【ヨーガ】 インドの瞑想宗教 【ヴェーダンタ】 Part2最終更新 2026/05/01 04:581.◆JBLfMwCXhYtWt0j哲学と宗教の本場インドの教えを学ぼう前スレ【ラマナ・マハルシ】インドの宗教哲人【ラーマクリシュナ】https://talk.jp/boards/psy/16894892092026/04/05 15:58:28362コメント欄へ移動すべて|最新の50件313.神も仏も名無しさんSH5LE私はそういうのは全くないな、透析で血圧低めでその後レントゲン撮った時に深呼吸したら失ってヘタレこんだ位かな。インドだと余興のひとつになっていて、祭りの時に信仰歌唄って踊って極まって不動になる、芸としてやる人が結構いるという、ラマクリシュナさんの時代からいたようだから2026/04/17 07:31:23314.神も仏も名無しさんwfftZ金曜日の朝はムイムイ😀2026/04/17 13:15:22315.◆JBLfMwCXhYJpofz意識が飛ぶことはないな~2026/04/18 06:58:08316.神も仏も名無しさん7FMkX仏教は基本、判断力という智慧がテーマだろうからなー他の宗教、そういう要素が減るま、山伏&念仏、神仏習合コースになると判断力は重要にはあまりならないだろうけど、😀2026/04/18 08:29:44317.神も仏も名無しさんiTiXC山伏念仏ムイムイ😀2026/04/18 08:32:31318.神も仏も名無しさん3MbbDカタムリタの中で歌っている歌詞はとても好きなものはあるな、あなたは赤かったり青かったり、時には無色透明だったりする、そんなあなたに魅了されて、私の人生は台無しだ、とか恋愛の対象に訴えるような接し方だね、私はそこまでの女々しさにはついては行けないが、そんなやり方があるんだねえと思った2026/04/18 09:12:53319.◆JBLfMwCXhYUF5rmカタムリタ?2026/04/18 09:14:14320.◆JBLfMwCXhYUF5rm「カタムリタ(Kathamrita)」とは、19世紀インドの聖者シュリ・ラーマクリシュナの教えや対話を記録した『ラーマクリシュナ・カタムリタ』(『ラームクリシュナと対話』)を指す言葉です。2026/04/18 09:14:31321.◆JBLfMwCXhYUF5rm主なポイントは以下の通りです。意味:「神の言葉のネクタル(甘露)」や「聖なる対話」を意味し、弟子マヘンドラナート・グプタ(M.)によってベンガル語で記録された。内容:ラーマクリシュナが弟子や参拝者と交わした日常的な対話の中で、神の存在やスピリチュアルな真理を、誰にでもわかるたとえ話で説いたもの。重要性:ベーダーンタ哲学の真髄を日常レベルで学ぶための最高峰の書籍の一つとして、世界中で親しまれている。日本ヴェーダーンタ協会などのウェブサイトでも、この教えに関する解説や特集が掲載されています。2026/04/18 09:15:01322.◆JBLfMwCXhYUF5rmベンガル語なのか2026/04/18 09:15:19323.◆JBLfMwCXhYUF5rmラーマクリシュナ用語なんだな2026/04/18 09:17:21324.◆JBLfMwCXhYUF5rmどうりで、聞いたことないわけだ2026/04/18 09:17:38325.神も仏も名無しさん7FMkXノリ的にはイエス・キリスト路線を感じるな?😀2026/04/18 09:19:16326.神も仏も名無しさんiTiXCイエスムイムイ😀2026/04/18 09:23:58327.◆JBLfMwCXhYUF5rmPee Le Re Avadhutこの歌は、Sri Ramakrishnaの前でしばしば歌われ、神を悟った魂(アヴァドゥータ)が味わう霊的な酩酊や至福を表現するためのものでした。https://youtu.be/gkGHQs2ajds?si=WIIv1VaoSZSNRg9d2026/04/18 09:41:43328.◆JBLfMwCXhYUF5rm「Pee Le Re Avadhut」は、Sri Ramakrishna Kathamritaに言及される北インド系のバジャン(宗教歌)ですが、正確な公式歌詞は版や伝承によって異なり、完全一致のテキストは公開されていないことが多いです。ただし一般に歌われている代表的な形は以下の通りです👇(一部抜粋・代表形)「Pee Le Re Avadhut」歌詞(ヒンディー)意味(ざっくり)「アヴァドゥートよ、神の愛の杯を飲みなさい」「この世界はマーヤ(幻想)だから、神の名という宝を受け取りなさい」「神の名(ラーマなど)に酔いなさい」つまり、神への愛に“酔う”こと=解脱への道という、バクティ(信愛)思想を表しています。2026/04/18 09:42:06329.神も仏も名無しさん3MbbD協会の日本語訳は、ラマクリシュナミッションの坊さんがベンガル語から英語に訳したものからの日本語訳だよ、日本人のラマクリシュナミッションの坊さんだった人が、ベンガル語から日本語に翻訳した本もある。2026/04/18 09:48:33330.神も仏も名無しさん3MbbD結構な日常を話していて、ラマクリシュナさんが幾らか若い頃、まだ汽車がなくてドッキネッショルが歩く修行者の社会生活者の少ないいい休憩場所だった頃に、そのころはパラマハンサが部屋に集まって議論に花が咲いたと言っていて、その時赤痢で下痢をしていたラマクリシュナさんは部屋の隅でおまるに座って話に参加していたとか、いい光景だなと思った2026/04/18 09:58:23331.◆JBLfMwCXhYJpofzベンガル語を翻訳できる人もいるんだな2026/04/18 19:07:33332.◆JBLfMwCXhYJpofzこの分野は、日本語の資料が少ない2026/04/18 19:07:52333.◆JBLfMwCXhYJpofzAIも、明らかに英語サイトに依存している2026/04/18 19:08:40334.◆JBLfMwCXhYJpofzまあ、ベンガル語、ネパール語、ヒンディー語この3つは似たような言語だが2026/04/18 19:09:36335.◆JBLfMwCXhYJpofzどれかが解れば、あとの2つも解るだろう2026/04/18 19:10:17336.神も仏も名無しさんQrnNI>つまり、神への愛に“酔う”こと=解脱への道という、バクティ(信愛)思想を表しています。仏教含め、どの宗教にもそういう酔うという霊的な表現はあるなー瞑想系統仏教は、如実知見が入るので自己心理洞察込みになる、ハッスルやムイムイは自己心理洞察がないのであんな風に哀れになる😀2026/04/18 19:51:08337.神も仏も名無しさんz1BSw自己心理洞察のないムイムイ😀2026/04/18 20:56:03338.◆JBLfMwCXhYVJTYG「カタームリタ(Kathamrita)」は、ベンガル語で「甘露のような言葉(神の言葉)」を意味し、19世紀のインドの聖者ラーマクリシュナの教えを弟子のマヘンドラナート・グプタが記録した『ラーマクリシュナの福音』(Sri Sri Ramakrishna Kathamrita)を指します。日常的な言葉で真理を語る、実践的な精神修行の書です。2026/04/19 07:10:05339.◆JBLfMwCXhYVJTYG内容の主な特徴甘露のような教え: 読む者を永遠の真理へ導く、甘露(アムリタ)に例えられる聖なる教え。日常的で実践的: 抽象的な哲学ではなく、日常生活の中で神を悟るための具体的なヒントや、実践方法が対話形式で記されている。真我への理解: 真我、世界、神への深い理解を促し、読むたびに新しい発見があると言われる。2026/04/19 07:10:23340.◆JBLfMwCXhYVJTYG※「カタムリタ」と表記される場合、この『ラーマクリシュナの福音』を指すことが一般的です。2026/04/19 07:10:44341.◆JBLfMwCXhYVJTYG「カタムリタの歌」は、インドの聖者シュリ・ラーマクリシュナの教えをまとめた書籍『ラーマクリシュナの福音(カタムリタ)』に関連する、神をたたえる信仰歌(バジャン)や瞑想歌を指す言葉です。日本ヴェーダーンタ協会などの活動で歌われ、その教えを歌に乗せて瞑想する際に用いられます。2026/04/19 07:12:02342.◆JBLfMwCXhYVJTYG特徴と関連情報カタムリタ・プラサンガ: 『カタムリタ』の内容を題材にした法話や歌を指す用語として使われています。内容: 主に神への愛、献身、真理の追求をテーマにした、ラーマクリシュナ、ホーリーマザー、ヴィヴェーカーナンダへの信仰歌です。入手・関連:日本ヴェーダーンタ協会などで、これらの歌を収録したCDや歌詞集が提供されています。より具体的な歌のタイトルや、歌詞の検索をご希望の場合は、詳細を教えてください。2026/04/19 07:12:16343.◆JBLfMwCXhYVJTYG日本ヴェーダーンタ協会シュリー・ラーマクリシュナ生誕祝賀会(2013)https://www.youtube.com/live/Z8wPlqQXRPk?si=D3xh-UTrPWIEZ5NJ2026/04/19 07:25:37344.神も仏も名無しさんJ89vx私はこの歌がかなり好きだったなhttps://youtu.be/PbviCOeqxvo?si=JElDJp2-JXxGdpzn2026/04/19 11:53:53345.神も仏も名無しさんEFPiZヤナギ2026/04/27 08:04:55346.神も仏も名無しさん6eBRb信仰に厚いインド人やヒンドゥーの坊さんは、そんな歌を唄うことを気軽に楽しむが、私にとっては結構個人的で切実なものとして接してしまうな、詩がとても素晴らしい表現で惹かれてしまうから。カタムリタの中でも、タクールさん夜中に起きて暗闇で部屋をウロウロしながら小声で唄っている描写がよくある、書き記した者の感情も相まってとても惹かれる雰囲気が感じられる2026/04/28 05:53:05347.◆JBLfMwCXhY8AhXa素晴らしいな?😆2026/04/28 12:13:09348.◆JBLfMwCXhY8AhXa>>344ちょっと暗め?2026/04/28 12:13:23349.神も仏も名無しさん6eBRb詩を様々なラーガ、歌い手によって明るかったり暗かったり様々なメロディやリズムに乗せて歌うね、西洋の音楽理論ではないので日本人にわかりやすい明るい暗いではないな、私はわからないので無骨で少し暗めのわかりやすい曲調で歌ってるものが好みだな、軽やかで明るく軽快なのは苦手だhttps://youtu.be/q7grVGz1X1g?si=RI-Iz0CRSDkaWvHfとても女々しい詩だがこれも好きだな2026/04/28 13:04:13350.◆JBLfMwCXhYV3CcLインド人は、個人主義者だ「私」にとことんコダワるそれが、インド思想の特徴2026/04/29 09:11:44351.◆JBLfMwCXhYV3CcL「私」にコダワるインド人だからこそ逆説的に、無我の思想が現れた2026/04/29 09:12:02352.◆JBLfMwCXhYV3CcL以前から唱えてることだがインド人のいう「無我」は、日本人が考えるそれとは異なる日本人は、日本社会の伝統である「滅私奉公」をイメージしやすい2026/04/29 09:12:22353.◆JBLfMwCXhYV3CcLインド人たちと付き合ってみれば分かるが彼らは、「滅私奉公」なんて文化ではない世界一、自己主張が激しい😫2026/04/29 09:12:39354.◆JBLfMwCXhYV3CcL「私はある」の、ニサルガダッタ・マハラジ「私は誰?」の、ラマナ・マハルシ20世紀の2大巨頭は、2人とも「私」にとことんコダワる2026/04/29 09:13:45355.◆JBLfMwCXhYV3CcL逆説的だが無我思想とは本来、それを突き詰めたものだ2026/04/29 09:14:40356.◆JBLfMwCXhYV3CcL何が違うのかといえば「滅私奉公」では、私心は無になっているが組織とか全体は確固たる存在だ東アジア、とくに日本では好まれる考え方2026/04/29 09:16:58357.◆JBLfMwCXhYV3CcL仏教だと、「私」にも実体は無いが「組織」とか「宇宙」とか「全体」とかは、それ以上に実体がなく、名前だけの仮の存在2026/04/29 09:18:43358.◆JBLfMwCXhYV3CcL瞑想というのは外界への関心を断ち切り、「私」に意識を集中することだ2026/04/29 09:44:33359.神も仏も名無しさんE0Ugw私は、話す時、私は、から話すのがとても好きだけど、大方宗教的な関わりの相手と話すと、とても嫌がられる、あの協会でもそうだ、坊さんにしてもそうだな、私は邪魔する気はない、やり方の違いなのだと思う事にしてる2026/04/29 14:30:06360.神も仏も名無しさんE0Ugw私は、日本の人にとっての私を排した感覚は、ヒンドゥーにとってのバクティ、信仰に似ていると思うね2026/04/29 14:41:35361.神も仏も名無しさんAI677>>9博識ですね読んだところ、ヴェーダーンタ哲学は主観があり、サーンキャ哲学は主観がない、他はアートマンとプルシャは同じと思いました別の言葉でいいますと、サーンキャは事実を客観的に述べている、ヴェーダーンタは事実を見たあと、それへ感情移入し、起こった感情を混ぜて書いている2026/05/01 04:37:28362.神も仏も名無しさんAI677>>350結果的に、個人主義者になる部分もあると思います悪いけどすると気持ちよくなるからする、有利になるからする、しないと不利になるからする、そういったことをしたくないと思いません?確信の部分だけどさとった人目線で、だからどうした?という感じ。悟ってない人(修行者)にとっては仏教の考えかたのほうがいい。ヴェーダーンタもサーンキャもいらない感じ(むしろないほうがいい)2026/05/01 04:58:08
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インドの教えを学ぼう
前スレ
【ラマナ・マハルシ】インドの宗教哲人【ラーマクリシュナ】
https://talk.jp/boards/psy/1689489209
インドだと余興のひとつになっていて、祭りの時に信仰歌唄って踊って極まって不動になる、芸としてやる人が結構いるという、ラマクリシュナさんの時代からいたようだから
😀
判断力という智慧がテーマだろうからなー
他の宗教、そういう要素が減る
ま、山伏&念仏、神仏習合コースになると
判断力は重要にはあまりならないだろうけど、
😀
😀
意味:「神の言葉のネクタル(甘露)」や「聖なる対話」を意味し、弟子マヘンドラナート・グプタ(M.)によってベンガル語で記録された。
内容:ラーマクリシュナが弟子や参拝者と交わした日常的な対話の中で、神の存在やスピリチュアルな真理を、誰にでもわかるたとえ話で説いたもの。
重要性:ベーダーンタ哲学の真髄を日常レベルで学ぶための最高峰の書籍の一つとして、世界中で親しまれている。
日本ヴェーダーンタ協会などのウェブサイトでも、この教えに関する解説や特集が掲載されています。
イエス・キリスト路線を感じるな?
😀
😀
この歌は、Sri Ramakrishnaの前でしばしば歌われ、神を悟った魂(アヴァドゥータ)が味わう霊的な酩酊や至福を表現するためのものでした。
https://youtu.be/gkGHQs2ajds?si=WIIv1VaoSZSNRg9d
ただし一般に歌われている代表的な形は以下の通りです👇(一部抜粋・代表形)
「Pee Le Re Avadhut」歌詞(ヒンディー)
意味(ざっくり)
「アヴァドゥートよ、神の愛の杯を飲みなさい」
「この世界はマーヤ(幻想)だから、神の名という宝を受け取りなさい」
「神の名(ラーマなど)に酔いなさい」
つまり、神への愛に“酔う”こと=解脱への道という、バクティ(信愛)思想を表しています。
この3つは似たような言語だが
仏教含め、どの宗教にも
そういう酔うという霊的な表現はあるなー
瞑想系統仏教は、如実知見が入るので
自己心理洞察込みになる、
ハッスルやムイムイは
自己心理洞察がないので
あんな風に哀れになる
😀
😀
甘露のような教え: 読む者を永遠の真理へ導く、甘露(アムリタ)に例えられる聖なる教え。
日常的で実践的: 抽象的な哲学ではなく、日常生活の中で神を悟るための具体的なヒントや、実践方法が対話形式で記されている。
真我への理解: 真我、世界、神への深い理解を促し、読むたびに新しい発見があると言われる。
日本ヴェーダーンタ協会などの活動で歌われ、その教えを歌に乗せて瞑想する際に用いられます。
カタムリタ・プラサンガ: 『カタムリタ』の内容を題材にした法話や歌を指す用語として使われています。
内容: 主に神への愛、献身、真理の追求をテーマにした、ラーマクリシュナ、ホーリーマザー、ヴィヴェーカーナンダへの信仰歌です。
入手・関連:日本ヴェーダーンタ協会などで、これらの歌を収録したCDや歌詞集が提供されています。
より具体的な歌のタイトルや、歌詞の検索をご希望の場合は、詳細を教えてください。
シュリー・ラーマクリシュナ生誕祝賀会(2013)
https://www.youtube.com/live/Z8wPlqQXRPk?si=D3xh-UTrPWIEZ5NJ
https://youtu.be/PbviCOeqxvo?si=JElDJp2-JXxGdpzn
カタムリタの中でも、タクールさん夜中に起きて暗闇で部屋をウロウロしながら小声で唄っている描写がよくある、書き記した者の感情も相まってとても惹かれる雰囲気が感じられる
ちょっと暗め?
https://youtu.be/q7grVGz1X1g?si=RI-Iz0CRSDkaWvHf
とても女々しい詩だがこれも好きだな
「私」にとことんコダワる
それが、インド思想の特徴
逆説的に、無我の思想が現れた
インド人のいう「無我」は、日本人が考えるそれとは異なる
日本人は、日本社会の伝統である「滅私奉公」をイメージしやすい
彼らは、「滅私奉公」なんて文化ではない
世界一、自己主張が激しい😫
「私は誰?」の、ラマナ・マハルシ
20世紀の2大巨頭は、2人とも「私」にとことんコダワる
無我思想とは本来、それを突き詰めたものだ
「滅私奉公」では、私心は無になっているが
組織とか全体は確固たる存在だ
東アジア、とくに日本では好まれる考え方
「組織」とか「宇宙」とか「全体」とかは、それ以上に実体がなく、名前だけの仮の存在
外界への関心を断ち切り、
「私」に意識を集中することだ
博識ですね
読んだところ、ヴェーダーンタ哲学は主観があり、サーンキャ哲学は主観がない、他はアートマンとプルシャは同じと思いました
別の言葉でいいますと、サーンキャは事実を客観的に述べている、ヴェーダーンタは事実を見たあと、それへ感情移入し、起こった感情を混ぜて書いている
結果的に、個人主義者になる部分もあると思います
悪いけどすると気持ちよくなるからする、有利になるからする、しないと不利になるからする、そういったことをしたくないと思いません?
確信の部分だけどさとった人目線で、だからどうした?という感じ。悟ってない人(修行者)にとっては仏教の考えかたのほうがいい。ヴェーダーンタもサーンキャもいらない感じ(むしろないほうがいい)