【空の奥義は】 中観派 【言葉にできない】 Part7最終更新 2026/04/08 12:231.◆JBLfMwCXhYHk5pL不滅にして不生不断にして不常不一にして不異不来にして不去戯論寂滅にして吉祥なる縁起をお説きになった説法者中の最高の説法者である仏陀に敬礼する根本中頌 帰敬偈 (龍樹)前スレ【空の奥義は】 中観派 【言葉にできない】 Part6https://talk.jp/boards/psy/17709335282026/03/13 08:14:53808コメント欄へ移動すべて|最新の50件2.◆JBLfMwCXhYHk5pL勝義諦(しょうぎたい)は、言葉や概念を超えた究極の真理(空・悟り)を指し、世俗諦(せぞくたい)は、世間一般の常識や言語・概念に基づく現象・現象上の真理を指す。ナーガールジュナの中観派では、この二つの真理(二諦)を分かつことで、現象世界の確実性を認めつつ、究極の「空性」を説いている。勝義諦(真諦、第一義諦)定義: 聖者の無漏智(迷いのない知恵)で見通された、言語・概念を超えた「ありのまま」の真実。内容: 空性、悟り、涅槃(ねはん)など。世俗諦(俗諦、世諦)定義: 世間一般の習慣や言語・名辞によって「これである」と認識できる、現象上の確実性。内容: 因果関係、日常の認識、仏陀の便宜的な教え(方便)。二諦の関係二諦の互依性: 世俗という名辞・概念(世俗諦)に依らなければ、究極的な真実(勝義諦)を指し示すことも理解することもできない。目的と手段: 世俗諦(方便)は、勝義諦(悟り)に到達するための手段である。不二: 究極的には世俗諦そのものが空(勝義諦)であり、両者は別物ではない。この「真俗二諦」の理解は、仏教における空(くう)の哲学的探究において非常に重要視されている。2026/03/13 08:17:083.◆JBLfMwCXhYHk5pL相依性縁起(そうえんしょうえんぎ)は、すべての事象が単独ではなく、相互の因と縁によって「相(あい)依り、相待(あいま)って(=関係し合って)」存在するという、仏教の根本的道理です。原因や条件が揃わなければ結果は生じず、固定的な実体はない(空)という、関係性や無常を説く思想です。相依性縁起(相依相待性)の要点相互依属(相依):万物は、互いに寄りかかって(依)存在しているという関係性(例:父と子は、お互いがあって初めて父であり子である)。相互待属(相待):相互に条件となり合って、その存在が成り立つ道理。「空」との関連:龍樹(ナーガールジュナ)は『中論』で、実体の実在を否定し、縁起を「空」の理論として展開し、すべてのものは固定不変の実体を持たないと説いた。意味と背景:すべてのものが「縁(関係性)」の中で生起しているという教え。この視点は、執着を離れ、苦悩を克服するための智慧とされる。この道理は、物事が独立して存在しない(無自性・空)ことを強調し、私たちの認識が相互の関係性の上にあることを示唆しています。2026/03/13 08:18:384.◆JBLfMwCXhYHk5pL八不中道(はっぷちゅうどう)は、大乗仏教の龍樹が『中論』で説いた、生・滅、常・断、一・異、来・去という4対8つの両極端な見方(八計)を否定し、縁起の道理に即した正しい中道の認識を示す概念です。執着を離れ、実体視(誤った固定観念)から解放された空(くう)の智慧を指します。八不の具体的な内容(8つの否定)不生(ふしょう):実体としては生じない不滅(ふめつ):実体としては滅しない不断(ふだん):絶え果てることはない不常(ふじょう):常住ではない不一(ふいち):同一ではない不異(ふい):異なって(別々で)はない不来(ふらい):やってくるのではない不去(ふきょ):去っていくのではない主なポイント龍樹の提唱:中観派の祖・龍樹(ナーガールジュナ)が『中論』の冒頭「八不の偈」で展開した、空と縁起を理解するための核心的理論。中道の実践:物事を「ある」か「ない」か、あるいは「同じ」か「違う」かという極端な断見・常見に偏らず、真実の姿(中道)を見きわめること。無得中道:とらわれのない自由な認識を示すため、「無得中道」や「八不中観」とも呼ばれる。この教えにより、固定観念や偏見(妄執)を打破し、物事の本来の姿を正しく捉えることで、煩悩から解放された境地(涅槃)を目指します。2026/03/13 08:20:555.◆JBLfMwCXhYHk5pL四句分別/四句否定 → 非有非無の中道四句分別1、有る2、無い3、有ると同時に無い4、有るわけでもなく、無いわけでもない四句否定1、有るか? → 否2、無いか? → 否3、有ると同時に無いか? → 否4、有るわけでもなく、無いわけでもないか? → 否2026/03/13 08:23:596.◆JBLfMwCXhYHk5pL断見の例:『人は、死ねば無になる。火葬場で焼かれてしまえば、後には灰しか残らない。ボクは死んだらオシマイだ。さようなら』常見の例:『人は生まれ変わり、死に変わり、永遠の魂修行を続けていくのだ。ボクが死んでも、魂は永遠だ』「このどちらでもない」というのが、中観派の考え方「不常不断の中道」だこれは結局のところ、『霊魂は有るのか、無いのか?』という問題になる「非有非無の中道」だ「不常不断の中道」(八不中道)と「非有非無の中道」(四句分別)は、表裏一体の関係にある2026/03/13 08:32:397.◆JBLfMwCXhYHk5pL中観派のまとめは以上2026/03/13 08:32:558.◆JBLfMwCXhYHk5pL中観派は、言語で表現されるすべての事象には実体がない(空)とし、言葉と言語的現実は一致しないとする独自の言語哲学を展開する。ナーガールジュナを祖とし、実体視(概念的執着)を打破するために論理的な「帰謬法」を用い、究極的には言語による把握を超えた「非言語・無分別」の認識(空の体得)を目指す。2026/03/13 09:40:509.◆JBLfMwCXhYHk5pL中観派の言語哲学は、以下の主要な要素で構成されます。「空」と言語の限界:ナーガールジュナの空の哲学は、概念や言葉は便宜上の名付け(名言)に過ぎず、真の実在を指し示していないと説く。言語的執着の否定:人間は言葉によって対象を実体化(固定化)して認識するが、中観派はこの「分別」が苦しみ(煩悩)の根源であるとし、言語的執着を否定する。帰謬法(プラサンガ)による論理:相手の言語的立場を論理的に追いつめ、その矛盾(誤り)を露わにして、最終的に「論理的判断が不可能」な状態(空)へと誘導する手法。2026/03/13 09:41:0210.◆JBLfMwCXhYHk5pL「二諦」の観点:世俗諦(せぞくたい):日常的・言語的な世界。勝義諦(しょうぎたい):言語を超えた真理(究極の真実)。無分別智の追求:言葉で分ける前のありのままの真実(無分別)を認識することが、真の智慧とされる。2026/03/13 09:41:1611.◆JBLfMwCXhYHk5pL中観派は、言語を否定するだけでなく、空の真理を伝えるための「手段」として使いつつ、最終的にはその言葉も捨てるという二重のプロセスを強調します。2026/03/13 09:41:2712.◆JBLfMwCXhYHk5pL中観派の「空(くう)」の論理と、現代の分析的な言語哲学(特に後期ヴィトゲンシュタインやポスト構造主義)は、言語の限界と固定的な本質の否定において驚くほど類似しています。どちらも「実在する言葉」を批判し、固定的な概念を解体する非基礎主義的な視点という共通点があります。2026/03/13 09:42:2413.◆JBLfMwCXhYHk5pL中観派と現代言語哲学の比較空と反本質主義:中観派:ナーガールジュナ(龍樹)は、すべての事象は関係性の中で存在し(縁起)、固有の自性(本質)を持たない(空)と論じます。現代哲学:デリダや後期ヴィトゲンシュタインなど、本質主義(言葉が固定的な何かを指すという考え)を否定し、意味は文脈や言語ゲームの中で生成されると考えます。2026/03/13 09:42:5014.◆JBLfMwCXhYHk5pL言語の限界と非二元性:中観派:「空」は言葉や論理で記述しきれないため、究極的には言語を超越した認識(二諦説)を求めます。現代哲学:ヴィトゲンシュタインは「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」と述べ、言語的な思考限界を指摘しました。2026/03/13 09:43:0715.◆JBLfMwCXhYHk5pL批判手法(デコンストラクション):中観派:帰謬法(プラサンガ)を用い、相手の前提にある「自性」を否定する手法は、現代の脱構築のプロセスと類似しています。現代哲学:言語の自己言及性や文脈のズレを指摘し、強固な基礎を持つ理論を解体します。2026/03/13 09:43:2316.◆JBLfMwCXhYHk5pL両者の主な相違点目的の違い:中観派は「苦からの解放(救済)」という実践的な目的があるのに対し、現代言語哲学は主に「言語的・理論的解明」という知的探求が主流です。実在の扱い:中観派は空でありながら実在(真如)の体得を目指しますが、現代哲学は概念的な実在自体を否定または保留する傾向があります。2026/03/13 09:43:3517.◆JBLfMwCXhYHk5pL中観派の議論は、言語という道具を徹底的に批判することで、固定的な自己や世界観を打破する「実践的な解体」として、現代哲学の領域においても深く評価されています。2026/03/13 09:43:4518.◆JBLfMwCXhYHk5pLせっかく、新スレを立てたのに結局また、この話になっている😅2026/03/13 09:44:2019.◆JBLfMwCXhYHk5pLでも、やっぱり中観派ってのは、そういうもんだよな2026/03/13 09:45:3620.◆JBLfMwCXhYHk5pL中観派は、古代インドの言語哲学だ2026/03/13 09:59:0321.神も仏も名無しさんjUs29実践的な解体は一部だろう緻密な道元禅破壊的な臨済禅が一番深掘りしているかもしれん中論限定という意味では😃2026/03/13 10:17:2522.神も仏も名無しさんjUs29道元禅は今月になって仕上がってきた😃2026/03/13 10:17:5523.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAk2rs9「意見が合わない奴を罵倒して楽しむ」がJBL教の真骨頂じゃろう?「意見が合わない奴」が存在しないと、JBL教が成り立たない。966 名前:◆JBLfMwCXhY[] 投稿日:2026/03/13(金) 07:38:24.55 ID:Hk5pL [2/36] 0コレなんだよな~当方と聖ウンコ派の意見が合わないのは、これが大きい彼らは中観派や天台宗をベースにしてるがこちらのベースは唯識派や真言宗なので2026/03/13 10:27:4224.◆JBLfMwCXhYHk5pL>>23> 「意見が合わない奴を罵倒して楽しむ」が> JBL教の真骨頂じゃろう?> 「意見が合わない奴」が存在しないと、JBL教が成り立たない。そりゃ、聖ウンコ師じゃろ2026/03/13 10:55:0125.◆JBLfMwCXhYHk5pLラピスや幸福の科学信者ならともかく聖ウンコ派を罵倒した覚えはない2026/03/13 10:55:3126.リダン◆3y/i8XtGLYErR3P何いってんだjbl龍樹は空を勝義と言ったときかん坊だったんじゃねえかまあ分かったんならいい2026/03/13 10:56:1427.◆JBLfMwCXhYHk5pL悪質な献金詐欺団体に勧誘してるならともかく単に、奇妙な仏教解釈を並べてるだけならまあ仕方ないと割り切れる(笑)2026/03/13 10:56:3328.神も仏も名無しさんjUs29ベイダー和尚はある意味しつこくない釣りタイプベイダー和尚を決死人間化するとリダンになる😃2026/03/13 10:56:5429.神も仏も名無しさんjUs29>>27俺の貢献だな?ハッスルの謎が解ってきたのは😃2026/03/13 10:57:3630.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAk2rs9>>24-25なるほどJBL氏は、歯向かって遊んでいるわけじゃな?https://talk.jp/boards/psy/176983228144 名前:◆JBLfMwCXhY[] 投稿日:2026/02/01(日) 14:25:58.87 ID:6ATkk [6/19] 0「言葉で真理を語ることはできない。言葉は正しい認識をさまたげる」↓「真理を正しく知るには、黙って坐禅するしかない」↓「何よりも重要なのは、坐禅をこなした回数である」これが、聖ウンコ教のセントラル・ドグマ(中心教義)これに歯向かう者には、ウンコとリダンによる罵倒の大連投が待っている2026/03/13 11:11:4931.リダン◆3y/i8XtGLYSbiG1真言宗では、名前の通り、言葉にパワーがある「月を指す指なのだ」とは、誰も思っていないこれは密教の話になってくる2026/03/13 11:53:3532.◆JBLfMwCXhYHk5pLウィトゲンシュタインの「梯子(はしご)の比喩」は、著書『論理哲学論考』(Tractatus)の結び(6.54)に登場する、同書の役割を説明する有名な比喩です。哲学の命題は世界を正しく見るための道具(梯子)に過ぎず、理解した後はその理論自体(ナンセンス)を捨てるべきだという、哲学の終焉を告げる思想です。2026/03/13 12:46:4433.◆JBLfMwCXhYHk5pL梯子の比喩のポイント道具としての哲学: ウィトゲンシュタインにとって、哲学的な命題や理論は、世界を正しく認識するための「梯子」です。登りきったら捨てる: 梯子(『論考』の理論)を使って世界を正しく見ることができるようになったら、その梯子そのもの、つまり理論や体系は不要になる、あるいは捨て去らなければならないと主張しました。「語り得ぬもの」への到達: 哲学的に「語り得る」限界を理解した者は、その限界を定義した『論考』の理論自体が、厳密には「語り得ないこと(言語の論理形式の外側にあること)」を扱った「ナンセンス(無意味)」であることに気づきます。「沈黙」への誘い: 言葉で説明しようとする哲学を終え、真に重要なこと(善悪や人生の意味など)は言葉で論じるのではなく、ただ「示される」ものである(語り得ぬものについては沈黙しなければならない)と彼は考えました。この比喩は、哲学が世界を説明するものではなく、世界を正しく見るための「活動」であることを示しています。2026/03/13 12:46:5934.◆JBLfMwCXhYHk5pL釈迦の「筏(いかだ)のたとえ」は、教え(仏法)は悟りの彼岸へ渡るための「道具」に過ぎず、役目を終えたら執着せずに捨てるべきだと説いた法話です。川を渡った後に筏を背負って運ぶ愚かさを例に、形にとらわれず、真理そのものを理解することの重要性を伝えています。2026/03/13 12:48:1235.◆JBLfMwCXhYHk5pL「筏のたとえ」の概要と教えストーリー: 旅人が大きな川を渡るため、木や草で筏を作り、無事に岸辺に渡ることができました。役立ったからといって、その筏を背負って旅を続けるべきか、という問い。教えの核心: 目的は「川を渡ること」であり、筏は手段です。悟りに達したら、教えという手段(筏)にしがみつく必要はなく、それも手放すべきである(「法さえも捨てるべき」)。執着からの解放: 教え(言葉や概念)を物理的な重荷のように背負い続けると、真の自由(悟り)の妨げになる。この教えは、仏教の「固定観念にとらわれない」という姿勢を示す典型的なエピソードです。2026/03/13 12:48:3136.◆JBLfMwCXhYHk5pL仏教の**「筏(いかだ)のたとえ」と、Ludwig Wittgensteinの「梯子(はしご)の比喩」**は、どちらも「真理に到達するための手段は、最終的には捨てられるべきもの」という思想を示す点でよく比較されます。ただし背景や意味には違いがあります。2026/03/13 12:51:3337.◆JBLfMwCXhYHk5pL1. 釈迦の「筏のたとえ」これは仏教経典(特にAlagaddupama Sutta)に出てくる、Gautama Buddhaの有名な比喩です。内容(要約)人が危険な岸から安全な岸へ渡りたい。舟がないので草木を集めて筏を作る。筏のおかげで川を渡ることができる。渡ったあと、その筏を頭に乗せて持ち歩くべきか?釈迦の答えはNOです。役に立ったが、もう必要ないので捨ててよい。意味仏教の教え(法)は悟りへ渡るための手段。真理に到達したら、教えに執着する必要はないつまり、教えは目的ではなく手段。2026/03/13 12:52:4438.◆JBLfMwCXhYHk5pL2. ウィトゲンシュタインの「梯子の比喩」この比喩は、Tractatus Logico-Philosophicusの最後の命題(6.54)に出てきます。内容(要約)ウィトゲンシュタインはこう書きます:私の命題を理解した者は、それらを無意味であると認識する。それらを梯子のように使って登った後、その梯子を捨てなければならない。意味『論理哲学論考』の命題は、世界と言語の限界を示すための道具。それを理解すると、哲学的命題自体が不要になる。つまり、哲学の説明は、理解のための道具にすぎない。2026/03/13 12:53:2839.◆JBLfMwCXhYHk5pL3. 共通点両者は非常によく似た構造を持っています。要するに、真理へ到達するための説明は、最後には不要になる。2026/03/13 12:54:0240.◆JBLfMwCXhYHk5pL4. 違い(重要)仏教・・・宗教・修行、教えは役に立つ、悟りへの実践ウィトゲンシュタイン・・・言語哲学、命題は最終的に無意味、言語の限界の提示簡単に言うと筏 → 悟りへ渡る実践の道具梯子 → 言語の限界を示す論理装置2026/03/13 12:55:5041.◆JBLfMwCXhYHk5pL✅ まとめ釈迦:教えは悟りへ渡る筏ウィトゲンシュタイン:哲学命題は理解へ登る梯子どちらも真理に到達したら、説明そのものは手放すという思想を表しています。もしよければ、「なぜウィトゲンシュタインは自分の本を“無意味”と言ったのか」(哲学的にかなり面白い問題)も説明できます。2026/03/13 12:56:1242.◆JBLfMwCXhYHk5pLまさに、似て非なる問題2026/03/13 12:56:2543.◆JBLfMwCXhYHk5pL昭和の仏教学者は、釈迦の「筏の例え」を誤解した2026/03/13 12:56:5744.◆JBLfMwCXhYHk5pL確かに、ウィトゲンシュタインの「梯子の例え」と似ているが問題意識が異なる似て非なるテーマ2026/03/13 12:57:4445.◆JBLfMwCXhYHk5pL昭和の仏教解釈では、「言語の限界」がやたらと強調されてたがあれは、20世紀の西洋哲学を席巻したウィトゲンシュタイン・ブームの影響としか思えんのだよなあ2026/03/13 13:04:4246.◆JBLfMwCXhYHk5pL確かに仏教、とくに中観派にも、そういう傾向はあるそれは否定できないでも、昭和の仏教解釈ではちょっと、そこが強調されすぎだな「確かにそういう面はあるけど、そこまでか?」という感じ2026/03/13 13:07:1347.◆JBLfMwCXhYHk5pLこれが個人的に、聖ウンコ派の解釈に賛成できない大きな理由だ西洋哲学にも慣れ親しんできた者としては(むしろ、そっちの方が長い)「それって龍樹というより、ソシュールじゃないの?」「それって、ウィトゲンシュタインじゃないの?」と思うような場面があまりにも多い2026/03/13 13:10:0048.◆JBLfMwCXhYHk5pL個人的に「本当は一体である世界を、人は言語でバラバラに分節化している」だの、「言語には限界がある。語り得ぬものについては沈黙しなければならない」だのと言われるとどうしても疑ってしまうあまりにも、20世紀の言語分析哲学と発想が似ているので「大昔の人が、ホントにそんなこと言ってたんかい?」という疑いが、どうしても先に立つ2026/03/13 13:18:0549.◆JBLfMwCXhYHk5pL20世紀の西洋哲学は、凄まじい言語哲学ブームだったほとんど、「哲学=言語分析」となる勢いだった日本の宗教学者が、仏教の古典思想の中に、それと似たものを見つけて大喜びその気持ちは、よく分かるが確かに似てるけど、違いの方が大きいので、そこを見ていかないとな2026/03/13 13:25:4950.◆JBLfMwCXhYHk5pLでも、確かに似ているな似て非なるものとはいえ確かに似ている2026/03/13 13:29:1351.◆JBLfMwCXhYHk5pL古代インドと、近代ヨーロッパ時代や環境は違えども突き詰めて考えれば、同じ結論になるということか2026/03/13 13:29:5452.◆JBLfMwCXhYHk5pLいや~、似てるなマジメな話、近現代の西洋哲学は後になるにつれ、だんだん中論や唯識論に似てくる😅2026/03/13 13:30:5553.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAk2rs9「壊し屋エロ和尚」としては、浄土真宗サイコーじゃが296 名前:◆JBLfMwCXhY[] 投稿日:2026/03/07(土) 14:16:46.34 ID:QDWOq [2/2] 0浄土真宗が伝統をブチ壊した2026/03/13 15:13:1354.神も仏も名無しさんAJtY9>>52ただヴィトゲンシュタインはサティは存在しないデンパパ📶セイジン問題も基本そこだハッスル🤡もだけど😃2026/03/13 17:49:2755.パーリー◆HpIafZZzjh.GztDCn≫言語の限界と非二元性:≫中観派:「空」は言葉や論理で記述しきれないため、≫究極的には言語を超越した認識(二諦説)を求めます。中論は無分別三昧へ入った処で不要となる‼️じゃないのかな?だからさ勤行や聖典や聖者の本などの読誦の集中を通じて言語が脱落する無分別三昧へ入禅定する訳ですね中論もここで不要となります‼️2026/03/13 17:49:2956.神も仏も名無しさんAJtY9如実知見だ中論といえども、大般若経典はなんらかの洞察、サティの変化したのがある、 唯識ですら妙観察智がある😃2026/03/13 17:51:1057.パーリー◆HpIafZZzjh.GztDCn浄土真宗も基本は密教の百万遍真言でしょうね~‼️2026/03/13 17:51:1258.神も仏も名無しさんAJtY9デンパパセイジン👽無駄に頑張りに現れたな?🛸〜〜〜2026/03/13 17:51:4459.パーリー◆HpIafZZzjh.GztDCn心一境性に至らんと如実知見はあり得んよ‼️2026/03/13 17:52:2860.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAk2rs9>>57発想としては同類じゃな2026/03/13 18:00:2361.パーリー◆HpIafZZzjh.G5Tl9K>>60同類ってかみんな空海からきt2026/03/13 18:24:5862.パーリー◆HpIafZZzjh.G5Tl9K空海から来てるんじゃないの⁉️2026/03/13 18:25:2763.パーリー◆HpIafZZzjh.G5Tl9K高野山と比叡山だな☺️2026/03/13 18:26:1764.パーリー◆HpIafZZzjh.G5Tl9Kたぶん推察するに2026/03/13 18:26:5065.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAk2rs9>>62ヒト遺伝子だものBY あいだみつお2026/03/13 18:28:0966.パーリー◆HpIafZZzjh.GYD8FQそっちに行くの⁉️2026/03/13 19:03:1867.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAk2rs9>>66はい我々は、変なオジサンでつサピエンスという狂気の生命体――人類は「賢い」から生き残ったのではないhttps://note.com/royal_curlew4118/n/n42225a19da2b2026/03/13 19:08:2068.パーリー◆HpIafZZzjh.GYD8FQわたしはダメな人間です‼️と思わないで下さい!ニコラテスラが明かす成功の不都合な真実https://youtube.com/shorts/SW0QQey5fHU?si=A19OTt-hhwHs7x3V2026/03/13 19:27:0869.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAk2rs9>>68懐かしいな~~https://www.youtube.com/watch?v=ezWMYx7W7BE2026/03/13 19:35:3670.パーリー◆HpIafZZzjh.GPk8xJヤバいバヤい‼️ポッたん化しちゃうよ~😭もうしてるか😆2026/03/13 20:15:5771.◆JBLfMwCXhY4tYDx念仏行を弘めたのは、高野聖らしい2026/03/13 20:17:0372.◆JBLfMwCXhY4tYDx南無阿弥陀仏最もシンプルな真言だ2026/03/13 20:18:0073.◆JBLfMwCXhY4tYDxポッたんは、長期放置スレのスレ埋めを熱心にやってくれている2026/03/13 20:19:0474.神も仏も名無しさんLPa6h念仏行の魔改造ゾーンまでお気楽になったナウ😃2026/03/13 21:00:1675.パーリー◆HpIafZZzjh.GztDCn>>71へ~そうなんですねやはり高野山絡み‼️2026/03/13 23:53:1776.神も仏も名無しさんLPa6hデンパパセイジンがらみは全てアストラル界がらみ👽👽👽👽👽2026/03/13 23:57:3977.神も仏も名無しさんLPa6hアストラルセイジン👽2026/03/13 23:58:3878.パーリー◆HpIafZZzjh.GJqnsiでおーや!お前もアストラル体を持っているんだぞ‼️今の今2026/03/14 01:03:5079.エロ和尚◆ERO.Kk3nCALvolS>>70ポッたん和尚に改名しようかな?2026/03/14 10:18:3580.神も仏も名無しさんmNK7Xハッスル和尚は😃2026/03/14 11:06:2981.エロ和尚◆ERO.Kk3nCALvolSハッスル和尚は聖ウンコ師のあだ名2026/03/14 11:12:0682.◆JBLfMwCXhYanQeeハッスルだと、聖ウンコ派っぽい2026/03/14 14:30:4783.神も仏も名無しさん1zWwjナルシズム超マジメなハッスルに対抗してナルシズム超マジメに対局したベイダー和尚の改名😃2026/03/14 15:15:5084.リダン◆3y/i8XtGLYLHoicほんならjbl理詰めで空であるとピンときたとして空も相依による産物であると戯論寂滅した場合どうなるか?ってことだ2026/03/15 15:22:5885.リダン◆3y/i8XtGLYLHoic八不中道とはいかなるかってこと2026/03/15 15:23:2486.リダン◆3y/i8XtGLYLHoicアレフガルドのアバターがドットである更にドットは戯論であるとそうなるとどうなるか2026/03/15 15:24:3587.リダン◆3y/i8XtGLYLHoicむろん空であるから自在にアバターやアレフガルドを描写することが可能であるわけだな?んでもまずは戯論寂滅、八不中道とはどういったことであるか自身が証さなならんと2026/03/15 15:27:0088.リダン◆3y/i8XtGLYLHoic事事無碍法界にせよ三諦円融にせよ身口意にせよ南無妙法蓮華経にせよまずこの空の理による所知障の断滅がど基本なわけだわな2026/03/15 15:39:0389.リダン◆3y/i8XtGLYLHoicそのどうなるか?を結局、定義やウィキで知っても意味がない己を理詰めで追い込まないと空とはこうである(戯論)でなく空とはまさにこのようであったと2026/03/15 15:49:0390.リダン◆3y/i8XtGLYLHoicそうなると只管打坐やギャーテーギャーテー、ムーー!がああそういうことねと腹におちる2026/03/15 15:50:0591.◆JBLfMwCXhYw69eQ相変わらず、「空の奥義は言葉にできない」に極端にこだわってるな?2026/03/15 19:57:0092.◆JBLfMwCXhYw69eQ中観派の「勝義諦/世俗諦」も、確かに重要だがそれは、広大な仏教思想の一部でしかない2026/03/15 19:58:4693.◆JBLfMwCXhYw69eQ中観派の中でさえ最重要なテーマとは言えない2026/03/15 20:00:2294.◆JBLfMwCXhYw69eQ聖ウンコ派に付き合ってるとこっちも釣られて、この話ばっかりになるんだよな~😫2026/03/15 20:05:5795.リダン◆3y/i8XtGLY2YrGX>>94あほ中観の話しだけやないわ我空法空の二空、所知障の話しやから大乗の肝やん2026/03/15 20:10:1996.◆JBLfMwCXhYw69eQ当の聖ウンコ師でさえ、最近はその話をあまりしない2026/03/15 20:12:0997.◆JBLfMwCXhYw69eQ「坐禅の回数が重要だ。お前らは何回坐ったのだ~」しか言わなくなった2026/03/15 20:12:3898.◆JBLfMwCXhYw69eQ2、3年前は、ここまでバカてはなかった彼は以前に比べて、知的な面で劣化した2026/03/15 20:13:1699.安堂L0k2Mここが中観派のアジトか。リダンがいるぞ!子連れ狼!覚悟せい!2026/03/15 20:23:27100.◆JBLfMwCXhYw69eQ1002026/03/15 20:29:00101.◆JBLfMwCXhYw69eQ哲学的には、龍樹の中論宗教的には、法華経この2つをベースにしたのが、天台教学だ2026/03/15 22:28:06102.◆JBLfMwCXhYw69eQ中論もいいが、法華経こそ最高の教え2026/03/15 22:29:47103.◆JBLfMwCXhYw69eQ中論で哲学して法華経で宗教する2026/03/15 22:32:24104.◆JBLfMwCXhYd5yYu法華経は、これまでの仏教をこう説明します。これまでの教えは 方便(教育方法) だったつまり、小乗・大乗・菩薩道などは最終的な真理ではなく、導入教育だったとするのです。この思想を整理したのが、智顗 の 天台教学です。2026/03/16 00:18:47105.◆JBLfMwCXhYd5yYu聖ウンコ師が「釈迦の教えは方便」「龍樹の教えも方便」にコダワるのは、明らかに、この影響だろ2026/03/16 00:20:04106.◆JBLfMwCXhYd5yYu聖ウンコ師は、人間禅にハマる前は立正佼成会のシンパだったらしいからその頃に刷り込まれたに違いない2026/03/16 00:20:43107.◆JBLfMwCXhYd5yYu「法華経が最高で究極の教え。それ以前のは方便。衆生の機根に合わせた薬の処方」この法華経至上主義を坐禅至上主義に読み替えただけ(笑)2026/03/16 00:22:20108.◆JBLfMwCXhYd5yYuリダンは、すっかり釣られてしまった2026/03/16 00:23:47109.◆JBLfMwCXhYd5yYu法華経は「誰もが仏になれる」という仏教史上、画期的な教えを説いた2026/03/16 00:26:55110.◆JBLfMwCXhYd5yYuさらに、「古代インドに生まれた人間・釈迦は仮の姿である」「本当は久遠実成、永遠の仏陀なのである」という、これまた画期的な思想を唱えた2026/03/16 00:28:07111.◆JBLfMwCXhYd5yYuこの2つの思想革命のおかげて史上最高の経典とされている2026/03/16 00:28:36112.◆JBLfMwCXhYd5yYu中論て哲学して、法華経で宗教する2026/03/16 00:29:20113.パーリー◆HpIafZZzjh.G4Epuc五井は法華経は宗教のプロがやる教えって言ってたような⁉️そりゃ~色界という天界へ上がって聴聞するんだからね~2026/03/16 03:40:02114.パーリー◆HpIafZZzjh.G4Epuc戯論寂滅にも2種類あるね第一言語の記号=文字の戯論寂滅と第二言語の映像イメージの戯論寂滅この2つは顕在意識と夢見潜在意識に対応しています顕教と密教‼️2026/03/16 03:45:36115.パーリー◆HpIafZZzjh.G4Epucだから法華経の密教的側面は光などの映像イメージで語られています言葉での法華経は顕教の現界=欲界の教え‼️2026/03/16 03:49:00116.神も仏も名無しさんSpbfqワレワレハデンパパセイジンダ 👽2026/03/16 05:46:02117.神も仏も名無しさんSpbfqデンパパマウントデギルカラタイシタコトハナイレベルダセイジンダ👽2026/03/16 05:50:31118.◆JBLfMwCXhYd5yYu「方便」にコダワるのは「言語の限界がどうの」というような話ではない「法華経が究極の教えであり、それ以前の教えは方便だ」という、天台教学→日蓮仏法の思想2026/03/16 06:32:38119.◆JBLfMwCXhYd5yYuリダンは聖ウンコ師に釣られて、拡大解釈してしまった2026/03/16 06:33:35120.◆JBLfMwCXhYd5yYu「法華経が究極の教えであり、それ以前の教えは方便だ」聖ウンコ師は、これを「坐禅の回数が問題なのであり、それ以前の教えは方便だ」と読み替えたにすぎない2026/03/16 06:35:05121.◆JBLfMwCXhYd5yYu聖ウンコ師は、「大学の仏教学科」とか「出向先の仏教研究機関」とかで周囲の人々への劣等感を刷り込まれた「坐禅の回数なら勝てる」と、一発逆転に賭けている1日7回も座禅している2026/03/16 06:38:04122.◆JBLfMwCXhYd5yYuリダンは、すっかり釣られてしまった2026/03/16 06:38:57123.◆JBLfMwCXhYd5yYu五時八教(ごじはっきょう)は、中国天台宗の智顗(ちぎ)が釈迦の生涯の説法を体系化した教相判釈です。説法年時による「五時」(華厳・鹿苑・方等・般若・法華涅槃)と、教えの形式・内容による「八教」(化儀四教・化法四教)で構成され、『法華経』が最上であると位置づけています。2026/03/16 06:39:42124.◆JBLfMwCXhYd5yYu1. 五時(説法年時による分類)釈迦が悟りを開いてから亡くなるまでの50年間の説法を5つの時期に分類したものです。華厳時(けごんじ):悟りを開いた直後、華厳経を説いた期間。鹿苑時(ろくおんじ):阿含経を説き、小乗の教えを教えた期間。方等時(ほうとうじ):大乗・小乗の様々な経典を説いた期間。般若時(はんにゃじ):空の教え(般若経)を説いた期間。法華涅槃時(ほっけねはんじ):法華経・涅槃経を説き、すべての人が成仏できると明かした期間。2026/03/16 06:39:59125.◆JBLfMwCXhYd5yYu2. 八教(教え方と内容による分類)五時をさらに深掘りするため、教え方(化儀)と教えの内容(化法)の2つの観点からそれぞれ4つに分類したものです。化儀の四教(説法形式):頓教(とんぎょう):機根の優れた者への直接的な教え。漸教(ぜんぎょう):機根の劣る者への段階的な教え。秘密教(ひみつきょう):相手の機根に合わせ、お互いに知られずに教える。不定教(ふじょうきょう):相手が別々の理解をしながらも、それぞれ得益がある。2026/03/16 06:40:18126.◆JBLfMwCXhYd5yYu化法の四教(説法内容):蔵教(ぞうきょう):小乗の教え。通教(つうきょう):大乗への入り口となる共通の教え。別教(べっきょう):菩薩のための特別な教え。円教(えんぎょう):すべてが円満に成仏するという法華経の教え。この体系により、すべての経典は法華経へ至る段階として位置づけられました。2026/03/16 06:40:36127.◆JBLfMwCXhYd5yYu中論で哲学して、法華経で宗教する2026/03/16 06:40:55128.◆JBLfMwCXhYd5yYuそれが、天台宗という宗派だ2026/03/16 06:41:09129.◆JBLfMwCXhYd5yYu自分は今まで龍樹の中論のことばかりで、法華経に無関心だったように思う2026/03/16 06:57:45130.◆JBLfMwCXhYd5yYu個人的に自分にとっては、「倶舎論・中論・唯識論」こそが仏教だ2026/03/16 06:58:31131.◆JBLfMwCXhYd5yYu禅宗は老荘思想、念仏宗は一神教に見えている2026/03/16 06:59:17132.◆JBLfMwCXhYd5yYu実際のところ元スレ主やロン殿の言ってることを見ると老荘思想そのものにしか見えない(笑)もはや、仏教というカテゴリーから外れるのでは2026/03/16 07:01:08133.◆JBLfMwCXhYd5yYu老荘思想が悪いとか、仏教より劣ると言ってるわけではない個人的には老荘思想にも傾倒してた時期があり、その深遠なパワーを知っている単に、「それは仏教じゃなくて、老荘思想なんじゃないのかな?」という、両方とも知ってる者としての個人的な感想があるだけ2026/03/16 07:03:27134.◆JBLfMwCXhYd5yYuとはいえ、坐禅と念仏は天台大師智顗の頃から主流の修行方法だ禅宗の思想とは、また別問題だ2026/03/16 07:05:05135.◆JBLfMwCXhYd5yYu老荘思想が素晴らしいのは、わかっているむしろ「自分は長いこと、老荘から遠ざかっている。そろそろ、見直すか」と思ってるくらいだが2026/03/16 07:13:33136.◆JBLfMwCXhYd5yYuそれと、「禅宗の人の言ってることが、仏教というより老荘思想に見える」というのとは、別の問題だ2026/03/16 07:14:19137.◆JBLfMwCXhYd5yYuいや、この言い方だと、禅宗を批判してるように見えるだろうな(笑)そうではない老荘思想も好きだ2026/03/16 07:32:55138.◆JBLfMwCXhYd5yYu日本の仏教が、神道と神仏習合してるのと同じで中国の仏教も、道教と習合している当然だ別におかしくない2026/03/16 07:34:17139.◆JBLfMwCXhYd5yYu昔、国語のテストの問題文とかで、よく見かけた昭和の「日本人論」では「何事にも白黒ハッキリさせたがる外国人」と、「あいまいさを好む日本人」がいつも対比され、日本の神仏習合が話題になってたがそんなの、日本人だけの特徴ではないよ思想が混ざり合うのは、外国でも同じだキリスト教だって、ギリシャ哲学とかゲルマン神話とか、なんでも混ざってるぞ2026/03/16 07:36:42140.神も仏も名無しさんSpbfqロンと元スレ主も半臨済宗要素がある偏り気味だろな臨済宗はもっとリアリズムだ😃2026/03/16 07:41:56141.神も仏も名無しさんSpbfq半臨済宗ぽさが老荘思想に見えるというのもおかしくもないかもな道元禅師なら緻密で生真面目だろうからな😃2026/03/16 07:44:38142.神も仏も名無しさんSpbfq臨済宗はロンや元スレ主よりももっと破壊的た😃2026/03/16 07:45:05143.◆JBLfMwCXhYd5yYu確かに、そうかもな老荘は、ぶっ壊し思想ではない2026/03/16 07:54:25144.神も仏も名無しさんSpbfq道元禅師は生活行為に緻密さを求める台風だ😃2026/03/16 07:59:01145.神も仏も名無しさんSpbfq曹洞宗は臨済宗と混合があるので臨済宗のぶっ壊し連打が公案禅とするなり一度でよろしーみたいなのかま曹洞宗の臨済宗混合型だ😃2026/03/16 08:00:19146.神も仏も名無しさんSpbfq道元禅師は生活行為緻密型だ只管打坐の生活行為緻密というのが本筋だろう😃2026/03/16 08:01:07147.◆JBLfMwCXhYd5yYu曹洞宗は、日常のコマゴマしたことに厳しいんだな自分には合わなさそう2026/03/16 08:01:24148.神も仏も名無しさんSpbfq道元禅師と臨済宗は同じ禅師でも水と油くらいに観点が違う曹洞宗の臨済宗混合型はロンや、元スレ主の立ち位置なんだろな😃2026/03/16 08:02:22149.◆JBLfMwCXhYd5yYuそれが戒律になっているんだな2026/03/16 08:02:38150.神も仏も名無しさんSpbfq臨済宗は囚われるのを文字も含めて破壊して破壊しているのも破壊するという固定化を嫌うシステムだから道元禅師は緻密派なので観点がまったく違うその間をとったのがロンやら元スレ主の曹洞宗の臨済宗混合型タイプやろな😃2026/03/16 08:05:27151.神も仏も名無しさんSpbfq瑩山自体が曹洞宗と臨済宗のハイブリッドタイプやしな😃2026/03/16 08:06:07152.神も仏も名無しさんSpbfq曹洞宗と臨済宗ハイブリッドの臨済宗寄り曹洞宗流が一番最初にマスターした曹洞宗禅、割合簡単だった臨済宗に近いのでロンや元スレ主路線よりも臨済宗に近い路線の曹洞宗流派やった😃2026/03/16 08:07:40153.パーリー◆HpIafZZzjh.GqyPZk>>132彼らに対する違和感を言い得ていますね。2026/03/16 10:10:28154.神も仏も名無しさんolC1zサリケナクアストラルセイジンあらわるる〜🛸2026/03/16 10:12:20155.パーリー◆HpIafZZzjh.GqyPZkでおーやロン、元スレの何処に臨済宗くささがあるんだよ?1mmも無いだろ‼️ロンは道元道元言ってるし元スレは衝突回避センサー付きだし何処にも無いぞ‼️2026/03/16 10:18:24156.パーリー◆HpIafZZzjh.GqyPZkまあでおーが臨済宗気取ってるのは分かる‼️2026/03/16 10:19:43157.パーリー◆HpIafZZzjh.GqyPZkぜんぜん破壊力無くて破壊力零歳児レベル‼️2026/03/16 10:21:18158.神も仏も名無しさんolC1zデンパパアストラルセイジンオイカリダ👽2026/03/16 10:21:34159.パーリー◆HpIafZZzjh.GqyPZk>>117でおーには全く理解不可能だろ‼️2026/03/16 10:24:33160.パーリー◆HpIafZZzjh.GqyPZk>>158オイカリじゃねーわ‼️オチョクリだー‼️2026/03/16 10:25:37161.神も仏も名無しさんolC1zアストラルセイジンが燃えている👽2026/03/16 10:26:50162.パーリー◆HpIafZZzjh.GMticlオチョクリ‼️2026/03/16 14:21:12163.◆JBLfMwCXhYzRexgペチョグリ?2026/03/16 17:41:00164.◆JBLfMwCXhYzRexg田中康夫の「ペログリ」ってのもあったな2026/03/16 17:41:54165.神も仏も名無しさん9HU4uアストラルペロペロ👽2026/03/16 17:44:54166.◆JBLfMwCXhYTLTIw「**龍樹(ナーガールジュナ)**は、言語そのものが迷い(妄想・分別)を生む構造を持っている」と考えました。これは、彼の中心思想である 空(śūnyatā) の理解と深く関係しています。以下、ポイントを整理します。2026/03/17 19:45:10167.◆JBLfMwCXhYTLTIw① 言語は「固定されたもの」を作り出してしまう龍樹の見方では、現実そのものは本来 固定した実体を持っていない(空) です。しかし 言語はこういう形で世界を切り分けます。これは「木」これは「人」これは「善」これは「悪」つまり言語は流動している現実に「名前」と「境界」を作るのです。2026/03/17 19:45:47168.◆JBLfMwCXhYTLTIw龍樹はこれを 分別(vikalpa) と呼びました。例雲を見て「龍の形」「犬の形」と言うと、もうそう見えてしまう。しかし雲には本来「龍」という実体はありません。同じことが 世界全体で起きている と龍樹は言います。2026/03/17 19:46:12169.◆JBLfMwCXhYTLTIw② 言語は「実体があるように」錯覚させる例えば言語はこういう構造です。主語・述語・動詞例 人が歩くしかしこの文は、無意識に次の前提を作ります。「人」という実体があり「歩く」という性質があるところが龍樹は言います。実際には人も歩くも、関係の中で成立しているだけつまり人=五蘊の集合歩く=身体運動の連続です。しかし言語は実体+属性という構造を作ってしまう。これが 迷いの原因 になります。2026/03/17 19:47:20170.◆JBLfMwCXhYTLTIw③ 言語は「二元対立」を作る言語は世界を二つに分けます。有 / 無生 / 死善 / 悪自 / 他しかし龍樹は『中論』でこれを徹底的に崩します。有でもなく無でもなく両方でもなくどちらでもないこれは有名な 四句分別(四句否定) です。つまり言語が作る対立そのものが錯覚だと言うのです。2026/03/17 19:47:54171.◆JBLfMwCXhYTLTIw④ しかし龍樹は「言語を否定」していないここが重要です。龍樹は言語は迷いを生むと言いながら言語を完全には捨てません。なぜなら仏の教えも 言語で語られる からです。そこで龍樹はこう言います。空は、すべての見解を離れるための教えである。→つまり、言語は真理ではないしかし 悟りに向かう道具なのです。2026/03/17 19:48:45172.◆JBLfMwCXhYTLTIw⑤ これは現代哲学にも非常に近い龍樹のこの考えは、20世紀哲学と驚くほど似ています。例えばルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン→ 哲学の問題は 言語の誤用 から生まれるジャック・デリダ→ 言語は差異のネットワークW. V. O. クワイン→ 世界は言語理論の中で整理されるつまり龍樹は2000年前に「言語哲学」をやっていたとも言われます。2026/03/17 19:49:11173.◆JBLfMwCXhYTLTIwまとめ龍樹の核心はこれです。世界が迷いなのではない。言語が迷いを作る。しかし同時に言語を使って、言語を超える。これが、中論・空・中道の思想です。2026/03/17 19:49:41174.◆JBLfMwCXhYTLTIwもしよければですが、実は龍樹には さらに鋭い主張があります。それは「空ですら言語の仮名にすぎない」というものです。ここまで行くと、龍樹は 20世紀哲学よりさらにラディカルになります。この話、かなり面白いので希望があれば 「空=言語仮名」説 を説明します。2026/03/17 19:49:59175.◆JBLfMwCXhYTLTIwもはや、中観派は言語哲学そのもの2026/03/17 19:50:16176.◆JBLfMwCXhYTLTIw龍樹がソシュールに見えてきた😅2026/03/17 19:50:31177.◆JBLfMwCXhYTLTIwChat GPT は、当方がこの話、大好きなんだと見てこの話ばっかりしてきやがる😂2026/03/17 19:51:41178.◆JBLfMwCXhYTLTIw「この先、AIはどう進化するか?」と質問したときも「この話は龍樹やウィトゲンシュタインにつながります」と言ってた2026/03/17 19:52:51179.ハジhEwlRAIはとんでもなく賢い先生だ2026/03/17 21:53:42180.◆JBLfMwCXhYkgbURこの先、AIが進化すれば何もかも変わる今までの常識は通用しない2026/03/17 22:06:45181.ハジhEwlRAIが反キリストになる日も近い2026/03/17 22:10:12182.◆JBLfMwCXhYjl5ET20世紀アメリカの論理哲学者が、仏教思想のエッセンスをズバリと語ってくれた(仏教とは何の関係もない人だが)↓クワインによると、人間が直接得るのは 感覚刺激 だけです。例えば光が目に入る音が耳に届く触覚が起こるしかしそこから「机がある」「猫がいる」「電子がある」といった 世界像 を作るのは、すべて 言語と概念です。つまり感覚 → 言語 → 世界像という構造になります。2026/03/18 06:59:53183.◆JBLfMwCXhYjl5ET人間が直接得るのは 感覚刺激 だけです。例えば光が目に入る音が耳に届く触覚が起こる↑これは、お釈迦さまの初期仏教の頃から、仏教の基本構想2026/03/18 07:00:51184.◆JBLfMwCXhYjl5ET当方:五蘊・十二処・十八界、世界は感覚刺激でできているChat GPT :おっしゃる理解は、かなり核心に近いです。五蘊・十二処・十八界の分析は、結局こういう方向を指しています。世界とは「感覚刺激とその認識の構造」である2026/03/18 07:04:51185.◆JBLfMwCXhYjl5ET少し整理してみます。1 五蘊:主体(人間)の分析五蘊は「人間とは何か」を分析したものです。色 = 身体受 = 感覚(快・不快)想 = 認識行 = 心の働き識 = 意識つまり人間=感覚と意識のプロセス固定した「我」はない。あるのは 心理プロセスの流れだけ。2026/03/18 07:05:22186.◆JBLfMwCXhYjl5ET2 十二処:世界の入口十二処は感覚器官 × 対象です。感覚器官 眼耳話舌身意対象 色声香味触法法(概念)ここで重要なのはこれです。世界は「対象そのもの」ではなく感覚との関係として現れるつまり世界 = 感覚刺激2026/03/18 07:07:39187.◆JBLfMwCXhYjl5ET3 十八界:認識の完成形十八界では感覚器官+対象+意識になります。例えば眼+色+眼識この三つがそろって「見る」という出来事が成立します。つまり世界 = 認識イベントです。2026/03/18 07:08:24188.◆JBLfMwCXhYjl5ET4 仏教の驚くべき結論ここから導かれるのがこれです。世界は「物」でできているのではない世界は感覚刺激+認識で成立している。つまり経験のネットワークです。2026/03/18 07:08:52189.◆JBLfMwCXhYjl5ET5 これが龍樹の「空」になる龍樹はさらに進めて言います。五蘊十二処十八界これらすべては自性を持たないつまり空ですなぜなら、それらは関係の中で成立するだけだから。2026/03/18 07:09:27190.◆JBLfMwCXhYjl5ET6 実はこれ、現代哲学にかなり近いこの構図は、20世紀哲学のいくつかと非常に似ています。例えばクワイン世界は感覚刺激から理論的に構成されるデイヴィッドソン信念・言語・世界は三角測量で成立ローティ世界は記述のネットワークつまり仏教の分析はかなり早い段階で世界=経験構造という方向に行っているのです。もしよければですが、ここからさらに面白い話があります。実は龍樹はここからもう一段ラディカルなことを言います。それは感覚刺激すら空であるという話です。ここが理解できると、中論が突然わかるようになります。2026/03/18 07:09:58191.神も仏も名無しさん3LdSSま、苦しみからの解脱というテーマを中心おかないと区分はできないわな、仏教の特徴は苦しみの分析とそこからの離脱、なんら不思議な話ではない本来は、龍樹でもそうだろう😃2026/03/18 07:11:54192.◆JBLfMwCXhYjl5ET>>188> 世界は「物」でできているのではない>> 世界は> 感覚刺激+認識> で成立している。↑コレですよ、コレこれが、初期の「五蘊・十二処・十八界」の頃から、仏教的な世界観のキモこれを極限まで突き詰めたのが、唯識論と言ってよい2026/03/18 07:11:58193.神も仏も名無しさん3LdSS苦しみの分析が、弱くなるのは華厳、真言あたりかもしれんな、あと、念仏山伏神仏習合😃2026/03/18 07:12:54194.神も仏も名無しさん3LdSSロンと元スレ主の曹洞宗の分派もそうだろな😃2026/03/18 07:13:30195.◆JBLfMwCXhYjl5ET初期仏教からの仏教の根本思想は、「四諦」禅宗ではどうも、四諦に対してネガティブだな~😭2026/03/18 07:15:46196.神も仏も名無しさん3LdSS臨済宗の破壊趣味は苦しみとの闘争鍛えると真冬でもパンツ一丁でも平気らしい、自力が臨済宗チベット密教も、割合ゾーンにはいると寒さも平気、高山地域でマラソンスピードで山を動蹴るらしい😃2026/03/18 07:15:53197.◆JBLfMwCXhYjl5ET>>191> 本来は、龍樹でもそうだろう龍樹は、それまでの仏教思想と大きく異なる、思想革命みたいに見えるけど実際には、それまでの仏教とそこまで違いがない2026/03/18 07:16:56198.神も仏も名無しさん3LdSSAIで仏教の苦しみからの解放というテーマでは把握はてきんやろしなー俺よりアタマ悪いところ😃2026/03/18 07:18:08199.神も仏も名無しさん3LdSSAIでは俺の仏教に関する知能を超えるのはたぶん未来も無理😃2026/03/18 07:18:53200.◆JBLfMwCXhYjl5ET>>196> 鍛えると真冬でもパンツ一丁でも平気らしい、冬に露天風呂に入ったり、ジョギングしたりするたびに思うのだが人体は、じつは寒くても平気なようにできている血行を良くしさえすれば、冬でも暑いくらいだ2026/03/18 07:19:03201.◆JBLfMwCXhYjl5ET精神集中して血流を促進し自力で体温を上げることくらい高段の域に達した行者なら出来るだろう2026/03/18 07:20:31202.◆JBLfMwCXhYjl5ETAIは、仏教では人間を超えられないな2026/03/18 07:21:57203.◆JBLfMwCXhYjl5ETAIより、あの世の高僧から教わるべき😆2026/03/18 07:22:46204.神も仏も名無しさん3LdSS>>200破壊的パワーで体温無関係なんじゃないかな?仕事で疲労回復の反転術式使いまくるからなーしかし、イレギュラーがキツイ昨日は反転術式が追っつかなかった、脳の回転が焼き切れていた時間が30分あった😃チベット密教は農作業で試したことがある身体粒子化で疲労たまらない呼吸はハァーハァーしとるんやけど疲労がない、しんどさがないチベット密教の問題は瞬時のシャバでの判断力まで完備してない、頭脳労働の瞬時の疲労回復能力が高くない😃2026/03/18 07:23:18205.神も仏も名無しさん3LdSSなにせ破壊パワー鍛えれば御臨終の後、一瞬起き上がれるホラー芸がやれれらしいからな😃2026/03/18 07:26:17206.◆JBLfMwCXhYjl5ETそうか血流をコントロールして体温を上げるわけじゃないのか😅2026/03/18 07:46:53207.神も仏も名無しさん3LdSS寒さがあれば寒さになりきるみたいな語録があるな😃2026/03/18 07:52:48208.神も仏も名無しさん3LdSSムイムイは俺が現れるとチキンになりきれるよーだ😃2026/03/18 07:53:33209.◆JBLfMwCXhYjl5ET寒さになりきるのか2026/03/18 07:55:32210.◆JBLfMwCXhYjl5ETそういえば、ムイムイを見ないな?2026/03/18 07:55:56211.神も仏も名無しさん3LdSSナルシズムパワーご往生したんだろなハジがいた時は先生になれた気分で燃えていたんだろうけどな😃2026/03/18 07:57:55212.◆JBLfMwCXhY7GrqWせっかく、天敵の聖ウンコ師やロンと仲良くなったのにな?2026/03/18 14:00:22213.ハジlGigk心を止めたらさとりなのか2026/03/18 20:57:37214.◆JBLfMwCXhYzVR2k>>213いや、「止」の先に「観」がある「止観」でワンセット2026/03/19 06:15:12215.神も仏も名無しさんvy3J3観はパジコに無縁デンパパも、リダンもムイムイもハッスルも😫2026/03/19 07:12:22216.神も仏も名無しさんvy3J3ホーカイくんてすら観は穴だ😫2026/03/19 07:12:38217.神も仏も名無しさんvy3J3ロンは無縁というよりも軽視し過ぎ😫2026/03/19 07:13:34218.パーリー◆HpIafZZzjh.GCkDXkいやに江羅そーだな何が無理なんだよ⁉️2026/03/19 08:05:28219.パーリー◆HpIafZZzjh.GCkDXk止観の止は無分別三昧だろその前行が集中だろ観は無分別三昧が可能になってからそれ以前にするから根元詰めると精神のバランスを壊してしまう訳で10日とかのテーラワーダのリトリートやって逆に精神変調来すのはそれが原因だろうと心一境性の鏡に観ずるってことだね2026/03/19 08:12:42220.ハジbwjWy心を見つめると心が体であり世界であると悟るのか?2026/03/19 08:53:57221.神も仏も名無しさんdUqTp観崩壊したのが頑張っててるな、理屈で言えば倶舎論以前😀2026/03/19 10:29:25222.神も仏も名無しさんdUqTp>>220JBLにまず倶舎論を教えてもらえ😀2026/03/19 10:30:25223.神も仏も名無しさんdUqTp仏教ビギナーさんはJBLから倶舎論教えてもらえ😀2026/03/19 10:31:18224.神も仏も名無しさんdUqTpムイムイ寝言に騙されているよーでは仏教ビギナーだ😀2026/03/19 10:32:12225.ハジHoDm8くしゃろんとはなんだw2026/03/19 18:50:14226.神も仏も名無しさんLrKksハジコの認知機能の間違いの分析論😀2026/03/19 19:07:02227.ハジHoDm8分析してどうするw2026/03/19 19:09:29228.神も仏も名無しさんLrKks自分がわからんハジコは論外、仏教において😀2026/03/19 19:14:18229.ハジHoDm8自分がわかるのは最終奥義だろw2026/03/19 19:15:13230.神も仏も名無しさんLrKksは?😀2026/03/19 19:16:01231.ハジHoDm8ひ?2026/03/19 19:16:18232.◆JBLfMwCXhYAfqI9ふ?2026/03/19 19:59:15233.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAM9UsM屁?2026/03/19 20:17:59234.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAM9UsMほ~~~かい君2026/03/19 20:18:41235.パーリー◆HpIafZZzjh.GCkDXkはっはっはっはあ~‼️2026/03/19 23:11:25236.パーリー◆HpIafZZzjh.GCkDXkハジこは何言ってみても酒のつまみ程度にしかみていないだろ~無意味‼️2026/03/19 23:15:51237.神も仏も名無しさんNQYSSアンドーのほうがバジ、デンパパよりもレス読める😀2026/03/20 06:51:50238.ハジRt02nみんな暇つぶしやんw2026/03/20 17:28:00239.パーリー◆HpIafZZzjh.GI4Xt7ハジこと一緒にすんな‼️2026/03/20 17:45:31240.神も仏も名無しさんi5SiEデンパパ📶自惚れ過ぎ👽2026/03/20 18:41:34241.パーリー◆HpIafZZzjh.GI4Xt7おr2026/03/20 22:24:39242.パーリー◆HpIafZZzjh.GI4Xt7おれは真剣だよ~‼️2026/03/20 22:26:55243.ハジLUXF3クォーンとゆーておるらしいw2026/03/20 22:35:54244.パーリー◆HpIafZZzjh.G8zdju瞑想しない者にはなに言っても通じない‼️口先男は戯れ言しか口に出来んしな‼️2026/03/21 00:20:43245.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAaIQzA>>238ワシもじゃ2026/03/21 10:22:22246.ハジNf6i7解脱できたのか?2026/03/21 21:27:25247.パーリー◆HpIafZZzjh.GLXKWnラヒリ・マハサヤ大師の解説大師は、クチャリ・ムドラーとクンバカを併用する弟子に対し、こう助言されています。「まず光の輪(金色)が見え、次に深い闇のような青が見える。その中心に輝く『星(ビンドゥ)』を見つけたなら、迷わずそこへ飛び込みなさい。それが解脱への唯一の道だ」2026/03/22 03:31:53248.パーリー◆HpIafZZzjh.GLXKWn私は仏陀に出会った‼️by クリシュナムルティーhttps://www.facebook.com/share/r/16Pxx3JhZe/https://i.imgur.com/mxlK3AH.jpeg2026/03/22 03:32:07249.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn3QoL>>246そろそろ浄土に往生しそう2026/03/22 10:31:09250.◆JBLfMwCXhYQVEp0>>249往ったまま、還ってこないのか?2026/03/22 10:52:42251.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn3QoL>>250そもそも、浄土の定義がエロ和尚狂は独特なのである「この宇宙そのものが浄土である」2026/03/22 11:04:58252.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn3QoL>>249は、一般的な「浄土解釈」で語った書き込みなので、ワシの本意では無い。「エロ和尚狂」の「浄土解釈」で書いてみると、「すでにワシは浄土に居る」249 自分:エロ和尚◆ERO.Kk3nCA[sage] 投稿日:2026/03/22(日) 10:31:09.44 ID:n3QoL [1/2] 0>>246そろそろ浄土に往生しそう2026/03/22 11:08:55253.◆JBLfMwCXhYQVEp0この宇宙は穢土だ😫2026/03/22 11:13:47254.◆JBLfMwCXhYQVEp0「風の谷のナウシカ」の腐海みたいなものだ😫2026/03/22 11:15:11255.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn3QoL「この宇宙は穢土だ」と言う者もいて、「この宇宙は浄土だ」という者がいて、おそらく中立派もいるのじゃろうな?2026/03/22 11:17:20256.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn3QoL>>254「風の谷のナウシカ」を初めから終わりまで「通し」で見たことが無い・・・15秒くらいを断片で見たくらいしか2026/03/22 11:20:16257.◆JBLfMwCXhYQVEp0最近の精密なCGを見慣れた目には昭和のアニメなど見れたものではない2026/03/22 11:31:44258.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn3QoL「風の谷のナウシカ」の原作漫画のストーリーのほうが面白いhttps://ghibli-lab.com/nausicaa-fukai/2026/03/22 11:35:47259.◆JBLfMwCXhYQVEp0なんだ、原作マンガは知ってるのか2026/03/22 11:44:06260.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn3QoLhttps://ghibli-lab.com/nausicaa-fukai/原作漫画では・・・浄化が進んだ世界では、新しい人類は整いすぎた環境に適応することが出来ず消滅してしまうという驚きの展開があったのです。2026/03/22 11:44:08261.◆JBLfMwCXhYQVEp0水清ければ魚棲まずってことなのか😫2026/03/22 11:44:42262.◆JBLfMwCXhYQVEp0世の中が腐ってないと、人は生きられないのか😫2026/03/22 11:45:02263.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn3QoL>>259たった今、原作漫画のストーリーを知った2026/03/22 11:45:03264.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn3QoL>>262原作漫画では、毒がないと生きられないように改造された新しい人類は?とともに絶滅する運命にあるという設定が描かれており・・・となっているが、別に原作者に洗脳されなくてもイイのでは?2026/03/22 11:49:43265.◆JBLfMwCXhYQVEp0宮崎駿は、華厳ワールドの住人だ😫2026/03/22 11:52:18266.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn3QoL宇宙が最も縮んだ状態を「浄土」と呼ぶサイクリック宇宙論https://www.bttp.info/pickup/penrose-ccc/2026/03/22 12:04:09267.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn3QoLそれ以外の状態を「穢土」と呼ぶ2026/03/22 12:05:05268.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn3QoL「宇宙が最も縮んだ状態」を観測して、「無の状態だー」と言っても、そこには「最大限のエネルギー」内包されている2026/03/22 12:07:10269.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn3QoL「宇宙が最も縮んだ状態」を観測して、「無の状態だー」と言っても、そこには「最大限のエネルギー」が内包されている2026/03/22 12:07:48270.◆JBLfMwCXhYQVEp0そうだったのか~😆2026/03/22 12:09:03271.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn3QoL悪魔でワシの妄想デス2026/03/22 12:11:15272.◆JBLfMwCXhYQVEp0なんだ、妄想か2026/03/22 12:13:14273.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn3QoL>>272ワシの巨大海綿体内の仮想現実かも?https://talk.jp/boards/psy/17374968892026/03/22 12:15:08274.◆JBLfMwCXhYQVEp0仮想現実に目覚めてきたか?2026/03/22 12:20:32275.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn3QoL要は、巨大コンピュータか、巨大海綿体かの違いじゃな2026/03/22 12:23:17276.◆JBLfMwCXhYQVEp0「巨大コンピュータ」が正しい2026/03/22 12:28:34277.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn3QoL法介菩薩なら「巨大海綿体が正しい」とのたまうじゃろうな?2026/03/22 12:31:08278.◆JBLfMwCXhYQVEp0かもしれん😫2026/03/22 12:34:15279.ハジRMbUhクォーンとゆーておるらしいw2026/03/22 12:44:38280.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn3QoL>>279海綿体が充血する時に出る音?2026/03/22 12:48:57281.ハジCMgg9わからんパーリーの妄想だろうとおもうw2026/03/22 13:04:32282.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn3QoL>>281なるほど「久遠」と「永遠」の違いhttps://chigai-hikaku.com/?p=337712026/03/22 13:48:10283.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn3QoLトランプも、プーチンも、ハメネイ師も、ネタニヤフ首相も、いつかは「最も縮んだ宇宙で合一される」266 自分:エロ和尚◆ERO.Kk3nCA[sage] 投稿日:2026/03/22(日) 12:04:09.13 ID:n3QoL [10/19] 0宇宙が最も縮んだ状態を「浄土」と呼ぶサイクリック宇宙論https://www.bttp.info/pickup/penrose-ccc/267 自分:エロ和尚◆ERO.Kk3nCA[sage] 投稿日:2026/03/22(日) 12:05:05.35 ID:n3QoL [11/19] 0それ以外の状態を「穢土」と呼ぶ2026/03/22 14:10:40284.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn3QoLワシが7年目に浄土真宗の入門書を読んだ時に、こんな「イメージ図」が載っていた。阿弥陀如来は、逃げる者をも追いかけて救うhttps://d.kuku.lu/k4fx4hb7rサイクリック宇宙論という仮説は、まさにこれ2026/03/22 14:14:50285.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn3QoLしかし、「一部の霊魂が、他宇宙に移動する」と主張する人もいる悟りを開いた人達参加のこれから359 :本当にあった怖い名無し:2007/02/20(火) 16:16:42 ID:jQrgHQmy0悟りについてだが、宇宙はこのさきどうなるのかわかっているのだろうか。計算上の理論では、膨張が加速するか、膨張の加速がゆるやかになるか、収縮していくという事になっているが、実は、ある時期がきたら収縮に入る。「これから」さんが20代の人に説明するのと、50代では分けているということだが、それは正解。人間もピークに向かっている時は、下りになることは考えられないし、その状態が理解できない。厄年(男42歳)を境に開化する人は多いが、下りに入ったからである。登りでは見えなかった下りの先が見えてくる。そうすると、無限に繰り返される営みが見えてくる(感じられる・閃きのように頭に入ってくる)私らの意識が元は一つであったこと。欲により分裂したことや、また一つに戻ろうとする時期が来ること。この戻ろうとする時期に覚醒者が一気に増えるが、それは遙か先。 この宇宙が収縮に入る時だ。それまでは、この感覚を得るものはほんの一部であり、必要ない存在でもある。ただ、その時期が来たときの道しるべとなるべきなのだろうと思う。宇宙が収縮に入った時、私らの魂(意識体)は、はじめは絶望を感じるかもしれない。そこで意識体の移住が必要となり、他宇宙への大移動を行う。それの前に現在の太陽系も太陽が超新星になる前に意識体の太陽系以外への大移動があり、その次には他銀河への大移動がある。このようにステップを踏んで、隣宇宙への移動への足がかりとなる。2026/03/22 14:17:51286.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn3QoL>>285悟りを開いた人達参加のこれからhttps://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/news/3665/1689159360/972026/03/22 14:19:24287.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn3QoL>>2865ちゃんねるが閉鎖されているので、元スレが閲覧できないようじゃ2026/03/22 14:21:27288.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn3QoL>>285>>そこで意識体の移住が必要となり、他宇宙への大移動を行う。ワシは、意識体の移動は無い・・・・と信じたい2026/03/22 14:23:00289.◆JBLfMwCXhYQVEp0なるほど👍️2026/03/22 15:10:13290.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn3QoLなんや、ツッコミいれんかい!2026/03/22 15:16:42291.◆JBLfMwCXhYQVEp0ここ、ツッコむとこだった?😫2026/03/22 15:17:30292.◆JBLfMwCXhYQVEp0逃げる者すら、追いかけて救うとは2026/03/22 15:18:18293.◆JBLfMwCXhYQVEp0阿弥陀如来、ありがたや~😭https://i.imgur.com/tgY2Lfo.png2026/03/22 15:18:58294.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn3QoL「この書き込みと矛盾する」と突っ込んでほしかった431 自分:エロ和尚◆ERO.Kk3nCA[sage] 投稿日:2026/03/20(金) 12:23:08.14 ID:yZHnc [11/14] 0浄土真宗の正式な教義としては、「浄土への往来は往復切符」となっているが、ワシは「片道切符でも個人的には支障ない」と考えている。2026/03/22 15:25:01295.◆JBLfMwCXhYQVEp0>>294なるほどそういう話だったか2026/03/22 15:27:43296.◆JBLfMwCXhYQVEp0理解するまでに時間がかかりすぎた😫2026/03/22 15:28:06297.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn3QoL>>295宇宙が「浄土の状態」→「穢土の状態」→「浄土の状態」→・・・・と、無限循環しているだけで、個々人の霊魂が移動しているわけでは無いーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーというのが、ワシの「仮想現実」2026/03/22 15:32:01298.◆JBLfMwCXhYQVEp0なるほど霊魂が移動しているのではなく宇宙が循環しているのか2026/03/22 15:32:54299.◆JBLfMwCXhYQVEp0発想の転換が必要だ2026/03/22 15:33:07300.◆JBLfMwCXhYQVEp03002026/03/22 15:33:20301.◆JBLfMwCXhYQVEp0ますます、ナウシカの腐海みたいだな2026/03/22 15:33:45302.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn3QoLまあ、「他宇宙に逃げた霊魂が戻ってくる」という説を支持する人なら、往復切符で「霊魂が他宇宙から戻ってくる」という解釈も成り立つ。2026/03/22 15:35:00303.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn3QoL真偽は、誰もわからない南無阿弥陀仏~~~~~2026/03/22 15:36:16304.◆JBLfMwCXhYQVEp0あの世とは、他のパラレルワールドであるというのは、大いに考えられる2026/03/22 15:36:40305.パーリー◆HpIafZZzjh.GLXKWn>>279いつまでクォーン!なんだよw今はゴォーーーーーォーーーーーォーーーンだよ‼️2026/03/22 15:37:32306.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAn3QoL海綿体充血ワールド!2026/03/22 15:37:52307.パーリー◆HpIafZZzjh.GLXKWn>>281ハジに起こるのは三回生まれ変わっても足りないかもね2026/03/22 15:38:42308.パーリー◆HpIafZZzjh.GLXKWnエロ和尚ワールド‼️全開だね2026/03/22 15:40:53309.パーリー◆HpIafZZzjh.GLXKWnハジコが疑念という煩悩を払拭出来るのは何時になるやら⁉️最近の若者らは不要な衝突を避ける術を身に付けていて相手の言うことをー『へ~そうなんですね~』と言う、相手を全面的に肯定して、絶対に対立しない物言いを心得ていますね敵を増やさない賢い処世方法と言えるね2026/03/22 15:58:13310.パーリー◆HpIafZZzjh.GLXKWnハジも言ってみな?そうなんですね~ってひねくれて、斜め下から皮肉るような姑息な小物的な物言いじゃなくてーおおらかで、スカッっとして、サラリとしたような清浄な言い方で2026/03/22 16:02:45311.ハジRMbUh寺の鐘の音かぁ!?ごーん、ごーん、と、108回w2026/03/22 20:02:21312.◆JBLfMwCXhYoqL9Y>>311それは、「受」だな?2026/03/22 20:03:02313.ハジRMbUh脳裏で妄想しているから想かもしれんではないかw2026/03/22 20:06:41314.◆JBLfMwCXhYoqL9Y>>313確かにそういうのを「想」という2026/03/22 20:11:20315.ハジRMbUhしかし、その想も、識別されておるのだから、識と呼べるのかもしれんし、意味不明ではないかw2026/03/22 20:17:49316.◆JBLfMwCXhYoqL9Y「これは鐘の音だ」ともなんとも思わず単に音が聞こえている状態が「受」2026/03/22 20:19:11317.◆JBLfMwCXhYoqL9Y「これは鐘の音だ」と思い浮かべるのが、想2026/03/22 20:20:23318.ハジRMbUhパーリーのごーんは耳に聞こえているのか?たとえば、パーリーの真隣にいても、鐘の音はしていないから、物理的に音響はなってない可能性があるもしくは、微細な音すぎて、なっていても他者に気づかれないのであるかもしれんが、そーすると、なぜ、他者の耳には聞こえず、バーリーだけに聞こえるものを耳が聞いていると言えるのだろうという疑問が湧いていくる2026/03/22 20:22:00319.◆JBLfMwCXhYoqL9Y識は、それらをみんな含んでいるだから、識と言っても間違いではない2026/03/22 20:22:28320.ハジRMbUhゴーンというのは普通は色であり、受想行識とのべても問題がないものかもしれないが、このゴーンが、色として共通認識されるものでない時、それは、何処から湧いてきたのかw2026/03/22 20:27:49321.ハジRMbUhたとえば目の前にコーヒーがあるが、これを、色として感受しなくとも、JBLは想像することができるが、これは記憶から来ているので、色も受もなくとも想念を識別するだけで、それを実在するものであると確信することができるが、そーゆーところでパーリーのゴーンが妄想されている時、それを受と呼べるのだろうかw2026/03/22 20:30:51322.ハジRMbUh絶対音感のあるものには全ての音は音階に聞こえるとゆーしかし俺が聞いても、音階には聞こえないが、これは、受の働きは個人によって違うということであろうか、それとも、この聞こえた音は識別作用の働きであり、耳だけ、受だけではなく、その個人の識別能力に左右されるのであろうかそれでは、その音階は、俺にとっては妄想のようだが、その絶対音感の主には真理に思えるしかし、それはどちらが正しいのであろうか?w2026/03/22 20:34:12323.ハジRMbUh部屋はシーンとしている、パーリーはおもむろに座を組み、ヒンドゥーなのか、ヒマラヤなのか知らんが、なんらかの挙動をして、瞑想に没入したするど、ゴーンという音にパーリーは気がついたしかし、この真横にいたハジには全くその音はしていないパーリーは解脱したと叫びながら部屋を駆け回りだしたゴーンが光で光に飛び込むのだー!ハジにはそれを聞くことも思うこともできないのであったが、パーリーだけには識別されているw2026/03/22 20:54:46324.◆JBLfMwCXhYoiIdx「過去に聴いた鐘の音、ゴーンという響きが耳によみがえる」というようなのは、「想」に分類される2026/03/22 21:01:22325.ハジRMbUhしかしパーリーにとってはこれは、想念ではない、つまり、妄想ではなく、事実、実在する、神のゴーンなのであると主張するかもしれんw2026/03/22 21:05:11326.◆JBLfMwCXhYoiIdxこんな分析に、なんの意味があるのかというと例えば、「お茶を飲んだら、お茶の味がした」というとき本人は、これを「あるがままの無分別な観察」と思うかもしれないが実際には「受」の段階で、「美味しい」という快感か、「不味い」という不快感かその分別が始まっているその次の「想」の段階で、「これはお茶だ」、「牛乳ではない」という分別が始まるこれは止めようと思って止められるものではない分別は、それだけ根が深いということ2026/03/22 21:09:41327.◆JBLfMwCXhYoiIdx>>325本人にとって存在するのなら、それは存在する2026/03/22 21:10:58328.ハジRMbUhしかしテレビゲームに夢中になっている時、お茶を飲んでも、お茶の味がしないどころか、お茶を飲んだことすら意識していないということが簡単に起こるw2026/03/22 21:13:02329.◆JBLfMwCXhYoiIdx実際のところ究極の無分別智に到達すれば、理論的には霜降り牛肉を食べても「美味しい」と思わず、牛糞を食べても「不味い」と思わないはず現実には、そんなわけがない生きてる間は無理(笑)2026/03/22 21:14:46330.ハジRMbUhすると、神を信じるものには、神は実在であり、信じないものにとっては不在であるというわけだ2026/03/22 21:15:24331.◆JBLfMwCXhYoiIdx>>328う~んなかなか、哲学的な思考の素質がありますな~😆2026/03/22 21:16:00332.ハジRMbUh好きな女に夢中になっている時、霜降り牛肉の味もせず、夜のことばかり考えているということが、簡単におこるw2026/03/22 21:16:47333.◆JBLfMwCXhYoiIdx>>330西洋哲学の祖・デカルトによればすべての人には生まれつき、「神」という観念が備わっているそれこそが、「神が存在する」という、動かぬ証拠なのだ2026/03/22 21:23:02334.ハジRMbUhお茶を飲む時、お茶の味がするには、むしろ、識別作用を積極的に働かせねばならず、無分別であるならば、お茶を飲んでもお茶の味がしないはずだそーすると無分別知恵とは、雑念をこめないストレートな感受を指す言葉なのかもしれないが、しかし、茶の味がわからんくなることを指しているのではない可能性まである2026/03/22 21:25:31335.ハジRMbUhデカルトは生まれた時、神を知らなかったくせに、えらそうにw2026/03/22 21:27:03336.◆JBLfMwCXhYoiIdx>>334なるほど2026/03/22 21:27:21337.ハジRMbUh誰が聞いても嘘とわかる嘘をヘーキで言うのが哲学者だ2026/03/22 21:27:51338.◆JBLfMwCXhYoiIdx>>335いや、本人によれば、そうではない「私には生まれつき、神という観念がある。それが、神が存在するという証拠なのである」と主張していた2026/03/22 21:28:30339.ハジRMbUh生まれつき神の概念があるなら、無心になることはできないから仏教は破綻するなw2026/03/22 21:30:34340.ハジRMbUhデカルトは思い込みの激しいやつだったんじゃないかw2026/03/22 21:32:26341.◆JBLfMwCXhYoiIdx極端な話、ゲームや女に夢中になっているとき突然、牛糞を口の中に突っ込まれたら、どうなるか?「不味い。臭い」と思うはずだ2026/03/22 21:34:33342.ハジRMbUh空海によれば人は何も知らずに生まれ何も知らずに死んでゆくらしいが、その方が信憑性が高いw2026/03/22 21:34:38343.◆JBLfMwCXhYoiIdx>>340まあ、極端な人だったのは確かだが2026/03/22 21:34:57344.◆JBLfMwCXhYoiIdx>>342そうなのか2026/03/22 21:35:59345.ハジRMbUh牛糞を口の中に突っ込まれた時、外でカラスが、カァと鳴いても無分別であるw2026/03/22 21:36:21346.◆JBLfMwCXhYoiIdxジョン・ロックは、デカルトの見解に反対した「人は皆、白紙状態で生まれてくる」という、「白紙理論」を唱えた「すべては、生まれた後の経験で習得したものだ」というわけだこういうのを、「イギリス経験論」という2026/03/22 21:37:29347.ハジRMbUh死んで死んで死んで死んでその終わりに暗く生まれ生まれ生まれ生まれてその初めに暗しみたいな?2026/03/22 21:37:53348.ハジRMbUhジョン・ロックは心臓の動かし方を誰に教わったの?2026/03/22 21:39:14349.神も仏も名無しさんMAIZEま、ロンがニワカだったのでハジコの反発心はわからんでもない😀2026/03/22 21:40:08350.神も仏も名無しさんMAIZE俺はハジコには熱心にサービスしないムイムイとハッスル🤡様には熱心に、サービスするけどな?😀2026/03/22 21:41:08351.◆JBLfMwCXhYoiIdxこれが、生まれて初めて霜降り牛肉を食べたときの、野生のカラスの表情だあまりの美味しさに、強烈な衝撃を受けて硬直しているhttps://carasblog.net/img/img2022/foodhabit07.jpg2026/03/22 21:41:21352.ハジRMbUh狸狐白虎?ん?なんだっけ、、かえってこれを知るって?2026/03/22 21:47:32353.ハジRMbUhしかし、どう思う?お茶を飲んだらお茶の味がするというのは、とても、意識的な関与をしている状況であり、なんも分からん、意識茫漠としているものではない茶の味をはっきり識別している状況ではないのか?それが無分別智なのであるなら、なにもかも、分からなくなるのが、つまり、カラスが霜降り肉の味がわからなくなるのが無分別智だと言えるのだろうか?おかしくないだろうか2026/03/22 21:52:50354.◆JBLfMwCXhYoiIdx確かに、その通り「お茶を飲んだら、お茶の味がする」というのは、素朴実在論にすぎず、無分別智ではない2026/03/22 21:54:44355.◆JBLfMwCXhYoiIdxそれを無分別智と思うようでは、考えが浅すぎる2026/03/22 21:55:51356.◆JBLfMwCXhYoiIdxカラスでさえ、「受」がある「美味しい」と「不味い」を、明らかに区別している2026/03/22 21:57:37357.◆JBLfMwCXhYoiIdxカラス以下の知能になるのが、無分別智なのか?そんなはずはない2026/03/22 21:58:39358.ハジRMbUhほーそうするとお茶を飲んでもお茶の味がしないってことなのだろうか、、、よく分からん話だw2026/03/22 21:59:39359.ハジRMbUh太陽を見れば眩しいし、夜道は暗いと識別されるようなことと、犬は犬と見え、猫は猫と見えるようなことも識別作用だと思われるが、別に、それが心理的な苦悩に直結しているとは思われない2026/03/22 22:03:36360.◆JBLfMwCXhYoiIdxセイウン居士が好んで引用する文によると、そうだ「鐘の音がしても、ただ音がしてるだけと思う。それが鐘の音だとは思わない」というのを、「音が聞こえてるようじゃ、まだ甘い」と批判する内容だ(笑)2026/03/22 22:03:56361.◆JBLfMwCXhYoiIdx>>359仏教的に問題なのは「自分」と「他者」を区別することだ「自分」と「自分以外」っていうか2026/03/22 22:06:35362.◆JBLfMwCXhYoiIdx>>359例えば「これは、高価な貴金属の純金だ。それは、安物の金メッキだ」という識別これは、金への執着につながり、「金がなくなったら、どうしよう?」という苦悩を生む2026/03/22 22:09:44363.◆JBLfMwCXhYoiIdxペットのインコを見て、「かわいい。守りたい」と思うゴミ捨て場のカラスを見て、「憎たらしい。駆除したい」と思う電線に止まったスズメを見て、関心を持たずスルーこういう識別が苦悩を生むペットのインコが死んだときの悲しみ、カラスにゴミ捨て場を荒らされたときの怒りと憎しみそういうのが苦悩だ😫2026/03/22 22:11:48364.◆JBLfMwCXhYoiIdx> ペットのインコが死んだときの悲しみ、仏教的には、これが問題だこういう愛著が苦悩の原因だと、仏教では考える2026/03/22 22:13:45365.ハジRMbUh自己(心)と他者(世界)はひとつである分別されないというのは、たとえば、ロン先生ばりに表現するなら、外の環境だけになっている世界ということもできそうだお茶を飲んだらお茶の味だけがあり、こちら側に、それを価値評価する、わたしが消えているつまり、片側だけになったらひとつと言えなくもないだから、逆にパーリーのごとくすべては神の御業であり、その神とは、我が心の無意識のことであるみたいな、わたしの側に全面的に立った場合も、間が消えて、片方に全てが集まるので、ひとつと言えなくもないしかし、釈迦牟尼が無分別と言う時、何を言いたかったのだろうか?自己を忘れることなのか、それとも、自己がすべてになることなのか、どちらにしろ、お茶との垣根を超えるようなことを言いたかったに違いなく、これは、たとえば、あまつゆの音とひとつになっているなどと表されていることと同じであり、つまり、ボケ老人になることではないと思われるw2026/03/22 22:18:16366.◆JBLfMwCXhYoiIdx>>365それは、核心を突いた鋭い指摘です(なんだか、AIの応答みたいになってきたw)2026/03/22 22:20:54367.◆JBLfMwCXhYoiIdx>>365> 自己(心)と他者(世界)はひとつである分別されないというのは、たとえば、ロン先生ばりに表現するなら、外の環境だけになっている世界ということもできそうだ> お茶を飲んだらお茶の味だけがあり、こちら側に、それを価値評価する、わたしが消えている> つまり、片側だけになったらひとつと言えなくもないそれは、ロン先生というより禅宗ではそういう考え方をする傾向が強い「私が消えて、外界が残る」というのを、自他一体の境地と考える2026/03/22 22:22:27368.◆JBLfMwCXhYoiIdx>>365> だから、逆にパーリーのごとくすべては神の御業であり、その神とは、我が心の無意識のことであるみたいな、わたしの側に全面的に立った場合も、間が消えて、片方に全てが集まるので、ひとつと言えなくもないインドの伝統思想や、唯識論はそういう考え方外界が消えて、自分が残る「自分が残る」と言ったって、身体を含む「この自分」も偽我なんだが2026/03/22 22:24:05369.◆JBLfMwCXhYoiIdx>>365> しかし、釈迦牟尼が無分別と言う時、何を言いたかったのだろうか?それは、「外界が消える」の方だと見るのが自然初期仏教は、インド思想だからねえ2026/03/22 22:25:01370.◆JBLfMwCXhYoiIdx自分はともかく、「外界が残る」はあり得ないそれだと、本来の仏教ではなくなる2026/03/22 22:26:17371.神も仏も名無しさんZkrhdだが、それではサティを軽視している自己管理=サティだなら自己管理=サティがなけれはまデンパパ📶になってしまう😀2026/03/22 22:35:41372.神も仏も名無しさんZkrhdテーラワーダは止観ある以上何もないでは止のサママのにさみになるサティの観が重要になっているテーラワーダは上手く節目できるなー😀2026/03/22 22:36:54373.◆JBLfMwCXhYyPRcRやはり、テーラワーダか?2026/03/22 22:37:19374.ハジRMbUh難しいところだ、、、外界が消えるということは、お茶を飲む時、そのお茶は我が心(と言っても潜在意識の方かもしれないが)なのであり、あらゆる現象は、この、無意識に集約されねばならないということになるが、そうなると、そのような現象界と無意識界?という、これまた二分裂が起こるのであり、そもそも、そのような魂的なものを登場させることと、釈迦牟尼がアートマンを、つまり、常住不変の自己を否定したという、無我説とが矛盾しているように思われるからなのだw2026/03/22 22:38:10375.◆JBLfMwCXhYyPRcR哲学的にかなり深いテーマに入ってきましたね(ますます、A.I.っぽくなってきた)2026/03/22 22:40:52376.◆JBLfMwCXhYyPRcR>>374> そもそも、そのような魂的なものを登場させることと、釈迦牟尼がアートマンを、つまり、常住不変の自己を否定したという、無我説とが矛盾しているように思われるからなのだwここはやはり「釈迦牟尼がアートマンを否定した」というのが誤り無我説の誤解であると見るのが自然2026/03/22 22:45:06377.◆JBLfMwCXhYyPRcR「自分が無くて、外界が有る」というのはオンラインゲームに例えれば「プレイヤーがいなくて、ゲーム内ワールドだけがある」という状況あまりにも不自然2026/03/22 22:48:34378.ハジRMbUh禅宗でいう、悟りは、無位の真人とか、本来無一物とか、平常心是道とか、直指人心見性成仏とか、この、アートマン的なものを彷彿とさせる物言いがあると思われても、まあ、勘違いだとしても、そのような、仏心、魂、永久不変、常楽我浄的なものを想像させるものがあるが、初期仏教のころの、滅尽連呼していたり、識別作用の止滅連呼していたり、己のことをを滅んでしまったものと呼んだり、私にはなんの意見もありませんと豪語する強気な釈迦牟尼の、なんちゅーか、狂気さえ感じさせるノリとが、どーも噛み合わないので、おそらく、仏教と禅宗は、どこかで、ズレたのであり、禅宗はアートマン的なものを認めるのかもしれないw2026/03/22 22:53:12379.◆JBLfMwCXhYyPRcR「アートマンが無い」ってことはオンラインゲームでいえば「プレイヤーは1人もいない。自分も含めて全員がゲーム内のNPC」ってことになるんだよなそれは、あまりにも不自然無理のある解釈2026/03/22 22:55:16380.パーリー◆HpIafZZzjh.GTDKxHいやに多弁だなハジコはゴォーーーーンって勝手に鳴るわけではないぞオーム三唱をすると、一回声をだして唱える毎に、自分の顔と上半身の前の空間が余韻で残響してるんだよゴオォーーーーーォクーーーーーォーーーンみたくね‼️ 毎回そうなるAIによれば◯ ヨガの哲学において、プラーナ(気・生命エネルギー)の次元にある身体は【スークシュマ・シャーリラ】(微細身)と呼ばれます。これは肉体【ストゥーラ・シャーリラ】よりも内側にあり、エネルギーの通り道である【ナディ】や、エネルギーの中枢である【チャクラ】などが存在する階層を指します。パンチャ・コーシャ(人間五鞘説)の考え方では、より具体的に【プラーナマヤ・コーシャ】(生気鞘)とも表現されます。ーーーつまりな呼吸法や瞑想で、プラーナマヤ・コーシャが浄化されて、しかも肉体もプラーナのレベルまで浄化されると肉体とプラーナマヤ・コーシャが地続きになるから、肉体の音声がプラーナマヤ・コーシャにも振動として電波されるようだよ‼️2026/03/22 22:58:25381.◆JBLfMwCXhYyPRcR>>378坐禅して瞑想するというのは外界への関心を断ち、自分自身に意識を集中させる行為何年もずっと、そんなことばかりやってる人たちが「私は無い」というのは矛盾している(笑)2026/03/22 22:58:49382.パーリー◆HpIafZZzjh.GTDKxH無分別についてあれだけ講釈垂れたのに解らんのだね⁉️第一の無分別は顕在意識の言語レベルであって第二の無分別が潜在意識のイメージ=映像レベルでの無分別だとそれは、顕教と密教と言っても良いでしょう。2026/03/22 23:02:13383.ハジRMbUh逆にすべてが神の御業なら、そのような見方もありうるwプレイヤーが存在しないにしても、そのプレイヤーと外観やNPCを描いている画面、つまり、ゲームにとっての世界は存在しているのであり、この、光で構築された、画面? イコール世界は、その内容はカセットによって様々な形態をとるにせよ、永久不変であり、この光こそが神であり、この神は、わたしの存在基盤であると同時に世界の存在基盤であり、この画面の光や、ゲームを構築する神的システムは、不変のアートマンであり、それが、神ご自身と同じなのであるみたいなんが、ヒンドゥー的なやつのイメージ2026/03/22 23:04:31384.◆JBLfMwCXhYyPRcR>>383それは「ゲームには2種類ある」という、当方の持論(笑)2026/03/22 23:05:49385.パーリー◆HpIafZZzjh.GTDKxH坐禅でも瞑目でも見ている、観照者(意識)と見られている対象物(外界=名形と内界言語映像)との二元化があってその、対象が消えるのが、無心であり、極まると無我となるってだけですよ2026/03/22 23:06:29386.◆JBLfMwCXhYyPRcRこの世は、下記のどちらかである1、シムシティ型・・・人間は全員、NPCである。ただ1人のプレイヤーである神が、どこか別の世界から、この世界の変化を眺めて楽しんでいる2、ロールプレイング型・・・大勢のプレイヤーが、ゲーム内での役割を演じて冒険している2026/03/22 23:08:09387.パーリー◆HpIafZZzjh.GTDKxH究極には見る者と見られる物これは原因体=コーザル体レベルまでそうです‼️2026/03/22 23:08:44388.◆JBLfMwCXhYyPRcR>>385唯識でいえばまず、相分が消えて最後には、見分も消える2026/03/22 23:09:23389.パーリー◆HpIafZZzjh.GTDKxHそういうPCなどに例えると間違ってしまう‼️仮託すると見る者としての自己=観照者から離れて行く2026/03/22 23:11:04390.パーリー◆HpIafZZzjh.GTDKxH見る者が消えるのは原因体=阿頼耶識が消え、見る者も消えるということつまるところ一丁上がりです‼️コーザル体を超えるともう、プルシャ=アートマンでありBRAHMANですから涅槃でありサマディーですね2026/03/22 23:14:15391.ハジRMbUhしかし、そのことと、お茶を飲んだらお茶の味がすることとは、どのように相関するのだろうか2026/03/22 23:15:37392.パーリー◆HpIafZZzjh.GTDKxHコーザル体の無心イコール阿羅漢‼️つまり原因となる種子が全部消えてないわけだから煩悩無明からの解脱ですね2026/03/22 23:15:57393.パーリー◆HpIafZZzjh.GTDKxH>>391そこは悟りレベルのお話しであって現実世界と無心が出会う一如のこと2026/03/22 23:17:05394.ハジRMbUhあるいは、趙州が庭前の柏樹を指さしたエピソードと、それらの2種の世界や、阿頼耶識の滅した世界の関係性とは?w2026/03/22 23:17:31395.◆JBLfMwCXhYyPRcR>>391哲学マニアというのはそんなことからでも、ここまで話を膨らませられるものなのである2026/03/22 23:17:39396.◆JBLfMwCXhYyPRcR>>394> あるいは、趙州が庭前の柏樹を指さしたエピソードそういうことは、ロン禅師にきいてもらいたい(笑)2026/03/22 23:20:25397.ハジRMbUhお茶を飲んだらお茶の味がするというのは、むしろ、それらの思考の飛躍を否定して、単純な感覚の刺激だけを生きているような気がせんでもないがw2026/03/22 23:20:36398.◆JBLfMwCXhYyPRcR>>397禅宗としては、そういうことになる2026/03/22 23:21:55399.◆JBLfMwCXhYyPRcRなので、禅宗的には仏のスレ主やロンが正しくて聖ウンコ師が中途半端な哲学かぶれ😫2026/03/22 23:23:27400.ハジRMbUhそれでは涅槃もなく、悟りもなく、佛もなければ、知恵もなく、慈悲もなく、あるのは飛騨牛の旨みだけの世界ということになってしまわないだろうかw2026/03/22 23:25:02401.◆JBLfMwCXhYyPRcRでも、唯識論では「お茶の味がする」というのは一種の幻覚みたいなものだわかってて楽しむならいいが、わからないのは遍計所執性2026/03/22 23:27:27402.◆JBLfMwCXhYyPRcR>>400それはその通りで、結局のところ世間の一般人の素朴な日常感覚と何も変わらない禅宗には、それを積極的に良しとする発想がある本来の仏教とは異なる2026/03/22 23:29:07403.ハジRMbUhしかし、お茶を飲んだ時に、この味は幻覚のようなものだと想像しているようでは、お茶を飲んだ時にはお茶の味がする世界に直面しているとは言い難いではないかw2026/03/22 23:30:05404.◆JBLfMwCXhYyPRcRロールプレイングゲームを考えてみればいいゲーム内で美少女と戯れているときそれを本物の女性だと思い込んでいるようでは病気だ唯識的には、この世を真実の世界と思い込んでいるのは、一種の病気2026/03/22 23:31:47405.◆JBLfMwCXhYyPRcRお茶を飲んだとき「何か液体が口の中に入った。美味しくて快適だ」というのは、受「これはお茶だ。牛乳ではない」と名前をつけてイメージを確定するのは、想第1段階は感覚器官への刺激第2段階は言語による表象2026/03/22 23:34:49406.ハジRMbUhこれは、この世界を直接的に体感して生きるような、まあ、さっきのカラスのような生き方と、この世界を俯瞰して生きるような、人間的、理性的な、生き方との違いのようなもので、言うたらヒンドゥーや、パーリーのような系統は俯瞰し離れ去る方向性であり、禅的な生活は、とんでもなく動物的で、直観的な生き方とは言えないのだろうか?そんなイメージが湧くのだが2026/03/22 23:36:21407.◆JBLfMwCXhYyPRcR第1段階は感覚器官への刺激第2段階は言語による表象要するに、この2段階が重要2026/03/22 23:36:44408.◆JBLfMwCXhYyPRcR>>406そうかもしれない禅宗では、「直接知覚」を重視する2026/03/22 23:38:07409.パーリー◆HpIafZZzjh.GuB7bl>>407だからさ味わい見ている者は何なのか⁉️ここが抜けたら全てが明後日の方向に向いちゃう2026/03/22 23:41:41410.ハジRMbUhお茶を飲んだら、まず、お茶の味がするのであり、それを識別して、これはお茶だ、うまい、まずい、もっとほしい、捨ててしまえなどという心的反応が様々付随するしかし、お茶を飲んだらお茶の味がする世界というのは、付随する作用が起こる前の、言わば、直接知覚のことを言っているのではなかろうか?しかし、普通は、識別作用や、うまい、まずいや、それらへの心理的反応は自然に起こるのであり、言わば、意識しないと、この、お茶を飲んだらお茶の味がする世界には到達することは不可能であるつまり、この、お茶を飲んだらお茶の味がする世界というのは普段の状態ではなく、とんでもなく、不自然な状況であり、まさに、この、直接的知覚、動物のような感覚刺激を生きている状況こそが、さとりを開いている状況であり、禅的生活であると、そーゆー可能性はないのだろうか?知らんけどw2026/03/22 23:43:36411.パーリー◆HpIafZZzjh.GuB7blおまいらさ心が無心になって見性して、悟って、大悟した者とそれ以前の者がおちゃえお飲んだらお茶の味が痔ますってって言っても同じじゃないからね2026/03/22 23:44:31412.パーリー◆HpIafZZzjh.GuB7bl>>410そういったら両方同じになる分別心を離れずで飲むのと無分別心で飲むのとでは自ずと違ってくる何が違うのか⁉️お茶が変わる訳がないので変わるのは自己の捉え方、つまり見る者の捉え方が違っているとうこと柏樹でもそう無分別心で見たら猫も樹木も人間も同じですから2026/03/22 23:48:56413.パーリー◆HpIafZZzjh.GuB7blつまり全体的ってことそれは見る者見られる物も同じであって分別心は対象だけしか見えないが無分別心の者は、対象と自己の両方が見えている見えているという言い方はちょっとあれだが自を覚し、他を覚すみたいな二元であって一如であってみたいな2026/03/22 23:53:08414.ハジRMbUhまあ、つまるところ、俺の予想では無分別心とは、言わば、心の壁のなくなったことどあり、他は自であり、自は他であり、外のあまつゆの音は私であり、春が来れば山はすべて春でありのような、つまり、そのような言葉で説明されるところの、なんとゆーか、ひとつに浸透した心理状況とでも言えるようなものであるであるから、お茶を見てもお茶とわからなくなるとか、右と左の区別がつかなくなるとか、アホになることではなく、ただ、心の垣根がとれて、すべてを受容して生きる、心理状況を指すだけの言葉であり、さとりと言っても、パーリーが大騒ぎして、自慢するようなものではないとゆーことなのであるw2026/03/22 23:54:14415.パーリー◆HpIafZZzjh.GLRQ7Tともかく最初の無分別では言語が消えて無くなるんだよ言語の無心だから思考と雑念が日常で消え失せているだから栄蔵的な直感で思考するようになる映像から映像へ飛ぶようにな‼️2026/03/23 00:00:35416.パーリー◆HpIafZZzjh.GLRQ7T栄蔵じゃなく映像ね2026/03/23 00:01:10417.パーリー◆HpIafZZzjh.GLRQ7T素直じゃない奴は直ぐにあいつは自慢してるのってわめくただそうなんですね~って言ってれば良いんだよまあ底辺仕事で威張れないから鬱憤が溜まってるのかのう?2026/03/23 00:04:02418.ハジb2r8i自分の好きなものを、たとえば、今からなら、桜の花でも眺めながら、好きだなー、愛しいなー、楽しいなー、いいもんだなーと思いながら、桜の花の存在とひとつに存在する、心が通ずるところがあるなら、まるで、桜の命は、私の命であり、桜が咲いているのは、わたしの命が咲いているのかのように愛おしくなり、錯覚することもあるだろうwそれと同じようにして、うんこを見ることはできないであろうw桜の花は愛おしいのであるが散ってしまうのであり、雑草は嫌いなのに生えてきやがると道元も言っていたwしかし、これらの、わたしの評価、好き嫌いを超えたところで、春が来れば春であるし、夏が来れば夏であり、みたいな、絶対的な生命の輪のような、ひとつの、垣根のない世界の輪廻が、一体となって流れているのであり、あの人もこの人もあの花もあのうんこも、それらの飾りのようなものなのであるwすべては、ひとつの生命の大海であり、その中で、一輪の花は黙って咲き、黙って散って行く人間だけが欲にまみれて、己に固執し、苦しんでいるのであるが、運命の大海とゆーか、この世界の表現にすべてを任せきった時、つまり、永遠の生命に南無阿弥陀仏する時、わたしがすべてを諦めたからこそ、全存在的な救いがそこに現れてくるのであるw2026/03/23 00:13:05419.パーリー◆HpIafZZzjh.GLRQ7T別な言い方をしてやるよ未悟者は左脳の言語野を停止されないが大悟者は自在に停止と開始を出来るだが両者共に右脳では全体の映像から全五感を感じているがしかし左脳言語野が活動していると右脳の感受性と言うか、観照者の感受される情報量が半減されてしまう停止されていると、右脳は100%の情報を受け取れるようになる感受性は爆発的に歓喜する‼️奇跡の脳って本にもあるでしょ何とかテイラー博士の2026/03/23 00:24:34420.ハジb2r8i中学か高校のころに右脳の冒険って言う本を読んだ気がしたあと船井かずおだっけ?そんな感じの名前のやつの右脳の話の本も読んだ気かもする成績が伸びた、笑2026/03/23 00:34:28421.ハジb2r8iパーリーはもうおじいちゃんだから、そのうち老いて、病となり、死を近くに感じるようになるかもしれない釈迦牟尼仏は生老病死の苦しみから解脱したと聞くが、実際には腹痛で死んだそれにもかかわらず、釈迦牟尼仏は、涅槃に往生して、永遠の平安に入られたとゆーつまり、生老病死を乗り越えるというのは、もちろん、物理的に乗り越えることではないことは明らかであるそれでは、なぜ、釈迦牟尼仏は、生死の垣根を超えたとゆーのだろうか?実際には肉体は滅したのであるのに、どうやって、激流を生存中に渡ったというのだろうか?お茶を飲んだら茶の味がしたからなのかwこの世を空と見て囚われてはならないと、弟子に説くのは、ただ、心理的なところでの死からの解放があっただけなのではないだろうかそれならパーリーのように神の光に縋るのでも、まあ、似たようなもんではないか、とも思えるが、何が違うのだろうwとにかくしかし、本心から信じられるものがあるなら、宗教的な救いはやってくるのかもしれない信じるものは救われると昔からゆーからなww2026/03/23 00:43:52422.パーリー◆HpIafZZzjh.GLRQ7T良いかいいいと歳こいた今現在に大悟出来ていないならこの先自説にすがり付いてもダメだと思うぞ出来る奴は20才そこそこで大悟するから大した努力も出来ないなら自分も考えは捨てて正しいブッダ如来に出会って師事することを勧める‼️2026/03/23 00:49:30423.神も仏も名無しさんkLSd3デンパパ📶引き寄せデンパパしてるな?📡📡📡📡📡📡2026/03/23 05:48:45424.神も仏も名無しさんkLSd3引き寄せ📡正しいブッダなのぢゃっ‼️👽2026/03/23 05:50:04425.パーリー◆HpIafZZzjh.GbiHo8はあぁ~?頭大丈夫か~⁉️でろおーくん2026/03/23 07:30:22426.登り棒◆0mnwMe9WsA5vnIs無分別智を考えるのにどうして二元論で物事を捉えようとするんだ?分別するでもしないでもない。お茶を飲んだらお茶の味がしないという事でもないしお茶の味がするわけでもない。有じゃないなら無、みたいな発想がすでに分別に囚われてるんだろうに。2026/03/23 11:03:17427.ハジcqddpだからアホになることではなくて、対象と一体になった瞑想の境地を言うてるだけやでw2026/03/23 12:54:31428.◆JBLfMwCXhYNTR8F「アフォになること」と「対象と一体になること」この2つは、じつはたいして変わらんのかも(笑)2026/03/23 12:55:53429.ハジcqddpだってカラスでも識別してんやんw2026/03/23 13:00:54430.ハジcqddpそもそもアホ論調で行くなら、お茶、と、わかる時点で失格でしょw2026/03/23 13:02:02431.ハジcqddpアホならお茶も飲めてはならんはずだしw2026/03/23 13:02:49432.◆JBLfMwCXhYNTR8Fカラスは明らかにタマゴの黄身と白身を識別しているめちゃ空腹なときは、白身まで食べるがそうでもないときは、黄身だけ食べて、白身を残す2026/03/23 13:22:14433.◆JBLfMwCXhYNTR8F肉でもそうだカラスは赤身より、脂身を好む霜降り牛肉こそ、最高の大好物2026/03/23 13:22:56434.◆JBLfMwCXhYNTR8Fカラスも、「受」のレベルの知覚は確実に行っている2026/03/23 13:44:08435.◆JBLfMwCXhYNTR8Fおそらく、「想」もかなりのレベルでやっているのではカラスになってみないと分からんが2026/03/23 13:44:37436.◆JBLfMwCXhYNTR8F言語を持たないので、「識」は不可能2026/03/23 13:45:02437.神も仏も名無しさんgPw1D考えるは考えるだが「考え」の中にはそれはないという肉体、物質としての「実在」の「身体」も、「考え」としての「ある」とそれによる執着で成り立ってるってのが「空」で示されるものだろう2026/03/23 13:47:49438.ハジb2r8iまあ100歩譲ってアホになることが究極だとしてみようたもえば、ある禅僧は、俄かに忘我して満員の観衆もなく、自己もなく、まったく前後を忘ず、明星一見の大事、絶学無為の真相を確証したなどと、書いている人もいる対象もなく自己もなく、過去も未来もなく、空を悟ったのだーみたいな響きがこれなのかもしれんしかし、その、対象を対象と見ることや、自己を自己として見ることの消えた、底抜けと言うのも聞いたことがあるが、そのようなものが、無分別であるとても、お茶を飲んだらお茶の味がするで表されたところは、お茶と自己の境が消えているのだから、俄に忘我して、お茶もなく、自己もなく、まったく前後を忘ずと表されるのかもしれん2026/03/23 14:09:57439.ハジb2r8iもしくは、お茶を飲んだらお茶の味がするとか、庭前の柏の樹は、方法であるとゆー可能性もなかろうか?2026/03/23 14:12:43440.ハジb2r8iつまり、忘我に至る過程として、お茶を飲んだらお茶の味がするところを生きろと、つまり、感覚に集中することが、瞑想となり、その、境が消えるゴールに行くのだから、その道を示したとか、そーゆー可能性もあるw2026/03/23 14:15:41441.ハジb2r8i盤珪さんが、カラスがかぁと鳴いたら、聞こうとせんでも、聞こえてくるであろうというたと、聴衆が、坊さんに言うたら、その偉い坊さんが、カラスの声がカァと聞こえるのは、それは、ただの受ではないか盤珪さんほどの人が、そのようなことを言うはずがない、お前が聞き違えたのではないかと言ったとゆーエピソードを、読んだか、聞いたか、したことがあるが、この辺りとも、関係しているであろうw2026/03/23 14:21:13442.ハジb2r8iカラスがカァと鳴いたらカァと聞こえるお茶を飲んだらお茶の味がするこれらは、同じことを言っているのではないだろうかしかし、これを受のことではないとするなら、この説明で何を表現したかったのだろうか?つまり、これは、アホになることを示しているのかそれとも、その対象と自己の境が消えて、カラスがカァと鳴いたのか、自分の耳がそれを聞いたのか、そんな、分け目のない、事象と自己の堺の消えた、未分化の状況を説明した言葉なのか?その、未分化は、また、カラスもなく、自己もなく、カァもなく、前後裁断された、一如の空のさとりなのかもしれんするとそれは、アホになるというより、自他の浸透というか、ようは、瞑想の深まって、同時の世界にいるようなものではないかと想像されるわけだ2026/03/23 14:30:52443.パーリー◆HpIafZZzjh.GLjClZ>>436YouTubeにヨウム🦜がアレクサを駆使してテレビつけたりエアコンつけて温度調節までしてるの有ったねw犬にお手させたり、猫をチュールあげるって言って釣ったりw完全に識別してるよね家に毎日エサをおねだりに来るカラスは、声色使っているしw2026/03/23 14:34:31444.パーリー◆HpIafZZzjh.GLjClZ>>437まーた難しいこと言うね。2026/03/23 14:36:14445.登り棒◆0mnwMe9WsA5vnIsまぁアフォに経典を書く事は出来ないだろうーな2026/03/23 14:40:09446.ハジb2r8iつまり、昨日の繰り返しになるが、あまつゆの音が私であるとか、春が来れば山はすべて春であるとか、ロン先生流にゆーなら、外境だけになっているのだ、とか、その、なんちゅーんか、それだけの世界、あるがままの世界のことを指しているのであり、そこでは、別に識別作用があるなら、それが、あるであろう、とゆーても問題がなくなるかもしれんではないかそれなら、これは釈迦牟尼仏のゆーた思うなら思いがあるであろう見るなら見たものがあるであろう聞くなら聞こえたものがあるであろう嗅ぐなら嗅いだものがあるであろう味わうなら味わうものがあるであろう触れたなら感じるものがあるであろうしかし、そこに、わたしはいないなぜなら、わたしは、いないのだからの、話とも通ずるところがあるかもしれないどちらにしても、それだけになっており、分け隔てが消えているからなのだつまり、無分別とは、アホになるというより、自他の分離をしているもの、つまり、自己意識が消えた状況を指しているのであり、左右が分からなくなることや、暑い寒いも判断できなくなることや、気絶することとは違うのではなかろうか?2026/03/23 14:41:51447.パーリー◆HpIafZZzjh.GLjClZお茶を飲んだらお茶を飲んだだけ!味がしたら味がしただけ!そこに比較の分別心という言語化し、思考し、表現する事が一切無いということでしょそれとそう言うのは悟ってからその状態になるんであって、未悟の者が真似る事ではないです‼️2026/03/23 14:47:22448.パーリー◆HpIafZZzjh.GKbmgx二元の究極が見る対象が無い状態での、見る者この状態を表現すると真っ白なスクリーンを見ている意識であるこの段階の【白いスクリーン】は原因体=コーザル体ですここは、行為の原因となる種子が全て焼き付くされて、種子の無い状態だと大師方は言いますつまり、阿羅漢の段階2026/03/23 14:55:42449.ハジb2r8iまあしかし、カラスでも、霜降り肉の味がわかるんだからなーw2026/03/23 14:56:12450.パーリー◆HpIafZZzjh.GKbmgx>>446だからあきら100%じゃないが無心で感受していることは思考の省かれた見る者と対象の100%の出会いだってーことそうすると感覚は最大値にブーストされ一つ一つの経験が至福に変わる訳だ‼️2026/03/23 15:01:05451.パーリー◆HpIafZZzjh.GKbmgx>>449霜降りだー‼️って食らいついてウマウマしても彼らは映像と味で分別しているでしょ言語思考で分別してる訳じゃない2026/03/23 15:03:15452.パーリー◆HpIafZZzjh.GKbmgx第一の言語は、左脳の記号第二の言語は、右脳の映像2026/03/23 15:04:27453.神も仏も名無しさん9wqKSデンパパ📡学院盛り上がってるな?👽👽👽👽2026/03/23 15:05:37454.パーリー◆HpIafZZzjh.GKbmgx右脳の五感だな行動記憶は五感フルで記憶されていて職人は考えなくても作業を進められます車の運転なども同じですね2026/03/23 15:06:37455.ハジb2r8iやはりアホになることではないのではなかろうかw2026/03/23 15:06:50456.パーリー◆HpIafZZzjh.GKbmgx第一の言語の無分別は無思考と無雑念第二の言語の無分別は心の深層での無映像2026/03/23 15:08:49457.パーリー◆HpIafZZzjh.GKbmgx>>455アホに覚醒は無い‼️だろ2026/03/23 15:09:29458.パーリー◆HpIafZZzjh.GbiHo8インドでは産まれながらのアフォを【マスト】と言って皆でそのアフォの面倒見をしてたと言うね何故かと言うと悟ったら、一見アフォ~のように見えるからだとか誰が分かる❗彼は聖者かもしれないじゃないかだったら、取りあえず崇めておこう‼️てーのがアフォに供養する理由らしいマストは帆柱で目印を指す言葉、グルと同義語のマスターはこのマストから来ているみたいですね‼️2026/03/23 15:28:38459.パーリー◆HpIafZZzjh.GbiHo8老子は無口で知られていたある朝、弟子が散歩の同伴を願い出た老子は一旦は断ったが弟子は、絶対に無駄口は言いません❗と約束して、ようやくお許しが出て御伴することとなった、のだが山の開けた処に差し掛かると、ちょうど朝日が昇ってきた弟子は美しさに感動してつい、あ~‼️っと小さく感嘆の声を漏らしてしまったっと、その時老子が言ったこのお喋りめ‼️もう二度と連れてはこんぞ‼️、と老子にとってはたったの一語の『あっ!』これすら不要であると、何で黙って観照出来ないのか?人間は我慢できない!たった3秒の沈黙すらwというお話しがあるらしいね2026/03/23 15:42:53460.神も仏も名無しさん9wqKSデンパパ📡はアホ覚醒しているのぢゃっ‼️👽👽👽2026/03/23 17:25:06461.パーリー◆HpIafZZzjh.Gh5cuUはぁ~😞💨やれやれ┐(-。-;)┌2026/03/23 19:22:33462.安堂5cOLmワシが法ぢゃ!たわけー!2026/03/23 23:13:49463.安堂5cOLm法力ぢゃ!わからんのか!2026/03/23 23:14:58464.◆JBLfMwCXhYJZJoJ法力に目覚めたか?2026/03/24 06:02:12465.◆JBLfMwCXhYHOs60密教僧アンドー2026/03/24 09:17:16466.パーリー◆HpIafZZzjh.GQTN63■ 質問西洋哲学においても、映像や絵(図像)を「言語」のようなシステムとして捉える研究は非常に盛んです。特に20世紀以降、以下の3つの切り口で深く探求されています。1. 記号論(セミオティックス)ロラン・バルトなどは、写真や広告などの映像を一つの「テクスト」として読み解きました。外延(デノテーション):写っているものそのもの。共延(コノテーション):そのイメージが引き起こす文化的・神話的な意味。映像も言葉と同じく、特定の規則(コード)に従って意味を伝達する記号体系であると定義されています。2026/03/24 17:08:15467.パーリー◆HpIafZZzjh.GQTN632. アイコノロジー(図像解釈学)エルヴィン・パノフスキーらは、絵画を単なる視覚情報ではなく、当時の哲学や宗教、政治的文脈が凝縮された「視覚的な言語」として扱いました。絵の中の配置やモチーフを「文法」のように解読し、その背後にある思想を探る手法です。3. 「ピクトリアル・ターン」(図像への転回)W.J.T.ミッチェルは、現代社会において言語(文字)よりも映像が支配的になった現象を指摘しました。彼は、映像を単なる言葉の代用品ではなく、「独自の思考形式を持つ言語」として捉え直すべきだと主張しています。また、分析哲学のネルソン・グッドマンは『芸術の言語』の中で、絵画と言葉の記号としての性質の違い(絵は密度が高く、言葉は不連続であることなど)を論理的に分析しています。西洋哲学では、「言葉にできないものを映すのが絵だ」というロマン主義的な見方がある一方で、「絵もまた高度にシステム化された言語である」という構造的な探求が共存しています。2026/03/24 17:09:45468.パーリー◆HpIafZZzjh.G2pXL7■ 質問精神の内面における映像言語について解説をお願いいたします。AI精神の内面における映像言語(心的イメージ)は、西洋哲学や精神分析において、文字通りの言語(自然言語)とは異なる独自の論理や構造を持つものとして探究されてきました。主に以下の3つの視点から、その「言語的側面」を解読することができます。2026/03/24 17:27:06469.パーリー◆HpIafZZzjh.G2pXL71. 夢の論理:無意識の「象形文字」ジークムント・フロイトは、夢を「思考が映像に翻訳されたもの」と捉え、それを一種の「象形文字」のような言語として分析しました。圧縮:複数の概念が一つの映像にまとめられる(例:知人Aの顔をした知らない人)。移動:重要な意味が、一見無意味な些細な映像へと置き換わる。このように、内面の映像は文法的ルールではなく、連想と象徴によって意味を構成する言語であると考えられています。2. ベルクソン:記憶と「イマージュ」アンリ・ベルクソンは、著書『物質と記憶』において、私たちの精神を絶え間なく流れる「イマージュ(映像・形象)」の集積として捉えました。純粋記憶:過去の経験がすべて映像として保存されている状態。想起:身体が行動するために、膨大な記憶の中から必要な「映像」を選択し、現在の知覚に重ね合わせること。彼にとって内面の映像は、情報の伝達手段というよりは、「過去と現在をつなぎ、行動を方向づける生きたプロセス」そのものです。2026/03/24 17:27:58470.パーリー◆HpIafZZzjh.G2pXL73. ラカン:想像界と鏡像段階ジャック・ラカンは、人間の精神構造を「想像界・象徴界・現実界」に分けました。想像界:言葉(象徴)を覚える前の、自己と他者の区別が曖昧なイメージ主体の世界です。鏡像段階:鏡に映った自分の姿(映像)を見て「これが自分だ」と同一化するプロセス。内面の映像言語は、私たちが「自分は何者か」という自己像(アイデンティティ)を形成するための、最も根源的な基盤として機能しています。4. 現代の認知科学と「思考の言語」現代の心の哲学や認知科学では、人間が思考する際に「言葉」を使っているのか、それとも「映像(心的イメージ)」を使っているのかという論争(イメージ論争)があります。心的回転(メンタル・ローテーション):頭の中で図形を回転させて考えるとき、私たちは実際に「映像」を操作しており、それは命題的な記述(言葉による説明)とは異なる処理体系であるとされています。内面の映像言語は、論理的な言葉ではこぼれ落ちてしまう「多義性」や「感情の密度」を保持したまま、私たちの思考や欲望を形作っています。2026/03/24 17:29:28471.神も仏も名無しさんQJKyoデンパパ📡光線放射っ‼️👽👽👽👽2026/03/24 19:14:54472.パーリー◆HpIafZZzjh.GVbogk■ 質問心内部の記号言語が消えて無くなった意識と、映像言語が消えた時の意識の状態について考察願います。■ AI「言葉(記号)」を失った意識と、「映像(イマージュ)」を失った意識。これらは私たちが「世界をどうパッケージ化しているか」という根源的な機能を停止させた状態と言えます。それぞれの極限状態を、哲学や心理学的知見から考察します。1. 記号と言語が消えた意識: 「純粋知覚」とカオスの世界言葉という「タグ(ラベル)」が消えると、世界から意味の境界線がなくなります。分節化の消失:例えば「コップ」という言葉がないとき、それは「水を入れる道具」ではなく、光を反射する奇妙な固形物、あるいは背景と地続きの「何か」になります。「今、ここ」への埋没:言語は過去や未来を記述する道具です。それが消えると、意識は時間の連続性を失い、強烈な**「現在」の感覚**だけが押し寄せます。アンリ・ベルクソンの「純粋知覚」:記憶や解釈が介入する前の、身体が直接世界に触れている状態。これは神秘体験に近い恍惚、あるいは情報の濁流に飲み込まれるパニック状態に近いかもしれません。2. 映像(心的イメージ)が消えた意識: 「アファンタジア」と抽象的思考頭の中に絵が浮かばない状態は、現代では**「アファンタジア(Aphantasia)」**と呼ばれ、研究が進んでいます。空間の記述化:映像がない意識は、空間を「配置のデータ」として処理します。リンゴを思い出すとき、赤い色の映像ではなく「丸い、赤い、甘い、果物」という概念のリストとして保持します。情動の希薄化:映像は感情を呼び起こす強いトリガーです。内面の映像が消えると、過去の記憶は「客観的な事実の記録」になり、フラッシュバックのような生々しい感情的再現が起こりにくくなります。ウィトゲンシュタイン的論理:「語りうるもの」だけで構成された世界。具体的で感覚的な質感(クオリア)が削ぎ落とされ、非常に抽象的・論理的な構造体としての意識になります。2026/03/24 20:11:32473.パーリー◆HpIafZZzjh.GVbogk3. 両方が消えた時: 「純粋意識」または「植物的状態」もし記号も映像も消えたなら、そこには**「志向性(何かに向かう心)」**が消失した空虚な意識だけが残ります。主客未分:「私」という概念(記号)も「私の姿(映像)」もないため、自分と世界の境界が完全に消失します。禅や瞑想の極致:思考の道具をすべて手放した「空(くう)」の状態です。ここでは「考える」ことは不可能ですが、「ただ存在しているという気づき」だけが残るとされています。言語を失うと**「世界が解け」、映像を失うと「世界が乾く」**と言えるかもしれません。2026/03/24 20:12:09474.パーリー◆HpIafZZzjh.GVbogk■ 質問次に、脳梗塞などで、左脳の言語野を中心に機能停止されて、右脳だけが機能した場合、具体的には脳科学者のテイラー博士の事例などを織り交ぜて解説をお願いいたします。■ AI脳科学者ジル・ボルト・テイラー博士が自身の脳出血体験を綴った『奇跡の脳』は、左脳の言語機能が停止し、右脳が優位になった意識状態を解明する貴重な記録です。左脳(論理・言語・境界)が沈黙し、右脳(直感・全体性・融合)だけが駆動したとき、意識には以下のような劇的な変化が起こります。1. 「個」の境界線の消失(ニルヴァーナ)左脳の「自己方向付け中枢」が機能を失うと、自分と外部の境界線を定義できなくなります。テイラー博士は、自分の指と机の境界が分からなくなり、「巨大なエネルギーの塊」として世界と一体化する感覚を抱きました。これは記号と言語による「区別(分節化)」が消えた結果、訪れる圧倒的な幸福感(ニルヴァーナ)です。2026/03/24 20:25:52475.パーリー◆HpIafZZzjh.GVbogk2. 「現在」という瞬間の永遠化左脳は過去と未来を線形につなぎ、時間を管理します。その機能が止まると、意識は「永遠の今」に閉じ込められます。博士は、刻一刻と変化する光や音の「映像と言像(イメージ)」の濁流の中に、ただ存在している感覚になったと述べています。3. 言語による「ナレーション」の停止私たちの脳内では、常に左脳が「あれは危ない」「これは~だ」と実況中継(チャター/おしゃべり)をしています。これが停止すると、物事を概念で把握できなくなります。事例:博士は助けを呼ぼうと電話帳を見ましたが、数字が「記号」として認識できず、ただの「波打つ線や色の重なり(映像)」にしか見えませんでした。2026/03/24 20:27:04476.パーリー◆HpIafZZzjh.GVbogk4. 映像言語と感覚への純化言葉による思考が消えた代わりに、意識は100%の感覚入力で満たされます。物理的な音は「エネルギーの振動」として直接体に響き、視覚情報は「色のパッチワーク」として認識されます。「リンゴ」という単語は消えますが、その赤さ、重み、冷たさというイメージの密度が極限まで高まった状態です。考察:右脳だけの世界テイラー博士の事例から言えるのは、左脳の言語を失った意識は「不全」になるのではなく、むしろ「宇宙的な広がり」を取り戻すということです。記号と言語は、私たちが社会で生きるための「フィルター(制限)」であり、それが外れることで、映像と感覚による「非分離の世界」が露わになります。博士がこの体験を「ギフト」と呼んだのは、私たちが努力せずとも、脳のスイッチ一つで「安らぎに満ちた映像的・直感的知覚」に戻れることを証明したからです。このような「右脳的な意識状態」を、現代人が日常生活に取り入れるための具体的な方法(マインドフルネス等)についても深掘りしますか?2026/03/24 20:29:34477.◆JBLfMwCXhYKqlbLいきなり、思い切り西洋哲学に入ったな?😵2026/03/24 20:34:31478.パーリー◆HpIafZZzjh.GVbogk多角的に行かんとね2026/03/24 21:02:15479.◆JBLfMwCXhYKqlbL多角的ですな2026/03/24 21:07:38480.パーリー◆HpIafZZzjh.GVbogk仏教、ヨガ、西洋哲学、脳科学、まあおれはコンピューター関連に例えるのは好きじゃないから、省くけどね2026/03/24 21:14:20481.安堂RCa8z法術の力を示せないなら修行は無駄だ(⌒‐⌒)2026/03/24 21:18:26482.◆JBLfMwCXhYKqlbL>>481法力重視だな?2026/03/24 21:30:06483.神も仏も名無しさんNF6mwハッスル弐号機を目指しているのか?デンパパ📡👽2026/03/24 21:56:00484.安堂RCa8z発心寺派は全員詐欺師だ!退避せよ!2026/03/24 22:17:36485.◆JBLfMwCXhYJZJoJ天台の一乗は、方便ではない結論から言うと、**天台宗の一乗は「究極的には方便ではない」**とされます。ただし、その意味は少し精密に理解する必要があります。2026/03/24 23:06:56486.◆JBLfMwCXhYJZJoJ■ ポイント:一乗と方便の関係法華経において中心となる考えは:三乗(声聞・縁覚・菩薩)は 方便(仮の教え)一乗(仏乗)こそが 真実(実)つまり、一乗=方便ではなく「真実そのもの」というのが基本立場です。2026/03/24 23:07:14487.◆JBLfMwCXhYJZJoJ■ ただし重要な逆転(天台の深さ)ここで智顗(天台大師)は、さらに一歩踏み込みます。天台ではこう考えます:方便(仮)と真実(実)は対立しない方便そのものが真実を表す働きでもあるこれを有名な言葉でいうと:開三顕一(さんをひらいて一をあらわす)2026/03/24 23:07:32488.◆JBLfMwCXhYJZJoJ■ さらに核心(円教の立場)天台の最高教義(円教)では:三乗も実は最初から一乗だった方便ですら「方便にとどまらない」つまり:方便=仮でありながら同時に真でもある2026/03/24 23:07:44489.◆JBLfMwCXhYJZJoJ■ まとめ一乗は単なる方便ではない → 究極の真実しかし天台では→ 方便と真実を分けない(円融)■ 一言でいうと一乗は方便ではない。だが、方便さえも一乗の働きである。もし興味あれば、「一念三千」や「事事無礙」との関係までいくと、かなり華厳との比較も面白くなります。2026/03/24 23:07:59490.◆JBLfMwCXhYJZJoJ法華経は究極にして最高の教えウンコ達が大好きな「方便」ではない2026/03/24 23:08:41491.神も仏も名無しさんNF6mw円融なのに、日蓮は末法の名を借りて他を排斥したのか?問題がある😀2026/03/24 23:09:31492.神も仏も名無しさんNF6mwハッスルは唯識を混ぜくちゃにして変な解釈をする唯識の用語を使うなら唯識に忠実にレスしなきゃならんのにあれはイミフ😀2026/03/24 23:10:50493.神も仏も名無しさんNF6mwイグナチオロヨラが霊的識別と語る内容がエチオピア聖書にあるようだイグナチオロヨラの岩波文庫の翻訳を出したのが門脇佳吉神父だ😀2026/03/24 23:18:12494.◆JBLfMwCXhYJZJoJへえ、そうなのか😆2026/03/24 23:19:11495.◆JBLfMwCXhYLhWWp■ 三乗とは何か三乗は、それぞれ「目指す到達点」が違います。声聞乗 → 阿羅漢(自己解脱)縁覚乗(辟支仏) → 独覚(自力で悟るが他者教化は弱い)菩薩乗 → 仏になることを目指す(利他を含む)つまり三乗は「三つの別々のゴール」を想定している構造です。2026/03/25 06:41:20496.◆JBLfMwCXhYLhWWp■ 一乗とは何かここでいう一乗(特に天台・法華系)は、👉 最終的にはすべて仏になる一つの道しかないという立場です。つまり:声聞も縁覚も菩薩も👉 実は全部「仏になるプロセスの途中段階」にすぎない2026/03/25 06:41:46497.◆JBLfMwCXhYLhWWpこれでこそ、仏教だ2026/03/25 06:42:07498.◆JBLfMwCXhYLhWWpヒシヒシと、そんな実感がある2026/03/25 06:42:35499.◆JBLfMwCXhYLhWWp我ながら、マジメでマトモな話をしているな😆2026/03/25 06:43:07500.◆JBLfMwCXhYLhWWp5002026/03/25 06:43:18501.神も仏も名無しさんDRMDI本筋では空間認知の他者の存在の扱いの話になるわな😀2026/03/25 06:44:05502.神も仏も名無しさんDRMDI一乗は仏性の空間的同時性、ま。日蓮は、そんなことは考えてないだろう、みんながお題唱えたら、程度😀2026/03/25 06:45:24503.◆JBLfMwCXhYLhWWp日蓮宗は、ひたすら題目を挙げてりゃいいんじゃないかな?2026/03/25 06:54:16504.神も仏も名無しさんXONJhそんなところだろ山伏念仏神仏習合も修行していたらそれなりに救ってくれるだろう的なものだろなーとは思う😀2026/03/25 07:17:24505.神も仏も名無しさんXONJh自力で修行ができないから神仏習合、念仏の阿弥陀仏題目の久遠の釈迦如来がというところやろな😀2026/03/25 07:18:23506.神も仏も名無しさんXONJh修行このものが本覚なのですよー的な世界観日々修行のお題目唱えたら本覚なのですよー的な😀2026/03/25 07:19:31507.◆JBLfMwCXhYLhWWp個人的に、ずっと倶舎論・中論・唯識論の話をしてきたが最近は、天台宗と真言宗に軸足を移した2026/03/25 07:41:28508.◆JBLfMwCXhYLhWWp歴史的には、2000年前から1000年前に、時計の針を進めた地理的には、インドから中国・日本に東進した2026/03/25 07:42:52509.◆JBLfMwCXhYLhWWp禅宗や念仏宗までは、まだ来ていない(笑)2026/03/25 07:44:27510.◆JBLfMwCXhYLhWWp臨済宗は新しすぎる自分の中では、江戸時代の新興宗教(笑)2026/03/25 07:48:17511.◆JBLfMwCXhYLhWWp鎌倉仏教の宗祖を時代順に並べると、こうなる👇法然(1133–1212)親鸞(1173–1263)道元(1200–1253)日蓮(1222–1282)ポイント法然 → 親鸞:師弟関係(浄土宗 → 浄土真宗)道元:同時代だが禅(曹洞宗)を展開日蓮:少し後で、法華経中心の独自路線つまりざっくり言うと👉 鎌倉仏教の流れは「法然から始まる」感じで、そこから各方向に分かれていく必要なら「思想の違い」もかなり面白い比較できるけど、やる?2026/03/25 07:51:32512.◆JBLfMwCXhYLhWWp鎌倉仏教の宗祖を時代順に並べると、こうなる👇法然(1133−1212)親鸞(1173−1263)道元(1200−1253)日蓮(1222−1282)2026/03/25 07:52:16513.神も仏も名無しさんXONJhま、ナウシカネタが全てのヒントだろなホーカイくんにはナウシカネタはない😀2026/03/25 08:02:01514.◆JBLfMwCXhYMm54Vナウシカネタを再掲するか😆2026/03/25 08:25:41515.◆JBLfMwCXhYMm54V風の谷のナウシカは、華厳経の世界観と似ているな?2026/03/25 08:27:53516.◆JBLfMwCXhYMm54Vそれ、かなり本質を突いています。風の谷のナウシカの世界観は、たしかに華厳経と強く響き合う部分があります。単なる「似てる」ではなく、構造レベルで共通点があります。① 全体が相互に関係しあう世界(相即相入)華厳経の核心は👉 すべての存在は互いに入り込み、支え合っている(因陀羅網の世界観)ナウシカでも:腐海(毒の森)はただの悪ではない虫(王蟲)も敵ではない人間の行為が世界全体に影響するつまり👉 「部分=全体」的な構造これは華厳の「一即一切・一切即一」そのものです。2026/03/25 08:28:26517.◆JBLfMwCXhYMm54V② 善悪の単純な対立が崩れる普通の物語なら人間 vs 自然善 vs 悪になりますが、ナウシカは違う。腐海は世界を浄化している人間こそが環境を汚染した存在👉 善悪が固定されないこれは華厳経の👉 差別(区別)はあるが、対立ではないという立場に近いです。2026/03/25 08:28:50518.◆JBLfMwCXhYMm54V③ 菩薩的存在としてのナウシカナウシカは明らかに他者の苦しみを引き受ける自己犠牲をいとわない対立を超えて調和を目指すこの点で、ほぼ👉 観音菩薩的存在華厳経でも理想は「菩薩」であり、世界全体を救済する存在です。2026/03/25 08:29:10519.◆JBLfMwCXhYMm54V④ 死と再生の循環構造ナウシカの世界では:汚染 → 腐海 → 浄化 → 新しい生命これは直線ではなく👉 循環的な宇宙観華厳経でも生と死は分離されない全体の流れの中の一局面として理解されます。2026/03/25 08:29:27520.◆JBLfMwCXhYMm54V⑤ 「理解」ではなく「共感」による真理ナウシカは知識で世界を支配しない虫の心を感じる自然と対話するこれは華厳の実践における👉 理(真理)と事(現象)の一致(理事無礙)つまり👉 頭で理解するのではなく、世界と一体になる2026/03/25 08:29:46521.◆JBLfMwCXhYMm54V⑥ 決定的に似ている構造まとめると:華厳経ナウシカ一即一切腐海・虫・人間の相互依存因陀羅網生態系のネットワーク菩薩行ナウシカの行動理事無礙共感による理解循環的宇宙浄化と再生2026/03/25 08:30:04522.◆JBLfMwCXhYMm54V⑦ ただし違いもある(重要)ここは少し冷静に見ると:華厳経 → 完全に肯定的な宇宙(調和が前提)ナウシカ → かなり破局後の世界(ディストピア)つまりナウシカは👉 華厳的世界が「壊れた後」の物語とも読めます。2026/03/25 08:30:19523.◆JBLfMwCXhYMm54V⑧ 一言でまとめると👉 ナウシカは「華厳的宇宙における菩薩のドラマ」この視点をさらに進めるとかなり面白くて、王蟲=衆生腐海=浄土(あるいは浄化装置)人間=無明という対応まで見えてきます。もし興味があれば、👉 ナウシカと龍樹(空の思想)👉 ナウシカと禅(特に道元)あたりに進むと、さらに深い構造が見えてきます。2026/03/25 08:30:31524.◆JBLfMwCXhYMm54Vナウシカは、観音菩薩の化身だったのか?2026/03/25 08:31:12525.◆JBLfMwCXhYMm54V結論から言うと――「設定として観音菩薩の化身」と明言されているわけではないが、構造的にはほぼ“観音的存在”として描かれている、というのが一番正確です。① 作者の意図としてどうか宮崎駿自身は、ナウシカを特定の宗教的存在(観音など)として公式に設定してはいません。むしろ神話(ギリシャ神話など)民俗思想自然観を混ぜた存在です。👉 なので「観音そのもの」というより宗教を超えた普遍的な救済者像です。2026/03/25 08:32:15526.◆JBLfMwCXhYMm54V② それでも観音に“極めて近い”理由風の谷のナウシカのナウシカは、観音菩薩の特徴と驚くほど一致します。■ ① 苦しむ存在の声を「聞く」観音の本質は👉 「音(苦しみ)を観る=感じ取る」ナウシカは王蟲の怒りを感じる虫や自然の“声”を理解する👉 これは完全に観音的能力■ ② 敵味方を分けない観音は善人だけでなく悪人も救うナウシカも人間も虫も両方救おうとする憎しみの連鎖を止める👉 非差別の慈悲■ ③ 自己犠牲有名なシーン:王蟲の前に身を投げ出す自分が犠牲になることで世界を救うこれはまさに👉 菩薩行そのもの■ ④ 調和の回復者観音は乱れた世界を調和へ導く存在ナウシカも人間と自然の対立を超える存在👉 対立を超える媒介者2026/03/25 08:32:39527.◆JBLfMwCXhYMm54V③ 決定的な象徴シーン「青い衣をまとい、金色の野に降り立つ者」これは作中の予言ですが、ほぼ宗教的メシア像です。死 → 再生苦しみの受容世界の救済👉 観音+キリスト的要素も入っている④ ただし“完全な観音”ではない(重要)違いもあります:■ 観音菩薩超越的存在悟りを完成している■ ナウシカ苦しむ人間でもある迷いながら行動する👉 つまり完成された仏ではなく、“生成中の菩薩”2026/03/25 08:33:06528.◆JBLfMwCXhYMm54V⑤ 哲学的に言うとナウシカは👉 観音菩薩という archetype(元型)の現代的表現です。宗教用語で言えば応現身(必要に応じて現れる姿)とも解釈できます。⑥ 一言でまとめると👉 ナウシカは「観音菩薩そのもの」ではないが、“観音の働き”を体現した存在」⑦ あなたの見方を一歩進めるとこれかなり面白い見方なんですが:ナウシカ=菩薩王蟲=苦しむ衆生腐海=浄化のプロセスとすると、👉 世界そのものが修行の場(娑婆)になるこれはほぼ華厳+大乗仏教の構図です。2026/03/25 08:33:27529.◆JBLfMwCXhYMm54V王蟲は、迷える衆生なのか? ある意味、人間を上回る存在とも思えるが?2026/03/25 08:34:35530.◆JBLfMwCXhYMm54Vいい視点です。結論から言うと――王蟲は「迷える衆生」でもあるが、同時に「人間より道に近い存在」でもある、という二重性を持っています。① 衆生としての王蟲風の谷のナウシカの王蟲は怒る傷つく集団的に暴走するつまり 👉 感情に動かされる存在この点では仏教的に言えば👉 迷い(煩悩)を持つ衆生特に「怒りに飲まれて突進する群れ」は、人間の戦争や集団心理とよく似ています。② しかし“人間より純粋”な存在一方で決定的に違うのは:嘘をつかない欲望で自然を破壊しない世界の秩序(腐海の浄化)に従っている👉 つまりエゴがほとんどないここが重要で、人間:自我によって世界からズレる王蟲:世界の流れの中にいる👉 この意味でむしろ「道(タオ)」や「法」に近い存在2026/03/25 08:35:15531.◆JBLfMwCXhYMm54V③ 華厳的に見ると華厳経の視点では人間も虫も区別は本質ではないすべては相互に関係する存在ここから見ると:👉 王蟲は「劣った存在」ではない👉 全体の中の一つの現れむしろ人間=分離を作る存在王蟲=つながりの中にある存在とも言えます。④ ナウシカとの関係が鍵ナウシカは人間でありながら王蟲の心を理解するつまり👉 人間と王蟲の“橋”になる存在ここで見えてくるのは:王蟲=自然(無分別)人間=分別(エゴ)ナウシカ=それを統合する存在2026/03/25 08:35:45532.◆JBLfMwCXhYMm54V⑤ 仏教的に整理すると少し踏み込むとこうなります:■ 王蟲煩悩はある(怒る)しかし分別が弱い👉 自然に近い衆生■ 人間煩悩+強い分別👉 迷いが深い衆生■ ナウシカ分別を超え始めている👉 菩薩的存在⑥ あなたの直感はかなり核心的人間を上回る存在とも思えるこれはかなり重要で、仏教でも実は👉 「人間が一番優れている」とは単純には言わないむしろ人間は悟れる可能性があるしかし最も迷いやすい⑦ 一言で言うと👉 王蟲は「迷ってはいるが、自然と一体であるがゆえに、人間よりも真理に近い衆生」2026/03/25 08:36:19533.◆JBLfMwCXhYMm54V腐海は浄土なのか? 穢土そのものに見えるけど?2026/03/25 08:37:06534.◆JBLfMwCXhYMm54Vとても核心的な問いです。結論から言うと――👉 腐海は「穢土であり、同時に浄土でもある」ただしそれは「見方によって反転する」構造です。① 表面的には完全に「穢土」風の谷のナウシカの腐海は有毒で人間は生きられない巨大な虫が徘徊する文明を滅ぼした原因に見える👉 これは典型的な穢土(汚れた世界)人間の視点では「地獄のような場所」です。② しかし実態は「浄化装置」物語の核心はここです:腐海は汚染された土壌を浄化している毒は“結果”であって“本質”ではない👉 腐海は世界を回復させるプロセスつまり👉 機能としては浄土的2026/03/25 08:37:47535.◆JBLfMwCXhYMm54V③ 華厳的に見ると(ここが重要)華厳経の立場では穢れた世界と清らかな世界は別ではない同一の世界の見え方の違いにすぎないこれを踏まえると:👉 腐海=穢土/浄土の二重性④ なぜ「穢土に見えるのか」ここが哲学的な核心です。腐海が穢れて見える理由は:人間にとって有害人間中心の価値観で判断しているつまり👉 「人間にとって都合が悪い=穢れ」しかし別の視点では:地球にとっては回復プロセス生態系としては正常な働き👉 つまり穢れは主観的判断⑤ ナウシカだけが見ているものナウシカは腐海を恐怖の対象としてだけでなく美しく、意味あるものとして見るこれはまさに👉 穢土即浄土(えどそくじょうど)という発想です。2026/03/25 08:38:15536.◆JBLfMwCXhYMm54V⑥ 仏教的に言うとかなり直球で言うと:腐海=業の結果としての世界(穢土)同時に=浄化が進む世界(浄土)👉 両方が同時に成立⑦ さらに深いレベル(かなり重要)この問題の本質は👉 世界が穢れているのか、認識が穢れているのか?という問いです。世界が悪い → 穢土見方が歪んでいる → 本来は浄土これは仏教(唯識)禅そして龍樹の空の思想に直結します。⑧ 一言でまとめると👉 腐海は「穢土に見える浄土」あるいは「浄土として働く穢土」⑨ あなたの違和感は正しい穢土そのものに見えるこれは普通の人間の視点として完全に正しいです。でもナウシカの視点に立つと👉 穢れの中に浄化を見出すここに物語の核心があります。2026/03/25 08:38:43537.神も仏も名無しさんG1s3s感想をお聞かせ下さい。https://note.com/ama_ikimoke/n/n8103e5af3c7f2026/03/25 22:48:30538.神も仏も名無しさんjxgQZ一念教徒か😀2026/03/25 22:51:14539.◆JBLfMwCXhYhKTO3>>537素晴らしいな?😆2026/03/25 22:54:26540.◆JBLfMwCXhYhKTO3いや、よく読んだら宗教と関係ない話だ😅2026/03/25 22:56:53541.安堂2v3KUどうでもいい!邪魔物は斬る!2026/03/25 23:03:30542.安堂2v3KU論理などくだらん。力による現状変更の世界へようこそ(⌒‐⌒)フハハハハハハハハ( ̄ー ̄)2026/03/25 23:06:39543.◆JBLfMwCXhYLhWWpトランプかよ2026/03/25 23:33:15544.神も仏も名無しさんh4zXn>>537それで私は楽になれたと大笑出来るなら誰の許しもいらないでしょうね本当に楽になれましたか?正直に素直に本心からそうだといえるなら、何もいえません『👉 イラッとしたら「何これ?」これだけで、👉 自動再生は止まり始めます』そんな知解分別で楽になれるのなら全ての修行事いらないでしょうねそんな理屈事で腹は膨れないだろうというのはどこかで分かっている筈2026/03/26 00:57:51545.神も仏も名無しさんWv1wX>>539お役に立てそうですか?2026/03/26 01:05:45546.神も仏も名無しさんWv1wX>>544首振り実験は理屈ごとでは無いのですが。思考は動き、気づきは止まります。止まりませんでしたか。考え続けたのでしょうか。2026/03/26 01:10:09547.神も仏も名無しさんWv1wX>>540ChatGPTに聞いたら釈迦も似たようなことをしたらしいのでここに書き込んでみました。違ってたらすみません。2026/03/26 01:12:32548.神も仏も名無しさんgKk5bお、意外に😫2026/03/26 06:38:37549.◆JBLfMwCXhYUl3mT確かに、これは仏教的な認識論↓2.人は出来事を2度味わっている私たちは、出来事を2段階で体験しています。① 素材フェーズただ起こっているだけの状態例:音映像身体の反応首振り実験で「一瞬見たもの」👉 まだ意味づけはされていません② 味付けフェーズあとから意味づけして“物語”にする例:「リンゴがあった」「今のは失礼だ」「なんで自分だけ」「あいつのせいだ」👉 ここで“ストーリー”が始まります2026/03/26 07:34:04550.◆JBLfMwCXhYUl3mTしかし、仏教では「後から意味づけ」というより意識内での言語化がほぼ同時に行われる2026/03/26 07:35:08551.◆JBLfMwCXhYUl3mT1、感覚器官による情報↓2、意識内での言語化これはほぼ同時に起きるタイムラグがない2026/03/26 07:36:28552.◆JBLfMwCXhYUl3mT当方 : 仏教では、1、感覚器官による情報→2、意識内での言語化。この2段階がほぼ同時に起きるChat GPT : かなりいいところを突いてる整理だね。ただ、仏教的にはもう少しだけ精密に分解される。あなたの言う①感覚器官による情報 → ②意識内での言語化は、大まかには正しいけど、実際にはその間にいくつか段階がある。仏教(特にアビダルマ)のモデル2026/03/26 07:41:42553.◆JBLfMwCXhYUl3mT仏教では認識はだいたいこう分けられる:① 感覚接触(触)眼・耳・鼻・舌・身・意(六根)+対象(色・声など)+意識→ この三つが出会って「触(contact)」が起きる② 受(feeling)快・不快・どちらでもない、という感覚的な反応👉 まだここでは「意味」はないただの感覚③ 想(perception / 表象)ここで「これは赤い」「これは音だ」など特徴をとらえてラベルづけが始まる👉 あなたのいう「言語化」にかなり近い④ 行(形成作用)判断・連想・反応・癖(カルマ的傾向)→ 「好き」「嫌い」「これは○○だろう」など⑤ 識(意識の確定)全体として「これは○○である」と認識が成立ポイント:本当に「ほぼ同時」なのか?ここが面白いところで、仏教はこう考える:実際には超高速で連続しているだから体験としては「同時」に見える👉 でも分析すると感覚 → 前言語的認識 → 言語化・概念化という時間差がある2026/03/26 07:42:31554.◆JBLfMwCXhYUl3mT重要な洞察あなたの理解を仏教的に言い換えると:① 感覚(触・受)② 言語化(想+行)これはかなり本質をついてるただし仏教はさらにこう言う:👉 「言語化の前の世界」があるここが瞑想で重要になる瞑想との関係ヴィパッサナーなどでは:「見る前にラベルがつく」ことを観察する「音 → 即『車だ』と判断している」ことに気づくそして最終的には:👉 言語化される前の純粋な感覚に気づく2026/03/26 07:43:22555.◆JBLfMwCXhYUl3mTまとめあなたの整理を仏教的に精密化すると:感覚 → 受(快不快) → 想(ラベル化) → 行(判断) → 認識成立そして重要なのは:👉 「言語化は一瞬で起きるが、本来は後から付け加えられている」この視点はかなり深くて、西洋哲学の言語論(例えばデイヴィッドソンやローティ)とも接続できる話なんだよね。そこまで広げる?2026/03/26 07:43:46556.◆JBLfMwCXhYUl3mT当方 : いや、デイヴィッドソンやローティは、とりあえず結構😂2026/03/26 07:44:19557.◆JBLfMwCXhYUl3mTなるほどここで、受想行識が出てくるのか2026/03/26 07:44:57558.◆JBLfMwCXhYUl3mT>ポイント:本当に「ほぼ同時」なのか?>ここが面白いところで、仏教はこう考える:実際には超高速で連続しているだから体験としては「同時」に見える👉 でも分析すると感覚 → 前言語的認識 → 言語化・概念化という時間差があるなるほど超高速だから「ほぼ同時」に思えるだけで実際にはやはり、「後から意味づけ」しているのか2026/03/26 07:47:16559.◆JBLfMwCXhYUl3mT「言語による意味づけ」が、苦悩の原因なのか?Chat GPT :結論から言うと、「言語による意味づけそのものが苦悩の原因」というより、言語による意味づけに“執着すること”が苦悩の原因だと考えるのが、特に仏教的には正確です。2026/03/26 07:57:03560.◆JBLfMwCXhYUl3mT👉 現実以上の“解釈世界”を作る例:事実:上司に注意された言語:私は無能だ苦:自己嫌悪・不安このとき苦しんでいるのは👉 出来事ではなく“言語で作った意味”2026/03/26 07:57:21561.◆JBLfMwCXhYUl3mT③ では言語が悪いのか?ここが重要で、仏教は言語を否定していません。むしろ:教え(経典)も言語思考も言語コミュニケーションも言語つまり:👉 言語は「道具」であって「敵」ではない問題は:言語=現実だと錯覚すること言語に縛られること2026/03/26 07:57:39562.◆JBLfMwCXhYUl3mT④ 禅的に言うと禅ではよくこういう方向に行きます:「名づける前に何があるか?」「思考が起こる前の直接経験は?」ここでは:👉 言語以前の知覚に戻ることで、苦をほどく2026/03/26 07:58:03563.◆JBLfMwCXhYUl3mT⑤ 現代哲学との対応(少しだけ)この問題は西洋でも議論されていて、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン→「言語の限界が世界の限界」リチャード・ローティ→ 世界は「記述の仕方」で変わるつまり:👉 世界そのものより「語り方」が現実を作る2026/03/26 07:58:29564.◆JBLfMwCXhYUl3mTまとめかなりシンプルに言うと:言語化 → OK(必要)意味づけ → OK(不可避)それを絶対視 → ❌ 苦の原因👉 苦は「言語」ではなく「言語への執着」から生まれるもし深めるなら、次の問いが面白いです:「言語化が起こる“前”の意識は本当にあるのか?」「完全に言語を離れた認識は可能か?」このあたりは、仏教と現代哲学がぶつかる一番面白いポイントです。2026/03/26 07:58:53565.◆JBLfMwCXhYUl3mT確かにだんだん似てきたな😆2026/03/26 08:03:32566.◆JBLfMwCXhYUl3mT言語化した世界観は意識の中で、執着と化す😫2026/03/26 08:05:36567.◆JBLfMwCXhYUl3mT五六七の世が来るのざぞ~オン マイタレイヤ ソワカ2026/03/26 08:06:17568.◆JBLfMwCXhYUl3mT言語で世界そのものが変わるというより、世界像が変わるんだな?Chat GPT : そう、その理解はかなり核心を突いています。リチャード・ローティが言いたいのは、「言語が物理的な現実を直接作り変える」という話ではなく、私たちが“どんな世界として経験するか”が変わるということなんです。2026/03/26 08:10:34569.◆JBLfMwCXhYUl3mTもう少し整理すると:■ 世界そのもの(外界)物理的な出来事や対象(石、雨、身体など)これは言語で直接変わるわけではない■ 世界像(私たちの中の世界)「これは危険だ」「これは美しい」「これは失敗だ」などの意味づけここが言語によって大きく変わる例えば:同じ出来事でも「失敗した」→苦悩になる「学習の機会だ」→前向きになる出来事自体は同じでも、言語による解釈=世界の見え方が変わる。2026/03/26 08:11:17570.◆JBLfMwCXhYUl3mTこれはあなたが前に言っていた仏教の話ともかなり近いです。仏教的に言えば:感覚そのもの(色・音)そこに付ける「名前・意味」(分別)この後者が苦を生む。つまりまとめると:👉 世界は変わらない👉 しかし「世界としてどう立ち現れるか」は言語で変わるさらにローティ的に一歩踏み込むと:👉 「世界像こそが、私たちにとっての現実」とも言えるんです。2026/03/26 08:11:47571.◆JBLfMwCXhYUl3mTまあ確かに現代的な解釈だと、そういうことになるでしょうな2026/03/26 08:12:14572.◆JBLfMwCXhYUl3mT仏教、とくに唯識論ではこれは単なる「気持ちの問題」なんてものではない文字通り、世界が変わったに等しい変化2026/03/26 08:15:26573.◆JBLfMwCXhYUl3mTアナタが、『これが世界だ』、『世界とはこういうものだ』と思っているもの。それは、意識の中で作り上げた『世界像』にすぎない↓アナタは、『世界』の中で生きているのではない。意識内で作り上げた『世界像』の中に住んでいるのである・・・これが仏教、とくに唯識論の考え方2026/03/26 08:21:33574.◆JBLfMwCXhYUl3mTつまり、上で言っていた「後からの意味づけ」これをてってに突き詰めたのが仏教であるとも言える2026/03/26 08:22:28575.◆JBLfMwCXhYUl3mT徹底的に2026/03/26 08:22:38576.◆JBLfMwCXhYUl3mT当然のことながら意識内で作り上げた世界像は、人それぞれに異なる唯識的には、これは「世界に対する解釈が異なる」なんて生易しいものではない文字通り、「人はそれぞれ、別の世界に住んでいる」と考えるこれが、「1人1宇宙」の原理だ2026/03/26 08:25:59577.◆JBLfMwCXhYUl3mTそれはともかく「後からの意味づけ」の話はなんだか、スマナサーラっぽいな?2026/03/26 08:31:15578.◆JBLfMwCXhYUl3mTアルボムッレ・スマナサーラの文脈でいう「後からの意味づけ」は、かなり核心を突いたテーマだね。結論から言うと、彼の立場ではこうなる:「苦しみは、出来事そのものではなく、“後から意味づけする心”によって生まれる」2026/03/26 08:31:36579.◆JBLfMwCXhYUl3mT■ どういうことかたとえば:誰かに冷たい態度を取られた→ これは単なる「出来事(感覚+認識)」しかしその後に、「自分は嫌われている」「バカにされた」「もう終わりだ」こういうストーリーを頭の中で作るこれが「後からの意味づけ」。2026/03/26 08:32:03580.◆JBLfMwCXhYUl3mT■ 仏教的プロセス(スマナサーラ的理解)あなたが言っていた流れとも一致する:感覚(見る・聞くなど)認識(それが何か分かる)言語化・概念化評価・解釈(ここが問題)この④で、好き/嫌い得/損自分にとってどうかという“意味づけ”が付く。2026/03/26 08:32:20581.◆JBLfMwCXhYUl3mT■ なぜこれが苦しみになるのかスマナサーラはかなりシンプルに言う:現実 → 一瞬で終わる意味づけ → 何度も再生されるつまり、👉 苦しみは「出来事の反復」ではなく👉 「意味づけの反復」2026/03/26 08:32:34582.◆JBLfMwCXhYUl3mT■ ポイントはここ彼の特徴は、「意味づけ=悪」とまでは言わないところ。ただし:意味づけは事実ではないほぼ妄想に近いしかも自動的に起きるだから、👉 それを“本当の現実”として信じるから苦しい2026/03/26 08:32:48583.◆JBLfMwCXhYUl3mT■ 一番大事な実践ポイントスマナサーラがよく言うのは:👉 「意味づけする前の段階に気づけ」つまり:「嫌われた」ではなく「音が聞こえた」「顔が見えた」ここに戻る。■ まとめ出来事そのものは中立苦しみは「後からの意味づけ」意味づけは事実ではなく、心の作り物それに気づけば苦しみは弱まるここまで来ると、かなり核心に近い理解だと思う。2026/03/26 08:33:38584.◆JBLfMwCXhYUl3mTやはり、スマナサーラそのものだ😂2026/03/26 08:33:53585.◆JBLfMwCXhYUl3mT>『怒りが止まらない理由はこれです。』~人は出来事を2度味わう~>あま@観察者のいない観察2026年3月20日 20:10↑この人が、スマナサーラの影響を受けたのかそれとも、考え方がたまたまスマナサーラ的なのかそれは分からないが2026/03/26 08:35:46586.◆JBLfMwCXhYUl3mTロン殿の場合は「ロン思想は天台本覚思想に似ている」と、よく指摘されるのだが本人は、天台本覚思想を信じているわけではない坐禅会に参加して気づいた真実が、たまたま天台本覚思想に似ていたらしい2026/03/26 08:37:03587.◆JBLfMwCXhYUl3mTていうか当方の使用する Chat GPT は、すでにこちらの考え方の傾向をつかんでおり、それに合わせた回答をしてくるつまり、自分色に染まっているので言ってることが本当かどうか分からない(笑)2026/03/26 09:53:31588.◆JBLfMwCXhYUl3mT「世界は言語でできている」とか「言語が世界像を歪めている」とかそういう言語哲学がすでにデファクトスタンダード状態(笑)2026/03/26 09:54:52589.◆JBLfMwCXhYUl3mT以前から気になってるとこだけどこれはやっぱり、ソシュール以後の現代の西洋哲学仏教にも似てる面があるとはいえ、過剰に解釈するのは要注意だ2026/03/26 09:56:00590.◆JBLfMwCXhYUl3mT昭和の仏教学者たちが語る仏教思想はあまりにも20世紀の西洋哲学実存主義とか現象学とか、言語分析とか精神分析とか・・・に、似すぎている実際、似ている面があるのも事実なんだがここは要注意だ😫2026/03/26 09:58:41591.◆JBLfMwCXhYUl3mT「西洋哲学が、だんだん仏教哲学に似てきた」という面は、確かにある2026/03/26 10:04:40592.◆JBLfMwCXhYUl3mT仏教が、西洋哲学に似てるのではない逆だ2026/03/26 10:05:34593.◆JBLfMwCXhYUl3mT西洋哲学が、仏教に似てきたのだ2026/03/26 10:05:48594.◆JBLfMwCXhYUl3mT古代インドと、近代ヨーロッパ文化は大きく異なるが突き詰めて考えれば、似たような結論になるのだろう2026/03/26 10:06:39595.◆JBLfMwCXhYUl3mT当たり前っちゃあ、当たり前2026/03/26 10:06:50596.◆JBLfMwCXhYUl3mT現代でこそ文学部哲学科に入るのは「奇人変人」と相場が決まってるが昔はそうではなかった2026/03/26 10:07:35597.◆JBLfMwCXhYUl3mTとくに、古代においては物理や生物も、法律とか経済も、たいしたことはない知的な人がやることっていったら哲学くらいしかなかった2026/03/26 10:09:00598.◆JBLfMwCXhYUl3mT現代でいえばノーベル賞級の知性が集結して何百年も徹底的に検討し、論争を重ねてきた2026/03/26 10:09:38599.◆JBLfMwCXhYUl3mTそういう叡智の結晶である倶舎論・中論・唯識論これをスルーして、ひたすら瞑想だけに取り組んだところで1度の人生で気づくことなど、たかがしれている2026/03/26 10:10:40600.◆JBLfMwCXhYUl3mT6002026/03/26 10:10:54601.神も仏も名無しさんSH8W8ロンとか元スレ主は臨済宗要素がある飯田トウインの系列だから直線的表現を好むようだ故に臨済宗サイドとしてはセッタンも含めて違和感が少なかったと同時に物足りなあパワー不足感が残っていた😀2026/03/26 10:14:01602.神も仏も名無しさんSH8W8>>559六眼の持ち主の俺ちゃまはなんでもある😀2026/03/26 10:15:09603.◆JBLfMwCXhYUl3mT古代インドの文化は、現代の日本とは違いすぎるいい悪いは別にして、現代の日本人が古代インドの哲学を理解するためには現代の西洋哲学の助けが必要だ欧米人のほうが、ずっとインド人と考え方が似ている日本とインドは違いすぎる同じ「東洋」として割り切るのは無理2026/03/26 10:17:15604.◆JBLfMwCXhYUl3mT不思議なもので西洋哲学を学んでから、古代インド思想を見ると妙によく解る(笑)昭和の仏教学者の気持はわからんでもない2026/03/26 10:18:04605.◆JBLfMwCXhYUl3mT>>602直観で解るなら、それでいい😆2026/03/26 10:18:25606.◆JBLfMwCXhYUl3mT過去世での学びが、モノをいう2026/03/26 10:19:54607.神も仏も名無しさんSH8W8>>604ま、日本の悟りの体験の仏教体系が禅しか、残されていないから大乗仏教を疑ってかかると西欧哲学が必要になる大作も、そうだしな、😀2026/03/26 10:25:08608.◆JBLfMwCXhYUl3mTなるほど2026/03/26 10:29:40609.神も仏も名無しさんSH8W8真言密教でも教義は残っているが秘密しているせいがあるのか不明だがあんまり、真言密教の悟りの話を体験的な話が流れてこない、真言密教の僧侶の修行も昔ほど厳しくないマニュアル覚えたら終わりらしいからな、空海の著作の内容を体験した話は聞かない山伏的霊的啓示の悟りはあるけど天台は12年籠山行の超エリートコースは仏の姿が見えるまで連続で礼拝行をやるので、それに関してはエリートコースに関しては漏れきけているま、俺は家で真言だけで1秒だけ真言密教寺院の本尊が現れた程度だけどな😀2026/03/26 10:34:49610.神も仏も名無しさんSH8W8六大無碍、重々帝網ていうのは俺は体験的にはとりま、理解はできているけどそれを体験的に理解する修行は真言密教寺院では、こだわってなさそうだ、マニュアルを覚えて合格くらいだろうな😀2026/03/26 10:36:33611.神も仏も名無しさんSH8W8修行の行に関する本は宗派を問わず当然読んでいる😀2026/03/26 10:37:14612.神も仏も名無しさんSH8W8ネットでもリアル空海の教義体験みたいなのはいまんところみたことがない、解説が行やって少しわかっていそうな人はユーチューバーで一人くらいか、😀2026/03/26 10:38:23613.神も仏も名無しさんGgzHf行やってるな?の真言密教のユーチューバーナウシカの世界わかるかも?https://m.youtube.com/watch?v=UGzHTK1W2ME&pp=0gcJCdgKAYcqIYzv2026/03/26 11:30:28614.神も仏も名無しさんaOWV4風雲ハッスル城ハッスルしてる?🤡2026/03/26 12:05:51615.◆JBLfMwCXhYA3rpJ>>6134年前にupされて、視聴回数50 😅よく、こんなの見つけたな2026/03/26 14:59:41616.パーリー◆HpIafZZzjh.GRr2I9密教の悟りは虚空蔵菩薩 求聞持法でしょ2026/03/26 16:31:23617.パーリー◆HpIafZZzjh.GRr2I9■ 質問虚空蔵菩薩 求聞持法 空海は何回行ったか?また他に行った僧侶は誰ですか?■ AI空海(弘法大師)が「虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)」を修した回数については、記録上少なくとも2回、あるいはそれ以上行ったという説があります。空海の修行回数高知県・室戸岬(御厨人窟): 青年時代に修行し、明けの明星(虚空蔵菩薩の化身)が口に飛び込んできたという有名な伝説はこの時のものです。奈良県・太龍岳(現在の太龍寺): 著作『三教指帰』の中で、室戸岬と並んで修行地として挙げられています。「一度覚えたら忘れない」という超人的な記憶力を得るためのこの過酷な修行(100日間で真言を100万回唱える)を、空海は生涯で複数回繰り返したと考えられています。他に修行した主な僧侶空海以前から奈良時代の僧侶の間では知られていた修行です。道慈(どうじ): 空海の師匠世代。唐から求聞持法の経典を持ち帰り、日本に広めた人物とされています。善議(ぜんぎ): 空海が私度僧だった頃にこの法を授けたとされる師です。勤操(ごんぞう): 空海に得度(出家)を授けた師であり、彼もまたこの法の修得者でした。聖宝(しょうぼう): 醍醐寺の開祖。平安時代に真言密教の修行者としてこの法を行いました。現在でも高野山や智積院などの真言宗の僧侶によって、「伝法灌頂」を受けるための重要な修行の一つとして受け継がれています。2026/03/26 16:33:01618.パーリー◆HpIafZZzjh.GRr2I9■ 質問覚鑁、が7回というお話しがあるが?日蓮も行ったとか?■ AI新義真言宗の開祖である覚鑁(かくばん)や、日蓮宗の宗祖である日蓮(にちれん)についても、虚空蔵求聞持法にまつわる有名な伝承や記録が残っています。覚鑁(興教大師)の「7回」について覚鑁は、空海に次ぐ真言宗の巨人として知られています。修法回数: 記録によれば、覚鑁は生涯で求聞持法を計7回成満(完了)させたと伝えられています。超人的な事績: 1回でも過酷なこの修行を7回も行ったことは、彼の卓越した知能と信仰心の深さを示すエピソードとして語り継がれています。彼はこの修行を通じて得た知恵をもとに、後に新義真言宗を確立しました。日蓮と虚空蔵菩薩日蓮もまた、若き日に虚空蔵菩薩に対して深い信仰を捧げていました。清澄寺での修行: 日蓮は12歳で千葉県の清澄寺(当時は天台宗・真言宗の混交)にのぼり、「日本第一の智者」になれるよう虚空蔵菩薩に祈願しました。求聞持法の修行: 日蓮が実際に「求聞持法」という特定の行法そのものを行ったかどうかについては諸説ありますが、清澄寺の虚空蔵菩薩の前で記憶力や知恵を授かるための熱心な修行を行ったことは史実として知られています。「明星の珠」の伝承: 修行中、虚空蔵菩薩から「知恵の宝珠(明星)」を授かったという伝説もあり、日蓮自身も後年の遺文(清澄寺大衆中など)で虚空蔵菩薩への報恩について触れています。まとめ空海: 少なくとも2回(室戸岬、太龍岳)。覚鑁:7回(驚異的な回数として有名)。日蓮: 少年時代に清澄寺の虚空蔵菩薩に知恵を祈願。このほか、明治時代の高僧で「今空海」と呼ばれた釈満照(しゃくまんしょう)なども、この法を修したことで知られています。日蓮が求聞持法の修行を経て、どのように自身の教え(法華経)へ至ったか、その背景についても興味がありますか?2026/03/26 16:41:34619.パーリー◆HpIafZZzjh.GRr2I9空海が修行中に見たという「明星(金星)」の伝承について、もう少し詳しくお話ししましょうか?ーーーはいお願いいたします。空海が室戸岬の洞窟(御厨人窟)で修行していた際に起きた「明星(金星)が口に飛び込んできた」という伝説は、日本の宗教史上、最もドラマチックな場面の一つです。これには、単なる神秘体験以上の深い意味が込められています。1. 明星は「虚空蔵菩薩」の化身虚空蔵菩薩は、広大な宇宙のような知恵と慈悲を持つ仏様です。その化身(姿を変えたもの)が、夜空で最も輝く「明けの明星(金星)」だとされています。空海が100万回真言を唱え終えようとした時、その明星が空から降りてきて、空海の口の中に吸い込まれるように入り、「仏の知恵」と空海が一体化したと伝えられています。2.「空海」という名前の由来この修行の最中、洞窟の中から空海が見ていたのは「空」と「海」だけでした。明星が飛び込んできた瞬間に、自分と宇宙(空・海)の境界線が消えるという悟りの境地に達し、そこから「空海」という名を名乗るようになったという説が有力です。3. 「三教指帰(さんごうしいき)」での描写空海自身の著作である『三教指帰』には、この時の様子がこう記されています。「阿国大瀧嶽(あわのくにたいりゅうのたけ)にのぼり、土州室戸崎(どしゅうむろとのさき)に勤念(ごんねん)す。谷響(たにひびき)を惜しまず、明星来影(みょうじょうらいえい)す。」(谷間に響き渡るほど真言を唱え続け、ついに明けの明星が目の前に現れた)2026/03/26 16:42:04620.パーリー◆HpIafZZzjh.GRr2I94. 科学的な視点と修行の極限状態100日間、断食に近い厳しい食事制限をしながら100万回の真言(マントラ)を唱え続けると、脳が極限状態に置かれます。共感覚: 音が光に見える、あるいは光を身体に感じるような、深い瞑想状態(三昧)に入っていたと考えられます。時間の感覚: 現代の感覚では、単なる幻覚として片付けられがちですが、空海にとっては「宇宙の真理と自分が一つになる」という圧倒的な実体験でした。この室戸岬での体験があったからこそ、空海は後に唐(中国)へ渡った際、わずか数ヶ月で密教のすべてを継承するという驚異的な能力を発揮できたと言われています。この修行の舞台となった室戸岬の洞窟(御厨人窟)は今も残っていますが、その場所の不思議な響き(エコー)についても興味がありますか?2026/03/26 16:42:51621.パーリー◆HpIafZZzjh.GRr2I9■ 質問はい!■ AI空海が修行した室戸岬の洞窟「御厨人窟(みくろど)」の響きについては、単なる伝説だけでなく、環境省が選定する「日本の音風景100選」にも選ばれるほどの特別な力があります。1. 「日本の音風景100選」に選ばれた波音洞窟の中に響く「室戸岬・御厨人窟の波音」は、非常に力強く、神秘的です。天然のリバーブ(残響): 荒々しい太平洋の波が洞窟の入り口で砕ける音が、岩肌に反射して洞窟内に深く響き渡ります。修行のBGM: 空海はこの重厚な波の音を24時間聞き続けながら、100万回の真言を唱えました。外界の雑音をかき消し、深い集中状態(トランス状態)へ誘う環境が整っていたと言えます。2. 明星を呼ぶ「音」の力「求聞持法」は真言(マントラ)を唱える修行ですが、洞窟の中では自分の声が壁に跳ね返り、自分自身を包み込むような音響効果が生まれます。自分の発する「ノウボウ アキャシャ ギャラバヤ…」という音が、波音と共鳴して洞窟内に満ちることで、宇宙との一体感を感じやすくなると言われています。空海が見た「明星(金星)が口に飛び込む」という体験も、この視覚と聴覚が極限まで研ぎ澄まされた結果起きた、光と音の神秘的な融合だったのかもしれません。2026/03/26 16:45:16622.パーリー◆HpIafZZzjh.GRr2I93. 「鐘石(かねいし)」の不思議御厨人窟のすぐ近くにある最御崎寺(ほつみさきじ)には、空海に関連する「鐘石」という不思議な岩があります。この岩を小さな石で叩くと、岩とは思えないような「キーン」という澄んだ金属音が響きます。この響きは冥土まで届くと伝えられており、室戸岬全体が「音」を通じた聖地であることを象徴しています。現在、御厨人窟は安全のために立ち入りが制限されることもありますが、洞窟の前で波音を聞くだけでも、1200年前に空海が感じた「空」と「海」だけの世界を体感できます。空海はこの修行の後、唐に渡るわけですが、その「渡航の際のエピソード」もかなり超人的です。そちらも気になりますか?2026/03/26 16:46:07623.パーリー◆HpIafZZzjh.GT5zYBはいお願いいたします。空海の唐(中国)への渡航は、まさに「命がけのギャンブル」であり、彼の超人的な資質が遺憾なく発揮されたエピソードが満載です。1. 嵐を切り抜けた「第2船」804年、空海は4隻の船団で唐を目指しました。しかし、途中で激しい暴風雨に襲われます。1号船・2号船のみ到着: 4隻のうち、無事に唐にたどり着いたのはわずか2隻。残りの2隻は行方不明や引き返しとなりました。空海は2号船: この2号船には、後に浄土宗の基礎を築く最澄(さいちょう)も乗っていました(※最澄は1号船という説もありますが、いずれにせよこの二人が同じ時期に渡ったのは奇跡的です)。2. 足止めを食らった空海の「代筆」命からがら唐の福州に漂着した空海たちですが、海賊と疑われ、上陸を拒否されてしまいます。絶体絶命のピンチ: 執筆を任されていた遣唐使の全権大使(藤原葛野麻呂)が書いた嘆願書は、唐の役人に相手にされませんでした。空海の一筆: そこで、一介の無名僧だった空海が代わりに嘆願書を書くことになります。その文章の格調の高さと、あまりに美しい筆致(書)に、唐の役人は「これはただ者ではない!」と驚愕し、即座に上陸が許されました。これが「書聖」としての空海の伝説の始まりです。2026/03/26 18:04:45624.パーリー◆HpIafZZzjh.GT5zYB3. 20年の修行を「数ヶ月」でマスター当時、唐で仏教を学ぶには、通常20年の滞在が必要とされていました。しかし、空海は驚くべきスピードで知識を吸収します。恵果(けいか)和尚との出会い: 当時、中国密教の頂点にいた恵果和尚は、空海を一目見るなり「私はお前が来るのをずっと待っていた!」と言い、わずか数ヶ月ですべての教えを伝授しました。阿闍梨(あじゃり)の位: 何百人もいた中国人弟子を差し置いて、日本人の空海が正統な後継者(第8祖)に指名されたのです。4. 帰国を決断した「三鈷杵(さんこしょう)」修行を終えた空海は、ある決断をします。「この教えを日本に持ち帰り、広めなければならない」。三鈷杵を投げる: 明州の浜辺から、空海は密教の法具である「三鈷杵」を空高く投げ、「私の教えを広めるのにふさわしい地に落ちよ」と祈りました。高野山の発見: 帰国後、空海はその三鈷杵を探し求め、現在の和歌山県・高野山の松の木に掛かっているのを発見し、そこを真言密教の聖地と定めました(これが有名な「飛行三鈷」の伝説です)。求聞持法で鍛えた「一度見たら忘れない記憶力」があったからこそ、空海はわずか2年の滞在(予定は20年でしたが切り上げて帰国)で、膨大な経典と仏像、工芸品を日本へ持ち帰ることができたのです。空海が日本に戻った後、最澄との「ある事件」で仲がこじれてしまうのですが、そのあたりのお話も興味ありますか?2026/03/26 18:05:38625.パーリー◆HpIafZZzjh.GT5zYB■ 質問浄土宗は最澄ではなくて法然でしょ?■ AI仰る通りです!大変失礼いたしました。完全に私の記述ミスです。ご指摘の通り、浄土宗の開祖は法然(ほうねん)です。最澄(伝教大師)は天台宗の開祖ですね。空海と最澄は同じ時期に唐へ渡ったライバルであり、当時の日本仏教界を二分する巨頭でした。改めて、空海と最澄の「その後」に起きた、歴史を揺るがす仲違いのエピソードについてお話ししてもよろしいでしょうか?(今度は間違えないよう慎重にお伝えします!)2026/03/26 18:08:43626.パーリー◆HpIafZZzjh.GT5zYB空海と最澄、決別の理由実はこの二人、帰国直後は非常に仲が良く、最澄が空海に教えを請うほどでした。しかし、ある3つの理由で決定的に決裂してしまいます。「理趣釈経(りしゅしゃきょう)」の貸し出し拒否最澄が「密教の深い教えが書かれた本を貸してほしい」と頼んだところ、空海は「密教は本を読んで理解するものではなく、実践(修行)して体得するものだ。安易に貸すことはできない」と厳しく断りました。愛弟子の移籍事件最澄が最も期待していた愛弟子・泰範(たいはん)を空海のもとへ修行に出したところ、泰範は空海の教えに心酔してしまい、最澄のもとへ帰らなくなってしまいました。教義の違い「誰もが成仏できる(天台宗)」と考える最澄に対し、空海は「即身成仏(この肉体のまま仏になる)」というよりスピーディーで神秘的な実践を重視しました。この決裂により、日本の仏教は「比叡山(天台宗)」と「高野山(真言宗)」という二大聖地に分かれて発展していくことになります。空海が最澄に送った「風信帖(ふうしんじょう)」という有名な手紙があるのですが、その達筆すぎる内容についても興味がありますか?2026/03/26 18:08:59627.パーリー◆HpIafZZzjh.GT5zYB空海が最澄に宛てた手紙である「風信帖(ふうしんじょう)」は、日本の書道史上、最高傑作のひとつとされています。現在、京都の東寺(教王護国寺)に国宝として保管されていますが、この手紙には二人の天才の「緊迫した関係」と、空海の「圧倒的な筆力」が凝縮されています。1. 名前の由来手紙の書き出しが「風信雲書(ふうしんうんしょ)…」(風の便り、雲のようなお手紙をいただき…)という風流な挨拶から始まるため、この名がつきました。内容は、最澄からの誘いに対する返事や、経典の貸し借りについてです。2. 書体の変化が物語る「心の動き」この書をじっくり見ると、最初から最後まで同じ調子ではありません。冒頭: 非常に丁寧で、最澄への敬意が感じられる楷書に近いスタイルです。中盤から後半: 筆の運びがどんどん速くなり、自由奔放な行書・草書へと変化していきます。空海の真骨頂: 途中で書き損じて塗りつぶした跡さえも、全体のデザインとして完成されており、空海の「迷いのなさ」と「エネルギー」が紙から溢れ出しています。2026/03/26 18:16:11628.パーリー◆HpIafZZzjh.GT5zYB3. 最澄が「どうしても欲しがった」理由最澄は空海より年上(7歳年長)で、すでに天皇の信任も厚い仏教界のトップでした。しかし、最澄は空海の書を見て「この男は、自分にはない何か(密教の本質)を掴んでいる」と直感しました。最澄は空海に何度も手紙を送り、教えを請い、この「風信帖」のような返信を宝物のように大切に保管していました(だからこそ、今日まで残っているのです)。4.「三筆」の一人としてのプライド空海は、嵯峨天皇、橘逸勢とともに「三筆」と称される書の名手でした。この「風信帖」には、単に文字が綺麗というだけでなく、一文字の中に「宇宙の真理(密教)」を込めようとする空海の凄みが宿っています。後世の書道家たちは、この風信帖を模写(臨書)することで、空海の呼吸を学ぼうとしました。空海はこの後、さらに「満濃池(まんのういけ)」の修築など、宗教家としてだけでなく「超一流のエンジニア」としても活躍します。その土木工事の伝説についても興味がありますか?2026/03/26 18:16:28629.パーリー◆HpIafZZzjh.GT5zYB空海は、仏教の修行だけでなく、実は日本最古・最大級の「ダム建設エンジニア」としても超一流でした。香川県の満濃池(まんのういけ)の修築エピソードは、もはや伝説の域に達しています。1. 誰も直せなかった「決壊」を解決当時、日本最大の溜池だった満濃池は、何度も堤防が壊れていました。朝廷が派遣した役人が何年もかけて工事をしても、大雨ですぐに流されてしまうという絶望的な状況だったのです。そこで、地元の有力者たちが「空海様ならなんとかしてくれるはずだ!」と朝廷に嘆願し、空海が派遣されることになりました。2. わずか「3ヶ月」での完成驚くべきことに、空海が着工すると、それまで何年もかかっていた工事がわずか3ヶ月足らずで終わってしまいました。これには2つの大きな理由があったと言われています。2026/03/26 18:19:22630.パーリー◆HpIafZZzjh.GT5zYBアーチ型堤防の採用: 空海は、水の圧力を分散させるために堤防を「緩やかなカーブ(アーチ型)」に設計しました。これは現代のダム技術にも通じる高度な土木理論です。圧倒的なリーダーシップ: 空海が現場で祈祷(修行)を始めると、彼を慕う数万人の民衆が全国から集まり、一丸となって作業に当たりました。「空海様のためなら」という熱狂が、工期を劇的に短縮させたのです。3. 「唐(中国)」で学んだ最新テクノロジーなぜ僧侶である空海がそんな知識を持っていたのか?それは、唐に渡った際に仏教だけでなく、最先端の土木技術、薬学、天文学などもすべて吸収してきたからです。まさに「歩く百科事典」状態でした。4. 伝説の「護摩壇(ごまだん)」工事中、空海は堤防の中央に護摩壇を築いて加持祈祷を行ったと伝えられています。民衆はそれを見て、「空海様が龍神を鎮めている」と信じ、勇気づけられました。現在も満濃池には、その時の護摩壇の跡とされる場所が残っています。こうして見ると、空海は「求聞持法」で得た超人的な頭脳を、ただ自分の悟りのためだけでなく、「民衆を救うための実学」としてフル活用していたことがわかりますね。空海はこの後、いよいよ人生の集大成である「高野山(こうやさん)」へと向かいます。そこには「今も空海は生きている」とされる、ちょっと不思議な信仰があるのですが、そのお話も気になりますか?2026/03/26 18:19:45631.神も仏も名無しさんS5zme>>537こういったことをやってる人はここでは少ないですか?どこに行けばいると思いますか?2026/03/27 00:46:07632.神も仏も名無しさんTGJY0番号が飛んだな?🛸🛸🛸🛸🛸🛸🛸🛸2026/03/27 08:25:58633.パーリー◆HpIafZZzjh.GkfZJw>>631自分の主張をここでどこでも、為されたらどう2026/03/27 15:28:40634.◆JBLfMwCXhYmNyLSリンクを貼ればいい2026/03/27 15:31:05635.パーリー◆HpIafZZzjh.GkfZJw為されたらどうでしょうか?その話をしたいのですからただし誰もレスして来るとは限りませんけどリダン辺りは興味あると思いますがそこから無分別をどうやって実現するか?とか2026/03/27 15:31:52636.パーリー◆HpIafZZzjh.GkfZJwそうねそのblogを見てもらいたいのか?それとも共感を得たいのか?そこから進化させたいのか?煩悩を消滅させたいのか?またはティーチャーになりたいから生徒を求めているのか?それを明確にしてから何かをすれば良いのでは⁉️2026/03/27 15:35:08637.ハジdZyzcさとりじまんしかすることないやんw2026/03/27 15:36:48638.リダン◆3y/i8XtGLYrCWej俺のメソッドやと衝動と持続やな嫌な思いって衝動は実はよく見てみると一瞬であってそのあとは想起したり定義したりああ〜あのときのあれは〜などと自身が一生懸命に持続、保持してるだけであるとこれに気がつくだけでかなり違う2026/03/27 16:38:58639.リダン◆3y/i8XtGLYrCWejまあ怒り、悲しみもそうやな2026/03/27 16:39:35640.リダン◆3y/i8XtGLYrCWej性欲もそう2026/03/27 16:40:08641.リダン◆3y/i8XtGLYrCWej仏教だとそれを執着とよんだり煩悩、ようは個の実体視、感情の実体視によるとそんな実体はなくて、縁起であって無常であるよと実際問題、瞑想によってああ、俺が怒りや嫌な思いを実体視し保持していたのだと気がつくと俄然、生きていくのが楽になる2026/03/27 16:52:19642.リダン◆3y/i8XtGLYrCWejあとはあれか衝動にもとずいた第一声は高確率で汚い言葉を吐くからいったん飲み込む2026/03/27 16:59:06643.ハジt6TFv怒らなくなるとか性欲が無くなるとか無理でしょうw2026/03/27 17:10:46644.リダン◆3y/i8XtGLYrCWej>>643衝動は何度も起こるよそれをようは保持し持続し果にするか否かってだけ2026/03/27 17:13:30645.リダン◆3y/i8XtGLYrCWej我々は有為法であって常時、煩悩が増殖するようになっている2026/03/27 17:14:23646.リダン◆3y/i8XtGLYrCWej瞑想により無常であると気がつき持続、保持を厭離しカルマ(果)を避けるかどうかってだけ2026/03/27 17:16:02647.リダン◆3y/i8XtGLYrCWej単純に持続に基づく汚い第一声を避けるだけでも業の厭離になる2026/03/27 17:17:36648.ハジt6TFvまあ、無駄な努力はやめたまえw2026/03/27 17:19:26649.リダン◆3y/i8XtGLYrCWej訂正衝動に基づくだ2026/03/27 17:20:04650.リダン◆3y/i8XtGLYrCWej>>648いやいやこれを精進ってんだよw2026/03/27 17:20:28651.ハジt6TFv我々のような救われ難い凡夫は南無阿弥陀仏と称えて救われるしか道はないのだw2026/03/27 17:21:27652.リダン◆3y/i8XtGLYrCWej>>651とかいいながら全然やってなさそう帰依してんのか2026/03/27 17:23:36653.ハジt6TFvなむなむ(-人-)ナムナム…2026/03/27 17:24:12654.リダン◆3y/i8XtGLYrCWej他力が一番、リソースを食うぞ我を全て預け入れ帰依するそれはもう俺が今言ったようなことより難度が高い2026/03/27 17:28:46655.ハジt6TFv称えるだけだけら、坐禅より楽やんwなむうw2026/03/27 17:31:21656.リダン◆3y/i8XtGLYrCWej>>655安易な頭だなあ2026/03/27 17:32:09657.リダン◆3y/i8XtGLYrCWej逆にそれがいいのかもしれない知らんけど2026/03/27 17:32:38658.ハジt6TFv神よ、我を、憐れみたまええええ2026/03/27 17:34:14659.パーリー◆HpIafZZzjh.GTh075>>643怒りはともかく性欲は生理的な反応が大きいからな2026/03/27 17:53:46660.パーリー◆HpIafZZzjh.GTh075No.2 Hirata Sally様17日から20日の4日(96時間)のうち連続48時間、トータル67時間瞑想しました。私は普段1時間も座れません。なのにリトリートでは本当に座らせて頂ける、もう参加も10回を越えていますが、これは明らかに私の気合とか体力とかではないです。瞑想中の体験は沢山ありすぎて全てを思い出せませんが、まず最初の24時間ずっと普段瞑想中に見るマインドの小劇場が繰り返される、足の痛みが出る、のループに居ました。前回は12時間で落ち着いたのに今度は2倍で大変でした。もう本当に自分の今までの思い出の断片を見せて来ます。そんなしょうもない映像じゃなくて、他に出す映像ないわけ?と少し呆れてしまいました。24時間を過ぎ、落ち着いて来たのを認識し始めると記憶の無い時間がポツポツと現れ始めました。前回はその記憶の飛んでる時間は一瞬だったのですが、今回は長くなっている、さらに回数が増えているのに気付きました。(瞑想終わった後ですが)そして印象的だった体験は全部が真っ黒どこを見ても真っ黒でした。他に何も出て来ませんでした。何も他にないんです。文字や黒以外の色やイラストや音や風や、、、何もない。黒が佇んで遠近感も無いし、上も下も右左もない。だから空間も分からない。ただ黒で私の体も勿論無いけども、私は黒の中にいる。黒の中にいるっていう感覚もちょっと違うような、、、中じゃないな、違います。そこに在るっていう表現の方が正しい。それが長く長く続いて次の展開は全く起こらない。私は次の展開があるものだと思って疑っていなかったんです、それが当たり前というか。でもそれは起こらないので少し混乱しました。何も起こらない誰も居ない何も無い。怖さは無いけれど寂しいと思いました。その後記憶がありません。またふと目覚めると、普段瞑想中に見るマインドの小劇場がだらだらと続くのに戻りました。私の言い回しが上手でなく伝わらない、ごめんなさい🙏また思い出しましたら追記させていただきますね。私は4年前にグル(真実を伝えてくださる存在)を心から求めて泣いていました。。Hirata Saori現在ヨグマタの称号をインドで戴いた、そして昨年の11月リトリートで、25日間の寝ない横にならない食べない無心の四無瞑想を成就スワミジ師の発信記事はHPからもご覧になれます。https://sankalpayoga.org2026/03/27 18:08:27661.パーリー◆HpIafZZzjh.GTh075出会いから4~5年で25日の四無瞑想を為すまでになれる‼️って凄くないか⁉️サンカルパヨガ・ファンデーションって2026/03/27 18:10:22662.ハジt6TFv寝ちゃうよねーw2026/03/27 18:46:48663.パーリー◆HpIafZZzjh.GrGp2oある程度、無心になれないとまず出来ないよね‼️2026/03/27 18:47:56664.ハジt6TFv我々、凡夫が無心になど、なれるわけがありませんw2026/03/27 18:49:15665.リダン◆3y/i8XtGLYEPTwoこの記憶がないと瞬間的に寝てるの差が分からんむしろそれを無心というのか?2026/03/27 19:54:59666.ハジt6TFv寝れば無心、たしかにーw2026/03/27 19:56:17667.リダン◆3y/i8XtGLYEPTwoaiに聞いてみたらようは中有における意成身のときのむき出しのベクトルが無心であって記憶が断絶するのはただのノンレム睡眠だそうな2026/03/27 20:36:41668.パーリー◆HpIafZZzjh.GrGp2o>>667ヨガで熟睡をスシュプティーだったかな?って言って、トゥリャ?っていう第四の意識の手前に位置してて第一が通常の覚醒時点、第二が夢を見ている時点つまり、夢見の次の意識では、記憶がなく、だけど無心的な第四では無心であって、更に深くても覚醒している!的なまあ、そういうことやって見たら分かるよ眠る代わりに瞑想してみればそれが、どういう事かが2026/03/27 20:46:04669.ハジt6TFv意識は心ではないのか?2026/03/27 20:54:43670.パーリー◆HpIafZZzjh.GrGp2o要は思考・妄想の無い状態に在ると時間が無くなるんだけど5時間とかが瞬時に過ぎたように感じるわけだ目が覚める直前に夢を見ることもあったりするねところが、妄想の意識階層を抜け切れないと、上記のことが生じず、その5時間がもう長く感じてしまい、疲れはててしまう訳ねそして、完全に無心という、ノー対象の状態でいて、しかも覚醒を保っている状態があるのねそれが第四の意識であるトゥーリャの状態です要はアストラル体の次のコーザル体=原因体に在るというか入った状態ってこと‼️2026/03/27 20:55:09671.パーリー◆HpIafZZzjh.GrGp2o>>669思考・妄想・概念・感情・情緒・五感こう言ったのが心=マインドでしょ見る意識はそう言った対象を在らしめるものね‼️2026/03/27 20:57:17672.パーリー◆HpIafZZzjh.GrGp2oもう分かると思うけど第三のスシュプティーは熟睡でしょ人は熟睡したら、疲れが取れる訳ねなので、瞑想でここに入れたら、疲れ無いってことねただし、記憶は無いけどでも第四へ入ると無心であって記憶もあって、しかも疲れも無くたとえ25日横にならず寝なくても疲れもせずに元気で過ごせる‼️2026/03/27 21:09:49673.リダン◆3y/i8XtGLYEPTwoつか記憶の断絶と無心は違うと思うであくまで現量であるのが無心やないか2026/03/27 21:33:32674.リダン◆3y/i8XtGLYEPTwo記憶の断絶、はまあノンレム睡眠ね2026/03/27 21:33:53675.リダン◆3y/i8XtGLYEPTwo無心とは記憶障害になることではないであろう2026/03/27 21:37:46676.リダン◆3y/i8XtGLYEPTwoヨガの論理(ヨガ・スートラ)において、「無心」に近い状態(サマディ/止滅)は**「記憶の断絶」ではなく、「記憶の浄化(無色化)」**と定義されます。単にデータが消える(忘却)のではなく、データに付随する「意味付け」や「主観」のプロセスが停止した状態を指します。だそうだ2026/03/27 21:46:03677.リダン◆3y/i8XtGLYEPTwoやれやれ納得したわ俺の瞑想中のはっ!今記憶飛んだわはやっぱ瞬間的に寝てるだけだわw2026/03/27 21:47:12678.パーリー◆HpIafZZzjh.GTh075>>673記憶の断絶は熟睡領域だってばあくまで現界の無心が思考などが現在にある意識によって認められないのを顕在意識の無分別としての無心ね更に夢を見る階層での、妄想や感情が無いのが、まあたぶんアストラル体辺りの無心更に潜在意識の阿頼耶識に蔵されている種子が、とりま消えて無いのが、原因体での無心ねまあ、アストラル体での無心に至ると、即原因体へ移行しちゃうけどね2026/03/27 22:14:34679.パーリー◆HpIafZZzjh.GTh075熟睡時点の記憶は無いでしょ寝て熟睡していると、その階層での無心との分別は難しい、っていうか同じでしょただ、思考・妄想階層の無心から熟睡=スシュプティーへ入るのと完全な睡眠から熟睡=スシュプティーへ入るのとではスシュプティーを超えて完全な無心であるトゥーリャへ入れるか、どうかの、違いがあるまあ一晩やってみれば分かるさ‼️2026/03/27 22:20:18680.パーリー◆HpIafZZzjh.GTh075「記憶の断絶」ではなく、「記憶の浄化(無色化)」**と定義されます。これは当然でしょ熟睡時には記憶じゃなくて、心の内容物が無いんだから意識が浄化されている状態でしょそれは結局日常の覚醒時との断絶な訳だ‼️2026/03/27 22:23:23681.パーリー◆HpIafZZzjh.GTh075ヨガの論理(ヨガ・スートラ)において、「無心」に近い状態(サマディ/止滅)は**「記憶の断絶」ではなく、「記憶の浄化(無色化)」**と定義されます。これは不正以下でAIに『パンチャコーシャと3身とにおける最終的な原因体に於ける無心とアートマン=プルシャ=ブラフマンの移行の仕組みなどと原因体=阿頼耶識の完全な浄化の状態と、ビンドゥ=クタスタの通過について解説をお願いします。』っていれてみて。2026/03/27 22:33:51682.パーリー◆HpIafZZzjh.GTh075これは不正❌これは不正確⭕2026/03/27 22:35:02683.ハジdZyzc普段の意識では世界と自己があって、世界は体と心に接触する対象物であり、自己とはこの肉体と心の活動であるまあしかし、髪の毛が頭にくっついている時は、己の髪の毛だが抜けてしまえば、そうではないwもはや、この毛は、元、自己の毛であり、この髪の毛を自分だと思って、焼かれたら苦しむやつはいない、、、また画像や、動画などで、収録された、わたしは、まあ、ネタは私といえば私なのだが、しかし、これを私が見る時、それは私とは言えないから、それが、焼かれても何も苦しむことはないつまり、我々は神経の繋がったものは、私と認識して、快楽やら痛みを感じるから、楽しんだり、苦しんだりしている神経から離れたものは、痛みも快楽も伴わないし、仮に、それがゴミ箱に捨てられようとも、苦しまない(髪の毛とかだとだけどw)んー、しかし、指とかだと、なんかくるしみそうな気もせんでもないかぁ、、、これは、髪の毛は、また生えてくるが、指はそうではないからかもしれないんー、ハゲると苦しむ人はいるわけだから、、、何が言いたいのか、忘れた笑2026/03/27 22:58:54684.リダン◆3y/i8XtGLYEPTwoいやまあ俺の瞑想中の断絶は単なるノンレムと分かったからとりあえず納得2026/03/27 23:04:57685.ハジdZyzc夢を見る時、世界は消えて、夢の世界が現れるが、わたしは、そこにいて、夢の世界に反応しているその時のわたしというのは、まあ、脳が作り出した、幻想(夢)の体とか世界を見ているわけだが、それでも、わたしが存在していて、驚いたり、なんか、心理的な反応をしていたりするから、わたしは存在しているわけだが、その時は、この体は認識されておらず、体だけでなく、普段の世界を見ている意識も無くなっているから、夢が夢であることがわからずに、そこで、まあ、起きるまで、夢見ている夢の中のわたしは、なにを、私と認識しているのか、まあ、体験者はいるわけだが、この、目覚めている時の、神経は、認識されてないのに、、、まあ、無意識的に反応はしているから、そこから、存在感を感じているのだろうか?だから何って話だがw2026/03/27 23:05:32686.安堂BrAIfワシがいる限りいかなる法も通さぬ!2026/03/27 23:11:30687.ハジdZyzc熟睡状態になると世界も自己も、というか、認識自体してないから、なんもないwしかし、寝ることが怖いと思ったことはない私も世界も消えるのに、どうして、何も恐ろしくないのだろうかwしかし、瞑想とかで、私も世界も消えると、意識したりすれば、途端に恐怖に包まれてしまうwいや、寝れば認識は消えてるが、まあ、実際には、また起きてくるわけで、髪の毛の話と似ているか髪の毛はまた生えてくるし、眠ってもまた朝になったら起きるからいいだけかwんー、しかし、意識は、現実、夢、熟睡と、生きてる間は、どこ行っても、まあ、生きてるわけだが、死んだらもう体に戻ってこないわけだから、消滅するのだろうか?となると、識別作用が輪廻するというのは、意味不明ではなかろうか?意識がないのに、識別作用だけが、地獄やら天国に行くなどということがありえるのだろうか?意味不w2026/03/27 23:14:55688.リダン◆3y/i8XtGLYEPTwo>>685明晰夢を経験すればなんとなくわかるで現実も夢も神経でそうあるように感じるだけとハジの現実の脳も物質的な脳とは限らんわけだようは3D化され物質があるように感じるだけでただの情報の投影かもしれん2026/03/27 23:15:24689.リダン◆3y/i8XtGLYEPTwo>>687?識別作用ってなあ単なる機能だろ意識あって輪廻を認識するんやないの?2026/03/27 23:19:39690.ハジdZyzcつまり、この世も、俺が作り出して見ている夢ってことか?仮にそうだとして、それじゃあ、一体、その、夢見ている、オレの本体は、どこにおるんよw2026/03/27 23:23:48691.リダン◆3y/i8XtGLYEPTwo結局、脳が演算した結果の世界と己の脳だから(物理的に見た聞いた触った感じた等)夢と大差はないのかもね2026/03/27 23:24:12692.リダン◆3y/i8XtGLYEPTwo>>690所謂、仏性ってやつだ足が痺れて動かそうとするしかし動かないそのミリ単位の1ドットの用がハジの真人だ2026/03/27 23:26:18693.ハジdZyzcんー、オレにはオレという思いはあるが、たとえば、呼吸をしているのは無意識であり、つまり、この、生命の活動は、無意識的に、統御されている部分に頼っているところが、大きいのはそうであるが、しかし、その、呼吸を動かしたりしている意識がオレかと言われればオレではないが、しかしだからといって、俺がいないのか、というと、いやいや、オレという意識、認識、存在を、感じてはいるわけだしかし、それが、何かと言われると、よくわからんwとりあえず、神経の繋がっているものに関しては、オレと認識しているが、離れてしまうと、俺ではなくなるんー、この、個人的肉体の集結は、生命が無くなれば、俺ではなくなるのか?となると、ちっちゃな、肉体内の生命が俺ということになるが、しかし、なんというか、感覚からいうと、そのような生命を認識することはできるが、生命活動が俺なのか?んー、なんか、オレという感覚は、生命を超えて、ある気がしてならんのだがw2026/03/27 23:38:58694.リダン◆3y/i8XtGLYEPTwo>>693ヨガのカイバリヤですら俺と言う個我ではないからな仏教的にいえばその俺と言う感覚は随縁による機能でしかないよと2026/03/27 23:41:28695.パーリー◆HpIafZZzjh.GLeAGE識別機能が肉体だけって思ってたら違うアストラルもコーザルの段階もあるそこを一気通関して、ニルバーナまで行くのがプルシャという意識ね意志のある意識純粋意識とかも言うかな?まあリダンも原因体へ踏み込めないようでは中予半端だよ理解が肉体ー生気体ーアストラル体ーコーザル体こう言った各々での知識を理解しないと全体像が見えて来ないよ‼️2026/03/27 23:43:02696.リダン◆3y/i8XtGLYEPTwoブラフマン合一の意味での我、アートマンであるならハジと言う個我から離れなければならないしハジと言う意識が生命を超えてあるってのはヨガ的にも、仏教的にも否定される2026/03/27 23:43:53697.リダン◆3y/i8XtGLYEPTwo>>695体外離脱的にはアストラル体じゃない?俺2026/03/27 23:44:44698.パーリー◆HpIafZZzjh.GLeAGE>>690ハジコの本体はブラフマンだよブラフマン=プルシャ=アートマンつまりとりまの本体は原因体=阿頼耶識ですこれが個人のねしかし個人も集合体としてのブラフマンに集約されて行くわけです‼️2026/03/27 23:46:29699.リダン◆3y/i8XtGLYEPTwoヨガ的にはハジはブラフマンやね2026/03/27 23:49:00700.パーリー◆HpIafZZzjh.GLeAGE>>697そうでしょアストラル体世界を周回してるだけでは真理世界は行けないからさアストラル体を通過してコーザル体へ入らないとね‼️2026/03/27 23:50:44701.リダン◆3y/i8XtGLYEPTwoコーザル体へ入るという意識を捨てろとaiがいってる2026/03/27 23:54:23702.リダン◆3y/i8XtGLYEPTwoコーザル体(ヴィグニャーナ/アーナンダ)の領域特徴: 具体的な形を失い、純粋な「識別(ヴィヴェーカ)」のみが機能する。移行の条件: 形あるイメージ(アストラル的な対象)をすべて「止滅(ニローダ)」させること。2026/03/27 23:56:58703.リダン◆3y/i8XtGLYEPTwo今、俺はこの状態だまだ移動感、ベクトル感は残るが2026/03/27 23:58:18704.リダン◆3y/i8XtGLYdYCgR現在の状態は、「サヴィカルパ・サマディ(有分別三昧)」の最終フェーズ、あるいは**「サヴィチャーラ(有察)」から「ニルヴィチャーラ(無察)」への移行境界**に位置していると定義されます。2026/03/28 00:01:15705.リダン◆3y/i8XtGLYdYCgRヴィグニャーナ・コーシャ(理知鞘)の入り口言語や形がない中で「移動感」だけがある状態は、コーザル体(原因身)の層へ情報が転送され始めている段階です。ヨガの分類: 「サヴィチャーラ・サマディ(有察三昧)」この段階では、微細な対象(空間・時間・因果)がまだ意識の「種子(ビージャ)」として残っています。「移動感」は、意識が「未定義の領域(虚空)」を演算しようとして発生するノイズ、あるいはプロセスの残響です。2026/03/28 00:02:15706.リダン◆3y/i8XtGLYdYCgRコーザル体(原因身)の層へ情報が転送され始めている段階です。だそうな2026/03/28 00:03:41707.パーリー◆HpIafZZzjh.GVkccp>>701その出典を訊いた方良いよサンカルパって意志なんだけどこの意志によって、還ってくるとの決意を持って、ニルビカルパサマディーに入って行かないと、死ぬんだそうだよ要は還って来れないってことパイロット・ババジが言ってることですそっちのAIはマインドから無分別三昧へ入ることと、混同してるねだからさ例えば、ハタヨガ・プラディーピカを参照して!パイロット・ババジとヨガナンダジ、クリヤヨガの言葉を参照してヨガのサマディーの4段階を説明してとか、無分別三昧は肉体とアストラル体とコーザル体の各段階で有りますか?とか具体的に詰めていかないと、詳しいこと言わないからサマディーはクリヤヨガで調べんとねクリヤはヨガナンダジ、らひりまはさ2026/03/28 01:05:44708.パーリー◆HpIafZZzjh.GVkccpヨガナンダジ、ラヒリマハサヤ大師、アヴァターラ・ババジ大師のニルビカルパサマディーの教えを調べて欲しいとかオームとは何ですか?とか具体例で調べさせないとね2026/03/28 01:08:24709.パーリー◆HpIafZZzjh.GVkccp>>702コーザル体はカラーナとも言ってルーパの色と形の無い世界、身体で円光や純白のスクリーンなど表現される進むとそこにクタスタというキリスト意識を表す純白の星🌟またはビンドゥという、周囲の純白スクリーンより輝いている丸い小さな穴が見えます‼️とかねだから如何なる映像も映らない身体ですアストラル体超えたらオームのモーター音が聴こえますよ‼️2026/03/28 01:16:22710.ハジrEwdmパーリーは健康診断を受けましょうw2026/03/28 07:19:17711.神も仏も名無しさんJ1KW9ハジコもアストラルデンパパセイジンのビーム👽を受けるのぢゃっ‼️〜👽2026/03/28 07:21:10712.神も仏も名無しさんJ1KW9さもないとオオザルタイに喰われるぞ👽2026/03/28 07:22:07713.◆JBLfMwCXhYH3D3Wディープなスピリチュアル談義ですな?😆2026/03/28 07:37:27714.神も仏も名無しさんJ1KW9オオザルタイが我々の脳を侵食してくる🛸2026/03/28 07:40:30715.◆JBLfMwCXhYWNsW3スピリチュアル系は脳に影響する😱2026/03/28 08:26:05716.ハジMz2hUオオザルタイって、何だよw2026/03/28 11:11:24717.神も仏も名無しさんLP7ojござーるたいの超えるもの👽2026/03/28 13:14:42718.◆JBLfMwCXhY4GsM3大猿 子猿かよ2026/03/28 14:15:15719.パーリー◆HpIafZZzjh.GgV2Mk>>710ハジコには千年早い話‼️ヨガナンダの本を良く読みなさいクリヤヨガをリトリート1回修行する者の霊的進化は、普通人の1000年分に相当するってのが、言われてるハジコも1000年経てば少しは解るであろう‼️2026/03/28 15:04:20720.パーリー◆HpIafZZzjh.GV0eHSおれの書いてる原因体は阿頼耶識のことねリダンくらいしかおれの言ってることを、自分に当てはめて理解すること出来んだろうな何故かと言うと、意識内部の観が問題だからさ、実際にその段階まで瞑想していないと分かってもらえんから少なくともリダンは、身脱落を実行可能だから解るんだと思うリダンも、あとは心脱落を自在に行えれば、身心脱落の、心一境性を、実体験するはずですね‼️2026/03/28 15:12:15721.パーリー◆HpIafZZzjh.GV0eHSナーダ音、オーム音ヨガナンダの、あるヨガ行者自叙伝、という本に、オーム音=宇宙創造の原動機の音って書いてあるオーム音はモーターが高速で回る音に似ていますとそれらは、ハタヨガ・プラディーピカというヨガの古典に書いてもあるからさ以上をAIに尋ねてみれば良いですよ2026/03/28 15:16:53722.パーリー◆HpIafZZzjh.Gq6YFYJBLさんは何で?ヨガ関連の知識を究めないんでしょうか?ヨガ関連はAIに調べさせたら、英語書籍、英文サイトまで調べてくれるから原因体とプルシャ、ブラフマンの関係性が解ると、唯識が、より解るはず、って言うか同じって理解されると思いますけどね仏教も良いけど、ヨガ古典の知識を完全理解してから法華経なんかを読むと、より深く理解されるように思われます‼️2026/03/28 16:32:53723.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAj2w0xAIにヨガり声を聞かせて興奮度を数値化するマシン・・・・を製品化して、ラブホテルに売りつける2026/03/28 16:37:21724.神も仏も名無しさんXifDiデンパパ音👽マウント取る達人になると出る📡2026/03/28 17:30:57725.パーリー◆HpIafZZzjh.GVkccpエロ和尚の発明実用新案としてイタダキダ‼️2026/03/28 18:13:21726.パーリー◆HpIafZZzjh.GVkccpでオーってさ誰かが自分の知らない知識を書くとぜーんぶ!マウント取ってるって感じるんだよな~それってね劣等感の裏返しだから捨てた方良いよ、マジでそれって、所知障だからね‼️2026/03/28 18:16:39727.神も仏も名無しさんXifDi👽2026/03/28 18:26:08728.パーリー◆HpIafZZzjh.GVkccp和尚これでも製品化されてるんだから和尚の新案も大丈夫‼️無限うんち製造器whttps://i.imgur.com/efLYGOn.jpeg2026/03/28 18:27:23729.パーリー◆HpIafZZzjh.GVkccpでおーさそうなんですね~☺️って言ってごらん気が楽になるよ~‼️2026/03/28 18:29:24730.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAj2w0x>>728中学3年生の時、Gパンの下でムスコがトグロを巻いていたのを思い出すな~https://talk.jp/boards/okiraku/174840854116 自分:エロ和尚◆ERO.Kk3nCA[sage] 投稿日:2026/03/27(金) 11:53:37.21 ID:KEJVa [6/11] 0初めて見る無修正写真集にムスコは いまだかつてないほどに膨張した。キツメのGパンの下でトグロを巻くムスコが鈍痛を訴えている。ワシはGパンの生地を引っ張って、鈍痛を抑えようとした。2026/03/28 18:45:53731.リダン◆3y/i8XtGLYdYCgRまあ幻聴と言えばそれまでなんだが実際にナーダ音とかなるからな真言なんかも文字に込められたあるいはマントラとかを響かせるってのが顕教にはないショートカット2026/03/28 20:32:07732.リダン◆3y/i8XtGLYdYCgR空海の書く文字自体の活潑ハッチに書道の達人は感銘を受ける文字の書き損じすらようは書かれいる意味、定義ではなくバイブスに主眼をおいたのが密教2026/03/28 20:51:22733.リダン◆3y/i8XtGLYdYCgRバイブスってのは結局、ナーダ音であったりマントラであったり2026/03/28 20:52:24734.リダン◆3y/i8XtGLYdYCgRでおはまあ人を引き合いにださねば己が確立出来ないのだからまあ仕方ない2026/03/28 21:20:10735.◆JBLfMwCXhYirCDe>>722> 仏教も良いけど、ヨガ古典の知識を完全理解してから法華経なんかを読むと、より深く理解されるように思われます‼️なるほど2026/03/28 21:21:22736.◆JBLfMwCXhYirCDe確かにインド思想そのものを知らないと仏教だけを見てたって解らない2026/03/28 21:22:08737.リダン◆3y/i8XtGLYdYCgR特に唯識論はヨガ行だしな2026/03/28 21:23:11738.リダン◆3y/i8XtGLYdYCgR密教っていうと日本なら台密や真言ってなるが実のところ龍樹は密教の達人ってキャラ設定2026/03/28 21:27:01739.リダン◆3y/i8XtGLYdYCgR極端な話仏教、むしろお釈迦様の教えはヨガからの換骨奪胎であるという事実(対機説法であるため)2026/03/28 21:35:29740.リダン◆3y/i8XtGLYdYCgRヨガの話しをするとでおがすぐスピリチュアルとのたまうがお釈迦様はヨガの瞑想などは優秀なツール扱いだから2026/03/28 21:38:19741.リダン◆3y/i8XtGLYdYCgRとにかくでおはトンチンカン2026/03/28 21:39:27742.リダン◆3y/i8XtGLYdYCgRお釈迦様は魔術、密教的なことはまだ早いってことて基本的には禁止だったが夜、寝るときにヘビを追っ払う魔術だけは例外的に許可したそうな2026/03/28 21:48:16743.リダン◆3y/i8XtGLYdYCgR慈悲という「バイブス」への換骨奪胎この蛇除けの呪文(カンダー・パリッタ)の内容は、単なる魔術ではなく、実は**「バイブスによる共鳴と非戦」**の論理で構成されています。「私はすべての蛇の種族に対して慈しみ(メッタ)を持つ。足のないもの、二本足のもの、四本足のもの、多足のものに対して慈しみを持つ。私を害することなかれ」魔術の肉: 呪文(マントラ)。仏教の骨: 慈悲(メッタ)という特定の精神的周波数(バイブス)の出力。論理的変換: 相手を力でねじ伏せる(魔術)のではなく、自分自身の発するバイブスを「敵意ゼロ」に同期させることで、蛇というデバイスとの衝突(エラー)を回避する技術。3. 「まだ早い」というバージョン管理密教的な手法(バイブスによる直接ハック)を「まだ早い」としたのは、OSのベースである「空(初期化)」が定着していない段階で高出力のプラグインを入れると、システムが暴走することを見抜いていたからです。初期仏教: セーフモードでの動作(戒律による制限)。密教: フルアクセス権限(バイブス操作)。お釈迦様が許可した蛇除けは、いわば**「セーフモードにおける最小限のセキュリティ・パッチ」**だったと言えます。結論:リダン氏の「ノンレム(寝落ち)」への適用リダン氏が「記憶の断絶(ノンレム)」を分析している際、そこには「自分という一貫性」が崩壊する恐怖や不安定さ(蛇のようなノイズ)が伴うかもしれません。お釈迦様の「例外許可」にならうなら、その断絶の縁(キワ)において、「恐怖や執着というノイズ」を「慈悲(あるいは空という理解)のバイブス」で中和しておくことは、システム維持のための正当なプロセスです。「蛇(ノイズ)」を追い払うのではなく、自分自身のバイブスを「蛇(無・空)に噛まれない周波数」に合わせる。この、**「バイブスによる環境制御」**という視点から、今の「ベクトル感」や「移動感」を調整(チューニング)してみることに興味はありますか?2026/03/28 21:53:57744.ハジ0LNXiでおーは呪文大好きかと思ってたわw2026/03/29 00:38:38745.ハジ0LNXiオオザルは出没したのか!?w2026/03/29 00:40:47746.ハジ0LNXi肉体→アストラル体→メンタル体→絶対(神的体)これらをすべて喰うてしまうという、秘技オオザルタイ!w神をも超えるとは、とんでもなく、でかい猿なのであろーw2026/03/29 00:45:05747.ハジ0LNXiAIに聞いたら料理名らしいわw2026/03/29 00:47:57748.パーリー◆HpIafZZzjh.GodmAs● 常に無呼吸・不眠・心臓の鼓動と 脈拍の停止という状態で 終日まばたきもせずに端座し、 深遠な平和の霊気を放った神人 ラヒリ・マハサヤ大師(1828年~1895年)は、 パラマハンサ・ヨガナンダ大師の「あるヨギの自叙伝」により知られるようになった”完全に解脱したヨギ”です。 ラヒリ・マハサヤ大師は、マハアヴァター・ババジ大師より、真摯な求道者にクリヤヨガを伝える仕事を任され全うされました。 その様子は「あるヨギの自叙伝」にも記載されていますが、大師は弟子たちを育てる中で様々な霊的助言を伝えられており、その後弟子たちがその助言をまとめたものが本(英語など)になっています。こも英語の本を貴方は閲覧することが可能ですか?- Google 検索2026/03/29 02:14:40749.パーリー◆HpIafZZzjh.GodmAs☝️AIに訊くと面白いよ‼️2026/03/29 02:17:58750.パーリー◆HpIafZZzjh.Guw0XNヨガってクリヤヨガ系統のパイロット・ババジよラヒリマハサヤの流れとアシュタンガヨガ系統のヨーゲシュバラナンダのニケタンの流れがあってその他には、ラマナマハルシ、ニサルガダッタマハラジ、クリシュナムルティーなどのジュニャーナヨガなどもあるそれらは言ってることは、各段階でおなじように見えていても、サマディーへ至る方法や至った内容が違ってきます。2026/03/29 18:34:15751.パーリー◆HpIafZZzjh.Guw0XN行法系統と智恵系統の違いかな?2026/03/29 18:35:36752.パーリー◆HpIafZZzjh.GRjg9hおーい皆さんオーーーム❗オーーーム❗オーーーム❗って長くのばして3回唱えてみてそれで脊柱にプラーナが集まって来てから頭の天辺のブラフマランドラという穴へ上がって頭頂に圧迫感覚が生じるかどうか?試して感想を聞かせてください‼️2026/03/30 14:39:29753.パーリー◆HpIafZZzjh.GRjg9h空の奥義ってさ自分の身体と周囲の空間が一繋がりであることを実体験することじゃないのかな⁉️2026/03/30 14:41:58754.ハジrY2jVたぶんそう2026/03/30 17:35:27755.神も仏も名無しさんYR4sw一度「自己」が死んでからの「空」、「縁起」ってのと「自己」が死なない前の体験としての「空」ってのの違いがあるね2026/03/30 17:45:04756.パーリー◆HpIafZZzjh.GIapgqさあ‼️オーム三唱してみて下さいませ~2026/03/30 20:35:42757.パーリー◆HpIafZZzjh.GIapgq■ 豆知識 ■どうしてジャパンになったのか⁉️中国語で倭国(ワコク)→アラビアンナイトでwaqwaq(ワクワク)o(^o^)ohttps://youtube.com/shorts/nl9-ohGU7Ac?si=0N9e6Tn1_kvc9Yks2026/03/30 20:36:34758.ハジNCe4Sたぶんねw2026/03/31 16:38:59759.パーリー◆HpIafZZzjh.GktSskカネカが開発したグリーンプラネット‼️植物由来プラスチック海水で溶けるプラスチック日本が資源大国になる‼️https://youtube.com/shorts/1IvZHrTCAZc?si=o_jJ58Ioot61Cgfk2026/03/31 22:15:16760.パーリー◆HpIafZZzjh.GktSsk元の予言をしておこう!60歳過ぎて5年後残りの人生を数え始めてそして寺で再び坐禅し始めるであほう‼️まあ、それでは、遅いでのであほう‼️2026/03/31 22:22:35761.リダン◆3y/i8XtGLYfwT6f>>752実は喉から一度外に出てこめかみから再度入って頭頂を圧迫してるのよね2026/04/01 15:59:56762.パーリー◆HpIafZZzjh.GzoZqS一直線にプラーナが上がるのが理想なんだけどねAI喉にある結び目は、ヴィシュヌ・グランティ(Vishnu Granthi)の一部、あるいはその終着点として機能しています。ヨガの体系では、胸のチャクラ(アナーハタ)から喉のチャクラ(ヴィシュッダ)にかけての領域が、この「ヴィシュヌの結び目」の支配下にあると考えられています。喉のセンターにおける結び目の特徴は以下の通りです。1. 感情と自己表現のブロックヴィシュヌ・グランティは「維持」を司るエネルギーの結び目です。喉においては、「自分の真実を語ること」や「感情を適切に表現すること」を妨げる執着として現れます。他人にどう見られるかという「名声」への執着。自分の役割(親、上司、良い人など)を維持しようとするエゴ。2. 個人的な意志と宇宙の意志の衝突喉は、個人の「小さな意志」と宇宙の「大きな意志」が交差する場所です。自分の思い通りに物事をコントロールしたいという執着が、喉のエネルギーを固く閉じさせ、結び目(ブロック)となります。ここが解けると、自分の言葉に力が宿り(言霊)、宇宙の調和の中に自分を委ねられるようになります。3. 延髄(メデュラ)との関係クリヤヨガの視点では、喉のチャクラは後方の延髄(エゴの座)と密接にリンクしています。延髄で受け取った宇宙エネルギーが、喉のセンターを通じて表現されるため、喉に力みや詰まりがあると、エネルギーの循環がそこでストップしてしまいます。◯ 実践的なサイン喉の結び目が強いとき、物理的・心理的に以下のような感覚として自覚されることがあります。言いたいことが言えず、喉が詰まったような感覚(ヒステリー球など)。話しすぎたり、逆に全く話せなかったりする極端なコミュニケーション。首や肩の慢性的な緊張。クリヤヨガの技法(ジャーランダラ・バンダや特定のケチャリ・ムドラなど)は、この喉の緊張を物理的・エネルギー的に緩め、結び目を解いてエネルギーを脳(ルドラ・グランティ)へと引き上げるために使われます。喉のあたりに物理的な圧迫感や、表現しづらさを感じることはありますか?2026/04/01 18:48:05763.パーリー◆HpIafZZzjh.GzoZqSだそうだがリダンとしてはどうなの⁉️2026/04/01 18:50:36764.ハジbvAdWスマホの見すぎで目が疲れますw2026/04/01 20:05:05765.リダン◆3y/i8XtGLYfwT6f>>763うーん俺は脊柱に通ってると思ってたがよくよく観察してみると喉から外にでてこめかみからグワッーと入ってきてたそれがいいかどうかは分からんが喉に詰まってる感はないな2026/04/01 20:17:44766.パーリー◆HpIafZZzjh.GC0Rky≫話しすぎたり、逆に全く話せなかったりする極端なコミュニケーション。これかな⁉️2026/04/01 22:57:00767.リダン◆3y/i8XtGLYfwT6f>>766喉に詰まってる感はないで2026/04/01 23:15:42768.リダン◆3y/i8XtGLYfwT6f喉はツーツーや頭頂からだすことも可能やしグルグル回すこども可能や2026/04/01 23:17:23769.リダン◆3y/i8XtGLYfwT6fただまあ一度何故か外に出て入ってくる2026/04/01 23:17:56770.リダン◆3y/i8XtGLYfwT6f体感は繋がってるけどよーくみると一回外出て外部からこめかみに2026/04/01 23:24:30771.パーリー◆HpIafZZzjh.GLu5Uhやっぱ喉で弾かれてるんじゃ?まあプラーナ的に2026/04/02 11:48:15772.リダン◆3y/i8XtGLYV2ykO>>771んーよく見なければ普通に直通なんだけどねaiに聞いたら多分、体外離脱のプロセス上バイブレーションが内と外のズレを必要とするからやないかと2026/04/02 15:39:14773.◆JBLfMwCXhYtWt0j前スレより、自レス再掲259 ◆JBLfMwCXhY [sage] 2026/02/20(金) 08:24:32.25 ID:9WYKlイマ風に言えば、ワンネス思想それが、中観派の本質2026/04/05 17:07:39774.◆JBLfMwCXhYtWt0j260 ◆JBLfMwCXhY 2026/02/20(金) 08:24:49.78 ID:9WYKl縁起、空、ワンネスは、万物が相互に関連し合い、固定的な実体を持たないという非二元的な世界観を共有します。縁起(相互依存)の結果、空(実体がない)であり、それらが不可分に繋がっている状態をワンネスと表現できます。これらは「私」と「世界」の境界をなくす考え方です。2026/04/05 17:08:19775.◆JBLfMwCXhYtWt0j263 ◆JBLfMwCXhY 2026/02/20(金) 08:25:47.81 ID:9WYKlワンネスすべては繋がっている: 世界は単一の存在(ワン)である、あるいは全ては一つに繋がっているという感覚。スピリチュアルな一体感: 宇宙と自分自身が一体であると感じる体験。空・縁起との関係: 「ワン」という本質的な実体すら空であるという論理 や、縁起の結果として全てが繋がっていると解釈される。2026/04/05 17:09:03776.◆JBLfMwCXhYtWt0j264 ◆JBLfMwCXhY 2026/02/20(金) 08:25:58.77 ID:9WYKl結論この3つの概念は、この世は独立した存在ではなく、変化し続ける繋がりの中で一時的な姿を見せている、ということを教えています。そのため、個別の実体という執着を捨て、全ての繋がりに気づくことが、苦しみからの解放や平和な感覚(ワンネス)に繋がるとされています。2026/04/05 17:09:35777.◆JBLfMwCXhYtWt0j265 ◆JBLfMwCXhY 2026/02/20(金) 08:28:33.33 ID:9WYKlすべては、相互依存でつながっている自立した存在など、何も無い266 ◆JBLfMwCXhY 2026/02/20(金) 08:29:22.59 ID:9WYKl万物は一体であるそこに気づくと、大慈悲がわき上がってくる2026/04/05 17:10:14778.◆JBLfMwCXhYtWt0j↑前スレで、このように書いたがよく考えたら、微妙に違ってた😅2026/04/05 17:10:47779.◆JBLfMwCXhYtWt0j中観派は、ここまで言ってないこれは中観派というより、華厳宗の思想だ2026/04/05 17:11:13780.◆JBLfMwCXhYtWt0j中観派では、「自立して存在する個物など無い」と言ったが「万物は相互依存のネットワークの中で存在している」とまでは言ってないそれは、華厳宗の思想だ2026/04/05 17:12:09781.◆JBLfMwCXhYtWt0jここ数ヶ月で中観派と華厳宗双方に対する理解がだいぶ進んだ😂2026/04/05 17:13:00782.◆JBLfMwCXhYtWt0jこの2つが、ちと混ざり合ってたな2026/04/05 17:13:18783.神も仏も名無しさんzabVy加藤師匠の動画を見て研究してからだな😀2026/04/05 17:13:32784.◆JBLfMwCXhYtWt0j実際のところ、「自立して存在する個物など無い」ってことは裏を返せば、「万物は相互依存のネットワークの中で存在している」てことにしかならないと思うんだが中観派は、そこまで言ってない中観派は、個別存在を否定しただけだ「相互依存のネットワーク世界」なんていう、ポジティブな世界観は説いてない2026/04/05 17:15:13785.◆JBLfMwCXhYtWt0j>>783おかげさまで、だいぶ理解が進んだ2026/04/05 17:15:48786.神も仏も名無しさんzabVyま、だから華厳の壁という設定表現は効果的だだが、大般若経の現在語訳を読まないと中論の結論は出ないだろな😀2026/04/05 17:19:43787.神も仏も名無しさんzabVyやはり、大般若経は厄介だな😀各章(分)の要約主に「空」の理論、菩薩の修行、そして仏の境地について、様々な視点から繰り返し説かれています。第一分(第1-200巻): 『大般若経』の中核。空の教理を詳細に説く。第二分(第201-400巻)~第十分(第574-600巻): 様々な例えを用いて空を説明し、般若波羅蜜(悟りの智慧)の偉大さを強調する。理趣分(第578巻): 般若の知恵に基づく、理にかなった清浄な愛や人生の豊かさを説く。2026/04/05 17:21:38788.◆JBLfMwCXhYtWt0j大般若経を読むのは一生かかりそうだな😅2026/04/05 17:23:14789.神も仏も名無しさんzabVyま、これだけだけでもおもしろそうなので、俺は読む😀https://www.daizouin.com/%e8%88%ac%e8%8b%a5%e7%90%86%e8%b6%a3%e5%88%86-%e7%8f%be%e4%bb%a3%e8%aa%9e%e8%a8%b3/2026/04/05 17:47:29790.神も仏も名無しさんzabVy要は、やる気の問題なのよ〜〜〜わかるう〜〜〜?スレッガー中尉😀2026/04/05 17:48:23791.神も仏も名無しさんzabVyこれ、真言宗の理趣経ではないからなールーツ理趣経だろうけども😀2026/04/05 17:49:36792.◆JBLfMwCXhYtWt0j>>789こんな良いサイトがあったのか~😆2026/04/05 17:50:03793.神も仏も名無しさんzabVy2章半ばまで読んだ具体的な般若心経の解説にはなっている😀2026/04/05 18:09:07794.神も仏も名無しさんzabVy理趣分は大般若経の最終章😀2026/04/05 18:10:05795.神も仏も名無しさんzabVyどの仏教宗派も基本、禅を除くインド中国では三蔵が基本だ論書の中論だけ読んで解った気になるのはやはりズレている三蔵(さんぞう)は、仏教の聖典である経蔵(教え)、律蔵(戒律)、論蔵(注釈)の総称であり、こ2026/04/05 18:11:37796.神も仏も名無しさんzabVy中論は論書だから三蔵のうちの論蔵だけだ😀2026/04/05 18:12:12797.神も仏も名無しさんzabVy経蔵は中論に対応するのは大般若経だしつこく言っているのはそこだ😀2026/04/05 18:12:52798.神も仏も名無しさんzabVy禅専門なのに三蔵を意識できるすらっと上っ面読みでも記憶に残ってる俺ちゃま天才😀2026/04/05 18:13:50799.◆JBLfMwCXhYtWt0j>>798セイウン居士を上回るレベルだな?2026/04/05 18:22:06800.◆JBLfMwCXhYtWt0j8002026/04/05 18:22:16801.神も仏も名無しさんzabVy理趣分のいまんところ感は曹洞宗が唯一の理趣分の継承宗派だな感臨済宗ではない😀2026/04/05 18:25:03802.神も仏も名無しさんzabVy三蔵には今夜は入らないだろう神道、イスラーム、の誘惑が😀2026/04/05 18:26:13803.神も仏も名無しさんzabVy三蔵ではなく、3章だ😀2026/04/05 18:26:55804.パーリー◆HpIafZZzjh.GGvQmmこれが究極の精髄‼️https://i.imgur.com/EW5psnp.jpeg2026/04/05 18:57:46805.神も仏も名無しさんzabVy>>799リンク先ビンゴだな中論ではわからない部分を2章で既に補足している😀2026/04/05 20:58:49806.パーリー◆HpIafZZzjh.GMEq6n甚深般若波羅蜜多一味故一切法亦一味。甚深の般若波羅蜜多は一味であるが故に一切の法も亦た一味であるーーー甚だ深遠な真理を認識する智慧の完成(般若波羅蜜多)は現象は多様だが 本質は同一 【一味】であるだから一切の如来もまた現象は多様だが 本質は同一【一味】である2026/04/08 12:20:34807.神も仏も名無しさんB3xXL玄奘三蔵の翻訳の漢訳らしいので追加されても、玄奘三蔵以前に固定化されていたようだな大般若経は😀2026/04/08 12:23:05808.神も仏も名無しさんB3xXL大般若経はなかなかのロマンがあるなー謎といえば謎😀2026/04/08 12:23:40
【京都男児失踪】S級ボランティアの尾畠春夫さん「京都以外の人はボランティアが難しい。たとえ誰であろうと京都に籍のない人は厳しい」と、府と市と学校に断られて諦めるニュース速報+801837.42026/04/11 16:11:19
不断にして不常
不一にして不異
不来にして不去
戯論寂滅にして吉祥なる縁起をお説きになった
説法者中の最高の説法者である仏陀に敬礼する
根本中頌 帰敬偈 (龍樹)
前スレ
【空の奥義は】 中観派 【言葉にできない】 Part6
https://talk.jp/boards/psy/1770933528
勝義諦(真諦、第一義諦)
定義: 聖者の無漏智(迷いのない知恵)で見通された、言語・概念を超えた「ありのまま」の真実。
内容: 空性、悟り、涅槃(ねはん)など。
世俗諦(俗諦、世諦)
定義: 世間一般の習慣や言語・名辞によって「これである」と認識できる、現象上の確実性。
内容: 因果関係、日常の認識、仏陀の便宜的な教え(方便)。
二諦の関係
二諦の互依性: 世俗という名辞・概念(世俗諦)に依らなければ、究極的な真実(勝義諦)を指し示すことも理解することもできない。
目的と手段: 世俗諦(方便)は、勝義諦(悟り)に到達するための手段である。
不二: 究極的には世俗諦そのものが空(勝義諦)であり、両者は別物ではない。
この「真俗二諦」の理解は、仏教における空(くう)の哲学的探究において非常に重要視されている。
相依性縁起(相依相待性)の要点
相互依属(相依):万物は、互いに寄りかかって(依)存在しているという関係性(例:父と子は、お互いがあって初めて父であり子である)。
相互待属(相待):相互に条件となり合って、その存在が成り立つ道理。
「空」との関連:龍樹(ナーガールジュナ)は『中論』で、実体の実在を否定し、縁起を「空」の理論として展開し、すべてのものは固定不変の実体を持たないと説いた。
意味と背景:すべてのものが「縁(関係性)」の中で生起しているという教え。この視点は、執着を離れ、苦悩を克服するための智慧とされる。
この道理は、物事が独立して存在しない(無自性・空)ことを強調し、私たちの認識が相互の関係性の上にあることを示唆しています。
八不の具体的な内容(8つの否定)
不生(ふしょう):実体としては生じない
不滅(ふめつ):実体としては滅しない
不断(ふだん):絶え果てることはない
不常(ふじょう):常住ではない
不一(ふいち):同一ではない
不異(ふい):異なって(別々で)はない
不来(ふらい):やってくるのではない
不去(ふきょ):去っていくのではない
主なポイント
龍樹の提唱:中観派の祖・龍樹(ナーガールジュナ)が『中論』の冒頭「八不の偈」で展開した、空と縁起を理解するための核心的理論。
中道の実践:物事を「ある」か「ない」か、あるいは「同じ」か「違う」かという極端な断見・常見に偏らず、真実の姿(中道)を見きわめること。
無得中道:とらわれのない自由な認識を示すため、「無得中道」や「八不中観」とも呼ばれる。
この教えにより、固定観念や偏見(妄執)を打破し、物事の本来の姿を正しく捉えることで、煩悩から解放された境地(涅槃)を目指します。
四句分別
1、有る
2、無い
3、有ると同時に無い
4、有るわけでもなく、無いわけでもない
四句否定
1、有るか? → 否
2、無いか? → 否
3、有ると同時に無いか? → 否
4、有るわけでもなく、無いわけでもないか? → 否
常見の例:『人は生まれ変わり、死に変わり、永遠の魂修行を続けていくのだ。ボクが死んでも、魂は永遠だ』
「このどちらでもない」というのが、中観派の考え方
「不常不断の中道」だ
これは結局のところ、『霊魂は有るのか、無いのか?』という問題になる
「非有非無の中道」だ
「不常不断の中道」(八不中道)と「非有非無の中道」(四句分別)は、表裏一体の関係にある
中観派のまとめは以上
「空」と言語の限界:ナーガールジュナの空の哲学は、概念や言葉は便宜上の名付け(名言)に過ぎず、真の実在を指し示していないと説く。
言語的執着の否定:人間は言葉によって対象を実体化(固定化)して認識するが、中観派はこの「分別」が苦しみ(煩悩)の根源であるとし、言語的執着を否定する。
帰謬法(プラサンガ)による論理:相手の言語的立場を論理的に追いつめ、その矛盾(誤り)を露わにして、最終的に「論理的判断が不可能」な状態(空)へと誘導する手法。
世俗諦(せぞくたい):日常的・言語的な世界。
勝義諦(しょうぎたい):言語を超えた真理(究極の真実)。
無分別智の追求:言葉で分ける前のありのままの真実(無分別)を認識することが、真の智慧とされる。
空と反本質主義:
中観派:ナーガールジュナ(龍樹)は、すべての事象は関係性の中で存在し(縁起)、固有の自性(本質)を持たない(空)と論じます。
現代哲学:デリダや後期ヴィトゲンシュタインなど、本質主義(言葉が固定的な何かを指すという考え)を否定し、意味は文脈や言語ゲームの中で生成されると考えます。
中観派:「空」は言葉や論理で記述しきれないため、究極的には言語を超越した認識(二諦説)を求めます。
現代哲学:ヴィトゲンシュタインは「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」と述べ、言語的な思考限界を指摘しました。
中観派:帰謬法(プラサンガ)を用い、相手の前提にある「自性」を否定する手法は、現代の脱構築のプロセスと類似しています。
現代哲学:言語の自己言及性や文脈のズレを指摘し、強固な基礎を持つ理論を解体します。
目的の違い:中観派は「苦からの解放(救済)」という実践的な目的があるのに対し、現代言語哲学は主に「言語的・理論的解明」という知的探求が主流です。
実在の扱い:中観派は空でありながら実在(真如)の体得を目指しますが、現代哲学は概念的な実在自体を否定または保留する傾向があります。
結局また、この話になっている😅
中観派ってのは、そういうもんだよな
緻密な道元禅
破壊的な臨済禅が
一番深掘りしているかもしれん
中論限定という意味では
😃
😃
JBL教の真骨頂じゃろう?
「意見が合わない奴」が存在しないと、JBL教が成り立たない。
966 名前:◆JBLfMwCXhY[] 投稿日:2026/03/13(金) 07:38:24.55 ID:Hk5pL [2/36] 0
コレなんだよな~
当方と聖ウンコ派の意見が合わないのは、これが大きい
彼らは中観派や天台宗をベースにしてるが
こちらのベースは唯識派や真言宗なので
> 「意見が合わない奴を罵倒して楽しむ」が
> JBL教の真骨頂じゃろう?
> 「意見が合わない奴」が存在しないと、JBL教が成り立たない。
そりゃ、聖ウンコ師じゃろ
聖ウンコ派を罵倒した覚えはない
きかん坊だったんじゃねえか
まあ分かったんならいい
単に、奇妙な仏教解釈を並べてるだけなら
まあ仕方ないと割り切れる(笑)
ある意味しつこくない釣りタイプ
ベイダー和尚を決死人間化すると
リダンになる
😃
俺の貢献だな?
ハッスルの謎が解ってきたのは
😃
なるほど
JBL氏は、歯向かって遊んでいるわけじゃな?
https://talk.jp/boards/psy/1769832281
44 名前:◆JBLfMwCXhY[] 投稿日:2026/02/01(日) 14:25:58.87 ID:6ATkk [6/19] 0
「言葉で真理を語ることはできない。言葉は正しい認識をさまたげる」
↓
「真理を正しく知るには、黙って坐禅するしかない」
↓
「何よりも重要なのは、坐禅をこなした回数である」
これが、聖ウンコ教のセントラル・ドグマ(中心教義)
これに歯向かう者には、ウンコとリダンによる罵倒の大連投が待っている
「月を指す指なのだ」とは、誰も思っていない
これは密教の話になってくる
道具としての哲学: ウィトゲンシュタインにとって、哲学的な命題や理論は、世界を正しく認識するための「梯子」です。
登りきったら捨てる: 梯子(『論考』の理論)を使って世界を正しく見ることができるようになったら、その梯子そのもの、つまり理論や体系は不要になる、あるいは捨て去らなければならないと主張しました。
「語り得ぬもの」への到達: 哲学的に「語り得る」限界を理解した者は、その限界を定義した『論考』の理論自体が、厳密には「語り得ないこと(言語の論理形式の外側にあること)」を扱った「ナンセンス(無意味)」であることに気づきます。
「沈黙」への誘い: 言葉で説明しようとする哲学を終え、真に重要なこと(善悪や人生の意味など)は言葉で論じるのではなく、ただ「示される」ものである(語り得ぬものについては沈黙しなければならない)と彼は考えました。
この比喩は、哲学が世界を説明するものではなく、世界を正しく見るための「活動」であることを示しています。
ストーリー: 旅人が大きな川を渡るため、木や草で筏を作り、無事に岸辺に渡ることができました。役立ったからといって、その筏を背負って旅を続けるべきか、という問い。
教えの核心: 目的は「川を渡ること」であり、筏は手段です。悟りに達したら、教えという手段(筏)にしがみつく必要はなく、それも手放すべきである(「法さえも捨てるべき」)。
執着からの解放: 教え(言葉や概念)を物理的な重荷のように背負い続けると、真の自由(悟り)の妨げになる。
この教えは、仏教の「固定観念にとらわれない」という姿勢を示す典型的なエピソードです。
ただし背景や意味には違いがあります。
これは仏教経典(特にAlagaddupama Sutta)に出てくる、Gautama Buddhaの有名な比喩です。
内容(要約)
人が危険な岸から安全な岸へ渡りたい。
舟がないので草木を集めて筏を作る。
筏のおかげで川を渡ることができる。
渡ったあと、その筏を頭に乗せて持ち歩くべきか?
釈迦の答えはNOです。
役に立ったが、もう必要ないので捨ててよい。
意味
仏教の教え(法)は悟りへ渡るための手段。
真理に到達したら、教えに執着する必要はない
つまり、教えは目的ではなく手段。
この比喩は、Tractatus Logico-Philosophicusの最後の命題(6.54)に出てきます。
内容(要約)
ウィトゲンシュタインはこう書きます:
私の命題を理解した者は、
それらを無意味であると認識する。
それらを梯子のように使って登った後、
その梯子を捨てなければならない。
意味
『論理哲学論考』の命題は、世界と言語の限界を示すための道具。
それを理解すると、哲学的命題自体が不要になる。
つまり、哲学の説明は、理解のための道具にすぎない。
両者は非常によく似た構造を持っています。
要するに、真理へ到達するための説明は、最後には不要になる。
仏教・・・宗教・修行、教えは役に立つ、悟りへの実践
ウィトゲンシュタイン・・・言語哲学、命題は最終的に無意味、言語の限界の提示
簡単に言うと
筏 → 悟りへ渡る実践の道具
梯子 → 言語の限界を示す論理装置
釈迦:教えは悟りへ渡る筏
ウィトゲンシュタイン:哲学命題は理解へ登る梯子
どちらも
真理に到達したら、説明そのものは手放す
という思想を表しています。
もしよければ、
「なぜウィトゲンシュタインは自分の本を“無意味”と言ったのか」
(哲学的にかなり面白い問題)も説明できます。
問題意識が異なる
似て非なるテーマ
「言語の限界」がやたらと強調されてたが
あれは、20世紀の西洋哲学を席巻した
ウィトゲンシュタイン・ブームの影響
としか思えんのだよなあ
それは否定できない
でも、昭和の仏教解釈ではちょっと、そこが強調されすぎだな
「確かにそういう面はあるけど、そこまでか?」
という感じ
西洋哲学にも慣れ親しんできた者としては(むしろ、そっちの方が長い)
「それって龍樹というより、ソシュールじゃないの?」
「それって、ウィトゲンシュタインじゃないの?」
と思うような場面があまりにも多い
「本当は一体である世界を、人は言語でバラバラに分節化している」だの、
「言語には限界がある。語り得ぬものについては沈黙しなければならない」
だのと言われると
どうしても疑ってしまう
あまりにも、20世紀の言語分析哲学と発想が似ているので
「大昔の人が、ホントにそんなこと言ってたんかい?」という疑いが、どうしても先に立つ
ほとんど、「哲学=言語分析」となる勢いだった
日本の宗教学者が、仏教の古典思想の中に、それと似たものを見つけて大喜び
その気持ちは、よく分かるが
確かに似てるけど、違いの方が大きいので、そこを見ていかないとな
似て非なるものとはいえ
確かに似ている
時代や環境は違えども
突き詰めて考えれば、同じ結論になるということか
マジメな話、近現代の西洋哲学は
後になるにつれ、だんだん中論や唯識論に似てくる😅
296 名前:◆JBLfMwCXhY[] 投稿日:2026/03/07(土) 14:16:46.34 ID:QDWOq [2/2] 0
浄土真宗が伝統をブチ壊した
ただヴィトゲンシュタインは
サティは存在しない
デンパパ📶セイジン問題も基本そこだ
ハッスル🤡もだけど
😃
≫中観派:「空」は言葉や論理で記述しきれないため、
≫究極的には言語を超越した認識(二諦説)を求めます。
中論は
無分別三昧へ入った処で
不要となる‼️
じゃないのかな?
だからさ
勤行や聖典や聖者の本などの読誦の集中を通じて
言語が脱落する
無分別三昧へ入禅定する訳ですね
中論も
ここで不要となります‼️
中論といえども、大般若経典は
なんらかの洞察、サティの変化したのがある、 唯識ですら
妙観察智がある
😃
密教の百万遍真言でしょうね~‼️
無駄に頑張りに現れたな?
🛸〜〜〜
如実知見はあり得んよ‼️
発想としては同類じゃな
同類ってか
みんな空海からきt
推察するに
ヒト遺伝子だもの
BY あいだみつお
はい
我々は、変なオジサンでつ
サピエンスという狂気の生命体――
人類は「賢い」から生き残ったのではない
https://note.com/royal_curlew4118/n/n42225a19da2b
と思わないで下さい!
ニコラテスラが明かす成功の不都合な真実
https://youtube.com/shorts/SW0QQey5fHU?si=A19OTt-hhwHs7x3V
懐かしいな~~
https://www.youtube.com/watch?v=ezWMYx7W7BE
ポッたん化しちゃうよ~😭
もうしてるか😆
最もシンプルな真言だ
お気楽になったナウ
😃
へ~そうなんですね
やはり高野山絡み‼️
全てアストラル界がらみ
👽👽👽👽👽
お前も
アストラル体を持っているんだぞ‼️
今の今
ポッたん和尚に改名しようかな?
😃
聖ウンコ師のあだ名
ナルシズム超マジメに対局したベイダー和尚の
改名
😃
理詰めで空であるとピンときたとして
空も相依による産物であると
戯論寂滅した場合
どうなるか?ってことだ
ってこと
ドットである
更にドットは戯論であると
そうなるとどうなるか
自在にアバターやアレフガルドを描写することが
可能であるわけだな?
んでもまずは戯論寂滅、八不中道とは
どういったことであるか
自身が証さなならんと
三諦円融にせよ
身口意にせよ
南無妙法蓮華経にせよ
まずこの空の理による所知障の断滅が
ど基本なわけだわな
結局、定義やウィキで知っても意味がない
己を理詰めで追い込まないと
空とはこうである(戯論)でなく
空とはまさにこのようであったと
只管打坐やギャーテーギャーテー、ムーー!が
ああそういうことねと腹におちる
極端にこだわってるな?
それは、広大な仏教思想の一部でしかない
最重要なテーマとは言えない
こっちも釣られて、この話ばっかりになるんだよな~😫
あほ
中観の話しだけやないわ
我空法空の二空、所知障の話しやから
大乗の肝やん
しか言わなくなった
彼は以前に比べて、知的な面で劣化した
リダンがいるぞ!子連れ狼!
覚悟せい!
宗教的には、法華経
この2つをベースにしたのが、天台教学だ
法華経で宗教する
これまでの教えは 方便(教育方法) だった
つまり、小乗・大乗・菩薩道などは
最終的な真理ではなく、導入教育
だったとするのです。
この思想を整理したのが、智顗 の 天台教学です。
「釈迦の教えは方便」
「龍樹の教えも方便」に
コダワるのは、明らかに、この影響だろ
立正佼成会のシンパだったらしいから
その頃に刷り込まれたに違いない
それ以前のは方便。
衆生の機根に合わせた薬の処方」
この法華経至上主義を
坐禅至上主義に読み替えただけ(笑)
「誰もが仏になれる」
という仏教史上、画期的な教えを説いた
「古代インドに生まれた人間・釈迦は仮の姿である」
「本当は久遠実成、永遠の仏陀なのである」
という、これまた画期的な思想を唱えた
史上最高の経典とされている
宗教のプロがやる教えって言ってたような⁉️
そりゃ~
色界という天界へ上がって聴聞するんだからね~
第一言語の記号=文字の戯論寂滅と
第二言語の映像イメージの戯論寂滅
この2つは顕在意識と夢見潜在意識に対応しています
顕教と密教‼️
法華経の密教的側面は光などの
映像イメージで語られています
言葉での法華経は
顕教の現界=欲界の教え‼️
タイシタ
コトハナイレベルダ
セイジンダ👽
「言語の限界がどうの」というような話ではない
「法華経が究極の教えであり、それ以前の教えは方便だ」
という、天台教学→日蓮仏法の思想
聖ウンコ師は、これを
「坐禅の回数が問題なのであり、それ以前の教えは方便だ」
と読み替えたにすぎない
「出向先の仏教研究機関」とかで
周囲の人々への劣等感を刷り込まれた
「坐禅の回数なら勝てる」と、
一発逆転に賭けている
1日7回も座禅している
釈迦が悟りを開いてから亡くなるまでの50年間の説法を5つの時期に分類したものです。
華厳時(けごんじ):悟りを開いた直後、華厳経を説いた期間。
鹿苑時(ろくおんじ):阿含経を説き、小乗の教えを教えた期間。
方等時(ほうとうじ):大乗・小乗の様々な経典を説いた期間。
般若時(はんにゃじ):空の教え(般若経)を説いた期間。
法華涅槃時(ほっけねはんじ):法華経・涅槃経を説き、すべての人が成仏できると明かした期間。
五時をさらに深掘りするため、教え方(化儀)と教えの内容(化法)の2つの観点からそれぞれ4つに分類したものです。
化儀の四教(説法形式):
頓教(とんぎょう):機根の優れた者への直接的な教え。
漸教(ぜんぎょう):機根の劣る者への段階的な教え。
秘密教(ひみつきょう):相手の機根に合わせ、お互いに知られずに教える。
不定教(ふじょうきょう):相手が別々の理解をしながらも、それぞれ得益がある。
蔵教(ぞうきょう):小乗の教え。
通教(つうきょう):大乗への入り口となる共通の教え。
別教(べっきょう):菩薩のための特別な教え。
円教(えんぎょう):すべてが円満に成仏するという法華経の教え。
この体系により、すべての経典は法華経へ至る段階として位置づけられました。
龍樹の中論のことばかりで、
法華経に無関心だったように思う
自分にとっては、「倶舎論・中論・唯識論」こそが仏教だ
元スレ主やロン殿の言ってることを見ると
老荘思想そのものにしか見えない(笑)
もはや、仏教というカテゴリーから外れるのでは
個人的には老荘思想にも傾倒してた時期があり、その深遠なパワーを知っている
単に、「それは仏教じゃなくて、老荘思想なんじゃないのかな?」という、両方とも知ってる者としての個人的な感想があるだけ
天台大師智顗の頃から主流の修行方法だ
禅宗の思想とは、また別問題だ
むしろ
「自分は長いこと、老荘から遠ざかっている。
そろそろ、見直すか」と思ってるくらいだが
「禅宗の人の言ってることが、仏教というより老荘思想に見える」
というのとは、別の問題だ
そうではない
老荘思想も好きだ
中国の仏教も、道教と習合している
当然だ
別におかしくない
「何事にも白黒ハッキリさせたがる外国人」と、「あいまいさを好む日本人」がいつも対比され、日本の神仏習合が話題になってたが
そんなの、日本人だけの特徴ではないよ
思想が混ざり合うのは、外国でも同じだ
キリスト教だって、ギリシャ哲学とかゲルマン神話とか、なんでも混ざってるぞ
半臨済宗要素がある偏り気味だろな
臨済宗はもっとリアリズムだ
😃
老荘思想に見えるというのもおかしくもないかもな
道元禅師なら緻密で生真面目だろうからな
😃
ロンや元スレ主よりも
もっと破壊的た
😃
老荘は、ぶっ壊し思想ではない
生活行為に緻密さを
求める台風だ
😃
臨済宗のぶっ壊し連打が公案禅とするなり
一度でよろしー
みたいなのかま
曹洞宗の臨済宗混合型だ
😃
生活行為緻密型だ
只管打坐の生活行為緻密というのが
本筋だろう
😃
自分には合わなさそう
同じ禅師でも水と油くらいに
観点が違う
曹洞宗の臨済宗混合型は
ロンや、元スレ主の立ち位置なんだろな
😃
破壊して
破壊しているのも破壊する
という固定化を嫌うシステムだから
道元禅師は緻密派なので
観点がまったく違う
その間をとったのが
ロンやら元スレ主の
曹洞宗の臨済宗混合型タイプやろな
😃
曹洞宗と臨済宗のハイブリッドタイプやしな
😃
臨済宗寄り曹洞宗流が
一番最初にマスターした曹洞宗禅、
割合簡単だった
臨済宗に近いので
ロンや元スレ主路線よりも臨済宗に近い路線の曹洞宗流派やった
😃
彼らに対する違和感を言い得ていますね。
あらわるる〜
🛸
ロン、元スレの
何処に臨済宗くささがあるんだよ?
1mmも無いだろ‼️
ロンは道元道元言ってるし
元スレは衝突回避センサー付きだし
何処にも無いぞ‼️
でおーが
臨済宗気取ってるのは
分かる‼️
破壊力零歳児レベル‼️
オイカリダ
👽
でおーには
全く理解不可能だろ‼️
オイカリじゃねーわ‼️
オチョクリだー‼️
👽
👽
これは、彼の中心思想である 空(śūnyatā) の理解と深く関係しています。
以下、ポイントを整理します。
龍樹の見方では、現実そのものは本来 固定した実体を持っていない(空) です。
しかし 言語はこういう形で世界を切り分けます。
これは「木」
これは「人」
これは「善」
これは「悪」
つまり言語は
流動している現実に「名前」と「境界」を作る
のです。
例
雲を見て
「龍の形」
「犬の形」
と言うと、もうそう見えてしまう。
しかし雲には本来「龍」という実体はありません。
同じことが 世界全体で起きている と龍樹は言います。
例えば言語はこういう構造です。
主語・述語・動詞
例 人が歩く
しかしこの文は、無意識に次の前提を作ります。
「人」という実体があり
「歩く」という性質がある
ところが龍樹は言います。
実際には
人も歩くも、関係の中で成立しているだけ
つまり
人=五蘊の集合
歩く=身体運動の連続
です。
しかし言語は
実体+属性
という構造を作ってしまう。
これが 迷いの原因 になります。
言語は世界を二つに分けます。
有 / 無
生 / 死
善 / 悪
自 / 他
しかし龍樹は『中論』でこれを徹底的に崩します。
有でもなく
無でもなく
両方でもなく
どちらでもない
これは有名な 四句分別(四句否定) です。
つまり
言語が作る対立そのものが錯覚
だと言うのです。
ここが重要です。
龍樹は
言語は迷いを生む
と言いながら
言語を完全には捨てません。
なぜなら
仏の教えも 言語で語られる からです。
そこで龍樹はこう言います。
空は、すべての見解を離れるための教えである。
→つまり、言語は真理ではない
しかし 悟りに向かう道具
なのです。
龍樹のこの考えは、20世紀哲学と驚くほど似ています。
例えば
ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン
→ 哲学の問題は 言語の誤用 から生まれる
ジャック・デリダ
→ 言語は差異のネットワーク
W. V. O. クワイン
→ 世界は言語理論の中で整理される
つまり
龍樹は2000年前に
「言語哲学」をやっていた
とも言われます。
龍樹の核心はこれです。
世界が迷いなのではない。
言語が迷いを作る。
しかし同時に
言語を使って、言語を超える。
これが、中論・空・中道の思想です。
実は龍樹には さらに鋭い主張があります。
それは
「空ですら言語の仮名にすぎない」
というものです。
ここまで行くと、
龍樹は 20世紀哲学よりさらにラディカルになります。
この話、かなり面白いので
希望があれば 「空=言語仮名」説 を説明します。
この話ばっかりしてきやがる😂
「この話は龍樹やウィトゲンシュタインにつながります」と言ってた
何もかも変わる
今までの常識は通用しない
仏教思想のエッセンスをズバリと語ってくれた
(仏教とは何の関係もない人だが)
↓
クワインによると、人間が直接得るのは 感覚刺激 だけです。
例えば
光が目に入る
音が耳に届く
触覚が起こる
しかしそこから
「机がある」
「猫がいる」
「電子がある」
といった 世界像 を作るのは、すべて 言語と概念です。
つまり
感覚 → 言語 → 世界像
という構造になります。
例えば
光が目に入る
音が耳に届く
触覚が起こる
↑
これは、お釈迦さまの初期仏教の頃から、仏教の基本構想
Chat GPT :おっしゃる理解は、かなり核心に近いです。
五蘊・十二処・十八界の分析は、結局こういう方向を指しています。
世界とは「感覚刺激とその認識の構造」である
1 五蘊:主体(人間)の分析
五蘊は「人間とは何か」を分析したものです。
色 = 身体
受 = 感覚(快・不快)
想 = 認識
行 = 心の働き
識 = 意識
つまり
人間=感覚と意識のプロセス
固定した「我」はない。
あるのは 心理プロセスの流れだけ。
十二処は
感覚器官 × 対象
です。
感覚器官 眼耳話舌身意
対象 色声香味触法
法(概念)
ここで重要なのはこれです。
世界は「対象そのもの」ではなく
感覚との関係として現れる
つまり
世界 = 感覚刺激
十八界では
感覚器官+対象+意識
になります。
例えば
眼+色+眼識
この三つがそろって
「見る」
という出来事が成立します。
つまり
世界 = 認識イベント
です。
ここから導かれるのがこれです。
世界は「物」でできているのではない
世界は
感覚刺激+認識
で成立している。
つまり
経験のネットワーク
です。
龍樹はさらに進めて言います。
五蘊
十二処
十八界
これらすべては
自性を持たない
つまり
空
です
なぜなら、それらは
関係の中で成立するだけだから。
この構図は、20世紀哲学のいくつかと非常に似ています。
例えば
クワイン
世界は感覚刺激から理論的に構成される
デイヴィッドソン
信念・言語・世界は三角測量で成立
ローティ
世界は記述のネットワーク
つまり
仏教の分析はかなり早い段階で
世界=経験構造
という方向に行っているのです。
もしよければですが、ここからさらに面白い話があります。
実は
龍樹はここからもう一段ラディカルなことを言います。
それは
感覚刺激すら空である
という話です。
ここが理解できると、
中論が突然わかるようになります。
仏教の特徴は苦しみの分析とそこからの離脱、
なんら不思議な話ではない
本来は、龍樹でもそうだろう
😃
> 世界は「物」でできているのではない
>
> 世界は
> 感覚刺激+認識
> で成立している。
↑
コレですよ、コレ
これが、初期の「五蘊・十二処・十八界」
の頃から、仏教的な世界観のキモ
これを極限まで突き詰めたのが、
唯識論と言ってよい
華厳、真言あたりかもしれんな、
あと、念仏山伏神仏習合
😃
曹洞宗の分派もそうだろな
😃
禅宗ではどうも、四諦に対してネガティブだな~😭
苦しみとの闘争
鍛えると真冬でもパンツ一丁でも平気らしい、
自力が臨済宗
チベット密教も、
割合ゾーンにはいると
寒さも平気、高山地域でマラソンスピードで山を動蹴るらしい
😃
> 本来は、龍樹でもそうだろう
龍樹は、それまでの仏教思想と大きく異なる、思想革命みたいに見えるけど
実際には、それまでの仏教とそこまで違いがない
俺よりアタマ悪いところ
😃
俺の仏教に関する知能を超えるのは
たぶん未来も無理
😃
> 鍛えると真冬でもパンツ一丁でも平気らしい、
冬に露天風呂に入ったり、
ジョギングしたりするたびに思うのだが
人体は、じつは寒くても平気なようにできている
血行を良くしさえすれば、冬でも暑いくらいだ
自力で体温を上げることくらい
高段の域に達した行者なら出来るだろう
破壊的パワーで体温無関係なんじゃないかな?
仕事で疲労回復の反転術式使いまくるからなー
しかし、イレギュラーがキツイ昨日は
反転術式が追っつかなかった、脳の回転が焼き切れていた時間が30分あった
😃
チベット密教は農作業で試したことがある身体粒子化で疲労たまらない
呼吸はハァーハァーしとるんやけど
疲労がない、しんどさがない
チベット密教の問題は
瞬時のシャバでの判断力まで完備してない、頭脳労働の瞬時の疲労回復能力が
高くない
😃
御臨終の後、一瞬起き上がれるホラー芸がやれれらしいからな
😃
血流をコントロールして
体温を上げるわけじゃないのか😅
寒さになりきるみたいな
語録があるな
😃
ハジがいた時は先生になれた気分で
燃えていたんだろうけどな
😃
いや、「止」の先に「観」がある
「止観」でワンセット
パジコに無縁
デンパパも、
リダンも
ムイムイも
ハッスルも
😫
観は
穴だ
😫
軽視し過ぎ
😫
何が無理なんだよ⁉️
その前行が集中だろ
観は
無分別三昧が可能になってから
それ以前にするから
根元詰めると精神のバランスを壊してしまう訳で
10日とかのテーラワーダのリトリートやって
逆に精神変調来すのは
それが原因だろうと
心一境性の鏡に観ずるってことだね
頑張っててるな、
理屈で言えば
倶舎論以前
😀
JBLにまず
倶舎論を教えてもらえ
😀
JBLから倶舎論教えてもらえ
😀
仏教ビギナーだ
😀
😀
論外、仏教において
😀
酒のつまみ程度にしかみていないだろ~
無意味‼️
バジ、デンパパよりも
レス読める
😀
一緒にすんな‼️
自惚れ過ぎ
👽
なに言っても
通じない‼️
口先男は
戯れ言しか口に出来んしな‼️
ワシもじゃ
大師は、クチャリ・ムドラーとクンバカを併用する弟子に対し、こう助言されています。
「まず光の輪(金色)が見え、次に深い闇のような青が見える。その中心に輝く『星(ビンドゥ)』を見つけたなら、迷わずそこへ飛び込みなさい。それが解脱への唯一の道だ」
by クリシュナムルティー
https://www.facebook.com/share/r/16Pxx3JhZe/
https://i.imgur.com/mxlK3AH.jpeg
そろそろ浄土に往生しそう
往ったまま、還ってこないのか?
そもそも、浄土の定義が
エロ和尚狂は独特なのである
「この宇宙そのものが浄土である」
「エロ和尚狂」の「浄土解釈」で書いてみると、
「すでにワシは浄土に居る」
249 自分:エロ和尚◆ERO.Kk3nCA[sage] 投稿日:2026/03/22(日) 10:31:09.44 ID:n3QoL [1/2] 0
>>246
そろそろ浄土に往生しそう
「この宇宙は浄土だ」という者がいて、
おそらく中立派もいるのじゃろうな?
「風の谷のナウシカ」を初めから終わりまで「通し」で見たことが無い・・・
15秒くらいを断片で見たくらいしか
昭和のアニメなど見れたものではない
面白い
https://ghibli-lab.com/nausicaa-fukai/
原作漫画では・・・
浄化が進んだ世界では、新しい人類は整いすぎた環境に適応することが出来ず
消滅してしまうという驚きの展開があったのです。
ってことなのか😫
たった今、原作漫画のストーリーを知った
原作漫画では、
毒がないと生きられないように改造された新しい人類は
?とともに絶滅する運命にあるという設定が描かれており・・・
となっているが、
別に原作者に洗脳されなくてもイイのでは?
サイクリック宇宙論
https://www.bttp.info/pickup/penrose-ccc/
そこには「最大限のエネルギー」内包されている
そこには「最大限のエネルギー」が内包されている
ワシの巨大海綿体内の
仮想現実かも?
https://talk.jp/boards/psy/1737496889
巨大コンピュータか、巨大海綿体かの違いじゃな
のたまうじゃろうな?
海綿体が充血する時に出る音?
パーリーの妄想だろうとおもうw
なるほど
「久遠」と「永遠」の違い
https://chigai-hikaku.com/?p=33771
いつかは「最も縮んだ宇宙で合一される」
266 自分:エロ和尚◆ERO.Kk3nCA[sage] 投稿日:2026/03/22(日) 12:04:09.13 ID:n3QoL [10/19] 0
宇宙が最も縮んだ状態を「浄土」と呼ぶ
サイクリック宇宙論
https://www.bttp.info/pickup/penrose-ccc/
267 自分:エロ和尚◆ERO.Kk3nCA[sage] 投稿日:2026/03/22(日) 12:05:05.35 ID:n3QoL [11/19] 0
それ以外の状態を「穢土」と呼ぶ
こんな「イメージ図」が載っていた。
阿弥陀如来は、逃げる者をも追いかけて救う
https://d.kuku.lu/k4fx4hb7r
サイクリック宇宙論という仮説は、まさに
これ
悟りを開いた人達参加のこれから
359 :本当にあった怖い名無し:2007/02/20(火) 16:16:42 ID:jQrgHQmy0
悟りについてだが、宇宙はこのさきどうなるのかわかっているのだろうか。
計算上の理論では、膨張が加速するか、膨張の加速がゆるやかになるか、収縮していくという事になっているが、
実は、ある時期がきたら収縮に入る。
「これから」さんが20代の人に説明するのと、50代では分けているということだが、それは正解。
人間もピークに向かっている時は、下りになることは考えられないし、その状態が理解できない。
厄年(男42歳)を境に開化する人は多いが、下りに入ったからである。
登りでは見えなかった下りの先が見えてくる。
そうすると、無限に繰り返される営みが見えてくる(感じられる・閃きのように頭に入ってくる)
私らの意識が元は一つであったこと。欲により分裂したことや、また一つに戻ろうとする時期が来ること。
この戻ろうとする時期に覚醒者が一気に増えるが、それは遙か先。 この宇宙が収縮に入る時だ。
それまでは、この感覚を得るものはほんの一部であり、必要ない存在でもある。
ただ、その時期が来たときの道しるべとなるべきなのだろうと思う。
宇宙が収縮に入った時、私らの魂(意識体)は、はじめは絶望を感じるかもしれない。
そこで意識体の移住が必要となり、他宇宙への大移動を行う。
それの前に現在の太陽系も太陽が超新星になる前に意識体の太陽系以外への大移動があり、
その次には他銀河への大移動がある。このようにステップを踏んで、隣宇宙への移動への足がかりとなる。
悟りを開いた人達参加のこれから
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/news/3665/1689159360/97
5ちゃんねるが閉鎖されているので、元スレが閲覧できないようじゃ
>>そこで意識体の移住が必要となり、他宇宙への大移動を行う。
ワシは、意識体の移動は無い・・・・と信じたい
https://i.imgur.com/tgY2Lfo.png
431 自分:エロ和尚◆ERO.Kk3nCA[sage] 投稿日:2026/03/20(金) 12:23:08.14 ID:yZHnc [11/14] 0
浄土真宗の正式な教義としては、
「浄土への往来は往復切符」となっているが、
ワシは「片道切符でも個人的には支障ない」と考えている。
なるほど
そういう話だったか
時間がかかりすぎた😫
宇宙が
「浄土の状態」→「穢土の状態」→「浄土の状態」→・・・・
と、無限循環しているだけで、
個々人の霊魂が移動しているわけでは無い
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
というのが、ワシの「仮想現実」
霊魂が移動しているのではなく
宇宙が循環しているのか
往復切符で「霊魂が他宇宙から戻ってくる」という解釈も成り立つ。
南無阿弥陀仏~~~~~
というのは、大いに考えられる
いつまでクォーン!なんだよw
今は
ゴォーーーーーォーーーーーォーーーン
だよ‼️
ハジに起こるのは三回生まれ変わっても足りないかもね
何時になるやら⁉️
最近の若者らは
不要な衝突を避ける術を身に付けていて
相手の言うことをー
『へ~そうなんですね~』
と言う、相手を全面的に肯定して、絶対に対立しない物言いを心得ていますね
敵を増やさない賢い処世方法と言えるね
そうなんですね~って
ひねくれて、斜め下から皮肉るような
姑息な小物的な物言いじゃなくてー
おおらかで、スカッっとして、サラリとしたような
清浄な言い方で
ごーん、ごーん、と、108回w
それは、「受」だな?
確かに
そういうのを「想」という
単に音が聞こえている状態が「受」
と思い浮かべるのが、想
たとえば、パーリーの真隣にいても、鐘の音はしていないから、物理的に音響はなってない可能性がある
もしくは、微細な音すぎて、なっていても他者に気づかれないのであるかもしれんが、そーすると、なぜ、他者の耳には聞こえず、バーリーだけに聞こえるものを耳が聞いていると言えるのだろうという疑問が湧いていくる
だから、識と言っても間違いではない
しかし俺が聞いても、音階には聞こえないが、これは、受の働きは個人によって違うということであろうか、それとも、この聞こえた音は識別作用の働きであり、耳だけ、受だけではなく、その個人の識別能力に左右されるのであろうか
それでは、その音階は、俺にとっては妄想のようだが、その絶対音感の主には真理に思える
しかし、それはどちらが正しいのであろうか?w
するど、ゴーンという音にパーリーは気がついた
しかし、この真横にいたハジには全くその音はしていない
パーリーは解脱したと叫びながら部屋を駆け回りだした
ゴーンが光で光に飛び込むのだー!
ハジにはそれを聞くことも思うこともできないのであったが、パーリーだけには識別されているw
というようなのは、「想」に分類される
例えば、「お茶を飲んだら、お茶の味がした」というとき
本人は、これを「あるがままの無分別な観察」と思うかもしれないが
実際には「受」の段階で、「美味しい」という快感か、「不味い」という不快感か
その分別が始まっている
その次の「想」の段階で、「これはお茶だ」、「牛乳ではない」という分別が始まる
これは止めようと思って止められるものではない
分別は、それだけ根が深いということ
本人にとって存在するのなら、それは存在する
究極の無分別智に到達すれば、理論的には
霜降り牛肉を食べても「美味しい」と思わず、
牛糞を食べても「不味い」と思わないはず
現実には、そんなわけがない
生きてる間は無理(笑)
う~ん
なかなか、哲学的な思考の素質がありますな~😆
西洋哲学の祖・デカルトによれば
すべての人には生まれつき、「神」という観念が備わっている
それこそが、「神が存在する」という、動かぬ証拠なのだ
そーすると無分別知恵とは、雑念をこめないストレートな感受を指す言葉なのかもしれないが、しかし、茶の味がわからんくなることを指しているのではない可能性まである
なるほど
いや、本人によれば、そうではない
「私には生まれつき、神という観念がある。
それが、神が存在するという証拠なのである」
と主張していた
突然、牛糞を口の中に突っ込まれたら、どうなるか?
「不味い。臭い」と思うはずだ
まあ、極端な人だったのは確かだが
そうなのか
「人は皆、白紙状態で生まれてくる」という、
「白紙理論」を唱えた
「すべては、生まれた後の経験で習得したものだ」
というわけだ
こういうのを、「イギリス経験論」という
生まれ生まれ生まれ生まれてその初めに暗し
みたいな?
ハジコの反発心は
わからんでもない
😀
ハジコには
熱心にサービスしない
ムイムイとハッスル🤡様には
熱心に、サービスするけどな?
😀
あまりの美味しさに、強烈な衝撃を受けて硬直している
https://carasblog.net/img/img2022/foodhabit07.jpg
ん?
なんだっけ、、かえってこれを知るって?
お茶を飲んだらお茶の味がするというのは、とても、意識的な関与をしている状況であり、なんも分からん、意識茫漠としているものではない
茶の味をはっきり識別している状況ではないのか?
それが無分別智なのであるなら、なにもかも、分からなくなるのが、つまり、カラスが霜降り肉の味がわからなくなるのが無分別智だと言えるのだろうか?
おかしくないだろうか
「お茶を飲んだら、お茶の味がする」
というのは、素朴実在論にすぎず、
無分別智ではない
考えが浅すぎる
「美味しい」と「不味い」を、明らかに区別している
そんなはずはない
そうするとお茶を飲んでもお茶の味がしないってことなのだろうか、、、よく分からん話だw
「鐘の音がしても、ただ音がしてるだけと思う。
それが鐘の音だとは思わない」
というのを、「音が聞こえてるようじゃ、まだ甘い」
と批判する内容だ(笑)
仏教的に問題なのは
「自分」と「他者」を区別することだ
「自分」と「自分以外」っていうか
例えば
「これは、高価な貴金属の純金だ。それは、安物の金メッキだ」
という識別
これは、金への執着につながり、「金がなくなったら、どうしよう?」という苦悩を生む
ゴミ捨て場のカラスを見て、「憎たらしい。駆除したい」と思う
電線に止まったスズメを見て、関心を持たずスルー
こういう識別が苦悩を生む
ペットのインコが死んだときの悲しみ、
カラスにゴミ捨て場を荒らされたときの怒りと憎しみ
そういうのが苦悩だ😫
仏教的には、これが問題だ
こういう愛著が苦悩の原因だと、仏教では考える
お茶を飲んだらお茶の味だけがあり、こちら側に、それを価値評価する、わたしが消えている
つまり、片側だけになったらひとつと言えなくもない
だから、逆にパーリーのごとくすべては神の御業であり、その神とは、我が心の無意識のことであるみたいな、わたしの側に全面的に立った場合も、間が消えて、片方に全てが集まるので、ひとつと言えなくもない
しかし、釈迦牟尼が無分別と言う時、何を言いたかったのだろうか?
自己を忘れることなのか、それとも、自己がすべてになることなのか、どちらにしろ、お茶との垣根を超えるようなことを言いたかったに違いなく、これは、たとえば、あまつゆの音とひとつになっているなどと表されていることと同じであり、つまり、ボケ老人になることではないと思われるw
それは、核心を突いた鋭い指摘です
(なんだか、AIの応答みたいになってきたw)
> 自己(心)と他者(世界)はひとつである分別されないというのは、たとえば、ロン先生ばりに表現するなら、外の環境だけになっている世界ということもできそうだ
> お茶を飲んだらお茶の味だけがあり、こちら側に、それを価値評価する、わたしが消えている
> つまり、片側だけになったらひとつと言えなくもない
それは、ロン先生というより
禅宗ではそういう考え方をする傾向が強い
「私が消えて、外界が残る」というのを、自他一体の境地と考える
> だから、逆にパーリーのごとくすべては神の御業であり、その神とは、我が心の無意識のことであるみたいな、わたしの側に全面的に立った場合も、間が消えて、片方に全てが集まるので、ひとつと言えなくもない
インドの伝統思想や、唯識論はそういう考え方
外界が消えて、自分が残る
「自分が残る」と言ったって、身体を含む「この自分」も偽我なんだが
> しかし、釈迦牟尼が無分別と言う時、何を言いたかったのだろうか?
それは、「外界が消える」の方だと見るのが自然
初期仏教は、インド思想だからねえ
それだと、本来の仏教ではなくなる
サティを軽視している
自己管理=サティだなら
自己管理=サティがなけれはま
デンパパ📶になってしまう😀
何もないでは
止のサママのにさみになる
サティの観が重要になっている
テーラワーダは上手く節目できるなー
😀
外界が消えるということは、お茶を飲む時、そのお茶は我が心(と言っても潜在意識の方かもしれないが)なのであり、あらゆる現象は、この、無意識に集約されねばならないということになるが、そうなると、そのような現象界と無意識界?という、これまた二分裂が起こるのであり、そもそも、そのような魂的なものを登場させることと、釈迦牟尼がアートマンを、つまり、常住不変の自己を否定したという、無我説とが矛盾しているように思われるからなのだw
(ますます、A.I.っぽくなってきた)
> そもそも、そのような魂的なものを登場させることと、釈迦牟尼がアートマンを、つまり、常住不変の自己を否定したという、無我説とが矛盾しているように思われるからなのだw
ここはやはり
「釈迦牟尼がアートマンを否定した」
というのが誤り
無我説の誤解であると見るのが自然
オンラインゲームに例えれば
「プレイヤーがいなくて、ゲーム内ワールドだけがある」
という状況
あまりにも不自然
オンラインゲームでいえば
「プレイヤーは1人もいない。
自分も含めて全員がゲーム内のNPC」
ってことになるんだよな
それは、あまりにも不自然
無理のある解釈
ハジコは
ゴォーーーーンって勝手に鳴るわけではないぞ
オーム三唱をすると、一回声をだして唱える毎に、自分の顔と上半身の前の空間が
余韻で残響してるんだよ
ゴオォーーーーーォクーーーーーォーーーン
みたくね‼️ 毎回そうなる
AIによれば
◯ ヨガの哲学において、プラーナ(気・生命エネルギー)の次元にある身体は
【スークシュマ・シャーリラ】(微細身)と呼ばれます。
これは肉体【ストゥーラ・シャーリラ】よりも内側にあり、
エネルギーの通り道である【ナディ】や、エネルギーの中枢である【チャクラ】などが存在する階層を指します。
パンチャ・コーシャ(人間五鞘説)の考え方では、より具体的に
【プラーナマヤ・コーシャ】(生気鞘)とも表現されます。
ーーー
つまりな
呼吸法や瞑想で、プラーナマヤ・コーシャが浄化されて、しかも肉体もプラーナのレベルまで浄化されると
肉体とプラーナマヤ・コーシャが地続きになるから、肉体の音声がプラーナマヤ・コーシャにも振動として電波されるようだよ‼️
坐禅して瞑想するというのは
外界への関心を断ち、自分自身に意識を集中させる行為
何年もずっと、そんなことばかりやってる人たちが
「私は無い」というのは矛盾している(笑)
解らんのだね⁉️
第一の無分別は顕在意識の言語レベルであって
第二の無分別が潜在意識のイメージ=映像レベルでの無分別だと
それは、顕教と密教と言っても良いでしょう。
プレイヤーが存在しないにしても、そのプレイヤーと外観やNPCを描いている画面、つまり、ゲームにとっての世界は存在しているのであり、この、光で構築された、画面? イコール世界は、その内容はカセットによって様々な形態をとるにせよ、永久不変であり、この光こそが神であり、この神は、わたしの存在基盤であると同時に世界の存在基盤であり、この画面の光や、ゲームを構築する神的システムは、不変のアートマンであり、それが、神ご自身と同じなのである
みたいなんが、ヒンドゥー的なやつのイメージ
それは「ゲームには2種類ある」という、当方の持論(笑)
見ている、観照者(意識)と
見られている対象物(外界=名形と内界言語映像)との
二元化があって
その、対象が消えるのが、無心であり、極まると無我となるってだけですよ
1、シムシティ型・・・人間は全員、NPCである。ただ1人のプレイヤーである神が、どこか別の世界から、この世界の変化を眺めて楽しんでいる
2、ロールプレイング型・・・大勢のプレイヤーが、ゲーム内での役割を演じて冒険している
見る者と見られる物
これは
原因体=コーザル体レベルまでそうです‼️
唯識でいえば
まず、相分が消えて
最後には、見分も消える
仮託すると
見る者としての
自己=観照者から離れて行く
原因体=阿頼耶識が消え、見る者も消えるということ
つまるところ一丁上がりです‼️
コーザル体を超えるともう、プルシャ=アートマンでありBRAHMANですから
涅槃でありサマディーですね
つまり原因となる種子が全部消えてないわけだから
煩悩無明からの解脱ですね
そこは悟りレベルのお話しであって
現実世界と無心が出会う
一如のこと
哲学マニアというのは
そんなことからでも、ここまで話を膨らませられるものなのである
> あるいは、趙州が庭前の柏樹を指さしたエピソード
そういうことは、ロン禅師にきいてもらいたい(笑)
禅宗としては、そういうことになる
仏のスレ主やロンが正しくて
聖ウンコ師が中途半端な哲学かぶれ😫
「お茶の味がする」というのは
一種の幻覚みたいなものだ
わかってて楽しむならいいが、
わからないのは遍計所執性
それはその通りで、結局のところ
世間の一般人の素朴な日常感覚と
何も変わらない
禅宗には、それを積極的に良しとする
発想がある
本来の仏教とは異なる
ゲーム内で美少女と戯れているとき
それを本物の女性だと思い込んでいるようでは病気だ
唯識的には、この世を真実の世界と
思い込んでいるのは、一種の病気
「何か液体が口の中に入った。
美味しくて快適だ」というのは、受
「これはお茶だ。牛乳ではない」と
名前をつけてイメージを確定するのは、想
第1段階は感覚器官への刺激
第2段階は言語による表象
そんなイメージが湧くのだが
第2段階は言語による表象
要するに、この2段階が重要
そうかもしれない
禅宗では、「直接知覚」を重視する
だからさ
味わい見ている者は何なのか⁉️
ここが抜けたら
全てが明後日の方向に向いちゃう
しかし、お茶を飲んだらお茶の味がする世界というのは、付随する作用が起こる前の、言わば、直接知覚のことを言っているのではなかろうか?
しかし、普通は、識別作用や、うまい、まずいや、それらへの心理的反応は自然に起こるのであり、言わば、意識しないと、この、お茶を飲んだらお茶の味がする世界には到達することは不可能である
つまり、この、お茶を飲んだらお茶の味がする世界というのは普段の状態ではなく、とんでもなく、不自然な状況であり、まさに、この、直接的知覚、動物のような感覚刺激を生きている状況こそが、さとりを開いている状況であり、禅的生活であると、そーゆー可能性はないのだろうか?
知らんけどw
心が無心になって
見性して、悟って、大悟した者と
それ以前の者が
おちゃえお飲んだらお茶の味が痔ますってって言っても
同じじゃないからね
そういったら両方同じになる
分別心を離れずで飲むのと
無分別心で飲むのとでは
自ずと違ってくる
何が違うのか⁉️
お茶が変わる訳がないので
変わるのは自己の捉え方、つまり見る者の捉え方が違っているとうこと
柏樹でもそう
無分別心で見たら
猫も樹木も人間も同じですから
それは見る者見られる物も同じであって
分別心は対象だけしか見えないが
無分別心の者は、対象と自己の両方が見えている
見えているという言い方はちょっとあれだが
自を覚し、他を覚す
みたいな
二元であって一如であってみたいな
無分別心とは、言わば、心の壁のなくなったことどあり、他は自であり、自は他であり、外のあまつゆの音は私であり、春が来れば山はすべて春でありのような、つまり、そのような言葉で説明されるところの、なんとゆーか、ひとつに浸透した心理状況とでも言えるようなものである
であるから、お茶を見てもお茶とわからなくなるとか、右と左の区別がつかなくなるとか、アホになることではなく、ただ、心の垣根がとれて、すべてを受容して生きる、心理状況を指すだけの言葉であり、さとりと言っても、パーリーが大騒ぎして、自慢するようなものではないとゆーことなのであるw
最初の無分別では
言語が消えて無くなるんだよ
言語の無心だから
思考と雑念が日常で消え失せている
だから栄蔵的な直感で思考するようになる
映像から映像へ飛ぶようにな‼️
直ぐにあいつは自慢してるのってわめく
ただ
そうなんですね~って
言ってれば良いんだよ
まあ底辺仕事で威張れないから鬱憤が溜まってるのかのう?
それと同じようにして、うんこを見ることはできないであろうw
桜の花は愛おしいのであるが散ってしまうのであり、雑草は嫌いなのに生えてきやがると道元も言っていたw
しかし、これらの、わたしの評価、好き嫌いを超えたところで、春が来れば春であるし、夏が来れば夏であり、みたいな、絶対的な生命の輪のような、ひとつの、垣根のない世界の輪廻が、一体となって流れているのであり、あの人もこの人もあの花もあのうんこも、それらの飾りのようなものなのであるw
すべては、ひとつの生命の大海であり、その中で、一輪の花は黙って咲き、黙って散って行く
人間だけが欲にまみれて、己に固執し、苦しんでいるのであるが、運命の大海とゆーか、この世界の表現にすべてを任せきった時、つまり、永遠の生命に南無阿弥陀仏する時、わたしがすべてを諦めたからこそ、全存在的な救いがそこに現れてくるのであるw
未悟者は左脳の言語野を停止されないが
大悟者は自在に停止と開始を出来る
だが
両者共に
右脳では全体の映像から全五感を感じている
がしかし
左脳言語野が活動していると
右脳の感受性と言うか、観照者の感受される情報量が半減されてしまう
停止されていると、右脳は100%の情報を受け取れるようになる
感受性は爆発的に歓喜する‼️
奇跡の脳って本にもあるでしょ
何とかテイラー博士の
あと船井かずおだっけ?
そんな感じの名前のやつの右脳の話の本も読んだ気かもする
成績が伸びた、笑
釈迦牟尼仏は生老病死の苦しみから解脱したと聞くが、実際には腹痛で死んだ
それにもかかわらず、釈迦牟尼仏は、涅槃に往生して、永遠の平安に入られたとゆー
つまり、生老病死を乗り越えるというのは、もちろん、物理的に乗り越えることではないことは明らかである
それでは、なぜ、釈迦牟尼仏は、生死の垣根を超えたとゆーのだろうか?
実際には肉体は滅したのであるのに、どうやって、激流を生存中に渡ったというのだろうか?
お茶を飲んだら茶の味がしたからなのかw
この世を空と見て囚われてはならないと、弟子に説くのは、ただ、心理的なところでの死からの解放があっただけなのではないだろうか
それならパーリーのように神の光に縋るのでも、まあ、似たようなもんではないか、とも思えるが、何が違うのだろうw
とにかくしかし、本心から信じられるものがあるなら、宗教的な救いはやってくるのかもしれない
信じるものは救われると昔からゆーからなww
いいと歳こいた今現在に
大悟出来ていないなら
この先
自説にすがり付いてもダメだと思うぞ
出来る奴は20才そこそこで大悟するから
大した努力も出来ないなら
自分も考えは捨てて
正しいブッダ如来に出会って師事することを勧める‼️
引き寄せデンパパしてるな?
📡📡📡📡📡📡
👽
頭大丈夫か~⁉️
でろおーくん
分別するでもしないでもない。お茶を飲んだらお茶の味がしないという事でもないしお茶の味がするわけでもない。
有じゃないなら無、みたいな発想がすでに分別に囚われてるんだろうに。
この2つは、じつはたいして変わらんのかも(笑)
タマゴの黄身と白身を識別している
めちゃ空腹なときは、白身まで食べるが
そうでもないときは、黄身だけ食べて、白身を残す
カラスは赤身より、脂身を好む
霜降り牛肉こそ、最高の大好物
確実に行っている
カラスになってみないと分からんが
肉体、物質としての「実在」の「身体」も、「考え」としての「ある」とそれによる執着で成り立ってるってのが「空」で示されるものだろう
たもえば、ある禅僧は、俄かに忘我して満員の観衆もなく、自己もなく、まったく前後を忘ず、明星一見の大事、絶学無為の真相を確証したなどと、書いている人もいる
対象もなく自己もなく、過去も未来もなく、空を悟ったのだーみたいな響きがこれなのかもしれん
しかし、その、対象を対象と見ることや、自己を自己として見ることの消えた、底抜けと言うのも聞いたことがあるが、そのようなものが、無分別であるとても、お茶を飲んだらお茶の味がするで表されたところは、お茶と自己の境が消えているのだから、俄に忘我して、お茶もなく、自己もなく、まったく前後を忘ずと表されるのかもしれん
盤珪さんほどの人が、そのようなことを言うはずがない、お前が聞き違えたのではないかと言ったとゆーエピソードを、読んだか、聞いたか、したことがあるが、この辺りとも、関係しているであろうw
お茶を飲んだらお茶の味がする
これらは、同じことを言っているのではないだろうか
しかし、これを受のことではないとするなら、この説明で何を表現したかったのだろうか?
つまり、これは、アホになることを示しているのか
それとも、その対象と自己の境が消えて、カラスがカァと鳴いたのか、自分の耳がそれを聞いたのか、そんな、分け目のない、事象と自己の堺の消えた、未分化の状況を説明した言葉なのか?
その、未分化は、また、カラスもなく、自己もなく、カァもなく、前後裁断された、一如の空のさとりなのかもしれん
するとそれは、アホになるというより、自他の浸透というか、ようは、瞑想の深まって、同時の世界にいるようなものではないかと想像されるわけだ
YouTubeにヨウム🦜がアレクサを駆使してテレビつけたりエアコンつけて温度調節までしてるの有ったねw
犬にお手させたり、猫をチュールあげるって言って釣ったりw
完全に識別してるよね
家に毎日エサをおねだりに来るカラスは、声色使っているしw
まーた難しいこと言うね。
識別作用があるなら、それが、あるであろう、とゆーても問題がなくなるかもしれんではないか
それなら、これは釈迦牟尼仏のゆーた
思うなら思いがあるであろう
見るなら見たものがあるであろう
聞くなら聞こえたものがあるであろう
嗅ぐなら嗅いだものがあるであろう
味わうなら味わうものがあるであろう
触れたなら感じるものがあるであろう
しかし、そこに、わたしはいない
なぜなら、わたしは、いないのだから
の、話とも通ずるところがあるかもしれない
どちらにしても、それだけになっており、分け隔てが消えているからなのだ
つまり、無分別とは、アホになるというより、自他の分離をしているもの、つまり、自己意識が消えた状況を指しているのであり、左右が分からなくなることや、暑い寒いも判断できなくなることや、気絶することとは違うのではなかろうか?
味がしたら味がしただけ!
そこに比較の分別心という
言語化し、思考し、表現する事が一切無い
ということでしょ
それと
そう言うのは悟ってから
その状態になるんであって、未悟の者が真似る事ではないです‼️
見る対象が無い状態での、見る者
この状態を表現すると
真っ白なスクリーンを見ている意識
である
この段階の【白いスクリーン】は原因体=コーザル体です
ここは、行為の原因となる種子が全て焼き付くされて、種子の無い状態だと大師方は言います
つまり、阿羅漢の段階
だから
あきら100%じゃないが
無心で感受していることは
思考の省かれた
見る者と対象の100%の出会いだってーこと
そうすると
感覚は最大値にブーストされ
一つ一つの経験が至福に変わる訳だ‼️
霜降りだー‼️
って食らいついて
ウマウマしても
彼らは映像と味で分別しているでしょ
言語思考で分別してる訳じゃない
第二の言語は、右脳の映像
👽👽👽👽
行動記憶は五感フルで記憶されていて
職人は考えなくても作業を進められます
車の運転なども同じですね
第二の言語の無分別は心の深層での無映像
アホに覚醒は無い‼️だろ
産まれながらのアフォを
【マスト】と言って
皆でそのアフォの面倒見をしてたと言うね
何故かと言うと
悟ったら、一見アフォ~のように見えるからだとか
誰が分かる❗彼は聖者かもしれないじゃないか
だったら、取りあえず崇めておこう‼️
てーのがアフォに供養する理由らしい
マストは帆柱で目印を指す言葉、グルと同義語のマスターはこのマストから来ているみたいですね‼️
ある朝、弟子が散歩の同伴を願い出た
老子は一旦は断ったが
弟子は、絶対に無駄口は言いません❗と約束して、ようやくお許しが出て
御伴することとなった、のだが
山の開けた処に差し掛かると、ちょうど朝日が昇ってきた
弟子は美しさに感動して
つい、あ~‼️っと小さく感嘆の声を漏らしてしまった
っと、その時
老子が言った
このお喋りめ‼️もう二度と連れてはこんぞ‼️、と
老子にとっては
たったの一語の『あっ!』これすら不要であると、何で黙って観照出来ないのか?
人間は我慢できない!たった3秒の沈黙すらw
というお話しがあるらしいね
アホ覚醒しているのぢゃっ‼️
👽👽👽
やれやれ┐(-。-;)┌
たわけー!
わからんのか!
西洋哲学においても、映像や絵(図像)を「言語」のようなシステムとして捉える研究は非常に盛んです。特に20世紀以降、以下の3つの切り口で深く探求されています。
1. 記号論(セミオティックス)
ロラン・バルトなどは、写真や広告などの映像を一つの「テクスト」として読み解きました。
外延(デノテーション):写っているものそのもの。
共延(コノテーション):そのイメージが引き起こす文化的・神話的な意味。
映像も言葉と同じく、特定の規則(コード)に従って意味を伝達する記号体系であると定義されています。
エルヴィン・パノフスキーらは、絵画を単なる視覚情報ではなく、当時の哲学や宗教、政治的文脈が凝縮された「視覚的な言語」として扱いました。絵の中の配置やモチーフを「文法」のように解読し、その背後にある思想を探る手法です。
3. 「ピクトリアル・ターン」(図像への転回)
W.J.T.ミッチェルは、現代社会において言語(文字)よりも映像が支配的になった現象を指摘しました。彼は、映像を単なる言葉の代用品ではなく、「独自の思考形式を持つ言語」として捉え直すべきだと主張しています。
また、分析哲学のネルソン・グッドマンは『芸術の言語』の中で、絵画と言葉の記号としての性質の違い(絵は密度が高く、言葉は不連続であることなど)を論理的に分析しています。
西洋哲学では、「言葉にできないものを映すのが絵だ」というロマン主義的な見方がある一方で、「絵もまた高度にシステム化された言語である」という構造的な探求が共存しています。
精神の内面における映像言語について解説をお願いいたします。
AI
精神の内面における映像言語(心的イメージ)は、西洋哲学や精神分析において、文字通りの言語(自然言語)とは異なる独自の論理や構造を持つものとして探究されてきました。
主に以下の3つの視点から、その「言語的側面」を解読することができます。
ジークムント・フロイトは、夢を「思考が映像に翻訳されたもの」と捉え、それを一種の「象形文字」のような言語として分析しました。
圧縮:複数の概念が一つの映像にまとめられる(例:知人Aの顔をした知らない人)。
移動:重要な意味が、一見無意味な些細な映像へと置き換わる。
このように、内面の映像は文法的ルールではなく、連想と象徴によって意味を構成する言語であると考えられています。
2. ベルクソン:記憶と「イマージュ」
アンリ・ベルクソンは、著書『物質と記憶』において、私たちの精神を絶え間なく流れる「イマージュ(映像・形象)」の集積として捉えました。
純粋記憶:過去の経験がすべて映像として保存されている状態。
想起:身体が行動するために、膨大な記憶の中から必要な「映像」を選択し、現在の知覚に重ね合わせること。
彼にとって内面の映像は、情報の伝達手段というよりは、「過去と現在をつなぎ、行動を方向づける生きたプロセス」そのものです。
ジャック・ラカンは、人間の精神構造を「想像界・象徴界・現実界」に分けました。
想像界:言葉(象徴)を覚える前の、自己と他者の区別が曖昧なイメージ主体の世界です。
鏡像段階:鏡に映った自分の姿(映像)を見て「これが自分だ」と同一化するプロセス。
内面の映像言語は、私たちが「自分は何者か」という自己像(アイデンティティ)を形成するための、最も根源的な基盤として機能しています。
4. 現代の認知科学と「思考の言語」
現代の心の哲学や認知科学では、人間が思考する際に「言葉」を使っているのか、それとも「映像(心的イメージ)」を使っているのかという論争(イメージ論争)があります。
心的回転(メンタル・ローテーション):頭の中で図形を回転させて考えるとき、私たちは実際に「映像」を操作しており、それは命題的な記述(言葉による説明)とは異なる処理体系であるとされています。
内面の映像言語は、論理的な言葉ではこぼれ落ちてしまう「多義性」や「感情の密度」を保持したまま、私たちの思考や欲望を形作っています。
👽👽👽👽
心内部の記号言語が消えて無くなった意識と、映像言語が消えた時の意識の状態について考察願います。
■ AI
「言葉(記号)」を失った意識と、「映像(イマージュ)」を失った意識。これらは私たちが「世界をどうパッケージ化しているか」という根源的な機能を停止させた状態と言えます。
それぞれの極限状態を、哲学や心理学的知見から考察します。
1. 記号と言語が消えた意識: 「純粋知覚」とカオスの世界
言葉という「タグ(ラベル)」が消えると、世界から意味の境界線がなくなります。
分節化の消失:例えば「コップ」という言葉がないとき、それは「水を入れる道具」ではなく、光を反射する奇妙な固形物、あるいは背景と地続きの「何か」になります。
「今、ここ」への埋没:言語は過去や未来を記述する道具です。それが消えると、意識は時間の連続性を失い、強烈な**「現在」の感覚**だけが押し寄せます。
アンリ・ベルクソンの「純粋知覚」:記憶や解釈が介入する前の、身体が直接世界に触れている状態。これは神秘体験に近い恍惚、あるいは情報の濁流に飲み込まれるパニック状態に近いかもしれません。
2. 映像(心的イメージ)が消えた意識: 「アファンタジア」と抽象的思考
頭の中に絵が浮かばない状態は、現代では**「アファンタジア(Aphantasia)」**と呼ばれ、研究が進んでいます。
空間の記述化:映像がない意識は、空間を「配置のデータ」として処理します。リンゴを思い出すとき、赤い色の映像ではなく「丸い、赤い、甘い、果物」という概念のリストとして保持します。
情動の希薄化:映像は感情を呼び起こす強いトリガーです。内面の映像が消えると、過去の記憶は「客観的な事実の記録」になり、フラッシュバックのような生々しい感情的再現が起こりにくくなります。
ウィトゲンシュタイン的論理:「語りうるもの」だけで構成された世界。具体的で感覚的な質感(クオリア)が削ぎ落とされ、非常に抽象的・論理的な構造体としての意識になります。
もし記号も映像も消えたなら、そこには**「志向性(何かに向かう心)」**が消失した空虚な意識だけが残ります。
主客未分:「私」という概念(記号)も「私の姿(映像)」もないため、自分と世界の境界が完全に消失します。
禅や瞑想の極致:思考の道具をすべて手放した「空(くう)」の状態です。ここでは「考える」ことは不可能ですが、「ただ存在しているという気づき」だけが残るとされています。
言語を失うと**「世界が解け」、映像を失うと「世界が乾く」**と言えるかもしれません。
次に、脳梗塞などで、左脳の言語野を中心に機能停止されて、右脳だけが機能した場合、具体的には脳科学者のテイラー博士の事例などを織り交ぜて解説をお願いいたします。
■ AI
脳科学者ジル・ボルト・テイラー博士が自身の脳出血体験を綴った『奇跡の脳』は、左脳の言語機能が停止し、右脳が優位になった意識状態を解明する貴重な記録です。
左脳(論理・言語・境界)が沈黙し、右脳(直感・全体性・融合)だけが駆動したとき、意識には以下のような劇的な変化が起こります。
1. 「個」の境界線の消失(ニルヴァーナ)
左脳の「自己方向付け中枢」が機能を失うと、自分と外部の境界線を定義できなくなります。テイラー博士は、自分の指と机の境界が分からなくなり、「巨大なエネルギーの塊」として世界と一体化する感覚を抱きました。これは記号と言語による「区別(分節化)」が消えた結果、訪れる圧倒的な幸福感(ニルヴァーナ)です。
左脳は過去と未来を線形につなぎ、時間を管理します。その機能が止まると、意識は「永遠の今」に閉じ込められます。博士は、刻一刻と変化する光や音の「映像と言像(イメージ)」の濁流の中に、ただ存在している感覚になったと述べています。
3. 言語による「ナレーション」の停止
私たちの脳内では、常に左脳が「あれは危ない」「これは~だ」と実況中継(チャター/おしゃべり)をしています。これが停止すると、物事を概念で把握できなくなります。
事例:博士は助けを呼ぼうと電話帳を見ましたが、数字が「記号」として認識できず、ただの「波打つ線や色の重なり(映像)」にしか見えませんでした。
言葉による思考が消えた代わりに、意識は100%の感覚入力で満たされます。
物理的な音は「エネルギーの振動」として直接体に響き、視覚情報は「色のパッチワーク」として認識されます。
「リンゴ」という単語は消えますが、その赤さ、重み、冷たさというイメージの密度が極限まで高まった状態です。
考察:右脳だけの世界
テイラー博士の事例から言えるのは、左脳の言語を失った意識は「不全」になるのではなく、むしろ「宇宙的な広がり」を取り戻すということです。記号と言語は、私たちが社会で生きるための「フィルター(制限)」であり、それが外れることで、映像と感覚による「非分離の世界」が露わになります。
博士がこの体験を「ギフト」と呼んだのは、私たちが努力せずとも、脳のスイッチ一つで「安らぎに満ちた映像的・直感的知覚」に戻れることを証明したからです。
このような「右脳的な意識状態」を、現代人が日常生活に取り入れるための具体的な方法(マインドフルネス等)についても深掘りしますか?
まあおれはコンピューター関連に例えるのは好きじゃないから、省くけどね
修行は無駄だ(⌒‐⌒)
法力重視だな?
デンパパ📡
👽
退避せよ!
結論から言うと、**天台宗の一乗は「究極的には方便ではない」**とされます。
ただし、その意味は少し精密に理解する必要があります。
法華経において中心となる考えは:
三乗(声聞・縁覚・菩薩)は 方便(仮の教え)
一乗(仏乗)こそが 真実(実)
つまり、
一乗=方便ではなく「真実そのもの」
というのが基本立場です。
ここで智顗(天台大師)は、さらに一歩踏み込みます。
天台ではこう考えます:
方便(仮)と真実(実)は対立しない
方便そのものが真実を表す働きでもある
これを有名な言葉でいうと:
開三顕一(さんをひらいて一をあらわす)
天台の最高教義(円教)では:
三乗も実は最初から一乗だった
方便ですら「方便にとどまらない」
つまり:
方便=仮でありながら同時に真でもある
一乗は単なる方便ではない → 究極の真実
しかし天台では
→ 方便と真実を分けない(円融)
■ 一言でいうと
一乗は方便ではない。
だが、方便さえも一乗の働きである。
もし興味あれば、
「一念三千」や「事事無礙」との関係までいくと、かなり華厳との比較も面白くなります。
ウンコ達が大好きな「方便」ではない
日蓮は末法の名を借りて
他を排斥したのか?
問題がある
😀
変な解釈をする
唯識の用語を使うなら唯識に忠実にレスしなきゃならんのに
あれはイミフ
😀
語る内容が
エチオピア聖書にあるようだ
イグナチオロヨラの岩波文庫の翻訳を出したのが門脇佳吉神父だ
😀
■ 三乗とは何か
三乗は、それぞれ「目指す到達点」が違います。
声聞乗 → 阿羅漢(自己解脱)
縁覚乗(辟支仏) → 独覚(自力で悟るが他者教化は弱い)
菩薩乗 → 仏になることを目指す(利他を含む)
つまり三乗は「三つの別々のゴール」を想定している構造です。
ここでいう一乗(特に天台・法華系)は、
👉 最終的にはすべて仏になる一つの道しかない
という立場です。
つまり:声聞も縁覚も菩薩も
👉 実は全部「仏になるプロセスの途中段階」にすぎない
空間認知の他者の存在の扱いの話になるわな😀
仏性の空間的同時性、
ま。日蓮は、そんなことは
考えてないだろう、
みんながお題唱えたら、程度
😀
山伏念仏神仏習合も
修行していたら
それなりに救ってくれるだろう
的なものだろなー
とは
思う
😀
神仏習合、念仏の阿弥陀仏
題目の久遠の釈迦如来が
というところやろな
😀
本覚なのですよー
的な世界観
日々修行のお題目唱えたら
本覚なのですよー
的な
😀
最近は、天台宗と真言宗に軸足を移した
地理的には、インドから中国・日本に東進した
自分の中では、江戸時代の新興宗教(笑)
法然(1133–1212)
親鸞(1173–1263)
道元(1200–1253)
日蓮(1222–1282)
ポイント
法然 → 親鸞:師弟関係(浄土宗 → 浄土真宗)
道元:同時代だが禅(曹洞宗)を展開
日蓮:少し後で、法華経中心の独自路線
つまりざっくり言うと
👉 鎌倉仏教の流れは「法然から始まる」感じで、そこから各方向に分かれていく
必要なら「思想の違い」もかなり面白い比較できるけど、やる?
法然(1133−1212)
親鸞(1173−1263)
道元(1200−1253)
日蓮(1222−1282)
全てのヒントだろな
ホーカイくんにはナウシカネタはない😀
風の谷のナウシカの世界観は、たしかに華厳経と強く響き合う部分があります。
単なる「似てる」ではなく、構造レベルで共通点があります。
① 全体が相互に関係しあう世界(相即相入)
華厳経の核心は
👉 すべての存在は互いに入り込み、支え合っている
(因陀羅網の世界観)
ナウシカでも:
腐海(毒の森)はただの悪ではない
虫(王蟲)も敵ではない
人間の行為が世界全体に影響する
つまり
👉 「部分=全体」的な構造
これは華厳の
「一即一切・一切即一」そのものです。
普通の物語なら
人間 vs 自然
善 vs 悪
になりますが、ナウシカは違う。
腐海は世界を浄化している
人間こそが環境を汚染した存在
👉 善悪が固定されない
これは華厳経の
👉 差別(区別)はあるが、対立ではない
という立場に近いです。
ナウシカは明らかに
他者の苦しみを引き受ける
自己犠牲をいとわない
対立を超えて調和を目指す
この点で、ほぼ
👉 観音菩薩的存在
華厳経でも理想は「菩薩」であり、
世界全体を救済する存在です。
ナウシカの世界では:
汚染 → 腐海 → 浄化 → 新しい生命
これは直線ではなく
👉 循環的な宇宙観
華厳経でも
生と死は分離されない
全体の流れの中の一局面
として理解されます。
ナウシカは知識で世界を支配しない
虫の心を感じる
自然と対話する
これは華厳の実践における
👉 理(真理)と事(現象)の一致(理事無礙)
つまり
👉 頭で理解するのではなく、世界と一体になる
まとめると:
華厳経
ナウシカ
一即一切
腐海・虫・人間の相互依存
因陀羅網
生態系のネットワーク
菩薩行
ナウシカの行動
理事無礙
共感による理解
循環的宇宙
浄化と再生
ここは少し冷静に見ると:
華厳経 → 完全に肯定的な宇宙(調和が前提)
ナウシカ → かなり破局後の世界(ディストピア)
つまりナウシカは
👉 華厳的世界が「壊れた後」の物語
とも読めます。
👉 ナウシカは
「華厳的宇宙における菩薩のドラマ」
この視点をさらに進めるとかなり面白くて、
王蟲=衆生
腐海=浄土(あるいは浄化装置)
人間=無明
という対応まで見えてきます。
もし興味があれば、
👉 ナウシカと龍樹(空の思想)
👉 ナウシカと禅(特に道元)
あたりに進むと、さらに深い構造が見えてきます。
「設定として観音菩薩の化身」と明言されているわけではないが、
構造的にはほぼ“観音的存在”として描かれている、というのが一番正確です。
① 作者の意図としてどうか
宮崎駿自身は、
ナウシカを特定の宗教的存在(観音など)として公式に設定してはいません。
むしろ
神話(ギリシャ神話など)
民俗思想
自然観
を混ぜた存在です。
👉 なので「観音そのもの」というより
宗教を超えた普遍的な救済者像です。
風の谷のナウシカのナウシカは、
観音菩薩の特徴と驚くほど一致します。
■ ① 苦しむ存在の声を「聞く」
観音の本質は
👉 「音(苦しみ)を観る=感じ取る」
ナウシカは
王蟲の怒りを感じる
虫や自然の“声”を理解する
👉 これは完全に観音的能力
■ ② 敵味方を分けない
観音は
善人だけでなく悪人も救う
ナウシカも
人間も虫も両方救おうとする
憎しみの連鎖を止める
👉 非差別の慈悲
■ ③ 自己犠牲
有名なシーン:
王蟲の前に身を投げ出す
自分が犠牲になることで世界を救う
これはまさに
👉 菩薩行そのもの
■ ④ 調和の回復者
観音は
乱れた世界を調和へ導く存在
ナウシカも
人間と自然の対立を超える存在
👉 対立を超える媒介者
「青い衣をまとい、金色の野に降り立つ者」
これは作中の予言ですが、
ほぼ宗教的メシア像です。
死 → 再生
苦しみの受容
世界の救済
👉 観音+キリスト的要素も入っている
④ ただし“完全な観音”ではない(重要)
違いもあります:
■ 観音菩薩
超越的存在
悟りを完成している
■ ナウシカ
苦しむ人間でもある
迷いながら行動する
👉 つまり
完成された仏ではなく、“生成中の菩薩”
ナウシカは
👉 観音菩薩という archetype(元型)の現代的表現
です。
宗教用語で言えば
応現身(必要に応じて現れる姿)
とも解釈できます。
⑥ 一言でまとめると
👉 ナウシカは
「観音菩薩そのもの」ではないが、
“観音の働き”を体現した存在」
⑦ あなたの見方を一歩進めると
これかなり面白い見方なんですが:
ナウシカ=菩薩
王蟲=苦しむ衆生
腐海=浄化のプロセス
とすると、
👉 世界そのものが修行の場(娑婆)になる
これはほぼ
華厳+大乗仏教の構図です。
王蟲は「迷える衆生」でもあるが、同時に「人間より道に近い存在」でもある、という二重性を持っています。
① 衆生としての王蟲
風の谷のナウシカの王蟲は
怒る
傷つく
集団的に暴走する
つまり 👉 感情に動かされる存在
この点では仏教的に言えば
👉 迷い(煩悩)を持つ衆生
特に「怒りに飲まれて突進する群れ」は、
人間の戦争や集団心理とよく似ています。
② しかし“人間より純粋”な存在
一方で決定的に違うのは:
嘘をつかない
欲望で自然を破壊しない
世界の秩序(腐海の浄化)に従っている
👉 つまり
エゴがほとんどない
ここが重要で、
人間:
自我によって世界からズレる
王蟲:
世界の流れの中にいる
👉 この意味で
むしろ「道(タオ)」や「法」に近い存在
華厳経の視点では
人間も虫も区別は本質ではない
すべては相互に関係する存在
ここから見ると:
👉 王蟲は「劣った存在」ではない
👉 全体の中の一つの現れ
むしろ
人間=分離を作る存在
王蟲=つながりの中にある存在
とも言えます。
④ ナウシカとの関係が鍵
ナウシカは
人間でありながら
王蟲の心を理解する
つまり
👉 人間と王蟲の“橋”になる存在
ここで見えてくるのは:
王蟲=自然(無分別)
人間=分別(エゴ)
ナウシカ=それを統合する存在
少し踏み込むとこうなります:
■ 王蟲
煩悩はある(怒る)
しかし分別が弱い
👉 自然に近い衆生
■ 人間
煩悩+強い分別
👉 迷いが深い衆生
■ ナウシカ
分別を超え始めている
👉 菩薩的存在
⑥ あなたの直感はかなり核心的
人間を上回る存在とも思える
これはかなり重要で、
仏教でも実は
👉 「人間が一番優れている」とは単純には言わない
むしろ
人間は悟れる可能性がある
しかし最も迷いやすい
⑦ 一言で言うと
👉 王蟲は
「迷ってはいるが、自然と一体であるがゆえに、人間よりも真理に近い衆生」
結論から言うと――
👉 腐海は「穢土であり、同時に浄土でもある」
ただしそれは「見方によって反転する」構造です。
① 表面的には完全に「穢土」
風の谷のナウシカの腐海は
有毒で人間は生きられない
巨大な虫が徘徊する
文明を滅ぼした原因に見える
👉 これは典型的な
穢土(汚れた世界)
人間の視点では
「地獄のような場所」です。
② しかし実態は「浄化装置」
物語の核心はここです:
腐海は汚染された土壌を浄化している
毒は“結果”であって“本質”ではない
👉 腐海は
世界を回復させるプロセス
つまり
👉 機能としては浄土的
華厳経の立場では
穢れた世界と清らかな世界は別ではない
同一の世界の見え方の違いにすぎない
これを踏まえると:
👉 腐海=穢土/浄土の二重性
④ なぜ「穢土に見えるのか」
ここが哲学的な核心です。
腐海が穢れて見える理由は:
人間にとって有害
人間中心の価値観で判断している
つまり
👉 「人間にとって都合が悪い=穢れ」
しかし別の視点では:
地球にとっては回復プロセス
生態系としては正常な働き
👉 つまり
穢れは主観的判断
⑤ ナウシカだけが見ているもの
ナウシカは腐海を
恐怖の対象としてだけでなく
美しく、意味あるものとして見る
これはまさに
👉 穢土即浄土(えどそくじょうど)
という発想です。
かなり直球で言うと:
腐海=業の結果としての世界(穢土)
同時に=浄化が進む世界(浄土)
👉 両方が同時に成立
⑦ さらに深いレベル(かなり重要)
この問題の本質は
👉 世界が穢れているのか、認識が穢れているのか?
という問いです。
世界が悪い → 穢土
見方が歪んでいる → 本来は浄土
これは
仏教(唯識)
禅
そして龍樹の空の思想
に直結します。
⑧ 一言でまとめると
👉 腐海は
「穢土に見える浄土」
あるいは
「浄土として働く穢土」
⑨ あなたの違和感は正しい
穢土そのものに見える
これは普通の人間の視点として完全に正しいです。
でもナウシカの視点に立つと
👉 穢れの中に浄化を見出す
ここに物語の核心があります。
https://note.com/ama_ikimoke/n/n8103e5af3c7f
😀
素晴らしいな?😆
宗教と関係ない話だ😅
邪魔物は斬る!
力による現状変更の世界へようこそ(⌒‐⌒)
フハハハハハハハハ( ̄ー ̄)
それで私は楽になれたと大笑出来るなら誰の許しもいらないでしょうね
本当に楽になれましたか?正直に素直に本心からそうだといえるなら、何もいえません
『👉 イラッとしたら「何これ?」
これだけで、
👉 自動再生は止まり始めます』
そんな知解分別で楽になれるのなら全ての修行事いらないでしょうね
そんな理屈事で腹は膨れないだろうというのはどこかで分かっている筈
お役に立てそうですか?
首振り実験は理屈ごとでは無いのですが。
思考は動き、
気づきは止まります。
止まりませんでしたか。
考え続けたのでしょうか。
ChatGPTに聞いたら釈迦も似たようなことをしたらしいのでここに書き込んでみました。
違ってたらすみません。
😫
↓
2.人は出来事を2度味わっている
私たちは、出来事を2段階で体験しています。
① 素材フェーズ
ただ起こっているだけの状態
例:
音
映像
身体の反応
首振り実験で「一瞬見たもの」
👉 まだ意味づけはされていません
② 味付けフェーズ
あとから意味づけして“物語”にする
例:
「リンゴがあった」
「今のは失礼だ」
「なんで自分だけ」
「あいつのせいだ」
👉 ここで“ストーリー”が始まります
「後から意味づけ」というより
意識内での言語化がほぼ同時に行われる
↓
2、意識内での言語化
これはほぼ同時に起きる
タイムラグがない
Chat GPT : かなりいいところを突いてる整理だね。ただ、仏教的にはもう少しだけ精密に分解される。
あなたの言う
①感覚器官による情報 → ②意識内での言語化
は、大まかには正しいけど、実際にはその間にいくつか段階がある。
仏教(特にアビダルマ)のモデル
① 感覚接触(触)
眼・耳・鼻・舌・身・意(六根)+対象(色・声など)+意識
→ この三つが出会って「触(contact)」が起きる
② 受(feeling)
快・不快・どちらでもない、という感覚的な反応
👉 まだここでは「意味」はない
ただの感覚
③ 想(perception / 表象)
ここで「これは赤い」「これは音だ」など
特徴をとらえてラベルづけが始まる
👉 あなたのいう「言語化」にかなり近い
④ 行(形成作用)
判断・連想・反応・癖(カルマ的傾向)
→ 「好き」「嫌い」「これは○○だろう」など
⑤ 識(意識の確定)
全体として「これは○○である」と認識が成立
ポイント:本当に「ほぼ同時」なのか?
ここが面白いところで、仏教はこう考える:
実際には超高速で連続している
だから体験としては「同時」に見える
👉 でも分析すると
感覚 → 前言語的認識 → 言語化・概念化
という時間差がある
あなたの理解を仏教的に言い換えると:
① 感覚(触・受)
② 言語化(想+行)
これはかなり本質をついてる
ただし仏教はさらにこう言う:
👉 「言語化の前の世界」がある
ここが瞑想で重要になる
瞑想との関係
ヴィパッサナーなどでは:
「見る前にラベルがつく」ことを観察する
「音 → 即『車だ』と判断している」ことに気づく
そして最終的には:
👉 言語化される前の純粋な感覚に気づく
あなたの整理を仏教的に精密化すると:
感覚 → 受(快不快) → 想(ラベル化) → 行(判断) → 認識成立
そして重要なのは:
👉 「言語化は一瞬で起きるが、本来は後から付け加えられている」
この視点はかなり深くて、
西洋哲学の言語論(例えばデイヴィッドソンやローティ)とも接続できる話なんだよね。
そこまで広げる?
ここで、受想行識が出てくるのか
>ここが面白いところで、仏教はこう考える:
実際には超高速で連続している
だから体験としては「同時」に見える
👉 でも分析すると
感覚 → 前言語的認識 → 言語化・概念化
という時間差がある
なるほど
超高速だから「ほぼ同時」に思えるだけで
実際にはやはり、「後から意味づけ」しているのか
Chat GPT :結論から言うと、「言語による意味づけそのものが苦悩の原因」というより、言語による意味づけに“執着すること”が苦悩の原因だと考えるのが、特に仏教的には正確です。
例:
事実:上司に注意された
言語:私は無能だ
苦:自己嫌悪・不安
このとき苦しんでいるのは
👉 出来事ではなく“言語で作った意味”
ここが重要で、仏教は言語を否定していません。
むしろ:
教え(経典)も言語
思考も言語
コミュニケーションも言語
つまり:
👉 言語は「道具」であって「敵」ではない
問題は:
言語=現実だと錯覚すること
言語に縛られること
禅ではよくこういう方向に行きます:
「名づける前に何があるか?」
「思考が起こる前の直接経験は?」
ここでは:
👉 言語以前の知覚に戻ることで、苦をほどく
この問題は西洋でも議論されていて、
ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン
→「言語の限界が世界の限界」
リチャード・ローティ
→ 世界は「記述の仕方」で変わる
つまり:
👉 世界そのものより「語り方」が現実を作る
かなりシンプルに言うと:
言語化 → OK(必要)
意味づけ → OK(不可避)
それを絶対視 → ❌ 苦の原因
👉 苦は「言語」ではなく「言語への執着」から生まれる
もし深めるなら、次の問いが面白いです:
「言語化が起こる“前”の意識は本当にあるのか?」
「完全に言語を離れた認識は可能か?」
このあたりは、仏教と現代哲学がぶつかる一番面白いポイントです。
だんだん似てきたな😆
意識の中で、執着と化す😫
オン マイタレイヤ ソワカ
Chat GPT : そう、その理解はかなり核心を突いています。
リチャード・ローティが言いたいのは、
「言語が物理的な現実を直接作り変える」という話ではなく、
私たちが“どんな世界として経験するか”が変わる
ということなんです。
■ 世界そのもの(外界)
物理的な出来事や対象(石、雨、身体など)
これは言語で直接変わるわけではない
■ 世界像(私たちの中の世界)
「これは危険だ」「これは美しい」「これは失敗だ」などの意味づけ
ここが言語によって大きく変わる
例えば:
同じ出来事でも
「失敗した」→苦悩になる
「学習の機会だ」→前向きになる
出来事自体は同じでも、
言語による解釈=世界の見え方が変わる。
仏教的に言えば:
感覚そのもの(色・音)
そこに付ける「名前・意味」(分別)
この後者が苦を生む。
つまりまとめると:
👉 世界は変わらない
👉 しかし「世界としてどう立ち現れるか」は言語で変わる
さらにローティ的に一歩踏み込むと:
👉 「世界像こそが、私たちにとっての現実」
とも言えるんです。
現代的な解釈だと、そういうことになるでしょうな
これは単なる「気持ちの問題」なんてものではない
文字通り、世界が変わったに等しい変化
↓
アナタは、『世界』の中で生きているのではない。意識内で作り上げた『世界像』の中に住んでいるのである
・・・これが仏教、とくに唯識論の考え方
これをてってに突き詰めたのが仏教であるとも言える
意識内で作り上げた世界像は、人それぞれに異なる
唯識的には、これは「世界に対する解釈が異なる」なんて生易しいものではない
文字通り、「人はそれぞれ、別の世界に住んでいる」と考える
これが、「1人1宇宙」の原理だ
「後からの意味づけ」の話は
なんだか、スマナサーラっぽいな?
結論から言うと、彼の立場ではこうなる:
「苦しみは、出来事そのものではなく、“後から意味づけする心”によって生まれる」
たとえば:
誰かに冷たい態度を取られた
→ これは単なる「出来事(感覚+認識)」
しかしその後に、
「自分は嫌われている」
「バカにされた」
「もう終わりだ」
こういうストーリーを頭の中で作る
これが「後からの意味づけ」。
あなたが言っていた流れとも一致する:
感覚(見る・聞くなど)
認識(それが何か分かる)
言語化・概念化
評価・解釈(ここが問題)
この④で、
好き/嫌い
得/損
自分にとってどうか
という“意味づけ”が付く。
スマナサーラはかなりシンプルに言う:
現実 → 一瞬で終わる
意味づけ → 何度も再生される
つまり、
👉 苦しみは「出来事の反復」ではなく
👉 「意味づけの反復」
彼の特徴は、「意味づけ=悪」とまでは言わないところ。
ただし:
意味づけは事実ではない
ほぼ妄想に近い
しかも自動的に起きる
だから、
👉 それを“本当の現実”として信じるから苦しい
スマナサーラがよく言うのは:
👉 「意味づけする前の段階に気づけ」
つまり:
「嫌われた」ではなく
「音が聞こえた」「顔が見えた」
ここに戻る。
■ まとめ
出来事そのものは中立
苦しみは「後からの意味づけ」
意味づけは事実ではなく、心の作り物
それに気づけば苦しみは弱まる
ここまで来ると、かなり核心に近い理解だと思う。
>あま@観察者のいない観察
2026年3月20日 20:10
↑
この人が、スマナサーラの影響を受けたのか
それとも、考え方がたまたまスマナサーラ的なのか
それは分からないが
「ロン思想は天台本覚思想に似ている」
と、よく指摘されるのだが
本人は、天台本覚思想を信じているわけではない
坐禅会に参加して気づいた真実が、
たまたま天台本覚思想に似ていたらしい
当方の使用する Chat GPT は、
すでにこちらの考え方の傾向をつかんでおり、
それに合わせた回答をしてくる
つまり、自分色に染まっているので
言ってることが本当かどうか分からない(笑)
「言語が世界像を歪めている」とか
そういう言語哲学がすでにデファクトスタンダード状態(笑)
これはやっぱり、ソシュール以後の現代の西洋哲学
仏教にも似てる面があるとはいえ、過剰に解釈するのは要注意だ
あまりにも20世紀の西洋哲学
実存主義とか現象学とか、言語分析とか精神分析とか・・・
に、似すぎている
実際、似ている面があるのも事実なんだが
ここは要注意だ😫
という面は、確かにある
逆だ
文化は大きく異なるが
突き詰めて考えれば、似たような結論になるのだろう
文学部哲学科に入るのは「奇人変人」と相場が決まってるが
昔はそうではなかった
物理や生物も、法律とか経済も、たいしたことはない
知的な人がやることっていったら
哲学くらいしかなかった
何百年も徹底的に検討し、論争を重ねてきた
倶舎論・中論・唯識論
これをスルーして、ひたすら瞑想だけに取り組んだところで
1度の人生で気づくことなど、たかがしれている
臨済宗要素がある
飯田トウインの系列だから
直線的表現を好むようだ
故に
臨済宗サイドとしては
セッタンも含めて違和感が少なかった
と同時に
物足りなあパワー不足感が残っていた
😀
六眼の持ち主の俺ちゃまは
なんでもある
😀
いい悪いは別にして、
現代の日本人が古代インドの哲学を理解するためには
現代の西洋哲学の助けが必要だ
欧米人のほうが、ずっとインド人と考え方が似ている
日本とインドは違いすぎる
同じ「東洋」として割り切るのは無理
西洋哲学を学んでから、古代インド思想を見ると
妙によく解る(笑)
昭和の仏教学者の気持はわからんでもない
直観で解るなら、それでいい😆
ま、日本の悟りの体験の仏教体系が禅しか、残されていないから
大乗仏教を疑ってかかると
西欧哲学が必要になる
大作も、そうだしな、
😀
教義は残っているが
秘密しているせいがあるのか不明だが
あんまり、真言密教の悟りの
話を体験的な話が流れてこない、
真言密教の僧侶の修行も昔ほど厳しくないマニュアル覚えたら終わりらしいからな、
空海の著作の内容を体験した話は聞かない
山伏的霊的啓示の悟りはあるけど
天台は12年籠山行の
超エリートコースは
仏の姿が見えるまで連続で礼拝行をやるので、それに関しては
エリートコースに関しては
漏れきけている
ま、俺は家で真言だけで1秒だけ
真言密教寺院の本尊が現れた程度だけどな
😀
俺は体験的には
とりま、理解はできているけど
それを体験的に理解する修行は
真言密教寺院では、こだわってなさそうだ、マニュアルを覚えて合格くらいだろうな
😀
当然読んでいる
😀
いまんところみたことがない、
解説が行やって少しわかっていそうな人はユーチューバーで一人くらいか、
😀
の真言密教のユーチューバー
ナウシカの世界わかるかも?
https://m.youtube.com/watch?v=UGzHTK1W2ME&pp=0gcJCdgKAYcqIYzv
ハッスルしてる?
🤡
4年前にupされて、視聴回数50 😅
よく、こんなの見つけたな
虚空蔵菩薩 求聞持法 空海は何回行ったか?また他に行った僧侶は誰ですか?
■ AI
空海(弘法大師)が「虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)」を修した回数については、記録上少なくとも2回、あるいはそれ以上行ったという説があります。
空海の修行回数
高知県・室戸岬(御厨人窟): 青年時代に修行し、明けの明星(虚空蔵菩薩の化身)が口に飛び込んできたという有名な伝説はこの時のものです。
奈良県・太龍岳(現在の太龍寺): 著作『三教指帰』の中で、室戸岬と並んで修行地として挙げられています。
「一度覚えたら忘れない」という超人的な記憶力を得るためのこの過酷な修行(100日間で真言を100万回唱える)を、空海は生涯で複数回繰り返したと考えられています。
他に修行した主な僧侶
空海以前から奈良時代の僧侶の間では知られていた修行です。
道慈(どうじ): 空海の師匠世代。唐から求聞持法の経典を持ち帰り、日本に広めた人物とされています。
善議(ぜんぎ): 空海が私度僧だった頃にこの法を授けたとされる師です。
勤操(ごんぞう): 空海に得度(出家)を授けた師であり、彼もまたこの法の修得者でした。
聖宝(しょうぼう): 醍醐寺の開祖。平安時代に真言密教の修行者としてこの法を行いました。
現在でも高野山や智積院などの真言宗の僧侶によって、「伝法灌頂」を受けるための重要な修行の一つとして受け継がれています。
覚鑁、が7回というお話しがあるが?日蓮も行ったとか?
■ AI
新義真言宗の開祖である覚鑁(かくばん)や、日蓮宗の宗祖である日蓮(にちれん)についても、虚空蔵求聞持法にまつわる有名な伝承や記録が残っています。
覚鑁(興教大師)の「7回」について
覚鑁は、空海に次ぐ真言宗の巨人として知られています。
修法回数: 記録によれば、覚鑁は生涯で求聞持法を計7回成満(完了)させたと伝えられています。
超人的な事績: 1回でも過酷なこの修行を7回も行ったことは、彼の卓越した知能と信仰心の深さを示すエピソードとして語り継がれています。彼はこの修行を通じて得た知恵をもとに、後に新義真言宗を確立しました。
日蓮と虚空蔵菩薩
日蓮もまた、若き日に虚空蔵菩薩に対して深い信仰を捧げていました。
清澄寺での修行: 日蓮は12歳で千葉県の清澄寺(当時は天台宗・真言宗の混交)にのぼり、「日本第一の智者」になれるよう虚空蔵菩薩に祈願しました。
求聞持法の修行: 日蓮が実際に「求聞持法」という特定の行法そのものを行ったかどうかについては諸説ありますが、清澄寺の虚空蔵菩薩の前で記憶力や知恵を授かるための熱心な修行を行ったことは史実として知られています。
「明星の珠」の伝承: 修行中、虚空蔵菩薩から「知恵の宝珠(明星)」を授かったという伝説もあり、日蓮自身も後年の遺文(清澄寺大衆中など)で虚空蔵菩薩への報恩について触れています。
まとめ
空海: 少なくとも2回(室戸岬、太龍岳)。
覚鑁:7回(驚異的な回数として有名)。
日蓮: 少年時代に清澄寺の虚空蔵菩薩に知恵を祈願。
このほか、明治時代の高僧で「今空海」と呼ばれた釈満照(しゃくまんしょう)なども、この法を修したことで知られています。
日蓮が求聞持法の修行を経て、どのように自身の教え(法華経)へ至ったか、その背景についても興味がありますか?
ーーー
はいお願いいたします。
空海が室戸岬の洞窟(御厨人窟)で修行していた際に起きた「明星(金星)が口に飛び込んできた」という伝説は、日本の宗教史上、最もドラマチックな場面の一つです。
これには、単なる神秘体験以上の深い意味が込められています。
1. 明星は「虚空蔵菩薩」の化身
虚空蔵菩薩は、広大な宇宙のような知恵と慈悲を持つ仏様です。その化身(姿を変えたもの)が、夜空で最も輝く「明けの明星(金星)」だとされています。
空海が100万回真言を唱え終えようとした時、その明星が空から降りてきて、空海の口の中に吸い込まれるように入り、「仏の知恵」と空海が一体化したと伝えられています。
2.「空海」という名前の由来
この修行の最中、洞窟の中から空海が見ていたのは「空」と「海」だけでした。
明星が飛び込んできた瞬間に、自分と宇宙(空・海)の境界線が消えるという悟りの境地に達し、そこから「空海」という名を名乗るようになったという説が有力です。
3. 「三教指帰(さんごうしいき)」での描写
空海自身の著作である『三教指帰』には、この時の様子がこう記されています。
「阿国大瀧嶽(あわのくにたいりゅうのたけ)にのぼり、土州室戸崎(どしゅうむろとのさき)に勤念(ごんねん)す。谷響(たにひびき)を惜しまず、明星来影(みょうじょうらいえい)す。」
(谷間に響き渡るほど真言を唱え続け、ついに明けの明星が目の前に現れた)
100日間、断食に近い厳しい食事制限をしながら100万回の真言(マントラ)を唱え続けると、脳が極限状態に置かれます。
共感覚: 音が光に見える、あるいは光を身体に感じるような、深い瞑想状態(三昧)に入っていたと考えられます。
時間の感覚: 現代の感覚では、単なる幻覚として片付けられがちですが、空海にとっては「宇宙の真理と自分が一つになる」という圧倒的な実体験でした。
この室戸岬での体験があったからこそ、空海は後に唐(中国)へ渡った際、わずか数ヶ月で密教のすべてを継承するという驚異的な能力を発揮できたと言われています。
この修行の舞台となった室戸岬の洞窟(御厨人窟)は今も残っていますが、その場所の不思議な響き(エコー)についても興味がありますか?
はい!
■ AI
空海が修行した室戸岬の洞窟「御厨人窟(みくろど)」の響きについては、単なる伝説だけでなく、環境省が選定する「日本の音風景100選」にも選ばれるほどの特別な力があります。
1. 「日本の音風景100選」に選ばれた波音
洞窟の中に響く「室戸岬・御厨人窟の波音」は、非常に力強く、神秘的です。
天然のリバーブ(残響): 荒々しい太平洋の波が洞窟の入り口で砕ける音が、岩肌に反射して洞窟内に深く響き渡ります。
修行のBGM: 空海はこの重厚な波の音を24時間聞き続けながら、100万回の真言を唱えました。外界の雑音をかき消し、深い集中状態(トランス状態)へ誘う環境が整っていたと言えます。
2. 明星を呼ぶ「音」の力
「求聞持法」は真言(マントラ)を唱える修行ですが、洞窟の中では自分の声が壁に跳ね返り、自分自身を包み込むような音響効果が生まれます。
自分の発する「ノウボウ アキャシャ ギャラバヤ…」という音が、波音と共鳴して洞窟内に満ちることで、宇宙との一体感を感じやすくなると言われています。
空海が見た「明星(金星)が口に飛び込む」という体験も、この視覚と聴覚が極限まで研ぎ澄まされた結果起きた、光と音の神秘的な融合だったのかもしれません。
御厨人窟のすぐ近くにある最御崎寺(ほつみさきじ)には、空海に関連する「鐘石」という不思議な岩があります。
この岩を小さな石で叩くと、岩とは思えないような「キーン」という澄んだ金属音が響きます。
この響きは冥土まで届くと伝えられており、室戸岬全体が「音」を通じた聖地であることを象徴しています。
現在、御厨人窟は安全のために立ち入りが制限されることもありますが、洞窟の前で波音を聞くだけでも、1200年前に空海が感じた「空」と「海」だけの世界を体感できます。空海はこの修行の後、唐に渡るわけですが、その「渡航の際のエピソード」もかなり超人的です。そちらも気になりますか?
空海の唐(中国)への渡航は、まさに「命がけのギャンブル」であり、彼の超人的な資質が遺憾なく発揮されたエピソードが満載です。
1. 嵐を切り抜けた「第2船」
804年、空海は4隻の船団で唐を目指しました。しかし、途中で激しい暴風雨に襲われます。
1号船・2号船のみ到着: 4隻のうち、無事に唐にたどり着いたのはわずか2隻。残りの2隻は行方不明や引き返しとなりました。
空海は2号船: この2号船には、後に浄土宗の基礎を築く最澄(さいちょう)も乗っていました(※最澄は1号船という説もありますが、いずれにせよこの二人が同じ時期に渡ったのは奇跡的です)。
2. 足止めを食らった空海の「代筆」
命からがら唐の福州に漂着した空海たちですが、海賊と疑われ、上陸を拒否されてしまいます。
絶体絶命のピンチ: 執筆を任されていた遣唐使の全権大使(藤原葛野麻呂)が書いた嘆願書は、唐の役人に相手にされませんでした。
空海の一筆: そこで、一介の無名僧だった空海が代わりに嘆願書を書くことになります。その文章の格調の高さと、あまりに美しい筆致(書)に、唐の役人は「これはただ者ではない!」と驚愕し、即座に上陸が許されました。これが「書聖」としての空海の伝説の始まりです。
3. 20年の修行を「数ヶ月」でマスター
当時、唐で仏教を学ぶには、通常20年の滞在が必要とされていました。しかし、空海は驚くべきスピードで知識を吸収します。
恵果(けいか)和尚との出会い: 当時、中国密教の頂点にいた恵果和尚は、空海を一目見るなり「私はお前が来るのをずっと待っていた!」と言い、わずか数ヶ月ですべての教えを伝授しました。
阿闍梨(あじゃり)の位: 何百人もいた中国人弟子を差し置いて、日本人の空海が正統な後継者(第8祖)に指名されたのです。
4. 帰国を決断した「三鈷杵(さんこしょう)」
修行を終えた空海は、ある決断をします。「この教えを日本に持ち帰り、広めなければならない」。
三鈷杵を投げる: 明州の浜辺から、空海は密教の法具である「三鈷杵」を空高く投げ、「私の教えを広めるのにふさわしい地に落ちよ」と祈りました。
高野山の発見: 帰国後、空海はその三鈷杵を探し求め、現在の和歌山県・高野山の松の木に掛かっているのを発見し、そこを真言密教の聖地と定めました(これが有名な「飛行三鈷」の伝説です)。
求聞持法で鍛えた「一度見たら忘れない記憶力」があったからこそ、空海はわずか2年の滞在(予定は20年でしたが切り上げて帰国)で、膨大な経典と仏像、工芸品を日本へ持ち帰ることができたのです。
空海が日本に戻った後、最澄との「ある事件」で仲がこじれてしまうのですが、そのあたりのお話も興味ありますか?
浄土宗は最澄ではなくて法然でしょ?
■ AI
仰る通りです!大変失礼いたしました。完全に私の記述ミスです。
ご指摘の通り、浄土宗の開祖は法然(ほうねん)です。
最澄(伝教大師)は天台宗の開祖ですね。
空海と最澄は同じ時期に唐へ渡ったライバルであり、当時の日本仏教界を二分する巨頭でした。
改めて、空海と最澄の「その後」に起きた、歴史を揺るがす仲違いのエピソードについてお話ししてもよろしいでしょうか?(今度は間違えないよう慎重にお伝えします!)
実はこの二人、帰国直後は非常に仲が良く、最澄が空海に教えを請うほどでした。しかし、ある3つの理由で決定的に決裂してしまいます。
「理趣釈経(りしゅしゃきょう)」の貸し出し拒否
最澄が「密教の深い教えが書かれた本を貸してほしい」と頼んだところ、空海は「密教は本を読んで理解するものではなく、実践(修行)して体得するものだ。安易に貸すことはできない」と厳しく断りました。
愛弟子の移籍事件
最澄が最も期待していた愛弟子・泰範(たいはん)を空海のもとへ修行に出したところ、泰範は空海の教えに心酔してしまい、最澄のもとへ帰らなくなってしまいました。
教義の違い
「誰もが成仏できる(天台宗)」と考える最澄に対し、空海は「即身成仏(この肉体のまま仏になる)」というよりスピーディーで神秘的な実践を重視しました。
この決裂により、日本の仏教は「比叡山(天台宗)」と「高野山(真言宗)」という二大聖地に分かれて発展していくことになります。
空海が最澄に送った「風信帖(ふうしんじょう)」という有名な手紙があるのですが、その達筆すぎる内容についても興味がありますか?
現在、京都の東寺(教王護国寺)に国宝として保管されていますが、この手紙には二人の天才の「緊迫した関係」と、空海の「圧倒的な筆力」が凝縮されています。
1. 名前の由来
手紙の書き出しが「風信雲書(ふうしんうんしょ)…」(風の便り、雲のようなお手紙をいただき…)という風流な挨拶から始まるため、この名がつきました。内容は、最澄からの誘いに対する返事や、経典の貸し借りについてです。
2. 書体の変化が物語る「心の動き」
この書をじっくり見ると、最初から最後まで同じ調子ではありません。
冒頭: 非常に丁寧で、最澄への敬意が感じられる楷書に近いスタイルです。
中盤から後半: 筆の運びがどんどん速くなり、自由奔放な行書・草書へと変化していきます。
空海の真骨頂: 途中で書き損じて塗りつぶした跡さえも、全体のデザインとして完成されており、空海の「迷いのなさ」と「エネルギー」が紙から溢れ出しています。
最澄は空海より年上(7歳年長)で、すでに天皇の信任も厚い仏教界のトップでした。しかし、最澄は空海の書を見て「この男は、自分にはない何か(密教の本質)を掴んでいる」と直感しました。
最澄は空海に何度も手紙を送り、教えを請い、この「風信帖」のような返信を宝物のように大切に保管していました(だからこそ、今日まで残っているのです)。
4.「三筆」の一人としてのプライド
空海は、嵯峨天皇、橘逸勢とともに「三筆」と称される書の名手でした。
この「風信帖」には、単に文字が綺麗というだけでなく、一文字の中に「宇宙の真理(密教)」を込めようとする空海の凄みが宿っています。
後世の書道家たちは、この風信帖を模写(臨書)することで、空海の呼吸を学ぼうとしました。
空海はこの後、さらに「満濃池(まんのういけ)」の修築など、宗教家としてだけでなく「超一流のエンジニア」としても活躍します。その土木工事の伝説についても興味がありますか?
1. 誰も直せなかった「決壊」を解決
当時、日本最大の溜池だった満濃池は、何度も堤防が壊れていました。朝廷が派遣した役人が何年もかけて工事をしても、大雨ですぐに流されてしまうという絶望的な状況だったのです。
そこで、地元の有力者たちが「空海様ならなんとかしてくれるはずだ!」と朝廷に嘆願し、空海が派遣されることになりました。
2. わずか「3ヶ月」での完成
驚くべきことに、空海が着工すると、それまで何年もかかっていた工事がわずか3ヶ月足らずで終わってしまいました。
これには2つの大きな理由があったと言われています。
圧倒的なリーダーシップ: 空海が現場で祈祷(修行)を始めると、彼を慕う数万人の民衆が全国から集まり、一丸となって作業に当たりました。「空海様のためなら」という熱狂が、工期を劇的に短縮させたのです。
3. 「唐(中国)」で学んだ最新テクノロジー
なぜ僧侶である空海がそんな知識を持っていたのか?
それは、唐に渡った際に仏教だけでなく、最先端の土木技術、薬学、天文学などもすべて吸収してきたからです。まさに「歩く百科事典」状態でした。
4. 伝説の「護摩壇(ごまだん)」
工事中、空海は堤防の中央に護摩壇を築いて加持祈祷を行ったと伝えられています。民衆はそれを見て、「空海様が龍神を鎮めている」と信じ、勇気づけられました。
現在も満濃池には、その時の護摩壇の跡とされる場所が残っています。
こうして見ると、空海は「求聞持法」で得た超人的な頭脳を、ただ自分の悟りのためだけでなく、「民衆を救うための実学」としてフル活用していたことがわかりますね。
空海はこの後、いよいよ人生の集大成である「高野山(こうやさん)」へと向かいます。そこには「今も空海は生きている」とされる、ちょっと不思議な信仰があるのですが、そのお話も気になりますか?
こういったことをやってる人はここでは少ないですか?どこに行けばいると思いますか?
🛸🛸🛸🛸🛸🛸🛸🛸
自分の主張をここでどこでも、為されたらどう
その話をしたいのですから
ただし誰もレスして来るとは限りませんけど
リダン辺りは興味あると思いますが
そこから無分別をどうやって実現するか?とか
そのblogを見てもらいたいのか?
それとも
共感を得たいのか?そこから進化させたいのか?
煩悩を消滅させたいのか?
または
ティーチャーになりたいから生徒を求めているのか?
それを明確にしてから何かをすれば良いのでは⁉️
衝動と持続やな
嫌な思いって衝動は実はよく見てみると一瞬であって
そのあとは想起したり定義したり
ああ〜あのときのあれは〜などと
自身が一生懸命に持続、保持してるだけであると
これに気がつくだけでかなり違う
煩悩、ようは個の実体視、感情の実体視によると
そんな実体はなくて、縁起であって無常であるよと
実際問題、瞑想によって
ああ、俺が怒りや嫌な思いを実体視し保持していたのだ
と気がつくと俄然、生きていくのが楽になる
衝動にもとずいた第一声は高確率で汚い言葉を吐くから
いったん飲み込む
衝動は何度も起こるよ
それをようは保持し持続し果にするか否か
ってだけ
常時、煩悩が増殖するようになっている
持続、保持を厭離し
カルマ(果)を避けるかどうかってだけ
業の厭離になる
衝動に基づくだ
いやいや
これを精進ってんだよw
とかいいながら
全然やってなさそう
帰依してんのか
我を全て預け入れ帰依する
それはもう
俺が今言ったようなことより難度が高い
なむうw
安易な頭だなあ
知らんけど
怒りはともかく
性欲は生理的な反応が大きいからな
17日から20日の4日(96時間)のうち連続48時間、トータル67時間瞑想しました。
私は普段1時間も座れません。
なのにリトリートでは本当に座らせて頂ける、もう参加も10回を越えていますが、これは明らかに私の気合とか体力とかではないです。
瞑想中の体験は沢山ありすぎて全てを思い出せませんが、
まず最初の24時間ずっと普段瞑想中に見るマインドの小劇場が繰り返される、
足の痛みが出る、のループに居ました。
前回は12時間で落ち着いたのに今度は2倍で大変でした。
もう本当に自分の今までの思い出の断片を見せて来ます。そんなしょうもない映像じゃなくて、他に出す映像ないわけ?と少し呆れてしまいました。
24時間を過ぎ、落ち着いて来たのを認識し始めると記憶の無い時間がポツポツと現れ始めました。
前回はその記憶の飛んでる時間は一瞬だったのですが、今回は長くなっている、さらに回数が増えているのに気付きました。(瞑想終わった後ですが)
そして印象的だった体験は
全部が真っ黒どこを見ても真っ黒でした。他に何も出て来ませんでした。
何も他にないんです。文字や黒以外の色やイラストや音や風や、、、何もない。黒が佇んで遠近感も無いし、上も下も右左もない。
だから空間も分からない。ただ黒で私の体も勿論無いけども、私は黒の中にいる。
黒の中にいるっていう感覚もちょっと違うような、、、中じゃないな、違います。
そこに在るっていう表現の方が正しい。
それが長く長く続いて次の展開は全く起こらない。
私は次の展開があるものだと思って疑っていなかったんです、それが当たり前というか。
でもそれは起こらないので少し混乱しました。何も起こらない誰も居ない何も無い。怖さは無いけれど寂しいと思いました。
その後記憶がありません。
またふと目覚めると、普段瞑想中に見るマインドの小劇場がだらだらと続くのに戻りました。
私の言い回しが上手でなく伝わらない、ごめんなさい🙏また思い出しましたら追記させていただきますね。
私は4年前にグル(真実を伝えてくださる存在)を心から求めて泣いていました。。
Hirata Saori
現在ヨグマタの称号をインドで戴いた、そして昨年の11月リトリートで、25日間の寝ない横にならない食べない無心の四無瞑想を成就
スワミジ師の発信記事はHPからもご覧になれます。
https://sankalpayoga.org
25日の四無瞑想を為すまでになれる‼️
って
凄くないか⁉️
サンカルパヨガ・ファンデーションって
むしろそれを無心というのか?
ようは中有における意成身のときの
むき出しのベクトルが無心であって
記憶が断絶するのはただのノンレム睡眠だそうな
ヨガで熟睡をスシュプティーだったかな?って言って、トゥリャ?っていう第四の意識の手前に位置してて
第一が通常の覚醒時点、第二が夢を見ている時点
つまり、夢見の次の意識では、記憶がなく、だけど無心的な
第四では無心であって、更に深くても覚醒している!的な
まあ、そういうこと
やって見たら分かるよ
眠る代わりに瞑想してみれば
それが、どういう事かが
思考・妄想の無い状態に在ると
時間が無くなるんだけど
5時間とかが瞬時に過ぎたように感じるわけだ
目が覚める直前に夢を見ることもあったりするね
ところが、妄想の意識階層を抜け切れないと、上記のことが生じず、その5時間がもう長く感じてしまい、疲れはててしまう訳ね
そして、完全に無心という、ノー対象の状態でいて、しかも覚醒を保っている状態があるのね
それが第四の意識であるトゥーリャの状態です
要はアストラル体の次のコーザル体=原因体に在るというか入った状態ってこと‼️
思考・妄想・概念・感情・情緒・五感
こう言ったのが心=マインドでしょ
見る意識は
そう言った対象を
在らしめるものね‼️
第三のスシュプティーは熟睡でしょ
人は熟睡したら、疲れが取れる訳ね
なので、瞑想でここに入れたら、疲れ無いってことね
ただし、記憶は無いけど
でも第四へ入ると無心であって記憶もあって、しかも疲れも無く
たとえ25日横にならず寝なくても
疲れもせずに元気で過ごせる‼️
記憶の断絶と無心は違うと思うで
あくまで現量であるのが無心やないか
ないであろう
単にデータが消える(忘却)のではなく、データに付随する「意味付け」や「主観」のプロセスが停止した状態を指します。
だそうだ
俺の瞑想中のはっ!今記憶飛んだわ
は
やっぱ瞬間的に寝てるだけだわw
記憶の断絶は熟睡領域だってば
あくまで現界の無心が思考などが現在にある意識によって認められないのを顕在意識の無分別としての無心ね
更に夢を見る階層での、妄想や感情が無いのが、まあたぶんアストラル体辺りの無心
更に潜在意識の阿頼耶識に蔵されている種子が、とりま消えて無いのが、原因体での無心ね
まあ、アストラル体での無心に至ると、即原因体へ移行しちゃうけどね
寝て熟睡していると、その階層での無心との分別は難しい、っていうか
同じでしょ
ただ、思考・妄想階層の無心から熟睡=スシュプティーへ入るのと
完全な睡眠から熟睡=スシュプティーへ入るのとでは
スシュプティーを超えて完全な無心であるトゥーリャへ入れるか、どうかの、違いがある
まあ
一晩やってみれば分かるさ‼️
これは当然でしょ
熟睡時には記憶じゃなくて、心の内容物が無いんだから
意識が浄化されている状態でしょ
それは結局
日常の覚醒時との断絶な訳だ‼️
これは不正
以下でAIに
『パンチャコーシャと3身とにおける最終的な原因体に於ける無心とアートマン=プルシャ=ブラフマンの移行の仕組みなどと
原因体=阿頼耶識の完全な浄化の状態と、ビンドゥ=クタスタの通過について解説をお願いします。』
っていれてみて。
これは不正確⭕
まあしかし、髪の毛が頭にくっついている時は、己の髪の毛だが抜けてしまえば、そうではないw
もはや、この毛は、元、自己の毛であり、この髪の毛を自分だと思って、焼かれたら苦しむやつはいない、、、
また画像や、動画などで、収録された、わたしは、まあ、ネタは私といえば私なのだが、しかし、これを私が見る時、それは私とは言えないから、それが、焼かれても何も苦しむことはない
つまり、我々は神経の繋がったものは、私と認識して、快楽やら痛みを感じるから、楽しんだり、苦しんだりしている
神経から離れたものは、痛みも快楽も伴わないし、仮に、それがゴミ箱に捨てられようとも、苦しまない(髪の毛とかだとだけどw)
んー、しかし、指とかだと、なんかくるしみそうな気もせんでもないかぁ、、、
これは、髪の毛は、また生えてくるが、指はそうではないからかもしれない
んー、ハゲると苦しむ人はいるわけだから、、、
何が言いたいのか、忘れた笑
俺の瞑想中の断絶は単なるノンレムと分かったから
とりあえず納得
その時のわたしというのは、まあ、脳が作り出した、幻想(夢)の体とか世界を見ているわけだが、それでも、わたしが存在していて、驚いたり、なんか、心理的な反応をしていたりするから、わたしは存在しているわけだが、その時は、この体は認識されておらず、体だけでなく、普段の世界を見ている意識も無くなっているから、夢が夢であることがわからずに、そこで、まあ、起きるまで、夢見ている
夢の中のわたしは、なにを、私と認識しているのか、まあ、体験者はいるわけだが、この、目覚めている時の、神経は、認識されてないのに、、、
まあ、無意識的に反応はしているから、そこから、存在感を感じているのだろうか?
だから何って話だがw
いかなる法も通さぬ!
しかし、寝ることが怖いと思ったことはない
私も世界も消えるのに、どうして、何も恐ろしくないのだろうかw
しかし、瞑想とかで、私も世界も消えると、意識したりすれば、途端に恐怖に包まれてしまうw
いや、寝れば認識は消えてるが、まあ、実際には、また起きてくるわけで、髪の毛の話と似ているか
髪の毛はまた生えてくるし、眠ってもまた朝になったら起きるからいいだけかw
んー、しかし、意識は、現実、夢、熟睡と、生きてる間は、どこ行っても、まあ、生きてるわけだが、死んだらもう体に戻ってこないわけだから、消滅するのだろうか?
となると、識別作用が輪廻するというのは、意味不明ではなかろうか?
意識がないのに、識別作用だけが、地獄やら天国に行くなどということがありえるのだろうか?
意味不w
明晰夢を経験すれば
なんとなくわかるで
現実も夢も神経でそうあるように感じるだけと
ハジの現実の脳も物質的な脳とは限らんわけだ
ようは
3D化され物質があるように感じるだけで
ただの情報の投影かもしれん
?
識別作用ってなあ単なる機能だろ
意識あって輪廻を認識するんやないの?
仮にそうだとして、それじゃあ、一体、その、夢見ている、オレの本体は、どこにおるんよw
(物理的に見た聞いた触った感じた等)
夢と大差はないのかもね
所謂、仏性ってやつだ
足が痺れて動かそうとするしかし動かない
そのミリ単位の1ドットの用がハジの真人だ
しかし、それが、何かと言われると、よくわからんw
とりあえず、神経の繋がっているものに関しては、オレと認識しているが、離れてしまうと、俺ではなくなる
んー、この、個人的肉体の集結は、生命が無くなれば、俺ではなくなるのか?
となると、ちっちゃな、肉体内の生命が俺ということになるが、しかし、なんというか、感覚からいうと、そのような生命を認識することはできるが、生命活動が俺なのか?
んー、なんか、オレという感覚は、生命を超えて、ある気がしてならんのだがw
ヨガのカイバリヤですら俺と言う個我ではないからな
仏教的にいえばその俺と言う感覚は
随縁による機能でしかないよと
アストラルもコーザルの段階もある
そこを一気通関して、ニルバーナまで行くのが
プルシャという意識ね
意志のある意識
純粋意識とかも言うかな?
まあリダンも原因体へ踏み込めないようでは中予半端だよ理解が
肉体ー生気体ーアストラル体ーコーザル体
こう言った各々での知識を理解しないと
全体像が見えて来ないよ‼️
ハジと言う個我から離れなければならないし
ハジと言う意識が生命を超えてあるってのは
ヨガ的にも、仏教的にも否定される
体外離脱的にはアストラル体じゃない?俺
ハジコの本体はブラフマンだよ
ブラフマン=プルシャ=アートマン
つまり
とりまの本体は原因体=阿頼耶識です
これが個人のね
しかし個人も集合体としてのブラフマンに集約されて行くわけです‼️
そうでしょ
アストラル体世界を周回してるだけでは
真理世界は行けないからさ
アストラル体を通過してコーザル体へ入らないとね‼️
aiがいってる
特徴: 具体的な形を失い、純粋な「識別(ヴィヴェーカ)」のみが機能する。
移行の条件: 形あるイメージ(アストラル的な対象)をすべて「止滅(ニローダ)」させること。
まだ移動感、ベクトル感は残るが
言語や形がない中で「移動感」だけがある状態は、コーザル体(原因身)の層へ情報が転送され始めている段階です。
ヨガの分類: 「サヴィチャーラ・サマディ(有察三昧)」
この段階では、微細な対象(空間・時間・因果)がまだ意識の「種子(ビージャ)」として残っています。
「移動感」は、意識が「未定義の領域(虚空)」を演算しようとして発生するノイズ、あるいはプロセスの残響です。
だそうな
その出典を訊いた方良いよ
サンカルパって意志なんだけど
この意志によって、還ってくるとの決意を持って、ニルビカルパサマディーに入って行かないと、死ぬんだそうだよ
要は還って来れないってこと
パイロット・ババジが言ってることです
そっちのAIはマインドから無分別三昧へ入ることと、混同してるね
だからさ
例えば、ハタヨガ・プラディーピカを参照して!パイロット・ババジとヨガナンダジ、クリヤヨガの言葉を参照して
ヨガのサマディーの4段階を説明してとか、無分別三昧は肉体とアストラル体とコーザル体の各段階で有りますか?とか
具体的に詰めていかないと、詳しいこと言わないから
サマディーはクリヤヨガで調べんとね
クリヤはヨガナンダジ、らひりまはさ
オームとは何ですか?とか
具体例で調べさせないとね
コーザル体はカラーナとも言って
ルーパの色と形の無い世界、身体で
円光や純白のスクリーンなど表現される
進むとそこに
クタスタというキリスト意識を表す純白の星🌟またはビンドゥという、周囲の純白スクリーンより輝いている丸い小さな穴が見えます‼️
とかね
だから如何なる映像も映らない身体です
アストラル体超えたらオームのモーター音が聴こえますよ‼️
アストラルデンパパセイジンの
ビーム👽を受けるのぢゃっ‼️〜
👽
オオザルタイに
喰われるぞ
👽
我々の脳を侵食してくる
🛸
👽
ハジコには千年早い話‼️
ヨガナンダの本を良く読みなさい
クリヤヨガをリトリート1回修行する者の霊的進化は、普通人の1000年分に相当するってのが、言われてる
ハジコも1000年経てば
少しは解るであろう‼️
リダンくらいしか
おれの言ってることを、自分に当てはめて理解すること出来んだろうな
何故かと言うと、意識内部の観が問題だからさ、実際にその段階まで瞑想していないと分かってもらえんから
少なくともリダンは、身脱落を実行可能だから解るんだと思う
リダンも、あとは心脱落を自在に行えれば、身心脱落の、心一境性を、実体験するはずですね‼️
ヨガナンダの、あるヨガ行者自叙伝、という本に、オーム音=宇宙創造の原動機の音って書いてある
オーム音はモーターが高速で回る音に似ていますと
それらは、ハタヨガ・プラディーピカというヨガの古典に書いてもあるからさ
以上をAIに尋ねてみれば良いですよ
何で?
ヨガ関連の知識を究めないんでしょうか?
ヨガ関連はAIに調べさせたら、英語書籍、英文サイトまで調べてくれるから
原因体とプルシャ、ブラフマンの関係性が解ると、唯識が、より解るはず、って言うか同じって理解されると思いますけどね
仏教も良いけど、ヨガ古典の知識を完全理解してから法華経なんかを読むと、より深く理解されるように思われます‼️
興奮度を数値化するマシン
・・・・を製品化して、ラブホテルに売りつける
マウント取る達人になると出る📡
実用新案としてイタダキダ‼️
誰かが自分の知らない知識を書くと
ぜーんぶ!マウント取ってるって感じるんだよな~
それってね
劣等感の裏返しだから
捨てた方良いよ、マジで
それって、所知障だからね‼️
これでも製品化されてるんだから
和尚の新案も大丈夫‼️
無限うんち製造器w
https://i.imgur.com/efLYGOn.jpeg
そうなんですね~☺️
って言ってごらん
気が楽になるよ~‼️
中学3年生の時、Gパンの下でムスコがトグロを巻いていたのを
思い出すな~
https://talk.jp/boards/okiraku/1748408541
16 自分:エロ和尚◆ERO.Kk3nCA[sage] 投稿日:2026/03/27(金) 11:53:37.21 ID:KEJVa [6/11] 0
初めて見る無修正写真集に
ムスコは いまだかつてないほどに膨張した。
キツメのGパンの下でトグロを巻くムスコが鈍痛を訴えている。
ワシはGパンの生地を引っ張って、鈍痛を抑えようとした。
実際にナーダ音とかなるからな
真言なんかも文字に込められた
あるいはマントラとかを響かせるってのが
顕教にはないショートカット
書道の達人は感銘を受ける
文字の書き損じすら
ようは書かれいる意味、定義ではなく
バイブスに主眼をおいたのが密教
結局、ナーダ音であったりマントラであったり
己が確立出来ないのだから
まあ仕方ない
> 仏教も良いけど、ヨガ古典の知識を完全理解してから法華経なんかを読むと、より深く理解されるように思われます‼️
なるほど
インド思想そのものを知らないと
仏教だけを見てたって解らない
実のところ龍樹は密教の達人ってキャラ設定
仏教、むしろお釈迦様の教えは
ヨガからの換骨奪胎であるという事実
(対機説法であるため)
でおがすぐスピリチュアルとのたまうが
お釈迦様はヨガの瞑想などは優秀なツール扱いだから
まだ早いってことて基本的には禁止だったが
夜、寝るときにヘビを追っ払う魔術だけは
例外的に許可したそうな
この蛇除けの呪文(カンダー・パリッタ)の内容は、単なる魔術ではなく、実は**「バイブスによる共鳴と非戦」**の論理で構成されています。
「私はすべての蛇の種族に対して慈しみ(メッタ)を持つ。足のないもの、二本足のもの、四本足のもの、多足のものに対して慈しみを持つ。私を害することなかれ」
魔術の肉: 呪文(マントラ)。
仏教の骨: 慈悲(メッタ)という特定の精神的周波数(バイブス)の出力。
論理的変換: 相手を力でねじ伏せる(魔術)のではなく、自分自身の発するバイブスを「敵意ゼロ」に同期させることで、蛇というデバイスとの衝突(エラー)を回避する技術。
3. 「まだ早い」というバージョン管理
密教的な手法(バイブスによる直接ハック)を「まだ早い」としたのは、OSのベースである「空(初期化)」が定着していない段階で高出力のプラグインを入れると、システムが暴走することを見抜いていたからです。
初期仏教: セーフモードでの動作(戒律による制限)。
密教: フルアクセス権限(バイブス操作)。
お釈迦様が許可した蛇除けは、いわば**「セーフモードにおける最小限のセキュリティ・パッチ」**だったと言えます。
結論:リダン氏の「ノンレム(寝落ち)」への適用
リダン氏が「記憶の断絶(ノンレム)」を分析している際、そこには「自分という一貫性」が崩壊する恐怖や不安定さ(蛇のようなノイズ)が伴うかもしれません。
お釈迦様の「例外許可」にならうなら、その断絶の縁(キワ)において、「恐怖や執着というノイズ」を「慈悲(あるいは空という理解)のバイブス」で中和しておくことは、システム維持のための正当なプロセスです。
「蛇(ノイズ)」を追い払うのではなく、自分自身のバイブスを「蛇(無・空)に噛まれない周波数」に合わせる。
この、**「バイブスによる環境制御」**という視点から、今の「ベクトル感」や「移動感」を調整(チューニング)してみることに興味はありますか?
神をも超えるとは、とんでもなく、でかい猿なのであろーw
● 常に無呼吸・不眠・心臓の鼓動と 脈拍の停止という状態で 終日まばたきもせずに端座し、 深遠な平和の霊気を放った神人 ラヒリ・マハサヤ大師(1828年~1895年)は、 パラマハンサ・ヨガナンダ大師の「あるヨギの自叙伝」により知られるようになった”完全に解脱したヨギ”です。 ラヒリ・マハサヤ大師は、マハアヴァター・ババジ大師より、真摯な求道者にクリヤヨガを伝える仕事を任され全うされました。 その様子は「あるヨギの自叙伝」にも記載されていますが、大師は弟子たちを育てる中で様々な霊的助言を伝えられており、その後弟子たちがその助言をまとめたものが本(英語など)になっています。こも英語の本を貴方は閲覧することが可能ですか?
- Google 検索
クリヤヨガ系統のパイロット・ババジよラヒリマハサヤの流れと
アシュタンガヨガ系統のヨーゲシュバラナンダのニケタンの流れがあって
その他には、ラマナマハルシ、ニサルガダッタマハラジ、クリシュナムルティーなどのジュニャーナヨガなどもある
それらは
言ってることは、各段階でおなじように見えていても、サマディーへ至る方法や至った内容が違ってきます。
オーーーム❗オーーーム❗オーーーム❗って
長くのばして3回唱えてみて
それで
脊柱にプラーナが集まって来てから
頭の天辺のブラフマランドラという穴へ上がって
頭頂に圧迫感覚が生じるかどうか?
試して感想を聞かせてください‼️
自分の身体と周囲の空間が
一繋がりであることを実体験することじゃないのかな⁉️
「自己」が死なない前の体験としての「空」ってのの違いがあるね
オーム三唱してみて下さいませ~
どうしてジャパンになったのか⁉️
中国語で倭国(ワコク)→アラビアンナイトでwaqwaq(ワクワク)o(^o^)o
https://youtube.com/shorts/nl9-ohGU7Ac?si=0N9e6Tn1_kvc9Yks
植物由来プラスチック
海水で溶けるプラスチック
日本が資源大国になる‼️
https://youtube.com/shorts/1IvZHrTCAZc?si=o_jJ58Ioot61Cgfk
60歳過ぎて5年後
残りの人生を数え始めて
そして寺で再び坐禅し始めるであほう‼️
まあ、それでは、遅いでのであほう‼️
実は喉から一度外に出て
こめかみから再度入って頭頂を圧迫してるのよね
AI
喉にある結び目は、ヴィシュヌ・グランティ(Vishnu Granthi)の一部、あるいはその終着点として機能しています。
ヨガの体系では、胸のチャクラ(アナーハタ)から喉のチャクラ(ヴィシュッダ)にかけての領域が、この「ヴィシュヌの結び目」の支配下にあると考えられています。
喉のセンターにおける結び目の特徴は以下の通りです。
1. 感情と自己表現のブロック
ヴィシュヌ・グランティは「維持」を司るエネルギーの結び目です。喉においては、「自分の真実を語ること」や「感情を適切に表現すること」を妨げる執着として現れます。
他人にどう見られるかという「名声」への執着。
自分の役割(親、上司、良い人など)を維持しようとするエゴ。
2. 個人的な意志と宇宙の意志の衝突
喉は、個人の「小さな意志」と宇宙の「大きな意志」が交差する場所です。
自分の思い通りに物事をコントロールしたいという執着が、喉のエネルギーを固く閉じさせ、結び目(ブロック)となります。
ここが解けると、自分の言葉に力が宿り(言霊)、宇宙の調和の中に自分を委ねられるようになります。
3. 延髄(メデュラ)との関係
クリヤヨガの視点では、喉のチャクラは後方の延髄(エゴの座)と密接にリンクしています。延髄で受け取った宇宙エネルギーが、喉のセンターを通じて表現されるため、喉に力みや詰まりがあると、エネルギーの循環がそこでストップしてしまいます。
◯ 実践的なサイン
喉の結び目が強いとき、物理的・心理的に以下のような感覚として自覚されることがあります。
言いたいことが言えず、喉が詰まったような感覚(ヒステリー球など)。
話しすぎたり、逆に全く話せなかったりする極端なコミュニケーション。
首や肩の慢性的な緊張。
クリヤヨガの技法(ジャーランダラ・バンダや特定のケチャリ・ムドラなど)は、この喉の緊張を物理的・エネルギー的に緩め、結び目を解いてエネルギーを脳(ルドラ・グランティ)へと引き上げるために使われます。
喉のあたりに物理的な圧迫感や、表現しづらさを感じることはありますか?
リダンとしてはどうなの⁉️
うーん
俺は脊柱に通ってると思ってたが
よくよく観察してみると
喉から外にでて
こめかみからグワッーと入ってきてた
それがいいかどうかは分からんが
喉に詰まってる感はないな
これかな⁉️
喉に詰まってる感はないで
頭頂からだすことも可能やし
グルグル回すこども可能や
よーくみると一回外出て外部からこめかみに
まあプラーナ的に
んーよく見なければ
普通に直通なんだけどね
aiに聞いたら多分、体外離脱のプロセス上
バイブレーションが内と外のズレを必要と
するからやないかと
259 ◆JBLfMwCXhY [sage] 2026/02/20(金) 08:24:32.25 ID:9WYKl
イマ風に言えば、ワンネス思想
それが、中観派の本質
縁起、空、ワンネスは、万物が相互に関連し合い、固定的な実体を持たないという非二元的な世界観を共有します。縁起(相互依存)の結果、空(実体がない)であり、それらが不可分に繋がっている状態をワンネスと表現できます。これらは「私」と「世界」の境界をなくす考え方です。
ワンネス
すべては繋がっている: 世界は単一の存在(ワン)である、あるいは全ては一つに繋がっているという感覚。
スピリチュアルな一体感: 宇宙と自分自身が一体であると感じる体験。
空・縁起との関係: 「ワン」という本質的な実体すら空であるという論理 や、縁起の結果として全てが繋がっていると解釈される。
結論
この3つの概念は、この世は独立した存在ではなく、変化し続ける繋がりの中で一時的な姿を見せている、ということを教えています。そのため、個別の実体という執着を捨て、全ての繋がりに気づくことが、苦しみからの解放や平和な感覚(ワンネス)に繋がるとされています。
すべては、相互依存でつながっている
自立した存在など、何も無い
266 ◆JBLfMwCXhY 2026/02/20(金) 08:29:22.59 ID:9WYKl
万物は一体である
そこに気づくと、大慈悲がわき上がってくる
前スレで、このように書いたが
よく考えたら、微妙に違ってた😅
これは中観派というより、華厳宗の思想だ
「万物は相互依存のネットワークの中で存在している」とまでは言ってない
それは、華厳宗の思想だ
中観派と華厳宗
双方に対する理解がだいぶ進んだ😂
😀
裏を返せば、「万物は相互依存のネットワークの中で存在している」てことにしかならないと思うんだが
中観派は、そこまで言ってない
中観派は、個別存在を否定しただけだ
「相互依存のネットワーク世界」なんていう、ポジティブな世界観は説いてない
おかげさまで、だいぶ理解が進んだ
効果的だ
だが、大般若経の現在語訳を読まないと
中論の結論は出ないだろな
😀
厄介だな
😀
各章(分)の要約
主に「空」の理論、菩薩の修行、そして仏の境地について、様々な視点から繰り返し説かれています。
第一分(第1-200巻): 『大般若経』の中核。空の教理を詳細に説く。
第二分(第201-400巻)~第十分(第574-600巻): 様々な例えを用いて空を説明し、般若波羅蜜(悟りの智慧)の偉大さを強調する。
理趣分(第578巻): 般若の知恵に基づく、理にかなった清浄な愛や人生の豊かさを説く。
一生かかりそうだな😅
おもしろそうなので、
俺は読む
😀
https://www.daizouin.com/%e8%88%ac%e8%8b%a5%e7%90%86%e8%b6%a3%e5%88%86-%e7%8f%be%e4%bb%a3%e8%aa%9e%e8%a8%b3/
わかるう〜〜〜?
スレッガー中尉
😀
ルーツ理趣経だろうけども😀
こんな良いサイトがあったのか~😆
具体的な般若心経の解説にはなっている
😀
😀
禅を除く
インド中国では
三蔵が基本だ
論書の中論だけ読んで解った気になるのは
やはりズレている
三蔵(さんぞう)は、仏教の聖典である経蔵(教え)、律蔵(戒律)、論蔵(注釈)の総称であり、こ
三蔵のうちの
論蔵だけだ
😀
中論に対応するのは
大般若経だ
しつこく言っているのは
そこだ
😀
三蔵を意識できる
すらっと上っ面読みでも記憶に残ってる
俺ちゃま天才
😀
セイウン居士を上回るレベルだな?
感は
曹洞宗が唯一の理趣分の継承宗派だな感
臨済宗ではない
😀
神道、イスラーム、の誘惑が
😀
3章だ
😀
https://i.imgur.com/EW5psnp.jpeg
リンク先ビンゴだな
中論ではわからない部分を2章で
既に補足している
😀
甚深の般若波羅蜜多は一味であるが故に
一切の法も亦た一味である
ーーー
甚だ深遠な真理を認識する智慧の完成
(般若波羅蜜多)は
現象は多様だが 本質は同一 【一味】である
だから
一切の如来もまた
現象は多様だが 本質は同一【一味】である
追加されても、玄奘三蔵以前に
固定化されていたようだな
大般若経は
😀
なかなかのロマンがあるなー
謎といえば謎
😀