あ?IDなし最終更新 2025/12/24 21:111.馬雷達らくに生きたい知恵を持ちたい金持ちになりたい世の中の悪を消したい2025/10/24 07:23:5567コメント欄へ移動すべて|最新の50件2.夢見る名無しさん 第一景(背景に描かれた絵は、一本の棕櫚の樹、アラブ風の墓。背景のすぐ前に、小石の山。左手に里程標があり、アインソファール四キロと書いてある。強烈なブルーの光線。サイッドの服装---緑色のズボン、赤い上着、黄色い靴、白いシャツ、薄紫のネクタイ、つばのついたピンクの帽子。おふくろの服装---紫色の服、ありとあらゆる色のつぎが当たっている。黄色の大きなヴェール。彼女ははだしで、足の指には一本一本----それぞれ異なる---けばけばしい色が塗ってある。サイッド、おふくろネクタイをだらしなく結んで、上着のボタンは全部はめてある。右手から登場。姿が見えるか見えないかのところで、疲れ切ったように立ち止まる。彼が出てきた方を振り返り、叫ぶ。2025/12/23 19:16:533.夢見る名無しさんサイッド 薔薇の花だ! (間) 薔薇だって! 空はすっかり薔薇色だ。 三十分もすれば日の出だ…… (彼は待つ。片足に重心をかけて休み、汗をぬぐう) 手を貸そうか? (間) どうしてだ、見てる奴なんていやしない。 (ハンカチで自分の靴を拭く。起きあがる) あぶない。 (彼は飛んで行こうとするが、そのまま止まって、じっと見守る) 違った、違った、ただの青大将だ。 (次第に、大きな声から普通の口調になる。まだ見えない人物が近づいてくる感じ。 やがて、彼の口調は普通の調子になる) だから靴をはけって言ったんだ。 (皺だらけの年取ったアラブ人の女が登場。紫色のドレス、黄色のヴェール。裸足。 頭に、赤茶けたスーツケースを載せている)おふくろ 着いた時に、綺麗な靴をはいていたいよ。サイッド (つっけんどんに) あっちの連中は? あの連中の靴が綺麗か? おろしたての靴なんてはいてるか? そもそも、足が綺麗かね?おふくろ (サイッドと並んで歩きながら)どうしろってんだ? みんなが、おろしたての足でもしてろってのかい?サイッド 冗談はよしてくれ。今日は暗い気分でいたいんだ。 そのためにゃ、無理して自分に痛い思いをさせたいくらいだ。 小石の山がある。少し休んだらいい。 (彼は母親の頭の上からカバンを下ろし、それを棕櫚の木の下に置く。おふくろ、腰を下ろす)おふくろ (微笑して)おすわり。サイッド いや。石じゃ、俺の尻には柔らかすぎてね。嫌でもこっちの気を滅入らす物が欲しい。2025/12/23 19:18:114.夢見る名無しさんおふくろ (微笑したまま)なんだってまた、ふさぎの虫でいたいんだい? お前の立場は、そりゃ滑稽だよ。 私の一人息子のお前、それが隣の村で、いやここらじゅう探しても、一番不細工な女と結婚する。 そこでお前のおふくろは、結婚式のためにはるばると十キロの道を歩かされる。 (スーツケースを足で蹴って)そのうえ、向こう様のお土産にと、一杯詰まったカバンを持っていく。 (笑いながらまた一蹴りするとスーツケースはひっくり返る)サイッド (陰鬱に)みんな壊しちゃうぜ、そんなことをしたら。おふくろ (笑いながら)それがどうした。 傑作じゃないか、あの女の鼻っ先でカバンを開けたら、出るわ出るわ、こなごなのかけらばかり。 陶器も、立派なガラスも、レースもみんなこなごなだ。鏡もみんなさ…… かーっときたらあの女、少しは見られるようになるかもしれない。サイッド 口惜しがる姿なんて、余計見られたものか。おふくろ (相変わらず笑いながら) お前が笑い転げて涙が出りゃ、涙越しに見るあの子の顔は、ちっとはピントが合うってものさ。 でもね、お前に少しでも勇気がなかったらよ……サイッド 何の……?おふくろ (相変わらず笑いながら)お前なんぞ二目見られない醜女だぞっていう態度をする勇気さ。 いやいや一緒になるんだ。げろでもぶっかけておやり。あの女に。サイッド (真面目に)本当にげろを吐かなきゃならないか? 俺と結婚する為にあいつが何をした? 何もしちゃいない。2025/12/23 19:20:275.夢見る名無しさんおふくろ したことはお前と同じさ。引き取り手がなかった、ああ醜女じゃね。 お前だってそうだ。文無しだからね。あの女には亭主がいる、お前には女房。 あの女もお前も、相身互い、ありあわせの物を取りっこさ。お互いの取りっこだよ。 (笑う。空を見上げて)へぇ、さいですね。暑くなりますよ、こりゃ。 神様は光に満てる1日をお恵みくださるので。サイッド (ちょっと黙ってから)カバン、俺が持つんじゃ嫌か? 誰も見ちゃいないさ。町の入り口に着いたら返すよ。おふくろ 神様とお前が見てる。お前が頭にカバンなんぞ乗っけたら、男らしくなくなるよ。サイッド (驚いて)カバンを頭に乗っけると、あんたは女らしくなるのか?おふくろ 神様とお前がよ……サイッド 神様? カバンを頭に乗っけるとか。手に下げていく。 (母親は黙る)サイッド (ちょっと黙ってから、スーツケースを指して)あの黄色いビロードの布、いくらした?おふくろ 払ってないさ。あのユダヤ女の家で洗濯をしてやったもの。サイッド (頭の中で計算をして)洗濯か。1枚につきいくらになる?おふくろ いつも、お金じゃ払ってくれないさ。金曜ごとに、ロバを貸してくれる。 お前の方こそ、あの柱時計、ありゃいくらで買った? そりゃ狂っちゃいるよ、だけどとにかく、れっきとした柱時計だ。サイッド まだ払いは済んでない。石の壁をあと十八メートルやらなきゃ。デュルールの納屋のさ。 明後日やる。それじゃ、コーヒー碾きは?2025/12/23 19:22:376.夢見る名無しさんおふくろ オーデコロンはどうした?サイッド 大した事はね。ただ、アインタルグのテント村まで買いに行かなきゃならなかった。 行きが十三キロ、帰りが十三キロか。おふくろ (微笑を浮かべて)あのお姫様に香水かい! (ふと耳を済まし)なんだい、ありゃ。サイッド (左手、遠方を見やって)ルロワさんと、奥さんだ。1号線を飛ばしている。おふくろ さっき十字路で待ってたら、乗せてってくれたかもしれない。サイッド 俺達を?おふくろ 普段じゃ駄目さ、でも、今日は私の結婚式ですって、お前が説明したら…… 花嫁さんに早く会いたいもんで…… まったく、わたしゃ、自分が自動車で先方に着くような目に一度でいいから会ってみたいね。 (沈黙)サイッド 何か食べるかい? 隅に鶏の焼いたのが入ってる。おふくろ (真面目になって)どうかしてやしないかい。ありゃみんなに出す分じゃないか。 腿が片方なくなってたら、わたしゃちんばの鶏を飼ってると思われちまう。 こちとら貧乏、あちらは不細工、だがね、片ちんばの鶏はなんぼなんでもひどすぎますよ。 (沈黙)サイッド どうしても靴ははかないの。あんたがハイヒールをはいてる所は見たことがない。2025/12/23 19:24:077.夢見る名無しさんおふくろ 生まれてこのかた、二度はいたさ。1回目は、お前の親父の葬式のときだ。 急にあんまり天井の方に上がっちまったものだからね、 まるで塔の天辺にでも登ったみたいで、 あたしゃ自分の悲しい気持ちの方は地面に置いてけぼりで、 上からそれを見下ろしてたよ、お前の親父をみんなして埋めてる地面によ。 片方はね、左足だ、ごみ箱の中で見つけた。もう片一方は、洗い場のそばだ。 2回目ってのは、ありゃあいつらがうちの小屋を差し押さえに来た時だった。(笑う) よく乾かした板の小屋だが、板は腐ってて、腐っててもよく音を立てる。 あんまり音がするんで、家の中の物音は手に取るように分かっちまうのさ。 わたしらの立てる物音以外は何にもなくて、その音が突っ走っていく。 お前の親父の立てる音とあたしの立てる音さ。 そいつが土手にぶつかって跳ね返ってくる、太鼓だよまるで。 親父とあたしゃこの太鼓の中で暮らしてた。眠ってた。 何もかも丸見え同然、あたしらの暮らしときたら、腐った羽目板のおかげで外に筒抜けさ。 物音といわず声といわず、音なら何でも通しちゃうんだ。 まるで雷みたいな小屋だったよ、ありゃ! こうすれば、ドッスーーン! ああやれば、バッターーーン! ギシギシ、ガタガタ! ドスーン、バタン! こっちがギィ、あっちがギィ。 グググググググ、ガガガガガガガ、ガーラガラガラ…………ドカーン! 羽目板ごしにこう聞こえちまうんだから! ところが、その小屋をだよ。連中は差し押さえようって魂胆だ。 そこであたしゃね、こう爪先立って、ハイヒールのかかとでグーっと高くなっちゃってさ、 昂然と見下してやったもんだ。いや実に傲慢不遜にやってやったよ。 頭はトタンのひさしに届いてたね。こう指を突き出してさ、追い出してやったもんだ。 あいつらなんざ。サイッド はいてよかったよ。確かに。だから、ハイヒールをはきなよ。2025/12/23 19:25:598.夢見る名無しさんおふくろ そんなこと言ったって、まだ3キロもある。足が痛くなるよ。 第一、かかとを折っちまうかもしれない。サイッド (厳しい口調で)はくんだよ、靴を。 (彼はおふくろに靴を差し出す。片方は白で、片方は赤。 おふくろは一言も言わずにそれをはく)サイッド (おふくろが体を起こすのをじっと見つめている)その上に乗ってると、綺麗だよ。 そのままで、脱いじゃ駄目だ。それから踊って! 踊るんだ! (彼女はマネキンのように二、三歩歩き、実際に優雅に見える) さぁ、もっと踊ってください、奥様。 そうとも、お前達、棕櫚の樹よ、お前達は髪の毛を持ち上げ、下を向いて ---いや、頭を垂れてって言うんだ---見てやってくれよ。 俺のばあ様を、一瞬の間、風も止まれ、見るんだ、お祭りなんだ、ここは! (おふくろに) さあ、踊りだ、その頑丈な足で、踊るんだ! (身体を屈めて、小石に向かって) お前達も、小石よ、お前達の上の出来事をしっかり見つめるがいい。 俺のばあ様が踏みつけるのだ、お前達を、革命が、王様達の石畳を踏みつけるのと同じに。 万歳! ドカーン! ドカーン! (大砲の音を真似る) ドカーン! ズドン! ボカン! (大声で笑う)おふくろ (踊りながら)ほうれ、ドッカーン! ほれ、ダーン! ボーン! ズドン! ボカン! 王様達の石畳さ。(サイッドに)さあ、お前の方は、雷をやんな。サイッド (相変わらず笑いながら)ほれ、ドカーン! バーン! キリキリキリキリキリキリ…… ガラガラガラガラガラガラガラ…… ビリビリビリビリ…… (仕草と声で稲妻を真似る)2025/12/23 19:28:019.夢見る名無しさんおふくろ (踊り続けながら)ドカーン! ガラガラガラガラガラガラ…… ビリビリビリビリ! (彼女も稲妻を真似る)サイッド ドン! ドン! おふくろが踊る。お前達を踏みつけて、どうだ、あの滝の汗は…… (おふくろを遠くから見つめて)滝のような汗が流れ落ちる。 こめかみから頬へ、頬から乳房へ、乳房から腹へ。 そう、お前、砂埃よ、俺のおふくろをよく見てくれ。 汗だくで、高いかかとの上で、なんて美しく、自信に溢れていることか。 (おふくろは微笑しながら踊り続ける) あんたは美しいよ。カバンは俺が持つ。ビリビリビリビリ…… (彼は稲妻を真似る。彼はスーツケースに手をかけるが、 その前におふくろがそれを掴んで離さない。短い格闘。 二人とも大声で笑いながら稲妻と雷鳴を真似る。 スーツケースが地面に落ち、蓋が開き、中身が全部出てしまう。そもそも空だったのだ。 サイッドとおふくろは大笑いしながら地面に倒れる)おふくろ (笑いながら、そして、目に見えない雫を手のひらに受けようと手を出しながら) 嵐だよ。これじゃ結婚式はずぶぬれだ。 (二人は震えながら去る)2025/12/23 19:30:0110.夢見る名無しさん第二景(娼家、背景は白。右手に、極彩色のテーブルクロスに覆われたテーブルに向かい、3人の客が座っている。左手には二人の娼婦がじっとしている)マリカ 金のドレス、黒いハイヒール、金色の金属でできた冠、肩に髪の毛をたらしている。二十歳。ワルダ 金の非常にずっしりしたドレス、赤いハイヒール、髪の毛は髷のように結ってあり、血のように真っ赤、顔色は蒼白、四十歳前後。娼家に座っている男たちは、くたびれた三つ揃いを着ている。短い上着、細いズボン、色調の異なるグレーの生地。赤、緑、黄、青の派手な色のシャツを着ている。一人の召使の女がワルダの足元に跪いている。彼女はワルダの足に白粉を塗っている。ワルダはしんを入れて広げたスカートのように膨らんだピンクのペチコートを履いている。2025/12/23 19:55:4811.夢見る名無しさんムスタファ (感にたえたように)お前が一番美しい。ワルダ (召使に、物憂げな声で)厚く……もっと厚く……かかとにも白粉を。 (金色の頭のついた長い帽子止めのピンを楊枝にして歯をほじっている) 肌は白粉のおかげでピンと張るんだ。 (歯に詰まっていた物を遠くに吐き出して) 完全にいかれてる……私の口の奥は、完全にぼろぼろさ。ムスタファ (ブラヒムに向かい、熱っぽい口調で)淫売の仕事は、俺達のよりもよっぽどつらいぜ。 (3人の男は、口を開けたまま、彼女の身支度を飽きずに眺めている)ワルダ (ブレスレットを数えながら)一つ足りない、持ってきておくれ。私は重くならなければいけない。 (間。独り言のように)腕輪が一つ足りない。 ちょうど私が棺桶で金槌を一つ打ち忘れたようなものだ。 (ムスタファに)夜の始まりは着付けと白粉を塗ることさ。 日が沈むと、私はこの飾りがなくては何もできなくなる……小便をするのに足を開く事だって、私にはできやしない。 だが、金の下着をはいてれば、私は見事な雨の女王さ。(召使たちは立ち上がり、彼女に金色のペチコートを履かせる。それから入り口のベルの音。誰かが戸を閉めたしるし。背景の隅から、外人部隊の兵士が出てくる。彼はベルトを締め終わってすぐに去る。それからマリカが現れる。ワルダほどの威厳はないが、高慢で、ふてくされたような態度、蒼白な顔、緑色の顔料を塗っている)マリカ (ワルダと並ぶ位置まで来て立ち上がるが、誰の顔も見ずに) ああお高く止まってちゃ、やりにくかったろうよ。ブラヒム どいつもこいつも、威張るだけが能さ。 (ワルダが苛立った仕草をする)マリカ 私の言ってるのはベッドのことさ、あの兵隊が積み上げたお札で潰れそうだったよ。2025/12/23 19:57:4012.夢見る名無しさんワルダ (召使に)今度は手に。まず白粉を。それから白粉の上に血管を描く。青で。 (顔料の入った幾つかの小さな壷を手に、召使はワルダの手を塗り始める。マリカに向かって) ああしろって言ったのかい?マリカ (動かず)どこの兵隊だか知らないけどね。私はレストランの女給じゃないよ。ワルダ お前に裸になれって? (マリカは答えないが、ブラヒムとムスタファは笑い出す) 当然だよ、断るのは。帯を直しな。 (マリカは解けていた金の長い帯をぐるぐると巻きつける)ブラヒム (立ち上がり、はっきりした口調で)淫売屋に行くと、女は裸になる。 俺の言うのは、高級な店での話だ。天井にシャンデリアがぶら下がっていて、 帽子なんぞかぶった兄さんのいるところさ。羽飾りのな。羽と花の飾りのついた帽子だ。 (間)顎ひもなんかしてよ。ワルダ (厳しく、うんざりした口調で)私のスカートのへりには何が入ってるのか知ってるのかい? (召使に)薔薇をつんでおいで。召使 セルロイドのですか?ブラヒム (笑いながら)何にせよ、ずっしりしてらあ。ワルダ (召使に)赤いビロードの。 (ブラヒムに)鉛のおもりさ。鉛だよ、私の三つ重ねのスカートのへりにいれてあるのは。 (二人の男は声を立てて笑う。マリカは2歩、3歩、前に進む。) それをめくるには、男の手が要る。 男の手がね……さもなきゃ私の手だ。 (男たちは笑う。マリカは自分の髪から帽子止めのピンを抜いて、それで歯をほじる)2025/12/23 19:59:5413.夢見る名無しさんマリカ 誰でも好き勝手に私の尻に近づけるわけじゃない。入る前にはノックをしなけりゃならないのさ。ワルダ (昂然と、いつもと同じ物憂げな、全てに関心を失ったような声で)二十四年間!……娼婦ってのは下準備なしでいきなりなれるものじゃない。だんだん熟してくるものなのさ。私は二十四年かかった。しかも天分には恵まれてたのさ。この私はね。男なんていったいなんだ。男は所詮ただの男さ。私達の前で裸になるのは男の方さ。(召使に)ビロードの赤い薔薇だよ。埃をはらって。 (召使、去る)ムスタファ (今度は彼が立ちあがって)俺達が奴らの淫売とやるのを見て、すっかり参ってやがったぜ。ワルダ (軽蔑の口調で)奴らはお前達にほかの事をさせたかい? させやしない。それじゃ何だってんだ。第一ここで、お前達のやる相手は何さ。私達じゃないか。 鉛の入ったペチコートをずっしり着けた美しい女達のため、そうだろう、お前達が、太陽の下、葡萄畑で、或いは夜、鉱山の深い底で、この店に払うものを稼いでるのは。 他でもない私達が、このスカートの下に、葡萄と鉱山の宝を抱えているからさ。ムスタファ (ブラヒムに)この女、俺達に勇気があるなんて、考えもしないらしいぜ……マリカ (遮って)バイクに乗ってるときだけだろう、勇気なんて。 全速力で走ってる時さ、通りすがりに郵便局の女にいやらしいことを言うくらいが関の山さ。 シ・スリマーヌが……ブラヒム (言葉を遮って)またあいつか!ワルダ あの男しかいないのさ。(間) いい迷惑だよ、私達にゃ。マリカ 自分の馬にまたがって、同じ時刻に十六の村に。そうさ、カビリアの男が話してくれたもの。 あの人は自分の馬にまたがって、同じ時刻に十六の村に現れた。 でも、現実には、暗い場所で眠っている。あの小道の辺の……2025/12/23 20:02:4614.夢見る名無しさんブラヒム (笑いながら)小道の辺か、一枚だけのピンクの唇の辺か、それとも二枚の茶色の唇の辺か? それで、自分の十六頭の馬の上で突っ立ったままかい?マリカ いかにも私達には不運なことさ。坑夫が、午後の二時に仕事からの帰り道で、その男は怪我をしたから帰ってきたのさ、 私に同じ話をしてくれた……ワルダ (苛立って、厳しい口調で)この子がそんな話をするのはね、何でもいい、言葉を喋ってりゃ嬉しいからさ、人とお喋りするのが嬉しいからだよ、 まかり間違って私達が、お国の不幸なんて話を真に受けようものなら、私達の不幸も、私達の喜びも、一巻の終わりじゃないか。ブラヒム (マリカに)坑夫の話は?マリカ あの人の傷……私に同じ話をした。肉屋もそう。郵便屋もそう。どこかの取り上げ婆の亭主もそう、私の帯はひとりでに外れる。ワルダ (いらいらしているが、同時に感にたえた口調で) またかい! よこしな。 (と、彼女は召使が戻ってきて彼女に差し出したビロードの薔薇を取り、 それを一振りし息を吹きかける)ムスタファ (マリカに)お前には誰でも、みんな喋っちまう、お前にはな。マリカ 一人の男が私のために来る、私の帯はひとりでに外れる。ここは淫売屋さ。 男は自分の中身を空にする、私には何でも教えてくれるさ。ブラヒム (大声で笑いながら)お前の帯がずれるとき……マリカ まるで帆掛け舟さ。一目散だよ。男が一人やってくる、お札を持ってやってくる。 私の着物もピンも、着物に結んだ紐もボタンも、私よりも先にピンとくるのさ。 臭うんだよ。硬くそそり立つ肉の塊、そいつの匂いが漂ってくる。 男が一人、郵便局員か、どこかの小僧か、兵隊か、老いぼれの助平親父か、近づいてくる。 いや、近所に向かっているというだけで、私の帯も着物もこの身体から離れてしまう。 それこそ両手でしっかり押さえていないと……2025/12/23 20:05:0615.夢見る名無しさんワルダ (召使に。最初の物憂げな声で)忘れずに洗面器を開けておきな。 (マリカに)私はね、男の肉の塊が私に助けを求めるとき、着物も下着も、何もかもが、 私の肩に、尻に、積み重なるのさ。私がじっと立ってるだけで、衣装の方がトランクから飛びでてきて、この身体を飾り立てるのさ。 (マリカに)お前は気の使いすぎだよ。本物の娼婦ってのは、自分がそうなるように追い詰めたその姿のままで、 男を惹きつけることができなきゃいけない。この帽子止めのピンで歯の掃除をするんだって、 何年もかかって磨き上げたもの。私の芸のうちだよ。 (立っていた二人の男が、彼女に近づき、凝視する)あまり近くに寄るんじゃないよ。 (彼女は例のピンで彼らの方を指して、一定の距離に離れるように指示する。 男たちはじっと動かずに彼女を凝視する)ムスタファ (深刻に)お前が衣装を重ねるにつれて、白粉を厚く塗っていくにつれて、お前は後ろに下がっていき、俺達を磁石のように引きつける。ワルダ (歯をほじってから、召使に)頭にもう少しチックをつけて。 (沈黙。それからムスタファに)お前が正しいよ。 バイクに乗って駆け回る希望なんていう代物を信じないのは、だがしかし……ムスタファ (深刻に)お前を見るために、俺は鉱山の底からやってきた。 今、俺はお前を見ている、俺が信じるのはお前だ。ワルダ お前は、私の身を飾るものすべてを見た。その下には、もう大した物はありはしない……ムスタファ (一歩近づいて)もしそこに、死ってやつがいたら……ワルダ (仕草で遮って)いるとも、ここに。静かに動いてる。アーメッド (急に飛び起きて)奴らに対する憎しみも、そこにあるのか?マリカ (驚きながら、アーメッドを見据えて)私の帯の下に? 入ってきたお前さん達を燃え上がらすあの火、あの火は奴らに対する憎しみからくるのさ。2025/12/23 20:07:1916.夢見る名無しさんアーメッド そいつはそこにいるんだな?ブラヒム (手を心臓の上に置き、目はワルダと見つめながら) 俺が死んだ百年後にも、その憎しみはそこにいるんだ。アーメッド そこにいるんだな?ムスタファ (相変わらずワルダを凝視して)俺のパンツの内側か? そいつはぐいぐい突き上げてくる、ブラヒムの心臓の中なんぞの比じゃねえ。 マリカの帯の下にいる奴より、よっぽど盛って燃えている。アーメッド そいつは、そこに……ワルダ (ぶっきらぼうに、突然断固とした口調で)大馬鹿だよ。 土には---淫売屋を包む夜の闇が厚ければね---壁の土には無数の穴が開いている。 そしてお前達の女が、耳を済まして聞いているのさ。 (歯から取ったものを吐き出す)アーメッド もし憎しみが、帯の下に、ズボンのボタンの後ろにいるならば、どうして希望がそこを走り抜けないはずがあろう。マリカ どうして十六頭の馬に乗り、十六の道を走って、その木陰に休もうとしないわけが? (アーメッドに向かって挑発的に)私と一緒に上に来れば、お前がその気になりさえすればご祝儀をくれてやるよ。ワルダ 大馬鹿だよ。 (鋭く、長い笑い声を立てる。沈黙。突然逆上したかのように) 全く怪しげな言葉ばかり。近頃じゃ。 新聞だのビラだのからそのまま切り抜いて来た言いぐさだ。 このざまはどうだい、淫売屋の人間になりながら、娼婦として完璧なものになりたいとは思わない、 骨と皮になるまで苦心してでもそうするのが当たり前なのに。(召使に)打掛を。 (召使はドレススタンドに掛けてあった打掛を取りに行き、それを持ってくる。その間に、ワルダは再び前と同じように笑う)2025/12/23 20:12:0617.夢見る名無しさんアーメッド (相変わらず興奮して)じゃ、もし…… (しかし、入り口の扉を人が開閉する時のベルが聞こえる。全員口をつぐんで、見つめる。 ワルダは振り向く。すると彼女とマリカを除き全員笑いをこらえる仕草)ワルダ (ムスタファを押しのけて、奥を向いて)脱いでいな、サイッド。今行くから。 (召使に)洗面器は?召使 洗ってあります。 (ワルダは背景の後ろ側に入る。かなり長い間)マリカ あの男が一番乗りさ。自分の結婚式の前からずっと、予約しているんだもの。 (召使は彼女の足元に跪き、その爪にマニキュアをし始める。アーメッドに向かい) 私の鉛入りスカートのへりを持ち上げてみる?アーメッド (腕時計を見てから)家じゃ、スープが火にかかっている、手っ取り早くやんなきゃな。 (沈黙)マリカ 淫売ってのは、毎晩結婚式さ。私達も、お前さんたちも。(再び沈黙) 私達の命、私達が身につける芸の上達、それを誰に捧げるって言うの? 神様以外のいったい誰に? (男たちと召使が後ずさりしていく。マリカは退場するためそのまままっすぐに歩く)2025/12/23 20:13:3318.夢見る名無しさん第三景(サイッドの家のひどく貧しい内部。背景には、コンロが一つ、鍋が四つ、フライパンが一つ、テーブルが一脚。側に桶とひどく低い腰掛が一つずつ)レイラは、三つの穴(口と右目と左目)が開いた一種の頭巾をすっぽりかぶっており、顔は常に見えない。おふくろはいつもの紫色のドレスを着ている。レイラ一人、彼女はつぎはぎだらけの---しかも様々な色のつぎの当たった---よれよれのズボンの周りを走ったり飛び跳ねたりしている。そのズボンは彼女の左側に立ったままである。2025/12/23 20:16:1519.夢見る名無しさんレイラ (指で、ズボンに、近寄って来いという合図をする。ズボンは動かない。 そこで彼女は、前屈みにちょこちょことズボンの所まで行く。ズボンの前に立ちはだかる。 彼女はズボンに話しかける) ……どうしたい? ねぇ、動かないのかい? 夜には、私の夢の中をうろつく、風に袖口をまくられても平気、 それが私の目の前じゃ、死んだふりをする気? それでもね、お前は生きているよ、熱いよ、何でもする気でいる、 歩く、おしっこ、咳、タバコ、それにおなら、人間様並だね、 それからお前が馬乗りに、いや私がお前の上に乗る……。 (見えないところから、二声、三声、雌鳥の鳴き声、鳩の鳴き声、雄鶏の時間を告げる鳴き声、犬の吠える声が聞こえる、 それらはとてもはっきり聞こえて、物真似じみてもいる)レイラ 本当だよ、お前の方がサイッドより上出来だ。 お前のお尻がサイッドのお尻の形をしてても、お前のお尻のほうがずっと綺麗。 (ズボンの周りを歩き回り、それをじっと見る) お前のお尻の方が丸みがあるわ。あの人のより。 (間)でもお前のおしっこはあんなに遠くまで届かない。 おいで……私の上にお乗り……せめてお前が、3メートル歩けたらね ---ここから入り口までさ---その後はずっと簡単なのに。 お前と私とで人気のないところに逃げ込むの……すももの木の下に……壁の向こう側に……もう一つの壁の向こう側に……山が、海が……そうして私はお前の丸いお尻に乗って、 お前のお尻の二つの山、その丸々した鞍にまたがって、 お前をはぁはぁ言わせてやるのに…… (ズボンの前で、馬に乗って走る真似をする) はい、よー! はい、はい、はい! はい、よー! こうして鞭をくれてやる。これでも駄目かい、私がこう締めつけても、 そうよ、壁の下まで来れば、私はお前のボタンをはずす、お前のボタンをまたはめる、 私の両手を両方のポケットに突っ込んで……おふくろ (見えない場所で)こっちへ来ちゃ駄目だよ。餌は今日の分、たっぷり食べたろうに。2025/12/23 20:18:3820.夢見る名無しさん (また、家畜小屋の同じ物音が聞こえる、雌鶏、雄鶏、犬、豚など…… レイラはズボンを取り、地面に座って縫い物を始める)おふくろ (登場。動物の声を真似ていたのは彼女である。 少しの間、彼女はそれを続けてるが、やめて) ズボンにかい! つぎはぎだらけのズボンに向かって恋の告白ときた。 それに、ズボンがお前と駆け落ちしてくれるなんて! (肩をすぼめる)二度と言わなくていいように、お前にははっきり言っておいた方がいい。 あの子にゃその勇気がないときてるんだからね。 それにあの子は、わたしほどの親切も持ち合わせちゃいない。お前さんは醜女だよ。レイラ (縫い物を続けながら)私が美人だった時……おふくろ 醜女だよ。そんなにあぶくを吹いて頭巾を汚すにゃ及ばないよ。レイラ 美しいの……夜は……おふくろ お前にゃ蓋をしておく。臭いチーズと同じさ。蝿がたかってる。レイラ 夜、私が文無しのサイッドを夫にするとお思いなの? ちっとも男っぷりのよくないあの人を? 女は誰も振り向いてくれないあの人を? サイッドを見て振り向いた人なんている? (叫び声を上げて、自分の指を吸う)おふくろ (振り向いて)また刺したのかい、その針?レイラ (針に向かって)お怒りにならないで、この子はふざけてるの。2025/12/23 20:20:3321.夢見る名無しさんおふくろ それじゃかまどの火は、あれもふざけてるのかい? 朝、お前がたきつけを作ると、とんと燃えついたためしがない。 塩も、壷の中の塩が鍋の中に全部こぼれちまうのは、 あれもお前とふざけっこしてるってのかい? (ズボンの1ヶ所を指して)裏返しにくっついてるこのつぎはいったい何のお遊びだね?レイラ (彼女もそれを見て)本当だわ。本当に裏返しにくっついちゃった。サイッドは怒るかしら?おふくろ 気にしちゃいないさ。ズボンが何か、あの子は承知の上だよ。 自分の大きな両足を入れる、尻を入れる、それから後の残りを。 それがあの子ってものだよ。夜ズボンを脱いで椅子の上に置く、 そうすると、椅子の上で寝ずの番をするのは、 そう、お前を見張り、お前を怖がらせるのはあの子のズボンさ。 ズボンが目を覚ましていてお前を見張る、サイッドはそこで寝てるってわけだ。 あの子は知ってるのさ、ズボンが一番しゃんとするのは、つぎはぎのおかげだ、 しかもそのつぎの中でも一番威勢のいいのが、裏返しのつぎときてる。 心配なんかしなくたっていい。 サイッドは私と同じで、何もかもとんちんかんに狂っちまうのが好きなのさ。 どんどんずれていって、どっかの星まで飛んで行く、そうなりゃ不幸だって---聞いてるのか い---不幸だって物凄く大きなものになっちまって、お前の亭主は爆発だ。 笑い転げてよ。裂けちまうのさ。 お前は醜女なんだからね、頭の中も空っぽでいな。レイラ それじゃ、私は一生懸命頑張って、うすのろにならなくちゃいけないの?おふくろ とにかくどんどんやってごらん、どういうことになるかやってみなくちゃ分かりゃしない。 口を閉めたらどうだい! ……その調子でいきゃ申し分なさそうだ。 よしなよ、頭巾の外にまでよだれをたらすのは。レイラ もうちょっとよだれをたらせば、それは私がもう一段、低脳になった証拠。2025/12/23 20:23:3322.夢見る名無しさんおふくろ お前の脳みそが腐りゃ、臭いで分かるよ。 そのうち、わたしたちゃ、臭くって我慢ができなくなる。 それから後は、カビのにおいばかりさ。 ちょっと時間がたてばね…… だが、そこまでになるにはね……レイラ (縫い物を続けながら) それは、サイッドが、あなたの息子で私の亭主のあの人が、みんな絡んでいるわけ?おふくろ 夜になったら洗濯場にお行き。月明かりの下で洗濯をするんだね。 指にあかぎれの一つでもできようってもんだ。レイラ 雌鶏の声のことだけど、やっぱり……おふくろ そりゃ役に立つさ、私達の周りには贋物の家畜小屋がなけりゃならない。 そいつは私達の腹の底から出てくるのさ。雄鶏、やれるようになったかい?レイラ (一生懸命に)コッ……コケッ!……コケーッコッ……コケッ!おふくろ (怒りっぽい口調で)駄目駄目、そんなんじゃ! そんなくたばりぞこないの鶏なんて願い下げだね。さあ、もう一度。レイラ (声を震わせて)コケーッコッコッコッ! (痰を切ろうとする時のようなのどをならす声が聞こえる。サイッドが近づく。 肩に雑嚢をかけている。誰の顔も見ずに立ち止まり、雑嚢を地面に投げ出し、痰を吐く)サイッド チーズとジャムが混じっていたぞ。何もつけずにパンだけ食った。 (レイラが立ちあがろうとする気配を見せるので) 座ってろ。縫い物してろ。2025/12/23 20:26:3523.夢見る名無しさんおふくろ どれ、水でも一杯汲んで来てやるか。サイッド (陰鬱に、頭を下げたまま)危なく喧嘩をするところだった。レイラ あと三十分もすればスープができるわ。(間)塩を入れすぎたかもしれない。サイッド (厳しく)どうして俺が喧嘩をしそうになったか聞こうともしない。 その理由を知ってるからだ。(間) ある日、俺は溜め込んだ小金を全部集めて計算してみた。小遣い稼ぎにやった仕事の細かいへそくりも全部足した……レイラ (突然深刻な口調で)黙って、サイッド。サイッド (続けて)……それから、何時間も、何日も、残業をした、そしてまた計算してみた。 大した額にはならん。(レイラは突然激しく震え出す)……それから俺の周りを見回した。娘のいる父親のところを一軒一軒回ってみた。 いたわいたわ、その数! 何十人、何百人、何千人、何万人、何百万とな……。レイラ (いっそう激しく震え、ひざまずいて)お願い、サイッド、止めて! お願い! 神様、お耳をふさいでください、この人の言うことをお聞きにならないで!サイッド (一息ついて)……何百万といたさ。ところが、どいつもこいつも、手前のところに残っている一番不細工な娘を売るのにも、 俺の持金よりは必ず高い値段を吹っかけやがった。 そこで俺は絶望したよ。それでもまだ俺は、お前の親父のことは思いつかなかった……レイラ (サイッドの足元に泣き崩れて)サイッド、やめて! 神様、お聞きにならないでください、あなたを苦しめようというんですもの!2025/12/23 20:28:3224.夢見る名無しさんサイッド ……とうとう最後に決心して、お前の親父に話しを持ちこむ気になった。 全くご親切は身にしみたよ。俺は一番不細工な娘を引き受けるはめになった。 そんなことは俺のいつもの不幸に比べたら屁でもない。 だがな、一番安い女ってことは、そのために今じゃ俺は、俺を馬鹿にする奴らと、 毎日夕方になると喧嘩をしなけりゃならない。 しかも俺が1日働いて家に帰ってみりゃ、どうだ、俺を慰めるどころか、 涙なんぞ流してただでさえ見られたもんじゃないその面を、 わざわざますます見られない面にする。 (レイラはうずくまったまま動き出し、ほとんど這うようにして去っていく) どこへ行くんだ。レイラ (体も起こさず、振り向きもせず) 庭へ出て鼻をかむの、鼻水と涙を洗って、いらくさの中で気を静めてきます。 (去る)サイッド (一人)今夜、デュルールの納屋の壁を片付けなきゃな。 それもあいつの親父に金を払うためか! 俺は毎日喧嘩をしなけりゃ---いや、喧嘩の一歩手前まで行かなきゃならない。 (鳩の鳴き声が聞こえる)……その上にあの金、淫売の所に工面しなきゃならないあの金! (おふくろが、ゆっくり帰ってくる。右の方に体が傾いている。水を一杯に汲んだ桶を持っているからだ。 サイッドが手伝おうとして近寄る気配を見せると、彼女は突然しゃんとする)おふくろ 我慢することさ。お前は、お前の力の限りやってごらん。 あの子はあの子で、力の限りやるだろうよ。そうすりゃ分かるさ。 (桶を置く)サイッド いらくさの中で、何をしてる?2025/12/23 20:31:0825.夢見る名無しさんおふくろ 農場の番さ。 (レイラが声だけで物真似をして作り出す架空の家畜小屋の声が聞こえる。 おふくろは腹を抱えて笑い出し、その笑い声が雄鶏や鳩の鳴き声に混じる)2025/12/23 20:32:1026.夢見る名無しさん第四景(小さい農場。丸い太陽が真っ青な空に描かれている。手摺りの前に赤い手押し車)ハビブの衣装---黒いズボン、黄色いシャツ、白い靴サイッド---いつもの通りハロルド卿---四十五歳。非常に男性的な人物。長靴、ヘルメット、手袋、細身のしなやかなステッキ、乗馬ズボン。彼は架空の馬の手綱を握っている。)2025/12/23 20:35:3227.夢見る名無しさんハロルド卿 (手押し車を押しているサイッドに)手のひらに唾をするんだ、元気が出るぞ。 (サイッドは身動きもしない)唾だ、分からんのか!サイッド 唾。(間)でも、誰に唾をするんですか、ハロルド様。ハロルド卿 お前の手だ、手のひらだと言ったじゃないか。一人のアラブ人、ハビブ (猫なで声で)お怒りになってはいけませんです、ハロルド様。 こいつはまだ若いんで。まだフランスにも行ったことがございません。 エッフェル塔なんか知りもしないんでございますから。サイッド 近々、多分行くさ。ハロルド 女房はどうする、連れて行くのか?ハビブ (大笑いをし、自分の両方の尻を同時に叩きながら)そうでしたよ! ハロルド様、こいつに唾を吐かせるなら手にひらより女房の方がうってつけで。サイッド こいつの話なんぞお聞きにならないでください。海を渡るのはもっと稼ぎたいからです。 いとこの話じゃ倹約さえすりゃいいそうで。ハロルド (架空の馬に向かって)静かにしろ、ピジェ。 (サイッドに)お前は倹約する必要があるのかね? そんなことをして何になる。食っていけるだけのものは稼いでいるじゃないか。ハビブ 私にゃ、なぜだかその理由が説明できますね。サイッド (きっぱりと)俺の問題は俺の問題だ。ハビブ そんならその話はよしにしよう。お前には何も聞いちゃいない。2025/12/23 20:37:5928.夢見る名無しさんサイッド 聞いてるよ。お前はいつでも俺がしけてるって言うじゃないか。 俺みたいにしけた奴と一緒に仕事に出るのは面白くもないと。ハビブ いや、お前のため息は、ええ? お前のあのため息はどうなんだ。 あんまりあくびをするもんだから、鳥をみんな飲みこんじまった。 それであと飲み込む物は、草についたあぶらむししか残っちゃいない。 葡萄だってお前のため息のおかげで参ってる。 ハロルド様、あなた様の葡萄畑も、ひどい目にあいますよ……サイッド 分かりきったことだろう、今は夏だ、鳥は飛んで行っていやしない。 だが分かってるさ、お前はこの世で悪いものは全部俺のせいだという。 全く、ずうずうしいにもほどがある。 俺の顔の表情まで、いちいち訳知り顔に読み取って、理屈をつける。 そんならいくらでもこっちから喋ってやれら。ハビブ (しつこく)俺は何にも読み取っちゃいないよ。お前さんの方じゃないか、勝手に喋るのは。 ところでようやく俺の方にも分かったよ、どうしてお前さんがクルゾーに雇ってもらおうとしているか、その理由がな。 それからこのこともはっきり言っておくよ、お前さんは俺達みんなの面汚しだ、レイラは俺のいとこなんだからな。サイッド あんな遠い関係じゃないか……遠すぎて……あの女は、 三十メートル先のいんげん豆みたいにしか見えない。ハビブ たとえそうでも俺のいとこにゃ変わりない。だからあの女の恥は、この俺にちょっとばかりは ---いや、それはほんのちょっとだがよ---恥ずかしい思いをさせるのさ。サイッド ここらで一番若い娘を買えるだけの金を俺は持って帰る。ハビブ そうかい、でももう一人のはどうする?ハロルド卿 (前と同じく)どうどう、ピジェ!サイッド お前のいとこか?2025/12/23 20:40:4529.夢見る名無しさんハビブ いや、遠縁だよ。とにかく、つまりだ……あの女を始末するには、離婚の恥のつぐないの金を払わなきゃならない。そうして、クルゾーの金を次から次へと払いに取られる。 (架空の馬に語りかけて)どう、どう、ピジェや……走るのも軽やかでしょうな……いかにも軽やかだ、その蹄は牧草を倒すことさえしないでしょう、こんな農場にはふさわしい馬だ、ここに何千坪、あちらに何千坪、空の果てまで続いていく。 (サイッドに)クルゾーから金を持って帰ってくる、言うのは簡単だ、しかし……ハロルド卿 海を渡ってる間に、女房の方で浮気をしなければの話だが。 もっともそうなれば、いい口実ができるわけだ。ハビブ (笑いながら)浮気ですって! 冗談でしょう。 ハロルド様、あの顔を見たことがないからですよ。 あんな女とやろうっていうような奴がいるもんですか。いくらがつがつしててもね。 いえ、本当の話、サイッドのおかまの方がましで。女房の方はとてもとても……ハロルド (サイッドに)そんなに言うほど酷い醜女なのかね?ハビブ (うなだれて)オー、イエス、サー、ハロルド。ハロルド卿 それで、もっとましな女を手に入れるために、海を渡ろうってのか? だがどの尻だって、尻は尻だ。(大声で笑いながら、自分の尻を叩く) サイッド! 女房は女房で抱えておけ、ボタンははめっぱなしだ、 ボタンをはずしたきゃ淫売に行くんだな。 (突然彼はいらいらする、ハビブに向かって)ちょっとピジェを捕まえておれ。 (煙草を吸っていたハビブは、手綱を取る。ハロルド卿はサイッドに近づく。 彼は手のひらに唾をして手押し車を握る) 分からんのか! こうだと言ってるじゃないか。こうやるんだ! おふくろはお前に何も教えなかったのか。 (神経質に苛立って、馬の所に戻る。ハビブに) さあ、どけ。仕事だ。 (架空の馬に乗りながら去る)ハビブ もうお帰りですか、ハロルド様。2025/12/23 20:43:1130.夢見る名無しさんハロルド卿の声 完全にいなくなるんじゃないぞ。お前らを監視する為に、俺の一部は残しておく。 一番俺の代表としてふさわしい物は何だ。杖か、ズボンか、手袋か、それとも長靴か? そら、いいな! 俺の手袋がお前らの見張りだ。 (猪皮の手袋が投げられる。それは二人の前に宙吊りになったように止まる)サイッド (うなだれていたが)あんなことをいちいち、あの人に言う必要があったのか?ハビブ (口に指をあて、それから手袋を指して)シーッ!サイッド (恐ろしくなり)神様! あの中には何が詰まっている? あの人の拳か?ハビブ 藁さ。一杯に詰まっている、あの人の拳が入っているように見せかける為だ。(間) そう、それ以上に危険なものに見せかける為さ。(間)そして、本物以上に本物に見えるように……サイッド (それを見ながら)こっちの方がすごい。ハビブ (皮肉に)そりゃそうさ。(長い沈黙)日が暮れる、帰らなきゃ。 (小声で)あの指の一本一本が、傘みたいにでっかい耳をして聞いている……用心しろ! (太陽が消える)サイッド お前の事は知らんさ、だが、俺のことでこの手袋に聞かれて都合が悪いようなことは何もないぞ。 そうとも、俺はため息をつく、おお、猪皮の手袋よ、おお、茶色の皮の長靴よ、なめし皮のズボンよ、 俺は大きなあくびをし、群れなす鳥をみんな飲みこんでしまう。 だが、どうして俺のことをからかうんだ。ハビブ そのことはもう考えるな。(遠くを見つめて)今時分は、他の奴のことを怒鳴っているはずだ。 水門を開けて水を出しすぎたからな。奴は、お前のことなんぞもう忘れてるさ。 自分の馬に乗って、自分の領土を行く。2025/12/23 20:45:2831.夢見る名無しさんサイッド お前があの人に話したこと、その嫌な思い出は、俺の中だけに残っている。ハビブ (ちょっと黙ってから)今夜、農場で火事がある。(沈黙)向こうへ渡る金は?サイッド (不安になって)俺を疑うのか? (次第に夜になる)ハビブ (皮肉に)いいや、いいや。今はまだだね。 だが、海を越えようなんという雄大な計画を立てた男なら…… ええ? まさか泳いでいくわけじゃあるまい。サイッド これから仕事だ。風が出てきたな。 (二人の男は口笛で風の音を真似、震える)ハビブ お前にはもう言ってある。手のひらに唾を吐く練習をするんだ、そうすれば嫌でも働くようになる。 今は奇妙なことが起こっているんだ。この国はだんだん雌鶏の肉に似てきている。猪皮の手袋のせいか? 俺達が雌鶏の肉のようになったのは、奴らが雌鶏の肉を食わせなくなったからだ。 お前の手のひらにつばをしろ、サイッド! 鐙も手綱も鞍も必要ない、俺の尻だけが奴を御する。 俺達は夜を横切っていく。サイッド 風が強くなった! (サイッドとハビブは風に吹き飛ばされるように、くるくる回りながら去る)2025/12/23 20:47:2132.夢見る名無しさん第五景(刑務所の正面入り口、大きな戸口、その両面に一つずつ低い窓。鉄柵がついている。左手に離れて、一本の棕櫚の木)タレブの衣装---緑色のズボン、赤い上着は裸の身体に直接かかっている。白い靴。おふくろ、レイラ、次いで被害者たるタレブ、彼らはこの順に登場。タレブの声がおふくろの姿の見えないうちから聞こえている。2025/12/23 21:46:2933.夢見る名無しさんタレブ 洪水の損害九万を加えると、合計十七万二千三十の損害になる。 洪水も間の悪いときに起こったもんだ……洪水のおかげで、 サイッドの立場はどうにもならねえほど不利になったとも言えるからな。 わしの上着を盗むにしてもだ、これが豊作のときだったら、事情も変わっていたよ。 (力を込めて)確かに運が悪かった、洪水はな、不運って奴だ。 盗まれたのも不運、つまりわしの不運にサイッドが首突っ込んだってわけだ。おふくろ (振り返らず)なんてこったい、石を積んで刑務所を作るのに、 よりによって丘のてっぺんに作るとはね。 門まで登ってくるのになんとまあたっぷり歩かせてもらいますよ。ええ、この杖ったら!タレブ ある意味、普通の泥棒とは違うわけだ。 わしは貯金をして、バイクでも買おうとしとったところだ。 洪水とサイッドがぶつかった、こいつは全く、頭が二つ、手が四本に指が二十本の、 二人前の不幸って奴だ。おふくろ (息を切らして、ぼろぎれで汗をぬぐい、それをレイラに投げ与える) ほれ、汗をふきな。鍋の尻をふいた雑巾だよ。(笑う)一発雑巾がけをおやり。タレブ 破産だ! わしゃ破産だよ! 頭が二つもある化け物が……おふくろ (杖で脅して)消えちまえ! (タレブは逃げようとするが、レイラが上着を捕まえて引きとめる)レイラ 十七万じゃないわ、そのうち八万はもう返しちゃったもの。サイッドは正直だった。 その八万はなくしちゃったとか、お前さんがまた盗んだんだとか、言えば言えたのに。2025/12/23 21:47:5734.夢見る名無しさんタレブ お前さんがあいつの弁護をするのかい! わしがいちじくの木の下に置いておいた赤い上着を奴が盗んだのはな、 向こうへ渡る金が欲しかったからだぜ。向こうで土方でも、もっこ担ぎでもなんでもやって、 金を貯めて、もう一人女を買い取る為だったんだ。レイラ あの人、そう言ったわ。 でもあの人は、私を捨てて行くかわりに、捕まって、殴られ、 家の上にある刑務所に入れられてしまった。おふくろ (肩をすぼめ、杖で地面を叩きながら)サイッドは望み通りのことをしてるのさ。 あの子が、頭の二つもある化け物の一部になってお前さんを失望させたのは、 つまりはこのあたしが、そんじょそこらのガキどものおふくろとはわけが違うって事だ。 何しろ刑務所に入ってるんだからね。タレブ 出てくるよ。わしは訴訟をひっこめた。おふくろ ひっこめた? (脅迫的に)お前さんの訴訟は訴訟だよ、永久に。タレブ わしは村中に言いふらさせた。あいつのしたことは正しかったってな。 わしの背広は赤いからよ、お天道様が沈む頃にゃ、あいつの背広だって言っても分からねぇって。おふくろ 連中は、あれが泥棒だって、いつまでも覚えているさ。 そうとも、私が村の女どもと言い合いをすれば、あのゲス女ども、 私に悪口を浴びせ掛け、サイッドや私のことで、ある事ない事言い出すのは分かりきってら。レイラ 私のことは?おふくろ (肩をすぼめて)お前なんぞ、今更言われることなんぞありゃしない。低能のくせして。タレブ どんな事かね。2025/12/23 21:49:3335.夢見る名無しさんおふくろ あの女どもはまずこう言うさ。 ありゃ泥棒だ、だから、あの男は足が臭い、歯が、口が臭い、だから親指をなめる、 一人きりになると大きな声で喋り出すのもそのせいさ…… 私のことは待ってましたとばかりにこうくるさ。 あの女は、糞みたいに泥棒をひねり出したとね。タレブ そんな奴らをやっつける悪口くらい、お前さんならいくらでも見つかるだろうに。おふくろ 言うほどは簡単じゃない。悪口が図星だと、こっちだって気合を飲まれちまう。 そうしたらどうするね? (身を起こし、昂然と)わたしゃ心得てるさ、この私の恥を見せつけて、 あの連中の目をくらましてやる。ああ、この私がサイッドだったら!タレブ あんたが……おふくろ (遮って)そうともさ。あの女たちはがっくりひざまずくだろうよ。 わたしゃ足をこう大股に開いて、そっくり返ってさ、ズボンのチャックを開けてやるね。 ところが、女の私じゃ、悪口を投げつけることしかできない。 私がつまずきゃ、あの女たちは駆けずり回って別の悪口を見つけてくら。タレブ 怒れば、他の女たちよりあんたの方が足が速いだろうに。おふくろ (威嚇的に)ええ、とっとと失せろ! おだてて丸め込もうったって無駄だよ!レイラ (おふくろに)私も手を貸すわ。汚いことなら、荷車に積むほど手持ちがあるから。おふくろ (肩をすぼめて)低能のお前がかい。レイラ 毎晩、私は新しいのをいくつも覚える。役に立つわ、きっと。おふくろ それじゃ、寝ないのかい、お前は?タレブ いちじくの木ってのは、ご存知の通り、不幸の木だ、ありゃ……2025/12/23 21:50:4836.夢見る名無しさんおふくろ 失せな。いちじくなんか糞食らえ。 お前さんの背広がいちじくの木の、つまり不幸の木の下に置いてあったんなら、 サイッドに罪を着せることはなかっただろうよ。タレブ わしは始め、他の奴がやったと思ったよ……おふくろ (かんかんに怒って)とんだご挨拶だね! 他の奴の尻拭いをさせようってのかい! とっとと失せるがいい、さもないと、この杖がへし折れるまで、お前の背中を痛めつけてやる! (タレブ去る。おふくろとレイラは刑務所の入り口の側に座る。長い沈黙。 時々レイラのため息が沈黙を破る)おふくろ (笑いながら)お前はいつも鶏に餌をやりすぎるよ。言っただろう、鍋に半分で沢山だって。レイラ それじゃ少ないわ。おふくろ (優しく)鶏の方で、よその餌を盗めばいいのさ。レイラ (非常に真剣に)それは私も考えたわ。でも、鶏小屋の金網をそう簡単にくぐりぬけられると思う? だって雄鶏は棍棒を持ってお巡りみたいに見張っているんですもの、あの硬い石のくちばしで。おふくろ お前が教育すりゃいいのさ。雌鶏達が出かけていくように。 忘れるんじゃないよ、お前さんのおかげでわたし達は泥棒になった。 うちの雌鶏だって、同じように泥棒になるのさ。レイラ (驚いて)私のせい?おふくろ (笑いながら)お前が醜女だからさ。レイラ (落ち着いて)そうね。雌鶏のことはできるだけやってみます。 私は一羽、黒いのに目星をつけてるの。他のよりずっと悪い奴。 あの雌鶏が他の連中に手本を示してくれたら。2025/12/23 21:53:3237.夢見る名無しさんおふくろ 芦を刈りに行くのも忘れるんじゃないよ。 (長い沈黙。サイッドが着るものの包みを肩に担いで現れる。 彼は母親にも女房にもろくに挨拶をしない。二人の女は立ちあがる)おふくろ 古い方の毛布、持ってきたかい?サイッド ああ。明日、俺は隣の鉱山に雇ってもらう。おふくろ じゃ、金は?サイッド 郵便で送る。おふくろ (しげしげとサイッドを見つめて)いや、本当だ、お前は変わったよ。サイッド 風通しが悪いからだ。 (彼らは黙って歩き始める。突然夜になる。背景には三日月)サイッド (レイラに)レイラ。レイラ (立ち止まる)なあに、サイッド。サイッド 頭巾を取りな、顔が見たい。レイラ (彼のほうを向いて)無駄よ、サイッド。私は相変わらずの醜女だもの。2025/12/23 21:54:5238.夢見る名無しさんおふくろ (笑いながら)刑務所にいる間に何かが起こったとでも思うのかい? 天使がこの子を訪れたって? その顔を消すために天使がこの娘の顔に唾をして、美人に作り直したってのかい? (皮肉に)泥棒をちょっとばかり驚かしてやろうっておつもりだろうよ、きっと。 さあ急がなくちゃ。私はこれから死人(しびと)の所へ泣きに行くんだから。 女共はもう集まっている。 (彼女は再び歩き出す)レイラ (優しく)私の顔が見たい、サイッド? (沈黙) このかすかな月明かりの下で、サイッド、私の顔を見たい?サイッド (厳しく)見たくない。 (彼らは再び歩き出す)レイラ (かなり後に遅れてついてくる)私は一人ぼっち……おふくろ それがどうしたい? 私のようにするのさ。 夜、木の葉の茂みを吹きぬける風の音で、林にある様々な木の種類を区別する術を学ぶ。 いい暇つぶしになるし、その上、お前も、洗練された女になるってわけだ……もしお前の目に、耳に…… (遠くを見て)まぁ、見ておくれよ、みんなもうお墓へ行く支度をして待っている。 あそこじゃ、みなさん、さごかしご機嫌だろうよ。 (三人は去る)2025/12/23 21:56:4339.夢見る名無しさん第六景(村の広場、一本の棕櫚の木、回教徒の墓が一つ、開いた傘が逆さまに立て掛けてある)女たちはみな---紫色の衣装のおふくろを除いて---黒いドレスを纏っている。彼女らの頭には黒いヴェール。この景の始めには三人の女しかいない。(シガ、カディッヂャ、ネヂュマ)2025/12/24 19:44:4340.夢見る名無しさんシガ (四十歳くらい。小刻みに歩く。叫んで)急いどくれ、みんな。遅くなると、蝿がいなくなるよ! (低い声で)蝿だ! 蝿! 蝿……カディッヂャ (六十歳くらい)いったい冬の最中でも、蝿のいない死人なんて見たことがあるかい? 蝿のいない死体、不吉な死体だ。葬式の一部だよ、蝿ってものは。 (彼女はスカートをたくし上げ、ずり落ちた黒い靴下を、ガーターにとめる)シガ (笑いながら)それなら家じゃ葬式続きだ。毎日毎日、死体を埋めてるに違いないね、全く。 家中が蝿でもってるようなものさ。 地下室も蝿だらけ、天井も蝿だらけ、蝿の糞が私の身体の上に落ちてきて……ネヂュマ (二十歳、あからさまに嫌悪の情を示して) 外人が私達を軽蔑するのはね、未だにあんたみたいな女がいるからさ。 あっちの女たちはね……シガ 何時間もお湯に浸かっている。 何時間も、缶詰みたいに、湯煎にされて茹だるってんだろう。 私だって風呂屋くらい行くさ……そのかわり後で、真っ白になった足の指を、 砂埃の中に引きずってよ……ネヂュマ (日の光を避けるために傘を拾って)わたしゃ、そのうちにイタリア風の生活をするね。 わたしの部屋には蝿もごきぶりもいないようにしてやる……シガ (笑いながら)家じゃ、蝿だろうが、ごきぶりだろうが、くもだろうが大歓迎さ。 蝿のためには、いつでもがき共の目の縁にご馳走がある---わたしが子供を育てるのは その為さ---鼻の下にもさ。がき共に、時々拳固をくれてやる、朝の十時頃によ、それから夕方の四時頃には今度はびんただ。 ぎゃあぎゃあ泣く、青っぱなをすする、そこで蝿はそれご馳走と大喜びだ。 (舌で、さもうまそうに、自分の鼻から垂れてくる鼻汁をすする)ネヂュマ (胸がむかつくといった様子で)それで、亭主の方は?2025/12/24 19:46:0341.夢見る名無しさんシガ いいえ、あの人はね、肘か指先にいつでも小さな傷をこさえておくのさ。私の方は……カディッヂャ いい加減にやめないかい。その馬鹿話。蝿はいる、ここからでも私には聞こえるさ。 今、陽は沈みかけている。だがそれでも蝿どもはあそこにいる、まるで黒い旗だ。 (遠くを見ながら) どうしたってんだよ、急いでおくれ。集まってくる蝿のことを考えてごらん。声 (次第に近づいてくる)私が葬式に行くときは、いつでも決まって、蝿のためだ。急げ急げって言う。 で、死体を穴に下ろすときには全員お揃いさ、その数を勘定してやった。 (ハビバ登場、二十歳。黒い傘で日を避けている)何しろ穴の周りにいる蝿の唸り声といったら、バイクのエンジンよりもすごいんだからね。 いや、亭主が私にマッサージをしてくれる時より激しいわ。出かけるのかい?シガ ちょっと待ってておくれよ、おしっこ、おしっこ。 (彼女は駆け出して、背景の後ろに消える)ネヂュマ (空想を追うように)……もう一つの青いのを見たことがあるわ。あざやかな空色をしたのを。 そうだわ、あれにしよう、買ってもらうのは……(間) 私は毎朝それを庭の向こう側に開けに行く……カディッヂャ (遠くを見つめながら)あそこにやってくるのは誰だい、私にゃよく見えないが。(ハビバに) お前さん、見ておくれ……ハビバ サイッドのおふくろだわ。カディッヂャ (情容赦ない、威厳のある口調で)なんて厚かましいんだ! あの女に泣く権利はない。 分かったね、みんな。あの女は来ちゃならない。 (間。サイッドのおふくろ、登場)カディッヂャ お前さん、死人の為に泣きに来たんじゃあるまいね?2025/12/24 19:48:0142.夢見る名無しさんおふくろ (一瞬どぎまぎして)私は泣き女さ、泣きに来たんだ。カディッヂャ いずれにせよ、泥棒女だ。溝の中であの女はいらくさに口をきく。 いらくさを手なずけようと必死だ。いらくさが返事をする。 お前の息子は泥棒だ、そしてお前は、あいつが盗んできた鶏だのキャベツだの、果物、油だので生きている。 お前なんぞ、わたし達と一緒に来ちゃならない。おふくろ もしお前さんたちの身内の男か、お前さんたちの身内の女がさ、そのみすぼらしいベッドで死んだっていうんなら、 私はここに泣きになんて来なかったよ。わたしゃ歌を歌いに来ましたね、奥様方。 今日はしかしね、葬式の相手は、そんじょそこらの死体とはわけが違う。 お前さん方の身内の息子でもない、だからこそ、わたしゃお前さん方に挑戦しにやってきたのさ。 どこの誰よりもこの私は、葬式のことはよく知っている。 暇つぶしに自分で幾つか小さいのを作り出すくらいだからね。蝿だって私の事を知ってるよ。 私の方だって、蝿を見りゃ一匹一匹名前が言えるくらいよく知ってるんだからね。 (間)それにいらくさと喋る件だがね、レイラはうちの身内と話をしているだけのことじゃないか。カディッヂャ お前達は泥棒一家だ。この村では、私らは私ら自身で裁きを下す権利がある。 邪魔者は入れてやらない。お前さんはね、死体の後からついて来ちゃならないんだ。おふくろ 私がついて行っちゃいけないって、誰が言うんだい?カディッヂャ 死体さ。 (シガが戻ってくる)おふくろ 死体なんて、今更驚かないね。 (シガに)ずいぶん金持ちになったって言うが、それでも用を足すのは相変わらず塀の後ろかい? 空色のやつを買ってもらって毎朝開けに行くってわけにはいかないのかね。ネヂュマ 私のだよ、それは!カディッヂャ ええい、もう沢山だ! さあ、出かけるよ。(おふくろに)お前はそこにいな!2025/12/24 19:50:5843.夢見る名無しさんおふくろ ええい、この私がサイッドだったら、その穴だらけの黒い口なんぞ、一思いに塞いでやるのに。カディッヂャ (皮肉に)お前さんがサイッドじゃないって? それじゃ、誰なんだね、サイッドってのは? どこにいる、そのサイッドは?あふくろ 万歳! あの子は裁判所へ行ったところさ、そうして、刑務所へ戻るのさ。 あの子はね、刑務所から出てきたときにお前さん方から盗む予定の品物、 そいつの償いをする時間だけは、ちゃんと刑務所に入ってますよ、 そうとも、あたしが、この腹の中で育てている猛犬の群れを、 お前さん方の着物の裾に放ってやるのに入用な時間だけはね。 死人についちゃ、私の方はとうの昔に……カディッヂャ (三人の女に)お前さん達はどう思うね? (三人の女は、ちょっと躊躇った後、否定的に頭を振る) どうだい、分かったかい。これは私だけの言い分じゃない。世論さ。おふくろ (厳かに)そんなら聞くが、死人は? 死人はなんと言っている?カディッヂャ (他の二人に)お前さん達、死人はなんて言ってるね? 耳を済ましてごらん。よーく聞いてみるんだ。 (二人の女は耳をすましている様子。それから否定的に頭を振る) どうだい、聞いたかい? 風に乗ってこの夕暮れに、死人の声は渡ってきた……おふくろ 私が言いたいのは……カディッヂャ (横柄に言葉を遮って)その犬だよ、お前の腹の中にいるその犬さ、 いいかい、私らに噛みつこうっていうその犬にも聞いてやろうじゃないか、 そうすりゃ犬どもだっていけないって言うに決まってら。 犬も、牝馬も、雌鶏だってあひるだって、ほうきも毛玉も、いけないと言ったに違いないさ。2025/12/24 19:55:2344.夢見る名無しさんおふくろ 犬の言い分がお前達と同じなら、お前さん達の言葉は犬の言葉だよ。 (例の三人の女がおふくろに向かって襲いかかりそうな気配を見せる。 おふくろは出てきた方向に向かって後退する) そうですかい、結構でございましょう、奥様方。 おっしゃることに嘘偽りはない……嘘偽りはないでしょうとも、 その点については文句のつけようがないってわけだ。 死人も、今おっしゃった通りの返事をした、そうでしょうとも、でもわたしゃ証拠が欲しいね。 自分で直接聞いてやるさ、明日のお昼にね。今日は第一暑すぎる。 それにお前さん方の口を掃除してわんさか出てきた蝿の群れで、 私に入用な分はそろったからね。 (彼女は後退しようとする。しかしカディッヂャと女三人が道を塞ぐ。 後退りしながら、この女達の方が去る)カディッヂャ そこを動くんじゃないよ。(他の女達に)みんな、見事に泣いてみせるんだよ。 長く、声の続く限りの呻き声を響かせるんだ。声をふるわせて、息も継がずに。 そんじょそこらの死人とはわけが違うんだからね。ハビバ 死んじまった今、どこが特別に偉いのかね? (おふくろが高笑いをする)カディッヂャ (厳しく)私達は、普通の死人とは違う特別の死人の為に泣けという指図を受けたんだ。 (四人の女は後退りしながら去ろうとする。おふくろを一人残して)2025/12/24 19:57:4945.夢見る名無しさんシガ 結構な理由だわ。私の息子のアブダラが、理由を聞いても答えてくれない時はね、 その当座は、私は酷く辛いけど、すぐに気を静めるよ。……(おふくろ、また高笑いをする)…… それに、結局私の考えじゃ、なぜだか分からないまま、喜べとか泣けとか言う命令をもらう方が確かに素晴らしいよ。 男達は、私の笑い声や鳴き声を素晴らしくやって欲しいと思う。 私としては、別に悲しい気持ちなんてないんだから---それを背負ってるのは男達さ--- 嬉しい気持ちだって同じさ、ありゃしない、 だから、私は自分の仕事に一生懸命になれるってことよ……悠然と落ち着いてね……おふくろ (突然怒りだし)落ち着いてかい! ええ、さっさと失せるがいい! その落ち着きとやらにくっついて、墓場まで行くがいいさ。 だが、これだけは言っておこう、いいかい、今夜、夜がふけて、 お前さんが広場に出てこなけりゃ、私は、びっこを引き、こう身体を折り曲げて、 月の光の中、お前さん方の家に一軒一軒忍び込んでやる。 そうしてお前さん方がお休みでしたらね、 必ず夢の中で他でもないお前さん方が牛肉や鶏肉を盗むように、この私が仕向けてやる、 そうとも、毎晩さ。わたしゃお前さん方に向かって百二十七の悪口を、 それぞれ百二十七回繰り返し繰り返し唱えてやろう。 そうともよ、その悪口はどいつもこいつも素晴らしい代物さ。 その悪口で、お前さん方に後光が射そうってもんだ…… (女達は姿を消す。おふくろは振り返り、それに気がつく。 一瞬拍子抜けして、彼女は当たりをぐるぐる回る。 自分の中に大きな力を溜め込もうとしているかのよう。 それから、突然、脚を曲げ、両手を腿に当てて身構え、 女達が消えた方向に向かって怒涛のように犬の咆哮を轟かせる。 それは猟犬の大群を思わせるものだ。 その間に、レイラ登場。おふくろと一緒に吠える。2025/12/24 20:00:2446.夢見る名無しさん 二人、一瞬吠えるのをやめる。 すると女達が去った方向から、牛の声が聞こえる。 おふくろとレイラは犬の咆哮を再び始め、それからまた止める。 再び、遠くに、牛の呻き声、そして早足で走る蹄の音に似た物音。 しだいに消えていく。 空に大きな月が現れる。 沈黙。 おふくろは振り向き、レイラを見て、彼女に向かって突然吠え出す。 すると、二人の女は、突如として、必死に噛み合おうとする二匹の犬になる。 月は少しずつ移動して消える。 広場を現していた背景はもうない。 二人の女は(おふくろとレイラ)相変わらず吠え続ける)2025/12/24 20:01:4447.夢見る名無しさん第七景石灰乳の白色、窓が一つの部屋。後ろに太陽。部屋には小さな机。その上に吊りランプが灯されている。女の衣装---絹の緑色のドレス役場の警吏---黒い背広笛吹き---黄色いズボン、上半身は裸、裸足、青の帽子小便をした男---黒いズボン、緑色の靴、ピンクの上着警官---黒い制服裁判官---伝統的な正装二人の守衛は立っている。座っているのは、小便をした男、笛吹き、女である。役場の警吏が登場すると、全員立ち上がる。2025/12/24 20:03:3948.夢見る名無しさんセンシティブな内容が含まれている可能性のあるコメントです。表示するには、ログイン後に設定から変更してください。2025/12/24 20:05:2549.夢見る名無しさん男 それじゃあ何かい、神様自身から霊感を受けるって言うのかい? あの人が神様から直接?役場の警吏 そうだ。男 勝訴だ。役場の警吏 まだ分からん。しかし、待っている間くらい、静かにしたらどうだ。 それとも、棍棒をまたいただきたいのか? (数秒、真っ暗になる。笛の調べが聞こえる。明かりが戻ってきた時、裁判官がそこに着席しており、笛吹きがその前に立っている)笛吹き ……ですから正確には乞食をしたんじゃないんでして、私は食うに困ってるわけじゃないし。警官 (陽気に、舌を鳴らし、指をぱちぱち鳴らしながら) 警察の布告の一つ一つ、ありきたりの書類、警官の中で一番位の低い男、 全てが、全ての人間が、海を越え山を越え、全ての人間が、何もかもがいらいらしていたのです。 (厳しく、弾劾して)この男は町の通りの恥だったのです、閣下。 時によると、鼻の穴の両方に、一本ずつ笛を突っ込みおるのです。笛吹き (反抗的に)ヴァイオリンの二本の弦を同時に弾いたり、タイピングを両手で打つようなもんです。 警官ってものは---そりゃもちろんお前さんの仕事は俺も尊敬してるがよ---物を理解することなんぞできない。 閣下、あなたの内の神様なら、私のことを理解してくださる。私は鼻の穴で笛をうまく吹けるようになるまで二年かかった。 乞食に誰でもこれだけの芸があるって言うなら、私は乞食をした罪に落とされても結構ですよ。警官 通行人にとっては、この堅い木の笛が鼻の穴に刺さっているのを見るのは不愉快です。 この男は金を貰うべく公衆に不快の情を与えているのでありますから、乞食をしていたことになるのです。 (断固として)我々の使命は、街路上における物乞い行為の一切を禁止することであり……裁判官 (優しく)で、彼の吹いていた曲は、素晴らしい曲か?2025/12/24 20:09:0850.夢見る名無しさん笛吹き とにかく難しい曲でしてね、まだ完全にマスターしていませんので。毎日、空き地に行っちゃ練習です。裁判官 空き地があるのか?笛吹き まあ、弁解の必要上ですね。裁判官 (優しく、忍耐強く、少し驚いて)別に、自分の口に笛を突っ込んでも、嫌な気はせんのだろ? (警官はっきりと苛立つ)笛吹き へえ、別に。裁判官 (興味を示して)お前の息は笛を鳴らすのに十分な勢いがあるのだな?笛吹き そうです、閣下。裁判官 ではお前は、ただ難しいことばかり追っているわけなのだな?笛吹き へえ、そうです。裁判官 そのために、美的にいっそう優れたものを求めようとはしなかったのか?笛吹き とにかく、初めてなんですぜ、汚らしい鼻の穴から出てくる息が、節になってなったのは、 一つのその・・・・・・メロディーです、小川の流れや、木の葉にそよぐ風の音、それの真似ができたのはね。 私の鼻はあんたの口と同じくらい素晴らしい代物ですよ。私の鼻はまるでハープだ、あんたのなんてただの……(レイラが片足で跳ねながら傷ついた犬のように吼えつつ登場。おふくろが恐ろしい勢いで吼えながら追いかけてくる。おふくろはポケットから石を取り出し、見えなくなったレイラめがけて投げつける。窓ガラスの割れる音。おふくろは用心深く去る)2025/12/24 20:11:2551.夢見る名無しさん裁判官 (架空の窓を見て)窓ガラス破損! 禁固十日間だ。(笛吹きに)もうよい。両方の鼻の穴で笛を吹くがいい。 私が間違っているというなら、神は自らを罰されるがよい。(進み出た男に向かい)お前の番だ。 (笛吹きは去る、男が前に出る)警官 (前と同じ、大げさな態度で)昂然たる態度で、と申しますのも、いかにも昂然たる態度で、 彼はフットボール競技場の周囲にある植え込みの若い月桂樹に、小便をしていたのであります。 その昂然たる態度たるや、私が壁に向かってやろうとする時とほとんど変わらんのでありまして……裁判官 (警官に)私はあがっちまってもうどうにもならん。 (男に)小便をしたというが、その理由を言えるかね?小便をした男 小便したかったんです。裁判官 だが、また、なぜその植木にした?小便をした男 それがそこにあったからです。裁判官 (興味を示して)今は、別に、したくないか?小便をした男 へえ、閣下、今は別に。2025/12/24 20:18:2852.夢見る名無しさん裁判官 (まずほっとしたように、それから、次第に断固たる口調に変わる) いい具合に今は小便がしたくないと言う、そうでなかったら、私の足にじゃあじゃあぶっかけることだろうな。 しかしそうなれば、私はお前を裁判になぞかけずに、罰することができる。 人殺しをした奴は殺すまでだ。お前が私の足にじゃあじゃあたれ放題となれば、 私のほうでもお前をびしょびしょに濡らしてやろう、いいな、お前の噴水よりも私の噴水の方が手強いぞ。 何なら二人で、ホースの熱い水合戦をやってもいいが、お前の負けに決まっている。 何しろ、霊感を待っている間に、薄荷の煎じ薬を大きな土瓶にたっぷり一杯は飲んできたからな。 だがしかし、こともあろうに、美しい青春の月桂樹の、すんなりとした右足に向かって用を足すとは何事であるか! 美しい葉の三、四枚は、黄色くしおれてしまったに違いない。(第二の警官に)この男を外へ引き出し、その両足に、小便をたれよ。 (警官は男を退場させるが、彼はその場に残る。女が近づく)裁判官 (荒っぽく)早くこちらへ来い。神様が出かけてしまう前に、お裁きを下されたいと思うなら、何をしでかしたのか、早く言え。女 私は何にもしていません、閣下。警官 何たる嘘吐きか! 閣下、この女は、人の家の戸口に落書きをしたのであります。裁判官 どんな落書きか?女 嘘です。裁判官 どんな落書きだ? 上品なのか、下品なのか?女 (遠くの物音に耳を澄ます風を装って)ほら……聞こえる? 聞こえるでしょう? 家には乳飲み子がいるのよ……2025/12/24 20:21:2553.夢見る名無しさん裁判官 (女に)神は消えちまった。神様のお裁きがほしいなら、つまり、ちょっぴり残っている優しい心で裁いてもらいたいなら、 お前のほうでも私に力を貸してくれなくちゃならん。お前の望む判決を言ってごらん。さあ、ぐずぐずしないで。女 (ものすごい早口で)棒で十回打たれたいです。裁判官 (警官に)棒で十五回打ってやれ。 (女は去る、サイッドが近づく)裁判官 (片手を額に当てて)神様は、どっかへずらかっちまった。跡形もありゃしない。 いったいどこにいる? 別の男の頭の中か? 日向の雀蜂の巣の中か? それともどっかの鍋に忍び込んで、味を濃くしようってのか? いずれにせよ、この裁判官様の頭の中からはいなくなっちまって、 もはや私には、芝居の前に役者があがるようなあの興奮も、 震える声もなくなってしまったじゃないか。サイッド 私はサイッドと申しますが。裁判官 (不機嫌に)分かってるわ、この間抜け。とっとと帰れ、お裁きは終わりだ。サイッド 私は盗みを働きましたので、あなた様は私に罰を下さなくちゃならないはずで……裁判官 どうやって? (自分の頭を叩いて)この中は空っぽなんだよ。サイッド お願いです。警官 (せせら笑って)盗みか。こいつの専門は、ご存知でしょうが、職人どもの上着でしてね。 木に引っ掛けてあるのやら、草の上に置いてあるのを失敬する。 何しろこいつは、こっちかと思えばあっち、ぴょんぴょん飛び回って、いい気なもんです。 ところがこいつは、金持ちでもないくせに、一人息子ときた。(サイッドに)どこにあった上着を盗んだんだ?サイッド そこらにあったやつです。2025/12/24 20:23:3954.夢見る名無しさん警察 分かってる。そんなことはどうでもいい。肝心なことは盗むってことだ。手当たり次第にな。 が、幸いなことに、我々が目を配ってる。木の葉や草むらの中の光った目だぞ、絶対に感情に左右されることはない。サイッド 償いにお仕置きが頂きたいだけです。裁判官 気が狂ったのではないか、今に全てのことが変わる時が来ると信じているのではないか? ……シ・スリマーヌが死んだというので頭にきているのか? だが、私がお前を裁いたとして、それが何になる?サイッド 私の悪事はどうにも……裁判官 馬鹿め。そりゃお前には役に立つだろうよ。刑に服した後は、お前の方は変わる---ほんの僅かであってもだ--- しかし、私のほうが一向に変わらんとしたら……サイッド やってみてくれませんか。そうすれば分かるから……警官 (裁判官に)償い、償いと、こともなげに言っておりますが、それには裏があるのです。 (サイッドに)今朝、今朝の八時に釈放の命令があった。お前の女房は、今朝、刑務所から出てきて……裁判官 (警官に)月桂樹に小便をして来い。警官 ですが……閣下……裁判官 小便をするんだ。芝生でも枝の中でもどこでもいい、とにかくしろ。 (警官、退場。裁判官は物珍しげにサイッドを見て)2025/12/24 20:25:2855.夢見る名無しさん裁判官 (優しく)私は全くうんざりなのだ。私の所へ持って来られる問題がどれほどくだらんことか、 考えてもみてくれ。私は村の裁判官、 しかもその村では恐るべき犯罪がひっきりなしに起こっているというのに、 ---(不安になって)いや、それとも、如何なるものにも罪などないのか?--- それが、ここでは、けちな不幸があるだけではないか。全く。私はもううんざりだよ。 頭の中が空っぽなだけ、ますますこの頭は重くなる。サイッド それで結構です。私はそれでありがたいです、私には何かを誇ろうなんていう気持ちはないんです、 神様が刑務所の扉を私のために開けてくださることなんぞ望みません。それは裁判官様でもできることです。裁判官 (深刻に)重い扉を開けてまた閉めるだけでいいならな。 だが、私には理由が要る。その理由を見つけるには、探すか、それにしても疲れたし、 さもなければ、お前がした通りのことを私がしなくちゃならん。 お前がそれをした理由を知るか、あるいはお前がしたそれを禁止することができなければならん。 だが、一言で言えば、それを知ることができるのはお前一人なのだ。あるいは神がお前を直接裁かれるか ……神は何もかもお見通し、万能だが、もはやここにはおいでにはならん…… あるいは、お前がお前自身を裁くか、そうなれば、私は何の役にも立たないことになる。サイッド 一つ重要なことを忘れていらっしゃる。それは、私があなたに給料を支払って、 刑務所の扉を開けたり閉めたりしてもらっていることです。(間)私はそんな裁判を自分一人ではできない。裁判官 (当惑して)それはそうだ……が、しかし、何とかそこにこぎつけなくちゃならん……サイッド 誰も本気にしちゃくれません。2025/12/24 20:31:1656.夢見る名無しさん裁判官 その心配はあるな。だが、お前はずいぶん重大なことを私に要求しているぞ…… お前はしょっちゅう盗みをする、私はお前を刑務所に送り込むだけで、 他の時間などないくらいだ。それで、お前が刑務所に入れば、そこには義務なんぞ何もない。 そうなってしまえば、お前に大事なものなんて一つもないのだ。サイッド、私はお前のために、芝居をしてやろう。 つまり、お前の犯した罪の一つ一つを赦してやるのさ。判決を読み上げる……サイッド 死刑ですね!裁判官 (笑いながら)なんにせよ、捕まえてもらうのは他所に行ってした方がいい。 (突然、陰気になって)私は馬鹿じゃない、お前が判決を受ける度に何を手に入れるか、 分かっているのさ。漠然とだが、私にはお前の進む道が分かるのだ。 だが、この私は、判決を下すこの私は、この判決は私をどこに連れて行くのだ? 私は、お前が沈み込もうとする所へお前を沈めてやるだけが能の人間さ、 だがそのお前は、私の何の役に立つ? そうとも、誰が裁判官の哀れな運命など考えてくれようか! いったい、誰が?2025/12/24 20:34:0057.夢見る名無しさん第八景(墓地、右手に杉の木、中央に絵で描かれた墓が一つ、黒い空に三日月、星座が一つ。小さなじょうろが地面においてある)口よせの衣装---白い、漠然とした貧しい者の衣装。2025/12/24 20:43:0858.夢見る名無しさんおふくろ (自分の出てきた方に向かって)お前さんのいる所で……お止まり! そこで止まるんだよ……今お前さんがいる所で、ちゃんと聞こえるよ。 (墓に近付き、墓銘を読む) シ・スリマーヌ。確かにあの人の墓だ。 (さっきと同じ方を向いて) こっちだよ! こっちだったら! いったいお前さんって人は、本当に使い物にならないのかい? 耳が駄目なのかい? 耄碌しきってるんだろう、ええ? (年老いたアラブ人、マダニが登場)マダニ わしじゃ気に入らんというのなら、今からでも遅くはない、別の口よせを探して来い。 (ちょっとした間)とにかく、口汚く言うのはよしてくれ。おふくろ 今は怒ってる時じゃないよ。私はね、一番年をとっていて、一番へたくそな口よせが欲しかった、 誤魔化すのは嫌いだからね。私が、みずみずしいピンクの口をした、白い歯の口寄せなんぞ連れてきた日にゃ 死人(しびと)を手なずけようとしているみたいに思われらあ。そこにお立ち。(マダニ、墓の横に立つ) 私は死人の口になってもらうためにお前を選んだ。 そりゃ、死人の口は土塊やら草の根やら砂利やらで一杯に詰まっているはず。 だが、とにかくお前の言葉じゃないよ、死人の言葉をしゃべる努力をしてもらう。マダニ 死人がしゃべる事を承知した時、死人のしゃべらにゃならんことは恐ろしいことだ。 もちろん、しゃべるのは私じゃない、あの男だ。おふくろ もう時間かい?マダニ (腕時計を見て)ちょうどだ。2025/12/24 20:45:1159.夢見る名無しさんおふくろ (最初に自分の出てきた方を向いて)さあ、お前さんたち、その丘の上で、草の匂いの中で、 とにかくおしゃべりは慎んでもらおうじゃないか。ばあ様も小娘もみんなだ。 暇は取らせないよ。死人の言い分さえ聞きゃいいんだ。 (マダニに)魔法瓶にコーヒーを入れて持ってきてあるからね。後でだよ。 仕度があるんだったら、私は向こうへ行ってるけど?マダニ (ゆっくりとうずくまって)お前は邪魔にはならん。一番しんどいのは、わしがわしの体から出て行くことだ。 そして、あの男が私の代わりにやってくる。おふくろ (少し気味が悪くなって)へえ?……でも……出て行くって言うが、どこに行っちまうんだい?マダニ (しゃがみこむ動作を続けながら)場合によるな……初めにスピードをあげるかあげないかで違ってくる。 時間があると、わしは自分の家の畑を見たり、町の博物館を見たりする。さあ、静かにしてくれ。 (彼は完全に横になり、しばし沈黙した後、静かに呼びかける) シ・スリマーヌ?……シ・スリマーヌ?……スリマーヌ、……いるか? 答えるのは誰だ?……お前だな、シ・スリマーヌ?……ここにいるのはわしだ…… お前の口だ……お前の不幸な口だ……だが、その口が答えねばならん…… わしが分かるか?……なんだと、もう覚えておらんと? お前が生きていた時、お前が語った言葉はことごとく、このわしが語ったのだ。 ……(沈黙)どんな言葉だと? だから、ことごとくだ……お前が口にしたことは何もかもだ ……いつだったか、お前が道路の管理人に言ったこと、覚えているか? ……そうか、分かったろう、何て言ったな、あの時?おふくろ お前さんのことが分らないのかい?2025/12/24 20:48:3460.夢見る名無しさんマダニ (おふくろに)邪魔をするな、まかせておけ。こいつを暖めてやらねば。……(死人に語りかけて)道路の管理人に、お前が言ったことはな、 ……あの日は雨だった。お前はこう言ったんだ。「俺は車庫で雨宿りしていく、それから図面を建築家のところへ持って行くさ……」 (間)ああ、今度はようやく分ったな。よし、ではわしのことが分ったと……(間)わしの匂いはどうだ?……ほれ…… (彼は墓の上に息を吹きかける)正真正銘、お前の口の匂いだな? そうか! そんならいい。では始めよう。 サイッドのおふくろが聞きに来ている。(彼は立ち上がり、おふくろと向かい合い、不動の姿勢で、威丈高に語る) さあ、話せ。俺に問い掛けるんだ。俺は口だ。お前は俺の言葉を聞きに来た。お前の言い分を言え。何を考えているのか。(二人は向かい合って、軽蔑的に睨み合う)おふくろ (疑い深く)お前は確かにシ・スリマーヌの口かい?口よせ (力を込めて)そうだ。おふくろ じゃ、お前はどこで生まれた?口よせ ブー・タニーズで生まれ、アイン・アマールで死んだ。おふくろ (一瞬まごついて)そうかい。じゃ……お前の傷は? どこをやられたんだ?口よせ 弾丸を二発、胸に。一発はまだ中に残っている。おふくろ そうかい……じゃ……正確には何時に死んだんだ?口よせ (威丈高に)もう沢山だ。十分話したぞ。お前の知りたいことは何だ?おふくろ そんならいいさ。お前も一筋縄じゃいくまいが、この私だって負けちゃいないからね。 何だってね、お前は村の女達に、私が泣きに来ないようにしろと命令したって言うが、本当かい?口よせ 本当だ。おふくろ (怒って)しかしお前だって知ってたはずだろう、私が泣き女だってことは。 私が一等優秀な泣き女の一人だってことは。2025/12/24 20:51:1061.夢見る名無しさん口よせ (ためらって)埋葬の時に、お前には来てもらいたくなかった。おふくろ (怒って)サイッドはどこから生まれたんだよ、私の腹かい、お前の腹かい。 それに私の腹が他の女と同じ腹をしてないってのか、 他の母親達と同じ母親じゃないってのかい?口よせ 俺は死んではいたが、まだ埋葬されていなかった。俺は相変わらず村の人間だった。 髪の毛の中に、足の裏に、腰に、俺はあの時まだ、村の男や女達と同じ、あのむず痒い感じがしていたんだ。おふくろ (不安になって)じゃ今は……もう体の掻けなくなった今では?口よせ だいぶ減った。土の重みにもかかわらず、俺ははるかに軽くなったような気がする。 俺は煙のように消えようとしているんだ。お前はそれを待たずに、今夜来てよかった。 俺の中の水分は全て、樫の木の葉脈の中に移動している最中さ。 俺は俺の国をさ迷い歩き、お前のことも、他の奴らと区別がつかなくなるだろうよ。おふくろ (途方もない大声で叫び)ああ! ああ! ああ!口よせ ……そして、お前の足の指の間にたまっている垢も、一部は俺の腐った体から生まれたもの……おふくろ (勝ち誇って、最初出てきた方に向かって) どうだいお前さんたち、束になってそろってるスベタども、今のを聞いたかい、死人の言葉を。死人が私にどんな風に話し掛けるか。 (口よせに)北に、東に、南に、西に、海の方、山の方、いたる所で、私達を取り囲むあらゆる場所で夜が立ち上がるのさ。 スリマーヌ、数限りない丘とともに膨れ上がる、そして私達を見つめている丘の斜面には、 幾千、幾十万の女どもが胸をときめかせて待っている、お前が地面から出てくるのを見ようと、 お前が土の中からむっくと立ち上がり、私に罵詈雑言を浴びせるのをだ。でも、お前さんは……承知してくれるね、私が泣くのを…… 承知してくれるんだね? 私が他の女と同じだってこと、お前さんが認めてくれるんだね?2025/12/24 20:55:1362.夢見る名無しさん口よせ (きっぱりと)然り、かつ否だ。おふくろ はっきりしたよ、でも私は、私があそこにいる女どもと同じなんて言うつもりはなかったさ。 (指差して)あの女ども。ただ、私だって、地面の下で腐っていくものを繋いでるってことを言いたかっただけだよ……口よせ その上でお前は腐敗していく……人の話じゃそうだな……おふくろ (笑いながら)つまりお前さんも私と同じ汁の中で醗酵しているってこと? そうなのかい?口よせ いずれにせよ、お前がどうしてそんなに俺のために泣きたいのか、俺には分からん。おふくろ ああ、その点は安心しな。お前さんが死んで悲しんでるわけじゃない、私はね。むしろ歌うように泣いてやろうってだけのことさ。 あの乙にすました女どもは、私を儀式から追い出した。わたしゃね、あんな女どもも、儀式も糞喰らえさ。 ただね、私は自分が一番強くなってやるって誓ったのさ。女どもは私の様子をうかがっている。 待っているのさ---あの売女どもは---私が赤っ恥をかかされるのを。あの売女ども、こう言ってる、 生きた人間のところから追い立てられて、また死人の国の入り口からも追い立てを食おうってんだ。口よせ だがいったい何になる、お前が死人の国の入り口に来たからって?おふくろ (一瞬狼狽して)ああ、つまりあんた方は手を握っているってわけだね、 私の思い違いでなければ……お前さんは忘れてはいないんだ。 砂利の下に入れられても、前には生きた人間だったことがある、そして誰とは付き合いがあって……口よせ (意地になって)いったい何になるんだよ、お前が死人の国の入り口に来たからって?おふくろ そうして、お前の葬式も、生きた人間としてのお前の人生の一部なんだ、 殺される直前にやっていたことと同じさ。口よせ いったい何になるんだ、お前が死人の国の入り口に来たからって?2025/12/24 20:58:3563.夢見る名無しさんおふくろ もう他に言うことがないなら、これでお休みだ、お帰り……口よせ (逆上して)お前こそ、無礼だぞ、こんな真夜中に俺を叩き起こし、俺を墓から引きずり出しておきながら。 俺はお前の話を聞いた。お前にごたくを並べさせてやった。おふくろ わたしゃ、友達として来たんだよ。口よせ (厳しく)馬鹿な冗談はよせ。お前は傲慢な女としてやってきた。 泥棒の母親、醜く阿呆で泥棒の嫁の姑だ。 二人の哀れと悲惨は、お前の肌にこびりついてはいないのか? そうじゃない。その悲惨は、お前の哀れな骨の上に張ったお前自身の皮だ。 村の通りをさ迷い歩くのは、丈夫な骨の上に張り伸ばした悲惨さのマントだ。 いや……(嘲笑して)大して丈夫な骨じゃない。村はお前などごめんだと言う。じゃ、死人たちは? 全くだ! 死人たちともあろうものが、お前のことを正しいとし、その上あのご婦人方をやっつけてくれると思うのか?おふくろ (ぶっきらぼうに)そう思っていたよ。口よせ (嘲笑して)死人たちは、もちろん、最後の手段さ。生きている奴らがお前の顔に唾を吐く。 だが死人たちはその黒だか白だかの大きな翼でお前を包んでくれる。 その翼に包まれていれば、お前たちは、足で歩いている奴らを鼻の先であしらえるってわけか? だがな、地面の上を歩く奴らは、すぐに地面の中に入っちまうんだ。つまり同じ奴らが……おふくろ (言葉を遮って)私はお前さんがどうなったかなんて聞きたくもない。 私が話をしたいと思ったのはかつてこの世に生きていたことのある人とだよ。 もしお前さんが私に泣いて欲しくないなら、早くそう言っておくれ、 わたしゃ寒くなってきた、寒がりなんでね……2025/12/24 21:01:0564.夢見る名無しさん口よせ 俺をしんみりさせようなんてのはよせ。お前が自分の傲慢のせいで、生きている奴らから村八分にされたなら、 同じ理由で死人にも愛されることはないだろうよ。我々死人は生きている人間達の正式な保証人だからな。 (間)真夜中の十二時だぞ! こんな時間に俺を叩き起こす! ひどく疲れる命をまた俺に与えようという! さあ、女どもの所へ、村の男どもの所へ行け! お前たちのことは、お前たちの間でけりをつけろ!おふくろ 私は断固として頑張るね。(と、腰に拳をあてがって)断じて、サイッドもレイラも手放すものか ---これは、お前さんにしか言わないよ、そうさ、この墓場の夜の中でね、 だってさ、二人とも、わたしゃ癪にさわってならないことが再々だからね--- 私は、お前さんのために泣くことを諦めないよ。口よせ (怒って)俺が断ったら?おふくろ (同じく)じゃ、お前をからかうために、そうとも、あのご婦人方やお前の方で何と言おうと 私がお前さんのためにわあっと泣き出したらどうするのさ?口よせ そうなれば、俺も本当に墓の中から、墓穴の中から飛び出して……おふくろ そんな勇気があるのかい? (やがて落ち着きを取り戻して) お前さんに、私に恥をかかせるだけの勇気があるってのかい? 聞き耳を立てているあのご婦人方の前で? 私は、お前が誰に暗殺されたかなんて知りもしなけりゃ知ろうとも思わないさ。だがね、いかにもそうされるだけのことはあるよ、 ドスでやられたか鉄砲でやられたか知らないけどね、こんな年寄りの女を脅迫しようって根性だからね。 私は無性に腹が立ったからこそここへやってきたのさ。シ・スリマーヌ。腹が立ったよ---それこそ気が違いそうに逆上したのさ--- そうとも、逆上した勢いで、私はお前の腕の中へ、お前の所へ無我夢中でとんできた、まさに逆上ってもんだ、それ以外の何物でもないさ。口よせ どうしてお前が死人に質問をしに来たのか、俺には分からん。2025/12/24 21:04:4965.夢見る名無しさんおふくろ だから腹が立ったからだってば! 今はっきりそう言ったじゃないか! 腹が立ったからやってきたんだ。どこへ行くところがあるかね、墓地の真中以外に。口よせ お前と話していると疲れる。お前の逆上のほうがよっぽど激しい……おふくろ お前さんの死よりもかい?口よせ いいや。だがとにかく帰ってくれ。こんな風に生きてる人間と話すのは難しいことだ。 しかもよりによってお前のような生きのいい人間が相手じゃな。ああ……もしお前が……おふくろ 墓穴に足を引っ掛けてたら、かい? お前さんの墓穴なら承知だよ、だが私の墓じゃ、まだごめんだね。口よせ (突然疲れきって)いや、違うんだ、そこまでは望まない。ただ、もうほんの……少し……ほんの少しでいいから体の具合でも悪けりゃいいんだ。 ところがお前はそこにいて、喚き散らし、暴れ回る……(肩をすぼめて)……自分の為に死人を甦らせようなどと言うんだ。 (あくびをして)そんな芸当は、大きな祭りの時だって、大事になっているのに……おふくろ (急に慎ましやかになって)内緒にしておくから、お前さん、私がお前さんのために、 あそこで、あの月の下で泣くのは嫌かい?口よせ (大きなあくびを続けて)俺の耳の穴でもごめんだな。 (間。だるそうに)死というものがどんなものか、話して聞かせようか? 死の世界ではどうやって生きていくか?おふくろ 興味はないね。口よせ (ますますだるそうに)そこでごろごろ言うのが何だか……2025/12/24 21:07:3666.夢見る名無しさんおふくろ 今夜はいいよ。いつか別の日に、暇があったらまた来るよ、もっとよく観察するためにね。 お前さんはお前さんの死を生きるんだね。私は私の命を生きる。 泣いてもらうの……本当にお前さん、嫌かい?口よせ 嫌だね。(間)もうとても駄目だ。 (マダニ、突然倒れて眠ってしまう)おふくろ (両手を合わせて絶叫して)シ・スリマーヌ! (彼女は近寄って、彼を見つめ、うんざりしたように彼を足で押す) もういびきをかいてる。お前さんが死人の国にいってまだ間もないって事、よく分かるよ。 口よせを三分以上しゃべらせることはとてもできない。 自分がここの者でもあっちの者でもない、こっち側でもあっち側でもないって、私に言うだけの時間だ。 (笑う)こんな死にたての、弱虫のために、昨日、泣きに来なくてよかったよ。全く。 (じょうろを取って地面に水を撒く、それから踊りながら鼻歌混じりに、土を踏み固める。肩をすぼめて) どうだい、町の博物館を見物中かい! (彼女は向き直って、出てきた方に向かって進もうとするが、突然、息を呑んで、立ち止まり) あん畜生! 糞婆! スベタども! 丘はどいつもこいつも逃げちまったじゃないか。 私らの様子をうかがっていたあの女どもも丘と一緒にずらかりやがった。草の匂いの中を消えちまったよ! どこに行ったんだ? ひとかたまりになって、壁の後ろで薄気味悪い暗がりを余計に濃くするためかい? まったいらになっちまったよ、夜は。空の下で。まったいらだ。糞婆ども、立っている勇気がなくて帰っちまった。 私は一人きり、そして夜はまったいら……(突然荘厳に)そうじゃない、夜は立ち上がったんだ。 夜は膨れ上がったのさ。牝豚の乳房のように……幾十万の丘を伴って…… 殺し屋達が地上に舞い降りてくる……空だってね、間抜けじゃないさ、空が奴らを隠してくれる……マダニ (目を覚まして)コーヒー入れられるか?2025/12/24 21:10:5567.夢見る名無しさんおふくろ でも本当のところ……なぜ私はここに来たのかしら? この男に、どうして死んだのか、それさえ聞かなかったじゃないか。 (マダニに向かって)さあ、お前さんのコーヒーだ、お飲み。2025/12/24 21:11:34
(背景に描かれた絵は、一本の棕櫚の樹、アラブ風の墓。
背景のすぐ前に、小石の山。左手に里程標があり、アインソファール四キロと書いてある。
強烈なブルーの光線。
サイッドの服装---緑色のズボン、赤い上着、黄色い靴、白いシャツ、薄紫のネクタイ、つばのついたピンクの帽子。
おふくろの服装---紫色の服、ありとあらゆる色のつぎが当たっている。黄色の大きなヴェール。
彼女ははだしで、足の指には一本一本----それぞれ異なる---けばけばしい色が塗ってある。
サイッド、おふくろ
ネクタイをだらしなく結んで、上着のボタンは全部はめてある。
右手から登場。姿が見えるか見えないかのところで、疲れ切ったように立ち止まる。
彼が出てきた方を振り返り、叫ぶ。
三十分もすれば日の出だ……
(彼は待つ。片足に重心をかけて休み、汗をぬぐう)
手を貸そうか? (間) どうしてだ、見てる奴なんていやしない。
(ハンカチで自分の靴を拭く。起きあがる)
あぶない。
(彼は飛んで行こうとするが、そのまま止まって、じっと見守る)
違った、違った、ただの青大将だ。
(次第に、大きな声から普通の口調になる。まだ見えない人物が近づいてくる感じ。
やがて、彼の口調は普通の調子になる)
だから靴をはけって言ったんだ。
(皺だらけの年取ったアラブ人の女が登場。紫色のドレス、黄色のヴェール。裸足。
頭に、赤茶けたスーツケースを載せている)
おふくろ 着いた時に、綺麗な靴をはいていたいよ。
サイッド (つっけんどんに) あっちの連中は? あの連中の靴が綺麗か?
おろしたての靴なんてはいてるか? そもそも、足が綺麗かね?
おふくろ (サイッドと並んで歩きながら)どうしろってんだ?
みんなが、おろしたての足でもしてろってのかい?
サイッド 冗談はよしてくれ。今日は暗い気分でいたいんだ。
そのためにゃ、無理して自分に痛い思いをさせたいくらいだ。
小石の山がある。少し休んだらいい。
(彼は母親の頭の上からカバンを下ろし、それを棕櫚の木の下に置く。おふくろ、腰を下ろす)
おふくろ (微笑して)おすわり。
サイッド いや。石じゃ、俺の尻には柔らかすぎてね。嫌でもこっちの気を滅入らす物が欲しい。
私の一人息子のお前、それが隣の村で、いやここらじゅう探しても、一番不細工な女と結婚する。
そこでお前のおふくろは、結婚式のためにはるばると十キロの道を歩かされる。
(スーツケースを足で蹴って)そのうえ、向こう様のお土産にと、一杯詰まったカバンを持っていく。
(笑いながらまた一蹴りするとスーツケースはひっくり返る)
サイッド (陰鬱に)みんな壊しちゃうぜ、そんなことをしたら。
おふくろ (笑いながら)それがどうした。
傑作じゃないか、あの女の鼻っ先でカバンを開けたら、出るわ出るわ、こなごなのかけらばかり。
陶器も、立派なガラスも、レースもみんなこなごなだ。鏡もみんなさ……
かーっときたらあの女、少しは見られるようになるかもしれない。
サイッド 口惜しがる姿なんて、余計見られたものか。
おふくろ (相変わらず笑いながら)
お前が笑い転げて涙が出りゃ、涙越しに見るあの子の顔は、ちっとはピントが合うってものさ。
でもね、お前に少しでも勇気がなかったらよ……
サイッド 何の……?
おふくろ (相変わらず笑いながら)お前なんぞ二目見られない醜女だぞっていう態度をする勇気さ。
いやいや一緒になるんだ。げろでもぶっかけておやり。あの女に。
サイッド (真面目に)本当にげろを吐かなきゃならないか?
俺と結婚する為にあいつが何をした? 何もしちゃいない。
お前だってそうだ。文無しだからね。あの女には亭主がいる、お前には女房。
あの女もお前も、相身互い、ありあわせの物を取りっこさ。お互いの取りっこだよ。
(笑う。空を見上げて)へぇ、さいですね。暑くなりますよ、こりゃ。
神様は光に満てる1日をお恵みくださるので。
サイッド (ちょっと黙ってから)カバン、俺が持つんじゃ嫌か?
誰も見ちゃいないさ。町の入り口に着いたら返すよ。
おふくろ 神様とお前が見てる。お前が頭にカバンなんぞ乗っけたら、男らしくなくなるよ。
サイッド (驚いて)カバンを頭に乗っけると、あんたは女らしくなるのか?
おふくろ 神様とお前がよ……
サイッド 神様? カバンを頭に乗っけるとか。手に下げていく。
(母親は黙る)
サイッド (ちょっと黙ってから、スーツケースを指して)あの黄色いビロードの布、いくらした?
おふくろ 払ってないさ。あのユダヤ女の家で洗濯をしてやったもの。
サイッド (頭の中で計算をして)洗濯か。1枚につきいくらになる?
おふくろ いつも、お金じゃ払ってくれないさ。金曜ごとに、ロバを貸してくれる。
お前の方こそ、あの柱時計、ありゃいくらで買った?
そりゃ狂っちゃいるよ、だけどとにかく、れっきとした柱時計だ。
サイッド まだ払いは済んでない。石の壁をあと十八メートルやらなきゃ。デュルールの納屋のさ。
明後日やる。それじゃ、コーヒー碾きは?
サイッド 大した事はね。ただ、アインタルグのテント村まで買いに行かなきゃならなかった。
行きが十三キロ、帰りが十三キロか。
おふくろ (微笑を浮かべて)あのお姫様に香水かい!
(ふと耳を済まし)なんだい、ありゃ。
サイッド (左手、遠方を見やって)ルロワさんと、奥さんだ。1号線を飛ばしている。
おふくろ さっき十字路で待ってたら、乗せてってくれたかもしれない。
サイッド 俺達を?
おふくろ 普段じゃ駄目さ、でも、今日は私の結婚式ですって、お前が説明したら……
花嫁さんに早く会いたいもんで……
まったく、わたしゃ、自分が自動車で先方に着くような目に一度でいいから会ってみたいね。
(沈黙)
サイッド 何か食べるかい? 隅に鶏の焼いたのが入ってる。
おふくろ (真面目になって)どうかしてやしないかい。ありゃみんなに出す分じゃないか。
腿が片方なくなってたら、わたしゃちんばの鶏を飼ってると思われちまう。
こちとら貧乏、あちらは不細工、だがね、片ちんばの鶏はなんぼなんでもひどすぎますよ。
(沈黙)
サイッド どうしても靴ははかないの。あんたがハイヒールをはいてる所は見たことがない。
急にあんまり天井の方に上がっちまったものだからね、
まるで塔の天辺にでも登ったみたいで、
あたしゃ自分の悲しい気持ちの方は地面に置いてけぼりで、
上からそれを見下ろしてたよ、お前の親父をみんなして埋めてる地面によ。
片方はね、左足だ、ごみ箱の中で見つけた。もう片一方は、洗い場のそばだ。
2回目ってのは、ありゃあいつらがうちの小屋を差し押さえに来た時だった。(笑う)
よく乾かした板の小屋だが、板は腐ってて、腐っててもよく音を立てる。
あんまり音がするんで、家の中の物音は手に取るように分かっちまうのさ。
わたしらの立てる物音以外は何にもなくて、その音が突っ走っていく。
お前の親父の立てる音とあたしの立てる音さ。
そいつが土手にぶつかって跳ね返ってくる、太鼓だよまるで。
親父とあたしゃこの太鼓の中で暮らしてた。眠ってた。
何もかも丸見え同然、あたしらの暮らしときたら、腐った羽目板のおかげで外に筒抜けさ。
物音といわず声といわず、音なら何でも通しちゃうんだ。
まるで雷みたいな小屋だったよ、ありゃ!
こうすれば、ドッスーーン! ああやれば、バッターーーン!
ギシギシ、ガタガタ! ドスーン、バタン! こっちがギィ、あっちがギィ。
グググググググ、ガガガガガガガ、ガーラガラガラ…………ドカーン!
羽目板ごしにこう聞こえちまうんだから!
ところが、その小屋をだよ。連中は差し押さえようって魂胆だ。
そこであたしゃね、こう爪先立って、ハイヒールのかかとでグーっと高くなっちゃってさ、
昂然と見下してやったもんだ。いや実に傲慢不遜にやってやったよ。
頭はトタンのひさしに届いてたね。こう指を突き出してさ、追い出してやったもんだ。
あいつらなんざ。
サイッド はいてよかったよ。確かに。だから、ハイヒールをはきなよ。
第一、かかとを折っちまうかもしれない。
サイッド (厳しい口調で)はくんだよ、靴を。
(彼はおふくろに靴を差し出す。片方は白で、片方は赤。
おふくろは一言も言わずにそれをはく)
サイッド (おふくろが体を起こすのをじっと見つめている)その上に乗ってると、綺麗だよ。
そのままで、脱いじゃ駄目だ。それから踊って! 踊るんだ!
(彼女はマネキンのように二、三歩歩き、実際に優雅に見える)
さぁ、もっと踊ってください、奥様。
そうとも、お前達、棕櫚の樹よ、お前達は髪の毛を持ち上げ、下を向いて
---いや、頭を垂れてって言うんだ---見てやってくれよ。
俺のばあ様を、一瞬の間、風も止まれ、見るんだ、お祭りなんだ、ここは!
(おふくろに) さあ、踊りだ、その頑丈な足で、踊るんだ!
(身体を屈めて、小石に向かって)
お前達も、小石よ、お前達の上の出来事をしっかり見つめるがいい。
俺のばあ様が踏みつけるのだ、お前達を、革命が、王様達の石畳を踏みつけるのと同じに。
万歳! ドカーン! ドカーン! (大砲の音を真似る) ドカーン! ズドン! ボカン!
(大声で笑う)
おふくろ (踊りながら)ほうれ、ドッカーン! ほれ、ダーン! ボーン! ズドン! ボカン!
王様達の石畳さ。(サイッドに)さあ、お前の方は、雷をやんな。
サイッド (相変わらず笑いながら)ほれ、ドカーン! バーン!
キリキリキリキリキリキリ…… ガラガラガラガラガラガラガラ…… ビリビリビリビリ……
(仕草と声で稲妻を真似る)
(彼女も稲妻を真似る)
サイッド ドン! ドン! おふくろが踊る。お前達を踏みつけて、どうだ、あの滝の汗は……
(おふくろを遠くから見つめて)滝のような汗が流れ落ちる。
こめかみから頬へ、頬から乳房へ、乳房から腹へ。
そう、お前、砂埃よ、俺のおふくろをよく見てくれ。
汗だくで、高いかかとの上で、なんて美しく、自信に溢れていることか。
(おふくろは微笑しながら踊り続ける)
あんたは美しいよ。カバンは俺が持つ。ビリビリビリビリ……
(彼は稲妻を真似る。彼はスーツケースに手をかけるが、
その前におふくろがそれを掴んで離さない。短い格闘。
二人とも大声で笑いながら稲妻と雷鳴を真似る。
スーツケースが地面に落ち、蓋が開き、中身が全部出てしまう。そもそも空だったのだ。
サイッドとおふくろは大笑いしながら地面に倒れる)
おふくろ (笑いながら、そして、目に見えない雫を手のひらに受けようと手を出しながら)
嵐だよ。これじゃ結婚式はずぶぬれだ。
(二人は震えながら去る)
(娼家、背景は白。右手に、極彩色のテーブルクロスに覆われたテーブルに向かい、3人の客が座っている。左手には二人の娼婦がじっとしている)
マリカ 金のドレス、黒いハイヒール、金色の金属でできた冠、肩に髪の毛をたらしている。二十歳。
ワルダ 金の非常にずっしりしたドレス、赤いハイヒール、髪の毛は髷のように結ってあり、血のように真っ赤、顔色は蒼白、四十歳前後。
娼家に座っている男たちは、くたびれた三つ揃いを着ている。短い上着、細いズボン、色調の異なるグレーの生地。
赤、緑、黄、青の派手な色のシャツを着ている。
一人の召使の女がワルダの足元に跪いている。彼女はワルダの足に白粉を塗っている。
ワルダはしんを入れて広げたスカートのように膨らんだピンクのペチコートを履いている。
ワルダ (召使に、物憂げな声で)厚く……もっと厚く……かかとにも白粉を。
(金色の頭のついた長い帽子止めのピンを楊枝にして歯をほじっている)
肌は白粉のおかげでピンと張るんだ。
(歯に詰まっていた物を遠くに吐き出して)
完全にいかれてる……
私の口の奥は、完全にぼろぼろさ。
ムスタファ (ブラヒムに向かい、熱っぽい口調で)淫売の仕事は、俺達のよりもよっぽどつらいぜ。
(3人の男は、口を開けたまま、彼女の身支度を飽きずに眺めている)
ワルダ (ブレスレットを数えながら)一つ足りない、持ってきておくれ。私は重くならなければいけない。
(間。独り言のように)腕輪が一つ足りない。
ちょうど私が棺桶で金槌を一つ打ち忘れたようなものだ。
(ムスタファに)夜の始まりは着付けと白粉を塗ることさ。
日が沈むと、私はこの飾りがなくては何もできなくなる……小便をするのに足を開く事だって、私にはできやしない。
だが、金の下着をはいてれば、私は見事な雨の女王さ。
(召使たちは立ち上がり、彼女に金色のペチコートを履かせる。それから入り口のベルの音。誰かが戸を閉めたしるし。
背景の隅から、外人部隊の兵士が出てくる。彼はベルトを締め終わってすぐに去る。それからマリカが現れる。
ワルダほどの威厳はないが、高慢で、ふてくされたような態度、蒼白な顔、緑色の顔料を塗っている)
マリカ (ワルダと並ぶ位置まで来て立ち上がるが、誰の顔も見ずに)
ああお高く止まってちゃ、やりにくかったろうよ。
ブラヒム どいつもこいつも、威張るだけが能さ。
(ワルダが苛立った仕草をする)
マリカ 私の言ってるのはベッドのことさ、あの兵隊が積み上げたお札で潰れそうだったよ。
(顔料の入った幾つかの小さな壷を手に、召使はワルダの手を塗り始める。マリカに向かって)
ああしろって言ったのかい?
マリカ (動かず)どこの兵隊だか知らないけどね。私はレストランの女給じゃないよ。
ワルダ お前に裸になれって? (マリカは答えないが、ブラヒムとムスタファは笑い出す)
当然だよ、断るのは。帯を直しな。
(マリカは解けていた金の長い帯をぐるぐると巻きつける)
ブラヒム (立ち上がり、はっきりした口調で)淫売屋に行くと、女は裸になる。
俺の言うのは、高級な店での話だ。天井にシャンデリアがぶら下がっていて、
帽子なんぞかぶった兄さんのいるところさ。羽飾りのな。羽と花の飾りのついた帽子だ。
(間)顎ひもなんかしてよ。
ワルダ (厳しく、うんざりした口調で)私のスカートのへりには何が入ってるのか知ってるのかい?
(召使に)薔薇をつんでおいで。
召使 セルロイドのですか?
ブラヒム (笑いながら)何にせよ、ずっしりしてらあ。
ワルダ (召使に)赤いビロードの。
(ブラヒムに)鉛のおもりさ。鉛だよ、私の三つ重ねのスカートのへりにいれてあるのは。
(二人の男は声を立てて笑う。マリカは2歩、3歩、前に進む。)
それをめくるには、男の手が要る。
男の手がね……さもなきゃ私の手だ。
(男たちは笑う。マリカは自分の髪から帽子止めのピンを抜いて、それで歯をほじる)
入る前にはノックをしなけりゃならないのさ。
ワルダ (昂然と、いつもと同じ物憂げな、全てに関心を失ったような声で)二十四年間!
……娼婦ってのは下準備なしでいきなりなれるものじゃない。だんだん熟してくるものなのさ。
私は二十四年かかった。しかも天分には恵まれてたのさ。この私はね。
男なんていったいなんだ。
男は所詮ただの男さ。私達の前で裸になるのは男の方さ。
(召使に)ビロードの赤い薔薇だよ。埃をはらって。
(召使、去る)
ムスタファ (今度は彼が立ちあがって)俺達が奴らの淫売とやるのを見て、すっかり参ってやがったぜ。
ワルダ (軽蔑の口調で)奴らはお前達にほかの事をさせたかい? させやしない。
それじゃ何だってんだ。第一ここで、お前達のやる相手は何さ。私達じゃないか。
鉛の入ったペチコートをずっしり着けた美しい女達のため、そうだろう、お前達が、太陽の下、葡萄畑で、或いは夜、鉱山の深い底で、この店に払うものを稼いでるのは。
他でもない私達が、このスカートの下に、葡萄と鉱山の宝を抱えているからさ。
ムスタファ (ブラヒムに)この女、俺達に勇気があるなんて、考えもしないらしいぜ……
マリカ (遮って)バイクに乗ってるときだけだろう、勇気なんて。
全速力で走ってる時さ、通りすがりに郵便局の女にいやらしいことを言うくらいが関の山さ。
シ・スリマーヌが……
ブラヒム (言葉を遮って)またあいつか!
ワルダ あの男しかいないのさ。(間) いい迷惑だよ、私達にゃ。
マリカ 自分の馬にまたがって、同じ時刻に十六の村に。そうさ、カビリアの男が話してくれたもの。
あの人は自分の馬にまたがって、同じ時刻に十六の村に現れた。
でも、現実には、暗い場所で眠っている。あの小道の辺の……
それで、自分の十六頭の馬の上で突っ立ったままかい?
マリカ いかにも私達には不運なことさ。坑夫が、午後の二時に仕事からの帰り道で、その男は怪我をしたから帰ってきたのさ、
私に同じ話をしてくれた……
ワルダ (苛立って、厳しい口調で)この子がそんな話をするのはね、何でもいい、言葉を喋ってりゃ嬉しいからさ、人とお喋りするのが嬉しいからだよ、
まかり間違って私達が、お国の不幸なんて話を真に受けようものなら、私達の不幸も、私達の喜びも、一巻の終わりじゃないか。
ブラヒム (マリカに)坑夫の話は?
マリカ あの人の傷……私に同じ話をした。肉屋もそう。郵便屋もそう。どこかの取り上げ婆の亭主もそう、私の帯はひとりでに外れる。
ワルダ (いらいらしているが、同時に感にたえた口調で) またかい! よこしな。
(と、彼女は召使が戻ってきて彼女に差し出したビロードの薔薇を取り、
それを一振りし息を吹きかける)
ムスタファ (マリカに)お前には誰でも、みんな喋っちまう、お前にはな。
マリカ 一人の男が私のために来る、私の帯はひとりでに外れる。ここは淫売屋さ。
男は自分の中身を空にする、私には何でも教えてくれるさ。
ブラヒム (大声で笑いながら)お前の帯がずれるとき……
マリカ まるで帆掛け舟さ。一目散だよ。男が一人やってくる、お札を持ってやってくる。
私の着物もピンも、着物に結んだ紐もボタンも、私よりも先にピンとくるのさ。
臭うんだよ。硬くそそり立つ肉の塊、そいつの匂いが漂ってくる。
男が一人、郵便局員か、どこかの小僧か、兵隊か、老いぼれの助平親父か、近づいてくる。
いや、近所に向かっているというだけで、私の帯も着物もこの身体から離れてしまう。
それこそ両手でしっかり押さえていないと……
(マリカに)私はね、男の肉の塊が私に助けを求めるとき、着物も下着も、何もかもが、
私の肩に、尻に、積み重なるのさ。私がじっと立ってるだけで、衣装の方がトランクから飛びでてきて、この身体を飾り立てるのさ。
(マリカに)お前は気の使いすぎだよ。本物の娼婦ってのは、自分がそうなるように追い詰めたその姿のままで、
男を惹きつけることができなきゃいけない。この帽子止めのピンで歯の掃除をするんだって、
何年もかかって磨き上げたもの。私の芸のうちだよ。
(立っていた二人の男が、彼女に近づき、凝視する)あまり近くに寄るんじゃないよ。
(彼女は例のピンで彼らの方を指して、一定の距離に離れるように指示する。
男たちはじっと動かずに彼女を凝視する)
ムスタファ (深刻に)お前が衣装を重ねるにつれて、白粉を厚く塗っていくにつれて、お前は後ろに下がっていき、俺達を磁石のように引きつける。
ワルダ (歯をほじってから、召使に)頭にもう少しチックをつけて。
(沈黙。それからムスタファに)お前が正しいよ。
バイクに乗って駆け回る希望なんていう代物を信じないのは、だがしかし……
ムスタファ (深刻に)お前を見るために、俺は鉱山の底からやってきた。
今、俺はお前を見ている、俺が信じるのはお前だ。
ワルダ お前は、私の身を飾るものすべてを見た。その下には、もう大した物はありはしない……
ムスタファ (一歩近づいて)もしそこに、死ってやつがいたら……
ワルダ (仕草で遮って)いるとも、ここに。静かに動いてる。
アーメッド (急に飛び起きて)奴らに対する憎しみも、そこにあるのか?
マリカ (驚きながら、アーメッドを見据えて)私の帯の下に?
入ってきたお前さん達を燃え上がらすあの火、あの火は奴らに対する憎しみからくるのさ。
ブラヒム (手を心臓の上に置き、目はワルダと見つめながら)
俺が死んだ百年後にも、その憎しみはそこにいるんだ。
アーメッド そこにいるんだな?
ムスタファ (相変わらずワルダを凝視して)俺のパンツの内側か? そいつはぐいぐい突き上げてくる、ブラヒムの心臓の中なんぞの比じゃねえ。
マリカの帯の下にいる奴より、よっぽど盛って燃えている。
アーメッド そいつは、そこに……
ワルダ (ぶっきらぼうに、突然断固とした口調で)大馬鹿だよ。
土には---淫売屋を包む夜の闇が厚ければね---壁の土には無数の穴が開いている。
そしてお前達の女が、耳を済まして聞いているのさ。
(歯から取ったものを吐き出す)
アーメッド もし憎しみが、帯の下に、ズボンのボタンの後ろにいるならば、どうして希望がそこを走り抜けないはずがあろう。
マリカ どうして十六頭の馬に乗り、十六の道を走って、その木陰に休もうとしないわけが?
(アーメッドに向かって挑発的に)私と一緒に上に来れば、お前がその気になりさえすればご祝儀をくれてやるよ。
ワルダ 大馬鹿だよ。
(鋭く、長い笑い声を立てる。沈黙。突然逆上したかのように)
全く怪しげな言葉ばかり。近頃じゃ。
新聞だのビラだのからそのまま切り抜いて来た言いぐさだ。
このざまはどうだい、淫売屋の人間になりながら、娼婦として完璧なものになりたいとは思わない、
骨と皮になるまで苦心してでもそうするのが当たり前なのに。(召使に)打掛を。
(召使はドレススタンドに掛けてあった打掛を取りに行き、それを持ってくる。その間に、ワルダは再び前と同じように笑う)
(しかし、入り口の扉を人が開閉する時のベルが聞こえる。全員口をつぐんで、見つめる。
ワルダは振り向く。すると彼女とマリカを除き全員笑いをこらえる仕草)
ワルダ (ムスタファを押しのけて、奥を向いて)脱いでいな、サイッド。今行くから。
(召使に)洗面器は?
召使 洗ってあります。
(ワルダは背景の後ろ側に入る。かなり長い間)
マリカ あの男が一番乗りさ。自分の結婚式の前からずっと、予約しているんだもの。
(召使は彼女の足元に跪き、その爪にマニキュアをし始める。アーメッドに向かい)
私の鉛入りスカートのへりを持ち上げてみる?
アーメッド (腕時計を見てから)家じゃ、スープが火にかかっている、手っ取り早くやんなきゃな。
(沈黙)
マリカ 淫売ってのは、毎晩結婚式さ。私達も、お前さんたちも。(再び沈黙)
私達の命、私達が身につける芸の上達、それを誰に捧げるって言うの?
神様以外のいったい誰に?
(男たちと召使が後ずさりしていく。マリカは退場するためそのまままっすぐに歩く)
(サイッドの家のひどく貧しい内部。
背景には、コンロが一つ、鍋が四つ、フライパンが一つ、テーブルが一脚。
側に桶とひどく低い腰掛が一つずつ)
レイラは、三つの穴(口と右目と左目)が開いた一種の頭巾をすっぽりかぶっており、顔は常に見えない。
おふくろはいつもの紫色のドレスを着ている。
レイラ一人、彼女はつぎはぎだらけの---しかも様々な色のつぎの当たった---よれよれのズボンの周りを走ったり飛び跳ねたりしている。
そのズボンは彼女の左側に立ったままである。
そこで彼女は、前屈みにちょこちょことズボンの所まで行く。ズボンの前に立ちはだかる。
彼女はズボンに話しかける)
……どうしたい? ねぇ、動かないのかい?
夜には、私の夢の中をうろつく、風に袖口をまくられても平気、
それが私の目の前じゃ、死んだふりをする気?
それでもね、お前は生きているよ、熱いよ、何でもする気でいる、
歩く、おしっこ、咳、タバコ、それにおなら、人間様並だね、
それからお前が馬乗りに、いや私がお前の上に乗る……。
(見えないところから、二声、三声、雌鳥の鳴き声、鳩の鳴き声、雄鶏の時間を告げる鳴き声、犬の吠える声が聞こえる、
それらはとてもはっきり聞こえて、物真似じみてもいる)
レイラ 本当だよ、お前の方がサイッドより上出来だ。
お前のお尻がサイッドのお尻の形をしてても、お前のお尻のほうがずっと綺麗。
(ズボンの周りを歩き回り、それをじっと見る)
お前のお尻の方が丸みがあるわ。あの人のより。
(間)でもお前のおしっこはあんなに遠くまで届かない。
おいで……私の上にお乗り……せめてお前が、3メートル歩けたらね
---ここから入り口までさ---その後はずっと簡単なのに。
お前と私とで人気のないところに逃げ込むの……すももの木の下に……壁の向こう側に……もう一つの壁の向こう側に……山が、海が……そうして私はお前の丸いお尻に乗って、
お前のお尻の二つの山、その丸々した鞍にまたがって、
お前をはぁはぁ言わせてやるのに……
(ズボンの前で、馬に乗って走る真似をする)
はい、よー! はい、はい、はい! はい、よー!
こうして鞭をくれてやる。これでも駄目かい、私がこう締めつけても、
そうよ、壁の下まで来れば、私はお前のボタンをはずす、お前のボタンをまたはめる、
私の両手を両方のポケットに突っ込んで……
おふくろ (見えない場所で)こっちへ来ちゃ駄目だよ。餌は今日の分、たっぷり食べたろうに。
レイラはズボンを取り、地面に座って縫い物を始める)
おふくろ (登場。動物の声を真似ていたのは彼女である。
少しの間、彼女はそれを続けてるが、やめて)
ズボンにかい! つぎはぎだらけのズボンに向かって恋の告白ときた。
それに、ズボンがお前と駆け落ちしてくれるなんて!
(肩をすぼめる)二度と言わなくていいように、お前にははっきり言っておいた方がいい。
あの子にゃその勇気がないときてるんだからね。
それにあの子は、わたしほどの親切も持ち合わせちゃいない。お前さんは醜女だよ。
レイラ (縫い物を続けながら)私が美人だった時……
おふくろ 醜女だよ。そんなにあぶくを吹いて頭巾を汚すにゃ及ばないよ。
レイラ 美しいの……夜は……
おふくろ お前にゃ蓋をしておく。臭いチーズと同じさ。蝿がたかってる。
レイラ 夜、私が文無しのサイッドを夫にするとお思いなの?
ちっとも男っぷりのよくないあの人を?
女は誰も振り向いてくれないあの人を?
サイッドを見て振り向いた人なんている?
(叫び声を上げて、自分の指を吸う)
おふくろ (振り向いて)また刺したのかい、その針?
レイラ (針に向かって)お怒りにならないで、この子はふざけてるの。
朝、お前がたきつけを作ると、とんと燃えついたためしがない。
塩も、壷の中の塩が鍋の中に全部こぼれちまうのは、
あれもお前とふざけっこしてるってのかい?
(ズボンの1ヶ所を指して)裏返しにくっついてるこのつぎはいったい何のお遊びだね?
レイラ (彼女もそれを見て)本当だわ。本当に裏返しにくっついちゃった。サイッドは怒るかしら?
おふくろ 気にしちゃいないさ。ズボンが何か、あの子は承知の上だよ。
自分の大きな両足を入れる、尻を入れる、それから後の残りを。
それがあの子ってものだよ。夜ズボンを脱いで椅子の上に置く、
そうすると、椅子の上で寝ずの番をするのは、
そう、お前を見張り、お前を怖がらせるのはあの子のズボンさ。
ズボンが目を覚ましていてお前を見張る、サイッドはそこで寝てるってわけだ。
あの子は知ってるのさ、ズボンが一番しゃんとするのは、つぎはぎのおかげだ、
しかもそのつぎの中でも一番威勢のいいのが、裏返しのつぎときてる。
心配なんかしなくたっていい。
サイッドは私と同じで、何もかもとんちんかんに狂っちまうのが好きなのさ。
どんどんずれていって、どっかの星まで飛んで行く、そうなりゃ不幸だって---聞いてるのか い---不幸だって物凄く大きなものになっちまって、お前の亭主は爆発だ。
笑い転げてよ。裂けちまうのさ。
お前は醜女なんだからね、頭の中も空っぽでいな。
レイラ それじゃ、私は一生懸命頑張って、うすのろにならなくちゃいけないの?
おふくろ とにかくどんどんやってごらん、どういうことになるかやってみなくちゃ分かりゃしない。
口を閉めたらどうだい! ……その調子でいきゃ申し分なさそうだ。
よしなよ、頭巾の外にまでよだれをたらすのは。
レイラ もうちょっとよだれをたらせば、それは私がもう一段、低脳になった証拠。
そのうち、わたしたちゃ、臭くって我慢ができなくなる。
それから後は、カビのにおいばかりさ。
ちょっと時間がたてばね……
だが、そこまでになるにはね……
レイラ (縫い物を続けながら)
それは、サイッドが、あなたの息子で私の亭主のあの人が、みんな絡んでいるわけ?
おふくろ 夜になったら洗濯場にお行き。月明かりの下で洗濯をするんだね。
指にあかぎれの一つでもできようってもんだ。
レイラ 雌鶏の声のことだけど、やっぱり……
おふくろ そりゃ役に立つさ、私達の周りには贋物の家畜小屋がなけりゃならない。
そいつは私達の腹の底から出てくるのさ。雄鶏、やれるようになったかい?
レイラ (一生懸命に)コッ……コケッ!……コケーッコッ……コケッ!
おふくろ (怒りっぽい口調で)駄目駄目、そんなんじゃ!
そんなくたばりぞこないの鶏なんて願い下げだね。さあ、もう一度。
レイラ (声を震わせて)コケーッコッコッコッ!
(痰を切ろうとする時のようなのどをならす声が聞こえる。サイッドが近づく。
肩に雑嚢をかけている。誰の顔も見ずに立ち止まり、雑嚢を地面に投げ出し、痰を吐く)
サイッド チーズとジャムが混じっていたぞ。何もつけずにパンだけ食った。
(レイラが立ちあがろうとする気配を見せるので)
座ってろ。縫い物してろ。
サイッド (陰鬱に、頭を下げたまま)危なく喧嘩をするところだった。
レイラ あと三十分もすればスープができるわ。(間)塩を入れすぎたかもしれない。
サイッド (厳しく)どうして俺が喧嘩をしそうになったか聞こうともしない。
その理由を知ってるからだ。(間)
ある日、俺は溜め込んだ小金を全部集めて計算してみた。小遣い稼ぎにやった仕事の細かいへそくりも全部足した……
レイラ (突然深刻な口調で)黙って、サイッド。
サイッド (続けて)……それから、何時間も、何日も、残業をした、そしてまた計算してみた。
大した額にはならん。(レイラは突然激しく震え出す)……それから俺の周りを見回した。娘のいる父親のところを一軒一軒回ってみた。
いたわいたわ、その数! 何十人、何百人、何千人、何万人、何百万とな……。
レイラ (いっそう激しく震え、ひざまずいて)お願い、サイッド、止めて! お願い!
神様、お耳をふさいでください、この人の言うことをお聞きにならないで!
サイッド (一息ついて)……何百万といたさ。ところが、どいつもこいつも、手前のところに残っている一番不細工な娘を売るのにも、
俺の持金よりは必ず高い値段を吹っかけやがった。
そこで俺は絶望したよ。それでもまだ俺は、お前の親父のことは思いつかなかった……
レイラ (サイッドの足元に泣き崩れて)サイッド、やめて!
神様、お聞きにならないでください、あなたを苦しめようというんですもの!
全くご親切は身にしみたよ。俺は一番不細工な娘を引き受けるはめになった。
そんなことは俺のいつもの不幸に比べたら屁でもない。
だがな、一番安い女ってことは、そのために今じゃ俺は、俺を馬鹿にする奴らと、
毎日夕方になると喧嘩をしなけりゃならない。
しかも俺が1日働いて家に帰ってみりゃ、どうだ、俺を慰めるどころか、
涙なんぞ流してただでさえ見られたもんじゃないその面を、
わざわざますます見られない面にする。
(レイラはうずくまったまま動き出し、ほとんど這うようにして去っていく)
どこへ行くんだ。
レイラ (体も起こさず、振り向きもせず)
庭へ出て鼻をかむの、鼻水と涙を洗って、いらくさの中で気を静めてきます。
(去る)
サイッド (一人)今夜、デュルールの納屋の壁を片付けなきゃな。
それもあいつの親父に金を払うためか!
俺は毎日喧嘩をしなけりゃ---いや、喧嘩の一歩手前まで行かなきゃならない。
(鳩の鳴き声が聞こえる)……その上にあの金、淫売の所に工面しなきゃならないあの金!
(おふくろが、ゆっくり帰ってくる。右の方に体が傾いている。水を一杯に汲んだ桶を持っているからだ。
サイッドが手伝おうとして近寄る気配を見せると、彼女は突然しゃんとする)
おふくろ 我慢することさ。お前は、お前の力の限りやってごらん。
あの子はあの子で、力の限りやるだろうよ。そうすりゃ分かるさ。
(桶を置く)
サイッド いらくさの中で、何をしてる?
(レイラが声だけで物真似をして作り出す架空の家畜小屋の声が聞こえる。
おふくろは腹を抱えて笑い出し、その笑い声が雄鶏や鳩の鳴き声に混じる)
(小さい農場。丸い太陽が真っ青な空に描かれている。手摺りの前に赤い手押し車)
ハビブの衣装---黒いズボン、黄色いシャツ、白い靴
サイッド---いつもの通り
ハロルド卿---四十五歳。非常に男性的な人物。長靴、ヘルメット、手袋、細身のしなやかなステッキ、乗馬ズボン。彼は架空の馬の手綱を握っている。)
(サイッドは身動きもしない)唾だ、分からんのか!
サイッド 唾。(間)でも、誰に唾をするんですか、ハロルド様。
ハロルド卿 お前の手だ、手のひらだと言ったじゃないか。
一人のアラブ人、ハビブ (猫なで声で)お怒りになってはいけませんです、ハロルド様。
こいつはまだ若いんで。まだフランスにも行ったことがございません。
エッフェル塔なんか知りもしないんでございますから。
サイッド 近々、多分行くさ。
ハロルド 女房はどうする、連れて行くのか?
ハビブ (大笑いをし、自分の両方の尻を同時に叩きながら)そうでしたよ!
ハロルド様、こいつに唾を吐かせるなら手にひらより女房の方がうってつけで。
サイッド こいつの話なんぞお聞きにならないでください。海を渡るのはもっと稼ぎたいからです。
いとこの話じゃ倹約さえすりゃいいそうで。
ハロルド (架空の馬に向かって)静かにしろ、ピジェ。
(サイッドに)お前は倹約する必要があるのかね?
そんなことをして何になる。食っていけるだけのものは稼いでいるじゃないか。
ハビブ 私にゃ、なぜだかその理由が説明できますね。
サイッド (きっぱりと)俺の問題は俺の問題だ。
ハビブ そんならその話はよしにしよう。お前には何も聞いちゃいない。
俺みたいにしけた奴と一緒に仕事に出るのは面白くもないと。
ハビブ いや、お前のため息は、ええ? お前のあのため息はどうなんだ。
あんまりあくびをするもんだから、鳥をみんな飲みこんじまった。
それであと飲み込む物は、草についたあぶらむししか残っちゃいない。
葡萄だってお前のため息のおかげで参ってる。
ハロルド様、あなた様の葡萄畑も、ひどい目にあいますよ……
サイッド 分かりきったことだろう、今は夏だ、鳥は飛んで行っていやしない。
だが分かってるさ、お前はこの世で悪いものは全部俺のせいだという。
全く、ずうずうしいにもほどがある。
俺の顔の表情まで、いちいち訳知り顔に読み取って、理屈をつける。
そんならいくらでもこっちから喋ってやれら。
ハビブ (しつこく)俺は何にも読み取っちゃいないよ。お前さんの方じゃないか、勝手に喋るのは。
ところでようやく俺の方にも分かったよ、どうしてお前さんがクルゾーに雇ってもらおうとしているか、その理由がな。
それからこのこともはっきり言っておくよ、お前さんは俺達みんなの面汚しだ、レイラは俺のいとこなんだからな。
サイッド あんな遠い関係じゃないか……遠すぎて……あの女は、
三十メートル先のいんげん豆みたいにしか見えない。
ハビブ たとえそうでも俺のいとこにゃ変わりない。だからあの女の恥は、この俺にちょっとばかりは
---いや、それはほんのちょっとだがよ---恥ずかしい思いをさせるのさ。
サイッド ここらで一番若い娘を買えるだけの金を俺は持って帰る。
ハビブ そうかい、でももう一人のはどうする?
ハロルド卿 (前と同じく)どうどう、ピジェ!
サイッド お前のいとこか?
(架空の馬に語りかけて)どう、どう、ピジェや……走るのも軽やかでしょうな……いかにも軽やかだ、その蹄は牧草を倒すことさえしないでしょう、こんな農場にはふさわしい馬だ、ここに何千坪、あちらに何千坪、空の果てまで続いていく。
(サイッドに)クルゾーから金を持って帰ってくる、言うのは簡単だ、しかし……
ハロルド卿 海を渡ってる間に、女房の方で浮気をしなければの話だが。
もっともそうなれば、いい口実ができるわけだ。
ハビブ (笑いながら)浮気ですって! 冗談でしょう。
ハロルド様、あの顔を見たことがないからですよ。
あんな女とやろうっていうような奴がいるもんですか。いくらがつがつしててもね。
いえ、本当の話、サイッドのおかまの方がましで。女房の方はとてもとても……
ハロルド (サイッドに)そんなに言うほど酷い醜女なのかね?
ハビブ (うなだれて)オー、イエス、サー、ハロルド。
ハロルド卿 それで、もっとましな女を手に入れるために、海を渡ろうってのか?
だがどの尻だって、尻は尻だ。(大声で笑いながら、自分の尻を叩く)
サイッド! 女房は女房で抱えておけ、ボタンははめっぱなしだ、
ボタンをはずしたきゃ淫売に行くんだな。
(突然彼はいらいらする、ハビブに向かって)ちょっとピジェを捕まえておれ。
(煙草を吸っていたハビブは、手綱を取る。ハロルド卿はサイッドに近づく。
彼は手のひらに唾をして手押し車を握る)
分からんのか! こうだと言ってるじゃないか。こうやるんだ!
おふくろはお前に何も教えなかったのか。
(神経質に苛立って、馬の所に戻る。ハビブに)
さあ、どけ。仕事だ。
(架空の馬に乗りながら去る)
ハビブ もうお帰りですか、ハロルド様。
一番俺の代表としてふさわしい物は何だ。杖か、ズボンか、手袋か、それとも長靴か?
そら、いいな! 俺の手袋がお前らの見張りだ。
(猪皮の手袋が投げられる。それは二人の前に宙吊りになったように止まる)
サイッド (うなだれていたが)あんなことをいちいち、あの人に言う必要があったのか?
ハビブ (口に指をあて、それから手袋を指して)シーッ!
サイッド (恐ろしくなり)神様! あの中には何が詰まっている? あの人の拳か?
ハビブ 藁さ。一杯に詰まっている、あの人の拳が入っているように見せかける為だ。(間)
そう、それ以上に危険なものに見せかける為さ。(間)そして、本物以上に本物に見えるように……
サイッド (それを見ながら)こっちの方がすごい。
ハビブ (皮肉に)そりゃそうさ。(長い沈黙)日が暮れる、帰らなきゃ。
(小声で)あの指の一本一本が、傘みたいにでっかい耳をして聞いている……用心しろ!
(太陽が消える)
サイッド お前の事は知らんさ、だが、俺のことでこの手袋に聞かれて都合が悪いようなことは何もないぞ。
そうとも、俺はため息をつく、おお、猪皮の手袋よ、おお、茶色の皮の長靴よ、なめし皮のズボンよ、
俺は大きなあくびをし、群れなす鳥をみんな飲みこんでしまう。
だが、どうして俺のことをからかうんだ。
ハビブ そのことはもう考えるな。(遠くを見つめて)今時分は、他の奴のことを怒鳴っているはずだ。
水門を開けて水を出しすぎたからな。奴は、お前のことなんぞもう忘れてるさ。
自分の馬に乗って、自分の領土を行く。
ハビブ (ちょっと黙ってから)今夜、農場で火事がある。(沈黙)向こうへ渡る金は?
サイッド (不安になって)俺を疑うのか?
(次第に夜になる)
ハビブ (皮肉に)いいや、いいや。今はまだだね。
だが、海を越えようなんという雄大な計画を立てた男なら……
ええ? まさか泳いでいくわけじゃあるまい。
サイッド これから仕事だ。風が出てきたな。
(二人の男は口笛で風の音を真似、震える)
ハビブ お前にはもう言ってある。手のひらに唾を吐く練習をするんだ、そうすれば嫌でも働くようになる。
今は奇妙なことが起こっているんだ。この国はだんだん雌鶏の肉に似てきている。猪皮の手袋のせいか?
俺達が雌鶏の肉のようになったのは、奴らが雌鶏の肉を食わせなくなったからだ。
お前の手のひらにつばをしろ、サイッド! 鐙も手綱も鞍も必要ない、俺の尻だけが奴を御する。
俺達は夜を横切っていく。
サイッド 風が強くなった!
(サイッドとハビブは風に吹き飛ばされるように、くるくる回りながら去る)
(刑務所の正面入り口、大きな戸口、その両面に一つずつ低い窓。鉄柵がついている。
左手に離れて、一本の棕櫚の木)
タレブの衣装---緑色のズボン、赤い上着は裸の身体に直接かかっている。白い靴。
おふくろ、レイラ、次いで被害者たるタレブ、彼らはこの順に登場。
タレブの声がおふくろの姿の見えないうちから聞こえている。
洪水も間の悪いときに起こったもんだ……洪水のおかげで、
サイッドの立場はどうにもならねえほど不利になったとも言えるからな。
わしの上着を盗むにしてもだ、これが豊作のときだったら、事情も変わっていたよ。
(力を込めて)確かに運が悪かった、洪水はな、不運って奴だ。
盗まれたのも不運、つまりわしの不運にサイッドが首突っ込んだってわけだ。
おふくろ (振り返らず)なんてこったい、石を積んで刑務所を作るのに、
よりによって丘のてっぺんに作るとはね。
門まで登ってくるのになんとまあたっぷり歩かせてもらいますよ。ええ、この杖ったら!
タレブ ある意味、普通の泥棒とは違うわけだ。
わしは貯金をして、バイクでも買おうとしとったところだ。
洪水とサイッドがぶつかった、こいつは全く、頭が二つ、手が四本に指が二十本の、
二人前の不幸って奴だ。
おふくろ (息を切らして、ぼろぎれで汗をぬぐい、それをレイラに投げ与える)
ほれ、汗をふきな。鍋の尻をふいた雑巾だよ。(笑う)一発雑巾がけをおやり。
タレブ 破産だ! わしゃ破産だよ! 頭が二つもある化け物が……
おふくろ (杖で脅して)消えちまえ!
(タレブは逃げようとするが、レイラが上着を捕まえて引きとめる)
レイラ 十七万じゃないわ、そのうち八万はもう返しちゃったもの。サイッドは正直だった。
その八万はなくしちゃったとか、お前さんがまた盗んだんだとか、言えば言えたのに。
わしがいちじくの木の下に置いておいた赤い上着を奴が盗んだのはな、
向こうへ渡る金が欲しかったからだぜ。向こうで土方でも、もっこ担ぎでもなんでもやって、
金を貯めて、もう一人女を買い取る為だったんだ。
レイラ あの人、そう言ったわ。
でもあの人は、私を捨てて行くかわりに、捕まって、殴られ、
家の上にある刑務所に入れられてしまった。
おふくろ (肩をすぼめ、杖で地面を叩きながら)サイッドは望み通りのことをしてるのさ。
あの子が、頭の二つもある化け物の一部になってお前さんを失望させたのは、
つまりはこのあたしが、そんじょそこらのガキどものおふくろとはわけが違うって事だ。
何しろ刑務所に入ってるんだからね。
タレブ 出てくるよ。わしは訴訟をひっこめた。
おふくろ ひっこめた? (脅迫的に)お前さんの訴訟は訴訟だよ、永久に。
タレブ わしは村中に言いふらさせた。あいつのしたことは正しかったってな。
わしの背広は赤いからよ、お天道様が沈む頃にゃ、あいつの背広だって言っても分からねぇって。
おふくろ 連中は、あれが泥棒だって、いつまでも覚えているさ。
そうとも、私が村の女どもと言い合いをすれば、あのゲス女ども、
私に悪口を浴びせ掛け、サイッドや私のことで、ある事ない事言い出すのは分かりきってら。
レイラ 私のことは?
おふくろ (肩をすぼめて)お前なんぞ、今更言われることなんぞありゃしない。低能のくせして。
タレブ どんな事かね。
ありゃ泥棒だ、だから、あの男は足が臭い、歯が、口が臭い、だから親指をなめる、
一人きりになると大きな声で喋り出すのもそのせいさ……
私のことは待ってましたとばかりにこうくるさ。
あの女は、糞みたいに泥棒をひねり出したとね。
タレブ そんな奴らをやっつける悪口くらい、お前さんならいくらでも見つかるだろうに。
おふくろ 言うほどは簡単じゃない。悪口が図星だと、こっちだって気合を飲まれちまう。
そうしたらどうするね? (身を起こし、昂然と)わたしゃ心得てるさ、この私の恥を見せつけて、
あの連中の目をくらましてやる。ああ、この私がサイッドだったら!
タレブ あんたが……
おふくろ (遮って)そうともさ。あの女たちはがっくりひざまずくだろうよ。
わたしゃ足をこう大股に開いて、そっくり返ってさ、ズボンのチャックを開けてやるね。
ところが、女の私じゃ、悪口を投げつけることしかできない。
私がつまずきゃ、あの女たちは駆けずり回って別の悪口を見つけてくら。
タレブ 怒れば、他の女たちよりあんたの方が足が速いだろうに。
おふくろ (威嚇的に)ええ、とっとと失せろ! おだてて丸め込もうったって無駄だよ!
レイラ (おふくろに)私も手を貸すわ。汚いことなら、荷車に積むほど手持ちがあるから。
おふくろ (肩をすぼめて)低能のお前がかい。
レイラ 毎晩、私は新しいのをいくつも覚える。役に立つわ、きっと。
おふくろ それじゃ、寝ないのかい、お前は?
タレブ いちじくの木ってのは、ご存知の通り、不幸の木だ、ありゃ……
お前さんの背広がいちじくの木の、つまり不幸の木の下に置いてあったんなら、
サイッドに罪を着せることはなかっただろうよ。
タレブ わしは始め、他の奴がやったと思ったよ……
おふくろ (かんかんに怒って)とんだご挨拶だね! 他の奴の尻拭いをさせようってのかい!
とっとと失せるがいい、さもないと、この杖がへし折れるまで、お前の背中を痛めつけてやる!
(タレブ去る。おふくろとレイラは刑務所の入り口の側に座る。長い沈黙。
時々レイラのため息が沈黙を破る)
おふくろ (笑いながら)お前はいつも鶏に餌をやりすぎるよ。言っただろう、鍋に半分で沢山だって。
レイラ それじゃ少ないわ。
おふくろ (優しく)鶏の方で、よその餌を盗めばいいのさ。
レイラ (非常に真剣に)それは私も考えたわ。でも、鶏小屋の金網をそう簡単にくぐりぬけられると思う?
だって雄鶏は棍棒を持ってお巡りみたいに見張っているんですもの、あの硬い石のくちばしで。
おふくろ お前が教育すりゃいいのさ。雌鶏達が出かけていくように。
忘れるんじゃないよ、お前さんのおかげでわたし達は泥棒になった。
うちの雌鶏だって、同じように泥棒になるのさ。
レイラ (驚いて)私のせい?
おふくろ (笑いながら)お前が醜女だからさ。
レイラ (落ち着いて)そうね。雌鶏のことはできるだけやってみます。
私は一羽、黒いのに目星をつけてるの。他のよりずっと悪い奴。
あの雌鶏が他の連中に手本を示してくれたら。
(長い沈黙。サイッドが着るものの包みを肩に担いで現れる。
彼は母親にも女房にもろくに挨拶をしない。二人の女は立ちあがる)
おふくろ 古い方の毛布、持ってきたかい?
サイッド ああ。明日、俺は隣の鉱山に雇ってもらう。
おふくろ じゃ、金は?
サイッド 郵便で送る。
おふくろ (しげしげとサイッドを見つめて)いや、本当だ、お前は変わったよ。
サイッド 風通しが悪いからだ。
(彼らは黙って歩き始める。突然夜になる。背景には三日月)
サイッド (レイラに)レイラ。
レイラ (立ち止まる)なあに、サイッド。
サイッド 頭巾を取りな、顔が見たい。
レイラ (彼のほうを向いて)無駄よ、サイッド。私は相変わらずの醜女だもの。
天使がこの子を訪れたって?
その顔を消すために天使がこの娘の顔に唾をして、美人に作り直したってのかい?
(皮肉に)泥棒をちょっとばかり驚かしてやろうっておつもりだろうよ、きっと。
さあ急がなくちゃ。私はこれから死人(しびと)の所へ泣きに行くんだから。
女共はもう集まっている。
(彼女は再び歩き出す)
レイラ (優しく)私の顔が見たい、サイッド? (沈黙)
このかすかな月明かりの下で、サイッド、私の顔を見たい?
サイッド (厳しく)見たくない。
(彼らは再び歩き出す)
レイラ (かなり後に遅れてついてくる)私は一人ぼっち……
おふくろ それがどうしたい? 私のようにするのさ。
夜、木の葉の茂みを吹きぬける風の音で、林にある様々な木の種類を区別する術を学ぶ。
いい暇つぶしになるし、その上、お前も、洗練された女になるってわけだ……もしお前の目に、耳に……
(遠くを見て)まぁ、見ておくれよ、みんなもうお墓へ行く支度をして待っている。
あそこじゃ、みなさん、さごかしご機嫌だろうよ。
(三人は去る)
(村の広場、一本の棕櫚の木、回教徒の墓が一つ、開いた傘が逆さまに立て掛けてある)
女たちはみな---紫色の衣装のおふくろを除いて---黒いドレスを纏っている。
彼女らの頭には黒いヴェール。この景の始めには三人の女しかいない。
(シガ、カディッヂャ、ネヂュマ)
(低い声で)蝿だ! 蝿! 蝿……
カディッヂャ (六十歳くらい)いったい冬の最中でも、蝿のいない死人なんて見たことがあるかい?
蝿のいない死体、不吉な死体だ。葬式の一部だよ、蝿ってものは。
(彼女はスカートをたくし上げ、ずり落ちた黒い靴下を、ガーターにとめる)
シガ (笑いながら)それなら家じゃ葬式続きだ。毎日毎日、死体を埋めてるに違いないね、全く。
家中が蝿でもってるようなものさ。
地下室も蝿だらけ、天井も蝿だらけ、蝿の糞が私の身体の上に落ちてきて……
ネヂュマ (二十歳、あからさまに嫌悪の情を示して)
外人が私達を軽蔑するのはね、未だにあんたみたいな女がいるからさ。
あっちの女たちはね……
シガ 何時間もお湯に浸かっている。
何時間も、缶詰みたいに、湯煎にされて茹だるってんだろう。
私だって風呂屋くらい行くさ……そのかわり後で、真っ白になった足の指を、
砂埃の中に引きずってよ……
ネヂュマ (日の光を避けるために傘を拾って)わたしゃ、そのうちにイタリア風の生活をするね。
わたしの部屋には蝿もごきぶりもいないようにしてやる……
シガ (笑いながら)家じゃ、蝿だろうが、ごきぶりだろうが、くもだろうが大歓迎さ。
蝿のためには、いつでもがき共の目の縁にご馳走がある---わたしが子供を育てるのは
その為さ---鼻の下にもさ。がき共に、時々拳固をくれてやる、朝の十時頃によ、それから夕方の四時頃には今度はびんただ。
ぎゃあぎゃあ泣く、青っぱなをすする、そこで蝿はそれご馳走と大喜びだ。
(舌で、さもうまそうに、自分の鼻から垂れてくる鼻汁をすする)
ネヂュマ (胸がむかつくといった様子で)それで、亭主の方は?
カディッヂャ いい加減にやめないかい。その馬鹿話。蝿はいる、ここからでも私には聞こえるさ。
今、陽は沈みかけている。だがそれでも蝿どもはあそこにいる、まるで黒い旗だ。
(遠くを見ながら)
どうしたってんだよ、急いでおくれ。集まってくる蝿のことを考えてごらん。
声 (次第に近づいてくる)私が葬式に行くときは、いつでも決まって、蝿のためだ。急げ急げって言う。
で、死体を穴に下ろすときには全員お揃いさ、その数を勘定してやった。
(ハビバ登場、二十歳。黒い傘で日を避けている)何しろ穴の周りにいる蝿の唸り声といったら、バイクのエンジンよりもすごいんだからね。
いや、亭主が私にマッサージをしてくれる時より激しいわ。出かけるのかい?
シガ ちょっと待ってておくれよ、おしっこ、おしっこ。
(彼女は駆け出して、背景の後ろに消える)
ネヂュマ (空想を追うように)……もう一つの青いのを見たことがあるわ。あざやかな空色をしたのを。
そうだわ、あれにしよう、買ってもらうのは……(間)
私は毎朝それを庭の向こう側に開けに行く……
カディッヂャ (遠くを見つめながら)あそこにやってくるのは誰だい、私にゃよく見えないが。(ハビバに)
お前さん、見ておくれ……
ハビバ サイッドのおふくろだわ。
カディッヂャ (情容赦ない、威厳のある口調で)なんて厚かましいんだ! あの女に泣く権利はない。
分かったね、みんな。あの女は来ちゃならない。
(間。サイッドのおふくろ、登場)
カディッヂャ お前さん、死人の為に泣きに来たんじゃあるまいね?
カディッヂャ いずれにせよ、泥棒女だ。溝の中であの女はいらくさに口をきく。
いらくさを手なずけようと必死だ。いらくさが返事をする。
お前の息子は泥棒だ、そしてお前は、あいつが盗んできた鶏だのキャベツだの、果物、油だので生きている。
お前なんぞ、わたし達と一緒に来ちゃならない。
おふくろ もしお前さんたちの身内の男か、お前さんたちの身内の女がさ、そのみすぼらしいベッドで死んだっていうんなら、
私はここに泣きになんて来なかったよ。わたしゃ歌を歌いに来ましたね、奥様方。
今日はしかしね、葬式の相手は、そんじょそこらの死体とはわけが違う。
お前さん方の身内の息子でもない、だからこそ、わたしゃお前さん方に挑戦しにやってきたのさ。
どこの誰よりもこの私は、葬式のことはよく知っている。
暇つぶしに自分で幾つか小さいのを作り出すくらいだからね。蝿だって私の事を知ってるよ。
私の方だって、蝿を見りゃ一匹一匹名前が言えるくらいよく知ってるんだからね。
(間)それにいらくさと喋る件だがね、レイラはうちの身内と話をしているだけのことじゃないか。
カディッヂャ お前達は泥棒一家だ。この村では、私らは私ら自身で裁きを下す権利がある。
邪魔者は入れてやらない。お前さんはね、死体の後からついて来ちゃならないんだ。
おふくろ 私がついて行っちゃいけないって、誰が言うんだい?
カディッヂャ 死体さ。
(シガが戻ってくる)
おふくろ 死体なんて、今更驚かないね。
(シガに)ずいぶん金持ちになったって言うが、それでも用を足すのは相変わらず塀の後ろかい?
空色のやつを買ってもらって毎朝開けに行くってわけにはいかないのかね。
ネヂュマ 私のだよ、それは!
カディッヂャ ええい、もう沢山だ! さあ、出かけるよ。(おふくろに)お前はそこにいな!
カディッヂャ (皮肉に)お前さんがサイッドじゃないって? それじゃ、誰なんだね、サイッドってのは?
どこにいる、そのサイッドは?
あふくろ 万歳! あの子は裁判所へ行ったところさ、そうして、刑務所へ戻るのさ。
あの子はね、刑務所から出てきたときにお前さん方から盗む予定の品物、
そいつの償いをする時間だけは、ちゃんと刑務所に入ってますよ、
そうとも、あたしが、この腹の中で育てている猛犬の群れを、
お前さん方の着物の裾に放ってやるのに入用な時間だけはね。
死人についちゃ、私の方はとうの昔に……
カディッヂャ (三人の女に)お前さん達はどう思うね?
(三人の女は、ちょっと躊躇った後、否定的に頭を振る)
どうだい、分かったかい。これは私だけの言い分じゃない。世論さ。
おふくろ (厳かに)そんなら聞くが、死人は? 死人はなんと言っている?
カディッヂャ (他の二人に)お前さん達、死人はなんて言ってるね?
耳を済ましてごらん。よーく聞いてみるんだ。
(二人の女は耳をすましている様子。それから否定的に頭を振る)
どうだい、聞いたかい? 風に乗ってこの夕暮れに、死人の声は渡ってきた……
おふくろ 私が言いたいのは……
カディッヂャ (横柄に言葉を遮って)その犬だよ、お前の腹の中にいるその犬さ、
いいかい、私らに噛みつこうっていうその犬にも聞いてやろうじゃないか、
そうすりゃ犬どもだっていけないって言うに決まってら。
犬も、牝馬も、雌鶏だってあひるだって、ほうきも毛玉も、いけないと言ったに違いないさ。
(例の三人の女がおふくろに向かって襲いかかりそうな気配を見せる。
おふくろは出てきた方向に向かって後退する)
そうですかい、結構でございましょう、奥様方。
おっしゃることに嘘偽りはない……嘘偽りはないでしょうとも、
その点については文句のつけようがないってわけだ。
死人も、今おっしゃった通りの返事をした、そうでしょうとも、でもわたしゃ証拠が欲しいね。
自分で直接聞いてやるさ、明日のお昼にね。今日は第一暑すぎる。
それにお前さん方の口を掃除してわんさか出てきた蝿の群れで、
私に入用な分はそろったからね。
(彼女は後退しようとする。しかしカディッヂャと女三人が道を塞ぐ。
後退りしながら、この女達の方が去る)
カディッヂャ そこを動くんじゃないよ。(他の女達に)みんな、見事に泣いてみせるんだよ。
長く、声の続く限りの呻き声を響かせるんだ。声をふるわせて、息も継がずに。
そんじょそこらの死人とはわけが違うんだからね。
ハビバ 死んじまった今、どこが特別に偉いのかね?
(おふくろが高笑いをする)
カディッヂャ (厳しく)私達は、普通の死人とは違う特別の死人の為に泣けという指図を受けたんだ。
(四人の女は後退りしながら去ろうとする。おふくろを一人残して)
その当座は、私は酷く辛いけど、すぐに気を静めるよ。……(おふくろ、また高笑いをする)……
それに、結局私の考えじゃ、なぜだか分からないまま、喜べとか泣けとか言う命令をもらう方が確かに素晴らしいよ。
男達は、私の笑い声や鳴き声を素晴らしくやって欲しいと思う。
私としては、別に悲しい気持ちなんてないんだから---それを背負ってるのは男達さ---
嬉しい気持ちだって同じさ、ありゃしない、
だから、私は自分の仕事に一生懸命になれるってことよ……悠然と落ち着いてね……
おふくろ (突然怒りだし)落ち着いてかい! ええ、さっさと失せるがいい!
その落ち着きとやらにくっついて、墓場まで行くがいいさ。
だが、これだけは言っておこう、いいかい、今夜、夜がふけて、
お前さんが広場に出てこなけりゃ、私は、びっこを引き、こう身体を折り曲げて、
月の光の中、お前さん方の家に一軒一軒忍び込んでやる。
そうしてお前さん方がお休みでしたらね、
必ず夢の中で他でもないお前さん方が牛肉や鶏肉を盗むように、この私が仕向けてやる、
そうとも、毎晩さ。わたしゃお前さん方に向かって百二十七の悪口を、
それぞれ百二十七回繰り返し繰り返し唱えてやろう。
そうともよ、その悪口はどいつもこいつも素晴らしい代物さ。
その悪口で、お前さん方に後光が射そうってもんだ……
(女達は姿を消す。おふくろは振り返り、それに気がつく。
一瞬拍子抜けして、彼女は当たりをぐるぐる回る。
自分の中に大きな力を溜め込もうとしているかのよう。
それから、突然、脚を曲げ、両手を腿に当てて身構え、
女達が消えた方向に向かって怒涛のように犬の咆哮を轟かせる。
それは猟犬の大群を思わせるものだ。
その間に、レイラ登場。おふくろと一緒に吠える。
すると女達が去った方向から、牛の声が聞こえる。
おふくろとレイラは犬の咆哮を再び始め、それからまた止める。
再び、遠くに、牛の呻き声、そして早足で走る蹄の音に似た物音。
しだいに消えていく。
空に大きな月が現れる。
沈黙。
おふくろは振り向き、レイラを見て、彼女に向かって突然吠え出す。
すると、二人の女は、突如として、必死に噛み合おうとする二匹の犬になる。
月は少しずつ移動して消える。
広場を現していた背景はもうない。
二人の女は(おふくろとレイラ)相変わらず吠え続ける)
石灰乳の白色、窓が一つの部屋。後ろに太陽。
部屋には小さな机。その上に吊りランプが灯されている。
女の衣装---絹の緑色のドレス
役場の警吏---黒い背広
笛吹き---黄色いズボン、上半身は裸、裸足、青の帽子
小便をした男---黒いズボン、緑色の靴、ピンクの上着
警官---黒い制服
裁判官---伝統的な正装
二人の守衛は立っている。座っているのは、小便をした男、笛吹き、女である。
役場の警吏が登場すると、全員立ち上がる。
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あの人が神様から直接?
役場の警吏 そうだ。
男 勝訴だ。
役場の警吏 まだ分からん。しかし、待っている間くらい、静かにしたらどうだ。
それとも、棍棒をまたいただきたいのか?
(数秒、真っ暗になる。笛の調べが聞こえる。明かりが戻ってきた時、裁判官がそこに着席しており、笛吹きがその前に立っている)
笛吹き ……ですから正確には乞食をしたんじゃないんでして、私は食うに困ってるわけじゃないし。
警官 (陽気に、舌を鳴らし、指をぱちぱち鳴らしながら)
警察の布告の一つ一つ、ありきたりの書類、警官の中で一番位の低い男、
全てが、全ての人間が、海を越え山を越え、全ての人間が、何もかもがいらいらしていたのです。
(厳しく、弾劾して)この男は町の通りの恥だったのです、閣下。
時によると、鼻の穴の両方に、一本ずつ笛を突っ込みおるのです。
笛吹き (反抗的に)ヴァイオリンの二本の弦を同時に弾いたり、タイピングを両手で打つようなもんです。
警官ってものは---そりゃもちろんお前さんの仕事は俺も尊敬してるがよ---物を理解することなんぞできない。
閣下、あなたの内の神様なら、私のことを理解してくださる。私は鼻の穴で笛をうまく吹けるようになるまで二年かかった。
乞食に誰でもこれだけの芸があるって言うなら、私は乞食をした罪に落とされても結構ですよ。
警官 通行人にとっては、この堅い木の笛が鼻の穴に刺さっているのを見るのは不愉快です。
この男は金を貰うべく公衆に不快の情を与えているのでありますから、乞食をしていたことになるのです。
(断固として)我々の使命は、街路上における物乞い行為の一切を禁止することであり……
裁判官 (優しく)で、彼の吹いていた曲は、素晴らしい曲か?
裁判官 空き地があるのか?
笛吹き まあ、弁解の必要上ですね。
裁判官 (優しく、忍耐強く、少し驚いて)別に、自分の口に笛を突っ込んでも、嫌な気はせんのだろ?
(警官はっきりと苛立つ)
笛吹き へえ、別に。
裁判官 (興味を示して)お前の息は笛を鳴らすのに十分な勢いがあるのだな?
笛吹き そうです、閣下。
裁判官 ではお前は、ただ難しいことばかり追っているわけなのだな?
笛吹き へえ、そうです。
裁判官 そのために、美的にいっそう優れたものを求めようとはしなかったのか?
笛吹き とにかく、初めてなんですぜ、汚らしい鼻の穴から出てくる息が、節になってなったのは、
一つのその・・・・・・メロディーです、小川の流れや、木の葉にそよぐ風の音、それの真似ができたのはね。
私の鼻はあんたの口と同じくらい素晴らしい代物ですよ。私の鼻はまるでハープだ、あんたのなんてただの……
(レイラが片足で跳ねながら傷ついた犬のように吼えつつ登場。
おふくろが恐ろしい勢いで吼えながら追いかけてくる。
おふくろはポケットから石を取り出し、見えなくなったレイラめがけて投げつける。
窓ガラスの割れる音。おふくろは用心深く去る)
私が間違っているというなら、神は自らを罰されるがよい。(進み出た男に向かい)お前の番だ。
(笛吹きは去る、男が前に出る)
警官 (前と同じ、大げさな態度で)昂然たる態度で、と申しますのも、いかにも昂然たる態度で、
彼はフットボール競技場の周囲にある植え込みの若い月桂樹に、小便をしていたのであります。
その昂然たる態度たるや、私が壁に向かってやろうとする時とほとんど変わらんのでありまして……
裁判官 (警官に)私はあがっちまってもうどうにもならん。
(男に)小便をしたというが、その理由を言えるかね?
小便をした男 小便したかったんです。
裁判官 だが、また、なぜその植木にした?
小便をした男 それがそこにあったからです。
裁判官 (興味を示して)今は、別に、したくないか?
小便をした男 へえ、閣下、今は別に。
いい具合に今は小便がしたくないと言う、そうでなかったら、私の足にじゃあじゃあぶっかけることだろうな。
しかしそうなれば、私はお前を裁判になぞかけずに、罰することができる。
人殺しをした奴は殺すまでだ。お前が私の足にじゃあじゃあたれ放題となれば、
私のほうでもお前をびしょびしょに濡らしてやろう、いいな、お前の噴水よりも私の噴水の方が手強いぞ。
何なら二人で、ホースの熱い水合戦をやってもいいが、お前の負けに決まっている。
何しろ、霊感を待っている間に、薄荷の煎じ薬を大きな土瓶にたっぷり一杯は飲んできたからな。
だがしかし、こともあろうに、美しい青春の月桂樹の、すんなりとした右足に向かって用を足すとは何事であるか!
美しい葉の三、四枚は、黄色くしおれてしまったに違いない。(第二の警官に)この男を外へ引き出し、その両足に、小便をたれよ。
(警官は男を退場させるが、彼はその場に残る。女が近づく)
裁判官 (荒っぽく)早くこちらへ来い。神様が出かけてしまう前に、お裁きを下されたいと思うなら、何をしでかしたのか、早く言え。
女 私は何にもしていません、閣下。
警官 何たる嘘吐きか! 閣下、この女は、人の家の戸口に落書きをしたのであります。
裁判官 どんな落書きか?
女 嘘です。
裁判官 どんな落書きだ? 上品なのか、下品なのか?
女 (遠くの物音に耳を澄ます風を装って)ほら……聞こえる? 聞こえるでしょう?
家には乳飲み子がいるのよ……
お前のほうでも私に力を貸してくれなくちゃならん。お前の望む判決を言ってごらん。さあ、ぐずぐずしないで。
女 (ものすごい早口で)棒で十回打たれたいです。
裁判官 (警官に)棒で十五回打ってやれ。
(女は去る、サイッドが近づく)
裁判官 (片手を額に当てて)神様は、どっかへずらかっちまった。跡形もありゃしない。
いったいどこにいる? 別の男の頭の中か? 日向の雀蜂の巣の中か?
それともどっかの鍋に忍び込んで、味を濃くしようってのか?
いずれにせよ、この裁判官様の頭の中からはいなくなっちまって、
もはや私には、芝居の前に役者があがるようなあの興奮も、
震える声もなくなってしまったじゃないか。
サイッド 私はサイッドと申しますが。
裁判官 (不機嫌に)分かってるわ、この間抜け。とっとと帰れ、お裁きは終わりだ。
サイッド 私は盗みを働きましたので、あなた様は私に罰を下さなくちゃならないはずで……
裁判官 どうやって? (自分の頭を叩いて)この中は空っぽなんだよ。
サイッド お願いです。
警官 (せせら笑って)盗みか。こいつの専門は、ご存知でしょうが、職人どもの上着でしてね。
木に引っ掛けてあるのやら、草の上に置いてあるのを失敬する。
何しろこいつは、こっちかと思えばあっち、ぴょんぴょん飛び回って、いい気なもんです。
ところがこいつは、金持ちでもないくせに、一人息子ときた。(サイッドに)どこにあった上着を盗んだんだ?
サイッド そこらにあったやつです。
が、幸いなことに、我々が目を配ってる。木の葉や草むらの中の光った目だぞ、絶対に感情に左右されることはない。
サイッド 償いにお仕置きが頂きたいだけです。
裁判官 気が狂ったのではないか、今に全てのことが変わる時が来ると信じているのではないか?
……シ・スリマーヌが死んだというので頭にきているのか?
だが、私がお前を裁いたとして、それが何になる?
サイッド 私の悪事はどうにも……
裁判官 馬鹿め。そりゃお前には役に立つだろうよ。刑に服した後は、お前の方は変わる---ほんの僅かであってもだ---
しかし、私のほうが一向に変わらんとしたら……
サイッド やってみてくれませんか。そうすれば分かるから……
警官 (裁判官に)償い、償いと、こともなげに言っておりますが、それには裏があるのです。
(サイッドに)今朝、今朝の八時に釈放の命令があった。お前の女房は、今朝、刑務所から出てきて……
裁判官 (警官に)月桂樹に小便をして来い。
警官 ですが……閣下……
裁判官 小便をするんだ。芝生でも枝の中でもどこでもいい、とにかくしろ。
(警官、退場。裁判官は物珍しげにサイッドを見て)
考えてもみてくれ。私は村の裁判官、
しかもその村では恐るべき犯罪がひっきりなしに起こっているというのに、
---(不安になって)いや、それとも、如何なるものにも罪などないのか?---
それが、ここでは、けちな不幸があるだけではないか。全く。私はもううんざりだよ。
頭の中が空っぽなだけ、ますますこの頭は重くなる。
サイッド それで結構です。私はそれでありがたいです、私には何かを誇ろうなんていう気持ちはないんです、
神様が刑務所の扉を私のために開けてくださることなんぞ望みません。それは裁判官様でもできることです。
裁判官 (深刻に)重い扉を開けてまた閉めるだけでいいならな。
だが、私には理由が要る。その理由を見つけるには、探すか、それにしても疲れたし、
さもなければ、お前がした通りのことを私がしなくちゃならん。
お前がそれをした理由を知るか、あるいはお前がしたそれを禁止することができなければならん。
だが、一言で言えば、それを知ることができるのはお前一人なのだ。あるいは神がお前を直接裁かれるか
……神は何もかもお見通し、万能だが、もはやここにはおいでにはならん……
あるいは、お前がお前自身を裁くか、そうなれば、私は何の役にも立たないことになる。
サイッド 一つ重要なことを忘れていらっしゃる。それは、私があなたに給料を支払って、
刑務所の扉を開けたり閉めたりしてもらっていることです。(間)私はそんな裁判を自分一人ではできない。
裁判官 (当惑して)それはそうだ……が、しかし、何とかそこにこぎつけなくちゃならん……
サイッド 誰も本気にしちゃくれません。
お前はしょっちゅう盗みをする、私はお前を刑務所に送り込むだけで、
他の時間などないくらいだ。それで、お前が刑務所に入れば、そこには義務なんぞ何もない。
そうなってしまえば、お前に大事なものなんて一つもないのだ。サイッド、私はお前のために、芝居をしてやろう。
つまり、お前の犯した罪の一つ一つを赦してやるのさ。判決を読み上げる……
サイッド 死刑ですね!
裁判官 (笑いながら)なんにせよ、捕まえてもらうのは他所に行ってした方がいい。
(突然、陰気になって)私は馬鹿じゃない、お前が判決を受ける度に何を手に入れるか、
分かっているのさ。漠然とだが、私にはお前の進む道が分かるのだ。
だが、この私は、判決を下すこの私は、この判決は私をどこに連れて行くのだ?
私は、お前が沈み込もうとする所へお前を沈めてやるだけが能の人間さ、
だがそのお前は、私の何の役に立つ?
そうとも、誰が裁判官の哀れな運命など考えてくれようか! いったい、誰が?
(墓地、右手に杉の木、中央に絵で描かれた墓が一つ、
黒い空に三日月、星座が一つ。小さなじょうろが地面においてある)
口よせの衣装---白い、漠然とした貧しい者の衣装。
そこで止まるんだよ……今お前さんがいる所で、ちゃんと聞こえるよ。
(墓に近付き、墓銘を読む)
シ・スリマーヌ。確かにあの人の墓だ。
(さっきと同じ方を向いて)
こっちだよ! こっちだったら!
いったいお前さんって人は、本当に使い物にならないのかい?
耳が駄目なのかい? 耄碌しきってるんだろう、ええ?
(年老いたアラブ人、マダニが登場)
マダニ わしじゃ気に入らんというのなら、今からでも遅くはない、別の口よせを探して来い。
(ちょっとした間)とにかく、口汚く言うのはよしてくれ。
おふくろ 今は怒ってる時じゃないよ。私はね、一番年をとっていて、一番へたくそな口よせが欲しかった、
誤魔化すのは嫌いだからね。私が、みずみずしいピンクの口をした、白い歯の口寄せなんぞ連れてきた日にゃ
死人(しびと)を手なずけようとしているみたいに思われらあ。そこにお立ち。(マダニ、墓の横に立つ)
私は死人の口になってもらうためにお前を選んだ。
そりゃ、死人の口は土塊やら草の根やら砂利やらで一杯に詰まっているはず。
だが、とにかくお前の言葉じゃないよ、死人の言葉をしゃべる努力をしてもらう。
マダニ 死人がしゃべる事を承知した時、死人のしゃべらにゃならんことは恐ろしいことだ。
もちろん、しゃべるのは私じゃない、あの男だ。
おふくろ もう時間かい?
マダニ (腕時計を見て)ちょうどだ。
とにかくおしゃべりは慎んでもらおうじゃないか。ばあ様も小娘もみんなだ。
暇は取らせないよ。死人の言い分さえ聞きゃいいんだ。
(マダニに)魔法瓶にコーヒーを入れて持ってきてあるからね。後でだよ。
仕度があるんだったら、私は向こうへ行ってるけど?
マダニ (ゆっくりとうずくまって)お前は邪魔にはならん。一番しんどいのは、わしがわしの体から出て行くことだ。
そして、あの男が私の代わりにやってくる。
おふくろ (少し気味が悪くなって)へえ?……でも……出て行くって言うが、どこに行っちまうんだい?
マダニ (しゃがみこむ動作を続けながら)場合によるな……初めにスピードをあげるかあげないかで違ってくる。
時間があると、わしは自分の家の畑を見たり、町の博物館を見たりする。さあ、静かにしてくれ。
(彼は完全に横になり、しばし沈黙した後、静かに呼びかける)
シ・スリマーヌ?……シ・スリマーヌ?……スリマーヌ、……いるか?
答えるのは誰だ?……お前だな、シ・スリマーヌ?……ここにいるのはわしだ……
お前の口だ……お前の不幸な口だ……だが、その口が答えねばならん……
わしが分かるか?……なんだと、もう覚えておらんと?
お前が生きていた時、お前が語った言葉はことごとく、このわしが語ったのだ。
……(沈黙)どんな言葉だと? だから、ことごとくだ……お前が口にしたことは何もかもだ
……いつだったか、お前が道路の管理人に言ったこと、覚えているか? ……そうか、分かったろう、何て言ったな、あの時?
おふくろ お前さんのことが分らないのかい?
……あの日は雨だった。お前はこう言ったんだ。「俺は車庫で雨宿りしていく、それから図面を建築家のところへ持って行くさ……」
(間)ああ、今度はようやく分ったな。よし、ではわしのことが分ったと……(間)わしの匂いはどうだ?……ほれ……
(彼は墓の上に息を吹きかける)正真正銘、お前の口の匂いだな? そうか! そんならいい。では始めよう。
サイッドのおふくろが聞きに来ている。(彼は立ち上がり、おふくろと向かい合い、不動の姿勢で、威丈高に語る)
さあ、話せ。俺に問い掛けるんだ。俺は口だ。お前は俺の言葉を聞きに来た。お前の言い分を言え。何を考えているのか。
(二人は向かい合って、軽蔑的に睨み合う)
おふくろ (疑い深く)お前は確かにシ・スリマーヌの口かい?
口よせ (力を込めて)そうだ。
おふくろ じゃ、お前はどこで生まれた?
口よせ ブー・タニーズで生まれ、アイン・アマールで死んだ。
おふくろ (一瞬まごついて)そうかい。じゃ……お前の傷は? どこをやられたんだ?
口よせ 弾丸を二発、胸に。一発はまだ中に残っている。
おふくろ そうかい……じゃ……正確には何時に死んだんだ?
口よせ (威丈高に)もう沢山だ。十分話したぞ。お前の知りたいことは何だ?
おふくろ そんならいいさ。お前も一筋縄じゃいくまいが、この私だって負けちゃいないからね。
何だってね、お前は村の女達に、私が泣きに来ないようにしろと命令したって言うが、本当かい?
口よせ 本当だ。
おふくろ (怒って)しかしお前だって知ってたはずだろう、私が泣き女だってことは。
私が一等優秀な泣き女の一人だってことは。
おふくろ (怒って)サイッドはどこから生まれたんだよ、私の腹かい、お前の腹かい。
それに私の腹が他の女と同じ腹をしてないってのか、
他の母親達と同じ母親じゃないってのかい?
口よせ 俺は死んではいたが、まだ埋葬されていなかった。俺は相変わらず村の人間だった。
髪の毛の中に、足の裏に、腰に、俺はあの時まだ、村の男や女達と同じ、あのむず痒い感じがしていたんだ。
おふくろ (不安になって)じゃ今は……もう体の掻けなくなった今では?
口よせ だいぶ減った。土の重みにもかかわらず、俺ははるかに軽くなったような気がする。
俺は煙のように消えようとしているんだ。お前はそれを待たずに、今夜来てよかった。
俺の中の水分は全て、樫の木の葉脈の中に移動している最中さ。
俺は俺の国をさ迷い歩き、お前のことも、他の奴らと区別がつかなくなるだろうよ。
おふくろ (途方もない大声で叫び)ああ! ああ! ああ!
口よせ ……そして、お前の足の指の間にたまっている垢も、一部は俺の腐った体から生まれたもの……
おふくろ (勝ち誇って、最初出てきた方に向かって)
どうだいお前さんたち、束になってそろってるスベタども、今のを聞いたかい、死人の言葉を。死人が私にどんな風に話し掛けるか。
(口よせに)北に、東に、南に、西に、海の方、山の方、いたる所で、私達を取り囲むあらゆる場所で夜が立ち上がるのさ。
スリマーヌ、数限りない丘とともに膨れ上がる、そして私達を見つめている丘の斜面には、
幾千、幾十万の女どもが胸をときめかせて待っている、お前が地面から出てくるのを見ようと、
お前が土の中からむっくと立ち上がり、私に罵詈雑言を浴びせるのをだ。でも、お前さんは……承知してくれるね、私が泣くのを……
承知してくれるんだね? 私が他の女と同じだってこと、お前さんが認めてくれるんだね?
おふくろ はっきりしたよ、でも私は、私があそこにいる女どもと同じなんて言うつもりはなかったさ。
(指差して)あの女ども。ただ、私だって、地面の下で腐っていくものを繋いでるってことを言いたかっただけだよ……
口よせ その上でお前は腐敗していく……人の話じゃそうだな……
おふくろ (笑いながら)つまりお前さんも私と同じ汁の中で醗酵しているってこと? そうなのかい?
口よせ いずれにせよ、お前がどうしてそんなに俺のために泣きたいのか、俺には分からん。
おふくろ ああ、その点は安心しな。お前さんが死んで悲しんでるわけじゃない、私はね。むしろ歌うように泣いてやろうってだけのことさ。
あの乙にすました女どもは、私を儀式から追い出した。わたしゃね、あんな女どもも、儀式も糞喰らえさ。
ただね、私は自分が一番強くなってやるって誓ったのさ。女どもは私の様子をうかがっている。
待っているのさ---あの売女どもは---私が赤っ恥をかかされるのを。あの売女ども、こう言ってる、
生きた人間のところから追い立てられて、また死人の国の入り口からも追い立てを食おうってんだ。
口よせ だがいったい何になる、お前が死人の国の入り口に来たからって?
おふくろ (一瞬狼狽して)ああ、つまりあんた方は手を握っているってわけだね、
私の思い違いでなければ……お前さんは忘れてはいないんだ。
砂利の下に入れられても、前には生きた人間だったことがある、そして誰とは付き合いがあって……
口よせ (意地になって)いったい何になるんだよ、お前が死人の国の入り口に来たからって?
おふくろ そうして、お前の葬式も、生きた人間としてのお前の人生の一部なんだ、
殺される直前にやっていたことと同じさ。
口よせ いったい何になるんだ、お前が死人の国の入り口に来たからって?
口よせ (逆上して)お前こそ、無礼だぞ、こんな真夜中に俺を叩き起こし、俺を墓から引きずり出しておきながら。
俺はお前の話を聞いた。お前にごたくを並べさせてやった。
おふくろ わたしゃ、友達として来たんだよ。
口よせ (厳しく)馬鹿な冗談はよせ。お前は傲慢な女としてやってきた。
泥棒の母親、醜く阿呆で泥棒の嫁の姑だ。
二人の哀れと悲惨は、お前の肌にこびりついてはいないのか?
そうじゃない。その悲惨は、お前の哀れな骨の上に張ったお前自身の皮だ。
村の通りをさ迷い歩くのは、丈夫な骨の上に張り伸ばした悲惨さのマントだ。
いや……(嘲笑して)大して丈夫な骨じゃない。村はお前などごめんだと言う。じゃ、死人たちは? 全くだ!
死人たちともあろうものが、お前のことを正しいとし、その上あのご婦人方をやっつけてくれると思うのか?
おふくろ (ぶっきらぼうに)そう思っていたよ。
口よせ (嘲笑して)死人たちは、もちろん、最後の手段さ。生きている奴らがお前の顔に唾を吐く。
だが死人たちはその黒だか白だかの大きな翼でお前を包んでくれる。
その翼に包まれていれば、お前たちは、足で歩いている奴らを鼻の先であしらえるってわけか?
だがな、地面の上を歩く奴らは、すぐに地面の中に入っちまうんだ。つまり同じ奴らが……
おふくろ (言葉を遮って)私はお前さんがどうなったかなんて聞きたくもない。
私が話をしたいと思ったのはかつてこの世に生きていたことのある人とだよ。
もしお前さんが私に泣いて欲しくないなら、早くそう言っておくれ、
わたしゃ寒くなってきた、寒がりなんでね……
同じ理由で死人にも愛されることはないだろうよ。我々死人は生きている人間達の正式な保証人だからな。
(間)真夜中の十二時だぞ! こんな時間に俺を叩き起こす! ひどく疲れる命をまた俺に与えようという!
さあ、女どもの所へ、村の男どもの所へ行け! お前たちのことは、お前たちの間でけりをつけろ!
おふくろ 私は断固として頑張るね。(と、腰に拳をあてがって)断じて、サイッドもレイラも手放すものか
---これは、お前さんにしか言わないよ、そうさ、この墓場の夜の中でね、
だってさ、二人とも、わたしゃ癪にさわってならないことが再々だからね---
私は、お前さんのために泣くことを諦めないよ。
口よせ (怒って)俺が断ったら?
おふくろ (同じく)じゃ、お前をからかうために、そうとも、あのご婦人方やお前の方で何と言おうと
私がお前さんのためにわあっと泣き出したらどうするのさ?
口よせ そうなれば、俺も本当に墓の中から、墓穴の中から飛び出して……
おふくろ そんな勇気があるのかい? (やがて落ち着きを取り戻して)
お前さんに、私に恥をかかせるだけの勇気があるってのかい? 聞き耳を立てているあのご婦人方の前で?
私は、お前が誰に暗殺されたかなんて知りもしなけりゃ知ろうとも思わないさ。だがね、いかにもそうされるだけのことはあるよ、
ドスでやられたか鉄砲でやられたか知らないけどね、こんな年寄りの女を脅迫しようって根性だからね。
私は無性に腹が立ったからこそここへやってきたのさ。シ・スリマーヌ。腹が立ったよ---それこそ気が違いそうに逆上したのさ---
そうとも、逆上した勢いで、私はお前の腕の中へ、お前の所へ無我夢中でとんできた、まさに逆上ってもんだ、それ以外の何物でもないさ。
口よせ どうしてお前が死人に質問をしに来たのか、俺には分からん。
腹が立ったからやってきたんだ。どこへ行くところがあるかね、墓地の真中以外に。
口よせ お前と話していると疲れる。お前の逆上のほうがよっぽど激しい……
おふくろ お前さんの死よりもかい?
口よせ いいや。だがとにかく帰ってくれ。こんな風に生きてる人間と話すのは難しいことだ。
しかもよりによってお前のような生きのいい人間が相手じゃな。ああ……もしお前が……
おふくろ 墓穴に足を引っ掛けてたら、かい? お前さんの墓穴なら承知だよ、だが私の墓じゃ、まだごめんだね。
口よせ (突然疲れきって)いや、違うんだ、そこまでは望まない。ただ、もうほんの……少し……ほんの少しでいいから体の具合でも悪けりゃいいんだ。
ところがお前はそこにいて、喚き散らし、暴れ回る……(肩をすぼめて)……自分の為に死人を甦らせようなどと言うんだ。
(あくびをして)そんな芸当は、大きな祭りの時だって、大事になっているのに……
おふくろ (急に慎ましやかになって)内緒にしておくから、お前さん、私がお前さんのために、
あそこで、あの月の下で泣くのは嫌かい?
口よせ (大きなあくびを続けて)俺の耳の穴でもごめんだな。
(間。だるそうに)死というものがどんなものか、話して聞かせようか?
死の世界ではどうやって生きていくか?
おふくろ 興味はないね。
口よせ (ますますだるそうに)そこでごろごろ言うのが何だか……
お前さんはお前さんの死を生きるんだね。私は私の命を生きる。
泣いてもらうの……本当にお前さん、嫌かい?
口よせ 嫌だね。(間)もうとても駄目だ。
(マダニ、突然倒れて眠ってしまう)
おふくろ (両手を合わせて絶叫して)シ・スリマーヌ!
(彼女は近寄って、彼を見つめ、うんざりしたように彼を足で押す)
もういびきをかいてる。お前さんが死人の国にいってまだ間もないって事、よく分かるよ。
口よせを三分以上しゃべらせることはとてもできない。
自分がここの者でもあっちの者でもない、こっち側でもあっち側でもないって、私に言うだけの時間だ。
(笑う)こんな死にたての、弱虫のために、昨日、泣きに来なくてよかったよ。全く。
(じょうろを取って地面に水を撒く、それから踊りながら鼻歌混じりに、土を踏み固める。肩をすぼめて)
どうだい、町の博物館を見物中かい! (彼女は向き直って、出てきた方に向かって進もうとするが、突然、息を呑んで、立ち止まり)
あん畜生! 糞婆! スベタども! 丘はどいつもこいつも逃げちまったじゃないか。
私らの様子をうかがっていたあの女どもも丘と一緒にずらかりやがった。草の匂いの中を消えちまったよ! どこに行ったんだ?
ひとかたまりになって、壁の後ろで薄気味悪い暗がりを余計に濃くするためかい?
まったいらになっちまったよ、夜は。空の下で。まったいらだ。糞婆ども、立っている勇気がなくて帰っちまった。
私は一人きり、そして夜はまったいら……(突然荘厳に)そうじゃない、夜は立ち上がったんだ。
夜は膨れ上がったのさ。牝豚の乳房のように……幾十万の丘を伴って……
殺し屋達が地上に舞い降りてくる……空だってね、間抜けじゃないさ、空が奴らを隠してくれる……
マダニ (目を覚まして)コーヒー入れられるか?
この男に、どうして死んだのか、それさえ聞かなかったじゃないか。
(マダニに向かって)さあ、お前さんのコーヒーだ、お飲み。