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法介教学 パート12アーカイブ

1.
ユーザー
xeSwp
過去スレ:

【不滅の法燈】 天台教学を学ぶ 【悉有仏性】
https://talk.jp/boards/psy/1690865352

【天台】 法介教学 【日蓮】 Part2
https://talk.jp/boards/psy/1773577228

【天台】 法介教学 【日蓮】 Part3
https://talk.jp/boards/psy/1775074462

【天台】 法介教学 【日蓮】 Part4
https://talk.jp/boards/psy/1776803998

【天台】 法介教学 【日蓮】 Part5
https://talk.jp/boards/psy/1777453792

法介教学 パート6
https://talk.jp/boards/psy/1777817290

法介教学 パート7
https://talk.jp/boards/psy/1778260699

法介教学 パート8
https://talk.jp/boards/psy/1778712383

法介教学 パート9
https://talk.jp/boards/psy/1779130916

法介教学 パート10
https://talk.jp/boards/psy/1779846347

法介教学 パート11
https://talk.jp/boards/psy/1780793053

番外編:
法介の『法華経道場!』★2
https://talk.jp/boards/psy/1746776433
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953.
ユーザー
xui0q
次第に観じ取っていく

「次第三観」でもあります。
954.
ユーザー
xui0q
「次第三観」というのは、

三乗それぞれに説かれた

空・仮・中を、

一つ一つ別々に観じ取りながら、

次第に深い境地へと進んでいく観法です。
955.
ユーザー
xui0q
まず一つを観じ、

それを修め、

さらに次の観へ進む。

そしてまた修める。

そうやって、

一段一段、階梯を登るように悟りを深めていく。
956.
ユーザー
xui0q
これは菩薩の五十二位を、

一段一段、

階位を昇りつめていく。

気の遠くなるような、

歴劫修行です。
957.
ユーザー
xui0q
仏教では、釈尊の入滅後を

正法・像法・末法

という「三時」に分けて説きます。
958.
ユーザー
xui0q
正法では、仏の教えに従って修行し、悟りを得る。

像法では、禅定や教えを学ぶことが盛んになる。

そして末法に入ると、

「教えは残っていても、修行して悟りを得ることが難しくなる」

と説かれます。
959.
ユーザー
xui0q
『大集経』では、

末法になると仏の教えが次第に衰え、

最後には「白法隠没」と説かれています。
960.
ユーザー
xui0q
つまり、

教えは残っていても、
それを実践して悟りに至る力が失われていく。

これが「末法」という時代です。
961.
ユーザー
xui0q
『末法灯明記』で伝教大師は、末法について、かなり厳しいことを言われています。

「もし末法の時代に戒律をたもつものがいるというなら、それこそおかしなことである」

そして、

「末法の時代にあっては、名ばかりの僧侶しかいない」

とまで言われています。
962.
ユーザー
xui0q
実際、

末法である現代にあっては

まさにそのようなあり様です。
963.
ユーザー
eYBkJ
末法ほ〜〜〜〜っ‼️〜〜〜



😀
964.
ユーザー
xui0q
つまり末法とは、

仏の教えが書物として残っているかどうか、

という問題ではありません。

その教えを実際に修行し、

その修行によって悟りに至ることが、

次第に困難になっていく時代なのです。
965.
ユーザー
xui0q
そうなると、

別教の菩薩のように、

空・仮・中を次第に修し、

五十二位を一段一段と昇っていく歴劫修行では、

末法の衆生を救うことは難しくなってくる。
966.
ユーザー
xui0q
では、

「どうすれば末法の衆生を成仏させることができるのか?」

ここで、法華経の円教が登場する訳です。
967.
ユーザー
xui0q
法華経では、

空を悟って、次に仮を悟り、さらに中を悟る、

という次第の観法から、

空・仮・中が一心に具わる

「円融三観」へと展開していく。
968.
ユーザー
xui0q
それを智顗が『摩訶止観』において、

「一心三観」という行法として説いたわけです。
969.
ユーザー
xui0q
智顗の『摩訶止観』に説かれた

「一心三観」という行法は、

たしかに円融三観を実践するための

非常に完成された観法です。
970.
ユーザー
xui0q
しかし、>>910 あたりで説明しましたように

末法に生まれ出て来る衆生は

仏との縁(仏縁)を持たない

「本未有善」の荒凡夫なんです。
971.
ユーザー
xui0q
その末法の凡夫が、

どんなに優れた止観を修したとしても、

仏の覚りを得ることはできません。

なぜなら、

「本未有善」とは、

そもそも仏道に入るための

仏縁・善根を持たない衆生だからです。
972.
ユーザー
xui0q
これは唯識で説かれる

「種子」の問題にもつながってきます。

いくら優れた修行法があったとしても、

その修行によって仏果を生じさせる

善の種子がなければ、

仏の覚りを得ることはできない。
973.
ユーザー
xui0q
つまり、

「一心三観」という

優れた観法があることと、

「その観法によって末法の荒凡夫が成仏できること」は、

別の問題なんです。
974.
ユーザー
xui0q
では、

本未有善の荒凡夫に、

どうやって仏縁(仏との縁)を植えるのか?
975.
ユーザー
xui0q
末法におけるこの最大の問題を

説いているのが

『法華経』における虚空会です。
976.
ユーザー
xui0q
お釈迦さまの『法華経』説法を聴聞していた弟子達が、

「我々がこの娑婆世界で法華経を弘めます!」

と申し出たが、

「止めよ、仏法に帰依した男子よ、おまえたちはこの経を護持しなくてもよい」

と退けます。
977.
ユーザー
xui0q
そして久遠から呼び出した

地涌の菩薩衆が大地を割って登場します。
978.
ユーザー
xui0q
大地が裂け、その中から涌き出てきた上行菩薩はじめ無量千万億の地涌の菩薩は、

「身皆金色にして、三十二相、無量の光明あり」

と『従地涌出品第十五』には記されています。
979.
ユーザー
xui0q
これは、

仏と等しい覚りを得た

「等覚の菩薩」を示しています。
980.
ユーザー
xui0q
つまり、

末法の荒凡夫に仏縁を結ばせるには、

その仏縁をすでに具えた者、

しかも仏と等しい覚りに立つ者が、

その衆生に仏縁を顕していく必要がある。
981.
ユーザー
xui0q
だからこそ、

法華経の本門では、

「九界即仏界」の上行菩薩が現れ、

さらに久遠の釈尊自身が、

「我本行菩薩道」

と説く。

仏界の中にも九界があり、

九界の中にも仏界がある。

ここに、

真の「十界互具」が示されるわけです。
982.
ユーザー
xui0q
では、ここで重要なのが、

「誰が仏の法を付嘱されたのか」

という問題です。

仏から「法」の付嘱を受けていない菩薩が、

仏の境涯を表そうとして曼荼羅を顕したとしても、

それは十界互具・一念三千を完全に顕すことはできません。
983.
ユーザー
xui0q
その結果として現れるのが、

仏の「慈悲」を表す胎蔵界と、

仏の「智慧」を表す金剛界と、

別々に描く二部構成の曼荼羅です。

これは一見すると壮大な仏の世界を表しているように見えますが、

そこには「九界即仏界」という十界互具の構造がありません。
984.
ユーザー
xui0q
それに対して、

『法華経』で説かれている

すべてが一つに顕れる「真如の世界」を、

見事に顕されているのが、

日蓮さんが顕された「十界曼荼羅」です。
985.
ユーザー
xui0q
ここで、

日蓮さんが顕された「十界曼荼羅」を

詳しく見てみましょう。

なぜ、この曼荼羅が

『法華経』の説く

「十界互具」を顕しているのか。
986.
ユーザー
xui0q
それは、

この曼荼羅の中に

「仏界」だけが独立して存在しているのではなく、

九界の衆生と仏界とが、

一つの世界の中に同時に顕されているからです。

地獄から菩薩までの九界と、

中央の仏界。

それらが別々の世界として分けられているのではありません。
987.
ユーザー
xui0q
つまり、

「九界」と「仏界」を

別々に観るのではなく、

九界の中に仏界があり、

仏界の中にも九界がある。

その「互具」の関係そのものを、

一枚の曼荼羅の中に顕しているわけです。
988.
ユーザー
xui0q
これが、

密教の曼荼羅とは決定的に異なるところです。

胎蔵界と金剛界という

二つの曼荼羅に分けて

仏の慈悲と智慧を表現するのではなく、

日蓮さんの十界曼荼羅では、

九界と仏界を一枚の中に収め、

その相互関係そのものを顕しています。
989.
ユーザー
xui0q
そして、

これは単なる「仏の世界」の図ではありません。

『法華経』が説いた

「諸法実相」

すなわち、

あらゆる諸法がそのまま真如の相を顕している

という法門を、

曼荼羅として顕したものです。
990.
ユーザー
xui0q
だからこそ、

この十界曼荼羅には、

「仏だけ」がいるのではありません。
991.
ユーザー
xui0q
地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天、

そして声聞・縁覚・菩薩・仏。

この十界が、

一つの曼荼羅の中に顕されています。
992.
ユーザー
xui0q
ここに、

「十界互具」

という『法華経』の究極の世界観が

形として顕れているわけです。
993.
ユーザー
xui0q
智顗の『摩訶止観』は

その名の通り

止観です。
994.
ユーザー
xui0q
『摩訶止観』とは、

〝最も優れた止観〟という意味です。
995.
ユーザー
xui0q
しかし、

日蓮さんが末法の衆生に示した行法は、

智顗の「止観」ではなく

「直達正観」です。
996.
ユーザー
xui0q
「止観」とは、

文字通り、

止と観によって

自らの心を観じ、

円融三観を修していく行法です。
997.
ユーザー
xui0q
つまり、

そこには「修行する」という

観法の次第があります。
998.
ユーザー
xui0q
ところが、

末法の「本未有善」の荒凡夫には、

その観法を修するための

仏縁そのものがありません。

だからこそ、

日蓮さんは

「観法を修して仏になる」

という道を取らなかった。
999.
ユーザー
xui0q
では、

どうしたのか。

「仏の法」を

そのまま衆生の生命に

直ちに顕していく。

これが、

「直達正観」

という行法です。
1000.
ユーザー
xui0q
では、

その仏の法とは何か?

それが

「南無妙法蓮華経」です。
1001.
ユーザー
???
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1002.
ユーザー
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