仏のスレ83最終更新 2026/06/30 19:351.ペニスマン🤡でおー5kYc4勝手にしやがれ!仏のスレ80https://talk.jp/boards/psy/1781779174仏のスレ81https://talk.jp/boards/psy/1782119415仏のスレ82https://talk.jp/boards/psy/17822071332026/06/28 14:50:0661コメント欄へ移動すべて|最新の50件2.神も仏も名無しさん2pG9t栖雲居士墓穴を掘って何も言い返せず発狂して完全敗北37 名前:栖雲居士◆MKrKQHoID7SE[sage] 投稿日:2026/06/21(日) 15:44:31.83 ID:3jPfO [1/3] 0wwwwwwwwwwwwwwwwww普通に坐禅してるだけでdisられるとか、変なスレだよなぁ。まぁ、泡沫カルト団体の末端信者が発狂して、禅をdisってるのは分かるけどwww40 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2026/06/21(日) 15:48:37.26 ID:OvjNS 0少なくとも自分は普通に坐禅してるだけではdisらないよやってることが本末転倒だからそりゃねってことwww43 名前:栖雲居士◆MKrKQHoID7SE[sage] 投稿日:2026/06/21(日) 15:57:08.84 ID:hYwgH [2/4] 0>>40> 少なくとも自分は普通に坐禅してるだけではdisらないよ> やってることが本末転倒だからそりゃねってことwwwwwwwwwwwwwwww普通の坐禅とは如何に?49 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2026/06/21(日) 16:14:48.08 ID:PnqfN [1/2] 0>>43>>37自分で言った言葉がそんなに面白かったか?被害者ぶった後は論点すり替えまでしようとしてご苦労なこったこれが坐禅の成果か62 名前:栖雲居士◆MKrKQHoID7SE[sage] 投稿日:2026/06/21(日) 16:54:31.04 ID:W2TRu 0>>49wwwwwwwwwwwwwwwwwwまーーーーーた、名無しでiDコロコロかw泡沫カルト団体の末端信者www2026/06/29 08:05:143.神も仏も名無しさんXDUoRお怒りハッスル🤡だったよーだ😱2026/06/30 05:34:284.栖雲居士◆MKrKQHoID7SE0EnyGもとよりとかありのままとかハッキリとか……それをいう人がいるけど、トートロジー的な説明は抜きにして、具体的にそれがなんであるかって示せない以上、その人が実際に体験をした事ではなくて、聞きかじりの口パクなんだろうな。2026/06/30 06:58:195.栖雲居士◆MKrKQHoID7SE0EnyGともあれ、その具体的が何であるか、教学の視座から考察してみようと思う。2026/06/30 07:00:046.栖雲居士◆MKrKQHoID7SE0EnyG結論から云うと、それは現量(分別を離れた状態であり、言語的な概念構成やカテゴリー化を行わない、ありのままの直接認識)でしょうね。六識の眼耳鼻舌身意がそのまま色声香味触法であり、比量や非量、乃至似現量がない状態です。2026/06/30 07:05:267.栖雲居士◆MKrKQHoID7SE0EnyGそしてそれがどう発現するのかというと、もとより眼耳鼻舌身は、そのまま色声香味触の現量なのですが、問題は意識なんです。意識は一部の例外を除いて常に現起して比量や非量乃至似現量をしている訳です。これが現量を発現するのは、主に定中意識に於いてとなるでしょうね。ただし、定中意識といっても浅深があり、資量位や加行位での修禅の習熟によってそれが深まり、見道にてそれが意識中に発現する様ですね。同時に無分別智も。2026/06/30 07:12:308.栖雲居士◆MKrKQHoID7SE0EnyGで、当然ですが、現量ですから、そこに言語的な概念構成やカテゴリー化はないのです。もとよりとかありのままとかハッキリとかってね。勿論、それらはその現量を示す言葉として必要ですが、それを本体界の様に実体視しては本末転倒な訳です。2026/06/30 07:22:569.神も仏も名無しさんL8Dk6パーリーへ悟って解決したということは、悟って解決した、も無いんだよ。。だから、その経過ががどうだったか、とか、必要ない。。基本は、自己が問題ではなくなる、ということですね。。悟ったとか、迷っている、とかが無いから。。2026/06/30 07:26:1510.神も仏も名無しさんL8Dk6経過なんてのは、悟りの説明でしょ?悟りが無ければ、それも残るわけがない。。悟迹の休けつなるあり、と現成公案にあるのはそのことだよ。。そんなの忘れてしまうのが、道、ということでしょうね。。知は是れ妄覚だから。。2026/06/30 07:29:4011.栖雲居士◆MKrKQHoID7SE0EnyG色即是空空即是色。空化とは、禅定意識中に於ける言語によって構築された世界の解体って事になるのではないのでしょうかね。現量の体験です。そして、現量体験から至った無分別智による考察が、現量からどうして思量に至るのかのプロセスについての考察から、"縁起の理法"が発見されたのではないのでしょうかね。2026/06/30 07:30:5012.神も仏も名無しさんL8Dk6もともと無いものだから、悟りも、迷いも。。それをちゃんと明らめたか否か、でしょうな。。2026/06/30 07:31:3613.神も仏も名無しさんL8Dk6ワールドカップは、さすがに寝たわ。。w寝不足になってまで見なくていいと思った。。今、ニュースでダイジェスト見たけれど。。2026/06/30 07:34:0614.神も仏も名無しさんL8Dk6迷悟なんて本来あるわけないじゃん、というのは、わりかし、おれはすぐわかったな。。だけど、それわかっただけでは解決しなかった。。そこから、十何年、20年近くかかったんでしょうか?w2026/06/30 07:36:1215.神も仏も名無しさんL8Dk6パーリーへ、自己を忘ずるためには、自己を捨てることだよ。。w自己も、人生もいったん捨てるんです。。他にはないかも。。w2026/06/30 07:39:3616.栖雲居士◆MKrKQHoID7SE0EnyG長いけどw >次通達位其相云何。頌曰 (次の通達の位の其の相云何ぞ。頌曰く、) >若時於所縁 智都無所得 (若し時に所縁の於に、智都て所得無くなんぬ。) >爾時住唯識 離二取相故 (爾の時に唯識に住す、二取の相を離れるるが故に。) >論曰。若時菩薩於所縁境無分別智都無所得。 (論に曰く、若し時に菩薩いい、所縁の境の於に無分別智いい都て所得無くなんぬ。) >不取種種戲論相故。爾時乃名實住唯識眞勝義性。 (種々の戯論の相を取らざる故に。璽の時に乃し実に唯識の真勝義性に住すと名づく。) >即證眞如智與眞如平等平等倶離能取所取相故。 (即ち真如を証する智と真如と平等平等にして、倶に能所を離れざるが故に。) >能所取相倶是分別。有所得心戲論現故。 (能取所の相は此れ分別なり。有所得の心のみに戯論は現ずるが故に。) >有義此智二分倶無。説無所取能取相故。 (有義は、此の智には二分倶に無し。所取能取の相なしと説けるが故に。) >有義此智相見倶有。帶彼相起名縁彼故。 (有義は、此の智には相見倶にあり。彼の相を帯びして起こるを彼を縁ずと名づくるが故に。) >若無彼相名縁彼者應色智等名聲等智。 (若し彼の相は無くとも、彼を縁ずと名くといはば、應に色智の等きを声等の智と名くべし) >若無見分應不能縁。寧可説爲縁眞如智。 (若し見分無くんば、能縁にあらざるべし。寧んぞ説いて、真如を縁する智を為す可けむや。) >勿眞如性亦名能縁。故應許此定有見分。 (勿、真如の性をも、また能縁と名けてむが故に、此れには定んで見分も有りと許すべし。)2026/06/30 07:40:3017.栖雲居士◆MKrKQHoID7SE0EnyG >有義此智見有相無。 (有義は、此の智慧には、見は有りて相は無し) >説無相取不取相故。 (相無くして取る、相をば取らずと説けるが故に) >雖有見分而無分別説非能取非取全無。 (見分は有りと雖も、而も無分別なるをもって、能取に非ずと説けり。取ること全無には非ず) >雖無相分而可説此帶如相起不離如故。 (相分は無しと雖も、而も此れいい如の相を帯して起こると説くべし。如に離れざるが故に) >如自證分縁見分時不變而縁此亦應爾。 (自証分いい見分を縁ずる時に変せずして縁ずるが如く、此れも亦た応に璽るべし) >變而縁者便非親證如後得智應有分別。 (変じて縁ぜば便ち親しく証するに非ずなんぬ。後得智の如く応に分別あるべし) >故應許此有見無相。 (故に応に此れには見のみありて相は無しを許すべし)2026/06/30 07:40:4318.神も仏も名無しさんL8Dk6あとは全部忘れることですね。。何か一つでも、気になることがあったら、自己を忘ずる、にはならないでしょうね。。師匠とか、その他の人のことも、いったんぜんぶ忘れる。。他にはないです。。2026/06/30 07:41:3219.栖雲居士◆MKrKQHoID7SE0EnyG>泉云く、道は知にも属せず、知は是れ妄覚、不知は是れ無記、若し真に不擬の道に達せば、猶大虚の廓然として洞豁なるが如し、豈に強いて是非す可けんや。>(『無門関』第十九則「平常是道」より)その知が分別知を示しているのは云うまでもないでしょう。問題は「不知は是れ無記」の解釈ですが、これは>雖有見分而無分別説非能取非取全無。(見分は有りと雖も、而も無分別なるをもって、能取に非ずと説けり。取ること全無には非ず)>雖無相分而可説此帶如相起不離如故。(相分は無しと雖も、而も此れいい如の相を帯して起こると説くべし。如に離れざるが故に)とある様に、現量体験、すなわちありのままの直接認識がある事が示されている様に、それがないのは無記だという事でありましょう。2026/06/30 07:50:3620.栖雲居士◆MKrKQHoID7SE0EnyGややこしいのですが、分別知に於いては妄覚でも無分別知はあるのだって事です。「不知最も親切」という地蔵和尚の説示の不知は、この無分別知を云うのでしょう。また、道元さんは「不知、是、最親切、知るもまた、最親切なる」って仰ってますね。その知は無分別の分別知でありましょうかね。2026/06/30 08:00:3721.栖雲居士◆MKrKQHoID7SE0EnyGま、理屈だけどねw2026/06/30 08:03:4422.栖雲居士◆MKrKQHoID7SE0EnyGもとよりとかありのままとかハッキリとか……その方がその様に表現される現量体験、まぁ見性体験をされたかどうかは、判別し難い事なのは云うまでもありません。見性(見道)とは、 >若時於所縁 智都無所得 (若し時に所縁の於に、智都て所得無くなんぬ。) >爾時住唯識 離二取相故 (爾の時に唯識に住す、二取の相を離れるるが故に。)です。見が性で性が見だから、所得なく二元から離れているのです。2026/06/30 08:19:5623.栖雲居士◆MKrKQHoID7SE0EnyGスレが荒れるので、たとえでおーに対しても"お前は見性してないだろ?"とか、名指しで指摘とかはしませんけどね。あっ、🤭www2026/06/30 08:23:1224.パーリーZ9Twoしかしロンさんのはリダンが言うようにポエムなんだわ次第法門を説き明かして伝法出来ないでは偽者の偽の教えそれでは意味が無いことですね2026/06/30 08:29:3025.神も仏も名無しさんHOEG6誰かに伝えることを目的としているという事だね2026/06/30 08:31:1826.神も仏も名無しさんVCmu6おハッスルううう〜〜〜〜〜〜🤡🤡🤡🤡🤡🤡🤡🤡🤡2026/06/30 08:35:1427.パーリーZ9Two釈尊のように究極へ至った自らがその至った行程を見たのであるからその次第法門を教えることが出来るってことその中間を飛ばして結論のみ教えるようなことでは誰にも再現性の無いことになるであるのでその人は真に至っていないことになるだからポエムでしかないって言われちゃうんだよロンさんのは2026/06/30 08:48:0328.パーリーZ9Twoロン曰く全てを忘れろ‼️どうやって⁉️リアルに体験して来たことはそうそう簡単には忘れられない2026/06/30 08:50:4729.神も仏も名無しさんVCmu6デンパパ📡は自建てしたスレが人気がないのでここで頑張り中〜〜〜👽👽👽👽👽2026/06/30 08:55:2130.パーリーZ9Twoおっ!GOKIBURIがチョロチョロとベシッ❗ グシャッ‼️あれ?なんだでおーだったのか!2026/06/30 09:36:0731.神も仏も名無しさんXS2Ee>>24言語や認識を超えた「もの」(真理)について語る際にはどうしても詩的な表現になりがちであるとは聞くものではあるけど2026/06/30 10:37:2032.神も仏も名無しさんtmlrU>>31👍️>>24👎2026/06/30 11:14:5233.パ ーリーqW2Gsそう言う本物の先人らの詩的なものと比較するのもはばかれるポエムの意味が違うのねロンさんのは2026/06/30 12:14:2334.神も仏も名無しさん5p2JU>>23ヤツの作り話に付き合う連中も嘘吐きですか?「現世に居ない幽霊がワイの導師や」と言ってますがヤツの宗教妄想や連中の精神障害は治りますか?2026/06/30 14:36:4235.神も仏も名無しさん5p2JU魔改造でおー何でも魔改造するメンヘラでおーは禅も魔改造したと言ってます2026/06/30 14:51:2036.神も仏も名無しさん5p2JU「現世に居ない幽霊がワイの導師や」何で同居してる父親達はメンヘラでおーを病院に連れて行ってあげないのか?2026/06/30 15:01:5037.神も仏も名無しさんL8Dk6人、はじめて法をもとむるとき、はるかに法の辺際を離却せり。法すでにおのれに正伝するとき、すみやかに本分人なり。(現成公案)ということで、はじめから求める必要はなかった。。wあるいは、向かわんと擬すれば、即ち背く(無門関、第19則)あるいは、従来失せず、向塵に依って、以って疎となる(第一図)ということです。。2026/06/30 15:27:4238.神も仏も名無しさんL8Dk6だから、もともと失われていない、備わっているものが悟り。。だから、過程とか、次第、なんてものは本来無いです。。気づくか否か、あるいは、法を聞いて理解するか否か、だけ。。2026/06/30 15:29:0639.神も仏も名無しさんL8Dk6だから、別に悟っても何も変わらない。。wただ、他に求めるものが無くなるだけのこと。究極に達するとか、そんな御大層なものじゃないです。。ただ、明らめた、ということがあるだけです。。明らかになっただけで、自分が変わるってことではない。。2026/06/30 15:31:1040.神も仏も名無しさんL8Dk6そういう意味では、自己を忘ずるとか、物と一つになるとかの必要も本来はない。。だけど、修行とか、仏道、ということでは、そういう過程を経る、ということにはなってる。。だから、修行にはプロセスはあっても、悟りにはないです。。悟ってない時、なんてのは、ないわけだから。。w2026/06/30 15:33:3141.神も仏も名無しさんL8Dk6だから、人を人として見てないとも言える。。w法しかない、ということですね、本質的には。。逆に言うと、人しか見えない、法がわからない、では、悟りもわからないでしょう。。2026/06/30 15:36:1542.神も仏も名無しさんL8Dk6段階を踏んで、だんだんと悟っていくとか、究極に近づいていく、とか思っているなら、どこまで行っても解決は無いよ。。wそれは、妄想の道。。wそうではなく、速やかに、自己を本質を照らし見るのが、悟りでしょうね、、自己の本質=本来無自己、が明らかになるだけ。。2026/06/30 15:42:3143.パ ーリーa7KyM>>40はいこれただの妄想‼️2026/06/30 16:30:4244.パ ーリーa7KyM>>42はいこれも妄想‼️伝法出来なきゃ黙ってなさい‼️2026/06/30 16:31:3545.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEdqXcL>>34> ヤツの作り話に付き合う連中も嘘吐きですか?でしょうね。> 「現世に居ない幽霊がワイの導師や」と言ってますが> ヤツの宗教妄想や連中の精神障害は治りますか?手遅れかと。2026/06/30 17:45:2146.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEXGqmf道元さんの説示を読む時に注意する点は、極力二元論的な要素を排除しているってことです。中世天台本覚思想が"本来仏だからそのままでいい"っていう本覚思想であるのに対して、道元さんのそれは"本来仏だから修行する"という本覚思想な訳です。その理路については後日触れる機会もあるでしょうが、つまり、同じ本覚思想でありながら修道については真逆の方向なんです。そこを抑えておかないと、ナイアルアルナイヒョンゲーな禅の説明になりますからね🥰2026/06/30 17:55:3347.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEXGqmf>この法は、人々の分上にゆたかにそなはれりといへども、いまだ修せざるにはあらはれず、証せざるにはうることなし。というのとよく対で説示されるのが、『五灯会元』の麻谷宝徹禅師の風性常住の話ですよね。ここでは道元さんの『正法眼蔵』の「現成公案」の方を引用します。麻浴山宝徹禅師、あふぎをつかふちなみに、僧きたりてとふ、「風性常住、無処不周なり、なにをもてかさらに和尚あふぎをつかふ。」師いはく、「なんぢただ風性常住をしれりとも、いまだところとしていたらずといふことなき道理をしらず。」と。僧いはく、「いかならむかこれ無処不周底の道理。」ときに師、あふぎをつかふのみなり。僧、礼拝す2026/06/30 18:14:2348.神も仏も名無しさんL8Dk6本来仏なんて、そんなうたい文句は全く必要ない。。w2026/06/30 18:46:0049.神も仏も名無しさんL8Dk6我がある、あるとしか思えないなら、たぶん解決しない。。我があって、それが不完全とか、それに不満だから、他を求めるわけでしょ?それが、根本から間違っているんだよ。。我、というものが、もともと無かった、と気づいたのであれば、それが解決です。。あると思っていたのが、そもそもの間違いだったということ。。我があることが前提で、凡夫の我が仏にわれになるとか、そういうのは、ぜんぶ妄想です。。w2026/06/30 18:50:4350.神も仏も名無しさんL8Dk6我が修行するとか、坐禅するも妄想。。我が悟るなんてのも、妄想。。wそういう妄想がいったん無くならないと、何もわからない。。2026/06/30 19:00:0951.神も仏も名無しさんM8XYf>>2wwwwwwwwwwwwwwwww2026/06/30 19:02:0152.神も仏も名無しさんL8Dk6でも、我も悟りもなく、すべてがはっきりと明らかになる、ということはある、ということ。。2026/06/30 19:02:0553.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEoO3Kc……無いではなくて、変化しない我というのは無いじゃないの?2026/06/30 19:05:4854.神も仏も名無しさんL8Dk6意識されない時があるということです。。もちろん、意識されないのですから、無い、とも思わないのですが。。2026/06/30 19:19:2755.神も仏も名無しさんL8Dk6言い換えると忘我ですね。。我を忘るるなり。。2026/06/30 19:20:1056.神も仏も名無しさんL8Dk6だから、後で振り返って、その時は無かった、とみなしているというだけ。。2026/06/30 19:20:5057.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEI8Jzqそりゃ、定中識では対象化がないから我の有無という認識は無いけど。2026/06/30 19:23:2058.神も仏も名無しさんL8Dk6対象化が無ければ、何も無いですよね?w2026/06/30 19:29:0259.神も仏も名無しさんL8Dk6だから、すべてがあるということと、何も無いということが、両立するんですよ。。w2026/06/30 19:29:5760.栖雲居士◆MKrKQHoID7SEMwUTlなんで今更この様な仏教の基本中の基本の指摘をしなきゃならないんだろ?2026/06/30 19:31:5661.栖雲居士◆MKrKQHoID7SE6qTEm>>58> 対象化が無ければ、何も無いですよね?w???対象化が無ければそうした二元は生じないけど?まぁ、そこをいうのなら、無いではなくて絶対無って云う方がまだ世俗諦としては通じ易いと思うけどね。2026/06/30 19:35:30
仏のスレ80
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仏のスレ81
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仏のスレ82
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37 名前:栖雲居士◆MKrKQHoID7SE[sage] 投稿日:2026/06/21(日) 15:44:31.83 ID:3jPfO [1/3] 0
wwwwwwwwwwwwwwwwww
普通に坐禅してるだけでdisられるとか、変なスレだよなぁ。
まぁ、泡沫カルト団体の末端信者が発狂して、禅をdisってるのは分かるけどwww
40 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2026/06/21(日) 15:48:37.26 ID:OvjNS 0
少なくとも自分は普通に坐禅してるだけではdisらないよ
やってることが本末転倒だからそりゃねってことwww
43 名前:栖雲居士◆MKrKQHoID7SE[sage] 投稿日:2026/06/21(日) 15:57:08.84 ID:hYwgH [2/4] 0
>>40
> 少なくとも自分は普通に坐禅してるだけではdisらないよ
> やってることが本末転倒だからそりゃねってことwww
wwwwwwwwwwwww
普通の坐禅とは如何に?
49 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2026/06/21(日) 16:14:48.08 ID:PnqfN [1/2] 0
>>43
>>37
自分で言った言葉がそんなに面白かったか?
被害者ぶった後は論点すり替えまでしようとしてご苦労なこった
これが坐禅の成果か
62 名前:栖雲居士◆MKrKQHoID7SE[sage] 投稿日:2026/06/21(日) 16:54:31.04 ID:W2TRu 0
>>49
wwwwwwwwwwwwwwwwww
まーーーーーた、名無しでiDコロコロかw
泡沫カルト団体の末端信者www
😱
それをいう人がいるけど、トートロジー的な説明は抜きにして、具体的にそれがなんであるかって示せない以上、その人が実際に体験をした事ではなくて、聞きかじりの口パクなんだろうな。
六識の眼耳鼻舌身意がそのまま色声香味触法であり、比量や非量、乃至似現量がない状態です。
意識は一部の例外を除いて常に現起して比量や非量乃至似現量をしている訳です。
これが現量を発現するのは、主に定中意識に於いてとなるでしょうね。
ただし、定中意識といっても浅深があり、資量位や加行位での修禅の習熟によってそれが深まり、見道にてそれが意識中に発現する様ですね。
同時に無分別智も。
もとよりとかありのままとかハッキリとかってね。
勿論、それらはその現量を示す言葉として必要ですが、それを本体界の様に実体視しては本末転倒な訳です。
悟って解決したということは、悟って解決した、も無いんだよ。。
だから、その経過ががどうだったか、とか、必要ない。。
基本は、自己が問題ではなくなる、ということですね。。
悟ったとか、迷っている、とかが無いから。。
悟りが無ければ、それも残るわけがない。。
悟迹の休けつなるあり、と現成公案にあるのはそのことだよ。。
そんなの忘れてしまうのが、道、ということでしょうね。。
知は是れ妄覚だから。。
空化とは、禅定意識中に於ける言語によって構築された世界の解体って事になるのではないのでしょうかね。
現量の体験です。
そして、現量体験から至った無分別智による考察が、現量からどうして思量に至るのかのプロセスについての考察から、"縁起の理法"が発見されたのではないのでしょうかね。
それをちゃんと明らめたか否か、でしょうな。。
寝不足になってまで見なくていいと思った。。
今、ニュースでダイジェスト見たけれど。。
だけど、それわかっただけでは解決しなかった。。
そこから、十何年、20年近くかかったんでしょうか?w
自己を忘ずるためには、自己を捨てることだよ。。w
自己も、人生もいったん捨てるんです。。
他にはないかも。。w
>次通達位其相云何。頌曰
(次の通達の位の其の相云何ぞ。頌曰く、)
>若時於所縁 智都無所得
(若し時に所縁の於に、智都て所得無くなんぬ。)
>爾時住唯識 離二取相故
(爾の時に唯識に住す、二取の相を離れるるが故に。)
>論曰。若時菩薩於所縁境無分別智都無所得。
(論に曰く、若し時に菩薩いい、所縁の境の於に無分別智いい都て所得無くなんぬ。)
>不取種種戲論相故。爾時乃名實住唯識眞勝義性。
(種々の戯論の相を取らざる故に。璽の時に乃し実に唯識の真勝義性に住すと名づく。)
>即證眞如智與眞如平等平等倶離能取所取相故。
(即ち真如を証する智と真如と平等平等にして、倶に能所を離れざるが故に。)
>能所取相倶是分別。有所得心戲論現故。
(能取所の相は此れ分別なり。有所得の心のみに戯論は現ずるが故に。)
>有義此智二分倶無。説無所取能取相故。
(有義は、此の智には二分倶に無し。所取能取の相なしと説けるが故に。)
>有義此智相見倶有。帶彼相起名縁彼故。
(有義は、此の智には相見倶にあり。彼の相を帯びして起こるを彼を縁ずと名づくるが故に。)
>若無彼相名縁彼者應色智等名聲等智。
(若し彼の相は無くとも、彼を縁ずと名くといはば、應に色智の等きを声等の智と名くべし)
>若無見分應不能縁。寧可説爲縁眞如智。
(若し見分無くんば、能縁にあらざるべし。寧んぞ説いて、真如を縁する智を為す可けむや。)
>勿眞如性亦名能縁。故應許此定有見分。
(勿、真如の性をも、また能縁と名けてむが故に、此れには定んで見分も有りと許すべし。)
(有義は、此の智慧には、見は有りて相は無し)
>説無相取不取相故。
(相無くして取る、相をば取らずと説けるが故に)
>雖有見分而無分別説非能取非取全無。
(見分は有りと雖も、而も無分別なるをもって、能取に非ずと説けり。取ること全無には非ず)
>雖無相分而可説此帶如相起不離如故。
(相分は無しと雖も、而も此れいい如の相を帯して起こると説くべし。如に離れざるが故に)
>如自證分縁見分時不變而縁此亦應爾。
(自証分いい見分を縁ずる時に変せずして縁ずるが如く、此れも亦た応に璽るべし)
>變而縁者便非親證如後得智應有分別。
(変じて縁ぜば便ち親しく証するに非ずなんぬ。後得智の如く応に分別あるべし)
>故應許此有見無相。
(故に応に此れには見のみありて相は無しを許すべし)
何か一つでも、気になることがあったら、自己を忘ずる、にはならないでしょうね。。
師匠とか、その他の人のことも、いったんぜんぶ忘れる。。
他にはないです。。
>(『無門関』第十九則「平常是道」より)
その知が分別知を示しているのは云うまでもないでしょう。
問題は「不知は是れ無記」の解釈ですが、これは
>雖有見分而無分別説非能取非取全無。(見分は有りと雖も、而も無分別なるをもって、能取に非ずと説けり。取ること全無には非ず)
>雖無相分而可説此帶如相起不離如故。(相分は無しと雖も、而も此れいい如の相を帯して起こると説くべし。如に離れざるが故に)
とある様に、現量体験、すなわちありのままの直接認識がある事が示されている様に、それがないのは無記だという事でありましょう。
「不知最も親切」という地蔵和尚の説示の不知は、この無分別知を云うのでしょう。
また、道元さんは「不知、是、最親切、知るもまた、最親切なる」って仰ってますね。
その知は無分別の分別知でありましょうかね。
その方がその様に表現される現量体験、まぁ見性体験をされたかどうかは、判別し難い事なのは云うまでもありません。
見性(見道)とは、
>若時於所縁 智都無所得
(若し時に所縁の於に、智都て所得無くなんぬ。)
>爾時住唯識 離二取相故
(爾の時に唯識に住す、二取の相を離れるるが故に。)
です。
見が性で性が見だから、所得なく二元から離れているのです。
あっ、🤭www
ロンさんのは
リダンが言うように
ポエムなんだわ
次第法門を説き明かして
伝法出来ないでは
偽者の偽の教え
それでは意味が無いことですね
🤡🤡🤡🤡🤡🤡🤡🤡
究極へ至った
自らが
その至った行程を見たのであるから
その次第法門を
教えることが出来る
ってこと
その中間を飛ばして
結論のみ教えるようなことでは
誰にも再現性の無いことになる
であるので
その人は
真に至っていないことになる
だからポエムでしかないって言われちゃうんだよ
ロンさんのは
全てを忘れろ‼️
どうやって⁉️
リアルに体験して来たことは
そうそう簡単には
忘れられない
ここで頑張り中〜〜〜
👽👽👽👽👽
GOKIBURIがチョロチョロと
ベシッ❗ グシャッ‼️
あれ?なんだ
でおーだったのか!
言語や認識を超えた「もの」(真理)について語る際には
どうしても詩的な表現になりがちであるとは聞くものではあるけど
👍️
>>24
👎
比較するのもはばかれる
ポエムの意味が違うのね
ロンさんのは
ヤツの作り話に付き合う連中も嘘吐きですか?
「現世に居ない幽霊がワイの導師や」と言ってますが
ヤツの宗教妄想や連中の精神障害は治りますか?
何でも魔改造するメンヘラでおーは禅も魔改造したと言ってます
何で同居してる父親達はメンヘラでおーを病院に連れて行ってあげないのか?
ということで、はじめから求める必要はなかった。。w
あるいは、向かわんと擬すれば、即ち背く(無門関、第19則)
あるいは、従来失せず、向塵に依って、以って疎となる(第一図)
ということです。。
だから、過程とか、次第、なんてものは本来無いです。。
気づくか否か、あるいは、法を聞いて理解するか否か、だけ。。
ただ、他に求めるものが無くなるだけのこと。
究極に達するとか、そんな御大層なものじゃないです。。
ただ、明らめた、ということがあるだけです。。
明らかになっただけで、自分が変わるってことではない。。
だけど、修行とか、仏道、ということでは、そういう過程を経る、ということにはなってる。。
だから、修行にはプロセスはあっても、悟りにはないです。。
悟ってない時、なんてのは、ないわけだから。。w
法しかない、ということですね、本質的には。。
逆に言うと、人しか見えない、法がわからない、では、悟りもわからないでしょう。。
それは、妄想の道。。w
そうではなく、速やかに、自己を本質を照らし見るのが、悟りでしょうね、、
自己の本質=本来無自己、が明らかになるだけ。。
はいこれ
ただの妄想‼️
はいこれも妄想‼️
伝法出来なきゃ
黙ってなさい‼️
> ヤツの作り話に付き合う連中も嘘吐きですか?
でしょうね。
> 「現世に居ない幽霊がワイの導師や」と言ってますが
> ヤツの宗教妄想や連中の精神障害は治りますか?
手遅れかと。
中世天台本覚思想が"本来仏だからそのままでいい"っていう本覚思想であるのに対して、道元さんのそれは"本来仏だから修行する"という本覚思想な訳です。
その理路については後日触れる機会もあるでしょうが、つまり、同じ本覚思想でありながら修道については真逆の方向なんです。
そこを抑えておかないと、ナイアルアルナイヒョンゲーな禅の説明になりますからね🥰
というのとよく対で説示されるのが、『五灯会元』の麻谷宝徹禅師の風性常住の話ですよね。
ここでは道元さんの『正法眼蔵』の「現成公案」の方を引用します。
麻浴山宝徹禅師、あふぎをつかふちなみに、僧きたりてとふ、
「風性常住、無処不周なり、なにをもてかさらに和尚あふぎをつかふ。」
師いはく、
「なんぢただ風性常住をしれりとも、いまだところとしていたらずといふことなき道理をしらず。」と。
僧いはく、
「いかならむかこれ無処不周底の道理。」
ときに師、あふぎをつかふのみなり。
僧、礼拝す
我があって、それが不完全とか、それに不満だから、他を求めるわけでしょ?
それが、根本から間違っているんだよ。。
我、というものが、もともと無かった、と気づいたのであれば、それが解決です。。
あると思っていたのが、そもそもの間違いだったということ。。
我があることが前提で、凡夫の我が仏にわれになるとか、そういうのは、ぜんぶ妄想です。。w
我が悟るなんてのも、妄想。。w
そういう妄想がいったん無くならないと、何もわからない。。
wwwwwwwwwwwwwwwww
もちろん、意識されないのですから、無い、とも思わないのですが。。
我を忘るるなり。。
> 対象化が無ければ、何も無いですよね?w
???
対象化が無ければそうした二元は生じないけど?
まぁ、そこをいうのなら、無いではなくて絶対無って云う方がまだ世俗諦としては通じ易いと思うけどね。