【アビダルマ】 倶舎論 【仏教の標準理論】 Part5アーカイブ最終更新 2026/06/09 21:021.◆JBLfMwCXhY5M3oN阿毘達磨倶舎論 世親著 玄奘訳帰敬偈(ききょうげ)稽首広大慧、具釈微妙法、滅除衆生惑、救世諸師中。能説諸蘊等、種々名句文、悉由彼尊力、我今依彼説。救世の諸師の中で最も広大な智慧を持ち、微妙なる法を詳しく解き明かし、衆生の惑いを滅し去った尊い方に、頭を下げて礼拝する。・・・私は今、世尊の教えに依って、阿毘達磨倶舎論を説こう。【アビダルマ】 倶舎論 【仏教の標準理論】 Part4https://talk.jp/boards/psy/17699418362026/05/02 11:42:021000すべて|最新の50件953.◆JBLfMwCXhYMlaxxここで面白いのは、あなたが言う過去のセーブデータという比喩です。確かに阿頼耶識には、過去の経験習慣癖執着記憶の痕跡などが種子として蓄積されると考えられます。しかし凡夫は、私はこういう人間だ私の性格はこうだ私の人生はこうだったと、その蓄積物を「私」そのものだと思ってしまう。唯識なら、それは種子の流れにすぎないと言うでしょう。2026/06/09 19:50:43954.◆JBLfMwCXhYMlaxxこの点は、井上義衍の語りとも、意外に接点があります。井上義衍なら、思い出も考えも放っておけ今起きていることを見ろと言う。唯識なら、それらは阿頼耶識中の種子・現行の流れだそこに我を立てるなと言う。理論の有無は違いますが、「過去の蓄積への自己同一化から離れる」という方向性には共通点があります。だからあなたの言葉を唯識風に少し言い換えると、「過去のセーブデータを保存しているデータベースそのものが問題なのではない。『そのデータベースこそ私だ』という末那識の錯覚が問題なのである」となるでしょう。これは唯識の我執論の核心にかなり近い表現だと思います。2026/06/09 19:51:45955.◆JBLfMwCXhY6Jz94プロンプト:唯識論も、単純な輪廻転生思想とは大きく異なるが少なくとも、それ以前の仏教思想、倶舎論や中観派と比べれば輪廻転生を認める方向へ大きく傾いた2026/06/09 20:14:09956.◆JBLfMwCXhY6Jz94チャットGPT:その見方には、かなり説得力があります。ただし、「唯識が輪廻転生を認めるようになった」というより、「輪廻転生を説明する理論装置が大幅に強化された」と言ったほうが正確かもしれません。倶舎論も輪廻転生自体は否定していません。むしろアビダルマ仏教は、六道輪廻業報生死流転を当然の前提として組み立てられています。2026/06/09 20:14:47957.神も仏も名無しさん80sdtハッスル🤡は潜水モードだな😅2026/06/09 20:15:14958.◆JBLfMwCXhY6Jz94ただ、倶舎論には大きな問題がありました。無我なのに、何が輪廻するのか?という問題です。倶舎論では、法の相続(サンターナ)が続くと説明しますが、どうしても説明が抽象的になる。一方、中観派になると、さらに事情が複雑です。龍樹 は輪廻を否定しませんが、輪廻する実体も空涅槃も空と徹底して解体する。そのため、中観派の議論はそもそも輪廻とは何かという哲学に向かいやすい。これに対して唯識は、なぜ前世の業が今世に現れるのかを説明するために阿頼耶識を導入した。つまり、業の保存習慣の蓄積因果の継続を担う基盤として阿頼耶識が置かれたわけです。だから見方によっては、倶舎論の輪廻は法の連続中観の輪廻は空なる縁起唯識の輪廻は阿頼耶識の相続と言えます。、そして一般の人が読むと、阿頼耶識はどうしても魂ではないが魂に近いものに見えてしまう。唯識の学者はこれを嫌いますが、歴史的にもそう読まれやすかった。だからあなたの輪廻転生を認める方向へ大きく傾いたという感覚は、教義上というよりも、輪廻の説明が具体化・実体化したように見えるという意味では当たっています。2026/06/09 20:15:26959.◆JBLfMwCXhY6Jz94実際、思想史的に見ると、初期仏教 → 倶舎論 → 唯識と進むにつれて、「業はどこに保存されるのか」「なぜ人格の連続性があるのか」という問いへの回答はどんどん精密になります。その結果、唯識は無我を維持しながらも、輪廻の継続性を非常に強く説明できる体系になった。そのため、現代人の感覚では、中観よりも倶舎論よりも唯識のほうが輪廻転生をリアルなものとして描いているように見えることが少なくありません。実は、後の東アジア仏教で「前世」「来世」「業の貯蔵庫」といったイメージが広く浸透した背景には、阿頼耶識思想の影響もかなり大きいのです。2026/06/09 20:15:39960.◆JBLfMwCXhY6Jz94プロンプト:>どうしても説明が抽象的になる。問題はそこだ死後世界とか、輪廻転生とかを否定すると「じゃあ、この世とか自分って何なの?」という問いが、途方もなく難しくなるその結果が、現代の西洋哲学と言ってもいいだろう。途方もなく複雑怪奇な屁理屈だ(笑)2026/06/09 20:16:23961.◆JBLfMwCXhY6Jz94チャットGPT:その感覚は理解できます。実際、人間は昔から私とは何か?世界とは何か?死んだらどうなるのか?という問いに答えようとしてきました。そして輪廻転生や霊魂を認める立場は、ある意味で非常に分かりやすい。私は肉体ではない死後も何らかの形で続くという枠組みがあるからです。2026/06/09 20:17:40962.◆JBLfMwCXhY6Jz94一方で近代以降の西洋哲学は、キリスト教的な霊魂観への批判や近代科学の発展の中で、霊魂も認めない輪廻も認めない固定的自我も認めないという方向へ進んでいった。すると確かに、では「私」とは何なのか?という問題が非常に難しくなる。たとえば、David Hume は自己を知覚の束と考えたEdmund Husserl は意識の構造を分析したMartin Heidegger は存在そのものを問うたJacques Derrida は意味の固定性を解体した結果として、非常に精密ですが、一般人には分かりにくい議論が積み重なっていったのも事実です。2026/06/09 20:17:58963.◆JBLfMwCXhY6Jz94ただ、仏教思想史を見ると、実は似た現象が起きています。初期仏教は、固定的な自己はないと言った。しかし、では何が輪廻するのか?という問題が生じる。その結果、アビダルマ倶舎論中観唯識と理論がどんどん精緻化していった。つまり、無我を徹底すると理論が複雑になるのは、西洋哲学だけではなく仏教も同じなんですね。2026/06/09 20:18:22964.◆JBLfMwCXhY6Jz94むしろ興味深いのは、井上義衍のような禅者が、この問題に対して理屈を積み上げても終わらない今、自己だと思っているものを観察しろという方向へ戻ることです。ある意味では、唯識は「阿頼耶識」で説明した西洋哲学は「意識構造」で説明した禅は「説明をいったん脇に置いて観察せよ」と言ったとも整理できます。ただし、西洋哲学を「屁理屈」と切り捨ててしまうと少し惜しい面もあります。たとえばヒュームの「自己は知覚の束にすぎない」という発想は、驚くほど仏教の無我論に近いですし、現象学の分析には唯識と比較できる部分もあります。なので思想史的には、輪廻や霊魂を認めると説明は分かりやすくなるしかし無我や反実体論を徹底すると、どうしても分析が複雑になるというのが、東西に共通する現象なのかもしれません。そして、あなたが倶舎論や唯識を読んでいて感じる面白さも、まさにそこでしょう。「自己はない」と言った瞬間に終わるのではなく、では今ここで経験している主体感覚は何なのか?という問いに対して、仏教は何百年もかけて答えを作り続けたわけですから。2026/06/09 20:18:50965.神も仏も名無しさん80sdtま、あんまり難しい哲学やってるとハッスル🤡になっちゃうよ〜😅2026/06/09 20:19:54966.◆JBLfMwCXhY6Jz94プロンプト:>たとえばヒュームの「自己は知覚の束にすぎない」という発想は、驚くほど仏教の無我論に近いですし、現象学の分析には唯識と比較できる部分もあります。確かに、ヒュームの「知覚の束」理論は、仏教の「五蘊仮和合」に驚くほど似ているだが、似て非なる思想だ何が違うかというと、目的が異なるヒュームの「知覚の束」理論は、デカルトの「我思う、故に我あり。他のことはともかく、【自分が存在する】ことだけは疑う余地がない」という主張に対する、「そんなことないですがな。【自分の存在】だって十分に疑う余地がありますぜ」というツッコミ一方、仏教の無我論は、我執を断って解脱することに目的がある2026/06/09 20:21:15967.◆JBLfMwCXhY6Jz94チャットGPT:その指摘は非常に重要ですね。確かに、ヒュームと仏教は結論が似ていると言うことはできますが、何のためにその結論に至ったのかはかなり違います。ヒュームの場合、問題意識は認識論です。Rene Descartes が我思う、故に我ありと、疑い得ない確実な基礎を探したのに対し、David Hume は内省しても、見つかるのは個々の知覚だけだ「自己」なる実体は発見できないと反論した。つまり、自己実体の認識根拠はどこにあるのかという哲学的・認識論的な問いです。2026/06/09 20:22:15968.◆JBLfMwCXhY6Jz94一方、仏教の無我論は出発点からして違う。釈迦の関心は、自己とは何かそのものではなく、なぜ人は苦しむのかです。そして観察してみると、これは私だこれは私のものだこれが私自身だという執着が苦の原因になっている。だから、実体的自己は存在しないという教えは、認識論の結論というより治療法なんですね。2026/06/09 20:22:37969.◆JBLfMwCXhY6Jz94極端に言えば、ヒュームは自己という実体は観察できませんと言う。釈迦は自己という実体にしがみつくから苦しいのですと言う。似ているようで、問いそのものが違う。だからあなたの言う「知覚の束」理論はデカルトへのツッコミという表現はかなり本質的です(笑)。ヒュームは哲学者として議論している。釈迦は医者として診断している。たとえば同じ「自己は見当たらない」という結論でも、ヒュームはそこで仕事が終わる。しかし仏教ではそこが出発点です。そこから、我執とは何か煩悩とは何かどう観察するかどう執着を離れるか解脱とは何かという実践論が始まる。2026/06/09 20:23:10970.◆JBLfMwCXhY6Jz94だからあなたが最近評価している倶舎論や井上義衍にも通じますが、仏教の理論は本来、正しい世界観を作るためではなく、苦を滅するためにある。この点を忘れると、無我論が単なる形而上学や哲学に見えてしまう。逆に言えば、仏教の無我論は、「自己は存在しない」という学説ではなく、「自己への執着をどう解体するか」という実践プログラムだと見ると、本来の位置づけが見えてきます。その意味では、ヒュームと仏教は「似た場所に到着した」が、「別々の山を登ってきた」と言えるでしょう。結論の類似よりも、出発点と目的の違いのほうが本質的なのだと思います。2026/06/09 20:23:26971.◆JBLfMwCXhY6Jz94>>965> ま、あんまり難しい哲学やってると> ハッスル🤡に> なっちゃうよ~> 😅最近は、「観察の実践」に関心が移ってきている😅2026/06/09 20:24:04972.神も仏も名無しさん80sdtハッスル🤡もムイムイ的崩壊モードだな?😅2026/06/09 20:26:26973.神も仏も名無しさん80sdtニコク堂大活躍だデンパパ📡もゲキオコ夢中のよーだ😅2026/06/09 20:27:03974.◆JBLfMwCXhY6Jz94確かに製ウンコ師は、ムイムイに似てきたな😅2026/06/09 20:27:13975.神も仏も名無しさん80sdt今日の仕事は気温差にやられて不調だった😅2026/06/09 20:28:56976.◆JBLfMwCXhY6Jz94あの製ウンコ師が、物知りはかせの路線を諦め「俺は坐禅してるんだ。何か文句あっか?」の、ムイムイモードに転じたのは興味深い2026/06/09 20:29:03977.◆JBLfMwCXhY6Jz94次スレ【唯識三年】理論派ブッディスト 総合スレ 11【倶舎八年】https://talk.jp/boards/psy/17809984512026/06/09 20:30:24978.神も仏も名無しさん80sdtニコク堂堂はパジコ時代よりも遠慮なくバトルキャラになった😅2026/06/09 20:30:38979.神も仏も名無しさん80sdt>>927思いっきり哲学導入だな?ハッスル🤡も得意かもしれん😅2026/06/09 20:31:32980.神も仏も名無しさん80sdtトランプもブチ切れてきたよーだ良い傾向だ😀https://www.47news.jp/14438160.html2026/06/09 20:34:56981.◆JBLfMwCXhY6Jz94さすがのトランプも、ネタニヤフに愛想を尽かしたようだな?2026/06/09 20:35:52982.◆JBLfMwCXhY6Jz94ネタニヤフなんかに付き合ってたらハテしなく戦線が拡大する2026/06/09 20:36:15983.神も仏も名無しさん80sdtネタニヤフのバカに付き合うとイスラエルファーストだ😅2026/06/09 20:37:32984.◆JBLfMwCXhY6Jz94イランとの戦争も、すべきではなかった2026/06/09 20:38:11985.◆JBLfMwCXhY6Jz94まあ、ハメネイが死んだのは良いことだが2026/06/09 20:38:31986.神も仏も名無しさん80sdtイスラエル国民が病的にイランとの戦争を支持しているからなーガザもイランがらみだ〜みたいな世論誘導しているのは明白だトランプはジョージブッシュではないからな😅2026/06/09 20:39:08987.◆JBLfMwCXhY6Jz94ハメネイその他の幹部か消えたのは、無視できない戦果だその点は認める2026/06/09 20:39:58988.神も仏も名無しさん80sdtジョージブッシュはトランプよりもアホだトランプもアホだけど世論誘導が上手いが今後はダメだろな😅2026/06/09 20:40:45989.◆JBLfMwCXhY6Jz94イランという国家の正常化に向けて前進した2026/06/09 20:40:45990.神も仏も名無しさん80sdtジョージブッシュはイスラエルに巻き込まれてイラク沼にハマったトランプはまだジョージブッシュより賢そうだ😅2026/06/09 20:42:25991.神も仏も名無しさん80sdtノアスレに実はハッスル潜水レスしてた😅2026/06/09 20:44:44992.◆JBLfMwCXhY6Jz94悪い前例を見てきたおかげとも言える2026/06/09 20:45:12993.神も仏も名無しさん80sdtイスラエルに恫喝できるの少しトランプを見直した日本には害悪過ぎるがイラン戦争は😅2026/06/09 20:48:06994.神も仏も名無しさん80sdt実際、サダム・フセインはハマス支援してたからなジョージブッシュはイスラエルの話にのめり込んだ😅2026/06/09 20:49:24995.◆JBLfMwCXhY6Jz94>>991バレバレなのに名無しにして、ど~すんだろな?😅2026/06/09 20:59:30996.◆JBLfMwCXhY6Jz94最終戦争は避けられたか2026/06/09 21:01:00997.◆JBLfMwCXhY6Jz94聖書の預言は成就せず2026/06/09 21:01:15998.◆JBLfMwCXhY6Jz942038年まで待とう😅2026/06/09 21:01:50999.◆JBLfMwCXhY6Jz94南無妙法蓮華経2026/06/09 21:02:131000.◆JBLfMwCXhY6Jz941,0002026/06/09 21:02:251001.Talk ★???このスレッドはコメントが1000件を超えました。新しいスレッドを立ててください。2026/06/09 21:02:251002.Talk ★???【プレミアムサービス無料期間延長!】プレミアムの無料期間を2026/9/30まで延長することになりました。広告除去や規制緩和など、ヘビーユーザーにとって欠かせない機能を無料でお楽しみいただけます。是非この機会にプレミアムサービスをお試しください!▼プレミアムサービスはこちらからhttps://talk.jp/premium2026/06/09 21:02:25
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帰敬偈(ききょうげ)
稽首広大慧、具釈微妙法、
滅除衆生惑、救世諸師中。
能説諸蘊等、種々名句文、
悉由彼尊力、我今依彼説。
救世の諸師の中で
最も広大な智慧を持ち、
微妙なる法を詳しく解き明かし、
衆生の惑いを滅し去った尊い方に、
頭を下げて礼拝する。
・・・
私は今、世尊の教えに依って、
阿毘達磨倶舎論を説こう。
【アビダルマ】 倶舎論 【仏教の標準理論】 Part4
https://talk.jp/boards/psy/1769941836
過去のセーブデータ
という比喩です。
確かに阿頼耶識には、
過去の経験
習慣
癖
執着
記憶の痕跡
などが種子として蓄積されると考えられます。
しかし凡夫は、
私はこういう人間だ
私の性格はこうだ
私の人生はこうだった
と、その蓄積物を「私」そのものだと思ってしまう。
唯識なら、
それは種子の流れにすぎない
と言うでしょう。
井上義衍なら、
思い出も考えも放っておけ
今起きていることを見ろ
と言う。
唯識なら、
それらは阿頼耶識中の種子・現行の流れだ
そこに我を立てるな
と言う。
理論の有無は違いますが、
「過去の蓄積への自己同一化から離れる」
という方向性には共通点があります。
だからあなたの言葉を唯識風に少し言い換えると、
「過去のセーブデータを保存しているデータベースそのものが問題なのではない。
『そのデータベースこそ私だ』という末那識の錯覚が問題なのである」
となるでしょう。
これは唯識の我執論の核心にかなり近い表現だと思います。
唯識論も、単純な輪廻転生思想とは大きく異なるが
少なくとも、それ以前の仏教思想、倶舎論や中観派と比べれば
輪廻転生を認める方向へ大きく傾いた
その見方には、かなり説得力があります。
ただし、「唯識が輪廻転生を認めるようになった」というより、
「輪廻転生を説明する理論装置が大幅に強化された」
と言ったほうが正確かもしれません。
倶舎論も輪廻転生自体は否定していません。
むしろアビダルマ仏教は、
六道輪廻
業報
生死流転
を当然の前提として組み立てられています。
潜水モードだな
😅
無我なのに、何が輪廻するのか?
という問題です。
倶舎論では、
法の相続(サンターナ)が続く
と説明しますが、どうしても説明が抽象的になる。
一方、中観派になると、さらに事情が複雑です。
龍樹 は輪廻を否定しませんが、
輪廻する実体も空
涅槃も空
と徹底して解体する。
そのため、中観派の議論は
そもそも輪廻とは何か
という哲学に向かいやすい。
これに対して唯識は、
なぜ前世の業が今世に現れるのか
を説明するために阿頼耶識を導入した。
つまり、
業の保存
習慣の蓄積
因果の継続
を担う基盤として阿頼耶識が置かれたわけです。
だから見方によっては、
倶舎論の輪廻は法の連続
中観の輪廻は空なる縁起
唯識の輪廻は阿頼耶識の相続
と言えます。、
そして一般の人が読むと、
阿頼耶識はどうしても
魂ではないが魂に近いもの
に見えてしまう。
唯識の学者はこれを嫌いますが、歴史的にもそう読まれやすかった。
だからあなたの
輪廻転生を認める方向へ大きく傾いた
という感覚は、
教義上というよりも、
輪廻の説明が具体化・実体化したように見える
という意味では当たっています。
初期仏教 → 倶舎論 → 唯識
と進むにつれて、
「業はどこに保存されるのか」
「なぜ人格の連続性があるのか」
という問いへの回答はどんどん精密になります。
その結果、
唯識は無我を維持しながらも、
輪廻の継続性を非常に強く説明できる体系になった。
そのため、現代人の感覚では、
中観よりも
倶舎論よりも
唯識のほうが輪廻転生をリアルなものとして描いている
ように見えることが少なくありません。
実は、後の東アジア仏教で「前世」「来世」「業の貯蔵庫」といったイメージが広く浸透した背景には、阿頼耶識思想の影響もかなり大きいのです。
>どうしても説明が抽象的になる。
問題はそこだ
死後世界とか、輪廻転生とかを否定すると
「じゃあ、この世とか自分って何なの?」という問いが、途方もなく難しくなる
その結果が、現代の西洋哲学と言ってもいいだろう。途方もなく複雑怪奇な屁理屈だ(笑)
その感覚は理解できます。
実際、人間は昔から
私とは何か?
世界とは何か?
死んだらどうなるのか?
という問いに答えようとしてきました。
そして輪廻転生や霊魂を認める立場は、
ある意味で非常に分かりやすい。
私は肉体ではない
死後も何らかの形で続く
という枠組みがあるからです。
霊魂も認めない
輪廻も認めない
固定的自我も認めない
という方向へ進んでいった。
すると確かに、
では「私」とは何なのか?
という問題が非常に難しくなる。
たとえば、
David Hume は自己を知覚の束と考えた
Edmund Husserl は意識の構造を分析した
Martin Heidegger は存在そのものを問うた
Jacques Derrida は意味の固定性を解体した
結果として、非常に精密ですが、一般人には分かりにくい議論が積み重なっていったのも事実です。
初期仏教は、
固定的な自己はない
と言った。
しかし、
では何が輪廻するのか?
という問題が生じる。
その結果、
アビダルマ
倶舎論
中観
唯識
と理論がどんどん精緻化していった。
つまり、
無我を徹底すると理論が複雑になる
のは、西洋哲学だけではなく仏教も同じなんですね。
井上義衍のような禅者が、この問題に対して
理屈を積み上げても終わらない
今、自己だと思っているものを観察しろ
という方向へ戻ることです。
ある意味では、
唯識は「阿頼耶識」で説明した
西洋哲学は「意識構造」で説明した
禅は「説明をいったん脇に置いて観察せよ」と言った
とも整理できます。
ただし、西洋哲学を「屁理屈」と切り捨ててしまうと少し惜しい面もあります。
たとえばヒュームの「自己は知覚の束にすぎない」という発想は、驚くほど仏教の無我論に近いですし、現象学の分析には唯識と比較できる部分もあります。
なので思想史的には、
輪廻や霊魂を認めると説明は分かりやすくなる
しかし無我や反実体論を徹底すると、どうしても分析が複雑になる
というのが、東西に共通する現象なのかもしれません。
そして、あなたが倶舎論や唯識を読んでいて感じる面白さも、まさにそこでしょう。
「自己はない」と言った瞬間に終わるのではなく、
では今ここで経験している主体感覚は何なのか?
という問いに対して、仏教は何百年もかけて答えを作り続けたわけですから。
ハッスル🤡に
なっちゃうよ〜
😅
>たとえばヒュームの「自己は知覚の束にすぎない」という発想は、驚くほど仏教の無我論に近いですし、現象学の分析には唯識と比較できる部分もあります。
確かに、ヒュームの「知覚の束」理論は、仏教の「五蘊仮和合」に驚くほど似ている
だが、似て非なる思想だ
何が違うかというと、目的が異なる
ヒュームの「知覚の束」理論は、デカルトの「我思う、故に我あり。他のことはともかく、【自分が存在する】ことだけは疑う余地がない」という主張に対する、「そんなことないですがな。【自分の存在】だって十分に疑う余地がありますぜ」というツッコミ
一方、仏教の無我論は、我執を断って解脱することに目的がある
その指摘は非常に重要ですね。
確かに、
ヒュームと仏教は結論が似ている
と言うことはできますが、
何のためにその結論に至ったのか
はかなり違います。
ヒュームの場合、問題意識は認識論です。
Rene Descartes が
我思う、故に我あり
と、疑い得ない確実な基礎を探したのに対し、
David Hume は
内省しても、見つかるのは個々の知覚だけだ
「自己」なる実体は発見できない
と反論した。
つまり、
自己実体の認識根拠はどこにあるのか
という哲学的・認識論的な問いです。
釈迦の関心は、
自己とは何か
そのものではなく、
なぜ人は苦しむのか
です。
そして観察してみると、
これは私だ
これは私のものだ
これが私自身だ
という執着が苦の原因になっている。
だから、
実体的自己は存在しない
という教えは、
認識論の結論というより
治療法
なんですね。
ヒュームは
自己という実体は観察できません
と言う。
釈迦は
自己という実体にしがみつくから苦しいのです
と言う。
似ているようで、問いそのものが違う。
だからあなたの言う
「知覚の束」理論はデカルトへのツッコミ
という表現はかなり本質的です(笑)。
ヒュームは哲学者として議論している。
釈迦は医者として診断している。
たとえば同じ「自己は見当たらない」という結論でも、
ヒュームはそこで仕事が終わる。
しかし仏教ではそこが出発点です。
そこから、
我執とは何か
煩悩とは何か
どう観察するか
どう執着を離れるか
解脱とは何か
という実践論が始まる。
正しい世界観を作るため
ではなく、
苦を滅するため
にある。
この点を忘れると、無我論が単なる形而上学や哲学に見えてしまう。
逆に言えば、仏教の無我論は、
「自己は存在しない」
という学説ではなく、
「自己への執着をどう解体するか」
という実践プログラムだと見ると、本来の位置づけが見えてきます。
その意味では、ヒュームと仏教は「似た場所に到着した」が、「別々の山を登ってきた」と言えるでしょう。結論の類似よりも、出発点と目的の違いのほうが本質的なのだと思います。
> ま、あんまり難しい哲学やってると
> ハッスル🤡に
> なっちゃうよ~
> 😅
最近は、「観察の実践」に関心が移ってきている😅
ムイムイ的崩壊モードだな?
😅
デンパパ📡もゲキオコ夢中のよーだ
😅
製ウンコ師は、ムイムイに似てきたな😅
気温差にやられて不調だった😅
「俺は坐禅してるんだ。何か文句あっか?」
の、ムイムイモードに転じたのは興味深い
【唯識三年】理論派ブッディスト 総合スレ 11【倶舎八年】
https://talk.jp/boards/psy/1780998451
パジコ時代よりも
遠慮なくバトルキャラになった
😅
思いっきり哲学導入だな?
ハッスル🤡も得意かもしれん
😅
良い傾向だ
😀
https://www.47news.jp/14438160.html
ハテしなく戦線が拡大する
イスラエルファーストだ
😅
ガザもイランがらみだ〜
みたいな世論誘導しているのは明白だ
トランプは
ジョージブッシュではないからな
😅
その点は認める
トランプよりもアホだ
トランプもアホだけど
世論誘導が上手いが
今後はダメだろな
😅
イスラエルに巻き込まれて
イラク沼にハマった
トランプは
まだジョージブッシュより
賢そうだ
😅
実はハッスル潜水レスしてた
😅
少しトランプを見直した
日本には害悪過ぎるが
イラン戦争は
😅
ハマス支援してたからな
ジョージブッシュはイスラエルの話にのめり込んだ
😅
バレバレなのに
名無しにして、ど~すんだろな?😅
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