悟りをひらいた人のスレ 899最終更新 2026/09/16 08:201.◆JBLfMwCXhYwJ5Sa悟りそれが、このスレのテーマ前スレ悟りをひらいた人のスレ 898https://talk.jp/boards/psy/17886028752026/09/15 02:57:59138コメント欄へ移動すべて|最新の50件2.◆JBLfMwCXhYwJ5Sa数息観のコピペじゃ。みんな修行に励むのじゃ。先ず静かな所に座り、鼻の頭に軽く意識を掛け、普通に息を吸って、ゆっくり長く息を吐いていくのじゃ。息を吐く時に、頭の中で一と数える。又、普通に息を吸い、ゆっくり長く息を吐いてニと数えるのじゃ。このようにして十まで数え、十まで行ったら今度は十から数を減らして行って、一に戻るんじゃよ。たまに長時間行うより、一日に五分でもよいから、毎日続けると不動心が身に付くのじゃ。夜の寝る前などに行うと、安らかに眠れるようにもなるじゃろう。初めて数息観などをする者は、とにかくイライラして止めたくなったりするじゃろう。そんな時は一度、中断してストレス解消の運動でもするといい。すっきりしたら又続けるのじゃ。暫く修行をすると、今度は雑念に悩まされるようになるかも知れん。そのような時は無視して呼吸に意識を集中しなおす。暫くすると、雑念は消えていくじゃろう。更に修行を重ねれば、雑念と集中する意識を二つとも、意識出来るようになる。行が深まり、潜在意識が見えてくるようになったのじゃ。そのような時も、雑念を無視しておれば、やがて雑念は消え去り、深い無念無想の状態に入れる。もっと行が深まれば、意識は二つだけでなく、同時に幾つもの雑念があることに気付くじゃろう。人間はもともと同時に幾つもの事を考えておる。例えば誰でも歩きながらタバコを吸い、同時に尻を掻くという事が普通に出来るように、人間は同時に幾つもの事を考えているが、潜在意識まで見る事の出来ない者には、判らないのじゃ。潜在意識まで見る事が出来、全ての雑念が静まり、もはや心に何の考えも浮かばなくなれば、止の行は完成じゃ。2026/09/15 02:58:153.◆JBLfMwCXhYwJ5Sa数息観によって集中力がついてきた者は観の行をするのじゃ。その前に観の行の前行である、観察の力と集中力を身につける観察の行をやるのじゃ。先ず、目の前に観察の対象となる物を用意するんじゃ。木でも花でも何でもいい。そしてそれを見て、細かく観察するのじゃ。最初の内は、心の中で言葉にしてもよい。例えば花なら花という言葉を使わず、「今、目の前にそれがある。それは薄い膜のような物が幾つも重なっている。それは赤い色をしている。それはふちが薄く、真中にいくほど厚くなっている。それの真中には細い糸が幾つも出ている・・・」などと観察していくのじゃ。出来るだけ細かく、普段なら見落としてしまうような事も、可能な限り観察するのじゃ。ちっちゃなとげがあるとか、皺がいくつもあるとか。次第に慣れてきたら、言葉にせず、目で見るだけで意識に上らせるようにするんじゃ。そのようにしていると、たまに雑念が沸くこともある。例えば「この花はバラだ。バラのジャムつておいしいのかな。そろそろごはんのじかんだ」などといつのまにか、ご飯のことを考えている。これは観察ではない。観察とは今、ここに、現にある物だけを見ることじゃ。連想や記憶は雑念なのじゃ。そのような雑念が沸いてきたら、止の行をしてきたおぬしらは、どうすればいいか判るじゃろう。数息観をしていた時と同じく、ただスルーするのじゃ。止めようとか、駄目だとか思わず、ただやり過ごして、観察に戻る。そうすれば雑念は自然に消えていく。このような時に止の行は役立つのじゃ。やはり止と観察は二つで一つなのじゃ。2026/09/15 02:58:324.◆JBLfMwCXhYwJ5Sa更にコピペじゃ。未だ自我のある者は、更に感覚、感情、思考、分別知、認識などに観察を広げていくのじゃ。前にも書いたが、感覚から先の観察は鐘の音などを利用すると、簡単なのじゃ。感覚を観察するには鐘の音が鳴ったら、「今、鐘の音が鳴った、聞こえている、だんだん音が小さくなるのが判る、今消えた」などと、今、感じている感覚を観察するのじゃ。その鐘の音によって生じる感情も、「耳が痛くてうざいと思っている・・・」などと観察する。思考も「あの鐘は仏壇屋で買ったもっといいのが欲しかったと、考えている・・」などと巻き込まれないように注意しながら観察するのじゃ。物事を認識し、分別する心の働きは殆ど一つの動きになっている故に、鐘の音を聞いて、「これは鐘の音・・・今、鐘の音と分別し認識した」などと、観察するのじゃ。このように直接、心と体を認識する方法が、観の行の基本であり、最もシンプルでスタンダードなものであると言えよう。しかし、この方法はかなりの集中力と観察力が必要となる。これをシステム化してやり易くした方法が、縁起の法や、空の法なのじゃ。2026/09/15 02:58:515.◆JBLfMwCXhYwJ5Sa・・・・・・ テンプレは、ここ迄なのじゃ・・・・2026/09/15 02:59:096.、FoxkBDMNに振り回されていては、悟りも糞もない坐禅 などしているのは悟っていない証拠だいたい坐禅が悟りの因にはならんしむしろ勤行が切っ掛けになる坐禅で悟ったふうになると、偽物の悟りへいってしまい、今生を棒に振ることになりますね2026/09/15 04:11:067.神も仏も名無しさんRG1EQ偽が能書き😱2026/09/15 04:41:268.神も仏も名無しさんXg0qnYOUTUBE.tiktok実験しとる2026/09/15 05:43:179.、FoxkB7 神も仏も名無しさん 2026/09/15(火) 04:41:26.70 ID:RG1EQ偽が能書き😱それがDMNなそれを客観視するんだ‼️ってかDMNが何かも解ってないかw2026/09/15 13:42:4510.、FoxkB● 眼横鼻直「花は紅、柳は緑」って蘇東坡が言って、道元が正法眼蔵に引用しているんです。当たり前っちゃ、当たり前のことなんだけども。ねえ、「花が紅」がどうした?と思いませんか。わたしはその体験をしました。これはネドじゅん先生も、まっすーさんも、みんな経験していることですが、わたしは何の気なしにゴミを捨てようと45Lのペール箱の蓋を開けた瞬間、その美しさにびっくりしたんです。通常なら、「汚い」と思ったはずなんだけでも、その時はピュアになっていて「何でも初めて見る心境」になっていたものだから、その色・形に圧倒されました。ドラッグやっている人も多分、そんなだと思うんだけど、(なんて美しい・・・)しばし目が離せなかった。ゴッホに星月夜って有るでしょ。ペールボックスのゴミがあんな感じに見えるんですよ。「汚い」という先入観が無くなって。ゴミが持つ美しさと何が違うのか?ドブねえ~ずみ、みたいに美しくなり~たい!リンダ、リンダ~♪正にそう。そしてその目を周囲に向ける。と、全てがまるで奇跡のように無限の価値有るものに見え、道行く人みんなを抱きしめて「幸福になってください!」と抱きしめたいような、抑えがたい衝動が起きました。これが「花は紅、柳は緑」です。「なんでこの、当たり前のことに今まで気づかんかったんやー!世界はこんなにも美しい。」と言うのを短い言葉で言うと、確かにそうなります。これがわたしの場合、たった1年でかき消えました^^;なんでも願望が叶うので、調子に乗っちゃったんだね。慢心が出たの。by W・T2026/09/15 13:59:0311.、FoxkB禅で言う悟りとは↓↓↓五蓋が停止するんです。つまり、【内言が止まってしまう】の。そんだけ。しかし、そのことで日常が一変する。どう変わるか?それが >10by W・T2026/09/15 14:02:1412.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEJqQWZそんなのは五蘊の"受"に過ぎません。2026/09/15 15:10:3513.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEBX8zW他所から見た禅の感想を言うのは勝手でも、それをわざわざ禅者に言って来る以上、末端に連なる居士とはいえ、率直に禅の立場から申し上げる他もないからね。2026/09/15 16:34:1014.神も仏も名無しさん0CTez「花は紅、柳は緑」って、受とかじゃないよ。。wあまりにもヒドイ勘違いだな。。w2026/09/15 17:14:5515.神も仏も名無しさん0CTez眼横鼻直、が、受、とかじゃないのと同じことです。。アホかって話。。w2026/09/15 17:15:2816.神も仏も名無しさん0CTezだから、当然、お茶を飲んだらお茶の味がする、とかも、受、とかではないのです。。あまりにもとんでもない誤解。。w2026/09/15 17:17:5517.、FoxkB見え方が違うって言ってるね。2026/09/15 17:20:3318.神も仏も名無しさんY3lwT受と想と識では??2026/09/15 17:25:2419.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEBX8zW道元さんのそれは受ではないけど、その方は「美しい云々」言ってるから「それは受だよ」って指摘したんだろ、馬鹿w2026/09/15 17:27:4020.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEBX8zWロンってほんと馬鹿だよなぁ。美しく感じたんならそれは受だろ?味を感じたんならそれも受だろ?こんな低次元のレベルから解説しなきゃならんのか?2026/09/15 17:29:5621.、FoxkB自分の体験が全てなんで違う体験を誰かが言うとそれは違う(-д- 三 -д-)ってなるゴミとかコンクリートやアスファルト道路、炉端の枯れ草、果ては自分の💩までそれまで、汚れや無機質なものと思ってきたものが、美に輝いて見えてくると言った変化が起こっている時は無心になっている、と思って間違いなくてそのようになっている、なった!という処にいわゆる悟りは現れていますそれは単なる現量が云々のお話ではなくて対象が光って輝いて見える、それは自分の意識が光を対象へ放射しているが故にとなるのであって、面前を出入りするものなのです。2026/09/15 17:34:1722.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEBX8zWつまり、そういうのは人それぞれの見解であって、受であって、事実(fact)ではないんです。お釈迦さまはそうした見解を捨てなさいって説示されてますし、また、そうした受を受けない事を正受って禅宗では説示してます。2026/09/15 17:39:1623.神も仏も名無しさんY3lwTお茶を飲む行為、花や柳を見る行為に、受・想・行・識すべてが、入っているのかも2026/09/15 17:41:0224.神も仏も名無しさんPyHTcあんた、誰?ネドという人を検索したよ突然の変容2016年のある日、それまで頭の中で鳴り響いていた「過去の後悔」や「未来の不安」といった独り言(自動思考)がぱったりと消失しましたマインドフルネス状態の日常化思考のノイズが消えた結果、まるで「深い瞑想をしたまま日常生活を送っている」ような、毎瞬毎瞬の体感覚に意識が集中する状態(右脳中心の意識)になりました現在の主な活動思考が消えて起こる素晴らしい体験をみんなにシェアしたい」という思いから活動を開始2026/09/15 17:42:4525.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEBX8zW瞑想中は半眼や閉眼なので、その後に一切のものが輝いて見える事は往々にしてよくあります。だって眼中に入る光量が増えますからね。また、何かに夢中になって無意識に瞑想中の様な半眼になって、ある時パッとその様に輝いて見える事もあるでしょう。まぁ、それを無心状態っていうのもあながちではないでしょうが。2026/09/15 17:45:5326.神も仏も名無しさんY3lwTネドさんや 、さんのは、特殊な受想行識かもね2026/09/15 17:48:3427.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEBX8zW私は、オカ・スピ・ニューエイジ系の方には興味ないし、関わる気が無いなぁ。ただ、向こう側からは結構仏教についての独自解釈をしてくるよな。ほぼ的外れなんだけど。2026/09/15 17:54:5828.神も仏も名無しさん0CTez体験でもないし、見解でもないよ。。2026/09/15 17:56:5229.神も仏も名無しさん0CTezお茶を飲んだらお茶の味がする。それが救いである。。これ、そのまんまなんだけど、わからないんだろうね。。2026/09/15 17:58:2130.神も仏も名無しさん0CTez何か正解とか見解を言っていることでもないので、自らが救われないとわからないのでしょう。。2026/09/15 17:59:1731.神も仏も名無しさんPyHTcネドという人の弟子が叶えた願望の公開希望2026/09/15 18:00:0332.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEBX8zW禅とか、これが悟りとかあれが悟りとかいうより、24時間365日の禅の生活でしょ。敢えていうならその生活の全体的表現というか全力の消化というか。2026/09/15 18:00:0333.神も仏も名無しさん0CTez当然、世界は美しいとか、恍惚となっているわけでもないです。。w2026/09/15 18:00:1534.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEBX8zW> お茶を飲んだらお茶の味がする。それが救いである。。それも見解だなぁw2026/09/15 18:00:5235.神も仏も名無しさん0CTez>>32担いで帰って下さい。。w2026/09/15 18:01:1136.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEBX8zW> これ、そのまんまなんだけど、という見解だなぁw2026/09/15 18:01:4837.神も仏も名無しさん0CTezだから、悟ったとか、見性したとかじゃなくて、ほんとに、本来に帰り着いて、そこに安住しないとわからないのかもね。。2026/09/15 18:02:2238.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEBX8zW>>35wwwwwwwwwwwwwwwwww何処に自分を担いでる奴が居るんだよwおかしな見解を打破するための見解だろ。2026/09/15 18:03:4139.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEBX8zW>>37見解だなぁw2026/09/15 18:03:5740.神も仏も名無しさん0CTezだけど、まあ、そんなに苦しんでない人、必死じゃない人、本来から外れてない人は、すぐ納得できる人もいるんだと思います。。柳は緑、花紅。。2026/09/15 18:04:0241.神も仏も名無しさん0CTez薬山は、雲は空に、水は桶に、と言った。。それで、法を聞きに来た役人が、満足して帰っていったという。。それだけのことなんだよ。。眼横鼻直でも同じ。。2026/09/15 18:05:2842.神も仏も名無しさんY3lwT> 27> 独自解釈これも、特殊な受想行識から、なのかもね。2026/09/15 18:06:1843.神も仏も名無しさん0CTez禅とか法とか悟りとか迷いとか、どこにもない世界。。2026/09/15 18:06:2244.ハジkvtDt「柳は緑、花は紅(やなぎはみどり、はなはくれない)」は、自然のありのままの姿、または事物の理(ことわり)や個性がそれぞれ異なりつつも、それぞれが美しく調和している様子を表す言葉です。元々は中国・唐の詩人である蘇東坡(蘇軾)の詩の一節「柳緑花紅真面目(りゅうりょくかこう しんめんもく)」に由来し、禅の教えとしても深く用いられています。**主な意味と捉え方** * **ありのままの真理** 柳は緑色であり、花は赤いのが自然の法則であり、飾らない素の姿こそが真実(真面目)であるという考え方。 * **個性の尊重** 柳には柳の良さ(緑)、花には花の良さ(紅)があり、それぞれが固有の価値を持っているということ。無理に他人と同じになる必要はないという文脈で使われます。 * **自然の美しい情景** 言葉の通り、春の美しい風景(緑の柳と赤い花が引き立て合う様子)を素直に表現した表現でもあります。2026/09/15 18:14:5045.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEavNErだからよおw"雲は空に、水は桶に"に、当たり前とか如実知見とか諸法実相とか、そうした何かしらの真理を観たり感得するのとは、全く違うんだよ。むしろ逆で、そうした真理なんていう見解がその句で払拭されたのな。廓然無聖。2026/09/15 18:24:0646.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEavNEr>>43無いという見解を捨てなさい😘2026/09/15 18:24:4147.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEavNEr徳山和尚が龍潭和尚から蝋燭を渡された時、フッと龍潭和尚に灯火を吹き消された瞬間に悟ったとかあったよな。2026/09/15 18:27:5148.ハジkvtDtはい、禅宗の有名な逸話ですね。『無門関』第28則「龍潭吹燭(りょうたんすいしょく)」などに収められている、徳山宣鑑(とくさんせんかん)和尚と龍潭崇信(りょうたんすうしん)和尚の問答です。**経緯の概要** * **徳山の自負:** 当時、経典(特に『金剛経』)の解釈に精通していた徳山は、「南方の禅など生ぬるい」と鼻鼻しく、自作の註釈書を担いで龍潭和尚を問詰しに訪れました。 * **夜の問答:** 龍潭のもとで夜遅くまで問答を交わした徳山は、龍潭から「夜も更けたから自室に下がるがよい」と言われ退室しようとしました。 * **暗闇と蝋燭:** 外に出て「外は暗くて歩けません」と言う徳山に対し、龍潭は紙燭(紙の蝋燭)に火を灯して手渡しました。 * **吹き消された一瞬:** 徳山がそれを受け取ろうと手を伸ばしたまさにその瞬間、龍潭は息を吹きかけて火を「フッ」と消してしまいました。**悟りの意味**目の前が真っ暗になった瞬間、徳山は大悟しました。言葉や文字(経典の知識や暗闇を照らす「借り物の光」)に頼っているうちは真の自己に目覚めることはできず、一瞬で逃げ場(依存先)を断ち切られたことで、自身の内に本来ある光(仏性)に気づいたとされています。翌朝、徳山は自慢の註釈書を自ら焼き捨て、一切の執着を捨て去りました。2026/09/15 18:30:5649.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEavNErある意味、お釈迦さまの「見解を捨てなさい」っていうのを人為的に相手に起こせしめてるんだろうな、力量のある禅師はw直指人心、見性成仏。2026/09/15 18:31:1450.神も仏も名無しさんY3lwT執着、無常、悟り、か。2026/09/15 18:34:5151.神も仏も名無しさんY3lwT無常、執着から離れる、悟り、だったかな。2026/09/15 18:38:5452.神も仏も名無しさんY3lwT無常、悟り、執着からの厭離、だったか。2026/09/15 18:43:4353.ハジkvtDtおんりーいっさいーくーきょーねーはん2026/09/15 18:44:3954.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEavNErボケのロンとツッコミの栖雲か。いつまでこの仏教漫才続くの?2026/09/15 18:46:5155.神も仏も名無しさんY3lwTでもそれだと、お釈迦さまの五法印で良いと思うな2026/09/15 18:49:0156.神も仏も名無しさん0CTezがんばってるな~。。w2026/09/15 19:13:2457.神も仏も名無しさん0CTez何をがんばっているのか、ぜんぜんわからんけれど。。w2026/09/15 19:14:1858.栖雲居士◆MKrKQHoID7SERWEXrいいんだよ🥰ロンもだんだんとあれに似てきたなw2026/09/15 19:22:2259.栖雲居士◆MKrKQHoID7SERWEXrお前らの大好きなGeminiに聞いてみたぞw【問い】スッタニパータの研究に付いて、グレイス・G・バーフォード(Grace G. Burford)博士の研究およびその核心となる論点をご教示ください。【回答】グレイス・G・バーフォード(Grace G. Burford)博士は、パーリ仏典の初期層である『スッタニパータ』、特に第4章「義足の品(アッタカヴァッガ / Aṭṭhakavagga)」を対象に、後世の正統派上座部(テーラワーダ)仏教の価値体系との比較思想史的・倫理学的な研究を行いました。彼女の代表的な著書『Desire, Death and Goodness: The Conflict of Ultimate Values in Theravāda Buddhism』(1991年)などで提示された研究とその核心的な論点は以下の通りです。アッタカヴァッガにおける原初的理想バーフォード博士は、最古の仏典層とされる『スッタニパータ』の「八つの詩篇(アッタカヴァッガ)」に描かれる理想像を徹底的に分析しました。 * 非形而上学的・現世的到達: 最初期の仏教における解脱(理想的目標)は、超自然的な超越状態や複雑な形而上学的体系ではなく、あらゆる欲執・見解(見解への執着 / 義論)からの解放、および「完全な無欲(desirelessness)」としてこの現世で達成可能なものとして提示されていたと主張します。(続く)2026/09/15 19:34:3160.栖雲居士◆MKrKQHoID7SERWEXr(続き)* 「見(diṭṭhi)」の放棄: 宗教的な教義や特定の哲学説(見解)に捉われないこと自体が解脱の核心であり、解脱者は自ら特定の形而上学的立場を主張しないと捉えました。後世の註釈書(義釈など)との不一致博士の論説の最も刺激的な点は、「アッタカヴァッガの原初的教義」と「後にそれを解釈した正統派注釈書(『義釈(ニッデーサ)』やアッタカターなど)」との間にある価値体系の変容と衝突を明瞭に指摘した点にあります。 * 超越化・体言化(Reification): 後世の上座部教団は、独自のアビダルマ(阿毘達磨)的論理や正統的教義体系を構築する中で、本来「状態・プロセス」であった涅槃や解脱を、超越的でアクセスが著しく困難な目標へと変化させたとしています。 * 価値観の再解釈: 後世の注釈家たちは、最古のテキストにある「あらゆる見解の放棄」という教えを、自分たちの正統派仏教の教理(正見)を受け入れ遵守することへと読み替えて解釈し直したと分析しました。研究の成果と学説上のインパクトバーフォードの研究は、仏教思想史において「最初期の仏教理念が、教団の制度化や形而上学体系の発展に伴っていかに再解釈・変容されていったか」という「欲望(Desire)と最終目標(Ultimate Values)」を巡るパラドックスを明示した点で高く評価されています。2026/09/15 19:34:4361.神も仏も名無しさんY3lwT仏教の教えだと、大事なのは形より心だと説くことが多いこれは勉強になったな2026/09/15 19:38:4162.◆JBLfMwCXhYwJ5Sa>>60今まで、何種類もの訳で「スッタニパータ」の第4章(八つの詩句の章)をさんざん読んできたがお前が言うような「一切の見解を捨てよ」なんて話は、どこにも出てこないぞ?「自己の見解に固執するな」「他人の見解を劣ったものと見下すな」「自分の見解が正しいと主張して争うな」↑こんな感じの繰り返しが多い2026/09/15 20:12:5563.神も仏も名無しさんDFmXGハッスル🤡の問題提起がそもそも、トンチンカンアホ🤡だからなー🤡〜〜〜2026/09/15 20:14:0764.◆JBLfMwCXhYwJ5Saましてや「ブッダの説法もいろんな見解の1つにすぎない。だから捨ててしまえ」などとは、どこにも出てこない😂2026/09/15 20:15:2065.◆JBLfMwCXhYwJ5Sa「スッタニパータ」の第4章でブッダが厳しく批判してるのはむしろ、お前みたいな姿勢だ「俺は、坐禅をさんざんやってるんだ。お前らより、俺のほうが偉いんだ」↑こういう姿勢を、厳しく戒めているブッダによると、どれほどの賢者であっても、こんな具合に慢心したら終わりなんだそうだましてや、お前みたいな愚者では・・・(以下略2026/09/15 20:17:5766.神も仏も名無しさんDFmXG>>64バカが臨済宗ぶるとこーいう屁理屈バカ慢心になる😱2026/09/15 20:19:3567.、FoxkBDMN に 巻き込まれないってことね普通にんg2026/09/15 20:37:0968.神も仏も名無しさんY3lwTDMNは、お釈迦さまの教えの一部、かもしれない2026/09/15 20:39:1269.、FoxkBDMN に 巻き込まれないってことね普通、人の意識は、DMNと同一化しててそれが自我となっているそのDMNに巻き込まれずに、常に無努力で客観視されてて、しかも、何も特別なことをせずの脱力状態でーーー禅で言う悟りとは↓↓↓五蓋が停止するんです。つまり、【内言が止まってしまう】の。そんだけ。ーーーそう客観視とは意識が、内言=DMNを外的に客観視しているから意識が意識自身に留まるり、DMNから遠離した状態に在るとなるここに於いて、数年もするとラーマナマハリシやニサルガダッタマハリシの言う『I AM』つまる私は在る!ってなって臨済の言う、本来面目、無位真人、随所主といったことが、事実としてその身に現れるようになります。2026/09/15 20:53:2570.ハジkvtDt魑魅魍魎2026/09/15 20:53:5971.神も仏も名無しさんAMRsKモフモフ😺キングデンパパ📡をやっつけろお〜〜〜😀😀😀😀😀2026/09/15 20:56:2772.神も仏も名無しさんAMRsKモフモフ😺キング〜DQNデンパパ📡をやっつけろお〜〜〜😀😀😀😀😀2026/09/15 20:59:0173.神も仏も名無しさんPyHTc釈迦は修行僧たちに、「諸々の事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成しなさい。」と告げる。これが釈迦の最後の言葉となった。釈迦は、初禅、二禅、三禅、四禅、空無辺処、識無辺処、無所有処、非想非非想処、想受滅と、「九次第定」を上がっていき、次に、想受滅、非想非非想処、無所有処、識無辺処、空無辺処、四禅、三禅、二禅、初禅と下って行き、再び初禅、二禅、三禅、四禅と上がったところで、涅槃に入った。2026/09/15 21:02:1074.ハジkvtDt話盛ったりするからなーw2026/09/15 21:05:3775.神も仏も名無しさんY3lwT人それぞれ、信心とするところは異なる人それぞれ、遺伝子、環境、経験による、信心の違いがあってのことだから、仕方のないことだと思う2026/09/15 21:09:3376.神も仏も名無しさんAMRsK>>74思いつきのままにスピリチュアル混ぜ合わせるからなー👽2026/09/15 21:13:1577.神も仏も名無しさんAMRsKネドとか変なのが増えたんだな?😱2026/09/15 21:17:1278.神も仏も名無しさんAMRsK枯れ木も山の賑わいだ😀2026/09/15 21:19:4179.栖雲居士◆MKrKQHoID7SERWEXrふむふむ🤨 >価値観の再解釈: 後世の注釈家たちは、最古のテキストにある「あらゆる見解の放棄」という教えを、自分たちの正統派仏教の教理(正見)を受け入れ遵守することへと読み替えて解釈し直したと分析しました。ニデーサ(義釈)の問題か。2026/09/15 21:21:5980.栖雲居士◆MKrKQHoID7SERWEXrつまり、ここら辺は中谷論文でも指摘されてるところだな、2026/09/15 21:23:2581.神も仏も名無しさんAMRsKハッスル🤡エセッスルう🤡〜〜〜〜エネルギーが回復か?🤡〜〜2026/09/15 21:23:4482.神も仏も名無しさんAMRsKエセッスルう🤡〜〜〜〜エネルギーで高評価👍️ゲット目指せっ‼️🤡2026/09/15 21:24:1983.栖雲居士◆MKrKQHoID7SERWEXrどうもここら辺の問題について、森林住(阿蘭若住 / áraṇya)」や森林派(アーラニヤカ / āraṇyaka)の修行僧から龍樹への流れが気になるんだな。龍樹は僧院住派系なのか森林住派系なのか、或いは村落住派系なのか……大乗仏教の成立問題も絡めて明かされる事が期待される。2026/09/15 21:27:5784.神も仏も名無しさんAMRsKエセッスルう〜〜〜〜🤡天才だ〜〜🤡〜〜〜〜2026/09/15 21:28:4185.神も仏も名無しさんY3lwT人によっては、仏教でもお釈迦さまの教えをそのままに、受け入れられない人もいるんだよ。キリスト教やヒンズー教やイスラム教の人たちのことも、考えてみれば分かるよ。2026/09/15 21:32:4486.神も仏も名無しさんY3lwTキリスト教やヒンズー教やイスラム教やその他の宗教の人たちのことも、考えてみれば分かるよ。2026/09/15 21:33:5987.神も仏も名無しさんAMRsK考えなくても俺は😀2026/09/15 21:35:1388.神も仏も名無しさんAMRsK色々話を広げ過ぎるのは、まその程度や😀2026/09/15 21:35:4989.ハジkvtDt外国人は鈴虫の声が、聞こえないらしい2026/09/15 21:38:2790.ハジkvtDt雑音にしかw2026/09/15 21:38:4591.神も仏も名無しさんAMRsKモフモフ😺、やるな〜😀2026/09/15 21:39:0892.神も仏も名無しさんAMRsKよー分からんけど😀2026/09/15 21:39:2193.栖雲居士◆MKrKQHoID7SERWEXr続き【問い】以下の点に付いて補足はありますか?価値観の再解釈: 後世の注釈家たちは、最古のテキストにある「あらゆる見解の放棄」という教えを、自分たちの正統派仏教の教理(正見)を受け入れ遵守することへと読み替えて解釈し直したと分析しました。【Gemini回答】バーフォード博士が指摘する「『あらゆる見解の放棄』から『正見の遵守』への再解釈」について、彼女の議論のロジックをより深く理解するための補足として、以下の3つの側面が挙げられます。1. 「見解(diṭṭhi)」の意味合いの変化 * アッタカヴァッガ(初期層): 「見(ディッティ)」という語は、特定の哲学説や宗教的教義に対する「固執・執着そのもの」を指し、ネガティブなニュアンスで用いられます。「いかなる見解も抱かない(無見解)」ことが解脱者の条件とされました。 * 後世の注釈書(『義釈』など): 「見」を「邪見(誤った見解)」と「正見(正しい見解)」の2つに二分しました。その上で、放棄すべきなのは「邪見」のみであり、仏教の正統な教えである「正見(四諦や八正道、無常・苦・無我など)」は「放棄すべき見解」ではなく「絶対に受け入れるべき真理」として再定義されました。2. 宗教的・倫理的パラドックスの発生バーフォード博士は、この読み替えによって仏教倫理に本質的なパラドックスが生じたと論じています。 * 本来の教え(解脱の条件)= 「一切の拘束(教理すら含む)からの解放」 * 注釈家の解釈= 「正統な教理体系という正しい枠組みへの帰依」 つまり、解脱のための道具であったはずの「教義」そのものが絶対化され、初期の「何物にも縛られない自由」という目標の性質が変質してしまった点を博士は問題提起しています。3. 教団(サンガ)の制度化と正統性の確立という背景なぜ注釈家たちがそのような再解釈を行ったのかという背景として、教団の歴史的変遷が関係しています。 * 仏陀の直後や初期の修行者グループにおいては、固定化した教団組織が小さく、個人が概念的執着を離れることが主目的でした。 * しかし、後世に教団(サンガ)が広がり制度化・学派化(部派仏教)していく過程で、異教徒や他部派との論争に対抗し、教団のアイデンティティを保つための「正統な教理体系(アビダルマ)」が不可欠となりました。その結果、テキストの注釈作業を通じて「正統な見解(正見)を守ること」が最優先課題へと変化していったと考えられています。2026/09/15 21:47:3294.神も仏も名無しさんAMRsKアホダルマ エセッスルう〜〜〜〜🤡2026/09/15 21:49:4995.神も仏も名無しさんY3lwT人によるところが大きいことだから、仕方がない、尊重するしかない。2026/09/15 21:50:0496.神も仏も名無しさんAMRsK自己完結しましたかね?😅2026/09/15 21:51:2797.栖雲居士◆MKrKQHoID7SERWEXrふむふむ🤨 * 後世の注釈書(『義釈』など): 「見」を「邪見(誤った見解)」と「正見(正しい見解)」の2つに二分しました。その上で、放棄すべきなのは「邪見」のみであり、仏教の正統な教えである「正見(四諦や八正道、無常・苦・無我など)」は「放棄すべき見解」ではなく「絶対に受け入れるべき真理」として再定義されました。wwwニッデーサのそれは自己言及のパラドックスじゃんかw決めつけない事とか、方便って指摘して来た通りだな。2026/09/15 21:54:4498.栖雲居士◆MKrKQHoID7SERWEXr何度も云う様に、「見解の放棄」と「正しい理解」であって、「正しい見解」なんて説示されてないんだわ。だってそんな事したら自己言及のパラドックスだもんな。wwwwww2026/09/15 21:56:3899.栖雲居士◆MKrKQHoID7SERWEXrつまりだ。仏教本来の説示は、ますます龍樹や禅宗の指摘する所に親しいという事が明かされて来たって事だな。2026/09/15 21:58:31100.栖雲居士◆MKrKQHoID7SERWEXr一切の見解の放棄……まさに空じゃん。龍樹の指摘するところじゃん。2026/09/15 22:01:47101.神も仏も名無しさんY3lwTお釈迦さまの五法印、で良いと思うよ2026/09/15 22:03:15102.神も仏も名無しさんY3lwTそれすらも、人によるところかもしれないけれど2026/09/15 22:04:39103.神も仏も名無しさんY3lwTそのことすらも、人によるところかもしれないけれど2026/09/15 22:05:11104.神も仏も名無しさんY9Zcf見解の放棄って、頭悪すぎるw2026/09/15 22:05:30105.栖雲居士◆MKrKQHoID7SERWEXr>つまり、解脱のための道具であったはずの「教義」そのものが絶対化され、初期の「何物にも縛られない自由」という目標の性質が変質してしまった点を博士は問題提起しています。道具、つまり渡河の為の筏であり、仏説は方便って事だろ。臨済禅師も「三教十二分教も、皆な是れ不浄を拭う故紙なり。」って説示してるしな。ぜーーーーーーーーーーーーーーんぶ、今まで指摘した事そのままじゃんwww2026/09/15 22:05:48106.栖雲居士◆MKrKQHoID7SERWEXr>「いかなる見解も抱かない(無見解)」ことが解脱者の条件とされました。ふむふむ🤨いわゆる一切智者、如来の事だな。2026/09/15 22:08:20107.神も仏も名無しさんY3lwT筏はないとな2026/09/15 22:09:59108.栖雲居士◆MKrKQHoID7SERWEXr此処はもういいかw他所に移るかww論じる相手いないしwwwロンを〆るくらいしかやる事ないしwwwwまぁ、気が向いたら来ようwwwww2026/09/15 22:12:35109.神も仏も名無しさんAMRsKエセッスルう🤡〜〜〜〜エネルギーがわいてくるまでまってるぞお〜🤡〜〜2026/09/15 22:18:39110.神も仏も名無しさん0CTezここも隔離病棟になったな。。w2026/09/15 22:20:48111.神も仏も名無しさんAMRsK元気の源きたぞお〜〜〜😀エセッスルう〜〜〜〜🤡しろお〜〜🤡〜〜2026/09/15 22:22:02112.、FoxkBそう言うお前らの見解が止めば良いんだよ見解がー❗じゃなくて飽くまで実体験の世界だからさ瞑想だろうが禅だとうが四禅定だろうが2026/09/15 22:35:49113.神も仏も名無しさんY3lwT人によること2026/09/15 22:38:55114.、FoxkB訂正の幸君か2026/09/15 22:40:39115.神も仏も名無しさんY3lwT笑2026/09/15 22:41:44116.神も仏も名無しさんY9Zcf何物にも縛られない自由だってよwガキの妄想だろwみっともねーw2026/09/15 22:43:38117.、XTClb>>113お前宇宙人か⁉️人間なら脳は共通だなら道筋は1本道なんだよ‼️禅だろうがヨガだろうが2026/09/16 01:06:51118.神も仏も名無しさんntODOならお釈迦さまの五法印も受け入れられるはずでしょ2026/09/16 01:14:48119.神も仏も名無しさんntODO万能なのはお釈迦さまの五法印で、それ以外は効いても一時的なものだったり、それだけでは完全ではなかったり、そういうものばかりだと思うなあ2026/09/16 01:15:00120.神も仏も名無しさん2KfX2自殺教唆の犯罪者、栖雲居士💩 今朝の浣腸💩日記💩💩627:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:29:52.30 ID:GHVkJlI/[96/96]うんうん、精神病棟にレリゴー😘 🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆162 栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm :[sage]:2024/03/09(土) 16:35:39.62 ID:b8JerweS喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟633:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:32:58.27 ID:GHVkJlI/[98/98]で?悔しくて我慢できないのか?wwwwwwwwwwwwwwwwww千枚通しで喉仏を刺して逝けば?wwwwwwwwwwwwwwwwwwぶわあーーーーーくわwww2026/09/16 04:01:39121.神も仏も名無しさんntODOこの世界を「無常・苦・無(非)我・不浄」と理解しておくことだとは、思っているかな前もってそう理解しておくことで、世界をそう見れるようになって、煩悩とかも、だいぶ軽減されると思うかな2026/09/16 04:08:30122.神も仏も名無しさんntODO修正版この世界を「無常・苦・無(非)我・不浄」と理解しておくことだとは、思っているかな前もってそう理解しておくことで、世界をそう見れるようになって、煩悩とかも、だいぶ軽減されるとは思うかな2026/09/16 04:10:07123.夕h4mtE輪廻とは相対が立ち上がることと今思った。2026/09/16 05:45:37124.夕h4mtE四苦では「生」自体も苦として扱われている。釈迦は苦の輪廻からの解脱を目指したが、本来の釈迦の教説では浄土を想定せず「死後に天界を含めて、一切皆苦のこの世界で二度と生まれ変わらないこと」を目指していたと説明される(大乗非仏説参照)[2][3]。佐々木閑は「釈迦はこの世を一切皆苦ととらえ、輪廻を断ち切って涅槃に入ることで、二度とこの世に生まれ変わらないことこそが究極の安楽だと考えた」と説明している[4]。釈迦の生涯を体系的に網羅した叙事詩『ブッダチャリタ』では涅槃に入った釈迦について「地上においては老・死の恐怖はなく、天上においては天界から落ちる恐怖(天人五衰)はない。(中略)生があれば不快が生じる。再び輪廻に生まれないことによる非常な快以上の快はない。」と述べている[5]。※これを読んでいたら、輪廻とは相対が生み出すものとふと思った。2026/09/16 05:48:45125.神も仏も名無しさんvsW45ネッドリしているな?😅2026/09/16 05:49:33126.夕h4mtE「dukkha」と「苦しみ」は異なり、「苦しみ」は、dukkhaの一部にすぎないとする立場もある[7]。アルボムッレ・スマナサーラによると、釈迦の説くdukkhaは、現代語の「苦」とは別物である。現代語の苦は具体的には、肉体的な苦痛と精神的な苦痛とがあるが、スマナサーラによれば仏教で説くdukkhaには、「苦しみ」、「虚しい事」、「不完全である事」、「無常である事」の4つの意味が含まれるという[8]。※スマナサーラによれば仏教で説くdukkhaには、「苦しみ」、「虚しい事」、「不完全である事」、「無常である事」の4つの意味が含まれるという[8]。そうなんだ。2026/09/16 05:50:27127.神も仏も名無しさんvsW45人間の性質設定してるな😀2026/09/16 05:52:56128.夕h4mtE>>125まぁね。苦とは?2026/09/16 05:53:26129.神も仏も名無しさんvsW45ネッドリくんは人間の性質の洞察とその対応までやってるクレバーさはなさそうた😀2026/09/16 05:53:52130.神も仏も名無しさんvsW45ネッドリくんは夕のことではない人によるとか言っている人😀2026/09/16 05:54:28131.神も仏も名無しさんvsW45ネッドリくんの判定基準は自分を良く洞察してなさそうハッスル🤡にも、言えることだが😅2026/09/16 05:56:59132.夕h4mtE仏教における苦(く、巴: dukkha、梵: दुःख, duḥkha、蔵: sdug pa)とは、苦しみや悩み[1]、精神や肉体を悩ませる状態を指す[2]。対義語は楽。と書かれているから、精神や肉体の苦しみと書かれているからね。精神的なの苦とは、言葉を取る、妄想を取ることからきていると私は思っている。大体日本じゃ、言霊全盛だからねw言葉を取って右往左往している。現実世界に生きているから伝達としての言葉は必要だと思うけどね。そこに付随するものを取りすぎる。2026/09/16 06:01:06133.神も仏も名無しさんntODO再修正この世界は「無常・苦・無(非)我・不浄」ということを理解することだとは、思っているかなそう理解することで、世界をそう見れるようになって、煩悩とかも、だいぶ軽減されるとは思うかな2026/09/16 06:35:20134.神も仏も名無しさんntODO再々修正この世界は「無常・苦・無(非)我・不浄」であるということを理解することだとは、思っているかなそう理解することで、世界をそう見れるようになって、煩悩とかも、だいぶ軽減されるとは思うかな2026/09/16 06:39:42135.神も仏も名無しさんntODO再々再修正この世界は「無常・苦・無(非)我・不浄」であると理解することだとは、思っているかなそう理解することで、世界をそう見れるようになって、煩悩とかも、だいぶ軽減されるとは思うかな2026/09/16 06:47:10136.神も仏も名無しさんsNBbS私は、人は、とか、人間はとか、○○は、とかから話そうとする場合必ず、私は、から話し始めるように心がけている、その時私はに出来ないような話は辞めるようにしている、私の話ではないからだ、私の話か私以外の話かを必ず区別するように心がけている、これは長年の親しい人との関わりで産まれた感覚だな。それはあんたの話かあんた以外の話か、と聞かれてとても喜んだのを覚えてる2026/09/16 06:48:46137.神も仏も名無しさんsrkpRなんだネッドリのなんとかの一つ覚えリバースだったんか〜つけ焼き刃感、満載でらしいな〜🧛2026/09/16 08:19:44138.神も仏も名無しさんsrkpRヒロキ化しつつあるな😱2026/09/16 08:20:51
それが、このスレのテーマ
前スレ
悟りをひらいた人のスレ 898
https://talk.jp/boards/psy/1788602875
先ず静かな所に座り、鼻の頭に軽く意識を掛け、普通に息を吸って、ゆっくり長く息を吐いていくのじゃ。
息を吐く時に、頭の中で一と数える。
又、普通に息を吸い、ゆっくり長く息を吐いてニと数えるのじゃ。
このようにして十まで数え、十まで行ったら今度は十から数を減らして行って、一に戻るんじゃよ。
たまに長時間行うより、一日に五分でもよいから、毎日続けると不動心が身に付くのじゃ。
夜の寝る前などに行うと、安らかに眠れるようにもなるじゃろう。
初めて数息観などをする者は、とにかくイライラして止めたくなったりするじゃろう。
そんな時は一度、中断してストレス解消の運動でもするといい。すっきりしたら又続けるのじゃ。
暫く修行をすると、今度は雑念に悩まされるようになるかも知れん。
そのような時は無視して呼吸に意識を集中しなおす。暫くすると、雑念は消えていくじゃろう。
更に修行を重ねれば、雑念と集中する意識を二つとも、意識出来るようになる。行が深まり、潜在意識が見えてくるようになったのじゃ。
そのような時も、雑念を無視しておれば、やがて雑念は消え去り、深い無念無想の状態に入れる。
もっと行が深まれば、意識は二つだけでなく、同時に幾つもの雑念があることに気付くじゃろう。
人間はもともと同時に幾つもの事を考えておる。
例えば誰でも歩きながらタバコを吸い、同時に尻を掻くという事が普通に出来るように、
人間は同時に幾つもの事を考えているが、潜在意識まで見る事の出来ない者には、判らないのじゃ。
潜在意識まで見る事が出来、全ての雑念が静まり、もはや心に何の考えも浮かばなくなれば、止の行は完成じゃ。
その前に観の行の前行である、観察の力と集中力を身につける観察の行をやるのじゃ。
先ず、目の前に観察の対象となる物を用意するんじゃ。
木でも花でも何でもいい。そしてそれを見て、細かく観察するのじゃ。
最初の内は、心の中で言葉にしてもよい。
例えば花なら花という言葉を使わず、
「今、目の前にそれがある。それは薄い膜のような物が幾つも重なっている。それは赤い色をしている。
それはふちが薄く、真中にいくほど厚くなっている。それの真中には細い糸が幾つも出ている・・・」
などと観察していくのじゃ。
出来るだけ細かく、普段なら見落としてしまうような事も、可能な限り観察するのじゃ。
ちっちゃなとげがあるとか、皺がいくつもあるとか。
次第に慣れてきたら、言葉にせず、目で見るだけで意識に上らせるようにするんじゃ。
そのようにしていると、たまに雑念が沸くこともある。
例えば「この花はバラだ。バラのジャムつておいしいのかな。そろそろごはんのじかんだ」
などといつのまにか、ご飯のことを考えている。これは観察ではない。
観察とは今、ここに、現にある物だけを見ることじゃ。
連想や記憶は雑念なのじゃ。
そのような雑念が沸いてきたら、止の行をしてきたおぬしらは、どうすればいいか判るじゃろう。
数息観をしていた時と同じく、ただスルーするのじゃ。
止めようとか、駄目だとか思わず、ただやり過ごして、観察に戻る。
そうすれば雑念は自然に消えていく。
このような時に止の行は役立つのじゃ。
やはり止と観察は二つで一つなのじゃ。
未だ自我のある者は、更に感覚、感情、思考、分別知、認識などに観察を広げていくのじゃ。
前にも書いたが、感覚から先の観察は鐘の音などを利用すると、簡単なのじゃ。
感覚を観察するには鐘の音が鳴ったら、
「今、鐘の音が鳴った、聞こえている、だんだん音が小さくなるのが判る、今消えた」などと、
今、感じている感覚を観察するのじゃ。
その鐘の音によって生じる感情も、「耳が痛くてうざいと思っている・・・」などと観察する。
思考も「あの鐘は仏壇屋で買ったもっといいのが欲しかったと、考えている・・」などと
巻き込まれないように注意しながら観察するのじゃ。
物事を認識し、分別する心の働きは殆ど一つの動きになっている故に、鐘の音を聞いて、
「これは鐘の音・・・今、鐘の音と分別し認識した」などと、観察するのじゃ。
このように直接、心と体を認識する方法が、観の行の基本であり、
最もシンプルでスタンダードなものであると言えよう。
しかし、この方法はかなりの集中力と観察力が必要となる。
これをシステム化してやり易くした方法が、縁起の法や、空の法なのじゃ。
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・ テンプレは、ここ迄なのじゃ
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坐禅 などしているのは悟っていない証拠
だいたい
坐禅が悟りの因にはならんし
むしろ勤行が切っ掛けになる
坐禅で悟ったふうになると、偽物の悟りへいってしまい、今生を棒に振ることになりますね
😱
実験しとる
偽が能書き
😱
それがDMNな
それを客観視するんだ‼️
ってか
DMNが何かも解ってないかw
「花は紅、柳は緑」って蘇東坡が言って、道元が正法眼蔵に引用しているんです。
当たり前っちゃ、当たり前のことなんだけども。ねえ、「花が紅」がどうした?と思いませんか。
わたしはその体験をしました。
これはネドじゅん先生も、まっすーさんも、みんな経験していることですが、わたしは何の気なしにゴミを捨てようと45Lのペール箱の蓋を開けた瞬間、その美しさにびっくりしたんです。
通常なら、「汚い」と思ったはずなんだけでも、その時はピュアになっていて「何でも初めて見る心境」になっていたものだから、その色・形に圧倒されました。
ドラッグやっている人も多分、そんなだと思うんだけど、(なんて美しい・・・)しばし目が離せなかった。
ゴッホに星月夜って有るでしょ。
ペールボックスのゴミがあんな感じに見えるんですよ。「汚い」という先入観が無くなって。
ゴミが持つ美しさと何が違うのか?
ドブねえ~ずみ、みたいに美しくなり~たい!
リンダ、リンダ~♪
正にそう。
そしてその目を周囲に向ける。
と、全てがまるで奇跡のように無限の価値有るものに見え、道行く人みんなを抱きしめて「幸福になってください!」と抱きしめたいような、抑えがたい衝動が起きました。
これが「花は紅、柳は緑」です。
「なんでこの、当たり前のことに今まで気づかんかったんやー!世界はこんなにも美しい。」と言うのを短い言葉で言うと、確かにそうなります。
これがわたしの場合、たった1年でかき消えました^^;
なんでも願望が叶うので、調子に乗っちゃったんだね。
慢心が出たの。
by W・T
↓↓↓
五蓋が停止するんです。
つまり、【内言が止まってしまう】の。
そんだけ。
しかし、そのことで日常が一変する。
どう変わるか?
それが >10
by W・T
あまりにもヒドイ勘違いだな。。w
アホかって話。。w
あまりにもとんでもない誤解。。w
美しく感じたんならそれは受だろ?
味を感じたんならそれも受だろ?
こんな低次元のレベルから解説しなきゃならんのか?
違う体験を誰かが言うと
それは違う(-д- 三 -д-)ってなる
ゴミとかコンクリートやアスファルト道路、炉端の枯れ草、果ては自分の💩まで
それまで、汚れや無機質なものと思ってきたものが、美に輝いて見えてくる
と言った変化が起こっている時は
無心になっている、と思って間違いなくて
そのようになっている、なった!という処にいわゆる悟りは現れています
それは単なる現量が云々のお話ではなくて
対象が光って輝いて見える、それは自分の意識が光を対象へ放射しているが故に
となるのであって、面前を出入りするものなのです。
お釈迦さまはそうした見解を捨てなさいって説示されてますし、また、そうした受を受けない事を正受って禅宗では説示してます。
ネドという人を検索したよ
突然の変容
2016年のある日、それまで頭の中で鳴り響いていた「過去の後悔」や「未来の不安」といった独り言(自動思考)がぱったりと消失しました
マインドフルネス状態の日常化
思考のノイズが消えた結果、まるで「深い瞑想をしたまま日常生活を送っている」ような、毎瞬毎瞬の体感覚に意識が集中する状態(右脳中心の意識)になりました
現在の主な活動
思考が消えて起こる素晴らしい体験をみんなにシェアしたい」という思いから活動を開始
だって眼中に入る光量が増えますからね。
また、何かに夢中になって無意識に瞑想中の様な半眼になって、ある時パッとその様に輝いて見える事もあるでしょう。
まぁ、それを無心状態っていうのもあながちではないでしょうが。
ただ、向こう側からは結構仏教についての独自解釈をしてくるよな。
ほぼ的外れなんだけど。
これ、そのまんまなんだけど、わからないんだろうね。。
敢えていうならその生活の全体的表現というか全力の消化というか。
それも見解だなぁw
担いで帰って下さい。。w
> これ、そのまんまなんだけど、
という見解だなぁw
wwwwwwwwwwwwwwwwww
何処に自分を担いでる奴が居るんだよw
おかしな見解を打破するための見解だろ。
見解だなぁw
柳は緑、花紅。。
それで、法を聞きに来た役人が、満足して帰っていったという。。
それだけのことなんだよ。。
眼横鼻直でも同じ。。
> 独自解釈
これも、特殊な受想行識から、なのかもね。
元々は中国・唐の詩人である蘇東坡(蘇軾)の詩の一節「柳緑花紅真面目(りゅうりょくかこう しんめんもく)」に由来し、禅の教えとしても深く用いられています。
**主な意味と捉え方**
* **ありのままの真理**
柳は緑色であり、花は赤いのが自然の法則であり、飾らない素の姿こそが真実(真面目)であるという考え方。
* **個性の尊重**
柳には柳の良さ(緑)、花には花の良さ(紅)があり、それぞれが固有の価値を持っているということ。無理に他人と同じになる必要はないという文脈で使われます。
* **自然の美しい情景**
言葉の通り、春の美しい風景(緑の柳と赤い花が引き立て合う様子)を素直に表現した表現でもあります。
"雲は空に、水は桶に"に、当たり前とか如実知見とか諸法実相とか、そうした何かしらの真理を観たり感得するのとは、全く違うんだよ。
むしろ逆で、そうした真理なんていう見解がその句で払拭されたのな。
廓然無聖。
無いという見解を捨てなさい😘
**経緯の概要**
* **徳山の自負:** 当時、経典(特に『金剛経』)の解釈に精通していた徳山は、「南方の禅など生ぬるい」と鼻鼻しく、自作の註釈書を担いで龍潭和尚を問詰しに訪れました。
* **夜の問答:** 龍潭のもとで夜遅くまで問答を交わした徳山は、龍潭から「夜も更けたから自室に下がるがよい」と言われ退室しようとしました。
* **暗闇と蝋燭:** 外に出て「外は暗くて歩けません」と言う徳山に対し、龍潭は紙燭(紙の蝋燭)に火を灯して手渡しました。
* **吹き消された一瞬:** 徳山がそれを受け取ろうと手を伸ばしたまさにその瞬間、龍潭は息を吹きかけて火を「フッ」と消してしまいました。
**悟りの意味**
目の前が真っ暗になった瞬間、徳山は大悟しました。言葉や文字(経典の知識や暗闇を照らす「借り物の光」)に頼っているうちは真の自己に目覚めることはできず、一瞬で逃げ場(依存先)を断ち切られたことで、自身の内に本来ある光(仏性)に気づいたとされています。
翌朝、徳山は自慢の註釈書を自ら焼き捨て、一切の執着を捨て去りました。
直指人心、見性成仏。
いつまでこの仏教漫才続くの?
ロンもだんだんとあれに似てきたなw
【問い】
スッタニパータの研究に付いて、グレイス・G・バーフォード(Grace G. Burford)博士の研究およびその核心となる論点をご教示ください。
【回答】
グレイス・G・バーフォード(Grace G. Burford)博士は、パーリ仏典の初期層である『スッタニパータ』、特に第4章「義足の品(アッタカヴァッガ / Aṭṭhakavagga)」を対象に、後世の正統派上座部(テーラワーダ)仏教の価値体系との比較思想史的・倫理学的な研究を行いました。
彼女の代表的な著書『Desire, Death and Goodness: The Conflict of Ultimate Values in Theravāda Buddhism』(1991年)などで提示された研究とその核心的な論点は以下の通りです。
アッタカヴァッガにおける原初的理想
バーフォード博士は、最古の仏典層とされる『スッタニパータ』の「八つの詩篇(アッタカヴァッガ)」に描かれる理想像を徹底的に分析しました
。
* 非形而上学的・現世的到達: 最初期の仏教における解脱(理想的目標)は、超自然的な超越状態や複雑な形而上学的体系ではなく、あらゆる欲執・見解(見解への執着 / 義論)からの解放、および「完全な無欲(desirelessness)」としてこの現世で達成可能なものとして提示されていたと主張します。
(続く)
* 「見(diṭṭhi)」の放棄: 宗教的な教義や特定の哲学説(見解)に捉われないこと自体が解脱の核心であり、解脱者は自ら特定の形而上学的立場を主張しないと捉えました。
後世の註釈書(義釈など)との不一致
博士の論説の最も刺激的な点は、「アッタカヴァッガの原初的教義」と「後にそれを解釈した正統派注釈書(『義釈(ニッデーサ)』やアッタカターなど)」との間にある価値体系の変容と衝突を明瞭に指摘した点にあります。
* 超越化・体言化(Reification): 後世の上座部教団は、独自のアビダルマ(阿毘達磨)的論理や正統的教義体系を構築する中で、本来「状態・プロセス」であった涅槃や解脱を、超越的でアクセスが著しく困難な目標へと変化させたとしています。
* 価値観の再解釈: 後世の注釈家たちは、最古のテキストにある「あらゆる見解の放棄」という教えを、自分たちの正統派仏教の教理(正見)を受け入れ遵守することへと読み替えて解釈し直したと分析しました。
研究の成果と学説上のインパクト
バーフォードの研究は、仏教思想史において「最初期の仏教理念が、教団の制度化や形而上学体系の発展に伴っていかに再解釈・変容されていったか」という「欲望(Desire)と最終目標(Ultimate Values)」を巡るパラドックスを明示した点で高く評価されています。
大事なのは形より心だと説くことが多い
これは勉強になったな
今まで、何種類もの訳で「スッタニパータ」の第4章(八つの詩句の章)をさんざん読んできたが
お前が言うような「一切の見解を捨てよ」なんて話は、どこにも出てこないぞ?
「自己の見解に固執するな」
「他人の見解を劣ったものと見下すな」
「自分の見解が正しいと主張して争うな」
↑
こんな感じの繰り返しが多い
そもそも、トンチンカン
アホ🤡だからなー
🤡〜〜〜
「ブッダの説法も
いろんな見解の1つにすぎない。
だから捨ててしまえ」
などとは、どこにも出てこない😂
むしろ、お前みたいな姿勢だ
「俺は、坐禅をさんざんやってるんだ。お前らより、俺のほうが偉いんだ」
↑
こういう姿勢を、厳しく戒めている
ブッダによると、どれほどの賢者であっても、こんな具合に慢心したら終わりなんだそうだ
ましてや、お前みたいな愚者では・・・(以下略
バカが臨済宗ぶると
こーいう屁理屈バカ慢心になる
😱
普通にんg
普通、人の意識は、DMNと同一化してて
それが自我となっている
そのDMNに巻き込まれずに、常に無努力で客観視されてて、しかも、何も特別なことをせずの脱力状態で
ーーー
禅で言う悟りとは
↓↓↓
五蓋が停止するんです。
つまり、【内言が止まってしまう】の。
そんだけ。
ーーー
そう客観視とは
意識が、内言=DMNを外的に客観視しているから
意識が意識自身に留まるり、DMNから遠離した状態に在るとなる
ここに於いて、数年もすると
ラーマナマハリシやニサルガダッタマハリシの言う『I AM』
つまる私は在る!ってなって
臨済の言う、本来面目、無位真人、随所主
といったことが、事実としてその身に現れるようになります。
デンパパ📡を
やっつけろお〜〜〜
😀😀😀😀😀
DQNデンパパ📡を
やっつけろお〜〜〜
😀😀😀😀😀
「諸々の事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成しなさい。」と告げる。
これが釈迦の最後の言葉となった。
釈迦は、初禅、二禅、三禅、四禅、空無辺処、識無辺処、無所有処、非想非非想処、
想受滅と、「九次第定」を上がっていき、
次に、想受滅、非想非非想処、無所有処、識無辺処、空無辺処、四禅、三禅、二禅、初禅と下って行き、
再び初禅、二禅、三禅、四禅と上がったところで、涅槃に入った。
人それぞれ、遺伝子、環境、経験による、信心の違いがあってのことだから、仕方のないことだと思う
思いつきのままにスピリチュアル混ぜ合わせるからなー
👽
変なのが増えたんだな?
😱
山の賑わいだ
😀
>価値観の再解釈: 後世の注釈家たちは、最古のテキストにある「あらゆる見解の放棄」という教えを、自分たちの正統派仏教の教理(正見)を受け入れ遵守することへと読み替えて解釈し直したと分析しました。
ニデーサ(義釈)の問題か。
エセッスルう🤡〜〜〜〜エネルギー
が回復か?🤡〜〜
高評価👍️ゲット目指せっ‼️🤡
龍樹は僧院住派系なのか森林住派系なのか、或いは村落住派系なのか……
大乗仏教の成立問題も絡めて明かされる事が期待される。
天才だ〜〜
🤡〜〜〜〜
キリスト教やヒンズー教やイスラム教の人たちのことも、考えてみれば分かるよ。
俺は
😀
その程度や
😀
😀
😀
【問い】
以下の点に付いて補足はありますか?
価値観の再解釈: 後世の注釈家たちは、最古のテキストにある「あらゆる見解の放棄」という教えを、自分たちの正統派仏教の教理(正見)を受け入れ遵守することへと読み替えて解釈し直したと分析しました。
【Gemini回答】
バーフォード博士が指摘する「『あらゆる見解の放棄』から『正見の遵守』への再解釈」について、彼女の議論のロジックをより深く理解するための補足として、以下の3つの側面が挙げられます。
1. 「見解(diṭṭhi)」の意味合いの変化
* アッタカヴァッガ(初期層): 「見(ディッティ)」という語は、特定の哲学説や宗教的教義に対する「固執・執着そのもの」を指し、ネガティブなニュアンスで用いられます。「いかなる見解も抱かない(無見解)」ことが解脱者の条件とされました。
* 後世の注釈書(『義釈』など): 「見」を「邪見(誤った見解)」と「正見(正しい見解)」の2つに二分しました。その上で、放棄すべきなのは「邪見」のみであり、仏教の正統な教えである「正見(四諦や八正道、無常・苦・無我など)」は「放棄すべき見解」ではなく「絶対に受け入れるべき真理」として再定義されました。
2. 宗教的・倫理的パラドックスの発生
バーフォード博士は、この読み替えによって仏教倫理に本質的なパラドックスが生じたと論じています。
* 本来の教え(解脱の条件)= 「一切の拘束(教理すら含む)からの解放」
* 注釈家の解釈= 「正統な教理体系という正しい枠組みへの帰依」
つまり、解脱のための道具であったはずの「教義」そのものが絶対化され、初期の「何物にも縛られない自由」という目標の性質が変質してしまった点を博士は問題提起しています。
3. 教団(サンガ)の制度化と正統性の確立という背景
なぜ注釈家たちがそのような再解釈を行ったのかという背景として、教団の歴史的変遷が関係しています。
* 仏陀の直後や初期の修行者グループにおいては、固定化した教団組織が小さく、個人が概念的執着を離れることが主目的でした。
* しかし、後世に教団(サンガ)が広がり制度化・学派化(部派仏教)していく過程で、異教徒や他部派との論争に対抗し、教団のアイデンティティを保つための「正統な教理体系(アビダルマ)」が不可欠となりました。その結果、テキストの注釈作業を通じて「正統な見解(正見)を守ること」が最優先課題へと変化していったと考えられています。
😅
* 後世の注釈書(『義釈』など): 「見」を「邪見(誤った見解)」と「正見(正しい見解)」の2つに二分しました。
その上で、放棄すべきなのは「邪見」のみであり、仏教の正統な教えである「正見(四諦や八正道、無常・苦・無我など)」は「放棄すべき見解」ではなく「絶対に受け入れるべき真理」として再定義されました。
www
ニッデーサのそれは自己言及のパラドックスじゃんかw
決めつけない事とか、方便って指摘して来た通りだな。
だってそんな事したら自己言及のパラドックスだもんな。
wwwwww
仏教本来の説示は、ますます龍樹や禅宗の指摘する所に親しいという事が明かされて来たって事だな。
まさに空じゃん。
龍樹の指摘するところじゃん。
頭悪すぎるw
道具、つまり渡河の為の筏であり、仏説は方便って事だろ。
臨済禅師も「三教十二分教も、皆な是れ不浄を拭う故紙なり。」って説示してるしな。
ぜーーーーーーーーーーーーーーんぶ、今まで指摘した事そのままじゃんwww
ふむふむ🤨
いわゆる一切智者、如来の事だな。
他所に移るかww
論じる相手いないしwww
ロンを〆るくらいしかやる事ないしwwww
まぁ、気が向いたら来ようwwwww
わいてくるまで
まってるぞお〜
🤡〜〜
😀
エセッスルう〜〜〜〜🤡
しろお〜〜
🤡〜〜
止めば良いんだよ
見解がー❗じゃなくて
飽くまで実体験の世界だからさ
瞑想だろうが禅だとうが四禅定だろうが
だってよw
ガキの妄想だろw
みっともねーw
お前
宇宙人か⁉️
人間なら脳は共通だ
なら道筋は1本道なんだよ‼️
禅だろうがヨガだろうが
627:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:29:52.30 ID:GHVkJlI/[96/96]
うんうん、精神病棟にレリゴー😘
🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆
162 栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm :[sage]:2024/03/09(土) 16:35:39.62 ID:b8JerweS
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
633:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:32:58.27 ID:GHVkJlI/[98/98]
で?
悔しくて我慢できないのか?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
千枚通しで喉仏を刺して逝けば?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
ぶわあーーーーーくわwww
ことだとは、思っているかな
前もってそう理解しておくことで、世界をそう見れるようになって、煩悩とかも、だいぶ軽減されると思うかな
この世界を「無常・苦・無(非)我・不浄」と理解しておく
ことだとは、思っているかな
前もってそう理解しておくことで、世界をそう見れるようになって、煩悩とかも、だいぶ軽減されるとは思うかな
※これを読んでいたら、輪廻とは相対が生み出すものとふと思った。
😅
※スマナサーラによれば仏教で説くdukkhaには、「苦しみ」、「虚しい事」、「不完全である事」、「無常である事」の4つの意味が含まれるという[8]。
そうなんだ。
😀
まぁね。苦とは?
人間の性質の洞察と
その対応までやってるクレバーさは
なさそうた
😀
夕のことではない
人による
とか言っている人
😀
判定基準は
自分を良く洞察してなさそう
ハッスル🤡にも、言えることだが
😅
と書かれているから、精神や肉体の苦しみと書かれているからね。
精神的なの苦とは、言葉を取る、妄想を取ることからきていると私は思っている。
大体日本じゃ、言霊全盛だからねw
言葉を取って右往左往している。現実世界に生きているから伝達としての言葉は必要だと思うけどね。そこに付随するものを取りすぎる。
この世界は「無常・苦・無(非)我・不浄」ということを理解する
ことだとは、思っているかな
そう理解することで、世界をそう見れるようになって、煩悩とかも、だいぶ軽減されるとは思うかな
この世界は「無常・苦・無(非)我・不浄」であるということを理解する
ことだとは、思っているかな
そう理解することで、世界をそう見れるようになって、煩悩とかも、だいぶ軽減されるとは思うかな
この世界は「無常・苦・無(非)我・不浄」であると理解する
ことだとは、思っているかな
そう理解することで、世界をそう見れるようになって、煩悩とかも、だいぶ軽減されるとは思うかな
それはあんたの話かあんた以外の話か、と聞かれてとても喜んだのを覚えてる
ネッドリの
なんとかの
一つ覚えリバースだったんか〜
つけ焼き刃感、満載で
らしいな〜
🧛
😱