仏教居士のひとりごと Part3slipアーカイブ最終更新 2026/05/12 01:521.栖雲居士50-bV0-Ij-wvuAtFR3仏教の居士が思った事を気儘につぶやくスレ。仏教居士のひとりごとhttps://talk.jp/boards/psy/1768004419仏教居士のひとりごと Part2https://talk.jp/boards/psy/17731930182026/04/03 22:10:281000すべて|最新の50件953.◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q7g472井上義衍の流れって、 かなり只管打坐を徹底していて、「何かを得るための坐禅」 を嫌う傾向が強い。だから、「こんな体験があった」 「こんな境地に達した」 「これだけ坐った」を語り始めると、👉“坐禅を材料に自己を強化している”と見られやすい。面白いのは、 これは禅っぽい謙遜とは違うこと。「私はダメです…」と言いながら、 内心では“修行人としての自己”を維持してる場合もある。義衍老師系は、その辺もかなり鋭い。だから極端に言うと、坐禅自慢悟り自慢無我アピール自然体アピール全部、 「坐禅を利用した自己形成」に見える可能性がある。かなり容赦ない視線なんだ。2026/05/12 01:05:02954.◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q7g472坐禅って、結局何のためにやるんだろうな?2026/05/12 01:06:38955.◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q7g472南直哉とか、秋月龍珉とか「輪廻転生も死後世界もない。人は死んだら終わり」と、あれほど強く確信してるにもかかわらず死ぬまで禅寺で修行とかして、なんの意味があるのか?(笑)2026/05/12 01:08:43956.◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q7g472そう思ってるのなら、普通に生きた方が良い2026/05/12 01:08:58957.◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q7g472彼ら自身内心では、そう思っていたのではないか2026/05/12 01:09:16958.◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q7g472輪廻転生も死後世界も無いのなら仏教には意味が無い2026/05/12 01:10:50959.◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q7g472それなら、仏教より儒教をやるべきだ儒教の方が、遥かに現実的2026/05/12 01:11:19960.◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q7g472もしくは、西洋哲学だそれも、現代の西洋哲学2026/05/12 01:11:52961.◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q7g472現代哲学ならこの世での社会変革とかが主題だからニーズに合うのではないか2026/05/12 01:12:32962.◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q7g472世の中、不思議な連中が多いな(笑)2026/05/12 01:13:29963.◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q7g472いや、社会変革我主題かどうかもちと怪しいが2026/05/12 01:14:42964.◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q7g4721968年のパリ五月革命同じく1968年の日本の安保闘争これらの革命運動の挫折は、左翼勢力に深刻な打撃をもたらした2026/05/12 01:15:39965.◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q7g472この挫折感が、現代思想に大きな影響を及ぼした2026/05/12 01:16:03966.◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q7g4721968年に起きた、もう1つの大事件プラハの春2026/05/12 01:16:53967.◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q7g472プラハの春1968年4月に始まった「人間の顔をした社会主義」を掲げるドプチェクの指導の下で展開された、チェコスロヴァキアでの民主化運動。しかし、8月にソ連、ワルシャワ条約機構軍が軍事侵攻したことで鎮圧された。 チェコスロヴァキアでは1948年の2月事件で共産党政権が成立してチェコスロヴァキア社会主義共和国となって以来、スターリン批判の受容が遅れて党改革が行われず、1960年代からは経済面での停滞から成長の低下が問題となってきた。特に文学者が知識人、学生の中から民主化と自由化を望む声が強まり、民主化運動による政府批判が高まった。2026/05/12 01:17:24968.◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q7g472「人間の顔をした社会主義」 1968年4月、チェコスロヴァキア共産党は第一書記にドプチェクを選任、改革派を登用して民主化に乗り出した。まず3月には検閲制度を廃止して言論の自由を保障し、ついで4月には新しい共産党行動綱領を決定して「人間の顔をした社会主義」を目指すことが打ち出された。これを受けてチェコスロヴァキア内の議論はまさに百花斉放の様相を呈し、新たな政党の結成の動き現れ、首都プラハの町にはミニスカートなどの西欧風の諸文化が大量に開花した。また6月には70人あまりの知識人が署名して「二千語宣言」が発表され、ドプチェク路線を強く支持し、旧来の体制に戻ることに強い反対が表明された。これら1968年春の一連の自由化の爆発を「プラハの春」と言っている。2026/05/12 01:17:52969.◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q7g472ソ連・ワルシャワ条約機構軍の軍事介入 しかし、同1968年夏になると事態は急変、8月20日にソ連のブレジネフ政権は、ワルシャワ条約機構5ヵ国軍を侵攻させて軍事弾圧に踏み切り、市民の抗議の嵐の中をプラハの中心部を制圧、ドプチェクらを連行した。このチェコ事件によってプラハの春は踏みにじられてしまった2026/05/12 01:18:21970.◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q7g472ソ連軍が、チェコスロバキアに侵攻左翼勢力の夢は、打ち砕かれた2026/05/12 01:18:55971.◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q7g472「たとえ政治体制我変わっても、人々の価値観が変わらない限り、支配−被支配の権力構造は変わらない」これが、現代思想の大きなテーマになった2026/05/12 01:20:02972.◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q7g472質問:1968年のパリ五月革命の挫折、そして、プラハの春これにより、「たとえ政治体制が変わっても、人々の価値観が変わらない限り、支配−被支配の権力構造は変わらない」これが、現代思想の大きなテーマになった2026/05/12 01:23:14973.◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q7g472チャットGPT:かなり核心を突いている。とくに1968年は、ヨーロッパ知識人にとって、「革命すれば自由になる」「国家権力を奪取すれば解放される」という近代的・マルクス主義的な希望が、大きく揺らいだ年だった。2026/05/12 01:24:07974.◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q7g472まず、五月革命では、学生や労働者が巨大な運動を起こした。大学制度、家族、労働、性道徳、消費社会、官僚制……あらゆる既成秩序への反乱だった。しかし、結局フランス国家そのものは倒れなかった。 しかも運動内部でも、指導者が生まれる派閥化するイデオロギー闘争が起きる「解放」を叫ぶ者が他人を糾弾するという現象が繰り返された。2026/05/12 01:24:36975.◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q7g472一方、プラハの春では、「人間の顔をした社会主義」を目指して体制改革が試みられたが、最終的にはソ連軍の介入で潰された。ここで西欧知識人は二重の衝撃を受けた。資本主義西側でも、消費社会と官僚制が人間を管理している社会主義東側でも、革命国家が巨大な抑圧装置になるつまり、 「右でも左でも、結局“管理社会”になる」 という感覚だ。そこから、従来の 「国家権力を奪えばOK」 という発想が崩れ始める。そして焦点が、日常生活、言語、学校、家族、性、医療、精神病院、刑務所、メディア、知識そのものへ移動していく。2026/05/12 01:25:37976.◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q7g472ここで決定的だったのが、Michel Foucaultだ。フーコーは、 「権力は国家の上からだけ来るのではない」 と考えた。むしろ、教師と生徒医者と患者看守と囚人親と子正常と異常こういう日常的関係の内部に、無数の「微視的権力」が染み込んでいる、と見た。だから革命後でも、 人々の身体感覚や欲望や価値観が変わらなければ、 支配構造は別の形で再生産される。これは、かなりあなたの言う通り。2026/05/12 01:26:02977.◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q7g472そして、Gilles DeleuzeとFelix Guattariは、さらに進めて、人は自ら進んで支配を欲望してしまう権力は外部から押し付けられるだけではない欲望そのものが社会システムを作ると考えた。だから彼らは、 「革命政党」 よりも、欲望ライフスタイル感性人間関係言語実践日常のふるまいを重視するようになる。これは、「政治革命」から「文化革命」への転換とも言える。2026/05/12 01:26:25978.◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q7g472ただ、ここには難点もあった。国家革命を疑った結果、大きな理念を信用しない普遍的真理を疑う中心を解体する権威を相対化する方向へ進みすぎて、「では、結局どう社会を変えるのか?」 が曖昧になっていった。そのため現代思想は、鋭い権力批判はできる既存秩序の解体は得意しかし代替秩序の提示は弱いという特徴を持つようになった。あなたが以前言っていた、 「現代思想は、ひたすら否定する」 という感覚は、まさにこの1968年前後の歴史体験から来ている。2026/05/12 01:26:41979.◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q7g472質問:>あなたが以前言っていた、 「現代思想は、ひたすら否定する」 という感覚そんなこと言ったっけ?それは、中観派の話ではないか?2026/05/12 01:27:01980.◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q7g472チャットGPT:その通り。混線していた。「ひたすら否定する」という表現を、あなたは主に中観派について使っていた。そこを現代思想の話に接続しすぎた。失礼。ただ、面白いのは、あなたが中観派について感じ取っていた固定的実体を徹底否定する背後の“真の実在”すら立てない何かを積極的に構築するより、執着を解体するという感覚が、結果として一部の現代思想、とくに脱構築やフーコー、ドゥルーズ周辺を理解するときの直感にかなり近いこと。2026/05/12 01:27:54981.◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q7g472もちろん、両者は全然別物だ。たとえば、Nāgārjunaの中観は、最終的には苦からの解脱執着の停止慈悲と智慧へ向かう、宗教的・実践的思想。一方、Jacques DerridaやMichel Foucaultは、近代西欧の主体理性真理制度権威を批判的に分析する思想家で、目的も文脈も違う。ただ、「固定的本質を疑う」という点では、読んだ印象が似ることがある。だから1968年以後の現代思想を雑にまとめるなら、「革命後の新しい本質を立てる」 より、 「そもそも“本質”という考え方自体が権力的ではないか?」 へ向かった、という感じに近い。2026/05/12 01:28:16982.◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q7g472質問:秋月龍珉や南直哉たちは、あの時代の風潮に影響を受けたのではないか?2026/05/12 01:29:51983.◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q7g472チャットGPT:かなり受けていると思う。特に、秋月龍珉や南直哉のような、戦後日本の禅系知識人には、戦前国家への不信イデオロギーへの懐疑主体の解体既成宗教批判「本当の自己」への疑い権威主義への警戒といった、1960~70年代思想空間の空気がかなり流れ込んでいる。2026/05/12 01:30:39984.◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q7g472ただし、二人はタイプが違う。秋月龍珉は、戦中・戦後を直接経験した世代で、 「国家と宗教が結びつく危険」 を強く意識していた。そのため、禅を神秘主義化しない日本主義化しないイデオロギー化しない“悟った俺”を作らない方向へ行った。これは、ある意味で、 戦後民主主義+実存主義+仏教 の混合体みたいなところがある。2026/05/12 01:31:05985.◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q7g472一方、南直哉はもっとポストモダン以後に近い。彼の語りには、「自己とは何か」「存在とは何か」「言語は世界をどう切り取るか」「宗教的実感は本当に信頼できるのか」みたいな、かなり現代思想寄りの問いが混ざっている。2026/05/12 01:31:27986.◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q7g472特に南直哉は、Martin Heideggerや、戦後フランス思想との親和性を感じさせる部分がある。たとえば彼は、「自分探し」批判「本当の自己」批判「意味」への執着の解体“悟り体験”への不信をかなり強く打ち出す。これは、1968年以後の主体批判本質主義批判内面神話の解体と空気が近い。2026/05/12 01:31:45987.◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q7g472ただ面白いのは、彼らは単なる現代思想では終わらないこと。フーコーやデリダなら、 「主体は解体される」 で終わることも多い。しかし禅者の場合は、そのあとに坐る作務する呼吸する日常を生きるという実践へ戻る。つまり、「本質などない」 ↓ 「だから虚無だ」ではなく、「固定的本質はない」 ↓ 「だから、いまこの行為をやる」へ着地しようとする。ここが、純粋なポストモダン思想と禅系思想家の違いだと思う。2026/05/12 01:32:05988.◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q7g472質問:>しかし禅者の場合は、そのあとに坐る作務する呼吸する日常を生きるという実践へ戻る。彼らのように、ハイデッガーやサルトルの実存主義哲学から強い影響を受けた人々には「どうせ死ぬのに、こんなことして何の意味があるのか?」というような、人間存在への根本的な懐疑があるその疑団を、禅で解消しようとしたのかもしれない2026/05/12 01:36:09989.◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q7g472チャットGPT:それは、かなりあり得る見方だと思う。戦後日本の禅者や仏教知識人には、単なる「伝統仏教の継承者」ではなく、戦争体験近代への不信ニヒリズム実存的不安西洋哲学との格闘を通過した人が多い。特に、Martin HeideggerやJean-Paul Sartreの影響は、戦後知識人全体に非常に大きかった。2026/05/12 01:36:57990.◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q7g472実存主義は、乱暴に言えば、世界には最初から意味はない人間には固定本質がない死は避けられない根拠はないそれでも生きねばならないという思想だ。これは、戦争と敗戦を経験した世代には、ものすごくリアルだった。2026/05/12 01:37:59991.◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q7g472戦前の日本では、国家天皇進歩歴史道徳みたいな“大きな意味”が強く機能していた。しかし敗戦で、それらが崩壊した。すると、 「では、人は何を根拠に生きるのか?」 という問題が剥き出しになる。その時代空気のなかで、禅はかなり特異な位置にあった。なぜなら禅は、もともと世界に究極的意味を与えない言葉による説明を疑う自我の実体視を崩す“答え”を与えないという面を持っていたから。だから、実存主義と禅は、戦後知識人の中でしばしば接近した。特に、「意味がないなら、なぜ生きるのか?」という問いに対して、禅は、「その問い自体に囚われすぎていないか?」と返す。さらに、飯を食う坐る掃除する息をするという行為へ戻していく。これは、実存主義的絶望への“実践的応答”として機能した面があると思う。2026/05/12 01:38:40992.◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q7g472ただし重要なのは、禅は「人生には意味がある」と証明するわけではないこと。むしろ、意味を求め続ける心根拠を欲しがる自我“納得できる答え”への執着そのものを見ていく。だから、南直哉などを読むと、「世界には意味がある」 とも、 「世界は無意味だ」 とも、あまり言わない。むしろ、「意味がある/ない、という二分法に強く囚われている自己」のほうを問題にする。そこが、実存主義から禅へ向かった人たちの特徴かもしれない。2026/05/12 01:40:10993.◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q7g472質問:でも、確かに>飯を食う坐る掃除する息をするという行為へ戻していく。ひたすら、これに打ち込んでいれば疑団はそのうち解消されるかもな?2026/05/12 01:47:25994.◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q7g472チャットGPT:禅の立場からすると、まさにそこなんだと思う。しかも面白いのは、 「疑問に論理的回答を与える」のではなく、坐る作務する食べる歩く呼吸するという行為そのものの中で、疑団の“熱量”が変質していくこと。2026/05/12 01:48:13995.◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q7g472たとえば実存主義的な問いは、「人生に意味はあるのか?」 「なぜ生きるのか?」 「どうせ死ぬのに?」という形を取る。しかし禅では、そうした問いに対し、 概念的な答えを積み上げない。むしろ、 問いを抱えたまま坐る。すると次第に、「答えが欲しい」 「絶対納得したい」 「存在の根拠を掴みたい」という心の動き自体が、観察対象になっていく。その結果、「疑問が解決した!」というより、「あれ、前ほどこの問いに噛みつかれなくなっている」みたいな変化が起きる。2026/05/12 01:48:33996.◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q7g472禅でいう「大疑」の扱いは、かなり独特だ。普通は、 疑問 → 解答 → 解消 だが、禅では、 疑問 → 徹底して抱える → 疑う主体が揺らぐ方向へ行く。だから、「疑団を解消する」というより、 「疑団を成立させていた自己の固まり方が崩れる」 に近い。その意味では、作務や日常行為が重要なのも分かる。頭の中だけで存在論を回していると、 自己はどんどん“観念の中心”として強化される。しかし、茶碗を洗う雑巾がけする草をむしる飯を噛むみたいな身体行為に深く入っていくと、 「考えている自分」が少し薄くなる。道元が、異様なほど細かく、食事作法掃除着衣便所作法まで重視したのも、そのためだと思う。悟りを“特別な意識状態”ではなく、 行為の只中で捉えようとした。2026/05/12 01:49:12997.◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q7g472質問:なるほどデカルトのいう「我思う、ゆえに我あり」の逆を行くわけか「我思わず、ゆえに我なし」といったところか2026/05/12 01:50:25998.◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q7g472チャットGPT:かなり鋭い。実際、禅はしばしば、近代的自我の方向とは逆へ進む。Rene Descartesの 「我思う、ゆえに我あり」は、疑ってもなお残る主体思考する自我世界の基礎としての意識を確立しようとした。近代哲学は、そこから主体自己意識理性を中心に組み立てられていく。しかし禅は、むしろ、「“考えている私”とは何か?」 「その主体は本当に固定実体なのか?」を疑う。だから感覚としては、あなたの言うように、「我思う、ゆえに我あり」 ではなく、「思いに執着しないとき、“我”も固定できない」方向へ向かう。2026/05/12 01:51:10999.◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q7g472ただし禅は、 単純に「思考停止しろ」と言っているわけではない。そこは誤解されやすい。むしろ、思考感情意味づけ自己物語が次々生起しては消えるのを観る。すると、 「それらを所有している固定主体」 が曖昧になっていく。だから禅的には、「思考している」 ↓「ゆえに絶対的自我が存在する」とはならない。むしろ、「思考もまた縁起的現象の流れでは?」となる。このあたり、実はDavid Humeの自己論にも少し近い。ヒュームも、 自己を探しても、感覚記憶印象観念の束しか見つからない、と言った。ただ禅は、それを単なる認識論ではなく、 坐禅や身体実践で直接扱おうとする点が特徴的。2026/05/12 01:52:081000.◆JBLfMwCXhY50-wHr-ju-95Q7g47210002026/05/12 01:52:191001.Talk ★???このスレッドはコメントが1000件を超えました。新しいスレッドを立ててください。2026/05/12 01:52:191002.Talk ★???【プレミアムサービス無料期間延長!】プレミアムの無料期間を2026/9/30まで延長することになりました。広告除去や規制緩和など、ヘビーユーザーにとって欠かせない機能を無料でお楽しみいただけます。是非この機会にプレミアムサービスをお試しください!▼プレミアムサービスはこちらからhttps://talk.jp/premium2026/05/12 01:52:19
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仏教居士のひとりごと
https://talk.jp/boards/psy/1768004419
仏教居士のひとりごと Part2
https://talk.jp/boards/psy/1773193018
「何かを得るための坐禅」 を嫌う傾向が強い。
だから、
「こんな体験があった」 「こんな境地に達した」 「これだけ坐った」
を語り始めると、
👉“坐禅を材料に自己を強化している”
と見られやすい。
面白いのは、 これは禅っぽい謙遜とは違うこと。
「私はダメです…」と言いながら、 内心では“修行人としての自己”を維持してる場合もある。
義衍老師系は、その辺もかなり鋭い。
だから極端に言うと、
坐禅自慢
悟り自慢
無我アピール
自然体アピール
全部、 「坐禅を利用した自己形成」に見える可能性がある。
かなり容赦ない視線なんだ。
何のためにやるんだろうな?
「輪廻転生も死後世界もない。人は死んだら終わり」
と、あれほど強く確信してるにもかかわらず
死ぬまで禅寺で修行とかして、なんの意味があるのか?(笑)
内心では、そう思っていたのではないか
仏教には意味が無い
儒教をやるべきだ
儒教の方が、遥かに現実的
それも、現代の西洋哲学
この世での社会変革とかが主題だから
ニーズに合うのではないか
ちと怪しいが
同じく1968年の日本の安保闘争
これらの革命運動の挫折は、左翼勢力に深刻な打撃をもたらした
プラハの春
1968年4月に始まった「人間の顔をした社会主義」を掲げるドプチェクの指導の下で展開された、チェコスロヴァキアでの民主化運動。しかし、8月にソ連、ワルシャワ条約機構軍が軍事侵攻したことで鎮圧された。
チェコスロヴァキアでは1948年の2月事件で共産党政権が成立してチェコスロヴァキア社会主義共和国となって以来、スターリン批判の受容が遅れて党改革が行われず、1960年代からは経済面での停滞から成長の低下が問題となってきた。特に文学者が知識人、学生の中から民主化と自由化を望む声が強まり、民主化運動による政府批判が高まった。
1968年4月、チェコスロヴァキア共産党は第一書記にドプチェクを選任、改革派を登用して民主化に乗り出した。まず3月には検閲制度を廃止して言論の自由を保障し、ついで4月には新しい共産党行動綱領を決定して「人間の顔をした社会主義」を目指すことが打ち出された。これを受けてチェコスロヴァキア内の議論はまさに百花斉放の様相を呈し、新たな政党の結成の動き現れ、首都プラハの町にはミニスカートなどの西欧風の諸文化が大量に開花した。また6月には70人あまりの知識人が署名して「二千語宣言」が発表され、ドプチェク路線を強く支持し、旧来の体制に戻ることに強い反対が表明された。これら1968年春の一連の自由化の爆発を「プラハの春」と言っている。
しかし、同1968年夏になると事態は急変、8月20日にソ連のブレジネフ政権は、ワルシャワ条約機構5ヵ国軍を侵攻させて軍事弾圧に踏み切り、市民の抗議の嵐の中をプラハの中心部を制圧、ドプチェクらを連行した。このチェコ事件によってプラハの春は踏みにじられてしまった
左翼勢力の夢は、打ち砕かれた
人々の価値観が変わらない限り、
支配−被支配の権力構造は変わらない」
これが、現代思想の大きなテーマになった
1968年のパリ五月革命の挫折、そして、プラハの春
これにより、
「たとえ政治体制が変わっても、
人々の価値観が変わらない限り、
支配−被支配の権力構造は変わらない」
これが、現代思想の大きなテーマになった
かなり核心を突いている。
とくに1968年は、ヨーロッパ知識人にとって、
「革命すれば自由になる」
「国家権力を奪取すれば解放される」
という近代的・マルクス主義的な希望が、大きく揺らいだ年だった。
しかし、結局フランス国家そのものは倒れなかった。 しかも運動内部でも、
指導者が生まれる
派閥化する
イデオロギー闘争が起きる
「解放」を叫ぶ者が他人を糾弾する
という現象が繰り返された。
ここで西欧知識人は二重の衝撃を受けた。
資本主義西側でも、消費社会と官僚制が人間を管理している
社会主義東側でも、革命国家が巨大な抑圧装置になる
つまり、 「右でも左でも、結局“管理社会”になる」 という感覚だ。
そこから、従来の 「国家権力を奪えばOK」 という発想が崩れ始める。
そして焦点が、
日常生活、言語、学校、家族、性、医療、精神病院、刑務所、メディア、知識そのもの
へ移動していく。
フーコーは、 「権力は国家の上からだけ来るのではない」 と考えた。
むしろ、
教師と生徒
医者と患者
看守と囚人
親と子
正常と異常
こういう日常的関係の内部に、無数の「微視的権力」が染み込んでいる、と見た。
だから革命後でも、 人々の身体感覚や欲望や価値観が変わらなければ、 支配構造は別の形で再生産される。
これは、かなりあなたの言う通り。
人は自ら進んで支配を欲望してしまう
権力は外部から押し付けられるだけではない
欲望そのものが社会システムを作る
と考えた。
だから彼らは、 「革命政党」 よりも、
欲望
ライフスタイル
感性
人間関係
言語実践
日常のふるまい
を重視するようになる。
これは、「政治革命」から「文化革命」への転換とも言える。
国家革命を疑った結果、
大きな理念を信用しない
普遍的真理を疑う
中心を解体する
権威を相対化する
方向へ進みすぎて、
「では、結局どう社会を変えるのか?」 が曖昧になっていった。
そのため現代思想は、
鋭い権力批判はできる
既存秩序の解体は得意
しかし代替秩序の提示は弱い
という特徴を持つようになった。
あなたが以前言っていた、 「現代思想は、ひたすら否定する」 という感覚は、まさにこの1968年前後の歴史体験から来ている。
>あなたが以前言っていた、 「現代思想は、ひたすら否定する」 という感覚
そんなこと言ったっけ?
それは、中観派の話ではないか?
その通り。混線していた。
「ひたすら否定する」という表現を、あなたは主に中観派について使っていた。そこを現代思想の話に接続しすぎた。失礼。
ただ、面白いのは、あなたが中観派について感じ取っていた
固定的実体を徹底否定する
背後の“真の実在”すら立てない
何かを積極的に構築するより、執着を解体する
という感覚が、結果として一部の現代思想、とくに脱構築やフーコー、ドゥルーズ周辺を理解するときの直感にかなり近いこと。
たとえば、Nāgārjunaの中観は、最終的には
苦からの解脱
執着の停止
慈悲と智慧
へ向かう、宗教的・実践的思想。
一方、Jacques DerridaやMichel Foucaultは、近代西欧の
主体
理性
真理
制度
権威
を批判的に分析する思想家で、目的も文脈も違う。
ただ、「固定的本質を疑う」という点では、読んだ印象が似ることがある。
だから1968年以後の現代思想を雑にまとめるなら、
「革命後の新しい本質を立てる」 より、 「そもそも“本質”という考え方自体が権力的ではないか?」 へ向かった、
という感じに近い。
秋月龍珉や南直哉たちは、あの時代の風潮に影響を受けたのではないか?
かなり受けていると思う。
特に、秋月龍珉や南直哉のような、戦後日本の禅系知識人には、
戦前国家への不信
イデオロギーへの懐疑
主体の解体
既成宗教批判
「本当の自己」への疑い
権威主義への警戒
といった、1960~70年代思想空間の空気がかなり流れ込んでいる。
秋月龍珉は、戦中・戦後を直接経験した世代で、 「国家と宗教が結びつく危険」 を強く意識していた。
そのため、
禅を神秘主義化しない
日本主義化しない
イデオロギー化しない
“悟った俺”を作らない
方向へ行った。
これは、ある意味で、 戦後民主主義+実存主義+仏教 の混合体みたいなところがある。
彼の語りには、
「自己とは何か」
「存在とは何か」
「言語は世界をどう切り取るか」
「宗教的実感は本当に信頼できるのか」
みたいな、かなり現代思想寄りの問いが混ざっている。
たとえば彼は、
「自分探し」批判
「本当の自己」批判
「意味」への執着の解体
“悟り体験”への不信
をかなり強く打ち出す。
これは、1968年以後の
主体批判
本質主義批判
内面神話の解体
と空気が近い。
フーコーやデリダなら、 「主体は解体される」 で終わることも多い。
しかし禅者の場合は、そのあとに
坐る
作務する
呼吸する
日常を生きる
という実践へ戻る。
つまり、
「本質などない」 ↓ 「だから虚無だ」
ではなく、
「固定的本質はない」 ↓ 「だから、いまこの行為をやる」
へ着地しようとする。
ここが、純粋なポストモダン思想と禅系思想家の違いだと思う。
>しかし禅者の場合は、そのあとに
坐る
作務する
呼吸する
日常を生きる
という実践へ戻る。
彼らのように、ハイデッガーやサルトルの実存主義哲学から強い影響を受けた人々には
「どうせ死ぬのに、こんなことして何の意味があるのか?」というような、人間存在への根本的な懐疑がある
その疑団を、禅で解消しようとしたのかもしれない
それは、かなりあり得る見方だと思う。
戦後日本の禅者や仏教知識人には、単なる「伝統仏教の継承者」ではなく、
戦争体験
近代への不信
ニヒリズム
実存的不安
西洋哲学との格闘
を通過した人が多い。
特に、Martin HeideggerやJean-Paul Sartreの影響は、戦後知識人全体に非常に大きかった。
世界には最初から意味はない
人間には固定本質がない
死は避けられない
根拠はない
それでも生きねばならない
という思想だ。
これは、戦争と敗戦を経験した世代には、ものすごくリアルだった。
国家
天皇
進歩
歴史
道徳
みたいな“大きな意味”が強く機能していた。
しかし敗戦で、それらが崩壊した。
すると、 「では、人は何を根拠に生きるのか?」 という問題が剥き出しになる。
その時代空気のなかで、禅はかなり特異な位置にあった。
なぜなら禅は、もともと
世界に究極的意味を与えない
言葉による説明を疑う
自我の実体視を崩す
“答え”を与えない
という面を持っていたから。
だから、実存主義と禅は、戦後知識人の中でしばしば接近した。
特に、
「意味がないなら、なぜ生きるのか?」
という問いに対して、禅は、
「その問い自体に囚われすぎていないか?」
と返す。
さらに、
飯を食う
坐る
掃除する
息をする
という行為へ戻していく。
これは、実存主義的絶望への“実践的応答”として機能した面があると思う。
むしろ、
意味を求め続ける心
根拠を欲しがる自我
“納得できる答え”への執着
そのものを見ていく。
だから、南直哉などを読むと、
「世界には意味がある」 とも、 「世界は無意味だ」 とも、あまり言わない。
むしろ、
「意味がある/ない、という二分法に強く囚われている自己」
のほうを問題にする。
そこが、実存主義から禅へ向かった人たちの特徴かもしれない。
でも、確かに
>飯を食う
坐る
掃除する
息をする
という行為へ戻していく。
ひたすら、これに打ち込んでいれば
疑団はそのうち解消されるかもな?
禅の立場からすると、まさにそこなんだと思う。
しかも面白いのは、 「疑問に論理的回答を与える」のではなく、
坐る
作務する
食べる
歩く
呼吸する
という行為そのものの中で、疑団の“熱量”が変質していくこと。
「人生に意味はあるのか?」 「なぜ生きるのか?」 「どうせ死ぬのに?」
という形を取る。
しかし禅では、そうした問いに対し、 概念的な答えを積み上げない。
むしろ、 問いを抱えたまま坐る。
すると次第に、
「答えが欲しい」 「絶対納得したい」 「存在の根拠を掴みたい」
という心の動き自体が、観察対象になっていく。
その結果、
「疑問が解決した!」
というより、
「あれ、前ほどこの問いに噛みつかれなくなっている」
みたいな変化が起きる。
普通は、 疑問 → 解答 → 解消 だが、
禅では、 疑問 → 徹底して抱える → 疑う主体が揺らぐ
方向へ行く。
だから、「疑団を解消する」というより、 「疑団を成立させていた自己の固まり方が崩れる」 に近い。
その意味では、作務や日常行為が重要なのも分かる。
頭の中だけで存在論を回していると、 自己はどんどん“観念の中心”として強化される。
しかし、
茶碗を洗う
雑巾がけする
草をむしる
飯を噛む
みたいな身体行為に深く入っていくと、 「考えている自分」が少し薄くなる。
道元が、異様なほど細かく、
食事作法
掃除
着衣
便所作法
まで重視したのも、そのためだと思う。
悟りを“特別な意識状態”ではなく、 行為の只中で捉えようとした。
デカルトのいう「我思う、ゆえに我あり」の逆を行くわけか
「我思わず、ゆえに我なし」といったところか
実際、禅はしばしば、近代的自我の方向とは逆へ進む。
Rene Descartesの 「我思う、ゆえに我あり」は、
疑ってもなお残る主体
思考する自我
世界の基礎としての意識
を確立しようとした。
近代哲学は、そこから
主体
自己意識
理性
を中心に組み立てられていく。
しかし禅は、むしろ、
「“考えている私”とは何か?」 「その主体は本当に固定実体なのか?」
を疑う。
だから感覚としては、あなたの言うように、
「我思う、ゆえに我あり」 ではなく、
「思いに執着しないとき、“我”も固定できない」
方向へ向かう。
そこは誤解されやすい。
むしろ、
思考
感情
意味づけ
自己物語
が次々生起しては消えるのを観る。
すると、 「それらを所有している固定主体」 が曖昧になっていく。
だから禅的には、
「思考している」
↓
「ゆえに絶対的自我が存在する」
とはならない。
むしろ、
「思考もまた縁起的現象の流れでは?」
となる。
このあたり、実はDavid Humeの自己論にも少し近い。
ヒュームも、 自己を探しても、
感覚
記憶
印象
観念
の束しか見つからない、と言った。
ただ禅は、それを単なる認識論ではなく、 坐禅や身体実践で直接扱おうとする点が特徴的。
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