【歴史】古代史で最も有名な人物「卑弥呼」はなぜ古代史の記述が残る『日本書紀』『古事記』に登場しないのか?アーカイブ最終更新 2025/10/08 07:291.Saba缶 ★???https://news.yahoo.co.jp/articles/05c57c6ac1abc70fc503729067d90b98d24063072025/09/20 07:40:591000すべて|最新の50件2.名無しさんsj8Hb理由はひとつ邪馬台国は九州にあって倭国と言われてたがそれだと奈良の大和朝廷に繋がらないから歴史から消した歴史書はこうやって作られて偽りの史実を吹き込まれます2025/09/20 07:50:063.名無しさんFZWg3中国が作り出した幻2025/09/20 07:53:184.名無しさんFZWg3中国の冒険小説2025/09/20 07:54:015.名無しさん3MlGG卑弥呼は天照として登場してる、岩戸に隠れたのが247年だな2025/09/20 07:54:246.名無しさんJmEUh藤原氏による、皇統正統化に疑義が生じるからでしょ。乙巳の変で、記録が燃やされたのが惜しい。2025/09/20 07:59:127.名無しさんEbrUs魏と交流のあった地方豪族でしかないから2025/09/20 08:05:358.名無しさんn8bNpそんな昔のことどーでもいい2025/09/20 08:06:589.名無しさんIy7wy>>6まあ残ってたところで改竄して消されてたわな実際国史は燃える前に持ち出されたはずなのに行方不明だっけ?2025/09/20 08:07:1110.名無しさんpINvrヤマト政権が滅ぼしたから魏志倭人伝以後の書物にもヤマト政権と邪馬台国が別の国として併記されてる2025/09/20 08:08:3011.sagemLdjQ別の国やけん2025/09/20 08:10:2412.名無しさんbi9w8>>1日本の歴史は古事記日本書紀編纂で書き換えられた。そしてその隠ぺい工作は今も続いている。50年ほど前大宰府近くの都府楼跡は発掘調査と言いながらブルで押して土壌はダンプに積まれ入れ替えられたほど酷かった。2025/09/20 08:12:1013.名無しさんOwVJL卑しい巫女との侮蔑の名称 本来は日の神子なのだ2025/09/20 08:12:5414.名無しさんcrcwxヤマト王権以前に中国と上手く外交して認められた王がいたって歴史は都合悪いんでしょ2025/09/20 08:14:3115.名無しさんlCHhb卑弥呼はウリの国に居たニダ!倭国は我が国、朝鮮半島ニダ!!2025/09/20 08:20:4416.名無しさんfTXZPみどりのタヌキやんw2025/09/20 08:21:1617.名無しさんOzht8中国の書物には卑弥呼に銅鏡200個を送ったと書かれているし当時の銅鏡て宝物以上に宝物なんだよな。それも200個て凄い2025/09/20 08:22:4218.名無しさん3rNFCどうせ日の本の巫女の聞き違いだを卑弥呼と誤植しただけだろ2025/09/20 08:26:0319.名無しさんBR53o卑弥呼が本当に女王だったとは限らないからな中国から見ればそう見える立場にいたというだけで邪馬台国が窓口でその上に大和朝廷があった可能性はあるよ2025/09/20 08:29:5920.名無しさんub7Hs女性だからかも?2025/09/20 08:32:2621.名無しさんQVxpTそもそも日本書紀と古事記が正式な古文書と認定する根拠もひどいけどな 戦国期の記録は坊主と公家の日記も貴重な記録とされてる個人的見解が絡む日記だよ 有名な僧侶や官位のある公家なら重要視されるんだから異常だよ2025/09/20 08:33:3022.名無しさんub7Hsすごくいい統治なだけに後に記録を消さた。低情報化社会。2025/09/20 08:34:0723.名無しさん786oK>>1それよりも卑弥呼の 「卑」って卑しいと同じ文字で、現代となぜこうも意味が真逆なのか気になる2025/09/20 08:35:4924.名無しさん786oK今の「嫌」と同じような意味なのか?もし弥生人を嫌う人たちの呼称、的な意味なら人の名前じゃなく団体では?2025/09/20 08:38:0625.名無しさんhUOCW其國本亦以男子為王 住七八十年 倭國亂 相攻伐歴年 乃共立一女子為王 名曰卑彌呼 事鬼道 能惑衆年已長大 無夫婿 有男弟佐治國 自為王以來 少有見者 以婢千人自侍 唯有男子一人給飲食 傳辭出入 居處宮室樓觀 城柵嚴設 常有人持兵守衛https://www.youtube.com/watch?v=ggPFElfJEnk2025/09/20 08:41:5926.名無しさんTmXr0その頃の中国が倭国と呼んでたのは実は沖縄の端っこの島だったから2025/09/20 08:46:3027.名無しさんokS31邪馬台国はのちの大和朝廷に滅ぼされたから2025/09/20 08:47:4628.名無しさんhUOCW>>26沖縄人の祖先は台湾人であることはDNAからも明らかがなwwwhttps://www.youtube.com/watch?v=g5W-PJABiQQ2025/09/20 08:53:1829.名無しさんIFKgo天照とか日巫女なんて魏史書には残さないだろ、属国には当て字で卑の字を入れるて下に見るのが中国の常識2025/09/20 08:53:4130.名無しさんSLzc3日本の皇室は男系で途絶えたことがないということに一応なっているのに女王の次は弟子を女王にしたとか書けるわけがないからな愛子様を天皇にしてその次の天皇を愛子様の友人にするような話2025/09/20 08:54:5631.名無しさん1YxME>>23当時の中国からすれば異民族はぜんぶゴミだから漢字を持ってない民族には自称の音に近いダメな意味の漢字を当てた「倭」は「チビで猫背の障害者弱男」という意味だから後々漢字が日本に入ってきてようやく意味を理解した大和朝廷の人がブチ切れて「大和」に変えさせた今でもチョンが天皇のことを倭王というのはその名残2025/09/20 08:56:5532.名無しさんqQ16f>>23倭とか奴とかも別にいい意味ではないやろ意図は知らんがそういう字を当ててるだけやろ日本でも蘇我氏の名前とか変やろ2025/09/20 08:57:0233.名無しさんhUOCW日本書紀は唐や帰化人を納得させる為に中国人の帰化人が中国語で書いたwww2025/09/20 08:57:1134.名無しさんAMxX0ここだけの話、卑弥呼はヤマタノオロチだから見た者は消されて居ない2025/09/20 08:57:5835.名無しさんmbOA8出てくるじゃん天照大神って名前で2025/09/20 08:58:0036.名無しさんULnLl卑弥呼は女王ではなく大人気アイドルだった2025/09/20 08:59:0437.名無しさんhUOCW名曰卑彌呼 事鬼道 能惑衆2025/09/20 09:00:3038.名無しさんmbOA8♪今に見ていろジャマタイ帝国 全滅だ!2025/09/20 09:00:4339.名無しさんTDV6a>>34卑弥呼は古事記に出てこないがヤマタノオロチは古事記に出てくるこれマメな2025/09/20 09:03:0240.名無しさん1YxME>>30卑弥呼と現天皇家に直接のつながりはない、というのが今の考古学の定説っぽいよ2025/09/20 09:08:3441.名無しさんksFC6【衝撃】卑弥呼は朝鮮人だった!【驚愕】2025/09/20 09:09:3242.名無しさんhUOCW箸墓古墳のDNA調査結果は?2025/09/20 09:10:1443.名無しさんTqHXc隣で寝ている2025/09/20 09:11:1744.名無しさん1YxME血筋で言えば継体天皇のとき王朝が変わったのは確実視されてるしそれ以降でも飛鳥時代ぐらいより前に何回か変わってたんじゃないかという説がある正統性でいえば壬申の乱、南北朝時代に南朝を滅ぼした時点で「王権保持家系」が変わってるから「王朝」としては実質600年ぐらいしかないからイギリスのほうが古い「世界に冠たる天皇家」というのは日本人お得意の捏造ホルホル史観2025/09/20 09:13:2745.名無しさんhUOCW>>41明らかにされた事実だな・・・https://www2.nhk.or.jp/school/watch/clip/?das_id=D0005402251_000002025/09/20 09:14:0246.名無しさんhVGdS心は女子系だろうな2025/09/20 09:14:0747.名無しさん9jLo5理由は明白卑弥呼なんて存在していなかったから卑弥呼を祀る神社もないし陳寿本人は一度も日本に来てないし、使者から聞いた伝言をテキトーに書いて出来上がったのが魏志倭人伝2025/09/20 09:14:1948.名無しさん3yOBz>>2邪馬台国が九州は無理筋。九州に有力な豪族がいて、それらの外交等と混同してる説が一番論理的。2025/09/20 09:14:2549.名無しさんTqHXc>>34そうだったのか、ハリウッドで映画化されそうだ2025/09/20 09:14:3250.名無しさん1YxME>>41古代「日本列島を支配していた権力」の本拠地は朝鮮半島にあって天皇家はその分家というか代官にすぎない存在で白村江の戦いでようやく独立を勝ち取ったという説もあってな2025/09/20 09:15:5451.名無しさんTqHXcマリオも登場しないぞ2025/09/20 09:16:3253.名無しさんBR53oそもそも天皇家が天照大神を先祖として祀っているわけで、日本に女性を卑下する文化なんてないんだけどな基本、女性は表に立たず代表にはならないが何かあると女王や女主はいたるところで登場する高い立場にはいたわけだよ2025/09/20 09:21:5654.名無しさんnYKx6歴史って記録が残っているものが共通認識の歴史になるから、仮にそれがウソだったとしても証明できないよな。話が食い違った時もどっちが正しいかも、両方ウソかも分からないし。これはいくら文明が発展しても変わらないだろう。2025/09/20 09:23:3055.名無しさん9lz8N簡単に言えばその後の支配者にとって都合が悪かったんだろうだから書いて残さなかった2025/09/20 09:26:2556.名無しさん1YxME>>54そんな単純なものでもないけど古代日本はあまりに資料が少なさ過ぎて空想史観の遊び場になってるのも事実「日ユ同祖論」すら否定しきることができないレベル2025/09/20 09:27:3057.名無しさんhUOCW台湾人と漢人の違いが明らかにされた事実だな・・・https://www.youtube.com/watch?v=i5U0DlN8-DI2025/09/20 09:28:0758.名無しさんAgfv8卑弥呼と天照大御神は同一だと思ってた2025/09/20 09:28:2359.名無しさんYlT4L卑弥呼の時代は聖徳太子より古いです。以下に簡潔に説明します。- **卑弥呼の時代**:卑弥呼は3世紀頃(200年代)、具体的には魏志倭人伝によると238年頃に活躍した邪馬台国の女王とされています。これは弥生時代後期にあたります。- **聖徳太子の時代**:聖徳太子(574年頃~622年)は6世紀末から7世紀初頭、飛鳥時代に活躍しました。- **木簡の時代**:木簡は主に7世紀以降(飛鳥時代~奈良時代)に広く使われ始め、行政や記録のために使用されました。卑弥呼の時代には木簡の使用は一般的ではなく、考古学的証拠もほとんどありません。**結論**:卑弥呼の時代(3世紀)は聖徳太子の時代(6~7世紀)より約300~400年古く、木簡が普及する前の時代です。弥生時代には文字文化が未発達で、木簡の使用は一般的ではありませんでした。2025/09/20 09:29:0461.名無しさんhUOCW時代的に卑弥呼は神功皇后じゃhttps://www.youtube.com/watch?v=eMp7jkyhv602025/09/20 09:35:4162.名無しさんFZWg3信じる者は騙される2025/09/20 09:42:1363.名無しさんBR53o>>54複数資料がある場合もそれぞれの立場を考えれば答えは見えるよ敵と味方で相違がなければ正解なわけだ相違があってもそれぞれの立場を考えれば何が起こったのかは類推できる2025/09/20 09:48:4764.名無しさんAj1NB卑弥呼とその後継のトヨは共に伊勢神宮に祀られ皇祖となってるがそういうのを論じること自体が禁忌となっている天皇ことスメラミコトは元々九州から奈良に来たスメラミコト以前はオオクニヌシが国主だった出雲に参勤交代として1年に1ヶ月集まるように義務付けられていた2025/09/20 09:49:4065.名無しさんkW6dW弥生時代には大陸から人がやってきてて金印や鏡にも文字が書いてあったのに記録が残ってないとか無理がある2025/09/20 09:52:2066.名無しさん9bLbG「或る一書に曰く」は「ホツマツタヱ」で間違いないね!記紀では日本各地の地名や富士山、神社神道の由緒との整合性が全く無いね。神社の由緒も全く持って噴飯ものである!2025/09/20 09:55:2567.名無しさんYUY4cまあ当時の海外が女性統治者を軽視する風潮があったってのもあるから、古事記日本書紀で男系化プロジェクトを推進したわけで別にそもそもの日本は男系に拘ってないやろ2025/09/20 09:56:2768.名無しさんFZWg3見てきたように嘘を吐き2025/09/20 09:56:3669.名無しさんgH6vS>>7そんなところだろうななにせ古すぎるから資料はあてにならん2025/09/20 09:57:0170.名無しさんYUY4c>>65まあ記録技術はあっても保存技術がなかったってことやろ腐らない金印とかが残っただけで2025/09/20 10:05:3871.名無しさんGcAsaアカシックレコードにアクセス出来る時まで妄想で遊ぶしか無い2025/09/20 10:09:1072.名無しさんuRVNg中国には文字があったが日本には無かった、これが現実よ記録なんか残ってる訳がない2025/09/20 10:10:0873.名無しさんV7tbo> これほど知られた卑弥呼が、海外で知られていただけで、日本では知られていなかった現代でもまあありえる話しでは?2025/09/20 10:13:0674.名無しさんoRTE0ガキの頃読んだ本に邪馬台国、エジプト説と言うのがあった。邪馬台国はエジプトにあって日本とエジプトを統治していたらしい。でも西暦239年頃のエジプトって、ピラミッド作ってから3000年経ってたし、かなり衰退してたんじゃないかな?2025/09/20 10:27:3375.名無しさんqoCY2『日本書紀』の「第九巻:神功皇后」に魏志倭人伝が引用されてるから『日本書紀』の作者が、神功皇后と卑弥呼は同一人と思ってたのは明らかだ中国の歴史書によると倭王・卑弥呼は魏に「朝貢」していたのだが『日本書紀』では「倭王が魏に朝貢していた」という事実(屈辱の歴史)を抹消したかったそのため「倭王ではなく倭王の妻である神功皇后が朝貢した」というふうに歴史を捏造したこれが正解2025/09/20 10:27:3376.名無しさんTqHXc日本人の不思議なところは、中国語がまったくできないだよなこうして2000年前から交流があるし海があるとはいえそんなに遠くない、漢字だってふつうに使ってるなのに中国語はできないだよな不思議だよ2025/09/20 10:28:3577.名無しさん4QoSA答えは簡単卑弥呼は日本人じゃないから2025/09/20 10:29:0178.名無しさんqoCY2>>12まあ、正直、白江村の戦いのとに筑紫は唐・新羅の連合軍に占領されただろうからね中国の歴史書には筑紫が占領された事実は書いてないので日本としてはなかったことにしたい2025/09/20 10:32:1179.名無しさん1YxME>>74小松左京だか星新一は邪馬台国ハワイ説を唱えてるDNAの中にハワイへの憧憬が刻まれてるからみんなハワイ旅行に行きたがるとのことちなみに西暦239年ごろのエジプトはローマ皇帝の直轄領だから邪馬台国はローマ帝国だった…?2025/09/20 10:35:0780.名無しさんM38VK元々九州にあった邪馬台国が倭国大乱の時に軍事国家となって近畿地方に東遷したというのがいちばんしっくりくるんだがなあ神話との整合性とかヤマトの名前の由来であるとか皇室の三種の神器のひとつである鏡は卑弥呼が使った鏡なんだという説もある倭国大乱の後に剣鉾の文化が本州の銅鐸の文化を一掃した件は東遷説の有力な裏付けだ2025/09/20 10:40:3181.名無しさん5S84O>>30さっさとDNA鑑定すれば良いのにさせないのはカルト宗教の圧力だから研究が進まない2025/09/20 10:40:5082.名無しさんTqHXc沖縄説は巫女さん集団が沖縄にいるからなんだろうねノロ、ユタという歴史書にものこってる2025/09/20 10:41:2683.名無しさんb4Kvm卑弥呼は実在したとすれば西暦2世紀後半から3世紀前半の人物記紀が編纂されたのは8世紀の前半日本に文字も伝来していない時代の、それも500年前の人物なんて分かるわけあるかアホ2025/09/20 10:41:2984.sageR1s1F広報的な外務大臣2025/09/20 10:43:3385.名無しさんqoCY2>>83卑弥呼が日本最古の神社である大神神社の巫女で現在でも天皇陛下が大神神社に参拝するわけだからさすがに神社の言い伝えとして記録は残ってるよ2025/09/20 10:47:3686.名無しさんIW7CEそりゃ男系じゃないから改ざんしたんじゃね?2025/09/20 10:49:3387.名無しさん31NGv箸墓古墳を発掘させたらいいのに2025/09/20 10:50:0688.名無しさん1YxME>>78記紀の編纂者が歴史を改ざんしているとしたら「中国に朝貢していたこと」や「九州と大和の関係性」じゃなくて「天皇家と朝鮮半島王朝との関係性」だと思うよ桓武天皇ぐらいまで天皇家の裏で朝鮮人が相当怪しいムーヴしてるから全く無関係なわけないけど正史に天皇家と朝鮮王朝の関係はほぼ出てこない2025/09/20 10:50:0789.名無しさんGcAsa古代の謎は四国にありとムー編集長も徳島に足を2025/09/20 10:50:3590.名無しさんYpGc8ハニワ幻人を操ってたから2025/09/20 10:51:0191.名無しさんIW7CE男系じゃないから、正当な民族の系統がほかにもあることになるからとかでゆがめられてるんじゃね?結局日本の歴史ってやくざ的一家の民族抹殺の歴史だろう?2025/09/20 10:51:0692.名無しさんqoCY2>>81旧皇族は民間人なのでDNA鑑定可能でありすでに外国の大学などでDNA鑑定されてるその結果から、昭和天皇や現在の天皇陛下は「縄文系」で確定してる弥生系ではない2025/09/20 10:51:1993.名無しさん31NGv新しいネタが無い2025/09/20 10:51:5294.名無しさんIW7CEなんにせよ特に重要な話では全くないんだよな。歴史というものがいかにいい加減かは近年わかってるわけで。不毛すぎるんだよな、物語としてエンタメとして楽しむ程度の話宗教みたいなものだな、荒唐無稽な話だ。2025/09/20 10:52:5095.名無しさんcSVxFとは言え中国の歴史書頼みなのにこれだけ歴史上存在した人物とされているってもの珍しい話2025/09/20 10:53:3196.名無しさん31NGv金印も怪しいし2025/09/20 10:54:1497.名無しさんjFYnr古事記・日本書紀はフィクション神話ですから2025/09/20 10:55:2398.名無しさんqoCY2>>91男系ではないのはその通り、どう読んでも卑弥呼と台与の時代に「男王制度」が廃止されて「女王制度」に変わってる「男王制度」が再開されたのは390年頃の応神天皇からだなたぶん「女王制度」で失敗したから王位継承は男系男子に限定されたんだな武器商人と付き合ったダイアナ妃を見ても分かる通り女はあっさり悪い男の言いなりになる2025/09/20 10:56:0899.名無しさんaP2Cu占い師呪い師は最古の職業で王にもなり得る鶴子を見れば分かるように今も昔も数十万程度なら十分まとめられる各地にあったそれらの最大の一つ2025/09/20 11:00:03100.名無しさんqoCY2>>96金印は怪しくないまともな研究者で、金印を偽物と言ってる人は皆無すでに科学的に分析されてるよちなみに邪馬台国論争も九州説にはまともな学説が一つもなく、学者の99%は畿内説だよ2025/09/20 11:00:29101.名無しWDsN9Vチューバーみたいなもんや2025/09/20 11:03:56102.名無しさんTqHXcアダムとイブは実在したか?みたいな論争だな現代ではイブは実在したん説がでてきてるけど2025/09/20 11:05:45103.名無しさんIW7CE>>98王というか神官だろ?枢機卿とかだろ?祭祀をするのが男ってちょっと気持ち悪いよな。2025/09/20 11:06:18104.名無しさんqoCY2>>88朝鮮半島の南部に初めて大きな国をつくたのって朝鮮人じゃなく倭人なんだよ朝鮮半島の発掘調査でも最古の遺跡から出てくる遺骨は倭人のDNAを持った遺骨なんだよだから中国の歴史書にも「朝鮮半島の南部には倭人が住んでいる」って書いてあるでしょなにを言いたいかというと百済や新羅の王族は倭人だった可能性が高い百済や新羅の王族は倭人なんだから日本で活躍しても当たり前2025/09/20 11:08:51105.名無しさんIW7CE>>104朝鮮半島の先端のほうはもともと日本といっていいような印象はあるよな。まあ明確じゃない時代なんだろうけど。2025/09/20 11:11:03106.名無しさんqoCY2>>103卑弥呼が女王になった頃に「銅鐸文化」が消滅してるから卑弥呼の前の男王時代は銅鐸文化で祭祀も今とはまったく異なるものだった可能性が高い2025/09/20 11:11:17107.名無しさんM38VK>>100畿内説では銅鐸文化の消滅を説明できないだろ2025/09/20 11:16:21108.名無しさんJ7MXj日本の古代史はウソ歴史2025/09/20 11:16:55109.名無しさんyxNdI卑弥呼自体が日本と全く関係ない。あの頃の技術で中国に渡米出来る訳無い2025/09/20 11:20:09110.名無しさんIW7CE畿内説だとじゃあ九州には何があったんだよって話だしな、アンだけ生産性ある土地に何もないわけないだろという。カルト正当性のために歴史を捻じ曲げてるやつがいつの時代もいるんだよ。無い情報があまりにも気になる畿内説だろ。2025/09/20 11:24:09111.名無しさんEUSGY普通に考えて北部九州だろ2025/09/20 11:25:07112.名無しさんn9nrY日本は当時から戦略上正しい情報を中国使節に与えてなかった中国は日本列島が南北に伸びる島だと勘違いして古地図にもそう描かれてる距離もわざと遠回りして案内してるし何もかも不正確2025/09/20 11:25:59113.名無しさんGcAsa縄文時代大噴火起きなければなあ神は安定安穏を破壊するのが好き2025/09/20 11:27:33114.名無しさんlQFSp>>98女王が上手く行かなかったと言うか中国から入ってきた男系文化に乗っ取られたってのが正しいかといずれにしろ都合が悪いから男が改変した2025/09/20 11:31:31115.名無しさんiHhmj卑弥呼の由来はなんだ?言葉の意味は何でしょうね?2025/09/20 11:32:08116.名無しさんEiGsL>>94生活に関わってるのって、明治維新からだしな。例えば、今でも政治経済のドンが排出される山口県・福岡県あたり。2025/09/20 11:32:30117.名無しさんDWpNJ>>112実際魏の使節は玄関口に留め置かれて邪馬台国への入国は出来なかったからな2025/09/20 11:32:49118.名無しさんgJcA7>>105なんか、発掘調査で前方後円墳が見つかって、朝鮮が起源で日本に渡ったと騒いでたら、日本のより新しかったから埋めちゃいました、って読んだ記憶があるけど本当ならチョンはやっぱ脳に欠陥があると前に思ったわ2025/09/20 11:36:42119.名無しさん83CjC卑弥呼はヒメノミコトの漢語表記で個人名ではないから2025/09/20 11:36:46120.名無しさん1YxME>>116「新しい教科書をつくる会」が盛り上がった時にパヨク側で日本史教育全廃を主張した教授がいたのを思い出した日本史教育は結局ネトウヨの再生産にしかならないそうなあと東日本大震災までは「歴史的資料の記述から災害の規模と範囲を推測する」という災害史研究は引退したおじいちゃん史家の趣味ぐらいにしか思われてなかった2025/09/20 11:37:38121.名無しさんBiAzg天皇陵を発掘調査 明治以前は2025/09/20 11:37:56122.名無しさんZkgHv俺は大宰府=邪馬台国説を推す奴国2万戸が博多なら、七万戸を有する邪馬台国は筑紫平野か筑後佐賀平野のどちらかじゃないと辻褄が合わない吉野ケ里がある佐賀平野も有力候補だが古代中国語で首都を意味する「大宰府」が邪馬台国の最有力候補なのは確実左遷地太宰府(文字を変えてる)はヤマト政権の後付け設定ねヤマトとカタカナで書くのも「大和」は倭国に似せた後付け地名だから山しか無いド田舎奈良に邪馬台国ほどの大都市があったことは地理的物理的にありえないあったなら大阪京都の次に栄えた土地になってる福原京があった神戸よりはるかに田舎の奈良に首都だった面影はなにもない2025/09/20 11:38:15123.名無しさんuRVNg>>85それがどこの神社にもそんなものは無いんだわだから創件だと言われる件2025/09/20 11:42:11124.名無しさんarC0E『日本書紀』の日付の捏造の証明儀鳳暦、元嘉暦という中国の暦があるこれによると、一年に一歳年を取るのではなく、一年で何歳も年を取る暦のやり方がある古事記や日本書紀はこの中国の暦のやり方を真似たと考えられている現代の学問の常識からいって、紀元前7世紀の日本にこんなキチンとした暦日がおこなわれていたとは疑わしい小川清彦 (天文学者)帝大主席は『日本書紀』の暦法を西暦450年頃を境に以前を儀鳳暦(麟徳暦)、以後を元嘉暦と考えれば日本書紀に記載された3箇所の平月を閏月に修正するだけで、『日本書紀』の暦日が全て解明できることに気付き、1938年頃に論文「日本書紀の暦日について」の大略を書いた2025/09/20 11:42:22125.名無しさんgJcA7>>92それホント初めて知った2025/09/20 11:42:46126.名無しさんarC0E古事記、日本書紀の編纂を命じたのは天武天皇です天武天皇が実権を握ったとき、天智天皇の子を殺害した。これが壬申の乱天武天皇は出自があいまいで、得体のしれない人物天智天皇の弟というのも嘘と思われる天武天皇は天智天皇に近寄って、その家系を根絶やしにして権力を握ったそういう人物が最初に何をするかというと、自分の正当性を世に訴えること自分が正統であるという歴史書を編纂してそれを世間に広めればよい古事記、日本書紀はそういう視点から編纂されたようです2025/09/20 11:42:54127.名無しさんarC0Eその編纂のときに、日本の建国の時をどうやら釈迦や孔子の時代よりさかのぼらせて権威付けるために、崇神天皇の360年ごろに変って、紀元前660年の神武天皇の東征というものを設定して、二王朝の並立をないことにしたようですそのような事情によって、記紀は、「ハツクニスメラミコト(はじめて国を開いた天皇)」が崇神と神武の二人いる、というおかしな記述になっているわけです2025/09/20 11:43:09128.名無しさんarC0E吉田兼倶(1435~1511)吉田神社の神主。応仁の乱後、古典籍の焼失を背景に、多数の経典を偽作して次々に新しい作法を生み出して唯一神道を創始し、喧伝によって幕府や公家に取り入り、全国の神社を統括する立場を得た。宇宙の根元神である国常立命を中心に八百万の神々を祀る祭場所大元宮を創設し、全宇宙を表現。また、慈遍が提唱した「根本枝葉果実説」を大々的に訴え、神道を中心とする「唯一宗源神道」こそ正当な神道説であり、本地垂迹説を「両部習合神道」として批判した。このように、本来、神道の神様という存在は、氏族の祖先や、古代の地方の豪族だったはずなのに、どんどん大言壮語が過激化し、カルト化していくわけです。2025/09/20 11:44:51129.名無しさんarC0E神道系の宗教では、日本がもっとも歴史の古い国で、古代は天皇家が全世界を治めていた天皇家の16枚の花弁の菊紋は神聖なる紋章であり、古代から受け継がれているという説があるが日本においては、菊は元々は外来種であり、中国から伝来したもので、平安時代になって用いられ始めたものであるそして古事記の文字も、中国から伝来したものを使用しているまた、古事記が編纂されたのは西暦712年と、中国や西洋、インドなどの聖典と比べるとかなり新しい時代である2025/09/20 11:45:39130.名無しさんbdw1Z訓読みしたらちんこじゃん2025/09/20 11:45:43131.名無しさんarC0E淮南子淮南王劉安(紀元前179年 - 紀元前122年)が学者を集めて編纂させた思想書。巻二 俶真訓「天地未だ剖(わか)れず、陰陽未だ判(わか)れず、四時未だ分れず、萬物未だ生ぜず……」は『日本書紀』の冒頭「古(いにしえ)に天地未だ剖(わか)れず、陰陽分れざりしとき……」の典拠となった。)2025/09/20 11:45:56132.名無しさんarC0E『淮南子』と『日本書紀』『日本書紀』における「天地開闢の神話」なるものは、『淮南子』と『三五歴紀』のコピペで済みます。詳細https://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5187/日本書紀の典拠となった漢籍類三国志、漢書、後漢書、淮南子等『日本書紀』の冒頭「古(いにしえ)に天地未だ剖(わか)れず、陰陽分れざりしとき......」は中国の古典の『淮南子』の「天地未だ剖(わか)れず、陰陽未だ判(わか)れず、四時未だ分れず、萬物未だ生ぜず......」によっている2025/09/20 11:46:34133.名無しさんBnTar刺青だらけで西のほう7日間海を渡ってとか台湾じゃないのか?w2025/09/20 11:46:39134.名無しさんarC0E日本神話の天地開闢が中国の古典神話を模倣しているのは有名な事実です日本書紀の天地開闢は、淮南子や三五暦記の内容を切り貼りする事で、ほとんどの部分を再現できます中国の古典を模倣して創作されたのが、日本の天地を創った古代の神々の正体です2025/09/20 11:47:06135.名無しさんDNtZ0>>5その通りでございます2025/09/20 11:47:37136.名無しさん31NGv中国からの使節を迎えて案内できるくらいだから文字の読み書きできるやつはいたはずなんだけど何も残っていないのは不思議だな2025/09/20 11:47:44137.名無しさんarC0E日本神話に出てくるスサノオが討伐したという八岐大蛇や、あるいは土蜘蛛(つちぐも)、熊襲(くまそ)と呼ばれるものは、迫害され、殺戮されていた地方の人びとへの蔑称です土蜘蛛とは元は、土ごもりと言い、穴倉に暮らしている原始民族への侮蔑の言葉です地方の人々を虐殺し、奴隷化し、差別し続けた歴史が、勝者側にのみ都合よく綴られているのですしかし昔の人の価値観ですから、当時はこれが正史として重んじられたのです今の日本人はそれを神様と呼んで祀っています奴隷にされた黒人が、自国を植民地化した、昔の白人を拝んでいるようなものです2025/09/20 11:48:30138.名無しさんarC0E狩猟採取時代は、平等に分配されていた原始共産社会で、神もなければ、戦争もありませんでした次いで、農耕社会になって血族が団結して農地を拡大していくと、他の血族との間で、農地争奪の戦争が始まります負ければ、奴隷階級という被支配層となり、支配層と被支配層の階層社会が形成されます支配者は、支配者たる理由が必要になりますそこで、神が作り上げられたのですつまりは神に選ばれしものだから支配する側なのだ、という論理です2025/09/20 11:48:43139.名無しさんrumxH日本書紀も古事記も当時の政権にとって卑弥呼が都合の悪い存在だったから。「書かない自由」は日本の伝統芸だったってことだw2025/09/20 11:50:14140.名無しさんarC0E日本に超古代王朝が存在し、神武天皇以前の時代にも天皇が実在していたと主張しているホツマツタヱ(秀真伝)50年前に国内で発見された、古事記や日本書紀の原書だと主張されているホツマツタヱ(秀真伝)現存する写本の中で一番古いものは江戸時代後期に作られたとされていてそれより古い時代に存在していた証拠はないホツマツタヱには古代の大阪平野に存在しないはずの大和川が出てきたり他にもホツマツタヱが成立したとされる紀元2世紀初頭には存在しない湖も出てくるので偽書が確定しているまた文章も歌舞伎の台詞に影響を受けた形跡がありホツマツタヱに出てくるウラミ・ネタム・ナヤミという言葉は日本の近世語であり、古代にはない「こうした近松文学的な発想と表現は、江戸時代に入ってからのものであり、上代文学の中に見出せるものではない」と論じられています2025/09/20 11:50:51141.名無しさんC3WPH>>138インドを支配する為にアーリア人が新興宗教持ち出してきたのと一緒だな男系も男を有利にする為の宗教洗脳ほとんどの宗教は男性有利の男系2025/09/20 11:53:11142.名無しさんarC0E神道五部書(しんとうごうぶしょ)とは、伊勢神道(度会神道)の根本経典で、以下の5つの経典の総称『天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記』(御鎮座次第記)『伊勢二所皇太神御鎮座伝記』(御鎮座伝記)『豊受皇太神御鎮座本記』(御鎮座本記)『造伊勢二所太神宮宝基本記』(宝基本記)『倭姫命世記』いずれも奥付には奈良時代以前の成立となっているが、実際には鎌倉時代に伊勢神宮の度会行忠ら外宮祀官が執筆したものと判明している歴史学の研究では、伊勢神宮の外宮の神職であった度会氏が、外宮を内宮(祭神・天照大神)と同等以上の存在として格上げすることを目的に、外宮の祭神である豊受大神を、天之御中主神および国之常立神と同一神とすることで、天照大神をしのぐ普遍的神格であることを主張するために執筆されたと推定されている神道五部書は、江戸時代に、尾張の東照宮神官である吉見幸和により、偽書であるとして激しく批判された専門家によると、この偽書である神道五部書こそが神道の根本理論にあたる2025/09/20 11:53:57143.名無しさんxvr2I卑弥呼にはお世話になったなぁ2025/09/20 11:55:25144.名無しさんarC0E日本の統治者の称号が大王(おおきみ)から天皇になったのは誰からですか?回答壬申の乱に勝利した天武天皇が、初めて、これまでの「大王」(おおきみ)に代わって「天皇」という称号を用いたとする歴史学説が有力です「天皇」の表記については、大陸からもたらされた道教において宇宙の最高神とされる「天皇大帝」に由来する説が知られていますまた、唐の高宗が674年に「皇帝」を「天皇」と改称したのにならい、天武天皇も天皇表記を採用したのではないかと推測されています2025/09/20 11:59:10145.名無しさんGcAsaスナック卑弥呼全国に何件あったんだろ2025/09/20 11:59:45146.名無しさんOgncq>>5スサノオ「姉ちゃん、あの時はごめんな。興奮しすぎてつい。」2025/09/20 12:00:58147.名無しさんzKSE0日本の歴史で一番重要なのが天皇の歴史と国家であり、都合の悪い者は北朝鮮の金王朝のように改編されていく。そもそも邪馬台国は中国側の設定で日本全体を指すものでない。たぶん九州が地理的にも有力であり、奈良の大和朝廷とは別で日本列島に複数の国があったと考えるられるわけ。日本の歴史は全て一本道にしたい不都合がある。敗戦時に連合国のアメリカは仁徳天皇領を真っ先に調べて中から大量の装飾品を持ち出しアメリカに持ち帰った。天皇は都合よくひな壇の作り上げた人間であり、戦争終わった直後は無数に我が本当の天皇の末裔と湧いたのも、今の天皇がおかしな家系だから。2025/09/20 12:01:53148.名無しさんshQNWねつ造ジャップ2025/09/20 12:01:59149.名無しさんarC0E1867年10月、岩倉具視は、「王政復古議」に「皇家は連綿として万世一系礼楽征伐朝廷より出で候」と指摘した。これが「万世一系」の語の初出ですつまり、明治時代できた言葉であり、それまでの、天皇家のことが当てはまるわけではありません継体天皇の時に、天皇家は断絶して、新たな血筋になってます「福井近江の豪族」であった継体天皇60歳の時に生まれたとされるのが欽明天皇ですそして欽明天皇の子供たちが近親相関を繰り返すして皇室・皇族一族ができてくるこの近親相関図は日本史教科書に記載されているあのややこしい関係です後にこの一族の正当化の為に8世紀に造られる神話が「古事記」「日本書紀」となります2025/09/20 12:02:20150.名無しさんarC0E伊勢神宮世界では珍しい女神でありながら太陽神というというアマテラスオオミカミを祭神とする神社です。つまり天皇家の神社です。ということは、皆んな大好き神社の中では一番格式が高いわけだそんなお伊勢さんですが、不思議なことに天皇が参拝していなかったことが判っている。天皇で初めて参拝されたのが女性天皇 第41代持統天皇(在位690~697年)です。 それまでの天皇が参拝されなかった理由は何だと言われているのでしょうか? 理由を教えてください回答伊勢の伊勢神宮より前に伊勢神宮とされた神社は70社もあることが分かっており、多くは近畿〜中部で、岡山にもありますそれらの神社は、「元伊勢」と呼ばれてます伊勢の伊勢神宮が天皇家の神社とか、いちばん格式が高いという設定が公式になったのは、ある程度の時代を経てからのことですですから、そういう設定が確立されるまでは参拝しなかったのでしょう架空の女神の太陽神を「日本の皇祖神」と言う設定にして、多くの人々が信じ始めてから、その後、参拝をするという習慣、儀式が出来てきたわけです2025/09/20 12:05:44151.名無しさんarC0E女神でありながら太陽神というという存在は珍しくないようです上古の中国神話「羲和(ぎわ)」 太陽神であり女神アマテラスの元となったと言われていますメソポタミア「シャマシュ」 太陽神であり女神シュメール文化のウトゥが取り込まれていく信仰過程で、性別が反転し男神に変化していきましたそのほかの太陽神であり女神アイルランド「アイネ」アイルランド「エーディン」エトルリア「アルビナ」ヒッタイト「アリンナ」ポリネシア「アタヌア」ポリネシア「アタラパ」エジプト「バステト」サーミ人「バイウェ」バスク「エキ」ギリシア「エレクトリイオネ」ギリシア「エーオース」北欧「ソール」日本「稚日女尊」など…ほかにもたくさんいます2025/09/20 12:06:25152.名無しさんarC0E天照を女神ということにしたのが女帝である持統天皇の時代のようです現在の地に鎮座する伊勢神宮の創建も持統女帝の時代、と言われています持統天皇以前の伊勢神宮は別の地だったのようです女帝となった持統天皇が自身の権力基盤を確立する為にそれまでの太陽神=男神だった天照を女神に変えた、との説が有力です実際に、この持統天皇の時代に伊勢神宮の禰宜=神官の変更があり20年ごとの式年遷宮もこの頃からという話ですですので持統天皇よりも前の代の天皇が参拝していたのは別の地だったようです2025/09/20 12:06:39153.名無しさんM9pZ3片方に書かれてないから信用できないというならばどれも似たようなもんだろ馬鹿々々しい2025/09/20 12:09:01154.名無しさんA9ni5卑弥呼は3世紀、古事記は8世紀。伝承に頼ってるんだから500年も経てば忘れる。記紀のなかで、有力な豪族はだいたい神とか神社のネットワークのなかに位置づけられてるだろう。2025/09/20 12:11:09155.名無しさんarC0E>>56天皇家は実は、古代にさかのぼると、ユダヤ人だったのですか?日ユ同祖論は本当の話なんですか?日ユ同祖論…(日本人の祖先がイスラエルの失われた十支族の一つとする説)回答DNA分析で数十年前に完全に否定されています日本人にユダヤ人(ヘブライ人)の因子はまったくありませんユダヤ人と日本人のM-DNA比較においては共通点は完全に無です天皇家は日本最大の血脈で、子孫が日本では一番多いのですがオックスフォード大学の塩基の研究では、天皇家は縄文人との結論が出てます天皇家がユダヤ人とすれば、日本人の一般市民にも子孫が数多くいることになるわけですから、M-DNA比較でユダヤ人の因子が出てこないということが有り得ないのです2025/09/20 12:11:55156.名無しさんyj5Dr>>94その荒唐無稽をプロパガンダとして政治的に使うのが大陸文化なので、それを学問的に否定するためにも人文学は必要なんだよね2025/09/20 12:12:37157.名無しさんarC0E>>56パレオゲノミクスで解明された日本人の三重構造【2021年9月16日 金沢大学】「日本人(大和民族)」は「縄文人(約15%)」と「北東アジア人(約15%)」と「東アジア人(黄河流域など、約70%)」との「混血民族」です2025/09/20 12:14:38158.名無しさんANyqb卑弥呼はテキトーに書いた漢字でしょ日本には漢字が存在してなさそうだしw2025/09/20 12:15:05159.名無しさん3MlGG読み書きできる中国人が大勢移住してるから漢文の記録は当然あったはず、日本語での記録がなかっただけだ2025/09/20 12:16:07160.名無しさんmmDbp魏志倭人伝の時代には戦いに負けた勢力が倭国に流れ着いて帰化人になった集団も居るに違いないwwwhttps://www.youtube.com/watch?v=1qfDeT1vWaI景初二年(西暦二百三十八年)六月 倭女王遣大夫難升米等詣郡 求詣天子朝獻 太守劉夏遣吏將送詣京都正始元年(西暦二百四十年) 太守弓遵遺建中校尉梯儁等 奉詔書印綬詣倭國 拜假倭王 并齎詔賜金帛 錦 ? 刀 鏡 采物 倭王因使上表答謝詔恩2025/09/20 12:16:08161.名無しさんA9ni53世紀の卑弥呼もあやふやなんだから、紀元前8世紀と比定される神武天皇の話はまったくのウソってこと。2025/09/20 12:16:39162.名無しさんarC0E>>155Y染色体で父系を辿ると、アフリカから出た人類の祖先は全て「ハプロタイプCT」を共通先祖としており、「Dタイプ」が日本人に特徴的に見られるハプロタイプで、近縁はチベット・ヤオ族(チャイナ)・フィリピンこのタイプはユーラシア大陸南部の沿海部分を通って来て拡散したと考えられます。「E」タイプがユダヤ人に見られるハプロタイプなのですが、「E」が生じたのが70000-76000年前にアフリカか西アジアで発生したと見られており、この時代にはユダヤ人は存在しませんし、当然ながらユダヤ教もありませんし、ユダヤ人と日本人は近縁とは言えません。日本列島人からユダヤ人に多く見られる「Eタイプ」は一体も検出されていません。2025/09/20 12:16:51163.名無しさん3GQdj出雲の大國主命との関係も見逃すべきではない2025/09/20 12:18:40164.名無しさんA9ni5神が天皇の先祖のニニギノミコトに日本の統治権を与えたと信じられている、天壌無窮の神勅もたぶんあやしい2025/09/20 12:18:54165.匿名8NoZ0卑弥呼は日巫女。個人ではない。初代卑弥呼は天照大御神と同一視されている可能性もあるし、他の人物や神に置き換えられている可能性もある。2025/09/20 12:22:44166.名無しさんc3Dan魏史倭人伝に書いてあるだけで小さな村だったのだろう2025/09/20 12:23:50167.名無しさんtGCZC卑弥呼幾多の部族長が臣従した事実から、男性にとって魅惑的な美人で、ベースは温和だが時に硬軟織り交ぜて対応するような女性かな~と妄想する、会ってみたい。2025/09/20 12:24:06168.名無しさんA9ni5天壌無窮の神勅といえば、今の日本国憲法の制定にむけておこなわれた戦後の政府部内の会合で、神道学者は、天壌無窮の神勅があるんだから国民主権なんてのは受け入れられないと主張した。2025/09/20 12:32:28169.名無しさんsy4Deあの金印のやつか2025/09/20 12:33:20170.名無しさんmmDbp当時の帯方郡にはどんな人種が住んでいたのかな?矩因奏?曰:高麗之地,本孤竹國也。周代以之封於箕子,漢世分為三郡,晉氏亦統遼東。今乃不臣,別為外域,故先帝疾焉,欲征之久矣。2025/09/20 12:34:47171.名無しさんoBlsX日本書紀と古事記て神話たろ2025/09/20 12:35:55172.名無しさんeUkBr>>29南蛮とか言っちゃうジャップの精神も中国様から受け継いだものだねやっぱ 中国様は偉大だわ2025/09/20 12:38:28173.名無しさんL86MTヤマト政権に都合の悪い歴史書はヤマト政権が焚書した。2025/09/20 12:40:34174.名無しさんeUkBr>>167宇宙人か未来人でしょ2025/09/20 12:40:45176.名無しさんirLxr邪馬台国はどこですかっていう鯨統一郎氏の本面白かったなー確か東北説だった記憶2025/09/20 12:42:15177.名無しさんBnTar古朝鮮の記録によれば・・・百済帝国に卑弥呼の記載がないのでおそらくは九州でもないもっと西のほうの小さな島だろうw2025/09/20 12:46:04178.名無しさんjUPdcあの女、ナニモノじゃー?と魏の猟師が訪ねた。土地の者はあの者は陽を見る巫女じゃよと答えた。そして編纂するに当たって東に倭の国があってそこのくび長が陽を見る巫女と聞いたと記す。編纂時にはこれを詰めて陽巫女とすればよかったが話言葉から当て字で卑弥呼とやっちまった。後世、卑弥呼の名がつかわれるようになる。記紀は朝鮮半島を南下した御一行様が列島にたどり着き今の奈良に落ち着いた。ゆえに卑弥呼の存在すら知る由もないから編纂しようもないというのが一般的解釈だ。つまり畿内説はあり得ない。御用学者の解釈は間違っている。2025/09/20 12:52:30179.名無しさんnlHeL>>72神代文字2025/09/20 12:56:49180.名無しさん760Ef中国のでまかせを信じるあられな奴ら倭国なんて存在しないし卑弥呼も存在しない吉野ケ里遺跡とか見てみなよあの妄想建築物全部妄想2025/09/20 12:58:11181.名無しさんnlHeL>>76中国語は今では半分が和製漢字2025/09/20 12:58:21182.名無しさんnlHeLだいたい卑弥呼は中国人が付けた名前で日本では違う名前なんだろそれだけよ2025/09/20 13:00:55183.名無しさんZKXNu>>179神代文字をマヤ人にも教えチチェンにも書き残された偉大な文字神武天皇が世界を作った2025/09/20 13:01:38184.名無しさんnlHeL>>180魏志倭人伝に普通に倭国がでるだろ2025/09/20 13:01:54185.名無しさん7HoBm>>184それは何処で作られたものですか?2025/09/20 13:06:19186.名無しさんBnTar儒教文化圏では起源を重視するが捏造・改竄が当たり前すぎて真実など誰にもわからないw2025/09/20 13:12:22187.名無しさんCfhde日本書紀「唐と戦争したのは倭国。我々は日本であり邪馬台国だ。百済、新羅、高句麗は倭国」2025/09/20 13:14:39188.名無しさんA9ni5儒教にもとづいて書かれた水戸藩の大日本史やべえじゃん2025/09/20 13:16:20189.名無しさんrPY6w他国の記述だぞ。又聞きの又聞きで、クソ怪しい内容だよ。こんなの本気で取り扱う代物じゃない。当時の中国からはそう見えていた、レベルの事でしか無い。2025/09/20 13:18:37190.名無しさんBnTar天狗党か何かだろ?水戸藩お察しでしょう・・・w2025/09/20 13:18:44191.名無しさんdyZgK>>115日巫女または姫御子という説が有力2025/09/20 13:21:27192.名無しさんA9ni5いや儒教にもとづくと、日本は天皇の統治がすぐれているから王朝が変わらないんだという話になってくる。王朝がつづくには天命が必要だというのが儒教の歴史観なので。もし主君が人の道を外れて、ていさめても聞かないのであれば、君臣の関係はなくなる、という孟子の湯武放伐論がある。2025/09/20 13:24:43193.名無しさんZN404>>1自分に都合の良い推測をすればどうとでも出来るだろ卑弥呼は口に出す文字として残す事すらおそれ奉られる最強の巫女だっただけかもしれんしなそれも個人名ではなく役職名だったりとか2025/09/20 13:31:43194.名無しさんoBlsX記紀て別にリアタイで記された歴史書じゃないからね2025/09/20 13:33:17195.名無しさんoBlsX>>193日本には長らく文字がなかった2025/09/20 13:34:00196.名無しさんRk0us魏国に船団や文字や文明が存在してたのに日本は神含めウホウホサルのように混紡持って潮干狩りをしていたメデタシメデタシ2025/09/20 13:42:24197.名無しさん22mzL>>194文字を覚えたのが嬉しくて夢日記にしたのがホントのところ2025/09/20 13:44:23198.名無しさんBnTar北京原人の研究解析が進めばもう少しアレだったかもしれないがどこにいったんだろうな北京原人の・・・ねw2025/09/20 13:44:45199.名無しさんzVoOr卑弥呼は、二人いた!2025/09/20 13:49:07200.名無しさんjUPdc>>196それは戦争という厄介なものがあったゆえだ。日本(倭国)にも小競り合いはあったが中国ほどえげつではなかった。当時は熊襲(いまの熊本県以南か?)とも争ってはいたがお互い侵略するほどでもなかった。そこが中国と大きく異なる点だ。ゆえに文字も必要ではないし船団も必要ではなかったと思われる。元々、文字は暗号文としての立ち位置だからマル秘扱いでもあった。2025/09/20 13:51:44201.名無しさんMMidnそもそも文字無かったんだから全部誰かの創作小説だと思ってる2025/09/20 13:53:05202.名無しさんdKPNJ>>50宗像大社がまっすぐ朝鮮半島を向いてるっていうのもあるしねえ2025/09/20 13:53:39203.名無しさんI2Wv1どっちにしても、最高のAIを駆使して結論だして!2025/09/20 14:09:02204.名無しさんjUPdc>>201それ当時の日本になかったというだけのことだ。魏の国にはすでに存在していた。それゆえその記述が現存するわけだ。なので当時を知る手掛かりにはなるがこれがかなり大雑把で信用に値するかは疑問の余地はある。文字ではないが縄を使った絵文字?はすでに存在していた。のちの国字というのがそれに匹敵する。2025/09/20 14:09:08205.名無しさんyQYTD>>200文字もない時代の物がどこに記されてるの?2025/09/20 14:17:29206.名無しさんvHqhr>>23当時の中国語文化には、外来語(現地人の発声音)を漢字に置き換えて表記する時似た発音の漢字の中から敢えてネガティブな意味を含む漢字、あるいは各種ケモノ(人間より劣った生物)を意味する漢字をわざと選んで当ててたんだよなので「卑弥呼」も「邪馬壹国」もそう言うルールに沿った外来語表記になってるそのルールを前提に当時のヤマタイ国民の発音だけを同じ音の漢字に置き換えたんだとすると、ヤマタイ民の意味として卑弥呼は「日巫女」だったんではないか?とも(一部では)言われてるね2025/09/20 14:20:17207.名無しさんSf28K魏志倭人伝の倭をなんの確証もないのに日本だと思い込んでる?他に誇れるものが無いからこじつけたいだけなのかもしれん2025/09/20 14:23:43208.名無しさんvHqhr>>29そうそう日本人が漢字を習得する時、同時に「卑字」の風習も入って来たので中大兄皇子たちに虐殺された蘇我氏も馬子だの入鹿だのケモノの漢字をあてがわれた、とも言われてるね2025/09/20 14:26:45209.名無しさんuMqJ2軍事的にはともかく文化的に向こう(邪馬台国/後継の北九州の連合)のほうが圧倒的に洗練されていたそれを認めたくなくて、畿内政権では独立直後から本国に関して箝口令を敷いていた2025/09/20 14:29:24210.名無しさんmmDbp白村江の戦いで唐に敗北したから奈良時代に唐風の制度や大仏みたいな宗教や日本書記とか作って唐と交流したwww2025/09/20 14:31:05211.名無しさんJdnoq三国志は所詮、フィクションだろ?w2025/09/20 14:33:48212.名無しさんoBlsX>>207九州で金印が出たけど2025/09/20 14:33:53213.名無しさんNQlhf>>207クソ食いチョンゴキブリ頭腐ってんか?2025/09/20 14:36:37214.名無しさんbPq97帥升はスサノオしかも悪い意味の漢字は持ちいられていないから相手方からも敬意を持たれていた存在だと分かるやはり葦原瑞穂国の国主だったのが分かる卑弥呼なんていうヤマトは元々朝鮮半島からやって来て国を騒擾させて国主から国を奪ったのが分かるわ2025/09/20 14:38:04215.名無しさんb4Kvm>>207後の遣隋使や遣唐使も倭からの使者として記録されてるけど2025/09/20 14:41:04216.名無しさんFCbo8>>1ちょんのーは朝鮮半島からの侵略者だからだよ。卑弥呼は日本人の国家。そして、侵略してきたちょんのーに滅ぼされてしまった。2025/09/20 14:43:35217.名無しさんEIRfJ>>212でそれで信じ込んでるの?2025/09/20 14:43:49218.名無しさんysFe8>>7まあ、これだよな。全国統一は大和朝廷がするまでされてなくて、それだって全部終わるのは奈良時代くらいまでかかってる。2025/09/20 14:45:03219.名無しさんoBlsX>>217わのなのくに なんて大した言われ方じゃないのにどしたん2025/09/20 14:47:41220.名無しさんTfbpx箝口令は後に神武と呼ばれる男の意地でもあったかつて邪馬台国体制に逆らった家系を出自とする彼は、軍才はありながらも政治的には長年冷遇されていた兵士からはカリスマ的な人気を集めていたが、本国で反乱を起こせるような状況にはなかった2025/09/20 14:48:23221.名無しさんb4Kvm>>218奈良時代の全国統一って?東北の北端まで大和の影響下に入ったのは豊臣秀吉のときだし北海道沖縄まで含めて今の日本なら明治時代だよ?2025/09/20 14:49:10222.名無しさんME52G朝鮮半島からやって来たのに日向からやって来たと嘘の記述ヤマトは朝鮮人正統な国号は豊葦原瑞穂国大国主が本来ならこの国を統べるべきだ2025/09/20 14:49:24223.名無しさんTfbpx(俺は、ここで一生飼い殺しなのか‥‥)悩み苦しむ後の神武の耳に、はるか東方の地まで大規模な軍勢を送るという一大遠征作戦の話が飛び込み、その野心に火をつけたのだった-2025/09/20 14:49:33224.名無しさんL86MT天皇は朝鮮系と言われているけど、昔の天皇は中国にあった周王朝の子孫を自称していた。2025/09/20 15:01:20225.名無しさん2aI6W黄帝の子孫で九鼎を所持していると天皇は吹聴していた泰山で封禅の儀式もしていると吹聴していた2025/09/20 15:04:27226.名無しさんoSenO>>8この程度が解明できねえのに核廃棄物を1万年も無事に保管できると思うか?2025/09/20 15:07:15227.名無しさんjUPdc>>226思わねー人類がそこまで存在するかは甚だ疑問だ。1万年後と言えば10,000年先だ。地球はすでに高温の渦の中にいる。金星は最近の観測から500度に達した。地球もそれくらいまで熱せられそうだ。海水はすべて蒸発。おれはもうこの世にはいない。どうなるかおれの知っちゃこっちゃねー。2025/09/20 15:12:34228.名無しさんZGBbm邪馬台国=大和説は明治時代に作られた珍説江戸時代以前までの邪馬台国研究にはなかった2025/09/20 15:14:51229.名無しさんJ8NBZ記紀が歴史改竄してるからでしょ大和政権以前の王朝を無かった事にしてるから外国の歴史書と矛盾が出る2025/09/20 15:16:30230.名無しさんVeN9i別に邪馬台国が大和王権の前身なわけじゃないだろ2025/09/20 15:24:46231.名無しさんQmzzZ今のヤマトは背乗りつうことだろ2025/09/20 15:26:17232.名無しさんefvn5孔明の罠だね2025/09/20 15:48:46233.名無しさんWYLF3傾城の美女ヒ・ミコ2025/09/20 15:50:15234.名無しさん23JCEウヨユダヤ死ね!縄文時代250代ほど統治者はいる出雲と伊勢は流れ者2025/09/20 15:53:30235.名無しさんEb5E7当時、数多に存在した地方豪族の1つでしかなかったのが邪馬台国。2025/09/20 15:54:30236.名無しさんAoehj徐庶のイタズラやん2025/09/20 15:59:26237.名無しさんirLxr定期的に近畿だ、九州だ、大和朝廷やら、いや存在しなかったやらそれぞれの派閥で結構真剣に盛り上がるから邪馬台国おもしろいわーロマンだよねー2025/09/20 16:04:29238.名無しさんOnlMx天照のキャラ設定は卑弥呼と被る点も多いし、古事記も何かしら影響は受けてそう魏と上手く外交していた王を知らないわけがないけど、ヤマト王権以外にそう言う王がいたのを歴史書に書くのは都合も悪いみたいな事情ありそう2025/09/20 16:06:14239.名無しさんeusRc>>6ジャップが記録を燃やすのは1400年来の伝統なんだ(´・ω・`)2025/09/20 16:07:43240.名無しさんw183Q卑弥呼とは三国時代の魏に遣いを送って邪馬堆の国「倭」の王の一人として称号を与えられた女王の名称当時の日本は統一国家として認識されたのでなく、「魏」の一部として多くの支配者(馬)による野蛮(邪)な小国が散在する島国(堆、台)という程度だったと思われる古事記は天皇が支配する統一国家(邪馬台⇒大和国)としての歴史書的な意義を有する物であり、大和が神国として天皇が支配する以前に散在した小国は単なるネイティブ集団であり、神が創造した天皇支配による統一国家として記述するには全く価値の無い存在だったのではないだろうか?2025/09/20 16:08:45241.名無しさんCidf0出てるだろ天照皇大神2025/09/20 16:10:53242.名無しさんeusRc>>128室町時代にもいたんだな、竹平蔵みたいなデマゴーグが2025/09/20 16:12:18243.名無しさんeusRc>>188大日本史は現在の歴史教育・研究にも限りなく悪影響を及ぼしてる2025/09/20 16:14:19244.名無しさんb4Kvm>>240魏に朝貢して王として封じられた蛮族がなんで魏の一部なんだよ思い上がってんじゃねえぞ2025/09/20 16:14:29245.名無しさんw183Q>>224朝鮮は古来から中国の一部でしかない渡来説に矛盾は無い2025/09/20 16:14:47246.名無しさんb4Kvm>>245朝鮮も蛮族歴史上、一度として中華の一部として認められたことはない2025/09/20 16:16:12247.名無しさんqRDMWなぜもなにも、卑弥呼の一族と所謂大和朝廷は違う豪族なのだから大和朝廷の記録に残してるわけねぇだろ2025/09/20 16:18:55248.名無しさんkAP0S>>10ヤマト政権が滅ぼしたなら、逆に歴史に残る。ヤマトとは無関係に滅んだんでしょ。2025/09/20 16:25:45249.名無しさんw183Q>>219「わのなのくに」とは野蛮人の小国という意味だよ2025/09/20 16:25:45250.名無しさんmmDbp三国志も日本書記も中国語で書かれた歴史の公文書ということでwwwhttps://www.isc.meiji.ac.jp/~katotoru/20190419.html2025/09/20 16:28:28251.名無しさんw183Q>>215「倭」とは「取るに足らない小さな島国」と同義だよ2025/09/20 16:30:05252.名無しさんw183Q>>212「漢の」属国でしかない「倭の」小国という程度「奴の」蛮族と同義島国の一部族とはいえ遠路はるばる朝貢に来たのだから、せめて国王の称号くらいは与えておこうその程度の意味だよ2025/09/20 16:46:00253.名無しさんw183Q>>208まだ漢字に込められた本来の意味までは知りようもない時代だからな2025/09/20 16:49:01254.名無しさんw183Q>>207倭人伝では単に「倭」としか表してない地方の小国という意味であり何処でも構わない日本からの朝貢であれば日本を指す事になる2025/09/20 16:58:32255.名無しさんKei6Y自らを中華と称した意味がね……。それだけ自尊心が強いのに、聖徳太子に日出処る天子、日没する天子へとか煽りメール送られたら切れるw2025/09/20 17:02:46256.名無しさんb4Kvm>>251倭は典型的な形声文字それ自体に独自の意味などない2025/09/20 17:07:43257.名無しさん2iYUm大分ウガヤフキアエズ王朝が長く続く 最後の王神武は東征出雲スサノオからアマテラスが権力簒奪アマテラスから10代崇神天皇11代垂仁天皇が権力簒奪するがまとまらず15代応神天皇が権力を掌握26代継体天皇が担がれる大化の改新で中央集権化記紀は権力者に都合よく書かれたものだから2025/09/20 17:08:45258.名無しさんw183Q>>246冊封関係は長いそれで中華の一部として認識される誰が認めようが認めまいが関係ない2025/09/20 17:08:49259.名無しさんw183Q>>240笑誰が?2025/09/20 17:11:21260.名無しさんb4Kvm>>258冊封しただけの蛮族が中華の一部と認められることは決してない蛮族は何年かけようと蛮族のままだ君は中華思想というものが分かっていない2025/09/20 17:12:50261.名無しさんjhNyD>>2繋がらないというより地方の単なる小国だっただけだろ2025/09/20 17:15:04262.名無しさんySkbYデタラメが蔓延してる2025/09/20 17:16:32263.名無しさんw183Q>>229古事記以前の事は天皇を神と定義する為の口伝でしかない記述する文字が無かった時代の事だから何とでも言えるのだが文字が無かったのだから仕方ないとも言える2025/09/20 17:19:32264.名無しさんHXcud海を渡って朝貢したっていうのが大きいだから金印もらってるし2025/09/20 17:20:28265.名無しさんmmDbp古墳時代前期には大和政権は存在していたのだなhttps://www.rekishijin.com/260642025/09/20 17:22:20266.名無しさんAWruo神と同じで空想の人物だからだろ2025/09/20 17:26:17267.名無しさんyIBVO日本の中では位の低い人だから以上2025/09/20 17:28:53268.名無しさんw183Q>>17邪馬堆の小国が遠路はるばる朝貢に来たのだからその程度の称号と土産を持たせて帰しても特に問題は無いだろう2025/09/20 17:33:05269.名無しさんb4Kvm>>266『記紀』のヒコホホデミはぶっちゃけ空想上の存在だと思うけど卑弥呼(日巫女?)は多少の誇張はあったかもしれないが類する人はいたと思うよ『三国志』を遺した支那の側に捏造する動機がないから2025/09/20 17:35:46270.名無しさんw183Q>>23漢字の本来の意味も知らない時代だよ名前として呼ばれただけで何でも有り難がっただろうよ2025/09/20 17:39:04271.名無しさんFCbo8>>263口伝なんてねえよ。むしろ、ちょんのーマンセーのための創作歴史捏造偽書が古事記。ありもしないマンセーファンタジー。2025/09/20 17:40:51272.名無しさんQNDvr中国の歴史書は嘘が多い2025/09/20 17:41:21273.名無しさんoBlsX>>266記紀が神話で魏志倭人伝のほうは記録だろうけど2025/09/20 17:43:22274.名無しさんINLBN7世紀になってヤマト政権が中国との交流する際にかつての邪馬台国の金印紫綬の栄光を利用するのは当然でしょ2025/09/20 17:44:08275.名無しさんIHtQv>>2九州にあった小国の一つに過ぎないからただ女王卑弥呼が後世になって一人歩きしあたかも日本を統治した強大な国家みたいになっている2025/09/20 17:44:48276.名無しさんw183Q>>26名も無い蛮族の島国だからだよ「倭国」は小国を指す一般名称だろ?2025/09/20 17:45:12277.名無しさん3MlGG嘘を書かないために次の王朝で書くのが中国史書だから2025/09/20 17:45:54278.名無しさんmmDbp遣使を行った239年の前年、238年に魏の明帝が派遣した司馬懿率いる軍隊が、遼東半島から朝鮮北部で自立していた公孫淵を倒し、魏の直接的支配が朝鮮半島に及んだ2025/09/20 17:46:00279.名無しさんHDpKK中国の魏志倭人伝にしか出てこないのにこんなに有名なのか2025/09/20 17:46:38280.名無しさんb4Kvm>>272中国に限らず歴史書を意図的に曲筆するのは権力に阿るためだ倭の女王なんて創作したところで『三国志』の作者陳寿が仕えた晋にも、陳寿のルーツである蜀漢にも何のメリットもない2025/09/20 17:48:30281.名無しさんsodMyモモソヒメだろ。2025/09/20 17:49:40282.名無しさんINLBN漢の時代の交流跡は博多とその南東あたりに遺跡が集中している期限年前後くらいの時代だそこから3世紀になる間に畿内と九州の交流はほとんど見られないちょうどそのころから機内で急速に発展し大型の前方後円墳が出土するが魏志倭人伝の記載とはかけ離れた遺跡物ばかり2025/09/20 17:51:34283.名無しさん3YizJ>>212金印は江戸時代の有名な(名前は失念)国学者が自説を通すために贋作を作って志賀島で誰かに発見させたという説が説得力あったなあ誰か詳しい人いませんか2025/09/20 17:53:33284.名無しさんBNH7u>>273とは言え、所詮は外国の伝聞記録でしか無いのが残念。信頼性は乏しい。2025/09/20 17:57:10285.名無しさんy2Rey琉球王国を独立国家だと言い張ってるバカも居るからね2025/09/20 17:57:34286.名無しさんBNH7u>>279当時の日本に関する記録が全然無いからね。せめて現存する古墳を学術調査出来れば、新たな発見も有るのかもだが。2025/09/20 18:00:46287.名無しさん752Zd当たり前に考えたら卑弥呼は中華王朝側の呼称だから国内での正式呼称は違ったんじゃないのか?2025/09/20 18:07:20288.名無しさんmmDbp帰化人由来の神社とかに古文書か埋もれているに違いない・・・https://rekitabi.hatenablog.com/entry/2024/01/02/2259392025/09/20 18:07:32289.名無しさんIQ0nOまあ私も北九州説に一票だな2025/09/20 18:12:27290.名無しさんBwzDE>>66いわゆる神代文字というのは朝鮮のハングルを基に江戸時代につくられたものだと言われている2025/09/20 18:12:30291.名無しさんlOEdI斎宮が政をおおきみと相談して決めてたからね2025/09/20 18:15:02292.名無しさんBNH7u>>290ハングル作ったのは李氏朝鮮の王なのだが………2025/09/20 18:21:45293.名無しさんM9pZ3侏儒国だの黒歯国だのあったかどうかわからん怪しげな国も記されてる魏志をそこまで有難がってもなと思うんだが2025/09/20 18:22:50294.名無しさん9Z6Vn>>3「卑弥呼」は中国からの呼び名やもんね2025/09/20 18:25:07295.名無しさんWYLF3釣魚国だの独島国とかも探せばきっとある2025/09/20 18:25:12296.名無しさんz4s0I2000年後「多くの人形が出土する『綾波レイ』とされる人物は本当に実在したのだろうか」と学界で議論されることになる2025/09/20 18:32:24297.名無しさんFCbo8>>284ちょんのーはマンセーファンタジーを捜索する理由があったし、権力者が作る歴史書は権力者に都合よく嘘が混ぜられているというのは歴史学の常識。一方で、海外の話について中国が嘘を捏造する意味はない。だからこそ信頼できる。2025/09/20 18:37:09298.名無しさんFCbo8>>286古墳を調査されると朝鮮渡来だとばれるから調査させないようにしてんだよなあ。というか、最初は調査できてたのに、途中に政府が介入して禁止したのは明らかにちょんのーマンセープロパガンダに都合が悪いものが見つかったから。2025/09/20 18:38:26299.名無しさんFCbo8>>290時系列まったく分かってない馬鹿。2025/09/20 18:39:07300.名無しさんBNH7u>>297意図的な嘘でなく、外国での伝聞など当てにならないという話。2025/09/20 18:40:17301.名無しさんCLigK日本書紀と古事記よりも前の文献は戦乱などで失われてしまったんだっけか残されていたとしても、日本書紀と古事記の時点でファンタジー90%なので、どこまで信用できるか分からんけど2025/09/20 18:42:48302.名無しさん31NGv旧約聖書ですら死海文書が偶然発見されるまで最古の写本は西暦1000年頃のものだったし今から卑弥呼時代の記録が見つかるとは思えないな2025/09/20 18:47:43303.名無しさんbRqEj天照大神として出てくるだろ2025/09/20 18:48:59304.名無しさんbRqEjひみつの卑弥呼ちゃん2025/09/20 18:49:32305.名無しさんdH8Mr「卑」(卑弥呼)や「邪」(邪馬台国)というマイナスイメージの漢字を当てたのは当時の日本人蔑視だという意見がある日本人蔑視は有ったと思うが「魏」も国名としては変わってるこちらは軍旗に目立つように大書きしていた3世紀前半の東アジアでは敢えて変な漢字を使うことが流行りだったんじゃないか2025/09/20 18:58:16306.名無しさんdH8Mr張政だっけ、日本に住んだ魏人は現代で言う軍事顧問も兼ねていた説がある「邪」という軍旗を立てた卑弥呼親衛隊みたいな軍団を妄想する2025/09/20 19:01:24307.名無しさんmmDbp秦の始皇帝が中華を統一し漢がシルクロードで交易する世界帝国になるが3世紀には分裂し鮮卑や匈奴みたいな異民族の侵入で五胡一六国の時代が暫く続くのだな平和な日本に文明を持って帰化人が押し寄せてきたに違いない・・・2025/09/20 19:14:28308.名無しさんnEcSt【神代文字】日本で、漢字渡来以前に古くから用いられていたという文字。日文(ひふみ)・天名地鎮(あないち)・阿比留(あひる)などがある。古来、神道家などの間にその存在が信じられてきたが、その多くは表音文字で、現在ではすべて後世の偽作とされる。神代文字は47音ないし50音しか書き分けない。奈良時代以前にまでさかのぼると,日本語の音節には〈いろは〉47文字では書き分けられない多くの音があり,それらは五十音図のうちには収められないところの音であった。いろは歌や五十音図だけでは示しきれないところの音が上代にはあったのである。これらを〈万葉仮名〉ではちゃんと書き分けてその区別を守っている以上,もし神代文字が本当に〈かな〉以前のものであったとすれば,少なくとも,もっと多くの字体がなければならないのに,いわゆる〈変体仮名〉にあたるものさえなく,きわめて整然とした統一をもっているのである。2025/09/20 19:19:54309.名無しさんnEcSt変体仮名とは、平仮名の異体字たとえば、今は「ハ」(ha)と読む平仮名として「は」だけを使っているが、明治時代までは、様々な形を使っていた神代文字には異体字がなく、統一された字体による新聞・雑誌の普及された近代以後のように47音ないし50音と統一されている近代以前には、統一された字体、音によるテレビ・ラジオ・新聞・雑誌が存在せず文字のすべてが手書きであり、統一する方法もなく、昔の時代には異体字が多く存在することは当たり前のことだったのです。古代の文字であるはずの神代文字には異体字が存在せず、近代以後のように47音ないし50音と統一されている。2025/09/20 19:20:13310.名無しさん2pish>>309識字率が低くて誤字が多かっただけやぞ斉藤みたいなもんや2025/09/20 19:33:17311.名無しさんBR53oそもそも皆、大和民族のつもりで書いているが、九州南部や東北は熊襲や蝦夷だからな滅ぼしたわけではないから同化してるだろうわい、熊襲やねんくらい言ってほしい2025/09/20 19:41:31312.名無しさんnEcSt竹内文書竹内巨麿によって、代々伝わってきたとものとして昭和10年に公開された文書群モーセの十戒は実は天皇が、来日したモーセに授けたものであり釈迦をはじめ世界の大宗教教祖はすべて来日し、天皇に仕えたことになっている竹内文書が創り上げたオカルト的な天皇崇拝の奇説は、その後、さまざまな神道系の宗教で利用されるようになるしかしこの文書は書かれたとされる年代には無い、幕末から明治以降に欧州から翻訳された単語や概念が多数みられるので、完全に偽書と判明している2025/09/20 19:43:26313.名無しさんbi9w8>>311遺伝子的には縄文人で起源がほかに見当たらない独立系だってよゆえに韓国人が占領したと言いたがるが鼻で笑われ無視されるw縄文系の分布も今では調査しにくくなったね戦後に大量に来てるし人の移動も盛んになったから2025/09/20 19:56:09314.名無しさんnEcSt私は日本が好きで古い神道を研究したが、古神道とは明治時代にできたもので古くなくそれ以来宗教とイデオロギーを振りかざすのはやめた江戸時代で暇人が色々オカルト創作してたのを明治の開国とともにそういうオカルトを取り上げて「世界の中心、大日本」を演出したというのが真相かと中身は道教、仏教、インド宗教のパクリなんですけど軍部も結構その思想に染まってて、太平洋戦争で暴走した一要因になってたと思いますいい部分もあるけど、嘘っぱちが大半なので、私は距離置いてます2025/09/20 20:03:50315.名無しさんqoCY2>>306モモソ姫(卑弥呼)はマンコに箸が刺さって死んだというモモソ姫を馬鹿にしたような伝説が残っているがおそらく卑弥呼が魏に援軍を頼んだら張政が邪馬台国にやってきて、邪馬台国の実権を握りはじめて卑弥呼のマンコを刃物で突き刺して殺したんだと思うよ箸は中国文化の象徴だし、マンコに刃物を突き刺すのは中国の伝統2025/09/20 20:10:46316.名無しさんCMmvR>>313戦前からほとんど弥生系だからな人の移動で薄まったのは沖縄ぐらいだろ2025/09/20 20:12:12317.名無しさんnEcSt竹内文書(たけうちもんじょ)は、古事記、日本書紀よりもずっと以前に書かれた歴史書と称する文書昭和の初めに、天津教という宗教団体の教主である竹内巨麿が公表内容は、「神武天皇の前に、26朝1168代の神が天皇として世界に君臨した」とか、「2000億年前に、皇子が世界に散らばり、世界の五色人(黄人、赤人、蒼人、白人、黒人)の祖先となった」など、荒唐無稽のものでした。しかし、日本人の優等性を強調したい軍関係者を中心に支持を集めましたまた、日本人はユダヤ人の子孫だと主張する酒井勝軍(かつとき)という人物が天津教を訪れ、モーゼの十戒石の捜索を依頼します。まもなく十戒石が竹内家の宝物から発見されます。その後も、日本のピラミッドの記録や、キリストが日本に来た記録など、酒井が求めるものが次々に発見されます。もちろん、酒井の話に合わせて製作したものと思われます。しかしこの文書は書かれたとされる年代には無い、幕末から明治以降に欧州から翻訳された単語や概念が多数みられるので、完全に偽書と判明している現代で使われている概念や単語の五割ほどが、幕末から明治にかけて、西洋の思想や文物等を和訳するために、当時、新しく作られた和製単語であり対応する単語もなく、概念自体が無いものがほとんどで、哲学、民族、国民、宇宙などの簡単な単語すら幕末から明治にかけての発明品古代から伝わってきたはずの竹内文書には、幕末から明治以降に発明された和製単語や近現代西洋由来の概念単語が多数含まれてるので、偽書が確定している2025/09/20 20:14:07318.名無しさんbi9w8>>316朝鮮系は併合したからだねそれと海流に流されて遭難したグループが佐渡あたりまでかな壱岐とか対馬はたびたび襲われていた伊都国対馬国壱岐国と表記された古地図があるね2025/09/20 20:19:30319.名無しさんqoCY2マンコに刃物を突き刺して卑弥呼を殺害した張政が男王を擁立しようとしたらさすがに倭国側の反発がすごくて内乱状態になって倭国側が勝利して、台与を女王になった台与は邪馬台国の使者と一緒に張政を帰国させてる(台与と卑弥呼が張政と会っていた証拠)2025/09/20 20:20:19320.名無しさんCMmvR>>318弥生系を朝鮮系って呼んでるの?併合当時も現代も日本より人口少ないんだけどなそれなのに現代日本の9割が弥生系って計算おかしいw2025/09/20 20:24:27321.名無しさんHDpKK>>294卑しい巫女だもんな…2025/09/20 20:27:05322.名無しさんbi9w8日宋貿易が盛んで宋のお金で鎌倉の大仏作ったり古くは中国の動乱で逃げてくる坊さんたちが多かったり日本仏教の始祖はそういう人たちだろう例外は日蓮ぐらいかなよく勉強しなかったがそういうのが目立つね歴史の教科書にはw2025/09/20 20:35:05323.名無しさんikkBB卑弥呼って日本全体を統一したわけでなく九州の一部地域を統一しただけでしょ邪馬台国は日本の代表でも何でもない、全国にある小国のうちのひとつに過ぎない2025/09/20 20:39:36324.名無しさんikkBB>>313今の韓国人は弥生人とは無関係だよ既に朝鮮半島から消えた古代朝鮮人は弥生人と近いけど今いる韓国朝鮮人は中世に南下して朝鮮半島に住み着いたエヴェンキ系民族の一つ2025/09/20 20:44:46325.名無しさんBmCDH>>323その頃の卑弥呼より偉い人は誰だったの?2025/09/20 20:50:41326.名無しさんbi9w8>>323239年、卑弥呼は魏の都・洛陽に朝貢した。607年に聖徳太子が隋の皇帝である煬帝に送ったとされる国書でデビューこの差をどうとらえるかは自由w2025/09/20 20:51:11327.名無しさん28zjt>>263文字自体はあったが都合が悪いので全部燃やした2025/09/20 21:08:43328.名無しさんVcOHH聖徳太子の親書は書き出しが匈奴の冒頓単于が漢の武帝に送った親書と全く同じ史記の記述からも明らか2025/09/20 21:14:42329.名無しさんyj5Dr>>328冒頓単于と武帝は時期被らないだろ2025/09/20 21:27:24330.名無しさんNaBUz高祖ではないが同じ武帝を名乗ってるのが居るよ司馬遷が実際仕えていて一番克明に書いてるから史実だよ同格である「恙なきや」と呼びかけるのが同じ2025/09/20 21:31:03331.名無しさんZkgHv卑弥呼の呼び方は「ひみこ」が流通してるが俺は「いよこ」と考えるいよこを古代中国人が「卑弥呼」と漢名にしたのだ史書には卑弥呼の次の女王が台与「いよ」となっているので邪馬台国の女王は代々「いよ」もしくは「いよこ」と名称が決まってるのだよ2025/09/20 21:35:16332.名無しさん9OWOO雄略天皇「俺も暴れすぎて武帝と言われてるねん」2025/09/20 21:44:16333.名無しさんINLBN金印に蛇がついていることを考えると邪馬台国は蛇を神との象徴としている可能性がある出雲に残るやまたのおろちは蛇への年貢のお話2025/09/20 21:47:56334.名無しさんe6nR5>>331卑弥呼の読みはおそらくピミコだと思うよ上古日本語だとピになるし中国側文献で同じ漢字の単語で鮮卑がある2025/09/20 21:56:07335.名無しさんyj5Dr>>330冒頓単于は漢ぶちのめして講和してるからそもそも漢より格上なんだよね。その後武帝時代に力関係は替わるけど、歴史的には一時的なものシナ王朝もいろいろと誤魔化してるけど、近代に入るまで基本的に遊牧>シナなんだよね2025/09/20 21:57:19336.名無しさんmFPkz>>162全文楽しく読ませていただいた2025/09/20 22:14:09337.名無しさんWuLgw>>334じゃあ「卑」は上から目線の蔑称で、本名は「ミコ」さんだったのかな?卑だの鮮だの倭だの奴だの呼んで悦に浸るの好きそうな向こうが勝手に付け足しただけなのかな?2025/09/20 22:16:46338.名無しさんb4Kvm>>337卑はともかく鮮と倭は字自体にマイナスの意味はない新鮮とか鮮明は悪い意味ではないだろ2025/09/20 22:29:13339.名無しさんR0e0iレディースの総番みたいなもんか2025/09/20 22:43:29340.sageXgsG0>>184魏志には倭国は出ないもちろん日本国もない2025/09/20 22:47:23341.名無しさんAWdTF実際は弟って言われてる奴が仕切ってて外国に隠すためとか暗殺防止の為に架空の卑弥呼作ったって説はどうよ?知らんけど。2025/09/20 22:50:12342.sageXgsG0>>284国内にしかなかったら、それはそれで信頼性に乏しいだろw2025/09/20 22:58:11343.名無しさんWuLgw>>338そうなのか、その辺のニュアンスはわかってなかったみたいだありがとう。「鮮卑」とかどんだけ相手舐めてんだって、勝手に思ってたわ。2025/09/20 23:00:29344.名無しさんhUOCW騎馬民族の匈奴や鮮卑が邪馬台国を滅ぼして大和の古墳時代を作った説はwwwhttp://inoues.net/mystery/kibaminzoku.html2025/09/20 23:02:00345.sageXgsG0いや倭は悪い意味だろ2025/09/20 23:02:58346.sageXgsG0>>344古墳人と弥生人はDNAが違ってるって最近言われてるな2025/09/20 23:05:47347.名無しさんhUOCWそういう説も説得力があるなhttps://www.asahi.com/articles/ASP9K55ZJP9JULBJ00Z.html2025/09/20 23:22:43348.名無しさんGY38y>>338鮮は今と昔で意味が違うとどこかで見たけどなだから朝鮮て付けられたと2025/09/20 23:37:43349.名無しさん6M9WB歴史(笑)日本史(笑)日本書紀(笑)魏志倭人伝(笑)全部創作なのにwwwwwww2025/09/20 23:43:33350.名無しさんhUOCW卑弥呼の国は騎馬民族に滅ぼされたから記紀に書かれないのか?http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/kodaisi/kibaminzoku/kibaminzoku2.htm2025/09/20 23:47:41351.名無しさんaP2Cuおそらくは海洋民基本沿岸居住で津波で滅びた2025/09/20 23:49:55352.名無しさんA4LDF>>300公式な使者なり、日本に行ったことある連中から聞いた内容を記録している。それはかなり信頼できる情報。というより、それ以上の情報がないんだから圧倒的な情報。2025/09/21 00:00:24353.名無しさんA4LDF>>349ちょんのーはマンセーファンタジーを捜索する理由があったし、権力者が作る歴史書は権力者に都合よく嘘が混ぜられているというのは歴史学の常識。一方で、海外の話について中国が嘘を捏造する意味はない。だからこそ信頼できる。2025/09/21 00:01:20354.名無しさんpgtmP凄いよ卑弥呼さん2025/09/21 00:24:11355.名無しさんKLEBu記紀なんて天武持統や不比等が都合よく書いたものだってわかるじゃん朝鮮半島の檀君朝鮮や箕子朝鮮は後世の捏造物的証拠がない中国も都合の悪い一文は無かったことにしてる殷これ倭国なり2025/09/21 00:26:21356.名無しさんpeMn4時代が違うじゃん。神話で語られる時期と西暦始まってる時期は全く被らないよ。2025/09/21 00:35:04357.名無しさんsYJVnみんな卑弥呼ずっきゃなーあんたすっきゃねんただの占いババアだろ今で言うたつきりょうだよ2025/09/21 00:35:48358.名無しさんpeMn4>>357たつきりょうだって若い頃はあった。2025/09/21 00:36:46359.名無しさんsYJVn女が祭りごとやると事が動くから今度自民で高市出して自民壊滅のような気がする女さんは政治やっちゃダメダメ2025/09/21 00:37:51360.名無しさんpeMn4>>340日本史の教科書に少し調べれば解るウソが書かれてるのか?2025/09/21 00:38:54361.名無しさんpP7pu卑弥呼の時代は日本に文字がまだ無かった天皇のことは記してるから天皇とは全く別の勢力だったんだろう2025/09/21 00:40:05362.名無しさんyuhW8距離的に北九州に決まってるやん戦前でも何故北海道の炭鉱近辺じゃなくて筑豊の炭鉱の近くの北九州に八幡製鉄所が出来たのか考えたら分かる話大陸に近いから北九州の八幡に製鉄所が出来たんだよ大陸と取引きするのに北海道に製鉄所は作らないだろ戦前ですらそんな塩梅なのに、太古の昔の近畿地方なんて、現在、日本から船で南極に行く感じなんじゃないの?2025/09/21 00:42:01363.名無しさんVyqKU卑弥呼は壱岐出身だよ麦焼酎作ってた2025/09/21 00:55:38364.名無しさんd0NKW日本人なら、「古事記」「日本書紀」「万葉集」くらいは読んどくべき。日本人のバイブルだよ。2025/09/21 00:58:20365.名無しさんeQxeq>>340た。「魏志倭人伝」からわかること地理:帯方郡(朝鮮半島)から倭国への道程が記されています。社会・政治:女王卑弥呼の共立、魏の皇帝に派遣された使者、そして魏から贈られた印綬(印と綬帯)や金、鏡などの記録があります2025/09/21 01:00:14366.名無しさんKLEBu先代旧事本紀大成経・神武天皇(初代)背の高さは約3メートル15センチ、胴回りは、両手を伸ばして一抱えした長さに15センチほど足した長さ。頭には9センチほどの角が二本あり、それはまるで雪のような色をしています。背中には龍のような背ビレがあり、その長さは1メートル20センチ、尾の裏側には大きな鱗が72枚あります。105歳のときに皇太子の位に就かれました。・綏靖天皇(2代)身長は3メートル、目は黄色に光り、まるで水星のような輝きを放っています。背中に鱗があり、怒られるときにはそれが逆立ちました。その武術は人に勝るので軽々しくモノを言えませんでした。・孝霊天皇(7代)生まれながらの御容姿は、他の方とは大きく異なり、お顔が長く龍のようですが、決して醜くはありません。その耳の後ろに白い鱗があります。胸にも9枚の鱗があり、その9つの隙間から氣を放っておられます。俊敏で、どんな遠いところにも行かれます。・崇神天皇(10代)背の高さは1メートル90センチ、額に10センチほどの青い角が一本あります。下の顎の歯は短く丸く、舌は長く鼻にまで届きました。・垂仁天皇(11代)背の高さは1メートル80センチ、髪は右曲がりに頭を9周するように生え、頭頂部で輪のように巻いてとどまっていました。両脇の下には金と緑の羽を餅、肘にも同じような羽が根ざしておられました。・神功天皇(14代)御容姿は非常にたおやかで美しく、その目には二つの瞳をお持ちでした。乳に9つの穴があり、力は強く建物の柱を揺るがすほどでした。・応神天皇(15代)背の高さは2メートル90センチ、肘には弓を射るときの「鞆(とも)」いう丸い当て皮のような形がありました。顔の真ん中にの角は天に向かってまるで弓に矢を番えたかのようでした。胸には72本の青い毛が牛の尾のように生えていました。その長さは馬の尻尾ほどで、とても強く根ざしていたので最後まで抜け落ちることはありませんでした。・仁徳天皇(16代)御壮年のころで、背の高さは1メートル90センチほど、目には青と黄色の光があり、耳は眉毛の上ぐらいの位置から口の下にまで垂れ下がり、足の指は長く、まるで手の指のようでした。光のドラコさん乙プレアデスはできることをしているつもりです縄文の子供たちを守る理由がある関わってしまったから違うなこの国が好きだからあなた方日本人は自身のすごさを認識すべきだが謙虚さを忘れないかそれでいいと思うぞ神はソドムとゴモラに5人の神を信じる者がいれば滅ぼさないと約束された新約神なんて信じなくていいぞ日本人子供たちを信じろ証明は無理だ子供たちがこの国を正しく導く自分にはそれしかわからない信じるか?子供たちがこの国を正しく導くあなたでも自分でも無理だアホになれるか?この国を正しく導くのはアホだろ利益?そんなくだらないものが欲しいか?2025/09/21 01:01:26367.名無しさんLU8Hsしみこが修羅の源流か2025/09/21 01:02:03368.名無しさんeQxeq倭国について「倭国」とは:当時の日本列島全体、またはそこに住む人々のことを指す言葉でした。邪馬台国:3世紀の倭に存在した女王の都が置かれていた国です。卑弥呼:邪馬台国の女王であり、大乱の後に共立(政治を司る)されました。「魏志倭人伝」からわかること地理:帯方郡(朝鮮半島)から倭国への道程が記されています。社会・政治:女王卑弥呼の共立、魏の皇帝に派遣された使者、そして魏から贈られた印綬(印と綬帯)や金、鏡などの記録があります。日本への影響:日本には文字がなかった時代の史料であるため、日本の歴史を理解するための非常に貴重な一次史料となっています。2025/09/21 01:02:17369.名無しさんg6J7K興味を持った分野が違うから日本史はなぞった程度の知識しかないけどおまいら結構調べてるな。このスレでネットの集合知を痛感したわ諸説あるし個人の見解を加味しても面白い。ありがとう2025/09/21 01:04:26370.名無しさん1To6R魏志倭人伝にしか出てこない当時のシナ人の日本の悪口だからシナの家来のパヨマスゴミがはやし立てて乗せられてるだけ2025/09/21 01:14:57371.名無しさん6I8UW魏志倭人伝は邪馬台国がどこにあるかだけが語られるけど「全身に刺青を入れる野蛮人なのに貴人に跪く礼儀を知っている、おかしな連中だ」という記述があって、倭ですでに「中国は大国」を認識していたと思える。そこからの日本書紀の漢籍記述や「日本」という国号(中華から見て東)を考えると。2025/09/21 01:15:37372.名無しさんxuEDz古事記と日本書紀とホツマツタヱを照らし合わせれば、なんとなく想像つくよネットに分析した人がいて記事も上がってるホツマツタヱを偽書扱いにしてしまうと分からないと思う。古代カミノヨに関しては、ホツマツタヱのほうが本家に近いと思う2025/09/21 01:24:25373.名無しさんh4B5Lうわさの卑弥呼2025/09/21 01:32:06374.名無しさんTqYWs>>2だいたいこうやって顔真っ赤にしながら2getして書き込む奴って嘘なんだよなw2025/09/21 01:36:48375.名無しさんTqYWs>>372竹内文献も東日流外三郡誌も偽書じゃないよねw2025/09/21 01:39:06376.名無しさんxuEDz先にホツマツタヱの原本のような書物があって、それを元に編纂したのが古事記や日本書紀という仮定で考えると、いろんな疑問が解けてくる(この基準だと古事記と日本書紀の一部は翻訳ミスだと想定できる)ホツマツタヱの中でも三種の神器と十種神宝の継承で王朝が分かれていることが想像できるけど、当時は日本は統一されてないと考えるホツマツタヱはアマテル(天照大御神)の派閥の主張が書かれていて、古事記と日本書紀は後に卑弥呼の派閥にも気を遣って統合して天孫降臨が創られたと考える二倍歴も考慮してホツマツタヱを基準にして古事記や日本書紀と倭人伝を合わせる2025/09/21 01:39:50377.名無しさんxuEDz>>375竹内文書は偽書だと思うけどな。もう一方のほうは知らんあんたホツマツタヱと古事記と日本書紀の比較研究とか知らんのじゃないか?読んでみ2025/09/21 01:44:36378.名無しさんxuEDzネットで簡単に調べてホツマツタヱを偽書だと思ってる人は、まあ読んでみろと天孫降臨なんかなくて、イザナギやアマテラスやスサノオは人間だよ2025/09/21 01:49:23379.名無しさんxuEDzちなみに先代旧事本紀にもホツマツタヱと類似した記述がある先代旧事本紀は天孫降臨を扱ってるので、ホツマツタヱのほうが原本に近いと思う。先代旧事本紀は物部神道寄りの主張だろう2025/09/21 02:13:52380.名無しさんRjLOV中国にとっての日本(倭) → 九州(邪馬台国)日本(畿内)にとっての九州 → 辺境全然おもんない芸人がアメリカでバズって鳴り物入りで帰って来たけどやっぱりおもんない感じ2025/09/21 02:21:19381.名無しさんeQxeq>>380魏志倭人伝」とは内容:3世紀の倭(当時の日本列島)の地理、風俗習慣、産物、社会構造、そして邪馬台国や女王卑弥呼の存在について記述しています。編纂者:中国の西晋の歴史家である陳寿(ちんじゅ)によって編纂されました。出典:『三国志』の中の「魏書」第30巻「烏丸鮮卑東夷伝(うがんせんびとういでん)」の倭人条が正式名称で、その略称として「魏志倭人伝」と呼ばれています。倭国について「倭国」とは:当時の日本列島全体、またはそこに住む人々のことを指す言葉でした。邪馬台国:3世紀の倭に存在した女王の都が置かれていた国です。卑弥呼:邪馬台国の女王であり、大乱の後に共立(政治を司る)されました。「魏志倭人伝」からわかること地理:帯方郡(朝鮮半島)から倭国への道程が記されています。社会・政治:女王卑弥呼の共立、魏の皇帝に派遣された使者、そして魏から贈られた印綬(印と綬帯)や金、鏡などの記録があります。日本への影響:日本には文字がなかった時代の史料であるため、日本の歴史を理解するための非常に貴重な一次史料となっています。2025/09/21 02:23:59382.名無しさんgqHuA韓国人?2025/09/21 02:47:28383.名無しさん0n6V8余談だが知る人は知ってる卑弥呼の墓と思しき塚をぶっ壊した県があるな2025/09/21 03:11:40384.名無しさん1C2iE邪馬台国は大和国じゃね?卑弥呼は日本の巫女?2025/09/21 03:31:12385.名無しさんh4B5L皇室とか藤原家の人は表に出ていない歴史ちゃんと分かっているんだろうな2025/09/21 03:44:17386.名無しさんTBbwh>>381「倭国」とは当時の日本列島全体、またはそこに住む人々のことを指す言葉ではなく・倭人が住んでる地域は、「倭」・「倭」にある最も勢力のある国が「倭国」・「倭国」の首都が「邪馬台国」実際、当時の関東地方は「倭国」の領土ではなかったので「倭」であったが「倭国」ではなかったはず2025/09/21 03:46:25387.名無しさんsYJVnしかしこの頃の人は文字が使えなかったんだろ?言葉は使えたんだろうけど文字が無くても言葉はしゃべれるんだねお前らと一緒で語彙力が無いからやばい、エグい、キモいとかそういう言葉しか使えなかったんだろうね2025/09/21 03:52:02388.名無しさんTBbwh>>385そりゃそうだよ天皇陛下が日本最古の神社(卑弥呼が祈祷をしていた神社)を参拝した様子https://youtu.be/woNU3lgN3rA?si=zCDbfndrrGE843y-日本最古の神社の周囲にだけ「日本の古代の大王」の古墳は存在している古墳は物的証拠なので、物的証拠で証明されてる2025/09/21 03:53:50389.名無しさんTBbwh>>387硯が発見されてるから当時の偉い外交官的な立場の役人は文字を使えたはず一般の倭人は文字を使えなかった2025/09/21 03:55:59390.名無しさんsYJVn当時は戦国時代みたいに小国が群雄割拠してた時代なんだから邪馬台国はその中の一つに過ぎないわけ大和朝廷とも関係ないし卑弥呼だって小国の女王だから大したもんじゃないのに北九州だったから中国と交流があったからたまたま記録に残っただけ2025/09/21 04:04:43391.名無しさんTBbwh>>390それはありえない卑弥呼は「金印」を授かっている中華思想は、魏の最も重要な政策なのでてきとーに「金印」を与えることはありえない魏の使者が倭国を調査して、倭国は他の金印を授かってるローマ帝国やクシャーナ朝(インド)と同格の大国であると判断したわけ2025/09/21 04:14:17392.名無しさんsYJVn>>391じゃあ九州制圧くらいの国かな後に邪馬台国は滅ぼされるわけだからそこまでデカくはないよ2025/09/21 04:19:17393.名無しさんTBbwh>>388ちなみに卑弥呼が祈祷をしていた神社が日本最古の神社である理由もすでに科学的に判明していて・卑弥呼が女王になる前は「銅鐸文化」で「銅鐸」を使用した宗教が、倭国の宗教だった・卑弥呼が女王になって「銅鐸文化」が消滅、卑弥呼が神社(神道)を普及させた2025/09/21 04:23:05394.名無しさんStG6x農耕民族は定住民だから収穫を狙って襲ってくるようないなかったと思うよ海を渡ってくるのが居ただけでw有明の海の幸、背振の山の幸、筑後川の幸、豊饒の大地甘木これが筑後川でつながり大宰府から博多に抜けるところは山に挟まれ天然の要塞水城物々交換の経済ゾーンが出来てたと思うね脊振山頂のレーダー基地あたりから一望できてたのでそんなこと考えながらぼんやりしてたな~w2025/09/21 04:27:44395.名無しさんTBbwh>>392邪馬台国は滅ぼされてないよちなみに奈良県の旧国名の大倭(ヤマト)は魏志倭人伝に登場する邪馬台国の富を掌握してた財務大臣的立場の「大倭」に由来してる魏志倭人伝は当時の最重要文献の「中国の正史」の一部なので偶然の一致はありえないので2025/09/21 04:28:04396.名無しさんTBbwh>>393なんで科学的に解明されてるかと言うと181年にニュージーランドのタウポで破局噴火があったことが科学的に判明してるので。タウポの破局噴火の規模はVEI7なので181年頃に世界的な大飢饉が起きたのは100%確実です科学的に100%だからな。倭国大乱と倭国に新王朝が誕生(卑弥呼が女王)と184年の黄巾の乱はタウポの破局噴火が原因で間違いないです2025/09/21 04:34:20397.名無しさんGqTPU邪馬台国は大和の国から来たものだろw2025/09/21 04:41:42398.名無しさんsYJVn>>395倭の漢字を使っていた小国は当時腐る程あったんだよたくさんある中のたまたま奈良にも倭っていう国があっただけソースは近所の地名うちの近所にも倭なんていう地名や住所山程ある2025/09/21 04:41:54399.名無しさんTBbwh181年、タウポの破局噴火181~184年、倭国大乱184年、中国で黄巾の乱184年、卑弥呼が女王になる仮に卑弥呼が14歳で女王になったとすると死亡したのが248年だから78歳まで生きたことになる。めちゃくちゃ長寿だね64年間も女王だったわけだから、中国がびっくりしたのも当然だ2025/09/21 04:48:44400.名無しさんTBbwh>>398「倭」という地名はあっても「大倭」という地名は近所にないだろ2025/09/21 04:50:21401.名無しさんoSFVf>>3ネトウヨレベルの馬鹿天皇一族が都合の悪い歴史を隠蔽したに決まってるぞ2025/09/21 05:24:08402.名無しさんoSFVf>>4古事記盲信するネトウヨレベル古事記、日本書紀なんか歴史の改竄捏造だらけそもそも神武の居た2600年前は弥生時代だったと歴史学者がすっぱ抜いてる2025/09/21 05:27:45403.名無しさんoSFVf>>19古事記日本書紀こそ出鱈目実在が明らかなのは26代天皇の継体天皇からそれ以前の天皇は捏造の可能性が高い神武天皇が127歳まで生きたなんて有り得ない2025/09/21 05:33:52404.名無しさんoSFVf日本の歴史は捏造だらけ天皇一族によって捏造された2025/09/21 05:39:12405.名無しさんA4LDF>>403ちょんのーが昔から日本を支配していた!と捏造マンセーするためのマンセーファンタジーだからな。実際は、日本人国家を簒奪した朝鮮人。当然、それ以前は半島にいた。2025/09/21 05:44:39406.名無しさんTBbwh>>403神武天皇の兄弟は新羅王という記録(『新撰姓氏録』)が残ってるということは、西暦57年に新羅王になった倭人の脱解尼師今が神武天皇の兄弟だから西暦57年に金印「漢委奴国王」印を授かった筑紫の奴国王が神武天皇ということになる金印を初めて授かった倭王を初代天皇としたのは当時の感覚としては妥当なところでは2025/09/21 05:49:24407.sagez9CKj>>368倭人伝であって倭国伝ではない2025/09/21 05:50:03408.名無しさんAQ3la>>104古代朝鮮人と今の朝鮮人って別の民族なんだっけか2025/09/21 06:02:20409.名無しさんHSrIt記録の無いものをあれこれ言ってもしゃーない。いくらでも好きなことが想像できて面白いけどな。2025/09/21 06:02:35410.名無しさんTBbwh正しい歴史はこうなるな西暦57年、筑紫の奴国王が金印「漢委奴国王」を授かったことにより、初代・神武天皇とされた。107年、第6代・孝安天皇(倭国王帥升)が漢に朝貢した。181年、タウポの破局噴火、世界的な大飢饉184年、卑弥呼が女王になる198年(『古事記』に戊寅と明記されてる)、タウポ火山の影響で権力を失い卑弥呼をサポートしてた第10代・崇神天皇が崩御した。390年頃までは女王時代で、男王が不在の時代が続いた。男系男子王位継承は150~200年間くらい途切れてる390年頃、男性の応神天皇が即位、男王制度が復活した2025/09/21 06:04:28411.名無しさんYqexC魏志倭人伝に記述が有るとされる「邪馬台国」と「卑弥呼」について日本では名称と捉えているようだが実は単なる朝貢の解説ではないかという気がする「イヤ(卑弥)と(呼)称する者が統率し非正式(邪)に支配(馬)する島(堆⇒台)の小国」2025/09/21 06:15:54412.名無しさんYqexC>>408朝鮮と一括りにすると半島全体の長い歴史の中では北の高麗民族による侵略も多かったから時代ごとに検証と考察を加える事も必要だろう2025/09/21 06:30:30413.名無しさんyQmWr朝鮮人は歴史を知らず、妄想だけだからわかりやすい。2025/09/21 06:46:05414.名無しさんPC0c4創作ストーリーだからだよ感情で生きる女に政治とか国の統治とかできるわけがない2025/09/21 06:47:30415.名無しさんC0xC0>>405ネトウヨは捏造古事記日本書紀を盲信するレベルw2025/09/21 06:54:50416.名無しさんC0xC0>>406西暦57年じゃ時代が全然合わない古事記日本書紀によれば神武は今から2600年前600年近くも年代が違い、全く時代が合わない2025/09/21 06:59:17417.名無しさんYqexC>>392邪馬台国が滅ぼされた史実は無かった筈だが約150年後に消滅していた可能性なら有る神道支配による統一国家に地方小国の存在は無要なんだから2025/09/21 06:59:39418.名無しさんXr1eV古事記、日本書紀は、卑弥呼とは別勢力が編纂したから都合が悪いから削除未だに都合が悪いと公文書黒塗り公開する国だしw2025/09/21 07:04:01419.名無しさんYUarh>>414当時の政治が今の政治システムと同じだと思ってるバカw2025/09/21 07:07:07420.名無しさんI3u1X陽御子は天照大御神として登場しています2025/09/21 07:07:24422.名無しさん8D4is卑弥呼って固有名詞っていうよりプーさん的な呼び方でしょ2025/09/21 07:12:08423.名無しさんFrcOb九州の地方豪族だったんだろうな中央の歴史とあまり関係なかったのか2025/09/21 07:15:03424.名無しさんYqexC>>391大国と同格という事ではなく魏の属国として後楯となる印を授けた可能性は有り゙、素材の問題ではない力の証となる多数の銅鏡を土産に持たせた記述も有った筈2025/09/21 07:23:17425.名無しさんYqexC>>422シャーマンとか酋長みたいな祈祷師その程度の意味だろ?2025/09/21 07:27:21426.名無しさんHgt0V>>40321代の雄略天皇の実在も確実視されてる稲荷山古墳出土鉄剣に名前が出てくるからね2025/09/21 07:31:01427.名無しさんYqexC>>416編纂以前の伝聞は想像つまり昔話として肉付け創造、創作するしかない当然の事だよ2025/09/21 07:39:08428.名無しさんC0xC0>>426それも確かに言われてる色々説があって、天皇は仁徳から実在したと言う説もあれば、継体天皇からが現在の天皇系譜と言う説もあるいずれにせよ初期の天皇は捏造であることは確実2025/09/21 07:46:40429.名無しさんsPNkR卑弥呼は「ひみこ」ではない卑弥呼は「卑弥イヨ」と呼ぶ、で魏志倭人伝に卑弥呼と明記された邪馬台国の女王は代々イヨと命名される2代目女王も台与(イヨ)だったみなさんお気づきだと思うがイヨと言えば、愛媛県の旧地名伊予である大宰府の九州王権がいまの愛媛県から女王になる女性を迎えたのだ、それが卑弥呼イヨ女王である卑弥呼が亡くなり男王政権になったが世が乱れたので再び伊予から女性を迎えたそれが台与(イヨ)女王である2025/09/21 08:11:19430.名無しさんLHoqpホント歴史系のスレは自称専門家が湧くんだよなぁw2025/09/21 08:16:54431.名無しさん1C2iE空白期間150年ほどあるらしいね歴史改竄?2025/09/21 08:21:33432.名無しさんgHbpOそもそも卑しい女王なんて自分の国の統治者に呼称しないからね中国共産党が1800年前から、日本領土全土は中国領であり、日本人と日本を勝手に名乗り不法占拠しているよって日本人をただちに完全絶滅し、日本を滅ぼさなければならないという戦略が立てられている2025/09/21 08:30:38433.名無しさんPtkiI>>430古代日本は文献も出土品もすごい少ないからちゃんとした大学教授と自称専門家がほぼ同じ土俵で戦えるしトンデモ論でもちゃんとした理論作れば学者論破してホルホルできる九州王朝説唱えた古田武彦はただの高校教師だし日ユ同祖論は確かキリスト教伝道師の趣味の研究だったはず2025/09/21 08:32:59434.名無しさん9zb90目には目を歯には歯をって言葉は目には目を埴輪ハオつまり埴輪がコンニチワって事だなんとなく気付いた2025/09/21 08:36:34435.名無しさんnxe00>>428捏造なのもわからない程度の史料しかないよ2025/09/21 08:37:23436.名無しさんTUYhW最近は卑弥呼は女王ではなかった説が有力だな2025/09/21 08:40:19437.名無しさんhuCMh>>325たまたま卑弥呼の記録だけが見つかってるだけじゃね2025/09/21 08:45:44439.名無しさんwOcjV神武天皇の東征はもっとあと欠史8代以上だと思ってて、崇神天皇が神武天皇2025/09/21 09:18:30440.名無しさんwOcjV崇神天皇神を崇める天皇2025/09/21 09:20:01441.名無しさんwOcjVと言う事は、卑弥呼は時代が違うから後漢書だったか載ったんじゃないのそして卑弥呼は倭人じゃなく亡命した中国移民土着の崇神は、異民族と戦いながら東征した2025/09/21 09:25:49442.名無しさんwOcjV9代ぐらいから中国人が鬱陶しかったんじゃないかな日向や大隅、薩摩の隼人を率いて鬱陶しい奴を潰していったすると難波に良い場所が在ったんじゃないの?2025/09/21 09:29:23443.名無しさんwOcjV瀬戸内海に防衛する砦が在ったのは、崇神達がやって来るからじゃないか?半島は負けた歴代中華王朝の避難民が造った負けた奴はどんどん半島南部に追いやられて日本に来たそれが卑弥呼達2025/09/21 09:34:39444.名無しさんpNg4q>>440崇神天皇という名前を付けたのは奈良時代末期の漢学者 淡海三船です淡海三船は記紀が成立した時点では生まれてすらいないのでただ作文を呼んで感想をくっつけただけですね2025/09/21 09:36:38445.名無しさんwOcjV神武だって後から名前を付けたでさ、神が付くのは崇神まで無いんだよ2025/09/21 09:44:39446.名無しさんwOcjV卑弥呼は倭の女王では無いから気にする必要は無いこんな歴史はどうかな2025/09/21 09:46:10447.名無しさんwOcjV神功皇后の朝鮮征伐も、半島から中国人が流れて来るから討伐に向かっただから倭人が管理する地域が在った半島が、高句麗などの満州北方系と中国系が多い理由2025/09/21 09:52:29448.名無しさんTqhDD卑弥呼が存在したという決定的な証拠ってあるのかね?2025/09/21 09:55:14449.名無しさんYjSxL卑弥呼がいたのは大国主の国譲りのまえの話とか?2025/09/21 10:09:57450.名無しさんccOGj日本の古代史って意味わからなかった。なんで九州の小さいとこの話になったり、奈良に飛んだりするのか。やっとわかった。史料が魏史倭人伝と日本書紀古事記くらいしかないから、載ってること羅列したら一貫性なくなっただけって言う。2025/09/21 10:10:33451.名無しさんon74K魏の歴史書に朝鮮半島の先に邪馬台国かあって卑弥呼がいたと言うんだから、それらしき物があったのは間違いないな中国から朝鮮半島は地続きだし間違えようはない朝鮮半島の先も日本しかないよ魏の時代に日本の一部を卑弥呼が治めていたのは事実だな2025/09/21 10:11:14452.名無しさんon74K時代も魏のあった時代その後に編纂したもので、タイムラグがあっても50年程度だろう逆に言えば話が伝わる期間を考えれば50年くらい前の話の可能性はある2025/09/21 10:14:30453.名無しさんTqhDD卑弥呼の墓が見つかれば誰も文句言わないだろうけど2025/09/21 10:17:16454.名無しさんYjSxL>>450飛ぶっていうか各地に有力豪族がいて邪馬台国もそのひとつで、それらを大体統べたのが豪族のひとつだった大和朝廷みたいな感じでは2025/09/21 10:17:18455.名無しさんon74Kまた、朝鮮半島と九州は横断はできてもそうそう頻繁に行き交うような海路ではないな朝鮮と日本で国が違えばなおさらだ百済と交易があった時代もあるとはいえ当時から別の国である2025/09/21 10:18:49456.名無しさんSHjUU>>450魏志倭人伝も何処まで信じていいか微妙ではあるが、古事記や日本書紀なんて元々口伝だからなあ2025/09/21 10:19:19457.名無しさんdWI5a可能性はただ一つヤマト王権には神聖化に都合が悪いから記録から消した2025/09/21 10:21:10458.名無しさんon74K邪馬台国の大きさについては、当時の朝鮮半島から見て倭を統治しているのは邪馬台国だというくらいの認識はあるおそらく九州北部から出雲くらいまでは統治してたんじゃないか九州南部や東は熊襲や蝦夷がいたという記録があり、鎌倉幕府あたりの時代に平泉は他民族の統治だったその範囲の話になる2025/09/21 10:24:00459.名無しさんon74Kそもそも邪馬台国や卑弥呼は当て字だろう日本に文字がなかった、あるいは漢字以外を使ってたなら音を写しただけであるヤマタイコクとヒミコ大和国と日巫女でもぜんぜんおかしくない天照大神も日巫女だわなそうすると天皇家の由来とも符合する2025/09/21 10:27:37460.名無しさんpY8dB>>391当時の日本に統一王朝なんか存在しない。テキトーも何も、無い物は無い。大和王権が頭抜けた存在になるのも神功帝辺りで、それでもまだ強力な周辺豪族が多数存在している。邪馬台国の話はそれより数百年も昔。大和王権が絶対的存在になる契機は、雄略帝による征伐。2025/09/21 10:31:10461.名無しさんpY8dB>>403埼玉県でワカタケル大王(雄略天皇)を記した剣が出土している。(国宝)物的証拠で存在証明された最古の天皇。日本史の基本な。2025/09/21 10:37:39462.名無しさん43ohl卑弥呼の墓は平原一号墳、証拠は伊勢神宮と同じ八咫鏡、大きさは里数と同じく歩も誇大になってるだけ2025/09/21 10:53:03463.名無しさんSlh4u>>448無いw2025/09/21 11:02:28464.名無しさんSlh4u>>450物的証拠としては古墳や銅剣、銅鐸が出土するから、何らかの共通文化な勢力が支配していたのは確定。それ以上が分からんw2025/09/21 11:04:24465.名無しさんB647N日本書紀に出てくる出雲国もヤマト政権とは別の勢力で別の国だったものを侵略征服したという事はほぼ確実視されてるからな邪馬台国もそういったヤマト政権の力の及ばない地方の小国だったのだろうヤマト政権が日本というか奈良より西の地域を統一したのは6世紀頃だよ。神武天皇だの欠史八代だのは全部嘘っぱち実在の可能性が高い雄略天皇とかもまだ地方の一勢力に過ぎないヤマト王権のトップを天皇にでっち上げただけ2025/09/21 11:05:50466.名無しさんTqhDDイエス・キリストやゴータマ・ブッダは膨大な研究調査によって存在していたことがほぼ確実だけど卑弥呼は神話の域だよな2025/09/21 11:06:52467.名無しさんSlh4u>>466現地国が知らない存在w2025/09/21 11:10:26468.名無しさんdWI5a>>465そもそも飛鳥時代まで日本は文字が無かった文字は漢字を遣隋使が持ち帰って広めたのが始まりそれまで日本は全部口述伝承飛鳥時代より前の歴史はかなりウソが混じっている2025/09/21 11:10:57469.名無しさんpNg4q>>450中国の史書も日本の史書も基本的にはその時の権力者の都合のいいように書かれてるので全部が事実ということはありえないよって権力者の都合に関係ない部分はある程度信じてもいいかな、というレベルその意味で記紀は全然駄目魏志倭人伝は比較的信じていい部類2025/09/21 11:11:26470.名無しさんPtkiI>>466ブッダは「複数人のエピソードを1人にまとめた」説が有力2025/09/21 11:11:44471.名無しさんpNg4q>>466ガウタマ・シッダールタはほぼ実在したと言われているが、推定生没年に250年ほどの揺れがあるキリストのモデルと考えられているナザレのイエスはローマ帝国が処刑した記録があるがこの人物は住民扇動の罪で磔にされた以外の事績が一切不明2025/09/21 11:15:27472.名無しさんh9Cslこれて本気で研究してもしょうがない題材じゃね?魏志に書かれてたことだってどこまで本当で正確かなんてもうわかりようがないし日本書紀も古事記もその時の偉いさんの都合で書いてるものだし卑弥呼ていう個人の特定は無理だから「今で言う日本の何処かに何からしらの集落みたいなのが有ったかもしれなくてそこに偉い人がいたかもね」くらいのもんだろ2025/09/21 11:29:15473.名無しさんon74K昔話にしても桃太郎や金太郎にも元になる話はあるが、物語は誇張されるからな事件や表現は大きくなる鬼にしてもモデルは外国人のバイキングだと言われているな一つ角や二つ角、彼らのヘルメットがそうだ白人は日焼けで赤くなりやすく、そうでなければ青くも見える赤鬼青鬼もまさにそれだ昔話はそのまま信じるのではなく、誇張や勘違いを修正し真実を確認することが必要記紀も当時記録がなく過去を振り返っている部分は口伝の言い伝えであり、誇張も混じるだがそれは事実を元にしているはずでフィクションとは違うフィクションを書いても誰も信じないからな2025/09/21 11:32:06474.名無しさんlasgd『魏志』巻八・張魯伝に、五斗米道や道教の指導者であった張魯が、漢中で鬼道によって民を導いたことが記されている。『魏志』の編者陳寿は、鬼道という呼称を、張魯の場合に限ってとくに用いたらしい。https://www.y-history.net/appendix/wh0203-118_1.html2025/09/21 11:32:47475.名無しさんnxe00>>472研究しておかないと、隣国がわけのわからんファンタジーから卑弥呼は朝鮮半島出身とか言い始めるからな実際に、分国論とかいう妄想で古代日本には朝鮮三韓三国の分国だったというファンタジー唱えてるからな。日本の極左(早稲田歴史学とかな)もそれに乗ってるから始末に悪い2025/09/21 11:34:46476.名無しさんP4NX9うーん、ナイスですね!2025/09/21 11:35:50477.名無しさんon74K記紀は二つあること、別々の主体が書いたことが重要でそれらが同じ見解であるならばそれはほぼ事実と見なすことができるフィクションなら合致させるのは不可能だからな内容が食い違う場合は確認が必要になる記録ミスもあれば故意に書き換えた可能性もあるそれはそれぞれの立場を踏まえ推測すれば真実に近づく別の物が二つあることで確度は上がる精度もわかる2025/09/21 11:40:15478.名無しさんH8lFA山の辺の道で、崇神天皇の前方後円墳を見た時は感動した。2025/09/21 11:45:06479.名無しさんon74K近年は歴史改変が横行し世界レベルで情報操作が行われるので注意が必要だな複数のメディアや国で同じデマが吹聴されることもあるその点、日本の古代はデマや書き換えが少なく信頼度は高いと言えるこれは同じ時代の複数の文書を見ることで確認できるな2025/09/21 11:46:02481.名無しさんsoVDb古事記は創作物だろうが2025/09/21 12:12:15482.名無しさんlQMJ3歴史は権力者に有利な事柄が残りやすい。これ豆な2025/09/21 12:13:37483.名無しさんo7ORY結果として卑弥呼って存在が世界からは実在したとされてるそして卑弥呼が天照か天照の信者かは置いといてそこから天皇家自体は現在まである、途中で影武者に挿げ替えされようが他所の血が入ってようが現存してるのが大事世界で最長の歴史を持つ国って事実は変わらんぢゃん?中国4000年の歴史とかは国が何度も滅んで国名も変わりまくり所詮はアメリカより歴史の短い国だし姦国の歴史なんて夢物語だしな2025/09/21 12:15:21484.名無しさんhcSSn魏志が含まれる『三国志』は西晋の政治状況下で書かれたので、西晋と倭の関係が良好だったかどうかみればいいんじゃないか西晋についての歴史書『晋書』は、倭人と西晋の関係について、曹操の子、曹丕が建国した魏の司馬懿(=宣帝)が、公孫氏を滅ぼして遼東半島に支配を広げたときに、日本の女王があいさつのためにピョンヤンの南方(=帯方)に使者を送ってきた、その後も朝貢が絶えることはなく、司馬昭(=文帝)が魏の宰相になったときにも続いた、司馬昭の子、司馬炎が建国した泰始(265-274年)のはじめに重ねて入貢した、とある。> 宣帝之平公孫氏也,其女王遣使至帶方朝見,其後貢聘不絶。及文帝作相,又數至。泰始初,遣使重譯入貢晉書/卷097https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%99%89%E6%9B%B8/%E5%8D%B7097司馬氏と卑弥呼政権の関係は良好だったらしい。その影響が残ってるなかで魏志が含まれる『三国志』は書かれた。2025/09/21 12:28:33485.名無しさんhcSSn>>484 中段> 司馬炎が建国した泰始 X → 司馬炎が建国した西晋の泰始 〇2025/09/21 12:30:26486.名無しさんQ7DBl正解はこれhttps://youtube.com/watch?v=zSnyAMHaFf4&si=wot6TSMjKxI63NI8http://turugisan.tv/2025/09/21 12:48:30487.名無しさんHCJGz>>429へー2025/09/21 13:40:58488.名無しさんHiiQyナイスですねぇ2025/09/21 14:11:24489.名無しさん0ZSjn古代史なんて誰も見たことないんだし想像と妄想とまあ少しのロマンって感じだよね楽しむ分にはいいけどこれが真実だとかいう人ってどうかしてるし学問にしてるのもどうかと思うよね2025/09/21 14:31:51490.名無しさん0ZSjn仮に見てきた人がいたとしても公にそんなこと言えるわけないしな2025/09/21 14:32:42491.名無しさんWoH4E京都にいるときゃ 忍(しのぶ)と呼ばれたの神戸じゃ渚(なぎさ)と 名乗ったの横浜(はま)の酒場に 戻ったその日からあなたがさがして くれるの待つわ2025/09/21 14:34:16492.名無しさんlopEs日本側で卑弥呼は神功皇后の事ですつまり第十五代応神天皇の母君で長らく摂政を勤めた神功皇后が卑弥呼なんです2025/09/21 14:46:21493.名無しさん0Buq3>>492それだと応神天皇の産みの母は誰かということになる2025/09/21 14:51:46494.名無しさんpNg4q>>492神功皇后って実在したとすれば4世紀終わりくらいの人だよねで、魏志倭人伝によればさすが倭国の女王の使者が入貢したのが西暦238年で、その後数年で死んだような記述があるわけだけど実は200歳くらいまで生きたイメージなの?2025/09/21 14:53:55495.名無しさん9jpQo>>492卑弥呼を特別扱いした挙句の矛盾だらけで草。2025/09/21 14:59:02496.名無しさん5yZ2G大和王権は卑弥呼と関係ないからな三国志を読んで知ったんだよ2025/09/21 15:11:53497.名無しさんOTnNX卑弥呼は倭迹迹日百襲だろ。2025/09/21 15:13:57498.名無しさんlopEs>>493え?>>494皇紀861年は神功皇后摂政元年されておりこれは西暦201年に相当します魏志に載る卑弥呼が魏に使いを送ったのは西暦238年つまり神功皇后が魏志倭人伝の卑弥呼と全く同時代の人物だと分かりますよね>>495一番しっくり来るのが神功皇后ですよ2025/09/21 15:20:33499.名無しさんpNg4q>>498>皇紀861年は神功皇后摂政元年されており>これは西暦201年に相当しますつまり神功皇后は三韓征伐やってないってこと?2025/09/21 15:24:50500.名無しさんR47NJ神社をつくるのが大好きな日本人だけど卑弥呼の神社が出来たのって昭和に入ってからだっけ?2025/09/21 15:25:07501.名無しさんpNg4q>>500古代の神道は基本的に氏神、先祖を祀る社だからね今の感覚でいうと神社よりも墓に近いで、結婚しなかった(当然子供も作らなかった)とされる人物を誰が祀るのかって話だ2025/09/21 15:37:45502.名無しさんR47NJちょっと話題になれば速攻神社をつくったのが昔の人らなんだよな結局卑弥呼と連呼しだしたのは最近なんだろうね2025/09/21 15:46:11503.名無しさんHCJGz>>501松陰神社 招魂社2025/09/21 15:46:46504.名無しさん0Buq3>>498卑弥呼は未婚で子どももいなく、弟が口伝承していたわけで、もし子どもがいるとするならその子どもの母親は誰かということになる2025/09/21 15:49:59505.名無しさんmroJT魏志倭人伝にはこう書かれている舊百餘國 漢時有朝見者 今使譯所通三十國漢の時代の100国あまりに畿内の痕跡がまるでない倭国大乱を経て30国に縮小したのにそこに畿内が入っているはずがない今以汝為親魏倭王 假金印紫綬 装封付帶方太守假綬 汝其綏撫種人 勉為孝順加えて、卑弥呼を女王と認めるから諸国にそれを広く知らしめて貢献せよということまで書かれている2025/09/21 15:54:45506.名無しさんpNg4q>>503松陰神社は古代からあったのか?お前の脳内日本史では中世はいつからだよ?2025/09/21 15:59:23507.名無しさんcum59>>281だな、桃太郎は後ろに百太郎w2025/09/21 16:07:57508.名無しさん43ohl応神天皇の母親の神功皇后が201年にいるわけないだろ2025/09/21 16:08:29509.名無しさんAaftT国名に邪という字をつかうわけないし人名に卑という字をつかうわけない2025/09/21 16:12:20510.名無しさんon74K>>509音だけの当て字2025/09/21 16:32:34511.名無しさん7MbRs>>509中華が蛮族の国や王の名に使うのは全くおかしくないだろ2025/09/21 16:32:47512.名無しさんnxe00>>509匈奴、鮮卑、蒙古とシナは周辺民族に蔑称つけるからな軍事は遊牧のが上なんでフルボッコにされてるのを蔑称つけて精神勝利するのがシナ2025/09/21 16:34:21513.名無しさんpNg4q>>509蛮族の呼称に嘉字(めでたい意味を持つ字)を使用しないのは中華の伝統中華史に頻出する匈奴の単于(王)も『邪』とか『烏』とか『屠』とか酷い字ばっかり2025/09/21 16:39:29514.名無しさんRdbAC卑弥呼は、元々従軍慰安婦だったと言う説まであるんだ?!2025/09/21 16:53:14515.名無しさんTUYhW>>439倭人伝のときすでに婆さんだったらしいな。想像力たくましい歴史小説家が卑弥呼を女王に祭り上げ、イラストレーターたちが八頭身のモデルのように描いたのが罪作り2025/09/21 16:58:57516.名無しさんA4LDF>>104ちょんのーと一緒に大量の半島人が渡ってきただけ。初期の朝廷は渡来人だらけだったと歴史の授業でも習っただろ。2025/09/21 17:05:17517.名無しさんHLcGNどう考えても日巫女だったんだろうな。2025/09/21 17:11:22518.名無しさん43ohl邪も卑も日本語に音を当ててるだけだから漢字の意味を考えても無意味2025/09/21 17:15:07519.名無しさんA4LDF>>517そもそも、中国じゃhimikoとは読まないんだが。現代読みではBēimízǐ。2025/09/21 17:15:21520.名無しさんon74K東アジア向けの音の振りは何故か昔から日本語読みになってるな中国や韓国では読み方が変わるんだろうが、何故かそうなってるヤマタイコクやヒミコもそうね2025/09/21 17:40:04521.名無しさんHCJGz歴史語呂合わせ「ヤマト政権ヤマトに4中(支柱 しちゅう)」 4世紀半ばって覚えたけど今でも合ってますかね(´・ω・`) ?2025/09/21 17:46:23522.名無しさんA4LDF>>520日本人だから感じを日本語読みしてるだけで、中国側が当てたときにはhimikoなんて読んでないからもちろん音も違う。ひみこだから日巫女とかってのは大間違いの俗説。2025/09/21 17:49:57523.名無しさんu0B8z>>518日本の万葉集ならそうだろうけど、中国の文章なんだから、意味あるでしょ。馬鹿にされてんだよ、言わせるな。2025/09/21 18:10:27524.名無しさんcum59>>507( ´,_ゝ`)プッhttps://youtu.be/v23H7NQ9LWE?si=ubYLctNw__GevZGv2025/09/21 18:34:26525.名無しさんlasgd共立一女子為王 名曰卑彌呼 事鬼道 能惑衆卑弥呼の鬼道は陰陽道や神道と関係が有るのか?https://www.youtube.com/watch?v=ggPFElfJEnkhttps://alachugoku.com/26400安倍晴明とか役行者のドラマに繋がると面白いなwww2025/09/21 19:32:01526.名無しさんG2Ndy皇紀というのは推古天皇9年の西暦601年から起算して辛酉革命説から来ている一蔀=21元=1260年遡った年を神武即位と捉えている辻褄合わせのために治世がおそろしく長い年数となっていて矛盾が噴出している天皇号は天武朝に出来たとされる伊勢神宮や斎宮の祭祀もこの天武が始めたのだが断絶して壬申の乱以前の天智系に皇位は移ることになったそのためにこの天武が建てた伊勢神宮には直接の血統は無いため明治期まで天皇が参拝されることは無かった神功天皇や応神天皇を祀る宇佐に神託を伺うのも至極当然である後白河法皇が熊野詣でを何度もするのも当り前である基本祖先を祀り参詣するのは当然だから血脈にない者でしかも敵対の上に断絶した者が建てた施設に参詣などはしない明治天皇はこの血脈から外れて居るから参拝していると思料される大室寅之助という長州の朝鮮部落の人間だという2025/09/21 19:48:44527.名無しさんon74K>>522そりゃ中国人は中国読みするからヒミコじゃねえんだよだが字は日本読みでヒミコ→卑弥呼が当てられるつまり日本人が当ててるんだろうな2025/09/21 19:55:40528.名無しさんA4LDF>>527だから、卑弥呼をhimikoと読むのは後の日本人であって、当時の中国人はそんな読み方していない。中国人が音に漢字を当てたのに、その漢字を日本語読みしたら中国人が当てた音とはずれてんだろ。魏志倭人伝の漢字を日本人が考えた!って妄想珍説はひど過ぎる。自分とこの女王に卑なんて当てないこともわからんのかよ。2025/09/21 20:10:11529.名無しさんTsrBn>>29215世紀に朝鮮で完成したハングル文字を基に江戸時代の誰かが神代文字というものを創作言ってんだよ日本にはひらがな、カタカナ以前には中国から入った漢字以外の文字は存在しませんって事2025/09/21 20:20:43530.名無しさんJrQiL神代文字はあったと思う土偶や銅鐸が跡形もなく消えたりするように日本は昔から切り替わったら前の時代の物はきれいさっぱり消して無かったことにしてしまう漢字採用の時点で神代文字は使用禁止になったんだろ2025/09/21 20:35:41531.名無しさんHuZGj卑弥呼の3文字目の「呼」は人名に使う文字じゃない気がする。つまり「卑弥」=「姫」と「呼」ばれた高位の女性、記紀で言うの女性の高官を表す「姫」の事で、ヒミコと呼ばれた人物はいなかった。何の矛盾も無し。2025/09/21 20:38:15532.名無しさんPtkiI>>530学者はアカデミズムが「正史」と信じる以外の文献はすぐ偽史扱いするからねカタカムナとか真面目に研究されたことすらない2025/09/21 20:40:54533.sageUUO0c>>396原因と結果の間にうまいストーリーが描ける=科学的、ではないぞよw2025/09/21 20:40:56534.名無しさんA4LDF>>529神代文字は、昔の遺品に刻まれた文字っぽい文様を日本に古くあった文字だ!と主張するような説だったはずだが。どっからハングル出てきた?2025/09/21 20:41:06535.sageUUO0c>>408日清戦争の時に日本が勝った支那人と今の中国人も別の民族になるかな2025/09/21 20:45:25536.sageUUO0c>>414はサッチャー首相マンセー!ってどこかで叫んでいそうだな2025/09/21 20:47:13537.sageUUO0c>>427は「結局何でもアリやねん」てことだな2025/09/21 20:51:15538.sageUUO0c>>448「資料に記されている」だけでは「決定的な証拠ではない」と言うのなら、北条政子だろうが西太后だろうがサッチャーだろうが2025/09/21 21:00:17539.sageUUO0c>>453「それが卑弥呼の墓だっていう決定的な証拠でもあるの?」2025/09/21 21:01:08540.sageUUO0c>>456元々書伝?であって口伝では無いと思う>>461いやそれを「物的証拠」と言うなよw2025/09/21 21:08:02541.名無しさんhcSSn例の北条政子の演説は歴史的に有名なので、原文に接してみたいと思って以前『吾妻鏡』を見てみたことがあったが、それについて書かれたところがすぐには分からない。じつは政子のことは「二位」と呼んでる。朝廷からそういう位階をもらってるらしい2025/09/21 21:10:10542.名無しさんPtkiI>>540古事記は口伝の集合体だぞ古代日本史スレで稗田阿礼の存在すっ飛ばすとは何事か2025/09/21 21:10:48543.sageUUO0c>>509人名に邪を使うのはいいのか>>530そんなこと言ったら日本にはありとあらゆるものがあった、コスモクリーナーDだってあったことになるぞw>>532自分が真面目に研究すればいいだけでは2025/09/21 21:12:34544.sageUUO0c>>542稗田阿礼は同時代の学者から聞かされた話を記憶しただけだが2025/09/21 21:13:37545.名無しさんhmWgRおい卑弥呼。みんなに色々言われてるぞ。お前も何か言ってやれよ。2025/09/21 21:39:55546.名無しさんA4LDF>>542ちょんのマンセーのための捏造ファンタジーだぞ。半島渡来人だったくせに、もともと日本を支配していたんだー!!と捏造。2025/09/21 21:51:56547.名無しさんPtkiI>>544それって要は口伝だよね>>540は「古事記は書伝」って読めるけど?ついでに言うと日本書紀自体は確かにそれまであった書伝をまとめたものだけどその元書伝はほとんどが口伝を書き起こしたものだから「天皇家がその始祖から先祖代々書き継がれてきた歴史書」なんて最初から日本には存在しないが2025/09/21 21:56:59548.sageUUO0c>>547山川日本史まで全部口伝だなw2025/09/21 22:01:02549.名無しさんA4LDF>>547口伝の意味をそもそも理解してねえんだな。何代にも渡って口伝えて伝承されたものが口伝。権力者が創作したファンタジーを暗唱するのは口伝とは呼ばない。2025/09/21 22:06:33550.名無しさんI3u1X世界的に王家の先祖はほとんど男神という中で女神というのは極めて珍しいこれは皇室の先祖に強力なパワーを持った女性がいたことを示す古代においては強力な魂は特に死後も大切にしないと災いをもたらすとされ、女神を永久皇祖神とする必要があった2025/09/21 22:15:51551.名無しさんA4LDF>>550豊穣伸が女神なのは世界的に普通。2025/09/21 22:17:41552.名無しさんTBbwh>>540埼玉県でワカタケル(雄略天皇)の剣は物的証拠だよ日本だけではなく世界的にも物的証拠と認められるものだけど逆になんで物的証拠じゃないと思うの?2025/09/21 23:23:07554.名無しさんOvz5Wワタルまで待ってて2025/09/21 23:30:58555.名無しさんTBbwh>>539すでに物的証拠はあるな。箸墓が卑弥呼の墓だとすると箸墓は「四段築成」天皇の古墳は「三段築成」当時の人々は「箸墓に眠っている女性は天皇よりも偉い」と認識していたのは明らか2025/09/21 23:32:48556.名無しさんTBbwh『日本書紀』では箸墓に眠る女性はモモソ姫でモモソ姫は「最高神の大物主神の妻」ということになってる当然、天皇よりも「最高神の大物主神の妻」のほうが格上なわけで実は『日本書紀』に登場する人間の中で一番偉いのはモモソ姫なんだよな2025/09/21 23:37:20557.名無しさんhHQ3Eレプティリアンだったから2025/09/21 23:39:55558.名無しさんTBbwh・『日本書紀』に登場する人間の中で一番偉いのは「最高神の妻」である箸墓に眠るモモソ姫・天皇の古墳は「三段築成」、箸墓は「四段築成」で、当時の人々は「箸墓に眠っている女性は天皇よりも偉い」と認識していたのは明らか古墳は物的証拠だから文献『日本書紀』の内容と箸墓の形状(物的証拠)が一致してることになる2025/09/21 23:41:47559.名無しさんTBbwh>>508神功皇后は仲哀天皇は架空の人物神功皇后のモデルの1人は卑弥呼なので年代を合わせにいってる崇神天皇が崩御したのが戊寅(198年)卑弥呼女王の独裁体制になったのが、199年仲哀天皇(架空の人物)が崩御したのが、200年神功皇后(架空の人物)が実権を握ったのが、201年2025/09/21 23:51:34560.名無しさんTBbwhまとめると正しい歴史はこうなるな西暦57年、筑紫の奴国王が金印「漢委奴国王」を授かったことにより、初代・神武天皇とされた。107年、第6代・孝安天皇(倭国王帥升)が漢に朝貢した。181年、タウポの破局噴火、世界的な大飢饉184年、卑弥呼が女王になる198年(『古事記』に戊寅と明記されてる)、タウポ破局噴火の影響で王位を失い卑弥呼をサポート役になっていた第10代・崇神天皇が崩御した。11代垂仁天皇と12代景行天皇と13代成務天皇は実在だが王ではなく、女王のサポート役だった。390年頃までは女王時代で、男王が不在の時代が続いた。男系男子王位継承は150~200年間くらい途切れてる。(14代仲哀天皇と神功皇后は、男王不在の時代を埋め合わせるための架空の人物)390年頃、男性の応神天皇が即位、男王制度と男系男子王位継承が復活した2025/09/21 23:59:57561.名無しさんJNWfU>>550それこそ女系でなくてはならないのにね仏教の影響で捻じ曲げたんだろうか?血統の話でも父親の遺伝子は子供に受け継がれるので直系であれば性別は関係ないわざわざYにこだわり出したのは何かしらの思惑があったのかな2025/09/22 00:01:17562.名無しさんlT9LN隋の歴史書には大和は魏志倭人伝の邪馬台国のことだと書いてある。2025/09/22 00:05:25563.名無しさんpGvSM>>561明治政府の捏造な。天皇プロパガンダと家父長制度。2025/09/22 00:25:54564.名無しさんFie3u>>562「邪靡堆」だな。大和というのは文字を使うようになってから決めたんだろうな邪馬台国の漢字は同じ2025/09/22 00:29:32565.名無しさんrXkei後漢の建武中元二年(57年)光武帝より漢委奴國王の金印を授かる(九州で発見)魏の景初2年(238年)邪馬台国の卑弥呼が使節を送り親魏倭王の金印を授かる(行方不明)東晋の義熙9年(413年)倭王讃(応神天皇?)使節を送る梁の天監1年(502年)倭王武使節を送る隋の開皇20年(600年)聖徳太子遣隋使を送る明の永楽2年(1404年)足利義満が日本国王之印の金印を授かる(行方不明)明の万暦24年(文禄5年/1596年)豊臣秀吉が金印を授かるも激怒して溶かすもし卑弥呼が天皇家に連なるなら金印で4種の神器になっていそう。後漢の時の国号が倭で、後の倭の五王の時に倭に戻っており、邪馬台国は消滅している。つまり九州王朝の神武の東征にやられたのが畿内王朝の邪馬台国だったのではないか?2025/09/22 00:31:47566.名無しさんhMapj>>519Bじゃねえって言ってる人おるよピミカ~ピミコじゃね?って。https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14343432292025/09/22 00:54:19567.名無しさんFie3u中国語、上古音系(鄭張尚芳の『上古音系』によるらしい、漢代の発音)卑彌呼 ぺっネクぁ (頭はPeです)邪馬臺 ヤマドゥ邪靡堆 ヤマトー上古音系、字表(検索窓に字を入れて検索)ttps://ytenx.org/dciangx/dzih/国際IPA記号読み上げサイト、北京官話(Mandarin)か広東語(Cantonese)でttps://www.capyschool.com/en/reader2025/09/22 01:36:28568.名無しさんpGvSM>>566「現代読み」ではBēimízǐ。とはっきり言ってんだろ。当時の発音は諸説あるのは知ってる。いずれにしても、日本語漢字読みでひみこだからー!ってやってんのはアホ。2025/09/22 02:04:20569.名無しさんsm8Fw>>275後生に作ったものではない2025/09/22 04:26:12570.名無しさんsm8Fw>>280メリットがあるから来た2025/09/22 04:27:27571.名無しさんjIysi>>567>>568そういうのズレてるからやめなよ亜米利加(アメリカ)仏蘭西(フランス)お前は、亜米利加をアベイリカ、仏蘭西をブッランニシ、と読むのかよ?当時の中国人が、卑弥呼をヒミコと発音しててもおかしくないよ2025/09/22 04:30:00572.名無しさんsm8Fw>>307違います 日本と同盟を組んで敵を挟み撃ちにするため2025/09/22 04:34:18573.名無しさんsm8Fw>>362全く違う2025/09/22 04:46:24574.名無しさんsm8Fw>>390小国が海渡って軍事協定結べない2025/09/22 04:53:25575.名無しさんsm8Fw>>392それだと当時の日本は強大な国だったことになる2025/09/22 04:55:11576.名無しさんsm8Fw>>402近年というか最近になって縄文、弥生の年代が以前と全く違ってきた2025/09/22 05:00:29577.名無しさんsm8Fw>>424属国にするためにわざわざ来ない2025/09/22 05:05:23578.名無しさんsm8Fw>>454それならわざわざ来ない 記述もしない 重要な任務で来ている2025/09/22 05:14:15579.名無しさんsm8Fw>>460一旦統一して外交にあたったが、その後戦乱に戻り、また、統一された中国が不安定になって戦乱になるのと同じ2025/09/22 05:18:50581.名無しさん2WFr7>>561女系=女ではないぞ例えると愛子内親王は男系でその子供が性別に関わらず女系となるならその子供から見て母系=女系は1代目は愛子内親王その前は雅子皇后じゃその前は雅子皇后の母親そのまえはまたその母親とおそらく幕末あたりで遡ることは不可能だと思うよ2025/09/22 06:50:58582.名無しさん2WFr7そして例えば英王室ここは宗教が密接に絡んでいてカトリックの直系跡取り娘を即位させずにプロテスタントの外国にいた傍系のおっさんを王として迎えた経緯があるこういう事はまったく説明せずに都合いいとこだけ抜き取るのは良くないよね英王室はプロテスタントでないと直系の跡取り娘より外国にいる傍系のおっさんを即位させるくらい宗教が即位に優先事項であると説明しないんだからさ2025/09/22 06:59:23583.名無しさんw2mEuひたすら妄想を垂れ流すスレになったな。せめてその妄想に至る根拠を示せよ。2025/09/22 07:33:18584.名無しさんGGzACまぁ歴史って買った方が都合よく捻じ曲げちゃうのは事実2025/09/22 07:45:54585.名無しさんDu8vn流石に聖徳太子の方が有名だろ?2025/09/22 08:45:01586.名無しさんXMzLWまぁでも世界中で共通している侵略と征服支配ではない謎の統治法が日本にはあったんだろな文字で記録して伝達しなくてもいい統治しなくてもいい何かが2025/09/22 08:48:43587.名無しさん3cclkなぜ、正史の記紀に記載がないかは、邪馬台国や卑弥呼の存在が大和王朝の始まりに都合が悪いからだったとしか思えない。とはいえ、邪馬台国と大和王朝は全く関係ないかは不明。卑弥呼の死亡時に皆既日食があったらしいが、神武天皇の祖である天照大御神の天の岩戸伝説との類似性は無視出来ないと思う。2025/09/22 09:21:06588.名無しさんwaxdHそこに気がつくとは天才か2025/09/22 09:24:11589.名無しさん76E0t>>587いや単純に時代が離れてるからだろ記紀が編纂された8世紀初頭の時点で500年近く前のしかも文字もなかった日本の3世紀前半の出来事がまともに伝わっていたとは思えない今の俺らでいえば戦国時代の何の記録も残ってない人物を論評できるかって話だ2025/09/22 09:54:39590.名無しさんABHar神功皇后だったりアマテラスだったり。卑弥呼さんも大変だなw2025/09/22 10:31:52591.名無しさんpLVkS>>590同時代にこれだけの女傑が生きていたとは考えにくいので同一人物かもしれないが3人のキャラが被らないんだよな2025/09/22 10:42:38592.名無しさん76E0t>>591そもそも天照大神って「機織り小屋に出入りしてたからおそらく女神」と解釈されてるだけで古い記録のどこにも性別は明言されてないそうだね2025/09/22 10:53:18593.名無しさんFkI6t邪馬台国はどこかなんて大した意味ないよな何をそんなにムキになってるのかさっぱりわからん真偽もなにもかもはっきりしない書物だけをたよりに何十年引っ張ったら満足するのか知らんけど2025/09/22 11:11:30594.名無しさんYLVNz考古学的にも日本書記の記述でも国際関係でも証明出来る飛鳥時代の女帝としては斉明天皇が有名だな・・・https://www.youtube.com/watch?v=w2Ijd4JDTc4https://www.youtube.com/watch?v=O9-Xpkzy2ro2025/09/22 11:24:04595.名無しさんLBE21俺の認識では①卑弥呼が北部九州に邪馬台国を作った。②魏が金印とか銅鏡を贈った。③卑弥呼が死んで邪馬台国は衰退した。④大和朝廷が奈良に誕生した。天皇皇族の始まり。こういう順番なんだが、何か問題あるのか?2025/09/22 12:02:03596.名無しさんqfzUb>>5ですよね、大日?貴命を中国語で蔑称として書き直したのが卑弥呼ですよね、アイツら必死に日本人を差別するもん罵詈雑言4000年。2025/09/22 12:14:19597.名無しさんqfzUb>>595北部九州は当時も文明が発展してて既に神功皇后とかいらっしゃったから、皇族ですら無い卑弥呼とかいないよ。山田国だったとか山奥の人が言うけど、そんな所には文明のかけらも無い。だから佐賀や山口の秘境の可能性しか残らない。贈り物の奴隷を中国まで運べないといけないからね、野蛮な一族だろ。2025/09/22 12:21:01598.名無しさんB7YXoどうして卑弥呼と神功皇后を同時代にしたがるのやら。2025/09/22 12:29:04599.名無しさんLBE21>>597山口の美祢まわりが秘境であることは否定しない。美祢線乗ったことあるが、あれは黒部峡谷鉄道に匹敵するw佐賀とか福岡平野部は山はあっても険しくない。農耕集落があっても不思議じゃない。文明が発達してたかは知らんが。2025/09/22 12:34:16600.名無しさんqfzUb>>598所詮中国の三国志時代で滅んだ国の歴史の下書きを書き写したものでしょ。古い古い言ってるだけの荒っぽいコピー文書。2025/09/22 12:35:12601.名無しさん76E0t>>595①魏志によれば倭では六十余りの小国(後の律令国と混同か?)に分かれて争っていたが女王を盟主として戦争を終わらせることができた(女王の居場所のは書いてない)③魏志によれば女王は入貢から数年で死に、倭は再び乱れたがやがて別の女王(イヨ?トヨ?)のもとで戦乱が収まった④記紀によればヒコホホデミはもともと日向国高千穂の王で軍勢を率いて東征し、大和の国橿原の地に至って都を築いた考古学的には6世紀までに筑紫(九州)、吉備(山陽)、出雲(山陰)、毛野(関東)の有力豪族による連合政権が誕生したという説が有力天皇の呼称自体は7世紀の40代天武天皇もしくは8世紀の44代聖武天皇から2025/09/22 12:36:03602.名無しさんqfzUb>>599山口に調査もされない古墳が大量にあるのは卑弥呼の墓を隠してるって言われてるよな。2025/09/22 12:40:39603.名無しさんLBE21>>601その女王が卑弥呼ってわけだな。魏志には”卑弥呼”の呼称の記載は無かったのかな?2025/09/22 12:42:41604.名無しさん76E0t>>603魏志によれば倭の女王からの朝貢が何度かあってそのうち1回に金印を授けたとあるわけだが1度だけ書かれている「卑弥呼」が女王の名前だと一般には解釈されているねただ卑弥呼の国とかいう呼称で書かれてはいないあくまで倭にある「女王の国」2025/09/22 12:46:15605.名無しさんqfzUb>>601神武東征も既に饒速日命が先に統治していた地を戦わずに譲り受けただけだからね、朝廷は名乗ってないけど天孫族は日本の関西九州は最初から支配してたんだろう。卑弥呼の時代も神武天皇の時代も戦争のない安定した時代だったようだ。魏は日本をバカにしてウソばかり吐いていると思われる。戦争は無かった。2025/09/22 12:49:14606.名無しさんqfzUb>>603魏志って言ってるけど魏志を書いた人が倭人伝の下書きを書いていたってだけだからね、他所の国の話を正史には加えられないから。後に魏志倭人伝となった。2025/09/22 12:51:55607.名無しさんLBE21>>601④が眉唾だな。東海地方をすっ飛ばして関東ってのは遠すぎる。せいぜい名古屋あたりまでじゃないかね。九州から奈良までってのも、いいかげん遠いし。いずれにしても大和朝廷は日本全国を統一してたとはとても思えない。勝手に王朝を名乗ってたに過ぎないと思う。2025/09/22 12:52:47608.名無しさんpvBUR基本的に中国や半島では血肉を争い勢力の移り変わりが激しいから一部の勢力や文化人が日本へ逃げ込んで帰化したことで文化を発展させた事が大きいそうしたことから、いずれ大陸からの勢力が進出してくると考え大和朝廷を中心にまとまろうと努力したのが3世紀後半から7世紀の間に起こったことだろ倭の五王の時代にははっきりした大和朝廷の勢力が明らかになっていない2025/09/22 13:05:00609.名無しさんLBE21>>605魏があったのは中国春秋戦国時代、キングダムの時代が卑弥呼の時代だよね?中国人は三国時代も戦争しまくりだから、「きっと卑弥呼は殺しまくって制圧したに違いない」と勝手に想像したんじゃないかね。で、日本にはそんな血の気の多いことはなく友達の友達~wって感じで言葉が広がっていっただけなんじゃないかと思う。中国みたいな殺し合いなんかしてたら人口もたねえよwで、奈良で大きな都が出来た、と。2025/09/22 13:05:35610.名無しさんUJDDe魏志倭人伝が創作だった可能性もあるし2025/09/22 13:12:22611.名無しさんLBE21>>610”伝”だから噂話レベルだろうね。ただ、金印という実物がある以上、ある程度は信じられるかなと。2025/09/22 13:18:18612.名無しさん76E0t>>607記紀の『日本武尊』伝説では相模もしくは駿河に荒ぶる神(大和朝廷に従わない大豪族)がいてタケルはこれに焼き討ちをかけた(静岡県 焼津市)というこのとき延焼を防ぐために剣で周囲の草を刈った(『草薙剣』)その後、タケルは上総国(千葉県)まで平定した(常陸国(茨城県以北)は記紀成立時期にはまだ日本ではない)が毛野から信濃を通って帰国した(このとき失った嫁を想って涙を流したのが群馬県嬬恋村)とされている2025/09/22 13:19:57613.名無しさんYLVNz大化の改新とか白村江の戦いとか7世紀にも色々あるのだなhttps://rekishi-soushi.com/japan/battle-of-baijiangkou/https://www.youtube.com/watch?v=qwB9xIwO6Rwそして天武天皇系の日本書記が編纂されるのだな・・・2025/09/22 13:26:56614.名無しさんLBE21>>612まさに神話ってやつだなw想像、創作の域を出ない。ギリシャ神話やキリスト神話みたいなもの。だが嫌いじゃない。天皇家が三種の神器を大事にまだ持ってるあたり、まさに”神秘的”むしろ好き。俺は無神論者だけど、一番好きなのは神道だなあw2025/09/22 13:28:38615.名無しさんpvBUR>>611ちゃんと九州を中心に遺跡からの出土品があるでしょ3世紀後半になると、大陸の情勢もあって交流が減り、国内で鏡の複製品が大量に出回ったことで歴史が混乱してただけで2025/09/22 13:29:35616.名無しさんVEE2y>>607古墳の浸透は東北まであるから統治とは違っても文化の交流はあったんじゃないかな?古墳の形状から2つの勢力があったらしいし2025/09/22 13:41:49617.名無しさん76E0t>>614もちろん眉唾ものだしかし橋を作る能力も造船技術も低かった古代において大河の多い東海道が、軍勢を率いての行軍がしにくい地域であったのは事実だろう例えば10世紀半ばにおきたとされる平将門(本拠地は上総国佐倉)の乱においても朝廷からの鎮圧軍は東山道(近江-美濃-信濃-上野-下野)を通って南下している大和朝廷の勢力拡大にあたって東海道の平定が北関東よりも遅くなったとしても荒唐無稽な話ではない2025/09/22 13:47:26618.名無しさんPRfNy卑弥呼は大昔のファンタジー小説だからです実在するわけがない2025/09/22 13:49:55619.名無しさんqfzUb>>614ヤマトタケルがシシガミの冷凍ビームで亡くなって白鳥になって飛んでいったとかロシア民話のパクリだからね。イソップ寓話に近い。宗教とかとんでもねーわ。2025/09/22 14:07:50620.名無しさんh4AEB>>607471年 稲荷山古墳出土鉄剣(雄略天皇)716年高句麗からの亡命民に土地を与え、高麗郡(埼玉県西部)が成立。雄略なら関東程度は暴れてておかしくない2025/09/22 14:28:08621.名無しさんpGvSM>>571お前ほんと馬鹿だな。日本人が作った当て字と中国人の当て字の区別もできてない。2025/09/22 15:30:12622.名無しさんpGvSM>>581DNA検査しろよ。男系たどれるのはせいぜい昭和じゃね。大正は梅毒だの、脳障害で低能だったり、ひどいもんだぞ。2025/09/22 15:32:43623.名無しさんpGvSM>>585聖徳太子は実在しないから教科書から消そうとしたけど、アホな感情論素人が、聖徳太子は有名だから残そうよ!と喚いていったん残された。2025/09/22 15:34:08624.名無しさんpGvSM>>618古事記日本書紀が、ちょんのー正当化のための創作ファンタジーだぞ。2025/09/22 15:35:01625.名無しさんvp19o自然神としての太陽神→太陽神(男神)=アマテル=ニギハヤヒと同定、この太陽神の世話する巫女がヒミコ=日巫女・日御子、要するに個人名ではない。アマテルを祀る神社にはそれぞれのヒミコがいた。ヤマタイ国かヤマイチ国か、そこでも太陽神が祀られ、時々神憑りにより神託を告げるヒミコをトップに「祭り上げ」神輿に乗せた格好で「弟」とやらが実質トップとして国を動かしていた。日食=日蝕により太陽神復活の儀式のためヒミコは頃され、「弟」が実権を握ったが上手く行かなかったので「次のヒミコ」=「トヨorイヨ」を神輿に据えた。ヒミコの墓は宇佐神宮の地下、というかヒミコの墓の上に宇佐神宮が創建されたと思う。比売大神とは代々のヒミコ=日巫女=日御子(その中にいわゆる卑弥呼も含まれる)であり彼女たちが後に様々な女神のモチーフになったのだろう。2025/09/22 17:00:54626.名無しさんYLVNz日本書記では日本最初の女帝は推古天皇ってことか?https://www.youtube.com/watch?v=YQtwgSMhs6I2025/09/22 17:35:16627.名無しさんUITiN>>623聖徳太子って名前がカッコいいもんなw一時期、札の絵柄にもなったし。実際には誰かの創作の架空の人物であったとしてもそれが多くの人に認識された。創作だろうがどうでもいいと俺は思う。過去の話なんだし。2025/09/22 19:40:11628.名無しさん76E0t>>623むしろ大山誠一信者がまだいたことに驚いたわその大山だって厩戸王の事績が後世の創作だと言ってるだけで存在自体は別に否定していないのに2025/09/22 20:02:15629.名無しさんpGvSM>>627歴史は過去の事実、少なくても事実と考えられていることを教えるもので、創作物を教える科目じゃねえぞ。2025/09/22 20:26:56630.名無しさんpGvSM>>628時代遅れのじいさんは情報アップデートしとけ。「聖徳太子」と私たちが呼んでいるこの名前は、彼の本名ではありません。これは彼の功績を称える人々が後世になり彼に贈った名前で、贈られた人物の名は「厩戸王(うまやとおう)」。たしかに「厩戸王」はいましたが、厩戸王が今日に伝わる「聖徳太子」そのものの活躍を実際にしたのかとなると、話は変わってきます。聖徳太子が行ったとされる数々の偉業と彼との関係をあらためて調べていくと、「意外な結果」へとたどりつくのです。彼の行ったとされる実績は「冠位十二階の制定」「憲法十七条の制定」「国史編纂」「遣隋使の派遣」「仏教興隆(三経義疏、法隆寺・四天王寺の建立)」など、こうして書き連ねるだけで膨大です。冷静に考えて、「これらをひとりの人物がすべてやったとは考えられない」というわけです。https://toyokeizai.net/articles/-/1187962025/09/22 20:29:42631.名無しさん76E0t>>630呼称のことなら古いのは厩戸王、上宮(かみつのみや)、豊耳聡命あたりかな?まあ菅原道真だって生きてた頃に天神様とか天満様とか呼ばれてたわけではないしな天皇のおくり名だって死んでからつくんだし別におかしなことではないだろう昭和になってからいきなり「美濃のマムシ」になった斎藤道三に比べればいくらかマシだ事績もそりゃ一人でやったわけはないしもし一人でやってたら部下は何のためにいるって話だろうそもそも皇族が自ら木材背負って寺の普請したなんて誰も思ってないし現代の政治家だって一人で法案作ってるわけではない何が言いたいのか分らん記事だな2025/09/22 20:40:12632.名無しさんUITiN>>629正直、いつ、誰がやったのかってことに意味は無いと思う。大事なのは「なぜ、そうしたのか」だ。教科書ってのはそこに対する考察、掘り下げがあまりに浅いと思う。2025/09/22 20:40:39633.名無しさんh482r>>435神武の居たとされる2600年前は弥生時代なのは明らか神武が127歳まで生きたと言うのも明らかに捏造2025/09/22 21:01:12634.名無しさんh482r>>461それ21代天皇15代から実在したと言う説もあるが26代から実在したと言う説もあるいずれにせよ初期の天皇は捏造2025/09/22 21:06:39635.名無しさん76E0t>>634もしかすると何かしらいたのかもしれないが事績が何も残ってないのに100年以上大王やってたとか140歳まで生きたとかそもそも即位した時点で99歳だったとか捏造というにも杜撰すぎだわなむしろ当時話を創った連中も半笑いだったろあれ2025/09/22 21:15:12636.名無しさんNMinX聖徳太子知ってる?2025/09/22 21:20:50637.名無しさんvWYAo>>630後世の人間が送った諡号だから聖徳太子と生前言われていたわけではないので居ないということだなそれなら弘法大師も諡号だから居なかったということだな彼の業績も各地に残る伝承も膨大で全部ひとりの人物がすべてやったとは考えられないからな2025/09/22 21:26:35638.名無しさんpGvSM>>631アスペかよ。厩戸王は実在した。厩戸王は後世になって聖徳太子を呼ばれるようになった。しかし、聖徳太子の業績とされる「冠位十二階の制定」「憲法十七条の制定」「国史編纂」「遣隋使の派遣」「仏教興隆(三経義疏、法隆寺・四天王寺の建立)」はやっていない。それらを別の誰かが一人でやったということもない。だから、そのような業績をやった人物としての聖徳太子は実在しない。2025/09/22 21:41:30639.名無しさんpGvSM>>632いつ、誰がやったかは歴史的事実の一部。歴史的事実に反する考察なんてしても的外れの妄想ファンタジー。考えが浅いのはお前だよ。2025/09/22 21:44:05640.名無しさんgWW6zそらあクフ王のピラミッドはクフ王が石ころ一つ持って建設に参加したという証拠がないから建設していないというのと同じだ2025/09/22 21:45:44641.名無しさん76E0t>>638えーと平将門を討伐した藤原秀郷は実在したが三上山を七巻半する大百足はいなかったから俵藤太は実在しない、みたいな話かな?下らんね屁理屈覚えたばかりの小学生は喜びそう2025/09/22 21:47:26642.名無しさんpGvSM>>641冷静に論破されて発狂してんのがみっともない。厩戸王と記述するべきである。「冠位十二階の制定」「憲法十七条の制定」「国史編纂」「遣隋使の派遣」「仏教興隆(三経義疏、法隆寺・四天王寺の建立)」を聖徳太子がやったというのは事実に反するから抹消が必要。合理的で明快。2025/09/22 21:51:14643.名無しさん9Pnoe日本の書物にも載ってないない外国の書物にちょっと載ってるような実在するかわからん奴に何で熱狂してるんだ?2025/09/22 22:01:53644.名無しさん76E0t>>642足利義政や日野冨子と表記してはいけない源義政に裏松冨子である日光東照宮を造ったのは宮大工の棟梁 甲良宗広であって征夷大将軍 徳川秀忠ではない、という話だな?単純明快に下らん2025/09/22 22:07:11645.名無しさんpGvSM>>644藁人形叩きは敗北宣言。>日光東照宮を造ったのは宮大工の棟梁 甲良宗広であって征夷大将軍 徳川秀忠ではないなんて誰も言っていない。馬鹿でかわいそう。2025/09/22 22:11:01646.名無しさん76E0t>>645冷静に論破されて発狂してんのがみっともない。藁人形叩きは敗北宣言。2025/09/22 22:14:45647.名無しさんpGvSM>>646藁人形叩きは明らかな詭弁。詭弁喚いてお前のどこが、>冷静に論破してんだよ?頭悪すぎ。2025/09/22 22:18:17648.名無しさんa15D0伊勢神宮にしても大神神社にしても、1000年、2000年前に作られた神社が今もあり、今も古代からの祭祀が続いてるなんて、それだけでもすごいと思うわ。天皇だって、1000年以上の昔から続いてるって、こんな国日本だけ。これは日本が誇るべきところ。2025/09/22 22:18:19649.名無しさんpGvSM>>648ちょんのーにお辞儀したオバマはアメリカ国内から屈辱的だと非難された。チョンノーに対する世界の評価なんて、頭下げる価値ないごみ。2025/09/22 22:20:05650.名無しさんsm8Fw>>472そんなこと言ってたら写真や映像がないもの全て疑わしい2025/09/22 23:01:05651.名無しさんa15D0>>649アメリカ大統領でも天皇陛下には敬礼する。オバマはあまりに敬礼が深すぎて非難された。韓国大統領に敬礼するVIPいないでしょ。せいぜい握手まで。2025/09/22 23:41:09652.名無しさんpGvSM>>651敬礼しねえぞ、デマ吐きカス。トランプは肩をぽんぽんたたくだけ。トランプ大統領、お辞儀なし 右腕2回軽くたたいて別れ惜しむhttps://www.sankei.com/article/20171106-GIPRXTCJUJKUPBFUTQSZFDZCTY/2025/09/22 23:46:24653.名無しさんpGvSM>>651 両陛下は平成21年11月に初めて来日したオバマ米大統領(当時)と、御所で昼食をともにしながら懇談された。両陛下と面会した際、オバマ氏は深々とお辞儀したことが、米保守派から「低姿勢過ぎる」と批判を受けた。 一方、この日のトランプ大統領は御所の車寄せで両陛下と握手を交わしたが、お辞儀はなかった。御所を後にする際も同様だったが、大統領は皇后さまに「(夫人の)メラニアは皇后陛下を大変尊敬しています」とあいさつをし、陛下は大統領に「また日本にいらしてください」と応じられた。 大統領は、見送りに出られた両陛下と再び握手を交わした後、左手でそれぞれ両陛下の右腕を2回、軽くたたくようなしぐさを見せ、別れを惜しんだ。専用車に乗り込む前には、大統領夫妻が記者団に手を振る場面もあった。https://www.sankei.com/article/20171106-GIPRXTCJUJKUPBFUTQSZFDZCTY/3/2025/09/22 23:47:49654.名無しさんPRfNy卑弥呼→大昔の作家が書いたSF小説日本書紀→大昔に複数の作家が共同で書いたSF小説古事記→あたおかな作家が書いた基地○の小説キリスト→大昔の作家が書いたSF小説イスラム→キリストのSF小説を読んだ人が書いた2次創作の小説2025/09/22 23:48:45655.名無しさんayxYm支那人の勝手な作り話しだ日本にそんな重要人物の記録や伝承、遺跡・遺物が何1つ無いこと自体がおかしいんだよ卑弥呼神社も存在しないし2025/09/23 00:21:00656.名無しさんwvcBh>>654明治維新 → 西洋かぶれが日本を破壊2025/09/23 06:03:43657.名無しさんJGHyW>>623厩戸皇子は実在したのよ、聖徳太子みたいな超能力者がいなかったのよね、空海や安倍晴明とかも歴史の1ページなんだから。2025/09/23 07:01:11658.名無しさんEKyaw>>648いいことか悪いことか分からんけどなんかロマンは感じるね。2025/09/23 07:46:57659.名無しさんO0MEbなお中国共産党が魏志倭人伝の卑弥呼を日本侵略の大義名分に使い始めることを決めてから旧に日本でも邪馬台国と卑弥呼の議論が始まったつまり中国共産党にしかけられた可能性は非常に高い2025/09/23 08:12:29660.名無しさんwYP3F>>659ソース出せよ2025/09/23 09:51:50661.名無しさんTtH5s卑弥呼が亡くなったのは、中国の歴史書『魏志』倭人伝の記述から、西暦247年から248年頃とされています。この時期は、日本列島において弥生時代が終わりを迎え、古墳時代が始まる移行期にあたります。特に、奈良県桜井市にある箸墓古墳は、3世紀半ばに築造された国内最古級の巨大な前方後円墳であり、一部の学説では卑弥呼の墓である可能性が指摘されています。『日本書紀』の神功皇后摂政39年の条には、『魏志』倭人伝の記述が引用され、卑弥呼が魏に使節を派遣した239年(景初3年)の出来事が記されています。2025/09/23 10:43:08662.名無しさんLW8A0おまえら爺さん婆さんのことを思い出してみろあれは父方の爺さんがやったとか婆さんがやったとか、あの家は爺さんが建てたとか昔のことは全部爺さんになるからその中にはひい爺さんがやったこともあるで、後から計算すると爺さんは140年生きたことになるよくある話2025/09/23 11:09:08663.名無しさんRAGyn>>654卑弥呼にSF要素有ったか?ファンタジー小説にしておけ。2025/09/23 11:11:59664.名無しさんCdKuH古くから大陸側で発展した文化は当時は先進国家であったことは間違いないしかし、中国の国家は何度も滅ぼされ、正統な歴史を引き継いでいない一方、中国から免れ日本に定着した民族により発展してきた天皇は古代からずっと歴史を引き継いでいるつまり、中国4000年の歴史を受け継いでいるのは日本であり、現在の中国は他民族に乗っ取られた疑似政権でしかない2025/09/23 11:14:26665.名無しさんNZ0FYテレビアニメの鋼鉄ジーグでは卑弥呼は悪の女王だった。2025/09/23 11:20:51666.名無しさん5IDLj受け継いでるってほど、最近の日本は熱心に漢文やってないじゃん2025/09/23 11:29:46667.名無しさんI9iQR>>664そんな与太話から戦前は大陸に関わって泥沼に入っていったんだよ日本の国是は脱亜。大陸から離れるほど豊かな文化になるんだよ2025/09/23 11:51:40668.名無しさんXuNH2当時を想像すりゃぁ卑弥呼はシャーマンって位置なんだよね?信仰されていただろうし王が居ても国を動かす指示は卑弥呼がやってたろう中国から言葉通じない国の話だから卑弥呼が日出る国の女王って伝言ゲームになってもおかしくない実際は弟が居たのか、子供が居たのか、天皇なのか?天照なのか?全ては歴史のミステリーのままなんだよねぇ卑弥呼と呼称される女性は実在したそれだけで良い訳よ、初代天皇との絡みは謎のままだが日本って国は天皇家の歴史が日本の歴史で遠い昔から続く国家ってのが大事2025/09/23 12:14:26669.名無しさん9JqQp中国の絶頂期て古代のみ。発明、発見なんて近代以降は何も無い。自慢の経済も人口ボーナスのゴリ押しだけで、特に目を引く技術も無く、他の途上国で代替可能な物しか無い。そして現在は超絶不況で中国がどうなるか分からん状態。むしろ経済破綻で、全世界に恐慌を呼ぶ可能性が高い。中国最大の兵器は経済爆弾かもな。2025/09/23 12:17:10670.名無しさん9JqQp>>668謎のままの方が夢が有るよな。辺境小国にいた変なババアと判明しても、誰も喜ばんw2025/09/23 12:19:17671.名無しさん0BiiEつhttps://youtu.be/YsAt1kT6jPg?si=J68x_0Qoz-VY4wPS2025/09/23 12:59:32672.名無しさんH2Y8u魏志は280~297年(三国志時代直後)に中国人の陳寿が書いたもの。倭人伝は魏志のおまけに書かれていただけ。しかも伝聞。どこまでホントかは確かに怪しい。佐賀、久留米あたりの北部九州に魏に使者を送った大きな勢力があったてことぐらいは推測していいかも。古事記、日本書紀は日本人が書いたもの。ただ、書かれたのは712年、720年であり、皇室関係のことしか書かなかっただけでは。だから卑弥呼が出てこない。ていうか、この当時の年の記録なんてまだまだアテにならないんじゃないかな、と。201~269年は神功皇后が摂政政治をやった時代と書かれているけど、書かれた時から500年も前のことなのでどこまで信用していいものやらちょっと怪しい。まあ、「中国人は神功皇后を卑弥呼と呼んだ」でいいんじゃね?「シンコー」を「ヒミコ」と聞き間違えたか、ワザと文字をあてただけだろ。または当時の使者が無能だったかだなw2025/09/23 13:19:47673.名無しさんJGHyW>>667ですよね、5族共和大東亜共栄圏とかデタラメを信じ込んで日本兵は特攻していった。なんでそんなことを信じたんだ。アキラメロン。2025/09/23 13:28:24674.名無しさんKyyL5倭国に行った魏使の報告の公式文書から陳寿は書いてるんだよ2025/09/23 13:52:05675.名無しさんMNN5v>>674魏国側から倭国には行ってない倭国側が出した使者から聞いた記録があるだけ2025/09/23 14:05:19676.名無しさんbTg24どっちが正しいんだよwこの程度の認識すらすれ違う。異国の他言語の記述とか、電報遊びみたいな事になってるのだろうな。2025/09/23 14:46:09677.名無しさんJGHyW>>676正史じゃないから、色々混ざってるのよ。旅の起点が東西南北コロッコロ変わって一定してないし。共通の敵が朝鮮高麗で軍事力で挟み撃ちにするために日本と交易したってのまではわかってる。ワザと誤魔化してる可能性すらある。2025/09/23 15:14:57678.名無しさん3AQIK>>657何周も遅れたレスすんな。とっくにやってる話題だから読み返せ。2025/09/23 15:19:12679.名無しさんCdKuH>>668いや違う、漢の後ろ盾を失った王が求心力を失って内乱が勃発した多くの国をまとめるだけのカリスマを持った存在がなく、争いが収まらなかったため女王を立てることで100国あまりのうち30国がまとまり国々を落ち着かせようとし、新たな覇者である魏と組んで復興しようと目論んだこの場合女王はほとんどお飾りの存在と考えるのが妥当2025/09/23 15:57:41680.名無しさんCdKuH>>675それも間違い狗奴国との闘争が収まらず、魏に救援を求めた魏は軍ではなく、塞曹掾史の張政を遣わし卑弥呼が亡き後の混乱を鎮め卑弥呼の宗女壹與の使者とともに帰還している2025/09/23 16:02:51681.名無しさんdCVV8日本で魏の存在なんて希薄所か、微塵も存在感無いな。どこか他の地域と間違えて無いか?邪馬台国て日本の話かも胡散臭い。2025/09/23 16:06:06682.名無しさんCdKuH邪馬台国事態が魏志倭人伝の話なんだが2025/09/23 16:10:45683.名無しさんdCVV8ファンタジー小説で決まりという事でw2025/09/23 16:17:42684.名無しさんrB0wuちょっと横道から始めると。天武天皇・持統天皇そして藤原不比等。この3人の思惑が上手いこと絡み合って出来上がったのが日本書紀だと言える。自分のクーデタを正当化しつつ、天皇が日本を治める体制を確立したい天武。何がなんでも自分の子である草壁皇子を次期天皇にしたい持統。絶対に天皇になれない血筋の自分とその子孫が日本の権威と権力を握り続けたい藤原不比等。だが草壁皇子が早世したから大慌て。そこで考案されたのが○天皇は最高神の直系という権威付け○女神の太陽神アマテラスの創造と天孫降臨神話でアマテラス=持統、ニニギ=後の文武天皇をリンク。そして不比等は、○天皇は男系継承の原則を作成=天皇に男子が生まれたら藤原家の娘を嫁がせ、その男子を藤原家が育て、長じたら藤原家の娘を嫁がせ天皇にさせ、その天皇から男子が生まれたら藤原家の娘を以下略。これを確立するために初代神武からの男系の系統を作成した。○天壌不朽の神勅以上の点を確固たるものとするという宣言もうこの時点で、それ以前の歴史なんて何が正しいのか良く分からないのも仕方ないよなあと思う。ヤマトは神武王朝という自分達とは別系統の王朝の歴史を奪い去り(先代太陽神アマテル=ニギハヤヒか)、恐らくは蘇我王朝の事績を消し去り(祟りが怖いんで聖徳太子という超人作っちゃいました、あと素戔嗚尊も活躍させました)、ちな応神天皇由来の天武王朝(だから道鏡事件で使者は宇佐神宮へ行った)も短期で滅びた。記紀編纂部隊は、魏志倭人伝から邪馬台国の存在は知ってたと思うが、モチーフに採用した形跡は見当たらないかな。編纂の調査時点で影も形もなく逸話も残ってない、あるのは魏志倭人伝だけでは拾いようがなかったかな。邪馬台国モチーフの話がない時点で畿内説もないと思うんだよねえ。前述の通りアマテラスは8世紀の創作なうえ重要なのは「天孫」の方であり、「天孫」の権威に正統性を与えるために創作されたのがアマテラスである以上、「天孫」に相当する存在がいない邪馬台国と女王ヒミコはヤマトのモチーフとしては使い道がない。むしろ倭国大乱で力をつけ、畿内から九州に向けて侵攻を進めてきたプレ=ヤマトのプレッシャーに対抗するため、邪馬台国は魏に使者を送った、と考えた方がしっくり行く。これが逆に邪馬台国が畿内にいて九州から攻められたら、どうやって使者は大陸に渡るんだよってなる。さて現在の天皇家は、恐らくは継体天皇以来の系統と考えられるが、こんなんハッキリとは断言できる環境ではない。我々は何時までも邪馬台国で大騒ぎしている場合ではないと個人的には考えている。ロマンは分かるんだけどね。日本史最大の闇は、天武・持統と藤原不比等による歴史改竄、というより歴史と神話の「創作」だ。なぜ三種の神器である八咫鏡と草薙剣は祟りを起こして宮中から叩き出されたのか。なぜ最高神天照皇大神を祀るとされる伊勢神宮内宮は「怨霊封じ」の配置をしているのか。いい加減「ヤマトの闇」に光を当てねえと、と思う。因みに、記紀を読む限り、応神天皇の父親は建内宿禰だろこれ。さあ、万世一系を取るか、男系継承を取るか。2025/09/23 16:21:56685.sageOnyom>>611紀と伝の違いくらいしかない2025/09/23 18:01:48686.sageOnyom>>681うむ、混ざってる可能性はないわけではないがいずれにしても、魏と交渉を持たなかった勢力がのちの大和政権を作ったのだろう2025/09/23 18:20:23687.名無しさんwYP3F金印なんか偽物やろ2025/09/23 18:35:24688.名無しさんXniL9>>684別に邪馬台国であれやこれや言うのは面白くていいと思う。日本の文書記録が700年あたりの古事記と日本書紀しかない以上、想像するしかないからね。男系にこだわる理由って何?今まで何回も女帝っているじゃない。俺はどっちでもいい。「民を苦しめぬよう、消費税を廃止せよ」と言ってくれるならどっちでも。2025/09/23 20:57:24689.名無しさんwpPN8次の為政者に都合の悪い存在だったってだけだろ?w邪馬台国は茨城で鹿島神社周辺にあったとボソりたいw2025/09/23 20:59:32690.名無しさんEWmjpまさかこんなスレにも女帝=女系と勘違いしてるのがいるのかね?2025/09/23 21:59:36691.名無しさんTtH5sで、飛鳥時代の女帝と卑弥呼は男系で繋がっているのか?https://www.kk-bestsellers.com/articles/-/9332/古墳時代の天皇として特に有名なのは、応神天皇と仁徳天皇です。ただし、古墳時代は「天皇」という呼称がまだ定着しておらず、「大王」と呼ばれていた時代であり、これらの天皇の実在性や業績には諸説ある点に注意が必要です。https://tsushin.bukkyo-u.ac.jp/crosstalk/43902025/09/23 22:59:31692.名無しさんiFIEb大仙古墳の異常な大きさは、当時最大勢力となった大和政権が威信を示す為に建造したのだろうな。面白いのは古墳や銅鐸等は大和政権以外の豪族も競うように作っている点。建築方法や様式を広めている技術者がいたとしか。2025/09/23 23:29:15693.名無しさんHR5Ip>>681当時の記録を全て信じないのでそんな風に考えるのだろうか2025/09/24 05:05:56694.名無しさんC5jNr>>693福岡県で発見された金印ぐらいしか関係性が無い。これが邪馬台国絡みなら九州説になるのだろうが、大和王権の中心地は近畿。邪馬台国と大和王権は別物と考える方が自然。2025/09/24 07:21:22695.名無しさんZ7hcy>>694東征とかは考えない系?2025/09/24 07:40:36696.名無しさん0g7Ax先代旧事本紀の天照大神の嫡孫の饒速日が奈良に天下ったというのが邪馬台国東遷だよ2025/09/24 07:53:59697.sageXulYF>>692そうそう考古学的に様式が似ているからと言って政治的に統一政権があったことにはならない2025/09/24 08:01:52698.名無しさんcXi1M>>692古墳時代末期までは「貴族連合政権のうち天皇家が頭一つだけ抜けてた状態」で天皇家が絶対的な存在ではなかった古事記とか日本書紀をよく読むとその辺の状況が分かるどの貴族も自分の領土では王様だったから天皇家の祭事をマネたし下手すりゃ貴族のものを天皇家がマネる場合もあった初期の天皇家は貴族連合政権の一員で「葛城氏」という苗字を名乗っていたという説がある2025/09/24 08:06:11699.名無しさんJBtfX鋼鉄ジーグに全滅させられたか2025/09/24 08:40:57700.名無しさんC5jNr>>695欠史八代を正史と認めるには、考古学的証拠の発見が必要。あまりに荒唐無稽な内容が多すぎる。2025/09/24 08:45:15701.名無しさんqPK9b>>681魏の年号の入った銅鏡を各地の豪族に下賜してるんだから存在が薄いことはないだろう2025/09/24 08:54:31702.名無しさんC5jNr記紀の内容を信用するにせよ、信用しないにせよ、大和王権と邪馬台国を結び付ける物が無いのが致命的。あくまで想像の中でしか結び付ける物が無い。現在まで明らかな記録と証拠からは、 邪馬台国が存在したとしたら九州 大和王権と邪馬台国は別物これが自然な流れ。邪馬台国=大和王権とするには、画期的な発見が必要。2025/09/24 08:58:34703.名無しさんgT1Cz九州説にせよ大和説にせよ、邪馬台国の実態は魏皇帝の権威をバックにした中国交易の元締め組織だからな魏晋南北朝時代のかの地の動乱を乗り切ってヤマト王権に繋がるほど長持ちしたとは到底思えない魏の没落と運命を共にしたと考えるのが妥当2025/09/24 10:06:32704.名無しさんE3voo記紀の内容を信じた場合、卑弥呼に該当する人物がいないのがね……神功皇后を持ち出すのは無理があり過ぎる。時代が100年以上離れるし、三韓征服する化け物に誰が逆らうんだよw魏の威光に関係なく、力でねじ伏せるのが神功皇后。2025/09/24 10:12:25705.名無しさん1ZbyO古墳の鏡とか諸説有るのだな・・・https://shisekinavi.com/kanbarajinjakofun/2025/09/24 11:33:16706.名無しさんs5MOa>>530ねえよ後にも先にも日本固有の文字はひらがなカタカナだけ2025/09/24 11:45:03707.名無しさんMx2d9魏志倭人伝をちゃんと読めよ漢の時代に100国余りの国王が半島の鉄の採掘権も認められ、その時の証である金印も出土している魏の時代には、内乱によってばらばらになったが女王を立てることでよういやくその中心の30国がまとまりさらに魏が後ろ盾になるから、国々を落ち着かせてまとめあげ貢献しなさいという話だろしかしながら狗奴国などの勢力は反抗を続け、塞曹掾史の張政を使者として送り込むも卑弥呼は死亡し、男王の権力争いが繰り広げられ、年十三の宗女壹與を後継者として落ち着かせようやく帰還したよいう話だそんな内乱に明け暮れお飾りの女王のお墓が国内最大なわけないだろ2025/09/24 12:36:50708.sageXulYF日本列島内最大だとは倭人伝のどこにも書いてない2025/09/24 12:38:27709.sageXulYF>>706近世に考案されたという点では日本固有と言っても間違いではない2025/09/24 12:41:59710.名無しさんz68l3かなり以前だけど、大河で卑弥呼が候補に上がったが邪馬台国の場所を九州にするか畿内にするかで揉めて結局は保留のまま実現してないらしい2025/09/24 12:54:48711.名無しさん0Nw0s>>706いや、悲しいけど聖徳太子が漢字を採用しちゃったから、発見次第焼いたり破壊したりしたのよ、タリバンと同じよ、キレイに削り取った後は日本中にあるから。アラハバキだけはかろうじて残った。2025/09/24 12:55:54712.名無しさんqXrph紫式部ですら史実がほとんど無いメルヘン作品になったのに卑弥呼だとほぼ創作になるだろうな2025/09/24 12:57:39713.名無しさんKRjs7この国って色んなものを自国風にアレンジしてきた国だからそんなに卑下する必要はないと思うよ和製漢字(わせいかんじ)、または国字(こくじ)とは、中国から伝わった漢字を元に、日本で独自に作られた漢字の総称です。日本の豊かな大和言葉や概念を表現するために生み出され、地名や人名、動植物などに関するものや、日本独自の価値観を表現したものがあります。具体例としては、「畑」「辻」「凪」「働」などがあり、中には中国でも使われるようになったものもあります2025/09/24 13:07:44714.名無しさんpEkZx>>688俺も男系には拘ってませんよ。藤原不比等が「藤原家のために」天皇(候補)に藤原家の娘を嫁がせるには天皇は男性で続く必要があったから「天皇は男系で続いてきた(から以後もそうすべき)」という話を作り上げ、それが続いてきたというだけです。摂関政治で藤原氏が頂点を極めし後、武士の時代が到来して以降も「初代神武以来の伝統」に基づき天皇は男系で続いてきた。女系天皇爆誕となれば藤原氏のコントロールが出来なくなり、いずれ藤原氏は衰亡の危機に直面するから、藤原不比等はそれを避ける方策を取ったに過ぎません。過去女性天皇は幾人もおりましたが全て「男系」であり、「繋ぎ」であり独身で皇位に就いた場合結婚を許されなかったのも、「女系天皇」を生み出させないための方策と言えるでしょう。私は藤原不比等とは縁もゆかりもない土蜘蛛の末裔なれば、天皇が男系だろうが女系だろうがどっちでも良いという立場です。天皇には過去に生み出された、というより天皇の先祖が数多「生み出した」怨霊たちの怨念を鎮めるために祈ることが求められます。過去の例に基づき祭祀を滞りなく執り行うこと、ぶっちゃければそれ以外は不要とさえ言えますし、祭祀王として天皇が続いてもらいたいと考えます。2025/09/24 13:33:23715.名無しさんqPK9b母の母の母の母の母なんて遡れないだろ2025/09/24 13:58:54716.名無しさんQV3YR神功皇后(おきながたらしひめのみこ→ヒメミコ)だろうな西暦269年まで生きてるし、三韓征伐も神功皇后だし魏志倭人伝の倭人の自慢話と一致する、ヤマタイ=ヤマト、ヒミコ=ヒメミコ邪馬台国の対抗勢力狗奴国(くぬこく)は関東の大勢力毛野国(けぬこく)と予想 邪馬台国=大和国、畿内説でほぼ決まり2025/09/24 14:27:37717.名無しさんFCEFW>>716説得力あるなあ2025/09/24 14:56:03718.名無しさんv2gLmAVでよくお世話になりました。2025/09/24 15:08:45719.名無しさんrX7rL邪馬台国と大和朝廷、倭国と日本、別々に考えなければならないと言う説はどうなったの?2025/09/24 15:23:30720.sageXulYF>>710それ以前に、衣食住の考証が視聴者のレベルを満たせないだろう2025/09/24 15:31:14721.sageXulYF>>716毛野国が狗奴国なら、邪馬台国は八幡平だろうw2025/09/24 15:34:13722.名無しさん0g7Ax金印が貰えるのはその民族の総王だから、邪馬台国が倭人最大の勢力だったのは間違いない2025/09/24 16:47:18723.名無しさんMx2d9>>722違いますね魏にとって半島の反乱を抑え込むのに倭国が利用できると考えた漢時代の安定を取り戻そうとしたただそれだけ2025/09/24 16:53:32724.名無しさん1ZbyO昔テレビで観たアニメが面白かった。https://www.youtube.com/watch?v=zMh_d8NpCcc北方騎馬民族説だったのだなwww2025/09/24 17:07:28725.名無しさんiwmKd記紀の方に邪馬台国や卑弥呼が全く登場しないからなあ。豪族でそれっぽい国すら出てこないし。クマソだと九州南部だったか?2025/09/24 17:41:50726.名無しさんu7JTx>>725魏志倭人伝が3世紀前半の記述記紀の成立はどちらも8世紀初頭時期が遠すぎだよしかも3世紀の日本は文字もない時代で当然記録も全く残っておらず、全てがただの伝聞2025/09/24 17:49:14727.名無しさん9Vk3aだってAV女優だもの載ってないさ2025/09/24 18:09:44728.名無しさんMx2d9普通に考えるとわかるが天皇の神話を疑われる記録はすべて抹殺されただけだろ2025/09/24 18:10:41729.名無しさんu7JTx>>728いや記紀なんてツッコミどころ満載だろ140歳まで生きたとか新帝として即位した時点で99歳だったとか疑うなってほうが無理だわ2025/09/24 18:15:28730.名無しさんNn10i>>722前漢か後漢なのか蜀漢なのかw2025/09/24 18:17:29731.名無しさん9FzqKまあいろんなことはあいまいだけど、卑弥呼やその後継者が中国に朝貢してた時代って、曹操の子が建てた魏から西晋になろうかという、南朝文化の時代。儒教が緩んで、酒飲んで好きなことをやればいいという竹林の七賢とか出てくるときで、女王なんてのはむしろ常識はずれを求める当時の中国の時代にも合ってたというのが面白い。2025/09/24 20:14:27732.名無しさんsyuEJ>>718いい女だった2025/09/24 20:19:09733.名無しさんWRTg4そういう歴史だったのか・・・https://www.youtube.com/watch?v=MgA1qU47JxIhttps://www.youtube.com/watch?v=M_bt5__vOn42025/09/25 01:26:59734.名無しさんFK9Pe古代から中近東も欧州も諜報工作をやりまくっているぞ!wwww古代エジプトと古代ギリシャは癒着していたかもしれんしwwww2025/09/25 02:58:30735.名無しさんFK9Pe>>734クレオパトラの時代だけどなwwww2025/09/25 03:00:16736.名無しさんXyptZ卑弥呼なんかいなかったってことでしょ天狗やカッパやツチノコと同じで卑弥呼がいたら楽しいなって程度2025/09/25 03:01:58737.名無しさんFK9Pe日本に皇統は存在しない!2025/09/25 03:02:07738.名無しさんFK9Pe現代人は諜報工作の一環で著作物を出してる奴らもいる!wwww出版停止とかもやっているwwww勝手に書き換えしている出版社もあるしなwwwwww2025/09/25 03:06:52739.名無しさんFK9Pe日本は弥生時代辺りから諜報工作活動は始まっているからな多分wwwwww2025/09/25 03:13:42740.名無しさんgQ7Wq古代日本の仏教僧侶、聖人とか大聖人とか呼ばれていた人物は頭良いぞ!wwwwww2025/09/25 04:26:23741.名無しさんOSOFn>>694縄文人はのろまで移動出来ないと思っているのか?2025/09/25 05:15:32742.名無しさんOSOFn>>712当時はメルヘン創る方が難しかった事実書く方が簡単2025/09/25 05:19:09743.名無しさんOSOFn>>729神話が全部嘘っぱちだとしたら歴史なんて何も分からない2025/09/25 05:21:50744.名無しさんhvQsR>>735クレオパトラは黒人らしいぞw2025/09/25 06:20:39745.名無しさんhvQsR記紀や魏志倭人伝を本気で信じるのは、イソップ童話を歴史と信じるのと同レベル。2025/09/25 06:24:56746.名無しさん9E6FM実在しなかったからだろうな2025/09/25 08:49:34747.名無しさんXRFlP>>706なぜひらがなカタカナの2系統あるのかを考えれば神代文字があったと分かるんだけどな2025/09/25 09:23:20748.名無しさんyOFgv日本人の祖先はシュメール人なんだよ2025/09/25 09:32:34749.名無しさんi7lml>>747えっ2025/09/25 09:37:30750.名無しさんoas8gホツマツタヱがGHQに見つからなくて良かったね~高野山の何処かに原書に近い物が眠っているのではないかと考えています。五輪塔そのものがホツマ文字のウツホ、カゼ、ホ、ミズ、ハメとなっていて母音の口の開きでアイウエオを表しています。2025/09/25 11:35:33751.名無しさんMzrkz大河ドラマ化に期待する主演は石原さとみさんでお願いしたい奈良に大河ドラマ館が設置されたら見に行きたい2025/09/25 12:28:41752.名無しさんrEyAL歴史大河にするには根拠が弱すぎてなあ。日本史で一番古くやれそうなのは、実在証明されている雄略天皇まででは?それ以前は推測、フィクションを前提にするしか無くなる。2025/09/25 12:33:29753.名無しさんll1Y3>>749カタカナには謎が多いのよ、漢字の一部とか絶対違うし、そもそも発音が違う。ひらがなは草書体で崩しましたで通用して、中国留学の空海が整えたって言い伝えもある。2025/09/25 12:36:29754.名無しさんZfRRR>>753謎なんてないぞw漢字の一部分を借用したから加多加奈ww呉音漢音上代日本語現代日本語で発音が異なるのは当たり前だ2025/09/25 13:44:11755.名無しさんZP92Q個人的には未発見の書物がどっかの古い建物の屋根裏に隠れてる可能性に期待しとる2025/09/25 14:13:47756.名無しさんZfRRR>>755そういうのは割とあるけど、ほぼ全てが偽書だなw2025/09/25 14:16:36757.名無しさんeXL7Z天皇の古墳にあるんじゃないか?調査を拒否されるけど2025/09/25 14:20:35758.名無しさんZP92Q>>756まぁ千何百年前の文書残ってる可能性絶望的だが、あるのでは?と思ったら面白い2025/09/25 14:22:29759.名無しさんOV2Okポイントは、アイヌに似たクマソですね。2025/09/25 14:25:10760.名無しさんCTBqZ魏志倭人伝の地理や道案内があまりにも説明不足。なにか遺物や遺跡が出て来ないと事実は見えて来ないと思う。俺は九州説派なんだが、このわかりにくさはもしかしたら近畿にあったからかもしれないな、と不安になる。2025/09/25 14:32:43761.名無しさんNv8gA古代史はロマンだよ史実はほとんど無い2025/09/25 14:35:12762.名無しさんeXL7Zじゃあいつから畿内にあるんだよ言ってみろ畿内のは3世紀から4世紀ごろに突然出来上がったような国だぞ魏志倭人伝には漢の時代からの経緯があっての話みたいな流れで描かれている2025/09/25 14:37:19763.名無しさんCTBqZ邪馬台国はあった、その字体ではなかったにしろ ヤマタイコク はあった。邪馬台国という字体からロマンチックな異形で、神秘的な謎のイメージを持ってしまうが、実は原始的な村落的集落にすぎないが、それはあった。2025/09/25 14:42:54764.名無しさんhmoSxヒミコ。実はボケ婆ちゃんだった・・・ジュゲムジュゲムゴコウノスリキレカイザリスイギョノウンライマツフウライマツスイギョウマツクウネルトコロニスムトコロヤブラコウジブラコウジパイポパイポパイポノシューリンガンノグーリンダイノチョウキュウメイノチョウスケモスラーヤッ モスラ~2025/09/25 15:07:01765.名無しさんll1Y3>>762ヒミコとは違うが倭の五王はいたみたいだね、大和朝廷に吸収されてるから。古墳時代の地方豪族かな。順番に支配されて古墳だけ残した。2025/09/25 16:51:40766.名無しさんi7lmlいわゆる大和朝廷 中央集権(的)国家成立は西暦4世紀半ば頃 つまり340~360年あたりと習った邪馬台国なる国 卑弥呼なる統治者が 仮に実在したとしてもそれはローカルなものだと考えるのが妥当 例えば織田信長の版図の規模2025/09/25 17:15:10767.sagebXiFG>>753ひらがなを整えたのは明治政府と戦後政府だ2025/09/25 17:32:24768.名無しさんO5XYX>>765倭の五王はヤマト王権の大王そのものだよw2025/09/25 17:34:08769.sagebXiFG九州王朝かもしれんぞw2025/09/25 17:39:26770.名無しさんtq7Jg雄略天皇が朝貢して鵞鳥を貰った話が日本書記に出てる2025/09/25 17:42:15771.名無しさんhmoSx北九州の卑弥呼婆さんが支配していた卑弥呼村は大和王権への上納金を怠り潰されてしまった2025/09/25 17:44:08772.名無しさん9znLO>>767明治政府は標準語を編纂するうえで発音と合わせてあいうえお順に整理しただけで仮名はどちらも奈良時代から平安時代までには完成してましたよ公文書は真名(漢文)、私的な手紙や日記および女性が使うのが仮名これは明治初期まで続いた使い分けですね『紫式部日記』によれば清少納言は女のくせに真名など書き散らすいけ好かない女できっと罰が当たって不幸な人生を送るに違いないそうです2025/09/25 17:45:58773.sagebXiFG>>772平安時代は変体仮名がいっぱいあるし、今と字形が違う2025/09/25 17:54:11774.名無しさんHnUt3魏志倭人伝以外にも倭国が登場する歴史書はこれだけあるわけだが倭・倭人関連の中国文献(wiki)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD%E3%83%BB%E5%80%AD%E4%BA%BA%E9%96%A2%E9%80%A3%E3%81%AE%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E6%96%87%E7%8C%AE2025/09/25 18:23:25775.名無しさんxb9JL>>773だよな。仮名といっても江戸時代まではいわゆる"変体仮名"で、いまのひらがなとは違う。カタカナはもともと漢字の一部分で、もともとは宗教者が使うパワー文字のようなインパクトがあったと思う。2025/09/25 20:14:30776.名無しさんtvaSa学校でアヌンナキやエンキやエンリル、惑星二ビルを教えない(教えられる人材がいない)のがそもそもおかしい日本国は衰退した2025/09/25 23:19:17777.名無しさん1BvTj卑弥呼て呼称が卑しい巫女て自分で名乗ってたの?2025/09/26 04:52:18778.名無しさんQyBIqヤマトの諸君2025/09/26 06:11:43779.名無しさんQGFhDワンピースになぜ孫悟空が登場しないのかそもそも孫悟空は西遊記にて玄奘と共に天竺を目指していたのではないかみたいなアホな話も数千年後に語られるかなまぁ昔より今の方が情報を未来に遺せるだろうけど2025/09/26 06:24:56780.名無しさん4JwyY天皇家は朝鮮人で都合が悪い歴史書を焼いて新しく作ったから2025/09/26 06:30:30781.名無しさんkor1w>>777ヒーミコ🟰彼女は巫女三人称だなヘブライ語でだがw2025/09/26 07:07:49782.名無しさんV1TIl個人名じゃねーだろな比売命女王様と言っただけだろう上の人の名前を直接言わないでしょ2025/09/26 07:23:44783.名無しさん1aazKそもそも日本書紀は藤原不比等が半島からの亡命官僚を使って漢字の普及も考えての歴史編纂でした。中臣鎌足→藤原不比等が渡来系の子孫であった可能性は否定出来ない。(神道の加護という立場を取ったのは権力維持かと)大宝律令の発布と同時に国府に亡命官僚の子孫に日本書紀を持たせて漢字を広めました。なので日本書紀の内容は十分な考察が考察されなかったのです。2025/09/26 10:02:17784.名無しさんaU7cV>>774だからヒミコと邪馬台国の話題で倭国とは別。2025/09/26 10:46:51785.sagek2s4L卑弥呼=日向で壹与=豊というのはちょっと気になる2025/09/26 14:17:11786.名無しさんatrMc>>783中臣氏は山背国宇治郡中臣郷を拠点とした神道系氏族ですよ?だから渡来人を保護し、仏教を広めようとした蘇我氏と対立したんですもしあなたの言うとおり中臣氏が渡来系だとすれば日本神道も大陸発祥ですね2025/09/26 14:29:02787.名無しさんfOQB2>>786日本列島住人のルーツは全て大陸なんだから、神道の源流も大陸発祥だろw2025/09/26 14:37:07788.名無しさんQG7WV人間のルーツは白人のぞき全てアフリカである。白人は凶暴なネアンデルタールとの混血なので戦争ばかりやってる。2025/09/26 14:59:12789.名無しさんQG7WV継体天皇を擁立した大伴金村は加羅の一部を百済に売り飛ばしたのがバレて失脚した。以降仏教派の蘇我と神道派の物部の対立となる。2025/09/26 15:05:05790.名無しさんifKDs架空の人物て事でいいよ邪馬台国の場所は東南アジアで終わろうぜ2025/09/26 15:09:05791.名無しさんQG7WV崇峻天皇は蘇我馬子の命令で渡来系氏族の東漢駒に暗殺された2025/09/26 15:11:59792.名無しさんQG7WV卑弥呼の正体はヤマタノオロチでスサノオに成敗されました2025/09/26 15:13:42793.名無しさんaU7cV>>787いや、ムー大陸とかがあった時代から神道も存在していたみたいだからね。5万年とか平気で飛ぶ。2025/09/26 15:23:28794.名無しさんp5VqK>>792その辺の討伐神話は、旧来宗教から新宗教(神道)への移行物語とは言われるな。2025/09/26 16:16:57795.名無しさんBr6BR>>7935万年前の祭祀遺跡が見つかったら世界史がひっくり返るわw2025/09/26 16:52:46796.名無しさんQG7WV神道はインディアンやモンゴル人の祖霊崇拝や中国の先祖崇拝がベースだろう。黄色人種に特有のものでそれこそ夏王朝に遡るのでは…2025/09/26 17:16:54797.名無しさんQG7WV一方ムー大陸…と言うか沈んだスンダランドは東南アジア系なので日本とは人種が違うだろう…温暖化、超巨大噴火…天変地異と深くかかわる日本人の起源と「黒潮の民」https://www.yomiuri.co.jp/column/japanesehistory/20240205-OYT8T50107/確かに日本でスンダランド人の骨が見つかっており、おそらく最古のものだが、喜界カルデラ噴火で全滅し、そのあと縄文人が移り住んだと考えられる。2025/09/26 17:23:23798.名無しさんkjKkkだから、四国にあった地方の豪族2025/09/26 17:29:38799.名無しさんBr6BR>>796祖霊崇拝は世界中にある本来は共同体維持の原始信仰が仏教や儒教、道教の影響を受けてあたかも深遠な教理があるかの如き衣をまとったのが神道の本質衣の裏に論ずべき中身は何もない2025/09/26 17:32:57800.名無しさん9ncnb卑弥呼がアマテラスで邪馬台国はヤマト朝廷の九州時代だから記紀に書いてあるのは全部邪馬台国の歴史2025/09/26 18:02:25801.名無しさん4gNBQ記紀に卑弥呼はいないだろw2025/09/26 18:12:35802.名無しさんD6kde俗にいうパラレルワールドってやつ2025/09/26 18:49:01803.名無しさんs3W2r卑しい巫女とか自分で名乗るかな?よくわからん2025/09/26 19:08:23804.名無しさんJgsmt字そのものは中国側の当て字他国の地名人名には貶める漢字がよく使われる皇帝への忖度だろ2025/09/26 19:22:33805.名無しさんCZzm3日本は元々性器信仰だと思うわチンコは柱マンコは岩の裂け目だからな御神体はどちらかになってる場合が多い山の神は基本女だかんね2025/09/26 19:31:16806.名無しさんQnyfQ大黒様か・・・https://www.youtube.com/shorts/HA7KQP6Tj3g2025/09/26 20:16:32807.名無しさん1BvTj卑しいて漢字を日本サイドが付けたの?2025/09/26 23:17:45808.名無しさんyWl2d>>795縄文時代ですら3万年とか計測値が出るからな、人類の歴史は深いよ、沖縄の海にも沈んでいる。2025/09/27 08:14:37809.名無しさん6vUbH>>8072025/09/27 08:36:11810.名無しさんQkDKx日本に漢字がない時代なんだから魏の側が字を選んでるんだよそして外に対しては卑しい字を当てるそんだけまあ日本側の関係者がその作法に乗っ取った可能性もあるけどな2025/09/27 09:18:06811.名無しさん5PphH>>8083万年前は旧石器時代だろw同時代の土器があるならお目にかかりたい1万1000年前より古い祭祀遺跡を俺は知らない2025/09/27 09:32:59812.名無しさんYPcVs中国側と日本側のコミュニケーションてどうやっていたのかね?どっちかに通訳できるやつが居たのかな?2025/09/27 09:35:37813.名無しさんRFZmiいまの国際社会みたいにかりに形式的にも主権平等を謳ってないから、近代以前の東アジアの華夷秩序では上下関係は重要だよ。2025/09/27 09:39:44814.名無しさんWiahg当時の大陸の人のために倭人の発音を当て字にしたものを現代日本人が字面だけみて議論しても答えは出ないと思う大陸と交流があった時点で漢字の存在は知っていただろうに古墳時代になっても日本語を漢字で表現するという発想は無かったようだし2025/09/27 09:50:20815.名無しさん1PJgdなぜってそりゃ書いた人が知らなかっただけ2025/09/27 09:57:21816.名無しさんRFZmi邪馬台国は魏に朝貢していたので、上下関係を受け入れてる。その具体的な意味はつぎの一例。たとえば13世紀に元が朝貢をもとめて陳朝ベトナムにもやってきたが、ベトナムは日本と違って拒否せず生返事で受け入れた。すると元から改めて高位の使者がやってきて陳朝の王が出迎えたが、その面会の場で、元の使者が席次の問題を切り出した。元の使者は皇帝の使者だから上座に座るべきで、陳朝の王は王という立場だから下座に移れという。「王」は皇帝よりも位が下だというのがその理由だった。するとそれに対して陳朝の宰相が、春秋戦国時代にさかのぼれば「王」の称号に本来そういう意味はないと反論した。この話はそこで終わってるので、たぶん元の使者はしぶしぶ受け入れたのだろう。たしか『大越史記全書』にそういうような話があった。2025/09/27 10:08:29817.名無しさんYfwQp>>814金印貰っても使い道が無くて、棚に飾っていたのかね?w2025/09/27 10:08:36818.名無しさん6vUbH>>816歴史ドラマや時代劇でも「上意である」の使者は身分関係なく上座だもんな2025/09/27 10:12:32819.名無しさん6vUbH>>817新築祝いに夫の実家から玉すだれ贈って来るような漢字か2025/09/27 10:14:29820.名無しさんO04at>>812政治はともかく民間では貿易してただろうから通訳できるやつぐらいいたろ直接貿易はしてなかったとしても魏-朝鮮半島、、朝鮮半島-倭は確実に貿易してたからそれぞれに通訳いたはず2025/09/27 10:17:45821.sageprPYV呉とは交流がなかったのかそこが分からないのが残念2025/09/27 10:19:51822.名無しさんCBTO4呉の孫権は230年に夷洲と亶洲へ兵一万人の遠征隊を出したが亶州へはたどり着けなかった、この亶州というのが九州だろう2025/09/27 10:56:16823.名無しさんWiahg>>817的外れなレスどうも2025/09/27 14:07:05824.名無しさんinZWM>>823なんでそんなカリカリしているんだ?カルシウム不足か?2025/09/27 15:40:36825.名無しさんgY46a古事記、日本書紀以前にも紙に文字を書いた記録はあったが蘇我入鹿が焼いちゃったんだろ。日本ではいつからちゃんと文字を使ってたか分からん。卑弥呼はそんな時代の女王だから日本でどう呼ばれていたのかは日本側の記録がない以上、我々は魏志倭人伝の呼び方を使うしかない。俺は年代的には神功皇后が卑弥呼だと思うけど。2025/09/27 15:50:10826.sageprPYVヒッキー卑弥呼とファイター神功が同一人物のはずないよなw2025/09/27 15:58:45827.名無しさん2XsDY古事記や日本書紀が書かれたのは700年代。聖徳太子(厩戸王)の記録は他にもあるから、その近辺の500年代くらいまでの記述はまあ事実に近いかも。それより前は怪しい。初代天皇である神武天皇の出自は神話。おそらく創作。紀元前585年てw日本書紀の記載がどこから本当かは分からない。よって、201~269年に摂政だったとされる神功皇后がファイターだったかどうかも分からない。もちろん、卑弥呼だったという確証も無い。2025/09/27 21:53:23828.名無しさんPE6BF🦁へ心霊スポットの浄霊、浄化を行ってください。年間予算を2億円としてください。浄霊、浄化を行う霊能力者の日給を5万円としてください。浄霊、浄化の補助(心霊スポットの清掃や儀式の準備の補助、道具の手配等)を行う非能力者の日給を2万円としてください。浄霊や浄化の現場に興味がある人もいると思うので、霊能力者が許可した場合は、見学できるようにしてください。霊能力者との日程調整や心霊スポットの所有者との交渉等のバックオフィスの人の日給を2万円としてください。浄霊、浄化を行う霊能力者は、神道(八咫烏)、仏教(高野山)、カトリック、プロテスタントの人員としてください。浄霊、浄化ができなかった場合は、別の宗教の霊能力者が浄霊、浄化を行う様にしてください。また、本当に浄霊や浄化が出来ているか普通の人には分からないので、たまに浄化後の心霊スポットに別宗教の霊能力者が行って確認をしてください。月に一度、神道(八咫烏)、仏教(高野山)、カトリック、プロテスタントの霊能力者で話し合いを開いてください。議題は各宗教から一つずつ出してください。そして、浄霊、浄化が終わった心霊スポットは解体をしてください。持ち主との交渉等はバックオフィスの人が行ってください。予算は年間3億円としてください。解体する技能者の日給を3万円としてください。2025/09/28 01:15:26829.名無しさんKHGG43世紀は卑弥呼が日本を治めてた5世紀から大和王権に交代神武天皇の存在は創作2025/09/28 01:22:47830.名無しさんCwb5u>>822九州というのは元々は中華思想の国々のことで9つの地域としてあるからそれを全土という意味で使った夏王朝から王であることの証明である九鼎はそれぞれ九州から集められた材料で造られたのもそういうこと2025/09/28 01:24:28831.名無しさんoBSIu>>829デタラメ過ぎ2025/09/28 06:05:43832.名無しさんwfPdbそら焚書されたからやで2025/09/28 07:55:56833.名無しさんXqpB5>>830よくこういうデタラメを平気で言える物だと、ある意味で感心するわw2025/09/28 08:03:58834.名無しさんaG9Dxファンタジーとしては楽しいからいいと思うが、あたかも史実であるかのように語るのは良くないね。2025/09/28 08:31:03835.名無しさんoBSIu入れ墨をしてる占い師シャーマン卑弥呼が奴隷を献上してきたとか明らかに日本人を野蛮で愚かな蛮族としか見てないもんな、出来が悪すぎるのよね。2025/09/28 08:41:52836.sagewe2Ye魏志の倭地は南九州三韓征伐は白村江の戦いのこと(※ファンタジーです)2025/09/28 10:20:21837.sagewe2Ye邪馬台国は畿内(※史実のように語る)2025/09/28 10:21:11838.名無しさん5N1kn>>835事実としての習俗だろう朝貢国を殊更野蛮人と描写する動機もない2025/09/28 10:30:32839.名無しさんoBSIu>>838東南アジアと間違えてるんだよ、アイツラは。2025/09/28 10:51:26840.名無しさん5N1kn>>839北九州までの位置関係や距離は極めて正確だから、それはないな2025/09/28 10:57:54841.名無しさんS0Pq8>>833日本の九州も昔は西海道だよ九州も中国も元々大陸にあった言葉2025/09/28 11:00:01842.名無しさんDuYqt後漢書によると 107年(後漢永初元年)に当時の倭国王帥升らが後漢の安帝へ生口160人を献じている一方で、卑弥呼は239年(魏景初2年)に魏明帝へ男生口4人、女生口6人散々お世話になった台与も248年に生口30人これが漢の時代は100国を擁する倭国が内乱によって男王ではまとまらず女王による暫定政権であり、魏もこれを認めることで国々を落ち着かせて貢献しなさいという話になっているそこで漢の時代の100国といえど、出土品からみると交流の範囲は九州全域と山陰山陽の一部程度なので30国というのはかつての倭王奴国を含む北部九州における地域のことだと考えらえられる2025/09/28 17:00:50843.名無しさんcUXMb後漢書を信用すると、そうなるね。200年頃の情報は後漢書の方が正しいぽい。2025/09/28 17:46:45844.名無しさんVhhbs邪馬臺國を邪馬台国と書くからこんがらがるのよ。西暦230年前後の女王ヒメミコは神功皇后しかいないので、邪馬臺國は大和国である。唯、半島派兵には九州に集結していたので豪族も力をつけていた事でしょう。継体天皇の磐井の乱や白村江の戦いへと連なる半島との濃密な大和政権の関わりは大陸との緊張感を醸成しました。2025/09/28 17:59:13845.名無しさんKHGG4大和王権より前に日本を治めてたのが邪馬台国大和が滅ぼした2025/09/28 17:59:38846.名無しさんcUXMb>>845まあ一旦は卑弥呼邪馬台国が治めてた時期もあったと魏志倭人伝に書いてあるね。200年代だから日本書紀での神功皇后時代と符合する。だけど、卑弥呼死後はまたワチャワチャなんじゃない。北海道まで征してるとは思えないし。宋書倭国伝で、雄略天皇の頃400年代後期、ようやく北海道の蝦夷を征したとある。その頃が本当の統一国家日本の誕生なんだろう。では邪馬台国は大和政権に滅ぼされたのか?ここが記録が何もなくてファンタジー心をくすぐられるところ。邪馬台国が大和政権に「なった」と思うね。2025/09/28 19:42:23847.sagewe2Ye>>846北海道じゃないと思う2025/09/28 19:52:08848.名無しさんodxCj蝦夷は東国で関東辺りまでじゃあないかな2025/09/28 21:59:59849.名無しさんqFLaA小日本お得意のねつ造ファンタジーなんじゃないの2025/09/28 23:00:21850.名無しさんRU82B>>849記紀にはなんも書いてないよ2025/09/28 23:01:03851.sagetg56o記紀に何も書いてないと言うと嘘だが、ちゃんと書いてあるというのも違うw2025/09/29 00:02:16852.名無しさんlLlzA雄略の時代に関東まで勢力が及んだのは間違い無いが、正確な勢力圏は分からないね。ライバルに成りうる強力な豪族は、雄略治世で壊滅。蝦夷は組織だった社会ではなく、大和政権を脅かす存在になれなかったので放置されたか。東北に関しては海路が使えた出羽国が712年に正式建国。蝦夷に対する前線基地に。2025/09/29 00:05:52853.名無しさんYkMAr>>844まぁ普通そうなるわな。でも歴史だけ追うとフィリピンやベトナムの可能性もあるんだよね。2025/09/29 06:10:02854.名無しさんRkGXg和を以て貴しとなすhttps://www.youtube.com/watch?v=JZ0xqmbWDCM2025/09/29 15:20:31855.名無しさんyQCxm>>23「悪」って漢字、「すごい」とか「強い」って意味があったとか何かで読んだことが2025/09/30 06:29:12856.名無しさんMRWW5>>855殷の悪来が怪力無双で知られており、三国志の武将で曹操から「悪来」の異名を付けられたのがいたな。普通に褒め言葉。2025/09/30 08:41:03857.名無しさんQ8YxM卑弥呼の鬼道は徐福伝説と関係があるのかなhttps://www.youtube.com/watch?v=pG4pRkel-sg2025/09/30 13:51:13858.名無しさんZJww3>>855悪源太義平悪左府頼長どちらにも悪い意味はない2025/09/30 13:52:00859.名無しさんZJww3>>31「倭国」から「日本」への改称は8世紀初頭唐に申請して認めてもらったのよ2025/09/30 13:54:13860.名無しさん857sM夕べ卑弥呼に会いました星のきれいな夜でした♪😅2025/09/30 15:42:30861.名無しさんdOt7q徐福は始皇帝(紀元前210年死亡)の時代なので卑弥呼の239年よりも400年以上前だぞw2025/09/30 17:53:29862.名無しさんLej87卑弥呼が韓国における秀吉並の超時空人物になっているなw2025/09/30 18:02:00863.名無しさんdOt7q>>807日本に漢字が伝わるのは応神天皇の時代、百済の和邇吉師が千字文をもたらしたことによると言われる。つまり1世紀くらい後。2025/09/30 18:02:48864.名無しさんBqQYL卑弥呼なんか実在しなかったから記されてないだけ別に難しい話しでも何でもない2025/10/01 05:46:51865.名無しさんeN71E卑弥呼名前からして、外国からすれば服従しない忌まわしい人という意味だろうな2025/10/01 05:53:45866.sageVUl9U何でやねん2025/10/01 06:06:12867.名無しさんmn9o6難升米「倭の大和には占いの上手な巫女がいます」陳寿「ほう…倭の邪馬台に卑弥呼がいて鬼道が得意と…」メモメモ2025/10/01 09:43:23868.sageVUl9U倭の邪馬台とは言ってなくね2025/10/01 09:56:10869.名無しさんwa9Yp過去の資料や使者の記録をつぎはぎしてるよね邪馬壱国という記載は1か所しかなくあとは女王国という表現でしかないことや投馬國と投馬國の記載は文法がかなり変化していることなどを考慮すると伊都国に留まる使者は、その先に奴国や不弥国がありという伝聞になっている奴国は当時の大国なのでともかく、不弥国の有千餘家という特殊な記載を考えるとそこに女王がいたのではないかとも解釈できる2025/10/01 11:01:05870.名無しさんEx9Jn何にしろ信用できる国内資料がほとんど無いってのがねえ。ファンタジー心をくすぐってくれる。2025/10/01 14:04:59871.名無しさんwa9Yp>>869続き不弥国までは行程の記載で投馬國と邪馬壱國の記載は帯方郡からの日程を併記と考えた場合7万戸というのは30国の合計となり、2万戸の奴国を中心とした北部九州の同盟国と考えられ半島側にも投馬國という総戸数5万戸程度、当時の規模から約20国連合の勢力があることになる冒頭にある漢の時代の100国というのは、半島の鉄の採掘を含む勢力も含まれると考えるのが自然で女王を中心とした邪馬壱國連合と利権を争う勢力、狗奴国も相当な勢力を保持している魏から派遣された塞曹掾史、張政の役割はそれらの仲介し行程の命令である装封付帶方太守假綬 汝其綏撫種人 勉為孝順倭国に、半島情勢の安定に協力させることが目的だと思われる派遣されたのは247年、帰還したのはいつのことなのかは不明だが台与は倭国大夫卒善中郎將の掖邪狗ら二十人を随行させた上で張政らを帰還させた中国に残る記録には266年に倭の女王の使者が通訳を重ねて朝貢したとの記述がある2025/10/01 16:03:18872.名無しさんXj6FG>>870万世一系の天皇をいただくわー国ニッポン(笑) 今年は皇紀2685年(笑) 男系男子(笑)2025/10/01 17:14:52873.名無しさんFWvfx>>864「記紀に記載のない人物は存在しない」って、不合理かつ非学問的結論過ぎないか?2025/10/01 17:39:48874.名無しさん1t3tN万世一系にとってまずいから明治期に神功天皇は神功皇后に勝手に変えてしまった2025/10/01 19:05:34875.名無しさんkapZR>>872BC660年が皇紀元年ってのはさすがになあ。AC400年くらいまでの日本書紀の記述は神話っぽい。つまり皇紀ってのは1000年ほどサバ読んでるwしかしまあ三種の神器を大事に持ってるとか悪くない。誰も見たことがない、見たら神力が失われる。レプリカのくせに実は箱の中身はもはやボロボロか何も入ってないか誰にもわからないとか、神秘的とはまさにこのこと。シュレディンガーの三種の神器w2025/10/01 21:20:53876.名無しさんRSr4n少なくとも草薙剣は、源平合戦で壇ノ浦に沈んでしまった。2025/10/02 01:08:31877.名無しさん0EIl4全能AIに邪馬台国解析をさせると一発だ2025/10/02 05:12:18878.名無しさんwJOin>>873魏志倭人伝ってのが伝聞の非科学的なファンタジーだもんなぁまずm日本の古代でも奴隷制度や入れ墨の習慣は確認できないんだよな、邪馬台国は日本じゃ無い可能性すらある。2025/10/02 07:21:50879.名無しさんZg9aHアマテラスが卑弥呼なんだよ卑弥呼って当時の中国王朝がつけた蔑称だからなどこの国が自分の国の指導者に「卑」なんて文字使うかよ2025/10/02 08:37:19880.名無しさんevZFqアマテラス暴力嫌い。ナルシストな引きこもり。まあ、卑弥呼を神功皇后と見るよりは、アマテラス人間説で卑弥呼と同一視する方がマシかもな。神功皇后のキャラだと魏を征服に行きかねん。2025/10/02 09:40:14881.名無しさんSSpxp神功皇后に滅ぼされた土蜘蛛の巫女王、田油津媛が卑弥呼の(100年後の)子孫と言う説がある。なお本拠地は山門(福岡県柳川市)でヤマトと読む。山門では後漢の鏡が3面出土しており、新井白石はここが邪馬台国に違いないと主張していた。2025/10/02 10:32:14882.名無しさんsWq6m石碑に歴史的なものを刻んでおけば残っていた可能性があるけど文字が無かったんなら無理だよな2025/10/02 10:35:32883.名無しさんt7b0j編纂するに当たって年代も違えば場所も違う。そんな人物がいたかどうかも知る由もない。人のうわさも75日。当時のこととて文字すらない時代!。”記憶にございません”どころか”知らぬ存ぜず”だ。仮に権力者が知り得たしても当然ながら伏せてしまうだろうね。2025/10/02 11:39:57884.名無しさんBEclU>>879アマテラスは神話の神様。2025/10/02 11:49:19885.名無しさんmFJmR奈良の地名が朝倉を中心とした邪馬台国の地名を模倣した説があるそこから卑弥呼の墓がどこにあるのか推察してみた奈良には4世紀後半なのに前方後円墳ではなく大型円墳、富雄丸山古墳がありそこからは蛇行剣をはじめとする重要な出土品がでているこれは卑弥呼の墓を模倣した可能性がある奈良の富雄川と九州の宝満川の位置関係から考察すると筑紫神社や美しが丘付近が怪しい2025/10/02 12:00:30886.名無しさんwXsriぶっちゃけ現存する古墳を学術調査するだけで、かなり色々な事が分かる筈なのにな。先祖の慰霊云々も分からなくは無いが、歴史解明に皇室も少しは協力して欲しいわ。2025/10/02 12:42:07887.名無しさんwJOin>>886天皇家は全部吸収しちゃったからね、先祖とかは妖怪になって地方の神社に残ってるだけだ。たいしたもの出てこないでしょ。地方では聖徳太子が漢字以外認めず古事記に風土記が採用されなかったって文句ばかりだ。2025/10/02 12:49:35888.名無しさんZAsgu>>879漢字の字面はともかく、音は当時の発音「ピミカ」を忠実に写していると思う2025/10/02 13:54:58889.名無しさん1SCSaヤマトトトビモモソヒメが箸でASOKO突いてってんなら箸が日本に入ってからの話じゃねえのか。卑弥呼の時代だとまだ箸が日本に入ってねえだろ。なので少なくとも「箸墓」という名称は箸が日本に入ったとされる五世紀から記紀編纂の間につけられたのだろう。ちな、素戔嗚尊の八岐大蛇エピも冒頭川上から箸が流れてきたので後年の創作臭い。出雲国風土記に八岐大蛇エピないし、記紀の出雲神話の多くは創作と言われる。何故、あんだけの量を記紀にブチ込んだのかが知りたい。2025/10/02 16:44:34890.名無しさんni9nH箸が当時のブームアイテムだったのかなw2025/10/02 16:50:16891.名無しさんYvj7k>>873卑弥呼や邪馬台国に関する遺跡・遺物も一つもないさらに卑弥呼神社もないし、卑弥呼に関する伝承・言い伝えも日本全国に全く存在しないあるのは中国の魏志倭人伝にちょこっと書いてあるのみ (しかも書いたのは日本に行って来た人物じゃない)これらのことから卑弥呼は居なかったと結論づけるのが自然だろう2025/10/03 12:14:25892.名無しさんjNffD外国の人伝記録だから、正確性は全く期待出来ないからな。とは言え、シュリーマンのトロイア遺跡の例も有るので、全く元ネタが無いと言いきれない物も有る。ただ邪馬台国や卑弥呼が、大和政権とは無縁の勢力だった可能性は高い。2025/10/03 12:30:45893.名無しさんTd9ND>>892中国がファンタジーを書く動機なんかないから九州一帯あたりを治める女王っぽいのはいたんだろう。名前が本当に卑弥呼だったかどうかは怪しいが。大和政権が本当に確立したのはAC400年頃だろ。卑弥呼はもう死んでるし、邪馬台国も弱体化した後。まあ邪馬台国が大和政権誕生に少しは関わってたんじゃないかとは思う。2025/10/03 14:18:45894.名無しさんQ24jG>>893ACって…ポポポポ~ン?2025/10/03 14:25:15895.名無しさんTd9ND>>891AC200年頃の日本はまだ書物なんかロクに書けないし残ってるはずがない。遅れてたんだよ日本は。神社なんか始まったのはAC400年頃。卑弥呼神社なんかあるはずもない。その当時は圧倒的に中国の方が進んでた。中国の記録に頼るしかない。2025/10/03 14:30:02896.名無しさんTd9NDうはCとD打ち間違えたw2025/10/03 14:31:49897.名無しさんqw1Tg>>891九州には遺物がいくつかあるぜ金印とか曹操の墓から出た鏡と類似する鉄鏡とか漢鏡とか奴国や伊都国に関する遺跡とか2025/10/03 14:35:52898.名無しさん6QlZm>>891卑弥呼や邪馬台国に関する遺跡・遺物「候補」はある検証はこれから「日本国内に記録や伝承がないから存在しない」という理論で言えば、7世紀初頭に隋使節と面会した倭王「アメタリシヒコ」も存在しなかったということになるが、どうしてわざわざ存在しない人間と会った記事を中国の正史に載せたのか説明できない2025/10/03 14:50:02899.名無しさんduncz後漢の鏡は九州で多く出土するのだが、神獣鏡は畿内で出土することが多い。そのうち何面かは卑弥呼が使いを送った翌年の景初三年の銘がある。重要文化財 画文帯同向式神獣鏡https://emuseum.nich.go.jp/detail?langId=ja&webView=&content_base_id=100596&content_part_id=1&content_pict_id=02025/10/03 14:59:33900.名無しさんduncz>>898曹爽が大月氏と国交を樹立し親魏大月氏王の印を授けるという功績をたてたのに対し、その政権をクーデターで倒した司馬懿が対抗して倭の国交樹立を捏造した説はある。しかし、曹叡が卑弥呼に金印を授けたのが238年高平陵の変(司馬懿のクーデター)が249年で司馬懿の功績にならないのでは…なお、諸葛亮が五丈原で死んだのは234年である。2025/10/03 15:14:46901.名無しさんdunczなお238年に公孫淵が反乱し司馬懿に滅ぼされ、その後242年に毌丘倹が朝鮮を制圧し倭の目前まで迫っていた。しかし、魏に替わり中国を統一した西晋は八王の乱の末滅亡し五胡十六国に突入するのであった。2025/10/03 15:56:53902.名無しさんIMmTb>>898推古天皇が創作の可能性も言われているな。記紀で馬だの鹿だの蝦夷だの蔑称をつけられてた蘇我氏が当時の大王=アメノタラシヒコだった説に立ちたい。聖徳太子も蘇我氏の誰かで、キリストじみた厩戸王自体が創作臭い。大王に対するクーデターによる祟りを恐れた後の朝廷(白村江の大惨敗を祟りと感じた可能性も?)が、○クーデタを正当化するために蘇我氏を悪者にせざるを得ない○でも祟りが怖いので聖徳太子という超人を創作し手厚く敬う2025/10/03 15:57:49903.名無しさんKJg65>>1本当に最もですか?2025/10/03 16:00:45904.名無しさんKJg65>>23何でもそうだが、今の認識で歴史を見ることの意味のなさくらい頭の片隅に入れて興味を持ってくれ。2025/10/03 16:02:11905.名無しさんKJg65>>76中国人が多いがゆえに中国語話者が多いというだけであり、世界的に見たら中国語を話すことのできる民族は中国国外にほとんどいない。2025/10/03 16:04:42906.名無しさんvwGG8文字がない時代のことなんかまともに残るわけないだろ2025/10/03 16:05:06907.名無しさんduncz>>902諡号・追号に徳の文字が贈られた歴代天皇の隠されたある共通点https://www.sougiya.biz/kiji_detail.php?cid=1504実は「徳」の字は、なにかしらの無念を残して亡くなった天皇を弔う意味でつけられているという悲しいエピソードがある。蘇我氏と関係の深い聖徳天皇が、蘇我氏を打倒した大化政権以降弘文天皇のように天皇位を剥奪された可能性…2025/10/03 16:17:16908.名無しさんxY8C6伊勢神宮が卑弥呼神社だろう2025/10/03 18:33:49909.名無しさんqSZFw🦁へ夢を追う人向けです。同じ夢を追う人で、グループチャットを作り、月に一度、同じ夢を追う人を集めた会合を開いてください。会合の参加費は2千円としてください。遠方の人はオンラインで参加できる様にしてください。会合で話す内容は自由です。また、それとは別に、月に一度、その夢を叶えたプロ(その夢で生計を立てている人)を招いて、オンラインの質問会を開いてください。事前に質問内容をアンケートで募集し、それに答える形としてください。質問に答えるプロの日給を5万円としてください。2025/10/03 19:31:47910.名無しさんkZECJ日本では名前が違う説か。はじめて見た時からなんで卑しいなんて字使ってんだと思っていたが2025/10/03 19:34:55911.名無しさん7nhCl>>908伊勢神宮の創建は西暦477年さすがに200年もズレてちゃチョットね。そもそも神社てのは墓じゃなく神さまを祀るところ。2025/10/03 19:35:44912.名無しさん7nhCl>>910それはそれで神秘的ファンタジー心をくすぐる2025/10/03 19:38:23913.名無しさんOu0jl王朝が変わってるのに前王朝の記録とか書物に記録するかね?2025/10/03 19:45:20914.名無しさんFbVQ6でも昔は鬼神を避ける為に、不浄な名前をワザと付けたとか何とか。✕✕✕丸。みたいな名前はオマル(便器)の丸。他に神の嫉妬を避ける為みたいな話もどこかで聞いた。卑弥呼の卑もへり下った名称かもよ?2025/10/03 19:48:31915.名無しさんqw1Tg>>899畿内で出土する神獣鏡はなぜか中国では出土しない2025/10/03 20:20:32916.名無しさんFbVQ6神獣鏡は後漢に登場。西晋時代に流行。2025/10/03 20:29:35917.名無しさんQ6hG1>>913王朝変遷後に新王朝がまずやるべきとされたのが前王朝の歴史編纂王朝の正統性を示す重要な国家事業だったわが国でも時代の区切りとされる時期に歴史書(六国史)が編纂されている2025/10/03 20:39:10918.名無しさんqw1Tg畿内で中国の鏡が出るは5世紀が中心中国との交流が3世紀末で途絶え4世紀にかけて畿内へ東征し故郷の地名を多く畿内に残したんじゃなかろうか?それで富雄丸山古墳という大型円墳ができたと2025/10/03 21:25:07919.名無しさんxY8C6三角縁神獣鏡が日本製なのは常識だろう2025/10/03 21:27:47920.名無しさんEvKEQ古事記や日本書紀より魏志倭人伝のほうが正しいからな2025/10/03 21:29:18921.名無しさんe90X8んで、日本書紀には初代神武天皇から書かれてるんだが神武天皇やアマテラスとかはファンタジー風味が強すぎてw日本書紀が書かれたのは西暦700年代だが藤原不比等とかが天皇に権威を持たせるために創作した可能性が高い。おそらく史実なのは西暦400年か500年あたりからかと。対して魏志倭人伝は中国の記録であり、>>917の通り、新王朝が書くものだから旧王朝が悪だと書くのは当然のこと。全部が全部本当ではない可能性が高い。日本書紀と同じようにね。とはいえ、魏に影響のなかった倭を悪く書く必要はないので、女王が「いた」のはまあ信用していいかなと。本当に「卑弥呼」って名前だったかは信用できないが。俺は「卑弥呼」って名前、カッコいいと思うけどな。2025/10/03 21:29:33922.名無しさんEvKEQ世界の中心は中国であり魏志倭人伝が正しい古事記はデタラメの創作2025/10/03 21:35:22923.名無しさんe90X8極端だなあ2025/10/03 23:15:30924.名無しさん2Mi3S少なくとも記紀を残した大和政権側は、卑弥呼や邪馬台国を認識していた様子が無いな。2025/10/04 01:02:50925.名無しさんpiEM7神話にはそぐわなかったんだろう2025/10/04 07:56:15926.名無しさんZiQ2i>>924そりゃ焚書して歴史を書き換えるのが目的だからな2025/10/04 10:34:54927.名無しさんESP94https://ameblo.jp/aosagi392/entry-12889373595.htmlそりゃまあ、当時は政権に権威を持たせるためってことで焚書もしゃあないとは思う。中国では秦の始皇帝から始まって毛沢東もやったことだ。人治するには必要なことだった。そんな時代だからね。今や天皇は政治からは身を引いている。別に今更、「騙したな!」とは言わねえからいろいろ事実を調べさせて欲しいねえ。2025/10/04 10:59:22928.名無しさんESP94子供の頃は焚書を知った時はショックだった。大人の汚さに反吐が出た。でも、大人になって、許せるようになった。だって、もっとひでえことやってきてたんだから。焚書なんてどうでもいいくらいに。今、許せないのは隠そうとすること。2025/10/04 11:08:25929.名無しさんF775r>>926原本の風土記は残ってるだろ、そんなに酷い改変はしていない。問題は神代文字とかの文献を天皇家が正倉院とかに保存してたはずなのに何故か無かったことになってる、信長が悪いんかな。2025/10/04 11:12:26930.名無しさんbnfBc>>928焚書なんて日本でもほとんどの時代でやってるしな最近だと手塚治虫とかされてるし、気に入らないから本焼くのは普通のこと2025/10/04 11:26:50931.名無しさんESP94>>930黒塗りとかなw漫画、アニメでさえ。「こんなこと言っちゃいけませんよ」という反面教師になると思うんだけどなあ。2025/10/04 11:33:02932.名無しさんHwqXl中国では殺されても事実を書くのが史家の使命だからな、日本にはない者だよ2025/10/04 11:33:59933.名無しさんESP94ホントに中国がそうなのかは疑問の余地があるけど少なくとも日本でそういう気骨のある者はいなかったよなあ。2025/10/04 11:43:18934.名無しさんF775r>>932逆だぞ、中国の歴史は殺したほう滅ぼしたほうがこんな強い相手に勝っちゃったよって残してるのよ。2025/10/04 11:50:43935.名無しさんSznOA本を焼く者は、いずれ人を焼く2025/10/04 12:02:21936.名無しさんHwqXl歴史書を編纂する目的は勧善懲悪だよ、孔子も司馬遷もそう言っている2025/10/04 12:15:40937.名無しさんESP94自分を善、相手を悪とするためにね。まあ昔は殺しは当たり前だったし、奴隷も当たり前だった。「大義名分」があれば。その大義名分のために歴史は編纂された。今は理由はどうあれ殺しは悪だからね。どんな凶悪犯の死刑さえも。2025/10/04 13:15:33938.名無しさん8qfA7>>936水戸黄門ww 大日本史www2025/10/04 14:20:36939.名無しさんEj7F9そういう意味では、魏志倭人伝は大陸の覇権にとって倭国がどのような国なのかを正確に知ることが利益であるので、あまりに変な創作はしないだろう。せいぜい近場の反乱国を警戒して、倭国が小さく弱い国とは思われないようにしようとして、あのようなわかりにくい編成になってしまったのかもしれない。2025/10/04 15:20:20940.名無しさんshNhn>>938汚い!けがわらしい!2025/10/04 18:33:53941.名無しさんTwY9L卑弥呼はヤマタノオロチだったよねw2025/10/05 05:25:05942.名無しさんdWvsr卑弥呼は初代トランスジャンダーチンコは付いたまま2025/10/05 08:14:49943.名無しさんp12Li倭国(倭人)って朝鮮半島南部にいたらしいな日本書紀の神話の部分ってその頃の思い出話みたいなもんじゃないかな2025/10/05 09:35:25944.名無しさんJQeGLヤノハは野心結構あるよな、子供も生んでるし2025/10/05 09:40:31945.名無しさんzT4s3弥生人が大陸から流入したからな・・・https://articles.mapple.net/bk/24056/2025/10/05 09:44:10946.名無しさんRcpJN記紀のアマテラスが卑弥呼なんだからアマテラスが岩戸に隠れた西暦247年を起点として実際の年代を修正すればつじつまが合う2025/10/05 10:23:33947.名無しさんAPrH9> 記紀のアマテラスが卑弥呼なんだからこの時点で怪しい2025/10/05 10:32:16948.名無しさん57JCm決定的証拠が何も無い時代だからなあ2025/10/05 11:14:45949.名無しさんjdhBV>>943まぁ天照大神の石碑が朝鮮にあるとか無いとか、高天原が金剛山にあるとかないとかね。謎が多い盲腸半島。2025/10/05 19:01:18950.名無しさんjdhBV>>943連投だが、ヤマトタケル神話はロシア寓話と同じとかね、満州あたりまでは全部神話の地なんだよな。2025/10/05 19:03:06951.名無しさんDovOm>>949高天原は金剛山麓にあるぞ奈良県のw2025/10/05 20:36:58952.名無しさんH9y4m>>946日本書紀とかで「神」と言われている者はすべからく何らかの超能力を持っているように書かれている。すなわち、現実だったとは信じられない。アマテラスもね。2025/10/05 20:50:35953.名無しさんH9y4m超能力、異能の力すごくファンタスティックw人々を魅了する。国をまとめるには、そういう魅了する力が必要。だから、古来から洋の東西を問わず、宗教が国づくりにかかわってきた。日本書紀もそういう目的で書かれたんだろう。俺らは幸せだ。多神教、へたすりゃ神も仏も信じてないw信じてないから逆に縛られることもない。特攻させられることもない。いろんな超能力映画漫画アニメ小説を楽しむことができる。2025/10/05 20:59:26954.名無しさんzT4s3人類の過去の集合的無意識はDNAに刻まれ遺伝し似たような神話を生み出すのだwwwhttps://www.y-history.net/appendix/wh0101-009_1.html2025/10/05 21:27:08955.名無しさんAt637>>952すべからく警察の者だ!2025/10/06 00:00:15956.名無しさんdi7xr🦁へ寂しい人向けです。寂しい人で、グループチャットを作り、月に一度、会合を開いてください。会合の場所や会費などは参加者が決める様にしてください。遠方の人や都合が悪い人はオンラインで参加できる様にしてください。また、それとは別に、月に一度、カウンセラーによるオンラインの質問会を開いてください。事前に質問内容をアンケートで募集し、それに答える形としてください。質問に答えるカウンセラーの日給を5万円としてください。2025/10/06 08:51:17957.名無しさんdi7xr🦁へ悩んでいる人向けのものも、寂しい人向けのものと同じ様に作ってください。2025/10/06 11:58:02958.名無しさんdi7xr🦁へ困っている人向けのものも、寂しい人や悩んでいる人向けのものと同じように作ってください。2025/10/06 11:58:36959.名無しさんdi7xr>>958🦁へ以上3つは、マルチや詐欺、勧誘目的で入り込む人がいるかもしれないので注意してください。2025/10/06 12:21:33960.名無しさんmhEm2>>950ツングース系の濊族とか貊族などと関係があるのかねえ2025/10/06 12:23:01961.名無しさんhdN5L>>960でしょうね、冷凍イノシシと戦って負けて白鳥になっちゃたんだよね。日本の物語ではあり得ない北方神話。2025/10/06 12:58:41962.名無しさんdi7xr>>959🦁へ不安な人、辛い人、何かが怖い人も、それぞれ同様に作ってください。こちらもマルチ、詐欺、勧誘が入り込まない様に気をつけてください。2025/10/06 15:58:09963.名無しさんdi7xr>>962🦁へ苦しい人向けも追加してください。2025/10/06 16:01:11964.名無しさんdi7xr>>963🦁へ追加で下記のような感情を抱える人のものも同じように作ってください。重複を面倒なので確認してないです。辛い苦しい寂しい不安何かが怖い困っている悩んでいる孤独だと感じる虚しい恐れている無力だと感じる希望が見えない生きづらい理解されない愛されていない気がする居場所がない信じられない自分を責めてしまう怒りがあるやるせない不満がある疲れている誰かに助けてほしい自分を見失っているどうしていいかわからない誰かに認めてほしい心細い空っぽな気がする世界が怖い将来が怖い罪悪感を感じている生きている意味がわからないよろしくお願いします。2025/10/06 16:25:36965.名無しさん1s7wU倭人と和人、熊襲人、出雲人、大和人、蝦夷、アイヌ人を同一視するから、誤りが生じてしまった。2025/10/06 19:24:06966.名無しさんxaIt5卑弥呼という呼称がシナの蔑称だったからだろ記者の無教養ぶりに呆れるわ2025/10/07 07:22:27967.名無しさんYIDkd例えば古事記は熊襲タケルの家のことを詳しく紹介したりしていない。また魏志倭人伝の倭人の特徴に全身タトゥーと言うのがあり、これは弥生人ではなく縄文人の風習である。2025/10/07 10:02:48968.名無しさん6cSVy>>967縄文人にもそんな風習は無いからね。朱の化粧は伝わってるけどイレズミとか犯罪者に入れたバツでしか無い。2025/10/07 10:55:24969.名無しさんMBawZ全身刺青はアイヌの独自風習だな。アイヌが縄文系から派生したのか、ツングース由来かは分からんが、縄文文化とアイヌ文化はかなり違う。2025/10/07 11:01:22970.名無しさんjioD3「卑弥呼」 → 魏の時代はわからんけど発音は「ピミコ」→ 濁音が半濁音になる国なので「ビミコ」今の日本語に当てはめると「美巫女」もしくは「備巫女」美作・備中(ともに岡山県)あたりを掘ってみると何かが出土するかも知れないw2025/10/07 11:01:52971.名無しさん7vvm6司馬遷の『史記』「呉太伯世家」によると、以下のような伝説が載っている。周の古公亶父(ここうたんぽ)の末子の季歴は英明と評判が高く、この子に後を継がせると周は隆盛するだろうと予言されていた。長子の太伯(泰伯)と次子の虞仲(仲雍)は末弟の季歴に後継を譲り、呉の地にまで流れて行き、現地の有力者の推挙でその首長に推戴されたという。後に季歴は兄の太伯・虞仲らを呼び戻そうとしたが、太伯と虞仲はそれを拒み全身に刺青を施した。当時刺青は蛮族の証であり、それを自ら行ったということは文明地帯に戻るつもりがないと示す意味があったという。太伯と虞仲は自らの国を立て、国号を句呉と称し、その後、太伯が亡くなり、子がないために首長の座は虞仲が後を継いだという。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%89_(%E6%98%A5%E7%A7%8B)2025/10/07 11:05:41972.名無しさんMBawZ>>971魏志倭人伝の邪馬台国て、実は日本ではなく中国辺境の蛮族だったりしないか?2025/10/07 11:12:23973.名無しさん7vvm6中国では倭人を「呉の太伯の子孫」とする説があり、それが日本にも伝えられて林羅山などの儒学者に支持された。徳川光圀がこれを嘆いて歴史書編纂を志したのが『大日本史』執筆の動機だったという伝説が人口に膾炙したが、これは信憑性が低いとされている。この説が真実だとするとチベットみたいに中国に併合される口実にされるから記紀には記載しないのだなwww2025/10/07 11:22:37974.名無しさん6cSVy>>972距離を測っただけだとフィリピン・ベトナムに辿り着く、あっちは奴隷制度があるから有力な候補地。2025/10/07 11:49:42975.sagecnVyB>>974朝鮮半島ハンパなくでかいな2025/10/07 12:47:44976.名無しさんGKrza>>964🦁へオープンチャットはLINEじゃなくても良いです2025/10/07 13:17:33977.名無しさん46CFV🦁へ自社内の仕事等に対する質問と答えを集積し、一括で検索できるシステムを構築してください。誰かから質問を受けたら、その質問と回答を一つの部署に送り、システムに登録してください。管理画面を作って、質問内容やカテゴリ、回答等で随時登録ができる様にしてください。同じ様な質問に人によって違う回答をしている場合、上席で話し合って回答を統一してください。質問内容やキーワード、カテゴリ、また対象者や質問した人(担当部署、入社歴、役職、職種、業務内容など)で検索や閲覧ができる様にしてください。画像も添付、閲覧ができる様にしてください。入社時にアプリやサイトにログインするID、パスを配布し、メールアドレスを登録して、退社したら削除してログインできない様にしてください。このシステムやアプリで特許を取得してください。自社内で開発、運用を行い、運用が問題なくでき、軌道に乗ったら、他社にシステムやアプリの販売をしてください。利用料を年間100万とし、企業ごとの要望でコンテンツや機能、デザインを追加したり変更する場合は、適宜適正価格で開発を行なってください。イメージは社員向けのカスタマーサクセスのようなチャットボットです。2025/10/07 13:50:13978.名無しさんYIDkd>>973史記では殷が周の武王に滅ぼされた後、紂王の一族の箕子が殷の民を引き連れて朝鮮半島南部に移住している。これは伝説と思われていたが実際にこの時代の稲作遺跡が朝鮮南部にあり、その100年後日本に伝播している。つまり弥生人は殷の民である可能性がある。一方で中国は三国を統一した西晋が内輪もめの末異民族に滅ぼされる。つまり日本こそ正統で中国は蛮族が跋扈する多民族国家である。2025/10/07 16:07:25979.名無しさんj60KlTVもネットもなかったんだから日本の端の僻地のことなんぞわからん罠2025/10/07 16:13:20980.名無しさんYIDkd>>974里と言うと4kmだが古代中国では400m程度だったというのが基礎知識だが2025/10/07 16:24:26981.名無しさんUCQa9>>980記載されてるのは距離というか方角と時間やねいったん九州に上陸して九州内を転々したのは確かだろうが最後に南へ水行20日さらに南へ水行10日、陸行1ヶ月というのがわけわからなくなってるなぜそんなに南へと進んだのかがわからんし陸行1ヶ月て道なき道を歩いたとしたら100㎞も進めばいいほうだろうなかなか奈良にはたどり着けない2025/10/07 16:52:32982.名無しさんLWHPVそもそも古代中国は、記載された数字がいつも大袈裟。戦争に動員された兵力100万人とか出てくるが、そんな動員無理だろ。日本の八百万の神と同レベルと思った方が良い。書かれた数字を鵜呑みにするのは軽率に思う。2025/10/07 17:06:20983.名無しさんYIDkd>>981方角が実は南でなくて東だったとすると畿内になる南が正しく時間を盛ったとすると南九州か沖縄になる2025/10/07 18:56:08984.名無しさんlSDCc>>977🦁へ用語集機能とアクセス権限機能をつけてくださいアクセス権限、アクセス制限する情報は、この情報は〇〇部署のみ閲覧可能ですや、この情報は部長以上のみ閲覧可能ですといった風に、制限の理由を表示してください最適な細かい文言はわからないので修正してください。2025/10/07 19:43:05985.名無しさんlSDCc>>984🦁へ回答内容は時間が経つとともに変わると思うので、過去の履歴が見られる様にしてください2025/10/07 20:09:40986.名無しさんlSDCc>>985🦁へゆくゆくは学校や病院等でも使える様にしたいです各現場の質問や事例、対応方法を共有することで、他の現場でも役にたつと思うからです2025/10/07 20:25:16987.名無しさんnArO6>>986🦁へコンセプトは、経験をオープンソースにすることです2025/10/07 21:09:56988.名無しさんQEp3j邪馬台国はエジプト2025/10/07 21:35:08989.sagecnVyB>>980それでも朝鮮半島が馬鹿でかくなる2025/10/07 21:41:48990.名無しさんhN39M「山門戸畔」(夜万止刀弁)要するにヤマトの姫(巫女)だろヤマトつっても北九州にあったヤマトな2025/10/07 21:47:05991.名無しさんhN39M北九州にあったヤマト国の存在を消して作られたのが記紀なのだから消えてて当然2025/10/07 21:50:44992.名無しさんnArO6>>987🦁へ自社内で運用するときに、利用者からヒアリングして、使いやすいようにアップデートしてください。2025/10/07 23:15:29993.名無しさんiuaYm>>991九州から神武の東征して畿内政権を滅ぼしたとばっちり書いてあるが2025/10/07 23:23:52994.名無しさんhN39M>>993邪馬台国から5世紀の「倭の五王」までの失われた天皇記や国記の事を言ってるのよ2025/10/07 23:30:33995.名無しさんiuaYm朝鮮をほぼ制圧した毌丘倹が手柄を盛った可能性…2025/10/07 23:42:04996.名無しさんYUEHQ神武天皇が137歳、孝安天皇が123歳、孝霊天皇が106歳、崇神天皇が168歳、垂仁天皇が153歳、景行天皇が137歳、応神天皇が130歳、雄略天皇が124歳まで生きたという。4世紀5世紀あたりは時が加速していた可能性…2025/10/08 00:02:05997.名無しさんVEyNp>>996年齢がおかしいのは歴が現代と違うからだね 1/2で考えるといい昔使われていた筑紫年号(九州年号)を無かったことにするからおかしくなってる2025/10/08 00:11:49998.名無しさんYliAEアマテラス=卑弥呼説2025/10/08 00:32:46999.名無しさんJEVjK>>964🦁へ感情ごとのグループチャットを細分化してください。今あるものを全員が使えるものとして、•男性が参加できるもの•女性が参加できるもの•性的少数者が参加できるもの上記3つを追加してください一つの感情に、四つグループがあるイメージです。2025/10/08 02:50:551000.名無しさんhA4bVヤマトの国名がどこから来たのか考えると卑弥呼の別名が山門姫だったからではないかと思う2025/10/08 07:29:411001.Talk ★???このスレッドはコメントが1000件を超えました。新しいスレッドを立ててください。2025/10/08 07:29:411002.Talk ★???【プレミアムサービス無料期間延長!】プレミアムの無料期間を2026/3/31まで延長することになりました。広告除去や規制緩和など、ヘビーユーザーにとって欠かせない機能を無料でお楽しみいただけます。是非この機会にプレミアムサービスをお試しください!▼プレミアムサービスはこちらからhttps://talk.jp/premium2025/10/08 07:29:41
【国際】トランプ「同盟国の多くは友達じゃない」凍りつく…高市総理は台湾有事発言で米に見捨てられたか? 撤回できず、前にも進めず「八方塞がり」 ★2ニュース速報+186601.82025/12/06 14:11:28
邪馬台国は九州にあって倭国と言われてたが
それだと奈良の大和朝廷に繋がらないから歴史から消した
歴史書はこうやって作られて偽りの史実を吹き込まれます
乙巳の変で、記録が燃やされたのが惜しい。
まあ残ってたところで改竄して消されてたわな
実際国史は燃える前に持ち出されたはずなのに行方不明だっけ?
魏志倭人伝以後の書物にもヤマト政権と邪馬台国が別の国として併記されてる
日本の歴史は古事記日本書紀編纂で書き換えられた。
そしてその隠ぺい工作は今も続いている。
50年ほど前大宰府近くの都府楼跡は発掘調査と言いながら
ブルで押して土壌はダンプに積まれ入れ替えられたほど酷かった。
倭国は我が国、朝鮮半島ニダ!!
当時の銅鏡て宝物以上に宝物なんだよな。それも200個て凄い
中国から見ればそう見える立場にいたというだけで
邪馬台国が窓口でその上に大和朝廷があった可能性はあるよ
個人的見解が絡む日記だよ 有名な僧侶や官位のある公家なら重要視されるんだから異常だよ
それよりも卑弥呼の 「卑」って卑しいと同じ文字で、
現代となぜこうも意味が真逆なのか気になる
もし弥生人を嫌う人たちの呼称、的な意味なら人の名前じゃなく団体では?
年已長大 無夫婿 有男弟佐治國 自為王以來 少有見者 以婢千人自侍 唯有男子一人給飲食 傳辭出入 居處宮室樓觀 城柵嚴設 常有人持兵守衛
https://www.youtube.com/watch?v=ggPFElfJEnk
実は沖縄の端っこの島だったから
沖縄人の祖先は台湾人であることはDNAからも明らかがなwww
https://www.youtube.com/watch?v=g5W-PJABiQQ
下に見るのが中国の常識
ということに一応なっているのに
女王の次は弟子を女王にしたとか書けるわけがないからな
愛子様を天皇にしてその次の天皇を愛子様の友人にするような話
当時の中国からすれば異民族はぜんぶゴミだから
漢字を持ってない民族には自称の音に近いダメな意味の漢字を当てた
「倭」は「チビで猫背の障害者弱男」という意味だから
後々漢字が日本に入ってきてようやく意味を理解した大和朝廷の人がブチ切れて「大和」に変えさせた
今でもチョンが天皇のことを倭王というのはその名残
倭とか奴とかも別にいい意味ではないやろ
意図は知らんがそういう字を当ててるだけやろ
日本でも蘇我氏の名前とか変やろ
中国人の帰化人が中国語で書いたwww
天照大神って名前で
卑弥呼は古事記に出てこないがヤマタノオロチは古事記に出てくる
これマメな
卑弥呼と現天皇家に直接のつながりはない、というのが今の考古学の定説っぽいよ
それ以降でも飛鳥時代ぐらいより前に何回か変わってたんじゃないかという説がある
正統性でいえば壬申の乱、南北朝時代に南朝を滅ぼした時点で「王権保持家系」が変わってるから
「王朝」としては実質600年ぐらいしかないからイギリスのほうが古い
「世界に冠たる天皇家」というのは日本人お得意の捏造ホルホル史観
明らかにされた事実だな・・・
https://www2.nhk.or.jp/school/watch/clip/?das_id=D0005402251_00000
卑弥呼なんて存在していなかったから
卑弥呼を祀る神社もないし
陳寿本人は一度も日本に来てないし、使者から聞いた伝言をテキトーに書いて出来上がったのが魏志倭人伝
邪馬台国が九州は無理筋。九州に有力な豪族がいて、それらの外交等と混同してる説が一番論理的。
そうだったのか、ハリウッドで映画化されそうだ
古代「日本列島を支配していた権力」の本拠地は朝鮮半島にあって
天皇家はその分家というか代官にすぎない存在で
白村江の戦いでようやく独立を勝ち取ったという説もあってな
基本、女性は表に立たず代表にはならないが何かあると女王や女主はいたるところで登場する
高い立場にはいたわけだよ
その後の支配者にとって都合が悪かったんだろう
だから書いて残さなかった
そんな単純なものでもないけど
古代日本はあまりに資料が少なさ過ぎて空想史観の遊び場になってるのも事実
「日ユ同祖論」すら否定しきることができないレベル
https://www.youtube.com/watch?v=i5U0DlN8-DI
- **卑弥呼の時代**:卑弥呼は3世紀頃(200年代)、具体的には魏志倭人伝によると238年頃に活躍した邪馬台国の女王とされています。これは弥生時代後期にあたります。
- **聖徳太子の時代**:聖徳太子(574年頃~622年)は6世紀末から7世紀初頭、飛鳥時代に活躍しました。
- **木簡の時代**:木簡は主に7世紀以降(飛鳥時代~奈良時代)に広く使われ始め、行政や記録のために使用されました。卑弥呼の時代には木簡の使用は一般的ではなく、考古学的証拠もほとんどありません。
**結論**:卑弥呼の時代(3世紀)は聖徳太子の時代(6~7世紀)より約300~400年古く、木簡が普及する前の時代です。弥生時代には文字文化が未発達で、木簡の使用は一般的ではありませんでした。
https://www.youtube.com/watch?v=eMp7jkyhv60
複数資料がある場合もそれぞれの立場を考えれば答えは見えるよ
敵と味方で相違がなければ正解なわけだ
相違があってもそれぞれの立場を考えれば何が起こったのかは類推できる
皇祖となってるがそういうのを論じること自体が禁忌となっている
天皇ことスメラミコトは元々九州から奈良に来た
スメラミコト以前はオオクニヌシが国主だった
出雲に参勤交代として1年に1ヶ月集まるように義務付けられていた
記紀では日本各地の地名や富士山、神社神道の由緒との整合性が全く無いね。
神社の由緒も全く持って噴飯ものである!
別にそもそもの日本は男系に拘ってないやろ
そんなところだろうな
なにせ古すぎるから資料はあてにならん
まあ記録技術はあっても保存技術がなかったってことやろ
腐らない金印とかが残っただけで
出来る時まで妄想で遊ぶしか無い
記録なんか残ってる訳がない
海外で知られていただけで、日本では知られていなかった
現代でもまあありえる話しでは?
邪馬台国、エジプト説と言うのがあった。
邪馬台国はエジプトにあって日本とエジプトを
統治していたらしい。
でも西暦239年頃のエジプトって、ピラミッド
作ってから3000年経ってたし、かなり衰退してたんじゃないかな?
『日本書紀』の作者が、神功皇后と卑弥呼は同一人と思ってたのは明らかだ
中国の歴史書によると倭王・卑弥呼は魏に「朝貢」していたのだが
『日本書紀』では「倭王が魏に朝貢していた」という事実(屈辱の歴史)を抹消したかった
そのため「倭王ではなく倭王の妻である神功皇后が朝貢した」というふうに歴史を捏造した
これが正解
こうして2000年前から交流があるし海があるとはいえそんなに遠くない、漢字だってふつうに使ってる
なのに中国語はできないだよな
不思議だよ
卑弥呼は日本人じゃないから
まあ、正直、白江村の戦いのとに筑紫は
唐・新羅の連合軍に占領されただろうからね
中国の歴史書には筑紫が占領された事実は書いてないので
日本としてはなかったことにしたい
小松左京だか星新一は邪馬台国ハワイ説を唱えてる
DNAの中にハワイへの憧憬が刻まれてるからみんなハワイ旅行に行きたがるとのこと
ちなみに西暦239年ごろのエジプトはローマ皇帝の直轄領だから
邪馬台国はローマ帝国だった…?
しっくりくるんだがなあ
神話との整合性とかヤマトの名前の由来であるとか
皇室の三種の神器のひとつである鏡は卑弥呼が使った鏡なんだという説もある
倭国大乱の後に剣鉾の文化が本州の銅鐸の文化を一掃した件は東遷説の有力な裏付けだ
さっさとDNA鑑定すれば良いのに
させないのはカルト宗教の圧力
だから研究が進まない
ノロ、ユタという歴史書にものこってる
記紀が編纂されたのは8世紀の前半
日本に文字も伝来していない時代の、それも500年前の人物なんて分かるわけあるかアホ
卑弥呼が日本最古の神社である大神神社の巫女で
現在でも天皇陛下が大神神社に参拝するわけだから
さすがに神社の言い伝えとして記録は残ってるよ
記紀の編纂者が歴史を改ざんしているとしたら
「中国に朝貢していたこと」や「九州と大和の関係性」じゃなくて「天皇家と朝鮮半島王朝との関係性」だと思うよ
桓武天皇ぐらいまで天皇家の裏で朝鮮人が相当怪しいムーヴしてるから全く無関係なわけないけど
正史に天皇家と朝鮮王朝の関係はほぼ出てこない
ムー編集長も徳島に足を
ゆがめられてるんじゃね?
結局日本の歴史ってやくざ的一家の民族抹殺の歴史だろう?
旧皇族は民間人なのでDNA鑑定可能であり
すでに外国の大学などでDNA鑑定されてる
その結果から、昭和天皇や現在の天皇陛下は「縄文系」で確定してる
弥生系ではない
歴史というものがいかにいい加減かは近年わかってるわけで。
不毛すぎるんだよな、物語としてエンタメとして楽しむ程度の話
宗教みたいなものだな、荒唐無稽な話だ。
男系ではないのはその通り、どう読んでも
卑弥呼と台与の時代に「男王制度」が廃止されて「女王制度」に変わってる
「男王制度」が再開されたのは390年頃の応神天皇からだな
たぶん「女王制度」で失敗したから
王位継承は男系男子に限定されたんだな
武器商人と付き合ったダイアナ妃を見ても分かる通り
女はあっさり悪い男の言いなりになる
鶴子を見れば分かるように今も昔も数十万程度なら十分まとめられる
各地にあったそれらの最大の一つ
金印は怪しくない
まともな研究者で、金印を偽物と言ってる人は皆無
すでに科学的に分析されてるよ
ちなみに邪馬台国論争も
九州説にはまともな学説が一つもなく、学者の99%は畿内説だよ
現代ではイブは実在したん説がでてきてるけど
王というか神官だろ?枢機卿とかだろ?祭祀をするのが男ってちょっと気持ち悪いよな。
朝鮮半島の南部に初めて大きな国をつくたのって朝鮮人じゃなく倭人なんだよ
朝鮮半島の発掘調査でも最古の遺跡から出てくる遺骨は倭人のDNAを持った遺骨なんだよ
だから中国の歴史書にも「朝鮮半島の南部には倭人が住んでいる」って書いてあるでしょ
なにを言いたいかというと百済や新羅の王族は倭人だった可能性が高い
百済や新羅の王族は倭人なんだから日本で活躍しても当たり前
朝鮮半島の先端のほうはもともと日本といっていいような印象はあるよな。
まあ明確じゃない時代なんだろうけど。
卑弥呼が女王になった頃に「銅鐸文化」が消滅してるから
卑弥呼の前の男王時代は銅鐸文化で
祭祀も今とはまったく異なるものだった可能性が高い
畿内説では銅鐸文化の消滅を説明できないだろ
アンだけ生産性ある土地に何もないわけないだろという。
カルト正当性のために歴史を捻じ曲げてるやつがいつの時代もいるんだよ。
無い情報があまりにも気になる畿内説だろ。
中国は日本列島が南北に伸びる島だと勘違いして
古地図にもそう描かれてる
距離もわざと遠回りして案内してるし
何もかも不正確
神は安定安穏を破壊するのが好き
女王が上手く行かなかったと言うか中国から入ってきた男系文化に乗っ取られたってのが正しいかと
いずれにしろ都合が悪いから男が改変した
言葉の意味は何でしょうね?
生活に関わってるのって、明治維新からだしな。
例えば、今でも政治経済のドンが排出される山口県・福岡県あたり。
実際魏の使節は玄関口に留め置かれて邪馬台国への入国は出来なかったからな
なんか、発掘調査で前方後円墳が見つかって、朝鮮が起源で日本に渡ったと騒いでたら、日本のより新しかったから埋めちゃいました、って読んだ記憶があるけど本当ならチョンはやっぱ脳に欠陥があると前に思ったわ
「新しい教科書をつくる会」が盛り上がった時に
パヨク側で日本史教育全廃を主張した教授がいたのを思い出した
日本史教育は結局ネトウヨの再生産にしかならないそうな
あと東日本大震災までは
「歴史的資料の記述から災害の規模と範囲を推測する」という災害史研究は
引退したおじいちゃん史家の趣味ぐらいにしか思われてなかった
奴国2万戸が博多なら、七万戸を有する邪馬台国は筑紫平野か筑後佐賀平野のどちらかじゃないと辻褄が合わない
吉野ケ里がある佐賀平野も有力候補だが
古代中国語で首都を意味する「大宰府」が邪馬台国の最有力候補なのは確実
左遷地太宰府(文字を変えてる)はヤマト政権の後付け設定ね
ヤマトとカタカナで書くのも「大和」は倭国に似せた後付け地名だから
山しか無いド田舎奈良に邪馬台国ほどの大都市があったことは地理的物理的にありえない
あったなら大阪京都の次に栄えた土地になってる
福原京があった神戸よりはるかに田舎の奈良に首都だった面影はなにもない
それがどこの神社にもそんなものは無いんだわ
だから創件だと言われる件
儀鳳暦、元嘉暦という中国の暦がある
これによると、一年に一歳年を取るのではなく、一年で何歳も年を取る暦のやり方がある
古事記や日本書紀はこの中国の暦のやり方を真似たと考えられている
現代の学問の常識からいって、紀元前7世紀の日本にこんなキチンとした暦日がおこなわれていたとは疑わしい
小川清彦 (天文学者)帝大主席は『日本書紀』の暦法を西暦450年頃を境に以前を儀鳳暦(麟徳暦)、以後を元嘉暦と考えれば
日本書紀に記載された3箇所の平月を閏月に修正するだけで、『日本書紀』の暦日が全て解明できることに気付き、
1938年頃に論文「日本書紀の暦日について」の大略を書いた
それホント
初めて知った
天武天皇が実権を握ったとき、天智天皇の子を殺害した。これが壬申の乱
天武天皇は出自があいまいで、得体のしれない人物
天智天皇の弟というのも嘘と思われる
天武天皇は天智天皇に近寄って、その家系を根絶やしにして権力を握った
そういう人物が最初に何をするかというと、自分の正当性を世に訴えること
自分が正統であるという歴史書を編纂してそれを世間に広めればよい
古事記、日本書紀はそういう視点から編纂されたようです
崇神天皇の360年ごろに変って、紀元前660年の神武天皇の東征というものを設定して、二王朝の並立をないことにしたようです
そのような事情によって、記紀は、「ハツクニスメラミコト(はじめて国を開いた天皇)」が崇神と神武の二人いる、というおかしな記述になっているわけです
吉田神社の神主。
応仁の乱後、古典籍の焼失を背景に、多数の経典を偽作して次々に新しい作法を生み出して唯一神道を創始し、
喧伝によって幕府や公家に取り入り、全国の神社を統括する立場を得た。
宇宙の根元神である国常立命を中心に八百万の神々を祀る祭場所大元宮を創設し、全宇宙を表現。
また、慈遍が提唱した「根本枝葉果実説」を大々的に訴え、神道を中心とする「唯一宗源神道」こそ正当な神道説であり、
本地垂迹説を「両部習合神道」として批判した。
このように、本来、神道の神様という存在は、氏族の祖先や、古代の地方の豪族だったはずなのに、
どんどん大言壮語が過激化し、カルト化していくわけです。
天皇家の16枚の花弁の菊紋は神聖なる紋章であり、古代から受け継がれている
という説があるが
日本においては、菊は元々は外来種であり、中国から伝来したもので、平安時代になって用いられ始めたものである
そして古事記の文字も、中国から伝来したものを使用している
また、古事記が編纂されたのは西暦712年と、中国や西洋、インドなどの聖典と比べるとかなり新しい時代である
淮南王劉安(紀元前179年 - 紀元前122年)が学者を集めて編纂させた思想書。
巻二 俶真訓
「天地未だ剖(わか)れず、陰陽未だ判(わか)れず、四時未だ分れず、萬物未だ生ぜず……」は
『日本書紀』の冒頭「古(いにしえ)に天地未だ剖(わか)れず、陰陽分れざりしとき……」の典拠となった。)
『日本書紀』における「天地開闢の神話」なるものは、『淮南子』と『三五歴紀』のコピペで済みます。
詳細
https://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5187/
日本書紀の典拠となった漢籍類
三国志、漢書、後漢書、淮南子等
『日本書紀』の冒頭「古(いにしえ)に天地未だ剖(わか)れず、陰陽分れざりしとき......」は
中国の古典の『淮南子』の「天地未だ剖(わか)れず、陰陽未だ判(わか)れず、四時未だ分れず、萬物未だ生ぜず......」によっている
日本書紀の天地開闢は、淮南子や三五暦記の内容を切り貼りする事で、ほとんどの部分を再現できます
中国の古典を模倣して創作されたのが、日本の天地を創った古代の神々の正体です
その通りでございます
あるいは土蜘蛛(つちぐも)、熊襲(くまそ)と呼ばれるものは、迫害され、殺戮されていた地方の人びとへの蔑称です
土蜘蛛とは元は、土ごもりと言い、穴倉に暮らしている原始民族への侮蔑の言葉です
地方の人々を虐殺し、奴隷化し、差別し続けた歴史が、勝者側にのみ都合よく綴られているのです
しかし昔の人の価値観ですから、当時はこれが正史として重んじられたのです
今の日本人はそれを神様と呼んで祀っています
奴隷にされた黒人が、自国を植民地化した、昔の白人を拝んでいるようなものです
次いで、農耕社会になって血族が団結して農地を拡大していくと、
他の血族との間で、農地争奪の戦争が始まります
負ければ、奴隷階級という被支配層となり、支配層と被支配層の階層社会が形成されます
支配者は、支配者たる理由が必要になります
そこで、神が作り上げられたのです
つまりは神に選ばれしものだから支配する側なのだ、という論理です
当時の政権にとって卑弥呼が
都合の悪い存在だったから。
「書かない自由」は日本の伝統芸だった
ってことだw
50年前に国内で発見された、古事記や日本書紀の原書だと主張されているホツマツタヱ(秀真伝)
現存する写本の中で一番古いものは江戸時代後期に作られたとされていて
それより古い時代に存在していた証拠はない
ホツマツタヱには古代の大阪平野に存在しないはずの大和川が出てきたり
他にもホツマツタヱが成立したとされる紀元2世紀初頭には存在しない湖も出てくるので偽書が確定している
また文章も歌舞伎の台詞に影響を受けた形跡があり
ホツマツタヱに出てくるウラミ・ネタム・ナヤミという言葉は日本の近世語であり、古代にはない
「こうした近松文学的な発想と表現は、江戸時代に入ってからのものであり、上代文学の中に見出せるものではない」と論じられています
インドを支配する為にアーリア人が新興宗教持ち出してきたのと一緒だな
男系も男を有利にする為の宗教洗脳
ほとんどの宗教は男性有利の男系
『天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記』(御鎮座次第記)
『伊勢二所皇太神御鎮座伝記』(御鎮座伝記)
『豊受皇太神御鎮座本記』(御鎮座本記)
『造伊勢二所太神宮宝基本記』(宝基本記)
『倭姫命世記』
いずれも奥付には奈良時代以前の成立となっているが、実際には鎌倉時代に伊勢神宮の度会行忠ら外宮祀官が執筆したものと判明している
歴史学の研究では、伊勢神宮の外宮の神職であった度会氏が、外宮を内宮(祭神・天照大神)と同等以上の存在として格上げすることを目的に、外宮の祭神である豊受大神を、天之御中主神および国之常立神と同一神とすることで、天照大神をしのぐ普遍的神格であることを主張するために執筆されたと推定されている
神道五部書は、江戸時代に、尾張の東照宮神官である吉見幸和により、偽書であるとして激しく批判された
専門家によると、この偽書である神道五部書こそが神道の根本理論にあたる
回答
壬申の乱に勝利した天武天皇が、初めて、これまでの「大王」(おおきみ)に代わって「天皇」という称号を用いたとする歴史学説が有力です
「天皇」の表記については、大陸からもたらされた道教において宇宙の最高神とされる「天皇大帝」に由来する説が知られています
また、唐の高宗が674年に「皇帝」を「天皇」と改称したのにならい、天武天皇も天皇表記を採用したのではないかと推測されています
全国に何件あったんだろ
スサノオ「姉ちゃん、あの時はごめんな。興奮しすぎてつい。」
そもそも邪馬台国は中国側の設定で日本全体を指すものでない。
たぶん九州が地理的にも有力であり、奈良の大和朝廷とは別で日本列島に複数の国があったと考えるられるわけ。
日本の歴史は全て一本道にしたい不都合がある。敗戦時に連合国のアメリカは仁徳天皇領を真っ先に調べて中から大量の装飾品を持ち出しアメリカに持ち帰った。
天皇は都合よくひな壇の作り上げた人間であり、戦争終わった直後は無数に我が本当の天皇の末裔と湧いたのも、今の天皇がおかしな家系だから。
つまり、明治時代できた言葉であり、それまでの、天皇家のことが当てはまるわけではありません
継体天皇の時に、天皇家は断絶して、新たな血筋になってます
「福井近江の豪族」であった継体天皇60歳の時に生まれたとされるのが欽明天皇です
そして欽明天皇の子供たちが近親相関を繰り返すして皇室・皇族一族ができてくる
この近親相関図は日本史教科書に記載されているあのややこしい関係です
後にこの一族の正当化の為に8世紀に造られる神話が「古事記」「日本書紀」となります
世界では珍しい女神でありながら太陽神というというアマテラスオオミカミを祭神とする神社です。つまり天皇家の神社です。ということは、皆んな大好き神社の中では一番格式が高いわけだ
そんなお伊勢さんですが、不思議なことに天皇が参拝していなかったことが判っている。天皇で初めて参拝されたのが女性天皇 第41代持統天皇(在位690~697年)です。 それまでの天皇が参拝されなかった理由は何だと言われているのでしょうか? 理由を教えてください
回答
伊勢の伊勢神宮より前に伊勢神宮とされた神社は70社もあることが分かっており、多くは近畿〜中部で、岡山にもあります
それらの神社は、「元伊勢」と呼ばれてます
伊勢の伊勢神宮が天皇家の神社とか、いちばん格式が高いという設定が公式になったのは、ある程度の時代を経てからのことです
ですから、そういう設定が確立されるまでは参拝しなかったのでしょう
架空の女神の太陽神を「日本の皇祖神」と言う設定にして、多くの人々が信じ始めてから、その後、参拝をするという習慣、儀式が出来てきたわけです
上古の中国神話
「羲和(ぎわ)」 太陽神であり女神
アマテラスの元となったと言われています
メソポタミア
「シャマシュ」 太陽神であり女神
シュメール文化のウトゥが取り込まれていく信仰過程で、性別が反転し男神に変化していきました
そのほかの太陽神であり女神
アイルランド「アイネ」
アイルランド「エーディン」
エトルリア「アルビナ」
ヒッタイト「アリンナ」
ポリネシア「アタヌア」
ポリネシア「アタラパ」
エジプト「バステト」
サーミ人「バイウェ」
バスク「エキ」
ギリシア「エレクトリイオネ」
ギリシア「エーオース」
北欧「ソール」
日本「稚日女尊」
など…
ほかにもたくさんいます
現在の地に鎮座する伊勢神宮の創建も持統女帝の時代、と言われています
持統天皇以前の伊勢神宮は別の地だったのようです
女帝となった持統天皇が自身の権力基盤を確立する為に
それまでの太陽神=男神だった天照を女神に変えた、との説が有力です
実際に、この持統天皇の時代に伊勢神宮の禰宜=神官の変更があり
20年ごとの式年遷宮もこの頃からという話です
ですので
持統天皇よりも前の代の天皇が参拝していたのは別の地だったようです
馬鹿々々しい
記紀のなかで、有力な豪族はだいたい神とか神社のネットワークのなかに位置づけられてるだろう。
天皇家は実は、古代にさかのぼると、ユダヤ人だったのですか?
日ユ同祖論は本当の話なんですか?
日ユ同祖論…(日本人の祖先がイスラエルの失われた十支族の一つとする説)
回答
DNA分析で数十年前に完全に否定されています
日本人にユダヤ人(ヘブライ人)の因子はまったくありません
ユダヤ人と日本人のM-DNA比較においては共通点は完全に無です
天皇家は日本最大の血脈で、子孫が日本では一番多いのですが
オックスフォード大学の塩基の研究では、天皇家は縄文人との結論が出てます
天皇家がユダヤ人とすれば、日本人の一般市民にも子孫が数多くいることになるわけですから、M-DNA比較でユダヤ人の因子が出てこないということが有り得ないのです
その荒唐無稽をプロパガンダとして政治的に使うのが大陸文化なので、それを学問的に否定するためにも人文学は必要なんだよね
パレオゲノミクスで解明された日本人の三重構造【2021年9月16日 金沢大学】
「日本人(大和民族)」は「縄文人(約15%)」と「北東アジア人(約15%)」と「東アジア人(黄河流域など、約70%)」との「混血民族」です
日本には漢字が存在してなさそうだしw
https://www.youtube.com/watch?v=1qfDeT1vWaI
景初二年(西暦二百三十八年)六月 倭女王遣大夫難升米等詣郡 求詣天子朝獻 太守劉夏遣吏將送詣京都
正始元年(西暦二百四十年) 太守弓遵遺建中校尉梯儁等 奉詔書印綬詣倭國 拜假倭王 并齎詔賜金帛 錦 ? 刀 鏡 采物 倭王因使上表答謝詔恩
Y染色体で父系を辿ると、アフリカから出た人類の祖先は全て「ハプロタイプCT」を共通先祖としており、
「Dタイプ」が日本人に特徴的に見られるハプロタイプで、近縁はチベット・ヤオ族(チャイナ)・フィリピン
このタイプはユーラシア大陸南部の沿海部分を通って来て拡散したと考えられます。
「E」タイプがユダヤ人に見られるハプロタイプなのですが、
「E」が生じたのが70000-76000年前にアフリカか西アジアで発生したと見られており、
この時代にはユダヤ人は存在しませんし、当然ながらユダヤ教もありませんし、ユダヤ人と日本人は近縁とは言えません。
日本列島人からユダヤ人に多く見られる「Eタイプ」は一体も検出されていません。
見逃すべきではない
初代卑弥呼は天照大御神と同一視されている可能性もあるし、他の人物や神に置き換えられている可能性もある。
幾多の部族長が臣従した事実から、男性にとって魅惑的な美人で、ベースは温和だが時に
硬軟織り交ぜて対応するような女性かな~と妄想する、会ってみたい。
神道学者は、天壌無窮の神勅があるんだから国民主権なんてのは受け入れられないと主張した。
矩因奏?曰:高麗之地,本孤竹國也。周代以之封於箕子,漢世分為三郡,晉氏亦統遼東。今乃不臣,別為外域,故先帝疾焉,欲征之久矣。
南蛮とか言っちゃうジャップの精神も中国様から受け継いだものだね
やっぱ 中国様は偉大だわ
宇宙人か未来人でしょ
っていう鯨統一郎氏の本面白かったなー
確か東北説だった記憶
おそらくは九州でもないもっと西のほうの小さな島だろうw
土地の者はあの者は陽を見る巫女じゃよと答えた。
そして編纂するに当たって東に倭の国があってそこのくび長が陽を見る巫女と
聞いたと記す。編纂時にはこれを詰めて陽巫女とすればよかったが話言葉から
当て字で卑弥呼とやっちまった。後世、卑弥呼の名がつかわれるようになる。
記紀は朝鮮半島を南下した御一行様が列島にたどり着き今の奈良に落ち着いた。
ゆえに卑弥呼の存在すら知る由もないから編纂しようもないというのが一般的
解釈だ。つまり畿内説はあり得ない。御用学者の解釈は間違っている。
神代文字
倭国なんて存在しないし卑弥呼も存在しない
吉野ケ里遺跡とか見てみなよあの妄想建築物全部妄想
中国語は今では半分が和製漢字
日本では違う名前なんだろ
それだけよ
神代文字をマヤ人にも教えチチェンにも書き残された偉大な文字神武天皇が世界を作った
魏志倭人伝に普通に倭国がでるだろ
それは何処で作られたものですか?
又聞きの又聞きで、クソ怪しい内容だよ。
こんなの本気で取り扱う代物じゃない。
当時の中国からはそう見えていた、レベルの事でしか無い。
日巫女または姫御子という説が有力
王朝がつづくには天命が必要だというのが儒教の歴史観なので。
もし主君が人の道を外れて、ていさめても聞かないのであれば、君臣の関係はなくなる、という孟子の湯武放伐論がある。
自分に都合の良い推測をすればどうとでも出来るだろ
卑弥呼は口に出す文字として残す事すらおそれ奉られる最強の巫女だっただけかもしれんしな
それも個人名ではなく役職名だったりとか
日本には長らく文字がなかった
日本は神含めウホウホサルのように混紡持って潮干狩りをしていたメデタシメデタシ
文字を覚えたのが嬉しくて夢日記にしたのがホントのところ
どこにいったんだろうな北京原人の・・・ねw
それは戦争という厄介なものがあったゆえだ。
日本(倭国)にも小競り合いはあったが中国ほどえげつではなかった。
当時は熊襲(いまの熊本県以南か?)とも争ってはいたがお互い
侵略するほどでもなかった。そこが中国と大きく異なる点だ。
ゆえに文字も必要ではないし船団も必要ではなかったと思われる。
元々、文字は暗号文としての立ち位置だからマル秘扱いでもあった。
宗像大社がまっすぐ朝鮮半島を向いてるっていうのもあるしねえ
それ当時の日本になかったというだけのことだ。
魏の国にはすでに存在していた。それゆえその記述が現存
するわけだ。なので当時を知る手掛かりにはなるがこれが
かなり大雑把で信用に値するかは疑問の余地はある。
文字ではないが縄を使った絵文字?はすでに存在していた。
のちの国字というのがそれに匹敵する。
文字もない時代の物がどこに記されてるの?
当時の中国語文化には、外来語(現地人の発声音)を漢字に置き換えて表記する時
似た発音の漢字の中から敢えてネガティブな意味を含む漢字、あるいは各種ケモノ(人間より劣った生物)を意味する漢字をわざと選んで当ててたんだよ
なので「卑弥呼」も「邪馬壹国」もそう言うルールに沿った外来語表記になってる
そのルールを前提に当時のヤマタイ国民の発音だけを同じ音の漢字に置き換えたんだとすると、ヤマタイ民の意味として卑弥呼は「日巫女」だったんではないか?とも(一部では)言われてるね
他に誇れるものが無いからこじつけたいだけなのかもしれん
そうそう
日本人が漢字を習得する時、同時に「卑字」の風習も入って来たので
中大兄皇子たちに虐殺された蘇我氏も馬子だの入鹿だのケモノの漢字をあてがわれた、とも言われてるね
それを認めたくなくて、畿内政権では独立直後から本国に関して箝口令を敷いていた
奈良時代に唐風の制度や大仏みたいな宗教や
日本書記とか作って唐と交流したwww
九州で金印が出たけど
クソ食いチョンゴキブリ頭腐ってんか?
しかも悪い意味の漢字は持ちいられていないから
相手方からも敬意を持たれていた存在だと分かる
やはり葦原瑞穂国の国主だったのが分かる
卑弥呼なんていうヤマトは元々朝鮮半島からやって来て
国を騒擾させて国主から国を奪ったのが分かるわ
後の遣隋使や遣唐使も倭からの使者として記録されてるけど
ちょんのーは朝鮮半島からの侵略者だからだよ。
卑弥呼は日本人の国家。そして、侵略してきたちょんのーに滅ぼされてしまった。
でそれで信じ込んでるの?
まあ、これだよな。
全国統一は大和朝廷がするまでされてなくて、それだって全部終わるのは奈良時代くらいまでかかってる。
わのなのくに なんて大した言われ方じゃないのにどしたん
かつて邪馬台国体制に逆らった家系を出自とする彼は、軍才はありながらも政治的には長年冷遇されていた
兵士からはカリスマ的な人気を集めていたが、本国で反乱を起こせるような状況にはなかった
奈良時代の全国統一って?
東北の北端まで大和の影響下に入ったのは豊臣秀吉のときだし
北海道沖縄まで含めて今の日本なら明治時代だよ?
ヤマトは朝鮮人
正統な国号は豊葦原瑞穂国
大国主が本来ならこの国を統べるべきだ
悩み苦しむ後の神武の耳に、はるか東方の地まで大規模な軍勢を送るという一大遠征作戦の話が飛び込み、その野心に火をつけたのだった-
泰山で封禅の儀式もしていると吹聴していた
この程度が解明できねえのに
核廃棄物を1万年も無事に保管できると思うか?
思わねー
人類がそこまで存在するかは甚だ疑問だ。
1万年後と言えば10,000年先だ。地球はすでに高温の渦の中に
いる。金星は最近の観測から500度に達した。地球もそれくらい
まで熱せられそうだ。海水はすべて蒸発。おれはもうこの世には
いない。どうなるかおれの知っちゃこっちゃねー。
江戸時代以前までの邪馬台国研究にはなかった
大和政権以前の王朝を無かった事にしてるから
外国の歴史書と矛盾が出る
縄文時代250代ほど統治者はいる
出雲と伊勢は流れ者
ロマンだよねー
魏と上手く外交していた王を知らないわけがないけど、ヤマト王権以外にそう言う王がいたのを歴史書に書くのは都合も悪いみたいな事情ありそう
ジャップが記録を燃やすのは1400年来の伝統なんだ(´・ω・`)
三国時代の魏に遣いを送って
邪馬堆の国「倭」の王の一人として称号を与えられた女王の名称
当時の日本は統一国家として認識されたのでなく、「魏」の一部として多くの支配者(馬)による野蛮(邪)な小国が散在する島国(堆、台)という程度だったと思われる
古事記は天皇が支配する統一国家(邪馬台⇒大和国)としての歴史書的な意義を有する物であり、
大和が神国として天皇が支配する以前に散在した小国は単なるネイティブ集団であり、神が創造した天皇支配による統一国家として記述するには全く価値の無い存在だったのではないだろうか?
天照皇大神
室町時代にもいたんだな、竹平蔵みたいなデマゴーグが
大日本史は現在の歴史教育・研究にも限りなく悪影響を及ぼしてる
魏に朝貢して王として封じられた蛮族が
なんで魏の一部なんだよ
思い上がってんじゃねえぞ
朝鮮は古来から中国の一部でしかない
渡来説に矛盾は無い
朝鮮も蛮族
歴史上、一度として中華の一部として認められたことはない
ヤマト政権が滅ぼしたなら、逆に歴史に残る。ヤマトとは無関係に滅んだんでしょ。
「わのなのくに」とは
野蛮人の小国という意味だよ
https://www.isc.meiji.ac.jp/~katotoru/20190419.html
「倭」とは
「取るに足らない小さな島国」と同義だよ
「漢の」属国でしかない
「倭の」小国という程度
「奴の」蛮族と同義
島国の一部族とはいえ遠路はるばる朝貢に来たのだから、せめて国王の称号くらいは与えておこう
その程度の意味だよ
まだ漢字に込められた本来の意味までは知りようもない時代だからな
倭人伝では単に「倭」としか表してない
地方の小国という意味であり何処でも構わない
日本からの朝貢であれば日本を指す事になる
それだけ自尊心が強いのに、聖徳太子に
日出処る天子、日没する天子へ
とか煽りメール送られたら切れるw
倭は典型的な形声文字
それ自体に独自の意味などない
出雲スサノオからアマテラスが権力簒奪
アマテラスから10代崇神天皇11代垂仁天皇が権力簒奪するがまとまらず
15代応神天皇が権力を掌握
26代継体天皇が担がれる
大化の改新で中央集権化
記紀は権力者に都合よく書かれたものだから
冊封関係は長い
それで中華の一部として認識される
誰が認めようが認めまいが関係ない
笑
誰が?
冊封しただけの蛮族が中華の一部と認められることは決してない
蛮族は何年かけようと蛮族のままだ
君は中華思想というものが分かっていない
繋がらないというより
地方の
単なる小国だっただけだろ
古事記以前の事は
天皇を神と定義する為の口伝でしかない
記述する文字が無かった時代の事だから何とでも言えるのだが
文字が無かったのだから仕方ないとも言える
https://www.rekishijin.com/26064
以上
邪馬堆の小国が遠路はるばる朝貢に来たのだから
その程度の称号と土産を持たせて帰しても特に問題は無いだろう
『記紀』のヒコホホデミはぶっちゃけ空想上の存在だと思うけど
卑弥呼(日巫女?)は多少の誇張はあったかもしれないが類する人はいたと思うよ
『三国志』を遺した支那の側に捏造する動機がないから
漢字の本来の意味も知らない時代だよ
名前として呼ばれただけで何でも有り難がっただろうよ
口伝なんてねえよ。
むしろ、ちょんのーマンセーのための創作歴史捏造偽書が古事記。ありもしないマンセーファンタジー。
記紀が神話で魏志倭人伝のほうは記録だろうけど
かつての邪馬台国の金印紫綬の栄光を利用するのは当然でしょ
九州にあった小国の一つに過ぎないから
ただ女王卑弥呼が後世になって一人歩きし
あたかも日本を統治した強大な国家みたいになっている
名も無い蛮族の島国だからだよ
「倭国」は小国を指す一般名称だろ?
遼東半島から朝鮮北部で自立していた公孫淵を倒し、魏の直接的支配が朝鮮半島に及んだ
中国に限らず歴史書を意図的に曲筆するのは権力に阿るためだ
倭の女王なんて創作したところで『三国志』の作者陳寿が仕えた晋にも、陳寿のルーツである蜀漢にも何のメリットもない
期限年前後くらいの時代だ
そこから3世紀になる間に畿内と九州の交流はほとんど見られない
ちょうどそのころから機内で急速に発展し大型の前方後円墳が出土するが
魏志倭人伝の記載とはかけ離れた遺跡物ばかり
金印は江戸時代の有名な(名前は失念)国学者が自説を通すために
贋作を作って志賀島で誰かに発見させたという説が説得力あったなあ
誰か詳しい人いませんか
とは言え、所詮は外国の伝聞記録でしか無いのが残念。
信頼性は乏しい。
当時の日本に関する記録が全然無いからね。
せめて現存する古墳を学術調査出来れば、新たな発見も有るのかもだが。
https://rekitabi.hatenablog.com/entry/2024/01/02/225939
いわゆる神代文字というのは朝鮮のハングルを基に江戸時代につくられたものだと言われている
ハングル作ったのは李氏朝鮮の王なのだが………
「卑弥呼」は中国からの呼び名やもんね
「多くの人形が出土する『綾波レイ』とされる人物は本当に実在したのだろうか」
と学界で議論されることになる
ちょんのーはマンセーファンタジーを捜索する理由があったし、権力者が作る歴史書は権力者に都合よく嘘が混ぜられているというのは歴史学の常識。
一方で、海外の話について中国が嘘を捏造する意味はない。だからこそ信頼できる。
古墳を調査されると朝鮮渡来だとばれるから調査させないようにしてんだよなあ。
というか、最初は調査できてたのに、途中に政府が介入して禁止したのは明らかにちょんのーマンセープロパガンダに都合が悪いものが見つかったから。
時系列まったく分かってない馬鹿。
意図的な嘘でなく、外国での伝聞など当てにならないという話。
残されていたとしても、日本書紀と古事記の時点でファンタジー90%なので、どこまで信用できるか分からんけど
今から卑弥呼時代の記録が見つかるとは思えないな
日本人蔑視は有ったと思うが「魏」も国名としては変わってる
こちらは軍旗に目立つように大書きしていた
3世紀前半の東アジアでは敢えて変な漢字を使うことが流行りだったんじゃないか
「邪」という軍旗を立てた卑弥呼親衛隊みたいな軍団を妄想する
3世紀には分裂し鮮卑や匈奴みたいな異民族の侵入で五胡一六国の時代が暫く続くのだな
平和な日本に文明を持って帰化人が押し寄せてきたに違いない・・・
日本で、漢字渡来以前に古くから用いられていたという文字。
日文(ひふみ)・天名地鎮(あないち)・阿比留(あひる)などがある。
古来、神道家などの間にその存在が信じられてきたが、その多くは表音文字で、現在ではすべて後世の偽作とされる。
神代文字は47音ないし50音しか書き分けない。
奈良時代以前にまでさかのぼると,日本語の音節には〈いろは〉47文字では書き分けられない多くの音があり,それらは五十音図のうちには収められないところの音であった。
いろは歌や五十音図だけでは示しきれないところの音が上代にはあったのである。
これらを〈万葉仮名〉ではちゃんと書き分けてその区別を守っている以上,もし神代文字が本当に〈かな〉以前のものであったとすれば,
少なくとも,もっと多くの字体がなければならないのに,いわゆる〈変体仮名〉にあたるものさえなく,きわめて整然とした統一をもっているのである。
たとえば、今は「ハ」(ha)と読む平仮名として「は」だけを使っているが、明治時代までは、様々な形を使っていた
神代文字には異体字がなく、統一された字体による新聞・雑誌の普及された近代以後のように47音ないし50音と統一されている
近代以前には、統一された字体、音によるテレビ・ラジオ・新聞・雑誌が存在せず
文字のすべてが手書きであり、統一する方法もなく、昔の時代には異体字が多く存在することは当たり前のことだったのです。
古代の文字であるはずの神代文字には異体字が存在せず、近代以後のように47音ないし50音と統一されている。
識字率が低くて誤字が多かっただけやぞ
斉藤みたいなもんや
滅ぼしたわけではないから同化してるだろう
わい、熊襲やねんくらい言ってほしい
竹内巨麿によって、代々伝わってきたとものとして昭和10年に公開された文書群
モーセの十戒は実は天皇が、来日したモーセに授けたものであり
釈迦をはじめ世界の大宗教教祖はすべて来日し、天皇に仕えたことになっている
竹内文書が創り上げたオカルト的な天皇崇拝の奇説は、その後、さまざまな神道系の宗教で利用されるようになる
しかしこの文書は
書かれたとされる年代には無い、幕末から明治以降に欧州から翻訳された単語や概念が多数みられるので、完全に偽書と判明している
遺伝子的には縄文人で起源がほかに見当たらない独立系だってよ
ゆえに韓国人が占領したと言いたがるが鼻で笑われ無視されるw
縄文系の分布も今では調査しにくくなったね戦後に大量に来てるし
人の移動も盛んになったから
古くなく
それ以来宗教とイデオロギーを振りかざすのはやめた
江戸時代で暇人が色々オカルト創作してたのを
明治の開国とともにそういうオカルトを取り上げて
「世界の中心、大日本」を演出したというのが真相かと
中身は道教、仏教、インド宗教のパクリなんですけど
軍部も結構その思想に染まってて、太平洋戦争で暴走した一要因になってたと思います
いい部分もあるけど、嘘っぱちが大半なので、私は距離置いてます
モモソ姫(卑弥呼)はマンコに箸が刺さって死んだ
というモモソ姫を馬鹿にしたような伝説が残っているが
おそらく卑弥呼が魏に援軍を頼んだら
張政が邪馬台国にやってきて、邪馬台国の実権を握りはじめて
卑弥呼のマンコを刃物で突き刺して殺したんだと思うよ
箸は中国文化の象徴だし、マンコに刃物を突き刺すのは中国の伝統
戦前からほとんど弥生系だからな
人の移動で薄まったのは沖縄ぐらいだろ
昭和の初めに、天津教という宗教団体の教主である竹内巨麿が公表
内容は、「神武天皇の前に、26朝1168代の神が天皇として世界に君臨した」とか、「2000億年前に、皇子が世界に散らばり、世界の五色人(黄人、赤人、蒼人、白人、黒人)の祖先となった」など、荒唐無稽のものでした。しかし、日本人の優等性を強調したい軍関係者を中心に支持を集めました
また、日本人はユダヤ人の子孫だと主張する酒井勝軍(かつとき)という人物が天津教を訪れ、モーゼの十戒石の捜索を依頼します。まもなく十戒石が竹内家の宝物から発見されます。
その後も、日本のピラミッドの記録や、キリストが日本に来た記録など、酒井が求めるものが次々に発見されます。
もちろん、酒井の話に合わせて製作したものと思われます。
しかしこの文書は
書かれたとされる年代には無い、幕末から明治以降に欧州から翻訳された単語や概念が多数みられるので、完全に偽書と判明している
現代で使われている概念や単語の五割ほどが、幕末から明治にかけて、西洋の思想や文物等を和訳するために、当時、新しく作られた和製単語であり
対応する単語もなく、概念自体が無いものがほとんどで、哲学、民族、国民、宇宙などの簡単な単語すら幕末から明治にかけての発明品
古代から伝わってきたはずの竹内文書には、幕末から明治以降に発明された和製単語や近現代西洋由来の概念単語が多数含まれてるので、偽書が確定している
朝鮮系は併合したからだね
それと海流に流されて遭難したグループが佐渡あたりまでかな
壱岐とか対馬はたびたび襲われていた伊都国対馬国壱岐国と表記された古地図があるね
男王を擁立しようとしたら
さすがに倭国側の反発がすごくて内乱状態になって
倭国側が勝利して、台与を女王になった
台与は邪馬台国の使者と一緒に張政を帰国させてる(台与と卑弥呼が張政と会っていた証拠)
弥生系を朝鮮系って呼んでるの?
併合当時も現代も日本より人口少ないんだけどな
それなのに現代日本の9割が弥生系って計算おかしいw
卑しい巫女だもんな…
古くは中国の動乱で逃げてくる坊さんたちが多かったり
日本仏教の始祖はそういう人たちだろう
例外は日蓮ぐらいかなよく勉強しなかったがそういうのが目立つね歴史の教科書にはw
邪馬台国は日本の代表でも何でもない、全国にある小国のうちのひとつに過ぎない
今の韓国人は弥生人とは無関係だよ
既に朝鮮半島から消えた古代朝鮮人は弥生人と近いけど
今いる韓国朝鮮人は中世に南下して朝鮮半島に住み着いたエヴェンキ系民族の一つ
その頃の卑弥呼より偉い人は誰だったの?
239年、卑弥呼は魏の都・洛陽に朝貢した。
607年に聖徳太子が隋の皇帝である煬帝に送ったとされる国書でデビュー
この差をどうとらえるかは自由w
文字自体はあったが都合が悪いので全部燃やした
史記の記述からも明らか
冒頓単于と武帝は時期被らないだろ
司馬遷が実際仕えていて一番克明に書いてるから
史実だよ
同格である「恙なきや」と呼びかけるのが同じ
俺は「いよこ」と考える
いよこを古代中国人が「卑弥呼」と漢名にしたのだ
史書には卑弥呼の次の女王が台与「いよ」となっているので
邪馬台国の女王は代々「いよ」もしくは「いよこ」と名称が決まってるのだよ
出雲に残るやまたのおろちは蛇への年貢のお話
卑弥呼の読みはおそらくピミコだと思うよ
上古日本語だとピになるし中国側文献で同じ漢字の単語で鮮卑がある
冒頓単于は漢ぶちのめして講和してるからそもそも漢より格上なんだよね。その後武帝時代に力関係は替わるけど、歴史的には一時的なもの
シナ王朝もいろいろと誤魔化してるけど、近代に入るまで基本的に遊牧>シナなんだよね
全文楽しく読ませていただいた
じゃあ「卑」は上から目線の蔑称で、本名は「ミコ」さんだったのかな?
卑だの鮮だの倭だの奴だの呼んで悦に浸るの好きそうな向こうが勝手に付け足しただけなのかな?
卑はともかく
鮮と倭は字自体にマイナスの意味はない
新鮮とか鮮明は悪い意味ではないだろ
魏志には倭国は出ない
もちろん日本国もない
外国に隠すためとか暗殺防止の為に架空の卑弥呼作ったって説はどうよ?知らんけど。
国内にしかなかったら、それはそれで信頼性に乏しいだろw
そうなのか、その辺のニュアンスはわかってなかったみたいだありがとう。
「鮮卑」とかどんだけ相手舐めてんだって、勝手に思ってたわ。
http://inoues.net/mystery/kibaminzoku.html
古墳人と弥生人はDNAが違ってるって最近言われてるな
https://www.asahi.com/articles/ASP9K55ZJP9JULBJ00Z.html
鮮は今と昔で意味が違うとどこかで見たけどな
だから朝鮮て付けられたと
日本史(笑)
日本書紀(笑)
魏志倭人伝(笑)
全部創作なのにwwwwwww
http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/kodaisi/kibaminzoku/kibaminzoku2.htm
基本沿岸居住で津波で滅びた
公式な使者なり、日本に行ったことある連中から聞いた内容を記録している。
それはかなり信頼できる情報。というより、それ以上の情報がないんだから圧倒的な情報。
ちょんのーはマンセーファンタジーを捜索する理由があったし、権力者が作る歴史書は権力者に都合よく嘘が混ぜられているというのは歴史学の常識。
一方で、海外の話について中国が嘘を捏造する意味はない。だからこそ信頼できる。
朝鮮半島の檀君朝鮮や箕子朝鮮は後世の捏造
物的証拠がない
中国も都合の悪い一文は無かったことにしてる
殷これ倭国なり
あんたすっきゃねん
ただの占いババアだろ
今で言うたつきりょうだよ
たつきりょうだって若い頃はあった。
今度自民で高市出して自民壊滅のような気がする
女さんは政治やっちゃダメダメ
日本史の教科書に少し調べれば解るウソが書かれてるのか?
天皇のことは記してるから天皇とは全く別の勢力だったんだろう
戦前でも何故北海道の炭鉱近辺じゃなくて
筑豊の炭鉱の近くの北九州に八幡製鉄所が
出来たのか考えたら分かる話
大陸に近いから北九州の八幡に製鉄所が出来たんだよ
大陸と取引きするのに北海道に製鉄所は作らないだろ
戦前ですらそんな塩梅なのに、太古の昔の
近畿地方なんて、現在、日本から船で南極に行く感じなんじゃないの?
麦焼酎作ってた
日本人のバイブルだよ。
た。
「魏志倭人伝」からわかること
地理:帯方郡(朝鮮半島)から倭国への道程が記されています。
社会・政治:女王卑弥呼の共立、魏の皇帝に派遣された使者、そして魏から贈られた印綬(印と綬帯)や金、鏡などの記録があります
・神武天皇(初代)
背の高さは約3メートル15センチ、胴回りは、両手を伸ばして一抱えした長さに15センチほど足した長さ。頭には9センチほどの角が二本あり、それはまるで雪のような色をしています。背中には龍のような背ビレがあり、その長さは1メートル20センチ、尾の裏側には大きな鱗が72枚あります。105歳のときに皇太子の位に就かれました。
・綏靖天皇(2代)
身長は3メートル、目は黄色に光り、まるで水星のような輝きを放っています。背中に鱗があり、怒られるときにはそれが逆立ちました。その武術は人に勝るので軽々しくモノを言えませんでした。
・孝霊天皇(7代)
生まれながらの御容姿は、他の方とは大きく異なり、お顔が長く龍のようですが、決して醜くはありません。その耳の後ろに白い鱗があります。胸にも9枚の鱗があり、その9つの隙間から氣を放っておられます。俊敏で、どんな遠いところにも行かれます。
・崇神天皇(10代)
背の高さは1メートル90センチ、額に10センチほどの青い角が一本あります。下の顎の歯は短く丸く、舌は長く鼻にまで届きました。
・垂仁天皇(11代)
背の高さは1メートル80センチ、髪は右曲がりに頭を9周するように生え、頭頂部で輪のように巻いてとどまっていました。両脇の下には金と緑の羽を餅、肘にも同じような羽が根ざしておられました。
・神功天皇(14代)
御容姿は非常にたおやかで美しく、その目には二つの瞳をお持ちでした。乳に9つの穴があり、力は強く建物の柱を揺るがすほどでした。
・応神天皇(15代)
背の高さは2メートル90センチ、肘には弓を射るときの「鞆(とも)」いう丸い当て皮のような形がありました。顔の真ん中にの角は天に向かってまるで弓に矢を番えたかのようでした。胸には72本の青い毛が牛の尾のように生えていました。その長さは馬の尻尾ほどで、とても強く根ざしていたので最後まで抜け落ちることはありませんでした。
・仁徳天皇(16代)
御壮年のころで、背の高さは1メートル90センチほど、目には青と黄色の光があり、耳は眉毛の上ぐらいの位置から口の下にまで垂れ下がり、足の指は長く、まるで手の指のようでした。
光のドラコさん乙
プレアデスはできることをしているつもりです
縄文の子供たちを守る理由がある
関わってしまったから
違うな
この国が好きだから
あなた方日本人は自身のすごさを認識すべきだ
が謙虚さを忘れないか
それでいいと思うぞ
神はソドムとゴモラに5人の神を信じる者がいれば滅ぼさないと約束された新約
神なんて信じなくていいぞ日本人
子供たちを信じろ
証明は無理だ
子供たちがこの国を正しく導く
自分にはそれしかわからない
信じるか?
子供たちがこの国を正しく導く
あなたでも自分でも無理だ
アホになれるか?
この国を正しく導くのはアホだろ
利益?そんなくだらないものが欲しいか?
「倭国」とは:当時の日本列島全体、またはそこに住む人々のことを指す言葉でした。
邪馬台国:3世紀の倭に存在した女王の都が置かれていた国です。
卑弥呼:邪馬台国の女王であり、大乱の後に共立(政治を司る)されました。
「魏志倭人伝」からわかること
地理:帯方郡(朝鮮半島)から倭国への道程が記されています。
社会・政治:女王卑弥呼の共立、魏の皇帝に派遣された使者、そして魏から贈られた印綬(印と綬帯)や金、鏡などの記録があります。
日本への影響:日本には文字がなかった時代の史料であるため、日本の歴史を理解するための非常に貴重な一次史料となっています。
おまいら結構調べてるな。このスレでネットの集合知を痛感したわ
諸説あるし個人の見解を加味しても面白い。
ありがとう
シナの家来のパヨマスゴミがはやし立てて乗せられてるだけ
そこからの日本書紀の漢籍記述や「日本」という国号(中華から見て東)を考えると。
ネットに分析した人がいて記事も上がってる
ホツマツタヱを偽書扱いにしてしまうと分からないと思う。古代カミノヨに関しては、ホツマツタヱのほうが本家に近いと思う
だいたいこうやって顔真っ赤にしながら2getして書き込む奴って嘘なんだよなw
竹内文献も東日流外三郡誌も偽書じゃないよねw
ホツマツタヱの中でも三種の神器と十種神宝の継承で王朝が分かれていることが想像できるけど、当時は日本は統一されてないと考える
ホツマツタヱはアマテル(天照大御神)の派閥の主張が書かれていて、古事記と日本書紀は後に卑弥呼の派閥にも気を遣って統合して天孫降臨が創られたと考える
二倍歴も考慮してホツマツタヱを基準にして古事記や日本書紀と倭人伝を合わせる
竹内文書は偽書だと思うけどな。もう一方のほうは知らん
あんたホツマツタヱと古事記と日本書紀の比較研究とか知らんのじゃないか?読んでみ
天孫降臨なんかなくて、イザナギやアマテラスやスサノオは人間だよ
先代旧事本紀は天孫降臨を扱ってるので、ホツマツタヱのほうが原本に近いと思う。先代旧事本紀は物部神道寄りの主張だろう
日本(畿内)にとっての九州 → 辺境
全然おもんない芸人がアメリカでバズって鳴り物入りで帰って来たけどやっぱりおもんない感じ
魏志倭人伝」とは
内容:3世紀の倭(当時の日本列島)の地理、風俗習慣、産物、社会構造、そして邪馬台国や女王卑弥呼の存在について記述しています。
編纂者:中国の西晋の歴史家である陳寿(ちんじゅ)によって編纂されました。
出典:『三国志』の中の「魏書」第30巻「烏丸鮮卑東夷伝(うがんせんびとういでん)」の倭人条が正式名称で、その略称として「魏志倭人伝」と呼ばれています。
倭国について
「倭国」とは:当時の日本列島全体、またはそこに住む人々のことを指す言葉でした。
邪馬台国:3世紀の倭に存在した女王の都が置かれていた国です。
卑弥呼:邪馬台国の女王であり、大乱の後に共立(政治を司る)されました。
「魏志倭人伝」からわかること
地理:帯方郡(朝鮮半島)から倭国への道程が記されています。
社会・政治:女王卑弥呼の共立、魏の皇帝に派遣された使者、そして魏から贈られた印綬(印と綬帯)や金、鏡などの記録があります。
日本への影響:日本には文字がなかった時代の史料であるため、日本の歴史を理解するための非常に貴重な一次史料となっています。
卑弥呼は日本の巫女?
「倭国」とは当時の日本列島全体、またはそこに住む人々のことを指す言葉ではなく
・倭人が住んでる地域は、「倭」
・「倭」にある最も勢力のある国が「倭国」
・「倭国」の首都が「邪馬台国」
実際、当時の関東地方は「倭国」の領土ではなかったので「倭」であったが「倭国」ではなかったはず
言葉は使えたんだろうけど
文字が無くても言葉はしゃべれるんだね
お前らと一緒で語彙力が無いから
やばい、エグい、キモいとかそういう言葉しか使えなかったんだろうね
そりゃそうだよ
天皇陛下が日本最古の神社(卑弥呼が祈祷をしていた神社)を参拝した様子
https://youtu.be/woNU3lgN3rA?si=zCDbfndrrGE843y-
日本最古の神社の周囲にだけ「日本の古代の大王」の古墳は存在している
古墳は物的証拠なので、物的証拠で証明されてる
硯が発見されてるから当時の偉い外交官的な立場の役人は文字を使えたはず
一般の倭人は文字を使えなかった
邪馬台国はその中の一つに過ぎないわけ
大和朝廷とも関係ないし
卑弥呼だって小国の女王だから大したもんじゃないのに北九州だったから中国と交流があったからたまたま記録に残っただけ
それはありえない
卑弥呼は「金印」を授かっている
中華思想は、魏の最も重要な政策なので
てきとーに「金印」を与えることはありえない
魏の使者が倭国を調査して、倭国は他の金印を授かってるローマ帝国やクシャーナ朝(インド)と同格の大国であると判断したわけ
じゃあ九州制圧くらいの国かな
後に邪馬台国は滅ぼされるわけだから
そこまでデカくはないよ
ちなみに卑弥呼が祈祷をしていた神社が日本最古の神社である理由もすでに科学的に判明していて
・卑弥呼が女王になる前は「銅鐸文化」で「銅鐸」を使用した宗教が、倭国の宗教だった
・卑弥呼が女王になって「銅鐸文化」が消滅、卑弥呼が神社(神道)を普及させた
収穫を狙って襲ってくるようないなかったと思うよ海を渡ってくるのが居ただけでw
有明の海の幸、背振の山の幸、筑後川の幸、豊饒の大地甘木
これが筑後川でつながり大宰府から博多に抜けるところは山に挟まれ天然の要塞水城
物々交換の経済ゾーンが出来てたと思うね
脊振山頂のレーダー基地あたりから一望できてたのでそんなこと考えながらぼんやりしてたな~w
邪馬台国は滅ぼされてないよ
ちなみに奈良県の旧国名の大倭(ヤマト)は
魏志倭人伝に登場する邪馬台国の富を掌握してた財務大臣的立場の「大倭」に由来してる
魏志倭人伝は当時の最重要文献の「中国の正史」の一部なので
偶然の一致はありえないので
なんで科学的に解明されてるかと言うと
181年にニュージーランドのタウポで破局噴火があったことが科学的に判明してるので。
タウポの破局噴火の規模はVEI7なので
181年頃に世界的な大飢饉が起きたのは100%確実です
科学的に100%だからな。
倭国大乱と倭国に新王朝が誕生(卑弥呼が女王)と184年の黄巾の乱は
タウポの破局噴火が原因で間違いないです
倭の漢字を使っていた小国は当時腐る程あったんだよ
たくさんある中のたまたま奈良にも倭っていう国があっただけ
ソースは近所の地名
うちの近所にも倭なんていう地名や住所
山程ある
181~184年、倭国大乱
184年、中国で黄巾の乱
184年、卑弥呼が女王になる
仮に卑弥呼が14歳で女王になったとすると
死亡したのが248年だから
78歳まで生きたことになる。めちゃくちゃ長寿だね
64年間も女王だったわけだから、中国がびっくりしたのも当然だ
「倭」という地名はあっても「大倭」という地名は近所にないだろ
ネトウヨレベルの馬鹿
天皇一族が都合の悪い歴史を隠蔽したに決まってるぞ
古事記盲信するネトウヨレベル
古事記、日本書紀なんか歴史の改竄捏造だらけ
そもそも神武の居た2600年前は弥生時代だったと歴史学者がすっぱ抜いてる
古事記日本書紀こそ出鱈目
実在が明らかなのは26代天皇の継体天皇から
それ以前の天皇は捏造の可能性が高い
神武天皇が127歳まで生きたなんて有り得ない
天皇一族によって捏造された
ちょんのーが昔から日本を支配していた!と捏造マンセーするためのマンセーファンタジーだからな。
実際は、日本人国家を簒奪した朝鮮人。当然、それ以前は半島にいた。
神武天皇の兄弟は新羅王という記録(『新撰姓氏録』)が残ってる
ということは、西暦57年に新羅王になった倭人の脱解尼師今が神武天皇の兄弟だから
西暦57年に金印「漢委奴国王」印を授かった筑紫の奴国王が神武天皇ということになる
金印を初めて授かった倭王を初代天皇としたのは
当時の感覚としては妥当なところでは
倭人伝であって倭国伝ではない
古代朝鮮人と今の朝鮮人って別の民族なんだっけか
いくらでも好きなことが想像できて面白いけどな。
西暦57年、筑紫の奴国王が金印「漢委奴国王」を授かったことにより、初代・神武天皇とされた。
107年、第6代・孝安天皇(倭国王帥升)が漢に朝貢した。
181年、タウポの破局噴火、世界的な大飢饉
184年、卑弥呼が女王になる
198年(『古事記』に戊寅と明記されてる)、タウポ火山の影響で権力を失い卑弥呼をサポートしてた第10代・崇神天皇が崩御した。
390年頃までは女王時代で、男王が不在の時代が続いた。男系男子王位継承は150~200年間くらい途切れてる
390年頃、男性の応神天皇が即位、男王制度が復活した
日本では名称と捉えているようだが
実は単なる朝貢の解説ではないかという気がする
「イヤ(卑弥)と(呼)称する者が統率し
非正式(邪)に支配(馬)する島(堆⇒台)の小国」
朝鮮と一括りにすると
半島全体の長い歴史の中では
北の高麗民族による侵略も多かったから
時代ごとに検証と考察を加える事も必要だろう
感情で生きる女に政治とか国の統治とかできるわけがない
ネトウヨは捏造古事記日本書紀を盲信するレベルw
西暦57年じゃ時代が全然合わない
古事記日本書紀によれば神武は今から2600年前
600年近くも年代が違い、全く時代が合わない
邪馬台国が滅ぼされた史実は無かった筈だが
約150年後に消滅していた可能性なら有る
神道支配による統一国家に地方小国の存在は無要なんだから
都合が悪いから削除
未だに都合が悪いと公文書黒塗り公開する国だしw
当時の政治が今の政治システムと同じだと思ってるバカw
中央の歴史とあまり関係なかったのか
大国と同格という事ではなく
魏の属国として後楯となる印を授けた可能性は有り゙、素材の問題ではない
力の証となる多数の銅鏡を土産に持たせた記述も有った筈
シャーマンとか酋長みたいな祈祷師
その程度の意味だろ?
21代の雄略天皇の実在も確実視されてる
稲荷山古墳出土鉄剣に名前が出てくるからね
編纂以前の伝聞は想像つまり昔話として肉付け創造、創作するしかない
当然の事だよ
それも確かに言われてる
色々説があって、天皇は仁徳から実在したと言う説もあれば、継体天皇からが現在の天皇系譜と言う説もある
いずれにせよ初期の天皇は捏造であることは確実
卑弥呼は「卑弥イヨ」と呼ぶ、で魏志倭人伝に卑弥呼と明記された
邪馬台国の女王は代々イヨと命名される
2代目女王も台与(イヨ)だった
みなさんお気づきだと思うがイヨと言えば、愛媛県の旧地名伊予である
大宰府の九州王権がいまの愛媛県から女王になる女性を迎えたのだ、それが卑弥呼イヨ女王である
卑弥呼が亡くなり男王政権になったが世が乱れたので再び伊予から女性を迎えた
それが台与(イヨ)女王である
歴史改竄?
卑しい女王なんて
自分の国の統治者に呼称しないからね
中国共産党が1800年前から、日本領土全土は中国領であり、日本人と日本を勝手に名乗り不法占拠している
よって日本人をただちに完全絶滅し、日本を滅ぼさなければならない
という戦略が立てられている
古代日本は文献も出土品もすごい少ないから
ちゃんとした大学教授と自称専門家がほぼ同じ土俵で戦えるし
トンデモ論でもちゃんとした理論作れば学者論破してホルホルできる
九州王朝説唱えた古田武彦はただの高校教師だし
日ユ同祖論は確かキリスト教伝道師の趣味の研究だったはず
って言葉は
目には目を埴輪ハオ
つまり埴輪がコンニチワって事だ
なんとなく気付いた
捏造なのもわからない程度の史料しかないよ
たまたま卑弥呼の記録だけが見つかってるだけじゃね
欠史8代以上だと思ってて、崇神天皇が神武天皇
神を崇める天皇
載ったんじゃないの
そして卑弥呼は倭人じゃなく亡命した中国移民
土着の崇神は、異民族と戦いながら東征した
日向や大隅、薩摩の隼人を率いて鬱陶しい奴を潰していった
すると難波に良い場所が在ったんじゃないの?
半島は負けた歴代中華王朝の避難民が造った
負けた奴はどんどん半島南部に追いやられて日本に来た
それが卑弥呼達
崇神天皇という名前を付けたのは奈良時代末期の漢学者 淡海三船です
淡海三船は記紀が成立した時点では生まれてすらいないので
ただ作文を呼んで感想をくっつけただけですね
でさ、神が付くのは崇神まで無いんだよ
こんな歴史はどうかな
だから倭人が管理する地域が在った
半島が、高句麗などの満州北方系と中国系が多い理由
なんで九州の小さいとこの話になったり、奈良に飛んだりするのか。
やっとわかった。
史料が魏史倭人伝と日本書紀古事記くらいしかないから、載ってること羅列したら一貫性なくなっただけって言う。
中国から朝鮮半島は地続きだし間違えようはない
朝鮮半島の先も日本しかないよ
魏の時代に日本の一部を卑弥呼が治めていたのは事実だな
その後に編纂したもので、タイムラグがあっても50年程度だろう
逆に言えば話が伝わる期間を考えれば50年くらい前の話の可能性はある
飛ぶっていうか各地に有力豪族がいて邪馬台国もそのひとつで、それらを大体統べたのが豪族のひとつだった大和朝廷みたいな感じでは
朝鮮と日本で国が違えばなおさらだ
百済と交易があった時代もあるとはいえ当時から別の国である
魏志倭人伝も何処まで信じていいか微妙ではあるが、古事記や日本書紀なんて元々口伝だからなあ
ヤマト王権には神聖化に都合が悪いから記録から消した
おそらく九州北部から出雲くらいまでは統治してたんじゃないか
九州南部や東は熊襲や蝦夷がいたという記録があり、鎌倉幕府あたりの時代に平泉は他民族の統治だった
その範囲の話になる
日本に文字がなかった、あるいは漢字以外を使ってたなら音を写しただけである
ヤマタイコクとヒミコ
大和国と日巫女でもぜんぜんおかしくない
天照大神も日巫女だわな
そうすると天皇家の由来とも符合する
当時の日本に統一王朝なんか存在しない。
テキトーも何も、無い物は無い。
大和王権が頭抜けた存在になるのも神功帝辺りで、それでもまだ強力な周辺豪族が多数存在している。
邪馬台国の話はそれより数百年も昔。
大和王権が絶対的存在になる契機は、雄略帝による征伐。
埼玉県でワカタケル大王(雄略天皇)を記した剣が出土している。(国宝)
物的証拠で存在証明された最古の天皇。
日本史の基本な。
無いw
物的証拠としては古墳や銅剣、銅鐸が出土するから、何らかの共通文化な勢力が支配していたのは確定。
それ以上が分からんw
邪馬台国もそういったヤマト政権の力の及ばない地方の小国だったのだろう
ヤマト政権が日本というか奈良より西の地域を統一したのは6世紀頃だよ。神武天皇だの欠史八代だのは全部嘘っぱち
実在の可能性が高い雄略天皇とかもまだ地方の一勢力に過ぎないヤマト王権のトップを天皇にでっち上げただけ
現地国が知らない存在w
そもそも飛鳥時代まで日本は文字が無かった
文字は漢字を遣隋使が持ち帰って広めたのが始まり
それまで日本は全部口述伝承
飛鳥時代より前の歴史はかなりウソが混じっている
中国の史書も日本の史書も
基本的にはその時の権力者の都合のいいように書かれてるので
全部が事実ということはありえない
よって権力者の都合に関係ない部分はある程度信じてもいいかな、というレベル
その意味で記紀は全然駄目
魏志倭人伝は比較的信じていい部類
ブッダは「複数人のエピソードを1人にまとめた」説が有力
ガウタマ・シッダールタはほぼ実在したと言われているが、推定生没年に250年ほどの揺れがある
キリストのモデルと考えられているナザレのイエスはローマ帝国が処刑した記録があるが
この人物は住民扇動の罪で磔にされた以外の事績が一切不明
魏志に書かれてたことだってどこまで本当で正確かなんてもうわかりようがないし日本書紀も古事記もその時の偉いさんの都合で書いてるものだし
卑弥呼ていう個人の特定は無理だから「今で言う日本の何処かに何からしらの集落みたいなのが有ったかもしれなくてそこに偉い人がいたかもね」くらいのもんだろ
事件や表現は大きくなる
鬼にしてもモデルは外国人のバイキングだと言われているな
一つ角や二つ角、彼らのヘルメットがそうだ
白人は日焼けで赤くなりやすく、そうでなければ青くも見える
赤鬼青鬼もまさにそれだ
昔話はそのまま信じるのではなく、誇張や勘違いを修正し真実を確認することが必要
記紀も当時記録がなく過去を振り返っている部分は口伝の言い伝えであり、誇張も混じる
だがそれは事実を元にしているはずでフィクションとは違う
フィクションを書いても誰も信じないからな
『魏志』の編者陳寿は、鬼道という呼称を、張魯の場合に限ってとくに用いたらしい。
https://www.y-history.net/appendix/wh0203-118_1.html
研究しておかないと、隣国がわけのわからんファンタジーから卑弥呼は朝鮮半島出身とか言い始めるからな
実際に、分国論とかいう妄想で古代日本には朝鮮三韓三国の分国だったというファンタジー唱えてるからな。日本の極左(早稲田歴史学とかな)もそれに乗ってるから始末に悪い
うーん、ナイスですね!
フィクションなら合致させるのは不可能だからな
内容が食い違う場合は確認が必要になる
記録ミスもあれば故意に書き換えた可能性もある
それはそれぞれの立場を踏まえ推測すれば真実に近づく
別の物が二つあることで確度は上がる
精度もわかる
複数のメディアや国で同じデマが吹聴されることもある
その点、日本の古代はデマや書き換えが少なく信頼度は高いと言える
これは同じ時代の複数の文書を見ることで確認できるな
そして卑弥呼が天照か天照の信者かは置いといてそこから天皇家自体は現在まである、途中で影武者に挿げ替えされようが他所の血が入ってようが現存してるのが大事
世界で最長の歴史を持つ国って事実は変わらんぢゃん?
中国4000年の歴史とかは国が何度も滅んで国名も変わりまくり
所詮はアメリカより歴史の短い国だし姦国の歴史なんて夢物語だしな
西晋についての歴史書『晋書』は、倭人と西晋の関係について、
曹操の子、曹丕が建国した魏の司馬懿(=宣帝)が、公孫氏を滅ぼして遼東半島に支配を広げたときに、
日本の女王があいさつのためにピョンヤンの南方(=帯方)に使者を送ってきた、
その後も朝貢が絶えることはなく、司馬昭(=文帝)が魏の宰相になったときにも続いた、
司馬昭の子、司馬炎が建国した泰始(265-274年)のはじめに重ねて入貢した、とある。
> 宣帝之平公孫氏也,其女王遣使至帶方朝見,其後貢聘不絶。及文帝作相,又數至。泰始初,遣使重譯入貢
晉書/卷097
https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%99%89%E6%9B%B8/%E5%8D%B7097
司馬氏と卑弥呼政権の関係は良好だったらしい。その影響が残ってるなかで魏志が含まれる『三国志』は書かれた。
> 司馬炎が建国した泰始 X → 司馬炎が建国した西晋の泰始 〇
https://youtube.com/watch?v=zSnyAMHaFf4&si=wot6TSMjKxI63NI8
http://turugisan.tv/
へー
想像と妄想とまあ少しのロマンって感じだよね
楽しむ分にはいいけどこれが真実だとかいう人ってどうかしてるし
学問にしてるのもどうかと思うよね
公にそんなこと言えるわけないしな
神戸じゃ渚(なぎさ)と 名乗ったの
横浜(はま)の酒場に 戻ったその日からあなたがさがして くれるの待つわ
つまり第十五代応神天皇の母君で
長らく摂政を勤めた神功皇后が卑弥呼なんです
それだと応神天皇の産みの母は誰かということになる
神功皇后って実在したとすれば4世紀終わりくらいの人だよね
で、魏志倭人伝によれば
さすが倭国の女王の使者が入貢したのが西暦238年で、その後数年で死んだような記述があるわけだけど
実は200歳くらいまで生きたイメージなの?
卑弥呼を特別扱いした挙句の矛盾だらけで草。
三国志を読んで知ったんだよ
え?
>>494
皇紀861年は神功皇后摂政元年されており
これは西暦201年に相当します
魏志に載る卑弥呼が魏に使いを送ったのは西暦238年
つまり神功皇后が魏志倭人伝の卑弥呼と全く同時代の人物だと分かりますよね
>>495
一番しっくり来るのが神功皇后ですよ
>皇紀861年は神功皇后摂政元年されており
>これは西暦201年に相当します
つまり神功皇后は三韓征伐やってないってこと?
古代の神道は基本的に氏神、先祖を祀る社だからね
今の感覚でいうと神社よりも墓に近い
で、結婚しなかった(当然子供も作らなかった)とされる人物を誰が祀るのかって話だ
結局卑弥呼と連呼しだしたのは最近なんだろうね
松陰神社 招魂社
卑弥呼は未婚で子どももいなく、弟が口伝承していたわけで、
もし子どもがいるとするならその子どもの母親は誰かということになる
舊百餘國 漢時有朝見者 今使譯所通三十國
漢の時代の100国あまりに畿内の痕跡がまるでない
倭国大乱を経て30国に縮小したのにそこに畿内が入っているはずがない
今以汝為親魏倭王 假金印紫綬 装封付帶方太守假綬 汝其綏撫種人 勉為孝順
加えて、卑弥呼を女王と認めるから諸国にそれを広く知らしめて貢献せよということまで書かれている
松陰神社は古代からあったのか?
お前の脳内日本史では中世はいつからだよ?
だな、桃太郎は
後ろに
百太郎w
音だけの当て字
中華が蛮族の国や王の名に使うのは全くおかしくないだろ
匈奴、鮮卑、蒙古とシナは周辺民族に蔑称つけるからな
軍事は遊牧のが上なんでフルボッコにされてるのを蔑称つけて精神勝利するのがシナ
蛮族の呼称に嘉字(めでたい意味を持つ字)を使用しないのは中華の伝統
中華史に頻出する匈奴の単于(王)も『邪』とか『烏』とか『屠』とか酷い字ばっかり
倭人伝のときすでに婆さんだったらしいな。想像力たくましい歴史小説家が
卑弥呼を女王に祭り上げ、イラストレーターたちが八頭身のモデルのように
描いたのが罪作り
ちょんのーと一緒に大量の半島人が渡ってきただけ。
初期の朝廷は渡来人だらけだったと歴史の授業でも習っただろ。
そもそも、中国じゃhimikoとは読まないんだが。
現代読みではBēimízǐ。
中国や韓国では読み方が変わるんだろうが、何故かそうなってる
ヤマタイコクやヒミコもそうね
「ヤマト政権ヤマトに4中(支柱 しちゅう)」 4世紀半ばって覚えたけど今でも合ってますかね(´・ω・`) ?
日本人だから感じを日本語読みしてるだけで、中国側が当てたときにはhimikoなんて読んでないからもちろん音も違う。ひみこだから日巫女とかってのは大間違いの俗説。
日本の万葉集ならそうだろうけど、中国の文章なんだから、意味あるでしょ。
馬鹿にされてんだよ、言わせるな。
( ´,_ゝ`)プッ
https://youtu.be/v23H7NQ9LWE?si=ubYLctNw__GevZGv
卑弥呼の鬼道は陰陽道や神道と関係が有るのか?
https://www.youtube.com/watch?v=ggPFElfJEnk
https://alachugoku.com/26400
安倍晴明とか役行者のドラマに繋がると面白いなwww
辛酉革命説から来ている
一蔀=21元=1260年遡った年を神武即位と捉えている
辻褄合わせのために治世がおそろしく長い年数となっていて
矛盾が噴出している
天皇号は天武朝に出来たとされる伊勢神宮や斎宮の祭祀も
この天武が始めたのだが
断絶して壬申の乱以前の天智系に皇位は移ることになった
そのためにこの天武が建てた伊勢神宮には
直接の血統は無いため明治期まで天皇が参拝されることは無かった
神功天皇や応神天皇を祀る宇佐に神託を伺うのも至極当然である
後白河法皇が熊野詣でを何度もするのも当り前である
基本祖先を祀り参詣するのは当然だから
血脈にない者でしかも敵対の上に断絶した者が建てた施設に
参詣などはしない
明治天皇はこの血脈から外れて居るから参拝していると思料される
大室寅之助という長州の朝鮮部落の人間だという
そりゃ中国人は中国読みするからヒミコじゃねえんだよ
だが字は日本読みでヒミコ→卑弥呼が当てられる
つまり日本人が当ててるんだろうな
だから、卑弥呼をhimikoと読むのは後の日本人であって、当時の中国人はそんな読み方していない。中国人が音に漢字を当てたのに、その漢字を日本語読みしたら中国人が当てた音とはずれてんだろ。
魏志倭人伝の漢字を日本人が考えた!って妄想珍説はひど過ぎる。自分とこの女王に卑なんて当てないこともわからんのかよ。
15世紀に朝鮮で完成したハングル文字を基に江戸時代の誰かが神代文字というものを創作言ってんだよ
日本にはひらがな、カタカナ以前には中国から入った漢字以外の文字は存在しませんって事
土偶や銅鐸が跡形もなく消えたりするように
日本は昔から切り替わったら前の時代の物は
きれいさっぱり消して無かったことにしてしまう
漢字採用の時点で神代文字は使用禁止になったんだろ
つまり「卑弥」=「姫」と「呼」ばれた高位の女性、記紀で言うの女性の高官を表す「姫」の事で、ヒミコと呼ばれた人物はいなかった。何の矛盾も無し。
学者はアカデミズムが「正史」と信じる以外の文献はすぐ偽史扱いするからね
カタカムナとか真面目に研究されたことすらない
原因と結果の間にうまいストーリーが描ける=科学的、ではないぞよw
神代文字は、昔の遺品に刻まれた文字っぽい文様を日本に古くあった文字だ!と主張するような説だったはずだが。
どっからハングル出てきた?
日清戦争の時に日本が勝った支那人と今の中国人も別の民族になるかな
「資料に記されている」だけでは「決定的な証拠ではない」と言うのなら、北条政子だろうが西太后だろうがサッチャーだろうが
「それが卑弥呼の墓だっていう決定的な証拠でもあるの?」
元々書伝?であって口伝では無いと思う
>>461
いやそれを「物的証拠」と言うなよw
それについて書かれたところがすぐには分からない。じつは政子のことは「二位」と呼んでる。
朝廷からそういう位階をもらってるらしい
古事記は口伝の集合体だぞ
古代日本史スレで稗田阿礼の存在すっ飛ばすとは何事か
人名に邪を使うのはいいのか
>>530
そんなこと言ったら日本にはありとあらゆるものがあった、コスモクリーナーDだってあったことになるぞw
>>532
自分が真面目に研究すればいいだけでは
稗田阿礼は同時代の学者から聞かされた話を記憶しただけだが
ちょんのマンセーのための捏造ファンタジーだぞ。
半島渡来人だったくせに、もともと日本を支配していたんだー!!と捏造。
それって要は口伝だよね
>>540は「古事記は書伝」って読めるけど?
ついでに言うと日本書紀自体は確かにそれまであった書伝をまとめたものだけど
その元書伝はほとんどが口伝を書き起こしたものだから
「天皇家がその始祖から先祖代々書き継がれてきた歴史書」なんて最初から日本には存在しないが
山川日本史まで全部口伝だなw
口伝の意味をそもそも理解してねえんだな。
何代にも渡って口伝えて伝承されたものが口伝。
権力者が創作したファンタジーを暗唱するのは口伝とは呼ばない。
これは皇室の先祖に強力なパワーを持った女性がいたことを示す
古代においては強力な魂は特に死後も大切にしないと災いをもたらすとされ、女神を永久皇祖神とする必要があった
豊穣伸が女神なのは世界的に普通。
埼玉県でワカタケル(雄略天皇)の剣は物的証拠だよ
日本だけではなく世界的にも物的証拠と認められるものだけど
逆になんで物的証拠じゃないと思うの?
すでに物的証拠はあるな。箸墓が卑弥呼の墓だとすると
箸墓は「四段築成」
天皇の古墳は「三段築成」
当時の人々は「箸墓に眠っている女性は天皇よりも偉い」と認識していたのは明らか
モモソ姫は「最高神の大物主神の妻」ということになってる
当然、天皇よりも「最高神の大物主神の妻」のほうが格上なわけで
実は『日本書紀』に登場する人間の中で一番偉いのはモモソ姫なんだよな
・天皇の古墳は「三段築成」、箸墓は「四段築成」で、当時の人々は「箸墓に眠っている女性は天皇よりも偉い」と認識していたのは明らか
古墳は物的証拠だから
文献『日本書紀』の内容と箸墓の形状(物的証拠)が一致してることになる
神功皇后は仲哀天皇は架空の人物
神功皇后のモデルの1人は卑弥呼なので年代を合わせにいってる
崇神天皇が崩御したのが戊寅(198年)
卑弥呼女王の独裁体制になったのが、199年
仲哀天皇(架空の人物)が崩御したのが、200年
神功皇后(架空の人物)が実権を握ったのが、201年
西暦57年、筑紫の奴国王が金印「漢委奴国王」を授かったことにより、初代・神武天皇とされた。
107年、第6代・孝安天皇(倭国王帥升)が漢に朝貢した。
181年、タウポの破局噴火、世界的な大飢饉
184年、卑弥呼が女王になる
198年(『古事記』に戊寅と明記されてる)、タウポ破局噴火の影響で王位を失い卑弥呼をサポート役になっていた第10代・崇神天皇が崩御した。
11代垂仁天皇と12代景行天皇と13代成務天皇は実在だが王ではなく、女王のサポート役だった。
390年頃までは女王時代で、男王が不在の時代が続いた。男系男子王位継承は150~200年間くらい途切れてる。
(14代仲哀天皇と神功皇后は、男王不在の時代を埋め合わせるための架空の人物)
390年頃、男性の応神天皇が即位、男王制度と男系男子王位継承が復活した
それこそ女系でなくてはならないのにね
仏教の影響で捻じ曲げたんだろうか?
血統の話でも父親の遺伝子は子供に受け継がれるので直系であれば性別は関係ない
わざわざYにこだわり出したのは何かしらの思惑があったのかな
明治政府の捏造な。
天皇プロパガンダと家父長制度。
「邪靡堆」だな。大和というのは文字を使うようになってから決めたんだろうな
邪馬台国の漢字は同じ
魏の景初2年(238年)邪馬台国の卑弥呼が使節を送り親魏倭王の金印を授かる(行方不明)
東晋の義熙9年(413年)倭王讃(応神天皇?)使節を送る
梁の天監1年(502年)倭王武使節を送る
隋の開皇20年(600年)聖徳太子遣隋使を送る
明の永楽2年(1404年)足利義満が日本国王之印の金印を授かる(行方不明)
明の万暦24年(文禄5年/1596年)豊臣秀吉が金印を授かるも激怒して溶かす
もし卑弥呼が天皇家に連なるなら金印で4種の神器になっていそう。
後漢の時の国号が倭で、後の倭の五王の時に倭に戻っており、
邪馬台国は消滅している。
つまり九州王朝の神武の東征にやられたのが
畿内王朝の邪馬台国だったのではないか?
Bじゃねえって言ってる人おるよ
ピミカ~ピミコじゃね?って。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1434343229
卑彌呼 ぺっネクぁ (頭はPeです)
邪馬臺 ヤマドゥ
邪靡堆 ヤマトー
上古音系、字表(検索窓に字を入れて検索)
ttps://ytenx.org/dciangx/dzih/
国際IPA記号読み上げサイト、北京官話(Mandarin)か広東語(Cantonese)で
ttps://www.capyschool.com/en/reader
「現代読み」ではBēimízǐ。
とはっきり言ってんだろ。
当時の発音は諸説あるのは知ってる。
いずれにしても、日本語漢字読みでひみこだからー!ってやってんのはアホ。
後生に作ったものではない
メリットがあるから来た
>>568
そういうのズレてるからやめなよ
亜米利加(アメリカ)
仏蘭西(フランス)
お前は、亜米利加をアベイリカ、仏蘭西をブッランニシ、と読むのかよ?
当時の中国人が、卑弥呼をヒミコと発音しててもおかしくないよ
違います 日本と同盟を組んで敵を挟み撃ちにするため
全く違う
小国が海渡って軍事協定結べない
それだと当時の日本は強大な国だったことになる
近年というか最近になって縄文、弥生の年代が以前と全く違ってきた
属国にするためにわざわざ来ない
それならわざわざ来ない 記述もしない 重要な任務で来ている
一旦統一して外交にあたったが、その後戦乱に戻り、また、統一された
中国が不安定になって戦乱になるのと同じ
女系=女ではないぞ
例えると愛子内親王は男系でその子供が性別に関わらず女系となる
ならその子供から見て母系=女系は1代目は愛子内親王
その前は雅子皇后
じゃその前は雅子皇后の母親
そのまえはまたその母親と
おそらく幕末あたりで遡ることは不可能だと思うよ
ここは宗教が密接に絡んでいて
カトリックの直系跡取り娘を即位させずにプロテスタントの外国にいた傍系のおっさんを王として迎えた経緯がある
こういう事はまったく説明せずに都合いいとこだけ抜き取るのは良くないよね
英王室はプロテスタントでないと直系の跡取り娘より外国にいる傍系のおっさんを即位させるくらい宗教が即位に優先事項であると説明しないんだからさ
せめてその妄想に至る根拠を示せよ。
文字で記録して伝達しなくてもいい統治しなくてもいい何かが
とはいえ、邪馬台国と大和王朝は全く関係ないかは不明。卑弥呼の死亡時に皆既日食があったらしいが、神武天皇の祖である天照大御神の天の岩戸伝説との類似性は無視出来ないと思う。
いや単純に時代が離れてるからだろ
記紀が編纂された8世紀初頭の時点で500年近く前の
しかも文字もなかった日本の3世紀前半の出来事がまともに伝わっていたとは思えない
今の俺らでいえば戦国時代の何の記録も残ってない人物を論評できるかって話だ
卑弥呼さんも大変だなw
同時代にこれだけの女傑が生きていたとは考えにくいので同一人物かもしれないが3人のキャラが被らないんだよな
そもそも天照大神って「機織り小屋に出入りしてたからおそらく女神」と解釈されてるだけで
古い記録のどこにも性別は明言されてないそうだね
何をそんなにムキになってるのかさっぱりわからん
真偽もなにもかもはっきりしない書物だけをたよりに何十年引っ張ったら満足するのか知らんけど
https://www.youtube.com/watch?v=w2Ijd4JDTc4
https://www.youtube.com/watch?v=O9-Xpkzy2ro
①卑弥呼が北部九州に邪馬台国を作った。
②魏が金印とか銅鏡を贈った。
③卑弥呼が死んで邪馬台国は衰退した。
④大和朝廷が奈良に誕生した。天皇皇族の始まり。
こういう順番なんだが、何か問題あるのか?
ですよね、大日?貴命を中国語で蔑称として書き直したのが卑弥呼ですよね、アイツら必死に日本人を差別するもん罵詈雑言4000年。
北部九州は当時も文明が発展してて既に神功皇后とかいらっしゃったから、皇族ですら無い卑弥呼とかいないよ。
山田国だったとか山奥の人が言うけど、そんな所には文明のかけらも無い。
だから佐賀や山口の秘境の可能性しか残らない。贈り物の奴隷を中国まで運べないといけないからね、野蛮な一族だろ。
山口の美祢まわりが秘境であることは否定しない。
美祢線乗ったことあるが、あれは黒部峡谷鉄道に匹敵するw
佐賀とか福岡平野部は山はあっても険しくない。
農耕集落があっても不思議じゃない。
文明が発達してたかは知らんが。
所詮中国の三国志時代で滅んだ国の歴史の下書きを書き写したものでしょ。古い古い言ってるだけの荒っぽいコピー文書。
①魏志によれば倭では六十余りの小国(後の律令国と混同か?)に分かれて争っていたが
女王を盟主として戦争を終わらせることができた
(女王の居場所のは書いてない)
③魏志によれば女王は入貢から数年で死に、倭は再び乱れたが
やがて別の女王(イヨ?トヨ?)のもとで戦乱が収まった
④記紀によればヒコホホデミはもともと日向国高千穂の王で
軍勢を率いて東征し、大和の国橿原の地に至って都を築いた
考古学的には6世紀までに筑紫(九州)、吉備(山陽)、出雲(山陰)、毛野(関東)の有力豪族による連合政権が誕生したという説が有力
天皇の呼称自体は7世紀の40代天武天皇もしくは8世紀の44代聖武天皇から
山口に調査もされない古墳が大量にあるのは卑弥呼の墓を隠してるって言われてるよな。
その女王が卑弥呼ってわけだな。
魏志には”卑弥呼”の呼称の記載は無かったのかな?
魏志によれば倭の女王からの朝貢が何度かあって
そのうち1回に金印を授けたとあるわけだが
1度だけ書かれている「卑弥呼」が女王の名前だと一般には解釈されているね
ただ卑弥呼の国とかいう呼称で書かれてはいない
あくまで倭にある「女王の国」
神武東征も既に饒速日命が先に統治していた地を戦わずに譲り受けただけだからね、
朝廷は名乗ってないけど天孫族は日本の関西九州は最初から支配してたんだろう。
卑弥呼の時代も神武天皇の時代も戦争のない安定した時代だったようだ。
魏は日本をバカにしてウソばかり吐いていると思われる。戦争は無かった。
魏志って言ってるけど魏志を書いた人が倭人伝の下書きを書いていたってだけだからね、他所の国の話を正史には加えられないから。後に魏志倭人伝となった。
④が眉唾だな。東海地方をすっ飛ばして関東ってのは遠すぎる。
せいぜい名古屋あたりまでじゃないかね。
九州から奈良までってのも、いいかげん遠いし。
いずれにしても大和朝廷は日本全国を統一してたとは
とても思えない。勝手に王朝を名乗ってたに過ぎないと思う。
一部の勢力や文化人が日本へ逃げ込んで帰化したことで文化を発展させた事が大きい
そうしたことから、いずれ大陸からの勢力が進出してくると考え
大和朝廷を中心にまとまろうと努力したのが3世紀後半から7世紀の間に起こったことだろ
倭の五王の時代にははっきりした大和朝廷の勢力が明らかになっていない
魏があったのは中国春秋戦国時代、
キングダムの時代が卑弥呼の時代だよね?
中国人は三国時代も戦争しまくりだから、
「きっと卑弥呼は殺しまくって制圧したに違いない」
と勝手に想像したんじゃないかね。
で、日本にはそんな血の気の多いことはなく
友達の友達~wって感じで言葉が広がっていった
だけなんじゃないかと思う。
中国みたいな殺し合いなんかしてたら人口もたねえよw
で、奈良で大きな都が出来た、と。
”伝”だから噂話レベルだろうね。
ただ、金印という実物がある以上、
ある程度は信じられるかなと。
記紀の『日本武尊』伝説では相模もしくは駿河に荒ぶる神(大和朝廷に従わない大豪族)がいて
タケルはこれに焼き討ちをかけた(静岡県 焼津市)という
このとき延焼を防ぐために剣で周囲の草を刈った(『草薙剣』)
その後、タケルは上総国(千葉県)まで平定した(常陸国(茨城県以北)は記紀成立時期にはまだ日本ではない)が
毛野から信濃を通って帰国した(このとき失った嫁を想って涙を流したのが群馬県嬬恋村)とされている
https://rekishi-soushi.com/japan/battle-of-baijiangkou/
https://www.youtube.com/watch?v=qwB9xIwO6Rw
そして天武天皇系の日本書記が編纂されるのだな・・・
まさに神話ってやつだなw
想像、創作の域を出ない。
ギリシャ神話やキリスト神話みたいなもの。
だが嫌いじゃない。
天皇家が三種の神器を大事にまだ持ってるあたり、
まさに”神秘的”
むしろ好き。
俺は無神論者だけど、一番好きなのは神道だなあw
ちゃんと九州を中心に遺跡からの出土品があるでしょ
3世紀後半になると、大陸の情勢もあって交流が減り、国内で鏡の複製品が大量に出回ったことで歴史が混乱してただけで
古墳の浸透は東北まであるから統治とは違っても文化の交流はあったんじゃないかな?
古墳の形状から2つの勢力があったらしいし
もちろん眉唾ものだ
しかし橋を作る能力も造船技術も低かった古代において
大河の多い東海道が、軍勢を率いての行軍がしにくい地域であったのは事実だろう
例えば10世紀半ばにおきたとされる平将門(本拠地は上総国佐倉)の乱においても
朝廷からの鎮圧軍は東山道(近江-美濃-信濃-上野-下野)を通って南下している
大和朝廷の勢力拡大にあたって東海道の平定が北関東よりも遅くなったとしても荒唐無稽な話ではない
実在するわけがない
ヤマトタケルがシシガミの冷凍ビームで亡くなって
白鳥になって飛んでいったとかロシア民話のパクリだからね。
イソップ寓話に近い。宗教とかとんでもねーわ。
471年 稲荷山古墳出土鉄剣(雄略天皇)
716年高句麗からの亡命民に土地を与え、高麗郡(埼玉県西部)が成立。
雄略なら関東程度は暴れてておかしくない
お前ほんと馬鹿だな。
日本人が作った当て字と中国人の当て字の区別もできてない。
DNA検査しろよ。
男系たどれるのはせいぜい昭和じゃね。
大正は梅毒だの、脳障害で低能だったり、ひどいもんだぞ。
聖徳太子は実在しないから教科書から消そうとしたけど、アホな感情論素人が、聖徳太子は有名だから残そうよ!と喚いていったん残された。
古事記日本書紀が、ちょんのー正当化のための創作ファンタジーだぞ。
太陽神(男神)=アマテル=ニギハヤヒと同定、この太陽神の世話する巫女がヒミコ=日巫女・日御子、要するに個人名ではない。アマテルを祀る神社にはそれぞれのヒミコがいた。
ヤマタイ国かヤマイチ国か、そこでも太陽神が祀られ、時々神憑りにより神託を告げるヒミコをトップに「祭り上げ」神輿に乗せた格好で「弟」とやらが実質トップとして国を動かしていた。日食=日蝕により太陽神復活の儀式のためヒミコは頃され、「弟」が実権を握ったが上手く行かなかったので「次のヒミコ」=「トヨorイヨ」を神輿に据えた。
ヒミコの墓は宇佐神宮の地下、というかヒミコの墓の上に宇佐神宮が創建されたと思う。比売大神とは代々のヒミコ=日巫女=日御子(その中にいわゆる卑弥呼も含まれる)であり彼女たちが後に様々な女神のモチーフになったのだろう。
https://www.youtube.com/watch?v=YQtwgSMhs6I
聖徳太子って名前がカッコいいもんなw
一時期、札の絵柄にもなったし。
実際には誰かの創作の架空の人物であったとしても
それが多くの人に認識された。
創作だろうがどうでもいいと俺は思う。
過去の話なんだし。
むしろ大山誠一信者がまだいたことに驚いたわ
その大山だって厩戸王の事績が後世の創作だと言ってるだけで
存在自体は別に否定していないのに
歴史は過去の事実、少なくても事実と考えられていることを教えるもので、創作物を教える科目じゃねえぞ。
時代遅れのじいさんは情報アップデートしとけ。
「聖徳太子」と私たちが呼んでいるこの名前は、彼の本名ではありません。これは彼の功績を称える人々が後世になり彼に贈った名前で、贈られた人物の名は「厩戸王(うまやとおう)」。
たしかに「厩戸王」はいましたが、厩戸王が今日に伝わる「聖徳太子」そのものの活躍を実際にしたのかとなると、話は変わってきます。聖徳太子が行ったとされる数々の偉業と彼との関係をあらためて調べていくと、「意外な結果」へとたどりつくのです。
彼の行ったとされる実績は「冠位十二階の制定」「憲法十七条の制定」「国史編纂」「遣隋使の派遣」「仏教興隆(三経義疏、法隆寺・四天王寺の建立)」など、こうして書き連ねるだけで膨大です。
冷静に考えて、「これらをひとりの人物がすべてやったとは考えられない」というわけです。
https://toyokeizai.net/articles/-/118796
呼称のことなら古いのは厩戸王、上宮(かみつのみや)、豊耳聡命あたりかな?
まあ菅原道真だって生きてた頃に天神様とか天満様とか呼ばれてたわけではないしな
天皇のおくり名だって死んでからつくんだし
別におかしなことではないだろう
昭和になってからいきなり「美濃のマムシ」になった斎藤道三に比べればいくらかマシだ
事績もそりゃ一人でやったわけはないし
もし一人でやってたら部下は何のためにいるって話だろう
そもそも皇族が自ら木材背負って寺の普請したなんて誰も思ってないし
現代の政治家だって一人で法案作ってるわけではない
何が言いたいのか分らん記事だな
正直、いつ、誰がやったのかってことに意味は無いと思う。
大事なのは「なぜ、そうしたのか」だ。
教科書ってのはそこに対する考察、掘り下げがあまりに浅いと思う。
神武の居たとされる2600年前は弥生時代なのは明らか
神武が127歳まで生きたと言うのも明らかに捏造
それ21代天皇
15代から実在したと言う説もあるが26代から実在したと言う説もある
いずれにせよ初期の天皇は捏造
もしかすると何かしらいたのかもしれないが
事績が何も残ってないのに100年以上大王やってたとか
140歳まで生きたとか
そもそも即位した時点で99歳だったとか
捏造というにも杜撰すぎだわな
むしろ当時話を創った連中も半笑いだったろあれ
後世の人間が送った諡号だから聖徳太子と生前言われていたわけではないので
居ないということだな
それなら弘法大師も諡号だから居なかったということだな
彼の業績も各地に残る伝承も膨大で全部ひとりの人物がすべてやったとは考えられないからな
アスペかよ。
厩戸王は実在した。
厩戸王は後世になって聖徳太子を呼ばれるようになった。
しかし、聖徳太子の業績とされる「冠位十二階の制定」「憲法十七条の制定」「国史編纂」「遣隋使の派遣」「仏教興隆(三経義疏、法隆寺・四天王寺の建立)」はやっていない。
それらを別の誰かが一人でやったということもない。
だから、そのような業績をやった人物としての聖徳太子は実在しない。
いつ、誰がやったかは歴史的事実の一部。
歴史的事実に反する考察なんてしても的外れの妄想ファンタジー。
考えが浅いのはお前だよ。
証拠がないから建設していないというのと同じだ
えーと
平将門を討伐した藤原秀郷は実在したが
三上山を七巻半する大百足はいなかったから俵藤太は実在しない、みたいな話かな?
下らんね
屁理屈覚えたばかりの小学生は喜びそう
冷静に論破されて発狂してんのがみっともない。
厩戸王と記述するべきである。
「冠位十二階の制定」「憲法十七条の制定」「国史編纂」「遣隋使の派遣」「仏教興隆(三経義疏、法隆寺・四天王寺の建立)」を聖徳太子がやったというのは事実に反するから抹消が必要。
合理的で明快。
足利義政や日野冨子と表記してはいけない
源義政に裏松冨子である
日光東照宮を造ったのは宮大工の棟梁 甲良宗広であって征夷大将軍 徳川秀忠ではない、という話だな?
単純明快に下らん
藁人形叩きは敗北宣言。
>日光東照宮を造ったのは宮大工の棟梁 甲良宗広であって征夷大将軍 徳川秀忠ではない
なんて誰も言っていない。
馬鹿でかわいそう。
冷静に論破されて発狂してんのがみっともない。
藁人形叩きは敗北宣言。
藁人形叩きは明らかな詭弁。
詭弁喚いてお前のどこが、
>冷静に論破
してんだよ?頭悪すぎ。
天皇だって、1000年以上の昔から続いてるって、こんな国日本だけ。
これは日本が誇るべきところ。
ちょんのーにお辞儀したオバマはアメリカ国内から屈辱的だと非難された。
チョンノーに対する世界の評価なんて、頭下げる価値ないごみ。
そんなこと言ってたら写真や映像がないもの全て疑わしい
アメリカ大統領でも天皇陛下には敬礼する。オバマはあまりに敬礼が深すぎて
非難された。
韓国大統領に敬礼するVIPいないでしょ。せいぜい握手まで。
敬礼しねえぞ、デマ吐きカス。
トランプは肩をぽんぽんたたくだけ。
トランプ大統領、お辞儀なし 右腕2回軽くたたいて別れ惜しむ
https://www.sankei.com/article/20171106-GIPRXTCJUJKUPBFUTQSZFDZCTY/
両陛下は平成21年11月に初めて来日したオバマ米大統領(当時)と、御所で昼食をともにしながら懇談された。両陛下と面会した際、オバマ氏は深々とお辞儀したことが、米保守派から「低姿勢過ぎる」と批判を受けた。
一方、この日のトランプ大統領は御所の車寄せで両陛下と握手を交わしたが、お辞儀はなかった。御所を後にする際も同様だったが、大統領は皇后さまに「(夫人の)メラニアは皇后陛下を大変尊敬しています」とあいさつをし、陛下は大統領に「また日本にいらしてください」と応じられた。
大統領は、見送りに出られた両陛下と再び握手を交わした後、左手でそれぞれ両陛下の右腕を2回、軽くたたくようなしぐさを見せ、別れを惜しんだ。専用車に乗り込む前には、大統領夫妻が記者団に手を振る場面もあった。
https://www.sankei.com/article/20171106-GIPRXTCJUJKUPBFUTQSZFDZCTY/3/
日本書紀→大昔に複数の作家が共同で書いたSF小説
古事記→あたおかな作家が書いた基地○の小説
キリスト→大昔の作家が書いたSF小説
イスラム→キリストのSF小説を読んだ人が書いた2次創作の小説
日本にそんな重要人物の記録や伝承、遺跡・遺物が何1つ無いこと自体がおかしいんだよ
卑弥呼神社も存在しないし
明治維新 → 西洋かぶれが日本を破壊
厩戸皇子は実在したのよ、聖徳太子みたいな超能力者がいなかったのよね、空海や安倍晴明とかも歴史の1ページなんだから。
いいことか悪いことか分からんけど
なんかロマンは感じるね。
中国共産党が魏志倭人伝の卑弥呼を
日本侵略の大義名分に使い始めることを決めてから
旧に日本でも邪馬台国と卑弥呼の議論が始まった
つまり中国共産党にしかけられた可能性は非常に高い
ソース出せよ
この時期は、日本列島において弥生時代が終わりを迎え、古墳時代が始まる移行期にあたります。
特に、奈良県桜井市にある箸墓古墳は、3世紀半ばに築造された国内最古級の巨大な前方後円墳であり、一部の学説では卑弥呼の墓である可能性が指摘されています。
『日本書紀』の神功皇后摂政39年の条には、『魏志』倭人伝の記述が引用され、卑弥呼が魏に使節を派遣した239年(景初3年)の出来事が記されています。
あれは父方の爺さんがやったとか婆さんがやったとか、あの家は爺さんが建てたとか
昔のことは全部爺さんになるから
その中にはひい爺さんがやったこともある
で、後から計算すると爺さんは140年生きたことになる
よくある話
卑弥呼にSF要素有ったか?
ファンタジー小説にしておけ。
しかし、中国の国家は何度も滅ぼされ、正統な歴史を引き継いでいない
一方、中国から免れ日本に定着した民族により発展してきた天皇は古代からずっと歴史を引き継いでいる
つまり、中国4000年の歴史を受け継いでいるのは日本であり、現在の中国は他民族に乗っ取られた疑似政権でしかない
卑弥呼は悪の女王だった。
そんな与太話から戦前は大陸に関わって泥沼に入っていったんだよ
日本の国是は脱亜。大陸から離れるほど豊かな文化になるんだよ
信仰されていただろうし王が居ても国を動かす指示は卑弥呼がやってたろう
中国から言葉通じない国の話だから卑弥呼が日出る国の女王って伝言ゲームになってもおかしくない
実際は弟が居たのか、子供が居たのか、天皇なのか?天照なのか?全ては歴史のミステリーのままなんだよねぇ
卑弥呼と呼称される女性は実在した
それだけで良い訳よ、初代天皇との絡みは謎のままだが日本って国は天皇家の歴史が日本の歴史で遠い昔から続く国家ってのが大事
発明、発見なんて近代以降は何も無い。
自慢の経済も人口ボーナスのゴリ押しだけで、特に目を引く技術も無く、他の途上国で代替可能な物しか無い。
そして現在は超絶不況で中国がどうなるか分からん状態。
むしろ経済破綻で、全世界に恐慌を呼ぶ可能性が高い。
中国最大の兵器は経済爆弾かもな。
謎のままの方が夢が有るよな。
辺境小国にいた変なババアと判明しても、誰も喜ばんw
中国人の陳寿が書いたもの。
倭人伝は魏志のおまけに書かれていただけ。
しかも伝聞。
どこまでホントかは確かに怪しい。
佐賀、久留米あたりの北部九州に
魏に使者を送った大きな勢力があった
てことぐらいは推測していいかも。
古事記、日本書紀は日本人が書いたもの。
ただ、書かれたのは712年、720年であり、
皇室関係のことしか書かなかっただけでは。
だから卑弥呼が出てこない。
ていうか、この当時の年の記録なんて
まだまだアテにならないんじゃないかな、と。
201~269年は神功皇后が摂政政治をやった時代と
書かれているけど、書かれた時から500年も前のことなので
どこまで信用していいものやらちょっと怪しい。
まあ、「中国人は神功皇后を卑弥呼と呼んだ」
でいいんじゃね?
「シンコー」を「ヒミコ」と聞き間違えたか、
ワザと文字をあてただけだろ。
または当時の使者が無能だったかだなw
ですよね、5族共和大東亜共栄圏とかデタラメを信じ込んで日本兵は特攻していった。なんでそんなことを信じたんだ。アキラメロン。
魏国側から倭国には行ってない
倭国側が出した使者から聞いた記録があるだけ
この程度の認識すらすれ違う。
異国の他言語の記述とか、電報遊びみたいな事になってるのだろうな。
正史じゃないから、色々混ざってるのよ。旅の起点が東西南北コロッコロ変わって一定してないし。
共通の敵が朝鮮高麗で軍事力で挟み撃ちにするために日本と交易したってのまではわかってる。ワザと誤魔化してる可能性すらある。
何周も遅れたレスすんな。とっくにやってる話題だから読み返せ。
いや違う、漢の後ろ盾を失った王が求心力を失って内乱が勃発した
多くの国をまとめるだけのカリスマを持った存在がなく、争いが収まらなかったため
女王を立てることで100国あまりのうち30国がまとまり国々を落ち着かせようとし、新たな覇者である魏と組んで復興しようと目論んだ
この場合女王はほとんどお飾りの存在と考えるのが妥当
それも間違い
狗奴国との闘争が収まらず、魏に救援を求めた
魏は軍ではなく、塞曹掾史の張政を遣わし卑弥呼が亡き後の混乱を鎮め
卑弥呼の宗女壹與の使者とともに帰還している
どこか他の地域と間違えて無いか?
邪馬台国て日本の話かも胡散臭い。
天武天皇・持統天皇そして藤原不比等。この3人の思惑が上手いこと絡み合って出来上がったのが日本書紀だと言える。
自分のクーデタを正当化しつつ、天皇が日本を治める体制を確立したい天武。何がなんでも自分の子である草壁皇子を次期天皇にしたい持統。絶対に天皇になれない血筋の自分とその子孫が日本の権威と権力を握り続けたい藤原不比等。
だが草壁皇子が早世したから大慌て。そこで考案されたのが
○天皇は最高神の直系という権威付け
○女神の太陽神アマテラスの創造と天孫降臨神話でアマテラス=持統、ニニギ=後の文武天皇をリンク。
そして不比等は、
○天皇は男系継承の原則を作成
=天皇に男子が生まれたら藤原家の娘を嫁がせ、その男子を藤原家が育て、長じたら藤原家の娘を嫁がせ天皇にさせ、その天皇から男子が生まれたら藤原家の娘を以下略。これを確立するために初代神武からの男系の系統を作成した。
○天壌不朽の神勅
以上の点を確固たるものとするという宣言
もうこの時点で、それ以前の歴史なんて何が正しいのか良く分からないのも仕方ないよなあと思う。
ヤマトは神武王朝という自分達とは別系統の王朝の歴史を奪い去り(先代太陽神アマテル=ニギハヤヒか)、恐らくは蘇我王朝の事績を消し去り(祟りが怖いんで聖徳太子という超人作っちゃいました、あと素戔嗚尊も活躍させました)、ちな応神天皇由来の天武王朝(だから道鏡事件で使者は宇佐神宮へ行った)も短期で滅びた。
記紀編纂部隊は、魏志倭人伝から邪馬台国の存在は知ってたと思うが、モチーフに採用した形跡は見当たらないかな。編纂の調査時点で影も形もなく逸話も残ってない、あるのは魏志倭人伝だけでは拾いようがなかったかな。邪馬台国モチーフの話がない時点で畿内説もないと思うんだよねえ。前述の通りアマテラスは8世紀の創作なうえ重要なのは「天孫」の方であり、「天孫」の権威に正統性を与えるために創作されたのがアマテラスである以上、「天孫」に相当する存在がいない邪馬台国と女王ヒミコはヤマトのモチーフとしては使い道がない。
むしろ倭国大乱で力をつけ、畿内から九州に向けて侵攻を進めてきたプレ=ヤマトのプレッシャーに対抗するため、邪馬台国は魏に使者を送った、と考えた方がしっくり行く。これが逆に邪馬台国が畿内にいて九州から攻められたら、どうやって使者は大陸に渡るんだよってなる。
さて現在の天皇家は、恐らくは継体天皇以来の系統と考えられるが、こんなんハッキリとは断言できる環境ではない。
我々は何時までも邪馬台国で大騒ぎしている場合ではないと個人的には考えている。ロマンは分かるんだけどね。
日本史最大の闇は、天武・持統と藤原不比等による歴史改竄、というより歴史と神話の「創作」だ。
なぜ三種の神器である八咫鏡と草薙剣は祟りを起こして宮中から叩き出されたのか。
なぜ最高神天照皇大神を祀るとされる伊勢神宮内宮は「怨霊封じ」の配置をしているのか。
いい加減「ヤマトの闇」に光を当てねえと、と思う。
因みに、記紀を読む限り、応神天皇の父親は建内宿禰だろこれ。さあ、万世一系を取るか、男系継承を取るか。
紀と伝の違いくらいしかない
うむ、混ざってる可能性はないわけではないが
いずれにしても、魏と交渉を持たなかった勢力がのちの大和政権を作ったのだろう
別に邪馬台国であれやこれや言うのは面白くていいと思う。
日本の文書記録が700年あたりの古事記と日本書紀しかない以上、
想像するしかないからね。
男系にこだわる理由って何?
今まで何回も女帝っているじゃない。
俺はどっちでもいい。
「民を苦しめぬよう、消費税を廃止せよ」
と言ってくれるならどっちでも。
邪馬台国は茨城で鹿島神社周辺にあったとボソりたいw
https://www.kk-bestsellers.com/articles/-/9332/
古墳時代の天皇として特に有名なのは、応神天皇と仁徳天皇です。
ただし、古墳時代は「天皇」という呼称がまだ定着しておらず、
「大王」と呼ばれていた時代であり、これらの天皇の実在性や業績には諸説ある点に注意が必要です。
https://tsushin.bukkyo-u.ac.jp/crosstalk/4390
面白いのは古墳や銅鐸等は大和政権以外の豪族も競うように作っている点。
建築方法や様式を広めている技術者がいたとしか。
当時の記録を全て信じないのでそんな風に考えるのだろうか
福岡県で発見された金印ぐらいしか関係性が無い。
これが邪馬台国絡みなら九州説になるのだろうが、大和王権の中心地は近畿。
邪馬台国と大和王権は別物と考える方が自然。
東征とかは考えない系?
そうそう
考古学的に様式が似ているからと言って政治的に統一政権があったことにはならない
古墳時代末期までは「貴族連合政権のうち天皇家が頭一つだけ抜けてた状態」で
天皇家が絶対的な存在ではなかった
古事記とか日本書紀をよく読むとその辺の状況が分かる
どの貴族も自分の領土では王様だったから天皇家の祭事をマネたし
下手すりゃ貴族のものを天皇家がマネる場合もあった
初期の天皇家は貴族連合政権の一員で「葛城氏」という苗字を名乗っていたという説がある
欠史八代を正史と認めるには、考古学的証拠の発見が必要。
あまりに荒唐無稽な内容が多すぎる。
魏の年号の入った銅鏡を各地の豪族に下賜してるんだから存在が薄いことはないだろう
あくまで想像の中でしか結び付ける物が無い。
現在まで明らかな記録と証拠からは、
邪馬台国が存在したとしたら九州
大和王権と邪馬台国は別物
これが自然な流れ。
邪馬台国=大和王権とするには、画期的な発見が必要。
魏晋南北朝時代のかの地の動乱を乗り切ってヤマト王権に繋がるほど長持ちしたとは到底思えない
魏の没落と運命を共にしたと考えるのが妥当
神功皇后を持ち出すのは無理があり過ぎる。
時代が100年以上離れるし、三韓征服する化け物に誰が逆らうんだよw
魏の威光に関係なく、力でねじ伏せるのが神功皇后。
https://shisekinavi.com/kanbarajinjakofun/
ねえよ
後にも先にも日本固有の文字はひらがなカタカナだけ
漢の時代に100国余りの国王が半島の鉄の採掘権も認められ、その時の証である金印も出土している
魏の時代には、内乱によってばらばらになったが女王を立てることでよういやくその中心の30国がまとまり
さらに魏が後ろ盾になるから、国々を落ち着かせてまとめあげ貢献しなさいという話だろ
しかしながら狗奴国などの勢力は反抗を続け、塞曹掾史の張政を使者として送り込むも
卑弥呼は死亡し、男王の権力争いが繰り広げられ、年十三の宗女壹與を後継者として落ち着かせ
ようやく帰還したよいう話だ
そんな内乱に明け暮れお飾りの女王のお墓が国内最大なわけないだろ
近世に考案されたという点では日本固有と言っても間違いではない
邪馬台国の場所を九州にするか畿内にするかで揉めて
結局は保留のまま実現してないらしい
いや、悲しいけど聖徳太子が漢字を採用しちゃったから、発見次第焼いたり破壊したりしたのよ、
タリバンと同じよ、キレイに削り取った後は日本中にあるから。アラハバキだけはかろうじて残った。
そんなに卑下する必要はないと思うよ
和製漢字(わせいかんじ)、または国字(こくじ)とは、中国から伝わった漢字を元に、日本で独自に作られた漢字の総称です。日本の豊かな大和言葉や概念を表現するために生み出され、地名や人名、動植物などに関するものや、日本独自の価値観を表現したものがあります。具体例としては、「畑」「辻」「凪」「働」などがあり、中には中国でも使われるようになったものもあります
俺も男系には拘ってませんよ。藤原不比等が「藤原家のために」天皇(候補)に藤原家の娘を嫁がせるには天皇は男性で続く必要があったから「天皇は男系で続いてきた(から以後もそうすべき)」という話を作り上げ、それが続いてきたというだけです。摂関政治で藤原氏が頂点を極めし後、武士の時代が到来して以降も「初代神武以来の伝統」に基づき天皇は男系で続いてきた。女系天皇爆誕となれば藤原氏のコントロールが出来なくなり、いずれ藤原氏は衰亡の危機に直面するから、藤原不比等はそれを避ける方策を取ったに過ぎません。
過去女性天皇は幾人もおりましたが全て「男系」であり、「繋ぎ」であり独身で皇位に就いた場合結婚を許されなかったのも、「女系天皇」を生み出させないための方策と言えるでしょう。
私は藤原不比等とは縁もゆかりもない土蜘蛛の末裔なれば、天皇が男系だろうが女系だろうがどっちでも良いという立場です。天皇には過去に生み出された、というより天皇の先祖が数多「生み出した」怨霊たちの怨念を鎮めるために祈ることが求められます。過去の例に基づき祭祀を滞りなく執り行うこと、ぶっちゃければそれ以外は不要とさえ言えますし、祭祀王として天皇が続いてもらいたいと考えます。
西暦269年まで生きてるし、三韓征伐も神功皇后だし魏志倭人伝の倭人の
自慢話と一致する、ヤマタイ=ヤマト、ヒミコ=ヒメミコ
邪馬台国の対抗勢力狗奴国(くぬこく)は関東の大勢力毛野国(けぬこく)
と予想 邪馬台国=大和国、畿内説でほぼ決まり
説得力あるなあ
それ以前に、衣食住の考証が視聴者のレベルを満たせないだろう
毛野国が狗奴国なら、邪馬台国は八幡平だろうw
違いますね
魏にとって半島の反乱を抑え込むのに倭国が利用できると考えた
漢時代の安定を取り戻そうとした
ただそれだけ
https://www.youtube.com/watch?v=zMh_d8NpCcc
北方騎馬民族説だったのだなwww
豪族でそれっぽい国すら出てこないし。
クマソだと九州南部だったか?
魏志倭人伝が3世紀前半の記述
記紀の成立はどちらも8世紀初頭
時期が遠すぎだよ
しかも3世紀の日本は文字もない時代で
当然記録も全く残っておらず、全てがただの伝聞
載ってないさ
天皇の神話を疑われる記録はすべて抹殺されただけだろ
いや記紀なんてツッコミどころ満載だろ
140歳まで生きたとか新帝として即位した時点で99歳だったとか
疑うなってほうが無理だわ
前漢か後漢なのか
蜀漢なのかw
西晋になろうかという、南朝文化の時代。
儒教が緩んで、酒飲んで好きなことをやればいいという竹林の七賢とか出てくるときで、女王なんてのはむしろ
常識はずれを求める当時の中国の時代にも合ってたというのが面白い。
いい女だった
https://www.youtube.com/watch?v=MgA1qU47JxI
https://www.youtube.com/watch?v=M_bt5__vOn4
古代エジプトと古代ギリシャは癒着していたかもしれんしwwww
クレオパトラの時代だけどなwwww
天狗やカッパやツチノコと同じで卑弥呼がいたら楽しいなって程度
出版停止とかもやっているwwww
勝手に書き換えしている出版社もあるしなwwwwww
縄文人はのろまで移動出来ないと思っているのか?
当時はメルヘン創る方が難しかった
事実書く方が簡単
神話が全部嘘っぱちだとしたら歴史なんて何も分からない
クレオパトラは黒人らしいぞw
なぜひらがなカタカナの2系統あるのかを考えれば
神代文字があったと分かるんだけどな
えっ
高野山の何処かに原書に近い物が眠っているのではないかと考えています。
五輪塔そのものがホツマ文字のウツホ、カゼ、ホ、ミズ、ハメとなっていて母音の口の開きでアイウエオを表しています。
主演は石原さとみさんでお願いしたい
奈良に大河ドラマ館が設置されたら見に行きたい
日本史で一番古くやれそうなのは、実在証明されている雄略天皇まででは?
それ以前は推測、フィクションを前提にするしか無くなる。
カタカナには謎が多いのよ、漢字の一部とか絶対違うし、そもそも発音が違う。
ひらがなは草書体で崩しましたで通用して、中国留学の空海が整えたって言い伝えもある。
謎なんてないぞw
漢字の一部分を借用したから加多加奈ww
呉音漢音上代日本語現代日本語で発音が異なるのは当たり前だ
そういうのは割とあるけど、ほぼ全てが偽書だなw
調査を拒否されるけど
まぁ千何百年前の文書残ってる可能性絶望的だが、あるのでは?と思ったら面白い
史実はほとんど無い
畿内のは3世紀から4世紀ごろに突然出来上がったような国だぞ
魏志倭人伝には漢の時代からの経緯があっての話みたいな流れで描かれている
ジュゲムジュゲムゴコウノスリキレカイザリスイギョノウンライマツフウライマツスイギョウマツ
クウネルトコロニスムトコロヤブラコウジブラコウジ
パイポパイポパイポノシューリンガンノグーリンダイノチョウキュウメイノチョウスケ
モスラーヤッ モスラ~
ヒミコとは違うが倭の五王はいたみたいだね、大和朝廷に吸収されてるから。
古墳時代の地方豪族かな。順番に支配されて古墳だけ残した。
邪馬台国なる国 卑弥呼なる統治者が 仮に実在したとしても
それはローカルなものだと考えるのが妥当 例えば織田信長の版図の規模
ひらがなを整えたのは明治政府と戦後政府だ
倭の五王はヤマト王権の大王そのものだよw
大和王権への上納金を怠り潰されてしまった
明治政府は標準語を編纂するうえで発音と合わせてあいうえお順に整理しただけで
仮名はどちらも奈良時代から平安時代までには完成してましたよ
公文書は真名(漢文)、私的な手紙や日記および女性が使うのが仮名
これは明治初期まで続いた使い分けですね
『紫式部日記』によれば清少納言は女のくせに真名など書き散らすいけ好かない女で
きっと罰が当たって不幸な人生を送るに違いないそうです
平安時代は変体仮名がいっぱいあるし、今と字形が違う
倭・倭人関連の中国文献(wiki)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD%E3%83%BB%E5%80%AD%E4%BA%BA%E9%96%A2%E9%80%A3%E3%81%AE%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E6%96%87%E7%8C%AE
だよな。仮名といっても江戸時代まではいわゆる"変体仮名"で、いまのひらがなとは違う。
カタカナはもともと漢字の一部分で、もともとは宗教者が使うパワー文字のようなインパクトがあったと思う。
日本国は衰退した
そもそも孫悟空は西遊記にて玄奘と共に天竺を目指していたのではないか
みたいなアホな話も数千年後に語られるかな
まぁ昔より今の方が情報を未来に遺せるだろうけど
ヒーミコ🟰彼女は巫女
三人称だな
ヘブライ語でだがw
比売命
女王様と言っただけだろう
上の人の名前を直接言わないでしょ
中臣鎌足→藤原不比等が渡来系の子孫であった可能性は否定出来ない。(神道の加護という立場を取ったのは権力維持かと)
大宝律令の発布と同時に国府に亡命官僚の子孫に日本書紀を持たせて漢字を広めました。
なので日本書紀の内容は十分な考察が考察されなかったのです。
だからヒミコと邪馬台国の話題で倭国とは別。
中臣氏は山背国宇治郡中臣郷を拠点とした神道系氏族ですよ?
だから渡来人を保護し、仏教を広めようとした蘇我氏と対立したんです
もしあなたの言うとおり中臣氏が渡来系だとすれば
日本神道も大陸発祥ですね
日本列島住人のルーツは全て大陸なんだから、神道の源流も大陸発祥だろw
白人は凶暴なネアンデルタールとの混血なので戦争ばかりやってる。
加羅の一部を百済に売り飛ばしたのがバレて失脚した。
以降仏教派の蘇我と神道派の物部の対立となる。
邪馬台国の場所は東南アジアで終わろうぜ
いや、ムー大陸とかがあった時代から神道も存在していたみたいだからね。5万年とか平気で飛ぶ。
その辺の討伐神話は、旧来宗教から新宗教(神道)への移行物語とは言われるな。
5万年前の祭祀遺跡が見つかったら世界史がひっくり返るわw
中国の先祖崇拝がベースだろう。
黄色人種に特有のものでそれこそ夏王朝に遡るのでは…
温暖化、超巨大噴火…天変地異と深くかかわる日本人の起源と「黒潮の民」
https://www.yomiuri.co.jp/column/japanesehistory/20240205-OYT8T50107/
確かに日本でスンダランド人の骨が見つかっており、
おそらく最古のものだが、
喜界カルデラ噴火で全滅し、
そのあと縄文人が移り住んだと考えられる。
祖霊崇拝は世界中にある
本来は共同体維持の原始信仰が仏教や儒教、道教の影響を受けてあたかも深遠な教理があるかの如き衣をまとったのが神道の本質
衣の裏に論ずべき中身は何もない
他国の地名人名には貶める漢字がよく使われる
皇帝への忖度だろ
チンコは柱
マンコは岩の裂け目だからな
御神体はどちらかになってる場合が多い
山の神は基本女だかんね
https://www.youtube.com/shorts/HA7KQP6Tj3g
日本サイドが付けたの?
縄文時代ですら3万年とか計測値が出るからな、人類の歴史は深いよ、沖縄の海にも沈んでいる。
そして外に対しては卑しい字を当てる
そんだけ
まあ日本側の関係者がその作法に乗っ取った可能性もあるけどな
3万年前は旧石器時代だろw
同時代の土器があるならお目にかかりたい
1万1000年前より古い祭祀遺跡を俺は知らない
どっちかに通訳できるやつが居たのかな?
上下関係は重要だよ。
大陸と交流があった時点で漢字の存在は知っていただろうに古墳時代になっても日本語を漢字で表現するという発想は無かったようだし
そりゃ書いた人が知らなかっただけ
たとえば13世紀に元が朝貢をもとめて陳朝ベトナムにもやってきたが、ベトナムは日本と違って拒否せず生返事で受け入れた。
すると元から改めて高位の使者がやってきて陳朝の王が出迎えたが、その面会の場で、元の使者が席次の問題を切り出した。
元の使者は皇帝の使者だから上座に座るべきで、陳朝の王は王という立場だから下座に移れという。
「王」は皇帝よりも位が下だというのがその理由だった。
するとそれに対して陳朝の宰相が、春秋戦国時代にさかのぼれば「王」の称号に本来そういう意味はないと反論した。
この話はそこで終わってるので、たぶん元の使者はしぶしぶ受け入れたのだろう。
たしか『大越史記全書』にそういうような話があった。
金印貰っても使い道が無くて、棚に飾っていたのかね?w
歴史ドラマや時代劇でも「上意である」の使者は身分関係なく上座だもんな
新築祝いに夫の実家から玉すだれ贈って来るような漢字か
政治はともかく民間では貿易してただろうから
通訳できるやつぐらいいたろ
直接貿易はしてなかったとしても
魏-朝鮮半島、、朝鮮半島-倭は確実に貿易してたから
それぞれに通訳いたはず
そこが分からないのが残念
的外れなレスどうも
なんでそんなカリカリしているんだ?
カルシウム不足か?
紙に文字を書いた記録はあったが
蘇我入鹿が焼いちゃったんだろ。
日本ではいつからちゃんと文字を
使ってたか分からん。
卑弥呼はそんな時代の女王だから
日本でどう呼ばれていたのかは
日本側の記録がない以上、
我々は魏志倭人伝の呼び方を
使うしかない。
俺は年代的には神功皇后が卑弥呼
だと思うけど。
聖徳太子(厩戸王)の記録は他にもあるから、
その近辺の500年代くらいまでの記述は
まあ事実に近いかも。それより前は怪しい。
初代天皇である神武天皇の出自は神話。
おそらく創作。紀元前585年てw
日本書紀の記載がどこから本当かは分からない。
よって、201~269年に摂政だったとされる
神功皇后がファイターだったかどうかも分からない。
もちろん、卑弥呼だったという確証も無い。
心霊スポットの浄霊、浄化を行ってください。
年間予算を2億円としてください。
浄霊、浄化を行う霊能力者の日給を5万円としてください。
浄霊、浄化の補助(心霊スポットの清掃や儀式の準備の補助、道具の手配等)を行う非能力者の日給を2万円としてください。
浄霊や浄化の現場に興味がある人もいると思うので、霊能力者が許可した場合は、見学できるようにしてください。
霊能力者との日程調整や心霊スポットの所有者との交渉等のバックオフィスの人の日給を2万円としてください。
浄霊、浄化を行う霊能力者は、神道(八咫烏)、仏教(高野山)、カトリック、プロテスタントの人員としてください。
浄霊、浄化ができなかった場合は、別の宗教の霊能力者が浄霊、浄化を行う様にしてください。
また、本当に浄霊や浄化が出来ているか普通の人には分からないので、たまに浄化後の心霊スポットに別宗教の霊能力者が行って確認をしてください。
月に一度、神道(八咫烏)、仏教(高野山)、カトリック、プロテスタントの霊能力者で話し合いを開いてください。
議題は各宗教から一つずつ出してください。
そして、浄霊、浄化が終わった心霊スポットは解体をしてください。
持ち主との交渉等はバックオフィスの人が行ってください。
予算は年間3億円としてください。
解体する技能者の日給を3万円としてください。
5世紀から大和王権に交代
神武天皇の存在は創作
九州というのは元々は中華思想の国々のことで
9つの地域としてあるからそれを全土という意味で使った
夏王朝から王であることの証明である九鼎は
それぞれ九州から集められた材料で造られたのもそういうこと
デタラメ過ぎ
よくこういうデタラメを平気で言える物だと、ある意味で感心するわw
三韓征伐は白村江の戦いのこと
(※ファンタジーです)
(※史実のように語る)
事実としての習俗だろう
朝貢国を殊更野蛮人と描写する動機もない
東南アジアと間違えてるんだよ、アイツラは。
北九州までの位置関係や距離は極めて正確だから、それはないな
日本の九州も昔は西海道だよ
九州も中国も元々大陸にあった言葉
一方で、卑弥呼は239年(魏景初2年)に魏明帝へ男生口4人、女生口6人
散々お世話になった台与も248年に生口30人
これが漢の時代は100国を擁する倭国が内乱によって男王ではまとまらず
女王による暫定政権であり、魏もこれを認めることで国々を落ち着かせて貢献しなさいという話になっている
そこで漢の時代の100国といえど、出土品からみると交流の範囲は九州全域と山陰山陽の一部程度
なので30国というのはかつての倭王奴国を含む北部九州における地域のことだと考えらえられる
200年頃の情報は後漢書の方が正しいぽい。
西暦230年前後の女王ヒメミコは神功皇后しかいないので、邪馬臺國は大和国である。
唯、半島派兵には九州に集結していたので豪族も力をつけていた事でしょう。
継体天皇の磐井の乱や白村江の戦いへと連なる半島との濃密な大和政権の関わりは大陸との緊張感を醸成しました。
大和が滅ぼした
まあ一旦は卑弥呼邪馬台国が治めてた時期もあったと
魏志倭人伝に書いてあるね。
200年代だから日本書紀での神功皇后時代と符合する。
だけど、卑弥呼死後はまたワチャワチャなんじゃない。
北海道まで征してるとは思えないし。
宋書倭国伝で、雄略天皇の頃400年代後期、
ようやく北海道の蝦夷を征したとある。
その頃が本当の統一国家日本の誕生なんだろう。
では邪馬台国は大和政権に滅ぼされたのか?
ここが記録が何もなくてファンタジー心をくすぐられるところ。
邪馬台国が大和政権に「なった」と思うね。
北海道じゃないと思う
記紀にはなんも書いてないよ
ライバルに成りうる強力な豪族は、雄略治世で壊滅。
蝦夷は組織だった社会ではなく、大和政権を脅かす存在になれなかったので放置されたか。
東北に関しては海路が使えた出羽国が712年に正式建国。蝦夷に対する前線基地に。
まぁ普通そうなるわな。でも歴史だけ追うとフィリピンやベトナムの可能性もあるんだよね。
https://www.youtube.com/watch?v=JZ0xqmbWDCM
「悪」って漢字、「すごい」とか「強い」って意味があったとか何かで読んだことが
殷の悪来が怪力無双で知られており、三国志の武将で曹操から「悪来」の異名を付けられたのがいたな。
普通に褒め言葉。
https://www.youtube.com/watch?v=pG4pRkel-sg
悪源太義平
悪左府頼長
どちらにも悪い意味はない
「倭国」から「日本」への改称は8世紀初頭
唐に申請して認めてもらったのよ
星のきれいな夜でした♪😅
卑弥呼の239年よりも400年以上前だぞw
日本に漢字が伝わるのは応神天皇の時代、
百済の和邇吉師が千字文をもたらしたことによると言われる。
つまり1世紀くらい後。
別に難しい話しでも何でもない
名前からして、外国からすれば服従しない忌まわしい人という意味だろうな
陳寿「ほう…倭の邪馬台に卑弥呼がいて鬼道が得意と…」メモメモ
邪馬壱国という記載は1か所しかなくあとは女王国という表現でしかないことや
投馬國と投馬國の記載は文法がかなり変化していることなどを考慮すると
伊都国に留まる使者は、その先に奴国や不弥国がありという伝聞になっている
奴国は当時の大国なのでともかく、不弥国の有千餘家という特殊な記載を考えるとそこに女王がいたのではないかとも解釈できる
ほとんど無いってのがねえ。
ファンタジー心をくすぐってくれる。
続き
不弥国までは行程の記載で
投馬國と邪馬壱國の記載は帯方郡からの日程を併記と考えた場合
7万戸というのは30国の合計となり、2万戸の奴国を中心とした北部九州の同盟国と考えられ
半島側にも投馬國という総戸数5万戸程度、当時の規模から約20国連合の勢力があることになる
冒頭にある漢の時代の100国というのは、半島の鉄の採掘を含む勢力も含まれると考えるのが自然で
女王を中心とした邪馬壱國連合と利権を争う勢力、狗奴国も相当な勢力を保持している
魏から派遣された塞曹掾史、張政の役割はそれらの仲介し行程の命令である
装封付帶方太守假綬 汝其綏撫種人 勉為孝順
倭国に、半島情勢の安定に協力させることが目的だと思われる
派遣されたのは247年、帰還したのはいつのことなのかは不明だが
台与は倭国大夫卒善中郎將の掖邪狗ら二十人を随行させた上で張政らを帰還させた
中国に残る記録には266年に倭の女王の使者が通訳を重ねて朝貢したとの記述がある
万世一系の天皇をいただくわー国ニッポン(笑) 今年は皇紀2685年(笑) 男系男子(笑)
「記紀に記載のない人物は存在しない」
って、不合理かつ非学問的結論過ぎないか?
明治期に神功天皇は神功皇后に勝手に変えてしまった
BC660年が皇紀元年ってのはさすがになあ。
AC400年くらいまでの日本書紀の記述は神話っぽい。
つまり皇紀ってのは1000年ほどサバ読んでるw
しかしまあ三種の神器を大事に持ってるとか悪くない。
誰も見たことがない、見たら神力が失われる。
レプリカのくせに実は箱の中身はもはやボロボロか
何も入ってないか誰にもわからないとか、
神秘的とはまさにこのこと。
シュレディンガーの三種の神器w
魏志倭人伝ってのが伝聞の非科学的なファンタジーだもんなぁ
まずm日本の古代でも奴隷制度や入れ墨の習慣は確認できないんだよな、邪馬台国は日本じゃ無い可能性すらある。
卑弥呼って当時の中国王朝がつけた蔑称だからな
どこの国が自分の国の指導者に「卑」なんて文字使うかよ
暴力嫌い。ナルシストな引きこもり。
まあ、卑弥呼を神功皇后と見るよりは、アマテラス人間説で卑弥呼と同一視する方がマシかもな。
神功皇后のキャラだと魏を征服に行きかねん。
なお本拠地は山門(福岡県柳川市)でヤマトと読む。
山門では後漢の鏡が3面出土しており、
新井白石はここが邪馬台国に違いないと主張していた。
そんな人物がいたかどうかも知る由もない。
人のうわさも75日。当時のこととて文字すらない時代!。
”記憶にございません”どころか”知らぬ存ぜず”だ。
仮に権力者が知り得たしても当然ながら伏せてしまうだろうね。
アマテラスは神話の神様。
そこから卑弥呼の墓がどこにあるのか推察してみた
奈良には4世紀後半なのに前方後円墳ではなく大型円墳、富雄丸山古墳があり
そこからは蛇行剣をはじめとする重要な出土品がでている
これは卑弥呼の墓を模倣した可能性がある
奈良の富雄川と九州の宝満川の位置関係から考察すると筑紫神社や美しが丘付近が怪しい
先祖の慰霊云々も分からなくは無いが、歴史解明に皇室も少しは協力して欲しいわ。
天皇家は全部吸収しちゃったからね、先祖とかは妖怪になって地方の神社に残ってるだけだ。
たいしたもの出てこないでしょ。地方では聖徳太子が漢字以外認めず古事記に風土記が採用されなかったって文句ばかりだ。
漢字の字面はともかく、音は当時の発音「ピミカ」を忠実に写していると思う
ちな、素戔嗚尊の八岐大蛇エピも冒頭川上から箸が流れてきたので後年の創作臭い。出雲国風土記に八岐大蛇エピないし、記紀の出雲神話の多くは創作と言われる。何故、あんだけの量を記紀にブチ込んだのかが知りたい。
卑弥呼や邪馬台国に関する遺跡・遺物も一つもない
さらに卑弥呼神社もないし、卑弥呼に関する伝承・言い伝えも日本全国に全く存在しない
あるのは中国の魏志倭人伝にちょこっと書いてあるのみ (しかも書いたのは日本に行って来た人物じゃない)
これらのことから卑弥呼は居なかったと結論づけるのが自然だろう
とは言え、シュリーマンのトロイア遺跡の例も有るので、全く元ネタが無いと言いきれない物も有る。
ただ邪馬台国や卑弥呼が、大和政権とは無縁の勢力だった可能性は高い。
中国がファンタジーを書く動機なんかないから
九州一帯あたりを治める女王っぽいのはいたんだろう。
名前が本当に卑弥呼だったかどうかは怪しいが。
大和政権が本当に確立したのはAC400年頃だろ。
卑弥呼はもう死んでるし、邪馬台国も弱体化した後。
まあ邪馬台国が大和政権誕生に
少しは関わってたんじゃないかとは思う。
ACって…
ポポポポ~ン?
AC200年頃の日本はまだ書物なんかロクに書けないし
残ってるはずがない。遅れてたんだよ日本は。
神社なんか始まったのはAC400年頃。
卑弥呼神社なんかあるはずもない。
その当時は圧倒的に中国の方が進んでた。
中国の記録に頼るしかない。
CとD打ち間違えたw
九州には遺物がいくつかあるぜ
金印とか曹操の墓から出た鏡と類似する鉄鏡とか漢鏡とか
奴国や伊都国に関する遺跡とか
卑弥呼や邪馬台国に関する遺跡・遺物「候補」はある
検証はこれから
「日本国内に記録や伝承がないから存在しない」という理論で言えば、7世紀初頭に隋使節と面会した倭王「アメタリシヒコ」も存在しなかったということになるが、どうしてわざわざ存在しない人間と会った記事を中国の正史に載せたのか説明できない
そのうち何面かは卑弥呼が使いを送った翌年の景初三年の銘がある。
重要文化財 画文帯同向式神獣鏡
https://emuseum.nich.go.jp/detail?langId=ja&webView=&content_base_id=100596&content_part_id=1&content_pict_id=0
曹爽が大月氏と国交を樹立し親魏大月氏王の印を授けるという功績をたてたのに対し、
その政権をクーデターで倒した司馬懿が
対抗して倭の国交樹立を捏造した説はある。
しかし、曹叡が卑弥呼に金印を授けたのが238年
高平陵の変(司馬懿のクーデター)が249年で司馬懿の功績にならないのでは…
なお、諸葛亮が五丈原で死んだのは234年である。
その後242年に毌丘倹が朝鮮を制圧し倭の目前まで迫っていた。
しかし、魏に替わり中国を統一した西晋は
八王の乱の末滅亡し五胡十六国に突入するのであった。
推古天皇が創作の可能性も言われているな。記紀で馬だの鹿だの蝦夷だの蔑称をつけられてた蘇我氏が当時の大王=アメノタラシヒコだった説に立ちたい。聖徳太子も蘇我氏の誰かで、キリストじみた厩戸王自体が創作臭い。大王に対するクーデターによる祟りを恐れた後の朝廷(白村江の大惨敗を祟りと感じた可能性も?)が、
○クーデタを正当化するために蘇我氏を悪者にせざるを得ない
○でも祟りが怖いので聖徳太子という超人を創作し手厚く敬う
本当に最もですか?
何でもそうだが、今の認識で歴史を見ることの意味のなさくらい頭の片隅に入れて興味を持ってくれ。
中国人が多いがゆえに中国語話者が多いというだけであり、
世界的に見たら中国語を話すことのできる民族は中国国外にほとんどいない。
諡号・追号に徳の文字が贈られた歴代天皇の隠されたある共通点
https://www.sougiya.biz/kiji_detail.php?cid=1504
実は「徳」の字は、なにかしらの無念を残して亡くなった天皇を弔う意味でつけられているという悲しいエピソードがある。
蘇我氏と関係の深い聖徳天皇が、蘇我氏を打倒した大化政権以降
弘文天皇のように天皇位を剥奪された可能性…
夢を追う人向けです。
同じ夢を追う人で、グループチャットを作り、月に一度、同じ夢を追う人を集めた会合を開いてください。
会合の参加費は2千円としてください。
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事前に質問内容をアンケートで募集し、それに答える形としてください。
質問に答えるプロの日給を5万円としてください。
はじめて見た時からなんで卑しいなんて字使ってんだと思っていたが
伊勢神宮の創建は西暦477年
さすがに200年もズレてちゃ
チョットね。
そもそも神社てのは墓じゃなく
神さまを祀るところ。
それはそれで神秘的ファンタジー心をくすぐる
✕✕✕丸。みたいな名前はオマル(便器)の丸。
他に神の嫉妬を避ける為みたいな話もどこかで聞いた。
卑弥呼の卑もへり下った名称かもよ?
畿内で出土する神獣鏡はなぜか中国では出土しない
王朝変遷後に新王朝がまずやるべきとされたのが前王朝の歴史編纂
王朝の正統性を示す重要な国家事業だった
わが国でも時代の区切りとされる時期に歴史書(六国史)が編纂されている
中国との交流が3世紀末で途絶え
4世紀にかけて畿内へ東征し
故郷の地名を多く畿内に残したんじゃなかろうか?
それで富雄丸山古墳という大型円墳ができたと
神武天皇やアマテラスとかはファンタジー風味が強すぎてw
日本書紀が書かれたのは西暦700年代だが
藤原不比等とかが天皇に権威を持たせるために
創作した可能性が高い。
おそらく史実なのは西暦400年か500年あたりからかと。
対して魏志倭人伝は中国の記録であり、
>>917の通り、新王朝が書くものだから
旧王朝が悪だと書くのは当然のこと。
全部が全部本当ではない可能性が高い。
日本書紀と同じようにね。
とはいえ、魏に影響のなかった倭を悪く書く必要はないので、
女王が「いた」のはまあ信用していいかなと。
本当に「卑弥呼」って名前だったかは信用できないが。
俺は「卑弥呼」って名前、カッコいいと思うけどな。
古事記はデタラメの創作
そりゃ焚書して歴史を書き換えるのが目的だからな
そりゃまあ、当時は政権に権威を持たせるためってことで
焚書もしゃあないとは思う。
中国では秦の始皇帝から始まって毛沢東もやったことだ。
人治するには必要なことだった。
そんな時代だからね。
今や天皇は政治からは身を引いている。
別に今更、「騙したな!」とは言わねえから
いろいろ事実を調べさせて欲しいねえ。
大人の汚さに反吐が出た。
でも、大人になって、許せるようになった。
だって、もっとひでえことやってきてたんだから。
焚書なんてどうでもいいくらいに。
今、許せないのは隠そうとすること。
原本の風土記は残ってるだろ、そんなに酷い改変はしていない。問題は神代文字とかの文献を天皇家が正倉院とかに保存してたはずなのに何故か無かったことになってる、信長が悪いんかな。
焚書なんて日本でもほとんどの時代でやってるしな
最近だと手塚治虫とかされてるし、気に入らないから本焼くのは普通のこと
黒塗りとかなw
漫画、アニメでさえ。
「こんなこと言っちゃいけませんよ」という
反面教師になると思うんだけどなあ。
少なくとも日本でそういう気骨のある者はいなかったよなあ。
逆だぞ、中国の歴史は殺したほう滅ぼしたほうがこんな強い相手に勝っちゃったよって残してるのよ。
とするためにね。
まあ昔は殺しは当たり前だったし、
奴隷も当たり前だった。
「大義名分」があれば。
その大義名分のために歴史は編纂された。
今は理由はどうあれ殺しは悪だからね。
どんな凶悪犯の死刑さえも。
水戸黄門ww 大日本史www
せいぜい近場の反乱国を警戒して、倭国が小さく弱い国とは思われないようにしようとして、あのようなわかりにくい編成になってしまったのかもしれない。
汚い!けがわらしい!
チンコは付いたまま
日本書紀の神話の部分ってその頃の思い出話みたいなもんじゃないかな
https://articles.mapple.net/bk/24056/
この時点で怪しい
まぁ天照大神の石碑が朝鮮にあるとか無いとか、高天原が金剛山にあるとかないとかね。謎が多い盲腸半島。
連投だが、ヤマトタケル神話はロシア寓話と同じとかね、満州あたりまでは全部神話の地なんだよな。
高天原は金剛山麓にあるぞ
奈良県のw
日本書紀とかで「神」と言われている者は
すべからく何らかの超能力を持っているように書かれている。
すなわち、現実だったとは信じられない。
アマテラスもね。
すごくファンタスティックw
人々を魅了する。
国をまとめるには、そういう魅了する力が必要。
だから、古来から洋の東西を問わず、
宗教が国づくりにかかわってきた。
日本書紀もそういう目的で書かれたんだろう。
俺らは幸せだ。
多神教、へたすりゃ神も仏も信じてないw
信じてないから逆に縛られることもない。
特攻させられることもない。
いろんな超能力映画漫画アニメ小説を楽しむことができる。
https://www.y-history.net/appendix/wh0101-009_1.html
すべからく警察の者だ!
寂しい人向けです。
寂しい人で、グループチャットを作り、月に一度、会合を開いてください。
会合の場所や会費などは参加者が決める様にしてください。
遠方の人や都合が悪い人はオンラインで参加できる様にしてください。
また、それとは別に、月に一度、カウンセラーによるオンラインの質問会を開いてください。
事前に質問内容をアンケートで募集し、それに答える形としてください。
質問に答えるカウンセラーの日給を5万円としてください。
悩んでいる人向けのものも、寂しい人向けのものと同じ様に作ってください。
困っている人向けのものも、寂しい人や悩んでいる人向けのものと同じように作ってください。
🦁へ
以上3つは、マルチや詐欺、勧誘目的で入り込む人がいるかもしれないので注意してください。
ツングース系の濊族とか貊族などと関係があるのかねえ
でしょうね、冷凍イノシシと戦って負けて白鳥になっちゃたんだよね。日本の物語ではあり得ない北方神話。
🦁へ
不安な人、辛い人、何かが怖い人も、
それぞれ同様に作ってください。
こちらもマルチ、詐欺、勧誘が入り込まない様に気をつけてください。
🦁へ
苦しい人向けも追加してください。
🦁へ
追加で下記のような感情を抱える人のものも同じように作ってください。
重複を面倒なので確認してないです。
辛い
苦しい
寂しい
不安
何かが怖い
困っている
悩んでいる
孤独だと感じる
虚しい
恐れている
無力だと感じる
希望が見えない
生きづらい
理解されない
愛されていない気がする
居場所がない
信じられない
自分を責めてしまう
怒りがある
やるせない
不満がある
疲れている
誰かに助けてほしい
自分を見失っている
どうしていいかわからない
誰かに認めてほしい
心細い
空っぽな気がする
世界が怖い
将来が怖い
罪悪感を感じている
生きている意味がわからない
よろしくお願いします。
記者の無教養ぶりに呆れるわ
また魏志倭人伝の倭人の特徴に全身タトゥーと言うのがあり、
これは弥生人ではなく縄文人の風習である。
縄文人にもそんな風習は無いからね。
朱の化粧は伝わってるけどイレズミとか犯罪者に入れたバツでしか無い。
アイヌが縄文系から派生したのか、ツングース由来かは分からんが、縄文文化とアイヌ文化はかなり違う。
→ 濁音が半濁音になる国なので「ビミコ」
今の日本語に当てはめると「美巫女」もしくは「備巫女」
美作・備中(ともに岡山県)あたりを掘ってみると何かが出土するかも知れないw
周の古公亶父(ここうたんぽ)の末子の季歴は英明と評判が高く、この子に後を継がせると周は隆盛するだろうと予言されていた。
長子の太伯(泰伯)と次子の虞仲(仲雍)は末弟の季歴に後継を譲り、呉の地にまで流れて行き、現地の有力者の推挙でその首長に推戴されたという。
後に季歴は兄の太伯・虞仲らを呼び戻そうとしたが、太伯と虞仲はそれを拒み全身に刺青を施した。
当時刺青は蛮族の証であり、それを自ら行ったということは文明地帯に戻るつもりがないと示す意味があったという。
太伯と虞仲は自らの国を立て、国号を句呉と称し、その後、太伯が亡くなり、子がないために首長の座は虞仲が後を継いだという。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%89_(%E6%98%A5%E7%A7%8B)
魏志倭人伝の邪馬台国て、実は日本ではなく中国辺境の蛮族だったりしないか?
徳川光圀がこれを嘆いて歴史書編纂を志したのが『大日本史』執筆の動機だったという伝説が人口に膾炙したが、これは信憑性が低いとされている。
この説が真実だとするとチベットみたいに中国に併合される口実にされるから記紀には記載しないのだなwww
距離を測っただけだとフィリピン・ベトナムに辿り着く、あっちは奴隷制度があるから有力な候補地。
朝鮮半島ハンパなくでかいな
🦁へ
オープンチャットはLINEじゃなくても良いです
自社内の仕事等に対する質問と答えを集積し、一括で検索できるシステムを構築してください。誰かから質問を受けたら、その質問と回答を一つの部署に送り、システムに登録してください。管理画面を作って、質問内容やカテゴリ、回答等で随時登録ができる様にしてください。同じ様な質問に人によって違う回答をしている場合、上席で話し合って回答を統一してください。
質問内容やキーワード、カテゴリ、また対象者や質問した人(担当部署、入社歴、役職、職種、業務内容など)で検索や閲覧ができる様にしてください。
画像も添付、閲覧ができる様にしてください。
入社時にアプリやサイトにログインするID、パスを配布し、メールアドレスを登録して、退社したら削除してログインできない様にしてください。
このシステムやアプリで特許を取得してください。
自社内で開発、運用を行い、運用が問題なくでき、軌道に乗ったら、他社にシステムやアプリの販売をしてください。
利用料を年間100万とし、企業ごとの要望でコンテンツや機能、デザインを追加したり変更する場合は、適宜適正価格で開発を行なってください。
イメージは社員向けのカスタマーサクセスのようなチャットボットです。
史記では殷が周の武王に滅ぼされた後、
紂王の一族の箕子が殷の民を引き連れて朝鮮半島南部に移住している。
これは伝説と思われていたが
実際にこの時代の稲作遺跡が朝鮮南部にあり、
その100年後日本に伝播している。
つまり弥生人は殷の民である可能性がある。
一方で中国は三国を統一した西晋が内輪もめの末
異民族に滅ぼされる。
つまり日本こそ正統で中国は蛮族が跋扈する多民族国家である。
日本の端の僻地のことなんぞわからん罠
里と言うと4kmだが
古代中国では400m程度だったというのが基礎知識だが
記載されてるのは距離というか方角と時間やね
いったん九州に上陸して九州内を転々したのは確かだろうが
最後に南へ水行20日さらに南へ水行10日、陸行1ヶ月というのがわけわからなくなってる
なぜそんなに南へと進んだのかがわからんし陸行1ヶ月て道なき道を歩いたとしたら100㎞も進めばいいほうだろう
なかなか奈良にはたどり着けない
戦争に動員された兵力100万人とか出てくるが、そんな動員無理だろ。
日本の八百万の神と同レベルと思った方が良い。
書かれた数字を鵜呑みにするのは軽率に思う。
方角が実は南でなくて東だったとすると畿内になる
南が正しく時間を盛ったとすると南九州か沖縄になる
🦁へ
用語集機能とアクセス権限機能をつけてください
アクセス権限、アクセス制限する情報は、この情報は〇〇部署のみ閲覧可能ですや、この情報は部長以上のみ閲覧可能ですといった風に、制限の理由を表示してください
最適な細かい文言はわからないので修正してください。
🦁へ
回答内容は時間が経つとともに変わると思うので、過去の履歴が見られる様にしてください
🦁へ
ゆくゆくは学校や病院等でも使える様にしたいです
各現場の質問や事例、対応方法を共有することで、他の現場でも役にたつと思うからです
🦁へ
コンセプトは、経験をオープンソースにすることです
それでも朝鮮半島が馬鹿でかくなる
要するにヤマトの姫(巫女)だろ
ヤマトつっても北九州にあったヤマトな
🦁へ
自社内で運用するときに、利用者からヒアリングして、使いやすいようにアップデートしてください。
九州から神武の東征して畿内政権を滅ぼしたとばっちり書いてあるが
邪馬台国から5世紀の「倭の五王」までの失われた天皇記や国記の事を言ってるのよ
4世紀5世紀あたりは時が加速していた可能性…
年齢がおかしいのは歴が現代と違うからだね 1/2で考えるといい
昔使われていた筑紫年号(九州年号)を無かったことにするからおかしくなってる
🦁へ
感情ごとのグループチャットを細分化してください。
今あるものを全員が使えるものとして、
•男性が参加できるもの
•女性が参加できるもの
•性的少数者が参加できるもの
上記3つを追加してください
一つの感情に、四つグループがあるイメージです。
プレミアムの無料期間を2026/3/31まで延長することになりました。
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