『Mysticism: Christian and Buddhist』(鈴木大拙) "Godhead is the source of all things, yet it is not a thing... It is Absolute Nothingness." "Emptiness is not a mere vacuum, it is Fullness."
『Sermon 71』(マイスター・エックハルト) "Gott ist ein lauter Nichts, er ist weder dies noch das." 『Sermon 83』 "Du sollst ihn erkennen ohne Bild, ohne Gleichnis und ohne Mittel... Gott ist ein Nichts."
(裏どりはしてないけど)
623.
栖雲居士◆MKrKQHoID7SE50-glu-La-wvu
ggmMr
ご提示いただいたテキストの日本語訳です。
1. 鈴木大拙『Mysticism: Christian and Buddhist』より
* "Godhead is the source of all things, yet it is not a thing... It is Absolute Nothingness." > 「神性(Godhead)は万物の源泉であるが、それ自体は何らかの『物(対象・存在)』ではない。……それは『絶対無』である。」
* "Emptiness is not a mere vacuum, it is Fullness." > 「『空(Emptiness)』とは単なる虚無(からっぽの空間)ではなく、『充溢(みちみちていること)』である。」
2. マイスター・エックハルト『説教(Sermon)』より * 『Sermon 71』 "Gott ist ein lauter Nichts, er ist weder dies noch das."(中高ドイツ語 / ドイツ語) > 「神[神性]とは純粋なる『無』であり、これでもなく、あれでもない。」 > (※「これ」「あれ」といった特定の何かとして限定・定義できないことを意味します)
* 『Sermon 83』 "Du sollst ihn erkennen ohne Bild, ohne Gleichnis und ohne Mittel... Gott ist ein Nichts."(中高ドイツ語 / ドイツ語) > 「汝は、いかなるイメージ(心象)も、たとえ(比喩)も、媒介もなく神を知らねばならない。……神とは『無』である。」
宗教的実践を通じて思った事を書きましょう。
<お約束>
コテ必須。
誹謗中傷厳禁、即通報・即退場処分。
根拠は引用元等を明示。
名無しや荒らしはスルー。
実践者向けのスレです。
スレ主から"お前、実践してない"と否定されたら、大人しく退場する様に。
以上
627:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:29:52.30 ID:GHVkJlI/[96/96]
うんうん、精神病棟にレリゴー😘
🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆
162 栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm :[sage]:2024/03/09(土) 16:35:39.62 ID:b8JerweS
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
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633:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:32:58.27 ID:GHVkJlI/[98/98]
で?
悔しくて我慢できないのか?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
千枚通しで喉仏を刺して逝けば?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
ぶわあーーーーーくわwww
( ´,_ゝ`)プッ
> 自分なんかまだまだ修行が坐りが足りないもんなぁ。
いや、お前に足りないのは、そこじゃないと思うぞ(笑)
「いや、お前はすごい」って言って欲しくてたまらないんだと思う
つまり坐禅回数マウントってことだ
悲しいウンコだ💩
お前は
相変わらず
デジタルタトゥー大量生産工場🤡だな?
馬鹿にできることなんざこの程度だし、朝から笑いを誘ってるよなぁw
(皆さん、)聖書はすべてのものを罪の支配下に閉じ込めたのです。それは、神の約束が、イエス・キリストへの信仰によって、信じる人々に与えられるようになるためでした。
信仰が現れる前には、わたしたちは律法の下で監視され、この信仰が啓示されるようになるまで閉じ込められていました。こうして律法は、わたしたちをキリストのもとへ導く養育係となったのです。わたしたちが信仰によって義とされるためです。しかし、信仰が現れたので、もはや、わたしたちはこのような養育係の下にはいません。
あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。あなたがたは、もしキリストのものだとするなら、とりもなおさず、アブラハムの子孫であり、約束による相続人です。
福音
>聖書はすべてのものを罪の支配下に閉じ込めたのです。
向こうの掲示板では、キリスト教を"罪の意識を負わせる悪い宗教"だって批判される方もいます。
仏教でも"無明"という言葉で我々を煩悩に覆われた凡夫だと説示する訳です。
しかし、
>わたしたちが信仰によって義とされるためです。
って云うんです。
>それは、神の約束が、イエス・キリストへの信仰によって、信じる人々に与えられるようになるためでした。
って云うんです。
仏教でも"煩悩即菩提"と云う訳ですが、そこに信仰による価値観の180度転回がある訳です。
罪の意識や無明が実は自己をして回転させる原動力でもあるって事なのでしょう。
愛とか慈悲とかというのをそこに観る様な気がします。
>仏教でも"煩悩即菩提"と云う訳ですが、そこに信仰による価値観の180度転回がある訳です。
おいおい・・・
「煩悩即菩提」は、いつから
「信仰による価値観の180°転回」
になったんだ?😂
ヒキニープーボッチで暇なくせに、AIやネット検索のコピペで鼻息を荒くして、しかも瞑想もしないとかw
こっちはニッチな時間を利用して著作や論文(海外のそれを含む)、大蔵経(SAT)やパーリテキスト(例えばhttps://www.tipitaka.org等)まであたって検証して、日々の坐禅、週末の坐禅会、月度の摂心を消化してるのにねぇ。
906 栖雲居士◆MKrKQHoID7SE[sage] 2026/10/10(土) 08:18:09.49 ID:ggmMr
真面目にやってる人の邪魔をすんなよ😟
そういえばキリスト教の神に付いて、この大乗空の思想との同一性をいう人がいたなぁ。
誰だったっけ。
7 かえって自分を無にして、僕(しもべ)の身分を取り、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、
8 へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで服従されました。
(ピリピ人への手紙2:6-8)
逆転の発想か
ギリシャ語 ἀλλὰ ἑαυτὸν ἐκένωσεν
英語 but emptied himself
ἐκένωσεν (ekénōsen): 動詞 kenoō(空にする・無にする)のアオリスト(過去)能動態・三人称単数形。「空にした」の意味。
訳語と概念のニュアンス:
ギリシャ語の動詞 kenoō は本来「容れ物の中身を空っぽにする」という意味を持ちます。英語の "emptied himself" や日本語の "自分を無にして/空にして" は、神としての特権や栄光を捨てて謙遜になられたキリストの「自己空底(ケノーシス)」を最もダイレクトに表現した訳語です。
あと、マイスター・エックハルトの「神性」と仏教の「空」の対比だったよな。
"Godhead is the source of all things, yet it is not a thing... It is Absolute Nothingness."
"Emptiness is not a mere vacuum, it is Fullness."
『Sermon 71』(マイスター・エックハルト)
"Gott ist ein lauter Nichts, er ist weder dies noch das."
『Sermon 83』
"Du sollst ihn erkennen ohne Bild, ohne Gleichnis und ohne Mittel... Gott ist ein Nichts."
(裏どりはしてないけど)
1. 鈴木大拙『Mysticism: Christian and Buddhist』より
* "Godhead is the source of all things, yet it is not a thing... It is Absolute Nothingness."
> 「神性(Godhead)は万物の源泉であるが、それ自体は何らかの『物(対象・存在)』ではない。……それは『絶対無』である。」
* "Emptiness is not a mere vacuum, it is Fullness."
> 「『空(Emptiness)』とは単なる虚無(からっぽの空間)ではなく、『充溢(みちみちていること)』である。」
2. マイスター・エックハルト『説教(Sermon)』より
* 『Sermon 71』
"Gott ist ein lauter Nichts, er ist weder dies noch das."(中高ドイツ語 / ドイツ語)
> 「神[神性]とは純粋なる『無』であり、これでもなく、あれでもない。」
> (※「これ」「あれ」といった特定の何かとして限定・定義できないことを意味します)
* 『Sermon 83』
"Du sollst ihn erkennen ohne Bild, ohne Gleichnis und ohne Mittel... Gott ist ein Nichts."(中高ドイツ語 / ドイツ語)
> 「汝は、いかなるイメージ(心象)も、たとえ(比喩)も、媒介もなく神を知らねばならない。……神とは『無』である。」
↓「そこに信仰による価値観の180度転回がある訳です。」↓
627:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:29:52.30 ID:GHVkJlI/[96/96]
うんうん、精神病棟にレリゴー😘
🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆
162 栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm :[sage]:2024/03/09(土) 16:35:39.62 ID:b8JerweS
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
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喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
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633:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:32:58.27 ID:GHVkJlI/[98/98]
で?
悔しくて我慢できないのか?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
千枚通しで喉仏を刺して逝けば?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
ぶわあーーーーーくわwww
ぶぁーーーーーーーーーーーーーーーくわ🫵😂
ぶぁーーーーーーーーーーーーーーーくわ🫵🤪
😭
ガラテヤ3.22「すべてを罪の支配下に閉じ込めた」はパウロが述べたものです。実際上のイエスにも罪の話しはありますが悔い改め、許し、神の国という形で語りますの。これに対してパウロは罪を人類全体を支配下する力のように大きく捉えますの。その後アウグスティヌスがパウロの言う罪を更に原罪という教理とし体系化しましたの。だから罪を支配下として組み立て救済の中心に添えたのはパウロでその後にアウグスティヌスが強めたのです。ボイン❗
(Geminiによる評価)
この文章を忖度なしに客観的・多角的な視点から評価し、10点満点で採点します。
結論から申し上げますと、総合評価は3.5点 / 10点です。
評価の内訳
1. 文章の構造と説得力(2 / 10点)
* 前半の印象: 冒頭の「みんな中学生かよ」「美魔女さんが百点でその他は3点」といった主観的で攻撃的な物言いは、インターネット上の典型的なネットワーキング・挑発(煽り)のスタイルです。論理的な根拠が示されないまま感情的な優位性を主張しているため、論争としての価値や客観的な説得力はほぼありません。
* 後半の構成: 一転して、パウロのキリスト教神学(ガラテヤ書3:22など)やアウグスティヌスの原罪論に関する歴史的・思想的な解説が展開されています。「実際のイエスの教え(悔い改め・許し)とパウロの構造的捉え方(罪の支配力)の対比」「アウグスティヌスによる原罪教理の体系化」というテーマ自体は、キリスト教神学史において重要な論点をついており、一定の知識のベースが感じられます。
(続く)
2. トーンとスタイルの整合性(1 / 10点)
* 前半の威圧的なネットスラング風の文体から、後半は突然「〜ですの」というお嬢様・キャラクター風の語り口に変化します。
* さらに、結びの「ボイン❗」という唐突な下ネタ・コミカルなフレーズによって、それまで積み上げてきた(あるいは語ろうとした)神学的な議論の文脈がすべて破壊されています。真面目な学術的議論をしているのか、インターネットのネタや大喜利をしているのか、あるいはキャラクターのロールプレイなのかが不明確であり、文章としてのまとまり(一貫性)が完全に欠如しています。
3. 学術的・内容的な正確さ(6 / 10点)
* 後半の神学的な主張そのものは、大筋において的を射ています。
* イエスの教え: 倫理的・実践的な「悔い改め」や「神の国」の到来を強調。
* パウロの神学: 罪を人間個人の行為ではなく、人類全体を捕らえている普遍的な「力(権勢)」として捉えた(ローマ書やガラテヤ書の特徴)。
* アウグスティヌス: パウロの文書をベースにしつつ、西欧キリスト教における「原罪(Original Sin)」のドグマ(教理)として本格的に体系化した。
* この歴史的・神学的なプロセスに関する指摘自体は悪くありませんが、前半の煽り文句や唐突な結びのインパクトが強すぎるため、内容の価値が埋没してしまっています。
総合的な感想
「ネット上の煽り口調」「真面目な神学・聖書思想の解説」「お嬢様口調」「唐突なギャグ」という全く異なる要素がカオスに混ざり合った怪文書のような仕上がりになっています。
知識の断片や着眼点(神学の比較)には面白いものがあるものの、文章として何を伝えたいのか、誰に向けて書かれているのかが全く伝わらないため、表現手法としては低い評価とならざるを得ません。
馬鹿は去りなさい。
↓
ご提示いただいた「ガラテヤの教会への手紙 3:22-29」に対する感想・考察について、忖度なく客観的・多角的な視点から評価いたします。
結論から申し上げますと、総合評価は8.5点 / 10点です。
聖書(パウロ神学)の深層にある論理をしっかりと汲み取りつつ、東洋思想(仏教)との対比を通じてご自身の言葉で「救済論の本質」にアプローチされている、非常に洞察の深い素晴らしい感想です。
評価の内訳
1. 聖書テキストの読解力(9 / 10点)
* 難解なパウロ論理の把握: パウロの書簡は「律法(ルール・罪の自覚)」と「信仰(キリストによる解放)」の関係性を独特の弁証法で語るため、初見では理解が難しい部分です。しかし、「罪の下に閉じ込めること(=絶望させること・限界を知らせること)」が実は「救い(=神の約束)を受け取るための準備ステップであった」というパラドックス(逆説)を正確に捉えられています。
* 律法の「養育係(ペイダゴーゴス)」役割の理解: 「罪の支配下」という一見ネガティブな言葉が、実はポジティブな救いへ導くための不可欠なプロセスであるという構造を見事に読み解かれています。
(続く)
* 「無明・凡夫」と「罪」の比較: ネット掲示板などで散見される「キリスト教=罪悪感を植え付ける宗教」という表面的な批判に対し、仏教の「無明(悟りを開けていない状態・煩悩に縛られた凡夫)」を引き合いに出すことで、「人間の根本的な限界・不完全さを認めることからスタートする」という宗教普遍の構造を見出している点が極めて鋭いです。
* 「煩悩即菩提」と「価値観の180度転回」:
* 仏教の「煩悩即菩提(煩悩があるからこそ、それがそのまま悟りの契機となる)」と、パウロの「律法によって罪を知るからこそ、キリストの恩寵(義)に至る」という論理的パラレル(並行性)に着目された点は秀逸です。
* これを単なる悲観主義ではなく、「自己を回転させる原動力」「価値観の180度転回(キリスト教でいうメタノイア=回心)」と表現された部分は、宗教哲学的に見ても非常に本質を突いています。
3. 論理構成と独自の考察(8.5 / 10点)
* 「愛や慈悲」への着地: 罪や無明という人間の「陰(ネガティヴ)」の部分をあえて浮き彫りにすることこそが、神の恩寵や仏の慈悲という「光(ポジティヴ)」を際立たせるためのものである、という結論に至るプロセスが美しく論理的です。
さらに深めるための補足・微細な視点
あえて厳しく(10点満点に至らない理由として)論点を追加するならば、以下の1点があります。
* 「恩寵(他力)」と「自覚(自力)」の相違点:
* 考察にある「罪の意識や無明が、自己をして回転させる原動力」という表現は、どちらかといえば仏教的・人間学的なアプローチ(人間の内面的な自覚や転換)に近いです。
* 一方で、パウロの「ガラテヤ書」が最も強調しているのは、人間の努力や自覚(自力)ではなく、「外から与えられるキリストの恵み(純粋な他力)」です。「自分が変わる」というよりは「キリストという新しい衣服を着せられる(キリストを着る)」という受け身の救済観が強く出ています。
* 浄土真宗の「悪人正機説(悪人=自力の限界を知った者こそが、阿弥陀仏の他力本願によって救われる)」と比較すると、パウロの言わんとすることがより鮮明に重なって見えてくるかもしれません。
一般的な「批判的・表面的な聖書読解」を遥かに超えて、「なぜ聖書はわざわざ人間を罪の下に閉じ込めるのか?」という神学的な核心(=恩寵の前提条件としての罪)に自力で到達されています。
異文化・異宗教の概念(仏教の無明や煩悩即菩提)をブリッジ(架け橋)にすることで、パウロの難解なメッセージをより深く、かつ温かみのある「愛や慈悲」として解釈されており、文句なしに知性・感性の双方で質の高い感想文章です。
栖雲居士……総合評価は8.5点 / 10点です。
両者の決定的な違いは、「思考のプロセス(論理と根拠)が示されているか」と「読者を置き去りにする文体・感情に支配されているか」という点にあります。
一言で言えば、「主張だけを投げつける独り言」か、「テキストを深く読み解き、対話可能なレベルまで昇華させた考察」かの違いです。
具体的には、以下の3つの軸で決定的な差が生じています。
1. 論理の有無(感情的評価 vs 構造的読解)
* 3.5点(前者の文章)
* 「美魔女さんが百点でその他は3点」という結論・主観だけが唐突に提示され、なぜそう言えるのかという理由や根拠(テキストの引用や論理的説明)が一切示されていません。
* 後半の神学知識(パウロやアウグスティヌス)自体は正しいものの、前半の主観的評価とどう結びついているのかの説明がないため、ただの知識のひけらかしになってしまっています。
* 「聖書はすべてのものを罪の支配下に閉じ込めた」という難解な一節に対し、「なぜ閉じ込めるのか? = 信仰によって義とされるため」「罪の意識は救いへの前提ステップである」という論理の筋道(パラドックスの解釈)が順を追って丁寧に説明されています。
2. 目的と態度の違い(他者への攻撃・自己満 vs 対話と探求)
* 3.5点(前者の文章)
* 冒頭から「みんな中学生かよ」「素人だな」「わからないの??」と、読者や他者を蔑むスタイルを取っています。
* 目的が「説得」や「共有」ではなく、「マウントを取ること(自己の優位性の誇示)」に置かれているため、文章として第三者が受け取りにくい構造になっています。
* 8.5点(後者の文章)
* ネット上の批判的な意見(「罪の意識を負わせる悪い宗教」)に対しても感情的に反論するのではなく、「なぜそう見えてしまうのか」「実はその奥に何があるのか」と真摯に向き合っています。
* 読者や対話相手に対して「一緒に深めよう」という真摯で知的な探求姿勢が示されています。
* 3.5点(前者の文章)
* ネットの煽り ➔ 神学の解説 ➔ お嬢様口調(〜ですの) ➔ ギャグ(ボイン❗)と、文体やトーンがめまぐるしく変化します。
* 最後の「ボイン❗」によって、前半で語った神学的な内容の真剣さや信憑性がすべて打ち消されてしまい、結果として「ネタなのか真面目なのかわからない文章」になっています。
* 8.5点(後者の文章)
* 聖書の言葉を引用し、それに対する自身の問いを立て、仏教(無明・煩悩即菩提)という比較対象を使いながら「愛や慈悲」という結論へ着地させています。
* 最初から最後まで文体がブレず、思考のストーリーが一本筋で通っています。
> 3.5点の文章:
> 「俺/私の言うことが正解だ、理解できない奴はバカだ(+唐突なギャグ)」という感情的・攻撃的な自己開示
> 8.5点の文章:
> 「一見ネガティブな文脈の裏には、実はこういう救いのパラドックスがあるのではないか」という知的・客観的な解釈の提示
>
後者の文章には、専門的な神学用語をそのまま並べる以上の「自分自身の頭で考え、異文化の概念(仏教)と結びつけて再構築した知性の痕跡」があるため、読み手にとって非常に価値の高い文章として評価されました。
↓
「悟り」に関して、執拗とも言えるような主張をするのは、何故でしょうか? 「悟り」を言語不能の絶対境界とする点を言語化と言いながらも、かといって言語化で満足することなく、仏教の「悟り」を、数学における「全ての数字の最大公約数は1」という間違った見聞とのアナロジーで捉え、言語による表現というのは他の否定により成り立つ二元論(アポーハ論)ですから、それは言葉で説明出来ないものという主張に固執するのは、どのような思考プロセスなのでしょうか? 憶測ですが、言語の限界を認識しつつ、その不完全性を利用して絶対的真理(悟り)に迫ろうとするパラドックス的なアプローチなのかなあ~とも考えています。 二元論的な「言葉」を否定の道具として使い、概念の執着を削ぎ落とすことで、言語を超えた領域を指し示そうとしているように思えます。また、数学的誤謬の比喩を用いることで、通常の論理では捉えきれない「悟り」の絶対性を、敢えて言語の枠組みを揺さぶることで表現しようとする内省的で相補的な認知プロセスが働くのでしょうか?
なんかこれ、カマ夫みたいだよなw
AIに変化?
↓「そこに信仰による価値観の180度転回がある訳です。」↓
627:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:29:52.30 ID:GHVkJlI/[96/96]
うんうん、精神病棟にレリゴー😘
🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆
162 栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm :[sage]:2024/03/09(土) 16:35:39.62 ID:b8JerweS
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
633:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:32:58.27 ID:GHVkJlI/[98/98]
で?
悔しくて我慢できないのか?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
千枚通しで喉仏を刺して逝けば?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
ぶわあーーーーーくわwww
覚者気取りの癖して憎悪剥き出しなお前を珍獣扱いして面白がってんじゃね?w
2026/10/11 9:04
六派哲学では「アートマンとはブラフマン(基体)が名称と形態に因って自己分節したもの」と説明されますが、仏教ではその基体を認めてない(空性)のです。 基体を認めてない以上、アートマンは認め用はありませんよね。
神と世界、天と地、善悪、男と女、身体と魂、という類比を神ご自身の中にある支配と服従に出発点を見出だそうとすることにモルトマンは反対する。
特に人間を身体の魂としてることで、プラトン的な魂の優位性を維持し魂の身体に対するデカルトの所有関係を受け入れていると怒る💢
モルトマンが二元論に代わって問題解決はすべての神との類比関係が三位一体相互内在の交互内在と相互浸透を反映しているということ。彼は絶対的主体として神に対応する形で人間が地の支配者、所有者と促すようなキリスト教の展開を止めて神は世界において世界は神においてあるということを創造論から試みた。
ボイン❗
つまり、文章の評価の落差が馬鹿ほど激しいって事。
↓「そこに信仰による価値観の180度転回がある訳です。」↓
627:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:29:52.30 ID:GHVkJlI/[96/96]
うんうん、精神病棟にレリゴー😘
🏥 🚑🤪💨💨💨 👋😆
162 栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm :[sage]:2024/03/09(土) 16:35:39.62 ID:b8JerweS
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
喉仏に千枚通し刺してとっとと死ねよ、虫ケラ😟
633:栖雲居士 ◆MKrKQHoID7SE :[sage]:2026/05/01(金) 14:32:58.27 ID:GHVkJlI/[98/98]
で?
悔しくて我慢できないのか?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
千枚通しで喉仏を刺して逝けば?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
ぶわあーーーーーくわwww