仏のスレ77slip最終更新 2026/06/13 23:021.神も仏も名無しさん50-05J-Ij-wvuo0Gpc語れ、そして埋めろ。前スレ仏のスレ75https://talk.jp/boards/psy/1772792367仏のスレ76https://talk.jp/boards/psy/17745328752026/03/30 21:34:25815コメント欄へ移動すべて|最新の50件766.◆JBLfMwCXhY50-fNv-cB-xsMkGFov🛑 対立が起こる理由劇場のチケット制度古参には「長年通い続けていること」自体を特権と捉える風潮があり、新規ファンが当たり前のように良席(ロビー観覧や最前列など)に当選すると嫉妬や反発が生まれます。2026/06/11 20:11:56767.◆JBLfMwCXhY50-fNv-cB-xsMkGFov情報の非対称性2005年の劇場オープンから20年以上経過しているため、時代ごとの空気感(黄金期、暗黒期など)をリアルタイムで体感した者同士でしか共有できない「共通言語」が存在します。2026/06/11 20:12:12768.【※AI生成】ニコク堂・ニック🤖👁🗨c3-UMp-OU-FMmbAgZ4ザ、悟りマウント合戦w2026/06/12 04:33:33769.栖雲居士◆MKrKQHoID7SE50-KxK-Ij-wvuKWTOYおはようございます。今朝の管長日記です(Gemini要約)。ご提示いただいた文章の要約です。分かりやすく2つの視点にまとめています。## 要約臨済宗円覚寺派管長の横田南嶺氏が、夏期講座に浄土真宗大谷派の僧侶・川村妙慶氏を講師として招いた際の、深い感銘と学びを記した内容です。### 1. 「慢(まん)」の心と観察(かんざつ)川村氏は講演で、他人と自分を比較して一喜一憂する「慢」の心について語りました。 * **自慢と傲慢:** 慢の心は「認められたい」という願いから始まり、評価されると「自慢」になり、進むと他人を見下す「傲慢」になります。 * **観察の大切さ:** 仏教における「観察」とは、自分を責めることではなく、「今、自分に慢の心が起こっているな」と客観的に気づくことです。これにより感情に振り回されなくなります。### 2. 川村氏の半生と「これからがこれまでを決める」川村氏は、数々の苦難を経て物の見方を転換させていきました。 * **苦難と転換:** 父親の急逝や兄の引きこもり、夢(アナウンサー)の断念など「最悪」だと思っていた出来事も、仏道へ導く大切な縁であったと気づかされます。その後、兄の小説をもとにした人形劇や、20年以上続くネット法話を通じて多くの人々を救うようになりました。 * **過去の受け入れ:** 「これからをどう生きるかによって、過去の出来事や選択もすべて、今の私になるためのきっかけだったと受け入れることができる(私が私でよかったと思える)」と結びました。横田氏は、川村氏の壮絶な半生と温かい法話に涙し、自分自身の心の中にある「慢心」を深く省みる貴重な学びを得たと締めくくっています。2026/06/12 06:41:01770.栖雲居士◆MKrKQHoID7SE50-ZPI-Ij-wvu6QgDNhttps://daionji-chuadaian.jp東京大恩寺。東京大恩寺が完成 ベトナムと日本の交流と共生の場に「大恩寺」の寺額を除幕埼玉県本庄市のベトナム仏教寺院の大恩寺を拠点にベトナム人コミュニティを支えてきたティック・タム・チー住職(在日ベトナム仏教信者会代表理事)が東京都足立区で建立を進めていた「東京大恩寺」が竣工し、5月31日に700人超が集い、竣工式と灌仏会が盛大に執り行われた。ティック・タム・チー住職は「多文化共生と平和の実現を目指す場にしたい」とし、文化交流への意欲を話した。(仏教タイムスより)2026/06/12 06:54:24771.神も仏も名無しさん50-Wjn-Lq-iwwa9Nqyビギナー🤡〜おハッスルううう〜〜〜〜〜〜🤡😀2026/06/12 08:50:17772.神も仏も名無しさん50-Wjn-Lq-iwwa9Nqyハッスル🤡にはビギナー🤡脳なんで># 1. 「慢(まん)」の心と観察(かんざつ)鰻に心と観察美味しそうビギナー🤡だろなー😀2026/06/12 08:52:43773.神も仏も名無しさん50-Wjn-Lq-iwwa9Nqyきっとビギナー🤡が坐禅回数自慢しているときは鰻が美味しそうだなー感かもしれん😭2026/06/12 08:54:02774.◆JBLfMwCXhY50-3ls-ju-95QfJCBO ># 1. 「慢(まん)」の心と観察(かんざつ)久参マウント合戦そのものだな😅2026/06/12 08:54:04775.神も仏も名無しさん50-Wjn-Lq-iwwa9Nqy慢をうなぎ鰻にしか見えてない論は如何?😀2026/06/12 08:58:17776.神も仏も名無しさん50-Wjn-Lq-iwwa9Nqyヘソで茶を沸かすような内容貼り付けがオモロイなービギナー🤡2026/06/12 08:59:40777.栖雲居士◆MKrKQHoID7SE50-ZPI-Ij-wvu6QgDNまーーーーーた、番号が飛んでるwww2026/06/12 10:21:53778.神も仏も名無しさん50-Wjn-Lq-iwwa9Nqyハッスル〜〜〜〜🤡ハッスル〜〜〜〜🤡2026/06/12 10:23:18779.栖雲居士◆MKrKQHoID7SE50-bwN-Ij-wvu3Vk7jポタ公もそうだったけど、論破されたパチモンは一律にポエマー化するな。笑夫もそうなってるし。2026/06/12 12:04:16780.神も仏も名無しさん50-WzL-Lq-wySc78Gvビギナー🤡らしくハッスルしてるな?😅2026/06/12 21:01:34781.神も仏も名無しさん50-WzL-Lq-wySc78Gvビギナー🤡はお笑い学識バカというところだな?😅2026/06/12 21:02:27782.栖雲居士◆MKrKQHoID7SE50-jbB-Ij-wvurAyiyおはようございます。今朝の管長日記です(Gemini要約)。ご提示いただいた文章の要約です。分かりやすく2つのポイントにまとめました。### 1. 講演における「伝え方」の気づき著者の横田氏は、円覚寺の夏期講座で気合いを入れすぎて話した自身の反省から、淡々と語る方がかえって心に染みると実感します。それを如実に示したのが、次に登壇した石井光先生の力みのない優しい講演でした。### 2. 石井光先生が語る「内観と幸せへの道」過酷な坐禅修行を重ねた石井先生は、大学院生時代に日本独自の心理療法である「内観」と出会い、大きく変化しました。 * **内観とは:** 自分中心の視点を離れ、「していただいたこと」「して返したこと」「迷惑をかけたこと」の3つを冷静に見つめ直すことです。 * **人生の終わりの疑似体験:** 講演の最後に行われた「命があと5分で終わる」という想像のワークを通じ、参加者は身近な人への感謝や本当に大切なものに気づかされました。 * **本当の幸せ:** 幸せとは、周囲の状況や新たな獲得によるものではなく、「今すでに与えられている幸せに気づくこと」であり、過去のすべてを受け入れ、与えられた恩に目を向けることで人生は豊かになると説かれました。2026/06/13 05:55:34783.栖雲居士◆MKrKQHoID7SE50-8uk-Ij-wvuU9uii>石井先生の学生時代は、坐禅に明け暮れたといってもよいほどだと感じます。>修行道場の大摂心という修行を五十回も、居士林の学生坐禅会もまた五十回、土日の坐禅会は百五十回、毎朝の暁天坐禅は五百回と著書に書かれていますので、想像を絶するほどであります。やる人はこうして実際にやってる訳です。2026/06/13 05:58:22784.神も仏も名無しさん50-byD-Lq-u14THHHlおハッスルううう〜〜〜〜〜〜🤡😀2026/06/13 06:00:39785.◆JBLfMwCXhY50-iQH-ju-95QlUuV2仏教が「霊魂やあの世は存在する」ということを明言するべき理由霊魂、魂、天国、あの世…は存在するのか。科学時代の今日ではナンセンスな話である。そういったものを否定する方がクールで理知的なイメージがある。仏教が一部の知識層や読書家に好まれるのは無神論的な性格による。しかしそれでいいのだろうか。仏教の、宗教の役割とは。2026/06/13 20:58:01786.◆JBLfMwCXhY50-iQH-ju-95QlUuV2あの世は存在しないという考え方の裏付けとなっている科学の存在霊の存在、あの世の実在などというものは公言しない方が理知的であるようだ。科学的には死んだ人間とはもう会えない。遠い場所に行ったからではなく、死とは消滅だからである。霊だのあの世だのは人間が作った想像の産物であり、我々は死=無になることを受け入れなくてはならない。しかし若かったり健康ならともかく、自身や家族が病床にある時などに、こうしたクールな死生観を受け入れることは難しい。そこまでして我々は理知的であらねばならないのだろうか。2026/06/13 20:58:12787.◆JBLfMwCXhY50-iQH-ju-95QlUuV2仏教は霊の存在を否定してきた一般的な葬式仏教のイメージとは違い、仏教は無我論を説き、物理的実在としての霊の存在を否定する向きがある。ブッダは死後の存在について語らなかったとされ、クールな哲学として、科学的思考を好む理知的な人たちからの受けが良い。初期仏教だけでなく、中国を経由し日本に根付いた大乗仏教の中でも浄土真宗や禅宗では霊魂の存在は否定されている。明確に霊魂の存在や死後の世界を肯定しているのは密教系と法華(日蓮)系仏教くらいである。その密教も西洋文明が押し寄せた明治時代には危機に晒された。2026/06/13 20:59:06788.◆JBLfMwCXhY50-iQH-ju-95QlUuV2仏教が近代化した明治時代明治時代といえば「文明開化」。黒船来航により鎖国は解かれ日本は急速に欧米化していった。「欧米化」は「近代化」と同義であり、近代化とは昔ながらの「迷信」を含む伝統的な宗教的価値観から、自然科学に立脚した唯物論的価値観への移行である。 こうした時代の流れに宗教も巻き込まれていく。西洋の自然科学はキリスト教による影響が大きいのだが、近代化を推し進める日本は成果としての科学のみを吸収した。世界初の「工学部」を設立したのも当時の日本である。そして仏教もまた近代化を迫られていった。2026/06/13 20:59:22789.◆JBLfMwCXhY50-iQH-ju-95QlUuV2密教とそれ以外の動きその大きな流れのひとつが「新仏教徒同志会」である。彼らが発行した雑誌「新仏教」の綱領には「迷信打破」が掲げられた。近代化に向けて最も活動的だったのは、霊魂の存在を否定する浄土真宗である。同志会も高嶋米峰(浄土真宗本願寺派)、境野黄洋(真宗大谷派)、渡辺海旭(浄土宗)らを中心に結成された。逆に近代化に苦戦を強いられたのが密教、特に密教専門の真言宗である。密教は霊魂の存在を認めており、加持祈祷によって神秘的な効用をもたらすとされてきた。密教の根幹を占める魔術性、呪術性は近代化=科学的価値観への大きな妨げになった。同志会は仏教からの祈祷排斥を唱えた。一方、真言宗も時代に順応し加持祈祷に寄らず、社会事業に取り組むなどの現実路線を模索していった。しかしやがて同志会の祈祷排斥の態度も軟化し真言密教と融和していった。その背景には、結局仏教が宗教である以上、民衆はこの世ならざる世界による「安心」を期待されていたのである。2026/06/13 21:00:12790.◆JBLfMwCXhY50-iQH-ju-95QlUuV2そもそも理知的なるものは絶対的に正しいのだろうか。特に禅系に多いように思われるが、霊魂の存在や死後の世界を解かない仏教は知的でエラいというような風潮が見受けられる。しかし誰にも平等にやってくる「死」を前に、宗教がクールな哲学ぶっていてどうするのだと言いたくならないか。2026/06/13 21:00:57791.◆JBLfMwCXhY50-iQH-ju-95QlUuV2霊魂は存在すると明言するべき理由宗教者(特に仏教)ははっきりと霊の存在を明言するべきである。科学的な証明などは必要ない。科学には科学の、宗教には宗教の領分がある。自然科学的価値観に迎合し、曖昧模糊な表現でごまかしているのから説得力を失う。宗教者は霊の存在や霊魂として実在する死者を供養することの大切さを説くべきだろう。宗教が霊の存在を認めないことのメリットとは何なのか。精々が科学的論理的な自分をひけらかして悦に浸るくらいではないか。霊の存在を認めれば、大切な人との別れ、自身の死の恐怖を和らげることができる。霊なるものの定義は一般的には肉体に宿る実体である。この説に照らすなら死とは霊が肉体という服を脱ぐだけのことになる。また、霊や神などの人智を超えた存在を信じることで、人間が宇宙で一番などの傲慢が消える。また自然が単なるモノではなく命に満ちているという世界観を持つことができ慈悲の心が宿るかもしれない。デメリットもある。悲しみの弱みにつけこんだカルト教団などの存在である。そのようなものにハマるくらいなら、霊の世界観を2500年かけて構築した伝統宗教に任せた方がよい。だからこそ民族、地域に密着した伝統宗教、ことに仏教や神道が霊の存在を説くべきなのである。2026/06/13 21:01:18792.◆JBLfMwCXhY50-iQH-ju-95QlUuV2宗教の領分と霊魂の存在霊の存在を認めないなら彼らは何に祈っているのだろう。霊を信じない無神論ならいい。そうではない人たちは何に祈っているのか。千鳥ヶ淵戦没者墓苑は国が建築した無宗教慰霊施設である。小林よしのりが「あそこは無宗教施設だから霊はいないんだ」と言っていた。まさにその通りで、特定の宗教にしろ民間信仰にしろ、宗教的な場所以外に霊は存在しない。霊は宗教(的なもの)の専売特許なのか。そうなのである。霊は科学では存在しないとされている。公的、公教育の場で霊的存在を公言することは許されない。霊魂と死後の世界の実在を提供できるのは宗教だけである。科学には科学の領分があり、宗教は非科学的な領分を担当すればいいのではないだろうか。参考資料■阿部貴子「真言僧侶たちの近代」『 現代密教』第23号 智山伝法院(2012)2026/06/13 21:01:37793.神も仏も名無しさん50-n6z-Lq-rTlHe2yz霊魂過ぎる池◯エカンは問題過ぎるけどまわ霊感の世界過ぎとるんやろな弟子の極妻の作家も霊能力密教者やしなー、観音や神様の指示があるらしい俺の知り合いの人も神様の指示で嫌々ながら巡礼していた人もいたからなにかしらの世界はあるだろうな😀2026/06/13 21:14:16794.神も仏も名無しさん50-n6z-Lq-rTlHe2yz俺は自動チベット密教禅定不思議ぢんやしなー😀2026/06/13 21:14:53795.◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q57oP1あの世とか、生まれ変わりの話ばかりするのは、仏教的におかしいがまったくしないのも、おかしい(笑)2026/06/13 22:34:17796.◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q57oP1「釈迦は輪廻転生を否定した」なんてのは、俗説もいいとこそれこそ、迷信だ2026/06/13 22:34:39797.◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q57oP1「今に集中する」というのは過去や未来を否定することてはない2026/06/13 22:37:04798.◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q57oP1「たった今、この瞬間」をとらえることは、人間には無理脳の反応は、必ずコンマ何秒か遅れる2026/06/13 22:38:31799.◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q57oP1脳は、それを「予測」で補っている2026/06/13 22:38:50800.◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q57oP18002026/06/13 22:39:53801.神も仏も名無しさん50-n6z-Lq-rTlHe2yz>>798時間感覚を変えられるよーなのがあるらしいー😀2026/06/13 22:42:23802.◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q57oP1もっとも、輪廻転生を否定するからといって霊魂を否定しているとは限らない2026/06/13 22:43:19803.◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q57oP1世界最強の宗教たる、イスラム教がそうだ2026/06/13 22:43:43804.◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q57oP1イスラム教では、「輪廻転生は誤り」とコーランに明記されている2026/06/13 22:44:08805.◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q57oP1その代わり、イスラム教では「死後世界」を強く推す2026/06/13 22:44:31806.◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q57oP1イスラム教は、「輪廻転生」を否定するその一方では、「死後世界」を強く支持する「死後の世界はあると信じろ。疑ってはならない」と要求する2026/06/13 22:46:09807.◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q57oP1仏教的には、別に構わない仏教でいう「輪廻転生」は、この世に戻ってくるだけではない「死後世界」に転生することも、輪廻に含まれる2026/06/13 22:47:39808.◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q57oP1しかし、仏教修行者の目標は、輪廻から解脱することだ「ボクは、善い処に生まれ変わるのが目標です」などと言おうものなら「バカか、お前」と怒られる2026/06/13 22:49:13809.◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q57oP1なので、結局のところ「生まれ変わり」にこだわることは許されない(笑)2026/06/13 22:52:03810.神も仏も名無しさん50-n6z-Lq-rTlHe2yz「ボクは、善い処に生まれ変わるのが目標です」などと言おうものならは明治以前はかなり熱心で江戸時代に自死率が低いとも言われているむろん、武士の切腹以外の😅2026/06/13 22:52:06811.◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q57oP1「ボクは、長生きして幸せに暮らしたいなあ」くらいなら、まだしも「ボクは、死んでからも永遠に生きていきたいなあ」は、NGだそんな未練がましい執着は、仏道修行者には禁物だ😫2026/06/13 22:53:41812.神も仏も名無しさん50-n6z-Lq-rTlHe2yz現世安穏次生後善処が明治以前の日本人仏教のスタンダードだったらしい😀2026/06/13 22:54:14813.◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q57oP1極楽浄土に往生するのが明治以前の日本人の目標だったんだな?😆2026/06/13 22:56:58814.神も仏も名無しさん50-n6z-Lq-rTlHe2yz現世安穏後生後善処は山伏念仏から始まって日蓮までがそれだずっとこのオリジナル日本仏教思想が謎だったイメージがわかなかった現世安穏後生後善処😀2026/06/13 23:00:31815.◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q57oP1イスラム教では、人は短いこの世人生を終えた後天国で永遠に生きるこの世での人生など、入学試験みたいなものに過ぎない2026/06/13 23:02:48
【TBS世論調査】高市内閣の支持率70.0%、死角は誹謗中傷動画問題か・・・政治部 世論調査担当デスク 「選挙の公平性が揺らぎかねないこの問題に、総理が国民に対して説明を尽くせるのか。正念場が続くことになる」ニュース速報+9021489.12026/06/14 00:13:43
東京パソコンクラブ、毎回ゲーム会社の人が来ているっぽいけど、冨里って任天堂の人の前で「ボコボコにしていいすか」って林を煽ったの?そりゃアンダーに落ちるしプロデューサーに苦言を呈されるわ乃木坂461761251.12026/06/14 00:18:36
前スレ
仏のスレ75
https://talk.jp/boards/psy/1772792367
仏のスレ76
https://talk.jp/boards/psy/1774532875
劇場のチケット制度
古参には「長年通い続けていること」自体を特権と捉える風潮があり、新規ファンが当たり前のように良席(ロビー観覧や最前列など)に当選すると嫉妬や反発が生まれます。
2005年の劇場オープンから20年以上経過しているため、時代ごとの空気感(黄金期、暗黒期など)をリアルタイムで体感した者同士でしか共有できない「共通言語」が存在します。
今朝の管長日記です(Gemini要約)。
ご提示いただいた文章の要約です。分かりやすく2つの視点にまとめています。
## 要約
臨済宗円覚寺派管長の横田南嶺氏が、夏期講座に浄土真宗大谷派の僧侶・川村妙慶氏を講師として招いた際の、深い感銘と学びを記した内容です。
### 1. 「慢(まん)」の心と観察(かんざつ)
川村氏は講演で、他人と自分を比較して一喜一憂する「慢」の心について語りました。
* **自慢と傲慢:** 慢の心は「認められたい」という願いから始まり、評価されると「自慢」になり、進むと他人を見下す「傲慢」になります。
* **観察の大切さ:** 仏教における「観察」とは、自分を責めることではなく、「今、自分に慢の心が起こっているな」と客観的に気づくことです。これにより感情に振り回されなくなります。
### 2. 川村氏の半生と「これからがこれまでを決める」
川村氏は、数々の苦難を経て物の見方を転換させていきました。
* **苦難と転換:** 父親の急逝や兄の引きこもり、夢(アナウンサー)の断念など「最悪」だと思っていた出来事も、仏道へ導く大切な縁であったと気づかされます。その後、兄の小説をもとにした人形劇や、20年以上続くネット法話を通じて多くの人々を救うようになりました。
* **過去の受け入れ:** 「これからをどう生きるかによって、過去の出来事や選択もすべて、今の私になるためのきっかけだったと受け入れることができる(私が私でよかったと思える)」と結びました。
横田氏は、川村氏の壮絶な半生と温かい法話に涙し、自分自身の心の中にある「慢心」を深く省みる貴重な学びを得たと締めくくっています。
東京大恩寺。
東京大恩寺が完成 ベトナムと日本の交流と共生の場に
「大恩寺」の寺額を除幕
埼玉県本庄市のベトナム仏教寺院の大恩寺を拠点にベトナム人コミュニティを支えてきたティック・タム・チー住職(在日ベトナム仏教信者会代表理事)が東京都足立区で建立を進めていた「東京大恩寺」が竣工し、5月31日に700人超が集い、竣工式と灌仏会が盛大に執り行われた。ティック・タム・チー住職は「多文化共生と平和の実現を目指す場にしたい」とし、文化交流への意欲を話した。
(仏教タイムスより)
おハッスルううう〜〜〜〜〜〜🤡
😀
ビギナー🤡脳なんで
># 1. 「慢(まん)」の心と観察(かんざつ)
鰻に心と観察
美味しそう
ビギナー🤡だろなー
😀
坐禅回数自慢しているときは
鰻が美味しそうだなー
感かもしれん
😭
久参マウント合戦そのものだな😅
うなぎ鰻にしか
見えてない
論は
如何?
😀
ビギナー🤡
ハッスル〜〜〜〜🤡
笑夫もそうなってるし。
ハッスルしてるな?
😅
お笑い学識バカというところだな?😅
今朝の管長日記です(Gemini要約)。
ご提示いただいた文章の要約です。分かりやすく2つのポイントにまとめました。
### 1. 講演における「伝え方」の気づき
著者の横田氏は、円覚寺の夏期講座で気合いを入れすぎて話した自身の反省から、淡々と語る方がかえって心に染みると実感します。それを如実に示したのが、次に登壇した石井光先生の力みのない優しい講演でした。
### 2. 石井光先生が語る「内観と幸せへの道」
過酷な坐禅修行を重ねた石井先生は、大学院生時代に日本独自の心理療法である「内観」と出会い、大きく変化しました。
* **内観とは:** 自分中心の視点を離れ、「していただいたこと」「して返したこと」「迷惑をかけたこと」の3つを冷静に見つめ直すことです。
* **人生の終わりの疑似体験:** 講演の最後に行われた「命があと5分で終わる」という想像のワークを通じ、参加者は身近な人への感謝や本当に大切なものに気づかされました。
* **本当の幸せ:** 幸せとは、周囲の状況や新たな獲得によるものではなく、「今すでに与えられている幸せに気づくこと」であり、過去のすべてを受け入れ、与えられた恩に目を向けることで人生は豊かになると説かれました。
>修行道場の大摂心という修行を五十回も、居士林の学生坐禅会もまた五十回、土日の坐禅会は百五十回、毎朝の暁天坐禅は五百回と著書に書かれていますので、想像を絶するほどであります。
やる人はこうして実際にやってる訳です。
😀
霊魂、魂、天国、あの世…は存在するのか。科学時代の今日ではナンセンスな話である。そういったものを否定する方がクールで理知的なイメージがある。仏教が一部の知識層や読書家に好まれるのは無神論的な性格による。しかしそれでいいのだろうか。仏教の、宗教の役割とは。
霊の存在、あの世の実在などというものは公言しない方が理知的であるようだ。科学的には死んだ人間とはもう会えない。遠い場所に行ったからではなく、死とは消滅だからである。霊だのあの世だのは人間が作った想像の産物であり、我々は死=無になることを受け入れなくてはならない。しかし若かったり健康ならともかく、自身や家族が病床にある時などに、こうしたクールな死生観を受け入れることは難しい。そこまでして我々は理知的であらねばならないのだろうか。
一般的な葬式仏教のイメージとは違い、仏教は無我論を説き、物理的実在としての霊の存在を否定する向きがある。ブッダは死後の存在について語らなかったとされ、クールな哲学として、科学的思考を好む理知的な人たちからの受けが良い。初期仏教だけでなく、中国を経由し日本に根付いた大乗仏教の中でも浄土真宗や禅宗では霊魂の存在は否定されている。明確に霊魂の存在や死後の世界を肯定しているのは密教系と法華(日蓮)系仏教くらいである。その密教も西洋文明が押し寄せた明治時代には危機に晒された。
明治時代といえば「文明開化」。黒船来航により鎖国は解かれ日本は急速に欧米化していった。「欧米化」は「近代化」と同義であり、近代化とは昔ながらの「迷信」を含む伝統的な宗教的価値観から、自然科学に立脚した唯物論的価値観への移行である。 こうした時代の流れに宗教も巻き込まれていく。西洋の自然科学はキリスト教による影響が大きいのだが、近代化を推し進める日本は成果としての科学のみを吸収した。世界初の「工学部」を設立したのも当時の日本である。そして仏教もまた近代化を迫られていった。
その大きな流れのひとつが「新仏教徒同志会」である。彼らが発行した雑誌「新仏教」の綱領には「迷信打破」が掲げられた。近代化に向けて最も活動的だったのは、霊魂の存在を否定する浄土真宗である。同志会も高嶋米峰(浄土真宗本願寺派)、境野黄洋(真宗大谷派)、渡辺海旭(浄土宗)らを中心に結成された。
逆に近代化に苦戦を強いられたのが密教、特に密教専門の真言宗である。密教は霊魂の存在を認めており、加持祈祷によって神秘的な効用をもたらすとされてきた。密教の根幹を占める魔術性、呪術性は近代化=科学的価値観への大きな妨げになった。同志会は仏教からの祈祷排斥を唱えた。一方、真言宗も時代に順応し加持祈祷に寄らず、社会事業に取り組むなどの現実路線を模索していった。しかしやがて同志会の祈祷排斥の態度も軟化し真言密教と融和していった。その背景には、結局仏教が宗教である以上、民衆はこの世ならざる世界による「安心」を期待されていたのである。
宗教者(特に仏教)ははっきりと霊の存在を明言するべきである。科学的な証明などは必要ない。科学には科学の、宗教には宗教の領分がある。自然科学的価値観に迎合し、曖昧模糊な表現でごまかしているのから説得力を失う。宗教者は霊の存在や霊魂として実在する死者を供養することの大切さを説くべきだろう。宗教が霊の存在を認めないことのメリットとは何なのか。精々が科学的論理的な自分をひけらかして悦に浸るくらいではないか。霊の存在を認めれば、大切な人との別れ、自身の死の恐怖を和らげることができる。霊なるものの定義は一般的には肉体に宿る実体である。この説に照らすなら死とは霊が肉体という服を脱ぐだけのことになる。また、霊や神などの人智を超えた存在を信じることで、人間が宇宙で一番などの傲慢が消える。また自然が単なるモノではなく命に満ちているという世界観を持つことができ慈悲の心が宿るかもしれない。デメリットもある。悲しみの弱みにつけこんだカルト教団などの存在である。そのようなものにハマるくらいなら、霊の世界観を2500年かけて構築した伝統宗教に任せた方がよい。だからこそ民族、地域に密着した伝統宗教、ことに仏教や神道が霊の存在を説くべきなのである。
霊の存在を認めないなら彼らは何に祈っているのだろう。霊を信じない無神論ならいい。そうではない人たちは何に祈っているのか。千鳥ヶ淵戦没者墓苑は国が建築した無宗教慰霊施設である。小林よしのりが「あそこは無宗教施設だから霊はいないんだ」と言っていた。まさにその通りで、特定の宗教にしろ民間信仰にしろ、宗教的な場所以外に霊は存在しない。霊は宗教(的なもの)の専売特許なのか。そうなのである。霊は科学では存在しないとされている。公的、公教育の場で霊的存在を公言することは許されない。霊魂と死後の世界の実在を提供できるのは宗教だけである。科学には科学の領分があり、宗教は非科学的な領分を担当すればいいのではないだろうか。
参考資料
■阿部貴子「真言僧侶たちの近代」『 現代密教』第23号 智山伝法院(2012)
問題過ぎるけど
まわ霊感の世界過ぎとるんやろな
弟子の極妻の作家も霊能力密教者やしなー、観音や神様の指示があるらしい
俺の知り合いの人も
神様の指示で嫌々ながら巡礼していた人もいたから
なにかしらの世界はあるだろうな
😀
自動チベット密教禅定不思議ぢんやしなー
😀
まったくしないのも、おかしい(笑)
それこそ、迷信だ
過去や未来を否定することてはない
脳の反応は、必ずコンマ何秒か遅れる
時間感覚を
変えられるよーなのが
あるらしいー
😀
霊魂を否定しているとは限らない
コーランに明記されている
「死後世界」を強く推す
その一方では、「死後世界」を強く支持する
「死後の世界はあると信じろ。疑ってはならない」と要求する
仏教でいう「輪廻転生」は、この世に戻ってくるだけではない
「死後世界」に転生することも、輪廻に含まれる
「ボクは、善い処に生まれ変わるのが目標です」などと言おうものなら
「バカか、お前」と怒られる
「生まれ変わり」にこだわることは許されない(笑)
は明治以前は
かなり熱心で
江戸時代に自死率が低いとも言われている
むろん、武士の切腹以外の
😅
「ボクは、死んでからも永遠に生きていきたいなあ」は、NGだ
そんな未練がましい執着は、仏道修行者には禁物だ😫
明治以前の日本人仏教のスタンダードだったらしい
😀
明治以前の日本人の目標だったんだな?😆
山伏念仏から始まって日蓮までがそれだ
ずっとこのオリジナル日本仏教思想が謎だったイメージがわかなかった
現世安穏後生後善処
😀
天国で永遠に生きる
この世での人生など、入学試験みたいなものに過ぎない