瑜伽行唯識学派における通達位(見道)についての考察アーカイブ最終更新 2025/05/23 07:161.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmheIFl>若時於所縁 智都無所得(若し時に所縁の於に 智都て所得無くなんぬ)>爾時住唯識 離二取相故(爾の時に唯識に住す 二取の相を離れるるが故に)>(『唯識三十頌』二十八偈)瑜伽行唯識学派では「通達位」を説きます。これは見道ともいいますが禅宗で云う見性と同じ義でありましょう。禅宗、特に臨済宗では「見性」という体験を重視します。見性してから本格的な修行が始まるとも云われる訳で、見性未体験者は「無眼子」とさえ云われ、一人前の扱いにされないくらいです。その見性という不思議な体験ですが、『成唯識論』では以下のように触れております。なお、テキストは以下を参照にしております。 漢文は「SAT大正新脩大藏經テキストデータベース」 和訳は『国訳大蔵経 論部第十巻 国訳成唯識論』 >次通達位其相云何。頌曰 (次の通達の位の其の相云何ぞ。頌曰く、) >若時於所縁 智都無所得 (若し時に所縁の於に、智都て所得無くなんぬ。) >爾時住唯識 離二取相故 (爾の時に唯識に住す、二取の相を離れるるが故に。) >論曰。若時菩薩於所縁境無分別智都無所得。 (論に曰く、若し時に菩薩いい、所縁の境の於に無分別智いい都て所得無くなんぬ。) >不取種種戲論相故。爾時乃名實住唯識眞勝義性。 (種々の戯論の相を取らざる故に。璽の時に乃し実に唯識の真勝義性に住すと名づく。) >即證眞如智與眞如平等平等倶離能取所取相故。 (即ち真如を証する智と真如と平等平等にして、倶に能所を離れざるが故に。) >能所取相倶是分別。有所得心戲論現故。 (能取所の相は此れ分別なり。有所得の心のみに戯論は現ずるが故に。) >有義此智二分倶無。説無所取能取相故。 (有義は、此の智には二分倶に無し。所取能取の相なしと説けるが故に。) >有義此智相見倶有。帶彼相起名縁彼故。 (有義は、此の智には相見倶にあり。彼の相を帯びして起こるを彼を縁ずと名づくるが故に。) >若無彼相名縁彼者應色智等名聲等智。 (若し彼の相は無くとも、彼を縁ずと名くといはば、應に色智の等きを声等の智と名くべし) >若無見分應不能縁。寧可説爲縁眞如智。 (若し見分無くんば、能縁にあらざるべし。寧んぞ説いて、真如を縁する智を為す可けむや。2023/11/08 09:35:281000すべて|最新の50件
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>爾時住唯識 離二取相故(爾の時に唯識に住す 二取の相を離れるるが故に)
>(『唯識三十頌』二十八偈)
瑜伽行唯識学派では「通達位」を説きます。
これは見道ともいいますが禅宗で云う見性と同じ義でありましょう。
禅宗、特に臨済宗では「見性」という体験を重視します。
見性してから本格的な修行が始まるとも云われる訳で、見性未体験者は「無眼子」とさえ云われ、一人前の扱いにされないくらいです。
その見性という不思議な体験ですが、『成唯識論』では以下のように触れております。
なお、テキストは以下を参照にしております。
漢文は「SAT大正新脩大藏經テキストデータベース」
和訳は『国訳大蔵経 論部第十巻 国訳成唯識論』
>次通達位其相云何。頌曰
(次の通達の位の其の相云何ぞ。頌曰く、)
>若時於所縁 智都無所得
(若し時に所縁の於に、智都て所得無くなんぬ。)
>爾時住唯識 離二取相故
(爾の時に唯識に住す、二取の相を離れるるが故に。)
>論曰。若時菩薩於所縁境無分別智都無所得。
(論に曰く、若し時に菩薩いい、所縁の境の於に無分別智いい都て所得無くなんぬ。)
>不取種種戲論相故。爾時乃名實住唯識眞勝義性。
(種々の戯論の相を取らざる故に。璽の時に乃し実に唯識の真勝義性に住すと名づく。)
>即證眞如智與眞如平等平等倶離能取所取相故。
(即ち真如を証する智と真如と平等平等にして、倶に能所を離れざるが故に。)
>能所取相倶是分別。有所得心戲論現故。
(能取所の相は此れ分別なり。有所得の心のみに戯論は現ずるが故に。)
>有義此智二分倶無。説無所取能取相故。
(有義は、此の智には二分倶に無し。所取能取の相なしと説けるが故に。)
>有義此智相見倶有。帶彼相起名縁彼故。
(有義は、此の智には相見倶にあり。彼の相を帯びして起こるを彼を縁ずと名づくるが故に。)
>若無彼相名縁彼者應色智等名聲等智。
(若し彼の相は無くとも、彼を縁ずと名くといはば、應に色智の等きを声等の智と名くべし)
>若無見分應不能縁。寧可説爲縁眞如智。
(若し見分無くんば、能縁にあらざるべし。寧んぞ説いて、真如を縁する智を為す可けむや。