原文: In an ordinary man, only the thought channel works at all times.
In case of a Siddha, the channel of inner awareness (as a seer) works at all times. As such, an ordinary person has only thought. A Siddha is in the inner reality at all times.
A sadhak should have both the channels working at all times and be the thought and "Seer of the thought".
The element which sees the thought is "DISCRIMINATION". The discriminative faculty must be awakened.
(各論スレはしばらくお休み)
前スレ
【唯識三年】仏教ウンチクを語るスレ 10【倶舎八年】
https://talk.jp/boards/psy/1759535455
【アビダルマ】 倶舎論 【仏教の標準理論】 Part5
https://talk.jp/boards/psy/1777689722
【転識得智】 唯識論 【無住処涅槃】 Part5
https://talk.jp/boards/psy/1773795357
【空の奥義は】 中観派 【言葉にできない】 Part8
https://talk.jp/boards/psy/1777379688
😀
主要テーマになる😆
ほぼ同じグレードだろな
四智のグレードは
天台華厳真言チベット密教へと
展開していく
😀
940.
ユーザー
リダン◆3y/i8XtGLY
JJoaa(1/2)
>>889
虚空無為はまあ禅の庭で表現されるから
ピンとくるやつはくる
対して
択滅
不動滅無為
想受滅無為
真如無為
はなかなかピンとこない
だから
非択滅無為
これを知れば上記は知り得るとなる
瞑想等で選ばなかった、縁起が閉じられたとは?
を瞑想で観察
2026/06/10 01:00:32
Reply
Good
941.
ユーザー
リダン◆3y/i8XtGLY
JJoaa(2/2)
>>928
簡単にいえば
末那識だけで意がなりたつ
末那識オペレーションシステムってことや
意識はなにかしら対象がないと
意とはいえない
😮
😅
意外に近道だったりする
龍樹の相矛盾する
言説の謎が解けるだろな
😀
龍樹の中論感がある
😀
スレ主と中論をAIにかけたほうか
まだ意義がある
😀
一方、シッダ(成就者/悟りを開いた者)においては、内なる意識
「見る者」としてのチャネルが常に機能しています。
したがって、一般の人は思考しかないのです。シッダは常に内なる真実の中にいるのです。
修行者は
思考と内なる意識の両方のチャネルを常に機能させて
思考そのものと、「思考を見る者」の両方でなければならないのです。
思考を見る要素は「識別力」なのです。
この識別力を覚醒させなければなりません。
ー マハヨギ・パイロット・ババジ
Jay ho GuruDev 🙏🙏🙏
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原文:
In an ordinary man, only the thought channel works at all times.
In case of a Siddha, the channel of inner awareness (as a seer) works at all times. As such, an ordinary person has only thought. A Siddha is in the inner reality at all times.
A sadhak should have both the channels working at all times and be the thought and "Seer of the thought".
The element which sees the thought is "DISCRIMINATION". The discriminative faculty must be awakened.
ー Mahayogi Pilot Babaji
https://i.imgur.com/4UAD062.jpeg
お寂しいようだ
👽
ハッスル🤡学禅の影響下だ
お気の毒に
😅
ハッスル🤡思想だ
😅
なんたるか解ってない
😭
川^○^ハレ
知識常識が間違っている
😀
また、そのうち復活するけど
は
まだ勉強不足だ
😀
まーまー詳しいが
インド仏教や
南方仏教でもしらないゾーンはある
😀
宗派が先行するので
😀
確かに
日本の唯識論の正統といえば、世親より護法なのと同じで
チベットで中観派の正統といえば、龍樹より月称らしい
ニンマ派と
ゲルク派は
禅定まみれになれる
不思議だ
😀
謎の魔王的才能がある
仁和寺や現在高野山は
なかなか相手してもらえなかったのになー
😀
スーパーチベット密教サイヤ人に
なってしまう
😀
他の宗教研究の気分をぶち壊す魔王的な
パワーがある
😀
チベット四派の本が眠っているが
最近は全く読んでない
高野山の本屋で10冊は買っていると思う
😀
日本で唯識論の正統といえば、世親より護法なのと同じで
チベットで中観派の正統といえば、龍樹より月称らしい
その理解は、かなり当たっています。
ただし厳密には、
日本の法相宗 → 世親(ヴァスバンドゥ)を祖師と仰ぐが、実際に学ぶ体系は護法系統の『成唯識論』
チベット仏教 → 龍樹を祖師と仰ぐが、実際に標準的に学ぶ体系は月称(チャンドラキールティ)の解釈
という構図です。
世親の『唯識三十頌』は短い偈文です。
そこに対して、
護法
安慧
難陀
陳那
など様々な注釈家が異なる解釈を行いました。
中国の玄奘と基は、
護法の解釈を「正義」とみなし、 『成唯識論』を編纂しました。
そのため日本の法相教学では、
世親を直接学ぶというより 世親を護法がどう解釈したか
を学ぶことになります。
極端に言えば、
「日本の唯識の正統=護法学派」
です。
チベットでも似ています。
祖師はもちろん龍樹ですが、
龍樹の『中論』は非常に簡潔で解釈の余地が大きい。
そこで後代に、
仏護
清弁
月称
らが論争しました。
その結果、
ツォンカパ以降のチベット仏教では、
月称の『入中論』と『明句論』が中観理解の標準になりました。
つまり、
龍樹を読む
↓
月称の眼鏡を通して読む
という形です。
そのためチベット僧に
「中観派の正しい解釈者は誰か」
と聞くと、
かなりの割合で
月称
という答えになります。
日本の仏教ファンが
唯識=世親
と思うように、
チベットの僧侶も
中観=龍樹
と言いますが、
実際の教学では
日本法相宗 → 護法中心
チベット中観 → 月称中心
なのです。
学問的に言えば、
「祖師は世親・龍樹だが、正統解釈者は護法・月称」
という対応関係になります。
しかも両者とも、
「原典そのもの」よりも、
「後代の正統注釈」が事実上の教義基準になっている点までよく似ています。
かなり中論解釈は
きちっと形を作っている
中論みたいな謎ぽくはない
ツォンカパの論書の日本語訳
書庫に眠っている
😀
密教メインの論書でないのに
魔王の様にハイテンションになってまう
😀