【言葉の力で】 唯識論 【世界は変わる】 Part4アーカイブ最終更新 2026/03/19 09:241.◆JBLfMwCXhYLww3J私たちは、思考するからさまよう。この世は、思い通りにならない。本当の自分なんて、どこにもない。いま、この思考の幻から抜け出そう。前スレ【アーラヤ識】 唯識論 【瑜伽行派】 Part3https://talk.jp/boards/psy/17697733782026/02/16 10:23:131000すべて|最新の50件2.◆JBLfMwCXhYLww3J関連スレ 理論派ブッディスト 三部作【アビダルマ】 倶舎論 【仏教の標準理論】 Part4https://talk.jp/boards/psy/1769941836【空の奥義は】 中観派 【言葉にできない】 Part6https://talk.jp/boards/psy/17709335282026/02/16 10:28:363.◆JBLfMwCXhYLww3J唯識(ゆいしき)は「この世は全て心(識)が創り出したもの」と説く仏教哲学。外界は実在せず、自分の心が映し出した共同幻想であるため、言葉や認識(識)を転換することで、体験する世界は根本から変わるという思想。世界は自分次第で変わることを示唆します。2026/02/16 10:30:594.◆JBLfMwCXhYLww3J唯識の核心:世界は「心」の投影唯識無境(ゆいしきむきょう):私たちが「外の世界」だと思っているものは、実は自らの「心(阿頼耶識:あらやしき)」が作り出したイメージ(影像)に過ぎない、という考え方です。主体と客体の分離:私たちは無意識に「自分」と「自分以外の世界」を分けて認識していますが、実際には認識している「対象」そのものが自分の心の中に存在しています。転識得智(てんじきとくち):誤った捉え方(識)を智慧(ちえ)に変えることで、世界そのものが変わって見える。言葉は「捉え方」を規定する最大のツール。2026/02/16 10:34:005.◆JBLfMwCXhYLww3J唯識論(ゆいしきろん)は、「この世はすべて心(識)が作り出したもの」とする、大乗仏教の深遠な認識論です。4世紀頃のインドの僧・世親(ヴァスバンドゥ)らによって大成されました。唯識は「私たちが使う言葉や概念が、いかにして私たちの現実(世界)を構成し、迷わせているか」を紐解く強力な知恵を提供しています。唯識では、私たちは「あるがままの現実」を見ているのではなく、「言葉や概念というフィルター」を通して世界を認識していると説きます。名言種子(みょうごんしゅじ):言葉は心の中に「種子」として蓄えられ、その言葉に基づいて「これは良いもの」「これは悪いもの」とレッテルを貼り、世界を確定させていきます。言葉の二面性:言葉はコミュニケーションに不可欠ですが、同時に、目の前の真実を「型」にはめ、本来の姿を見えなくする(執着する)原因にもなります。2026/02/16 10:36:156.◆JBLfMwCXhYLww3J「すべては心が作り出した」のなら、その「心(言葉・認識)」を変えることで、認識される「世界」も変わります。認識の変容(転識得智):「言葉」が世界を縛っているという事実に気づき、レッテル貼りをやめることで、苦しみ(迷い)から解放されます。「言葉」を手放す:言葉や概念に執着せず、目の前の現実そのもの(「それそのもの」)を静かに感じ、調和して生きることを目指します。言葉による現実の再構築:ポジティブな言葉や建設的な概念(種子)を心に植え付けることで、認識する世界を豊かに変えることができます(前向きな「思い」が行動を変え、世界を変える)。唯識は、「自分を変えたい」「今の状況を打破したい」と願うとき、環境や他者を変えるのではなく、「世界を見ている自分の心(認識・言葉)」を変えることこそが根本的な解決(生き方)であると教えてくれます。2026/02/16 10:37:577.◆JBLfMwCXhYLww3J唯識論では、過去の身口意のデータが種子として貯蔵されている種子には、名言種子と業種子がある深層意識に及ぼすコトバのパワーがあまりに大きいため「名言種子」が、普通の種子(業種子)とは区別された2026/02/16 10:46:348.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK6bpjMwwwwwwwwwwwwwwwwwwアホかw2026/02/16 10:49:119.◆JBLfMwCXhYLww3J井筒俊彦は、深層意識とコトバの関係に注目し、「言語アラヤ識」なるものを提唱した深層意識にある、言語アラヤ識言語データ(名言種子)を貯蔵するデータベースだ深層意識にある名言種子が、表面意識に強い影響を及ぼしている2026/02/16 10:52:1010.◆JBLfMwCXhYLww3J井筒俊彦「元来、仏教では、人間の行為を身・口・意の三種に大別する。手足などを動かす(身)、コトバを聞き、コトバを喋る(口)、何かにたいして心が動く、たとえば、思惟、感情、想像などの形で(意)。内的外的、それら様々な行為の一つひとつが、人の下意識の最深層に、必ず、なんらかの跡を残していく。どんな些細な、取るに足りない(と思われる)ような、ほんのかすかな動きでも、こころの奥に、ひそかな影を残さずにはいない、と唯識は説く。我々のあらゆる経験が、我々自身の存在の底知れぬ深層を、刻々と「薫習」していく、というのだ。あたかも、衣に薫きしめられた香の匂が、消えずにそこに残るように。 しかも、この「薫習」のプロセスは、個人としての我々の個人的経験だけに終始するものではなく、そこには、先行する諸世代の全ての人の全ての経験が、文化遺産という形で含まれる。つまり、我々がまったく気付かないうちに、我々の実存の深みは、まず自分自身の、そして結局は全ての人の経験の痕跡をとどめていく、というのである。2026/02/16 10:53:0311.◆JBLfMwCXhYLww3Jところで、唯識哲学の説く「薫習」とは、現代的な表現で言い換えるなら、「意味化」のプロセスということになるだろう。すなわち、一々の経験は、必ずこころの深層にその痕跡を残すとはいっても、生の経験がそのままの姿(たとえば、普通の意味での記憶というような形)で残留するのではなく、すべてその場で、いったん「意味」に転成し、そういう形で、我々の実存の根底に蓄えられていくのである。それを唯識の述語で「薫習」と呼ぶのだ。 人間のこころの機能を、表層から深層に及ぶ八つのレベルに分けて構造モデル化する伝統的な唯識の意識論では、このように過去の一切の経験が「意味化」して蓄えられる内的場所(トポス)として、この構造モデルの最深層(第八番目のレベル)を措定し、これを「アラヤ識」(文字通りには「貯蔵庫意識」)と名づけ、そこに貯蔵される「意味」を「種子(しゅうじ)」と名づける。2026/02/16 10:53:4412.◆JBLfMwCXhYLww3J「種子」、すなわち、この段階で「意味」は、我々が常識的に理解しているようなコンヴェンショナルな「意味」ではない。コンヴェンショナルな「意味」の成立は、表層意識のレベルでの事態。「アラヤ識」のレベルにおける「意味」は、「意味」というより、むしろ「意味」エネルギーというほうが真相に近い。つまり「アラヤ識」は、全体としては、力動的な「意味」の流れである。 だが、「意味」は、その本性上、「名」を呼び、「名」を求めるものである故に、「アラヤ識」は、また、全体として、根源的に言語的性格を持つ。とは言っても、勿論、均等的に、ではない・「アラヤ識」の言語性には、いわば凸凹があるのだ。先刻も書いたとおり、人間の経験は、大ざっぱに見ても身・口・意の三つの系統があるのであって、すべての経験が、直接、コトバの経験であるわけではない。2026/02/16 10:54:0213.神も仏も名無しさん4PROpさらにマニアなスレ建てたな?😃2026/02/16 10:54:1714.◆JBLfMwCXhYLww3J人間の下意識にたいするコトバの働きかけを極めて重大視する唯識哲学は、直接コトバに由来する「種子」を、特に「名言(みょうごん)種子」と呼んで、他の系列の「種子」から区別する。しかし、非言語系の「種子」も、「アラヤ識」的事態としては、すべて潜在的「意味」形象であるという点から考えれば、「名言種子」と根本的に等質であり、広い意味で言語的であると考えられなければならない。」「数限りないこれらの潜在的「意味」形象の全体を理論的に想定して、私はそれを「言語アラヤ識」(あるいは「意味アラヤ識」)と呼ぶ。すなわち、唯識哲学の説く第八「アラヤ識」を、強弱様々な度合いにおいて言語化された「意味」エネルギーの、泡立ち滾る流動体として、想像するのである。」2026/02/16 10:54:2115.◆JBLfMwCXhYLww3J>>8おっさっそく、ハッスルホイホイにかかったな?🪳2026/02/16 10:54:5616.◆JBLfMwCXhYLww3J>>13真言にハマッたせいだ😅2026/02/16 10:55:2817.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK6bpjM人の宗教板でやってきた事を猿真似してさぁ。擬態、換骨奪胎、乗っ取り……カルト宗教の伝統宗教に対するやり方そのものだな。2026/02/16 10:58:3918.ま4PROpま、井筒路線で言えば種子の面で脳内ホルモン的な感情とか感覚とか言語化以前のシニフィエの構成要素の部分もありブラス脳内ホルモン的な感情、感覚の付与がある脳科学も含めて若い頃読んでいたので井筒路線はイマイチ感がある😃2026/02/16 10:58:4819.神も仏も名無しさん4PROp記憶には言語のみならず、感覚と感情という非言語的な付与があるだろうなーと若い頃は考えていた😃2026/02/16 11:00:1120.◆JBLfMwCXhYLww3J>>17いや、お前には無理だこんなテーマ2026/02/16 11:00:3521.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK6bpjM一体お前らバカルターズは、何を目論んでるんだ?伝統宗教を破壊して、宗教板をカルト一色で染めるつもりか?そういう馬鹿は許さんぞ?2026/02/16 11:00:4622.神も仏も名無しさん4PROp三毒ハッスル燃えているな?🤡ー2026/02/16 11:01:2623.◆JBLfMwCXhYLww3J>>19確かにそうだな思考や記憶と、言語が切っても切れないのは間違いないがすべてが言語によるものではない2026/02/16 11:02:3524.神も仏も名無しさん4PROp物理、数学とか数学の、関与しない本以外はかなり読むのが好きだった若い頃は😃2026/02/16 11:02:5625.◆JBLfMwCXhYLww3Jいまは瞑想ひと筋か~?😆2026/02/16 11:03:3426.神も仏も名無しさん4PROp>>23俺は西欧哲学を的確に見下ろし評論てきるくらいのデータはかなり脳内に詰まっている😃2026/02/16 11:03:5427.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK6bpjM>>20まーーーーーた、始まったな?そもそも井筒俊彦とそのワークを紹介したのは俺だぞ?www倶舎論でも中観でも唯識でもそうだが、お前らのやってる事は、俺のたてた伝統仏教のそれを嫌がらせや誹謗中傷で潰して、換骨奪胎した劣化コピーをしてるだけじゃないか。いい加減にしろよ、カルト野郎。2026/02/16 11:04:2828.神も仏も名無しさん4PROp>>25人間世界と歴史の成り立ちに関心あったからなー既存の哲学多数と既存の社会科学は権威も信用しなかった演繹法は、嫌いだからなー帰納法に適合する理論を上に立てるべきだという、社会科学スタンスやったからなー😃2026/02/16 11:06:1329.神も仏も名無しさん4PROp>>25今は休日は霊的存在宗教研究に夢中だ😃イスラーム、キリスト教、神道に😃2026/02/16 11:07:1330.神も仏も名無しさん4PROpキリスト教は今回の休日でかなり満足してきた😃2026/02/16 11:07:3331.神も仏も名無しさん4PROpヨガヒンズーは理論は頭にはいらないが難しいわけてもない 😃2026/02/16 11:08:1832.神も仏も名無しさん4PROpクルアーンの日本語朗読の三分の一をパソコンにいた😃2026/02/16 11:09:0633.◆JBLfMwCXhYLww3J>>27お前の力量じゃせっかく専門スレを立てても、10レスかそこらで終了その後、何年も放置だろ?それでいて、放置スレを埋めると怒る(笑)2026/02/16 11:09:2834.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKbWKFuヒキニープーボッチの統失知障達が、無職の暇に任せて糞スレを乱立し、レスの物量で占拠しようとしても、所詮は馬鹿の戯れ事やもうそうだってまだ分からないのか?そんな事より 仕 事 を 探 せ ! 派遣会社にプッシュしろ!何やってんだ、お前らは?いい加減に目を覚ませ!親を困らせるな!2026/02/16 11:09:4235.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKbWKFu>>33?????途中で無理やり嫌がらせをしてスレを埋めたのは誰だ?あ?ネットだからってふざけるのも大概にしろ。仏教舐めるな!2026/02/16 11:11:2636.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKbWKFuヒキニープーボッチの腐れ外道のカルト野郎がwww2026/02/16 11:12:1537.神も仏も名無しさん4PROpお三毒大噴火🌋始めたな?🤡〜〜〜2026/02/16 11:12:5638.◆JBLfMwCXhYLww3J>>35おいおい、これは紛れもない事実だぞ?お前と違って、こちらには記憶力がある過去の記憶があるので↓お前の力量じゃせっかく専門スレを立てても、10レスかそこらで終了その後、何年も放置だろ?それでいて、放置スレを埋めると怒る(笑)2026/02/16 11:13:0939.神も仏も名無しさん4PROpハッスル記憶🤡はハッスルナルシズムに都合がワルイ記憶は「今」以外除去されるただし怨念の記憶たけは明白に残る🤡〜2026/02/16 11:15:0740.神も仏も名無しさん4PROpハッスル〜🤡ハッスル〜🤡2026/02/16 11:15:3441.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKbseD9>>38wwwwwwwwwwwwwwwwww何年も放置?数ヶ月もしないうちにお前らが嫌がらせで埋めてたろ?それと、埋めりゃ良いってもんじゃない。良質の情報をスレとして残しておくのが大事であって、乱立すれば良いってもんじゃない。お前らバカルターズは、暇な時間だけは豊富だもんなぁ?www小人閑居して不善をなすとは、まさにその事そのものだな。2026/02/16 11:25:4942.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKbseD9ともかく、今後はもう一切、互いに関わらない事にしろ。迷惑だからな、2026/02/16 11:26:3143.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKbseD9これ以上、親を悲しませるな。いいな?2026/02/16 11:27:0144.◆JBLfMwCXhYLww3J>>41いや、数カ月ではなかった1年半くらいだったな2026/02/16 11:37:5745.◆JBLfMwCXhYLww3J10レスかそこらで放置されてたそれも、1本や2本でなく、何本も2026/02/16 11:38:2646.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKkjcXwだから、大切なのは質なんだよ。駄文や支離滅裂な妄想レスで埋めりゃいいってものじゃない。ともあれ、もうこっちに関わるな。伝統仏教に関わるな。カルトはカルトでやってろ。2026/02/16 11:44:4647.◆JBLfMwCXhYLww3Jこっちに来てるのは、お前だろうがよ2026/02/16 12:00:3148.神も仏も名無しさん4PROpハッスル🤡質ねえ〜?🤡〜2026/02/16 12:19:1849.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK0RIHG関わって来るからだろ、阿保w2026/02/16 12:23:2150.神も仏も名無しさん4PROpまーなんやかんやとハッスル🤡の三毒爆発はオモロイけどな?仏教スタンダード?大爆笑〜🤡〜2026/02/16 12:37:2451.神も仏も名無しさん4PROp今、動画落としスマホから移動して気づいた読めたぞ井筒好みの理由出口王仁三郎の言霊だな?まー言語の力を重んじるキリスト教ぽいからなーそーいう意味では真言という発想もオモロイわなー俺は正統派瞑想仏教肌なので真言でも三密のうち意密、身密優位感覚で空間に六大が漂っているぜーみたいな領域展開趣味があるから真言の口密、言霊に近い分野は関心が薄いかえって念仏山伏のほうが難しく感じて理解が進まなかったのて探求ブームになった 😃2026/02/16 13:17:4752.◆JBLfMwCXhY1gMln確かに、出口王仁三郎っぽいな😅言霊信仰だ2026/02/16 13:26:1953.◆JBLfMwCXhY1gMln出口王仁三郎は、新宗教「大本」において言霊(ことだま)の重要性を説き、言葉には霊的な力が宿り、真の言葉を使うことで自らの霊性を高め、天地創造の神の力を発揮できると主張しました。彼は「人は小宇宙の雛形」であり、自らを自覚することで、言霊は自ずと聞こえてくると述べました。2026/02/16 13:27:3454.◆JBLfMwCXhY1gMln出口王仁三郎の言霊の主なポイント言霊と産霊(むすび): 「産霊」とは霊(命)を蒸し出し、生み出すことであり、正しい言霊を発することは新しい生命や宇宙を創造する力を生むと説きました。人は小宇宙の雛形: 人間一人ひとりが宇宙の縮図であり、自分自身の内面を整えることで、言葉を通じて霊界のパワーと直結できるという考え方です。霊界物語: 81巻に及ぶ『霊界物語』は、言葉(言霊)によって神の意志を地上に表した、地上天国建設のための設計書とも言われています。意識的な言葉の利用: 心の中で唱える言葉も含むため、用いる言葉を意識し、大切にすることが重要だとしました。王仁三郎は、思想の混乱を鎮め、人類を救うための「神の真の力」の源泉として、この言霊の力を強調しました。2026/02/16 13:27:5655.神も仏も名無しさん4PROp俺も我流チベット密教なんで口密、身密が、無いからな正確な発音知らず真言密教でも三密そのものを正式な師匠から伝授されるものだがまー前世リンポチェかどうか知らんが意密メインで決められる真言密教も含めて師匠確認あるのは臨済宗のみだ😃2026/02/16 13:42:3356.◆JBLfMwCXhY1gMln臨済宗では、正師に認められたんだな😆2026/02/16 13:49:1357.神も仏も名無しさんxo3VW弟子以上の評価だな😃2026/02/16 14:33:0358.◆JBLfMwCXhYseC7fすべては、言語から始まった2026/02/17 07:36:5059.◆JBLfMwCXhYseC7f世界がバラバラに分かれているのは、言語のせい2026/02/17 07:37:1560.◆JBLfMwCXhYseC7f人間が、モノに名前を付けて区別するおかげですべてがバラバラに分かれて見えている2026/02/17 07:38:0161.◆JBLfMwCXhYseC7f世間の一般人は、「世界はバラバラに分かれている。だから、たくさんの名前があるのだ」と信じている2026/02/17 07:38:2562.◆JBLfMwCXhYseC7f本当は、そうではない「人間が、たくさんの名前を付けて区別した」「だから、世界がバラバラに分かれているように見えるのだ」というのが真実2026/02/17 07:39:3563.◆JBLfMwCXhYseC7fこれが、ソシュールの言語哲学ひいては、西洋現代哲学の根本思想2026/02/17 07:40:1264.神も仏も名無しさんnd7iH言霊信仰をベースに読んでまうなー今や😆2026/02/17 07:40:2165.◆JBLfMwCXhYseC7f一見して、中観派の考え方によく似ているだが、似て非なるものだ2026/02/17 07:40:3666.◆JBLfMwCXhYseC7f>>64ソシュール言語哲学がベースのつもりなんだが~😂2026/02/17 07:41:0267.◆JBLfMwCXhYseC7fいつの間にか、出口王仁三郎聖師の言霊信仰になってたか~😂2026/02/17 07:41:3168.神も仏も名無しさんnd7iH俺的には言霊は人間の脳の創造性のランガージュ能力にポイントを置いてしまうな脳科学とか京大類人猿研究のサル学とか前頭前野の創造性に注目しているからなー😆2026/02/17 07:42:5769.◆JBLfMwCXhYseC7fソシュールの言語哲学は、記号論へとつながった2026/02/17 07:43:1370.◆JBLfMwCXhYseC7f記号論(Semiotics/Semiology)は、言語、映像、ファッション、建築など、人間社会のあらゆる事象を「記号(サイン)」として捉え、その意味や構造、伝達の仕組みを解明する学問です。ソシュールとパースを祖とし、構造主義やメディア分析の基盤として、表面的な意味(デノテーション)の裏にある潜在的な意味(コノテーション)や文化的なコードを読み解く目的で使用されます。2026/02/17 07:43:2871.◆JBLfMwCXhYseC7f記号論の概要定義: 記号とその指し示す対象との関連、および符号化(エンコーディング)の仕組みを研究する学際的な学問。目的: 世界を「記号」の体系として捉え、コミュニケーション、広告、芸術、メディアなどの背後にある隠されたルールやイデオロギーを分析・解明すること。2026/02/17 07:43:4272.神も仏も名無しさんnd7iH歴史政治含めてデータ収集の鬼やった😆2026/02/17 07:43:5273.◆JBLfMwCXhYseC7f主なアプローチ:ソシュール(記号学/Sémiologie): 言語学に基づき、記号を「表現(シニフィアン)」と「内容(シニフィエ)」の二項対立として捉える。パース(記号論/Semiotics): 「表現、内容、指示対象」の三項関係に基づき、記号を象徴(シンボル)、指標(インデックス)、図像(アイコン)に分類する。2026/02/17 07:44:0074.◆JBLfMwCXhYseC7f記号の構成と機能構造: 記号は「意味されるもの(シニフィエ)」と「意味するもの(シニフィアン)」のペアからなる。機能: 記号は独立して存在せず、文化的なコード(慣習)によって意味が解釈される。2026/02/17 07:44:1675.神も仏も名無しさんnd7iH言葉は人間の脳の創造性のランガージュ能力にだ😆2026/02/17 07:44:3576.◆JBLfMwCXhYseC7fデノテーションとコノテーション:デノテーション: 明示的な意味(例:赤いバラ=花)。コノテーション: 暗示的・評価的・隠れた意味(例:赤いバラ=愛)。2026/02/17 07:44:3777.◆JBLfMwCXhYseC7f記号論の応用分野広告・メディア分析: 広告やメディアが商品やブランドのメッセージをいかに伝えているかを視覚・言語的に分析する。文化・社会分析: 映画、ファッション、流行などの文化現象を記号として読み解く。情報・技術: 記号テクノロジーや情報処理の論理を分析する「情報記号論」。建築: 空間や建築物を記号の集合体として捉える。2026/02/17 07:44:5478.◆JBLfMwCXhYseC7f記号論を理解することで、広告が意図する意味だけでなく、それらが構築する実在(イデオロギー)や隠れた「コード」を批判的に分析する視点が得られます。2026/02/17 07:45:0879.◆JBLfMwCXhYseC7f現代の文明人は、言語と記号が押し寄せる洪水の中で生きている2026/02/17 07:45:4180.◆JBLfMwCXhYseC7f家でネットを見れば、広告だらけ街に出れば、看板だらけ際限なく人間の欲望を刺激するそんな記号にあふれている2026/02/17 07:46:4381.神も仏も名無しさんnd7iHランガージュ(langage)とは、言語学者フェルディナン・ド・ソシュールが定義した「言語活動」を指す概念であり、人間の話す・聞くといった能力全般や、個別の言語体系(ラング)と具体的発話(パロール)を包括する総体である。主な特徴は以下の通りです。定義: 言語を介して行う行為や能力の全体を意味する。ラング(社会的な規則・辞書)とパロール(個人の具体的な行為・会話)の二つを併せた包括的概念である。ソシュールの構造言語学: ソシュールは言語の言語的性質を研究対象としたが、ランガージュはその基礎となる、人間が持つ普遍的なシンボル活動である。精神分析: 精神科医ジャック・ラカンにより、無意識と関連して人間を定義づける重要な概念として展開された。デザインへの応用: ラング(共通のルール)とパロール(個別の表現)の相互作用によによる新たな表現創造のモデルとしても引用される。ランガージュは、言語そのものだけでなく、言語を用いた心理的・物理的プロセスすべてを包含する高度な概念です2026/02/17 07:46:5282.◆JBLfMwCXhYseC7f資本主義社会は、膨大な記号により人間の深層意識に影響を及ぼす際限なく欲望を刺激する2026/02/17 07:47:4383.◆JBLfMwCXhYseC7fそういうのが、現代思想のテーマ2026/02/17 07:47:5784.◆JBLfMwCXhYseC7f>>81そう、それ2026/02/17 07:48:2185.神も仏も名無しさんnd7iHランガージュと人間の脳の前頭前野の肥大による創造性と恣意性を結びつけて俺は理屈よりもデータ現象から帰納法させて考えていた😆2026/02/17 07:48:4286.◆JBLfMwCXhYseC7fロン殿も、坐禅にハマる前はそっち系統だったらしいがそれにしては、影響を感じないな😂2026/02/17 07:48:5687.◆JBLfMwCXhYseC7f>>85なるほど~😆2026/02/17 07:49:5688.神も仏も名無しさんnd7iH臨済宗のほうが 創造性があるそのかわり定義すると創造性が死ぬ😆2026/02/17 07:50:3389.◆JBLfMwCXhYseC7f臨済宗は、これと通じるものがあるのか2026/02/17 07:51:1890.神も仏も名無しさんnd7iHデータ、人間の脳科学、政治歴史からランガージュについて模索していたジャック・ラカンより俺は優秀だと思うぞ😆2026/02/17 07:51:5091.神も仏も名無しさんnd7iH臨済宗は政治の達人がいる😆2026/02/17 07:52:2192.◆JBLfMwCXhYseC7f現代の文明社会は、膨大な記号の海だ記号は常に、人間の表面意識や深層意識に影響を及ぼしている2026/02/17 07:52:4193.神も仏も名無しさんnd7iHあのクソ安倍晋三じゃないぞ😆2026/02/17 07:52:4794.◆JBLfMwCXhYseC7f現代人は、記号依存性だ2026/02/17 07:53:0295.◆JBLfMwCXhYseC7f>>90すごいな?😆2026/02/17 07:53:1996.神も仏も名無しさんnd7iH反記号依存性の究極が臨済宗故にハッスル、ムイムイをボコるリバース😆2026/02/17 07:54:2797.◆JBLfMwCXhYseC7f臨済宗で、記号中毒から脱却か~😂2026/02/17 07:55:3198.神も仏も名無しさんnd7iH記号依存性で臨済宗公案を説明しだすと公案=老荘思想になる記号依存性の弊害だ😱2026/02/17 07:56:0799.神も仏も名無しさんnd7iHハッスル🤡はハッタリなのは記号依存性たからだ🤡〜〜2026/02/17 07:57:07100.◆JBLfMwCXhYseC7fなるほど2026/02/17 07:57:58101.神も仏も名無しさんnd7iH反記号依存性だから臨済宗に関しては説明議論しない説明=記号依存性だからだ😆2026/02/17 07:58:15102.◆JBLfMwCXhYseC7f坐禅そのものは仏教だがそれについて理屈を並べると、老荘思想になってしまう2026/02/17 07:58:33103.神も仏も名無しさんnd7iH麦は未だに話にならん😭2026/02/17 07:58:53104.◆JBLfMwCXhYseC7fハッスル様は、仏教用語マニア😫2026/02/17 07:59:13105.◆JBLfMwCXhYseC7f仏教用語など、記号にすぎない😫2026/02/17 07:59:29106.神も仏も名無しさんnd7iHだからハッタリハッスルとお呼びする😆2026/02/17 07:59:47107.◆JBLfMwCXhYseC7f>>103麦も、ハッスル様が壊れたバカだってことには気づいたみたいだが聖ウンコ教の洗脳が解けないな~😫2026/02/17 08:00:35108.神も仏も名無しさんnd7iH今朝の動画は解説付きだが専門用語はない見て理解しろ動画やはり、あれは最高だ😆2026/02/17 08:01:43109.神も仏も名無しさんnd7iH元仏のスレ主の力量にかかっている麦の運命は😱2026/02/17 08:02:19110.◆JBLfMwCXhYseC7f麦もアフォだからな~😫2026/02/17 08:06:01111.◆JBLfMwCXhYseC7f対話が成り立つかどうかだ2026/02/17 08:06:23112.◆JBLfMwCXhYseC7fロン殿も、ラカンにハマッてたような人ならもうちょい、「阿頼耶識の名言種子」とかに関心を持ちそうなものだが2026/02/17 08:09:42113.◆JBLfMwCXhYseC7f「深層意識とコトバ」のラカン派・精神分析理論唯識論の「阿頼耶識と名言種子」に似ている井筒屋に指摘されるまでもなく明らかだ2026/02/17 08:11:06114.神も仏も名無しさん8IWga学問を捨ててるやろなーセッタン流は😆2026/02/17 08:47:10115.◆JBLfMwCXhY7zSElなるほど捨てたのか2026/02/17 09:11:50116.◆JBLfMwCXhY7zSEl西洋近代哲学とくに、ヘーゲルにおいては近代西洋人の自信過剰が頂点に達した2026/02/17 09:18:22117.◆JBLfMwCXhY7zSElしかし、現代になると西洋人は自信を喪失してきた😫「人は、自由に物事を考えているわけではない。外界の記号とかに社会構造とかに影響されまくっている」「人は、自分では自由にモノを考えているつもりでも、じつは深層意識に支配されている」そういう、ネガティブな人間観が主流になってきた2026/02/17 09:20:28118.◆JBLfMwCXhY7zSEl悲観的なところは、仏教に似ている西洋哲学は、だんだん仏教に似てきた2026/02/17 09:20:57119.◆JBLfMwCXhY7zSElソシュールの言語哲学は、その先駆者だ人は、何ものにも囚われず、自由に物事を見ているつもりでいるだが実際には、モノの見方を言語に縛られている言語の構造に支配されているのだ2026/02/17 09:23:10120.◆JBLfMwCXhY7zSElこの考え方が、言語に限らずいろんな分野に広がってきた2026/02/17 09:23:31121.◆JBLfMwCXhY7zSElやはり宗教を語ってるときの自分は、コピペが中心になるが歴史や哲学は、自分の言葉で自在に語れるな~😂2026/02/17 09:24:51122.◆JBLfMwCXhY7zSEl> 宗教を語ってるときの自分は、コピペが中心になるなぜ、そうなるかというと手を広げているからだあえて、真言宗とか華厳宗とか、よく知らない分野に進出しているハッスル様とは違って、自分の知識を披露することには関心がないむしろ逆で、自分の知らないことを知ろうとしている2026/02/17 09:28:47123.◆JBLfMwCXhY7zSEl> 歴史や哲学は、自分の言葉で自在に語れるな~😂いや、考えてみたら世界史板でも、「コピペが多すぎる」と文句を言われてた😫2026/02/17 09:35:10124.◆JBLfMwCXhY7zSElなぜ、そうなるかというと手を広げていたからだ普通の人は、「古代中国」とか、「近代ヨーロッパ」とか自分の得意な時代地域が決まっていて、その話ばかりする当方は、そうではない「近世インド史」とか意味不明な分野にまで、やたらと手を広げるそうなると、コピペが頼りだ(笑)2026/02/17 09:37:41125.◆JBLfMwCXhY7zSEl良くも悪くも、スキゾ気質(分裂型)だハッスル軍団のような、パラノ気質(偏執型)の人たちとは合わない😫2026/02/17 09:38:39126.◆JBLfMwCXhY7zSElリダンはとくにパラノ型だ「真実は言葉にできない。瞑想で神秘体験するしかない」という持論を、これでもか、これでもかとばかりに主張し続けるなんとも偏執的だこういう性格の人は、鬱病になりやすい😫2026/02/17 09:42:16127.◆JBLfMwCXhY7zSEl 「真実は言葉にできない。瞑想で神秘体験するしかない」↑これは、ハッスル教の主要教義のひとつだ2026/02/17 09:43:53128.◆JBLfMwCXhY7zSEl主要教義は他にもある「現量が大事なのだ。肥料をやるな」「色即是空・空即是色とは、いっべん空の世界に逝ってから、また戻ってくることなのだ」2026/02/17 09:45:21129.◆JBLfMwCXhY7zSEl他にもあったかなあと、何だっけ?忘れた2026/02/17 09:45:44130.◆JBLfMwCXhY7zSElそうだ「受は仏性ではない」↑最近、コレが追加された2026/02/17 09:50:38131.◆JBLfMwCXhY7zSElこちらは、持論がだんだん変わっていくが彼らは変わらない良く言えば、信念がある悪く言えば、頑固2026/02/17 09:53:15132.◆JBLfMwCXhY7zSElだが、そもそも仏教では「固定観念から脱却する」というのが重要だ「信念が強い」というのは、ホメ言葉ではない2026/02/17 09:54:09133.神も仏も名無しさんPKvYeま、ハッタリデタラメだからなー俺は既存キリスト教を探求したくなったがキーワードを見つけて満足してしまったあとはイスラーム、神道、天理教あたりがまだ未知だ😆2026/02/17 10:05:13134.◆JBLfMwCXhY7zSEl>>133スキゾ型ですな~😅2026/02/17 10:05:46135.神も仏も名無しさんPKvYe西欧哲学も未知といえば未知だまー社会科学の一般理論構築には無駄にしか思えなかったからやらなかっただけだ、秀才肌ではないからなー😆2026/02/17 10:07:26136.◆JBLfMwCXhY7zSElまあ、西洋哲学は、社会構造の話だからな~左翼の唯物主義者の領域だ2026/02/17 10:08:23137.神も仏も名無しさんPKvYe竹中平蔵がのサバっているからのー富の効率性のある再分配という発想がない、アベノミクスなんて失敗、小泉以降失政が多い、小泉は紀淡海峡大橋という2階の野望を破壊しただけは評価てきるが😮2026/02/17 10:25:34138.神も仏も名無しさんPKvYeハッスル🤡様は何に気づいたんやら反省猛省の言葉がでたきたら大したもんたが、ナルシズム虚栄心ハッスルはやめれんだろう😮2026/02/17 10:27:51139.神も仏も名無しさんPKvYeハッスルはリダンや麦にハッスル🤡ウィルスを感染させ続けた😱2026/02/17 10:30:06140.神も仏も名無しさんPKvYeこういう動画も案外好きであるミリタリーマニアが、軽くあるhttps://m.youtube.com/watch?v=LBYbpCdk-cI2026/02/17 10:37:39141.◆JBLfMwCXhYhtGSS金海山大恩教寺釈迦院(熊本県八代市)説教の三時法相宗では、釈尊の説教を、3つの時期に分けて整理します。3つの段階は、凡夫や修行者の理解の段階に合わせて説かれたものとします。第一時(有教)第二時(空教)第三時(中道教)2026/02/18 08:11:15142.◆JBLfMwCXhYhtGSS第一時(有教)初期の「有教」といわれる段階では、仏陀は大宇宙に法(物事の構成要素)は存在(有)すると許容しました。しかし固定不変の霊魂(アットマン、実我)は存在せず、「空」であると真実を示されます。理由は、当時広まっていたバラモン教などの「実我(固定不変の霊魂)」の考えを否定するためです。これは阿含経などに見られるもので、「我空法有」の教えと言われます。これにより、我(自己)の空(無)性を認めつつも、現象界・物事の構成要素(法)の実体性を認める事になってしまいました。このままでは「心外に実法(我)あり」と誤解するおそれがあります。有教はまだ真実ではなく、まず相手の理解に合わせた方便の教えとなります。そこで次にの教えの段階に進みました。2026/02/18 08:11:33143.◆JBLfMwCXhYhtGSS第二時(空教)第二時の「空教」の段階では、般若経、思益経、 維摩経等の所說などを通じて「一切皆空」という教義が説かれました。これを「我空法空」の教えといいます。物事の構成要素(法)も自己(我)もすべてが空である(一切皆空)と教えられたのです。現象世界(俗諦)では物事は存在するように見えますが、究極の真理(真諦)では、心も境(対象)も共に空であるということです。これにより、世界の現象や個別存在に対して固執(有執)する者を減らし、より解脱に近づくことが目指されました。しかし、悟りを得ない私たち凡夫では、右と言えは左に傾き、左といえば右に傾くように、全然真ん中の中道という考え方ができません。当時の修行者も、「空」の教えを強調されると、空性に執着(空執)し、中道の教えから外れる考え方に偏ってしまいました。2026/02/18 08:11:48144.◆JBLfMwCXhYhtGSS第三時(中道教)最後の段階である「中道教」では、私たち凡夫が考えているような存在はないが、存在しないわけではないという「中道」を教えられました。これを「非有非空」の教えといい、『解深密経』や『華厳経』などがこの教えを説いています。少し詳しくいうと、心(識)は固定不変のものではありませんが、存在はしています。一方、物事(境界)は、実体はありませんが無ではないということです。空を強調すると、すべてが無になるように考えてしまいます(空執)が、仏陀はこれを否定されました。この第三時において、非有非空の中道という真実の教えが説かれたというのです。2026/02/18 08:12:03145.◆JBLfMwCXhYhtGSS三時のまとめ第一時では、人我への執着(我執)の誤りを破りました。第二時では、有への執着(有執)の誤りを破りました。第三時では、空性への執着(空執)の誤りを破り、真実をとかれました。そのため、法相宗では第一時と第二時は「未了義教」(完全な教え)といい、第三時が「了義教」(完全な教え)とされています。このように、仏教の教えは相手の理解にあわせ、段々とより精緻かつ深い理解へと導かれているのです。2026/02/18 08:12:19146.神も仏も名無しさんMqSezなるほど、密教寺院、真言密教寺院ほい纏め方だな?検索してないので知らんが内容からして2026/02/18 08:14:31147.神も仏も名無しさんMqSez天台宗か天台密教解釈で華厳とか言ったかな?😆2026/02/18 08:15:51148.◆JBLfMwCXhYhtGSS天台密教の寺院なのか2026/02/18 08:18:05149.神も仏も名無しさんMqSezなるほど〜大行寺山(釈迦岳)の頂上近くに所在し、かつて坊数75坊、末寺49院が建ち並び、西の高野山とも称された一大霊場だったという。本尊は釈迦如来で、天台宗・真言宗・禅宗・浄土宗の4宗兼学で、1446年(文安3年)には、比叡山延暦寺の末寺であった[2]。天正年間(1573年 - 1592年)に、キリシタン大名小西行長の寺院焼き討ちにあい、寺坊は焼きつくされ、社領も没収され衰退した。その後、加藤清正・忠広親子により再興され、熊本藩主細川氏により修復された[3]。2026/02/18 08:21:25150.◆JBLfMwCXhYhtGSSそんな凄い寺だったのか2026/02/18 08:22:40151.◆JBLfMwCXhYmxEHq「人生の果実は蒔いた種子(原因)の通りになる」という中村天風の教えは、行動や言葉が未来を創る因果応報を強調した有名な名言です。また、唯識学では心に言葉の種子(名言習氣)が根付き、それが現実に影響すると説かれます。日々の行動、言葉、思考が、将来の花を咲かせる種子となります。2026/02/19 21:46:37152.◆JBLfMwCXhYmxEHq蒔いた種子に関する代表的な名言「一切の人生の果実は、その人の蒔いた種子のとおりに表現してくる。」(中村天風)自分の身に起きた結果(果実)は、必ず過去の原因(種子)によるものだという因果の理を示す言葉。2026/02/19 21:47:31153.◆JBLfMwCXhYmxEHq「言葉の種子を阿頼耶識(心)の中に薫習(修行・学習)する」(唯識学)良い言葉や教えを心に蓄える(種子を蒔く)ことで、心の在り方が変わり、清浄な結果(悟り)へと導かれるという概念。2026/02/19 21:48:13154.◆JBLfMwCXhYmxEHq「転ぶのを恐れたらもっと転んじゃうものなんだよ もっと堂々と 胸を張って立つの」(【推しの子】・アイ)迷いから抜け出し、行動の種を蒔く勇気を与える言葉。2026/02/19 21:48:40155.◆JBLfMwCXhYmxEHq名言種子(唯識の概念)名言種子(みょうごんしゅじ):名言(言葉や名)が心(阿頼耶識)に熏習されてできた種子。表義名言習氣:言葉や理論によって形成される種子。顕境名言習氣:対象を認識する心そのものから形成される種子。これらは、日々の思考や言葉、行動が心に蓄積され、未来の自己のあり方や環境を生成する「原因」となることを示しています。2026/02/19 21:49:55156.神も仏も名無しさんKwBx5空海は唯識の言葉を逆転させているかもしれない😆2026/02/19 21:51:30157.神も仏も名無しさんKwBx5究極の原因からスタートかもしれない😆2026/02/19 21:52:42158.神も仏も名無しさんKwBx5正統派瞑想仏教ならどの角度からもアプローチできるかもしれない😆2026/02/19 21:53:15159.◆JBLfMwCXhYmxEHq真言のパワーは絶大だ😆2026/02/19 22:01:00160.◆JBLfMwCXhYmxEHq真言は大日如来そのものだからな~😆2026/02/19 22:01:20161.神も仏も名無しさんKwBx5大日如来の原因からスタートさせるのだろう大日如来の言葉という完成から始めるだいたい中論はその解釈釜成り立つ可能性があるかもしれない😆2026/02/19 22:03:33162.◆JBLfMwCXhYmxEHq言葉に力があるな~😭162:栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm :[sage]:2024/03/09(土) 16:35:39.62 ID:b8JerweS喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟2026/02/19 22:04:08163.神も仏も名無しさんKwBx5中論の乱暴な発想は空海の大日如来的な解釈もありうる可能性がある😆2026/02/19 22:04:55164.神も仏も名無しさんKwBx5ハッスル様は負けたくない言葉パワーだ😭2026/02/19 22:06:42165.◆JBLfMwCXhYmxEHq「名言種子(みょうごんしゅうじ)」の「実体化」とは、仏教の唯識思想において、心(阿頼耶識)の中に蓄えられた言葉や概念(種子)が、外部に実在する対象物であるかのように錯覚して現出(現行)することです。これは迷いの根本原因とされ、言葉の概念に執着せず、すべての存在は縁起によって成り立つと悟ることで、煩悩から解放される(転依)プロセスを指します。2026/02/19 22:14:36166.◆JBLfMwCXhYmxEHq名言種子の実体化に関する詳細唯識学派の理論:迷いの世界(雑染)を生み出す根源は、阿頼耶識(心層の意識)に熏習(記憶・蓄積)された「名言種子」と呼ばれる「言葉の種子」です。実体化のメカニズム:私たちは言葉や概念を「それ自体で存在する実体」として認識しがちですが、実際には、心の中の「言葉の種子」が投影された結果(現行)に過ぎません。2026/02/19 22:15:16167.◆JBLfMwCXhY9WYKl唯識思想において、名言種子(みょうごんしゅし)とは、阿頼耶識(深層心理)に刻まれた「言葉や概念の記憶(種子)」を指し、これが実体化(現行)して迷いの世界や認識を現し出すと説かれます。この言葉の種子が「有漏種子(迷いの因)」から「無漏種子(悟りの因)」へ転換する過程が修行(転依)とされます。2026/02/20 07:38:36168.◆JBLfMwCXhY9WYKl詳細な解説:名言種子の本質: 私たちが日常で認識する事物や概念は、言葉の形をとった種子(名言種子)が阿頼耶識(あらやしき)に保存され、それが因となって現実として表れる(実体化)と考えます。2026/02/20 07:38:56169.◆JBLfMwCXhY9WYKl「実体化」のプロセス:雑染(ざつぜん)の種子: 迷いや苦しみの根源となる言葉・概念の記憶。熏習(くんじゅう): 真実の教え(名言)を聞くことで、心に「清浄な種子」を刻み込む。転依(てんえ): 阿頼耶識内の迷いの種子(有漏種子)を、悟りの種子(無漏種子)へと転換させ、世界の見方を変えること。2026/02/20 07:39:17170.◆JBLfMwCXhY9WYKl唯識学派において、迷いの世界を実体視する原因は、この言葉の種子にあります。逆に、悟りの言葉(名言)を「聞熏習」することで、清浄な世界を実体化させる根源へと阿頼耶識を転換できるとされます。2026/02/20 07:39:29171.◆JBLfMwCXhY9WYKl「空の奥義は、言葉にできない」というのが中観派なら「言葉の力で、世界は変わる」というのが唯識派だ2026/02/20 07:40:11172.◆JBLfMwCXhY9WYKl唯識派では、正しい教えを聞いて善い名言種子を熏習することが重要だ2026/02/20 07:40:55173.◆JBLfMwCXhY9WYKlすぐには効果が表れない時間がかかる2026/02/20 07:42:06174.◆JBLfMwCXhY9WYKl時間をカケて熏習していくと見道して、パッと世界観が変わる2026/02/20 07:44:20175.◆JBLfMwCXhY9WYKl唯識論の見道とは唯識論の説く世界観が、ピンときて本当に分かることだ「ああ、外界は幻想というのは本当だったんだ。本当に存在するのは、自分の意識なんだ」というのが、ハッキリと分かるそれが、「相分(認識される対象)が消えて、見分(認識する主体)が残る」という状態まだ、見分が残っているそこから、修道が始まる2026/02/20 07:49:26176.神も仏も名無しさんmtN64対ハッスルへの論理的な方向性にJBLに期待し俺は直撃破壊の線を変更しないか謎がわかってきたやろ😆2026/02/20 07:54:19177.◆JBLfMwCXhY9WYKl山岡鉄舟居士の剣禅一致で邪道に走った栖ウンコ士をバッサリだな~😆2026/02/20 07:55:50178.◆JBLfMwCXhY9WYKlバッサリ斬られた栖ウンコ士も本望であろう~😭2026/02/20 08:36:17179.神も仏も名無しさんmtN64💩ジ・エンド😭2026/02/20 09:27:58180.◆JBLfMwCXhYMwBKJ前スレ完走~😭2026/02/20 10:53:28181.◆JBLfMwCXhYVvHQNジャック・ラカンの精神分析(想像界・象徴界・現実界)と仏教の唯識論は、いずれも「客観的な現実は存在せず、すべては心(意識・認識)が作り出した幻想(イメージ)である」という共通の認識を持つ。ラカンの「欲望は他者の欲望」であり、幻想の主体が「言語(象徴)」に拘束されているという構造は、唯識の「阿頼耶識(あらやしき)」から諸現象が展開し、言葉によって実体化するという「遍計所執性(へんげしょしゅうせい)」と類似している。2026/02/21 07:56:50182.◆JBLfMwCXhYVvHQNラカンと唯識の共通・比較点「唯識(ただ識のみ)」と「現実界(リアス)」: 唯識は「心の外には何も存在しない」とし、ラカンは「真の現実は言葉の及ばない『現実界』であり、私たちが認識しているのは『想像界・象徴界』という幻想である」とする。阿頼耶識とシニフィアン(能記): すべての認識の根本となるアーラヤ識(経験の種子)は、ラカンの言う「主体」や「シニフィアン(言語の鎖)のネットワーク」に相当すると解釈されることがある。空と「持っていないものを与える」: 唯識の「空」は、実体が無いことを指す。これはラカンの欲望の構造「愛とは持っていないものを与えることである(本質的な欠如)」 と親和性がある。両者は「自我」の虚構性を暴き、固定的な主体を否定する点で共通の哲学的基盤を持っている。2026/02/21 07:57:55183.◆JBLfMwCXhYVvHQNラカン自身、自分の説が仏教と似ているのは自覚していた2026/02/21 08:00:38184.◆JBLfMwCXhYVvHQNラカンの精神分析学と仏教MORFO HUB2022年3月15日 06:44ジャック・ラカンはフロイト以降で最も重要な精神分析家であり、言語学的、構造主義的な観点からフロイトの理論を解釈し、深化させた人物と言われています。また、彼は、思想界、哲学界にも大きな影響を与えています。ラカンの精神分析学には、禅や仏教と共通点があると指摘されることがあります。実際、ラカン自身が、サンタンヌ病院で始めた有名な「セミネール」の第1回開講の挨拶の中で禅の教説を引用しました。また、彼は、初来日した講演で、仏教の本質について触れ、観音が「対象a」(ラカンの精神分析学の最重要タームの一つ、後述を参照)であるとの解釈を語りました。ラカンの仏教に対する関心は、弟子にも継承されているようで、ラカン派の小林芳樹が、ラカンの後継者的存在であるアラン・ミレールと初対面した時に、道元の「正法眼蔵」を読んだかと尋ねられたそうです。2026/02/21 08:03:53185.◆JBLfMwCXhYVvHQN欲望と渇愛ラカンは初来日時の講演で、仏教の教説の本質を「欲望はまぼろしである」と語りました。これは正しい認識であり、ラカンの精神分析学との最大の共通点と言って良いでしょう。仏教はごく初期から(おそらくは釈迦自身が)、苦の原因を、言葉やイメージといった表象(サンニャー、想)の対象が実在すると誤解して、その対象を「渇愛(タンハー)」すること、つまり、欲望することであると説いています。そして、その対象が無常、あるいは、実体がないことを理解することで、「渇愛」を滅することができると考えます。このような発想をした釈迦は、古くから、病を持つ者を治療する医者に喩えられてきました。また、現代の欧米にも、仏教を一種の心理療法として受け止めているという側面があります。ラカンは、言葉やイメージをまとめて「見せかけ(サンブラン)」と呼びます。「欲望」は、情動がこの「見せかけ」の対象に向けられることで、事後的に形成されたものでしかありません。そして、「欲望」を満たすことで得られる「快楽」は、幼児時の最初の満足の記憶の幻想的な再現でしかないので、人は満足をすることはなく、常に何か欠けていると感じます。精神分析では、自分が「欲望」していると思っていた対象を、実際には必ずしも「欲望」していないことを患者が理解するように導きます。このように、仏教とラカンの精神分析学では、欲望を幻と考え、そのことを理解することを目指す点で共通しています。ですが、仏教が「欲望」を滅することを目指すのに対して、ラカンは特定の「欲望」に執着せずに「欲望」を追求することを目指す点では異なるように思われます。ところが、実際は、それほど単純ではありません。このことは、最後に扱います。2026/02/21 08:04:49186.◆JBLfMwCXhYVvHQN主体と阿頼耶識仏教は、「無我説」を説き、「我(私)」が実体として存在しないと考えます。アートマンとしての「我」を仏教が認めたかどうかについては、諸説があり、複雑な歴史がありますが、一般的な意味での自我は認めません。仏教の深層心理学である唯識派の八識説では、深層の第七識として、自我への執着を生み出す無意識の「末那識」を立てます。「末那識」は、さらにその深層にある「阿頼耶識」が作る自我のイメージに同一化します。「阿頼耶識」は分別的な意識を作り出す無意識の働きです。ラカンも、「自我」を人が同一化しようとするイメージであり、それによって自分を見失い、幻想に閉じ込めてしまうものであると考えます。唯識派もラカンも、幻想的な「自我」を自己と見なす無意識的な働きがあるとする点が共通します。ラカンは、「自我」とは別に、「主体」という概念を立てます。「主体」は、「現表行為の主体」とも表現され、言語活動も担いますが、それ自体は言葉で表現することはできません。「主体」は、無意識的に働き、意識が考えていないことを語ることもあり、また、言葉が捉えることができない無形の情動(欲動)に向かうこともあります。言語活動を担う無意識的な働きがあると考える点で、唯識派とラカンには共通性があります。また、両者は、人が意識を持った時には、すでに無意識のレベルで言語的に規定されていると考える点でも共通します。ただ、ラカンは、その無意識の構造は他者の語りによって作られるという「他者性」を強調しますが、唯識派は「阿頼耶識」が過去(過去世)の自分の行動によって作られるという「習慣性」を強調する点で異なります。2026/02/21 08:07:58187.◆JBLfMwCXhYVvHQN精神分析と公案ラカンが、自分の理論の唯一の理解者と認めていたアラン・ミレールは、ラカンの禅に対する理解を受けて、精神分析における患者の語りは公案の形を取り、精神分析とはひとつの長い公案のようなものであると言います。ちなみに、ラカン派では患者のことを「分析主体」と呼びますが、これは、患者自身が分析を行う者であることを意味しています。ミレールによると、患者が自分自身についてうまく語れるようになるにつれ、問題は姿を変え、やがて行き詰まりに出口を開きます。ラカンはこの出口を「パス」と呼び、これを「悟り」のようなものであると説明しました。患者が自我の境界、自分自身について語れる境界を越えるのです。一方、臨済禅では、参禅者に課題として公案が出され、参禅者はその課題について座禅中に思考をめぐらして「悟り」を目指します。参禅者は、公案を解くために、自分の体験についても吟味し、言語化することにもなります。臨済禅の最初の段階である「法身」の公案では、問題を論理的につきつめて、袋小路に入った果てに、論理を超えた世界に出て「見性」、つまり、言葉のない「空」の智恵(無分別智)の「悟り」を得ます。このように、臨済禅での参禅と、精神分析での患者自身の分析には、言葉を通してその外側に出るという共通点があります。また、分析医は、患者の語りの中で、患者自身は気づいていないけれど、患者の無意識が語っている部分を指し示し、それを分析するように導きます。それは、患者自身の意識的な物語の外側です。一方、禅師は、弟子との普段の対話、説法の中で、弟子が気づいていない、弟子の「無心」の心や「無心」で行った行動を指し示し、それを自覚するように導きます。それは、弟子の意識的な行動の外側です。このように、分析医と禅師にも、言葉・意識の外側に導く者である点で、共通します。2026/02/21 08:08:20188.◆JBLfMwCXhYVvHQN新たな語りと言栓ですが、ミレールは、禅が全体との「融合的超越」の方向へ超えていくのに対して、精神分析では自我の境界をさらに大きな「差異」の方向へと超越するのだと言います。つまり、精神分析では、患者は、新たな自分の物語を語り始めることが必要とされます。ですが、禅や仏教においても、言葉のない智恵がゴールではなく、新たな語りが求められます。臨済禅においては、「法身」の後に「言栓」と呼ばれる段階がありますが、これは、「見性」を前提として、言葉を自在に使うことができるようになる段階です。これは、道元の曹洞禅では、「証悟(入頭)」の後の「出身(仏向上)」に当たります。また、中観派の般若学では、「空」の智恵である「等引智」の後の「後得智」に当たります。これらは、限界を突破したところから始まる新たな語りであり、精神分析が求めるものと共通性があります。また、両者の新たな語りでは、語られる言葉、欲望が真実(勝義)ではないことを理解している点でも共通しています。ただ、精神分析の語りが、自分の欲望についてであるという限定がある点では異なりますが。2026/02/21 08:08:57189.◆JBLfMwCXhYVvHQN分析医と菩薩ラカンは最初に来日した時の講演で、仏教の教説である「欲望はまぼろしである」ということを伝える者は、悟りとともに消え去らねばならないと語りました。つまり、仏は解脱して涅槃に入るということです。そして、ラカンは、わざわざ如意輪観音(最もセクシーな仏像と言われている)の写真を配って、仏として消え去る直前に、「対象a」としての姿を見せているのが観音であると語りました。「対象a」は、ラカンの精神分析学における重要タームです。それは、人が最初に自分の融合的全体性を失った時に、その失ったものを指し示すものとなった対象であり、根源的な欲望の対象です。具体例としては、「乳房」があります。分析医は、患者にとって「対象a」とならなくてはならないと考えられています。分析医は、患者が分析医に求める姿(欲望の対象)を拒否することで「対象a」となります。そして、患者の「主体」が新たな「対象a」との関係を築き、「欲望」への向き合い方を変えることへ導きます。つまり、分析医は、患者の物語の外部への出口になります。菩薩は、涅槃に消え去らず、人間と向き合い、その煩悩からの出口となります。このように、従来の世界からの出口となる点で、菩薩と分析医には共通性があります。2026/02/21 08:09:17190.◆JBLfMwCXhYVvHQN享楽と大楽ミレールが言った「融合的超越」は、ラカンの精神分析学においては「享楽」の体験に当たります。フロイトにまで遡れば、これは「死の欲動」とか「快楽原則の彼岸」、「ニルヴァーナ原理」に当たります。「欲望」は言葉やイメージといった「見せかけ」の対象を持ち、それを満たして得られるのが「快楽」です。それに対して、対象を持たない情動である「欲動」を満たして得られるのが「享楽」です。後者の領域は、「現実界」と呼ばれ、「見せかけ」によって制御できない世界です。ラカンの精神分析は、「見せかけ」を完全に否定して「享楽」を全面的に享受するのではなく、「欲動」につながる「対象a」との新たな関係を築くこと(これは「幻想の横断」と呼ばれます)を介して「享楽」を求めることを目指します。2026/02/21 08:09:44191.◆JBLfMwCXhYVvHQNこのように、精神分析は、新たな「欲望」を求め、さらには「欲望」の外の「享楽」を求めます。それに対して、仏教は、欲望を全面的に否定することを目指しているように思われています。確かに、顕教は欲望を捨てることを目指しますが、密教は修行に積極的に欲望や感情を利用します。そして、「欲望」を言葉や対象と切り離して変容させますし、通常の「快楽」とは異なる「大楽」についても語ります。「般若経」の流れにある「理趣経」は、「一切法清浄」、「一切法無戯論性」との表現で、愛欲など欲望も、言葉やイメージ(分別)を伴わない状態ならば清浄なものであると主張しました。これを受けて、密教では、観想(生起次第)の中で、自他が無欲な尊格となり、欲望や感情を日常的なイメージから引き離して、無対象な情動に変容させます。つまり、対象を持った「欲望」を、対象のない「欲動」に変容させます。そして、プラーナを制御するヨガ(究竟次第)を通して体験される無対象な「大楽」を利用して、その中で「空」の智恵を獲得します。このように、精神分析と密教には、同じではありませんが、無対象な「楽」を求めるという点で共通性があります。ただ、密教は、直接的にそれを体験することも目的とする点で異なります。観音が「対象a」だとすれば、後期密教の明妃や父母仏の仏母は、その直接的な「欲動」、「享楽」を象徴する存在でしょう。2026/02/21 08:09:56192.◆JBLfMwCXhYVvHQNなるほど確かに、精神分析医と患者の対話は禅僧との公案問答と似ているな2026/02/21 08:10:44193.◆JBLfMwCXhYVvHQN長文だけど、削るところがなく要約できんかった全文コピペしてしまった2026/02/21 08:11:12194.◆JBLfMwCXhYVvHQN個人的に、コピペを好み多用するがじつはたいてい、要約・抜粋している2026/02/21 08:11:43195.◆JBLfMwCXhYVvHQNこれは全文コピペしてしまった2026/02/21 08:11:57196.◆JBLfMwCXhYVvHQNラカンは禅宗に傾倒していたのか2026/02/21 08:12:23197.◆JBLfMwCXhYVvHQN通じるところがあったんだな2026/02/21 08:12:35198.◆JBLfMwCXhYVvHQN精神分析医と患者の対話は禅僧との公案問答と似ているラカン自身がそう言っていた2026/02/21 08:18:55199.◆JBLfMwCXhYVvHQNハッスル達は患者っぽいもんな~😫2026/02/21 08:19:13200.◆JBLfMwCXhYVvHQN2002026/02/21 08:19:23201.神も仏も名無しさんcLTVOま、禅ブームはフランスにあったからな弟子丸泰仙とかいたからなー😆2026/02/21 09:10:18202.◆JBLfMwCXhYtHt2Kラカンにおける大文字の他者(l'Autre)とは、言語、法、秩序など、主体(人間)が生まれる前から存在する「象徴界」を指します。日常的な「小文字の他者」とは異なり、無意識を規定し、欲望を律する普遍的・絶対的な社会的ルール、あるいは〈父の名の法〉として機能する抽象的なシステムです。2026/02/21 18:15:43203.◆JBLfMwCXhYtHt2K大文字の他者(Grand Autre)の主なポイント象徴界のルール・体系: 規範、言語、文化、社会的秩序そのもの。具体的な誰か(人)ではなく、抽象的な概念。無意識の構成: ラカンは「無意識は他者の場である」と述べ、主体が言語体系(=大文字の他者)を通して、自分自身の欲望を言葉にするという構造。「父-の-名」(Name-of-the-Father): 法と秩序をもたらし、欲望を統制する構造的な機能。幼児にとっては、当初は「全能の母」であり、後にその母を規制する父へと転換。主体との関係: 主体は「大文字の他者」の問い(例:「私にはどうしろと言うのか?」)に対して、自身の欲望を位置づけることで人間関係や社会的な生活を送る。2026/02/21 18:15:56204.◆JBLfMwCXhYtHt2K小文字の他者(autre)との違い小文字の他者(l'autre): 鏡像段階における自分と似た対象、自我を映し出す鏡のような相手(imaginary/想像界)。大文字の他者 (l'Autre): 自我(小文字の他者)を外側から決定づける構造的・絶対的な存在(symbolic/象徴界)。ラカンは、「他者の他者は存在しない」とし、最終的には主体が自身の責任で自らの欲望を決定しなければならないという結論を導いています。2026/02/21 18:16:07205.◆JBLfMwCXhYtHt2K井筒俊彦の「言語アラヤ識」というのはラカンの「大文字の他者」を、唯識っぽく読み替えたものだ2026/02/21 19:13:45206.◆JBLfMwCXhYtHt2K「大文字の他者」はラカン心理学における秩序・言語・法(「父の名」)を指し、阿頼耶識(あらやしき)は唯識仏教におけるすべての意識の根本となる無意識の深層(種子)。井筒俊彦は文化的・言語的無意識の沈澱の場として「言語アラヤ識(=大文字の他者的な領域)」を提唱した。2026/02/21 19:14:06207.◆JBLfMwCXhYtHt2K主な関連と違い阿頼耶識(唯識): 仏教の概念。個人や共有するカルマ(業)の「種子」を貯蔵する深層意識。大文字の他者(ラカン): 精神分析の概念。自我を形成する社会的な秩序、言語体系、規範。交差点(井筒俊彦の視点): 仏教的な阿頼耶識を「個人のカルマ」に限定せず、社会や文化が共有する言語的なコードの集積地として捉え直す試み。両者は「個人の意識を超えた、深いレベルで精神を決定づける背景」という点で共通する。2026/02/21 19:14:34208.◆JBLfMwCXhYtHt2K人間がこの世界に生まれ社会に住まうことは、言語活動が行なわれている場に出てきて住まうことに等しいが、それは必ずしも私たちの能動的な選択ではない。私たちが生まれたときから、あるいは私たちが「言語を操る」という意志を持つ前から、世界は言語活動の場なのである。2026/02/21 19:18:24209.◆JBLfMwCXhYtHt2Kそのとき「言語」とは、必ずしも言語学でいう言語に限らず、症状や表情など何かを指し示しているもの(シニフィアン、仏:signifiant)すべての象徴が含まれる。2026/02/21 19:19:19210.◆JBLfMwCXhYtHt2K精神科医であったジャック・ラカンは当初おおいに精神障害などの症状のことを念頭においていた。人間存在を根本的に規定するこの言語活動の場を、ラカンは象徴界(仏:le Symbolique)と呼び、そのなかで生じるどのような人間関係も、この言語の場を共通する第三者として受け入れなければならないことから、それを大文字の他者と名づけた。2026/02/21 19:19:32211.◆JBLfMwCXhYtHt2K人間は、言語と記号の海の中を泳ぐ2026/02/21 19:20:40212.◆JBLfMwCXhYtHt2K言語と記号の海にドップリと浸かって生きている2026/02/21 19:21:09213.◆JBLfMwCXhYtHt2K言語と記号の海ラカンのいう「象徴界」だ2026/02/21 19:21:32214.◆JBLfMwCXhYtHt2Kラカンの精神分析における「象徴界(The Symbolic)」は、言葉、法、社会的なルールなどの記号(シニフィアン)が支配する秩序構造です。人間は、現実を言葉や記号で置き換えるこの領域に参入することで、社会生活を送り、他者との関係を構築します。象徴界は、主体が自己(自我)を形成する無意識の言語的秩序です。2026/02/21 19:22:04215.◆JBLfMwCXhYtHt2K象徴界の定義: 記号や言語によって形作られる構造的な現実のこと。現実界、想像界と並ぶラカンの「RSI」理論の一つ。2026/02/21 19:22:35216.◆JBLfMwCXhYtHt2K記号の役割(シニフィアン): 言葉やシンボル(ママ、パパ、名前など)は、物理的な対象(母親そのものなど)の代わりに、それを「不在の概念」として成立させる。これによって人間は「現実」の重みから解放され、象徴的な世界でコミュニケーションが可能になる。2026/02/21 19:22:56217.◆JBLfMwCXhYtHt2K象徴界の機能:秩序の提供: 法、文化、社会のルールによって無意識のレベルで主体を形成・安定させる。現実の構造化: 直接的な「現実」を言語というフィルターを通して理解する。2026/02/21 19:23:19218.◆JBLfMwCXhYtHt2K特徴:「現実」との分断: 言葉にすることで「現実」は捨象され、永遠に得られなくなる(「ママ」と呼ぶことで実体を殺す)。他者の領域: 象徴界は「他者の言語」により構成される。2026/02/21 19:23:41219.◆JBLfMwCXhYtHt2K象徴界は、私たちが意味の世界で生きるために必須の枠組みであり、言語を持たない「現実」の領域とは対照的な存在です。2026/02/21 19:23:59220.神も仏も名無しさんvMiBsま、たぶん構造主義的な、なんらかの原理があるというのが井筒やラカンには残っているんだろう俺は言語記号の恣意性の理由は?からの人間の脳の特殊性と人類の歴史のデータから解析して探求する肌だったそこが、ラカンや井筒とは違うところだな、相対性、恣意性の世界でどう対応するのか?が大乗仏教の得意技と見ているのだがな😆2026/02/21 20:16:39221.神も仏も名無しさんvMiBs若い頃の研究記憶からラカンと井筒を洞察できる若い頃は相当研究マニアだったということやな😆2026/02/21 20:18:11222.神も仏も名無しさんvMiBs相対性、恣意性の世界観は臨済宗が一番ポジティブマッチしてた若い頃は神秘主義を完全にバカにしてた今、天理教に至るまで霊的チャンネル完備しているが、それを科学的に分析する気はない、あるものは、あるんだろう扱い😆2026/02/21 20:21:16223.◆JBLfMwCXhYGAi8M>>221その頃からマニアだったんだな~😂2026/02/22 09:38:38224.◆JBLfMwCXhYGAi8Mそれはともかく転識得智はいつ起きる?2026/02/22 09:40:19225.◆JBLfMwCXhYGAi8M転識得智(てんじきとくち)は、迷いの意識(識)を転換して仏の悟りの智慧(智)を得ることであり、一般的には長年の修行の末、悟りを開く瞬間(成道)に起きるとされます。具体的には、お釈迦様が35歳の12月8日の暁の明星を見て悟りを開いたシーンが典型です。2026/02/22 09:40:35226.◆JBLfMwCXhYGAi8M起きる瞬間(成道): 6年間の修行を経て、菩提樹の下で坐禅中に瞑想が深まり、迷いが消え去った時。具体的に起きる内容: 「四智(大円鏡智・平等性智・妙観察智・成所作智)」という4つの智慧に転換されること。主体: 唯識の教えに基づき、自己中心的な考え(末那識)や、ありのままを見ない意識(阿頼耶識など)が、真理を映す智慧に変わる。この瞬間、知識の取得ではなく、存在のあり方そのものが根本的に変容する体験として語られます。2026/02/22 09:41:18227.◆JBLfMwCXhYGAi8M>「四智(大円鏡智・平等性智・妙観察智・成所作智)」という4つの智慧に転換されること四智といっても4つとも同じくらい重要だってわけではない最も重要なのは、「大円鏡智」だ「平等性智」と「妙観察智」が、それに次ぐ「成所作智」の重要性は、ハッキリいって低い。ここは、コダワるところではない2026/02/22 09:44:36228.◆JBLfMwCXhYGAi8M妙観察智(みょうかんざっち)と平等性智(びょうどうしょうち)は、仏教(特に唯識や密教の五智・四智)において悟りの智慧を指す。平等性智はすべての差別や偏見を離れ、万物を平等に見る智慧(自他平等の慈悲)、妙観察智は個々の対象を区別・分析し、正しく見極める智慧(衆生を正しく導く)を指し、この相反する視座の統合が重要とされる。2026/02/22 09:46:11229.◆JBLfMwCXhYGAi8M妙観察智(みょうかんざっち)意味: 物事の特性や個別の事情を、主観に縛られず細部まで正確に観察・理解する智慧。対応: 意識(第六意識)が転じて得られる。役割: 異なる個性や状況を識別し、人々に適切な教えを説く働き。仏・如来: 西方の阿弥陀如来(無量寿如来)。2026/02/22 09:46:31230.◆JBLfMwCXhYGAi8M平等性智(びょうどうしょうち)意味: 自他の区別や偏見を捨て、すべてのものが本来平等であると悟る智慧。対応: 末那識(まなしき)が転じて得られる。役割: 喜怒哀楽や自己中心的な意識を超え、すべての衆生に平等の慈悲を注ぐ働き。2026/02/22 09:46:47231.◆JBLfMwCXhYGAi8M妙観察智と平等性智の関係この二つの智慧は、日常的・現実的な思考において「同じところを見つける(平等性智)」と「違うところを見つける(妙観察智)」というセットの動きとして捉えることができる。2026/02/22 09:46:57232.◆JBLfMwCXhYGAi8M平等に見て、個を活かす:相手の価値を平等に見ながら、その特性を観察して適切に対応する。四智円明(しちえんみょう):坐禅や修行を通じてこれら四つの智慧(大円鏡智・平等性智・妙観察智・成所作智)が完全に働く状態を目指す。2026/02/22 09:48:14233.◆JBLfMwCXhYGAi8M京都・東寺の講堂にある立体曼荼羅。密教の教えを視覚化した曼荼羅を、空海がさらに3D化したものです。https://discoverjapan-web.com/wp-content/uploads/2020/08/c1c4d9b46d707e5cc1d525977b69d786-e1596620289972.jpg2026/02/22 09:48:47234.神も仏も名無しさんjtCGeつまるところ禅定能力と余計な囚われの情報エラーが減った時やろな、薬師寺の僧侶の本にあったで説明は、このままではないが😆2026/02/22 09:49:04235.◆JBLfMwCXhYGAi8M仏ならではの智慧を表す「五智如来」空海が三次元化した密教の世界https://discoverjapan-web.com/article/30603#:~:text=%E6%9D%B1%E6%96%B9%E3%81%AE%E9%98%BF%E9%96%A6%E5%A6%82%E6%9D%A5,%E6%99%BA%E3%82%92%E8%A1%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%80%822026/02/22 09:49:25236.◆JBLfMwCXhYGAi8M>>234A.I.の説明には、常に元ネタがあるからな~😅2026/02/22 09:50:03237.神も仏も名無しさんjtCGeハッスル、ムイムイは囚わればかりだからまず有り得ないNO1やデンパパは自分が偉いと妄想しているので無理😆2026/02/22 09:50:51238.◆JBLfMwCXhYGAi8M大日如来の智慧を象徴する金剛界の五仏密教の世界観には、教主である大日如来の理を表す胎蔵界と、智を表す金剛界というふたつの世界がある。大日如来が備える5種類の智慧を五智(法界体性智、大円鏡智、平等性智、妙観察智、成所作智)といい、五智を象徴する金剛界の五如来を五智如来という。2026/02/22 09:52:29239.◆JBLfMwCXhYGAi8M五智如来の中尊(中央)は、法界(全宇宙)の普遍の智慧である法界体性智を象徴する大日如来。東方の阿閦如来は、鏡ですべてを映すようにあらゆるものを見極める大円鏡智、南方の宝生如来は、すべてのものとの一体化を悟る平等性智、西方の阿弥陀如来は、あらゆる智慧を観察して人々を導く妙観察智、北方の不空成就如来は、なすべきことを成就させる成所作智を表している。2026/02/22 09:53:25240.◆JBLfMwCXhYOXO1k阿頼耶識が大円鏡智に転じるには善い種子を薫習させ続けて、阿頼耶識を浄化していくしかない唯識派は、基本的に漸悟思想だ頓悟とは異なり、時間がかかる2026/02/22 15:32:48241.◆JBLfMwCXhYOXO1kまず、第六意識と第七末那識が変わらなきゃいけないそれによって、第八阿頼耶識の浄化が進むことになる2026/02/22 15:33:42242.◆JBLfMwCXhYOXO1kここが転識得智の基本だ2026/02/22 15:34:16243.◆JBLfMwCXhYOXO1k臨済宗に転識得智を取り入れた白隠禅師は頓悟禅と合わないところを意図的にスルーしている2026/02/22 15:34:56244.◆JBLfMwCXhYOXO1kまず、第六意識と第七末那識が変わらなきゃいけないそうすると、第八阿頼耶識には善い種子が薫習されることになる阿頼耶識は、自分の意志では動かない意識と末那識から、悪い種子がくれば、阿頼耶識は汚染される意識と末那識から、善い種子がくれば、阿頼耶識は浄化されるそれが、阿頼耶識というシステムだ2026/02/22 15:37:57245.◆JBLfMwCXhYOXO1kこの仕組みが分かっていればハッスル様のように、「まず、第六と第七が転識得智する。次に、第八と前五識が・・・」とかなんとか順番を暗記するまでもない(笑)2026/02/22 15:39:13246.◆JBLfMwCXhYOXO1k見道したときから、転識得智は始まる2026/02/22 15:41:58247.◆JBLfMwCXhYOXO1k唯識論でいう「見道」とは「外界は幻想であり、本当は存在しない。本当に存在するのは、識のみである」という唯識派の根本思想を深く理解して実感するこれが、本気でピンとくることだ2026/02/22 15:44:28248.◆JBLfMwCXhYOXO1k西洋哲学で、深層の無意識を発見したのは、フロイトだ20世紀に入った、第一次世界大戦の直前の頃だソシュールの言語哲学と並んで、西洋哲学がやっと唯識派に追いついた2026/02/22 15:47:12249.神も仏も名無しさんqccPnハッスルやムイムイは俺がプライドを潰す恐怖の外界らしい😆2026/02/22 15:47:46250.◆JBLfMwCXhYOXO1kもっとも、いくら唯識論が複雑で難解だといってもさすがに、現代哲学がやってる言語分析や精神分析と比べたら、とても素朴なものだ2026/02/22 15:48:44251.◆JBLfMwCXhYOXO1kフロイトの深層心理(無意識)と仏教の阿頼耶識(あらやしき)は、どちらも表層意識の下に隠れた根本的な意識の領域を指し、個人の行動や運命に影響を及ぼす「記憶の蔵」としての共通性を持つ。フロイトは性的欲求やトラウマを抑圧する「個人的無意識」に焦点を当て、阿頼耶識は業(カルマ)を蓄積し輪廻転生を担う「永遠の生命」として、より深い領域まで説く。2026/02/22 15:49:28252.◆JBLfMwCXhYOXO1k1. フロイトの深層心理(無意識)構造:心を氷山にたとえ、海面下が無意識、水面上が意識(意識・前意識・無意識の局所論)。内容:性的欲求や不愉快な体験など、現実で受け入れられない感情が「抑圧」されて無意識に沈んでいる。働き:人間の言動や思考を支配する(個人の人生に影響する)。2026/02/22 15:49:46253.神も仏も名無しさんqccPnフロイドはなんらかの構造があるという物理学要素は残るだろうな人文社会科学は全体的には物理学的な法則をどっかにあるという期待があるだろうな、俺は、その辺は若い頃に看破していた😆2026/02/22 15:49:56254.◆JBLfMwCXhYOXO1k2. 仏教の阿頼耶識(あらやしき)意味:「八識」の第八識で、「蔵(蔵識)」を意味する。内容:善悪の「業(種子)」がすべてここに保管され、後の結果(果報)を生み出す。特徴:末那識(まなしき)という自我の執着の奥にあり、輪廻転生の主体となる永遠の心。2026/02/22 15:50:02255.◆JBLfMwCXhYOXO1k3. フロイトと阿頼耶識の対比・類似類似点:「意識できない深い領域」「過去の経験や記憶の蓄積場所」「個人の行動への影響」という点で一致する。相違点:範囲:フロイトは「この一生(個人)」の無意識だが、阿頼耶識は「前世~現世~来世(永遠)」にわたる。目的:フロイトは「無意識を意識化して治療する」のに対し、仏教は「阿頼耶識の中の悪の種をなくし、清浄にする(転識得智)」を目指す。阿頼耶識は、科学が生まれる前に人間の脳や意識の働きを言い当てていた概念として、現代心理学の無意識の働きに対応していると解釈される。2026/02/22 15:50:15256.◆JBLfMwCXhYOXO1k>>249外界は恐ろしいところだな~😂2026/02/22 15:51:17257.神も仏も名無しさんqccPn仏教は囚われない囚われる=不幸=苦というシステムからの解脱という仕組みにしているま、ムイムイ、ハッスルにはお前囚われてるよな?の直撃レスをしているわけだシンプルに😆2026/02/22 15:53:32258.◆JBLfMwCXhYOXO1kフロイトの深層心理(精神分析)は、人間の行動は自覚できない「無意識」の欲求や過去の体験(特に幼少期)に支配されているという理論です。心は意識・前意識・無意識の3層、またはエス・自我・超自我の構造で構成され、夢や失言などに無意識が表れると説きました。2026/02/22 15:53:35259.◆JBLfMwCXhYOXO1kフロイトの深層心理学の主要ポイント無意識の発見: 心の大部分は自覚できない「無意識(Unconscious mind)」であり、抑圧された感情や性的衝動、トラウマが眠っている。2026/02/22 15:53:56260.◆JBLfMwCXhYOXO1k局所論(3つの層):意識 (Conscious): 今自覚している心。前意識 (Preconscious): 努力すれば思い出せる記憶。無意識 (Unconscious): 抑圧され、自覚できない深い領域。2026/02/22 15:54:08261.◆JBLfMwCXhYOXO1k構造論(3つの主体):エス (Id): 本能的・快楽的な欲求。自我 (Ego): 現実とエスを調整する役割。超自我 (Superego): 道徳や良心、理想。2026/02/22 15:54:21262.◆JBLfMwCXhYOXO1k夢分析と自由連想: 無意識にアクセスし、夢や話した内容から抑圧された葛藤を分析する治療法。防衛機制: 無意識が強い不安から心を守るために働く(抑圧、合理化など)。フロイトはこれらの概念を通じて、心の悩みや神経症が、無意識にある葛藤から生じると考えました。2026/02/22 15:54:32263.◆JBLfMwCXhYOXO1k>>257「お主、囚われておるぞ」誰かが言ってやらんとな~😂2026/02/22 15:55:30264.神も仏も名無しさんqccPn唯識は「囚われて」不幸、苦の原因は何かを精密に分析してシステムを構築したと言ったところだなま、ムイムイ、ハッスルにいつも、「囚われてるよ」苦、不幸とサービスしているのだからなー😆2026/02/22 15:55:40265.神も仏も名無しさんqccPnデンパパには少し角度が違う非現実的だな?ーが「ワレワレハデンパパセイジンダ」😆2026/02/22 15:56:34266.◆JBLfMwCXhYOXO1kそう言えば、ハッスルを最近みないな~😂2026/02/22 15:56:48267.安堂krE55「識」すらない。何もない。JBL殿は有心の人(⌒‐⌒)2026/02/22 15:58:02268.神も仏も名無しさんqccPn>超自我 (Superego): 道徳や良心、理想神の影全知全能の主物理学的法則要素の発想というのを最上層に置いているほんと、若い頃にこんな事を研究してた😆2026/02/22 15:58:23269.神も仏も名無しさんqccPnアンドー閣下だ😆2026/02/22 15:59:16270.安堂krE55ジークムント・フロイトの精神分析なんかどーでもいい。本来の自己に目覚めろ!(⌒‐⌒)2026/02/22 16:00:06271.◆JBLfMwCXhYOXO1k>>267唯識論では、「ただ、識のみが存在する」と考える大乗仏教なので、「最終的には、識もまた空である」とは言うけれど基本的に、「識は在る」と考えるそれが、唯識論2026/02/22 16:00:24272.神も仏も名無しさんqccPn>>270今朝、道元ロボの操作ができるようになった😆2026/02/22 16:00:53273.◆JBLfMwCXhYOXO1k>>270お主、悟っておるな?2026/02/22 16:01:02274.神も仏も名無しさんqccPn唯識論があるからアラマシキの七識の天台、華厳、真言密教みたいなのが成立する😆2026/02/22 16:01:58275.神も仏も名無しさんqccPnアダム・スミスの神の見えざる手みたいなのが人文社会科学にずっとあり続けたからなー😆2026/02/22 16:04:20276.◆JBLfMwCXhYOXO1k>>267> 「識」すらない。> 何もない。中観派は、そう言って唯識派を批判してきた仏教思想史上、ここは意外と重要なポイントだ聖ウンコ派は、「識も本当は空である」にコダワっているせいで、唯識派が分からないだから、唯識派と中観派の違いも分からない2026/02/22 19:28:30277.◆JBLfMwCXhYOXO1kウンコ聖師は、大学で宗教史を専攻したそうだが気の毒なくらいセンス無い😭2026/02/22 19:29:31278.◆JBLfMwCXhYOXO1k先入観が強すぎて、違いが見えないタイプ2026/02/22 19:30:41279.◆JBLfMwCXhYOXO1k一切は有ると説く部それが、説一切有部だ2026/02/22 19:31:36280.◆JBLfMwCXhYOXO1k説一切有部にとことん反対する、アンチ有部それが、中観派だ「非有非無の中道」が建前ではあるが他の派から見れば、「一切は無い」と説く部にしか見えない2026/02/22 19:33:06281.◆JBLfMwCXhYOXO1kそんな、無いにこだわる中観派に対して「識は有る」とするのが、唯識派だ2026/02/22 19:33:51282.◆JBLfMwCXhYOXO1k「識も、本当は空なのである」という建前にこだわると唯識派の言ってることが分からなくなる2026/02/22 19:34:25283.◆JBLfMwCXhYOXO1k「外界は幻想であり、本当は存在しない。本当に存在するのは、識のみである」↑こういうのが、唯識派だそれに対して中観派は、「識も無い」と考えるそこが、唯識派と中観派の最大の違いだ2026/02/22 19:36:02284.◆JBLfMwCXhYOXO1k倶舎論では、外界は存在する2026/02/22 19:37:15285.◆JBLfMwCXhYOXO1k外界は存在するったってさすがに、世間の一般人が素朴に信じてるような意味で存在すると思ってるわけではない倶舎論でも、この世が3D映画みたいな虚構の世界像であることにかけては大差ないまあ、例えてみれば3D映画は、専用の3Dメガネをかけると、目の前に世界が広がるでも、3Dメガネをかけずに直接、本当の画面を見ると無意味な信号が渦を巻いてるにすぎない本当は、世界は無意味だ。人が認識するから意味がある2026/02/22 19:42:35286.神も仏も名無しさんuhWjc天台、華厳、真言密教、は外部の存在は普通の人の感覚ではない臨済宗、曹洞宗も外部の存在は普通のようで普通の人であり、普通の人てもない外部の存在がある😆2026/02/22 20:02:57287.◆JBLfMwCXhYOXO1k>>285> 3D映画は、専用の3Dメガネをかけると、目の前に世界が広がる↑これは、初期からの仏教からの基本構想と言って良い「アナタに見えているものや、聞こえているもの。それが世界のすべてである」「世界は、『アナタにはそんな風に見えている』というだけなのである」眼とか耳とかの感覚器官(六根)と、外界の対象(六境)は対になっている六根と六境のペアで、世界が生じる2026/02/22 20:04:44288.◆JBLfMwCXhYOXO1k>>286確かに、華厳や真言は超ポジティブ初期仏教からは激変している2026/02/22 20:05:23289.神も仏も名無しさんuhWjc唯識は四智よ見え方はとりまマスターしているJBLが拝めるなかった徳一の仏像をテレビで見てその見え方が解った😆2026/02/22 20:06:39290.◆JBLfMwCXhYOXO1kやはり、もう一度、会津若松に行くべきか😆2026/02/22 20:07:16291.神も仏も名無しさんuhWjcま、薬師寺でもええと思うで😆2026/02/22 20:08:04292.◆JBLfMwCXhYOXO1k人は、言語によって世界像を編集している「世界とは、こういうものだ」と思い込んでいる自分が編集した世界像だってことには気づかない2026/02/22 20:09:01293.◆JBLfMwCXhYOXO1k>>291京都なら新幹線ですぐだが、奈良はちと遠い😆2026/02/22 20:09:47294.◆JBLfMwCXhYOXO1k釈尊が阿含で説いたのは、「何が苦しみを生んでいるのか(五蘊への執着)」という分析でした。そして、その分析(観察)の深度によって、修行者のステージが決まります。五蘊を客観視し始める(第一依)五蘊への誤解を解く(第二依)五蘊への愛着を断つ(第三依)五蘊から完全に自由になる(第四依)このように、「客体(五蘊)の変化の相」をどれだけ深く証得したかによって、「主体(修行者=人四依)」の定義が決まるという構造になっています。2026/02/22 20:12:34295.◆JBLfMwCXhYOXO1k「人は、言語によって世界像を編集している」↑ここに気づけば、五蘊の解体が一気にすすむ2026/02/22 20:13:25296.神も仏も名無しさんuhWjc名古屋から近鉄電車特急でいくとか😆2026/02/22 20:14:03297.◆JBLfMwCXhYOXO1k現代哲学では、言語分析ばかりやっている言語がそれだけ重要だってことに、地球人類は気づいたのだ2026/02/22 20:14:30298.◆JBLfMwCXhYOXO1k>>296そうか、その手があったか😆2026/02/22 20:14:49299.◆JBLfMwCXhYOXO1k興福寺と薬師寺に行きたいな~😆2026/02/22 20:15:25300.◆JBLfMwCXhYOXO1k3002026/02/22 20:15:36301.◆JBLfMwCXhYOXO1k唯識論の聖地だ2026/02/22 20:15:46302.神も仏も名無しさんuhWjc京都から近鉄電車特急奈良行きあるやん😆2026/02/22 20:16:10303.◆JBLfMwCXhYOXO1k京都からでも、すぐだな?😆2026/02/22 20:16:48304.神も仏も名無しさんuhWjc京都からの方が早いな近鉄電車乗り口はJR新幹線と同じビル内やし😆2026/02/22 20:17:16305.神も仏も名無しさんuhWjchttps://www.google.com/url?sa=t&source=web&rct=j&opi=89978449&url=https://www.navitime.co.jp/transfer/searchlist%3ForvStationCode%3D00001756%26dnvStationCode%3D00001858%26defaultCondition%3D0&ved=2ahUKEwiklY-q_OySAxVSTvUHHeJtALcQFnoECB0QAQ&usg=AOvVaw23zPFlY3LK8ZqH_nZ3KaNs2026/02/22 20:17:30306.◆JBLfMwCXhYOXO1k部品を寄せ集めで作った「車」「車」という名前を付けて、何度も名前を呼ぶそうすると、だんだん「車」という実体があるような気がしてくる「自分」も、それと同じだ2026/02/22 20:19:37307.◆JBLfMwCXhYOXO1k>>304名古屋からは意外と遠い😅2026/02/22 20:20:08308.◆JBLfMwCXhYOXO1k会社なんか、その最たるものだ定款を書いて、公証人役場で認証してもらい法務局で登記する言語だけでできた、架空の存在だだが、商号をつけて何度も呼んでるうちに本当に実体を持った存在に見えてくる2026/02/22 20:22:13309.神も仏も名無しさんuhWjc遠い法隆寺は唯識の本格的書籍を売っていた薬師寺は行ったことがないので書籍あるか不明😆2026/02/22 20:22:26310.◆JBLfMwCXhYOXO1k仏教では、実体の無い存在として「車」と「琵琶」がよく出てくるが「国家」とか「会社」は、もっと実体がない言語で構築された存在だ2026/02/22 20:23:24311.◆JBLfMwCXhYOXO1k>>309書籍はあるだろう興福寺と薬師寺は、唯識論のツートップ書籍がないわけがない2026/02/22 20:24:22312.◆JBLfMwCXhYOXO1k成唯識論の本でも買うか2026/02/22 20:27:01313.神も仏も名無しさんuhWjc興福寺は見つけらなかった😭お経ですら買えなかった興福寺のあったら是非欲しかったんだけど😭ゴールデンウイークは六道珍皇寺と六波羅蜜寺をおまけで行けるか?😆2026/02/22 20:27:14314.神も仏も名無しさんuhWjcゴールデンウイークが休みならとある曹洞宗寺院で見つけた成唯識論の10章だけコピーをファミマかローソンで取るプランもある😆2026/02/22 20:30:18315.◆JBLfMwCXhYOXO1kこの前、伊勢神宮に行ったときは「ついでに奈良にも行きたいな?」と思ったが予想外に遠かった😅2026/02/22 20:37:18316.◆JBLfMwCXhYOXO1k奈良に行くなら、京都か大阪からじゃないと名古屋からは遠い2026/02/22 20:37:47317.◆JBLfMwCXhYOXO1k興福寺と薬師寺は、ともに奈良時代から続く法相宗(ほっそうしゅう)の大本山であり、南都七大寺に数えられる名刹です。興福寺は藤原氏の氏寺として阿修羅像などの国宝彫刻を多く所蔵し、薬師寺は天武天皇により発願された華麗な白鳳伽藍と薬師三尊像で知られます。奈良市内で約8~10分の移動距離に位置しています。両寺とも、奈良の歴史と美を感じられる、外せない観光スポットです。2026/02/22 20:45:09318.◆JBLfMwCXhYOXO1k【興福寺】特徴:奈良公園に位置する、藤原氏の栄華を伝える寺院。見どころ:国宝・五重塔、国宝館(阿修羅像など)。歴史:飛鳥の山階寺が前身、平城遷都で現在地に移転。2026/02/22 20:45:33319.◆JBLfMwCXhYOXO1k【薬師寺】特徴:西ノ京に位置し、鮮やかな色彩の金堂・塔が並ぶ白鳳伽藍。見どころ:国宝・東塔、金堂の薬師三尊像。歴史:天武天皇が皇后(持統天皇)の病気平癒を願って発願。2026/02/22 20:45:54320.◆JBLfMwCXhYOXO1k【共通点・連携】法相宗:同じ法相宗の寺院。移建:興福寺の仮金堂として、薬師寺の旧金堂が使われていた歴史がある。アクセス:近鉄奈良駅(興福寺)と近鉄西ノ京駅(薬師寺)は電車で約15-20分(奈良線~橿原線)。2026/02/22 20:46:16321.神も仏も名無しさんuhWjc通達転依(つうたつてんね)とりま、俺はこんなところ近辺だろうhttps://note.com/projectnobushi/n/n9ed9abcae894?magazine_key=m4d17f43ad1ca位置: 見道位(通達位)特徴:**見道(悟りの道)**によって眞如(真理)を直接に体得し、分別によって生じた煩悩の重い部分を断つ。これにより、一部の転依が成就される。2026/02/22 20:49:39322.神も仏も名無しさんuhWjc薬師寺と唐招提寺は近いま、その前の分岐点の西大寺は日蓮のライバル視してた真言律宗の総本山日蓮的には「律」扱い😆2026/02/22 20:51:47323.神も仏も名無しさんuhWjcなかなかAI関連でもまー親鸞会関連ぼいあのお方よりも信用はできそうな感じはする😆2026/02/22 20:59:53324.神も仏も名無しさんvRTDf俺の瞬間移動能力唯識の教学内部で説明してそーなのは受用身(報身)の住処自受用身は、清浄な仏国土に住み、法楽を享受する。😆2026/02/22 21:30:15325.神も仏も名無しさんvRTDfこの能力はない😆他受用身は、菩薩たちのために清浄な仏国土に住し、法を説く。2026/02/22 21:31:13326.神も仏も名無しさんvRTDfセッタンや余語翠山にはその能力はある他受用身は、菩薩たちのために清浄な仏国土に住し、法を説く😆2026/02/22 21:35:30327.神も仏も名無しさんvRTDf自受用身は、清浄な仏国土に住み、法楽を享受する。は俺は禅以外は素早く仏教版ノバみたいにいっぱい聞けて〜♬いっぱいしゃべれる〜♬がやれる😆2026/02/22 21:36:46328.神も仏も名無しさんvRTDf禅は神秘主義禅定がさほど重要ではない、唯識の成唯識論10章みたいな神秘主義禅定要素は薄い😆2026/02/22 21:37:42329.神も仏も名無しさんvRTDfリアル龍樹には神秘主義要素禅定の重視の有無は不明である😆唯識は成唯識論10章でかなり明白になっているが😆2026/02/22 21:40:45330.◆JBLfMwCXhY1GAll龍樹に関しては学者みたいな理論家であると言う人と瑜伽行の瞑想した神秘家であるとの2種類の解釈があるな2026/02/23 05:26:02331.◆JBLfMwCXhY1GAll両方とも真実だろうどちらか片方というのはあり得ない2026/02/23 05:26:36332.神も仏も名無しさんuXY1Whttps://share.google/aimode/vzhJ64mSaewAmxxTe2026/02/23 05:27:17333.◆JBLfMwCXhY1GAllA. 二障の断除とその段階菩薩が修行を進める中で克服すべき**「煩悩障」と「所知障」について、それぞれの消滅過程と修行段階における特徴を説明する。2026/02/23 05:29:32334.◆JBLfMwCXhY1GAllB. 煩悩障と所知障の断除のプロセス1. 煩悩障の断除煩悩障とは、貪・瞋・痴などの煩悩による障害であり、悟りへの妨げとなる。この障害は見所断と修所断の二種類に分かれる。2026/02/23 05:30:03335.◆JBLfMwCXhY1GAll見所断(見道によって断じられる煩悩)極喜地(第一地)で初めて断じられる。見道(悟りの入り口)において、一切の見所断の煩悩は一度に断たれる。しかし、修道(さらなる修行の過程)においては、徐々に細かい煩悩を消していく。2026/02/23 05:30:27336.◆JBLfMwCXhY1GAll修所断(修行によって断じられる煩悩)**金剛喩定(最終段階の禅定)**に至ることで、完全に断たれる。七地以前では、意識的に煩悩を抑えるが、まだ完全には消えていない。八地以降では、煩悩は自然と現れなくなる。阿羅漢の境地と同じように、七地以前の菩薩も煩悩を制御できるが、八地以上になると煩悩は完全に起こらなくなる。2026/02/23 05:30:46337.◆JBLfMwCXhY1GAll2. 所知障の断除所知障とは、認識の歪みや無明(無知)による障害であり、智慧の完成を妨げるもの。見所断(見道で断たれる無知)**極喜地(第一地)**で初めて断じられる。修所断(修行によって断じられる無知)十地の修行の中で段階的に消えていく。最後に金剛喩定に達すると、すべての無知が完全に断たれる。修道の中での進展八地以降では、前六識(五感+意識)と無漏観心(悟りの智慧)が強化され、所知障が生じにくくなる。七地では、所知障はまだ残る。金剛喩定に入ることで、最終的に完全に断たれる。2026/02/23 05:31:39338.◆JBLfMwCXhY1GAll仏教(特に大乗仏教・唯識学)において、悟りや正しい知恵を妨げる2種類の障害(二障)のこと。煩悩障は貪・瞋・癡などの煩悩が身心を悩ませる障害であり、所知障は法執(真理を客観視できない知的な偏見)が智慧の生起を覆う障害である。2026/02/23 05:33:02339.◆JBLfMwCXhY1GAll煩悩障(ぼんのうしょう)定義: 欲望、怒り、無知など(貪・瞋・癡)の煩悩が、自分自身の心身をかき乱し、解脱(悟り)を妨げること。性質: 情的・本能的な苦悩。主に「我執」に基づき、生死の迷いを引き起こす。対象: 貪・瞋・癡など(三毒)。2026/02/23 05:33:17340.◆JBLfMwCXhY1GAll所知障(しょちしょう)定義: 真理に対する無知や、客観的な知識・見解に執着すること(法執)が、正しい智慧の妨げとなること。性質: 知的・意識的な障り。煩悩障を断った後も残る、より深い我見の残滓(習気)。内容: 法執(物事の真実の姿を理解できない障害)。2026/02/23 05:33:30341.◆JBLfMwCXhY1GAllこの二障(煩悩障・所知障)を打破することが、真の菩薩の修行とされている。2026/02/23 05:33:46342.◆JBLfMwCXhYw92MO悩障(ぼんのうしょう)は、欲や怒りなどの心根(我執)が悟りを妨げる「第一の壁」で、主に苦しみを生み出すエゴイズムを指します。一方、所知障(しょちしょう)は、思想や知識、固定観念(法執)に捉われて正しい知恵が遮られる「第二の壁」で、真理を認識する妨げを指します。2026/02/23 08:52:27343.◆JBLfMwCXhYw92MO煩悩障:我執(エゴ)に基づく。欲、怒り、愚痴など、心をかき乱すもの。輪廻の原因となる。所知障:法執(論理・知識への固執)に基づく。客観的な真理や対象を正しく知るのを妨げる。菩薩が学ぶべき法に対する障礙。煩悩障は感情的な迷い、所知障は認識上の迷いともいえます。大乗仏教では、これら両方を断つことで、無障礙の仏の境地に至ると説かれます。2026/02/23 08:52:38344.◆JBLfMwCXhYw92MOあれ?所知障って、そういう意味だっけ?2026/02/23 08:54:12345.◆JBLfMwCXhYw92MO違う気がするな2026/02/23 08:54:24346.◆JBLfMwCXhYw92MO清森義行のブログ我執と法執、煩悩障と所知障について【質問】唯識学で教えられる「我執(がしゅう)」と「法執(ほうしゅう)」の「二執」「煩悩障(ぼんのうしょう)」と「所知障(しょちしょう)」の「二障」について教えて下さい。【回答】煩悩とは、仏教で私達の苦しみの原因としての心理的な現象を取り出したものです。唯識の「五位百法」の分析の中では、根本煩悩が六つ、更に随煩悩(枝末煩悩)の二十が教えられています。煩悩の本来の意味は「痛み、苦しみ」ということです。煩悩とは、我々を煩わせ、悩ませるものという意味で、正に私達の痛み苦しみ、そのものです。これら様々な煩悩、随煩悩を唯識学では、「我執」としてのものと、「法執」としてのものと、大きく二つに分けることが出来ます。2026/02/23 08:55:32347.◆JBLfMwCXhYw92MOたとえば、貪欲にも、「我」に対する貪りと、「法」に対する貪りを分けることが出来る訳です。大きく「二執」に関するものとして、煩悩を区分することが出来ます。その中で、「我執」に関する煩悩を「煩悩障(ぼんのうしょう)」と言います。「法執」に関する煩悩を「所知障(しょちしょう)」と言います。いわゆる「二障(にしょう)」です。2026/02/23 08:55:57348.◆JBLfMwCXhYw92MO煩悩障は、煩悩という障り、煩悩が障害であることを表します。所知障は、知られるべきもの、悟られるべきもの、に対しての障り「所知への障害」ということです。私達は「この二障を抱えている」と唯識学は教えます。まとめると、以下のようになります。煩悩障ーー我執より起こるーー諸法の用(働き)に迷う所知障ーー法執より起こるーー諸法の体(本体)に迷う2026/02/23 08:56:33349.◆JBLfMwCXhYw92MO煩悩障は、「固定不変な自己は存在する」と考える「我執」より起きます。それは「諸法」すなわち「存在の構成要素」の作用に迷う心です。たとえば、私の肉体、あるいは、私が見る、という場合、肉体、あるいは視覚という法(ダルマ)の作用の上に、「私」という言葉を付与して「我(アートマン)」という存在を設定して、それに執着して、その結果、貪欲や瞋恚など、様々な煩悩を引き起こします。この諸法の作用に迷う「我執」は「諸法の本体は存在する」と見る、より深い「法執」から生まれます。先程の例でいうと、「固定不変な肉体もあり、視覚も存在する」と考える迷いであります。2026/02/23 08:57:05350.◆JBLfMwCXhYw92MOインド以来、用いられた譬えで言いますと「木の切り株を見間違う例」があげられます。インドに於いては、木が少なく、燃料のために木を切る時でも、葉や枝だけを伐採して、下の部分を切り残します。その残った部分が夜に暗闇で見ると、人間に見えて、ぎょっと驚くことがあります。本当は、それが木の切り株であるのに、それが「切り株であると知らない心」が根底にあって、その上にそれを「人間」と思って、恐れおののく心が生まれて来ます。この場合の、木の切り株であることを知らない心が「所知障」であります。人間と思う心が「煩悩障」にそれぞれ譬えられています。2026/02/23 08:58:42351.◆JBLfMwCXhYw92MO確かに「所知障」は、表層的な心には上ってきません。しかし、私達は「見るが如くに、現象世界はある」と思い込み、「あるがままの姿」を私達は、「平等一味」であることを知りません。この知的な迷いが、私達の根底にありますので、「所知障」から、多種多様な煩悩が湧き出てくると仏教では教えられるのです。「我執」から起きる「煩悩障」は、涅槃(ねはん)を阻(はば)みます。私達は「自我」にしがみついているので涅槃が得られず、「生死輪廻して止まない」と教えられます。2026/02/23 08:59:01352.◆JBLfMwCXhYw92MOもっとも、大乗仏教の涅槃は、単なる寂静状態ではありません。「無住処涅槃(むじゅうしょねはん)」と教えられます。「智慧あるが故に、生死にとどまらず、慈悲あるが故に涅槃に住せず、衆生済度のために活動せずにおれない」「生死にも涅槃にも、住しない、とどまらない処」に涅槃を見ます。小乗仏教の涅槃が、「生死からの自由」としますと、大乗仏教の涅槃は、「生死への自由」と言えます。ここに生死に苦しむ人々の中に、自ら入っていって、その苦しみを溶かしていく活動がなされるのです。「法執」から起きる「所知障」は、菩提、つまり覚りへの実現を阻みます。諸法の実相を洞察するのが覚りですが、所知障は、その障りとなります。2026/02/23 08:59:29353.◆JBLfMwCXhYw92MO唯識が、根本命題としている「我執と法執の滅尽」ということは、そのまま、「大菩提と大涅槃の実現」ということを意味しています。大乗仏教の目指す目的は、「菩提と涅槃」であります。「二執(我執と法執)、二障(煩悩障と所知障)を断つ」ことによってこの両者が実現する、と教えられるのであります。2026/02/23 08:59:39354.◆JBLfMwCXhYw92MO清盛の解説で、ますますワケ分からなくなった😫2026/02/23 09:00:29355.◆JBLfMwCXhYw92MOとりあえず、「無住処涅槃」を推してるのは分かった2026/02/23 09:02:16356.◆JBLfMwCXhYw92MO「小乗は単なる涅槃、大乗は無住処涅槃」なんとなく説得力があるな?😫2026/02/23 09:03:09357.◆JBLfMwCXhYOctJK基本用語だ😫復習しよう2026/02/23 09:29:45358.神も仏も名無しさんUDSWH小乗の涅槃は、寂滅主義だ、とも言われるよね。。でも、大乗仏教は、寂滅主義ではない。。逆に寂滅主義に陥ってはいけない、ということなんでしょう。。2026/02/23 09:36:51359.神も仏も名無しさんxx4XV清盛はダメだよ唯識はほんとに原典でないと誤読するあのホーカイくん引用してた時点で俺は信用してない、ましてや親鸞会がらみ😫2026/02/23 10:06:50360.神も仏も名無しさんxx4XVホーカイくんも怪しげだからなー在住中は敢えて言わなかったけどホーカイくんに親切してやる筋がないしなー😆2026/02/23 10:08:47361.神も仏も名無しさんxx4XV成唯識論の十章における自性身(法身)1.1. 意味**仏の本質そのもの(真如)**であり、不生不滅の法界。煩悩や迷いの影響を受けず、完全な清浄性を持つ。は、最初から完成されておるのに重点を置くと天台華厳真言密教禅となる😆2026/02/23 10:12:31362.◆JBLfMwCXhYmrgSnワケワカメな解説を見るのは止めよう😫2026/02/23 14:01:37363.◆JBLfMwCXhYmrgSn「所知障」は、人によって説明が異なる唯識論でも定義が難しい用語の1つ2026/02/23 14:02:21364.◆JBLfMwCXhYmrgSn>>358確かに大乗仏教の涅槃は、無住処涅槃せっかくの涅槃なのに衆生を救うため、この世に戻ってくるんですな2026/02/23 14:03:51365.◆JBLfMwCXhYmrgSn我々を救うため、ウンコ聖師が5ちゃんねるから戻ってくるようなものか~😭2026/02/23 14:04:21366.神も仏も名無しさんkk93Rわはは〜😆2026/02/23 14:15:59367.神も仏も名無しさんkk93R清盛を捨てよう😆こっちのAI漢文翻訳のほうがマシだろうhttps://note.com/projectnobushi/n/n9ed9abcae894?magazine_key=m4d17f43ad1ca2026/02/23 14:17:20368.◆JBLfMwCXhYiqBIS「成唯識論」をAIが現代語訳して要約までしてくれてるのか~😆2026/02/23 14:22:41369.◆JBLfMwCXhYiqBISいよいよ、AI老師の時代ですな~😂2026/02/23 14:23:06370.神も仏も名無しさんkk93R原典の漢文があればそんなに外れないだろう質問形式よりも😆2026/02/23 14:26:01371.神も仏も名無しさんkk93R摩訶止観のAI漢文翻訳まであるぞホーカイくんよりも正統派だろうな😆2026/02/23 14:27:06372.神も仏も名無しさんkk93Rhttps://note.com/projectnobushi/m/m47f69b7f8dcd2026/02/23 14:28:56373.◆JBLfMwCXhY1GAll摩訶止観を読めば、天台教学もOKだな😆2026/02/23 21:13:44374.◆JBLfMwCXhYjWOM4それは、誰もが思うことだ😅63 神も仏も名無しさん [sage] 2026/02/23(月) 20:36:21.59 ID:UDSWHおれは、前からそうなんだけど、リダンの言うことは、まったくわからない。。w同じ日本語を話しているとは、到底思えない。。w2026/02/24 00:22:19375.◆JBLfMwCXhYjWOM4ついでに言えば、リダンの側も他人のレスがほぼ理解できてない2026/02/24 00:23:06376.◆JBLfMwCXhYjWOM4早い話が、対話不能2026/02/24 00:23:25377.◆JBLfMwCXhYjWOM4聖ウンコ派であるにもかかわらず聖ウンコ師とさえ、対話が成り立たないという😅2026/02/24 00:24:31378.◆JBLfMwCXhYjWOM4以前、聖ウンコ師が「ほれ、お前らはこの通り、あぼ~んしたから見えないんだぞ~😆」と、勝ち誇ってスクショを貼ったことがあったがそれを見たところ、当方とでお~様だけでなく、リダンもあぼ~んされていた😂2026/02/24 00:30:04379.◆JBLfMwCXhYjWOM4前から思っていたが、やはり聖ウンコ師もリダンが苦手だったんだなと知った😂2026/02/24 00:30:31380.◆JBLfMwCXhYjWOM4AI1. 煩悩障の断除煩悩障とは、貪・瞋・痴などの煩悩による障害であり、悟りへの妨げとなる。この障害は見所断と修所断の二種類に分かれる。2026/02/24 00:34:00381.◆JBLfMwCXhYjWOM4見所断(見道によって断じられる煩悩)極喜地(第一地)で初めて断じられる。見道(悟りの入り口)において、一切の見所断の煩悩は一度に断たれる。しかし、修道(さらなる修行の過程)においては、徐々に細かい煩悩を消していく。2026/02/24 00:34:12382.◆JBLfMwCXhYjWOM4修所断(修行によって断じられる煩悩)**金剛喩定(最終段階の禅定)**に至ることで、完全に断たれる。七地以前では、意識的に煩悩を抑えるが、まだ完全には消えていない。八地以降では、煩悩は自然と現れなくなる。阿羅漢の境地と同じように、七地以前の菩薩も煩悩を制御できるが、八地以上になると煩悩は完全に起こらなくなる。2026/02/24 00:34:30383.◆JBLfMwCXhYjWOM4なるほど2026/02/24 00:34:40384.◆JBLfMwCXhYjWOM4煩悩障は、見所断と修所断の二種類だ2026/02/24 00:35:12385.◆JBLfMwCXhYjWOM4見所断とは、誤ったモノの見方だ見道に至れば、断じられる2026/02/24 00:36:08386.◆JBLfMwCXhYjWOM4だが、そこで終わりではない修所断が残っている修行によって断ち切られる煩悩だ2026/02/24 00:36:53387.◆JBLfMwCXhYjWOM4ここまではいいんだが、問題はその次だ所知障が難しい2026/02/24 00:37:37388.◆JBLfMwCXhYjWOM4成唯識論の教義内容は膨大だ所知障で止まってるわけにいかない(笑)2026/02/24 00:48:55389.◆JBLfMwCXhYjWOM4A.I.所知障(しょちしょう)は、大乗仏教の用語で、悟りの智慧(真理)を覆い隠し、全知全能(仏の知識)の達成を妨げる「知的な執着や無明」のことです。煩悩そのものではなく、知識や認識に由来する執着(法執)を指し、二障(煩悩障・所知障)の一つとされます。2026/02/24 01:04:25390.◆JBLfMwCXhYjWOM4概要定義: 真理に対する障害(所知障)、知障、知碍とも呼ばれ、一切の事物を正しく知る妨げとなる無知。特徴: 自分の持っている知識や価値観、法執(実体があるという思い込み)にこだわり、真実をありのままに見られない状態。2026/02/24 01:04:45391.◆JBLfMwCXhYjWOM4二障の片割れ:煩悩障: 煩悩(貪・瞋・癡など)により苦しみ、解脱(涅槃)を妨げる障。所知障: 真理を正しく知る智慧(菩提)を妨げる障。対象者: 主に菩薩(修行者)が仏の境地に至るまで断ち切るべきもの。天台宗の解釈: 「無始無明」とも表現される。2026/02/24 01:05:10392.◆JBLfMwCXhYjWOM4執着には、我執と法執がある我執とは、自分に対する執着法執とは、外界の事物に対する執着だ2026/02/24 01:06:07393.◆JBLfMwCXhYjWOM4煩悩障は我執所知障は法執だとされている2026/02/24 01:06:51394.◆JBLfMwCXhYjWOM4だが、所知障の所知とは所知・能知(知られるものと、知るもの)だこの「所○、能○」というのは、唯識論にはよく出てくるオナジミの言葉2026/02/24 01:10:24395.◆JBLfMwCXhYjWOM4A.I.所取(しょしゅ)と能取(のうしゅ)は、仏教の唯識(ゆいしき)思想における根幹的概念で、認識の対象と主体を表す対語です。「所取」は認識・把握される客体(対象)、「能取」はそれを認識する主観(心・識)を指します。この二つを分けて捉える「二取」は、実在しないものを実在とみなす虚妄分別(こもうふんべつ)の要因とされます。2026/02/24 01:12:25396.◆JBLfMwCXhYjWOM4所取(Grahya):捉えられるもの。外的な対象、五境(色、声、香、味、触、法)。能取(Grahaka):捉えるもの。認識主体。心、意識、五根(眼、耳、鼻、舌、身)。2026/02/24 01:12:38397.◆JBLfMwCXhYjWOM4特徴と関連概念見分・相分:唯識学では、能取は「見分(けんぶん:見る部分)」、所取は「相分(そうぶん:見られる対象)」と相分・見分の関係で結ばれると解釈されます。虚妄分別:本来一つの心識を、所取と能取に分けて捉えること。この二取分別が人間を苦しめると説かれます。二取の超越:悟りの状態は、この所取・能取という対立・分別から脱した状態(離二取相)とされます。2026/02/24 01:12:54398.◆JBLfMwCXhYjWOM4「所変(しょへん)」と「能変(のうへん)」は、仏教の唯識(ゆいしき)思想における認識の構造を示す根本概念です。能変の心(認識主体)が、自身の働きによって認識対象(所変の境)を創り出しているという、「万物は心の現れ(唯識)」であることを説明する言葉です。2026/02/24 01:13:47399.◆JBLfMwCXhYjWOM4能変(のうへん)意味:認識対象を「変現(へんげん:創り出すこと)」する能力を持つ「心」や「識」のこと。概要:阿頼耶識(あらやしき)など、対象を認識し、認識対象を現し出す主体となる働き。2026/02/24 01:14:01400.◆JBLfMwCXhYjWOM4所変(しょへん)意味:能変の心(認識主体)によって変現された対象(「所変の境」)のこと。概要:我々が客観世界として認識している対象は、実体があるわけではなく、実は自分の心が生み出したもの(影像)であるということ。2026/02/24 01:14:12401.◆JBLfMwCXhYjWOM4この関係は、私たちの認識している世界は、主体(心)と対象(境)に分かれているようで、実際は「能変」の心が「所変」の対象を映し出しているに過ぎない、ということを示しています。2026/02/24 01:14:25402.◆JBLfMwCXhYjWOM4眠くなってきた2026/02/24 01:14:40403.◆JBLfMwCXhYjWOM4眠気の限界だ2026/02/24 01:14:51404.◆JBLfMwCXhYjWOM4不眠症の人には、唯識用語集がオススメだ2026/02/24 01:15:11405.◆JBLfMwCXhYjWOM4たちどころに眠くなる2026/02/24 01:15:32406.◆JBLfMwCXhYjWOM4「所○、能○」のセットこれに慣れると、唯識用語力が格段にアップする2026/02/24 01:17:06407.◆JBLfMwCXhYjWOM4A.I.所知障(しょちしょう)は、菩薩が真実の智慧(仏の知見)を得るのを妨げる、正しい認識や知識への執着のことです。主に菩薩の修行過程で断つべき課題とされ、煩悩障と共に二障と称される大乗仏教の教理です。すべてを知る「一切種智」の完成を妨げる無明の習気を指します。2026/02/24 06:27:13408.◆JBLfMwCXhYjWOM4所知障(所知)の定義と特徴定義:菩薩が証得すべき対象(所知)に対する誤った執着や、智慧の生起をさまたげるもの。内容:「真理を知っている」という知識そのものへのとらわれや、知的な限界を意味します。修行の課題:煩悩障が二乗(声聞・縁覚)の克服対象であるのに対し、所知障は菩薩の修道の過程で克服すべき特有の障り(障害)とされます。目的:仏の智慧「一切種智」を成就するため、所知障と不染汚無知を断ち切る必要があります。2026/02/24 06:27:31409.◆JBLfMwCXhYjWOM4関連する概念二障(にしょう):煩悩障(煩悩)と所知障(所知)の総称。菩薩(ぼさつ):悟りを目指して修行する存在であり、真理(所知)を深く追求する過程で、この障りに向き合う。チャンドラキールティの解釈:所知を断ずるべき対象(所知障)として、言説の止滅を重視する。この概念は、瑜伽行派(ゆがぎょうは)など大乗仏教の教理において、完全な悟り(仏果)に至るまでの重要な修行の指標となっています。2026/02/24 06:27:48410.◆JBLfMwCXhYjWOM4「煩悩障は我執、所知障は法執」という説明も見かけるのだがこういうのを見ると、だいぶ異なる2026/02/24 06:28:52411.◆JBLfMwCXhYjWOM4> 煩悩障が二乗(声聞・縁覚)の克服対象であるのに対し、所知障は菩薩の修道の過程で克服すべき特有の障り(障害)とされます。ここが重要なようだ2026/02/24 06:29:57412.◆JBLfMwCXhYjWOM4このように、唯識論には一筋縄でいかない、難解な用語が多い2026/02/24 06:30:22413.◆JBLfMwCXhYjWOM4用語の意味を考えること自体が公案みたいなもんだ考えることに意義がある2026/02/24 06:31:14414.◆JBLfMwCXhYjWOM4学者の論文によると、こうだ↓唯識思想では「煩悩障」「所知障」というものが、悟りの妨げとされているが、前者は声聞・独覚にも断じることができるのに対して、後者は彼らには断じることができず、仏・菩薩のみが断じることができるとされている。如来蔵思想でも、声聞・独覚にも断じられるものと、仏・菩薩にのみ断じられるものがある。それらは「四住地」「無明住地」とよばれている。従来の研究では、如来蔵思想の「四住地」と「無明住地」は、それぞれ「煩悩障」と「所知障」に相当するという解釈がなされてきた。2026/02/24 06:34:17415.◆JBLfMwCXhYjWOM4つまり、「所知」とは、菩薩の知だということだ2026/02/24 06:35:02416.◆JBLfMwCXhYjWOM4いや、逆だな「菩薩になるための最後の障害になる知」だ2026/02/24 06:45:09417.◆JBLfMwCXhYjWOM4ダライ・ラマは、こう言っている↓【質問】 滅諦というのは「常楽」の境地といいますが、それのどこがいいのかよく分かりません。また煩悩と習気が無くなった仏の境地に達するとどんな気持ちになるのでしょうか。【回答】滅諦のことを「常楽」(究極の幸福)といいますが、これはたとえばこういう事です、〈自由〉というがありますよね。〈自由〉というのは、〈快感〉ではありませんよね。ですが、〈自由〉が有れば、〈恐怖〉はありませんよね。〈恐怖〉に基づく〈苦しみ〉もありませんよね。そしていつも平穏な状態になるじゃないですか。2026/02/24 06:47:28418.◆JBLfMwCXhYjWOM4「解脱」というのは、この〈自由〉と同じことです。煩悩によって束縛されていると、煩悩に支配されています。ですから自由はありません。自由がないからこそ私たちは、楽を望んでも楽にならないんです。普通の幸せを望んでいても、なかなか幸せにはなれませんよね。幸せを逃してますよね。苦しみは望まないのにやってきていますよね。どうしてなんでしょう。自由にならないからそうなるのであり自由があれば、みんな幸せになりたいので、幸せになれる筈ですよね。苦しみは無くなるべきですよね。これが自由にならない証拠じゃないですか。そして自由にならない事は、苦しみを本質とする事ですよね。不自由から逃れたら、それは幸せじゃないですか。ですので煩悩がこの原因となっています。煩悩はその人を苦しめていますよね。煩え悩ましていますよね。2026/02/24 06:47:44419.◆JBLfMwCXhYjWOM4また所知障は煩悩と同じ様に、苦しみをもたらすものではありませんが。この煩悩が残した習気なのです。煩悩が残した習気が、「所知障」と謂われるものです。それは何をしているかと言うと、所知(認識対象)を知ることを、障げているのです。それが有るからといって、苦しむ事にはなりませんが、煩悩のように苦しみをもたらしはしませんが。所知を知るのに、障げとなっているのです。ですから煩悩という敵を克服した解脱の境地を得るには、所知障を断じる必要は無いことになります。ですが一切智者の境地を、得るためにはその必要があります。「一切智」の意味は、無辺無数の衆生の心とその能力の“一切を知る”という意味です。これが「一切智」の意味です。そしてこのような“一切智者”になるための障げが所知障なのです。それは煩悩の習気なのです。それを断じた時の心境はどうかといえば、“一切智者のみぞ知る”ですよ(笑)2026/02/24 06:48:16420.◆JBLfMwCXhYjWOM4というわけで「煩悩障を断じた人に、なおも残る煩悩の習気」が、所知障だ2026/02/24 06:49:12421.◆JBLfMwCXhYjWOM4根底に、所知障があるその上に、煩悩障が展開する2026/02/24 06:58:08422.◆JBLfMwCXhYjWOM4「外界の事物は存在する」という、根本的な錯覚その根っことなるのが、所知障だ2026/02/24 06:58:55423.◆JBLfMwCXhYjWOM4知るものと、知られるもの知るもの(所知)が、最後の障りとなる2026/02/24 06:59:38424.◆JBLfMwCXhYjWOM4所知障を断じたとき、あらゆる錯覚から解放される2026/02/24 07:00:36425.◆JBLfMwCXhYjWOM4カント哲学によれば「人間には、『物自体』を知ることができない」「自分が認識して、編集した世界像を知ることができるだけである」「世界とは、本当はどういうものなのか。それを知ることは、人間には不可能だ」2026/02/24 07:03:11426.◆JBLfMwCXhYjWOM4ここでいう、「物自体」を知ることができないという障害それが、所知障だということだろう所知障を乗り越えたとき、菩薩は「物自体」を知ることができる2026/02/24 07:04:10427.◆JBLfMwCXhYjWOM4なんか、ヘーゲルっぽくなってきたこれじゃ、ヘーゲルの「絶対知」だ(笑)2026/02/24 07:04:42428.◆JBLfMwCXhYjWOM4まあいいや2026/02/24 07:05:01429.◆JBLfMwCXhYjWOM4唯識論の用語の意味など答えのない公案みたいなものだ2026/02/24 07:05:27430.◆JBLfMwCXhYjWOM4しかし、「所知障を断ずる」というのはヘーゲルのいう「絶対知」に通じるものがあるそれは確かだ2026/02/24 07:06:25431.神も仏も名無しさんHJNOEハッスル🤡はいつも不自由そうだな?🤡〜2026/02/24 07:08:08432.◆JBLfMwCXhYjWOM4「煩悩障を断じても、なおも所知障が残る」というのは、カントのいう「我々には、物自体を知ることができない」に通じるものがある2026/02/24 07:09:00433.◆JBLfMwCXhYjWOM4「所知障をも断じて、一切智者になる」というのはヘーゲルのいう「絶対知」に通じるものがある2026/02/24 07:09:41434.◆JBLfMwCXhYjWOM4>>431ホントだ仏のスレで、ハッスル様が暴れている2026/02/24 07:11:12435.◆JBLfMwCXhYjWOM4ついでに、リダンもいるな(笑)2026/02/24 07:11:31436.神も仏も名無しさんHJNOE坐禅回数をイキりながらメンタル不自由🤡おもろいのー😆2026/02/24 07:13:29437.◆JBLfMwCXhYjWOM4「自証分」なんか、基本中の基本用語だけど正直、いまでも「分かっている」という自信はない😅2026/02/24 07:29:04438.◆JBLfMwCXhYjWOM4自証分(じしょうぶん)とは、唯識学において認識(識)が自身の内容(相分・見分)を認識・確認する「自己認識」の働きを指します。記憶は過去の経験の保存と想起ですが、自証分は「その記憶が正しいか」「今、記憶が働いているか」を内側から自覚する根本的な意識作用です。2026/02/24 07:29:20439.◆JBLfMwCXhYjWOM4自証分と記憶の関連識の自己証明:認識作用(見分)が対象(相分)を捉えたとき、自証分はその認識行為全体を「私は今~を認識している」と自覚します。記憶の確認:過去の記憶が呼び起こされた際、自証分は「今、私はそのことを思い出している(記憶している)」という自己確認を行います。根源的な働き:記憶の「内容」を覚えているのは見分ですが、その記憶を「自身のもの」として捉えるのが自証分の役割です。唯識では、相分(対象)、見分(認識)、自証分(自己認識)、証自証分(自己認識の確認)の4つが認識構造を構成し、記憶においてもこれらが連動して働いています。2026/02/24 07:29:41440.◆JBLfMwCXhYjWOM4>>437> 正直、いまでも「分かっている」という自信はないまあ、さすがに、それなりの自信はあるが確信が持てない(笑)2026/02/24 07:30:16441.◆JBLfMwCXhYvrbIcだいたい、こんなところだってのが見えてきた↓凡夫は、「外界の事物は存在する」と錯覚し、それに執着している(遍計所執性)それを、錯覚と執着の2つに分ける錯覚が所知障であり、執着が煩悩障である煩悩障を断じた聖者でも、所知障はまだ残っている所知障すらも断じた一切智者、それが菩薩である2026/02/24 07:52:52442.◆JBLfMwCXhYvrbIcこれは当たらずとも遠からずだろう2026/02/24 07:53:10443.◆JBLfMwCXhYvrbIc専門家にこの解釈を語って、感想を聞きたいところだがA.I.に聞いても、「非常に鋭いご指摘です」とかなんとか言うだけだろうしなあ(笑)2026/02/24 07:54:17444.◆JBLfMwCXhYvrbIc4442026/02/24 07:54:33445.◆JBLfMwCXhYvrbIcホント、禅の公案みたいなもんだ唯識論の用語の意味を考えるそれ自体が修行(笑)2026/02/24 07:56:13446.◆JBLfMwCXhYvrbIc答えのない問いだ2026/02/24 07:56:35447.◆JBLfMwCXhYvrbIc考えることによって、気付きが生まれる答えは分からなくても、気付きがあればそれでいい2026/02/24 07:57:22448.神も仏も名無しさんHJNOE>>438テーラワーダでいうサティの行だな、止観の観、まーほんと止観というルートで見れば仏教の大方は把握しやすくなる自証分とは止観の観の部分だ😆2026/02/24 08:02:22449.◆JBLfMwCXhYvrbIc自分の解釈を専門家に語って感想をきくのが面白いんだよな~「う~ん、言いたいことは分かるけど、それはちょっと違うかな」とか「それだ。そういうことだ。さすがは文系。ズバリと言語化したな」とか昔、物理学とか土木・建築工学で、さんざんそれをやったおかげで、文系離れした工学知識がいまでもある(笑)2026/02/24 08:03:37450.◆JBLfMwCXhYvrbIc>>448なるほどそういえば、そうか2026/02/24 08:04:05451.◆JBLfMwCXhYvrbIc確かに、スマンカッタ長老のいう「実況中継」あれは、自証分っぽい2026/02/24 08:04:38452.神も仏も名無しさんHJNOE>>443成唯識論10章はかなり修道論の結論になっている成唯識論10章は摩訶止観の入口にもなっている😆2026/02/24 08:05:03453.◆JBLfMwCXhYvrbIcいままで気づかんかった(笑)2026/02/24 08:05:12454.神も仏も名無しさんHJNOE>>450ハッスル、NO1、デンパパ、麦は止観の観を軽視している観が、なければデンパパ的ヨガ系統になる😆2026/02/24 08:05:57455.◆JBLfMwCXhYvrbIcそれが、ハッスル軍団の限界か~😭2026/02/24 08:06:49456.神も仏も名無しさんHJNOEここ最近、中論であげているデータはほぼ止観こ関するデータだ、そこを素通りするくらいに自証分のサティ要素に関心が薄いということやな😆2026/02/24 08:07:19457.神も仏も名無しさんHJNOE止観の観とは自分の思考行為を精密に認識することなのだからなーハッスルとムイムイは土俵が、同じなのでレスはマメに入れてやるがデンパパ、NO1は土俵が違うのでマメにレス入れない😆2026/02/24 08:08:47458.◆JBLfMwCXhYvrbIc確かに素通りしていた😆2026/02/24 08:08:49459.◆JBLfMwCXhYvrbIc目の前に答えがあったか😆2026/02/24 08:09:02460.◆JBLfMwCXhYvrbIc自証分とは、ヴィパッサナー瞑想のサティ「実況中継」のことだった2026/02/24 08:09:43461.神も仏も名無しさんHJNOEデータあげてるから読んでちょんまげ〜😆2026/02/24 08:09:51462.◆JBLfMwCXhYvrbIc自証分は、「識体」でもある識体から相分と見分が生じる2026/02/24 08:10:40463.◆JBLfMwCXhYvrbIc>>461A.I.による摩訶止観の現代語訳と要約だな😆2026/02/24 08:11:11464.◆JBLfMwCXhYvrbIc実況中継するのは、自証分である2026/02/24 08:11:45465.神も仏も名無しさんHJNOE止観の観の扱いが摩訶止観では変化していく、それは成唯識論のゴール地点を拡大解釈した構造のようだ😆2026/02/24 08:20:03466.登り棒◆0mnwMe9WsADa2KN一応それをAIにきいてみたよ。結論から言うと、その整理は方向性は近いけど、唯識や大乗論書の標準的な整理とは少しズレています。特に最後の「一切智者=菩薩」という部分は、かなり注意が必要です。順番に分解して見ます。①「遍計所執性=外界実在への錯覚」についてこれは だいたい合っています。唯識では:遍計所執性 = 分別によって「実体がある」と誤認された姿典型例が「外界が自性として実在する」という執着したがって、凡夫が外界を実在と思い込むという説明は、簡略化としてはOKです。ただし厳密には:「外界そのものが錯覚」ではなく自性として存在するという把握が錯覚です。2026/02/24 10:10:01467.登り棒◆0mnwMe9WsADa2KN②「錯覚=所知障、執着=煩悩障」と分ける点ここは 半分正解・半分危険 です。大乗唯識での二障は:■ 煩悩障(kleśāvaraṇa)貪・瞋・癡など輪廻を生み出す情動的汚染解脱(阿羅漢果)の障害■ 所知障(jñeyāvaraṇa)対象を二元的に捉える微細な分別全知を妨げる認識上の歪みなので、執着 → 煩悩障はかなり自然な対応です。しかし、錯覚=所知障と単純に置くのは少し粗いです。理由:👉 唯識では「遍計所執性」そのものが煩悩障にも所知障にも関わるからです。つまり:錯覚の中にも煩悩的なものと認識論的なものがあるので、きれいに1対1対応させるのは論書的にはやや乱暴です。③「煩悩障を断じた聖者でも所知障は残る」これは 典型的な大乗の立場 です。例:声聞阿羅漢→ 煩悩障は断つ→ しかし所知障は未断『成唯識論』系の説明とも一致します。ここはかなりオーソドックス。2026/02/24 10:10:46468.登り棒◆0mnwMe9WsADa2KN④「所知障も断じた一切智者=菩薩」ここが一番ズレています。唯識・大乗の標準整理では:✔ 一切智(sarvajñāna)を完成するのは 仏であって、✖ 菩薩はまだ修行途中です。菩薩は:十地の後半で所知障を徐々に薄くしていく存在しかし完全に断じた段階は 仏地つまり普通は:位煩悩障所知障凡夫ありあり阿羅漢なしあり菩薩(高位)ほぼなし微細に残る仏なしなしなので、一切智者=菩薩というのはかなり非主流か、言葉の使い方が特殊です。たぶんその人は:「菩薩=仏になる存在」という意味で言っている可能性がありますが、厳密な教理では一致しません。✔ 全体評価(教理的精度)あなたが引用している説明を採点すると:構造の方向性:◎(唯識っぽい)用語対応の厳密性:△最後の結論:✖(仏と菩薩を混同)という感じです。もし興味あれば(ここかなり面白いポイント)この説明って実は、👉 チベット系中観×唯識の混合的な言い方にかなり似ています。「錯覚=所知障」「執着=煩悩障」という二分法は、日本法相や玄奘系よりむしろ後代の整理っぽいです。希望があれば、次はかなり核心なんですが:👉 遍計所執性・依他起性・円成実性と二障の正確な対応図を、論書ベースのマッピングで説明できます。ここが分かると、今の疑問が一気にクリアになります。2026/02/24 10:11:09469.登り棒◆0mnwMe9WsADa2KN>>441これに対してのAIの返答ね。こういうのを聞く時って、自分の言葉としてAIに聞くよりも、こういう風に言ってる人がいるけどどうなのかな?みたいな聞き方する方が寄り添いが少なくなるからおすすめ。2026/02/24 10:26:23470.神も仏も名無しさんrUeYl所知障なんて、簡単だと思うけどな。。その知の内容がなんなのか、については意見が分かれるかもですが、唯識の目指すところが、自他不二=無分別智なのですから、何かしら、思い込みというか、知っていることに対する囚われがあったら、それは、不二にならないんですよ。。自他不二、の状態を、禅宗では、よく、物と一つになる、と言います。。見たもの、聞いたもの、になってしまう。。その時には、こっち側は無くなっている。。そこを目指しているわけだから、ものとか、眼前の景色、と自己の間に、何か知っているもの、観念とか妄想が挟まっていたら、まずいわけです。。だから、知ったことは妄想を思えとか、知識はいったん捨てて、ということが言われる。。そうじゃないと、ものと一つになる、なんてことは起こらないので。。空っぽにならんと、一つにはなれないので。。2026/02/24 12:49:23471.◆JBLfMwCXhYLT8Uv>>466> 凡夫が外界を実在と思い込む> という説明は、簡略化としてはOKです。> ただし厳密には:> 「外界そのものが錯覚」ではなく> 自性として存在するという把握が錯覚> です。細かい指摘だな😂さすがは、AI👍️2026/02/24 15:07:55472.◆JBLfMwCXhYLT8Uv>>467すごいなもう、AIが先生でいい~😂2026/02/24 15:11:02473.◆JBLfMwCXhYLT8Uv>>468> ④「所知障も断じた一切智者=菩薩」> ここが一番ズレています。そうなのか~😭2026/02/24 15:14:29474.◆JBLfMwCXhYLT8Uv>>470なるほど~😆2026/02/24 15:17:02475.◆JBLfMwCXhYLT8Uvここ2~3年で、急に21世紀らしくなってきたな2026/02/24 15:32:04476.◆JBLfMwCXhYLT8Uv手元にスマホやタブレットがあって全世界の膨大なデータとつながった、高性能なAIを実装しているAIに質問すれば、なんでも教えてくれる2026/02/24 15:33:32477.◆JBLfMwCXhYLT8Uvまさに、SF映画の世界だ2026/02/24 15:33:43478.◆JBLfMwCXhYLT8Uvほんの、ここ2~3年の変化だこのペースで進めば、数年後にはすごいことになる2026/02/24 15:34:13479.◆JBLfMwCXhYLT8Uv世の中が、AIを中心に回るようになる間違いない2026/02/24 15:34:40480.神も仏も名無しさんrUeYl>>471目の前にいろんなものがあったとして、これは湯呑だとか、あれは、テレビだとか、そういう識、認識自体は、基本問題じゃないですよね。。そうじゃなくて、問題は、認識した、人、とか、世間とか、に対しての思い込みとか、評価とか、でしょうね。。その最たるものが、自己、に対する、思いでしょうけれど。。ただ、我あり、であれば、何の問題も無いかもしれない。。だけど、それに、形容詞とかを付けると、途端に、迷ってしまう、輪廻に落ちるのかもしれません。。2026/02/24 15:58:30481.神も仏も名無しさんrUeYl達磨さんは、おまえは誰だと言われて、知らねーと言った、不識、と言った。。だから、自己も他者も、不識であれば、問題にならない。。あるいは、人間である、くらいであれば、迷わない。。それ以上の、何か、があると思うと、迷いの世界に転落する、ということかな?2026/02/24 16:07:29482.神も仏も名無しさんrUeYl自分も他人も、みんなただの人だ、と思ってたら、何の問題も無いのに、その他の様々な、余計な観念、妄想をくっ付けて見るから、迷ってしまうのでしょうね。。2026/02/24 16:08:41483.神も仏も名無しさんOHBB6ロン先生だ摩訶止観の円頓止観でロン先生の謎を近似値で理解だ😆2026/02/24 18:55:01484.神も仏も名無しさんOHBB6余語翠厳の弟子は超マジメだなやる気満々だなセッタンの弟子動画とどちらが優れているか?まだ研究しつくしていない埼玉、見性院😆2026/02/24 19:02:50485.◆JBLfMwCXhYUkTPi埼玉といっても、熊谷だなかなり田舎だ2026/02/24 19:48:31486.◆JBLfMwCXhYUkTPi>>480> >>471> 目の前にいろんなものがあったとして、これは湯呑だとか、あれは、テレビだとか、そういう識、認識自体は、> 基本問題じゃないですよね。。禅宗では、そうだろうけど唯識論は、認識の哲学なので2026/02/24 20:19:01487.神も仏も名無しさんj96hcJBLは天台華厳真言密教チベット密教の極めるのを唯識の次に期待したい😆2026/02/24 20:27:22488.◆JBLfMwCXhYUkTPiすでに、真言密教に向かって動いている😆2026/02/24 20:28:30489.神も仏も名無しさんj96hc見性院の橋本住職は動画の声がいいな超生真面目だが道元禅師を理想とするなら超生真面目になるセッタンみたいな臨済臭い部分が残るよりも😆2026/02/24 20:29:49490.◆JBLfMwCXhYUkTPi禅宗ってのは、真面目にやるもんだろ2026/02/24 20:30:32491.◆JBLfMwCXhYUkTPi破天荒な禅僧もいそうだが2026/02/24 20:30:45492.◆JBLfMwCXhYUkTPiいまは少ないんじゃないかな2026/02/24 20:30:57493.神も仏も名無しさんj96hc臨済宗は割合ワイルドなタイプが多数だワイルドな修行だからだロンのノリを理解できる要素があるだから、セッタンはなんとなく面白いかったんだろな😆2026/02/24 20:32:43494.神も仏も名無しさんj96hcワイルドな武勇伝?みたいなのを聴いたのと本でみたことがあるむろん俺のリアル師匠😆2026/02/24 20:34:09495.◆JBLfMwCXhYUkTPi無住処涅槃(むじゅうしょねはん)は、大乗仏教における理想的な悟りの境地。迷いの世界(生死)にとどまらず、かといって安逸な悟りの世界(涅槃)にもとどまらず、その両方に留まらずに自由自在に衆生済度(人々を救う)を続ける、能動的で慈悲深い涅槃のあり方。2026/02/24 20:35:23496.神も仏も名無しさんj96hcほとんどホンモノの道元禅師の仏法の人はいない仏教できている僧侶はいない道元禅師の生真面目仏法視点ではそういうのはありうるだろなー😆2026/02/24 20:35:35497.◆JBLfMwCXhYUkTPi意味と特徴:無住処(住処無し):「生死」と「涅槃」という2つの極端な状態のどちらかに固執・固定してとどまることがない。大乗の悟り:最後の一人を救うまで、悟りの安らぎの中にとどまらず、迷いの世界で活動を続ける菩薩・仏の働き。智慧と慈悲:自己の悟り(上求菩提)と他人を救うこと(下化衆生)を同時に成就する(悲智双運)。2026/02/24 20:35:39498.◆JBLfMwCXhYUkTPi背景:初期仏教では「無余涅槃(肉体も滅して完全な安らぎに入ること)」がゴールとされたが、大乗仏教では、利他行を重視する立場から、この「無住処涅槃」を最も高度な「真の涅槃」とした。生死即涅槃(しょうじそくねはん):迷いの世界そのものが、悟りの智慧で見れば涅槃であるという、真理の側面を指すこともある。無住処涅槃は、ただ座って安らぐのではなく、苦しむ衆生がいる限り、その中で救済活動を続ける「行動する悟り」と言えます。2026/02/24 20:35:52499.◆JBLfMwCXhYUkTPiこれからは、コレだな2026/02/24 20:36:02500.◆JBLfMwCXhYUkTPi5002026/02/24 20:36:14501.◆JBLfMwCXhYUkTPi大乗仏教だ2026/02/24 20:36:26502.◆JBLfMwCXhYUkTPi今までの自分は、小乗っぽかった2026/02/24 20:36:49503.◆JBLfMwCXhYUkTPi>>496ハッスル禅ではダメか~😫2026/02/24 20:37:31504.神も仏も名無しさんj96hc>>503臨済宗的に死刑👉️2026/02/24 20:39:00505.神も仏も名無しさんj96hc唯識の最上部は天台華厳真言密教に続いている😆2026/02/24 20:41:07506.◆JBLfMwCXhYUkTPi無住処涅槃から、華厳ワールドが展開する~😆2026/02/24 20:43:08507.神も仏も名無しさんj96hc唯識の三身は間違いなく天台華厳真言密教の解釈となる基盤かある唯識の三身を調べなさい😆2026/02/24 20:44:13508.◆JBLfMwCXhYUkTPi唯識論(特に『成唯識論』)における三身(さんじん)は、仏の悟りの身体を三つの側面—自性身(法身)、受用身(報身)、変化身(応身)—に分類したものです。これは「転識得智」によって、真理そのもの(自性身)と、悟りの智慧を自受用・他受用する姿(受用身)、衆生を救うために現れる姿(変化身)が一体として働くことを指します。2026/02/24 20:45:56509.◆JBLfMwCXhYUkTPi唯識論の三身説唯識では、一般的な法・報・応の三身説をより緻密に組織化し、以下のように定義しています。2026/02/24 20:46:13510.◆JBLfMwCXhYUkTPi1. 自性身(じしょうしん) - 法身すべての仏に共通する、常住不変の真理(真如・法性)そのもののこと。色も形も持たず、他の二身(受用身・変化身)の拠り所となる。2026/02/24 20:46:38511.◆JBLfMwCXhYUkTPi2. 受用身(じゅゆうしん) - 報身自ら悟りの喜びを享受する「自受用身」と、十地(菩薩の最高段階)の菩薩のために浄土で法を説く「他受用身」に分かれる。智慧の結晶であり、阿弥陀仏などもここに含まれる。2026/02/24 20:46:55512.◆JBLfMwCXhYUkTPi3. 変化身(へんげしん) - 応身衆生を救うために、必要に応じて種々の姿(釈迦など)を現世に現した姿。具体的な教化活動を目的とする。2026/02/24 20:47:57513.◆JBLfMwCXhYUkTPi三身の背景転識得智(てんしきとくち): 唯識の修行により、迷いの意識(識)を智慧(智)に転換することで、この三身が完成する。三身即一(さんじんそくいつ): これら三つの身は別々の存在ではなく、一仏の異なった側面である(三身即一)。この教えは、仏の真理・智慧・慈悲が包括的に具わっていることを示しています。2026/02/24 20:48:12514.神も仏も名無しさんj96hc自性身(じしょうしん) - 法身の説明の拡大解釈が天台華厳真言密教禅の土台となっている論理的には😆2026/02/24 20:48:32515.◆JBLfMwCXhYUkTPiこの世は、大日如来=毘盧遮那仏の顕現した姿2026/02/24 20:49:26516.神も仏も名無しさんj96hc唯識は倶舎論と天台の間のセオリーとも言える位置にあると😆2026/02/24 20:51:26517.◆JBLfMwCXhYUkTPi唯識論から、天台教学への発展か😆2026/02/24 20:52:30518.神も仏も名無しさんj96hcこれで俺とロンや元スレ主を除いてJBLは論理王者の道を歩む自性身(じしょうしん) - 法身の理解により😆2026/02/24 20:53:36519.◆JBLfMwCXhYUkTPiウンコ聖師を圧倒したな?😂2026/02/24 20:54:24520.神も仏も名無しさんj96hc禅はマニア過ぎる半分テーラワーダ要素や倶舎論要素が回復してるよーな感じだからなー😆2026/02/24 20:54:53521.神も仏も名無しさんj96hcハッスル🤡軍団や麦の知的理解の問題は自性身(じしょうしん) - 法身の延長の理解力がないからだロンや元スレ主は理屈ではなく感覚的に把握といったところだ😆2026/02/24 20:56:22522.◆JBLfMwCXhYUkTPiやはりロンや元スレ主は、セイウン様を圧倒している2026/02/24 21:05:23523.神も仏も名無しさんj96hc自性身(じしょうしん) - 法身の延長の世界を知らずして禅には行き着かないハッスル、麦は、ダメダメだ自称臨済宗なので論理的に教えない塩対応ヤツラには😆2026/02/24 21:11:49524.神も仏も名無しさんj96hc自性身(じしょうしん) - 法身の認識の壁がハッスル軍団と愉快な仲間たちには立ちはだかる😭2026/02/24 21:14:11525.神も仏も名無しさんj96hc自性身(じしょうしん) - 法身の延長の世界でレスしているのがロンと元スレ主でありハッスル🤡はその壁を越えれない論理的にも😭2026/02/24 21:17:50526.神も仏も名無しさんj96hcこれでJBLは哀れなハッスル🤡叩きの背景を論理的に裏読みできる自性身(じしょうしん) - 法身の延長の世界の認識て😆2026/02/24 21:19:33527.神も仏も名無しさんj96hc自性身(じしょうしん) - 法身の理解の拡大解釈の認識でJBLはもはや、ロンや元スレ主の手の内が論理的に読めるはずだ😆2026/02/24 21:36:53528.リダン◆3y/i8XtGLYZem0Vな?無住処涅槃は非択滅が重要と以前いったろ?jblは関係ないと馬鹿にしていたがやっと理解したか?2026/02/24 22:56:45529.リダン◆3y/i8XtGLYZem0V書くとこ間違えた2026/02/24 23:04:58530.◆JBLfMwCXhYAHmuO>>528なんじゃそりゃ?2026/02/25 13:22:39531.◆JBLfMwCXhYAHmuOこれらは大乗仏教、特に唯識(ゆいしき)思想における「四種の涅槃(しゅのねはん)」です。煩悩が消え去った悟りの境地を4つの側面から分類したもので、本来自性清浄・有餘依・無餘依・無住処の順に、深遠な悟りの実態を解き明かしています。2026/02/25 13:23:01532.◆JBLfMwCXhYAHmuO以下にそれぞれの意味を解説します。四種の涅槃本来自性清浄涅槃(ほんらいじしょうしょうじょうねはん)すべての存在の本質(真如・法性)は、最初から煩悩とは無関係で、本来清浄であるということ。有餘依涅槃(うよえねはん)煩悩は断ち切ったが、身体(依)がまだ残っている状態。悟りを開いた直後の生きている釈尊のような状態。無餘依涅槃(むよえねはん)煩悩が消え、身体も消滅し、二度と迷いの世界に生まれることのない究極の死の状態。無住処涅槃(むじゅうしょねはん)大乗仏教の理想。涅槃(悟り)に留まることもなく、迷いの世界(生死)に留まることもなく、慈悲心からこの世界で衆生を救済し続ける、最も優れた知恵の境地。2026/02/25 13:23:26533.◆JBLfMwCXhYAHmuO主な特徴部派仏教との違い:主に「有餘依・無餘依」を説いた部派仏教に対し、唯識では「本来自性清浄・無住処」を加え、仏の知恵と慈悲の無限性を強調しました。無住処涅槃の重要性:自らの安らぎ(悟り)に満足せず、無限の衆生救済活動を行う(知恵と慈悲の完成)を無住処涅槃として重視します。もし、この4つの涅槃について、より深く知りたいポイント(例えば、具体的な修行の段階、無住処涅槃の慈悲の側面、唯識の思想的背景など)があれば、さらに詳しく説明します。いかがでしょうか?2026/02/25 13:23:46534.◆JBLfMwCXhYAHmuO本来自性清浄涅槃(ほんらいじしょうしょうじょうねはん)は、大乘仏教の『成唯識論』で説かれる四種涅槃の第1。あらゆるものの真実のあり方(真如)は、煩悩(客塵)に汚されることなく、本来清浄で無生無滅の湛えられた本質を持つとする「本来的な悟り」を指します。特徴と解説本性清浄:一時的な煩悩の汚れ(客塵)はあるものの、本質はもともと清浄であること。無生無滅:生じることも滅することもない、虚空のような不変の性質。平等共有:すべての有情(衆生)に平等に備わっている。真如:一切法の真実の理(真如)であり、言葉では表現できない(名言道断)。この概念は、如来蔵思想(すべての衆生が本来、仏性を有しているという思想)と唯識思想が結びついた重要な論点です。2026/02/25 13:28:38535.◆JBLfMwCXhYAHmuO>>534> 本来自性清浄涅槃禅宗っぽいなロン殿がこんな感じだ2026/02/25 13:29:40536.◆JBLfMwCXhYAHmuO如来蔵思想の影響だ思い切り、入っている2026/02/25 13:31:32537.神も仏も名無しさんgXhsV>>535これを拡大解釈しているんやろなま、一般には法相宗において成仏できる仏性の無い者がいる設定があるらしい😃2026/02/25 19:20:36538.◆JBLfMwCXhYEsd5Xどの思想も、いろんな要素が混ざり込んでるからな~2026/02/25 20:39:16539.◆JBLfMwCXhYLtaYX無想定と滅尽定は、ともに心の働きを止める「無心(むしん)」の状態を目指す禅定(瞑想)ですが、唯識思想(瑜伽行派)においては、これらを「阿頼耶識(あらやしき)」の存在を証明するための重要な論拠として位置づける点に大きな特徴があります。2026/02/26 07:21:11540.◆JBLfMwCXhYLtaYX無想定と滅尽定の違いどちらも心・心所の活動を停止させる「二無心定(にむしんじょう)」と呼ばれますが、その目的と修行者に違いがあります。2026/02/26 07:21:36541.◆JBLfMwCXhYLtaYX無想定(むそうじょう):修行者:凡夫や外道(仏教以外の修行者)。目的:無想の状態を「真の悟り(涅槃)」と誤認して修める。場所:色界の第四禅(広果天)に至るための手段とされる。2026/02/26 07:21:50542.◆JBLfMwCXhYLtaYX滅尽定(めつじんじょう):修行者:聖者(阿羅漢や菩薩など)。目的:煩悩による動揺を鎮め、無余涅槃(究極の静寂)の安らぎを現世で体験するために修める。別名:想受滅(そうじゅめつ)とも呼ばれ、六識(意識など)の働きを完全に遮断する。2026/02/26 07:22:06543.◆JBLfMwCXhYLtaYX唯識の考え方(阿頼耶識による解釈)唯識思想以前の部派仏教(説一切有部など)では、これらの定に入っている間は「心が全く存在しない(無心)」と考えられていました。しかし、それでは「定から覚めたときに、なぜ再び心が戻ってくるのか」という矛盾が生じます。これに対し、唯識は以下のように考えます。阿頼耶識の継続:無想定や滅尽定において、表面的な「意識(六識)」や「末那識(まなしき)」は停止していても、深層心理である「阿頼耶識(第八識)」だけは絶えず流れ続けていると説きます。再起のメカニズム:阿頼耶識の中に保持されている「種子(しゅうじ/心の潜在エネルギー)」があるため、定から出た瞬間に再び意識が発生できると考えます。存在証明:「心が完全に滅びているはずの無心定の間も、生命が維持され、再び心が戻ってくる」という事実こそが、意識を超えた深層の識(阿頼耶識)が存在する証拠であると主張しました。2026/02/26 07:22:50544.◆JBLfMwCXhYLtaYXまとめ部派仏教:無想定・滅尽定を「心が一時的に消滅する状態」と捉えた。唯識思想:表面的な心(転識)は止まっても、根本の心(阿頼耶識)は持続していると捉え、阿頼耶識の存在を理論的に基礎づけた。2026/02/26 07:23:05545.◆JBLfMwCXhYLtaYX無想定ってのは、受想行識の「想」を止めることなんていったら難しそうだが、要するに「何も考えない」という瞑想だ2026/02/26 07:23:58546.◆JBLfMwCXhYLtaYX無想定の先には、「想受滅」があるこちらは、「想」に加えて「受」まで止めるより高度な瞑想だ2026/02/26 07:24:46547.神も仏も名無しさんrzOwp滅尽定マシーンだな?ま、瞬間だけだけど😃宗派種類たくさん😃2026/02/26 07:25:02548.神も仏も名無しさんrzOwp滅尽定をいつも常にやるほどハイレベルではない😃2026/02/26 07:26:13549.◆JBLfMwCXhYLtaYX当方は個人的に、「何も考えない」というのが得意だ「何も考えないでいるのは難しい」「すぐに、何か考えが起きてくる」という話をよく聞くのだが正直、自分にとっては難しくないおそらく、前世でもそんなことばかりやっていたのだろう(笑)2026/02/26 07:26:30550.◆JBLfMwCXhYLtaYX>>548それは無理だ😂2026/02/26 07:26:48551.◆JBLfMwCXhYLtaYX>>547ここが唯識論にとっては、地味に重要ポイントなのだ「瞑想で無念無想になっているときでも、深い睡眠中でも、表面意識が停止しているだけ。阿頼耶識は続いている」というのが、唯識論の基本思想2026/02/26 07:29:21552.神も仏も名無しさんrzOwp臨済宗僧侶はあの世いったのを禅定バリエーションはこだわらない、臨済宗は禅定の一定の形を嫌うシステムなのて、ま、それでも個性はありそうだがその禅定はそんなに重視すべきでない異色のシステムだだが曹洞宗は禅定の血筋が密教並みにガッチリしている臨済宗も血筋はあるが基本、ホントのルールールは師匠と弟子が=ではなく師匠を超えてこそ、という野蛮なルールが臨済宗にはある道元は釈迦と=であるべきだと考える😃2026/02/26 07:31:12553.神も仏も名無しさんrzOwp道元は釈迦=の正法が必須臨済宗は先代のレベルを超えろみたいな野望あり😃2026/02/26 07:33:05554.◆JBLfMwCXhYLtaYX臨済宗は野心的だな2026/02/26 07:34:43555.神も仏も名無しさんrzOwp曹洞宗のあの世の連中の禅定は個性があるので面白いそうだ一定の禅定の間合いは重視すべきだ僧侶によって微妙に禅定の間合いがあるから、それなりに極めた曹洞宗僧侶は面白い感が最近、少しブームかもなー😃一定の禅定の間合いを重視市内の保臨済宗のみだ😃2026/02/26 07:35:50556.神も仏も名無しさんrzOwp曹洞宗ほテーラワーダの上位と倶舎論のいう滅尽定の雰囲気に一番近いだろな日本仏教では😃2026/02/26 07:37:14557.◆JBLfMwCXhYLtaYX滅尽定を常にやるってことは「受」が停止してる状態だそれこそ、霜降り牛肉のステーキを食べても「美味しい」と思わず、牛糞を食べても「不味い」と思わないレベル人間業ではない2026/02/26 07:37:23558.神も仏も名無しさんrzOwpロンは、どっか世俗どっぷり趣味があるのはセッタンが道元禅師寄りも臨済宗臭いからだろな😃2026/02/26 07:38:14559.◆JBLfMwCXhYLtaYXもはや、人と呼べるものではなくなったレベルだ2026/02/26 07:39:07560.◆JBLfMwCXhYLtaYX>>558師が女好きだと、弟子も女好きになるんだろうな2026/02/26 07:39:31561.神も仏も名無しさんrzOwp>滅尽定を常にやるってことは「受」が停止してる状態だまじで土曜日の曹洞宗寺院の勤行はそれに近い真言密教は大日如来のパワーが三密加持するからなー😃2026/02/26 07:39:58562.◆JBLfMwCXhYLtaYXそれが、師資相承ってものなんだろう2026/02/26 07:40:29563.神も仏も名無しさんrzOwp曹洞宗寺院の土曜日の勤行、ほんと意識せずに道元禅師の理想郷の禅定に入れる駒楽狙いでもなく、単に恩返しルーティンなのだかなー😃2026/02/26 07:41:53564.神も仏も名無しさんrzOwp娯楽狙いではなくだ2026/02/26 07:42:32565.◆JBLfMwCXhYLtaYX>>563すごいな?😆2026/02/26 07:43:04566.神も仏も名無しさんrzOwpなんの期待もなく淡々とやっている曹洞宗寺院勤行😃2026/02/26 07:43:17567.神も仏も名無しさんrzOwpハッスルみたいな坐禅回数自慢願望もない単なるルーティンだけでやってる程度なんだがなー😃2026/02/26 07:44:01568.◆JBLfMwCXhYLtaYX坐禅の回数自慢するためにやってるわけではないんだな😆2026/02/26 07:44:33569.◆JBLfMwCXhYLtaYXボロボロになった坐布の画像をアップしたりとか😂2026/02/26 07:45:21570.神も仏も名無しさんrzOwp無駄に人生浪費しとるな?お可哀想にな?いつも声掛けしてやらんとな?😂2026/02/26 07:46:10571.◆JBLfMwCXhYLtaYX>「瞑想で無念無想になっているときでも、深い睡眠中でも、表面意識が停止しているだけ。阿頼耶識は続いている」倶舎論の時代には、阿頼耶識と末那識がまだ発見されてなかったなので、無念無想になることは、そのまま「心の消滅」と受け取られた2026/02/26 07:48:17572.◆JBLfMwCXhYLtaYXだが、唯識論の時代になると表面意識が静止しても、阿頼耶識と末那識が恒常的に続いているということになった2026/02/26 07:49:45573.◆JBLfMwCXhYLtaYX>>570ハッスルサービスだな😂2026/02/26 07:50:38574.登り棒◆0mnwMe9WsA5tvw2おはよー。唯識って末那識は常に働く識とされてなかったっけ?滅尽定で停止を認めてるなら常に働く識じゃなくね?2026/02/26 08:48:30575.◆JBLfMwCXhYLtaYX>>574滅尽定は、普通に生きてて到達できるようなものではなく、解脱して仏になるというゴール間近の最終形態に近い境地我執がなくなっているので、末那識も一時停止しているでも、それは禅定している間の一時的なものでして、日常生活に戻れば末那識が活動再開する2026/02/26 08:55:34576.◆JBLfMwCXhYLtaYXそれ以外では、末那識は恒常的に思量し続ける存在無念無想の無想定でも、睡眠中でも例外はない滅尽定だけが例外2026/02/26 08:56:47577.◆JBLfMwCXhYLtaYX無想定は、前五識と第六意識(思惟する意識)を停止させる高い禅定状態であり、末那識(自我執着の意識)は停止しない(根底に残る)とされます。この状態は「想」を滅するだけで、根本的な我執(末那識)を滅する「滅尽定」とは異なり、無意識状態に近いとされる。2026/02/26 08:57:35578.◆JBLfMwCXhYLtaYX無想定と末那識の関連無想定の定義: 想(思い、概念)を滅尽する定。前五識・第六意識は止まるが、末那識は機能し続けている。末那識(第七識)の役割: 常に我執を抱える深層意識。無想定中も我への執着は消えていないため、無想定から出るとまた以前のような我執が復活する。目的の違い: 滅尽定は末那識まで含めたすべての意識を滅するのに対し、無想定は前段階の禅定である。無想定はあくまで「一時的な停止」であり、唯識の観点では真の解脱ではないとされています。2026/02/26 08:58:16579.◆JBLfMwCXhYLtaYXこのテーマについて、具体的な修習方法を知りたいですか?より深い滅尽定の概念との比較に関心がありますか?唯識思想における末那識の役割について詳しくお話ししましょうか?2026/02/26 08:58:36580.◆JBLfMwCXhYLtaYX>>578> 目的の違い: 滅尽定は末那識まで含めたすべての意識を滅するのに対し、無想定は前段階の禅定である。このA.I.の解説だと、滅尽定では末那識が一時停止ではなく、滅してしまってるなマジかいな?😫それはおかしい気がするが2026/02/26 09:00:01581.◆JBLfMwCXhYLtaYXひょっとして、滅尽定のレベルまでくるともう転識得智して、末那識が平等性智になってるのかも?2026/02/26 09:02:22582.◆JBLfMwCXhYLtaYXA.I.に聞いてみたところ、どうやらそうらしい2026/02/26 09:02:41583.◆JBLfMwCXhYLtaYX滅尽定(めつじんじょう)において、第七・末那識(まなしき)の自己執着が滅し、その転換によって、自己と他者を平等に見る平等性智(びょうどうしょうち)が顕現します。これは、唯識学における転識得智(てんじきとくち)の過程で、自我への執着から解放され、広大な慈悲の心を獲得する悟りの段階を指します。2026/02/26 09:03:09584.◆JBLfMwCXhYLtaYX詳しくご説明します。滅尽定(滅受想定): 心の働きをすべて停止させる最も深い定(禅定)であり、第七・末那識(執着の根源)と前六識の活動が完全に停止します。末那識を滅する: 常に「私」「自我」に執着する末那識の煩悩が、深い瞑想により静止し、変革(転依)されます。平等性智: 転換された末那識が、自分と他者を区別する妄執を捨て、万物・全生命が平等であると見抜く智慧(自他平等の慈悲)に変わります。この領域は、自我の殻を破り、仏の慈悲を体現する、真の悟りの境地とされています。この概念について、さらに詳しく知りたい特定の側面(例えば修行法や他の「智」との関係など)はありますか?2026/02/26 09:03:44585.◆JBLfMwCXhYLtaYXそういうことだったのか?だとしたら、滅尽定を過小評価していた2026/02/26 09:04:44586.◆JBLfMwCXhYLtaYX考えてみれば、そりゃそうかなんたって、煩悩を滅尽してるんだもんなあ2026/02/26 09:07:05587.◆JBLfMwCXhYLtaYXそれにしても、最近のA.I.はすごいな2年前はデタラメな回答ばかりだったがいまはマジで参考になる2026/02/26 09:11:52588.◆JBLfMwCXhYLtaYXA.I.のおかげで、こちらの理解は急速に進歩している2026/02/26 09:12:15589.◆JBLfMwCXhYLtaYX自力で調べるのとは、スピード感がまったく異なるグーグル検索やWikipediaが登場したときの衝撃をも上回る2026/02/26 09:14:07590.◆JBLfMwCXhYLtaYXこの調子でA.I.が進化し続けたら、数年後はどうなるんだろう?2026/02/26 09:15:36591.◆JBLfMwCXhYLtaYXプロの将棋棋士も、A.I.を必死で真似ているA.I.をより忠実にコピーできた者が勝つ世界2026/02/26 09:17:05592.◆JBLfMwCXhYLtaYXA.I.禅師を相手に禅問答して、悟ろう2026/02/26 09:19:18593.◆JBLfMwCXhYLtaYXとはいっても、グーグル検索と同じで全体的に理解してる人が検索するのと、何も分からない人が検索するのとでは、大きな差があるA.I.が進歩すればするほど、やはり本人が分かっているかどうかがますます重要だ2026/02/26 09:26:12594.◆JBLfMwCXhYLtaYXA.I.アシスタントがいれば数学や物理学が理系のプロ並みに分かるかというととても、そんな気はしない(笑)2026/02/26 09:27:02595.◆JBLfMwCXhYLtaYXいや、でも将来は分からんなA.I.が進歩すれば、人類社会から知的格差が消滅に向かうのかも2026/02/26 09:27:52596.◆JBLfMwCXhYLtaYX現にフォークリフトがあればその辺のオバサンでも、重量挙げのチャンピオンでも力仕事の能力は変わらんもんなあ(笑)2026/02/26 09:28:59597.◆JBLfMwCXhYLtaYXいや、やっぱり、そんなことないな主要な力仕事は機械がやるにしてもそれ以外のいろんな場面で、力があるとないでは、やはり違う体力格差は意味を失っていない2026/02/26 09:30:56598.◆JBLfMwCXhYLtaYX本人に力がないとちょっとしたものを持ち上げるときにも苦労する主要な建材は、体力お化けみたいな男でも持ち運べず、機械が頼りだが現場仕事はそれだけじゃないから2026/02/26 09:34:11599.◆JBLfMwCXhYLtaYX隋や唐の時代までは腕力自慢の荒くれ男が、棍棒みたいな鈍い武器を振り回してバッタバタと敵を倒していくっていうのが、戦場では重宝されたが宋代に火薬が発明され、さらにモンゴル騎馬軍団が登場して機動力と火力を活かした集団戦が主流となり腕力自慢の荒くれ男の優位性は劇的に低下した2026/02/26 09:38:32600.◆JBLfMwCXhYLtaYX6002026/02/26 09:38:48601.◆JBLfMwCXhYLtaYXはたして、今後人類の知的格差は、縮小に向かうのかそれとも、さらに拡大するのか?2026/02/26 09:40:28602.◆JBLfMwCXhYLtaYXおそらく、頭脳明晰な秀才タイプの優位性は低下するだろう2026/02/26 09:40:49603.◆JBLfMwCXhYLtaYX難関国立大の文系の入学試験では「この難しい文章を読んで、作者の言いたいことが何なのかを分かりやすく説明せよ」とか「この長ったらしい文章を読んで、作者の言いたいことを百字以内で要約せよ」とかそういう国語の論述試験がよくあるのだが当方は個人的にそういうのが極端に得意で、圧倒的な優位性を誇っていただがいまや、そんなのはA.I.の仕事だ人間がやることではなくなった(笑)2026/02/26 09:46:09604.神も仏も名無しさんfKMejいや、高市に投票しとる時点で知的格差が日本国民か全員か四割ゼネコン産業勤務ならわからんでもないが😫2026/02/26 09:47:08605.◆JBLfMwCXhYLtaYXだが、数学とか物理学とかの理系分野のほうがもっとA.I.が強いな人間の肉体頭脳じゃ太刀打ちできん2026/02/26 09:47:31606.◆JBLfMwCXhYLtaYX>>604自民党圧勝で、高市政権は盤石まさに、ウヨ涅槃だな~😫2026/02/26 09:48:04607.神も仏も名無しさんfKMej雰囲気で投票ていうのはヤバさを感じる知的水準でティクトックショート動画脳化しつつあるかもしれん😱2026/02/26 09:48:39608.◆JBLfMwCXhYLtaYXやはり、A.I.に依存しすぎて人間の知的水準が下がってきたのか~😱2026/02/26 09:50:31609.神も仏も名無しさんfKMej娑婆適応グレードアップな臨済坐禅をした仕事前のルーティンだ😃2026/02/26 09:52:59610.神も仏も名無しさんfKMej臨済禅は道元禅師とは異なり滅尽定寄りてはない😃2026/02/26 09:57:24611.登り棒◆0mnwMe9WsA5tvw2まぁ経典は固定されたテキストだけどAIによって、それを一人一人に伝わる形で文章を変える対機説法としての経典のようにはなってくんじゃないかな。後はその人が気付いていない固定観念を可視化してくれるツールになったりとかね。、2026/02/26 10:55:42612.◆JBLfMwCXhYLtaYXちなみに滅尽定は唯識論では「想受滅」と呼ばれる無為法に分類され、「究極の禅定」に格上げされた2026/02/26 11:03:37613.◆JBLfMwCXhYLtaYXリダンが大好きな「択滅」より「想受滅=滅尽定」のほうが重要性が高い2026/02/26 11:04:46614.◆JBLfMwCXhYLtaYXいや、リダンが大好きなのは「非択滅」だったな「択滅」ではなかった2026/02/26 11:05:08615.◆JBLfMwCXhYLtaYXそれより、滅尽定が重要だ2026/02/26 11:05:33616.◆JBLfMwCXhYLtaYX滅尽定に達すると受想行識の「受」と「想」が滅し(想受滅)、末那識が平等性智に転じる2026/02/26 11:07:17617.◆JBLfMwCXhYLtaYXつまり、我執が消えて、自他の分別がなくなる2026/02/26 11:09:52618.◆JBLfMwCXhYLtaYX倶舎論の滅尽定に比べて、大幅に格上げされた2026/02/26 11:10:31619.◆JBLfMwCXhYLtaYX滅尽定こそ、修行者の目標だ2026/02/26 11:11:07620.◆JBLfMwCXhYLtaYXA.I.の入れ知恵のおかげで一気にここまで理解が進んだ2026/02/26 11:11:50621.神も仏も名無しさんMePUp>>617ま、俺はそれ故にハッスル、カオリン、ムイムイ、デンパパが騒ごうがスルーてきる😃2026/02/26 11:22:18622.神も仏も名無しさんMePUp唯識のトップゾーンから天台への接続研究だな、ホーカイくん流ではニワカ天台だからホーカイくんでは唯識の滅尽定ですらわからんでしょう😃2026/02/26 11:41:13623.リダン◆3y/i8XtGLYPYDyn>>615滅尽定で末那識の機能が滅されて転依するんだろそれ非択滅だよそもそも末那識の機能が発生しなくなるってこと2026/02/26 12:43:02624.◆JBLfMwCXhY2eHTn>>622法介スレは、ニワカ天台だったのか?😫2026/02/26 15:55:02625.◆JBLfMwCXhYVHS7V「私が特に強調しておきたいと思う点は、我々の存在認識が、根源的に、『言語アラヤ識』に依存しているということだ。そしてそのことは、結局、我々の表層的言語意識が、根源的に、『言語アラヤ識』に依存している、ということでもある。『言語アラヤ識』に蓄えられている「種子」(潜在的「意味」形象)が、活性化されて、我々の表層意識の領域に働くからこそ、我々は、その都度、世界を有「意味」的存在秩序として経験するのだ。我々の現に生きている世界の、コスモスとして秩序構造、また、そこに認知される一つひとつのものは、決して表層レベルにおける言語のコンヴェンショナルな「意味」だけの所産ではなく、それらは、それぞれ、『アラヤ識』的「種子」の現象形態であり、深層意識的「意味」と「意味」可能体との表層的自己イマージュ化なのである。」**(井筒俊彦『意味の深みへ』~文庫版 斎藤慶典「解説」より)2026/02/26 18:20:30626.◆JBLfMwCXhYVHS7Vう~ん唯識論の『名言種子』を、見事に解説している古代インドの論師たちは、20世紀の言語分析のツールを持たんかったため、こんな具合に説明できなかった2026/02/26 18:21:44627.◆JBLfMwCXhYOWRXw唯識論(瑜伽行唯識学派)における三身(さんじん)は、仏陀の悟りや身体を「自性身(じしょうしん)」「受用身(じゅゆうしん)」「変化身(へんげしん)」の3つに分類した教えです。これは、法身・報身・応身とほぼ対応し、真理そのもの、智慧の享受、救済のための現れを表します。2026/02/27 18:40:28628.◆JBLfMwCXhYOWRXw唯識における三身の具体的な内容自性身(Svabhāvakāya / 法身):意味: 仏の真実の体、真理そのもの(真如)、無為(無為)。特徴: 無相で形がなく、一切の穢染(けぜん)がない清浄な真理。受用身(Saṃbhogakāya / 報身):意味: 最高の悟りの智慧(智)を獲得した報いとして得た身体。特徴: 自身の悟りを楽しむ「自受用身」と、菩薩のために現れる「他受用身」がある。変化身(Nirmāṇakāya / 応身):意味: 人々を救うために、それぞれの機根(能力)に応じて現実に現した姿。特徴: 歴史上の釈迦など、現世に現れる姿。2026/02/27 18:40:47629.◆JBLfMwCXhYOWRXw関連する重要な概念転識得智(てんしきとくち): 8つの識(唯識)を転じて、4つの知恵(大円鏡智・平等性智・妙観察智・成所作智)を得ること。摂大乗論: 三身すべてを法身とする見方もある。2026/02/27 18:40:58630.◆JBLfMwCXhYOWRXw法身・報身・応身 の三体唯識論ではなぜか、「自性身(じしょうしん)」「受用身(じゅゆうしん)」「変化身(へんげしん)」と呼ぶ2026/02/27 18:42:47631.◆JBLfMwCXhYOWRXw自性身(じしょうしん)、受用身(じゅゆうしん)、変化身(へんげしん)は、大乗仏教(特に唯識思想)における三身(仏の3つの身体)の分類。根源的な真理である「自性身」、覚りの喜びを享受する「受用身」、衆生救済のために姿を変えて現れる「変化身」からなる。これらは別々ではなく、一つの仏に備わる真理と働きの側面を表す。2026/02/27 18:44:29632.◆JBLfMwCXhYOWRXw自性身(Svabhāvakāya):別名:法身(ほっしん)。概要:常住不変、真理そのもの(清浄法界)。特徴:色や形がなく、受用身・変化身の拠り所となる本体。2026/02/27 18:44:45633.◆JBLfMwCXhYOWRXw受用身(Saṃbhogakāya):別名:報身(ほうしん)。概要:修行の報いとして得た、智慧と功徳を享受する姿。特徴:自らその功徳を享受する「自受用身」と、菩薩に教えを説く「他受用身」がある。2026/02/27 18:44:55634.◆JBLfMwCXhYOWRXw変化身(Nirmāṇakāya):別名:応身(おうじん)や化身(けしん)。概要:衆生(人々)の機根(能力・素質)に応じて、現実に姿を現して教えを説く姿。特徴:釈迦如来など、現世に現れる姿。2026/02/27 18:45:12635.◆JBLfMwCXhYOWRXwこの三身は、真理(自性身)、その現れ(受用身)、機能(変化身)として、仏の本質を包括的に説明しています。2026/02/27 18:45:22636.神も仏も名無しさんTswGr唯識の先を説く天台教学https://share.google/aimode/AWJydGzvEuNxuRKZa2026/02/28 04:50:52637.◆JBLfMwCXhYqrXb6ほ~かい教学だ~😆2026/02/28 07:36:28638.神も仏も名無しさんoH5rc滅尽定はつまりは釈迦の解脱であって二仙人のところで非想非非想処まで至ったけどそれでは生死の疑問に解決がつかず苦行でもダメでそれでそのまま死ぬつもりで七日七晩坐禅して明けの明星をみた機縁で成道したそれが滅尽定になるんだろう2026/02/28 07:46:32639.神も仏も名無しさんoH5rc滅尽定に至ることで無常っていう真理を知ることができるようになるとかこれは一切が刹那滅、刹那に生死を繰り返してることに気付くつまりこれが唯識のいう円成実性で何一つ、過去現在未来の刹那にも持続するものがないと気付くという仏教の示す諸行無常、諸法無我に至ったってことになるんだろね2026/02/28 07:49:50640.◆JBLfMwCXhYBbPfG唯識論の解釈だと、そうですな2026/02/28 08:30:20641.◆JBLfMwCXhYBbPfG唯識論では、滅尽定(=想受滅)の評価が爆上がりして、非想非非想定の上とされた倶舎論だと、そこまでではない2026/02/28 08:31:17642.◆JBLfMwCXhYBbPfG>>639> 何一つ、過去現在未来の刹那にも持続するものがないと気付く倶舎論( ≒ 説一切有部)をバッサリと否定しましたな😅2026/02/28 08:33:58643.◆JBLfMwCXhYBbPfG「刹那滅」は、「相続」とセットで語られる説一切有部は、過去・現在・未来と続く、相続を重視経量部は、「現在しかない」と異論を唱えて、刹那滅を重視した倶舎論は、その2つの組み合わせ2026/02/28 08:39:23644.神も仏も名無しさんoH5rcロンさんの好きな「現成公案」でも「しかあるを、水をきはめ、そらをきはめてのち、水そらをゆかんと擬する鳥魚あらんは、水にもそらにもみちをうべからず、ところをうべからず。このところをうれば、この行李 したがひて現成公案す。このみちをうれば、この行李したがひて現成公案なり。このみち、このところ、大にあらず小にあらず、自にあらず他にあらず、さきよりあるにあらず、いま現ずるにあらざるがゆゑに、かくのごとくあるなり。」こういう風にある2026/02/28 08:41:27645.◆JBLfMwCXhYBbPfGへえさすがは、ロンさんだ😆2026/02/28 08:45:07646.神も仏も名無しさんoH5rc「以水爲命しりぬべし、以空為命しりぬべし。以鳥為命あり、以魚為命あり。以命為鳥なるべし、以命為魚なるべし。」と「水(法)」と「魚(我)」、「空(法)」と「鳥(我)」その「我/法」の別々にあるようなあり方は「一つの識」という「命」にある、縁起のものであってそれは知り得ない「そのもの」の「今ここ」に現成してるものだと2026/02/28 08:47:31647.神も仏も名無しさんoH5rcだから、「今ここ」に現成してる「そのもの」の向こうに成道を求めても「ところをうべからず」となる一切は刹那滅、無常のものなんだから「今ここ」(ですらない)「そのもの」を究めると「行李したがひて現成公案す」となる2026/02/28 08:49:38648.◆JBLfMwCXhYBbPfG禅宗っぽいな?😆2026/02/28 08:51:55649.神も仏も名無しさんoH5rc徳山で有名な故事の「三世不可得」もこの刹那滅無常からの「そのもの」としての説明で分かりやすい話だな徳山は『金剛般若経』に通じててその『青龍疏』に「過去心不可得は、滅するを以ての故に。未来は未だ有らざる故に。現在は第一義なる故に。かの論大いに同じ。然るに云く、現在心は虚妄分別なるが故に、不可得なり、と。」2026/02/28 08:52:21650.神も仏も名無しさんoH5rc「過去」ってのは、もう去った「今」だからないものとらえられない知り得ないもの「未来」も、まだ来てない「今」だから同じくとらえられない知り得ないないものだから「今」しかないこの「今」のぶっ続けなんだけどその「今」そのものも、それをとらえて「知って」しまうともう過去のものだからだから一切は知り得ない、不可思議であるそれが「そのもの」(第一義、真理)であるって説明2026/02/28 08:54:58651.◆JBLfMwCXhYBbPfG>>650なるほど2026/02/28 08:56:46652.神も仏も名無しさんGKiI3誰かがきているな?澤木興道の研究に走る😃2026/02/28 08:59:54653.神も仏も名無しさんoH5rc過去現在未来と、普通の人(凡夫)はつまり「知ってること」の上で、それを「実在」「実体」と思い込んでそれを「経験」して「生きて」「死ぬ」と「思い込んでる」これが無明からの煩悩(なにものかを知って執着するはたらき)を原因とする「迷い」であり「苦」であるっていうその「煩悩」を解きほぐすと、本来知り得ないもの(生死)を知って苦しんでる「迷い」が解決しますよってのが仏教の示すところだろね2026/02/28 09:01:04654.◆JBLfMwCXhYTuBiw唯識派の唯識観唯識派は、インド大乗仏教の2大学派の一つで、「唯識性」(すべての認識世界は心の作用によって表象されたものにすぎない)を中心教義としています。唯識派に独特な、観の瞑想法(真理を認識する瞑想法)である「唯識観」の瞑想法を紹介します。だた、これは直観的に真理を認識するに至るための準備的な「加行道(加行位)」と言われる段階の瞑想法です。「唯識観」は、伝統的には「四善根」と呼ばれる瞑想法に当たり、小乗仏教(説一切有部)や中観派でも行いました。ですが、唯識派では唯識派の教学に沿って独特の方法で行うため、「唯識観」とも呼ばれます。2026/03/02 07:39:07655.◆JBLfMwCXhYTuBiw「唯識観」は4段階から構成されていて、最初の2段階は「四尋思観」と呼ばれます。まず、認識の対象となる「言葉」、「概念」、「主語性(実体)」、「述語性(属性)」の4つは、いずれも心が作り出した仮の存在であり、実体としては存在しないと考察します。(法無我)第1段階(煖)の瞑想は「明得定」と呼ばれます。第2段階の(頂)は、より思索を深める段階で、その瞑想は「明増定」と呼ばれます。後半の2段階は「四如実智観」と呼ばれます。先の認識の4つの対象を作り出した「主体」も存在しないと考察します。(人無我)第3段階(忍)は、第四禅(概念なしに対象と一体化した瞑想状態)で、対象に続いて主体の空を考察します。その瞑想は「印順定」と呼ばれます。第4段階の「世第一法」では、第四禅で主客同時に空を思索します。次の刹那で「見道(通達位)」に達して真如を体得できるので、その瞑想は「無間定」と呼ばれます。その後の「見道」の段階は、無漏で無概念の「無分別智」によってあるがままの真如を見る段階です。また、それを基にした概念的な「後得智」を得て、後天的な煩悩をなくします。そして、「修道(修習位)」の段階では、波羅蜜を行じながら菩薩の十地まで進み、先天的な煩悩をなくします。最後の「究極位」では、前五識、意識、末那識、阿頼耶識を智恵に転化した「四智」を得て、仏に到達します。2026/03/02 07:39:40656.◆JBLfMwCXhYTuBiw> まず、認識の対象となる「言葉」、「概念」、「主語性(実体)」、「述語性(属性)」の4つは、いずれも心が作り出した仮の存在であり、実体としては存在しないと考察します。(法無我)コトバが世界を創り出しているまずは、言語の解体だ2026/03/02 07:57:16657.◆JBLfMwCXhYTuBiw人は、世界をあるがままに認識していない自分自身の言語によって、世界像を編集しているその自分が編集した世界像を「世界とはこういうものだ」と思い込み、「自分は世界を認識している」と錯覚している2026/03/02 07:58:30658.◆JBLfMwCXhYTuBiwまずは、言語で構築した世界像その信念体系を解体することから始まる2026/03/02 07:58:56659.◆JBLfMwCXhYTuBiwソシュールが喜びそうな理論だ2026/03/02 07:59:42660.◆JBLfMwCXhYTuBiwソシュールの言語哲学が、唯識論を理解する助けになる2026/03/02 08:01:42661.◆JBLfMwCXhYTuBiwソシュールのほうが、このあたりのことをずっと論理的に記述しているからだ2026/03/02 08:02:09662.◆JBLfMwCXhYTuBiwそこはやはり、明晰判明を尊ぶ近代ヨーロッパ人、とくにフランス系ならでは2026/03/02 08:02:43663.◆JBLfMwCXhYTuBiwソシュールは、言語が連続的で混沌とした現実世界(思考・音響)を、言葉というフィルターを通して区切り(分節化)、離散的な「概念」や「音」の単位として構造化する道具であると定義しました。このプロセスにより、世界は整理され、私たちの知覚・認識が形作られます。2026/03/02 08:03:37664.◆JBLfMwCXhYTuBiw具体的な特徴は以下の通りです:世界はもともと無分節:自然界や人の思考は本来連続的(グラデーション)であるが、言葉によって区切りを入れ、イヌ、ネコ、暑い、寒いといった「概念の枠」を作る。言語は「名札」ではない:存在にラベルを貼るのではなく、言葉そのものが意味の領域を切り出すことで、初めて「対象物」が認識可能になる(言語名称目録観の否定)。文化・言語依存:分節化の方法は言語によって異なる(例:ある言語では複数の色が1つの言葉、別の言語では細分化されている)。この概念は、私たちが日常、言葉を通して世界を無意識に解釈していることを明らかにしました。さらに、ソシュールの「構造主義」的なアプローチや、この分節化がどのように思考を形成するかについて、より深く知りたいと思いませんか?2026/03/02 08:04:02665.◆JBLfMwCXhYTuBiw世間の一般人は、「世界とはこういうものだ」と思い込んでいる(素朴実在論)世界がバラバラに分かれているから、個別の存在に名前が付いているそう思っている2026/03/02 08:05:21666.◆JBLfMwCXhYTuBiwだが、実は逆だというのが、ソシュールの指摘だ個別の存在に名前を付けて、何度も呼んでいるから世界がバラバラに分かれているように見えてくるのである2026/03/02 08:06:24667.◆JBLfMwCXhYTuBiwバラバラな世界を写し取るために、言葉ができたのではない言葉が、世界をバラバラに分割しているのだローティはこれを、天動説から地動説への「コペルニクス的な転回」に例えて「言語論的な転回」(リンギスティック・ターン)と呼んだ2026/03/02 08:08:28668.神も仏も名無しさんLXMqk若い頃の俺はソシュールと唯識を並べて考察してたたから天才肌だったんやなー😃2026/03/02 08:08:41669.◆JBLfMwCXhYTuBiwまあ、これは西洋哲学の話なので参考程度でいいと思うけど2026/03/02 08:08:49670.◆JBLfMwCXhYTuBiw>>668すごいな直感的に、その両者を探究してたんかい😅2026/03/02 08:09:28671.神も仏も名無しさんLXMqk西欧人の法則的社会発展社会科学は信用してなかったからなー現に、トランプは大戦後の世界秩序を本格的に壊しに来ている😫2026/03/02 08:11:46672.◆JBLfMwCXhYTuBiwベネズエラ、イランときたら次は北朝鮮か?2026/03/02 08:13:48673.◆JBLfMwCXhYTuBiw安堂殿によると北朝鮮には石油がないから、アメリカは関心ないらしい2026/03/02 08:14:13674.神も仏も名無しさんIHLjGあと、人民の多数がジャブ中毒で人的資源が崩壊しているらしいま、ベネズエラやイランは別にジャブ中毒祭りではないからなー😱2026/03/02 17:11:33675.神も仏も名無しさんIHLjG日本に売りつけるプランの麻薬が北朝鮮内部に鎮痛剤や風邪薬の代替に使われているらしい😱2026/03/02 17:13:24676.◆JBLfMwCXhYEumBuヤバいな?😱2026/03/02 17:27:12677.神も仏も名無しさんIHLjG廃人国民の北は投資のメリット選挙のメリットがないのだろうな、アメリカに知られていない国家かもしれん 😱2026/03/02 20:16:38678.神も仏も名無しさんIHLjGアメリカ国民に知られていない国家😱2026/03/02 20:18:05679.神も仏も名無しさんIHLjGアメリカ国民に関心があるのは麻薬と押し寄せる移民の国家と貿易の敵とイスラエルの敵全部選挙目当てだ😱2026/03/02 20:19:07680.神も仏も名無しさんIHLjGアメリカ西海岸沖に弾道ミサイルを落として初めて注目されるかもしれない😱2026/03/02 20:20:13681.神も仏も名無しさんIHLjG落下精度がロシアの技術で上手く改良できるか?まー粛清恐怖ストレスの麻薬中毒国家らしいので、精度が 高くならずアメリカ本土に落下させる可能性もありうる😱2026/03/02 20:28:36682.◆JBLfMwCXhYTuBiw無理だな😫2026/03/02 22:39:02683.◆JBLfMwCXhYFFkVLフッサールの「現象学的還元」は、外部世界が客観的に存在するという日常的な確信(自然的態度)を「判断中止(エポケー)」し、意識に現れる「現象」そのものに立ち返る方法です。この操作により、物体の実在性を括弧に入れ、純粋意識における「ノエシス(認識の作用)」と「ノエマ(認識された対象)」を記述・分析します。2026/03/05 23:54:18684.◆JBLfMwCXhYFFkVL現象学的還元のポイント:エポケー(判断中止):「そこに物質が存在する」という信念を一時的に停止する。客観的な存在確認を保留し、純粋な経験として捉える。「事象そのものへ」:意識の中にある「見え」や「体験」だけを絶対的に確実なものとして扱う。ノエシスとノエマ:意識の働き(ノエシス)と、その対象(ノエマ)に分析を還元する。目的:認識の不確実さを排除し、意識の働きがどのように世界を構成しているかを明らかにする「厳密な学」の確立。この手法によって、主観と客観の溝を超え、主観の側から世界がいかに構成されるかを明らかにしようとした哲学的な試みです。2026/03/05 23:54:30685.◆JBLfMwCXhYFFkVL聖ウンコ派では、「判断中止」や「直接知覚」をいつも唱えているが(現量)それは仏教ではなく、西洋哲学のフッサール現象学エポケー(判断中止)と現象学的還元(直接知覚への回帰)2026/03/05 23:56:20686.◆JBLfMwCXhYFFkVLもちろん、聖ウンコ師はそこまで西洋哲学にくわしくないしフッサールのことなんか知らんと思うけどでも、すくなくとも、部の考え方じゃないんだよな~😅2026/03/05 23:58:17687.◆JBLfMwCXhYFFkVL部の考え方じゃない仏教の考え方2026/03/05 23:58:46688.◆JBLfMwCXhYFFkVLエポケーと現象学的還元は、フッサールの現象学において「事象そのものへ(先入観を捨ててあるがままを見る)」至るための中核的な手法です。日常的な「実在の確信」を一時保留(エポケー)し、純粋な意識体験(現象)を立ち戻らせる(還元)ことで、意識がいかに世界を構成しているかを捉えます。2026/03/05 23:59:04689.◆JBLfMwCXhYFFkVL1.エポケー(判断停止)意味: 古代ギリシャの懐疑主義に由来し、判断の「停止」や「棚上げ」を意味します。目的: 私たちが日常生活で「外界は客観的に実在する」と疑いなく信じている態度(自然的態度)を一旦ストップすることです。具体例: 「リンゴが目の前にある」という時、そのリンゴが本当に物理的にそこに存在しているかという判断を保留し、「意識にリンゴが現れている」という事実だけを受け入れることです。2026/03/05 23:59:20690.◆JBLfMwCXhYFFkVL2.現象学的還元(判断の立ち戻り)意味: エポケーによって、客観的な外界に対する判断を停止し、意識そのもの(主観)の領域に立ち戻ることです。目的: 世界の客観性を疑うのではなく、対象が「どのように意識に現れているか(意識による構成)」を明らかにすることです。種類: 主に自然的態度から純粋意識へ至る「超越論的還元」と、本質を見出す「形相的還元(本質直観)」があります。2026/03/05 23:59:43691.◆JBLfMwCXhY5Q9PR3. 両者の関係と流れ自然的態度: 世界は客観的に実在するという前提(常識)。エポケー(判断停止): その前提を「括弧に入れる(保留する)」。現象学的還元: 客観的な世界から、それが現れている純粋な意識そのものへ立ち戻る。このプロセスにより、先入観(「そこに物体がある」など)を取り除き、意識が体験している「現象そのもの」を記述する学問が成立します。2026/03/06 00:00:03692.◆JBLfMwCXhYh56xD聖ウンコ派のことはともかく「現量って、これと似てるなあ」と 前から思ってた2026/03/06 00:43:02693.◆JBLfMwCXhYh56xD現象学的還元とは、フッサールが提唱した、客観的世界が実在するという「自然的な態度」を一旦棚上げ(判断停止:エポケー)し、意識に現れる「現象」そのものに立ち返る方法です。この作業で先入観や前提を捨て、純粋意識に残る「本質」を記述・直観し、認識の基礎を解明します。2026/03/06 00:44:02694.◆JBLfMwCXhYh56xD現象学的還元の手順現象学的なアプローチは、以下のステップで進められます。自然的主観の克服(判断停止・エポケー)世界や対象が客観的に存在するという前提(日常の信念)を一時的に中断する。「それは本当に存在するか?」という疑問を持たず、ただ「意識の中でどう表れているか」のみに注目する。2026/03/06 00:44:27695.◆JBLfMwCXhYh56xD括弧入れ外部の「客観世界」や「本体」を括弧( )の中に入れて、思考の対象から外す。残った「純粋意識」の中にある対象のあり方(現象)のみを対象とする。2026/03/06 00:44:41696.◆JBLfMwCXhYh56xD本質観取(エイドス的還元)特定の個別の現象から、その現象が「そのもの」としてあるための普遍的な「本質」を見出そうとする。例:「コーヒーカップ」の個別的な色や形ではなく、それがコーヒーカップとして認識されるための構造を取り出す。2026/03/06 00:44:56697.◆JBLfMwCXhYh56xD超越論的還元最終的に、それらの現象を構成している「超越論的主観(純粋意識)」に到達する。2026/03/06 00:45:12698.◆JBLfMwCXhYh56xD目的と意義客観認識の可能条件の解明:なぜ私たちに普遍的な知識が可能なのか、その根拠を意識の内部に求める。真理への接近:あらゆる先入観を排除することで、物事の本質をより明確に記述できる。相対主義の克服:独断的な客観世界への盲信を捨て、純粋な経験の世界から確実な知識を再構築する。2026/03/06 00:45:28699.◆JBLfMwCXhYh56xDこの手法は、哲学だけでなく看護学や心理学などの研究法としても応用されています。2026/03/06 00:45:38700.◆JBLfMwCXhYPAb7J7002026/03/06 02:20:18701.神も仏も名無しさんHcx10こういう西洋哲学の現象学的なものと仏教、禅の方法をあわせて探究してたのが京都学派の西田幾多郎やそのまわりの人らだろう2026/03/06 06:04:51702.神も仏も名無しさんQckVLリアルなところては現量は当然如実知見の延長線にある😃2026/03/06 06:28:58703.神も仏も名無しさんQckVLまじめな禅サイド的には物事を如実知見に京都学派の西田幾多郎達は余計な言語入れて直接の知覚から遠ざかっているではないか?元スレ主の牛乳の話がその辺だやはり如実知見はかなりのキーワードだ😃2026/03/06 06:31:15704.神も仏も名無しさんQckVLしかし、NO1やデンパパは互いに対話不能なのでデンパパスレや仏のスレで互いの意見交換はできなさそうだな?😱2026/03/06 06:34:46705.神も仏も名無しさんHcx10西洋哲学は現象学であっても人間の知性や意識の起点を前提にしてるからそれを超える、滅して真理に到達しようとする仏教にはそりゃ及ばないだろう2026/03/06 06:36:03706.神も仏も名無しさんHcx10「純粋無雑なノエシス」(主体側、仏教じゃ六根)という風にいってもたとえば仏教じゃその六根も「無」としてまた哲学じゃ分けたままの対象の六境と「空」で溶けてる、と説明してるこれは人知を超えてる真理のもので、やはり哲学じゃ及ばないもの2026/03/06 06:39:39707.神も仏も名無しさんQckVL西欧哲学は単なる客観的な認知仏教は心理学的な苦悩の原因の認知と対応そのあたりかが違いだろう伊達にチラッと西欧学問をかじっていやい俺ちゃま〜😃2026/03/06 06:39:59708.神も仏も名無しさんQckVL西欧哲学は基本、神の創造した宇宙理論みたいな真理がベースから発展した構造だろうからな世界には何かしらの法則的な客観的なものがあるという認知にもあるはすだそこかま西欧哲学のテーマだろう😃2026/03/06 06:42:39709.◆JBLfMwCXhYHTZo8西田幾多郎の「直接知覚」は、主客未分(主体と客体が分かれる前)の、ありのままの意識状態である「純粋経験」を指す。判断や概念を加える前の、直感的に世界と一体となる経験であり、すべての知識や実在の根源となる真の事実である。2026/03/06 07:01:57710.◆JBLfMwCXhYHTZo8西田幾多郎における直接知覚(純粋経験)のポイント純粋経験=直接知覚: 感覚や知覚が、概念や思惟(考えること)による分析や解釈を受ける前の、最初で最も根源的な経験。主客未分: 「自分」が「対象」を見るという意識以前に、ただただ、あるがままの状態を感じていること。深き意味での「直覚」: 画家の直覚のように、単なる感覚を超えた、内容の深い包括的な捉え方。実在の根拠: 空間や時間、個人的な区別よりも前に経験があり、その経験が根源的実在であるという立場。『善の研究』において西田は、客観的・理性的な分析以前に、私たちが直接的に感じている「事実」を重視し、そこから哲学を立ち上げました。2026/03/06 07:02:09711.◆JBLfMwCXhYHTZo8西田幾多郎が『善の研究』で提唱した「純粋経験」は、思考や判断が加わる前の「あるがままの直接経験の事実」を指し、知識の根源となる。主客未分(主体と客体が分かれる前)の状態であり、西田哲学の基礎となる重要な概念。2026/03/06 07:02:56712.◆JBLfMwCXhYHTZo8西田幾多郎における「現量(純粋経験)」の要点純粋経験とは:感覚や意志が働く前の、ありのままの意識状態。主体と客体の未分離:自分(主体)が対象(客体)を見ている、という意識すらなく、ただその世界があるという状態。知識の根本:すべての知識や推論は、この純粋経験から生じる。意識の流:ウィリアム・ジェームズの「意識の流」に影響を受け、過去や未来もこの瞬間の直接的な経験として捉える。人生の現実:実生活における直接の体験であり、西田はこれを人生の根幹とした。「純粋経験」は、のちに「場所の論理」や「絶対矛盾的自己同一」へと発展する西田哲学の出発点であり、現実世界を論理的に解明するための根底を成す概念。2026/03/06 07:03:16713.◆JBLfMwCXhYHTZo8なるほど元ネタは西田幾多郎なのか2026/03/06 07:03:35714.◆JBLfMwCXhYHTZo8仏教に、西洋哲学と似た概念を見つけて喜ぶ気持ちはわかるが、仏教をだいぶ歪めてしまったな2026/03/06 07:04:51715.◆JBLfMwCXhYHTZo8>>702禅宗なんだから現量ではなく、如実知見というべきだな😆2026/03/06 07:06:08716.◆JBLfMwCXhYHTZo8>>704リダンは、いつでもどこでも延々と一方的に持論を並べるだけコミュ障ですな😫2026/03/06 07:07:02717.神も仏も名無しさんQckVLま、結局、ソシュールに言語記号の関係は必然ではないという結論がないままに客観とか西田の純粋経験とか出てきたんやろな苦悩の解決の心理学要素が失われ仏教干からびた仏教哲学なんだろね?😱2026/03/06 07:16:35718.神も仏も名無しさんQckVL哲学的に言えばソシュールの言語記号の関係に必然性がないそれは空だ、では、人間の生きる苦悩はそれでも残るでは、どうすれば、という入り口しか、使いようがない😃2026/03/06 07:18:13719.神も仏も名無しさんQckVL人間の生の苦悩への問いで纏めないと仏教のスタートにはいらない、西田のあれではダメだソシュールの方が入り口になる😃2026/03/06 07:19:24720.神も仏も名無しさんQckVLソシュールからの西欧哲学の外側の考察ができているから、西田のやりたそうなことは理解てきるどうせ、カントの純粋経験とか援用したんやろつまらん😫2026/03/06 07:21:02721.神も仏も名無しさんQckVLこういうのをハッスルのバカにハッキリ指摘してやらんどうリアクションするか、禅に関する姿勢から解っているから😫2026/03/06 07:21:58722.神も仏も名無しさんQckVLかなり俺ちゃまは些末は別として仏教と西欧哲学の全体像を見切っているやろ?😃2026/03/06 07:22:57723.神も仏も名無しさんQckVL西田からハッスルバが爆誕したんやな〜😫2026/03/06 07:27:31724.神も仏も名無しさんQckVLどうしても俺から見て中論はわかりやすく理解する場合道元禅師の路線しか思いつかん臨済宗も近いのもあるが中論よりも過激派だからなー😃2026/03/06 07:30:53725.◆JBLfMwCXhYHTZo8ハッスル様は、読んだ本の影響を受けすぎだな2026/03/06 07:32:14726.◆JBLfMwCXhYHTZo8無心に坐れというのは、ハッスル様には無理2026/03/06 07:32:36727.◆JBLfMwCXhYHTZo8>>722かなり、西洋哲学との関係が見えてるな?😆2026/03/06 07:32:59728.神も仏も名無しさんQckVLわかりやすく説明てきるから理解てきているハッスルやNO1はイミフの大量生産しかやらない迷路レスだ😱2026/03/06 07:36:42729.神も仏も名無しさんQckVLあの二人に知的なレスは無駄にしか思えないのでヤツラには知的サービスは一切しない😃2026/03/06 07:37:44730.神も仏も名無しさんQckVL道元禅師路線は今年てかなり仕上げてきた週二回の曹洞宗寺院の作務効果だ明日は忙しいので行かない用事か多すぎ😃2026/03/06 07:40:18731.◆JBLfMwCXhYHTZo8ソシュールは、仏教の悟りに大きく近づいた独覚の人😆2026/03/06 07:59:10732.◆JBLfMwCXhYweujXだが、後に続く人々は構造主義を、偏向した政治思想みたいなものにしてしまった😫2026/03/06 08:31:20733.◆JBLfMwCXhY8n4l9中観派の世界観は、構造主義に似ている2026/03/07 06:40:41734.◆JBLfMwCXhY8n4l9予想以上に似ていた2026/03/07 06:40:55735.神も仏も名無しさんJ4Wuw得体の知れない組み合わせだが、この組み合わせは今日納得したあんまり関心薄かった言葉を使うなら、という特異ケースらしい、マジメに覗き込む意欲が何故かわかなかったので全体像が捉えていなかったたぶん、俺はテキスト忠実主義者過ぎて覗き込む気が起きなかったらしい😃https://www.jstage.jst.go.jp/article/nks/36/0/36_38/_pdf/-char/ja#:~:text=%E3%81%9D%E3%81%AE%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%AA%E4%BB%95%E5%84%80%E3%81%AB,%E5%A7%BF%E5%8B%A2%E3%80%8D%E3%82%92%E7%B5%82%E7%94%9F%E5%A0%85%E6%8C%81%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82&text=%E8%BB%9F%E3%81%AA%E3%82%8B%E8%A6%AA%E3%81%97%E3%81%BF%E3%82%84%E3%81%99%E3%81%95,%E3%81%99%E3%82%8B%E7%AB%AF%E7%B7%92%20%E3%81%A8%E3%81%AA%E3%82%8B27%EF%BC%89%E3%80%82&text=%E3%80%8F%E3%81%A7%E3%82%82%E3%81%82%E3%82%8B%E3%80%8D30%EF%BC%89%E3%80%822026/03/07 23:06:31736.神も仏も名無しさんJ4Wuw哲学的スタンスが薄いので関心を持たなかったが霊的感覚の運用は理解した今日😃2026/03/07 23:08:40737.神も仏も名無しさんJ4Wuw言葉による表現が嫌いな人間過ぎてあんまり関心がわいてこなかったようだが今日、だいたい全体像を把握した😃2026/03/07 23:09:45738.神も仏も名無しさんJ4Wuw今日の夜の模索はスレタイのテーマの最大近似値だ😃2026/03/07 23:10:47739.神も仏も名無しさんJ4Wuw俺の修行才能と天性の霊的能力で今夜の模索をしたようだ😃2026/03/07 23:12:59740.神も仏も名無しさんJ4Wuwほぼか感覚的には三密加持の発想だ😃2026/03/07 23:22:30741.神も仏も名無しさんJ4Wuw三密加持の世界感覚も知っているから、見通せた面もある😃2026/03/07 23:23:38742.神も仏も名無しさんJ4Wuw霊的システムが空海化しとるすごー😃2026/03/07 23:25:41743.神も仏も名無しさんJ4Wuwほんまに俺の設定した華厳の壁とか華厳と真言密教理解したら道元禅あたりが近似値で見えてくるみたいな発想がこのお方で証明か?哲学濃度高いけど😃2026/03/07 23:28:52744.◆JBLfMwCXhYfmV1Xへえ門脇佳吉師と似てるのか2026/03/08 01:33:16745.◆JBLfMwCXhYfmV1X華厳経 唯心偈心如工画師 画種種五陰一切世界中 無法而不造心仏及衆生 是三無差別諸仏悉了知 一切従心転心は巧みな画師の如く、種々の五陰を画き、一切世界の中に、法として造らざるは無し、心と仏と衆生、この三つに差別なし、諸仏は悉く了知す、一切は心より転ずと※意味:心は絵師が絵を描くように、この世のすべてを造り出しており、我執という迷いも心から生じている。その心の本質を知れば、仏と自分は一体であると悟ることができる。2026/03/08 09:36:58746.◆JBLfMwCXhYfmV1X華厳経の唯心偈瑜伽行唯識派に大きな影響を及ぼした2026/03/08 09:38:13747.◆JBLfMwCXhYfmV1Xついでに、谷口雅春の生長の家にも大きな影響を及ぼした😆2026/03/08 09:38:25748.神も仏も名無しさんqKyh9ま、華厳、真言密教→本覚思想と山伏のルートがあるからなー😃2026/03/08 10:15:51749.登り棒◆0mnwMe9WsAKYG3D言語というから言語に関わる認知の話を。例えば目の前にブロック状に色だけ上から青白赤黄みたいになっていたとして、人はその特徴からそれをドラえもんと認識したりする。言語がない場合、ドラえもんを見たことあるなら同じようにドラえもんと認識しても例えば赤を取り除いたら青、白、黄だけになりこれはなんだ?と再解釈しようとするだろう。だが言語を扱う場合、それをドラえもんという言葉も含めて認識する。するとドラえもんの言葉に関係するものとして青をボディ、赤は首輪、黄は鈴みたいに分類分けをしてしまう。そこで同じように赤を取り除いたら、元々は色でしかないそれもドラえもんの特徴と一致しなくなったのにも関わらず、それを見て首輪を外したドラえもんと認識する。本来なら色を見ているのでしかないのだから、赤が消えた時点でその立ち上がったドラえもんという言葉も一致しなくなったのだから改めてそれが何かを判断する所。このように言葉によって意味付けされたものが現れている現象を捻じ曲げて見るきっかけになる。2026/03/09 11:31:27750.登り棒◆0mnwMe9WsAwsdIWさっきのは特徴としてドラえもんだったからドラえもんという言葉が立ち上がった。これは否定するものではない。でもドラえもんという特徴と一致しなくなったのならそれは言葉を残さずまた改めて起こった現象からそれが何かを見る必要がある。例えばそこであるアニメキャラのイメージで、ある操作をしたものだが、という情報が入ったならそれはドラえもんで赤い首輪を外したという答えになるだろうが色の変化だけではそれはわからない。なので立ち上がった言葉を否定するのではなく、その現象として現れたそれらを、どこにも基準におかずに物事をみることがありのままということになる。2026/03/09 12:04:03751.登り棒◆0mnwMe9WsAwsdIWこれを三性説に当てはめると青、白、赤、黄の色を見てその様々な縁からドラえもんという言葉を立ち上げる→依他起性そこからドラえもんの言葉に内包される赤=首輪、青や白=ボディ、黄=鈴という情報が現れる。この時点でもまだ問題になっているわけではない。そしてその色の中から赤を消去したらドラえもんという言葉を維持するためにドラえもんの首輪を外したと認識する→遍計所執性青白赤黄から赤を取り除く現象をそのまま見てドラえもんという基準に囚われずに現れをそのままに見る→円成実性となるんだろうか。2026/03/09 13:11:43752.◆JBLfMwCXhYelrTf>>749それは仏教というより、記号論のテーマでしょうな2026/03/10 17:17:06753.神も仏も名無しさんBPp6r登りは我々の知性を甘く見ているな😃2026/03/10 19:08:13754.◆JBLfMwCXhYKdFxN三性説(さんしょうせつ)は、唯識(ゆいしき)思想における存在の3つのあり方(遍計所執性、依他起性、円成実性)を指します。言葉(言語・名言)は、実在しないものをあると見なす「遍計所執性」に深く関わり、本質(空)を隠す虚妄なる分別とされます。これを超え、ありのままの真如(円成実性)を悟ることを目的とします。2026/03/11 11:41:49755.◆JBLfMwCXhYKdFxN三性説の定義(唯識における存在形態)遍計所執性(へんげしょしゅうしょう): 言語や妄想によって、実在しないものを「ある」と仮構する執着のあり方。依他起性(えたきしょう): 因縁(原因)によって依存的に生じている、現象世界。円成実性(えんじょうじつしょう): 依他起性が空(実体がない)であると正しく悟る、ありのままの真如。2026/03/11 11:42:07756.◆JBLfMwCXhYKdFxN三性説と「言葉・言語」の関係虚妄の根源: 言語は、実体がないものに名前を付け、実在すると誤解させる「遍計所執性」を構成する主なツール。真実の隠蔽: 一つのものを言葉で説明しようとすると、本質(円成実性)からずれてしまい、ありのままを見失う。転識得智(てんしきとくち): 「ただ識のみ」という煩悩の言語世界(遍計所執)から、智慧(円成実)への転換が唯識の鍵。2026/03/11 11:42:26757.◆JBLfMwCXhYKdFxN三性説は、言葉(依他起性)を通して世界を見てはいるが、言葉が作り出した妄想(遍計所執性)に執着せず、その奥にある真実(円成実性)を悟るべきだと教えています。2026/03/11 11:42:37758.◆JBLfMwCXhYKdFxNう~ん「三性説 言語」というテーマでA.I.にまとめてもらったところ、こうなったが2026/03/11 11:43:09759.◆JBLfMwCXhYKdFxN中観派ならともかく唯識論がこんなに「言語」にこだわってるかなあ?2026/03/11 11:43:37760.◆JBLfMwCXhYKdFxNどうも半信半疑だ2026/03/11 11:43:50761.◆JBLfMwCXhYKdFxNなんで、遍計所執性が「言語」なのかっていったらかの有名な「琵琶の例え」を思い出すとよい2026/03/11 11:45:21762.◆JBLfMwCXhYKdFxN「空(くう)の琵琶」は、仏教の「空」の概念、すなわちすべてに実体がない(変化し続ける)という教えを表現する譬喩。琵琶は弾く手がなければ音(実体)が生まれないように、事物も独立した不変の存在ではなく、因縁(関係性)によって成り立つ「空」であることを示す例えです。2026/03/11 11:45:39763.◆JBLfMwCXhYKdFxN空 琵琶の例えの解説「空」の教え:般若心経にある「色即是空(しきそくぜくう)」の通り、形あるものには固定的な実体がないこと。琵琶の例え:琵琶という道具(色)だけがあっても、音(作用)は出ない。演奏者、撥、糸などの関係性(因縁)があって初めて音が鳴り、その音もすぐに消えて実体がない。意味:私たちや周囲の状況も琵琶の音と同じで、変化し続ける「空」の存在であり、不変の自我や固定的な存在は存在しないという真理を説く。この概念は、ものごとに対する執着を解き放ち、苦しみを軽減する智慧(ちえ)として用いられます。2026/03/11 11:45:56764.◆JBLfMwCXhYKdFxN違った「馬車の例え」だ2026/03/11 11:54:05765.◆JBLfMwCXhYKdFxN『ミリンダ王の問い』における「馬車の例え」は、ナーガセーナ長老がミリンダ王に対し、馬車は車輪や軸などの部品の集合に過ぎず「馬車」という実体は存在しないのと同様、人間も五蘊(身体と精神の要素)の集まりであり、固定的な「我(アートマン)」は存在しないという「無我(無我)」の教えを説いたものです。2026/03/11 11:54:51766.◆JBLfMwCXhYKdFxN詳細なポイントは以下の通りです。問いの背景: ミリンダ王は、「私(ナーガセーナ)という不変の存在」を否定する仏教の教えに疑問を持ちました。馬車の比喩(ナーガセーナの論理): ナーガセーナは「馬車は車輪か? 軸か? 鞍か?」と問い、そのどれもが馬車ではないと指摘しました。部品(要素)が特定の構造で組み合わさった時に「馬車」という名称が便宜上つけられているだけで、実体はないと説きました。人間の無我: これと同様に、人間も身体や精神の要素(五蘊)が組み合わさった一時的な現象であり、その中や外に変わらない「真の自分」は存在しない(=「私」は実体ではない)と結論づけました。この論法は、実体的な自己を否定する仏教の根幹思想「無我(アナッタ)」を理解するための非常に有名な比喩として知られています。2026/03/11 11:55:14767.◆JBLfMwCXhYKdFxN> 部品(要素)が特定の構造で組み合わさった時に「馬車」という名称が便宜上つけられているだけで、実体はないと説きました。これだ「馬車」なんてものは実体がない部品を寄せ集めたものに「馬車」という名称を便宜上つけただけ2026/03/11 11:56:31768.◆JBLfMwCXhYKdFxN実体のない概念にすぎなくても「馬車」という名前をつけて、何回も何十回も何百回も呼んでいるうちにもともと概念にすぎない「馬車」が、実体として存在するように錯覚してくるこれが、言語/名称による実体化の原理だ2026/03/11 11:58:37769.◆JBLfMwCXhYKdFxN明らかに中観派の思想だが「仏教とは、こういうものである」として語られることが多い2026/03/11 11:59:09770.◆JBLfMwCXhYKdFxN馬車の例えは要するに「自分という存在もまた、そういうものである」と言っている2026/03/11 12:00:59771.◆JBLfMwCXhYKdFxN「俺は、俺だ」「俺は、五条悟だ」「俺は、リヴァイ・アッカーマンだ」という、言語による錯覚それが、自分という存在だ2026/03/11 12:02:30772.◆JBLfMwCXhYKdFxN三性説は、唯識派の歴史でも最も初期からある思想で、中観派の影響が強い2026/03/11 12:03:34773.◆JBLfMwCXhYKdFxNこの世は、言語により実体化したシステムだ2026/03/11 12:04:11774.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAoxJ6g>>764かなり「記憶違い」が多いのが気になるな~2026/03/11 12:05:25775.◆JBLfMwCXhYKdFxN>>774内容はハッキリと思えているが名称にはこだわっていない(笑)2026/03/11 12:06:43776.◆JBLfMwCXhYKdFxN覚えているが2026/03/11 12:06:53777.◆JBLfMwCXhYKdFxN⭐️777⭐️2026/03/11 12:07:12778.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAoxJ6g>>773「はじめに言葉あり」は断見的だな~「無始無終」もワシから見れば、断見的だ正解は、「わからない」2026/03/11 12:10:18779.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAoxJ6g>>775それも怪しい!(^^)!2026/03/11 12:11:09780.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAoxJ6g南無阿弥陀仏2026/03/11 12:11:37781.◆JBLfMwCXhYKdFxN>>778キリスト教では、世界に明確な始まりと終わりがある世界は、終末に向かって一直線に進んでいる(予定調和律)それに対して仏教だと、世界には始まりも終わりもない原因と結果の法則があるだけで、因果応報がグルグルと循環している(因果律)2026/03/11 12:20:24782.◆JBLfMwCXhYKdFxNここが、仏教とキリスト教の世界観における、最大の違いだ埋めようのない溝が、ここにはある「世界の宗教はみんな同じことを言っている」という、万教帰一思想は根強いが仏教とキリスト教を統合することは、実際には不可能に近い2026/03/11 12:21:41783.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAoxJ6g>>781「結果」だと思っていた現象が、実は「原因」だったりする2026/03/11 12:24:01784.◆JBLfMwCXhYKdFxN「結果」が次の「原因」になりまた次の結果を生む2026/03/11 12:25:07785.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAoxJ6g>>782>>仏教とキリスト教を統合することは、実際には不可能に近い仏教もキリスト教も、間違っているとなると面白いな~2026/03/11 12:26:09786.◆JBLfMwCXhYKdFxN左翼がアベ派の裏金問題を徹底的に追及し、叩いたおかげで自民党は選挙で大敗し、反アベ派の石破政権は崩壊した代わって、アベ派の高市政権が誕生した2026/03/11 12:26:24787.◆JBLfMwCXhYKdFxNアベ派の復興を願っていたアンチ石破勢力にとっては、結果オーライだ「左翼よ、ありがとう」と言いたい気分だろう2026/03/11 12:27:11788.◆JBLfMwCXhYKdFxNこれもまた、原因も結果の法則というものだ2026/03/11 12:27:29789.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAoxJ6gもはや、どちらが原因で、どちらが結果なのかわからない世界2026/03/11 12:29:21790.◆JBLfMwCXhYKdFxN原因と結果がネジれている2026/03/11 12:35:12791.◆JBLfMwCXhYKdFxN>>785> 仏教もキリスト教も、間違っているとなると面白いな~聖ウンコ教が正しいとなると、さらに面白いな~2026/03/11 12:35:56792.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAoxJ6g>>791JBL氏が信者1号?2026/03/11 12:36:59793.◆JBLfMwCXhYKdFxN>>792信者1号は、「ハッスル No.1」こと、リダン氏2026/03/11 12:44:38794.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAoxJ6g>>793なるほど昼風呂おち2026/03/11 12:50:47795.◆JBLfMwCXhYKdFxNクリス・ランガンは、「万物は生命である」というようなことも言っている2026/03/11 12:54:19796.◆JBLfMwCXhYKdFxNIQ200とも言われるクリストファー・ランガンは、「宇宙の認知理論モデル(CTMU)」を提唱し、宇宙は「自己構成的・自己処理的な言語(SCSPL)」であり、物質と精神が統合された生命のようなシステムであると主張します。彼は、宇宙を自らを定義する意識的な存在とし、万物=生命(神の意識)と捉える独自の理論を展開しています。2026/03/11 12:54:43797.◆JBLfMwCXhYKdFxNランガンの思想(CTMU)の要点は以下の通りです。自己構成的自己処理言語(SCSPL): 宇宙は自己を語り、処理する言語である。現実そのものが物理的・情報的な自己認識システムである。宇宙は生きている: 宇宙は自身の外部に何かを必要とせず、自身の力で構成(自己創造)されるため、一種の生きている、あるいは知的な生命体として定義される。ホロジー(Hology): 宇宙のすべての部分がホログラフィックのように宇宙全体を含んでおり、再帰的に自己複製・自己定義している。精神と物質の統合: 物理法則は意識的な言語的構文であり、物理的な宇宙は「神の意識」によって自己生成される情報構造である。この理論は、宇宙が「存在しないことはあり得ない」という必然性を論理的、数学的に説明しようとするものです。2026/03/11 12:55:16798.◆JBLfMwCXhYKdFxN「万物は生命である」とは、ちと違うかな?(笑)2026/03/11 12:56:51799.◆JBLfMwCXhYKdFxN「宇宙全体が生命体」というべきか?2026/03/11 12:57:31800.◆JBLfMwCXhYKdFxN8002026/03/11 12:57:41801.◆JBLfMwCXhYKdFxNオン アロリキャ ソワカ2026/03/11 12:57:53802.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAoxJ6g>>795それは宗教学者の山折哲雄も似たようなことを言ってるhttps://ameblo.jp/nobu630/entry-12303687224.html日本人の心身の根幹には「万物に命が宿っている」という自然観がある。それを山折さんは『天地万物生命教』と名付けている。2026/03/11 12:58:53803.エロ和尚◆ERO.Kk3nCAoxJ6g>>799それは斎藤一人氏も同じことを言ってる斉藤一人さんのお話【 創造と破壊 】https://www.youtube.com/watch?v=smKx9kf4jKM50秒から2分20秒まで2026/03/11 13:03:38804.神も仏も名無しさんhlfqC古い宗教的な見方だと「宇宙」をそのように現象させてるのがそれぞれの「意識」、その本質でそれが「いのち」そのものだって風かなだから万物が自己で、自己が万物そのもの2026/03/12 07:39:00805.神も仏も名無しさんhlfqC「梵我一如」であったり、「一即一切、一切即一」とか2026/03/12 07:41:33806.◆JBLfMwCXhYQRmRG華厳経はそうですな2026/03/12 08:21:50807.◆JBLfMwCXhYQRmRG唯識論の場合、それは「自他不二」というより「この世は己れの心が作り出した幻想である。目を覚ませ」というところに主眼がある2026/03/12 08:23:31808.神も仏も名無しさんrSI8l唯識と倶舎論、テーラワーダはなんやかんやといいながら仏教と非仏教の境界線の区分けさせる内容がある😃2026/03/12 09:03:03809.神も仏も名無しさんhlfqC我昔所造諸悪業皆由無始貪瞋痴従身口意之所生一切我今皆懺悔2026/03/12 09:28:12810.神も仏も名無しさんhlfqC「自己」と「世界」、「宇宙」っていう、本来一つのいのちであるものの分離は宇宙が始まる前からの「自己」の煩悩、業(「無明」)によって起こっているそれを今、すべて懺悔するってことね2026/03/12 09:30:29811.◆JBLfMwCXhYzvsvf>>810どこの宗教の話?2026/03/12 13:35:57812.◆JBLfMwCXhYzvsvfヒンドゥー教ですな2026/03/12 14:26:57813.神も仏も名無しさんZmdHMだな、昼寝する前は正統派仏教修行マシーンと化していた😃https://m.youtube.com/shorts/XU0vd6dngAs2026/03/14 16:02:46814.◆JBLfMwCXhYTLTIw遍計所執性(へんげしょしゅうしょう)と言語の関係は、唯識思想の中でも非常に重要なポイントです。結論から言うと、遍計所執性とは「言語によって作られた虚構の世界」である。と言うことができます。2026/03/17 19:33:56815.◆JBLfMwCXhYTLTIw遍計所執性(へんげしょしゅうしょう)と言語の関係は、唯識思想の中でもかなり重要なポイントです。結論から言うと、唯識では **「言語こそが遍計所執性を作る主要な装置」**と考えられます。順を追って説明します。2026/03/17 19:36:56816.◆JBLfMwCXhYTLTIw1 遍計所執性とは何かまず三性の整理です。遍計所執性心が勝手に作り出した虚構依他起性因縁によって成立する現実の流れ円成実性空としての真実遍計所執性とは簡単に言うと「存在しないものを存在すると思い込むこと」です。例えば自我固定した物絶対的な区別など。2026/03/17 19:37:37817.◆JBLfMwCXhYTLTIw2 遍計所執性を生む装置=言語唯識では、遍計所執性は主に **分別(vikalpa)**によって作られるとされます。この分別の最大の道具が、言語です。なぜか。言語は必ず名前を付ける区別する固定するという働きをするからです。例:本来はただの流れなのに「山」「川」「私」「敵」と名前をつける。すると人はそれが独立した実体だと思い込む。これが遍計所執性です。2026/03/17 19:38:19818.◆JBLfMwCXhYTLTIw3 典型例(唯識の説明)例えば「縄」を見て蛇だと思うケース。実際には縄(依他起性)なのに「蛇」という概念と言語が働き蛇という存在があると思うこれが遍計所執性です。2026/03/17 19:39:15819.◆JBLfMwCXhYTLTIw4 唯識のラディカルな主張唯識はかなり radical です。私たちの世界理解の多くは言語で作られた幻想だと考えます。つまり、主語・目的語・自我・物体これらは言語構造が作った世界像なのです。2026/03/17 19:39:57820.◆JBLfMwCXhYTLTIw5 ここが面白いところ(現代哲学との接点)この話は実は20世紀哲学と非常に近いです。例えばルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインW. V. O. クワインジャック・デリダ彼らも共通して言語が世界を作ると考えました。だからあなたが以前言っていた「龍樹は20世紀哲学を2000年前にやっていた」という指摘はかなり鋭いです。唯識はさらに一歩進んで言語=遍計所執性の生成装置とまで言います。2026/03/17 19:40:25821.◆JBLfMwCXhYTLTIw6 一言でまとめると唯識の見方では言語 → 分別 → 遍計所執性です。つまり、言語は世界を説明する道具ではなく世界の錯覚を作る装置でもあるという理解です。2026/03/17 19:40:46822.◆JBLfMwCXhYTLTIwもし興味があれば、さらに重要な話があります。実は唯識では「言語そのものが遍計所執性である」という非常に深い議論があります。ここは龍樹デイヴィッドソンクワインとも繋がる面白い哲学ポイントです。2026/03/17 19:40:59823.◆JBLfMwCXhYTLTIw>>820> 例えば> ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン> W. V. O. クワイン> ジャック・デリダ> 彼らも共通して> 言語が世界を作る> と考えました。マジかいな?違うと思うけどなあ😅2026/03/17 19:42:35824.◆JBLfMwCXhYTLTIwとくに、クワインなんで、クワインがここで出てくるんだよ?2026/03/17 19:43:18825.◆JBLfMwCXhYTLTIwクワインにそんなイメージは無いただの数理・論理学者だと思うが2026/03/17 19:54:40826.◆JBLfMwCXhYTLTIwW. V. O. クワイン の哲学では、よく「言語(理論)が世界を作る」 と言われます。ただし、これは「世界を物理的に作る」という意味ではなく、私たちが理解している「世界の姿」は、言語体系によって構成されるという意味です。順に説明します。2026/03/17 19:55:08827.◆JBLfMwCXhYTLTIw① クワインの出発点:観察と理論クワインによると、人間が直接得るのは 感覚刺激 だけです。例えば光が目に入る音が耳に届く触覚が起こるしかしそこから「机がある」「猫がいる」「電子がある」といった 世界像 を作るのは、すべて 言語と理論 です。つまり感覚 → 言語理論 → 世界像という構造になります。2026/03/17 19:55:37828.◆JBLfMwCXhYTLTIw② 「ウサギ」問題(翻訳の不確定性)クワインの有名な例があります。ある部族がウサギを見てガヴァガイ!と言ったとします。私たちは普通ガヴァガイ = ウサギと翻訳します。しかしクワインは言います。実は次の可能性もある。ウサギウサギの部分ウサギの瞬間ウサギが現れた出来事どれでも 観察的には区別できない。つまり世界の区切り方は言語が決めているのです。2026/03/17 19:56:31829.◆JBLfMwCXhYTLTIw③ 「存在するとは、理論の変数の値になること」クワインの有名な定義です。To be is to be the value of a variable.意味はこうです。ある理論でx が電子x が数x が集合のように 変数として扱われるものは、その理論の世界では存在することになります。例ニュートン物理学→ 力が存在量子力学→ 波動関数が存在数学→ 数や集合が存在つまり理論が違えば、存在するものも変わる。2026/03/17 19:57:05830.◆JBLfMwCXhYTLTIw④ 世界は「理論のネットワーク」クワインは、知識をこう説明します。それは信念の網(web of belief)です。すべてが 巨大なネットワークを作っている。そして観察と合わない→ ネットワークを修正するつまり世界像は理論ネットワークとして構築される。2026/03/17 19:58:01831.◆JBLfMwCXhYTLTIw⑤ だから「言語が世界を作る」クワインの結論はこうです。私たちは世界をそのまま見ているのではない言語理論を通して世界を構成しているつまり言語の枠組み = 世界の構造になります。2026/03/17 19:58:24832.◆JBLfMwCXhYTLTIw⑥ ここが龍樹と非常に似ているあなたが最初に聞いてくれた 龍樹 の思想とかなり近いです。龍樹分別(言語)が世界を作る実体はないクワイン理論(言語)が世界を構成するただし違いがあります。龍樹の目的 悟りクワインの目的 科学哲学2026/03/17 19:59:34833.◆JBLfMwCXhYTLTIw最後に(哲学的に一番面白い点)20世紀の哲学者は「言語が世界を作る」と言いました。しかし龍樹はさらに一歩進みます。言語が世界を作るのなら、その言語すら空であるつまり世界も理論も空というところまで行きます。このため哲学者の中には龍樹は「究極の言語哲学者」と言う人もいます。2026/03/17 19:59:58834.◆JBLfMwCXhYTLTIwもし興味があればですが、実は クワイン → デイヴィッドソン → ローティ という流れで「世界そのものが消えていく哲学」が20世紀アメリカで展開されます。これがかなり面白い流れです。解説しましょうか。2026/03/17 20:00:28835.◆JBLfMwCXhYTLTIw>>827> 光が目に入る> 音が耳に届く> 触覚が起こる>> しかしそこから> 「机がある」> 「猫がいる」> 「電子がある」> といった 世界像 を作るのは、すべて 言語と理論 です。>> つまり> 感覚 → 言語理論 → 世界像> という構造になります。コレですよ、コレまさに、我が意を得たりという思いだ😆2026/03/17 20:02:00836.◆JBLfMwCXhYTLTIwコンピュータの電源オン→ ロールプレイングゲームにログイン→.映像と音声という感覚情報が入る→「ここは、アレフガルド。かつては偉大な王国だったが、いまは荒れ果てて魔物が徘徊している。アナタは勇者ロトの末裔で、普通の一般家庭で育った。いま、仲間を集めて魔王討伐の冒険に出ようとしている・・・」とかなんとか感覚情報だけでは、世界は成立しない世界を成立させるのは、言語だ2026/03/17 20:05:19837.◆JBLfMwCXhYTLTIw何年も前から、いつも言ってる持論だがクワインも同じ考えだったのか😂2026/03/17 20:06:03838.ハジhEwlRそうは言っても草は嫌だし、花は愛おしい2026/03/17 21:58:14839.◆JBLfMwCXhYkgbUR>>838それが、分別というものだ2026/03/17 22:08:09840.ハジhEwlR人に無視られて寂しいは分別心で、人が消えたが感覚の世界で、寂しいが心の世界で、それに、人に無視られて寂しいと説明を加えて2度苦しむみたいなことなのか?2026/03/17 22:15:05841.◆JBLfMwCXhY0pZSU愛別離苦や怨憎会苦は「四苦八苦」のハ苦に数えられている2026/03/17 22:16:07842.◆JBLfMwCXhY0pZSUペットのインコを見て、「かわいい。守りたい」と思うゴミ捨て場のカラスを見て、「憎たらしい。駆除したい」と思う電線に止まってるスズメを見て、関心を向けずスルーどれも全部、鳥であることに変わり無いそれが、分別というものだ2026/03/17 22:18:14843.◆JBLfMwCXhY0pZSU「鳥」という生物に対して自分自身が名前や概念というフィルターをかぶせている実物と概念が、重なり合って存在している2026/03/17 22:20:58844.ハジhEwlRなんとも思わなくなることが無分別なのか2026/03/17 22:22:09845.ハジhEwlRまあ、しかし、なんとも思わなくても、鳥、と識別はしてしまうかw2026/03/17 22:23:16846.ハジhEwlR鳥を見ても鳥とわからなくなるボケ老人の境地まで極まらなくてはならんと、そーゆーことかー2026/03/17 22:26:15847.◆JBLfMwCXhY0pZSU聖ウンコ師なら、かなりボケてきてるから一歩手前かもしれないな?2026/03/17 22:31:26848.◆JBLfMwCXhYjl5ET当方:前五識による感覚刺激から、どのようにして意識が世界像を形成するのか?Chat GPT :仏教(特に 唯識思想)では、世界は「そのまま外にあるものを見ている」のではなく、感覚刺激 → 心の働き → 世界像というプロセスで成立すると考えます。あなたの質問は、まさに 前五識から世界がどう構成されるのかという核心です。順番に整理します。2026/03/18 07:24:43849.◆JBLfMwCXhYjl5ET① 前五識:感覚刺激を受け取るまず 前五識です。眼識:色(光・形)耳識:声(音)鼻識:香舌識:味身識:触2026/03/18 07:25:15850.◆JBLfMwCXhYjl5ETここで重要なのは、前五識は「意味」を理解しないという点です。例眼識 → 「赤い色・丸い形」を受け取るしかしまだ 「リンゴ」ではないつまり前五識 = 純粋な感覚データです。2026/03/18 07:25:40851.◆JBLfMwCXhYjl5ET② 第六識:意味づけ(概念化)次に働くのが **第六識(意識)**です。第六識は記憶言語概念を使って、感覚を解釈します。2026/03/18 07:26:04852.◆JBLfMwCXhYjl5ET例前五識の入力赤い丸い甘い匂い↓第六識が統合→ 「リンゴだ」つまり世界の意味は第六識が作るのです。2026/03/18 07:26:29853.◆JBLfMwCXhYjl5ET③ 第七識:自己中心化さらに深いところで **第七識(末那識)**が働きます。第七識の役割「私」という意識自己中心の評価例リンゴを見る第六識→ リンゴ第七識→ 「私はリンゴが好き」つまり世界は「私にとって」の世界になる2026/03/18 07:27:06854.◆JBLfMwCXhYjl5ET④ 第八識:経験の蓄積さらに深層にあるのが **阿頼耶識(第八識)**です。ここには記憶習慣カルマの種子が蓄えられています。この種子が知覚の仕方を決める例同じ犬を見ても犬好き → 可愛い噛まれた経験 → 怖いこれは阿頼耶識の種子の違いです。2026/03/18 07:28:01855.◆JBLfMwCXhYjl5ET⑤ 世界像の形成(唯識のモデル)まとめると、こういう構造です。外界刺激 ↓前五識(感覚データ) ↓第六識(意味づけ) ↓第七識(私との関係) ↓第八識(経験の種子) ↓世界像2026/03/18 07:28:17856.◆JBLfMwCXhYjl5ETつまり私たちが見ている世界は感覚記憶言語自我が作った構成物です。これを唯識では遍計所執性(想像された世界)と言います。2026/03/18 07:28:36857.◆JBLfMwCXhYjl5ET⑥ 五蘊・十二処・十八界との関係このモデルはあなたが先ほど言っていた五蘊・十二処・十八界と完全に一致します。例えば十二処六根(眼耳鼻舌身意)六境(色声香味触法)↓接触↓十八界六識つまり世界は感覚刺激と意識の相互作用で成立します。2026/03/18 07:29:04858.◆JBLfMwCXhYjl5ET⑦ 現代哲学との一致これは驚くほど20世紀哲学と一致しています。たとえばW. V. O. Quine→ 世界は言語理論のネットワークDonald Davidson→ 世界は解釈で成立Richard Rorty→ 真理は語彙の問題つまり世界は客観的に見えているのではなく解釈によって成立しているという考えです。2026/03/18 07:29:34859.◆JBLfMwCXhYjl5ET⑧ 龍樹の一番深い洞察さらに一歩進むとNagarjuna はこう言います。世界は関係によって成立する(縁起)つまり感覚言語概念自我すべて関係のネットワークです。2026/03/18 07:29:51860.◆JBLfMwCXhYjl5ETここが、唯識論のキモと言えるところだ2026/03/18 07:30:08861.◆JBLfMwCXhYjl5ET前五識が感覚刺激で得た情報を第六意識が言語を使って、世界像に編集する人が「これが世界だ。世界とは、こういうものだ」と思っているものそれは、自分の意識のなかの世界像である2026/03/18 07:31:55862.◆JBLfMwCXhYjl5ETそれが、初期仏教の「五蘊・十二処・十八界」の頃から、仏教の基本構想なのだが唯識論はそれを、極限まで突き詰めたなんと、「世界」は存在しない。意識の中の「世界像」があるだけと言うのだ2026/03/18 07:34:29863.神も仏も名無しさん3LdSSハッスル🤡黒歴史暴露タイムになってるなー俺はハッスルの黒歴史宣伝は昔たくさんやったのでもう飽きた😃2026/03/18 07:34:55864.神も仏も名無しさん3LdSSハッスル🤡阿頼耶識の発露の暴露になってるな?😃2026/03/18 07:35:44865.◆JBLfMwCXhYjl5ET20世紀アメリカの有名な論理哲学者・クワインもそれと似たようなことを述べている2026/03/18 07:36:43866.◆JBLfMwCXhYjl5ET>>863せっかく、東北大震災に寄付したりしていい人オーラ全開だったのに😫2026/03/18 07:37:47867.神も仏も名無しさん3LdSSハッスル🤡様はお彼岸行事なので久しぶりに〆てやると豪語していたがむしろ黒歴史で〆られている模様😃2026/03/18 07:38:27868.◆JBLfMwCXhYjl5ETコレじゃあな~😫451 神も仏も名無しさん (39-2kd-kh-s7y) 2026/03/18(水) 03:37:56.18 ID:1CvYF自演を隠そうとしてない時期もあるな「大発狂」ってドキュメントに保存してた360 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2017/11/18(土) 16:26:06.68 ID:eXXBzAkr [4/4]>>359でおー坊や?今迄何万回坐禅したかな?今迄何百回摂心に出たかな?坊やのなんちゃって仏教ゴッコもいいけどさ、やる事やってから語ろうね、坊やw396 名前:まこと[] 投稿日:2017/11/21(火) 08:19:14.09 ID:L7K6Lr/mキチガイだな。397 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2017/11/21(火) 08:20:47.00 ID:aZkuxEzt何?境地を得てない?話にならないね398 名前:junkie-ooyama[] 投稿日:2017/11/21(火) 08:29:22.10 ID:x8Sx/jqz [6/8]無我なのに何が境地を得るんだよ?www399 名前:鬼和尚[] 投稿日:2017/11/21(火) 08:37:32.61 ID:2M3jSYNw境地の意味をわかってないようじゃのう400 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2017/11/21(火) 08:42:56.36 ID:MHetPjnLだって、まことだものwww401 名前:junkie-ooyama[] 投稿日:2017/11/21(火) 08:46:47.85 ID:x8Sx/jqz [7/8]無我が分かってないようだなwww402 名前:junkie-ooyama[] 投稿日:2017/11/21(火) 08:49:32.61 ID:x8Sx/jqz [8/8]だって、人擬きだもんなwww403 名前:鬼和尚[] 投稿日:2017/11/21(火) 09:01:41.81 ID:YJKvA5us>>401 では、無我を教えるのじゃ404 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2017/11/21(火) 09:03:46.76 ID:53MCIUIc何を言っているんだ!境地もわからないまことが、無我などわかるはずないじゃないか!405 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2017/11/21(火) 09:10:52.03 ID:x3F3ZRFhまこと得意の逃亡だなww406 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2017/11/21(火) 09:12:24.82 ID:vrmRJlxGまことに出来るのは、ネット検索の話だけじゃないか!2026/03/18 07:38:44869.◆JBLfMwCXhYjl5ET442 栖雲居士◆MKrKQHoID7SE (50-6dv-Ij-wvu)[sage] 2026/03/17(火) 20:39:28.24 ID:hNybz何を云ってるのかさっぱり分からなかったこうした語録も、コツコツと参禅・参究して己事究明に向かえば、向こうから答えはやって来るんです。その答えがこれか?162:栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm :[sage]:2024/03/09(土) 16:35:39.62 ID:b8JerweS喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟2026/03/18 07:39:05870.◆JBLfMwCXhYjl5ET> 懐かしいのあったよ> 今から10年近くも前の書き込み>> 68ジャンキー大山2017/01/06(金) 05:51:16.64ID:wfppEgVn>> 一度でも良いから自殺する位苦しんで座り抜いて来いや?> 解って大歓喜を味わってみろや?> 涙が止まらなかったぞ?> 笑いが止まらなかったぞ?> 悟りを舐めてるわ、マジで。> 華厳経の世界をリアルで体験して来いや?> 一念三千の世界をリアルで体感して来いや?> 何の苦労もなしに何が悟っただ、ただの異常心理か嘘だろ?2026/03/18 07:39:58871.神も仏も名無しさん3LdSS精神年齢が厨房だな😃2026/03/18 07:40:57872.◆JBLfMwCXhYjl5ETウツ病で自殺寸前の聖ウンコ師坐禅してソウ状態になり、涙を流しながら、ゲラゲラ笑ってたという2026/03/18 07:41:14873.神も仏も名無しさん3LdSS厨房メンタルスタンダードだな?😫2026/03/18 07:42:15874.◆JBLfMwCXhYjl5ET「俺は坐禅で見性体験したのだ。お前たちとは違うのだ」と、威張っているのだが見性体験というより、ソウウツ症の発作ではないのか?2026/03/18 07:42:24875.◆JBLfMwCXhYjl5ET紫色の光も見えたらしい🟣2026/03/18 07:43:29876.神も仏も名無しさん3LdSS>>870最初の一つはハッスル当人のレスだが後の多くはアンドーのハッスル🤡の嫌がらせのなりすましリピートだ😃2026/03/18 07:44:41877.神も仏も名無しさん3LdSSアンドーも2017年迄にセッタン語録で禅を学んでいたからなーNO1やデンパパアストラルセイジン👽くらいはバカにてきる😃2026/03/18 07:45:50878.神も仏も名無しさん3LdSS当初、アンドー的には心の底化おちょくりたくなるくらいにオモシロかったんだろう俺も同感だった😃2026/03/18 07:47:27879.◆JBLfMwCXhYjl5ET>>876そうなのか笑えるな~😆2026/03/18 07:48:14880.◆JBLfMwCXhYjl5ET安堂殿も、こんなにセイウン様をおちょくってた時期があるんだな~😂2026/03/18 07:48:48881.神も仏も名無しさん3LdSSあの文章を保存してしばらくいじってやろうとJBLがハッスルに遭遇する時まで貼り付けていたな😃今や、ハッスル🤡様の人気は高いので俺は御役御免だ😃2026/03/18 07:48:52882.◆JBLfMwCXhYjl5ETセイウン様はいまや、人気抜群のハッスル芸人だ😆2026/03/18 07:49:55883.神も仏も名無しさん3LdSSハッスル🤡黒歴史プロデューサーももはや隠居草葉の陰からハッスル🤡様を支える😃2026/03/18 07:51:03884.◆JBLfMwCXhYjl5ETハッスル応援団だな2026/03/18 07:56:29885.◆JBLfMwCXhYjl5ET寒さがだいぶ和らいだな~2026/03/18 09:49:42886.◆JBLfMwCXhYjl5ETさすがに春だ2026/03/18 09:49:54887.◆JBLfMwCXhYjl5ETもう冬ではない2026/03/18 09:50:06888.◆JBLfMwCXhYjl5ET8882026/03/18 09:50:18889.◆JBLfMwCXhYjl5ETハッスル様は摂心に行ってるんかな?2026/03/18 09:50:42890.◆JBLfMwCXhYjl5ET妙に静かだな?2026/03/18 09:51:44891.◆JBLfMwCXhYjl5ET昨日、暴れすぎた反動か2026/03/18 09:51:58892.◆JBLfMwCXhYjl5ETイスラエル、ラリジャニ氏の殺害を発表…ハメネイ師死後のイランで防衛戦略など取り仕切っていた人物か2026/03/17 19:24溝田拓士 【カイロ=溝田拓士】イスラエルのイスラエル・カッツ国防相は17日、イラン最高安全保障委員会(SNSC)のアリ・ラリジャニ事務局長を殺害したと発表した。ラリジャニ氏は外交・安保政策の決定で中心的な役割を担っていた。イラン側は発表していないが、死亡が事実なら大打撃となる。 カッツ氏によると、攻撃は16日夜に行われ、イランの精鋭軍事組織「革命防衛隊」傘下の民兵組織「バシジ」の司令官も殺害した。カッツ氏は「イランを数十年前に戻す」と述べ、イラン全土で攻撃を強化すると主張した。2026/03/18 09:52:41893.◆JBLfMwCXhYjl5ETラリジャニ氏は2000年代にもSNSC事務局長としてイランの核開発を巡る交渉の責任者を務めた。米国とイスラエルが昨年、イランを攻撃した後に外交・安保戦略の立て直しのため事務局長に再び起用された。最高指導者アリ・ハメネイ師の顧問を長く務め、同師が2月28日に米イスラエルの攻撃で死亡して以降、防衛戦略などを実質的に取り仕切っていた。 ハメネイ師の後継者に選出された次男のモジタバ・ハメネイ師の手腕は未知数だ。ラリジャニ氏の死亡で、外交・安保分野の政策判断が停滞する可能性もある。2026/03/18 09:52:51894.◆JBLfMwCXhYjl5ETイランの上層部は壊滅したな2026/03/18 09:53:05895.◆JBLfMwCXhYjl5ETもはや、国家としては脳死状態2026/03/18 09:53:19896.◆JBLfMwCXhYjl5ETはめねいの次男の文字束も、生きてるのかどうか怪しい2026/03/18 09:53:44897.◆JBLfMwCXhYjl5ETロシアの病院で入院中という情報もある2026/03/18 09:54:04898.◆JBLfMwCXhYjl5ETだが、これでイランが終わったと見るのは早計だ2026/03/18 09:56:34899.◆JBLfMwCXhYjl5ET国家体制は動揺していない2026/03/18 09:56:57900.◆JBLfMwCXhYjl5ET9002026/03/18 09:57:08901.◆JBLfMwCXhYjl5ETイランよりずっと小国のイラクやアフガニスタンでさえあれだけ泥沼化したのに2026/03/18 09:57:35902.◆JBLfMwCXhYjl5ET中東の大国イランが、簡単に片付くはずもなかろう2026/03/18 09:57:58903.◆JBLfMwCXhYjl5ET次スレ【転識得智】 唯識論 【無住処涅槃】 Part5https://talk.jp/boards/psy/17737953572026/03/18 09:58:39904.神も仏も名無しさん3LdSSロシアへの兵器先のドローンのイランだからなードローン兵器の製造国家でなければ案外勝てていたかもしれんが上層部が死んだからと言ってイランのホルムズ海峡支配は変化がないドローンがあるから、厄介だ俺がトランプなら臨時休戦してしばらくイランを静観して、内戦発生を待つ😀2026/03/18 10:05:58905.神も仏も名無しさん3LdSSトランプのおかげで高市の脅し効果はゼロになったネトウヨはまだ希望持っているかもしれんがトランプよイラン攻撃で東アジアの中国の覇権は確立された😫2026/03/18 10:09:54906.神も仏も名無しさん3LdSSトランプのおかげで高市はチャイナ様に謝罪するしか道がなくなったパワーバランスが崩れた😫2026/03/18 10:10:34907.◆JBLfMwCXhYjl5ETそうなのか~😫2026/03/18 10:15:04908.◆JBLfMwCXhYjl5ET「あの 素晴らしい アベ政治をもう一度~♪」ウヨクの夢は絶たれたな?😫2026/03/18 10:15:48909.神も仏も名無しさん3LdSS日本は財政危機、トランプもイランがらみで財政危機😫2026/03/18 10:32:31910.神も仏も名無しさん3LdSS左翼的でもなく、右翼的でもなく中道的な時代らしい😱😱😱😱2026/03/18 10:34:03911.神も仏も名無しさん3LdSSトランプのせいで対中国つまらんよーになった中国の思う壺になった小国日本として対中国政治を考えるへき時代になった😱2026/03/18 10:35:47912.◆JBLfMwCXhY7GrqW北京が世界を支配するのか~?😫2026/03/18 11:30:06913.神も仏も名無しさん3LdSSデモクラシー財政悪化国家は一番安心な相手😫独裁政権情報統制不況国家のほうが強い😫2026/03/18 11:49:01914.神も仏も名無しさん3LdSS中国様のご機嫌伺いしながら面従腹背が小国日本の国是になる😫全てトランプが悪い😫2026/03/18 11:51:28915.◆JBLfMwCXhYOLTMYそうなのか~😫2026/03/18 11:55:29916.◆JBLfMwCXhYOLTMYつらい時代だな?😫2026/03/18 11:55:39917.神も仏も名無しさん3LdSSま、そもそも公共事業で財政悪化コースが病んでる公共事業の為の親中政権の時代だな?公共事業麻薬をやっている限りは親中路線しかない😫トランプはイランに無駄に戦費を使い込み金がないのだから抑止力がないので高市的挑発も無意味になる😭2026/03/18 12:06:42918.神も仏も名無しさん3LdSS自虐的歴史観を認め中国様、ごめんなさいしか道がない公共事業麻薬で財政赤字をリバースしたのだから😭2026/03/18 12:08:12919.神も仏も名無しさん3LdSS財政真理教がまかり通る世論なので余計に中国様とのご平和を願わねばならなくなる台湾は自力で守れ、扱いになる😭2026/03/18 12:09:48920.神も仏も名無しさん3LdSS財務真理教だ😭2026/03/18 12:10:19921.◆JBLfMwCXhY7GrqW北京帝国に朝貢するしかないのか~😭2026/03/18 12:14:55922.神も仏も名無しさん3LdSSだってリニアを引く予算がやめられないから〜中国と仲良くして財務赤字で戦争しない平和な日本😫2026/03/18 12:21:00923.神も仏も名無しさん3LdSS公共事業で経済成長ギャンブルだ〜それと中国様と仲良く😫2026/03/18 12:21:45924.◆JBLfMwCXhY7GrqW賛成党は、四国にも新幹線を引くらしい2026/03/18 12:23:05925.神も仏も名無しさん3LdSSそれが日本政治の政策の宇宙法則だ〜王道政策だ〜田中角栄からの伝統芸能ジャパン😭2026/03/18 12:23:12926.神も仏も名無しさん3LdSS>>924外国人労働者が必要な矛盾と財政赤字が国防とリンクしてバーターとなっている愚民が多いからなー😭2026/03/18 12:24:35927.◆JBLfMwCXhY7GrqWそれが日本の特徴だな2026/03/18 12:35:11928.◆JBLfMwCXhY7GrqW右派は積極財政左派は緊縮財政2026/03/18 12:35:34929.◆JBLfMwCXhY7GrqWアメリカとは逆だ2026/03/18 12:35:44930.◆JBLfMwCXhY7GrqW日本経済は、2025年時点で世界第4位のGDP規模を維持しつつも、深刻な少子高齢化と人口減少による成長力低下という構造的課題を抱えています。株高(日経平均5万円台)と家計金融資産(2351兆円)は過去最高を更新するなど好調な一方、慢性的な人手不足や原材料高が重荷となっており、賃上げと持続的な経済成長の実現が急務です。2026/03/18 12:44:46931.◆JBLfMwCXhY7GrqW最新の日本経済の状況経済規模と成長: 世界第4位のGDPを誇るが、中国やインドの追撃を受け、ドイツにも抜かれるなど順位は低下傾向。株価・資産: 家計の金融資産は2025年末時点で2351兆円となり、株高が資産を押し上げて過去最高を更新。日経平均株価も堅調に推移しており、3万9800円台から5万円台へ上昇。貿易収支: 2026年2月時点で、原材料・燃料の輸入が増加する一方、輸出額は堅調に伸びており、貿易黒字は2カ月ぶりに572億円の黒字を記録した。2026/03/18 12:44:59932.◆JBLfMwCXhY7GrqW構造的課題:少子高齢化・人口減少: 国内市場の縮小。エネルギー・食料・資源: 高い輸入依存度。人手不足: 深刻な労働力不足。2026/03/18 12:45:12933.◆JBLfMwCXhY7GrqW今後の展望と論点賃金と物価の好循環: 持続的な賃上げが実現し、実質賃金が上昇するかが消費回復の鍵。企業競争力の強化: デジタル化やGX(グリーン・トランスフォーメーション)への投資。対外関係: 対米輸出や中国向け経済活動の動向。※本情報は2026年3月時点の市場動向(検索結果)に基づいています。2026/03/18 12:45:23934.◆JBLfMwCXhY7GrqW日本経済は、今までのところ不調ではない2026/03/18 12:45:40935.◆JBLfMwCXhY7GrqW懸念材料は、イランの石油と、中国のレアアースだ2026/03/18 12:45:58936.◆JBLfMwCXhY7GrqW資源がないと動けない2026/03/18 12:46:11937.◆JBLfMwCXhY7GrqW石油ショックが深刻なのはアメリカだ2026/03/18 12:47:44938.◆JBLfMwCXhY7GrqWアメリカはクルマ社会だ2026/03/18 12:48:02939.◆JBLfMwCXhY7GrqWガソリン価格が暴騰したら、通勤/通学できない人が急増する2026/03/18 12:48:33940.◆JBLfMwCXhY7GrqWトランプ政権は潰れるかもしれない2026/03/18 12:48:47941.◆JBLfMwCXhY7GrqWガソリン価格が190円台?😫2026/03/18 14:13:54942.◆JBLfMwCXhY7GrqWもうすぐ、200円突破だな😫2026/03/18 14:14:14943.◆JBLfMwCXhY7GrqWガソリン税を下げた効果は吹き飛んだ2026/03/18 14:14:29944.◆JBLfMwCXhYCj9Ri電車の中が暑いな😫2026/03/18 15:06:52945.◆JBLfMwCXhYCj9Riもう、冬だという感覚を捨てないと2026/03/18 15:07:11946.◆JBLfMwCXhYCj9Ri完全に春だ2026/03/18 15:07:27947.◆JBLfMwCXhYCj9Ri厚着してたらヤバい2026/03/18 15:07:45948.◆JBLfMwCXhYCj9Ri暖房費がかからない季節になるな2026/03/18 15:08:23949.◆JBLfMwCXhYCj9Ri夏の冷房時期になる前に、中東情勢が落ち着くか?2026/03/18 15:09:03950.◆JBLfMwCXhYCj9Ri9502026/03/18 15:09:15951.ハジlGigk認識が世界創造しているのかもしれない2026/03/18 21:08:25952.◆JBLfMwCXhYjl5ET>>951そういうことですわ2026/03/18 21:11:52953.◆JBLfMwCXhYjl5ET唯識論だと、そういうことになる2026/03/18 21:12:03954.ハジaXL8Rまあしかしー、なんで、認識が共通してるんだ?w場所とかは同じやん、好き嫌いとかは人それぞれやけど2026/03/18 22:08:56955.◆JBLfMwCXhYjl5ET>>954それは、共有しているデータがあるから2026/03/18 22:09:42956.ハジaXL8R認識が創造してんのなら、人によっては、西から太陽が昇ったり、物理的に、アベコベになりそうなもんやん?2026/03/18 22:10:05957.ハジaXL8Rほー、ユングの言う集合的無意識みたいなんが、世界を創造してるのかな2026/03/18 22:11:10958.◆JBLfMwCXhYjl5ETオンラインゲームを考えてみればいいプレイヤーはそれぞれ、自分の端末の画面をずっと見ている他人の端末の画面を見ることはないでも、共有しているデータがあるから場所とかは同じだ、好き嫌いはあるけど2026/03/18 22:13:50959.ハジaXL8Rオンラインゲームのデータはパソコンやらを使って開発者がおるので、プレイヤーは世界を創造できないではないかw2026/03/18 22:15:39960.ハジaXL8Rブレイヤーは既に作られた世界を認識しているだけで、神様はそのデータの外にいることになるから、認識が世界を創造していると言えない2026/03/18 22:16:56961.◆JBLfMwCXhYjl5ETまあ、やっぱりユングのいう「集合無意識」に近いとは言えるでしょうなハッキリとは言われてないけど2026/03/18 22:23:12962.◆JBLfMwCXhYjl5ET唯識論には神様がいないので、仕方ない2026/03/18 22:23:40963.◆JBLfMwCXhYjl5ETこれが真言宗や華厳宗だと「世界は、大日如来=毘盧遮那仏の顕現」なので、問題はない(笑)2026/03/18 22:24:20964.◆JBLfMwCXhYjl5ETつまり、オンラインゲームの例えでいえば大日如来がホストコンピュータゲームの運営であると言える2026/03/18 22:26:31965.ハジaXL8Rまあしかし、識別作用のみが輪廻するとゆー、話もあるから、この辺が分かれば、釈迦牟尼になれるのかもしれん全くわからんw2026/03/18 22:31:18966.ハジaXL8Rなるほど世界を創造しているのは大日如来なのかすると我々はもう創造されたゲームをしているだけの、ただのプレイヤーにすぎないのであろう、、2026/03/18 22:36:04967.◆JBLfMwCXhYzVR2k>>965いや、唯識論がわかっても、釈迦牟尼にはなれない(笑)2026/03/19 05:52:52968.◆JBLfMwCXhYzVR2k>>966真言宗の考え方だと山も川も、宇宙のすべてが大日如来の説法2026/03/19 05:53:54969.◆JBLfMwCXhYzVR2k大日如来は、この世界を通してわれわれに真理を教えている2026/03/19 05:54:20970.◆JBLfMwCXhYzVR2k華厳宗だと世界のすべては、毘盧遮那仏(=大日如来)の顕現した姿2026/03/19 05:55:10971.◆JBLfMwCXhYzVR2kイランのミサイル攻撃でイスラエルでは、だいぶ大きな被害が出ているようだなあ2026/03/19 06:56:24972.◆JBLfMwCXhYzVR2k両隣のイラクとアフガニスタンが、あれだけ泥沼化したのに2026/03/19 06:56:52973.◆JBLfMwCXhYzVR2kこの2つよりずっと大国のイランが簡単に片付くはずはない2026/03/19 06:57:15974.◆JBLfMwCXhYzVR2kトランプは、引き際ばかり考えているに違いない2026/03/19 06:57:39975.◆JBLfMwCXhYzVR2kアメリカは、イスラエルの戦争に巻き込まれてしまった2026/03/19 06:57:54976.◆JBLfMwCXhYzVR2kアメリカ国内で、報復テロをされる恐れもある2026/03/19 06:58:23977.◆JBLfMwCXhYzVR2kイランは難敵だ2026/03/19 06:59:06978.神も仏も名無しさんvy3J3イスラエルは引く気がないだろガザ地区のテロを超えるイスラエル図書館への無差別クラスター爆弾の雨を降らしているからな🤢2026/03/19 07:05:05979.神も仏も名無しさんvy3J3イスラエルの都市への無差別クラスター爆弾🤢2026/03/19 07:07:41980.◆JBLfMwCXhYzVR2kイスラエルとイランの戦争は終わらない2026/03/19 07:20:07981.◆JBLfMwCXhYzVR2k後は、アメリカがいつ手を引くかそこが焦点だ2026/03/19 07:20:25982.◆JBLfMwCXhYzVR2kディスペンサーたちが怒りそうだな😫2026/03/19 07:20:46983.神も仏も名無しさん6x2loトランプもアタマ悪いからなジョージブッシュを超えるイラン絡みで副大統領と仲違いしているのては?みたいな話が出てるな?😫2026/03/19 07:40:20984.神も仏も名無しさん6x2loトランプのイラン戦争で日本は中国、アメリカ外交の見直しを迫られているゼネコン会社の利権を重んじるなら創価発想で中国と仲良く自民党の政策ではこれしか残されていない😫2026/03/19 07:42:50985.◆JBLfMwCXhYzVR2kやはり、花粉症の季節は雨に限る2026/03/19 08:23:03986.◆JBLfMwCXhYzVR2kまだ、桜も咲いてないし2026/03/19 08:23:17987.◆JBLfMwCXhYzVR2k今までに溜まった花粉で、室内がひどい2026/03/19 08:33:27988.◆JBLfMwCXhYzVR2kイラン情勢は試練だ2026/03/19 08:40:17989.◆JBLfMwCXhYzVR2k日本にとっても、アメリカにとっても2026/03/19 08:40:29990.◆JBLfMwCXhYzVR2k9902026/03/19 08:40:43991.◆JBLfMwCXhYzVR2k次スレ【転識得智】 唯識論 【無住処涅槃】 Part5https://talk.jp/boards/psy/17737953572026/03/19 08:41:09992.ハジbwjWy大日如来はなんてアホなんだ戦争はやめなさい、如来よ!2026/03/19 08:59:23993.◆JBLfMwCXhYzVR2kイスラエルの背後には、ヤハウェ=エホバ神がついている2026/03/19 09:07:05994.◆JBLfMwCXhYzVR2k神が、ハメネイを滅ぼした2026/03/19 09:08:33995.神も仏も名無しさんLrKksさて、本行修行のバージョンアップできたナウ当然仕事に使える感覚😀2026/03/19 09:19:53996.神も仏も名無しさんLrKks仕事に使える修行至上主義者だ休日娯楽は別人だが😀2026/03/19 09:20:28997.◆JBLfMwCXhYzVR2k仕事に使えるとは、便利だな?2026/03/19 09:23:09998.◆JBLfMwCXhYzVR2kまあ、瞑想で強化した集中力と観察力は間違いなく、リアル生活にも有用だが2026/03/19 09:23:39999.◆JBLfMwCXhYzVR2kそれは、以前から感じてた2026/03/19 09:23:501000.◆JBLfMwCXhYzVR2k10002026/03/19 09:24:021001.Talk ★???このスレッドはコメントが1000件を超えました。新しいスレッドを立ててください。2026/03/19 09:24:021002.Talk ★???【プレミアムサービス無料期間延長!】プレミアムの無料期間を2026/9/30まで延長することになりました。広告除去や規制緩和など、ヘビーユーザーにとって欠かせない機能を無料でお楽しみいただけます。是非この機会にプレミアムサービスをお試しください!▼プレミアムサービスはこちらからhttps://talk.jp/premium2026/03/19 09:24:02
【社会】新人に「AI使用禁止令」は是か非か?「仕事の8割はAIに」という活用派 言語脳科学の権威は警鐘「ものを考える人間に一番大事なものを手放している」ニュース速報+391603.92026/03/22 04:26:36
この世は、思い通りにならない。
本当の自分なんて、どこにもない。
いま、この思考の幻から抜け出そう。
前スレ
【アーラヤ識】 唯識論 【瑜伽行派】 Part3
https://talk.jp/boards/psy/1769773378
【アビダルマ】 倶舎論 【仏教の標準理論】 Part4
https://talk.jp/boards/psy/1769941836
【空の奥義は】 中観派 【言葉にできない】 Part6
https://talk.jp/boards/psy/1770933528
唯識無境(ゆいしきむきょう):私たちが「外の世界」だと思っているものは、実は自らの「心(阿頼耶識:あらやしき)」が作り出したイメージ(影像)に過ぎない、という考え方です。
主体と客体の分離:私たちは無意識に「自分」と「自分以外の世界」を分けて認識していますが、実際には認識している「対象」そのものが自分の心の中に存在しています。
転識得智(てんじきとくち):誤った捉え方(識)を智慧(ちえ)に変えることで、世界そのものが変わって見える。言葉は「捉え方」を規定する最大のツール。
唯識は「私たちが使う言葉や概念が、いかにして私たちの現実(世界)を構成し、迷わせているか」を紐解く強力な知恵を提供しています。
唯識では、私たちは「あるがままの現実」を見ているのではなく、「言葉や概念というフィルター」を通して世界を認識していると説きます。
名言種子(みょうごんしゅじ):言葉は心の中に「種子」として蓄えられ、その言葉に基づいて「これは良いもの」「これは悪いもの」とレッテルを貼り、世界を確定させていきます。
言葉の二面性:言葉はコミュニケーションに不可欠ですが、同時に、目の前の真実を「型」にはめ、本来の姿を見えなくする(執着する)原因にもなります。
認識の変容(転識得智):「言葉」が世界を縛っているという事実に気づき、レッテル貼りをやめることで、苦しみ(迷い)から解放されます。
「言葉」を手放す:言葉や概念に執着せず、目の前の現実そのもの(「それそのもの」)を静かに感じ、調和して生きることを目指します。
言葉による現実の再構築:ポジティブな言葉や建設的な概念(種子)を心に植え付けることで、認識する世界を豊かに変えることができます(前向きな「思い」が行動を変え、世界を変える)。
唯識は、「自分を変えたい」「今の状況を打破したい」と願うとき、環境や他者を変えるのではなく、「世界を見ている自分の心(認識・言葉)」を変えることこそが根本的な解決(生き方)であると教えてくれます。
種子には、名言種子と業種子がある
深層意識に及ぼすコトバのパワーがあまりに大きいため
「名言種子」が、普通の種子(業種子)とは区別された
アホかw
「言語アラヤ識」なるものを提唱した
深層意識にある、言語アラヤ識
言語データ(名言種子)を貯蔵するデータベースだ
深層意識にある名言種子が、表面意識に強い影響を及ぼしている
「元来、仏教では、人間の行為を身・口・意の三種に大別する。手足などを動かす(身)、コトバを聞き、コトバを喋る(口)、何かにたいして心が動く、たとえば、思惟、感情、想像などの形で(意)。内的外的、それら様々な行為の一つひとつが、人の下意識の最深層に、必ず、なんらかの跡を残していく。どんな些細な、取るに足りない(と思われる)ような、ほんのかすかな動きでも、こころの奥に、ひそかな影を残さずにはいない、と唯識は説く。我々のあらゆる経験が、我々自身の存在の底知れぬ深層を、刻々と「薫習」していく、というのだ。あたかも、衣に薫きしめられた香の匂が、消えずにそこに残るように。
しかも、この「薫習」のプロセスは、個人としての我々の個人的経験だけに終始するものではなく、そこには、先行する諸世代の全ての人の全ての経験が、文化遺産という形で含まれる。つまり、我々がまったく気付かないうちに、我々の実存の深みは、まず自分自身の、そして結局は全ての人の経験の痕跡をとどめていく、というのである。
人間のこころの機能を、表層から深層に及ぶ八つのレベルに分けて構造モデル化する伝統的な唯識の意識論では、このように過去の一切の経験が「意味化」して蓄えられる内的場所(トポス)として、この構造モデルの最深層(第八番目のレベル)を措定し、これを「アラヤ識」(文字通りには「貯蔵庫意識」)と名づけ、そこに貯蔵される「意味」を「種子(しゅうじ)」と名づける。
だが、「意味」は、その本性上、「名」を呼び、「名」を求めるものである故に、「アラヤ識」は、また、全体として、根源的に言語的性格を持つ。とは言っても、勿論、均等的に、ではない・「アラヤ識」の言語性には、いわば凸凹があるのだ。先刻も書いたとおり、人間の経験は、大ざっぱに見ても身・口・意の三つの系統があるのであって、すべての経験が、直接、コトバの経験であるわけではない。
マニアなスレ建てたな?
😃
「数限りないこれらの潜在的「意味」形象の全体を理論的に想定して、私はそれを「言語アラヤ識」(あるいは「意味アラヤ識」)と呼ぶ。すなわち、唯識哲学の説く第八「アラヤ識」を、強弱様々な度合いにおいて言語化された「意味」エネルギーの、泡立ち滾る流動体として、想像するのである。」
おっ
さっそく、ハッスルホイホイにかかったな?🪳
真言にハマッたせいだ😅
擬態、換骨奪胎、乗っ取り……
カルト宗教の伝統宗教に対するやり方そのものだな。
種子の面で
脳内ホルモン的な感情とか感覚とか言語化以前の
シニフィエの構成要素の部分もあり
ブラス脳内ホルモン的な感情、感覚の付与がある
脳科学も含めて若い頃読んでいたので
井筒路線はイマイチ感がある
😃
感覚と感情という非言語的な付与があるだろうなー
と
若い頃は考えていた
😃
いや、お前には無理だ
こんなテーマ
伝統宗教を破壊して、宗教板をカルト一色で染めるつもりか?
そういう馬鹿は許さんぞ?
🤡ー
確かにそうだな
思考や記憶と、言語が切っても切れないのは間違いないが
すべてが言語によるものではない
数学の、関与しない本以外は
かなり読むのが好きだった若い頃は
😃
俺は西欧哲学を
的確に見下ろし評論てきるくらいの
データはかなり脳内に詰まっている
😃
まーーーーーた、始まったな?
そもそも井筒俊彦とそのワークを紹介したのは俺だぞ?
www
倶舎論でも中観でも唯識でもそうだが、お前らのやってる事は、俺のたてた伝統仏教のそれを嫌がらせや誹謗中傷で潰して、換骨奪胎した劣化コピーをしてるだけじゃないか。
いい加減にしろよ、カルト野郎。
人間世界と歴史の成り立ちに関心あったからなー
既存の哲学多数と既存の社会科学は
権威も信用しなかった
演繹法は、嫌いだからなー
帰納法に適合する理論を上に立てるべきだという、
社会科学スタンスやったからなー
😃
今は休日は
霊的存在宗教研究に夢中だ
😃
イスラーム、キリスト教、神道に
😃
今回の休日でかなり満足してきた
😃
理論は頭にはいらないが
難しいわけてもない 😃
パソコンにいた
😃
お前の力量じゃ
せっかく専門スレを立てても、
10レスかそこらで終了
その後、何年も放置だろ?
それでいて、放置スレを埋めると怒る(笑)
そんな事より
仕 事 を 探 せ !
派遣会社にプッシュしろ!
何やってんだ、お前らは?
いい加減に目を覚ませ!
親を困らせるな!
?????
途中で無理やり嫌がらせをしてスレを埋めたのは誰だ?
あ?
ネットだからってふざけるのも大概にしろ。
仏教舐めるな!
🤡〜〜〜
おいおい、これは紛れもない事実だぞ?
お前と違って、こちらには記憶力がある
過去の記憶があるので
↓
お前の力量じゃ
せっかく専門スレを立てても、
10レスかそこらで終了
その後、何年も放置だろ?
それでいて、放置スレを埋めると怒る(笑)
除去される
ただし怨念の記憶たけは明白に残る
🤡〜
ハッスル〜🤡
wwwwwwwwwwwwwwwwww
何年も放置?
数ヶ月もしないうちにお前らが嫌がらせで埋めてたろ?
それと、埋めりゃ良いってもんじゃない。
良質の情報をスレとして残しておくのが大事であって、乱立すれば良いってもんじゃない。
お前らバカルターズは、暇な時間だけは豊富だもんなぁ?
www
小人閑居して不善をなすとは、まさにその事そのものだな。
迷惑だからな、
いいな?
いや、数カ月ではなかった
1年半くらいだったな
それも、1本や2本でなく、何本も
駄文や支離滅裂な妄想レスで埋めりゃいいってものじゃない。
ともあれ、もうこっちに関わるな。
伝統仏教に関わるな。
カルトはカルトでやってろ。
🤡〜
ハッスル🤡の三毒爆発はオモロイけどな?
仏教スタンダード?
大爆笑〜🤡〜
読めたぞ
井筒好みの理由
出口王仁三郎の言霊だな?
まー言語の力を重んじる
キリスト教ぽいからなー
そーいう意味では
真言という発想もオモロイわなー
俺は正統派瞑想仏教肌なので
真言でも三密のうち
意密、身密優位感覚で
空間に六大が漂っているぜーみたいな
領域展開趣味があるから
真言の口密、言霊に近い分野は関心が薄い
かえって念仏山伏のほうが
難しく感じて理解が進まなかったのて
探求ブームになった 😃
言霊信仰だ
言霊と産霊(むすび): 「産霊」とは霊(命)を蒸し出し、生み出すことであり、正しい言霊を発することは新しい生命や宇宙を創造する力を生むと説きました。
人は小宇宙の雛形: 人間一人ひとりが宇宙の縮図であり、自分自身の内面を整えることで、言葉を通じて霊界のパワーと直結できるという考え方です。
霊界物語: 81巻に及ぶ『霊界物語』は、言葉(言霊)によって神の意志を地上に表した、地上天国建設のための設計書とも言われています。
意識的な言葉の利用: 心の中で唱える言葉も含むため、用いる言葉を意識し、大切にすることが重要だとしました。
王仁三郎は、思想の混乱を鎮め、人類を救うための「神の真の力」の源泉として、この言霊の力を強調しました。
口密、身密が、無いからな正確な発音知らず
真言密教でも
三密そのものを正式な師匠から伝授されるものだが
まー前世リンポチェかどうか知らんが
意密メインで決められる
真言密教も含めて
師匠確認あるのは臨済宗のみだ
😃
😃
すべてがバラバラに分かれて見えている
「世界はバラバラに分かれている。
だから、たくさんの名前があるのだ」
と信じている
「人間が、たくさんの名前を付けて区別した」
「だから、世界がバラバラに分かれているように見えるのだ」
というのが真実
ひいては、西洋現代哲学の根本思想
今や
😆
だが、似て非なるものだ
ソシュール言語哲学がベースのつもりなんだが~😂
言霊は人間の脳の創造性の
ランガージュ能力に
ポイントを置いてしまうな
脳科学とか京大類人猿研究のサル学とか
前頭前野の創造性に注目しているからなー
😆
ソシュールとパースを祖とし、構造主義やメディア分析の基盤として、表面的な意味(デノテーション)の裏にある潜在的な意味(コノテーション)や文化的なコードを読み解く目的で使用されます。
定義: 記号とその指し示す対象との関連、および符号化(エンコーディング)の仕組みを研究する学際的な学問。
目的: 世界を「記号」の体系として捉え、コミュニケーション、広告、芸術、メディアなどの背後にある隠されたルールやイデオロギーを分析・解明すること。
😆
ソシュール(記号学/Sémiologie): 言語学に基づき、記号を「表現(シニフィアン)」と「内容(シニフィエ)」の二項対立として捉える。
パース(記号論/Semiotics): 「表現、内容、指示対象」の三項関係に基づき、記号を象徴(シンボル)、指標(インデックス)、図像(アイコン)に分類する。
構造: 記号は「意味されるもの(シニフィエ)」と「意味するもの(シニフィアン)」のペアからなる。
機能: 記号は独立して存在せず、文化的なコード(慣習)によって意味が解釈される。
ランガージュ能力に
だ
😆
デノテーション: 明示的な意味(例:赤いバラ=花)。
コノテーション: 暗示的・評価的・隠れた意味(例:赤いバラ=愛)。
広告・メディア分析: 広告やメディアが商品やブランドのメッセージをいかに伝えているかを視覚・言語的に分析する。
文化・社会分析: 映画、ファッション、流行などの文化現象を記号として読み解く。
情報・技術: 記号テクノロジーや情報処理の論理を分析する「情報記号論」。
建築: 空間や建築物を記号の集合体として捉える。
街に出れば、看板だらけ
際限なく人間の欲望を刺激する
そんな記号にあふれている
主な特徴は以下の通りです。
定義: 言語を介して行う行為や能力の全体を意味する。ラング(社会的な規則・辞書)とパロール(個人の具体的な行為・会話)の二つを併せた包括的概念である。
ソシュールの構造言語学: ソシュールは言語の言語的性質を研究対象としたが、ランガージュはその基礎となる、人間が持つ普遍的なシンボル活動である。
精神分析: 精神科医ジャック・ラカンにより、無意識と関連して人間を定義づける重要な概念として展開された。
デザインへの応用: ラング(共通のルール)とパロール(個別の表現)の相互作用によによる新たな表現創造のモデルとしても引用される。
ランガージュは、言語そのものだけでなく、言語を用いた心理的・物理的プロセスすべてを包含する高度な概念です
人間の深層意識に影響を及ぼす
際限なく欲望を刺激する
そう、それ
人間の脳の前頭前野の肥大による創造性と恣意性を結びつけて
俺は理屈よりもデータ現象から帰納法させて
考えていた
😆
そっち系統だったらしいが
それにしては、影響を感じないな😂
なるほど~😆
そのかわり定義すると
創造性が死ぬ
😆
ランガージュについて模索していた
ジャック・ラカンより俺は優秀だと思うぞ
😆
記号は常に、人間の表面意識や深層意識に影響を及ぼしている
😆
すごいな?😆
臨済宗
故にハッスル、ムイムイを
ボコるリバース
😆
公案=老荘思想になる
記号依存性の弊害だ
😱
ハッタリなのは
記号依存性たからだ
🤡〜〜
臨済宗に関しては説明議論しない
説明=記号依存性だからだ😆
それについて理屈を並べると、老荘思想になってしまう
😭
お呼びする
😆
麦も、ハッスル様が壊れたバカだってことには気づいたみたいだが
聖ウンコ教の洗脳が解けないな~😫
専門用語はない
見て理解しろ動画
やはり、あれは最高だ
😆
麦の運命は
😱
もうちょい、「阿頼耶識の名言種子」とかに関心を持ちそうなものだが
唯識論の「阿頼耶識と名言種子」に似ている
井筒屋に指摘されるまでもなく明らかだ
セッタン流は
😆
捨てたのか
とくに、ヘーゲルにおいては
近代西洋人の自信過剰が頂点に達した
西洋人は自信を喪失してきた😫
「人は、自由に物事を考えているわけではない。外界の記号とかに社会構造とかに影響されまくっている」
「人は、自分では自由にモノを考えているつもりでも、じつは深層意識に支配されている」
そういう、ネガティブな人間観が主流になってきた
西洋哲学は、だんだん仏教に似てきた
人は、何ものにも囚われず、自由に物事を見ているつもりでいる
だが実際には、モノの見方を言語に縛られている
言語の構造に支配されているのだ
いろんな分野に広がってきた
宗教を語ってるときの自分は、コピペが中心になるが
歴史や哲学は、自分の言葉で自在に語れるな~😂
なぜ、そうなるかというと
手を広げているからだ
あえて、真言宗とか華厳宗とか、よく知らない分野に進出している
ハッスル様とは違って、自分の知識を披露することには関心がない
むしろ逆で、自分の知らないことを知ろうとしている
いや、考えてみたら
世界史板でも、「コピペが多すぎる」と文句を言われてた😫
手を広げていたからだ
普通の人は、「古代中国」とか、「近代ヨーロッパ」とか
自分の得意な時代地域が決まっていて、その話ばかりする
当方は、そうではない
「近世インド史」とか意味不明な分野にまで、やたらと手を広げる
そうなると、コピペが頼りだ(笑)
ハッスル軍団のような、パラノ気質(偏執型)の人たちとは合わない😫
「真実は言葉にできない。瞑想で神秘体験するしかない」
という持論を、これでもか、これでもかとばかりに主張し続ける
なんとも偏執的だ
こういう性格の人は、鬱病になりやすい😫
↑
これは、ハッスル教の主要教義のひとつだ
「現量が大事なのだ。肥料をやるな」
「色即是空・空即是色とは、いっべん空の世界に逝ってから、また戻ってくることなのだ」
あと、何だっけ?
忘れた
「受は仏性ではない」
↑
最近、コレが追加された
彼らは変わらない
良く言えば、信念がある
悪く言えば、頑固
「固定観念から脱却する」というのが重要だ
「信念が強い」というのは、ホメ言葉ではない
俺は既存キリスト教を探求したくなったが
キーワードを見つけて満足してしまった
あとはイスラーム、神道、天理教あたりがまだ未知だ
😆
スキゾ型ですな~😅
まー社会科学の一般理論構築には無駄にしか思えなかったからやらなかっただけだ、秀才肌ではないからなー
😆
左翼の唯物主義者の領域だ
富の効率性のある再分配という発想がない、アベノミクスなんて失敗、
小泉以降失政が多い、
小泉は紀淡海峡大橋という2階の野望を
破壊しただけは評価てきるが😮
反省猛省の言葉がでたきたら大したもんたが、ナルシズム虚栄心ハッスルはやめれんだろう
😮
リダンや麦に
ハッスル🤡ウィルスを感染させ続けた
😱
ミリタリーマニアが、軽くある
https://m.youtube.com/watch?v=LBYbpCdk-cI
説教の三時
法相宗では、釈尊の説教を、3つの時期に分けて整理します。
3つの段階は、凡夫や修行者の理解の段階に合わせて説かれたものとします。
第一時(有教)
第二時(空教)
第三時(中道教)
初期の「有教」といわれる段階では、仏陀は大宇宙に法(物事の構成要素)は存在(有)すると許容しました。
しかし固定不変の霊魂(アットマン、実我)は存在せず、「空」であると真実を示されます。
理由は、当時広まっていたバラモン教などの「実我(固定不変の霊魂)」の考えを否定するためです。
これは阿含経などに見られるもので、「我空法有」の教えと言われます。
これにより、我(自己)の空(無)性を認めつつも、現象界・物事の構成要素(法)の実体性を認める事になってしまいました。
このままでは「心外に実法(我)あり」と誤解するおそれがあります。有教はまだ真実ではなく、まず相手の理解に合わせた方便の教えとなります。
そこで次にの教えの段階に進みました。
第二時の「空教」の段階では、般若経、思益経、 維摩経等の所說などを通じて「一切皆空」という教義が説かれました。
これを「我空法空」の教えといいます。
物事の構成要素(法)も自己(我)もすべてが空である(一切皆空)と教えられたのです。
現象世界(俗諦)では物事は存在するように見えますが、究極の真理(真諦)では、心も境(対象)も共に空であるということです。
これにより、世界の現象や個別存在に対して固執(有執)する者を減らし、より解脱に近づくことが目指されました。
しかし、悟りを得ない私たち凡夫では、右と言えは左に傾き、左といえば右に傾くように、全然真ん中の中道という考え方ができません。
当時の修行者も、「空」の教えを強調されると、空性に執着(空執)し、中道の教えから外れる考え方に偏ってしまいました。
最後の段階である「中道教」では、私たち凡夫が考えているような存在はないが、存在しないわけではないという「中道」を教えられました。
これを「非有非空」の教えといい、『解深密経』や『華厳経』などがこの教えを説いています。
少し詳しくいうと、心(識)は固定不変のものではありませんが、存在はしています。
一方、物事(境界)は、実体はありませんが無ではないということです。
空を強調すると、すべてが無になるように考えてしまいます(空執)が、仏陀はこれを否定されました。
この第三時において、非有非空の中道という真実の教えが説かれたというのです。
第一時では、人我への執着(我執)の誤りを破りました。
第二時では、有への執着(有執)の誤りを破りました。
第三時では、空性への執着(空執)の誤りを破り、真実をとかれました。
そのため、法相宗では第一時と第二時は「未了義教」(完全な教え)といい、第三時が「了義教」(完全な教え)とされています。
このように、仏教の教えは相手の理解にあわせ、段々とより精緻かつ深い理解へと導かれているのです。
ほい纏め方だな?
検索してないので知らんが内容からして
天台密教解釈で華厳とか言ったかな?
😆
大行寺山(釈迦岳)の頂上近くに所在し、かつて坊数75坊、末寺49院が建ち並び、西の高野山とも称された一大霊場だったという。本尊は釈迦如来で、天台宗・真言宗・禅宗・浄土宗の4宗兼学で、1446年(文安3年)には、比叡山延暦寺の末寺であった[2]。
天正年間(1573年 - 1592年)に、キリシタン大名小西行長の寺院焼き討ちにあい、寺坊は焼きつくされ、社領も没収され衰退した。その後、加藤清正・忠広親子により再興され、熊本藩主細川氏により修復された[3]。
また、唯識学では心に言葉の種子(名言習氣)が根付き、それが現実に影響すると説かれます。日々の行動、言葉、思考が、将来の花を咲かせる種子となります。
「一切の人生の果実は、その人の蒔いた種子のとおりに表現してくる。」(中村天風)
自分の身に起きた結果(果実)は、必ず過去の原因(種子)によるものだという因果の理を示す言葉。
良い言葉や教えを心に蓄える(種子を蒔く)ことで、心の在り方が変わり、清浄な結果(悟り)へと導かれるという概念。
迷いから抜け出し、行動の種を蒔く勇気を与える言葉。
名言種子(みょうごんしゅじ):名言(言葉や名)が心(阿頼耶識)に熏習されてできた種子。
表義名言習氣:言葉や理論によって形成される種子。
顕境名言習氣:対象を認識する心そのものから形成される種子。
これらは、日々の思考や言葉、行動が心に蓄積され、未来の自己のあり方や環境を生成する「原因」となることを示しています。
唯識の言葉を逆転させているかもしれない
😆
😆
どの角度からもアプローチできるかもしれない
😆
大日如来の言葉という完成から始める
だいたい中論は
その解釈釜成り立つ可能性があるかもしれない
😆
162:栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm :[sage]:2024/03/09(土) 16:35:39.62 ID:b8JerweS
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
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空海の大日如来的な解釈もありうる可能性がある
😆
😭
これは迷いの根本原因とされ、言葉の概念に執着せず、すべての存在は縁起によって成り立つと悟ることで、煩悩から解放される(転依)プロセスを指します。
唯識学派の理論:
迷いの世界(雑染)を生み出す根源は、阿頼耶識(心層の意識)に熏習(記憶・蓄積)された「名言種子」と呼ばれる「言葉の種子」です。
実体化のメカニズム:
私たちは言葉や概念を「それ自体で存在する実体」として認識しがちですが、実際には、心の中の「言葉の種子」が投影された結果(現行)に過ぎません。
この言葉の種子が「有漏種子(迷いの因)」から「無漏種子(悟りの因)」へ転換する過程が修行(転依)とされます。
名言種子の本質: 私たちが日常で認識する事物や概念は、言葉の形をとった種子(名言種子)が阿頼耶識(あらやしき)に保存され、それが因となって現実として表れる(実体化)と考えます。
雑染(ざつぜん)の種子: 迷いや苦しみの根源となる言葉・概念の記憶。
熏習(くんじゅう): 真実の教え(名言)を聞くことで、心に「清浄な種子」を刻み込む。
転依(てんえ): 阿頼耶識内の迷いの種子(有漏種子)を、悟りの種子(無漏種子)へと転換させ、世界の見方を変えること。
「言葉の力で、世界は変わる」というのが唯識派だ
善い名言種子を熏習することが重要だ
時間がかかる
見道して、パッと世界観が変わる
唯識論の説く世界観が、ピンときて本当に分かることだ
「ああ、外界は幻想というのは本当だったんだ。
本当に存在するのは、自分の意識なんだ」
というのが、ハッキリと分かる
それが、「相分(認識される対象)が消えて、見分(認識する主体)が残る」という状態
まだ、見分が残っている
そこから、修道が始まる
俺は直撃破壊の線を変更しないか
謎がわかってきたやろ
😆
邪道に走った栖ウンコ士をバッサリだな~😆
😭
ラカンの「欲望は他者の欲望」であり、幻想の主体が「言語(象徴)」に拘束されているという構造は、唯識の「阿頼耶識(あらやしき)」から諸現象が展開し、言葉によって実体化するという「遍計所執性(へんげしょしゅうせい)」と類似している。
「唯識(ただ識のみ)」と「現実界(リアス)」: 唯識は「心の外には何も存在しない」とし、ラカンは「真の現実は言葉の及ばない『現実界』であり、私たちが認識しているのは『想像界・象徴界』という幻想である」とする。
阿頼耶識とシニフィアン(能記): すべての認識の根本となるアーラヤ識(経験の種子)は、ラカンの言う「主体」や「シニフィアン(言語の鎖)のネットワーク」に相当すると解釈されることがある。
空と「持っていないものを与える」: 唯識の「空」は、実体が無いことを指す。これはラカンの欲望の構造「愛とは持っていないものを与えることである(本質的な欠如)」 と親和性がある。
両者は「自我」の虚構性を暴き、固定的な主体を否定する点で共通の哲学的基盤を持っている。
MORFO HUB
2022年3月15日 06:44
ジャック・ラカンはフロイト以降で最も重要な精神分析家であり、言語学的、構造主義的な観点からフロイトの理論を解釈し、深化させた人物と言われています。
また、彼は、思想界、哲学界にも大きな影響を与えています。
ラカンの精神分析学には、禅や仏教と共通点があると指摘されることがあります。
実際、ラカン自身が、サンタンヌ病院で始めた有名な「セミネール」の第1回開講の挨拶の中で禅の教説を引用しました。
また、彼は、初来日した講演で、仏教の本質について触れ、観音が「対象a」(ラカンの精神分析学の最重要タームの一つ、後述を参照)であるとの解釈を語りました。
ラカンの仏教に対する関心は、弟子にも継承されているようで、ラカン派の小林芳樹が、ラカンの後継者的存在であるアラン・ミレールと初対面した時に、道元の「正法眼蔵」を読んだかと尋ねられたそうです。
ラカンは初来日時の講演で、仏教の教説の本質を「欲望はまぼろしである」と語りました。
これは正しい認識であり、ラカンの精神分析学との最大の共通点と言って良いでしょう。
仏教はごく初期から(おそらくは釈迦自身が)、苦の原因を、言葉やイメージといった表象(サンニャー、想)の対象が実在すると誤解して、その対象を「渇愛(タンハー)」すること、つまり、欲望することであると説いています。
そして、その対象が無常、あるいは、実体がないことを理解することで、「渇愛」を滅することができると考えます。
このような発想をした釈迦は、古くから、病を持つ者を治療する医者に喩えられてきました。
また、現代の欧米にも、仏教を一種の心理療法として受け止めているという側面があります。
ラカンは、言葉やイメージをまとめて「見せかけ(サンブラン)」と呼びます。
「欲望」は、情動がこの「見せかけ」の対象に向けられることで、事後的に形成されたものでしかありません。
そして、「欲望」を満たすことで得られる「快楽」は、幼児時の最初の満足の記憶の幻想的な再現でしかないので、人は満足をすることはなく、常に何か欠けていると感じます。
精神分析では、自分が「欲望」していると思っていた対象を、実際には必ずしも「欲望」していないことを患者が理解するように導きます。
このように、仏教とラカンの精神分析学では、欲望を幻と考え、そのことを理解することを目指す点で共通しています。
ですが、仏教が「欲望」を滅することを目指すのに対して、ラカンは特定の「欲望」に執着せずに「欲望」を追求することを目指す点では異なるように思われます。
ところが、実際は、それほど単純ではありません。
このことは、最後に扱います。
主体と阿頼耶識
仏教は、「無我説」を説き、「我(私)」が実体として存在しないと考えます。
アートマンとしての「我」を仏教が認めたかどうかについては、諸説があり、複雑な歴史がありますが、一般的な意味での自我は認めません。
仏教の深層心理学である唯識派の八識説では、深層の第七識として、自我への執着を生み出す無意識の「末那識」を立てます。
「末那識」は、さらにその深層にある「阿頼耶識」が作る自我のイメージに同一化します。
「阿頼耶識」は分別的な意識を作り出す無意識の働きです。
ラカンも、「自我」を人が同一化しようとするイメージであり、それによって自分を見失い、幻想に閉じ込めてしまうものであると考えます。
唯識派もラカンも、幻想的な「自我」を自己と見なす無意識的な働きがあるとする点が共通します。
ラカンは、「自我」とは別に、「主体」という概念を立てます。
「主体」は、「現表行為の主体」とも表現され、言語活動も担いますが、それ自体は言葉で表現することはできません。
「主体」は、無意識的に働き、意識が考えていないことを語ることもあり、また、言葉が捉えることができない無形の情動(欲動)に向かうこともあります。
言語活動を担う無意識的な働きがあると考える点で、唯識派とラカンには共通性があります。
また、両者は、人が意識を持った時には、すでに無意識のレベルで言語的に規定されていると考える点でも共通します。
ただ、ラカンは、その無意識の構造は他者の語りによって作られるという「他者性」を強調しますが、唯識派は「阿頼耶識」が過去(過去世)の自分の行動によって作られるという「習慣性」を強調する点で異なります。
ラカンが、自分の理論の唯一の理解者と認めていたアラン・ミレールは、ラカンの禅に対する理解を受けて、精神分析における患者の語りは公案の形を取り、精神分析とはひとつの長い公案のようなものであると言います。
ちなみに、ラカン派では患者のことを「分析主体」と呼びますが、これは、患者自身が分析を行う者であることを意味しています。
ミレールによると、患者が自分自身についてうまく語れるようになるにつれ、問題は姿を変え、やがて行き詰まりに出口を開きます。
ラカンはこの出口を「パス」と呼び、これを「悟り」のようなものであると説明しました。
患者が自我の境界、自分自身について語れる境界を越えるのです。
一方、臨済禅では、参禅者に課題として公案が出され、参禅者はその課題について座禅中に思考をめぐらして「悟り」を目指します。
参禅者は、公案を解くために、自分の体験についても吟味し、言語化することにもなります。
臨済禅の最初の段階である「法身」の公案では、問題を論理的につきつめて、袋小路に入った果てに、論理を超えた世界に出て「見性」、つまり、言葉のない「空」の智恵(無分別智)の「悟り」を得ます。
このように、臨済禅での参禅と、精神分析での患者自身の分析には、言葉を通してその外側に出るという共通点があります。
また、分析医は、患者の語りの中で、患者自身は気づいていないけれど、患者の無意識が語っている部分を指し示し、それを分析するように導きます。
それは、患者自身の意識的な物語の外側です。
一方、禅師は、弟子との普段の対話、説法の中で、弟子が気づいていない、弟子の「無心」の心や「無心」で行った行動を指し示し、それを自覚するように導きます。
それは、弟子の意識的な行動の外側です。
このように、分析医と禅師にも、言葉・意識の外側に導く者である点で、共通します。
ですが、ミレールは、禅が全体との「融合的超越」の方向へ超えていくのに対して、精神分析では自我の境界をさらに大きな「差異」の方向へと超越するのだと言います。
つまり、精神分析では、患者は、新たな自分の物語を語り始めることが必要とされます。
ですが、禅や仏教においても、言葉のない智恵がゴールではなく、新たな語りが求められます。
臨済禅においては、「法身」の後に「言栓」と呼ばれる段階がありますが、これは、「見性」を前提として、言葉を自在に使うことができるようになる段階です。
これは、道元の曹洞禅では、「証悟(入頭)」の後の「出身(仏向上)」に当たります。
また、中観派の般若学では、「空」の智恵である「等引智」の後の「後得智」に当たります。
これらは、限界を突破したところから始まる新たな語りであり、精神分析が求めるものと共通性があります。
また、両者の新たな語りでは、語られる言葉、欲望が真実(勝義)ではないことを理解している点でも共通しています。
ただ、精神分析の語りが、自分の欲望についてであるという限定がある点では異なりますが。
ラカンは最初に来日した時の講演で、仏教の教説である「欲望はまぼろしである」ということを伝える者は、悟りとともに消え去らねばならないと語りました。
つまり、仏は解脱して涅槃に入るということです。
そして、ラカンは、わざわざ如意輪観音(最もセクシーな仏像と言われている)の写真を配って、仏として消え去る直前に、「対象a」としての姿を見せているのが観音であると語りました。
「対象a」は、ラカンの精神分析学における重要タームです。
それは、人が最初に自分の融合的全体性を失った時に、その失ったものを指し示すものとなった対象であり、根源的な欲望の対象です。
具体例としては、「乳房」があります。
分析医は、患者にとって「対象a」とならなくてはならないと考えられています。
分析医は、患者が分析医に求める姿(欲望の対象)を拒否することで「対象a」となります。
そして、患者の「主体」が新たな「対象a」との関係を築き、「欲望」への向き合い方を変えることへ導きます。
つまり、分析医は、患者の物語の外部への出口になります。
菩薩は、涅槃に消え去らず、人間と向き合い、その煩悩からの出口となります。
このように、従来の世界からの出口となる点で、菩薩と分析医には共通性があります。
ミレールが言った「融合的超越」は、ラカンの精神分析学においては「享楽」の体験に当たります。
フロイトにまで遡れば、これは「死の欲動」とか「快楽原則の彼岸」、「ニルヴァーナ原理」に当たります。
「欲望」は言葉やイメージといった「見せかけ」の対象を持ち、それを満たして得られるのが「快楽」です。
それに対して、対象を持たない情動である「欲動」を満たして得られるのが「享楽」です。
後者の領域は、「現実界」と呼ばれ、「見せかけ」によって制御できない世界です。
ラカンの精神分析は、「見せかけ」を完全に否定して「享楽」を全面的に享受するのではなく、「欲動」につながる「対象a」との新たな関係を築くこと(これは「幻想の横断」と呼ばれます)を介して「享楽」を求めることを目指します。
それに対して、仏教は、欲望を全面的に否定することを目指しているように思われています。
確かに、顕教は欲望を捨てることを目指しますが、密教は修行に積極的に欲望や感情を利用します。
そして、「欲望」を言葉や対象と切り離して変容させますし、通常の「快楽」とは異なる「大楽」についても語ります。
「般若経」の流れにある「理趣経」は、「一切法清浄」、「一切法無戯論性」との表現で、愛欲など欲望も、言葉やイメージ(分別)を伴わない状態ならば清浄なものであると主張しました。
これを受けて、密教では、観想(生起次第)の中で、自他が無欲な尊格となり、欲望や感情を日常的なイメージから引き離して、無対象な情動に変容させます。
つまり、対象を持った「欲望」を、対象のない「欲動」に変容させます。
そして、プラーナを制御するヨガ(究竟次第)を通して体験される無対象な「大楽」を利用して、その中で「空」の智恵を獲得します。
このように、精神分析と密教には、同じではありませんが、無対象な「楽」を求めるという点で共通性があります。
ただ、密教は、直接的にそれを体験することも目的とする点で異なります。
観音が「対象a」だとすれば、後期密教の明妃や父母仏の仏母は、その直接的な「欲動」、「享楽」を象徴する存在でしょう。
確かに、精神分析医と患者の対話は
禅僧との公案問答と似ているな
全文コピペしてしまった
じつはたいてい、要約・抜粋している
禅僧との公案問答と似ている
ラカン自身がそう言っていた
フランスにあったからな
弟子丸泰仙とかいたからなー
😆
象徴界のルール・体系: 規範、言語、文化、社会的秩序そのもの。具体的な誰か(人)ではなく、抽象的な概念。
無意識の構成: ラカンは「無意識は他者の場である」と述べ、主体が言語体系(=大文字の他者)を通して、自分自身の欲望を言葉にするという構造。
「父-の-名」(Name-of-the-Father): 法と秩序をもたらし、欲望を統制する構造的な機能。幼児にとっては、当初は「全能の母」であり、後にその母を規制する父へと転換。
主体との関係: 主体は「大文字の他者」の問い(例:「私にはどうしろと言うのか?」)に対して、自身の欲望を位置づけることで人間関係や社会的な生活を送る。
小文字の他者(l'autre): 鏡像段階における自分と似た対象、自我を映し出す鏡のような相手(imaginary/想像界)。
大文字の他者 (l'Autre): 自我(小文字の他者)を外側から決定づける構造的・絶対的な存在(symbolic/象徴界)。
ラカンは、「他者の他者は存在しない」とし、最終的には主体が自身の責任で自らの欲望を決定しなければならないという結論を導いています。
ラカンの「大文字の他者」を、唯識っぽく読み替えたものだ
阿頼耶識(唯識): 仏教の概念。個人や共有するカルマ(業)の「種子」を貯蔵する深層意識。
大文字の他者(ラカン): 精神分析の概念。自我を形成する社会的な秩序、言語体系、規範。
交差点(井筒俊彦の視点): 仏教的な阿頼耶識を「個人のカルマ」に限定せず、社会や文化が共有する言語的なコードの集積地として捉え直す試み。
両者は「個人の意識を超えた、深いレベルで精神を決定づける背景」という点で共通する。
私たちが生まれたときから、あるいは私たちが「言語を操る」という意志を持つ前から、世界は言語活動の場なのである。
人間存在を根本的に規定するこの言語活動の場を、ラカンは象徴界(仏:le Symbolique)と呼び、そのなかで生じるどのような人間関係も、この言語の場を共通する第三者として受け入れなければならないことから、それを大文字の他者と名づけた。
ラカンのいう「象徴界」だ
記号や言語によって形作られる構造的な現実のこと。現実界、想像界と並ぶラカンの「RSI」理論の一つ。
言葉やシンボル(ママ、パパ、名前など)は、物理的な対象(母親そのものなど)の代わりに、それを「不在の概念」として成立させる。これによって人間は「現実」の重みから解放され、象徴的な世界でコミュニケーションが可能になる。
秩序の提供: 法、文化、社会のルールによって無意識のレベルで主体を形成・安定させる。
現実の構造化: 直接的な「現実」を言語というフィルターを通して理解する。
「現実」との分断: 言葉にすることで「現実」は捨象され、永遠に得られなくなる(「ママ」と呼ぶことで実体を殺す)。
他者の領域: 象徴界は「他者の言語」により構成される。
井筒やラカンには残っているんだろう
俺は言語記号の恣意性の理由は?
からの人間の脳の特殊性と人類の歴史のデータから解析して探求する肌だった
そこが、ラカンや井筒とは違うところだな、
相対性、恣意性の世界で
どう対応するのか?
が大乗仏教の得意技と見ているのだがな
😆
ラカンと井筒を洞察できる
若い頃は相当研究マニアだったということやな
😆
臨済宗が一番ポジティブマッチしてた
若い頃は
神秘主義を完全にバカにしてた
今、天理教に至るまで
霊的チャンネル完備しているが、
それを科学的に分析する気はない、
あるものは、あるんだろう扱い
😆
その頃からマニアだったんだな~😂
転識得智はいつ起きる?
具体的に起きる内容: 「四智(大円鏡智・平等性智・妙観察智・成所作智)」という4つの智慧に転換されること。
主体: 唯識の教えに基づき、自己中心的な考え(末那識)や、ありのままを見ない意識(阿頼耶識など)が、真理を映す智慧に変わる。
この瞬間、知識の取得ではなく、存在のあり方そのものが根本的に変容する体験として語られます。
四智といっても
4つとも同じくらい重要だってわけではない
最も重要なのは、「大円鏡智」だ
「平等性智」と「妙観察智」が、それに次ぐ
「成所作智」の重要性は、ハッキリいって低い。ここは、コダワるところではない
平等性智はすべての差別や偏見を離れ、万物を平等に見る智慧(自他平等の慈悲)、妙観察智は個々の対象を区別・分析し、正しく見極める智慧(衆生を正しく導く)を指し、この相反する視座の統合が重要とされる。
意味: 物事の特性や個別の事情を、主観に縛られず細部まで正確に観察・理解する智慧。
対応: 意識(第六意識)が転じて得られる。
役割: 異なる個性や状況を識別し、人々に適切な教えを説く働き。
仏・如来: 西方の阿弥陀如来(無量寿如来)。
意味: 自他の区別や偏見を捨て、すべてのものが本来平等であると悟る智慧。
対応: 末那識(まなしき)が転じて得られる。
役割: 喜怒哀楽や自己中心的な意識を超え、すべての衆生に平等の慈悲を注ぐ働き。
この二つの智慧は、日常的・現実的な思考において「同じところを見つける(平等性智)」と「違うところを見つける(妙観察智)」というセットの動きとして捉えることができる。
相手の価値を平等に見ながら、その特性を観察して適切に対応する。
四智円明(しちえんみょう):
坐禅や修行を通じてこれら四つの智慧(大円鏡智・平等性智・妙観察智・成所作智)が完全に働く状態を目指す。
https://discoverjapan-web.com/wp-content/uploads/2020/08/c1c4d9b46d707e5cc1d525977b69d786-e1596620289972.jpg
禅定能力と余計な囚われの情報エラーが減った時やろな、
薬師寺の僧侶の本にあったで
説明は、このままではないが
😆
空海が三次元化した密教の世界
https://discoverjapan-web.com/article/30603#:~:text=%E6%9D%B1%E6%96%B9%E3%81%AE%E9%98%BF%E9%96%A6%E5%A6%82%E6%9D%A5,%E6%99%BA%E3%82%92%E8%A1%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%80%82
A.I.の説明には、常に元ネタがあるからな~😅
まず有り得ない
NO1やデンパパは自分が偉いと妄想しているので
無理
😆
金剛界の五仏
密教の世界観には、教主である大日如来の理を表す胎蔵界と、智を表す金剛界というふたつの世界がある。
大日如来が備える5種類の智慧を五智(法界体性智、大円鏡智、平等性智、妙観察智、成所作智)といい、五智を象徴する金剛界の五如来を五智如来という。
東方の阿閦如来は、鏡ですべてを映すようにあらゆるものを見極める大円鏡智、南方の宝生如来は、すべてのものとの一体化を悟る平等性智、西方の阿弥陀如来は、あらゆる智慧を観察して人々を導く妙観察智、北方の不空成就如来は、なすべきことを成就させる成所作智を表している。
善い種子を薫習させ続けて、
阿頼耶識を浄化していくしかない
唯識派は、基本的に漸悟思想だ
頓悟とは異なり、時間がかかる
それによって、第八阿頼耶識の浄化が進むことになる
頓悟禅と合わないところを意図的にスルーしている
そうすると、第八阿頼耶識には善い種子が薫習されることになる
阿頼耶識は、自分の意志では動かない
意識と末那識から、悪い種子がくれば、阿頼耶識は汚染される
意識と末那識から、善い種子がくれば、阿頼耶識は浄化される
それが、阿頼耶識というシステムだ
ハッスル様のように、
「まず、第六と第七が転識得智する。
次に、第八と前五識が・・・」
とかなんとか
順番を暗記するまでもない(笑)
「外界は幻想であり、本当は存在しない。
本当に存在するのは、識のみである」
という唯識派の根本思想を深く理解して実感する
これが、本気でピンとくることだ
20世紀に入った、第一次世界大戦の直前の頃だ
ソシュールの言語哲学と並んで、
西洋哲学がやっと唯識派に追いついた
😆
さすがに、現代哲学がやってる
言語分析や精神分析と比べたら、
とても素朴なものだ
構造:心を氷山にたとえ、海面下が無意識、水面上が意識(意識・前意識・無意識の局所論)。
内容:性的欲求や不愉快な体験など、現実で受け入れられない感情が「抑圧」されて無意識に沈んでいる。
働き:人間の言動や思考を支配する(個人の人生に影響する)。
なんらかの構造があるという
物理学要素は残るだろうな
人文社会科学は
全体的には物理学的な法則を
どっかにあるという期待があるだろうな、
俺は、その辺は若い頃に看破していた
😆
意味:「八識」の第八識で、「蔵(蔵識)」を意味する。
内容:善悪の「業(種子)」がすべてここに保管され、後の結果(果報)を生み出す。
特徴:末那識(まなしき)という自我の執着の奥にあり、輪廻転生の主体となる永遠の心。
類似点:「意識できない深い領域」「過去の経験や記憶の蓄積場所」「個人の行動への影響」という点で一致する。
相違点:
範囲:フロイトは「この一生(個人)」の無意識だが、阿頼耶識は「前世~現世~来世(永遠)」にわたる。
目的:フロイトは「無意識を意識化して治療する」のに対し、仏教は「阿頼耶識の中の悪の種をなくし、清浄にする(転識得智)」を目指す。
阿頼耶識は、科学が生まれる前に人間の脳や意識の働きを言い当てていた概念として、現代心理学の無意識の働きに対応していると解釈される。
外界は恐ろしいところだな~😂
囚われない
囚われる=不幸=苦
というシステムからの
解脱という仕組みにしている
ま、ムイムイ、ハッスルには
お前囚われてるよな?
の直撃レスをしているわけだ
シンプルに
😆
無意識の発見: 心の大部分は自覚できない「無意識(Unconscious mind)」であり、抑圧された感情や性的衝動、トラウマが眠っている。
意識 (Conscious): 今自覚している心。
前意識 (Preconscious): 努力すれば思い出せる記憶。
無意識 (Unconscious): 抑圧され、自覚できない深い領域。
エス (Id): 本能的・快楽的な欲求。
自我 (Ego): 現実とエスを調整する役割。
超自我 (Superego): 道徳や良心、理想。
防衛機制: 無意識が強い不安から心を守るために働く(抑圧、合理化など)。
フロイトはこれらの概念を通じて、心の悩みや神経症が、無意識にある葛藤から生じると考えました。
「お主、囚われておるぞ」
誰かが言ってやらんとな~😂
「囚われて」不幸、苦
の原因は何かを
精密に分析して
システムを構築した
と言ったところだな
ま、ムイムイ、ハッスルに
いつも、「囚われてるよ」苦、不幸と
サービスしているのだからなー
😆
少し角度が違う
非現実的だな?ー
が
「ワレワレハデンパパセイジンダ」
😆
何もない。
JBL殿は有心の人(⌒‐⌒)
神の影
全知全能の主
物理学的法則要素の発想
というのを最上層に置いている
ほんと、若い頃にこんな事を研究してた
😆
😆
どーでもいい。
本来の自己に目覚めろ!(⌒‐⌒)
唯識論では、「ただ、識のみが存在する」と考える
大乗仏教なので、「最終的には、識もまた空である」とは言うけれど
基本的に、「識は在る」と考える
それが、唯識論
今朝、道元ロボの操作ができるようになった
😆
お主、悟っておるな?
アラマシキの七識の
天台、華厳、真言密教みたいなのが
成立する
😆
人文社会科学にずっとあり続けたからなー😆
> 「識」すらない。
> 何もない。
中観派は、そう言って唯識派を批判してきた
仏教思想史上、ここは意外と重要なポイントだ
聖ウンコ派は、「識も本当は空である」に
コダワっているせいで、唯識派が分からない
だから、唯識派と中観派の違いも分からない
気の毒なくらいセンス無い😭
それが、説一切有部だ
それが、中観派だ
「非有非無の中道」が建前ではあるが
他の派から見れば、「一切は無い」と説く部にしか見えない
「識は有る」とするのが、唯識派だ
唯識派の言ってることが分からなくなる
本当に存在するのは、識のみである」
↑
こういうのが、唯識派だ
それに対して中観派は、「識も無い」と考える
そこが、唯識派と中観派の最大の違いだ
さすがに、世間の一般人が素朴に信じてるような意味で存在すると思ってるわけではない
倶舎論でも、この世が3D映画みたいな虚構の世界像であることにかけては大差ない
まあ、例えてみれば
3D映画は、専用の3Dメガネをかけると、目の前に世界が広がる
でも、3Dメガネをかけずに直接、本当の画面を見ると
無意味な信号が渦を巻いてるにすぎない
本当は、世界は無意味だ。人が認識するから意味がある
外部の存在は普通の人の感覚ではない
臨済宗、曹洞宗も
外部の存在は普通のようで
普通の人であり、普通の人てもない
外部の存在がある
😆
> 3D映画は、専用の3Dメガネをかけると、目の前に世界が広がる
↑
これは、初期からの仏教からの基本構想と言って良い
「アナタに見えているものや、聞こえているもの。
それが世界のすべてである」
「世界は、『アナタにはそんな風に見えている』
というだけなのである」
眼とか耳とかの感覚器官(六根)と、
外界の対象(六境)は対になっている
六根と六境のペアで、世界が生じる
確かに、華厳や真言は超ポジティブ
初期仏教からは激変している
JBLが拝めるなかった徳一の仏像をテレビで見て
その見え方が解った
😆
😆
「世界とは、こういうものだ」と思い込んでいる
自分が編集した世界像だってことには気づかない
京都なら新幹線ですぐだが、奈良はちと遠い😆
五蘊を客観視し始める(第一依)
五蘊への誤解を解く(第二依)
五蘊への愛着を断つ(第三依)
五蘊から完全に自由になる(第四依)
このように、「客体(五蘊)の変化の相」をどれだけ深く証得したかによって、「主体(修行者=人四依)」の定義が決まるという構造になっています。
↑
ここに気づけば、五蘊の解体が一気にすすむ
😆
言語がそれだけ重要だってことに、
地球人類は気づいたのだ
そうか、その手があったか😆
😆
近鉄電車乗り口は
JR新幹線と同じビル内やし
😆
「車」という名前を付けて、何度も名前を呼ぶ
そうすると、だんだん「車」という実体があるような気がしてくる
「自分」も、それと同じだ
名古屋からは意外と遠い😅
定款を書いて、公証人役場で認証してもらい
法務局で登記する
言語だけでできた、架空の存在だ
だが、商号をつけて何度も呼んでるうちに
本当に実体を持った存在に見えてくる
薬師寺は行ったことがないので書籍あるか不明
😆
「国家」とか「会社」は、もっと実体がない
言語で構築された存在だ
書籍はあるだろう
興福寺と薬師寺は、唯識論のツートップ
書籍がないわけがない
😭
お経ですら買えなかった
興福寺のあったら
是非欲しかったんだけど
😭
ゴールデンウイークは
六道珍皇寺と六波羅蜜寺をおまけで行けるか?
😆
とある曹洞宗寺院で見つけた
成唯識論の10章だけコピーをファミマかローソンで取るプランもある
😆
「ついでに奈良にも行きたいな?」と思ったが
予想外に遠かった😅
名古屋からは遠い
両寺とも、奈良の歴史と美を感じられる、外せない観光スポットです。
特徴:奈良公園に位置する、藤原氏の栄華を伝える寺院。
見どころ:国宝・五重塔、国宝館(阿修羅像など)。
歴史:飛鳥の山階寺が前身、平城遷都で現在地に移転。
特徴:西ノ京に位置し、鮮やかな色彩の金堂・塔が並ぶ白鳳伽藍。
見どころ:国宝・東塔、金堂の薬師三尊像。
歴史:天武天皇が皇后(持統天皇)の病気平癒を願って発願。
法相宗:同じ法相宗の寺院。
移建:興福寺の仮金堂として、薬師寺の旧金堂が使われていた歴史がある。
アクセス:近鉄奈良駅(興福寺)と近鉄西ノ京駅(薬師寺)は電車で約15-20分(奈良線~橿原線)。
とりま、俺はこんなところ近辺だろう
https://note.com/projectnobushi/n/n9ed9abcae894?magazine_key=m4d17f43ad1ca
位置: 見道位(通達位)
特徴:
**見道(悟りの道)**によって眞如(真理)を直接に体得し、分別によって生じた煩悩の重い部分を断つ。
これにより、一部の転依が成就される。
ま、その前の分岐点の西大寺は
日蓮のライバル視してた
真言律宗の総本山
日蓮的には「律」扱い
😆
まー親鸞会関連ぼいあのお方よりも信用はできそうな感じはする
😆
説明してそーなのは
受用身(報身)の住処
自受用身は、清浄な仏国土に住み、法楽を享受する。
😆
😆
他受用身は、菩薩たちのために清浄な仏国土に住し、法を説く。
その能力はある
他受用身は、菩薩たちのために清浄な仏国土に住し、法を説く
😆
は
俺は禅以外は
素早く
仏教版ノバみたいに
いっぱい聞けて〜♬
いっぱいしゃべれる〜♬
がやれる
😆
さほど重要ではない、
唯識の成唯識論10章みたいな
神秘主義禅定要素は薄い
😆
神秘主義要素禅定の重視の有無は不明である
😆
唯識は成唯識論10章でかなり明白になっているが
😆
学者みたいな理論家であると言う人と
瑜伽行の瞑想した神秘家であるとの
2種類の解釈があるな
どちらか片方というのはあり得ない
菩薩が修行を進める中で克服すべき**「煩悩障」と「所知障」について、それぞれの消滅過程と修行段階における特徴を説明する。
1. 煩悩障の断除
煩悩障とは、貪・瞋・痴などの煩悩による障害であり、悟りへの妨げとなる。
この障害は見所断と修所断の二種類に分かれる。
極喜地(第一地)で初めて断じられる。
見道(悟りの入り口)において、一切の見所断の煩悩は一度に断たれる。
しかし、修道(さらなる修行の過程)においては、徐々に細かい煩悩を消していく。
**金剛喩定(最終段階の禅定)**に至ることで、完全に断たれる。
七地以前では、意識的に煩悩を抑えるが、まだ完全には消えていない。
八地以降では、煩悩は自然と現れなくなる。
阿羅漢の境地と同じように、七地以前の菩薩も煩悩を制御できるが、八地以上になると煩悩は完全に起こらなくなる。
所知障とは、認識の歪みや無明(無知)による障害であり、智慧の完成を妨げるもの。
見所断(見道で断たれる無知)
**極喜地(第一地)**で初めて断じられる。
修所断(修行によって断じられる無知)
十地の修行の中で段階的に消えていく。
最後に金剛喩定に達すると、すべての無知が完全に断たれる。
修道の中での進展
八地以降では、前六識(五感+意識)と無漏観心(悟りの智慧)が強化され、所知障が生じにくくなる。
七地では、所知障はまだ残る。
金剛喩定に入ることで、最終的に完全に断たれる。
定義: 欲望、怒り、無知など(貪・瞋・癡)の煩悩が、自分自身の心身をかき乱し、解脱(悟り)を妨げること。
性質: 情的・本能的な苦悩。主に「我執」に基づき、生死の迷いを引き起こす。
対象: 貪・瞋・癡など(三毒)。
定義: 真理に対する無知や、客観的な知識・見解に執着すること(法執)が、正しい智慧の妨げとなること。
性質: 知的・意識的な障り。煩悩障を断った後も残る、より深い我見の残滓(習気)。
内容: 法執(物事の真実の姿を理解できない障害)。
所知障:法執(論理・知識への固執)に基づく。客観的な真理や対象を正しく知るのを妨げる。菩薩が学ぶべき法に対する障礙。
煩悩障は感情的な迷い、所知障は認識上の迷いともいえます。大乗仏教では、これら両方を断つことで、無障礙の仏の境地に至ると説かれます。
所知障って、そういう意味だっけ?
我執と法執、煩悩障と所知障について
【質問】
唯識学で教えられる
「我執(がしゅう)」と「法執(ほうしゅう)」の「二執」
「煩悩障(ぼんのうしょう)」と「所知障(しょちしょう)」の「二障」について教えて下さい。
【回答】
煩悩とは、仏教で私達の苦しみの原因としての心理的な現象を取り出したものです。
唯識の「五位百法」の分析の中では、根本煩悩が六つ、
更に随煩悩(枝末煩悩)の二十が教えられています。
煩悩の本来の意味は「痛み、苦しみ」ということです。
煩悩とは、我々を煩わせ、悩ませるものという意味で、正に私達の痛み苦しみ、そのものです。
これら様々な煩悩、随煩悩を唯識学では、
「我執」としてのものと、
「法執」としてのものと、
大きく二つに分けることが出来ます。
「我」に対する貪りと、
「法」に対する貪りを分けることが出来る訳です。
大きく「二執」に関するものとして、煩悩を区分することが出来ます。
その中で、
「我執」に関する煩悩を「煩悩障(ぼんのうしょう)」と言います。
「法執」に関する煩悩を「所知障(しょちしょう)」と言います。
いわゆる「二障(にしょう)」です。
所知障は、知られるべきもの、悟られるべきもの、に対しての障り「所知への障害」ということです。
私達は「この二障を抱えている」と唯識学は教えます。
まとめると、以下のようになります。
煩悩障ーー我執より起こるーー諸法の用(働き)に迷う
所知障ーー法執より起こるーー諸法の体(本体)に迷う
「固定不変な自己は存在する」と考える「我執」より起きます。
それは「諸法」すなわち「存在の構成要素」の作用に迷う心です。
たとえば、私の肉体、あるいは、私が見る、という場合、肉体、あるいは視覚という法(ダルマ)の作用の上に、
「私」という言葉を付与して「我(アートマン)」という存在を設定して、それに執着して、その結果、貪欲や瞋恚など、様々な煩悩を引き起こします。
この諸法の作用に迷う「我執」は「諸法の本体は存在する」と見る、より深い「法執」から生まれます。
先程の例でいうと、
「固定不変な肉体もあり、視覚も存在する」と考える迷いであります。
インドに於いては、木が少なく、燃料のために木を切る時でも、葉や枝だけを伐採して、下の部分を切り残します。
その残った部分が夜に暗闇で見ると、人間に見えて、ぎょっと驚くことがあります。
本当は、それが木の切り株であるのに、それが「切り株であると知らない心」が根底にあって、その上にそれを「人間」と思って、恐れおののく心が生まれて来ます。
この場合の、木の切り株であることを知らない心が「所知障」であります。
人間と思う心が「煩悩障」にそれぞれ譬えられています。
しかし、私達は「見るが如くに、現象世界はある」と思い込み、
「あるがままの姿」を私達は、
「平等一味」であることを知りません。
この知的な迷いが、私達の根底にありますので、
「所知障」から、多種多様な煩悩が湧き出てくると仏教では教えられるのです。
「我執」から起きる「煩悩障」は、涅槃(ねはん)を阻(はば)みます。
私達は「自我」にしがみついているので涅槃が得られず、
「生死輪廻して止まない」と教えられます。
「無住処涅槃(むじゅうしょねはん)」と教えられます。
「智慧あるが故に、生死にとどまらず、慈悲あるが故に涅槃に住せず、衆生済度のために活動せずにおれない」
「生死にも涅槃にも、住しない、とどまらない処」に涅槃を見ます。
小乗仏教の涅槃が、
「生死からの自由」としますと、
大乗仏教の涅槃は、
「生死への自由」と言えます。
ここに生死に苦しむ人々の中に、自ら入っていって、その苦しみを溶かしていく活動がなされるのです。
「法執」から起きる「所知障」は、菩提、つまり覚りへの実現を阻みます。
諸法の実相を洞察するのが覚りですが、所知障は、その障りとなります。
「我執と法執の滅尽」ということは、そのまま、
「大菩提と大涅槃の実現」ということを意味しています。
大乗仏教の目指す目的は、
「菩提と涅槃」であります。
「二執(我執と法執)、二障(煩悩障と所知障)を断つ」ことによって
この両者が実現する、と教えられるのであります。
なんとなく説得力があるな?😫
復習しよう
でも、大乗仏教は、寂滅主義ではない。。
逆に寂滅主義に陥ってはいけない、ということなんでしょう。。
ダメだよ
唯識はほんとに原典でないと誤読する
あのホーカイくん引用してた時点で
俺は信用してない、
ましてや親鸞会がらみ
😫
在住中は敢えて言わなかったけど
ホーカイくんに親切してやる筋がないしなー
😆
自性身(法身)
1.1. 意味
**仏の本質そのもの(真如)**であり、不生不滅の法界。
煩悩や迷いの影響を受けず、完全な清浄性を持つ。
は、最初から
完成されておるのに重点を置くと
天台華厳真言密教禅となる
😆
唯識論でも定義が難しい用語の1つ
確かに
大乗仏教の涅槃は、無住処涅槃
せっかくの涅槃なのに
衆生を救うため、
この世に戻ってくるんですな
ウンコ聖師が5ちゃんねるから
戻ってくるようなものか~😭
😆
😆
こっちのAI漢文翻訳のほうがマシだろう
https://note.com/projectnobushi/n/n9ed9abcae894?magazine_key=m4d17f43ad1ca
要約までしてくれてるのか~😆
そんなに外れないだろう
質問形式よりも
😆
ホーカイくんよりも正統派だろうな
😆
63 神も仏も名無しさん [sage] 2026/02/23(月) 20:36:21.59 ID:UDSWH
おれは、前からそうなんだけど、リダンの言うことは、まったくわからない。。w
同じ日本語を話しているとは、到底思えない。。w
他人のレスがほぼ理解できてない
聖ウンコ師とさえ、対話が成り立たないという😅
それを見たところ、当方とでお~様だけでなく、リダンもあぼ~んされていた😂
聖ウンコ師もリダンが苦手だったんだなと知った😂
1. 煩悩障の断除
煩悩障とは、貪・瞋・痴などの煩悩による障害であり、悟りへの妨げとなる。
この障害は見所断と修所断の二種類に分かれる。
極喜地(第一地)で初めて断じられる。
見道(悟りの入り口)において、一切の見所断の煩悩は一度に断たれる。
しかし、修道(さらなる修行の過程)においては、徐々に細かい煩悩を消していく。
**金剛喩定(最終段階の禅定)**に至ることで、完全に断たれる。
七地以前では、意識的に煩悩を抑えるが、まだ完全には消えていない。
八地以降では、煩悩は自然と現れなくなる。
阿羅漢の境地と同じように、七地以前の菩薩も煩悩を制御できるが、八地以上になると煩悩は完全に起こらなくなる。
見道に至れば、断じられる
修所断が残っている
修行によって断ち切られる煩悩だ
所知障が難しい
所知障で止まってるわけにいかない(笑)
所知障(しょちしょう)は、大乗仏教の用語で、悟りの智慧(真理)を覆い隠し、全知全能(仏の知識)の達成を妨げる「知的な執着や無明」のことです。
煩悩そのものではなく、知識や認識に由来する執着(法執)を指し、二障(煩悩障・所知障)の一つとされます。
定義: 真理に対する障害(所知障)、知障、知碍とも呼ばれ、一切の事物を正しく知る妨げとなる無知。
特徴: 自分の持っている知識や価値観、法執(実体があるという思い込み)にこだわり、真実をありのままに見られない状態。
煩悩障: 煩悩(貪・瞋・癡など)により苦しみ、解脱(涅槃)を妨げる障。
所知障: 真理を正しく知る智慧(菩提)を妨げる障。
対象者: 主に菩薩(修行者)が仏の境地に至るまで断ち切るべきもの。
天台宗の解釈: 「無始無明」とも表現される。
我執とは、自分に対する執着
法執とは、外界の事物に対する執着だ
所知障は法執だとされている
所知・能知(知られるものと、知るもの)だ
この「所○、能○」というのは、唯識論にはよく出てくるオナジミの言葉
所取(しょしゅ)と能取(のうしゅ)は、仏教の唯識(ゆいしき)思想における根幹的概念で、認識の対象と主体を表す対語です。
「所取」は認識・把握される客体(対象)、「能取」はそれを認識する主観(心・識)を指します。
この二つを分けて捉える「二取」は、実在しないものを実在とみなす虚妄分別(こもうふんべつ)の要因とされます。
能取(Grahaka):捉えるもの。認識主体。心、意識、五根(眼、耳、鼻、舌、身)。
見分・相分:唯識学では、能取は「見分(けんぶん:見る部分)」、所取は「相分(そうぶん:見られる対象)」と相分・見分の関係で結ばれると解釈されます。
虚妄分別:本来一つの心識を、所取と能取に分けて捉えること。この二取分別が人間を苦しめると説かれます。
二取の超越:悟りの状態は、この所取・能取という対立・分別から脱した状態(離二取相)とされます。
意味:認識対象を「変現(へんげん:創り出すこと)」する能力を持つ「心」や「識」のこと。
概要:阿頼耶識(あらやしき)など、対象を認識し、認識対象を現し出す主体となる働き。
意味:能変の心(認識主体)によって変現された対象(「所変の境」)のこと。
概要:我々が客観世界として認識している対象は、実体があるわけではなく、実は自分の心が生み出したもの(影像)であるということ。
これに慣れると、唯識用語力が格段にアップする
所知障(しょちしょう)は、
菩薩が真実の智慧(仏の知見)を得るのを妨げる、正しい認識や知識への執着のことです。主に菩薩の修行過程で断つべき課題とされ、煩悩障と共に二障と称される大乗仏教の教理です。すべてを知る「一切種智」の完成を妨げる無明の習気を指します。
定義:菩薩が証得すべき対象(所知)に対する誤った執着や、智慧の生起をさまたげるもの。
内容:「真理を知っている」という知識そのものへのとらわれや、知的な限界を意味します。
修行の課題:煩悩障が二乗(声聞・縁覚)の克服対象であるのに対し、所知障は菩薩の修道の過程で克服すべき特有の障り(障害)とされます。
目的:仏の智慧「一切種智」を成就するため、所知障と不染汚無知を断ち切る必要があります。
二障(にしょう):煩悩障(煩悩)と所知障(所知)の総称。
菩薩(ぼさつ):悟りを目指して修行する存在であり、真理(所知)を深く追求する過程で、この障りに向き合う。
チャンドラキールティの解釈:所知を断ずるべき対象(所知障)として、言説の止滅を重視する。
この概念は、瑜伽行派(ゆがぎょうは)など大乗仏教の教理において、完全な悟り(仏果)に至るまでの重要な修行の指標となっています。
という説明も見かけるのだが
こういうのを見ると、だいぶ異なる
ここが重要なようだ
一筋縄でいかない、難解な用語が多い
公案みたいなもんだ
考えることに意義がある
↓
唯識思想では「煩悩障」「所知障」というものが、悟りの妨げとされているが、前者は声聞・独覚にも断じることができるのに対して、後者は彼らには断じることができず、仏・菩薩のみが断じることができるとされている。如来蔵思想でも、声聞・独覚にも断じられるものと、仏・菩薩にのみ断じられるものがある。それらは「四住地」「無明住地」とよばれている。従来の研究では、如来蔵思想の「四住地」と「無明住地」は、それぞれ「煩悩障」と「所知障」に相当するという解釈がなされてきた。
「菩薩になるための最後の障害になる知」だ
↓
【質問】 滅諦というのは「常楽」の境地といいますが、それのどこがいいのかよく分かりません。また煩悩と習気が無くなった仏の境地に達するとどんな気持ちになるのでしょうか。
【回答】滅諦のことを「常楽」(究極の幸福)といいますが、これはたとえばこういう事です、〈自由〉というがありますよね。〈自由〉というのは、〈快感〉ではありませんよね。ですが、〈自由〉が有れば、〈恐怖〉はありませんよね。〈恐怖〉に基づく〈苦しみ〉もありませんよね。そしていつも平穏な状態になるじゃないですか。
これが自由にならない証拠じゃないですか。そして自由にならない事は、苦しみを本質とする事ですよね。不自由から逃れたら、それは幸せじゃないですか。ですので煩悩がこの原因となっています。煩悩はその人を苦しめていますよね。煩え悩ましていますよね。
ですから煩悩という敵を克服した解脱の境地を得るには、所知障を断じる必要は無いことになります。ですが一切智者の境地を、得るためにはその必要があります。「一切智」の意味は、無辺無数の衆生の心とその能力の“一切を知る”という意味です。これが「一切智」の意味です。
そしてこのような“一切智者”になるための障げが所知障なのです。それは煩悩の習気なのです。それを断じた時の心境はどうかといえば、“一切智者のみぞ知る”ですよ(笑)
「煩悩障を断じた人に、なおも残る煩悩の習気」
が、所知障だ
その上に、煩悩障が展開する
という、根本的な錯覚
その根っことなるのが、所知障だ
知るもの(所知)が、最後の障りとなる
「人間には、『物自体』を知ることができない」
「自分が認識して、編集した世界像を知ることができるだけである」
「世界とは、本当はどういうものなのか。それを知ることは、人間には不可能だ」
それが、所知障だということだろう
所知障を乗り越えたとき、菩薩は「物自体」を知ることができる
これじゃ、ヘーゲルの「絶対知」だ(笑)
答えのない公案みたいなものだ
ヘーゲルのいう「絶対知」に通じるものがある
それは確かだ
いつも不自由そうだな?
🤡〜
というのは、カントのいう
「我々には、物自体を知ることができない」
に通じるものがある
というのは
ヘーゲルのいう「絶対知」に通じるものがある
ホントだ
仏のスレで、ハッスル様が暴れている
メンタル不自由🤡
おもろいのー
😆
正直、いまでも「分かっている」という自信はない😅
識の自己証明:認識作用(見分)が対象(相分)を捉えたとき、自証分はその認識行為全体を「私は今~を認識している」と自覚します。
記憶の確認:過去の記憶が呼び起こされた際、自証分は「今、私はそのことを思い出している(記憶している)」という自己確認を行います。
根源的な働き:記憶の「内容」を覚えているのは見分ですが、その記憶を「自身のもの」として捉えるのが自証分の役割です。
唯識では、相分(対象)、見分(認識)、自証分(自己認識)、証自証分(自己認識の確認)の4つが認識構造を構成し、記憶においてもこれらが連動して働いています。
> 正直、いまでも「分かっている」という自信はない
まあ、さすがに、それなりの自信はあるが
確信が持てない(笑)
↓
凡夫は、「外界の事物は存在する」と錯覚し、それに執着している(遍計所執性)
それを、錯覚と執着の2つに分ける
錯覚が所知障であり、執着が煩悩障である
煩悩障を断じた聖者でも、所知障はまだ残っている
所知障すらも断じた一切智者、それが菩薩である
A.I.に聞いても、「非常に鋭いご指摘です」とかなんとか言うだけだろうしなあ(笑)
唯識論の用語の意味を考える
それ自体が修行(笑)
答えは分からなくても、気付きがあれば
それでいい
テーラワーダでいうサティの行だな、
止観の観、
まーほんと
止観というルートで見れば
仏教の大方は把握しやすくなる
自証分とは
止観の観の部分だ
😆
感想をきくのが面白いんだよな~
「う~ん、言いたいことは分かるけど、それはちょっと違うかな」とか
「それだ。そういうことだ。さすがは文系。ズバリと言語化したな」とか
昔、物理学とか土木・建築工学で、さんざんそれをやった
おかげで、文系離れした工学知識がいまでもある(笑)
なるほど
そういえば、そうか
あれは、自証分っぽい
成唯識論10章は
かなり修道論の結論になっている
成唯識論10章は
摩訶止観の入口にもなっている
😆
ハッスル、NO1、デンパパ、麦は
止観の観を軽視している
観が、なければ
デンパパ的ヨガ系統になる
😆
そこを素通りするくらいに
自証分のサティ要素に関心が薄いということやな
😆
自分の思考行為を精密に認識することなのだからなー
ハッスルとムイムイは土俵が、同じなので
レスはマメに入れてやるが
デンパパ、NO1は土俵が違うので
マメにレス入れない😆
「実況中継」のことだった
😆
識体から相分と見分が生じる
A.I.による摩訶止観の現代語訳と要約だな😆
摩訶止観では変化していく、
それは成唯識論のゴール地点を拡大解釈した構造のようだ
😆
結論から言うと、その整理は方向性は近いけど、唯識や大乗論書の標準的な整理とは少しズレています。
特に最後の「一切智者=菩薩」という部分は、かなり注意が必要です。順番に分解して見ます。
①「遍計所執性=外界実在への錯覚」について
これは だいたい合っています。
唯識では:
遍計所執性 = 分別によって「実体がある」と誤認された姿
典型例が「外界が自性として実在する」という執着
したがって、
凡夫が外界を実在と思い込む
という説明は、簡略化としてはOKです。
ただし厳密には:
「外界そのものが錯覚」ではなく
自性として存在するという把握が錯覚
です。
ここは 半分正解・半分危険 です。
大乗唯識での二障は:
■ 煩悩障(kleśāvaraṇa)
貪・瞋・癡など
輪廻を生み出す情動的汚染
解脱(阿羅漢果)の障害
■ 所知障(jñeyāvaraṇa)
対象を二元的に捉える微細な分別
全知を妨げる認識上の歪み
なので、
執着 → 煩悩障
はかなり自然な対応です。
しかし、
錯覚=所知障
と単純に置くのは少し粗いです。
理由:
👉 唯識では「遍計所執性」そのものが
煩悩障にも
所知障にも
関わるからです。
つまり:
錯覚の中にも煩悩的なものと認識論的なものがある
ので、きれいに1対1対応させるのは論書的にはやや乱暴です。
③「煩悩障を断じた聖者でも所知障は残る」
これは 典型的な大乗の立場 です。
例:
声聞阿羅漢
→ 煩悩障は断つ
→ しかし所知障は未断
『成唯識論』系の説明とも一致します。
ここはかなりオーソドックス。
ここが一番ズレています。
唯識・大乗の標準整理では:
✔ 一切智(sarvajñāna)を完成するのは 仏
であって、
✖ 菩薩はまだ修行途中
です。
菩薩は:
十地の後半で所知障を徐々に薄くしていく存在
しかし完全に断じた段階は 仏地
つまり普通は:
位
煩悩障
所知障
凡夫
あり
あり
阿羅漢
なし
あり
菩薩(高位)
ほぼなし
微細に残る
仏
なし
なし
なので、
一切智者=菩薩
というのは
かなり非主流か、言葉の使い方が特殊です。
たぶんその人は:
「菩薩=仏になる存在」
という意味で言っている可能性がありますが、
厳密な教理では一致しません。
✔ 全体評価(教理的精度)
あなたが引用している説明を採点すると:
構造の方向性:◎(唯識っぽい)
用語対応の厳密性:△
最後の結論:✖(仏と菩薩を混同)
という感じです。
もし興味あれば(ここかなり面白いポイント)
この説明って実は、
👉 チベット系中観×唯識の混合的な言い方
にかなり似ています。
「錯覚=所知障」
「執着=煩悩障」
という二分法は、日本法相や玄奘系より
むしろ後代の整理っぽいです。
希望があれば、次はかなり核心なんですが:
👉 遍計所執性・依他起性・円成実性と二障の正確な対応図
を、論書ベースのマッピングで説明できます。
ここが分かると、今の疑問が一気にクリアになります。
これに対してのAIの返答ね。
こういうのを聞く時って、
自分の言葉としてAIに聞くよりも、
こういう風に言ってる人がいるけどどうなのかな?
みたいな聞き方する方が寄り添いが少なくなるからおすすめ。
その知の内容がなんなのか、については意見が分かれるかもですが、
唯識の目指すところが、自他不二=無分別智なのですから、何かしら、思い込みというか、知っていることに対する囚われがあったら、
それは、不二にならないんですよ。。
自他不二、の状態を、禅宗では、よく、物と一つになる、と言います。。
見たもの、聞いたもの、になってしまう。。
その時には、こっち側は無くなっている。。
そこを目指しているわけだから、ものとか、眼前の景色、と自己の間に、何か知っているもの、観念とか妄想が挟まっていたら、まずいわけです。。
だから、知ったことは妄想を思えとか、知識はいったん捨てて、ということが言われる。。
そうじゃないと、ものと一つになる、なんてことは起こらないので。。
空っぽにならんと、一つにはなれないので。。
> 凡夫が外界を実在と思い込む
> という説明は、簡略化としてはOKです。
> ただし厳密には:
> 「外界そのものが錯覚」ではなく
> 自性として存在するという把握が錯覚
> です。
細かい指摘だな😂
さすがは、AI👍️
すごいな
もう、AIが先生でいい~😂
> ④「所知障も断じた一切智者=菩薩」
> ここが一番ズレています。
そうなのか~😭
なるほど~😆
全世界の膨大なデータとつながった、高性能なAIを実装している
AIに質問すれば、なんでも教えてくれる
このペースで進めば、数年後にはすごいことになる
間違いない
目の前にいろんなものがあったとして、これは湯呑だとか、あれは、テレビだとか、そういう識、認識自体は、
基本問題じゃないですよね。。
そうじゃなくて、問題は、認識した、人、とか、世間とか、に対しての思い込みとか、評価とか、でしょうね。。
その最たるものが、自己、に対する、思いでしょうけれど。。
ただ、我あり、であれば、何の問題も無いかもしれない。。
だけど、それに、形容詞とかを付けると、途端に、迷ってしまう、
輪廻に落ちるのかもしれません。。
だから、自己も他者も、不識であれば、問題にならない。。
あるいは、人間である、くらいであれば、迷わない。。
それ以上の、何か、があると思うと、迷いの世界に転落する、ということかな?
その他の様々な、余計な観念、妄想をくっ付けて見るから、迷ってしまうのでしょうね。。
摩訶止観の円頓止観で
ロン先生の謎を
近似値で理解だ
😆
超マジメだな
やる気満々だな
セッタンの弟子動画とどちらが
優れているか?
まだ研究しつくしていない
埼玉、見性院
😆
かなり田舎だ
> >>471
> 目の前にいろんなものがあったとして、これは湯呑だとか、あれは、テレビだとか、そういう識、認識自体は、
> 基本問題じゃないですよね。。
禅宗では、そうだろうけど
唯識論は、認識の哲学なので
天台華厳真言密教チベット密教の極めるのを唯識の次に期待したい
😆
超生真面目だが
道元禅師を理想とするなら
超生真面目になる
セッタンみたいな臨済臭い部分が残るよりも
😆
割合ワイルドなタイプが多数だ
ワイルドな修行だからだ
ロンのノリを理解できる要素がある
だから、セッタンは
なんとなく面白いかったんだろな
😆
みたいなのを聴いたのと
本でみたことがある
むろん俺のリアル師匠
😆
仏教できている僧侶はいない
道元禅師の生真面目仏法視点では
そういうのはありうるだろなー
😆
無住処(住処無し):「生死」と「涅槃」という2つの極端な状態のどちらかに固執・固定してとどまることがない。
大乗の悟り:最後の一人を救うまで、悟りの安らぎの中にとどまらず、迷いの世界で活動を続ける菩薩・仏の働き。
智慧と慈悲:自己の悟り(上求菩提)と他人を救うこと(下化衆生)を同時に成就する(悲智双運)。
初期仏教では「無余涅槃(肉体も滅して完全な安らぎに入ること)」がゴールとされたが、大乗仏教では、利他行を重視する立場から、この「無住処涅槃」を最も高度な「真の涅槃」とした。
生死即涅槃(しょうじそくねはん):迷いの世界そのものが、悟りの智慧で見れば涅槃であるという、真理の側面を指すこともある。
無住処涅槃は、ただ座って安らぐのではなく、苦しむ衆生がいる限り、その中で救済活動を続ける「行動する悟り」と言えます。
ハッスル禅ではダメか~😫
臨済宗的に
死刑👉️
天台華厳真言密教に続いている
😆
間違いなく
天台華厳真言密教の解釈となる基盤かある
唯識の三身を
調べなさい
😆
これは「転識得智」によって、真理そのもの(自性身)と、悟りの智慧を自受用・他受用する姿(受用身)、衆生を救うために現れる姿(変化身)が一体として働くことを指します。
唯識では、一般的な法・報・応の三身説をより緻密に組織化し、以下のように定義しています。
すべての仏に共通する、常住不変の真理(真如・法性)そのもののこと。
色も形も持たず、他の二身(受用身・変化身)の拠り所となる。
自ら悟りの喜びを享受する「自受用身」と、十地(菩薩の最高段階)の菩薩のために浄土で法を説く「他受用身」に分かれる。
智慧の結晶であり、阿弥陀仏などもここに含まれる。
衆生を救うために、必要に応じて種々の姿(釈迦など)を現世に現した姿。
具体的な教化活動を目的とする。
転識得智(てんしきとくち): 唯識の修行により、迷いの意識(識)を智慧(智)に転換することで、この三身が完成する。
三身即一(さんじんそくいつ): これら三つの身は別々の存在ではなく、一仏の異なった側面である(三身即一)。
この教えは、仏の真理・智慧・慈悲が包括的に具わっていることを示しています。
の説明の拡大解釈が
天台華厳真言密教禅の土台となっている
論理的には
😆
倶舎論と天台の間のセオリーとも言える位置にあると
😆
俺とロンや元スレ主を除いて
JBLは論理王者の道を歩む
自性身(じしょうしん) - 法身
の理解により
😆
半分テーラワーダ要素や倶舎論要素が
回復してるよーな感じだからなー
😆
自性身(じしょうしん) - 法身の延長の理解力がないからだ
ロンや元スレ主は
理屈ではなく感覚的に把握といったところだ
😆
ロンや元スレ主は、セイウン様を圧倒している
禅には行き着かない
ハッスル、麦は、ダメダメだ
自称臨済宗なので
論理的に教えない塩対応
ヤツラには
😆
認識の壁が
ハッスル軍団と
愉快な仲間たちには
立ちはだかる
😭
延長の世界で
レスしているのが
ロンと元スレ主
であり
ハッスル🤡は
その壁を越えれない
論理的にも😭
哀れなハッスル🤡叩きの背景を
論理的に裏読みできる
自性身(じしょうしん) - 法身の
延長の世界の
認識て
😆
JBLは
もはや、ロンや元スレ主の手の内が論理的に読めるはずだ
😆
無住処涅槃は非択滅が重要と以前いったろ?
jblは関係ないと馬鹿にしていたが
やっと理解したか?
なんじゃそりゃ?
四種の涅槃
本来自性清浄涅槃(ほんらいじしょうしょうじょうねはん)
すべての存在の本質(真如・法性)は、最初から煩悩とは無関係で、本来清浄であるということ。
有餘依涅槃(うよえねはん)
煩悩は断ち切ったが、身体(依)がまだ残っている状態。悟りを開いた直後の生きている釈尊のような状態。
無餘依涅槃(むよえねはん)
煩悩が消え、身体も消滅し、二度と迷いの世界に生まれることのない究極の死の状態。
無住処涅槃(むじゅうしょねはん)
大乗仏教の理想。涅槃(悟り)に留まることもなく、迷いの世界(生死)に留まることもなく、慈悲心からこの世界で衆生を救済し続ける、最も優れた知恵の境地。
部派仏教との違い:主に「有餘依・無餘依」を説いた部派仏教に対し、唯識では「本来自性清浄・無住処」を加え、仏の知恵と慈悲の無限性を強調しました。
無住処涅槃の重要性:自らの安らぎ(悟り)に満足せず、無限の衆生救済活動を行う(知恵と慈悲の完成)を無住処涅槃として重視します。
もし、この4つの涅槃について、より深く知りたいポイント(例えば、具体的な修行の段階、無住処涅槃の慈悲の側面、唯識の思想的背景など)があれば、さらに詳しく説明します。いかがでしょうか?
特徴と解説
本性清浄:一時的な煩悩の汚れ(客塵)はあるものの、本質はもともと清浄であること。
無生無滅:生じることも滅することもない、虚空のような不変の性質。
平等共有:すべての有情(衆生)に平等に備わっている。
真如:一切法の真実の理(真如)であり、言葉では表現できない(名言道断)。
この概念は、如来蔵思想(すべての衆生が本来、仏性を有しているという思想)と唯識思想が結びついた重要な論点です。
> 本来自性清浄涅槃
禅宗っぽいな
ロン殿がこんな感じだ
思い切り、入っている
これを拡大解釈しているんやろな
ま、一般には法相宗において
成仏できる仏性の無い者がいる設定があるらしい
😃
「阿頼耶識(あらやしき)」の存在を証明するための重要な論拠として位置づける点に大きな特徴があります。
どちらも心・心所の活動を停止させる「二無心定(にむしんじょう)」と呼ばれますが、その目的と修行者に違いがあります。
修行者:凡夫や外道(仏教以外の修行者)。
目的:無想の状態を「真の悟り(涅槃)」と誤認して修める。
場所:色界の第四禅(広果天)に至るための手段とされる。
修行者:聖者(阿羅漢や菩薩など)。
目的:煩悩による動揺を鎮め、無余涅槃(究極の静寂)の安らぎを現世で体験するために修める。
別名:想受滅(そうじゅめつ)とも呼ばれ、六識(意識など)の働きを完全に遮断する。
唯識思想以前の部派仏教(説一切有部など)では、これらの定に入っている間は「心が全く存在しない(無心)」と考えられていました。しかし、それでは「定から覚めたときに、なぜ再び心が戻ってくるのか」という矛盾が生じます。
これに対し、唯識は以下のように考えます。
阿頼耶識の継続:
無想定や滅尽定において、表面的な「意識(六識)」や「末那識(まなしき)」は停止していても、深層心理である「阿頼耶識(第八識)」だけは絶えず流れ続けていると説きます。
再起のメカニズム:
阿頼耶識の中に保持されている「種子(しゅうじ/心の潜在エネルギー)」があるため、定から出た瞬間に再び意識が発生できると考えます。
存在証明:
「心が完全に滅びているはずの無心定の間も、生命が維持され、再び心が戻ってくる」という事実こそが、意識を超えた深層の識(阿頼耶識)が存在する証拠であると主張しました。
部派仏教:無想定・滅尽定を「心が一時的に消滅する状態」と捉えた。
唯識思想:表面的な心(転識)は止まっても、根本の心(阿頼耶識)は持続していると捉え、阿頼耶識の存在を理論的に基礎づけた。
なんていったら難しそうだが、要するに「何も考えない」という瞑想だ
こちらは、「想」に加えて「受」まで止める
より高度な瞑想だ
ま、瞬間だけだけど
😃
宗派種類たくさん
😃
いつも常に
やるほど
ハイレベルではない
😃
「何も考えないでいるのは難しい」
「すぐに、何か考えが起きてくる」
という話をよく聞くのだが
正直、自分にとっては難しくない
おそらく、前世でもそんなことばかりやっていたのだろう(笑)
それは無理だ😂
ここが唯識論にとっては、地味に重要ポイントなのだ
「瞑想で無念無想になっているときでも、深い睡眠中でも、表面意識が停止しているだけ。阿頼耶識は続いている」
というのが、唯識論の基本思想
臨済宗は禅定の一定の形を嫌うシステムなのて、
ま、それでも個性はありそうだが
その禅定はそんなに重視すべきでない
異色のシステムだ
だが曹洞宗は禅定の血筋が
密教並みにガッチリしている
臨済宗も血筋はあるが
基本、ホントのルールールは
師匠と弟子が=ではなく
師匠を超えてこそ、という野蛮なルールが臨済宗にはある
道元は釈迦と=であるべきだ
と考える
😃
臨済宗は先代のレベルを超えろみたいな野望あり
😃
面白いそうだ
一定の禅定の間合いは重視すべきだ
僧侶によって微妙に禅定の間合いがあるから、それなりに極めた曹洞宗僧侶は面白い感が最近、少しブームかもなー
😃
一定の禅定の間合いを重視市内の保臨済宗のみだ
😃
テーラワーダの上位と倶舎論のいう滅尽定の雰囲気に
一番近いだろな
日本仏教では
😃
「受」が停止してる状態だ
それこそ、霜降り牛肉のステーキを食べても「美味しい」と思わず、牛糞を食べても「不味い」と思わないレベル
人間業ではない
セッタンが道元禅師寄りも臨済宗臭いからだろな
😃
師が女好きだと、弟子も女好きになるんだろうな
「受」が停止してる状態だ
まじで
土曜日の曹洞宗寺院の勤行はそれに近い
真言密教は大日如来のパワーが三密加持するからなー
😃
意識せずに
道元禅師の理想郷の禅定に入れる
駒楽狙いでもなく、
単に恩返しルーティンなのだかなー
😃
だ
すごいな?😆
淡々とやっている
曹洞宗寺院勤行
😃
単なるルーティンだけで
やってる程度なんだがなー
😃
お可哀想にな?
いつも声掛けしてやらんとな?
😂
倶舎論の時代には、阿頼耶識と末那識がまだ発見されてなかった
なので、無念無想になることは、そのまま「心の消滅」と受け取られた
表面意識が静止しても、阿頼耶識と末那識が恒常的に続いている
ということになった
ハッスルサービスだな😂
唯識って末那識は常に働く識とされてなかったっけ?滅尽定で停止を認めてるなら常に働く識じゃなくね?
滅尽定は、普通に生きてて到達できるようなものではなく、解脱して仏になるというゴール間近の最終形態に近い境地
我執がなくなっているので、末那識も一時停止している
でも、それは禅定している間の一時的なものでして、日常生活に戻れば末那識が活動再開する
無念無想の無想定でも、睡眠中でも例外はない
滅尽定だけが例外
この状態は「想」を滅するだけで、根本的な我執(末那識)を滅する「滅尽定」とは異なり、無意識状態に近いとされる。
無想定の定義: 想(思い、概念)を滅尽する定。前五識・第六意識は止まるが、末那識は機能し続けている。
末那識(第七識)の役割: 常に我執を抱える深層意識。無想定中も我への執着は消えていないため、無想定から出るとまた以前のような我執が復活する。
目的の違い: 滅尽定は末那識まで含めたすべての意識を滅するのに対し、無想定は前段階の禅定である。
無想定はあくまで「一時的な停止」であり、唯識の観点では真の解脱ではないとされています。
具体的な修習方法を知りたいですか?
より深い滅尽定の概念との比較に関心がありますか?
唯識思想における末那識の役割について詳しくお話ししましょうか?
> 目的の違い: 滅尽定は末那識まで含めたすべての意識を滅するのに対し、無想定は前段階の禅定である。
このA.I.の解説だと、滅尽定では末那識が一時停止ではなく、滅してしまってるな
マジかいな?😫
それはおかしい気がするが
もう転識得智して、末那識が平等性智になってるのかも?
これは、唯識学における転識得智(てんじきとくち)の過程で、自我への執着から解放され、広大な慈悲の心を獲得する悟りの段階を指します。
滅尽定(滅受想定): 心の働きをすべて停止させる最も深い定(禅定)であり、第七・末那識(執着の根源)と前六識の活動が完全に停止します。
末那識を滅する: 常に「私」「自我」に執着する末那識の煩悩が、深い瞑想により静止し、変革(転依)されます。
平等性智: 転換された末那識が、自分と他者を区別する妄執を捨て、万物・全生命が平等であると見抜く智慧(自他平等の慈悲)に変わります。
この領域は、自我の殻を破り、仏の慈悲を体現する、真の悟りの境地とされています。この概念について、さらに詳しく知りたい特定の側面(例えば修行法や他の「智」との関係など)はありますか?
だとしたら、滅尽定を過小評価していた
なんたって、煩悩を滅尽してるんだもんなあ
2年前はデタラメな回答ばかりだったが
いまはマジで参考になる
グーグル検索やWikipediaが登場したときの衝撃をも上回る
A.I.をより忠実にコピーできた者が勝つ世界
全体的に理解してる人が検索するのと、
何も分からない人が検索するのとでは、
大きな差がある
A.I.が進歩すればするほど、やはり
本人が分かっているかどうかが
ますます重要だ
数学や物理学が理系のプロ並みに
分かるかというと
とても、そんな気はしない(笑)
将来は分からんな
A.I.が進歩すれば、人類社会から
知的格差が消滅に向かうのかも
フォークリフトがあれば
その辺のオバサンでも、
重量挙げのチャンピオンでも
力仕事の能力は変わらんもんなあ(笑)
主要な力仕事は機械がやるにしても
それ以外のいろんな場面で、
力があるとないでは、やはり違う
体力格差は意味を失っていない
ちょっとしたものを持ち上げるときにも苦労する
主要な建材は、体力お化けみたいな男でも持ち運べず、機械が頼りだが
現場仕事はそれだけじゃないから
腕力自慢の荒くれ男が、棍棒みたいな
鈍い武器を振り回してバッタバタと
敵を倒していくっていうのが、
戦場では重宝されたが
宋代に火薬が発明され、さらに
モンゴル騎馬軍団が登場して
機動力と火力を活かした集団戦が主流となり
腕力自慢の荒くれ男の優位性は
劇的に低下した
人類の知的格差は、縮小に向かうのか
それとも、さらに拡大するのか?
優位性は低下するだろう
「この難しい文章を読んで、作者の言いたいことが何なのかを分かりやすく説明せよ」とか
「この長ったらしい文章を読んで、作者の言いたいことを百字以内で要約せよ」とか
そういう国語の論述試験がよくあるのだが
当方は個人的にそういうのが極端に得意で、圧倒的な優位性を誇っていた
だがいまや、そんなのはA.I.の仕事だ
人間がやることではなくなった(笑)
知的格差が
日本国民か全員か四割ゼネコン産業勤務なら
わからんでもないが
😫
理系分野のほうが
もっとA.I.が強いな
人間の肉体頭脳じゃ太刀打ちできん
自民党圧勝で、高市政権は盤石
まさに、ウヨ涅槃だな~😫
ヤバさを感じる
知的水準でティクトックショート動画脳化しつつあるかもしれん
😱
人間の知的水準が下がってきたのか~😱
臨済坐禅をした
仕事前のルーティンだ
😃
道元禅師とは異なり
滅尽定寄りてはない
😃
後はその人が気付いていない固定観念を可視化してくれるツールになったりとかね。、
唯識論では「想受滅」と呼ばれる
無為法に分類され、「究極の禅定」に格上げされた
「想受滅=滅尽定」のほうが重要性が高い
「択滅」ではなかった
受想行識の「受」と「想」が滅し(想受滅)、末那識が平等性智に転じる
一気にここまで理解が進んだ
ま、俺は
それ故にハッスル、カオリン、
ムイムイ、デンパパが騒ごうが
スルーてきる
😃
天台への接続研究だな、
ホーカイくん流ではニワカ天台だから
ホーカイくんでは
唯識の滅尽定ですらわからんでしょう
😃
滅尽定で末那識の機能が滅されて転依するんだろ
それ非択滅だよ
そもそも末那識の機能が発生しなくなる
ってこと
法介スレは、ニワカ天台だったのか?😫
**(井筒俊彦『意味の深みへ』~文庫版 斎藤慶典「解説」より)
唯識論の『名言種子』を、見事に解説している
古代インドの論師たちは、
20世紀の言語分析のツールを持たんかったため、
こんな具合に説明できなかった
自性身(Svabhāvakāya / 法身):
意味: 仏の真実の体、真理そのもの(真如)、無為(無為)。
特徴: 無相で形がなく、一切の穢染(けぜん)がない清浄な真理。
受用身(Saṃbhogakāya / 報身):
意味: 最高の悟りの智慧(智)を獲得した報いとして得た身体。
特徴: 自身の悟りを楽しむ「自受用身」と、菩薩のために現れる「他受用身」がある。
変化身(Nirmāṇakāya / 応身):
意味: 人々を救うために、それぞれの機根(能力)に応じて現実に現した姿。
特徴: 歴史上の釈迦など、現世に現れる姿。
転識得智(てんしきとくち): 8つの識(唯識)を転じて、4つの知恵(大円鏡智・平等性智・妙観察智・成所作智)を得ること。
摂大乗論: 三身すべてを法身とする見方もある。
唯識論ではなぜか、「自性身(じしょうしん)」「受用身(じゅゆうしん)」「変化身(へんげしん)」と呼ぶ
別名:法身(ほっしん)。
概要:常住不変、真理そのもの(清浄法界)。
特徴:色や形がなく、受用身・変化身の拠り所となる本体。
別名:報身(ほうしん)。
概要:修行の報いとして得た、智慧と功徳を享受する姿。
特徴:自らその功徳を享受する「自受用身」と、菩薩に教えを説く「他受用身」がある。
別名:応身(おうじん)や化身(けしん)。
概要:衆生(人々)の機根(能力・素質)に応じて、現実に姿を現して教えを説く姿。
特徴:釈迦如来など、現世に現れる姿。
https://share.google/aimode/AWJydGzvEuNxuRKZa
二仙人のところで非想非非想処まで至ったけどそれでは生死の疑問に解決がつかず苦行でもダメで
それでそのまま死ぬつもりで七日七晩坐禅して明けの明星をみた機縁で成道した
それが滅尽定になるんだろう
これは一切が刹那滅、刹那に生死を繰り返してることに気付く
つまりこれが唯識のいう円成実性で
何一つ、過去現在未来の刹那にも持続するものがないと気付くという
仏教の示す諸行無常、諸法無我に至ったってことになるんだろね
倶舎論だと、そこまでではない
> 何一つ、過去現在未来の刹那にも持続するものがないと気付く
倶舎論( ≒ 説一切有部)をバッサリと否定しましたな😅
説一切有部は、過去・現在・未来と続く、相続を重視
経量部は、「現在しかない」と異論を唱えて、刹那滅を重視した
倶舎論は、その2つの組み合わせ
「しかあるを、水をきはめ、そらをきはめてのち、水そらをゆかんと擬する鳥魚あらんは、
水にもそらにもみちをうべからず、ところをうべからず。
このところをうれば、この行李 したがひて現成公案す。
このみちをうれば、この行李したがひて現成公案なり。
このみち、このところ、大にあらず小にあらず、自にあらず他にあらず、
さきよりあるにあらず、いま現ずるにあらざるがゆゑに、かくのごとくあるなり。」
こういう風にある
さすがは、ロンさんだ😆
以鳥為命あり、以魚為命あり。
以命為鳥なるべし、以命為魚なるべし。」
と
「水(法)」と「魚(我)」、「空(法)」と「鳥(我)」
その「我/法」の別々にあるようなあり方は
「一つの識」という「命」にある、縁起のものであってそれは知り得ない「そのもの」の「今ここ」に現成してるものだと
一切は刹那滅、無常のものなんだから「今ここ」(ですらない)「そのもの」を究めると
「行李したがひて現成公案す」となる
徳山は『金剛般若経』に通じててその『青龍疏』に
「過去心不可得は、滅するを以ての故に。
未来は未だ有らざる故に。
現在は第一義なる故に。かの論大いに同じ。然るに云く、現在心は虚妄分別なるが故に、不可得なり、と。」
「未来」も、まだ来てない「今」だから同じくとらえられない知り得ないないもの
だから「今」しかないこの「今」のぶっ続けなんだけど
その「今」そのものも、それをとらえて「知って」しまうともう過去のものだから
だから一切は知り得ない、不可思議である
それが「そのもの」(第一義、真理)であるって説明
なるほど
澤木興道の研究に走る
😃
これが無明からの煩悩(なにものかを知って執着するはたらき)を原因とする「迷い」であり「苦」であるっていう
その「煩悩」を解きほぐすと、本来知り得ないもの(生死)を知って苦しんでる「迷い」が解決しますよってのが仏教の示すところだろね
唯識派は、インド大乗仏教の2大学派の一つで、「唯識性」(すべての認識世界は心の作用によって表象されたものにすぎない)を中心教義としています。
唯識派に独特な、観の瞑想法(真理を認識する瞑想法)である「唯識観」の瞑想法を紹介します。
だた、これは直観的に真理を認識するに至るための準備的な「加行道(加行位)」と言われる段階の瞑想法です。
「唯識観」は、伝統的には「四善根」と呼ばれる瞑想法に当たり、小乗仏教(説一切有部)や中観派でも行いました。
ですが、唯識派では唯識派の教学に沿って独特の方法で行うため、「唯識観」とも呼ばれます。
まず、認識の対象となる「言葉」、「概念」、「主語性(実体)」、「述語性(属性)」の4つは、いずれも心が作り出した仮の存在であり、実体としては存在しないと考察します。(法無我)
第1段階(煖)の瞑想は「明得定」と呼ばれます。
第2段階の(頂)は、より思索を深める段階で、その瞑想は「明増定」と呼ばれます。
後半の2段階は「四如実智観」と呼ばれます。
先の認識の4つの対象を作り出した「主体」も存在しないと考察します。(人無我)
第3段階(忍)は、第四禅(概念なしに対象と一体化した瞑想状態)で、対象に続いて主体の空を考察します。
その瞑想は「印順定」と呼ばれます。
第4段階の「世第一法」では、第四禅で主客同時に空を思索します。
次の刹那で「見道(通達位)」に達して真如を体得できるので、その瞑想は「無間定」と呼ばれます。
その後の「見道」の段階は、無漏で無概念の「無分別智」によってあるがままの真如を見る段階です。
また、それを基にした概念的な「後得智」を得て、後天的な煩悩をなくします。
そして、「修道(修習位)」の段階では、波羅蜜を行じながら菩薩の十地まで進み、先天的な煩悩をなくします。
最後の「究極位」では、前五識、意識、末那識、阿頼耶識を智恵に転化した「四智」を得て、仏に到達します。
> まず、認識の対象となる「言葉」、「概念」、「主語性(実体)」、「述語性(属性)」の4つは、いずれも心が作り出した仮の存在であり、実体としては存在しないと考察します。(法無我)
コトバが世界を創り出している
まずは、言語の解体だ
自分自身の言語によって、世界像を編集している
その自分が編集した世界像を
「世界とはこういうものだ」と思い込み、
「自分は世界を認識している」と錯覚している
その信念体系を解体することから始まる
世界はもともと無分節:自然界や人の思考は本来連続的(グラデーション)であるが、言葉によって区切りを入れ、イヌ、ネコ、暑い、寒いといった「概念の枠」を作る。
言語は「名札」ではない:存在にラベルを貼るのではなく、言葉そのものが意味の領域を切り出すことで、初めて「対象物」が認識可能になる(言語名称目録観の否定)。
文化・言語依存:分節化の方法は言語によって異なる(例:ある言語では複数の色が1つの言葉、別の言語では細分化されている)。
この概念は、私たちが日常、言葉を通して世界を無意識に解釈していることを明らかにしました。さらに、ソシュールの「構造主義」的なアプローチや、この分節化がどのように思考を形成するかについて、より深く知りたいと思いませんか?
世界がバラバラに分かれているから、個別の存在に名前が付いている
そう思っている
個別の存在に名前を付けて、何度も呼んでいるから
世界がバラバラに分かれているように見えてくるのである
言葉が、世界をバラバラに分割しているのだ
ローティはこれを、天動説から地動説への「コペルニクス的な転回」に例えて
「言語論的な転回」(リンギスティック・ターン)と呼んだ
天才肌だったんやなー
😃
参考程度でいいと思うけど
すごいな
直感的に、その両者を探究してたんかい😅
信用してなかったからなー
現に、トランプは
大戦後の世界秩序を本格的に壊しに来ている
😫
次は北朝鮮か?
北朝鮮には石油がないから、アメリカは関心ないらしい
人的資源が崩壊しているらしい
ま、ベネズエラやイランは
別にジャブ中毒祭りではないからなー
😱
麻薬が北朝鮮内部に
鎮痛剤や風邪薬の代替に使われているらしい
😱
投資のメリット
選挙のメリットがないのだろうな、
アメリカに知られていない国家かもしれん 😱
😱
麻薬と押し寄せる移民の国家と
貿易の敵と
イスラエルの敵
全部選挙目当てだ
😱
😱
ロシアの技術で上手く改良できるか?
まー粛清恐怖ストレスの麻薬中毒国家らしいので、
精度が 高くならずアメリカ本土に落下させる可能性もありうる
😱
エポケー(判断中止):「そこに物質が存在する」という信念を一時的に停止する。客観的な存在確認を保留し、純粋な経験として捉える。
「事象そのものへ」:意識の中にある「見え」や「体験」だけを絶対的に確実なものとして扱う。
ノエシスとノエマ:意識の働き(ノエシス)と、その対象(ノエマ)に分析を還元する。
目的:認識の不確実さを排除し、意識の働きがどのように世界を構成しているかを明らかにする「厳密な学」の確立。
この手法によって、主観と客観の溝を超え、主観の側から世界がいかに構成されるかを明らかにしようとした哲学的な試みです。
それは仏教ではなく、西洋哲学のフッサール現象学
エポケー(判断中止)と現象学的還元(直接知覚への回帰)
フッサールのことなんか知らんと思うけど
でも、すくなくとも、部の考え方じゃないんだよな~😅
仏教の考え方
意味: 古代ギリシャの懐疑主義に由来し、判断の「停止」や「棚上げ」を意味します。
目的: 私たちが日常生活で「外界は客観的に実在する」と疑いなく信じている態度(自然的態度)を一旦ストップすることです。
具体例: 「リンゴが目の前にある」という時、そのリンゴが本当に物理的にそこに存在しているかという判断を保留し、「意識にリンゴが現れている」という事実だけを受け入れることです。
意味: エポケーによって、客観的な外界に対する判断を停止し、意識そのもの(主観)の領域に立ち戻ることです。
目的: 世界の客観性を疑うのではなく、対象が「どのように意識に現れているか(意識による構成)」を明らかにすることです。
種類: 主に自然的態度から純粋意識へ至る「超越論的還元」と、本質を見出す「形相的還元(本質直観)」があります。
自然的態度: 世界は客観的に実在するという前提(常識)。
エポケー(判断停止): その前提を「括弧に入れる(保留する)」。
現象学的還元: 客観的な世界から、それが現れている純粋な意識そのものへ立ち戻る。
このプロセスにより、先入観(「そこに物体がある」など)を取り除き、意識が体験している「現象そのもの」を記述する学問が成立します。
「現量って、これと似てるなあ」と
前から思ってた
この作業で先入観や前提を捨て、純粋意識に残る「本質」を記述・直観し、認識の基礎を解明します。
現象学的なアプローチは、以下のステップで進められます。
自然的主観の克服(判断停止・エポケー)
世界や対象が客観的に存在するという前提(日常の信念)を一時的に中断する。
「それは本当に存在するか?」という疑問を持たず、ただ「意識の中でどう表れているか」のみに注目する。
外部の「客観世界」や「本体」を括弧( )の中に入れて、思考の対象から外す。
残った「純粋意識」の中にある対象のあり方(現象)のみを対象とする。
特定の個別の現象から、その現象が「そのもの」としてあるための普遍的な「本質」を見出そうとする。
例:「コーヒーカップ」の個別的な色や形ではなく、それがコーヒーカップとして認識されるための構造を取り出す。
最終的に、それらの現象を構成している「超越論的主観(純粋意識)」に到達する。
客観認識の可能条件の解明:なぜ私たちに普遍的な知識が可能なのか、その根拠を意識の内部に求める。
真理への接近:あらゆる先入観を排除することで、物事の本質をより明確に記述できる。
相対主義の克服:独断的な客観世界への盲信を捨て、純粋な経験の世界から確実な知識を再構築する。
京都学派の西田幾多郎やそのまわりの人らだろう
現量は
当然
如実知見の延長線にある
😃
物事を
如実知見に
京都学派の西田幾多郎達は余計な言語入れて直接の知覚から遠ざかっているではないか?
元スレ主の牛乳の話がその辺だ
やはり如実知見は
かなりのキーワードだ
😃
互いに対話不能なので
デンパパスレや仏のスレで
互いの意見交換はできなさそうだな?
😱
それを超える、滅して真理に到達しようとする仏教にはそりゃ及ばないだろう
たとえば仏教じゃその六根も「無」として
また哲学じゃ分けたままの対象の六境と「空」で溶けてる、と説明してる
これは人知を超えてる真理のもので、やはり哲学じゃ及ばないもの
仏教は心理学的な苦悩の原因の認知と対応
そのあたりかが違いだろう
伊達にチラッと西欧学問をかじっていやい
俺ちゃま〜
😃
基本、神の創造した宇宙理論みたいな
真理がベースから発展した構造だろうからな
世界には何かしらの法則的な
客観的なものがあるという
認知にもあるはすだ
そこかま西欧哲学のテーマだろう
😃
純粋経験=直接知覚: 感覚や知覚が、概念や思惟(考えること)による分析や解釈を受ける前の、最初で最も根源的な経験。
主客未分: 「自分」が「対象」を見るという意識以前に、ただただ、あるがままの状態を感じていること。
深き意味での「直覚」: 画家の直覚のように、単なる感覚を超えた、内容の深い包括的な捉え方。
実在の根拠: 空間や時間、個人的な区別よりも前に経験があり、その経験が根源的実在であるという立場。
『善の研究』において西田は、客観的・理性的な分析以前に、私たちが直接的に感じている「事実」を重視し、そこから哲学を立ち上げました。
純粋経験とは:感覚や意志が働く前の、ありのままの意識状態。
主体と客体の未分離:自分(主体)が対象(客体)を見ている、という意識すらなく、ただその世界があるという状態。
知識の根本:すべての知識や推論は、この純粋経験から生じる。
意識の流:ウィリアム・ジェームズの「意識の流」に影響を受け、過去や未来もこの瞬間の直接的な経験として捉える。
人生の現実:実生活における直接の体験であり、西田はこれを人生の根幹とした。
「純粋経験」は、のちに「場所の論理」や「絶対矛盾的自己同一」へと発展する西田哲学の出発点であり、現実世界を論理的に解明するための根底を成す概念。
元ネタは西田幾多郎なのか
気持ちはわかるが、仏教をだいぶ歪めてしまったな
禅宗なんだから
現量ではなく、如実知見というべきだな😆
リダンは、いつでもどこでも
延々と一方的に持論を並べるだけ
コミュ障ですな😫
言語記号の関係は必然ではないと
いう結論がないままに
客観とか
西田の純粋経験とか出てきたんやろな
苦悩の解決の心理学要素が失われ仏教
干からびた仏教哲学なんだろね?
😱
ソシュールの言語記号の関係に必然性がない
それは空だ、
では、人間の生きる苦悩は
それでも残る
では、どうすれば、
という入り口しか、
使いようがない
😃
仏教のスタートにはいらない、
西田のあれではダメだ
ソシュールの方が入り口になる
😃
西欧哲学の外側の考察ができているから、
西田のやりたそうなことは理解てきる
どうせ、カントの純粋経験とか援用したんやろ
つまらん
😫
ハッキリ指摘してやらん
どうリアクションするか、
禅に関する姿勢から
解っているから
😫
俺ちゃまは
些末は別として
仏教と西欧哲学の全体像を
見切っているやろ?
😃
爆誕したんやな〜
😫
わかりやすく理解する場合
道元禅師の路線しか思いつかん
臨済宗も近いのもあるが
中論よりも過激派だからなー
😃
かなり、西洋哲学との関係が見えてるな?😆
理解てきている
ハッスルやNO1は
イミフの大量生産しかやらない
迷路レスだ
😱
知的なレスは
無駄にしか思えないので
ヤツラには知的サービスは一切しない
😃
今年てかなり仕上げてきた
週二回の曹洞宗寺院の作務効果だ
明日は忙しいので行かない
用事か多すぎ
😃
構造主義を、偏向した政治思想みたいなものにしてしまった😫
この組み合わせは
今日納得した
あんまり関心薄かった
言葉を使うなら、という特異ケースらしい、
マジメに覗き込む意欲が何故かわかなかったので
全体像が捉えていなかった
たぶん、俺はテキスト忠実主義者過ぎて
覗き込む気が起きなかったらしい
😃
https://www.jstage.jst.go.jp/article/nks/36/0/36_38/_pdf/-char/ja#:~:text=%E3%81%9D%E3%81%AE%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%AA%E4%BB%95%E5%84%80%E3%81%AB,%E5%A7%BF%E5%8B%A2%E3%80%8D%E3%82%92%E7%B5%82%E7%94%9F%E5%A0%85%E6%8C%81%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82&text=%E8%BB%9F%E3%81%AA%E3%82%8B%E8%A6%AA%E3%81%97%E3%81%BF%E3%82%84%E3%81%99%E3%81%95,%E3%81%99%E3%82%8B%E7%AB%AF%E7%B7%92%20%E3%81%A8%E3%81%AA%E3%82%8B27%EF%BC%89%E3%80%82&text=%E3%80%8F%E3%81%A7%E3%82%82%E3%81%82%E3%82%8B%E3%80%8D30%EF%BC%89%E3%80%82
関心を持たなかったが
霊的感覚の運用は
理解した今日
😃
あんまり関心がわいてこなかったようだが
今日、だいたい全体像を把握した
😃
スレタイのテーマの最大近似値だ
😃
今夜の模索をしたようだ
😃
😃
見通せた面もある
😃
空海化しとる
すごー
😃
俺の設定した
華厳の壁とか
華厳と真言密教理解したら
道元禅あたりが近似値で見えてくる
みたいな発想が
このお方で証明か?
哲学濃度高いけど
😃
門脇佳吉師と似てるのか
心如工画師 画種種五陰
一切世界中 無法而不造
心仏及衆生 是三無差別
諸仏悉了知 一切従心転
心は巧みな画師の如く、種々の五陰を画き、
一切世界の中に、法として造らざるは無し、
心と仏と衆生、この三つに差別なし、
諸仏は悉く了知す、一切は心より転ずと
※意味:心は絵師が絵を描くように、
この世のすべてを造り出しており、
我執という迷いも心から生じている。
その心の本質を知れば、
仏と自分は一体であると悟ることができる。
瑜伽行唯識派に大きな影響を及ぼした
のルートがあるからなー
😃
例えば目の前にブロック状に色だけ上から
青
白
赤
黄
みたいになっていたとして、人はその特徴からそれをドラえもんと認識したりする。
言語がない場合、ドラえもんを見たことあるなら同じようにドラえもんと認識しても例えば赤を取り除いたら青、白、黄だけになりこれはなんだ?と再解釈しようとするだろう。
だが言語を扱う場合、それをドラえもんという言葉も含めて認識する。
するとドラえもんの言葉に関係するものとして
青をボディ、赤は首輪、黄は鈴みたいに分類分けをしてしまう。
そこで同じように赤を取り除いたら、
元々は色でしかないそれもドラえもんの特徴と一致しなくなったのにも関わらず、それを見て首輪を外したドラえもんと認識する。
本来なら色を見ているのでしかないのだから、赤が消えた時点でその立ち上がったドラえもんという言葉も一致しなくなったのだから改めてそれが何かを判断する所。
このように言葉によって意味付けされたものが現れている現象を捻じ曲げて見るきっかけになる。
これは否定するものではない。でもドラえもんという特徴と一致しなくなったのならそれは言葉を残さずまた改めて起こった現象からそれが何かを見る必要がある。
例えばそこであるアニメキャラのイメージで、ある操作をしたものだが、という情報が入ったならそれはドラえもんで赤い首輪を外したという答えになるだろうが色の変化だけではそれはわからない。
なので立ち上がった言葉を否定するのではなく、その現象として現れたそれらを、どこにも基準におかずに物事をみることがありのままということになる。
そこからドラえもんの言葉に内包される赤=首輪、青や白=ボディ、黄=鈴という情報が現れる。
この時点でもまだ問題になっているわけではない。
そしてその色の中から赤を消去したらドラえもんという言葉を維持するためにドラえもんの首輪を外したと認識する→遍計所執性
青白赤黄から赤を取り除く現象をそのまま見てドラえもんという基準に囚われずに現れをそのままに見る→円成実性
となるんだろうか。
それは仏教というより、記号論のテーマでしょうな
我々の知性を甘く見ているな
😃
遍計所執性(へんげしょしゅうしょう): 言語や妄想によって、実在しないものを「ある」と仮構する執着のあり方。
依他起性(えたきしょう): 因縁(原因)によって依存的に生じている、現象世界。
円成実性(えんじょうじつしょう): 依他起性が空(実体がない)であると正しく悟る、ありのままの真如。
虚妄の根源: 言語は、実体がないものに名前を付け、実在すると誤解させる「遍計所執性」を構成する主なツール。
真実の隠蔽: 一つのものを言葉で説明しようとすると、本質(円成実性)からずれてしまい、ありのままを見失う。
転識得智(てんしきとくち): 「ただ識のみ」という煩悩の言語世界(遍計所執)から、智慧(円成実)への転換が唯識の鍵。
「三性説 言語」というテーマで
A.I.にまとめてもらったところ、
こうなったが
唯識論がこんなに「言語」にこだわってるかなあ?
かの有名な「琵琶の例え」を思い出すとよい
琵琶は弾く手がなければ音(実体)が生まれないように、事物も独立した不変の存在ではなく、因縁(関係性)によって成り立つ「空」であることを示す例えです。
「空」の教え:般若心経にある「色即是空(しきそくぜくう)」の通り、形あるものには固定的な実体がないこと。
琵琶の例え:琵琶という道具(色)だけがあっても、音(作用)は出ない。演奏者、撥、糸などの関係性(因縁)があって初めて音が鳴り、その音もすぐに消えて実体がない。
意味:私たちや周囲の状況も琵琶の音と同じで、変化し続ける「空」の存在であり、不変の自我や固定的な存在は存在しないという真理を説く。
この概念は、ものごとに対する執着を解き放ち、苦しみを軽減する智慧(ちえ)として用いられます。
「馬車の例え」だ
問いの背景: ミリンダ王は、「私(ナーガセーナ)という不変の存在」を否定する仏教の教えに疑問を持ちました。
馬車の比喩(ナーガセーナの論理): ナーガセーナは「馬車は車輪か? 軸か? 鞍か?」と問い、そのどれもが馬車ではないと指摘しました。部品(要素)が特定の構造で組み合わさった時に「馬車」という名称が便宜上つけられているだけで、実体はないと説きました。
人間の無我: これと同様に、人間も身体や精神の要素(五蘊)が組み合わさった一時的な現象であり、その中や外に変わらない「真の自分」は存在しない(=「私」は実体ではない)と結論づけました。
この論法は、実体的な自己を否定する仏教の根幹思想「無我(アナッタ)」を理解するための非常に有名な比喩として知られています。
これだ
「馬車」なんてものは実体がない
部品を寄せ集めたものに「馬車」という名称を便宜上つけただけ
「馬車」という名前をつけて、何回も何十回も何百回も呼んでいるうちに
もともと概念にすぎない「馬車」が、実体として存在するように錯覚してくる
これが、言語/名称による実体化の原理だ
「仏教とは、こういうものである」
として語られることが多い
「自分という存在もまた、そういうものである」
と言っている
「俺は、五条悟だ」
「俺は、リヴァイ・アッカーマンだ」
という、言語による錯覚
それが、自分という存在だ
最も初期からある思想で、中観派の影響が強い
かなり「記憶違い」が多いのが
気になるな~
内容はハッキリと思えているが
名称にはこだわっていない(笑)
「はじめに言葉あり」は断見的だな~
「無始無終」もワシから見れば、断見的だ
正解は、「わからない」
それも怪しい!(^^)!
キリスト教では、世界に明確な始まりと終わりがある
世界は、終末に向かって一直線に進んでいる(予定調和律)
それに対して仏教だと、世界には始まりも終わりもない
原因と結果の法則があるだけで、因果応報がグルグルと循環している(因果律)
埋めようのない溝が、ここにはある
「世界の宗教はみんな同じことを言っている」という、万教帰一思想は根強いが
仏教とキリスト教を統合することは、実際には不可能に近い
「結果」だと思っていた現象が、
実は「原因」だったりする
また次の結果を生む
>>仏教とキリスト教を統合することは、実際には不可能に近い
仏教もキリスト教も、間違っているとなると面白いな~
自民党は選挙で大敗し、反アベ派の石破政権は崩壊した
代わって、アベ派の高市政権が誕生した
「左翼よ、ありがとう」と言いたい気分だろう
わからない世界
> 仏教もキリスト教も、間違っているとなると面白いな~
聖ウンコ教が正しいとなると、さらに面白いな~
JBL氏が信者1号?
信者1号は、「ハッスル No.1」こと、リダン氏
なるほど
昼風呂おち
彼は、宇宙を自らを定義する意識的な存在とし、万物=生命(神の意識)と捉える独自の理論を展開しています。
自己構成的自己処理言語(SCSPL): 宇宙は自己を語り、処理する言語である。現実そのものが物理的・情報的な自己認識システムである。
宇宙は生きている: 宇宙は自身の外部に何かを必要とせず、自身の力で構成(自己創造)されるため、一種の生きている、あるいは知的な生命体として定義される。
ホロジー(Hology): 宇宙のすべての部分がホログラフィックのように宇宙全体を含んでおり、再帰的に自己複製・自己定義している。
精神と物質の統合: 物理法則は意識的な言語的構文であり、物理的な宇宙は「神の意識」によって自己生成される情報構造である。
この理論は、宇宙が「存在しないことはあり得ない」という必然性を論理的、数学的に説明しようとするものです。
それは宗教学者の山折哲雄も似たようなことを言ってる
https://ameblo.jp/nobu630/entry-12303687224.html
日本人の心身の根幹には
「万物に命が宿っている」という自然観がある。
それを山折さんは『天地万物生命教』と名付けている。
それは斎藤一人氏も同じことを言ってる
斉藤一人さんのお話【 創造と破壊 】
https://www.youtube.com/watch?v=smKx9kf4jKM
50秒から2分20秒まで
「宇宙」をそのように現象させてるのがそれぞれの「意識」、その本質で
それが「いのち」そのものだって風かな
だから万物が自己で、自己が万物そのもの
「この世は己れの心が作り出した幻想である。目を覚ませ」
というところに主眼がある
なんやかんやといいながら
仏教と非仏教の境界線の区分けさせる
内容がある
😃
皆由無始貪瞋痴
従身口意之所生
一切我今皆懺悔
宇宙が始まる前からの「自己」の煩悩、業(「無明」)によって起こっている
それを今、すべて懺悔するってことね
どこの宗教の話?
昼寝する前は
正統派仏教修行マシーンと化していた
😃
https://m.youtube.com/shorts/XU0vd6dngAs
結論から言うと、
遍計所執性とは「言語によって作られた虚構の世界」である。
と言うことができます。
結論から言うと、唯識では **「言語こそが遍計所執性を作る主要な装置」**と考えられます。
順を追って説明します。
まず三性の整理です。
遍計所執性
心が勝手に作り出した虚構
依他起性
因縁によって成立する現実の流れ
円成実性
空としての真実
遍計所執性とは簡単に言うと
「存在しないものを存在すると思い込むこと」
です。
例えば
自我
固定した物
絶対的な区別
など。
唯識では、遍計所執性は主に **分別(vikalpa)**によって作られるとされます。
この分別の最大の道具が、言語です。
なぜか。
言語は必ず
名前を付ける
区別する
固定する
という働きをするからです。
例:
本来はただの流れなのに
「山」
「川」
「私」
「敵」
と名前をつける。
すると人は
それが独立した実体だと思い込む。
これが遍計所執性です。
例えば
「縄」を見て
蛇だと思う
ケース。
実際には縄(依他起性)なのに
「蛇」という概念と言語が働き
蛇という存在があると思う
これが遍計所執性です。
唯識はかなり radical です。
私たちの世界理解の多くは
言語で作られた幻想
だと考えます。
つまり、主語・目的語・自我・物体
これらは言語構造が作った世界像なのです。
この話は実は20世紀哲学と非常に近いです。
例えば
ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン
W. V. O. クワイン
ジャック・デリダ
彼らも共通して
言語が世界を作る
と考えました。
だからあなたが以前言っていた
「龍樹は20世紀哲学を2000年前にやっていた」
という指摘はかなり鋭いです。
唯識はさらに一歩進んで
言語=遍計所執性の生成装置
とまで言います。
唯識の見方では
言語 → 分別 → 遍計所執性
です。
つまり、
言語は世界を説明する道具ではなく
世界の錯覚を作る装置でもある
という理解です。
実は唯識では
「言語そのものが遍計所執性である」
という非常に深い議論があります。
ここは
龍樹
デイヴィッドソン
クワイン
とも繋がる面白い哲学ポイントです。
> 例えば
> ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン
> W. V. O. クワイン
> ジャック・デリダ
> 彼らも共通して
> 言語が世界を作る
> と考えました。
マジかいな?
違うと思うけどなあ😅
なんで、クワインがここで出てくるんだよ?
ただの数理・論理学者だと思うが
「言語(理論)が世界を作る」 と言われます。
ただし、これは「世界を物理的に作る」という意味ではなく、
私たちが理解している「世界の姿」は、言語体系によって構成される
という意味です。
順に説明します。
クワインによると、人間が直接得るのは 感覚刺激 だけです。
例えば
光が目に入る
音が耳に届く
触覚が起こる
しかしそこから
「机がある」
「猫がいる」
「電子がある」
といった 世界像 を作るのは、すべて 言語と理論 です。
つまり
感覚 → 言語理論 → 世界像
という構造になります。
クワインの有名な例があります。
ある部族がウサギを見て
ガヴァガイ!
と言ったとします。
私たちは普通
ガヴァガイ = ウサギ
と翻訳します。
しかしクワインは言います。
実は次の可能性もある。
ウサギ
ウサギの部分
ウサギの瞬間
ウサギが現れた出来事
どれでも 観察的には区別できない。
つまり
世界の区切り方は言語が決めている
のです。
クワインの有名な定義です。
To be is to be the value of a variable.
意味はこうです。
ある理論で
x が電子
x が数
x が集合
のように 変数として扱われるものは、
その理論の世界では存在する
ことになります。
例
ニュートン物理学
→ 力が存在
量子力学
→ 波動関数が存在
数学
→ 数や集合が存在
つまり
理論が違えば、存在するものも変わる。
クワインは、知識をこう説明します。
それは
信念の網(web of belief)
です。
すべてが 巨大なネットワークを作っている。
そして
観察と合わない
→ ネットワークを修正する
つまり
世界像は理論ネットワークとして構築される。
クワインの結論はこうです。
私たちは
世界をそのまま見ているのではない
言語理論を通して世界を構成している
つまり
言語の枠組み = 世界の構造
になります。
あなたが最初に聞いてくれた 龍樹 の思想とかなり近いです。
龍樹
分別(言語)が世界を作る
実体はない
クワイン
理論(言語)が世界を構成する
ただし違いがあります。
龍樹の目的 悟り
クワインの目的 科学哲学
20世紀の哲学者は
「言語が世界を作る」
と言いました。
しかし龍樹はさらに一歩進みます。
言語が世界を作るのなら、その言語すら空である
つまり
世界も理論も空
というところまで行きます。
このため哲学者の中には
龍樹は「究極の言語哲学者」
と言う人もいます。
実は クワイン → デイヴィッドソン → ローティ という流れで
「世界そのものが消えていく哲学」
が20世紀アメリカで展開されます。
これがかなり面白い流れです。
解説しましょうか。
> 光が目に入る
> 音が耳に届く
> 触覚が起こる
>
> しかしそこから
> 「机がある」
> 「猫がいる」
> 「電子がある」
> といった 世界像 を作るのは、すべて 言語と理論 です。
>
> つまり
> 感覚 → 言語理論 → 世界像
> という構造になります。
コレですよ、コレ
まさに、我が意を得たりという思いだ😆
→ ロールプレイングゲームにログイン
→.映像と音声という感覚情報が入る
→「ここは、アレフガルド。かつては偉大な王国だったが、いまは荒れ果てて魔物が徘徊している。アナタは勇者ロトの末裔で、普通の一般家庭で育った。いま、仲間を集めて魔王討伐の冒険に出ようとしている・・・」
とかなんとか
感覚情報だけでは、世界は成立しない
世界を成立させるのは、言語だ
クワインも同じ考えだったのか😂
それが、分別というものだ
「四苦八苦」のハ苦に数えられている
ゴミ捨て場のカラスを見て、「憎たらしい。駆除したい」と思う
電線に止まってるスズメを見て、関心を向けずスルー
どれも全部、鳥であることに変わり無い
それが、分別というものだ
自分自身が名前や概念というフィルターをかぶせている
実物と概念が、重なり合って存在している
一歩手前かもしれないな?
Chat GPT :仏教(特に 唯識思想)では、世界は「そのまま外にあるものを見ている」のではなく、感覚刺激 → 心の働き → 世界像というプロセスで成立すると考えます。
あなたの質問は、まさに 前五識から世界がどう構成されるのかという核心です。
順番に整理します。
まず 前五識です。
眼識:色(光・形)
耳識:声(音)
鼻識:香
舌識:味
身識:触
前五識は「意味」を理解しない
という点です。
例
眼識 → 「赤い色・丸い形」を受け取る
しかしまだ 「リンゴ」ではない
つまり
前五識 = 純粋な感覚データ
です。
次に働くのが **第六識(意識)**です。
第六識は
記憶
言語
概念
を使って、感覚を解釈します。
前五識の入力
赤い
丸い
甘い匂い
↓
第六識が統合
→ 「リンゴだ」
つまり
世界の意味は第六識が作る
のです。
さらに深いところで **第七識(末那識)**が働きます。
第七識の役割
「私」という意識
自己中心の評価
例
リンゴを見る
第六識
→ リンゴ
第七識
→ 「私はリンゴが好き」
つまり
世界は「私にとって」の世界になる
さらに深層にあるのが **阿頼耶識(第八識)**です。
ここには
記憶
習慣
カルマの種子
が蓄えられています。
この種子が
知覚の仕方を決める
例
同じ犬を見ても
犬好き → 可愛い
噛まれた経験 → 怖い
これは
阿頼耶識の種子の違い
です。
まとめると、こういう構造です。
外界刺激
↓
前五識(感覚データ)
↓
第六識(意味づけ)
↓
第七識(私との関係)
↓
第八識(経験の種子)
↓
世界像
私たちが見ている世界は
感覚
記憶
言語
自我
が作った
構成物
です。
これを唯識では
遍計所執性(想像された世界)
と言います。
このモデルは
あなたが先ほど言っていた
五蘊・十二処・十八界
と完全に一致します。
例えば
十二処
六根(眼耳鼻舌身意)
六境(色声香味触法)
↓
接触
↓
十八界
六識
つまり
世界は感覚刺激と意識の相互作用
で成立します。
これは驚くほど
20世紀哲学
と一致しています。
たとえば
W. V. O. Quine
→ 世界は言語理論のネットワーク
Donald Davidson
→ 世界は解釈で成立
Richard Rorty
→ 真理は語彙の問題
つまり
世界は客観的に見えているのではなく
解釈によって成立している
という考えです。
さらに一歩進むと
Nagarjuna はこう言います。
世界は関係によって成立する
(縁起)
つまり
感覚
言語
概念
自我
すべて
関係のネットワーク
です。
第六意識が言語を使って、世界像に編集する
人が「これが世界だ。世界とは、こういうものだ」と思っているもの
それは、自分の意識のなかの世界像である
「五蘊・十二処・十八界」の頃から、
仏教の基本構想なのだが
唯識論はそれを、極限まで突き詰めた
なんと、
「世界」は存在しない。
意識の中の「世界像」があるだけ
と言うのだ
俺はハッスルの黒歴史宣伝は
昔たくさんやったので
もう飽きた
😃
😃
それと似たようなことを述べている
せっかく、東北大震災に寄付したりして
いい人オーラ全開だったのに😫
お彼岸行事なので
久しぶりに〆てやると豪語していたが
むしろ黒歴史で〆られている模様
😃
451 神も仏も名無しさん (39-2kd-kh-s7y) 2026/03/18(水) 03:37:56.18 ID:1CvYF
自演を隠そうとしてない時期もあるな
「大発狂」ってドキュメントに保存してた
360 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2017/11/18(土) 16:26:06.68 ID:eXXBzAkr [4/4]
>>359
でおー坊や?
今迄何万回坐禅したかな?
今迄何百回摂心に出たかな?
坊やのなんちゃって仏教ゴッコもいいけどさ、
やる事やってから語ろうね、坊やw
396 名前:まこと[] 投稿日:2017/11/21(火) 08:19:14.09 ID:L7K6Lr/m
キチガイだな。
397 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2017/11/21(火) 08:20:47.00 ID:aZkuxEzt
何?
境地を得てない?
話にならないね
398 名前:junkie-ooyama[] 投稿日:2017/11/21(火) 08:29:22.10 ID:x8Sx/jqz [6/8]
無我なのに何が境地を得るんだよ?
www
399 名前:鬼和尚[] 投稿日:2017/11/21(火) 08:37:32.61 ID:2M3jSYNw
境地の意味をわかってないようじゃのう
400 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2017/11/21(火) 08:42:56.36 ID:MHetPjnL
だって、まことだものwww
401 名前:junkie-ooyama[] 投稿日:2017/11/21(火) 08:46:47.85 ID:x8Sx/jqz [7/8]
無我が分かってないようだな
www
402 名前:junkie-ooyama[] 投稿日:2017/11/21(火) 08:49:32.61 ID:x8Sx/jqz [8/8]
だって、人擬きだもんなwww
403 名前:鬼和尚[] 投稿日:2017/11/21(火) 09:01:41.81 ID:YJKvA5us
>>401 では、無我を教えるのじゃ
404 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2017/11/21(火) 09:03:46.76 ID:53MCIUIc
何を言っているんだ!
境地もわからないまことが、無我などわかるはずないじゃないか!
405 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2017/11/21(火) 09:10:52.03 ID:x3F3ZRFh
まこと得意の逃亡だなww
406 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2017/11/21(火) 09:12:24.82 ID:vrmRJlxG
まことに出来るのは、ネット検索の話だけじゃないか!
442 栖雲居士◆MKrKQHoID7SE (50-6dv-Ij-wvu)[sage] 2026/03/17(火) 20:39:28.24 ID:hNybz
何を云ってるのかさっぱり分からなかったこうした語録も、コツコツと参禅・参究して己事究明に向かえば、向こうから答えはやって来るんです。
その答えがこれか?
162:栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm :[sage]:2024/03/09(土) 16:35:39.62 ID:b8JerweS
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
> 懐かしいのあったよ
> 今から10年近くも前の書き込み
>
> 68ジャンキー大山2017/01/06(金) 05:51:16.64ID:wfppEgVn
>
> 一度でも良いから自殺する位苦しんで座り抜いて来いや?
> 解って大歓喜を味わってみろや?
> 涙が止まらなかったぞ?
> 笑いが止まらなかったぞ?
> 悟りを舐めてるわ、マジで。
> 華厳経の世界をリアルで体験して来いや?
> 一念三千の世界をリアルで体感して来いや?
> 何の苦労もなしに何が悟っただ、ただの異常心理か嘘だろ?
😃
坐禅してソウ状態になり、
涙を流しながら、ゲラゲラ笑ってたという
😫
お前たちとは違うのだ」
と、威張っているのだが
見性体験というより、
ソウウツ症の発作ではないのか?
最初の一つはハッスル当人のレスだが
後の多くは
アンドーのハッスル🤡の嫌がらせのなりすましリピートだ
😃
セッタン語録で禅を学んでいたからなー
NO1やデンパパアストラルセイジン👽くらいは
バカにてきる
😃
心の底化おちょくりたくなるくらいに
オモシロかったんだろう
俺も同感だった
😃
そうなのか
笑えるな~😆
おちょくってた時期があるんだな~😂
しばらくいじってやろう
と
JBLがハッスルに遭遇する時まで
貼り付けていたな
😃
今や、ハッスル🤡様の人気は高いので
俺は御役御免だ
😃
もはや隠居
草葉の陰からハッスル🤡様を支える
😃
イスラエル、ラリジャニ氏の殺害を発表…ハメネイ師死後のイランで防衛戦略など取り仕切っていた人物か
2026/03/17 19:24
溝田拓士
【カイロ=溝田拓士】イスラエルのイスラエル・カッツ国防相は17日、イラン最高安全保障委員会(SNSC)のアリ・ラリジャニ事務局長を殺害したと発表した。ラリジャニ氏は外交・安保政策の決定で中心的な役割を担っていた。イラン側は発表していないが、死亡が事実なら大打撃となる。
カッツ氏によると、攻撃は16日夜に行われ、イランの精鋭軍事組織「革命防衛隊」傘下の民兵組織「バシジ」の司令官も殺害した。カッツ氏は「イランを数十年前に戻す」と述べ、イラン全土で攻撃を強化すると主張した。
ハメネイ師の後継者に選出された次男のモジタバ・ハメネイ師の手腕は未知数だ。ラリジャニ氏の死亡で、外交・安保分野の政策判断が停滞する可能性もある。
あれだけ泥沼化したのに
【転識得智】 唯識論 【無住処涅槃】 Part5
https://talk.jp/boards/psy/1773795357
ドローン兵器の製造国家でなければ
案外勝てていたかもしれんが
上層部が死んだからと言って
イランのホルムズ海峡支配は
変化がない
ドローンがあるから、厄介だ
俺がトランプなら
臨時休戦して
しばらくイランを静観して、
内戦発生を待つ
😀
高市の脅し効果はゼロになった
ネトウヨはまだ希望持っているかもしれんが
トランプよイラン攻撃で
東アジアの中国の覇権は確立された
😫
高市はチャイナ様に謝罪するしか道がなくなった
パワーバランスが崩れた
😫
ウヨクの夢は絶たれたな?😫
トランプもイランがらみで財政危機
😫
右翼的でもなく
中道的な時代らしい😱😱😱😱
つまらんよーになった
中国の思う壺になった
小国日本として
対中国政治を考えるへき時代になった
😱
一番安心な相手
😫
独裁政権情報統制不況国家のほうが強い
😫
面従腹背が
小国日本の国是になる
😫
全てトランプが悪い
😫
公共事業の為の親中政権の時代だな?
公共事業麻薬をやっている限りは
親中路線しかない
😫
トランプはイランに無駄に戦費を使い込み金がないのだから
抑止力がないので
高市的挑発も無意味になる
😭
中国様、ごめんなさいしか
道がない
公共事業麻薬で財政赤字をリバースしたのだから
😭
まかり通る世論なので
余計に中国様とのご平和を願わねばならなくなる
台湾は自力で守れ、扱いになる
😭
😭
やめられないから〜
中国と仲良くして
財務赤字で
戦争しない平和な日本
😫
それと
中国様と仲良く
😫
宇宙法則だ〜
王道政策だ〜
田中角栄からの伝統芸能ジャパン
😭
外国人労働者が必要な矛盾と
財政赤字が国防とリンクして
バーターとなっている愚民が多いからなー
😭
左派は緊縮財政
2025年時点で世界第4位のGDP規模を維持しつつも、深刻な少子高齢化と人口減少による成長力低下という構造的課題を抱えています。
株高(日経平均5万円台)と家計金融資産(2351兆円)は過去最高を更新するなど好調な一方、慢性的な人手不足や原材料高が重荷となっており、賃上げと持続的な経済成長の実現が急務です。
経済規模と成長: 世界第4位のGDPを誇るが、中国やインドの追撃を受け、ドイツにも抜かれるなど順位は低下傾向。
株価・資産: 家計の金融資産は2025年末時点で2351兆円となり、株高が資産を押し上げて過去最高を更新
。日経平均株価も堅調に推移しており、3万9800円台から5万円台へ上昇。
貿易収支: 2026年2月時点で、原材料・燃料の輸入が増加する一方、輸出額は堅調に伸びており、貿易黒字は2カ月ぶりに572億円の黒字を記録した。
少子高齢化・人口減少: 国内市場の縮小。
エネルギー・食料・資源: 高い輸入依存度。
人手不足: 深刻な労働力不足。
賃金と物価の好循環: 持続的な賃上げが実現し、実質賃金が上昇するかが消費回復の鍵。
企業競争力の強化: デジタル化やGX(グリーン・トランスフォーメーション)への投資。
対外関係: 対米輸出や中国向け経済活動の動向。
※本情報は2026年3月時点の市場動向(検索結果)に基づいています。
不調ではない
そういうことですわ
場所とかは同じやん、好き嫌いとかは人それぞれやけど
それは、共有しているデータがあるから
プレイヤーはそれぞれ、自分の端末の画面をずっと見ている
他人の端末の画面を見ることはない
でも、共有しているデータがあるから
場所とかは同じだ、好き嫌いはあるけど
ユングのいう「集合無意識」に近い
とは言えるでしょうな
ハッキリとは言われてないけど
「世界は、大日如来=毘盧遮那仏の顕現」
なので、問題はない(笑)
大日如来がホストコンピュータ
ゲームの運営であると言える
全くわからんw
すると我々はもう創造されたゲームをしているだけの、ただのプレイヤーにすぎないのであろう、、
いや、唯識論がわかっても、釈迦牟尼にはなれない(笑)
真言宗の考え方だと
山も川も、宇宙のすべてが大日如来の説法
われわれに真理を教えている
世界のすべては、毘盧遮那仏(=大日如来)の顕現した姿
イスラエルでは、だいぶ大きな被害が出ているようだなあ
簡単に片付くはずはない
ガザ地区のテロを超える
イスラエル図書館への無差別クラスター爆弾の雨を降らしているからな
🤢
🤢
そこが焦点だ
ジョージブッシュを超える
イラン絡みで副大統領と仲違いしているのては?
みたいな話が出てるな?
😫
日本は中国、アメリカ外交の見直しを
迫られている
ゼネコン会社の利権を重んじるなら
創価発想で中国と仲良く
自民党の政策では
これしか残されていない
😫
【転識得智】 唯識論 【無住処涅槃】 Part5
https://talk.jp/boards/psy/1773795357
戦争はやめなさい、如来よ!
バージョンアップできた
ナウ
当然仕事に使える感覚
😀
休日娯楽は別人だが
😀
間違いなく、リアル生活にも有用だが
プレミアムの無料期間を2026/9/30まで延長することになりました。
広告除去や規制緩和など、ヘビーユーザーにとって欠かせない機能を無料でお楽しみいただけます。
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