【ブッダの教え】初期仏教【最初はこういう話だった】最終更新 2026/05/17 22:451.◆JBLfMwCXhY7faQOいまこそ、原点に帰ろう2026/01/19 06:10:25841コメント欄へ移動すべて|最新の50件792.ゴリ子IAPSnゴリ子が俺からどれだけ引き出せるか、ゴリ子の能力次第やろなーって何の事だろう?は置いといて。ネットで見た話で、悟りを得た人とは普通の人と違うものなど見てはいない。ただその見ることの深さと広さの違いがあるだけ、同じ木を見てレッテル張りで分かった気になるのかより理解しようと疑問に思う事の多さなのか。とあり、一休さんの木の話と同じことだと思いました。そして見るものに色という枠組みを付けてはじめて理解できるとは、言葉というものそのものだとも思えます。仏教が言葉をとても大切にしているワケだとも思えました。その理解度解析度が仏教を知る鍵なのだろうな。2026/05/07 08:18:51793.神も仏も名無しさんHs5xE>>792違うだろうなー娯楽修行の範囲てはなー本業修行は何もなし 😀2026/05/07 08:46:08794.神も仏も名無しさんHs5xEこさま、ゴリ子がマジメに知ろうとして情報集めて、探求しだした時点で開示するだろうな😀何せ需要のないところに供給したいナルシズムちゃんではないからなー俺は😀2026/05/07 08:47:51795.ゴリ子IAPSn誰だろう?普段褒められた事がない人なのは間違い無さそうだけど、そんなに嬉しかったんですか。そうですか、良かったです♪2026/05/07 08:51:25796.神も仏も名無しさんHs5xE関心なさそうだな?需要がないのはとても理解してるそ😀2026/05/07 08:55:35797.神も仏も名無しさんHs5xE真言宗僧侶の動画で見たけど弟子とって我道を行く弟子を見たらどうぞ、ご勝手にと放置するらしい😀2026/05/07 08:59:12798.神も仏も名無しさんHs5xEま、関心、需要のないところに箸の上げ下げ指示する必要ないからなー😀2026/05/07 09:00:07799.ゴリ子IAPSnあ、もしかして割り箸もくれないせこい人なのかな。高田純二さんだって何でも好きなの食べてと割り箸くれるのにな 笑2026/05/07 09:37:14800.神も仏も名無しさんvCF8N>>797どちらにとってもそれはとてもいいね2026/05/07 10:05:02801.パーリーcMc88でおーってただのバカじゃないのか⁉️認識新たにしたよ‼️2026/05/07 13:40:50802.神も仏も名無しさんHs5xEデンパパサルダッタセイジントオリマス👽2026/05/07 19:30:31803.神も仏も名無しさんS08WEヤナギ2026/05/07 21:58:07804.◆JBLfMwCXhY4KHgb特殊な偏見に固執して論争し、「これのみが真理である」と言う人々がいるならば、彼らに言え、「汝と対論する者はここにはいない」と。原始仏典 スッタニパータ2026/05/09 23:22:32805.パーリー21OSg『マーンドゥーキヤ・ウパニシャッド』に付随するガウダパーダの『カーリカー(釈論)』の第2章「虚妄の章(Vaitathya Prakarana)」からの抜粋です。本文の翻訳:第2章:虚妄の章(28-38節)「人の知識がそうであるように、その記憶もまたそうである。」(第2章 第16節)【第28節~第38節】創造を知る者はそれを「創造」と呼び、消滅を知る者はそれを「消滅」と呼び、維持を知る者はそれを「維持」と呼ぶ。実のところ、これらすべての概念は常に**アートマン(真我)**の中に想像されたものに過ぎない。弟子は、師によって提示された概念のみを把握する。アートマンは教えられた通りの姿をとり、そうして弟子を守る。その概念に没頭することで、弟子はそれをアートマンとして悟るのである。アートマンは、これらすべての概念と不離(分かたれないもの)でありながら、あたかも分離しているかのように見える。このことを真に知る者は、いかなる恐れもなくヴェーダの真意を解釈する。ヴェーダーンタに精通した賢者は、この実体のある宇宙を、あたかも夢や幻影、あるいは空中楼閣を見るかのように見なすのである。消滅もなければ創造もなく、束縛されている者もなければ修行に励む者もない。解脱を求める者もなければ、解脱した者もない。これが絶対的な真理(勝義諦)である。アートマンは、存在すると知覚される非実在の客体として想像されると同時に、「不二(一なるもの)」としても想像される。諸々の客体もまた、不二のアートマンの中に想像されたものである。ゆえに、不二こそが至福である。宇宙における多様性は、アートマンと同一の存在としてあるわけではなく、それ自体で独立して存在しているわけでもない。それはブラフマンから分離しているわけでも、分離していないわけでもない。これが賢者たちの言葉である。執着、恐れ、怒りから解き放たれ、ヴェーダに精通した賢者たちは、アートマンがいかなる幻想(ファンタズム)も持たず、多様性という錯覚からも自由な「不二」であることを悟っている。https://i.imgur.com/OkU2CfU.jpeg2026/05/11 14:34:42806.パーリー21OSgそれゆえ、アートマンをそのように知り、意識を「不二」に固定しなさい。不二を悟ったならば、この世界においては、あたかも無機質な物体(不活性なもの)であるかのように振る舞いなさい。悟りを得たサンニャーシン(遍歴修行者)は、いかなる神も賛美せず、いかなる上位者にも礼拝せず、先祖を祀る儀式も行わない。肉体とアートマンの両方を自らの住処とし、たまたま手に入ったものだけで満足して生きる。内なる真理と外なる真理を共に知った彼は、「実在(リアリティ)」と一つになる。彼は実在を歓喜し、実在から決して離れることはない。出典: スワーミー・ニキラーナンダ著 『ウパニシャッド:新訳』第2章: 虚妄の章(Vaitathya Prakarana)28-38節https://i.imgur.com/OkU2CfU.jpeg2026/05/11 14:35:12807.神も仏も名無しさんW91FIヤナギ2026/05/12 04:46:16808.パーリーissdX1生理的欲求・・・食べたい、寝たい。2安全欲求・・・・自分だけの帰る家屋がある。3社会的欲求・・・社会的認知が欲しい。周囲に認められたい。4尊厳欲求・・・・崇拝が欲しい。尊敬が欲しい。5自己実現欲求・・・生まれた意味を明らかにしたい。自分は何者か?6自己超越欲求・・・悟り、人間の枠を超え普遍に到達したい。https://i.imgur.com/SStecR2.jpeg2026/05/14 13:47:44809.パーリーissdX皆さんの欲求はどの段階ですか~⁉️2026/05/14 13:48:29810.リダン◆3y/i8XtGLYPqIVv息するのがめんどくさい2026/05/14 23:58:59811.リダン◆3y/i8XtGLY9jC9aようは三宝印外したら単純に仏教ではない(天台は一宝印だが)じゃあ何が違うんか方法論が違うというだけなんでか?対機説法だから2026/05/15 01:22:26812.リダン◆3y/i8XtGLY9jC9a書くところ間違えたなあ2026/05/15 01:24:00813.◆JBLfMwCXhYCxebt比丘らよ、ここに唯一の道がある。それは、生きとし生けるものが清らかになるため、悲しみと嘆きを乗り越え、心と体の苦しみがなくなり、もののあり方を正しく知り、涅槃を体験するための道である。 その道とは四念処、四つの気づき(サティ)の実践である。四念処経(中部経典)2026/05/17 16:04:01814.◆JBLfMwCXhYCxebt四念処瞑想(しねんじょめいそう)とは、仏教の瞑想法で、身(身体)、受(感覚)、心(こころ)、法(法・対象)の四つを「気づき(マインドフルネス)」をもって観察し、世の中の苦しみや煩悩の原因を見極めて解放されることを目指すものです。これはヴィパッサナー瞑想(観の瞑想)の核心であり、「気づき」の訓練を通じて、物事をありのままに観察し、執着から離れることを目的とします。2026/05/17 16:04:30815.◆JBLfMwCXhYCxebt四念処の四つの対象身念処(しんねんじょ): 身体の動き、感覚(呼吸、姿勢、体の不快感・快感など)に注意を向け、「不浄」であること(変化し続けること)を観察する。受念処(じゅねんじょ): 生じる感覚(快・不快・どちらでもない)を観察し、苦しみ(ドゥッカ)であること(執着すると苦しむこと)を理解する。心念処(しんねんじょ): 心の状態(喜び、怒り、集中、散漫など)を観察し、「無常」であること(常に変化すること)を認識する。法念処(ほうねんじょ): 心の対象(思考、感情、現象など)を観察し、すべてが「無我」(固定した実体がないこと)であることを理解する。2026/05/17 16:04:50816.◆JBLfMwCXhYCxebt瞑想の実践方法気づき(マインドフルネス): 今この瞬間の身体の感覚や心の動きに注意を払い続ける。実況中継: 身体を動かす際などに、「動いている」「熱い」「痛い」などと心の中で実況する(考えすぎないように)。スローモーション: ゆっくりと動作することで、感覚をより詳細に捉える。目的: 煩悩(我執)に気づき、それを手放すことで、苦しみから解放されること(悟り)を目指す。2026/05/17 16:05:11817.◆JBLfMwCXhYCxebt四念処は、ブッダが説いた「悟りに至る唯一の道」とされ、ヴィパッサナー瞑想の基本として、現代のマインドフルネス瞑想の源流ともされています。2026/05/17 16:05:47818.神も仏も名無しさん4rnKp>>815デンパパ📡の欠落しているのは観察と必要性👽2026/05/17 16:06:29819.◆JBLfMwCXhYCxebt「四念処」は、テーラワーダ仏教のキーワードの1つだテーラワーダ仏教では、漢字の仏教用語を並べることを、あんまりやらないが「四念処」は重要なので外せない2026/05/17 16:06:51820.◆JBLfMwCXhYCxebt「四念処瞑想」と「ヴィパッサナー瞑想」は、ほぼ同じ2026/05/17 16:07:22821.◆JBLfMwCXhYCxebt「身受心法」の四念処2026/05/17 16:09:44822.◆JBLfMwCXhYCxebtブッダ(ゴータマ・ブッダ)が再発見した瞑想法は、主に「ヴィパッサナー瞑想(洞察瞑想)」と呼ばれ、呼吸や身体の感覚、心の状態をありのままに観察し、自己浄化を行うものです。2500年以上にわたり継承されているこの瞑想法は、執着や欲を滅ぼし、苦しみから解放されて心の平安(安穏)を得ることを目的としています。2026/05/17 16:09:58823.◆JBLfMwCXhYCxebtブッダの瞑想の概要本質はヴィパッサナー:サンスクリット語で「物事をあるがままに見る」という意味です。身体感覚や感情、思考を客観的に観察する「気づき(サティ)」の訓練です。目的:ストレス解消だけでなく、究極的には苦しみの原因である「欲・怒り・エゴ(煩悩)」を根絶し、真の幸福を得ることです。2026/05/17 16:10:17824.◆JBLfMwCXhYCxebt2つの柱:サマタ瞑想(静寂):呼吸など特定の対象に意識を集中させ、心に平静をもたらす準備段階の瞑想。ヴィパッサナー瞑想(洞察):集中した心で、身体や心に起きる現象の無常(常に変化すること)を観察する。2026/05/17 16:10:41825.◆JBLfMwCXhYCxebt瞑想の具体的なやり方姿勢:背筋をまっすぐにして座る。目は半眼か閉じる。呼吸の観察:自然な呼吸に注意を向け、腹部の膨らみや縮み、鼻を通る感覚を観察する。ラベリング:湧き上がる雑念や感覚を「考えている」「足が痛い」のように客観的に言語化して確認する。対象は「今」:過去や未来の思考に囚われず、常に「今」起きている現象(感覚・思考)だけを観察する。時間と頻度:1日2回、各20分~30分程度が目安だが、短い時間でも継続することが重要。2026/05/17 16:10:56826.◆JBLfMwCXhYCxebt日常生活への応用歩く瞑想:歩く感覚に集中する。足の裏の感覚などに気づきを向け続ける。感情のコントロール:怒りや欲が湧いたとき、それに振り回されず、「怒りが湧いた」と客観視することで執着を離れる。※精神疾患や重篤な症状がある場合は、マインドフルネス(瞑想)を実践する前に医師に相談することが推奨されています2026/05/17 16:11:12827.◆JBLfMwCXhYCxebtやはり、テーラワーダ仏教が、お釈迦様の教えに近いようだな?2026/05/17 16:49:14828.◆JBLfMwCXhYCxebtスマナサーラを見直した2026/05/17 16:49:36829.◆JBLfMwCXhYCxebtスマナサーラを過小評価してた正直スマンカッタ2026/05/17 16:49:56830.神も仏も名無しさんYEnimサティはかなり効果的だ井上希道はあかんけどな😀2026/05/17 16:51:46831.◆JBLfMwCXhYCxebt井上希道は、ヴィパッサナーを取り入れた2026/05/17 16:52:15832.◆JBLfMwCXhYCxebt川野泰周も2026/05/17 16:52:34833.神も仏も名無しさんYEnim俺は完璧にサティの入力のみならず逆回転できるサティの入力を出力展開させてパワー加速😀お仕事で😀2026/05/17 16:54:33834.神も仏も名無しさんYEnim入力即出力を狙う😀2026/05/17 16:54:54835.神も仏も名無しさんYEnimサティのような言語を挟まないでショートカット入力と出力同時😀2026/05/17 16:55:33836.神も仏も名無しさんYEnimそんなバカ芸は川野泰周にはできんだろうな😀2026/05/17 16:56:16837.神も仏も名無しさんYEnimま、山岡鉄舟なら俺の百倍素早いかもしれん判断力が😀2026/05/17 16:57:11838.神も仏も名無しさんYEnimテーラワーダのサティのイメージは俺的には臨済宗修行の肥しにはなった感はある逆回転だから😀2026/05/17 16:58:23839.◆JBLfMwCXhYCxebtハッスル軍団に欠けてるところだな?😫2026/05/17 17:00:30840.神も仏も名無しさんYEnimデンパパにしろムイムイにしろ自分基準で俺の怒りを予測するんだがやはり、スルーされたり返り討ちされたりする😀2026/05/17 17:03:41841.パーリーP4Prn四念処の、結果として辿り着くのが九次第禅定の第四禅定だろうね‼️道元さん中国で少なくとも第四禅定には達していたわけだ2026/05/17 22:45:16
【全国の15歳~19歳調査・あなたは、生まれ変わったらどこの国に生まれたいですか?】大差をつけた圧倒的1位は日本! 「絶対に日本、日本に勝る国はない」 「こんな恵まれた国はありません」ニュース速報+529686.82026/05/22 06:15:25
俺からどれだけ
引き出せるか、
ゴリ子の能力次第やろなー
って何の事だろう?は置いといて。
ネットで見た話で、
悟りを得た人とは普通の人と違うものなど見てはいない。ただその見ることの深さと広さの違いがあるだけ、同じ木を見てレッテル張りで分かった気になるのかより理解しようと疑問に思う事の多さなのか。
とあり、一休さんの木の話と同じことだと思いました。
そして見るものに色という枠組みを付けてはじめて理解できるとは、言葉というものそのものだとも思えます。仏教が言葉をとても大切にしているワケだとも思えました。その理解度解析度が仏教を知る鍵なのだろうな。
違うだろうなー
娯楽修行の範囲てはなー
本業修行は
何もなし 😀
😀
何せ需要のないところに
供給したい
ナルシズムちゃんではないからなー
俺は
😀
普段褒められた事がない人なのは間違い無さそうだけど、そんなに嬉しかったんですか。そうですか、良かったです♪
需要がないのは
とても理解してるそ
😀
弟子とって
我道を行く弟子を見たら
どうぞ、ご勝手にと放置するらしい
😀
箸の上げ下げ指示する必要ないからなー
😀
高田純二さんだって何でも好きなの食べてと割り箸くれるのにな 笑
どちらにとってもそれはとてもいいね
ただのバカじゃないのか⁉️
認識新たにしたよ‼️
👽
特殊な偏見に固執して論争し、
「これのみが真理である」
と言う人々がいるならば、
彼らに言え、
「汝と対論する者はここにはいない」と。
原始仏典 スッタニパータ
本文の翻訳:
第2章:虚妄の章(28-38節)
「人の知識がそうであるように、その記憶もまたそうである。」
(第2章 第16節)
【第28節~第38節】
創造を知る者はそれを「創造」と呼び、消滅を知る者はそれを「消滅」と呼び、維持を知る者はそれを「維持」と呼ぶ。実のところ、これらすべての概念は常に**アートマン(真我)**の中に想像されたものに過ぎない。
弟子は、師によって提示された概念のみを把握する。アートマンは教えられた通りの姿をとり、そうして弟子を守る。その概念に没頭することで、弟子はそれをアートマンとして悟るのである。
アートマンは、これらすべての概念と不離(分かたれないもの)でありながら、あたかも分離しているかのように見える。このことを真に知る者は、いかなる恐れもなくヴェーダの真意を解釈する。
ヴェーダーンタに精通した賢者は、この実体のある宇宙を、あたかも夢や幻影、あるいは空中楼閣を見るかのように見なすのである。
消滅もなければ創造もなく、束縛されている者もなければ修行に励む者もない。解脱を求める者もなければ、解脱した者もない。これが絶対的な真理(勝義諦)である。
アートマンは、存在すると知覚される非実在の客体として想像されると同時に、「不二(一なるもの)」としても想像される。諸々の客体もまた、不二のアートマンの中に想像されたものである。ゆえに、不二こそが至福である。
宇宙における多様性は、アートマンと同一の存在としてあるわけではなく、それ自体で独立して存在しているわけでもない。それはブラフマンから分離しているわけでも、分離していないわけでもない。これが賢者たちの言葉である。
執着、恐れ、怒りから解き放たれ、ヴェーダに精通した賢者たちは、アートマンがいかなる幻想(ファンタズム)も持たず、多様性という錯覚からも自由な「不二」であることを悟っている。
https://i.imgur.com/OkU2CfU.jpeg
悟りを得たサンニャーシン(遍歴修行者)は、いかなる神も賛美せず、いかなる上位者にも礼拝せず、先祖を祀る儀式も行わない。肉体とアートマンの両方を自らの住処とし、たまたま手に入ったものだけで満足して生きる。
内なる真理と外なる真理を共に知った彼は、「実在(リアリティ)」と一つになる。彼は実在を歓喜し、実在から決して離れることはない。
出典: スワーミー・ニキラーナンダ著 『ウパニシャッド:新訳』
第2章: 虚妄の章(Vaitathya Prakarana)28-38節
https://i.imgur.com/OkU2CfU.jpeg
2安全欲求・・・・自分だけの帰る家屋がある。
3社会的欲求・・・社会的認知が欲しい。周囲に認められたい。
4尊厳欲求・・・・崇拝が欲しい。尊敬が欲しい。
5自己実現欲求・・・生まれた意味を明らかにしたい。自分は何者か?
6自己超越欲求・・・悟り、人間の枠を超え普遍に到達したい。
https://i.imgur.com/SStecR2.jpeg
(天台は一宝印だが)
じゃあ何が違うんか
方法論が違うというだけ
なんでか?
対機説法だから
四念処経(中部経典)
これはヴィパッサナー瞑想(観の瞑想)の核心であり、「気づき」の訓練を通じて、物事をありのままに観察し、執着から離れることを目的とします。
身念処(しんねんじょ): 身体の動き、感覚(呼吸、姿勢、体の不快感・快感など)に注意を向け、「不浄」であること(変化し続けること)を観察する。
受念処(じゅねんじょ): 生じる感覚(快・不快・どちらでもない)を観察し、苦しみ(ドゥッカ)であること(執着すると苦しむこと)を理解する。
心念処(しんねんじょ): 心の状態(喜び、怒り、集中、散漫など)を観察し、「無常」であること(常に変化すること)を認識する。
法念処(ほうねんじょ): 心の対象(思考、感情、現象など)を観察し、すべてが「無我」(固定した実体がないこと)であることを理解する。
気づき(マインドフルネス): 今この瞬間の身体の感覚や心の動きに注意を払い続ける。
実況中継: 身体を動かす際などに、「動いている」「熱い」「痛い」などと心の中で実況する(考えすぎないように)。
スローモーション: ゆっくりと動作することで、感覚をより詳細に捉える。
目的: 煩悩(我執)に気づき、それを手放すことで、苦しみから解放されること(悟り)を目指す。
デンパパ📡の欠落しているのは
観察と必要性
👽
テーラワーダ仏教では、漢字の仏教用語を並べることを、あんまりやらないが
「四念処」は重要なので外せない
呼吸や身体の感覚、心の状態をありのままに観察し、自己浄化を行うものです。2500年以上にわたり継承されているこの瞑想法は、執着や欲を滅ぼし、苦しみから解放されて心の平安(安穏)を得ることを目的としています。
本質はヴィパッサナー:サンスクリット語で「物事をあるがままに見る」という意味です。身体感覚や感情、思考を客観的に観察する「気づき(サティ)」の訓練です。
目的:ストレス解消だけでなく、究極的には苦しみの原因である「欲・怒り・エゴ(煩悩)」を根絶し、真の幸福を得ることです。
サマタ瞑想(静寂):呼吸など特定の対象に意識を集中させ、心に平静をもたらす準備段階の瞑想。
ヴィパッサナー瞑想(洞察):集中した心で、身体や心に起きる現象の無常(常に変化すること)を観察する。
姿勢:背筋をまっすぐにして座る。目は半眼か閉じる。
呼吸の観察:自然な呼吸に注意を向け、腹部の膨らみや縮み、鼻を通る感覚を観察する。
ラベリング:湧き上がる雑念や感覚を「考えている」「足が痛い」のように客観的に言語化して確認する。
対象は「今」:過去や未来の思考に囚われず、常に「今」起きている現象(感覚・思考)だけを観察する。
時間と頻度:1日2回、各20分~30分程度が目安だが、短い時間でも継続することが重要。
歩く瞑想:歩く感覚に集中する。足の裏の感覚などに気づきを向け続ける。
感情のコントロール:怒りや欲が湧いたとき、それに振り回されず、「怒りが湧いた」と客観視することで執着を離れる。
※精神疾患や重篤な症状がある場合は、マインドフルネス(瞑想)を実践する前に医師に相談することが推奨されています
正直スマンカッタ
効果的だ
井上希道はあかんけどな
😀
逆回転できる
サティの入力を出力展開させて
パワー加速
😀
お仕事で
😀
狙う
😀
ショートカット入力と出力同時
😀
川野泰周には
できんだろうな
😀
俺の百倍素早いかもしれん
判断力が
😀
俺的には臨済宗修行の肥しにはなった感はある
逆回転だから
😀
ムイムイにしろ
自分基準で俺の怒りを予測するんだが
やはり、スルーされたり
返り討ちされたりする
😀
辿り着くのが
九次第禅定の第四禅定だろうね‼️
道元さん中国で
少なくとも第四禅定には達していたわけだ