【日本史】卑弥呼時代に「邪馬台国」はなかった最終更新 2024/06/01 18:191.名無しさんcOrpS卑弥呼は北部九州。邪馬台国は畿内。説2023/10/09 19:31:3313コメント欄へ移動すべて|最新の50件2.名無しさんo3u46大和(やまと)にあったヤマト政権を漢字で邪馬台と表記したのではないか。2023/12/17 16:45:063.名無しさんTly5w>>2じゃあ卑弥呼は大和王朝の女王だったの?って話になるがそんな話は聞いたことがないな2023/12/24 12:40:534.名無しさんuqDlD伊都国.ᐟ.ᐟ.ᐟ.ᐟ.ᐟ2024/03/03 12:06:465.名無しさんPcTLO「敷島のやまと」という表現から、「やまと」が場所を意味するだけではないと考えるのは自然です。「やまと」には、以下のような様々な意味合いが込められている可能性があります。 * 平和な場所: 古代日本語の「やはと」は、「温和な場所」や「平和な場所」という意味を持っていました。「敷島のやまと」という表現は、大和国を理想的な国家として表現したものと言えるでしょう。「敷島のやまと」という表現から、「やまと」が単一の場所ではなく、複数の「やはと」が存在することを連想するのは確かに自然な考え方です。古代日本では、大和国以外にも「やまと」と呼ばれる地域がいくつか存在していた可能性があります。例えば、九州南部の隼人(はやと)の居住地域も、「やまと」と呼ばれていたという説があります。また、「やまと」は理想的な国家を指す言葉としても使われていました。そのため、「敷島のやまと」という表現は、単一の場所を指すだけでなく、理想的な国家がいくつも存在することを表していると解釈することもできます。2024/05/26 04:30:326.名無しさんPcTLO無かったのではなく、かなり多くあった2024/05/26 04:34:537.名無しさんPcTLO卑弥呼もヒメミコなどに類する言葉で単一固有名では無く、複数2024/05/26 04:40:178.名無しさんPcTLO姫御子と彦命ならすんなり納得出来る2024/05/26 04:58:249.名無しさんPcTLO卑弥呼だの台与だの言ってるのは糸島あたりにあったヤマト、その後、白村江だ、地震だ、噴火だ、なんやかんやで畿内のヤマトに中心が遷ったか、奪われた大陸の記述が適当で端折り過ぎ2024/05/26 05:13:2510.名無しさんPcTLO卑弥呼や台与も全然違って豊ナントカ彦命とかで女じゃなくて普通に男まであると思ってる天照国照彦豊ナントカ彦命とか日尊とか実際、居るかどうかは知らんが天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊が一番くさいかな2024/05/26 05:36:4911.名無しさんPcTLO卑弥呼と台与は饒速日尊と神武天皇なんじゃないかなぁ2024/05/26 06:34:5112.名無しさんPcTLOGeminiがこんなこと言ってる卑弥呼と台与が饒速日尊と磐余彦尊であるという可能性は、古くから提唱されている説です。根拠としては、以下のような点が挙げられます。* 『古事記』と『日本書紀』の中で、饒速日尊と磐余彦尊は夫婦として登場し、邪馬台国の女王卑弥呼と台与と同一視されることが多いです。* 饒速日尊と磐余彦尊は、天孫瓊瓊杵尊の子孫とされ、邪馬台国の王族である卑弥呼と台与も天孫降臨の伝承と結び付けられています。* 饒速日尊と磐余彦尊は、九州を平定したとされ、邪馬台国も九州にあったと考えられています。2024/05/26 11:45:3813.名無しさんimcQHやはとは平和な場所って意味~のやはと、と無数にあった卑弥呼は日尊か日命、音から尊、命を巫女と混同天照大御神を祭神とする天照国照彦の系統、同一かも天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊倭、倭奴、伊都などはすべて糸島を中心とした糸を表す北部九州を起源とする北部九州からスタートし、畿内入りまでの饒速日尊の足跡を表す魏志倭人伝や旧唐書など大陸と主に交流があったのはコチラ卑弥弓呼とは彦尊であり、磐余彦尊であり、神武天皇狗奴国とは日向国 九州南部台与と同一人物である饒速日尊の畿内入りを追いかけ、畿内入りする神武天皇コレが邪馬台国、卑弥呼の正体2024/06/01 18:19:04
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じゃあ卑弥呼は大和王朝の女王だったの?って話になるがそんな話は聞いたことがないな
「やまと」には、以下のような様々な意味合いが込められている可能性があります。
* 平和な場所: 古代日本語の「やはと」は、「温和な場所」や「平和な場所」という意味を持っていました。「敷島のやまと」という表現は、大和国を理想的な国家として表現したものと言えるでしょう。
「敷島のやまと」という表現から、「やまと」が単一の場所ではなく、複数の「やはと」が存在することを連想するのは確かに自然な考え方です。
古代日本では、大和国以外にも「やまと」と呼ばれる地域がいくつか存在していた可能性があります。例えば、九州南部の隼人(はやと)の居住地域も、「やまと」と呼ばれていたという説があります。
また、「やまと」は理想的な国家を指す言葉としても使われていました。そのため、「敷島のやまと」という表現は、単一の場所を指すだけでなく、理想的な国家がいくつも存在することを表していると解釈することもできます。
単一固有名では無く、複数
大陸の記述が適当で端折り過ぎ
豊ナントカ彦命とかで女じゃなくて
普通に男まであると思ってる
天照国照彦豊ナントカ彦命とか
日尊とか
実際、居るかどうかは知らんが
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊
が一番くさいかな
卑弥呼と台与が饒速日尊と磐余彦尊であるという可能性は、古くから提唱されている説です。
根拠としては、以下のような点が挙げられます。
* 『古事記』と『日本書紀』の中で、饒速日尊と磐余彦尊は夫婦として登場し、邪馬台国の女王卑弥呼と台与と同一視されることが多いです。
* 饒速日尊と磐余彦尊は、天孫瓊瓊杵尊の子孫とされ、邪馬台国の王族である卑弥呼と台与も天孫降臨の伝承と結び付けられています。
* 饒速日尊と磐余彦尊は、九州を平定したとされ、邪馬台国も九州にあったと考えられています。
~のやはと、と無数にあった
卑弥呼は日尊か日命、音から尊、命を巫女と混同
天照大御神を祭神とする天照国照彦の系統、同一かも
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊
倭、倭奴、伊都などはすべて糸島を中心とした糸を表す
北部九州を起源とする
北部九州からスタートし、畿内入りまでの饒速日尊の足跡を表す
魏志倭人伝や旧唐書など大陸と主に交流があったのはコチラ
卑弥弓呼とは彦尊であり、磐余彦尊であり、神武天皇
狗奴国とは日向国 九州南部
台与と同一人物である
饒速日尊の畿内入りを追いかけ、畿内入りする神武天皇
コレが邪馬台国、卑弥呼の正体