「親指の爪が肉ごと取れた」谷津嘉章さん、糖尿病で右足切断したいまもリングに「左足はまだあるからね!」アーカイブ最終更新 2024/10/29 08:531.朝一から閉店までφ ★???ライフ・マネーFLASH編集部記事投稿日:2024.10.28 06:00 最終更新日:2024.10.28 06:00「右足を失って、ため息ばかりついていました」 2019年、糖尿病による壊死が進み、谷津嘉章さんは右ヒザ下を切断した。62歳だった。「25歳で入った新日本プロレスの歓迎会では、焼酎の一升瓶を6本、一人で空けた。体を作らなきゃいけなかったから、食事は一日平均6食で、4000〜5000kcalは食べていたよ」【関連記事:糖尿病で透析の日々「グレート義太夫」こんなにお金がかかる…】 谷津さんは35歳のとき、知人の医者に「お前、毎日のように俺と酒を飲んでいるんだから、たまには検査しろ」と言われて、つき合いで病院へ行った。「これが人生初の健康診断で、 “糖尿病予備軍” だと注意を受けた。でも、検査の後はその先生が『さぁ、飲みに行くぞ!』って。そりゃ危機感なんてないですよ。その後も、彼は『40歳になったら代謝が悪くなってくるから気をつけなさい』と言うんだけど、右から左に抜けていた(笑)」 5年後、糖尿病を発症した。母の家系も罹患者が多いと聞いてはいた。だが、医者に食事制限や有酸素運動をすすめられても、他人事だった。「処方された薬をちゃんと飲んでいたし、自覚症状が何もなかった。体調は悪くなかったからね」 異変を感じたのは、2018年のことだった。「網膜症の症状が始まって、冷え性みたいに足の感覚もなくなってきました。足の爪を切ろうとして皮膚を切ってしまったら、それが悪化していった。これは糖尿病の文献にあるとおりだ! と思って。それから気を引き締めたけど、もう遅かった」 右足は腫れて変色し、部屋に異臭がたちこめたという。「壊疽(えそ)を起こしていたんです。引退はしていたけれど、頼まれてリングに上がることはありました。それで、四国巡業中に親指の爪が肉ごと取れちゃったんです。整形外科で診てもらったら『下腿切断です。早く決断してください!』と強い言い方をされて、翌日には切断することになりました」 以降、白米を玄米に替え、果物を食べなくなり、お酒は蒸留酒をコップ2杯にした。また、リンゴ酢を飲むことで数値が安定してきたという。「糖尿病は、治ることはなくても、努力すれば数値を一定の範囲内に留めることはできる。働き盛りの人は、なかなか酒の席を断われないと思うけど、自身の数値の限界を理解して、行動したほうがいい。右足を切断すると3年以内に70%の確率で左足も切断するらしいんだけど、俺は5年たって、まだあるよ」 2023年に「日本障がい者レスリング連盟」を発足させた谷津さんは、https://smart-flash.jp/lifemoney/313585/1/1/2024/10/28 18:08:189すべて|最新の50件2.名無しさんBMiYX香りが2024/10/28 18:13:223.名無しさんFvsxAワイがいつも糖尿はサイレントキラーや癌や毛根死亡試合終了ハゲよりコワイで言うとるやろ2024/10/28 18:14:314.名無しさんcy0MJご自愛下さい2024/10/28 18:17:425.名無しさんeWFYXレスリングブーツで蒸れて腐るの早かったんだろう2024/10/28 18:58:216.名無しさんVYvTiなぜかカッコよく見える…いや、カッコいいな!2024/10/28 20:53:437.名無しさんX4nJw元近鉄ピッカリ佐野は糖尿病で右腕切断やで2024/10/28 22:11:528.名無しさんddWdh1ミリも同情出来ない話だった2024/10/28 22:45:429.名無しさんJXJuSリアルテリーマン?義足で闘う男2024/10/29 08:53:03
【学歴】東京大学を出てるのに…年収700万円・55歳のサラリーマン、高学歴の息子が唯一の誇りだったが、「お父さんみたいになるのは嫌なんだ」とあえて年収200万円・非正規の我が子に2度絶句ニュース速報+46710.52024/12/05 11:27:59
ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2024.10.28 06:00 最終更新日:2024.10.28 06:00
「右足を失って、ため息ばかりついていました」
2019年、糖尿病による壊死が進み、谷津嘉章さんは右ヒザ下を切断した。62歳だった。
「25歳で入った新日本プロレスの歓迎会では、焼酎の一升瓶を6本、一人で空けた。体を作らなきゃいけなかったから、食事は一日平均6食で、4000〜5000kcalは食べていたよ」
【関連記事:糖尿病で透析の日々「グレート義太夫」こんなにお金がかかる…】
谷津さんは35歳のとき、知人の医者に「お前、毎日のように俺と酒を飲んでいるんだから、たまには検査しろ」と言われて、つき合いで病院へ行った。
「これが人生初の健康診断で、 “糖尿病予備軍” だと注意を受けた。でも、検査の後はその先生が『さぁ、飲みに行くぞ!』って。そりゃ危機感なんてないですよ。その後も、彼は『40歳になったら代謝が悪くなってくるから気をつけなさい』と言うんだけど、右から左に抜けていた(笑)」
5年後、糖尿病を発症した。母の家系も罹患者が多いと聞いてはいた。だが、医者に食事制限や有酸素運動をすすめられても、他人事だった。
「処方された薬をちゃんと飲んでいたし、自覚症状が何もなかった。体調は悪くなかったからね」
異変を感じたのは、2018年のことだった。
「網膜症の症状が始まって、冷え性みたいに足の感覚もなくなってきました。足の爪を切ろうとして皮膚を切ってしまったら、それが悪化していった。これは糖尿病の文献にあるとおりだ! と思って。それから気を引き締めたけど、もう遅かった」
右足は腫れて変色し、部屋に異臭がたちこめたという。
「壊疽(えそ)を起こしていたんです。引退はしていたけれど、頼まれてリングに上がることはありました。それで、四国巡業中に親指の爪が肉ごと取れちゃったんです。整形外科で診てもらったら『下腿切断です。早く決断してください!』と強い言い方をされて、翌日には切断することになりました」
以降、白米を玄米に替え、果物を食べなくなり、お酒は蒸留酒をコップ2杯にした。また、リンゴ酢を飲むことで数値が安定してきたという。
「糖尿病は、治ることはなくても、努力すれば数値を一定の範囲内に留めることはできる。働き盛りの人は、なかなか酒の席を断われないと思うけど、自身の数値の限界を理解して、行動したほうがいい。右足を切断すると3年以内に70%の確率で左足も切断するらしいんだけど、俺は5年たって、まだあるよ」
2023年に「日本障がい者レスリング連盟」を発足させた谷津さんは、
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