【唯識三年】理論派ブッディスト 総合スレ 11【倶舎八年】最終更新 2026/08/10 10:351.◆JBLfMwCXhYJ0U8N仏教ウンチクスレを復活(各論スレはしばらくお休み)前スレ【唯識三年】仏教ウンチクを語るスレ 10【倶舎八年】https://talk.jp/boards/psy/1759535455【アビダルマ】 倶舎論 【仏教の標準理論】 Part5https://talk.jp/boards/psy/1777689722【転識得智】 唯識論 【無住処涅槃】 Part5https://talk.jp/boards/psy/1773795357【空の奥義は】 中観派 【言葉にできない】 Part8https://talk.jp/boards/psy/17773796882026/06/09 18:47:31506コメント欄へ移動すべて|最新の50件457.◆JBLfMwCXhYLypR6さらに言えば、ブレーズ・パスカルの「火(Feu)」の体験プロティノスの合一体験バールーフ・デ・スピノザの「永遠の相の下に」という直観知(scientia intuitiva)などを見ると、哲学史は案外、神秘的・直観的契機に満ちています。ただし重要なのは、彼らは体験だけで終わらないことです。何かしらの直観や体験があり、それを概念化し、論証し、他者と共有可能な言葉にまで鍛え上げる。この往復運動こそが、哲学の営みでもあります。2026/07/13 23:09:36458.◆JBLfMwCXhYLypR6その意味では、仏教も同じように、神秘家か、哲学者かという二者択一では捉えきれないのかもしれません。釈尊にせよ、龍樹にせよ、世親にせよ、単なる「ヴィジョンの語り手」でも、単なる「論理機械」でもない。実践・洞察・思索・教育が絡み合った人物として見るほうが、実像に近いように思います。だからこそ、「スウェデンボルグかカントか」という両極端を一周してしまうと、かえって「人間の思想ってそんな単純な分類には収まらないんだな」と笑えてくるのでしょうね(笑)。2026/07/13 23:09:56459.神も仏も名無しさんyISoNヤナギ2026/07/14 00:27:48460.神も仏も名無しさんZ9q8xアメリカのカルバン主義の理性の復興みたいな流れだな😀2026/07/14 07:04:19461.神も仏も名無しさんZ9q8x>>446ハッスル🤡が浅はかな知識で噛み付いてきたが、真言宗ネタだったか、唯識は神秘主義には冷淡だ最終誰でも起きる禅定状態を正当とおう設定している専門用語は文字みたらわかるがアウトプットがてきない、唯識独特の専門用語だ😀それとまだ唯識は南伝仏教や倶舎論の2階建て構造をアタマに入りきっていないな😀2026/07/14 07:09:23462.神も仏も名無しさんZ9q8x大乗仏教は下部構造と上部構造をそれぞれ構築しているだろうからな禅は言語化、理論化、明示化しないがそーいうのはあるだろうな😀2026/07/14 07:11:21463.神も仏も名無しさんZ9q8x仏教に関しては五條家秘伝の六眼で解読できる 😀仏教以外はまだまだ素人だ😀2026/07/14 07:12:31464.神も仏も名無しさんZ9q8x仏教用語言語理解は早いが仏教用語言語記憶がダメという謎だな😀2026/07/14 07:14:05465.ハジibeBl仏教用語ら解釈とゆー逃げがある2026/07/14 15:06:43466.パーリーX4W0nパイロット・ババジ講話『私は誰?』0円で解放中‼️この機会にババジの教えを読んでみてはいかがでしょうか?Kindleなので、アプリをダウンロードしてから購入(ダウンロード)してください。↓↓↓https://www.amazon.co.jp/%E7%A7%81%E3%81%AF%E8%AA%B0%EF%BC%9F-%E3%83%9E%E3%83%8F%E3%83%A8%E3%82%AE%E3%83%BB%E3%83%91%E3%82%A4%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%90-ebook/dp/B0FH5XWK4B#2026/07/17 03:39:03467.◆JBLfMwCXhYHVtkF橋本 凝胤(はしもと ぎょういん、1897年4月28日-1978年3月25日)は、法相宗の僧侶で仏教学者。奈良・薬師寺元管主、法相宗管長。「20世紀最後の怪僧」「昭和の怪僧」の異名を持つ。2026/07/27 07:28:41468.◆JBLfMwCXhYHVtkF奈良県生駒郡平群村(現在の平群町)に生まれる。本名は東丈太郎。法隆寺の佐伯定胤に唯識を学び、その意向で後継者のいなかった薬師寺に入る。生涯肉食妻帯せず、厳格な仏教僧として活躍する。有名な尼僧が訪ねてきても絶対に寺に入れさせず、その手土産にも口をつけなかった。2026/07/27 07:29:15469.◆JBLfMwCXhYHVtkFあるとき弟子の高田好胤がよその家に呼ばれて、レコードで浪曲の「清水港は鬼より怖い、大政・小政の声がする」というくだりを耳にして、薬師寺にはもっと怖い鬼(橋本凝胤)がいると思ったという。夕食後読経の練習のとき居眠りすると火箸でたたかれたり、深夜に外に追い出された高田が怖さに泣くと「安眠妨害じゃ!訴えるぞ!」と叱った。しかし、一方で遠足、運動会などのときに弁当を作るような愛情も持っていたという。2026/07/27 07:29:40470.◆JBLfMwCXhYHVtkF朝4時には起床。6時から8時まで弟子に講義をし、昼は外出しても夜は必ず寺に戻り、弟子を教育する。ある朝6時、誰も弟子が来ていなかったが一人で講義を始めていたという。その結果多くの弟子を育てた。2026/07/27 07:29:57471.◆JBLfMwCXhYHVtkF仏教学者としては、「大正新脩大蔵経」編纂に参画した。中国を遍歴、チベット仏典を収集、請来する。奈良県文化財保護や、インドに日本寺建立のため尽力した。インドのブッダガヤに仏塔を建立。2026/07/27 07:30:16472.◆JBLfMwCXhYHVtkF経済界や政界とは交流が深く、政治家では大野伴睦と親交があったほか、佐藤栄作とも交流があった。財界では「電力の鬼」といわれた松永安左エ門、阪急社長の小林一三と交流があった。こうした政財界との交流の結果、遅遅として進まなかった平城宮跡の国有化を実現に導いた。2026/07/27 07:30:27473.神も仏も名無しさんkkl9vおかげで唯識をたくさん学びやすい環境になった😀2026/07/27 07:33:26474.◆JBLfMwCXhYiwM05橋本凝胤のおかげだ😄2026/07/28 08:26:03475.神も仏も名無しさんYJLKl橋本凝胤がなければ佐々木閑先生も存在していないかもしれない😀2026/07/28 08:29:59476.神も仏も名無しさんYJLKl唯識以外の中国仏教アンチなのは橋本凝胤と佐々木閑先生の共通点かもしれん😀2026/07/28 08:31:17477.神も仏も名無しさんYJLKl朝カレーを食うと汗をかく暑さだ😀2026/07/28 08:32:02478.◆q/PFEzsKEo18MA39Z>>476当方もそれだ😅2026/07/28 08:37:53479.◆q/PFEzsKEo18MA39Zやっぱり、倶舎論・唯識論にハマるとな~中国仏教は、老荘っぽくて違和感ありまくり😅2026/07/28 08:39:17480.◆JBLfMwCXhYMA39Zトリップがおかしい2026/07/28 08:39:58481.◆JBLfMwCXhYMA39Z余計な文字が入ってた2026/07/28 08:40:10482.◆JBLfMwCXhYMA39Zまあ、トリップなんかなくても大半のレスは、内容と文体でわかるだろう😅2026/07/28 08:40:57483.神も仏も名無しさんYJLKl俺は領域展開ぽい禅以外の中国仏教は大好きだけどなー最近は中世の謎の神格化密教や興福寺へのシフトが激しい😀2026/07/28 08:41:13484.神も仏も名無しさんYJLKl一瞬わからなかったサホーダ大帝かと間違いそうになった😀2026/07/28 08:41:53485.◆JBLfMwCXhYMA39Z禅僧たちの陰に隠れているが橋本凝胤こそ、昭和の怪僧だな2026/07/28 08:42:14486.◆JBLfMwCXhYMA39Z>>483華厳宗は特別だ😄2026/07/28 08:43:33487.神も仏も名無しさんYJLKl覚◯法親王の神格化した力を借りてとか春日権現と藤原鎌足の神格化した力を借りてみたいな日本化ワールド世界に夢中だ😀2026/07/28 08:44:09488.◆JBLfMwCXhYMA39Z華厳宗は、インドと中国が融合した東洋思想の完成形👍️2026/07/28 08:44:24489.神も仏も名無しさんYJLKl日本人は明治以前は東照大権現とかやたら神格化が大好き😀2026/07/28 08:45:30490.◆JBLfMwCXhYMA39Zなんでも神さまにしてしまうのが日本人2026/07/28 08:46:22491.神も仏も名無しさんYJLKl>>488たぶんチベット密教やボン教への華厳の影響力はデカそうだ😀2026/07/28 08:46:26492.◆JBLfMwCXhYMA39Zアベ晋三も神になるか2026/07/28 08:46:35493.神も仏も名無しさんYJLKlかなり神格化されて高市が総理になったんやろなーしかし、トランプ関税とトランプ戦争で国民はそんな高市ドリームよりも円安物価高騰なんとかしろと気づきだした愚民だな😅2026/07/28 08:49:56494.神も仏も名無しさんYJLKl統一教会にとっては安倍はイエスキリストかもしれん😱2026/07/28 08:50:57495.神も仏も名無しさんOeMwPしかしブッダが生きるのは苦であるというのは日本では認識しづらいがアメリカや中国ではリアルだな😱https://m.youtube.com/watch?v=agz_4MBnolg2026/07/28 10:43:00496.◆JBLfMwCXhYSK8FK玄奘がインドに行ったときインドでは、たまたま千年に1人の大英雄、ハルシャ・ヴァルダーナ王が乱世を統一して、仏教を保護していた2026/08/03 06:08:26497.◆JBLfMwCXhYSK8FKインドから帰還した玄奘を出迎えたのは、唐の太宗・李世民これまた、中国では「千年に1人、出るか出ないかの人物」とされる大英雄乱世を統一して、仏教を保護した2026/08/03 06:09:18498.◆JBLfMwCXhYSK8FK唯識論や倶舎論が、インドから中国に伝わったのは偶然とは思えないほどの幸運に恵まれた奇跡2026/08/03 06:09:32499.◆JBLfMwCXhYSK8FK中国とインドの双方でたまたま大英雄が出て、乱世を統一まるで、玄奘のために舞台を整えたみたい2026/08/03 06:09:51500.◆JBLfMwCXhYSK8FKしかも、玄奘本人は天才すぎて異常な人物サンスクリット語を、母国語のように完璧に理解し大旅行する行動力や、学派を組織する経営力まで持ち合わせていた2026/08/03 06:11:07501.◆JBLfMwCXhYSK8FKチャットGPT:確かに、玄奘の時代を歴史的に見ると「条件が奇跡的に重なった」と感じる要素はかなりあります。玄奘がインドへ向かった7世紀前半は、中国側では唐太宗 李世民による統一と安定化の時代でした。隋末の大乱を経て唐が成立し、長安は東アジア最大級の国際都市になっていた。もし玄奘が数十年前に生まれていたら、隋末の混乱で西域への長旅は極めて困難だったでしょう。一方、インド側でも絶妙なタイミングでした。玄奘が滞在した時代、北インドではハルシャ・ヴァルダーナが北インドを広く統合していました。ハルシャ王は仏教を保護し、玄奘を厚遇したことで知られています。玄奘はナーランダー僧院で学び、当時最高水準の仏教学に触れることができました。つまり、中国側:唐の成立 → 強力な中央政権 → 西域交流が可能インド側:ハルシャ王の統治 → 仏教教学の保護学問面:ナーランダーの最盛期 → 唯識・論書研究の最高峰という三条件がそろっていました。特に唯識については、この時代は重要です。玄奘がインドへ行った頃、唯識思想はすでに数百年の発展を経ており、世親や無著の系譜が成熟していました。玄奘は単なる経典収集家ではなく、インドの最新の論争状況まで持ち帰ったわけです。2026/08/03 06:11:55502.◆JBLfMwCXhYSK8FKそして玄奘本人の能力も突出しています。普通なら、長安から中央アジアを越える危険な旅サンスクリット習得インド各地の仏教学派との議論膨大な経典・論書の収集帰国後の翻訳事業の組織化を一人で成し遂げるのは不可能です。帰国後、玄奘は国家的プロジェクトとして翻訳活動を行い、成唯識論をはじめ、膨大な仏典を中国語化しました。彼の翻訳は後世の東アジア仏教の基礎になります。ただ、「玄奘のために世界が準備された」と感じる一方で、歴史的には逆方向にも見ることができます。唐帝国が国際交流を重視したからこそ、玄奘のような人物が活躍できた。つまり、偉大な個人と巨大な時代条件が噛み合った瞬間だった、と言えるでしょう。仏教史の中でも、玄奘のインド旅行は、法顕(5世紀)や義浄(7世紀後半)と比べても別格の規模です。単なる巡礼者ではなく、「インド仏教学の最高水準を丸ごと東アジアへ移植した人物」と見る研究者も多いです。2026/08/03 06:12:15503.◆JBLfMwCXhYSK8FK質問:唐の滅亡後、中国は再び大乱世になり唯識論や倶舎論の研究は廃れていった日本の興福寺と薬師寺がそれを継承し、現代まで伝えた2026/08/03 06:14:28504.◆JBLfMwCXhYSK8FKチャットGPT:大筋では、その理解でよいと思います。ただ、因果関係は少し整理するとより正確です。唐の滅亡(907年)後、中国は五代十国時代という大乱世に入り、多くの寺院や学問機関が打撃を受けました。こうした混乱は、玄奘以来の法相教学の継承にも不利に働きました。しかし、唯識論や倶舎論が衰退した理由は、戦乱だけではありません。唐代後半から禅宗が大きく発展したこと天台宗や華厳宗のような総合的な教学が重視されるようになったことも大きな要因でした。つまり、唯識や倶舎は「学問仏教」として尊重されながらも、中国仏教全体の中心ではなくなっていったのです。2026/08/03 06:15:03505.◆JBLfMwCXhYSK8FK一方、日本では奈良時代に伝来した法相教学が、国家の保護を受けて継承されました。特に、興福寺薬師寺は法相宗の中心寺院として、玄奘・慈恩大師 基の教学を受け継ぎました。倶舎論も法相教学の基礎として学ばれ続け、今日まで研究が続いています。その意味では、あなたが以前述べたように、日本は唐代仏教の一部を保存したと言えます。インドでは仏教そのものが衰退し、中国では法相教学が主流から外れた一方で、日本では興福寺や薬師寺を中心に、その伝統が1300年近く受け継がれました。これは東アジア仏教史の中でも、非常に興味深い継承の例と言えるでしょう。2026/08/03 06:15:19506.ハジeU8x6天皇家を乗っ取ろうとして嫌われ者になりました2026/08/10 10:35:04
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【唯識三年】仏教ウンチクを語るスレ 10【倶舎八年】
https://talk.jp/boards/psy/1759535455
【アビダルマ】 倶舎論 【仏教の標準理論】 Part5
https://talk.jp/boards/psy/1777689722
【転識得智】 唯識論 【無住処涅槃】 Part5
https://talk.jp/boards/psy/1773795357
【空の奥義は】 中観派 【言葉にできない】 Part8
https://talk.jp/boards/psy/1777379688
ブレーズ・パスカルの「火(Feu)」の体験
プロティノスの合一体験
バールーフ・デ・スピノザの「永遠の相の下に」という直観知(scientia intuitiva)
などを見ると、哲学史は案外、神秘的・直観的契機に満ちています。
ただし重要なのは、彼らは体験だけで終わらないことです。
何かしらの直観や体験があり、それを概念化し、論証し、他者と共有可能な言葉にまで鍛え上げる。
この往復運動こそが、哲学の営みでもあります。
神秘家か、哲学者か
という二者択一では捉えきれないのかもしれません。
釈尊にせよ、龍樹にせよ、世親にせよ、単なる「ヴィジョンの語り手」でも、単なる「論理機械」でもない。実践・洞察・思索・教育が絡み合った人物として見るほうが、実像に近いように思います。
だからこそ、「スウェデンボルグかカントか」という両極端を一周してしまうと、かえって「人間の思想ってそんな単純な分類には収まらないんだな」と笑えてくるのでしょうね(笑)。
😀
ハッスル🤡が浅はかな知識で噛み付いてきたが、真言宗ネタだったか、
唯識は神秘主義には
冷淡だ
最終誰でも起きる禅定状態を正当とおう設定している
専門用語は文字みたらわかるが
アウトプットがてきない、
唯識独特の専門用語だ
😀
それと
まだ
唯識は
南伝仏教や倶舎論の2階建て構造をアタマに入りきっていないな
😀
下部構造と上部構造を
それぞれ構築しているだろうからな
禅は言語化、理論化、明示化しないが
そーいうのはあるだろうな
😀
五條家秘伝の六眼で
解読できる 😀
仏教以外は
まだまだ素人だ
😀
仏教用語言語記憶がダメという
謎だな
😀
『私は誰?』
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生涯肉食妻帯せず、厳格な仏教僧として活躍する。有名な尼僧が訪ねてきても絶対に寺に入れさせず、その手土産にも口をつけなかった。
夕食後読経の練習のとき居眠りすると火箸でたたかれたり、深夜に外に追い出された高田が怖さに泣くと「安眠妨害じゃ!訴えるぞ!」と叱った。しかし、一方で遠足、運動会などのときに弁当を作るような愛情も持っていたという。
ある朝6時、誰も弟子が来ていなかったが一人で講義を始めていたという。その結果多くの弟子を育てた。
こうした政財界との交流の結果、遅遅として進まなかった平城宮跡の国有化を実現に導いた。
唯識をたくさん学びやすい環境になった
😀
佐々木閑先生も存在していないかもしれない
😀
橋本凝胤と佐々木閑先生の
共通点かもしれん
😀
😀
当方もそれだ😅
中国仏教は、老荘っぽくて違和感ありまくり😅
大半のレスは、内容と文体でわかるだろう😅
最近は中世の謎の神格化密教や興福寺へのシフトが激しい
😀
サホーダ大帝かと
間違いそうになった
😀
橋本凝胤こそ、昭和の怪僧だな
華厳宗は特別だ😄
春日権現と藤原鎌足の神格化した力を借りて
みたいな
日本化ワールド世界に夢中だ
😀
東洋思想の完成形👍️
東照大権現とか
やたら神格化が大好き
😀
たぶんチベット密教やボン教への華厳の影響力はデカそうだ
😀
高市が総理になったんやろなー
しかし、トランプ関税とトランプ戦争で
国民はそんな高市ドリームよりも
円安物価高騰なんとかしろと
気づきだした
愚民だな
😅
安倍はイエスキリストかもしれん
😱
ブッダが
生きるのは苦であるというのは
日本では認識しづらいが
アメリカや中国では
リアルだな
😱
https://m.youtube.com/watch?v=agz_4MBnolg
インドでは、たまたま千年に1人の大英雄、ハルシャ・ヴァルダーナ王が乱世を統一して、仏教を保護していた
これまた、中国では「千年に1人、出るか出ないかの人物」とされる大英雄
乱世を統一して、仏教を保護した
偶然とは思えないほどの幸運に恵まれた奇跡
たまたま大英雄が出て、乱世を統一
まるで、玄奘のために舞台を整えたみたい
サンスクリット語を、母国語のように完璧に理解し
大旅行する行動力や、学派を組織する経営力まで持ち合わせていた
確かに、玄奘の時代を歴史的に見ると「条件が奇跡的に重なった」と感じる要素はかなりあります。
玄奘がインドへ向かった7世紀前半は、中国側では唐太宗 李世民による統一と安定化の時代でした。隋末の大乱を経て唐が成立し、長安は東アジア最大級の国際都市になっていた。もし玄奘が数十年前に生まれていたら、隋末の混乱で西域への長旅は極めて困難だったでしょう。
一方、インド側でも絶妙なタイミングでした。
玄奘が滞在した時代、北インドではハルシャ・ヴァルダーナが北インドを広く統合していました。ハルシャ王は仏教を保護し、玄奘を厚遇したことで知られています。玄奘はナーランダー僧院で学び、当時最高水準の仏教学に触れることができました。
つまり、
中国側:唐の成立 → 強力な中央政権 → 西域交流が可能
インド側:ハルシャ王の統治 → 仏教教学の保護
学問面:ナーランダーの最盛期 → 唯識・論書研究の最高峰
という三条件がそろっていました。
特に唯識については、この時代は重要です。玄奘がインドへ行った頃、唯識思想はすでに数百年の発展を経ており、世親や無著の系譜が成熟していました。玄奘は単なる経典収集家ではなく、インドの最新の論争状況まで持ち帰ったわけです。
普通なら、
長安から中央アジアを越える危険な旅
サンスクリット習得
インド各地の仏教学派との議論
膨大な経典・論書の収集
帰国後の翻訳事業の組織化
を一人で成し遂げるのは不可能です。
帰国後、玄奘は国家的プロジェクトとして翻訳活動を行い、成唯識論をはじめ、膨大な仏典を中国語化しました。彼の翻訳は後世の東アジア仏教の基礎になります。
ただ、「玄奘のために世界が準備された」と感じる一方で、歴史的には逆方向にも見ることができます。唐帝国が国際交流を重視したからこそ、玄奘のような人物が活躍できた。つまり、偉大な個人と巨大な時代条件が噛み合った瞬間だった、と言えるでしょう。
仏教史の中でも、玄奘のインド旅行は、法顕(5世紀)や義浄(7世紀後半)と比べても別格の規模です。単なる巡礼者ではなく、「インド仏教学の最高水準を丸ごと東アジアへ移植した人物」と見る研究者も多いです。
唐の滅亡後、中国は再び大乱世になり
唯識論や倶舎論の研究は廃れていった
日本の興福寺と薬師寺がそれを継承し、現代まで伝えた
大筋では、その理解でよいと思います。
ただ、因果関係は少し整理するとより正確です。
唐の滅亡(907年)後、中国は五代十国時代という大乱世に入り、多くの寺院や学問機関が打撃を受けました。こうした混乱は、玄奘以来の法相教学の継承にも不利に働きました。
しかし、唯識論や倶舎論が衰退した理由は、戦乱だけではありません。
唐代後半から禅宗が大きく発展したこと
天台宗や華厳宗のような総合的な教学が重視されるようになったこと
も大きな要因でした。つまり、唯識や倶舎は「学問仏教」として尊重されながらも、中国仏教全体の中心ではなくなっていったのです。
特に、
興福寺
薬師寺
は法相宗の中心寺院として、玄奘・慈恩大師 基の教学を受け継ぎました。
倶舎論も法相教学の基礎として学ばれ続け、今日まで研究が続いています。
その意味では、あなたが以前述べたように、
日本は唐代仏教の一部を保存したと言えます。
インドでは仏教そのものが衰退し、中国では法相教学が主流から外れた一方で、日本では興福寺や薬師寺を中心に、その伝統が1300年近く受け継がれました。これは東アジア仏教史の中でも、非常に興味深い継承の例と言えるでしょう。