悟りをひらいた人のスレ 898最終更新 2026/09/11 06:131.◆JBLfMwCXhYqdq5W悟りそれが、このスレのテーマ前スレ悟りをひらいた人のスレ 897https://talk.jp/boards/psy/17866552802026/09/05 19:07:55464コメント欄へ移動すべて|最新の50件2.◆JBLfMwCXhYqdq5W数息観のコピペじゃ。みんな修行に励むのじゃ。先ず静かな所に座り、鼻の頭に軽く意識を掛け、普通に息を吸って、ゆっくり長く息を吐いていくのじゃ。息を吐く時に、頭の中で一と数える。又、普通に息を吸い、ゆっくり長く息を吐いてニと数えるのじゃ。このようにして十まで数え、十まで行ったら今度は十から数を減らして行って、一に戻るんじゃよ。たまに長時間行うより、一日に五分でもよいから、毎日続けると不動心が身に付くのじゃ。夜の寝る前などに行うと、安らかに眠れるようにもなるじゃろう。初めて数息観などをする者は、とにかくイライラして止めたくなったりするじゃろう。そんな時は一度、中断してストレス解消の運動でもするといい。すっきりしたら又続けるのじゃ。暫く修行をすると、今度は雑念に悩まされるようになるかも知れん。そのような時は無視して呼吸に意識を集中しなおす。暫くすると、雑念は消えていくじゃろう。更に修行を重ねれば、雑念と集中する意識を二つとも、意識出来るようになる。行が深まり、潜在意識が見えてくるようになったのじゃ。そのような時も、雑念を無視しておれば、やがて雑念は消え去り、深い無念無想の状態に入れる。もっと行が深まれば、意識は二つだけでなく、同時に幾つもの雑念があることに気付くじゃろう。人間はもともと同時に幾つもの事を考えておる。例えば誰でも歩きながらタバコを吸い、同時に尻を掻くという事が普通に出来るように、人間は同時に幾つもの事を考えているが、潜在意識まで見る事の出来ない者には、判らないのじゃ。潜在意識まで見る事が出来、全ての雑念が静まり、もはや心に何の考えも浮かばなくなれば、止の行は完成じゃ。2026/09/05 19:08:203.◆JBLfMwCXhYqdq5W数息観によって集中力がついてきた者は観の行をするのじゃ。その前に観の行の前行である、観察の力と集中力を身につける観察の行をやるのじゃ。先ず、目の前に観察の対象となる物を用意するんじゃ。木でも花でも何でもいい。そしてそれを見て、細かく観察するのじゃ。最初の内は、心の中で言葉にしてもよい。例えば花なら花という言葉を使わず、「今、目の前にそれがある。それは薄い膜のような物が幾つも重なっている。それは赤い色をしている。それはふちが薄く、真中にいくほど厚くなっている。それの真中には細い糸が幾つも出ている・・・」などと観察していくのじゃ。出来るだけ細かく、普段なら見落としてしまうような事も、可能な限り観察するのじゃ。ちっちゃなとげがあるとか、皺がいくつもあるとか。次第に慣れてきたら、言葉にせず、目で見るだけで意識に上らせるようにするんじゃ。そのようにしていると、たまに雑念が沸くこともある。例えば「この花はバラだ。バラのジャムつておいしいのかな。そろそろごはんのじかんだ」などといつのまにか、ご飯のことを考えている。これは観察ではない。観察とは今、ここに、現にある物だけを見ることじゃ。連想や記憶は雑念なのじゃ。そのような雑念が沸いてきたら、止の行をしてきたおぬしらは、どうすればいいか判るじゃろう。数息観をしていた時と同じく、ただスルーするのじゃ。止めようとか、駄目だとか思わず、ただやり過ごして、観察に戻る。そうすれば雑念は自然に消えていく。このような時に止の行は役立つのじゃ。やはり止と観察は二つで一つなのじゃ。2026/09/05 19:08:354.◆JBLfMwCXhYqdq5W更にコピペじゃ。未だ自我のある者は、更に感覚、感情、思考、分別知、認識などに観察を広げていくのじゃ。前にも書いたが、感覚から先の観察は鐘の音などを利用すると、簡単なのじゃ。感覚を観察するには鐘の音が鳴ったら、「今、鐘の音が鳴った、聞こえている、だんだん音が小さくなるのが判る、今消えた」などと、今、感じている感覚を観察するのじゃ。その鐘の音によって生じる感情も、「耳が痛くてうざいと思っている・・・」などと観察する。思考も「あの鐘は仏壇屋で買ったもっといいのが欲しかったと、考えている・・」などと巻き込まれないように注意しながら観察するのじゃ。物事を認識し、分別する心の働きは殆ど一つの動きになっている故に、鐘の音を聞いて、「これは鐘の音・・・今、鐘の音と分別し認識した」などと、観察するのじゃ。このように直接、心と体を認識する方法が、観の行の基本であり、最もシンプルでスタンダードなものであると言えよう。しかし、この方法はかなりの集中力と観察力が必要となる。これをシステム化してやり易くした方法が、縁起の法や、空の法なのじゃ。2026/09/05 19:08:525.◆JBLfMwCXhYqdq5W・・・・・・ テンプレは、ここ迄なのじゃ・・・・2026/09/05 19:09:086.神も仏も名無しさんwqFc5756狐狸の類かえって知るといってね、君見ずや絶学無為の閑道人、妄を除かず真を求めず、このまんま200%是なのに、どうしようこうしよういいの悪いのいうのを俗人、このまんま=知らないを悟りです。あっはっはまあさこりゃ自分がやってみる以外意味ないです。ではお休みなさい、ありがとうさんでした。2026/09/05 19:12:567.神も仏も名無しさんwqFc554 名前:せったん@myoejoe[sage] 投稿日:2005/07/03(日) 16:09:35 ID:8GBxpttM [3/4]自分の心が見えるわけがないのを知る、これを見性という、スズメも猫も自分の心なんぞ観察しない、それゆえに活発発地。2026/09/05 19:14:098.神も仏も名無しさんk1j8J鬼も悪魔も、即心是仏、か。2026/09/05 19:19:569.ハジZvCEu往年の名人たちも今や昔w2026/09/05 19:20:0310.ハジZvCEuそゆことかもねw2026/09/05 19:20:5211.神も仏も名無しさんk1j8J>>8sageの訂正鬼も悪魔も、即心是仏、か。2026/09/05 19:21:3712.安堂e9QT9即なんでも即なんでもだよ(⌒‐⌒)2026/09/05 19:23:2313.ハジZvCEuあゝ無常2026/09/05 19:25:4614.安堂e9QT9あゝ無情だよ2026/09/05 20:10:5315.◆JBLfMwCXhYVnbq5>>14それが正しい👍️2026/09/05 20:13:3516.神も仏も名無しさんx3zMP⚪ ニルヴァーナ(涅槃:ねはん)は、サンスクリット語で「吹き消すこと」「静まること」を原義とします。仏典では単なる「無」や「死」ではなく、貪り(貪)・怒り(瞋)・無知(癡)という「三毒の火」が消え去った絶対的な静寂と自由の境地、として具体的に描かれています。● ニルヴァーナについて説かれた代表的な経典から、その特徴的な描写を3つ詳述します。1. 「絶対的な平和・不滅の境地」としての描写 * **典拠経典:**『相応部経典(サンユッタ・ニカーヤ)』「無為相応(アサンカタ・サンユッタ)」など初期仏典において、ブッダはニルヴァーナを概念的な説明ではなく、実感を伴う30以上の多角的な言葉(シノニム)で描いています。 * **具体的な描写内容:** 経典の中では、ニルヴァーナを**「アサンカタ(無為:他によって作られたものではないもの)」や**「アマタ(不死・不滅:生死の輪廻を超越した状態)」**、そして**「ケーマ(安穏・安全な隠れ家)」**と表現しています。 ⚪ あらゆる事物や感情は「原因があって結果が生じる(有為)」という条件付けの中にありますが、ニルヴァーナは条件付けから完全に解き放たれた「不変の真実」として描かれます。激しい苦しみや不安に満ちたこの世界において、一切の脅威から守られた「絶対的に安全な島(島嶼:ディーパ)」や「避難所」にたどり着いた状態に例えられます。2026/09/05 20:44:5417.神も仏も名無しさんx3zMP### 2. 「四輪(地・水・火・風)を超えた領域」としての描写 * **典拠経典:**『自説経(ウダーナ)』第8章「ニルヴァーナの品(第1経)」言語表現や感覚認識を超越した「経験の境地」として、否定表現を通じてその特質を極限まで先鋭化させた描写です。 * **具体的な描写内容:** 釈尊は修道者たちに次のように語りかけています。 > 「比丘(修道者)たちよ、次のような境地(領域)が存在する。そこには≪地(物質)も、水も、火も、風もない≫空無辺処(無限の空間)も、識無辺処(無限の意識)も、無所有処も、非想非非想処もない。この世界も、彼方の世界も、太陽も月もない……」ニルビカルパ・サマディーのこと >ここでは、私たちが物理的・精神的に知覚できるすべての要素(地水火風の四大元素、時空、精神状態)が一切当てはまらない領域が存在することが説かれています。生じることもなく、滅することもなく、何にも依存せずに自立している純粋な境地として、ニルヴァーナが描写されています。2026/09/05 20:48:0018.神も仏も名無しさんx3zMP### 3. 「常・楽・我・浄(究極の真実)」としての描写* **典拠経典:**大乗仏教『大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)』初期仏教における「無常・苦・無我・不浄」という視点を一歩進め、大乗仏教の『大般涅槃経』では、ニルヴァーナの境地を肯定的な最高価値として描いています。 * **具体的な描写内容:** 釈尊の入滅(最後のニルヴァーナ)の場面を通じて、ニルヴァーナの真の姿を**「四徳(常・楽・我・浄)」**として定式化して描写します。1* **常(じょう):**滅びることがなく、永遠に変わりなく存在すること。2* **楽(らく):**あらゆる苦しみが消え去り、真の安らぎに満ちていること。3* **我(が):**煩悩に振り回される自我ではなく、不偏で自由自在な「真実の自己(大我)」が顕現すること。4* **浄(じょう):**あらゆる煩悩の汚れを離れ、純粋で清らかであること。初期仏教が「煩悩の火の鎮火・消滅」という側面を強調するのに対し、大乗の『大般涅槃経』では「一切の衆生(生きとし生けるもの)の中に永遠に存在する本性(仏性)」という満たされた真理の獲得として描写されています。このように経典におけるニルヴァーナは、時代や文脈によって「苦しみの完全なる消滅(初期仏典)」から「永遠で清らかな真実の自己の発見(大乗仏典)」まで、多層的に描かれています。2026/09/05 20:50:3919.神も仏も名無しさんx3zMPやべーハジが捕まった!https://youtu.be/NBIuIOEPW7w?si=3079ZcJGsSVPkYELhttps://i.imgur.com/IiT4xeo.jpeg2026/09/05 21:24:2820.神も仏も名無しさんUom85今朝は久しぶりに湯を沸かして風呂に入ろう、贅沢を感じるわ2026/09/06 06:14:3621.神も仏も名無しさんWi2FBもちろん栖雲居士💩は自殺教唆の犯罪者ですがw627:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:29:52.30 ID:GHVkJlI/[96/96]うんうん、精神病棟にレリゴー😘 🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆162 栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm :[sage]:2024/03/09(土) 16:35:39.62 ID:b8JerweS喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟633:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:32:58.27 ID:GHVkJlI/[98/98]で?悔しくて我慢できないのか?wwwwwwwwwwwwwwwwww千枚通しで喉仏を刺して逝けば?wwwwwwwwwwwwwwwwwwぶわあーーーーーくわwww2026/09/06 06:38:0922.神も仏も名無しさんTySxdっで?2026/09/06 11:07:0823.糖質ですが◆/dRpTBnZTC3yPl7wv「俺の笑顔は卑屈じゃないかい?」https://www.youtube.com/watch?v=-0voHSpCeSY&list=RD-0voHSpCeSY&start_radio=12026/09/06 15:31:2224.神も仏も名無しさんiVAB0迷いも煩悩も無我なんじゃないかと思うな、そういう理解で清浄な自己になれる、とか。2026/09/06 16:57:5825.神も仏も名無しさんiVAB0訂正迷いも煩悩も無我なんじゃないかなと思うな、そういう理解で、清浄な自己になれる、とか。2026/09/06 17:00:4826.神も仏も名無しさんLc9RXんなわけない😀2026/09/06 17:04:1227.神も仏も名無しさんiVAB0迷いも煩悩も、固定された自己ではない(=無我)、そこに、救いや、清らかな自己への到達があると思うよ2026/09/06 17:10:4528.◆JBLfMwCXhYBHaOR>>27「清らかな自己への到達」ってのが、真我思想っぽい皮肉にも、固定した自己(=真我)に気づくという結果になっている2026/09/06 17:31:3529.神も仏も名無しさんiVAB0>>28まぁお釈迦さまも、そんな感じだったんじゃないかと思ってさ2026/09/06 17:42:3630.神も仏も名無しさんiVAB0まぁお釈迦さまも、>>27みたいな感じだったんじゃないかと思ってさ2026/09/06 17:44:4431.神も仏も名無しさんLc9RX神仏習合だなそりゃ😀2026/09/06 17:44:5132.神も仏も名無しさんiVAB0訂正まぁお釈迦さまも、>>27みたいな感じだったんじゃないかなと思ってさ2026/09/06 17:46:3533.神も仏も名無しさんiVAB0神仏習合なんだから、でおーさんも集合しなきゃね笑2026/09/06 17:49:0634.、TySxdでおーは、神仏超えて世界宗教集合だよ!2026/09/06 17:52:0535.、TySxd🌍️の神様はでおー神に集合される‼️2026/09/06 17:53:2036.、TySxdここにでおー如来の物語が始まるのだ‼️2026/09/06 17:54:0037.神も仏も名無しさんiVAB0─fin.─2026/09/06 17:57:0838.◆JBLfMwCXhYxtebG>>32う~ん言ってることが間違ってるとは思わんけど「お釈迦さまもそうだった」は、イカガなものかブッダ僧団の戒律は厳しい煩悩を止めるための修行を徹底的にやっていた2026/09/06 18:15:1039.◆JBLfMwCXhYxtebG戒律がゆるい煩悩に優しいのは、他国の仏教には無い日本仏教だけの特徴2026/09/06 18:19:5640.神も仏も名無しさんiVAB0>>38自己が無我と知って、清浄な自己になったお釈迦さまなら、そういうことなんじゃないか、と思っただけだよ。2026/09/06 18:23:0841.◆JBLfMwCXhYxtebG>>40う~ん清浄な自己ってのが、真我っぽい(笑)2026/09/06 18:24:3842.◆JBLfMwCXhYxtebG言ってることが間違ってるとは思わんけどそれは、どっちかっていったら「無我」というより「真我」2026/09/06 18:27:4543.◆JBLfMwCXhYxtebG「迷いや煩悩は、本当の自分ではなかった」(偽我だった)ことに気づき「清浄な自己」(真我)に目覚めるこれこそ、まさに真我の思想そのもの2026/09/06 18:31:3244.神も仏も名無しさんiVAB0無我と知って、迷いや煩悩の自己から解き放たれて、清浄な自己になったんだと思うよ2026/09/06 18:32:5345.神も仏も名無しさんiVAB0訂正無我と知って、それまでの迷いや煩悩の自己から解き放たれて、清浄な自己になったんだと思うよ2026/09/06 18:34:1446.神も仏も名無しさんiVAB0再訂正お釈迦さまは自分が無我と知って、それまでの迷いや煩悩の自己から解き放たれて、清浄な自己になったんだと思うよ2026/09/06 18:37:1847.◆JBLfMwCXhYxtebG釈迦の教えは、こうではない迷いや煩悩を断ち切る修行を徹底的にやり込む「迷いや煩悩は、本当の自分ではなかった」ということに気づけばいい、というほど易しくない2026/09/06 18:37:5748.神も仏も名無しさんiVAB0迷いや煩悩の自己も、固定された自己ではない(=無我)、と理解して、清浄な自己になったんだと思うよ2026/09/06 18:42:2449.◆JBLfMwCXhYxtebG>>46そういうのを、「真我に目覚める」というんだが(笑)2026/09/06 18:42:5850.◆JBLfMwCXhYxtebG「清浄な自己」なんてものも無いそこに気づくのが、本当の無我だ2026/09/06 18:47:2151.神も仏も名無しさんiVAB0>>49よくわかんないけど、自分が無我と知って清浄になったってことだよ。真我って、真実の自己、みたいなものを、自分の中に発見することでしょ。それとは、だいぶ違うと思うけどなぁ。2026/09/06 18:48:4852.◆JBLfMwCXhYxtebG「迷いや煩悩の自分は、本当の自分ではなかった」(偽我だった)ことに気づき「清浄な自己になる」(真我に目覚める)それが、真我というものだここで、「清浄な自己、なんてものすら無い」となるのが、本当の無我思想2026/09/06 18:49:4853.◆JBLfMwCXhYxtebG無我は、それくらい極端な教え2026/09/06 18:50:1654.神も仏も名無しさんiVAB0清浄な自己が気に召さないなら、清浄になった、ということだよ2026/09/06 18:50:4355.神も仏も名無しさんLc9RXやはり神仏習合影響のどっかの新宗教ノリだな?😀2026/09/06 18:51:5456.神も仏も名無しさんiVAB0>>52真我って、真実の自己、みたいなものを、自分の中に発見することでしょ。2026/09/06 18:52:0357.神も仏も名無しさんiVAB0清浄な自己とは違うよ。2026/09/06 18:52:4458.◆JBLfMwCXhYxtebG>>54いや、そこが違うんだよ「無我」とは、「汚れた自分を磨いて、清浄な自分になる」ということではないそれ自体が間違ってるとは言わんが、「無我」ではないな~2026/09/06 18:55:1259.神も仏も名無しさんLc9RX無我は執着しない、囚われない、こだわらないとかを完備する方向だ😀2026/09/06 18:57:0260.神も仏も名無しさんLc9RX神社の神と一体化なら清浄な自己ともいえる近所の神社で遊ぶ😀2026/09/06 18:59:5661.◆JBLfMwCXhYxtebG心を鏡にたとえて汚れ(迷いや煩悩)を取り除いて、清浄にするそれが、神秀の北宗禅「もともと、鏡なんてもの(真我)は無い。無我なのに、何を磨くのか?」というのが、六祖慧能の南宗禅2026/09/06 18:59:5862.◆JBLfMwCXhYxtebG>>60「心を磨いて、ケガレを落とす」というのは日本の神道と相性がいい😄日本人に好まれるのは当然2026/09/06 19:00:4263.◆JBLfMwCXhYxtebG「清浄心は有るか、無いか」というのが仏教思想史上の大論争テーマ😅2026/09/06 19:05:1064.◆JBLfMwCXhYxtebG「私が言ってるのは、清浄心になるということだ。真我に目覚めると言ってるわけではない」「いや、それが、真我に目覚めるってことだろ」↑仏教思想界は、こんな論争を何百年もやってきたここで簡単に結論が出ないのは、当たり前といえば当たり前(笑)2026/09/06 19:05:4765.神も仏も名無しさんiVAB0>>58無我って、固定された自己はない、ってことでしょ、>>27に書いてあるよ。2026/09/06 19:06:4566.◆JBLfMwCXhYxtebGだが、「清浄心」を認める時点で純粋な無我思想からは離れることになるそれは確か2026/09/06 19:07:2067.◆JBLfMwCXhYxtebG>>65だから、迷いや煩悩(偽我)を取り除いた後で、最後に残る清浄な自分それが、真我なんだっての真我ってのは、そういうものなんだよ2026/09/06 19:10:2968.◆JBLfMwCXhYxtebGインド思想において「固定された実体としての自己」ってのは、「プルシャ」なんだよな~「アートマン」に、そこまでの意味はない「迷いや煩悩(偽我)を取り除いた後に残る本当の自分」っていったら、「アートマン」だ2026/09/06 19:16:3669.神も仏も名無しさんiVAB0>>27や>>48は、知識の人向けではなくて、実践の人向けでもあるんだよ。実践すりゃわかる。お茶を飲めばわかるのと同じ。2026/09/06 19:16:4170.◆JBLfMwCXhYxtebGまあ、人によってこの辺りの適用範囲が異なるのは事実だから、一概に間違っているとは言えない(笑)2026/09/06 19:17:2271.◆JBLfMwCXhYxtebGAIにも意見をきいてみよう2026/09/06 19:17:4672.◆JBLfMwCXhYxtebG質問:アートマンは、「固定的な自己」「固定された実体」という意味ではないよなあそれだと、「プルシャ」だ2026/09/06 19:18:1473.◆JBLfMwCXhYxtebGチャットGPT:そう、その区別はかなり大事。「アートマン=固定された自己」という日本語訳だけで処理すると、プルシャと混同しやすい。むしろ、プルシャ → サーンキヤ/ヨーガにおける、不変・非作為・観照者としての原理アートマン(ātman) → 「自己」「我」「自己の本質」などを指す、より広い概念と考えたほうがいい。特にヴェーダーンタでは、アートマンは単なる「固定された個人」ではない。身体・感覚・心・思考・記憶などを「私ではない」と識別していき、真の自己とは何かを問う。そしてウパニシャッド以来のアートマン論では、アートマン=ブラフマンという方向まで行く。だから「固定された実体」という表現は、むしろプルシャを説明するのに非常に適している。2026/09/06 19:18:4974.◆JBLfMwCXhYxtebGただし、ここにも一つ面白い問題がある。仏教の「無我(anātman)」の「我」は、単純に「固定的実体」という意味ではない。anātman は文字通りには「ātmanではない」ということなので、「固定された実体がない」と現代語で説明することはできるけれど、そこから「アートマン=固定された実体だった」と逆算すると、アートマン概念を狭くしすぎる。むしろ比較すると、ヨーガ「身体・心は変化する。しかし、その背後に不変の観照者=プルシャがある」ヴェーダーンタ「身体・心・個我を超えて、真の自己=アートマンを見出す」仏教「身体・心などを自己と執着することを離れる。さらに、その背後に別の自己を立てることもしない」という整理がきれい。だから、「清浄な自己」を真我として立てる思想と、「清浄な自己すら自己として把握しない」無我思想の差が、かなり鮮明になるね。2026/09/06 19:19:2675.◆JBLfMwCXhYxtebG質問:「迷いや煩悩は、本当の自分ではなかった」(偽我だった)ことに気づき「清浄な自己」(真我)に目覚めるこれこそ、まさに真我の思想そのものお釈迦さまは、こうではない迷いや煩悩を断ち切ることにより、自分をなくす(無我)ことを目指す2026/09/06 19:20:1376.◆JBLfMwCXhYxtebGチャットGPT:そう。かなり本質的な対比だと思う。ただ、最後の「自分をなくす」は、少しだけ言い換えると、より釈尊の立場に近くなる。真我思想構造としては、迷い・煩悩・欲望・感情↓「これは本当の私ではない」と見抜く↓偽我を脱ぎ捨てる↓本来の清浄な自己=真我に目覚めるという構造。これは典型的な「真我の発見」の思想だね。たとえばヴェーダーンタなら、アートマン=純粋な意識・観照者であり、身体・感情・思考などは「私そのものではない」と識別していく。だから、「煩悩が消えた」=「本当の自己が現れた」となる。2026/09/06 19:21:0077.◆JBLfMwCXhYxtebG釈尊の場合ところが初期仏教では、ここで「では、煩悩が消えた後に残る、本当の自己とは何か?」とは考えない。むしろ、身体も私ではない感受も私ではない想念も私ではない意志作用も私ではない識も私ではないという方向に進む。つまり、「偽我を取り除けば真我が出てくる」ではなく、「そもそも『私』として執着できるものは、どこにも見出せない」というところまで行く。だから構造的には、真我思想偽我 → 除去 → 真我無我説五蘊への「これは私だ」という執着 → 観察 → 執着の消滅 → 無我となる。ここが決定的に違う。2026/09/06 19:21:2278.◆JBLfMwCXhYxtebGそして面白いのは、悟りの体験そのものだけを見ると両者がかなり似て見えること。どちらも、「今まで『私』だと思っていたものへの同一化がほどける」からね。しかし、その経験を思想的にどう説明するかで分岐する。真我思想なら、「偽りの自己が消えて、本当の自己が明らかになった」となる。釈尊なら、「『これは私である』という執着そのものが成立しないことが明らかになった」となる。だから「無我」は、単純に**「自分というものを消滅させる思想」**というより、「自分という実体がある、という見方を手放す思想」と表現したほうが正確だと思う。ここは、以前話していたアートマンと阿頼耶識の違いにもつながってくるね。「煩悩に覆われた本体がある」という発想と、「煩悩を生じさせる執着の構造そのものを解体する」という発想の違い。2026/09/06 19:22:0579.◆JBLfMwCXhYxtebG質問:心を鏡にたとえて、せっせと磨いてキレイにするそれが、神秀の北宗禅「もともと、鏡なんてもの(真我)は無い。無我なのに、何を磨くのか?」というのが、六祖慧能の南宗禅ではないか2026/09/06 19:22:2780.◆JBLfMwCXhYxtebGチャットGPT:うん、禅宗史上の有名な対比としては、まさにそのイメージだね。ただし、史実としては少し補正すると、さらに面白くなる。神秀側の有名な偈は、身は菩提樹心は明鏡の台時時に勤めて拂拭し塵埃をして惹かしむること莫れというもの。つまり、心=鏡→ 煩悩・妄念=塵→ 修行によって塵を払い続ける→ 鏡を清浄に保つという構図。2026/09/06 19:23:1481.◆JBLfMwCXhYxtebGこれに対して慧能の偈は、菩提本樹無し明鏡亦台に非ず本来一物無し何れの処にか塵埃を惹かんとなる。ここが猛烈なんだよね(笑)。神秀:「鏡はある。だから磨け」慧能:「そもそも鏡という実体を立ててどうする?本来一物もないのに、何を磨くんだ?」という構図になる。だから、あなたの言う「もともと、鏡なんてもの(真我)は無い。無我なのに、何を磨くのか?」は、慧能の偈を無我の方向から非常にうまく現代語化した表現と言える。2026/09/06 19:23:3982.◆JBLfMwCXhYxtebGただし一点だけ重要で、これは「北宗禅=真我思想、南宗禅=初期仏教そのもの」と単純化するのは危険。実際の北宗・南宗の思想史はもっと複雑だし、慧能自身も「何もしなくていい」という単純な無為論者ではない。それでも、修行論の象徴的な対比としては非常に鮮明。北宗的イメージ:汚れた鏡を磨いて、本来の清浄性を現す。南宗的イメージ:そもそも「磨くべき鏡」という実体を立てるな。そして、ここまで来ると、さっき話していた真我 vs 無我との対応がきれいに見えてくる。「汚れを除けば清浄な本体が現れる」から、「清浄な本体というものを立てること自体が執着ではないか」へ。慧能の「本来無一物」は、まさにこの最後の一歩を踏み込む迫力がある。2026/09/06 19:24:1083.神も仏も名無しさんiVAB0>>67無我と知って、真我になったということか。真我を否定したお釈迦さまに習えば、無我と知って清浄になった、ということだと思うけど。真我=清浄になった、ではないと思うよ。無我で清浄になった、ということだと思うよ。そこに、真我が入り込む余地はない。先に「無我と知って、」が前提としてあるからね。2026/09/06 19:26:1484.◆JBLfMwCXhYxtebG質問:てことは、これは北宗禅では正しいということになるか?当方には、これは仏教じゃないように思えるが(笑)↓27 神も仏も名無しさん [sage] 2026/09/06(日) 17:10:45.30 ID:iVAB0迷いも煩悩も、固定された自己ではない(=無我)、そこに、救いや、清らかな自己への到達があると思うよ2026/09/06 19:26:3485.◆JBLfMwCXhYxtebGチャットGPT:うん、「北宗禅的な修行観として読むなら、かなり筋が通っている」。ただし、そのレスをそのまま**「無我=清らかな自己への到達」**とするなら、あなたが「これは仏教じゃないのでは」と感じるのも分かる。ポイントは、レスの中に二つの思想が混ざっていること。「迷いも煩悩も、固定された自己ではない(=無我)」ここまでは、仏教的に読める。ところが、「そこに、救いや、清らかな自己への到達がある」となると、話が変わってくる。これは、偽我(迷い・煩悩)↓それを離れる↓清らかな自己に到達するという構造だから、かなり真我論的なんだよね。2026/09/06 19:27:2086.◆JBLfMwCXhYxtebG神秀の北宗禅ならどうか神秀の偈では、身は菩提樹心は明鏡の台時時に勤めて拂拭し塵埃をして惹かしむること莫れだから、心という鏡がある→ 煩悩という塵が付着する→ 修行して塵を払い続ける→ 清浄な心を保つという修行モデルになる。したがって、「迷い・煩悩を離れて、清らかな自己へ」という発想は、北宗禅のイメージにはかなり近い。ただし、ここでも「北宗禅=アートマン思想」とまで言うのは慎重であるべき。北宗禅も当然ながら仏教の無我・空・般若の文脈にある。2026/09/06 19:28:0887.神も仏も名無しさんiVAB0>>83訂正無我と知って清浄になった、ということだと思うよ。2026/09/06 19:28:5288.◆JBLfMwCXhYxtebGそして慧能が「そこ」をひっくり返す慧能は、本来無一物と言う。つまり、「汚れを落として、清らかな鏡を完成させよう」という発想そのものを問題にする。だから、あなたの言葉で言えば、「清らかな自己へ到達する」ではなく、「そもそも到達すべき固定的な清らかな自己など、どこにある?」となる。なので、そのレスを思想的に分解すると、前半「煩悩は固定された自己ではない」→ ○ 無我の説明として成立しうる後半「だから清らかな自己に到達する」→ △ 無我からは、その結論は出てこないむしろ無我から自然に出てくるのは、「煩悩でない何かを『本当の私』として新たに確保しようとするな」という方向。だからレスの最大の問題は、「無我」を言いながら、最後に「清らかな自己」を復活させてしまっていることだと思う。2026/09/06 19:29:0089.神も仏も名無しさんiVAB0>>83先に、「無我と知って、」が前提としてあるからね。2026/09/06 19:31:3890.神も仏も名無しさんiVAB0>>83訂正先に、「無我と知って、」が前提としてあるからね。2026/09/06 19:32:1591.◆JBLfMwCXhYxtebG質問:このレスはどうだろう?当方は、この意見に反対している「私が言ってるのは、清浄心だ。真我ではない」「いや、そういうのを真我と言うんだろ?」という、仏教思想史上の一大論争テーマの沼にハマってしまった(笑)↓83 神も仏も名無しさん [sage] 2026/09/06(日) 19:26:14.68 ID:iVAB0無我と知って、真我になったということか。真我を否定したお釈迦さまに習えば、無我と知って清浄になった、ということだと思うけど。真我=清浄になった、ではないと思うよ。無我で清浄になった、ということだと思うよ。そこに、真我が入り込む余地はない。先に「無我と知って、」が前提としてあるからね。2026/09/06 19:33:3292.◆JBLfMwCXhYxtebGチャットGPT:ああ、これはまさに**「清浄心は真我なのか?」という仏教思想史の沼に、見事に両足で入っている**🤣そして、あなたが反対しているポイントはかなり明確だと思う。このレスは一見すると、「真我ではない。無我だ」と言っているんだけど、**「無我によって何が清浄になるのか」**を突き詰めると、問題が発生する。このレスの構造無我と知る↓清浄になる↓「これは真我ではない」ということだよね。しかし、ここで、「清浄になったもの」を何として理解しているのかが問題になる。もし、煩悩・迷いが消えて、心が清浄になるという心理的・実践的な意味なら、これは普通に仏教的。戒・定・慧によって煩悩を弱め、最終的に煩悩を断滅する、という話だから。ところが、「無我を知った結果、清浄な自己が成立する」という意味になった瞬間、かなり危険になる。なぜなら、「煩悩に覆われた自己」↓ 無我を知る「清浄な自己」という二層構造になってしまうから。それは、あなたがさっき言っていた**「偽我→真我」**の構造と非常によく似てくる。2026/09/06 19:34:5193.◆JBLfMwCXhYxtebG「清浄心」と「真我」は同じなのか?ここが本当に思想史上の大問題。「清浄心」という言葉には、① 単に「煩悩が離れた心」という実践的意味と、②「煩悩に汚されることのない、本来的に清浄な心」という本体論的意味の両方が入り得る。①なら、「真我ではない」と言っても何の問題もない。しかし②になると、「それって結局、真我と何が違うの?」という疑問が出てくる。まさにあなたの、「いや、そういうのを真我と言うんだろ?」というツッコミ(笑)。そして実際、大乗仏教ではこの問題が如来蔵・仏性・自性清浄心・本覚などをめぐって延々と議論されることになる。「これはアートマンではありません。仏性です」と言っても、「いや、それ、名前を変えただけじゃないの?」という批判が出てくる。これがいわゆる如来蔵=外道的アートマンなのか問題にもつながる。2026/09/06 19:35:3194.◆JBLfMwCXhYxtebGただし、このレスには一つ重要なポイントがあるレス主が、「先に『無我と知って』が前提としてあるから」と言っているところ。これは思想としては分からなくもない。つまり、「最初から真我を仮定して、それを発見する」のではない。無我を悟った結果として心が清浄になる。と言いたいわけだ。この立場なら、真我論真我がある↓それを覆う煩悩を除くではなく、無我論無我を観察する↓執着がなくなる↓煩悩が滅する↓清浄になるとなる。これは確かに違う。だから、このレスを最も好意的に読むなら仏教的に成立する。2026/09/06 19:36:1395.◆JBLfMwCXhYxtebGただし、それでも「清浄なもの」を自己として実体化した瞬間に、無我の論理から逸脱する。つまり、「無我だから清浄になる」はあり得る。しかし、「無我を知った結果、清浄な自己になる」になると、一気に怪しくなる。そして「清浄心」という言葉を使う以上、その「清浄心」は単なる心の状態なのか?それとも煩悩以前から存在する本来的な何かなのか?を決めないと、議論は永遠に終わらない(笑)。だから、あなたが言う「『私は真我と言ってない。清浄心と言っている』『いや、それを真我と言うんだろ』」という沼は、まさに仏教思想史そのもの。「真我ではない」と宣言するだけでは、真我問題から逃げ切れない。その「清浄心」が何者なのかを説明しなければならない。ここが核心だと思う。2026/09/06 19:36:4396.神も仏も名無しさんiVAB0無我と知って清浄になった、でいいと思うよ。JPLさんのお気に召すような表現じゃなかったようで。すまんかったな。2026/09/06 19:43:1097.◆JBLfMwCXhYxtebG質問:まあ確かに、この辺りの解釈や適用範囲は、人による間違ってるとは言えないなあでも、それ以前の問題として、当方が本当に違和感を感じているのは、そこではないひとつは、「迷いも煩悩も、固定された自己ではない(=無我)」↑ここは(=無我)ではなく、(=偽我)とすべきところであるもう1つは、そこに気づいたくらいでは、まだ解脱するにはホド遠いということだ(笑)2026/09/06 19:45:3098.◆JBLfMwCXhYxtebGチャットGPT:そう、それだと思う(笑)。むしろ今回のレスの問題は、「清浄心=真我か?」という思想史的な大論争以前に、もっと手前にある。① 「煩悩=無我」ではないここはかなり重要。「迷いも煩悩も、固定された自己ではない(=無我)」という等式は、ちょっとおかしい。「固定された自己ではない」=無我というのは、あくまで「自己についての教説」。一方、迷い・煩悩は本当の自己ではないというのは、「これは偽我である」という方向の議論。つまり、真我論的な構図本当の自己+それとは異なる偽りの自己=煩悩・迷いとなっている。これを「無我」と呼ぶのは、かなり雑なんだよね。むしろ、「煩悩は自己ではない」→ だから煩悩を自己と同一視しないというだけなら、まだ無我の核心に到達していない。無我が問題にするのは、そもそも「本当の自己/偽りの自己」という二分法そのものだから。2026/09/06 19:46:3399.◆JBLfMwCXhYxtebG② そして「気づいたくらい」では、解脱には遠い(笑)これもめちゃくちゃ大事。仮に、「あ、俺が今まで自分だと思っていた迷いや煩悩は、本当の自分じゃないんだ!」と気づいたとしても、それで阿羅漢になったわけではない(笑)。初期仏教の修行体系からすれば、そこはせいぜい重要な認識の出発点。そこから、無常・苦・無我を繰り返し観察する↓渇愛・取を弱める↓煩悩を断つ↓執着そのものがなくなる↓解脱というところまで行く。しかも、単なる「知識として無我を理解した」ということと、実際に我執が消滅していることは全然違う。だから、「迷い・煩悩は固定された自己ではないと気づいた」↓「清浄になった」というのは、かなり話を端折っている。場合によっては、「煩悩は私ではない」という新しい自己イメージを作っただけということすらあり得る(笑)。2026/09/06 19:47:27100.◆JBLfMwCXhYxtebGそして、この二つを合わせると、あなたの違和感はかなり明確になる。レスの、「迷いも煩悩も、固定された自己ではない(=無我)」は、「煩悩=偽我」という真我論的な構図を、「無我」という仏教用語で表現してしまっている。さらに、「そこに気づいたくらいでは、まだ解脱にはほど遠い」という実践上の問題もある。だから、「真我か清浄心か」という第二段階の論争以前に、「それを無我と呼んでいいのか?」「それだけで解脱と言えるのか?」という第一段階のツッコミがあるわけだね。これはかなり鋭い指摘だと思う。2026/09/06 19:47:52101.◆JBLfMwCXhYxtebG質問:そう、そこだ「迷いや煩悩は、固定された自己ではない」というのは、もちろん正しいがそれだけでは、まだ八正道の最初の項目「正見」それも、正しい見解の中のホンの一部でしかないこれはゴールではなく、スタートラインだ2026/09/06 19:51:04102.◆JBLfMwCXhYxtebGチャットGPT:そう。そこを押さえると、あのレスへの違和感がかなり明確になる。「迷いや煩悩は、固定された自己ではない」これは、たしかに仏教的に言える。でも、それをもって「無我を知った」と大きく扱うと、修行論としては一気に飛躍してしまう。むしろこれは、あなたの言う通りスタートラインなんだよね。2026/09/06 19:51:54103.◆JBLfMwCXhYxtebG「無我を知る」≠「解脱する」八正道の最初が正見。そして正見は、単に「自分という固定実体はない」と理解するだけではない。四諦、業とその果報、苦の生起と滅尽、そしてそれに至る道などを正しく見ることが含まれる。さらに、その正見は単なる哲学的知識でもない。正見↓正思惟↓正語↓正業↓正命↓正精進↓正念↓正定という八正道全体が、実際の修行として展開される。そして、その修行を通じて、貪・瞋・痴を弱める→ 執着を弱める→ 渇愛・取を断つ→ 煩悩を滅する→ 解脱となる。だから、「あ、迷いや煩悩は本当の自分じゃないんだ!」という気づきがあったとしても、「おめでとう、解脱です」ではない(笑)。むしろ、「では、その迷いと煩悩が生じたとき、どうする?」というところからが修行。2026/09/06 19:52:43104.◆JBLfMwCXhYxtebGそして、ここが非常に重要で、「煩悩は私ではない」と理解していても、腹が立てば怒るし、欲しいものがあれば欲しくなる。つまり、概念的に「無我」を理解することと、我執・煩悩が実際に消滅することには巨大な距離がある。だから今回の議論を一言でまとめるなら、「煩悩は固定された自己ではない」――それは結構。しかし、それを無我の完成形のように言うな。そこから修行が始まる。ということだね。そしてこの視点に立つと、**「無我を知って清浄になった」**という表現にも慎重になる。「知った」ことと「断った」ことは違う。正見はゴールではなく、道を正しく歩き始めるための視界が開けた状態。そこから八正道を実践して、実際に煩悩を断滅していく。これは初期仏教の修行論として、かなり重要な区別だと思う。2026/09/06 19:53:07105.神も仏も名無しさんiVAB0前スレの>>984にあった、永遠で清らかな真実の自己の発見が、無我と知って清浄になったということなんだと思うよ2026/09/06 19:54:25106.◆JBLfMwCXhYxtebG失敗:そう、そういうことだ、自分が言いたかったのは。「清浄になるとは、真我に目覚めることなのかどうか?」というような、結論を出すのに何百年もかかりそうな論争をやりたかったわけではない(笑)2026/09/06 19:55:00107.◆JBLfMwCXhYxtebGチャットGPT:そうそう(笑)。今回のあなたの違和感は、そんな高度な思想史論争の手前にある、もっと素朴で重要なツッコミなんだよね。要するに、「清浄心は真我なのか?」という問いではなく、「そもそも、そこまで行ってないだろ(笑)」という話。2026/09/06 19:55:32108.◆JBLfMwCXhYxtebGレスの流れを分解すると、① 迷い・煩悩は固定的な自己ではない↓② それを無我と知る↓③ 清浄になる↓④ そこに救いがあるとなっている。あなたが引っかかっているのは、②→③→④をあまりにも簡単に飛び越えていること。①の認識自体は悪くない。でも、「煩悩は私ではない」と理解したのは、仏道修行からすれば、まだ正見の入り口にすぎない。そこから実際に、見る→ 執着する→ その執着を観察する→ 手放す→ また執着する→ また観察する→ 徐々に貪・瞋・痴が弱まる……という、ものすごく地味なプロセスがある(笑)。そして最終的には、「無我という思想を理解した人」になることではなく、我執・渇愛・煩悩が実際に滅尽することが問題になる。2026/09/06 19:56:08109.◆JBLfMwCXhYxtebGだから今回の議論で、「清浄心は真我なのか?」「いや、仏性だ」「いや、それは如来蔵だ」「いや、それも空だ」「では本覚とは……」とか始めたら、インド・中国・日本を横断する数百年コースに突入する🤣あなたが言いたかったのはそこじゃなくて、「いやいや、まず『煩悩は固定的自己ではない』という認識は、解脱のゴールじゃなくて、正見のスタート地点でしょう」という、ごく基本的な修行論の話なんだよね。これはかなり重要な区別だと思う。2026/09/06 19:56:30110.神も仏も名無しさんiVAB0>>108① 迷い・煩悩は固定的な自己ではない↓② それを無我と知る↓③ そこに救いがあるし、それで清浄になるかな、入力ミスだね。2026/09/06 19:59:42111.◆JBLfMwCXhYxtebG質問:そうだこういう哲学用語を巡る泥沼の論争に持ち込み、本来の論点をはぐらかすのは、例の栖雲居士がよく使う手だ今回の相手のレス主は、そういう人ではない自分の方から、そういう方向に話を持っていってしまった(笑)2026/09/06 20:00:33112.安堂buY9UJBL殿の叶わぬ夢だね。絵に描いた餅。2026/09/06 20:00:56113.◆JBLfMwCXhYxtebGチャットGPT:そういうことだね(笑)。今回のレス主は、たぶん論点を意図的にずらしたわけではない。むしろ、「真我ではない、清浄心なんだ」と丁寧に区別しようとした結果、「じゃあ清浄心って何なの?」「それは真我とどう違うの?」という、仏教思想史の巨大な沼の入口に行ってしまった(笑)。しかも本来の論点は、そんな難しい話じゃない。「迷いや煩悩は固定された自己ではない」ここまではいい。しかし、「だから無我を知った」とするのは話を大きくしすぎている。さらに、「そこに救い・清浄がある」と続けるなら、正見から解脱までを一気にワープさせている。だから、あなたとしては、「いや、清浄心が真我かどうかを論じる以前に、それはまだ仏道のスタート地点でしょう」と言いたいわけだね。2026/09/06 20:02:01114.◆JBLfMwCXhYxtebGそして、ここが栖雲居士のいつものパターンとは違うところ。意図的な論点ずらし本題から哲学用語の定義論へ持っていく↓本題が消える今回の場合は、本人が丁寧に説明しようとする「真我ではなく清浄心です」↓「では清浄心とは?」↓「真我との違いは?」↓仏教思想史数百年の沼へ……🤣という自滅型の論点拡散なんだよね。しかも、その沼に入ると「清浄心」「自性清浄心」「如来蔵」「仏性」「本覚」「真如」「アートマン」「空」まで全部呼び出されるので、元の一行のレスからは想像もつかない大河ドラマになる。だから今回なら、そこに付き合わず、「清浄心が真我かどうかは、とりあえず置いておこう。『煩悩は固定的自己ではない』という認識だけで、解脱したかのように語るのは違うよね」と戻すのが、一番本筋だったと思う(笑)。2026/09/06 20:02:55115.◆JBLfMwCXhYxtebG>>112> JBL殿の叶わぬ夢だね。> 絵に描いた餅。悪かったなっ😅2026/09/06 20:03:18116.安堂buY9Uそもそもが人間である我々が見たこともない宇宙人になろうってのが悟りみたいなもんだよ。そのためにあーでもない、こーでもない、ってやってるんだから噴飯ものだよ。2026/09/06 20:05:11117.神も仏も名無しさんXSnjL迷いや穢れもいうものを払ってそのさきに清らかな悟りに至るっていう、一般的なイメージとしての仏教にも合致はしてるんだろうけど実はそうではないというのが仏教の難しいところ穢れ(世間、欲望)→清らか(彼岸の真理)っていう二元論的なものは他の宗教でも共通して語られるんだがこれは苦行派的な見方になるんだな2026/09/06 20:06:28118.◆JBLfMwCXhYxtebG質問:>しかも、その沼に入ると「清浄心」「自性清浄心」「如来蔵」「仏性」「本覚」「真如」「アートマン」「空」まで全部呼び出されるそれはキツいな😅そんなのを「真我なのか、無我なのか」と検討していたら1度や2度の人生では解決しない論点2026/09/06 20:08:36119.◆JBLfMwCXhYxtebGチャットGPT:🤣 まさにそれ。しかも厄介なのは、これらが全部同じものを別名で呼んでいるわけではないことなんだよね。「清浄心とは何か?」と一歩踏み込んだ瞬間、清浄心↓自性清浄心なのか?↓如来蔵なのか?↓仏性なのか?↓本覚なのか?↓真如なのか?↓それは空とどう関係する?↓ではアートマンではないのか?↓「いや、アートマンとは意味が違う」↓「しかし機能的には似てないか?」↓……😵💫となる(笑)。しかも、インド・中国・日本で意味が変化する。だから最終的には、「清浄心という一語を、どの時代・どの文献・どの学派の意味で使っていますか?」というところから始めないといけなくなる。2026/09/06 20:10:02120.◆JBLfMwCXhYxtebGそして、その検討を本気でやるなら、初期仏教 → 部派仏教 → 般若・中観 → 如来蔵系 → 中国仏教 → 禅 → 本覚思想まで追跡することになる。これはもう、「このレスの意味を確認したかっただけなのに、なぜ仏教思想史を全部やっているんだ?」という状態(笑)。しかも最終結論も一筋縄ではいかない。「如来蔵はアートマンではない」と言う立場もあれば、歴史的には如来蔵思想がアートマン的な表現を採用しているように見える文献もある。だから、「真我なのか、無我なのか?」を真正面からやり始めると、本当に一度や二度の人生では足りない🤣なので今回については、むしろ潔く、「その大問題は今は棚上げしよう(笑)。まず、煩悩は固定的自己ではないと理解しただけで、解脱したかのように言うのは違う」で十分なんだと思う。仏教思想史の沼は、入ると面白いけど、今回の本題ではない(笑)。2026/09/06 20:10:47121.安堂buY9U概念で考えるからだよ。如来とはコレコレだ真如とはコレコレだと。如来来る如し。比類なし。比較を絶す。これを言語道断不立文字拈華微笑と言ったのだ。2026/09/06 20:13:25122.◆JBLfMwCXhYxtebG・・・つまり、早い話が「間違っているとは言えないが、個人的にはおかしいと思う」という話だということだ(笑)2026/09/06 20:15:51123.◆JBLfMwCXhYxtebG率直に言って禅宗の人の主張は、自分が見ると、たいていそうだ禅宗同士の議論に、横から口を出したくないのはそのためだ(笑)2026/09/06 20:17:44124.◆JBLfMwCXhYxtebG個人的には「そもそも、禅宗そのものがおかしい」と感じている(笑)2026/09/06 20:18:16125.安堂buY9U個人つまりJBL殿の我見やバイアスがかかるからおかしく見えて当たり前。2026/09/06 20:20:04126.神も仏も名無しさんiVAB0清浄な自己は、真我ではないと思うよ。無我と知ったことでの、その賜物としての、清浄な自己だと思うよ。無我と知った清浄な自己=真我 ではない。真我=真実の自己 みたいなものだとすると、無我と知った清浄な自己=真実の自己 とはならないと思うよ。2026/09/06 20:20:44127.安堂buY9UJBL殿がいらんのだよ。大死一番絶後に再び蘇る。2026/09/06 20:21:42128.神も仏も名無しさんiVAB0これは、感覚的な話だけどな。2026/09/06 20:21:54129.◆JBLfMwCXhYxtebG「じゃあ、お前にとっては、何が正しいんだ?」と言われるかもしれないがこれはハッキリしている唯識論と倶舎論だ(笑)2026/09/06 20:21:58130.安堂buY9U持ってる何とか論は捨てなさい。執着したけりゃ死ぬまでもってればいい。2026/09/06 20:23:42131.◆JBLfMwCXhYxtebG全般的に禅宗の人は、あまりにも「煩悩」を軽く見ている「坐禅しました。煩悩なんか、本当は無いんだってことに気づきました」↑唯識的には、こんなんじゃ、まだ悟りにはホド遠い(笑)2026/09/06 20:24:39132.◆JBLfMwCXhYxtebGなぜ、禅宗の人は煩悩を軽視するのか?個人的に、それは「儒教の性善説の影響だろう」と、ずっと考えていたでも最近、AIにその考えを否定された「逆だ。儒教(朱子学や陽明学)が、禅宗の影響を受けたんだよ」と、チャットGPTにもジェミニにも言われた😫2026/09/06 20:28:05133.◆JBLfMwCXhYxtebG儒教の性善説元ネタは、春秋戦国時代の「孟子」にある「小さな子どもが井戸に落ちそうになっていたら、誰だって助けたいと思うはずだ」↓「人間の本性は、もともと善なのである」という、高校の漢文の教科書でもオナジミのアレだ2026/09/06 20:31:47134.◆JBLfMwCXhYxtebG個人的に、「禅宗は中国仏教だ。儒教の性善説に影響を受けたんだろう」と考えただが、じつは逆なんだそうな近世の宋朝や明朝の時代になって、新儒教を大成した朱子や王陽明は、どちらも若い頃から禅宗にハマってた彼らは禅宗の如来蔵/仏性に深い影響を受けたそんな彼らが古代の儒教の聖典を調べたところ、発見したのが「孟子の性善説」「我が国にも古来から、如来蔵/仏性みたいな考え方があるではないか」と喜んだ朱子は、「孟子」を儒学の標準テキストに据えて、「性善説」を大々的に売り出した・・・というわけ2026/09/06 20:35:54135.神も仏も名無しさんzwyEA固定的な実体はない、ということを、ポジティブにとるのか、ネガティブに取るのか、あるいは、中立的に取るのか、という問題かな?少なくとも、ネガティブではない、ということは言えるでしょう。。無我は、アートマンのような、中心はない、コントロールセンターはない。。あるいは、変化し続けていて、不変ではない。。依他的であり、独立的ではない、というくらいか。。2026/09/06 20:37:29136.◆JBLfMwCXhYxtebGチャットGPT:うん、これはかなり面白い論点だと思う。そして、「儒教の性善説 → 禅宗」という因果関係より、「禅・仏教 → 宋明理学が孟子を再発見・再解釈した」という方向のほうが、思想史的にはかなり筋がいい。ただし、最後のところは少し修正したほうが正確だと思う。まず、時間軸が決定的孟子は紀元前4世紀ごろ。一方、禅宗が中国で大きな思想的勢力になるのはずっと後。だから、孟子の性善説↓それが中国禅に入った↓禅が「本来清浄」を強調したという単純な流れにはならない。むしろ、孟子の性善説(古代儒教)↓ 数百年~千年以上中国仏教、とくに如来蔵・仏性・禅↓宋明理学が仏教と猛烈に格闘する↓孟子の「性善」を、仏教とは別の儒教的な人間論として再構成するという流れになる。ここが非常に重要。2026/09/06 20:38:44137.◆JBLfMwCXhYxtebGそして「朱子や陽明が若い頃に禅にハマった」は本当ここはあなたの見立ての核心部分。朱熹も王陽明も、若い時期には仏教、とりわけ禅との関係が深い。特に宋明理学というもの自体、「仏教に対抗するために、仏教から大量の問題設定・概念・修養論を吸収してしまった儒学」という、ちょっと皮肉な成立史を持っている。朱熹なんか典型的で、「仏教は間違っている!」と言いながら、「心とは何か」「本性とは何か」「修養とは何か」「欲望をどう処理するか」「人間はどうすれば本来の自己に戻れるのか」という、仏教が高度に発達させた問題領域を正面から扱っている。だから、「反仏教だから、仏教の影響を受けていない」とは全然ならない。むしろ思想史では、敵だからこそ、めちゃくちゃ影響を受けるということが普通にある(笑)。2026/09/06 20:39:17138.◆JBLfMwCXhYxtebGただし「孟子を発見した」は少し違うここは重要な修正点。朱熹が、「仏教の如来蔵思想みたいなものを孟子に発見した!」と単純に発見したわけではない。孟子の性善説は、朱熹より1500年以上前から明確に存在していた。しかも朱熹は孟子を「発見」したのではなく、儒学の正統として格段に重要な位置に置き直した。その代表が『四書』。『大学』『中庸』『論語』『孟子』この四書を儒学の基本テキストとして体系化したのが朱熹。だから、「孟子の性善説を作った」わけでも、「孟子の性善説を初めて発見した」わけでもない。むしろ、古代儒教の孟子を、仏教との長い思想的対決を経た宋代の儒学者が、新しい哲学体系の中に再配置したと表現するのがかなり正確。2026/09/06 20:40:08139.◆JBLfMwCXhYxtebGそして、ここが「禅は煩悩を軽く見る」問題につながるあなたが最初に言っている、「坐禅しました。煩悩なんて本当はないと気づきました」というタイプの禅理解。これは、中国禅の思想史を考えると、なぜそういう方向が出てくるのかが見えてくる。中国禅には、本来清浄本来無一物即心即仏無念無住仏性という方向が非常に強い。すると、「煩悩を一つ一つ断っていく」というインド仏教的な修行論より、「そもそも煩悩を実体視していること自体が迷いではないか?」という方向に重心が移る。これはかなり大きな転換。2026/09/06 20:40:46140.安堂buY9U私は禅宗ではなく浄土真宗本願寺派だがキリスト教や神道、道教、無宗教にも出入り自由だ。2026/09/06 20:41:02141.◆JBLfMwCXhYxtebG唯識から見ると「それだけでは甘い」ここは、あなたの感覚はかなりよく分かる。唯識なら、「煩悩は本当は存在しませんでした!」で終わらせない。むしろ、では、その煩悩を生じさせている識の構造はどうなっているのか?という話になる。末那識には我執が絡むし、阿頼耶識には種子がある。だから、「煩悩は空だと気づいた」↓「じゃあ煩悩の種子はどうなった?」という問題が残る。「煩悩を実体視しない」ことと、「煩悩の働きが完全に消滅している」ことは別問題なんだよね。ここを混同すると、「本来仏だから、煩悩なんてない」という非常に簡単な悟り論になってしまう(笑)。2026/09/06 20:41:18142.◆JBLfMwCXhYxtebGそして、ここで孟子との奇妙な接点が生まれる孟子は、人間の本性は善とする。禅・如来蔵思想は、衆生には本来、仏性があるとする。もちろん同じ思想ではない。孟子の「性善」は倫理的人間論であり、仏性は解脱・仏果に関わる宗教哲学だから。しかし構造的には、「人間の本質的なところには、すでに肯定すべきものがある」という発想が非常によく似ている。そして宋明理学では、そこに仏教との対話・競合が加わって、性=善なる本性↓欲望によって覆われる↓修養によって本来の性を明らかにするという、かなり洗練された人間論になっていく。だから、あなたの仮説は、「孟子の性善説が禅に影響した」ではなく、「古代儒教に存在していた孟子の性善説が、中国仏教・禅との長い思想的競合を経た宋明儒学によって、仏性・如来蔵的な問題設定と接近する形で再解釈された」とすると、かなり強い。2026/09/06 20:42:02143.◆JBLfMwCXhYxtebGそして面白いのは、この「本来は善/本来は清浄」という発想が、後世の中国思想では仏教と儒教の双方に根を張ってしまったこと。その結果、「人間の本性は本来清浄なのだから、煩悩を本質視する必要はない」という方向が、禅にも宋明理学にも現れる。あなたが感じている「禅宗は煩悩を軽く扱いすぎる」という違和感は、まさにこの中国思想における「本来性」への強烈な信頼を掘ると、かなり見通しがよくなると思う。ただし、「禅=孟子の性善説の影響」と一直線につなぐより、如来蔵・仏性 → 中国禅 → 宋明理学 ↔ 孟子の再解釈という複線的な思想史として見るのが一番面白い。2026/09/06 20:43:13144.◆JBLfMwCXhYxtebG>>140> 私は禅宗ではなく浄土真宗本願寺派だが> キリスト教や神道、道教、無宗教にも> 出入り自由だ。かなり、幅が広いな?2026/09/06 20:44:13145.安堂buY9U煩悩が無くなったならJBL殿はとっくに即神仏になっているだろうね。そうでしょ。食うも飲むも寝るの煩悩を滅ばしたのだから。それ出来ますか?2026/09/06 20:44:37146.◆JBLfMwCXhYxtebG>>145酒をよく飲む刺身とか寿司が好きだ🍣煩悩は無くなっていない😫2026/09/06 20:47:44147.神も仏も名無しさんzwyEA修行論で言えば、煩悩は、無くすべき、とかになる。。だけど、悟り論、でいうと、煩悩なんてねーよ、だって、すべての現象に実体はないんだから、となるんですよ。。w後者は、当然、お釈迦様ご自身もわかってたこと。。という風にとらえれば、禅宗だけ特別、で、初期仏教とは違う、ということにはならないと思うけれど。。2026/09/06 20:50:06148.、TySxd無我って我執着の無いってことじゃないの?つまり、執着を起こす我が無いってことじゃないの?2026/09/06 20:52:12149.神も仏も名無しさんzwyEA我がないんだから、何かを知る、ってことがホントにできるのかってのもあるよね。。知ることできません、ということかもしれない。。w2026/09/06 20:54:05150.、TySxd≫食うも飲むも寝るの煩悩別に煩悩じゃないだろこれどうしても寿司を毎日食いたい‼️絶対だ‼️と執着しだしたらこりゃ煩悩だけんどな2026/09/06 20:55:58151.神も仏も名無しさんXSnjLそもそもとして、仏教も儒教も、また真我論でも客観的物質的な肉体としての「自己」ではない意識や精神や心っていう肉体や動物的な欲望を離れたところに、「虚霊不昧」的な「本来の自己」のようなものがあるっていうそういうものの発見から教えがつくられてるってことがあるんだろう2026/09/06 20:57:43152.神も仏も名無しさんXSnjL既に語られてきてる「教え」として、その中にその上に生死を超える「本来の自己」のようなものがあるんじゃなくて誰もが生きて死ぬ「人」としてある、ここでの探究から発見されつくられた教えでありその教えはそれぞれのことばや方法でその「本来の自己」的なものを示してると2026/09/06 21:00:49153.神も仏も名無しさんUom85私は、煩悩、という言葉が表そうとしている感覚を知らないな、こういう言葉を使わないようには心がけている2026/09/06 22:17:44154.神も仏も名無しさんiVAB0では、どういう言葉なのだ??2026/09/06 22:22:48155.神も仏も名無しさんiVAB0煩悩は、人間の苦しみ悲しみ…、そういうの全てが、煩悩だよ。2026/09/06 22:24:46156.神も仏も名無しさんUom85私は、私にとっての苦しみ悲しみは幾らか感覚としてはあるが、私以外と同じものだとは思わないな、全くちがっていると思うことばかりだな、そんなものを全てとしてまとめて煩悩とかいう言葉で表現する感覚は全くわからんな2026/09/06 22:53:16157.神も仏も名無しさんiVAB0煩悩、とシンプルにまとめた方が、1語で済むし、便利だからだよ。2026/09/06 22:59:25158.◆JBLfMwCXhYBHaOR>>155> 煩悩は、人間の苦しみ悲しみ…、そういうの全てが、煩悩だよ。用語の話ばかりで申し訳ないがそれは、仏教用語では「苦」だ「煩悩」は「苦」の原因であって、「苦」そのものではない2026/09/06 22:59:35159.神も仏も名無しさんiVAB0そうだな。煩悩の自己も苦の自己も、「無我」という理解が私は良いかな。2026/09/06 23:04:49160.神も仏も名無しさんUom85言葉はまとめてしまうからな、その言葉を使って表そうとしている人の経験や実感を隠してしまう、言葉を使う人がどうにかして表そうとしなくてはならない2026/09/06 23:09:54161.神も仏も名無しさんiVAB0こういうとこで何かを説明したりするには、まとめた語で説明した方が良いってことだよ。自分の気持ちとかを、相手に、事細かに伝えることも大事だろうけど。ケースバイケースかな。言葉の多少は、状況によって、使い分けるのが大事かと。2026/09/06 23:19:01162.神も仏も名無しさんUom85私はできるだけ私から見える景色を表現する言葉を使いたい、私の視点以外を排除したい、俯瞰している感じがするなら直ぐに辞めるようにしている、言葉は私が私のために使うものでなくてはならない2026/09/06 23:22:50163.神も仏も名無しさんiVAB0人生、主観だけではないからな。主観と客観の両輪よ。笑2026/09/06 23:24:47164.神も仏も名無しさんUom85私は誰かに何かを説明して理解してもらうために話したりはしないな、私が私のためにできるだけ思うことを好きなように言葉にして表現することが話す目的、常に私がどうしたいかを明確にし続けること2026/09/06 23:29:46165.◆JBLfMwCXhYxtebG仏教でいう「苦」というのは「私はニンジンが大嫌いだ。だから、ニンジンを食べるのが苦痛なのだ」とか、そういうことを言ってるわけではない2026/09/06 23:30:28166.◆JBLfMwCXhYxtebGもっとも、「私は会社の上司が大嫌いだ。アイツの顔を見るのも苦痛だ」というようなのは「怨憎会苦」とされ、四苦八苦の「八苦」のひとつに入っている2026/09/06 23:31:50167.◆JBLfMwCXhYxtebG怨憎会苦や愛別離苦のない人生を送る人などいないそう考えられている2026/09/06 23:32:26168.神も仏も名無しさんiVAB0主観だけで生きても、人生詰まる。客観も大事。成長とかのヒントになるからね。2026/09/06 23:32:33169.神も仏も名無しさんiVAB0>>164主観だけで生きても、人生詰まる。客観も大事。成長とかのヒントになるからね。2026/09/06 23:33:01170.◆JBLfMwCXhYxtebGスピリチュアル的にはあの世(死後世界)では、波長が合わない者とは反発し合うため、会うのが難しいつまり、嫌な奴と出っ食わすのは、この世ならではの苦労だそういう点では、仏教と通じるものがある(笑)2026/09/06 23:34:47171.神も仏も名無しさんUom85各々の違う感覚が知れていいねえ、私は違っていて理解できない感じが会話に現れるのはとても好きだな2026/09/06 23:40:17172.神も仏も名無しさんiVAB0まぁ、昨日の敵は、今日の友だ。笑2026/09/06 23:41:46173.神も仏も名無しさんiVAB0>>171客観も大事だよ。時に自分を守ってくれる。2026/09/06 23:44:33174.神も仏も名無しさんUom85違いが現れない会話はとても良くないと思っているし、つまらないからな2026/09/06 23:45:39175.神も仏も名無しさんiVAB0主観と客観がないと、人生、立ち行かなくなる、と思う。2026/09/06 23:46:44176.神も仏も名無しさんiVAB0>>174主観と客観がないと、人生、立ち行かなくなると思うよ。2026/09/06 23:47:37177.神も仏も名無しさんLc9RX早寝したあいだに盛り上がったよーたな?😀2026/09/06 23:56:27178.神も仏も名無しさんpEmmyそうなんですよ~、聞いてくださいでおーさん、季節はもう秋ですね。2026/09/07 00:48:35179.神も仏も名無しさんD8wLxスコラ哲学を動画からAI解答から研究して早寝して今、起きて、スコラ哲学の動画一つみて眠くなったー寝ようおやすみー😀2026/09/07 00:59:40180.神も仏も名無しさんD8wLx三年も経てばペラい哲学的宗教者よりもめちゃんこいんてりになってしまいそうだこの流れは😀2026/09/07 01:00:38181.神も仏も名無しさんpEmmyその流れに、乗るしかない。笑2026/09/07 01:04:46182.神も仏も名無しさんpEmmy>>48訂正迷いや煩悩の自己も、固定された自己ではない(=無我)と知って、清浄な自己になったんだと思うよ2026/09/07 01:21:46183.神も仏も名無しさん1gC93もちろん栖雲居士💩は自殺教唆の犯罪者ですがw627:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:29:52.30 ID:GHVkJlI/[96/96]うんうん、精神病棟にレリゴー😘 🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆162 栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm :[sage]:2024/03/09(土) 16:35:39.62 ID:b8JerweS喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟633:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:32:58.27 ID:GHVkJlI/[98/98]で?悔しくて我慢できないのか?wwwwwwwwwwwwwwwwww千枚通しで喉仏を刺して逝けば?wwwwwwwwwwwwwwwwwwぶわあーーーーーくわwww2026/09/07 02:21:56184.神も仏も名無しさんpEmmy一切皆苦については、一切皆苦と理解することで、悟り、苦滅になったんだと思うよ。2026/09/07 04:13:14185.神も仏も名無しさんpEmmyお釈迦さまの四法印・諸行無常・・・全ては移り変わって行く・諸法無我・・・全てに固定された自己はない・一切皆苦・・・一切皆苦と理解することで、悟り、苦滅となる・涅槃寂静・・・上の3つを総合して理解・実践し、涅槃の境地へと至るということかなと思う2026/09/07 04:48:38186.神も仏も名無しさんpEmmy涅槃寂静に至りたければ、やれば?って感じだけど、、、😂😂😂😂😂2026/09/07 05:02:25187.神も仏も名無しさんpEmmy寂静って、煩悩やん??2026/09/07 05:06:05188.神も仏も名無しさんpEmmy静かで寂しいよー2026/09/07 05:06:38189.神も仏も名無しさんpEmmy涅槃寂静のところから、私達を見守っていてください、静かで寂しくないでしょ。😂😂😂😂😂2026/09/07 05:12:11190.神も仏も名無しさんpEmmyすまない、本音を書き過ぎた。😂😂😂😂😂😂😂2026/09/07 05:15:48191.神も仏も名無しさんpEmmy>>185四法印のミックスで、全てに固定された自己はなく、全ては移り変わって行くことも含め、一切皆苦と理解することで、悟り、涅槃寂静へと至るということかなと思う2026/09/07 05:26:50192.神も仏も名無しさんCszrQ私にとって頭の良さとは、とても高く飛ぶことであり、広い景色を見て様々な無数の視点で考えることが出来ることだな、私が求める理想は地べたを這う視点であり、とても狭い視野で考え、常にできるだけ目的をひとつにすることをしている、その産まれて生きて死ぬことを喜んで終わることを目的としている。2026/09/07 05:48:50193.神も仏も名無しさんpEmmyエンジョイ出来れば、それで良いんじゃないかな2026/09/07 06:02:18194.神も仏も名無しさんpEmmy訂正エンジョイ出来れば、それで良いんじゃないかな??2026/09/07 06:03:34195.神も仏も名無しさんpEmmy再訂正エンジョイ出来るなら、それで良いと思うよ2026/09/07 08:05:53196.神も仏も名無しさんhnGldもちろん栖雲居士💩は自殺教唆の犯罪者ですがw627:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:29:52.30 ID:GHVkJlI/[96/96]うんうん、精神病棟にレリゴー😘 🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆162 栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm :[sage]:2024/03/09(土) 16:35:39.62 ID:b8JerweS喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟633:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:32:58.27 ID:GHVkJlI/[98/98]で?悔しくて我慢できないのか?wwwwwwwwwwwwwwwwww千枚通しで喉仏を刺して逝けば?wwwwwwwwwwwwwwwwwwぶわあーーーーーくわwww2026/09/07 12:44:08197.ハジX3BCB歳とると楽しくなくなる気がするなー2026/09/07 15:14:16198.神も仏も名無しさんpEmmy自己を含む全人類には、遺伝子、環境、経験による仕方なさがあったとしても、それでも、(自己を含む)全人類でハッピーになるために、(自己を含む)全人類が秘めている無限の可能性から、(自己を含む)全人類が願う無限大の夢を叶えようだと思うよ2026/09/07 15:17:31199.神も仏も名無しさんOmKiHそうか?愉しみは増えてるけどな😀2026/09/07 15:17:41200.神も仏も名無しさんpEmmy訂正自己を含む全人類には、遺伝子、環境、経験による仕方なさがあったとしても、それでも、(自己を含む)全人類でハッピーになるために、(自己を含む)全人類が秘めている無限の可能性から、(自己を含む)全人類が願う無限大の夢を叶えようだと、思うよ2026/09/07 15:18:32201.神も仏も名無しさんOmKiHわはは😀2026/09/07 15:19:51202.神も仏も名無しさんpEmmy>>198 の訂正自己を含む全人類には、遺伝子、環境、経験による仕方なさがあったとしても、それでも、(自己を含む)全人類でハッピーになるために、(自己を含む)全人類が秘めている無限の可能性から、(自己を含む)全人類が願う無限大の夢を叶えようだと、思うよ2026/09/07 15:22:10203.神も仏も名無しさんpEmmy>>202自己は、自分自身のことに置き換えること2026/09/07 15:25:16204.神も仏も名無しさんOmKiHわはは😀2026/09/07 15:26:15205.◆JBLfMwCXhY9TY8J伝説的な禅僧は、たいてい唐代の人物馬祖道一 「即心是仏」など、禅の方向を大きく転換した巨匠南泉普願 公案でおなじみの、かなり型破りな人物趙州従諗 「無字」で有名。120歳近くまで生きた伝説的禅僧臨済義玄 「喝!」で有名な、まさに豪傑タイプ(笑)徳山宣鑑 金剛経の講師から禅僧に転じ、棒を振り回す黄檗希運 「仏を求めるな」と徹底的に喝破する2026/09/08 01:03:06206.◆JBLfMwCXhY9TY8Jでは宋代は何なのかここが重要で、宋代は新しい豪傑が大量に出てくるというより、唐代禅を整理・体系化する時代なんです。たとえば、『景徳伝灯録』『天聖広灯録』『碧巌録』『従容録』『無門関』など。唐代の禅僧たちの「伝説的な問答」を、宋代の禅僧たちが公案として選別・編集・注釈・体系化していく。2026/09/08 01:04:09207.夕kL3m3JBLさんが、哲学とかやるから、知恵熱がでるわw頭の中が何かき回される感覚になる。新鮮だ。公案はでおーに止められているwその分、お経に走っている2026/09/08 05:40:53208.神も仏も名無しさんt3Wmnおはーしかし、温度差で体調狂ってきてるなー😅2026/09/08 05:42:58209.夕kL3m3おはよー(*^-^*)2026/09/08 05:51:46210.神も仏も名無しさんxd9uj涼しくてよく眠れる2026/09/08 05:58:58211.神も仏も名無しさんDrxzw>>191修正四法印のミックスで、全てに固定された自己はなく、全ては移り変わって行くということから、一切皆苦と理解することで、悟り、涅槃寂静へと至るということかなと思う2026/09/08 08:53:31212.神も仏も名無しさんDrxzw>>191再修正四法印のミックスで、全てに固定された自己はなく、全ては移り変わって行くということから、一切皆苦と理解することで、悟り、涅槃寂静へと至れるということかなと思う2026/09/08 08:57:00213.神も仏も名無しさんDrxzwそして、個人的には、>>186-190からの、>>202-203だけれど。2026/09/08 09:01:22214.神も仏も名無しさんt3Wmnリダン弐号機だな😀2026/09/08 10:01:34215.神も仏も名無しさんiS5Ftもちろん栖雲居士💩は自殺教唆の犯罪者ですがw627:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:29:52.30 ID:GHVkJlI/[96/96]うんうん、精神病棟にレリゴー😘 🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆162 栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm :[sage]:2024/03/09(土) 16:35:39.62 ID:b8JerweS喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟633:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:32:58.27 ID:GHVkJlI/[98/98]で?悔しくて我慢できないのか?wwwwwwwwwwwwwwwwww千枚通しで喉仏を刺して逝けば?wwwwwwwwwwwwwwwwwwぶわあーーーーーくわwww2026/09/08 11:59:46216.神も仏も名無しさんDrxzw諸法無我と一切皆苦が繋がらんから、修正は諦めたわ。2026/09/08 12:52:44217.神も仏も名無しさんDrxzw修正諸法無我と一切皆苦が繋がらんから、一文にまとめる修正は諦めたわ。2026/09/08 12:55:55218.神も仏も名無しさんTlAQG私は私でしかなく、今喜んだり悲しんだり幸も不幸も産まれて死ぬ間のひと時しかなく、それが私2026/09/08 12:56:45219.神も仏も名無しさんDrxzw自己を含む全人類には、遺伝子、環境、経験による仕方なさがあったとしても、それでも、(自己を含む)全人類でハッピーになるために、(自己を含む)全人類が秘めている無限の可能性から、(自己を含む)全人類が願う無限大の夢を叶えよう(全ての人の霊を含む)全人類で何度も人間に生まれかわって、(全ての生まれかわった人間を含む)全人類で何度もハッピーに生きられることを願うだと、思うよ2026/09/08 13:07:40220.神も仏も名無しさんTlAQG私は全人類とかいう言葉は本当に嫌いだな、私がその言葉を使って表現したいことがあると思うだけでも嫌だな、私という言葉があって良かったと思う。2026/09/08 13:23:27221.神も仏も名無しさんDrxzw自己を含む全人類、だよ2026/09/08 13:26:53222.神も仏も名無しさんDrxzw自己を含む全人類、だよ、そこに救いがある2026/09/08 13:28:22223.、bqvBz⭐高次の光(リタムバラー・プラギャー=真実のみを育む智慧)⭐リタムバラー・プラギャー■のちに「ダルマ(法)」という言葉に発展します『リタムバラー』の正体この言葉は、サンスクリット語の「リタ(?ta)」と「バラー(Bhar?)」に分解できます。⚪リタ(?ta): 宇宙の根本秩序、天体の運行から道徳にいたるまで、「宇宙のすべてを完璧に動かしている絶対的な真理・法則」のことですのちに「ダルマ(法)」という言葉に発展します。⚪バラー(Bhar?): 「満たされている」「宿している」「担っている」という意味です。つまり、リタムバラーとは「宇宙の絶対真理をその身に100%宿している」という意味になります。そこに、仏教でも般若(パンニャー)として受け継がれる究極の智慧「プラギャー(Praj??)」が合わさることで、「宇宙の真理そのもので満たされた、微塵の狂いもない絶対的な智慧の光」という、途方もなく壮大な意味になるのです。ーーー⚪リタ(?ta): 宇宙の根本秩序、天体の運行から道徳にいたるまで、「宇宙のすべてを完璧に動かしている絶対的な真理・法則」のことですのちに「ダルマ(法)」という言葉に発展します。⚪リタ(?ta): 宇宙の根本秩序、天体の運行から道徳にいたるまで、「宇宙のすべてを完璧に動かしている絶対的な真理・法則」のことですのちに「ダルマ(法)」という言葉に発展します。⚪リタ(?ta): 宇宙の根本秩序、天体の運行から道徳にいたるまで、「宇宙のすべてを完璧に動かしている絶対的な真理・法則」のことですのちに「ダルマ(法)」という言葉に発展します。2026/09/08 15:03:15224.◆JBLfMwCXhYD2ucW>>220> 私は全人類とかいう言葉は本当に嫌いだな唯名論ですな「全人類」など無い大勢の個人がいるだけ2026/09/08 16:18:28225.神も仏も名無しさんDrxzw自己を含む大勢の個人には、遺伝子、環境、経験による仕方なさがあったとしても、それでも、(自己を含む)大勢の個人でハッピーになるために、(自己を含む)大勢の個人が秘めている無限の可能性から、(自己を含む)大勢の個人が願う無限大の夢を叶えよう(全ての人の霊を含む)大勢の個人で何度も人間に生まれかわって、(全ての生まれかわった人間を含む)大勢の個人で何度もハッピーに生きられることを願うに、なるのかな2026/09/08 16:32:42226.神も仏も名無しさんDrxzw修正自己を含む大勢の個人には、遺伝子、環境、経験による仕方なさがあったとしても、それでも、自己を含む大勢の個人でハッピーになるために、自己を含む大勢の個人が秘めている無限の可能性から、自己を含む大勢の個人が願う無限大の夢を叶えよう(全ての人の霊を含む)大勢の個人で何度も人間に生まれかわって、(全ての生まれかわった人間を含む)大勢の個人で何度もハッピーに生きられることを願うに、なるのかな2026/09/08 16:35:22227.神も仏も名無しさんDrxzw>>225だったかな。2026/09/08 16:51:49228.、bqvBz『リタムバラー・プラギャー』~深層意識の暗闇を焼き尽くす、宇宙真理の閃光~https://share.google/aimode/RmaGxKVza9f5daS6r2026/09/08 17:09:34229.◆JBLfMwCXhYouQgNやはり、「全人類」という概念が大嫌い、なんて人がいるんだなそういうのが、唯名論者の原動力2026/09/08 17:09:59230.神も仏も名無しさんDrxzw大勢の個人も、唯名論に入るがな。2026/09/08 17:11:38231.ゆう3LLF5諸法無我と実感がないから一切皆苦なんだろうと思うけどな2026/09/08 17:32:07232.神も仏も名無しさんDrxzw諸法無我・・・全てに固定された自己はない でも、苦だと思うよつまりは、一切皆苦諸法無我と分かったところで、一切皆苦、ということだね2026/09/08 17:55:01233.神も仏も名無しさんDrxzw諸法無我では、ある程度の苦は落とせるけど、苦を完全になくせるわけではない諸法無我だけでは、部分苦が残るということかな2026/09/08 18:01:19234.神も仏も名無しさんDrxzw苦を完全になくしたいなら、一切皆苦と理解することだけど、>>225みたいなのが出来なくなるから、あまりオススメはしない2026/09/08 18:05:25235.、bqvBz頭でっかちに頭で解ってもダメだよ2026/09/08 18:17:26236.神も仏も名無しさんDrxzw苦は残るでしょ。2026/09/08 18:19:39237.神も仏も名無しさんDrxzw宗教者は、一切皆苦と理解する をすればええ。一般の人は、>>225、みたいなんをすればええ。2026/09/08 18:24:53238.神も仏も名無しさんDrxzw>>225の大勢の個人に、宗教の人も入ったかな。2026/09/08 18:29:44239.神も仏も名無しさんDrxzw>>233訂正×落とせる→○減らせる2026/09/08 18:53:14240.神も仏も名無しさんDrxzw>>233×落とせる○減らせる2026/09/08 18:55:14241.神も仏も名無しさんDrxzw大勢の個人には、遺伝子、環境、経験による仕方なさがあったとしても、それでも、大勢の個人でハッピーになるために、大勢の個人が秘めている無限の可能性から、大勢の個人が願う無限大の夢を叶えよう(全ての人の霊を含む)大勢の個人で何度も人間に生まれかわって、(全ての生まれかわった人間を含む)大勢の個人で何度もハッピーに生きられることを願うだったかな、修正しとくわ。2026/09/08 19:20:00242.神も仏も名無しさんDrxzwやっぱ>>219だったかな。2026/09/08 19:25:13243.神も仏も名無しさんxd9uj私は言葉は態度を現すと思っていて、繰り返し使うほど態度を育てると思っている、私がその態度が嫌いなのでその言葉を使わないだけだよ2026/09/08 19:29:39244.神も仏も名無しさんDrxzw救われるとは思うけどな2026/09/08 19:34:31245.神も仏も名無しさんxd9uj全人類という言葉は明確でとてもいい言葉だ、私が嫌いな態度の感覚がとてもよく現れている。2026/09/08 19:35:08246.神も仏も名無しさんDrxzw自己を含む全人類、だよ。そこに救いがある。2026/09/08 19:37:37247.神も仏も名無しさんxd9uj全人類という言葉を使う方がいいと思うけどな2026/09/08 19:38:17248.神も仏も名無しさんDrxzw全人類だけで自己が入らないと、自分が取り残されちゃうから。そしてそれは、誰にでも同じこと。2026/09/08 19:52:14249.神も仏も名無しさんDrxzw何も最初のうちは、完全に自己を含む全人類じゃなくて良いんだよ、ある程度の人たちの中でもそのようにやっていくことで、最終的に自己を含む全人類になっていると思うよ。2026/09/08 19:52:33250.神も仏も名無しさんDrxzw>>248文脈上、見事な誤解だったな。😂2026/09/08 19:58:54251.神も仏も名無しさんxd9uj自己ってのは全人類とは別ということなんだね2026/09/08 20:04:16252.神も仏も名無しさんpsFyCリダン弐号機ハッスルだな😀2026/09/08 20:16:25253.神も仏も名無しさんxd9uj私には、将棋の駒が棋士の夢を見ているような感じがするのだな2026/09/08 20:37:39254.神も仏も名無しさんU983y「全人類」なんてのはやはりそれは知りようがないからな2026/09/08 20:55:52255.神も仏も名無しさんDrxzw>>251自己を含む全人類だよ。表現上の問題だよ。そう書いた方が、文章がピッタリ来るってことだよ。2026/09/08 21:02:04256.神も仏も名無しさんDrxzw>>253他に良い表現を知らないものでな。自己を含む全人類を超える良い表現、ないものかな2026/09/08 21:06:10257.神も仏も名無しさんU983y「全人類」っていう「すべて」の救いが欲しいっていう思いは分かるがまたこれがどっかにないととも2026/09/08 21:07:04258.神も仏も名無しさんDrxzw>>254想像はできるでしょう。2026/09/08 21:07:51259.神も仏も名無しさんDrxzw>>257全人類じゃないと、私は悲しいからな。2026/09/08 21:09:08260.神も仏も名無しさんU983y>>256仏教スレ的には「一切」でありそれがすべてでまた禅や道元的なことばとしては「我と大地有情と同時成道」「山川草木、悉有は仏性なり」など2026/09/08 21:12:16261.神も仏も名無しさんU983y>>258「一切」というのは「十二処」ともされてこれは「六根」と「六境」つまりいま、ここ、に、見えたり聞こえたり味わったりのものそれだけが「実際」の「すべて」でそれ以外に「ある」と思ってるのは頭の中のものと2026/09/08 21:15:09262.神も仏も名無しさんHglVF>>260上手くまとめてきたな?😀2026/09/08 21:15:11263.神も仏も名無しさんHglVF>>261そーいうのが本業のうもりなんだが山伏に走る😀2026/09/08 21:16:40264.神も仏も名無しさんU983yつまり、頭の中のもの(妄想、苦)を一度キレイに払拭して「実際のすべて」に触れ気付くとすべての解決である「そのもの」としてのありようを知られますよというのが仏教の基本だろね2026/09/08 21:17:05265.神も仏も名無しさんxd9uj私は全人類という言葉は人の社会に生まれた言葉だと思っている、また救いという言葉も、私は人の社会に生まれたものは人の社会だけに共有されるものでしかなく、人の社会に知らずに依存して落ち着いて心地良さを得ているものにとってとても役立つ言葉だと思っている、私は幾らか人の社会への依存する気持ちに気づき不快感を得ているので、その言葉は役に立つとは思えない2026/09/08 21:21:33266.神も仏も名無しさんDrxzw>>260一切には、遺伝子、環境、経験による仕方なさがあったとしても、それでも、一切でハッピーになるために、一切が秘めている無限の可能性から、一切が願う無限大の夢を叶えよう(全ての人の霊を含む)一切で何度も人間に生まれかわって、(全ての生まれかわった人間を含む)一切で何度もハッピーに生きられることを願うどうでしょうか。2026/09/08 21:24:02267.神も仏も名無しさんU983y>>265依存に不快感をおぼえるのは、それは必ず失われるもの頼りにならないものだと気付いてるからだろうな2026/09/08 21:24:19268.神も仏も名無しさんDrxzw>>261頭の中のものでも、想像はできるでしょう。2026/09/08 21:25:52269.神も仏も名無しさんU983y>>266色んな考え方があるし、そういう考え方でより良くなったり自分のワガママや悪意などを解消しようってのに役にたったりするんでしょうそれも素晴らしいことだとも思いますね2026/09/08 21:26:03270.神も仏も名無しさんxd9uj>>267依存に不快感を感じるのは、依存して得ていたことがとても素晴らしいものであり当たり前の事としてあったことに気づき、失うことでそれは私が作り出すことはできないものであったりするからだ、私が作り出せるのなら依存は起こらない、無数の依存に気づくことで、とても小さな私になっていくように感じるね2026/09/08 21:36:00271.神も仏も名無しさんU983y>>270まあだから「社会」っていわれるものやそこでの快適安全な生活とか家とか食べ物ってのに「依存」してることに何か感じるんだろね「自分」のものでないのにそれを「自分」のものとしてしまってる不安と不快感的な2026/09/08 21:39:33272.神も仏も名無しさんDrxzw>>264このものも含むそのものたちには、遺伝子、環境、経験による仕方なさがあったとしても、それでも、(このものも含む)そのものたちでハッピーになるために、(このものも含む)そのものたちが秘めている無限の可能性から、(このものも含む)そのものたちが願う無限大の夢を叶えよう(全ての人の霊も含む)(このものも含む)そのものたちで何度も人間に生まれかわって、(全ての生まれかわった人間を含む)(このものも含む)そのものたちで何度もハッピーに生きられることを願うどうでしょうか2026/09/08 21:40:49273.神も仏も名無しさんDrxzw>>265言葉は全て、人の社会で生まれた言葉だよ。😂2026/09/08 21:44:13274.神も仏も名無しさんDrxzw>>269一切、は不採用ということでよろしいか??2026/09/08 21:47:51275.◆JBLfMwCXhY9TY8J>>265> 私は全人類という言葉は人の社会に生まれた言葉だと思っているそう、そういうのが「唯名論」「全人類」なんてものは無い人間がそんな言葉を作っただけだ2026/09/08 21:51:25276.◆JBLfMwCXhY9TY8Jやはり、唯名論者がなぜ、普遍実在論を嫌うのかそれが、よくわかる2026/09/08 21:51:55277.◆JBLfMwCXhY9TY8J各自の個性を重視している「そんな、一括りにするなよ」ってこった2026/09/08 21:52:38278.神も仏も名無しさんDrxzw>>275想像してみてください。2026/09/08 21:53:41279.神も仏も名無しさんDrxzw>>276大勢の個人も同じだよ。2026/09/08 21:56:31280.神も仏も名無しさんDrxzw言葉は全て、唯名で、人の社会の言葉だよ2026/09/08 21:57:25281.神も仏も名無しさんDrxzw言葉は全て、唯名で、人の言葉だよ2026/09/08 21:58:44282.神も仏も名無しさんxd9uj>>273私は無数の依存に気づき続けることが、人の社会への依存を土台にした感覚を使って表現しようと生まれた言葉か、人の社会のない生き物からある感覚から生まれた言葉かを区別する感覚が生まれるのだと思っている2026/09/08 22:06:26283.神も仏も名無しさんDrxzw>>282折れることも大事だよ。2026/09/08 22:14:04284.神も仏も名無しさんxd9uj私、という言葉から始めるのはとても好きだな、やり始めた時は分からなかったが、素晴らしくて喜ぶよ。2026/09/08 22:17:59285.神も仏も名無しさんDrxzw私はあまり喜べないな>>219と>>249を参考に、とりあえずはやってみてちょ2026/09/08 22:30:05286.神も仏も名無しさんDrxzw世の中全体も、そうなりますように。2026/09/08 22:30:35287.神も仏も名無しさんKxHBKもちろん栖雲居士💩は自殺教唆の犯罪者ですがw627:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:29:52.30 ID:GHVkJlI/[96/96]うんうん、精神病棟にレリゴー😘 🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆162 栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm :[sage]:2024/03/09(土) 16:35:39.62 ID:b8JerweS喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟633:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:32:58.27 ID:GHVkJlI/[98/98]で?悔しくて我慢できないのか?wwwwwwwwwwwwwwwwww千枚通しで喉仏を刺して逝けば?wwwwwwwwwwwwwwwwwwぶわあーーーーーくわwww2026/09/09 03:18:54288.夕DWz8I言葉って何だろうね。言葉って意味があると思ってしまう言葉でとるのは自分の事を言われた時、後は風景と変わらない。これは 自我(アートマン)に紐づいた言語反応。つまり、言葉は“自分”というラベルに触れた時だけ、心が意味を生成する。言葉の意味は「言葉そのもの」にはないあなたは前にこう言った。言葉って意味があると思ってしまうでも実際には、言葉に意味があるのではなく自分が意味を作っているだから、自分に触れた言葉 → 意味が生まれる自分に触れない言葉 → 意味が生まれない(風景)2026/09/09 04:32:14289.夕DWz8I苦は「自分に触れた言葉」から生まれるあなたの前の発言と完全につながる。諸法無我と実感がないから一切皆苦なんだろう苦はどこから生まれるか?言葉が自分に触れる自分が反応する相対が生まれる取(執着)が生まれる苦が生まれるつまり、言葉が風景でなくなる瞬間=苦の発生点。2026/09/09 04:33:32290.夕DWz8Iまとめ言葉は自分に触れた時だけ意味を持つ。それ以外はただの風景。言葉の意味は言葉にあるのではなく、心が作っている。言葉が風景に戻るほど、苦は減る。2026/09/09 04:34:55291.夕DWz8I心に感応する2026/09/09 05:08:08292.神も仏も名無しさんVrYEJ一切皆苦って、禅宗では言わないことが多い。。三法印だけを言って、四法印を言わない。。それは、やはり、世俗を否定しない、最終的には肯定する、ってことがあるからだと思うな。。2026/09/09 11:32:14293.神も仏も名無しさんVrYEJおれも実感としてはない。。w一切皆苦の実感なんてないね。。というか、調子のいい時は、常楽我浄の方がしっくりくる。。2026/09/09 11:33:55294.神も仏も名無しさんJ0N5Yもちろん栖雲居士💩は自殺教唆の犯罪者ですがw627:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:29:52.30 ID:GHVkJlI/[96/96]うんうん、精神病棟にレリゴー😘 🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆162 栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm :[sage]:2024/03/09(土) 16:35:39.62 ID:b8JerweS喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟633:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:32:58.27 ID:GHVkJlI/[98/98]で?悔しくて我慢できないのか?wwwwwwwwwwwwwwwwww千枚通しで喉仏を刺して逝けば?wwwwwwwwwwwwwwwwwwぶわあーーーーーくわwww2026/09/09 11:34:25295.◆JBLfMwCXhYhpdIVハッキリ言って「一切皆苦」は、「諸行無常」とほぼ同じ意味無常だから、苦なのだ※日常用語でいう「つらい、苦しい」とは意味が異なることに注意2026/09/09 11:40:06296.◆JBLfMwCXhYhpdIVむしろ、「幸せだ、楽しい」というとき「そんなのは一時のことであり、長続きしない」というのが、仏教の考え方2026/09/09 11:41:42297.神も仏も名無しさんr4mESシンプルにしぱられる、囚われるイコール苦だムイムイとハッスル🤡にテストリバースしているのはその点だ、彼は自称悟ってるか、仏教スタンダードで参禅30年だそうだからな😀2026/09/09 11:43:09298.神も仏も名無しさんr4mES極めて目的はシンプルなやりとりだ😀2026/09/09 11:43:43299.◆JBLfMwCXhYhpdIVとくに問題なのは、「自分」だ「俺は、俺だ。俺はこういう人間だ。これからも俺のままでいたい」と思ったところで、無理それが仏教2026/09/09 11:43:48300.◆JBLfMwCXhYhpdIV3002026/09/09 11:44:09301.神も仏も名無しさんVrYEJ涅槃城裏も猶危うし、だな。。無常ゆえに。。悟ったろうが、自我が死にましたとか、自己イメージが死んだとか、寝言を言っても、決定的な解決ではない。。wまた元に戻るからね。。w2026/09/09 11:45:59302.◆JBLfMwCXhYhpdIV製ウンコ氏がいい例だな「無我の境地」というわりには、我が強い😫2026/09/09 11:46:59303.神も仏も名無しさんVrYEJだったら、何が決定的な解決か?それも三法印の中に、答えがあるんでしょうね。。だから、法を学ぶのは大事だよ、ということになる。。法を無視しては、悟りとか、解決とか無い。。2026/09/09 11:47:12304.神も仏も名無しさんVrYEJ猫のように、牝牛のように、柔らかい心、無上のまんま、だろうな。。2026/09/09 11:48:34305.神も仏も名無しさんEigYk馬鹿丸出しである 笑2026/09/09 11:49:07306.神も仏も名無しさんVrYEJ訂正、無常のまんま、ですね。。2026/09/09 11:49:33307.神も仏も名無しさんr4mESハッスル🤡報復?🤡〜2026/09/09 11:53:56308.神も仏も名無しさんEigYkキチガイ 笑2026/09/09 12:38:41309.夕7plUp馬鹿丸出しである。懐かしいなw2026/09/09 13:01:47310.神も仏も名無しさんD42Us627:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:29:52.30 ID:GHVkJlI/[96/96]うんうん、精神病棟にレリゴー😘 🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆162 栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm :[sage]:2024/03/09(土) 16:35:39.62 ID:b8JerweS喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟633:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:32:58.27 ID:GHVkJlI/[98/98]で?悔しくて我慢できないのか?wwwwwwwwwwwwwwwwww千枚通しで喉仏を刺して逝けば?wwwwwwwwwwwwwwwwwwぶわあーーーーーくわwww2026/09/09 13:04:23311.神も仏も名無しさんVrYEJ猫のように、牝牛のように、って、洞山大師が言ったんだぞ。。w宝鏡三昧。。驚異あるを以て、りぬびゃっこ。。2026/09/09 13:17:49312.神も仏も名無しさんVrYEJその前には、南泉か。。三世諸仏有を知らず、りぬびゃっこ、却って有を知る。。2026/09/09 13:20:31313.神も仏も名無しさんVrYEJ三世諸仏無仏性、一切衆生悉有仏性。。2026/09/09 13:21:24314.神も仏も名無しさんe62Kuロンはまだまともな方。Jなんとかと顔文字の奴は馬鹿だよ。2026/09/09 13:25:32315.神も仏も名無しさんVrYEJ610 名前:せったんmyoejoe[sage] 投稿日:2005/07/02(土) 10:55:24 ID:oClE+a34 [4/7]ちらとも見性するということあって、しまいにはほんとうに身心失せるんですが、生死を明らめるということ根本です、ここに安住する人とし切れぬ人といます、ついにはわたしとは何かという問題ですよ。611 名前:せったんmyoejoe[sage] 投稿日:2005/07/02(土) 10:59:24 ID:oClE+a34 [5/7]はいそれでいいです、自分という思い込み失せると蓋天満地です、ぜんたいが自分になっちゃってすきなし、なにさ打ち込めば打ち込めるんですがね、2026/09/09 15:51:49316.神も仏も名無しさんVrYEJ雨ばっかりでやだな。。お出かけしたい、散歩も行きたいのに。。2026/09/09 15:59:04317.神も仏も名無しさんr2TW1>>288>>289>>290私は私の視点でしか考えたくないのでこのやうな表現にはならないが、私にはとても読みやすくわかりやすい文章だねえ2026/09/09 16:30:12318.、5Gd3x301 神も仏も名無しさん sage 2026/09/09(水) 11:45:59.37 ID:VrYEJ涅槃城裏も猶危うし、だな。。無常ゆえに。。悟ったろうが、自我が死にましたとか、自己イメージが死んだとか、寝言を言っても、決定的な解決ではない。。wまた元に戻るからね。。w自分の知らない世界も有るんだ!ってこと知ったほうがええよ~元に戻らないのが大悟なんだからあなたが悟り未満だから元に戻るんですよ。2026/09/09 19:06:23319.安堂rv7d3ここで会ったら百年目ロンバケよ、成敗する!ワシの胴太貫の刃を受けよ(⌒‐⌒)2026/09/09 19:48:53320.神も仏も名無しさんVrYEJ>>318だから、大悟とか、悟りを否定しているわけじゃないよ。。それで終わりじゃない、決定的な解決ではない、と言いたいだけ。。2026/09/09 19:49:25321.神も仏も名無しさんVrYEJ>>319がんばって~。。2026/09/09 19:49:58322.神も仏も名無しさんVrYEJ諸行無常だから、静的な涅槃、悟り、というものはない。。動的な解決、揺れ動くまま、という解決しかないよ、と言いたいだけ。。2026/09/09 19:51:03323.神も仏も名無しさんVrYEJただ、明らめる、ということはできるんだよ。。認識とは何か? 自己とは何か?そっちでしょう、重要なのは。。体験とかじゃない、ということ。。2026/09/09 19:52:37324.安堂rv7d3悟りなど海に防潮堤を築くようなものだ(⌒‐⌒)2026/09/09 19:53:03325.安堂rv7d3津波が来たら防潮堤もズタズタ木っ端微塵(⌒‐⌒)2026/09/09 19:53:41326.◆JBLfMwCXhY0WA6x>>314だから、名無しで書くのやめれ2026/09/09 20:09:35327.安堂rv7d3>>326馬鹿は馬鹿でいればいいんだ。しばらく馬鹿として療養する時期も人生にはある。今がその時期だ。2026/09/09 21:16:33328.神も仏も名無しさん3tSurアンドー閣下名言だ😀2026/09/09 22:11:23329.栖雲居士ce9c4>>328いやそれ、アンドはお前のことを言ってるんだぞ 笑2026/09/09 23:59:31330.神も仏も名無しさん7m9FE私が依存している何かによって何もかも決められてしまう、私が依存したがっているから起こることだ、何かに依存することで何かを得て喜び当たり前になり繰り返していく、さらに強く依存し渦のように繰り返すことで強力な落ち着きを得る、私にとって依存に気づくことはその服を脱ぐ行為だ、訳が分からないほど沢山の服を着て暑い暑いと苦しんでいる様なものだ、全て脱ぐことが出来るのかどうかなんてわからない2026/09/10 03:21:21331.◆JBLfMwCXhY9Yg1m「この世は無常ではない。お前には無常と思えているだけだ」というのは、釈迦の初期仏教には明らかに反する華厳宗だと、どうだろう?2026/09/10 03:40:26332.◆JBLfMwCXhY9Yg1mチャットGPT:うん、華厳宗ならかなり話が変わる。その一句は、初期仏教の「諸行無常」という命題として読むなら確かにかなり苦しいけど、華厳の世界観に寄せると、別の意味でなら成立しうる。ポイントは、「この世は無常ではない」を、**「現象世界には変化がない」**という意味で言うのか、それとも **「無常というあり方も、究極的には固定的な実体ではない」**という意味で言うのか。華厳なら後者へ持っていける。2026/09/10 03:41:24333.◆JBLfMwCXhY9Yg1m初期仏教では釈迦の教説では、諸行無常つまり、条件によって生じたもの(行)は変滅する。これは単なる「あなたにはそう見える」という認識論ではなく、存在のあり方についての教説だから、「世界そのものは無常ではなく、お前が無常だと思っているだけだ」とすると、かなり正面衝突する。むしろ初期仏教では、「無常なのは、お前の見方ではなく、まさに諸行そのものだ」という方向。2026/09/10 03:42:03334.◆JBLfMwCXhY9Yg1mところが華厳になると……華厳では、存在を「固定した一個のもの」として捉えること自体が崩されていく。たとえば有名な、一即一切、一切即一あるいは、法界縁起という発想。一つの存在は、それ単独でポツンと存在しているのではなく、他のあらゆる存在との関係の中で成立している。だから「この世は無常か?」という問いそのものが、ちょっと怪しくなる。なぜなら、「この世」という固定された一個の対象が、まず存在しているという前提を華厳が解体してしまうから。2026/09/10 03:42:40335.◆JBLfMwCXhY9Yg1mここが面白い華厳的には、「この世は無常である」も、「この世は無常ではない」も、そのままでは究極的な真理ではない、と言えてしまう。なぜなら「無常」という性質を持つ固定的な世界そのものを想定しているから。むしろ、無常なる現象そのものが、法界の全体的な働きとして現れている。という感じになる。だから、「この世は無常ではない。お前には無常と思えているだけだ」という言葉を華厳風に救済するなら、「無常なのは世界そのものではなく、世界を固定的な個物として切り取るお前の認識である」くらいに翻訳すると、かなり華厳っぽくなる。ただし、これは「世界は永遠不変だ」という意味ではない。むしろ逆。変化しているものを「無常」という一つの固定概念に閉じ込めることすら超える。2026/09/10 03:43:14336.◆JBLfMwCXhY9Yg1mそして華厳には、さらに面白い読み方がある華厳の「事事無礙」まで行くと、生滅するものと、生滅しないものを対立させること自体を超える方向に進める。たとえば花は咲いて散る。普通なら、花=無常真理=常住と二分したくなる。でも華厳では、その「咲いて散る花」そのものが法界の全体を顕している。だから、花が散るから無常なのではなく、花が散るという出来事そのものが、法界の全体性の現れである。となる。ここまで行くと、「無常ではない」という言葉が、「変化しない」ではなく、「無常という一つのカテゴリーによって、世界の究極的あり方を規定することはできない」という意味で読める。これはかなり華厳的。2026/09/10 03:43:40337.◆JBLfMwCXhY9Yg1mただし、禅・華厳・如来蔵を混ぜるとさらに話がややこしくなるこの「この世は無常ではない。お前には無常と思えているだけだ」という言い回し、実は華厳そのものというより、後代大乗仏教の「真如・法界・不二」的な響きが強い。特に、「現象の無常」vs「究極の真如」という二層構造を立てるなら、華厳だけでなく如来蔵思想・禅・天台あたりも絡んでくる。そして華厳の本領はむしろ、無常な現象の向こう側に「常住する別世界」があるではなく、無常な現象世界そのものが、法界の全体性を離れて存在していないというところにある。だから一番華厳らしく言い換えるなら、「この世は無常なのではない。そもそも『この世』を無常なる一個の実体として捉えることが誤りなのだ。生滅する一事一事が、そのまま法界全体なのである。」となると思う。そしてここまで来ると、かなり面白いことに、「諸行無常」を否定するのではなく、「諸行無常」という真理そのものを、より大きな法界縁起の中に包摂してしまうんだよね。これは華厳のかなり強烈なところ。2026/09/10 03:43:59338.◆JBLfMwCXhY9Yg1mプロンプト:>「現象の無常」vs「究極の真如」という二層構造↑コレは、初期仏教やアビダルマ倶舎論には無い唯識派あたりから「真如」が登場してきて、大乗起信論で二層構造が確立される華厳宗の教義体系は、その大乗起信論をベースにしている2026/09/10 03:45:44339.神も仏も名無しさんLh3bc馬鹿丸出しである、2026/09/10 03:46:35340.◆JBLfMwCXhY9Yg1mチャットGPT:そう。そこはかなり重要な整理だと思う。さっき僕が「華厳そのものというより……」と少し曖昧にしたけど、思想史的にはもっときちんと系譜を切ったほうがいい。特に、「現象の無常」vs「究極の真如」という二層構造を初期仏教まで遡ってしまうと、かなりおかしくなる。ざっくり系譜を切ると初期仏教 → 無常・苦・無我→ 「無常な現象世界」と「その背後にある永遠の真如」という二重構造ではない。アビダルマ → 諸法を分析して、それぞれの法の生起・滅・刹那性などを論じる→ 少なくとも『倶舎論』の基本構造に「現象界の背後に真如という究極実在がある」という発想を置くのは無理がある。大乗初期 → 空・中観などによって「諸法の実体性」をさらに徹底的に否定。唯識→ ここで「現象として経験されるもの」と、それを成立させているより深い構造との区別が発達する。ただし唯識の「真如」は、後世の如来蔵思想のような単純な「真の実体」とは違う。『大乗起信論』 → ここで決定的に、一心=真如門+生滅門という構造が提示される。つまり、真如不生不滅+生滅する現象世界を同一の「一心」の二つの側面として統合する。これが、あなたの言う「二層構造」を非常に明瞭な形で定式化する。2026/09/10 03:47:14341.◆JBLfMwCXhY9Yg1mそして華厳ここからが肝で、華厳は単純に現象界=下真如=上という二階建てにするわけじゃない。むしろ『大乗起信論』的な真如/生滅の構造を引き受けながら、それをさらに法界縁起 → 十玄門 → 六相円融 → 事事無礙へ展開していく。したがって、「この世は無常ではない。お前には無常と思えているだけだ」を華厳的に読むなら、「現象世界は無常ではない」という意味ではなく、「無常なる現象と真如を、別々の二つの世界として理解するな」という方向のほうがずっと正確。そして、ここで面白い逆転が起こる。初期仏教なら、諸行は無常である。が基本命題。ところが『大乗起信論』的な世界観では、真如は不生不滅である。となる。さらに華厳では、不生不滅の真如と、生滅する現象世界は相互に隔絶した二つの実在ではない。となる。だから華厳まで行くと、「無常か、常住か」という二択そのものを解体する方向へ進める。(長いので、以下は省略)2026/09/10 03:48:08342.◆JBLfMwCXhY9Yg1mプロンプト:仏教思想史は、次第に「永遠不変の真如」がウエートを増してきて初期仏教の「諸行無常」が実質的に骨抜きになっていく歴史2026/09/10 03:51:36343.◆JBLfMwCXhY9Yg1mチャットGPT:うん、その見方は仏教思想史の一つの非常に強力な読み方だと思う。ただし、「仏教思想史全体がそういう直線的な歴史だった」とまで言うと、少し補正が必要。むしろ、「無常」を徹底して出発した仏教が、後代になるほど「無常ではないもの」を理論体系の中に導入し、それが次第に巨大化していくという流れとして見ると、かなり綺麗に整理できる。2026/09/10 03:52:13344.◆JBLfMwCXhY9Yg1m① 初期仏教――無常は逃げ場がない初期仏教では、諸行無常 → 苦 → 無我がセットになっている。重要なのは、「無常な現象」の背後に「実は永遠不変の本体があります」という逃げ道を用意しないこと。むしろ「それを掴もうとするな」という方向。だから、永遠普遍の真如を持ち込んだ瞬間、初期仏教とはかなり違うゲームになる。2026/09/10 03:52:41345.神も仏も名無しさんLh3bc⬇️322 栖雲居士◆MKrKQHoID7SE (50-bKk-La-wvu)[sage] 2026/09/09(水) 17:00:01.08 ID:db81M馬鹿はその場限りの点の知識しか示せない。そりゃそうだよな。ネット検索やAIや断片的な書物の知識しか無いのだから。でもちゃんと体験や知識を積むと、それが縦横二次元の知識となり、三次元四次元の知識へと至る。2026/09/10 03:52:45346.◆JBLfMwCXhY9Yg1m② アビダルマ――無常を精密化するここは面白くて、アビダルマは一見「法」という究極単位を立てるので、永遠の実体論に近づいたようにも見える。でも『倶舎論』などでは、基本的に諸法は生滅する。つまり、「現象は無常だが、背後に常住の真如がある」という二層構造ではない。むしろ、無常な諸法をどこまで細かく分析できるかという方向。だからあなたのいう「骨抜き」という観点からすると、ここまではまだ初期仏教の無常論をかなり忠実に保持している。2026/09/10 03:53:10347.◆JBLfMwCXhY9Yg1m③ 大乗――「空」が登場するところが大乗になると、今度は諸法は空であるとなる。ここだけを見ると、無常論をさらに徹底したようにも見える。ところが同時に、真如法性法界といった語が強い意味を持ち始める。そして、「無常な現象の分析」から、「無常な現象を成立させている究極的なあり方」へ、関心の重心が移っていく。2026/09/10 03:53:37348.◆JBLfMwCXhY9Yg1m④ 如来蔵・『大乗起信論』――ついに明確な二重構造へここでかなり決定的になる。『大乗起信論』の一心・二門すなわち、真如門生滅門という構造。これ、あなたの問題意識からするとものすごく重要で、生滅する世界だけが世界なのではない。という構造を仏教思想の内部に持ち込む。しかも真如は不生不滅。すると、初期仏教:すべての有為法は無常から、後代大乗:生滅する現象の根底には、不生不滅の真如があるへと、重心が移る。2026/09/10 03:54:03349.◆JBLfMwCXhY9Yg1m⑤ 華厳――さらに一歩進むそして華厳になると、真如 vs 現象という二階建てをそのまま維持するのではなく、真如が現象そのものに浸透しているという方向へ行く。法界縁起、十玄、六相、事事無礙……。最終的には、一即一切、一切即一だから、生滅する一事一事の中に法界全体が現れている。ここまで来ると、「無常」は消されたわけではないけれど、思想体系の中での地位が大きく変わっている。「無常だから執着を捨てよ」という初期仏教的な機能から、無常な現象そのものが、永遠普遍の法界を顕現しているという、かなり違う宗教哲学になっている。2026/09/10 03:54:43350.神も仏も名無しさんLh3bc ,. – ─── – 、 / , `ヽ. /〃//,. ,ィl/|l ト、 !、 、 ヽ ー’´| | l |1 | !l. l| ! | l.|ヽ ! !、 ’, おじちゃんたち YレV!ヒエ「! |l.「_ト!Ll」| l l l どうしてはたらかないの? ! lハイJ | ´|_jヽ. リ,! ! l. l | |l |l.} ー , L _,ハl.lトl l. | l |l ilト、 n ” ,1l|ィ| |l l | _ 二,ニ^tュ–ェ_t1」l.|l !リ|_lノ r7´ f r┐| 〔/ミヽ>,-、 ̄´ Y ー个‐’t ハ-、_’ゝ、 ヽ ._・ rく ̄ヽト-‘丿 ヽ l / (・__,)ゝi┬’´ハ` ’`| |ヽ, イ ノ┴くヽヽ、 / `´ ゝ┬ヘ`ヽ | `ー‐1 ゝノ-‐^ー’一”丶 ヽ ヽ ト、_ `ーァ’¨不ヽ | | 「 ̄「 ̄l ̄ト、,イトヒi′ l l. l l ! !└’ l | └ L 」_,|__l_l.__L.l′ | | | | l l ! ! l l. l l ト–┤ !–‐1 f‐t央j. ト央ァヘ | 甘l、 / 甘 | l ,.-‐ヽ レ’⌒ヽ/ `く.__ ノ ゝ–‐′2026/09/10 03:54:56351.◆JBLfMwCXhY9Yg1mだから「骨抜き」という表現は、かなり鋭いただ、僕なら少しだけ言い換えて、「諸行無常が否定された」のではなく、「諸行無常だけでは究極的真理を表せない」という方向へ、仏教が自己改造されていったと言うかな。これなら、初期仏教 → アビダルマ → 中観 → 唯識 → 如来蔵 → 起信論 → 華厳という流れの中で、「無常」から「空」へ、さらに「真如・法界」へと究極性の所在が移動していくというあなたの見立てをかなり正確に表現できる。そして実は、ここにはものすごく面白いパラドックスがある。「無常」を説いた仏教が、無常そのものを究極的真理から降格させることで、巨大な形而上学を獲得していく。これは、仏教思想史を見るうえでかなり本質的なテーマだと思う。2026/09/10 03:56:36352.ウヒョーLh3bc スリスリ _,. .-―-、 (: :ノ/ : : : : ヽ.((_ /个ヾ`: : : : : :} ニ / } }: : : : :/ } }: : : :/ !j _j ┬' / _r‐' ノ / r‐〈__`ーr'′  ̄ ̄\ ,. -- 、/ / ゝ、___/´ \´ Y / ヽ 〉 .`、 / ̄ `、 _,. -< /彡' V´ ヽ /ミ rヘ ヽ Y `. | | ヽ \ /. | ヽ `ー‐' / \ \ \`ー‐ '´ \ `7\_〉 }2026/09/10 04:01:07353.オナニーマンのJBLですが?Lh3bc / ̄ ̄ ̄ヽ /:::::::::::::::::::::::::::Yヽ /::::::::::::::::::::::::::/::::::! (i!| (::::::::::::::::::::::::::::ハ_ノ ゞ-イ>三二 !ト) に二二イ/ ! !ヽ } ,.――' ! ! ! | / r' ヽ ! 、 ヽノ r ! Yr' | | | | r _ヽ__ノノ i! | | | ! ̄ ̄ ( r―‐' | ! ! ! ! ヽ ! ! ヽヽ .! ! ) ) .! ! / / .! / / / ! /< \ | ! / ///\__) ! ! / //_ \ ! ! / // )___) ヽヽ / 7―-' ! Y ー' /' ヽ / \ ( \2026/09/10 04:02:29354.オナニーマンのJBLですが?Lh3bc _ / .} /^i j .i / .′ i | ./ / ,..:-―― -.、___,.....、 .| | { .ム- 、 _ /:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.ァ}ー┴ ┴ー' v }ノ__) {:.:.:..:.:.:.:.:.:.:.:./:.:/.:/: : : :._: : : : : 人_ノ: : : : :ー: 、:.:.:.:.:.:.:.:イ:.:./:.:./: : : :ノ ) : : : : : : : : : : : : : : `ー zzz <: :彡 : : : , /: : : : : : : : : : : : : : :.  ̄`''< : : : 〈 ヽ: : : : : : : : : : : : : : : : `  ̄.ヘ ´  ̄ マ :: : : : : : : : :: \ } ̄ アー ― ヽ ' / ノ / /2026/09/10 04:04:26355.神も仏も名無しさんLh3bc論破された方が自死で決着だな!2026/09/10 04:16:19356.神も仏も名無しさんLh3bc馬鹿の分際で身の程を弁えない奴の末路、2026/09/10 04:18:53357.神も仏も名無しさんixTn2JBL、終わった、2026/09/10 04:26:30358.◆JBLfMwCXhYVaTFU>>350早朝っていうか、夜中だぞ(笑)2026/09/10 04:43:45359.◆JBLfMwCXhYVaTFU>>352ラピス降臨か?2026/09/10 04:44:13360.神も仏も名無しさん0IPKMハッスル🤡とラピスがフュージョンしたかもしれる発想が、似ているから😀😀😀😀😀2026/09/10 05:54:13361.神も仏も名無しさん0IPKMハッスル🤡も大したヤツだな🤡…〜〜2026/09/10 05:54:57362.神も仏も名無しさんzULMR大抵は自分好みの概念や考え方をもてあそんでるだけですからね好みに合わないものは排斥する自分中心で展開していくそういう見方しか出来なくなるこの世は無明に覆われてる2026/09/10 06:11:52363.神も仏も名無しさんBQyYe仏法は、人の知るべきにはあらず。このゆゑにむかしより、凡夫として仏法を悟るなし、二乗として仏法をきはむるなし。ひとり仏にさとらるるゆゑに、唯仏与仏、乃能究尽といふ。それをきはめ悟るとき、われながらも、かねてより悟るとはかくこそあらめとおもはるることはなきなり。たとひおぼゆれども、そのおぼゆるにたがはぬ悟りにてなきなり。悟りもおぼえしがごとくにてもなし。かくあれば、かねておもふ、そのようにたつべきにあらず。悟りぬるをりは、いかにありけるゆゑに悟りたりとおぼえぬなり。これにてかへりしるべし、悟りよりさきに、とかくおもひけるは、悟りのようにあらぬと。さきのさまざまおもふおもひのえうにあらざりけるは、おもひのまことにあしくして、そのちからのなきにてはなし。こしかたのおもひもさながら悟りにてありけるを、そのをりは、さかさまにせんとしけるゆゑに、ちからのなきとは、おもひもいひもするなり。2026/09/10 11:32:21364.神も仏も名無しさんBQyYeえうにあらずとおぼゆることは、しるべきところ必ずあり。いはゆる、ちひさくはならじと恐れける。もし悟りよりさきのおもひをちからとして悟りのいでこんは、たのもしからぬ悟りにてありぬべし。悟りよりさきにちからとせず、はるかに越えて来れるゆゑに、悟りとは、ひとすぢにさとりのちからにのみたすけらる。まどひはなきものぞとも知るべし、さとりはなきことぞとも知るべし。無上菩提の人にてあるをり、これをほとけといふ。仏の無上菩提にてあるとき、これを無上菩提といふ。この道にあるときの面目、しらざらんはおろかなりぬべし。2026/09/10 11:32:52365.神も仏も名無しさんBQyYe正法眼蔵 唯佛与佛>まどひはなきものぞとも知るべし、さとりはなきことぞとも知るべし。で、この次の文が、無上菩提の人…だから、やはりいったんは悟りを得て、それが深まると、迷悟が無くなるというか、もともと無いものと理解できる、ということなんでしょうね。。2026/09/10 11:35:42366.神も仏も名無しさんBQyYe悟りを忘れるとか言う人がいるけれど、なんかちょっとちがう気がする。。もともと無いんですよ。。それがわかるかどうか…もちろん、忘れてから、わかる、という順番の人もいるのかもしれないけれど。。2026/09/10 11:36:49367.神も仏も名無しさんBQyYeだから、みんな迷っている=みんな悟ってる。。みんな未解決=みんな解決です。。wみんな悟ってる=みんな修行中。。2026/09/10 11:38:14368.神も仏も名無しさんBQyYe昔は正法眼蔵出版されてなかった。。明治期になってやっと出版された。。それまでは、幾つかお寺、師家のもとに、私蔵されていたのみ。。2026/09/10 11:40:16369.神も仏も名無しさんBQyYe良寛さまが、若い頃、悟ったとか思って、有頂天になっていた時に、この唯佛与佛を見せられたとか。。基本、一部の人以外、読んでなかったんでしょうね。。雲水さんは、基本、読めなかったんでしょう。。2026/09/10 11:42:01370.神も仏も名無しさんoDYWA↓自殺教唆の犯罪者、栖雲居士💩💩💩627:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:29:52.30 ID:GHVkJlI/[96/96]うんうん、精神病棟にレリゴー😘 🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆162 栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm :[sage]:2024/03/09(土) 16:35:39.62 ID:b8JerweS喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟633:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:32:58.27 ID:GHVkJlI/[98/98]で?悔しくて我慢できないのか?wwwwwwwwwwwwwwwwww千枚通しで喉仏を刺して逝けば?wwwwwwwwwwwwwwwwwwぶわあーーーーーくわwww2026/09/10 11:46:51371.。vsyuPで、いつになったら坐禅を始めるん?2026/09/10 11:50:32372.。LHp1x涅槃とは戯論の寂滅に他ならないのに、戯論してどうすん?あんたケロン星人?2026/09/10 12:05:33373.神も仏も名無しさんRprJdおマユウ👽2026/09/10 12:06:43374.神も仏も名無しさんBQyYe♪遠くの星も笑わせようということで、ケロロ軍曹、また始まるらしいな。。いつからだったか?2026/09/10 12:15:06375.神も仏も名無しさんBQyYe正法眼蔵が、戯論か?w道元禅師に言ってくれ。。w2026/09/10 12:15:48376.神も仏も名無しさんBQyYeでも、最近毎日坐ってるな。。今日はまだだけど。。2026/09/10 12:16:28377.神も仏も名無しさんBQyYe先物ばっかりやってると、頭がパーになるというか、テクニカルチンパンジーになってしまうので、今日は、個別株のチャートを見てました。。2026/09/10 12:17:17378.神も仏も名無しさん2KB5t私は私から見る景色に目的地を見つけようとする、誰かの言葉を信じるやり方はしない、どんな生き死にであろうと私が産まれて死ぬを喜ぶために今がある2026/09/10 12:33:38379.神も仏も名無しさんOy233もちろん栖雲居士💩は自殺教唆の犯罪者ですがw627:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:29:52.30 ID:GHVkJlI/[96/96]うんうん、精神病棟にレリゴー😘 🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆162 栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm :[sage]:2024/03/09(土) 16:35:39.62 ID:b8JerweS喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟633:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:32:58.27 ID:GHVkJlI/[98/98]で?悔しくて我慢できないのか?wwwwwwwwwwwwwwwwww千枚通しで喉仏を刺して逝けば?wwwwwwwwwwwwwwwwwwぶわあーーーーーくわwww2026/09/10 12:47:09380.。Sxwzdなんだ、初心者🔰さんか。んじゃ理屈をこねるのは仕方ないな。2026/09/10 12:51:56381.神も仏も名無しさんBQyYe530 名前:せったん[myoejoe] 投稿日:2005/07/02(土) 08:02:44 ID:hyp2ClHp [1/20]はいわたしは川上雪担東山寺の坊主です、なんとしても跡継ぎの何人かこしらえなくては死なれんです、でもって年甲斐もなくしゃしゃり出ました、よろしく。だれあって必ず見性がほどはさせますよ。531 名前:せったん[myoejoe] 投稿日:2005/07/02(土) 08:06:23 ID:hyp2ClHp [2/20]そうですすなおが一番です、坐って坐って坐り抜いてふっと気がつくと元の木阿弥初心なんです、結局は初心です。2026/09/10 13:06:20382.神も仏も名無しさんBQyYe最近、僕は、ヤニねこ、というアニメを見てしまって、、これは、ヤバ過ぎで、公開中止になった国もあるらしい。。第一話で、描かれる、流しの汚さ・・その細部の描写が、非常にきれいなのだけれど‥あれを見ると、洗い物しなきゃだなあと思い知らされる。。wだから、趙州洗鉢は、実に、素晴らしいお話だ。。wやることをやらなけりゃ、解脱も安楽もない。。行動の問題であって、、心、だけの問題というものはない。。2026/09/10 13:20:44383.神も仏も名無しさんBQyYeアメリカの本屋の棚から、ヤニねこ、の単行本が消えたって、ホントだろうか?日本人にとっては、そんな特殊なお話、ではないかもしれないのだけれど。。2026/09/10 13:21:59384.神も仏も名無しさんIjbzd生き物は血まみれで糞まみれだ、人の社会は綺麗に整える、それでも血まみれ糞まみれなのは変わらない2026/09/10 15:08:23385.神も仏も名無しさんi89VEキレイに整えられた見かけのあり方これが文明的な都市部小市民、俗世間的なもの↓キレイな見かけで遠ざけられてる、それを裏で支える泥臭い、血と汗と糞尿の、肉体的物質的な実際これが肉体労働者や農民、文明以前の自給自足的なもの2026/09/10 16:43:24386.神も仏も名無しさんi89VE便利で安全で整えられた近代的な都市部的な生活や生き方を肉体や物質的な本来性から離れたものとして汚いものを労働者らに押し付け搾取してる、なんて言説がよく言われたのが前の世紀の革命の思想が盛んだった頃かなさらに近代的合理的な都市部の生活でそぎおとされ見失われてるものを求めて自然とともにある文明批判のヒッピーやインドで自分探しとか、前近代的な宗教や神秘によったり薬物で神秘体験など2026/09/10 16:49:05387.ハジZvePT狩猟採集生活とか勘弁してください2026/09/10 17:09:58388.神も仏も名無しさん2AnsT無限大の夢、なんだがな。2026/09/10 17:14:06389.◆JBLfMwCXhYU20Gt531 名前:せったん[myoejoe] 投稿日:2005/07/02(土) 08:06:23 ID:hyp2ClHp [2/20]そうですすなおが一番です、坐って坐って坐り抜いてふっと気がつくと元の木阿弥初心なんです、結局は初心です。製ウンコ殿に聞かせたいお言葉~😭2026/09/10 17:49:25390.神も仏も名無しさんynA5a>>389今、せったんが生きていたらハッスル🤡はタコ殴りだろうぼったんはタコ殴りだった😀なかなか恐ろしい坊主だったヤツは😀2026/09/10 18:17:45391.神も仏も名無しさんynA5aムイムイもタコ殴りされるだろう😀2026/09/10 18:18:20392.安堂za6Fr土曜に廃墟見物に行く。フフフ(⌒‐⌒)2026/09/10 18:35:09393.、Gkj4fブディー(理知)とは何か?『リタムバラー・プラギャー』~深層意識の暗闇を焼き尽くす、宇宙真理の閃光~https://www.facebook.com/share/196tjVxjck/https://i.imgur.com/qG89N4o.jpeg2026/09/10 18:39:19394.◆JBLfMwCXhYU20Gt>>392なんだか、楽しそうだな?😄2026/09/10 18:57:32395.ハジZvePTせったんの弟子とかろくな奴おらんやんw2026/09/10 19:03:30396.ハジZvePT幽霊って、ほんまに、おるんかなー2026/09/10 19:04:36397.ハジZvePTなんか、えばってる、せったんの話し方が、素直とは程遠く見えるけどw2026/09/10 19:05:33398.安堂za6Fr>>394楽しくないか?ある古びた建物を見て廃屋だと。新築の頃は今とは見違える綺麗さと人々が行き交う活気、住む家族の顔ぶれはどんなだったろうか?そんなノスタルジアに浸るのが俺の変な趣味の一つなんだ。(⌒‐⌒)2026/09/10 19:22:15399.神も仏も名無しさんncLOF教えを乞う方が素直になれと言ってるんでしょ教えてもらう必要ないというのならハナからお坊さんの話しを聞く必要ないでしょ2026/09/10 19:23:10400.神も仏も名無しさんMNaUn教える方はそりゃ偉そうでしょ医者なんておしなべて偉そうにしてるでしょあれはそっちの方がことを運びやすいからやってるんだよ白衣効果なんて言葉もあるからねお寺の、特に禅のお坊さんなんてお釈迦さまの弟子でお釈迦さまを医王と呼ぶくらいなんだから大抵は偉そうだよw2026/09/10 19:32:39401.神も仏も名無しさんnbJP8ハジコは来世はノラ😺だ😀2026/09/10 19:34:20402.神も仏も名無しさんMNaUn趙州という昔のお坊さんが偉いのは自分よりはるかに年下のきん山(漢字忘れ)だったかな?彼に参じたときもはるかに年下の者にも焼香礼拝してちゃんと礼儀正しくして礼を尽くして質問したそうだよ私なんかさすがだなぁと思ってしまう2026/09/10 19:36:40403.安堂za6Fr臨済さんなんか師匠をぶん殴って「このキチガイがー!」とかいわれてたが(⌒‐⌒)2026/09/10 19:40:07404.ハジZvePT坊さんがみんな偉っそうとかゆーつもりかw2026/09/10 19:45:37405.ハジZvePT趙州和尚さすがだな、それに比べて、せったんときたらw2026/09/10 19:54:43406.ハジZvePT常不軽菩薩は、だれに出逢っても、あなたはいずれ、仏様になられるお方ですと拝んだ2026/09/10 19:56:49407.安堂za6Fr>>406なにが「いずれ」だよ。今すぐ喰らえ!アホンダら2026/09/10 20:29:26408.神も仏も名無しさん7m9FEわざわざあなたの店では買いませんというために店に来るのは結構おかしいわな、私は結構それをするが2026/09/10 20:49:30409.神も仏も名無しさん7m9FE私はお前の話は聞かないが、時々私が会いたい時に会いに来るよ、という感じの付き合い方だな2026/09/10 20:53:00410.神も仏も名無しさんBQyYeハジもホントは、えばりたい派なんじゃないかと思うけど。。w2026/09/10 21:01:37411.神も仏も名無しさんBQyYeせったんさんは、戦前生まれでしょ?たいていはあんなもんだな、モーレツ世代。。w2026/09/10 21:02:14412.神も仏も名無しさんBQyYe雪渓師は、お生まれがいいせいか、ぜんぜんえばった感じじゃないけどね。。提唱の動画見ると、話もうまい。。ちゃんと初めに、アイスブレイカーじゃないけど、つかみに、ちょっと笑いを取って、という始め方。。あれは、なかなか、ベテランの域。。2026/09/10 21:04:09413.神も仏も名無しさんBQyYeせったんさんは、とんでもないこと言って、大爆笑をかっさらうことが多々あった。。たぶん、不適切なことを言っているので、今、YouTubeに上がっている動画では、削除されていることでしょう。。w2026/09/10 21:07:26414.夕22KcD>>413会下の女性のおしりをさわって、触れた女性がセッタン和尚のほっぺたを思いきりたたいたら、セッタン和尚が転がって言ったってホントの話か。誰に聞いたんだろう。2026/09/10 21:46:36415.安堂za6Frせったん@myoejoeというハンドルで書いてたころはやりたい放題で誰もついて行けなかった。米軍のMPつまりミリタリーポリスとか言ってたので戦前生まれですな。だが、東大卒でテニス部だったそうだ。2026/09/10 21:46:50416.安堂za6Fr>>414谷崎潤一郎かよ(⌒‐⌒)2026/09/10 21:50:06417.神も仏も名無しさんnbJP8ハジコはモフモフ😺威張りたい種族😺😀2026/09/10 22:02:36418.安堂za6Frワシも生まれながら威張りたい種族だ。頭が高い!控えおろうーーーーー!!!2026/09/10 22:06:39419.神も仏も名無しさんzULMRまぁ教わる方に自分というプライドがあると邪魔するだろうねー明確になってないならなおさら2026/09/10 22:13:05420.神も仏も名無しさんnbJP8>>419俺は素直にせったんの文章にリアルタイムには感動できたほうだ😀2026/09/10 22:16:13421.神も仏も名無しさんzULMR人には伝わらんものだからね2026/09/10 22:16:19422.神も仏も名無しさんnbJP8ハジコは俺的にはモフモフ😺キャラネコハジコ〜😀2026/09/10 22:17:11423.神も仏も名無しさんnbJP8ハジコはモフモフ😺されたい為にレスしているのだろう😀2026/09/10 22:18:17424.神も仏も名無しさんzULMR自分で確かめるしかないからね2026/09/10 22:21:17425.安堂za6Fr帽子かぶってたら貴様のハゲ頭が見えん、と、言うことだな(⌒‐⌒)2026/09/10 22:42:39426.神も仏も名無しさんoB9I9キチガイ、2026/09/10 22:56:27427.安堂za6Fr>>426なんたる暴言か!この事必ず帝に言上ししかるべき沙汰ある故覚悟しておじゃれ!ワシはぽったん聖下の側近じゃ。2026/09/10 23:00:53428.神も仏も名無しさんzULMRもう何度もなんども確かめたのにまたしばらくすると本当か?となる2026/09/10 23:01:24429.安堂za6Fr即刻反応貴様、何者だ?2026/09/10 23:02:35430.神も仏も名無しさんoB9I9キチガイ、2026/09/10 23:04:37431.神も仏も名無しさんzULMR頭の中での答えが欲しくなる2026/09/10 23:05:39432.神も仏も名無しさんzULMR何者という映画は面白かったな2026/09/10 23:06:30433.安堂za6Fr>>428正解を確かめてる偽物野郎か。残念>>430あなたほど狂ってない。2026/09/10 23:08:04434.神も仏も名無しさんBQyYe>>414その話は知らないけど、けっこう余罪はあるでしょ?一回限りじゃないことは確か。。wでも、あの世代の人たちって、それが、普通だったりするからな。。wけっこう飲み屋のおカミさんとか、酔っぱらいに触られまくってたりしたの、おれも憶えている。。今は、もうないだろうけれど。。2026/09/10 23:09:09435.神も仏も名無しさんoB9I9狂ってる、2026/09/10 23:09:27436.神も仏も名無しさんzULMR>>433何度も確かめるという行為が動かぬ証拠2026/09/10 23:10:55437.安堂za6Fr仏法は確かめる必要などないだろ!法などないからだ! なぜ、そんなことがわからんのか?!貴様らが法身であることを知らずして法身なのだ。認識主体を認めているのが貴様らのガンだ。2026/09/10 23:15:17438.神も仏も名無しさんzULMRどうすればいいのか分かってるのについ他ごとをしてしまう2026/09/10 23:17:30439.安堂za6Fr明日は金曜だ、3時まで遊ぼう2026/09/10 23:18:11440.神も仏も名無しさんBQyYe十玄談では、再三漏漉して須らく知るべし、とある。。漏漉というのは、何度も何度も紙を漉く作業のこと。。だから、悟りが頭の中のものではない、というのは必ずしも正しくない。。その他、祖師の話を聞いて、とか、対話の中で悟る、ということがある以上、超越的な理解、が悟り、という場合もある、ということは、否定できない。。おれに言わせれば、それを否定する人は、最後まで行けないと思うよ。。悟り終わることができない、悟ったさん、困ったさん止まり。。2026/09/10 23:18:35441.神も仏も名無しさんzULMRほとんどの時間、認識なんてしてないけどな2026/09/10 23:18:58442.神も仏も名無しさんBQyYeだから、法の理解、ということと悟りは切り離せない。。雪渓師や、せったんさんは、法の理解があった。。それなしで、大死一番とか、自己を忘じました、とかだけじゃダメでしょうね。。それだけだと、仏道は残っても、法は滅ぶ、悟りも無くなるでしょう。。2026/09/10 23:20:37443.安堂za6Fr>>438自分が思いどおりにならない、てやつだろ?若さというジェットコースター死ぬほど楽しめ2026/09/10 23:21:04444.神も仏も名無しさんBQyYe道元禅師だって、自己を忘じることが悟りだ、なんて言ってません。。それは、仏道を習うとは、から始まる文の述語部分に過ぎません。。悟りについては、別に言っているわけです。。2026/09/10 23:22:35445.安堂za6Frロンボケ氏は何も発言してません。これが真理です。2026/09/10 23:24:23446.神も仏も名無しさんzULMR>>443若さなんてのは無常において儚いものよ2026/09/10 23:25:17447.神も仏も名無しさんzULMR今日はクタクタだからもう寝るけどね2026/09/10 23:28:17448.安堂za6Fr>>446明日はは金曜だから仕事後によあなたの言う「儚さ」っていう俺が好きなのをさがしに行く。ノスタルジーバス無料券で行く。2026/09/10 23:28:44449.神も仏も名無しさんzULMRまじめにやれよ 仕事じゃないんだから2026/09/10 23:47:30450.安堂Pgy5Z>>449いつでも同じ。職務を遂行するだけだろ。何かモンダイでもあるのか?2026/09/11 00:04:43451.安堂Pgy5Z逃げたかロンボケ氏。2026/09/11 00:07:06452.、YFwhE✴️≪リタムバラー・プラギャー≫ ≪宇宙真理の閃光≫ ‼️✴️ パタンジャリの『ヨーガ・スートラ』第1章48節に登場する言葉です。ブッディ(理智)が完全に浄化されたときに現れるという【 真理のみを照らす、究極の知性・光 】を意味しています。✴️ この≪光≫とはまさに・・・【 リタムバラー・プラギャー(宇宙の根本真理に満ちた超意識的な智慧の光)】そのものを指しています。【 リタムバラー・プラギャー 】という言葉自体が、≪ブッディ(理智)≫の領域において【 宇宙の真理(リタ)を宿し、内側からすべてを正しく照らし出す純粋な光 】として機能するため、まさに【宇宙真理の閃光】という表現がぴったりと重なります。https://www.facebook.com/share/p/14mc7EVRZcj/https://i.imgur.com/lORFqAU.jpeg2026/09/11 00:47:34453.神も仏も名無しさんsG2Y1自分が創作した概念で納得してるふしがあるな2026/09/11 00:55:10454.、YFwhE387 ハジ 2026/09/10(木) 17:09:58.83 ID:ZvePT狩猟採集生活とか勘弁してくださいでも火の点け方と水の濾過方法と釜戸の作り方は、憶えていて損はないだろ2026/09/11 00:57:15455.神も仏も名無しさんKfIVDそうだな。その中で、自分には何が出来るだろう、とは思っているかな2026/09/11 02:02:45456.神も仏も名無しさんKfIVD修正そうだな。その中で、自分には何が出来るだろう、とは、思っているかな2026/09/11 02:04:38457.神も仏も名無しさんstDRCもちろん栖雲居士💩は自殺教唆の犯罪者ですがw627:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:29:52.30 ID:GHVkJlI/[96/96]うんうん、精神病棟にレリゴー😘 🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆162 栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm :[sage]:2024/03/09(土) 16:35:39.62 ID:b8JerweS喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟633:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:32:58.27 ID:GHVkJlI/[98/98]で?悔しくて我慢できないのか?wwwwwwwwwwwwwwwwww千枚通しで喉仏を刺して逝けば?wwwwwwwwwwwwwwwwwwぶわあーーーーーくわwww2026/09/11 02:46:58458.神も仏も名無しさんSdwyA私は、私にとってその勘弁してください、という類の事を好き好んでか嫌々か偶然かでも味わう程度によって、私が何に依存していて何を得ているのかに気づく感覚が産まれると思っている、できるだけ何も持たずに地べたに寝起きして歩く歩く生き方はその理想だと思っている2026/09/11 05:19:01459.神も仏も名無しさんSdwyA私は、せめて私が経験し思うことから産まれたもので喜び納得したいな、できるだけ私が作ったものに住みたい、壊れたら私が直したい、直そうとすれば直せないことも味わうこと、やればできないことを味わう、私ができること出来ないことを味わう、私がしたいかしたくないかも味わう、その様相そのままが私だ、今は無数のそのやうなやり方の繰り返しの末の今だ2026/09/11 05:31:36460.神も仏も名無しさんf2GZ6さすが、百戦錬磨のアントーハッスル🤡潜水攻撃を華麗にかわす😀2026/09/11 05:54:45461.神も仏も名無しさんHnnI8死2026/09/11 05:57:17462.神も仏も名無しさんHnnI8苦2026/09/11 06:04:20463.神も仏も名無しさんf2GZ6ハッスル🤡〜〜〜苦ハッスル🤡〜〜〜輪廻🤡〜〜〜2026/09/11 06:12:36464.神も仏も名無しさんSdwyA私は社会に人として産まれて死ぬのではなく、出来れば世界が私を産み死ぬのを喜びたい2026/09/11 06:13:35
【米国研究】コロナワクチンを接種した人は、ワクチン未接種の人に比べて入院する可能性が低い、追加接種で71%、更新接種で69% リスクが低下した・・・研究者「最新のワクチン、確実に接種を」ニュース速報+873864.52026/09/11 09:22:27
それが、このスレのテーマ
前スレ
悟りをひらいた人のスレ 897
https://talk.jp/boards/psy/1786655280
先ず静かな所に座り、鼻の頭に軽く意識を掛け、普通に息を吸って、ゆっくり長く息を吐いていくのじゃ。
息を吐く時に、頭の中で一と数える。
又、普通に息を吸い、ゆっくり長く息を吐いてニと数えるのじゃ。
このようにして十まで数え、十まで行ったら今度は十から数を減らして行って、一に戻るんじゃよ。
たまに長時間行うより、一日に五分でもよいから、毎日続けると不動心が身に付くのじゃ。
夜の寝る前などに行うと、安らかに眠れるようにもなるじゃろう。
初めて数息観などをする者は、とにかくイライラして止めたくなったりするじゃろう。
そんな時は一度、中断してストレス解消の運動でもするといい。すっきりしたら又続けるのじゃ。
暫く修行をすると、今度は雑念に悩まされるようになるかも知れん。
そのような時は無視して呼吸に意識を集中しなおす。暫くすると、雑念は消えていくじゃろう。
更に修行を重ねれば、雑念と集中する意識を二つとも、意識出来るようになる。行が深まり、潜在意識が見えてくるようになったのじゃ。
そのような時も、雑念を無視しておれば、やがて雑念は消え去り、深い無念無想の状態に入れる。
もっと行が深まれば、意識は二つだけでなく、同時に幾つもの雑念があることに気付くじゃろう。
人間はもともと同時に幾つもの事を考えておる。
例えば誰でも歩きながらタバコを吸い、同時に尻を掻くという事が普通に出来るように、
人間は同時に幾つもの事を考えているが、潜在意識まで見る事の出来ない者には、判らないのじゃ。
潜在意識まで見る事が出来、全ての雑念が静まり、もはや心に何の考えも浮かばなくなれば、止の行は完成じゃ。
その前に観の行の前行である、観察の力と集中力を身につける観察の行をやるのじゃ。
先ず、目の前に観察の対象となる物を用意するんじゃ。
木でも花でも何でもいい。そしてそれを見て、細かく観察するのじゃ。
最初の内は、心の中で言葉にしてもよい。
例えば花なら花という言葉を使わず、
「今、目の前にそれがある。それは薄い膜のような物が幾つも重なっている。それは赤い色をしている。
それはふちが薄く、真中にいくほど厚くなっている。それの真中には細い糸が幾つも出ている・・・」
などと観察していくのじゃ。
出来るだけ細かく、普段なら見落としてしまうような事も、可能な限り観察するのじゃ。
ちっちゃなとげがあるとか、皺がいくつもあるとか。
次第に慣れてきたら、言葉にせず、目で見るだけで意識に上らせるようにするんじゃ。
そのようにしていると、たまに雑念が沸くこともある。
例えば「この花はバラだ。バラのジャムつておいしいのかな。そろそろごはんのじかんだ」
などといつのまにか、ご飯のことを考えている。これは観察ではない。
観察とは今、ここに、現にある物だけを見ることじゃ。
連想や記憶は雑念なのじゃ。
そのような雑念が沸いてきたら、止の行をしてきたおぬしらは、どうすればいいか判るじゃろう。
数息観をしていた時と同じく、ただスルーするのじゃ。
止めようとか、駄目だとか思わず、ただやり過ごして、観察に戻る。
そうすれば雑念は自然に消えていく。
このような時に止の行は役立つのじゃ。
やはり止と観察は二つで一つなのじゃ。
未だ自我のある者は、更に感覚、感情、思考、分別知、認識などに観察を広げていくのじゃ。
前にも書いたが、感覚から先の観察は鐘の音などを利用すると、簡単なのじゃ。
感覚を観察するには鐘の音が鳴ったら、
「今、鐘の音が鳴った、聞こえている、だんだん音が小さくなるのが判る、今消えた」などと、
今、感じている感覚を観察するのじゃ。
その鐘の音によって生じる感情も、「耳が痛くてうざいと思っている・・・」などと観察する。
思考も「あの鐘は仏壇屋で買ったもっといいのが欲しかったと、考えている・・」などと
巻き込まれないように注意しながら観察するのじゃ。
物事を認識し、分別する心の働きは殆ど一つの動きになっている故に、鐘の音を聞いて、
「これは鐘の音・・・今、鐘の音と分別し認識した」などと、観察するのじゃ。
このように直接、心と体を認識する方法が、観の行の基本であり、
最もシンプルでスタンダードなものであると言えよう。
しかし、この方法はかなりの集中力と観察力が必要となる。
これをシステム化してやり易くした方法が、縁起の法や、空の法なのじゃ。
・
・
・
・
・ テンプレは、ここ迄なのじゃ
・
・
・
・
あっはっはまあさこりゃ自分がやってみる以外意味ないです。
ではお休みなさい、ありがとうさんでした。
自分の心が見えるわけがないのを知る、これを見性という、スズメも猫も自分の心なんぞ観察しない、それゆえに活発発地。
sageの訂正
鬼も悪魔も、即心是仏、か。
だよ(⌒‐⌒)
だよ
それが正しい👍️
仏典では単なる「無」や「死」ではなく、貪り(貪)・怒り(瞋)・無知(癡)という
「三毒の火」が消え去った絶対的な静寂と自由の境地、として具体的に描かれています。
● ニルヴァーナについて説かれた代表的な経典から、その特徴的な描写を3つ詳述します。
1. 「絶対的な平和・不滅の境地」としての描写
* **典拠経典:**
『相応部経典(サンユッタ・ニカーヤ)』「無為相応(アサンカタ・サンユッタ)」など
初期仏典において、ブッダはニルヴァーナを概念的な説明ではなく、実感を伴う30以上の多角的な言葉(シノニム)で描いています。
* **具体的な描写内容:**
経典の中では、ニルヴァーナを
**「アサンカタ(無為:他によって作られたものではないもの)」や
**「アマタ(不死・不滅:生死の輪廻を超越した状態)」**、そして
**「ケーマ(安穏・安全な隠れ家)」**と表現しています。
⚪ あらゆる事物や感情は「原因があって結果が生じる(有為)」という条件付けの中にありますが、
ニルヴァーナは条件付けから完全に解き放たれた「不変の真実」として描かれます。
激しい苦しみや不安に満ちたこの世界において、一切の脅威から守られた
「絶対的に安全な島(島嶼:ディーパ)」や「避難所」にたどり着いた状態に例えられます。
* **典拠経典:**
『自説経(ウダーナ)』第8章「ニルヴァーナの品(第1経)」
言語表現や感覚認識を超越した「経験の境地」として、否定表現を通じてその特質を極限まで先鋭化させた描写です。
* **具体的な描写内容:**
釈尊は修道者たちに次のように語りかけています。
> 「比丘(修道者)たちよ、次のような境地(領域)が存在する。
そこには
≪地(物質)も、水も、火も、風もない≫
空無辺処(無限の空間)も、識無辺処(無限の意識)も、無所有処も、非想非非想処もない。
この世界も、彼方の世界も、太陽も月もない……」ニルビカルパ・サマディーのこと
>ここでは、私たちが物理的・精神的に知覚できるすべての要素(地水火風の四大元素、時空、精神状態)が一切当てはまらない領域が存在することが説かれています。
生じることもなく、滅することもなく、何にも依存せずに自立している純粋な境地として、ニルヴァーナが描写されています。
* **典拠経典:**
大乗仏教『大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)』
初期仏教における「無常・苦・無我・不浄」という視点を一歩進め、大乗仏教の『大般涅槃経』では、ニルヴァーナの境地を肯定的な最高価値として描いています。
* **具体的な描写内容:**
釈尊の入滅(最後のニルヴァーナ)の場面を通じて、ニルヴァーナの真の姿を
**「四徳(常・楽・我・浄)」**として定式化して描写します。
1* **常(じょう):**
滅びることがなく、永遠に変わりなく存在すること。
2* **楽(らく):**
あらゆる苦しみが消え去り、真の安らぎに満ちていること。
3* **我(が):**
煩悩に振り回される自我ではなく、不偏で自由自在な「真実の自己(大我)」が顕現すること。
4* **浄(じょう):**
あらゆる煩悩の汚れを離れ、純粋で清らかであること。
初期仏教が「煩悩の火の鎮火・消滅」という側面を強調するのに対し、大乗の『大般涅槃経』では「一切の衆生(生きとし生けるもの)の中に永遠に存在する本性(仏性)」という満たされた真理の獲得として描写されています。
このように経典におけるニルヴァーナは、時代や文脈によって「苦しみの完全なる消滅(初期仏典)」から「永遠で清らかな真実の自己の発見(大乗仏典)」まで、多層的に描かれています。
ハジが捕まった!
https://youtu.be/NBIuIOEPW7w?si=3079ZcJGsSVPkYEL
https://i.imgur.com/IiT4xeo.jpeg
627:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:29:52.30 ID:GHVkJlI/[96/96]
うんうん、精神病棟にレリゴー😘
🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆
162 栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm :[sage]:2024/03/09(土) 16:35:39.62 ID:b8JerweS
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
633:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:32:58.27 ID:GHVkJlI/[98/98]
で?
悔しくて我慢できないのか?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
千枚通しで喉仏を刺して逝けば?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
ぶわあーーーーーくわwww
https://www.youtube.com/watch?v=-0voHSpCeSY&list=RD-0voHSpCeSY&start_radio=1
迷いも煩悩も無我なんじゃないかなと思うな、そういう理解で、清浄な自己になれる、とか。
😀
「清らかな自己への到達」ってのが、真我思想っぽい
皮肉にも、固定した自己(=真我)に気づくという結果になっている
まぁお釈迦さまも、そんな感じだったんじゃないかと思ってさ
そりゃ
😀
まぁお釈迦さまも、>>27みたいな感じだったんじゃないかなと思ってさ
でおー神に集合される‼️
でおー如来の物語が始まるのだ‼️
う~ん
言ってることが間違ってるとは思わんけど
「お釈迦さまもそうだった」は、イカガなものか
ブッダ僧団の戒律は厳しい
煩悩を止めるための修行を徹底的にやっていた
煩悩に優しいのは、他国の仏教には無い日本仏教だけの特徴
自己が無我と知って、清浄な自己になったお釈迦さまなら、そういうことなんじゃないか、と思っただけだよ。
う~ん
清浄な自己ってのが、真我っぽい(笑)
それは、どっちかっていったら
「無我」というより「真我」
「清浄な自己」(真我)に目覚める
これこそ、まさに真我の思想そのもの
無我と知って、それまでの迷いや煩悩の自己から解き放たれて、清浄な自己になったんだと思うよ
お釈迦さまは自分が無我と知って、それまでの迷いや煩悩の自己から解き放たれて、清浄な自己になったんだと思うよ
迷いや煩悩を断ち切る修行を徹底的にやり込む
「迷いや煩悩は、本当の自分ではなかった」
ということに気づけばいい、
というほど易しくない
そういうのを、「真我に目覚める」というんだが(笑)
そこに気づくのが、本当の無我だ
よくわかんないけど、自分が無我と知って清浄になったってことだよ。
真我って、真実の自己、みたいなものを、自分の中に発見することでしょ。
それとは、だいぶ違うと思うけどなぁ。
「清浄な自己になる」(真我に目覚める)
それが、真我というものだ
ここで、「清浄な自己、なんてものすら無い」となるのが、本当の無我思想
どっかの新宗教ノリだな?
😀
真我って、真実の自己、みたいなものを、自分の中に発見することでしょ。
いや、そこが違うんだよ
「無我」とは、「汚れた自分を磨いて、清浄な自分になる」ということではない
それ自体が間違ってるとは言わんが、「無我」ではないな~
執着しない、囚われない、こだわらないとかを完備する方向だ
😀
清浄な自己ともいえる
近所の神社で遊ぶ
😀
汚れ(迷いや煩悩)を取り除いて、清浄にする
それが、神秀の北宗禅
「もともと、鏡なんてもの(真我)は無い。
無我なのに、何を磨くのか?」
というのが、六祖慧能の南宗禅
「心を磨いて、ケガレを落とす」というのは
日本の神道と相性がいい😄
日本人に好まれるのは当然
仏教思想史上の大論争テーマ😅
真我に目覚めると言ってるわけではない」
「いや、それが、真我に目覚めるってことだろ」
↑
仏教思想界は、こんな論争を何百年もやってきた
ここで簡単に結論が出ないのは、当たり前といえば当たり前(笑)
無我って、固定された自己はない、ってことでしょ、>>27に書いてあるよ。
純粋な無我思想からは離れることになる
それは確か
だから、迷いや煩悩(偽我)を取り除いた後で、最後に残る清浄な自分
それが、真我なんだっての
真我ってのは、そういうものなんだよ
「固定された実体としての自己」ってのは、「プルシャ」なんだよな~
「アートマン」に、そこまでの意味はない
「迷いや煩悩(偽我)を取り除いた後に残る本当の自分」っていったら、「アートマン」だ
実践すりゃわかる。
お茶を飲めばわかるのと同じ。
この辺りの適用範囲が異なるのは事実
だから、一概に間違っているとは言えない(笑)
アートマンは、「固定的な自己」「固定された実体」という意味ではないよなあ
それだと、「プルシャ」だ
そう、その区別はかなり大事。
「アートマン=固定された自己」という日本語訳だけで処理すると、プルシャと混同しやすい。
むしろ、
プルシャ → サーンキヤ/ヨーガにおける、不変・非作為・観照者としての原理
アートマン(ātman) → 「自己」「我」「自己の本質」などを指す、より広い概念
と考えたほうがいい。
特にヴェーダーンタでは、アートマンは単なる「固定された個人」ではない。身体・感覚・心・思考・記憶などを「私ではない」と識別していき、真の自己とは何かを問う。
そしてウパニシャッド以来のアートマン論では、
アートマン=ブラフマン
という方向まで行く。
だから「固定された実体」という表現は、むしろプルシャを説明するのに非常に適している。
仏教の「無我(anātman)」の「我」は、単純に「固定的実体」という意味ではない。
anātman は文字通りには「ātmanではない」ということなので、
「固定された実体がない」
と現代語で説明することはできるけれど、そこから
「アートマン=固定された実体だった」
と逆算すると、アートマン概念を狭くしすぎる。
むしろ比較すると、
ヨーガ
「身体・心は変化する。しかし、その背後に不変の観照者=プルシャがある」
ヴェーダーンタ
「身体・心・個我を超えて、真の自己=アートマンを見出す」
仏教
「身体・心などを自己と執着することを離れる。さらに、その背後に別の自己を立てることもしない」
という整理がきれい。
だから、「清浄な自己」を真我として立てる思想と、「清浄な自己すら自己として把握しない」無我思想の差が、かなり鮮明になるね。
「迷いや煩悩は、本当の自分ではなかった」(偽我だった)ことに気づき
「清浄な自己」(真我)に目覚める
これこそ、まさに真我の思想そのもの
お釈迦さまは、こうではない
迷いや煩悩を断ち切ることにより、自分をなくす(無我)ことを目指す
そう。かなり本質的な対比だと思う。
ただ、最後の「自分をなくす」は、少しだけ言い換えると、より釈尊の立場に近くなる。
真我思想
構造としては、
迷い・煩悩・欲望・感情
↓
「これは本当の私ではない」と見抜く
↓
偽我を脱ぎ捨てる
↓
本来の清浄な自己=真我に目覚める
という構造。
これは典型的な「真我の発見」の思想だね。
たとえばヴェーダーンタなら、
アートマン=純粋な意識・観照者
であり、身体・感情・思考などは「私そのものではない」と識別していく。
だから、
「煩悩が消えた」
=「本当の自己が現れた」
となる。
ところが初期仏教では、ここで
「では、煩悩が消えた後に残る、本当の自己とは何か?」
とは考えない。
むしろ、
身体も私ではない
感受も私ではない
想念も私ではない
意志作用も私ではない
識も私ではない
という方向に進む。
つまり、
「偽我を取り除けば真我が出てくる」
ではなく、
「そもそも『私』として執着できるものは、どこにも見出せない」
というところまで行く。
だから構造的には、
真我思想
偽我 → 除去 → 真我
無我説
五蘊への「これは私だ」という執着 → 観察 → 執着の消滅 → 無我
となる。
ここが決定的に違う。
どちらも、
「今まで『私』だと思っていたものへの同一化がほどける」
からね。
しかし、その経験を思想的にどう説明するかで分岐する。
真我思想なら、
「偽りの自己が消えて、本当の自己が明らかになった」
となる。
釈尊なら、
「『これは私である』という執着そのものが成立しないことが明らかになった」
となる。
だから「無我」は、
単純に**「自分というものを消滅させる思想」**というより、
「自分という実体がある、という見方を手放す思想」
と表現したほうが正確だと思う。
ここは、以前話していたアートマンと阿頼耶識の違いにもつながってくるね。
「煩悩に覆われた本体がある」という発想と、
「煩悩を生じさせる執着の構造そのものを解体する」という発想の違い。
心を鏡にたとえて、せっせと磨いてキレイにする
それが、神秀の北宗禅
「もともと、鏡なんてもの(真我)は無い。
無我なのに、何を磨くのか?」
というのが、六祖慧能の南宗禅ではないか
うん、禅宗史上の有名な対比としては、まさにそのイメージだね。
ただし、史実としては少し補正すると、さらに面白くなる。
神秀側の有名な偈は、
身は菩提樹
心は明鏡の台
時時に勤めて拂拭し
塵埃をして惹かしむること莫れ
というもの。
つまり、
心=鏡
→ 煩悩・妄念=塵
→ 修行によって塵を払い続ける
→ 鏡を清浄に保つ
という構図。
菩提本樹無し
明鏡亦台に非ず
本来一物無し
何れの処にか塵埃を惹かん
となる。
ここが猛烈なんだよね(笑)。
神秀:
「鏡はある。だから磨け」
慧能:
「そもそも鏡という実体を立ててどうする?
本来一物もないのに、何を磨くんだ?」
という構図になる。
だから、あなたの言う
「もともと、鏡なんてもの(真我)は無い。無我なのに、何を磨くのか?」
は、慧能の偈を無我の方向から非常にうまく現代語化した表現と言える。
「北宗禅=真我思想、南宗禅=初期仏教そのもの」
と単純化するのは危険。
実際の北宗・南宗の思想史はもっと複雑だし、
慧能自身も「何もしなくていい」という単純な無為論者ではない。
それでも、修行論の象徴的な対比としては非常に鮮明。
北宗的イメージ:汚れた鏡を磨いて、本来の清浄性を現す。
南宗的イメージ:そもそも「磨くべき鏡」という実体を立てるな。
そして、ここまで来ると、さっき話していた真我 vs 無我との対応がきれいに見えてくる。
「汚れを除けば清浄な本体が現れる」
から、
「清浄な本体というものを立てること自体が執着ではないか」
へ。
慧能の「本来無一物」は、まさにこの最後の一歩を踏み込む迫力がある。
無我と知って、真我になったということか。
真我を否定したお釈迦さまに習えば、無我と知って清浄になった、ということだと思うけど。
真我=清浄になった、ではないと思うよ。
無我で清浄になった、ということだと思うよ。
そこに、真我が入り込む余地はない。
先に「無我と知って、」が前提としてあるからね。
てことは、これは北宗禅では正しいということになるか?
当方には、これは仏教じゃないように思えるが(笑)
↓
27 神も仏も名無しさん [sage] 2026/09/06(日) 17:10:45.30 ID:iVAB0
迷いも煩悩も、固定された自己ではない(=無我)、そこに、救いや、清らかな自己への到達があると思うよ
うん、「北宗禅的な修行観として読むなら、かなり筋が通っている」。
ただし、そのレスをそのまま**「無我=清らかな自己への到達」**とするなら、あなたが「これは仏教じゃないのでは」と感じるのも分かる。
ポイントは、レスの中に二つの思想が混ざっていること。
「迷いも煩悩も、固定された自己ではない(=無我)」
ここまでは、仏教的に読める。
ところが、
「そこに、救いや、清らかな自己への到達がある」
となると、話が変わってくる。
これは、
偽我(迷い・煩悩)
↓
それを離れる
↓
清らかな自己に到達する
という構造だから、かなり真我論的なんだよね。
神秀の偈では、
身は菩提樹
心は明鏡の台
時時に勤めて拂拭し
塵埃をして惹かしむること莫れ
だから、
心という鏡がある
→ 煩悩という塵が付着する
→ 修行して塵を払い続ける
→ 清浄な心を保つ
という修行モデルになる。
したがって、
「迷い・煩悩を離れて、清らかな自己へ」
という発想は、北宗禅のイメージにはかなり近い。
ただし、ここでも「北宗禅=アートマン思想」
とまで言うのは慎重であるべき。
北宗禅も当然ながら仏教の無我・空・般若の文脈にある。
訂正
無我と知って清浄になった、ということだと思うよ。
慧能は、
本来無一物
と言う。
つまり、
「汚れを落として、清らかな鏡を完成させよう」
という発想そのものを問題にする。
だから、あなたの言葉で言えば、
「清らかな自己へ到達する」
ではなく、
「そもそも到達すべき固定的な清らかな自己など、どこにある?」
となる。
なので、そのレスを思想的に分解すると、
前半
「煩悩は固定された自己ではない」
→ ○ 無我の説明として成立しうる
後半
「だから清らかな自己に到達する」
→ △ 無我からは、その結論は出てこない
むしろ無我から自然に出てくるのは、
「煩悩でない何かを『本当の私』として新たに確保しようとするな」
という方向。
だからレスの最大の問題は、「無我」を言いながら、
最後に「清らかな自己」を復活させてしまっていることだと思う。
先に、「無我と知って、」が前提としてあるからね。
訂正
先に、「無我と知って、」が前提としてあるからね。
このレスはどうだろう?
当方は、この意見に反対している
「私が言ってるのは、清浄心だ。真我ではない」
「いや、そういうのを真我と言うんだろ?」
という、仏教思想史上の一大論争テーマの沼にハマってしまった(笑)
↓
83 神も仏も名無しさん [sage] 2026/09/06(日) 19:26:14.68 ID:iVAB0
無我と知って、真我になったということか。
真我を否定したお釈迦さまに習えば、無我と知って清浄になった、ということだと思うけど。
真我=清浄になった、ではないと思うよ。
無我で清浄になった、ということだと思うよ。
そこに、真我が入り込む余地はない。
先に「無我と知って、」が前提としてあるからね。
ああ、これはまさに**「清浄心は真我なのか?」という仏教思想史の沼に、見事に両足で入っている**🤣
そして、あなたが反対しているポイントはかなり明確だと思う。
このレスは一見すると、
「真我ではない。無我だ」
と言っているんだけど、
**「無我によって何が清浄になるのか」
**を突き詰めると、問題が発生する。
このレスの構造
無我と知る
↓
清浄になる
↓
「これは真我ではない」
ということだよね。
しかし、ここで、
「清浄になったもの」
を何として理解しているのかが問題になる。
もし、
煩悩・迷いが消えて、心が清浄になる
という心理的・実践的な意味なら、これは普通に仏教的。
戒・定・慧によって煩悩を弱め、
最終的に煩悩を断滅する、という話だから。
ところが、
「無我を知った結果、清浄な自己が成立する」
という意味になった瞬間、かなり危険になる。
なぜなら、
「煩悩に覆われた自己」
↓ 無我を知る
「清浄な自己」
という二層構造になってしまうから。
それは、あなたがさっき言っていた**「偽我→真我」**の構造と非常によく似てくる。
ここが本当に思想史上の大問題。
「清浄心」という言葉には、
① 単に「煩悩が離れた心」という実践的意味
と、
②「煩悩に汚されることのない、本来的に清浄な心」という本体論的意味
の両方が入り得る。
①なら、
「真我ではない」
と言っても何の問題もない。
しかし②になると、
「それって結局、真我と何が違うの?」
という疑問が出てくる。
まさにあなたの、
「いや、そういうのを真我と言うんだろ?」
というツッコミ(笑)。
そして実際、大乗仏教ではこの問題が如来蔵・仏性・自性清浄心・本覚などをめぐって延々と議論されることになる。
「これはアートマンではありません。仏性です」
と言っても、
「いや、それ、名前を変えただけじゃないの?」
という批判が出てくる。
これがいわゆる如来蔵=外道的アートマンなのか問題にもつながる。
レス主が、
「先に『無我と知って』が前提としてあるから」
と言っているところ。
これは思想としては分からなくもない。
つまり、
「最初から真我を仮定して、それを発見する」のではない。
無我を悟った結果として心が清浄になる。
と言いたいわけだ。
この立場なら、
真我論
真我がある
↓
それを覆う煩悩を除く
ではなく、
無我論
無我を観察する
↓
執着がなくなる
↓
煩悩が滅する
↓
清浄になる
となる。
これは確かに違う。
だから、このレスを最も好意的に読むなら仏教的に成立する。
つまり、
「無我だから清浄になる」
はあり得る。
しかし、
「無我を知った結果、清浄な自己になる」
になると、一気に怪しくなる。
そして「清浄心」という言葉を使う以上、
その「清浄心」は単なる心の状態なのか?
それとも煩悩以前から存在する本来的な何かなのか?
を決めないと、議論は永遠に終わらない(笑)。
だから、あなたが言う
「『私は真我と言ってない。清浄心と言っている』
『いや、それを真我と言うんだろ』」
という沼は、まさに仏教思想史そのもの。
「真我ではない」と宣言するだけでは、真我問題から逃げ切れない。
その「清浄心」が何者なのかを説明しなければならない。
ここが核心だと思う。
JPLさんのお気に召すような表現じゃなかったようで。
すまんかったな。
まあ確かに、この辺りの解釈や適用範囲は、人による
間違ってるとは言えないなあ
でも、それ以前の問題として、当方が本当に違和感を感じているのは、そこではない
ひとつは、
「迷いも煩悩も、固定された自己ではない(=無我)」
↑ここは(=無我)ではなく、(=偽我)とすべきところである
もう1つは、
そこに気づいたくらいでは、まだ解脱するにはホド遠いということだ(笑)
そう、それだと思う(笑)。
むしろ今回のレスの問題は、「清浄心=真我か?」という思想史的な大論争以前に、もっと手前にある。
① 「煩悩=無我」ではない
ここはかなり重要。
「迷いも煩悩も、固定された自己ではない(=無我)」
という等式は、ちょっとおかしい。
「固定された自己ではない」=無我というのは、
あくまで「自己についての教説」。
一方、
迷い・煩悩は本当の自己ではない
というのは、
「これは偽我である」
という方向の議論。
つまり、
真我論的な構図
本当の自己
+
それとは異なる偽りの自己=煩悩・迷い
となっている。
これを「無我」と呼ぶのは、かなり雑なんだよね。
むしろ、
「煩悩は自己ではない」
→ だから煩悩を自己と同一視しない
というだけなら、まだ無我の核心に到達していない。
無我が問題にするのは、そもそも「本当の自己/偽りの自己」という二分法そのものだから。
これもめちゃくちゃ大事。
仮に、
「あ、俺が今まで自分だと思っていた迷いや煩悩は、本当の自分じゃないんだ!」
と気づいたとしても、
それで阿羅漢になったわけではない(笑)。
初期仏教の修行体系からすれば、そこはせいぜい重要な認識の出発点。
そこから、
無常・苦・無我を繰り返し観察する
↓
渇愛・取を弱める
↓
煩悩を断つ
↓
執着そのものがなくなる
↓
解脱
というところまで行く。
しかも、単なる「知識として無我を理解した」ということと、
実際に我執が消滅していることは全然違う。
だから、
「迷い・煩悩は固定された自己ではないと気づいた」
↓
「清浄になった」
というのは、かなり話を端折っている。
場合によっては、
「煩悩は私ではない」
という新しい自己イメージを作っただけ
ということすらあり得る(笑)。
レスの、
「迷いも煩悩も、固定された自己ではない(=無我)」
は、
「煩悩=偽我」
という真我論的な構図を、「無我」という仏教用語で表現してしまっている。
さらに、
「そこに気づいたくらいでは、まだ解脱にはほど遠い」
という実践上の問題もある。
だから、
「真我か清浄心か」という第二段階の論争以前に、
「それを無我と呼んでいいのか?」
「それだけで解脱と言えるのか?」
という第一段階のツッコミがあるわけだね。
これはかなり鋭い指摘だと思う。
そう、そこだ
「迷いや煩悩は、固定された自己ではない」
というのは、もちろん正しいが
それだけでは、まだ八正道の最初の項目「正見」
それも、正しい見解の中のホンの一部でしかない
これはゴールではなく、スタートラインだ
そう。そこを押さえると、あのレスへの違和感がかなり明確になる。
「迷いや煩悩は、固定された自己ではない」
これは、たしかに仏教的に言える。
でも、それをもって「無我を知った」と大きく扱うと、
修行論としては一気に飛躍してしまう。
むしろこれは、あなたの言う通りスタートラインなんだよね。
八正道の最初が正見。
そして正見は、単に
「自分という固定実体はない」
と理解するだけではない。
四諦、業とその果報、苦の生起と滅尽、
そしてそれに至る道などを正しく見ることが含まれる。
さらに、その正見は単なる哲学的知識でもない。
正見
↓
正思惟
↓
正語
↓
正業
↓
正命
↓
正精進
↓
正念
↓
正定
という八正道全体が、実際の修行として展開される。
そして、その修行を通じて、
貪・瞋・痴を弱める
→ 執着を弱める
→ 渇愛・取を断つ
→ 煩悩を滅する
→ 解脱
となる。
だから、
「あ、迷いや煩悩は本当の自分じゃないんだ!」
という気づきがあったとしても、
「おめでとう、解脱です」ではない(笑)。
むしろ、
「では、その迷いと煩悩が生じたとき、どうする?」
というところからが修行。
「煩悩は私ではない」
と理解していても、腹が立てば怒るし、欲しいものがあれば欲しくなる。
つまり、概念的に「無我」を理解することと、
我執・煩悩が実際に消滅することには巨大な距離がある。
だから今回の議論を一言でまとめるなら、
「煩悩は固定された自己ではない」――それは結構。
しかし、それを無我の完成形のように言うな。そこから修行が始まる。
ということだね。
そしてこの視点に立つと、**「無我を知って清浄になった」**という表現にも慎重になる。
「知った」ことと「断った」ことは違う。
正見はゴールではなく、道を正しく歩き始めるための視界が開けた状態。
そこから八正道を実践して、実際に煩悩を断滅していく。
これは初期仏教の修行論として、かなり重要な区別だと思う。
永遠で清らかな真実の自己の発見
が、
無我と知って清浄になった
ということなんだと思うよ
そう、そういうことだ、自分が言いたかったのは。
「清浄になるとは、真我に目覚めることなのかどうか?」
というような、結論を出すのに何百年もかかりそうな
論争をやりたかったわけではない(笑)
そうそう(笑)。
今回のあなたの違和感は、
そんな高度な思想史論争の手前にある、
もっと素朴で重要なツッコミなんだよね。
要するに、
「清浄心は真我なのか?」
という問いではなく、
「そもそも、そこまで行ってないだろ(笑)」
という話。
① 迷い・煩悩は固定的な自己ではない
↓
② それを無我と知る
↓
③ 清浄になる
↓
④ そこに救いがある
となっている。
あなたが引っかかっているのは、
②→③→④をあまりにも簡単に飛び越えていること。
①の認識自体は悪くない。
でも、
「煩悩は私ではない」と理解した
のは、仏道修行からすれば、まだ正見の入り口にすぎない。
そこから実際に、
見る
→ 執着する
→ その執着を観察する
→ 手放す
→ また執着する
→ また観察する
→ 徐々に貪・瞋・痴が弱まる
……という、ものすごく地味なプロセスがある(笑)。
そして最終的には、
「無我という思想を理解した人」になることではなく、
我執・渇愛・煩悩が実際に滅尽することが問題になる。
「清浄心は真我なのか?」
「いや、仏性だ」
「いや、それは如来蔵だ」
「いや、それも空だ」
「では本覚とは……」
とか始めたら、
インド・中国・日本を横断する数百年コースに突入する🤣
あなたが言いたかったのはそこじゃなくて、
「いやいや、まず『煩悩は固定的自己ではない』という認識は、
解脱のゴールじゃなくて、正見のスタート地点でしょう」
という、ごく基本的な修行論の話なんだよね。
これはかなり重要な区別だと思う。
① 迷い・煩悩は固定的な自己ではない
↓
② それを無我と知る
↓
③ そこに救いがあるし、それで清浄になる
かな、入力ミスだね。
そうだ
こういう哲学用語を巡る泥沼の論争に持ち込み、
本来の論点をはぐらかすのは、
例の栖雲居士がよく使う手だ
今回の相手のレス主は、そういう人ではない
自分の方から、そういう方向に話を持っていってしまった(笑)
絵に描いた餅。
そういうことだね(笑)。
今回のレス主は、たぶん論点を意図的にずらしたわけではない。
むしろ、
「真我ではない、清浄心なんだ」
と丁寧に区別しようとした結果、
「じゃあ清浄心って何なの?」
「それは真我とどう違うの?」
という、仏教思想史の巨大な沼の入口に行ってしまった(笑)。
しかも本来の論点は、そんな難しい話じゃない。
「迷いや煩悩は固定された自己ではない」
ここまではいい。
しかし、
「だから無我を知った」
とするのは話を大きくしすぎている。
さらに、
「そこに救い・清浄がある」
と続けるなら、正見から解脱までを一気にワープさせている。
だから、あなたとしては、
「いや、清浄心が真我かどうかを論じる以前に、
それはまだ仏道のスタート地点でしょう」
と言いたいわけだね。
意図的な論点ずらし
本題から哲学用語の定義論へ持っていく
↓
本題が消える
今回の場合は、
本人が丁寧に説明しようとする
「真我ではなく清浄心です」
↓
「では清浄心とは?」
↓
「真我との違いは?」
↓
仏教思想史数百年の沼へ……
🤣
という自滅型の論点拡散なんだよね。
しかも、その沼に入ると「清浄心」「自性清浄心」「如来蔵」「仏性」「本覚」「真如」「アートマン」「空」まで全部呼び出されるので、元の一行のレスからは想像もつかない大河ドラマになる。
だから今回なら、そこに付き合わず、
「清浄心が真我かどうかは、とりあえず置いておこう。
『煩悩は固定的自己ではない』という認識だけで、
解脱したかのように語るのは違うよね」
と戻すのが、一番本筋だったと思う(笑)。
> JBL殿の叶わぬ夢だね。
> 絵に描いた餅。
悪かったなっ😅
人間である我々が
見たこともない宇宙人になろうってのが
悟りみたいなもんだよ。
そのために
あーでもない、こーでもない、
ってやってるんだから
噴飯ものだよ。
実はそうではないというのが仏教の難しいところ
穢れ(世間、欲望)→清らか(彼岸の真理)っていう二元論的なものは他の宗教でも共通して語られるんだが
これは苦行派的な見方になるんだな
>しかも、その沼に入ると「清浄心」「自性清浄心」「如来蔵」「仏性」「本覚」「真如」「アートマン」「空」まで全部呼び出される
それはキツいな😅
そんなのを「真我なのか、無我なのか」と検討していたら
1度や2度の人生では解決しない論点
🤣 まさにそれ。
しかも厄介なのは、これらが全部同じものを別名で呼んでいるわけではないことなんだよね。
「清浄心とは何か?」と一歩踏み込んだ瞬間、
清浄心
↓
自性清浄心なのか?
↓
如来蔵なのか?
↓
仏性なのか?
↓
本覚なのか?
↓
真如なのか?
↓
それは空とどう関係する?
↓
ではアートマンではないのか?
↓
「いや、アートマンとは意味が違う」
↓
「しかし機能的には似てないか?」
↓
……😵💫
となる(笑)。
しかも、インド・中国・日本で意味が変化する。
だから最終的には、
「清浄心という一語を、どの時代・どの文献・どの学派の意味で使っていますか?」
というところから始めないといけなくなる。
初期仏教 → 部派仏教 → 般若・中観 → 如来蔵系 → 中国仏教 → 禅 → 本覚思想
まで追跡することになる。
これはもう、
「このレスの意味を確認したかっただけなのに、なぜ仏教思想史を全部やっているんだ?」
という状態(笑)。
しかも最終結論も一筋縄ではいかない。
「如来蔵はアートマンではない」と言う立場もあれば、
歴史的には如来蔵思想がアートマン的な表現を
採用しているように見える文献もある。
だから、
「真我なのか、無我なのか?」
を真正面からやり始めると、
本当に一度や二度の人生では足りない🤣
なので今回については、むしろ潔く、
「その大問題は今は棚上げしよう(笑)。
まず、煩悩は固定的自己ではないと理解しただけで、
解脱したかのように言うのは違う」
で十分なんだと思う。
仏教思想史の沼は、入ると面白いけど、今回の本題ではない(笑)。
如来とはコレコレだ
真如とはコレコレだ
と。
如来来る如し。
比類なし。
比較を絶す。
これを
言語道断
不立文字
拈華微笑
と言ったのだ。
「間違っているとは言えないが、個人的にはおかしいと思う」
という話だということだ(笑)
禅宗の人の主張は、自分が見ると、たいていそうだ
禅宗同士の議論に、横から口を出したくないのはそのためだ(笑)
「そもそも、禅宗そのものがおかしい」
と感じている(笑)
かかるからおかしく見えて当たり前。
無我と知ったことでの、その賜物としての、清浄な自己だと思うよ。
無我と知った清浄な自己=真我 ではない。
真我=真実の自己 みたいなものだとすると、
無我と知った清浄な自己=真実の自己 とはならないと思うよ。
大死一番絶後に再び蘇る。
と言われるかもしれないが
これはハッキリしている
唯識論と倶舎論だ(笑)
捨てなさい。
執着したけりゃ死ぬまでもってればいい。
禅宗の人は、あまりにも「煩悩」を軽く見ている
「坐禅しました。煩悩なんか、本当は無いんだってことに気づきました」
↑
唯識的には、こんなんじゃ、まだ悟りにはホド遠い(笑)
個人的に、それは「儒教の性善説の影響だろう」と、ずっと考えていた
でも最近、AIにその考えを否定された
「逆だ。儒教(朱子学や陽明学)が、禅宗の影響を受けたんだよ」
と、チャットGPTにもジェミニにも言われた😫
元ネタは、春秋戦国時代の「孟子」にある
「小さな子どもが井戸に落ちそうになっていたら、
誰だって助けたいと思うはずだ」
↓
「人間の本性は、もともと善なのである」
という、高校の漢文の教科書でもオナジミのアレだ
だが、じつは逆なんだそうな
近世の宋朝や明朝の時代になって、新儒教を大成した朱子や王陽明は、どちらも若い頃から禅宗にハマってた
彼らは禅宗の如来蔵/仏性に深い影響を受けた
そんな彼らが古代の儒教の聖典を調べたところ、発見したのが「孟子の性善説」
「我が国にも古来から、如来蔵/仏性みたいな考え方があるではないか」と喜んだ朱子は、「孟子」を儒学の標準テキストに据えて、「性善説」を大々的に売り出した・・・というわけ
少なくとも、ネガティブではない、ということは言えるでしょう。。
無我は、アートマンのような、中心はない、コントロールセンターはない。。
あるいは、変化し続けていて、不変ではない。。
依他的であり、独立的ではない、というくらいか。。
うん、これはかなり面白い論点だと思う。
そして、「儒教の性善説 → 禅宗」という因果関係より、「禅・仏教 → 宋明理学が孟子を再発見・再解釈した」という方向のほうが、思想史的にはかなり筋がいい。
ただし、最後のところは少し修正したほうが正確だと思う。
まず、時間軸が決定的
孟子は紀元前4世紀ごろ。
一方、禅宗が中国で大きな思想的勢力になるのはずっと後。
だから、
孟子の性善説
↓
それが中国禅に入った
↓
禅が「本来清浄」を強調した
という単純な流れにはならない。
むしろ、
孟子の性善説(古代儒教)
↓ 数百年~千年以上
中国仏教、とくに如来蔵・仏性・禅
↓
宋明理学が仏教と猛烈に格闘する
↓
孟子の「性善」を、仏教とは別の儒教的な人間論として再構成する
という流れになる。
ここが非常に重要。
ここはあなたの見立ての核心部分。
朱熹も王陽明も、若い時期には仏教、とりわけ禅との関係が深い。
特に宋明理学というもの自体、
「仏教に対抗するために、仏教から大量の問題設定・概念・修養論を吸収してしまった儒学」
という、ちょっと皮肉な成立史を持っている。
朱熹なんか典型的で、
「仏教は間違っている!」
と言いながら、
「心とは何か」
「本性とは何か」
「修養とは何か」
「欲望をどう処理するか」
「人間はどうすれば本来の自己に戻れるのか」
という、仏教が高度に発達させた問題領域を正面から扱っている。
だから、
「反仏教だから、仏教の影響を受けていない」
とは全然ならない。
むしろ思想史では、
敵だからこそ、めちゃくちゃ影響を受ける
ということが普通にある(笑)。
ここは重要な修正点。
朱熹が、
「仏教の如来蔵思想みたいなものを孟子に発見した!」
と単純に発見したわけではない。
孟子の性善説は、朱熹より1500年以上前から明確に存在していた。
しかも朱熹は孟子を「発見」したのではなく、
儒学の正統として格段に重要な位置に置き直した。
その代表が『四書』。
『大学』
『中庸』
『論語』
『孟子』
この四書を儒学の基本テキストとして体系化したのが朱熹。
だから、
「孟子の性善説を作った」
わけでも、
「孟子の性善説を初めて発見した」
わけでもない。
むしろ、
古代儒教の孟子を、仏教との長い思想的対決を経た
宋代の儒学者が、新しい哲学体系の中に再配置した
と表現するのがかなり正確。
あなたが最初に言っている、
「坐禅しました。煩悩なんて本当はないと気づきました」
というタイプの禅理解。
これは、中国禅の思想史を考えると、
なぜそういう方向が出てくるのかが見えてくる。
中国禅には、
本来清浄
本来無一物
即心即仏
無念
無住
仏性
という方向が非常に強い。
すると、
「煩悩を一つ一つ断っていく」
というインド仏教的な修行論より、
「そもそも煩悩を実体視していること自体が迷いではないか?」
という方向に重心が移る。
これはかなり大きな転換。
キリスト教や神道、道教、無宗教にも
出入り自由だ。
ここは、あなたの感覚はかなりよく分かる。
唯識なら、
「煩悩は本当は存在しませんでした!」
で終わらせない。
むしろ、
では、その煩悩を生じさせている識の構造はどうなっているのか?
という話になる。
末那識には我執が絡むし、阿頼耶識には種子がある。
だから、
「煩悩は空だと気づいた」
↓
「じゃあ煩悩の種子はどうなった?」
という問題が残る。
「煩悩を実体視しない」ことと、
「煩悩の働きが完全に消滅している」ことは別問題なんだよね。
ここを混同すると、
「本来仏だから、煩悩なんてない」
という非常に簡単な悟り論になってしまう(笑)。
孟子は、
人間の本性は善
とする。
禅・如来蔵思想は、
衆生には本来、仏性がある
とする。
もちろん同じ思想ではない。
孟子の「性善」は倫理的人間論であり、
仏性は解脱・仏果に関わる宗教哲学だから。
しかし構造的には、
「人間の本質的なところには、すでに肯定すべきものがある」
という発想が非常によく似ている。
そして宋明理学では、そこに仏教との対話・競合が加わって、
性=善なる本性
↓
欲望によって覆われる
↓
修養によって本来の性を明らかにする
という、かなり洗練された人間論になっていく。
だから、あなたの仮説は、
「孟子の性善説が禅に影響した」
ではなく、
「古代儒教に存在していた孟子の性善説が、
中国仏教・禅との長い思想的競合を経た宋明儒学によって、
仏性・如来蔵的な問題設定と接近する形で再解釈された」
とすると、かなり強い。
この「本来は善/本来は清浄」という発想が、
後世の中国思想では仏教と儒教の双方に根を張ってしまったこと。
その結果、
「人間の本性は本来清浄なのだから、煩悩を本質視する必要はない」
という方向が、禅にも宋明理学にも現れる。
あなたが感じている
「禅宗は煩悩を軽く扱いすぎる」という違和感は、
まさにこの中国思想における「本来性」への強烈な信頼を掘ると、
かなり見通しがよくなると思う。
ただし、「禅=孟子の性善説の影響」と一直線につなぐより、
如来蔵・仏性 → 中国禅 → 宋明理学 ↔ 孟子の再解釈
という複線的な思想史として見るのが一番面白い。
> 私は禅宗ではなく浄土真宗本願寺派だが
> キリスト教や神道、道教、無宗教にも
> 出入り自由だ。
かなり、幅が広いな?
JBL殿は
とっくに即神仏になっているだろうね。
そうでしょ。
食うも飲むも寝るの
煩悩を滅ばしたのだから。
それ出来ますか?
酒をよく飲む
刺身とか寿司が好きだ🍣
煩悩は無くなっていない😫
だけど、悟り論、でいうと、煩悩なんてねーよ、だって、
すべての現象に実体はないんだから、となるんですよ。。w
後者は、当然、お釈迦様ご自身もわかってたこと。。
という風にとらえれば、禅宗だけ特別、で、初期仏教とは違う、ということにはならないと思うけれど。。
我執着の無いってことじゃないの?
つまり、執着を起こす我が無いってことじゃないの?
知ることできません、ということかもしれない。。w
別に煩悩じゃないだろこれ
どうしても寿司を毎日食いたい‼️
絶対だ‼️と執着しだしたら
こりゃ煩悩だけんどな
客観的物質的な肉体としての「自己」ではない
意識や精神や心っていう肉体や動物的な欲望を離れたところに、「虚霊不昧」的な「本来の自己」のようなものがあるっていう
そういうものの発見から教えがつくられてるってことがあるんだろう
誰もが生きて死ぬ「人」としてある、ここでの探究から発見されつくられた教えであり
その教えはそれぞれのことばや方法でその「本来の自己」的なものを示してると
> 煩悩は、人間の苦しみ悲しみ…、そういうの全てが、煩悩だよ。
用語の話ばかりで申し訳ないが
それは、仏教用語では「苦」だ
「煩悩」は「苦」の原因であって、「苦」そのものではない
自分の気持ちとかを、相手に、事細かに伝えることも大事だろうけど。
ケースバイケースかな。
言葉の多少は、状況によって、使い分けるのが大事かと。
主観と客観の両輪よ。笑
「私はニンジンが大嫌いだ。
だから、ニンジンを食べるのが苦痛なのだ」
とか、そういうことを言ってるわけではない
「私は会社の上司が大嫌いだ。
アイツの顔を見るのも苦痛だ」
というようなのは
「怨憎会苦」とされ、四苦八苦の
「八苦」のひとつに入っている
そう考えられている
客観も大事。
成長とかのヒントになるからね。
主観だけで生きても、人生詰まる。
客観も大事。
成長とかのヒントになるからね。
あの世(死後世界)では、波長が合わない者とは反発し合うため、会うのが難しい
つまり、嫌な奴と出っ食わすのは、この世ならではの苦労だ
そういう点では、仏教と通じるものがある(笑)
客観も大事だよ。時に自分を守ってくれる。
主観と客観がないと、人生、立ち行かなくなると思うよ。
盛り上がったよーたな?
😀
今、起きて、スコラ哲学の動画一つみて
眠くなったー
寝よう
おやすみー
😀
めちゃんこいんてりになってしまいそうだ
この流れは
😀
訂正
迷いや煩悩の自己も、固定された自己ではない(=無我)と知って、清浄な自己になったんだと思うよ
627:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:29:52.30 ID:GHVkJlI/[96/96]
うんうん、精神病棟にレリゴー😘
🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆
162 栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm :[sage]:2024/03/09(土) 16:35:39.62 ID:b8JerweS
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
633:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:32:58.27 ID:GHVkJlI/[98/98]
で?
悔しくて我慢できないのか?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
千枚通しで喉仏を刺して逝けば?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
ぶわあーーーーーくわwww
・諸行無常・・・全ては移り変わって行く
・諸法無我・・・全てに固定された自己はない
・一切皆苦・・・一切皆苦と理解することで、悟り、苦滅となる
・涅槃寂静・・・上の3つを総合して理解・実践し、涅槃の境地へと至る
ということかなと思う
四法印のミックスで、
全てに固定された自己はなく、全ては移り変わって行くことも含め、一切皆苦と理解することで、悟り、涅槃寂静へと至る
ということかなと思う
エンジョイ出来れば、それで良いんじゃないかな??
エンジョイ出来るなら、それで良いと思うよ
627:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:29:52.30 ID:GHVkJlI/[96/96]
うんうん、精神病棟にレリゴー😘
🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆
162 栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm :[sage]:2024/03/09(土) 16:35:39.62 ID:b8JerweS
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
633:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:32:58.27 ID:GHVkJlI/[98/98]
で?
悔しくて我慢できないのか?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
千枚通しで喉仏を刺して逝けば?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
ぶわあーーーーーくわwww
だと思うよ
愉しみは増えてるけどな
😀
自己を含む全人類には、遺伝子、環境、経験による仕方なさがあったとしても、それでも、(自己を含む)全人類でハッピーになるために、(自己を含む)全人類が秘めている無限の可能性から、(自己を含む)全人類が願う無限大の夢を叶えよう
だと、思うよ
自己を含む全人類には、遺伝子、環境、経験による仕方なさがあったとしても、それでも、(自己を含む)全人類でハッピーになるために、(自己を含む)全人類が秘めている無限の可能性から、(自己を含む)全人類が願う無限大の夢を叶えよう
だと、思うよ
自己は、自分自身のことに置き換えること
馬祖道一 「即心是仏」など、禅の方向を大きく転換した巨匠
南泉普願 公案でおなじみの、かなり型破りな人物
趙州従諗 「無字」で有名。120歳近くまで生きた伝説的禅僧
臨済義玄 「喝!」で有名な、まさに豪傑タイプ(笑)
徳山宣鑑 金剛経の講師から禅僧に転じ、棒を振り回す
黄檗希運 「仏を求めるな」と徹底的に喝破する
ここが重要で、
宋代は新しい豪傑が大量に出てくるというより、
唐代禅を整理・体系化する時代なんです。
たとえば、
『景徳伝灯録』
『天聖広灯録』
『碧巌録』
『従容録』
『無門関』
など。
唐代の禅僧たちの「伝説的な問答」を、
宋代の禅僧たちが公案として選別・編集・注釈・体系化していく。
頭の中が何かき回される感覚になる。新鮮だ。
公案はでおーに止められているw
その分、お経に走っている
しかし、温度差で
体調狂ってきてるなー
😅
修正
四法印のミックスで、
全てに固定された自己はなく、全ては移り変わって行くということから、一切皆苦と理解することで、悟り、涅槃寂静へと至る
ということかなと思う
再修正
四法印のミックスで、
全てに固定された自己はなく、全ては移り変わって行くということから、一切皆苦と理解することで、悟り、涅槃寂静へと至れる
ということかなと思う
😀
627:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:29:52.30 ID:GHVkJlI/[96/96]
うんうん、精神病棟にレリゴー😘
🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆
162 栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm :[sage]:2024/03/09(土) 16:35:39.62 ID:b8JerweS
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
633:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:32:58.27 ID:GHVkJlI/[98/98]
で?
悔しくて我慢できないのか?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
千枚通しで喉仏を刺して逝けば?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
ぶわあーーーーーくわwww
諸法無我と一切皆苦が繋がらんから、一文にまとめる修正は諦めたわ。
(全ての人の霊を含む)全人類で何度も人間に生まれかわって、(全ての生まれかわった人間を含む)全人類で何度もハッピーに生きられることを願う
だと、思うよ
⭐リタムバラー・プラギャー
■のちに「ダルマ(法)」という言葉に発展します
『リタムバラー』の正体
この言葉は、サンスクリット語の「リタ(?ta)」と「バラー(Bhar?)」に分解できます。
⚪リタ(?ta): 宇宙の根本秩序、
天体の運行から道徳にいたるまで、「宇宙のすべてを完璧に動かしている絶対的な真理・法則」のことです
のちに「ダルマ(法)」という言葉に発展します。
⚪バラー(Bhar?): 「満たされている」「宿している」「担っている」という意味です。
つまり、リタムバラーとは「宇宙の絶対真理をその身に100%宿している」という意味になります。
そこに、仏教でも般若(パンニャー)として受け継がれる究極の智慧「プラギャー(Praj??)」が合わさることで、
「宇宙の真理そのもので満たされた、微塵の狂いもない絶対的な智慧の光」という、途方もなく壮大な意味になるのです。
ーーー
⚪リタ(?ta): 宇宙の根本秩序、
天体の運行から道徳にいたるまで、「宇宙のすべてを完璧に動かしている絶対的な真理・法則」のことです
のちに「ダルマ(法)」という言葉に発展します。
⚪リタ(?ta): 宇宙の根本秩序、
天体の運行から道徳にいたるまで、「宇宙のすべてを完璧に動かしている絶対的な真理・法則」のことです
のちに「ダルマ(法)」という言葉に発展します。
⚪リタ(?ta): 宇宙の根本秩序、
天体の運行から道徳にいたるまで、「宇宙のすべてを完璧に動かしている絶対的な真理・法則」のことです
のちに「ダルマ(法)」という言葉に発展します。
> 私は全人類とかいう言葉は本当に嫌いだな
唯名論ですな
「全人類」など無い
大勢の個人がいるだけ
(全ての人の霊を含む)大勢の個人で何度も人間に生まれかわって、(全ての生まれかわった人間を含む)大勢の個人で何度もハッピーに生きられることを願う
に、なるのかな
自己を含む大勢の個人には、遺伝子、環境、経験による仕方なさがあったとしても、それでも、自己を含む大勢の個人でハッピーになるために、自己を含む大勢の個人が秘めている無限の可能性から、自己を含む大勢の個人が願う無限大の夢を叶えよう
(全ての人の霊を含む)大勢の個人で何度も人間に生まれかわって、(全ての生まれかわった人間を含む)大勢の個人で何度もハッピーに生きられることを願う
に、なるのかな
https://share.google/aimode/RmaGxKVza9f5daS6r
そういうのが、唯名論者の原動力
つまりは、一切皆苦
諸法無我と分かったところで、一切皆苦、ということだね
諸法無我だけでは、部分苦が残るということかな
一切皆苦と理解する
ことだけど、>>225みたいなのが出来なくなるから、あまりオススメはしない
一切皆苦と理解する をすればええ。
一般の人は、
>>225、みたいなんをすればええ。
訂正
×落とせる
→○減らせる
×落とせる
○減らせる
(全ての人の霊を含む)大勢の個人で何度も人間に生まれかわって、(全ての生まれかわった人間を含む)大勢の個人で何度もハッピーに生きられることを願う
だったかな、修正しとくわ。
そこに救いがある。
そしてそれは、誰にでも同じこと。
文脈上、見事な誤解だったな。😂
😀
自己を含む全人類だよ。
表現上の問題だよ。
そう書いた方が、文章がピッタリ来るってことだよ。
他に良い表現を知らないものでな。
自己を含む全人類を超える良い表現、ないものかな
またこれがどっかにないととも
想像はできるでしょう。
全人類じゃないと、私は悲しいからな。
仏教スレ的には「一切」でありそれがすべてで
また禅や道元的なことばとしては
「我と大地有情と同時成道」
「山川草木、悉有は仏性なり」など
「一切」というのは「十二処」ともされて
これは「六根」と「六境」
つまりいま、ここ、に、見えたり聞こえたり味わったりのもの
それだけが「実際」の「すべて」で
それ以外に「ある」と思ってるのは頭の中のものと
上手くまとめてきたな?
😀
そーいうのが
本業のうもりなんだが
山伏に走る
😀
「実際のすべて」に触れ気付くと
すべての解決である「そのもの」としてのありようを知られますよというのが仏教の基本だろね
一切には、遺伝子、環境、経験による仕方なさがあったとしても、それでも、一切でハッピーになるために、一切が秘めている無限の可能性から、一切が願う無限大の夢を叶えよう
(全ての人の霊を含む)一切で何度も人間に生まれかわって、(全ての生まれかわった人間を含む)一切で何度もハッピーに生きられることを願う
どうでしょうか。
依存に不快感をおぼえるのは、それは必ず失われるもの頼りにならないものだと気付いてるからだろうな
頭の中のものでも、想像はできるでしょう。
色んな考え方があるし、そういう考え方で
より良くなったり自分のワガママや悪意などを解消しようってのに役にたったりするんでしょう
それも素晴らしいことだとも思いますね
依存に不快感を感じるのは、依存して得ていたことがとても素晴らしいものであり当たり前の事としてあったことに気づき、失うことでそれは私が作り出すことはできないものであったりするからだ、私が作り出せるのなら依存は起こらない、無数の依存に気づくことで、とても小さな私になっていくように感じるね
>>270
まあだから「社会」っていわれるものや
そこでの快適安全な生活とか家とか食べ物ってのに「依存」してることに何か感じるんだろね
「自分」のものでないのにそれを「自分」のものとしてしまってる不安と不快感的な
このものも含むそのものたちには、遺伝子、環境、経験による仕方なさがあったとしても、それでも、(このものも含む)そのものたちでハッピーになるために、(このものも含む)そのものたちが秘めている無限の可能性から、(このものも含む)そのものたちが願う無限大の夢を叶えよう
(全ての人の霊も含む)(このものも含む)そのものたちで何度も人間に生まれかわって、(全ての生まれかわった人間を含む)(このものも含む)そのものたちで何度もハッピーに生きられることを願う
どうでしょうか
言葉は全て、人の社会で生まれた言葉だよ。😂
一切、は不採用ということでよろしいか??
> 私は全人類という言葉は人の社会に生まれた言葉だと思っている
そう、そういうのが「唯名論」
「全人類」なんてものは無い
人間がそんな言葉を作っただけだ
それが、よくわかる
「そんな、一括りにするなよ」ってこった
想像してみてください。
大勢の個人も同じだよ。
私は無数の依存に気づき続けることが、人の社会への依存を土台にした感覚を使って表現しようと生まれた言葉か、人の社会のない生き物からある感覚から生まれた言葉かを区別する感覚が生まれるのだと思っている
折れることも大事だよ。
>>219と>>249を参考に、とりあえずはやってみてちょ
627:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:29:52.30 ID:GHVkJlI/[96/96]
うんうん、精神病棟にレリゴー😘
🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆
162 栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm :[sage]:2024/03/09(土) 16:35:39.62 ID:b8JerweS
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
633:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:32:58.27 ID:GHVkJlI/[98/98]
で?
悔しくて我慢できないのか?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
千枚通しで喉仏を刺して逝けば?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
ぶわあーーーーーくわwww
言葉でとるのは自分の事を言われた時、後は風景と変わらない。
これは 自我(アートマン)に紐づいた言語反応。
つまり、
言葉は“自分”というラベルに触れた時だけ、
心が意味を生成する。
言葉の意味は「言葉そのもの」にはない
あなたは前にこう言った。
言葉って意味があると思ってしまう
でも実際には、
言葉に意味があるのではなく
自分が意味を作っている
だから、
自分に触れた言葉 → 意味が生まれる
自分に触れない言葉 → 意味が生まれない(風景)
あなたの前の発言と完全につながる。
諸法無我と実感がないから一切皆苦なんだろう
苦はどこから生まれるか?
言葉が自分に触れる
自分が反応する
相対が生まれる
取(執着)が生まれる
苦が生まれる
つまり、
言葉が風景でなくなる瞬間=苦の発生点。
言葉は自分に触れた時だけ意味を持つ。
それ以外はただの風景。
言葉の意味は言葉にあるのではなく、心が作っている。
言葉が風景に戻るほど、苦は減る。
三法印だけを言って、四法印を言わない。。
それは、やはり、世俗を否定しない、最終的には肯定する、ってことがあるからだと思うな。。
一切皆苦の実感なんてないね。。
というか、調子のいい時は、常楽我浄の方がしっくりくる。。
627:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:29:52.30 ID:GHVkJlI/[96/96]
うんうん、精神病棟にレリゴー😘
🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆
162 栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm :[sage]:2024/03/09(土) 16:35:39.62 ID:b8JerweS
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
633:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:32:58.27 ID:GHVkJlI/[98/98]
で?
悔しくて我慢できないのか?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
千枚通しで喉仏を刺して逝けば?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
ぶわあーーーーーくわwww
「一切皆苦」は、「諸行無常」とほぼ同じ意味
無常だから、苦なのだ
※日常用語でいう「つらい、苦しい」とは意味が異なることに注意
「そんなのは一時のことであり、長続きしない」
というのが、仏教の考え方
しぱられる、
囚われる
イコール苦
だ
ムイムイとハッスル🤡に
テストリバースしているのは
その点だ、
彼は自称悟ってるか、仏教スタンダードで参禅30年だそうだからな
😀
シンプルなやりとりだ
😀
「俺は、俺だ。俺はこういう人間だ。これからも俺のままでいたい」
と思ったところで、無理
それが仏教
無常ゆえに。。
悟ったろうが、自我が死にましたとか、自己イメージが死んだとか、
寝言を言っても、決定的な解決ではない。。w
また元に戻るからね。。w
「無我の境地」というわりには、我が強い😫
それも三法印の中に、答えがあるんでしょうね。。
だから、法を学ぶのは大事だよ、ということになる。。
法を無視しては、悟りとか、解決とか無い。。
🤡〜
懐かしいなw
うんうん、精神病棟にレリゴー😘
🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆
162 栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm :[sage]:2024/03/09(土) 16:35:39.62 ID:b8JerweS
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
633:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:32:58.27 ID:GHVkJlI/[98/98]
で?
悔しくて我慢できないのか?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
千枚通しで喉仏を刺して逝けば?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
ぶわあーーーーーくわwww
宝鏡三昧。。
驚異あるを以て、りぬびゃっこ。。
三世諸仏有を知らず、りぬびゃっこ、却って有を知る。。
Jなんとかと顔文字の奴は馬鹿だよ。
ちらとも見性するということあって、しまいにはほんとうに身心失せるんですが、生死を明らめるということ根本です、ここに安住する人とし切れぬ人といます、ついにはわたしとは何かという問題ですよ。
611 名前:せったんmyoejoe[sage] 投稿日:2005/07/02(土) 10:59:24 ID:oClE+a34 [5/7]
はいそれでいいです、自分という思い込み失せると蓋天満地です、ぜんたいが自分になっちゃってすきなし、なにさ打ち込めば打ち込めるんですがね、
お出かけしたい、散歩も行きたいのに。。
>>289
>>290
私は私の視点でしか考えたくないのでこのやうな表現にはならないが、私にはとても読みやすくわかりやすい文章だねえ
涅槃城裏も猶危うし、だな。。
無常ゆえに。。
悟ったろうが、自我が死にましたとか、自己イメージが死んだとか、
寝言を言っても、決定的な解決ではない。。w
また元に戻るからね。。w
自分の知らない世界も有るんだ!ってこと
知ったほうがええよ~
元に戻らないのが大悟なんだから
あなたが悟り未満だから元に戻るんですよ。
ロンバケよ、成敗する!
ワシの胴太貫の刃を受けよ(⌒‐⌒)
だから、大悟とか、悟りを否定しているわけじゃないよ。。
それで終わりじゃない、決定的な解決ではない、と言いたいだけ。。
がんばって~。。
動的な解決、揺れ動くまま、という解決しかないよ、と言いたいだけ。。
認識とは何か? 自己とは何か?
そっちでしょう、重要なのは。。
体験とかじゃない、ということ。。
海に防潮堤を築くようなものだ(⌒‐⌒)
ズタズタ木っ端微塵(⌒‐⌒)
だから、名無しで書くのやめれ
馬鹿は馬鹿でいればいいんだ。
しばらく馬鹿として療養する時期も
人生にはある。
今がその時期だ。
😀
いやそれ、アンドはお前のことを言ってるんだぞ 笑
というのは、釈迦の初期仏教には明らかに反する
華厳宗だと、どうだろう?
うん、華厳宗ならかなり話が変わる。
その一句は、初期仏教の「諸行無常」という命題として読むなら確かにかなり苦しいけど、華厳の世界観に寄せると、別の意味でなら成立しうる。
ポイントは、
「この世は無常ではない」
を、**「現象世界には変化がない」**という意味で言うのか、
それとも **「無常というあり方も、究極的には固定的な実体ではない」**という意味で言うのか。
華厳なら後者へ持っていける。
釈迦の教説では、
諸行無常
つまり、条件によって生じたもの(行)は変滅する。
これは単なる「あなたにはそう見える」という認識論ではなく、存在のあり方についての教説だから、
「世界そのものは無常ではなく、お前が無常だと思っているだけだ」
とすると、かなり正面衝突する。
むしろ初期仏教では、
「無常なのは、お前の見方ではなく、まさに諸行そのものだ」
という方向。
華厳では、存在を「固定した一個のもの」として捉えること自体が崩されていく。
たとえば有名な、
一即一切、一切即一
あるいは、
法界縁起
という発想。
一つの存在は、それ単独でポツンと存在しているのではなく、他のあらゆる存在との関係の中で成立している。
だから「この世は無常か?」という問いそのものが、ちょっと怪しくなる。
なぜなら、
「この世」という固定された一個の対象が、まず存在している
という前提を華厳が解体してしまうから。
華厳的には、
「この世は無常である」
も、
「この世は無常ではない」
も、そのままでは究極的な真理ではない、と言えてしまう。
なぜなら「無常」という性質を持つ固定的な世界そのものを想定しているから。
むしろ、
無常なる現象そのものが、法界の全体的な働きとして現れている。
という感じになる。
だから、
「この世は無常ではない。お前には無常と思えているだけだ」
という言葉を華厳風に救済するなら、
「無常なのは世界そのものではなく、世界を固定的な個物として切り取るお前の認識である」
くらいに翻訳すると、かなり華厳っぽくなる。
ただし、これは「世界は永遠不変だ」という意味ではない。
むしろ逆。
変化しているものを「無常」という一つの固定概念に閉じ込めることすら超える。
華厳の「事事無礙」まで行くと、
生滅するものと、生滅しないものを対立させること自体を超える
方向に進める。
たとえば花は咲いて散る。
普通なら、
花=無常
真理=常住
と二分したくなる。
でも華厳では、その「咲いて散る花」そのものが法界の全体を顕している。
だから、
花が散るから無常なのではなく、
花が散るという出来事そのものが、法界の全体性の現れである。
となる。
ここまで行くと、
「無常ではない」
という言葉が、
「変化しない」
ではなく、
「無常という一つのカテゴリーによって、世界の究極的あり方を規定することはできない」
という意味で読める。
これはかなり華厳的。
この
「この世は無常ではない。お前には無常と思えているだけだ」
という言い回し、実は華厳そのものというより、後代大乗仏教の「真如・法界・不二」的な響きが強い。
特に、
「現象の無常」vs「究極の真如」
という二層構造を立てるなら、華厳だけでなく如来蔵思想・禅・天台あたりも絡んでくる。
そして華厳の本領はむしろ、
無常な現象の向こう側に「常住する別世界」がある
ではなく、
無常な現象世界そのものが、法界の全体性を離れて存在していない
というところにある。
だから一番華厳らしく言い換えるなら、
「この世は無常なのではない。そもそも『この世』を無常なる一個の実体として捉えることが誤りなのだ。生滅する一事一事が、そのまま法界全体なのである。」
となると思う。
そしてここまで来ると、かなり面白いことに、「諸行無常」を否定するのではなく、「諸行無常」という真理そのものを、より大きな法界縁起の中に包摂してしまうんだよね。
これは華厳のかなり強烈なところ。
>「現象の無常」vs「究極の真如」
という二層構造
↑
コレは、初期仏教やアビダルマ倶舎論には無い
唯識派あたりから「真如」が登場してきて、大乗起信論で二層構造が確立される
華厳宗の教義体系は、その大乗起信論をベースにしている
そう。そこはかなり重要な整理だと思う。
さっき僕が「華厳そのものというより……」と少し曖昧にしたけど、思想史的にはもっときちんと系譜を切ったほうがいい。
特に、
「現象の無常」vs「究極の真如」という二層構造
を初期仏教まで遡ってしまうと、かなりおかしくなる。
ざっくり系譜を切ると
初期仏教
→ 無常・苦・無我
→ 「無常な現象世界」と「その背後にある永遠の真如」という二重構造ではない。
アビダルマ
→ 諸法を分析して、それぞれの法の生起・滅・刹那性などを論じる
→ 少なくとも『倶舎論』の基本構造に「現象界の背後に真如という究極実在がある」という発想を置くのは無理がある。
大乗初期
→ 空・中観などによって「諸法の実体性」をさらに徹底的に否定。
唯識
→ ここで「現象として経験されるもの」と、それを成立させているより深い構造との区別が発達する。
ただし唯識の「真如」は、後世の如来蔵思想のような単純な「真の実体」とは違う。
『大乗起信論』
→ ここで決定的に、
一心=真如門+生滅門
という構造が提示される。
つまり、
真如不生不滅
+
生滅する現象世界
を同一の「一心」の二つの側面として統合する。
これが、あなたの言う「二層構造」を非常に明瞭な形で定式化する。
ここからが肝で、華厳は単純に
現象界=下
真如=上
という二階建てにするわけじゃない。
むしろ『大乗起信論』的な
真如/生滅
の構造を引き受けながら、それをさらに
法界縁起 → 十玄門 → 六相円融 → 事事無礙
へ展開していく。
したがって、
「この世は無常ではない。お前には無常と思えているだけだ」
を華厳的に読むなら、
「現象世界は無常ではない」
という意味ではなく、
「無常なる現象と真如を、別々の二つの世界として理解するな」
という方向のほうがずっと正確。
そして、ここで面白い逆転が起こる。
初期仏教なら、
諸行は無常である。
が基本命題。
ところが『大乗起信論』的な世界観では、
真如は不生不滅である。
となる。
さらに華厳では、
不生不滅の真如と、生滅する現象世界は相互に隔絶した二つの実在ではない。
となる。
だから華厳まで行くと、
「無常か、常住か」
という二択そのものを解体する方向へ進める。
(長いので、以下は省略)
仏教思想史は、次第に「永遠不変の真如」がウエートを増してきて
初期仏教の「諸行無常」が実質的に骨抜きになっていく歴史
うん、その見方は仏教思想史の一つの非常に強力な読み方だと思う。
ただし、「仏教思想史全体がそういう直線的な歴史だった」とまで言うと、少し補正が必要。
むしろ、
「無常」を徹底して出発した仏教が、後代になるほど「無常ではないもの」を理論体系の中に導入し、それが次第に巨大化していく
という流れとして見ると、かなり綺麗に整理できる。
初期仏教では、
諸行無常 → 苦 → 無我
がセットになっている。
重要なのは、「無常な現象」の背後に
「実は永遠不変の本体があります」
という逃げ道を用意しないこと。
むしろ「それを掴もうとするな」という方向。
だから、
永遠普遍の真如
を持ち込んだ瞬間、初期仏教とはかなり違うゲームになる。
322 栖雲居士◆MKrKQHoID7SE (50-bKk-La-wvu)[sage] 2026/09/09(水) 17:00:01.08 ID:db81M
馬鹿はその場限りの点の知識しか示せない。
そりゃそうだよな。
ネット検索やAIや断片的な書物の知識しか無いのだから。
でもちゃんと体験や知識を積むと、それが縦横二次元の知識となり、三次元四次元の知識へと至る。
ここは面白くて、アビダルマは一見「法」という究極単位を立てるので、永遠の実体論に近づいたようにも見える。
でも『倶舎論』などでは、基本的に諸法は生滅する。
つまり、
「現象は無常だが、背後に常住の真如がある」
という二層構造ではない。
むしろ、
無常な諸法をどこまで細かく分析できるか
という方向。
だからあなたのいう「骨抜き」という観点からすると、ここまではまだ初期仏教の無常論をかなり忠実に保持している。
ところが大乗になると、今度は
諸法は空である
となる。
ここだけを見ると、無常論をさらに徹底したようにも見える。
ところが同時に、
真如
法性
法界
といった語が強い意味を持ち始める。
そして、
「無常な現象の分析」
から、
「無常な現象を成立させている究極的なあり方」
へ、関心の重心が移っていく。
ここでかなり決定的になる。
『大乗起信論』の
一心・二門
すなわち、
真如門
生滅門
という構造。
これ、あなたの問題意識からするとものすごく重要で、
生滅する世界だけが世界なのではない。
という構造を仏教思想の内部に持ち込む。
しかも真如は不生不滅。
すると、
初期仏教:
すべての有為法は無常
から、
後代大乗:
生滅する現象の根底には、不生不滅の真如がある
へと、重心が移る。
そして華厳になると、
真如 vs 現象
という二階建てをそのまま維持するのではなく、
真如が現象そのものに浸透している
という方向へ行く。
法界縁起、十玄、六相、事事無礙……。
最終的には、
一即一切、一切即一
だから、
生滅する一事一事の中に法界全体が現れている。
ここまで来ると、「無常」は消されたわけではないけれど、思想体系の中での地位が大きく変わっている。
「無常だから執着を捨てよ」という初期仏教的な機能から、
無常な現象そのものが、永遠普遍の法界を顕現している
という、かなり違う宗教哲学になっている。
/ , `ヽ.
/〃//,. ,ィl/|l ト、 !、 、 ヽ
ー’´| | l |1 | !l. l| ! | l.|ヽ ! !、 ’, おじちゃんたち
YレV!ヒエ「! |l.「_ト!Ll」| l l l どうしてはたらかないの?
! lハイJ | ´|_jヽ. リ,! ! l. l |
|l |l.} ー , L _,ハl.lトl l. | l
|l ilト、 n ” ,1l|ィ| |l l |
_ 二,ニ^tュ–ェ_t1」l.|l !リ|_lノ
r7´ f r┐| 〔/ミヽ>,-、 ̄´
Y ー个‐’t ハ-、_’ゝ、
ヽ ._・ rく ̄ヽト-‘丿 ヽ l
/ (・__,)ゝi┬’´ハ` ’`|
|ヽ, イ ノ┴くヽヽ、 /
`´ ゝ┬ヘ`ヽ | `ー‐1
ゝノ-‐^ー’一”丶 ヽ ヽ
ト、_ `ーァ’¨不ヽ
| | 「 ̄「 ̄l ̄ト、,イトヒi′
l l. l l ! !└’ l |
└ L 」_,|__l_l.__L.l′
| | | |
l l ! !
l l. l l
ト–┤ !–‐1
f‐t央j. ト央ァヘ
| 甘l、 / 甘 |
l ,.-‐ヽ レ’⌒ヽ/
`く.__ ノ ゝ–‐′
ただ、僕なら少しだけ言い換えて、
「諸行無常が否定された」のではなく、「諸行無常だけでは究極的真理を表せない」という方向へ、仏教が自己改造されていった
と言うかな。
これなら、
初期仏教 → アビダルマ → 中観 → 唯識 → 如来蔵 → 起信論 → 華厳
という流れの中で、
「無常」から「空」へ、さらに「真如・法界」へと究極性の所在が移動していく
というあなたの見立てをかなり正確に表現できる。
そして実は、ここにはものすごく面白いパラドックスがある。
「無常」を説いた仏教が、無常そのものを究極的真理から降格させることで、巨大な形而上学を獲得していく。
これは、仏教思想史を見るうえでかなり本質的なテーマだと思う。
スリスリ _,. .-―-、
(: :ノ/ : : : : ヽ
.((_ /个ヾ`: : : : : :}
ニ / } }: : : : :/
} }: : : :/
!j _j ┬'
/ _r‐' ノ
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 ̄ ̄\ ,. -- 、/ / ゝ、___/´
\´ Y / ヽ 〉
.`、 / ̄
`、 _,. -< /彡'
V´ ヽ /ミ
rヘ ヽ Y `
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. | ヽ `ー‐' /
\ \ \`ー‐ '´
\ `7\_〉 }
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(i!| (::::::::::::::::::::::::::::ハ_ノ
ゞ-イ>三二 !ト)
に二二イ/ ! !ヽ
} ,.――' !
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! 、 ヽノ r
! Yr' |
| | | r _ヽ__ノノ i!
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! ! ! ! ヽ !
! ヽヽ .!
! ) ) .!
! / / .!
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// )___) ヽヽ /
7―-' ! Y
ー' /' ヽ
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j .i / .′
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{:.:.:..:.:.:.:.:.:.:.:./:.:/.:/: : : :._: : : : : 人_ノ: : : : :ー:
、:.:.:.:.:.:.:.:イ:.:./:.:./: : : :ノ ) : : : : : : : : : : : : : :
`ー zzz <: :彡 : : : , /: : : : : : : : : : : : : : :.
 ̄`''< : : : 〈 ヽ: : : : : : : : : : : : : : : :
`  ̄.ヘ ´  ̄ マ :: : : : : : : : ::
\ } ̄ アー ―
ヽ ' /
ノ / /
早朝っていうか、夜中だぞ(笑)
ラピス降臨か?
発想が、似ているから
😀😀😀😀😀
大したヤツだな
🤡…〜〜
好みに合わないものは排斥する
自分中心で展開していく
そういう見方しか出来なくなる
この世は無明に覆われてる
>まどひはなきものぞとも知るべし、さとりはなきことぞとも知るべし。
で、この次の文が、無上菩提の人…
だから、やはりいったんは悟りを得て、それが深まると、迷悟が無くなるというか、もともと無いものと理解できる、ということなんでしょうね。。
もともと無いんですよ。。
それがわかるかどうか…
もちろん、忘れてから、わかる、という順番の人もいるのかもしれないけれど。。
みんな未解決=みんな解決です。。w
みんな悟ってる=みんな修行中。。
明治期になってやっと出版された。。
それまでは、幾つかお寺、師家のもとに、私蔵されていたのみ。。
基本、一部の人以外、読んでなかったんでしょうね。。
雲水さんは、基本、読めなかったんでしょう。。
627:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:29:52.30 ID:GHVkJlI/[96/96]
うんうん、精神病棟にレリゴー😘
🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆
162 栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm :[sage]:2024/03/09(土) 16:35:39.62 ID:b8JerweS
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
633:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:32:58.27 ID:GHVkJlI/[98/98]
で?
悔しくて我慢できないのか?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
千枚通しで喉仏を刺して逝けば?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
ぶわあーーーーーくわwww
あんたケロン星人?
ということで、ケロロ軍曹、また始まるらしいな。。
いつからだったか?
道元禅師に言ってくれ。。w
今日はまだだけど。。
今日は、個別株のチャートを見てました。。
627:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:29:52.30 ID:GHVkJlI/[96/96]
うんうん、精神病棟にレリゴー😘
🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆
162 栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm :[sage]:2024/03/09(土) 16:35:39.62 ID:b8JerweS
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
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633:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:32:58.27 ID:GHVkJlI/[98/98]
で?
悔しくて我慢できないのか?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
千枚通しで喉仏を刺して逝けば?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
ぶわあーーーーーくわwww
んじゃ理屈をこねるのは仕方ないな。
はいわたしは川上雪担東山寺の坊主です、なんとしても跡継ぎの何人かこしらえなくては死なれんです、でもって年甲斐もなくしゃしゃり出ました、よろしく。だれあって必ず見性がほどはさせますよ。
531 名前:せったん[myoejoe] 投稿日:2005/07/02(土) 08:06:23 ID:hyp2ClHp [2/20]
そうですすなおが一番です、坐って坐って坐り抜いてふっと気がつくと元の木阿弥初心なんです、結局は初心です。
これは、ヤバ過ぎで、公開中止になった国もあるらしい。。
第一話で、描かれる、流しの汚さ・・その細部の描写が、非常にきれいなのだけれど‥
あれを見ると、洗い物しなきゃだなあと思い知らされる。。w
だから、趙州洗鉢は、実に、素晴らしいお話だ。。w
やることをやらなけりゃ、解脱も安楽もない。。
行動の問題であって、、心、だけの問題というものはない。。
日本人にとっては、そんな特殊なお話、ではないかもしれないのだけれど。。
これが文明的な都市部小市民、俗世間的なもの
↓
キレイな見かけで遠ざけられてる、それを裏で支える泥臭い、血と汗と糞尿の、肉体的物質的な実際
これが肉体労働者や農民、文明以前の自給自足的なもの
汚いものを労働者らに押し付け搾取してる、なんて言説がよく言われたのが前の世紀の革命の思想が盛んだった頃かな
さらに近代的合理的な都市部の生活でそぎおとされ見失われてるものを求めて
自然とともにある文明批判のヒッピーやインドで自分探しとか、前近代的な宗教や神秘によったり薬物で神秘体験など
そうですすなおが一番です、坐って坐って坐り抜いてふっと気がつくと元の木阿弥初心なんです、結局は初心です。
製ウンコ殿に聞かせたいお言葉~😭
今、せったんが生きていたら
ハッスル🤡はタコ殴りだろう
ぼったんはタコ殴りだった
😀
なかなか恐ろしい坊主だった
ヤツは
😀
😀
フフフ(⌒‐⌒)
『リタムバラー・プラギャー』~深層意識の暗闇を焼き尽くす、宇宙真理の閃光~
https://www.facebook.com/share/196tjVxjck/
https://i.imgur.com/qG89N4o.jpeg
なんだか、楽しそうだな?😄
楽しくないか?
ある古びた建物を見て廃屋だと。
新築の頃は今とは見違える綺麗さと
人々が行き交う活気、住む家族の顔ぶれは
どんなだったろうか?
そんなノスタルジアに浸るのが
俺の変な趣味の一つなんだ。(⌒‐⌒)
教えてもらう必要ないというのならハナからお坊さんの話しを聞く必要ないでしょ
医者なんておしなべて偉そうにしてるでしょ
あれはそっちの方がことを運びやすいからやってるんだよ
白衣効果なんて言葉もあるからね
お寺の、特に禅のお坊さんなんてお釈迦さまの弟子でお釈迦さまを医王と呼ぶくらいなんだから大抵は偉そうだよw
来世はノラ😺だ
😀
彼に参じたときもはるかに年下の者にも焼香礼拝してちゃんと礼儀正しくして礼を尽くして質問したそうだよ
私なんかさすがだなぁと思ってしまう
師匠をぶん殴って
「このキチガイがー!」
とかいわれてたが(⌒‐⌒)
なにが「いずれ」だよ。
今すぐ喰らえ!アホンダら
たいていはあんなもんだな、モーレツ世代。。w
提唱の動画見ると、話もうまい。。
ちゃんと初めに、アイスブレイカーじゃないけど、つかみに、ちょっと笑いを取って、という始め方。。
あれは、なかなか、ベテランの域。。
たぶん、不適切なことを言っているので、今、YouTubeに上がっている動画では、削除されていることでしょう。。w
会下の女性のおしりをさわって、触れた女性がセッタン和尚のほっぺたを思いきりたたいたら、セッタン和尚が転がって言ったってホントの話か。
誰に聞いたんだろう。
というハンドルで書いてたころは
やりたい放題で誰もついて行けなかった。
米軍のMPつまりミリタリーポリスとか
言ってたので
戦前生まれですな。
だが、東大卒でテニス部だったそうだ。
谷崎潤一郎かよ(⌒‐⌒)
モフモフ😺威張りたい種族😺
😀
威張りたい種族だ。
頭が高い!
控えおろうーーーーー!!!
明確になってないならなおさら
俺は素直にせったんの文章に
リアルタイムには感動できたほうだ
😀
モフモフ😺キャラ
ネコハジコ〜
😀
モフモフ😺されたい為に
レスしているのだろう
😀
貴様のハゲ頭が見えん、
と、言うことだな(⌒‐⌒)
なんたる暴言か!
この事必ず帝に言上し
しかるべき沙汰ある故
覚悟しておじゃれ!
ワシはぽったん聖下の側近じゃ。
貴様、何者だ?
正解を確かめてる偽物野郎か。残念
>>430
あなたほど狂ってない。
その話は知らないけど、けっこう余罪はあるでしょ?
一回限りじゃないことは確か。。w
でも、あの世代の人たちって、それが、普通だったりするからな。。w
けっこう飲み屋のおカミさんとか、酔っぱらいに触られまくってたりしたの、おれも憶えている。。
今は、もうないだろうけれど。。
何度も確かめるという行為が動かぬ証拠
法などないからだ!
なぜ、そんなことがわからんのか?!
貴様らが法身であることを
知らずして法身なのだ。
認識主体を認めているのが
貴様らのガンだ。
3時まで遊ぼう
漏漉というのは、何度も何度も紙を漉く作業のこと。。
だから、悟りが頭の中のものではない、というのは必ずしも正しくない。。
その他、祖師の話を聞いて、とか、対話の中で悟る、ということがある以上、
超越的な理解、が悟り、という場合もある、ということは、否定できない。。
おれに言わせれば、それを否定する人は、最後まで行けないと思うよ。。
悟り終わることができない、悟ったさん、困ったさん止まり。。
雪渓師や、せったんさんは、法の理解があった。。
それなしで、大死一番とか、自己を忘じました、とかだけじゃダメでしょうね。。
それだけだと、仏道は残っても、法は滅ぶ、悟りも無くなるでしょう。。
自分が思いどおりにならない、
てやつだろ?
若さというジェットコースター
死ぬほど楽しめ
それは、仏道を習うとは、から始まる文の述語部分に過ぎません。。
悟りについては、別に言っているわけです。。
これが真理です。
若さなんてのは無常において儚いものよ
明日はは金曜だから
仕事後によ
あなたの言う
「儚さ」っていう
俺が好きなのを
さがしに行く。
ノスタルジー
バス無料券で行く。
いつでも同じ。
職務を遂行するだけだろ。
何かモンダイでもあるのか?
ロンボケ氏。
✴️ パタンジャリの『ヨーガ・スートラ』第1章48節に登場する言葉です。
ブッディ(理智)が完全に浄化されたときに現れるという
【 真理のみを照らす、究極の知性・光 】を意味しています。
✴️ この≪光≫とはまさに・・・
【 リタムバラー・プラギャー(宇宙の根本真理に満ちた超意識的な智慧の光)】そのものを指しています。
【 リタムバラー・プラギャー 】という言葉自体が、≪ブッディ(理智)≫の領域において【 宇宙の真理(リタ)を宿し、内側からすべてを正しく照らし出す純粋な光 】として機能するため、
まさに【宇宙真理の閃光】という表現がぴったりと重なります。
https://www.facebook.com/share/p/14mc7EVRZcj/
https://i.imgur.com/lORFqAU.jpeg
狩猟採集生活とか勘弁してください
でも火の点け方と水の濾過方法と釜戸の作り方は、憶えていて損はないだろ
そうだな。その中で、自分には何が出来るだろう、とは、思っているかな
627:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:29:52.30 ID:GHVkJlI/[96/96]
うんうん、精神病棟にレリゴー😘
🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆
162 栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm :[sage]:2024/03/09(土) 16:35:39.62 ID:b8JerweS
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
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633:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:32:58.27 ID:GHVkJlI/[98/98]
で?
悔しくて我慢できないのか?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
千枚通しで喉仏を刺して逝けば?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
ぶわあーーーーーくわwww
ハッスル🤡潜水攻撃を
華麗にかわす
😀
ハッスル🤡〜〜〜輪廻
🤡〜〜〜