【唯識論】阿頼耶識と末那識の基本的考察【法相宗】アーカイブ最終更新 2023/10/22 10:191.鹿野園XxxE5ここでは法相宗の見解(すなわち護法の見解)に基づいて、阿頼耶識と末那識の基本的考察を行いたいと思います。現在、宗教掲示板では 1.末那識=仏 2.阿頼耶識は現量ではないという事が云われてるようですが、その間違いを明らかにしていくのがこのスレの本題となります。<本スレ> 【全宗教歓迎】悟りをひらいた人のスレ849【talk掲示板】<各論スレ> 般若心経の「照見五蘊皆空」の意味について/https://talk.jp/boards/psy/1691499457 四禅の属界について考察するスレ/https://talk.jp/boards/psy/1694416637 【仏教の煩瑣哲学】阿毘達磨倶舎論に付いて【世親著】/https://talk.jp/boards/psy/16947566712023/09/15 15:13:231000すべて|最新の50件953.◆JBLfMwCXhYqaTkm中世の文学と思想第44巻 方丈記・徒然草・正法眼蔵随聞記・歎異抄よりゆく河かはの流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮うかぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。 これは、よく知られているように、『方丈記』の序章であるが、『方丈記』にはつづいて、都のうちにひしめいているような人々とその住いとは、昔から今にいたるまで、いつも変ることなく同じ有様のように見えるが、じつはそのすべてが、入れ替り立ち替り亡び去り消え失せていったのであり、ちょうど「河の流れ」が、いつも目の前に同じ姿で変ることなく流れているかのように見えながら、河の水そのものは刻々変化しているように、この世は、人間も自然も絶えず移り変り亡び去ってゆく、つまり無常なものでしかないことを、作者の鴨長明かものちようめい自身が体験した都の大火、大地震、さては二年にわたる惨憺さんたんたる飢饉ききんの状況などを回想しながら、克明に捉とらえ示すことによって説得的に語っているのである。 2023/10/22 08:34:56954.◆JBLfMwCXhYqaTkmまた『方丈記』に続いて成立した『徒然草』も、たとえばその第一五五段に、生しやう・住ぢゆう・異い・滅めつの移りかはる、実まことの大事は、たけき河かはのみなぎり流るるが如ごとし。しばしもとどこほらず、ただちに行おこなひゆくものなり。と述べているように、人間がこの世に生を享うけてから後は、水勢の激しい河が満ちあふれて流れ下るように、生から死へとたちまちのうちに移り変って、一瞬もとどこおることがないと述べ、『方丈記』よりもさらに強い調子でもって、この世の無常を説いている。『徒然草』はまた続いて、自然の移り変りを述べて、それは春・夏・秋・冬ととどまることなく廻めぐり行くことを説くのであるが、人間の生命は、ただ生・老・病・死と転化するだけでなく、その死はいきなり後ろ髪を掴つかむように、人間を捉とらえ、老若の順序など無視して襲いかかってくるものだと、人間の生命のきびしい無常を確認しているのである。『徒然草』には、こうした生命の無常を説くところがいたるところにあり、その作品構造の枠組みが、こうした無常思想にあることを物語っているのであって、『徒然草』が無常観の文学といわれてきたのも当然のことであろう。 結局、『方丈記』も『徒然草』も、われわれの世界は、目の前にいつも変ることなく同じ姿でとどまっているかのように見えるが、それはすべて仮かりの姿であって、実は絶えず亡び去り消え去ってゆくもの、つまり無常の世界にすぎないことを説いているのであり、二つの作品は、それぞれ鎌倉時代の初期と末期とに成立しながら、いずれも仏教的な無常思想を骨組みとして展開しているのである。2023/10/22 08:35:06955.◆JBLfMwCXhYqaTkm方丈記も徒然草も、いま読んだらまったく違って見えてくるだろうな2023/10/22 08:35:33956.◆JBLfMwCXhYqaTkm昔とは比べ物にならないほど、仏教思想が分かっている2023/10/22 08:35:55957.◆JBLfMwCXhYqaTkm徒然草は、「生・住・異・滅」について書かれている倶舎論の五位七十五法に出てくる心不相応行だ吉田兼好は、倶舎論の素養があったんだな2023/10/22 08:37:27958.神も仏も名無しさん1Do17落とした徒然草の朗読を垂れ流す😄2023/10/22 08:37:57959.◆JBLfMwCXhYqaTkm仏教文学そのものだな~😄2023/10/22 08:39:48960.神も仏も名無しさん1Do17上賀茂神社の神官に就職して出世できずにやめて我流出家(禁欲はやりきってないだろう、たぶん)2023/10/22 08:40:06961.◆JBLfMwCXhYqaTkm仏教に関しては、プロではないな2023/10/22 08:41:47962.◆JBLfMwCXhYqaTkmどっちかっていったら、神道2023/10/22 08:42:02963.神も仏も名無しさん1Do17上がりたてなのでこっちのスマホには上がってこない〜https://m.youtube.com/watch?v=N9m5gNvchBc&pp=ygUS5b6S54S26I2J44CA5pyX6Kqt2023/10/22 08:42:18964.◆JBLfMwCXhYqaTkm三輪上人慶円の影響も受けてそうだ2023/10/22 08:42:28965.神も仏も名無しさん1Do17ほーかいくんお館様、絶好調だな〜😄2023/10/22 08:44:25966.神も仏も名無しさん1Do17動画落とし用のスマホのアプリ更新時間が食うなあ〜😄2023/10/22 08:46:28967.◆JBLfMwCXhYqaTkmほ~かい節が冴え渡っている~😄2023/10/22 08:47:56968.◆JBLfMwCXhYqaTkmそういえば、吉田神道の関係者だから吉田兼好と呼ばれてるんだったな2023/10/22 09:19:16969.◆JBLfMwCXhYqaTkm阿倍野の正圓寺の近くに住んでた?大阪だったんかい2023/10/22 09:20:08970.◆JBLfMwCXhYqaTkm知らんかった2023/10/22 09:20:22971.◆JBLfMwCXhYqaTkm中学生の頃は、「鎌倉時代の人でした」と言われて、鎌倉あたりに住んでたと思い込んでいた2023/10/22 09:21:11972.◆JBLfMwCXhYqaTkm京都生まれで大阪在住純粋な関西人だ2023/10/22 09:21:46973.◆JBLfMwCXhYqaTkmまあ、あの時代の文化人なら当然か2023/10/22 09:22:04974.◆JBLfMwCXhYqaTkm江戸時代の元禄年間でさえ、圧倒的に京都が文化の中心だもんなあ2023/10/22 09:25:29975.◆JBLfMwCXhYqaTkm江戸が名実ともに日本の中心となるのは文化文政年間 19世紀に入った頃だ2023/10/22 09:26:17976.◆JBLfMwCXhYqaTkm吉田神道か2023/10/22 09:31:41977.◆JBLfMwCXhYqaTkm神道文学2023/10/22 09:31:54978.◆JBLfMwCXhYqaTkm室町時代の吉田兼倶が、「兼好法師はウチの祖先」と主張したそれが、「吉田兼好」と呼ばれる理由2023/10/22 09:32:59979.◆JBLfMwCXhYqaTkm本名は卜部兼好(うらべかねよし)2023/10/22 09:33:18980.◆JBLfMwCXhYqaTkm法師とは名ばかり2023/10/22 09:35:08981.◆JBLfMwCXhYqaTkm完全に神道系の人2023/10/22 09:35:21982.◆JBLfMwCXhYqaTkmよしだ‐しんとう‥シンタウ【吉田神道】〘名〙神道の一派。室町末期に、京都の吉田神社の社司、卜部兼倶(うらべかねとも)が創唱した、わが国固有の随神(かんながら)の道を主張するもの。卜部神道。唯一神道。吉田流。2023/10/22 10:08:53983.◆JBLfMwCXhYqaTkmよしだ‐しんとう〔‐シンタウ〕【▽吉田神道】室町末期、吉田兼倶よしだかねともが大成した神道の一派。儒・仏・道三教を枝・葉・花実とし、日本古来の随神かんながらの道を法の根本であると唱える。近世に広く浸透した。元本宗源神道。唯一神道。卜部神道。2023/10/22 10:09:16984.◆JBLfMwCXhYqaTkm吉田神道(よしだしんどう)とは、室町時代京都吉田神社の神職吉田兼倶によって大成された神道の一流派。唯一神道、卜部神道、元本宗源神道、唯一宗源神道とも。2023/10/22 10:09:40985.◆JBLfMwCXhYqaTkm吉田神道は、室町時代、京都の神道家・吉田兼倶に始まる吉田家が唱えた神道の一流派である[1]が、実際は吉田兼倶がほとんど一人で集成したと見られている。元本宗源神道、唯一宗源神道などを自称している。本地垂迹説である両部神道や山王神道に対し、反本地垂迹説(神本仏迹説)を唱え、本地で唯一なるものを神として森羅万象を体系づけ、汎神教的世界観を構築したとされる。2023/10/22 10:10:47986.◆JBLfMwCXhYqaTkm吉田神道は、中世神道思想を集大成し、様々な宗教の諸言説を越境的に統合しつつ、仏教から独立した独自の教義・経典・祭祀を持つはじめての神道説となり、神道史における大きな画期となった。2023/10/22 10:10:59987.◆JBLfMwCXhYqaTkm白川伯王家(しらかわはくおうけ)、又は白川家(しらかわけ)とは花山天皇の皇孫の延信王(清仁親王の王子)から始まり、古代からの神祇官に伝えられた伝統を受け継いだ公家・華族だった家である。公家としての家格は半家、華族としての家格は子爵家だった。皇室の祭祀を司っていた伯家神道(白川流神道)の家元。2023/10/22 10:13:12988.◆JBLfMwCXhYqaTkm最近は仏教の話ばかりで2023/10/22 10:13:26989.◆JBLfMwCXhYqaTkm神道から離れてるんだよな~2023/10/22 10:13:37990.◆JBLfMwCXhYqaTkm9902023/10/22 10:13:49991.◆JBLfMwCXhYqaTkm吉田神道2023/10/22 10:15:19992.◆JBLfMwCXhYqaTkm久々に思い出した2023/10/22 10:15:30993.◆JBLfMwCXhYqaTkm個人的に大本教系なので、白川家の伯家神道の関心がある2023/10/22 10:16:04994.◆JBLfMwCXhYqaTkm吉田神道は天理教なので、縁がない2023/10/22 10:16:25995.◆JBLfMwCXhYqaTkm伯家神道 → 金光教 → 大本教 → 生長の家 → 白光真宏会 2023/10/22 10:17:35996.◆JBLfMwCXhYqaTkmこれが、五井先生へと至る伯家神道の霊統2023/10/22 10:18:02997.◆JBLfMwCXhYqaTkm吉田神道は敵だ😫2023/10/22 10:18:41998.◆JBLfMwCXhYqaTkm惟神霊幸倍坐世2023/10/22 10:19:10999.◆JBLfMwCXhYqaTkm9992023/10/22 10:19:281000.◆JBLfMwCXhYqaTkm10002023/10/22 10:19:401001.Talk ★???このスレッドはコメントが1000件を超えました。新しいスレッドを立ててください。2023/10/22 10:19:401002.Talk ★???【プレミアムサービス無料期間延長!】プレミアムの無料期間を2025/3/31まで延長することになりました。広告除去や規制緩和など、ヘビーユーザーにとって欠かせない機能を無料でお楽しみいただけます。是非この機会にプレミアムサービスをお試しください!▼プレミアムサービスはこちらからhttps://talk.jp/premium2023/10/22 10:19:40
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現在、宗教掲示板では
1.末那識=仏
2.阿頼耶識は現量ではない
という事が云われてるようですが、その間違いを明らかにしていくのがこのスレの本題となります。
<本スレ>
【全宗教歓迎】悟りをひらいた人のスレ849【talk掲示板】
<各論スレ>
般若心経の「照見五蘊皆空」の意味について/https://talk.jp/boards/psy/1691499457
四禅の属界について考察するスレ/https://talk.jp/boards/psy/1694416637
【仏教の煩瑣哲学】阿毘達磨倶舎論に付いて【世親著】/https://talk.jp/boards/psy/1694756671
第44巻 方丈記・徒然草・正法眼蔵随聞記・歎異抄より
ゆく河かはの流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮うかぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。
これは、よく知られているように、『方丈記』の序章であるが、『方丈記』にはつづいて、都のうちにひしめいているような人々とその住いとは、昔から今にいたるまで、いつも変ることなく同じ有様のように見えるが、じつはそのすべてが、入れ替り立ち替り亡び去り消え失せていったのであり、ちょうど「河の流れ」が、いつも目の前に同じ姿で変ることなく流れているかのように見えながら、河の水そのものは刻々変化しているように、この世は、人間も自然も絶えず移り変り亡び去ってゆく、つまり無常なものでしかないことを、作者の鴨長明かものちようめい自身が体験した都の大火、大地震、さては二年にわたる惨憺さんたんたる飢饉ききんの状況などを回想しながら、克明に捉とらえ示すことによって説得的に語っているのである。
生しやう・住ぢゆう・異い・滅めつの移りかはる、実まことの大事は、たけき河かはのみなぎり流るるが如ごとし。しばしもとどこほらず、ただちに行おこなひゆくものなり。
と述べているように、人間がこの世に生を享うけてから後は、水勢の激しい河が満ちあふれて流れ下るように、生から死へとたちまちのうちに移り変って、一瞬もとどこおることがないと述べ、『方丈記』よりもさらに強い調子でもって、この世の無常を説いている。
『徒然草』はまた続いて、自然の移り変りを述べて、それは春・夏・秋・冬ととどまることなく廻めぐり行くことを説くのであるが、人間の生命は、ただ生・老・病・死と転化するだけでなく、その死はいきなり後ろ髪を掴つかむように、人間を捉とらえ、老若の順序など無視して襲いかかってくるものだと、人間の生命のきびしい無常を確認しているのである。
『徒然草』には、こうした生命の無常を説くところがいたるところにあり、その作品構造の枠組みが、こうした無常思想にあることを物語っているのであって、『徒然草』が無常観の文学といわれてきたのも当然のことであろう。
結局、『方丈記』も『徒然草』も、われわれの世界は、目の前にいつも変ることなく同じ姿でとどまっているかのように見えるが、それはすべて仮かりの姿であって、実は絶えず亡び去り消え去ってゆくもの、つまり無常の世界にすぎないことを説いているのであり、二つの作品は、それぞれ鎌倉時代の初期と末期とに成立しながら、いずれも仏教的な無常思想を骨組みとして展開しているのである。
まったく違って見えてくるだろうな
倶舎論の五位七十五法に出てくる心不相応行だ
吉田兼好は、倶舎論の素養があったんだな
😄
出世できずにやめて
我流出家(禁欲はやりきってないだろう、たぶん)
こっちのスマホには
上がってこない〜
https://m.youtube.com/watch?v=N9m5gNvchBc&pp=ygUS5b6S54S26I2J44CA5pyX6Kqt
絶好調だな〜
😄
😄
大阪だったんかい
と言われて、鎌倉あたりに住んでたと
思い込んでいた
純粋な関西人だ
文化文政年間
19世紀に入った頃だ
「兼好法師はウチの祖先」
と主張した
それが、「吉田兼好」と呼ばれる理由
〘名〙神道の一派。室町末期に、京都の吉田神社の社司、卜部兼倶(うらべかねとも)が創唱した、わが国固有の随神(かんながら)の道を主張するもの。卜部神道。唯一神道。吉田流。
室町末期、吉田兼倶よしだかねともが大成した神道の一派。儒・仏・道三教を枝・葉・花実とし、日本古来の随神かんながらの道を法の根本であると唱える。近世に広く浸透した。元本宗源神道。唯一神道。卜部神道。
本地垂迹説である両部神道や山王神道に対し、反本地垂迹説(神本仏迹説)を唱え、本地で唯一なるものを神として森羅万象を体系づけ、汎神教的世界観を構築したとされる。
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