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禪アーカイブ

1.
ユーザー
nX6ZK
ここに正法及び正法の体得の仕方を記します、お経のように繰り返し読むといいです。
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2.
ユーザー
nX6ZK
日常底の単を練ることが大切である。
坐禅だけを修行だと思っていたら一生かかっても埒はあかない。
常に道であること。
例えばラジオでもテレビでも、聞くときは、「只」聞き、「只」見るだけ。
入って来るままに聞くだけ。
感情も気付きも入れない。
自分を虚にしておく。
「面白い」と言うたり思ったりするのは、何かに引っかかっている証拠である。
何も無しにあると、そのまま入って聞こえて終わる。
それが「正聞」である。
眼に於いては「正見」と言う。
お釈迦さまがちゃんと言って居られることだ。
見たり、聞いたりの縁について何か出るうちは、何か引っかかってるいる。
つまり自我が有るからだ。
3.
ユーザー
nX6ZK
疲れている時、ただ休んでじっとしていればよい。
辛いとか、何かと云う気持ちが少しでも出ると、その物に何か引っかかっている。
辛ければ辛いままであればよい。
病もまた道であり、疲れもまた道である。

自分の中に、何かが出た時は自我が立っている証拠である。
一度は、迷いと迷えない「単」とのはっきりした違いに気づかねば、我見が入ったか入らんかの区別がつかない。
この正法の線をはっきりさせるためには、「今」を離してはならない。

常に「只」するよう努力していればそれで良い。
ポカンとなり夢や幻の馬鹿になるのとは異なる。
そこを誤解しないように。
善悪や損得の気持ちがあった時は、あと残りがする。
その残った上で次の事をしていることが多い。
すると過去と今が重なるので大きな邪魔者になる。
常に自分を注意していないとその事が分からない。
例え無用な心がおこっても直ぐに捨てて相手にせずに、やるべきことを「只」やる。
4.
ユーザー
nX6ZK
人と話をする時、云わないで良い事は言わない。
余分な念を使わない。
話は色々な事に渡るものだ。
二重、三重の話が出て混線するが、その中心の線だけを取っていれば良い。
一つ心で働けば良い。
「単」は一つ線であること。
一つのもので働けば良い。
5.
ユーザー
nX6ZK
車を運転する時、心を虚にすること。
景色は「只」見て、綺麗だとか何とか感情を挟んではいけない。
動いている時は動くに任せて素直に動かされていれば良い。
自在に何んにでも「只」応じてさらさら流れている事が分かってくる。
それには「今」一点を守らねば、前後裁断している大事な線が手に入らない。
綺麗なとか表現しようとした時は、囚われているからだ。
一点を守らないからである。
今は動いている。
それを認めると何かが出ているから、囚われ付いていくことになる。
何を見ても聞いても、何もなしの空である時には、そのままさらさらと只々でいける。
6.
ユーザー
nX6ZK
「今」がはっきりすれば、大自然に目覚める。
そうすると只管ならざるものなし。
そこまで行くには「今」を守り切らねばならない。
そうしないと迷いと悟り、煩悩と菩提の涯際を付ける事ができない。
生死の涯際が取れるまで凡情が尽し切れるまで努力しなければならない。
凡情に落ちるとは、物に落ちることである。
「全て道である」すなわち煩悩即菩提というのは、いたり得た後の話である。
それをごっちゃにしてはいけない。
そうしないと釈尊の六年間が無意味になる。
努力せずして道が成就するはずが無いでは無いか。
「単」「只管」「即今」「今」も大自然、つまり普遍の真理の異名である。
「解脱」とはクセが落ちて、本当の「真理」に目覚めること。
この自覚症状を「悟り」という。
何億年も「今」だけである。
本当に生きた「今」が大切であり本当の命である。
「今」を説くことはできない。
聞いて分かった今は「考えた今」であり迷いの今である。
世の中は今より他はない。
だかこの真理を本当に自覚しなければ「今」に生きている本当の喜びも安心もない。
仏道は本当の「今」に生きることである。
既にみんな「今」であるから、「今」を徹底注意して離さなければ必ず自覚する。
要は努力の有無である。
菩提心、菩提心。
7.
ユーザー
nX6ZK
「禪」は単を示すとある。
単を示した行動でなければ、禅ではない。
禅は要するに、単、只、ひたすらにあればよい。
これが禅の極意である。
不純物の無い「今」が禅である。
これを「只管」という。
本当に単調に「今」行じていくには、自己を忘じた力がないとできない。
考えたのでは意識や感情が入っていて、不純物だらけで腐るから駄目である。
自己のないことが禅である。
生とか死は観念であり言葉である。
思いにとらわれると思えば良い。
多くは「只管」と言う言葉が、「只管」を邪魔している。
「只管」にならねばいけないとか、いう意識が働いている。
「只」あること、ただ「単」にある。
余念を入れないように常に自分を見守っていなければいけない。
「只」であらねば、禅が禅を教えてくれない。
禅の趣旨や意味が判っても意味がない。
「只管」にあれば、何をやっていても問題ではない。
おおかたは思慮分別が先にでる。
この癖を破ることが、要するに禅修行である。
これが坐禅する眼目である。
8.
ユーザー
nX6ZK
自己のないことがはっきりすることを「見性」という。
しかし、「見性」しただけでは本当の融通がつかない。
「悟り」が邪魔をするからだ。
「見性」の力で「見性」を破らねばダメだ。
自分を抜きにして、その時のみであればよい。
何か自分が過去に学んだものとか、得たものとか、聞いているものとかが邪魔をする。
ただ今のみの世界である。
その場でちらっと出るものを問題にしないことだ。
たえず「単」であればよい。
私を挟まないで「単」であれ。
箸を上げて口に運ぶ時も、いつも「単」であれ。
いつもその場その場、「単」であれ。
どうあろうとも、その物と離れなくなる。
そうやり続けていると、「悟り」の牢屋から救われる。
自己の無いことは判っても「単」をしょっちゅう練って行くのは容易ではない。
自己も死もとれて本当に楽になっていく。
9.
ユーザー
nX6ZK
坐禅をする人は自分の癖を取ることを主体にして、常に実践していれば良い。
「今」がどんなことであれ、「心」に留めてはならない。
それができないとモノにならない。
自分がどんな刺激を受けてもさらさらやっていかなければいけない。
本当にさらさらと、諸々の縁と対立無く人生する事は難しい。
身と心が隔たっている限り不可能である。
心は浮遊状態にあり、勝手に精神を展開するからだ。
この状態である限り、我々の掛け替えのない道具であるこの身体は.煩悩の根源であり苦しみの種である。
隔てが常に縁と対立して、心を惑乱させ葛藤するからだ。
10.
ユーザー
nX6ZK
今、忽念と現れる心が問題なのだ。
瞬間に忽念として生じ、而もその連続こそが煩悩の根源である。
これが隔たりによって起こる事を先ず知ることだ。
従って、今、忽念と生ずる心の元を解決する解決策は、隔てを取ることにある。
如何にして取るか?
問題の焦点は「今・瞬間」に有る。
「今」に二つはない。
「今」その物になればよい。
「今」でない物はない。
従って、「今」だけ。
素直に「今」在ること。
「今」余念無く一心不乱にすること。
要するに我を忘れて成り切ることだ。
本当に徹すれば、自ずから隔たりが取れて、心身一如の当体となる。
否、元よりこの心身本来なり。
これを仏という。
菩提心が無ければ皆ダメだ。
11.
ユーザー
nX6ZK
「只」吐き、「只」吸うだけ。
一瞬一瞬を大切にして「只」やる。
どんな事も「只」やる。
呼吸の一瞬一瞬のみ。
呼吸の一瞬が続けられれば、自然にすべてに一瞬一瞬のみにできる。
その物と離れないでやれるようになる。
こうなれば大したものである。
ここまで来ねばいけない。
常住不変に一瞬一瞬でなければいけない。
それには涯際が付くまで常住不変に練らねばいけない。
自ずから成るようになるまで練らなければ、本当の安楽も無いし、生死の不安からも救われない。
願心はあっても、やらなければ駄目である。
相手や環境である境に用はない。
とにかく願心である。
自分の好きな事に時を過ごしてはいけない。
その場その場のみであること。
自分の考えなど入れず、その時のみに成って一心にすこと。
初めはどうかしようとするが、それが要らない。
その場その場のみに任せておく。
その事のみに「心」を置いてする。
常に、そう努力していると、自然に「隔て」が取れていく。
「只」やれる。
何事も淡々とできる。
「只」が純熟してくるから自然と全てと一つに成る。
本当に熟して徹する。
そうしないと大自覚が無い。
これが「悟り」の大事であり証明である。
ここで本当に納得する。
だから悟りを目指して「今」「只」やる。
無目的の坐禅は知らん間に妄想坐禅となり、ぽかんとした腑抜け禅になるから注意せよ。
どうしても本当の菩提心が無ければ邪禅になり、多少の落ち着きが有っても、損得など邪念は一向に取れない。
無明の根本を解決しなければ坐禅修行する意味が無い。
菩提心、菩提心。
12.
ユーザー
nX6ZK
「応無所住而生其心。」この語はみんな知っている大切なお釈迦様のお言葉である。
難しそうに聞こえるこの語も、砕けば「今」「只」のこと。
みんなの[本当の心]のこと。
これを自ら證するだけである。
「隔て」がとれると常住不変がわかる。
死んで生きてが無くなり、一杯一杯である。
「今」の正体を知ればよい。
もともと「今」だから「今」はいらなくなる。
これは徹底「今」に成り切って、「今」を忘れなければ体得出来ないし、分からない言葉である。
「今」に徹すると、一瞬に今までの妄想が骨身に徹して感じる。
つまり妄想そのままが自分となり、妄想とすべきものが無くなる。
これを全身の毛穴からも呼吸をしていると云う。
丸ごてと云う意味である。
体と思う念が無くなる。
体の念が有れば体にくくられる。
体の念が無ければ自ら気にならなくなる。
「応無所住而生其心」も、[心]の様子の事。
「今」「只」のこと。
これが浄穢不ニ、自他不ニとなって本当に安心する。
「隔て」が無くなり心身一如になれば何でもない事よ。
これは良いとか悪いとか、すぐ自我を立てるから「隔て」となる。
事はここから起こる。
[心]の衝突である。
これは一つのものを立てて認めるから、二つに見たり、三つに思ったり、念が無限に広がって迷う。
これが無明よ。
比べる物がないのに、自己を立てて比べるからである。
本当に「只」を常に練っていれば良い。
そう努力していると自然に相手が気にならなくなる。
いやでも「隔て」がとれて一つに成る。
これを入我我入という。
世の中に処しながら、相手と一つに成って自在に変わっていくのを異類中行と云う。
私が無いと、天下は自分の姿に他ならない。
この境界が不動心である。
不動心は正法以外にない。
「今」「只」が正法である。
正法は「世界壊せども、この性は壊せず」とお経にある。
同時に二つのことは、考えれない。
一点のみ集中して、正体のいかなるものかを自覚するのである。
一つ事に集中し切らなければ「隔て」はとれない。
菩提心の一点張りだ。
13.
ユーザー
nX6ZK
「今」「只」に我は無い。
我れなければ、即菩提。
それを大清淨とも云う。
汚がさるるものがなければ、浄くするものもない。
「今」は生死を論ずる間はない。
本当に「今」が手に入ったら自ずから生死が気に掛からない。
生死透脱というのも、砕いて言えば「今」「只」のことである。
14.
ユーザー
nX6ZK
悟れないのは只管に成らねばいけないという意識が働いて、只管が只管を邪魔しているからである。
途中は仕方がない。
それが目標だから。
本当に「只」になればよい。
只管も只も有ってはならない。
菩提心のもとに常に「単」を練ることである。
坐禅をする人は、自分の癖を取る事を主体にして、即今底を実践すれば良い。
「只」は努力の結果である。
ここまで来ると本当に大平和である。
生死はただ「単」である。
生のまま、死のままである。
「今」の様子に過ぎない。
この真理を悟るのが坐禅修行の本当の目的である。
15.
ユーザー
nX6ZK
一隻眼を具するとは、自己のないことがはっきりすることである。
しかしそれだけでは何かが引っかかる。
はっきりしていても、引っかかるものがある。
まだ本当に取り尽くされていないからだ。
おおかたの悟ったというところはこの当たりだ。
悟後の修行の大事な所である。
決して油断してはならない。
自己のないところの確証をにぎってしまうと、大抵はそれをひっ下げてしまう。
本当に大悟したものは少ない。
簡単に言えば菩提心が弱いからだ。
それを捨てて単を練ることが足りないからだ。
境涯を得ても、そこが陶治されないといけない。
境涯を持っていては駄目である。
うたた悟れば、うたた捨てよ。
この大法を得ることは容易ではない。
菩提心の鈍い者は到底仏祖の誹りを免れぬ。
努力しかない。
菩提心が仏祖の命、仏法の血肉である。

菩提心、菩提心。
16.
ユーザー
nX6ZK
・
・
・
・
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・  ここ迄がテンプレです。
・
・
・
・
17.
ユーザー
nX6ZK
おはよう
18.
ユーザー
isAfT
わたしは以前に師に電話で今思ってる事を伝えました。
師はそれを聞くと、法理としては完璧だ、だがその法理が実際の法との間に挟まっちゃって、直接法に触れられなくでいる。

電話を切った後で、わたしは自分の部屋でなんとなく法やら禅を思い巡らしてました。
すると、急に法理がごそっと抜け落ちた。
あれ?俺の禅は今までなんだったんだ?
全てが無意味ではないか、と落胆しました。

ちょっと外の空気でも吸いに行くかと庭に出た時、法に直接触れていた。
あぁーこれだったのかと実感しました。
19.
ユーザー
isAfT
わたしはクリシュナムルティの本を読んでました。
なんとなく脳が刺激され活性化されていく。
そんなある朝庭に出ると、
あれ?風景が自分になってる、思考停止していると実感しました。
これが見性です。
二週間くらいその感覚が続きましたね。
20.
ユーザー
isAfT
彼岸に渡った経験

わたしはある禅友と2ちゃんねるでのやり取りで、禅友が念と念の間の虚無に意識をおいてみなと言われました。
なんだろ?とりあえずやってみよう。
やってみるとですね、なんかそっちに吸い込まれそうになり、なんか吸い込まれそうなんだけどって禅友に言ったら、
そっちが本物でこっちが偽物と言う。
とりあえず、そっちにら飛び込んじゃえ!ってやったところ、気を失いそうになりめまいがしたんで、ちょっと横になって仮眠しました。
起きてみたらちょっと以前と違う。
思考以前に自分が居る。
思考以前のわたし。
なるほどねここが彼岸かと感じました。
21.
ユーザー
HVAmf
トラウマが落ちる。

わたしには、あるトラウマがありまして、これは、もう一生付きまとうな、辛いなと思ってました。
ある禅僧にそれを話しました。
なんて言われたと思います?

「そこだけ先に大悟したんだな」

はぁ?大悟しただと?
どうだ羨ましいだろ!

って思った瞬間、トラウマがごっそり落ちた。
トラウマと同時にいろんな過去が落ちた。

ある意味いっぺんに救われた。
なんとも禅僧と言う人は凄いですね。
22.
ユーザー
HVAmf
今に直接触れる体験

わたしは禅寺で坐禅をしてました。
坐禅から立ちあがろうと畳に手を付いた。
あれ?なんだ今と言う畳に直接触れているではないか。

つまりこの時、法を体得した訳です。
23.
ユーザー
HVAmf
正念相続

坐禅とは念との戦いです。
念についてはニ念を継がないとよく言われます。つまり、思考の連鎖をやめる。
じゃ一念は出てもいいのか?って言う疑問を持ってました。
ある日、坐禅をしていた時、完全に念を無視し続けようと決心しました。
ずっと坐禅やってるとですね、スコンって念が出なくなりました。
これを師に伝えると、それが正念相続だと言われました。
正しい念とは念が出ない事とは、なんとまぁ。
24.
ユーザー
HVAmf
無字の公案

これは結構かかりましたね、15年くらいかかりましたかね。
それでいいですって言われた時は嬉しかったな。
25.
ユーザー
HVAmf
【無字の公案】
僧が必死になって趙州禅師に
犬に仏性はありますか?と聞いた。
それはたとえばの解釈として、
犬にたとえて自分のような者でも仏性があるでしょうか?と必死に聞いている。
仏教理論では、あらゆるものに仏性があることになってます。
しかし、趙州禅師は、
「無」と答えた。
さて、この「無」を見て来いというのが無字の公案です。
無字のストーリーは以上の通りですが、実際、ひたすら「ムー!!」とやって行きます。
理屈なんかなく、頭のてっぺんからつま先まで「ムー!!」ってなりきって行く作業です。
そして無字になりきれれば答えが出ます。
とにかく成りきっていくことです。
自分のことを見て、うまくいってるとか評価しちゃダメです。
雑念が出てもかまいませんから、気がつけばムー!!ってやっていきます。
寺では、無字になりきったところを点検して、そこで通すかどうかお師家さんが判断します。
とにかく、いまは無字に成りきるようやってください。
そして、わかったことを、教えて下さい。
26.
ユーザー
HVAmf
坐禅はよく力を抜いて楽にするって指導されたりしますが、これは真剣に命かけになって念と戦った後です。
念と戦う前から楽な坐禅をしてるからちっとも良くならないんです。
27.
ユーザー
d2lEx
>>25
ボコボコされたいのか?
😄

たれ流しがあほらしいくらいに
ボコられたいのか?
😄
28.
ユーザー
d2lEx
不立文字を
たらたら垂れ流すなんて
ありえからな〜
😄
29.
ユーザー
d2lEx
ボコボコタイムスイッチ押したな、
ほーかいくんスレなら
大目みてやるが〜
😄
30.
ユーザー
GBWXT
やっとナイフ来たんだけど、7万したからな、なんか使うの勿体無いな。
31.
ユーザー
d2lEx
たまには
鍛えられたくなったか?
😄
32.
ユーザー
d2lEx
是非分別っ!!

33.
ユーザー
GBWXT
サバイバルナイフは刺す用途としては普通作られてない。
今回買った特殊部隊ナイフは刺す目的でも作られてる。
34.
ユーザー
GBWXT
こんなの売っていいんかな。
35.
ユーザー
d2lEx
自慢したいへばりついた我が
聞かれもしないのに
たらたらと
たれ流したくなるんだろう?

😒
36.
ユーザー
d2lEx
そんなに
無字について
話したいなら


無字してやろう、
てんだ
😄
37.
ユーザー
YDpI2
無字の公案って続きあるの知ってるか?
38.
ユーザー
d2lEx
たれ流したいから
まだ
やるのか?
😒
39.
ユーザー
d2lEx
自慢したい我執を

青竜刀で
破壊してやるから
出してこいや〜
😄
40.
ユーザー
YDpI2
まぁいいや、ゆっくりして行ってくれ
41.
ユーザー
YDpI2
でおーはナイフには興味あるか?
ナイフについで語ろうぜ
42.
ユーザー
YDpI2
革ジャンでもいいぜ
43.
ユーザー
JhtLZ
男ならナイフ、革ジャン、バイクとか好きだよなぁ
44.
ユーザー
JhtLZ
無字なんかどうでもいいからナイフについで語ろうぜ
45.
ユーザー
JhtLZ
ておーも俺と同じナイフ買え
46.
ユーザー
JhtLZ
と言っても俺が持ってるナイフは4万から7万する。
いくらまでなら出せる?
47.
ユーザー
JhtLZ
おい、無視するなよ
48.
ユーザー
0RaLP
全てが禅ならナイフも禅だよな
49.
ユーザー
M4dBa
禅は言葉にだんだん用がなくなります。
なので簡素な短文になるね。
50.
ユーザー
wfO8w
∞ノノハ∞
川^〇^ハレカムイたんは能書きはいらないんでしょう

黙ってお座りしていなさい
51.
ユーザー
SGn9g
でおー何処いった?
52.
ユーザー
dWyxz
『荒野の7人』のジェームズ・コバーンの投げナイフが

めっちゃカッコ良かった !!
53.
ユーザー
dWyxz
54.
ユーザー
dWyxz
マックイーンのバイクシーンもめっちゃカッコ良かった !!
https://youtu.be/pMdWHR8gk4I
55.
ユーザー
dWyxz
ドイツの緑広がる平原を

マックィーンのようにバイクで

爽快に駆け巡るのが夢だった
56.
ユーザー
dWyxz
そんな自身の夢を小説の中で描いてみた。

大脱出(前編)
https://wild-bison.blog.jp/archives/19446012.html
大脱出(後編)
https://wild-bison.blog.jp/archives/19446700.html
57.
ユーザー
XS8rC
>>52
投げナイフか、それは持ってない笑
58.
ユーザー
XS8rC
>>54
草刈正雄の汚れた英雄がカッコよかったなー
59.
ユーザー
ADFsE
空とは自分がなくて風景だけ、これをひっくり返すと全部自分
60.
ユーザー
ADFsE
相手を斬らずに相手の迷いを斬る
難しいですけどね。
大体反発くらうしね。
61.
ユーザー
4G1CJ
でおー遅いな、ナイフについて語り合おうと思ってるのに。
62.
ユーザー
k3ALy
輪廻がないとこの世界は成り立たないと教えられました。
ただ、輪廻とは今この世界を輪廻し続けます。
つまり、あの世とか無いんです。
今ここしかありません。
63.
ユーザー
AbR1c
おはよう
64.
ユーザー
2ojx5
何度も言ってますが、今しか無いと言う事実と風景だけでわたしなし、つまり見ている風景がわたしでであると悟りましたね。
65.
ユーザー
7x4D2
法介さんみたいにガッチガチに法理で固めてしまうと、悟るのは難しいな。
仏教学者と同じだ。
66.
ユーザー
7x4D2
ま、法介さのスレッドに鹿野園が来ないのは救いだね笑
67.
ユーザー
7x4D2
しかし、夕も相変わらずの馬鹿丸出しやったな。
68.
ユーザー
zA2F9
おはようございます
カムイさんの悟りの境地を直接言葉で表現しないのは法介さん自身が答えを見つけなければイケない道だからでしょうか?

悟りって『元も子もない』…人によっては救いだったり絶望だったりするモノではないですか?

二人の会話を見てて歯痒い気持ちになりましたのでレスさせて頂きました
69.
ユーザー
apOlh
どうするっ!?
ムイムイ〜


チャンスボールあげてこ〜〜い
😄
70.
ユーザー
apOlh
虎視眈々と狙う

という意味わかるう〜〜?

いま、こんな感じなオレ


😄
71.
ユーザー
apOlh
かも〜〜ん
と
息を潜めて待つ、

ゴルゴ13
ライフルで待ち構える〜

😄
72.
ユーザー
7x4D2
>>68
もうね、あそこに書き始めてからずっと書いてんだよ、それ系の事をね。
それに気づかないのはちょっとなーって所あるよね。
73.
ユーザー
7x4D2
>>71
でおーもナイフ買えよ
74.
ユーザー
7x4D2
>>68
悟りに絶望はないです。
75.
ユーザー
zA2F9
>>72
カムイさんの境地に至ったら話は噛み合う筈の無いですから趣味の話だけ宜しいかと思いますがカムイさんからしたら仏教に一生懸命な方に対して歯痒い思いでしょうね…

その優しさが勿体無いです
76.
ユーザー
zA2F9
>>74
その境地にない人にとっては…です
特に煩悩の多い方や逆に仏教にのめり込む方には…
77.
ユーザー
7x4D2
>>75
俺も持っていき方が悪いかもしれんけど、なんせ指導者じゃないんでね。
78.
ユーザー
apOlh
静かにチャンスを狙い待つ〜


😄
79.
ユーザー
7x4D2
>>78
ナイフ買えよ
80.
ユーザー
hGByV
はい、馬鹿丸出しです
それがどうかしました
81.
ユーザー
zA2F9
>>77
まぁ回り道をしてでも自分で答えを探すのもアリですし無理に悟りに至る必要もないかと思います

余計な口出し失礼致しました
真摯な対応感謝でした
82.
ユーザー
7x4D2
>>81
他に何か聞きたいことがあれば遠慮なしにどうぞ
83.
ユーザー
hGByV
悟っているなら、法華経談義をお願いします
84.
ユーザー
zA2F9
>>82
では…悟りの内容を知った後で坐禅で確信したのか、坐禅によって悟りに至ったのか、前後関係を教えて頂ければ幸いです
85.
ユーザー
29c7n
>>84
実際に師に言われた事をやります。
師には本を読みなさいとは言われません。
実践です。
86.
ユーザー
29c7n
とはいえ、ある程度の大枠の仏教知識は知ってたよ。
87.
ユーザー
29c7n
この辺は十牛図がわかりやすいんだけどね。
88.
ユーザー
zA2F9
>>85
だとすると答えは後者『坐禅によって悟りを…』ですかね
それは凄いですね、、お師さんも…
>>86
その知識が逆に足枷になったりしませんでしたでしょうか?
ノイズ…雑音になりそうな気がしますけど
89.
ユーザー
29c7n
>>88
知識は入れすぎない方がいいです、ザクッとでいい
90.
ユーザー
29c7n
>>88
つまり知識が足枷になります。
91.
ユーザー
zA2F9
>>87
新しい指標ありがとうございます

何分、全くの素人ですので…
92.
ユーザー
29c7n
>>91
要するにテンプレの事だけをするといいです。
なかなか出来ないですけどね。
93.
ユーザー
zA2F9
>>90
人としての道徳心には良いのかと思いますね

>>92
十牛図、拝見しました
10番目必要かな?と思ってしまいました

大変有意義なお話を頂きありがとうございます
無宗教ではありますが少しずつ歩みを進めて行こうと思います
94.
ユーザー
29c7n
>>93
3番が大切です。
3番目の見牛がもう悟りなんです。
その前の2番目が見跡なんですけど、正しい仏教知識を得たところです。
ここで止まる人が多い、法介さんも2番目の見跡です。
95.
ユーザー
29c7n
この2番目で仏教知識のみを追いかけると3番目の見牛に行けないんです。
つまり悟れない。
仏教学者も見跡止まりです。
96.
ユーザー
hGByV
結局は法華経と同じさ
直にならければ話はできない
双方同じだ
直のようで直ではない
一物を持ってしまった

日蓮上人を持ち上げて、批判しているようなものだ
97.
ユーザー
hGByV
話を聞けないというのは、直じゃないからだ
くだらないことをやっているじゃない
98.
ユーザー
j8vkp
夕なんか間違った見跡追っかけてるから話になるんね。
99.
ユーザー
j8vkp
ならんね笑
100.
ユーザー
j8vkp
牛でなくて、狐か狸の足跡追っかけてるんだろうよ
101.
ユーザー
k9oW6
バカ、俺は遊んでるんだよ
102.
ユーザー
zA2F9
>>94
だとしてもカムイさんは法介さんを否定してる訳じゃないですよね

zenさん同様に歯痒いだけで…
私は二人と視点のズレで噛み合わない様子が見ててムズムズしちゃいました

互いに繋がった縁、勿体無いなぁと…
103.
ユーザー
zA2F9
>>101
横からスミマセン…
夕さんは『ゆう』さんなのか『た』さん、どちらなんですか?
気になって夜も眠れません
104.
ユーザー
k9oW6
法華転法華
誰の言葉だと思っているんだ
ちなみに、磨くことが仏の稼業もな
カムイのスレ何ぞ臭くてみてられんわ
105.
ユーザー
j8vkp
>>102
そうですね
106.
ユーザー
k9oW6
歯がゆいですか
ムイムイ側見方ですね
私はなんともおもってませんよ
先を見すぎです

あっせてもいいことはありません
107.
ユーザー
zA2F9
>>105
まぁお互い人間に生まれちゃった面倒臭さを満喫しながら『今』を楽しみましょう
108.
ユーザー
zA2F9
>>106
多分、逆に先を見ないから先を見過ぎてる方に歯痒い思いを感じるなのだと思います
109.
ユーザー
j8vkp
>>107
人間しか真理を自覚出来ませんけどね。
110.
ユーザー
zA2F9
>>109
それを『苦』と感じるのか救いと受け止めるのか…
人間は本当に面倒臭いです
111.
ユーザー
AhES9
>>110
苦とは過去未来から来てます。
つまり今だけの時苦は生じないんです。
112.
ユーザー
zA2F9
>>111
カムイさんが悟り人だからでしょう

普通はそんな境地、分かっていても難しいです

それには坐禅が必要なのでは…と思います
理屈で押し通せるモノじゃないんでしょうね
113.
ユーザー
k9oW6
せんさん、上手いことまとめたな
どっちもどっち
すべてが仏の計らいよ
114.
ユーザー
zA2F9
>>113
『ユウ』さんなのか『た』さんなのか教えてくれないと眠れませんよ~
115.
ユーザー
k9oW6
ほうかいくんも、むいむいのこと、歯がゆいと思っているぞ
116.
ユーザー
k9oW6
夕方のゆうです
タヌキはセッタンの故事によって

どちらでも構わない
117.
ユーザー
zA2F9
>>116
ありがとうございます

タヌキ感、出してたので『もしかして』ってなってました

これでグッスリ眠れます
118.
ユーザー
k9oW6
ムイムイのは金魚の糞
介護老人かよ
まだ若いンだから自分で始末しなさい
119.
ユーザー
zA2F9
>>118
金魚のフンの文句は俺に言え

私が介護老人です

達観者が多く語らないのは『優しさ』です
優しさを見逃せないのが金魚でありフンなのです
120.
ユーザー
k9oW6
せんさんと言う争うつもりはない
あしからず

磨けということ
磨いてできることもあるが、できないこともある
磨くことが仏の稼業

磨く
それ以上でもそれ以下でもない
一生磨け
121.
ユーザー
d65Sr
>>112
そうですね、頭でそうぞう想像しても無理です。
今しか無いと言う「自覚」が坐禅なりで必要です。
122.
ユーザー
d65Sr
>>119
夕なんてクズ相手しなくていいですよ。
あぼーんするといいでしょう。
123.
ユーザー
zA2F9
>>120
ハイ、私には争う矛(宗教の知識)を持ち合わせておりません

仏教…
阿頼耶識というダイヤの原石を磨いて磨いて磨きぬいた先に阿摩羅識というダイヤモンドへ輝かせるのが本筋かと思います

悟り…
末那識の究極型…平等性智の最極地でしょうか
124.
ユーザー
zA2F9
>>121
瞑想を徐々に始めたばかりの私にはまだ坐禅の段階には早いですね
無心になるのが難しいです
ご教示、ありがとうございます

>>122
タヌキの文句は俺に言え

私がクズです

あぼ~んもクズも愛すべき我が身です
125.
ユーザー
d65Sr
>>124
坐禅してる時は息に意識を置くといいでしょう。
知らない間に雑念を追っかけてますので、それに気づけばまた息に意識を置きます。

目は閉じてはいけません。
126.
ユーザー
zA2F9
>>125
あぁサマタ瞑想でも呼吸に意識出来るから出来てる感がありますね

雑念の塊の様な人間なのでユックリ進みます

宗教板の方は菩薩の様な方の集まりなので助かります
127.
ユーザー
d65Sr
>>126
最初は雑念との戦いとなります。
128.
ユーザー
zA2F9
>>127
ん~…どうもまだ悟る覚悟もない人間が話を聞くのも失礼にあたる気がしてきました

カムイさんにはその覚悟というか人生にそうさせる深いモノがあったのだと察します

ちょっと踏み込む勇気ないので語らないで下さいね
129.
ユーザー
M9jGF
病名:発達障害ASDの症状尊大の雀鬼イヌヤマが自供ス。『正直云って仏とは何かと問われても分かりません、公案が進んで無くよくわからないのです』 知障イヌ咬み談
ウソブクのよ透ってないのに、もう40回も初関を透る俺様!と言い放つドマヌケ!40回も透ったら初関を透る、じゃねーべ!!
なんで、みんなワイを無視すんねん!?大欲(たいよく)は無欲に似て足るを知る。煩悩即菩提の法相宗でええやろ・・・ほならなんでワイはこんなところにいるんねやろ
イヌ:悟りとか分からねーし、知らねーし、悟ってねーわ? ググるイヌヤマは常にシカトされ自己存在の確認要求哀願奴隷也
悪霊イヌが鳴く:なんで 宗教板って まともなの俺だけなんだ?みんな間違ってばっか俺だけが正しい。みんな間違ってるのに何で正しい事を言ってる俺は否定ばっかりされるんだ?みんな俺の事を 凄いなと認めろよ。 俺は自分より優れた奴が ゆるせないんだよ(脅迫性人格障害の特徴)
ナント妻子と月一、金曜夜7時からのお坐り会、茶菓(ちゃか)代ワンコインで、これが研究会出席虚勢のトマヌケ犬は誰からも疎まれる
独善イヌヤマは月一第三金曜日夜7時茶菓代ワンコイン坐禅会に出ると偽証。命取りの摂心に親子で100回参加と虚飾スル
新小岩の食業ドライバーイヌヤマとは法相宗(ほっそうしゅう)奈良興福寺(こうふくじ)前官長じっちゃんのお抱え運転手で食業ドライバーで、知ったかぶる以外に承認欲求が満足しない。
多数者を演じ孤立セズと強弁し自作自演のおぞましい日々の無脊椎動物イヌヤマは成り済まし多重人格者で要治療
インチキキチガイ雀鬼イヌヤマ麦、アルコホル発酵しイヌ麦焼酎なのに喜ばせ共有機能が絶えて無し。吠え吠み、オノレの尻尾をクルクル追うノミシラミ
5ちゃんねるの会話はバトル形式で馴れ合いを禁じる。イヌヤマは、褒めてクレヨの哀願奴隷。相手を罵倒する悪口雑言の数々は外道イヌヤマへのリアル社会の絶対評価で、問いに問いで返す脊髄反射の脳足りんで悟前(ごぜん)未悟(みご)、金魚ドジョウと救い難い。
① ググるシッタカ知障荒らしイヌヤマは無視放置スルーが一番ツライ、耐えられない。シッタカイヌヤマは常に誰かの反応レスを待ち焦がれ
② 放置された固定観念イヌヤマは煽りや自作自演でアナタのレスを誘う。ワケワカメ糞邪鬼イヌヤマにノセられてレスしたらその時点でアナタも同類、負け。完敗
③ ;反撃はイヌの滋養にして栄養であり最も悦ぶ事です。門前のヤセイヌにエサを投げ与えぬ事
④ ;臭い汚いコワイ気持ち悪いイヌヤマが枯死する迄、孤独に暴れさせゴミが溜まれば削除
130.
ユーザー
EQpxb
>>128
いつかそう言う時期が来るかもしれませんね。
131.
ユーザー
zA2F9
>>130
ありがとうございます

微妙に不安障害、睡眠障害が疼く体質ですので坐禅が救いになるかな…との思いもあります

何かとお騒がせしまして失礼しました
132.
ユーザー
nbPyM
>>131
それならば心地よい程度の坐禅をするのがいいね。
133.
ユーザー
nbPyM
坐禅でゆったりとした呼吸を心がけるだけで結構変わると思います。
134.
ユーザー
nbPyM
別に坐禅を組まなくていいです。普段でも、寝る前にでもゆったりとした呼吸に意識を置くだけでもいいね。
135.
ユーザー
zA2F9
ありがとうございます

サマタ瞑想で呼吸、身体を感じ
ヴィパッサナー瞑想でイメージトレーニング
坐禅で無心を…

無宗教の視点から色々学び実践し気負いなく今を生きる

感謝です
136.
ユーザー
IBkl8
>>135
今を離さずに
137.
ユーザー
apOlh
ムイムイ〜
息を潜めて
狙っているぞ〜
脳天ヒットを〜


😄
138.
ユーザー
apOlh
遊星爆弾を
サービスだ〜


178.
ユーザー
栖雲居士◆dqam8SqGUPdm
NpOOu(3/3)
とにかく彼は師匠(master)の様に振る舞いたいのです。
徒弟(apprentice)みたいのが欲しいのです。

ナ◯フの件で気付かれた方もいらっしゃるでしょうが、あれ、歪んだ性癖があるのでしょうね。

ま、あんまり云うと、ね🤭

2023/11/09 11:31:
139.
ユーザー
k9oW6
半端者がよくやる
ムイムイは師匠気取りか

140.
ユーザー
k9oW6
さて、帰るか
141.
ユーザー
O4YGK
こんばんは
142.
ユーザー
O4YGK
作務衣買ったよ、明日来るね
143.
ユーザー
O4YGK
作務衣はワンサイズ大きめを買ってる
144.
ユーザー
O4YGK
しかし鹿野園って何宗なんだろうね
145.
ユーザー
O4YGK
クズのことはどうでもいいか
146.
ユーザー
O4YGK
でおーも全然変わらんよな。
悟らないまま、一生を終えるんやろうな
147.
ユーザー
O4YGK
禅では唯識は扱わない、なので鹿野園は禅宗ではない。
148.
ユーザー
WDab4
ムイムイよ、いつまで持つかな
閃さん、あまり、かかわらないように
ムイムイは悟る悟らない関係なく、増上慢
性格の裏返しだろう

149.
ユーザー
icuEP
zenさん来ないかな忙しいそうなんで中々来れなさそう。
150.
ユーザー
WDab4
嫌いなものを認めた
楽になったぜ、くずでけっこう、
ムイムイをただ叩く
以上
151.
ユーザー
icuEP
208 zen[] 2023/11/08(水) 22:00:56.51 ID:wjwWH
法介さん、やって来ました。zenです。
唯識は真理だけど勉強する必要はありません。知識は悟りには何の役にも立たないからです。
唯識は悟らないと意味が無いのです。坐禅・念仏・題目の修行で唯識を悟ることができます。しかし独学では難しいと思います。できれば悟りを開かれた師匠を見つけて本格的に修行されることをおすすめします。禅の場合は年に数回、摂心会と言って一週間泊まり込みで坐禅修行を行います。ほどに悟りを開くためにはそういう修行がどうしても必要なのです。法介さんが日蓮宗でも大丈夫です。時宗を開かれた一遍上人は臨済宗の心地覚心禅師のもとで修行して見事に悟りを開かれました。キリスト教徒の外人さんが禅の修行をした例もあります。

唯識は勉強する必要はありませんが、カムイさんの言葉は全て真理ですから良く学んで下さいね。
152.
ユーザー
icuEP
記念に貼っとこう
153.
ユーザー
WDab4
ムイムイは蚊と変わらない、叩くのに何のためらいもの無い
ネカマの時は、増上慢を治せと世間的に言っていたが、
無駄だと分かった

でてきたら、徹底的叩く
154.
ユーザー
WDab4
ムイムイよ、宿命だ、叩かれることがお前の生きる道であり、生涯である
155.
ユーザー
icuEP
俺の座布は永平寺に納入してるのと同じもの、中々いいよ。
156.
ユーザー
WDab4
禅宗だからといって、勉強しないわけでもない
お前のところがそうだからと言って、他がそうだと思うな
157.
ユーザー
icuEP
知性自体悪くないんですが
悪人は知性を相手を攻撃する為に使う
善人は知性を相手を救う為に使う
158.
ユーザー
WDab4
行為を説明するということはまことにめんどくさい
あらんかぎり全身全霊をもって、多宗派の人に説明してみろ
159.
ユーザー
icuEP
そう考えると、鹿野園、麦、でおー、夕らは悪人だな
160.
ユーザー
WDab4
>>157
お前が今がすることではない
161.
ユーザー
WDab4
ムイムイよ、自信過剰
162.
ユーザー
icuEP
知性と感性と意思がひとつなる状態が禅定
この禅定とは過去もない、体も忘れて今だけになる状態
163.
ユーザー
icuEP
外側に飛び回るこころを内側に持っていく

これが坐禅

とにかく命がけでやる

今だけになる
164.
ユーザー
WDab4
後付けの言葉など不必要
お前の一生懸命など、たかがしれている
165.
ユーザー
WDab4
>知性自体悪くないんですが
悪人は知性を相手を攻撃する為に使う
善人は知性を相手を救う為に使う

師匠の物真似か
166.
ユーザー
WDab4
お前がそんな言葉を出すはずがない
167.
ユーザー
WDab4
zenとやらは、見る目がない
168.
ユーザー
WDab4
ムイムイよ、お前を否定しつくす
覚悟しろ
169.
ユーザー
icuEP
今だけの事を只真剣に命がけで素直にする
170.
ユーザー
apOlh
ムイっ、ムイっ、
ムイっ、ムイっ、ムイっ
ムイっ、ムイっ、ムイっ、ムイっ〜
♬
171.
ユーザー
icuEP
今を離さず今を五感で楽しむなり
172.
ユーザー
WDab4
一人でやってろ
173.
ユーザー
icuEP
夕は坐禅では挫折したけど、法華経で成仏出来るといいね。
174.
ユーザー
WDab4
馬鹿か

175.
ユーザー
icuEP
しかし夕がタヌキのタには笑うな

今後夕をタヌキと呼ぼう。
176.
ユーザー
WDab4
で、それがどうした、ねかま

177.
ユーザー
icuEP
しかし、タヌキはあれから何年もたってるのに残念な結果やな。
今まで何してたの?
178.
ユーザー
WDab4
次はどうした
お終いか
179.
ユーザー
WDab4
お前ほど、残念じゃねよ
180.
ユーザー
icuEP
どう見ても仏教に向いてない。
仏教やめたら?
181.
ユーザー
WDab4
次は、どうした
182.
ユーザー
WDab4
それで、ハイ次
183.
ユーザー
icuEP
こんなにモノにならんやつも珍しい
184.
ユーザー
WDab4
ものになんかなってたまるか
ネカマ

185.
ユーザー
icuEP
タヌキだからしょうがないか
186.
ユーザー
WDab4
はいはい、ねかま
もうかくことがないのか、師匠の物真似でもいいぞ
187.
ユーザー
icuEP
夕ゆうとか綺麗すぎタヌキってばっちりあってるね
188.
ユーザー
WDab4
いちもつを持っているネカマ、どうした
悟っている悟っていない、雑音をたれながすな
189.
ユーザー
icuEP
さてとクズタヌキの相手ししてもしょうがないな。
190.
ユーザー
WDab4
もうおしまいか、おいおい執らないんじゃなかったのか
行為に嘘あり
191.
ユーザー
WDab4
蚊を叩くのに何の不都合もない
192.
ユーザー
WDab4
出来もしないことを自分に言い聞かせているネカマである
193.
ユーザー
WDab4
はいはい、次はどうしたネカマ
194.
ユーザー
ZkDlN
おはよう
195.
ユーザー
ZkDlN
只管
今だけの事を真剣に命がけで只する事なり
196.
ユーザー
ZkDlN
がむしゃらになりふりかまわず今だけの事をする
197.
ユーザー
ZkDlN
飛び回ってるこころを静めて一心に
今を離さず
198.
ユーザー
ZkDlN
相手を知ろうと思ったら、まず、自分を知ること
199.
ユーザー
ZkDlN
世界平和になる第一歩は自分を知ること
200.
ユーザー
ZkDlN
部屋の灯りは暗めの方が内に向かいやすくてよい
体の動作はなるべくゆっくり丁寧に動かすのが良い
思考がゆっくりになってきたらしめたもの
201.
ユーザー
ZkDlN
飯を食う時もなるべくゆっくりとする。
これは、少しの量で腹が膨らむと言う効果もある。
坐禅だけが実践ではない。
こうやって四六時中、隙を作らず油断せず行じるのだ。
禅とは今を行じること
絶えず無意識にやってるもの
息だ
こいつを意識する。
一息一息丁寧に
これが今を行じるという事
例えば歩きながらだと息を意識するのは難しい
メインの動きを意識すれば良い
歩くときは歩く事に意識をおく
これを練ると言う
202.
ユーザー
ZkDlN
寝る前みたいに気持ちよくなってるのは三昧ではなく妄想、雑念を追っかけてるだけ。
坐禅は妄想、雑念を意識的に切って、はっきりとした意識でおらんとあかん。
203.
ユーザー
ZkDlN
いま、パソコンを見ているでしょ?
見ている自分という感覚があります。

この感覚をなんとしても取っ払うんです。
ガムシャラでいいんです。

坐禅しようが、念仏あげようが、叫ぼうが、なんでもいいです。うまくやろうと思わないことです。禅も仏教もそんなことどうでもいいです。

自分のあらゆるエネルギーをそこに集中します。それだけです。
204.
ユーザー
ZkDlN
(1) 奪人不奪境
こっち側がない、という感じです。自分はいなくて、周りだけある、という感じ。通常の見性はここから入ります。

(2) 奪境不奪人
これは(1)がわかれば、すぐわかります。見るもの聞くものが、すべて自己であったと気づくわけです。雀のチュンチュンもカラスのカーカーも、同じものだ、自己の表れだとわかります。

(3) 人境両倶奪
これはちょっと難しい。自己も世界も存在しない、まったくの、夢、幻であったと気が付くところです。悟りが徹底したところ、十牛図でいえば、ただ、丸が書いてあるところ、八番目ですか・・・・真空ですね。この感じは、わたしもハッキリしてないです。

(4) 人境倶不奪
(3)から、自己と世界が浮き上がるところです。空即是色のところ。柳は緑、花はくれない。
205.
ユーザー
ZkDlN
煩悩と戦うんだから普段よりお腹も空きます。
時には暑くもないのに脂汗が出て来る人もいます。
ただ、その期間を過ぎると静かになったりします。
すると、道元禅師のようなゆったりとした坐禅になるんじゃないかな。

ただ我が身をも心をも放ち忘れて、仏の家に投げ入れて、仏の方より行われて、これに随(したが)いもてゆくとき、力をも入れず、心をも費やさずして、生死を離れ、仏となる
206.
ユーザー
ZkDlN
実際には今にとどまり続ける意思などなくても今しか無いんだけど、人は過去を引きずっちゃう。
そして、自分というカタマリがないから空性だからなんにでもかわる。
つまりいいことも悪いことも固定ではないから変化する。
言い方を変えると継続しない。
あらゆる苦悩は継続しないんです。
207.
ユーザー
ZkDlN
今にとどまり続けていればあらゆる苦悩がおわる。
実際には今にとどまり続ける意思などなくても今しか無いんだけど、人は過去を引きずっちゃう。
そして、自分というカタマリがないから空性だからなんにでもかわる。
つまりいいことも悪いことも固定ではないから変化する。
言い方を変えると継続しない。
あらゆる苦悩は継続しないんです。
208.
ユーザー
g242h
おい、カムイよ
風景が云々は俺が言った言葉だぞ
マネするんじゃない

209.
ユーザー
XC4mQ
ただあるがまま見るのが真理のエネルギー
つまり自我が立ち上がる所をいじらないでただ見て行く。
210.
ユーザー
XC4mQ
【全宗教歓迎】悟りをひらいた人のスレ858【talk掲示板】
https://talk.jp/boards/psy/1699235664


えー、こちらに一斉に名無しで鹿野園を攻撃します。
ご協力お願いします。
211.
ユーザー
XC4mQ
ゆゆしき法界 パート17
https://talk.jp/boards/psy/1699325310

作戦室はこちら
212.
ユーザー
XC4mQ
雑念が出たら即「この念、何処から来たか」と、間髪を入れずにその根元に切り込む。
213.
ユーザー
XC4mQ
コップを持てばコップのみだけの縁があり、それ以外の縁は切れてる。
これが「今」を「今」たらしめる。
214.
ユーザー
XC4mQ
思考が時間を作り自我を作る。
真実は時間もなく世界からの分離もない。
つまり、「永遠の今ここ」そのものが本来のわたし。
今、現に見ている風景が本来のわたしと言うことです。
215.
ユーザー
e0XYR
怒りが出ればまずはその怒りを抱きしめて上げる。
216.
ユーザー
e0XYR
道元禅師の「善悪を思わず、是非を菅することなかれ、心意識の運転を停め、念想観の測量を止むべし」『普勧坐禅儀』

白隠禅師坐禅和讃
無念の念を念として 歌うも舞うも法の声
217.
ユーザー
e0XYR
体は常に今にある、過去の体、未来の体なんてない。
心も今にある時、つまり心身共に今にある時なんの摩擦もない。
そのまま一生を終えても良いんだけど、夢・希望、つまり心は未来を向く。
当然摩擦が起きる。
バイクがあえてバランスを崩してコーナリングするのと同じ。
無茶なコーナリングをすると転倒する。
問題はどんな夢・希望を抱くか。
どうせ夢を見るなら命がけの夢を見るのもいいかもしれない。
祖師達は命がけの夢を見て法を守り法を継いで行ったに違いない。
218.
ユーザー
e0XYR
永遠の今があるだけ 永遠の今は愛で満ち溢れている 愛と対立するものはない 今と対立するものもない 善悪を超えたところに愛がある
219.
ユーザー
e0XYR
相手になんか言われたとする。
相手が正しい事言ってるか間違った事言ってるか。
俺はこれは重要視しない。

相手のその言葉は邪心からきてるのか、つまり悪意、妬み、嫌味などから来てるのか。
俺はここで判断する。

ま、この中で一番邪心なのは誰か、丸見えだけどね。
220.
ユーザー
e0XYR
わたしの今までの経験とか知識だと、
あの世はない、わたしたちは今ここを永遠に輪廻転生している、そして本当のわたしとは今そのものであり、宇宙が消滅したとしてもなんらかの形で今はあるんで、今であるわたしは永遠不滅である。
221.
ユーザー
e0XYR
あらゆる苦しみは自我から来てる。
もし、苦しみがある、または自覚出来てるのであれば自我が立ってるから。
つまり自我が苦しみの根源。
なので自我がなければどんな環境に置かれたとしても一切の苦しみはない。
自我がなければ苦が自覚出来ないし、楽も自覚出来ない。
苦も楽も自覚してない所が安楽。
苦だけを取り除いて楽を求めたら、それは自我が立ってるわけで。
つまり、いじらないとなる。
苦を取り除かず、楽を求めず
まずは自我がなければ完全無欠であると気付くこと。
222.
ユーザー
e0XYR
色も空も、我のないところです。我がないので、色即是空なわけです。


我がないときにお茶を飲みます。
その時お茶だけがあり、わたしはお茶であり、わたしはわたしとしてあり、お茶はお茶としてある。
これが色即是空
223.
ユーザー
e0XYR
過去を捨てる事。
過去を捨てるとは自分を捨てる事。
なんか自分がなくなり頼りない感覚がおこります。
過去を捨てる感覚がわかるとしめたものです。
何か念が立ち上がれば切ればいいんです。
そして、お茶を飲む時はお茶だけになればいい。
念というのは絶えず湧いて来ます。
その念に意味を持たすのがまずいんです。
そこを切って行きます。
つまり、意味の無い念、無念の念を継いでいくのが只管打坐です。
224.
ユーザー
e0XYR
たとえ間違ったとしても、それに気が付けば無心であるがゆえにすぐに改めてしまう。

自我があると、言い訳が出て、相手に原因があるように思う心が動き、邪魔をする。
225.
ユーザー
3Tvcg
縁に従って淡々と只やっていく。
これ、自我があれば出来る事ではない。
自我があれば我田引水するからね。
つまり自我があると縁に逆らう。
なので、あらゆる今の状況の縁はこれはこれで完全完璧なんだ。
226.
ユーザー
3Tvcg
そのようなありように対してこのように動く。
ただ間違ってはいけないのは言葉はそのようなありようではない。
227.
ユーザー
3Tvcg
なんもいじりようがない。
ただあるがまま。
あるがままのものに対してあるがまま動く。
それを妨げているのは思考、言葉である。
228.
ユーザー
3Tvcg
誰に教わった訳でもなく、元から備わってる人間として当たり前の動きが出来るようになる事。
229.
ユーザー
3Tvcg
イエスに実際にあった人はいません。
つまり、聖書を読んだり神父さんから聞いたりして、自分のイエスのイメージを持ってるだけなんです。
これを観念ともいいます。
このイエスのイメージは人それぞれ違うのは理解できますね。
つまり、10人いれば10人とも違うイエスのイメージを持ってます。
これがいい争いの原因です。
じゃどうすれば良いか。
イメージでない観念でないイエスとは?
これ、イエスの知識を増やしても無理なんです。
余計にイメージが膨らむだけ。

最終的にはイエスにただ祈り信じきるしかないんです。
このイエスを信じきる力が本当のイエスに会える手段です。

230.
ユーザー
qfwUU
なんもいじりようもない。
あるがままのものに対してあるがままに動く。
思考を練らずに自覚なしに動くようにここを練って行く。
231.
ユーザー
Pwp1Z
私たちは元来仏である。仏と凡夫の違いは、水と氷のようなもので,

氷が溶けたものが水であるように,自我の妄執が融ければ仏である。

私たちは自らが仏であることを知らず,それを遠くに求めている。なんと儚はかないことか。

ちょうど水の中で、のどの渇きを訴えるようなものである。

裕福な家を迷い出て、困苦しているようなものである。

六悪道を輪廻する原因は,自己への深い妄執と分別心のため,己が己に迷っているからである。

分別に分別をかさね、妄執に妄執をかさねて,いつ迷いの世界を離れるのか。

大乗の坐禅のすばらしさは、とても言葉ではあらわせない。

布施や持戒などの六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)

念仏,懺悔など善行の根本は、みな坐禅(無心)に帰する。

たった一度の坐禅(無心)の体験で、過去に犯した全ての罪が消え去る。

六悪道などどこにもない。浄土は今,目前にある。

この大乗の教えを聴いて、仏の教えに出会えたことを喜び、

その教えに随って生きてゆく人は,多くの福徳を得るであろう。

いわんや自ら坐禅を行い,無心を体験して自己の本性に気付けば,

それは何の実体もない空であるから,もはや、ああこうの分別の世界,
妄執の迷いから遠く離れることができる。

仏と自己が本来一体であったという,大乗の門が開けた。それは分別に分かれない真っ直ぐな道である。

坐禅によってこの身を空にした,その「無の身」を体とすれば、その行為のすべてが真理を離れない。

坐禅によってこの心を空にした「無の心」を心とすれば、その行為はすべて教えの姿,真実の姿となる。

世界と自己が一体になった三昧の世界のひろやかさ。
その三昧の大空には仏の智慧の光が、月のように光り輝いている。

ここに到ってなにを求めるのか,悟りは今・ここ・自分の上に現れている。

ここが極楽浄土であった。この自分が,仏であった。
232.
ユーザー
AqIvy
466.
ユーザー
栖雲居士◆dqam8SqGUPdm
iAxKD
法介さんやカムイさん、JBLさんはネタというか叩き台になるからスルーはしてません。

まぁ、流石に名前は伏せて使わして貰ってはいますけどね🤭


2023/11/11 16:00:55
233.
ユーザー
woBeY
俺もキャンプ来てるんだ。
234.
ユーザー
0IxxQ
ディキャンプの予定が一泊に
235.
ユーザー
Iqc4O
焚き火見てると思考がゆっくりになるね。
これ、坐禅してる時と同じですね。
236.
ユーザー
L35HL
嫁と楽しんで来ました。
https://livedoor.blogimg.jp/butudou/imgs/c/8/c88fafe3.jpg

カムイさんも楽しまれて来て下さいな。

焚火にはやっぱロケット・ストーブやね。
237.
ユーザー
zJXMt
>>236
はい、今日は寒い笑
238.
ユーザー
VMLBM
キャンプ場の静寂した早朝の張りつめた空気観っていいよねー
239.
ユーザー
VMLBM
鳥の鳴き声とか聞こえてきたら、聴覚的にも心地よさを観じる。
240.
ユーザー
Y4zEO
帰って来ました心地よい疲れ。
5ちゃんねる内の問題なんがどうでもよくなるね。
241.
ユーザー
fpDQX
>>240
まるで禅より効果あるみたいじゃないかw
242.
ユーザー
pmxKu
😄
243.
ユーザー
0fZuA
俺がキャンプに行くのはナイフを使いたいから、
なんで、今日は今から庭で焚き火する
244.
ユーザー
UrJRm
思いは煩悩だが、風景を煩悩にするかしないかは自分次第。
245.
ユーザー
UrJRm
風景をなんの感情もなしに、そのまま見ると煩悩ではないんです。
これを正見と言う。
246.
ユーザー
QHoIG
衆生本来仏なり 水と氷の如くにて
水を離れて氷なく 衆生の外に仏なし
衆生近きを知らずして 遠く求むるはかなさよ
譬えば水の中に居て 渇を叫ぶが如くなり
長者の家の子となりて 貧里に迷うに異ならず
六趣輪廻の因縁は 己が愚痴の闇路なり
闇路に闇路を踏み添えて いつか生死を離るべき
夫れ摩訶衍の禅定は 称歎するに余りあり
布施や持戒の諸波羅蜜 念仏懺悔修行等
其品多き諸善行 皆この中に帰するなり
一坐の功をなす人も 積みし無量の罪ほろぶ
悪趣いずくに有ぬべき 浄土即ち遠からず
辱なくも此の法を 一たび耳にふるる時
讃歎随喜する人は 福を得ること限りなし
いわんや自ら回向して 直に自性を證すれば
自性即ち無性にて すでに戯論を離れたり
因果一如の門ひらけ 無二無三の道直し
無相の相を相として 行くも帰るも余所ならず
無念の念を念として うたうも舞うも法の声
三昧無礙の空ひろく 四智円明の月さえん
此の時 何をか求むべき 寂滅現前する故に
当処即ち蓮華国 此の身即ち仏なり
247.
ユーザー
QHoIG
衆生本来仏です。
水と氷のように水を離れて氷なく、衆生の外に仏はありません。
衆生はすぐ近くにあるものを遠く求めるばかり。
例えば水の中に居て、喉が渇いたと叫ぶんでるようなもの。
裕福な家に育って貧しいと迷うに他ならない。
六趣輪廻の因縁は 己が愚痴の闇路なり
闇路に闇路を踏み添えて いつか生死を離るべき
夫れ摩訶衍の禅定は 称歎するに余りあり
布施や持戒の諸波羅蜜 念仏懺悔修行等
其品多き諸善行 皆この中に帰するなり
一坐の功をなす人も 積みし無量の罪ほろぶ
悪趣いずくに有ぬべき 浄土即ち遠からず
辱なくも此の法を 一たび耳にふるる時
讃歎随喜する人は 福を得ること限りなし
いわんや自ら回向して 直に自性を證すれば
自性即ち無性にて すでに戯論を離れたり
因果一如の門ひらけ 無二無三の道直し
無相の相を相として 行くも帰るも余所ならず
無念の念を念として うたうも舞うも法の声
三昧無礙の空ひろく 四智円明の月さえん
此の時 何をか求むべき 寂滅現前する故に
当処即ち蓮華国 此の身即ち仏なり
248.
ユーザー
pmxKu
きた〜
ムイムイ、
迎撃準備〜〜
🚨
249.
ユーザー
pmxKu
主砲砲門開け〜〜
?
🚨
250.
ユーザー
pmxKu
う〜ちかた〜は〜
🚨
251.
ユーザー
QHoIG
煩悩への対処法

煩悩を一息で切る。
煩悩に気づくだけでいじらない。
煩悩に成り切る。
煩悩を抱きしめる。
252.
ユーザー
pmxKu
な〜に寝言言ってんだ〜?
😒😒😒😒😒


う〜ちかた〜はじめ〜
🔥🔥
253.
ユーザー
pmxKu
ボコられたいよーだ
🔥
254.
ユーザー
pmxKu
ゴングは
鳴ったな
🔥
255.
ユーザー
fpDQX
あんま期待してねえ
でおさんがヤジとばすだけやろ
256.
ユーザー
JipF7
昨日キャンプで久しぶりにカップヌードルカレー食べたら美味しかった。
コンビニ行ったらビックがあったから買ってみた。
257.
ユーザー
pmxKu
お、かしこい〜

いいことだ〜
😄
258.
ユーザー
JipF7
259.
ユーザー
JipF7
>>258
コンビニにも置いてあるこれ。
無茶苦茶辛いです。
人間の食べ物を超えている笑
260.
ユーザー
LMcDO
ナイフの鋼材は硬すぎでもチップしたり研ぎにくい。
昨日今日でナイフ使ってみたけど、A2鋼材くらいの硬度がいいね。
ただ、A2は錆びやすい、こまめにメンテしてまた使って研いでと、研ぎやすいのでいいね。
261.
ユーザー
VMLBM
キャンプで食べるとただのカップヌードルでも

とても美味しく感じる。

自然の味付けが加わるのかなー
262.
ユーザー
uVOqC
道元禅師の
仏道をならふといふは、自己をならふなり。
自己をならふといふは、自己をわするるなり。
自己をわするるといふは、万法に証せられるなり。
万法に証せられるといふは、自己の身心
および他己の身心をして脱落せしむるなり。


これ自己を習うなりに徹したらあとは勝手にそうなるんです。
つまり自己を忘れようとか万法を得ようとかしなくても勝手にそうなるって事です。

仏道をならふといふは、自己をならふなり。

の一文がいかに大事であるかわかって頂きたい。
これを悟った後でも生涯に渡ってやっていく訳です。

じゃ実際、自己を習うってどうすれば良いか。
普段自分がどんな念が出るかに気づく事です。
263.
ユーザー
uVOqC

坐禅してる時、無字で念を切ってるのであれば、日常でも無字で念を切る事だけをします。
ですが歩いてる時やご飯を食べてる時に無字は難しい。
メインの動きで念を切ります。
歩いてる時は歩くに徹して念を切る。
食べるに徹して念を切る。
あらゆる動作、五感を使って念を切って行きます。
なので動作はゆっくり丁寧な方が良い。
身体は常に今にあります、心が散っている。
つまり心を身体に近づけて心身一如に持って行く。
身心脱落しようと思っても身心脱落しません。
心身一如の先に身心脱落があります。
264.
ユーザー
puqk1
参同契
竺土大仙の心、東西密に相附す、人根に利鈍あり、
道に南北の祖なし、霊源明に皓潔たり、支派暗に流注す、事を執するも元これ迷い、理に契うも亦悟にあらず、
門門一切の境、回互と不回互と、回してさらに相渉る、しからざれば位によって住す、
色もと質像を殊にし、声もと楽苦を異にす、
暗は上中の言に合い、明は清濁の句を分つ、
四大の性おのずから復す、子の其の母を得るがごとし、火は熱し、風は動揺、水は湿い地は堅固、眼は色、耳は音声、鼻は香、舌は鹹酢、
しかも一一の法において、根によって葉分布す、本末すべからく宗に帰すべし、
尊卑其の語を用ゆ、明中に当って暗あり、暗相をもって遇うことなかれ、
暗中に当って明あり、明相をもって覩ることなかれ、明暗おのおの相対して、
比するに前後の歩みのごとし、万物おのずから功あり、当に用と処とを言うべし、
事存すれば函蓋合し、理応ずれば箭鋒さそう、言を承てはすべからく宗を会すべし、
みずから規矩を立することなかれ、触目道を会せずんば、
足を運ぶもいずくんぞ路を知らん、歩をすすむれば近遠にあらず、
迷て山河の固をへだつ、謹んで参玄の人にもうす、光陰虚しく度ることなかれ。
265.
ユーザー
B6vkX
坐禅の仕方

結跏趺坐か半跏趺坐で坐ります。
背筋は伸ばします。
目は半眼、目を完全に閉じてしまうと念を追っかけやすいです、半眼にして視覚でも念を切って行く工夫です。
坐禅中は一息に意識を置き念を切って行く感じです。
いつのまにか一息から離れて念を追っかけてますので、気がつけば一息に戻ります。
数息観でもいいんですが、本来一息の連続で一の息二の息なんてありません、つまり数息観には時間が入ってしまうんです。
ですからあえて数を数える必要はありません。
良い念悪い念にかかわらずあらゆる念を切って行きます。
良い念悪い念としているのは何者ぞ。
坐禅中、念を追っかけて気持ちよくなってるのは三昧ではありません。
どちらかと言えば意識はしっかりさせている感じです。
寝てはいけません。
動いても大丈夫です、動いて念を切ればいいので。
時間は1炷で30分でいいです。
最初は五分でもかまいませんから毎日する事です。
念に意味を持たせるから追っかけてしまいます。
意味のない念、無念の念を継いで行く事を目指します。
266.
ユーザー
PVYyf
>>263
撃ち方はじめ〜〜〜

できもせん
妄想懲りないのかっ!?


😟😟😟😟😟
267.
ユーザー
PVYyf
>>263
そんなに

ボコラれたいのか?
😟😟😟
268.
ユーザー
AFTJq
『道友』

 雲水は、人生を空を行く雲と、地を流れる水にたとえたものです。行く雲のようになににもとらわれず、また、流れる水のように決まった枠にはめられない、本当の意味での自由を象徴的に表現するものなのです。
 禅の修行者を雲水と呼ぶのは、自由(解脱)とよき師を求めて日本全国を訪ねてまわり求道の旅をするからです。
 また雲水は、よい友とつれ立ち、互いに励まし合いながらする旅でもあります。ともに道を求める友ですから、これを『道友』と呼びます。

仏教では『善友(親友とも)』といって、よき友を得れば必ずよき師に出会えるとして、友を大切にします。
269.
ユーザー
PVYyf
ムイムイ、
ボコラれたいレス

キボンぬ〜
😄
270.
ユーザー
2UZH8
わたしと言う塊がないから、わたしは無常であるから一瞬一瞬、解脱してるんだよね。
271.
ユーザー
PVYyf
ムイムイ、さ〜
まっでるぼおづっ〜〜〜!!!
デスメタル風でっばっ!

👿👿👿👿
272.
ユーザー
PVYyf
デスメタル芸わふれでだぁっづづ〜!!!

👿👿👿👿👿👿
273.
ユーザー
jCJa4
「諸縁を放捨し、万事を休息して、善悪を思わず、是非を管すること莫れ。心意識の運転を停め、念想観の測量を止めて、作仏を図ること莫れ。」
274.
ユーザー
bX008
愛は総てを許す力

愛するときは身をも捨てることさえ出来る

愛有るが故に戦うことが出来るし

愛有るが故に戦いを止めることも出来る
275.
ユーザー
WcMVk
人間は比較するから苦痛が生まれるんだよ。
雨の日に晴れの日と比較するから、
そう言う比較を止めると楽になる。

晴れの日は晴れ
雨の日は雨
276.
ユーザー
zBO9b
どのように毎日を送ろうと、世界=自分です。ただ、それに気が付かないということです。気づくための方法はありません。目の前のPCに気づいていないとして、気づかせる方法があるわけではなく、ただ、気づくしかないわけです。

しかし、気づきやすい状況を作ることはできます。それは、自分を状況とひとつとしていくことです。これが、坐禅であり、公案であり、念仏であるわけです。
そして、日常では、やっていることとひとつになって、一所懸命やる、ということになるわけです。

そして、そういうことに気を付けてるうちに、ヒョイっと、自己=世界ということに気づいたりする、というわけです。
277.
ユーザー
iq4IR
カムイさんはそのスタートラインに執着しすぎ

そんなもんは何でもないんだから執着捨てたら?
278.
ユーザー
iq4IR
そんな自明な当たり前のことに頑なになってぎゅっと神経や身体を硬らせて執着したら気がおかしくなりますぜ

スタートラインに立ったらそういうものは捨てたらいい
279.
ユーザー
zBO9b
過去・未来のスイッチが切れて今だけになる時あらゆる苦しみが浄化される
苦楽を超えた安楽が非常に心地いい
良い・悪いが無くなって行き事実だけがただあるだけ。
280.
ユーザー
iq4IR
それが何でもない坐禅のスタートラインでそ
281.
ユーザー
zBO9b
一息に徹する。
禅では数息観が有名ですが、一息と数息観は少し違います。
数息観ってのは息に合わせてひとーつ!ふたーつ!って十まで数えるやり方なんですが、息ってのは二の息とかないですよね。
つまり、一息の連続です。
282.
ユーザー
iq4IR
息になるとイマココになるからな

でもスイッチ作って息見なくてもイマココになれるようになるとさらにコスパが高い
283.
ユーザー
iq4IR
スタートラインに強張って執着するとスタートラインから一歩も動けなくなる、みたいな現象もあるのだろうと思われる

カムイさん見てたらそう思う
284.
ユーザー
zBO9b
雨にも負けず
「雨にも負けず」 宮沢賢治
雨にも負けず 風にも負けず 雪にも夏の暑さにも負けぬ 丈夫なからだを持ち 欲は無く
決して瞋からず 何時も静かに笑っている
一日に玄米四合と 味噌と少しの野菜を食べ あらゆる事を自分を勘定に入れずに 良く見聞きし判り
そして忘れず
野原の松の林の影の
小さな萱葺きの小屋に居て
東に病気の子供あれば 行って看病してやり 西に疲れた母あれば 行ってその稲の束を背負い 南に死にそうな人あれば 行って怖がらなくても良いと言い 北に喧嘩や訴訟があれば つまらないからやめろと言い
日照りのときは涙を流し 寒さの夏はオロオロ歩き 皆にデクノボーと呼ばれ 誉められもせず苦にもされず そういう者に
私はなりたい
285.
ユーザー
iq4IR
そうなるのはスタートラインのなんでもない体験を我執で「特別なものであって欲しい、そうあれば私は私の中でなんらか偉大であれるから」みたいなのがおそらく付着してるはず

そこから離れるためにさらにムーーーーっとやればやるほど頑なになる
286.
ユーザー
zBO9b
坐禅とか続けてると苦が無くなっていくんで楽になります。
俺もこの楽に随分と長く安住してた。
でも、なんかしっくり来ない。
ある日、禅堂で坐禅しながらこの楽を必死に切ってました。
2日目かな、楽が切れたのがわかった。
感覚としとは、すっからかん。
ここが安楽です。
心は実体がないから苦楽のない安楽となります。
287.
ユーザー
zBO9b
禅に出会って17年になりますが、最初の頃は聞いてもその時はそうだってなるんだけど、すぐブレるんよね。
そして、また同じことを聞くの繰り返し。
それが最近、全然ブレない。
ブレない自分に本当びっくりします。
288.
ユーザー
zBO9b
わたしは幸いにも良い師に巡り合いました。
ここでやっと自燈明・法燈明が作動し師はもはや不要となります。
ですので、鬼和尚の1人サイの角のように
歩めは、ここに来てやっと出来る訳で、それまでは正師につかないと、例えば数息観のみをやり続けるのは難しいと思います。
ほかになんかあるんじゃないかとキョロキョロしますんでね。
289.
ユーザー
iq4IR
定着してきたのはええことだ
290.
ユーザー
jmhTU
悟り前

  ∧_∧
 ( ・∀・) ドキドキ
 ( ∪ ∪
 と__)__)



悟り後

+   +
  ∧_∧  +
 (0゚・∀・)   ワクワクテカテカ
 (0゚∪ ∪ +
 と__)__) +
291.
ユーザー
jmhTU
悲しみが現にあるとき、思考をそれに少しも介入させず、それと共に留まっているとき、つまりあなたがそっくり悲しみであり、「あなた」が悲しみを克服しようとしているのではないとき、あなたは悲しみそのものです。そして、それがそっくり全部出るとき、それは消えるのです。あなたと悲しみが別々で断片化しているときにのみ、苦痛があるのです。
クリシュナムルティ

簡単言うと、この世の終わりくらい悲しいときは泣けってことです。
すると悲しみが落ちるんです。
292.
ユーザー
tW3u6
まずは知識欲を捨てること。
知欲も欲であり仏法の大敵である。
こうした気持ちを捨てない限り、分りたい気持ちが走るため、どうしても書物を漁ってしまう。
そして知らず知らず理屈の虜になり、本源からズレて外道に落ちる。
293.
ユーザー
7dGtI
息に意識を置くだけで悟れるんです。
294.
ユーザー
KTgPO
息に意識を置くのはスタートラインですな

基本は究極って言えるのは凄い人だけだ
295.
ユーザー
OnJtk
>>293
> 息に意識を置くだけで悟れるんです。


 ̄|_|○ドテッ

意識しちゃー無我では無いよ。騒動衆 だねぇ。
296.
ユーザー
KTgPO
息が働きになれば存在は息になりますよ

そんな初歩的なことを言ってるだけで騒動もないもない

騒動はそれに「固執しすぎる」ところすな
297.
ユーザー
KTgPO
過去も未来もない、とか言いながら

言えばいうほど固執しとるなぁーってなるよくある執着す
298.
ユーザー
Xu92b
おはよう
299.
ユーザー
2taIL
>>294
そう、もうわたしは基本が究極と言える
300.
ユーザー
Q23Ew
ブイブイっ〜〜〜〜


👿👿👿👿👿
301.
ユーザー
2taIL
>>294
つまり、あなたが思ってるより俺は凄い人なんです。
なのであなたの指摘は全て釈迦に説法ですよ。
302.
ユーザー
2taIL
自分から目を離さない
303.
ユーザー
2taIL
動作はゆっくり丁寧に
304.
ユーザー
2taIL
外に散ってる心を内に持ってくる。
305.
ユーザー
Q23Ew
索敵〜
レーダ探知する〜
😟



818.
ユーザー
麦◆MUGITANx95Dj
KpUTC
∞ノノハ∞
川^〇^ハレカムイたんお薬忘れずに飲んでね

宗教妄想って怖いねwww

2023/11/14 00:38:29
306.
ユーザー
SEp6J
坐禅は念の浄化です。
307.
ユーザー
UCV2I
吸う息、吐く息
308.
ユーザー
UCV2I
吸う息、吐く息だけで悟ります。
309.
ユーザー
hDkHt
見ている風景がわたし
310.
ユーザー
KTgPO
>>299
そうなんだ

ざらざらしとりますなー
311.
ユーザー
obLAw
なんかレイバンからトップガンマーベリックのサングラスが出てたから買いました笑
312.
ユーザー
4MQVx
>>310
あなたがざらざらしてるからです。
313.
ユーザー
KTgPO
いえすおあのーですな

私のざらざらがあなたのざらざらを知覚したって仕組みでそ

もちろん、私の中にもざらざらはある
314.
ユーザー
eJwco
ブイブイっ〜〜〜〜
👿
315.
ユーザー
KTgPO
カムイさんの症状が分かってきた
316.
ユーザー
4MQVx
今を離してはいけない。
317.
ユーザー
KTgPO
そうそう、そうリアクションする

引きこもらないといけない
318.
ユーザー
4MQVx
>>315
わたしのの事が、わかったのですか?
あなたなんぞ相手にしてないという事を。
319.
ユーザー
4MQVx
ゆえに、すべからく言(こと)を尋ね、語を逐(お)うの解行(げぎょう)を休すべし。
すべからく、回光返照(えこうへんしょう)の退歩を学すべし。
身心(しんじん)自然(じねん)に脱落して、本来の面目現前せん。
320.
ユーザー
4MQVx
心意識の運転を停め、念想観の測量(しきりょう)を止めて、作仏(さぶつ)を図ることなかれ。
321.
ユーザー
Q23Ew
ブイブイ〜
ロックオンされとる〜
👿
322.
ユーザー
4MQVx
大切なことなので改めて言うが、坐禅とは頭での理解ではない。
考えるという営み自体は非常に重要だが、本当の理解とは、頭で考えて得られるものではない。


理解ではないと理解することが坐禅を会得する第一歩なのだが、それを理解したところで、それもまた結局は頭での理解にほかならない。
では理解ではないところの理解とは何なのか。
それは、理解ではないものへの理解である。


頭のはたらきから離れた境地、是非や善悪といった価値判断を忘れ去った境地。
そういった理解ではないものを理解するとき、自分と他者を隔てる壁が消失したような心地に至ることがある。


そこにはもはや、坐禅を理解しようなどという思い自体が存在しない。
坐禅という概念すらあやふやになって、自己と坐禅とが別のものではなくなるのである。
世界を感じ、世界そのものとなる。


それが坐禅の妙味であるといえるだろう。
323.
ユーザー
4MQVx
https://www.zen-essay.com/entry/hukanzazengi


この人しっかりしてるな。
324.
ユーザー
KTgPO
>>318
なんとなくね

特別でありたいから入口で引き篭もる、みたいな感じの印象を受けた
325.
ユーザー
KTgPO
形而上の入口体験を過剰評価したいのは、特別な存在でありたいからなのだろう
326.
ユーザー
KTgPO
その体験はなんでもないのだが、何でもないものを特別なものにし続けるためには、引き篭もって、その場に留まり続けないといけない

だから力んで、その何でもない体験が特別である、と自己洗脳し続ける必要がある
327.
ユーザー
KTgPO
この辺の姿勢が時間が止まってるラピスと何となく似てて、だから相性が良く、仲良く出来ていたのだろう
328.
ユーザー
Q23Ew
ブイブイっ〜〜〜〜
👿
329.
ユーザー
KTgPO
こんな印象だな

ムーーーーーーー
330.
ユーザー
Q23Ew
ロンよりは
ダメージ低いだろうが〜
ロン以来のピンチブイブイかも〜
👿
332.
ユーザー
fq8Q7
やっぱり道元禅師は凄い人だ、
333.
ユーザー
fq8Q7
過去を本当の過去にする。
334.
ユーザー
fq8Q7
吸う息、吐く息
335.
ユーザー
yUgjv
吸う息、吐く息を意識すれば純粋の只管ではありませんけど、そこから入って行きます。
336.
ユーザー
yUgjv
念を追っかけない
337.
ユーザー
3UUvo
原(たず)ぬるにそれ、道本円通(どうもとえんづう)いかでか修証(しゅしょう)を仮(か)らん。
宗乗自在(しゅうじょうじざい)なんぞ功夫(くふう)を費さん。
いわんや、全体はるかに塵埃(じんない)を出づ、たれか払拭(ほっしき)の手段を信ぜん。
おおよそ当処を離れず、あに修行の脚頭(きゃくとう)を用うるものならんや。
338.
ユーザー
3UUvo
そもそも真理とは、どこかに隠されているものではない。
眼に映るすべての存在が、余すことなく真理を表現し尽くしているのであって、修行や悟りなどといった事柄を考える以前に、真理はあたりまえに世界に溢れている。
その大自然の理法を感じ取ることに、特別な技法など必要ない。


塵や汚れを拭き取るように修行を続けなければ真理と出会うことはできないと考える人は多いが、そうではない。
また、真理とはどこか遠くへ求めなければ得られないものと考える人もいるが、そうでもない。


今自分がいるこの場所で十分なのである。
特別な修行の末に、真理という名の悟りがあるのではないということを、まず知っておいてほしい。
339.
ユーザー
3UUvo
しかれども、毫釐(ごうり)も差あれば天地はるかに隔り、違順(いじゅん)わずかに起れば紛然(ふんぜん)として心を失す。
たとい、会(え)に誇り悟(ご)に豊かにして、瞥地(べっち)の智通(ちづう)を獲(え)、道を得(え)、心を明らめて衝天(しょうてん)の志気(しいき)を挙(こ)し、入頭(にゅっとう)の辺量(へんりょう)に逍遥(しょうよう)すといえども、ほとんど出身の活路を虧闕(きけつ)す。
340.
ユーザー
3UUvo
ただ、真理を悟ることに特別な技法は存在しないと言っても、真理を見つめる自分の眼に少しでも自分本位な部分があったなら、眼に映る世界は真実の世界からかけ離れたものになってしまうだろう。


真実を悟ったとか、自分の理解はすばらしいだとか、物事の本質を摑んだとか言って、有頂天になってしまったなら、それはもはや真実を知る道を自分でふさいでしまったに等しい。
341.
ユーザー
3UUvo
いわんや、かの祇園(ぎおん)の生知(しょうち)たる、端坐(たんざ)六年の蹤跡(しょうせき)見つべし。
少林の心印を伝うる、面壁九歳の声名(しょうみょう)なお聞こゆ。
古聖すでにしかり、今人(こんじん)なんぞ弁ぜざる。
ゆえに、すべからく言(こと)を尋ね、語を逐(お)うの解行(げぎょう)を休すべし。
すべからく、回光返照(えこうへんしょう)の退歩を学すべし。
身心(しんじん)自然(じねん)に脱落して、本来の面目現前せん。
恁麼(いんも)の事(じ)を得んと欲せば、急に恁麼(いんも)の事を務めよ。
342.
ユーザー
3UUvo
仏法を学ぶ者は知っていることだろうが、かのブッダは6年間の苦行の末に坐禅を行い悟りを開いた。
ブッダの心を受け継いだ達磨禅師は、9年間もの永きにわたって壁に向かってひたすら坐禅をした。


昔の偉大な方々は、これほどまでに坐禅を重要視してきた。
我々が坐禅をしなくてよい道理など、あるはずもない。


人の言葉や書物の文字から真理を摑もうというのは、所詮、観念的な理解の域を出ないものだ。
外から何かを学ぼうというのではなく、坐禅によって、真理を自己の内側に求めるのでなければ、いつまでたっても真理を知ることはできないだろう。


身と心が坐禅となりきったとき、真理はありのままに目の前にあらわれる。
この道理を知りたいと思うならば、実際に坐禅をはじめる以外に方法はない。
343.
ユーザー
3UUvo
それ、参禅は静室(じょうしつ)宜しく、飲食(おんじき)節あり。
諸縁を放捨(ほうしゃ)し万事を休息して、善悪を思わず是非を管することなかれ。
心意識の運転を停め、念想観の測量(しきりょう)を止めて、作仏(さぶつ)を図ることなかれ。
あに坐臥(ざが)に拘わらんや。
344.
ユーザー
3UUvo
さて、坐禅を行う際の方法であるが、まず坐禅を行うのは静かな場所がいい。
また、食事の直後のように腹が膨れた状態や、空腹の状態での坐禅は避けたほうがいい。


人は日々、いろいろなことを考えながら生きているが、何かを考えることをすべて一度やめて、良いとか悪いとか正しいとか間違いだとかいう判断も下さずに静かに坐りなさい。
心で何かを感じようともせず、頭で何かを考えることもせず、もちろん悟りを開こうなどとも思わずに坐るのだ。


こうした坐禅は、日常生活のなかでただ単に座ることとはまったく別の話である。
345.
ユーザー
3UUvo
尋常(よのつね)、坐処(ざしょ)には厚く坐物を敷き、上に蒲団を用う。
あるいは結跏趺坐(けっかふざ)、あるいは半跏趺坐(はんかふざ)。
いわく結跏趺坐は、まず右の足をもって左の腿の上に安じ、左の足を右の腿の上に安ず。
半跏趺坐は、ただ左の足をもって右の腿を圧(お)すなり。
寛(ゆる)く衣帯を繋(か)けて、斉整(せいせい)ならしむべし。
次に、右の手を左の足の上に安じ、左の掌を右の掌の上に安ず。
両の大拇指(だいぼし)、面(むか)ひて相拄(あいさそ)う。
346.
ユーザー
3UUvo
通常の坐禅は、座布団などの厚い敷物を敷き、その上に坐蒲という丸い蒲団をのせて、その上に自分の腰を据える。
坐り方には、結跏趺坐と半跏趺坐がある。


結跏趺坐とは、まず右の足先を左の腿の上にのせ、つぎに左の足先を右の腿の上にのせる形をいう。
半跏趺坐とは、右足は動かさず、左の足先を右の腿の上にのせるだけの形をいう。


服装についてであるが、窮屈なものはよくない。
ゆったりとした服がよいが、くれぐれもだらしなく着ることのないように、きちんと整えた上で坐禅をすること。


足を組んだら、次に右手を、手のひらを上に向けた状態で左足の上におき、その上に左手を、やはり手のひらを上に向けた状態でのせる。
そして両手の親指の先を、微かに触れる程度にくっつけて法界定印を結ぶ。
347.
ユーザー
3UUvo
すなわち正身端坐(しょうしんたんざ)して、左に側(そばだ)ち、右に傾き、前に躬(くぐま)り、後(しりえ)に仰ぐことを得ざれ。
耳と肩と対し、鼻と臍(ほぞ)と対せしめんことを要す。
舌、上の顎(あぎと)に掛けて、唇齒(しんし)相著(あいつ)け、目は、すべからく常に開くべし。
348.
ユーザー
3UUvo
坐禅の形が出来上がったら、必ず背筋を伸ばして真っ直ぐに姿勢を正すように。
左右どちらかに傾いたり、前に俯いたり、後ろにのけぞったりした状態で坐禅をしてはいけない。


両耳を結ぶ線と両肩を結ぶ線が平行になり、その線に鼻と臍(へそ)を結ぶ線が垂直になるように意識すること。
舌は上の前歯の付け根のあたりにくっつけて、歯を噛み合わせて口を閉じる。
眼は必ず半眼にして、閉じずに少し開けておく。
349.
ユーザー
3UUvo
鼻息(びそく)微かに通じ、身相(しんそう)既に調えて、欠気一息(かんきいっそく)し、左右搖振(さゆうようしん)して、兀兀(ごつごつ)として坐定(ざじょう)して、この不思量底(ふしりょうてい)を思量せよ。
不思量底、如何(いかん)が思量せん。
非思量(ひしりょう)。
これすなわち坐禅の要術なり。
350.
ユーザー
3UUvo
呼吸はゆっくりと鼻で行う。
そのようにして坐禅の姿勢が整ったら、一度大きく深呼吸をして、体を左右にゆっくりと揺らすのを繰り返しながら、中心となる場所を感じ取ってどっしりと不動の坐を結ぶ。


大切なことなので改めて言うが、坐禅とは頭での理解ではない。
考えるという営み自体は非常に重要だが、本当の理解とは、頭で考えて得られるものではない。


理解ではないと理解することが坐禅を会得する第一歩なのだが、それを理解したところで、それもまた結局は頭での理解にほかならない。
では理解ではないところの理解とは何なのか。
それは、理解ではないものへの理解である。


頭のはたらきから離れた境地、是非や善悪といった価値判断を忘れ去った境地。
そういった理解ではないものを理解するとき、自分と他者を隔てる壁が消失したような心地に至ることがある。


そこにはもはや、坐禅を理解しようなどという思い自体が存在しない。
坐禅という概念すらあやふやになって、自己と坐禅とが別のものではなくなるのである。
世界を感じ、世界そのものとなる。


それが坐禅の妙味であるといえるだろう。
351.
ユーザー
3UUvo
いわゆる坐禅は、習禅にはあらず。
ただこれ安楽の法門なり。
菩提を究尽(ぐうじん)するの修証(しゅしょう)なり。
公案現成(こうあんげんじょう)、羅籠(らろう)いまだ到らず。
もし、この意を得ば、龍の水を得るがごとく、虎の山に靠(よ)るに似たり。
まさに知るべし、正法(しょうぼう)自(おのずか)ら現前し、昏散(こんさん)まず撲落(ぼくらく)することを。
もし、坐より立たば、徐徐(じょじょ)として身を動かし、安祥(あんしょう)として起つべし。
卒暴(そつぼう)なるべからず。
352.
ユーザー
3UUvo
いわゆる坐禅というものを、心を落ち着ける技法とか、悟りを開くための修行法と考えてはいけない。
坐禅とは、安らかに生きる入口である。
日常生活のあらゆる場面で、坐禅をしているときのような心で生きることが大切であるから、坐禅は入口なのだ。


坐禅は仏の姿にほかならない。
人が、人でありながら仏となる坐禅は、まことに尊い姿である。
それは悟りのあらわれであるともいえる。


自分本位の自我意識を忘却すれば、身と心は本当に自由なものになるのだ。
それはあたかも、龍が水を得て本来の力を発揮するように、虎が山に入って本分をまっとうするように、存在が本来あるべき姿を取り戻すことに似ている。


存在の真実は、いつでも目の前にあらわれている。
それに気が付きさえすれば、迷い悩む心は消失する。


坐禅を終える際についてだが、ゆっくりと体をほぐしながら、坐禅の心を維持するように安らかに立ち上がるように気を配ること。
急いだり、荒々しく動いたりしてはいけない。
353.
ユーザー
3UUvo
かつて観る、超凡越聖(ちょうぼんおっしょう)、坐脱立亡(ざだつりゅうぼう)も、この力に一任することを。
いわんや、また指竿針鎚(しかんしんつい)を拈ずるの転機、仏拳棒喝(ほっけんぼうかつ)を挙(こ)するの証契(しょうかい)も、いまだこれ思量分別のよく解するところにあらず。
あに、神通修証(じんづうしゅしょう)のよく知るところとせんや。
声色(しょうしき)の外(ほか)の威儀(いいぎ)たるべし。
なんぞ知見の前(さき)の軌則にあらざるものならんや。
354.
ユーザー
3UUvo
かつての禅者のなかには、凡聖などという人間の計らいを超えた人物や、坐禅を組んだまま亡くなるという傑物が何人も存在した。
そのような力はすべて坐禅から生まれたものだ。


また、禅師が弟子等を導く際には、機敏に心をはたらかせて様々な方法が用いられてきたが、そのはたらきの根源にあるものは知識などではなく、やはり坐禅であった。
このような坐禅の力は、不可思議な力、つまりは神秘的な能力などとは関わりがない。


目の前にあらわれているあたりまえの世界を、真実の世界だとはっきり受け取ることが重要なのであって、眼に映る存在の裏に何かが隠れているのではないかとか、不思議な力があるのではないかと考えることが坐禅なのではない。
355.
ユーザー
3UUvo
しかれば則ち、上智下愚(じょうちかぐ)を論ぜず、利人鈍者(りじんどんしゃ)を簡(えら)ぶことなかれ。
専一に功夫(くふう)せば、まさにこれ弁道(べんどう)なり。
修証(しゅしょう)自(おのずか)ら染汙(ぜんな)せず、趣向(しゅこう)さらにこれ平常(びょうじょう)なるものなり。
356.
ユーザー
3UUvo
坐禅において、頭の良し悪しや、学歴や学問の有無などといった事柄は、まったく何の不都合ももたらさない。
自分本位の心を放り捨てて一心に坐禅に励めば、それ以上の坐禅は存在しないからである。


坐禅とは修行でありながら、同時に悟りの姿でもある。
過程でありながら、すでに結果なのだ。
特別なものは何もなく、難しいこともなく、ただ静かな心で坐ることで、誰もが坐禅とは何なのかを知ることができる。
357.
ユーザー
3UUvo
およそそれ、自界他方(じかいたほう)、西天東地(さいてんとうち)、等しく仏印を持し、もっぱら宗風を擅(ほしいまま)にす。
ただ打坐(たざ)を務めて、兀地(ごっち)に礙(さ)えらる。
万別千差というといえども、祗管(しかん)に参禅弁道すべし。
なんぞ自家の坐牀(ざしょう)を抛却(ほうきゃく)して、みだりに他国の塵境(じんきょう)に去来せん。
もし一歩を錯(あやま)れば、当面に蹉過(しゃか)す。
358.
ユーザー
3UUvo
どのような世界に生きる人であっても、インドでも中国でも日本でも、仏道を学ぶ者は坐禅によって世界の真理を感じ取ってきた。
悟りのあらわれである坐禅を続けることで、真理を摑んできたのである。


人は一人ひとりみな異なっており、その導き方も人の数だけあると考えられるが、坐禅をして修行に励むという点に関しては共通していなければいけない。
坐禅はどこか遠くへいかなければできないものではない。
修行とは外に求める心を起こすことではない。


今自分がいるこの場所で、自分の内側に眼を向ける。
それが重要なのであって、そこを間違えれば坐禅は坐禅でなくなってしまう。
359.
ユーザー
3UUvo
すでに人身の機要を得たり、虚しく光陰を度(わた)ることなかれ。
仏道の要機を保任す、誰かみだりに石火を楽まん。
しかのみならず、形質(ぎょうしつ)は草露のごとく、運命は電光に似たり。
倐忽(しゅくこつ)としてすなわち空じ、須臾(しゅゆ)にすなわち失す。
360.
ユーザー
3UUvo
不思議なもので、私たち人間は、気が付けばいつの間にか人間としてこの世界に生まれていた。
人間として生まれたのであれば、人間としてまっとうに生きるのが常なのであって、無駄に時間を費やすようなことをしていては空しいだけだ。


だから一時の快楽を追い求めることや、易きに流れるような生き方をしてはいけない。
私たちの命は、いつでもすぐに消えてしまうほど儚いものである。
無常の世界にあって、時間が無限にあると思い込んでしまうと、本当に大切なことを知ることなく、生を終えてしまうことになりかねない。
361.
ユーザー
3UUvo
冀(こいねがわ)くは、それ参学の高流(こうる)、久しく摸象(もぞう)に習って真龍(しんりゅう)を怪むことなかれ。
直指端的(じきしたんてき)の道に精進し、絶学無為(ぜつがくむい)の人を尊貴し、仏仏の菩提に合沓(がっとう)し、祖祖の三昧を嫡嗣(てきし)せよ。
久しく恁麼(いんも)なることを為さば、すべからくこれ恁麼(いんも)なるべし。
宝蔵(ほうぞう)自(おのずか)ら開けて、受用(じゅゆう)如意(にょい)ならん。
362.
ユーザー
3UUvo
最後に、仏道を学ぼうと志す人たちに申し上げる。
人の言葉や、書物の文字、知識の一端から垣間見た坐禅で、坐禅を理解したと思い込むことだけはしてはいけない。
必ず自分自身で坐り、そのようにして修行をする人の姿から学び、先人が切り開いた心を自分の心にも生じさせ、ブッダから伝わる坐禅を正しく受け継がなくては、それは坐禅ではない。


ブッダの坐禅をあなたが行えば、あなたはブッダと同じ坐禅をしたことになる。
その時、あなたの心は平安に満ちて、眺める世界がすべて真理のあらわれであったことに気が付くことができる。
それが、ブッダから伝わる坐禅である。
363.
ユーザー
3UUvo
この人の現代語訳なかなかいいですね。
364.
ユーザー
V9omT
坐禅は安楽の法門の入り口です。
ですから、坐禅しようがしまいが今ここが安楽の法なんです。
365.
ユーザー
4NfGU
日常底の単を練ることが大切である。
366.
ユーザー
4NfGU
坐禅だけを修行だと思っていたら一生かかっても埒はあかない。
367.
ユーザー
4NfGU
常に道であること。
368.
ユーザー
4NfGU
例えばラジオでもテレビでも、聞くときは、「只」聞き、「只」見るだけ。
369.
ユーザー
4NfGU
入って来るままに聞くだけ。
370.
ユーザー
4NfGU
感情も気付きも入れない。
371.
ユーザー
4NfGU
自分を虚にしておく。
372.
ユーザー
4NfGU
「面白い」と言うたり思ったりするのは、何かに引っかかっている証拠である。
373.
ユーザー
4NfGU
何も無しにあると、そのまま入って聞こえて終わる。
374.
ユーザー
4NfGU
それが「正聞」である。
375.
ユーザー
4NfGU
眼に於いては「正見」と言う。
376.
ユーザー
4NfGU
お釈迦さまがちゃんと言って居られることだ。
377.
ユーザー
4NfGU
見たり、聞いたりの縁について何か出るうちは、何か引っかかってるいる。
378.
ユーザー
4NfGU
つまり自我が有るからだ。
379.
ユーザー
4NfGU
疲れている時、ただ休んでじっとしていればよい。
380.
ユーザー
4NfGU
辛いとか、何かと云う気持ちが少しでも出ると、その物に何か引っかかっている。
381.
ユーザー
4NfGU
辛ければ辛いままであればよい。
382.
ユーザー
4NfGU
病もまた道であり、疲れもまた道である。
383.
ユーザー
4NfGU
自分の中に、何かが出た時は自我が立っている証拠である。
384.
ユーザー
4NfGU
一度は、迷いと迷えない「単」とのはっきりした違いに気づかねば、我見が入ったか入らんかの区別がつかない。
385.
ユーザー
4NfGU
この正法の線をはっきりさせるためには、「今」を離してはならない。
386.
ユーザー
4NfGU
常に「只」するよう努力していればそれで良い。
387.
ユーザー
4NfGU
ポカンとなり夢や幻の馬鹿になるのとは異なる。
388.
ユーザー
4NfGU
そこを誤解しないように。
389.
ユーザー
4NfGU
善悪や損得の気持ちがあった時は、あと残りがする。
390.
ユーザー
4NfGU
その残った上で次の事をしていることが多い。
391.
ユーザー
4NfGU
すると過去と今が重なるので大きな邪魔者になる。
392.
ユーザー
4NfGU
常に自分を注意していないとその事が分からない。
393.
ユーザー
4NfGU
例え無用な心がおこっても直ぐに捨てて相手にせずに、やるべきことを「只」やる。
394.
ユーザー
4NfGU
人と話をする時、云わないで良い事は言わない。
395.
ユーザー
4NfGU
余分な念を使わない。
396.
ユーザー
4NfGU
話は色々な事に渡るものだ。
397.
ユーザー
4NfGU
二重、三重の話が出て混線するが、その中心の線だけを取っていれば良い。
398.
ユーザー
4NfGU
一つ心で働けば良い。
399.
ユーザー
4NfGU
「単」は一つ線であること。
400.
ユーザー
4NfGU
一つのもので働けば良い。
401.
ユーザー
4NfGU
車を運転する時、心を虚にすること。
402.
ユーザー
4NfGU
景色は「只」見て、綺麗だとか何とか感情を挟んではいけない。
403.
ユーザー
4NfGU
動いている時は動くに任せて素直に動かされていれば良い。
404.
ユーザー
4NfGU
自在に何んにでも「只」応じてさらさら流れている事が分かってくる。
405.
ユーザー
4NfGU
それには「今」一点を守らねば、前後裁断している大事な線が手に入らない。
406.
ユーザー
4NfGU
綺麗なとか表現しようとした時は、囚われているからだ。
407.
ユーザー
4NfGU
一点を守らないからである。
408.
ユーザー
4NfGU
今は動いている。
409.
ユーザー
4NfGU
それを認めると何かが出ているから、囚われ付いていくことになる。
410.
ユーザー
4NfGU
何を見ても聞いても、何もなしの空である時には、そのままさらさらと只々でいける。
411.
ユーザー
4NfGU
「今」がはっきりすれば、大自然に目覚める。
412.
ユーザー
4NfGU
そうすると只管ならざるものなし。
413.
ユーザー
4NfGU
そこまで行くには「今」を守り切らねばならない。
414.
ユーザー
4NfGU
そうしないと迷いと悟り、煩悩と菩提の涯際を付ける事ができない。
415.
ユーザー
4NfGU
生死の涯際が取れるまで凡情が尽し切れるまで努力しなければならない。
416.
ユーザー
4NfGU
凡情に落ちるとは、物に落ちることである。
417.
ユーザー
4NfGU
「全て道である」すなわち煩悩即菩提というのは、いたり得た後の話である。
418.
ユーザー
4NfGU
それをごっちゃにしてはいけない。
419.
ユーザー
4NfGU
そうしないと釈尊の六年間が無意味になる。
420.
ユーザー
4NfGU
努力せずして道が成就するはずが無いでは無いか。
421.
ユーザー
4NfGU
「単」「只管」「即今」「今」も大自然、つまり普遍の真理の異名である。
422.
ユーザー
4NfGU
「解脱」とはクセが落ちて、本当の「真理」に目覚めること。
423.
ユーザー
4NfGU
この自覚症状を「悟り」という。
424.
ユーザー
4NfGU
何億年も「今」だけである。
425.
ユーザー
4NfGU
本当に生きた「今」が大切であり本当の命である。
426.
ユーザー
4NfGU
「今」を説くことはできない。
427.
ユーザー
4NfGU
聞いて分かった今は「考えた今」であり迷いの今である。
428.
ユーザー
4NfGU
世の中は今より他はない。
429.
ユーザー
4NfGU
だかこの真理を本当に自覚しなければ「今」に生きている本当の喜びも安心もない。
430.
ユーザー
4NfGU
仏道は本当の「今」に生きることである。
431.
ユーザー
4NfGU
既にみんな「今」であるから、「今」を徹底注意して離さなければ必ず自覚する。
432.
ユーザー
4NfGU
要は努力の有無である。
433.
ユーザー
4NfGU
菩提心、菩提心。
434.
ユーザー
4NfGU
「禪」は単を示すとある。
435.
ユーザー
4NfGU
単を示した行動でなければ、禅ではない。
436.
ユーザー
4NfGU
禅は要するに、単、只、ひたすらにあればよい。
437.
ユーザー
4NfGU
これが禅の極意である。
438.
ユーザー
4NfGU
不純物の無い「今」が禅である。
439.
ユーザー
4NfGU
これを「只管」という。
440.
ユーザー
4NfGU
本当に単調に「今」行じていくには、自己を忘じた力がないとできない。
441.
ユーザー
4NfGU
考えたのでは意識や感情が入っていて、不純物だらけで腐るから駄目である。
442.
ユーザー
4NfGU
自己のないことが禅である。
443.
ユーザー
4NfGU
生とか死は観念であり言葉である。
444.
ユーザー
4NfGU
思いにとらわれると思えば良い。
445.
ユーザー
4NfGU
多くは「只管」と言う言葉が、「只管」を邪魔している。
446.
ユーザー
4NfGU
「只管」にならねばいけないとか、いう意識が働いている。
447.
ユーザー
4NfGU
「只」あること、ただ「単」にある。
448.
ユーザー
4NfGU
余念を入れないように常に自分を見守っていなければいけない。
449.
ユーザー
4NfGU
「只」であらねば、禅が禅を教えてくれない。
450.
ユーザー
4NfGU
禅の趣旨や意味が判っても意味がない。
451.
ユーザー
4NfGU
「只管」にあれば、何をやっていても問題ではない。
452.
ユーザー
4NfGU
おおかたは思慮分別が先にでる。
453.
ユーザー
4NfGU
この癖を破ることが、要するに禅修行である。
454.
ユーザー
4NfGU
これが坐禅する眼目である。
455.
ユーザー
idVG9
自己のないことがはっきりすることを「見性」という。
456.
ユーザー
idVG9
しかし、「見性」しただけでは本当の融通がつかない。
457.
ユーザー
idVG9
「悟り」が邪魔をするからだ。
458.
ユーザー
idVG9
「見性」の力で「見性」を破らねばダメだ。
459.
ユーザー
idVG9
自分を抜きにして、その時のみであればよい。
460.
ユーザー
idVG9
何か自分が過去に学んだものとか、得たものとか、聞いているものとかが邪魔をする。
461.
ユーザー
idVG9
ただ今のみの世界である。
462.
ユーザー
idVG9
その場でちらっと出るものを問題にしないことだ。
463.
ユーザー
idVG9
たえず「単」であればよい。
464.
ユーザー
idVG9
私を挟まないで「単」であれ。
465.
ユーザー
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箸を上げて口に運ぶ時も、いつも「単」であれ。
466.
ユーザー
idVG9
いつもその場その場、「単」であれ。
467.
ユーザー
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どうあろうとも、その物と離れなくなる。
468.
ユーザー
idVG9
そうやり続けていると、「悟り」の牢屋から救われる。
469.
ユーザー
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自己の無いことは判っても「単」をしょっちゅう練って行くのは容易ではない。
470.
ユーザー
idVG9
自己も死もとれて本当に楽になっていく。
471.
ユーザー
idVG9
坐禅をする人は自分の癖を取ることを主体にして、常に実践していれば良い。
472.
ユーザー
idVG9
「今」がどんなことであれ、「心」に留めてはならない。
473.
ユーザー
idVG9
それができないとモノにならない。
474.
ユーザー
idVG9
自分がどんな刺激を受けてもさらさらやっていかなければいけない。
475.
ユーザー
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本当にさらさらと、諸々の縁と対立無く人生する事は難しい。
476.
ユーザー
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身と心が隔たっている限り不可能である。
心は浮遊状態にあり、勝手に精神を展開するからだ。
477.
ユーザー
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この状態である限り、我々の掛け替えのない道具であるこの身体は.煩悩の根源であり苦しみの種である。
478.
ユーザー
idVG9
隔てが常に縁と対立して、心を惑乱させ葛藤するからだ。
479.
ユーザー
idVG9
今、忽念と現れる心が問題なのだ。
480.
ユーザー
idVG9
瞬間に忽念として生じ、而もその連続こそが煩悩の根源である。
481.
ユーザー
idVG9
これが隔たりによって起こる事を先ず知ることだ。
482.
ユーザー
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従って、今、忽念と生ずる心の元を解決する解決策は、隔てを取ることにある。
483.
ユーザー
idVG9
如何にして取るか?
484.
ユーザー
idVG9
問題の焦点は「今・瞬間」に有る。
485.
ユーザー
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「今」に二つはない。
486.
ユーザー
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「今」その物になればよい。
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ユーザー
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「今」でない物はない。
488.
ユーザー
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従って、「今」だけ。
489.
ユーザー
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素直に「今」在ること。
490.
ユーザー
idVG9
「今」余念無く一心不乱にすること。
491.
ユーザー
idVG9
要するに我を忘れて成り切ることだ。
492.
ユーザー
idVG9
本当に徹すれば、自ずから隔たりが取れて、心身一如の当体となる。
493.
ユーザー
idVG9
否、元よりこの心身本来なり。
494.
ユーザー
idVG9
これを仏という。
495.
ユーザー
idVG9
菩提心が無ければ皆ダメだ。
496.
ユーザー
idVG9
「只」吐き、「只」吸うだけ。
497.
ユーザー
idVG9
一瞬一瞬を大切にして「只」やる。
498.
ユーザー
idVG9
どんな事も「只」やる。
499.
ユーザー
idVG9
呼吸の一瞬一瞬のみ。
500.
ユーザー
idVG9
呼吸の一瞬が続けられれば、自然にすべてに一瞬一瞬のみにできる。
501.
ユーザー
idVG9
その物と離れないでやれるようになる。
502.
ユーザー
idVG9
こうなれば大したものである。
503.
ユーザー
idVG9
ここまで来ねばいけない。
504.
ユーザー
idVG9
常住不変に一瞬一瞬でなければいけない。
505.
ユーザー
idVG9
それには涯際が付くまで常住不変に練らねばいけない。
506.
ユーザー
idVG9
自ずから成るようになるまで練らなければ、本当の安楽も無いし、生死の不安からも救われない。
507.
ユーザー
D3PC6
上書き自己洗脳中のようじゃな

バタバタしない、力まない
508.
ユーザー
idVG9
願心はあっても、やらなければ駄目である。
相手や環境である境に用はない。
509.
ユーザー
idVG9
とにかく願心である。
510.
ユーザー
D3PC6
そんなに力んだら血管きれちゃいますよ

んでぎゅっとなると縮こまるから移動できない

成長できない、変わらない

停滞しかない

イマココにあるなら全部手放しますよ
511.
ユーザー
idVG9
自分の好きな事に時を過ごしてはいけない。
512.
ユーザー
D3PC6
始まりが良くない

始まりの動機がよくない

まずは、それを捨てないといけない

一定の経験があるのだから出来るはずだし分かってるはず
513.
ユーザー
idVG9
その場その場のみであること。
514.
ユーザー
D3PC6
そう洗脳すればするほど、逆側の力が働く

その場、その場のみ、と力むから

過去に捉われる
515.
ユーザー
D3PC6
動機がよくない

その動機でずっときてるから曲がる

動機を捨てないといけない
516.
ユーザー
D3PC6
イマココにあれば、みんな友達になりますな

そんなにビクビクして自分の殻に逃げ込む必要もない
517.
ユーザー
xlZ67
ゼンさんきてるよ
518.
ユーザー
D3PC6
あれま、カムイさんGOだ!w
519.
ユーザー
xlZ67
もう行ってたw
520.
ユーザー
D3PC6
カムイさんまっしぐら🐈
521.
ユーザー
D3PC6
特別でありたいんだよな、そういうのは捨てないといけない
522.
ユーザー
POaca
>>517
まぁ、特にこれと言って聞く事ないんですけどね。
少し話交わしたいような。
523.
ユーザー
POaca
自分の考えなど入れず、その時のみに成って一心にすこと。
524.
ユーザー
POaca
初めはどうかしようとするが、それが要らない。
525.
ユーザー
POaca
その場その場のみに任せておく。
526.
ユーザー
75LCk
そうありたい、(そうじゃないから)

こうなってしまう
527.
ユーザー
75LCk
だから力まない
528.
ユーザー
75LCk
力んでしまうのは動機のせいだな

本人もうすうす気付いてるようだから、あとはカムイさん次第だな
529.
ユーザー
75LCk
カムイさんは特別でありたい切迫感はあるけど

我執を落とす切迫感がない

ベクトルが違うんだな

だから我執が強化されてしまう
530.
ユーザー
75LCk
我執を原動力に頑張ってきた

今は、それを捨てる時期なんだろうな

それは、昔は必要だったけど、もういらない

我執なくてもやってゆける
531.
ユーザー
POaca
その事のみに「心」を置いてする。
532.
ユーザー
POaca
常に、そう努力していると、自然に「隔て」が取れていく。
533.
ユーザー
POaca
「只」やれる。
534.
ユーザー
75LCk
言葉の節々から無理してるのが伝わってきますな

苦しそう
535.
ユーザー
POaca
何事も淡々とできる。
536.
ユーザー
75LCk
そうは見えないな

そう「あろうと無理してる」感じ
537.
ユーザー
75LCk
もうそろそろ、それに自分で気付いて軌道修正してもいい季節だ
538.
ユーザー
POaca
「只」が純熟してくるから自然と全てと一つに成る。
539.
ユーザー
POaca
本当に熟して徹する。
540.
ユーザー
POaca
そうしないと大自覚が無い。
541.
ユーザー
POaca
これが「悟り」の大事であり証明である。
542.
ユーザー
75LCk
うーん、不自然なんだよな

何でもない体験と、覚者の言葉はリンクはもちろんするんだけど

強引に覚者の言葉と自分の何でもない体験を結びつけて

特別でありたい、と言い続けてる感じ

停滞しか待ってないな

本人が一番分かってるだろうけど
543.
ユーザー
POaca
ここで本当に納得する。
544.
ユーザー
POaca
だから悟りを目指して「今」「只」やる。
545.
ユーザー
POaca
無目的の坐禅は知らん間に妄想坐禅となり、ぽかんとした腑抜け禅になるから注意せよ。
546.
ユーザー
75LCk
ガチガチになってるから「その先」はないな

何でもない体験を根拠に特別でいたい、でありきって

それで終わる、がこのままいくと濃厚だ
547.
ユーザー
POaca
どうしても本当の菩提心が無ければ邪禅になり、多少の落ち着きが有っても、損得など邪念は一向に取れない。
548.
ユーザー
POaca
無明の根本を解決しなければ坐禅修行する意味が無い。
549.
ユーザー
75LCk
なにより頑なな状態では、心の可動域がないから

そもそも変化を捨ててる

変わる気がないのに、変わることを求めても何も起きませんな
550.
ユーザー
POaca
菩提心、菩提心。
551.
ユーザー
75LCk
それも、「そうではない」の強化に残念だがなってしまう

人の心は正直だから
552.
ユーザー
75LCk
自分の状態に気づけないのは単純に未熟だからだよ

んで、それを知らないのは「変化したことがあまりない」からだな
553.
ユーザー
75LCk
我執を捨てる行を地道にやったほうがいい
554.
ユーザー
POaca
「応無所住而生其心。」この語はみんな知っている大切なお釈迦様のお言葉である。
555.
ユーザー
POaca
難しそうに聞こえるこの語も、砕けば「今」「只」のこと。
556.
ユーザー
75LCk
カムイさんは「特別でいたい」という動機に捉われてるから、その我執から離れた方がいい、という話ですな
557.
ユーザー
75LCk
イマココは世界の開闢の実存の体験だけど、そんなものは何でもないわけ

むしろ、その状態で座って本質を変容させないといけない

入口の体験を有り難がって、それに特別な意味を持たせて執着して頑なになったら、入り口に立った意味がなくなりますな
558.
ユーザー
POaca
みんなの[本当の心]のこと。
559.
ユーザー
75LCk
カムイさんは分かってなくて、JBLさんのいう地縛霊状態になってる

その状態は心が頑なになって、そこで時間が止まって、個の進化が止まる状態ですな

よくないから、そこから離れたほうがいい

そのためには、行動から変えた方がええですぜ
560.
ユーザー
75LCk
まぁ、とはいえカムイさんの人生だから、好きなようにやればええけど
561.
ユーザー
75LCk
心が柔らかくないと人に好かれないし、変化も起きない

そういう状態じゃないと神仏の協力は得られませんな

キリスト教的に言うと、恩寵が得られない状態は

なぜなら、悔い改めないから
562.
ユーザー
75LCk
神仏が愛する人や空間は、隣人も愛するものであるはずだ

そういうハードルなんだろうな
563.
ユーザー
75LCk
その意味で、鹿もカムイさんも対峙してるハードルはよく似てる

他者と比べる鹿と、自分の中で特別でいたいカムイさん

我執の陰陽ですな
564.
ユーザー
POaca
これを自ら證するだけである。
565.
ユーザー
POaca
「隔て」がとれると常住不変がわかる。
566.
ユーザー
75LCk
カムイさんの人生だから好きにやればええ

苦しみがもっと必要なら、神はそれを与えてくれるから
567.
ユーザー
75LCk
個人的には入口に立ってるのにもったいないな、とはどうしても思ってしまうが、仕方がないな
568.
ユーザー
75LCk
まぁ、人それぞれ

全ては神とカムイさんの望むままに
569.
ユーザー
POaca
ここまでで誰か質問ありますか?
570.
ユーザー
POaca
死んで生きてが無くなり、一杯一杯である。
571.
ユーザー
POaca
「今」の正体を知ればよい。
572.
ユーザー
POaca
もともと「今」だから「今」はいらなくなる。
573.
ユーザー
75LCk
動機に引っ張られてるから

イマココを体感した時の感覚を純粋に受け取ってないと思いますぜ

何でもないものを神格化してしまうのは動機に引っ張られてるからだな
574.
ユーザー
75LCk
我執があるから色眼鏡のフィルターかけてしまう

その色眼鏡で我執風味に変容した記憶、過去に捉われてしまう

その事実に気付ければええんだけどな
575.
ユーザー
75LCk
ぜんぶ、はじまりの動機が悪さしてる

その想いを救ってあげないと、今の状態はなくなりませんな

つまり、それを行う切迫感が薄い

つまり、これからもっともっと「痛い目に遭う」ってことでもある
576.
ユーザー
75LCk
分かっててもやめられないのが、人の業よの
577.
ユーザー
75LCk
人は悪を愛してる

自由意志で、自ら望んで止めようとする

分からない人がそれを手放すときは

ほんとにほんとにほんとに、辛すぎて、痛すぎる時だけだな

だから、苦を、人は自ら望んで引き寄せる
578.
ユーザー
75LCk
それほど、人は愚かだ

だからギリシャ悲劇がある
579.
ユーザー
n4wKg
これは徹底「今」に成り切って、「今」を忘れなければ体得出来ないし、分からない言葉である。
580.
ユーザー
n4wKg
「今」に徹すると、一瞬に今までの妄想が骨身に徹して感じる。
581.
ユーザー
n4wKg
つまり妄想そのままが自分となり、妄想とすべきものが無くなる。
582.
ユーザー
n4wKg
これを全身の毛穴からも呼吸をしていると云う。
583.
ユーザー
75LCk
カムイさんは実存の体験を忘れて

今が、過去、現在、未来の、のっぺりしたものになってるな

そうなってしまうのも動機が悪いからだな
584.
ユーザー
75LCk
我執は比較の世界だからそうなる

実存の今は形而上のもので、超越的なものだ

でも、みんなが当たり前に日常に体験してる

日常の基盤でもある

空気みたいなもんだから意識的には掴める人があまりいないみたいだけど、現実問題、万人の基盤なんだから何でもない
585.
ユーザー
75LCk
空気の存在が科学的に解明されなくとも空気はあり、だから生きてる

空気を知っても何も変わらないのと同じよ

何でもない
586.
ユーザー
75LCk
そんなことはどうでもよくて

無我を知れば、脱力して、本質側を動かせるようになる

可動域が初めて生まれる

だから、そのスタートラインに立って、その後で、本質側をどう変容させられるか、が宗教の本丸だな

スタートラインの地縛霊になったら、その後に何も起きない
587.
ユーザー
75LCk
向上、成長したいだけなのか?

我執に捉われて特別になりたいのか?

後者はいずれ魔境に捉われる

これは、運命論的に決まってるんだ

前者だけが道だな
588.
ユーザー
75LCk
前者なら、脱力して、変化の可動域がある、心と身体になってないとおかしい

ガチガチなのに前者はあり得ない

そういうもんだな

謙虚さがないと求道はあり得ない
589.
ユーザー
n4wKg
丸ごてと云う意味である。
590.
ユーザー
n4wKg
体と思う念が無くなる。
591.
ユーザー
n4wKg
体の念が有れば体にくくられる。
592.
ユーザー
75LCk
そう願うことがそう「ではない」となってしまうんだよ

それは、今のあなたの存在が全力で主張してるから、メタ認知さえあれば自分で気付くこと

それすらも出来ないのだから、状態はよくないわけ
593.
ユーザー
75LCk
貧乏人が、貧乏人だから、金持ちに成りたい!と全力で願ってるのと変わらない
594.
ユーザー
75LCk
始まりが間違ってる

動機が間違ってる

それに気付けないと先に進めませんぜ
595.
ユーザー
n4wKg
体の念が無ければ自ら気にならなくなる。
596.
ユーザー
n4wKg
「応無所住而生其心」も、[心]の様子の事。
597.
ユーザー
n4wKg
「今」「只」のこと。
598.
ユーザー
75LCk
自己洗脳で上書きせざるを得ない我執が捨てられないんだよな

時間はまだ残ってるから足掻くしかないな
599.
ユーザー
n4wKg
これが浄穢不ニ、自他不ニとなって本当に安心する。
600.
ユーザー
75LCk
安心したいんだよな
601.
ユーザー
n4wKg
「隔て」が無くなり心身一如になれば何でもない事よ。
602.
ユーザー
75LCk
そうなりたいんだよな
603.
ユーザー
75LCk
でも、我執のため、ならそうならない、が現実なんだろうと思う

だから、現実が願望と違うから力一杯、自己洗脳しなければならなくなる
604.
ユーザー
75LCk
カムイさんは調和を作れない

自然(法)と反してるからだと思われ
605.
ユーザー
75LCk
唯識的にはそれは遍計所執性の仕業ですな
606.
ユーザー
n4wKg
これは良いとか悪いとか、すぐ自我を立てるから「隔て」となる。
607.
ユーザー
n4wKg
事はここから起こる。
608.
ユーザー
75LCk
自我を立てる始まりの動機が悪いから今のカムイさんの状態になってしまう、ってことですな

それを捨てなければ一歩も先に進めませんぜって話し
609.
ユーザー
75LCk
自我というか、我執を立てる、なんだけど

自我自体は単なる働きだから問題ないけど、我執は悪いな
610.
ユーザー
n4wKg
[心]の衝突である。
611.
ユーザー
n4wKg
これは一つのものを立てて認めるから、二つに見たり、三つに思ったり、念が無限に広がって迷う。
612.
ユーザー
n4wKg
これが無明よ。
613.
ユーザー
n4wKg
比べる物がないのに、自己を立てて比べるからである。
614.
ユーザー
n4wKg
本当に「只」を常に練っていれば良い。
615.
ユーザー
n4wKg
そう努力していると自然に相手が気にならなくなる。
616.
ユーザー
75LCk
衝突するならあなたも二で、あなたの発言があなたの現実において否定されるってことでそ?

つまり、
>>605ですな
617.
ユーザー
75LCk
特別でありたい、が悪さしとりますな
618.
ユーザー
75LCk
こんな自明なことを認められなくて観も何もないですな
619.
ユーザー
75LCk
あるがままは受け入れることができない

つまり
>>605
620.
ユーザー
n4wKg
いやでも「隔て」がとれて一つに成る。
621.
ユーザー
n4wKg
これを入我我入という。
622.
ユーザー
n4wKg
世の中に処しながら、相手と一つに成って自在に変わっていくのを異類中行と云う。
623.
ユーザー
n4wKg
私が無いと、天下は自分の姿に他ならない。
624.
ユーザー
n4wKg
この境界が不動心である。
625.
ユーザー
75LCk
(そうてはないから)そうありたい
626.
ユーザー
ttdn1
不動心は正法以外にない。
627.
ユーザー
ttdn1
「今」「只」が正法である。
628.
ユーザー
ttdn1
正法は「世界壊せども、この性は壊せず」とお経にある。
629.
ユーザー
ttdn1
同時に二つのことは、考えれない。
630.
ユーザー
ttdn1
一点のみ集中して、正体のいかなるものかを自覚するのである。
631.
ユーザー
ttdn1
一つ事に集中し切らなければ「隔て」はとれない。
632.
ユーザー
ttdn1
菩提心の一点張りだ。
633.
ユーザー
ttdn1
「今」「只」に我は無い。
634.
ユーザー
ttdn1
我れなければ、即菩提。
635.
ユーザー
ttdn1
それを大清淨とも云う。
636.
ユーザー
ttdn1
汚がさるるものがなければ、浄くするものもない。
637.
ユーザー
ttdn1
「今」は生死を論ずる間はない。
638.
ユーザー
ttdn1
本当に「今」が手に入ったら自ずから生死が気に掛からない。
639.
ユーザー
ttdn1
生死透脱というのも、砕いて言えば「今」「只」のことである。
640.
ユーザー
ttdn1
心身一如のところが余念が出ないところ
641.
ユーザー
ttdn1
ここを練って行きます。
642.
ユーザー
ttdn1
心身一如である時やっと坐禅が坐禅になります。
643.
ユーザー
jAtMh
悟れないのは只管に成らねばいけないという意識が働いて、只管が只管を邪魔しているからである。
644.
ユーザー
jAtMh
途中は仕方がない。
645.
ユーザー
jAtMh
それが目標だから。
646.
ユーザー
jAtMh
本当に「只」になればよい。
647.
ユーザー
jAtMh
只管も只も有ってはならない。
648.
ユーザー
KQmey
菩提心のもとに常に「単」を練ることである。
649.
ユーザー
KQmey
坐禅をする人は、自分の癖を取る事を主体にして、即今底を実践すれば良い。
650.
ユーザー
l3WG4
「只」は努力の結果である。
651.
ユーザー
l3WG4
ここまで来ると本当に大平和である。
652.
ユーザー
l3WG4
生死はただ「単」である。
653.
ユーザー
l3WG4
生のまま、死のままである。
654.
ユーザー
l3WG4
「今」の様子に過ぎない。
655.
ユーザー
l3WG4
この真理を悟るのが坐禅修行の本当の目的である。
656.
ユーザー
l3WG4
一隻眼を具するとは、自己のないことがはっきりすることである。
657.
ユーザー
l3WG4
しかしそれだけでは何かが引っかかる。
658.
ユーザー
l3WG4
はっきりしていても、引っかかるものがある。
659.
ユーザー
l3WG4
まだ本当に取り尽くされていないからだ。
660.
ユーザー
l3WG4
おおかたの悟ったというところはこの当たりだ。
661.
ユーザー
l3WG4
悟後の修行の大事な所である。
662.
ユーザー
l3WG4
決して油断してはならない。
663.
ユーザー
l3WG4
自己のないところの確証をにぎってしまうと、大抵はそれをひっ下げてしまう。
664.
ユーザー
l3WG4
本当に大悟したものは少ない。
665.
ユーザー
l3WG4
簡単に言えば菩提心が弱いからだ。
666.
ユーザー
l3WG4
それを捨てて単を練ることが足りないからだ。
667.
ユーザー
l3WG4
境涯を得ても、そこが陶治されないといけない。
668.
ユーザー
l3WG4
境涯を持っていては駄目である。
669.
ユーザー
l3WG4
うたた悟れば、うたた捨てよ。
670.
ユーザー
l3WG4
この大法を得ることは容易ではない。
671.
ユーザー
l3WG4
菩提心の鈍い者は到底仏祖の誹りを免れぬ。
672.
ユーザー
l3WG4
努力しかない。
673.
ユーザー
l3WG4
菩提心が仏祖の命、仏法の血肉である。
674.
ユーザー
l3WG4
菩提心、菩提心。
675.
ユーザー
l3WG4
心身一如のところが余念が出ないところ
ここを練って行きます
心身一如である時ようやく坐禅が坐禅になります。
676.
ユーザー
l3WG4
>>675
ここの感覚がやっとわかったな。
677.
ユーザー
l3WG4
また、一歩進むことが出来た。
678.
ユーザー
l3WG4
「只」吐き、「只」吸うだけ。
禅は、単、只、ひたすらにあればよい。
これが禅の極意である。

心身一如のところが余念が出ないところ
ここを練って行きます
心身一如である時ようやく坐禅が坐禅になります。
679.
ユーザー
l3WG4
なので、今わたしが言いたい事はこのようになる。
680.
ユーザー
uP2AQ
日常底の単を練ることが大切である。
681.
ユーザー
uP2AQ
坐禅だけを修行だと思っていたら一生かかっても埒はあかない。
682.
ユーザー
uP2AQ
常に道であること。
683.
ユーザー
uP2AQ
明日トップガンモデルのレイバンのサングラス来る。
楽しみ。
684.
ユーザー
V4Al8
このスレッドは平和やね
685.
ユーザー
YoHYa
いいなーいいなー人間っていいなー
686.
ユーザー
M6mmy
しかし、zenさんも坐禅が動中の工夫っておかしいな事言うな。
俺の方が上かな。
687.
ユーザー
z3dgs
実践としては坐禅が一枚上だね。
688.
ユーザー
z3dgs
念の出る前の所を練っていく
689.
ユーザー
oYvhk
心を以てはかることなかれ、ことばを以ていふことなかれ。ただわが身をも心をもはなちわすれて、仏のいへになげいれて、仏のかたよりおこなはれて、これにしたがひもてゆくとき、ちからをもいれず、こころをもつひやさずして、生死をはなれ、仏となる。
690.
ユーザー
oYvhk
>>689
ここの、仏の家とは念が出る前の場所です。
691.
ユーザー
oYvhk
俺のスレッドもやっと平和になったな
692.
ユーザー
oYvhk
平和が一番
693.
ユーザー
oYvhk
只吸う只吐くに徹するだけ
694.
ユーザー
oYvhk
これしかありません
695.
ユーザー
oYvhk
「只」吐き、「只」吸うだけ。
禅は、単、只、ひたすらにあればよい。
これが禅の極意である。

心身一如のところが余念が出ないところ。
ここを練って行きます。
心身一如である時ようやく坐禅が坐禅になります。
696.
ユーザー
oYvhk
日常底の単を練ることが大切である。
坐禅だけを修行だと思っていたら一生かかっても埒はあかない。
常に道であること。
例えばラジオでもテレビでも、聞くときは、「只」聞き、「只」見るだけ。
入って来るままに聞くだけ。
感情も気付きも入れない。
自分を虚にしておく。
「面白い」と言うたり思ったりするのは、何かに引っかかっている証拠である。
何も無しにあると、そのまま入って聞こえて終わる。
それが「正聞」である。
眼に於いては「正見」と言う。
お釈迦さまがちゃんと言って居られることだ。
見たり、聞いたりの縁について何か出るうちは、何か引っかかってるいる。
つまり自我が有るからだ。
697.
ユーザー
oYvhk
疲れている時、ただ休んでじっとしていればよい。
辛いとか、何かと云う気持ちが少しでも出ると、その物に何か引っかかっている。
辛ければ辛いままであればよい。
病もまた道であり、疲れもまた道である。
698.
ユーザー
oYvhk
自分の中に、何かが出た時は自我が立っている証拠である。
一度は、迷いと迷えない「単」とのはっきりした違いに気づかねば、我見が入ったか入らんかの区別がつかない。
この正法の線をはっきりさせるためには、「今」を離してはならない。
699.
ユーザー
oYvhk
常に「只」するよう努力していればそれで良い。
ポカンとなり夢や幻の馬鹿になるのとは異なる。
そこを誤解しないように。
善悪や損得の気持ちがあった時は、あと残りがする。
その残った上で次の事をしていることが多い。
すると過去と今が重なるので大きな邪魔者になる。
常に自分を注意していないとその事が分からない。
例え無用な心がおこっても直ぐに捨てて相手にせずに、やるべきことを「只」やる。
700.
ユーザー
oYvhk
人と話をする時、云わないで良い事は言わない。
余分な念を使わない。
話は色々な事に渡るものだ。
二重、三重の話が出て混線するが、その中心の線だけを取っていれば良い。
一つ心で働けば良い。
「単」は一つ線であること。
一つのもので働けば良い。
701.
ユーザー
oYvhk
車を運転する時、心を虚にすること。
景色は「只」見て、綺麗だとか何とか感情を挟んではいけない。
動いている時は動くに任せて素直に動かされていれば良い。
自在に何んにでも「只」応じてさらさら流れている事が分かってくる。
それには「今」一点を守らねば、前後裁断している大事な線が手に入らない。
綺麗なとか表現しようとした時は、囚われているからだ。
一点を守らないからである。
今は動いている。
それを認めると何かが出ているから、囚われ付いていくことになる。
何を見ても聞いても、何もなしの空である時には、そのままさらさらと只々でいける。
702.
ユーザー
oYvhk
「今」がはっきりすれば、大自然に目覚める。
そうすると只管ならざるものなし。
そこまで行くには「今」を守り切らねばならない。
そうしないと迷いと悟り、煩悩と菩提の涯際を付ける事ができない。
生死の涯際が取れるまで凡情が尽し切れるまで努力しなければならない。
凡情に落ちるとは、物に落ちることである。
「全て道である」すなわち煩悩即菩提というのは、いたり得た後の話である。
それをごっちゃにしてはいけない。
そうしないと釈尊の六年間が無意味になる。
努力せずして道が成就するはずが無いでは無いか。
「単」「只管」「即今」「今」も大自然、つまり普遍の真理の異名である。
「解脱」とはクセが落ちて、本当の「真理」に目覚めること。
この自覚症状を「悟り」という。
何億年も「今」だけである。
本当に生きた「今」が大切であり本当の命である。
「今」を説くことはできない。
聞いて分かった今は「考えた今」であり迷いの今である。
世の中は今より他はない。
だかこの真理を本当に自覚しなければ「今」に生きている本当の喜びも安心もない。
仏道は本当の「今」に生きることである。
既にみんな「今」であるから、「今」を徹底注意して離さなければ必ず自覚する。
要は努力の有無である。
菩提心、菩提心。
703.
ユーザー
oYvhk
「禪」は単を示すとある。
単を示した行動でなければ、禅ではない。
禅は要するに、単、只、ひたすらにあればよい。
これが禅の極意である。
不純物の無い「今」が禅である。
これを「只管」という。
本当に単調に「今」行じていくには、自己を忘じた力がないとできない。
考えたのでは意識や感情が入っていて、不純物だらけで腐るから駄目である。
自己のないことが禅である。
生とか死は観念であり言葉である。
思いにとらわれると思えば良い。
多くは「只管」と言う言葉が、「只管」を邪魔している。
「只管」にならねばいけないとか、いう意識が働いている。
「只」あること、ただ「単」にある。
余念を入れないように常に自分を見守っていなければいけない。
「只」であらねば、禅が禅を教えてくれない。
禅の趣旨や意味が判っても意味がない。
「只管」にあれば、何をやっていても問題ではない。
おおかたは思慮分別が先にでる。
この癖を破ることが、要するに禅修行である。
これが坐禅する眼目である。
704.
ユーザー
oYvhk
自己のないことがはっきりすることを「見性」という。
しかし、「見性」しただけでは本当の融通がつかない。
「悟り」が邪魔をするからだ。
「見性」の力で「見性」を破らねばダメだ。
自分を抜きにして、その時のみであればよい。
何か自分が過去に学んだものとか、得たものとか、聞いているものとかが邪魔をする。
ただ今のみの世界である。
その場でちらっと出るものを問題にしないことだ。
たえず「単」であればよい。
私を挟まないで「単」であれ。
箸を上げて口に運ぶ時も、いつも「単」であれ。
いつもその場その場、「単」であれ。
どうあろうとも、その物と離れなくなる。
そうやり続けていると、「悟り」の牢屋から救われる。
自己の無いことは判っても「単」をしょっちゅう練って行くのは容易ではない。
自己も死もとれて本当に楽になっていく。
705.
ユーザー
oYvhk
坐禅をする人は自分の癖を取ることを主体にして、常に実践していれば良い。
「今」がどんなことであれ、「心」に留めてはならない。
それができないとモノにならない。
自分がどんな刺激を受けてもさらさらやっていかなければいけない。
本当にさらさらと、諸々の縁と対立無く人生する事は難しい。
身と心が隔たっている限り不可能である。
心は浮遊状態にあり、勝手に精神を展開するからだ。
この状態である限り、我々の掛け替えのない道具であるこの身体は.煩悩の根源であり苦しみの種である。
隔てが常に縁と対立して、心を惑乱させ葛藤するからだ。
706.
ユーザー
oYvhk
今、忽念と現れる心が問題なのだ。
瞬間に忽念として生じ、而もその連続こそが煩悩の根源である。
これが隔たりによって起こる事を先ず知ることだ。
従って、今、忽念と生ずる心の元を解決する解決策は、隔てを取ることにある。
如何にして取るか?
問題の焦点は「今・瞬間」に有る。
「今」に二つはない。
「今」その物になればよい。
「今」でない物はない。
従って、「今」だけ。
素直に「今」在ること。
「今」余念無く一心不乱にすること。
要するに我を忘れて成り切ることだ。
本当に徹すれば、自ずから隔たりが取れて、心身一如の当体となる。
否、元よりこの心身本来なり。
これを仏という。
菩提心が無ければ皆ダメだ。
707.
ユーザー
oYvhk
「只」吐き、「只」吸うだけ。
一瞬一瞬を大切にして「只」やる。
どんな事も「只」やる。
呼吸の一瞬一瞬のみ。
呼吸の一瞬が続けられれば、自然にすべてに一瞬一瞬のみにできる。
その物と離れないでやれるようになる。
こうなれば大したものである。
ここまで来ねばいけない。
常住不変に一瞬一瞬でなければいけない。
それには涯際が付くまで常住不変に練らねばいけない。
自ずから成るようになるまで練らなければ、本当の安楽も無いし、生死の不安からも救われない。
願心はあっても、やらなければ駄目である。
相手や環境である境に用はない。
とにかく願心である。
自分の好きな事に時を過ごしてはいけない。
その場その場のみであること。
自分の考えなど入れず、その時のみに成って一心にすこと。
初めはどうかしようとするが、それが要らない。
その場その場のみに任せておく。
その事のみに「心」を置いてする。
常に、そう努力していると、自然に「隔て」が取れていく。
「只」やれる。
何事も淡々とできる。
「只」が純熟してくるから自然と全てと一つに成る。
本当に熟して徹する。
そうしないと大自覚が無い。
これが「悟り」の大事であり証明である。
ここで本当に納得する。
だから悟りを目指して「今」「只」やる。
無目的の坐禅は知らん間に妄想坐禅となり、ぽかんとした腑抜け禅になるから注意せよ。
どうしても本当の菩提心が無ければ邪禅になり、多少の落ち着きが有っても、損得など邪念は一向に取れない。
無明の根本を解決しなければ坐禅修行する意味が無い。
菩提心、菩提心。
708.
ユーザー
oYvhk
「応無所住而生其心。」この語はみんな知っている大切なお釈迦様のお言葉である。
難しそうに聞こえるこの語も、砕けば「今」「只」のこと。
みんなの[本当の心]のこと。
これを自ら證するだけである。
「隔て」がとれると常住不変がわかる。
死んで生きてが無くなり、一杯一杯である。
「今」の正体を知ればよい。
もともと「今」だから「今」はいらなくなる。
これは徹底「今」に成り切って、「今」を忘れなければ体得出来ないし、分からない言葉である。
「今」に徹すると、一瞬に今までの妄想が骨身に徹して感じる。
つまり妄想そのままが自分となり、妄想とすべきものが無くなる。
これを全身の毛穴からも呼吸をしていると云う。
丸ごてと云う意味である。
体と思う念が無くなる。
体の念が有れば体にくくられる。
体の念が無ければ自ら気にならなくなる。
「応無所住而生其心」も、[心]の様子の事。
「今」「只」のこと。
これが浄穢不ニ、自他不ニとなって本当に安心する。
「隔て」が無くなり心身一如になれば何でもない事よ。
これは良いとか悪いとか、すぐ自我を立てるから「隔て」となる。
事はここから起こる。
[心]の衝突である。
これは一つのものを立てて認めるから、二つに見たり、三つに思ったり、念が無限に広がって迷う。
これが無明よ。
比べる物がないのに、自己を立てて比べるからである。
本当に「只」を常に練っていれば良い。
そう努力していると自然に相手が気にならなくなる。
いやでも「隔て」がとれて一つに成る。
これを入我我入という。
世の中に処しながら、相手と一つに成って自在に変わっていくのを異類中行と云う。
私が無いと、天下は自分の姿に他ならない。
この境界が不動心である。
不動心は正法以外にない。
「今」「只」が正法である。
正法は「世界壊せども、この性は壊せず」とお経にある。
同時に二つのことは、考えれない。
一点のみ集中して、正体のいかなるものかを自覚するのである。
一つ事に集中し切らなければ「隔て」はとれない。
菩提心の一点張りだ。
709.
ユーザー
oYvhk
「今」「只」に我は無い。
我れなければ、即菩提。
それを大清淨とも云う。
汚がさるるものがなければ、浄くするものもない。
「今」は生死を論ずる間はない。
本当に「今」が手に入ったら自ずから生死が気に掛からない。
生死透脱というのも、砕いて言えば「今」「只」のことである。
710.
ユーザー
oYvhk
悟れないのは只管に成らねばいけないという意識が働いて、只管が只管を邪魔しているからである。
途中は仕方がない。
それが目標だから。
本当に「只」になればよい。
只管も只も有ってはならない。
菩提心のもとに常に「単」を練ることである。
坐禅をする人は、自分の癖を取る事を主体にして、即今底を実践すれば良い。
「只」は努力の結果である。
ここまで来ると本当に大平和である。
生死はただ「単」である。
生のまま、死のままである。
「今」の様子に過ぎない。
この真理を悟るのが坐禅修行の本当の目的である。
711.
ユーザー
oYvhk
一隻眼を具するとは、自己のないことがはっきりすることである。
しかしそれだけでは何かが引っかかる。
はっきりしていても、引っかかるものがある。
まだ本当に取り尽くされていないからだ。
おおかたの悟ったというところはこの当たりだ。
悟後の修行の大事な所である。
決して油断してはならない。
自己のないところの確証をにぎってしまうと、大抵はそれをひっ下げてしまう。
本当に大悟したものは少ない。
簡単に言えば菩提心が弱いからだ。
それを捨てて単を練ることが足りないからだ。
境涯を得ても、そこが陶治されないといけない。
境涯を持っていては駄目である。
うたた悟れば、うたた捨てよ。
この大法を得ることは容易ではない。
菩提心の鈍い者は到底仏祖の誹りを免れぬ。
努力しかない。
菩提心が仏祖の命、仏法の血肉である。

菩提心、菩提心。
712.
ユーザー
oYvhk
「只」吐き、「只」吸うだけ。
禅は、単、只、ひたすらにあればよい。
これが禅の極意である。

心身一如のところが余念が出ないところ。
ここを練って行きます。
心身一如である時ようやく坐禅が坐禅になります。
713.
ユーザー
oYvhk
心身一如にならないと、坐禅が坐禅にならないんです。
714.
ユーザー
j0lOz
>>712
> 「只」吐き、「只」吸うだけ。 禅は、単、只、ひたすらにあればよい。 これが禅の極意である。

禅とは ジャーナを音写して禅那と中国人が漢字であらわしたものである事は既知である。
ジャーナとは、静かにする、あるいは静かに坐る、と言う意味である。

拡大解釈しては、原意が蒸発してしまう。

浄土宗、浄土真宗は、波阿弥陀仏、と阿弥陀佛(無量寿Buddha、無量光佛陀)陀に帰依する。
法華宗は南無  妙法 蓮華経、と正しい教え、白い蓮の花の教え、教典、お経の本に帰依する。
騒動衆はお坐り、お手を教え込む。


南無阿弥陀仏と言うのか、南無妙法蓮華経と言うのか、何とも云わず、坐っているのか、この三つは 易行(いぎょう)である。難しい事を求めず、これをやればいいんだよ、と安心させる。


追い込まれた人に取っては、ひとすじの光明である。
715.
ユーザー
j0lOz
>>713
> 心身一如にならないと、坐禅が坐禅にならないんです。


脳内の神経細胞の結束が、心と呼ばれる。
0,5ミリの線虫にも味の好みがある、と言う。脳が無いのが線虫である。
神経の経験が好みを選ぶのである。

身心と言いう。
716.
ユーザー
pXtpF
さて、坐ろう
717.
ユーザー
pXtpF
「只」吐き、「只」吸うだけ。
禅は、単、只、ひたすらにあればよい。
これが禅の極意である。

心身一如のところが余念が出ないところ。
ここを練って行きます。
心身一如である時ようやく坐禅が坐禅になります。
718.
ユーザー
xGOhC
ここに正法及び正法の体得の仕方を記します、お経のように繰り返し読むといいです。
719.
ユーザー
xGOhC
日常底の単を練ることが大切である。
坐禅だけを修行だと思っていたら一生かかっても埒はあかない。
常に道であること。
例えばラジオでもテレビでも、聞くときは、「只」聞き、「只」見るだけ。
入って来るままに聞くだけ。
感情も気付きも入れない。
自分を虚にしておく。
「面白い」と言うたり思ったりするのは、何かに引っかかっている証拠である。
何も無しにあると、そのまま入って聞こえて終わる。
それが「正聞」である。
眼に於いては「正見」と言う。
お釈迦さまがちゃんと言って居られることだ。
見たり、聞いたりの縁について何か出るうちは、何か引っかかってるいる。
つまり自我が有るからだ。
720.
ユーザー
xGOhC
疲れている時、ただ休んでじっとしていればよい。
辛いとか、何かと云う気持ちが少しでも出ると、その物に何か引っかかっている。
辛ければ辛いままであればよい。
病もまた道であり、疲れもまた道である。
721.
ユーザー
Ckuwy
自分の中に、何かが出た時は自我が立っている証拠である。
一度は、迷いと迷えない「単」とのはっきりした違いに気づかねば、我見が入ったか入らんかの区別がつかない。
この正法の線をはっきりさせるためには、「今」を離してはならない。
722.
ユーザー
bo3Ri
常に「只」するよう努力していればそれで良い。
ポカンとなり夢や幻の馬鹿になるのとは異なる。
そこを誤解しないように。
善悪や損得の気持ちがあった時は、あと残りがする。
その残った上で次の事をしていることが多い。
すると過去と今が重なるので大きな邪魔者になる。
常に自分を注意していないとその事が分からない。
例え無用な心がおこっても直ぐに捨てて相手にせずに、やるべきことを「只」やる。
723.
ユーザー
bo3Ri
人と話をする時、云わないで良い事は言わない。
余分な念を使わない。
話は色々な事に渡るものだ。
二重、三重の話が出て混線するが、その中心の線だけを取っていれば良い。
一つ心で働けば良い。
「単」は一つ線であること。
一つのもので働けば良い。
724.
ユーザー
bo3Ri
車を運転する時、心を虚にすること。
景色は「只」見て、綺麗だとか何とか感情を挟んではいけない。
動いている時は動くに任せて素直に動かされていれば良い。
自在に何んにでも「只」応じてさらさら流れている事が分かってくる。
それには「今」一点を守らねば、前後裁断している大事な線が手に入らない。
綺麗なとか表現しようとした時は、囚われているからだ。
一点を守らないからである。
今は動いている。
それを認めると何かが出ているから、囚われ付いていくことになる。
何を見ても聞いても、何もなしの空である時には、そのままさらさらと只々でいける。
725.
ユーザー
bo3Ri
「今」がはっきりすれば、大自然に目覚める。
そうすると只管ならざるものなし。
そこまで行くには「今」を守り切らねばならない。
そうしないと迷いと悟り、煩悩と菩提の涯際を付ける事ができない。
生死の涯際が取れるまで凡情が尽し切れるまで努力しなければならない。
凡情に落ちるとは、物に落ちることである。
「全て道である」すなわち煩悩即菩提というのは、いたり得た後の話である。
それをごっちゃにしてはいけない。
そうしないと釈尊の六年間が無意味になる。
努力せずして道が成就するはずが無いでは無いか。
「単」「只管」「即今」「今」も大自然、つまり普遍の真理の異名である。
「解脱」とはクセが落ちて、本当の「真理」に目覚めること。
この自覚症状を「悟り」という。
何億年も「今」だけである。
本当に生きた「今」が大切であり本当の命である。
「今」を説くことはできない。
聞いて分かった今は「考えた今」であり迷いの今である。
世の中は今より他はない。
だかこの真理を本当に自覚しなければ「今」に生きている本当の喜びも安心もない。
仏道は本当の「今」に生きることである。
既にみんな「今」であるから、「今」を徹底注意して離さなければ必ず自覚する。
要は努力の有無である。
菩提心、菩提心。
726.
ユーザー
bo3Ri
「禪」は単を示すとある。
単を示した行動でなければ、禅ではない。
禅は要するに、単、只、ひたすらにあればよい。
これが禅の極意である。
不純物の無い「今」が禅である。
これを「只管」という。
本当に単調に「今」行じていくには、自己を忘じた力がないとできない。
考えたのでは意識や感情が入っていて、不純物だらけで腐るから駄目である。
自己のないことが禅である。
生とか死は観念であり言葉である。
思いにとらわれると思えば良い。
多くは「只管」と言う言葉が、「只管」を邪魔している。
「只管」にならねばいけないとか、いう意識が働いている。
「只」あること、ただ「単」にある。
余念を入れないように常に自分を見守っていなければいけない。
「只」であらねば、禅が禅を教えてくれない。
禅の趣旨や意味が判っても意味がない。
「只管」にあれば、何をやっていても問題ではない。
おおかたは思慮分別が先にでる。
この癖を破ることが、要するに禅修行である。
これが坐禅する眼目である。
727.
ユーザー
bo3Ri
自己のないことがはっきりすることを「見性」という。
しかし、「見性」しただけでは本当の融通がつかない。
「悟り」が邪魔をするからだ。
「見性」の力で「見性」を破らねばダメだ。
自分を抜きにして、その時のみであればよい。
何か自分が過去に学んだものとか、得たものとか、聞いているものとかが邪魔をする。
ただ今のみの世界である。
その場でちらっと出るものを問題にしないことだ。
たえず「単」であればよい。
私を挟まないで「単」であれ。
箸を上げて口に運ぶ時も、いつも「単」であれ。
いつもその場その場、「単」であれ。
どうあろうとも、その物と離れなくなる。
そうやり続けていると、「悟り」の牢屋から救われる。
自己の無いことは判っても「単」をしょっちゅう練って行くのは容易ではない。
自己も死もとれて本当に楽になっていく。
728.
ユーザー
bo3Ri
坐禅をする人は自分の癖を取ることを主体にして、常に実践していれば良い。
「今」がどんなことであれ、「心」に留めてはならない。
それができないとモノにならない。
自分がどんな刺激を受けてもさらさらやっていかなければいけない。
本当にさらさらと、諸々の縁と対立無く人生する事は難しい。
身と心が隔たっている限り不可能である。
心は浮遊状態にあり、勝手に精神を展開するからだ。
この状態である限り、我々の掛け替えのない道具であるこの身体は.煩悩の根源であり苦しみの種である。
隔てが常に縁と対立して、心を惑乱させ葛藤するからだ。
729.
ユーザー
dGcS9
今、忽念と現れる心が問題なのだ。
瞬間に忽念として生じ、而もその連続こそが煩悩の根源である。
これが隔たりによって起こる事を先ず知ることだ。
従って、今、忽念と生ずる心の元を解決する解決策は、隔てを取ることにある。
如何にして取るか?
問題の焦点は「今・瞬間」に有る。
「今」に二つはない。
「今」その物になればよい。
「今」でない物はない。
従って、「今」だけ。
素直に「今」在ること。
「今」余念無く一心不乱にすること。
要するに我を忘れて成り切ることだ。
本当に徹すれば、自ずから隔たりが取れて、心身一如の当体となる。
否、元よりこの心身本来なり。
これを仏という。
菩提心が無ければ皆ダメだ。
730.
ユーザー
dGcS9
「只」吐き、「只」吸うだけ。
一瞬一瞬を大切にして「只」やる。
どんな事も「只」やる。
呼吸の一瞬一瞬のみ。
呼吸の一瞬が続けられれば、自然にすべてに一瞬一瞬のみにできる。
その物と離れないでやれるようになる。
こうなれば大したものである。
ここまで来ねばいけない。
常住不変に一瞬一瞬でなければいけない。
それには涯際が付くまで常住不変に練らねばいけない。
自ずから成るようになるまで練らなければ、本当の安楽も無いし、生死の不安からも救われない。
願心はあっても、やらなければ駄目である。
相手や環境である境に用はない。
とにかく願心である。
自分の好きな事に時を過ごしてはいけない。
その場その場のみであること。
自分の考えなど入れず、その時のみに成って一心にすこと。
初めはどうかしようとするが、それが要らない。
その場その場のみに任せておく。
その事のみに「心」を置いてする。
常に、そう努力していると、自然に「隔て」が取れていく。
「只」やれる。
何事も淡々とできる。
「只」が純熟してくるから自然と全てと一つに成る。
本当に熟して徹する。
そうしないと大自覚が無い。
これが「悟り」の大事であり証明である。
ここで本当に納得する。
だから悟りを目指して「今」「只」やる。
無目的の坐禅は知らん間に妄想坐禅となり、ぽかんとした腑抜け禅になるから注意せよ。
どうしても本当の菩提心が無ければ邪禅になり、多少の落ち着きが有っても、損得など邪念は一向に取れない。
無明の根本を解決しなければ坐禅修行する意味が無い。
菩提心、菩提心。
731.
ユーザー
dGcS9
「応無所住而生其心。」この語はみんな知っている大切なお釈迦様のお言葉である。
難しそうに聞こえるこの語も、砕けば「今」「只」のこと。
みんなの[本当の心]のこと。
これを自ら證するだけである。
「隔て」がとれると常住不変がわかる。
死んで生きてが無くなり、一杯一杯である。
「今」の正体を知ればよい。
もともと「今」だから「今」はいらなくなる。
これは徹底「今」に成り切って、「今」を忘れなければ体得出来ないし、分からない言葉である。
「今」に徹すると、一瞬に今までの妄想が骨身に徹して感じる。
つまり妄想そのままが自分となり、妄想とすべきものが無くなる。
これを全身の毛穴からも呼吸をしていると云う。
丸ごてと云う意味である。
体と思う念が無くなる。
体の念が有れば体にくくられる。
体の念が無ければ自ら気にならなくなる。
「応無所住而生其心」も、[心]の様子の事。
「今」「只」のこと。
これが浄穢不ニ、自他不ニとなって本当に安心する。
「隔て」が無くなり心身一如になれば何でもない事よ。
これは良いとか悪いとか、すぐ自我を立てるから「隔て」となる。
事はここから起こる。
[心]の衝突である。
これは一つのものを立てて認めるから、二つに見たり、三つに思ったり、念が無限に広がって迷う。
これが無明よ。
比べる物がないのに、自己を立てて比べるからである。
本当に「只」を常に練っていれば良い。
そう努力していると自然に相手が気にならなくなる。
いやでも「隔て」がとれて一つに成る。
これを入我我入という。
世の中に処しながら、相手と一つに成って自在に変わっていくのを異類中行と云う。
私が無いと、天下は自分の姿に他ならない。
この境界が不動心である。
不動心は正法以外にない。
「今」「只」が正法である。
正法は「世界壊せども、この性は壊せず」とお経にある。
同時に二つのことは、考えれない。
一点のみ集中して、正体のいかなるものかを自覚するのである。
一つ事に集中し切らなければ「隔て」はとれない。
菩提心の一点張りだ。
732.
ユーザー
dGcS9
「今」「只」に我は無い。
我れなければ、即菩提。
それを大清淨とも云う。
汚がさるるものがなければ、浄くするものもない。
「今」は生死を論ずる間はない。
本当に「今」が手に入ったら自ずから生死が気に掛からない。
生死透脱というのも、砕いて言えば「今」「只」のことである。
733.
ユーザー
dGcS9
一息で自己を殺す
734.
ユーザー
dGcS9
真剣さの継続
735.
ユーザー
dGcS9
信じきって一直線にやる
736.
ユーザー
dGcS9
暇さえあれば単を練る
737.
ユーザー
dGcS9
「只」吐き、「只」吸うだけ。
禅は、単、只、ひたすらにあればよい。
これが禅の極意である。
暇さえあれば単を練る。
738.
ユーザー
dGcS9
心のない心に行き着く
739.
ユーザー
dGcS9
時を忘れて我を忘れてそのまんま
740.
ユーザー
dGcS9
無意味に時を送る
741.
ユーザー
dGcS9
ただ、呼吸ばかりになる
742.
ユーザー
dGcS9
見たまま聞いたまま
743.
ユーザー
O5qec
隙なしにやる
744.
ユーザー
O5qec
無心とは心が無いではなく心が無い心
745.
ユーザー
qtcOP
暇さえあれば一息を練る
746.
ユーザー
gK93n
只吸うだけ吐くだけを守る
747.
ユーザー
gK93n
「只」吐き、「只」吸うだけ。
禅は、単、只、ひたすらにあればよい。
これが禅の極意である。
暇さえあれば単を練る。
「只」吸うだけ吐くだけを守る。
心を虚にしておく。
748.
ユーザー
StHaW
これで完璧だな
749.
ユーザー
xrMYZ
何年やれば良いの?

3ヶ月くらいでサクッって大悟出来ないの?カモイ君⁉️
750.
ユーザー
j0lOz
> 無我がわかったら坐禅しなくても良いとは思うんだけどどうなんだろうな。  それでも道を求める人は坐禅するんだろうな。 』

修行者、求道者、修行僧は、やはり さとりを求めて行きます。

さとれば、さとりが無く、

無我とは、真理(さとり)です、が 理解できるものでありませんく、まさに 体得します。
その状態を 石、とも 言います。

突然 ストーン と、自他が無くなります。
これを 一と一は、二では無い。一の如し、一如である、言い表します。

この一如に取り組む公案が有ります。

両手で打てば音が鳴る。
では、片手の人が叩く拍手の音を聞いてこい、

と言うもので、これに取り組みました。
ぜひ、とも取り組んでいただきたいものです。


京都「妙心寺」0002 - 15,39
https://www.youtube.com/watch?v=Sg22-E520ME


>  片手の拍手はカンゼオンで聞く?  」


両手で打てば音が鳴る。では、片手の人が叩く拍手の音を聞いてこい。

音を聞くのだが、片手では拍手ができないから、音が鳴らないので聞こえない。
その聞こえない音を聞け、と 公案は いう。

聞こえない音が聞こえる。 そこが 色即是空。 初関(しょかん)を透(とお)る。
色とは片手の人が叩く拍手です。
片手の人が叩く音を聞いた、そこが、色即是空です。真理(さとり) です。

これは臨済(りんざい)禅師が無地の興亜ではなく、修行者に悟らせようと苦心した公案です。

白隠慧鶴禅師(はくいん えかく ぜんじ)
隻手の音声 (せきしゅのおんじょう)
両掌(りょうしょう)打って音声あり、隻手になんの声やある。隻手の声を拈提(ねんてい)せよ
751.
ユーザー
sv8KW
>>750
無我≒真如ではあるが
真如≒仏ではないよな
無我ってまさに石が意思を持たないのと一緒

一度知り得たら坐禅はもういらないと思うが
真如に仏を見出すまで坐禅をするんだろうか
真如そのものから仏という本質を
得るなら
真如≒無我から逆に坐禅とは逆のことをしないとならないと思われる
削ぎ落として来たものを徐々に
ゆっくりと本質を与えていく過程に
仏があるのだと思われる
752.
ユーザー
sv8KW
>>751
話題の従空仮観だ
753.
ユーザー
wjvDe
無我≒仏だったりして
754.
ユーザー
wjvDe
第八識の阿頼耶識(=無意識のこと)、第九識の阿摩羅識(=仏性のこと)に続いて、第十識にあるとされるのが真情(=真心のこと)らしい

そもそも第九識、第十識には諸説あるけど、
仏のようになりたいなら、ひたすら真心で生きなさい、ということかなと

わたしは挫折したけど(笑)
755.
ユーザー
mG3dB
756.
ユーザー
oYOsr
>  無我がわかったら坐禅しなくても良いとは思うんだけどどうなんだろうな。 』

修行者、求道者、修行僧は、やはり さとりを求めて行きます。さとれば、さとりが無く、無我とは、真理(さとり)です、が 理解できるものでありませんく、まさに 体得します。
その状態を 石、とも 言います。突然 ストーン と、自他が無くなります。
これを 一と一は、二では無い。一の如し、一如である、言い表します。この一如に取り組む公案が有ります。

両手で打てば音が鳴る。では、片手の人が叩く拍手の音を聞いてこい、と言うもので、これに取り組みました。
ぜひ、とも取り組んでいただきたいものです。

音を聞くのだが、片手では拍手ができないから、音が鳴らないので聞こえない。
その聞こえない音を聞け、と 公案は いう。

聞こえない音が聞こえる。 そこが 色即是空。 初関(しょかん)を透(とお)る。
色とは片手の人が叩く拍手です。片手の人が叩く音を聞いた、そこが、色即是空です。真理(さとり) です。

趙州従?(ぢょうしゅう・じゅうしん)の無字の公案では長年かかってもなお悟れず死んでいく者も多かった事から、修行僧に対して白隠禅師が新たに隻手の音声(せきしゅ の おんじょう)の公案を与え、沢山の修行者に悟らせようと苦心した公案です。

白隠慧鶴禅師(はくいん えかく ぜんじ) 隻手の音声 (せきしゅのおんじょう)
両掌(りょうしょう)打って音声あり、隻手になんの声やある。隻手の声を拈提(ねんてい)せよ。

>> 理屈っぽいけど、自他一如なら、あなたが叩こうがわたしが叩こうが同じ、わたしが叩きます、パンパンで終了。あとは自他一如、自分から心で隻手の人と一つになる。すると、相手の手を叩く音がきこえる。自他一如や自己の愛情、慈悲心を育てる公案だったとか 』

  ありがとうございます。
これは理解したり、解釈を咥えたりするものでじゃないので、お怒りを受けるともいますが、字句の解釈に拘泥するものではありません。
先にも言いましたが、自他一如を体得する事です。
あなたと私で、ぱんぱん。
頓智、になりましたね。
片手の人が、です。
置き換えて、これでどうだ、と言うわけにはまいりません。
聞こえるはずのない、片手の人が叩く拍手の音を聞く、のです。
757.
ユーザー
dWPhC
758.
ユーザー
dWPhC
カムイ君、電池切れたの❓
759.
ユーザー
X6TUZ
>>758
もうネタがなくなったんだろ
760.
ユーザー
IYk7a
禅の極意とは意を用いず。
761.
ユーザー
IYk7a
そのためには、まず、意を感じ取らねばならない。
762.
ユーザー
IYk7a
意を用いらないところを練り込む
763.
ユーザー
IYk7a
意を消し去ればよい。
764.
ユーザー
IYk7a
禅修行というのはその為の工夫よ。
765.
ユーザー
IYk7a
意が自我だ。
766.
ユーザー
IYk7a
意を持ち出さなければ色即是空だ。
767.
ユーザー
IYk7a
まずは、意の根っこを感じ取ること。
768.
ユーザー
IYk7a
そして、意を消し去ればよい。
769.
ユーザー
IYk7a
意が念を追っかけるのが煩悩
770.
ユーザー
IYk7a
俺は自我の正体がやっとわかったよ。
771.
ユーザー
KuEPG
>>770
カムイさんか?
772.
ユーザー
CVrP8
その場その場で忘れる
773.
ユーザー
CVrP8
「只」吐き、「只」吸うだけ。
禅は、単、只、ひたすらにあればよい。
これが禅の極意である。
暇さえあれば単を練る。
「只」吸うだけ吐くだけを守る。
心を虚にしておく。
意を用いず。
774.
ユーザー
6TuC4
吸って吐くだけ
775.
ユーザー
94V6j
師を信じ切る事は大切だね
776.
ユーザー
94V6j
逆に師に言われた事以外したらいかんです。
帰って遠回りします。
777.
ユーザー
94V6j
暇さえあれば一息する
778.
ユーザー
94V6j
吸って完結、吐いて完結、吸って完結、吐いて完結
継続させない。
779.
ユーザー
94V6j
連続するものは何もないんです。
780.
ユーザー
PvSEP
自身の体も一瞬一瞬完結してるから空なんです。
781.
ユーザー
PvSEP
自分の身も心も見ている風景も一瞬一瞬完結しているなら皆空なんです。
782.
ユーザー
PvSEP
ですからひと呼吸していくだけで悟ります。
ほか何もせんでいい。
783.
ユーザー
GAq2q
次第に呼吸が一つになって消えますよ、

無心になると呼吸は消える。
784.
ユーザー
GAq2q
760 神も仏も名無しさん sage 2023/11/18(土) 05:36:58.50 ID:IYk7a

禅の極意とは意を用いず。



それは正しい、要は観ないことだ、掴まないで放す、

呼吸も放す! すると、呼吸が独りでに解脱しますから。
785.
ユーザー
3LuxS
呼吸が消えるでもいいですが、忘れるといったほうがいいでしょう。
786.
ユーザー
3LuxS
一息一息切っていく
787.
ユーザー
3LuxS
呼吸で無常の今を感じるんです。
788.
ユーザー
3LuxS
無限の縁があります
789.
ユーザー
3LuxS
ですから自由自在なんだ。
790.
ユーザー
3LuxS
無限の縁とは無限の今って事ですよ。
791.
ユーザー
3LuxS
一息一息練っていきます
792.
ユーザー
3LuxS
今は永遠にありますが、瞬間瞬間完結してるんです。
793.
ユーザー
3LuxS
流転してるんです
794.
ユーザー
3LuxS
解脱とは瞬間瞬間心身共に切れてることです。
795.
ユーザー
3LuxS
今だけ、ただし今は無常なり
796.
ユーザー
3LuxS
とにかく意を出さないことです、意をださなければ、眼耳鼻舌身意です。
797.
ユーザー
3LuxS
訂正
無眼耳鼻舌身意です。

798.
ユーザー
3LuxS
見たまま、聞いたままって事です。
799.
ユーザー
JnobB
意の我も実体性がなく変化する、無我なんですな
800.
ユーザー
3LuxS
違います、意が立つから我が立つんです。
801.
ユーザー
JnobB
我もエゴの我も無我であると

「自己・相手・他者・みんなの我もエゴの我も無我」

ということになりますな
802.
ユーザー
3LuxS
それが自我という何らかのかたまりを作り上げます。
803.
ユーザー
JnobB
意→我ですな
わかりました
804.
ユーザー
3LuxS
ですから我が無我であるという書き方はおかしいです。
805.
ユーザー
JnobB
意→我(自我)ですな
806.
ユーザー
3LuxS
そうです
807.
ユーザー
3LuxS
ですから、まず意が動き出す感覚を掴まなければ対処できません。
808.
ユーザー
JnobB
我(が)というのは実体性がなく変化する(=無我)と呼べると思います
809.
ユーザー
3LuxS
すべては実践です
810.
ユーザー
3LuxS
経典をいくら読んでも無意味です。
811.
ユーザー
JnobB
意というものも実体性がなく変化する無我と言えますな
812.
ユーザー
3LuxS
そういうのは仏教オタクにお任せしましょう
813.
ユーザー
3LuxS
意もまた実体がないんですけど、人は実体化させて自我を形成します。
814.
ユーザー
3LuxS
なので、心を用いないです。
815.
ユーザー
3LuxS
心を用いなくてもちゃんと人は動けるようになってます。
816.
ユーザー
JnobB
意、我、エゴの我、これらが実体性がなく変化する=無我と知ることで、わたしは解放はされますかな
817.
ユーザー
3LuxS
と、頭だけでわかってもしょうがないんで、一息を練って行きます。
818.
ユーザー
3LuxS
仏教のお勉強はこれくらいで、あとは実践です。
819.
ユーザー
3LuxS
気がついたら一息やっていきます。
820.
ユーザー
3LuxS
これが正法を体得するやり方です。
821.
ユーザー
3LuxS
坐禅しながの方がいいですけど、普段でも一息やって行きますよ。
822.
ユーザー
3LuxS
釈尊は最後坐禅をして悟られたので、坐禅を否定する人はまるでわかっていません。
823.
ユーザー
JnobB
人によるところではあると思いますが、わたしは敢えて坐禅はしません
わたしがやると魔境に陥るからです
それにさっき述べた無我の知恵でじゅうぶんなのかなと思います
必要なときに自分で無我の知恵を取り出せればいいと
824.
ユーザー
3LuxS
ご自由に
わたしはわたしのやり方をするのみです。
825.
ユーザー
3LuxS
法を知ると、法を体得するの違いは大きいんでくけどね。
まぁ、これくらいにしときましょう。
826.
ユーザー
JnobB
人によるところではあるのでしょうけど
各々自分が信じた道を進む
それでいいのだと思います
827.
ユーザー
3LuxS
まぁ、わたしも遠回りして結構ぐだぐだの時期は長かったですけどね。
828.
ユーザー
3LuxS
ただ、悟るときは一瞬です。
一瞬で法を体得します。
829.
ユーザー
JnobB
私の場合は坐禅で魔境

坐禅で法を体得するはおろか、坐禅で魔境を体得してしまう
830.
ユーザー
3LuxS
綺麗に過去未来が前後裁断されます。
831.
ユーザー
3LuxS
禅寺に行って坐禅されましたか?一度でも。
全くの独自だとある意味危ないこともあるかもしれませんね。
832.
ユーザー
3LuxS
ちゃんと禅寺で一度は指導を受けたほうがいいです。
833.
ユーザー
JnobB
坐禅で悟った知があるのなら
もう坐禅は辞めていいんじゃないの?
834.
ユーザー
3LuxS
そういうこともしないで、坐禅で魔境に落ちる落ちる言わないで下さい。
835.
ユーザー
6cUmo
ブイブイ〜〜
聖ウンコ状態〜



👿👿👿👿👿👿
836.
ユーザー
3LuxS
迷惑です。
837.
ユーザー
JnobB
>>831
持病がありまして、坐禅すると魔境です
838.
ユーザー
3LuxS
禅寺で一度は坐禅の指導を受けましたか?
839.
ユーザー
6cUmo
ブイブイのほうが
👿魔境ブイブイ〜
840.
ユーザー
3LuxS
何度もいいますが禅寺でちゃんと指導を受けてなくて魔境に落ちるとは言わないでください。
迷惑です。
841.
ユーザー
3LuxS
禅寺では時病があればそれなりの指導がありますからね。
842.
ユーザー
JnobB
どういう指導でしょうか?
843.
ユーザー
JnobB
どういった指導でしょうか?
844.
ユーザー
3LuxS
自分で禅寺に事前に電話して確かめたらいいじゃないですか。
自分の事ですよ?
845.
ユーザー
6cUmo
どうするっ!?
ブイブイっ!!!


👿👿👿
846.
ユーザー
6cUmo
威張るだけ威張って
知らぬふり
ブイブイなのれした〜


👿👿👿
847.
ユーザー
3LuxS
わたしは指導者ではありません、あなたと同じ修行者ですからね。
848.
ユーザー
JnobB
>>844
ママ、代わりにお願いします
849.
ユーザー
6cUmo
自慢気にたれ流した挙げ句〜
ブイブイ〜



👿👿👿👿
850.
ユーザー
3LuxS
修行者同士のアドバイスは出来るかもしれませんが、指導者としての指示は出来ませんので。
851.
ユーザー
JnobB
まあ、ぶっちゃけはっちゃけ、坐禅しなくても、無我などの知恵でじゅうぶんなんで
あなたの言葉を借りれば、わたしの方も迷惑になりますわな
852.
ユーザー
6cUmo
なんか
威張った挙げ句に
逃げた
ブイブイ〜


👿👿👿👿
853.
ユーザー
3LuxS
はい、お互い迷惑なので二度と来ないでくださいね。
854.
ユーザー
6cUmo
ブイブイ捨て台詞〜


👿👿👿
855.
ユーザー
6cUmo
ひけらかし、お威張りの
毎度の
パターン
👿👿👿👿👿
856.
ユーザー
3LuxS
勝手にここに書き込んできて、迷惑とか。
おまえは鹿野園かよ。
もう来るなよ
857.
ユーザー
6cUmo
お怒りである〜

あの自慢ショーは
なんだったのか?

ブイブイ〜



👿👿👿👿
858.
ユーザー
JnobB
そういうとこ
嫌われ孤立するとこ
859.
ユーザー
6cUmo
ま、自慢ショーなので
自己チュー、自己満足先行なんだろうけども〜



👿
860.
ユーザー
6cUmo
この能書きたれ流しの挙げ句、
この大人げない
、

それならば
能書きたれ流し
やらなければいいのだが〜
👿
861.
ユーザー
JnobB
持病者でも出来る坐禅がありますかって~の
862.
ユーザー
JnobB
だから知恵でじゅうぶん
逆に言えば、知恵を拠り所にするしかない
863.
ユーザー
3LuxS
そう簡単に法は体得できんです。
864.
ユーザー
6cUmo
ブイブイは
討伐されたのだった、
自らの愚かさに


👿👿👿👿
865.
ユーザー
6cUmo
愚レスを
やめれん
ブイブイ
なのであった〜


👿
866.
ユーザー
3LuxS
さて、何事もなかったかのごとく、一息で切りますかね。
867.
ユーザー
3LuxS
もう、過去はない
868.
ユーザー
6cUmo
ふりまわされた

挙げ句の

ギャグであった〜



👿
869.
ユーザー
3LuxS
過去を本当の過去にする。

簡単でしょ?
870.
ユーザー
6cUmo
客来たら
限定にサービスにしとくか〜
目にあまるから
ブイブイの
悪態は



👿
871.
ユーザー
JnobB
体得しなくてもいいんじゃないの?
まあ、自分は知恵を体得するけど
872.
ユーザー
3LuxS
本真剣なら禅寺に電話でもして、私はこんな持病を持ってるんですけど坐禅出来るでしょうか、とか電話するはずです。
873.
ユーザー
YlzLy
何の持病ですか?

精神と肉体のどっちか?で対応は変わるでしょう。

874.
ユーザー
JnobB
精神っす
875.
ユーザー
6cUmo
お、
まともにもどってきた〜
ムイムイ〜
😳
876.
ユーザー
6cUmo
どうするっ!?
ムイムイっ!?
😳
877.
ユーザー
JnobB
知恵も法なら同じことになっちゃうのでは
878.
ユーザー
JnobB
知恵も法なら同じようなことになっちゃうのでは
879.
ユーザー
3LuxS
まぁ、ここは坐禅ありきの話しかしませんので、ここを読んでもしょうがないですから、どっか別の所行かれて下さい。
880.
ユーザー
JnobB
知恵も法なら、同じようなことになっちゃうのでは
881.
ユーザー
6cUmo
ムイムイだからな〜〜


😫
882.
ユーザー
6cUmo
ブイブイ〜

もどってきた〜



👿👿👿
883.
ユーザー
JnobB
>>879
ありがとうございます、もっと苛めてください
884.
ユーザー
3LuxS
流転する今を離さないようにする。
ここが面白い。
885.
ユーザー
3LuxS
そうね、精神の持病があるならば、部屋は明るくしたまま、目はハッキリ開けたまま、定期的に体を動かす。
まぁ、わたしは指導者でないので参考までに。
886.
ユーザー
JnobB
カムイさんの前世は女王様だなこれは
887.
ユーザー
6cUmo
お
まとも?
ムイムイ?

😳
888.
ユーザー
JnobB
>>885
たまにストレッチはしてます
下半身のストレッチはたまにしてます
889.
ユーザー
6cUmo
ムイムイ、でちゃうよね〜
😫
890.
ユーザー
JnobB
失礼いたしました
891.
ユーザー
6cUmo
嵐は去ったよーだ〜

バックスムイムイ〜


😳
892.
ユーザー
NjFfS
>>885
これは坐禅中にやります。
坐禅中に定期的な体を動かす。
すると魔境に落ちないです。
893.
ユーザー
NjFfS
魔境ってのは普段たえず何かしら動いてるのに、体を静止させるから、中推神経がおかしくなって起こる事が多いんです。
894.
ユーザー
JnobB
坐禅はしません

修行中に水を差してしまい

申し訳ありませんでした
895.
ユーザー
PHJ3R
名機

【エディオンおすすめ】イワタニ カセットコンロ特集 焼肉・たこ焼きなどおいしく仕上がります - 3,02
https://www.youtube.com/watch?v=l6xskNF8eqg

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https://www.youtube.com/watch?v=VLCfy7dBD5o

【アウトドアたこ焼き】天気がいいので外でたこ焼きを焼いてみた!【タフ丸開封!!】 - 9,07
https://www.youtube.com/watch?v=qw3BGbl10L0

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https://www.youtube.com/watch?v=4tSYfN-sfGU

【炎たこ焼き比へ゛】炎たことスーパー炎たこを同時に焼いて比較! - 10,44
https://www.youtube.com/watch?v=bAyIu3IMCtU

【炎たこ開封とレビュー】たこ焼きがレベルアップ!電気よりも美味しく焼ける!【火力と焼け具合を検証】 - 9,15
https://www.youtube.com/watch?v=kCiptgrTPfM

イワタニのカセットコンロでたこ焼き作りました。 - 14,17
https://www.youtube.com/watch?v=zgrSiWbOPM0

【たこ焼き器 火力最強】イワタニ カセットコンロ専用たこ焼き プレートでおいしいたこ焼きの作り方
https://www.youtube.com/watch?v=jbITwkPQs44

イワタニ マルチスモークレスグリル付属のたこ焼きプレートで、犬とタコパしてみた? - 8,33
https://www.youtube.com/watch?v=nNA768RvFO4
896.
ユーザー
NjFfS
俺は普通に坐禅が組めて幸せ者だ。
897.
ユーザー
JnobB
それぞれ自分に合ったやり方、生き方でいい
そういう認識で常日頃いられたら、掲示板でむやみに争わなくて済むしな
898.
ユーザー
KuEPG
坐禅においては知識と体現では
雲泥の差が有る
坐禅をしない瞑想もしないで理解で真理をえるなら
浄土真宗や日蓮宗のように
信仰に頼るしかないかな
899.
ユーザー
HznjW
坐禅も念仏も同じなんですけどね。
でも、坐禅のほうが効果的だとは思うな。
禅の悟りへのシステムは本当によく出来ている。
900.
ユーザー
KuEPG
>>899
阿弥陀仏を真に信仰し
念仏をとなえるこれも定ですな
自我を滅する
901.
ユーザー
6cUmo
>>898
リダンが言ってもなあ〜
ムイムイも
そうだが
😄
902.
ユーザー
6cUmo
>>900
リダン、
的外れ、
リダン担当やるかな〜
😄
903.
ユーザー
HznjW
念仏も呼吸に意識を置くのも同じだからね。
怒られるけど、南無阿弥陀も南妙法蓮華経でもアーでもイーでも唱えてたら原理は同じです。
904.
ユーザー
JnobB
>>898
知識じゃなくて知恵ですかね
自己を助けるための知恵
905.
ユーザー
KuEPG
成仏がなにかは分からんが
ともかく自我を滅したあとの感覚を
知った上での、己の自我は
自由と安寧に満たされることを
知って欲しい気持ちはある
全てから開放されるで、
906.
ユーザー
6cUmo
どーだか〜?
ブイブイ?
👿
907.
ユーザー
6cUmo
>>905
的外れ
😄
908.
ユーザー
HznjW
ある知識を聞いて判断するのが知恵です。
909.
ユーザー
JnobB
自己を助ける知識は、自己を助ける知恵に変貌する、だったか
910.
ユーザー
6cUmo
客がくると
リアクション変えよう〜
夕ークラスぐらいに?
😄
911.
ユーザー
6cUmo
リダンがレスしだしたから、それなりに〜
😄
912.
ユーザー
KuEPG
>>907
こればっかりはやってからはじめて分かることだから
無我を体現する気がなければ
もう俺は言葉をもたん
それなら浄土真宗が一番在家にとって完成度が高いからそれでどうだとしか
法介さんに突っ込まれるか
でも日蓮宗って無知な在家には少し難しいだろ
913.
ユーザー
HznjW
今ここに書き込んでる人たちで、何も自分の意見を言わないで邪魔なだけなのがでおーです。
まぁ、粘着されると困るのであんまり彼の話題を出したくないんですけどね。
914.
ユーザー
6cUmo
>>912
的外れ、
ま、
ほーかいくんスレぐらいなもんだ
発言権はあるのは
😄
915.
ユーザー
HznjW
メクラのでおーがわたしたちの話を聞いて正しくあれやこれや判断出来るはずがない。
邪魔なだけです。
916.
ユーザー
6cUmo
>>913
そんな
大層な自分の意見が
禅修行て
生まれるのか?
😭
917.
ユーザー
6cUmo
>>915
他人に振り回されるのが
常の
ムイムイくん随分偉くなったもんだ〜

😭
918.
ユーザー
6cUmo
まだ、
マックスボコボコモードてはないぞお〜
😄
919.
ユーザー
HznjW
でおー自身は上から目線で自分が一番よくわかってると周りを評価してるつとひなんでしょうね。
俺から見れば滑稽です。
920.
ユーザー
KuEPG
>>917
でおさんも無我を知り得てるだろう?
であるから憑依や同化が出来るんであって
何故に坐禅を批判するような言動なのか?
921.
ユーザー
6cUmo
🤢👽マークが
出ない間は
まだ、
真人間扱いしているほーだ
😄
922.
ユーザー
6cUmo
>>920

どっから目線か、
よーわからんが
頑張ってるのお〜
😄
923.
ユーザー
HznjW
は?でおーは我利、我利の塊ですよ。
924.
ユーザー
JnobB
どんな人にもみるべきところがある、学ぶべきところがある
925.
ユーザー
6cUmo
>>919
お〜振り回されとるな〜


😫
926.
ユーザー
KuEPG
>>922
うーん暖簾に腕押しモードのようだ
927.
ユーザー
6cUmo
>>923
承認欲求まみれで
日々精進なされ、たれなかししている
ムイムイ様の
貴重な
ご意見ですな〜?
😄
928.
ユーザー
KuEPG
>>927
そもそもボコるっていうから
期待してたがそんなもんかね
いつものでおさんじゃん
君の本気はそんなものか?

と思ったが昔を、知る人は避けるようだからあまり煽るのはやめたほうが賢明か
929.
ユーザー
6cUmo
リダンは
ボコらないから
安心しろ汁〜
😄
930.
ユーザー
ZXc4F
でおーも何十年も宗教やってんだからもうちょい頑張って欲しいです
931.
ユーザー
6cUmo
>>930
つらいのお
😭
932.
ユーザー
KuEPG
>>929
なんだあ?
選民意識かあ?
かかってこいよお
933.
ユーザー
6cUmo
😄
934.
ユーザー
KuEPG
🤗
935.
ユーザー
ZXc4F
でおーも悟らずに一生を終えたくないはずだしね。
936.
ユーザー
6cUmo
ムイムイモードだ
😭
937.
ユーザー
ZXc4F
ま、人の事はいいか、
なのにでおーは人の事ばっかりで自分おろそか、愚かな。
938.
ユーザー
6cUmo
ムイムイクルクルナルシー回転だ〜
トリプルアクセル?
😭
939.
ユーザー
ZXc4F
だから、でおーは自他が分離してるんだわ
940.
ユーザー
6cUmo
ナルシー回転ガンバルンバムイムイ〜
😫
941.
ユーザー
6cUmo
そのムイムイの
回転の原動力は?
😫
942.
ユーザー
ZXc4F
道元禅師
仏道を習うとは自己を習うなり


でおーは逆の事やってるから悟れるわけがないし、それは仏道ではない。
943.
ユーザー
ZXc4F
これはでおーに限らず、鹿野園もそう。

彼らは仏道ではないんだな。
944.
ユーザー
6cUmo
怨怨ムイムイリバース
😫
945.
ユーザー
6cUmo
リダンのせいだ〜
可哀想な〜
ムイムイ〜
😭
946.
ユーザー
ZXc4F
いや、君を憐れんでるだよ、可哀想に
947.
ユーザー
6cUmo
😭
948.
ユーザー
ZXc4F
でおーも本真剣になりなさいな。
949.
ユーザー
6cUmo
空虚なポーズリターン
😫
950.
ユーザー
ZXc4F
何も難しい事を言ってません。
気がついたら呼吸に意識を置けばいいんです。
951.
ユーザー
6cUmo
くやしいのお〜ムイムイな
気持ちは
良く理解できる
😫
952.
ユーザー
6cUmo
>>950
でも、ても、
気になり振り回される
ムイムイ
😫
953.
ユーザー
ZXc4F
要するに意を持ち出さなかればいいんです。
ここのところが色即是空です。
954.
ユーザー
6nzt1
でおー尊大師はこれからの宗教を牽引していきます‼️

池田先生の秘書から近日中に創価を頼みますという一報が入るでしょう。

皆のもの頭が高いのじゃ!霊能力日本一ですよー‼️
955.
ユーザー
ZXc4F
そのためにはまずは意の正体を見破らなくてはいけません。
956.
ユーザー
6nzt1
でおー尊大師にひれ伏すのじゃーーー‼️
957.
ユーザー
6nzt1
ははーーーm(_ _)mm(_ _)mm(_ _)m
958.
ユーザー
ZXc4F
心眼がないと相手見えないよ
959.
ユーザー
ZXc4F
自分空っぽじゃないと心眼身につかないよ。
自分空っぽだと相手が自分だから、相手が見えるんだ。
960.
ユーザー
ZXc4F
でおーは心眼とか身についてないから、我田引水して自分に引き込みたいだけだよ、やってる事は。
961.
ユーザー
6nzt1
カムイ大僧正は、でおー尊大師の心の内はお見通しだぞ‼️
962.
ユーザー
ZXc4F
丸見えだよ
963.
ユーザー
ZXc4F
逆にでおーから俺は見えてないから、いつも的外れなこと言ってるね。
964.
ユーザー
ZXc4F
意を根こそぎ抜いてしまうのが大悟だと思うね。
965.
ユーザー
ZXc4F
ごそっと抜けたら不退転だね。
966.
ユーザー
ZXc4F
スレッド終わりそうだな、もう次スレあるんだわ
967.
ユーザー
ZXc4F
968.
ユーザー
locI6
ま、相手知るには、まず、自分を知らないといけない。
でおー、鹿野園とか自分そっちのけで知らなすぎる。
969.
ユーザー
locI6
だから平気でくだらんこと書けるんやろな。
970.
ユーザー
locI6
気がついたら呼吸に意識を置いて意を殺して行きます。
971.
ユーザー
locI6
鹿野園は禅宗ではないね、言い切れるね。
972.
ユーザー
lnJEt
知識で法を体得するのは無理だね。
知識は過去のものだからね。
973.
ユーザー
lnJEt
今だけ
974.
ユーザー
Sl4th
>>955
生存本能ですかな
975.
ユーザー
Sl4th
知恵で救いを体得ですかな、わたしの場合は
976.
ユーザー
Sl4th
知識は生活に適用することで知恵に変わりますな
わたしにとっては、そういった知恵が救いになるわけです
977.
ユーザー
uMWgG
智慧は悟らないとダメですけどね。
智慧と知恵は違うのかな。
978.
ユーザー
uMWgG
悟ると智慧と慈悲がわきます。
979.
ユーザー
uMWgG
慈悲とは相手の煩悩などを取るので、厳しくなつたりします。
980.
ユーザー
Sl4th
智慧とは?
981.
ユーザー
uMWgG
それは結果ですので、気がついたら呼吸に意識を置きます。
982.
ユーザー
uMWgG
ある知識を智慧で正しく判断していきます。
983.
ユーザー
Sl4th
智慧とは結果?
智慧の概要とは?
984.
ユーザー
uMWgG
ま、心眼と智慧は同じでしょう。
相手がありのまま見えるんです。
985.
ユーザー
Sl4th
智慧とは裁判官みたいなものか、物差し的な
986.
ユーザー
Sl4th
わかってらっしゃるようで、ありがとうございます
987.
ユーザー
uMWgG
真理を示す物差しと言っていいでしょう。
988.
ユーザー
uMWgG
法燈明だ
989.
ユーザー
Sl4th
相手がありのまま見えて、それがやばいものだったら、自分も悪くなりそうだな

そういう人には、知恵なのかな
990.
ユーザー
uMWgG
自身の知恵で判断してください
991.
ユーザー
Sl4th
相手のありのままの我も実体性がなく変化する無我
自分も同じこと
そういうことですな
992.
ユーザー
uMWgG
知恵とは知識の積み重ねかもしれんね。
智慧は知識の積み重ねではないんです。
993.
ユーザー
Sl4th
知恵を使って自己を救うってことだよ
994.
ユーザー
uMWgG
頑張って下さい
995.
ユーザー
Sl4th
自己の置かれた悩み苦しみの最適解

それが知恵ですな
996.
ユーザー
Sl4th
自己の置かれた悩み苦しみの最適解となるもの

それが知恵ですな
997.
ユーザー
uMWgG
苦しい時は苦しいです。
これが智慧です。
998.
ユーザー
Sl4th
まあ、実は、無我の知恵の他にもさらに良い知恵をゲットしたもので…

やったね!
999.
ユーザー
uMWgG
人の苦しみとは自我から来るともう答えが出てるからね。
1000.
ユーザー
uMWgG
自我を立てないようにしていくのが智慧です。
1001.
ユーザー
???
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1002.
ユーザー
???
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