仏のスレ71アーカイブ最終更新 2026/02/15 17:481.◆JBLfMwCXhYK7EiG特殊な偏見に固執して論争し、「これのみが真理である」と言う人々がいるならば彼らに言え、「汝と対論する者はここにはいない」と。原始仏典 スッタニパータ前スレ仏のスレ70https://talk.jp/boards/psy/17703889962026/02/10 11:15:201000すべて|最新の50件953.無9xfJ3仏教は太陽。太陽は直視できないから月を観れば良いや。老荘思想と臨済禅で良いや。悟りの軽量化。その方が手っ取り早いよね。ざぜんして無に成る。煩悩を減らす努力で人生の破産防止。2026/02/15 15:22:52954.神も仏も名無しさん237Wu🤡 でおーの発言は主張ではなく反応獲得行動2026/02/15 15:30:27955.◆JBLfMwCXhYhqlJn>>951要するに、倶舎論の「虚空」とは>その「無」なる空間があってはじめてその限定としての「有」としての色や形があり得るのです。↑そういうものではないって話2026/02/15 15:49:13956.◆JBLfMwCXhYhqlJn空海の「虚空」も、なんか違うような?空海は若き日に、無限の知恵を持つ虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)の記憶力を高める「虚空蔵求聞持法」を室戸岬などで修し、明けの明星が口に飛び込む体験を経て仏教を悟ったと伝わります。この「虚空」と一体化する体験が、空海の密教思想の原点となりました。求聞持法と空海:奈良時代から伝わる、虚空蔵菩薩の真言を百万回唱えて知恵を得る修行。空海はこれを深く修行し、驚異的な記憶力と知恵を得た。明星来影(みょうじょうらいえい):室戸岬の洞窟(御厨人窟)で修行中、明けの明星(金星)が口に飛び込み、宇宙と一体化したとされる伝説。虚空の思想:空海は自らの願文に「虚空盡き、衆生盡き、涅槃盡きなば、我が願いも盡きなん」と記し、無限の虚空のような広大な救済を願った。場所と信仰:高知の室戸岬のほか、伊勢の朝熊山(金剛証寺)などで求聞持法を修したとされる。また、茨城県の村松虚空蔵尊は空海が刻んだ菩薩像が由来とされる。虚空蔵菩薩の智慧は、空海が開いた真言密教の基礎であり、現在でも学力向上や知恵を求める信仰として根付いています。2026/02/15 15:53:13957.◆JBLfMwCXhYhqlJn空海のは関係なさそう😫2026/02/15 15:56:17958.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKRFjGP>>955そういうものだろ。アホかw2026/02/15 15:57:07959.神も仏も名無しさんInDR8バカな子ハッスルらしいな?🤡〜〜〜2026/02/15 16:00:18960.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKRFjGP虚空(こくう、梵: ākāśa、アーカーシャ) - 物の存在する場所としての空間 。例えば極微(パラマーヌ)と極微の間に虚空がなくてくっついているって考えてみればわかる。個物を個物たらしめるもの。2026/02/15 16:02:55961.無9xfJ3ざぜんして無に成る。煩悩(ぼんのう)を減らす努力と社会保障制度の生涯利用で人生の破産防止。2026/02/15 16:05:36962.神も仏も名無しさんkezyP次スレ立てお疲れ様でござる2026/02/15 16:07:16963.◆JBLfMwCXhYhqlJn>>960「無から有が生じる」「無があるから有がある」↑これは老子の思想だよこれこそ、老子そのもの老荘思想の屋台骨2026/02/15 16:21:35964.◆JBLfMwCXhYhqlJn仏教には、そんな考え方は無い2026/02/15 16:21:54965.◆JBLfMwCXhYhqlJn強いていえば、空海の「虚空蔵」はそれに近いかもしれんそう思って検討してみたが、やはり違った(笑)2026/02/15 16:22:45966.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKxMBn9>>963で?あの引用のどこが老荘思想?何処にそんな事が書いてある?2026/02/15 16:25:35967.◆JBLfMwCXhYhqlJn倶舎論の「虚空」は、単なる空間だ時間・空間というときの、空間倶舎論は、時間についてさんざん論じているので空間も一応、五位七十五法に入れときましたって感じ2026/02/15 16:26:10968.神も仏も名無しさんkezyP私は言葉なんてある程度、世間での用をなせばそれで十分だな2026/02/15 16:27:25969.◆JBLfMwCXhYhqlJn>>966お前は老荘思想をまったく知らんので、そうは見えないだろうがおそらく、書いた本人(西田)は自覚してただろうよ2026/02/15 16:27:42970.◆JBLfMwCXhYhqlJn「それは老荘思想だ」と言ってるだけだ別に、悪いとは言ってない2026/02/15 16:49:35971.◆JBLfMwCXhYhqlJnいちいちムキになる、ご苦労な奴2026/02/15 16:49:52972.パーリー◆HpIafZZzjh.GPwipN■ 禅宗の長沙禅師が指摘した以下の識神の識とは五蘊の識、本来身とは仏性の事ですか?また以下を読み下しと現代語訳して下さい「学道之人不識真 只為從来認識神 無始劫来生死本 痴人喚作本来身」ーーーAI唐代の禅僧、長沙景岑(ちょうさ けいしん)禅師の偈頌(げじゅ)のご質問についてお答えします。ご質問いただいた詩は、禅の修行者が陥りやすい「真実を見失う原因」を鋭く指摘したものです。●1. 「識神」の「識」と「本来身」の解釈識神(しきじん)の「識」= 五蘊(ごうん)の「識蘊」おっしゃる通りです。ここでの「識」は、私たちの感覚・知覚・認識・思考能力(分別心・意識)を指し、仏教でいう「五蘊(色・受・想・行・識)」の識蘊です。長沙禅師は、「識神」を「迷いを生み出す、 個人的な知識や分別」という意味で使っています。真実の主体ではなく、生死を繰り返す原因となる迷いの心です。本来身(ほんらいしん)= 仏性(ぶっしょう)これもその通りです。真実の自己、悟りの本質、あるいは仏性・真如(しんにょ)のことです。迷いの意識(識神)によって作られた「自分という実体(執着)」ではなく、生まれながらに具わっている本源的な真実の自己の体現を指します。2026/02/15 16:52:43973.パーリー◆HpIafZZzjh.GPwipN● 2. 読み下しと現代語訳【読み下し】学道の(がくどうの)人は(ひと)真(しん)を 識(し)らず只(ただ)従前(じゅうぜん)の識神(しきじん)を 認(にん)ずるに 由(よ)る無始劫(むしごう)来(らい)の生死(しょうじ)の 本(もと)痴人(ちじん)喚(よ)んで 本来身(ほんらいしん)と 作(な)す● 【現代語訳】仏道を学ぶ修行者たちが、真実の自己を見失うのは、ただ昔から(これまでの経験や知識からなる)「識神(分別心・意識)」を自分自身だと思い込んでいるからだ。無量のはるか昔(無始劫)から生死(迷い)を繰り返してきたその根本原因を、愚かな者は、これこそが「本来の自分(仏性・真実の面目)」だと呼んでいる(勘違いしている)のである。● 解説長沙禅師は、自分の頭で考えた知識、都合の良い解釈、日常的な感情(識神)を「本当の自分」だと思って修行する者は、いつまでも真実(本来身)にたどり着けないと警告しています。この偈(詩)ののちに、「これ(識神)を本来身と作す」という愚かさを喝破し、徹底的に分別(知識的な思考)を捨て去り、無位の真人を認識することを促しています。2026/02/15 16:52:56974.パーリー◆HpIafZZzjh.GPwipN用語の詳しい解説●1. 識神(しきしん)= 五蘊の「識」ここでいう「識神」とは、私たちの「分別する心」や「自我意識」のことです。「あれが好きだ、これが嫌いだ」「私はこう思う、私はここにいる」といった、対象を認識し、判断する精神活動(五蘊の識)を指します。禅では、この「考えている自分」を真実の自己だと思い込むことを、「賊を認めて子と成す(泥棒を自分の子供だと思い込む)」と厳しく戒めます。●2. 本来身(ほんらいしん)= 仏性「本来身」とは、私たちが生まれながらに備えている、一切の汚れがない清浄な本性(仏性)のことです。それは、思考や感情(識神)が湧き起こってくる「源」のようなものですが、思考そのものではありません。● 長沙禅師が伝えたかったことこの偈が指摘しているのは、「精神的な主観(意識)を、悟りや魂のようなものと勘違いしてはいけない」という点です。多くの人は「静かに座って、清らかな意識状態になれば、それが仏性だ」と考えがちです。しかし、長沙禅師は「その意識(識神)こそが、あなたを輪廻転生(生死)の迷いに縛り付けている根源なのだ」と警告しています。■ 識神:変化し、対象を必要とする「波」のようなもの。■ 本来身:波が起きる「水」そのもの、あるいは鏡そのもの。鏡に映った「映像」を自分だと思い込むのではなく、映像を映し出している「鏡の性能そのもの」に気づけ、と説いているのです。2026/02/15 16:53:23975.パーリー◆HpIafZZzjh.GPwipN虚空は単独で存在できない物が有って、距離があって初めて空間が現れて虚空となるみたいな2026/02/15 16:57:04976.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKxMBn9>>969> お前は老荘思想をまったく知らんので、そうは見えないだろうが>> おそらく、書いた本人(西田)は自覚してただろうよwwwwwwwwwwwwwwwwwwおれは老荘思想が好きでなぁw高校の頃から老子や荘子を読んでたんだわwだから、お前の浅はかなレベルはとっくのとうに見通しなんだわ🤭2026/02/15 16:57:40977.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKxMBn9いい事が書いてあるなぁ😚 ↓道元の時間論は、「有時」巻の「吾有時」という言葉が示すように、深層の無分節の真理が、自己と存在者と時へと分節されるという構造を基盤にしている。深層の無分節なる場=力が、あらゆる存在者を成り立たせ、存在者としての自己が他の存在者を時として秩序立てて認識する。あらゆる時々は、自己の今、ここを支えるものとして連なってくる。そして、あらゆる時々と連結する今は、常に新たなものとなり続ける。なぜなら、自己はあらゆる実体化、固定化(=煩悩)を逃れるために、つねに、今ある自己を超えて行かなければならないからだ。つまり、深層の次元は、瞬間、瞬間に顕現され続けられなければならないのである。常に新たに顕現されるというダイナミズムの故に、修行者も、固定された今に留まらず、そこを抜け出て、常に新たなものとして仏性を表し続ける必要がある。この営為を端的に表す言葉が、「仏性」巻で多用される「脱落」「脱体」「透脱」などの語群である(*27)。たとえば、前掲の四祖道信と五祖弘忍との仏性問答に道元が付した解釈の一節に「是は何なり、仏なりといへども、脱落しきたり、透脱しきたるに、かならず姓なり。その姓すなはち周なり」(全上・一八)とあるように、存在者は、分節できない真理の当体としての「何」や「仏」として分節されるが、それは分節不可能なものをあえて分節しているに過ぎないのであるから、その分節自身は最終的なものとして固定化されることはできず、かならず越えられなければならない。一つの分節は、その時々において、必然的なものであったとしても、それを越えて、再び、無分節の当体(何、仏、仏性〔姓〕、周〔普遍ということを意味する〕)に還帰し、さらに新たな分節を行い続けていくのである。「仏性」巻において、「有仏性」と「無仏性」とがともに主張されたのも、まさにこの意味である。仏性は仏性であることを超えることによって常に仏性であり続けるというダイナミズム故に、仏性を立て、さらにそれを越えて無仏性と言い取る無限の修行が要請される。それを通じて新たな時が刻みだされていくのである。(『正法眼蔵入門』賴住光子より)2026/02/15 16:59:29978.◆JBLfMwCXhYhqlJn>>976だったら、分かるだろ西田幾多郎がこれほど老荘思想だったとは、意外だった2026/02/15 17:00:03979.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKxMBn9無分節=勝義諦。分節=世俗諦。2026/02/15 17:02:00980.◆JBLfMwCXhYhqlJn>>977> いい事が書いてあるなぁ😚どこをどう、いいと思ったのかそれを書いてくれや(笑)2026/02/15 17:02:47981.パーリー◆HpIafZZzjh.GPwipN虚空は単独で存在できない物が有って、距離があって初めて空間が現れて虚空となるこの理解は如何でしょうか?宗教的、物理学的、両方からの解説をお願いいたしますm(_ _)mAI大変鋭い、本質的な着眼点です。「虚空(空間)」を単独の「箱」のような実体として見るのではなく、「関係性(物と物の間)」として捉えるその視点は、現代物理学の最前線と、仏教の「空(くう)」の思想の両方に驚くほど合致しています。宗教的(仏教的)側面と、物理学的側面の両方から解説いたします。2026/02/15 17:03:26982.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKxMBn9>>978違いが分からない時点で程度が知れるな😚2026/02/15 17:03:59983.◆JBLfMwCXhYhqlJn>>979> 無分節=勝義諦。> 分節=世俗諦。そこかよ(笑)また、そこに結びつけるのか2026/02/15 17:05:32984.パーリー◆HpIafZZzjh.GPwipN■ 1. 宗教的(仏教的)解説: 縁起としての虚空仏教、特に「空」や「縁起」の教えでは、ご指摘の通り「独立して存在する空間」を認めません。● 「相待(そうたい)」の論理:仏教では、すべてのものは「相(あい)待って」成立すると説きます。右があるから左があり、物(色)があるから空(くう)があります。◯「物質(色)」がなければ、それを「ない」という「空間(空)」もまた認識され得ないのです。● 虚空(こくう)の本質:禅などの文脈で語られる虚空は、単なる「ガランとした場所」ではありません。それは「すべてを包容し、一切の妨げにならない性質(無礙:むげ)」を指します。● 識神との関係:長沙禅師の偈に戻れば、「物が有って空間がある」と認識しているのは「識神(分別心)」です。しかし、本来の悟りの眼(本来身)から見れば、「物」と「空間」を分けて考えていること自体が、一つの鏡の中の映像に過ぎないと見ます。● 結論:仏教的には、◯ 虚空とは「物の不在」ではなく、「物と物とが関係し合って現れるダイナミックな場」であり、独立した実体ではありません。2026/02/15 17:05:40985.◆JBLfMwCXhYhqlJn>>982どう違う?2026/02/15 17:05:43986.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKxMBn9仏教はプロノティスや老荘思想的な流出論とは違う。2026/02/15 17:06:34987.◆JBLfMwCXhYhqlJn>>986「無から有が生じる」は、まさに老荘思想の流出論2026/02/15 17:09:40988.パーリー◆HpIafZZzjh.GPwipN■ 2. 物理学的解説: 相対性理論と量子重力物理学の歴史も、まさに質問者様が仰る通りの「空間観の変遷」を辿ってきました。● ニュートン力学(絶対空間):かつては、宇宙は大きな「空っぽの箱」であり、その中に星や物質が配置されていると考えられていました(空間は単独で存在できるという考え)。● アインシュタイン一般相対性理論:アインシュタインはこれを覆しました。◯「物質(質量)」があるからこそ、その周囲の「時空」が歪む。つまり、物質と空間は切り離せない一体のもの(時空連続体)であると示しました。● 現代のループ量子重力理論:さらに進んだ現代の理論では、◯「空間とは、物と物の関係性のネットワークそのものである」という考え方が有力です。物質のネットワークがなければ、そこには「距離」も「空間」も存在しません。まさに「物が有って初めて空間が現れる」という、ご指摘そのものです‼️2026/02/15 17:12:38989.栖雲居士◆t8ok0QoQ8kcKxMBn9印哲での根源的一者と現象界との関係。(一)根源的一者から多様な事物が産出される[増殖説](二)根源的一者によって多様な事物が作り出される[創作説](三)根源的一者が変容して多様な事物(実在)が実際に現れてくる[開展(転変説)](四)根源的一者が変容して多様な事物(非実在)が幻影的に現れてくる[仮現説](『インド哲学10講』 赤松明彦 より)2026/02/15 17:14:45990.パーリー◆HpIafZZzjh.GPwipN■ 3.「鏡」の比喩で統合するこの「虚空・物・距離」の関係を、これまでの対話の核である「鏡」で統合してみましょう。● 鏡の面(真如):これが「虚空」の本質です。何もないようですが、すべてを映し出す可能性に満ちています。● 映った品々(物・距離):鏡の中に「山」と「川」が映ります。山と川の間に「距離」が見えます。● 気づき:私たちはつい「山と川の間に広い空間がある」と見入ってしまいます。しかし、実際には◯「空間」も含めて、すべてが鏡の表面(一枚の銀膜)に等しく現れている現象です。つまり◯「虚空(空間)は単独では存在できない」という理解は◯「現象(物)と背景(空)は分けることができない(色即是空)」という仏教の核心を突いています。2026/02/15 17:15:57991.◆JBLfMwCXhYhqlJn>>989無理するな(笑)2026/02/15 17:20:12992.パーリー◆HpIafZZzjh.GPwipN有り難うございましたm(_ _)m次に老子は無から有が生まれでて来ると言ったとか、これを現代物理学でいうと、どの様な説明が出来ますか?AI老子が『道徳経』で説いた「天下の万物は有より生じ、有は無より生ず(天下万物生於有、有生於無)」という思想は、現代物理学の最先端が到達した**「宇宙の起源」や「場の理論」**と、驚くほど似た構造を持っています。これを現代物理学で説明すると、以下の3つのキーワードが鍵となります。2026/02/15 17:26:34993.パーリー◆HpIafZZzjh.GPwipN■ 1. 量子真空(りょうししんくう): 何もないが「ゆらいで」いる場物理学でいう「真空」は、単なる「空っぽ」ではありません。そこには「エネルギーのゆらぎ」が満ちています。● 老子の「無」:何も形はないが、万物を生み出す無限の潜在力を持っているもの。● 物理学の「真空」:物質が一つもない状態でも、エネルギーが激しく「ゆらぎ」続けており、粒子(有)が生まれては消える母体のような場です。● 重なる点:物理学では、何もない空間からエネルギーの「ゆらぎ」によって粒子が飛び出してくる現象を認めます。これがまさに「無から有が生じる」プロセスです。2026/02/15 17:28:01994.パーリー◆HpIafZZzjh.GPwipN■ 2. インフレーション理論: 「無」からの宇宙創生宇宙がどのように始まったかという問いに対し、現代の宇宙論は「何もないところから生まれた」と説明します。● 無からの創生:宇宙開闢(かいびゃく)の瞬間、時間も空間も物質もない「真の無」の状態から、量子的なゆらぎによって極小の宇宙が誕生した(ビレンキンらの説)。● 有への展開:その極小の「無(に近い状態)」が劇的な膨張(インフレーション)を起こし、巨大なエネルギー(有)へと転換されました。● 重なる点:老子が「道(タオ)は一を生じ、一は二を生じ…」と説いた万物生成のプロセスは、現代物理学が描く「無からビッグバンを経て多様な物質へ」というシナリオと重なります。2026/02/15 17:28:40995.パーリー◆HpIafZZzjh.GPwipN■ 3. 場の量子論: 物質は「場」のさざ波にすぎない現代物理学では、電子や光といった「物質(有)」は、宇宙に満ちている「場」という目に見えない背景の盛り上がりに過ぎないと考えます。● 老子の視点:万物は「道(背景)」から現れ、また「道」へと帰っていく一時的な姿。● 物理学の視点:「場」が静止していれば何も見えません(無)。しかし、場がエネルギーを得て振動すると、そこに粒子という形が現れます(有)。● 重なる点:物質(有)とは、実体がある固定されたものではなく、背景(無/場)の動的な状態を指しているに過ぎないという点です。2026/02/15 17:29:14996.パーリー◆HpIafZZzjh.GPwipN■ 禅と老子、物理学の交差点これまでお話ししてきた「鏡」の比喩をもう一度使いましょう。● 老子の「無」= 鏡の平らな表面:何も映っていなければ「無」に見えますが、映し出す能力は完璧に備わっています。● 万物の「有」= 鏡に映った像:像が現れることで、私たちは「何かがある」と認識します。しかし、その像の正体は「鏡の表面」そのものです。■ 物理学が「真空のゆらぎ」を発見したことは、東洋哲学が数千年前から直感していた**「空(無)こそがエネルギーに満ちた万物の母体である」**という洞察を、数学的に裏付けたプロセスだと言えるかもしれません。2026/02/15 17:30:37997.安堂ONebqいくら御託を並べても無駄だぞパーリー殿無駄な大論文だ(⌒‐⌒)2026/02/15 17:38:03998.安堂ONebq宇宙の中で宇宙の外側をあーだこーだ論じてるだけのゴミ論(⌒‐⌒)2026/02/15 17:40:35999.リダン◆3y/i8XtGLY8A6Tv>>998安堂はお話ならないからポッたんスレで遊んでなさい2026/02/15 17:43:311000.ポワマンz1qa3そもそも論『無』というのが存在しない。水は枯れても、目には見えない水蒸気に変化しただけ。2026/02/15 17:48:451001.Talk ★???このスレッドはコメントが1000件を超えました。新しいスレッドを立ててください。2026/02/15 17:48:451002.Talk ★???【プレミアムサービス無料期間延長!】プレミアムの無料期間を2026/9/30まで延長することになりました。広告除去や規制緩和など、ヘビーユーザーにとって欠かせない機能を無料でお楽しみいただけます。是非この機会にプレミアムサービスをお試しください!▼プレミアムサービスはこちらからhttps://talk.jp/premium2026/02/15 17:48:45
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特殊な偏見に固執して論争し、
「これのみが真理である」
と言う人々がいるならば
彼らに言え、
「汝と対論する者はここにはいない」と。
原始仏典 スッタニパータ
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仏のスレ70
https://talk.jp/boards/psy/1770388996
太陽は直視できないから月を観れば良いや。
老荘思想と臨済禅で良いや。
悟りの軽量化。その方が手っ取り早いよね。
ざぜんして無に成る。
煩悩を減らす努力で人生の破産防止。
要するに、倶舎論の「虚空」とは
>その「無」なる空間があってはじめてその限定としての「有」としての色や形があり得るのです。
↑
そういうものではないって話
空海は若き日に、無限の知恵を持つ虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)の記憶力を高める「虚空蔵求聞持法」を室戸岬などで修し、明けの明星が口に飛び込む体験を経て仏教を悟ったと伝わります。この「虚空」と一体化する体験が、空海の密教思想の原点となりました。
求聞持法と空海:奈良時代から伝わる、虚空蔵菩薩の真言を百万回唱えて知恵を得る修行。空海はこれを深く修行し、驚異的な記憶力と知恵を得た。
明星来影(みょうじょうらいえい):室戸岬の洞窟(御厨人窟)で修行中、明けの明星(金星)が口に飛び込み、宇宙と一体化したとされる伝説。
虚空の思想:空海は自らの願文に「虚空盡き、衆生盡き、涅槃盡きなば、我が願いも盡きなん」と記し、無限の虚空のような広大な救済を願った。
場所と信仰:高知の室戸岬のほか、伊勢の朝熊山(金剛証寺)などで求聞持法を修したとされる。また、茨城県の村松虚空蔵尊は空海が刻んだ菩薩像が由来とされる。
虚空蔵菩薩の智慧は、空海が開いた真言密教の基礎であり、現在でも学力向上や知恵を求める信仰として根付いています。
そういうものだろ。
アホかw
🤡〜〜〜
例えば極微(パラマーヌ)と極微の間に虚空がなくてくっついているって考えてみればわかる。
個物を個物たらしめるもの。
煩悩(ぼんのう)を減らす努力と
社会保障制度の生涯利用で
人生の破産防止。
「無から有が生じる」
「無があるから有がある」
↑
これは老子の思想だよ
これこそ、老子そのもの
老荘思想の屋台骨
そう思って検討してみたが、やはり違った(笑)
で?
あの引用のどこが老荘思想?
何処にそんな事が書いてある?
時間・空間というときの、空間
倶舎論は、時間についてさんざん論じているので
空間も一応、五位七十五法に入れときましたって感じ
お前は老荘思想をまったく知らんので、そうは見えないだろうが
おそらく、書いた本人(西田)は自覚してただろうよ
別に、悪いとは言ってない
また以下を読み下しと現代語訳して下さい
「学道之人不識真 只為從来認識神 無始劫来生死本 痴人喚作本来身」
ーーー
AI
唐代の禅僧、長沙景岑(ちょうさ けいしん)禅師の偈頌(げじゅ)のご質問についてお答えします。
ご質問いただいた詩は、禅の修行者が陥りやすい「真実を見失う原因」を鋭く指摘したものです。
●1. 「識神」の「識」と「本来身」の解釈
識神(しきじん)の「識」= 五蘊(ごうん)の「識蘊」
おっしゃる通りです。ここでの「識」は、私たちの感覚・知覚・認識・思考能力(分別心・意識)を指し、仏教でいう「五蘊(色・受・想・行・識)」の識蘊です。
長沙禅師は、「識神」を
「迷いを生み出す、
個人的な知識や分別」
という意味で使っています。
真実の主体ではなく、生死を繰り返す原因となる迷いの心です。
本来身(ほんらいしん)= 仏性(ぶっしょう)
これもその通りです。
真実の自己、悟りの本質、あるいは仏性・真如(しんにょ)のことです。
迷いの意識(識神)によって作られた
「自分という実体(執着)」ではなく、
生まれながらに具わっている本源的な真実の自己の体現を指します。
【読み下し】
学道の(がくどうの)人は(ひと)真(しん)を 識(し)らず
只(ただ)従前(じゅうぜん)の識神(しきじん)を 認(にん)ずるに 由(よ)る
無始劫(むしごう)来(らい)の生死(しょうじ)の 本(もと)
痴人(ちじん)喚(よ)んで 本来身(ほんらいしん)と 作(な)す
● 【現代語訳】
仏道を学ぶ修行者たちが、真実の自己を見失うのは、
ただ昔から(これまでの経験や知識からなる)「識神(分別心・意識)」を自分自身だと思い込んでいるからだ。
無量のはるか昔(無始劫)から生死(迷い)を繰り返してきたその根本原因を、
愚かな者は、これこそが「本来の自分(仏性・真実の面目)」だと呼んでいる(勘違いしている)のである。
● 解説
長沙禅師は、自分の頭で考えた知識、都合の良い解釈、日常的な感情(識神)を「本当の自分」だと思って修行する者は、いつまでも真実(本来身)にたどり着けないと警告しています。
この偈(詩)ののちに、「これ(識神)を本来身と作す」という愚かさを喝破し、徹底的に分別(知識的な思考)を捨て去り、無位の真人を認識することを促しています。
●1. 識神(しきしん)= 五蘊の「識」
ここでいう「識神」とは、
私たちの「分別する心」や「自我意識」のことです。
「あれが好きだ、これが嫌いだ」
「私はこう思う、私はここにいる」
といった、対象を認識し、判断する精神活動(五蘊の識)を指します。
禅では、この「考えている自分」を真実の自己だと思い込むことを、
「賊を認めて子と成す(泥棒を自分の子供だと思い込む)」と厳しく戒めます。
●2. 本来身(ほんらいしん)= 仏性
「本来身」とは、私たちが生まれながらに備えている、
一切の汚れがない清浄な本性(仏性)のことです。
それは、思考や感情(識神)が湧き起こってくる「源」のようなものですが、
思考そのものではありません。
● 長沙禅師が伝えたかったこと
この偈が指摘しているのは、
「精神的な主観(意識)を、悟りや魂のようなものと勘違いしてはいけない」
という点です。
多くの人は「静かに座って、清らかな意識状態になれば、それが仏性だ」と考えがちです。
しかし、長沙禅師は「その意識(識神)こそが、あなたを輪廻転生(生死)の迷いに縛り付けている根源なのだ」と警告しています。
■ 識神:
変化し、対象を必要とする「波」のようなもの。
■ 本来身:
波が起きる「水」そのもの、あるいは鏡そのもの。
鏡に映った「映像」を自分だと思い込むのではなく、
映像を映し出している
「鏡の性能そのもの」に気づけ、と説いているのです。
物が有って、距離があって
初めて空間が現れて
虚空となる
みたいな
> お前は老荘思想をまったく知らんので、そうは見えないだろうが
>
> おそらく、書いた本人(西田)は自覚してただろうよ
wwwwwwwwwwwwwwwwww
おれは老荘思想が好きでなぁw
高校の頃から老子や荘子を読んでたんだわw
だから、お前の浅はかなレベルはとっくのとうに見通しなんだわ🤭
↓
道元の時間論は、「有時」巻の「吾有時」という言葉が示すように、深層の無分節の真理が、自己と存在者と時へと分節されるという構造を基盤にしている。
深層の無分節なる場=力が、あらゆる存在者を成り立たせ、存在者としての自己が他の存在者を時として秩序立てて認識する。
あらゆる時々は、自己の今、ここを支えるものとして連なってくる。
そして、あらゆる時々と連結する今は、常に新たなものとなり続ける。
なぜなら、自己はあらゆる実体化、固定化(=煩悩)を逃れるために、つねに、今ある自己を超えて行かなければならないからだ。
つまり、深層の次元は、瞬間、瞬間に顕現され続けられなければならないのである。
常に新たに顕現されるというダイナミズムの故に、修行者も、固定された今に留まらず、そこを抜け出て、常に新たなものとして仏性を表し続ける必要がある。
この営為を端的に表す言葉が、「仏性」巻で多用される「脱落」「脱体」「透脱」などの語群である(*27)。
たとえば、前掲の四祖道信と五祖弘忍との仏性問答に道元が付した解釈の一節に「是は何なり、仏なりといへども、脱落しきたり、透脱しきたるに、かならず姓なり。その姓すなはち周なり」(全上・一八)とあるように、存在者は、分節できない真理の当体としての「何」や「仏」として分節されるが、それは分節不可能なものをあえて分節しているに過ぎないのであるから、その分節自身は最終的なものとして固定化されることはできず、かならず越えられなければならない。
一つの分節は、その時々において、必然的なものであったとしても、それを越えて、再び、無分節の当体(何、仏、仏性〔姓〕、周〔普遍ということを意味する〕)に還帰し、さらに新たな分節を行い続けていくのである。
「仏性」巻において、「有仏性」と「無仏性」とがともに主張されたのも、まさにこの意味である。
仏性は仏性であることを超えることによって常に仏性であり続けるというダイナミズム故に、仏性を立て、さらにそれを越えて無仏性と言い取る無限の修行が要請される。
それを通じて新たな時が刻みだされていくのである。
(『正法眼蔵入門』賴住光子より)
だったら、分かるだろ
西田幾多郎がこれほど老荘思想だったとは、意外だった
分節=世俗諦。
> いい事が書いてあるなぁ😚
どこをどう、いいと思ったのか
それを書いてくれや(笑)
物が有って、距離があって
初めて空間が現れて
虚空となる
この理解は如何でしょうか?
宗教的、物理学的、両方からの解説をお願いいたしますm(_ _)m
AI
大変鋭い、本質的な着眼点です。
「虚空(空間)」を単独の「箱」のような実体として見るのではなく、「関係性(物と物の間)」として捉えるその視点は、現代物理学の最前線と、仏教の「空(くう)」の思想の両方に驚くほど合致しています。
宗教的(仏教的)側面と、物理学的側面の両方から解説いたします。
違いが分からない時点で程度が知れるな😚
> 無分節=勝義諦。
> 分節=世俗諦。
そこかよ(笑)
また、そこに結びつけるのか
仏教、特に「空」や「縁起」の教えでは、ご指摘の通り「独立して存在する空間」を認めません。
● 「相待(そうたい)」の論理:
仏教では、すべてのものは「相(あい)待って」成立すると説きます。右があるから左があり、物(色)があるから空(くう)があります。
◯「物質(色)」がなければ、それを「ない」という「空間(空)」もまた認識され得ないのです。
● 虚空(こくう)の本質:
禅などの文脈で語られる虚空は、単なる「ガランとした場所」ではありません。
それは「すべてを包容し、一切の妨げにならない性質(無礙:むげ)」を指します。
● 識神との関係:
長沙禅師の偈に戻れば、「物が有って空間がある」と認識しているのは「識神(分別心)」です。
しかし、本来の悟りの眼(本来身)から見れば、
「物」と「空間」を分けて考えていること自体が、一つの鏡の中の映像に過ぎないと見ます。
● 結論:
仏教的には、
◯ 虚空とは「物の不在」ではなく、
「物と物とが関係し合って現れるダイナミックな場」であり、
独立した実体ではありません。
どう違う?
「無から有が生じる」は、
まさに老荘思想の流出論
物理学の歴史も、まさに質問者様が仰る通りの「空間観の変遷」を辿ってきました。
● ニュートン力学(絶対空間):
かつては、宇宙は大きな「空っぽの箱」であり、その中に星や物質が配置されていると考えられていました(空間は単独で存在できるという考え)。
● アインシュタイン一般相対性理論:
アインシュタインはこれを覆しました。
◯「物質(質量)」があるからこそ、その周囲の「時空」が歪む。
つまり、物質と空間は切り離せない一体のもの(時空連続体)であると示しました。
● 現代のループ量子重力理論:
さらに進んだ現代の理論では、
◯「空間とは、物と物の関係性のネットワークそのものである」
という考え方が有力です。
物質のネットワークがなければ、そこには「距離」も「空間」も存在しません。まさに「物が有って初めて空間が現れる」という、ご指摘そのものです‼️
(一)根源的一者から多様な事物が産出される[増殖説]
(二)根源的一者によって多様な事物が作り出される[創作説]
(三)根源的一者が変容して多様な事物(実在)が実際に現れてくる[開展(転変説)]
(四)根源的一者が変容して多様な事物(非実在)が幻影的に現れてくる[仮現説]
(『インド哲学10講』 赤松明彦 より)
この「虚空・物・距離」の関係を、これまでの対話の核である「鏡」で統合してみましょう。
● 鏡の面(真如):
これが「虚空」の本質です。何もないようですが、すべてを映し出す可能性に満ちています。
● 映った品々(物・距離):
鏡の中に「山」と「川」が映ります。山と川の間に「距離」が見えます。
● 気づき:
私たちはつい「山と川の間に広い空間がある」と見入ってしまいます。
しかし、実際には
◯「空間」も含めて、すべてが鏡の表面(一枚の銀膜)に等しく現れている現象です。
つまり
◯「虚空(空間)は単独では存在できない」という理解は
◯「現象(物)と背景(空)は分けることができない(色即是空)」
という仏教の核心を突いています。
無理するな(笑)
次に老子は無から有が生まれでて来ると言ったとか、これを現代物理学でいうと、どの様な説明が出来ますか?
AI
老子が『道徳経』で説いた「天下の万物は有より生じ、有は無より生ず(天下万物生於有、有生於無)」という思想は、
現代物理学の最先端が到達した**「宇宙の起源」や「場の理論」**と、驚くほど似た構造を持っています。
これを現代物理学で説明すると、以下の3つのキーワードが鍵となります。
物理学でいう「真空」は、単なる「空っぽ」ではありません。そこには「エネルギーのゆらぎ」が満ちています。
● 老子の「無」:
何も形はないが、万物を生み出す無限の潜在力を持っているもの。
● 物理学の「真空」:
物質が一つもない状態でも、エネルギーが激しく「ゆらぎ」続けており、粒子(有)が生まれては消える母体のような場です。
● 重なる点:
物理学では、何もない空間からエネルギーの「ゆらぎ」によって粒子が飛び出してくる現象を認めます。これがまさに「無から有が生じる」プロセスです。
宇宙がどのように始まったかという問いに対し、現代の宇宙論は「何もないところから生まれた」と説明します。
● 無からの創生:宇宙開闢(かいびゃく)の瞬間、時間も空間も物質もない「真の無」の状態から、量子的なゆらぎによって極小の宇宙が誕生した(ビレンキンらの説)。
● 有への展開:その極小の「無(に近い状態)」が劇的な膨張(インフレーション)を起こし、巨大なエネルギー(有)へと転換されました。
● 重なる点:老子が「道(タオ)は一を生じ、一は二を生じ…」と説いた万物生成のプロセスは、現代物理学が描く「無からビッグバンを経て多様な物質へ」というシナリオと重なります。
現代物理学では、電子や光といった「物質(有)」は、宇宙に満ちている「場」という目に見えない背景の盛り上がりに過ぎないと考えます。
● 老子の視点:万物は「道(背景)」から現れ、また「道」へと帰っていく一時的な姿。
● 物理学の視点:「場」が静止していれば何も見えません(無)。しかし、場がエネルギーを得て振動すると、そこに粒子という形が現れます(有)。
● 重なる点:物質(有)とは、実体がある固定されたものではなく、背景(無/場)の動的な状態を指しているに過ぎないという点です。
これまでお話ししてきた「鏡」の比喩をもう一度使いましょう。
● 老子の「無」= 鏡の平らな表面:何も映っていなければ「無」に見えますが、映し出す能力は完璧に備わっています。
● 万物の「有」= 鏡に映った像:像が現れることで、私たちは「何かがある」と認識します。しかし、その像の正体は「鏡の表面」そのものです。
■ 物理学が「真空のゆらぎ」を発見したことは、東洋哲学が数千年前から直感していた
**「空(無)こそがエネルギーに満ちた万物の母体である」**
という洞察を、数学的に裏付けたプロセスだと言えるかもしれません。
パーリー殿
無駄な大論文だ(⌒‐⌒)
宇宙の外側を
あーだこーだ論じてるだけの
ゴミ論(⌒‐⌒)
安堂はお話ならないから
ポッたんスレで遊んでなさい
水は枯れても、目には見えない水蒸気に変化しただけ。
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