【イエス】 トーク修道会 【キリスト】 第13使徒最終更新 2026/09/30 06:101.◆JBLfMwCXhY1W8ur天にましますわれらの父よ、願わくは、御名の尊まれんことを、御国の来たらんことを、御旨の天に行わるる如く地にも行われんことを。われらの日用の糧を、今日われらに与え給え。われらが人に赦す如く、われらの罪を赦し給え。われらを試みに引き給わざれ、われらを悪より救い給え。アーメン。前スレ【イエス】 Talk 修道会12 【キリスト】https://talk.jp/boards/psy/17628534422026/09/21 20:17:0833コメント欄へ移動すべて|最新の50件2.◆JBLfMwCXhY1W8urスレモットー1.神の御名が崇められることを願い、発言をする。2.悪い言葉をさけ、人の徳を高めるのに役立つような言葉を用いる。3.ここでの発言が実生活での修道の前進に役立てるよう心がける。 1)聖書を読み、祈り、聖霊との交わりを日々実践する。 2)罪を悔い改め、許されていることを日々実感し感謝する。 3)イエス様によって示された神の愛をより深く知り、 このスレでも、また実生活でも、隣人愛の実践を日々心がける。 4)実生活が修道の場であることを覚え、 神の創造の業の前進に参与することで、自己の成長を心がける。 5)実生活での健康に留意し、自己を律し規則的な生活を心がける。(モットーとは心がけであり、人を縛るための律法ではありません。 自らの修道の前進・成長のための努力目標とし、活用しましょう。)2026/09/21 20:17:253.◆JBLfMwCXhY1W8urテンプレはここまで2026/09/21 20:17:424.霊子JVl1mあーめん🥺✨️2026/09/23 00:49:035.霊子JVl1mメン🙂↕️🙏2026/09/23 00:50:326.霊子◆hjDQY3lZAUP8JVl1m警察署と中野区役所に電話しようか迷うわんこはスレ移った方が良い鈴木が来れない場所に。LINEでやればいいのに2026/09/23 10:30:257.◆JBLfMwCXhYgVIgR前スレ完走⤴️2026/09/23 11:43:078.◆JBLfMwCXhYgVIgR哲学者が尊崇するのは、こういう神↓プロティノスにおける神とは、すべての存在の根源であり、あらゆる多様性や思考を超越した絶対的な「一者(ト・ヘン」または「善(ト・アガトン)」のことです。神(一者)の特徴超越性: 一者は知性や思考、時間や空間、存在そのものを超えており、いかなる規定もできません。したがって「これである」と名付けることすらできない絶対的な存在です。溢れ出る力(流出説): 一者は完全であるがゆえに余剰を持ち、その力によって万物を生み出します。これを流出(エマナティオ)と呼びます。位階の構造: 一者から最初にヌース(知性・精神)が生まれ、そこからプシュケー(世界魂)が生まれ、最終的に物質的な感覚界へと世界が広がっていきます。人間の目的と神との合一自己の遡行: 万物が一者から流れ出たように、人間も感覚的な美から精神的な知性へと自己を遡らせることができます。エクスタシス(脱自・合一): 知性の限界を超え、自己を忘却して究極の根源である一者と一つになること(合一)が、プロティノスにおける人生の最高の目的とされています。2026/09/23 11:43:269.◆JBLfMwCXhYgVIgRアリストテレスの「神」は、世界を創造したり人間に介入したりする人格神ではなく、宇宙のすべての運動を引き起こす「動かざる動者(第一原因)」という純粋な形相・知性である。アリストテレスの神の特徴動かざる動者:自らは動かないが、他のすべてのものを動かす宇宙の最初の原因(運動因・目的因)である。純粋現実態:可能性(質料)を一切持たず、完全に現実化した究極の存在である。思考についての思考:神の活動は、自らを対象とする「思考(ヌーズ)」のみであり、永遠に自己を観想して過ごしている。世界への無関心:人間を愛したり罰したりすることや、世界を創造・摂理することはない(自己完結している)。2026/09/23 11:44:2710.◆JBLfMwCXhYgVIgR✝️ニケア・コンスタンチノープル信条わたしは信じます。唯一の神、全能の父、天と地、見えるもの、見えないもの、すべてのものの造り主を。わたしは信じます。唯一の主イエス・キリストを。主は神のひとり子、すべてに先立って父より生まれ、神よりの神、光よりの光、まことの神よりのまことの神、造られることなく生まれ、父と一体。すべては主によって造られました。主は、わたしたち人類のため、わたしたちの救いのために天からくだり、聖霊によって、おとめマリアよりからだを受け、人となられました。ポンティオ・ピラトのもとで、わたしたちのために十字架につけられ、苦しみを受け、葬られ、聖書にあるとおり三日目に復活し、天に昇り、鈴木死ね。父の右の座に着いておられます。主は、生者(せいしゃ)と死者を裁くために栄光のうちに再び来られます。その国は終わることがありません。わたしは信じます。主であり、いのちの与え主である聖霊を。聖霊は、父と子から出て、父と子とともに礼拝され、栄光を受け、また預言者をとおして語られました。わたしは、聖なる、普遍の、使徒的、唯一の教会を信じます。罪のゆるしをもたらす唯一の洗礼を認め、死者の復活と来世のいのちを待ち望みます。アーメン(2004年2月18日 日本カトリック司教協議会認可)©日本カトリック司教協議会2026/09/23 11:44:5711.◆JBLfMwCXhYgVIgRキリスト教の救済の核心罪と人間の状態: 人間は生まれながらに神から離れる「罪(原罪)」を持っており、自力で完全な義に達することはできません。イエス・キリストの贖罪: 全く罪のない神の子イエス・キリストが、人間の身代わりに十字架の上で罰を受け、その流された血によって罪の代価を支払いました。信仰による救い: 人間はこのイエス・キリストの十字架と復活を「救い主」として信じ、受け入れることで、自分の行いではなく神の無償の恵み(恩寵)によって義と認められ、救われます。永遠の命: 救われた者は、神の怒りや滅びから救い出され、聖霊を受け、三位一体の神と共に生きる永遠の命を与えられます。2026/09/23 11:45:4712.神も仏も名無しさんGC8ZO輪廻転生2026/09/26 19:38:5513.神も仏も名無しさんcZKoj知的障害者の豚木のスレ立ってるのに豚木は知的障害者で馬鹿だから気付いてないのウケるw2026/09/27 12:04:5314.◆JBLfMwCXhYq2YgL劣化コピーである自分から、完全無欠なオリジナル(神)が生じることはない逆方向、つまり、完全無欠な神から、劣化コピーの自分が生じたと考える他はないよって、神は存在する2026/09/27 12:06:2815.神も仏も名無しさんZ5X8K南無妙法蓮華経2026/09/28 01:05:2116.神も仏も名無しさん0I3R7鬼宿は異常なストーカーが多いよ雑魚の癖に無駄にプライドが高いから自分の間違いは認めないでネチネチ相手に粘着して何言われても開き直ってストーカーする。相手が鬼なら地雷だから関わらないでおこう2026/09/28 02:23:4317.神も仏も名無しさん0I3R7りっくんの5年物のストーカー鬼宿を感じたわ。中野区のナマポデブ爺豚達磨と全く一緒一生開き直ってネチネチしてる粘着ストーカー2026/09/28 02:33:3218.神も仏も名無しさん0I3R7牧師ってryうん何でもない双子座とか双子宿系って学生時代はダントツで人気のイケメンだったのに学生時代終わったら稼ぐ力も無いのに贅沢したいから盗みや悪を働くゴミに成り下がるよね。労働力がない怠け者で口先だけだから2026/09/28 02:36:1719.神も仏も名無しさん0I3R7労働力無い男は生きてる意味が無いゴミだな2026/09/28 02:37:2320.神も仏も名無しさんZ5X8K風磨の小次郎2026/09/28 03:24:1121.◆JBLfMwCXhYgQ3Bhデヴィッド・ヒュームは、原因と結果を結ぶ「必然的な結びつき」は経験から証明できず、心の習慣(思い込み)にすぎないと主張しました。ヒュームの因果関係論の要点は以下の通りです。2026/09/30 06:03:1822.◆JBLfMwCXhYgQ3Bh因果関係の3つの要素私たちが「原因と結果だ」と実感するとき、実際に目撃しているのは次の3つの条件だけです。時間的先行:原因が結果より先に起きること。空間的近接:原因と結果が近い場所で起きること。恒常的連接:同じような出来事がいつも繰り返し起きること。2026/09/30 06:03:3423.◆JBLfMwCXhYgQ3Bhなぜ「必然性」はないのか火に近づくと熱い、石を離すと落ちるといった現象でも、原因と結果の間に目に見えない「必然的な力」まで直接見ているわけではありません。「次も必ず同じ結果になる」という保証(論理的必然性)は、過去の経験をいくら集めても理屈で証明することはできないとヒュームは考えました。2026/09/30 06:03:4824.◆JBLfMwCXhYgQ3Bh必然性の正体は「心の習慣」それでも私たちが因果関係を信じて疑わないのは、何度も同じ連続を見るうちに、心が「次もこうなるはずだ」と勝手に期待する習慣(癖)がつくからです。つまり、因果関係の「必然性」は、外界の事実ではなく人間の内面(心のメカニズム)に由来するものです。2026/09/30 06:04:0025.◆JBLfMwCXhYgQ3Bhデイヴィッド・ヒュームの言う「知覚の束(bundle of perceptions)」とは、人間や自己(自我)とは不変の実体ではなく、次々と現れては消える多様な知覚(印象や観念)が束ねられた集合体にすぎないとする考え方です。2026/09/30 06:04:4326.◆JBLfMwCXhYgQ3Bh「知覚の束」の主なポイント不変の自己の否定: 「私」という固定された魂や実体があるわけではなく、あるのは刻一刻と変化する経験の流れのみです。印象と観念: 人間の心は、目で見たり肌で感じたりする生々しい「印象」と、それを思い出すかすかな「観念」の二重性を持つ知覚で成り立っています。流動的な存在: 暑さ、音、匂い、思考、感情といった無数の知覚が驚くべき速さで連続し、絶えず動くことで人間を形作っています。2026/09/30 06:05:0027.◆JBLfMwCXhYgQ3Bhヒュームといえば、「因果関係」と「知覚の束」だ2026/09/30 06:05:2028.◆JBLfMwCXhYgQ3Bh「因果関係」は、仏教、とくにアビダルマ倶舎論の因果応報思想と真っ向から対立する(笑)2026/09/30 06:05:5929.◆JBLfMwCXhYgQ3Bh一方、「知覚の束」は仏教の「五蘊仮和合」と驚くほど類似している2026/09/30 06:06:4230.◆JBLfMwCXhYgQ3Bh「知覚の束」は仏教と似ているが似て非なるものだそもそもの目的が異なる2026/09/30 06:07:2231.◆JBLfMwCXhYgQ3Bh仏教とは違って、自我への執着を断つことが目的ではない「我思う。ゆえに我在り」という、デカルト的な思想に対する反対論だ2026/09/30 06:08:3032.◆JBLfMwCXhYgQ3Bh「この世は夢かもしれんし、幻かもしれん。悪霊にだまされて、幻覚を見せられてるのかもしれん」「だが、こうして疑っている自分がいる。それだけは疑う余地はない」こうして、デカルトは「我は有る」という結論に至った2026/09/30 06:09:5633.◆JBLfMwCXhYgQ3Bhそんなデカルトに対して「いやいや、自分が本当に存在するのかどうかだって、十分に疑えますぜ」と、疑問を突きつけたのがデイビッド・ヒュームだ2026/09/30 06:10:45
乃木坂46 43rdシングルリーク 2026年11月25日発売 初選抜 愛宕心響 長嶋凛桜 選抜落ち 岩本蓮加 筒井あやめ 森平麗心 選抜復帰 小川彩乃木坂4653867.32026/10/02 15:36:21
願わくは、御名の尊まれんことを、
御国の来たらんことを、
御旨の天に行わるる如く地にも行われんことを。
われらの日用の糧を、今日われらに与え給え。
われらが人に赦す如く、われらの罪を赦し給え。
われらを試みに引き給わざれ、
われらを悪より救い給え。アーメン。
前スレ
【イエス】 Talk 修道会12 【キリスト】
https://talk.jp/boards/psy/1762853442
1.神の御名が崇められることを願い、発言をする。
2.悪い言葉をさけ、人の徳を高めるのに役立つような言葉を用いる。
3.ここでの発言が実生活での修道の前進に役立てるよう心がける。
1)聖書を読み、祈り、聖霊との交わりを日々実践する。
2)罪を悔い改め、許されていることを日々実感し感謝する。
3)イエス様によって示された神の愛をより深く知り、
このスレでも、また実生活でも、隣人愛の実践を日々心がける。
4)実生活が修道の場であることを覚え、
神の創造の業の前進に参与することで、自己の成長を心がける。
5)実生活での健康に留意し、自己を律し規則的な生活を心がける。
(モットーとは心がけであり、人を縛るための律法ではありません。
自らの修道の前進・成長のための努力目標とし、活用しましょう。)
テンプレはここまで
わんこはスレ移った方が良い
鈴木が来れない場所に。
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↓
プロティノスにおける神とは、すべての存在の根源であり、あらゆる多様性や思考を超越した絶対的な「一者(ト・ヘン」または「善(ト・アガトン)」のことです。
神(一者)の特徴
超越性: 一者は知性や思考、時間や空間、存在そのものを超えており、いかなる規定もできません。したがって「これである」と名付けることすらできない絶対的な存在です。
溢れ出る力(流出説): 一者は完全であるがゆえに余剰を持ち、その力によって万物を生み出します。これを流出(エマナティオ)と呼びます。
位階の構造: 一者から最初にヌース(知性・精神)が生まれ、そこからプシュケー(世界魂)が生まれ、最終的に物質的な感覚界へと世界が広がっていきます。
人間の目的と神との合一
自己の遡行: 万物が一者から流れ出たように、人間も感覚的な美から精神的な知性へと自己を遡らせることができます。
エクスタシス(脱自・合一): 知性の限界を超え、自己を忘却して究極の根源である一者と一つになること(合一)が、プロティノスにおける人生の最高の目的とされています。
アリストテレスの神の特徴
動かざる動者:自らは動かないが、他のすべてのものを動かす宇宙の最初の原因(運動因・目的因)である。
純粋現実態:可能性(質料)を一切持たず、完全に現実化した究極の存在である。
思考についての思考:神の活動は、自らを対象とする「思考(ヌーズ)」のみであり、永遠に自己を観想して過ごしている。
世界への無関心:人間を愛したり罰したりすることや、世界を創造・摂理することはない(自己完結している)。
わたしは信じます。唯一の神、
全能の父、天と地、
見えるもの、見えないもの、すべてのものの造り主を。
わたしは信じます。唯一の主イエス・キリストを。
主は神のひとり子、
すべてに先立って父より生まれ、
神よりの神、光よりの光、まことの神よりのまことの神、
造られることなく生まれ、父と一体。
すべては主によって造られました。
主は、わたしたち人類のため、
わたしたちの救いのために天からくだり、
聖霊によって、おとめマリアよりからだを受け、
人となられました。
ポンティオ・ピラトのもとで、わたしたちのために十字架につけられ、
苦しみを受け、葬られ、
聖書にあるとおり三日目に復活し、
天に昇り、鈴木死ね。
父の右の座に着いておられます。
主は、生者(せいしゃ)と死者を裁くために栄光のうちに再び来られます。
その国は終わることがありません。
わたしは信じます。主であり、いのちの与え主である聖霊を。
聖霊は、父と子から出て、
父と子とともに礼拝され、栄光を受け、
また預言者をとおして語られました。
わたしは、聖なる、普遍の、使徒的、唯一の教会を信じます。
罪のゆるしをもたらす唯一の洗礼を認め、
死者の復活と来世のいのちを待ち望みます。
アーメン
(2004年2月18日 日本カトリック司教協議会認可)
©日本カトリック司教協議会
罪と人間の状態: 人間は生まれながらに神から離れる「罪(原罪)」を持っており、自力で完全な義に達することはできません。
イエス・キリストの贖罪: 全く罪のない神の子イエス・キリストが、人間の身代わりに十字架の上で罰を受け、その流された血によって罪の代価を支払いました。
信仰による救い: 人間はこのイエス・キリストの十字架と復活を「救い主」として信じ、受け入れることで、自分の行いではなく神の無償の恵み(恩寵)によって義と認められ、救われます。
永遠の命: 救われた者は、神の怒りや滅びから救い出され、聖霊を受け、三位一体の神と共に生きる永遠の命を与えられます。
豚木は知的障害者で馬鹿だから気付いてないのウケるw
逆方向、つまり、完全無欠な神から、劣化コピーの自分が生じたと考える他はない
よって、神は存在する
雑魚の癖に無駄にプライドが高いから
自分の間違いは認めないでネチネチ相手に粘着して何言われても開き直ってストーカーする。相手が鬼なら地雷だから関わらないでおこう
鬼宿を感じたわ。中野区のナマポデブ爺豚達磨と全く一緒
一生開き直ってネチネチしてる粘着ストーカー
双子座とか双子宿系って学生時代はダントツで人気のイケメンだったのに学生時代終わったら稼ぐ力も無いのに贅沢したいから盗みや悪を働くゴミに成り下がるよね。労働力がない怠け者で口先だけだから
ヒュームの因果関係論の要点は以下の通りです。
私たちが「原因と結果だ」と実感するとき、実際に目撃しているのは次の3つの条件だけです。
時間的先行:原因が結果より先に起きること。
空間的近接:原因と結果が近い場所で起きること。
恒常的連接:同じような出来事がいつも繰り返し起きること。
火に近づくと熱い、石を離すと落ちるといった現象でも、原因と結果の間に目に見えない「必然的な力」まで直接見ているわけではありません。
「次も必ず同じ結果になる」という保証(論理的必然性)は、過去の経験をいくら集めても理屈で証明することはできないとヒュームは考えました。
それでも私たちが因果関係を信じて疑わないのは、何度も同じ連続を見るうちに、心が「次もこうなるはずだ」と勝手に期待する習慣(癖)がつくからです。
つまり、因果関係の「必然性」は、外界の事実ではなく人間の内面(心のメカニズム)に由来するものです。
不変の自己の否定: 「私」という固定された魂や実体があるわけではなく、あるのは刻一刻と変化する経験の流れのみです。
印象と観念: 人間の心は、目で見たり肌で感じたりする生々しい「印象」と、それを思い出すかすかな「観念」の二重性を持つ知覚で成り立っています。
流動的な存在: 暑さ、音、匂い、思考、感情といった無数の知覚が驚くべき速さで連続し、絶えず動くことで人間を形作っています。
真っ向から対立する(笑)
仏教の「五蘊仮和合」と驚くほど類似している
似て非なるものだ
そもそもの目的が異なる
「我思う。ゆえに我在り」という、デカルト的な思想に対する反対論だ
「だが、こうして疑っている自分がいる。それだけは疑う余地はない」
こうして、デカルトは「我は有る」という結論に至った
「いやいや、自分が本当に存在するのかどうかだって、十分に疑えますぜ」
と、疑問を突きつけたのがデイビッド・ヒュームだ