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【根本中頌】 中論 【龍樹著】 Part3slipアーカイブ

1.
ユーザー
6wP3Q
中論を理解しよう。

リダン君、教えてください。

中論
https://talk.jp/boards/psy/1738711204

【根本中頌】 中論 【龍樹著】 Part2
https://talk.jp/boards/psy/1762525835
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最新の50件
2.
ユーザー
0u5HV
チキチキチキンハッスル🤡
3.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-LBV-ju-95Q
NjOOT
>>1

セイウン様が次スレを立てたのか
4.
ユーザー
Rp3cl
独占欲求ハッスル🤡
5.
ユーザー
O7iTQ
トーシロー相手にハッスルハッスルなんだじょ〜🔥
https://gzo.ai/i/6Qs7x4i.jpg
6.
ユーザー
Rp3cl
乱立ハッスル🤡しだしたな?
🤡
7.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY4D-HPn-ju-95Q
6Ud54
乱立魔がハッスルしてるな😆
8.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
l3foN
文殊師利大乗仏教会

https://www.mmba.jp/nagarjuna/madhyamakakarika


根本中論頌

ナーガールジュナ

帰敬偈

不滅にして不生、不断にして不常、
不一義にして不異義、不来にして不去、
およそ戯論が寂滅し、吉祥なる縁起、
それを説いた仏陀、かの最高の説法者に私は帰命する。
9.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
l3foN
第一章 縁に関する考察

諸の法は、自ら生じたものも、他から生じたものも、両者から生じたものも、
非因から生じたものも、如何なるものも、何処にも、決して存在しない。
10.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
l3foN
第二章 去来に関する考察

既に去った者は去られない。未だ去っていない者も去られない。
既に去った者と未だ去ったものとを離れて現に去るものも去られない。
11.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
l3foN
第十八章 我に関する考察

もし諸蘊が我であるのならば、生滅あるものとなるだろう。
もし諸蘊とは異なるのなら、蘊の特質は無であることになる。

我が有るわけではないのに、我所が一体どうして有るだろうか。
我と我所とが寂滅するが故に、我執と我所執も滅するのである。

我執と我所執を欠いているもの、それもまた存在しない。
我執と我所収は無いと見る者、彼はまた何も見ていない。

内部でも外部でも、我と我所執が尽きているならば、
取は滅するだろう。それが尽きることで生も尽きることとなる。

業と煩悩が尽きることから解脱はある。業と煩悩は分別による。
それらは戯論より派生するが、空性によりそれは滅することとなる。

我であるとも増益されるし、無我であるとも説かれている。
諸仏たちは我と無我とのいづれもが無いと説かれている。

語られるべきものは消滅している。心の活動領域が退けられているからである。
不生不滅であることが、法性なのであり、涅槃に等しいものであるからである。
12.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
l3foN
すべてのものは正しく、また、正しくなく、正しく正しくなく、
そして、正しくなく正しくなくない。これが諸仏の教えである。

他によって知られず、寂滅しており、戯論によって戯論されず、
無分別であり、別異なる対象ではないもの、それが実義の特質である。

何らかのものを縁として起こっているもの、それはまずそれ自身ではない。
更にはそれとは異なるものでもないが故に、それ故に不断・不常なのである。

同一の対象でもなく、別異なる対象でもなく、不断にして不滅なるもの、
これが世間の救い主である仏たちの教えの甘露である。

正等覚が未だ出現しておらず、声聞たちが既に滅している時でさえ、
独覚たちは智慧を師によらずとも生じるのである。
13.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
l3foN
第二十四章 聖諦に関する考察

もしもこのすべてが空であるならば、生滅は無いだろう。
しかしあなたには、四聖諦が成立しないことになってしまうのである。

遍知・永断・修習・現証というこれらのものは、
四聖諦が無いが故に成立しないことになるだろう。

それらが有り得ないことにより、四つの聖者の果位も有り得ないこととなる。
果位が有り得ないのならば、果位住者も、向位も有り得ないこととなるだろう。

八輩の者たちが有り得ないことにより、僧伽も有り得ないこととなるだろう。
四聖諦が無いのならば、正法もまた有り得ないことになってしまうだろう。

もしも僧伽も法も無いのならば、一体どうして仏が有り得るだろうか。
このように空を語るのならば、三つの宝を侵害することとなるだろう。

果が有ること、法ではないもの、法性であるもの、
これらすべての世間の言説を損害することになるのである。
14.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
l3foN
これらに答えよう。汝は空であること、空の必然性、その意味を理解していない。
それが故にあなたはこのように侵害しているのである。

諸仏たちの説法は、二つの真実に基づいている。
世間世俗の真実と、勝義の真実との二つである。

誰であれこの二諦の区別を知らない者たち、
彼らは仏の教えの甚深の実義を理解しない。

言説に基づくことなく、勝義を説くことは不可能である。
勝義を理解することなく、涅槃を得ること不可能である。

空性を見誤うならば、智慧少なき者たちが破滅する。
それは誤って捉えた蛇や、未熟な明咒と同様である。

このために、牟尼は説法を躊躇なされたのである。
この法が鈍根の者には理解され難いと思われたからである。
15.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
l3foN
さらに汝が空性を如何に誹謗しようとしても、
その過失は我々には起こらない。誹謗は空にして適合しないからである。

何であれ、空性が成り立つ場合、そこにおいて一切が成り立つのである。
何であれ、空性が成り立たない場合、そこにおいては一切は成り立たない。

汝は汝自身にある過失を我々に転嫁しようとしているのである。
それは馬に乗っていながら馬のことを忘れているのに等しい。

もし汝がすべての現象が自性によって有ると考えるのなら、
すべてのものは因縁が無いものであると見ているのであろう。

結果、原因、行為者、行為、行為対象、
生起・消滅・果報というこれらを損害しようとしているのである。
16.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
l3foN
何であれ縁起しているもの、それを我々は空であると説く。
それは依存して措定されたものであり、これだけが中道なのである。

縁起していない法は如何なるものも存在しないが故に、
それ故に、空ではない法は、如何なるものも存在しないのである。

もしもこれらすべてが空でないとすれば、生滅は無いだろう。
そうすれば汝にとっても四聖諦は無いこととなるであろう。

縁起していないのならば、どうして苦であることになるだろうか。
無常なるものは苦であると説かれているこれは自性として有るのではない。

自性によって有るのならば、一体何が集起するというのだろうか。
それゆえに空を破壊する者には、集も無いことになってしまう。

自性によって有る苦においては、その滅も有り得ないのである。
汝は自性に固執しているが故に、滅をも侵害しているのである。

自性によって有るのならば、道の修習もまた不可能であろう。
もしその道が修習されるとするのなら、自性によって有ることは有り得ない。
17.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
l3foN
苦集滅が存在しないにも関わらず、一体如何なる道によって、
苦を滅し、その境地に達するというのであろうか。

自性によって遍知されることなくして、一体どのように遍知するのだろうか。
自性とは堅固にして不動なるものとして謂われているのではなかったのか。

汝にとっては、永断・現証・修習そして四果すらも、
遍知と同様に存在しないものとなるであろう。

しかるに自性によって証得されることのない果は
一体どうして自性に固執する者によって証得されるものでありえようか。

果が成立していない限り、諸々の果位の者も向位の者も存在しない。
もしこれら八輩が存在しないのならば、僧伽もまた存在しないだろう。

しかるに、聖諦が存在しないことにより、正法も存在しないこととなる。
正法と僧伽が存在していないにも関わらず、仏がどうして存在するだろうか。

汝にとっては、菩提に拠らずとも仏が有るということになってしまう。
更に汝にとっては、仏に拠らずとも、菩提が有ることになってしまう。

しかるに、自性によって仏ではない者が、菩薩行を精進しても、
汝にとっては菩提を証得することなど有り得なくなってしまうだろう。
18.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
l3foN
更には何人も法や非法を為すことなど無いことになるであろう。
不空であるのに何を為すのだろうか。自性が為されるのではないからである。

法や非法がないのならば、汝には果報も無いことにある。
汝にとっては、法や非法を因とする果は無いからである。

もしも汝に法や非法を因とする果報があるとするならば、
汝にとって法や非法より生じた果が、どうして空でないことになるのだろうか。

誰であれ、縁起と空とを侵害しようとする者は、
彼は、世間の言説を侵害しているのである。

空性を侵害するのならば、如何なる為すべきことも無いことになるだろう。
作用が開始されないことになり、何も為さなくとも行為者であることになる。

自性が有るならば、衆生は不生不滅にして、
さまざまな分位も欠き、永遠に存続することができることとなるだろう。

もしも空でないのならば、未得の者が得ることや、
苦しみに終止符をうち、一切の煩悩を断じることもあ有り得なくなるだろう。

縁起を見る者は、これを見るのである。
すなわち、苦と集と滅と道こそを。
19.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
l3foN
第二十六章 十二支に関する考察

無明に覆われたものは、再生のため三種の行を為す。
それらの諸々の業により何らかの趣へと赴くのである。

識は行を縁として趣へと入ってくるのであり、
趣へと入った識に名色が胚胎する。

一方、名色が胚胎した時、六処が発生し、
六処に基づいて触が現れれるのである。

眼と色と憶念に基づいてまさに起こるのであり、
このように名色により識は発生するのである。

眼と色と識という三つのものが集まったもの、
それが触であり、この触より受が生起する。

受を縁とし愛は有る。何故ならば、受の対象を愛するからである。
愛が起こっている時には、四種の取が取著されるのである。

取が有る時に取著の主体たる有が生起する。
取がなければ解脱するだろうし、有はないからである。

その有はまた五種である。有から生が生起し、
老死、苦等と、悲しみをともにする愁いと、

憂鬱と煩悶といったこれらが、生より生起し、
かくの如く純然たる苦の集合体が生起するのである。

しかるに無知なる者は輪廻の根本である諸行を賢者たちは造作し、
無知なる者は行為者となるが、賢者は実義を見ているが故にそうではない。

無明が滅すれば、諸行が生じることはないのである。
しかし、無明の滅は智によって実義を修習することによっている。

ひとつひとつが滅することにより、ひとつずつ生じなくなる。
こうしてこの純粋なる苦蘊は正しく滅することとなるのである。
20.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
l3foN
最終偈

大悲の心に促され、すべての邪見を断じるために、
正法を説かれた彼のお方、ゴータマに私は帰命する。

https://www.mmba.jp/nagarjuna/madhyamakakarika
21.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
l3foN
龍樹の根本中論頌は、簡潔にまとめられた論書だ
22.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
l3foN
全体でも、さほど長くないが

とくに重要なところが、ここに抜粋されている
23.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
l3foN
最初と最後、それと18章・24章が特に重要とされている
24.
ユーザー
cE841
1.Aである
→仏陀は独立した実体はないというから間違い

2.Aでない
→完全にないなら縁起が働かず虚無論になるから間違い

3.Aかつ非A
→論理的に矛盾するから間違い

4.非Aかつ非(Aかつ非A)
→従って「どれでもない」、これが空

どれかを特定することは、すでに、縁起となっている。
25.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
adHmQ
158 神も仏も名無しさん 2025/12/03(水) 21:35:00.23 ID:7Jzbo

否定した果てに否定されないもの
八不

「中論八不偈」は、竜樹の『中論』の冒頭に記された「不生不滅、不常不断、不一不異、不来不去」の偈(詩)のことです。これは、一切の事物は固定的な実体を持たず、空(くう)であるという仏教の核心的な教え(縁起の理法)を、8つの否定表現で示すものです。

八不の内容
不生不滅(ふしょうふめつ): 何も生じず、また滅びない。
不常不断(ふじょうふだん): 常にあるわけでも、常に変わらないわけでもない。
不一不異(ふいつふい): 他と一つではなく、また他と異なるわけでもない。
不来不去(ふらいふく): 来ることもなく、行くこともない
26.
ユーザー
EXH0J
加藤師匠の三論宗入門見たか?
中論の意義もやっている
😆
27.
ユーザー
EXH0J
仕事日は瞑想系統仏教は動画を聞く余力はある😆
28.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
adHmQ
これだな?


138 神も仏も名無しさん 2025/12/03(水) 08:59:42.02 ID:7Jzbo
加藤師匠
中論本格的講義だな?
https://m.youtube.com/watch?v=q3cz2kic5kM&pp=ygUY5LiJ6KuW5a6X5YWl6ZaA44CA5Yqg6Jek
29.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
adHmQ
三論宗をこんなに語れる人など、他にいないな😆
30.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
adHmQ
三論宗1400年が
31.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
adHmQ
日本最古の宗派
32.
ユーザー
EXH0J
加藤師匠によると
中論は
有部、アビダルマ批判のための論書らしい
😆
33.
ユーザー
EXH0J
重要な中論に関する考え方が語られている
😆
34.
ユーザー
EXH0J
バカなハッスル軍団と
レスしていても
中論の理解は深まらない
😆
35.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
adHmQ
ハッスルには無理なテーマ
36.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
adHmQ
バカは坐禅の回数でも数えてりゃいい😅
37.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
adHmQ
三論宗 中興の祖

理源大師聖宝
38.
ユーザー
ww3Ut
ハッスル🤡はいつも考える?
🤡

485.
ユーザー
栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK50-rxy-Ij-wvu
lIelq
坐禅中にふと、"こんな事をして何になるのか?"って出てくる事もある。
大抵はそのまま流れて消えるけど、納得がゆく様に思考を耕してたりする事もある。

2025/12/04 06:56:45

39.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
adHmQ
加藤拓雅の三論宗通信1(4日前)

加藤拓雅がお伝えする三論宗専門番組です。

・三論宗とは?
南都六宗の一つで、龍樹(Nāgārjuna 150-250頃)を祖とする中観派の流れをくむ宗派(学派)です。
『中論』『十二門論』『百論』の三論を所依とするので三論宗と言われます。

https://youtu.be/u9Bfrdb3kIU?si=7xGOaBdrIXmSDcIQ
40.
ユーザー
ww3Ut
坐禅回数で
思考を耕しているらしい?
🤡
41.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
adHmQ
>>38

下手な考え、休むに似たり😂
42.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
adHmQ
吐く息の回数を数えるってのなら、よく聞くが
43.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
adHmQ
坐禅の回数を数えるのか
45.
ユーザー
ww3Ut
三論宗としては
龍樹時代になかった
成実宗、唯識をターゲットに
批判をして
真諦、中道、真理とは何かを
論理立てている
😆
46.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
ZC6D1
>>44

4まで見た😆
47.
ユーザー
ruJzb
聞けは
中論の全体像のイメージが明白になってくるな?
😆
48.
ユーザー
ruJzb
ホーカイくんが
いかに、禅に関して暴論を述べていたがが
三論宗入門あたりから見えてくる
😆
49.
ユーザー
ruJzb
加藤師匠は
説明仏教では
かなり優秀な人だ
😆
50.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-4nO-ju-95Q
n1QHm
ジャック・デリダ(1930 - 2004)は、ポスト構造主義の哲学者です。

このページでは、脱構築、差延、グラマトロジーといったデリダの思想を分かりやすく解説します。


https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/H/Higuchi/20240130/20240130050253.jpg
51.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-4nO-ju-95Q
n1QHm
デリダの生涯と時代背景

デリダは、当時フランスの植民地であったアルジェリアで、ユダヤ人の家庭に生まれました。

その後パリの学校へ通いますが、植民地出身者やユダヤ人ということで周囲になじめず、哲学書を読み漁ったそうです。

幼少期には第二次世界大戦が勃発しており、ドイツ人とユダヤ人、列強と植民地など、何かが何かを支配する構造が身近にあったことが、彼の思想に影響を与えていると考えられます。

52.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-4nO-ju-95Q
n1QHm
デリダの主な思想

デリダの主な思想を解説します。

53.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-4nO-ju-95Q
n1QHm
脱構築

デリダの思想の根幹を表す言葉が「脱構築」です。

脱構築の概念を理解するために、まずは「二項対立」について説明します。

二項対立とは、2つの相反するものが対立している状態を言います。

例えば、「男と女」「喜びと悲しみ」「存在と欠如」などですね。

一般的に、二項対立の状態にある2つのものは、どちらか一方が他方よりも優れているという考えになりがちです。

例えば、(当時は)女性よりも男性の権利が幅広く認められてましたし(今は逆ですかね?)、悲しみよりも喜びの方が良いことですし、欠如よりも存在の方が価値があるように思えます。

デリダはこのような、一見当たり前にも見える「二項対立のどちらか一方が他方よりも価値がある」という考えを否定しようと試みました。

54.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-4nO-ju-95Q
n1QHm
その具体的な方法が「脱構築」です。

脱構築とは、「二項対立の概念を分析し、その内部にある矛盾や隠れた前提を明らかにし、その支配的な構造を揺るがすことで、新しい視点や理解を生み出す試み」を言います。

シンプルに言い換えれば、「白黒はっきりさせられないことを証明する」という感じです。

例えば、「存在と欠如」について、「何かが欠如している」という概念が無ければ「何かが存在する」という概念はそもそも生まれません。

逆に、「存在」の概念が無ければ、「欠如」という状態も生じません。

このように、一般的に、二項対立している2つの概念は、どちらか一方が他方よりも優れているのではなく、相互に依存しあうことで初めて意味を持っているというのがデリダの主張です。

55.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-4nO-ju-95Q
n1QHm
なんか、龍樹っぽいな?
56.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-4nO-ju-95Q
n1QHm
デリダこそ、龍樹の再来か?
57.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-4nO-ju-95Q
n1QHm
まあ、近現代の西洋哲学から出てくる新たな概念が

古代インド哲学の焼き直しに見えるのは、よくあることだが
58.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-4nO-ju-95Q
n1QHm
どの思想も、古代インド思想にたいてい似たような発想が見つかる
59.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-4nO-ju-95Q
n1QHm
デリダの「二項対立」へのアプローチは、西洋哲学が前提とする「男性/女性」「音声/文字」「現実/理想」といった**優劣関係にある対立構造(二項対立)を解体(脱構築)**する思考法です。彼は、優位な項(例:男性、音声)が劣位な項(例:女性、文字)を排除・抑圧することで成り立っている構造の矛盾を突き、劣位な項を肯定することで、**新たな可能性(もう一つのシステム)**を提示しました。

60.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-4nO-ju-95Q
n1QHm
二項対立とは?

二つの対立する概念(例:善/悪、理性的/感情的)で世界を捉える構造。

伝統的に、片方がもう片方より優位(価値が高い、本質的)とされ、他方は従属的・二次的と位置づけられてきました。

61.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-4nO-ju-95Q
n1QHm
デリダの「脱構築」による分析

優劣構造の逆転:例えば、「話し言葉」が「書き言葉」より優位とされる西洋哲学に対し、デリダは書き言葉が持つ「差延(diff?rance:差異化され意味が遅延する運動)」の概念を導入し、話し言葉の現前性(プレゼンス)も書き言葉なしには成り立たないことを示しました。

排除されたものの肯定:「男性」という概念が「女性」の不在によって成立しているように、システムが抑圧する要素(女性、文字、他者)を再評価し、それらがシステムそのものの基盤であることを明らかにします。

権力構造への問い:このような二項対立の思考は、権力(例:ナチズムのドイツ人/ユダヤ人)に利用されやすい危険性を指摘し、知のあり方そのものに根本的な問いを投げかけました。

目的
単なる破壊ではなく、既存の枠組み(西洋形而上学のロゴス中心主義など)の内部にある矛盾を露呈させ、抑圧されたものの中に新たな解放の可能性を見出すための哲学的手法です。

62.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-4nO-ju-95Q
n1QHm
もっとも、同じ「二項対立の克服」でも

デリダと龍樹では、目的が異なる
63.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-4nO-ju-95Q
n1QHm
デリダのは、左翼思想だ

支配/従属の社会構造が重要だ
64.
ユーザー
ywjGU
デリダまては読まなかったな?

メインテーマが社会科学の一般原理理論探求やったからな
😆
65.
ユーザー
VfK6e
相変わらず
狂った解釈やってる唯識
😫


0436 鹿野園 ◆ifwe1NnHmGU5 2022/08/21(日) 11:20:03.16
1.智慧が何故有為法に分類されるという事ですが、先にもレスした通り事法であり心作用だからでしょう。
当然に五位百法の無為法の虚空・択滅・非択滅・不動滅・想受滅・真如には分類されないという事です。
これについては、下記の転識得智の仕組みを調べる中で明らかにされます。

2.転識得智の仕組みですが

見道・修道にて、
 1.-1. 第六識(意識)の
66.
ユーザー
VfK6e
やはり
バカだな?
😫
67.
ユーザー
VfK6e
謎の中国の尼様ブログを発見、
俺とどっちがレベル高い?

俺はセッタンみたいな、見事な話は、てきん
😆

https://www.butsutera.com/wap-jp/shishengru.html
68.
ユーザー
VfK6e
まーまー、どこの馬の骨か、わからんけど
まーまーオモロイ

https://www.butsutera.com/wap-jp/676.html

69.
ユーザー
VfK6e
俺みたいなの
こーいう解説ができるらしい
😆

在家で修行して成就した者もいますが、記載は非常に少なく、しかしこの部分で成就した在家者も前世の根基が比較的深く、自ら単独の修行空間を持ち、時間的にも非常に余裕がありました。彼らの福德が非常に大きく、毎日家の親族を養い衣食住のために奔走・労苦する必要がなく、修行条件が優れていたため、修行が速やかに成就したのです。三世の因果から見ると、この部分で成就した在家者も前世に出家して修道し、すでに一定の成就を修め、今世で再び加工して再び成道したのです。自ら独立した修行空間があるからこそ、修行功夫は連続して途切れないことを保証でき、在家では保証できません。非常に大きな福德に加え、前世の善根があって初めて成就でき、そうでなければ非常に困難です
70.
ユーザー
VfK6e
だそうだ
😆
俺はしらんけど
😆

三世の因果から見ると、この部分で成就した在家者も前世に出家して修道し、すでに一定の成就を修め、今世で再び加工して再び成道したのです。
71.
ユーザー
VfK6e
ここだけは
俺の感覚と
違う


自ら独立した修行空間があるからこそ、修行功夫は連続して途切れないことを保証でき、在家では保証できません。非常に大きな福德に加え、前世の善根があって初めて成就でき、そうでなければ非常に困難です。
72.
ユーザー
VfK6e
仕事時間の遥かに
修行空間だ
😆

冬の寒暖差地獄から
今週は修行した
😆
73.
ユーザー
VfK6e
俺は世俗の修羅場こそが
修行という発想なので
臨濟宗以外の世界には鈍かったのはこんなところか?



私個人の修行の過程と経験から見ると、私の全ての功夫の成就は、一人で寂静な環境の中で成就したものであり、人群の中に戻ると功夫は阻害され、さらに深めることができませんでした。私はあちこち寂静な環境を選んで修行し、こうして各段階の修行目標を達成しました。人群の中で修行するのは非常に困難です。したがって皆さんには、禅定と観行の功夫がある程度に達し、飛躍的に進歩させようとさらに一気に力を加えたい時は、できる限り身辺の全ての事務を放下し、寂静なところへ行って火力を大きくし、功夫をより深くより適切に行うことをお勧めします。そうして初めて我見を断つか明心する可能性があります。環境と時間が共に適して初めて、修行は連続して途切れず、火力が持続し、様々な溝や段差を越えられる可能性があるのです。
74.
ユーザー
VfK6e
道教ぽい、これこそが道教がらみの中国現在仏教

発想的には比叡山天台ぽい雰囲気の霊感ぽいなー


十九、学員の定中観行体験(一)

今朝の早課は、師尊の教示「定中で法義を思惟できるよう訓練し、意根の中に懸けておく」に従いました。まず数回深呼吸し、身体の廃気を排出すると同時に新鮮な空気を全身に満たし、鼻腔・喉腔・胸腔から気海(丹田)へと至り、さらに一頓(一気に圧縮)すると、足首・足裏の湧泉穴に圧し込まれ、心は空霊・柔軟・和暢になりました。その後、静坐して念仏し、音声を用いて仏事とし、胸腹、特に頭脳の様々な細胞を震動させ、経絡を疏通し、汚染を排出・清浄する作用を達成しました。頭部の気脈を念仏によって貫通させ、足底の気脈を頭部へと引き上げ、「南水北調供水工程」(南の水を北へ送る給水プロジェクト)システムを形成し、しかもスムーズに流れ、南北の大動脈を打通する目標を達成しました。
75.
ユーザー
VfK6e
日本禅以外と、唯識以外の禅定感覚は
天台華厳真言チベットみたいなのは
こーいうノリみたいなのが
俺にはある
😆

さらに、静坐して仏を拝み、任督二脈を伸ばし緩めると、心はすでに空澄・安寧になりました。そこで『楞厳経』の中で最も理解が難しい第四巻の法義、富楼那が提出した「一切の根・塵・陰・処・界などは、皆如来蔵にして清浄本然である。どうして忽然として山河大地が生じるのか」という問題について、第四巻を少し読みました。定力があったため、読みながら入り、心は経文に専注でき、文に随って観に入り理解を得ました。関連する法義を整理した後、意根に反芻させると、時々意根が一つの念頭を放り出し、意識がそれを受け取ります。「ああ、『大般若波羅蜜多経』の法義だ」と、直ちに『楞厳経』の法義と接続し、理解できないところは湯が氷を溶かすように解けました。
76.
ユーザー
VfK6e
俺の場合は
禅定先行という異常現象で
そのあと
教義学テキストがスルスルと、入ってくる
😆
77.
ユーザー
VfK6e
北宗禅、華厳、浄土教、道教あたりの
ハイブリッド感覚があるな、
この尼様のは
😆
78.
ユーザー
VfK6e
道教ぽい後期華厳だな


金剛経解説・我相の特徴
円覚経において世尊は微細な我相についてこう述べられている:例えば、ある人が全身の調和が取れ、快適で、四肢がリラックスし、心身が静寂で極めて静かな状態にあるとき、突然身体の存在を忘れ、身体がどこにあるのかもわからなくなる。この時に針でそっと身体を刺すと、すぐに痛みを感じ、「私が痛い」と無自覚に感じ、心の中に我相が現れる。衆生は無自覚に身体を私だと感じ、覚知を私だと感じ、五蘊を私だと思っている。これは非常に微細な我相であり、衆生に普遍的に存在する。
79.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-aRr-ju-95Q
Kva4x
教学と禅定の2本柱が重要だ😆
80.
ユーザー
vMxYk
>>79
密教ぽいんだよな、
または天台、華厳ぽい
中国は混ざりあってるからな
😆


さらに、静坐して仏を拝み、任督二脈を伸ばし緩めると、心はすでに空澄・安寧になりました。そこで『楞厳経』の中で最も理解が難しい第四巻の法義、富楼那が提出した「一切の根・塵・陰・処・界などは、皆如来蔵にして清浄本然である。どうして忽然として山河大地が生じるのか」という問題について、第四巻を少し読みました。定力があったため、読みながら入り、心は経文に専注でき、文に随って観に入り理解を得ました。関連する法義を整理した後、意根に反芻させると、時々意根が一つの念頭を放り出し、意識がそれを受け取ります。「ああ、『大般若波羅蜜多経』の法義だ」と、直ちに『楞厳経』の法義と接続し、理解できないところは湯が氷を溶かすように解けました。
2025/12/06 10:36:50
81.
ユーザー
vMxYk
朝は曹洞宗寺院で勤行と掃除

冬場メンタルモード研究を
曹洞宗モードも模索

真宗や日蓮あたりも模索
今、キリスト教、イスラーム、神道まで含めて
感覚のバージョンアップ構築中だ
😆
82.
ユーザー
vMxYk
しかし、やっぱり南天棒ていうのは
モンスターだけど
日本社会二は間接的に貢献しとるんやろな?
😆

https://m.youtube.com/shorts/6Nure1VaTgY
83.
ユーザー
vMxYk
ハッスル修行問題
修行に関する 12分30秒あたり
😆
https://m.youtube.com/watch?v=WGmXo_VjoEQ&pp=0gcJCSMKAYcqIYzv
84.
ユーザー
vMxYk
やはり、体調悪いんか?
😆
85.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-u2V-ju-95Q
Jj6Gd
かなり回復したが、まだまだ
86.
ユーザー
sCO1u
>>85

ま、これくらいは
見といて
ネタとして
12分あたりからでええんで
オモロイ毒舌が

😆
ハッスル修行問題
修行に関する 12分30秒あたり
😆
https://m.youtube.com/watch?v=WGmXo_VjoEQ&pp=0gcJCSMKAYcqIYzv
87.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
7z34R
>>86

素晴らしいな?😆
88.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
7z34R
セイウンコーンに聞かせてやりたい言葉😂
89.
ユーザー
hPvyu
ハッスルは
バカなんやろな

ま、どれたけ
つまらん参禅しにいっていたか、
もしくはエア参禅かもしれんな?
😆
90.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
7z34R
何万回も坐禅したところで

「だから何?」と言われて終わりだ😂
91.
ユーザー
hPvyu
ハッスルの正体が
暴露され
これからはハッスル只管バカにされる
😭
92.
ユーザー
Cneeq
あの動画を見せるのはロンにだな
😆
93.
ユーザー
e4Gi3
ロンに見せたので
見せるべき相手を
コンプだ
😆
94.
ユーザー
lMKKI
既存キリスト教研究は
冬の寒い時間ははかどらないようだ
😆
95.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-cB-xsM
7z34R
今日は寒いな~😫
96.
ユーザー
QHFwq
冬季鬱にやられるな?
仏教瞑想モードでないと

なんて
言いながら、キリスト教書物を読んでいる
😆
97.
ユーザー
QHFwq
ハッスル様は
五ちゃんねるのキリスト教スレが
一番の拠点だな?
😆
98.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-cB-xsM
7z34R
キリスト教スレは、セイウン様に優しいな
99.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-cB-xsM
7z34R
仏教スレと違って、ボロクソにこき下ろされてない
100.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-cB-xsM
7z34R
100
101.
ユーザー
QHFwq
とある教会からもらった
キリスト教のマイナーな出版社からの
本を精読している
エペソ書の研究
とかを
😆
102.
ユーザー
QHFwq
冬季鬱気分を
どうするか?
を解析している

人知を超えた主の生命力みたいな
解決策
ま、創価に近いが
創価よりもマジメである
ファンダメンタルズ系統の教会の書物である
😆
103.
ユーザー
cJMRn
今日は
ハッスル🤡パワー回復のようだな?

635.
ユーザー
栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK50-Qmt-Ij-wvu
BHxre(2/2)
この手の馬鹿が禅宗を騙る奴等に多いんだよな。

そもそも絶対的に無いものであれば認識自体が不可能で、無いとさえいえない事も分かってない、3歳児並みの知能しか持ち合わせてないんだわ。

馬鹿は空と無の違いを理解できない。
空とは無いというか意味では無い。
2025/12/07 18:40:58
104.
ユーザー
cJMRn
パトロールしていたのか?
坐禅回数自慢🤡が止まったな?
😆
105.
ユーザー
cJMRn
ネットでも読むのは
こちらだ
😆

https://note.com/hegelschen/n/nbf999a48804f
106.
ユーザー
kqgNV
ハッスルパワー全開〜〜〜

639.
ユーザー
栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK50-lVR-Ij-wvu
7j49b(1/4)
馬鹿は何も知らないからネット知識の棒読みで、実存主義が禅仏教に於いてどう消化されているかも知らないだろうな😟

久松真一に「即無的実存性」というのがある。

それが実存の危機に対する一つの在り方である事は云うまでもない。
2025/12/07 19:39:31

Reply

Good
640.
ユーザー
栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK50-lVR-Ij-wvu
7j49b(2/4)
馬鹿がおかしな事を吹いてるけど、西洋哲学による仏教の再解釈とか、そんな低次元な作業を西田幾多郎や鈴木大拙、久松真一や西谷啓治らがやってた訳じゃないんだよ。
むしろそれらとの格闘や超克なんだよ。

馬鹿はこれだから😆
2025/12/07 20:01:09
107.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
Cp5UC
西洋哲学の実存主義を取り入れたおかげで
禅宗の教義体系はおかしくなった😂
108.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
Cp5UC
「もはや、神を信じられなくなった近代西洋人の実存的な不安」

とかなんとか

それが仏教と何の関係があるんだよ?😂

アフォかっつ~の
109.
ユーザー
XRPkU
そのあたりが

俺は昔から
ヤツを無限にボコると決めたモチベだな

創作が、過ぎる
😆
110.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-1vx-ju-95Q
42UJV
実存的危機(じつぞんてききき、Existential crisis)とは、心理学や心理療法において、人生に意味がないのではないか、あるいは自分自身のアイデンティティに混乱が覚える内的葛藤のこと。

自然を前にしたときの孤独感や無力感は、実存的危機においてよく見られるものである。

不安やストレスを伴いしばしば日常生活の正常な機能を妨げうつ状態を引き起こすこともあるが、この状態に感じる生きることや意味に対する否定的な態度は、その名にある通り、実存主義の立場と結びつけられる。

同義語や関連語としては、実存的恐怖、実存的空白、実存的神経症、疎外などがある。
111.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-1vx-ju-95Q
42UJV
目次


実存的危機に関連するさまざまな側面は、感情的要素、認知的要素、行動的要素に分けられることがあり、感情的要素は、感情的苦痛、絶望、無力感、罪悪感、不安、孤独感など、危機が引き起こす感情を指す。また、認知的要素には、無意味の問題、個人的価値観の喪失、自分の死についての考察が含まれる。

外見的には、実存的危機はしばしば依存症、反社会的行動、強迫的行動で表現される。具体的な症状はケースによって大きく異なり、さまざまな種類の実存的危機を区別することによって、この問題を解決しようと試みられている。
112.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-1vx-ju-95Q
42UJV
分類は通常、個人の人生や個人的発達の段階によって異なるという考えに基づいており、学術文献によく見られるタイプとしては、ティーンエイジャーの生き方にまつわる悩み、四半期ごとの人生に対する悩み、中年期、晩年期の悩みなどがある。

これらに共通するのは、自分の人生の意味や目的についての葛藤である。 初期の段階での危機は、前向きなものになる傾向があり、自分がどのような人生を歩むべきか、特に教育やキャリア、社会関係における自分のアイデンティティや自立について迷う傾向にある。 人生後半の危機は、より後ろ向きで、人生のピークを過ぎたという印象が引き金となり、罪悪感、後悔、死への恐怖を特徴とすることが多い。
113.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-1vx-ju-95Q
42UJV
>>112

> 人生後半の危機は、より後ろ向きで、人生のピークを過ぎたという印象が引き金となり、罪悪感、後悔、死への恐怖を特徴とすることが多い。



セイウン様の危機は、これだな?😫
114.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-1vx-ju-95Q
42UJV
>>111

> 外見的には、実存的危機はしばしば依存症、反社会的行動、強迫的行動で表現される。


坐禅会への依存症

宗教板での反社会的で強迫的な言動で表現されている😫
115.
ユーザー
C5aoG
ハッスルはどの角度でも
ボコれるな?
😆
116.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
eEEfO
実存的危機なんだろな😆
117.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
次のようにダライ・ラマ法王は仏教の教説について自説を述べておられる。

(一)有部の学説の典拠と経量部の学説の典拠が別々にあるのか無いのか分からない
が、一般に『四諦経』③などを典拠としている。

(二)唯識派の学説の典拠は「一切のものは心を本性とする」と説いた経典、特に『解
深密経』である。

(三)中観派の学説の典拠は第二転法輪で説かれた経典である。(『般若心経』など)

(四)中観派の自立論証派と帰謬論証派の典拠は別々にあるのではなく、それぞれの
阿闍梨による説明の仕方によって違いが生じたに過ぎない。

(五)チベットのパンディタたちが、それぞれのインドの阿闍梨がこの四宗(有部、経
量部、唯識派、中観派)のどれに属するかを区別している。



高野山大学密教文化研究所紀要 第 34 号 134
(「中観派の章」和訳・解説
―ダライ・ラマ法王 14 世 講義録『学説規定摩尼宝鬘注解』第 9・10・11 章―
テンジン・ウセル
藤 田 光 寛
118.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
ダライ・ラマ法王は、中観派の典拠は「般若心経などの経典」と言っている
119.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
般若心経は、仏教というより、中観派の思想
120.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
中観派の拠り所とされてきた
121.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
当方は小学生の頃、禅寺で般若心経を暗誦した

自分で調べて、中学生の頃には意味を知っていた
122.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
調べるといっても、インターネットが無かった時代

情報が少なすぎた

松原泰道の「般若心経入門」が教科書代わり
123.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
べつに、松原泰道のファンだったわけではない

当時は、それしかなかったのだ

松原泰道の「般若心経入門」や「観音経入門」は、当時としては画期的な本だった

それまでは、お経の意味など誰も知らなかった

世の中に大きな衝撃を与えた
124.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
小学生のときに通ってた禅寺は、曹洞宗

松原泰道は、臨済宗の僧侶

自分の仏教体験は、禅宗から始まった
125.
ユーザー
lHPib
松原泰道は臨濟宗だな
鍛えあげタイプの僧侶てはなく
円覚寺のボンクラのようなサービスの良い路線だったな
😆
126.
ユーザー
lHPib
松原泰道ねら、

ロン閣下に違和感あるよなー
😆
127.
ユーザー
lHPib
今日は月曜日か火曜日か区別つかんくらいに
目覚め時は休みボケしてるな?
😆
128.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
その後も長いこと、般若心経こそが仏教思想を凝縮したエッセンスだと信じて疑わなかった

「これが仏教だ。仏教とは、こういうものだ」と思い込んでいた
129.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
いまでは、般若心経の思想内容が「中観派」に見えている

仏教思想界に覇を唱えた「有」の思想の説一切有部に反対し

徹底した「無」の思想を唱えた
130.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
もちろん、般若心経はお経だ

中観派の論書ではない

中観派が典拠とする経典の1つだ
131.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
中観派の論書ではないが

思想内容は中観派そのものだ
132.
ユーザー
lHPib
曹洞宗は
般若心経は
エッセンスだとは思えるなー

ロン閣下解釈は
かなりブットンでるぽい雰囲気を受けかねない雑に言い過ぎてるからなー
😆
133.
ユーザー
lHPib
ハッスル、NO1のデタラメは
なんとなく解るれべにあるのは確か
😆
134.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
佛説摩訶般若波羅蜜多心経


観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄

舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 受想行識 亦腹如是

舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減

是故空中無色 無受想行識 無限耳鼻舌身意 無職聲香味触法 無限界 乃至無意識界

無無明亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故

菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃

三世諸佛 依般若波羅蜜多故得阿耨多羅三藐三菩提

故知般若波羅蜜多 是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 能除一切苦 真実不虚

故説般若波羅蜜多呪 即説呪日 揭諦 揭諦 波羅揭諦 波羅僧揭諦 菩提薩婆呵 般若心経

135.
ユーザー
lHPib
曹洞宗が
一番さめている感がある
ま、色々タイプもあるが

😆
136.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
『摩訶般若波羅蜜多心経』現代語訳

偉大なる智慧の完成についての心髄の経

観自在菩薩が深遠なる智慧の完成を実践していたとき、もろもろの存在の五つの構成要素は、皆、固有の本性・実体を持たない「空」であると見極め、だからこそ、あらゆる苦しみと災いを克服した。

舎利子よ、形あるもの(色)は、空に異ならず、空は、形あるものと異ならないのである。形あるものは空であり、空は形あるものなのである。そして、感受作用・表象作用・形成作用・識別作用もまた、同じく空なのである。

舎利子よ、あらゆる存在は空を特質としているから、生じることも滅することもなく、汚れることも清まることもなく、増えることも減ることもない。だからこそ、空であることには、形あるものは存在せず、感受作用・表象作用・形成作用・識別作用も存在しない。眼・耳・鼻・舌・身体・心も存在しない。これらの感覚器官の対象である形・音・香り・味・触れられるもの・心の対象の法も存在しない。範疇としての眼から、意識にいたるまでの十八界もない。智慧が無い状態もなければ、智慧が無い状態も尽きることもない。また、老いて死ぬこともなければ、老いて死ぬことが尽きることもない。苦・集・滅・道という四諦もない。知ることもなければ得ることもない。

得るところのものが何もないからこそ、菩薩は智慧の完成に依るのであり、心には妨げるものがなく、心に妨げるものがないからこそ、恐怖があることもない。誤った考えや夢想を超越して、涅槃を究めるのである。また、過去・現在・未来の諸仏も、智慧の完成に依るからこそ、無上なる完全なさとりを得るのである。

だからこそ知るべきである。般若波羅蜜多とは、大いなる真言であり、大いなるさとりの智慧の真言であり、この上ない真言であり、比べるものがないほど素晴らしい真言なのである。よく一切の苦悩を除き、それは実在であり、虚ろなものではないのである。

だからこそ、般若波羅蜜多を讃える真言を、ここで説こう。

往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、さとりよ、幸いあれ。

偉大なる智慧の完成についての心髄の経
137.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
>>125

子孫も活躍している😆

https://dialoguetemple.com/shinsuke-hosokawa/
138.
ユーザー
lHPib
週一は読んでいる般若心経
曹洞宗寺院で

基本、そーいうのは
あんまりやらない信仰観の人間だ
修行といえばわかりやすくいえば止観というのだけ専門になる感じだ
😆
139.
ユーザー
lHPib
道元は読経せず只管打坐

臨濟宗はそんなに読経熱心派では
本来無い、その文化の住人だ
😆
140.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
>>126

自分が知ってる禅宗と、ロン閣下の間に、かなりの距離感がある😅
141.
ユーザー
lHPib
曹洞宗は読経大好き宗派になった
😆
142.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
ロン閣下は、祖師の禅語録に詳しい

その方面では、聖ウンコ師を圧倒している👍️
143.
ユーザー
lHPib
じょうらい、摩訶般若波羅蜜多ふじゅするくどくは〜〜〜〜


と般若心経読経の後に
祈願を入れて
週一読んでいる

😆
144.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
>>141

読経には、坐禅に勝るとも劣らない効果がある
145.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
もともと、中観派というは偏った思想だ

中観派というのは自称であり、他の部派からは中道思想と思われてなかった

「説一切無部」と呼んだ人もいる
146.
ユーザー
lHPib
祈願は自分の為の祈願でなく

おまつりする諸霊、諸仏諸菩薩の供養及び関係者の安穏の祈願を入れる
ま、坊主があんまり参らないから
代理してるよーなもんだ
😆
147.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
キリスト教、イスラム教、儒教といった他の宗教勢力からは、仏教そのものが「虚無的な思想」、「ニヒリズムの極致」と非難されてきたが

そんな仏教界の中でさえ「虚無的な思想」といって非難されたのが、中観派だ
148.
ユーザー
lHPib
日本化した土着した曹洞宗の儀式が
大切だから、それに合わせている
自分の修行好みはない読経には

おかげで
日本化した土着した曹洞宗の儀式的な禅定が上手くなった
😆
149.
ユーザー
lHPib
曹洞宗の儀式の般若心経は

祈願供養の霊的な意味も持つ
般若心経もはいってきているだろな
😆
150.
ユーザー
lHPib
俺からすれば
最初
読経の価値が理解できなかった

ショートカットで禅定すれば良い派なので

未だに読経する価値感じないのが
本流だからなー
😆
151.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
「ただ、ひたすら坐れ」というのは、道元だけ

後が続かなかった(笑)
152.
ユーザー
lHPib
般若心経の読経は
天台宗の山伏と念仏派
真言宗の山伏と念仏派
このあたりから流行したんやろな
😆
153.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
>>150

前世で山岳修行したおかげで

今世でもスンナリ、禅定に入れたんだろな😂
154.
ユーザー
lHPib
>>151
ネルケ無方や澤木興道の流派は
読経はするだろうけど
バカみたい坐禅するらしい
😆
155.
ユーザー
lHPib
>>153
山岳でもヒマラヤだろな
😆
チベットの妖気の誘惑無敵クラスに半端ない、世俗を捨てさせるぱわーがある
😆
156.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
聖ウンコ師を見ていると

「坐禅しすぎると、バカになるんじゃないか?」と心配になる😫
157.
ユーザー
lHPib
顕教ゾーンの本なのにツォンカパですら強烈
😆
158.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
ツォンカパ大師か~😆

これからの探求テーマの1つだ
159.
ユーザー
aAlVP
アイツはボコってやらんといかん
害虫やからなー

ムイムイもその扱い
😆
160.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
まあ、聖ウンコ師の場合は

「坐禅をしすぎてバカになった」というより

「もともとバカだったのが坐禅中毒になった」というのが真実だろう😂
161.
ユーザー
aAlVP
鉄壁のナルシズム
宗教世界でダメの烙印を、押されるのが
たたあること

バカボンパパも、それだからなー
😆
162.
ユーザー
aAlVP
バンドメイドはファンでもないが
インストゥルメンタルがドハマりしているのは
クルッポーの楽器バンドの演奏のこだわりの耳が
優秀なメンバーを集めたらしい
😆
163.
ユーザー
aAlVP
10時半まで修行マシーンエンジンは点火しないので
キリスト教模索する
キリスト教の神学、教派とはなにか?

まとまってきた
神の霊による守護に関する解釈による
別れだと

初めてキリスト教教派分類のキモが見えた
😆
164.
ユーザー
aAlVP
同じことは
浄土宗系統、日蓮宗
浄土教山伏神仏習合にも
言える

瞑想仏教以外の謎が
解けてきた、
さらに
😆
165.
ユーザー
aAlVP
故に葬式仏教や法事
寺の節分なとの法要は


仏神、先祖の霊による守護の解釈学といえる、
完璧だなー

瞑想仏教サイドにいると
そんなの関係ねぇ‼️
だからなー
😆
166.
ユーザー
aAlVP
キリスト教の教義とは
その教義どおりを信じなければ
神の霊は守護ありません、
設定だな、

日蓮にも同じ論法がある
😆
167.
ユーザー
aAlVP
なんとなくやりたかったキリスト教探求の目的を理解できた
😆
168.
ユーザー
aAlVP
ディスペンの教義も
その教義を信じなければ
神の霊の守護はありませんよー

というオチ
宗教研究やっと今期の休暇目標を達成した
大晦日〜正月過ぎの
鬼修行はイレギュラースタートで
降りてこなければ、やらないで
キリスト教かイスラームか神道研究ばかりしてた
😆
169.
ユーザー
aAlVP
日本土着仏教の土壌があるから

スピ界隈で
守護霊ブームが一時流行ったのかー
そこまで知らなかったー
😆
170.
ユーザー
aAlVP
ノアに動画推奨してるのが
俺のイメージしているところのキリスト教だが
それ以外の既存のキリスト教の存立根拠が謎だった
「守護霊」みたいな視点キーワードが欠けていたから全くわからなかった
謎であった
😆
171.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
twQTr
今日はキリスト教研究か~😆
172.
ユーザー
Y1GU6
10時半から
禅修行モードに切り替え
正月休み3度目の作務実行ー
曹洞宗寺院つる切りタイム
マーマー腕疲れた
😆
173.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
個人的に、倶舎論・中論・唯識論の中で

中論に関する知識量が明らかに少ないが
174.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
それは自分の個人的な問題というより

もともと、中論という分野自体に情報量が少ない(笑)
175.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
やはり、倶舎論や唯識論は

五位七十五法や五位百法を初めとして、
教義体系そのものの情報量が多い
176.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
中論は、それらに対する否定から入るので

そもそも情報量が少ない
177.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
個人的にはむしろ、中観派が原点だ

倶舎論は割りと最近のテーマだ
178.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
ずっと、中観派みたいな考え方が

仏教思想を凝縮したエッセンスだと思っていた
179.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
大学生のとき、三島由紀夫の影響で

唯識論に関心を持った
180.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
中観派とは、小学生からの付き合い

唯識派とは、大学生からの付き合い
181.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
倶舎論はここ数年(笑)
182.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
個人的には、倶舎論が最も新鮮なテーマだ
183.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
歴史的には一番古いけど
184.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
倶舎論こそ、仏教思想のスタンダード
185.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
唯識論は、たいぶヨガ系の世界観が入っている

「瑜伽行派」というだけあって
186.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
唯識論の世界観は、世間一般の常識人には受け入れがたいと思われる

当方は個人的に、その世界観を熱烈に支持しているが

世間の一般人を相手にストレートに語ると、頭がおかしいと思われてしまう
187.
ユーザー
soZnk
中論は倶舎論への議論書の意味があるから
大般若経を知らないと
結局わからんだろなー
大般若経は
真言宗に近い要素の一部を持っている
😆
188.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
倶舎論なら、分かりやすく語れば、世間の一般人にもギリギリ通じる
189.
ユーザー
soZnk
ま、大般若経の
全文ではないが部分訳は三つくらい持ってるな
2008年あたりまで
仏教書の重要ポイントを買いまくりしたからな
😆
190.
ユーザー
soZnk
古本が二冊
新本が一冊
😆
191.
ユーザー
soZnk
大乗仏教経典の現在語訳の
が3冊あって
その中に大般若経があるというパターン
😆
192.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
中観派は、「自分たちは中道だ」と言うが

それは本人たちがそう思ってるだけで、
他の部派からはそう思われていない

他の部派から見れば、中観派は「無」にこだわる思想
193.
ユーザー
soZnk
正統派仏教志向があったからなー
インド、中国の瞑想仏教が
2003年頃は
それしか関心がなかった
😆
倶舎論はノータッチだった
😆
194.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
中観派としては、「俺たちの思想は『無』ではない。『有でも無でもない中道』だ」と言うが

他の人からは中道に見えない。「無」の思想に見える
195.
ユーザー
soZnk
>>192
大般若経の
データ不足なんよ
それ
😆
196.
ユーザー
soZnk
大般若経は
日本では
飛ばし読み
経典読まずに
風で読んだことになる
ご祈祷扱い
😆
197.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
例えてみれば

立憲民主党が「俺たちは中道のリベラルだ」と言うが

他人から見れば「左翼」でしかないようなものだ
198.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
>>196

大般若経も研究してるのか?😆
199.
ユーザー
soZnk
こんな感じね
浄土宗や日蓮宗系統以外は
ご祈祷行事でやるでしょう
マジメに読まないからなー
日本人は
😫
https://m.youtube.com/watch?v=OvIsMlU0bXA&pp=ygUT5aSn6Iis6Iul57WMIOi7ouiqrQ%3D%3D
200.
ユーザー
soZnk
>>198
俺は正統派瞑想仏教マニアだぞ〜
レスしないだけで
😆
201.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
>>199

三論宗が衰退したのが痛いな~😫
202.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
中観派は、チベット仏教のゲルク派に受け継がれた
203.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
唯識派に言わせれば

説一切有部は『有』の思想

中観派は『無』の思想

この2つを統合し、止揚したのが唯識派(笑)
204.
ユーザー
soZnk
華厳経を明恵上人の聖地読んで遊んだりしてた
2006年くらいかなー
ていうくらいに
経典は割合読む、
比叡山天台宗の法華経の現在語訳すら持っている
かなり収集しまくってる
ハッスル🤡様にみたいツギハギ上っ面で
解った気にならないタイプ
とにかくデータ収集の鬼だ
書庫に多く眠つているが
😆
205.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
ハッスル様は、もはや仏教哲学への情熱を失っている

「坐禅の回数」だけで押し切るつもりだ
206.
ユーザー
soZnk
経典を見ていたのは
当然2008年あたりぐりいまでだ
それ以降は
山伏念仏神仏習合研究の鬼
昨日、まだ山伏念仏神仏習合が解っていなかったと
思い知ったくらいだ
😆
207.
ユーザー
soZnk
守護霊的?発想に気づいていなかった
念仏山伏神仏習合にはあると
😫
208.
ユーザー
soZnk
達磨無功徳主義星人が、メインなので
功徳=守護霊的?
な日蓮的発想に気づかなかった
😆
209.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
守護霊を信仰するのは、五井先生の白光真宏会
210.
ユーザー
soZnk
涅槃経の現在語訳や
密教経典の現在語訳も
持っている
鬼のように買えるものは
片っ端から買った
😆
211.
ユーザー
soZnk
>>209
山伏念仏日蓮の末裔ということだな
😆

京都の法皇貴族が熊野参りする時
伏見稲荷で眷属の守護霊をつけて熊野へ参ったらしい
京都に戻る前に伏見稲荷で眷属にお帰りになってもらう儀式をしていたらしい
マニアだからなー
こういう論文喜んで読む
😆
212.
ユーザー
soZnk
正統派瞑想仏教にはあり得ない発想だ

山伏念仏神仏習合日蓮なんて
😆
213.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
214.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
>>212

確かに😆
215.
ユーザー
soZnk
大般若経が
大乗仏教経典で最古の経典と言われ
そこからの中論だろしな
😆

ハッスル🤡様が
俺に怒っている、
ここでのレスを見てゲキオコのようだ?
ナイーブだからなー?
😆
216.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
「言葉で語られた説法は、すべて世俗諦であり方便である。語り得ないものが勝義諦であり、究極の真理なのである」

↑

これは、聖ウンコ教の根本教義だ

このテーマになると、ウンコとリダンは狂乱状態になる

彼らにとって、最も重要な信仰だ
217.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
勝義諦と世俗諦ってのは、もともと、そういう話ではなかった

倶舎論までは、単純に

「出世間的(絶対的、宗教的)真理と俗世間的(世間一般、世俗的)真実」という「二つの真理」

だった
218.
ユーザー
IAgQo
その割に哲学用語や論理的に禅を語るハッスル🤡
イミフだ
😆
219.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
これに、インドに古来からある

「究極の真理は、言葉では語り得ない。瞑想によって直観するしかない」

という思想が結びついた
220.
ユーザー
IAgQo
禅は不立文字である(臨済宗)
ではない
論理的に語るべきだ
というハッスル🤡様の謎の禅
大爆笑である
😆
221.
ユーザー
IAgQo
>>216
それは
それだけでは
成実宗である
三論宗は違うと
加藤師匠は
最近の三論宗通信でやってた
😆
222.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
>>220

禅について、あんなにペラペラと多弁なのは矛盾したスタンス
223.
ユーザー
IAgQo
なんの無字の公案、参禅30年?
という感想
😆
224.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
>>221

どうやら、そのようだ

中観派でさえ、「勝義諦と世俗諦」は、ウンコやリダンが言うほど単純なものではない
225.
ユーザー
IAgQo
加藤師匠は
成実宗では
虚無の空になってしまう云々と
三論宗サイドは批判してた
と
😆
226.
ユーザー
IAgQo
俺は
理論仏教を無関心そうに見えて
加藤師匠の三論宗のチャンネルは
たまに全部見てる
😆
227.
ユーザー
IAgQo
既存キリスト教の謎〜
とか
レスするけど

根は正統派瞑想仏教ご好きな根っこはあるから
加藤師匠の動画をたまに見る
😆
228.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
いま、中論を学ぶなら

加藤師匠の三論宗動画がベストだ😆
229.
ユーザー
IAgQo
真言宗寺院でも
加藤師匠をオススメしてきた
霊能女性にも
😆
230.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
それは良い😆
231.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
聖ウンコ教によると、龍樹は

「釈迦の教えは、世俗諦であり方便である」

「縁起・空性・中道は、世俗諦であり方便である」

「勝義諦に到達するには、坐禅するしかない」

と主張してたことになってるが

それは誤り
232.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
「解釈の相違」なんてものではない

単純に誤りだ
233.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
実際には、古代インドのブッダ・サンガーで

釈迦は、「四諦」を初めとする教義を
弟子たちに徹底的に暗記させていた
234.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
釈迦は、町や農村を巡回しては

「善いことをすれば、善い処に生まれ変わる。
悪いことをすれば、悪い処に生まれ変わる」

と、民衆に説法していた

一方で、出家したプロの修行者に対しては

「解脱した人は、どこにも生まれ変わらない」

と、説いていた

↑

相手に合わせた方便とか対機説法ってのは、こういうのを言うんだよ

聖ウンコ派は、大きく勘違いしている
235.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
聖ウンコ派といっても

ウンコ本人とリダンしかいないが(笑)
236.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
倶舎論・中論・唯識論は、仏教哲学だ

方便でも、対機説法でもない
237.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
倶舎論・中論・唯識論は、最初からプロ向けに書かれている

ガチの仏教理論だ

方便でも対機説法でもない
238.
ユーザー
IAgQo
>>231
ヤケクソハッスル🤡してるな?
それは
普通は中道の扱いで
大乗仏教宗派は
別れていった

唯識なら仏智が中道と空

三論宗なら
空を超えた上に中道がある
三論宗は加藤師匠の動画
を見直してみなければ確信持てない

八宗綱要では
三論宗は
空をさらに空じる
とある、ま東大寺なので
三論宗の連中もいたらしいので
それを知っているから
間違いではないとは思うんだがな
😆
ハッスル🤡よりも
八宗綱要の方を信じるけどなー
😆
239.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
>>238


もちろん、ヤケクソハッスルよりも
八宗綱要の方が正しい
240.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
実際のところ

「勝義諦と世俗諦」

「縁起と空」

「八不中道」

中観派については、これくらいしか語ることが無いけどな~😅
241.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
他派の教義を否定することが中心で

自派の教義がちと少ない
242.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
ネタが多けりゃいいってものでもないので

別にそれでいいんだが
243.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
聖ウンコ師の主張は、こんなのばっか😫

↓

「釈迦の教えは方便に過ぎない。『私の教えを筏のように捨て去れ』と釈迦は言われた」

「縁起も空性も中道も、世俗諦に過ぎない。それが龍樹の教えなのだ」

「阿頼耶識など、本当は存在しない。それが唯識論の教えである」
244.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
確かに、仏典や論書にはそういう下りもあるので、それ自体は間違っていないのだが

それは本編を本気で学んだ後にくる、最後の但し書きみたいなものだ

アイツのように、本筋の教えの内容をないがしろにして、最初からそこにコダワるのは間違っている😅
245.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
ウンコもリダンも、この件になると狂乱状態になる

とくにリダンはひどい。マジで狂っている

何なのだ、アイツらは?😅
246.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
1、「釈迦の教えは方便に過ぎない。『私の教えを筏のように捨て去れ』と釈迦は言われた」

2、「縁起も空性も中道も、世俗諦に過ぎない。それが龍樹の教えなのだ」

3、「阿頼耶識など、本当は存在しない。それが唯識論の教えである」


1に関しては、まあ

仏典にそういう一節があるのは事実なので、
それ自体は間違っていないのだが
(ただし、上にも書いたように、
そこにコダワるのは間違ったスタンス)

2と3は、単なる誤り

ウンコの得意な大誤解
247.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
これこそ、当方がこれほど聖ウンコ派を嫌っている最大の原因だ😫

特に、上記の3の主張を見るたびにムカつく
248.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
この世で生きている以上、他人の考えが自分と異なるのは当たり前だ

同じなわけがない。他人なんだから(笑)

そのたびにいちいち怒っていたのでは、朝から晩までいつも怒ってないといけない

それが分かっているので、滅多なことでは怒らないのだが

アイツらには耐えられん
249.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
それはともかく

中観派からしばらく離れていたので、
八不中道についても復習しておこう😄
250.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
中観派の「八不」(はっぷ)とは、龍樹(ナーガールジュナ)が『中論』(根本中頌)で説いた、「不生・不滅・不常・不断・不一・不異・不来・不去」という8つの否定表現で、一切の事物が固定的な実体を持たず、縁起(相互依存)の理法によって空(くう)であることを示す中道(八不中道)の核心です。これは、存在を「ある」とも「ない」とも断定できない絶対的な「空」の立場を明確にするための表現で、あらゆる二元論的な見方を否定し、真の悟りへ導くための重要な概念です。
251.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
八不(八つの不)の具体的な意味

不生(ふしょう):固定的に「生じる」ことはない。

不滅(ふめつ):固定的に「滅する」ことはない。

不常(ふじょう):固定的に「常住する」ことはない。

不断(ふだん):固定的に「断絶する」ことはない。

不一(ふいつ):固定的に「一つである」ことはない。

不異(ふいい):固定的に「異なる」ことはない(一と異ならない、という意味も含む)。

不来(ふらい):固定的に「やって来る」ことはない。

不去(ふきょ):固定的に「去って行く」ことはない。
252.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
中観派と八不の関係

「空」の理論の核心: 中観派は、すべての存在は固定的な実体(自性)を持たず、他のものとの関係性(縁起)によって成り立っていると説きます。この「実体がない」状態を「空」と表現し、その空を具体的に示すために八不が用いられます。

二元論の否定: 「生」「滅」「常」「断」といった対立する概念は、固定的な実体があるからこそ生じます。八不はこれらすべての二元的な捉え方を否定することで、「空」なるがゆえの自由なあり方(中道)を示します。

神秘主義・否定神学との類似性: 龍樹の教えは、一見すると矛盾しているように聞こえ、神秘主義や否定神学に通じる側面があるとされます。
253.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
これは、中論を理解する上での基本だ
254.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
基本中の基本だ
255.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
このように、常に基本に立ち返ることが大事なのだ

基本中の基本を繰り返して、自分自身に刷り込む

思想を理解するには、それが欠かせない
256.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
こういうのを、聖ウンコはないがしろにしている

野球に例えれば、直球をマトモに投げられないくせに、魔球ばかり投げようとする変な変化球投手みたいなものだ
257.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
客観的に見て

当方の読解力や記憶力は聖ウンコより格段に上だが

それでも、こうやって基本を復習している
258.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
まあ、アイツに怒ったって仕方ない

我ながら、怒りすぎだ(笑)
259.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
坐禅の回数にこだわるってのもなあ

どうにも嫌いなんだよな、そういうノリが😫
260.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
だが、回数にこだわる気持ちも、分からないではない

他の芸事とかとは違って、坐禅はだんだん上達して上手くなるってもんじゃないからなあ

ピアノとかカラオケなら、「うまいなあ」と感心してもらえるが

坐禅はあんまり感心されるようなもんじゃないし(笑)
261.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
でも、倶舎論・中論・唯識論に詳しくなったところで

他人から感心されるようなものではない

世間の一般人には、まったく通じない話題

話のタネにもできん(笑)
262.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
それを思えば、坐禅するのと同じだ(笑)
263.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
これが歴史とか文学だったら、
ときどきリアルで愛好家に出っ食わす

話していると

「ずいぶん詳しいですねえ。どういう人生を送ってきたのですか?」

と感心(?)されることもある

だが、哲学はダメだ

まず、話題にすらできない
264.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
でも、宗教はそうでもない

寺や神社を巡るのが趣味の人は、世間にも結構いる

話が盛り上がることは意外に多い

話のタネとして有効だ
265.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
寺や神社に詳しくなったのは、宗教板のおかげだが(笑)
266.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
聖ウンコやリダンは、寺や神社に詳しくない😫
267.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
「趣味は何ですか?」と言われて

「禅寺に通って、坐禅しています」と答えたら

人によっては、「へえ」と感心してくれるかもしれんな(笑)
268.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
twQTr
いや、たぶん感心されないな

「この前、鎌倉の円覚寺で坐禅してきた」という話を、何人かにしてみたが

「へえ、鎌倉か、いいね! 江ノ電には乗った?」とか、そんな話になってしまった

こちらの言いたいこととは、受け止め方が違っていた😫
269.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
ARBLS
先日、「大学は文学部の哲学科だった」という人と会った

「へえ、リアルでそんな人と巡り合うとは、なんたる奇遇😆」とばかりに、大喜びでプラトンやアリストテレスの話をしてみたが

その人は、当方のマニアックなノリに、すっかり逃げ腰になっていた

こちらは幼少の頃からの、年季の入った哲学ヲタクだ

平均的な普通の人が大学で2~3年ほど勉強したぐらいでは、とてもついてこれない

ウンザリするほどマニアだ
270.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
ARBLS
いや、ホント、マジメな話

5ちゃんの新興宗教スレでは、信者諸氏の根性に内心、舌を巻くことも多々あった

「これで、よく当方と議論しようという気になれるなあ」と

思想内容はともかく、その根性には感心した
271.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
ARBLS
5ちゃんの新興宗教スレからは、撤退して久しい

「この世で生きている以上、他人の考えが自分と異なるのは当たり前だ。
同じなわけがない。他人なんだから(笑)。
そのたびにいちいち怒っていたのでは、朝から晩までいつも怒ってないといけない」

そういう諦観に達したからだ

その心境になるまで、何年もかかった

ある意味、良い経験になったものだと思う
272.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
ARBLS
宗教だけでなく、政治に関しても論争を好む

左翼とは相性が悪くて、激しい論争になる

ネット上には右翼が多くて、左翼の絶対数が少ないけれど

5ちゃんねるの世界史板には、左翼の爺さんたちがいた😫

彼らには、「お前の歴史観は、日本アゲ⤴️ 中国朝鮮サゲ⤵️ が露骨だ」と言って、さんざん批判された
273.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
ARBLS
今とは違って、あの頃は嫌韓ブームだった

どんな話題でも、何かにつけて韓国を引き合いに出し、小バカにしながら語るのがスタンダードだったのだ

韓国は別に嫌いではないし、今はやってない
274.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
ARBLS
当方は、世界史マニアだ

中国や欧州の歴史を、日本の歴史と同じようによく知っている

高校の世界史くらいで「覚えることが多すぎる。暗記偏重だ」とかなんとか、ブーブー文句を言うような知識量では、とてもついてこれない

当方に限らず、世界史板の住人はそんなのばかりだった

高校レベルの世界史など知ってて当たり前、世間の一般人には知るよしもないマニアックな話が飛び交う空中戦だった
275.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
ARBLS
いまなら、宗教板でさんざん鍛えてきただけに

宗教史の知識で圧倒できるだろう😂
276.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
ARBLS
左翼の爺さんたちは、感情論が多いのが弱点だ

出来事の時系列的な矛盾とかを当方に突かれて、爆死状態になってた
277.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
ARBLS
左翼の人に共通する傾向として

歴史上の出来事を、起きた順番通りに並べるのが不得手だ

必ずといっていいほど、どこかで前後関係に狂いが生じる
278.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
ARBLS
もしも、自分の得意なものが歴史や哲学でなく

数学とかコンピュータだったなら

さぞかし超優秀なコンピュータ技術者となり、現代の社会において大いに有用な人間となっていたであろう😂

まあ、語学も得意なので、それなりに役立つ特技ではあるが

21世紀は、文系より理系が重宝される時代だ
279.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
ARBLS
大昔の隋や唐の時代までは

棍棒みたいな鈍い武器を振り回してバッタバタと敵を倒していく、腕っぷしの強い大男が重宝されていた

だが、21世紀においては、怪力男の需要が低下した

工場や建設現場の作業員も、肉体労働者というより、機械のオペレーターだ
280.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
ARBLS
このように、有用とされる性質は、生まれた時代や地域に大きく左右される
281.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
ARBLS
われわれが死んで、後の時代に生まれ変わったとしても

数学やプログラミングに強いのは、たいした特技じゃなくなってることだろう

現代の怪力男が、どう頑張ってもフォークリフトに勝てないのと同様

今後は、どんなに高知能でも A.I.に勝てなくなる
282.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
ARBLS
幼少の頃から、人生のすべてを「輪廻転生」を前提にして考える習慣があるので

そういう時代環境の変化を、つい考えてしまう

考えたところで、どうなるものでもないのは分かりきっているが😂
283.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
ARBLS
話が脱線する一方なので、元に戻すと

中観派は、見た目ほど合理主義者ではない

むしろ、神秘主義がかっている
284.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
ARBLS
眠くなった
285.
ユーザー
dhiIu
>>252
二元的なとらえ方の否定と言われると、どうしても老子と比べたくなちゃんだよね。
286.
ユーザー
dhiIu
>>283
佐々木閑氏も空という信仰と言っている。これは、ある意味神秘思想でもある。
よっぽど釈迦の方が合理主義者である。
287.
ユーザー
dhiIu
大乗は神秘主義と理屈の両輪なのだろう。土着宗教とも相性がいい。これが、初期仏教だったらどうかなとは思う。
288.
ユーザー
5nXDg
>>281
そうともいえん
世界が実は
現れるのを見ることがある
年に一、二回墓参り行く相手だ
履歴を見れば、
時間、AI無関係な世界を見る
ま、たまに俺は霊的に教えてくれるし、
良い相手だ、
ま、スタープレイヤーだな、
あれは
😆
289.
ユーザー
5nXDg
JBLはまだ、
イエス・キリストもおったまげな
世界を知らん世界がある
いわんそ
😆
290.
ユーザー
5nXDg
内容あっても

ハッスルやムイムイみたいに
ひけらかしたい気にならん
😆
291.
ユーザー
5nXDg
ネットでも簡単に履歴がでてくる
ネット時代ですら
夜には知られてないのだ
😆
292.
ユーザー
5nXDg
世にはしられていない😆
293.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
ARBLS
夜には知られてないんかい😂
294.
ユーザー
UuoOJ
>>298
凄い扱いされてた
お墓やったしなー
最近、地元民が崇敬の念が出てきたみたいだけど
😆
295.
ユーザー
UuoOJ
40分くらい遊んでもらっことがある
😆
296.
ユーザー
UuoOJ
一方的に40分も遊んでもらったら
付き合い濃くなる
😆
297.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
ARBLS
>>285

> 二元的なとらえ方の否定と言われると、どうしても老子と比べたくなちゃんだよね。


老子と比べると、どうなる?
298.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
ARBLS
>>296

すごいな?😆
299.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
ARBLS
老子の思想における「二元論」は、「有」と「無」、「美」と「醜」、「善」と「悪」といった対立する概念が互いを認識させる「相待(そうたい)」関係にあることを説き、これらを乗り越えて全体を包む**「道(タオ)」の視点から、固定的な二元論(白黒二択)を超越しようとするものですが、<」<>荘子(そうし)はさらに進んで、老子の「有は無から生ず」という考え方を否定し、万物に本来差別はないとする「万物斉同(ばんぶつせいどう)」を説き、より徹底した超越を目指しました。
300.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
ARBLS
300
301.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
ARBLS
老子の二元論的側面(相待の思想)

対立概念の相互依存: 『老子道徳経』第2章に「有と無は相い生じ、難易は相い成る」とあるように、美しいものがあれば醜いものがあり、良いものがあれば悪いものがある、というように、対立する概念は互いに存在を必要とし、一方だけでは成り立たないと説きます。

固定観念の打破: 人々が「美」を認識することで「醜」が生まれ、「善」を認識することで「悪」が生まれる、といった二元的な価値観に囚われることを戒め、これらの対立を超えた「道」の視点を持つことを促します。
302.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
ARBLS
老子(および道家)思想の「非二元論」的側面

「道」による統一: 最終的な目標は、これらの対立する概念を超越した、根源的な「道(タオ)」に帰一することです。道は、有と無、善と悪といった区別を超えた、万物を生み出す根源であり、全てを包摂するものです。

荘子の「万物斉同」: 荘子は、老子の考えを発展させ、万物に本来「善悪」「美醜」などの区別は存在しないと主張しました。この「万物斉同」の思想は、あらゆる差別や対立を超え、全てを平等に受け入れ、肯定する立場です。
303.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
ARBLS
まとめ

老子は、対立する二元概念が互いに依存している「相待」の原理を示すことで、人々が二元的な思考から脱却し、「道」による全体的な視点へと向かうよう導きます。これは、西洋哲学などでいう単純な「善悪二元論」とは異なり、対立そのものを否定するのではなく、その対立を超越して統合する視点を目指すものと言えます。
304.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
ARBLS
老子と中観派は似ている
305.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
ARBLS
古来から、多くの人に指摘されてきた事実だ
306.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
ARBLS
だが、やはり似て非なるものだ
307.
ユーザー
UuoOJ
しかし、バンドメイドの
インストゥルメンタルはまかり聞いたからボーカリスト以外に相当ハマったー

クルッポーが音楽センスの耳があってハイレベルのプレイヤーを集めて外人に人気が出てるようだ

ボーカリストあり

https://m.youtube.com/watch?v=xmxEuQXTHUU&list=RDxmxEuQXTHUU&start_radio=1&pp=ygUq44OQ44Oz44OJ44Oh44Kk44OJ44CA44OJ44Of44ON44O844K344On44OzoAcB
308.
ユーザー
UuoOJ
十牛図と中論を、当てはめてみると
臨済宗の中道とは
なにか?
ご解ってもくる
屁理屈嫌いな臨済宗でも
実は
ちゃんと中論を踏襲している
😆
309.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
ARBLS
バンドメイドにハマっているな😂
310.
ユーザー
UuoOJ
>>309
ベーシストが特にヤバいな
クルッポーは
東京事変のファンで
ベーシストへのこだわりは
激しそうな
クルッポーは
凄い演奏メンバーを選んだらしい
自然発生のバンドじゃない
クルッポーの音楽センスでてきたバンド
😆
311.
ユーザー
UuoOJ
ボーカリストは一番後らしい
売れる、ウケるのを狙ったんやろな
😆
312.
ユーザー
UuoOJ
クルッポー自身は
リズムギターで
そんなに演奏的に超ハイレベルというわけではない
クルッポーしてる看板だけの人か?
と思ったが
バンドメンバーをチョイスするのと
メイド服で売るという
バンドプロデューサーだったらしい
😆
313.
ユーザー
UuoOJ
墓の主は
人間チェスゲームの達人だな?

あれは

マネするの不可
んな度量ありしぇん
僕には
😆
314.
ユーザー
UuoOJ
ビジュアルは
クルッポーの天下で売るという
不思議なバンドだな、
あれは
普通のバンドは
ボーカリストのビジュアルで売るもんだがなー
😆
315.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
ARBLS
クルッポーってのは、ハッスル軍団のことかと思ってた~😂
316.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
ARBLS
こちらは、ベビーメタルの大ファンだ~😂
317.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
ARBLS
>>314

XJAPAN も、ボーカルのTOSHI より、ギターのHIDE に人気があった
318.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q
ARBLS
老子と龍樹の比較

なんとも深遠なテーマだ

タ氏の論考に期待しよう~😆
319.
ユーザー
tVHeI
>>246
違う違う
2、「縁起も空性も中道も、世俗諦に過ぎない。それが龍樹の教えなのだ」
ではなく

「縁起」、「空性」、「中道」と
定義、表記したら方便な
320.
ユーザー
tVHeI
>>246
3、「阿頼耶識など、本当は存在しない。それが唯識論の教えである」

誰がそう言ったんだ?
阿頼耶識も空性であるってだけだろ
321.
ユーザー
tVHeI
阿頼耶識ってのは
人からみた理由付けなんだよ
解き明かしていく過程で置いただけ
322.
ユーザー
tVHeI
成唯識論にそう書いてあるからみてみ
323.
ユーザー
tVHeI
阿頼耶識の証明みたいなんを
質疑と論破形式で書いてある
324.
ユーザー
MFJTo
wwwwwwwwwwwwwwwwww

おい、馬鹿w

 ↓

633 栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK[] 2026/01/05(月) 15:56:11.86 ID:xy2xM
おい、JBL!

ブンブン銀蝿🪰統失知障🤪ペニスマン🤡でおーの金魚の糞!

お前、俺より中観について詳しいんだろ?
だったら「ガーワドンの啓示」くらい常識だよな?
325.
ユーザー
MFJTo
馬鹿のくせに、陰で俺より詳しいとか言うのやめとけ😗

俺に関わるな。

関わらなければこうやって〆られないから。

大人しくコソコソ、影で語ってろ、馬鹿😟
326.
ユーザー
MFJTo
全く、余計な事をしなければこちらも相手しないのに。
327.
ユーザー
6wvob
ハッスル軍団🤡ゴミ屋敷ファイヤー〜〜〜
😆
328.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-2Fw-ju-95Q
oLPyf
>>324

なんだ、ガードマンの掲示って?
329.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-2Fw-ju-95Q
oLPyf
警備員のバイトでもしてるのか(笑)
330.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-2Fw-ju-95Q
oLPyf
怒って、ここまで攻めてきたな😆
331.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-2Fw-ju-95Q
oLPyf
それより、老子と龍樹の比較はまだか?
332.
ユーザー
maYGM
知性をバカにされると
大噴火するらしいー

さすが参禅30年🤡だけのとこがあるなー?
🤡
333.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-2Fw-ju-95Q
oLPyf
タ氏の論考に期待している😆
334.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-2Fw-ju-95Q
oLPyf
ハッスル大噴火~🌋
335.
ユーザー
maYGM
老子は
色即是空云々の

色のテーマが薄い
超越主義じゃね?
ヒンズーもデンパパ📶も
超越志向だろな
😆
336.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-2Fw-ju-95Q
oLPyf
老子には、色即是空という考え方が無い
337.
ユーザー
maYGM
色は八正道とか、倶舎論みたいなもんやしなー
😆
338.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-2Fw-ju-95Q
oLPyf
老子(道教)と龍樹(仏教の中観派)の最大の違いは、老子が「道(タオ)」という根源的実在を説き、無為自然・柔弱謙下を理想とするのに対し、龍樹は「空(くう)」の思想を体系化し、一切の存在は実体を持たない(縁起)と説いて、執着からの解放を目指す点です。

老子は「道」への回帰と「無」の肯定、龍樹は「空」の理解による「中道」の実践が核心で、根源となる概念も、目指す境地も異なりますが、両者とも「有る(存在)」と「無い(無)」の相対性を深く探求する点で共通点もあります。
339.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-2Fw-ju-95Q
oLPyf
老子(道教)

根源: 「道(タオ)」。万物を生み出す根源であり、形なく、名付けようのないもの。

思想: 「無為自然」「柔弱謙下」。自然のままに生き、作為を排し、弱いものが強いものに勝つという「反者(はんしゃ)好(す)る」思想(例: 水は弱くても、岩を穿つ)。

目標: 「道」に帰一し、小国寡民で争いのない理想社会を実現する。

340.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-2Fw-ju-95Q
oLPyf
龍樹(仏教・中観派)

根源: 「空(くう)」。あらゆる存在は固定された実体を持たず、相互依存(縁起)の関係にあること。

思想: 「色即是空、空即是色」。目に見える現象(色)も、実体がない(空)も、両者は同じ(空っぽ)であり、同時に存在するという中道。

目標: 「空」を正しく理解し、「有る」という執着から離れることで、苦しみ(涅槃)を滅する。
341.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-2Fw-ju-95Q
oLPyf
一言で言えば、老子は「無(道)への回帰と肯定」を、龍樹は「存在(有)の否定(空)による解放」を説いたと言えるでしょう。
342.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-2Fw-ju-95Q
oLPyf
なんか、ますます分からなくなってきた😫
343.
ユーザー
maYGM
>>342
三論宗と天台宗のシステムの理解が必要だな
😆
344.
ユーザー
maYGM
オレは天台小止観をベースに
即身成仏義とチベット密教に展開したみたいなもん
😆
345.
ユーザー
tVHeI
>>342
何が分からんのや
色の理屈やて空ってのは
空やから色が成り立つ
自分でいうてたやん
原子はすかすかの空っぽやって
346.
ユーザー
maYGM
NO1劇場🫥
347.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
ARBLS
とりあえず、加藤師匠の三論宗動画を見るとしよう😆
348.
ユーザー
tVHeI
んでその理屈の空ってなあ
人にたいする(世俗)の説明であるわけや
あれだけ八不いうて否定してきたのに
空を仮設として置き説明するわけやな
349.
ユーザー
tVHeI
故に勝義としてのそれは
仮設としておいた空の否定となるわけだ

なぜなら人の認識、定義(世俗)の上で仮設として置くからだ
350.
ユーザー
tVHeI
まずアレフガルドを一旦、仮として認め
順序よく説明せな理解が及ばないわけだな

んで実証としての空の理
仮設をとっぱらった勝義を示さなあかんわけだ
351.
ユーザー
tVHeI
般若心経にも色即是空 空即是色という
仮設、方便
呪、勝義としての
ぎゃーてーぎゃーてーがあるわけだな
352.
ユーザー
maYGM
躁転NO1🫥
353.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
ARBLS
まだ居たのかよ😅
354.
ユーザー
tVHeI
>>353
めちゃめちゃ分かりやすく
書き込めてるやん
何かしら言葉による真諦があるんやないの
中論においての勝義とは
仮設で置かれた説明をとっぱらった
あるがまま、な
355.
ユーザー
tVHeI
何が世俗で何が勝義か
よう分からんままやから
色即是空 空即是色なんやー
とウィキレベルで知った気になるわけ
356.
ユーザー
tVHeI
仮設で置かれた説明をとっぱらった
ってのが
戯論寂滅という様なわけやな
(勝義)
357.
ユーザー
tVHeI
いいかjbl
何かしら言葉による真諦があるんやないの
ここが分かんなきゃ中論は分からんし
ましてや唯識論なんか分からんぞ
358.
ユーザー
VPsNL
有為法夢の如しw 般若を語る時は多分前提だろうね。
それはどうでもいいんだ。

さて、老子と言えば、道可道、非常道 これだ。
この道を、法に変えると、法可法、非常法となる。

構文的には、即非のように見える。
となると、老子は勝義諦を語っているのかということにも見える。

まぁこんな考察をしている。相対もそうだけどね。
359.
ユーザー
VPsNL
チョット抽象的な言いましになるが、老子は何かあるという肯定の上に否定している。しかし竜樹はそういものも否定している。これは両者の違いである。

360.
ユーザー
VPsNL
老子
道という根源的全体性がある
それは言語化できないが、確かにある
→ 肯定的非二元

般若・龍樹
根源的原理という発想そのものを否定
空すら空である
→ 否定的非二元
361.
ユーザー
VPsNL
「即」という技法は、
否定的非二元のための論理装置。
362.
ユーザー
VPsNL
即という論理装置の説明をせざる得なくなったw
363.
ユーザー
VPsNL
即という論理装置の説明をせざる得なくなったw

「即」という技法は、
言語が必ず二元に落ちるという限界を突破するために必要だった。
中観は“否定的非二元”を示すために、
肯定と否定を同時に成立させる論理装置を必要とした。

般若・中観における「即」は、“即”であり、同時に“即ち”でもある。 ただし、これは普通の日本語の「即ち(=つまり)」とはまったく違う働きをしている。
364.
ユーザー
VPsNL
言語の構造そのものが実体化を避けられないから

人間の言語は、主語、述語、名詞、対立、固定化

こうした構造を前提にしている。

言語は、言った瞬間に“実体”を作ってしまう。
たとえば「空」と言った瞬間に、「空という何か」があるように聞こえてしまう。

龍樹は言う。「空という概念すら空である」
365.
ユーザー
VPsNL
*普通の言語はこうなる

AはA
AはBではない

*「即」はこうする:

AはBである(即)
AはBではない(即非)
だからAとBは実体ではない(非二元)

「即」は、言語の実体化作用を利用して、その実体化を破壊するための逆転装置。

言語の毒を、言語の毒で中和する。まさに毒をもって毒を制すw
366.
ユーザー
VPsNL
「即」がなければ、中観は“無”に落ちてしまうw
367.
ユーザー
VPsNL
老子に行かないなw
あとで。
368.
ユーザー
VPsNL
老子は比較の考察をしているね。

老子における「比較」とは何か
老子の比較は、
二つの対立項が互いに依存し、互いを成立させていることを示す行為。

たとえば:

有無相生
「有」は「無」がなければ成立しない

「無」も「有」がなければ意味を持たない
→ 比較することで、両者が同源であることが明らかになる

難易相成
「難しい」は「易しい」があるから成立する
→ 比較は対立の“共生”を示す

長短相形
「長い」は「短い」があるから成立する
→ 比較は二元の相対性を暴く

369.
ユーザー
VPsNL
老子の「比較」とは、
対立項が互いに依存し合い、
それぞれ単独では成立しないことを示すための方法。
つまり比較そのものが“非二元の証明”になっている。
370.
ユーザー
VPsNL
そうだね、単独では成立しないね。
371.
ユーザー
bxBN5
老子の「肯定」とは、「道」という名づけられない根源的な働きが“確かに存在する”という立場をとることを意味します。これは、世界の本質を“ある”と見て、それに従って生きることを勧める態度です。
372.
ユーザー
bxBN5
*老子の肯定について

老子の「ある」とは何か
老子の『道徳経』の冒頭にこうあります:

道可道、非常道。名可名、非常名。
(語りうる道は常の道に非ず。名づけうる名は常の名に非ず)

ここで老子は、
「道」は言葉で語った瞬間に“それ”ではなくなる
と言っています。

しかし同時に、彼は「道」という語を使い続ける。
これは矛盾ではなく、言葉では捉えられないが、確かに在る”という肯定です。
373.
ユーザー
bxBN5
老子の肯定は「無」と「有」の共生にある
老子はこうも言います:

天下万物生於有,有生於無。
(天下の万物は有から生まれ、有は無から生まれる)

つまり、

「有」は「無」から生まれる

「無」は“何もない”ではなく、“名づけられない根源的な働き”

その働きが「道」であり、すべてを生み出す源

このように、老子は「無」や「道」を否定せずに肯定する。
ただしそれは、実体的な“存在”としての肯定ではなく、
言語や概念を超えた“働き”としての肯定です。
374.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
なるほど
375.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
日本は神仏習合だけど

中国は儒仏道の三教
376.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
人はいつか死ぬ

どの宗教も、それぞれに死生観がある

儒教・・・祖霊招魂

仏教・・・輪廻転生

道教・・・不老長生
377.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
儒教における祖先崇拝は、孝(親孝行)を核とし、先祖の霊(祖霊)を祀ることで子孫に福禄寿をもたらし、秩序を維持する重要な儀礼・倫理観です。死後も魂と魄(肉体)に分かれた祖霊が子孫を見守り、子孫が祭祀を行うことで霊が降臨するという思想(魂魄二元論)が根底にあり、日本の仏壇・位牌の習慣や墓参りにも深く影響を与え、神道や仏教と融合しながら日本人の生活に深く浸透しています。

378.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
儒教における祖先崇拝のポイント

「孝」の思想: 親を敬い、死後もその孝行を続けることが儒教の根幹であり、祖先崇拝はその延長線上にあります。

「魂魄」の思想: 人は「魂(天に昇る)」と「魄(地上に留まる)」からなり、子孫が祭祀を行うことで、魄が位牌などに宿り、子孫を見守ると考えます。

儀礼の重要性: 祖先を祀る祭祀(祖先祭祀)は、単なる信仰ではなく、儒教そのものであり、秩序維持のための不可欠な行為とされます。

子孫への恩恵: 祖先崇拝を行うことで、子孫に子宝・裕福・長寿(福禄寿)がもたらされると信じられています。
379.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
日本における祖先崇拝と儒教の影響

習合: 日本固有の祖霊信仰(縄文・弥生時代から続く)に、儒教の倫理観や仏教の追善供養が結びつき、現在の形になりました。

生活への浸透: 仏壇に位牌を置き拝む習慣や、お盆・彼岸の墓参りなどは、儒教の影響が色濃く反映されたものです。

「儒」の語源: 「儒」という字自体が、死者と交流するシャーマン(巫女的な存在)を意味し、祖霊祭祀に深く関わっていたとされます。
380.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
まとめ

儒教の祖先崇拝は、単なる故人への思いだけでなく、家族・社会の秩序と繁栄を支えるための重要な「実践的倫理」であり、その思想は日本の宗教観や風習に深く根付いています。
381.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
道教における「不老長生」とは、肉体を健全に保ち、永遠の生命(不老不死)を願う究極の目標であり、その達成のために養生術(薬物、呼吸法、瞑想など)、錬丹術(仙薬の調合)、神仙思想(仙人になる修行)が重要な手段とされますが、単なる肉体的な長寿だけでなく「道」との合一や精神的な悟りも重視されます。秦の始皇帝や漢の武帝も不老長生を求め、錬丹術が盛んになるなど、古代中国で広く追求された概念です。

382.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
不老長生を求める道教の主な方法

神仙思想(仙人思想): 修行によって不老不死の仙人になることを目指す思想で、道教の核心の一つです。

錬丹術(れんたんじゅつ): 仙薬(不老長寿の薬)を求めて、金や水銀などの鉱物、草木を加熱・調合する技術で、火薬の発明にもつながりました。

養生術(ようじょうじゅつ): 呼吸法(導引)、瞑想、飲食の調整(薬食)などを通して、心身を養い、寿命を延ばそうとする方法です。葛洪の『抱朴子』などで重視されました。

「道」との合一: 『老子』『荘子』に由来し、自然の根源である「道」の理に従い、無心になることで、精神的・肉体的に「道」と一体化し、長寿を得ることを目指します。
383.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
目的と背景

理想: この世の快楽を長く味わうことや、神仙のように自由になること。

歴史: 古代中国の民間信仰(蓬莱山信仰など)や、秦・漢帝国の権力者たちの願望と結びつき発展しました。

重要性: 道教は「道」を説き、不老長生を究極の理想とする生き方・哲学であり、老荘思想と神仙思想が融合して成立しています。
384.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
このように、道教における不老長生は、単なる長生きではなく、人間が到達しうる最高の境地の一つとして、様々な修行法や思想と結びついているのです。

385.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
つまり、それぞれの宗教に、「死後の救済」があるということだ
386.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
死に対する、三教それぞれの救済

仏教・・・極楽往生

道教・・・不老長生

儒教・・・祖霊招魂
387.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
道教では、死後世界も輪廻転生も考えない

この世で仙人になり、不老長生することを目標にしている
388.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
儒教もそうだ

儒教も、死後世界や輪廻転生を考えない(これは中国古来の傾向だ)

儒教では、死後に祖霊となって、子孫に祀ってもらうのが救済だ

子孫は祖先を崇拝し、ときどき祖霊を招魂する儀式を行う

祖霊の魂魄は、子孫に呼んでもらって一時的に復活する
389.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
>「魂魄」の思想: 人は「魂(天に昇る)」と「魄(地上に留まる)」からなり、子孫が祭祀を行うことで、魄が位牌などに宿り、子孫を見守ると考えます。

>儀礼の重要性: 祖先を祀る祭祀(祖先祭祀)は、単なる信仰ではなく、儒教そのものであり、秩序維持のための不可欠な行為とされます。


これこそ、儒教思想を凝縮したエッセンスだ
390.
ユーザー
HDU3w
中論と老子の違いは
中論だけては深く見えてこない

大般若経は衆生済度の野心がある
その意味での中論だろな
中論自体が有部との論争の書だから
余計にわかりにくい
😆
391.
ユーザー
HDU3w
道教もヒンズーのプラーナみたいな要素があるんやろなー
超越的解釈
ヒンズーは世を神の遊戯と設定する
😆
392.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
数年前までは、「儒教といえば先祖供養だ」と唱えていたが

哲学板の連中はうるさい😫

「供養は仏教に特有の概念だ」といって、ある奴にさんざん責められた

このため、「祖霊崇拝」とか「祖霊招魂」に変更した
393.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
>>390

なるほど~😆
394.
ユーザー
HDU3w
老子の無は

ヒンズーのブラフマン、アートマンみたいな位置だろな
😆
395.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
そうなのか~😆
396.
ユーザー
HDU3w
>>392
それは
一理ある

徳川家康の
日光東照宮の影響がデカいかも
仏教への儒教の流入

天海の山王一実神道と徳川家康崇敬の為の儒教の融合、
このあたりで
先祖供養が強末っただろうな、檀家制度とセットで

それ以前は
それ以降も残るけど
菅原道真公みたいな怨霊、悪霊を宥める死者供養で災害起きない、日蓮発想のベースみたいなのが主流やったんやろ
😆
397.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
>「魂魄」の思想: 人は「魂(天に昇る)」と「魄(地上に留まる)」からなり、子孫が祭祀を行うことで、魄が位牌などに宿り、子孫を見守ると考えます。

>儀礼の重要性: 祖先を祀る祭祀(祖先祭祀)は、単なる信仰ではなく、儒教そのものであり、秩序維持のための不可欠な行為とされます。


中国人や朝鮮人が、靖国神社への参拝をよく非難するが

彼らは儒教の徒だ。神社ってものを誤解している

彼らは、「靖国神社には位牌があって、戦犯たちの魂魄を現世に留めている」と勘違いしている
398.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
>>396

先祖の怨霊とかは、中国から入ってきた思想
399.
ユーザー
HDU3w
日蓮は災害、内乱は法華経を信じないと
起きるみたいな
ある種の怨霊を宥めるには
法華経だけだと
思っていたふしもある 😆
400.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
「日本は遣唐使を送って、先進国の文明を学びました」と、日本人は小学校や中学校の歴史の授業でさんざん刷り込まれるが

実際には、隋唐は極めて迷信深い国

国を挙げて、加持祈祷ばかりやっていた
401.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
遣唐使は、唐で加持祈祷や怨霊思想を学んで、日本に持ち帰った
402.
ユーザー
HDU3w
日蓮の時代は
高野山や比叡山では
瞑想や悟りよりも
仏の化身の神のご機嫌を損ねて
災害起きるのが
主な問題、僧侶の役割になりつつあった
仏教教義を学ぶのも神を宥めるためみたいな、
末法だしねー


ほんと山伏念仏研究の鬼たった分
その時代を広範囲に理解できるよーになった
😆
403.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
日本も、儒教の影響を色濃く受けている
404.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
>>402

神仏習合だ~😆
405.
ユーザー
HDU3w
>>398
古い時代は
怨霊になるのは
天皇、貴族なと
力ある人
凡人は
山に捨てられるだけ
高野山の高野聖や空也が
死者供養しだした
むろん、先祖供養まて意識はない
この頃は
😆
406.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
昔の国語の試験の問題文によく出てきた、昭和の「日本人論」

そこには、「西洋人は物事に白黒ハッキリつけたがるが、日本人は曖昧さを好む」という、定番の図式があった

これこそ、「日本人教」の根本教義と言える

「日本的な曖昧さ」の象徴が、神仏習合だ
407.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
でも、これは日本人の専売特許ではない

中国でも、儒仏道の三教は混ざり合って習合し、見分けがつきにくくなっている
408.
ユーザー
HDU3w
日蓮が仏教らしからぬ
法華経を信じないと国が滅ぶという発想は
当時の比叡山高野山の思想を想定しないと
本来の仏教の別物の謎は理解てきない
とうせ、そうかの連中も、その時代背景は知らんやろなー
😆
409.
ユーザー
HDU3w
親鸞は徹底的な死者供養不要派だ
真宗が現在、それを言うとおまんま食い上げになるレベル
😆
410.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
>>405

遺体を大事にするという発想が、大昔の日本にはなかった

死んだら、遺体は野山に棄てて、腐敗して土に帰るのを待つ

それが普通だった

インド人も、遺体を尊重しない。インド人にとっては、死んだ人は去ったのであり、遺体は抜け殻にすぎない

遺体を大事にするなど、中国内陸部やエジプトみたいな乾燥気候でしか浮かばない発想

乾燥気候の人は、偉い人の遺体を乾かしてミイラにすることがよくあった
411.
ユーザー
HDU3w
中国系統臨済宗や道元や親鸞は
今の先祖供養好きの仏教からは
それとは異なる仏教教義のかなりの原理主義者だ
😆
412.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
>>409

本来の仏教は、肉体先祖などまったく重視しない

そもそも、開祖の釈迦にしてからが、親も子供も棄てて出家してるしな~😅

先祖供養は、儒教に由来する発想
413.
ユーザー
HDU3w
親鸞は
現在の僧侶よりも
遥かに勉学して
信心だけでよいという
原理主義者だった

死者供養いらなかったから
一向一揆がやれたのかもなー
😆
414.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
霊友会なんか、先祖供養が中心教義になっとるけど

あんなの仏教じゃない。儒教の変形バージョンだ

石原慎太郎は中国が大嫌いだったが、霊友会の熱烈信者だった

彼の思想は儒教系だ😅
415.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
>>413

一向一揆をやってたのは、本願寺顕如や蓮如では?😅
416.
ユーザー
HDU3w
日蓮は
死者供養の意識が高い
御書には
死後の
霊山浄土云々とかある
😆
417.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
今のイスラム過激派と同じで

この世には意味がない

あの世で素晴らしい来世が待っている
418.
ユーザー
HDU3w
>>415
親鸞の教義が信心で良かったので
その系譜なので
死者供養いらなかったから
戦争やれたんだろうと
😆
419.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
>>416

日蓮大聖人は、顕教・密教・神道・儒教・道教・・・

全部が入った東洋思想の総合商社😆
420.
ユーザー
HDU3w
日蓮は
生者と死者の即身成仏徒霊山浄土思想家

😆
421.
ユーザー
HDU3w
即身成仏と霊山浄土思想家
😆
422.
ユーザー
HDU3w
ホーカイくんよりも日蓮著作を
読んでいる自信がある
むろん偽書系統は詳しくない
😆
423.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
臨済宗の禅僧は「丹田を練る」というのをやってるが

あれは道教の仙人修行そのもの
424.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
老子の「無」の思想は、単なる空虚さではなく、万物の根源であり無限の可能性を秘めた創造の源を指し、形ある「有」を生み出し、「無用」に見えるものが実は最も役立つという「無用の用」の概念や、自然の法則に逆らわない「無為」の生き方(無為自然)に表れます。これは、人為的な作為を排し、万物が本来あるべき自然な姿で存在することを理想とする道家思想の核心です。
425.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
「無」の核心的な意味

創造の源泉: すべての「有」(存在する物事)は「無」から生じ、また「無」に帰るという考え方です。「無」は何も無いのではなく、あらゆる可能性を秘めた充実した状態です。

無限の可能性: 人間は本来無垢であり、その「無」の状態こそが無限の可能性を秘めているとされます。

「無用の用」: 役に立たないように見えるもの(空間、隙間など)こそが、役に立つ「有」を成り立たせているという思想で、相対的な価値観を超越します。
426.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
「無為」と「無為自然」

作為をしない: 「無為」は「何もしない」ことではなく、人為的な作為や無理な働きかけをしないことを意味します。

自然に従う: 「無為自然」とは、山川の流れや季節の移り変わりが自然の法則に従うように、人間もまた作為を捨てて、あるがままの自然の摂理に沿って生きるべきだという理想的なあり方です。
427.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
現代への示唆

老子の「無」の思想は、現代社会における執着や過度な競争から離れ、自然体で生きること、そして「役に立たない」とされるものの中にこそ価値を見出すことの大切さを教えてくれます。

428.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
『老子』第十一章


三十の輻(や)は一の轂(こしき)を共にす。其の無に当たりて、車の用有り。
埴(つち)を埏(こ)ねて以て器を為つくる。其の無に当たりて、器の用有り。
戸牖(こゆう)を鑿(うが)ちて以て室を為る。其の無に当たりて、室の用有り。
故に有の以て利を為すは、無の以て用を為せばなり。


車輪は、30本の輻(スポーク)が轂(ハブ)に集まって出来ている。その轂に何もない空間があるからこそ、車輪としての用を為している。
器は、粘土をこねて作る。その器に何もない空間があるからこそ、器としての用を為している。
家屋は、戸や窓をくりぬいて作る。その家屋に何もない空間があるからこそ、家屋としての用を為している。
だから、「有」(形のあるもの)が働きを発揮するのは、「無」(形のないもの)が役割を果たしているからだ。
429.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
430.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
昨日から、老子と龍樹の違いが、急に分からなくなった(笑)
431.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
もちろん、違うのはわかってるが

どう違うのかを説明できない
432.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
龍樹はともかく

老子から何年も離れている
433.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
龍樹はわかってきたが、老子が分からなくなった
434.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
『老子』第四十章

天下の物は有より生じ、有は無より生ず。

この世の万物は「有」から生じ、「有」は「無」から生じる。

435.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
また、第四十二章では、

道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず。

「道」は「一」を生み出し、「一」は「二」を生み出し、「二」は「三」を生み出し、「三」は万物を生み出す。

436.
ユーザー
bxBN5
>>428
ミリンダ王の問いに近いね

ミリンダ王が「あなた(ナーガセーナ)とは誰か?」と問うと、
ナーガセーナはこう答えます:

「“ナーガセーナ”というのは仮の名にすぎない。
私は身体、感受、想念、形成、識(五蘊)の集合体であり、
それらの集合に“ナーガセーナ”という名を仮に与えているにすぎない。」

そして彼はこうたとえます:

「車は、車軸・車輪・車体などの部品の集合に“車”という名を与えているにすぎない。
それ自体としての“車”という実体は存在しない。」

この譬えは、老子の「三十の輻は一の轂を共にす」に極めて近い。

老子:“無”があるから“車”としての用が成り立つ

ナーガセーナ:“部品の集合”に“車”という仮名を与えているだけで、実体はない

→ どちらも“実体”を否定し、“関係性”や“空間”に意味を見出している
437.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
>>436

そうやって、似てるとこを強調すると

ますます違いが見えにくくなる(笑)
438.
ユーザー
HDU3w
>>423
そんなの聞いたことがないな
師匠は臨済宗の超エリートだが
😆
439.
ユーザー
HDU3w
沢庵の不動智妙心録では
丹田云々は否定されるだろうな
😆
440.
ユーザー
HDU3w
ハッスル🤡禅が異常なのかもー
😆
441.
ユーザー
bxBN5
>>437
老子:名づけた瞬間、それは本質ではない

ナーガセーナ:名は仮であり、実体を示すものではない
442.
ユーザー
HDU3w
ハッスル🤡ウィルスは
デンジャーだからなー
😆
443.
ユーザー
HDU3w
問題は
仮や色の解釈、内容理解してないから
夕やJBLは
なんだかわからなくなる
😆
444.
ユーザー
HDU3w
加藤師匠問題が存在しているのさー
😆
445.
ユーザー
bxBN5
>>423
白隠じゃないか?
内観法を教えたのは、白幽子かな
446.
ユーザー
bxBN5
>>443
理屈だから。

でおーは密教的解釈で見ているんだろうね
447.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
老子の語る「道」は、説明を聞けば聞くほどわからなくなってきそうですが、無理に細かく理解する必要はありません。「無」と言っても、そこになにもないという意味ではなく、何物であるかが規定できないから「無」と言っているだけなのです。「こういうものが存在します」と明言すると、その存在に限定されてしまうので、一切合切を包括するものとして「無」という言葉を老子は使ったと考えるべきでしょう。
448.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
「無」からすべてが生み出されるというと、なにもないところから生まれるはずがないだろうと思ってしまいますが、老子は「無」というものを、なにもないのではなく、ありとあらゆる可能性を含みもつ状態だとしているのです。
449.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
>>447

このブログに書かれてることからすると

老子の「無」は、龍樹の「空」というより

アリストテレスの「第一質料」に近い気がしてくるな
450.
ユーザー
bxBN5
「空」とは、すべてが“仮名”でしか語れないという真理。
仮名とは、実体なきものを、便宜的に名づけているにすぎない。
だからこそ、空なるものは仮に名づけられて現れる。

この関係は、
“言葉で語ることの限界”と“言葉を使うことの必要性”を同時に抱えている。

それが、龍樹の中観の深さであり、
老子の「道可道、非常道」とも響き合うところなんだ。
451.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
>>448

> ありとあらゆる可能性を含みもつ状態


これは、アリストテレスの「第一質料」そのものだ
452.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
>>450

老子も、「言語の限界」説なのか?
453.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
昔、かなり老子にハマった時期があったが

そういう印象は受けなかったなあ
454.
ユーザー
bxBN5
第一質料(だいいちしつりょう)とは、アリストテレス哲学における「すべての物質の根源的な素材」であり、いかなる性質や形相も持たない“純粋な可能性”を意味します。

老子の無に似ているね。
455.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
老子が言語哲学?
456.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
う~ん

言われてみれば、そういう風にも見えてくるような
457.
ユーザー
bxBN5
*「道可道、非常道」
「語りうる“道”は、真の“道”ではない」

言葉で定義できるような“道”は、すでに“道”ではない

言語によって捉えられるものは、すでに本質からズレている

*「名可名、非常名」
「名づけうる“名”は、真の“名”ではない」

名づけた瞬間に、それは“固定された概念”になってしまう

名づけは便宜にすぎず、本質を捉えきれない
458.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
>>454

確かに、似ている
459.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
>>457

それは言語哲学だな
460.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
「アレフガルド」や「勇者ロト」というのは、本当の名前ではない(笑)
461.
ユーザー
bxBN5
*老子『道徳経』第一章(原文)
道可道、非常道。
名可名、非常名。
無名天地之始;有名萬物之母。
故常無欲,以觀其妙;常有欲,以觀其徼。
此兩者同出而異名,同謂之玄。
玄之又玄,衆妙之門。

*現代語訳(意訳)
「語りうる“道”は、真の“道”ではない。
名づけうる“名”は、真の“名”ではない。
“無名”は天地の始まり、“有名”は万物の母である。
だから、常に欲を離れていれば、その“妙”を観ることができ、
欲を持っていれば、その“現れ”を観ることになる。
この二つ(無と有)は同じ源から出ており、名は異なるが、共に“玄”と呼ばれる。
その“玄”のさらに奥にあるもの――それが、すべての“妙”の門である。」


言語学かというよりも言語では表されないということだと思う。
462.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
老子 第四十一章

大方(たいほう)は隅無く、大器は晩成し、大音は声希(かす)かに、大象は形無し。

(大いなる方形には角がなく、大いなる器はでき上がるのがおそく、大いなる音声は聞きとれず、大いなる象(すがた)には形がない。)

463.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
「大方は隅無く」とは、無限に四角形を大きくしていくと、しまいには角が見えなくなることを言っています。三句目の「大音は声希かに」とは、無限の音は聞こえる領域を超えてしまうので、しまいには聞こえなくなるという意味です。「大象は形無し」とは、物を無限に大きくしていくと、その姿形はとらえられなくなるという意味です。どれも無限大という概念について語ったものですが、ひとつだけ趣が異なる文言があります。「大器晩成」=「大いなる器は完成するのが遅い」という部分です。

「大器晩成」という言葉は、器を人間の器量のこととして「大人物は年をとってから才能を表わす」という意味で使われ、現代でもよく知られています。他の三つの言葉は否定形ですが、この言葉だけは、なぜか肯定形です。本来ならば、ここでは「無限大の器は完成することがない」と書いてしかるべきでしょう。

 もともとの『老子』においては、この部分には別の語が書かれていたようです。一九七三年に発見された帛書『老子』を見ると、「大器晩成」ではなく「大器免成(めんせい)」となっています。「免成」とは「完成することを免れる」、つまり「大器は完成しない」という意味で、他の三つと同じ否定形になります。
464.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
「無から有が生じる」

これは、老子の核心
465.
ユーザー
bxBN5
>>462
無と道の説明だろうね、

すべてを生み出す根源的な「働き」として肯定的に捉えているということだろうね
466.
ユーザー
bxBN5
>>464
そうですね。
467.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
臨済宗が「無」にこだわるのも、老子の影響だろう
468.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
>>438

> そんなの聞いたことがないな
> 師匠は臨済宗の超エリートだが
> 😆


セイウン様によると、臨済宗の禅僧は丹田を練ってるらしい
469.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
龍樹の思想は、「言語の限界」への関心が強い

老子にも確かに、そういう一節はあるが

そこが老子の中心テーマとは思えんなあ
470.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
おおまかに言って『老子』には「多くを求めることなく、作為的なことは行なわず、他人と争うことなく、あるがままに生きよ」といった趣旨のことが書かれています。極端に言えば、謙虚で消極的な生き方を推奨していると言ってもいいでしょう。こうした点から、現代で読まれる『老子』は「隠遁の書」「弱者のための処世術」といったイメージでとらえられることが多いようです。

しかし、本来『老子』という書物は競争社会から落ちこぼれた弱者を癒やすためだけに書かれたものではありません。大衆に向けてではなく、統治者に向けて書かれた、いわば「権謀術数の書」という側面もあるのです。「天子」「侯王」「万乗(ばんじょう)の主」といった支配階層を表わす言葉が頻繁に登場しますし、なかでも、理想の君主を表わす「聖人」は『老子』を代表する言葉のひとつと言っていいでしょう。『老子』の中には、個人の処世術より、国や領土をいかにしてうまく治めていくかといった統治論が多く書かれています。その統治論には、それまでの社会常識を覆すような反体制的な姿勢が貫かれているのも、ひとつの特徴です。
471.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
そうだ、そこだ

そこが大きな違い

老子から長いこと離れてたが、コピペしてるうちにだんだん思い出してきた(笑)
472.
ユーザー
bxBN5
言語学というよりは、生き方だろうね

仏教には時間的な今ここということがあるかもしれないが、
老子には無為にして無不為と行為の様態がある
473.
ユーザー
bxBN5
老子には民衆をおバカにしておけというように見えるところがある。

古之善為道者,非以明民,將以愚之。
(古の道をよく行う者は、民を賢くしようとはせず、むしろ愚かに保とうとした)

老子の言う「愚」は、現代の「愚か」とは違い、
“素朴で、欲望に駆られず、自然に従って生きる”という意味合いがあります。

現代的な考えない方がしない方がいいのだろう。
474.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
習近平は、愚民化政策を実行している
475.
ユーザー
kM7Ao
>>468
ハッタリハッスルには困ったもんだ
麦もまだ、その知識影響抜けてないだろしな
😆
476.
ユーザー
wNDN9
wwwwwwwwwwwwwwwwww

おい、馬鹿w

 ↓

633 栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK[] 2026/01/05(月) 15:56:11.86 ID:xy2xM
おい、JBL!

ブンブン銀蝿🪰統失知障🤪ペニスマン🤡でおーの金魚の糞!

お前、俺より中観について詳しいんだろ?
だったら「ガーワドンの啓示」くらい常識だよな?
477.
ユーザー
G6fI2
ハッスル🤡お怒り
478.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
お怒りだな?
479.
ユーザー
G6fI2
だがハッスル🤡のおかげで
間違った臨済宗情報が流れている
ハッキリ言って害虫だ
😆
480.
ユーザー
G6fI2
ハッスル🤡が偽物というのは
デンパパ📶や麦やNO1の前で言っても
虚しいので
今まで言わなかっただけだ
😆
481.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
ハッスル様の情報で、臨済宗を学んでいる
482.
ユーザー
G6fI2
俺は一切語らないからなー
語るのが意味がない派
😆
483.
ユーザー
G6fI2
反転術式ぽい
疲労回復できたら
それでええ
派なので

デンパパ📶やヒロキ、ムイムイみたいな
宣伝はいらない
😆
484.
ユーザー
G6fI2
密教や中論あたりなら
語る派だろうけれども
😆
485.
ユーザー
G6fI2
デンパパ📶のあの 熱心な
マルチポスト貼り付けは
余程寂しいのだろうな?
感がする
😆
486.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
之を視れども見えず、名づけて微と曰う。之を聴けども聞こえず、名づけて希と曰う。之を循れども得ず、名づけて夷と曰う。三者は、致詰すべからず、故に混じて一と為す。一なるものは、其の上は悠からず、其の下は忽からず、縄縄として名づくべからずして、無物に復帰す。是を無状の状、無物の象と謂う。是れを惚恍と謂う。之に随いて其の後を見ず、之を迎えて其の首を見ず。今の道を執りて、以て今の有を御すは、以って古への始めを知らんや。是れを道紀と謂う。


視之不見、名曰微。聴之不聞、名曰希*1。循*2之不得、名曰夷。三者不可到詰、故混而爲一。一者、其上不悠*3、其下不忽。縄縄不可名、復帰於無物。是謂無状之状、無物之象。是謂惚恍。随之不見其後、迎之不見其首。執今*4之道、以御今之有、以知古始。是謂道紀。
487.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
目をこらしても見えない(「微」)、耳をすましても聞こえない(「希」)、循でさすっても感じない(「夷」)ような関係が、この世界にはある。つまり人間の直接の感覚では明らかに詰めることができないものが混沌として一体になっている。その一体となったあり方は、上が遠いとか、下が近いとかいうものではなく、時空に偏在している。その様子は、絡み合った縄が透明な網のように広がって、名付けることができないまま、もとの無の世界に戻っていくようだ。その運動は形状もなく、物としての現象もない。だからそれは、ぼやっとした恍惚の状態でみえるもので、後ろから追いかけても尻をみることはできないし、前から出迎えても首を見ることはできないのである。しかし、現在の理法の立場に立って、現在の状況を統御するためには、この時空が形成された歴史の始源の無を知ることが必要である。これが道を理解する要点(道紀)である。
488.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
解説

老子は、自然と社会の歴史をつらぬく理法・法則とでもいうべきものを表現する用語として道という言葉を使った。この道というものは通常の五感ではとらえられないという。つまり、「「微」で目をこらしても見えず、「希」で耳をすましても聞こえず、「夷」で循でさすっても感じない」ものだというのが、老子のいうことである。そういうものが混沌として一体になって、形状もなく、物としての現象もないまま時空に偏在している。その様子は、透明な縄が絡み合っているようなというのだから、一種の網のようなものを印象しているのであろう。
489.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
この「微・希・夷」であって、目にみえず、聞こえず、触れないという言い方は、『荘子』『列子』『韓非子』などでも引用され、中国では非常に有名なものであった。興味深いのは、これが日本の神道でもなじみ深いものであったことであろう。たとえばそれは、平安時代の末、一二世紀頃には原型が成立していたという神道五部書といわれる伊勢神道の聖典の一つ、「御鎮座縁起」にも「希夷視聴の外、氤氳気象の中にあり、虚にして霊あり、一にして体なし」という形ででてくる(『類聚神祇本源』)。氤氳というのは天地の始めから存在する気、気配のようなもののことを意味する。
490.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
このような表現を神秘的なものと感じるのは当然であるが、しかし、より平明な言い方でいえば、ようするに、この宇宙にはエーテルのようなものが広がっているというのであろう。宇宙と自然の理法・法則をつかむためには、直接の五感では捉えることはできない不可視・不可聴・不可触のエーテルのようなものを認識しなければならない。世界を認識するためには、その目にみえる姿を超越して、その向こう側を見なければならないというのである。自然の認識のためには、実験だけでなく、五感を超越した分析や直感が必要になるのは当然のことである。『老子』の時代には具体的な個別科学は存在しないから、言い方が神秘的な表現になるのはやむをえない。老子のいう自然の理法、不可視・不可聴・不可触な道というものは、自然界にそのまま存在する「物」ではないが、宇宙の動きを左右する物質的な性格が想定されている。
491.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
これはあまりに合理的な解釈だとみえるかもしれないが、神秘的な表現の下に、それなりに事態をとらえた直感的な認識が秘められているというのはよくあることではないだろうか。自然を認識するためには、実験だけでなく、それを詰めていって全体をみたときの直感が必要であって、それがある場合には神秘的と感じられるのは自然なことである。
492.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
もちろん、老子がもっぱら自然哲学を語っているというのは間違いであろう。老子が、自然哲学を通じて語ろうとしたのは、いわゆる東洋的な「無の思想」である。つまり、道は、不可視・不可聴・不可触な透明な網のように広がっていくが、それは無の世界に戻っていく。それは「無状の状、無物の象物」であるというのである。いまあるものは、宇宙の巡りとともにすべて失われる。すべては無である。すべては無であるというのが、宇宙の開始をみれば明らかであって、すべては消失する。それを直感し、考えることなしには現在の世界に存在するもの「今の有」を統御することはできないというのである。その意味で、本章の最後の部分を「今の道を執りて、以て今の有を御すは、以って古への始めを知らんや」と読み、「現在の理法の立場に立って、現在の状況を統御するためには、この時空が形成された歴史の始源の無を知ることが必要である」と訳した。
493.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
やっぱり、ツカミどころがない(笑)
494.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
老子と比べたら

中観派も、ずっと分かりやすい思想(笑)
495.
ユーザー
P83vD
             ,. – ─── – 、
             /    ,       `ヽ.
            /〃//,. ,ィl/|l ト、 !、 、  ヽ
          ー’´| | l |1 | !l. l| ! | l.|ヽ ! !、 ’,   おじちゃんたち
             YレV!ヒエ「! |l.「_ト!Ll」| l l  l   どうしてはたらかないの?
           ! lハイJ |  ´|_jヽ. リ,! ! l. l |
             |l |l.} ー ,   L _,ハl.lトl l. | l
             |l ilト、   n  ”  ,1l|ィ| |l l |
           _ 二,ニ^tュ–ェ_t1」l.|l !リ|_lノ
       r7´   f r┐| 〔/ミヽ>,-、 ̄´
       Y       ー个‐’t  ハ-、_’ゝ、
        ヽ ._・ rく ̄ヽト-‘丿  ヽ l
        / (・__,)ゝi┬’´ハ`     ’`|
          |ヽ, イ   ノ┴くヽヽ、    /
        `´ ゝ┬ヘ`ヽ   |  `ー‐1
           ゝノ-‐^ー’一”丶  ヽ ヽ
           ト、_       `ーァ’¨不ヽ
            | | 「 ̄「 ̄l ̄ト、,イトヒi′
             l l. l   l  !  !└’ l |
             └ L 」_,|__l_l.__L.l′
             |   |  |   |
              l   l   !   !
                l   l.   l   l
            ト–┤   !–‐1
              f‐t央j.   ト央ァヘ
              |  甘l、  / 甘  |
             l  ,.-‐ヽ レ’⌒ヽ/
            `く.__ ノ ゝ–‐′
496.
ユーザー
DkDdM
>>493
構造的なものだろう。だから私達にはわからない。たとえば、仏教で言えば、18界等が構造的であり、私とは後付けで出てきたものである。とかなるのだろう。
497.
ユーザー
RPgOe
老子は

ヒンズーヨガに近づけたほうが理解しやすいだろな
😆

禅の雰囲気で老子を近づけるのは
無理がある、
夕的にはオモロイかもしれんが😆
498.
ユーザー
RPgOe
ヒンズーヨガの
世界に満ちるプラーナとかのほうが
老子に近いだろな
😆
499.
ユーザー
RPgOe
中論にしろ
基本的には

仏教なので
自他共に対象の認識

それは老子やヨガでは
設定されていない
😆

俺からすれば、どの瞑想系統仏教でも
対象の認識を重視する
対象の認識の仕方は異なれども、

そこが
老子とヨガとの違い
😆
500.
ユーザー
RPgOe
倶舎論の理解により
それはより明白になった
俺的には
😆
501.
ユーザー
DkDdM
>>497
老子は“心”よりも“自然(じねん)”を重視する
老子の中心は「道」と「無為自然」。

心を観察する
心を空にする
心を悟る

こういう方向性は、老子にはほとんどない。

老子はもっと“外側の自然の働き”を観ている。

水のように
谷のように
母のように
柔弱の勝つ

「内観」とは方向が違う。
502.
ユーザー
teqK7
wwwwwwwwwwwwwwwwww

腹筋崩壊wwwwwwwwwwwwwwwwww
503.
ユーザー
DkDdM
老子と仏教は構造として似ている。
“絶対”を肯定的に定義しない。
否定・逆説・沈黙で指し示す。
504.
ユーザー
DkDdM
ところで、ガーワドンの啓示ってなんだ?
505.
ユーザー
teqK7
でおーとJBLは腹筋崩壊コンビだなw
506.
ユーザー
teqK7
>>504

> ところで、ガーワドンの啓示ってなんだ?

JBLが詳しいって言うから、先に彼に聞いて下さい。
507.
ユーザー
RPgOe
ハッスル🤡燃えてるな?
悔しいのか?
🤡
508.
ユーザー
RPgOe
余程辛かったのだろう🤡
509.
ユーザー
teqK7
で?

 ↓

でおーは、勝義諦の上位概念の説明。
510.
ユーザー
teqK7
でおーとJBLの知ったかをチェックして、追い詰めて発狂させるのが日課になっちまったなあwww

511.
ユーザー
DkDdM
老子的に内観というと、和光同塵か?

心を柔らかくし、光を抑えて世界と調和する”という実践

光を和らげ(和光)
→ 自分の鋭さ・知恵・個性・主張を抑える

塵に同じくす(同塵)
→ 世俗の中に溶け込み、争わず、逆らわず、自然に生きる

これは、
“悟りの光を隠し、世界と調和して生きる”
512.
ユーザー
DkDdM
老子に悟りなんて言葉はないけどね

513.
ユーザー
DkDdM
*老子 第四章 訓読
道は沖(むな)しくして、これを用うるも、あるいは盈(み)つることなし。
淵(ふか)きこと兮(かな)、もって万物の宗(むね)となる。
その鋭きを挫(くじ)き、その紛(ふん)を解(と)き、
その光を和(やわ)らげ、その塵に同じくす。
湛(たた)えたること兮(かな)、あるいは存するがごとし。
われ誰(たれ)の子なるかを知らず。
帝の先に象(かたど)る。

*読み下しの意味の流れ(簡潔に)
道は空っぽのようで、使っても尽きることがない。

深淵のようで、万物の根源である。

鋭さを挫き、複雑さをほどき、光を和らげ、塵に同じくする。

深く静かで、あるような、ないような。

誰の子かは分からない。
ただ、天地の帝(天帝)よりも先にあるものを象っている。
514.
ユーザー
DkDdM
和光同塵は老子には出てこないが、4章を後世の道教の人が、修行論の一環てとして言った。

*老子自体は

老子の意図はもっとシンプル
老子の第四章の意図は、

とがりをなくし

複雑さをほどき

光を和らげ

塵に同じくする

つまり、

自分を主張せず、自然に溶け込む柔らかさ

これだけ。

宗教的な修行論ではなく、
自然哲学としての“柔らかさ”の比喩。
515.
ユーザー
DkDdM
和光同塵 ごめん、これは4字熟語にまとめたるだけで、この熟語は道教に取り上げられて、修行論的に扱われている。

和其光、同其塵。
516.
ユーザー
DkDdM
イメージ的には、川の上流のごつごつの岩が、下流に来ると砂になっているようなw
517.
ユーザー
DkDdM
老子よりになってきたな。龍樹との比較だったw


この二人は「似ている」と言われることが多いけれど、実は方向性がまったく違うのに、到達点だけが似てしまうという非常に面白い関係w
518.
ユーザー
DkDdM
この二人は「似ている」と言われることが多いけれど、これは削除w

老子よりになってきたな。龍樹との比較だったw
実は方向性がまったく違うのに、到達点だけが似てしまう感じる非常に面白い関係w

この方がいいかな。私がそう思っているということでw
519.
ユーザー
RPgOe
到達点は違うてしょう
仏教は現実把握

老子は現実無視の自由でしょう
😆
520.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
倶舎論・中論・唯識論を見慣れた、今の自分が「老子」を見ると

教義内容がマジで乏しいな😅
521.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
哲学とは思えない

スピリチュアル・エッセーっていうくらいの感じ
522.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
それを言ったら、日本の神道はもっと教義らしい教義がないので

それと比べたら、老荘は思想らしい思想だ
523.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
それはともかく、それぞれの思想を漢字一文字で表してみようか
524.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
初期仏教は「苦」

説一切有部は「有」

中観派は「空」

唯識派は「心」

老子は「無」
525.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
以前、ラピスが「唯識論~空の哲学を学ぶ」というようなスレをたてたことがあって

「それを言うなら、中論だろ」とツッコミを入れたことがあったかも
526.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
唯識論も、大乗仏教だ

当然、空の思想を中観派から大いに取り入れている

でも、普通は、唯識論を「空の思想」とは言わんわなあ

「空の思想」っていったら、中観派だ
527.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
ラピスには、このツッコミの意味が分からんかっただろうけど
528.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
倶舎論では、この世の物質世界は確実に存在する

さすがに、世間の一般人が素朴に思ってるような意味で存在しているわけではなく、虚構に近い存在ではあるのだが

でも、存在するのは確実だ

それは動かせない
529.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
中観派では、そこを大きく一歩、踏み込んだ

中観派では、この世は虚構の世界にすぎず、本質的には存在しない

仮の世界としては存在するのだが

あくまでも、仮にすぎない

実際には、無いも同然だ
530.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
「有」と「無」という2つの極の間に、「空」がある

でも、空は、有と無を足して2で割ったような、その中間点にあるわけではない

空は、有から遠くて、無に近い
531.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
倶舎論や唯識論徒比べたら、中論は「空の思想」というより、「無の思想」に見える

だから、ツカミどころがない(笑)
532.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
唯識論は、「空の思想」ではない

なぜなら、「識」が有るからだ

唯識論では、識は存在する

唯識論は、「瑜伽行派」というだけあって、瞑想修行者の思想だ

インドの瞑想修行者は、外界への関心を断ち、「いまここに、私は在る」という真実に精神集中する

意識だけが存在して、外界は存在しない
533.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
日本の禅宗は、そうではない

日本の禅僧が言ってることを見ると、彼らは

「私は存在しない。この世界だけが存在する」

というようなことを、よく言っている

インドの瞑想哲人とは、向かってるベクトルが逆だ(笑)
534.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
日本には、鎌倉時代以来の「滅私奉公」の伝統がある

「私心が無い」ということが重視されるのが伝統だ

禅僧は、その文化的影響を大きく受けている

インド人がいう「無我」とは違う
535.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
>>532

> 意識だけが存在して、外界は存在しない


ここでいう「外界」には、自分自身の身体も含まれる
536.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
インド人の言ってるのは、「無我」というより「非我」だ

「自分ではないものを、自分だと思い込んでいる」というのが、非我だ

ここでいう「自分ではないもの」には、自分自身の身体も含まれる

さらに言えば、感情や思考などの、自分の心すら含まれる

瞑想に集中していれば、外界も身体も消える

残るのは、「いまここに、私は在る」ということだけ

「外界が消えて、意識だけがある」というのは、そういう状態だ
537.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
唯識論では、阿頼耶識は確実に存在する

「阿頼耶識も、いつかは終わる仮の存在である」というように説明されることもよくあるが

「いつかは消える」ったって、それは何百億年も先の話とされている(笑)

阿頼耶識の寿命は、宇宙よりも長い。何度もビッグバンで宇宙が誕生し、星々に寿命が来て燃え尽き、宇宙が消滅しても、阿頼耶識はまだ続く

人間にとっては、長すぎる期間だ

「事実上、永劫に存在する」と言ってよい
538.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
初期仏教に、こんな考え方はない

唯識論の時代になって、「意識は在る」という方向に大きく踏み込んだものだ

初期仏教から逸脱しているが、当の唯識派はそう思っていない

「仏典のどこそこに根拠がある」といって、どこからか引っ張ってくる

思想の歴史というのは、そういうものだ
539.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
そんな唯識派から見ると、中観派は「何も無い」にこだわる虚無的な思想に見える

もちろん、当の中観派はそう思っていない

「俺たちは、何も無いなどとは言っていない。有でも無でもない、中道の思想なのだ」と主張する

でも、他の部派から見ると、そうは思えなかった

中観派は、「説一切無部」と呼ばれることもあった
540.
ユーザー
teqK7
おいおい、まだ腹筋崩壊させ足りないのか?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
541.
ユーザー
teqK7
wwwwwwwwwwwwwwwwww

おい、馬鹿w

 ↓

633 栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK[] 2026/01/05(月) 15:56:11.86 ID:xy2xM
おい、JBL!

ブンブン銀蝿🪰統失知障🤪ペニスマン🤡でおーの金魚の糞!

お前、俺より中観について詳しいんだろ?
だったら「ガーワドンの啓示」くらい常識だよな?
542.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
>>540

おっ

遅いご登場だな(笑)
543.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
話を戻すと

空の思想といえば中観派、中観派といえば空の思想だ(笑)
544.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
空の思想では、すべては仮の存在にすぎない

存在しないも同然だ
545.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
もちろん、仮有とはいえ、存在しているのは事実だ

だが、仮は仮だ

本当の意味でもの存在しているわけではない
546.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
FSjFD
本当の意味で存在しているわけではない
547.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
GVPqx
やはり、動画で三論宗を学ぼう
548.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
GVPqx
中論への理解を深める
549.
ユーザー
M14Ii
まーーーーーた、即逃げか?
wwwwwwwwwwwwwwwwww

宗教板の恥晒し、躾の悪い馬鹿犬www
550.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
GVPqx
三論宗を大成した隋の吉蔵は、イラン出身だったんだな
551.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
GVPqx
華厳宗の法蔵と混同してた

名前が似てるので(笑)
552.
ユーザー
xJZ3n

*老子は「現実無視の自由」なのか
これは半分だけ当たっていて、半分は誤解。
老子は確かに、

争わない。名利を求めない。作為をしない。柔弱に従う。自然に任せる。
という方向に行くので、
「現実から距離を置く」ように見える。

しかし老子は 現実を否定しているわけではない。

老子が無視しているのは
人間が勝手に作った価値観・制度・欲望・作為
であって、

自然の働き。世界の流れ。道の構造。

はむしろ深く観察している。

つまり老子は
「人間社会の現実」を無視するが、
「自然の現実」は徹底的に見る。

5章
天地不仁、以万物為芻狗。聖人不仁、以百姓為芻狗。天地之間、其猶蠹籥乎。虚而不屈、動而愈出。多言数窮、不如守中。

天地は仁ならず、万物を以て芻狗(すうく)となす。 聖人は仁ならず、百姓を以て芻狗となす。 天地の間、その猶(な)お蠹籥(とやく)のごときか。 虚にして屈せず、動いて愈々(いよいよ)出づ。 多言は数(しばしば)窮す。中を守るに如かず。

*「自然の現実」は徹底的に見る。

553.
ユーザー
xJZ3n
“ある”とは、縁起によって一時的に成立しているだけの現象

老子

無から有が生まれる
有は道の働きの現れ
有は自然の流れの一部
有は肯定的な“存在の相”
実体ではないが、縁起とも違う

仏教

有は縁起によって仮に成立
有は無自性
有は執着の対象
有は苦の原因にもなる

つまり、

仏教の「有」は“無自性の現象”
老子の「有」は“道の働きの相”
554.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
GVPqx
>>553

それは「仏教」ではなく、「中観派」と言ってほしい(笑)
555.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
GVPqx
555
556.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
GVPqx
>>549

お怒りだな?😫
557.
ユーザー
KX9VF
>>533
禅は他の大乗仏教に比べて
一部テーラワーダ、倶舎論の
雰囲気に回帰している部分がある
現象ガ存在が一瞬あるとか

密教は存在の構成要素がある
という部分で回帰している

😆
558.
ユーザー
Q1hJB
おはよう、馬鹿どもw

これ、毎日問い詰めるか。

 ↓

でおーは、勝義諦の上位概念の説明。
JBLは、「ガーワドンの啓示」と「不共の勝法」の説明。
559.
ユーザー
KX9VF
おはっす〜る〜〜🤡
560.
ユーザー
KX9VF
🤡怒りのあまり
不眠症か?
自宅警備員🤡も睡眠時間
少なくて
大変だな?
🤡
561.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-cB-xsM
GVPqx
朝からお怒りだな?😫
562.
ユーザー
KX9VF
熱心だな?🤡
俺は仕事で
イミフな出来事に対応する
夢をみた
悪霊まではいかんが
あり得ないイレギュラーに対応して
アタマ使う夢、
さて、どうするか?
みたいな
😆
563.
ユーザー
KX9VF
悪夢だ
😆
564.
ユーザー
KX9VF
ムイムイもついにハッスルしだした
😆
565.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-cB-xsM
GVPqx
ムイムイもお怒りなのか?😫
566.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-cB-xsM
GVPqx
荒れてきたな
567.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-cB-xsM
GVPqx
五六七の世がくるのざぞ~😭
568.
ユーザー
KX9VF
ノアのスレまで
レスしだすと
お怒りだ
ハッスル🤡様パターンだ

パターンがそっくりだ
😆
569.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-cB-xsM
GVPqx
なぜか、ノアのスレに向かうんだな
570.
ユーザー
KX9VF
修行したり、
悟ったなら


ハッスルしないはずなんだがなー
その観察は
やはり、オモロイ
😆
571.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-cB-xsM
GVPqx
ラピス教会スレとかには来ない😅
572.
ユーザー
KX9VF
修行してたら
そんなイミフな
必死のレスするの?

みたいな観察は
やはり
たまらん

悟った、修行したとか
言わない人に
色々やるのは
さすがに、ヤル気はないが

😆
573.
ユーザー
KX9VF
ラピスに喜びを感じず
不毛さを感じたんだろなー
寂しがりやのムイムイでも
😫
574.
ユーザー
Q1hJB
ここも腹筋崩壊スレかw

575.
ユーザー
Q1hJB
おはよう、馬鹿どもw

これ、毎日問い詰めるか。

 ↓

でおーは、勝義諦の上位概念の説明。
JBLは、「ガーワドンの啓示」と「不共の勝法」の説明。
576.
ユーザー
Q1hJB
まぁ、お前らが氷河期底辺のヒキニープーボッチで、仏教書を買う金も無くて、ネット検索だけというのは分かるけどな😟

577.
ユーザー
KX9VF
回ってるな?🤡
578.
ユーザー
KX9VF
悔しそうだな?🤡
579.
ユーザー
KX9VF
そんなハッスル🤡が
愛らしい🤡
580.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-ppa-cB-xsM
NRGb6
妙に必死だな?
581.
ユーザー
KX9VF
バカナノがバレて
お怒りだ🤡
582.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-ppa-cB-xsM
NRGb6
本当はバカだったのか~😭
583.
ユーザー
KX9VF
いつかは
バカ🤡がバレるのに、
心の準備ができていなかったようだ、
😫
584.
ユーザー
Q1hJB
知識はネット検索、実参どころか実践ゼロ。
他人の知識や体験に対する異常なまでの妬みや嫉み。

何しに宗教板に居座るのか?
wwwwwwwwwwwwwwwwww
585.
ユーザー
Q1hJB
俺がお前ら馬鹿を親代わりに説教しなきゃ、この先ナマポで孤独死だぞ!?

更生の道を歩ませるのも菩薩道だからな。
586.
ユーザー
7WTLj
爆発🤡〜
587.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-sUk-cB-xsM
kMeLF
おっ

セイウン火山が噴火しているな?🌋
588.
ユーザー
SzLfy
全く無給よ時間外イミフな

労働させれた
疲れだ〜
😆
589.
ユーザー
AUbij
はげ
590.
ユーザー
AUbij
「H1法話グランプリ」歴代チャンピオン大会:真言宗 須磨寺 寺務長 小池陽人 師
https://www.youtube.com/watch?v=XlLUjmYZsco
591.
ユーザー
AUbij
法介が語る日本経済 その4
https://twitcasting.tv/c:housuke/movie/828614522
592.
ユーザー
AUbij
593.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-c7I-cB-xsM
IDUvd
法話の日本一を決める、H-1?
594.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-c7I-cB-xsM
IDUvd
>>591

すごいな?😵
595.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-c7I-cB-xsM
IDUvd
真言密教も語ってほしい~😄
596.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-c7I-cB-xsM
IDUvd
違った

ほーかい師匠は「真言亡国」だったな😫
597.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-lQX-ju-95Q
FqItm
法華経の「自我偈(じがげ)」とは、『法華経』第16「如来寿量品」の後半に登場する詩(偈)のことで、「自我得仏来」という句から始まることからそう呼ばれ、仏の命は永遠(久遠実成)であり、常に私たちを救おうと慈悲の心でいるという法華経の核心的な教えが説かれています。この偈では、人々が仏の永遠の命を自覚し、速やかに仏の境地に至るよう促すお釈迦様の永遠の誓いが語られています。
598.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-lQX-ju-95Q
FqItm
自我偈の主な内容

仏の永遠の命(久遠実成): 釈迦は、人々を救うために仮にこの世に現れたが、実は計り知れない昔から仏であり、その命は永遠であると説かれます。

永遠の救済: 仏は常に私たちのそばにおり、どんな時も人々を仏道へと導き、速やかに悟りを開かせようと願っている(「速やかに衆生を仏道に入らしめ、速やかに成仏せしめよう」)。

「死」の活用: 人々が仏の永遠性を信じ、怠けたり欲望に溺れたりしないよう、方便として「入滅(死ぬこと)」を演じ、人々の心を覚醒させるという慈悲の策略も説かれます。
599.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-lQX-ju-95Q
FqItm
なぜ重要か

法華経の中でも最も重要な部分の一つであり、仏法の真髄とされます。

日蓮宗などでは、この教えを実践するために「南無妙法蓮華経」を唱えることが重視され、自我偈の精神を体現するものです。
600.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-lQX-ju-95Q
FqItm
600
601.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-lQX-ju-95Q
FqItm
法華経こそ、日本仏教の屋台骨

その法華経を凝縮したエッセンス

それが、寿量品第十六の「自我偈」だ
602.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-lQX-ju-95Q
FqItm
自我偈は、何を言っているか?

一言で言えば、「仏陀は永遠だ」と言っている
603.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-lQX-ju-95Q
FqItm
法華経は、方便でもなければ対機説法でもなく、ましてや世俗諦でもない

永遠で絶対の仏法だ
604.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-lQX-ju-95Q
FqItm
 法華経 如来寿量品第十六 自我偈

 自我得仏来 所経諸劫数  無量百千万 億載阿僧祇
 常説法教化 無数億衆生  令入於仏道 爾来無量劫
 為度衆生故 方便現涅槃  而実不滅度 常住此説法
 我常住於此 以諸神通力  令顛倒衆生 雖近而不見
 衆見我滅度 広供養舎利  咸皆懐恋慕 而生渇仰心
 衆生既信伏 質直意柔軟  一心欲見仏 不自惜身命
 時我及衆僧 倶出霊鷲山  我時語衆生 常在此不滅
 以方便力故 現有滅不滅  余国有衆生 恭敬信楽者
 我復於彼中 為説無上法  汝等不聞此 但謂我滅度
 我見諸衆生 沒在於苦悩  故不為現身 令其生渇仰
 因其心恋慕 乃出為説法  神通力如是 於阿僧祇劫
 常在霊鷲山 及余諸住処  衆生見劫尽 大火所焼時
 我此土安隠 天人常充満  園林諸堂閣 種種宝荘厳
 宝樹多花菓 衆生所遊楽  諸天撃天鼓 常作衆伎楽
 雨曼陀羅花 散仏及大衆  我浄土不毀 而衆見焼尽
 憂怖諸苦悩 如是悉充満  是諸罪衆生 以悪業因縁
 過阿僧祇劫 不聞三宝名  諸有修功徳 柔和質直者
 則皆見我身 在此而説法  或時為此衆 説仏寿無量
 久乃見仏者 為説仏難値  我智力如是 恵光照無量
 寿命無数劫 久修業所得  汝等有智者 勿於此生疑
 当断令永尽 仏語実不虚  如医善方便 為治狂子故
 実在而言死 無能説虚妄  我亦為世父 救諸苦患者
 為凡夫顛倒 実在而言滅  以常見我故 而生?恣心
 放逸著五欲 墮於悪道中  我常知衆生 行道不行道
 随所応可度 為説種種法  毎自作是意 以何令衆生
 得入無上恵 速成就仏身
605.
ユーザー
HXJ7Z
>>602
その解釈に対して
天台智顗はマジメに中論の理論に立脚して組み立ててていたが
密教でも、天台智顗教学と
辻褄を合わせて理論立てていたが

禅定の密教→日本的な人格仏や神仏習合の山伏密教や覚鑁→日蓮の解釈へと
変化していた
😆
606.
ユーザー
HXJ7Z
天台智顗や密教融合時代の法華経と
日蓮時代の法華経の意味解釈は
異なっている
日蓮時代には
中論三諦論の前提の法華経は末法思想時代には
ほぼロストしたと言っていい、
山伏念仏神仏習合研究マニアだからこそ
理解できる
😆
607.
ユーザー
HXJ7Z
三諦論の天台智顗の法華経の前提の
永遠の釈迦如来が

ただの末法の法華経の釈迦如来になったのが
山伏念仏神仏習合、日蓮
😆
608.
ユーザー
HXJ7Z
日蓮自体が
覚鑁の著書の研究者だ
信徒に覚鑁の著書を持ってくるように命じている
日蓮著作にある
😆
609.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-lQX-ju-95Q
FqItm
要約

私が仏になってから経過した期間は、百千万億という長い時間です。その間に教えを説いて数限りない人々を教化し、仏の道に導いてきました。人々を救うために、一度は(釈迦として)死んだ姿をとりましたが、本当に死んだのではなく、常にこの世界にいて法を説いているのです。私は永遠に不滅ですが、人々に私を慕い信仰する気持ちを起こさせるため、方便として死んでみせたのです。

人々がこの世が終わりを迎え、種々の災害が起こると思っているときでも、私の国土は安らかで天人や人々で一杯です。その世界の花園や宮殿は、種々な宝石で飾られ、木々には多くの花や実がなり、人々はそれらを楽しんでいます。私の国土は不滅であるのに、人々はこの国土の終わりが迫って、あらゆる苦しみや悩みに溢れていると錯覚しています。

私の智恵の働きがこれほど優れ、その光はどこまでも照らし、寿命が永遠なのは、過去の長い間の修行の結果なのです。もしあなたたちに智恵があれば、私のいったことを疑ってはいけません。疑う心を完全になくして下さい。仏の言葉は常に真実です。

人々は迷っているので、私が死んだと錯覚しています。私が常に姿を現わしていますと、なまけ心を起こし、欲望に捕われて、悪世界に堕ちることになります。そこで私はいつも人々が、正しい道を歩んでいるかを見極め、どうすれば救えるかを考えながら、ふさわしい教えを説いています。そして常に、「どうすれば人々を最高の教えに導き、一刻も早く仏に成るだろうか」と常に念じているのです。
610.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-lQX-ju-95Q
FqItm
>>606

なるほど
611.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-lQX-ju-95Q
FqItm
>>607

現代においては

釈迦より日蓮が偉くて、日蓮より池田大作がさらに偉い
612.
ユーザー
HXJ7Z
>>610
修行の第一歩が
天台智顗の天台小止観だから、
掲示板では
俺が一番のプロフェッショナルだろう
天台小止観の良いところは
パワーダウン鬱寄りの呼吸法
ハイテンションで眠れない寄り呼吸法を完備している
いまや、俺は臨済宗一本だけどなー
😆
613.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-lQX-ju-95Q
FqItm
>>608

大聖人は、覚鑁を研究していたのか
614.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-lQX-ju-95Q
FqItm
>>612

いまは臨済宗なのか

セイウン様とおなじ年宗派だな?😆
615.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-lQX-ju-95Q
FqItm
セイウン様とおなじ宗派だな?😆
616.
ユーザー
HXJ7Z
天台小止観は
ヨガっぼい
鬱パワーダウン過ぎる時は眉間の上に
呼吸の流れ

ハイテンション過ぎ時は
丹田への呼吸の流れ

そーいうのが
緻密な便利なシステムなので
修行初期には
世話になった
😆
617.
ユーザー
HXJ7Z
>>603
しかも後期に覚鑁の書籍を求めていたようだ

佐渡流罪の後だ
😆
618.
ユーザー
Yywt9
でも悟れないという笑
619.
ユーザー
HXJ7Z
天台小止観の修行のせいで

日蓮宗、浄土宗寺院関連は
すべて、自動的に天台の禅定の間合いで魔改造解釈するので
念仏山伏神仏習合日蓮のリアル教学理解には時間がかかる
今日も、その知らない部分を発見した

😆
620.
ユーザー
HXJ7Z
怨霊ムイムイ燃えてきたな?
😁
621.
ユーザー
Yywt9
全然笑
622.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-aaB-ju-95Q
l0zsw
>>616

> 鬱パワーダウン過ぎる時は眉間の上に
> 呼吸の流れ


紫色の光が見えたとか?🟣
623.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-aaB-ju-95Q
l0zsw
龍樹はナーガルジュナとも呼ばれ、紀元150年頃から250年頃にインドで活躍した偉大な高僧です。

仏教史上において非常に重要な人物です。

お釈迦様の説いた「空(くう)」の思想を理論的に体系化し、大乗仏教の教学の基盤を築きました。このため、中国や日本においては「八宗の祖師(あらゆる宗派の祖師)」と尊敬され、「小釈迦(お釈迦様に匹敵するほどの偉人)」とも称されます。

彼の思想の中心は、あらゆるものが独立した実体を持たず、相互依存の関係によって成り立っているという「空」の思想です。彼は、固定不変の実体があるとする「有の見」と、何もかもが存在しないとする「無の見」という二つの極端な見方を否定し、「中道」を説きました。

多くの優れた論書を著し、その著作は「千部の論師」と称されるほどです。代表的な著作としては、『中論(ちゅうろん)』があります。

龍樹菩薩の『中論』は、大乗仏教の深い智慧を凝縮した、まさに思想の宝庫です。その冒頭に置かれた有名な「八不の偈(げ)」は、たった数行のなかに、私たちが世界をどう捉えるべきか、そしてどうすれば心の平安を得られるのかという、根本的な問いへの答えが示されています。

今回は、この「八不の偈」を、たとえ話を交えながら、できるだけわかりやすく解説していきましょう。
624.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-aaB-ju-95Q
l0zsw
龍樹菩薩『中論』の冒頭にある「八不の偈」を徹底解説

大乗仏教「空」の真髄です

龍樹菩薩(りゅうじゅぼさつ)は、今からおよそ1800年前、インドで活躍した偉大な思想家です。彼が著した『中論』は、仏教の最も大切な教えの一つである「空(くう)」の思想を、論理的に、そして徹底的に解き明かした書物として知られています。

この『中論』の扉を開くと、まず私たちの目に飛び込んでくるのが、次のような言葉です。

八不の偈(原文と現代語訳)

「不生不滅、不常不断、不一不異、不来不去。
能説是因縁、善滅諸戯論、我稽首礼仏、諸説中第一。」

(不生にして不滅、不常にして不断、不一にして不異、不来にして不去なる、よくこの因縁を説き、よく諸の戯論を滅する仏を、我諸説中の第一なりと稽首して礼す。)

現代語訳:

「生まれることもなく、滅することもなし。
常であることもなく、断ち切られることもなし。
一つであることもなく、別々であることもなし。
来ることもなく、去ることもなし。」

「このような、すべては互いに関わり合って存在するという真理(縁起)を説き、あらゆる根拠のない思い込みや議論(戯論)を滅ぼしてくださったお釈迦さまに、私は心から頭を下げて礼拝いたします。」

この偈の最も大切な部分は、前半の「八つの否定」です。まるで禅問答のようにも感じられますが、これこそが、私たちが陥りがちな「こうだ!」という思い込みや偏見から自由になるためのヒントなのです。
625.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-aaB-ju-95Q
l0zsw
第1章 なぜ「八つの否定」が大切なのか?


私たちの心は、「ある」「ない」「良い」「悪い」といった、二元的な考え方で物事を捉えがちです。
しかし、八不の偈は、そのどちらか一方に固執することなく、両極端を離れた「中道(ちゅうどう)」という真実のあり方を示しています。

これは、ちょうどコップに半分入った水を「半分しかない」と悲観的に見るか、「半分も入っている」と楽観的に見るかの違いに似ています。
どちらの見方も正しいかもしれませんが、どちらかに囚われると、心のバランスを崩してしまうことがあります。

八不は、そのような極端な見方から私たちを解き放とうとするのです。

626.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-aaB-ju-95Q
l0zsw
第2章 八つの否定「八不」の具体的な意味

それでは、一つひとつの否定句を見ていきましょう。

1.不生不滅(ふしょうふめつ)

 生まれることもなく、滅することもなし

◆たとえ話:
考えてみてください。目の前の雲は、どこから「生まれて」きたのでしょうか? そして、雨になって地上に降り注いだ後、雲は本当に「滅んで」しまったのでしょうか?
もちろん、雲は水蒸気が集まって「できた」ように見え、雨になって「消えた」ように見えます。でも、その水蒸気はもともと海や川の水でしたし、雨になった水も、やがて蒸発してまた雲になるかもしれません。

◆解説:
龍樹は、「生まれる」という絶対的な実体も、「滅する」という絶対的な実体も存在しないと説きます。私たちが「生まれた」「死んだ」と認識するのは、あくまで「仮の姿」の変化にすぎません。一切のものは、常に変化し続けているだけで、固定された「生」や「滅」という状態があるわけではないのです。
627.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-aaB-ju-95Q
l0zsw
2.不常不断(ふじょうふだん)

 常であることもなく、断ち切られることもなし

◆たとえ話:
あなたは、昨日のあなたと、今日のあなたで、完全に同じ人間でしょうか? それとも、完全に別人でしょうか?
もちろん、私たちは毎日食事をして、考え方も少しずつ変わります。細胞も絶えず入れ替わっています。だから、昨日のあなたと今日のあなたは「常(いつも同じ)」ではありません。しかし、だからといって、まるで別人のように「断(完全に切り離されて)」しまっているわけでもありませんよね。連続性があります。

◆解説:
この対句は、物事が永遠に変わらない「常」であるわけでもなく、完全に途切れてしまう「断」であるわけでもないと説きます。私たちは常に変化し続けていますが、その変化の中にはある種の連続性があります。すべては移り変わるもの、しかし、全く無関係に断ち切られるわけでもないという、流動的な真実を示しています。
628.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-aaB-ju-95Q
l0zsw
3.不一不異(ふいつふい)

 一つであることもなく、別々であることもなし

◆たとえ話:
オーケストラで演奏されるシンフォニーを想像してみてください。たくさんの楽器がそれぞれの音を出し、それは一つ一つの「異なった」音です。しかし、それらが組み合わさって初めて、一つの美しいシンフォニーという「一体の」音楽が生まれます。このシンフォニーは、楽器の一つ一つとは「別々」のものでしょうか? それとも「一つ」のものでしょうか?

◆解説:
龍樹は、物事が完全に「一つ」であると断定することも、完全に「別々」であると断定することもできないと説きます。例えば、私たち人間も、たくさんの細胞が集まって「一つの体」をなしていますが、その細胞一つ一つは異なっています。部分と全体、あるいは個と集団の関係は、このように「一つ」と「別々」の両面を持つ、複雑な相互関係にあるのです。

629.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-aaB-ju-95Q
l0zsw
4.不来不去(ふらいふきょ)

 来ることもなく、去ることもなし

◆たとえ話:
私たちは、太陽が毎日「昇ってきて」「沈んでいく」と認識しています。しかし、本当に太陽がどこかから「来て」、どこかへ「去っている」のでしょうか?
もちろん、太陽は地球の自転によって見え方が変わるだけで、太陽自体がどこかへ移動しているわけではありませんよね。

◆解説:
この対句は、物事がどこかから「来る」という絶対的な実体も、どこかへ「去る」という絶対的な実体も存在しないと説きます。私たちが「来た」「去った」と認識するのは、特定の条件が揃ったときの「現象」にすぎません。変化や運動の本質は、固定された「来る」「去る」という行為では捉えきれない、ということを示唆しているのです。

630.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-aaB-ju-95Q
l0zsw
八つの否定、八不

八つといっても、2つずつのセットが4つだ
631.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-aaB-ju-95Q
l0zsw
最も有名なのは「不生不滅」だ

他の3つを圧倒するほど知られている
632.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
thzM6
「不生不滅(ふしょうふめつ)」とは、「生じることも滅することもなく、常住不変であること」を意味する仏教用語で、悟りの境地や真理の本質を表し、「生まれない、死なない」という単純な意味だけでなく、般若心経の「空(くう)」の思想に基づき、現象にとらわれず本質は常に変わらない状態を示します。

これは、あらゆるものは縁起(相互依存)によって生じ滅するが、その縁起そのものの本質(真如・涅槃)は生滅を超越しているという、深遠な意味合いを持つ言葉です。
633.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
thzM6
意味のポイント

辞書的な意味: 生じることも、滅することもない、永遠に変わらないこと。

仏教的な意味:

「空」の補足: 般若心経で説かれる「空」の概念を補足し、実体がないこと(空)を説明する際に用いられます。

涅槃の境地

煩悩が消滅し、生死輪廻を超越した悟りの境地(涅槃)を指します。

縁起の本質: 存在は生滅するが、その背後にある「縁起」という法則そのものは生滅しない、という中観思想(竜樹の思想)に由来します。

例え話: 鏡に物が映っても鏡自体は変化せず、消えても減らないように、物事の移り変わりにとらわれない本質(不生不滅・不垢不浄・不増不減)を説きます。
634.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
thzM6
関連する言葉

生者必滅(しょうじゃひつめつ): 生きとし生けるものは必ず滅するという「無常」の思想。

生滅滅已(しょうめつめつい): 生と滅の関係がすべて滅び尽きた、悟りの境地。

「不生不滅」は、私たちが日常で感じる「生まれては死ぬ」という感覚を超えた、絶対的な真理を表す言葉として使われます。
635.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
thzM6
「不生不滅」こそ、縁起と空を象徴する言葉
636.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
thzM6
この世は有為転変の世界だ

形あるものは、いつかは崩れ、バラバラになって消えていく
637.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
thzM6
その一方で、新たなものが次々とできる
638.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
thzM6
だが、それは表面的な変化にすぎない

積み木を崩したり、また積んだり、また崩したり

それを繰り返しているだけだ

見た目が変わるだけで、本質的には何も変わっていない
639.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
thzM6
本当は、何も生じていないし、何も滅していない

それが、不生不滅
640.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
thzM6
> 積み木を崩したり、また積んだり、また崩したり


ここで説一切有部なら、『積み木』は永遠に存在する

『積み木』を積んだり崩したりして出来ている、この世が有為転変、常に変化しているだけだ。『積み木』は変わらない・・・という世界観

中観派は、そんな『積み木』の存在すら認めていない

だから、厳密にいえば、この例えは中論の『不生不滅』には当たっていない
641.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
thzM6
・・・とはいうものの

最初から中観派に入るより、まず説一切有部から入って、それから中観派に進んだほうが、ずっと分かりやすいのは確かだ

最初から中観派だと、「何も生じてないのに、何がどう滅しないんだよ?」というような疑問が次々に生じることになる(笑)

あまりにも抽象的で、ツカミどころがない
642.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
thzM6
中論や唯識論には、倶舎論のことは知ってて当然、それを予備知識として前提しているところがある

倶舎論を見て、初めて「そうか、そういうことだったのか」となることがよくある

643.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
thzM6
不生不滅こそ、縁起と空の思想のシンボルとも言える言葉だ
644.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
thzM6
だが、「不生不滅」は、仏教思想界ではあんまり論争のタネにならない

というのも、コレに反対する人がいないからだ

「何も生じないのなら、何がどう滅しないんだよ?」というような疑問はわいてくるのだが

ここは、それほど異論が出ない
645.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
thzM6
問題はなんといっても、次の「不常不断」だ

インド人にとって永遠のテーマ、「輪廻転生」にダイレクトにからんでくる

「霊魂が無いのなら、何が輪廻しているのか?」

↑ これこそ、仏教思想界にとって最大級の難問

唯識論の壮大な体系は、この問いに対する壮大な回答と言っても、言いすぎでない
646.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
thzM6
日本で中観派に関心を持つ人には避けて通れない必読書、中村元の「龍樹」も

「不常不断が、古来から最も論争のタネになってきた」と認め、この話題で持ちきりだ
647.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
thzM6
個人的に、かつては5ちゃんねるの新興宗教スレで

「不常不断」の話をやたらと持ち出しては、信者諸氏を責めていた(笑)

「君らの教祖は、『人は生まれ変わり、死に変わり、永遠の魂修行を続けているのです』とかなんとか言ってるが、これは仏教的には『常見』であり、誤りとされているのである」

と、いつも言っていた
648.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
thzM6
いまは逆だ

新興宗教スレから離れて久しい今は、仏教スレで秋月龍ミンや南直哉といった禅僧たちを、逆の立場から批判している

「彼ら禅僧たちは、『輪廻転生は無い』、『輪廻転生は古代インドの迷信である』と断言しているが、これは仏教では『断見』であり、誤りとされている」

という話を、定期的に蒸し返している(笑)


※ちなみに、仏教でいう輪廻転生は、「この世で別の時代に生まれ変わる」だけではない。「来世で極楽浄土や地獄に転生する」というのも含まれる
649.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
thzM6
仏教的には、「常見」は誤りだ。「断見」も誤りだ

両方とも誤りで、「不常不断の中道」が正しい

・・・とは言っても、厳密に言えば、「両方とも同じくらい間違っており、両者を足して2で割った真ん中あたりに正解がある」というわけではない

同じ「誤り」といっても、おのずと程度の差ってものがある

仏教的には、「断見」のほうが、より深刻な甚だしい誤りだ

それに比べたら、「常見」のほうがまだマシだ。間違ってる度合いは、「常見」のほうが低い
650.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
thzM6
「善業を積めば極楽浄土に往生し、悪業を積んだら地獄に堕ちるだと? フン、バカバカしい。そんなの迷信だ。人は死ねば無になる。火葬場で焼かれたら、灰が残るだけだ」

↑

これは、言ったらダメ

仏教的には、間違ったスタンスだ

禅僧本人としては、これにより、自我に対する執着をキッパリと断ち切って、無我の体現者にでもなったつもりなのだろう

だが、これは誤りだ

単純に間違っている
651.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
thzM6
・・・とかなんとかいう、いつもの話の流れになってきたが

要するに、八不のなかでも「不常不断はモメる」

「不生不滅」と違って、これは人によって見解の個人差が大きいため、何かと論争のタネになりやすい

ここで言いたいのは、それだけだ(笑)
652.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
thzM6
ここては、「不生不滅」や「不常不断」を、存在論として捉えたが

中論は、言語哲学という面が大きい

「言葉の問題」と取ることができる

「不常不断」で言えば、「永遠に変わらないものがある」というような、「極端な見解を述べるのを止めよ」ということだ

極端なことばかり言う、過激な思想の持ち主はダメ(笑)

おのれの見解に対する執着を断ち切ることが大事
653.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
thzM6
もっとも、それを言い出したら

龍樹自身も、別な意味で極端な思想の持ち主だが

まあ、それは古来からあるツッコミ

それを言ったらキリがない
654.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
thzM6
突き詰めて考えれば、この世のほとんどは言語でできている

だから、存在論や認識論は結局のところ、言語論になる

「不生不滅」というのも、存在がどうのという以前に、「生じる」とか「滅する」とかいう言葉の問題

中論は、「言語の限界」とそこからの脱却を説く書
655.
ユーザー
1L4rn
>>654
俺は平均週二回曹洞宗寺院で
つるを切りながらマジメにやっている
それを

😆

臨済宗モードはもっと別次元だな
理屈なし
😆

今日は寒すぎるので
天台宗寺院で
天台浄土教をメインディッシュにお参りプラン
😆
656.
ユーザー
uXcKB
ぼー
また悟りとなんら関係のない事ばっかりしてんなー
さすが宗教オタク
657.
ユーザー
1L4rn
ムイムイは
自閉円頓がー状態だな?
😁
658.
ユーザー
uXcKB
さぁ?
でおーは粘着ストーキング状態だな?
659.
ユーザー
O36G2
① 不生・不滅(不生不滅)
不生(ふしょう)

不滅(ふめつ)
→ 「生じない」「滅しない」
般若思想の核心であり、後に龍樹の八不の第一対となる。
(般若心経にも「不生不滅」として登場)

② 不来・不去(不来不去)
不来(ふらい)不去(ふこ)

→ 「来ない」「去らない」
運動・変化の実体性を否定する表現。
(般若経の多くの箇所に見られる)

③ 不垢・不浄(不垢不浄)
不垢(ふく)不浄(ふじょう)

→ 「汚れない」「清らかでもない」
清浄観の二元論を否定する。
(般若心経にも登場)

④ 不増・不減(不増不減)
不増(ふぞう)不減(ふげん)

→ 「増えない」「減らない」
存在量の増減という概念を否定。
(般若心経に明確に登場)

⑤ 不常・不断(不常不断)
不常(ふじょう)不断(ふだん)

→ 「常住ではない」「断滅でもない」
常見・断見の両極端を否定する。
(龍樹の八不にも対応)

⑥ 不一・不異(不一不異)
不一(ふいつ)不異(ふい)

→ 「一ではない」「異でもない」
同一性と差異の両方を否定する。
(般若経の「空」論の一部として頻出)

八不をまとめてみた。
まだあるぞw
龍樹と法蔵(三論宗)の違いとかねw
660.
ユーザー
O36G2
>>654
4時近いじゃないかw
661.
ユーザー
gh1Ei
吉蔵だぞ三論宗は
法蔵は華厳宗

😆
662.
ユーザー
O36G2
>>661
ごめんごめんw
663.
ユーザー
gh1Ei
夕ほ何を言いたいのか?
是正希望、
これで話の筋が、わからんー


やはり倶舎論を、理解すると、
中論の理解がら早まるなー
有部批判の書だからだ
😆
664.
ユーザー
gh1Ei
吉蔵の話なのか
法蔵の話なのか?

そこから是正希望
😆
665.
ユーザー
gh1Ei
佐々木先生の倶舎論の動画の効果絶大だ
😆
666.
ユーザー
O36G2
>>664
吉蔵だ 八不は定型文かを調べていたら、龍樹と吉蔵の違い出てきた。違いというよりは、どのように吉蔵は中論と向き合ったかということかな。
667.
ユーザー
gh1Ei
吉蔵は最大ライバルは
成実論の連中

龍樹の最大ライバルは
倶舎論などの有部

成実論は
どこか、ハッスルやリダンあたりの誤読した感じに雰囲気があるようだ
😆
668.
ユーザー
O36G2
吉蔵による八不解釈の要点
① 八不は「中道」を示すための“否定の方法論”
吉蔵は八不を、
常見(実体視)と断見(虚無視)の両極端を破るための道具
とみなした。

不生・不滅 → 生まれる/消えるという実体視の否定

不常・不断 → 永遠/断絶という極端の否定

不一・不異 → 同一視/完全な差異視の否定

不来・不去 → 時間的移動の実体視の否定

つまり八不は、どの方向にも偏らないための“否定の網”。
669.
ユーザー
gh1Ei
成実論は
極端な「空見」として
吉蔵は議論の対象としたそうだ
加藤師匠様々だ
😆
670.
ユーザー
gh1Ei
成実論の極端な「空見」=断見(虚無視)ということだな
😆
671.
ユーザー
gh1Ei
吉蔵の
成実論との議論は
中論の三諦説に対する議論がメインのようだ
😆
672.
ユーザー
O36G2
何で吉蔵が出てきたか。これは多分ね。私の知っている老師の言葉を載せたからかもしれない。

あるということも、ないということもない。
673.
ユーザー
O36G2
② 八不は「破執」のためであり、形而上学的主張ではない
吉蔵は強調する。

八不は「世界はこうだ」と言うためではなく、
「こうだ」と思い込む心を壊すためにある。

つまり八不は実在論でも虚無論でもない。
八不は「真理の説明」ではなく、執着を破る薬。
674.
ユーザー
gh1Ei
成実論の極端な「空見」
みたいなのは
老子みたいになるし
クリシュナムルティや
デンパパ📶みたいな志向性になる

現実娑婆世界での
大乗仏教の衆生の救済を持っていない、

夕は、この辺のイメージ無しに中論読んでそうだな?
😆
675.
ユーザー
gh1Ei
大般若経を読まず
中論ばかり読んでいると
そんな感じにはなるだろな
😆
676.
ユーザー
O36G2
③ 八不は「二諦円融」を示す
吉蔵は二諦(世俗諦・勝義諦)を重視した。

世俗諦:仮の存在(因果・言語・日常)

勝義諦:空(無自性)

八不はこの二つを矛盾なく成立させるための枠組み。

世俗では「生じる」と言えるが、
勝義では「不生」である。

この二つを同時に成立させるのが中道であり、八不はその論理的支柱。
677.
ユーザー
gh1Ei
曹洞宗寺院で
つる切りやら
勤行やっていても
いまや、自分の中の空だけの問題ではない、
周辺世界込みの感覚がある
曹洞宗なんで
真言宗みたいな神秘的禅定感覚ではないが
😆
678.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
thzM6
>>660

おかげで今日は寝坊した😫
679.
ユーザー
gh1Ei
>この二つを同時に成立させるのが中道であり、八不はその論理的支柱

中国大乗仏教は
この解釈で宗派が分かれていく
😆
680.
ユーザー
gh1Ei
>>676
大般若経との込みで
読んだほうが
中論に関しての理解はふかまるやろ
中論自体が倶舎論や有部に対する批判論書に過ぎないので
😆
681.
ユーザー
O36G2
この二つを同時に成立させるのが中道であり、八不はその論理的支柱。

そう意味では仏教は単独で機能する。

しかし、老荘は、世俗義から離れることを主張しているように思える。そう意味では、老荘、孔孟で両輪なのだろう。
682.
ユーザー
O36G2
何にしても話し相手がいるということは嬉しいことだよ。
683.
ユーザー
gh1Ei
三蔵というくらいだがら
中論の論書たけで理解というのがそもそもピント外れやろ
😆


仏教の「三蔵(さんぞう)」とは、経蔵(釈迦の教え)、律蔵(戒律)、論蔵(教えの解釈・体系化)という仏教聖典を3つに分類した総称で
684.
ユーザー
O36G2
只ね。一点だけ違うんだよ。魑魅魍魎世界をどう扱うってことだw超常的な世界、こういうのって、密教と陰陽道化が得意そうだw
685.
ユーザー
gh1Ei
三蔵は
インド中国の仏教の常識

禅ては無関心になって
日本ではさらに三蔵こだわる仏教ですら
重んじなくなる
三蔵という概念が日本仏教には
薄いやろ

😆
686.
ユーザー
gh1Ei
陰陽道は
ある種の老子の派生らしいぞ
呪術オプションが増えて
😆
687.
ユーザー
O36G2
>>685
そうかもしれないね。最澄がいけないんだw

688.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
thzM6
成実論は、極端な「空見」なのか~😆

動画を見て勉強しないとな~
689.
ユーザー
gh1Ei
吉蔵と龍樹の違いは
三蔵の中の経蔵の
うち
法華経というオプションが
吉蔵にはあって、
龍樹にはないだろう
天台日蓮宗連中はお怒りになるだろうけどな
😆
690.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
thzM6
成実論は、インド4大学派のひとつ「経量部」をベースにしてるそうだが~
691.
ユーザー
gh1Ei
>>668
加藤師匠の三論宗通信でやってた


聖徳太子は成実論かもしれないー
とかー
😆
692.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
thzM6
>>689

法華経を信奉する者には

「永遠のブッダ」だけは譲れない~😂
693.
ユーザー
O36G2
>>689
なるほど、まぁ法華経は初期大乗だから、龍樹も読んでいるとは思うが、あまり、ピンと来なかったのかもしれないw

でもな、龍樹も電気によるとハチャメチャな人だw
694.
ユーザー
gh1Ei
>>688

加藤師匠の三論宗通信でやってた


聖徳太子は成実論かもしれないー
とかー
😆


佐々木先生の倶舎論と加藤師匠効果で
理論仏教の理解グレードがあがっている
😆
695.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
thzM6
>>686

領域展開~👹
696.
ユーザー
O36G2
電気 間違い 伝記 です。
697.
ユーザー
O36G2
休みじゃないから、気が向いたら書くよw 吉蔵は後で入れてく。
698.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
thzM6
古代ギリシャ哲学にも、「不生不滅」を唱えた人がいる

エレアのパルメニデスだ
699.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
thzM6
パルメニデスにとって「在るもの」は、生成も消滅もしない不生不滅であり、唯一・不動・完全な球体のような実体です。感覚で捉える生成変化は「見せかけ(仮象)」に過ぎず、理性(ロゴス)によってのみ捉えられる不変の実在こそが真の「有るもの」であり、「無」は思考の対象にならないため語り得ない、というのが彼の中心思想です。

700.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
thzM6
700
701.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
thzM6
パルメニデスの「不生不滅」の思想のポイント

「有るものは有る、無いものは無い」: 「無」から「有」は生まれず、「有」から「無」は消滅しない、という論理的な帰結です。

変化の否定: 私たちが目にする生成変化は、理性ではなく感覚によるもので、真の実在には起こりえないとします。真の「有るもの」は、過去・現在・未来にわたって一度に、連続した全体として「今、ここにある」ものです。

唯一・不動・完全: 真の実在は、分けることができず、動きもせず、常に満たされ、均質で完全な球体のようなものとして描かれます。

理性(ロゴス)と感覚(ドクサ)の区別: 理性に従って考えることでしか真理(不生不滅の「有るもの」)に到達できず、感覚に頼ると変化する世界(仮象)を見てしまうと説きました。

この思想は、古代ギリシア哲学における存在論の基礎を築き、後の哲学に大きな影響を与えました。

702.
ユーザー
gh1Ei
ハッスル🤡の胡散臭い知識を
放り投げて
本格仏教理論スレらしくなってきたなー?
😆
703.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
thzM6
パルメニデスによれば、この世の有為転変はうわべだけの変化であり

「真の実在」には何の変化もない
704.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
thzM6
>>702

佐々木閑先生と、加藤拓雅師匠のおかげだな~😆
705.
ユーザー
gh1Ei
キリスト教の永遠の魂に影響しそうだな
😆
イエス・キリストの最後の審判の後の世界に
😆
706.
ユーザー
gh1Ei
ハッスル🤡様が
近々、襲来予測ー
挑発しといたしー
😆
707.
ユーザー
O36G2
ちょっと話を逸らす
龍樹は法華経を読んでいないか?

なぜ龍樹は「仏は不滅」という法華経の思想に触れないのか
1. 龍樹の中心テーマは「空」と「縁起」であり、常住論とは距離がある
龍樹の哲学は

すべては空である

空であるがゆえに縁起する
という徹底した中観思想です。

この立場からすると、
「仏は永遠に存在する」という主張は、実体視(常見)に傾く危険がある
と考えられます。

龍樹は「常住」も「断滅」も否定する中道を重視するため、
法華経の「仏は常住」という表現は、彼の議論の中心には入りにくいのです。

2. 龍樹の著作は主に般若経を基盤としている
『中論』『大智度論』など龍樹の主要著作は、
般若経(特に大品系)を中心に展開されている
と研究者の多くが見ています。

般若経は「仏の常住」を強調しません。
むしろ「仏も空である」と説く方向性が強い。

そのため、龍樹の思想は自然と法華経の「常住仏」よりも、
般若経の「空の智慧」に寄っていきます。
708.
ユーザー
O36G2
3. 法華経の「常住仏」は後期大乗の特徴であり、龍樹の時代と少しズレがある可能性
法華経の中でも特に
第16章「如来寿量品」の常住仏思想
は、後期大乗の成熟した教説とされることがあります。

龍樹の時代(2〜3世紀)には法華経は存在していたものの、

どの部分がどれほど流布していたか

どの思想がどれほど重視されていたか
は確定できません。

龍樹が法華経を知っていたとしても、
「常住仏」思想がまだ主流でなかった可能性もあります。
709.
ユーザー
O36G2
4. 龍樹は「仏の常住」を否定したわけではないが、議論の必要性を感じなかった
龍樹は「仏は不滅」と明言していませんが、
「仏は滅する」とも言っていません。

彼の立場は一貫して
仏も空である
という中観の枠組みです。

つまり、

仏が常住かどうか

仏が滅するかどうか
という問いそのものを超えた立場に立っています。

そのため、法華経のような「仏の永遠性」を強調する議論に踏み込む必要がなかったとも言えます。
710.
ユーザー
O36G2
龍樹は法華経の「仏は不滅」という教説に触れていない

それは「知らなかった」からではなく、
中観思想の立場からそのテーマを扱う必要がなかった

龍樹の中心は「空・縁起」であり、常住仏思想とは方向性が異なる

法華経の常住仏思想は後期大乗の特徴で、龍樹の議論とは別の発展ラインにある
711.
ユーザー
O36G2
>>689
JBL氏とでおーのこれがあったから、仏の常住性に対して、龍樹はどう思っていたかということがやはり気になる。
712.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
thzM6
そういうのが、リダンに欠けている視点だ
713.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
thzM6
聖ウンコ師は

「釈迦の教えは方便だ。龍樹の中論は世俗諦だ。仏教そのものが空なのだ。坐禅するしかない」

と主張しているが

これは、仏教思想界でも極端な意見を拾ったものであり、かなり特殊な立場だ(笑)
714.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
thzM6
「仏教とは、こういうものだ」と思い込んでいるリダンは、かなり奇異な存在だ

セイウン以外の人たちの意見に見向きもしないのだから自業自得だが(笑)
715.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
thzM6
日本の仏教界のかなりの割合の人々は

「ブッダは永遠で常住だ。法華経は究極で絶対の正法だ」

という見方を支持している
716.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
thzM6
好むと好まざるとにかかわらず

それが、後期大乗仏教のスタンダードだ
717.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
thzM6
ホーカイ師匠のような

自分と考えの異なる人に猛攻をかけて叩き出すから

自分の考えが狭く偏るハメになるのだ
718.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
thzM6
まさに、自業自得だ
719.
ユーザー
kT6Ab
>>707
さらに
劇ぶっ壊し路線の臨済宗のほうが好みではある

龍樹の中論に近いスタンスは
道元と三論宗だろな
😆
720.
ユーザー
uXcKB
>>663
そんなん理解しても悟れないよ
721.
ユーザー
uXcKB
>>665
外探してるうちはまだまだ
722.
ユーザー
uXcKB
>>677
どっちもなんもわかってないくせにな
723.
ユーザー
kT6Ab
ハッスル🤡は
生カジリとツギハギでデタラメ仏教理論を構築するので
まともな仏教を知りたい人にイミフだ
引用も思いき、内容不理解のまま貼り付ける
😫
724.
ユーザー
uXcKB
>>680
そんなの読んでも悟れない
725.
ユーザー
kT6Ab
ムイムイ転変しとるなー
ムイムイの魂の本質〜
😁
726.
ユーザー
uXcKB
>>725
でおーの魂の本質は寄生虫かな
727.
ユーザー
jJymY
728.
ユーザー
uXcKB
しかしでおーは悟りに全く関係ない知識だけは豊富だな
さすが宗教オタク
729.
ユーザー
Y8xor
中論読んで法華経の永遠はおかしいとするかは見方によると思うよ。
法すらも空であり固定されない。でも法が成立し続けていることも否定はされない。
同様に永遠が成立することも中論は否定しない。
730.
ユーザー
hNejI
そういう知識を全部捨てないと悟れない
まぁでおーには無理な話
731.
ユーザー
hNejI
つまりでおーは一生悟れない
732.
ユーザー
hNejI
だって今でも毎日のようにどんどん知識増やしてるんだからさ
733.
ユーザー
hNejI
そういう、もっと欲しいと満たされない様子を餓鬼と言うね
そして、相手を挑発して闘争しようとする、こっちが修羅か
なのででおーの心の本質は餓鬼と修羅
734.
ユーザー
kT6Ab
燃えてるな?😁
735.
ユーザー
hNejI
全然笑
736.
ユーザー
hNejI
俺が燃えてるように見えるのはあんたの魂の本質に修羅があるから
737.
ユーザー
hNejI
そしてでおーがやってる事は相手に怒り・憎しみを植え付けて地獄道に落とそうとしてる。
とんでもないやつですはこいつはね
738.
ユーザー
THcDr
怨ムイムイ😱
739.
ユーザー
a7mpV
別に怒って書いてませんけど
740.
ユーザー
a7mpV
あんたにはなんの怨念もないんだけどね
あんたの見たままを書いてるだけ
741.
ユーザー
a7mpV
でおーの魂の本質は餓鬼道と修羅道
そしてでおーは相手に怒り・憎しみを起こさせて地獄道に落とそうとしてる
742.
ユーザー
a7mpV
整理するとこんな感じ
綺麗にまとまった文章じゃないかな
743.
ユーザー
ryun1
法華経の立場:方便(仮)を破って、常住(真実)を開示する

龍樹
常住は仮でしかない

仏も空であり、永遠の実体は否定される

常住を真実として掲げることはしない

✔法華経
方便(仮)を破り、常住を“真実”として提示する

常住仏は「本門の真実」

仏の永遠性を強く肯定する

*常住仏を“実体的永遠ではない”と言うと矛盾する
744.
ユーザー
ryun1
我時語衆生 常在此不滅 以方便力故 現有滅不滅

滅不滅は方便なのさ。また、滅不滅自在でもある。

仏は不滅が真実であるということになる。

「法華経は方便を破って常住を真実として提示する」
745.
ユーザー
ryun1
*「常在此不滅」という断言の強さ
*方便を使って「滅したように見せる」と言い切る
*衆生心理に働きかけるための言葉
この偈は哲学ではなく、心理への直撃を狙っている。

不安な衆生

仏がいなくなったと思って絶望する衆生

導き手を求める衆生

そういう心に対して、

「私はここにいる」
「あなたを見捨てていない」
746.
ユーザー
ryun1
構図的にw 法華経は般若に喧嘩を売っているのかよと見えるw
747.
ユーザー
Y8xor
法華経も常住を実体として扱ってるわけではないと思うよ。
永遠に自性は認めていないが仏の働きや悟りの境地を否定してるわけではない。

天台宗も方便を破るではなく開顕と表現してるね。
748.
ユーザー
Uu55M
>>743
天台、華厳、真言、チベット密教は
なんらかの永遠性はあるだろな
唯識ですら仏智という永遠性すらありうる

それに反して
永遠性みたいなのは
無いのは
禅だろな
😆
749.
ユーザー
Uu55M
それが故に
夕は
中論と老子が近いように見えたかもしれんが

遥かに
天台、華厳、真言、チベット密教のほうが老子に近い雰囲気がある
😆
750.
ユーザー
Uu55M
登りは
いい加減だなー
😆
751.
ユーザー
Uu55M
永遠性みたいな神秘主義要素のパワーを借りられる仏教宗派は
割合シンプルかもしれん、
むろん、俺的にはだが
😆

神秘主義要素のパワー借りる仏教や
道元禅では
俺の今やっている野蛮なお仕事には向かない、
まーそもそも不向きな仕事は執着であるという一般仏教の教義でもあるけどなー
😆
752.
ユーザー
Uu55M
金曜日仕事終わりのつまらん呆れるイレギュラー業務との
あほらしいお付き合いできるテクノロジーは
一つだけだそーだ😭
753.
ユーザー
Uu55M
>>743
禅定が永遠性だとも言える
神秘主義禅定を娯楽とする俺サイトから言えば

そういう永遠性の禅定を
禅は否定するシステムだがな、
道元、臨済宗問わずに
😆
754.
ユーザー
a7mpV
俺はこんなに知ってるぞアピールご苦労さん
755.
ユーザー
Uu55M
夕〜〜
哀れなムイムイを慰めてあげてえ〜〜

😁😁😁😁😁😁
756.
ユーザー
a7mpV
俺はでおーの全てを言い表してるから
とっくにでおーは詰んでるんだけどな
757.
ユーザー
Uu55M
天台宗寺院ナウ

模索だ
結構マジメ模索?
😆
758.
ユーザー
uXcKB
餓鬼道とは

渇望・不足感・もっと欲しい
「まだ足りない」
承認・知識・評価・愛情への飢え
手に入れても満たされない

貪るようにあらゆる宗教の知識を求めるでおーそのものやね
そして得た知識で周りから承認を求める
でおーはなんか愛情にも飢えてるイメージ

完全にでおーに当てはまる



修羅道とは

闘争・優劣・勝ち負け
相手を倒して自分を保つ


でおーはやたら相手より優れてるをアピールする
勝ち負けにもこだわる
相手を倒すのに手段を選ばない
また、第三者同士対立させようと持って行ったりする
そして、それを見て楽しむ

これもでおーの行動に完全一致



地獄道とは

怒り・憎しみ
「許せない」「ムカつく」
心が焼け付く感じ
  正義感が攻撃に変わる

これはでおーがわざと相手を挑発して
怒り・憎しみの感情を沸かそうとしてる
相手の正義感を攻撃に変えようとする

まさにでおーが相手にやってる事やね
759.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
thzM6
ひたすら瞑想するのも良いが

倶舎論・中論・唯識論を学んでから瞑想したほうが、遥かに効果が上がる
760.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
thzM6
1人の人間の人生は短い

一生かけて瞑想行に打ち込んだとしても

倶舎論・中論・唯識論のレベルでの理解に到達することは不可能だ

それはあり得ない
761.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
thzM6
だが、あえて、その道ではなく

ひたすら瞑想行に打ち込んでみるのもいい
762.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
thzM6
要は、やりたいようにやればいい(笑)
763.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
h1K9E
神慈秀明会や幸福の科学みたいなインチキ宗教にハマっているのなら

「やめておけ」と忠告するべきだが

とくに間違ってなければ、やりたいようにやれば良い(笑)
764.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
h1K9E
ひたすら坐禅するのも悪くない
765.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
h1K9E
それが正解なのかもしれない
766.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
h1K9E
奈良時代には、あちこちの宗派で学び

仏教思想全般を習得する道が推奨されていた
767.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
h1K9E
鎌倉時代以降は専門分野に分かれ

坐禅に特化する人々や、念仏に特化する人々が現れた
768.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
h1K9E
人にはそれぞれ、異なる世界が見えている

1人1宇宙だ

視点が異なるだけではない

人それぞれの言語体系の違いが、世界の違いを生み出す
769.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
h1K9E
「自分は自分、他人は他人」という割り切りが必要だ
770.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
h1K9E
無理に自他一体感を持つ必要はない(笑)
771.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
h1K9E
「他人の考えは、自分とは異なる」という現実に慣れる
772.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
h1K9E
慣れてしまえば、どうってことはない
773.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
h1K9E
それはともかく

中論の解釈にもいろいろある
774.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
h1K9E
通常は、「不生不滅というのが、縁起の法である」と解釈されるのだが

これを、「縁起の法は不生不滅である」と解釈する人々もいる
775.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
h1K9E
『不生不滅』といっても

「不生」より「不滅」のほうがインパクトが強い

「読売巨人軍は、永遠に不滅です」と言われるのも

「読売巨人軍は、不生不滅です」と言われるのも

似たような印象を受ける

「不生」をスルーしがちだ
776.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
h1K9E
「不常不断」も同じで

無意識のうちに、どちらかにバイアスがかかる
777.
ユーザー
iViGf
>>774
なるほどね
778.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
h1K9E
初期仏教においては、が重要だった

「お釈迦さまは、王宮で楽な暮らしをしてましたが、出家して苦行しました。苦行をやめて、スジャータの乳粥を飲んで悟りました」

というストーリー

日本人は伝統的に苦行や戒律が嫌いで、「苦行をヤメた」という話が喜ばれる

「不苦」と「不楽」は同じウエートではなく、たいてい「不苦」が重点的に語られる
779.
ユーザー
iViGf
中観:縁起が根本 → 不生不滅はその性質

法華経・天台:不生不滅が根本 → 縁起はその働き

主語が逆転することで、真理の位置づけが変わる

その違いが「常住仏」の強さにもつながる
780.
ユーザー
vl4vP
>>774
喧嘩ごしの意図はないので
もっと詳しく教えてケロ😆
781.
ユーザー
vl4vP
>>779
それは合ってるだろな

禅は中論寄り
唯識は

どちらでもなさそうだ
ハイブリッドだからかな?
倶舎論などの😆
782.
ユーザー
vl4vP
>>788
苦行は日本仏教は大好きだぞ
現在日本学者は批判派だろうけど

山伏は一度死ぬ行、日蓮の龍の口は苦行で浄化、
念仏聖、高野聖は巡礼の苦行、
現在のような車バス鉄道かない

四国八十八箇所や熊野参りや西国三十三カ所は、病を抱えながらの死ぬのも含めて浄化の苦行
現在の日本人は浄化は
神道や新興宗教しかイメージがないだろうけども、

高度経済成長以前の日本人は
苦行による浄化による
現世安穏後世善処というのが
日本人の土着の仏教観

戒律に関しては、お盆、彼岸、正月、諸仏の縁日は六波羅蜜を実践するという信仰があったと真言宗の高齢の僧侶に聞いたことがある
西山派のお経にだけ正月、お盆、彼岸
六波羅蜜を実践すると書いてあるな
神仏習合熊野詣での前
や戦前の神社の祭りの前の
精進潔斎とかは、
それに近いやろな😆
783.
ユーザー
vl4vP
災害、疫病による死や
その後の経済破綻の餓死、人身売買とか
無縁の現在社会だから
疫病、災害からの守りの
浄化の苦行、六波羅蜜の祭日の実践もしなくなったんだろな
😆
784.
ユーザー
vl4vP
災害、疫病云々が気になるのが
日蓮の思想にあるからなー
その原因は謗法なんだろうけどな
😆
785.
ユーザー
vl4vP
真光教みたいな浄化みたいなのは
土着日本人仏教観の延長ともいえる
😆

密教僧侶自身が法要するのに
浄化の真言唱えたりする、
そのあたりが
拡大解釈されて
苦行の浄化思想
になったんだろうな

苦行の浄化思想は
法華経の後半に
自分の身体に火をつけて燃やして
供養する菩薩の話があるが、
あの辺りから法華経=山伏=浄化の苦行→日蓮
なんだろな
😆
786.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
h1K9E
>>782

山岳修行は、厳しい苦行だな~😫
787.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
h1K9E
新興宗教は苦行が嫌いだけどな
788.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
h1K9E
千日回峰行はとくにキツそうだ😫
789.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
h1K9E
新興宗教の教祖は、「お釈迦さまは苦行をヤメました」という話を好む
790.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
h1K9E
谷口雅春の影響かもしれん
791.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
h1K9E
谷口雅春は、アメリカから導入したニューソート思想だった

苦行を嫌うのは、アメリカ流のポジティブ・シンキングの影響か
792.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
h1K9E
>>780

コピペ

さて、問題は、「八不」と「縁起」という言葉の関わりである。

「八不」は「縁起」という術語の内容をいっているのか、「縁起」という術語に掛る形容詞なのか、という問題である。

「八不」を代表して、「不生不滅」と言うことにしよう。すると、解釈は次の2つになる。

(1)「不生不滅の縁起」とは「すべての存在は不生不滅である」ことを教える言葉である。

(2)「不生不滅の縁起」とは「縁起の思想は永遠に変わらない」ことを教える言葉である。
793.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
h1K9E
中国や日本では(1)の解釈が用いられてきた。ところが現代になってサンスクリットの原文が学者たちに知られるようになると、(2)の解釈が現れるようになった。

サンスクリット原文によると、「八不」の句すべてが m で終わっている。

そして3行目の「縁起」(pratttyasamutpadam)が m で終わっている。こちらは文脈から目的格であることが明らかなので、「八不」の句のほうをも目的格とみて、文法重視の学者は「八不」を「縁起」にかかる形容詞と見たがるのである。
794.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
h1K9E
羽渓了諦氏は『中論』の邦訳で「八不」について次のように注している。(『国訳一切経』中観部一、大東出版社、1930)

「不生不滅なる……不来不去なる」は梵文によれば形容詞であって、「縁起」の語を規定する。それは存在が生滅去来するものであるに対し、縁起そのものは不生不滅なる法であることを意味する。

また英訳者ロビンソンも同様の解釈をして訳している。

I offer salutation to the best of preachers,the Buddha, who has taught that dependent co-arising has no ceasing, no arising, no nullification, no eternity, no unity, no plurality, no arriving, and no depariting, that it is quiescent of all fictions, that it is blissful.
795.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
h1K9E
同様の解釈はインドの中観論者であるバーヴァヴィヴェーカにも見られる。かれは、縁起が不生であるということは自己矛盾ではないかという指摘に対して、縁起は世俗としては生起であるが、勝義としては不生なのだということなのだから損減にならないという。

(丹治照義『実在と認識』p.83による。)
796.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
h1K9E
上記の二つの解釈法を

(1)「不生不滅の存在」派

(2)「不生不滅の縁起」派

と呼び分けることにしよう。前者は哲学者の派、後者は文法学者の派といえる。後者は文法に捉われて、中論の肝腎の哲学を理解しそこなっている。

この2種類の訳をめぐってかつて三枝充悳氏と立川武蔵氏のあいだで行われたちょっとしたやりとりが興味深い。三枝氏は「不生不滅の存在」派であり、立川氏は(表現に関するかぎり)「不生不滅の縁起」派である。


コピペここまで
797.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
h1K9E
早い話が、漢訳仏典を見れば

「不生不滅、不常不断、・・・これが縁起の法なのである」

としか読めないのだが

サンスクリット原文を見ると、文法に忠実に読めば

「釈尊が説いた縁起の法は、不生不滅であり、不常不断であり・・・」

つまり、「縁起の法は永遠に変わらない」という意味に取れるらしい
798.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
h1K9E
そういう意味に訳す人もいるという話だ
799.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
h1K9E
イギリスの中観派研究者・ロビンソンの英訳では、「釈尊が説いた縁起の法は、永遠に不滅です」という訳になっていた

でも、ロビンソンの弟子のガーフィールドの英訳を見たところ、「不生不滅、不常不断、・・・これを縁起の法という」の訳になっていた(こちらのほうが欧米で普及している)
800.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
h1K9E
800
801.
ユーザー
YL9BL
立川武蔵は
インド仏教の認知力は知らんが
中国仏教の認知はガタガタでダメだ
😆
802.
ユーザー
fWQbx
でおーの魂の本質は餓鬼道と修羅場
そしてでおーは相手に怒り・憎しみを起こさせて地獄道に落とそうとしてる
803.
ユーザー
vl4vP
(1)「不生不滅の縁起」とは「すべての存在は不生不滅である」ことを教える言葉である

すべての存在が引っ掛かるな
天台、華厳、真言宗あたりだとイエスだろう

中国や、日本の禅ならば、
ノーだな

意外に中国、日本てもギャップがある
中国の禅でも念仏の混じる後期禅だと
阿弥陀仏の絶対性が必須になるので
すべての存在

日本禅でも神仏習合や念仏階級(禅でも、このかいきは多数派だった明治以前は恐らく)なら
すべての存在は
必須、

神仏習合、阿弥陀仏でも絶対的存在は必須だから、
曹洞宗の「修証義」で曹洞宗定義した
大内青巒の解説書には
曹洞宗なのに南無阿弥陀仏とかやっていたとかあるからなー
😆
804.
ユーザー
kOk8Q
ハッスル🤡様が燃えているっ‼️‼️〜〜



92.
ユーザー
栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK50-Lpb-Ij-wvu
ARiEC(2/9)
超絶馬鹿が恒例の支離滅裂猿芸をやってて朝から噴飯されてくれるなw

読み方によって成立し得るのは

1.縁起は八不の存在。
2.八不の縁起。
3.縁起の理法は八不。

のいずれかだろうが、最新の解釈では2.だな。
2026/01/13 09:26:25
805.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-t7Y-ju-95Q
OF9jR
なんだ、別スレでやってるのか
806.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-t7Y-ju-95Q
OF9jR
> 超絶馬鹿が恒例の支離滅裂猿芸をやってて朝から噴飯されてくれるなw


煽るな😂
807.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-t7Y-ju-95Q
OF9jR
808.
ユーザー
eE1uz
餓鬼道とは

渇望・不足感・もっと欲しい
「まだ足りない」
承認・知識・評価・愛情への飢え
手に入れても満たされない

貪るようにあらゆる宗教の知識を求めるでおーそのものやね
そして得た知識で周りから承認を求める
でおーはなんか愛情にも飢えてるイメージ

完全にでおーに当てはまる



修羅道とは

闘争・優劣・勝ち負け
相手を倒して自分を保つ


でおーはやたら相手より優れてるをアピールする
勝ち負けにもこだわる
相手を倒すのに手段を選ばない
また、第三者同士対立させようと持って行ったりする
そして、それを見て楽しむ

これもでおーの行動に完全一致



地獄道とは

怒り・憎しみ
「許せない」「ムカつく」
心が焼け付く感じ
  正義感が攻撃に変わる

これはでおーがわざと相手を挑発して
怒り・憎しみの感情を沸かそうとしてる
相手の正義感を攻撃に変えようとする

まさにでおーが相手にやってる事やね
809.
ユーザー
kOk8Q
>>806

俺は基本ハッスル🤡様の知識と坐禅は信用してないけどな

ムイムイは詐欺禅やしなー😁
810.
ユーザー
kOk8Q
>>807
わはは〜〜〜
😁😁😁😁😁
811.
ユーザー
eE1uz
でおーは悟りとなんら関係ない宗教オタクやしな
812.
ユーザー
kOk8Q
813.
ユーザー
eE1uz
でおーのメンタルは5ちゃんねるでストレス発散してバランスとってる
814.
ユーザー
eE1uz
5ちゃんねるで誰かに粘着嫌がらせしてでおーはメンタルを保ってる
815.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-IvY-ju-95Q
FXmms
中論には、心理分析の要素が欠けている
816.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-IvY-ju-95Q
FXmms
初期仏教 → 倶舎論 → 唯識論

受け継がれていた心理分析の流れ

中論だけは、ここに無関心
817.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-IvY-ju-95Q
FXmms
中論は、他の3つ(初期仏教、倶舎論、唯識論)に比べて異質だ
818.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-IvY-ju-95Q
FXmms
他の3つは北インドの思想だが

中論だけは南インドから出てきた

個人的には、それが理由だろうと考えられている
819.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-IvY-ju-95Q
FXmms
「考えられている」じゃない

「考えている」に訂正
820.
ユーザー
gPswk
決死のハッスル🤡だ
😆


104.
ユーザー
栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK50-fOX-Ij-wvu
DuLmJ
小人閑居して不善をなすっていうからな。

ゴキブリ害虫馬鹿らの様な奴らがまさにそれだ。

糞害虫らはどうせ誹謗中傷やストーカー、せいぜいよくても過去の事例のコピペを蒸し返して「俺様は頭いいんだじょー!」って鼻息を荒くしてるだけだからな。

此処ではそうした害虫ゴキブリ馬鹿は相手にしないで、こうしてフロンティア、仏教の問題についての新しい領域を拓いていくわけだ。
2026/01/13 12:44:58
821.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-jtP-ju-95Q
EPUCA
>>820

妙に必死だな?
822.
ユーザー
euVhK
>
「不生不滅なる……不来不去なる」は梵文によれば形容詞であって、「縁起」の語を規定する。それは存在が生滅去来するものであるに対し、縁起そのものは不生不滅なる法であることを意味する。
逆に縁起が主語で不生不滅が述語の場合:縁起の結果として「不生不滅」が語られる、あるいは「存在(個々のもの)が生滅するが、縁起の説明として不生不滅が導かれる」という読みになる。これは中観的な説明に近い。

*意味論的帰結(解釈上の違い)

1形容詞が「縁起」を修飾する場合(羽渓の読み)
縁起そのものが「不生不滅」の性質を持つ、つまり「縁起は不生不滅なる法である」。この読みは「不生不滅を根本に据える」解釈を支持する。

2逆に縁起が主語で不生不滅が述語の場合
縁起の結果として「不生不滅」が語られる、あるいは「存在(個々のもの)が生滅するが、縁起の説明として不生不滅が導かれる」という読みになる。これは中観的な説明に近い。

言語学的にはどちらの読みも文法的に可能だが、どちらが原文で実際に示されているかは語形と複合の有無で決まる。


823.
ユーザー
euVhK
まとめるとこういうことかな。

824.
ユーザー
b0jYq
存在(個々のもの)が生滅

は倶舎論だ
😆
825.
ユーザー
b0jYq
テーラワーダの十八番
やれるで
瞑想で
預流果やし
😆
826.
ユーザー
b0jYq
中論は
説明よりも結論ありきだよ、

夕
😆
827.
ユーザー
euVhK
用語の違い(概念レベル)
縁起(pratītyasamutpāda)

「条件によって生じること」「条件依存の生起」の原理そのもの。

範囲が広く、因果関係・相互依存・無自性などを含む総称的概念。

因縁(いんねん)

「原因と条件」を指す語。日本語では「因縁」が縁起の訳語としても用いられるため混同されやすい。

十二縁起/十二因縁

縁起の教えを12の連鎖(無明→行→識→名色→六入→触→受→愛→取→有→生→老死)で示した具体的図式。

したがって「縁起」の一表現・一応用である。

おさらいだ。
828.
ユーザー
euVhK
>>825
生滅観の基本手順:坐禅で呼吸を安定させ、対象(感覚・思考)を「生(arising)→存(being)→滅(passing)」の連続として観察する。短いラウンド(5–10分)から始め、気づきが増えたら延長する。
829.
ユーザー
euVhK
*「縁起は不生不滅なる法である」。この読みは「不生不滅を根本に据える」

*存在(個々のもの)が生滅するが、縁起の説明として不生不滅が導かれる」

これに12縁起を絡ませるとどうなるの?
830.
ユーザー
b0jYq
存在(個々のもの)が生滅するが、縁起の説明として不生不滅が導かれる」


が世俗諦の倶舎論かテーラワーダの位置で  矛盾した内容を
合わせて中道というわけだから
その解釈で宗派が分かれたんやろな
😆
831.
ユーザー
b0jYq
>存在(個々のもの)が生滅するが、縁起の説明として不生不滅が導かれる」


この部分を存在の生滅と言わずに
ズラしてきたのが
華厳、真言宗あたりなるんやろな
😆
832.
ユーザー
b0jYq
真言宗は存在は生滅は
取り込んでいるかもなー
吽字義あたりかな、

華厳は、それほど存在の生滅は取り込んでないかな
😆
833.
ユーザー
b0jYq
倶舎論の大まかが解ってきたので
空海著作の内容多少ぼんやりなごら見えてきたかも
😆
834.
ユーザー
b0jYq
倶舎論の理解は

中論分析には役に立津部分がある
中論をとことん倶舎論に寄せたのが
唯識なのだろう
😆
835.
ユーザー
euVhK
>>818
地理的起源の問題とその限界
史料的事実:Nāgārjuna(龍樹)に関する出自は学界で諸説あり、南インド(ナーガールジュナコンダ周辺)を指す説もあるが確定的ではない。

地理=思想の単純対応は危険:古代インドの知的ネットワークは広域で、北と南の交流は活発だった。出身地が思想の根本的差異を一義的に決めるとは言い切れない。

むしろ重要なのは系譜と論争の文脈:中観はアビダルマや常見を論駁する文脈で生まれ、唯識とも激しい論争・対話を行った(後代の注釈史を見れば相互参照が多い)。

だ。そうだ。
836.
ユーザー
fWQbx
でおーの魂の本質は餓鬼道と修羅道
そしてでおーは相手に怒り・憎しみを起こさせて地獄道に落とそうとしてる



餓鬼道とは

渇望・不足感・もっと欲しい
「まだ足りない」
承認・知識・評価・愛情への飢え
手に入れても満たされない

貪るようにあらゆる宗教の知識を求めるでおーそのものやね
そして得た知識で周りから承認を求める
でおーはなんか愛情にも飢えてるイメージ

完全にでおーに当てはまる



修羅道とは

闘争・優劣・勝ち負け
相手を倒して自分を保つ


でおーはやたら相手より優れてるをアピールする
勝ち負けにもこだわる
相手を倒すのに手段を選ばない
また、第三者同士対立させようと持って行ったりする
そして、それを見て楽しむ

これもでおーの行動に完全一致



地獄道とは

怒り・憎しみ
「許せない」「ムカつく」
心が焼け付く感じ
  正義感が攻撃に変わる

これはでおーがわざと相手を挑発して
怒り・憎しみの感情を沸かそうとしてる
相手の正義感を攻撃に変えようとする

まさにでおーが相手にやってる事やね
837.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-Znd-ju-95Q
aFaYV
これだって読みようによっては、「不生不滅」は「縁起」にかかっているとも読める

つまり、「仏陀が説いた縁起の法は、不生不滅なのである」という意味に取れなくもない(笑)

↓

93 栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcK (50-Lpb-Ij-wvu) [sage] 2026/01/13(火) 09:33:51.54 ID:ARiEC
桂紹隆 訳
不滅にして不生、不断にして不常、不一にして不異、不来にして不去、戯論寂滅にして吉祥なる縁起をお説きになった、説法者中の最高の説法者である仏陀に敬礼いたします。

石飛道子 訳
滅することなく生ずることなく(不滅不生)、(死後)断滅することなく永遠ではなく(不断不常)、同じではなく異なることなく(不一不異)、来るのでもなく去るのでもなく(不来不去)、戯論が寂滅する、吉祥なる、縁起を説いた正覚者(ブッダ)に対し、最高の説法者として、わたしは敬礼する。
838.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-Znd-ju-95Q
aFaYV
>>835

確かに

中観派は、説一切有部や唯識派との激しい論争を抜きにして語れない

それこそ、「単独では存在し得ない」😅
839.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-Znd-ju-95Q
aFaYV
> 不滅にして不生、不断にして不常、不一にして不異、不来にして不去、戯論寂滅にして吉祥なる縁起をお説きになった、説法者中の最高の説法者である仏陀に敬礼いたします。


いずれにせよ、仏陀の入滅から数百年が経った、大乗仏教の時代だ

神格化(仏格化?)がだいぶ進んでいる

もはや、「仏陀の教えは方便である。川を渡りきった後のイカダのように捨て去れ」などという時代ではない
840.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-Znd-ju-95Q
aFaYV
不生不滅も大事だが、上にも書いたように、初期仏教では「不苦不楽の中道」が重要だ

初期仏教では、中道といえば「不苦不楽の中道」だ
841.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-Znd-ju-95Q
aFaYV
八不には入っていないが、中観派の思想を象徴する重要なフレーズに

「非有非無の中道」がある

どっちかって言ったらむしろ、中観派といえば「非有非無の中道」だろう
842.
ユーザー
b0jYq
>>839


>神格化(仏格化?)がだいぶ進んでいる

大般若経自体が
かなり神格化している
三論宗、天台宗、華厳宗、真言宗
と神格化の道

禅だけは脱神格化方向になる
😆
843.
ユーザー
b0jYq
なにせ、達磨自体が
中国で大乗仏教寺院よりも
小乗仏教寺院にいたと論文にあるぐらいたから
😆
844.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-Znd-ju-95Q
aFaYV
「非有非無」と「不常不断」は、表裏一体の関係だ

「空=中道」を
空間的にとらえたのが「非有非無」、
時間的にとらえたのが「不常不断」
と言えるかもしれない

誰でもなんとなく分かったような気になる代わりに、
異論もほとんど出ない「不生不滅」とは違って

この2つは形而上学的な論争を巻き起こす
845.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-Znd-ju-95Q
aFaYV
>>842

確かにな~😆
846.
ユーザー
b0jYq
>>845
仏舎利を拝むな
蛇だ
と道元はいった
只管打坐で
脱神格化

😆
847.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-Znd-ju-95Q
aFaYV
>>846

禅宗は、脱神格化を目指したんだな~😆
848.
ユーザー
b0jYq
ムイムイは
自己神格化激しいけどなー
😆
849.
ユーザー
b0jYq
ムイムイとハッスルワールドは
神聖にして犯すべからず
😆
850.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-Znd-ju-95Q
aFaYV
「非有非無の中道(ひうひむのちゅうどう)」とは、仏教における「中道」の重要な概念で、「有る(実体がある)」という極端な考え方と、「無い(実体がない)」という極端な考え方のどちらにも偏らず、その両極端を超越した真実のあり方を指します。これは「空(くう)」の思想と同一視され、すべての物事は縁起によって生滅するが、固定的な実体はないという「非有非空」の真理を表し、龍樹(ナーガールジュナ)の『中論』などで説かれています。
851.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-Znd-ju-95Q
aFaYV
概念のポイント

有(ある)と無(ない)の否定: 物事には固定的な実体(有)はないが、完全に無(無)でもない、という二辺を離れた状態。

空(くう)との同一視: 「空」は実体がないことを意味するが、空そのものを実体と捉えるのは誤りであり、空こそが非有非無の中道であるとされます。

縁起(えんぎ)の思想: すべてのものは様々な原因や条件(因縁)によって生じ、消えていく(生滅する)という縁起の法に基づいています。

八不(はっぷ): 龍樹の『中論』で示される「不生・不滅・不常・不断・不一・不異・不来・不去」という八つの否定(八不)も、この中道を指し示します。
852.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-Znd-ju-95Q
aFaYV
具体例

苦楽の中道: 快楽主義と苦行主義という両極端な生き方を避け、心身を整える(中庸)こと。

存在のあり方: 心(識)は固定されないが完全に無いわけではなく、物事には実体はないが無ではない、という捉え方。
853.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-Znd-ju-95Q
aFaYV
中道と中庸の違い

中道(ちゅうどう): AとBという対立する概念の「間」ではなく、両者を離れた真実のあり方。

中庸(ちゅうよう): 物理的な「真ん中」や「平均」に近い概念で、両極端の中間点を指すことが多いです。

この「非有非無の中道」は、大乗仏教の核心的な思想であり、物事の本質を正しく理解するための実践的な指針となります。
854.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-Znd-ju-95Q
aFaYV
初期仏教では「不苦不楽の中道」

中観派では「非有非無の中道」

が最も重要だ
855.
ユーザー
bD07G
>>840
不苦不楽の中道というとバランスでしょ。過ぎたる行為に対する注意でしょ。不生不滅はどちらかというと意識の行き過ぎに対する注意でしょね
856.
ユーザー
fWQbx
でおーの魂の本質は餓鬼道と修羅道
そしてでおーは相手に怒り・憎しみを起こさせて地獄道に落とそうとしてる



餓鬼道とは

渇望・不足感・もっと欲しい
「まだ足りない」
承認・知識・評価・愛情への飢え
手に入れても満たされない

貪るようにあらゆる宗教の知識を求めるでおーそのものやね
そして得た知識で周りから承認を求める
でおーはなんか愛情にも飢えてるイメージ

完全にでおーに当てはまる



修羅道とは

闘争・優劣・勝ち負け
相手を倒して自分を保つ


でおーはやたら相手より優れてるをアピールする
勝ち負けにもこだわる
相手を倒すのに手段を選ばない
また、第三者同士対立させようと持って行ったりする
そして、それを見て楽しむ

これもでおーの行動に完全一致



地獄道とは

怒り・憎しみ
「許せない」「ムカつく」
心が焼け付く感じ
  正義感が攻撃に変わる

これはでおーがわざと相手を挑発して
怒り・憎しみの感情を沸かそうとしてる
相手の正義感を攻撃に変えようとする

まさにでおーが相手にやってる事やね
857.
ユーザー
bGcDU
>>853
そうだ
そこがポイントだ
その解釈で
三論宗、天台宗、華厳宗、真言宗、禅と
解釈が別れていく
😆


>中道(ちゅうどう): AとBという対立する概念の「間」ではなく、両者を離れた真実のあり方。
858.
ユーザー
bGcDU
>>853
プラス衆生済度の案件が入る、
夕は、まだその視野を想定してない
大般若経自体がそれだから、
倶舎論は、そこまでいってない
衆生済度=空間認知と
言ってもいい、
そこがある部分中論の心臓部だろう
😆
859.
ユーザー
bGcDU
ムイムイは
ナルシズム済度😁
860.
ユーザー
bGcDU
般若心経の
ぎゃーてーぎゃーてー
は衆生済度だろう
😆
861.
ユーザー
790qx
衆生済度するには
中論の中道みたいなシステムが必要になってきた
衆生を知るには
倶舎論だけでは足らないという上の論理構築だろうな
😆
862.
ユーザー
790qx
衆生済度するには
中論の中道みたいなシステムが必要になってきた
衆生を知るには
倶舎論だけでは足らないという上の論理構築だろうな
😆
863.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
h1K9E
日本人はどうしても、仏教の「中道」を、儒教の「中庸」と混同する

「なかほどが良い」

「ほどほどが良い」

そういう意味に取る
864.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
h1K9E
でも、仏教の中道は、両極端の間の真ん中ってわけじゃないんだよな~

どっちかっていったら、両方とも超越している
865.
ユーザー
rrlvW
不苦不楽の中道が扱うもの(実践的・倫理的)
焦点は行為と経験の質。快楽追求と苦行の両極を避け、八正道に沿った節度ある生活を勧める。

具体例:食事・睡眠・修行時間の極端を避ける、感覚の刺激に振り回されないこと、日常の行為での節制。

目的は心身を安定させ、洞察(vipassanā)や集中(samādhi)を可能にする土台を作ること。

不生不滅が扱うもの(認識論的・形而上学的)
焦点は存在や意識の本性に関する誤った見方の是正。ものごとを「永遠不変の実体」として把握することを否定する。

866.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
1hXvW
中観派の心理分析とは、龍樹(ナーガルジュナ)に始まる「空(くう)」の思想に基づき、一切の存在(心も含む)が固定した実体を持たないと捉え、煩悩や苦しみの根源を無実体性(空性)から解き明かし、執着を離れた自由な境地(涅槃)を目指す仏教的心の探求法であり、特に後期中観派の瑜伽行中観派(ゆがぎょうちゅうがんは)が唯識と結びつけ深く探求しました。
867.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
1hXvW
中観派(マドヤマカ)の核心

「空」の思想: すべての現象(心や物質も含む)は、自立した本質(実体)を持たず、相互依存の関係性の中で一時的に現れているに過ぎない、という考え方です。

中道(ちゅうどう): 「ある」と「ない」、「永遠」と「無」といった極端な見方(二辺)に陥らず、両者を離れた真実のあり方を観る視点です。

868.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
1hXvW
中観派における心の分析

心の無実体性: 私たちが「心」と呼ぶもの(感情、思考、意識など)も、固定した実体を持たず、縁起(相互依存)によって生じ、消えるもの(無常)として分析されます。

煩悩の分析: 煩悩(貪・瞋・痴など)も実体がないと見抜くことで、それに執着する心を解放し、苦(一切皆苦)から離れることを目指します。

唯識(瑜伽行派)との関係: 後期の中観派である瑜伽行中観派は、心の働き(識)を重視する唯識の思想を取り入れ、心自体がどのように現象を構成するのか(心所法など)を詳細に分析し、深層心理への洞察を深めました。

869.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
1hXvW
実践と目的

瞑想(瞑想): 「空」の真理を体験的に理解するための瞑想(瞑想)が重視されます。

目的: 諸法無我・諸法空性の理解を通じて、心の煩悩から解放され、究極的な自由(涅槃)を達成することにあります。
870.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
1hXvW
まとめ

中観派の心理分析は、単なる心の観察ではなく、「空」という論理的枠組みを通して、心を含む一切の現象の根源的な実体のなさ(空性)を洞察し、そこから煩悩や苦しみの束縛を断ち切り、自由な境地へと導くための深い哲学的・実践的探求と言えます。
871.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
1hXvW
中観派はもともと、心所も煩悩も「実体の無いもの」として否定してしまっている

斬新な教義ではあったが、仏教の伝統である心理分析が失われた
872.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
1hXvW
そのままでは、さすがに教義が乏しすぎるため

結局、唯識派から心所法を取り入れ、瑜伽行中観派となった
873.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
1hXvW
中観派は瞑想を重視する

瞑想により、空性の現量了解を目指す
874.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
1hXvW
中観派徒禅宗の相性は良い
875.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
1hXvW
中観派と禅宗の相性は良い
876.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
1hXvW
だが、やはり

煩悩をスルーしてたら、仏教からは逸脱する
877.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
1hXvW
密教なら、それでもいいが

でも、密教はもともと仏教から堂々と逸脱している
878.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
1hXvW
密教も、中観派から大きな影響を受けている
879.
ユーザー
JFTUE
ひろきがくると
煩悩ハッスルも静かになる

😆
880.
ユーザー
JFTUE
>>871

唯識と
ゲルク派と
天台宗の天台小止観あたりは少し雰囲気は残ってる

ゲルク派と天台小止観は
倶舎論要素を取り入れている
😆
881.
ユーザー
JFTUE
ゲルク派は
戒律堅固と倶舎論と顕教
を学ばないと
本格的な密輸は学べない
エリートなシステムになっている
😆
882.
ユーザー
JFTUE
本格的な密教は学べない
エリートなシステムになっている
😆
883.
ユーザー
rrlvW
ゲルク派は中観を中心教義の一つとする学派であり、特にプラサンギカ(帰謬論証)を正統とする立場を強調する。 ツォンカパは龍樹系の帰謬的手法を重視し、論理的精密さと戒律・止観の統合を通じて僧院教育を整備した。これがゲルクの学問的・制度的強さの源泉である。

ゲルク派は密教を否定せずに、顕教(戒・止・観・中観)を先に完成させた者だけに密教(灌頂・生起・円成)を許すという「顕教優先・顕密統合」の立場を取った。ツォンカパは密教を厳格な倫理・学問の枠内で制度化した。
884.
ユーザー
rrlvW
大日如来(Mahāvairocana)との関係
存在はするが中心ではない:Mahāvairocana(大日如来)を主題とするタンラや儀礼はチベットにも入っているが、ゲルクの典型的カノンや実修の中心はヴァジュラダーラ系・最高瑜伽タンラであり、真言宗のように「大日如来=宇宙仏」を宗教的中心に据える構図とは異なる。

機能の違い:日本の大日信仰は宇宙論的・儀礼的中心性が強いのに対し、ゲルクの密教は修行段階と認識変容(転識成智)を達成するための技法群として位置づけられる。
885.
ユーザー
JFTUE
ツォンカパの顕教論書を読むだけで


転識成智が強烈に起きるのには
笑える
一冊一気読むと
世捨て人過ぎて仕事にポジティブマッチしない悲劇になる
😆
886.
ユーザー
JFTUE
モンゴル帝国はサキャ派だったらしい
モンゴル帝国はチベット密教寺院で
浪費して国を滅ぼした云々とか
世界史でみたことがある
😆
887.
ユーザー
JFTUE
サキャ派のしょもつは
サキャバンテタの岩波の日本語やくけらいしかもってないかもー
後あるがしれんが、書庫に眠っている
カギュ派はある
😆
888.
ユーザー
JFTUE
ニンマ派はたくさんある😆
889.
ユーザー
rrlvW
日本密教が「インド密教に近い」と感じるのは自然だが、史的には「日本密教は中国経由で中期タンラを受容・選択・翻案した系譜」、チベット密教はインド後期の最高瑜伽タンラ群を比較的直接に受け継いだ系譜であり、整合性の観点ではチベット側が原典的要素を多く残す。ただし、実践の類似性や儀礼的連続性では日本密教にも強いインド的要素が濃厚に残る。
890.
ユーザー
rrlvW
日本が主に「大日経・金剛頂系」を採ったのは、 (1)中国経由で入手可能な漢訳テキスト群が揃っていたこと、(2)儀礼・曼荼羅・真言という実践に適した内容だったこと、(3)空海らの制度化と朝廷・寺院の後押しが決定的だったためです。


891.
ユーザー
JFTUE
チベット密教は霊感的には
華厳要素もかなり入っておる感じがある
普賢菩薩とか好きだからなー
😆
892.
ユーザー
JFTUE
華厳要素が濃いので
大日如来の要素がグレードダウンしたのてはないか? と
😆
893.
ユーザー
JFTUE
華厳愛好家なので
チベット密教は親近感がある

華厳、寺門、チベットは
ハマり過ぎて読書関心が薄い
😆
894.
ユーザー
JFTUE
真言宗はダイヤモンド金剛と大日如来

チベットは光明のほうが勝る
華厳は光明だ😆
895.
ユーザー
JFTUE
むろん本にもあるが、本だけではなく
禅定皮膚感覚でだ
😆
896.
ユーザー
rrlvW
華厳的な「相互浸透」や宇宙的総合のモチーフはチベットの宗教文化にも影響を与えたが、それがそのまま「大日如来的な宇宙観(大日を中心とする一元的宇宙論)」に転化することはなかった。 その理由は伝承経路・教義的焦点・実践様式・制度化の違いにあるためです。
897.
ユーザー
JFTUE
本を全部精読するまえに
体験先行するので
ポイント把握が早い、
それで満足して細かく読まなくて書庫に眠るオチが多い

山伏念仏日蓮なんかは
未だに禅定感覚では捉えられない要素がたくさんあるので関心が未だに濃いのかもしれん
😆
898.
ユーザー
rrlvW
大日を中心とする一元的宇宙論)こういうのって、老荘の影響にも感じる
899.
ユーザー
JFTUE
真言宗はダイヤモンド金剛の
メタリック感覚があって
最初違和感しか感じなかった
チベット密教我流のほうが好みだった
😆
900.
ユーザー
JFTUE
真言宗のほうが
メタリックということは
物質的感覚が濃いんだろな
😆
901.
ユーザー
JFTUE
チベット密教は
物質的というより粒子的だ

真言宗は分子的なんだな

😆
902.
ユーザー
rrlvW
真言宗は儀礼的・象徴的な物質表現が前面に出やすく、視覚・聴覚・触覚での即時的な宗教体験が強い。

チベット密教も物質文化は豊かだが、ナーディやプラーナの内的操作、生成次第・成就次第のヨーガ的技法がより強調され、外的儀礼と内的実修のバランスがやや異なる。
903.
ユーザー
rrlvW
>>901
なんか光だなw 光子
904.
ユーザー
l7FRJ
チベット密教の禅定の表現に
荒い物質構成要素と
細やかな物質構成要素みたいな
話があるなー
専門用語アタマに残ってねー
精読してないからなー
😆
905.
ユーザー
l7FRJ
チベット密教のほうが

好みだったのは
一切空間を粒子分解ー
ガンダムダブルオーか?
😆
906.
ユーザー
rrlvW
光は時間もなく、粒子でもあり、波でもある。そしてエネルギーもある。重さがないのにエネルギーがある。他の物質とは違った特性があると、ユーチューブでやっていた。
907.
ユーザー
l7FRJ
デンパパ📶がいくら
力説しても
神と一体たけで
空間認知ないんだよねー
あれで仏教関連スレて
自慢されてもー感だ
😆
908.
ユーザー
rrlvW

光
速度の大きさ
約 99,792,458m/s
伝達方式
電磁波(真空中の光)
情報の伝播特性ほぼ瞬時(距離に比例)

神経(脳・末梢)
速度の大きさ
数m/s 〜 約 200 m/s(太い有髄線維)
電気的活動(活動電位)+化学的シナプス伝達
情報の伝播特性
遅延・減衰・シナプス遅延がある


これだと、宇宙的阿頼耶識は無理だろう。神経速度が遅すぎる。
909.
ユーザー
rrlvW
こういうことを考えると、動きというのは脳より遅延するということになる。末梢神経より体を動かすということは遅い。
910.
ユーザー
rrlvW
パーピマンもそうだが、あまり、老荘に行かないんだよな。彼は初期仏教専門だったからな。 中国仏教はやはり老荘を知らないと、根幹にたどり着けないように感じる。
911.
ユーザー
rrlvW
>>907
>空間認知ないんだよねー
あれで仏教関連スレて
自慢されてもー感だ

これって、仏の幾何学的曼荼羅展開か?
912.
ユーザー
8O3a3
衆生済度=空間認知がなきゃいかん

唯識ですら四智とか言っておるんだしな
😆
913.
ユーザー
8O3a3
四智や五智の視点から
中論を、読みこなすのも
わかりやすくなるだろう
そういう言い回しの
😆
914.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-wHr-gF-95Q
1hXvW
>>880

いろいろ、よく知ってるな?

ムイムイじゃないけど(笑)
915.
ユーザー
3h0KK
*五毒 → 五智(直感的理解のための箇条書き)

怒り → 大円鏡智
怒りの「瞬間的に対象を捉える鋭さ」が、鏡のようにありのままを映す智慧へ変わる。

貪り → 成所作智
欲望の「強く求めて動く推進力」が、行為を成し遂げる力へと転換する。

無知 → 法界体性智
無知の「空白で固定観念のない状態」が、空そのものを悟る智慧へ反転する。

嫉妬 → 妙観察智
嫉妬の「他者を細かく観察する鋭さ」が、物事の差異を正しく見抜く智慧になる。

慢心 → 平等性智
慢心の「自他を比較する意識」が、すべてを平等に見る智慧へと変わる。

なるほど。
916.
ユーザー
3h0KK
*五仏の位置(曼荼羅の方位)
五仏は曼荼羅で以下のように配置されます。

中央:大日如来(法界体性智)

東:阿閦如来(大円鏡智)

南:宝生如来(成所作智)

西:阿弥陀如来(妙観察智)

北:不空成就如来(平等性智)

真言宗の胎蔵界・金剛界曼荼羅、チベット密教の五仏曼荼羅でも基本構造は共通です。

なるほど
917.
ユーザー
3h0KK
五毒から五智の変換って、比較(相対)から脱却ということだろう。
918.
ユーザー
3h0KK
比較(相対)ここに中論思考及び実践で、変換するということだろう。
919.
ユーザー
1rpsw
でおーの魂の本質は餓鬼道と修羅道
そしてでおーは相手に怒り・憎しみを起こさせて地獄道に落とそうとしてる



餓鬼道とは

渇望・不足感・もっと欲しい
「まだ足りない」
承認・知識・評価・愛情への飢え
手に入れても満たされない

貪るようにあらゆる宗教の知識を求めるでおーそのものやね
そして得た知識で周りから承認を求める
でおーはなんか愛情にも飢えてるイメージ

完全にでおーに当てはまる



修羅道とは

闘争・優劣・勝ち負け
相手を倒して自分を保つ


でおーはやたら相手より優れてるをアピールする
勝ち負けにもこだわる
相手を倒すのに手段を選ばない
また、第三者同士対立させようと持って行ったりする
そして、それを見て楽しむ

これもでおーの行動に完全一致



地獄道とは

怒り・憎しみ
「許せない」「ムカつく」
心が焼け付く感じ
  正義感が攻撃に変わる

これはでおーがわざと相手を挑発して
怒り・憎しみの感情を沸かそうとしてる
相手の正義感を攻撃に変えようとする

まさにでおーが相手にやってる事やね
920.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-2PS-ju-95Q
ZGX0I
ゲルク派(黄帽派)はツォンカパ大師が開いたチベット仏教の主要宗派で、インド仏教哲学(説一切有部・経量部・唯識派・中観派)を体系的に学び、特に中観派の哲学を深く研究・発展させ、その見解(「空」の徹底した解釈)を重視するのが特徴です。中観派は一切法が空(実体がない)であると説き、ゲルク派はこの思想を基盤に、徹底した論理的分析を通じて仏教の教えを確立しました。

921.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-2PS-ju-95Q
ZGX0I
ゲルク派とは

開祖: ツォンカパ大師(14世紀)。

別名: 黄帽派(こうぼうは)、黄教(こうきょう)。

特徴: 戒律と学問を重んじ、インドの仏教哲学(特に中観派と唯識派)を体系化し、論理的教義を重視する。

代表者: ダライ・ラマ、パンチェン・ラマが所属する。

922.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-2PS-ju-95Q
ZGX0I
中観派との関係

中観派の思想: ナーガルジュナ(龍樹)に始まる学派で、「一切法空(すべての存在は実体がない)」という空の思想を徹底的に主張します。

ゲルク派の解釈: ゲルク派は中観派の「空」の思想(自性空など)を深く継承し、特に「言葉や概念では捉えられない究極的な実在(自性)」の否定を通じて「空」を解明しようとします。

教学の柱: ゲルク派の教学では、中観派の思想が他のインド仏教諸派(唯識派など)と対比されながら、その高次な段階として位置づけられ、徹底的な論証がなされます。
923.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-2PS-ju-95Q
ZGX0I
まとめ

ゲルク派は、中観派の「一切法空」という哲学を根幹に据え、それを体系化・論理化することで、チベット仏教の学問と実践を高度に発展させた宗派であり、その教えの中心に中観派の思想が深く根付いていると言えます。
924.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-2PS-ju-95Q
ZGX0I
そういえば、そうだった

すっかり忘れとったわ😅
925.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-2PS-ju-95Q
ZGX0I
このスレも終わりが近いな
926.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-2PS-ju-95Q
ZGX0I
ハ不といったら、これも言っとかないと

四句分別だ
927.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-2PS-ju-95Q
ZGX0I
「四句否定」とは、仏教、特に龍樹(ナーガールジュナ)の中観思想における「四句分別(しくふんべつ)」という論理的枠組みで、「有・無・非有無・非非有非無(ある・ない・非ある非ない・非非ある非ない)」の四つの概念を用いて、一切の自性(固定した実体)を否定し、「空(くう)」の真理を示す考え方です。これは単に「ない」と言うだけでなく、様々な視点から存在の本質を深く探求する究極の否定論であり、縁起の思想と結びついています。

928.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-2PS-ju-95Q
ZGX0I
四句分別(四句否定)の具体的な内容
龍樹が『中論』などで展開した論理で、ある物事について以下の四つの観点から検討します。

有(ある): 存在する(例:色は存在する)

無(ない): 存在しない(例:色は存在しない)

非有非無(非ある非ない): 存在とも非存在とも言えない(例:色は存在とも非存在とも言えない)

非非有非無(非非ある非ない): 存在でもなく非存在でもない、ということも言えない(例:色は存在とも非存在とも言えない、ということも言えない)

929.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-2PS-ju-95Q
ZGX0I
目的と意味

無自性の証明: この四つの論理を徹底することで、固定された本質(自性)を持つものは何もないこと(無自性)を明らかにします。

「空」の体現: すべてのものは縁起(相互依存)によって成り立ち、常に変化するため、絶対的な実体は「空」であると説きます。

中道の確立: 「ある」でもなく「ない」でもないという極端を離れ、究極の真理(中道)を示すための方法論です。
930.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-2PS-ju-95Q
ZGX0I
四句否定の四つの句


是(ぜ):Aである(存在肯定)

非是(ひぜ):Aでない(存在否定)

亦是亦非(やくぜやくひ):Aであり、かつAでない(両立否定)

非亦是非(ひやくぜひ):Aでもなく、Aでもない(両立否定の否定)
931.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-2PS-ju-95Q
ZGX0I
四句否定の具体例


①「苦しみ」である: 「苦しい」と固定的に捉える心。

②「苦しみ」でない: 「苦しみ」という実体がないのだから「苦しみでない」とも言える。

③「苦しみ」であり、かつ「苦しみ」でない: 状況によって変化するから、固定的な「苦しみ」ではない。

④「苦しみ」でもなく、「苦しみ」でもない: 上記のどれにも当てはまらない。


これら全てを否定することで、「苦しみ」という概念自体が固定的な実体を持たず、因縁(縁起)によって変化する仮のもの(空)であると説き、執着から離れることを目指します。
932.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-2PS-ju-95Q
ZGX0I
四句否定の目的

実体(自性)の否定: すべての物事は固定した本質を持たない(「空」である)と示す。

分別(とらわれ)からの解放: 「苦しみ」「楽しみ」など、二元的な概念に心を縛られないようにする。

智慧の開発: 迷いの心を静め、真理を悟るための論理的手段。

933.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-2PS-ju-95Q
ZGX0I
四句否定・テトラレンマ


言葉の使い方にはいろいろな問題がある。特に、ナーガールジュナや中観派と呼ばれる仏教徒たちの言葉の使い方は、一般の人には理解しにくいことが多い。その中でも、「四句否定(テトラレンマ)」という概念がある。これは論理学的には意味をなさないが、仏教やインド哲学の本質に関わるもので、これを理解することで言葉の問題の難しさをある程度解明できる。

仏教は基本的に言葉を否定する宗教であり、そのために理解が難しい部分がある。四句否定を理解することで、論理と非論理の中間にある言語の本質に関わる部分が明らかになる。
934.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-2PS-ju-95Q
ZGX0I
「四句」とはつまり「有・無・非有非無・非非有非非無」のことなのですが、ここに収まらない立言は基本的にはあり得ません。
935.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-2PS-ju-95Q
ZGX0I
四句

「有る」、「無い」、「有でも無でもない」、「非有でも非無でもない」
936.
ユーザー
◆7ZPfzVcRoQ50-2PS-ju-95Q
ZGX0I
大般若経にはこう書いてあるらしい


若菩薩摩詞薩修行般若波羅蜜多時、
於一切法、若取有、若取非有、
若取亦有亦非有、若取非有非非有、
若取不取、非行般若波羅蜜多

937.
ユーザー
◆7ZPfzVcRoQ50-2PS-ju-95Q
ZGX0I
解説


菩薩が般若波羅蜜多(最高の智慧)を修行する際の重要な教えを示しています。以下に詳しく解説します:

基本的な意味:

[菩薩]が[般若波羅蜜多]を修行する時、あらゆる物事(一切法)に対して、以下のような執着や概念化をしてはいけないという教えです:

有(存在する)と執着すること(若取有)
非有(存在しない)と執着すること(若取非有)
亦有亦非有(存在し、かつ存在しない)と執着すること(若取亦有亦非有)
非有非非有(存在するのでもなく、存在しないのでもない)と執着すること(若取非有非非有)
執着しないことにさえ執着すること(若取不取)

深い意味:

この教えは、あらゆる概念や観念への[執着]を離れることの重要性を強調しています。真の智慧([般若])は、[二元論]的な思考や[固定的な見方]を超越したところにあります。
938.
ユーザー
◆7ZPfzVcRoQ50-2PS-ju-95Q
ZGX0I
ここで中観派が意味不明になり、投げ出す人が多い(笑)
939.
ユーザー
◆7ZPfzVcRoQ50-2PS-ju-95Q
ZGX0I
なぜ、意味不明になるのか?

西洋的な排中律に当てはめて考えるのが、クセになってるからだ
940.
ユーザー
◆7ZPfzVcRoQ50-2PS-ju-95Q
ZGX0I
いかなる存在といえども、いかなる場合においても、自より生じたものは決してない。他より生じたものも決してない。(自他の)両方から生じたものも決してない。原因なしに生じたものも決してない。

ナーガールジュナ『中論(根本中頌)』「第一章第一偈」
941.
ユーザー
◆7ZPfzVcRoQ50-2PS-ju-95Q
ZGX0I
じゃあ、何なんだよ?

と言ったら、おしまいだ
942.
ユーザー
◆7ZPfzVcRoQ50-2PS-ju-95Q
ZGX0I
われわれは普段、世界を二分して考える癖があります。あるかないか、善か悪か、真か偽か。物事をこのように分けると、思考が整理され、判断がしやすくなります。西洋の古典的な論理学では、この「どちらか一方でなければならない」という考え方を「排中律」と呼びます。どんな命題についても、「Aであるか、Aでないか」これ以外の第三の選択肢は許されない──という原理です。

排中律は論理を動かす重要な道具ですが、仏教ことにナーガールジュナの考察は、この道具の使われ方に別の光を当てます。彼は「ものは何から生ずるのか」というごく身近な出来事を徹底して問い直し、排中律的な物事の捉え方、ことにその因果関係の否定を主張しました。
943.
ユーザー
◆7ZPfzVcRoQ50-2PS-ju-95Q
ZGX0I
要するに、「すべての因果関係を否定した」ということだ

倶舎論は、因果律の書

六因・四縁・五果

その壮大かつ精緻な理論体系を、龍樹はバッサリと斬り捨てた

アンチ説一切有部ならではの、思い切ったバッサリ感だ
944.
ユーザー
◆7ZPfzVcRoQ50-2PS-ju-95Q
ZGX0I
1、それ自体から生ずる

「何かが自分だけの力で生じる」という場合を指します。たとえば「火は火自身のうちにあって、自ずと燃え出す」と言うようなイメージです。けれども、現実には火が燃えるためには、燃料や酸素、熱などの条件がそろわねばなりません。火だけで勝手に存在することはできないのです。一切のものは、それ自体で成り立つことはなく、かならず他との関係のなかで生じています。したがって、すべてのものは「それ自体から生じることはない」のです。
945.
ユーザー
◆7ZPfzVcRoQ50-2PS-ju-95Q
ZGX0I
2、他者から生ずる

「Aはまったく別のBによって生じる」という場合を指します。火が木や紙といった“他者”によって生じる、と言えば、たしかに理解しやすく聞こえます。しかし、他があっても、それだけで火が生まれるわけではありません。たとえば、木があっても湿っていれば燃えませんし、全く無関係な水という他者から火が突然生じることもありません。もし、まったく別の他者から火が生じるのであれば、あらゆる存在から無限に火が生まれ、世界はたちまち火の海と化してしまうでしょう。火に必要な条件は、単一の他者によって完結するものではないのです。ゆえに、すべてのものは「他者から生じることはない」と言わねばなりません。
946.
ユーザー
◆7ZPfzVcRoQ50-2PS-ju-95Q
ZGX0I
3、自と他の両方から生ずる

「一部分は自分であり、他の部分は他者であるような複合的な要因から生じる」という立場を指しています。この考え方は、いかにももっともらしく感じられます。われわれは、ある事物が生じるとき、それが一つの原因によってのみ起こるのではなく、さまざまな条件の重なりによって成り立つのだと考える傾向をもっています。現代の感覚に照らしても、複合的な要因によって現象が形づくられるという理解のほうが、しっくりくるのではないでしょうか。

しかし、ナーガールジュナは、この素朴な理解の底に潜む論理的な落とし穴を鋭く見抜いています。「複合から生じる」と言うとき、われわれはすでに、“複合される二つ(あるいはそれ以上)のもの”が、あらかじめ存在しているかのように前提してしまうのです。たとえば「火(自)と木(他)の複合によって火が燃えている」と説明するとき、思考の背後には、火と木という二つの実体が、最初からそこに並び立っている姿が、いつのまにか描かれています。

しかしながら、火がまだ生じていない段階では、火はどこにも存在していません。存在しない火が、どのようにして木と“複合”することができるのでしょうか。また、先に述べたように、木という存在も、それ自体で自立して成り立つものではありません。「自と他の複合によって生じる」という表現には、存在をあらかじめ前提し、しかもそれぞれを実体として扱ってしまうという、思考上の矛盾が潜んでいるのです。したがって、ナーガールジュナは、ものは「自と他の両方から生じることはない」と結論づけます。
947.
ユーザー
◆7ZPfzVcRoQ50-2PS-ju-95Q
ZGX0I
さらに、仏教論理学の観点から申し添えるなら、第三の立場には、もう一つ深い問題があります。それは、「自性」と「他性」という、本来相いれない二つの性質が、ひとつの原因に同時に帰属することになってしまうという点です。

これは、火について「熱い」と述べながら、同時に「冷たい」と言い切るのに等しい矛盾です。相反する性質が同じ対象に同時に具わることは、論理の上でも、存在の秩序の上でも認められません。自性と他性という矛盾概念が同じ物に帰属するのは不合理ですから、この二つを同時に付与するという考え方は、存在を成り立たせている根本の枠組みそのものを崩してしまうのです。

自性……ものごとが「それ自体として、自分自身の力だけで成立している」とみなされる性質のこと。

他性……ものごとが「自分の外側にある条件だけで成立している」とみなされる性質のこと。


こうした指摘は、一見すると詭弁のように映るかもしれません。しかし、ものが生じるという出来事に向き合うとき、われわれの思考はしばしば、“そこに確かな実体が在る”という感覚を必要以上に与えてしまいます。「火」という語を用いるとき、その言葉に対応する「火」という確固とした実体がどこかに存在するように思えてしまう。

けれども、ものごとは数えきれない条件の重なりの中で、ただ仮に、ひとときの姿を保っているにすぎません。世界は固定した実体ではなく、関係の織りなす網の目のように、絶えず生成し続けている。それにもかかわらず、われわれはその流動する現象に「本来の姿」や「揺るがぬ本質」を読み込み、あたかもその像がどこかに実体として鎮座しているかのように受け取ってしまうのです。

まさに、この“ことば”による実体視の習慣を一つひとつ静かに取りはらい、名称と実体の結びつきを解きほぐしていくところにこそ、ナーガールジュナの思索の光が宿っています。

言葉はあくまで仮の便宜であり、その背後に“自性”や“他性”などという核が潜んでいるわけではない──その徹底した眼差しによって、縁起としての世界のやわらかな息づかいが、ふっと姿をあらわすのです。
948.
ユーザー
◆7ZPfzVcRoQ50-2PS-ju-95Q
ZGX0I
4、原因なくして生ずる

「何の原因もなく、突然に生じる」という場合です。しかし、無から有が生まれることはありえません。花が咲くにも、土と水と光の働きがあります。原因のない生起は、経験の上でも、理の上でも成立しません。したがって、すべてのものは「原因なくして生じることはない」のです。
949.
ユーザー
◆7ZPfzVcRoQ50-2PS-ju-95Q
ZGX0I
・・・コピペしといて言うのもなんだが

「自性」はともかく、「他性」とは見かけない言葉だ

普通は「依他起性」って言わないか?
950.
ユーザー
◆7ZPfzVcRoQ50-2PS-ju-95Q
ZGX0I
950
951.
ユーザー
◆7ZPfzVcRoQ50-2PS-ju-95Q
ZGX0I
自性の反対は、依他起性
952.
ユーザー
◆7ZPfzVcRoQ50-2PS-ju-95Q
ZGX0I
自性・・・自力で存在している、自立した存在

依他起性・・・他に依存して存在している、縁起による存在
953.
ユーザー
◆7ZPfzVcRoQ50-2PS-ju-95Q
ZGX0I
話を戻すと

龍樹はそれ自体で成り立っているのではない

「アンチ説一切有部の論客」 ← これを抜きにして語れない
954.
ユーザー
◆7ZPfzVcRoQ50-2PS-ju-95Q
ZGX0I
レベルやスケールは違うが

アンチ説一切有部も、アンチ幸福の科学やアンチ神慈秀明会も似たようなものだ(笑)
955.
ユーザー
◆7ZPfzVcRoQ50-2PS-ju-95Q
ZGX0I
龍樹が何を言ってるのか、分からなくなったら

「この人は、説一切有部を否定しているんだ」と思うことだ
956.
ユーザー
aXY4o
>>930
欲望の扱いでズレはあるが
まー空海の吽字義は
割合、その方面を、真言一文字で言い表そうしたり、オモロイで
😆
957.
ユーザー
aXY4o
>>955
俺は禅定トップゾーンで
それを解釈しようとするタイプなので
龍樹に忠実性は狙わんけどなー

やはり横着な禅発想がベースにあるんだろなー
だから、ハッスル🤡様の参禅30年は
ハッタリ
😆
958.
ユーザー
aXY4o
>>954
衆生済度の目的で
そーいうのがある
ま、空海の吽字義でも読むことだな
十巻章の現在語訳も購入しとるやろし
あるやろ
😆
959.
ユーザー
aXY4o
些末は覚えてないが
大まかな主要なテーマと付属をチラ読みしとるので
具体的には覚えてないが
該当箇所は
だいたい覚えてる
😆
960.
ユーザー
◆7ZPfzVcRoQ50-11G-ju-95Q
BufzF
空海の吽字義か
961.
ユーザー
3wC5N
ツォンカパ(Tsongkhapa)
生年:1357年頃

没年:1419年

チベット・アムド地方に生まれ、ゲルク派(黄帽派)の開祖となりました。

🟡 空海(弘法大師)
生年:774年(宝亀5年)6月15日

没年:835年(承和2年)3月21日
962.
ユーザー
◆7ZPfzVcRoQ50-11G-ju-95Q
BufzF
日本の法相宗を抜きにして、唯識派を語れないように

チベット仏教のゲルク派を抜きにして、中観派を語れませんな~
963.
ユーザー
WgShL
*ツォンカパ vs 空海 ― 密教哲学の核心比較
1. 宇宙観の違い(世界の見え方)

空海(日本密教)
大日如来=宇宙そのもの(法界)
宇宙は「声・字・形」で構成され、曼荼羅として可視化される
象徴・儀礼・曼荼羅を通じて宇宙と一体化する
世界は“美的・象徴的に統合された場”
→ 宇宙=大日如来の身体という“象徴宇宙論”

ツォンカパ(チベット密教)
空(śūnyatā)=縁起の論理が宇宙の根本
宇宙は「空性の論理」で理解される
中観哲学(縁起=空)を徹底的に基礎に置く
宇宙は“論理的・哲学的に成立する場”
→ 宇宙=縁起のネットワークという“哲学宇宙論”
964.
ユーザー
◆7ZPfzVcRoQ50-11G-ju-95Q
BufzF
現代まで継承してるのは、そこだけだから
965.
ユーザー
◆7ZPfzVcRoQ50-11G-ju-95Q
BufzF
ツォンカパ

15世紀初めのチベット仏教の改革者。

それまでのチベット仏教が仏教以前のチベットの土俗的宗教であるボン教の要素が強く、呪術的な現世利益を求めるものであったのに対し、戒律を厳しくし仏教本来の倫理性を強めようとした。その教派は黄帽派(またはゲルク派)と云われ、チベット仏教の主流となる。黄帽派は戒律が厳しく、妻帯できないため、教主(ラマ)の後継者は仏教の輪廻転生の教えに基づき、教主の死んだ時刻に産まれた男子から選ぶ、「転生ラマ」の制度がとられた。ところがツォンカパの死後、その教えは二系統に分かれ、主流はダライ=ラマが、傍系がパンチェン=ラマが継承することとなった。
966.
ユーザー
◆7ZPfzVcRoQ50-11G-ju-95Q
BufzF
チベット密教は、説一切有部・経量部・唯識派もさんざん研究してきた

その上で、「中観派はワンランク上の思想」と位置づけてるんだよな~
967.
ユーザー
◆7ZPfzVcRoQ50-11G-ju-95Q
BufzF
四大学派のうち、経量部はちとマイナーだが

日本では、奈良仏教の成実宗が強い影響を受けていた
968.
ユーザー
◆7ZPfzVcRoQ50-11G-ju-95Q
BufzF
インドの四大学派と如来蔵思想は日本に伝わり、
奈良仏教の南都六宗になった

(関連が深いというだけ。厳密にイコールではない)


南都六宗  <=  インド四大学派+α


倶舎宗   ←  説一切有部

成実宗   ←  経量部

三論宗   ←  中観派

法相宗   ←  唯識派

華厳宗   ←  如来蔵思想

律宗    ←  戒律


*前の3つは消滅、現存するのは後の3つのみ
969.
ユーザー
◆7ZPfzVcRoQ50-11G-ju-95Q
BufzF
インドのナーランダ僧院や、チベット仏教では

「説一切有部・経量部・中観派・唯識派」が四大学派と位置づけられ、派閥争いをやっていた

日本の仏教界も、奈良時代まではそれを反映していたと言える

平安時代に天台宗と真言宗が唐朝から導入され、状況は激変した
970.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-gox-cB-xsM
ynqQv
トリップミスしてた
971.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-gox-cB-xsM
ynqQv
そういえば、スリップつきなんだな、このスレ(笑)
972.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-gox-cB-xsM
ynqQv
最後に気がついた😂
973.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-gox-cB-xsM
ynqQv
不滅にして不生、不断にして不常、不一にして不異、不来にして不去、戯論寂滅にして吉祥なる縁起をお説きになった、説法者中の最高の説法者である仏陀に敬礼いたします。


根本中頌 帰敬偈
974.
ユーザー
TyN10
なんとなく
近づいてきてるなー
😆
975.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-m6e-cB-xsM
UV81M
中論の重要ポイントを次々に押さえてるからな~😄
976.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-m6e-cB-xsM
UV81M
豆知識を披露して、お威張りしてるわけではない~😂
977.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-m6e-cB-xsM
UV81M
とくに

禅の道を進むなら、必須教養といってよい
978.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-m6e-cB-xsM
UV81M
ゲルク派における「空性(シューニャター)」の「現量了解」とは、論理的な認識(比量)を超え、一切存在に実体がない(空である)ことを、直接的・直観的に体験的に把握する境地を指し、特に無上瑜伽タントラ(密教)の実践を通じて達成され、「義の光明」とも呼ばれ、煩悩を断滅する究極の智慧です。

これは、単なる概念理解(「何もない」という認識)ではなく、色即是空・空即是色(現象は空であり、空から現象が生じる)を、倶生大楽(根本的な喜び)の中で同時に体得する、チベット仏教ゲルク派(ツォンカパ創始)の核心的な修行目標です。

979.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-m6e-cB-xsM
UV81M
ゲルク派における「空性」と「現量了解」のポイント


「空」の定義: すべての存在は「自性(実体)」を持たず、縁起(相互依存)によって成り立っている(龍樹の思想)。

「現量(げんりょう)」: 概念や論理(比量)を介さず、直接的に対象を認識する、最も確実な認識方法。

「空性の現量了解」: 「空」を概念として理解するのではなく、現象(色や形)と実体がないこと(空)を同時に、直接的に見通す状態。

実践 : 止観(サマタ・ヴィパッスナー)の修習、特に無上瑜伽タントラの高度なヨーガ(風・脈管・チャクラを用いる)を通じて、倶生大楽(本質的な喜び)の中で達成される。

最終目標 : この体験(「義の光明」)により、煩悩の根源(所知障)を一気に断ち切り、仏陀の境地(一切智)に至る。
980.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-m6e-cB-xsM
UV81M
具体的な体験の喩え(宗学研究室より)


窓から光が差し込み、部屋全体が見える状態。実体がない(お化けの映像)ことと、それが存在していること(映像が映っている)の両方を同時に直接認識できる状態。
981.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-m6e-cB-xsM
UV81M
般若心経との関連


『般若心経』の「無眼耳鼻舌身意」などの表現は、この「空性の現量了解」を得た聖者の三昧(瞑想状態)で体験される感覚であり、通常の感覚で文字通り解釈すると誤解を生む。

要するに、ゲルク派では空性を「理解する」だけでなく、「体験し、現象世界と一体で直接的に見通す」ことを目指し、そのための体系的な瞑想実践を重視しています。
982.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-m6e-cB-xsM
UV81M
空性の現量了解

ゲルク派といえば、コレだ
983.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-m6e-cB-xsM
UV81M
直接認識を目指す

中観派には、この傾向が強い
984.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-m6e-cB-xsM
UV81M
宗学研究室 (チベット仏教ゲルク派)


・・・では、空性(くうしょう)の現量了解(げんりょうりょうげ)は、どのようにしたら獲得できるのでしょうか?

無念無想で座禅していて突如ひらめく・・・というようなものでは、決してありません。

そうではなく、まず空性を推論的・概念的に理解することから始めるのです。そのためには、中観派の見解をよく学び、空の意味を徹底的に吟味する必要があります。

自分の心の中で、「諸煩悩の大もとにある実体視の習性とは、どのような心の動きか? その心によって虚構された実体性とは何か? そのような実体性が本当に存在したら、どのような矛盾に陥るか?」といった点について検証を重ね、十分な納得を引き出すことが大切です。

そのようにして得られた結論を、「聞と思による空性了解」といいます。
985.
ユーザー
kvPHX
現量了解 自分がなくなるということだ
986.
ユーザー
2Zm00
>そうではなく、まず空性を推論的・概念的に理解することから始めるのです。そのためには、中観派の見解をよく学び、空の意味を徹底的に吟味する必要があります。

自分の心の中で、「諸煩悩の大もとにある実体視の習性とは、どのような心の動きか? その心によって虚構された実体性とは何か? そのような実体性が本当に存在したら、どのような矛盾に陥るか?」といった点について検証を重ね、十分な納得を引き出すことが大切です。


唯識並みの丁寧さだな?
まさにゲルク派
ハッスルは禅は向いてない
😆
987.
ユーザー
2Zm00
ツォンカパの論書では
中道は
世俗諦を完璧にこなし
空性と
ピッタリ合わないといけない云々と
いうのが記憶から出てきた

禅やニンマ派は
そうではないから
ダメだ云々


😆
988.
ユーザー
2Zm00
カマシーラーのインドの中国禅との論争をゲルク派は
踏襲しているのだろな?
😆
989.
ユーザー
1rpsw
でおーの魂の本質は餓鬼道と修羅道
そしてでおーは相手に怒り・憎しみを起こさせて地獄道に落とそうとしてる



餓鬼道とは

渇望・不足感・もっと欲しい
「まだ足りない」
承認・知識・評価・愛情への飢え
手に入れても満たされない

貪るようにあらゆる宗教の知識を求めるでおーそのものやね
そして得た知識で周りから承認を求める
でおーはなんか愛情にも飢えてるイメージ

完全にでおーに当てはまる



修羅道とは

闘争・優劣・勝ち負け
相手を倒して自分を保つ


でおーはやたら相手より優れてるをアピールする
勝ち負けにもこだわる
相手を倒すのに手段を選ばない
また、第三者同士対立させようと持って行ったりする
そして、それを見て楽しむ

これもでおーの行動に完全一致



地獄道とは

怒り・憎しみ
「許せない」「ムカつく」
心が焼け付く感じ
  正義感が攻撃に変わる

これはでおーがわざと相手を挑発して
怒り・憎しみの感情を沸かそうとしてる
相手の正義感を攻撃に変えようとする

まさにでおーが相手にやってる事やね
990.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-m6e-cB-xsM
UV81M
990
991.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-m6e-cB-xsM
UV81M
やっぱり、ハッスルたちが言ってるのとは、だいぶん違うな
992.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-m6e-cB-xsM
UV81M
しかしそれは、いわば頭の中の理解にすぎません。そこで次の段階として、止観の修習(瞑想)を通じ、これを体得してゆく必要があります。

そのためにはまず、心の集中力を高める訓練(止の修習)が欠かせません。これを達成できたら、よく精神集中している三昧状態で、空性を観察します(観の修習)。このときは、既に十分納得している結論への流れに心を指向させるのであって、前述の段階のようにあれこれ散乱して考えるわけではありません。
993.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-m6e-cB-xsM
UV81M
その次は、観を修習しながら、さらに心の集中力を高めます(止観不離の修習)。こうして止と観を分かち難く結びつける修行を徹底的に積み重ねてゆくことにより、いつか概念的な分別が全く介在しない状態で空を直観認識できるようになるといいます。これが、空性の現量了解なのです。
994.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-m6e-cB-xsM
UV81M
顕教の大乗仏教では、空性の現量了解を達成するのに、一阿僧祇劫という途方もない期間を要するといいます。つまり、空性の現量了解を得るまでに、無数の生まれ変わりを繰り返さなければならないということです。しかし密教では、それを大巾に短縮できます。所作・行・瑜伽タントラの場合、本尊ヨーガを維持しつつ空性の止観を修習する無相ヨーガによって、顕教より速やかに空性の現量了解を得られるといいます。
995.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-m6e-cB-xsM
UV81M
無上瑜伽タントラの究竟次第の場合、本尊ヨーガを維持しつつ空性を修習する点は同じですが、チャクラ、脉管、風、滴などを駆使する優れたヨーガの技法により、さらに大巾なスピードアップが可能です。これらのヨーガを通じて止観を修習することにより、倶生大楽で空性を了解するという、無上瑜伽タントラ独特の体験が得られます。そうした究竟次第の実践を積み重ねて達成した空性の現量了解を、無上瑜伽タントラの用語で「義の光明」といい、それによって諸煩悩を全て一気に断滅できると説かれています
996.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-m6e-cB-xsM
UV81M
やはり、チベット密教というだけあって

密教そのものだな😆
997.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-m6e-cB-xsM
UV81M
神秘空間ワールドだ~😆
998.
ユーザー
2Zm00
ツォンカパの顕教の論書読むだけで
光明ゾーンに入っちまうので
快楽過ぎて
読む気が失せる
😆
999.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY50-m6e-cB-xsM
UV81M
これでみると、やはり

教学による析空観をスッ飛ばして

いきなり、瞑想による体空観に参入するのは無理がある

中論の素養がない者に、空性の現量了解はできない
1000.
ユーザー
2Zm00
領域展開粒子マミレ
😆
1001.
ユーザー
???
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1002.
ユーザー
???
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