新興宗教・真如苑 vol.129最終更新 2024/04/17 00:071.神も仏も名無しさんxX3I70wq新興宗教・真如苑 vol.127前スレ:新興宗教・真如苑 vol.126https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1596294546/新興宗教・真如苑 vol.127https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1607610747/新興宗教・真如苑 vol.128https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1616020901/☆ここは、真実追及と意見交換の場です。☆心と宗教板を利用される方は、『カルト問題』に関心を持つようにしましょう。☆発言は、論拠と根拠を伴ったものにしましょう。☆その場凌ぎの発言は控えましょう。 誤魔化し・ピンポンダッシュは徹底追及。☆他教団の工作員(日蓮正宗のトヨダなど)や真如苑事務局は入場禁止です。出典 https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/16634551452022/09/18 07:52:25266コメント欄へ移動すべて|最新の50件217.神も仏も名無しさんJaLdT3 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】相手をば鏡となせのことのりも 涅槃に示す教えなりけり【教主注釈】「相手は鏡」と言うことばがあるが、涅槃の中にも=仇は相手にあるのではなく我身にあるのだ=と教えている。↑困った相手も霊的に自分になぞらえようとする。世の中のあらゆる要因が霊的に霊感商法の手法で個人の因縁として示される。それは因縁切りと言われる因縁の植え付けであり、マッチポンプである。2024/02/03 06:44:15218.神も仏も名無しさんYp82T4 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】み佛にまかせまつりて常ぞつね 送る日日浄土なりけり【教主注釈】自分のはからいをはなれた時、日々が本当に安心して暮してゆけるようになる。↑自分の頭で考えることを辞めて、み仏本位という霊的意味付けに委ねるとある意味楽であろう。救われない霊に因縁づけられて洗脳される道が待っているのである。2024/02/04 07:18:58219.神も仏も名無しさんbUD2Y5 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】月日ごと慈悲をこうむる人まして 真如みひかり世にぞ知らるる【教主注釈】涅槃経を信心の基盤においている宗教団体は皆無といってもよい。護法の霊言に「科学が進歩して、やがて月の裏面まで判る時代に、この教えは(最後のみおしえ)は栄える…」と。↑過去に例のない教えと個人の人生までも予言されていると装う教え。それは霊感商法の手法で後から取って付けられた結果である。2024/02/05 05:23:01220.神も仏も名無しさんFKoep6 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】過ぎし日の執われ捨てて希望ある 未来求めて法にいそしめ【教主注釈】過去に執われていたら、それは退歩である。申訳ない…という言葉を出す時には、それ以上の精進に振い立つことだ。↑救われない霊が示されると取り組みが増える。それが霊感商法による因縁が付与される仕組みである。2024/02/06 04:26:54221.神も仏も名無しさんhpClR7 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】物心は一如のものと知りながら こころ忘れる人もあるなり【教主注釈】物心一如とは、名実共に伴うもので、真諦め(まことのみち)である。物のみを追い求め、一如のこころ(み仏と共に生きる心)がないから、心忘れた-と言うのである。↑霊感の言葉で操作された道は楽ではあろうが、教えに都合の良い道である。物も心も教えに貢ぐように操作されている。2024/02/07 04:34:27222.神も仏も名無しさんcFUlf8 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】我をたてず相手の身にぞ先ずなりて 笑みを忘れず説けよ苑人【教主注釈】救いの真実を相手にわかって貰おうとするには、その人の心に自分の心を置きかえて、救いの道を共にあゆむ(あゆませる)事が肝要である。↑教えどおりに勧誘しようとしても霊感商法の手法はばれてしまう。最高の教えに結ばれたと持ち上げられた信者はそこで切れてしまうか、無断で入信させるか、世間的な縛りをを使って入信させようとする。それはカルト性を伴う行為である。2024/02/08 05:58:45223.神も仏も名無しさんLJZ6r9 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】他を救う力で我身救わんと 示す最後の教え尊し【教主注釈】他を救うその功徳によって、自からが救われることは、全く涅槃聖典に示される真理(まこと)である。↑ねずみ講の様に霊感のお力を求めさせるために勧誘しても誰も救われない。不幸の手紙のように何人かに伝えなければ自分が不幸になると思わされているのである。2024/02/09 05:20:23224.神も仏も名無しさんlSSAt10 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】了義にて不了義経に依らずとは 涅槃了義の真理(みち)と知るべし【教主注釈】如来の真実なる智慧を如実に顕露したのが了義経である。涅槃経は聖典中の聖典とも言うべきものであるから、本経を諒解(りょうかい)することを仏徒としての道としなくてはならない。↑人間の頭で考えず霊感の言葉で言われたことをただ信じる。そこに無断入信や勧誘目標やノルマを促す指導が入る。それらを実践する信者がカルト性を周囲に伝えるのである。2024/02/10 06:29:23225.神も仏も名無しさんQ6S1311 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】書を持つも読まず極めず只きして 悟り得ようとするは畧分(りゃくぶん)【教主注釈】教書を持って安心している-、それもよいがやはり、他に教えを伝えるために、しっかり読んで自分のものとしていかなくてはならない。↑教典にどの様に良いことが書かれていても、信者のやっていることがその教えの正体である。問題になれば「信者が勝手にやったこと」と切り捨てられるだろう。2024/02/11 06:29:25226.神も仏も名無しさんAbWEa12 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】他が為になすは即ち世の為と つくすまことが真の信心【教主注釈】大乗のためになしてゆくのが、この教えの本当の信心で、初信のうちは我が為に成しても、やがて他の為になしてゆく本当の大乗の境を得てゆくことが大切である。↑自分が霊感で示される因縁から救われたいと思っているだけでは救われないと示されて、人も同様に救われたいと思わせなければならない。ねずみ講と霊感商法の手法である。2024/02/12 09:20:43227.神も仏も名無しさんPU8pu13 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】み法うけさらさら流る水のごと 真理(みち)にたがわぬ人ぞ楽もし【教主注釈】してあげた-、助けてやった-、等という考え方、思い方は仏教徒として不純である。大乗の真如教徒たるべきはそうした不純な心は捨てるべきである。↑してやった、と信者は不順だが、仏教徒であるかは定かではない。仏教は霊感商法やねずみ講の手法を隠す隠れ蓑である。2024/02/13 05:29:45228.神も仏も名無しさん3hudA14 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】浮世とはよろこび憂いの世としるも み法に生きば其処が浄土ぞ【教主注釈】この世を苦のシャバという、しかし、正しいみ仏の教えにふれて、如来法を知ったとき、此処が、このままお浄土であることがわかる。↑世間は因縁まみれの恐ろしい世界。教えのお力で守られた世界は安全であると教え寄りにさせる意図がある。そこに信じない自由を奪う行為があればカルト性を伴うのである。2024/02/14 06:11:18229.神も仏も名無しさん5xBU215 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】光なる光の外のみひかりは 最後の法の光なりけり【教主注釈】太陽の光こそ最たるものであるが、教えの光もその如く、仏最後の教えのひかりこそ、この世における最勝の救いのみ光である。↑最後のみ教えを謳うが霊感商法やねずみ講の隠れ蓑である。救いはそれら手法による不幸の連鎖に繋がる勧誘を意味する。2024/02/15 05:52:27230.神も仏も名無しさんrzteT16 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】み佛の恵み思わば日に三度 合掌してぞ食(じき)に謝すべし【教主注釈】感謝はさとりをうるはじめ-と言う。考えてみれば、食事を頂けるということ自体が、本当に有難いことである。↑霊感の言葉で日常のあらゆることにみ仏の慈悲が流れる。そこに「信じる自由」と「信じない自由」の両方が守られているかでカルト性が見えてくる。2024/02/16 05:46:08231.神も仏も名無しさんykkE517 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】まことなるみ法の救い毛孔より 入ると説かるる涅槃神力【教主注釈】「善男子よ日月光明は諸の光明の中で最も勝れている。大般涅槃の光明も亦かくの如きもので、諸の大乗経の中に於いて最も殊勝なものである。それは大涅槃の光よく衆生(ひとびと)の毛孔から入り込むからである。」(大般涅槃経菩薩品より)↑毛穴から入り込むお力は信者に有り難さを感じさせるが、教えの手法を知ってしまった人には響かない。問題は信教の自由の「信じる自由」と「信じない自由」の両方が守られているかである。2024/02/17 08:24:25232.神も仏も名無しさんLLoTO18 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】物事は思うが如くならねども 行い重ねて成ると知るべし【教主注釈】ままならないのが、人の世である。何事も誠実をつくして成しとげてゆく、そこに目的成就の栄冠はある。↑この教えを続けて得るものとして、ねずみ講型の取り組みによる信教の自由の侵害によって恨みを買うことがある。それに気づけないのは洗脳やマインドコントロールされているからである。2024/02/18 05:26:09233.神も仏も名無しさん3tJD419 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】道の辺に踏みにじらるる野草にも 耐えて伸びゆく性ぞあるなれ【教主注釈】”この泥があればこそ咲け蓮の花”大乗利他の行いには非難やざん謗がつきものである。何故ならば、それが正法であるから-恐れずにすすもう。↑金銭的、肉体的、精神的搾取に気づけない信者がそれらを人に行わせようとするから批判される。それは当然のこと。2024/02/19 04:38:00234.神も仏も名無しさんWceiQ20 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】何みてもみ法示さぬものはなし おのが心に菩提ありなば【教主注釈】接心によって磨かれた心には、未だ見ざるものを見、聞かざるものを聞くことができる。それは自分自身に菩提(しんじん)の種をもっているからである。↑接心の霊言は霊感商法である。誰にでも当てはまる言葉を本人に合わせて解釈させて救いとなる。「ああ救われた。こう救われた。」と洗脳されていく。2024/02/20 04:52:22235.神も仏も名無しさんArIHx21 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】み教えにやさしき言葉欲しなば 我身かわいい二乗とぞ知れ【教主注釈】初信者であればやさしい言葉も必要だ-、入信して相当な年月を経ていても菩提(求める)心が成長せず、いつも初信者の如き心であってはならない-と言うことである。↑洗脳が進むと突き放されても辞められなくなる。それでも霊感の言葉による後出しジャンケンのやり取りは続く。2024/02/21 05:55:51236.神も仏も名無しさんlus7222 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】外教より涅槃了義のみ教えに 導く人を教師とぞいう【教主注釈】あらゆる外教も涅槃海に帰一する。又此の意味に於いても、諸教を摂受して始めて大海のみ教え-とも言えよう。↑あらゆる教えが行き着く大海の教え。蓋を開ければ霊感商法やねずみ講など悪徳商法の寄せ集めだった。2024/02/22 04:31:20237.神も仏も名無しさんOAKB823 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】今日蒔きて明日の稔りはなきと知れ 学び修めるわざもそのごと【教主注釈】今日蒔いて、明日の稔りはない。少しばかり教えにふれて、全部わかった-と思うことは大変な間違いである。↑「知ったようなことを言う」それは指導者が批判された時の逃げ道として使われる方便である。霊感商法で成り立っている教えの本質を知れば、その様な言葉を気にせず距離を取ればいい。2024/02/23 06:00:21238.神も仏も名無しさんdCs6t24 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】他がために尽せしことは忘るとも受けし御恩は忘るべからず【教主注釈】人のためにしたことは、いつまでもよく覚えていて、自分にして頂いた御恩は忘れてしまう、そんな事では仏教徒とはいわれない。↑教えから受けたご恩を嫌らしいほど言われる。霊感商法で後から取ってつけられたお力のお陰であるが。2024/02/24 05:54:30239.神も仏も名無しさんtzqz625 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】訶責とは宝の山を指し示す 指と知るべし世々の人々【教主注釈】訶責してくださる人は、めったにいないものである。それなのに訶責されると、その人が嫌になる。それはいつまで経っても真実の宝を得ることは出来ない。↑ここの呵責は霊感商法による後付の言葉を根拠に行われる。だから指導者は辞められなくなり、その立場に固執する。2024/02/25 07:30:46240.神も仏も名無しさんhnihk26 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】布施なすも報い求めぬまことこそ 悪因断ちの道と知るべし【教主注釈】これだけ歓喜したから御利益があっても当然だ…と思ったら、それは徳が徳にならない。結果を求めない布施、そのまごころが霊界に通じ、悪因縁もたち切れていくのである。↑霊界からの言葉で悪因縁が示され、取り組みが増えていく。取り組むべき救われない霊が示されて喜ぶのは霊感商法の手口に乗せられているからである。2024/02/26 05:24:27241.神も仏も名無しさんc0uzL27 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】苑(この)道は佛の始めし道なれば 百千代かけて変わらざる道【教主注釈】真如苑の教えは釈尊が創始された道であり、この道をあゆめば、何人も幸福な世界にゆけるのである。何故ならば、それは真理であるから。↑明らかな嘘である。この道は教団にカネ、ヒマ、社会的信用を貢ぐ道である。2024/02/27 05:37:02242.神も仏も名無しさんfqAxw28 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】執着の存在捨てて暮らす時 ものみな尊し楽我なりけり【教主注釈】執着は貪りである。貪りを鎮めたら瞋りも痴も鎮まって、本当の楽しみを得ることが出来る。↑世の執着を捨てさせ、お力を貪らせようとする。霊感商法の言葉で洗脳して。2024/02/28 05:04:43243.神も仏も名無しさんLlmo829 楽我【今月の苑歌】【今日の苑歌】最後なる教えにふれて謝すなれば 摩尼の宝珠を掘り当つと知れ【教主注釈】「水の濁りの中に宝珠を置けば水即ち清浄となる」と涅槃経に示されている。この深意をしるとき、まことに有難いことがわかる。↑この教えをもっと信じられなくて謝らなければならないマインドコントロール状態は、教えを信じない人を貶めなければならない心理状態にさせる。それは、新興宗教を信じさせられている劣等感から来る。2024/02/29 05:07:24244.神も仏も名無しさんnvU1k1 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】我がうちに一如の喜び見出しなば 日日の仕事も聖なりと知る【教主注釈】一如と言うことは、み仏の大慈しみの中に生かされることであり、それを知れば日々の業務もみ仏本位に生きる聖業なり-と、覚ることが出来る。↑み仏本位とは人間の頭で考えることなく霊言に示されたとおりただ従う思考停止状態を言う。霊感商法が伴うので、良くも悪くもお力のお陰とされてしまう。2024/03/01 05:17:09245.神も仏も名無しさんaFaQz2 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】教法を学ぶにいとまなしという 人こそ暇に学ばざるなり【教主注釈】とても忙しくて学べない-と言う人があるが、日常のその忙しい中から神仏に捧げまつる、まことを発見しようと努力することが大切である。↑教法を学ぶと霊感商法が知れてしまう。だから人間の頭で考えるのを辞めさせてただ信じさせる思考停止を促すのである。2024/03/02 05:41:39246.神も仏も名無しさんB6gzU3 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】無我という道も正しきことなれど 無我超え悟る妙有尊し【教主注釈】無我だけでは悪因縁は消除できない。大般涅槃のみ教えに言われるよう教えの如く行って、こうした無我を超えるところから、現象に生かされる妙有の喜びを得ることが出来る。↑霊感商法の言葉の如くカネ、ヒマ、社会的信用を搾取された後の現象に生かされるのは、教団の集まりにしか居場所がない教えに好都合な世界にいることである。2024/03/03 07:27:06247.神も仏も名無しさんN4jzk4 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】布施なして喜びなきも布施なるが喜びあらば波羅蜜としれ【教主注釈】歓喜は一つの布施であるが、若しそこに行わせて頂いた喜びが感じられるならば、それは行うことによって、一つの彼岸(さとり)に達したことになる。↑歓喜は仏教の布施と言っているが、喜びで行なえと煽られる。それは霊感や霊視商法によって洗脳が進んだ結果である。2024/03/04 05:43:26248.神も仏も名無しさんYXcRx5 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】歓楽は悪華と知れよ世々の人 心も身をも亡すと知れ【教主注釈】歓楽は肉体だけのよろこび、目先だけの楽しみで飽くことを知らない。歓楽は悪魔の投げた餌食と思わねばならない。↑この教えの為に世の欲を捨て貢いだとしても、霊感商法によって搾取されるだけである。霊視商法とも言われる。2024/03/05 05:18:22249.神も仏も名無しさんcjlxS6 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】執わるる心にはからいありと知れ 執われ捨てばはからいぞなし【教主注釈】執われを持っているから真如の正法を聞いても、はからい心が起こる。人間本位の情的なつながり、これを断つ時、はからいはあべこべに感謝と変ってくる。↑教えの言葉に従い世の感情的な繋がりを断って悟りのような喜びを感じたとき、そこにあるのは世間から居場所を失った霊感の言葉に騙された教えの人間関係である。2024/03/06 05:52:23250.神も仏も名無しさんxlQM07 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】世の中の苦とよろこびの間より 求め得るのがまこと菩提ぞ【教主注釈】よろこびに浮かされ、苦しみに執われていたのでは、本当の因縁消除の道を見出すことはできない。苦の中から、喜びの中から中道の真理を見出すのが、本当の信心である。↑人の苦と喜びを霊視して因縁を示して洗脳しようとする。霊感や霊視商法の手法である。2024/03/07 05:59:02251.神も仏も名無しさんuJJuY8 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】我れと共に常にましますみ佛を 忘れずはげめ世々の人々【教主注釈】無形のみほとけを有形に信ずるところに、本当の信心があるのではないだろうか、此れは無相接心に生きる苑人の在り方である。↑霊感に示された因縁に恐怖して妄想し、教祖一家のお力を求めるのが無相接心である。2024/03/08 04:44:21252.神も仏も名無しさんqY7p69 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】他が為と修むる教え身につけど 我が為なれば詰まるとぞ知れ【教主注釈】他に語り伝えるために教えを聴聞していった時には、よく身につくものである。↑他が為と思って勧誘して成功すればいずれ自分の徳として返ってくるので自分も救われると言われる。ねずみ講の教えである。2024/03/09 08:00:24253.神も仏も名無しさんl7VIw10 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】世的な外に求むる心こそ 菩提心とぞ悟れ世の人【教主注釈】 此の-世的-は、本能的の謂いである。人には財的なもの、名誉や地位等こうしたものの外に、聖なるものを求める純真なものがある。これが即ち菩提心である。↑霊感の言葉で聖なるものを示されて求めるのは勝手だが、それを人に押し付けてはいけない。それが宗教ならば信教の自由の侵害である。2024/03/10 04:41:07254.神も仏も名無しさんLDDR011 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】自からの力の限りつくしてぞ なすがまことの信というなり【教主注釈】力の限りを尽くしたことのない人には信心は解らない。力の限りを尽くして神仏に委ねる-。↑霊感・霊視商法の手法を覚えた指導者が信者の境遇に後からそれらしい言葉を関連付ける。それはいくら力を尽くしても切りがない。霊言というコールド・リーディングに対するホット・リーディングである。2024/03/11 04:56:02255.神も仏も名無しさんuRAGD12 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】他が為に我が身ささぐる行いは 人の身ながら菩薩なりけり【教主注釈】此処でも教法を中心にして、他のために我が身を捧げる行いを示している。人間情を中心にして身を捧げることを云うのではない。菩薩に殉教の死はあるが、情死はない。↑この教えの為に人を勧誘し、献金し、無償労働することが仏の行いと言われる。仏教は霊感・霊視商法を思わせないための隠れ蓑であるが。2024/03/12 05:08:57256.神も仏も名無しさんJ9YTl14 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】一念をこめて誦(とな)うる御霊呪は 子々孫々(すえずえ)までの清めとぞ知れ【教主注釈】大乗の行いを伴わせてこそ平生普段の祈りも深められ、御霊咒の効験や威大神力も増大されるのである。↑これを唱えていればお力が流れてくるという安易な思考にさせられる。安易な気で人にこの教えは絶対だと信じさせようとすれば、信教の自由の侵害である。2024/03/14 05:55:27257.神も仏も名無しさん5W1VB15 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】最後なるみ教えこそは幾年も 探し求めし慈母と思わん【教主注釈】涅槃のみ教えにふれた時、これこそ探し求めていた、わが母である-という確信をつかむことが出来る。それは修してしる喜びである。↑この教えに理想の親を求めさせるが、教祖一家の因縁に気づけないほど洗脳されるのは悲しいことである。2024/03/15 05:50:06258.神も仏も名無しさんVDspq16 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】他力より入りて自力と知れぞかし これぞ一如のまことなりけり【教主注釈】一切お委せは一切お救け -とは、初信のあり方。↑一切お委せは思考停止、一切お救けは思考停止して勧誘である。霊感・霊視商法の言葉でそうせざるを得なくなっていくのである。2024/03/16 06:21:46259.神も仏も名無しさんBRV7517 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】感謝なき信心こそは消ゆる灯と 思わばそそげ徳の油を【教主注釈】信仰に喜びや感謝が持てなくなった時、それは徳のなくなった証拠であるから、真実の行いを貫いて徳の油をそそいでゆこう。↑感謝や喜びを熱狂的に表現されるのがカルトの本来の意味である。カルト性は「信じる自由」と「信じない自由」を侵害しないバランスで見られる。感情で煽って信じない自由を侵害しようとするとカルト性を伴う。2024/03/17 05:48:02260.神も仏も名無しさんST6ua18 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】我がことは後になすとも他が為に なすはみ法の真理(みち)としるべし【教主注釈】大般涅槃経・高貴徳王菩薩品に”他の為にし、のち自らの為になせ”と示されている。他の為にすることが、真如教えの本旨であることを知らなければならない。↑他が為は教えの為であるが、その人の為と人を勧誘することも教えの為である。霊感・霊視商法で自らにお力が返ってくると思わされるが、カネ、ヒマ、社会的信用を搾取されるのである。2024/03/18 05:43:29261.神も仏も名無しさんTwPQ819 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】他事(ひとごと)を即我が事と知るなれば 菩提の向上常にありなん【教主注釈】霊言に-”尻切れトンボが遠くとべないように、他に幸いのあゆみを与える事も尻切れになってしまったら、悪因縁に勝ち抜くことはできないのですよ…”とあり、菩提の向上を接心は教示している。↑他人事を自分になぞらえてみても、霊感・霊視商法の言葉によって勧誘しなければならないとされてしまう。信じなければならない状況に相手を追い詰めようとするならば、信教の自由の侵害である。2024/03/19 05:22:25262.神も仏も名無しさんj97t820 我浄 【今月の苑歌】【今日の苑歌】我がうちに佛の性を見出しなば 我また尊く更にはげまん【教主注釈】人はみな、尊い宝を持ちながら”自から貧し”と思っている。大般涅槃のみ教え故、本当に尊い-と言っても”私などは駄目”と迷ったらどうであろうか-、灯明を持ち乍(なが)ら自らが目を閉じているのと同じである。↑この教えの喜びは霊感・霊視商法の言葉で恐怖に陥れられて、お力を示されて求めさせられるマッチポンプに操作されているものである。それに早期に気づいて離れられれば被害は少ない。2024/03/20 08:05:36263.神も仏も名無しさんj97t820 我浄 【今月の苑歌】【今日の苑歌】我がうちに佛の性を見出しなば 我また尊く更にはげまん【教主注釈】人はみな、尊い宝を持ちながら”自から貧し”と思っている。大般涅槃のみ教え故、本当に尊い-と言っても”私などは駄目”と迷ったらどうであろうか-、灯明を持ち乍(なが)ら自らが目を閉じているのと同じである。↑この教えの喜びは霊感・霊視商法の言葉で恐怖に陥れられて、お力を示されて求めさせられるマッチポンプに操作されているものである。それに早期に気づいて離れられれば被害は少ない。2024/03/20 08:06:21264.神も仏も名無しさんsP8N021 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】霊言に示さることば真理(みち)なれど 人間本位に聞かば間違う【教主注釈】空-ということは、自からを空しうすることで、南無の境涯である。御霊言は道を示すものであるが、之を人間本能的に、都合のよいように聞いてゆくと、道をまちがえてしまうものである。↑霊言は霊感・霊視商法の手法であるが、それに従わなければみ仏本位ではなく人間本位と否定されるだけである。2024/03/21 05:32:50265.神も仏も名無しさんwVfbA22 我浄【今月の苑歌】【今日の苑歌】み教えにふれて心を飾れども 説かぬは法のさびと知るべし【教主注釈】真如み教えにふれて、接心も頂き、わが心に深い真理というものが納得でき、教えの素晴らしさ、そして、その教えに結ばれた喜びもわかるが、若し他にそれを説かなかったら、やがて教えのサビとなって我が身を蝕まれてしまう。↑霊感商法の手法で信じさせた後は人を勧誘させてねずみ講の手法も使う。言葉の裏の意味を知って被害を避けるべきである。2024/03/22 05:07:40266.(。~^~)(~^~。) ポッたん~♪バタンキュー>┼○ ~+BCG9r大豆は植物性蛋白質だから、つまりはアミノ酸と言うわけで、これが有れば、筋肉づくりはほとんど間に合ってしまう。みそ、醤油、納豆などは、発酵食品でもあるし、ヨーグルト、チーズ、などの発酵食品でもあり、健康には、王道だから。欠かせないよね。薪ストーブの熱も植物は太陽光の熱を変換しての熱量で、つまりは、薪ストーブは太陽の燃焼だし、ついでに言うと我々も太陽光の熱量の代謝を食事と言う形でとりこんでいるわけで、言い放てば、わたし達、生きとし生けるものは、太陽の分身で、皆、ブラザー、同志、兄弟姉妹 なんです。問う。「この座敷から坐のままで庭の30メートル先の築山(つきやま)に立つ石灯籠のロウソクの炎(ほのお)を吹き消せ」仏祖が 直(じか)に 手渡す 真理(さとり) は縁起(えんぎ)の法、真理、さとり、です。それは色即是空は、空即是色へと還(かえ)る。これが有れば、それが有り、それが無ければ、これが無い。名付けられた名詞から名詞を剥ぎ取ったもの、それをなんと呼ぶか。色 が 空 です。ここが初関(しょかん)を透(とお)るです。関をを 透れば、すぐさまに 空 が 色 です。さとりを 法、達摩、真理 と言います。色即是空は 空即是色へと 還(かえ)る。チャイナの天才学僧たちは分業しスピードを上げ、しかも一字一句を数人が推敲に推敲を重ね競技し決定し、、完全にチャイナの言葉に翻訳し、完全にシナ誤に翻訳したので、インドから持ち帰った原本を焼却処分した、程である。なので、達磨とは 真理(さとり) を人格化したのであって、具体的な人物ではない。つまりは 二祖(にそ) 慧可(えか、593年) こそが、中國禅宗の初祖なのである。彼はひと晩雪中で瞑想し、,左の肘から下を斬り落とし、右手で握り差し上げた時、痛みを感じる事が無い右手が激しく痛んだ時、突然の雷光と雷鳴と同時におこり、忽然としてさとった。せきしゅのおんじょう 隻手の音声 両手で打てば音が鳴る。 では、片手の人が叩く拍手の音を聞いてこい。問答(もんどう)は子弟が問い答えてきた禅宗弾圧の一時期からの創意工夫の伝統がある 宗教のインドにおける語源は、如何に生きるか、と言うものであり、心と物が矛盾なく存在しているのが、わたし達の日常なのではないだろうか。2024/04/17 00:07:50
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前スレ:新興宗教・真如苑 vol.126
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1596294546/
新興宗教・真如苑 vol.127
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1607610747/
新興宗教・真如苑 vol.128
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1616020901/
☆ここは、真実追及と意見交換の場です。
☆心と宗教板を利用される方は、『カルト問題』に関心を持つようにしましょう。
☆発言は、論拠と根拠を伴ったものにしましょう。
☆その場凌ぎの発言は控えましょう。 誤魔化し・ピンポンダッシュは徹底追及。
☆他教団の工作員(日蓮正宗のトヨダなど)や真如苑事務局は入場禁止です。
【今日の苑歌】
相手をば鏡となせのことのりも
涅槃に示す教えなりけり
【教主注釈】
「相手は鏡」と言うことばがあるが、涅槃の中にも=仇は相手にあるのではなく我身にあるのだ=と教えている。
↑
困った相手も霊的に自分になぞらえようとする。世の中のあらゆる要因が霊的に霊感商法の手法で個人の因縁として示される。それは因縁切りと言われる因縁の植え付けであり、マッチポンプである。
【今日の苑歌】
み佛にまかせまつりて常ぞつね
送る日日浄土なりけり
【教主注釈】
自分のはからいをはなれた時、日々が本当に安心して暮してゆけるようになる。
↑
自分の頭で考えることを辞めて、み仏本位という霊的意味付けに委ねるとある意味楽であろう。救われない霊に因縁づけられて洗脳される道が待っているのである。
【今日の苑歌】
月日ごと慈悲をこうむる人まして
真如みひかり世にぞ知らるる
【教主注釈】
涅槃経を信心の基盤においている宗教団体は皆無といってもよい。護法の霊言に「科学が進歩して、やがて月の裏面まで判る時代に、この教えは(最後のみおしえ)は栄える…」と。
↑
過去に例のない教えと個人の人生までも予言されていると装う教え。それは霊感商法の手法で後から取って付けられた結果である。
【今日の苑歌】
過ぎし日の執われ捨てて希望ある
未来求めて法にいそしめ
【教主注釈】
過去に執われていたら、それは退歩である。申訳ない…という言葉を出す時には、それ以上の精進に振い立つことだ。
↑
救われない霊が示されると取り組みが増える。それが霊感商法による因縁が付与される仕組みである。
【今日の苑歌】
物心は一如のものと知りながら
こころ忘れる人もあるなり
【教主注釈】
物心一如とは、名実共に伴うもので、真諦め(まことのみち)である。物のみを追い求め、一如のこころ(み仏と共に生きる心)がないから、心忘れた-と言うのである。
↑
霊感の言葉で操作された道は楽ではあろうが、教えに都合の良い道である。物も心も教えに貢ぐように操作されている。
【今日の苑歌】
我をたてず相手の身にぞ先ずなりて
笑みを忘れず説けよ苑人
【教主注釈】
救いの真実を相手にわかって貰おうとするには、その人の心に自分の心を置きかえて、救いの道を共にあゆむ(あゆませる)事が肝要である。
↑
教えどおりに勧誘しようとしても霊感商法の手法はばれてしまう。最高の教えに結ばれたと持ち上げられた信者はそこで切れてしまうか、無断で入信させるか、世間的な縛りをを使って入信させようとする。それはカルト性を伴う行為である。
【今日の苑歌】
他を救う力で我身救わんと
示す最後の教え尊し
【教主注釈】
他を救うその功徳によって、自からが救われることは、全く涅槃聖典に示される真理(まこと)である。
↑
ねずみ講の様に霊感のお力を求めさせるために勧誘しても誰も救われない。不幸の手紙のように何人かに伝えなければ自分が不幸になると思わされているのである。
【今日の苑歌】
了義にて不了義経に依らずとは
涅槃了義の真理(みち)と知るべし
【教主注釈】
如来の真実なる智慧を如実に顕露したのが了義経である。涅槃経は聖典中の聖典とも言うべきものであるから、本経を諒解(りょうかい)することを仏徒としての道としなくてはならない。
↑
人間の頭で考えず霊感の言葉で言われたことをただ信じる。そこに無断入信や勧誘目標やノルマを促す指導が入る。それらを実践する信者がカルト性を周囲に伝えるのである。
【今日の苑歌】
書を持つも読まず極めず只きして
悟り得ようとするは畧分(りゃくぶん)
【教主注釈】
教書を持って安心している-、それもよいがやはり、他に教えを伝えるために、しっかり読んで自分のものとしていかなくてはならない。
↑
教典にどの様に良いことが書かれていても、信者のやっていることがその教えの正体である。問題になれば「信者が勝手にやったこと」と切り捨てられるだろう。
【今日の苑歌】
他が為になすは即ち世の為と
つくすまことが真の信心
【教主注釈】
大乗のためになしてゆくのが、この教えの本当の信心で、初信のうちは我が為に成しても、やがて他の為になしてゆく本当の大乗の境を得てゆくことが大切である。
↑
自分が霊感で示される因縁から救われたいと思っているだけでは救われないと示されて、人も同様に救われたいと思わせなければならない。ねずみ講と霊感商法の手法である。
【今日の苑歌】
み法うけさらさら流る水のごと
真理(みち)にたがわぬ人ぞ楽もし
【教主注釈】
してあげた-、助けてやった-、等という考え方、思い方は仏教徒として不純である。大乗の真如教徒たるべきはそうした不純な心は捨てるべきである。
↑
してやった、と信者は不順だが、仏教徒であるかは定かではない。仏教は霊感商法やねずみ講の手法を隠す隠れ蓑である。
【今日の苑歌】
浮世とはよろこび憂いの世としるも
み法に生きば其処が浄土ぞ
【教主注釈】
この世を苦のシャバという、しかし、正しいみ仏の教えにふれて、如来法を知ったとき、此処が、このままお浄土であることがわかる。
↑
世間は因縁まみれの恐ろしい世界。教えのお力で守られた世界は安全であると教え寄りにさせる意図がある。そこに信じない自由を奪う行為があればカルト性を伴うのである。
【今日の苑歌】
光なる光の外のみひかりは
最後の法の光なりけり
【教主注釈】
太陽の光こそ最たるものであるが、教えの光もその如く、仏最後の教えのひかりこそ、この世における最勝の救いのみ光である。
↑
最後のみ教えを謳うが霊感商法やねずみ講の隠れ蓑である。救いはそれら手法による不幸の連鎖に繋がる勧誘を意味する。
【今日の苑歌】
み佛の恵み思わば日に三度
合掌してぞ食(じき)に謝すべし
【教主注釈】
感謝はさとりをうるはじめ-と言う。考えてみれば、食事を頂けるということ自体が、本当に有難いことである。
↑
霊感の言葉で日常のあらゆることにみ仏の慈悲が流れる。そこに「信じる自由」と「信じない自由」の両方が守られているかでカルト性が見えてくる。
【今日の苑歌】
まことなるみ法の救い毛孔より
入ると説かるる涅槃神力
【教主注釈】
「善男子よ日月光明は諸の光明の中で最も勝れている。大般涅槃の光明も亦かくの如きもので、諸の大乗経の中に於いて最も殊勝なものである。それは大涅槃の光よく衆生(ひとびと)の毛孔から入り込むからである。」(大般涅槃経菩薩品より)
↑
毛穴から入り込むお力は信者に有り難さを感じさせるが、教えの手法を知ってしまった人には響かない。問題は信教の自由の「信じる自由」と「信じない自由」の両方が守られているかである。
【今日の苑歌】
物事は思うが如くならねども
行い重ねて成ると知るべし
【教主注釈】
ままならないのが、人の世である。何事も誠実をつくして成しとげてゆく、そこに目的成就の栄冠はある。
↑
この教えを続けて得るものとして、ねずみ講型の取り組みによる信教の自由の侵害によって恨みを買うことがある。それに気づけないのは洗脳やマインドコントロールされているからである。
【今日の苑歌】
道の辺に踏みにじらるる野草にも
耐えて伸びゆく性ぞあるなれ
【教主注釈】
”この泥があればこそ咲け蓮の花”大乗利他の行いには非難やざん謗がつきものである。何故ならば、それが正法であるから-恐れずにすすもう。
↑
金銭的、肉体的、精神的搾取に気づけない信者がそれらを人に行わせようとするから批判される。それは当然のこと。
【今日の苑歌】
何みてもみ法示さぬものはなし
おのが心に菩提ありなば
【教主注釈】
接心によって磨かれた心には、未だ見ざるものを見、聞かざるものを聞くことができる。それは自分自身に菩提(しんじん)の種をもっているからである。
↑
接心の霊言は霊感商法である。誰にでも当てはまる言葉を本人に合わせて解釈させて救いとなる。「ああ救われた。こう救われた。」と洗脳されていく。
【今日の苑歌】
み教えにやさしき言葉欲しなば
我身かわいい二乗とぞ知れ
【教主注釈】
初信者であればやさしい言葉も必要だ-、入信して相当な年月を経ていても菩提(求める)心が成長せず、いつも初信者の如き心であってはならない-と言うことである。
↑
洗脳が進むと突き放されても辞められなくなる。それでも霊感の言葉による後出しジャンケンのやり取りは続く。
【今日の苑歌】
外教より涅槃了義のみ教えに
導く人を教師とぞいう
【教主注釈】
あらゆる外教も涅槃海に帰一する。又此の意味に於いても、諸教を摂受して始めて大海のみ教え-とも言えよう。
↑
あらゆる教えが行き着く大海の教え。蓋を開ければ霊感商法やねずみ講など悪徳商法の寄せ集めだった。
【今日の苑歌】
今日蒔きて明日の稔りはなきと知れ
学び修めるわざもそのごと
【教主注釈】
今日蒔いて、明日の稔りはない。少しばかり教えにふれて、全部わかった-と思うことは大変な間違いである。
↑
「知ったようなことを言う」それは指導者が批判された時の逃げ道として使われる方便である。霊感商法で成り立っている教えの本質を知れば、その様な言葉を気にせず距離を取ればいい。
【今日の苑歌】
他がために尽せしことは忘るとも
受けし御恩は忘るべからず
【教主注釈】
人のためにしたことは、いつまでもよく覚えていて、自分にして頂いた御恩は忘れてしまう、そんな事では仏教徒とはいわれない。
↑
教えから受けたご恩を嫌らしいほど言われる。霊感商法で後から取ってつけられたお力のお陰であるが。
【今日の苑歌】
訶責とは宝の山を指し示す
指と知るべし世々の人々
【教主注釈】
訶責してくださる人は、めったにいないものである。それなのに訶責されると、その人が嫌になる。それはいつまで経っても真実の宝を得ることは出来ない。
↑
ここの呵責は霊感商法による後付の言葉を根拠に行われる。だから指導者は辞められなくなり、その立場に固執する。
【今日の苑歌】
布施なすも報い求めぬまことこそ
悪因断ちの道と知るべし
【教主注釈】
これだけ歓喜したから御利益があっても当然だ…と思ったら、それは徳が徳にならない。結果を求めない布施、そのまごころが霊界に通じ、悪因縁もたち切れていくのである。
↑
霊界からの言葉で悪因縁が示され、取り組みが増えていく。取り組むべき救われない霊が示されて喜ぶのは霊感商法の手口に乗せられているからである。
【今日の苑歌】
苑(この)道は佛の始めし道なれば
百千代かけて変わらざる道
【教主注釈】
真如苑の教えは釈尊が創始された道であり、この道をあゆめば、何人も幸福な世界にゆけるのである。何故ならば、それは真理であるから。
↑
明らかな嘘である。この道は教団にカネ、ヒマ、社会的信用を貢ぐ道である。
【今日の苑歌】
執着の存在捨てて暮らす時
ものみな尊し楽我なりけり
【教主注釈】
執着は貪りである。貪りを鎮めたら瞋りも痴も鎮まって、本当の楽しみを得ることが出来る。
↑
世の執着を捨てさせ、お力を貪らせようとする。霊感商法の言葉で洗脳して。
【今日の苑歌】
最後なる教えにふれて謝すなれば
摩尼の宝珠を掘り当つと知れ
【教主注釈】
「水の濁りの中に宝珠を置けば水即ち清浄となる」と涅槃経に示されている。この深意をしるとき、まことに有難いことがわかる。
↑
この教えをもっと信じられなくて謝らなければならないマインドコントロール状態は、教えを信じない人を貶めなければならない心理状態にさせる。それは、新興宗教を信じさせられている劣等感から来る。
【今日の苑歌】
我がうちに一如の喜び見出しなば
日日の仕事も聖なりと知る
【教主注釈】
一如と言うことは、み仏の大慈しみの中に生かされることであり、それを知れば日々の業務もみ仏本位に生きる聖業なり-と、覚ることが出来る。
↑
み仏本位とは人間の頭で考えることなく霊言に示されたとおりただ従う思考停止状態を言う。霊感商法が伴うので、良くも悪くもお力のお陰とされてしまう。
【今日の苑歌】
教法を学ぶにいとまなしという
人こそ暇に学ばざるなり
【教主注釈】
とても忙しくて学べない-と言う人があるが、日常のその忙しい中から神仏に捧げまつる、まことを発見しようと努力することが大切である。
↑
教法を学ぶと霊感商法が知れてしまう。だから人間の頭で考えるのを辞めさせてただ信じさせる思考停止を促すのである。
【今日の苑歌】
無我という道も正しきことなれど
無我超え悟る妙有尊し
【教主注釈】
無我だけでは悪因縁は消除できない。大般涅槃のみ教えに言われるよう教えの如く行って、こうした無我を超えるところから、現象に生かされる妙有の喜びを得ることが出来る。
↑
霊感商法の言葉の如くカネ、ヒマ、社会的信用を搾取された後の現象に生かされるのは、教団の集まりにしか居場所がない教えに好都合な世界にいることである。
【今日の苑歌】
布施なして喜びなきも布施なるが
喜びあらば波羅蜜としれ
【教主注釈】
歓喜は一つの布施であるが、若しそこに行わせて頂いた喜びが感じられるならば、それは行うことによって、一つの彼岸(さとり)に達したことになる。
↑
歓喜は仏教の布施と言っているが、喜びで行なえと煽られる。それは霊感や霊視商法によって洗脳が進んだ結果である。
【今日の苑歌】
歓楽は悪華と知れよ世々の人 心も身をも亡すと知れ
【教主注釈】
歓楽は肉体だけのよろこび、目先だけの楽しみで飽くことを知らない。歓楽は悪魔の投げた餌食と思わねばならない。
↑
この教えの為に世の欲を捨て貢いだとしても、霊感商法によって搾取されるだけである。霊視商法とも言われる。
【今日の苑歌】
執わるる心にはからいありと知れ
執われ捨てばはからいぞなし
【教主注釈】
執われを持っているから真如の正法を聞いても、はからい心が起こる。人間本位の情的なつながり、これを断つ時、はからいはあべこべに感謝と変ってくる。
↑
教えの言葉に従い世の感情的な繋がりを断って悟りのような喜びを感じたとき、そこにあるのは世間から居場所を失った霊感の言葉に騙された教えの人間関係である。
【今日の苑歌】
世の中の苦とよろこびの間より
求め得るのがまこと菩提ぞ
【教主注釈】
よろこびに浮かされ、苦しみに執われていたのでは、本当の因縁消除の道を見出すことはできない。苦の中から、喜びの中から中道の真理を見出すのが、本当の信心である。
↑
人の苦と喜びを霊視して因縁を示して洗脳しようとする。霊感や霊視商法の手法である。
【今日の苑歌】
我れと共に常にましますみ佛を
忘れずはげめ世々の人々
【教主注釈】
無形のみほとけを有形に信ずるところに、本当の信心があるのではないだろうか、此れは無相接心に生きる苑人の在り方である。
↑
霊感に示された因縁に恐怖して妄想し、教祖一家のお力を求めるのが無相接心である。
【今日の苑歌】
他が為と修むる教え身につけど
我が為なれば詰まるとぞ知れ
【教主注釈】
他に語り伝えるために教えを聴聞していった時には、よく身につくものである。
↑
他が為と思って勧誘して成功すればいずれ自分の徳として返ってくるので自分も救われると言われる。ねずみ講の教えである。
【今日の苑歌】
世的な外に求むる心こそ
菩提心とぞ悟れ世の人
【教主注釈】 此の-世的-は、本能的の謂いである。人には財的なもの、名誉や地位等こうしたものの外に、聖なるものを求める純真なものがある。これが即ち菩提心である。
↑
霊感の言葉で聖なるものを示されて求めるのは勝手だが、それを人に押し付けてはいけない。それが宗教ならば信教の自由の侵害である。
【今日の苑歌】
自からの力の限りつくしてぞ
なすがまことの信というなり
【教主注釈】
力の限りを尽くしたことのない人には信心は解らない。力の限りを尽くして神仏に委ねる-。
↑
霊感・霊視商法の手法を覚えた指導者が信者の境遇に後からそれらしい言葉を関連付ける。それはいくら力を尽くしても切りがない。霊言というコールド・リーディングに対するホット・リーディングである。
【今日の苑歌】
他が為に我が身ささぐる行いは
人の身ながら菩薩なりけり
【教主注釈】
此処でも教法を中心にして、他のために我が身を捧げる行いを示している。人間情を中心にして身を捧げることを云うのではない。菩薩に殉教の死はあるが、情死はない。
↑
この教えの為に人を勧誘し、献金し、無償労働することが仏の行いと言われる。仏教は霊感・霊視商法を思わせないための隠れ蓑であるが。
【今日の苑歌】
一念をこめて誦(とな)うる御霊呪は
子々孫々(すえずえ)までの清めとぞ知れ
【教主注釈】
大乗の行いを伴わせてこそ平生普段の祈りも深められ、御霊咒の効験や威大神力も増大されるのである。
↑
これを唱えていればお力が流れてくるという安易な思考にさせられる。安易な気で人にこの教えは絶対だと信じさせようとすれば、信教の自由の侵害である。
【今日の苑歌】
最後なるみ教えこそは幾年も
探し求めし慈母と思わん
【教主注釈】
涅槃のみ教えにふれた時、これこそ探し求めていた、わが母である-という確信をつかむことが出来る。それは修してしる喜びである。
↑
この教えに理想の親を求めさせるが、教祖一家の因縁に気づけないほど洗脳されるのは悲しいことである。
【今日の苑歌】
他力より入りて自力と知れぞかし
これぞ一如のまことなりけり
【教主注釈】
一切お委せは一切お救け -とは、初信のあり方。
↑
一切お委せは思考停止、一切お救けは思考停止して勧誘である。霊感・霊視商法の言葉でそうせざるを得なくなっていくのである。
【今日の苑歌】
感謝なき信心こそは消ゆる灯と
思わばそそげ徳の油を
【教主注釈】
信仰に喜びや感謝が持てなくなった時、それは徳のなくなった証拠であるから、真実の行いを貫いて徳の油をそそいでゆこう。
↑
感謝や喜びを熱狂的に表現されるのがカルトの本来の意味である。カルト性は「信じる自由」と「信じない自由」を侵害しないバランスで見られる。感情で煽って信じない自由を侵害しようとするとカルト性を伴う。
【今日の苑歌】
我がことは後になすとも他が為に
なすはみ法の真理(みち)としるべし
【教主注釈】
大般涅槃経・高貴徳王菩薩品に”他の為にし、のち自らの為になせ”と示されている。他の為にすることが、真如教えの本旨であることを知らなければならない。
↑
他が為は教えの為であるが、その人の為と人を勧誘することも教えの為である。霊感・霊視商法で自らにお力が返ってくると思わされるが、カネ、ヒマ、社会的信用を搾取されるのである。
【今日の苑歌】
他事(ひとごと)を即我が事と知るなれば
菩提の向上常にありなん
【教主注釈】
霊言に-”尻切れトンボが遠くとべないように、他に幸いのあゆみを与える事も尻切れになってしまったら、悪因縁に勝ち抜くことはできないのですよ…”とあり、菩提の向上を接心は教示している。
↑
他人事を自分になぞらえてみても、霊感・霊視商法の言葉によって勧誘しなければならないとされてしまう。信じなければならない状況に相手を追い詰めようとするならば、信教の自由の侵害である。
【今日の苑歌】
我がうちに佛の性を見出しなば
我また尊く更にはげまん
【教主注釈】
人はみな、尊い宝を持ちながら”自から貧し”と思っている。大般涅槃のみ教え故、本当に尊い-と言っても”私などは駄目”と迷ったらどうであろうか-、灯明を持ち乍(なが)ら自らが目を閉じているのと同じである。
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この教えの喜びは霊感・霊視商法の言葉で恐怖に陥れられて、お力を示されて求めさせられるマッチポンプに操作されているものである。それに早期に気づいて離れられれば被害は少ない。
【今日の苑歌】
我がうちに佛の性を見出しなば
我また尊く更にはげまん
【教主注釈】
人はみな、尊い宝を持ちながら”自から貧し”と思っている。大般涅槃のみ教え故、本当に尊い-と言っても”私などは駄目”と迷ったらどうであろうか-、灯明を持ち乍(なが)ら自らが目を閉じているのと同じである。
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この教えの喜びは霊感・霊視商法の言葉で恐怖に陥れられて、お力を示されて求めさせられるマッチポンプに操作されているものである。それに早期に気づいて離れられれば被害は少ない。
【今日の苑歌】
霊言に示さることば真理(みち)なれど
人間本位に聞かば間違う
【教主注釈】
空-ということは、自からを空しうすることで、南無の境涯である。御霊言は道を示すものであるが、之を人間本能的に、都合のよいように聞いてゆくと、道をまちがえてしまうものである。
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霊言は霊感・霊視商法の手法であるが、それに従わなければみ仏本位ではなく人間本位と否定されるだけである。
【今日の苑歌】
み教えにふれて心を飾れども
説かぬは法のさびと知るべし
【教主注釈】
真如み教えにふれて、接心も頂き、わが心に深い真理というものが納得でき、教えの素晴らしさ、そして、その教えに結ばれた喜びもわかるが、若し他にそれを説かなかったら、やがて教えのサビとなって我が身を蝕まれてしまう。
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霊感商法の手法で信じさせた後は人を勧誘させてねずみ講の手法も使う。言葉の裏の意味を知って被害を避けるべきである。
薪ストーブの熱も植物は太陽光の熱を変換しての熱量で、つまりは、薪ストーブは太陽の燃焼だし、ついでに言うと我々も太陽光の熱量の代謝を食事と言う形でとりこんでいるわけで、言い放てば、わたし達、生きとし生けるものは、太陽の分身で、皆、ブラザー、同志、兄弟姉妹 なんです。
問う。「この座敷から坐のままで庭の30メートル先の築山(つきやま)に立つ石灯籠のロウソクの炎(ほのお)を吹き消せ」
仏祖が 直(じか)に 手渡す 真理(さとり) は縁起(えんぎ)の法、真理、さとり、です。それは色即是空は、空即是色へと還(かえ)る。これが有れば、それが有り、それが無ければ、これが無い。
名付けられた名詞から名詞を剥ぎ取ったもの、それをなんと呼ぶか。
色 が 空 です。ここが初関(しょかん)を透(とお)るです。関をを 透れば、すぐさまに 空 が 色 です。
さとりを 法、達摩、真理 と言います。色即是空は 空即是色へと 還(かえ)る。
チャイナの天才学僧たちは分業しスピードを上げ、しかも一字一句を数人が推敲に推敲を重ね競技し決定し、、完全にチャイナの言葉に翻訳し、完全にシナ誤に翻訳したので、インドから持ち帰った原本を焼却処分した、程である。
なので、達磨とは 真理(さとり) を人格化したのであって、具体的な人物ではない。つまりは 二祖(にそ) 慧可(えか、593年) こそが、中國禅宗の初祖なのである。彼はひと晩雪中で瞑想し、,左の肘から下を斬り落とし、右手で握り差し上げた時、痛みを感じる事が無い右手が激しく痛んだ時、突然の雷光と雷鳴と同時におこり、忽然としてさとった。
せきしゅのおんじょう 隻手の音声 両手で打てば音が鳴る。 では、片手の人が叩く拍手の音を聞いてこい。
問答(もんどう)は子弟が問い答えてきた禅宗弾圧の一時期からの創意工夫の伝統がある 宗教のインドにおける語源は、如何に生きるか、と言うものであり、心と物が矛盾なく存在しているのが、わたし達の日常なのではないだろうか。