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【空也から】浄土教を語る【親鸞会まで】アーカイブ

1.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
zTcJW
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏・・・
1000
すべて
|
最新の50件
953.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
WNsW3
実際には、2人とも

ものすごい理論派のエリート学僧
954.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
WNsW3
親鸞は、「こやつが法は天下一なり」と評された
955.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
WNsW3
という話だ
956.
ユーザー
神も仏も名無しさん
SzhdZ
親鸞と道元は
相当な教義の原理主義者だな

高僧クラスの超正統派の臨済宗も原理主義が多い、
白隠は原理主義までいかん

盤珪は検原理主義者だ
😀
957.
ユーザー
神も仏も名無しさん
SzhdZ
ハッスルとムイムイには
原理主義者対応シテルな?😀
958.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
WNsW3
ハッスルは坐禅回数至上主義者😆
959.
ユーザー
神も仏も名無しさん
SzhdZ
安物の板チョコは
メーカー品より
美味しくないなー
😀
960.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4GsM3
セブンイレブンのは美味しい😆
961.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4GsM3
このスレの終わりが近い
962.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4GsM3
エロ和尚様の浄土真宗講義はまだか~?😫
963.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4GsM3
親鸞だけが、なぜ別宗派になったか?
964.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4GsM3
とても本質的な問いです。結論から言うと、
親鸞の思想が、既存の仏教の枠組みを根本から変えてしまったため、結果として別宗派(浄土真宗)になった、ということです。

ただし重要なのは、親鸞自身は「新しい宗派を作ろう」とはしていなかった点です。むしろ逆です。
965.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4GsM3
① 出発点:法然の弟子だった
親鸞はもともと、浄土宗の開祖である法然の弟子でした。
法然の教えはシンプルで、
念仏(南無阿弥陀仏)を唱えれば救われる
というものです。
しかし法然の死後、弟子たちは分裂します。
ここで親鸞が「突出した存在」になります。
966.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4GsM3
② 決定的な違い:救いの主体を完全に反転させた

従来の仏教(+法然も一部そう)では、
念仏を自分が行う修行と見る(自力の要素あり)
これに対して親鸞はこう言い切ります:
👉 念仏は自分の行ではない。阿弥陀仏がさせている(他力)
つまり
修行する自分 → 無意味
善人になる努力 → 不要
救いの主体 → 完全に阿弥陀仏
という、かなりラディカルな転換です。
967.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4GsM3
③ 有名な逆説:「悪人正機」

親鸞の思想の核心はここです:
👉 善人よりも、むしろ悪人こそが救われる
これは単なる道徳的挑発ではなく、
善人 → 自力への執着がある
悪人 → 自力を捨てざるを得ない
だからこそ、 他力(阿弥陀仏)に完全に委ねられるのは悪人だ
という論理です。
これは従来仏教の倫理観をひっくり返します。
968.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4GsM3
④ 「僧でも俗でもない」という立場

親鸞は自分を
👉 「非僧非俗」
と位置づけました。
妻帯する(結婚する)
修行者としての特権を否定
出家と在家の区別を破壊
これは当時としてはかなり革命的です。
969.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4GsM3
⑤ なぜ宗派として独立したのか?

まとめると理由は3つです:

1. 教義が従来と断絶していた
修行否定
善悪の逆転
他力絶対
→ 他の宗派と共存しにくい

2. 組織を持たなかったが、後世に形成された
親鸞自身は宗派を作らなかったが、
弟子たち
門徒(信者)
が広がり、自然に教団化しました。

3. 民衆に圧倒的に広まった
特に鎌倉時代の社会状況では:
武士の台頭
戦乱
貧困
こうした中で
👉 「努力しなくても救われる」
という思想は非常に強い吸引力を持ちました。
970.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4GsM3
⑥ まとめ(核心)

親鸞が特別なのはここです:
仏教の核心(修行・倫理・救済)をすべて反転させた
しかもそれを「徹底」した

その結果:
👉 既存の仏教の中に収まりきらなくなった
だから結果として
浄土真宗という独立宗派になったわけです。

もしさらに深掘りするなら:
親鸞はなぜここまで「他力」を徹底できたのか
龍樹の空思想との関係
西洋哲学(例えば偶然性や主体の解体)との比較
このあたりはかなり面白いテーマになります。
971.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4GsM3
てことは、つまり
972.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4GsM3
親鸞としては、新宗派を立てて独立したというより

浄土宗の本流を継承したつもりだったのか?
973.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4GsM3
結論から言うと、
👉 親鸞自身の意識としては、「自分こそが浄土の正しい流れ(本流)に立っている」という感覚はかなり強かったと考えられます。
ただしそれは「新宗派の本流」という意味ではなく、あくまで法然の教えを最も純粋に継承しているという自覚です。

974.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4GsM3
① 親鸞の自己認識:弟子でしかない

親鸞は徹底してこう言っています:
👉「自分はただ法然の教えを受けた一弟子にすぎない」
有名な言葉に:
「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」
「親鸞は弟子一人も持たず」
つまり
教祖意識 → ない
独立意識 → ない
むしろ
👉 「勝手に自分を祖とするな」くらいの感覚です。
975.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4GsM3
② それでも「自分が正統」という確信はあった

ここが重要なポイントです。
親鸞は表面的にはへりくだりながらも、思想的にはかなり明確です:
👉 他の法然門下は、本当の他力を理解していない
特に問題視したのは:
念仏を「回数」や「功徳」として考える流れ
自力が混じる理解
これに対して親鸞は:
👉 「それはすでに他力ではない」
と暗に否定しています。
976.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4GsM3
③ 親鸞にとっての「本流」とは何か

親鸞にとって本流とは:
組織ではない
系譜でもない
教団の中心でもない
👉 「本願(阿弥陀仏の誓い)」を正しく受け取っているかどうか
です。
つまり:
多数派 → 関係ない
正統な寺院 → 関係ない
権威 → 無意味
👉 真に他力に立つ者こそが本流
という基準です。

977.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4GsM3
④ だからズレが生まれた

他の浄土宗系の人々から見ると:
親鸞 → 極端すぎる
倫理を崩壊させる危険思想
一方、親鸞から見ると:
他の人々 → 中途半端(自力が混じっている)
👉 ここで完全にすれ違います
978.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4GsM3
⑤ 結果としてどうなったか

親鸞の死後:
門徒が拡大
教義が整理される
組織化が進む
→ 浄土真宗として独立
つまり:
👉 親鸞の主観
「自分は本流(純粋な法然の教え)」
👉 歴史的結果
「別宗派になった」

979.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4GsM3
⑥ 核心(かなり重要)

ここが一番深いところです:
親鸞の立場は、
👉 「正統であろうとするほど、既存の正統から外れてしまう」
というパラドックスです。
これは少し哲学的に言えば:
形式的正統(制度・組織)
vs
内容的正統(真理の理解)
の衝突です。
980.
ユーザー
エロ和尚◆ERO.Kk3nCA
j2w0x
>>962
別のスレで講釈したけど?

https://talk.jp/boards/psy/1773357293
284 自分:エロ和尚◆ERO.Kk3nCA[sage] 投稿日:2026/03/22(日) 14:14:50.01 ID:n3QoL [21/31] 0
ワシが7年目に浄土真宗の入門書を読んだ時に、
こんな「イメージ図」が載っていた。
阿弥陀如来は、逃げる者をも追いかけて救う
https://d.kuku.lu/k4fx4hb7r
サイクリック宇宙論という仮説は、まさにこれ

292 名前:◆JBLfMwCXhY[] 投稿日:2026/03/22(日) 15:18:18.33 ID:QVEp0 [16/24] 0
逃げる者すら、追いかけて救うとは

293 名前:◆JBLfMwCXhY[] 投稿日:2026/03/22(日) 15:18:58.34 ID:QVEp0 [17/24] 0
阿弥陀如来、ありがたや~
981.
ユーザー
エロ和尚◆ERO.Kk3nCA
j2w0x
>>972
そのとおり!
親鸞は、教祖としての自覚が無い
982.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4GsM3

次スレ

【南無阿弥陀仏】浄土教 【極楽往生】 Part2
https://talk.jp/boards/psy/1774676267
983.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4GsM3
>>980

なんと

あれが講義だったのか
984.
ユーザー
エロ和尚◆ERO.Kk3nCA
j2w0x
>>983
そう。
入門書の挿絵のイメージに洗脳されておる

阿弥陀如来は、逃げる者をも追いかけて救う
https://d.kuku.lu/k4fx4hb7r
985.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4GsM3
なるほど
986.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
4GsM3
そこがポイントだったか
987.
ユーザー
エロ和尚◆ERO.Kk3nCA
j2w0x
まあ、親鸞聖人は
「阿弥陀如来は、逃げる者をも追いかけて救う」とは
言っていないはず

・・・・とワシは思い込んでいる
988.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
irCDe
阿弥陀如来は、逃げる者を追いかけて救う
989.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
irCDe
それは、とても鋭い表現ですね。結論から言うと――
はい、その理解は親鸞の思想にかなり近いです。

990.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
irCDe
990
991.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
irCDe
■ 「逃げる者を追いかけて救う」とは何か
阿弥陀如来の本願(第十八願)は、もともと
「どんな者でも、私の名を称えれば必ず救う」
という誓いです。
しかし親鸞は、これをさらに徹底的に読み替えます。

992.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
irCDe
■ 親鸞の逆転的な理解

普通の宗教的発想はこうです:
善い人 → 救われる
努力する人 → 救われる
信じる人 → 救われる
しかし親鸞は、これをひっくり返します。
人は本質的に「逃げる存在」である
修行から逃げる
善から逃げる
真理から逃げる
仏からさえ逃げる
ここで有名な思想:
「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」
つまり
善人ですら救われるなら
本当に救われるべきは、逃げ続ける者(悪人)ではないか
993.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
irCDe
■ 「追いかけて救う」という構造

ここが核心です。
阿弥陀如来の救いは
人が近づくのではなく
仏が先に働いている
親鸞の言葉で言えば:
「信心も念仏も、すべて阿弥陀のはたらき」
つまり
人が信じるのではない
信じさせられてしまう
人が救いを求めるのではない
救いが先に届いてしまっている
994.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
irCDe
■ だから「逃げても無駄」

この理解に立つと、こうなります:
疑ってもいい
信じなくてもいい
背を向けてもいい
それでも
👉 阿弥陀の側がやめない
ここであなたの表現:
「逃げる者を追いかけて救う」
これはかなり本質を突いていて、
人間の自由(逃げる)と
仏の絶対性(やめない)
の緊張関係を一言で言っています。
995.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
irCDe
■ さらに踏み込むと(かなり深いところ)
親鸞的に言うなら、
「逃げている自分に気づいた瞬間」
それ自体がすでに救いのはたらき
です。
つまり
👉 逃げていることさえ、すでに包まれている
996.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
irCDe
■ 禅との対比(あなた向けに)

禅だと:
逃げるな
今ここを見ろ

浄土真宗だと:
逃げてもいい
その逃げているあなたを、すでに救っている

この差はかなり大きいです。
997.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
irCDe
■ まとめ

あなたの言葉を哲学的に言い換えると:
👉 阿弥陀の救いは「追跡型の慈悲」
条件付きではなく
相手の状態に依存せず
逃走すら前提にしている救い
もし興味があれば、さらに踏み込んで:
なぜ親鸞はここまで極端にしたのか
これは「自由意志」をどう考えているのか
龍樹や空思想とどうつながるのか
このあたりはかなり面白いテーマになります。
998.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
irCDe
■ まとめ

あなたの言葉を哲学的に言い換えると:
👉 阿弥陀の救いは「追跡型の慈悲」
条件付きではなく
相手の状態に依存せず
逃走すら前提にしている救い
もし興味があれば、さらに踏み込んで:
なぜ親鸞はここまで極端にしたのか
これは「自由意志」をどう考えているのか
龍樹や空思想とどうつながるのか
このあたりはかなり面白いテーマになります。
999.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
irCDe
オン アミリタ テイセイ カラウン
1000.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
irCDe
1000
1001.
ユーザー
Talk ★
???
このスレッドはコメントが1000件を超えました。新しいスレッドを立ててください。
1002.
ユーザー
Talk ★
???
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プレミアムの無料期間を2027/3/31まで延長することになりました。

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