構造主義記号学者は、要素間の関係を強調する。社会記号学者は、テクストの中の記号に読者が付与する意味の重要性を強調する。内容分析が明示された内容に焦点をあて、これが単一の固定された意味を表現すると示唆する傾向にあるのに対して、記号的研究はメディアテクストに含まれる‘談話’を支配する規則に着目し、意味を形づくるのに記号的文脈がはたす役割を強調する。しかし、何人かの研究者が記号分析と内容分析を組み合わせるようになっている(たとえば、Glasgow University Media Group 1980;Leisset al.1990;McQuarrie & Mick 1992)。
前スレ:新興宗教・真如苑 vol.126
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1596294546/
新興宗教・真如苑 vol.127
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1607610747/
新興宗教・真如苑 vol.128
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1616020901/
☆ここは、真実追及と意見交換の場です。
☆心と宗教板を利用される方は、『カルト問題』に関心を持つようにしましょう。
☆発言は、論拠と根拠を伴ったものにしましょう。
☆その場凌ぎの発言は控えましょう。 誤魔化し・ピンポンダッシュは徹底追及。
☆他教団の工作員(日蓮正宗のトヨダなど)や真如苑事務局は入場禁止です。
【今日の苑歌】
霊言は出離を示す啓示ゆえ
こころに心してぞ聞くべし
【教主注釈】
出離とは、分かりやすく言えば運命を好転に導くための啓示(おしらせ)である。故に真剣に霊言を聞いて、それと取り組むことが大切である。
↑
この教えが霊感の言葉によって因縁を示し、教えに依存させようとするので、運命を好転に導くはずがない。人に無理に教えを信じようとさせて不幸が連鎖する。
【今日の苑歌】
今日という日の吉凶を論ずより
今日の行い見かえるぞよし
【教主注釈】
み教えに一如していったなら日々が吉日でなくてはならない。日が悪いから災いにあうのではなく、自らの心・行いが至らないためである。
↑
霊感の言葉で教えをやっていれば不幸にならない言葉。「良ければ教えのお陰。悪ければ取り組みが足りない。」
【今日の苑歌】
執われを思い切ってぞ因縁の
重きを知ると知れ世の人
【教主注釈】
執着の存在を否定することによって涅槃は証せられる-と、涅槃経純陀品に教えられている。
↑
執着の対象が霊感の言葉で変わるだけである。仏教はその手法の隠れ蓑である。
【今日の苑歌】
大海の如きみ法にあいまつり
常楽我浄と知るも尊し
【教主注釈】
すべての河が大海に帰入するごとく、すべての教えは大涅槃経に帰す-と、このような尊い教えに結縁されたことは、本当に尊いことである。
↑
宗教被害が話題になってくると、霊感商法など似たような手口に帰するのが見えてくる。
【今日の苑歌】
人の世の哀れになくも自らの
あわれを知らぬ人の多きに
【教主注釈】
教えや、教えの師を自分の見解で批判していたら、法友はその悪(非律不証)を見ぬいて、みんな離れていってしまう。
↑
霊感商法の手口を使って人を騙すことで信じさせようとするのは批判されるべきである。しかし、批判すると切れるから距離を置いているだけである。
【今日の苑歌】
世の中の憂きこと多きその中に
利他のまことに生きよ苑人
【教主注釈】
信心の道というものは、喜んで生きる。-と言うことである。喜べないことは自分自身に執われているからで、それを捨てれば本当の利他に生きられよう。
↑
喜べないのは霊言によって自分が救われない霊に追い詰められていくからである。そして、お力を求めさせられ、勧誘するためにぎこちない作り笑いをするようになる。
【今日の苑歌】
訶責とは強くなすとも慈(なさ)けこめ
悩む立場に立ちて行なえ
【教主注釈】
駆遣訶責とは-人間本位の信心から、み仏本位の信心に立てかえるために強く激励する言葉を言う。教える側に私情があってはならない。
↑
教えの中の呵責とは、霊的に抑圧された上の者から下の者への霊的ハラスメントとなる。霊的に脅し合ってお力を求めるために実践しなければならない。
【今日の苑歌】
権威をば振るってなせる教化には
形成りても実(じつ)は少なし
【教主注釈】
自分の地位や権力で入信させても、それは形だけであるから、その信心が喜びの実を結ぶまで手を引き教化する事が大切である。
↑
霊感商法の手口であるので権威を振るうしかない。だから信者は上から目線である。そうなりたくないと思う人は信者と接すれば多数ではないか。
【今日の苑歌】
御利益はまことの歩みの福利なり
歩まず乞うは邪と知れ
【教主注釈】
教えの如く歩んで行った時には、必ず運命が立て替えられて仕合わせになる。歩まずに御利益だけを望んでも得られるものではない。
↑
静かに歩んでいてもいずれ勧誘させられる。それが霊感商法の手法だから人に下に見られるが、自分は選ばれた人だと思うようになる。それをご利益と勘違いするようになる。
【今日の苑歌】
善友に近よることはよけれども
愚人の交際絶たばなおよし
【教主注釈】
涅槃経に、善友とは仏-と示されているが一面には一如の教徒ともいえよう。この意味に於いて、信仰を阻害するものは悪友である。
↑
信者が選民意識を持って教えを信じない人を見下すのを煽っている。そして軋轢ができれば霊感の言葉で救われることに依存させることができる。
【今日の苑歌】
今ぞいま尊き性(仏性)を磨かんは
今を機会と知るも尊し
【教主注釈】
機会は再び来ない「今」今のひとときを活かし機会とする。
↑
今ここに霊感の言葉による因縁に脅かされて勧誘、献金、無償労働をしなければならない自分がいる。今ここを霊感商法の教えに奪われているのである。
【今日の苑歌】
常住のみ佛さまを慕いつつ
仕うる人ぞたのものしきかな
【教主注釈】
常住のみ仏を最上のものとして心のよりどころとし、喜んで仕えている人の姿を見ると本当にたのもしく、また楽しげである。
↑
常住の教祖一家を霊感の言葉で謳い上げ、喜んで信者に取り組みをさせるのは、どこも使う霊感商法の手法である。
【今日の苑歌】
お済度は父母を救ける心にて
説けよ苑人これぞ道なり
【教主注釈】
お救けに行った時、相手を尊重する心は、父母に対して、話をするようなこころで、話を取つがせて頂くことである。
↑
教祖夫婦を思わせて勧誘させるために霊感の言葉で神格化させるのである。
【今日の苑歌】
歓喜積みお救けこそは積み磨き
奉仕は磨く徳と知れ人
【教主注釈】
歓喜は積む徳、奉仕は磨く徳、お救けは積み、磨く徳であり、この三つの聖行に徹していって、初めて因縁消除の真理を理解できよう。
↑
積み、磨くからお救け(勧誘)は他の歓喜(献金)、奉仕(無償労働)の二倍の精進と言われる。しかし、公称90万人の信者は実質20万人を下ると言われる。
【今日の苑歌】
他のために言葉やわらげ教ゆるは
菩提(めばえ)育てのまことなりけり
【教主注釈】
聴法因縁の三段階と言うことが教えられている。初信者には、やさしい言葉、態度で接し、相手の菩提の芽を育ててあげよう。
↑
霊感のどうとでも言える言葉でその人の不幸から教えに依存させようとするから、何とも後味の悪いやり取りである。
【今日の苑歌】
道に外れあゆむが故に事故起し
後の後悔先には立たず
【教主注釈】
教えの如く行わない信心は、道に外れてあゆむと同じ事である。軌道をはずれれば事故もおこるであろう。
↑
霊感の言葉に従わないと不幸になると脅しが入る。その脅しに反応する人間になりたくないものである。
【今日の苑歌】
怠らず精進(はげ)み祈らん千代かけて
歓喜世界の出現(いず)る時まで
【教主注釈】
信心の道に終わりはない。生涯かけての精進である。そして終生精進できることが喜びである。
↑
気づくのはあっという間である。だから霊感商法の手口に気づいてしまった人は教えの集まりでは排除される。しかし、無断でも入信させなければ自分の実績にならないのは昔からである。
【今日の苑歌】
大乗の道も炭火と同じなれ
三つ四つ五つ合わせてぞ燃ゆ
【教主注釈】
信心の心も炭火と同じように、一つだけだと消えやすい。志を同じくする者が、四人五人と集まると、信仰も心も燃え求めることの喜びもわいてくる。
↑
4、5人集まると集団圧力が増す。しかし、教えの手口が知れるとそれが実現できなくなっていく。それが人の為である。
【今日の苑歌】
常日頃まこと蓋して精進(はげ)みなば
それ、それ自体が真理(みち)に叶わん
【教主注釈】
怠るは死の道、励むは生への道である-という聖句があるが、高貴徳王菩薩品にも示されるように、楽(ねごう)て精進してゆくことが真理(みち)に叶ったことである。
↑
懸命に取り組むのは信者の自由だが、信じたくない人間に信じさせなければならないと思う偏見を植え付けられて人権侵害をしようとするから信者は嫌われ、カルト対策されるのである。
【今日の苑歌】
身は低く常に人にと和合して
高く菩提を求めあゆまん
【教主注釈】
実るほど頭をたるる稲穂かな-。だが教えはどこまでも高く求めていこう、仏の御内証を目ざして。
↑
謙るが上から目線。その信者の下品さが教えの下品さを表現してしまうのは仕方のないことか。
【今日の苑歌】
言うがごと行うがごとく言(こと)示せ
茲(ここ)に一如の救いあるなり
【教主注釈】
不言実行という言葉があるが、此処では有言実行を説いている。
↑
教えの中で取り組みの宣言をさせるのは、霊感の言葉を自ら具現化させるためである。
【今日の苑歌】
日日に踏まれて渡す橋のごと
菩提の橋となるぞ尊き
【教主注釈】
お導きにゆくと、世間からいろいろな悪口を言われる。それがふまれてもなお相手を仕合わせの岸へと渡す橋となることである。
↑
霊感商法を使うからと断られれる前に無断で入信させてしまう。実質信者が少ないと言われるが、宗教二世問題も手伝ってカルト宗教問題で手口が類似していると知られてしまうこともある。これからも勧誘しようとしても対策されるだろう。
【今日の苑歌】
相手をば鏡となせのことのりも
涅槃に示す教えなりけり
【教主注釈】
「相手は鏡」と言うことばがあるが、涅槃の中にも=仇は相手にあるのではなく我身にあるのだ=と教えている。
↑
相手も自分も霊感による言葉になぞらえて単純に理解しようとする。思考が停止すると正しいのは霊感の言葉だけとなり、信者は悲劇を起こす。
【今日の苑歌】
み佛にまかせまつりて常ぞつね
送る日日浄土なりけり
【教主注釈】
自分のはからいをはなれた時、日々が本当に安心して暮してゆけるようになる。
↑
自分の過去を霊感の言葉で意味づけ、今を霊感の言葉に決められ、未来を霊感の言葉で方向づけられる。だから安心を得るために三つの取組みをしなければならない。勧誘、献金、無償労働である。
【今日の苑歌】
月日ごと慈悲をこうむる人まして
真如みひかり世にぞ知らるる
【教主注釈】
涅槃経を信心の基盤においている宗教団体は皆無といってもよい。護法の霊言に「科学が進歩して、やがて月の裏面まで判る時代に、この教えは(最後のみおしえ)は栄える…」と。
↑
宗教二世問題が世に知られるようになり、霊感商法類似手口と知られるようになった。信者を刺激すると切れるが、問題は発信し続けなければならない。
【今日の苑歌】
過ぎし日の執われ捨てて希望ある
未来求めて法にいそしめ
【教主注釈】
過去に執われていたら、それは退歩である。申訳ない…という言葉を出す時には、それ以上の精進に振い立つことだ。
↑
教えの期待に応えることがお力をもらえると思えることであるが、霊感の言葉でハードルが高くなっていくので申し訳ないという気にもなるだろう。周囲も精進しなければ救われない教えであるので、人のせいにもする。信教の自由の侵害も気づけなくなるのは人権侵害に気づけなくなることである。
【今日の苑歌】
物心は一如のものと知りながら
こころ忘れる人もあるなり
【教主注釈】
物心一如とは、名実共に伴うもので、真諦め(まことのみち)である。物のみを追い求め、一如のこころ(み仏と共に生きる心)がないから、心忘れた-と言うのである。
↑
霊感商法カルトのみ仏と共に生きるから教えを信じない人に心無いことをするのである。行き詰まって無断で入信させるのも心無いことである。
【今日の苑歌】
我をたてず相手の身にぞ先ずなりて
笑みを忘れず説けよ苑人
【教主注釈】
救いの真実を相手にわかって貰おうとするには、その人の心に自分の心を置きかえて、救いの道を共にあゆむ(あゆませる)事が肝要である。
↑
霊感の言葉を根拠に相手に教えを信じさせようとする信者の笑顔は騙しが入っているので不自然である。
そこからも違和感を感じて離れるのが自分を守る方法でもある。
【今日の苑歌】
他を救う力で我身救わんと
示す最後の教え尊し
【教主注釈】
他を救うその功徳によって、自からが救われることは、全く涅槃聖典に示される真理(まこと)である。
↑
人を勧誘(救う)することで自分が救われる理は、勧誘しなければ救われないねずみ講の教えの理である。
【今日の苑歌】
了義にて不了義経に依らずとは
涅槃了義の真理(みち)と知るべし
【教主注釈】
如来の真実なる智慧を如実に顕露したのが了義経である。涅槃経は聖典中の聖典とも言うべきものであるから、本経を諒解(りょうかい)することを仏徒としての道としなくてはならない。
↑
信者が押し付けてくるのは知恵ではなく霊感の言葉による不幸のこじつけである。仏教はそれを気づかせないための隠れ蓑である。
【今日の苑歌】
書を持つも読まず極めず只きして
悟り得ようとするは畧分(りゃくぶん)
【教主注釈】
教書を持って安心している-、それもよいがやはり、他に教えを伝えるために、しっかり読んで自分のものとしていかなくてはならない。
↑
霊感の言葉で救われた物語が並べられている教書を持っていても、勧誘に踏み出さなければ救われない。それは人を霊感商法に誘い込む行為である。
【今日の苑歌】
他が為になすは即ち世の為と
つくすまことが真の信心
【教主注釈】
大乗のためになしてゆくのが、この教えの本当の信心で、初信のうちは我が為に成しても、やがて他の為になしてゆく本当の大乗の境を得てゆくことが大切である。
↑
大乗(大船)に乗っていると思っている信者を、周囲が霊感商法の手口で人を誘い込もうとする泥舟に乗っているような行為を続けていると知られていくだろう。
【今日の苑歌】
み法うけさらさら流る水のごと
真理(みち)にたがわぬ人ぞ楽もし
【教主注釈】
してあげた-、助けてやった-、等という考え方、思い方は仏教徒として不純である。大乗の真如教徒たるべきはそうした不純な心は捨てるべきである。
↑
注釈どおりの信者が育っているが、教団側も今更意見募集フォームを公式サイトに載せて「聴こうとしてやっている」の態度ではないのか。霊感商法の手法が続く限り被害は発生し続ける。
【今日の苑歌】
浮世とはよろこび憂いの世としるも
み法に生きば其処が浄土ぞ
【教主注釈】
この世を苦のシャバという、しかし、正しいみ仏の教えにふれて、如来法を知ったとき、此処が、このままお浄土であることがわかる。
↑
世の中の苦がこの教えのお力に生かされている結果と思わされたとき、霊感商法の作り出す浄土に生かされ執着させられるのである。
【今日の苑歌】
光なる光の外のみひかりは
最後の法の光なりけり
【教主注釈】
太陽の光こそ最たるものであるが、教えの光もその如く、仏最後の教えのひかりこそ、この世における最勝の救いのみ光である。
↑
勧誘しても霊感商法の手法と知られてしまえば、相手は光など微塵も思わないだろう。
【今日の苑歌】
み佛の恵み思わば日に三度
合掌してぞ食(じき)に謝すべし
【教主注釈】
感謝はさとりをうるはじめ-と言う。考えてみれば、食事を頂けるということ自体が、本当に有難いことである。
↑
日々の幸福、不幸、人生の転機の際に霊感の言葉で教えのお力として依存させようとする。それを霊感商法という。
【今日の苑歌】
まことなるみ法の救い毛孔より
入ると説かるる涅槃神力
【教主注釈】
「善男子よ日月光明は諸の光明の中で最も勝れている。大般涅槃の光明も亦かくの如きもので、諸の大乗経の中に於いて最も殊勝なものである。それは大涅槃の光よく衆生(ひとびと)の毛孔から入り込むからである。」(大般涅槃経菩薩品より)
↑
救いのお力が毛穴から入ってくるという安易なことも霊感の言葉で説かれる。お力が流れてこなくなる恐怖に反応するようになると、勧誘せざるを得なくなる。
【今日の苑歌】
物事は思うが如くならねども
行い重ねて成ると知るべし
【教主注釈】
ままならないのが、人の世である。何事も誠実をつくして成しとげてゆく、そこに目的成就の栄冠はある。
↑
思いどおりにならなくても教えのお陰で今があると思わされる。しかし、信じないと信者は不機嫌になり切れることもある。それは霊感商法を使う宗教による信教の自由の侵害がうまくいかないからである。
【今日の苑歌】
道の辺に踏みにじらるる野草にも
耐えて伸びゆく性ぞあるなれ
【教主注釈】
”この泥があればこそ咲け蓮の花”大乗利他の行いには非難やざん謗がつきものである。何故ならば、それが正法であるから-恐れずにすすもう。
↑
誹謗中傷されるかもしれないし批判されるかもしれないから信者は上から目線となり構える。
教え対策のできる人はその先を見越して距離を取って反応しない。霊感で示される因縁の恐怖によって人権感覚が削がれ、信教の自由を侵害しようとする信者に対して。
【今日の苑歌】
何みてもみ法示さぬものはなし
おのが心に菩提ありなば
【教主注釈】
接心によって磨かれた心には、未だ見ざるものを見、聞かざるものを聞くことができる。それは自分自身に菩提(しんじん)の種をもっているからである。
↑
洗脳が進むと身の回りの何でも教えに結びつけようとする。それは菩提心という霊感の言葉による恐怖心が植え付けられるからである。
【今日の苑歌】
み教えにやさしき言葉欲しなば
我身かわいい二乗とぞ知れ
【教主注釈】
初信者であればやさしい言葉も必要だ-、入信して相当な年月を経ていても菩提(求める)心が成長せず、いつも初信者の如き心であってはならない-と言うことである。
↑
菩提(求める)心は霊感の言葉による教えへの依存であり、恐怖のあまり信教の自由という人権感覚が削がれる。
そして、信じるのが当然と洗脳され、SNS等で対策されるような被害を信者がもたらしているのである。
【今日の苑歌】
外教より涅槃了義のみ教えに
導く人を教師とぞいう
【教主注釈】
あらゆる外教も涅槃海に帰一する。又此の意味に於いても、諸教を摂受して始めて大海のみ教え-とも言えよう。
↑
あらゆる教えが行き着く大海の教え。実はあらゆる宗教が行き着く霊感商法やねずみ講の手法。
【今日の苑歌】
今日蒔きて明日の稔りはなきと知れ
学び修めるわざもそのごと
【教主注釈】
今日蒔いて、明日の稔りはない。少しばかり教えにふれて、全部わかった-と思うことは大変な間違いである。
↑
この尊い教えを分かった気になってはいけない。気づかなければ一生霊感の言葉に振り回されるだろう。
【今日の苑歌】
他がために尽せしことは忘るとも
受けし御恩は忘るべからず
【教主注釈】
人のためにしたことは、いつまでもよく覚えていて、自分にして頂いた御恩は忘れてしまう、そんな事では仏教徒とはいわれない。
↑
霊感の言葉でこんなに救われていると言われる。報謝ですよとも言われる。ご恩返しの方法は勧誘、献金、無償労働である。
【今日の苑歌】
訶責とは宝の山を指し示す
指と知るべし世々の人々
【教主注釈】
訶責してくださる人は、めったにいないものである。それなのに訶責されると、その人が嫌になる。それはいつまで経っても真実の宝を得ることは出来ない。
↑
厳しい言葉をかけてそれらしく指導しようとしても、霊感の言葉が根拠と相手に悟られれば、距離を取られるだけである。それでも信者としての威厳を示そうとすれば、霊感商法の手法をSNSで情報交換されるのである。
【今日の苑歌】
布施なすも報い求めぬまことこそ
悪因断ちの道と知るべし
【教主注釈】
これだけ歓喜したから御利益があっても当然だ…と思ったら、それは徳が徳にならない。結果を求めない布施、そのまごころが霊界に通じ、悪因縁もたち切れていくのである。
↑
霊言による因縁の恐怖から献金をさせる。それは霊感商法である。更にご利益信仰ではないから見返りを求めてはいけないと言われる。
【今日の苑歌】
苑(この)道は佛の始めし道なれば
百千代かけて変わらざる道
【教主注釈】
真如苑の教えは釈尊が創始された道であり、この道をあゆめば、何人も幸福な世界にゆけるのである。何故ならば、それは真理であるから。
↑
この手法に行き着いた教えは変わらないだろう。霊感商法を使う団体が追及されていくと、類似した手法を使うと警戒されていくだろう。
【今日の苑歌】
執着の存在捨てて暮らす時
ものみな尊し楽我なりけり
【教主注釈】
執着は貪りである。貪りを鎮めたら瞋りも痴も鎮まって、本当の楽しみを得ることが出来る。
↑
お力への執着は良いとされる。そのために人の宗教を信じない自由を侵しても何とも思わなくなることもある。
【今日の苑歌】
最後なる教えにふれて謝すなれば
摩尼の宝珠を掘り当つと知れ
【教主注釈】
「水の濁りの中に宝珠を置けば水即ち清浄となる」と涅槃経に示されている。この深意をしるとき、まことに有難いことがわかる。
↑
最後のみ教えを信じていれば何でも許されるという選民意識が擦り込まれる。そして教えを信じない人が許せなくなると信教の自由の侵害に行き着くこともある。
【今日の苑歌】
常に世は移り変れどみ佛の
み法は永遠に変らざるなり
【教主注釈】
”春は花咲き秋には紅葉、常に天地は変らざる経をよむ”と、人の世は移り変わってもみ仏の慈悲にはみじんの変りはない。
↑
霊感商法の手法が定着し、仏教を隠れ蓑にしても、類似した手口を隠すことはできない。
【今日の苑歌】
夢みせて出離の道を教ゆるも
佛最後にぞ教ゆ真理(みち)なり
【教主注釈】
夢によって教化されることは涅槃経の中に明らかにされている。その流れを汲む真如教徒も夢をリブライとして取りくむことができることはしあわせである。
↑
夢も霊感の言葉で気づきとして取り組ませる。仏教を隠れ蓑に霊的因縁が増えていく。
【今日の苑歌】
我がうちに一如の喜び見出しなば
日日の仕事も聖なりと知る
【教主注釈】
一如と言うことは、み仏の大慈しみの中に生かされることであり、それを知れば日々の業務もみ仏本位に生きる聖業なり-と、覚ることが出来る。
↑
日々の出来事が教えと結びつく。そう霊感の言葉で取り組むように言われるからである。み仏は教祖一家のことである。
【今日の苑歌】
教法を学ぶにいとまなしという
人こそ暇に学ばざるなり
【教主注釈】
とても忙しくて学べない-と言う人があるが、日常のその忙しい中から神仏に捧げまつる、まことを発見しようと努力することが大切である。
↑
この教えを被害者として学ぶならば、話題の教団と同様な霊感商法、ねずみ講の手法を使うと理解することである。
【今日の苑歌】
無我という道も正しきことなれど
無我超え悟る妙有尊し
【教主注釈】
無我だけでは悪因縁は消除できない。大般涅槃のみ教えに言われるよう教えの如く行って、こうした無我を超えるところから、現象に生かされる妙有の喜びを得ることが出来る。
↑
霊言のとおりに行って教えの為に行動しなければ悪因縁に倒されると言われる。それは霊感商法である。
【今日の苑歌】
布施なして喜びなきも布施なるが
喜びあらば波羅蜜としれ
【教主注釈】
歓喜は一つの布施であるが、若しそこに行わせて頂いた喜びが感じられるならば、それは行うことによって、一つの彼岸(さとり)に達したことになる。
↑
喜びの裏には霊感で示される因縁による恐怖がある。そこに法で規制される霊感商法の手法が使われている。
【今日の苑歌】
歓楽は悪華と知れよ世々の人
心も身をも亡すと知れ
【教主注釈】
歓楽は肉体だけのよろこび、目先だけの楽しみで飽くことを知らない。歓楽は悪魔の投げた餌食と思わねばならない。
↑
歓楽も教えを信じていれば許される。教えどおりでなければ不幸の種にされる。霊感の言葉によって。
【今日の苑歌】
執わるる心にはからいありと知れ
執われ捨てばはからいぞなし
【教主注釈】
執われを持っているから真如の正法を聞いても、はからい心が起こる。人間本位の情的なつながり、これを断つ時、はからいはあべこべに感謝と変ってくる。
↑
とらわれているものを霊感の言葉で教えのお力にすり替えられると、今度は感謝を強要される。それを人にも強要しなければならない不幸の連鎖である。
【今日の苑歌】
世の中の苦とよろこびの間より
求め得るのがまこと菩提ぞ
【教主注釈】
よろこびに浮かされ、苦しみに執われていたのでは、本当の因縁消除の道を見出すことはできない。苦の中から、喜びの中から中道の真理を見出すのが、本当の信心である。
↑
良くても悪くても教えのお陰。それは霊感商法によって信じさせられるお力の言い回しである。それを言っていれば教えの指導ができてしまうのである。
【今日の苑歌】
我れと共に常にましますみ佛を
忘れずはげめ世々の人々
【教主注釈】
無形のみほとけを有形に信ずるところに、本当の信心があるのではないだろうか、此れは無相接心に生きる苑人の在り方である。
↑
霊感の言葉である霊言を日常の事に当てはめる修行でマインドコントロールが深まる。それが人の為にならなくなるのは信教の自由の侵害をするようになる場合である。
【今日の苑歌】
他が為と修むる教え身につけど
我が為なれば詰まるとぞ知れ
【教主注釈】
他に語り伝えるために教えを聴聞していった時には、よく身につくものである。
↑
他に語り継ぎ、その人も勧誘できる人にならなければ本当に救われない。その根拠は霊界からの言葉。ねずみ講型の霊感商法が使われる。解散命令が言われる教団も使っている。
【今日の苑歌】
世的な外に求むる心こそ
菩提心とぞ悟れ世の人
【教主注釈】 此の-世的-は、本能的の謂いである。人には財的なもの、名誉や地位等こうしたものの外に、聖なるものを求める純真なものがある。これが即ち菩提心である。
↑
仏教の言葉に置き換えられた教義は霊感の言葉で積み重ねられた恐怖心から成り立っている。世に蔓延る霊感商法と同じである。
【今日の苑歌】
自からの力の限りつくしてぞ
なすがまことの信というなり
【教主注釈】
力の限りを尽くしたことのない人には信心は解らない。力の限りを尽くして神仏に委ねる-。
↑
ただ信じるには示される霊による因縁の恐怖が伴う。そして一切を教えに委ねると洗脳の完成である。その影響として信教の自由の概念が歪められ、この教えを信じる自由以外が許せなくなる。
【今日の苑歌】
他が為に我が身ささぐる行いは
人の身ながら菩薩なりけり
【教主注釈】
此処でも教法を中心にして、他のために我が身を捧げる行いを示している。人間情を中心にして身を捧げることを云うのではない。菩薩に殉教の死はあるが、情死はない。
↑
信者は洗脳されて教えの為以外の行動をしなくなる。他が為と言って人をこの教えに勧誘することが最大の取り組みとされる。人の信教の自由を考えられなくなるのである。
【今日の苑歌】
よきことも悪しきことをも目にみせて
身の行いにあるを示さむ
【教主注釈】
良い結果、悪しき結果の日々の出来事はすべて自からの行いの果が示されたものと思惟してみるがよい。まことに悪因悪果、善因善果である。
↑
良いことも悪いことも霊感の言葉で教えを信じていれば好転すると示される。お力を求めて献金、勧誘、無償労働をさせる霊感商法である。
【今日の苑歌】
一念をこめて誦(とな)うる御霊呪は
子々孫々(すえずえ)までの清めとぞ知れ
【教主注釈】
大乗の行いを伴わせてこそ平生普段の祈りも深められ、御霊咒の効験や威大神力も増大されるのである。
↑
何やら大きな力を伴って大船に乗った気分にさせてくれるが、どれも霊感の言葉に従って救われた物語ばかりである。
【今日の苑歌】
最後なるみ教えこそは幾年も
探し求めし慈母と思わん
【教主注釈】
涅槃のみ教えにふれた時、これこそ探し求めていた、わが母である-という確信をつかむことが出来る。それは修してしる喜びである。
↑
理想の親を霊感の言葉で示して洗脳する。そして上から流れてくるお力は指導者の言葉として振りかざされることもある。SNSなどで霊感商法の手口であると情報を得られて、その権威から距離を取られると指導者の欲求は満たされなくなる。
【今日の苑歌】
他力より入りて自力と知れぞかし
これぞ一如のまことなりけり
【教主注釈】
一切お委せは一切お救け -とは、初信のあり方。
↑
霊感の言葉で示された言葉でお力が貰えたと思わされて勧誘が成功することもある。今は霊感商法の手口と調べれば知られてしまうが。
【今日の苑歌】
感謝なき信心こそは消ゆる灯と
思わばそそげ徳の油を
【教主注釈】
信仰に喜びや感謝が持てなくなった時、それは徳のなくなった証拠であるから、真実の行いを貫いて徳の油をそそいでゆこう。
↑
その教えが霊感の言葉に従って救われた物語の寄せ集めと気づいたならば、霊感商法であるので静かに距離を取ったほうが良い。
【今日の苑歌】
我がことは後になすとも他が為に
なすはみ法の真理(みち)としるべし
【教主注釈】
大般涅槃経・高貴徳王菩薩品に”他の為にし、のち自らの為になせ”と示されている。他の為にすることが、真如教えの本旨であることを知らなければならない。
↑
他が為は人の為に勧誘して人を救うことであるが、自分の教えのポイントである徳が得られるので自分の為とも言われる。その理屈を客観的に眺めると霊感商法に騙されているのである。
【今日の苑歌】
他事(ひとごと)を即我が事と知るなれば
菩提の向上常にありなん
【教主注釈】
霊言に-”尻切れトンボが遠くとべないように、他に幸いのあゆみを与える事も尻切れになってしまったら、悪因縁に勝ち抜くことはできないのですよ…”とあり、菩提の向上を接心は教示している。
↑
霊感に示される悪因縁を人の不幸に当てはめて我が事の様に勧誘して救おうとすること。それが霊感商法である。
【今日の苑歌】
我がうちに佛の性を見出しなば
我また尊く更にはげまん
【教主注釈】
人はみな、尊い宝を持ちながら”自から貧し”と思っている。大般涅槃のみ教え故、本当に尊い-と言っても”私などは駄目”と迷ったらどうであろうか-、灯明を持ち乍(なが)ら自らが目を閉じているのと同じである。
↑
仏教を持ち出して尊い教えを演出しても、信者は後からどうとでも言える霊感の言葉で貶められたり、持ち上げられたりする。感情的に揺さぶられ続け、教えを信じられない人を貶め、下に見るようになり、とても残酷になれるのである。
【今日の苑歌】
霊言に示さることば真理(みち)なれど
人間本位に聞かば間違う
【教主注釈】
空-ということは、自からを空しうすることで、南無の境涯である。御霊言は道を示すものであるが、之を人間本能的に、都合のよいように聞いてゆくと、道をまちがえてしまうものである。
↑
人間本位かみ仏本位か。それは教えどおりでないか、教えどおりかの二者択一である。それが教えの為ならば何をしても構わないという解釈となると恐ろしいことになるのである。
【今日の苑歌】
み教えにふれて心を飾れども
説かぬは法のさびと知るべし
【教主注釈】
真如み教えにふれて、接心も頂き、わが心に深い真理というものが納得でき、教えの素晴らしさ、そして、その教えに結ばれた喜びもわかるが、若し他にそれを説かなかったら、やがて教えのサビとなって我が身を蝕まれてしまう。
↑
教えは遍くお力が降り注ぐのではないのか。ここでも霊感の言葉で教え無しでは生きられなくなった信者に勧誘しなければ不幸になると説いている。お力がマルチ商法の粗悪品であると明かすのと同じである。
【今日の苑歌】
罰ありと教ゆる道も道なれど
真の真理(みち)とは因果応報
【教主注釈】
涅槃経に説くところの非真邪偽の法では罰をとくが、本当の教えは因果応報の理を説いて、その人の運命を改革するように導くものでなくてはならない。
↑
個人の因果応報が後から言われる霊感の言葉で塗り固められていく。教義も教えを信じて救われた、教えから離れて因縁に引かれて不幸になったという事例ばかりである。懲りない信者が霊感商法の手口で勧誘するために、ターゲットの心が弱るのを待っている
【今日の苑歌】
智をわけて福徳荘厳あわせては
智慧荘厳と知るも尊し
【教主注釈】
涅槃経に説かるる二荘厳-即ち福徳荘厳は、歓喜の布施により智慧荘厳は、実践により身につくものといえる。
↑
布施による献金、実践には献金、勧誘、無償労働が含まれる。そこに霊感商法やマルチ商法に似た手法が使われていないか他の教団と比べてみると分かりやすいだろう。
【今日の苑歌】
今蒔きて今日に収穫あらねども
努力重ねて稔り待つべし
【教主注釈】
まずこの歌に示す真理が本当なものであるが、今蒔いて今日に収穫を得ている人も多々ある。そこが此の教えの不思議でもある。導き手(経親や導き親)の信用によって霊界から特に救いを下さったものもあるが、初信者の場合は、これが真物(ほんもの)と思ってはならない。
↑
真理である。すぐにご利益が得られることもある。それが本物と思ってはいけないらしい。歩むうちにもっと霊感で示される因縁の恐怖が知らず知らず深まっていくのだから。
【今日の苑歌】
常住の佛の教え世の末の
末の末まで楽土示さん
【教主注釈】
真如み教えは、久遠常住釈迦牟尼如来真伝の深法である。故に、今流行してのちに消える教えではない。子々孫々に伝え、末代かけて教えは弘まり、この世に楽土を顕現してゆくであろう。
↑
他の類似教団と手口が似ていると認識して、霊感商法やマルチ商法対策をする人が増えなけれけば、この教えは秘密裏に存続してしまうだろう。
【今日の苑歌】
徳という徳は特にと積めぞかし
積もりつもりて功徳とぞなる
【教主注釈】
徳をつくることは大切なことであるが、一度にしようと思っても中々出来るものではない。常に心がけて信仰の徳をつむことが大切である。
↑
徳は教えに結ばれることで元々あると言われる。しかし、人生の転機に消費すると言われる。霊感の言葉で徳を積み続けなければ因縁に倒されると言われる。徳は教えの為ならば積まれるが、教えの為でなければ消費される。
信者はそれを善悪として信教の自由を侵害することをいとわない。
【今日の苑歌】
世の中に道をば示す真理(みち)あれど
最後のみのり最上と知れ
【教主注釈】
名字功徳品には-八大河悉く大海に帰すように、この経は一切の煩悩結(因縁のかたまり)や諸の魔も降して摂受する-と、その真意が説かれている。世尊五十年の説法の最後は即ち大般涅槃経である。
↑
大海の如く最後に行き着く教えは霊感商法などの悪徳商法の宝庫であった。自分だけは騙されないと思ってはいけない。
【今日の苑歌】
苑人の佛に仕えまつらんは
まことこめての救いにぞある
【教主注釈】
苑人が仏に仕えまつるということは、涅槃像に仕えるのではなく三宝一体の僧伽(そうぎゃ)に生きる”まこと”即ち一如のまごころを以て大衆に奉仕することである。
↑
人々を仏の教えに繋ぐ裏には霊感の言葉で示された勧誘がある。教えを信じる、信じないの善悪が教えを信じる自分を尊くさせて、何をしても許されると思い込む信者が厄介である。
【今日の苑歌】
貴賤をも貧富もわけずまことをば
尽くし伝うが佛子なりけり
【教主注釈】
世の人々は富貴の者をみれば競って媚び、へつらい、奉仕する。「貧しき者をみてはこれを捨て遠退く」という聖語があるが、この真意を知って、真如教徒は物によって差別することなく教徒の本分をつくすべきである。
↑
貴賤も教えを信じる、信じないの善悪で判断するようになる。だから教えを信じる自分は尊く、何をしても許されると思ってしまうのがカルト性である。
【今日の苑歌】
み佛のみめぐみこそは世の果の
はてのはてまであまねかりけり
【教主注釈】
み仏の慈悲は摂取不捨である。このあまねき常仏の慈悲に結ぶことがお導きであり、この行いこそ尊い慈悲行である。
↑
人の為になっているとみ仏のお力を言うが、実は霊感で示すお力であり、霊感商法の一貫である。
【今日の苑歌】
教団の大いなるより一人をも
多く救わることぞうれしき
【教主注釈】
これは真導院様の入院中のお言葉で、今は教徒に残された尊い遺言となった。
↑
教祖一家が神格化され、真実一人を救うことが言われている。実は無断入信で幽霊信者が多く、霊感商法によってその場しのぎの教義で信じさせられているが。
【今日の苑歌】
人の世の哀れになくも自からの
あわれを知らぬ人の多きに
【教主注釈】
自惚れを去り、自らの非というものを覚って、人さまから「あわれな人よ…」と笑われることのない人間になっていくことである。
↑
教えを信じる、信じないの善悪の思考となる信者。教えを信じられるのは徳があるからと言われて選民意識を持つ信者。教えを信じられない人は徳のない可哀想な人と思う信者。上から目線だが霊感の言葉で勧誘のノルマを課せられて余裕のない信者。そうなりたくないと周囲は思うだろう。
【今日の苑歌】
家々の佛檀こそはみ佛の
在(ま)す方向(かた)ぞ知るも尊き
【教主注釈】
「家々の仏壇は親苑に通ずる電話のようなものですね」と言われた教徒があった。尤もなことである。
↑
檀家を大事にしろとカルト性を隠す。しかし、信者は伝統仏教を本当に救われる宗教ではないと貶めるようになる。
【今日の苑歌】
日日にすべてのことに対応し
菩提の糧となすは尊し
【教主注釈】
”なにみてもみ法示さぬものはなし 己が心に菩提ありなば”の苑歌と思いあわせ、日々に精進することが肝心である。
↑
日常の何事も霊の仕業と考えるようになり、教えを信じる、信じないの善悪の思考で人の不幸を観察し勧誘に結びつけようとする。信者が静かだからといって油断してはいけない。
【今日の苑歌】
まこととは目には見えねどみ佛の
世界に通じる救けとぞなる
【教主注釈】
まこと-とは、身・口・意のいつわりない清い真実の行いで、その行いの根底にあるものはみ仏に帰命しまつる心魂(たましい)である。
↑
教えの為だけに身、口、意を清く保とうとする信者とそれ以外のことに横柄な信者の態度の差は、尊い教えを信じる人とかけ離れている。
【今日の苑歌】
信心は観念(おもう)のみでは迷いなり
行い示し会得するもの
【教主注釈】
信心には、観念信心(拝むだけ)称名信心(題目や念仏などを唱えるだけ)実践信心(教えの如く歩む本当の信心)の三つがある。
↑
言われたことを実践しなければならない。それは霊能者の言葉を基に、教えに貢献する三つの取り組みである勧誘、献金、無償労働を喜んで行うことである。霊感商法である。
【今日の苑歌】
世の中の宝の外の宝なる
教えの宝得るぞ尊し
【教主注釈】
世の中の宝は名誉・地位・金銀財宝等であるが、それらは失うこともある。真実の宝は教えであり、身に具わった信心の徳は子々孫々までを豊かにうるおすであろう。
↑
世の宝が教えの宝(教えの名誉、地位、徳)に置きかえられる。だから世の中から教えの為になる人、金、労働力を教えに差し出さなければならない。
【今日の苑歌】
信心は耐えかぬことも耐えさせる
妙薬なりと知れよ世の人
【教主注釈】
あの時怒らずにこらえていてよかった-等ということはよくある。若し、思惟(いのり)なく、怒りのままに行動したら大変な結果になっていただろう、やはり、信心のおかげで救けられたのである。
↑
教えは先祖に選ばれた徳のある人間と信者に選民意識を持たせ、まだ足りないと信者に向上を急かす。指導者からの権威の言葉には我慢するが、教えを信じない人からの否定の言葉には切れるのである。
【今日の苑歌】
大海のひろき教えをほどこして
他のためになす喜びぞ佳し
【教主注釈】
大海の教え-涅槃経は、一切の煩悩及び諸の誘惑を斥けて、世間法的な束縛を脱し、仕あわせになるために説かれたものである。故にこの真実を他のために説くことは喜びである。
↑
全ての教えが大海に全ての川が行き着くようにこの教えに行き着くという。その裏で為されている霊感商法による勧誘は禁止行為である。
【今日の苑歌】
霊言は出離を示す啓示ゆえ
こころに心してぞ聞くべし
【教主注釈】
出離とは、分かりやすく言えば運命を好転に導くための啓示(おしらせ)である。故に真剣に霊言を聞いて、それと取り組むことが大切である。
↑
霊能者、霊言。霊感商法の手法である。洗脳された信者はそれに気付きにくいが、解散命令が言われる教団の手法が世で言われ続ければ手法が似ていると気づく人は増えるだろう。
【今日の苑歌】
我が為になす信心はそなわらず
他がために為しそなわると知れ
【教主注釈】
本能的なものをみたそうとする信心は本当の信心ではない。霊言にも「欲しい欲しいの餓鬼の心を超越して餓鬼を救うことができる」と示されている。自己中心を超越してお救けもできるのである。
↑
ご利益信仰はいけない。しかし教えへの欲は持ちなさい。その裏で霊感の言葉によって教えの善悪が擦り込まれ、教えを信じない人に攻撃的になるカルト要素が信者に備わっていくのである。
【今日の苑歌】
今日という日の吉凶を論ずより
今日の行い見かえるぞよし
【教主注釈】
み教えに一如していったなら日々が吉日でなくてはならない。日が悪いから災いにあうのではなく、自らの心・行いが至らないためである。
↑
その人の行いを良くも悪くも後から言える霊感の言葉とそれに基づく指導の言葉。おばちゃんでも言える教義となる。
【今日の苑歌】
執われを思い切ってぞ因縁の
重きを知ると知れ世の人
【教主注釈】
執着の存在を否定することによって涅槃は証せられる-と、涅槃経純陀品に教えられている。
↑
世の執着が教えのお力に置き換えられる。その過程で霊感商法が使われるが、それを放置しても批判しても良い方向には向かわないから厄介である。
【今日の苑歌】
大海の如きみ法にあいまつり
常楽我浄と知るも尊し
【教主注釈】
すべての河が大海に帰入するごとく、すべての教えは大涅槃経に帰す-と、このような尊い教えに結縁されたことは、本当に尊いことである。
↑
すべての教えが霊感商法などの悪徳商法に行き着くとすれば、解散請求を機に何が被害かを考え直そう。
【今日の苑歌】
人の世の哀れになくも自らの
あわれを知らぬ人の多きに
【教主注釈】
教えや、教えの師を自分の見解で批判していたら、法友はその悪(非律不証)を見ぬいて、みんな離れていってしまう
↑
カルトは教えを信じない人との関係を断って孤立させようとする。教えを信じられる徳の高い人と選民意識を信者に植え付けて。
【今日の苑歌】
世の中の憂きこと多きその中に
利他のまことに生きよ苑人
【教主注釈】
信心の道というものは、喜んで生きる。-と言うことである。喜べないことは自分自身に執われているからで、それを捨てれば本当の利他に生きられよう。
↑
教えのある生活で喜べないのは疑いがあるからである。それができるようになるのは霊感の手法で並べられた言葉に洗脳されてくるからである。
【今日の苑歌】
訶責とは強くなすとも慈(なさ)けこめ
悩む立場に立ちて行なえ
【教主注釈】
駆遣訶責とは-人間本位の信心から、み仏本位の信心に立てかえるために強く激励する言葉を言う。教える側に私情があってはならない。
↑
霊感による後付けの言葉だから教義が薄い。それを補うために教義は権威的になる。勧誘、無償労働、献金の取り組みによって教えの外の居場所が無くなり、教えの地位が居場所確保の手段となってしまう。
5ちゃんねるの会話はバトル形式で馴れ合いを禁じる。ググるシッタカ知障イヌヤマは、褒めてクレヨの哀願奴隷。相手を罵倒する悪口雑言の数々は外道イヌヤマへのリアル社会の絶対評価で、荒らしイヌヤマは問いに問いで返す脊髄反射の脳足りんで悟前(ごぜん)未悟(みご)、金魚ドジョウと救い難い。
病名:発達障害ASDの症状尊大のインチキキチガイ雀鬼イヌヤマが自供ス。『正直云って仏とは何かと問われても分かりません、公案が進んで無くよくわからないのです』 知障イヌ咬み談
ウソブクのよ透ってないのに、もう40回も初関を透る俺様!と言い放つドマヌケ!40回も透ったら初関を透る、じゃねーべ!
イヌ:悟りとか分からねーし、知らねーし、悟ってねーわ? ググるイヌヤマは常にシカトされ自己存在の確認要求哀願奴隷也
悪霊イヌが鳴く:なんで 宗教板って まともなの俺だけなんだ?みんな間違ってばっか俺だけが正しい。みんな間違ってるのに何で正しい事を言ってる俺は否定ばっかりされるんだ?みんな俺のことを 凄いなと認めろよ。 俺は自分より優れた奴が ゆるせないんだよ(脅迫性人格障害の特徴)
ナント妻子と月一、金曜夜7時からのお坐り会、茶菓(ちゃか)代ワンコインで、これが研究会出席虚勢のトマヌケ犬は誰からも疎まれる
独善イヌヤマは月一第三金曜日夜7時茶菓代ワンコイン坐禅会に出ると偽証。命取りの摂心に親子で100回参加と虚飾スル
新小岩の食業ドライバーイヌヤマとは法相宗(ほっそうしゅう)奈良興福寺(こうふくじ)前官長じっちゃんのお抱え運転手で食業ドライバーの門外漢だから、知ったかぶる以外に承認欲求を満たす事が無い。
多数者を演じ孤立してないと強弁し自作自演のおぞましい日々の無脊椎動物イヌヤマは成り済まし多重人格者で要治療
統失、薬中、精神病院2ヶ月入院、A型作業所:イヌヤマ軍曹麦屁魔女エロ和尚アカベイ偽和尚狗の大王野良は異名同一人物がAAキャラ変の極悪人
① 荒らしイヌ麦は無視放置スルーが一番ツライ、耐えられない。シッタカイヌヤマは常に誰かの反応レスを待ち焦がれる
② 放置された固定観念イヌヤマは煽りや自作自演でアナタのレスを誘う。ワケワカメ糞邪鬼イヌヤマにノセられてレスしたらその時点でアナタも同類、負け、完敗
③ ;反撃はイヌの滋養にして栄養であり最も悦ぶ事です。門前のヤセイヌにエサを投げ与えぬ事
④ ;臭い汚いコワイ気持ち悪いイヌヤマが枯死する迄、孤独に暴れさせゴミが溜まったら削除
【今日の苑歌】
権威をば振るってなせる教化には
形成りても実(じつ)は少なし
【教主注釈】
自分の地位や権力で入信させても、それは形だけであるから、その信心が喜びの実を結ぶまで手を引き教化する事が大切である。
↑
世の上下関係や血縁関係の縛り、無断入信も否定されていない。その後の洗脳が大事だと言われているようである。信者は反感を買う取り組みを実践しているが、問題が起これば「信者が勝手にやったこと」と言われるだろう。
【今日の苑歌】
御利益はまことの歩みの福利なり
歩まず乞うは邪と知れ
【教主注釈】
教えの如く歩んで行った時には、必ず運命が立て替えられて仕合わせになる。歩まずに御利益だけを望んでも得られるものではない。
↑
この教えどおりに歩めば霊感商法の手口で勧誘しなければならなくなる。それは人を貶めることなので、世間での居場所が無くなり、教えの世界で選民意識を植え付けられ、上から目線にさせられて無理な勧誘で軋轢を深める。
【今日の苑歌】
善友に近よることはよけれども
愚人の交際絶たばなおよし
【教主注釈】
涅槃経に、善友とは仏-と示されているが一面には一如の教徒ともいえよう。この意味に於いて、信仰を阻害するものは悪友である。
↑
教えに洗脳されれば教えを信じない周囲の人間は悪である。居場所を失い教団の思いどおりとなり、勧誘して関係が悪くなれば無断入信で教団内の地位を築こうとする。
【今日の苑歌】
今ぞいま尊き性(仏性)を磨かんは
今を機会と知るも尊し
【教主注釈】
機会は再び来ない「今」今のひとときを活かし機会とする。
↑
時は今。霊感の言葉で仏教と称する精進を促されるが、人を教えに貢がなければ自分が救われない。自分の為でもあるが、信者は人も自分も不幸にすることに気づけない。
【今日の苑歌】
お済度は父母を救ける心にて
説けよ苑人これぞ道なり
【教主注釈】
お救けに行った時、相手を尊重する心は、父母に対して、話をするようなこころで、話を取つがせて頂くことである。
↑
教祖夫婦がお力を与える絶対的な存在となり理想の父母となる。霊感の言葉を根拠に人を勧誘しなければならないのはとても不安定な立場を強いられる。
【今日の苑歌】
歓喜積みお救けこそは積み磨き
奉仕は磨く徳と知れ人
【教主注釈】
歓喜は積む徳、奉仕は磨く徳、お救けは積み、磨く徳であり、この三つの聖行に徹していって、初めて因縁消除の真理を理解できよう。
↑
お救け(勧誘)は積み磨くから二倍の精進と言われる。霊感の言葉でつけられた因縁を切る一番の精進と言われるが、霊感の言葉を頂く度に、お力無しでは生きられけないように因縁は深まっていくのである。
【今日の苑歌】
他のために言葉やわらげ教ゆるは
菩提(めばえ)育てのまことなりけり
【教主注釈】
聴法因縁の三段階と言うことが教えられている。初信者には、やさしい言葉、態度で接し、相手の菩提の芽を育ててあげよう。
↑
相手を油断させるため優しい言葉で近寄る。霊感の言葉を相手が信じるようになると従えようとする。それは信者が世間で得られなかったものを得られる境遇である。新興宗教に騙されているのは変わらないのであるが。
https://www.youtube.com/watch?v=LFt2w2_t2ew
【今日の苑歌】
道に外れあゆむが故に事故起し
後の後悔先には立たず
【教主注釈】
教えの如く行わない信心は、道に外れてあゆむと同じ事である。軌道をはずれれば事故もおこるであろう。
↑
教えに従って行っていないから悪いことが起こった。教えに従って行っていたから悪いことが起こってもこれくらいで済んだ。霊を持ち出した霊感商法の手口である。
【今日の苑歌】
怠らず精進(はげ)み祈らん千代かけて
歓喜世界の出現(いず)る時まで
【教主注釈】
信心の道に終わりはない。生涯かけての精進である。そして終生精進できることが喜びである。
↑
この教えの歓喜世界はお力に生かされる喜びの世界である。霊感商法による因縁の恐怖から逃れるための作られた救いに気づくことができなければ一生その喜びの世界に生かされるであろう。
【今日の苑歌】
大乗の道も炭火と同じなれ
三つ四つ五つ合わせてぞ燃ゆ
【教主注釈】
信心の心も炭火と同じように、一つだけだと消えやすい。志を同じくする者が、四人五人と集まると、信仰も心も燃え求めることの喜びもわいてくる。
↑
カルト宗教の構成員が増えないように、霊感商法などの手口を世に知らせ続けるべきである。解散請求される団体は稀だが、静かに続けられることが被害拡大になるのである。
【今日の苑歌】
常日頃まこと蓋して精進(はげ)みなば
それ、それ自体が真理(みち)に叶わん
【教主注釈】
怠るは死の道、励むは生への道である-という聖句があるが、高貴徳王菩薩品にも示されるように、楽(ねごう)て精進してゆくことが真理(みち)に叶ったことである。
↑
信者が教団の特別な集会に行ったとこちらが聞きたくない情報を流してきても、霊感商法の教えはもうこちらにとって地に落ちているのである。過去に信じないことで受けた精神的虐待に感情を揺さぶられることなく、聞き流すだけである。
【今日の苑歌】
言うがごと行うがごとく言(こと)示せ
茲(ここ)に一如の救いあるなり
【教主注釈】
不言実行という言葉があるが、此処では有言実行を説いている。
↑
具体的な目標を集会で言わせて行わせようとする。しかし、霊感商法の手法では勧誘がうまくできないから無断入信も容認されている。
【今日の苑歌】
身は低く常に人にと和合して
高く菩提を求めあゆまん
【教主注釈】
実るほど頭をたるる稲穂かな-。だが教えはどこまでも高く求めていこう、仏の御内証を目ざして。
↑
相手が教えを肯定するために下手に出るが、教えを否定すると徹底的に上から目線で抵抗する。それが真のカルト信者の姿である。
【今日の苑歌】
日日に踏まれて渡す橋のごと
菩提の橋となるぞ尊き
【教主注釈】
お導きにゆくと、世間からいろいろな悪口を言われる。それがふまれてもなお相手を仕合わせの岸へと渡す橋となることである。
↑
この教えをやると幸せになるからと霊感の言葉を信じて人を勧誘しようとする。もともと後からどうとでも言える教義が根拠だが、洗脳が進むと無理な勧誘をせざるを得ず、相手から蔑まれて世間での居場所を失ってしまうのである。
【今日の苑歌】
み佛にまかせまつりて常ぞつね
送る日日浄土なりけり
【教主注釈】
自分のはからいをはなれた時、日々が本当に安心して暮してゆけるようになる。
↑
霊を持ち出して自分の今を理由づけるこの教えに思考停止して従ってしまうと、思考、感情、行動、時間(無償労働)、金銭(献金)、人間関係(勧誘)がコントロールされる。三つの歩みはコントロールされる項目に当てはまっており、人に対して支配的、攻撃的になればカルト性を伴ってくる。
【今日の苑歌】
月日ごと慈悲をこうむる人まして
真如みひかり世にぞ知らるる
【教主注釈】
涅槃経を信心の基盤においている宗教団体は皆無といってもよい。護法の霊言に「科学が進歩して、やがて月の裏面まで判る時代に、この教えは(最後のみおしえ)は栄える…」と。
↑
他の宗教との違いを強調しても、霊感商法などの手法を使うことは共通している。同様な手法を使う教団が話題になれば、それに気づかれてしまう。
【今日の苑歌】
物心は一如のものと知りながら
こころ忘れる人もあるなり
【教主注釈】
物心一如とは、名実共に伴うもので、真諦め(まことのみち)である。物のみを追い求め、一如のこころ(み仏と共に生きる心)がないから、心忘れた-と言うのである。
↑
この教えに霊感で示されるお力を頂ける選ばれた人だと思わされる信者が、霊感商法などの世の悪徳商法に騙されていると気づけない。そして自分の信じる教えを否定されると心無いことをしてしまうのは教えが正しくない証拠である。
【今日の苑歌】
我をたてず相手の身にぞ先ずなりて
笑みを忘れず説けよ苑人
【教主注釈】
救いの真実を相手にわかって貰おうとするには、その人の心に自分の心を置きかえて、救いの道を共にあゆむ(あゆませる)事が肝要である。
↑
相手の様子を伺って霊感の言葉を信じさせようとするのであるが、どれも自分に向けられた言葉同様後からどうとでも言える言葉ばかりである。
【今日の苑歌】
他を救う力で我身救わんと
示す最後の教え尊し
【教主注釈】
他を救うその功徳によって、自からが救われることは、全く涅槃聖典に示される真理(まこと)である。
↑
他を救うとは人を勧誘することである。それが自分のねずみ講型宗教の実績となり、霊感が根拠のお力で救われると示されるのである。
【今日の苑歌】
了義にて不了義経に依らずとは
涅槃了義の真理(みち)と知るべし
【教主注釈】
如来の真実なる智慧を如実に顕露したのが了義経である。涅槃経は聖典中の聖典とも言うべきものであるから、本経を諒解(りょうかい)することを仏徒としての道としなくてはならない。
↑
信者の言う知恵は何も考えず教えのとおりに行動すれば好転するという知恵である。それを思考停止という。
【今日の苑歌】
書を持つも読まず極めず只きして
悟り得ようとするは畧分(りゃくぶん)
【教主注釈】
教書を持って安心している-、それもよいがやはり、他に教えを伝えるために、しっかり読んで自分のものとしていかなくてはならない。
↑
霊感で救われた物語が書かれた教書だが、あらゆるマインドコントロール技術が信者に向けられている。下手に批判すると感情を揺さぶられている信者の反応が激しいので、適度に距離を取ろう。
【今日の苑歌】
他が為になすは即ち世の為と
つくすまことが真の信心
【教主注釈】
大乗のためになしてゆくのが、この教えの本当の信心で、初信のうちは我が為に成しても、やがて他の為になしてゆく本当の大乗の境を得てゆくことが大切である。
↑
他が為に勧誘すると自分のポイントが上がるので我が為となる。霊感で示される因縁から救われるためにその恐怖と戦っていると、心無いことも平気でするようになる。それが最近言われる二世問題にも通じるのだろう。
【今日の苑歌】
み法うけさらさら流る水のごと
真理(みち)にたがわぬ人ぞ楽もし
【教主注釈】
してあげた-、助けてやった-、等という考え方、思い方は仏教徒として不純である。大乗の真如教徒たるべきはそうした不純な心は捨てるべきである。
↑
捨てるべきと言われる態度を取る信者が気づけないのは洗脳の影響か。教えに結ばれる徳を持ち合わせていると選民意識を植え付けられたからか。
ウソブクのよ透ってないのに、もう40回も初関を透る俺様!と言い放つドマヌケ!40回も透ったら初関を透る、じゃねーべ!!
なんで、みんなワイを無視すんねん!?大欲(たいよく)は無欲に似て足るを知る。煩悩即菩提の法相宗でええやろ・・・ほならなんでワイはこんなところにいるんねやろ
イヌ:悟りとか分からねーし、知らねーし、悟ってねーわ? ググるイヌヤマは常にシカトされ自己存在の確認要求哀願奴隷也
悪霊イヌが鳴く:なんで 宗教板って まともなの俺だけなんだ?みんな間違ってばっか俺だけが正しい。みんな間違ってるのに何で正しい事を言ってる俺は否定ばっかりされるんだ?みんな俺の事を 凄いなと認めろよ。 俺は自分より優れた奴が ゆるせないんだよ(脅迫性人格障害の特徴)
ナント妻子と月一、金曜夜7時からのお坐り会、茶菓(ちゃか)代ワンコインで、これが研究会出席虚勢のトマヌケ犬は誰からも疎まれる
独善イヌヤマは月一第三金曜日夜7時茶菓代ワンコイン坐禅会に出ると偽証。命取りの摂心に親子で100回参加と虚飾スル
新小岩の食業ドライバーイヌヤマとは法相宗(ほっそうしゅう)奈良興福寺(こうふくじ)前官長じっちゃんのお抱え運転手で食業ドライバーで、知ったかぶる以外に承認欲求が満足しない。
多数者を演じ孤立セズと強弁し自作自演のおぞましい日々の無脊椎動物イヌヤマは成り済まし多重人格者で要治療
インチキキチガイ雀鬼イヌヤマ麦、アルコホル発酵しイヌ麦焼酎なのに喜ばせ共有機能が絶えて無し。吠え吠み、オノレの尻尾をクルクル追うノミシラミ
5ちゃんねるの会話はバトル形式で馴れ合いを禁じる。イヌヤマは、褒めてクレヨの哀願奴隷。相手を罵倒する悪口雑言の数々は外道イヌヤマへのリアル社会の絶対評価で、問いに問いで返す脊髄反射の脳足りんで悟前(ごぜん)未悟(みご)、金魚ドジョウと救い難い。
① ググるシッタカ知障荒らしイヌヤマは無視放置スルーが一番ツライ、耐えられない。シッタカイヌヤマは常に誰かの反応レスを待ち焦がれ
② 放置された固定観念イヌヤマは煽りや自作自演でアナタのレスを誘う。ワケワカメ糞邪鬼イヌヤマにノセられてレスしたらその時点でアナタも同類、負け。完敗
③ ;反撃はイヌの滋養にして栄養であり最も悦ぶ事です。門前のヤセイヌにエサを投げ与えぬ事
④ ;臭い汚いコワイ気持ち悪いイヌヤマが枯死する迄、孤独に暴れさせゴミが溜まれば削除
【今日の苑歌】
浮世とはよろこび憂いの世としるも
み法に生きば其処が浄土ぞ
【教主注釈】
この世を苦のシャバという、しかし、正しいみ仏の教えにふれて、如来法を知ったとき、此処が、このままお浄土であることがわかる。
↑
教えの外の世界は苦しみの世界と思わせる。その教義に従って信者がどう行動するかによってカルト性を伴うかが判断される。
【今日の苑歌】
光なる光の外のみひかりは
最後の法の光なりけり
【教主注釈】
太陽の光こそ最たるものであるが、教えの光もその如く、仏最後の教えのひかりこそ、この世における最勝の救いのみ光である。
↑
仏教なのに霊が示されて因縁に脅される。仏教は霊感商法をカモフラージュする手段である。法要で目をつむらされて礼拝し、目を見開き、教祖一家の胸像や肖像画が目に入ると後光が差す。それは知覚のコントラストというマインドコントロールの一種である。
【今日の苑歌】
み佛の恵み思わば日に三度
合掌してぞ食(じき)に謝すべし
【教主注釈】
感謝はさとりをうるはじめ-と言う。考えてみれば、食事を頂けるということ自体が、本当に有難いことである。
↑
教祖一家がみ仏となり日々平穏に生きられる為にお力が霊界から流れてくる。それも霊感商法である。
【今日の苑歌】
世の中の憂きこと多きその中に
利他のまことに生きよ苑人
【教主注釈】
信心の道というものは、喜んで生きる。-と言うことである。喜べないことは自分自身に執われているからで、それを捨てれば本当の利他に生きられよう。
↑
この教えを喜んで信心できる様になるのは、霊感の言葉で因縁の恐怖が定着してきたということである。自分だけは騙されないという油断も騙されやすいと言われる。
【今日の苑歌】
物事は思うが如くならねども
行い重ねて成ると知るべし
【教主注釈】
ままならないのが、人の世である。何事も誠実をつくして成しとげてゆく、そこに目的成就の栄冠はある。
↑
この教えの為の行いを実践すれば、カネ、ヒマ、社会的信用が搾取される。霊感の言葉で、お力を求めなければ地獄に落ちると思わされるのである。
修行者、求道者、修行僧は、やはり さとりを求めて行きます。さとれば、さとりが無く、無我とは、真理(さとり)です、が 理解できるものでありませんく、まさに 体得します。
その状態を 石、とも 言います。突然 ストーン と、自他が無くなります。
これを 一と一は、二では無い。一の如し、一如である、言い表します。この一如に取り組む公案が有ります。
両手で打てば音が鳴る。では、片手の人が叩く拍手の音を聞いてこい、と言うもので、これに取り組みました。
ぜひ、とも取り組んでいただきたいものです。
音を聞くのだが、片手では拍手ができないから、音が鳴らないので聞こえない。
その聞こえない音を聞け、と 公案は いう。
聞こえない音が聞こえる。 そこが 色即是空。 初関(しょかん)を透(とお)る。
色とは片手の人が叩く拍手です。片手の人が叩く音を聞いた、そこが、色即是空です。真理(さとり) です。
趙州従しん(ぢょうしゅう・じゅうしん)の無字の公案では長年かかってもなお悟れず死んでいく者も多かった事から、修行僧に対して白隠禅師が新たに隻手の音声(せきしゅ の おんじょう)の公案を与え、沢山の修行者に悟らせようと苦心した公案です。
白隠慧鶴禅師(はくいん えかく ぜんじ) 隻手の音声(せきしゅのおんじょう)
両掌(りょうしょう)打って音声あり、隻手になんの声やある。隻手の声を拈提(ねんてい)せよ。
>> 理屈っぽいけど、自他一如なら、あなたが叩こうがわたしが叩こうが同じ、わたしが叩きます、パンパンで終了。あとは自他一如、自分から心で隻手の人と一つになる。すると、相手の手を叩く音がきこえる。自他一如や自己の愛情、慈悲心を育てる公案だったとか 』
ありがとうございます。
これは理解したり、解釈を咥えたりするものでじゃないので、お怒りを受けるともいますが、字句の解釈に拘泥するものではありません。
先にも言いましたが、自他一如を体得する事です。
あなたと私で、ぱんぱん。
トンチ、になりましたね。
片手の人が、です。
置き換えて、これでどうだ、と言うわけにはまいりません。
聞こえるはずのない、片手の人が叩く拍手の音を聞く、のです。
【今日の苑歌】
道の辺に踏みにじらるる野草にも
耐えて伸びゆく性ぞあるなれ
【教主注釈】
”この泥があればこそ咲け蓮の花”大乗利他の行いには非難やざん謗がつきものである。何故ならば、それが正法であるから-恐れずにすすもう。
↑
霊感の言葉に従って信仰するのは自由だが、人の信じない自由を奪うようなカルト性を伴った行動をするから批判されるのである。その区別もつかなくさせるのがカルトマインドコントロールである。
【今日の苑歌】
何みてもみ法示さぬものはなし
おのが心に菩提ありなば
【教主注釈】
接心によって磨かれた心には、未だ見ざるものを見、聞かざるものを聞くことができる。それは自分自身に菩提(しんじん)の種をもっているからである。
↑
霊感の言葉で示される接心という修行はコールド・リーディングという手法であるが、霊感商法の手法でもある。それに気づいても指摘してはいけない。信者はそれら手法に追い詰められているからキレやすいのである。
【今日の苑歌】
み教えにやさしき言葉欲しなば
我身かわいい二乗とぞ知れ
【教主注釈】
初信者であればやさしい言葉も必要だ-、入信して相当な年月を経ていても菩提(求める)心が成長せず、いつも初信者の如き心であってはならない-と言うことである。
↑
霊感の言葉に自分の境遇をなぞらえる様になると、お力を求めなければいられなくなる。それは霊が示す因縁の恐怖が心に根付いたということである。
修行者、求道者、修行僧は、やはり さとりを求めて行きます。さとれば、さとりが無く、無我とは、真理(さとり)です、が 理解できるものでありませんく、まさに 体得します。
その状態を 石、とも 言います。突然 ストーン と、自他が無くなります。
これを 一と一は、二では無い。一の如し、一如である、言い表します。この一如に取り組む公案が有ります。
両手で打てば音が鳴る。では、片手の人が叩く拍手の音を聞いてこい、と言うもので、これに取り組みました。
ぜひ、とも取り組んでいただきたいものです。
音を聞くのだが、片手では拍手ができないから、音が鳴らないので聞こえない。
その聞こえない音を聞け、と 公案は いう。
聞こえない音が聞こえる。 そこが 色即是空。 初関(しょかん)を透(とお)る。
色とは片手の人が叩く拍手です。片手の人が叩く音を聞いた、そこが、色即是空です。真理(さとり) です。
趙州従しん(ぢょうしゅう・じゅうしん)の無字の公案では長年かかってもなお悟れず死んでいく者も多かった事から、修行僧に対して白隠禅師が新たに隻手の音声(せきしゅ の おんじょう)の公案を与え、沢山の修行者に悟らせようと苦心した公案です。
白隠慧鶴禅師(はくいん えかく ぜんじ) 隻手の音声(せきしゅのおんじょう)
両掌(りょうしょう)打って音声あり、隻手になんの声やある。隻手の声を拈提(ねんてい)せよ。
>> 理屈っぽいけど、自他一如なら、あなたが叩こうがわたしが叩こうが同じ、わたしが叩きます、パンパンで終了。あとは自他一如、自分から心で隻手の人と一つになる。すると、相手の手を叩く音がきこえる。自他一如や自己の愛情、慈悲心を育てる公案だったとか 』
ありがとうございます。
これは理解したり、解釈を咥えたりするものでじゃないので、お怒りを受けるともいますが、字句の解釈に拘泥するものではありません。
先にも言いましたが、自他一如を体得する事です。
あなたと私で、ぱんぱん。
トンチ、になりましたね。
片手の人が、です。
置き換えて、これでどうだ、と言うわけにはまいりません。
聞こえるはずのない、片手の人が叩く拍手の音を聞く、のです。
【今日の苑歌】
外教より涅槃了義のみ教えに
導く人を教師とぞいう
【教主注釈】
あらゆる外教も涅槃海に帰一する。又此の意味に於いても、諸教を摂受して始めて大海のみ教え-とも言えよう。
↑
この教えが最高。大海の教え。この教えで良かった。霊感で示された言葉によって救われた物語がお力の証拠(プルーフ)となっていく。冷静に見ると明らかな霊感商法であるが。
【今日の苑歌】
今日蒔きて明日の稔りはなきと知れ
学び修めるわざもそのごと
【教主注釈】
今日蒔いて、明日の稔りはない。少しばかり教えにふれて、全部わかった-と思うことは大変な間違いである。
↑
あなたはまだまだ教えを分かっていない。そんな自己否定に陥らせて教えの為の自己犠牲を促す効果もある。根拠は霊感の言葉であり、後からどうとでも言えるのである。
【今日の苑歌】
他がために尽せしことは忘るとも
受けし御恩は忘るべからず
【教主注釈】
人のためにしたことは、いつまでもよく覚えていて、自分にして頂いた御恩は忘れてしまう、そんな事では仏教徒とはいわれない。
↑
「こんなにお力を頂いて」と感謝、報謝が常に言われる。仏教を隠れ蓑に霊感商法の手法で救いに対する勧誘、献金、無償労働が要求されるのである。
【今日の苑歌】
訶責とは宝の山を指し示す
指と知るべし世々の人々
【教主注釈】
訶責してくださる人は、めったにいないものである。それなのに訶責されると、その人が嫌になる。それはいつまで経っても真実の宝を得ることは出来ない。
↑
霊感で成り立つ上下関係には霊的ハラスメントが伴う。それを訶責として味をしめてしまうとカルト性を伴った関係にもなり得る。
禅とは ジャーナを音写して禅那と中国人が漢字であらわしたものであり、ジャーナとは、静かにする、静かに坐る、と言う意味である。拡大解釈しては、原意が蒸発してしまう。
浄土宗、浄土真宗は、波阿弥陀仏、と阿弥陀佛(無量寿Buddha、無量光佛陀)陀に帰依する。
法華宗は南無 妙法 蓮華経、と正しい教え、白い蓮の花の教え、教典、お経の本に帰依する。
騒動衆はお坐り、お手を教え込む。
南無阿弥陀仏と言うのか、南無妙法蓮華経と言うのか、何とも云わず、坐っているのか、この三つは 易行(いぎょう)である。難しい事を求めず、これをやればいいんだよ、と安心させる。
追い込まれた人に取っては、ひとすじの光明である。
> 心身一如にならないと、坐禅が坐禅にならないんです。 』
脳内の神経細胞の結束が、心と呼ばれる。
0,5ミリの線虫にも味の好みがある、と言う。脳が無いのが線虫である。
神経の経験が好みを選ぶのである。 だから、心身ではなく、身心と言いう。
>> 私をバカにしたければすればよろしい。その代わり、地獄行きである。 』
地獄極楽。 極楽地獄。 一対のものだよね。 なので、地獄は極楽が無いと成立しない。
では極楽は、地獄がなければ、存在しえないのだろうか。そんな事は無く、極楽は、極楽そのもので、完結している。地獄は無用なのである。
地獄の住人は、どうやって救われてて行くのだろうか。地獄が極楽だったんだ、と自覚する、みずから めざめる、こう知れば、そのところが極楽とも言わず、地獄とも言わず、公平無比の横一列の地平線、水平線であり、日が昇り日が沈み、月が昇り、月が沈む、自他が無い。 これが 大切だよね。
> 南無阿弥陀仏 』
南無阿弥陀佛陀
帰依します
アンミータ
のっと、めーたー
量る事が出来ない
アミターユ
無量光
アミターバ
無量寿
佛
Buddha
佛陀
目覚めた者
本願を立て 救い取るぞと決意されている無量寿Buddha、無量光Buddha、に対し帰依します。
【今日の苑歌】
布施なすも報い求めぬまことこそ
悪因断ちの道と知るべし
【教主注釈】
これだけ歓喜したから御利益があっても当然だ…と思ったら、それは徳が徳にならない。結果を求めない布施、そのまごころが霊界に通じ、悪因縁もたち切れていくのである。
↑
教えに対しては「してやった」の心を求めない。しかし、教えの階層の中で下の人や教えを信じない人には「してやった」の心で接し、信じない自由を許そうとしない。その勝手な妄想がカルト性を伴った活動となる。
【今日の苑歌】
苑(この)道は佛の始めし道なれば
百千代かけて変わらざる道
【教主注釈】
真如苑の教えは釈尊が創始された道であり、この道をあゆめば、何人も幸福な世界にゆけるのである。何故ならば、それは真理であるから。
↑
仏教を隠れ蓑に霊感商法が行われている。それが事実である。
【今日の苑歌】
執着の存在捨てて暮らす時
ものみな尊し楽我なりけり
【教主注釈】
執着は貪りである。貪りを鎮めたら瞋りも痴も鎮まって、本当の楽しみを得ることが出来る。
↑
世の執着を教団へ貢ぐために捨てさせようとする。解散命令請求をされる団体も使う霊感商法を使って。
【今日の苑歌】
最後なる教えにふれて謝すなれば
摩尼の宝珠を掘り当つと知れ
【教主注釈】
「水の濁りの中に宝珠を置けば水即ち清浄となる」と涅槃経に示されている。この深意をしるとき、まことに有難いことがわかる。
↑
霊感商法の使われる教えの為に、霊感の後から取ってつけた言葉を根拠に人に教えをを信じさせようとする。拒否されても行うならば、信教の自由の侵害である。
地獄極楽。
極楽地獄。
一対のものだよね。
なので、地獄は極楽が無いと成立しない。
では極楽は、地獄がなければ、存在しえないのだろうか。そんな事は無く、極楽は、極楽そのもので、完結している。地獄は無用なのである。
地獄の住人は、どうやって救われてて行くのだろうか。
地獄が極楽だったんだ、と自覚する、みずから めざめる、こう知れば、そのところが極楽とも言わず、地獄とも言わず、公平無比の横一列の地平線、水平線であり、日が昇り日が沈み、月が昇り、月が沈む、自他が無い。 これが 大切だよね。
【今日の苑歌】
常に世は移り変れどみ佛の
み法は永遠に変らざるなり
【教主注釈】
”春は花咲き秋には紅葉、常に天地は変らざる経をよむ”と、人の世は移り変わってもみ仏の慈悲にはみじんの変りはない。
↑
仏教を装い、霊感商法他あらゆる洗脳の手法を使う教え。被害者が声を挙げなければ同じようなことが続くであろう。
問う答えるて対話してきた各章のつらなり、1000章が、次のステップか。
佛とは、真理、ダルマ、法、であって人格的存在ではない。
問う、
「両手で打てば音が鳴る、片手の人が叩く拍手の音を聞いてこい 」
白隠慧鶴禅師(はくいん えかく ぜんじ) 隻手の音声(せきしゅのおんじょう)
両掌(りょうしょう)打って音声あり、隻手になんの声やある。隻手の声を拈提(ねんてい)せよ
諸行無常、諸法無我、一切皆空、である。
禅定(ぜんじょう、梵: dhy?na, ディヤーナ、巴: jh?na, ジャーナ、禅那:ぜんな)。静慮
禅とは ジャーナを音写して禅那と中国人が漢字であらわしたものであり、ジャーナとは、静かにする、静かに坐る、と言う意味である。拡大解釈しては、原意が蒸発してしまう。
こころ コロコロ、色即是空は空即是色へ還(かえ)る。
さとりとは、真理、法、ダルマである。
達磨さんはインドから中国にやって来たのか、来なかったのか。
ビッグバーンは一期一会である。
すずめはチュンチュンこんにちは、である。道端のタンポポのさよなら、である。
出会えば別れるのである。
問う
「この座敷から坐のままで30メートル先のロウソクの炎を吹き消せ」
中道是空(ちゅうどうは これ くうなり)
空是中道(くうとは、これ ちゅうどうなり)
空とは、分別しないである。
空とは、一の如しである。
色即是空は空即是色へ還(かえ)る
【今日の苑歌】
我がうちに一如の喜び見出しなば
日日の仕事も聖なりと知る
【教主注釈】
一如と言うことは、み仏の大慈しみの中に生かされることであり、それを知れば日々の業務もみ仏本位に生きる聖業なり-と、覚ることが出来る。
↑
お力に生かされるのは霊感の言葉が根拠であるが、ここでも仏教を隠れ蓑にお力に生かされる喜びを強調する。何かあると思わされる前に霊感商法の手法と気づくのが大事である。
【今日の苑歌】
教法を学ぶにいとまなしという
人こそ暇に学ばざるなり
【教主注釈】
とても忙しくて学べない-と言う人があるが、日常のその忙しい中から神仏に捧げまつる、まことを発見しようと努力することが大切である。
↑
この教えの霊感商法の手口で感情を揺さぶられると思考停止して学べなくなるのである。特に、信じない自由を侵害することに無神経になるところが腹立たしい。
【今日の苑歌】
無我という道も正しきことなれど
無我超え悟る妙有尊し
【教主注釈】
無我だけでは悪因縁は消除できない。大般涅槃のみ教えに言われるよう教えの如く行って、こうした無我を超えるところから、現象に生かされる妙有の喜びを得ることが出来る。
↑
世の中の苦と霊感の言葉に結び付けられたお力に生かされていると思えば喜びになる。その裏にはお力を頂けない恐怖があり、教えを信じない人を見下すことで目を逸らすことができる。
しかし、他宗教も同じような手口を使うと気づかれてしまうと、もう騙すことはできないし、距離を取られて手口を明かされるだけである。
【今日の苑歌】
布施なして喜びなきも布施なるが
喜びあらば波羅蜜としれ
【教主注釈】
歓喜は一つの布施であるが、若しそこに行わせて頂いた喜びが感じられるならば、それは行うことによって、一つの彼岸(さとり)に達したことになる。
↑
歓喜は献金であるが、それが霊を持ち出した霊感商法による行いであれば禁じられている。金額の大小ではない。
【今日の苑歌】
執わるる心にはからいありと知れ
執われ捨てばはからいぞなし
【教主注釈】
執われを持っているから真如の正法を聞いても、はからい心が起こる。人間本位の情的なつながり、これを断つ時、はからいはあべこべに感謝と変ってくる。
↑
疑いは世間で共通の騙しの手法に向けた方が良い。霊感の後付けの言葉に気付かされたような気にさせられて感謝が湧いてくるともう引き返せないかも知れない。
【今日の苑歌】
歓楽は悪華と知れよ世々の人
心も身をも亡すと知れ
【教主注釈】
歓楽は肉体だけのよろこび、目先だけの楽しみで飽くことを知らない。歓楽は悪魔の投げた餌食と思わねばならない。
↑
教祖一家のしてきたことを信者には禁ずるのは、他教団と共通であろうか。
【今日の苑歌】
世の中の苦とよろこびの間より
求め得るのがまこと菩提ぞ
【教主注釈】
よろこびに浮かされ、苦しみに執われていたのでは、本当の因縁消除の道を見出すことはできない。苦の中から、喜びの中から中道の真理を見出すのが、本当の信心である。
↑
苦と喜びが教えのお陰でこれくらいで済んだと霊感の言葉で言われる。誰でも霊能者になれるとは、誰でも霊感の後付けの言葉を発することができるということである。
【今日の苑歌】
我れと共に常にましますみ佛を
忘れずはげめ世々の人々
【教主注釈】
無形のみほとけを有形に信ずるところに、本当の信心があるのではないだろうか、此れは無相接心に生きる苑人の在り方である。
↑
教祖一家が法要の中でみ仏として祈られている。霊感の言葉で示された霊言を聞くことが有相接心であるが、日常で教えに都合よく当てはめるのが無相接心であり献金、無償労働、勧誘に取り組まされる。まさに霊感商法の手法である。
【今日の苑歌】
他が為と修むる教え身につけど
我が為なれば詰まるとぞ知れ
【教主注釈】
他に語り伝えるために教えを聴聞していった時には、よく身につくものである。
↑
自分が救われるだけでなく人を救わなければ自分は救われない。人を勧誘しなければ救われないねずみ講の教えである。
【今日の苑歌】
他が為に我が身ささぐる行いは
人の身ながら菩薩なりけり
【教主注釈】
此処でも教法を中心にして、他のために我が身を捧げる行いを示している。人間情を中心にして身を捧げることを云うのではない。菩薩に殉教の死はあるが、情死はない。
↑
信者が身を捧げるのは人の為ではない。自分を守ってくれる教えの為である。むしろ教えを信じない人へは攻撃的になり、見下すのである。
【今日の苑歌】
よきことも悪しきことをも目にみせて
身の行いにあるを示さむ
【教主注釈】
良い結果、悪しき結果の日々の出来事はすべて自からの行いの果が示されたものと思惟してみるがよい。まことに悪因悪果、善因善果である。
↑
良いこと悪いことがすべて教えの影響に左右されるという思考。それはもう霊能という霊感商法に乗せられている状態である。
【今日の苑歌】
一念をこめて誦(とな)うる御霊呪は
子々孫々(すえずえ)までの清めとぞ知れ
【教主注釈】
大乗の行いを伴わせてこそ平生普段の祈りも深められ、御霊咒の効験や威大神力も増大されるのである。
↑
御霊咒が四文字に短縮され、信じない人を信じさせるための呪いの呪文として送信されているようである。
それは信教の自由の侵害の第一歩であるが、SNSなどでその異様さが情報共有される。
【今日の苑歌】
最後なるみ教えこそは幾年も
探し求めし慈母と思わん
【教主注釈】
涅槃のみ教えにふれた時、これこそ探し求めていた、わが母である-という確信をつかむことが出来る。それは修してしる喜びである。
↑
最後のみ教えは最高の教えと思わせるが、そこには洗脳の手法が散りばめられている。疑う心は喜びを強要されることで打ち消されようとするだろう。
【今日の苑歌】
他力より入りて自力と知れぞかし
これぞ一如のまことなりけり
【教主注釈】
一切お委せは一切お救け -とは、初信のあり方。
↑
思考停止と勧誘。その洗脳が信教の自由を侵害するようなカルト性を伴う人との接し方となると、カルト宗教被害として情報が拡散されるのである。
【今日の苑歌】
感謝なき信心こそは消ゆる灯と
思わばそそげ徳の油を
【教主注釈】
信仰に喜びや感謝が持てなくなった時、それは徳のなくなった証拠であるから、真実の行いを貫いて徳の油をそそいでゆこう。
↑
こんなに救われていますよ。感謝の強要は霊感商法の一環と分かれば覚めてしまうだろう。
【今日の苑歌】
我がことは後になすとも他が為に
なすはみ法の真理(みち)としるべし
【教主注釈】
大般涅槃経・高貴徳王菩薩品に”他の為にし、のち自らの為になせ”と示されている。他の為にすることが、真如教えの本旨であることを知らなければならない。
↑
他の為を持ち出すと教えの為が優先される。勧誘も他の為、献金、無償労働も他の為であるが、そこに信じない自由も奪おうとする人権侵害が伴うとカルト性を伴ってくるのである。
【今日の苑歌】
他事(ひとごと)を即我が事と知るなれば
菩提の向上常にありなん
【教主注釈】
霊言に-”尻切れトンボが遠くとべないように、他に幸いのあゆみを与える事も尻切れになってしまったら、悪因縁に勝ち抜くことはできないのですよ…”とあり、菩提の向上を接心は教示している。
↑
教えを信じない他の人に不幸な思いをさせて「教えを信じないから悪い」と思う取り組みならば、霊感商法を使って人に不幸な思いをさせては恨みを買う悪因縁から抜け出せないであろう。
【今日の苑歌】
我がうちに佛の性を見出しなば
我また尊く更にはげまん
【教主注釈】
人はみな、尊い宝を持ちながら”自から貧し”と思っている。大般涅槃のみ教え故、本当に尊い-と言っても”私などは駄目”と迷ったらどうであろうか-、灯明を持ち乍(なが)ら自らが目を閉じているのと同じである。
↑
後から取って付けられた霊感の言葉に一喜一憂させられ、感情を揺さぶられ、選ばれた人と思い込まされる。
そこから信じない人に教えを強要するカルト性を伴う行為を行えば、カルト宗教の加担者と思われるだろう。
【今日の苑歌】
霊言に示さることば真理(みち)なれど
人間本位に聞かば間違う
【教主注釈】
空-ということは、自からを空しうすることで、南無の境涯である。御霊言は道を示すものであるが、之を人間本能的に、都合のよいように聞いてゆくと、道をまちがえてしまうものである。
↑
人間の頭で考えることが罪とまで言われる。信者を思考停止させ霊感の言葉で教えのために何をさせるのか。信者がカルト性を伴う行動をするのならカルトと思われる。「信者が勝手にやったこと」と言っても。
教師の握り拳(きょうし の にぎりこぶし)
肝心かなめの大事なこと、大切なこと、は、固く握りしめた手のひらの中に握りしめて決して他sに公開する事が無い。
とは、よく言われることである。
真理(さとり)は言語によっては、容易に伝わらない。
生まれてり来の知識の蓄積が、
いろめがねを作り上げてしまっているから、本来の有りようが知識と言うスクリーン越しにしか見えない、からだ。
差別しない、分別しない、これとそれとあれを分けない、である。
生者必滅(しょうじゃひつめつ)会者定離(えしゃじょうり)
こんにちは、さようなら。
生死(しょうじ)。
問う答えるて対話してきた
佛とは、真理、ダルマ、法、であって人格的存在ではない。
佛 真理(さとり) を 問う、
「両手で打てば音が鳴る、片手の人が叩く拍手の音を聞いてこい 」
諸行無常、諸法無我、一切皆空、涅槃寂静である。
禅とは
禅定(ぜんじょう、梵: dhy?na, ディヤーナ、巴: jh?na, ジャーナ、禅那:ぜんな)。静慮
こころコロコロ、色即是空は空即是色へ還(かえ)る。
さとりとは、真理、法、ダルマである。
達磨さんはインドから中国にやって来たのか、来なかったのか。
ビッグバーン以来の一期一会である。
すずめはチュンチュンこんにちは、である。
道端のタンポポのさよなら、である。
出会えば別れるのである。
問う
「この座敷から坐のままで30メートル先のロウソクの炎を吹き消せ」
中道是空(ちゅうどうは これ くうなり)
空是中道(くうとは、これ ちゅうどうなり)
空とは、分別しないである。
空とは、一の如しである。
色即是空は空即是色へ還(かえ)る。である。
【今日の苑歌】
み教えにふれて心を飾れども
説かぬは法のさびと知るべし
【教主注釈】
真如み教えにふれて、接心も頂き、わが心に深い真理というものが納得でき、教えの素晴らしさ、そして、その教えに結ばれた喜びもわかるが、若し他にそれを説かなかったら、やがて教えのサビとなって我が身を蝕まれてしまう。
↑
霊感の言葉による接心と信者による指導で勧誘に勤しむ方法にカルト性を伴えばカルト宗教と見られる。それに気づけない信者だとしても、教団の為になっていれば容認されるだろう。
【今日の苑歌】
罰ありと教ゆる道も道なれど
真の真理(みち)とは因果応報
【教主注釈】
涅槃経に説くところの非真邪偽の法では罰をとくが、本当の教えは因果応報の理を説いて、その人の運命を改革するように導くものでなくてはならない。
↑
因果応報が霊感商法の手法で説かれているが、いくらでも個人の境遇にこじつけることはできる。そしてカルト性を伴うかは信者個人の行うことによる。
【今日の苑歌】
智をわけて福徳荘厳あわせては
智慧荘厳と知るも尊し
【教主注釈】
涅槃経に説かるる二荘厳-即ち福徳荘厳は、歓喜の布施により智慧荘厳は、実践により身につくものといえる。
↑
喜んで献金し、勧誘、無償労働を実践するように説かれる。教義が正しくても、実際の指導や信者の行動が人の人権を侵害すると取られるとカルト宗教と思われる。
【今日の苑歌】
今蒔きて今日に収穫あらねども
努力重ねて稔り待つべし
【教主注釈】
まずこの歌に示す真理が本当なものであるが、今蒔いて今日に収穫を得ている人も多々ある。そこが此の教えの不思議でもある。導き手(経親や導き親)の信用によって霊界から特に救いを下さったものもあるが、初信者の場合は、これが真物(ほんもの)と思ってはならない。
↑
初心の頃はお力をすぐに頂けるが、慣れてくるとお力は実践しないと長くは続かないと言われる。それはマルチ商法の粗悪品と明かされてもそれまで続けた行動によって世間での居場所がなくなり、続けざるを得ない状況にさせられて辞められなくなる頃言われるのである。
【今日の苑歌】
常住の佛の教え世の末の
末の末まで楽土示さん
【教主注釈】
真如み教えは、久遠常住釈迦牟尼如来真伝の深法である。故に、今流行してのちに消える教えではない。子々孫々に伝え、末代かけて教えは弘まり、この世に楽土を顕現してゆくであろう。
↑
世の悪徳商法を取り入れた手法を使うが、行き過ぎた行為を行わず個人をターゲットにした手法を続けている。
被害を言葉にしなければ同じことが繰り返されるだろう。
【今日の苑歌】
徳という徳は特にと積めぞかし
積もりつもりて功徳とぞなる
【教主注釈】
徳をつくることは大切なことであるが、一度にしようと思っても中々出来るものではない。常に心がけて信仰の徳をつむことが大切である。
↑
徳を積むにはカネ、ヒマ、社会的信用を犠牲にしなければならない。しかし、徳は霊感商法や霊視商法で示される先祖の因縁から守られるためのお力を得るために積まなければならない。指導者の言葉で増えも減りもする教えにとって都合の良いポイントである。
【今日の苑歌】
世の中に道をば示す真理(みち)あれど
最後のみのり最上と知れ
【教主注釈】
名字功徳品には-八大河悉く大海に帰すように、この経は一切の煩悩結(因縁のかたまり)や諸の魔も降して摂受する-と、その真意が説かれている。
世尊五十年の説法の最後は即ち大般涅槃経である。
↑
最高の教えに酔うからか、教えの上下関係を再び求めるためか。忘れた頃にまた教えに騙されないか声がかかる。
一度気づいた人は霊感・霊視商法に持ち上げられ、貶められる教えのカルト性を見逃さない。
【今日の苑歌】
苑人の佛に仕えまつらんは
まことこめての救いにぞある
【教主注釈】
苑人が仏に仕えまつるということは、涅槃像に仕えるのではなく三宝一体の僧伽(そうぎゃ)に生きる”まこと”即ち一如のまごころを以て大衆に奉仕することである。
↑
人の為に教えを繋ぐ。それは霊感商法に気づかず宗教を人に強要してしまうことである。相手はカルト性を感じてSNSに書かれた共通の手口に気づく。
教師の握り拳(きょうし の にぎりこぶし)
肝心かなめの大事なこと、大切なこと、は、固く握りしめた手のひらの中に握りしめて決して他sに公開する事が無い。とは、よく言われることである。
真理(さとり)は言語によっては、容易に伝わらない。
生まれて以来の知識の蓄積が、それぞれがいろめがねを作り上げてしまっているから、本来の有りようが知識と言うスクリーン越しにしか見えない、からだ。
差別しない、分別しない、これとそれを分けない、である。
生者必滅(しょうじゃひつめつ)会者定離(えしゃじょうり) あえば、かならずのわかれである。
尊公、近頃、如何。(そんこう ちかごろ いかん)
こんにちは、さようなら。
禅は生死(しょうじ)を問う。
問う答えるて問答(もんどう)し師弟は対話し真理(さとり)を伝えてきた
佛とは、真理、ダルマ、法、であって人格的存在ではない。
公案は佛 真理(さとり) を 問う、
「両手で打てば音が鳴る、片手の人が叩く拍手の音を聞いてこい 」
諸行無常、諸法無我、一切皆空、涅槃寂静である。
禅とは、静かにする。
梵: dhy?na, ディヤーナ、巴: jh?na, ジャーナ、禅那:ぜんな)。 禅定(ぜんじょう、静慮(じょうりょ)
こころコロコロ、常が無い。無常である。
さとりとは、真理、法、ダルマである。
達磨さんはインドから中国にやって来たのか、来なかったのか。
ビッグバーン以来の一期一会である。
すずめはチュンチュンこんにちは、である。
道端のタンポポのさよなら、である。
出会えば別れるのである。
問う。「この座敷から坐のままで庭の30メートル先の築山(つきやま)に立つ石灯籠のロウソクの炎(ほのお)を吹き消せ」
中道是空(ちゅうどうぜくう。 ちゅうどうは これ くうなり)
空是中道(くうぜちゅうどう。 くうとは、これ ちゅうどうなり)
空とは、分別(ふんべつ)しないである。
空とは、一如(いちにょ) 一の如し(いちのごとし)である。
色即是空(しきそくぜくう)は空即是色(くうそくぜしき)へと還(かえ)る。である。
【今日の苑歌】
貴賤をも貧富もわけずまことをば
尽くし伝うが佛子なりけり
【教主注釈】
世の人々は富貴の者をみれば競って媚び、へつらい、奉仕する。「貧しき者をみてはこれを捨て遠退く」という聖語があるが、この真意を知って、真如教徒は物によって差別することなく教徒の本分をつくすべきである。
↑
教えの中の地位で権威を示そうとするが、霊感商法であるが故に距離を取られても定期的に教えを信じさせる働きかけをする。その度にSNSで迷惑行為を言われてしまうのであるが。
【今日の苑歌】
善法に従わなきは心にぞ
邪楽しむ心宿るらむ
【教主注釈】
涅槃の教えは有難い-とわかっていながらついてゆかれないことは、心の中になお仏より大切な欲楽というものを執持しているからである。
↑
教えの為にならない欲楽を抑えさせて教えの為に尽くさせようとする。教義が素晴らしくても、実際に信者にさせていることがカルト性を伴っていればカルトである。
【今日の苑歌】
み佛のみめぐみこそは世の果の
はてのはてまであまねかりけり
【教主注釈】
み仏の慈悲は摂取不捨である。このあまねき常仏の慈悲に結ぶことがお導きであり、この行いこそ尊い慈悲行である。
↑
み仏の慈悲は霊感商法による因縁の恐怖から救われる力として依存させられているから感じるのである。
【今日の苑歌】
教団の大いなるより一人をも
多く救わることぞうれしき
【教主注釈】
これは真導院様の入院中のお言葉で、今は教徒に残された尊い遺言となった。
↑
真実一人を救うと言われるが、信者が勧誘する際に霊因縁の恐怖を思わせる言葉が使われる。言葉を和らげてカルト性に気づかせないように霊感商法が使われる。
【今日の苑歌】
人の世の哀れになくも自からの
あわれを知らぬ人の多きに
【教主注釈】
自惚れを去り、自らの非というものを覚って、人さまから「あわれな人よ…」と笑われることのない人間になっていくことである。
↑
最高の教えに結ばれた自惚れを植え付けられ、新興宗教を信じさせられている劣等感を感じさせられても、霊感商法の手口で因縁の恐怖を植え付けられている。霊感商法の手口と知られていてもその手口で勧誘しなければならないので、哀れと見られて当然である。
【今日の苑歌】
家々の佛檀こそはみ佛の
在(ま)す方向(かた)ぞ知るも尊き
【教主注釈】
「家々の仏壇は親苑に通ずる電話のようなものですね」と言われた教徒があった。尤もなことである。
↑
檀家を大事にしろと言うのはカルト性を隠す為である。
【今日の苑歌】
日日にすべてのことに対応し
菩提の糧となすは尊し
【教主注釈】
”なにみてもみ法示さぬものはなし 己が心に菩提ありなば”の苑歌と思いあわせ、日々に精進することが肝心である。
↑
日常に教えのお力を感じなければ不安になる信者は霊感の言葉で洗脳されているのである。だからといって人に教えを強要するのは信教の自由の侵害であり、その行動がカルトと思わせるのである。
と言うだけのもので、無gふぁ と言う言葉を出すだけで なにもかもを切り捨てる事は出来ない。
問いには立ち止まって、検討して行かないと此れにはこれと言う安易な振り分けになる。
理解(りげ)と言えば むしろ お上品になってしまうけれど、寒風不キス武功や、だね。
宗教のインドにおける語源は、如何に生きるか、と言うもので、あたまの中の変換ではない。
神の存在証明を2000年間立ってもまだやってるキリスト教神学の蜃気楼だね。
唯心論、唯物論は、一方の真理を言う、
唯、を取り払う。
心と物が矛盾なく存在しているのが、わたし達の日常なのではないだろ言うか。
尊公、近頃、如何。(そんこう ちかごろ いかん)。 こんにちは、さようなら。禅は生死(しょうじ)を問う。
問う答えるて問答(もんどう)し師弟は対話し真理(さとり)を伝えてきた
原初、禅とは、静かにするの意である。
梵: dhy?na, ディヤーナ、巴: jh?na, ジャーナ、禅那:ぜんな)。 禅定(ぜんじょう、静慮(じょうりょ)
さとりとは、真理、法、ダルマである。達磨さんはインドから中国にやって来たのか、来なかったのか。ビッグバーン以来の一期一会である。 すずめはチュンチュンこんにちは、である。道端のタンポポのさよなら、である。出会えば別れるのである。
空とは、分別(ふんべつ)しない、分けない、である。 一如(いちにょ) 一の如し(いちのごとし)である。
色即是空(しきそくぜくう)は空即是色(くうそくぜしき)へと還(かえ)る。
白隠慧鶴禅師(はくいん えかく ぜんじ) 隻手の音声(せきしゅのおんじょう)
両掌(りょうしょう)打って音声あり、隻手になんの声やある。 隻手の声を拈提(ねんてい)せよ。
片手の人が叩く拍手の音を聞いてこい。
問う。
『 この座敷から坐のままで庭の30メートル先の築山(つきやま)に立つ石灯籠のロウソクの炎(ほのお)を吹き消せ』
真理(さとり)は言語によっては、容易に伝わらない。
生まれて以来の知識の蓄積が本来の有りようが知識と言うスクリーン越しにしか見えない、からだ。
差別しない、分別しない、これとそれを分けない、である
【今日の苑歌】
まこととは目には見えねどみ佛の
世界に通じる救けとぞなる
【教主注釈】
まこと-とは、身・口・意のいつわりない清い真実の行いで、その行いの根底にあるものはみ仏に帰命しまつる心魂(たましい)である。
↑
信者は教えの為以外は一切行動せず、教えを信じない人を下に見る。教義が素晴らしくともその行動を見てカルト性の判断をすべきである。
【今日の苑歌】
信心は観念(おもう)のみでは迷いなり
行い示し会得するもの
【教主注釈】
信心には、観念信心(拝むだけ)称名信心(題目や念仏などを唱えるだけ)実践信心(教えの如く歩む本当の信心)の三つがある。
↑
表向けの教義に従って祈っているだけでは救われない。しかし、実践で信者がさせられることにカルト性が見られるならば、カルトと取られるのである。目に余る行為であっても「信者が勝手に行ったこと」とされてしまうが。
【今日の苑歌】
世の中の宝の外の宝なる
教えの宝得るぞ尊し
【教主注釈】
世の中の宝は名誉・地位・金銀財宝等であるが、それらは失うこともある。真実の宝は教えであり、身に具わった信心の徳は子々孫々までを豊かにうるおすであろう。
↑
この教えの宝が霊感の言葉に示される言葉にお力として見出されると、教えの為だけに行動し、教えの為ならば何をしても許されると考える信者が発生する。その洗脳は周囲を蝕み続けるだろう。
【今日の苑歌】
信心は耐えかぬことも耐えさせる
妙薬なりと知れよ世の人
【教主注釈】
あの時怒らずにこらえていてよかった-等ということはよくある。若し、思惟(いのり)なく、怒りのままに行動したら大変な結果になっていただろう、やはり、信心のおかげで救けられたのである。
↑
霊感の言葉に恐怖を植え付けられた信心は教えの中での呵責には耐えられるが、世の悪徳商法の手口を使うと言われると切れるほど怒りを顕にする。その行動がカルト性を示しており、教義は正しくて一部の心無い信者が行っていると言っても信じてもらえないであろう。
真理(さとり) を 無我 と言う事が出来る、無我は真理(さとり)であってジョーカーではなく、オールマイティーでもない。
と言うだけのもので、無gふぁ と言う言葉を出すだけで なにもかもを切り捨ては出来ない。
問答(もんどう)は子弟が問い答えてきた禅宗弾圧の一時期からの創意工夫の伝統がある
理解(りげ)と言えば むしろ お上品になってしまうけれど、寒風不キス武功や、だね。
宗教のインドにおける語源は、如何に生きるか、と言うもので、あたまの中の変換ではない。
神の存在証明を2000年間立ってもまだやってるキリスト教神学の蜃気楼だね。
唯心論、唯物論は、一方の真理を言う、唯、を取り払う。
心と物が矛盾なく存在しているのが、わたし達の日常なのではないだろうか。
尊公、近頃、如何。(そんこう ちかごろ いかん)。 こんにちは、さようなら。禅は生死(しょうじ)を問う。
問う答えるて問答(もんどう)し師弟は対話し真理(さとり)を伝えてきた
原初、禅とは、静かにするの意である。
梵: dhy?na, ディヤーナ、巴: jh?na, ジャーナ、禅那:ぜんな)。 禅定(ぜんじょう、静慮(じょうりょ)
さとりとは、真理、法、ダルマである。達磨さんはインドから中国にやって来たのか、来なかったのか。ビッグバーン以来の一期一会(いちごいちえ)である。 すずめはチュンチュンこんにちは、である。道端のタンポポのさよなら、である。出会えば別れるのである。
空とは、分別(ふんべつ)しない、分けない、である。 一如(いちにょ) 一の如し(いちのごとし)である。
色即是空(しきそくぜくう)は空即是色(くうそくぜしき)へと還(かえ)る。
白隠慧鶴禅師(はくいん えかく ぜんじ) 隻手の音声(せきしゅのおんじょう)
両掌(りょうしょう)打って音声あり、隻手になんの声やある。 隻手の声を拈提(ねんてい)せよ。
片手の人が叩く拍手の音を聞いてこい。
真理(さとり)は言語によって伝わらない。生まれて以来の知識の蓄積が眼をくらます。差別しない、分別しない、これとそれを分けない、である。
問う。
『 この座敷から坐のままで庭の30メートル先の築山(つきやま)に立つ石灯籠のロウソクの炎(ほのお)を吹き消せ』
【今日の苑歌】
大海のひろき教えをほどこして
他のためになす喜びぞ佳し
【教主注釈】
大海の教え-涅槃経は、一切の煩悩及び諸の誘惑を斥けて、世間法的な束縛を脱し、仕あわせになるために説かれたものである。故にこの真実を他のために説くことは喜びである。
↑
すべての教えが流れ着くと言われる大海の教えと説いても、その実態はねずみ講や霊感商法の手法である。人にそれを勧めるということはその行動がカルト性を伴うことに繋がる。
【今日の苑歌】
霊言は出離を示す啓示ゆえ
こころに心してぞ聞くべし
【教主注釈】
出離とは、分かりやすく言えば運命を好転に導くための啓示(おしらせ)である。故に真剣に霊言を聞いて、それと取り組むことが大切である。
↑
霊言を霊感や霊視商法と知れば、信者が教えを信じさせようとする言葉が心無いものと気づくことができる。
【今日の苑歌】
我が為になす信心はそなわらず
他がために為しそなわると知れ
【教主注釈】
本能的なものをみたそうとする信心は本当の信心ではない。霊言にも「欲しい欲しいの餓鬼の心を超越して餓鬼を救うことができる」と示されている。自己中心を超越してお救けもできるのである。
↑
人を自分の向上のために勧誘しても自己中心を超越できない。それは霊感に示された他が為でも、我が為に行うことだからである。それをあからさまにあなたの為と偽って強要すればカルト性を伴ってくるのである。
【今日の苑歌】
今日という日の吉凶を論ずより
今日の行い見かえるぞよし
【教主注釈】
み教えに一如していったなら日々が吉日でなくてはならない。日が悪いから災いにあうのではなく、自らの心・行いが至らないためである。
↑
自らの行いが悪いと霊感の言葉で示される。それは誰にでもどうとでも言える言葉である。そんな言葉にいつまでも振り回されることが幸福を遠ざけるのである。
【今日の苑歌】
執われを思い切ってぞ因縁の
重きを知ると知れ世の人
【教主注釈】
執着の存在を否定することによって涅槃は証せられる-と、涅槃経純陀品に教えられている。
↑
霊言に示された今の不幸の原因が因縁となりお力によって解消できると思わされる。お力への執着がマッチ・ポンプの様に示される霊言によって深められていくのである。
【今日の苑歌】
大海の如きみ法にあいまつり
常楽我浄と知るも尊し
【教主注釈】
すべての河が大海に帰入するごとく、すべての教えは大涅槃経に帰す-と、このような尊い教えに結縁されたことは、本当に尊いことである。
↑
あらゆるカルトの使う手法が明るみに出るのは、問題が大きく取り上げられたときである。静かに同じ様なことを繰り返している団体では信者のカルト性を伴う行為に耐える被害者が潜在する。その被害を明るみに出さなければならない。
【今日の苑歌】
人の世の哀れになくも自らの
あわれを知らぬ人の多きに
【教主注釈】
教えや、教えの師を自分の見解で批判していたら、法友はその悪(非律不証)を見ぬいて、みんな離れていってしまう。
↑
教えなしでは生きられないと教師や指導者絶対になるが、正しい教義の裏で何をしているかが世間の人からのカルト性の判断材料である。知らずに教えに酔わされながら続けると教えのカルト性を広めているだけとなる。
【今日の苑歌】
世の中の憂きこと多きその中に
利他のまことに生きよ苑人
【教主注釈】
信心の道というものは、喜んで生きる。-と言うことである。喜べないことは自分自身に執われているからで、それを捨てれば本当の利他に生きられよう。
↑
この教えのお力に生かされる喜びを集まりの中で強調される。その裏で容認されて行われていることがこの教えの真実であるが、無断入信、教えの強要が信者の周囲の人を苦しめる。
【今日の苑歌】
訶責とは強くなすとも慈(なさ)けこめ
悩む立場に立ちて行なえ
【教主注釈】
駆遣訶責とは-人間本位の信心から、み仏本位の信心に立てかえるために強く激励する言葉を言う。教える側に私情があってはならない。
↑
霊感が根拠の呵責は霊的ハラスメントとなる。自分がされても、やがて上になれば行おうとするから耐えられるのだろう。
【今日の苑歌】
権威をば振るってなせる教化には
形成りても実(じつ)は少なし
【教主注釈】
自分の地位や権力で入信させても、それは形だけであるから、その信心が喜びの実を結ぶまで手を引き教化する事が大切である。
↑
強引に入信させても、それが無断入信にも繋がり、信じない自由を奪う行為にも繋がる。その行為はカルト性を伴う行動と取られるだろう。
【今日の苑歌】
御利益はまことの歩みの福利なり
歩まず乞うは邪と知れ
【教主注釈】
教えの如く歩んで行った時には、必ず運命が立て替えられて仕合わせになる。歩まずに御利益だけを望んでも得られるものではない。
↑
歩まなくてもご利益が貰える。しかし、勧誘、献金、無償労働をしなければ、ご利益は貰えない。絶対的なご利益から条件付きのご利益となる。それがマルチ商法のように使われるならば、マルチ商法で掴まされる粗悪品と比較される。
【今日の苑歌】
善友に近よることはよけれども
愚人の交際絶たばなおよし
【教主注釈】
涅槃経に、善友とは仏-と示されているが一面には一如の教徒ともいえよう。この意味に於いて、信仰を阻害するものは悪友である。
↑
教えを信じない人を排除するのは勝手だが、あらゆる社会的縛りを利用して教えを信じさせようとするからカルト性を伴うのである。教義がどうかではなく、信者が実際にどう行動しているかである。
【今日の苑歌】
今ぞいま尊き性(仏性)を磨かんは
今を機会と知るも尊し
【教主注釈】
機会は再び来ない「今」今のひとときを活かし機会とする。
↑
今しか機会は無いと霊感の言葉で塗り固められていく。それは誰にでも当てはまる言葉であり、霊感商法と言われるものである。
【今日の苑歌】
常住のみ佛さまを慕いつつ
仕うる人ぞたのものしきかな
【教主注釈】
常住のみ仏を最上のものとして心のよりどころとし、喜んで仕えている人の姿を見ると本当にたのもしく、また楽しげである。
↑
常住のみ仏の教えを繋ぐ人が権威を持ち、「おばちゃん」と言えば権威を強調できる空気ができる。誰でも言える霊感の言葉の権威がなくなるのは一瞬である。それを「おばちゃん」はなんとか防ごうとするが無理である。
【今日の苑歌】
お済度は父母を救ける心にて
説けよ苑人これぞ道なり
【教主注釈】
お救けに行った時、相手を尊重する心は、父母に対して、話をするようなこころで、話を取つがせて頂くことである。
↑
勧誘の取り組みをしなければならない根拠は霊感の言葉である。どんなに祈っても、それが知れてしまえば距離を取られる。無理に信じさせようとすればカルトと見られる。
【今日の苑歌】
歓喜積みお救けこそは積み磨き
奉仕は磨く徳と知れ人
【教主注釈】
歓喜は積む徳、奉仕は磨く徳、お救けは積み、磨く徳であり、この三つの聖行に徹していって、初めて因縁消除の真理を理解できよう。
↑
寒修行の時期におばちゃん指導者がお救け(勧誘)は積み磨くから二倍の精進とお決まりの指導をしているのだろう。誰でも言えることである。
【今日の苑歌】
他のために言葉やわらげ教ゆるは
菩提(めばえ)育てのまことなりけり
【教主注釈】
聴法因縁の三段階と言うことが教えられている。初信者には、やさしい言葉、態度で接し、相手の菩提の芽を育ててあげよう。
↑
教えを信じてもらうために謙るが否定されると逆ギレする信者。霊感の言葉で感情を揺さぶられ、不安定にさせられているからである。
【今日の苑歌】
道に外れあゆむが故に事故起し
後の後悔先には立たず
【教主注釈】
教えの如く行わない信心は、道に外れてあゆむと同じ事である。軌道をはずれれば事故もおこるであろう。
↑
事故を霊による因縁と結びつける霊感商法の手法で教えに依存させようとする。心が不安定になれば正常な判断ができなくなって更に事故が起こり、霊感の言葉で示される因縁が深まっていくのである。
【今日の苑歌】
怠らず精進(はげ)み祈らん千代かけて
歓喜世界の出現(いず)る時まで
【教主注釈】
信心の道に終わりはない。生涯かけての精進である。そして終生精進できることが喜びである。
↑
この教えの信心に終わりがないのは、どこまでも霊感の言葉で取り組むべき因縁を植え付けられるからである。
それに気づくのはあっという間であり、早く気づくのが好ましい。
【今日の苑歌】
大乗の道も炭火と同じなれ
三つ四つ五つ合わせてぞ燃ゆ
【教主注釈】
信心の心も炭火と同じように、一つだけだと消えやすい。志を同じくする者が、四人五人と集まると、信仰も心も燃え求めることの喜びもわいてくる。
↑
霊感商法の手口を複数の人間で行おうとすると、集団圧力も伴って強力になる。それをさせないために手口をもっと知らしめよう。
【今日の苑歌】
常日頃まこと蓋して精進(はげ)みなば
それ、それ自体が真理(みち)に叶わん
【教主注釈】
怠るは死の道、励むは生への道である-という聖句があるが、高貴徳王菩薩品にも示されるように、楽(ねごう)て精進してゆくことが真理(みち)に叶ったことである。
↑
人間の頭で考えることは悪いことと思考停止させると、信者を危うい状況にさせる。そこに霊感の言葉で因縁と結びつけると教えのお力無しでは生きられなくなる。それでも教えは正しいと言い張るのだろう。
【今日の苑歌】
言うがごと行うがごとく言(こと)示せ
茲(ここ)に一如の救いあるなり
【教主注釈】
不言実行という言葉があるが、此処では有言実行を説いている。
↑
この教えでは有言実行と称してお救け(勧誘)何人など宣言させる。み仏様とのお約束であるが、そこに至るまでの過程には霊感の言葉による霊感商法が使われている。
【今日の苑歌】
身は低く常に人にと和合して
高く菩提を求めあゆまん
【教主注釈】
実るほど頭をたるる稲穂かな-。だが教えはどこまでも高く求めていこう、仏の御内証を目ざして。
↑
言葉は謙っているが態度は高慢を隠せない信者の違和感を感じる。それは、霊感商法による洗脳で良い人を演じなければならないが教えを信じない人を見下しているからである。
【今日の苑歌】
日日に踏まれて渡す橋のごと
菩提の橋となるぞ尊き
【教主注釈】
お導きにゆくと、世間からいろいろな悪口を言われる。それがふまれてもなお相手を仕合わせの岸へと渡す橋となることである。
↑
霊感商法やねずみ講の手口を悪く言われるのは当然である。それでも人の信じない信教の自由を侵害するのはカルト性を伴う行動である。
【今日の苑歌】
相手をば鏡となせのことのりも
涅槃に示す教えなりけり
【教主注釈】
「相手は鏡」と言うことばがあるが、涅槃の中にも=仇は相手にあるのではなく我身にあるのだ=と教えている。
↑
困った相手も霊的に自分になぞらえようとする。世の中のあらゆる要因が霊的に霊感商法の手法で個人の因縁として示される。それは因縁切りと言われる因縁の植え付けであり、マッチポンプである。
【今日の苑歌】
み佛にまかせまつりて常ぞつね
送る日日浄土なりけり
【教主注釈】
自分のはからいをはなれた時、日々が本当に安心して暮してゆけるようになる。
↑
自分の頭で考えることを辞めて、み仏本位という霊的意味付けに委ねるとある意味楽であろう。救われない霊に因縁づけられて洗脳される道が待っているのである。
【今日の苑歌】
月日ごと慈悲をこうむる人まして
真如みひかり世にぞ知らるる
【教主注釈】
涅槃経を信心の基盤においている宗教団体は皆無といってもよい。護法の霊言に「科学が進歩して、やがて月の裏面まで判る時代に、この教えは(最後のみおしえ)は栄える…」と。
↑
過去に例のない教えと個人の人生までも予言されていると装う教え。それは霊感商法の手法で後から取って付けられた結果である。
【今日の苑歌】
過ぎし日の執われ捨てて希望ある
未来求めて法にいそしめ
【教主注釈】
過去に執われていたら、それは退歩である。申訳ない…という言葉を出す時には、それ以上の精進に振い立つことだ。
↑
救われない霊が示されると取り組みが増える。それが霊感商法による因縁が付与される仕組みである。
【今日の苑歌】
物心は一如のものと知りながら
こころ忘れる人もあるなり
【教主注釈】
物心一如とは、名実共に伴うもので、真諦め(まことのみち)である。物のみを追い求め、一如のこころ(み仏と共に生きる心)がないから、心忘れた-と言うのである。
↑
霊感の言葉で操作された道は楽ではあろうが、教えに都合の良い道である。物も心も教えに貢ぐように操作されている。
【今日の苑歌】
我をたてず相手の身にぞ先ずなりて
笑みを忘れず説けよ苑人
【教主注釈】
救いの真実を相手にわかって貰おうとするには、その人の心に自分の心を置きかえて、救いの道を共にあゆむ(あゆませる)事が肝要である。
↑
教えどおりに勧誘しようとしても霊感商法の手法はばれてしまう。最高の教えに結ばれたと持ち上げられた信者はそこで切れてしまうか、無断で入信させるか、世間的な縛りをを使って入信させようとする。それはカルト性を伴う行為である。
【今日の苑歌】
他を救う力で我身救わんと
示す最後の教え尊し
【教主注釈】
他を救うその功徳によって、自からが救われることは、全く涅槃聖典に示される真理(まこと)である。
↑
ねずみ講の様に霊感のお力を求めさせるために勧誘しても誰も救われない。不幸の手紙のように何人かに伝えなければ自分が不幸になると思わされているのである。
【今日の苑歌】
了義にて不了義経に依らずとは
涅槃了義の真理(みち)と知るべし
【教主注釈】
如来の真実なる智慧を如実に顕露したのが了義経である。涅槃経は聖典中の聖典とも言うべきものであるから、本経を諒解(りょうかい)することを仏徒としての道としなくてはならない。
↑
人間の頭で考えず霊感の言葉で言われたことをただ信じる。そこに無断入信や勧誘目標やノルマを促す指導が入る。それらを実践する信者がカルト性を周囲に伝えるのである。
【今日の苑歌】
書を持つも読まず極めず只きして
悟り得ようとするは畧分(りゃくぶん)
【教主注釈】
教書を持って安心している-、それもよいがやはり、他に教えを伝えるために、しっかり読んで自分のものとしていかなくてはならない。
↑
教典にどの様に良いことが書かれていても、信者のやっていることがその教えの正体である。問題になれば「信者が勝手にやったこと」と切り捨てられるだろう。
【今日の苑歌】
他が為になすは即ち世の為と
つくすまことが真の信心
【教主注釈】
大乗のためになしてゆくのが、この教えの本当の信心で、初信のうちは我が為に成しても、やがて他の為になしてゆく本当の大乗の境を得てゆくことが大切である。
↑
自分が霊感で示される因縁から救われたいと思っているだけでは救われないと示されて、人も同様に救われたいと思わせなければならない。ねずみ講と霊感商法の手法である。
【今日の苑歌】
み法うけさらさら流る水のごと
真理(みち)にたがわぬ人ぞ楽もし
【教主注釈】
してあげた-、助けてやった-、等という考え方、思い方は仏教徒として不純である。大乗の真如教徒たるべきはそうした不純な心は捨てるべきである。
↑
してやった、と信者は不順だが、仏教徒であるかは定かではない。仏教は霊感商法やねずみ講の手法を隠す隠れ蓑である。
【今日の苑歌】
浮世とはよろこび憂いの世としるも
み法に生きば其処が浄土ぞ
【教主注釈】
この世を苦のシャバという、しかし、正しいみ仏の教えにふれて、如来法を知ったとき、此処が、このままお浄土であることがわかる。
↑
世間は因縁まみれの恐ろしい世界。教えのお力で守られた世界は安全であると教え寄りにさせる意図がある。そこに信じない自由を奪う行為があればカルト性を伴うのである。
【今日の苑歌】
光なる光の外のみひかりは
最後の法の光なりけり
【教主注釈】
太陽の光こそ最たるものであるが、教えの光もその如く、仏最後の教えのひかりこそ、この世における最勝の救いのみ光である。
↑
最後のみ教えを謳うが霊感商法やねずみ講の隠れ蓑である。救いはそれら手法による不幸の連鎖に繋がる勧誘を意味する。
【今日の苑歌】
み佛の恵み思わば日に三度
合掌してぞ食(じき)に謝すべし
【教主注釈】
感謝はさとりをうるはじめ-と言う。考えてみれば、食事を頂けるということ自体が、本当に有難いことである。
↑
霊感の言葉で日常のあらゆることにみ仏の慈悲が流れる。そこに「信じる自由」と「信じない自由」の両方が守られているかでカルト性が見えてくる。
【今日の苑歌】
まことなるみ法の救い毛孔より
入ると説かるる涅槃神力
【教主注釈】
「善男子よ日月光明は諸の光明の中で最も勝れている。大般涅槃の光明も亦かくの如きもので、諸の大乗経の中に於いて最も殊勝なものである。それは大涅槃の光よく衆生(ひとびと)の毛孔から入り込むからである。」(大般涅槃経菩薩品より)
↑
毛穴から入り込むお力は信者に有り難さを感じさせるが、教えの手法を知ってしまった人には響かない。問題は信教の自由の「信じる自由」と「信じない自由」の両方が守られているかである。
【今日の苑歌】
物事は思うが如くならねども
行い重ねて成ると知るべし
【教主注釈】
ままならないのが、人の世である。何事も誠実をつくして成しとげてゆく、そこに目的成就の栄冠はある。
↑
この教えを続けて得るものとして、ねずみ講型の取り組みによる信教の自由の侵害によって恨みを買うことがある。それに気づけないのは洗脳やマインドコントロールされているからである。
【今日の苑歌】
道の辺に踏みにじらるる野草にも
耐えて伸びゆく性ぞあるなれ
【教主注釈】
”この泥があればこそ咲け蓮の花”大乗利他の行いには非難やざん謗がつきものである。何故ならば、それが正法であるから-恐れずにすすもう。
↑
金銭的、肉体的、精神的搾取に気づけない信者がそれらを人に行わせようとするから批判される。それは当然のこと。
【今日の苑歌】
何みてもみ法示さぬものはなし
おのが心に菩提ありなば
【教主注釈】
接心によって磨かれた心には、未だ見ざるものを見、聞かざるものを聞くことができる。それは自分自身に菩提(しんじん)の種をもっているからである。
↑
接心の霊言は霊感商法である。誰にでも当てはまる言葉を本人に合わせて解釈させて救いとなる。「ああ救われた。こう救われた。」と洗脳されていく。
【今日の苑歌】
み教えにやさしき言葉欲しなば
我身かわいい二乗とぞ知れ
【教主注釈】
初信者であればやさしい言葉も必要だ-、入信して相当な年月を経ていても菩提(求める)心が成長せず、いつも初信者の如き心であってはならない-と言うことである。
↑
洗脳が進むと突き放されても辞められなくなる。それでも霊感の言葉による後出しジャンケンのやり取りは続く。
【今日の苑歌】
外教より涅槃了義のみ教えに
導く人を教師とぞいう
【教主注釈】
あらゆる外教も涅槃海に帰一する。又此の意味に於いても、諸教を摂受して始めて大海のみ教え-とも言えよう。
↑
あらゆる教えが行き着く大海の教え。蓋を開ければ霊感商法やねずみ講など悪徳商法の寄せ集めだった。
【今日の苑歌】
今日蒔きて明日の稔りはなきと知れ
学び修めるわざもそのごと
【教主注釈】
今日蒔いて、明日の稔りはない。少しばかり教えにふれて、全部わかった-と思うことは大変な間違いである。
↑
「知ったようなことを言う」それは指導者が批判された時の逃げ道として使われる方便である。霊感商法で成り立っている教えの本質を知れば、その様な言葉を気にせず距離を取ればいい。
【今日の苑歌】
他がために尽せしことは忘るとも
受けし御恩は忘るべからず
【教主注釈】
人のためにしたことは、いつまでもよく覚えていて、自分にして頂いた御恩は忘れてしまう、そんな事では仏教徒とはいわれない。
↑
教えから受けたご恩を嫌らしいほど言われる。霊感商法で後から取ってつけられたお力のお陰であるが。
【今日の苑歌】
訶責とは宝の山を指し示す
指と知るべし世々の人々
【教主注釈】
訶責してくださる人は、めったにいないものである。それなのに訶責されると、その人が嫌になる。それはいつまで経っても真実の宝を得ることは出来ない。
↑
ここの呵責は霊感商法による後付の言葉を根拠に行われる。だから指導者は辞められなくなり、その立場に固執する。
【今日の苑歌】
布施なすも報い求めぬまことこそ
悪因断ちの道と知るべし
【教主注釈】
これだけ歓喜したから御利益があっても当然だ…と思ったら、それは徳が徳にならない。結果を求めない布施、そのまごころが霊界に通じ、悪因縁もたち切れていくのである。
↑
霊界からの言葉で悪因縁が示され、取り組みが増えていく。取り組むべき救われない霊が示されて喜ぶのは霊感商法の手口に乗せられているからである。
【今日の苑歌】
苑(この)道は佛の始めし道なれば
百千代かけて変わらざる道
【教主注釈】
真如苑の教えは釈尊が創始された道であり、この道をあゆめば、何人も幸福な世界にゆけるのである。何故ならば、それは真理であるから。
↑
明らかな嘘である。この道は教団にカネ、ヒマ、社会的信用を貢ぐ道である。
【今日の苑歌】
執着の存在捨てて暮らす時
ものみな尊し楽我なりけり
【教主注釈】
執着は貪りである。貪りを鎮めたら瞋りも痴も鎮まって、本当の楽しみを得ることが出来る。
↑
世の執着を捨てさせ、お力を貪らせようとする。霊感商法の言葉で洗脳して。
【今日の苑歌】
最後なる教えにふれて謝すなれば
摩尼の宝珠を掘り当つと知れ
【教主注釈】
「水の濁りの中に宝珠を置けば水即ち清浄となる」と涅槃経に示されている。この深意をしるとき、まことに有難いことがわかる。
↑
この教えをもっと信じられなくて謝らなければならないマインドコントロール状態は、教えを信じない人を貶めなければならない心理状態にさせる。それは、新興宗教を信じさせられている劣等感から来る。
【今日の苑歌】
我がうちに一如の喜び見出しなば
日日の仕事も聖なりと知る
【教主注釈】
一如と言うことは、み仏の大慈しみの中に生かされることであり、それを知れば日々の業務もみ仏本位に生きる聖業なり-と、覚ることが出来る。
↑
み仏本位とは人間の頭で考えることなく霊言に示されたとおりただ従う思考停止状態を言う。霊感商法が伴うので、良くも悪くもお力のお陰とされてしまう。
【今日の苑歌】
教法を学ぶにいとまなしという
人こそ暇に学ばざるなり
【教主注釈】
とても忙しくて学べない-と言う人があるが、日常のその忙しい中から神仏に捧げまつる、まことを発見しようと努力することが大切である。
↑
教法を学ぶと霊感商法が知れてしまう。だから人間の頭で考えるのを辞めさせてただ信じさせる思考停止を促すのである。
【今日の苑歌】
無我という道も正しきことなれど
無我超え悟る妙有尊し
【教主注釈】
無我だけでは悪因縁は消除できない。大般涅槃のみ教えに言われるよう教えの如く行って、こうした無我を超えるところから、現象に生かされる妙有の喜びを得ることが出来る。
↑
霊感商法の言葉の如くカネ、ヒマ、社会的信用を搾取された後の現象に生かされるのは、教団の集まりにしか居場所がない教えに好都合な世界にいることである。
【今日の苑歌】
布施なして喜びなきも布施なるが
喜びあらば波羅蜜としれ
【教主注釈】
歓喜は一つの布施であるが、若しそこに行わせて頂いた喜びが感じられるならば、それは行うことによって、一つの彼岸(さとり)に達したことになる。
↑
歓喜は仏教の布施と言っているが、喜びで行なえと煽られる。それは霊感や霊視商法によって洗脳が進んだ結果である。
【今日の苑歌】
歓楽は悪華と知れよ世々の人 心も身をも亡すと知れ
【教主注釈】
歓楽は肉体だけのよろこび、目先だけの楽しみで飽くことを知らない。歓楽は悪魔の投げた餌食と思わねばならない。
↑
この教えの為に世の欲を捨て貢いだとしても、霊感商法によって搾取されるだけである。霊視商法とも言われる。
【今日の苑歌】
執わるる心にはからいありと知れ
執われ捨てばはからいぞなし
【教主注釈】
執われを持っているから真如の正法を聞いても、はからい心が起こる。人間本位の情的なつながり、これを断つ時、はからいはあべこべに感謝と変ってくる。
↑
教えの言葉に従い世の感情的な繋がりを断って悟りのような喜びを感じたとき、そこにあるのは世間から居場所を失った霊感の言葉に騙された教えの人間関係である。
【今日の苑歌】
世の中の苦とよろこびの間より
求め得るのがまこと菩提ぞ
【教主注釈】
よろこびに浮かされ、苦しみに執われていたのでは、本当の因縁消除の道を見出すことはできない。苦の中から、喜びの中から中道の真理を見出すのが、本当の信心である。
↑
人の苦と喜びを霊視して因縁を示して洗脳しようとする。霊感や霊視商法の手法である。
【今日の苑歌】
我れと共に常にましますみ佛を
忘れずはげめ世々の人々
【教主注釈】
無形のみほとけを有形に信ずるところに、本当の信心があるのではないだろうか、此れは無相接心に生きる苑人の在り方である。
↑
霊感に示された因縁に恐怖して妄想し、教祖一家のお力を求めるのが無相接心である。
【今日の苑歌】
他が為と修むる教え身につけど
我が為なれば詰まるとぞ知れ
【教主注釈】
他に語り伝えるために教えを聴聞していった時には、よく身につくものである。
↑
他が為と思って勧誘して成功すればいずれ自分の徳として返ってくるので自分も救われると言われる。ねずみ講の教えである。
【今日の苑歌】
世的な外に求むる心こそ
菩提心とぞ悟れ世の人
【教主注釈】 此の-世的-は、本能的の謂いである。人には財的なもの、名誉や地位等こうしたものの外に、聖なるものを求める純真なものがある。これが即ち菩提心である。
↑
霊感の言葉で聖なるものを示されて求めるのは勝手だが、それを人に押し付けてはいけない。それが宗教ならば信教の自由の侵害である。
【今日の苑歌】
自からの力の限りつくしてぞ
なすがまことの信というなり
【教主注釈】
力の限りを尽くしたことのない人には信心は解らない。力の限りを尽くして神仏に委ねる-。
↑
霊感・霊視商法の手法を覚えた指導者が信者の境遇に後からそれらしい言葉を関連付ける。それはいくら力を尽くしても切りがない。霊言というコールド・リーディングに対するホット・リーディングである。
【今日の苑歌】
他が為に我が身ささぐる行いは
人の身ながら菩薩なりけり
【教主注釈】
此処でも教法を中心にして、他のために我が身を捧げる行いを示している。人間情を中心にして身を捧げることを云うのではない。菩薩に殉教の死はあるが、情死はない。
↑
この教えの為に人を勧誘し、献金し、無償労働することが仏の行いと言われる。仏教は霊感・霊視商法を思わせないための隠れ蓑であるが。
【今日の苑歌】
一念をこめて誦(とな)うる御霊呪は
子々孫々(すえずえ)までの清めとぞ知れ
【教主注釈】
大乗の行いを伴わせてこそ平生普段の祈りも深められ、御霊咒の効験や威大神力も増大されるのである。
↑
これを唱えていればお力が流れてくるという安易な思考にさせられる。安易な気で人にこの教えは絶対だと信じさせようとすれば、信教の自由の侵害である。
【今日の苑歌】
最後なるみ教えこそは幾年も
探し求めし慈母と思わん
【教主注釈】
涅槃のみ教えにふれた時、これこそ探し求めていた、わが母である-という確信をつかむことが出来る。それは修してしる喜びである。
↑
この教えに理想の親を求めさせるが、教祖一家の因縁に気づけないほど洗脳されるのは悲しいことである。
【今日の苑歌】
他力より入りて自力と知れぞかし
これぞ一如のまことなりけり
【教主注釈】
一切お委せは一切お救け -とは、初信のあり方。
↑
一切お委せは思考停止、一切お救けは思考停止して勧誘である。霊感・霊視商法の言葉でそうせざるを得なくなっていくのである。
【今日の苑歌】
感謝なき信心こそは消ゆる灯と
思わばそそげ徳の油を
【教主注釈】
信仰に喜びや感謝が持てなくなった時、それは徳のなくなった証拠であるから、真実の行いを貫いて徳の油をそそいでゆこう。
↑
感謝や喜びを熱狂的に表現されるのがカルトの本来の意味である。カルト性は「信じる自由」と「信じない自由」を侵害しないバランスで見られる。感情で煽って信じない自由を侵害しようとするとカルト性を伴う。
【今日の苑歌】
我がことは後になすとも他が為に
なすはみ法の真理(みち)としるべし
【教主注釈】
大般涅槃経・高貴徳王菩薩品に”他の為にし、のち自らの為になせ”と示されている。他の為にすることが、真如教えの本旨であることを知らなければならない。
↑
他が為は教えの為であるが、その人の為と人を勧誘することも教えの為である。霊感・霊視商法で自らにお力が返ってくると思わされるが、カネ、ヒマ、社会的信用を搾取されるのである。
【今日の苑歌】
他事(ひとごと)を即我が事と知るなれば
菩提の向上常にありなん
【教主注釈】
霊言に-”尻切れトンボが遠くとべないように、他に幸いのあゆみを与える事も尻切れになってしまったら、悪因縁に勝ち抜くことはできないのですよ…”とあり、菩提の向上を接心は教示している。
↑
他人事を自分になぞらえてみても、霊感・霊視商法の言葉によって勧誘しなければならないとされてしまう。信じなければならない状況に相手を追い詰めようとするならば、信教の自由の侵害である。
【今日の苑歌】
我がうちに佛の性を見出しなば
我また尊く更にはげまん
【教主注釈】
人はみな、尊い宝を持ちながら”自から貧し”と思っている。大般涅槃のみ教え故、本当に尊い-と言っても”私などは駄目”と迷ったらどうであろうか-、灯明を持ち乍(なが)ら自らが目を閉じているのと同じである。
↑
この教えの喜びは霊感・霊視商法の言葉で恐怖に陥れられて、お力を示されて求めさせられるマッチポンプに操作されているものである。それに早期に気づいて離れられれば被害は少ない。
【今日の苑歌】
我がうちに佛の性を見出しなば
我また尊く更にはげまん
【教主注釈】
人はみな、尊い宝を持ちながら”自から貧し”と思っている。大般涅槃のみ教え故、本当に尊い-と言っても”私などは駄目”と迷ったらどうであろうか-、灯明を持ち乍(なが)ら自らが目を閉じているのと同じである。
↑
この教えの喜びは霊感・霊視商法の言葉で恐怖に陥れられて、お力を示されて求めさせられるマッチポンプに操作されているものである。それに早期に気づいて離れられれば被害は少ない。
【今日の苑歌】
霊言に示さることば真理(みち)なれど
人間本位に聞かば間違う
【教主注釈】
空-ということは、自からを空しうすることで、南無の境涯である。御霊言は道を示すものであるが、之を人間本能的に、都合のよいように聞いてゆくと、道をまちがえてしまうものである。
↑
霊言は霊感・霊視商法の手法であるが、それに従わなければみ仏本位ではなく人間本位と否定されるだけである。
【今日の苑歌】
み教えにふれて心を飾れども
説かぬは法のさびと知るべし
【教主注釈】
真如み教えにふれて、接心も頂き、わが心に深い真理というものが納得でき、教えの素晴らしさ、そして、その教えに結ばれた喜びもわかるが、若し他にそれを説かなかったら、やがて教えのサビとなって我が身を蝕まれてしまう。
↑
霊感商法の手法で信じさせた後は人を勧誘させてねずみ講の手法も使う。言葉の裏の意味を知って被害を避けるべきである。
薪ストーブの熱も植物は太陽光の熱を変換しての熱量で、つまりは、薪ストーブは太陽の燃焼だし、ついでに言うと我々も太陽光の熱量の代謝を食事と言う形でとりこんでいるわけで、言い放てば、わたし達、生きとし生けるものは、太陽の分身で、皆、ブラザー、同志、兄弟姉妹 なんです。
問う。「この座敷から坐のままで庭の30メートル先の築山(つきやま)に立つ石灯籠のロウソクの炎(ほのお)を吹き消せ」
仏祖が 直(じか)に 手渡す 真理(さとり) は縁起(えんぎ)の法、真理、さとり、です。それは色即是空は、空即是色へと還(かえ)る。これが有れば、それが有り、それが無ければ、これが無い。
名付けられた名詞から名詞を剥ぎ取ったもの、それをなんと呼ぶか。
色 が 空 です。ここが初関(しょかん)を透(とお)るです。関をを 透れば、すぐさまに 空 が 色 です。
さとりを 法、達摩、真理 と言います。色即是空は 空即是色へと 還(かえ)る。
チャイナの天才学僧たちは分業しスピードを上げ、しかも一字一句を数人が推敲に推敲を重ね競技し決定し、、完全にチャイナの言葉に翻訳し、完全にシナ誤に翻訳したので、インドから持ち帰った原本を焼却処分した、程である。
なので、達磨とは 真理(さとり) を人格化したのであって、具体的な人物ではない。つまりは 二祖(にそ) 慧可(えか、593年) こそが、中國禅宗の初祖なのである。彼はひと晩雪中で瞑想し、,左の肘から下を斬り落とし、右手で握り差し上げた時、痛みを感じる事が無い右手が激しく痛んだ時、突然の雷光と雷鳴と同時におこり、忽然としてさとった。
せきしゅのおんじょう 隻手の音声 両手で打てば音が鳴る。 では、片手の人が叩く拍手の音を聞いてこい。
問答(もんどう)は子弟が問い答えてきた禅宗弾圧の一時期からの創意工夫の伝統がある 宗教のインドにおける語源は、如何に生きるか、と言うものであり、心と物が矛盾なく存在しているのが、わたし達の日常なのではないだろうか。
ゼロ歳未満の死因の第一位は人工中絶
0~4 乳児期 2歳までは授乳
5~9 幼児期 ここまで生きていられたら、健康の天才児
10~14 10歳まで生き延びたら、丁稚奉公で親元出立
15~19 結婚適齢期前期 精子のピーク17 5万年続いた縄文時代の平均寿命は15最長30
20~24 結婚適齢期後期 みずみずしくPANPAN
25~29 おしとねさがり 脱水で細る
30~34 人生再検討期、新興宗教開祖期
35~39 立脚点確立
40~44 充実期 40過ぎたら欠け始める
45~49 昇級、老眼、更年期前期
50~54 肩たたき、更年期後期
55~59 無勃起
60~64 天下り先退職金積み増し期
65~69 世界一周海外旅行
70~74 健康年齢72
75~79 ひ孫と面談、ランドセル予約
80~84 長寿の達人 男の平均寿命82
85~89 同窓会が無い
90~94 歯科医の総仕上げの総入れ歯
95~99 歯茎で噛み切れる刺身がうまい
100~104 自治体表彰100
105~109 アルコホルは毒なのに酒がうまい
110~114 飲む点滴ポカリスエットがうまい
115~120 今日も元気だ薬がウマヒィ
0~4 乳児期 2歳までは授乳 天使か妖精の無分別期
5~9 幼児期 ここまで生きられたら健康の天才児。男女7歳にして席を同じゅうせず
10~14 10歳尋常小学卒業まで生き延びたら丁稚奉公で親元出立 女児初潮生涯卵子数400個保持 10歳幼学
15~19 結婚適齢期前期 精子のピーク17 最大バスト19 縄文時代の平均寿命は15最長30 15歳志学しがく
20~24 結婚適齢期後期 みずみずしく張る肌 感触最良バスト 20歳弱冠
25~29 脱水で細る顔ポソッ
30~34 人生再検討期、尋牛悪魔の声を聞き新興宗教開祖乱立
35~39 立脚点確立 滴る愛液枯渇、性交痛
40~44 40不惑 夜間頻尿 毛細血管ゴースト化 精子数減少 43老眼乱視、子宮硬化不妊
45~49 昇格、更年期前期、妊娠恐怖解放
50~54 肩たたき転職勧告、♀やる気男性ホルモン増、更年期後期 50天命知命 アル中肝静脈瘤破裂前期
55~59 息子に嫁が来る頃には無勃起閉経 アル中肝静脈瘤破裂後期
60~64 天下り先退職金積み増し 60還暦耳順じじゅん
65~69 年金受給 人生黄金期前期 世界旅行食べ歩き 65夜間頻尿、MRI脳委縮始
70~74 人生黄金期後期 72男健康年齢 前立腺がん
75~79 ひ孫と面談、ランドセル予約 女健康年齢75
80~84 長寿の達人 男平均寿命82
85~89 存在確認の同窓会が無い 女平均寿命87
90~94 歯科医の総仕上げ総入れ歯 90卒寿そつじゅ
95~99 歯茎で噛み切れる刺身が旨い 99白寿はくじゅ
100~104 自治体表彰 100百壽ももじゅ
105~109 アルコホルは毒なのに酒がうまい 108茶壽ちゃじゅ
110~114 飲む点滴ポカリスエットがうまい 111歳皇壽こうじゅ
115~119 もっと尿瓶しびんをクレヨンクレパス 119頑寿がんじゅ
120~124 今日も元気だ薬がウマヒィ 120昔寿せきじゅ121歳大還暦
尊大出身だもの尊大ですよ。
ええ、尊大に決まってますって。
この言葉を言われてずいぶん年月が過ぎた。
こたえたぁ。
参った。
マイッタマイッタ マイケル弱寸。
教義:
日常生活の中で修行を重ね、仏教の教えに沿って生きることを重視しています。
昭和11年(1936年)、開祖・伊藤真乗が妻の友司と共に、東京都立川市に燈檠山・真澄寺を建立したことから始まります。
「真如」は仏教でいう「真実そのもの」を意味し、「苑」は「囲いのない庭」を意味します。人々が真実を見いだすことができる、開かれた場所であるという願いが込められています。
「接心」と呼ばれる瞑想修行など、日常生活の中で心を磨くための様々な修行があります。
家庭を持ちながら教えを学ぶ「在家の仏教教団」です。
紛争や貧困に苦しむ人々の支援など、様々な社会貢献活動にも取り組んでいます。
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ミ ミ゛ 彡三ミ ミ ミ .. | |l l ,´
ミ ミ, _,,,,,.ハ、,,,,,_ ミ ミ. . _-、i::| |ニニii '
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岡田茂吉(mokichi okada)
(日本 1882-1955)
1938年、東京都立川市にはじめてのお堂(真澄寺)を建立し、1943年には、真言密教のすべての法を受け継ぎました。
これが「真如苑」のはじまりです。
さまざまな意味が含まれる仏教用語ですが、真如苑の「真如」には、今を生きる一人ひとりが、み仏の教えを学びながら、それぞれの生き方の中に幸せを見出していけるようにとの願いが込められています。
現在、およそ20ヶ国に100を超える寺院があり、世界でおよそ100万人(国内およそ90万人)の信徒が活動しています。
知らんかった
"人の役に立ちたい"その一心で出発
昭和の初め、ひとりの航空エンジニアが、宗教の道に立ちあがりました。伊藤真乗、まもなく30才にならんとする青年です。宗教の道を選んだわずか数週間後、東京では二・二六事件が発生し、混沌とした時代のなかでの出発でした。
やがて立川飛行機製作所に入社。技術部門にたずさわって7年が経つころのことです。
悩める人々、病む人々のために祈りを向ける日々。
人の役に立ちたい――真乗の胸に、その思いは日増しに強くなっていきました。
不動明王と対座し、また、人々と対座する――。そのなかで、妻・友司とともに宗教家として立つ覚悟が固まります。
1936年2月8日のことでした。
戦前から戦後にかけて、世情の不安定な時代、真乗は一心に修行を重ねます。生活の困窮、二人の息子の他界、世間の無理解、そして愛弟子の裏切り。苦難の道が続くなか、ホンモノを極めていきます。
日々、戦争の色が濃くなり、わずかな人が集まることさえ、警察が目を光らしていた時代です。
けれども、真乗夫妻を訪ねる人々は増え続け、ついには家からあふれるほどに。そうして、お寺建築の声があがりました。
その地が今、真如苑の総本部となっています。
1940年には宗教団体法が実施され、厳しい宗教統制が敷かれていきました。宗教活動が思うようにできないならと、開祖・真乗は自身の修行に打ち込みます。
「修行者の態度は、常にかくあるべきもの、とってもってよく範とせよ」とご説示されたと、後に座主となる岡田宥秀大僧正猊下は当時を語っています。
誰のなかにもあるよき心「仏性」が説かれる涅槃経をひもとくうちに、人々のよき可能性を開花させる一助となっていきたいという開祖の願いは、強くなっていきます。それが、在家教団としての出発となりました。
修行を極めたからこそ、出家で得られる心――境涯を実感していました。
ここで、新しい悩みが生まれます。
「ふつうの社会生活を営む在家の信者であっても、仏を求める心を持つ限りは、出家者と同じように仏道を歩むことができないか」
そして、釈尊の入滅に、神仏とともに在家の人々が馳せ参じたとの一節。
この経典こそ、悩める人々、病む人々が、祈りと修行を重ね、
出家と同じ境涯をめざす基盤となると開祖は確信しました。
髪を伸ばし、洋服をまとって、「真如苑」として一宗をおこし、歩み始めました。
そうして、人々の心に仏の性を刻む祈りをこめて、開祖が自ら謹刻したのが、真如苑の本尊・涅槃像でした。
融和――人々の安心立命のために
開祖は願いました。――宗教の背景も国境も文化も性別も越えて、多くの人とともに、お互いの持てるよき心を発揮することができないか。真如苑の「苑」は、くにがまえの「園」ではないのだから、囲いがない真如苑になろう――。
1967年、「欧州宗教交流国際親善使節団」団長として、ヨーロッパ8カ国を歴訪した開祖は、ローマ法王パウロ6世と会見し、日本人として初めてバチカン放送に出演をしました。
「仏教の精神はあくまでも"融和"であり、"融合"であります」と呼びかけた開祖。
どれほど実現が困難であろうと、国や人種、宗教の違いを越えて融和する世界を目指し、"真如"を説き続けました。
出発にあたって、30才の開祖が残した言葉は、生涯をつらぬく一筋の道となって、今も真如苑に生きています。
結合論(または統語論):記号間の形式的または構造的関係;
語用論:記号と解釈者との関係 (Morris 1938,6-7)。
個人的に、文系科目があまりに簡単だ
だが無理だろう
生まれ変わって、もう一度やれざ
数学をやったことがなかった
数学をやってみたい
今度は
強烈な願望だ
文系の中の競争に勝てない
早慶にすら入れない時代だ
数学でさんざん苦労したが
理系に限りなく近いと思う
呪文のように唱えなくても良いのではないか
数学や理科の先生としては天才的だ
これこそ、自分に最も適した職種だと思う
こんだけ分かってりゃ十分だろ
そこそこのところで満足
数学の基本的なところは、全部分かっている
満足すべきだ
この人生の成果とするに足る
それをキッカケに、悟りを開けるかもしれないし(笑)
AIを先生として、効率よく数学を学べる
政治構造の強化: 明は皇帝による直接統治を強化。唐の三省六部制から、皇帝専制を徹底し、官僚への統制を強めた。
社会の漢民族回帰: 異民族(モンゴル)の元を追い出した明は、漢民族の支配を再確立し、中華イデオロギーを強調した。
経済と国際関係: 唐の開明的な貿易政策に対し、明は「海禁」政策で民間貿易を制限し、政府が管理する「朝貢貿易」を基本とした(後に緩和)。
国防と地理: モンゴル対策として、明は万里の長城を再整備し、首都を北京に移した。
文化・思想: 唐の自由で多様な文化に対し、明は朱子学を正統とし、試験(科挙)を強化して思想を統制した。
「国民国家」の定義(明確な国境、均質な住民、主権など)をそのまま当てはめることはできませんが、明朝はそれに類する「民族意識」や「中央集権的な統治体制」を強固に作り上げた時期として知られています。
漢民族意識の覚醒
元朝の異民族支配(モンゴル族)から「脱却」し、漢民族の統治を回復したという意識が強い。
朱元璋は「華夷の弁(中華と異民族を区別する)」を掲げ、中華文化の再興を強調した。
皇帝に権力を集中させるため、中書省(宰相)を廃止し、皇帝が直接六部(行政機関)を統括する体制を確立した。
「明律・明令」という法体系を整備し、社会的な統制を強めた。
海禁政策(民間人の海上貿易・渡航を禁じる) と、北方のモンゴルに対する「長城」の修築 により、帝国という明確な領域の内部と外部を分断しようとした。
戸籍(黄冊)や租税(魚鱗図冊)の管理を厳格化し、農村社会を基礎とした強固な支配体制(里甲制)を作り上げた。
正反対の国家体制
だいぶ数学が分かった
ここまででいいだろう
数学に取り組む
AIアシスタントを師として、理系を学ぶ
そんな必要もないかな
「人は、言語を使って世界像を構築している」
「これが世界だ、世界とはこういうものだと思い込んでいる」
「こんな虚構の世界から抜け出そう」
という方向に向かう
「我々の文明社会は、言語のような分節構造になっている」
という、構造主義の社会分析に向かった
左翼の唯物主義者の思想だ
社会構造により、思考や行動を規定されている
記号論(記号学): サイン(記号)の意味作用を研究する分野。ソシュール(言語学)やパース(記号論)に由来し、文化全般の記号的意味を分析する。
構造主義: 人間の文化や社会現象には、普遍的な深層構造が存在すると考える思想。レヴィ=ストロース(文化人類学)、ラカン(精神分析)、フーコー(思想史)、アルチュセール(マルクス主義)などが代表例。
繋がり: 構造主義は、記号論的な「言語学(ソシュール)」をモデルとして、文化(神話、親族関係、ファッションなど)を記号の体系として分析する。
発展: 構造主義の次には、その限界を乗り越えようとする「ポスト構造主義」が続いた。
フェルディナン・ド・ソシュール: 構造主義の基礎となる言語学(言語は差異の体系、シニフィアン/シニフィエ)を確立。
クロード・レヴィ=ストロース: 親話や文化構造の分析に構造主義を応用。
ロラン・バルト: 記号論と構造主義を架橋し、日常の文化を分析。
機械みたいなものに見えてきた
人間や世界が、機械に見えてくる
社会的現実の構築:言語は社会的な制度や約束事を形作ります。「法的に離婚する」「結婚する」などの発話は、適切な状況下で現実そのものを変更する力(制度的実在)を持っています。
権力とディスコース(語り):どのような「言葉の型」や「定義」が社会で優位か(権力を持たれるか)を分析します。特定の発話や記述が、どのような固定概念や行動規範を強化しているかを批判的に分析するアプローチです。
語用論の視点:言葉の「意味」だけでなく、コミュニケーションの場において、「どのように伝わるか」「どのような結果をもたらすか」という、言葉の機能面を重視します。
このアプローチは、政治的・倫理的な言説の批判的な分析、社会問題の基礎構造の解明に用いられます。
以下のように絞り込んで情報をお伝えできます。
サールの「発話行為理論」をもっと詳しく。
ウィトゲンシュタインの「言語ゲーム」を具体例と共に。
特定の社会問題(ジェンダー、SNS上の言葉)に当てはめた分析手法。
言語は行為: 「約束する」という言葉は、その時点で約束という行為を行っている。
発話内行為(Illocutionary Act): 話者の「意図」を伝え、社会的行動を実行する力(例:命令、謝罪、約束)。
断定・断言型(Assertives): 真実を表明する(「~だ」)。
行為指示型(Directives): 聞き手に行動を促す(「~しろ」)。
行為拘束型(Commissives): 話し手の将来の行為を約束する(「~する」)。
感情表現・表明型(Expressives): 心理状態を伝える(「ありがとう」)。
宣言型(Declarations): 言葉によって社会的現実を変える(「君を解雇する」)。
間接発話行為: 直接的ではなく、別の表現(疑問文など)で意図を伝える手法(例:「醤油とって」の代わりに「醤油どこ?」と言う)。
オースティンの遂行動詞の分類とサールの発話内行為の類型について - 旅する応用言語学
Jul 18, 2022 — Searleは発話内行為をその目的に基づいて以下の5つに分類しています。 * representatives (assertives)(断定・断言型)―あることが真実であると話し手...
1. 依頼・命令の間接表現
「(部屋が寒い状況で)窓が閉まっていますか?」→ 「窓を閉めてください」という依頼
「時計持ってますか?」→ 「時間を教えてください」という依頼
「これ、美味しいね」→ (相手に)「それ(食べ物)を勧めたい」
「もうすぐ授業が始まりますよ」→ 「話をやめて静かにしなさい」という注意
「もう宿題済んだの?」→ 「早く宿題をしなさい」という命令
「今度飲みに行こう」に対し、「明日朝早いんです」→ 「誘いを断る」という意図
これらの発話は、字面通りの意味ではなく、会話の文脈に基づいて真意を汲み取る必要があります。何か他にも具体的な状況における表現を知りたいですか?
どの科目も全部できないはずだ
数字や計算に滅法強い
自分の持ち味だ
少なくとも、計算問題には強い
簿記に取り組もう
していないのか?
言語哲学と社会分析の重要ポイント
社会の構築: 言語が「社会的現実」を作り上げる力を持つ (例:「約束する」「解雇する」といった発話行為)。
語用論と文脈: ウィトゲンシュタインの「言語ゲーム」のように、特定の文脈における言語の使用が意味を決定する。
概念の批判: 分析哲学的手法を用いて、社会における権力、アイデンティティ、制度的な誤解を言語的に解消・分析する。
非言語要素の分析: パラランゲージ(表情、ジェスチャー)が言語的行為と共にどう意味に貢献するかも研究対象。
この分野について、より深く知りたい特定のテーマ(例:法とスピーチ・アクト、AIと対話、社会言語学的な権力分析)はありますか?
世界が言語でできているのは分かった(笑)
現在が全てだ
ほとんど別人だ
これでこそ、意義のある人生

具体的には以下の要素が含まれます。
構造・文法分析(統語論): 文や語句の構造、用法を分析する手法。語彙、構文を対象とする。
自然言語処理(NLP): 人間の日常的な言葉(自然言語)をコンピュータに処理・分析させる技術。
対照分析: 母語と目標言語を比較し、間違いの原因を探る(第二言語習得研究)。
哲学的な分析: 日常言語学派や論理実証主義などによる、言語の用法や論理の分析。
立命館大学+4
もし必要であれば、以下の点について詳しくお伝えできます。
自然言語処理(NLP)の具体的な手法やツール(Pythonなど)
文法分析や語用論の基礎知識
テキストマイニングによる感情分析やキーワード抽出

自然言語処理(NLP)の概要
定義: 人間の言語をコンピュータが処理する技術。AIの一分野。
目的: コンピュータによる言葉の理解、分析、要約、翻訳、生成。
形態素解析: 文章を単語単位に分割し、品詞を特定する。
構文解析: 主語・述語・目的語などの文の構造を解析する。
意味・文脈解析
: 単語の曖昧性や代名詞が指す内容、文脈を解釈する
。
スキルアップAI+6
機械翻訳・翻訳ツール: Google翻訳など、精度の高い文章変換。
対話システム(チャットボット・スマートスピーカー): SiriやAlexa、ChatGPTなどによる人間らしい会話。
文書要約・分類: 大量テキストからの要約、ニュース記事の自動分類。
感情分析(センチメント分析): SNSの口コミやレビューからポジティブ・ネガティブを判定。
Sky株式会社+6
自然言語の持つ「曖昧性」(同じ単語で意味が変わる、文脈に依存する等)を完全に理解することは難しく、現在も研究が進められています。今後は、単なる情報の処理にとどまらず、文脈や感情をより高度に理解する「自然言語による対話」の実現が期待されています。
スキルアップAI+2
メチャクチャに鍛えまくってきた
ソール・クリプキSaul A.Kripke(1940~)の「必然-偶然」と「固定指示子」のアイデアは、独創的で、チャーミングで、かなり使える。
彼以前は「アプリオリ」と「必然」が同一視されていたものを、「アプリオリ‐アポステリオリ」と「必然‐偶然」がまったく別の視点であることをはっきりさせたのがクリプキである。
クリプキは、「必然/偶然」の哲学
「アプリオリな真理とはいかなる経験にも依存することなく知ることが可能になるものである。…誰にとって可能なのか。神にとってか、火星人にとってか、…特定の人または認識者がアプリオリな証拠に基づいて何かをアプリオリに知っている、という問題に焦点を絞るのが得策だろう」(「名指しと必然性」邦訳p38)
この人にとって、「ニクソン」はその語に関する認識の中に「1970年のアメリカ大統領」が含まれているのだから、それ以上ニクソンについての情報を経験しなくても、ニクソンは既にしてもともと1970年のアメリカ大統領なのだからである。
「ニクソン=アメリカ大統領」となるわけか
最初から、「アメリカ大統領の名前」として与えられるのだから
かなりユニークなご意見で
「生まれる前から知っていた」
というような、不合理な話ではない(笑)
「必然/偶然」の哲学なんだな
古代ローマ帝国に相当する
そこに特化する
国際連合の盟主みたいなものだ
さっさと死にたいだろうな
自分の考えとは違う方向に動いていくので
信念体系は強固だ
コンクリートのように固まっている
https://talk.jp/boards/psy/1754046521
https://talk.jp/boards/psy/1754046521
https://talk.jp/boards/psy/1759535455
また数学で苦労するなら、それもまた結構
それは感じる
コレといった取り柄が特にナチ
「俺は文系だから」といって逃げてたら
中国はまだ古代だ
古代ロマンだな
タイムマシンで見てみたい
古代ロマンだな
中国もじつは似たようなものだ
苦労して、取り柄を1つ身につけた
履いて捨てるほどいる
単なる道具(コミュニケーション手段)を超え、言葉が現実、思考、社会構造を形作るという観点から、言語哲学が文明社会に及ぼす影響を以下にまとめます。
現実の創造: 言語は、人間が文明社会と呼ぶ複雑な概念(国家、お金、法律、権利など)を存在させるためのフレームワークです。
思考の制限・拡張: 私たちが話す言葉の構造が、認識の仕方や思考の仕方を形作っています(サピア=ウォーフの仮説)。
記憶の伝承: 言語によって、個人の経験が「歴史」や「文化」として、時間や場所を超えて共有され、文明の持続可能性を確保します。
「言葉の意味は使い方」 (後期ウィトゲンシュタイン): 文明社会における言葉は、共有されたルール(「言語ゲーム」)の中で機能しています。このルールのずれが社会的な摩擦を生みます。
「言語の自己指示性」: 言語は外部世界を指すだけでなく、自分自身が作り出したルール(法律や用語)の体系として社会を動かしています。
「悪口・ヘイトスピーチ」の分析: 言語は、序列(上下関係)や権力を生み出す道具としても機能します。特定の用語が、社会的に誰かを劣った存在として位置づけるプロセスを言語哲学は解明します。
デジタル化とAI: 言語の標準化や自動化が進むことで、多様な表現(多様な世界観)が失われる可能性が懸念されています。
価値観の改革: 言語哲学は、固定化した社会の価値観(伝統、信念)を、新しい表現によって改革する役割も担っています。
言語哲学は、現代の文明社会が「言葉」という抽象的な記号の上に立っている脆さと強度を明らかにする学問です。文明社会をより円滑に、あるいは公平にするためには、私たちが日々使う言葉の構造や性質を哲学
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計算能力という尖った性能がある
ボロクソに言われながらも、数字と計算の世界にばかり
過去世のどこかの時点で身につけたに決まっている
また人生を送るとしても
急激に心境が変わった
そういえのは
その中に、言語哲学がある
まず、記号論ありきだ
言語学は、この一般科学[記号学]の一部門に過ぎない。記号学が発見する法則は言語学に適用できる法則である...。我々に関する限り....、言語学的問題は第一のかつ主要的な記号学的問題である...。言語システムの本質を発見しようとしたら、同じような性質を持つ全ての他のシステムと共通しているものは何か、第一に考えなければならない...。このようにして、光が言語学の上だけでなくあてられる。儀式や習慣を記号として考えることにより、それらに新しい視点を与えられると信じている。それらを記号的現象として捉え、記号学の規則に関する用語でそれを説明する必要があるように感じられる (Saussure 1983, 16-17;Saussure 1974, 16-17)。
言語を記号論から見ることで生じた
言語だけじゃないからな
世界は記号でできている
言語論的な転回だ
狂人だと思われてしまう
徹底検証!「真如苑」 Part.3
https://talk.jp/boards/psy/1673815641
https://talk.jp/boards/psy/1673815641
そんなもんだろ
文明の曙
中国史の実質的なスタートだ
本気でピンと来るのは難しい
文学部じゃないしな
気づいただけでも収穫だ
ここまで来れないだろ
世界が言語で出来てるなんてな
この世は深い幻想の世界だから
壮大な共同幻想だ
地球人類みなが言語で共同幻想を形成している
力を合わせて共同幻想
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