【2020年7月、全員が感染】「ごめんね、私ばっかり生きて」 コロナで夫と母親亡くした女性アーカイブ最終更新 2024/03/08 21:471.影のたけし軍団 ★???鹿児島県内で新型コロナの感染が初めて確認されて、今月で4年です。この4年間で亡くなった人は1000人を超えます。感染が広がり始めたころ、コロナで夫と母親を亡くした女性が鹿児島市にいます。家族を失った辛い過去。乗り越えることができたきっかけとは…。鹿児島市の松下みゆきさん(61)。4年前、新型コロナで夫と母親を亡くしました。(松下さん)「もう心が空っぽ。夫と母のところに行きたいとしか思ってなかった」松下さんは、夫・和裕さん、母・マツエさんの3人暮らしで、2020年7月、全員が感染しました。当時はコロナの第2波に入り、鹿児島の感染者は累計200人を超えたころでした。和裕さんは、松下さんと一緒の病室で6日間過ごした後、重症化リスクがあったため、鹿児島大学病院に転院しました。「頑張ってよ」「うん」「苦しい?」「大丈夫よ」(松下さん)「廊下に出て、今度会う時は笑顔で会おうねって。(夫の)手だけが見えて」これが、夫婦の最後の会話でした。その後、別の病院に入院していた母・マツエさんも帰らぬ人となりました。(当時の松下さん)「ごめんね、私ばっかり生きて。やっぱりそう思ってしまう」未知のウイルスと言われ、最後の別れは家族ですら難しかった当時。救ってくれたのは、大学病院の計らいでした。(松下さん)「看護師長が手袋の上から夫の手を握らせてくれた時、自分の夫の死に向き合うことができた。そのまま火葬場に運んでいたら、おそらく今の私はいなかった」和裕さんの手に触れ、死に向き合うことができた松下さん。夫婦で経営していた在宅介護サービスの会社を1人で引き継ぐことになりました。先の見えないコロナ禍に、スタッフおよそ50人で120人の利用者をケアする毎日。支えてくれたのは、亡き夫の言葉です。(松下さん)「なんで仕事をやらないといけないのか、辞めたい気持ちだった。でも、夫が鹿大病院に移る日、『会社を頼むよ』と言った言葉が、私を動かしてくれた」あれから4年。経営者でありながら、自らもケアマネージャーとして利用者と向き合います。https://www.mbc.co.jp/news/article/2024030700070265.html2024/03/08 09:47:0410すべて|最新の50件2.名無しさん8bMGk何でそんなに弱いんだ2024/03/08 09:48:093.名無しさんKjVKn初期の感染したらヤバいやつにかかったのか…2024/03/08 09:51:004.名無しさんiSB4R寿命...。2024/03/08 09:51:335.名無しさんTEJihワクチン接種前だな2024/03/08 09:57:386.名無しさんC1Vuk確かに寿命2024/03/08 09:58:547.名無しさんdPVx9マジで電車にノーマスクで乗り込むの、やめろテロリストの卵2024/03/08 10:08:248.名無しさんER1XLなんでそんな簡単に死ぬんだwなんか違う病気もあったんだろ?2024/03/08 10:10:409.名無しさんKLGrc>>8今と同じコロナと思ってるバカがいるのは驚愕2024/03/08 10:23:5710.名無しさんeaNmW初期のデルタまでの株はヤバかった俺はオミクロンらしきものにかかったが、すぐに治ったし2024/03/08 21:47:06
感染が広がり始めたころ、コロナで夫と母親を亡くした女性が鹿児島市にいます。家族を失った辛い過去。乗り越えることができたきっかけとは…。
鹿児島市の松下みゆきさん(61)。4年前、新型コロナで夫と母親を亡くしました。
(松下さん)「もう心が空っぽ。夫と母のところに行きたいとしか思ってなかった」
松下さんは、夫・和裕さん、母・マツエさんの3人暮らしで、2020年7月、全員が感染しました。
当時はコロナの第2波に入り、鹿児島の感染者は累計200人を超えたころでした。
和裕さんは、松下さんと一緒の病室で6日間過ごした後、重症化リスクがあったため、鹿児島大学病院に転院しました。
「頑張ってよ」「うん」
「苦しい?」「大丈夫よ」
(松下さん)「廊下に出て、今度会う時は笑顔で会おうねって。(夫の)手だけが見えて」
これが、夫婦の最後の会話でした。その後、別の病院に入院していた母・マツエさんも帰らぬ人となりました。
(当時の松下さん)「ごめんね、私ばっかり生きて。やっぱりそう思ってしまう」
未知のウイルスと言われ、最後の別れは家族ですら難しかった当時。救ってくれたのは、大学病院の計らいでした。
(松下さん)「看護師長が手袋の上から夫の手を握らせてくれた時、自分の夫の死に向き合うことができた。そのまま火葬場に運んでいたら、おそらく今の私はいなかった」
和裕さんの手に触れ、死に向き合うことができた松下さん。夫婦で経営していた在宅介護サービスの会社を1人で引き継ぐことになりました。
先の見えないコロナ禍に、スタッフおよそ50人で120人の利用者をケアする毎日。支えてくれたのは、亡き夫の言葉です。
(松下さん)「なんで仕事をやらないといけないのか、辞めたい気持ちだった。でも、夫が鹿大病院に移る日、『会社を頼むよ』と言った言葉が、私を動かしてくれた」
あれから4年。経営者でありながら、自らもケアマネージャーとして利用者と向き合います。
https://www.mbc.co.jp/news/article/2024030700070265.html
テロリストの卵
なんか違う病気もあったんだろ?
今と同じコロナと思ってるバカがいるのは驚愕
俺はオミクロンらしきものにかかったが、すぐに治ったし