仏教がわかってきた人のスレ vol.36最終更新 2026/03/21 18:251.◆JBLfMwCXhYdPUzO下記の2スレを統合😄前スレ【唯識三年】仏教ウンチクを語るスレ 10【倶舎八年】https://talk.jp/boards/psy/1759535455仏教がわかってきた人のスレ vol.35https://talk.jp/boards/psy/17540465212026/03/04 07:35:44169コメント欄へ移動すべて|最新の50件120.◆JBLfMwCXhYafzKD>>117即身成仏義は、如来蔵を超えてるな~😆2026/03/12 20:35:57121.神も仏も名無しさんPz6p8俺のそのまんまの善財童子ていうのもある俺は器用だからなー正統派瞑想仏教は仕事日休日無関係に探求できるチベット密教だけは沼るので、あえてやらない😃2026/03/12 20:37:29122.神も仏も名無しさんPz6p8善財童子の世界は俺の存在を証明している😃2026/03/12 20:38:34123.◆JBLfMwCXhYafzKD善財童子か😆十地品と並ぶ、華厳経のエッセンス2026/03/12 20:48:01124.神も仏も名無しさんPz6p8いっぱいきけてーいっぱいまなべる〜〜♬😃2026/03/12 20:50:39125.◆JBLfMwCXhYafzKDウンコ聖師もここで学べばいいのにな~😆2026/03/12 20:52:35126.神も仏も名無しさんPz6p8ハッスルはいっぱい読んで〜いっぱい誤読する〜〜😱2026/03/12 20:52:39127.◆JBLfMwCXhYafzKDダメだ、そりゃ~😱2026/03/12 20:53:08128.パーリーlM9XDAI『華厳経』における「如来」とは、具体的には毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)を指します。この経典では、毘盧遮那仏は単なる歴史上の人物ではなく、≪宇宙の真理そのもの(法身)≫として描かれています。すべての衆生の心の中に、この宇宙の智慧がすでに備わっているというのが、ご提示いただいた「如来蔵」や「性起(しょうき)」の考え方です。2026/03/12 20:55:04129.◆JBLfMwCXhYafzKD如来=毘盧遮那仏なのか~😆2026/03/12 20:56:32130.パーリーcpluIなんだ知らなかったのか?そんな気がして調べたんよね2026/03/12 21:09:33131.パーリーcpluI『華厳経』の教えにおいて、**毘盧遮那仏(如来)と私たちの心は、単なる「信じる対象」ではなく、「本質的に同一である」**という極めてダイナミックな関係にあります。このつながりを理解するための3つのポイントを解説します。1. 「太陽」と「光」の関係毘盧遮那仏(Vairocana)の名前は、サンスクリット語で**「遍く(あまねく)照らす者」**を意味します。毘盧遮那仏 = 太陽(宇宙の真理そのもの)衆生の心 = 光(太陽から発せられ、万物を照らす力)太陽の光が地上の隅々まで届くように、如来の智慧(光)は、修行をしていない凡夫の心の奥底にも、すでに届き、満ち溢れていると考えます。2. 性起(しょうき):内側から溢れ出す悟りご質問にある「性起」とは、**「如来の本性(性)が、そのまま現れ出る(起)」**という意味です。通常、修行は「汚れた心を浄めて仏に近づく」と考えがちですが、華厳経では**「すでに心の中に如来が完成されており、それが縁に従って現れ出ているだけだ」**と捉えます。つまり、あなたの心は「仏になる候補」ではなく、**「今この瞬間も、宇宙の真理(毘盧遮那仏)が活動している現場」**そのものなのです。3. 一即一切(いっそくいっさい):ミクロとマクロの融合「一即一切」の世界観では、一つの微塵(ミクロ)の中に全宇宙(マクロ)が含まれると説かれます。これを心に当てはめると、**「個人の一瞬の心(一)」が、そのまま「宇宙の根本仏である毘盧遮那仏(一切)」**となります。東大寺の大仏(盧舎那仏)が巨大なのは、この「宇宙規模の広がりを持つ私たちの心」を視覚的に表現するためでもあります。このように、華厳経では「私」という存在を、宇宙の真理と切り離された小さな個体としてではなく、毘盧遮那仏という巨大な生命(真理)の一部、あるいはその現れとして肯定的に捉えます。この「自分の中に宇宙がある」という感覚を象徴する東大寺の大仏(蓮華蔵世界)の構造についても興味がありますか?2026/03/12 21:12:10132.神も仏も名無しさんPz6p8デンパパ📶セイジン解釈混入にご注意、倶舎論でアウトな😱👽2026/03/12 21:16:06133.坐禅pIcH0高知能型サイコパスの私は坐禅する。表の善良な人格だけで生活する。裏の邪悪な人格は封印する。2026/03/12 21:53:00134.パーリーcpluI>>132でーおーのよりAIのが正確だろ‼️2026/03/12 22:13:33135.神も仏も名無しさんPz6p8デンパパ📶レス自体が信用ならん👽2026/03/12 22:27:29136.神も仏も名無しさんPz6p8デンパパセイジン👽仏教教義を尊重せる意思がない🛸〜〜〜2026/03/12 22:28:29137.パーリーSkSTNでオーよ❗お前AIに喧嘩売ってるのか⁉️↓これだな、まるでhttps://youtube.com/shorts/gCuFXzdnhA4?si=dk-iKnZ7c9v4_Doy2026/03/12 23:53:20138.パーリーSkSTNでオーの仏教教義てどの仏教だよ⁉️2026/03/12 23:54:02139.パーリーSkSTNおまえのは仏教教義のサラダボール状態でしょ‼️2026/03/12 23:54:45140.パーリーSkSTNあらゆる宗派をごっちゃに並べて今日はどれにしようかな⁉️神様の言うう通り‼️もう神仏混合のごちゃごちゃだろ2026/03/12 23:57:04141.パーリーSkSTNおれはシンプル❗原始仏教→ヨガこの親和性がある組合せだからな‼️2026/03/12 23:58:05142.神も仏も名無しさんjUs29デンパパセイジン👽オイカリダナ👽2026/03/13 05:09:57143.坐禅x8Y3m高知能型サイコパスは永続利益を追求する為に自分を捨てて坐禅する。2026/03/13 09:24:23144.◆JBLfMwCXhYHk5pL>>141倶舎論・中論・唯識論はスルー?2026/03/13 09:46:31145.神も仏も名無しさんjUs29原始仏教もスルーだろ👽ハッスルはとにかくもJBLに対抗心燃やしていそうだな?😃2026/03/13 10:13:06146.パーリーcOtKg何で対抗心燃やすんだよ⁉️JBLさんは有用な情報を与えて下さるお方だよ‼️2026/03/13 15:30:01147.パーリーcOtKg>>144ああ~唯識はあるね現行実践的な意味でなくて後付け的な意味で例えばマナ識の転識で平等性智が得られるとか何故?平等なのか⁉️とかどういう学びはあるでもじゃあ、どうやったら?そうなるのぉ‼️ってところは初期仏教やヨガや一部密教の行が実践では有用であってだな凡夫心から第四禅定までが初期仏教ここまでが禅の悟りの前行で大悟へは密教大悟から阿羅漢~ニルバーナ・サマディーここまでは、ヨガだって、密教ってさ神通力的なのはまだ個人の努力で廃れて射ないけど実質的な即身成仏は、行法は残ってても、実際の成仏は出来ていないでしょだから空海は、この現代へ展性して、ヒマラヤヨガに縁をもらって、サンカルパ・ヨガのクリヤヨガのクンバカでニルバーナ・サマディーへ漸くにして、入れたんですよ‼️だから、現代に於ては大悟からは、ヨガの知識のガイド無くしては、アストラルのニルバーナには入れないし、途中の過程すらも説明も出来ないのですね‼️2026/03/13 15:48:09148.パーリーcOtKg『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』の第4章(サマーディ/三昧について)を中心に、ナーダ音やビンドゥについて非常に詳しく記述されています。ナーダ音(内なる音)について第4章の核心: この章の後半は「ナーダ・アヌサンダーナ(音への集中)」という技法に多くが割かれています。聞こえ方: 外側の音を遮断して瞑想を深めると、右耳の奥から「海の音」「雷の音」「鐘の音」「笛の音」など、段階的に異なる神秘的な音が聞こえてくると説明されています。目的: この微細な音(アナハタ・ナーダ)に心を集中し続けることで、心(マナス)が静まり、最終的に宇宙の根源的な静寂へと溶け込んでいくとされています。ビンドゥ(点・精髄)についてエネルギーの保持: ビンドゥは「点」や「滴」を意味し、生命エネルギーの凝縮されたものとして語られます。位置と流れ: 体内の頭部(月)にあると考えられており、それが下に漏れ出すと老化や死に向かうため、「ムドラー」(印)などの技法を使って逆流させ、体内に留める方法が説かれています。光のイメージ: 瞑想の実践において、眉間のあたり(アージュニャー・チャクラ)に輝く小さな光の点として意識されることもありますこの本は、単なるストレッチとしてのヨガではなく、こうした音や光、体内のエネルギー(クンダリニーなど)を操ることで、精神を極限まで高める方法を記した、かなり専門的な「マニュアル」といえます。2026/03/13 15:53:28149.パーリーcOtKghttp://yoga-bija.jp/http://yoga-bija.jp/hatayogayogabija20231016『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』第4章1節/ナーダとビンドゥとカラーであるシヴァ神2026/03/13 16:05:10150.パーリーlRlgw眉間の「光の点」としてのビンドゥ(Bindu)は、ヨガやタントラの伝統において非常に重要なシンボルであり、いくつかの古典的な聖典や解説書で言及されています。『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』以外で、この概念について触れている主な書物は以下の通りです。1. ヨーガ・シカー・ウパニシャッド (Yogaśikhā Upaniṣad)この経典では、身体を小宇宙に見立てる中で「ナーダ(音)」と「ビンドゥ(点)」がセットで語られます。特に瞑想(ディヤーナ)のプロセスにおいて、眉間のチャクラ(アージュニャー・チャクラ)周辺に現れる微細な光の点としてのビンドゥが観想の対象となります。2. ゲーランダ・サンヒター (Gheranda Samhita)ハタ・ヨガの三大経典の一つです。第6章の「瞑想(ディヤーナ)」の項目において、自己の内部に輝く光(ビンドゥ)を観想する技法が記されています。ここでは、特定のムドラー(印)を用いて、眉間に集中することで光の体験を得るプロセスが示唆されています。3. シヴァ・サンヒター (Shiva Samhita)これもハタ・ヨガの重要経典です。眉間のアージュニャー・チャクラを「二つの花弁を持つ蓮」として描き、その中心に輝く光や、解脱への入り口としてのビンドゥについて言及しています。集中を高めることで、その点が無限の宇宙の源に見えてくると説かれます。4. ロイヤル・パス(スワミ・ラーマ 著)現代の書籍ですが、ヒマラヤのヨガの伝統を引くスワミ・ラーマは、著書『The Royal Path』の中で「ビンドゥ・ベーダナ(点の貫通)」という技法について解説しています。眉間に透明な真珠のような光の点(ビンドゥ)を視覚化し、それを頭頂(サハスラーラ)へと移動させる瞑想法について具体的に述べています。ビンドゥの捉え方の違い眉間のビンドゥ: 意識の集中点、または「第三の目」の開眼に伴う光として描かれます。後頭部のビンドゥ: 『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』でも触れられる、不老不死の蜜(アムリタ)が滴る場所(ビンドゥ・ヴィサルガ)として描かれます。これらの書物は、単に知識として読むだけでなく、瞑想の実践ガイドとして使われることが多いのが特徴です。2026/03/13 16:20:37151.パーリーlRlgwはい、まさにその通りです。パラマハンサ・ヨガナンダ大師が説く「クータスタ(Kutastha)」のビジョンと、古典的な「ビンドゥ(Bindu)」の概念は本質的に深く関係しています。ヨガナンダ大師の教えにおいて、瞑想中に眉間の奥に見える光は「霊眼(Spiritual Eye)」と呼ばれ、その中心にある白い五角星がまさに究極の集中点であるビンドゥに相当します。両者の関係性を整理すると以下のようになります。1. 霊眼(クータスタ)の三層構造ヨガナンダ大師の伝統(セルフ・リアリゼーション・フェローシップなど)では、瞑想が深まると眉間に以下の三色の光が見えるとされています。外側の黄金の輪: 聖霊(宇宙エネルギー/AUM)を象徴します。内側の乳白色を帯びた青い円: キリスト意識(クータスタ・チャイタニヤ)を象徴します。中心の白い星:宇宙意識(至高の父)を象徴しており、これがヨガの古典でいう「ビンドゥ(究極の点)」にあたります。2. ラヒリ・マハサヤの教えヨガナンダの師の師であるラヒリ・マハサヤ(近代クリヤ・ヨガの父)も、この中心の星をしばしば「ビンドゥ」と呼んでいました。彼は、この一点に意識を集中し、そこを「貫く」ことによって、個人の意識が宇宙の無限の意識へと溶け込んでいく(解脱)と説きました。3. ハタ・ヨガ経典との共通点『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』などの古典経典が「ビンドゥに集中せよ」と説くとき、それは単なるイメージではなく、ヨガナンダ大師が描写したような「内なる光の門」に心を固定することを意味しています。場所: どちらもアージュニャー・チャクラ(眉間)の奥。役割: 個別意識が宇宙意識へと入るための「出口(または入り口)」。このように、古典的な「ビンドゥ」という抽象的な表現を、より具体的で視覚的な体験として詳細に描写したのがヨガナンダ大師の「クータスタの白い星」であると言えます。この「白い星」に至るまでの瞑想のステップや、見える光の意味について、さらに深く知りたい部分はありますか?2026/03/13 16:23:31152.パーリーlRlgwこのクータスタ=ビンドゥがニルバーナ・サマディーへ入る門になっているてーのがヨガでは言われている訳ですね‼️2026/03/13 16:24:57153.パーリーlRlgwこれらの知識は釈尊が語らなかった為に初期仏教経典には書かれていないと思われます初期仏教経典では阿羅漢までの無明からの解脱への方法論が謂われていますという趣旨で2026/03/13 16:28:55154.坐禅djSBU最もタチの悪い高知能型サイコパスは永続利益を追求する為に自分を捨てて坐禅する。2026/03/13 19:07:47155.坐禅djSBU最もタチの悪い高知能型サイコパスは楽な人生を獲得する為に自分を捨てて坐禅する。2026/03/13 20:36:01156.◆JBLfMwCXhYw69eQ一隅を照らしましょう。(一隅を照らす運動)心に仏さまを頂いた人たちが手を繋ぎ合って暮らす社会はそのまま仏さまの世界です。一日も早くそんな世の中にしたいと天台宗では考え「一隅を照らす」運動を進めています。まず自分自身を輝いた存在としましょう。その輝きが周りも照らします。一人一人が輝きあい、手をつなぐことができればすばらしい世界が生まれます。2026/03/15 22:35:50157.◆JBLfMwCXhYw69eQ中論で哲学して法華経で宗教する2026/03/15 22:42:03158.神も仏も名無しさんczvTv法華経のどの辺か忘れたがいくつか釈迦如来の光明のシーンがあるそこだ😃2026/03/15 22:57:57159.◆JBLfMwCXhYw69eQ冒頭の、眉間からホワイトビームを発射する場面のことては?2026/03/15 23:36:44160.◆JBLfMwCXhYw69eQ法華経(序品)において、釈尊が眉間の白毫(びごう)から放った光明(眉間白光)は、東方の大衆、過去・未来・現在の全てを照らし出し、説法の前兆として全宇宙の生命の繋がりを表す象徴的場面です。これを機に文殊菩薩が過去の例を挙げ、釈尊が真理を説くことを促します。詳細な解説は以下の通りです。2026/03/15 23:38:18161.◆JBLfMwCXhYw69eQ眉間白光(びけんびゃっこう): 法華経序品第1で、釈尊が深い禅定から目覚め、眉間の白い毛(白毫)から光を放ち、東方1万8千の国土をくまなく照らした場面です。この光は、あらゆる存在が仏となる可能性(仏性)や、時間と空間を超えた真理の開示を象徴しています。文殊菩薩の役割: 白光の理由が分からず不安がる大衆の中で、文殊菩薩は過去に日月灯明仏が同様の光を放った際に法華経が説かれた事例を挙げ、釈尊が最上の教え(妙法蓮華経)を説く前兆であることを知ります。弥勒菩薩の役割: 文殊菩薩の過去の知見を聞いた弥勒菩薩は、この前代未聞の光明とこれから説かれる教えについて、釈尊に具体的な質問(「序分」における疑問)を行い、法華経の物語を本格的に展開させる役割を果たします。法華経の核心: この光は、すべての生命が等しく仏の生命を内包していることを示し、万人の成仏(一乗)を説く法華経の根幹を象徴しています。2026/03/15 23:38:49162.◆JBLfMwCXhYw69eQそれはともかく、奈良に行きたいな2026/03/15 23:53:39163.◆JBLfMwCXhYw69eQとくに、春日大社と興福寺に行きたい2026/03/15 23:53:54164.◆JBLfMwCXhYw69eQ三島由紀夫の小説『豊饒の海』(第一部『春の雪』・第四部『天人五衰』)に登場する「月修寺(げっしゅうじ)」のモデルは、奈良県奈良市山町にある臨済宗妙心寺派の尼寺・圓照寺(えんしょうじ)です。皇族や公家の女性が住職を務める「大和三門跡」の一つで、山村御殿とも呼ばれます。2026/03/15 23:54:08165.◆JBLfMwCXhYw69eQ圓照寺のポイントモデル:『春の雪』で聡子が清顕との恋の後に尼となる月修寺の描写に影響を与えた。取材:三島由紀夫は1965年以来、何度もこの寺を取材で訪れている。非公開:原則として通常は境内全体が非公開であり、観光寺院ではない。雰囲気:茅葺の本堂や厳かな庭園は、静粛な門跡寺院の趣がある。通常は閉ざされた山門が、小説の静かで寂しいクライマックスを彷彿とさせますこの圓照寺の庭園について、三島がどのように描写していたか詳しく知りたいですか?2026/03/15 23:54:30166.◆JBLfMwCXhYw69eQ 圓照寺(えんしょうじ、円照寺)は、奈良市山町にある臨済宗妙心寺派の尼寺。山号は普門山(ふもんざん)。文智女王が創立。斑鳩の中宮寺、佐保路の法華寺と共に大和三門跡と呼ばれる門跡寺院である。華道の「山村御流」の家元でもある。別名、山村御殿(山村御所)。三島由紀夫の小説『豊饒の海』に再三登場する「月修寺」は、圓照寺をモデルに描かれている。https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/81/Enshouji_gate.JPG/960px-Enshouji_gate.JPG2026/03/15 23:55:18167.神も仏も名無しさんSpbfq十一面観音菩薩=天照、大日如来という設定認識が甘かった😃2026/03/16 07:48:52168.神も仏も名無しさんSpbfq十一面観音菩薩は法華経の観音経に関連し、山伏は基本法華経を重んじている系統がそこにつながる😃十一面観音菩薩における神仏習合の設定認識の弱さが山伏と法華経の関係の一部の読みができなかったようだ😃2026/03/16 07:51:25169.◆JBLfMwCXhYRipiE円頓止観の具体像──聞・信・行・位円頓止観は抽象論ではありません。智顗はそれを、次の四つで具体化します。円聞法生死・煩悩・業が、そのまま法身・般若・解脱であると聞くこと。円信空・仮・中の三諦が同時に成り立つと信じ、動揺しない心。円行極端に偏らず、中道をそのまま生きる実践。円位最初の悟りの位に立った時点で、すでに完成している境地。ここでは、「修行してから悟る」のではなく、悟りの視点から修行が行われるのです。2026/03/21 18:25:46
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即身成仏義は、如来蔵を超えてるな~😆
善財童子ていうのもある
俺は器用だからなー正統派瞑想仏教は
仕事日休日無関係に探求できる
チベット密教だけは
沼るので、あえてやらない😃
俺の存在を証明している
😃
十地品と並ぶ、華厳経のエッセンス
いっぱいまなべる〜〜
♬
😃
いっぱい読んで〜
いっぱい誤読する〜〜
😱
『華厳経』における「如来」とは、具体的には毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)を指します。
この経典では、毘盧遮那仏は単なる歴史上の人物ではなく、
≪宇宙の真理そのもの(法身)≫
として描かれています。
すべての衆生の心の中に、この宇宙の智慧がすでに備わっているというのが、
ご提示いただいた「如来蔵」や「性起(しょうき)」の考え方です。
知らなかったのか?
そんな気がして調べたんよね
このつながりを理解するための3つのポイントを解説します。
1. 「太陽」と「光」の関係
毘盧遮那仏(Vairocana)の名前は、サンスクリット語で**「遍く(あまねく)照らす者」**を意味します。
毘盧遮那仏 = 太陽(宇宙の真理そのもの)
衆生の心 = 光(太陽から発せられ、万物を照らす力)
太陽の光が地上の隅々まで届くように、如来の智慧(光)は、修行をしていない凡夫の心の奥底にも、すでに届き、満ち溢れていると考えます。
2. 性起(しょうき):内側から溢れ出す悟り
ご質問にある「性起」とは、**「如来の本性(性)が、そのまま現れ出る(起)」**という意味です。
通常、修行は「汚れた心を浄めて仏に近づく」と考えがちですが、華厳経では**「すでに心の中に如来が完成されており、それが縁に従って現れ出ているだけだ」**と捉えます。
つまり、あなたの心は「仏になる候補」ではなく、**「今この瞬間も、宇宙の真理(毘盧遮那仏)が活動している現場」**そのものなのです。
3. 一即一切(いっそくいっさい):ミクロとマクロの融合
「一即一切」の世界観では、一つの微塵(ミクロ)の中に全宇宙(マクロ)が含まれると説かれます。
これを心に当てはめると、**「個人の一瞬の心(一)」が、そのまま「宇宙の根本仏である毘盧遮那仏(一切)」**となります。
東大寺の大仏(盧舎那仏)が巨大なのは、この「宇宙規模の広がりを持つ私たちの心」を視覚的に表現するためでもあります。
このように、華厳経では「私」という存在を、宇宙の真理と切り離された小さな個体としてではなく、毘盧遮那仏という巨大な生命(真理)の一部、あるいはその現れとして肯定的に捉えます。
この「自分の中に宇宙がある」という感覚を象徴する東大寺の大仏(蓮華蔵世界)の構造についても興味がありますか?
ご注意、
倶舎論でアウトな
😱👽
表の善良な人格だけで生活する。
裏の邪悪な人格は封印する。
でーおーのより
AIのが正確だろ‼️
👽
仏教教義を尊重せる意思がない
🛸〜〜〜
お前
AIに喧嘩売ってるのか⁉️
↓これだな、まるで
https://youtube.com/shorts/gCuFXzdnhA4?si=dk-iKnZ7c9v4_Doy
どの仏教だよ⁉️
仏教教義のサラダボール状態でしょ‼️
今日はどれにしようかな⁉️
神様の言うう通り‼️
もう神仏混合のごちゃごちゃだろ
原始仏教→ヨガ
この親和性がある組合せだからな‼️
オイカリダナ👽
倶舎論・中論・唯識論はスルー?
ハッスルは
とにかくもJBLに対抗心燃やしていそうだな?
😃
JBLさんは
有用な情報を与えて下さるお方だよ‼️
ああ~
唯識はあるね
現行実践的な意味でなくて
後付け的な意味で
例えば
マナ識の転識で平等性智が得られるとか
何故?平等なのか⁉️とか
どういう学びはある
でも
じゃあ、どうやったら?
そうなるのぉ‼️
ってところは
初期仏教やヨガや一部密教の行が
実践では有用であってだな
凡夫心から第四禅定までが初期仏教
ここまでが禅の悟りの前行で
大悟へは密教
大悟から阿羅漢~ニルバーナ・サマディー
ここまでは、ヨガ
だって、密教ってさ神通力的なのはまだ個人の努力で廃れて射ないけど
実質的な即身成仏は、行法は残ってても、実際の成仏は出来ていないでしょ
だから
空海は、この現代へ展性して、ヒマラヤヨガに縁をもらって、サンカルパ・ヨガのクリヤヨガのクンバカでニルバーナ・サマディーへ
漸くにして、入れたんですよ‼️
だから、現代に於ては
大悟からは、ヨガの知識のガイド無くしては、アストラルのニルバーナには入れないし、途中の過程すらも説明も出来ないのですね‼️
ナーダ音(内なる音)について
第4章の核心: この章の後半は「ナーダ・アヌサンダーナ(音への集中)」という技法に多くが割かれています。
聞こえ方: 外側の音を遮断して瞑想を深めると、右耳の奥から「海の音」「雷の音」「鐘の音」「笛の音」など、段階的に異なる神秘的な音が聞こえてくると説明されています。
目的: この微細な音(アナハタ・ナーダ)に心を集中し続けることで、心(マナス)が静まり、最終的に宇宙の根源的な静寂へと溶け込んでいくとされています。
ビンドゥ(点・精髄)について
エネルギーの保持: ビンドゥは「点」や「滴」を意味し、生命エネルギーの凝縮されたものとして語られます。
位置と流れ: 体内の頭部(月)にあると考えられており、それが下に漏れ出すと老化や死に向かうため、「ムドラー」(印)などの技法を使って逆流させ、体内に留める方法が説かれています。
光のイメージ: 瞑想の実践において、眉間のあたり(アージュニャー・チャクラ)に輝く小さな光の点として意識されることもあります
この本は、単なるストレッチとしてのヨガではなく、こうした音や光、体内のエネルギー(クンダリニーなど)を操ることで、精神を極限まで高める方法を記した、かなり専門的な「マニュアル」といえます。
http://yoga-bija.jp/hatayogayogabija20231016
『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』第4章1節/ナーダとビンドゥとカラーであるシヴァ神
『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』以外で、この概念について触れている主な書物は以下の通りです。
1. ヨーガ・シカー・ウパニシャッド (Yogaśikhā Upaniṣad)
この経典では、身体を小宇宙に見立てる中で「ナーダ(音)」と「ビンドゥ(点)」がセットで語られます。特に瞑想(ディヤーナ)のプロセスにおいて、眉間のチャクラ(アージュニャー・チャクラ)周辺に現れる微細な光の点としてのビンドゥが観想の対象となります。
2. ゲーランダ・サンヒター (Gheranda Samhita)
ハタ・ヨガの三大経典の一つです。第6章の「瞑想(ディヤーナ)」の項目において、自己の内部に輝く光(ビンドゥ)を観想する技法が記されています。ここでは、特定のムドラー(印)を用いて、眉間に集中することで光の体験を得るプロセスが示唆されています。
3. シヴァ・サンヒター (Shiva Samhita)
これもハタ・ヨガの重要経典です。眉間のアージュニャー・チャクラを「二つの花弁を持つ蓮」として描き、その中心に輝く光や、解脱への入り口としてのビンドゥについて言及しています。集中を高めることで、その点が無限の宇宙の源に見えてくると説かれます。
4. ロイヤル・パス(スワミ・ラーマ 著)
現代の書籍ですが、ヒマラヤのヨガの伝統を引くスワミ・ラーマは、著書『The Royal Path』の中で「ビンドゥ・ベーダナ(点の貫通)」という技法について解説しています。眉間に透明な真珠のような光の点(ビンドゥ)を視覚化し、それを頭頂(サハスラーラ)へと移動させる瞑想法について具体的に述べています。
ビンドゥの捉え方の違い
眉間のビンドゥ: 意識の集中点、または「第三の目」の開眼に伴う光として描かれます。
後頭部のビンドゥ: 『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』でも触れられる、不老不死の蜜(アムリタ)が滴る場所(ビンドゥ・ヴィサルガ)として描かれます。
これらの書物は、単に知識として読むだけでなく、瞑想の実践ガイドとして使われることが多いのが特徴です。
ヨガナンダ大師の教えにおいて、瞑想中に眉間の奥に見える光は「霊眼(Spiritual Eye)」と呼ばれ、その中心にある白い五角星がまさに究極の集中点であるビンドゥに相当します。
両者の関係性を整理すると以下のようになります。
1. 霊眼(クータスタ)の三層構造
ヨガナンダ大師の伝統(セルフ・リアリゼーション・フェローシップなど)では、瞑想が深まると眉間に以下の三色の光が見えるとされています。
外側の黄金の輪: 聖霊(宇宙エネルギー/AUM)を象徴します。
内側の乳白色を帯びた青い円: キリスト意識(クータスタ・チャイタニヤ)を象徴します。
中心の白い星:宇宙意識(至高の父)を象徴しており、これがヨガの古典でいう「ビンドゥ(究極の点)」にあたります。
2. ラヒリ・マハサヤの教え
ヨガナンダの師の師であるラヒリ・マハサヤ(近代クリヤ・ヨガの父)も、この中心の星をしばしば「ビンドゥ」と呼んでいました。彼は、この一点に意識を集中し、そこを「貫く」ことによって、個人の意識が宇宙の無限の意識へと溶け込んでいく(解脱)と説きました。
3. ハタ・ヨガ経典との共通点
『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』などの古典経典が「ビンドゥに集中せよ」と説くとき、それは単なるイメージではなく、ヨガナンダ大師が描写したような「内なる光の門」に心を固定することを意味しています。
場所: どちらもアージュニャー・チャクラ(眉間)の奥。
役割: 個別意識が宇宙意識へと入るための「出口(または入り口)」。
このように、古典的な「ビンドゥ」という抽象的な表現を、より具体的で視覚的な体験として詳細に描写したのがヨガナンダ大師の「クータスタの白い星」であると言えます。
この「白い星」に至るまでの瞑想のステップや、見える光の意味について、さらに深く知りたい部分はありますか?
ニルバーナ・サマディーへ入る門になっている
てーのがヨガでは言われている訳ですね‼️
釈尊が語らなかった為に
初期仏教経典には書かれていないと思われます
初期仏教経典では
阿羅漢までの
無明からの解脱への方法論が謂われています
という趣旨で
一隅を照らしましょう。(一隅を照らす運動)
心に仏さまを頂いた人たちが手を繋ぎ合って暮らす社会はそのまま仏さまの世界です。
一日も早くそんな世の中にしたいと天台宗では考え「一隅を照らす」運動を進めています。
まず自分自身を輝いた存在としましょう。その輝きが周りも照らします。
一人一人が輝きあい、手をつなぐことができればすばらしい世界が生まれます。
法華経で宗教する
いくつか釈迦如来の光明のシーンがある
そこだ
😃
詳細な解説は以下の通りです。
文殊菩薩の役割: 白光の理由が分からず不安がる大衆の中で、文殊菩薩は過去に日月灯明仏が同様の光を放った際に法華経が説かれた事例を挙げ、釈尊が最上の教え(妙法蓮華経)を説く前兆であることを知ります。
弥勒菩薩の役割: 文殊菩薩の過去の知見を聞いた弥勒菩薩は、この前代未聞の光明とこれから説かれる教えについて、釈尊に具体的な質問(「序分」における疑問)を行い、法華経の物語を本格的に展開させる役割を果たします。
法華経の核心: この光は、すべての生命が等しく仏の生命を内包していることを示し、万人の成仏(一乗)を説く法華経の根幹を象徴しています。
モデル:『春の雪』で聡子が清顕との恋の後に尼となる月修寺の描写に影響を与えた。
取材:三島由紀夫は1965年以来、何度もこの寺を取材で訪れている。
非公開:原則として通常は境内全体が非公開であり、観光寺院ではない。
雰囲気:茅葺の本堂や厳かな庭園は、静粛な門跡寺院の趣がある。
通常は閉ざされた山門が、小説の静かで寂しいクライマックスを彷彿とさせます
この圓照寺の庭園について、三島がどのように描写していたか詳しく知りたいですか?
三島由紀夫の小説『豊饒の海』に再三登場する「月修寺」は、圓照寺をモデルに描かれている。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/81/Enshouji_gate.JPG/960px-Enshouji_gate.JPG
😃
法華経の観音経に関連し、
山伏は基本法華経を重んじている系統が
そこにつながる
😃
十一面観音菩薩における神仏習合の設定認識の弱さが
山伏と法華経の関係の一部の読みができなかったようだ
😃
円頓止観は抽象論ではありません。
智顗はそれを、次の四つで具体化します。
円聞法
生死・煩悩・業が、そのまま法身・般若・解脱であると聞くこと。
円信
空・仮・中の三諦が同時に成り立つと信じ、動揺しない心。
円行
極端に偏らず、中道をそのまま生きる実践。
円位
最初の悟りの位に立った時点で、すでに完成している境地。
ここでは、「修行してから悟る」のではなく、
悟りの視点から修行が行われるのです。