正統派とプロテスタントと異端 Part2最終更新 2026/06/05 22:131.◆JBLfMwCXhYdEtHi正統派はキリスト教ではカトリックやギリシャ正教プロテスタントはルター派やカルヴァンやその他福音派や再臨派とか色々ある異端は最近の過激なキリスト教や異端と分類して良いのか最近話題のカルト的なキリスト?教とかまあその他問題あるが前スレ正統派とプロテスタントと異端と魔力と神と愛とhttps://talk.jp/boards/psy/16889615852026/02/18 18:48:30631コメント欄へ移動すべて|最新の50件582.◆JBLfMwCXhY4kFd2>>577> ペンテコステ派関連の本だ> 中川健一は一冊しか買っていない> ディスベンの歴史解説の本> 😀なるほど、そういうことでしたか😀私の読み違いでした。「10冊以上買った」のは中川健一牧師の本ではなく、ペンテコステ派・カリスマ派関係の本全般だったのですね。そうすると、当時の関心はむしろジャック・ヘイフォードフォースクエア教団ワーシップ聖霊運動カリスマ運動ペンテコステ神学あたりに向いていたのでしょう。中川健一牧師の本は、その中の一冊として読んだ程度、と。それなら、ディスペンセーション主義の歴史解説の本を買ったのも納得です。中川牧師は日本では珍しく、ディスペンセーション主義聖書預言イスラエル終末論を体系的に紹介している人ですからね。2026/06/04 20:33:04583.◆JBLfMwCXhY4kFd2ただ、ジャック・ヘイフォード自身は、必ずしも「終末論マニア」や「イスラエル一辺倒」のタイプではありません。むしろ、礼拝聖霊教会生活霊的成長を重視する牧師でした。だから、あなたが惹かれたのも、政治や終末論というより、礼拝の活気や霊的体験のほうだったのではないでしょうか。2026/06/04 20:33:22584.◆JBLfMwCXhY4kFd2振り返ると、2014年頃のあなたは、「シャーマン的・霊的体験」に興味を持っていた印象があります。そして現在は、「その体験を観察する心の構造」に興味を持っている。これは方向転換というより、探究の対象が超越的体験そのものから体験が起こるメカニズムへ移ったとも言えそうです。だから、ペンテコステ派 → 初期仏教という移行は、外から見るほど不連続ではないかもしれませんね。どちらも「机上の理論」より「実際に何が起きるのか」を重視する世界ですから😀。2026/06/04 20:33:38585.◆JBLfMwCXhY4kFd2なるほどジャック・塀フォードか2026/06/04 20:34:22586.◆JBLfMwCXhY4kFd2ジャック・ヘイフォード「マジェスティ」2026/06/04 20:34:46587.◆JBLfMwCXhY4kFd2この曲かhttps://youtu.be/pTcetHTcQyA?si=0bxaAN4ClwoEdnAb2026/06/04 20:37:59588.◆JBLfMwCXhY4kFd2思わず、キリスト教に改宗思想になるな😂2026/06/04 20:39:45589.神も仏も名無しさんqaYTp>>588実は付き合いある最近行っていないアメリカ人牧師が賛美に使っているフォークソング的にやっているな白人だから😀2026/06/04 20:54:31590.神も仏も名無しさんqaYTp日本語訳のをやってるな😀2026/06/04 20:55:06591.神も仏も名無しさんqaYTpそこの牧師のノートパソコンを借りて仏教論文落としまくっていてアタマが痛くなったことがある😀主の怒りが😀2026/06/04 20:56:29592.神も仏も名無しさんfPcDM俺の中のキリスト教はhttps://m.youtube.com/watch?v=1k93mQ4NVQQここで、とりま完結しているが既存のキリスト教理解に走ろうという娯楽が残っている😀2026/06/04 21:59:15593.神も仏も名無しさんfPcDM動画の要約ま、これでキリスト教理解の解答は仕上がっているが既存のキリスト教趣味理科が残っているこの動画は、JTJ宣教神学校の講義「関係の神学」の初回講義であり、講師の重田稔仁氏が「人間は関係によって形成される」という視点から、キリスト教信仰の本質を解き明かす内容です。主な講義内容のポイント:なぜ今「関係の神学」なのか (00:00-): 現代社会はSNSなどで「つながり」があふれている一方で、孤独感が増すというパラドックスにあります。聖書において人間は神と向き合い、関係し合う存在として創造されたと説きます。人間は関係によって形作られる (11:59-): 人生を決定するのは個人の選択や価値観以上に、「誰とどのような関係を結んでいるか」という土台であると指摘します。罪とは何か (28:59-): 罪の本質を、単なる悪い行いではなく、神との関係が破綻・歪曲している状態と定義しています。神の国と信仰 (46:38-): 神の国とは領土や特定の場所ではなく、イエス・キリストによる神との人格的な交わりそのものであると説明します。十字架と土台の転換 (1:16:48-): 十字架は単なる罪の赦しだけでなく、自己を土台として生きる古い自分が死に、キリストを土台として生きる新しい関係の始まりであると説いています。講師は、信仰生活を「知識や宗教的行為」ではなく、初めから終わりまで「神との人格的な交わり(関係)」として捉え直す重要性を強調しています。AI は不正確な情報を表示することがあるため、生成された回答を再確認するようにしてください。詳細2026/06/04 22:00:58594.神も仏も名無しさんfPcDMつまり、トランプ支持者のキリスト教の失敗が分析てきるいまやトランプ支持者キリスト教のリアル理解を楽しみたい気分がある😀2026/06/04 22:02:25595.神も仏も名無しさんfPcDM困った日本人クリスチャンイスラエル国旗が背後に😅https://m.youtube.com/watch?v=S1wTgcsLVDw&pp=ugUEEgJqYQ%3D%3D2026/06/04 22:06:46596.神も仏も名無しさんfPcDMむろん、動画要約文字でうぁ〜感😅2026/06/04 22:09:58597.◆JBLfMwCXhYBdlXw>>593関係性だけがあるとは龍樹の縁起説みたいだな?2026/06/05 06:05:39598.◆JBLfMwCXhYBdlXw>>595牧師じゃなくて、牧仕なんだな😅2026/06/05 06:07:34599.神も仏も名無しさんTuCfu>>597霊的関係、案外キリスト教で忘れられてきたものさハッスル🤡みたいな劣等感な性格は劣等感を与え続ける家族関係の歪みでああなってきるそこでイエスキリストとの人間関係、アガベーで歪んだ人間関係を魂の霊的な純化聖化により修整するというのが本筋だろうなプロテスタントの多数は日蓮みたいに信じないと地獄行きみたいな論法が多すぎ😅2026/06/05 06:10:45600.神も仏も名無しさんTuCfu実は原始キリスト教の本流はこのあたりと想定している霊的確信がある😀原始キリスト教の教えがわかったので分流をリサーチしたくなったわけ😀2026/06/05 06:13:04601.神も仏も名無しさんTuCfu原始キリスト教的な罪は歪んだ人間関係の影で苦しみでのたうち回る小羊を導くのが目標だったんだろう日蓮的な信心ではなく😀2026/06/05 06:46:13602.神も仏も名無しさんTuCfu歪んだ人間関係は家族のみならず社会の野蛮な人間関係ブラック企業てすら平然とある😀2026/06/05 06:47:01603.神も仏も名無しさんTuCfu出エジプト記から旧約聖書で何度も繰り返すあの聖句は人間関係の奴隷からの導きの意味がある「私は、エジプトか、導き出した主である」😀😀😀😀😀😀2026/06/05 06:48:42604.神も仏も名無しさんTuCfu原始キリスト教の本流はすでに捕まえいるので山伏念仏神仏習合探求みたいに既存キリスト教支流を知りたくなったという流れ😀2026/06/05 06:49:39605.神も仏も名無しさんTuCfu「私は、エジプト奴隷から導き出した主である」😀2026/06/05 06:51:13606.神も仏も名無しさんTuCfuトランプ支持者のキリスト教はいわゆるトランプとイスラエルと、その戦争支持の奴隷😅2026/06/05 06:51:54607.神も仏も名無しさんTuCfuキリスト教の矛盾はこのように繰り返されてきた😅2026/06/05 06:52:19608.神も仏も名無しさんTuCfuイスラエルからのイエスキリストの再臨を信じる奴隷に成り果てて戦争したがるイスラエル、アメリカ政府の奴隷に喜んで成り果てている😅2026/06/05 06:53:56609.◆JBLfMwCXhYBdlXw主は、エジプトから出てきたのか2026/06/05 07:05:15610.◆JBLfMwCXhYBdlXwエジプトこそ、ユダヤ教を育んだ揺りかご2026/06/05 07:05:39611.◆JBLfMwCXhYBdlXw旧約聖書の主な舞台はエジプト2026/06/05 07:05:59612.◆JBLfMwCXhYBdlXwアブラハムは、イラクから出てきた2026/06/05 07:06:27613.◆JBLfMwCXhYBdlXwヨセフの代で、エジプトに移住した2026/06/05 07:06:43614.神も仏も名無しさんZsMlHエジプトの奴隷から導きだしたという社会や人間関係、ブラック企業みたいなところから自由な生き方をする導きみたいな意味やろ霊的な😀2026/06/05 07:30:02615.神も仏も名無しさんZsMlH新訳聖書の聖霊を与えられるという記述はエジプトの奴隷から導きだしたという社会、人間関係の闇からの離脱、自由の意味はあるだろな、既存キリスト教は日蓮的な信仰になってしまったんだろうけどな😀2026/06/05 07:31:56616.神も仏も名無しさんZsMlH「私は、エジプト奴隷から導き出した主である」の霊的文脈は原始キリスト教のメインテーマ聖霊を与えられた世の奴隷状態からの解放という意図になったんだろな😀2026/06/05 07:33:37617.◆JBLfMwCXhYBdlXw救世主は、エジプト奴隷の中から出る2026/06/05 12:19:39618.◆JBLfMwCXhYBdlXwモーセのことか?2026/06/05 12:19:58619.◆JBLfMwCXhYBdlXw東南アジア(インドネシア、マレーシア、ブルネイなど)のイスラム法学は、スンナ派のシャーフィイー学派が主流です。12世紀以降、中東からインド洋を経由したアラブ人商人やスーフィー(神秘主義者)の交易ネットワークを通じて伝播し、土着の慣習法と融合しながら定着しました。2026/06/05 21:59:58620.◆JBLfMwCXhYBdlXw東南アジアでシャーフィイー学派が根付いた背景海上の交易ネットワーク: 12世紀~15世紀にかけて、紅海やイエメン(南アラビア)から東南アジアを結ぶ海洋交易が盛んでした。このルートを通じて商人やウラマー(宗教知識人)が移住し、彼らが奉じていたシャーフィイー派法学がそのまま伝えられました。国家による制度化: マレー半島(マレーシアなど)の各州やインドネシアのイスラム組織では、古くから公式なファトワー(法解釈)やイスラム行政の基盤として採用されています。穏健な法解釈: コーラン(クルアーン)やハディース(預言者言行録)に忠実でありつつ、東南アジア特有の伝統や「アダット(慣習法)」との共存・柔軟な適応が図られてきた歴史があります。2026/06/05 22:00:15621.◆JBLfMwCXhYBdlXwイスラム法学者の娘が「父に反対された髪染めを可能にした」すごい方法"セカンド・オピニオン"を求めたPRESIDENT Online島田 裕巳宗教学者、作家イスラム教徒の女の子は髪を染めることができるのか。あるイスラム法学者の娘が父親に聞いたところ、賛成は得られなかった。そこで別の法学者に聞いたところ、今度は「染めてもかまわない」という。なぜ違う答えになるのか。宗教学者の島田裕巳さんが解説する――。(第2回/全3回)※本稿は、島田裕巳『宗教別おもてなしマニュアル』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。2026/06/05 22:06:03622.◆JBLfMwCXhYBdlXw米国人ジャーナリストがイスラム法学者に学んだ本数年前、文藝春秋の知り合いの編集者から依頼を受けたことがあった。まだ刊行されていない英文の本の草稿を読んで、刊行する価値があるかどうか、意見を述べて欲しいというのだ。その本は、“If The Oceans Were Ink” by Carla Powerというものだった。著者はアメリカ人で、ジャーナリストだが、イギリスのオックスフォード・イスラム研究センターで働いていたときに、イスラム法学者のムハンマド・アクラム・ナドウィーという人物と知り合い、彼のもとで、『クルアーン』を学んだ。その過程で経験したことをつづったのが、この本だった。私はさっそく本の草稿を読みはじめたが、興味深いもので、一気に読んでしまった。そして、刊行の価値があると編集者に伝え、翻訳者についても宗教学研究室の後輩を紹介した。それは、2015年9月に『コーランには本当は何が書かれていたか?』(カーラ・パワー、秋山淑子訳)として文藝春秋から刊行された。アクラムというイスラム法学者は、ナドウィーという姓が示しているように、インド生まれで、イスラム教における女性の学者たちの業績を追う研究をしていた。著者のパワーは、アクラムの生まれ故郷であるインドまで一緒に出向いたこともあった。2026/06/05 22:06:33623.◆JBLfMwCXhYBdlXw「髪を染めたい」と言ったイスラム法学者の娘私がこの本を読んで、とくに印象深く思ったのが、あるエピソードだった。イスラム教には、キリスト教のカトリックや仏教とは異なり、世俗の生活を捨てた聖職者というものは存在しない。神父や僧侶にあたる人物はいないのだ。したがって、イスラム法学者であるアクラムは俗人であり、結婚し、家庭生活を営んでいる。子どもも6人いるが、すべて娘だった。娘の一人が、髪を染めたいと思うようになった。そこで、父にお伺いを立てた。髪を染めることはイスラム教の教えに反していないかどうかというわけだ。父親のアクラムは、決して厳格な原理主義者というわけではない。娘が目のところにスリットが入ったニカーブを被って登校しようとしたときには、それが本人の意思なのかどうかを慎重に確かめている。アクラムは、ニカーブを被る必要はないという考えだ。ところが、髪を染めることについては賛成しなかった。娘の方は、どうしても髪を染めたいと考えていた。で、どうしたのか。娘は、父親とは別のイスラム法学者のところへ行き、意見を求めた。すると、そのイスラム法学者は、髪を染めてもかまわないという見解を示した。そこで娘は、髪を染めることができたというのである。これは、別の医者にセカンド・オピニオンを求めるようなものだが、イスラム教の特徴的なあり方を示す興味深いエピソードだ。私は、そのような印象を受けた。2026/06/05 22:07:33624.◆JBLfMwCXhYBdlXw現代社会で「十七条の憲法」を守っているようなものイスラム教徒は、イスラム法であるシャリーアに従って生活を営む。イスラム法では、六信五行のような宗教的な信仰や実践のあり方についても規定しているが、同時にそこには、刑法や民法をはじめとする各種の法律にあたるような事柄も含まれている。難しいのは、世の中で起こるあらゆる事柄が、イスラム法の基盤となる『クルアーン』や『ハディース』に書かれているわけではないということである。しかも、神の啓示が下され、ムハンマドが周囲に伝えたのは7世紀のことである。すでに述べたように、日本なら聖徳太子の時代にあたる。それから社会は大きく変化してきた。とくに現代では、7世紀とはまったく違う社会生活が営まれている。したがって、『クルアーン』や『ハディース』には示されていないような事柄やモノ、制度が現代ではいくらでも登場する。本書の4章でイスラム教徒の宇宙飛行士のことにふれたが、宇宙飛行など7世紀には想像もされていなかった。聖徳太子は、「十七条の憲法」を制定したとされるが、イスラム法に従うということは、この十七条の憲法に従って現代生活を送るようなものである。2026/06/05 22:07:57625.◆JBLfMwCXhYBdlXwイスラム教には「合意」を成立できる組織がないでは、『クルアーン』や『ハディース』に示されていない事柄が生じたときにはどうするのか。その際には、「合意(イジュマー)」と「類推(キヤース)」によることになっている。「合意」とは、ある事柄が正しいことなのかどうか、イスラム教徒の共同体である「ウンマ」において意見の一致がなされているもののことをさす。ただ、合意と言っても、イスラム教徒全体の数は膨大である。しかも、イスラム教には意思決定を行う組織がない。そうである以上、合意が成立しているのかどうか、それを判断することは難しい。不可能にさえ思えてくる。たとえば、ムハンマドの後継者であるカリフを選出するときである。カリフになれる人物は、ムハンマドと同じクライシュ族の男性であるなど、いくつかの条件がある。ただし、その条件も公正であるとか、学識があるとか、かなり曖昧だ。現在では、トルコ共和国の誕生によって消滅したカリフを再興しようとする動きもあるが、具体的にそれをどう実現していくか、そのプロセスにはかなりの困難が伴うことが予想される。最近死亡した「イスラム国」の指導者、アブー・バクル・アル=バグダーディーは、自らがカリフであると宣言した。だが、それに賛同するイスラム教徒は一部にとどまり、とてもイスラム教徒全体で合意されているとは言えない状態にあった。組織の発達したキリスト教のカトリックでは、その頂点に立つローマ教皇を選出する手続きが定められている。「コンクラーベ」と呼ばれる枢機卿による投票で決まる。そうした仕組みは、組織のないイスラム教では確立されていない。イスラム教のあり方からして、仕組みを作り上げること自体が不可能である。2026/06/05 22:08:21626.神も仏も名無しさん2Ka64イスラームもキリスト教並みに細かく解釈がわかれていそうだな?😀2026/06/05 22:08:32627.◆JBLfMwCXhYBdlXwイスラム法学者たちが行う「類推」そこで、もう一つの「類推」の出番ということになる。類推を行うのは、イスラム法について研究しているイスラム法学者である。イスラム法学者は、「ウラマー」と呼ばれる。イスラム法学には、4つの主要な学派が存在している。ハナフィー学派・マーリク学派・シャーフィイー学派・ハンバル学派である。イスラム法学者は、それぞれの学派において確立された学説に従って見解を発表する。それが、「ファトワー」である。髪を染めていいかどうかの判断も、それはイスラム法学者が下したものであれば、ファトワーということになる。ただ、ファトワーは、イスラム法学者であれば、誰でも発することができる。そして、イスラム教のあり方からして当然のことだが、組織によって認められた公的なファトワーなど存在しない。イスラム法学者のなかには、見識が高いと多くのイスラム教徒から認められている人物もいて、そうした学者が発するファトワーに従うイスラム教徒は当然にも多くなる。だが、絶対的な権威を持つファトワーはあり得ない。2026/06/05 22:09:00628.◆JBLfMwCXhYBdlXwイスラム教徒以外が屠った肉は「ハラール」なのかでは、ファトワーが効力を持つプロセスはどのようになっているのだろうか。ここでは、イスラム教徒以外が屠った肉が果たしてハラールなのかどうかという問題を通して見てみたい。これについては、中田考が1998年に、シリアのアブー・アル=ヌール・イスラーム大学に対して、ファトワーを示してくれるよう送った質問状が参考になる。それは、次のようなものだった。【質問】ワフバ・アル=ズハイリー博士はその著『イスラーム法とその典拠』3巻689頁において、「キリスト教国からの輸入肉は、たとえ屠殺時にアッラーフの名前が唱えられていなくても、食用が許される」と述べています。それでは、シャリーアに則って屠殺した肉が多少の負担で入手可能な場合でも、店で市販されているアメリカやオーストラリヤからの輸入肉の食用は許されるのでしょうか?これに対して、イスラム法大学の学長であるアル=シャイフ・アフマド・クフタロー博士から次のような回答が寄せられた。【回答】「啓典の民の食物は汝らに許されている」との至高なるアッラーフの御言葉の一般原則に基づき、キリスト教国からの輸入肉は食用が許される、それを食べることに問題はない。啓典の民の屠殺肉にはアッラーフの御名を唱えることは条件とはならない。また同様に「ある男が預言者の許にやって来て『アッラーフの使徒様、我々の中の一人の男が屠殺をするのに至高なるアッラーフの御名を唱えるのを忘れたのを知っておられますか?』と尋ねた時、彼は『アッラーフの御名は全てのムスリムの心中に存在する』」とのハディースに基づき、ムスリムの屠殺肉にもアッラーフの御名を唱えることは条件とはならない。それゆえ啓典の民の屠殺肉を食べることには全く問題はない。またムスリムは負担になるならムスリムの屠殺肉の購入を義務として課されることはない。2026/06/05 22:09:40629.◆JBLfMwCXhYBdlXwイスラム法を現実に適用させるための工夫これが、啓典の民の国から輸入された肉がハラールであることを示したファトワーである。これはイスラム法大学の学長が示したファトワーで、その点では権威あるものと見なされる。だが、絶対的なものではない。同じ問題に対して、別のイスラム法学者が異なるファトワーを発する可能性はある。ただ、ここには、イスラム法を現実に適用していく上で、イスラム法学者が工夫を施している様子が示されている。イスラム教徒の宇宙飛行士が宇宙でどのように礼拝するかについては、マレーシアでイスラム法学者の会議が開かれた。そこで出された見解によれば、礼拝の方角は宇宙飛行士に任せ、無重力では跪ひざまずくことができないので、それを強制しないとされた。また、宇宙飛行が断食月にあたっていたことについては、帰還後に延期もできるとし、実施する場合には、打ち上げ基地の時間を基準にすればいいとされた。厳格な姿勢を示し、イスラム教徒が屠った肉でなければハラームだとしてしまったら、日本にいるイスラム教徒は相当に窮屈な状況を強いられる。日本でハラールな肉を探すのは容易なことではないだろう。自分で屠るわけにもいかない。2026/06/05 22:10:04630.◆JBLfMwCXhYBdlXw縦社会の日本、組織の発達していないイスラム教の世界こうしたイスラム教のあり方を見ていくと、私たち日本人は随分と面倒くさいと考えるかもしれない。物事が決まっているのかどうか、その判断が難しいからである。日本人なら、組織を作って、そこで規則を決める。その方向に向かうだろう。とくに、日本の社会は「縦社会」の傾向が強い。縦社会では、上の者の指示や命令に下の者が従うことが原則になっている。しかし、組織の発達していないイスラム教の世界では、ここまで述べてきたようなやり方をとって物事を進めていくしかない。サウジアラビアのように、国家が決めた規則に従わないと、それで罰せられるようなところもあるが、そうしたイスラム教の国は一部に限られる。2026/06/05 22:10:20631.神も仏も名無しさん2Ka64既存多数派キリスト教、イスラーム、ユダヤ教、ヒンズーはまだまだ謎が多いな😀2026/06/05 22:13:49
【TBS世論調査】高市内閣の支持率70.0%、死角は誹謗中傷動画問題か・・・政治部 世論調査担当デスク 「選挙の公平性が揺らぎかねないこの問題に、総理が国民に対して説明を尽くせるのか。正念場が続くことになる」ニュース速報+9041485.52026/06/14 00:22:45
東京パソコンクラブ、毎回ゲーム会社の人が来ているっぽいけど、冨里って任天堂の人の前で「ボコボコにしていいすか」って林を煽ったの?そりゃアンダーに落ちるしプロデューサーに苦言を呈されるわ乃木坂461781240.72026/06/14 00:22:01
プロテスタントはルター派やカルヴァンやその他福音派や再臨派とか色々ある
異端は最近の過激なキリスト教や
異端と分類して良いのか
最近話題のカルト的なキリスト?教とか
まあその他問題あるが
前スレ
正統派とプロテスタントと異端と魔力と神と愛と
https://talk.jp/boards/psy/1688961585
> ペンテコステ派関連の本だ
> 中川健一は一冊しか買っていない
> ディスベンの歴史解説の本
> 😀
なるほど、そういうことでしたか😀
私の読み違いでした。
「10冊以上買った」のは中川健一牧師の本ではなく、ペンテコステ派・カリスマ派関係の本全般だったのですね。
そうすると、当時の関心はむしろ
ジャック・ヘイフォード
フォースクエア教団
ワーシップ
聖霊運動
カリスマ運動
ペンテコステ神学
あたりに向いていたのでしょう。
中川健一牧師の本は、その中の一冊として読んだ程度、と。
それなら、
ディスペンセーション主義の歴史解説の本
を買ったのも納得です。
中川牧師は日本では珍しく、
ディスペンセーション主義
聖書預言
イスラエル
終末論
を体系的に紹介している人ですからね。
むしろ、
礼拝
聖霊
教会生活
霊的成長
を重視する牧師でした。
だから、あなたが惹かれたのも、
政治や終末論というより、
礼拝の活気や霊的体験のほうだったのではないでしょうか。
2014年頃のあなたは、
「シャーマン的・霊的体験」に興味を持っていた印象があります。
そして現在は、
「その体験を観察する心の構造」に興味を持っている。
これは方向転換というより、
探究の対象が
超越的体験そのもの
から
体験が起こるメカニズム
へ移ったとも言えそうです。
だから、
ペンテコステ派 → 初期仏教
という移行は、外から見るほど不連続ではないかもしれませんね。
どちらも「机上の理論」より「実際に何が起きるのか」を重視する世界ですから😀。
ジャック・塀フォードか
「マジェスティ」
https://youtu.be/pTcetHTcQyA?si=0bxaAN4ClwoEdnAb
実は付き合いある
最近行っていない
アメリカ人牧師が
賛美に使っている
フォークソング的にやっているな
白人だから😀
😀
仏教論文落としまくっていて
アタマが痛くなったことがある
😀
主の怒りが
😀
https://m.youtube.com/watch?v=1k93mQ4NVQQ
ここで、とりま完結しているが
既存のキリスト教理解に走ろうと
いう娯楽が残っている
😀
ま、これでキリスト教理解の解答は仕上がっているが
既存のキリスト教趣味理科が残っている
この動画は、JTJ宣教神学校の講義「関係の神学」の初回講義であり、講師の重田稔仁氏が「人間は関係によって形成される」という視点から、キリスト教信仰の本質を解き明かす内容です。
主な講義内容のポイント:
なぜ今「関係の神学」なのか (00:00-): 現代社会はSNSなどで「つながり」があふれている一方で、孤独感が増すというパラドックスにあります。聖書において人間は神と向き合い、関係し合う存在として創造されたと説きます。
人間は関係によって形作られる (11:59-): 人生を決定するのは個人の選択や価値観以上に、「誰とどのような関係を結んでいるか」という土台であると指摘します。
罪とは何か (28:59-): 罪の本質を、単なる悪い行いではなく、神との関係が破綻・歪曲している状態と定義しています。
神の国と信仰 (46:38-): 神の国とは領土や特定の場所ではなく、イエス・キリストによる神との人格的な交わりそのものであると説明します。
十字架と土台の転換 (1:16:48-): 十字架は単なる罪の赦しだけでなく、自己を土台として生きる古い自分が死に、キリストを土台として生きる新しい関係の始まりであると説いています。
講師は、信仰生活を「知識や宗教的行為」ではなく、初めから終わりまで「神との人格的な交わり(関係)」として捉え直す重要性を強調しています。
AI は不正確な情報を表示することがあるため、生成された回答を再確認するようにしてください。詳細
いまや
トランプ支持者キリスト教のリアル理解を楽しみたい気分がある
😀
イスラエル国旗が背後に
😅
https://m.youtube.com/watch?v=S1wTgcsLVDw&pp=ugUEEgJqYQ%3D%3D
動画要約文字で
うぁ〜
感
😅
関係性だけがあるとは
龍樹の縁起説みたいだな?
牧師じゃなくて、牧仕なんだな😅
霊的関係、
案外キリスト教で忘れられてきたものさ
ハッスル🤡みたいな劣等感な性格は
劣等感を与え続ける家族関係の歪みで
ああなってきる
そこで
イエスキリストとの人間関係、アガベーで
歪んだ人間関係を魂の霊的な純化聖化により修整する
というのが
本筋だろうな
プロテスタントの多数は
日蓮みたいに信じないと地獄行きみたいな論法が多すぎ
😅
原始キリスト教の本流は
このあたりと
想定している
霊的確信がある
😀
原始キリスト教の教えがわかったので
分流をリサーチしたくなったわけ
😀
罪は
歪んだ人間関係の影で苦しみで
のたうち回る
小羊を導くのが
目標だったんだろう
日蓮的な信心ではなく
😀
家族のみならず
社会の野蛮な人間関係
ブラック企業てすら平然とある
😀
旧約聖書で何度も繰り返す
あの聖句は
人間関係の奴隷からの導きの意味がある
「私は、エジプトか、導き出した主である」
😀😀😀😀😀😀
山伏念仏神仏習合探求みたいに
既存キリスト教支流を知りたくなったという流れ
😀
😀
いわゆる
トランプとイスラエルと、その戦争支持の奴隷
😅
このように繰り返されてきた
😅
戦争したがるイスラエル、アメリカ政府の奴隷に喜んで成り果てている
😅
という
社会や人間関係、ブラック企業みたいなところから自由な生き方をする導きみたいな意味やろ
霊的な
😀
という記述は
エジプトの奴隷から導きだしたという
社会、人間関係の闇からの
離脱、自由の意味はあるだろな、
既存キリスト教は
日蓮的な信仰になってしまったんだろうけどな
😀
の霊的文脈は
原始キリスト教のメインテーマ
聖霊を与えられた世の奴隷状態からの解放という意図になったんだろな
😀
海上の交易ネットワーク: 12世紀~15世紀にかけて、紅海やイエメン(南アラビア)から東南アジアを結ぶ海洋交易が盛んでした。このルートを通じて商人やウラマー(宗教知識人)が移住し、彼らが奉じていたシャーフィイー派法学がそのまま伝えられました。
国家による制度化: マレー半島(マレーシアなど)の各州やインドネシアのイスラム組織では、古くから公式なファトワー(法解釈)やイスラム行政の基盤として採用されています。
穏健な法解釈: コーラン(クルアーン)やハディース(預言者言行録)に忠実でありつつ、東南アジア特有の伝統や「アダット(慣習法)」との共存・柔軟な適応が図られてきた歴史があります。
イスラム法学者の娘が「父に反対された髪染めを可能にした」すごい方法"セカンド・オピニオン"を求めた
PRESIDENT Online
島田 裕巳
宗教学者、作家
イスラム教徒の女の子は髪を染めることができるのか。あるイスラム法学者の娘が父親に聞いたところ、賛成は得られなかった。そこで別の法学者に聞いたところ、今度は「染めてもかまわない」という。なぜ違う答えになるのか。宗教学者の島田裕巳さんが解説する――。(第2回/全3回)
※本稿は、島田裕巳『宗教別おもてなしマニュアル』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。
数年前、文藝春秋の知り合いの編集者から依頼を受けたことがあった。まだ刊行されていない英文の本の草稿を読んで、刊行する価値があるかどうか、意見を述べて欲しいというのだ。
その本は、“If The Oceans Were Ink” by Carla Powerというものだった。
著者はアメリカ人で、ジャーナリストだが、イギリスのオックスフォード・イスラム研究センターで働いていたときに、イスラム法学者のムハンマド・アクラム・ナドウィーという人物と知り合い、彼のもとで、『クルアーン』を学んだ。その過程で経験したことをつづったのが、この本だった。
私はさっそく本の草稿を読みはじめたが、興味深いもので、一気に読んでしまった。そして、刊行の価値があると編集者に伝え、翻訳者についても宗教学研究室の後輩を紹介した。
それは、2015年9月に『コーランには本当は何が書かれていたか?』(カーラ・パワー、秋山淑子訳)として文藝春秋から刊行された。
アクラムというイスラム法学者は、ナドウィーという姓が示しているように、インド生まれで、イスラム教における女性の学者たちの業績を追う研究をしていた。著者のパワーは、アクラムの生まれ故郷であるインドまで一緒に出向いたこともあった。
私がこの本を読んで、とくに印象深く思ったのが、あるエピソードだった。
イスラム教には、キリスト教のカトリックや仏教とは異なり、世俗の生活を捨てた聖職者というものは存在しない。神父や僧侶にあたる人物はいないのだ。
したがって、イスラム法学者であるアクラムは俗人であり、結婚し、家庭生活を営んでいる。子どもも6人いるが、すべて娘だった。
娘の一人が、髪を染めたいと思うようになった。そこで、父にお伺いを立てた。髪を染めることはイスラム教の教えに反していないかどうかというわけだ。
父親のアクラムは、決して厳格な原理主義者というわけではない。娘が目のところにスリットが入ったニカーブを被って登校しようとしたときには、それが本人の意思なのかどうかを慎重に確かめている。アクラムは、ニカーブを被る必要はないという考えだ。
ところが、髪を染めることについては賛成しなかった。
娘の方は、どうしても髪を染めたいと考えていた。
で、どうしたのか。
娘は、父親とは別のイスラム法学者のところへ行き、意見を求めた。すると、そのイスラム法学者は、髪を染めてもかまわないという見解を示した。そこで娘は、髪を染めることができたというのである。
これは、別の医者にセカンド・オピニオンを求めるようなものだが、イスラム教の特徴的なあり方を示す興味深いエピソードだ。私は、そのような印象を受けた。
イスラム教徒は、イスラム法であるシャリーアに従って生活を営む。イスラム法では、六信五行のような宗教的な信仰や実践のあり方についても規定しているが、同時にそこには、刑法や民法をはじめとする各種の法律にあたるような事柄も含まれている。
難しいのは、世の中で起こるあらゆる事柄が、イスラム法の基盤となる『クルアーン』や『ハディース』に書かれているわけではないということである。
しかも、神の啓示が下され、ムハンマドが周囲に伝えたのは7世紀のことである。すでに述べたように、日本なら聖徳太子の時代にあたる。それから社会は大きく変化してきた。とくに現代では、7世紀とはまったく違う社会生活が営まれている。
したがって、『クルアーン』や『ハディース』には示されていないような事柄やモノ、制度が現代ではいくらでも登場する。本書の4章でイスラム教徒の宇宙飛行士のことにふれたが、宇宙飛行など7世紀には想像もされていなかった。
聖徳太子は、「十七条の憲法」を制定したとされるが、イスラム法に従うということは、この十七条の憲法に従って現代生活を送るようなものである。
では、『クルアーン』や『ハディース』に示されていない事柄が生じたときにはどうするのか。
その際には、「合意(イジュマー)」と「類推(キヤース)」によることになっている。
「合意」とは、ある事柄が正しいことなのかどうか、イスラム教徒の共同体である「ウンマ」において意見の一致がなされているもののことをさす。
ただ、合意と言っても、イスラム教徒全体の数は膨大である。しかも、イスラム教には意思決定を行う組織がない。
そうである以上、合意が成立しているのかどうか、それを判断することは難しい。不可能にさえ思えてくる。
たとえば、ムハンマドの後継者であるカリフを選出するときである。カリフになれる人物は、ムハンマドと同じクライシュ族の男性であるなど、いくつかの条件がある。ただし、その条件も公正であるとか、学識があるとか、かなり曖昧だ。
現在では、トルコ共和国の誕生によって消滅したカリフを再興しようとする動きもあるが、具体的にそれをどう実現していくか、そのプロセスにはかなりの困難が伴うことが予想される。
最近死亡した「イスラム国」の指導者、アブー・バクル・アル=バグダーディーは、自らがカリフであると宣言した。だが、それに賛同するイスラム教徒は一部にとどまり、とてもイスラム教徒全体で合意されているとは言えない状態にあった。
組織の発達したキリスト教のカトリックでは、その頂点に立つローマ教皇を選出する手続きが定められている。「コンクラーベ」と呼ばれる枢機卿による投票で決まる。
そうした仕組みは、組織のないイスラム教では確立されていない。イスラム教のあり方からして、仕組みを作り上げること自体が不可能である。
キリスト教並みに
細かく解釈がわかれていそうだな?
😀
そこで、もう一つの「類推」の出番ということになる。
類推を行うのは、イスラム法について研究しているイスラム法学者である。イスラム法学者は、「ウラマー」と呼ばれる。
イスラム法学には、4つの主要な学派が存在している。ハナフィー学派・マーリク学派・シャーフィイー学派・ハンバル学派である。イスラム法学者は、それぞれの学派において確立された学説に従って見解を発表する。それが、「ファトワー」である。
髪を染めていいかどうかの判断も、それはイスラム法学者が下したものであれば、ファトワーということになる。
ただ、ファトワーは、イスラム法学者であれば、誰でも発することができる。そして、イスラム教のあり方からして当然のことだが、組織によって認められた公的なファトワーなど存在しない。
イスラム法学者のなかには、見識が高いと多くのイスラム教徒から認められている人物もいて、そうした学者が発するファトワーに従うイスラム教徒は当然にも多くなる。だが、絶対的な権威を持つファトワーはあり得ない。
では、ファトワーが効力を持つプロセスはどのようになっているのだろうか。ここでは、イスラム教徒以外が屠った肉が果たしてハラールなのかどうかという問題を通して見てみたい。
これについては、中田考が1998年に、シリアのアブー・アル=ヌール・イスラーム大学に対して、ファトワーを示してくれるよう送った質問状が参考になる。それは、次のようなものだった。
【質問】
ワフバ・アル=ズハイリー博士はその著『イスラーム法とその典拠』3巻689頁において、「キリスト教国からの輸入肉は、たとえ屠殺時にアッラーフの名前が唱えられていなくても、食用が許される」と述べています。
それでは、シャリーアに則って屠殺した肉が多少の負担で入手可能な場合でも、店で市販されているアメリカやオーストラリヤからの輸入肉の食用は許されるのでしょうか?
これに対して、イスラム法大学の学長であるアル=シャイフ・アフマド・クフタロー博士から次のような回答が寄せられた。
【回答】
「啓典の民の食物は汝らに許されている」との至高なるアッラーフの御言葉の一般原則に基づき、キリスト教国からの輸入肉は食用が許される、それを食べることに問題はない。
啓典の民の屠殺肉にはアッラーフの御名を唱えることは条件とはならない。
また同様に「ある男が預言者の許にやって来て『アッラーフの使徒様、我々の中の一人の男が屠殺をするのに至高なるアッラーフの御名を唱えるのを忘れたのを知っておられますか?』と尋ねた時、彼は『アッラーフの御名は全てのムスリムの心中に存在する』」とのハディースに基づき、ムスリムの屠殺肉にもアッラーフの御名を唱えることは条件とはならない。
それゆえ啓典の民の屠殺肉を食べることには全く問題はない。
またムスリムは負担になるならムスリムの屠殺肉の購入を義務として課されることはない。
これが、啓典の民の国から輸入された肉がハラールであることを示したファトワーである。
これはイスラム法大学の学長が示したファトワーで、その点では権威あるものと見なされる。
だが、絶対的なものではない。同じ問題に対して、別のイスラム法学者が異なるファトワーを発する可能性はある。
ただ、ここには、イスラム法を現実に適用していく上で、イスラム法学者が工夫を施している様子が示されている。
イスラム教徒の宇宙飛行士が宇宙でどのように礼拝するかについては、マレーシアでイスラム法学者の会議が開かれた。
そこで出された見解によれば、礼拝の方角は宇宙飛行士に任せ、無重力では跪ひざまずくことができないので、それを強制しないとされた。また、宇宙飛行が断食月にあたっていたことについては、帰還後に延期もできるとし、実施する場合には、打ち上げ基地の時間を基準にすればいいとされた。
厳格な姿勢を示し、イスラム教徒が屠った肉でなければハラームだとしてしまったら、日本にいるイスラム教徒は相当に窮屈な状況を強いられる。日本でハラールな肉を探すのは容易なことではないだろう。自分で屠るわけにもいかない。
こうしたイスラム教のあり方を見ていくと、私たち日本人は随分と面倒くさいと考えるかもしれない。物事が決まっているのかどうか、その判断が難しいからである。
日本人なら、組織を作って、そこで規則を決める。その方向に向かうだろう。とくに、日本の社会は「縦社会」の傾向が強い。縦社会では、上の者の指示や命令に下の者が従うことが原則になっている。
しかし、組織の発達していないイスラム教の世界では、ここまで述べてきたようなやり方をとって物事を進めていくしかない。サウジアラビアのように、国家が決めた規則に従わないと、それで罰せられるようなところもあるが、そうしたイスラム教の国は一部に限られる。
ユダヤ教、ヒンズーは
まだまだ謎が多いな
😀