【空の奥義は】 中観派 【言葉にできない】 Part7最終更新 2026/03/21 21:271.◆JBLfMwCXhYHk5pL不滅にして不生不断にして不常不一にして不異不来にして不去戯論寂滅にして吉祥なる縁起をお説きになった説法者中の最高の説法者である仏陀に敬礼する根本中頌 帰敬偈 (龍樹)前スレ【空の奥義は】 中観派 【言葉にできない】 Part6https://talk.jp/boards/psy/17709335282026/03/13 08:14:53246コメント欄へ移動すべて|最新の50件2.◆JBLfMwCXhYHk5pL勝義諦(しょうぎたい)は、言葉や概念を超えた究極の真理(空・悟り)を指し、世俗諦(せぞくたい)は、世間一般の常識や言語・概念に基づく現象・現象上の真理を指す。ナーガールジュナの中観派では、この二つの真理(二諦)を分かつことで、現象世界の確実性を認めつつ、究極の「空性」を説いている。勝義諦(真諦、第一義諦)定義: 聖者の無漏智(迷いのない知恵)で見通された、言語・概念を超えた「ありのまま」の真実。内容: 空性、悟り、涅槃(ねはん)など。世俗諦(俗諦、世諦)定義: 世間一般の習慣や言語・名辞によって「これである」と認識できる、現象上の確実性。内容: 因果関係、日常の認識、仏陀の便宜的な教え(方便)。二諦の関係二諦の互依性: 世俗という名辞・概念(世俗諦)に依らなければ、究極的な真実(勝義諦)を指し示すことも理解することもできない。目的と手段: 世俗諦(方便)は、勝義諦(悟り)に到達するための手段である。不二: 究極的には世俗諦そのものが空(勝義諦)であり、両者は別物ではない。この「真俗二諦」の理解は、仏教における空(くう)の哲学的探究において非常に重要視されている。2026/03/13 08:17:083.◆JBLfMwCXhYHk5pL相依性縁起(そうえんしょうえんぎ)は、すべての事象が単独ではなく、相互の因と縁によって「相(あい)依り、相待(あいま)って(=関係し合って)」存在するという、仏教の根本的道理です。原因や条件が揃わなければ結果は生じず、固定的な実体はない(空)という、関係性や無常を説く思想です。相依性縁起(相依相待性)の要点相互依属(相依):万物は、互いに寄りかかって(依)存在しているという関係性(例:父と子は、お互いがあって初めて父であり子である)。相互待属(相待):相互に条件となり合って、その存在が成り立つ道理。「空」との関連:龍樹(ナーガールジュナ)は『中論』で、実体の実在を否定し、縁起を「空」の理論として展開し、すべてのものは固定不変の実体を持たないと説いた。意味と背景:すべてのものが「縁(関係性)」の中で生起しているという教え。この視点は、執着を離れ、苦悩を克服するための智慧とされる。この道理は、物事が独立して存在しない(無自性・空)ことを強調し、私たちの認識が相互の関係性の上にあることを示唆しています。2026/03/13 08:18:384.◆JBLfMwCXhYHk5pL八不中道(はっぷちゅうどう)は、大乗仏教の龍樹が『中論』で説いた、生・滅、常・断、一・異、来・去という4対8つの両極端な見方(八計)を否定し、縁起の道理に即した正しい中道の認識を示す概念です。執着を離れ、実体視(誤った固定観念)から解放された空(くう)の智慧を指します。八不の具体的な内容(8つの否定)不生(ふしょう):実体としては生じない不滅(ふめつ):実体としては滅しない不断(ふだん):絶え果てることはない不常(ふじょう):常住ではない不一(ふいち):同一ではない不異(ふい):異なって(別々で)はない不来(ふらい):やってくるのではない不去(ふきょ):去っていくのではない主なポイント龍樹の提唱:中観派の祖・龍樹(ナーガールジュナ)が『中論』の冒頭「八不の偈」で展開した、空と縁起を理解するための核心的理論。中道の実践:物事を「ある」か「ない」か、あるいは「同じ」か「違う」かという極端な断見・常見に偏らず、真実の姿(中道)を見きわめること。無得中道:とらわれのない自由な認識を示すため、「無得中道」や「八不中観」とも呼ばれる。この教えにより、固定観念や偏見(妄執)を打破し、物事の本来の姿を正しく捉えることで、煩悩から解放された境地(涅槃)を目指します。2026/03/13 08:20:555.◆JBLfMwCXhYHk5pL四句分別/四句否定 → 非有非無の中道四句分別1、有る2、無い3、有ると同時に無い4、有るわけでもなく、無いわけでもない四句否定1、有るか? → 否2、無いか? → 否3、有ると同時に無いか? → 否4、有るわけでもなく、無いわけでもないか? → 否2026/03/13 08:23:596.◆JBLfMwCXhYHk5pL断見の例:『人は、死ねば無になる。火葬場で焼かれてしまえば、後には灰しか残らない。ボクは死んだらオシマイだ。さようなら』常見の例:『人は生まれ変わり、死に変わり、永遠の魂修行を続けていくのだ。ボクが死んでも、魂は永遠だ』「このどちらでもない」というのが、中観派の考え方「不常不断の中道」だこれは結局のところ、『霊魂は有るのか、無いのか?』という問題になる「非有非無の中道」だ「不常不断の中道」(八不中道)と「非有非無の中道」(四句分別)は、表裏一体の関係にある2026/03/13 08:32:397.◆JBLfMwCXhYHk5pL中観派のまとめは以上2026/03/13 08:32:558.◆JBLfMwCXhYHk5pL中観派は、言語で表現されるすべての事象には実体がない(空)とし、言葉と言語的現実は一致しないとする独自の言語哲学を展開する。ナーガールジュナを祖とし、実体視(概念的執着)を打破するために論理的な「帰謬法」を用い、究極的には言語による把握を超えた「非言語・無分別」の認識(空の体得)を目指す。2026/03/13 09:40:509.◆JBLfMwCXhYHk5pL中観派の言語哲学は、以下の主要な要素で構成されます。「空」と言語の限界:ナーガールジュナの空の哲学は、概念や言葉は便宜上の名付け(名言)に過ぎず、真の実在を指し示していないと説く。言語的執着の否定:人間は言葉によって対象を実体化(固定化)して認識するが、中観派はこの「分別」が苦しみ(煩悩)の根源であるとし、言語的執着を否定する。帰謬法(プラサンガ)による論理:相手の言語的立場を論理的に追いつめ、その矛盾(誤り)を露わにして、最終的に「論理的判断が不可能」な状態(空)へと誘導する手法。2026/03/13 09:41:0210.◆JBLfMwCXhYHk5pL「二諦」の観点:世俗諦(せぞくたい):日常的・言語的な世界。勝義諦(しょうぎたい):言語を超えた真理(究極の真実)。無分別智の追求:言葉で分ける前のありのままの真実(無分別)を認識することが、真の智慧とされる。2026/03/13 09:41:1611.◆JBLfMwCXhYHk5pL中観派は、言語を否定するだけでなく、空の真理を伝えるための「手段」として使いつつ、最終的にはその言葉も捨てるという二重のプロセスを強調します。2026/03/13 09:41:2712.◆JBLfMwCXhYHk5pL中観派の「空(くう)」の論理と、現代の分析的な言語哲学(特に後期ヴィトゲンシュタインやポスト構造主義)は、言語の限界と固定的な本質の否定において驚くほど類似しています。どちらも「実在する言葉」を批判し、固定的な概念を解体する非基礎主義的な視点という共通点があります。2026/03/13 09:42:2413.◆JBLfMwCXhYHk5pL中観派と現代言語哲学の比較空と反本質主義:中観派:ナーガールジュナ(龍樹)は、すべての事象は関係性の中で存在し(縁起)、固有の自性(本質)を持たない(空)と論じます。現代哲学:デリダや後期ヴィトゲンシュタインなど、本質主義(言葉が固定的な何かを指すという考え)を否定し、意味は文脈や言語ゲームの中で生成されると考えます。2026/03/13 09:42:5014.◆JBLfMwCXhYHk5pL言語の限界と非二元性:中観派:「空」は言葉や論理で記述しきれないため、究極的には言語を超越した認識(二諦説)を求めます。現代哲学:ヴィトゲンシュタインは「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」と述べ、言語的な思考限界を指摘しました。2026/03/13 09:43:0715.◆JBLfMwCXhYHk5pL批判手法(デコンストラクション):中観派:帰謬法(プラサンガ)を用い、相手の前提にある「自性」を否定する手法は、現代の脱構築のプロセスと類似しています。現代哲学:言語の自己言及性や文脈のズレを指摘し、強固な基礎を持つ理論を解体します。2026/03/13 09:43:2316.◆JBLfMwCXhYHk5pL両者の主な相違点目的の違い:中観派は「苦からの解放(救済)」という実践的な目的があるのに対し、現代言語哲学は主に「言語的・理論的解明」という知的探求が主流です。実在の扱い:中観派は空でありながら実在(真如)の体得を目指しますが、現代哲学は概念的な実在自体を否定または保留する傾向があります。2026/03/13 09:43:3517.◆JBLfMwCXhYHk5pL中観派の議論は、言語という道具を徹底的に批判することで、固定的な自己や世界観を打破する「実践的な解体」として、現代哲学の領域においても深く評価されています。2026/03/13 09:43:4518.◆JBLfMwCXhYHk5pLせっかく、新スレを立てたのに結局また、この話になっている😅2026/03/13 09:44:2019.◆JBLfMwCXhYHk5pLでも、やっぱり中観派ってのは、そういうもんだよな2026/03/13 09:45:3620.◆JBLfMwCXhYHk5pL中観派は、古代インドの言語哲学だ2026/03/13 09:59:0321.神も仏も名無しさんjUs29実践的な解体は一部だろう緻密な道元禅破壊的な臨済禅が一番深掘りしているかもしれん中論限定という意味では😃2026/03/13 10:17:2522.神も仏も名無しさんjUs29道元禅は今月になって仕上がってきた😃2026/03/13 10:17:5523.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAk2rs9「意見が合わない奴を罵倒して楽しむ」がJBL教の真骨頂じゃろう?「意見が合わない奴」が存在しないと、JBL教が成り立たない。966 名前:◆JBLfMwCXhY[] 投稿日:2026/03/13(金) 07:38:24.55 ID:Hk5pL [2/36] 0コレなんだよな~当方と聖ウンコ派の意見が合わないのは、これが大きい彼らは中観派や天台宗をベースにしてるがこちらのベースは唯識派や真言宗なので2026/03/13 10:27:4224.◆JBLfMwCXhYHk5pL>>23> 「意見が合わない奴を罵倒して楽しむ」が> JBL教の真骨頂じゃろう?> 「意見が合わない奴」が存在しないと、JBL教が成り立たない。そりゃ、聖ウンコ師じゃろ2026/03/13 10:55:0125.◆JBLfMwCXhYHk5pLラピスや幸福の科学信者ならともかく聖ウンコ派を罵倒した覚えはない2026/03/13 10:55:3126.リダン◆3y/i8XtGLYErR3P何いってんだjbl龍樹は空を勝義と言ったときかん坊だったんじゃねえかまあ分かったんならいい2026/03/13 10:56:1427.◆JBLfMwCXhYHk5pL悪質な献金詐欺団体に勧誘してるならともかく単に、奇妙な仏教解釈を並べてるだけならまあ仕方ないと割り切れる(笑)2026/03/13 10:56:3328.神も仏も名無しさんjUs29ベイダー和尚はある意味しつこくない釣りタイプベイダー和尚を決死人間化するとリダンになる😃2026/03/13 10:56:5429.神も仏も名無しさんjUs29>>27俺の貢献だな?ハッスルの謎が解ってきたのは😃2026/03/13 10:57:3630.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAk2rs9>>24-25なるほどJBL氏は、歯向かって遊んでいるわけじゃな?https://talk.jp/boards/psy/176983228144 名前:◆JBLfMwCXhY[] 投稿日:2026/02/01(日) 14:25:58.87 ID:6ATkk [6/19] 0「言葉で真理を語ることはできない。言葉は正しい認識をさまたげる」↓「真理を正しく知るには、黙って坐禅するしかない」↓「何よりも重要なのは、坐禅をこなした回数である」これが、聖ウンコ教のセントラル・ドグマ(中心教義)これに歯向かう者には、ウンコとリダンによる罵倒の大連投が待っている2026/03/13 11:11:4931.リダン◆3y/i8XtGLYSbiG1真言宗では、名前の通り、言葉にパワーがある「月を指す指なのだ」とは、誰も思っていないこれは密教の話になってくる2026/03/13 11:53:3532.◆JBLfMwCXhYHk5pLウィトゲンシュタインの「梯子(はしご)の比喩」は、著書『論理哲学論考』(Tractatus)の結び(6.54)に登場する、同書の役割を説明する有名な比喩です。哲学の命題は世界を正しく見るための道具(梯子)に過ぎず、理解した後はその理論自体(ナンセンス)を捨てるべきだという、哲学の終焉を告げる思想です。2026/03/13 12:46:4433.◆JBLfMwCXhYHk5pL梯子の比喩のポイント道具としての哲学: ウィトゲンシュタインにとって、哲学的な命題や理論は、世界を正しく認識するための「梯子」です。登りきったら捨てる: 梯子(『論考』の理論)を使って世界を正しく見ることができるようになったら、その梯子そのもの、つまり理論や体系は不要になる、あるいは捨て去らなければならないと主張しました。「語り得ぬもの」への到達: 哲学的に「語り得る」限界を理解した者は、その限界を定義した『論考』の理論自体が、厳密には「語り得ないこと(言語の論理形式の外側にあること)」を扱った「ナンセンス(無意味)」であることに気づきます。「沈黙」への誘い: 言葉で説明しようとする哲学を終え、真に重要なこと(善悪や人生の意味など)は言葉で論じるのではなく、ただ「示される」ものである(語り得ぬものについては沈黙しなければならない)と彼は考えました。この比喩は、哲学が世界を説明するものではなく、世界を正しく見るための「活動」であることを示しています。2026/03/13 12:46:5934.◆JBLfMwCXhYHk5pL釈迦の「筏(いかだ)のたとえ」は、教え(仏法)は悟りの彼岸へ渡るための「道具」に過ぎず、役目を終えたら執着せずに捨てるべきだと説いた法話です。川を渡った後に筏を背負って運ぶ愚かさを例に、形にとらわれず、真理そのものを理解することの重要性を伝えています。2026/03/13 12:48:1235.◆JBLfMwCXhYHk5pL「筏のたとえ」の概要と教えストーリー: 旅人が大きな川を渡るため、木や草で筏を作り、無事に岸辺に渡ることができました。役立ったからといって、その筏を背負って旅を続けるべきか、という問い。教えの核心: 目的は「川を渡ること」であり、筏は手段です。悟りに達したら、教えという手段(筏)にしがみつく必要はなく、それも手放すべきである(「法さえも捨てるべき」)。執着からの解放: 教え(言葉や概念)を物理的な重荷のように背負い続けると、真の自由(悟り)の妨げになる。この教えは、仏教の「固定観念にとらわれない」という姿勢を示す典型的なエピソードです。2026/03/13 12:48:3136.◆JBLfMwCXhYHk5pL仏教の**「筏(いかだ)のたとえ」と、Ludwig Wittgensteinの「梯子(はしご)の比喩」**は、どちらも「真理に到達するための手段は、最終的には捨てられるべきもの」という思想を示す点でよく比較されます。ただし背景や意味には違いがあります。2026/03/13 12:51:3337.◆JBLfMwCXhYHk5pL1. 釈迦の「筏のたとえ」これは仏教経典(特にAlagaddupama Sutta)に出てくる、Gautama Buddhaの有名な比喩です。内容(要約)人が危険な岸から安全な岸へ渡りたい。舟がないので草木を集めて筏を作る。筏のおかげで川を渡ることができる。渡ったあと、その筏を頭に乗せて持ち歩くべきか?釈迦の答えはNOです。役に立ったが、もう必要ないので捨ててよい。意味仏教の教え(法)は悟りへ渡るための手段。真理に到達したら、教えに執着する必要はないつまり、教えは目的ではなく手段。2026/03/13 12:52:4438.◆JBLfMwCXhYHk5pL2. ウィトゲンシュタインの「梯子の比喩」この比喩は、Tractatus Logico-Philosophicusの最後の命題(6.54)に出てきます。内容(要約)ウィトゲンシュタインはこう書きます:私の命題を理解した者は、それらを無意味であると認識する。それらを梯子のように使って登った後、その梯子を捨てなければならない。意味『論理哲学論考』の命題は、世界と言語の限界を示すための道具。それを理解すると、哲学的命題自体が不要になる。つまり、哲学の説明は、理解のための道具にすぎない。2026/03/13 12:53:2839.◆JBLfMwCXhYHk5pL3. 共通点両者は非常によく似た構造を持っています。要するに、真理へ到達するための説明は、最後には不要になる。2026/03/13 12:54:0240.◆JBLfMwCXhYHk5pL4. 違い(重要)仏教・・・宗教・修行、教えは役に立つ、悟りへの実践ウィトゲンシュタイン・・・言語哲学、命題は最終的に無意味、言語の限界の提示簡単に言うと筏 → 悟りへ渡る実践の道具梯子 → 言語の限界を示す論理装置2026/03/13 12:55:5041.◆JBLfMwCXhYHk5pL✅ まとめ釈迦:教えは悟りへ渡る筏ウィトゲンシュタイン:哲学命題は理解へ登る梯子どちらも真理に到達したら、説明そのものは手放すという思想を表しています。もしよければ、「なぜウィトゲンシュタインは自分の本を“無意味”と言ったのか」(哲学的にかなり面白い問題)も説明できます。2026/03/13 12:56:1242.◆JBLfMwCXhYHk5pLまさに、似て非なる問題2026/03/13 12:56:2543.◆JBLfMwCXhYHk5pL昭和の仏教学者は、釈迦の「筏の例え」を誤解した2026/03/13 12:56:5744.◆JBLfMwCXhYHk5pL確かに、ウィトゲンシュタインの「梯子の例え」と似ているが問題意識が異なる似て非なるテーマ2026/03/13 12:57:4445.◆JBLfMwCXhYHk5pL昭和の仏教解釈では、「言語の限界」がやたらと強調されてたがあれは、20世紀の西洋哲学を席巻したウィトゲンシュタイン・ブームの影響としか思えんのだよなあ2026/03/13 13:04:4246.◆JBLfMwCXhYHk5pL確かに仏教、とくに中観派にも、そういう傾向はあるそれは否定できないでも、昭和の仏教解釈ではちょっと、そこが強調されすぎだな「確かにそういう面はあるけど、そこまでか?」という感じ2026/03/13 13:07:1347.◆JBLfMwCXhYHk5pLこれが個人的に、聖ウンコ派の解釈に賛成できない大きな理由だ西洋哲学にも慣れ親しんできた者としては(むしろ、そっちの方が長い)「それって龍樹というより、ソシュールじゃないの?」「それって、ウィトゲンシュタインじゃないの?」と思うような場面があまりにも多い2026/03/13 13:10:0048.◆JBLfMwCXhYHk5pL個人的に「本当は一体である世界を、人は言語でバラバラに分節化している」だの、「言語には限界がある。語り得ぬものについては沈黙しなければならない」だのと言われるとどうしても疑ってしまうあまりにも、20世紀の言語分析哲学と発想が似ているので「大昔の人が、ホントにそんなこと言ってたんかい?」という疑いが、どうしても先に立つ2026/03/13 13:18:0549.◆JBLfMwCXhYHk5pL20世紀の西洋哲学は、凄まじい言語哲学ブームだったほとんど、「哲学=言語分析」となる勢いだった日本の宗教学者が、仏教の古典思想の中に、それと似たものを見つけて大喜びその気持ちは、よく分かるが確かに似てるけど、違いの方が大きいので、そこを見ていかないとな2026/03/13 13:25:4950.◆JBLfMwCXhYHk5pLでも、確かに似ているな似て非なるものとはいえ確かに似ている2026/03/13 13:29:1351.◆JBLfMwCXhYHk5pL古代インドと、近代ヨーロッパ時代や環境は違えども突き詰めて考えれば、同じ結論になるということか2026/03/13 13:29:5452.◆JBLfMwCXhYHk5pLいや~、似てるなマジメな話、近現代の西洋哲学は後になるにつれ、だんだん中論や唯識論に似てくる😅2026/03/13 13:30:5553.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAk2rs9「壊し屋エロ和尚」としては、浄土真宗サイコーじゃが296 名前:◆JBLfMwCXhY[] 投稿日:2026/03/07(土) 14:16:46.34 ID:QDWOq [2/2] 0浄土真宗が伝統をブチ壊した2026/03/13 15:13:1354.神も仏も名無しさんAJtY9>>52ただヴィトゲンシュタインはサティは存在しないデンパパ📶セイジン問題も基本そこだハッスル🤡もだけど😃2026/03/13 17:49:2755.パーリー◆HpIafZZzjh.GztDCn≫言語の限界と非二元性:≫中観派:「空」は言葉や論理で記述しきれないため、≫究極的には言語を超越した認識(二諦説)を求めます。中論は無分別三昧へ入った処で不要となる‼️じゃないのかな?だからさ勤行や聖典や聖者の本などの読誦の集中を通じて言語が脱落する無分別三昧へ入禅定する訳ですね中論もここで不要となります‼️2026/03/13 17:49:2956.神も仏も名無しさんAJtY9如実知見だ中論といえども、大般若経典はなんらかの洞察、サティの変化したのがある、 唯識ですら妙観察智がある😃2026/03/13 17:51:1057.パーリー◆HpIafZZzjh.GztDCn浄土真宗も基本は密教の百万遍真言でしょうね~‼️2026/03/13 17:51:1258.神も仏も名無しさんAJtY9デンパパセイジン👽無駄に頑張りに現れたな?🛸〜〜〜2026/03/13 17:51:4459.パーリー◆HpIafZZzjh.GztDCn心一境性に至らんと如実知見はあり得んよ‼️2026/03/13 17:52:2860.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAk2rs9>>57発想としては同類じゃな2026/03/13 18:00:2361.パーリー◆HpIafZZzjh.G5Tl9K>>60同類ってかみんな空海からきt2026/03/13 18:24:5862.パーリー◆HpIafZZzjh.G5Tl9K空海から来てるんじゃないの⁉️2026/03/13 18:25:2763.パーリー◆HpIafZZzjh.G5Tl9K高野山と比叡山だな☺️2026/03/13 18:26:1764.パーリー◆HpIafZZzjh.G5Tl9Kたぶん推察するに2026/03/13 18:26:5065.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAk2rs9>>62ヒト遺伝子だものBY あいだみつお2026/03/13 18:28:0966.パーリー◆HpIafZZzjh.GYD8FQそっちに行くの⁉️2026/03/13 19:03:1867.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAk2rs9>>66はい我々は、変なオジサンでつサピエンスという狂気の生命体――人類は「賢い」から生き残ったのではないhttps://note.com/royal_curlew4118/n/n42225a19da2b2026/03/13 19:08:2068.パーリー◆HpIafZZzjh.GYD8FQわたしはダメな人間です‼️と思わないで下さい!ニコラテスラが明かす成功の不都合な真実https://youtube.com/shorts/SW0QQey5fHU?si=A19OTt-hhwHs7x3V2026/03/13 19:27:0869.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAk2rs9>>68懐かしいな~~https://www.youtube.com/watch?v=ezWMYx7W7BE2026/03/13 19:35:3670.パーリー◆HpIafZZzjh.GPk8xJヤバいバヤい‼️ポッたん化しちゃうよ~😭もうしてるか😆2026/03/13 20:15:5771.◆JBLfMwCXhY4tYDx念仏行を弘めたのは、高野聖らしい2026/03/13 20:17:0372.◆JBLfMwCXhY4tYDx南無阿弥陀仏最もシンプルな真言だ2026/03/13 20:18:0073.◆JBLfMwCXhY4tYDxポッたんは、長期放置スレのスレ埋めを熱心にやってくれている2026/03/13 20:19:0474.神も仏も名無しさんLPa6h念仏行の魔改造ゾーンまでお気楽になったナウ😃2026/03/13 21:00:1675.パーリー◆HpIafZZzjh.GztDCn>>71へ~そうなんですねやはり高野山絡み‼️2026/03/13 23:53:1776.神も仏も名無しさんLPa6hデンパパセイジンがらみは全てアストラル界がらみ👽👽👽👽👽2026/03/13 23:57:3977.神も仏も名無しさんLPa6hアストラルセイジン👽2026/03/13 23:58:3878.パーリー◆HpIafZZzjh.GJqnsiでおーや!お前もアストラル体を持っているんだぞ‼️今の今2026/03/14 01:03:5079.エロ和尚◆ERO.Kk3nCALvolS>>70ポッたん和尚に改名しようかな?2026/03/14 10:18:3580.神も仏も名無しさんmNK7Xハッスル和尚は😃2026/03/14 11:06:2981.エロ和尚◆ERO.Kk3nCALvolSハッスル和尚は聖ウンコ師のあだ名2026/03/14 11:12:0682.◆JBLfMwCXhYanQeeハッスルだと、聖ウンコ派っぽい2026/03/14 14:30:4783.神も仏も名無しさん1zWwjナルシズム超マジメなハッスルに対抗してナルシズム超マジメに対局したベイダー和尚の改名😃2026/03/14 15:15:5084.リダン◆3y/i8XtGLYLHoicほんならjbl理詰めで空であるとピンときたとして空も相依による産物であると戯論寂滅した場合どうなるか?ってことだ2026/03/15 15:22:5885.リダン◆3y/i8XtGLYLHoic八不中道とはいかなるかってこと2026/03/15 15:23:2486.リダン◆3y/i8XtGLYLHoicアレフガルドのアバターがドットである更にドットは戯論であるとそうなるとどうなるか2026/03/15 15:24:3587.リダン◆3y/i8XtGLYLHoicむろん空であるから自在にアバターやアレフガルドを描写することが可能であるわけだな?んでもまずは戯論寂滅、八不中道とはどういったことであるか自身が証さなならんと2026/03/15 15:27:0088.リダン◆3y/i8XtGLYLHoic事事無碍法界にせよ三諦円融にせよ身口意にせよ南無妙法蓮華経にせよまずこの空の理による所知障の断滅がど基本なわけだわな2026/03/15 15:39:0389.リダン◆3y/i8XtGLYLHoicそのどうなるか?を結局、定義やウィキで知っても意味がない己を理詰めで追い込まないと空とはこうである(戯論)でなく空とはまさにこのようであったと2026/03/15 15:49:0390.リダン◆3y/i8XtGLYLHoicそうなると只管打坐やギャーテーギャーテー、ムーー!がああそういうことねと腹におちる2026/03/15 15:50:0591.◆JBLfMwCXhYw69eQ相変わらず、「空の奥義は言葉にできない」に極端にこだわってるな?2026/03/15 19:57:0092.◆JBLfMwCXhYw69eQ中観派の「勝義諦/世俗諦」も、確かに重要だがそれは、広大な仏教思想の一部でしかない2026/03/15 19:58:4693.◆JBLfMwCXhYw69eQ中観派の中でさえ最重要なテーマとは言えない2026/03/15 20:00:2294.◆JBLfMwCXhYw69eQ聖ウンコ派に付き合ってるとこっちも釣られて、この話ばっかりになるんだよな~😫2026/03/15 20:05:5795.リダン◆3y/i8XtGLY2YrGX>>94あほ中観の話しだけやないわ我空法空の二空、所知障の話しやから大乗の肝やん2026/03/15 20:10:1996.◆JBLfMwCXhYw69eQ当の聖ウンコ師でさえ、最近はその話をあまりしない2026/03/15 20:12:0997.◆JBLfMwCXhYw69eQ「坐禅の回数が重要だ。お前らは何回坐ったのだ~」しか言わなくなった2026/03/15 20:12:3898.◆JBLfMwCXhYw69eQ2、3年前は、ここまでバカてはなかった彼は以前に比べて、知的な面で劣化した2026/03/15 20:13:1699.安堂L0k2Mここが中観派のアジトか。リダンがいるぞ!子連れ狼!覚悟せい!2026/03/15 20:23:27100.◆JBLfMwCXhYw69eQ1002026/03/15 20:29:00101.◆JBLfMwCXhYw69eQ哲学的には、龍樹の中論宗教的には、法華経この2つをベースにしたのが、天台教学だ2026/03/15 22:28:06102.◆JBLfMwCXhYw69eQ中論もいいが、法華経こそ最高の教え2026/03/15 22:29:47103.◆JBLfMwCXhYw69eQ中論で哲学して法華経で宗教する2026/03/15 22:32:24104.◆JBLfMwCXhYd5yYu法華経は、これまでの仏教をこう説明します。これまでの教えは 方便(教育方法) だったつまり、小乗・大乗・菩薩道などは最終的な真理ではなく、導入教育だったとするのです。この思想を整理したのが、智顗 の 天台教学です。2026/03/16 00:18:47105.◆JBLfMwCXhYd5yYu聖ウンコ師が「釈迦の教えは方便」「龍樹の教えも方便」にコダワるのは、明らかに、この影響だろ2026/03/16 00:20:04106.◆JBLfMwCXhYd5yYu聖ウンコ師は、人間禅にハマる前は立正佼成会のシンパだったらしいからその頃に刷り込まれたに違いない2026/03/16 00:20:43107.◆JBLfMwCXhYd5yYu「法華経が最高で究極の教え。それ以前のは方便。衆生の機根に合わせた薬の処方」この法華経至上主義を坐禅至上主義に読み替えただけ(笑)2026/03/16 00:22:20108.◆JBLfMwCXhYd5yYuリダンは、すっかり釣られてしまった2026/03/16 00:23:47109.◆JBLfMwCXhYd5yYu法華経は「誰もが仏になれる」という仏教史上、画期的な教えを説いた2026/03/16 00:26:55110.◆JBLfMwCXhYd5yYuさらに、「古代インドに生まれた人間・釈迦は仮の姿である」「本当は久遠実成、永遠の仏陀なのである」という、これまた画期的な思想を唱えた2026/03/16 00:28:07111.◆JBLfMwCXhYd5yYuこの2つの思想革命のおかげて史上最高の経典とされている2026/03/16 00:28:36112.◆JBLfMwCXhYd5yYu中論て哲学して、法華経で宗教する2026/03/16 00:29:20113.パーリー◆HpIafZZzjh.G4Epuc五井は法華経は宗教のプロがやる教えって言ってたような⁉️そりゃ~色界という天界へ上がって聴聞するんだからね~2026/03/16 03:40:02114.パーリー◆HpIafZZzjh.G4Epuc戯論寂滅にも2種類あるね第一言語の記号=文字の戯論寂滅と第二言語の映像イメージの戯論寂滅この2つは顕在意識と夢見潜在意識に対応しています顕教と密教‼️2026/03/16 03:45:36115.パーリー◆HpIafZZzjh.G4Epucだから法華経の密教的側面は光などの映像イメージで語られています言葉での法華経は顕教の現界=欲界の教え‼️2026/03/16 03:49:00116.神も仏も名無しさんSpbfqワレワレハデンパパセイジンダ 👽2026/03/16 05:46:02117.神も仏も名無しさんSpbfqデンパパマウントデギルカラタイシタコトハナイレベルダセイジンダ👽2026/03/16 05:50:31118.◆JBLfMwCXhYd5yYu「方便」にコダワるのは「言語の限界がどうの」というような話ではない「法華経が究極の教えであり、それ以前の教えは方便だ」という、天台教学→日蓮仏法の思想2026/03/16 06:32:38119.◆JBLfMwCXhYd5yYuリダンは聖ウンコ師に釣られて、拡大解釈してしまった2026/03/16 06:33:35120.◆JBLfMwCXhYd5yYu「法華経が究極の教えであり、それ以前の教えは方便だ」聖ウンコ師は、これを「坐禅の回数が問題なのであり、それ以前の教えは方便だ」と読み替えたにすぎない2026/03/16 06:35:05121.◆JBLfMwCXhYd5yYu聖ウンコ師は、「大学の仏教学科」とか「出向先の仏教研究機関」とかで周囲の人々への劣等感を刷り込まれた「坐禅の回数なら勝てる」と、一発逆転に賭けている1日7回も座禅している2026/03/16 06:38:04122.◆JBLfMwCXhYd5yYuリダンは、すっかり釣られてしまった2026/03/16 06:38:57123.◆JBLfMwCXhYd5yYu五時八教(ごじはっきょう)は、中国天台宗の智顗(ちぎ)が釈迦の生涯の説法を体系化した教相判釈です。説法年時による「五時」(華厳・鹿苑・方等・般若・法華涅槃)と、教えの形式・内容による「八教」(化儀四教・化法四教)で構成され、『法華経』が最上であると位置づけています。2026/03/16 06:39:42124.◆JBLfMwCXhYd5yYu1. 五時(説法年時による分類)釈迦が悟りを開いてから亡くなるまでの50年間の説法を5つの時期に分類したものです。華厳時(けごんじ):悟りを開いた直後、華厳経を説いた期間。鹿苑時(ろくおんじ):阿含経を説き、小乗の教えを教えた期間。方等時(ほうとうじ):大乗・小乗の様々な経典を説いた期間。般若時(はんにゃじ):空の教え(般若経)を説いた期間。法華涅槃時(ほっけねはんじ):法華経・涅槃経を説き、すべての人が成仏できると明かした期間。2026/03/16 06:39:59125.◆JBLfMwCXhYd5yYu2. 八教(教え方と内容による分類)五時をさらに深掘りするため、教え方(化儀)と教えの内容(化法)の2つの観点からそれぞれ4つに分類したものです。化儀の四教(説法形式):頓教(とんぎょう):機根の優れた者への直接的な教え。漸教(ぜんぎょう):機根の劣る者への段階的な教え。秘密教(ひみつきょう):相手の機根に合わせ、お互いに知られずに教える。不定教(ふじょうきょう):相手が別々の理解をしながらも、それぞれ得益がある。2026/03/16 06:40:18126.◆JBLfMwCXhYd5yYu化法の四教(説法内容):蔵教(ぞうきょう):小乗の教え。通教(つうきょう):大乗への入り口となる共通の教え。別教(べっきょう):菩薩のための特別な教え。円教(えんぎょう):すべてが円満に成仏するという法華経の教え。この体系により、すべての経典は法華経へ至る段階として位置づけられました。2026/03/16 06:40:36127.◆JBLfMwCXhYd5yYu中論で哲学して、法華経で宗教する2026/03/16 06:40:55128.◆JBLfMwCXhYd5yYuそれが、天台宗という宗派だ2026/03/16 06:41:09129.◆JBLfMwCXhYd5yYu自分は今まで龍樹の中論のことばかりで、法華経に無関心だったように思う2026/03/16 06:57:45130.◆JBLfMwCXhYd5yYu個人的に自分にとっては、「倶舎論・中論・唯識論」こそが仏教だ2026/03/16 06:58:31131.◆JBLfMwCXhYd5yYu禅宗は老荘思想、念仏宗は一神教に見えている2026/03/16 06:59:17132.◆JBLfMwCXhYd5yYu実際のところ元スレ主やロン殿の言ってることを見ると老荘思想そのものにしか見えない(笑)もはや、仏教というカテゴリーから外れるのでは2026/03/16 07:01:08133.◆JBLfMwCXhYd5yYu老荘思想が悪いとか、仏教より劣ると言ってるわけではない個人的には老荘思想にも傾倒してた時期があり、その深遠なパワーを知っている単に、「それは仏教じゃなくて、老荘思想なんじゃないのかな?」という、両方とも知ってる者としての個人的な感想があるだけ2026/03/16 07:03:27134.◆JBLfMwCXhYd5yYuとはいえ、坐禅と念仏は天台大師智顗の頃から主流の修行方法だ禅宗の思想とは、また別問題だ2026/03/16 07:05:05135.◆JBLfMwCXhYd5yYu老荘思想が素晴らしいのは、わかっているむしろ「自分は長いこと、老荘から遠ざかっている。そろそろ、見直すか」と思ってるくらいだが2026/03/16 07:13:33136.◆JBLfMwCXhYd5yYuそれと、「禅宗の人の言ってることが、仏教というより老荘思想に見える」というのとは、別の問題だ2026/03/16 07:14:19137.◆JBLfMwCXhYd5yYuいや、この言い方だと、禅宗を批判してるように見えるだろうな(笑)そうではない老荘思想も好きだ2026/03/16 07:32:55138.◆JBLfMwCXhYd5yYu日本の仏教が、神道と神仏習合してるのと同じで中国の仏教も、道教と習合している当然だ別におかしくない2026/03/16 07:34:17139.◆JBLfMwCXhYd5yYu昔、国語のテストの問題文とかで、よく見かけた昭和の「日本人論」では「何事にも白黒ハッキリさせたがる外国人」と、「あいまいさを好む日本人」がいつも対比され、日本の神仏習合が話題になってたがそんなの、日本人だけの特徴ではないよ思想が混ざり合うのは、外国でも同じだキリスト教だって、ギリシャ哲学とかゲルマン神話とか、なんでも混ざってるぞ2026/03/16 07:36:42140.神も仏も名無しさんSpbfqロンと元スレ主も半臨済宗要素がある偏り気味だろな臨済宗はもっとリアリズムだ😃2026/03/16 07:41:56141.神も仏も名無しさんSpbfq半臨済宗ぽさが老荘思想に見えるというのもおかしくもないかもな道元禅師なら緻密で生真面目だろうからな😃2026/03/16 07:44:38142.神も仏も名無しさんSpbfq臨済宗はロンや元スレ主よりももっと破壊的た😃2026/03/16 07:45:05143.◆JBLfMwCXhYd5yYu確かに、そうかもな老荘は、ぶっ壊し思想ではない2026/03/16 07:54:25144.神も仏も名無しさんSpbfq道元禅師は生活行為に緻密さを求める台風だ😃2026/03/16 07:59:01145.神も仏も名無しさんSpbfq曹洞宗は臨済宗と混合があるので臨済宗のぶっ壊し連打が公案禅とするなり一度でよろしーみたいなのかま曹洞宗の臨済宗混合型だ😃2026/03/16 08:00:19146.神も仏も名無しさんSpbfq道元禅師は生活行為緻密型だ只管打坐の生活行為緻密というのが本筋だろう😃2026/03/16 08:01:07147.◆JBLfMwCXhYd5yYu曹洞宗は、日常のコマゴマしたことに厳しいんだな自分には合わなさそう2026/03/16 08:01:24148.神も仏も名無しさんSpbfq道元禅師と臨済宗は同じ禅師でも水と油くらいに観点が違う曹洞宗の臨済宗混合型はロンや、元スレ主の立ち位置なんだろな😃2026/03/16 08:02:22149.◆JBLfMwCXhYd5yYuそれが戒律になっているんだな2026/03/16 08:02:38150.神も仏も名無しさんSpbfq臨済宗は囚われるのを文字も含めて破壊して破壊しているのも破壊するという固定化を嫌うシステムだから道元禅師は緻密派なので観点がまったく違うその間をとったのがロンやら元スレ主の曹洞宗の臨済宗混合型タイプやろな😃2026/03/16 08:05:27151.神も仏も名無しさんSpbfq瑩山自体が曹洞宗と臨済宗のハイブリッドタイプやしな😃2026/03/16 08:06:07152.神も仏も名無しさんSpbfq曹洞宗と臨済宗ハイブリッドの臨済宗寄り曹洞宗流が一番最初にマスターした曹洞宗禅、割合簡単だった臨済宗に近いのでロンや元スレ主路線よりも臨済宗に近い路線の曹洞宗流派やった😃2026/03/16 08:07:40153.パーリー◆HpIafZZzjh.GqyPZk>>132彼らに対する違和感を言い得ていますね。2026/03/16 10:10:28154.神も仏も名無しさんolC1zサリケナクアストラルセイジンあらわるる〜🛸2026/03/16 10:12:20155.パーリー◆HpIafZZzjh.GqyPZkでおーやロン、元スレの何処に臨済宗くささがあるんだよ?1mmも無いだろ‼️ロンは道元道元言ってるし元スレは衝突回避センサー付きだし何処にも無いぞ‼️2026/03/16 10:18:24156.パーリー◆HpIafZZzjh.GqyPZkまあでおーが臨済宗気取ってるのは分かる‼️2026/03/16 10:19:43157.パーリー◆HpIafZZzjh.GqyPZkぜんぜん破壊力無くて破壊力零歳児レベル‼️2026/03/16 10:21:18158.神も仏も名無しさんolC1zデンパパアストラルセイジンオイカリダ👽2026/03/16 10:21:34159.パーリー◆HpIafZZzjh.GqyPZk>>117でおーには全く理解不可能だろ‼️2026/03/16 10:24:33160.パーリー◆HpIafZZzjh.GqyPZk>>158オイカリじゃねーわ‼️オチョクリだー‼️2026/03/16 10:25:37161.神も仏も名無しさんolC1zアストラルセイジンが燃えている👽2026/03/16 10:26:50162.パーリー◆HpIafZZzjh.GMticlオチョクリ‼️2026/03/16 14:21:12163.◆JBLfMwCXhYzRexgペチョグリ?2026/03/16 17:41:00164.◆JBLfMwCXhYzRexg田中康夫の「ペログリ」ってのもあったな2026/03/16 17:41:54165.神も仏も名無しさん9HU4uアストラルペロペロ👽2026/03/16 17:44:54166.◆JBLfMwCXhYTLTIw「**龍樹(ナーガールジュナ)**は、言語そのものが迷い(妄想・分別)を生む構造を持っている」と考えました。これは、彼の中心思想である 空(śūnyatā) の理解と深く関係しています。以下、ポイントを整理します。2026/03/17 19:45:10167.◆JBLfMwCXhYTLTIw① 言語は「固定されたもの」を作り出してしまう龍樹の見方では、現実そのものは本来 固定した実体を持っていない(空) です。しかし 言語はこういう形で世界を切り分けます。これは「木」これは「人」これは「善」これは「悪」つまり言語は流動している現実に「名前」と「境界」を作るのです。2026/03/17 19:45:47168.◆JBLfMwCXhYTLTIw龍樹はこれを 分別(vikalpa) と呼びました。例雲を見て「龍の形」「犬の形」と言うと、もうそう見えてしまう。しかし雲には本来「龍」という実体はありません。同じことが 世界全体で起きている と龍樹は言います。2026/03/17 19:46:12169.◆JBLfMwCXhYTLTIw② 言語は「実体があるように」錯覚させる例えば言語はこういう構造です。主語・述語・動詞例 人が歩くしかしこの文は、無意識に次の前提を作ります。「人」という実体があり「歩く」という性質があるところが龍樹は言います。実際には人も歩くも、関係の中で成立しているだけつまり人=五蘊の集合歩く=身体運動の連続です。しかし言語は実体+属性という構造を作ってしまう。これが 迷いの原因 になります。2026/03/17 19:47:20170.◆JBLfMwCXhYTLTIw③ 言語は「二元対立」を作る言語は世界を二つに分けます。有 / 無生 / 死善 / 悪自 / 他しかし龍樹は『中論』でこれを徹底的に崩します。有でもなく無でもなく両方でもなくどちらでもないこれは有名な 四句分別(四句否定) です。つまり言語が作る対立そのものが錯覚だと言うのです。2026/03/17 19:47:54171.◆JBLfMwCXhYTLTIw④ しかし龍樹は「言語を否定」していないここが重要です。龍樹は言語は迷いを生むと言いながら言語を完全には捨てません。なぜなら仏の教えも 言語で語られる からです。そこで龍樹はこう言います。空は、すべての見解を離れるための教えである。→つまり、言語は真理ではないしかし 悟りに向かう道具なのです。2026/03/17 19:48:45172.◆JBLfMwCXhYTLTIw⑤ これは現代哲学にも非常に近い龍樹のこの考えは、20世紀哲学と驚くほど似ています。例えばルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン→ 哲学の問題は 言語の誤用 から生まれるジャック・デリダ→ 言語は差異のネットワークW. V. O. クワイン→ 世界は言語理論の中で整理されるつまり龍樹は2000年前に「言語哲学」をやっていたとも言われます。2026/03/17 19:49:11173.◆JBLfMwCXhYTLTIwまとめ龍樹の核心はこれです。世界が迷いなのではない。言語が迷いを作る。しかし同時に言語を使って、言語を超える。これが、中論・空・中道の思想です。2026/03/17 19:49:41174.◆JBLfMwCXhYTLTIwもしよければですが、実は龍樹には さらに鋭い主張があります。それは「空ですら言語の仮名にすぎない」というものです。ここまで行くと、龍樹は 20世紀哲学よりさらにラディカルになります。この話、かなり面白いので希望があれば 「空=言語仮名」説 を説明します。2026/03/17 19:49:59175.◆JBLfMwCXhYTLTIwもはや、中観派は言語哲学そのもの2026/03/17 19:50:16176.◆JBLfMwCXhYTLTIw龍樹がソシュールに見えてきた😅2026/03/17 19:50:31177.◆JBLfMwCXhYTLTIwChat GPT は、当方がこの話、大好きなんだと見てこの話ばっかりしてきやがる😂2026/03/17 19:51:41178.◆JBLfMwCXhYTLTIw「この先、AIはどう進化するか?」と質問したときも「この話は龍樹やウィトゲンシュタインにつながります」と言ってた2026/03/17 19:52:51179.ハジhEwlRAIはとんでもなく賢い先生だ2026/03/17 21:53:42180.◆JBLfMwCXhYkgbURこの先、AIが進化すれば何もかも変わる今までの常識は通用しない2026/03/17 22:06:45181.ハジhEwlRAIが反キリストになる日も近い2026/03/17 22:10:12182.◆JBLfMwCXhYjl5ET20世紀アメリカの論理哲学者が、仏教思想のエッセンスをズバリと語ってくれた(仏教とは何の関係もない人だが)↓クワインによると、人間が直接得るのは 感覚刺激 だけです。例えば光が目に入る音が耳に届く触覚が起こるしかしそこから「机がある」「猫がいる」「電子がある」といった 世界像 を作るのは、すべて 言語と概念です。つまり感覚 → 言語 → 世界像という構造になります。2026/03/18 06:59:53183.◆JBLfMwCXhYjl5ET人間が直接得るのは 感覚刺激 だけです。例えば光が目に入る音が耳に届く触覚が起こる↑これは、お釈迦さまの初期仏教の頃から、仏教の基本構想2026/03/18 07:00:51184.◆JBLfMwCXhYjl5ET当方:五蘊・十二処・十八界、世界は感覚刺激でできているChat GPT :おっしゃる理解は、かなり核心に近いです。五蘊・十二処・十八界の分析は、結局こういう方向を指しています。世界とは「感覚刺激とその認識の構造」である2026/03/18 07:04:51185.◆JBLfMwCXhYjl5ET少し整理してみます。1 五蘊:主体(人間)の分析五蘊は「人間とは何か」を分析したものです。色 = 身体受 = 感覚(快・不快)想 = 認識行 = 心の働き識 = 意識つまり人間=感覚と意識のプロセス固定した「我」はない。あるのは 心理プロセスの流れだけ。2026/03/18 07:05:22186.◆JBLfMwCXhYjl5ET2 十二処:世界の入口十二処は感覚器官 × 対象です。感覚器官 眼耳話舌身意対象 色声香味触法法(概念)ここで重要なのはこれです。世界は「対象そのもの」ではなく感覚との関係として現れるつまり世界 = 感覚刺激2026/03/18 07:07:39187.◆JBLfMwCXhYjl5ET3 十八界:認識の完成形十八界では感覚器官+対象+意識になります。例えば眼+色+眼識この三つがそろって「見る」という出来事が成立します。つまり世界 = 認識イベントです。2026/03/18 07:08:24188.◆JBLfMwCXhYjl5ET4 仏教の驚くべき結論ここから導かれるのがこれです。世界は「物」でできているのではない世界は感覚刺激+認識で成立している。つまり経験のネットワークです。2026/03/18 07:08:52189.◆JBLfMwCXhYjl5ET5 これが龍樹の「空」になる龍樹はさらに進めて言います。五蘊十二処十八界これらすべては自性を持たないつまり空ですなぜなら、それらは関係の中で成立するだけだから。2026/03/18 07:09:27190.◆JBLfMwCXhYjl5ET6 実はこれ、現代哲学にかなり近いこの構図は、20世紀哲学のいくつかと非常に似ています。例えばクワイン世界は感覚刺激から理論的に構成されるデイヴィッドソン信念・言語・世界は三角測量で成立ローティ世界は記述のネットワークつまり仏教の分析はかなり早い段階で世界=経験構造という方向に行っているのです。もしよければですが、ここからさらに面白い話があります。実は龍樹はここからもう一段ラディカルなことを言います。それは感覚刺激すら空であるという話です。ここが理解できると、中論が突然わかるようになります。2026/03/18 07:09:58191.神も仏も名無しさん3LdSSま、苦しみからの解脱というテーマを中心おかないと区分はできないわな、仏教の特徴は苦しみの分析とそこからの離脱、なんら不思議な話ではない本来は、龍樹でもそうだろう😃2026/03/18 07:11:54192.◆JBLfMwCXhYjl5ET>>188> 世界は「物」でできているのではない>> 世界は> 感覚刺激+認識> で成立している。↑コレですよ、コレこれが、初期の「五蘊・十二処・十八界」の頃から、仏教的な世界観のキモこれを極限まで突き詰めたのが、唯識論と言ってよい2026/03/18 07:11:58193.神も仏も名無しさん3LdSS苦しみの分析が、弱くなるのは華厳、真言あたりかもしれんな、あと、念仏山伏神仏習合😃2026/03/18 07:12:54194.神も仏も名無しさん3LdSSロンと元スレ主の曹洞宗の分派もそうだろな😃2026/03/18 07:13:30195.◆JBLfMwCXhYjl5ET初期仏教からの仏教の根本思想は、「四諦」禅宗ではどうも、四諦に対してネガティブだな~😭2026/03/18 07:15:46196.神も仏も名無しさん3LdSS臨済宗の破壊趣味は苦しみとの闘争鍛えると真冬でもパンツ一丁でも平気らしい、自力が臨済宗チベット密教も、割合ゾーンにはいると寒さも平気、高山地域でマラソンスピードで山を動蹴るらしい😃2026/03/18 07:15:53197.◆JBLfMwCXhYjl5ET>>191> 本来は、龍樹でもそうだろう龍樹は、それまでの仏教思想と大きく異なる、思想革命みたいに見えるけど実際には、それまでの仏教とそこまで違いがない2026/03/18 07:16:56198.神も仏も名無しさん3LdSSAIで仏教の苦しみからの解放というテーマでは把握はてきんやろしなー俺よりアタマ悪いところ😃2026/03/18 07:18:08199.神も仏も名無しさん3LdSSAIでは俺の仏教に関する知能を超えるのはたぶん未来も無理😃2026/03/18 07:18:53200.◆JBLfMwCXhYjl5ET>>196> 鍛えると真冬でもパンツ一丁でも平気らしい、冬に露天風呂に入ったり、ジョギングしたりするたびに思うのだが人体は、じつは寒くても平気なようにできている血行を良くしさえすれば、冬でも暑いくらいだ2026/03/18 07:19:03201.◆JBLfMwCXhYjl5ET精神集中して血流を促進し自力で体温を上げることくらい高段の域に達した行者なら出来るだろう2026/03/18 07:20:31202.◆JBLfMwCXhYjl5ETAIは、仏教では人間を超えられないな2026/03/18 07:21:57203.◆JBLfMwCXhYjl5ETAIより、あの世の高僧から教わるべき😆2026/03/18 07:22:46204.神も仏も名無しさん3LdSS>>200破壊的パワーで体温無関係なんじゃないかな?仕事で疲労回復の反転術式使いまくるからなーしかし、イレギュラーがキツイ昨日は反転術式が追っつかなかった、脳の回転が焼き切れていた時間が30分あった😃チベット密教は農作業で試したことがある身体粒子化で疲労たまらない呼吸はハァーハァーしとるんやけど疲労がない、しんどさがないチベット密教の問題は瞬時のシャバでの判断力まで完備してない、頭脳労働の瞬時の疲労回復能力が高くない😃2026/03/18 07:23:18205.神も仏も名無しさん3LdSSなにせ破壊パワー鍛えれば御臨終の後、一瞬起き上がれるホラー芸がやれれらしいからな😃2026/03/18 07:26:17206.◆JBLfMwCXhYjl5ETそうか血流をコントロールして体温を上げるわけじゃないのか😅2026/03/18 07:46:53207.神も仏も名無しさん3LdSS寒さがあれば寒さになりきるみたいな語録があるな😃2026/03/18 07:52:48208.神も仏も名無しさん3LdSSムイムイは俺が現れるとチキンになりきれるよーだ😃2026/03/18 07:53:33209.◆JBLfMwCXhYjl5ET寒さになりきるのか2026/03/18 07:55:32210.◆JBLfMwCXhYjl5ETそういえば、ムイムイを見ないな?2026/03/18 07:55:56211.神も仏も名無しさん3LdSSナルシズムパワーご往生したんだろなハジがいた時は先生になれた気分で燃えていたんだろうけどな😃2026/03/18 07:57:55212.◆JBLfMwCXhY7GrqWせっかく、天敵の聖ウンコ師やロンと仲良くなったのにな?2026/03/18 14:00:22213.ハジlGigk心を止めたらさとりなのか2026/03/18 20:57:37214.◆JBLfMwCXhYzVR2k>>213いや、「止」の先に「観」がある「止観」でワンセット2026/03/19 06:15:12215.神も仏も名無しさんvy3J3観はパジコに無縁デンパパも、リダンもムイムイもハッスルも😫2026/03/19 07:12:22216.神も仏も名無しさんvy3J3ホーカイくんてすら観は穴だ😫2026/03/19 07:12:38217.神も仏も名無しさんvy3J3ロンは無縁というよりも軽視し過ぎ😫2026/03/19 07:13:34218.パーリー◆HpIafZZzjh.GCkDXkいやに江羅そーだな何が無理なんだよ⁉️2026/03/19 08:05:28219.パーリー◆HpIafZZzjh.GCkDXk止観の止は無分別三昧だろその前行が集中だろ観は無分別三昧が可能になってからそれ以前にするから根元詰めると精神のバランスを壊してしまう訳で10日とかのテーラワーダのリトリートやって逆に精神変調来すのはそれが原因だろうと心一境性の鏡に観ずるってことだね2026/03/19 08:12:42220.ハジbwjWy心を見つめると心が体であり世界であると悟るのか?2026/03/19 08:53:57221.神も仏も名無しさんdUqTp観崩壊したのが頑張っててるな、理屈で言えば倶舎論以前😀2026/03/19 10:29:25222.神も仏も名無しさんdUqTp>>220JBLにまず倶舎論を教えてもらえ😀2026/03/19 10:30:25223.神も仏も名無しさんdUqTp仏教ビギナーさんはJBLから倶舎論教えてもらえ😀2026/03/19 10:31:18224.神も仏も名無しさんdUqTpムイムイ寝言に騙されているよーでは仏教ビギナーだ😀2026/03/19 10:32:12225.ハジHoDm8くしゃろんとはなんだw2026/03/19 18:50:14226.神も仏も名無しさんLrKksハジコの認知機能の間違いの分析論😀2026/03/19 19:07:02227.ハジHoDm8分析してどうするw2026/03/19 19:09:29228.神も仏も名無しさんLrKks自分がわからんハジコは論外、仏教において😀2026/03/19 19:14:18229.ハジHoDm8自分がわかるのは最終奥義だろw2026/03/19 19:15:13230.神も仏も名無しさんLrKksは?😀2026/03/19 19:16:01231.ハジHoDm8ひ?2026/03/19 19:16:18232.◆JBLfMwCXhYAfqI9ふ?2026/03/19 19:59:15233.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAM9UsM屁?2026/03/19 20:17:59234.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAM9UsMほ~~~かい君2026/03/19 20:18:41235.パーリー◆HpIafZZzjh.GCkDXkはっはっはっはあ~‼️2026/03/19 23:11:25236.パーリー◆HpIafZZzjh.GCkDXkハジこは何言ってみても酒のつまみ程度にしかみていないだろ~無意味‼️2026/03/19 23:15:51237.神も仏も名無しさんNQYSSアンドーのほうがバジ、デンパパよりもレス読める😀2026/03/20 06:51:50238.ハジRt02nみんな暇つぶしやんw2026/03/20 17:28:00239.パーリー◆HpIafZZzjh.GI4Xt7ハジこと一緒にすんな‼️2026/03/20 17:45:31240.神も仏も名無しさんi5SiEデンパパ📶自惚れ過ぎ👽2026/03/20 18:41:34241.パーリー◆HpIafZZzjh.GI4Xt7おr2026/03/20 22:24:39242.パーリー◆HpIafZZzjh.GI4Xt7おれは真剣だよ~‼️2026/03/20 22:26:55243.ハジLUXF3クォーンとゆーておるらしいw2026/03/20 22:35:54244.パーリー◆HpIafZZzjh.G8zdju瞑想しない者にはなに言っても通じない‼️口先男は戯れ言しか口に出来んしな‼️2026/03/21 00:20:43245.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAaIQzA>>238ワシもじゃ2026/03/21 10:22:22246.ハジNf6i7解脱できたのか?2026/03/21 21:27:25
【社会】新人に「AI使用禁止令」は是か非か?「仕事の8割はAIに」という活用派 言語脳科学の権威は警鐘「ものを考える人間に一番大事なものを手放している」ニュース速報+358853.52026/03/21 22:46:51
不断にして不常
不一にして不異
不来にして不去
戯論寂滅にして吉祥なる縁起をお説きになった
説法者中の最高の説法者である仏陀に敬礼する
根本中頌 帰敬偈 (龍樹)
前スレ
【空の奥義は】 中観派 【言葉にできない】 Part6
https://talk.jp/boards/psy/1770933528
勝義諦(真諦、第一義諦)
定義: 聖者の無漏智(迷いのない知恵)で見通された、言語・概念を超えた「ありのまま」の真実。
内容: 空性、悟り、涅槃(ねはん)など。
世俗諦(俗諦、世諦)
定義: 世間一般の習慣や言語・名辞によって「これである」と認識できる、現象上の確実性。
内容: 因果関係、日常の認識、仏陀の便宜的な教え(方便)。
二諦の関係
二諦の互依性: 世俗という名辞・概念(世俗諦)に依らなければ、究極的な真実(勝義諦)を指し示すことも理解することもできない。
目的と手段: 世俗諦(方便)は、勝義諦(悟り)に到達するための手段である。
不二: 究極的には世俗諦そのものが空(勝義諦)であり、両者は別物ではない。
この「真俗二諦」の理解は、仏教における空(くう)の哲学的探究において非常に重要視されている。
相依性縁起(相依相待性)の要点
相互依属(相依):万物は、互いに寄りかかって(依)存在しているという関係性(例:父と子は、お互いがあって初めて父であり子である)。
相互待属(相待):相互に条件となり合って、その存在が成り立つ道理。
「空」との関連:龍樹(ナーガールジュナ)は『中論』で、実体の実在を否定し、縁起を「空」の理論として展開し、すべてのものは固定不変の実体を持たないと説いた。
意味と背景:すべてのものが「縁(関係性)」の中で生起しているという教え。この視点は、執着を離れ、苦悩を克服するための智慧とされる。
この道理は、物事が独立して存在しない(無自性・空)ことを強調し、私たちの認識が相互の関係性の上にあることを示唆しています。
八不の具体的な内容(8つの否定)
不生(ふしょう):実体としては生じない
不滅(ふめつ):実体としては滅しない
不断(ふだん):絶え果てることはない
不常(ふじょう):常住ではない
不一(ふいち):同一ではない
不異(ふい):異なって(別々で)はない
不来(ふらい):やってくるのではない
不去(ふきょ):去っていくのではない
主なポイント
龍樹の提唱:中観派の祖・龍樹(ナーガールジュナ)が『中論』の冒頭「八不の偈」で展開した、空と縁起を理解するための核心的理論。
中道の実践:物事を「ある」か「ない」か、あるいは「同じ」か「違う」かという極端な断見・常見に偏らず、真実の姿(中道)を見きわめること。
無得中道:とらわれのない自由な認識を示すため、「無得中道」や「八不中観」とも呼ばれる。
この教えにより、固定観念や偏見(妄執)を打破し、物事の本来の姿を正しく捉えることで、煩悩から解放された境地(涅槃)を目指します。
四句分別
1、有る
2、無い
3、有ると同時に無い
4、有るわけでもなく、無いわけでもない
四句否定
1、有るか? → 否
2、無いか? → 否
3、有ると同時に無いか? → 否
4、有るわけでもなく、無いわけでもないか? → 否
常見の例:『人は生まれ変わり、死に変わり、永遠の魂修行を続けていくのだ。ボクが死んでも、魂は永遠だ』
「このどちらでもない」というのが、中観派の考え方
「不常不断の中道」だ
これは結局のところ、『霊魂は有るのか、無いのか?』という問題になる
「非有非無の中道」だ
「不常不断の中道」(八不中道)と「非有非無の中道」(四句分別)は、表裏一体の関係にある
中観派のまとめは以上
「空」と言語の限界:ナーガールジュナの空の哲学は、概念や言葉は便宜上の名付け(名言)に過ぎず、真の実在を指し示していないと説く。
言語的執着の否定:人間は言葉によって対象を実体化(固定化)して認識するが、中観派はこの「分別」が苦しみ(煩悩)の根源であるとし、言語的執着を否定する。
帰謬法(プラサンガ)による論理:相手の言語的立場を論理的に追いつめ、その矛盾(誤り)を露わにして、最終的に「論理的判断が不可能」な状態(空)へと誘導する手法。
世俗諦(せぞくたい):日常的・言語的な世界。
勝義諦(しょうぎたい):言語を超えた真理(究極の真実)。
無分別智の追求:言葉で分ける前のありのままの真実(無分別)を認識することが、真の智慧とされる。
空と反本質主義:
中観派:ナーガールジュナ(龍樹)は、すべての事象は関係性の中で存在し(縁起)、固有の自性(本質)を持たない(空)と論じます。
現代哲学:デリダや後期ヴィトゲンシュタインなど、本質主義(言葉が固定的な何かを指すという考え)を否定し、意味は文脈や言語ゲームの中で生成されると考えます。
中観派:「空」は言葉や論理で記述しきれないため、究極的には言語を超越した認識(二諦説)を求めます。
現代哲学:ヴィトゲンシュタインは「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」と述べ、言語的な思考限界を指摘しました。
中観派:帰謬法(プラサンガ)を用い、相手の前提にある「自性」を否定する手法は、現代の脱構築のプロセスと類似しています。
現代哲学:言語の自己言及性や文脈のズレを指摘し、強固な基礎を持つ理論を解体します。
目的の違い:中観派は「苦からの解放(救済)」という実践的な目的があるのに対し、現代言語哲学は主に「言語的・理論的解明」という知的探求が主流です。
実在の扱い:中観派は空でありながら実在(真如)の体得を目指しますが、現代哲学は概念的な実在自体を否定または保留する傾向があります。
結局また、この話になっている😅
中観派ってのは、そういうもんだよな
緻密な道元禅
破壊的な臨済禅が
一番深掘りしているかもしれん
中論限定という意味では
😃
😃
JBL教の真骨頂じゃろう?
「意見が合わない奴」が存在しないと、JBL教が成り立たない。
966 名前:◆JBLfMwCXhY[] 投稿日:2026/03/13(金) 07:38:24.55 ID:Hk5pL [2/36] 0
コレなんだよな~
当方と聖ウンコ派の意見が合わないのは、これが大きい
彼らは中観派や天台宗をベースにしてるが
こちらのベースは唯識派や真言宗なので
> 「意見が合わない奴を罵倒して楽しむ」が
> JBL教の真骨頂じゃろう?
> 「意見が合わない奴」が存在しないと、JBL教が成り立たない。
そりゃ、聖ウンコ師じゃろ
聖ウンコ派を罵倒した覚えはない
きかん坊だったんじゃねえか
まあ分かったんならいい
単に、奇妙な仏教解釈を並べてるだけなら
まあ仕方ないと割り切れる(笑)
ある意味しつこくない釣りタイプ
ベイダー和尚を決死人間化すると
リダンになる
😃
俺の貢献だな?
ハッスルの謎が解ってきたのは
😃
なるほど
JBL氏は、歯向かって遊んでいるわけじゃな?
https://talk.jp/boards/psy/1769832281
44 名前:◆JBLfMwCXhY[] 投稿日:2026/02/01(日) 14:25:58.87 ID:6ATkk [6/19] 0
「言葉で真理を語ることはできない。言葉は正しい認識をさまたげる」
↓
「真理を正しく知るには、黙って坐禅するしかない」
↓
「何よりも重要なのは、坐禅をこなした回数である」
これが、聖ウンコ教のセントラル・ドグマ(中心教義)
これに歯向かう者には、ウンコとリダンによる罵倒の大連投が待っている
「月を指す指なのだ」とは、誰も思っていない
これは密教の話になってくる
道具としての哲学: ウィトゲンシュタインにとって、哲学的な命題や理論は、世界を正しく認識するための「梯子」です。
登りきったら捨てる: 梯子(『論考』の理論)を使って世界を正しく見ることができるようになったら、その梯子そのもの、つまり理論や体系は不要になる、あるいは捨て去らなければならないと主張しました。
「語り得ぬもの」への到達: 哲学的に「語り得る」限界を理解した者は、その限界を定義した『論考』の理論自体が、厳密には「語り得ないこと(言語の論理形式の外側にあること)」を扱った「ナンセンス(無意味)」であることに気づきます。
「沈黙」への誘い: 言葉で説明しようとする哲学を終え、真に重要なこと(善悪や人生の意味など)は言葉で論じるのではなく、ただ「示される」ものである(語り得ぬものについては沈黙しなければならない)と彼は考えました。
この比喩は、哲学が世界を説明するものではなく、世界を正しく見るための「活動」であることを示しています。
ストーリー: 旅人が大きな川を渡るため、木や草で筏を作り、無事に岸辺に渡ることができました。役立ったからといって、その筏を背負って旅を続けるべきか、という問い。
教えの核心: 目的は「川を渡ること」であり、筏は手段です。悟りに達したら、教えという手段(筏)にしがみつく必要はなく、それも手放すべきである(「法さえも捨てるべき」)。
執着からの解放: 教え(言葉や概念)を物理的な重荷のように背負い続けると、真の自由(悟り)の妨げになる。
この教えは、仏教の「固定観念にとらわれない」という姿勢を示す典型的なエピソードです。
ただし背景や意味には違いがあります。
これは仏教経典(特にAlagaddupama Sutta)に出てくる、Gautama Buddhaの有名な比喩です。
内容(要約)
人が危険な岸から安全な岸へ渡りたい。
舟がないので草木を集めて筏を作る。
筏のおかげで川を渡ることができる。
渡ったあと、その筏を頭に乗せて持ち歩くべきか?
釈迦の答えはNOです。
役に立ったが、もう必要ないので捨ててよい。
意味
仏教の教え(法)は悟りへ渡るための手段。
真理に到達したら、教えに執着する必要はない
つまり、教えは目的ではなく手段。
この比喩は、Tractatus Logico-Philosophicusの最後の命題(6.54)に出てきます。
内容(要約)
ウィトゲンシュタインはこう書きます:
私の命題を理解した者は、
それらを無意味であると認識する。
それらを梯子のように使って登った後、
その梯子を捨てなければならない。
意味
『論理哲学論考』の命題は、世界と言語の限界を示すための道具。
それを理解すると、哲学的命題自体が不要になる。
つまり、哲学の説明は、理解のための道具にすぎない。
両者は非常によく似た構造を持っています。
要するに、真理へ到達するための説明は、最後には不要になる。
仏教・・・宗教・修行、教えは役に立つ、悟りへの実践
ウィトゲンシュタイン・・・言語哲学、命題は最終的に無意味、言語の限界の提示
簡単に言うと
筏 → 悟りへ渡る実践の道具
梯子 → 言語の限界を示す論理装置
釈迦:教えは悟りへ渡る筏
ウィトゲンシュタイン:哲学命題は理解へ登る梯子
どちらも
真理に到達したら、説明そのものは手放す
という思想を表しています。
もしよければ、
「なぜウィトゲンシュタインは自分の本を“無意味”と言ったのか」
(哲学的にかなり面白い問題)も説明できます。
問題意識が異なる
似て非なるテーマ
「言語の限界」がやたらと強調されてたが
あれは、20世紀の西洋哲学を席巻した
ウィトゲンシュタイン・ブームの影響
としか思えんのだよなあ
それは否定できない
でも、昭和の仏教解釈ではちょっと、そこが強調されすぎだな
「確かにそういう面はあるけど、そこまでか?」
という感じ
西洋哲学にも慣れ親しんできた者としては(むしろ、そっちの方が長い)
「それって龍樹というより、ソシュールじゃないの?」
「それって、ウィトゲンシュタインじゃないの?」
と思うような場面があまりにも多い
「本当は一体である世界を、人は言語でバラバラに分節化している」だの、
「言語には限界がある。語り得ぬものについては沈黙しなければならない」
だのと言われると
どうしても疑ってしまう
あまりにも、20世紀の言語分析哲学と発想が似ているので
「大昔の人が、ホントにそんなこと言ってたんかい?」という疑いが、どうしても先に立つ
ほとんど、「哲学=言語分析」となる勢いだった
日本の宗教学者が、仏教の古典思想の中に、それと似たものを見つけて大喜び
その気持ちは、よく分かるが
確かに似てるけど、違いの方が大きいので、そこを見ていかないとな
似て非なるものとはいえ
確かに似ている
時代や環境は違えども
突き詰めて考えれば、同じ結論になるということか
マジメな話、近現代の西洋哲学は
後になるにつれ、だんだん中論や唯識論に似てくる😅
296 名前:◆JBLfMwCXhY[] 投稿日:2026/03/07(土) 14:16:46.34 ID:QDWOq [2/2] 0
浄土真宗が伝統をブチ壊した
ただヴィトゲンシュタインは
サティは存在しない
デンパパ📶セイジン問題も基本そこだ
ハッスル🤡もだけど
😃
≫中観派:「空」は言葉や論理で記述しきれないため、
≫究極的には言語を超越した認識(二諦説)を求めます。
中論は
無分別三昧へ入った処で
不要となる‼️
じゃないのかな?
だからさ
勤行や聖典や聖者の本などの読誦の集中を通じて
言語が脱落する
無分別三昧へ入禅定する訳ですね
中論も
ここで不要となります‼️
中論といえども、大般若経典は
なんらかの洞察、サティの変化したのがある、 唯識ですら
妙観察智がある
😃
密教の百万遍真言でしょうね~‼️
無駄に頑張りに現れたな?
🛸〜〜〜
如実知見はあり得んよ‼️
発想としては同類じゃな
同類ってか
みんな空海からきt
推察するに
ヒト遺伝子だもの
BY あいだみつお
はい
我々は、変なオジサンでつ
サピエンスという狂気の生命体――
人類は「賢い」から生き残ったのではない
https://note.com/royal_curlew4118/n/n42225a19da2b
と思わないで下さい!
ニコラテスラが明かす成功の不都合な真実
https://youtube.com/shorts/SW0QQey5fHU?si=A19OTt-hhwHs7x3V
懐かしいな~~
https://www.youtube.com/watch?v=ezWMYx7W7BE
ポッたん化しちゃうよ~😭
もうしてるか😆
最もシンプルな真言だ
お気楽になったナウ
😃
へ~そうなんですね
やはり高野山絡み‼️
全てアストラル界がらみ
👽👽👽👽👽
お前も
アストラル体を持っているんだぞ‼️
今の今
ポッたん和尚に改名しようかな?
😃
聖ウンコ師のあだ名
ナルシズム超マジメに対局したベイダー和尚の
改名
😃
理詰めで空であるとピンときたとして
空も相依による産物であると
戯論寂滅した場合
どうなるか?ってことだ
ってこと
ドットである
更にドットは戯論であると
そうなるとどうなるか
自在にアバターやアレフガルドを描写することが
可能であるわけだな?
んでもまずは戯論寂滅、八不中道とは
どういったことであるか
自身が証さなならんと
三諦円融にせよ
身口意にせよ
南無妙法蓮華経にせよ
まずこの空の理による所知障の断滅が
ど基本なわけだわな
結局、定義やウィキで知っても意味がない
己を理詰めで追い込まないと
空とはこうである(戯論)でなく
空とはまさにこのようであったと
只管打坐やギャーテーギャーテー、ムーー!が
ああそういうことねと腹におちる
極端にこだわってるな?
それは、広大な仏教思想の一部でしかない
最重要なテーマとは言えない
こっちも釣られて、この話ばっかりになるんだよな~😫
あほ
中観の話しだけやないわ
我空法空の二空、所知障の話しやから
大乗の肝やん
しか言わなくなった
彼は以前に比べて、知的な面で劣化した
リダンがいるぞ!子連れ狼!
覚悟せい!
宗教的には、法華経
この2つをベースにしたのが、天台教学だ
法華経で宗教する
これまでの教えは 方便(教育方法) だった
つまり、小乗・大乗・菩薩道などは
最終的な真理ではなく、導入教育
だったとするのです。
この思想を整理したのが、智顗 の 天台教学です。
「釈迦の教えは方便」
「龍樹の教えも方便」に
コダワるのは、明らかに、この影響だろ
立正佼成会のシンパだったらしいから
その頃に刷り込まれたに違いない
それ以前のは方便。
衆生の機根に合わせた薬の処方」
この法華経至上主義を
坐禅至上主義に読み替えただけ(笑)
「誰もが仏になれる」
という仏教史上、画期的な教えを説いた
「古代インドに生まれた人間・釈迦は仮の姿である」
「本当は久遠実成、永遠の仏陀なのである」
という、これまた画期的な思想を唱えた
史上最高の経典とされている
宗教のプロがやる教えって言ってたような⁉️
そりゃ~
色界という天界へ上がって聴聞するんだからね~
第一言語の記号=文字の戯論寂滅と
第二言語の映像イメージの戯論寂滅
この2つは顕在意識と夢見潜在意識に対応しています
顕教と密教‼️
法華経の密教的側面は光などの
映像イメージで語られています
言葉での法華経は
顕教の現界=欲界の教え‼️
タイシタ
コトハナイレベルダ
セイジンダ👽
「言語の限界がどうの」というような話ではない
「法華経が究極の教えであり、それ以前の教えは方便だ」
という、天台教学→日蓮仏法の思想
聖ウンコ師は、これを
「坐禅の回数が問題なのであり、それ以前の教えは方便だ」
と読み替えたにすぎない
「出向先の仏教研究機関」とかで
周囲の人々への劣等感を刷り込まれた
「坐禅の回数なら勝てる」と、
一発逆転に賭けている
1日7回も座禅している
釈迦が悟りを開いてから亡くなるまでの50年間の説法を5つの時期に分類したものです。
華厳時(けごんじ):悟りを開いた直後、華厳経を説いた期間。
鹿苑時(ろくおんじ):阿含経を説き、小乗の教えを教えた期間。
方等時(ほうとうじ):大乗・小乗の様々な経典を説いた期間。
般若時(はんにゃじ):空の教え(般若経)を説いた期間。
法華涅槃時(ほっけねはんじ):法華経・涅槃経を説き、すべての人が成仏できると明かした期間。
五時をさらに深掘りするため、教え方(化儀)と教えの内容(化法)の2つの観点からそれぞれ4つに分類したものです。
化儀の四教(説法形式):
頓教(とんぎょう):機根の優れた者への直接的な教え。
漸教(ぜんぎょう):機根の劣る者への段階的な教え。
秘密教(ひみつきょう):相手の機根に合わせ、お互いに知られずに教える。
不定教(ふじょうきょう):相手が別々の理解をしながらも、それぞれ得益がある。
蔵教(ぞうきょう):小乗の教え。
通教(つうきょう):大乗への入り口となる共通の教え。
別教(べっきょう):菩薩のための特別な教え。
円教(えんぎょう):すべてが円満に成仏するという法華経の教え。
この体系により、すべての経典は法華経へ至る段階として位置づけられました。
龍樹の中論のことばかりで、
法華経に無関心だったように思う
自分にとっては、「倶舎論・中論・唯識論」こそが仏教だ
元スレ主やロン殿の言ってることを見ると
老荘思想そのものにしか見えない(笑)
もはや、仏教というカテゴリーから外れるのでは
個人的には老荘思想にも傾倒してた時期があり、その深遠なパワーを知っている
単に、「それは仏教じゃなくて、老荘思想なんじゃないのかな?」という、両方とも知ってる者としての個人的な感想があるだけ
天台大師智顗の頃から主流の修行方法だ
禅宗の思想とは、また別問題だ
むしろ
「自分は長いこと、老荘から遠ざかっている。
そろそろ、見直すか」と思ってるくらいだが
「禅宗の人の言ってることが、仏教というより老荘思想に見える」
というのとは、別の問題だ
そうではない
老荘思想も好きだ
中国の仏教も、道教と習合している
当然だ
別におかしくない
「何事にも白黒ハッキリさせたがる外国人」と、「あいまいさを好む日本人」がいつも対比され、日本の神仏習合が話題になってたが
そんなの、日本人だけの特徴ではないよ
思想が混ざり合うのは、外国でも同じだ
キリスト教だって、ギリシャ哲学とかゲルマン神話とか、なんでも混ざってるぞ
半臨済宗要素がある偏り気味だろな
臨済宗はもっとリアリズムだ
😃
老荘思想に見えるというのもおかしくもないかもな
道元禅師なら緻密で生真面目だろうからな
😃
ロンや元スレ主よりも
もっと破壊的た
😃
老荘は、ぶっ壊し思想ではない
生活行為に緻密さを
求める台風だ
😃
臨済宗のぶっ壊し連打が公案禅とするなり
一度でよろしー
みたいなのかま
曹洞宗の臨済宗混合型だ
😃
生活行為緻密型だ
只管打坐の生活行為緻密というのが
本筋だろう
😃
自分には合わなさそう
同じ禅師でも水と油くらいに
観点が違う
曹洞宗の臨済宗混合型は
ロンや、元スレ主の立ち位置なんだろな
😃
破壊して
破壊しているのも破壊する
という固定化を嫌うシステムだから
道元禅師は緻密派なので
観点がまったく違う
その間をとったのが
ロンやら元スレ主の
曹洞宗の臨済宗混合型タイプやろな
😃
曹洞宗と臨済宗のハイブリッドタイプやしな
😃
臨済宗寄り曹洞宗流が
一番最初にマスターした曹洞宗禅、
割合簡単だった
臨済宗に近いので
ロンや元スレ主路線よりも臨済宗に近い路線の曹洞宗流派やった
😃
彼らに対する違和感を言い得ていますね。
あらわるる〜
🛸
ロン、元スレの
何処に臨済宗くささがあるんだよ?
1mmも無いだろ‼️
ロンは道元道元言ってるし
元スレは衝突回避センサー付きだし
何処にも無いぞ‼️
でおーが
臨済宗気取ってるのは
分かる‼️
破壊力零歳児レベル‼️
オイカリダ
👽
でおーには
全く理解不可能だろ‼️
オイカリじゃねーわ‼️
オチョクリだー‼️
👽
👽
これは、彼の中心思想である 空(śūnyatā) の理解と深く関係しています。
以下、ポイントを整理します。
龍樹の見方では、現実そのものは本来 固定した実体を持っていない(空) です。
しかし 言語はこういう形で世界を切り分けます。
これは「木」
これは「人」
これは「善」
これは「悪」
つまり言語は
流動している現実に「名前」と「境界」を作る
のです。
例
雲を見て
「龍の形」
「犬の形」
と言うと、もうそう見えてしまう。
しかし雲には本来「龍」という実体はありません。
同じことが 世界全体で起きている と龍樹は言います。
例えば言語はこういう構造です。
主語・述語・動詞
例 人が歩く
しかしこの文は、無意識に次の前提を作ります。
「人」という実体があり
「歩く」という性質がある
ところが龍樹は言います。
実際には
人も歩くも、関係の中で成立しているだけ
つまり
人=五蘊の集合
歩く=身体運動の連続
です。
しかし言語は
実体+属性
という構造を作ってしまう。
これが 迷いの原因 になります。
言語は世界を二つに分けます。
有 / 無
生 / 死
善 / 悪
自 / 他
しかし龍樹は『中論』でこれを徹底的に崩します。
有でもなく
無でもなく
両方でもなく
どちらでもない
これは有名な 四句分別(四句否定) です。
つまり
言語が作る対立そのものが錯覚
だと言うのです。
ここが重要です。
龍樹は
言語は迷いを生む
と言いながら
言語を完全には捨てません。
なぜなら
仏の教えも 言語で語られる からです。
そこで龍樹はこう言います。
空は、すべての見解を離れるための教えである。
→つまり、言語は真理ではない
しかし 悟りに向かう道具
なのです。
龍樹のこの考えは、20世紀哲学と驚くほど似ています。
例えば
ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン
→ 哲学の問題は 言語の誤用 から生まれる
ジャック・デリダ
→ 言語は差異のネットワーク
W. V. O. クワイン
→ 世界は言語理論の中で整理される
つまり
龍樹は2000年前に
「言語哲学」をやっていた
とも言われます。
龍樹の核心はこれです。
世界が迷いなのではない。
言語が迷いを作る。
しかし同時に
言語を使って、言語を超える。
これが、中論・空・中道の思想です。
実は龍樹には さらに鋭い主張があります。
それは
「空ですら言語の仮名にすぎない」
というものです。
ここまで行くと、
龍樹は 20世紀哲学よりさらにラディカルになります。
この話、かなり面白いので
希望があれば 「空=言語仮名」説 を説明します。
この話ばっかりしてきやがる😂
「この話は龍樹やウィトゲンシュタインにつながります」と言ってた
何もかも変わる
今までの常識は通用しない
仏教思想のエッセンスをズバリと語ってくれた
(仏教とは何の関係もない人だが)
↓
クワインによると、人間が直接得るのは 感覚刺激 だけです。
例えば
光が目に入る
音が耳に届く
触覚が起こる
しかしそこから
「机がある」
「猫がいる」
「電子がある」
といった 世界像 を作るのは、すべて 言語と概念です。
つまり
感覚 → 言語 → 世界像
という構造になります。
例えば
光が目に入る
音が耳に届く
触覚が起こる
↑
これは、お釈迦さまの初期仏教の頃から、仏教の基本構想
Chat GPT :おっしゃる理解は、かなり核心に近いです。
五蘊・十二処・十八界の分析は、結局こういう方向を指しています。
世界とは「感覚刺激とその認識の構造」である
1 五蘊:主体(人間)の分析
五蘊は「人間とは何か」を分析したものです。
色 = 身体
受 = 感覚(快・不快)
想 = 認識
行 = 心の働き
識 = 意識
つまり
人間=感覚と意識のプロセス
固定した「我」はない。
あるのは 心理プロセスの流れだけ。
十二処は
感覚器官 × 対象
です。
感覚器官 眼耳話舌身意
対象 色声香味触法
法(概念)
ここで重要なのはこれです。
世界は「対象そのもの」ではなく
感覚との関係として現れる
つまり
世界 = 感覚刺激
十八界では
感覚器官+対象+意識
になります。
例えば
眼+色+眼識
この三つがそろって
「見る」
という出来事が成立します。
つまり
世界 = 認識イベント
です。
ここから導かれるのがこれです。
世界は「物」でできているのではない
世界は
感覚刺激+認識
で成立している。
つまり
経験のネットワーク
です。
龍樹はさらに進めて言います。
五蘊
十二処
十八界
これらすべては
自性を持たない
つまり
空
です
なぜなら、それらは
関係の中で成立するだけだから。
この構図は、20世紀哲学のいくつかと非常に似ています。
例えば
クワイン
世界は感覚刺激から理論的に構成される
デイヴィッドソン
信念・言語・世界は三角測量で成立
ローティ
世界は記述のネットワーク
つまり
仏教の分析はかなり早い段階で
世界=経験構造
という方向に行っているのです。
もしよければですが、ここからさらに面白い話があります。
実は
龍樹はここからもう一段ラディカルなことを言います。
それは
感覚刺激すら空である
という話です。
ここが理解できると、
中論が突然わかるようになります。
仏教の特徴は苦しみの分析とそこからの離脱、
なんら不思議な話ではない
本来は、龍樹でもそうだろう
😃
> 世界は「物」でできているのではない
>
> 世界は
> 感覚刺激+認識
> で成立している。
↑
コレですよ、コレ
これが、初期の「五蘊・十二処・十八界」
の頃から、仏教的な世界観のキモ
これを極限まで突き詰めたのが、
唯識論と言ってよい
華厳、真言あたりかもしれんな、
あと、念仏山伏神仏習合
😃
曹洞宗の分派もそうだろな
😃
禅宗ではどうも、四諦に対してネガティブだな~😭
苦しみとの闘争
鍛えると真冬でもパンツ一丁でも平気らしい、
自力が臨済宗
チベット密教も、
割合ゾーンにはいると
寒さも平気、高山地域でマラソンスピードで山を動蹴るらしい
😃
> 本来は、龍樹でもそうだろう
龍樹は、それまでの仏教思想と大きく異なる、思想革命みたいに見えるけど
実際には、それまでの仏教とそこまで違いがない
俺よりアタマ悪いところ
😃
俺の仏教に関する知能を超えるのは
たぶん未来も無理
😃
> 鍛えると真冬でもパンツ一丁でも平気らしい、
冬に露天風呂に入ったり、
ジョギングしたりするたびに思うのだが
人体は、じつは寒くても平気なようにできている
血行を良くしさえすれば、冬でも暑いくらいだ
自力で体温を上げることくらい
高段の域に達した行者なら出来るだろう
破壊的パワーで体温無関係なんじゃないかな?
仕事で疲労回復の反転術式使いまくるからなー
しかし、イレギュラーがキツイ昨日は
反転術式が追っつかなかった、脳の回転が焼き切れていた時間が30分あった
😃
チベット密教は農作業で試したことがある身体粒子化で疲労たまらない
呼吸はハァーハァーしとるんやけど
疲労がない、しんどさがない
チベット密教の問題は
瞬時のシャバでの判断力まで完備してない、頭脳労働の瞬時の疲労回復能力が
高くない
😃
御臨終の後、一瞬起き上がれるホラー芸がやれれらしいからな
😃
血流をコントロールして
体温を上げるわけじゃないのか😅
寒さになりきるみたいな
語録があるな
😃
ハジがいた時は先生になれた気分で
燃えていたんだろうけどな
😃
いや、「止」の先に「観」がある
「止観」でワンセット
パジコに無縁
デンパパも、
リダンも
ムイムイも
ハッスルも
😫
観は
穴だ
😫
軽視し過ぎ
😫
何が無理なんだよ⁉️
その前行が集中だろ
観は
無分別三昧が可能になってから
それ以前にするから
根元詰めると精神のバランスを壊してしまう訳で
10日とかのテーラワーダのリトリートやって
逆に精神変調来すのは
それが原因だろうと
心一境性の鏡に観ずるってことだね
頑張っててるな、
理屈で言えば
倶舎論以前
😀
JBLにまず
倶舎論を教えてもらえ
😀
JBLから倶舎論教えてもらえ
😀
仏教ビギナーだ
😀
😀
論外、仏教において
😀
酒のつまみ程度にしかみていないだろ~
無意味‼️
バジ、デンパパよりも
レス読める
😀
一緒にすんな‼️
自惚れ過ぎ
👽
なに言っても
通じない‼️
口先男は
戯れ言しか口に出来んしな‼️
ワシもじゃ