【ブッダの教え】初期仏教【最初はこういう話だった】最終更新 2026/03/21 13:001.◆JBLfMwCXhY7faQOいまこそ、原点に帰ろう2026/01/19 06:10:25581コメント欄へ移動すべて|最新の50件532.◆JBLfMwCXhY1GAllA.I.古代インドの快楽主義に関する主なポイントは以下の通りです。代表的学派「順世派(ローカーヤタ)」古代インドの異端的な思想であり、カルマ(業)や転生、霊魂の存在を否定し、唯物論的な立場をとりました。世界は地・水・火・風の4つの物質からなり、人は死ぬと何も残らないと考えました。思想の内容「生きる目的は、可能な限り多くの官能的な快楽を経験することである」と主張し、苦行を否定しました。あらゆる行為は自然発生的であるべきだという「自性(じしょう)」の概念を唱えました。時代背景ガンジス川流域の都市興隆に伴う商業活動の発展期に、従来の宗教的制約に反発する形で生まれた思想です。仏教やジャイナ教が禁欲的な修行を重んじたのに対し、対照的な立場をとりました。この思想は「外道(げどう)」として批判されることもありましたが、古代インドの思想的自由を示す重要な一派でした。2026/02/23 22:02:18533.◆JBLfMwCXhY1GAll>>532>「順世派(ローカーヤタ)」> 古代インドの異端的な思想であり、カルマ(業)や転生、霊魂の存在を否定し、唯物論的な立場をとりました。> 世界は地・水・火・風の4つの物質からなり、人は死ぬと何も残らないと考えました。> 「生きる目的は、可能な限り多くの官能的な快楽を経験することである」と主張し、苦行を否定しました。↑どうも、初期仏教のブッダ教団ってものを、これだと勘違いしてる人が多いんだよなあ「生きる目的は、可能な限り多くの官能的な快楽を経験することである」という一節さえ除けば、あとは昭和の仏教学者そのものだ2026/02/23 22:05:54534.◆JBLfMwCXhY1GAll「そんな、おおげさな」と思うかもしれないがちっともおおげさではない実際に「お釈迦様は、輪廻転生や死後世界を否定しました。苦しい修行から離れて、1度きりの人生をより良く生きようと唱えました。これは、当時のインドにおいては画期的な思想でした」と主張する人を、何人も見てきたそう思ってる人は結構多いだが、残念ながらそれは、お釈迦様の思想ではない六師外道の1人、アジタの思想だ2026/02/23 22:12:06535.◆JBLfMwCXhY1GAll釈迦は、修行時代にアジタのもとで断滅論を学びたちどころに、その教えを極めたとされている釈迦が本気で断滅論を信じていたのならなぜ、アジタの教団から離れて、独自の教団を建てたのか?2026/02/23 22:15:41536.◆JBLfMwCXhY1GAll快楽主義から離れることが重要だ快楽主義者が、なぜ快楽を重視するのかというと1度きりの人生を、より良く生きるためだこれは、輪廻転生や死後世界を否定する唯物論と表裏一体の関係だから、唯物論は嫌われる2026/02/23 22:21:39537.◆JBLfMwCXhY1GAllもしも、輪廻転生や死後世界が無いのなら禁欲的な修行を死ぬまで続けることには、なんの意味もない禁欲しようが、快楽を追求しようが、死ねば同じだからだ結果は何も変わらないだから、論理的には快楽主義に帰結する2026/02/23 22:25:03538.◆JBLfMwCXhY1GAll「あの世は無い。生まれ変わりも無い」という断滅論は「この物質世界がすべてである」という唯物論と表裏一体の関係にあるそれは、「1度きりの人生をより良く生きよう」という考えにつながり、結果的に快楽主義に帰結する断滅論は、だからダメなのである(仏教的には)2026/02/23 22:27:41539.◆JBLfMwCXhY1GAll通常、日本人はそこまで論理的に突き詰めて考えることがない極端な思想は、いつも海外から入ってくる日本の風土からは出てこない2026/02/23 22:29:50540.◆JBLfMwCXhY1GAll>>531> 古代インドの快楽主義は、主に「順世派(チャールヴァーカ)」と呼ばれる唯物論的・享楽的な学派によって説かれました。>> 死後の魂や業(カルマ)を否定し、現世での官能的な快楽を追求することを最大の目的とした思想です。アジタ・ケーサカンバリンらがこの流れを代表し、苦行を否定しました。「現世での官能的な快楽を追求することを最大の目的とした思想」というのは、おそらく、六師外道を悪く言うための仏典の誇張だろう本当は、「心静かに生きて、平穏を得よう」という感じだったんじゃないか同じように「快楽主義」とされる古代ギリシャのエピクロス派も、そんな感じだから2026/02/23 22:35:55541.◆JBLfMwCXhY1GAllA.I.順世派(じゅんせいは、ローカーヤタ/チャールヴァーカ)は、古代インドの唯物論・快楽至上主義の哲学学派。死後の世界や輪廻転生、業(カルマ)を否定し、知覚できる物質のみを実在と見なす。「順世外道」とも呼ばれ、現世の幸福を追求する思想を説いた。2026/02/23 22:37:56542.◆JBLfMwCXhY1GAllA.I.主な特徴と思想唯物論:世界は地・水・火・風の四大元素からなり、精神も身体の要素から生まれると説く。認識論:知覚のみを信頼し、推論や聖典を知識の根拠として認めない。快楽主義:現世の快楽を最高目的とし、苦痛を避けることを推奨。否定:輪廻、業、神、霊魂、解脱を完全に否定する。背景:釈迦の時代に活躍した自由思想家アジタ・ケーサカンバリンの思想が源流とされている。2026/02/23 22:39:12543.◆JBLfMwCXhY1GAllまるで、近代ヨーロッパのリベラル思想みたいだな全治全能の神とか、死後の救済とかそういうものからは離れた、現世の自由主義2026/02/23 22:41:02544.◆JBLfMwCXhY1GAll古代インドってのはいろんな面で、近代ヨーロッパと似てるんだよな~2026/02/23 22:41:45545.神も仏も名無しさん6odaZ釈迦「偶像崇拝禁止」2026/02/24 00:24:02546.◆JBLfMwCXhYVHS7V「無明(無知)」が苦を生む具体的な仕組みは、万物が「無常(常に変化する)」「苦(思い通りにならない)」「無我(実体がない)」という真理を知らず、逆の前提で生きるため、執着して苦しむという構造です。この根源的無知から「もっと欲しい(貪)」「怒り(瞋)」「愚痴(痴)」が生まれ、思い通りにならない現実に苦しみが止まらなくなります。2026/02/26 17:48:56547.◆JBLfMwCXhYVHS7V具体的な苦の仕組みは以下の通りです。真理の誤解と執着(無明): すべては変わりゆくものであるのに、「ずっと続く」と勘違い(無常)し、自分という固定的実体があると思い込む(無我)。貪欲・執着(貪)の発生: 「ずっと自分のものにできる」という誤解から、欲望(お金、名声、若さなど)に執着する。瞋恚・怒り(瞋)の発生: 「思い通りにしたい」という執着が、変化した(失った)り、他人に邪魔されたりすることで怒りや悲しみに変わる。逃れられない苦(十二因縁): この誤解が「愛(欲望)」「取(執着)」を生み、それらが「有(存在)」となり、最終的に老・病・死などの苦(苦しみの生存)が繰り返される。実生活の例: 変化する健康に対して無知ゆえに不摂生をして病気になる、失恋は必然なのに固執して苦しむなど、真理を見ないことが日常生活のストレスの根源となる。2026/02/26 17:49:25548.◆JBLfMwCXhYVHS7Vつまり、無明は「真理を見ない」という心の病であり、それが「思い通りにならない」という現実に対して無理やり執着し続けることで、苦しみ(ストレス)を生み出しているのです。この「無明」を打破する具体的な修行方法や、日常でこの「執着」を減らすためのアドバイス(例:マインドフルネス、瞑想など)について、さらに詳しくお伝えしましょうか?2026/02/26 17:49:46549.◆JBLfMwCXhYJUd4f無明という原因から、生老病死の四苦という結果が生じる2026/02/27 08:46:25550.◆JBLfMwCXhYJUd4f初期仏教は、「原因と結果の法則」の教え2026/02/27 08:46:48551.承狂qkQlh全体という話でいうと、「古代インド」という括りではなく、ドラヴィダ人の宗教とアーリア人の宗教という視点も大事。ブッダという概念は、明らかにドラヴィダ系由来であり、このドラヴィダ人系の宗教がアーリア人の宗教に影響して、ヴェーダなどのバラモン教を成立させた。これは絶対数が多い方の風習が主体となるという当然の理。そして、御存知の通り、ドラヴィダ人とは、かのインダス文明の人々でもある。そのインダス文明の遺跡では、瞑想する神々や人々の像がみつかっている。釈尊在世の時のバラモン教への反発とか外道が云々という曖昧な話よりも、こうした全体的な歴史を踏まえて見るのがよいだろう。また、現代感覚で、○○派というのはこうだ、と決めつけるのも全体的な視点ではなく、実態としては瞑想を主体とし、その導師が得た境地の説明的な話だろうと推測する。あの時代で、ロジックだけの団体など有り得ないから。実態は、例えば釈尊が師事した二人の仙人のようなものではなかったか。これは、ドラヴィダ人の宗教が、バラモン教と違い、瞑想等の行を主体としたものであったろうという推測に基づく。なんてな。(^。^)本読んで覚えてるだけじゃあ、コピー機と変わりませんぜ。(笑)2026/03/11 19:32:38552.◆JBLfMwCXhYhJiP0ブッダはネパール人だしアーリア系かドラヴィダ系かは、考えても答えが出ない問題2026/03/11 20:15:17553.神も仏も名無しさんkhxY4ま、学者のウンチク範囲ではな😃2026/03/11 20:25:56554.承狂YQlNl我々がキリスト教というブランドに影響を受けてる様に、科学的研究という疑似科学のブランドに影響を受ける様に、インダス文明周辺国でも、インダス文明の教えというブランドの影響は計り知れなかっただろう。こういうのが縁起を見るという事だよ、君。(笑)詳しく述べるなら、アーリア人の宗教が祭祀を主軸とするものであった事に対して、ドラヴィダ人の宗教が瞑想を主軸としていたという史実を踏まえて見れば、バラモン教という宗教の実像が透けてくるし、インダス文明の影響範囲を含めて観るならば、当時のネパールでの宗教観がその影響をどの程度受けていたかも明らかになろう。更に同文明での宗教観を踏まえれば、何故釈尊が菩提樹の下で瞑想をされたかの意味が見えるだろう。鍵はドラヴィダ人だと解ると、こうして見える世界も違うが、アーリア人という白人への執着がある人には難しいかも知れないね。(笑)2026/03/12 17:20:58555.◆JBLfMwCXhYFlmUx5552026/03/14 12:06:45556.◆JBLfMwCXhY8TneI初期仏教(原始仏教)は、約2500年前(紀元前6世紀頃)に釈迦(ブッダ)がインド北部で開いた教えです。盲信的な宗教から脱し、自己の力で煩悩を消し去り悟り(阿羅漢)を目指す中道・八正道・四諦などを特徴とします。現代のテーラワーダ仏教(南伝仏教)にその教えが受け継がれています。2026/03/16 22:18:35557.◆JBLfMwCXhY8TneI初期仏教の主な特徴と教え:主体的な修行:神や超越的な力に頼らず、修行僧(比丘)が瞑想を通じて自らの煩悩を滅ぼす「自己自律」を説く。中道(ちゅうどう):極端な苦行や快楽を避け、精神的な集中を重視する修行体系。四諦(したい):苦しみの現実と、その原因(渇愛)、滅ぼし方、修行方法(八正道)を明らかにした真理。教団の結成:釈迦の死後、弟子たちによって教えが継承され、後に部派に分裂する前の根幹を成す思想。現代では、スリランカ、タイ、ミャンマーなどでこの系譜を引くテーラワーダ仏教(上座部仏教)が実践されています。初期仏教における具体的な修行法や、四諦についての詳細を知りたいですか?2026/03/16 22:18:59558.◆JBLfMwCXhY8TneI本覚思想の刷り込みは深い2026/03/16 22:19:34559.◆JBLfMwCXhY8TneI「仏教とはこういうものだ」と思ってる人が多すぎる2026/03/16 22:19:54560.神も仏も名無しさん5mNIMサティ的側面の解釈が弱くなっているだろな、臨済宗的な曹洞宗のロンや元スレはかなり直観的集約しているのはあるだろな、臨済宗はサティ逆回転、関係なさそうで逆回転て明言できるくらいに😃2026/03/17 06:23:50561.神も仏も名無しさん5mNIM>中道(ちゅうどう):極端な苦行や快楽を避け、精神的な集中を重視する修行体系。一般的にら臨済宗はこれに反するシステムがある、まともな筋でも俺は天才肌、長期熟成コースだったので苦行ゼロ😃2026/03/17 06:26:37562.神も仏も名無しさん5mNIM天才肌と言っても、かなり期間がかかった直観肌の9位だからだろう直観肌よ究極がゆえに臨済宗以外の深い理解のスピードが遅くなった、ま、人生賭けてない娯楽修行やしなーで、トーク板でレスしているのは臨済宗以外が圧倒的に多い😃2026/03/17 06:29:10563.神も仏も名無しさん5mNIM主体的な修行:神や超越的な力に頼らず、修行僧(比丘)が瞑想を通じて自らの煩悩を滅ぼす「自己自律」を説く。四諦(したい):苦しみの現実と、その原因(渇愛)、滅ぼし方、修行方法(八正道)を明らかにした真理。は、ロン、元スレ主などの臨済宗的直観的な曹洞宗では鈍そうである直観肌一色過ぎているリアル道元禅師は全て余裕で完備😃2026/03/17 06:31:26564.◆JBLfMwCXhYes8EX>>561> 俺は天才肌、長期熟成コースだったので> 苦行ゼロ天才肌で長期熟成コースか~😆2026/03/17 06:44:31565.神も仏も名無しさん5mNIM>>564仏教世界の東大ですもん伝える気にならん、山岡鉄舟までが限度😃2026/03/17 06:46:28566.◆JBLfMwCXhYes8EXやはり、臨済宗か2026/03/17 06:47:34567.神も仏も名無しさん5mNIMある意味、ロンや元スレ主はニンマ派のゾクチェンに近いショートカット発想😃2026/03/17 06:47:49568.神も仏も名無しさん5mNIM本格遭遇してまーまー使いこなす期間が曹洞宗で、15年臨済宗で2004年からとカウントすると21年だな😃2026/03/17 06:51:13569.神も仏も名無しさん5mNIM他の正統派瞑想仏教はクオリティは別としても教学範囲で使いこなせるのは短期間だろな😃2026/03/17 06:52:37570.神も仏も名無しさん5mNIM蓋を開ければ使いこなすのが難しかったのは禅だったというオチ😃2026/03/17 06:53:35571.神も仏も名無しさん5mNIM元スレ主のお好みの感覚を手に入れるのに15年かかったということやな😃2026/03/17 06:54:22572.◆JBLfMwCXhYes8EXショートカットするのに、15年かかったってことだな😆2026/03/17 07:25:17573.神も仏も名無しさん5mNIM禅はショートカットは難しい地味で主体的な修行:神や超越的な力に頼らず、修行僧(比丘)が瞑想を通じて自らの煩悩を滅ぼす「自己自律」を説く。だからだ超越的な力はヒントを与えるだけで自己努力だヒントもらえるだけアドバンテージは普通の人より高いが😃2026/03/17 07:28:51574.神も仏も名無しさん5mNIMちゃんと、スキゾせずにマジメに内容を提示してるぞお題に合わせて😃2026/03/17 07:29:38575.◆JBLfMwCXhYes8EXやはり、禅には地道な取り組みが欠かせないな?😄2026/03/17 07:30:44576.ハジLUXF3自分で天才とのべるなよw2026/03/20 22:47:15577.パーリー8zdju>>575カリキュラムが確りしてれば誰でもが3年で大悟するでしょ‼️2026/03/21 00:22:16578.神も仏も名無しさんklA6u倶舎論以前がそろった👽2026/03/21 05:16:08579.パーリー8zdjuくしゃオジサンって居たよな昔顎がくしゃって縮む人2026/03/21 06:07:29580.承狂CMp7l続きですが、釈尊は出家をされた時、この出家というのも、バラモン教ではなく、民間での当時の常識、ある程度裕福な層での理想とされた人生だった訳ですが、これも先述の点を考えれば自然な話と言えます。そして、弟子入りした二人の「仙人」ですが、これもバラモンでは無い訳です。最近では彼らをバラモンだとしてる人も居るようですが、誤りです。そして、釈尊は二人の境地に至り、他の出家者たちがいる「林」で、苦行をします。何故林なのかも先述した通り。そして、菩提樹の下で成道されました。そして、「ブッダ」という、世間の常識であった名称を流用したわけです。また、初期の経典でも、釈尊は「ブッダはこのように考える」などという形で説かれたとあります。すべてのベースはドラヴィダ人の宗教観に由来していた訳です。勿論、釈尊の教えにはオリジナルばかりだとは思いますが、その全ては方法論なので、俯瞰すれば、ベースに忠実だったと言えます。もちろん、ドラヴィダ人の伝承は、バラモン教によって抑圧されてたはずなので、失伝した技法を釈尊が補っただけとも考えられますが。なので、釈尊の仏教では、様々な弟子達が様々な方法で阿羅漢位に至りましたが、釈尊入滅の後には、このドラヴィダ人のベースという視点が欠落し、弟子達が仏教はオリジナルの宗教だと考える様になり、一部は学術的になり権威化しました。現在でも、多くの人が「釈尊の教えこそ最高」的な崇拝をしてますが、成立の縁起を辿るなら、また釈尊の遺した言葉を重んじるなら、これらも誤りとなります。2026/03/21 10:25:27581.◆JBLfMwCXhYitMsf>>580なるほど2026/03/21 13:00:18
【社会】新人に「AI使用禁止令」は是か非か?「仕事の8割はAIに」という活用派 言語脳科学の権威は警鐘「ものを考える人間に一番大事なものを手放している」ニュース速報+337962.52026/03/21 21:09:36
古代インドの快楽主義に関する主なポイントは以下の通りです。
代表的学派「順世派(ローカーヤタ)」
古代インドの異端的な思想であり、カルマ(業)や転生、霊魂の存在を否定し、唯物論的な立場をとりました。
世界は地・水・火・風の4つの物質からなり、人は死ぬと何も残らないと考えました。
思想の内容
「生きる目的は、可能な限り多くの官能的な快楽を経験することである」と主張し、苦行を否定しました。
あらゆる行為は自然発生的であるべきだという「自性(じしょう)」の概念を唱えました。
時代背景
ガンジス川流域の都市興隆に伴う商業活動の発展期に、従来の宗教的制約に反発する形で生まれた思想です。
仏教やジャイナ教が禁欲的な修行を重んじたのに対し、対照的な立場をとりました。
この思想は「外道(げどう)」として批判されることもありましたが、古代インドの思想的自由を示す重要な一派でした。
>「順世派(ローカーヤタ)」
> 古代インドの異端的な思想であり、カルマ(業)や転生、霊魂の存在を否定し、唯物論的な立場をとりました。
> 世界は地・水・火・風の4つの物質からなり、人は死ぬと何も残らないと考えました。
> 「生きる目的は、可能な限り多くの官能的な快楽を経験することである」と主張し、苦行を否定しました。
↑
どうも、初期仏教のブッダ教団ってものを、これだと勘違いしてる人が多いんだよなあ
「生きる目的は、可能な限り多くの官能的な快楽を経験することである」
という一節さえ除けば、あとは昭和の仏教学者そのものだ
ちっともおおげさではない
実際に
「お釈迦様は、輪廻転生や死後世界を否定しました。苦しい修行から離れて、1度きりの人生をより良く生きようと唱えました。これは、当時のインドにおいては画期的な思想でした」
と主張する人を、何人も見てきた
そう思ってる人は結構多い
だが、残念ながらそれは、お釈迦様の思想ではない
六師外道の1人、アジタの思想だ
たちどころに、その教えを極めたとされている
釈迦が本気で断滅論を信じていたのなら
なぜ、アジタの教団から離れて、独自の教団を建てたのか?
快楽主義者が、なぜ快楽を重視するのかというと
1度きりの人生を、より良く生きるためだ
これは、輪廻転生や死後世界を否定する唯物論と表裏一体の関係
だから、唯物論は嫌われる
禁欲的な修行を死ぬまで続けることには、なんの意味もない
禁欲しようが、快楽を追求しようが、死ねば同じだからだ
結果は何も変わらない
だから、論理的には快楽主義に帰結する
という断滅論は
「この物質世界がすべてである」という唯物論と表裏一体の関係にある
それは、「1度きりの人生をより良く生きよう」という考えにつながり、結果的に快楽主義に帰結する
断滅論は、だからダメなのである(仏教的には)
そこまで論理的に突き詰めて考えることがない
極端な思想は、いつも海外から入ってくる
日本の風土からは出てこない
> 古代インドの快楽主義は、主に「順世派(チャールヴァーカ)」と呼ばれる唯物論的・享楽的な学派によって説かれました。
>
> 死後の魂や業(カルマ)を否定し、現世での官能的な快楽を追求することを最大の目的とした思想です。アジタ・ケーサカンバリンらがこの流れを代表し、苦行を否定しました。
「現世での官能的な快楽を追求することを最大の目的とした思想」というのは、おそらく、六師外道を悪く言うための仏典の誇張だろう
本当は、「心静かに生きて、平穏を得よう」という感じだったんじゃないか
同じように「快楽主義」とされる古代ギリシャのエピクロス派も、そんな感じだから
順世派(じゅんせいは、ローカーヤタ/チャールヴァーカ)は、古代インドの唯物論・快楽至上主義の哲学学派。
死後の世界や輪廻転生、業(カルマ)を否定し、知覚できる物質のみを実在と見なす。
「順世外道」とも呼ばれ、現世の幸福を追求する思想を説いた。
主な特徴と思想
唯物論:世界は地・水・火・風の四大元素からなり、精神も身体の要素から生まれると説く。
認識論:知覚のみを信頼し、推論や聖典を知識の根拠として認めない。
快楽主義:現世の快楽を最高目的とし、苦痛を避けることを推奨。
否定:輪廻、業、神、霊魂、解脱を完全に否定する。
背景:釈迦の時代に活躍した自由思想家アジタ・ケーサカンバリンの思想が源流とされている。
全治全能の神とか、死後の救済とか
そういうものからは離れた、現世の自由主義
いろんな面で、近代ヨーロッパと似てるんだよな~
真理の誤解と執着(無明): すべては変わりゆくものであるのに、「ずっと続く」と勘違い(無常)し、自分という固定的実体があると思い込む(無我)。
貪欲・執着(貪)の発生: 「ずっと自分のものにできる」という誤解から、欲望(お金、名声、若さなど)に執着する。
瞋恚・怒り(瞋)の発生: 「思い通りにしたい」という執着が、変化した(失った)り、他人に邪魔されたりすることで怒りや悲しみに変わる。
逃れられない苦(十二因縁): この誤解が「愛(欲望)」「取(執着)」を生み、それらが「有(存在)」となり、最終的に老・病・死などの苦(苦しみの生存)が繰り返される。
実生活の例: 変化する健康に対して無知ゆえに不摂生をして病気になる、失恋は必然なのに固執して苦しむなど、真理を見ないことが日常生活のストレスの根源となる。
この「無明」を打破する具体的な修行方法や、日常でこの「執着」を減らすためのアドバイス(例:マインドフルネス、瞑想など)について、さらに詳しくお伝えしましょうか?
ブッダという概念は、明らかにドラヴィダ系由来であり、このドラヴィダ人系の宗教がアーリア人の宗教に影響して、ヴェーダなどのバラモン教を成立させた。
これは絶対数が多い方の風習が主体となるという当然の理。
そして、御存知の通り、ドラヴィダ人とは、かのインダス文明の人々でもある。
そのインダス文明の遺跡では、瞑想する神々や人々の像がみつかっている。
釈尊在世の時のバラモン教への反発とか外道が云々という曖昧な話よりも、こうした全体的な歴史を踏まえて見るのがよいだろう。
また、現代感覚で、○○派というのはこうだ、と決めつけるのも全体的な視点ではなく、実態としては瞑想を主体とし、その導師が得た境地の説明的な話だろうと推測する。
あの時代で、ロジックだけの団体など有り得ないから。
実態は、例えば釈尊が師事した二人の仙人のようなものではなかったか。
これは、ドラヴィダ人の宗教が、バラモン教と違い、瞑想等の行を主体としたものであったろうという推測に基づく。
なんてな。
(^。^)本読んで覚えてるだけじゃあ、コピー機と変わりませんぜ。(笑)
アーリア系かドラヴィダ系かは、考えても答えが出ない問題
😃
科学的研究という疑似科学のブランドに影響を受ける様に、
インダス文明周辺国でも、インダス文明の教えというブランドの影響は計り知れなかっただろう。
こういうのが縁起を見るという事だよ、君。(笑)
詳しく述べるなら、
アーリア人の宗教が祭祀を主軸とするものであった事に対して、
ドラヴィダ人の宗教が瞑想を主軸としていたという史実を踏まえて見れば、
バラモン教という宗教の実像が透けてくるし、
インダス文明の影響範囲を含めて観るならば、当時のネパールでの宗教観がその影響をどの程度受けていたかも明らかになろう。
更に同文明での宗教観を踏まえれば、何故釈尊が菩提樹の下で瞑想をされたかの意味が見えるだろう。
鍵はドラヴィダ人だと解ると、こうして見える世界も違うが、アーリア人という白人への執着がある人には難しいかも知れないね。(笑)
盲信的な宗教から脱し、自己の力で煩悩を消し去り悟り(阿羅漢)を目指す中道・八正道・四諦などを特徴とします。
現代のテーラワーダ仏教(南伝仏教)にその教えが受け継がれています。
主体的な修行:神や超越的な力に頼らず、修行僧(比丘)が瞑想を通じて自らの煩悩を滅ぼす「自己自律」を説く。
中道(ちゅうどう):極端な苦行や快楽を避け、精神的な集中を重視する修行体系。
四諦(したい):苦しみの現実と、その原因(渇愛)、滅ぼし方、修行方法(八正道)を明らかにした真理。
教団の結成:釈迦の死後、弟子たちによって教えが継承され、後に部派に分裂する前の根幹を成す思想。
現代では、スリランカ、タイ、ミャンマーなどでこの系譜を引くテーラワーダ仏教(上座部仏教)が実践されています。
初期仏教における具体的な修行法や、四諦についての詳細を知りたいですか?
臨済宗的な曹洞宗のロンや元スレはかなり直観的集約しているのはあるだろな、
臨済宗はサティ逆回転、
関係なさそうで逆回転て明言できるくらいに
😃
一般的にら臨済宗は
これに反するシステムがある、まともな筋でも
俺は天才肌、長期熟成コースだったので
苦行ゼロ
😃
直観肌の9位だからだろう
直観肌よ究極がゆえに
臨済宗以外の深い理解のスピードが遅くなった、ま、人生賭けてない娯楽修行やしなー
で、トーク板でレスしているのは
臨済宗以外が圧倒的に多い
😃
四諦(したい):苦しみの現実と、その原因(渇愛)、滅ぼし方、修行方法(八正道)を明らかにした真理。
は、ロン、元スレ主などの臨済宗的直観的な曹洞宗では
鈍そうである
直観肌一色過ぎている
リアル道元禅師は全て余裕で完備
😃
> 俺は天才肌、長期熟成コースだったので
> 苦行ゼロ
天才肌で長期熟成コースか~😆
仏教世界の東大ですもん
伝える気にならん、
山岡鉄舟までが限度
😃
ロンや元スレ主は
ニンマ派のゾクチェンに近い
ショートカット発想
😃
まーまー使いこなす期間が
曹洞宗で、
15年
臨済宗で
2004年からとカウントすると
21年
だな
😃
クオリティは別としても教学範囲で使いこなせるのは
短期間だろな
😃
禅だったというオチ
😃
15年かかったということやな
😃
ショートカットは難しい
地味で
主体的な修行:神や超越的な力に頼らず、修行僧(比丘)が瞑想を通じて自らの煩悩を滅ぼす「自己自律」を説く。
だからだ
超越的な力はヒントを与えるだけで
自己努力だ
ヒントもらえるだけ
アドバンテージは普通の人より
高いが
😃
マジメに内容を提示してるぞ
お題に合わせて
😃
カリキュラムが確りしてれば
誰でもが
3年で大悟するでしょ‼️
顎がくしゃって縮む人
そして、弟子入りした二人の「仙人」ですが、これもバラモンでは無い訳です。
最近では彼らをバラモンだとしてる人も居るようですが、誤りです。
そして、釈尊は二人の境地に至り、他の出家者たちがいる「林」で、苦行をします。
何故林なのかも先述した通り。
そして、菩提樹の下で成道されました。
そして、「ブッダ」という、世間の常識であった名称を流用したわけです。
また、初期の経典でも、釈尊は「ブッダはこのように考える」などという形で説かれたとあります。
すべてのベースはドラヴィダ人の宗教観に由来していた訳です。
勿論、釈尊の教えにはオリジナルばかりだとは思いますが、その全ては方法論なので、俯瞰すれば、ベースに忠実だったと言えます。
もちろん、ドラヴィダ人の伝承は、バラモン教によって抑圧されてたはずなので、失伝した技法を釈尊が補っただけとも考えられますが。
なので、釈尊の仏教では、様々な弟子達が様々な方法で阿羅漢位に至りましたが、
釈尊入滅の後には、このドラヴィダ人のベースという視点が欠落し、弟子達が仏教はオリジナルの宗教だと考える様になり、一部は学術的になり権威化しました。
現在でも、多くの人が「釈尊の教えこそ最高」的な崇拝をしてますが、成立の縁起を辿るなら、また釈尊の遺した言葉を重んじるなら、これらも誤りとなります。
なるほど