【南無阿弥陀仏】浄土教 【極楽往生】 Part2最終更新 2026/04/09 20:231.◆JBLfMwCXhY4GsM3南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏・・・前スレ【空也から】浄土教を語る【親鸞会まで】https://talk.jp/boards/psy/16908657922026/03/28 14:37:47111コメント欄へ移動すべて|最新の50件2.◆JBLfMwCXhY4GsM3阿弥陀如来は、逃げる者をも追いかけて救うhttps://d.kuku.lu/k4fx4hb7r2026/03/28 14:51:393.神も仏も名無しさんXifDiだそうだどんな服装で行けば良いのでしょうか [ 坐禅会について ]よく来られる方や、本格的に坐禅修行している方は、着物と袴や作務衣を着ていますが、だらしの無い格好でなければジーンズやジャージなど普段着でかまいません。ですが生地の硬いジーンズの場合は、血行が悪くなって足が痛くなる傾向があります。締め付けるところが無いゆったりしたものが理想的です。2026/03/28 17:59:254.神も仏も名無しさんXifDiだそうだ居士禅(こじぜん)とは何ですか? [ 素朴な質問 ]居士とは非出家者、つまり在家の者のことをいいます。在家ですから、実社会にあってはそれぞれの職業を持っています。もちろん学生や、主婦の方も含まれます。出家者である専門の雲水修行者が、僧堂において雲水の立場から修行を行っているのに比べ、居士禅では、在家の人達が主体であるために、正式に僧籍を持つ者以上に社会に密着した姿で修行を行うことになります。居士禅では、実社会の中にあってなおかつ純粋に自己確立を目指すことが求められ、それによって自分に安心を与えるとともに、修行によって悟り得た徳力を各自の領域、職域において自然に発露していくことで社会に貢献することが目標とされます。坐禅道場と言うと、何か敷居の高いような気がするのですが?確かに初めての方の中には、禁欲的で、俗世間から離れたイメージの方もおられるかもしれません。しかし、人間禅道場は居士禅の専門道場としての長い伝統の中で、皆が学生生活・社会人生活を送りながら坐ってきた道場です。確かに摂心会ともなれば厳しい雰囲気の中で行われます。、初めから摂心会に参加すると、面食らうかもしれません。そのため、 とりあえずは静坐会に参加されてはいかがでしょうか?2026/03/28 18:01:425.神も仏も名無しさんXifDiだそうだ参禅修行とはなんですか?曹洞宗では参禅と言うと、坐禅しに行くことを意味しますが、臨済宗においては参禅とは老師と1対1で禅問答を行うこと修行のことを指します。 また独参ということもあります。人間禅は臨済宗系なので、参禅修行は老師と1対1で禅問答を行います。摂心会(せっしんえ)や、禅フロンティアで参禅が行われますが、鐘をカーン、カーンと鳴らして修行者が廊下を小走りに行くのは老師に参禅をしているのです。 会員になっていない一般の方も「参禅願い」を提出して参禅を願い出ることができます。参禅願いを提出した全員が老師に呼ばれて面談を行います。その際、人間禅の歴史や禅の修業はどういうものかが説明され、最初の公案(これを初関(しょかん)と言う)が授けられます。ここまでは参禅願いを出した全員ですが、ここから先は老師と1対1で指導を受けることになります。参禅の作法を教えてもらってからは、一人で老師の待つ室内へ走っていきます。ここで公案の見解(けんげ 答えのようなもの)を提して、老師に判別を請うのですが、その室内の事は他言してはいけません、つまり、秘密にすることになっております。後に続く修行者の妨げになると考えられているからで、これ以上は書くことができません。2026/03/28 18:04:036.神も仏も名無しさんXifDi3月の予定東京東支部 第172回摂心会期間:3月28日~4月4日場所:擇木座禅道場 担当師家:了々庵老師2026/03/28 18:10:437.神も仏も名無しさんXifDiしっかり学ぼうhttps://ningenzen.org/free/bukkyo-kouza2026/03/28 18:14:068.神も仏も名無しさんXifDiだそうだ話が少しそれますが、ここで「居士禅」と「出家禅」という言葉を整理しましょう。人間禅も円覚寺法系を継承しており、人間禅創立以来66年間にわたり居士禅という言葉を使って来ましたが、調べてみますと、居士禅という言葉を使っているのは円覚寺法系のみであり、日本全体では在家禅が主流であることを知りました。更に居士は士(さむらい)の字で表されるように、男性を指す言葉であり、居士禅というと厳密には女性はオフリミットの意味合いになります。人間禅は、創立以来男女の差別はまったくありません。今後は一般にも博く使われている「在家禅」という言葉を居士禅に替えて使う方が良いのではと考え、以下「在家禅」でお話しを進めます2026/03/28 19:03:459.◆JBLfMwCXhYirCDe「人間禅」と言われるのを嫌がって「セイウン居士」から鹿野園に戻した2026/03/28 21:24:5510.◆JBLfMwCXhYirCDeセイウン居士じゃ、人間禅っぽいもんなあ2026/03/28 21:25:0711.◆JBLfMwCXhYirCDe禅だと:逃げるな今ここを見ろ浄土真宗だと:逃げてもいいその逃げているあなたを、すでに救っているこの差はかなり大きいです。2026/03/28 21:34:0212.神も仏も名無しさんMKOhe>>11最近、正統派瞑想仏教以外の研究が進んだので真宗の中心が解ってきたそれは「脱世俗」キリスト教、イスラムも神道もそもそも脱世俗だ盤珪みたいな発想世界き生きていると真言華厳も含めて「脱世俗」のイメージが薄くなってくる😀2026/03/28 21:37:2113.神も仏も名無しさんMKOhe真宗の「脱世俗」は脱世俗といえども、極楽浄土のあの世の浄土を目指す脱世俗である😀2026/03/28 21:38:1914.神も仏も名無しさんMKOhe山伏、念仏聖、神仏習合も「脱世俗」を目指す禅は脱世俗ではなくリアリズムが一番濃い故に山伏、念仏、神仏習合がわかりにくかった😀2026/03/28 21:39:4315.神も仏も名無しさんMKOheディスペンなんかは脱世俗の教義としてこだわったのだろう😀2026/03/28 21:40:2116.神も仏も名無しさんMKOheプロテスタントの信仰義認は生きるマジメな生き方を要求したりするが死後に天国に行く為である😀2026/03/28 21:41:3217.◆JBLfMwCXhYirCDeなるほど「脱世俗」か~😆2026/03/28 21:52:4718.神も仏も名無しさんMKOhe「脱世俗」のキーワードは意外な場所から見つけたユーチューブから😀2026/03/28 21:58:2019.神も仏も名無しさんMKOhe出口王仁三郎も脱世俗だ茂吉は我欲どっぷり😀2026/03/28 21:58:5820.神も仏も名無しさんYnuqHNO1はかなりお怒りだ😀2026/03/28 22:40:4821.◆JBLfMwCXhYPPm22ハッスルNo.1も、なかなか戦う相手がいないな~😅2026/03/29 07:04:2522.神も仏も名無しさん4eydxま、相手にしないからなー?そっちは花粉症でパワーダウンか?😫2026/03/29 07:20:1923.◆JBLfMwCXhYPPm22ちょっとパワーダウンしてるな~😫2026/03/29 07:26:5524.神も仏も名無しさん4eydxしかし、花粉症のやっかいなのは風邪か花粉症かわからんところだな?😫2026/03/29 07:33:0125.◆JBLfMwCXhYPPm22カゼに症状が似ている2026/03/29 07:37:5926.◆JBLfMwCXhYPPm22**親鸞教学(しんらんきょうがく)**は、親鸞が展開した仏教思想で、従来の仏教とはかなりラディカルに異なる特徴を持っています。核心だけ押さえると、驚くほどシンプルで深いです。■ 核心:他力による救い親鸞の教えの中心は一言でいうと👉 「人は自力では救われない」です。ここでいう救いとは、煩悩に満ちた人間が迷い(輪廻)から解放されること。2026/03/29 08:59:3327.◆JBLfMwCXhYPPm22■ 阿弥陀仏の本願親鸞は、阿弥陀如来の**本願(特に第十八願)**を絶対視します。👉 内容(要約) 「どんな人間でも、私(阿弥陀)を信じて念仏すれば救う」ここがポイントで善人だけではない修行者だけでもない悪人すら対象2026/03/29 08:59:5328.◆JBLfMwCXhYPPm22■ 悪人正機(あくにんしょうき)親鸞教学で最も有名な思想。👉 「悪人こそが救いの正しい対象である」これは誤解されやすいですが善人 → 自力に頼る余地がある悪人 → 完全に自力を捨てざるを得ないつまり👉 「自力を捨てた者こそ、他力に完全に乗る」2026/03/29 09:00:1729.◆JBLfMwCXhYt2AVi■ 信心(しんじん)親鸞にとって決定的なのは👉 念仏そのものではなく「信心」です。ここでいう信心は自分が信じることではなく阿弥陀仏に信じさせられること(他力)つまり👉 信心すら「自分の力ではない」2026/03/29 09:05:0830.◆JBLfMwCXhYt2AVi■ 念仏の位置づけ「南無阿弥陀仏」は重要ですが、意味が独特です。一般:念仏=修行親鸞:念仏=救われた結果のあらわれ👉 念仏は原因ではなく「結果」■ 即得往生(そくとくおうじょう)普通の浄土教では👉 死後に極楽往生ですが親鸞は👉 信心が決まった瞬間に往生は確定つまり今この瞬間に救いは成立している2026/03/29 09:06:3331.◆JBLfMwCXhYt2AVi■ 自力と他力の徹底対立親鸞はここを徹底的に掘り下げます。自力他力修行・努力阿弥陀の働き自分の力仏の力条件付き無条件👉 親鸞はほぼ完全に「他力」に振り切る■ 絶対他力その極限がこれ👉 「善も悪も関係ない」なぜなら善を積むのも結局「自力」だから救いの条件にならない■ 倫理はどうなるのか?ここがよく問題になる点。親鸞は👉 「悪をしてよい」とは言っていないむしろ本当に他力に気づいた人は自然に惭愧(ざんき)の心が生まれる2026/03/29 09:07:0432.◆JBLfMwCXhYt2AVi■ なぜ親鸞だけ別宗派になったのか(あなたの前の質問ともつながる重要点)親鸞の立場は法然の弟子でありながら教えをさらに徹底化結果👉 「修行」という概念そのものを解体してしまった■ まとめ(核心だけ)親鸞教学を一行で言うと👉 「人は何もできないが、それでもすでに救われている」2026/03/29 09:07:1733.◆JBLfMwCXhYt2AVi>>29> ここでいう信心は> 自分が信じることではなく> 阿弥陀仏に信じさせられること(他力)> つまり> 👉 信心すら「自分の力ではない」なんか、イスラム教っぽいな2026/03/29 09:07:4334.◆JBLfMwCXhYt2AViイスラム教ではアッラーを信じる者は天国に往き、信じない者は地獄に投げ込まれるでも、アッラーを信じる者は、アッラーがそのように仕向けたのであり信じない者は、アッラーが目と耳をふさいだのである結局のところ、アッラーを信じるか信じないかを決めているのは、アッラーなのである2026/03/29 09:09:5135.◆JBLfMwCXhYt2AVi浄土真宗も、それに似たところがあるな2026/03/29 09:10:0936.エロ和尚◆ERO.Kk3nCA7WZgW>>34>>信じない者は、アッラーが目と耳をふさいだのである聖書では、神がサタンを派遣して人間の信仰心を試す場面が多いね2026/03/29 09:33:5537.エロ和尚◆ERO.Kk3nCA7WZgW>>32>>親鸞教学を一行で言うと>> 「人は何もできないが、それでもすでに救われている」晴佐久神父と、微妙に違うねhttps://m.youtube.com/watch?v=SgvbysxCb2o&list=PLIu-pTftRZuYICak6cNbIf19wjzda2T_6&index=1&pp=iAQB(12分地点から25分地点)2026/03/29 09:36:4738.◆JBLfMwCXhYt2AVi神を信じない者は神に試されているのか2026/03/29 14:01:1539.◆JBLfMwCXhYt2AVi☀サク神父は、現代の親鸞か?2026/03/29 14:01:5140.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAgupjQ仮土 真土 について真土とは、一切の衆生を平等に救おうとする阿弥陀仏の誓願に報いあらわれた浄土である。阿弥陀仏は、どのような人であっても、どれだけ時を経ようとも、必ず摂め取って救おうとする光明無量と寿命無量の誓願をおこし、この大悲の誓願にこたえる真仏土を成就している。仮土は、どうしても自力を棄てることの出来ない凡夫を導くために、自力の行によって往生する浄土として設けられた、仮の世界である。それは、諸善万行を修して、あるいは自力で念仏を修して願う、方便化身土として表される浄土である。https://www.bing.com/search?q=%E4%BB%AE%E5%9C%9F%E3%80%80%E7%9C%9F%E5%9C%9F%E3%80%80&qs=n&form=QBRE&sp=-1&lq=0&pq=%E4%BB%AE%E5%9C%9F%E3%80%80%E7%9C%9F%E5%9C%9F%E3%80%80&sc=0-6&sk=&cvid=35591BA2E0C647CD8EE42B82D9757C742026/03/30 14:26:3041.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAgupjQそのようにして自力で願う仮土を浄土であると思い、本願によって誰もが平等に救われる真土が明らかにならないことを、「如来広大の恩徳を迷失している」と言われた。しかし、真土が明らかになれば、もう仮土は不要になると思うことも、また「恩徳の迷失」になるのではないだろうか。真土と仮土とは一方を棄て一方を取るというのではなく、真と仮とが相俟ってはたらく関係として聞思していくことが、大切であるように思われる。2026/03/30 14:28:3442.◆JBLfMwCXhYBAaM6そうだ真仏土浄土と、化身土浄土これこそ、親鸞思想理解の鍵2026/03/31 14:04:5143.◆JBLfMwCXhYBAaM6誤解された歎異抄| 梅原 猛に、そう書いてあった2026/03/31 14:06:2744.◆JBLfMwCXhYBAaM6この本を読んだ頃はA.I.はもちろん、インターネットすら無かったな2026/03/31 14:06:5045.◆JBLfMwCXhYBAaM6情報量が限られていたため、貴重だった2026/03/31 14:07:1146.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAemq0d>>42そう浄土を区分けする必要性が低い点2026/03/31 14:07:2147.◆JBLfMwCXhYBELyQ真仏土(しんぶつど)と化身土(けしんど)は、親鸞が『教行信証』で説いた、浄土の二つの性質。阿弥陀仏の本願による真実の報土(真仏土)と、自力の心で往生する仮の浄土(化身土・方便化土)を区別し、真実報土への往生こそが真宗の目的(真実の教え)であると説く。2026/03/31 14:40:1148.◆JBLfMwCXhYBELyQ真仏土浄土(真実の報土)定義: 阿弥陀仏が法蔵菩薩の時に立てた、第18・19・20願(本願)に基づき、阿弥陀仏が成就した真実の浄土。特徴: 浄土真宗では、ここを「真の報仏土」とし、本願力を信じて「無上心(真実の心)」で念仏する者が往生する場所。意義: 真宗の正意(真実の教え)。2026/03/31 14:40:2649.◆JBLfMwCXhYBELyQ化身土浄土(方便化土・仮の浄土)定義: 第19・20願(諸行・諸善の願)に基づいて往生する、方便の浄土。特徴: 自力的な心(疑心)で「名号」を称えて往生する場所。ここへの往生は、真実の報土に誘引するための「過程」とされる。異称: 方便土、仮の浄土、懈慢土(けまんどう)など。2026/03/31 14:40:4450.◆JBLfMwCXhYBELyQ真宗における解釈親鸞は、善導大師の教えに基づき、真(本願・真実)と仮(自力・方便)を厳格に区別した。真仏土: 真実の信心(他力)により、仏の救いに完全に委ねる往生。化身土: 自身の善根(自力)に頼る心が残っている場合の往生。親鸞の真宗は、この化身土を「真実の報土へ誘う方便の浄土」と位置づけ、真実報土への往生を強く説く。2026/03/31 14:41:0351.◆JBLfMwCXhYBELyQA.I.はありがたい2026/03/31 14:41:4652.◆JBLfMwCXhYBELyQ>>47-50 の要約を見ただけで梅原猛の著書を1冊まるごと読んだのと大差ない知識と理解が得られる(笑)2026/03/31 14:42:4753.◆JBLfMwCXhYBELyQなぜ、そう言い切れるかというと個人的に、何十年か前にこの本を読んだが「親鸞の浄土には、真仏土浄土と化身土浄土がある」という一点のみが、印象に残っているそれ以外は、何ひとつ記憶に残っていない(笑)2026/03/31 14:46:2554.◆JBLfMwCXhYBELyQなので、上のA.I.による要約を読めばこの本を1冊まるごと読破した人と同等の知識が得られると断言できる(笑)2026/03/31 14:47:1855.◆JBLfMwCXhYBELyQ当時は確か、高校生だったが「どっちかっていったら、ボクは化身土浄土に行きたいな?」と思った覚えがある2026/03/31 14:48:3756.◆JBLfMwCXhYBELyQというのも、化身土浄土に往くと美味しいものが食べ放題で、きれいなお姉さんたちがいるらしいなんとも、楽しそうなところだ2026/03/31 14:49:5357.◆JBLfMwCXhYBELyQ真仏土浄土の方はどうかというと何もないすべてが光輝いているだけそこは、光の世界だ2026/03/31 14:50:4558.◆JBLfMwCXhYBELyQ確か、梅原猛の本にそう書いてあった高校生のときの自分は、凄まじい記憶力を誇っていた記憶違いではないと思う(笑)2026/03/31 14:51:2859.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAemq0d>>56エロビデオが見放題!2026/03/31 14:51:5960.◆JBLfMwCXhYBELyQ>>59それなら、化身土浄土に往くまでもない個室ビデオ屋に行けば十分😫2026/03/31 14:56:2361.◆JBLfMwCXhYiKmki真仏土(しんぶつど)と化身土(けしんど)の大きな違いは、阿弥陀仏の「真実の願い」に基づくか、「方便(仮の姿)」に基づくかです。真仏土は報身(真実の仏)が住む真実の浄土であり、化身土は教化のために仮に現れた場所(方便化土)を指します。2026/03/31 16:44:2662.◆JBLfMwCXhYiKmki真仏土(真実土)特徴:真実の誓願(第十八願)に基づく。内容:阿弥陀如来の真実の報身(真実の仏)が住む浄土。性質:迷いのない本質的な悟りの世界。2026/03/31 16:44:4163.◆JBLfMwCXhYiKmki化身土(方便土)特徴:方便の誓願(第十九願・二十願など)に基づく。内容:釈尊の教化など、衆生を導くために仮に現れた場所。性質:真実の浄土に導くための「仮の浄土」であり、真実には至っていないとされる。2026/03/31 16:44:5564.◆JBLfMwCXhYiKmki親鸞は『教行信証』で、これら二つの浄土の違いを重視しました。特に「化身土」は、真実の浄土へ至る前の段階として、その救いの意義が議論されます。2026/03/31 16:45:1165.◆JBLfMwCXhYiKmki化身土浄土はどういうところなのか?**化身土浄土(けしんどじょうど)**は、一言でいうと👉「真実の悟りへ導くために、仮にあらわれた浄土」です。親鸞は、これを「方便の浄土」として位置づけています。2026/03/31 16:48:1266.◆JBLfMwCXhYiKmki■ どんな“場所”なのか物理的な場所というより、悟りに至る前段階の世界です。特徴阿弥陀仏が**仮の姿(化身)**で現れている苦しみは少ないが、まだ完全な悟りではない修行・学び・気づきを通して、真実の浄土へ進む準備をする場2026/03/31 16:48:2767.◆JBLfMwCXhYiKmki■ そこに行く人化身土に往生するのは、例えばこういう人です:念仏をとなえるが、どこか自分の力を頼っている阿弥陀仏を信じてはいるが、信心がまだ不徹底功徳や善行へのこだわりが残っている👉 つまり「半分は他力、半分は自力」という状態2026/03/31 16:48:4368.◆JBLfMwCXhYiKmki■ 何が起きるのか化身土では、自分の限界(自力では悟れないこと)に気づく阿弥陀仏の本願の深さを知る本当の信心(他力)へと転換するというプロセスを経て、最終的に👉真仏土浄土へ導かれるとされます。2026/03/31 16:48:5769.◆JBLfMwCXhYiKmki■ たとえで言うと真仏土浄土:大学卒業(完全なゴール)化身土浄土:予備校や準備期間すでに安全な場所にはいるけど、まだ“完成”ではない段階です。2026/03/31 16:49:0970.◆JBLfMwCXhYiKmki■ 親鸞の見方親鸞は、化身土についてやや厳しく見ていて、本願を疑う心がある限り、そこにとどまるしかしそれも最終的には救いへ導く働きの一部と考えました。2026/03/31 16:49:2871.◆JBLfMwCXhYiKmki当方 : 化身土浄土は、スピリチュアルでいう「中有界」や「精霊界」に似ていると思うのだがChatGPT : 興味深い視点ですね。結論からいうと、一部イメージが重なる部分はあるけれど、思想的にはかなり違うものです。まず、「化身土浄土」というのは、浄土三部経などを背景にした浄土教の枠組みで、ざっくり言えば👉仏のはたらきによって現れる“相対的・方便的な浄土”です。一方で、スピリチュアルで言われる「中有界」や「精霊界」は、文脈によりますが👉死後や物質界の外にある中間的・霊的な世界という意味合いが強いですよね。2026/03/31 16:51:4772.◆JBLfMwCXhYiKmki共通して見えるポイントあなたが「似ている」と感じたのは、おそらくこのあたりです:現実世界とは別のレイヤーにある完全な悟りの世界(究極)ではない中間的な位置づけ修行・成長・移行のプロセスに関係するこの意味では、仏教の「中有(バルド)」的な発想とも重なるため、感覚的な類似は確かにあります。2026/03/31 16:52:0573.◆JBLfMwCXhYiKmkiでも決定的に違うところここが大事なポイントです:① 実在の仕方が違う化身土浄土:仏の智慧と衆生救済のための「はたらき(方便)」精霊界・中有界:存在論的に「そこにある世界」として語られることが多いつまり仏教では、固定した“場所”というより関係性・働きなんです。② 目的が違う化身土浄土:最終的に悟り(仏果)へ導くプロセスの一部精霊界:滞在・交流・経験の場として語られることも多い③ 中心思想が違う浄土教はあくまで👉 「阿弥陀仏の救いにどう関わるか」が核心です。スピリチュアルの精霊界は👉 「霊的存在や魂の階層」といった宇宙観が中心になります。2026/03/31 16:52:2974.◆JBLfMwCXhYiKmkiまとめあなたの直感は鋭くて、「中間的な領域」という意味では似ているでも本質的には仏教:救済の働きとしての構造スピリチュアル:存在する世界の階層という違いがあります。2026/03/31 16:52:4075.神も仏も名無しさんN53Lg真宗ですら、往生の後、極楽浄土で仏道修行に励むのだからなー😀2026/03/31 22:05:4576.神も仏も名無しさんN53Lg日蓮は霊山浄土に行った後は 修行するとかの文献は、見たことがないな😀2026/03/31 22:06:3877.◆JBLfMwCXhYBAaM6>>75そうみたいだな~😆「極楽浄土では、ありがたい如来の説法を聴いて、修行がサクサク進みますよ~」てな感じのようだ2026/03/31 23:03:4878.◆JBLfMwCXhYatRAg化身土浄土には、美味しい食べ物やきれいなお姉さんがいる2026/04/01 05:38:2179.◆JBLfMwCXhYatRAg化身土浄土には、美味しい食べ物やきれいなお姉さんがいるその言い方、ちょっと誤解が混ざってるかもしれないね。**「化身土浄土(けしんどじょうど)」**は、仏教(特に浄土思想)でいうと、阿弥陀仏の救いの中でも「まだ完全ではない段階の浄土」を指すことが多いんだ。修行の進み具合によって見える世界が違う、という考え方の一部だね。だから本来の意味では:美味しい食べ物を楽しむ場所きれいなお姉さんがいる楽園みたいな俗世的な欲望を満たす場所ではないんだよ。むしろ仏教的には逆で、欲望や執着を手放すための段階真の悟りに近づくための環境という意味合いが強い。ただ、日本の昔話や大衆的なイメージでは、「極楽=楽しい場所」というふうにカジュアルに解釈されることもあるから、そういうノリで言ってる可能性はあるね。もし気になるなら、「報土(ほうど)」とか「真の極楽」との違いも説明できるけど、そこまでいくとちょっと哲学的で面白いよ。2026/04/01 05:39:0880.◆JBLfMwCXhYatRAgそうなのか2026/04/01 05:39:2581.◆JBLfMwCXhYatRAg化身土浄土を、ちょっと誤解してたようだ2026/04/01 05:39:3982.◆JBLfMwCXhYatRAg報土とは何か?2026/04/01 05:40:5483.◆JBLfMwCXhYatRAg報土とは何か?**報土(ほうど)**とは、主に仏教で使われる言葉で、「修行や善行の“報い(結果)として得られる世界・国土」のことを指します。もう少しわかりやすく言うと:人が行った善い行い(功徳)や修行の結果としてその“報い”として現れる環境や世界これが「報土」です。2026/04/01 05:41:2784.◆JBLfMwCXhYatRAg🔍 関連する考え方仏教では、世界(国土)は大きく分けて2つに考えられることがあります:報土:修行の結果として得られる清らかな世界化土(けど):仏が人々を導くために現す仮の世界2026/04/01 05:41:4285.◆JBLfMwCXhYatRAg🌸 代表例特に有名なのが、極楽浄土です。阿弥陀仏の功徳によって現れた理想世界信仰や念仏の功徳によって往生するとされる場所このような世界は「報土」の典型例とされています。2026/04/01 05:42:0986.◆JBLfMwCXhYatRAgイメージで理解すると報土はこんなイメージです:「その人の行いのレベルに応じて“住む世界の質”が変わる」つまり、心や行いが清らか → 清らかな世界(報土)という因果関係の考え方です。もし興味があれば、「報身(ほうじん)」や「四土思想」との関係も説明できます。2026/04/01 05:42:2087.神も仏も名無しさんwpWxIちなみに俺ちゃまほこの世を極楽浄土かのように色んな仏教や色んな宗教を聞ける能力がある😀2026/04/01 06:09:3788.神も仏も名無しさんwpWxI曹洞宗の流派禅定の種類三つゲットとか言えちゃう😀今は6つだな😀2026/04/01 06:10:3589.神も仏も名無しさんwpWxIそれよりは先週開発の新脳システム絶大脳の回転力と疲労回復力が上がった😀2026/04/01 06:16:1990.神も仏も名無しさんwpWxI先週開発の新脳システムは他の瞑想正統派仏教の汎用性がある😀2026/04/01 06:17:0391.神も仏も名無しさんwpWxI他の瞑想正統派仏教の祖師達はこのような禅定感覚を持ち得たか?は知らんが低煩悩効果は高い😀2026/04/01 06:18:1592.神も仏も名無しさんwpWxI煩悩を低くおさえられる禅定能力のレベルは少しずつ上がっているまー好きな煩悩は好きなままではあるが😀2026/04/01 06:22:1193.◆JBLfMwCXhYE80uZ瞑想でパワーアップ💪2026/04/01 20:11:4594.神も仏も名無しさんo3tl8今日も疲労蓄積が低い花粉症のダメージが関西はピーク終えたからだろう😀2026/04/01 20:36:2695.◆JBLfMwCXhYAdvd4昨日の雨で、花粉は減った😄2026/04/02 05:44:1796.◆JBLfMwCXhYpoFmU化身土浄土(けしんどじょうど)は、親鸞が『教行信証』で説いた、本願を疑う心(自力の心)で念仏した者が往生する、真実の報土ではない仮の浄土です。具体的には、蓮華の中に500年間とどまる「胎宮」や「辺地」とも呼ばれ、仏の真実の姿を直接見ることができず、真実報土への往生を「待つ」状態の場所です。2026/04/03 05:50:0697.◆JBLfMwCXhYpoFmU化身土浄土の具体的な特徴は以下の通りです。「胎宮(たいぐう)」とも呼ばれる:蓮華の中に500年間とどまるという「胎宮」の生活を指す言葉です。真実報土ではない「方便(仮)」の浄土:真実信心の行者が住む「真仏土」とは異なり、阿弥陀仏の願いの途上として示される場所です。「待つ」という形式:ここに往生した者は、自らの不信心を恥じ、真実の浄土へ進む時を「待つ」という心理的・空間的な場として描写されます。『往生要集』や『無量寿経』に基づく表現:釈尊が教化のために仮に現した場所(化身土)ともされ、疑心があるまま往生した場合に生じるところと説かれます。2026/04/03 05:50:2698.◆JBLfMwCXhYpoFmU真宗では、阿弥陀仏の本願に「聞即信」して疑心のない人は、臨終を待たずに現生で正定聚(救われることが確定した身)に住するとされています。2026/04/03 05:50:4899.◆JBLfMwCXhYpoFmUなるほど念仏をとなえてはいたけど心の中では阿弥陀如来の救いを疑い、信じ切れなかった者が往く処なのか?2026/04/03 05:51:59100.◆JBLfMwCXhYpoFmU1002026/04/03 05:52:12101.神も仏も名無しさん0OnSr日蓮ほど熾烈な発想ではない😀2026/04/03 06:09:15102.神も仏も名無しさん0OnSrどの仏教宗派無関係に俺は、いつても平常は、この世で浄土経典に書いてあるような極楽で聞くような諸仏の説法を聴き効率良く修行できる😀2026/04/03 06:11:34103.◆JBLfMwCXhYQ40rS極楽浄土の構造がわかってきたな?2026/04/04 09:05:21104.◆JBLfMwCXhYQ40rSとりあえず、化身土浄土に往くのが目標だ😄2026/04/04 09:05:50105.◆JBLfMwCXhYbwOXw親鸞は、「極楽往生すれば、美女のお酌で美味しいお酒を飲み放題、楽しくて仕方ないぞ」とは言ってない「極楽浄土では、仏の説法を聞き放題で、修行がどんどん進みますぜ」と言っている😅2026/04/09 19:28:40106.◆JBLfMwCXhYbwOXw極楽浄土とはそういうものらしい2026/04/09 19:30:10107.◆JBLfMwCXhYbwOXw真言密教と違って、浄土真宗では「この世で仏になる」(即身成仏)は目指していないまずは、化身土浄土に往生するそこでは、如来の説法を聞き放題で、鳥や孔雀まで説法してくれる修行がはかどること、間違いなし👍️2026/04/09 19:32:24108.神も仏も名無しさん2Ma58ベイダーなんちゃって真宗よりも俺の真宗のほうが詳しいという真宗でも一番の知識人だ😀2026/04/09 20:17:59109.神も仏も名無しさん2Ma58俺は他人にわかるようにシンプルに解答できる禅仏教が一番シンプルに伝えるのが難しいし、伝える意欲がない😀2026/04/09 20:21:17110.◆JBLfMwCXhYbwOXwそうだな2026/04/09 20:22:40111.◆JBLfMwCXhYbwOXw言われてみれば、確かにその通りだった532 神も仏も名無しさん 2026/04/09(木) 18:29:43.30 ID:wpi6E親鸞は不信仰疑いあっても、あたりまえ、とにかく往生の後の極楽浄土での修行ができるのを信じようというオチだ日本人の多くは坊主の怠慢もあるが念仏てすら往生の後の仏道修行という観点がないのが多数派だ俺は仁和寺と六道珍皇寺と六波羅蜜寺と両部神道出水流を霊的直観修行やりたい後、春日大社😀2026/04/09 20:23:28
【京都男児失踪】S級ボランティアの尾畠春夫さん「京都以外の人はボランティアが難しい。たとえ誰であろうと京都に籍のない人は厳しい」と、府と市と学校に断られて諦めるニュース速報+3342510.22026/04/10 20:38:09
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏・・・
前スレ
【空也から】浄土教を語る【親鸞会まで】
https://talk.jp/boards/psy/1690865792
https://d.kuku.lu/k4fx4hb7r
どんな服装で行けば良いのでしょうか [ 坐禅会について ]
よく来られる方や、本格的に坐禅修行している方は、着物と袴や作務衣を着ていますが、だらしの無い格好でなければジーンズやジャージなど普段着でかまいません。
ですが生地の硬いジーンズの場合は、血行が悪くなって足が痛くなる傾向があります。
締め付けるところが無いゆったりしたものが理想的です。
居士禅(こじぜん)とは何ですか? [ 素朴な質問 ]
居士とは非出家者、つまり在家の者のことをいいます。
在家ですから、実社会にあってはそれぞれの職業を持っています。
もちろん学生や、主婦の方も含まれます。出家者である専門の雲水修行者が、僧堂において雲水の立場から修行を行っているのに比べ、居士禅では、在家の人達が主体であるために、正式に僧籍を持つ者以上に社会に密着した姿で修行を行うことになります。
居士禅では、実社会の中にあってなおかつ純粋に自己確立を目指すことが求められ、それによって自分に安心を与えるとともに、修行によって悟り得た徳力を各自の領域、職域において自然に発露していくことで社会に貢献することが目標とされます。
坐禅道場と言うと、何か敷居の高いような気がするのですが?
確かに初めての方の中には、禁欲的で、俗世間から離れたイメージの方もおられるかもしれません。
しかし、人間禅道場は居士禅の専門道場としての長い伝統の中で、皆が学生生活・社会人生活を送りながら坐ってきた道場です。
確かに摂心会ともなれば厳しい雰囲気の中で行われます。、初めから摂心会に参加すると、面食らうかもしれません。そのため、 とりあえずは静坐会に参加されてはいかがでしょうか?
参禅修行とはなんですか?
曹洞宗では参禅と言うと、坐禅しに行くことを意味しますが、臨済宗においては参禅とは老師と1対1で禅問答を行うこと修行のことを指します。 また独参ということもあります。
人間禅は臨済宗系なので、参禅修行は老師と1対1で禅問答を行います。
摂心会(せっしんえ)や、禅フロンティアで参禅が行われますが、鐘をカーン、カーンと鳴らして修行者が廊下を小走りに行くのは老師に参禅をしているのです。 会員になっていない一般の方も「参禅願い」を提出して参禅を願い出ることができます。
参禅願いを提出した全員が老師に呼ばれて面談を行います。
その際、人間禅の歴史や禅の修業はどういうものかが説明され、最初の公案(これを初関(しょかん)と言う)が授けられます。
ここまでは参禅願いを出した全員ですが、ここから先は老師と1対1で指導を受けることになります。
参禅の作法を教えてもらってからは、一人で老師の待つ室内へ走っていきます。
ここで公案の見解(けんげ 答えのようなもの)を提して、老師に判別を請うのですが、その室内の事は他言してはいけません、つまり、秘密にすることになっております。
後に続く修行者の妨げになると考えられているからで、これ以上は書くことができません。
東京東支部 第172回摂心会
期間:3月28日~4月4日
場所:擇木座禅道場 担当師家:了々庵老師
https://ningenzen.org/free/bukkyo-kouza
話が少しそれますが、ここで「居士禅」と「出家禅」という言葉を整理しましょう。人間禅も円覚寺法系を継承しており、人間禅創立以来66年間にわたり居士禅という言葉を使って来ましたが、調べてみますと、居士禅という言葉を使っているのは円覚寺法系のみであり、日本全体では在家禅が主流であることを知りました。更に居士は士(さむらい)の字で表されるように、男性を指す言葉であり、居士禅というと厳密には女性はオフリミットの意味合いになります。人間禅は、創立以来男女の差別はまったくありません。今後は一般にも博く使われている「在家禅」という言葉を居士禅に替えて使う方が良いのではと考え、以下「在家禅」でお話しを進めます
「セイウン居士」から鹿野園に戻した
禅だと:
逃げるな
今ここを見ろ
浄土真宗だと:
逃げてもいい
その逃げているあなたを、すでに救っている
この差はかなり大きいです。
最近、正統派瞑想仏教以外の研究が進んだので
真宗の中心が解ってきた
それは
「脱世俗」
キリスト教、イスラムも神道も
そもそも脱世俗だ
盤珪みたいな発想世界き生きていると
真言華厳も含めて
「脱世俗」のイメージが薄くなってくる
😀
「脱世俗」は
脱世俗といえども、
極楽浄土のあの世の浄土を目指す
脱世俗である
😀
「脱世俗」を目指す
禅は脱世俗ではなく
リアリズムが一番濃い
故に
山伏、念仏、神仏習合がわかりにくかった
😀
脱世俗の教義として
こだわったのだろう
😀
生きるマジメな生き方を要求したりするが
死後に天国に行く為である
😀
「脱世俗」か~😆
キーワードは
意外な場所から見つけた
ユーチューブから
😀
脱世俗だ
茂吉は
我欲どっぷり
😀
かなりお怒りだ
😀
そっちは花粉症でパワーダウンか?
😫
花粉症のやっかいなのは
風邪か花粉症かわからんところだな?
😫
■ 核心:他力による救い
親鸞の教えの中心は一言でいうと
👉 「人は自力では救われない」
です。
ここでいう救いとは、煩悩に満ちた人間が迷い(輪廻)から解放されること。
親鸞は、阿弥陀如来の**本願(特に第十八願)**を絶対視します。
👉 内容(要約) 「どんな人間でも、私(阿弥陀)を信じて念仏すれば救う」
ここがポイントで
善人だけではない
修行者だけでもない
悪人すら対象
親鸞教学で最も有名な思想。
👉 「悪人こそが救いの正しい対象である」
これは誤解されやすいですが
善人 → 自力に頼る余地がある
悪人 → 完全に自力を捨てざるを得ない
つまり
👉 「自力を捨てた者こそ、他力に完全に乗る」
親鸞にとって決定的なのは
👉 念仏そのものではなく「信心」
です。
ここでいう信心は
自分が信じることではなく
阿弥陀仏に信じさせられること(他力)
つまり
👉 信心すら「自分の力ではない」
「南無阿弥陀仏」は重要ですが、意味が独特です。
一般:念仏=修行
親鸞:念仏=救われた結果のあらわれ
👉 念仏は原因ではなく「結果」
■ 即得往生(そくとくおうじょう)
普通の浄土教では
👉 死後に極楽往生
ですが親鸞は
👉 信心が決まった瞬間に往生は確定
つまり
今この瞬間に救いは成立している
親鸞はここを徹底的に掘り下げます。
自力
他力
修行・努力
阿弥陀の働き
自分の力
仏の力
条件付き
無条件
👉 親鸞はほぼ完全に「他力」に振り切る
■ 絶対他力
その極限がこれ
👉 「善も悪も関係ない」
なぜなら
善を積むのも結局「自力」
だから救いの条件にならない
■ 倫理はどうなるのか?
ここがよく問題になる点。
親鸞は
👉 「悪をしてよい」とは言っていない
むしろ
本当に他力に気づいた人は
自然に惭愧(ざんき)の心が生まれる
(あなたの前の質問ともつながる重要点)
親鸞の立場は
法然の弟子でありながら
教えをさらに徹底化
結果
👉 「修行」という概念そのものを解体してしまった
■ まとめ(核心だけ)
親鸞教学を一行で言うと
👉 「人は何もできないが、それでもすでに救われている」
> ここでいう信心は
> 自分が信じることではなく
> 阿弥陀仏に信じさせられること(他力)
> つまり
> 👉 信心すら「自分の力ではない」
なんか、イスラム教っぽいな
アッラーを信じる者は天国に往き、
信じない者は地獄に投げ込まれる
でも、アッラーを信じる者は、
アッラーがそのように仕向けたのであり
信じない者は、アッラーが目と耳をふさいだのである
結局のところ、アッラーを信じるか信じないかを
決めているのは、アッラーなのである
>>信じない者は、アッラーが目と耳をふさいだのである
聖書では、
神がサタンを派遣して
人間の信仰心を試す場面が
多いね
>>親鸞教学を一行で言うと
>> 「人は何もできないが、それでもすでに救われている」
晴佐久神父と、微妙に違うね
https://m.youtube.com/watch?v=SgvbysxCb2o&list=PLIu-pTftRZuYICak6cNbIf19wjzda2T_6&index=1&pp=iAQB
(12分地点から25分地点)
神に試されているのか
真土とは、一切の衆生を平等に救おうとする阿弥陀仏の誓願に報いあらわれた浄土である。
阿弥陀仏は、どのような人であっても、どれだけ時を経ようとも、
必ず摂め取って救おうとする光明無量と寿命無量の誓願をおこし、
この大悲の誓願にこたえる真仏土を成就している。
仮土は、どうしても自力を棄てることの出来ない凡夫を導くために、
自力の行によって往生する浄土として設けられた、仮の世界である。
それは、諸善万行を修して、あるいは自力で念仏を修して願う、
方便化身土として表される浄土である。
https://www.bing.com/search?q=%E4%BB%AE%E5%9C%9F%E3%80%80%E7%9C%9F%E5%9C%9F%E3%80%80&qs=n&form=QBRE&sp=-1&lq=0&pq=%E4%BB%AE%E5%9C%9F%E3%80%80%E7%9C%9F%E5%9C%9F%E3%80%80&sc=0-6&sk=&cvid=35591BA2E0C647CD8EE42B82D9757C74
本願によって誰もが平等に救われる真土が明らかにならないことを、
「如来広大の恩徳を迷失している」と言われた。
しかし、真土が明らかになれば、もう仮土は不要になると思うことも、
また「恩徳の迷失」になるのではないだろうか。
真土と仮土とは一方を棄て一方を取るというのではなく、
真と仮とが相俟ってはたらく関係として聞思していくことが、
大切であるように思われる。
真仏土浄土と、化身土浄土
これこそ、親鸞思想理解の鍵
に、そう書いてあった
A.I.はもちろん、インターネットすら無かったな
そう
浄土を区分けする必要性が低い点
阿弥陀仏の本願による真実の報土(真仏土)と、自力の心で往生する仮の浄土(化身土・方便化土)を区別し、真実報土への往生こそが真宗の目的(真実の教え)であると説く。
定義: 阿弥陀仏が法蔵菩薩の時に立てた、第18・19・20願(本願)に基づき、阿弥陀仏が成就した真実の浄土。
特徴: 浄土真宗では、ここを「真の報仏土」とし、本願力を信じて「無上心(真実の心)」で念仏する者が往生する場所。
意義: 真宗の正意(真実の教え)。
定義: 第19・20願(諸行・諸善の願)に基づいて往生する、方便の浄土。
特徴: 自力的な心(疑心)で「名号」を称えて往生する場所。ここへの往生は、真実の報土に誘引するための「過程」とされる。
異称: 方便土、仮の浄土、懈慢土(けまんどう)など。
親鸞は、善導大師の教えに基づき、真(本願・真実)と仮(自力・方便)を厳格に区別した。
真仏土: 真実の信心(他力)により、仏の救いに完全に委ねる往生。
化身土: 自身の善根(自力)に頼る心が残っている場合の往生。
親鸞の真宗は、この化身土を「真実の報土へ誘う方便の浄土」と位置づけ、真実報土への往生を強く説く。
梅原猛の著書を1冊まるごと読んだのと
大差ない知識と理解が得られる(笑)
個人的に、何十年か前にこの本を読んだが
「親鸞の浄土には、真仏土浄土と化身土浄土がある」
という一点のみが、印象に残っている
それ以外は、何ひとつ記憶に残っていない(笑)
この本を1冊まるごと読破した人と
同等の知識が得られると断言できる(笑)
「どっちかっていったら、ボクは化身土浄土に行きたいな?」
と思った覚えがある
美味しいものが食べ放題で、
きれいなお姉さんたちがいるらしい
なんとも、楽しそうなところだ
何もない
すべてが光輝いているだけ
そこは、光の世界だ
高校生のときの自分は、凄まじい記憶力を誇っていた
記憶違いではないと思う(笑)
エロビデオが見放題!
それなら、化身土浄土に往くまでもない
個室ビデオ屋に行けば十分😫
真仏土は報身(真実の仏)が住む真実の浄土であり、化身土は教化のために仮に現れた場所(方便化土)を指します。
特徴:真実の誓願(第十八願)に基づく。
内容:阿弥陀如来の真実の報身(真実の仏)が住む浄土。
性質:迷いのない本質的な悟りの世界。
特徴:方便の誓願(第十九願・二十願など)に基づく。
内容:釈尊の教化など、衆生を導くために仮に現れた場所。
性質:真実の浄土に導くための「仮の浄土」であり、真実には至っていないとされる。
化身土浄土はどういうところなのか?
**化身土浄土(けしんどじょうど)**は、一言でいうと
👉「真実の悟りへ導くために、仮にあらわれた浄土」です。
親鸞は、これを「方便の浄土」として位置づけています。
■ どんな“場所”なのか
物理的な場所というより、悟りに至る前段階の世界です。
特徴
阿弥陀仏が**仮の姿(化身)**で現れている
苦しみは少ないが、まだ完全な悟りではない
修行・学び・気づきを通して、真実の浄土へ進む準備をする場
化身土に往生するのは、例えばこういう人です:
念仏をとなえるが、どこか自分の力を頼っている
阿弥陀仏を信じてはいるが、信心がまだ不徹底
功徳や善行へのこだわりが残っている
👉 つまり「半分は他力、半分は自力」という状態
化身土では、
自分の限界(自力では悟れないこと)に気づく
阿弥陀仏の本願の深さを知る
本当の信心(他力)へと転換する
というプロセスを経て、最終的に
👉真仏土浄土へ導かれるとされます。
真仏土浄土:大学卒業(完全なゴール)
化身土浄土:予備校や準備期間
すでに安全な場所にはいるけど、まだ“完成”ではない段階です。
親鸞は、化身土についてやや厳しく見ていて、
本願を疑う心がある限り、そこにとどまる
しかしそれも最終的には救いへ導く働きの一部
と考えました。
ChatGPT : 興味深い視点ですね。結論からいうと、一部イメージが重なる部分はあるけれど、思想的にはかなり違うものです。
まず、「化身土浄土」というのは、浄土三部経などを背景にした浄土教の枠組みで、ざっくり言えば
👉仏のはたらきによって現れる“相対的・方便的な浄土”
です。
一方で、スピリチュアルで言われる「中有界」や「精霊界」は、文脈によりますが
👉死後や物質界の外にある中間的・霊的な世界
という意味合いが強いですよね。
あなたが「似ている」と感じたのは、おそらくこのあたりです:
現実世界とは別のレイヤーにある
完全な悟りの世界(究極)ではない中間的な位置づけ
修行・成長・移行のプロセスに関係する
この意味では、仏教の「中有(バルド)」的な発想とも重なるため、感覚的な類似は確かにあります。
ここが大事なポイントです:
① 実在の仕方が違う
化身土浄土:仏の智慧と衆生救済のための「はたらき(方便)」
精霊界・中有界:存在論的に「そこにある世界」として語られることが多い
つまり仏教では、固定した“場所”というより関係性・働きなんです。
② 目的が違う
化身土浄土:最終的に悟り(仏果)へ導くプロセスの一部
精霊界:滞在・交流・経験の場として語られることも多い
③ 中心思想が違う
浄土教はあくまで
👉 「阿弥陀仏の救いにどう関わるか」
が核心です。
スピリチュアルの精霊界は
👉 「霊的存在や魂の階層」
といった宇宙観が中心になります。
あなたの直感は鋭くて、
「中間的な領域」という意味では似ている
でも本質的には
仏教:救済の働きとしての構造
スピリチュアル:存在する世界の階層
という違いがあります。
往生の後、極楽浄土で仏道修行に励むのだからなー
😀
霊山浄土に行った後は 修行するとかの
文献は、見たことがないな
😀
そうみたいだな~😆
「極楽浄土では、ありがたい如来の説法を聴いて、修行がサクサク進みますよ~」
てな感じのようだ
その言い方、ちょっと誤解が混ざってるかもしれないね。
**「化身土浄土(けしんどじょうど)」**は、仏教(特に浄土思想)でいうと、阿弥陀仏の救いの中でも「まだ完全ではない段階の浄土」を指すことが多いんだ。修行の進み具合によって見える世界が違う、という考え方の一部だね。
だから本来の意味では:
美味しい食べ物を楽しむ場所
きれいなお姉さんがいる楽園
みたいな俗世的な欲望を満たす場所ではないんだよ。
むしろ仏教的には逆で、
欲望や執着を手放すための段階
真の悟りに近づくための環境
という意味合いが強い。
ただ、日本の昔話や大衆的なイメージでは、「極楽=楽しい場所」というふうにカジュアルに解釈されることもあるから、そういうノリで言ってる可能性はあるね。
もし気になるなら、「報土(ほうど)」とか「真の極楽」との違いも説明できるけど、そこまでいくとちょっと哲学的で面白いよ。
**報土(ほうど)**とは、主に仏教で使われる言葉で、「修行や善行の“報い(結果)として得られる世界・国土」のことを指します。
もう少しわかりやすく言うと:
人が行った善い行い(功徳)や修行の結果として
その“報い”として現れる環境や世界
これが「報土」です。
仏教では、世界(国土)は大きく分けて2つに考えられることがあります:
報土:修行の結果として得られる清らかな世界
化土(けど):仏が人々を導くために現す仮の世界
特に有名なのが、極楽浄土です。
阿弥陀仏の功徳によって現れた理想世界
信仰や念仏の功徳によって往生するとされる場所
このような世界は「報土」の典型例とされています。
報土はこんなイメージです:
「その人の行いのレベルに応じて“住む世界の質”が変わる」
つまり、
心や行いが清らか → 清らかな世界(報土)
という因果関係の考え方です。
もし興味があれば、「報身(ほうじん)」や「四土思想」との関係も説明できます。
この世を極楽浄土かのように
色んな仏教や色んな宗教を聞ける能力がある
😀
😀
今は6つだな
😀
先週開発の新脳システム絶大
脳の回転力と疲労回復力が上がった
😀
他の瞑想正統派仏教の汎用性がある
😀
祖師達は
このような禅定感覚を持ち得たか?
は知らんが
低煩悩効果は高い
😀
のレベルは少しずつ上がっている
まー
好きな煩悩は好きなままではあるが
😀
花粉症のダメージが関西はピーク終えたからだろう
😀
具体的には、蓮華の中に500年間とどまる「胎宮」や「辺地」とも呼ばれ、仏の真実の姿を直接見ることができず、真実報土への往生を「待つ」状態の場所です。
「胎宮(たいぐう)」とも呼ばれる:蓮華の中に500年間とどまるという「胎宮」の生活を指す言葉です。
真実報土ではない「方便(仮)」の浄土:真実信心の行者が住む「真仏土」とは異なり、阿弥陀仏の願いの途上として示される場所です。
「待つ」という形式:ここに往生した者は、自らの不信心を恥じ、真実の浄土へ進む時を「待つ」という心理的・空間的な場として描写されます。
『往生要集』や『無量寿経』に基づく表現:釈尊が教化のために仮に現した場所(化身土)ともされ、疑心があるまま往生した場合に生じるところと説かれます。
念仏をとなえてはいたけど
心の中では阿弥陀如来の救いを疑い、
信じ切れなかった者が往く処なのか?
😀
俺は、いつても平常は、
この世で
浄土経典に書いてあるような
極楽で聞くような諸仏の説法を
聴き効率良く修行できる
😀
「極楽浄土では、仏の説法を聞き放題で、修行がどんどん進みますぜ」と言っている😅
そういうものらしい
「この世で仏になる」(即身成仏)は目指していない
まずは、化身土浄土に往生する
そこでは、如来の説法を聞き放題で、鳥や孔雀まで説法してくれる
修行がはかどること、間違いなし👍️
俺の真宗のほうが詳しいという
真宗でも一番の知識人だ
😀
禅仏教が一番シンプルに伝えるのが
難しいし、伝える意欲がない
😀
532 神も仏も名無しさん 2026/04/09(木) 18:29:43.30 ID:wpi6E
親鸞は
不信仰疑いあっても、あたりまえ、
とにかく往生の後の極楽浄土での修行ができるのを信じよう
というオチだ
日本人の多くは坊主の怠慢もあるが
念仏てすら
往生の後の仏道修行という観点がないのが
多数派だ
俺は仁和寺と
六道珍皇寺と六波羅蜜寺と
両部神道出水流を霊的直観修行やりたい
後、春日大社
😀