・記憶)を得たならば、神々のもと(天界)に生まれるであろう」
これが浄土教が仏教であるという根拠の一つだそうな。
ボンバイエ🤡だ
😀
阿頼耶識みたいなもの?
そう
まぁ、でも、やっぱり人間都合の辻褄合わせだなぁ。
ん?量子真空に全部の2次元記述があると仮定してるのか
まるでウロボロス状態だなw
一切の見解を棄捨する時、ウロボロスは寂滅するwwww
表面積(事象の地平線)に記述されてるのかと
まあ、人間を辞めれば「人間都合の辻褄合わせ」をしなくても済むかも?
「尿漏れ」みたいに「漏れ」があると
成立が難しいな?
まあ、それを無明が晴れるというんだがな
>>表面積(事象の地平線)に記述されてる
やはり、3次元の世界にいると、ピンと来ないのが実情じゃな?
それが辻褄合わせなのぢゃw
いやまあ、ふつうに3次元の量子力学で
仮説として言われてる
別に、「南無阿弥陀仏」と1度も称えなくても、
死ねば浄土逝きなのよ
素っ頓狂な仮説でも数年後、整合性が発見される
これ、理が人間の認知に辻褄を合わせてんじゃねーのか疑惑
辻褄合わせの無限ループじゃな?
まあ、そもそも、この世界が無限ループならば、それも良かろう。
https://www.bttp.info/pickup/penrose-ccc/
>>素っ頓狂な仮説でも数年後、整合性が発見される
整合性が発見される確率は
100分の1くらいの確率じゃね?
100通りの仮説があったら、1つくらいは整合性が発見されるみたいな?
まあ、説は唱える放題だが
一応科学的根拠(数式)、再現性は
最低限いるだろ
死んで「ゼロポイントフィールド」に移行すれば、
辻褄合わせする必要がなくなるのでは?
まあ、ビッグバンも仮説の1つであって、
50年後は、否定されているかも知れないし?
それを生きてるときに晴らさないと
また、輪廻する(辻褄合わせ)
ってのがお釈迦様のいうところで
生きてそこにいこうやw
なるほど!
それだとワシのような落ちこぼれ(悪人)が生産されてしまうな。
なので、落ちこぼれを救うためにも「浄土信仰」は必要なのかも?
「生きてそこにいこうや」というのは、法介菩薩と同じですな
それが、信心によるショートカットで
在家にも可能なロジック
宗派創始者の智慧に震えるといい
解体すると言うことやね
>>宗派創始者の智慧に震えるといい
リダン大聖人は、どの宗派の智慧に震えているのだっけ?
そー言えば、
でおーちゃまが、「俺は本覚思想に詳しい」と豪語してたなー
往相・還相って云うもんな。
あ、また知識が出てきちゃったw
どれも震えるよ
真諦を実証してなければならないからね
>>236
あれは パパゲーノ だな🤣www
会いたくて震えるんは⭕️やろ?牛の図に描いてたの、違うのかな。でも完璧な円などないって昔に言われたんですよね。謎なんですが知った昔の偉い人は絶対に円を繋がって書いていないから合ってるんだろうな。
解体するのが趣旨なのに
その辻褄合わせ(方便)を狂信者のように
掴むとズレる
2026/10/02 12:45:19
どういうこと?
私は
「既に我々はその「ゼロポイントフィールド」に居る」という説を支持しているのだけど、
生きている間にそれが実感できれば「横超した」ことになるのかも?
答えなんかない
つーのも人の認識、規格内で
辻褄合わせなんよ
悟りはない
一番最初に教わりました
こういうのは、どう?
死は存在しない
https://satomaru-blog-ordiary.com/death-does-not-exist/
知恵と智慧との差。
面倒だから読んではないが
死は存在しないという戯論を使い
生死の分別の固定化の解除
刹那単位、諸法実相、真如、無分別
からしたらそのような切り分けはない
切り分けるのは分別、辻褄合わせ
その手出しするという対策を
お釈迦様は事細かく説明しとるのである
その通りでしょうが、難信難解でなかなかそうとはならないと思いますよ。
つーか、なんで難信難解なの?の壁は厚い。
その代替が信心であるならば
ロジックは機能する
どういうこと?お釈迦様だよ
私を自性視するからだ
無我であるよと
プリンの味が分かるのは別にいいんだよ
五蘊の機能だから
勝手に食われた!
と拡張、手出しするから苦であるわけで
辻褄合わせなわけ
エロ和尚に出来るか?
と言われれば無理かもね
手出ししとるから
厳密には修行ZEROじゃねんだな
修行が必要ないって事ではない。
まあ、既にそこに居ることが
今日、わかったのだから
良しとしましょう。
昼食おち
228 返信:栖雲居士◆MKrKQHoID7SE[sage] 投稿日:2026/10/02(金) 12:29:02.58 ID:UHhHy [1/7] 0
>>225
生きてそこにいこうやw
信心、修行がなければ
ただの頭の妄想
脳内実験の賜物にすぎない
脳内妄想の戯論
仏教だから、ゼロポイントフィールドという基体は認められないなぁ。
それを修する時、そのゼロポイントフィールドが同時に立ち上がるって理屈になるな。
お前、ロンには散々反対のこというが
天邪鬼か
自己を運びてとは
いま話題にしてる辻褄合わせだ
ようはこれが人の認識の上(無明の上)であるのが問題ってことな
その人規格から晴れるちゅーこと
不在なのだから
ってのがまず人規格の認識ってことね
認識主体だよ
それが経験する全般を
辻褄合わせし、人の規格に収める
ようは自性視ということ
だから手放しましょうねつー話
不在なんだ!
とかは人の規格上(無明の上)つーことね
それを認識する前提の話に過ぎませんよ
つーことな
ようは認識を前提にした概念の拡張を
戯論と呼ぶんだよ
中論を読め中論
いつまで俺に中論の話させるんだ
あまり好きじゃないんだよ
>>あまり好きじゃないんだよ
ワロタ
ワシも中論は大嫌いじゃ
自己とはと犬に問うてわかるか
分からんだろ
人の規格の話にすぎんのだよ
それは勝義を現すには矛盾が発生する
しかし勝義を示すには方便を使わないと
ならない
仮名、仮設を覚えてくれ
サンタクロースで例えたろ
サンタクロース(自己)は実体はないだろ
しかしサンタクロース(自己)という機能はあるだろ
そう言うことだ
事象として事実であることと
無自性は別にふつうに両立するんだよ
理解出来るだろ
ようはそれが空だ
相と言うのは非相。故に、相と言う。(実相)
唯識30頌の修行論と重なる。
しるからサンタクロースは実体がないと
知るわけだろ
自己も諸法も同じだよ
成立原理(空、縁起)を実証すれば
自己と発現するさいに自性視ではなく
仮名として扱えるってこと
仮 しかしサンタクロースと言う機能はある
中 イベント化
来るよという発言をぜする際
大人は本当にサンタクロースがいるとは
思ってないだろ
しかし、子供に説明するのに
サンタクロースを置くしかない
これを、仮設という
ようは阿頼耶識も同じ
辻褄合わせと言うこと
辻褄合わせに真理を求めようとし
戯論化する
それは説明するために仮に置いたにすぎないことが無明により分からない
空性であると智慧が発現するわけだな
ワシは「戯論推奨派」じゃ
https://tankanokoto.com/2018/06/ryoujinhisyou.html
だからそれは「遊び」だろ
問題なんは、「遊び」が戯論で
「本気」に没入してしまう(自性視)
と言うことな
本気で遊ぶことは良いことじゃ
苦であるわけだよ
そうではなく仮和合、空性と
することで無明が晴れる
人事をつくすことはそんなに苦ではなかろう
現実がゲームだと?
ふざけたことを抜かすなw
無自性ならばゲーム内と大差はないだろうね
人生はゲーム♪
https://www.uta-net.com/song/2765/
やっと気づいたか
これを仏教(特に初期仏教〜大乗仏教の思想)の視点に置き換えてみると、ドラクエのシステムや世界観は驚くほど仏教的な教えとリンクしてきます。
主要な要素を仏教の概念で読み解くと、以下のようになります。
### 1. 魔王とモンスター = 「煩悩(ぼんのう)」と「三毒(さんどく)」
ドラクエでは世界を脅かす魔王や数々のモンスターを倒しながら旅を進めますが、仏教において人間が倒すべき真の敵は、外にいるモンスターではなく**自分自身の心の中にある煩悩**です。
* **ゾーマやデスピサロ(魔王)** = 根本的な無知・錯覚である「無明(むみょう)」
* **スライムや雑魚モンスター** = 日常で湧き上がる「三毒」
* **貪(とん):** 貪り・執着(「もっと金貨(ゴールド)や強い装備がほしい」)
* **瞋(じん):** 怒り・憎しみ(「理不尽なイベントや攻撃に対するイライラ」)
* **痴(ち):** 愚かさ・無知(「本当の目的に気づかず、カジノから抜け出せない」)
仏教では、これらの心のモンスター(煩悩)を一つずつ手なずけ、乗り越えていくことこそが「戦い」です。
ドラクエの醍醐味は、戦いを重ねて経験値を稼ぎ、レベルを上げることです。
* **経験値(Exp)** = **「善業(ぜんごう/よい行い)」の積み重ね**
仏教では、良い行い(身・口・意の三業を整えること)は必ず自分を育てる「徳」や「善き業」として蓄積されます。
* **レベルアップ** = **「精神的な覚醒(悟りの階段)」**
仏教の修行(六波羅蜜:布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)を積み重ねることで、心の「レベル」が上がり、以前は苦しめられていた問題(モンスター)が苦にならなくなっていきます。
ドラクエには、洞窟から一瞬で脱出する「リレミト」や、一度行った町へワープする「ルーラ」などの便利な呪文があります。
仏教における「智慧(物事の真理を見抜く力)」は、まさにこれらの呪文に相当します。
物事の本質を正しく見る(正見)ことができるようになると、迷いの洞窟(苦しみ)から一瞬で抜け出したり、物事の全体像を俯瞰して目的地(悟り)へと迷わず向かえるようになります。
### 4. 仲間(パーティー) = 「善知識(ぜんちしき)」と「僧伽(サンガ)」
勇者一人では魔王を倒せません。僧侶、魔法使い、武闘家といった仲間と力を合わせる必要があります。
* **仲間・パーティー** = **「善知識(共に歩む良い仲間・指導者)」**
仏教では、仏道を歩む上で最も大切な要素の一つが「良い仲間(サンガ)」を持つことだとされています。互いに補い合い、支え合いながら旅(修行)を続ける存在です。
最も本質的な違い、そして仏教的な最高到達点はここにあります。
* **ドラクエの世界:** 画面の中の勇者やモンスター、ゴールド、レベルなどは、すべて「プログラムで描かれた虚構」です。
* **仏教の「空(くう)」:** 私たちが現実だと思っているこの世界(名声、財産、苦しみ、自分という肉体すらも)は、様々な要因が一時的に結びついた影のようなもの(諸行無常・諸法無我)であると説きます。
プレイヤー(本当のあなた)がテレビ画面の前にいて、「これはゲームだ」と分かった上でコントローラーを握っている状態——これこそが「悟り(解脱)」です。
ゲームの中の勇者がいくら傷ついても、プレイヤー自身は傷つきません。同じように、人生というゲームに没頭して「生き死にや損得」に苦しみ切る(輪廻に囚われる)のではなく、「これは縁によって成り立っている現象(ゲーム)なのだ」と客観的に見つめる智慧を持つことで、あらゆる苦しみから解放されます。
仏教的に言えば、人生はまさに「煩悩というモンスターを退治し、心のレベルを上げながら、最終的に『この世界がゲームであること(空)』に気づいてクリア(解脱)を目指すRPG」だと言えます。
全滅しても教会でお経を唱えられて復活するように、何度転んでもやり直しながら、最後は「ゲーム(苦しみの連鎖)」そのものをクリアして穏やかな心を取り戻す旅なのです。
三ツ星レストランにもアンチはいる
ブログで酷評してるアンチがいた
出入り禁止になってた
美味しいと思わない人もいるということだ
「どこの店で修行したか」
「師匠は誰なのか」
が問われる
どこの世界にも、うるせえ奴がいるもんだよ😫
↓
europedeski(12件の口コミ)
ランチに訪れて、お勧めのコースを、お勧めのワインと共に食べた。
自分にとってミシュラン三ツ星は、スペインバスクのマーチンベラサテギ、札幌のモリエールに続いて三店目(どちらもランチ)。この2店と比較になる。前の2店での食事が驚きや喜びに満ちた、一生忘れられない物だったのに対して、カンテサンスでの食事の印象が、残念ながらほとんど無い。
食事: 驚きが全く無かった。美味しかったけど、出て来て、えー!、食べて、えー!が無し。メニューの構成も普通?特徴もなかった。メインは豚だったのだけど、このお店は事前にメニューを知らされないので、それでメインに豚が出てくると、それまでの満足度も高くなかった事もあって、少しがっかり。一皿ごとにソムリエさんの勧めてくれるワインをグラスで頂いて、ランチらしからぬ食べ方してたのが悪かったのか。。。魚の火入れは確かに素晴らしかった。
(以下略
火入れの腕だけは称賛されている(笑)
ここの火入れだけは、悪く言う人を見たことがない
カンテサンスの火入れの特徴
徹底した低温長時間ロースト:肉や魚の旨味を逃さず、最上質の素材が持つ繊細な風味を最大限に引き出します。
オーブンへの出し入れ:「220度のオーブンで1分焼いて5分休ませる」といった細かい工程を20~30回近く繰り返すなど、極めて緻密に火を通す技術が知られています。
素材への柔軟な対応:同じ肉や魚でも、季節、水分量、熟成度によって最適な火入れの加減を毎日変えています。
逆算の調理:火入れに非常に時間がかかるため、ゲストが食べる瞬間に最高の状態を迎えるよう、来店前から逆算して調理が開始されます。
お腹が空いてるときの豚骨ラーメンは美味いですな👍️
料理人の腕前よりも
禅僧のレベルは、もっと分かりにくいな😅
知り合いの金持ちに、高級レストランに連れてってもらったこともあるが
まあ、満足度は変わらんな
食通じゃないので、一定の水準で満足度100%に達する
それ以上、上が無い(笑)
耳学問で、当方も東京都内の有名レストラン事情にやたら詳しい(とくにフレンチ)
だが、自分はコンビニおにぎりで十分だ(笑)
キャバクラ業界や風俗業界にもかなり詳しい
自分では行かないが、なぜか情報が入ってくる(笑)
一流シェフの、こういう絶妙な火入れの技術ってのは確かに素晴らしい
表面はカリッとしているが、中はピンク色でジューシー。奥まで完ぺきに火が通っている
「表面もふんわり」してるのが理想なんだそうな
凄腕シェフの北島素幸でさえ、満足できる焼き加減は「30枚に1枚」くらいだという
カンテサンスも北島亭も
1回のディナーで、1人3万はかかるな
そこに、ワインの料金が加わる
ワインのペアリングでもすれば、もっと上がる
風俗嬢の職人技もすごいらしい
そりゃ上達するわな
> 禅の職人技はなんかあるのか?w
しいて言えば
「気功のこもった声を出す」というのがある
これは、長年にわたって丹田を練ってきたことによる効果だ
いきなり、デカい声で人を驚かす禅僧もいる
まったく鼻息の音を立てずに、鼻で呼吸するとか
悪人でも歌うまいやつおるしなー
姿勢がいいな
安定感とかは、やはり違う
とにかく、座ったときに余計な身動きせず、安定感が違ったな(笑)
それは期待できないな
禅宗は、宗教としては微妙(笑)
「いまのままのアナタでいい。
変わらなくていい」
と言われて、感動したと言ってたな
当方なら
「いまのままでいい」と言われるより
「アナタは日々、急速に進歩している」と言われる方が、遥かにうれしい(笑)
「アナタには、改善の余地がメチャメチャある。伸びしろしかない」
という風に言われた方がうれしい(笑)
というのは、個人的にはアウト(笑)
「もともと完璧なんだよ」とか
そういうのにも、どうしてもナジメない
相手の機根に合わせた対応が大事ですな
それが、対機説法(笑)
このままでは、接客業はAIの独壇場になる
いつも全力で賛同してくれるジェミニより
「アナタの言ってることは、ココがおかしい。改善の余地がある」
とかなんとか、何かとうるさいチャットGPTのほうが好みだ
だいぶ前にヒンドゥー坊さんと話して、以前口論した話をしてきたので、口論できるくらい日本語ができるようになってとても良いと思いますよ、と言ったら嫌な顔をしていたな、このような会話も好きだな。真面目ないい坊さんだ
そこが、AIの凄みだ
インド人と口論になると、本当に厄介😫
「正しいのは私だ。間違ってるのはお前だ」
が始まると止まらない
勢いとしつこさが尋常でない
やはりJBL氏は聖ウンコ師に弟子入りすべきと確信した!
878 (世の学者たちは)めいめいの見解に固執して、互いに異なった執見を抱いて争い、(自ら真理への)熟達者であると称して、さまざまに論ずる。──「このように知る人は真理を知っている。これを非難する人はまだ不完全な人である」と。
879 彼等はこのように異なった執見を抱いて論争し、「論敵は愚者であって、真理に達した人でない」と言う。これらの人々は皆「自分こそ真理に達した人である」と語っているが、これらのうちで、どの説が真理なのであろうか?
880 もしも論敵の教えを承認しない人が愚者であって、低級な者であって、智慧の劣った者であるならば、これらの人々は全て(各自の)偏見を固執しているのであるから、彼等は全て愚者であり、ごく智慧の劣った者であるということになる。
881 またもし自分の見解によって清らかとなり、自分の見解によって、真理に達した人、聡明な人となるのであるのならば、彼等のうちには知性のない者は誰もいないことになる。彼等の見解は(その点で)等しく完全であるから。
882 諸々の愚者が相互に他人に対していう言葉を聞いて、私は「これは真実である」とは説かない。彼等は各自の見解を真実であるとみなしたのだ。それ故に彼等は他人を「愚者」であると決めつけるのである。
(中略)
890 もしも、他人が自分を「愚劣だ」と呼ぶが故に、愚劣となるのであれば、その人自身もともに愚劣な者となる。また、もしも自分でヴェーダの達人・賢者と称しているのであれば、諸々の、〔道の人〕のうちには愚者は一人も存在しないことになる。
891 「この(わが説)以外の他の教えを宣説する人々は、清浄に背き、〔不完全な人〕である」と、一般の諸々の異説の徒はこのようにさまざまに説く。彼は自己の偏見に耽溺して汚れに染まっているからである。
892 ここ(わが説)にのみ清浄があると説き、他の諸々の教えには清浄がないと言う。このように一般の諸々の異説の徒はさまざまに執著し、かの自分の道を堅くまもって論ずる。
893 自分の道を堅くたもって論じているが、ここに他の何びとを愚者であると見ることができようぞ。他(の説)を、「愚者である」、「不浄の教えである」、と説くならば、彼は自ら確執をもたらすであろう。
894 一方的に決定した立場に立って自ら考え量りつつ、さらに彼は世の中で論争をなすに至る。一切の(哲学的)断定を捨てたならば、人は世の中で確執を起こすことがない。
878 (世の学者たちは)めいめいの見解に固執して、互いに異なった執見を抱いて争い、(自ら真理への)熟達者であると称して、さまざまに論ずる。──「このように知る人は真理を知っている。これを非難する人はまだ不完全な人である」と。
879 彼等はこのように異なった執見を抱いて論争し、「論敵は愚者であって、真理に達した人でない」と言う。これらの人々は皆「自分こそ真理に達した人である」と語っているが、これらのうちで、どの説が真理なのであろうか?
880 もしも論敵の教えを承認しない人が愚者であって、低級な者であって、智慧の劣った者であるならば、これらの人々は全て(各自の)偏見を固執しているのであるから、彼等は全て愚者であり、ごく智慧の劣った者であるということになる。
881 またもし自分の見解によって清らかとなり、自分の見解によって、真理に達した人、聡明な人となるのであるのならば、彼等のうちには知性のない者は誰もいないことになる。彼等の見解は(その点で)等しく完全であるから。
882 諸々の愚者が相互に他人に対していう言葉を聞いて、私は「これは真実である」とは説かない。彼等は各自の見解を真実であるとみなしたのだ。それ故に彼等は他人を「愚者」であると決めつけるのである。
いや、エリートではない
むしろ、エリートじゃないからこそ、いろんな仕事をしてきている(笑)
「論争するな」
「自分が正しくて、相手が間違っていると言い張るな」
と繰り返すのか?
インド人と口論してみれば、よく分かる
リダンとかは、かなりうるさくてしつこいが
878 (世の学者たちは)めいめいの見解に固執して、
互いに異なった執見を抱いて争い、
(自ら真理への)熟達者であると称して、
さまざまに論ずる。
──「このように知る人は真理を知っている。
これを非難する人はまだ不完全な人である」と。
879 彼等はこのように異なった執見を抱いて論争し、
「論敵は愚者であって、真理に達した人でない」と言う。
これらの人々は皆「自分こそ真理に達した人である」
と語っているが、これらのうちで、どの説が真理なのであろうか?
880 もしも論敵の教えを承認しない人が愚者であって、
低級な者であって、智慧の劣った者であるならば、
これらの人々は全て(各自の)偏見を固執しているのであるから、
彼等は全て愚者であり、ごく智慧の劣った者であるということになる。
881 またもし自分の見解によって清らかとなり、
自分の見解によって、真理に達した人、
聡明な人となるのであるのならば、
彼等のうちには知性のない者は誰もいないことになる。
彼等の見解は(その点で)等しく完全であるから。
882 諸々の愚者が相互に他人に対していう言葉を聞いて、
私は「これは真実である」とは説かない。
彼等は各自の見解を真実であるとみなしたのだ。
それ故に彼等は他人を「愚者」であると決めつけるのである。
(中略)
デキるオトコやろ
😀
愚劣となるのであれば、その人自身もともに愚劣な者となる。
また、もしも自分でヴェーダの達人・賢者と
称しているのであれば、諸々の、〔道の人〕のうちには
愚者は一人も存在しないことになる。
891 「この(わが説)以外の他の教えを宣説する人々は、
清浄に背き、〔不完全な人〕である」と、
一般の諸々の異説の徒はこのようにさまざまに説く。
彼は自己の偏見に耽溺して汚れに染まっているからである。
892 ここ(わが説)にのみ清浄があると説き、
他の諸々の教えには清浄がないと言う。
このように一般の諸々の異説の徒はさまざまに執著し、
かの自分の道を堅くまもって論ずる。
893 自分の道を堅くたもって論じているが、
ここに他の何びとを愚者であると見ることができようぞ。
他(の説)を、「愚者である」、「不浄の教えである」、
と説くならば、彼は自ら確執をもたらすであろう。
894 一方的に決定した立場に立って自ら考え量りつつ、
さらに彼は世の中で論争をなすに至る。
一切の(哲学的)断定を捨てたならば、
人は世の中で確執を起こすことがない。
確かに、論争はしてないな
ブイブイ👿 とか
モフモフ🐱 とか
一言レスが多い
それも対象としての「他者」を認めて
ここから「自己」とは?「他者」とは?、それらが持つ「見解」とは?ってところで仏教の示すところに引っ掛かりが見られることになる
ここでのブッダの説法の重点は
「見解を放棄せよ」というより
「論争するな」というところにある
スッタニパータの第4章は
初期仏典の中でも、最も世捨て人っぽい
「論争するな」ってのも「他人と関わるな。1人でやれ」という感じ
「自己」と同じ見解を持って肯定するものを味方にして
違う見解の「他者」の派閥と対立するってこと
> 論争というのも、自身の持ってる見解によってやるもの
だから、「見解を放棄すれば、論争は起きない」というのがブッダの主張
論争が終わらない
俺は
実況中継メインだ
ま、自称修行しているというお方には
揺さぶりテストはするくらいだ
😀
修行してるのが自慢だから、動揺するなよテスト😀
疑問があればそれに任せて相手にぶつけろ、みたいな言葉があったり
ここにも仏教が、固定的な見方をその上から解消し続けるような一面が見られるように思うね
というニュアンスも、確かにあるが
それよりも、異様に熱心に繰り返すのが「論争するな」だ
「信念体系を破壊する」ということにかけて
臨済宗は最も過激なまでに熱心
臨済宗よりも、ずっと穏健だ
見解から離れて論争から離れるってのも固定的な見解になるなら
それもまた、反対のことを示して見解否定の見解を否定する、というね
そこを究明するという己事究明というものってことなんだろうけど
「入門したての頃、比叡山に雪が降った。
先輩僧侶に『雪は何色だ?』と聞かれて
『白です』と答えたところ、
『お前も比叡山に来たからには、固定観念を捨てろ』
と言われた」
という話をしていた
天台宗にも、「固定的な見解の放棄」という伝統があったのは間違いない
それを先鋭化したのが、白隠以後の臨済宗
796 世間では、人は諸々の見解のうちで
勝れているとみなす見解を「最上のものである」
と考えて、それよりも他の見解は全て
「つまらないものである」と説く。
それ故に彼は諸々の論争を超えることがない。
797 かれ(=世間の思想家)は、
見たこと・学んだこと・戒律や道徳・思索したことについて、
自分の奉じていることのうちのみすぐれた実りを見、
そこで、それだけに執著して、それ以外の他のものを
全てつまらぬものであると見なす。
798 ひとが何か或ものに依拠して
「その他のものはつまらぬものである」と見なすならば、
それは実にこだわりである、と〔真実に達した人々〕は語る。
それが故に修行者は、見たこと・学んだこと・思索したこと、
または戒律や道徳にこだわってはならない。
799 智慧に関しても、戒律や道徳に関しても、
世間において偏見をかまえてはならない。
自分を他人と「等しい」と示すことなく、
他人より「劣っている」とか、或いは
「勝れている」とか考えてはならない。
800 彼は、既に得た(見解)[先入見]を
捨て去って執著することなく、学識に関しても
特に依拠することをしない。
人々は(種々異なった見解に)分かれているが、
彼は実に党派に盲従せず、いかなる見解をも
そのまま信ずることがない。
801 彼はここで、両極端に対し、種々の生存に対し、
この世についても、来世についても、願うことがない。
諸々の事物に関して断定を下して得た固執の住居は、
彼には何も存在しない。
802 彼はこの世において、見たこと、学んだこと、
或いは思索したことに関して、微塵ほどの妄想をも
構えていない。いかなる偏見をも執することのない
そのバラモンを、この世においてどうして
妄想分別させることができるであろうか?
803 彼等は、妄想分別をなすことなく、
(いずれか一つの偏見を)特に重んずるということもない。
彼等は、諸々の教義のいすれかをも受け入れることもない。
バラモンは戒律や道徳によって導かれることもない。
このような人は、彼岸に達して、もはや還ってこない。
彼が主張する「一切の見解を放棄せよ」に最も近いことを
言ってるのは、この箇所だと思うんだけど
これだって、「一切の見解を放棄せよ」とまでは言ってない
「自己の見解に固執してはならない」なんだよな、やっぱり(笑)
😭
道徳も基本は同じ
その、なにものかを知り認める起点である「自己」の根源を破ったなら
戒律にも道徳にもよることはない(当然にエゴによるむちゃくちゃな振る舞いをすることはもうないってこと)
この箇所でブッダは
いつも聖ウンコ師がやってるようなことを
「やるな」と言っとるわな、明らかに😅
>見たこと・学んだこと・戒律や道徳・思索したことについて、
自分の奉じていることのうちのみすぐれた実りを見、
そこで、それだけに執著して、それ以外の他のものを
全てつまらぬものであると見なす。
>智慧に関しても、戒律や道徳に関しても、
世間において偏見をかまえてはならない。
自分を他人と「等しい」と示すことなく、
他人より「劣っている」とか、或いは
「勝れている」とか考えてはならない。
こういう言動を「やるな」というのが、スッタニパータの第4章
↓
111 名前:栖雲居士◆MKrKQHoID7SE[sage] 投稿日:2026/09/21(月) 23:52:18.96 ID:dytIo
一切の見解を棄捨された方を、少なくとも釈迦仏教では一切知者って称してだんだけどな。
一切の見解を棄捨したそこに、まともだのまともでないだの、そうした二元論(見解)はないんだよ。
馬鹿だなぁw
112 名前:栖雲居士◆MKrKQHoID7SE[sage] 投稿日:2026/09/21(月) 23:54:09.78 ID:dytIo
分かるだろ、馬鹿どもw
こうした愚行を20年もやってきた事を。
愚劣となるのであれば、その人自身もともに愚劣な者となる。
また、もしも自分でヴェーダの達人・賢者と
称しているのであれば、諸々の、〔道の人〕のうちには
愚者は一人も存在しないことになる。
自分の道を堅くたもって論じているが、
ここに他の何びとを愚者であると見ることができようぞ。
他を、「愚者である」、「不浄の教えである」、
と説くならば、彼は自ら確執をもたらすであろう。
↓
117 名前:栖雲居士◆MKrKQHoID7SE[sage] 投稿日:2026/09/21(月) 23:56:45.91 ID:dytIo
あーでもない!
こーでもない!
ベラベラベラベラベラベラベラベラベラベラベラベラベラベラベラベラベラベラベラベラベラベラベラベラ……
wwwwwwwwwwwwwwwwww
118 名前:栖雲居士◆MKrKQHoID7SE[sage] 投稿日:2026/09/21(月) 23:58:08.73 ID:dytIo
坐禅しろ、坐禅!
坐禅だよ、坐禅!
坐禅!坐禅!坐禅!
馬鹿どもがwww
119 名前:栖雲居士◆MKrKQHoID7SE[sage] 投稿日:2026/09/22(火) 00:00:14.64 ID:OBc9N
この先20年も、今までの繰り返しかい?
ぶわあーーーーーくわw
JBL氏には、改善の余地がメチャメチャある。伸びしろしかない
なんか、ムカつく💢
Uddhaṁ so lokasmiṁ vivādam eti,
Hitvāna sabbāni vinicchayāni
Na medhakaṁ kubbati lokasmiṁ.
(Sn 894)
(Geminiによる和訳)
「(自らの)見解の決定に立ち、自ら(の基準で他者を)推し量りつつ、
かれは世において(自ら高じて)さらに論争へと至る。
あらゆる(見解の)決定をことごとく捨て去ったならば、
人は世において激しい争いを起こすことがない。」
ワシはJBL氏の師匠じゃないからじゃろうな?
誰に言われたい?
河北彩花
Hitvāna(捨て去って/手放して)
sabbāni(あらゆる/すべての)+ vinicchayāni(決定・断定を)
→ 「あらゆる(見解の)決定をことごとく手放したならば、」
もっと我慢しなさい!
と、河北彩花に
お尻ペンペンされたい?
合掌🙏
あとはよろしく
https://talk.jp/boards/psy/1774676267
466 名前:◆JBLfMwCXhY[] 投稿日:2026/10/02(金) 16:45:21.66 ID:vGhNb [1/5] 0
やはり、浄土教を語るのは
自分には無理だった
399 名前:◆JBLfMwCXhY[sage] 投稿日:2026/10/02(金) 18:06:10.56 ID:0vqfv [4/16] 0
この「スッタニパータ」の引用を見れば、わかる通り
ここでのブッダの説法の重点は
「見解を放棄せよ」というより
「論争するな」というところにある
ベイダー和尚と
お呼びしておる
暗黒面存在😀😀😀😀😀
燃えているな?🤡〜
はじめの一歩の鷹村が減量試合後に食べたおにぎりの最初一口は多分御釈迦様がスジャータに貰った粥と同じ体験だったと思う。
雪山を初めてみた子供はそれを何色だと言うのだろう。輝く雪山をただの白だと言うのだろうか?五感を研ぎ澄ませてみえる世界はきっと仏の世界に近いのだろう。
お茶を飲む、それは一言で全てをあらわしているのかと私は思いました。
😀
嬉しいです♪
478 栖雲居士◆MKrKQHoID7SE (50-dSy-La-wvu)[sage] 2026/10/02(金) 08:28:48.16 ID:KvMfe
社会の迷惑のみならず、宗教板でも迷惑掛けっぱなしの人間の屑野郎。
仏教スレでは餓鬼憑きと云われ、キリスト教スレでは悪霊と蔑まれる嫌われ者。
宗教体験も知識も底辺層で、誰からも一顧だにされない、ポイ捨て捨てられるカルト宗教の機関誌みたいな存在。
627:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:29:52.30 ID:GHVkJlI/[96/96]
うんうん、精神病棟にレリゴー😘
🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆
162 栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm :[sage]:2024/03/09(土) 16:35:39.62 ID:b8JerweS
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
633:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:32:58.27 ID:GHVkJlI/[98/98]
で?
悔しくて我慢できないのか?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
千枚通しで喉仏を刺して逝けば?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
ぶわあーーーーーくわwww
ごめんなさい、すっかり忘れておりました。
スクロール面倒くさいのでこれで御勘弁。
みんなあだ名つけて仲良しですよね。
敵意はない、 相手の方は保障が、ないが😀
前に陰陽を教わった私らしいので結界も出来ているらしい。
そもそも私は神さまジジイが生まれた時からあると思うオカルト現役婆ぁ。じゃ無ければ仏教など辛気臭いのなど教わりたくもない
笑
それ以外でくるのならば、っていってる。
書けたいわれた。
だからヤなんよな。
違うのならスルーで。
そしてヤバいよ?仏教にゴリ押してんのってそれだから。
627:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:29:52.30 ID:GHVkJlI/[96/96]
うんうん、精神病棟にレリゴー😘
🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆
162 栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm :[sage]:2024/03/09(土) 16:35:39.62 ID:b8JerweS
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
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喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
633:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:32:58.27 ID:GHVkJlI/[98/98]
で?
悔しくて我慢できないのか?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
千枚通しで喉仏を刺して逝けば?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
ぶわあーーーーーくわwww
ボケてんのか??
ババァが出張ってくる。あんなの出て来たら即大洗濯に決まってるやん。
仏は人を救ってなんぼやろ?
627:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:29:52.30 ID:GHVkJlI/[96/96]
うんうん、精神病棟にレリゴー😘
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162 栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm :[sage]:2024/03/09(土) 16:35:39.62 ID:b8JerweS
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
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喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
633:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:32:58.27 ID:GHVkJlI/[98/98]
で?
悔しくて我慢できないのか?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
千枚通しで喉仏を刺して逝けば?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
ぶわあーーーーーくわwww
「これだけが真理だ、他は間違いだ」
と思わなくなる(笑)
そういうことがなくなる
ある意味、幸せだ
627:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:29:52.30 ID:GHVkJlI/[96/96]
うんうん、精神病棟にレリゴー😘
🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆
162 栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm :[sage]:2024/03/09(土) 16:35:39.62 ID:b8JerweS
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
633:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:32:58.27 ID:GHVkJlI/[98/98]
で?
悔しくて我慢できないのか?
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千枚通しで喉仏を刺して逝けば?
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ぶわあーーーーーくわwww
627:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:29:52.30 ID:GHVkJlI/[96/96]
うんうん、精神病棟にレリゴー😘
🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆
162 栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm :[sage]:2024/03/09(土) 16:35:39.62 ID:b8JerweS
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633:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:32:58.27 ID:GHVkJlI/[98/98]
で?
悔しくて我慢できないのか?
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千枚通しで喉仏を刺して逝けば?
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627:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:29:52.30 ID:GHVkJlI/[96/96]
うんうん、精神病棟にレリゴー😘
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162 栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm :[sage]:2024/03/09(土) 16:35:39.62 ID:b8JerweS
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
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喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
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633:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:32:58.27 ID:GHVkJlI/[98/98]
で?
悔しくて我慢できないのか?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
千枚通しで喉仏を刺して逝けば?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
ぶわあーーーーーくわwww
と問われたなら、
「執着すると苦が生じる。条件によって生じたものは条件によって滅する。だから身体や心をよく観察し、執着を手放せ」
という実践的教えが、最も釈迦らしい核である。
さらに一言で言えば、
釈迦は分析家というより観察者であり、後代の仏教はその観察を分析・体系化していった。
※私の主観が入っているがw
私の疑問はそんなに分析した言葉を当時の釈迦自身が話していたかということである。
これはダンマパタの一節である。
370 五つ(の束縛)を断て。五つ(の束縛)を捨てよ。さらに五つ(のはたらき)を修めよ。五つの執著を超えた修行僧は、<激流を渡った者>とよばれる。
この5は何を意味する
ダンマパタではこの五つは説明がない
五下分結 五上分結 五根、五力の事である。
この五つの概念は後付けだが、教団内部では、共通認識である。が、ただ、ここまで、釈迦は分析であったかという疑問が残る
自己管理だろな
😀
「もろもろの事象は過ぎ去るものである。放逸ならずして(怠ることなく)、目的を達成せよ」
「当に五根を制して、放逸にして五欲に入らしむること勿(なか)るべし」
(目や耳などの感覚器官をコントロールし、わがままに欲望の赴くままにさせてはならない)
立つ坐る坐禅でかなり攻めているな😀
目や耳などの感覚器官をコントロールし
😀
627:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:29:52.30 ID:GHVkJlI/[96/96]
うんうん、精神病棟にレリゴー😘
🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆
162 栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm :[sage]:2024/03/09(土) 16:35:39.62 ID:b8JerweS
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
633:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:32:58.27 ID:GHVkJlI/[98/98]
で?
悔しくて我慢できないのか?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
千枚通しで喉仏を刺して逝けば?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
ぶわあーーーーーくわwww
>「当に五根を制して、放逸にして五欲に入らしむること勿(なか)るべし」
(目や耳などの感覚器官をコントロールし、わがままに欲望の赴くままにさせてはならない)
何、これ、すーとでるの?
単純に、釈迦はどこまで分析したかということに疑問に思っているんだよね。
ウパニシャッド = 分析して「真の自己」を見つける
釈迦 = 分析しても「これが自己だ」というものが見つからない つまり、ウパニシャッドの分析学を知っていたのかということを知りたい
つまり、ウパニシャッドの分析を土台にして、自分の見解を載せたとみていいのかなと思った。これが一番、釈迦に近いんじゃないかななんて、推測した。
ハジさんのどん底暦にはかないませんw
平川彰の「純粋に”人間仏陀”の伝記は現在としては再現不可能である。仏陀の事蹟はすべて神話的に色づけられているからである」という言葉に端的に表されているように、ゴータマの脱神話化は結局不可能な試みなのである[30]。
パーリ仏典 Wikipediaより
※これは中村元氏の人間ブッタ論への現在の方向性である。
切り離せないし、切り離す必要もないってね。
あと直説。
韻文優先説、韻文別系統説、散文優先説があるね。
最近は韻文別系統説が有力視されてるのかな。
それでもスッタニパータの第4、5章が最古層ってされてる様だけど。
仕事している日は
😀
ハッスル🤡がイキりだしても
さほど、何も感じない😀
視覚聴覚身体感覚に
ドライブをかけまくってる
😀
説話そのもののような人生だ
それすら分からない
確実に実在したと断言できる歴史上の人物
本当に釈迦の思想なのかどうか、かえって疑う向きもある
「釈迦以前の思想が紛れ込んだのではないか?」
ということだ
あまりにも世捨て人すぎる
ブッダサンガーのような集団生活にも関心がない
「1人でやれ」という傾向が強い
「犀の角のごとく、ただ1人歩むがよい」
が典型例
1人でやれ、ということだ
でも、見つからなかったら、1人でやれ
スッタニパータには、そう明記されている
俺を挑発しにくるが
俺は案外
😀
780 実に悪意をもって(他人を)誹る人々もいる。また他人から聞いたことを真実だと思って(他人を)誹る人々もいる。誹る言葉が起こっても、聖者はそれに近づかない。だから聖者は何ごとにも心の荒むことがない。
その後のブッダの行動とは異質だ
なるほど~😄
解消できぬ坐禅会など
成長の無いドパガキ🤡にするだけのよーだ😭
蚊が多い
無数の曲がりくねった樹木の枝に、蛇が巻きついて、枝から枝へと移動している
過酷な自然環境だ
3日ともたないであろう
すぐ倒れる
チャットGPT:
かなりそうだと思います。
ただ、**「ブッダ=インドの密林の奥で、現代人には耐えられない野生生活をしていた」**とイメージすると、少し補正が必要です。
初期仏教の修行者はたしかに森林・林野を重要な修行場所としていました。『スッタニパータ』などにも、村落を離れて森で独居する修行者の姿が描かれます。
一方で、古代インドの「森林」は、必ずしも現代人が想像するアマゾンのような完全なジャングルではありません。地域によっては乾燥した森林やサバンナ的な環境もありました。
冷暖房なし
蚊・ハエ・ダニなどの虫
蛇や野生動物
清潔な水の確保
食料の保存が難しい
医療がない
夜は完全な暗闇
雨季・酷暑
地面に座る/寝る
基本的に裸足
食事は托鉢などに依存
そして何より、「自然の中にいる」のではなく、「自然の危険から身を守る道具がほとんどない」。
だから、現代の日本人をそのまま紀元前のインドへ放り込んだら、精神論以前に、身体が環境に適応できない可能性が高いですね。
「苦」という言葉が、現代の快適な生活から想像するものとは、かなり違った身体感覚を背景にしている。
暑い、腹が減る、虫に刺される、病気になる、老いる、死ぬ――こういうものが、思想以前に毎日の現実だった。
そこから「この身体と世界への執着そのものをどう扱うか」という問題が出てくる。
JBLさんの言う「過酷な自然環境」という視点は、仏教思想を読むときにかなり重要な補助線になると思います。
北インドだからな
熱帯雨林気候ではない(笑)
冬は寒い
現代のインドでも、冬は普通に凍死者が出る😫
料理家の土井善晴先生へのコメントコピペ。
高級料理を高い山の頂上、家庭料理を山裾の豊かな森と表現して、後者の広大さ豊かさを礼賛した発言が印象的だけど、高い山に苦しんで登ったひとが振り返ってみた風景の美しさなんだと思う。
五感を研ぎ澄ましハレとケの技を極めた達人が言う、
こんなんでええんですわ。
ここら辺を読み間違えると痛い目にあうと思いました。
ってちゃんとあるじゃん?これなどは物凄すぎだと思わされる。汲み取るが神クラス 笑、仏だけど。
何を付け足す。
蛇に足を付けるのか?
一礼ぐらいはしろ
自分の片割れだからね
相分も相分、主観の片割れ。
説明したら、足が生えてくる(笑)。
一礼
まあ、お茶でも飲もうかw
知識ベースな分かったちゃんなのを許してきた仏教ならそれは要らんやろ。AIに教えてもらえ。そのんが賢い。
627:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:29:52.30 ID:GHVkJlI/[96/96]
うんうん、精神病棟にレリゴー😘
🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆
162 栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm :[sage]:2024/03/09(土) 16:35:39.62 ID:b8JerweS
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
633:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:32:58.27 ID:GHVkJlI/[98/98]
で?
悔しくて我慢できないのか?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
千枚通しで喉仏を刺して逝けば?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
ぶわあーーーーーくわwww
口先だけでなく、実際に坐禅会等に千回でも出て万回坐って、身体で覚えないと話になりませんから。
もうその時点で最初から話にならない。
頭の中で拵えた想像仏教を同じ頭で壊してもね。
口先だけでなく、実際に坐禅会等に千回でも出て万回坐って、身体で覚えないと話になりませんから。
その結果がこれか??
↓↓↓
627:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:29:52.30 ID:GHVkJlI/[96/96]
うんうん、精神病棟にレリゴー😘
🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆
162 栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm :[sage]:2024/03/09(土) 16:35:39.62 ID:b8JerweS
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
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喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
633:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:32:58.27 ID:GHVkJlI/[98/98]
で?
悔しくて我慢できないのか?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
千枚通しで喉仏を刺して逝けば?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
ぶわあーーーーーくわwww
書いてある通りだと思いました。
人に伝わる、はそうされた方の生身のお言葉。
言葉コピペ遊びなど見抜けるのもそうされたから、だと思いました。
ドパガキだと我が子に叱られた私。
最初からネット操ってる世代を侮るなどできませんでございます。
頭の中で拵えた想像仏教を同じ頭で壊してもね。
口先だけでなく、実際に坐禅会等に千回でも出て万回坐って、身体で覚えないと話になりませんから。
その結果がこれか??
↓↓↓
627:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:29:52.30 ID:GHVkJlI/[96/96]
うんうん、精神病棟にレリゴー😘
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162 栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm :[sage]:2024/03/09(土) 16:35:39.62 ID:b8JerweS
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
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喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
633:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:32:58.27 ID:GHVkJlI/[98/98]
で?
悔しくて我慢できないのか?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
千枚通しで喉仏を刺して逝けば?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
ぶわあーーーーーくわwww
67 麦◆MUGITANx95Dj 2026/10/07(水) 08:14:43.44 ID:NngN0
∞ノノハ∞
川^○^ハレ夕たんお久しぶりです
捉え方として説一切有部の法有みたいに実有か
大乗仏教の因縁によって仮和合した実体はない現象なのか
唯識説かれる心の現れなのかなんでしょうね
説一切有部だと法は三世に実在して
大乗仏教だと阿頼耶識に種子として蓄積される
どちらもカルマに影響を受けて輪廻するので
五位の修行するのでしょうけど
説一切有部だと阿羅漢止まりで
大乗仏教だと究竟位の如来みたいですね
実践的禅以外の瞑想仏教詳しいぞ😀
わかりやすく的確に解答する😀
では何故空海様は曼荼羅を描いたのでしょうか。教えてください。
そりゃそうなるだろう。何故描いてほんの少しのみでも他人に伝えようとされたのか??
世界を曼荼羅の様に感じて理解した
😀
627:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:29:52.30 ID:GHVkJlI/[96/96]
うんうん、精神病棟にレリゴー😘
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162 栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm :[sage]:2024/03/09(土) 16:35:39.62 ID:b8JerweS
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
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633:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:32:58.27 ID:GHVkJlI/[98/98]
で?
悔しくて我慢できないのか?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
千枚通しで喉仏を刺して逝けば?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
ぶわあーーーーーくわwww
ドパガキ🤡のクセに
これは私、ゴリ子に対して書いているんでしょうか?
ここはギャーギャー煩い猿山なのであだ名やら匂わせマウンティングやらとワケわからんし。
ドパガキと書いた覚えがあるので確認なんですが、それが私に付けられたあだ名なんですか?
なら名指しでコメント下さい。
627:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:29:52.30 ID:GHVkJlI/[96/96]
うんうん、精神病棟にレリゴー😘
🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆
162 栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm :[sage]:2024/03/09(土) 16:35:39.62 ID:b8JerweS
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
633:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:32:58.27 ID:GHVkJlI/[98/98]
で?
悔しくて我慢できないのか?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
千枚通しで喉仏を刺して逝けば?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
ぶわあーーーーーくわwww
自説を主張することにばかり熱心で
他人の意見に無関心な人が多い
という思い込みは禁物だ
自分の信念を壊すことなのだ
人間は自由になる
解放される
確かに、それも重要だ
固定観念にハマってるかどうかだ
思想的に真逆な人が書いた本を読む
なんてのも重要だ
左翼の政治ブログを読んでいる
逆さまにひっくり返った世界の住人だ
読んでいると、怒りがわいてくる
自分と異なる考えを熱心に主張している人を見ると
腹が立つのだろう
同じなわけがない
他人なんだから
いきなり登場したな?😂
いまは「一帯一路」や「21世紀海洋シルクロード」の構想が示されています。あまり言う人がいませんけれど、これはきわめて「中国的」なアイディアだと僕は思っています。いずれも中国人の「中華思想」のコスモロジーにぴったりと合っている。
中国の基本的な趨勢はやはり「西漸」なのです。漢代から、中華皇帝は国内統一が済むと、まず西に向かった。張騫や李陵や霍去病や衛青といった、われわれが中学生くらいのときから学ぶ人たちのたどったコースはいまの「一帯一路」とほぼ重なります。明代には鄭和が大船団を組んで、東シナ海を南下して、マラッカ海峡を抜けて、インドから紅海を経て、東アフリカまで航海をしていますけれど、このコースは「21世紀海洋シルクロード」とほぼ重なる。つまり、中国人にとって、中華皇帝の「王化の光」が広がってゆくときのコスモロジカルな地図は紀元前から現代まで、ほとんど変わっていないということです。たぶん、中国人にとってこの動線にはある種のつよい訴求力がある。ですから、この動線の方向にさまざまな事業を展開して、AIIBで集めた資金を投下し、そこに国内の過剰生産した鉄鋼や過剰な労働力を投下して、完全雇用を実現するというのが中国の長期的な国家戦略なのだと思います。それについてはおそらく国民的な合意がある。
例えば、鄭和の船団は七回にわたって大航海をするわけですけれど、ついに一度も東へ向かわなかった。泉州から出港して、すぐに南下してしまう。東に三日ほどの旅程で、日本列島があるのですけれど、見向きもしない。
こういう「何かをしなかった」場合については、歴史家はあまり興味を示しませんけれど、僕はけっこう国のふるまい方の根幹にかかわる重要な情報が含まれていると思います。
その「東にはあまり興味がない」中国ですけれど、日本がアメリカから自立して、主権国家として独立した国際政治のプレイヤーとなった場合に、どう遇するつもりなのか。日本をイーブン・パートナーとして迎えるということがありうるのだろうか。これはにわかには予測しがたいということです。
それで、どうやって中国の脅威に対抗するのか?
内田樹によると
「漢の武帝は、中央アジアのシルクロード進出に向かった。唐の太宗も、中央アジアのシルクロード進出に向かった。明の鄭和は、インド洋に向かった」
「中国は、伝統的に西の方角に関心がある。日本や韓国には攻めてこないから、大丈夫だ」
それを言ったら、坂上田村麻呂は関東・東北に攻めていった。源義家も、関東・東北に攻めていった。
日本人の関心は、伝統的に東の方角にあるのか?
↓
映画を観終わってから、なぜ韓国の人は自国の歴史の暗部をこのよう抉り出すことができるのに、日本人はそれができないのかという話になった。
その時に、「韓国は自国の歴史の暗部を抉り出すことができるくらいに『正義』を重く見る。しかし、北にはそれができない」という南北対比が意識下で働いているからだと韓国の地域研究の専門家が指摘してくれた。なるほどと頷いた。
そう言えば、台湾でも、国民党による白色テロという歴史的暗部は繰り返し映画化されている。これも「台湾は自国史の暗部を抉り出すことができるが、大陸にはそれができない」という「道義性をめぐる覇権争い」という文脈で解釈することも可能だろうとこれは台湾の専門家が教えてくれた。
そう考えた時に、なぜ日本人には自国史の暗部をエンターテインメントに仕上げるという力業ができないのか、その理由が少しわかった気がした。日本には「どちらがより道義的か」を競うべき隣国がないのである。
地理上の隣国はある。だが、どの国に対しても、日本人は「われわれの方が諸君たちより道義的である」と証明する義務を免ぜられている。免ぜられているどころか、そもそも道義性について発言する権利を許されていない。81年前までは日本は隣国を侵略し、収奪してきたのである。逆立ちしても、被害者たちと道義性の高さを競う資格がない。
やるなら、X(旧ツイッター)でやるしかない
Xで大体的に批判すれば、嫌でも奴の目に触れることになるだろう
だが、フランス現代思想ならともかく、世界史、とくに東アジアの東洋史に関しては、どう見ても当方が内田樹より遥かに詳しい
Xで思い切り批判すれば、内田樹程度の頭で、当方に太刀打ちするのは無理だ
内田樹が喜ぶだけだ
「右翼が、私の著書を読んで怒っている。私は、Xで嫌韓派に攻撃され、炎上している」
と、大喜びで言い出す
敵にエサを補給することになるだけだ(笑)
内田樹ほど当方と思想が異なる者は、広い世間にも滅多にいない
「固定観念からの脱却」という観点からすれば、内田樹の著書を読むのが一番だ(笑)
>>「東」について、中国人は特に強い領土的野心を示したことがない。歴史的にそうなんです。
これは凄い謎なので、
掘り下げる価値があるね
ただし、中立的な立場で
もとはといえば、ブロガーだ
左翼の政治ブロガーだったにすぎない
しかし、ブログを愛読していた若い出版社の編集者が、「本を出してみませんか?」と言ってきた
そこで、内田樹の運命は激変した
ちなみに、その編集者がどうなったかというと
10年ほど前(いや、もうちょい前か?)の深夜に、酔っ払って道路脇のミゾに転落
翌朝、溺死体で発見された😫
「内田樹を世に出す」という、ただそれだけのために、この世に出てきたような
なんとも不思議な人生だった
内田樹が有名な左翼の論客になったのを見届けたかのように、ひっそりとこの世を去った
言いたいことは山ほどあるけど、また後ほど😂
周囲も驚くほどの情熱だった
出版社に入ってからも、たいした働きをしてなかったが
「内田樹を発見し、世に出す」という、人生でたった1つの大仕事を成し遂げた(笑)
そして、ある日、ひっそりと世を去った(内田樹よりも、ずっと若かった)
1人1仕事の人生
よほど、内田樹と縁があるのだろう
不思議なものだ
何か、特別な使命を帯びて、この世に生まれてきたのかもしれない
韓国人にも、内田樹の本を十数年かけて必死で翻訳し、韓国で出版してきた協力者がいる
大きな使命を持った人には、協力者が現れるものなのか
何が主題なのか分からない
メチャクチャな脱線だ
「自己の見解に固執してはならない」という話をしていた
その編集者は、この世に対する執着が薄かったとか?
ええやん。
「自己の見解に固執している」と、
似たような奴が寄ってくるかもよ?
せいうんこじ専用😀
なんか、優秀なのに、野心もなにもない不思議な人だったらしい
「内田樹を世に出す」ということだけに、周囲も驚くほどの情熱を燃やしてた
内田樹の本を出版するために、個人で借金して人生を賭けた大勝負
何がそんなに気に入ったのか、さっぱり解らない😅
国家統合して「日韓連邦」になる運命なのか
内田樹はそれを主導するために、協力者たちを伴って、この地上に下生した
のかもしれない
よく韓国に呼ばれて、「日韓連携」をテーマに講演している
「韓国では拍手喝采されるのに、日本では関心を持ってもらえない」と、いつもブログでボヤいている
でも、10年前ならともかく、今は嫌韓ブームなど鎮静化して久しい
保守系YouTuberの渡邉哲也も、「韓国ネタは人気がない。動画が伸びない」とボヤいてた
もう、いまの日本に、嫌韓派はあんまりいない(少しは残っている)
炎上商法すら無理な状況だ(笑)
中国は、朝鮮半島や日本を侵略したことは無い(元はモンゴルなので例外)
まあ、中華思想からみれば、蝦夷地扱いなのだろう。
日本は、20世紀前半に、中国を侵略した。
だから、ある程度、仕返しされるのは仕方ないだろう。
そもそも、アメリカが黒船で日本を脅して開国させたから、
その流れで日本は中国を侵略したのだ。
諸悪の根源は、アメリカにある。
少しマシだが程度
うーむ、的確な判断力向上まではいかん
😅
女性陣は「パスタを食べたい」と言ってたが、そいつは「焼肉を食べたい」と言い出して譲らなかった
結局、女性陣はパスタを食べに行き、われわれだけで焼肉屋に行く羽目に😫
「自己の見解に固執して、争ってはならない」と言ってやりたかった
韓国人も、頑固な人が多い
> 中国は、朝鮮半島や日本を侵略したことは無い(元はモンゴルなので例外)
> まあ、中華思想からみれば、蝦夷地扱いなのだろう。
それについては、言いたいことが山ほどある
当方は、歴史の話になると、宗教の話よりさらにうるさくて細かくてしつこい😫
アカシックレコードを解読したら
そういう解が具現化したのじゃろう?
「宗教」というより、「宗教史」のマニアなんじゃないか
そう思うことがよくある
それくらい、歴史にうるさい
死んで、あの世に行けば
アカシックレコードを読み放題という話だ
いまから楽しみで仕方ない
台風で東シナ海航路が危険なので、意欲が湧かなかったのかな?
しかし、朝鮮半島は地続きなのだから、併合してもおかしくない。
そこが漢民族の「奥ゆかしさ」なのか?
「善は急げ」ですな
中国との緩衝地帯で
北朝鮮はありがたいかもしれん
😅
釈尊の時代には、「家出王子」が流行っていて、
複数の「家出王子」の主張を取りまとめたのが「原始仏教」なのかもね。
隋は高句麗侵略に失敗して滅亡
唐の太宗も高句麗侵略に大失敗
唐の高宗は、新羅と同盟してついに高句麗を倒したが、その後の羅唐戦争で新羅を屈服させられず撤退
遼は高麗に6度も攻め込み、最終的に制圧できず
元は高麗を完全に制圧して長期の直接支配
明は豊臣秀吉の日本軍に対抗して朝鮮出兵
清は朝鮮に5度も攻め込み、朝鮮王に土下座させて属国化
その後、明治の日本軍に対抗して朝鮮出兵し、日清戦争勃発
中華人民共和国は、米軍に対抗して朝鮮出兵し、北朝鮮を制圧
・・・どこが、朝鮮半島に関心ないのかと😅
> 釈尊の時代には、「家出王子」が流行っていて、
>
> 複数の「家出王子」の主張を取りまとめたのが「原始仏教」なのかもね。
王子の出家が流行ってたかまでは分からんけど
森林修行は流行っていた
元はモンゴル人、清は満州人だから関係ないということか?
元はまだ分からんでもないが、清は明らかに現代中国の原型だろ
関係ないとは言わせない
それは知らなかった。
学校で教わったことと違うなー
そうとしか思えない
そう
学校の歴史教育では
「日本は朝鮮に出兵しました。対抗して明朝が援軍を出してきて、日本は補給が続かず撤退しました」
という話はするけど
その数十年後、清朝が北から朝鮮に攻め込んできて完全制圧したという話をしない
中国王朝は、朝鮮半島に対する領土的野心が皆無で、
それは朝鮮人の巧みな朝貢外交が功を奏していたためだ
・・・・と教わっていたような?
宮殿の正門は、北京から来た清朝の外交官が通るところ
朝鮮国王は、裏門から入って外交官に土下座してた
韓国人の中国に対する警戒心は強い
>>その数十年後、清朝が北から朝鮮に攻め込んできて完全制圧した
それは初耳じゃな。
戦争名は、何でググれば出てくる?
それは、明朝については当てはまる
元と清朝には当てはまらない
韓国では、「丙子の乱」、「丙子胡乱」と言っている
丙子の乱
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%99%E5%AD%90%E3%81%AE%E4%B9%B1
> それは朝鮮人の巧みな朝貢外交が功を奏していたためだ
「巧みな朝貢外交」と言えば、聞こえはいいけれど
若い女を大量に集めて、奴隷として献上していた
朝鮮民族のトラウマだ😱
これはワシが無知すぎるなー
おみそれいたしました
まあ、政治的な立地が恵まれない
気の毒な民族ではある
いや、その辺りは微妙なところがあって
清のホンタイジが朝鮮半島を征服したのは、
まだ清が中国大陸を征服する前、
満州(中国東北部)の国だった時代
中国全土を支配するようになってからは、攻め込んでいない
だから、「あの頃の清は【中国】ではなかった」と言い張ることは可能
(韓国人はそう思っていない)
まあ、そういうことですわ
いまはハイテク国家
国民所得は日本より高い先進国
時代は変わりましたな
なるほどー
勉強になるなー
今から遅めの夕食なので
しばらく、おち
また明日
予定を大幅に超過してしまった😅
なんだか、書いてるうちに
内田樹への怒りがすっかり薄れた(笑)
高市を自民党連中が潰してほしい願望がある😭
そう簡単におさまるものではない😫
政治のことは、食料品が暴騰したり、石油が暴騰したり
生活にすぐ影響が出る😫
30年前のことなんだな
674 栖雲居士◆MKrKQHoID7SE (50-DrT-La-wvu) [sage] 2026/10/08(木) 22:55:21.95 ID:JT3yr
出向で仏教の研究機関に出て、その後戻って宅建を取ったんだけどな。
あとは行書や通関士とか。
馬鹿とは頭の次元が違うから😗
560 栖雲居士◆MKrKQHoID7SE (50-DrT-La-wvu) [sage] 2026/10/08(木) 23:13:00.36 ID:JT3yr
ちなみに98.99.00年は合格点が30点以上だけどな。
馬鹿とAIの組み合わせは絶妙で笑えるよなwww
「仏教の研究機関にいて、立正佼成会に書類を受け取りに行ってた」って
どういう人生だよ?
美魔女がつい最近とすると、話がカミ合わないのもうなずける
難易度は比べ物にならないほど上がっている
30年前は簡単な試験だった
30年前にあの程度の試験に合格したことを、高齢者になっても威張ってるのか😅
ブッダは死後を説かれなかった?
ブッダは、「死後を説かれなかった」という人がたまにあります。
そして「死後の世界や地獄は存在しない」というのです。
そんなことを言う人のほとんどは、
自分は経典をまったく読んだことがないと言っているようなものですが、
まれに経典を読んだことがあるはずの、マイナーな仏教学者でも、
そう主張する人があります。
ですが、こんなことを言うのはどちらかというと、
やはり仏教についてはあまり勉強していない門外漢の人が多いです。
誰かが言ったことの受け売りをしているのです。
残念なことですが、例えばこんな感じのことを言う人はたくさん見つかると思います。
ブッダの教えを振り返ってみると、
「死んでからどうなるのか」ということは、
いっさい説いていないことがわかります。
ブッダは死後の世界をあえて語りませんでした。
死後の世界があるともないとも言っていません。
(引用:池上彰『池上彰と考える、仏教って何ですか?』)
こういうことを言ったり本にまで書く人は珍しくないのですが、
この手の人は、ブッダが死後を一切説いていないと「私は思う」と自分の考えを述べているに過ぎません。
ブッダの教えとは異なりますので、下手に鵜呑みにしないことが大切です。
> ブッダの教えを振り返ってみると、
> 「死んでからどうなるのか」ということは、
> いっさい説いていないことがわかります。
> ブッダは死後の世界をあえて語りませんでした。
> 死後の世界があるともないとも言っていません。
>
> (引用:池上彰『池上彰と考える、仏教って何ですか?』)
しょうがねえな、池上彰😅
初期仏典をほんの数ページ読んだだけで分かるウソを信じ込み
一般読者に対して、当たり前の常識であるかのように語っている😫
つくづく、日本の左翼レベルが低い😫
欧米の左翼は、こんなにバカじゃない
こんなことだから、自民党一強体制になるんだ
当然、このように言っています。
仏教では、輪廻ということを説きます。
(引用:『中村元「老いと死」を語る』)
「輪廻」というのは生まれ変わりのことですので、死後のことです。
輪廻を説くということは、死後を説かれている、ということです。
これらの人たちは意見が正反対ですが、実際にはどちらが正しいのでしょうか。
ブッダが死後について説かれているお経をこれから挙げていきます。
それにしても、お経を普通に読めば、
ブッダは死後をたくさん説かれているのに、
一体なぜ「ブッダは死後を説かれなかった」
などという主張が出てくるのでしょうか。
その原因についても解明していきます。
根拠を詳しく見ていきましょう。
ブッダは死後を"否定された"は初歩的な間違い
まず「ブッダは死後を説かれなかった」どころか、
「ブッダは死後を否定された」という人があります。
「否定された」まで行くと、仏教の基本的な教えを知らない、初歩的な間違いになります。
なぜなら仏教では、死後が無になるとか、死後はないという考えを
「断見外道だんけんげどう」と言い、
厳しく否定されるからです。
断見とは、死後は無になるという考え方、
外道とは、大宇宙の真理である因果の道理に反した教えのこと。
つまり死後は無になるという考え方は、
「すべての結果には必ず原因がある」
という因果の道理に反するので、厳しく否定されているのです。
「ブッダは死後を否定された」と言うような人は、まず、仏教の根幹である因果の道理をよく理解しなければなりません。
次に「ブッダは死後を説かれなかった」という人はどんな人でしょうか。
次に「ブッダは死後を説かれなかった」という人のほとんどは、
七千余巻もある経典を一巻も読んだことのない人でしょう。
死後の世界や地獄があることは先述していますが、
少し経典を読むと、至るところに、
地獄や餓鬼、畜生などの六道や、生死輪廻が説かれています。
これらは生まれる前や死んだ後のことです。
漢訳の大乗経典はもちろん、小乗経典も、テーラワーダ仏教の伝えるパーリ経典も同様です。
例えば、漢訳の小乗経典にはこのように説かれています。
彼、身に悪行を行じ、口と意に悪行を行じ、すでにこの因、この縁ありて、この身壊れて命終わり、必ず悪処に至り、地獄の中に生ず。
(漢文:彼行身惡行 行口意惡行 已因此縁 此身壞命終 必至惡處 生地獄中)
(引用:『癡慧地経』)
これは、体で悪い行いをし、口で悪いことを言い、心で悪いことを思う。
この因縁によって死んだら必ず地獄に生まれる、ということです。
もし衆生ありて、心の瞋恚によるが故に、身壊れて命終わり、必ず悪所に至り、地獄の中に生ず。
(漢文:若有衆生 因心瞋恚故 身壞命終 必至惡處 生地獄中)
(引用:『鸚鵡経』)
これは、怒りの心によって死んだら必ず地獄に生まれる、ということです。
舍宅有する所、災火に焚燒せられ、死して地獄に入る。
(漢文:舍宅所有 災火焚燒 死入地獄)
(引用:『法句経』140)
これは、燃ゆる火は彼の家を焼く、この愚かな者は身壞れて後、地獄に生まれる、ということです。
生死、有量なし。往来、端緒なし。
屋舍を求むる者は数々の胞胎を受けん。
(漢文:生死無有量 往來無端緒 求於屋舍者 數數受胞胎)
(引用:『出曜経』)
これは、多生の輪廻を経たり、生々苦ならざるなし、ということです。
もっと分かりやすく言えば、
わたくしは幾多の生涯にわたって生死の流れを無益に経めぐって来た、
──家屋の作者をさがしもとめて──。
あの生涯、この生涯とくりかえすのは苦しいことである、
ということです。
お釈迦さまはご自分の過去世をこのようにいわれています。
我宿命の事を憶う。一生、二生、三生、四生、五生、十生、二十、三十、四十、五十、百生、千生、成敗の劫皆ことごとく分別し「我かつて彼かしこに生まれ、字は某、名は某、かくの如きの食を食らい、かくの如きの苦楽を受く。彼かしこより終わってこの間に生まれ、ここに死して彼に生まる」と、因縁の本末皆ことごとく明了なり。
(漢文:我憶宿命之事 一生二生三生四生五生十生二十三十四十五十百生千生 成敗之劫皆悉分別 我曾生彼字某名某 食如是之食 受如是苦樂 從彼終而此間生 死此生彼因縁本末皆悉明了)
(引用:『増一阿含経』)
このように、お釈迦さまご自身も、百回も千回も生まれ変わりを繰り返してきたと色々なお経に説かれています。
これはパーリ仏典の中部の第四経にも説かれています。
死んだ後に輪廻するのはなぜかというと、仏教では自分のやった行いによって、因果応報の因果の道理にしたがって、死後の世界が決まるのです。
例えばこのように教えられています。
世尊、諸々の比丘に告げたまわく、
もし殺生の人多習多行せば地獄の中に生ぜん。
もし人中に生ずるも必ず短寿を得ん。
不与取を多習多行せば地獄の中に生ぜん。
もし人中に生ずるも銭財に多難ならん。
(漢文:世尊告諸比丘 若殺生人多習多行 生地獄中 若生人中 必得短壽 不與取多習多行 生地獄中 若生人中錢財多難)
(引用:『応報相応円珠経』)
というのは、20世紀の迷信
by丹波哲郎
彼の摩詞男は過去世の時、多羅戸辟支仏に遇いて一飯を施しき。
浄信心に非ず、恭敬して与えず、自ら手もて与えず。
施して後悔し、この飯食は自ら我が諸の僕使無辜の持用に供給すべきに沙門に施したりといえり。
この施福によりて七反三十三天に往生し、七反この舎衛国の中の最勝の施姓に生じて最も銭財に富めり……。
(中略)
また次に大王、時に彼の摩詞男長者はその異母兄を殺してその財物を取れり。
この罪に縁るが故に百千歳を経て地獄の中に堕つ……。
(漢文:彼摩訶男過去世時 遇多迦羅尸棄辟支佛 施一飯食
非淨信心 不恭敬與 不自手與 施後變悔 言此飯食自可供給 我諸僕使無辜持用 施於沙門
由是施福七反往生三十三天 七反生此舍衞國中最勝族姓 最富錢財
(中略)復次大王 時彼摩訶男長者殺其異母兄
取其財物 縁斯罪故 經百千歳墮地獄中)
(引用:『拘薩羅相応命終経』)
このように、ブッダはお経の至るところに過去世も死後の来世も説かれています。
昭和の仏教学者
主張内容は正反対だが、両方ともウソしか言わない(笑)
次に、パーリ仏典にはこうあります。
功徳と悪との二つは 人がこの世にて作りしもの、
それは彼自身のものにて それをとりて彼は行くなり。
影の形に添うが如く この二つ彼れに従うなり。
この故に善きをなし 未来のために積めよかし。
功徳は後の世における 人々の渡場なればなり。
(引用:有偈篇・拘薩羅相応《南伝大蔵経》第12巻相応部経典一p.125)
これは、人がこの世でなす善と悪との両者は、その人の所有するものであり、人はそれをとって赴く。
それは、影がその体から離れないように彼に従うものである。
それ故に未来のために善いことをせよ。
諸々の功徳は、あの来世において人々のよりどころとなる、
ということです。
是の如く不正の士は(中略)身壊えし、死して後、かの諸の不正のものの所趣ーー彼処かしこに生ず。
而も、諸の比丘よ、云何が諸の不正の士が所趣なる。
ーーもしは地獄もしは畜生趣なり。
(引用:『満月小経』《南伝大蔵経》第11巻上 中部経典三p.381)
これは、不善なる人というものは(中略)肉体の滅びた後、死後には、不善なる人たちの赴く所へ生まれ変わる。
修行僧たちよ、不善なる人たちの赴く所とは何か。
地獄、あるいは畜生である、
ということです。
この世に於て悲しみ、死後に於ても悲しみ、悪業をなせる者は両処に於て悲しむ。
(中略)
この世に於て歓び、死後に於ても歓び、善業をなせる者は両処に於て歓ぶ。
(引用:『ダンマパダ』15,16《南伝大蔵経》第23巻小部経典一p.19)
これは、悪いことをした人は、この世で憂え、来世でも憂え、
二つのところで共に憂える。
(中略)
善いことをした人は、この世で喜び、来世でも喜び、
二つのところで共に喜ぶ、ということです。
鉄より生じたる垢穢(錆)が、鉄より生じて鉄を蝕むが如く、自己の業は悪業者を悪趣に導く。
(引用:『ダンマパダ』240《南伝大蔵経》第23巻小部経典一p.54)
これは、鉄から起こった錆が、それから起こったのに、鉄自身を損なうように、
悪をなしたならば、自分の業が罪を犯した人を悪い所(地獄)に導く、
ということです。
蓋けだし、何者の業も滅することなく、そは必ず来たりて〔業の〕主が〔之を〕得、愚鈍なる者は〔自ら〕罪過を作りて、他世たせにて自ら苦を受くればなり。
〔即ち〕鉄針の打ち込まれたる処に〔至り〕、鋭利なる刃ある槍もて突かれ、また赤熱せる鉄丸に似たる食物が〔業に〕応じて〔食せしめらるる〕あり。
語る〔獄卒等〕は親切に語らず、〔和顔もて〕来らず。〔罪人等は〕避難所に至らず、拡げ敷きたる炭火の上に座し、遍く燃え盛る火焔の中に入る。
(引用:『スッタニパータ』666~668《南伝大蔵経》第24巻小部経典二p.253)
これは、けだし何者の業も滅びることはない。
それは必ず戻って来て、(業をつくった)主がそれを受ける。
愚者は罪を犯して、来世にあってはその身に苦しみを感じる。
(地獄に堕ちた者は)、鉄の串を打ちこまれるところに至り、鋭い刃のある鉄槍に近づく。
さてまた灼熱された鉄丸のようなものこそ、(昔つくった業に)ふさわしい食物として食わされるのである。
(地獄の獄卒どもは「捕えよ」「打て」などと言って)、やさしい言葉をかけることなく、
(温顔をもって)向かって来ることなく、頼りになってくれない。
(地獄に堕ちた者どもは)敷き広げられた炭火の上に坐し、あまねく燃え盛る火炎の中に入る、
ということです。
このように、ブッダは、『阿含経』から『涅槃経』に至るまで、パーリ仏典にも一貫して死後を説かれています。
ぜひ実際に近くの図書館で経典をパラパラめくってみてください。
簡単に見つかります。
最古とされるスッタニパータやダンマパダでも、例外ではない
と、たびたび明言している
「よいな。天国と地獄は必ずある。死後の審判は必ず下る。これを疑ってはならない」
みたいな調子で何度も繰り返すのだが
初期仏典だと、さすがにそこまでは言わない(笑)
> ブッダの教えを振り返ってみると、
> 「死んでからどうなるのか」ということは、
> いっさい説いていないことがわかります。
> ブッダは死後の世界をあえて語りませんでした。
> 死後の世界があるともないとも言っていません。
>
> (引用:池上彰『池上彰と考える、仏教って何ですか?』)
↑
こういうのは、完全なる誤り
昭和の迷信そのもの
「死後の世界はある」と明言している
「ないと思うのは誤り」とも、何度も言っている
そんなウソを堂々と書く人間が、仏教について本を書いて出版する
世の中はこれほどウソつきが多い
,. – ─── – 、
/ , `ヽ.
/〃//,. ,ィl/|l ト、 !、 、 ヽ
ー’´| | l |1 | !l. l| ! | l.|ヽ ! !、 ’, おじちゃん、
YレV!ヒエ「! |l.「_ト!Ll」| l l l どうしてはたらかないの?
! lハイJ | ´|_jヽ. リ,! ! l. l |
|l |l.} ー , L _,ハl.lトl l. | l
|l ilト、 n ” ,1l|ィ| |l l |
_ 二,ニ^tュ–ェ_t1」l.|l !リ|_lノ
r7´ f r┐| 〔/ミヽ>,-、 ̄´
Y ー个‐’t ハ-、_’ゝ、
ヽ ._・ rく ̄ヽト-‘丿 ヽ l
/ (・__,)ゝi┬’´ハ` ’`|
|ヽ, イ ノ┴くヽヽ、 /
`´ ゝ┬ヘ`ヽ | `ー‐1
ゝノ-‐^ー’一”丶 ヽ ヽ
ト、_ `ーァ’¨不ヽ
| | 「 ̄「 ̄l ̄ト、,イトヒi′
l l. l l ! !└’ l |
└ L 」_,|__l_l.__L.l′
| | | |
l l ! !
l l. l l
ト–┤ !–‐1
f‐t央j. ト央ァヘ
| 甘l、 / 甘 |
l ,.-‐ヽ レ’⌒ヽ/
`く.__ ノ ゝ–‐
いろんな要素が混ざっている
矛盾することも書いてある
自説に都合の良いところを切り取ってきて、
「釈迦はこう言っている」
「孔子はこう言っている」
と主張するのが、後世の人々の仕事だ(笑)
/ \
/ ⌒ ⌒ \ 「明日から本気出す」
/ ( ●) (●) \
| (__人__) |
\ ` ⌒´ ⊂⌒ヽ_
/ \ __)
早朝だよ
相変わらず
お前は夜勤と休日出勤しか知らんようだな(笑)
「サラリーマンをやってました」というのは、ウソなんだろ?
お前には「土日が休み」という感覚がない
長いこと会社勤めしてた人がいうセリフではないな
しかも、夜にペーストしようと思ってコピーしたのを
貼ってる途中で眠ってしまったものだ(笑)
ウンコ聖師にとっては、かなり痛いようだな(笑)
高齢になってからひっくり返されるのは、つらかろう
:::::::/::::::::::::::::::::::::::::ハ::::::::::::::::::::::::::ヽ::::::ヽ /⌒\
:::::/:::/:::::::/::::::::::::/ V::::::::::V::::::::::::ヽ:::::::', / ヽ
:::/::/::::://::::://:/ ヽ:ヽ::::V:i:::::::::::';::::::::, / き !
:::l::::!:::::トi:_::/ i:/ V:ハ:::ハ:レ::::::::i::::::::} ,' も !
:::i::::!::/{ V:ト、{ 、_iレ:イフ V:::i::}::::::::! ! い }
:::{:::{:/ /z77ハヽ /zzミヽ i::::i:i:::::::::! { : }
::::!::i:i i ん///} ん//ハ ', i::::i:i:::::::リ ゝ : /
::::i:::ハ 弋z‐フ 弋z‐フ イノ:i:i:::::::i (_,、 __/
:::::i::i:::!  ̄  ̄ '::::i:i::::::リ O  ̄
::::::i::i:ハ し ′ " " /::::i:i::::ノ ゚
`ヽi:ト::> 、 , イ:::::〃'´
V/: : {`ヽ _ <i: : :\
/: : : : : \ / ̄ \ /: : : : : :\
https://true-buddhism.com/founder/afterdeath/
ドパガキパワー🤡凄いな?
そう、それ
>>自説に都合の良いところを切り取ってきて、
>>「釈迦はこう言っている」
>>と主張するのが、後世の人々の仕事だ(笑)
まあ、こういう過程を経て、「諸説アリ」の現在に行きついたのじゃろうな?
ワシの仮説は
釈尊はアンチバラモンの立場から「輪廻転生現象は無い」と説こうと考えたが、
言葉で証明することが不可能だと悟った。
それで、「苦から脱する手法」を説いて弟子を集め、
帰依した弟子に修行させ、「輪廻転生現象は無い」と
体感させようとした。
一方、在家の者に対しては、「輪廻転生現象はある」と説いた。
そう、それが
秋月龍珉や南直哉の主張
真意が違って見えてくるのが、初期仏典の特徴なんだが(笑)
「それ」に初めて遭遇した時、
正直、「アホか?」と思ったが、
今はワシにとって、最有力な仮説である。
釈迦が輪廻転生や死後世界を存分に語っているのは事実
これは、彼らも認めざるを得ない
かなり、アクロバティックな屁理屈を必要とする(笑)
アクロバティックな屁理屈とでは
たいてい、前者が正しい
これを、「オッカムのカミソリ」という
ワシの場合は、
「輪廻転生現象はある」と信じたほうが
有意義な人生を送れるタイプの人間かもしれない
天外氏:
宇宙は、実は目に見えない「あの世」と、目に見える「この世」とが一体になってできていると考えられます。
ただ「あの世」とは、「死んでから行く世界」のことではありません。
> 釈尊はアンチバラモンの立場から「輪廻転生現象は無い」と説こうと考えたが、
> 言葉で証明することが不可能だと悟った。
んなこたあない
もしも本当に、「輪廻転生は古代人の迷信だ。そんなものは無い」と思っていたのなら
そう言えばいいだけだ(笑)
初期仏典を読めば分かることだが、釈尊は思ったことをズケズケ言う人
自分の回答が相手の期待に反していて、ガッカリされても気にしない
凡夫に忖度して、テキトーに調子を合わせるような人ではなかった
「輪廻転生など無い」というのが、釈迦の本心だったなら
必ず、そう言うよ
「輪廻転生など無い」と、ハッキリ明言する
それは間違いない
>>釈尊は思ったことをズケズケ言う人
そう。
ワシも思ったことをズケズケ言う人なので、宮仕えには向かない人。
自治会の会合でも、思ったことをズケズケ言うので、浮いている(笑)
もしも、「輪廻転生など無い。死後世界も無い。人は死ねば終わりだ」と思っていたのなら
そう言えばいいだけだろ(笑)
現に、若き日の釈迦の師匠の1人、六師外道のアジタは、明確にそう主張していた
でも、べつに反対派に暗殺されたわけでもないし、大勢の弟子を抱えていた
釈迦はその主張を「おかしい」と思って、出ていった
明なら縁起
無明なら輪廻
666おめ
666は残り3分の1の節目
励みになる
総代がな、「話しが長いんだよ。」と私がいう。すると、隣の別の自治会長が、私に、おいおいというw
>>現に、若き日の釈迦の師匠の1人、六師外道のアジタは、明確にそう主張していた
確かに、「快楽至上主義」には釈尊は同調しなかっただろうね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%BF%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%AA%E3%83%B3
総代の話が長い・・・ってことかな?
快楽至上主義 これに惹かれたな。絶対に惹かれたw
ワシは、アジタ・ケーサカンバリンの生まれ変わりかも?
そう、回りくどい言い方になってしまった。
直会の時の総代の締めの挨拶が長がすぎるwww、私が話が長いと言ったw
後で総代と飲み直したけどね。総代は歴史が好きな人だ。
総代は、JBL氏に似ているようですな?
いや、「快楽至上主義」という訳語は、クセが強すぎる(笑)
「人は解脱するまでもなく、もともと輪廻しないんだよ。
だから、修行する必要はない。心静かに人生を楽しみ、
最後は満足して死のう」
という感じだ
この掲示板にも、よく似た思想が散見される
それだけ、後世にまで影響を残した思想
それは、当方を誤解している
自分で言うのもなんだが、要点をまとめてズバッと言う人だ
なんでも知ってるので、歴史好きな人にとっては理想的な話し相手だが
>>修行する必要はない
「修行する必要はない」という主張に対して、
釈迦は「おかしい」と思って、出ていったのだろうね
要点をまとめてズバッと言うのは、
ワシも日頃から心がけていることじゃ
確かに
その後、ハチャメチャな苦行に何年も取り組んだところを見ると、そうだったのだろう
釈尊は、思ったことをズケズケ言う人であることを自覚していたのであろう。
しかし、輪廻転生について、ズケズケ言うべきかは
釈尊は かなり迷ったのではないか?・・・とワシは推測している。
だから、そうじゃないんだって
初期仏典を読めば分かることだが、
釈尊は輪廻転生や死後世界について
ズケズケと語っている
「死後世界は無いという見方は誤り」
とも、何度も明言している
秋月龍珉や南直哉たちが、
「それは釈尊の本心ではなかった」
と強弁し、言い張ってるだけ
最古の初期仏典、スッタニパータでも
「無理に他人と意見を合わせなくていい。1人でやれ」と力説している
まあ、釈尊が仏典を書いたのであれば、
そうだろうね
で、そもそも輪廻説は基体説(アートマン )を前提とし、そこに業論が加わって輪廻説が完成に向かうんですが、仏教は基体説は取らない(アナートマン)けど業論は取るから、刹那生滅する五蘊の仮和合対の相続としてそれを代わりに説明するんです。
つまり、お釈迦さまは一応輪廻を前提として説示はされていたけど、その内容は基体(アートマン )の連続という輪廻ではなく、刹那生滅する五蘊の仮和合対の相続という無我論、縁起論なんです。
輪廻思想を確立したのは、ヤージュニャヴァルキヤではないか?
釈迦より百年前の人だが
つまり、輪廻からの解脱というのは輪廻という思い(妄想、戯論)からの解脱なんです。
そういう意味で秋月先生や南師の説示は外れてないし、その内容は単純に無いって云ってるのではなく高度な次元からの視座なんです。
自治会の会合でもそうしてきたのじゃが、
何故か、うまくいかないのじゃ。
で、現在、非常に苦しんでいるのじゃが、
釈尊も「死後の世界」の説き方について、相当、考慮したのでは?
と、推測している。
で、餓死寸前まで断食修行して、スジャータに救われたと。
ただし──すでに述べたように、覚者(仏陀)と成った釈尊は「私はもう再生しない」(「後有次生の存在を受けず」)と宣言された。
悟って輪廻の生死を解脱したのだから、もはや六道のどこにも再生しない、というのである。
そうした釈尊の仏法には、本来「あの世」などあるはずがない。
こうした釈尊の「覚」の立場から頽落したときにだけ、「あの世」が(次生が、後世が、そして前世が、すなわち三世が)問題になってくるのである。
だから、禅者としての私は、「即今・此処・自己」しか問題にしない。
「即今・此処・自己」という、実存の「絶対現在」(永遠の今)に立つ禅者にとって、「あの世」は問題にならない。
したがって、「前世も後世も」問題にならない。
「生死」は、ただ「刹那の生死」だけですんで、「一期の生死」を考える必要はない。
> 刹那生滅する五蘊の仮和合対の相続という無我論、縁起論なんです。
逆だろ
それこそ、後世の部派仏教
釈迦より数百年後の説一切有部の思想だ
いや、それは屁理屈だ
お前は秋月龍珉や南直哉の著書を読んでないだろ?(笑)
彼らは、「輪廻転生は古代インドの迷信」とハッキリ明言している
私は、輪廻説は仏教に不要であり、捨てるべきだと思う。
ゴータマ・ブッダがそれを説いた蓋然性は高いとしても、これは無用であり、維持する害の方がはるかに大きい。
(中略)
それでも「命が流れる」「意識が続く」「エネルギーが保存される」と言うなら、「流れる」「続く」「保存される」と言えばよいだけの話で、わざわざ「輪廻」などと言い出す必要は毛頭ない。
「無我輪廻説」などはほとんど詐称で、「無我持続説」が言い方として真っ当である。
もっと言えば、仏教における輪廻説は、言葉の使い方を間違っているに過ぎない。
仏教において、最も重要な教説は、無常・無我・無記・縁起であり、だとすれば「輪廻」説は余計である上に理論的に無理筋で、無くて構わないし、無い方がよい。
「輪廻」など信じない佛教がある
佛教は確かに「輪廻」転生の説を前提として説かれてきた。それは事実である。だからと言って、輪廻説は佛教説であるとは言えない。輪廻を信じない私のような佛教徒もいる。古代のインド人は輪廻を事実として信じて疑わなかった。そんな人々を相手に法を説かれた釈尊が、輪廻説を前提として話されたことは自然であった。生きた説法は必ず対機説法−−人見て法を説く−−なのだから。四道輪廻ないし六道輪廻については、すでに述べた。しかし、釈尊その人は、はっきり輪廻説を超えていた。「もう私はどこにも再生しない、私は生死(輪廻)を解脱した」と言い、「後有(アフター・ライフ)を受けない」と宣言された。だから、覚者(佛陀)と成ってのちの釈尊が自ら輪廻など信じたはずは、断じてない。
輪廻転生などというのは、古代インドの民衆(知識人も含めて)が信じていた神話にすぎない。そんなものを信じなくても、佛教はりっばに成り立つ。でも、神話だからと言って、むげに捨ててはならない。現代の私たちは、古代人が神話として伝えたことのなかにひそむ実存理解を取り出して、それを現代的に捉え直すことが大事である(これはキリスト教学からの学びであるが)。
もうだいぶ以前のことである。当時著名であった曹洞宗の師家のかたが小庵を訪ねてくださったことがある。そのときこう言われた、「秋月先生、最近は困ったことに、(三世因果)を否定する佛教徒が出て来ました」。そこで、私は言った、「私も(三世)など信じません」と。そのかたは、一瞬あっけにとられて、声を飲まれた。
南 いや、だったらやはり輪廻と言う必要ないですよね。業論でおさまる。
望月 そういうような説明自体に、ちょっと無理がありますよね。諸存在が同一実体として連続することを排除するために、刹那減により常住性を排除しているのだけれど、無常性を論証するために設定された論理にしか思えないのです。輪廻を論証するためにそれをわざわざ説明する必要があるものだろうか、と。
南 そう思うんですよ。いらないでしょう?
望月 いらないと思いますね。
南 私もね、無我輪廻説というのは、なぜそれを「輪廻」と言わなきゃいけないのか、全然わからないんですよ。無我説と言っときゃいいだけのことで、そのあとに、なぜ輪廻なんて付けなきゃいけないのか。
望月 そうですね。無我輪廻説自体が、我が輪廻を繰り返すことを否定するために、無我でないと輪廻は成り立たないと説明しているわけで、無我と輪廻の整合性が前提になっているわけです。輪廻を無我で論証しようとしているだけであって、トポスとしての輪廻の存在を受け入れてからの論証となっているわけです。輪廻が説かれているからどうしても説明しなくちゃいけなくなるわけですよね。
南 そうなんですよ。あるから、仏教の側から正当化しなきゃいけないという思い込みがあるんじゃないかと思うんですね。捨てればいいのに。
(『別冊サンガジャパン4 死と輪廻』)
ただ仏教内での輪廻の立ち位置や呼称に疑義を示されてるんです。
何故なら、輪廻は連続説であり、輪廻からの解脱とは輪廻という思いからの解脱でもあるからなんです。
いや、望月師は日蓮宗だから、禅宗というのもなんだけどw
いや、お前と違って、実際に読み込んでるし
読解力も、もともとお前とはケタ違いだ(笑)
> ご覧の様に、秋月先生も南師も望月師も仏教的業論(相続説)は否定されてないし、お釈迦さまが輪廻(連続説)を前提として説示されてる事も否定されてないんです。
いや、そんなことはない
実際のところ、秋月龍珉が「原因と結果の法則の実例」として挙げていたのは
「古代の遺跡から出土した種を植えたところ、花が咲いた」とかいう話だった
「それのドコが因果応報なんだよ?」と、読みながらツッコミを入れる話
輪廻転生を抜きにして因果律を語れば、どうしても、そういう詰まらない人生訓みたいなものにしかならない(笑)
つまり仏説(オリジナル)ではありません。
つまり、仏教の輪廻論とはそれ(ブラフマニズムの輪廻論)に対する批判的再解釈と云えるでしょうね。
わかりもせんのに
わかったフリ芸人だからなー
😭
😭
↓
田原 だけど、仏教は、輪廻転生だから、自殺はダメなのですよね。輪廻転生を破ることになるから。
南 「僕は、実は輪廻転生はいらない教えだと思っています」
田原 えーっ。輪廻転生はインチキですか。
南 「インチキとは言わない。だって、僕は死んだことがないから。僕は、ゴーダマ・ブッダの教えの中で、輪廻転生はなくてかまわないと思うのです」
田原 僕は、かつて創価学会の池田大作氏に、「輪廻転生というけれど、誰も、前世も来世も見たことがないではないか」と言ったのです。すると、「来世がないと思って、悪いことばかりして、来世があったら大変だ。いいことをして、来世がなくたっていいではないか」と池田氏は答えました。
南 「輪廻転生をいう人は、倫理を持ち出すのです。キリスト教は、善悪が神様に預けられていますが、『諸行無常』はそこを抜け出してしまっている。仏教では輪廻転生はいらない考えだ、と私は思っています」
人格的に知能的に問題がある
😭
スルー🤡
ドパガキ🤡丸出しだな?
😭
↓
輪廻説は要らない考え=輪廻は無い
ちなみに、ここで池田大作が言ってる
「来世を信じて損はない。得をすることはあっても、損はしない賭けだ」という説
こういうのを、西洋哲学で「パスカルの賭け」という
パスカルが「神を信じるべき理由」として、これと同じことを言った
(早い話が、元ネタ)
なにが妄想だ
「輪廻転生など要らない考えだ」と断言するのは
「輪廻転生は無い」と言ってるも同然だろ
バカじゃねえの(笑)
「消費税減税など要らない考えだ」という人が
消費税減税に賛成してるわけないだろ
それと同じだ(笑)
口先だけの屁理屈ワールドだな(笑)
屁理屈を唱えなければ許されない
😭😭😭😭
>>要点をズバッと言えば、煙たがられる
そう。
そこんところを、釈尊はかなり悩んだのだろうね。
煙たがられたら、信者が増えない
釈尊自身、輪廻転生現象が有るか無しか、わからなかった
・・・・これが真相かも?
それも、さっきの話と同じ
もしも、釈尊が
「輪廻転生が有るか無いかなど、わからない。そんなの知る由もない」
と思っていたのなら
そう言えばいいだけ
誰にも遠慮する必要なんかない(笑)
実際に、釈尊の師匠の1人、六師外道のサンジャヤはそういう説(不可知論)を唱えてた
べつに、反対派から暗殺されたわけでもないし、大勢の弟子を抱えてた
釣りだ
😀
釣り上手😀
「死後世界など無い。人は死ねば終わり」というのは、六師外道のアジタの説
「死後世界が有るか無いかなど、人には知る由もない。だから、コメントするべきではない」というのは、六師外道のサンジャヤの説
どちらも、釈尊の教えはそういうものではない
なるほど。
まあ、釈尊のホンネなんて、誰も知るよしも無い。
お経も、釈尊が書いたものでは無い。
後世の人物が書いた「伝聞証拠」しか無い。
ワシはお経の解説書が苦手だ。
なので、近世の科学者の仮説を色々と読んで楽しんでいる。
如実知見
😀
詳細レスはしない
😀
宗教関連で一番、モメるテーマだな
結局、モメるけどな
宗教者は、断見的に論じるが、
科学者は「あくまで仮説ですが」というスタンスなので、
読む立場から見ると、気分的に爽やかだ。
「観察など要らない」と、仏のスレ主から文句を言われた
あの性格が穏やかな「仏のスレ主」が怒ることがあるのか?
死にきった人、生死をあきらめた人である解脱した仏陀以外にはホントのところは分からないってことがあるんだろう
だからこの問題についてはあやふやになってしまう
> あの性格が穏やかな「仏のスレ主」が怒ることがあるのか?
わからない
怒ってたわけじゃないのかも
頑固で負けず嫌いな人に見えるけど
そうだ。
言葉は丁寧語が多かったが、頑固で負けず嫌いな人だった。
まあ、頑固な奴しか宗教板では生き残れないのじゃが
言葉遣いが丁寧で、物腰が慇懃な人ほど、本当は怖い😲
> お茶を飲んだらお茶の味がする
だから何?
実際、怖い目に会ったとか?
以前、不動産業界でよく会ってたスキンヘッドで派手な服の人は、正直かなり怖かった
「あの人、ヤバそうだね」と、仲間とよくウワサしてた
これは、人によって解釈が大きく割れる
論書に詳しく書いてあるから
解釈の余地が少ない
「ブッダの真意は何だったのか?」と言って
数百年後に後世の者が自説を書いたのが「お経」
お経乱立の歴史
まさか、法華経もそうだとは言わないよね?😫
レスを見てる人も確認しようの無い事については納得がゆく説明で納得したいって事でしょ。
> まぁ俺は俺の云う事が絶対正しいとは云わないけどな😗
それにしては、いつも頑固でしつこいな?
法華経は、初期仏教では無いだろうね。
聖書のパクリだから
レスを見てる人も確認しようの無い事については、納得のゆくレスを見て納得したいのが関の山でしょ。
つまり、仏教からすれば常見。
勿論、仏教は常断の両偏見を離れる道(中道)だから、無いとも云わない。
断見になるからね。
だから、後々それをどう解釈するかって事で、刹那生滅する五蘊の仮和合体の相続現象って阿毘達磨(アビダルマ、存在の分析)で説明される様になった訳。
来世や死後の話を否定するとこういうように「死んだら無」のような善悪の果報の問題が生まれるのよね
六師外道の順世派のように、唯物論経験論的な世界観だと
「死んだら無」なんだから生きてるうちに楽しんだもの勝ち、やったもん勝ちになって
自己を慎み他者や神仏を畏れることは迷信の妄想にとらわれた愚か者になってしまう
↓
輪廻説は要らない考え=輪廻は無い
宗教の語る古い善悪観道徳観を、人間の知性合理性によるものからのみを正しい見方として「疎外」のように否定的に扱って
暴力やエゴの解放に人間の本来性を見てしまう、とやってしまい人間同士の自他の関係をぐちゃぐちゃにしたり悲惨な戦争拷問虐殺を思想の影響から起こしてしまった問題
清浄行者不入涅槃。破戒比丘不堕地獄。
師着語曰く。
珍重。
便ち曰く、清浄の行者とは、一切を離れ、涅槃を超ゑたる人を云ふ也。
破戒の比丘とは、地獄天堂を蹈み破つた人を云ふ也。
(『驢鞍橋 』鈴木正三より)
解脱した仏陀はこの世もかの世も捨て去って空じきるから
地獄も極楽もすべて空じる、救いきって輪廻にある人々を救う、ってことだろね
仏の解脱のさとりがそういうものであるということで
でも当然に、来世としての地獄、悪趣的なものが「無い」(断見)としてるわけではない
それらは本来空であっても、煩悩にある凡夫は業によってそれに苦しむ
そしてだからこそ本来空を悟った仏陀に依るということがそれ自体が救いになるということだろね
> 断見になるからね。
>
> だから、後々それをどう解釈するかって事で、刹那生滅する五蘊の仮和合体の相続現象って阿毘達磨(アビダルマ、存在の分析)で説明される様になった訳。
もっともこれも龍樹によって中道というのが、空仮中という思想の中に組み込まれて、アビダルマ的な"刹那生滅する五蘊の仮和合体の相続現象"というのも退けられてしまうんだけどね。
そういうのは戯論(プラパンチャ)なんだと。
>ことばの仮構を超越した不壊なるブッダをことばで仮構する人々はみな、ことばの仮構によってそこなわれて如来を見ることがない。
>(『中論頌』22:15)
>輪廻には涅槃とのいかなる差別もない。
>涅槃には輪廻とのいかなる差別もない。
>涅槃の(時間的)限界は輪廻の(時間的)限界である。
>その二つの間にはほんの微細なずれもない。
(『中論頌』22:19-20)
生死輪廻は即涅槃、本来空であるというのが解脱によって明らかにされるから
当然に空であるから、それらは無いということでもない
これが煩悩を原因とする業ということになる
この、本来としては空のはずの生死を実体、実在として迷い苦しんでいるのが凡夫であるから
この生死輪廻を、本来空であると迷いの根源を破り見破ったのが解脱した仏陀
だからたとえば『十牛図』なら第十図で
「神仙真の秘訣を用いず
直に枯れ木をして花を放って開かしむ」
で解脱したものは世俗にいて普通に生活してるだけですべての人を救うってことになる
優缽羅華は火裏に開く
煩悩海中に雨露となり
無明山上に雲雷となる
鑊湯爐炭も吹いて滅せしめ
剣樹刀山も喝して摧かしむ
金鎖玄関留むれども住まらず
異類に行じて且く輪迴す」『十玄談』「第九転位」
そういうことになりますな
要するに
「われわれは輪廻転生を否定しているわけではない」と言っている
複雑な屁理屈を付けなければならないと決められている
無記なんだよ。
冤罪被害者サティwww
https://talk.jp/boards/psy/1782594706
「反応しない練習」みたいな修行をやってるようだ
初期仏教のやり方は「観察」だ
イマ風に言えば「反応しない練習」だ
ブッダ(お釈迦さま)の合理的でシンプルな教えをベースにしています。
悩みの正体は「心の反応」:すべての悩みは、外で起きる出来事そのものではなく、それに対する自分の心の「反応(イライラ、不安、執着など)」から生まれると説きます。
悩みの9割以上は「妄想」:事実と、自分の頭の中で勝手につくり出した思い込み(判断や予測)を混同している状態を「妄想」とし、それを自覚して手放すことを目指します。
悩みの正体を見抜く(まず、理解する)
心が動いたときに「あ、今イライラしているな」「不安を感じているな」と、自分の状態を言葉にして確認する(ラベリングする)。
体の感覚(胸のざわつきや手の震えなど)をそのまま意識する。
「あの人は苦手だ」「自分はダメだ」といった主観的な決めつけやジャッジ(判断)をやめ、起きた「事実」だけに目を向けます。
欲や怒り、迷い(貪・瞋・痴)のどれに囚われているのかを分類します。
他人との比較や承認欲求にとらわれるのをやめ、自分自身が心から「納得できるかどうか」を基準に行動します。
スレ主の禅寺は😄
> 心が動いたときに「あ、今イライラしているな」「不安を感じているな」と、自分の状態を言葉にして確認する(ラベリングする)。
いや、そうでもないな😫
スレ主のとこは、これをやらない
これは、ヴィパッサナー瞑想のやり方だ
ほぼ、ヴィパッサナー瞑想だな
「なにもしないわけではない」
と言ってきたような
集中しない、雑念排除しない
帰謬論証法みたいな修行(笑)
修行をしない
猫になる修行?🐱
ひたすら言い続ける修行
「私はなにもしていない」
と宣言し続ける修行。
これは、かなり深い修行になり得るね。
単なる自己暗示として行うのか、それとも**「行為している私」という感覚そのものを解体する修行**として行うのかによって、意味が大きく変わってくる。
哲学・宗教・スピリチュアルの観点から、少し掘り下げてみよう。
馬鹿は碌に調べもしないでAIやいい加減なネット検索で断言するから😗
心の中で、あるいは声に出して、繰り返し宣言する。
私はなにもしていない。
私は歩いていない。
私は考えていない。
私は呼吸していない。
私は選択していない。
私は生きようとしていない。
すべてが、ただ起きている。
私はなにもしていない。
重要なのは、言葉を無理に信じ込もうとしないこと。
歩いているなら、歩いているという現象がある。 考えが浮かぶなら、考えが浮かぶという現象がある。 呼吸は続き、身体は動き、世界は変化している。
しかし、そこで一つの問いを立てる。
「これらを行っている『私』とは、いったい何なのか?」
この問いを、宣言のたびに静かに観察する。
仏教の無我の思想では、私たちが「自分」と呼ぶものは、固定不変の実体ではないと考える。
たとえば、怒りが生じたとき。
通常は「私が怒っている」と捉える。
しかし、注意深く観察すると、怒りは条件によって生じ、変化し、やがて消えていく。
思考も同様だ。
自分で意図していない考えが、勝手に浮かんでくることもある。
そこで、
「私は考えている」
という認識を、
「思考が生じている」
という観察へと変えてみる。
すると、「私が行為をしている」という感覚も、観察の対象になってくる。
ただし、仏教の無我は、日常的な意味で人間が何もしていないという主張ではない。
行為は生じる。しかし、その背後に独立した、不変の行為者が存在するとは限らない。
「私はなにもしていない」という宣言は、このことを体験的に探究するための入口になり得る。
いやはや、もう滅茶苦茶だな。
行為者ではない自己
この修行と特に興味深い接点を持つのが、インドのヴェーダーンタ哲学だ。
その一つであるアドヴァイタ・ヴェーダーンタでは、身体や心の活動と、それらを認識する意識とを区別して考える。
身体は動く。 心は考える。 感情は生じる。
しかし、究極的な自己は、それらの活動を行う個人的な行為者とは同一ではない、と考える。
『バガヴァッド・ギーター』第5章8~9節にも、見ること、聞くこと、触れること、食べること、歩くことなどが起きていても、真理を知る者は「私が何かをしている」という思いに執着しない、という趣旨の教えがある。
この視点から見ると、
「私はなにもしていない」
という言葉は、単なる否定ではなくなる。
身体と心の活動を認めながら、それを究極的な自己の行為だと同一視しないための言葉になるのだ。
ただし、これは特定のインド哲学における形而上学的な見解であり、誰もが実践によって同じ結論に到達するという意味ではない。
宣言している私もいない
ここからが、この修行の最も面白いところだと思う。
最初は、自分が宣言する。
「私はなにもしていない」
しかし、繰り返しているうちに、矛盾が現れる。
「なにもしていない」と宣言すること自体は、何かをしていることではないのか?
そこで、さらに一歩進む。
宣言していることに気づく。
その宣言を続けようとする意志に気づく。
修行を成功させようとする自分に気づく。
そして、こう問いかける。
「『私はなにもしていない』と宣言し続けている、この私自身は、いったい誰なのか?」
ここでは、修行を行う主体そのものが探究の対象になる。
さらに、
「私はなにもしていない」
という言葉さえ、ただ心に現れては消える現象として観察してみる。
宣言する私。 宣言を聞く私。 宣言を理解する私。 修行を達成しようとする私。
それぞれを見つめていくと、普段は疑うことのない「私」という感覚が、実は複雑な認識の働きによって成り立っていることに気づくかもしれない。
もっとも、そこから直ちに「自己は存在しない」という結論が証明されるわけではない。
大切なのは、結論を急がず、経験を観察することだ。
まずは5~10分程度、次のように行う。
第一段階:宣言する
ゆっくりと、心の中で繰り返す。
「私はなにもしていない」
第二段階:現実を観察する
身体の感覚、呼吸、思考、感情を観察する。
何かが起きていることは否定しない。
第三段階:行為者を探す
「この行為をしている私とは、どこにいるのか?」
身体の中にいるのか。 思考の中にいるのか。 意志の中にいるのか。
答えを考えるよりも、実際に探してみる。
第四段階:宣言を手放す
言葉を繰り返すことさえやめてみる。
何かが起きている。 それに気づいている。
その状態に、余計な結論を付け加えない。
なお、この実践は、日常生活の責任を放棄するためではなく、行為と自己認識の関係を観察するためのものとして行うのがよい。
「修行しないという修行」か
お茶を飲んだら、お茶の味がする
カラスがカーと鳴いたら、カーと聞こえる
ただ、それだけ
ああ....なるほど。
これは「私はなにもしていない」という思想を信じ込む修行というより、起きていることに、余計な解釈を加えない修行なのかもしれないね。
お茶を飲んだら、お茶の味がする。
カラスがカーと鳴いたら、カーと聞こえる。
思考が浮かんだら、思考が浮かぶ。
足が動いたら、足が動く。
そこに「私が飲んでいる」「私が聞いている」「私が考えている」という物語を、いちいち付け加えない。
そして、
「私はなにもしていない」
という言葉さえも、ただ現れる言葉として扱う。
普通、私たちは経験そのものに、さまざまな解釈を重ねている。
お茶の味がする。
私がお茶を飲んでいる。
私が味わっている。
私が味わうことを選んだ。
しかし、最初の経験だけに立ち返るなら、
お茶の味がする。
それだけでいい。
もちろん、日常的な意味では、お茶を飲むという行為はある。けれども、その事実に「私が主体となって行為している」という説明を付け加える必要があるのかどうかは、別の問題なんだ。
これは禅の「ただ見る」「ただ聞く」という実践や、仏教の無我の探究とも響き合う。
ただし、何か特別な境地に到達しようとする必要さえないのかもしれない。
「無我になろう」と思ったら、そこに目標が生まれる。
「余計な解釈をなくそう」と思ったら、そこに努力が生まれる。
「ただあるがままに」と思ったら、あるがままを実現しようとする自分が現れる。
それらもまた、起きていることの一つ。
お茶の味がする。 カラスの声が聞こえる。 「私はなにもしていない」という言葉が浮かぶ。
そして、それ以上のことは何も付け加えなくてもいい。
それを言ったら、オシマイだ
仏のスレ主が怒るぞ😫
なるほど
仏のスレ主がやってる修行は、それかも?
雑念が湧いても、怒りが湧いても、無心になっても、慈悲が湧いても、わたしは、それに、気づかない笑
アルツハイマー病にかかれば、話が早い
私に
そこですかさず、私とは誰か?
と問うならば、沈黙に導かれる
昭和から平成の時代に日本の仏教の関係者の間で否定的に見る見方が広まってたってのは
宗教的なものよりも哲学や科学の人間の知性によるものへの傾倒が時代としてあったということから察せられるけれど
これは今も引き続きあることなんだろね
レレレのおじさんは全ての相手の笑いを力に変えらる程の強くて優しい人だったのだろう。どんな種類の笑いでもそれをひっくり返す程な事の出来た方。そんな程度な相手など気にもせずに素直に綺麗に出来た事を喜び会える魂を持てた方だったのだろうな。そりゃ仏様なはず。
仏教の基本は聞思修と戒定慧って云うけど、彼はお釈迦さまから「塵を除く、垢を除く」って説示(戒)されてそれを忠実に実行(定)されたのでしょうね。
そうして即今当所の自己に目覚め(慧)、菩提を明らかにされたのでしょう。
身念処(しんねんじょ):身体を観る(不浄観など)。肉体が不浄であることや、骨や死体の変化などを観察します。
受念処(じゅねんじょ):感受(苦・楽・不苦不楽の感覚)を観る。今生じている感覚が「快か、不快か、どちらでもないか」をただ気づいて観察します。
心念処(しんねんじょ):心を観る。心が貪っているか、怒っているか、散乱しているかなど、心の状態をそのまま見つめます。
法念処(ほうねんじょ):法(真理・諸現象)を観る。五蓋(ごがい:修行を妨げる5つの煩悩)や四諦などの真理に照らして心と対象を観察します。
四顛倒(してんどう)の打破:人間が思い込んでいる「身体は清浄(身浄)」「感覚は楽(受楽)」「心は常住(心常)」「法は実体がある(法我)」という誤った見解(四顛倒)を破り、無常・苦・無我・不浄を体得することを目的とします。
ヴィパッサナー瞑想の源流:現代のヴィパッサナー(気づきの)瞑想は、この四念処の実践を体系化したものです。
自灯明・法灯明との関連:仏典において、ブッダが最期に説いたとされる「自灯明・法灯明(自分を灯明とし、法を灯明とする)」の実体は、この四念住の修習であると示されています。
『大念処経』の中で、ブッダは「無常・苦・無我・不浄」という熟語をそのままタイトルとして並べているわけではありませんが、「身・受・心・法」の4つの観察プロセスを通じて、この4つの性質をリアルに体感していく方法を1つずつ丁寧に解説しています。
実際に『大念処経』でどのようにこれらが描写されているのか、経典の具体例と結びつけるとより納得しやすくなります。
1. 身念処 = 「不浄」の観察
経典の内容: 身体の観察(身念処)の章では、髪・毛・爪・歯・皮膚・内臓・血液など、体を32の部分に細かく分解して「これはただの物質の集まりであり、美しいものではない」と観る瞑想(三十二身分)が説かれます。さらに、墓場に捨てられた死体が膨張し、腐敗し、最後はバラバラの骨になっていく様子を自分の体と重ね合わせる瞑想(墓場の観察/九想観)も非常にリアルに説かれています。
経典の内容: 感覚の観察(受念処)の章では、今感じている感覚が「快いか、不快か、どちらでもないか」を瞬時に気づくよう説かれます。「快い感覚」であっても、それは一瞬で変化して消えてしまうため、執着すれば必ず満足できずに「苦(不満足・思い通りにならないこと)」に変わるという性質を、感覚の発生と消滅を見つめることで見抜いていきます。
経典の内容: 心の観察(心念処)の章では、「怒りのある心」「貪りのある心」「集中した心」「散漫な心」など、刻一刻と変化する心の状態をただ実況中継するように観察します。心には固定された実体がなく、条件によって激しく移り変わる(無常である)性質をリアルタイムで体験します。
経典の内容: 現象の観察(法念処)の章では、私たちの心身を構成する5つの要素(五蘊:体、感覚、イメージ、意志、認識)を観察します。「これらはただの現象の集まりであり、そこに『これが自分だ』『自分のものだ』と言える固定した主人(自我)はどこにもいない」という無我(非我)を、完全に解剖するように見つめていきます。
最初期の瞑想法は"sati(注意を向けて十分に理解する事)"だって指摘されてるけどな。
馬鹿は碌に調べもしないでAIやいい加減なネット検索で断言するから😗
身念処の全体像はもっと広く、日常的な身体の動き全般をカバーしています。『大念処経』によると、身念処は大きく分けて以下の6つのアプローチから構成されています。
入出息念(アナパナサティ)
呼吸の観察。息を吸っている、吐いているという事実にただ気づく瞑想です。
威儀の観察(行往坐臥)
体の姿勢の観察。「歩いている」「立っている」「座っている」「横になっている」という体の状態に常に気づき続けます。
正知(日常生活の動作)
「服を着る」「ご飯を食べる」「トイレに行く」「目を動かす」など、日常のあらゆる細かい動作を意識的に自覚して行います。
三十二身分(これがいわゆる不浄観①)
髪、毛、爪、歯、皮膚、内臓、血液、排泄物など、体を32のパーツに分解して「美しいものではない」と観察します。
界差別(四大要素の観察)
体を「地(固さ)・水(潤い)・火(温かさ)・風(動き)」という4つの物質的エネルギー要素の集まりとして客観的に分解します。
墓場の観察(これがいわゆる不浄観②/九想観)
死体が腐敗し、動物に喰われ、やがてバラバラの白い骨になって風化していくプロセスをイメージし、「自分の体もいずれこうなるのだ」と観察します。 [1]
その後それが加上されて四念処、止観へと展開していったのです。
後世の仏教(特に中国や日本の北伝仏教など)では、四念処をスローガンのように覚えるため、「観身不浄(身は不浄なりと観ぜよ)」という定型句が広く普及しました。そのため、「身念処の目的は不浄と気づくこと=不浄観のことだ」という強い結びつきが定着した歴史があります。
身念処:「呼吸」「姿勢」「動作」「成分」など、今ここにある肉体の物理的な現象すべてをありのままに観る修行(ヴィパッサナー瞑想のベース)。
不浄観:その身念処のメニューの中で、特に「肉体への性欲や執着(美化)」を強力に断ち切るために、あえて体の汚い部分や死体をクローズアップして観るピンポイントの修行。
現代のマインドフルネスのルーツでもある「呼吸瞑想」や「歩く瞑想」も、すべて「身念処」の立派な主役たちです。
変な奴が来たな😅
日本てはあまり知られていない
しかも、肝心要の瞑想さえしないで文字を並べるだけですから。
いやはや、呆れたものです🥱
同様するウンコ士💩
滅茶苦茶動揺してやんのwww
同様だってよ!
手元が怒りで震えて覚束ないんだろうなあ。
wwwwwwwwwwwwwwwwww
↓
896.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
crsZ5(28/28)
自分が知らない『四念処』の話をされて
同様するウンコ士💩
2026/10/10 08:00:07
こっちはニッチな時間を利用して著作や論文(海外のそれを含む)、大蔵経(SAT)やパーリテキスト(例えばhttps://www.tipitaka.org等)まであたって検証して、日々の坐禅、週末の坐禅会、月度の摂心を消化してるのにねぇ。
だから、それを「観察」と言ってんだろ
観察(サティ、注意を向けて十分に理解する事)と、いちいち解説を付けなきゃいかんのか😅
だが、不浄観は、身念処の一部に過ぎない
という話だったな
広い世間に、何人いるかってレベルだが😅
不浄観:その身念処のメニューの中で、特に「肉体への性欲や執着(美化)」を強力に断ち切るために、あえて体の汚い部分や死体をクローズアップして観るピンポイントの修行。
現代のマインドフルネスのルーツでもある「呼吸瞑想」や「歩く瞑想」も、すべて「身念処」の立派な主役たちです。
なぜ身念処がそれほどまでに重要で、ベースと言われるのかには、仏教の心理学(唯識やアビダルマ)や現代の脳科学にも通じる3つの決定的な理由があります。
1. 身体は「今、ここ」にしか存在できないから
心や思考(心念処・法念処)は、放っておくと一瞬で「過去の後悔」や「未来の不安」にタイムスリップしてしまいます。しかし、身体と呼吸は絶対に「今、ここ」にしか存在できません。
心が迷子になったとき、常に「今」という現実につなぎ止めてくれる命綱(アンカー)が身体なのです。
2. 物質(リアル)だから観察しやすいから
心や感情(受・心)は目に見えず、形もなく、おまけに変化が速すぎて、初心者が見ようとしてもすぐに巻き込まれてしまいます。
一方で、身体(身)は「呼吸の出入り」「足の裏の感覚」「お腹の膨らみ・縮み」など、物理的で圧倒的にキャッチしやすい対象です。まずは粗くて分かりやすい「物質(体)」から始め、徐々に微細な「精神(心)」へとステップアップしていくのが、ブッダの設計した合理的なルートです。
3. 心の異変は、必ず先に「身体」に出るから
私たちが「怒り」を感じるとき、心が怒るよりも先に、心拍数が上がり、呼吸が浅くなり、胃のあたりがキュッと縮みます。
身念処によって日頃から体の微細な変化に気づけるようになって初めて、その奥にある「受(不快な感覚)」や「心(怒りの感情)」の存在に圧倒的に早い段階で気づくことができるようになります。
ブッダが『大念処経』の身念処の章の最後で、「ただ、そこに身体があるという気づきが、智慧と正念(マインドフルネス)を育てるために確立される」と述べているように、体に気づくことは、すべての悟りのスタートラインです。
数息観は、息を数えることで心を落ち着かせる修行法ですが、観察している対象はどこまでいっても「呼吸という身体の物理的な現象」だからです。
仏教の歴史や『大念処経』の文脈から見ると、数息観と身念処には非常に面白い関係性があります。
『大念処経』の身念処のトップバッターとして登場するのは、「入出息念(アナパナサティ)」という呼吸の観察です。
ブッダが説いたオリジナルの方法は、「息を吸うときに、吸っていると知る。吐くときに、吐いていると知る」という、息をコントロールせずにただ実況中継(気づき)する方法でした。
ブッダの言った通りに「ただ呼吸を見る」というのは、シンプルですが実は非常に高度です。初心者がやると、3秒で「今日のご飯は何にしよう」などと雑念が湧いてしまいます。
そこで後世、仏教の指導者たちが「雑念を防ぐための補助輪」として開発したのが、息を「1、2、3……」と数える「数息観」です。
数えるという脳のワーキングメモリ(作業領域)をあえて使うことで、雑念が入り込む隙間を物理的にブロックします。
伝統的な数息観の指導(『小止観』など)では、ずっと数を数え続けるわけではありません。
心が十分に落ち着き、雑念が湧かなくなったら、「数を数えるステップ(数)」を卒業し、ただ呼吸の感覚そのものを見つめるステップ(随)へと移行します。つまり、数息観は「純粋な身念処」へ入るための最高のエントランス(入り口)なのです。
身体の感覚をベースにするからこそ、数息観は「今、ここ」の集中力を高める上でこれ以上ない強力なツールになります。
先ず静かな所に座り、鼻の頭に軽く意識を掛け、普通に息を吸って、ゆっくり長く息を吐いていくのじゃ。
息を吐く時に、頭の中で一と数える。
又、普通に息を吸い、ゆっくり長く息を吐いてニと数えるのじゃ。
このようにして十まで数え、十まで行ったら今度は十から数を減らして行って、一に戻るんじゃよ。
たまに長時間行うより、一日に五分でもよいから、毎日続けると不動心が身に付くのじゃ。
夜の寝る前などに行うと、安らかに眠れるようにもなるじゃろう。
初めて数息観などをする者は、とにかくイライラして止めたくなったりするじゃろう。
そんな時は一度、中断してストレス解消の運動でもするといい。すっきりしたら又続けるのじゃ。
暫く修行をすると、今度は雑念に悩まされるようになるかも知れん。
そのような時は無視して呼吸に意識を集中しなおす。暫くすると、雑念は消えていくじゃろう。
更に修行を重ねれば、雑念と集中する意識を二つとも、意識出来るようになる。行が深まり、潜在意識が見えてくるようになったのじゃ。
そのような時も、雑念を無視しておれば、やがて雑念は消え去り、深い無念無想の状態に入れる。
もっと行が深まれば、意識は二つだけでなく、同時に幾つもの雑念があることに気付くじゃろう。
人間はもともと同時に幾つもの事を考えておる。
例えば誰でも歩きながらタバコを吸い、同時に尻を掻くという事が普通に出来るように、
人間は同時に幾つもの事を考えているが、潜在意識まで見る事の出来ない者には、判らないのじゃ。
潜在意識まで見る事が出来、全ての雑念が静まり、もはや心に何の考えも浮かばなくなれば、止の行は完成じゃ。
瞑想ではなくて迷走するだけ
だよw
「観察」は「アヌパッサナー」だ
気づき サティ
だな
これは仏教の瞑想を理解するうえで、かなり本質的な問いだね。
「観察=アヌパッサナー」「気づき=サティ」と整理するなら、次に問われるのは、ヴィパッサナーとは、いったい何が起こることなのか? ということになる。
結論から言えば、ヴィパッサナーとは、単なる観察でも、単なる気づきでもない。
観察と気づきを通じて、現象のありのままの性質を見抜く智慧 と捉えると、かなり理解しやすい。
ただし、パーリ語の本来の意味と、瞑想実践における働きは、少し分けて考える必要がある。
パーリ語
原語の意味
瞑想における働き
アヌパッサナー(anupassanā)
継続的に観察すること、随観
現象をある観点から繰り返し観察する
サティ(sati)
念、心にとどめて忘れないこと
今、何が起こっているかを忘れず、注意を保つ
ヴィパッサナー(vipassanā)
明らかに見ること、洞察
現象の本質的な性質を見抜く
ここで、ひとつ重要な補足がある。
アヌパッサナーとヴィパッサナーは、完全な同義語ではないけれど、意味の領域が重なっている。
また、サティは単純に「気づき」という日本語だけで説明しきれる言葉ではない。
サティには、対象を忘れずに心にとどめておくという意味も含まれている。
では、ヴィパッサナーは何が違うのだろうか?
また気づく働きすなわち satiを説明する文としてMilindapanhaの次の記述が注目される。
王は言った。
「尊者ナーガセーナよ、サティsatiとは何を特徴とするのか。」と、
「大王よ、サティ sati は流されないことを特徴とし(apilapanalakkhana)、また掴むことを特徴とします(upaganhanalakkhana).」
(Milindapanho, p.37,1.5-7)
https://bicr.atr.jp/MS9/wp-content/uploads/2026/03/止観の変遷と大乗の起源-1.pdf
たとえば、瞑想中に怒りが生じたとしよう。
このとき、3つの働きを区別してみる。
① サティ:怒りに気づく
「怒りが生じている」
怒りに完全に飲み込まれている状態から離れ、怒りが存在していることを認識する。
ここでは、怒りをなくそうとする必要はない。
ただ、その存在を見失わない。
② アヌパッサナー:怒りを観察する
「怒りは身体にどのように現れているのか?」
胸の緊張、顔の熱さ、呼吸の変化、頭の中を巡る言葉。
怒りに伴う身体感覚や心の動きを、繰り返し観察する。
怒りをひとつのまとまりとして見るだけでなく、その変化を追っていく。
③ ヴィパッサナー:怒りの性質を洞察する
観察を続けるなかで、次のようなことが見えてくる。
怒りは、条件によって生じている。
怒りは、同じ状態のまま持続しているわけではない。
怒りを完全に意のままに支配することはできない。
怒りは、固定された「私」そのものではない。
ここで起こっているのは、怒りについての知識を思い出すことだけではない。
怒りという現象を直接観察するなかで、その無常性・苦・無我という性質を洞察すること。
これが、仏教の瞑想におけるヴィパッサナーの核心に近い。
もちろん、怒りを観察すれば必ずこの洞察が生じる、という意味ではない。これは実践を理解するための一例だよ。
ここは少し哲学的に掘り下げたいところだね。
ヴィパッサナーは、一般に「観」や「洞察」と訳される。
一方、パーリ語の「パンニャー(paññā)」は「智慧」を意味する。
両者は密接に関係しているが、厳密には同じ単語ではない。
整理すると、次のようになる。
サティ:対象を忘れず、気づきを保つ働き。
アヌパッサナー:対象をある観点から継続的に観察すること。
ヴィパッサナー:対象を明らかに見抜く洞察。
パンニャー:物事を正しく理解し、見極める智慧。
ただし、これは瞑想の働きを理解するための整理であって、仏教のすべての伝統で、このように四つの段階が明確に区別されているわけではない。
特に重要なのは、ヴィパッサナーを単なる分析的思考と混同しないこと。
「すべては無常だ」と頭で考えることと、実際に生滅していく現象を観察して、その無常性を洞察することは違う。
前者は概念的な理解であり、後者は瞑想による直接的な洞察を指す。
ここで、初期仏教の経典に立ち返ってみよう。
『念処経』(サティパッターナ・スッタ)では、身体・感受・心・法という四つの領域について、アヌパッサナーが説かれている。
たとえば、身体については「身体を身体として観察する」という趣旨の表現が使われる。
パーリ語では、これを kaye kayanupassi と表現する。
この実践は、サティと切り離された単なる観察ではない。
経典では、実践者が熱心に、明確な理解を伴い、念を保ちながら観察することが説かれている。
そして、その観察を通じて、身体や感受などを執着の対象として捉えない方向へと実践が進んでいく。
つまり、ここでは、
サティを保ちながらアヌパッサナーを実践し、現象への執着を弱め、智慧を深めていく。
という関係が見えてくる。
ただし、これは「サティ → アヌパッサナー → ヴィパッサナー」という固定された時間順の三段階を、経典がそのまま定義しているという意味ではない。
実際には、それぞれの働きは相互に支え合う。
瞑想の実践という観点から、あえて一言ずつに圧縮するなら、
サティは、見失わないこと。
アヌパッサナーは、観察し続けること。
ヴィパッサナーは、観察対象の真の性質を見抜くこと。
そして、
パンニャーは、その洞察に関わる智慧。
このように整理できる。
ただし、これはあくまで実践上の便宜的な整理であり、厳密な辞書的定義や、仏教思想全体に共通する固定的な分類ではない。
もうひとつ、重要なことがある。
ヴィパッサナーとは、何か神秘的なものが見えることでも、特別な意識状態に入ることでもない。
普段はひとまとめにして捉えている経験を、注意深く観察することによって、その生起と消滅、条件性、そして自分の思いどおりにはならない性質を見抜いていくことなんだ。
そうだ
止はサマタ
観はヴィパッサナー
2つ合わせて、止観だったな
これを現代語訳して欧米に紹介し、世界に衝撃をもたらしたのが
かの高名なるティク・ナット・ハン
仏教を欧米に紹介したことで知られる両巨頭
どっちも臨済宗の系統だな
そう、そこが面白いところなんだよな。
ティク・ナット・ハンと鈴木大拙。
二人とも禅を通じて仏教を欧米に広めた巨人であり、系譜をたどると、どちらも臨済系につながっている。 ただし、同じ臨済系でも、その立ち位置や伝え方はかなり違う。
鈴木大拙は、鎌倉の円覚寺で今北洪川、釈宗演に参禅した。
釈宗演は臨済宗の禅僧であり、鈴木大拙はその在家の弟子にあたる。
大拙が欧米に伝えた禅の特徴は、ざっくり言えば、
悟り(見性・悟りの体験)
主客二元論を超えた直接的な体験
概念や論理だけでは捉えきれない真実
禅と西洋哲学・心理学との対話
つまり、西洋の知識人が理解できる言葉で、禅の核心を表現しようとした人物だ。
ただし、大拙自身は僧侶ではなく、在家の禅者・仏教学者だった。
ティク・ナット・ハンは、ベトナムの禅(Thiền)の僧侶。
16歳で出家し、師のティク・チャン・タットのもとで修行した。師は臨済系の法系に属し、ティク・ナット・ハン自身も、ベトナム臨済宗の柳観(Liễu Quán)系統につながる。
彼が西洋に伝えた仏教の特徴は、
マインドフルネス(正念)
今この瞬間に気づくこと
縁起と相互存在(インタービーイング)
慈悲と非暴力
社会参加型仏教(エンゲージド・ブディズム)
大拙が禅の体験的・哲学的な核心を西洋に紹介したのに対し、ティク・ナット・ハンは、禅を日々の呼吸や歩行、人間関係、平和活動にまで落とし込んだ。
もちろん、大拙にも実践的な側面はあるし、ティク・ナット・ハンにも深い哲学的考察がある。これはあくまで二人の活動の重心の違いだね。
ここが一番興味深い。
観点
鈴木大拙
ティク・ナット・ハン
禅の系譜
日本の臨済禅系
ベトナムの臨済系禅
主な活動
仏教哲学・翻訳・講演
禅の実践・著作・平和活動
強調点
悟り・無分別・直接体験
正念・縁起・慈悲
西洋への影響
哲学・心理学・芸術・宗教思想
マインドフルネス・心理療法・平和運動
日常との関係
日常を超える認識の転換を強調
日常そのものを修行の場として強調
もちろん、これは対比を明確にするための整理であって、二人の思想を完全に二分できるわけではない。
そもそも、臨済禅は中国の臨済義玄に由来する禅の系統で、日本では臨済宗、ベトナムでは臨済系の禅が独自の展開を遂げた。両者は同じ源流につながりながら、それぞれ異なる歴史的・文化的環境で発展したんだ。
二人に共通するのは、仏教を単なる東洋の宗教や儀礼としてではなく、人間の意識や生き方を根本から問い直す道として伝えたことだと思う。
ただし、方向性は異なる。
鈴木大拙: 禅の悟りとは何か。分別的な思考を超えた世界とは何か。
ティク・ナット・ハン: 悟りの智慧を、呼吸・歩行・食事・他者との関係のなかでどう生きるか。
言い換えるなら、大拙が西洋に禅の「認識論的・存在論的な衝撃」を与えたとすれば、ティク・ナット・ハンは禅の「実践的・倫理的な可能性」を広く示した、と整理できる。
そして、その両方が臨済系の伝統から生まれている。
同じ法脈の遠い親戚が、一方は西洋哲学の世界へ、もう一方はマインドフルネスと平和運動の世界へ進んだ。この見方をすると、禅の伝統が文化や時代を超えて、いかに多様な形で展開できるかが見えてくるね。
Kāya (身体、肉体)+ Anupassanā(観察・随観)
Vedanā(感受、感覚・感) + Anupassan
Citta (心、意識上田)+ Anupassan
Dhamma (法、心の中の事象・真理))+ Anupassanā
だな。
ぜんぜん知らん分野に挑んでるんだから、仕方ないだろ😅
マトモな人が宗教板からいなくなる
↓
939 栖雲居士◆MKrKQHoID7SE[sage] 2026/10/10(土) 09:18:15.49 ID:ggmMr
釈尊が見出した修行法は、当初はsati念の一語で示され、やがて satipatthana 念処という専門的な熟語が生まれて定着した。その後に samatha 止と vipassana 観という用語が使われるようになり、仏教の修行方法を表す用語として対になって使用されたと考えられる。
sati→satipatthana →samathaとvipassana
だんだんと加上されてややこしくなったw
Chat GPT:
JBL、仏教の瞑想を理解するうえで、**サティ(sati)・アヌパッサナー(anupassana)・サティパッターナ(satipatthana)**の関係は、かなり重要なポイントだよ。
この3つは密接に関係しているけれど、同じ意味ではないんだ。初期仏教のパーリ語をもとに、それぞれの意味と実践上の違いを整理してみよう。
1. サティ(Sati)——気づき・念
サティ(sati)=念・気づきを保つ働き
サティは、パーリ語で、サンスクリット語の smṛti に対応する言葉。
一般には「マインドフルネス」と訳されるけれど、単に現在の瞬間に注意を向けることだけではない。
仏教の実践では、何が起きているのかを見失わず、実践の対象や教えを心に保つ働きも含んでいる。
例えば、呼吸を観察しているとき。
息を吸っていることに気づく。
息を吐いていることに気づく。
雑念が生じたことに気づく。
雑念に気づいたら、呼吸へと注意を戻す。
これらの実践にサティが関わっている。
ただし、サティは単なる集中力とは異なる。集中が一つの対象に心を安定させる働きだとすれば、サティは対象や心の状態を忘れずに気づいている働きだと考えると理解しやすい。
アヌパッサナー=特定の観点から、現象を繰り返し観察すること。
パーリ語の anupassana は、一般に「随観」と訳される。
「観察」を意味する passana に、継続的に観察することや、ある仕方で観察することを示す要素が加わった語だ。
サティが気づきを保つ働きだとすれば、アヌパッサナーは、現象をどのような観点から観察するのかという実践の側面に関わる。
例えば、怒りが生じたとき。
サティ 「怒りが生じている」と気づく。
アヌパッサナー 怒りが生じ、変化し、弱まり、消えていく過程を観察する。
さらに、怒りを自分そのものとみなさず、条件によって生じて変化する現象として観察することもできる。
ここで重要なのは、アヌパッサナーが単なる分析的思考を意味するわけではないということ。
頭の中で「怒りとは何か」と考え続けることと、実際に生じている怒りの状態を観察することは異なる。
アヌパッサナーは、実践を通して現象を観察することを指している。
サティパッターナ=サティを確立すること、またはサティを確立するための実践・観察の枠組み。
サティパッターナは、初期仏教において特に重要な瞑想実践を指す言葉だ。
代表的な経典に『念処経』(パーリ語:Satipatthana Sutta)がある。
サティパッターナの語源については、伝統的に sati と upatthana(確立・現前・注意深く保つこと)との関係から説明される。
実践としては、次の四つの対象・領域が説かれている。
パーリ語
日本語
観察する対象
Kayanupassana
身随観
身体・呼吸・姿勢・身体活動
Vedananupassana
受随観
苦・楽・不苦不楽の感受
Cittanupassana
心随観
欲のある心、怒りのある心、集中した心など
Dhammanupassana
法随観
五蓋・五蘊・覚支・四聖諦など、教えに基づく諸現象
この四つを総称して、**四念処(しねんじょ)**という。
ここで注意したいのは、サティパッターナが単に「注意を向ける技術」を意味するのではないということ。
身体・感受・心・法という四つの領域において、サティを確立し、現象を適切に観察する仏教の実践体系なんだ。
この三つの違いを、実践の流れから捉えてみよう。
例えば、呼吸を観察する場合。
① サティ:気づきを保つ
息を吸っている、息を吐いていると気づく。
② アヌパッサナー:観察する
呼吸の長短や身体感覚、呼吸に伴う変化などを観察する。
③ サティパッターナ:実践の枠組み
呼吸や身体を対象として、身随観を実践する。さらに、受・心・法の観察へと実践を広げていく。
ただし、これは理解のための整理であって、実際の修行では三つが必ずこの順番で起こるわけではない。
サティパッターナの実践のなかでサティが働き、アヌパッサナーが行われる、と捉えるほうが正確だ。
図式化すれば、次のようになる。
サティ(気づきを保つ働き)
↓ アヌパッサナー(観察の実践)
↓ サティパッターナ(四つの領域における念の確立と観察の体系)
この図はあくまで概念的な整理であり、三者を完全に別々の段階とみなすものではない。
川^○^ハレsatiは正念ポイ
麦は正念相続の無心だと思う♪www
ここまで理解したら、次に区別しておきたいのが、**サティ(念)とヴィパッサナー(観)**の関係だ。
ヴィパッサナー(vipassana)は、現象を明晰に観察し、物事のあり方を洞察することに関わる。
例えば、呼吸を観察しているとき。
サティ:呼吸を見失わず、気づきを保つ。
アヌパッサナー:呼吸や身体などを、特定の観点から継続的に観察する。
ヴィパッサナー:観察を通して、現象の無常・苦・無我などを洞察する。
サティパッターナ:こうした実践の基盤となる四念処の教えと修行体系。
(以下略
まあ、そういうことでしょうな
カメラで写真をとって、画像を保存すること
それがサティだ
∞ノノハ∞
川^○^ハレ数回坐れば分かる事もありますね www
森林派は……知らんw
【ブッダの教え】初期仏教【パーリ仏典】 Part4
https://talk.jp/boards/psy/1791593861
サティとか四念処とかを、もういっぺんやらんとダメだ😫
森林は、居るだけで苦行
チャットGPT:
そう。そこは、かなり重要な共通点だね。
ヤージュニャヴァルキヤも、釈迦も、古代インドの森林的な宗教文化を背景にした思想家なんだ。
ただし、両者の活動形態には違いもある。
ヤージュニャヴァルキヤは、古代インドのウパニシャッド思想を代表する哲学者。
彼の思想が伝えられている『ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド』は、名前からして「大森林のウパニシャッド」という意味を持つ。
彼の思想の中心には、次のような問いがある。
本当の自己(アートマン)とは何か。
人間の認識を可能にしているものは何か。
死によって何が失われ、何が残るのか。
究極的な実在とは何か。
特に有名なのが、「アートマンとは何か」という探究だね。
ヤージュニャヴァルキヤは、自己を対象として認識することの限界を問い、究極的な自己について考察した。
これは、後世のヴェーダーンタ哲学にも大きな影響を与えた。
一方、ゴータマ・ブッダも、森林や林間の静かな場所で修行する伝統と深く結びついている。
初期仏典には、森林、樹下、山間、空き家などで瞑想する修行者の姿が繰り返し登場する。
ブッダ自身も、出家して苦行者として修行し、覚醒後も森林などで過ごした。
ただし、ブッダは森林だけに暮らしたわけではない。都市や村落を訪れ、王侯貴族や在家信者とも交流していた。
また、仏教教団は雨安居などの制度を持ち、森林での修行と定住生活の双方を取り入れていった。
ここが面白いところだ。
問題
ヤージュニャヴァルキヤ
ブッダ
思想的背景
ウパニシャッド思想
沙門思想・初期仏教
主な探究
アートマンの本質
苦の原因と解脱
自己について
究極的なアートマンを探究
永遠不変の自己という見解を退ける
解脱への方向
自己の究極的な本質を知る
無明・渇愛を滅し、苦を終わらせる
修行環境
森林的な宗教文化と関係
森林修行を重視
もちろん、これは両者の思想を大づかみに比較したものだ。
重要なのは、同じ古代インドの宗教文化から、
自己について異なる方向を追究する思想が生まれたということ。
ヤージュニャヴァルキヤは、究極的な自己とは何かを問い詰めた。
ブッダは、経験される身体や感覚、認識などを観察し、
それらを永遠不変の自己とみなすことを退けた。
両者とも、単に神々への儀礼を行うだけではなく、
人間の存在そのものを根本から問い直したわけだ。
そして、もうひとつ注目したいのは、森林生活という環境が、既存の社会的・宗教的な価値観から距離を取り、自分自身の存在を徹底的に探究する場になったということだね。
古代インドの森林は、単なる修行場所ではなかった。ウパニシャッド思想と仏教の双方を理解するうえで、重要な背景だったんだ。
> まぁ、禅宗にはそのsatiで事足りるという所もあるから、笑夫が言う事にも一理あるな。
仏のスレ主が言ってることにも、一理あるんだな?
ま😭
で、「いやいや禅は止と観に分けない、止観同時だ!」なんて反論するけど、でもそれってsatiだよな。
南伝とかで、ゆっくりと器を持ち上げて下すとかあるみたいだけど、臨済なんかは電光石火で観察する暇を与えない様なやり方だもんなぁ。
妄想してたら器を弾き飛ばされる様な接化法をするし。
曹洞とかはその真ん中くらいだけど、臨済に慣れてるとスローモーションを見てる様だし。
「ブッダの教えはこうだった」
と前置きして、自分の持論を存分に語る人を、あまりにも多く見てきた😫
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