ゆゆしき法界 パート34アーカイブ最終更新 2024/03/01 18:321.法介◆T3azX0Hk1UjjfDq【ゆゆしき法界とは】Talk 掲示板における一つの独立した空間で、争い事は決して好まず、他者に対する誹謗・中傷はナンセンス。しかし愛嬌はドンと来い。ユーモアはぶちかませ。エロい話はお好み次第。「人生楽しまなきゃ損だろう!」をモットーに互いの人間性を尊重しながらもじゃれ合い程度にはツツキ合い、もみもみしながら互いのゆゆしさを温かく且つ、深く理解し合いながら相互に人間性を高め合っていく。そんな素敵な関係のゆゆしき法界です。前スレゆゆしき法界 パート32https://talk.jp/boards/psy/1708210151ゆゆしき法界 パート33https://talk.jp/boards/psy/17084812822024/02/26 03:13:451000すべて|最新の50件953.法介◆T3azX0Hk1U4DNlmでおーは、もう少し解りやすく話さんとそれじゃ言っている内容が伝わってこないぞ。2024/03/01 09:23:50954.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm華厳教義を日蓮さんが何と言っているかは、また後程詳しく紹介しましょう。2024/03/01 09:24:49955.法介◆T3azX0Hk1U4DNlmでおーは、チベット密教詳しいんだろ。も少しちゃんと語ってみ。2024/03/01 09:26:00956.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm真面目にってことね。2024/03/01 09:26:18957.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm次スレhttps://talk.jp/boards/psy/17092529472024/03/01 09:33:09958.麦◆MUGITANx95DjpkOgx>>951∞ノノハ∞川^〇^ハレおはよう♪2024/03/01 09:45:11959.法介◆T3azX0Hk1U4DNlmこういうのも紹介しておきます。中期密教における真言について~『金剛手潅頂タントラ』を中心として~ 元 山 公 寿(大 正 大 学)https://nbra.jp/publications/70/pdf/70_23.pdf2024/03/01 10:07:14960.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm⑷ 法界・大乗このように二諦に似た構造によって,真言を説明しているのは,この最勝心真言や,平等性の位に関してだけではない。それが以下のように法界に関しての記述である。諸如来と諸菩薩が,「これは真言である」「これは印である」「これは本尊である」と安立した。その法界は,色あるものでなく,説かれることなく,執着されるものではなく,動かされるものではなく,如来が,縁起していると安立したことによって,安立されたものである。縁起しているから,一切の所作を為すのである。2024/03/01 10:10:30961.法介◆T3azX0Hk1U4DNlmすなわち,法界は,本来,不可説であり,色形もない,平等性の位にあるものである。そこに,その法界の本来の姿を知っている菩薩や如来が,縁起を安立することで,身語意によるあらゆる所作が起こり,そこに真言が安立されるのである。ここに,法界の本来の姿である勝義と,その法界を縁起によって安立された姿である世俗という二諦の構造が見て取れ,そこに真言を見ているのである。これと同様のことは,大乗に関しても次のように説かれている。2024/03/01 10:11:33962.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm私が大乗に入ることと,大乗に入る所依を説きましょう。善男子よ,そのうち,大乗といわれるこれは,不可思議の法性の異名である。それに入ることが菩提である。善男子よ,所依といわれるこれは,根本である。<中略> 善男子よ,さらにまた,大乗は二種であり,有為として開示されたものと,無為として開示されたものである。そのうち,有為として開示されたものは,行の自体である。無為として開示された大乗性が大乗である。善男子よ,さらにまた,有為は,縁によって生じたもので,縁起の相である。善男子よ,無為は,不生の法性と空性を自体としている。善男子よ,さらにまた,行の自体である大乗とは何かといえば,空性を証得して,如来応供正遍智の境と時の力によって,衆生を調伏する力を摂受し,所作と業によって起こる道が施設されることである。善男子よ,これが行の自体である大乗である。善男子よ,そのうち,無為の大乗性とは何かといえば,すなわち,如実に住する法性の異名である。善男子よ,如実に住する法性といわれるこれは,不可思議法性の異名である。「金剛手 頂タントラ」では,ここで説かれている大乗に入ることを一つの目的としている。その目的である大乗には有為という面と無為という面とがあり,ここでの記述から,前者が法界の世俗的な面を表し,後者が勝義的な面を表しており,そのうち,後者の法界の本来の姿が法性であることがわかる。2024/03/01 10:14:44963.法介◆T3azX0Hk1U4DNlmしたがって,これまで考察してきたように,あらゆる真言や心真言の根源である最勝心真言とは,身語意平等性の位であったので,これが法界の本来の姿である法性を示しているということができる。そして,さまざまな真言は,この法性を得た者が,その法性に基づいて,縁起の構造の中で,その内実をそれぞれに説いたものであると考えられる。2024/03/01 10:16:14964.神も仏も名無しさんzVsm0麦がきた〜ここではスルーはしないぞ〜😃😃😃😃😃😃2024/03/01 12:12:30965.神も仏も名無しさんzVsm0チベット仏教サイドから言わせれば、中国、朝鮮、日本の仏教は中論の正式な後継者てはない、という扱いになる、とくにゲルク派の立ち位置では😄2024/03/01 12:19:03966.神も仏も名無しさんzVsm0ゲルク派では中論などの論書をキチンと学習して合格しないと正式な密教を教えてもらえないシステムである😄2024/03/01 12:20:33967.神も仏も名無しさんzVsm0ま、ほーかいくんのいうよーな単純なチベット仏教理解は無理がある😄2024/03/01 12:21:21968.法介◆T3azX0Hk1U4DNlmゲルク派の中論解釈(理解)とは?2024/03/01 13:22:02969.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm天台智顗の中論解釈との違いは?2024/03/01 13:22:32970.法介◆T3azX0Hk1U4DNlmでおーは、「単純なチベット仏教理解」ではなくそこら辺をちゃんと理解しているんですよね。ご説明ください。2024/03/01 13:23:41971.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm(でおーが説明出来る訳がないと思うんだが、、、)2024/03/01 13:24:12972.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm>>967 ←こう言うからにはちゃんと説明してもらおう。2024/03/01 13:24:49973.法介◆T3azX0Hk1U4DNlmあと、JB唯識の事で知ってたら教えて欲しい。2024/03/01 13:25:57974.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm清森さんの動画解説、JBも見てるだろ。2024/03/01 13:26:25975.法介◆T3azX0Hk1U4DNlmhttps://www.youtube.com/watch?v=KEV6ClxWYrk↑これとか↓これ。https://www.youtube.com/watch?v=JSXeKjpuC_U&t=1732s2024/03/01 13:28:19976.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm清森さんの解説でおかしな箇所がある。それを確認したいんだ。2024/03/01 13:29:06977.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm清森さんは覚りを開いた境地にあっては見分は有るが相分はないが正義とする(護法説)と説明してるよな。2024/03/01 13:34:19978.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm浄土真宗本願寺派初代伝道院長の結城令聞氏による著書や、https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/7/1/7_1_13/_pdf/-char/en根本智については見有相無読が正義であり、後得智については見相倶有読が正義とされている。と述べられております。2024/03/01 13:38:17979.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm後得智あっては見分も相分も共に有るんだと。2024/03/01 13:38:55980.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm清森さん、間違って説明してない?2024/03/01 13:39:21981.法介◆T3azX0Hk1U4DNlmっていうか、清森さんの説明しいててちゃんと解って説明してるのかな?と疑問に思う発言がちょいちょい見受けられる。2024/03/01 13:40:59982.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm鹿野園が『国訳大蔵経 論部第十巻 国訳成唯識論』の和訳文をここにアップしている。https://zawazawa.jp/ih7rwppzfjg3bxul/topic/112024/03/01 13:43:44983.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm >有義此智見有相無。 (有義は、此の智慧には、見は有りて相は無し) >説無相取不取相故。 (相無くして取る、相をば取らずと説けるが故に) >雖有見分而無分別説非能取非取全無。 (見分は有りと雖も、而も無分別なるをもって、能取に非ずと説けり。取ること全無には非ず) >雖無相分而可説此帶如相起不離如故。 (相分は無しと雖も、而も此れいい如の相を帯して起こると説くべし。如に離れざるが故に) >如自證分縁見分時不變而縁此亦應爾。 (自証分いい見分を縁ずる時に変せずして縁ずるが如く、此れも亦た応に璽るべし) >變而縁者便非親證如後得智應有分別。 (変じて縁ぜば便ち親しく証するに非ずなんぬ。後得智の如く応に分別あるべし) >故應許此有見無相。 (故に応に此れには見のみありて相は無しを許すべし)2024/03/01 13:44:23984.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm>>983 この部分は、「無分別智」を説いている箇所です。2024/03/01 13:46:31985.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm後得智の説明はこの箇所ね。>諸後得智有二分耶。有義倶無離二取故。>(諸の後得智には二分有りや。有義は、倶に無し二取を離るるが故にという)>有義此智見有相無。説此智品有分別故。>(有義は、此の智には見有って相無し。此の智品には分別有りと説けるが故に)>聖智皆能親照境故。不執著故説離二取。>(聖智は皆能く親しく境を照らすが故に、執著せざるが故に、二取を離れたりと説くという。)>有義此智二分倶有。此思惟似眞如相不見眞實眞如性故。>(有義は此の智には二分倶に有り、此は似の真如の相を思惟して、真実の真如の性をば見ずと説けるが故に)>又説此智分別諸法自共相等觀諸有情根性差別而爲説故。>(又た此の智は諸法自共相等を分別し、諸の有情の根性の差別を観じて而も爲に説くと説けるが故に)>又説此智現身土等爲諸有情説正法故。>(又此の智は、身と土との等きを現じて、諸の有情為に正法を説くと説けるが故に。)>若不變現似色聲等寧有現身説法等事。>(若し現似の色聲等を変ぜざれば、寧んぞ身を現ぜし法を説くが等き事の有らむや)>轉色蘊依不現色者轉四蘊依應無受等。>(色蘊の依を転ずるをもって色を現ぜずといわば、四蘊の依を転ずるをもって受等も無かる應し)>又若此智不變似境離自體法應非所縁。>(又若し、此の智は変じて境に似ずといわば、自体に離れたる法は所縁に非ざる應し。)>縁色等時應縁聲等。又縁無法等應無所縁縁。>(色等を縁ぜむ時には、聲等を縁ず應し。又無法等きを縁せしむるときは所縁縁無いかる應し)>彼體非實無縁用故。(彼は体実に非ざるをもって、縁用無きが故に)>由斯後智二分倶有。此二見道與六現觀相攝云何。(斯に由って後智には二分倶に有り。此の二の見道と六現観と相攝すること云何。)2024/03/01 13:53:23986.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm「斯に由って後智には二分倶に有り。」これ↑を以て後得智には、見分も相分も有りとするのが正義です。2024/03/01 13:54:56987.法介◆T3azX0Hk1U4DNlmこれがどういう事を言っているのか知恵袋の方で後程、語って来る。2024/03/01 13:56:38988.法介◆T3azX0Hk1U4DNlmzenさんの回答覧ね。2024/03/01 13:57:12989.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm>>978 ここで言う「根本智」が無分別智の事ね。(根本無分別智)2024/03/01 14:01:17990.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm>>978 ←勝又論文のその個所↓ね。これによつて即ち成唯識論では根本智と後得智とを通じて、見相倶無読と見相倶有読と見有相無読との三読が掲げられているが、このうち根本智については見有相無読が正義であり、後得智については見相倶有読が正義とされている。2024/03/01 14:04:06991.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm「根本智については見有相無読が正義であり、 後得智については見相倶有読が正義とされている。」2024/03/01 14:04:44992.法介◆T3azX0Hk1U4DNlmhttps://www.youtube.com/watch?v=KEV6ClxWYrk↑の27:58から29:28の間で根本智と後得智の説明がなされている。後得智では相分は復活するといっているものの、その後、根本智の話を全面に出して根本智の「見分は有るが相分はない」があたかも真如の世界観かと聞き手が勘違いする説明の仕方をされてます。2024/03/01 14:14:31993.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm後得智(覚りの世界)にあっては「見分も相分も有る」が正義です。2024/03/01 14:15:35994.法介◆T3azX0Hk1U4DNlm『成唯識論』にはそう書かれております。2024/03/01 14:16:31995.リダン◆gEV3xsS//kpDxEO>>993そう思いますね2024/03/01 18:23:47996.法介◆T3azX0Hk1U4DNlmリダンはちゃんと理解出来ているよね。2024/03/01 18:29:56997.法介◆T3azX0Hk1U4DNlmでおー!おまえのチベット仏教解説はまだか~~~~~!2024/03/01 18:30:30998.法介◆T3azX0Hk1U4DNlmず~~~~と待っているんだぞ~~~~!2024/03/01 18:31:02999.法介◆T3azX0Hk1U4DNlmそれとも何かぁ~2024/03/01 18:31:261000.法介◆T3azX0Hk1U4DNlmおまえはやっぱりレレレのおじさんなのか~~~~~!2024/03/01 18:32:311001.Talk ★???このスレッドはコメントが1000件を超えました。新しいスレッドを立ててください。2024/03/01 18:32:311002.Talk ★???【プレミアムサービス無料期間延長!】プレミアムの無料期間を2025/3/31まで延長することになりました。広告除去や規制緩和など、ヘビーユーザーにとって欠かせない機能を無料でお楽しみいただけます。是非この機会にプレミアムサービスをお試しください!▼プレミアムサービスはこちらからhttps://talk.jp/premium2024/03/01 18:32:31
Talk 掲示板における一つの独立した空間で、争い事は決して好まず、他者に対する誹謗・中傷はナンセンス。しかし愛嬌はドンと来い。ユーモアはぶちかませ。エロい話はお好み次第。「人生楽しまなきゃ損だろう!」をモットーに互いの人間性を尊重しながらもじゃれ合い程度にはツツキ合い、もみもみしながら互いのゆゆしさを温かく且つ、深く理解し合いながら相互に人間性を高め合っていく。そんな素敵な関係のゆゆしき法界です。
前スレ
ゆゆしき法界 パート32
https://talk.jp/boards/psy/1708210151
ゆゆしき法界 パート33
https://talk.jp/boards/psy/1708481282
解りやすく話さんと
それじゃ言っている内容が
伝わってこないぞ。
また後程詳しく紹介しましょう。
も少しちゃんと語ってみ。
https://talk.jp/boards/psy/1709252947
∞ノノハ∞
川^〇^ハレおはよう♪
中期密教における真言について
~『金剛手潅頂タントラ』を中心として~ 元 山 公 寿(大 正 大 学)
https://nbra.jp/publications/70/pdf/70_23.pdf
このように二諦に似た構造によって,真言を説明しているのは,この最勝心真言や,平等性の位に関してだけではない。それが以下のように法界に関しての記述である。
諸如来と諸菩薩が,「これは真言である」「これは印である」「これは本尊である」と安立した。その法界は,色あるものでなく,説かれることなく,執着されるものではなく,動かされるものではなく,如来が,縁起していると安立したことによって,安立されたものである。縁起しているから,一切の所作を為すのである。
これと同様のことは,大乗に関しても次のように説かれている。
善男子よ,如実に住する法性といわれるこれは,不可思議法性の異名である。
「金剛手 頂タントラ」では,ここで説かれている大乗に入ることを一つの目的としている。その目的である大乗には有為という面と無為という面とがあり,ここでの記述から,前者が法界の世俗的な面を表し,後者が勝義的な面を表しており,そのうち,後者の法界の本来の姿が法性であることがわかる。
ここでは
スルーはしないぞ〜
😃😃😃😃😃😃
中国、朝鮮、日本の仏教は
中論の正式な後継者てはない、
という扱いになる、
とくに
ゲルク派の立ち位置では
😄
中論などの論書をキチンと学習して合格しないと
正式な密教を教えてもらえないシステムである
😄
単純なチベット仏教理解は無理がある
😄
そこら辺をちゃんと理解しているんですよね。
ご説明ください。
ちゃんと説明してもらおう。
唯識の事で
知ってたら教えて欲しい。
↑これとか↓これ。
https://www.youtube.com/watch?v=JSXeKjpuC_U&t=1732s
それを確認したいんだ。
見分は有るが相分はないが
正義とする(護法説)と説明してるよな。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/7/1/7_1_13/_pdf/-char/en
根本智については見有相無読が正義であり、後得智については見相倶有読が正義とされている。
と述べられております。
ちゃんと解って説明してるのかな?
と疑問に思う発言がちょいちょい見受けられる。
ここにアップしている。
https://zawazawa.jp/ih7rwppzfjg3bxul/topic/11
(有義は、此の智慧には、見は有りて相は無し)
>説無相取不取相故。
(相無くして取る、相をば取らずと説けるが故に)
>雖有見分而無分別説非能取非取全無。
(見分は有りと雖も、而も無分別なるをもって、能取に非ずと説けり。取ること全無には非ず)
>雖無相分而可説此帶如相起不離如故。
(相分は無しと雖も、而も此れいい如の相を帯して起こると説くべし。如に離れざるが故に)
>如自證分縁見分時不變而縁此亦應爾。
(自証分いい見分を縁ずる時に変せずして縁ずるが如く、此れも亦た応に璽るべし)
>變而縁者便非親證如後得智應有分別。
(変じて縁ぜば便ち親しく証するに非ずなんぬ。後得智の如く応に分別あるべし)
>故應許此有見無相。
(故に応に此れには見のみありて相は無しを許すべし)
>諸後得智有二分耶。有義倶無離二取故。
>(諸の後得智には二分有りや。有義は、倶に無し二取を離るるが故にという)
>有義此智見有相無。説此智品有分別故。
>(有義は、此の智には見有って相無し。此の智品には分別有りと説けるが故に)
>聖智皆能親照境故。不執著故説離二取。
>(聖智は皆能く親しく境を照らすが故に、執著せざるが故に、二取を離れたりと説くという。)
>有義此智二分倶有。此思惟似眞如相不見眞實眞如性故。
>(有義は此の智には二分倶に有り、此は似の真如の相を思惟して、真実の真如の性をば見ずと説けるが故に)
>又説此智分別諸法自共相等觀諸有情根性差別而爲説故。
>(又た此の智は諸法自共相等を分別し、諸の有情の根性の差別を観じて而も爲に説くと説けるが故に)
>又説此智現身土等爲諸有情説正法故。
>(又此の智は、身と土との等きを現じて、諸の有情為に正法を説くと説けるが故に。)
>若不變現似色聲等寧有現身説法等事。
>(若し現似の色聲等を変ぜざれば、寧んぞ身を現ぜし法を説くが等き事の有らむや)
>轉色蘊依不現色者轉四蘊依應無受等。
>(色蘊の依を転ずるをもって色を現ぜずといわば、四蘊の依を転ずるをもって受等も無かる應し)
>又若此智不變似境離自體法應非所縁。
>(又若し、此の智は変じて境に似ずといわば、自体に離れたる法は所縁に非ざる應し。)
>縁色等時應縁聲等。又縁無法等應無所縁縁。
>(色等を縁ぜむ時には、聲等を縁ず應し。又無法等きを縁せしむるときは所縁縁無いかる應し)
>彼體非實無縁用故。
(彼は体実に非ざるをもって、縁用無きが故に)
>由斯後智二分倶有。此二見道與六現觀相攝云何。
(斯に由って後智には二分倶に有り。此の二の見道と六現観と相攝すること云何。)
これ↑を以て後得智には、見分も相分も有りとするのが正義です。
知恵袋の方で後程、
語って来る。
これによつて即ち成唯識論では根本智と後得智とを通じて、見相倶無読と見相倶有読と見有相無読との三読が掲げられているが、このうち根本智については見有相無読が正義であり、後得智については見相倶有読が正義とされている。
後得智については見相倶有読が正義とされている。」
↑の27:58から29:28の間で根本智と後得智の説明がなされている。
後得智では相分は復活するといっているものの、
その後、根本智の話を全面に出して根本智の
「見分は有るが相分はない」があたかも真如の世界観かと聞き手が勘違いする説明の仕方をされてます。
「見分も相分も有る」が正義です。
そう書かれております。
そう思いますね
おまえのチベット仏教解説は
まだか~~~~~!
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