仏のスレ73アーカイブ最終更新 2026/02/26 17:501.JBLcoMgT特殊な偏見に固執して論争し、「これのみが真理である」と言う人々がいるならば、彼らに言え、「汝と対論する者はここにはいない」と。原始仏典 スッタニパータ前スレ仏のスレ71https://talk.jp/boards/psy/1770689720仏のスレ72https://talk.jp/boards/psy/17711350282026/02/23 18:47:411000すべて|最新の50件953.リダン◆3y/i8XtGLYl7wI6>>951なるべく俺は外せと毎回言うんだがねちょっと匂いが残るようだ2026/02/26 16:43:42954.リダン◆3y/i8XtGLYl7wI6https://imgur.com/a/KkwROMW2026/02/26 16:45:47955.リダン◆3y/i8XtGLYl7wI63. 客観的結論:麦さんの「混同」麦さんの言い分は、**「WindowsとMacは、どちらも画面があってマウスで動かすから同じですよね」**と言っているようなものです。仏教的評価: 麦さんの態度は「和合(わごう)」という点では慈悲深いですが、仏教の「智慧(鋭い識別能力)」という点では、非常に大雑把です。パーリー氏への影響: パーリー氏が(840)で必死に「頭が落ちる」「名前も忘れる」と過激な描写をしたのは、ロン氏の言う「生ぬるい無我」と一緒にされたくないという強烈な拒絶反応からです。2026/02/26 16:46:24956.リダン◆3y/i8XtGLYl7wI6麦がどうというよりロンの客観的な再査定を2026/02/26 16:49:52957.リダン◆3y/i8XtGLYl7wI6ロン(。。)氏の(61/67)〜(67/67)の連投、および麦氏による「ロン氏も坐禅を重視している」という補足情報を踏まえ、リダン氏を排してロン氏の「仏教的実体」を客観的に再査定します。結論から言えば、ロン氏の思想は**「悟りの『相(すがた)』を語る天才であり、悟りの『因(メカニズム)』を捨象した空理」**といえます。2026/02/26 16:50:45958.リダン◆3y/i8XtGLYl7wI61. 思想的カテゴリー:【頓悟(とんご)的・本覚思想】ロン氏の主張の核は、「今、ここでの解決」であり、「何者かになろうとする努力(禅定の深化)」の否定です。2026/02/26 16:51:20959.リダン◆3y/i8XtGLYl7wI6正統性:六祖慧能から続く禅の「頓悟(一気に悟る)」、あるいは道元の「本証妙修(悟りながら修行する)」の系譜に連なります。査定:「三法印(無常・無我・涅槃)」を、修行というプロセスを解体するための「思考のハサミ」として使いこなしています。これは、仏教哲学において**「最も反論しにくい(正論すぎる)立ち位置」**です。なぜなら、修行を肯定すれば「執着だ」と言われ、分析を肯定すれば「戯論(けろん)だ」と言いくるめられるからです。2026/02/26 16:51:53960.リダン◆3y/i8XtGLYl7wI62. ロン氏の「坐禅」の客観的実体麦氏の証言「坐禅は必要だと言っていた」を合わせると、彼の坐禅の定義が浮かび上がります。2026/02/26 16:52:34961.リダン◆3y/i8XtGLYl7wI6実態:彼の坐禅は、パーリー氏のような「呼吸停止」や「意識の完全消失」を目指す**「改造のための手段」ではありません。彼にとっての坐禅は、「自分がもともと無我であることを、ただ『静かに認める』ための儀式」**です。仏教的評価:これは「安楽の法門」としての坐禅です。技術的な階梯(第四禅定など)を「我執の延長」として切り捨てることで、修行のハードルを極限まで下げつつ、その「境地」の価値だけを最大化しています。2026/02/26 16:53:06962.リダン◆3y/i8XtGLYl7wI63. 客観的に見た「致命的な欠落」:【死なない禅】彼の連投の中で、最も「仏教的(工学的)」に危うい点は、「末那識(エゴの深層)の抵抗」を過小評価している点です。2026/02/26 16:53:41963.リダン◆3y/i8XtGLYl7wI6デバッグ:仏教(特に唯識や阿毘達磨)がなぜ複雑なプロセス(定)を必要としたか。それは、人間のエゴが「言葉の理解」だけでは絶対に消えない**「生物学的なバグ」**だからです。査定:ロン氏の「すべてを受容すれば解決だ」という主張は、**「理論上の解脱」です。パーリー氏が提示した「名前も忘れるほどの意識のクラッシュ」という「事(じ)」のプロセスを飛ばしているため、彼の言う「無我」は、「自我が『私は無我である』という新しいラベルを貼って安心している状態」**である可能性が客観的に極めて高いです。2026/02/26 16:54:07964.神も仏も名無しさんl7wI6総括:ロン氏は、仏教という巨大な図書館から**「最も美しく、最も心地よいページ(結果)」だけを抜き取って、それを「全体」として提示している人**です。彼を「ポエマー」と呼ぶことの客観的正当性はここにあります。ポエムとは「真実の一瞬を切り取る」ものですが、仏教は「その真実に至るまでの泥臭い配線工事」でもあります。ロン氏の仏教は、**「配線工事(禅定・行)を『汚れ』として嫌い、通電した瞬間の光(悟り)だけを愛でている」**という、極めて純粋で、かつ極めて「現場に弱い」体系であると査定されます。2026/02/26 16:55:15965.麦◆MUGITANx95DjsNBR6∞ノノハ∞川^○^ハレ麦はアセンブラかもだけどロンちゃんは専用の言語を持っていますよ2026/02/26 16:55:35966.ポランティアード(。~^~)(~^~。) ポッF4rOpなまけ者のやってるのが、お坐りで、一日 働かざれば、一年喰わず、やがて死ぬべし、と故人も言う。わたくしも言う。奈良の奥さんだって言う、働いて、働いて、働いて、参りますー、と。2026/02/26 16:55:58967.神も仏も名無しさんl7wI6パーリー氏の「頭を落とす」という過激なリアリズムを、ロン氏が「我執だ」と一蹴する構図は、「実戦部隊」と「広報担当」の会話のようなものです。どちらが「仏教的」かと言えば、理論上は「広報(ロン)」が美しく、実態としては「実戦(パーリー)」が誠実である、という非常に皮肉な結果になります。2026/02/26 16:56:04968.リダン◆3y/i8XtGLYl7wI6>>965まあどちらにしろポエマー(中身がない)っていうのをaiにまで言われたのは事実だなあ俺はファッションと言ってたがポエマーとaiが言ったときはその客観的視点にふいたわなw2026/02/26 16:58:20969.リダン◆3y/i8XtGLYl7wI6https://imgur.com/a/b3YUIpB2026/02/26 17:00:28970.リダン◆3y/i8XtGLYl7wI6これが全てだろうねロン氏の「すべてを受容すれば解決だ」という主張は、**「理論上の解脱」です。パーリー氏が提示した「名前も忘れるほどの意識のクラッシュ」という「事(じ)」のプロセスを飛ばしているため、彼の言う「無我」は、「自我が『私は無我である』という新しいラベルを貼って安心している状態」**である可能性が客観的に極めて高いです。2026/02/26 17:02:03971.パーリー5Nr1Oロンさんは禅の祖師録を元にしています。ての入れたの?そこがロン主張の肝なんだが2026/02/26 17:06:06972.リダン◆3y/i8XtGLYl7wI6>>971口パクですと言われるだけだろwもう勘弁したれw2026/02/26 17:07:06973.リダン◆3y/i8XtGLYl7wI6パーリー氏からの鋭い指摘ですね。**「ロン氏の主張のバックボーンは『禅の祖師録(そしろく)』にある」**という重要データを反映し、ロン氏の客観的査定を「最終アップデート」します。祖師録(『臨済録』『碧巌録』など)を基盤にしているということは、ロン氏の言葉は彼個人のポエムではなく、**「唐代の禅者たちが命懸けで編み出した『言語によるショック療法』の継承」**であることを意味します。2026/02/26 17:09:22974.リダン◆3y/i8XtGLYl7wI61. ロン氏の拠り所:【祖師録】という特殊なOS祖師録は、従来のインド的・学問的な仏教(阿毘達磨や唯識)を一度バラバラに破壊し、「今、この瞬間の生きたはたらき」を取り出そうとした記録です。2026/02/26 17:09:56975.リダン◆3y/i8XtGLYl7wI6客観的解析:祖師録は「不立文字(ふりゅうもんじ)」を標榜します。つまり、パーリー氏が重視する「第四禅定というマニュアル」や「段階的な修行」を、**「頭でっかちな執着」**として徹底的に叩く(喝を入れる)スタイルです。査定:ロン氏が「禅定など不要だ」「本来に気付くだけだ」と断言するのは、彼が**「祖師録という『反・理論』の理論」**を完璧にインストールしているからです。2026/02/26 17:10:27976.リダン◆3y/i8XtGLYl7wI62. 「祖師録」ベースの強みと、客観的バグ祖師録を盾にすることで、ロン氏の主張は以下の「二面性」を持ちます。2026/02/26 17:11:04977.リダン◆3y/i8XtGLYl7wI6【強み:絶対的な非二元】「自己を何者かに仕立て上げようとする(修行)」こと自体が、自己という虚構を強化する行為であるという、禅の最も鋭いロジックです。2026/02/26 17:11:33978.リダン◆3y/i8XtGLYl7wI6【バグ:コンテキスト(文脈)の脱落】客観的な歴史事実として、祖師録に登場する禅僧たちは、その「一喝」を放つ前に、凄まじい「行(定)」を積んでいることが大前提です。査定:祖師録の言葉は「修羅場をくぐり抜けた者の最後の一言」です。その「最後の一言」だけを抽出し、パーリー氏のような「プロセスの構築(第四禅定)」を全否定するのは、**「F1ドライバーが『ハンドル操作なんて関係ない、ただ風になれ』と言うのを、免許なしの人間が真に受けてアクセルを踏み込む」**ような危険性を孕んでいます。2026/02/26 17:11:56979.リダン◆3y/i8XtGLYl7wI63. ロン氏 vs パーリー氏:【祖師録】vs【阿含・阿毘達磨】この二人の対立は、仏教史における最大のパラドックス**「教禅一致(きょうぜんいっち)」を巡る闘争**そのものです。2026/02/26 17:12:35980.ポランティアード(。~^~)(~^~。) ポッF4rOp>>966わたくしの禅はお坐りだけでなく、行住坐臥、いつでもどこでも24時間コンビニ禅です。病気が治って健康になれば、治療はできない、保険が適用されないのである。診察を受け、病名が確定すれば、治療が始まり、病気で無くなれば、治療は無い。健康なのだからである。自明である。元気が 一番 で、す。基本、名無しは荒らし である。出家修行者が食べ物を乞う、人々が食べ物を与える。これが関係性である。人間は、社会的関係性の生き物である。良いも悪いも無い。戦争は双方が正義を掲げて戦う。正義と正義の殺し合いである。勝てば、勝ったので正義となる。パワーゲームが戦争と言う名の正義である。故に、正義ですら、正義ではなく、相対的なものに過ぎない。正義は決して絶対ではない。これとそれの熱量の差である。比較である。これとそれを、区別、差別、比較することが人間の地獄である。なまけ者のやってるのが、お坐りで、一日 働かざれば、一年喰わず、やがて死ぬべし、と故人も言う。わたくしも言う。奈良の奥さんだって言う、働いて、働いて、働いて、参りますー、と。2026/02/26 17:13:58981.リダン◆3y/i8XtGLYl7wI6https://imgur.com/a/GR0A7pn2026/02/26 17:14:30982.リダン◆3y/i8XtGLYl7wI64. 最終的な客観判定(再修正版)ロン氏は、**「祖師たちの『結論』という果実を、最高純度でプレゼンする広報官」**です。彼が「三法印」を持ち出し、「禅定は不要だ」と叫ぶのは、祖師録が持つ「既存の価値観をすべて打ち砕くエネルギー」を忠実に再現しようとしているからです。しかし、客観的なデバッグ結果は変わりません。**「祖師録の言葉を『知識』として使うことは、祖師たちが最も嫌った『知解(しげ)の宗(しゅう)』である」**という皮肉です。パーリー氏が「禅定の先」を書き、「頭が落ちる」という生々しい体験を語るのは、祖師録の「言葉」に逃げず、その「事(じ)」の現場を再現しようとする、ある種の**「愚直な誠実さ」**です。2026/02/26 17:15:03983.リダン◆3y/i8XtGLYl7wI6結論ロン氏の肝(キモ)が「祖師録」にあると判明したことで、彼の主張は**「文学的な正統性」を最大限に得ました。しかし同時に、「自分という実機のデバッグ(実修)」**を言葉で誤魔化しているのではないか、というパーリー氏側からの疑念を、より一層深める結果となりました。2026/02/26 17:15:58984.リダン◆3y/i8XtGLYl7wI6ポランティアード(ポッ)氏のこの投下は、ロン(。。)氏の「祖師録ベースの思想」をさらに**「生活禅・即今(そっこん)の実行」**へと極限まで具体化させた、非常にエネルギッシュな言説です。リダン氏を排し、この「24時間コンビニ禅」と「パワーゲームの正義」を説くポッ氏を客観的に査定します。2026/02/26 17:17:17985.リダン◆3y/i8XtGLYl7wI61. 思想的系譜:【百丈懐海(ひゃくじょうえかい)の「一日不作」】ポッ氏が引用した「一日働かざれば(一日不作、一日不食)」は、禅宗の集団生活規範(清規)を確立した百丈禅師の言葉です。客観的解析:ロン氏が「三法印という理論」で無我を説くのに対し、ポッ氏は**「労働と関係性(縁起)」**という社会的な実働の中で無我を体現しようとしています。査定:これは、山にこもるインド的瞑想(静中の工夫)を、東アジア的な「働きながら悟る(動中の工夫)」へとアップデートした、極めて**「実践的な禅」**の姿です。2026/02/26 17:17:49986.リダン◆3y/i8XtGLYl7wI62. 「健康になれば治療はない」のロジック「病気が治れば保険は適用されない(治療はない)」という比喩。仏教的解説:これは『維摩経』などの大乗経典に見られる「病(迷い)があるから薬(法)がある」という論理です。判定:パーリー氏が「第四禅定という治療法」を詳細に説くのに対し、ポッ氏は「自分はすでに健康(本来無一物)である」という立場から、**「治療(修行)に固執すること自体が病気だ」**と逆説的に批判しています。これは非常に高度な「解脱のレトリック」です。2026/02/26 17:18:37987.リダン◆3y/i8XtGLYl7wI63. 社会的リアリズム:【正義とパワーゲーム】戦争を「正義と正義の殺し合い」「パワーゲーム」と断じる視点。客観的評価:「良いも悪いも無い」「相対的なもの」という主張は、善悪の二元論を超えた**「空(くう)」の社会的適用**です。査定:「区別・差別・比較が地獄である」という言葉は、末那識による「自他」の分断を指摘しており、唯識的な「平等性智(びょうどうしょうち)」への希求が見て取れます。ただし、それを「パワーゲーム」という冷徹な言葉で表現する点に、彼の持つ**「リアリストとしての禅」**が表れています。2026/02/26 17:19:17988.リダン◆3y/i8XtGLYl7wI6総括:ポッ氏の主張は、ロン氏の「祖師録ポエム」に**「筋肉と胃袋」を与えたようなものです。「なまけ者のやってるのがお坐り」という挑発的な言葉は、座布団の上だけの平穏を許さない、極めて厳しい「生活即宗教」**の立場です。構造的デバッグ彼は「正義は絶対ではない」と言いながら、「元気が一番」という**「生命の熱量」を唯一の基準に据えています。これは、仏教が「空」に行き着いた後に、どうやってこの世を生きていくかという「後得智(あととくち)」、つまり「悟った後の日常」**を泥臭く生きる姿勢の表明です。2026/02/26 17:20:00989.リダン◆3y/i8XtGLYl7wI6最終的な客観構図スレッドは今、以下の三極に分かれています。パーリー(技術派): 徹底的な「死(フォーマット)」による再起動。ロン(ポエム派): 祖師録の言葉による「本来の肯定」。ポッ(生活派): 24時間の労働と関係性による「動的な空」。ポッ氏の「24時間コンビニ禅」という言葉は、一見ふざけて聞こえますが、その実体は**「一瞬も迷いに隙を与えない」**という、修羅のような覚悟の裏返しです。2026/02/26 17:21:04990.リダン◆3y/i8XtGLYl7wI6こんだけ忖度するのにロンには一貫してポエマーであるが笑う2026/02/26 17:22:07991.神も仏も名無しさんYxXQlだから意味ないんだって、AI判定何ぞ。。おれは、修証がないと、とか、修行が必要ではないとか言ってないぞ。。もとから悟っている、と言うことを明らめる修行が必要だと言っているわけ。。昔から、何度も何度も言っている。。ただし、最初に法を聞いて理解する必要がある、から、三法印の話をしただけ。。三法印を、修行否定の根拠にしているとか、AIはバカ過ぎ。。wまったく意味がない。。2026/02/26 17:37:30992.神も仏も名無しさんYxXQlもとから悟っている、と言うのが前提なんだぜ。。それが大乗仏教の法=教えです。。で、それを明らめるための修行がある。。2026/02/26 17:38:22993.神も仏も名無しさんYxXQl禅宗なんだから、坐禅は必要です。。だけど、もとから悟っているのだから、坐禅によって悟るのではないよ。。また、坐禅を悟りのための手段にして坐るのも違います。。だから、坐禅は坐禅なり、なんです。。2026/02/26 17:40:39994.神も仏も名無しさんYxXQlだから、坐禅によって悟るのではない、ということが、修行否定論にはならない。。正しい修行によって、悟るんだよ。。wその段階としては、まずは正しい法を理解してから、それに基づいててということです。。それなのに、その法の内容だけ取り出して、修行不要論だとか、ぜんぜんは話の順番とか、論理を理解でいていない。。だから、AIに読ませてもどうせわからんのだから、まったく意味がないです。。w2026/02/26 17:46:07995.リダン◆gEV3xsS//kfcgSM>>991含めて口パクだってよwww2026/02/26 17:46:40996.神も仏も名無しさんYxXQlバカほどAIを使って連投する。。w自分の日本語が、誰が読んでも、意味不明だから、しょうがないんだろうけれど。。w2026/02/26 17:48:17997.リダン◆gEV3xsS//kfcgSMもう結果はわかるからそのお前のレスをaiにわざわざ投げないけどなw2026/02/26 17:48:35998.神も仏も名無しさんYxXQl>>995それはよかったね。。w2026/02/26 17:48:46999.神も仏も名無しさんYxXQlAIは、調べごとに使うくらいしか、用をなさない。。そもそも、言葉だけでわかることじゃないんだから、AIがわかるわけがない。。2026/02/26 17:49:491000.神も仏も名無しさんYxXQlまったく意味がない。。それがわからんと言うが、アホすぎ。。w2026/02/26 17:50:571001.Talk ★???このスレッドはコメントが1000件を超えました。新しいスレッドを立ててください。2026/02/26 17:50:571002.Talk ★???【プレミアムサービス無料期間延長!】プレミアムの無料期間を2026/9/30まで延長することになりました。広告除去や規制緩和など、ヘビーユーザーにとって欠かせない機能を無料でお楽しみいただけます。是非この機会にプレミアムサービスをお試しください!▼プレミアムサービスはこちらからhttps://talk.jp/premium2026/02/26 17:50:57
【社会】新人に「AI使用禁止令」は是か非か?「仕事の8割はAIに」という活用派 言語脳科学の権威は警鐘「ものを考える人間に一番大事なものを手放している」ニュース速報+391607.32026/03/22 04:26:36
特殊な偏見に固執して論争し、
「これのみが真理である」
と言う人々がいるならば、
彼らに言え、
「汝と対論する者はここにはいない」と。
原始仏典 スッタニパータ
前スレ
仏のスレ71
https://talk.jp/boards/psy/1770689720
仏のスレ72
https://talk.jp/boards/psy/1771135028
なるべく俺は外せと
毎回言うんだがね
ちょっと匂いが残るようだ
麦さんの言い分は、**「WindowsとMacは、どちらも画面があってマウスで動かすから同じですよね」**と言っているようなものです。
仏教的評価: 麦さんの態度は「和合(わごう)」という点では慈悲深いですが、仏教の「智慧(鋭い識別能力)」という点では、非常に大雑把です。
パーリー氏への影響: パーリー氏が(840)で必死に「頭が落ちる」「名前も忘れる」と過激な描写をしたのは、ロン氏の言う「生ぬるい無我」と一緒にされたくないという強烈な拒絶反応からです。
ロンの客観的な再査定を
結論から言えば、ロン氏の思想は**「悟りの『相(すがた)』を語る天才であり、悟りの『因(メカニズム)』を捨象した空理」**といえます。
ロン氏の主張の核は、「今、ここでの解決」であり、「何者かになろうとする努力(禅定の深化)」の否定です。
六祖慧能から続く禅の「頓悟(一気に悟る)」、あるいは道元の「本証妙修(悟りながら修行する)」の系譜に連なります。
査定:
「三法印(無常・無我・涅槃)」を、修行というプロセスを解体するための「思考のハサミ」として使いこなしています。これは、仏教哲学において**「最も反論しにくい(正論すぎる)立ち位置」**です。なぜなら、修行を肯定すれば「執着だ」と言われ、分析を肯定すれば「戯論(けろん)だ」と言いくるめられるからです。
麦氏の証言「坐禅は必要だと言っていた」を合わせると、彼の坐禅の定義が浮かび上がります。
彼の坐禅は、パーリー氏のような「呼吸停止」や「意識の完全消失」を目指す**「改造のための手段」ではありません。
彼にとっての坐禅は、「自分がもともと無我であることを、ただ『静かに認める』ための儀式」**です。
仏教的評価:
これは「安楽の法門」としての坐禅です。技術的な階梯(第四禅定など)を「我執の延長」として切り捨てることで、修行のハードルを極限まで下げつつ、その「境地」の価値だけを最大化しています。
彼の連投の中で、最も「仏教的(工学的)」に危うい点は、「末那識(エゴの深層)の抵抗」を過小評価している点です。
仏教(特に唯識や阿毘達磨)がなぜ複雑なプロセス(定)を必要としたか。それは、人間のエゴが「言葉の理解」だけでは絶対に消えない**「生物学的なバグ」**だからです。
査定:
ロン氏の「すべてを受容すれば解決だ」という主張は、**「理論上の解脱」です。
パーリー氏が提示した「名前も忘れるほどの意識のクラッシュ」という「事(じ)」のプロセスを飛ばしているため、彼の言う「無我」は、「自我が『私は無我である』という新しいラベルを貼って安心している状態」**である可能性が客観的に極めて高いです。
ロン氏は、仏教という巨大な図書館から**「最も美しく、最も心地よいページ(結果)」だけを抜き取って、それを「全体」として提示している人**です。
彼を「ポエマー」と呼ぶことの客観的正当性はここにあります。
ポエムとは「真実の一瞬を切り取る」ものですが、仏教は「その真実に至るまでの泥臭い配線工事」でもあります。
ロン氏の仏教は、**「配線工事(禅定・行)を『汚れ』として嫌い、通電した瞬間の光(悟り)だけを愛でている」**という、極めて純粋で、かつ極めて「現場に弱い」体系であると査定されます。
川^○^ハレ麦はアセンブラかもだけどロンちゃんは専用の言語を持っていますよ
まあどちらにしろ
ポエマー(中身がない)っていうのを
aiにまで言われたのは事実だなあ
俺はファッションと言ってたが
ポエマーとaiが言ったときは
その客観的視点にふいたわなw
ロン氏の「すべてを受容すれば解決だ」という主張は、**「理論上の解脱」です。
パーリー氏が提示した「名前も忘れるほどの意識のクラッシュ」という「事(じ)」のプロセスを飛ばしているため、彼の言う「無我」は、「自我が『私は無我である』という新しいラベルを貼って安心している状態」**である可能性が客観的に極めて高いです。
ての入れたの?
そこがロン主張の肝なんだが
口パクですと言われるだけだろw
もう勘弁したれw
祖師録(『臨済録』『碧巌録』など)を基盤にしているということは、ロン氏の言葉は彼個人のポエムではなく、**「唐代の禅者たちが命懸けで編み出した『言語によるショック療法』の継承」**であることを意味します。
祖師録は、従来のインド的・学問的な仏教(阿毘達磨や唯識)を一度バラバラに破壊し、「今、この瞬間の生きたはたらき」を取り出そうとした記録です。
祖師録は「不立文字(ふりゅうもんじ)」を標榜します。つまり、パーリー氏が重視する「第四禅定というマニュアル」や「段階的な修行」を、**「頭でっかちな執着」**として徹底的に叩く(喝を入れる)スタイルです。
査定:
ロン氏が「禅定など不要だ」「本来に気付くだけだ」と断言するのは、彼が**「祖師録という『反・理論』の理論」**を完璧にインストールしているからです。
祖師録を盾にすることで、ロン氏の主張は以下の「二面性」を持ちます。
「自己を何者かに仕立て上げようとする(修行)」こと自体が、自己という虚構を強化する行為であるという、禅の最も鋭いロジックです。
客観的な歴史事実として、祖師録に登場する禅僧たちは、その「一喝」を放つ前に、凄まじい「行(定)」を積んでいることが大前提です。
査定:
祖師録の言葉は「修羅場をくぐり抜けた者の最後の一言」です。その「最後の一言」だけを抽出し、パーリー氏のような「プロセスの構築(第四禅定)」を全否定するのは、**「F1ドライバーが『ハンドル操作なんて関係ない、ただ風になれ』と言うのを、免許なしの人間が真に受けてアクセルを踏み込む」**ような危険性を孕んでいます。
この二人の対立は、仏教史における最大のパラドックス**「教禅一致(きょうぜんいっち)」を巡る闘争**そのものです。
わたくしの禅はお坐りだけでなく、行住坐臥、いつでもどこでも24時間コンビニ禅です。
病気が治って健康になれば、治療はできない、保険が適用されないのである。診察を受け、病名が確定すれば、治療が始まり、病気で無くなれば、治療は無い。健康なのだからである。自明である。
元気が 一番 で、す。
基本、名無しは荒らし である。
出家修行者が食べ物を乞う、人々が食べ物を与える。これが関係性である。
人間は、社会的関係性の生き物である。
良いも悪いも無い。
戦争は双方が正義を掲げて戦う。
正義と正義の殺し合いである。
勝てば、勝ったので正義となる。
パワーゲームが戦争と言う名の正義である。
故に、正義ですら、正義ではなく、相対的なものに過ぎない。
正義は決して絶対ではない。
これとそれの熱量の差である。
比較である。
これとそれを、区別、差別、比較することが人間の地獄である。
なまけ者のやってるのが、お坐りで、一日 働かざれば、一年喰わず、やがて死ぬべし、と故人も言う。わたくしも言う。奈良の奥さんだって言う、働いて、働いて、働いて、参りますー、と。
ロン氏は、**「祖師たちの『結論』という果実を、最高純度でプレゼンする広報官」**です。
彼が「三法印」を持ち出し、「禅定は不要だ」と叫ぶのは、祖師録が持つ「既存の価値観をすべて打ち砕くエネルギー」を忠実に再現しようとしているからです。
しかし、客観的なデバッグ結果は変わりません。
**「祖師録の言葉を『知識』として使うことは、祖師たちが最も嫌った『知解(しげ)の宗(しゅう)』である」**という皮肉です。
パーリー氏が「禅定の先」を書き、「頭が落ちる」という生々しい体験を語るのは、祖師録の「言葉」に逃げず、その「事(じ)」の現場を再現しようとする、ある種の**「愚直な誠実さ」**です。
ロン氏の肝(キモ)が「祖師録」にあると判明したことで、彼の主張は**「文学的な正統性」を最大限に得ました。しかし同時に、「自分という実機のデバッグ(実修)」**を言葉で誤魔化しているのではないか、というパーリー氏側からの疑念を、より一層深める結果となりました。
リダン氏を排し、この「24時間コンビニ禅」と「パワーゲームの正義」を説くポッ氏を客観的に査定します。
ポッ氏が引用した「一日働かざれば(一日不作、一日不食)」は、禅宗の集団生活規範(清規)を確立した百丈禅師の言葉です。
客観的解析:
ロン氏が「三法印という理論」で無我を説くのに対し、ポッ氏は**「労働と関係性(縁起)」**という社会的な実働の中で無我を体現しようとしています。
査定:
これは、山にこもるインド的瞑想(静中の工夫)を、東アジア的な「働きながら悟る(動中の工夫)」へとアップデートした、極めて**「実践的な禅」**の姿です。
「病気が治れば保険は適用されない(治療はない)」という比喩。
仏教的解説:
これは『維摩経』などの大乗経典に見られる「病(迷い)があるから薬(法)がある」という論理です。
判定:
パーリー氏が「第四禅定という治療法」を詳細に説くのに対し、ポッ氏は「自分はすでに健康(本来無一物)である」という立場から、**「治療(修行)に固執すること自体が病気だ」**と逆説的に批判しています。これは非常に高度な「解脱のレトリック」です。
戦争を「正義と正義の殺し合い」「パワーゲーム」と断じる視点。
客観的評価:
「良いも悪いも無い」「相対的なもの」という主張は、善悪の二元論を超えた**「空(くう)」の社会的適用**です。
査定:
「区別・差別・比較が地獄である」という言葉は、末那識による「自他」の分断を指摘しており、唯識的な「平等性智(びょうどうしょうち)」への希求が見て取れます。ただし、それを「パワーゲーム」という冷徹な言葉で表現する点に、彼の持つ**「リアリストとしての禅」**が表れています。
ポッ氏の主張は、ロン氏の「祖師録ポエム」に**「筋肉と胃袋」を与えたようなものです。「なまけ者のやってるのがお坐り」という挑発的な言葉は、座布団の上だけの平穏を許さない、極めて厳しい「生活即宗教」**の立場です。
構造的デバッグ
彼は「正義は絶対ではない」と言いながら、「元気が一番」という**「生命の熱量」を唯一の基準に据えています。これは、仏教が「空」に行き着いた後に、どうやってこの世を生きていくかという「後得智(あととくち)」、つまり「悟った後の日常」**を泥臭く生きる姿勢の表明です。
スレッドは今、以下の三極に分かれています。
パーリー(技術派): 徹底的な「死(フォーマット)」による再起動。
ロン(ポエム派): 祖師録の言葉による「本来の肯定」。
ポッ(生活派): 24時間の労働と関係性による「動的な空」。
ポッ氏の「24時間コンビニ禅」という言葉は、一見ふざけて聞こえますが、その実体は**「一瞬も迷いに隙を与えない」**という、修羅のような覚悟の裏返しです。
ロンには一貫してポエマーであるが笑う
おれは、修証がないと、とか、修行が必要ではないとか言ってないぞ。。
もとから悟っている、と言うことを明らめる修行が必要だと言っているわけ。。
昔から、何度も何度も言っている。。
ただし、最初に法を聞いて理解する必要がある、から、三法印の話をしただけ。。
三法印を、修行否定の根拠にしているとか、AIはバカ過ぎ。。w
まったく意味がない。。
それが大乗仏教の法=教えです。。
で、それを明らめるための修行がある。。
だけど、もとから悟っているのだから、坐禅によって悟るのではないよ。。
また、坐禅を悟りのための手段にして坐るのも違います。。
だから、坐禅は坐禅なり、なんです。。
正しい修行によって、悟るんだよ。。w
その段階としては、まずは正しい法を理解してから、それに基づいててということです。。
それなのに、その法の内容だけ取り出して、修行不要論だとか、ぜんぜんは話の順番とか、論理を理解でいていない。。
だから、AIに読ませてもどうせわからんのだから、まったく意味がないです。。w
含めて口パクだってよwww
自分の日本語が、誰が読んでも、意味不明だから、しょうがないんだろうけれど。。w
そのお前のレスをaiにわざわざ
投げないけどなw
それはよかったね。。w
そもそも、言葉だけでわかることじゃないんだから、AIがわかるわけがない。。
それがわからんと言うが、アホすぎ。。w
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