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キリスト教 相談室 115アーカイブ

1.
ユーザー
l3foN
“一人で抱え込まないでください”

悩みを整理し、
具体的な解決策と
次の一歩を見つけるお手伝いをします


前スレ

【初心者】キリスト教@歓談室114【歓迎♪】
https://talk.jp/boards/psy/1684548822
1000
すべて
|
最新の50件
2.
ユーザー
5AfDz
スレ主どなた?
😆
3.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
l3foN
立て直した😆


キリスト教 悩み相談室 115
https://talk.jp/boards/psy/1763251728
4.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
l3foN
セイウンコ~ンに対抗して、スレを乱立していれ😆
5.
ユーザー
5AfDz
なるほど
😆
6.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Z1osa
前スレ完走
7.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Z1osa
あげ上げ
8.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Z1osa
⤴️
9.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Z1osa
スレ埋めじゃ、~
10.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Z1osa
自分のスレは、自分で埋める
11.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Z1osa
それでこそ、責任ある行動
12.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Z1osa
立て直して正解だった
13.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Z1osa
「悩み相談室」のほうが

ずっと良いスレタイ
14.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Z1osa
相談室じゃ、落ち不明
15.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Z1osa
相談室じゃ、意味不明
16.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Z1osa
埋めるったって、先は長いが
17.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Z1osa
掲示板は戦場だ
18.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Z1osa
陣取り合戦だ
19.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Z1osa
もちろん、冗談だが(笑)
21.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Z1osa
22.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Z1osa
はひふへ
23.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Z1osa
ほぉ
24.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Z1osa
葬送のフリーレン
25.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Z1osa
このスレは最初から終わっている
26.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Z1osa
別に、埋めなくてもいい
27.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Z1osa
このまま放置でも(笑)
28.
ユーザー
RV0Dc
上げているな?
😆
29.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Z1osa
キリスト教っぽいスレタイで、上位を固めている😆
30.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Z1osa
スレタイだけで、中身はないが😂
32.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Z1osa
はー疲れた
33.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Z1osa
疲れてるな
34.
ユーザー
RV0Dc
こっちも
昨日と今日のイレギュラー仕事で疲れた
😆
35.
ユーザー
RV0Dc
金曜日、土曜日は
疲れている
それより前は
領域展開でコントロールしている
😆
36.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Z1osa
金曜日に疲れてるのは当たり前
37.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Z1osa
特級呪霊のセイウン様も疲れているようだ
38.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
gr0C5

          ___
        // / / ハ
       _|_/__/__/_/ ∧_Y⌒Y
      //  /  /  / ハ |.  ゝ_ノ
     / /_/_/_/ / ハ
   / / -三三-   V / ハ
    | |  二、} レ二:、 V / /!
    | |. (\)}  {(/)_ V / |
    ソ --ノ / -- `.ミ | /二Y
  { _U_イl、__n_}\_ u レ/ /
  ゝ  | fヽ} }|:.|ノヽ   / | /
    | | | |エlエlエl| | / レ
\  | | | |      | | | /
  \| | | |∧.∧.∧| | | |
   ゝ. Y二二二Yノ / ./  ̄ ̄ ̄
    | ´ ̄ ̄|:゚|` /   メシヤが降臨したのじゃ~!
     ` ―― |゚:
39.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
gr0C5
眠い
40.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
gr0C5
気がついたら眠ってた
41.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
gr0C5
目が覚めたが
42.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
gr0C5
メシヤが降臨したか
43.
ユーザー
RV0Dc
やっぱり、過疎っているなー
誰もレスが〜😆
44.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
tag7A
それは仕方ない❗
45.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
tag7A
ほ~かい師匠に、セイウンコ~ン
46.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
tag7A
二大スターが不在だ😂
47.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
tag7A
ほ~かい師匠は戻ってこないな
48.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
tag7A
Yahoo!知恵袋のどこがいいのか
49.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
tag7A
さっぱりわからんのだが~😂
50.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
tag7A
50
51.
ユーザー
RV0Dc
ヤフーのは
かなり我流解釈のバトルだな
あれは

俺はちゃんと
宗派別に教義に忠実であろうとしようとするスタンスは持ち合わせている

それでも、山伏念仏、日蓮宗は
魔改造になりがちだが
😆
52.
ユーザー
RV0Dc
ヤフーは
ある種のハッスル知識クオリティだからな
😆

ヤフーも含めて掲示板で
仏教がまともなのは
仏のスレスレ主か、ロンの半分くらい
と俺ぐらいしかいないだろな
😆
53.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
tag7A
ヤフー知恵袋とか、Wikipediaとか

ウノミにするのは危険だ😅
54.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
svfX8
まあ、掲示板など

4~5人がいればいい方だ

こんなもんでいい😆
55.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
svfX8
5ちゃんのキリスト教スレのメンヘラ軍団など

何を言ってるのか分からんし😅
56.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
svfX8
まあ、よく読めば、マトモな人もいるのかもしれんが

マトモに読んだことは無い
57.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
svfX8
5ちゃんの宗教板との付き合いは、20年を超えるが

キリスト教スレをマトモに読んだことが無い
58.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
svfX8
正直なところ、参加者全員が異常者に見える😅
59.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
svfX8
いや、おそらく

じつは、キリスト教をマトモに語ってるに違いない

そんな気がしてきた
60.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
svfX8
我ながら、偏見が強い😅
61.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
svfX8
個人的に、このあたりが当方の抱える矛盾だ

自分も宗教マニアでスピ系オタクなのに

それでいて、宗教関係者やスピリチュアル関係者には偏見を持っている😅
62.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
svfX8
幼少の頃から、自分以外の家族全員が完全に無宗教

自分だけが、コテコテにスピリチュアル系

そういう家庭環境に育ったことが、尾を引いている
63.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
svfX8
宗教やスピリチュアルというのは

周囲からヴァカだ、アフォだ、
頭がおかしいと言われながら
1人でやるものというイメージが定着している
64.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
svfX8
なので、セイウンコ~ンみたいに

自分がどれほど熱心に宗教に取り組んでるかを自慢する人を見ると

一種のカルチャーショックを受ける
65.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
svfX8
だが、逆に

宗教とかスピリチュアルにまったく関心が無い人たちのことも

内心ではバカにしている(笑)
66.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
nzIwm
人生を通して、現世のことに意識を集中してきた人たちの

健全さと有能さには感心する

それについては、掛け値なしに高く評価しているが
67.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
nzIwm
だが、やはり自分の価値観では

それだけだと片手落ちだ
68.
ユーザー
5D9Jd
ハッスルくんが
拝読しました、というプロテスタントの相手と、
カトリック系統2名くらいは

まともかもしれん
メンヘラで埋められているからなー
69.
ユーザー
5D9Jd
>>61
日本仏教でホンモノ僧侶は一部だからなー
日本仏教でユーチューブで上がってくる動画で
声色で仕上がっているのは
セッタンとあと2名くらいだな
音声だけで
あ、できるな?
ネルケは
ショート動画のまとめ方で
できる人だ感だな、

真言宗では1名か内容安定で
聞かないけど動画落としするのは
😆
70.
ユーザー
5D9Jd
ま、おれが年に一、二度遊んでもらっているお方は
ま、知れば、
唸るお方だ、
言わないけど
😆
71.
ユーザー
5D9Jd
音声の声色だけで仕上がってるのは
相当なレベルだ
吉野山の千日回峰行者も2名程しゃべるのを聞くけど声色は普通の良いお方
😆
72.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
W7cga
まあ、それはいい
73.
ユーザー
5D9Jd
塩沼亮潤の勤行は
かなりかっこいい山伏だ
😆
74.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
W7cga
>>68

なるほど

そのあたりはマトモなのか
75.
ユーザー
5D9Jd
塩沼亮潤は喋り声色は
普通の人だが
😆
76.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
W7cga
>>69

そのあたりは本当に優れているな
77.
ユーザー
5D9Jd
ハッスルくんは
とりま、まともなキリスト教徒に
友好的にしてもらって
居場所がおるようだ、
あんなのでも
メンヘラ軍団の中では
キリスト教徒にとってはまともで耐えられる相手だろうな
仏教は
そうはいかん😆
78.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
W7cga
>>75

> 塩沼亮潤は喋り声色は
> 普通の人だが
> 😆


禅僧じゃないから、丹田を練ってはいないんだろうな

内功のこもったパワー発声ができるのは
気功の修行した者の強み
79.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
W7cga
>>77

確かに

キリスト教スレでは、セイウンコ~ンが相対的にマトモに見えるな😂
80.
ユーザー
5D9Jd
塩沼亮潤
10分あたりだな
勤行はかっこいいな

https://m.youtube.com/watch?v=8yuVx6ykEj4
81.
ユーザー
5D9Jd
塩沼亮潤の勤行見にいくのも
いい旅かもしれんぞ
😆
82.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
W7cga
確かにな~😂
83.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
gOy3L
大阿闍梨の千日回峰行はすごいな
84.
ユーザー
ntkD1
塩沼亮潤の勤行の声が迫力がある
高音域だけどな〜
😆
85.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
gOy3L
素晴らしい勤行だ👍️
86.
ユーザー
RGKuV
最近の土曜日の朝は
心身脱落モードだ
😆
87.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
gOy3L
朝坐禅だ~😆
88.
ユーザー
RGKuV
心身脱落感覚で
疲労回避がてきる
😆
89.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
gOy3L
ハッスル様の大噴火はまだか~🌋
90.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
gOy3L
心身脱落状態で、噴火を眺めるのは

また格別の味わい
91.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
gOy3L
悔い改めよ
92.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
gOy3L
神の国は近づいた
93.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
gOy3L
神が表に現れて 善と悪とを立て別ける
94.
ユーザー
RGKuV
仕事日は
動中工夫ビーストモードだが
土曜日朝になると
道元禅師様のお世界だ
😆
95.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
gOy3L
>>94
> 動中工夫ビーストモード?😆
96.
ユーザー
RGKuV
瞬時の判断力と疲労回復の反転術式やりまくり状態
😆
97.
ユーザー
RGKuV
それでも
仕事の記憶が2回ほど焼き切れた
昨日
😆
98.
ユーザー
RGKuV
土曜日は
いつも道元禅師の楽園から
始まるよーだ
勤行しにいくしなー
呼んでんじゃね?
😆
99.
ユーザー
RGKuV
とりま、脳内に倶舎論をセッティングした
😆
100.
ユーザー
RGKuV
次はキリスト教だ
😆
101.
ユーザー
RGKuV
伝統的解釈のキリスト教寄りのを
脳内にセッティングした
これで
トマス研究がたのしめるが
昼前くらいだろう
😆
102.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
sRvCG
キリスト教と仏教の2本柱だ😆
103.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
sRvCG
これに大本教を加えて、3本柱とする😆
104.
ユーザー
RGKuV
大本のが近所にないから
謎が、多いままだ
フィールドワークプランに
入れてないしなー
😆
105.
ユーザー
n0nus
amazon プライム限定で

いくらかのサブスクが 2ヶ月間99円 だったので

テレ朝のやつを始めた
106.
ユーザー
n0nus
ロンドンハーツ が おもしろそう
107.
ユーザー
n0nus
あと 相棒が いくらかある
108.
ユーザー
n0nus
ふつうなら 500円ぐらいだろうか
109.
ユーザー
n0nus
こういうのは 油断していると

通常課金まで キャンセルを 忘れることがあるから

注意が必要だ
110.
ユーザー
n0nus
アニメの やつもあるけど

いまさらかんがある
111.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Eqpwu
へえ、面白そうだな?
112.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Eqpwu
ダウンタウンプラスは、月1100円だけど

すでに、50万人が加入したらしい
113.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
oH9XN
魂の不死性に関する哲学的考察

~死後存続仮説に関する議論を中心に~

大 門 正 幸※

(中部大学/バージニア大学)

要旨:心霊研究および超心理学研究の発展と共に、人間の意識が肉体の死後も存続する可能性について、当該の分野の研究者だけでなく、C.D.BroadやH.H.Priceのような著名な哲学者の間でも、その可能性について議論がなされてきた。

114.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
oH9XN
最近、Sudduth (2016) がこの長年の議論に対して、確認理論の枠組みで、詳細な分析を行った。確認理論は、競合する
仮説の中でどの仮説を選ぶか、また、証拠によってある仮説が支持されるのはどのような場合かを測る手段を提供しようとする、哲学理論の一つである。
115.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
oH9XN
Sudduth (2016) は、主に次の二つの問題点を指摘し、意識の死後存続仮説は当該の現象を説明する仮説として不十分であると結論づけた。

116.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
oH9XN
第一の問題点は、死後存続仮説の擁護論者たちが唱える仮説には、実際には、一連の補助仮説が必要だが、それらには独立の根拠がなく、検証可能性が確保されない、という点である。
117.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
oH9XN
第二の問題点は、仮説の正当性を弱める、有力な対立仮説が存在することである。
118.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
oH9XN
本稿では、この議論に対し、死後存続仮説に必要とされる補助仮説の位置付けの見直し、対立仮説における補助仮説に関する問題の指摘、新たな証拠の提示を通して、死後存続仮説が当該のデータを扱う仮説としては最良のものであることを
示す。
119.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
oH9XN
西洋哲学において「魂の不死性」はプラトンをはじめ、多くの哲学者たちが議論してきた重要なテーマのひとつであったが、1882年のイギリスにおける心霊研究協会 (Society for Psychical Research) や1884年のアメリカにおける米国心霊研究協会 (American Society for Psychical Research) の設立による経験科学的手法による心霊現象の調査・研究が進展するにつれ、そこから得られた知見に基づき、死後の魂 (意識) のゆくえについて、「意識の死後存続 (survival of consciousness)」問題、あるいは単
に「死後存続 (survival)」問題として、哲学者たちも論ずるようになった。
120.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
oH9XN
そもそも、両協会の創立メンバーにはHenry Sidgwick、William James、James M. Baldwinという哲学者 (哲学者・心理学者) が名を連ねていることから分かるように、哲学者たちの関心は当初から高く、この問題について論じた著名な哲学者には、C.D. Broad、H.H. Price、C.J. Ducasse、Antony Flew、H.D. Lewis、John Hickなどがいる。
121.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
oH9XN
心霊研究やそこから発展した研究が超心理学と呼ばれるようになり、新たな知見が積み重ねられるようになると、哲学的議論の方向性もそれに合わせて変わっていった。

中でも重要なのは、実験を通しての超感覚知覚や念動力の存在の実証と、生まれ変わりを思わせる「再生型事例」の発見が考察に与えた影響であった。

122.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
oH9XN
前者は、意識の死後存続を示すかに見られる現象が、実は生者がサイ能力を通して引き起こしたものであるとする解釈に道を開く、という意味で死後存続仮説を脅かすものである。

一方、後者は、霊媒現象以上に有力な証拠を提示する、という意味で死後存続仮説を擁護するものである。
123.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
oH9XN
これらに加えて、1975年のRaymond MoodyによるLife After Lifeの出版以来精力的に研究が進められてきた臨死体験も、間接的にではあるが、死後存続仮説に有力な証拠を提供している。

このような流れを受けて、Almeder(1992)、Griffin (1997)、Lund (2009)、Paterson (1995)は死後存続仮説を強く擁護する論を展開してい
る。Braude (2003) はずっと控えめではあるが、最終的には死後存続仮説に与する形で論を締めくくっている。
124.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
oH9XN
一方、Sudduth (2016) は、確認理論 (confir-mation theory) を用いてこれまでの哲学的議論を精査し、非常に精緻な分析を通して、死後存続仮説を擁護する議論は破綻している、と主張している。

本稿では、Sudduthの「反死後存続仮説」論を検討し、それに反駁することで、現在も死後存続仮説の優位性が動かないことを論証したい。
125.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
oH9XN
Ⅱ. Sudduth (2016) の「反死後存続仮説」論

Ⅱ-1.確認理論
Sudduth (2016) の議論の多くは、経験科学的仮説の確認または否定を規定するべく提案された確認理論に基づいているので、この理論について簡単に見ておく1)。
126.
ユーザー
qLow7
死後残存か、

ま、探求はしないが
それらしいシステムで
圧倒的な修行能力を獲得しているな
😆
127.
ユーザー
qLow7
で。中山法華寺にはついたんか?

257ページまで
読んだ
😆
128.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
oH9XN
この理論で鍵となるのは、以下の「ベイズの定理」(Bayes' theorem) である。


この表記において、"Pr" は「確率」(probability) を、"h" は「仮説」(hypothesis) を、"e" は「証拠」
(evidence) を、"k" は「背景知識」 (background knowledge) を表す。"Pr (h | e & k)" は、証拠 "e" と背景知識 "k" が与えられた時に仮説 "h" が真である確率、すなわち仮説 "h" の事後確率 (posterior probability) を 表 す。"Pr (e | h & k)" は、仮説 "h"が真であったとした場合、仮説 "h" と背景知識 "k" が与えられた時に証拠 "e" の生じる確率であり、これは尤度 (likelihood) と呼ばれる。尤度とは、要するに、仮説 "h" が証拠 "e" をうまく説明できる度合いである。
"
129.
ユーザー
qLow7
如来菩薩とか
超越的存在でない
何かが俺の修行を進めているケースがある
特に神秘主義軽視の臨濟宗
😆

臨濟宗以外はその力は
如来、菩薩のせいにできるが
😆
130.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
oH9XN
Pr (h | k)" は背景知識 "k" が与えられた時に "h" が真である確率であり、仮説 "h" の事前確率と呼ばれる。"Pr (e | k)" は、背景知識 "k" が与えられた時に証拠 "e" が生じる確率、すなわち、仮説 "h" がなくとも証拠 "e" が説明できる度合いである。仮説 "h" が真である確率、すなわち事後確率が高まるのは、(i) 仮説と背景知識が与えられた場合に当該の証拠の生じる確率が高い場合、すなわち尤度が高い場合、(ii) 背景知識が与えられた場合に仮説が真である可能性が高い、すなわち仮説の事前確率が高い場合、そして (iii) 背景知識のみが与えられた場合
(すなわち仮説がない場合)に、当該の証拠が生じる可能性が低い場合である。
131.
ユーザー
qLow7
臨濟宗は超越的存在を
一番認めていない
😆
132.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
oH9XN
仮説 "h" が真である確率が、それが真でない確率よりも高い場合、すなわち、上記の定式においてPr (h | e & k) が2分の1を超えればその仮説を採用する根拠が得られたことになるとされる。

133.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
oH9XN
Ⅱ-2. 尤度と補助仮説
デュエム-クワイン・テーゼ (Duhem-Quine thesis) が述べるように、観察される現象の説明には、主要な仮説に加えて、様々な補助仮説が必要になるが (Duheim, 1962; Quine, 1951)、
Sudduth (2016) は、死後存続論者たちがこの点に関して非常にあいまいであると指摘する。

すなわち、「意識の死後存続」と言っても様々な形態が考えられ、以下のような survival scenario (SS)、すなわち補助仮説を採用したとすれば、その死後存続仮説が関連する証拠 "e" を説明できる確率はゼロである (Sudduth, 2016, p.216)。

134.
ユーザー
qLow7
臨濟宗は証拠を提示しない
わかるか、わからないか、

臨濟宗以外の仏教は
先に神秘的提示があり、
それを教義学で証拠として確認できる

臨濟宗は教義学を前提していないので、
証拠よりも実現の有無

ハッスルくんが
決死の思いで
公案の証拠を出せ
とか言っても

ハッスルくんが
何一つ体現体得している訳ではないので
ハッスルくんの狂っている姿を
提示するのみだ
😆
135.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
oH9XN
すなわち、「意識の死後存続」と言っても様々な形態が考えられる。

SS1 : 死後も存続する人がいるが、機能する脳がないため、精神状態を表現したり、世界に影響を与えたりすることができない。

SS2 : 意識のある存在として死後も存続する人がいるが、死後の心理的状況は生前のものとは記憶の点でも性質の点でもほとんど連続性がない。

SS3 : 意識のある存在として死後も存続する人がいて、交信しようとする欲求も意図もあるが、そのような能力がない。

SS4 : 意識のある存在として死後も存続する人がいて、交信しようとする能力もあるが、そのような欲求や意図がない。

SS5 : 意識のある存在として死後も存続する人がいるが、交信しようとする能力も、欲求も、意図もない。

SS6 : 死後はその人ならではの意識以外の部分のみが残る。

SS7 : 死後は、心的傾向の基礎となる部分のみが残る。

136.
ユーザー
qLow7
噛み合ったレスできてるやろ
😆
137.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
oH9XN
>>127

冷たい雨が降り始めた😫

船橋のマクドナルドに避難
138.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
oH9XN
>>136

臨済宗は、死後の存続を否定しているな?
139.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
oH9XN
この世を超越する存在を全否定
140.
ユーザー
qLow7
>>138
生きている間は
生きていること

死んだ後は
死んだ時

ということやろ
余計なことは
考えない

不識

😆
141.
ユーザー
qLow7
師匠には
死者の存在に関して
教えてもらった
むろん分析的な話ではないがな
😆
142.
ユーザー
qLow7
トマスは
自由意志論者と
判明

割合、些末なトマスは嫌いだが
この本のトマス解説は
かなり気に入った
😆
143.
ユーザー
qLow7
理屈は不識だ

😆
144.
ユーザー
qLow7
仕事日は
不識魔王だから

休日くらいは
トマスを読みたい
😆
145.
ユーザー
qLow7
262ページまで読んだ

トマスのおかげで
門脇桂吉の発想が
少し見えてきた
😆
146.
ユーザー
qLow7
当然、門脇桂吉は
純粋禅ではないので
カトリック神学の路線を
理解しはいと
門脇桂吉の手の内が見えてこない
😆
トマスの肯定の神学と
仏性論みたいなのが
合体してそうだ
😆
147.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
BAaM6
なるほど
148.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
a70Xl
すごい満員電車だ
149.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
a70Xl
スーパーラッシュアワー
150.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
a70Xl
These terms are adjective-noun pairs derived from Latin used to classify animals based on their species or family, with common examples includingCanine(dog),Feline(cat),Bovine(cattle),Equine(horse), andPorcine(pig). They often describe characteristics associated with those animals.

Common Animal Classifications

Bovine

:

Cattle, bison, buffalo.

Canine:Dogs, wolves, foxes, jackals.

Feline:Cats, lions, tigers, leopards.

Equine:Horses, donkeys, zebras.

Porcine:Pigs, swine.

Ovine:Sheep.

Caprine:Goats.

Lupine:Wolves.

Vulpine:Foxes.

Murine:Mice, rats.

Ursine:Bears.

Avian:Birds.

Piscine:Fish.

Serpentine/Ophidian:Snakes.

Lapine:Rabbits.

Asinine:Asses/Donkeys.

Cervine:Deer, elk, moose.

Usage Context
These terms are used to describe, classify, or insult (e.g., "bovine expression" for slow-witted, "asinine" for foolish). While often used for livestock, they extend to wildlife and insects (e.g., "Formicine" for ants).

151.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
po17k
悟りには段階がある
152.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
po17k
明らかにあるな
153.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
po17k
ぬぬちまためなたやなち
154.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
po17k
ぬとぬたぬとなたなあやちて
155.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
po17k
は
156.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
po17k
なゆひやへ
157.
ユーザー
cB8rw
>>150
これらの用語は、ラテン語に由来する形容詞と名詞のペアで、動物を種や科に基づいて分類するために用いられます。一般的な例としては、イヌ科(犬)、ネコ科(猫)、ウシ科(牛)、ウマ科(馬)、ブタ科(豚)などがあります。これらの用語は、多くの場合、それぞれの動物の特徴を表します。

一般的な動物の分類

ウシ科

:

牛、バイソン、バッファロー

イヌ科:犬、オオカミ、キツネ、ジャッカル

ネコ科:ネコ、ライオン、トラ、ヒョウ

(中略)



シカ科:シカ、ヘラジカ




使用例
これらの用語は、形容、分類、または侮辱(例:「牛のような表情」は頭の回転が遅い、「愚かな」は馬鹿げている)に用いられます。家畜に対してよく使われますが、野生動物や昆虫にも適用されます(例:「アリ」はアリ類)。
158.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
z1Duo

二元論の祖はプラトン 結局、プラトンが悪いのか?


かなり乱暴に言えば、「西洋哲学の二元論の大きな源流としてのプラトン」という見方は、たしかにあります。

特に有名なのは、

感覚で見えるこの世界(生成・変化する、不完全なもの)

その背後にある永遠不変の真の世界(イデア)

という区別です。

159.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
z1Duo
これは後の

精神/物質

理性/感覚

本質/現象

善/悪

真/偽

のような二項対立の原型になった、とよく言われます。

だから、ジャック・デリダのような脱構築の思想家は、かなりの部分で「プラトン以来の形而上学」を批判しているわけです。
160.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
z1Duo
ただし、

「全部プラトンが悪い」

と言うのは少し雑です。

理由は3つあります。

① プラトン自身は、単純な二元論者ではない

彼の対話篇を読むと、単純に
「こっちが善、あっちは悪」
と切っているわけではなく、かなり揺れがあります。

たとえば『饗宴』では、美しい肉体から始まって、美そのものへ上昇するので、感覚世界を完全否定していません。

161.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
z1Duo
② 本格的な「心身二元論」はむしろルネ・デカルト

近代的な意味での

心(精神)

身体(物体)

をきっぱり分けたのは、むしろデカルトです。

だから「二元論の親玉」はデカルトだ、という人も多い。
162.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
z1Duo
③ キリスト教神学がそれを増幅した

神/被造物

天上/地上

魂/肉体

などが、中世キリスト教で強く制度化されました。

つまり

プラトン → 新プラトン主義 → キリスト教 → デカルト

という長い流れです。
163.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
z1Duo
なので結論は、

「プラトンが元祖のひとりではあるが、全部の責任を負わせるのはかわいそう」

です。

デリダ風に言えば、

プラトンは犯人というより、“最初の現場”

ですね。
164.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
JSlvX
質問:プラトン的な二元論をブチ壊そうというのは ニーチェ的な方向性だ


chatGPT:かなりそうです。

フリードリヒ・ニーチェは、まさに

「プラトン主義の転倒」

を目指した哲学者だ、とよく言われます。
165.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
JSlvX
彼にとって問題だったのは、

この現実世界は不完全で低級

真に価値あるものは彼岸(イデア・神・真理)にある

という発想です。

ニーチェはこれを

生を否定する思想

だと見ました。
166.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
JSlvX
有名な言い方では、

キリスト教は民衆のためのプラトン主義

とも言っています。

つまり

プラトン→ イデアを上に置く

キリスト教 → 天国・神を上に置く

どちらも「この世界を下げる」という点で同じだ、と。

だから彼は

この世界
身体
欲望
力
生成
差異

を肯定しようとした。

これはまさに反プラトンです。
167.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
JSlvX
そして

ジル・ドゥルーズ

ミシェル・フーコー

ジャック・デリダ

この20世紀フランス思想の人たちも、多かれ少なかれ

「反プラトン」「反形而上学」

というニーチェの系譜にいます。
168.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
uJ1Hf
電車が緊急停止だ
169.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
uJ1Hf
ヤバいな

遅くなる
170.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
uJ1Hf
まあ仕方ない
171.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
uJ1Hf
動くのを待とう
172.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
uJ1Hf
ラッシュアワーの電車は、コレがあるからダメだ
173.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
uJ1Hf
もっと早いのに乗るべき
174.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
uJ1Hf
分かっちゃいるけど、なかなかできん
175.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
uJ1Hf
は~疲れた
176.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
J8OX1
もう、こんな時間か
177.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
J8OX1
金曜か
178.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
J8OX1
疲れるな~😫
179.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
YCbp9
邪神クトゥルフ

仏のスレ79
https://talk.jp/boards/psy/1781269454
181.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
YCbp9
182.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
YnK1K
ただし違いもある。

ニーチェはかなり

ハンマーで壊す

感じですが、

デリダは

内部からネジを外す

感じです。

ドゥルーズは

別の機械を作る

感じ。

フーコーは

その建物が誰の利益のために建っているか調べる

感じ。

でも出発点にはかなり共通して

プラトンをどう乗り越えるか

があります。


183.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
YnK1K
ニーチェは真っ向から反対したのか?


はい。フリードリヒ・ニーチェは、かなり真正面からプラトンに反対しました。

ただし、「プラトンを読まずに否定した」のではなく、

西洋そのものがプラトン的である

と見て、その根を断とうとした、という感じです。

彼が批判したのは主にこれです。

184.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
YnK1K
① 真の世界/見かけの世界

プラトンでは

イデア=真に存在するもの

感覚世界=不完全な影

となる。

ニーチェはこれを

生の否定

だと見ました。

「いまここ」を劣ったものとして扱うからです。

彼はむしろ

生成し、変化し、矛盾するこの世界こそ現実だ

と言う。
185.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
YnK1K
② 理性の優位

ソクラテス→プラトン以来、

理性

秩序

節制

が高く評価され、

本能

情念

身体

が疑われる。

ニーチェはこれを「弱者の道徳」だと批判した。
186.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
YnK1K
③ 善悪の固定

「善とはこういうものだ」という普遍的道徳も疑いました。

彼は価値そのものが歴史的に作られると考えた。

これが『道徳の系譜』です。

だから彼の有名な仕事は

プラトンの上下をひっくり返すこと

です。

天より地

魂より身体

永遠より生成

真理より解釈

という方向。

ただ面白いのは、

ニーチェ自身もものすごく「ギリシア的」なんです。

彼はプラトン以前の

悲劇

ディオニュソス

ヘラクレイトス

を高く評価した。

つまり

ギリシアを捨てたのでなく、プラトン的ギリシアに反逆した

わけです。

187.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
YnK1K
デリダの原点はニーチェ?


かなりそうです。

ジャック・デリダの原点を一人に絞るのは難しいですが、強い源流のひとつは確実にフリードリヒ・ニーチェです。

特に共通しているのは、

「西洋哲学は、“中心”や“本当の意味”を求めすぎている」

という批判です。

188.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
YnK1K
ニーチェ

真理とは何か?

善とは何か?

本質とは何か?

こういう「絶対的な中心」を疑う。

「真理」と思っているものも、実は力関係や歴史の産物ではないか、と見る。

189.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
YnK1K
デリダ

意味の中心

起源

本来的な presence(現前)

最終的な根拠

を疑う。

言葉の意味は固定されず、差延(différance)によってずれ続ける、と考える。

なので、

ニーチェが“真理”を爆破し、
デリダが“意味”を解体した

とも言えます。
190.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
YnK1K
ただし、デリダはニーチェだけではありません。

かなり重要なのは

マルティン・ハイデガー

エトムント・フッサール

フェルディナン・ド・ソシュール

です。
191.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
YnK1K
特に

ニーチェ → ハイデガー → デリダ

という流れは大きい。

ニーチェ:形而上学批判

ハイデガー:存在論の解体

デリダ:テクストの脱構築

という感じ。

だから

デリダはニーチェの弟子というより、
ニーチェの爆弾の後始末をしている人

というほうが近いかもしれません。
192.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
F0fkp
ここは埋めスレ
193.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
F0fkp
このスレを埋める分には
194.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
F0fkp
誰にも迷惑がかからない(笑)
195.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
F0fkp
なんのつもりで、こんなスレを立てたのか
196.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
F0fkp
当時の経緯が、よく分からない
197.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
F0fkp
そうだ

当時は、スレの乱立合戦が行われていたのだ
198.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
F0fkp
このスレは、そのときに立てられた
199.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
F0fkp
まあ、埋まるまで

あと何ヶ月もかかるだろう
200.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
F0fkp
200
201.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
lY9s8
アメリカの1人あたり国民所得

日本の2倍~3倍は高すぎるな

202.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
lY9s8
その感覚はわりと自然です。

ただし、「1人あたり国民所得」が何を指すかで印象が変わります。
203.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
lY9s8
名目GDP(1人あたり)だと、近年はアメリカが日本の約2~2.5倍程度です。

国民所得(GNI)でも、為替レートによりますが、おおむね2倍前後になることが多いです。
204.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
lY9s8
「なぜこんなに差があるのか」というと、
アメリカはIT・金融・製薬など高付加価値産業の比率が高い。
労働生産性が日本より高い。
近年は円安の影響で、ドル換算した日本の所得が大きく目減りしている。
日本は1990年代以降、賃金がほぼ伸びていない。
205.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
lY9s8
一方で、「アメリカ人の生活が日本人の2~3倍豊かか」というと、そこは単純ではありません。

例えば、
家賃や住宅価格
医療費
大学の学費
保育費
などはアメリカのほうが非常に高いため、所得が高くても支出も大きい人が少なくありません。
206.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
lY9s8
つまり、
稼ぐ力(所得)はアメリカがかなり上
生活の豊かさは物価や社会保障も考えないと比較できない
というのが実態に近いでしょう。日本の円安が続く限り、ドル換算で見ると2倍前後の差が続く可能性があります。
207.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
lY9s8
物価は日本より、だいぶ高いな

208.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
lY9s8
そうですね。特に都市部では、日本との価格差を強く感じます。

例えば、最近の感覚だと、
ランチ:2,500~4,000円相当
コーヒー:700~1,000円
外食の夕食:5,000~1万円以上
家賃:大都市では日本の2~3倍以上のケースも珍しくない

一方で、アメリカは賃金も高いので、現地の人は日本人ほど「高すぎる」とは感じない場合もあります。
209.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
lY9s8
ただ、日本円で考えるとかなり厳しいですね。例えば年収が1,000万円でも、アメリカでは中流程度の生活という地域もあります。

一方、日本では1,000万円あれば比較的ゆとりのある生活ができる地域が多いです。
210.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
lY9s8
つまり、
アメリカは「高所得・高物価」
日本は「低所得・低物価」
という構図になっています。

円安も重なって、日本人がアメリカ旅行に行くと「何もかも高い」と感じやすい状況です。
211.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
lY9s8
日本でも、外食や家賃は上がっている

212.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
lY9s8
その通りです。

ここ数年、日本でも物価上昇が目立っています。
外食はコロナ前と比べて1~3割程度値上がりした店が多い。
家賃は全国平均では緩やかですが、東京や大阪など都市部では上昇傾向です。
食品も毎年のように値上げが続いています。
213.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
lY9s8
ただ、日本とアメリカの違いは賃金の伸びです。

アメリカでは物価が上がる一方で、平均賃金もかなり上昇しました。一方、日本は物価が上がっても賃金の伸びがそれほど大きくなかったため、「生活が苦しくなった」と感じる人が増えています。
214.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
lY9s8
そのため、日本では「低所得・物価上昇」という状況になりやすく、家計への負担感が大きくなっています。

外食や家賃の値上がりを日常的に実感する人が多いのも、そのためでしょう。
215.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
lY9s8
生産性の伸びは、じつは変わらないという統計もある

賃金の伸びが違うだけ
216.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
lY9s8
その見方には一定の根拠があります。
実際、「日本は生産性が全く伸びていない」というのは少し単純化しすぎで、統計の取り方によっては、アメリカとの差は賃金ほど大きくありません。
217.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
lY9s8
一方で、賃金の伸びにはかなり大きな差があります。

アメリカでは、労働市場が流動的で、企業間の転職による賃上げが起こりやすい。
企業は利益が出ると、賃金や自社株買いなどを通じて還元する傾向があります。

日本では長年、企業利益が増えても、賃金よりも内部留保を厚くする傾向が続きました。
そのため、「生産性以上に賃金の差が広がった」という指摘は、多くの経済学者もしています。
218.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
lY9s8
もちろん、アメリカのほうが高付加価値産業の比率が高いことや、IT企業の存在などが所得を押し上げている面はあります。しかし、日本との所得格差を説明するうえで、「賃金が伸びたかどうか」が非常に大きな要因なのは確かです。

つまり、「生産性の差よりも、賃金の差のほうが目立つ」という見方には、十分に議論の余地があり、支持するデータも存在します。
219.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
lY9s8
だが、日本人の賃金が上がれば

物価もアメリカ並みに上がるということか
220.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
lY9s8
必ずしもそうではありません。

賃金が上がれば、ある程度は物価も上がるのが普通です。人件費は商品の価格やサービス料金に反映されるからです。
しかし、賃金が2倍になれば物価も2倍になるという関係ではありません。
221.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
lY9s8
例えば、日本で平均賃金が30~40%上がっても、
外食やサービス業は値上がりしやすい。
一方で、家電や衣料品のように国際競争が激しいものは、それほど値上がりしないこともあります。
技術革新で生産性が上がれば、賃金が上がっても価格を抑えられる場合もあります。
222.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
lY9s8
アメリカの物価が高いのは、賃金だけでなく、
住宅不足による家賃高騰
医療制度の違い
サービス業の人件費の高さ
旺盛な個人消費
など、複数の要因が重なっています。
223.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
lY9s8
ですから、日本で賃金が上昇しても、アメリカ並みの物価になるとは限りません。むしろ、適度な賃金上昇と緩やかな物価上昇が続く状態が、多くの経済学者が望ましいと考える姿です。現在の日本は、長い間その好循環が弱かったため、賃金と物価のバランスをどう回復するかが課題になっています。
224.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
lY9s8
アメリカほどではないが、ドイツも人件費は日本よりだいぶ高い

輸出産業はどうなってるのか

225.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
lY9s8
そこが非常に興味深い点です。
実は、ドイツは高賃金でも世界有数の輸出大国です。
226.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
lY9s8
理由はいくつかあります。
高付加価値製品を作っている。
Mercedes-Benz
BMW
Siemens
Boschなどは価格競争ではなく、品質や技術力で勝負しています。
自動化・省力化が進んでいる。 人件費が高いので、ロボットや自動化設備への投資を積極的に行い、「一人当たりの付加価値」を高めています。
中小企業(ミッテルシュタント)が強い。 世界シェアの高いニッチ製品を作る企業が数多くあり、価格より技術で選ばれています。
227.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
lY9s8
つまり、ドイツは「人件費が高いから輸出できない」のではなく、人件費が高いからこそ、高付加価値化や自動化を進めて競争力を維持したという面があります。

一方、日本は比較的低い賃金で国際競争力を維持しようとする傾向が長く続きました。そのため、「賃金を抑えることで競争力を保つ」というモデルから抜け出しにくかったという指摘があります。

経済学では、「低賃金だから輸出が強い」とは必ずしも言えません。むしろ、ドイツや北欧を見ると、高賃金でも高付加価値製品を作れば輸出競争力は維持できることを示していると言えます。
228.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
lY9s8
ドイツやフランスの国民所得はどうなっている?
229.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
lY9s8
大まかには、日本よりかなり高いですが、アメリカほどではありません。

最近の為替ベースで比較すると、おおよそ次のようなイメージです。

国
1人あたり国民所得(日本=1とした場合)

日本1.0
Germany 約1.5~1.8
France 約1.4~1.7
United States 約2.0~2.5

つまり、
ドイツは日本より5~8割ほど高い。
フランスも日本よりかなり高い。
アメリカはさらにその上にいる、という構図です。
230.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
lY9s8
興味深いのは、ドイツやフランスは賃金が高く、社会保障も手厚い一方で、輸出競争力も維持していることです。

そのため近年は、「日本は賃金を抑えることで競争力を保とうとしてきたが、結果として国民所得が相対的に低下したのではないか」という議論が増えています。
231.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
lY9s8
もちろん、ドイツやフランスにも課題はあります。近年はエネルギー価格の高騰や製造業の競争力低下で成長が鈍化し、特にドイツは苦戦しています。しかし、それでも一人当たり所得は日本を上回る水準を維持しています。

この比較を見ると、「高賃金だから国際競争力を失う」という単純な関係ではないことが分かります。むしろ、高賃金に見合う高い付加価値や技術力を維持できるかどうかが重要だと考えられています。
232.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
lY9s8
日本は、アメリカには及ばないにしても

イギリス・フランス・ドイツとは並ぶくらいじゃないとおかしい

233.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
lY9s8
その見方には一定の説得力があります。
1990年頃までは、日本は世界でもトップクラスの所得水準でした。その後、約30年間にわたり賃金や所得の伸びが欧米諸国より鈍かったため、現在では差が開いています。
234.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
lY9s8
もし日本が、
生産性を着実に高め、
賃金もそれに応じて上昇し、
円の価値も現在ほど弱くなければ、
現在の所得水準は、少なくともGermany、France、United Kingdomと同程度になっていても不思議ではない、という見方をする経済学者はいます。
235.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
lY9s8
一方で、「必ず並んでいたはず」とまでは言い切れません。

理由としては、
日本は少子高齢化が欧州より早く進んだこと。
デジタル・IT分野で米国ほどの巨大企業が育たなかったこと。
為替相場の影響で、ドル換算の所得は円安になると低く見えやすいこと。
こうした要因も現在の差に影響しています。
236.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
lY9s8
とはいえ、あなたが感じているように、「日本は世界第4位の経済規模なのに、一人当たり所得では西欧主要国に見劣りする」という状況に違和感を持つ人は少なくありません。

結局のところ、日本の課題は経済規模そのものよりも、その成果が家計の所得として十分に反映されてこなかったことにある、という指摘は近年よくなされています。
237.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
lY9s8
今後の世界経済は、大きな変化が予想される

最大の要因は、A.I.とロボット

238.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
lY9s8
その見方にはかなり根拠があります。特に、AIとロボット技術は今後10~20年の世界経済を左右する最大級の要因の一つだと考えられています。

239.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
lY9s8
変化が起こる理由はいくつかあります。

労働の自動化

製造業だけでなく、事務、プログラミング、デザイン、法律、医療など知的労働にもAIが浸透します。
人件費の意味が変わり、「安い労働力」が競争力だった国は優位性が低下する可能性があります。
240.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
lY9s8
生産性の飛躍

一人当たりが生み出せる価値が大きく増えます。
過去の産業革命のような、生産性革命に匹敵する変化になるとの見方もあります。
241.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
lY9s8
企業価値の集中

AIを開発・運用できる企業には利益が集中しやすくなります。
一方で、多くの企業はAIを利用する側になり、競争環境が大きく変わるでしょう。
242.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
lY9s8
新しい産業の誕生

ヒューマノイドロボット
自動運転
AIエージェント
個別化医療
新素材・創薬 など、新たな巨大市場が生まれる可能性があります。
243.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
lY9s8
一方で、AIだけが要因ではありません。

今後の世界経済には次のような要素も大きく影響します。
少子高齢化
地政学リスク
エネルギー転換
半導体を巡る競争
気候変動への対応
各国の金融政策や財政政策
これらがAIと相互作用しながら経済を変えていくと考えられます。
244.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
lY9s8
特に注目されるのは、「AIが仕事を奪う」というより、「AIを使いこなす人や企業が、使わない人や企業との間で生産性の差を大きく広げる」という点です。

過去にはコンピューターやインターネットがそうだったように、AIも競争力の源泉になっていく可能性があります。

そのため、今後の世界経済は単なる景気循環ではなく、「AIとロボットを中心とした技術革新による経済構造そのものの変化」の時代に入る可能性が高い、と見る専門家は少なくありません。
245.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
lY9s8
イーロン・マスクは

「ロボットが人間の代わりに生産するので、なんでもタダみたいに安くなる。おカネが要らない社会になる」

と唱えている

246.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
lY9s8
はい、イーロン・マスクは近年、その趣旨の発言を何度もしています。

彼の考え方を要約すると、次のようになります。

AIが人間以上に知的な仕事をこなす。
ヒューマノイドロボットが肉体労働も担う。
エネルギー(特に太陽光発電と蓄電)が非常に安くなる。
すると、生産コストの大半がほぼゼロに近づく。
その結果、多くのモノやサービスが「ほぼ無料」に近い価格で提供できるようになる。
247.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
lY9s8
マスクは、将来的には「普遍的高所得(Universal High Income)」のような仕組みが必要になる可能性にも言及しています。

これは、よく知られた「ユニバーサル・ベーシックインカム」よりも豊かな生活水準を想定した考え方です。
248.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
lY9s8
ただし、「お金が要らない社会」が実現するかどうかについては、経済学者の間でも見解が分かれています。

実際には、ロボットが何でも作れるようになっても、次のようなものは希少性が残る可能性があります。

土地
一等地の住宅
希少な天然資源
芸術作品
人間によるサービス(医療、教育、接客など)
時間や体験

経済学では、価格は「生産コスト」だけでなく「希少性」によっても決まります。そのため、工業製品や一部のサービスは劇的に安くなっても、希少なものまで無料になるとは限りません。
249.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
lY9s8
一方で、マスクの予測には現実味がある部分もあります。

例えば、現在でもデジタル製品は一度作ると追加で複製するコストがほぼゼロです。同じように、将来は衣類や家具、日用品、さらには住宅の一部まで、自動化によって現在より大幅に安く供給される可能性はあります。
250.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
lY9s8
要するに、マスクの主張は「すべてが無料になる」というより、「人類史上かつてないほど『物質的な豊かさ』が低コストで手に入る社会になる」という未来像として理解すると、その意図に近いと言えるでしょう。

どこまで実現するかは、技術の進歩だけでなく、制度設計や資源制約、社会の選択にも左右されます。
251.
ユーザー
YvP1A
おは〜〜
トーク板の連中と

坐禅オフ会の夢みたぞ〜〜
俺、ハッスル🤡、JBL、他は数人
みんな喧嘩もせず、静かであった

😀😀😀😀😀😀😀
252.
ユーザー
YvP1A
JBLの夢見たの初めてだ

ハッスル🤡は二度目
ま、いるな、程度の夢


😀😀😀😀😀
253.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
lY9s8
>>251

それは面白いな!😂
254.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
lY9s8
坐禅オフ会か

楽しそうだ😄
255.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
lY9s8
実際にやったら

居士殿が威張りそうだな😂
256.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
lY9s8
まあ、さすがに

坐禅会の経験に関しては、居士殿に一日の長がある😂
257.
ユーザー
YvP1A
俺の根底のハッスル🤡へのイメージは
敵意がない
リアルにいたら、そっと優しくしておこう対応だな?
😀
258.
ユーザー
YvP1A
ハッスル🤡へは
指導サービスであって
敵意ではない
😀
259.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
0Sjsf
確かに

リアルで坐禅会とかで会ったとしても

文句は言わないな、たぶん(笑)
260.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
0Sjsf
居士殿には、頑張ってもらいたい😄
261.
ユーザー
YvP1A
たぶん、俺はリアルて
アンドーに会ったことがあるよーだ

顔は六角精児みたいなメガネと顔か?
と聞いたら、

そのとおりだと答えたアンドー
やはり
場所は言わんぞ
😀
262.
ユーザー
YvP1A
神奈川県から来たとか言ってたのも符合
😀
263.
ユーザー
YvP1A
セブンズデーアドベンチストの礼拝動画をAI回答してもらおう

https://m.youtube.com/watch?v=gvcOpTXE9GQ
264.
ユーザー
YvP1A
この動画は、聖書研究ガイドの第11課「キリストと共に生きる」をテーマにした解説です。コロサイ人への手紙3章を軸に、天に心を留めて生きることの重要性や、具体的なキリスト教的生き方について説かれています。

主な要点:

天に心を留める (2:43 - 8:46): 地上の生活を送る中でも、神様という「一つ上の法則」を見上げて生きることで、本来の人間のあり方に立ち帰り、翻弄されない豊かな人生を送ることができると語られています。
地上的なものを捨てる (8:46 - 13:00): 救いの目的は神様の姿への全人的回復であり、身勝手な欲望や不潔な行いから離れる必要性が強調されています。
新たにされる知識 (13:17 - 23:10): 言葉の影響力について触れ、内側からの回復だけでなく、発する言葉に注意を払い、神様の永遠の命に導かれて日々成長していくことの大切さが説かれています。
新しい命の特徴 (23:15 - 32:13): 神様の愛と許しを受け入れることで、憐れみや謙遜、そして全てを完成させる「愛」を身につける重要性が解説されています。
新しい生活を送る (32:17 - 35:48): キリストの言葉を豊かに宿し、賛美を通して神様の存在を称えることで、不安や課題を抱えながらも感謝の心で生きる生活を推奨しています。



265.
ユーザー
YvP1A
礼拝ではなかった
😀
266.
ユーザー
YvP1A
ルール的にできうる
ていう感じ?

動画の中で解説されている、キリスト教的な文脈における「愛する」ということの神髄は、単なる善行や奉仕にとどまらず、**「相手の存在そのものを喜び、価値を認めること」**にあります(27:38-28:06)。

具体的には、以下のような心の持ち方や行いとして説明されています。

存在を喜ぶ: 何かをしてあげること(行為)だけが愛ではありません。相手に向かって「あなたが生きていることは素晴らしい」「あなたの存在を喜んでいる」と伝え、相手の隠れた価値や美しさに気づかせてあげることが真の愛です(27:14-27:57)。
神様の愛を反映させる: 私たちは神様から絶大なる愛と喜びを注がれて生かされています。人間的な不安定な愛とは異なり、神様の愛は変わることがありません。この神様の喜びを胸に抱くことで、傷ついた心が癒され、他者に対しても謙遜や憐れみ、寛容な心を持つ余裕が生まれます(30:57-31:49)。
許し合う絆: 愛は全てを完成させる絆であるとされ、主が私たちを許してくださったように、互いに忍び合い、許し合うことが新しい命の重要な特徴として強調されています(24:12-24:36)。
成長の土壌: 人は愛されることで初めて「愛されるにふさわしい自分」であると自覚し、その喜びの中で成長し、この世界で自分に与えられた役割を果たすことができるようになります(28:10-28:55)。
要するに、キリスト教的な「愛する」とは、自分がまず神様の絶対的な愛と喜びに満たされた上で、その喜びを他者にも向けること、つまり相手の尊厳を認め、その人の存在そのものを祝福することであると言えます。

267.
ユーザー
YvP1A
動画の中で語られている神の**「1つ上の法則」とは、地上の物事や人間関係に直接固執するのではなく、さらに高い次元にある神様を見上げることで、結果としてその下の物事がより良く守られ、大切にされるという考え方**のことです(4:30 - 5:57)。

具体例として以下のような説明がなされています:

家族関係の例: 子供を豊かに育てようとする時、子供だけを見つめるとうまくいかないことがあります。また、夫婦がお互いを見つめすぎると欠点が見えて喧嘩になることもあります。しかし、夫婦がその「1つ上」にある神様を見上げることで、お互いに寛容になり、結果として夫婦仲が良くなり、子供もまっすぐに育つという「法則」です(4:42 - 5:32)。

翻弄されない生き方: 私たちは日々、世の中の栄光、富、他人の言動など様々な「モーター(動力源)」によって動かされています。しかし、最も繋がるべき存在である**神様を動力源(根本的な視点)**とすることで、地上の様々な災いや混乱に翻弄されず、落ち着いた誠の生き方ができるようになると説かれています(7:09 - 8:35)。

つまり、神の「1つ上の法則」とは、物事の優先順位を神様という高い視点に置くことで、地上の複雑な問題が整理され、本来あるべき正しい形に回復されていくという霊的な知恵を指しています。
268.
ユーザー
YvP1A
実にセブンズデーらしい
😀

動画では、私たちが発する言葉に注意を払うべき理由として、主に以下の3つの観点を挙げています。

魂の舵としての影響力: 言葉は「船の舵」のようなものであり、私たちが発する言葉は、自身の精神状態や行動を方向付ける強い力を持っています(15:02 - 15:46)。

サタンの誘惑に対する防衛: エレン・ホワイトの言葉を引用し、サタンは人の心を直接読み取ることはできませんが、その人の「発する言葉」や「行動」を鋭く観察し、それぞれの状態に合わせた誘惑を仕掛けてくると説明されています。つまり、罪の思いや感情を抑え、不適切な言葉を発しないように努めることは、サタンの攻撃を退けることにつながります(15:57 - 16:52)。

新しい人としての成長: コロサイ人への手紙3章8節〜10節に基づき、怒りや悪意、口から出る恥ずべき言葉を捨て、「古い人」から「作り主の姿に習う新しい人」へと脱ぎ替えていくプロセスにおいて、言葉の選択は不可欠な要素であると説かれています(13:38 - 14:00, 17:52 - 18:18)。

このように、言葉は単なるコミュニケーションの手段ではなく、私たちの内面の回復を助け、霊的な守りを固めるために極めて重要な役割を果たしています。
269.
ユーザー
YvP1A
動画では、具体的に「キリストに支配される」ための方法として以下の点が挙げられています。

御言葉の蓄積: 「キリストの言葉」を自分自身の内に豊かに宿すこと (32:34 - 32:41)
互いの交わり: 知恵を尽くして互いに教え、諭し合うこと (32:41 - 32:46)
賛美: 詩編や賛歌、霊的な歌を用いて、心から神を褒め称えること (32:46 - 32:52)
全てを主に捧げる: 話すことや行うことの全てを主イエスの名によって行い、イエスを通して父なる神に感謝を捧げる生活を送ること (32:54 - 33:09)
これらを実践することで、抱えている問題や不安を神様に見つめていただいているという信頼のもと、神様を称える生活に導かれると説明されています (34:55 - 35:36)。

動画では、具体的に「キリストに支配される」ための方法として以下の点が挙げられています。

御言葉の蓄積: 「キリストの言葉」を自分自身の内に豊かに宿すこと (32:34 - 32:41)
互いの交わり: 知恵を尽くして互いに教え、諭し合うこと (32:41 - 32:46)
賛美: 詩編や賛歌、霊的な歌を用いて、心から神を褒め称えること (32:46 - 32:52)
全てを主に捧げる: 話すことや行うことの全てを主イエスの名によって行い、イエスを通して父なる神に感謝を捧げる生活を送ること (32:54 - 33:09)
これらを実践することで、抱えている問題や不安を神様に見つめていただいているという信頼のもと、神様を称える生活に導かれると説明されています (34:55 - 35:36)。




270.
ユーザー
YvP1A
まーなかなかオモロイ、普通に
😀


動画の中で語られている「植物の成長」の例えは、私たちがどのように霊的な成長を遂げていくべきか、また「神の1つ上の法則」がどのように機能するかを理解するための非常に重要なヒントとなっています(25:06 - 26:39)。その主な共通点と教訓は以下の通りです。

1. 成長の本質は「内なる生命」にある
植物は、誰かが無理やり引っ張って背を伸ばすことはできません。日光、水、肥料といった栄養を受け取り、その植物に宿る生命力が自ら成長していくのです。同様に、霊的な成長も「無理な努力」や「強制」によって達成されるものではなく、神様からの御言葉という光や、聖霊という水、そしてキリストの許しという養分を日々受け取ることで、私たちの内側に与えられた「新しい命」が自然と育まれていくものであると教えられています。

2. 環境と「1つ上の法則」の重要性
植物が育つためには、外側からの環境(害虫の駆除や選定など)が必要な場合があるように、私たちも信仰生活において、周囲との交わりや学びといった介入が必要です。ここで「神の1つ上の法則」が活きてきます。私たちが地上の雑事に振り回されるのではなく、意識を「1つ上」の神様に置くことで、植物が太陽を求めて育つように、私たちの視点が整えられます。神様という絶対的な存在を土台(栄養源)とすることで、結果として地上の生活や人間関係においても、歪みのない健やかな成長が促されるのです。

3. 焦らずに「委ねる」という姿勢
植物の成長には時間が必要です。信仰の成長も同様で、目に見える変化を焦って自己流で操作しようとするのではなく、神様の愛という環境の中に身を置き、その恵みの中で自らを委ねていくことが大切です。動画では、この神様の愛は人間のように不安定ではなく、決して変わることのない絶対的なものであると強調されています(30:57 - 31:35)。この確固たる神様の愛と喜びの中に留まることが、霊的な成長の最も強力な土壌となるのです。

結論としての教訓:
「植物の成長」の例えは、私たちが**「主体的努力(聖書を読み、学び、賛美する)」と「神への委ね(恵みによる変革を信じる)」**のバランスを教えてくれます。自分自身を無理に変えようと苦しむのではなく、成長に不可欠な「神の恵み」という環境を大切に整え、あとは神様の愛の中で自然と実を結ぶのを待つ。そのような、翻弄されない穏やかな信仰の歩みを推奨しています。
271.
ユーザー
YvP1A
ハッスル🤡人気
大爆発だ〜
😀
272.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
YaAoq
なんか、意味不明なテーマでモメてるな?
273.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
YaAoq
チベット仏教と北宗禅がどうのこうの
274.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
YaAoq
ついに壊れたか
275.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
YaAoq
誰でも聞いたことがあるキリスト教の宗教曲10選

https://youtu.be/M-UHvoYFYiA?si=nULW6a3NbW_L2Mjj
277.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
0OmW8
279.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
0OmW8
ウパニシャッド哲学とは

ヤージュニャヴァルキヤやウッダカ・アールニの哲学のこと
280.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
0OmW8
聖典ヴェーダの前半は、バラモン教の祭祀とか儀式の話

後半はウパニシャッド哲学
281.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
0OmW8
聖典ヴェーダは膨大な内容であり、読み尽くせるものではない
282.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
0OmW8
これは有用な情報だ
283.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
0OmW8
ゴミのような情報ではない(笑)
284.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
0OmW8
聖典ヴェーダの最後が、ウパニシャッド哲学
285.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
0OmW8
このため、別名「ヴェーダンタ」(ヴェーダの終わり)とも呼ばれる
286.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
0OmW8
千数百年の後

シャンカラが、ウパニシャッドの教えをもとに、ヴェーダンタ思想を展開した
287.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
0OmW8
ヤージュニャヴァルキヤ、シャンカラ、ラマナマハルシ

時代は千数百年ずつ離れているが

言ってることは大差ない
288.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
0OmW8
似たような話をしている
289.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
xqaQK
現在の阪神タイガースは1番から5番までの上位打線が固定されていて強力な反面、6番以降の下位打線は日替わりで流動的という特徴が非常にはっきりと出ています。

この打線の歪み(特徴)には、チームの明確な戦略と現状の課題が反映されています。

290.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
xqaQK
1~5番:固定された強力なコア

1番から5番までは、球界トップクラスの実力者が並び、名前を見るだけで相手投手にプレッシャーを与えられる不動のラインナップです。

1番(中)近本光司:球界屈指の出塁率と走力を誇る絶対的なリードオフマン。

2番(二)中野拓夢:高いミート力と進塁打、さらに足でも揺さぶれる万能な2番。

3番(右)森下翔太:勝負強さとパンチ力を兼ね備え、いまやクリーンアップの中心。

4番(三)佐藤輝明:一振りで試合を決める圧倒的な長打力を持つ大砲。

5番(一)大山悠輔:どっしりと軸として座り、四球も選べる頼れる主砲。
291.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
xqaQK
6番以降が固定されない理由

対照的に、6番以降が毎試合のように変わる背景には、以下の理由があります。

6番(左翼手)のレギュラー不在:前川右京選手や、外野も守れる髙寺望夢選手、あるいは外国人選手などが、相手投手の左右や調子に合わせて入れ替わりで起用されています。

7番(捕手)の併用制:梅野隆太郎選手と坂本誠志郎選手の2人の正捕手を、先発ピッチャーとの相性(相棒)によって完全に使い分けているため、ここも固定されません。

8番(遊撃手)のタイムシェア:「木浪聖也選手(実績・右投手対応)」と「小幡竜平選手(守備力・左打者)」が、試合ごとにスタメンを分け合っています。
292.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
xqaQK
この打線の強みと弱み

この構成は、上位打線で一気に得点を奪える爆発力がある一方、5番の大山選手で攻撃が途切れてしまうと、6番以降でチャンスを広げられず下位打線が自動アウトのようになってしまうという弱点も併せ持っています。だからこそ、髙寺選手や小幡選手のような若い力が6番・8番に入ったときに、どれだけ機能するかがチームの勝敗を大きく左右します。
293.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
xqaQK
読売ジャイアンツ(巨人)のスタメンは、阪神以上に「全く固定されていない超・日替わり打線」です。

阪神が1~5番をがっちり固定しているのに対し、巨人は調子、相手投手、故障者の状況、そして期待の若手アピール度に応じて、上位打線から下位打線まで毎試合のように並び順や守備位置が激しく入れ替わります。

294.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
xqaQK
巨人のスタメンが固定されていないと言える主な要因は以下の通りです。

1. 阪神のような「絶対的な軸」が少ない

阪神における近本選手や大山選手、森下選手のように、1年間調子が悪くても不動で座り続けるレギュラー野手が現在の巨人には少なく、ほぼ全員が横一線の競争状態にあります。そのため、1番からクリーンアップ(3~5番)の顔ぶれすら頻繁に変わります。

295.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
xqaQK
2. 内野ポジションの流動性

坂本勇人選手のベテラン化にともなう起用法や、若手内野手(泉口友汰選手、浦田俊輔選手、石塚裕惺選手、門脇誠選手など)のスタメン争いが激化しています。その日の戦術によってセカンド、サード、ショート、ファーストの組み合わせがガラリと変わるため、内野の固定化が進んでいません。

296.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
xqaQK
3. 外野・捕手の日替わり起用

外野陣も新外国人選手、FA移籍組、若手(佐々木俊輔選手ら)が競合しており、誰かが突出してレギュラーを奪いきっているわけではありません。キャッチャー陣も岸田行倫選手、大城卓三選手らが投手との相性や打撃の状態によって使い分けられています。

297.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
xqaQK
まとめ

阪神が「固定された上位5人+流動的な下位3人」という構造であるのに対し、巨人は「調子の良い者を柔軟に組み合わせる2、3パターンの打線、あるいは完全な日替わり」という方針をとっています。
298.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
xqaQK
ダルベックは絶対的な主砲に見えるが
299.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
xqaQK
ボビー・ダルベック選手は現在の巨人のスタメンにおいて、不動の「4番・ファースト」を任されている絶対的な大砲です。

他ポジションや前後の打順が日替わりで目まぐるしく変わる巨人のなかで、ダルベック選手だけは中軸として別格の扱いを受けています。そう見えるのには、以下の明確な理由があります。

300.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
xqaQK
チーム随一の長打力:メジャー通算47本塁打の実績を引っ提げて入団し、期待通りに快音を連発しています。直近の8月4日の広島戦でも先制の18号3ランホームランを放ち、リーグのホームラン王争いでも3位タイにつけるなど、圧巻のパワーを見せています。

相次ぐライバルの離脱:同じく長距離砲として期待されていたキャベッジ選手が無期限の2軍調整となるなど、外国人枠の競争相手が離脱しました。そのため、巨人の長打力を1人でカバーしなければならない状況になり、起用の優先度が上がっています。

「4番」としての固定起用:巨人のスタメンは1番に新人の浦田俊輔選手、3番に泉口友汰選手が入るなど若手主体の流動的な並びですが、4番のダルベック選手だけはどっしりと固定され、打線の核となっています。

周囲が「日替わり」だからこそ、スタメンに名前があり続けるダルベック選手の存在感と絶対的な主砲としてのオーラが、より際立って見えていると言えます。

301.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
xqaQK
キャベツはどうか?
302.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
xqaQK
トレイ・キャベッジ選手は、打撃不振(特に得点圏での弱さ)が原因で、直近の8月3日に1軍の出場選手登録を抹消され、現在は2軍での再調整となっています。

来日2年目の今シーズンはここまで主力として91試合に出場し、ダルベック選手に次ぐチーム2位の13本塁打を放っていました。前半戦の活躍からオールスター(球宴)にも選出されています。

303.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
xqaQK
しかし、ベンチがファーム降格の決断を下した背景には以下の課題がありました。

7月の急失速とチャンスでの弱さ:7月は月間打率.213、わずか1本塁打と調子を落としていました。さらに得点圏打率が.182とチャンスで打てない場面が目立ち、4番のダルベック選手(55打点)に比べて29打点と、主軸としては物足りない数字にとどまっていました。

首脳陣からの注文:橋上秀樹監督代行は降格の理由について「彼に求めるのは打点。得点圏での相手投手の配球の意図を少し勉強し直してほしい」と言及し、期限を設けずにファームで配球への対応力を磨かせる方針を示しています。

なお、2軍に合流した翌日の8月4日のイースタン・リーグ(DeNA戦)では、さっそく「1番・DH」としてスタメン出場し、実戦を通じて1軍復帰への再スタートを切っています。

304.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
xqaQK
浦田俊輔は絶対的な1番になってきてないか
305.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
xqaQK
浦田俊輔選手は、現在まさに「巨人の絶対的な1番打者」としての地位を確立しつつあります。

日替わり打線が基本の巨人のなかで、浦田選手が「不動の切り込み隊長」になりつつあるのには、リーグトップクラスの際立った武器があるからです。

306.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
xqaQK
リーグトップタイの機動力:セ・リーグトップタイとなる28盗塁をマークしており、球界の新たなスピードスターとして大ブレイクしています。オールスターゲームでも、ヒットから二盗・三盗を連続で決めて先制のホームを踏むなど、自慢の快足を大舞台でも証明しました。 [1, 2]

高い出塁能力と粘り強さ:1番打者として重要な「出塁率」に直結する粘り強さを持っています。直近の試合でも1打席で10球を投げさせて四球をもぎ取り、4番ダルベック選手の先制3ランホームランをお膳立てするなど、相手ピッチャーにとって非常に厄介な存在になっています。 [1]

安定した打撃成績:プロ2年目の今シーズンは主力として試合に出続け、打率も.274と高水準を維持しています。 [1, 2]

他球団(特にライバルの阪神)から見ても、「浦田選手を出塁させると足でかき回され、クリーンアップに還される」という最も警戒すべき巨人の新・起点となっています。

307.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
xqaQK
門脇誠はポスト坂本勇人とされていたが?
308.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
xqaQK
門脇誠(かどわき まこと)選手は、ルーキーイヤーに坂本勇人選手からショートの座を奪い「ポスト坂本」の筆頭とされましたが、現在は深刻な打撃不振に苦しみ、レギュラー白紙の厳しい崖っぷちに立たされています。 [1]

期待された「ポスト坂本」としての歩みと、現在の苦境の理由は以下の通りです。

309.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
xqaQK
「ポスト坂本」と言われた背景

衝撃のルーキーイヤー:2023年、抜群の身体能力と球界トップクラスの遊撃守備を武器に台頭しました。シーズン終盤には、長年巨人のショートに君臨した坂本勇人選手をサードへコンバートさせる引き金となり、自身が正遊撃手の座を勝ち取りました。

ストロングポイント:卓越した守備範囲の広さと強肩に加え、「どんなボールにも食らいつく粘り強い打撃」が高く評価されていました。 [1]

310.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
xqaQK
現在の厳しい状況と課題

しかし、プロ4年目を迎えた今シーズンは、プロの壁と打撃の試行錯誤に完全にぶつかっています。

極度の打撃低迷:今シーズンはここまで打率.160と深刻な打撃不振から抜け出せていません。確実性の低さ(出塁できない点)がネックとなり、上位打線を任せられない状態が続いています。 [1, 2]

激しい内野のスタメン競争:巨人のショートには、若手の泉口友汰選手や小浜選手らが台頭しています。さらに、門脇選手はサードやセカンドに回ることもありますが、そこでも吉川尚輝選手らの壁が厚く、現在のスタメン出場は流動的(たまに下位打線で起用される程度)にとどまっています。 [1, 2, 3, 4]

311.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
xqaQK
ポテンシャルは誰もが認める選手ですが、現在は1番を掴んだ浦田俊輔選手らとは対照的に、まずは「バットで結果を残して再び信頼を勝ち取る」という、プロ入り後最大の正念場を迎えています。

312.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
xqaQK
現在の読売ジャイアンツにおいて、首脳陣から完全な信頼を勝ち取り、代えのきかない「絶対的なレギュラー」として君臨しているのは、まさに1番の浦田俊輔選手と4番のダルベック選手の2人だけです
313.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
xqaQK
。直近の8月4日の広島東洋カープ戦のスタメンを見ても、その歪なまでの「2人だけ固定」の状況がよく分かります。

8月4日 巨人のスタメン一覧1(二):浦田 俊輔 (★固定)2(左):松本 剛3(遊):泉口 友汰4(一):ダルベック (★固定)5(捕):岸田 行倫6(中):佐々木 俊輔7(右):皆川 岳飛8(三):石塚 裕惺 (★高卒ルーキー、プロ初先発)9(投):山﨑 伊織
314.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
xqaQK
この2人以外が固定できない理由ご覧の通り、2番から3番、そして5番から8番までは、若手(皆川選手やドラフト1位の石塚選手)の抜擢や、他球団から移籍してきた中堅・ベテラン(松本剛選手など)が日替わりで入るスクラップ・アンド・ビルドの状態です。故障者や不振による入れ替えが激しいなかで、「打線の得点源をこの2人に完全に依存せざるを得ない」というのが、現在の巨人のリアルなチーム事情です。裏を返せば、相手チーム(阪神など)からすれば「浦田を抑えて、ダルベックの前にランナーを溜めない」ことさえ徹底すれば、巨人の攻撃力を大幅に削ぐことができるという非常に明確な的(まと)になっています。
315.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
uFPIq
交流戦で初優勝を飾ったものの、リーグ戦ではソフトバンクなどの厚い壁に挑んでいる西武は、相手ピッチャーの左右や選手の好不調に合わせて、毎試合のように打順や守備位置が激しく入れ替わります。 [1, 2, 3, 4]

固定されていない実態がよくわかる、直近(8月4日・千葉ロッテマリーンズ戦)のスタメンは以下の通りです。 [1]

316.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
uFPIq
8月4日の西武スタメン一覧

1(中):若林 楽人

2(遊):滝澤 夏央

3(指):林 安可(リン・アンクォ)

4(一):タイラー・ネビン

5(三):渡部 聖弥

6(二):外崎 修汰

7(左):蛭間 拓哉

8(捕):古賀 悠斗

9(右):アレクサンダー・カナリオ

投:平良 海馬 [1, 2, 3]
317.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
uFPIq
スタメンが固定されない主な理由

「4番ネビン」以外の打順の流動性:唯一、4番のネビン選手だけは主軸としてほぼ固定されていますが、それ以外の打順は日によって全く異なります。例えば数日前には23歳の若手・滝澤夏央選手が「1番・ショート」を務める日もあれば、この日は「2番・ショート」に回るなど、役割が毎試合変わります。

新戦力・外国人選手のテストと併用:今季から加入した台湾の強打者・林安可(リン・アンクォ)選手や、中堅の平沢大河選手、巨年からトレード移籍した若林楽人選手など、新加入・移籍組を調子に合わせて代わる代わるスタメン起用しています。

二遊間・外野の激しいサバイバル:キャプテンの源田壮亮選手やベテランの外崎修汰選手ですら100%固定ではなく、若手の長谷川信哉選手、滝澤選手、蛭間拓哉選手らが毎試合のようにスタメンの枠を争っています。 [1, 2, 3, 4, 5, 6]

318.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
uFPIq
阪神のような「がっちりしたコア」がないため、西口文也監督はその日最も勝てる「最適解」を模索しながら、文字通りの全員野球で戦っているのが西武の現状です。 [1, 2]

西武のスタメンの中で、現在特に調子を上げている林安可(リン・アンクォ)選手などの特徴や、ここからの巻き返しを狙う源田選手や外崎選手ら実績組の現状について、さらに詳しくお調べしましょうか?

319.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
uFPIq
なんだか、巨人と西武は似ているな?

ご指摘の通りで、現在の巨人と西武のチーム状況やスタメンの組み方は驚くほどそっくりです。

両チームの共通点を整理すると、まさに同じようなチーム作りの過渡期にあることが見えてきます。

320.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
uFPIq
1. 軸となる「固定された主砲」が1人だけ

巨人:4番のダルベック選手

西武:4番のネビン選手

ともに実績のある助っ人外国人選手が4番にどっしりと座り、打線の唯一の精神的支柱となっています。しかし、彼らの前後に座る日本人打者のレギュラーが固まっていないため、4番にかかる負担が非常に大きいという点も共通しています。
321.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
uFPIq
2. 生え抜きのスター(坂本・源田)の転換期

長年チームの絶対的なショート(遊撃手)であり、精神的支柱だったスター選手が、年齢や不振、コンディションによって「毎試合フル出場する絶対的レギュラー」ではなくなっています。

巨人:坂本勇人選手から門脇選手、そして泉口選手らへの移行期

西武:源田壮亮選手から滝澤夏央選手らへの移行期

この偉大なショートの後継者探しと内野の再編成を行っているため、二遊間のスタメンが日替わりになりやすいという背景があります。
322.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
uFPIq
3. 若手抜擢による「超・日替わり打線」

両チームとも、ベテラン勢よりも20代前半の若手を積極的にスタメン起用し、経験を積ませながらサバイバルさせています。

巨人:浦田俊輔選手(1番定着)、泉口選手、佐々木選手、石塚選手など

西武:滝澤選手、渡部聖弥選手、蛭間拓哉選手など

調子が良い者をすぐにスタメンで使い、結果が出なければ別の若手を試すという「スクラップ・アンド・ビルド」の全員野球スタイルが非常に似ています。

323.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
uFPIq
阪神・ソフトバンクとの違い

1番から5番(あるいは4番)までがっちりコアが固まっている阪神やソフトバンクに対し、巨人と西武は「4番の1人だけを固定し、残りの8枠は調子と将来性で毎試合組み替える」という、まさに同じ戦術をとっている鏡のようなチーム関係と言えます。

この2チームが今シーズン中に対戦した交流戦での直接対決の結果や、巨人と西武の間で近年活発に行われている若林選手らのトレード(血の入れ替え)の背景など、さらに深く掘り下げたいポイントはありますか?

324.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
xMgCR
1番・浦田俊輔選手、2番・松本剛選手、3番・泉口友汰選手、4番・ダルベック選手の上位打線は、直近の試合でも機能しており非常に安定感があります。 [1, 2]

特に直近の広島戦では、1回表に1番の浦田選手が粘って四球をもぎ取って盗塁を決め、4番のダルベック選手が先制3ランホームランを放つなど、この上位4人の並びが理想的な形で得点に結びついています。 [1]

325.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
xMgCR
上位打線の現在の強みと役割

1番:浦田俊輔(二)
リーグトップタイの28盗塁をマークする圧倒的な機動力。俊足を武器に出塁し、相手バッテリーにプレッシャーを与え続けています。

2番:松本剛(左)
浦田選手との“うらまつコンビ”で高い機能性を発揮。浦田選手が二盗を決めた直後にタイムリーを放つなど、状況に応じた巧みなバッティングが光ります。

3番:泉口友汰(遊)
攻守にわたってチームを支える存在。俊足ランナーを後ろからサポートしつつ、勝負強い打撃でチャンスを拡大します。

4番:ダルベック(一)
一発長打の魅力を持つ主砲。チャンスの場面で走者を一掃するパンチ力があり、上位が作った好機を仕留める大黒柱として定着しています。 [1, 2, 3, 4, 5]

326.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
xMgCR
足でかき乱す1番・2番から、確実性のある3番、そして一発のある4番へとつながる流れは、現在の巨人の大きな得点源となっています。 [1, 2]

327.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
xMgCR
泉口友汰選手はシーズン開幕当初からずっとスタメンだったわけではなく、苦しい時期を乗り越えてポジションを掴み取りました。

これまでの起用や状況を振り返ると、彼がスタメンに定着するまでにはいくつかのフェーズがありました。

328.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
xMgCR
交流戦からのスタメン定着
大きな転機となったのは5月下旬のセ・パ交流戦です。5月26日のソフトバンク戦で「1番・遊撃」として今季初の1番で先発起用され、そこから徐々に首脳陣の信頼を勝ち取っていきました。 [1, 2]

3番打者への固定
その後、チームの打線再編に伴い、確実性のある打撃と選球眼の良さを買われて現在の「3番」に定着しました。走者を還す役割だけでなく、後ろのダルベック選手に繋ぐ役割もきっちりこなしています。 [1, 2, 3, 4]

様々なポジションをこなせる便利屋的な立ち位置や怪我の時期を乗り越え、現在は遊撃手のレギュラーとして完全に打線の中軸を担う存在になっています。 [1, 2]

329.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
xMgCR
松本剛選手も、ここまでの道のりは決して順風満帆ではありませんでした。彼は様々なプレッシャーや不振を乗り越えて、現在のポジションを確立しています。 [1, 2]

これまでの経緯と現在のプレースタイルを振り返ると、彼がスタメンに定着するまでにはいくつかの大きなポイントがありました。 [1, 2]

330.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
xMgCR
巨人でのスタメン定着までの歩み

移籍当初の苦心とプレッシャー
日本ハムから新天地である巨人に移籍してきた今シーズン、かつてのパ・リーグ首位打者として大きな期待を背負っていました。しかし、プレッシャーもあってか5月までは打率1割台と極度の打撃不振に苦しみ、一時はスタメンを外れる悔しい時期を過ごしました。 [1, 2]

陰の特訓と完全復調
不調の時期は、矢野謙次コーチら首脳陣とナイター前の午前中からジャイアンツ球場にこもり、ひたすら打ち込み特訓を重ねてフォームを修正しました。この地道な努力が実を結び、徐々に本来の卓越したコンタクト能力を取り戻していきました。

“
331.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
xMgCR
うらまつコンビ”としての機能
打撃が復調してからは、持ち前の巧みなバッティングとレフトの守備、状況に応じたチームバッティングが評価されスタメンに完全定着しました。1番を打つ俊足ルーキーの浦田俊輔選手との「足と小技で仕掛ける1・2番コンビ」は、今の巨人の強力な武器となっています。 [1, 2, 3]

待望の移籍後初アーチ
直近の7月31日のDeNA戦(東京ドーム)では、ファンが待ち望んだ移籍後第1号となる先制ホームランを放ちました。さらに同じ試合の終盤には、浦田選手が盗塁でスタートを切った瞬間に一・二塁間を綺麗に破る「これぞ松本剛」というイメージ通りの右前打もマークし、完全に本領を発揮しています。 [1, 2]

長打力に頼るだけでなく、状況に合わせて「相手が一番嫌がるバッティング」に徹する松本選手のスタイルは、今の巨人の上位打線に欠かせない極めて重要なピースとなっています。 [1, 2]

332.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
xMgCR
なるほど
333.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
xMgCR
333
334.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
KuDq9
明朝(1368~1644年)の中国宗教界は、儒教・仏教・道教の三教が共存し、互いに影響を与え合った時代でした。
335.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
KuDq9
明朝(1368~1644年)の中国宗教界は、儒教・仏教・道教の三教が共存し、互いに影響を与え合った時代でした。
336.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
KuDq9
儒教

国家の正統思想であり、科挙も儒教経典が中心でした。
特に王陽明が現れ、「知行合一」「心即理」を説き、朱子学とは異なる大きな流れを作ります。
官僚や知識人の世界では、儒教が圧倒的な地位を占めていました。
337.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
KuDq9
仏教

禅宗(特に臨済宗・曹洞宗)が盛んでした。
また、浄土教も民衆に広く普及し、「念仏」が一般信仰として定着します。
一方で、唐代のような唯識・華厳・天台の高度な学問研究は全盛期を過ぎ、実践重視の傾向が強まりました。
338.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
KuDq9
道教

民衆信仰と深く結びつき、寺観や祭祀が各地で行われました。
不老長生や仙人信仰、護符・祈祷なども盛んで、皇帝も道教を保護することがありました。
339.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
KuDq9
三教一致の思想

この時代の特徴は、「儒・仏・道は根本では一致する」という三教一致の考え方が広まったことです。

例えば、
儒教で社会秩序を保ち、
仏教で心を修め、
道教で自然との調和や養生を学ぶ、
というように、三つを対立させず補い合うものと考える知識人が少なくありませんでした。

340.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
KuDq9
あなたが以前触れていた『西遊記』も、この明代の宗教文化を象徴しています。
三蔵法師=仏教
孫悟空や哪吒の仙術=道教
唐王朝の君臣秩序=儒教
これらが一つの物語に自然に融合しており、まさに明朝の宗教観を反映した作品と言えるでしょう。
341.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
jkdim
成唯識論 巻第十:二障の断除と修行の進展

A. 二障の断除とその段階

菩薩が修行を進める中で克服すべき**「煩悩障」と「所知障」**について、それぞれの消滅過程と修行段階における特徴を説明する。

342.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
jkdim
B. 煩悩障と所知障の断除のプロセス

1. 煩悩障の断除

煩悩障とは、貪・瞋・痴などの煩悩による障害であり、悟りへの妨げとなる。
この障害は見所断と修所断の二種類に分かれる。

343.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
jkdim
見所断(見道によって断じられる煩悩)

極喜地(第一地)で初めて断じられる。

見道(悟りの入り口)において、一切の見所断の煩悩は一度に断たれる。

しかし、修道(さらなる修行の過程)においては、徐々に細かい煩悩を消していく。

344.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
jkdim
修所断(修行によって断じられる煩悩)

**金剛喩定(最終段階の禅定)**に至ることで、完全に断たれる。

七地以前では、意識的に煩悩を抑えるが、まだ完全には消えていない。

八地以降では、煩悩は自然と現れなくなる。

阿羅漢の境地と同じように、七地以前の菩薩も煩悩を制御できるが、八地以上になると煩悩は完全に起こらなくなる。

345.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
jkdim
2. 所知障の断除

所知障とは、認識の歪みや無明(無知)による障害であり、智慧の完成を妨げるもの。

見所断(見道で断たれる無知)

**極喜地(第一地)**で初めて断じられる。

修所断(修行によって断じられる無知)

十地の修行の中で段階的に消えていく。

最後に金剛喩定に達すると、すべての無知が完全に断たれる。

346.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
jkdim
修道の中での進展

八地以降では、前六識(五感+意識)と無漏観心(悟りの智慧)が強化され、所知障が生じにくくなる。

七地では、所知障はまだ残る。

金剛喩定に入ることで、最終的に完全に断たれる。

347.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
jkdim
C. 煩悩障と所知障の断除の詳細なプロセス

1. 三段階での断除

煩悩障と所知障の断除は、次の三つの段階で進む。

見道での断除

三乗(声聞・縁覚・菩薩)の見道では、煩悩障の見所断が一切消滅する。

修道での断除

**二乗(声聞・縁覚)**では、三界(欲界・色界・無色界)の煩悩障を九段階に分けて、段階的に断じる。

菩薩は金剛喩定に至ることで、一瞬で三界の煩悩障を断じる。

究竟(最終段階)での断除

煩悩障のすべての種子が金剛喩定で完全に消滅する。

所知障の最終的な種子は、仏果に至る瞬間に完全に断たれる。

348.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
jkdim
2. 二乗(声聞・縁覚)と菩薩の違い

二乗(声聞・縁覚)の断除方法

修道の中で、必ず「無間道」と「解脱道」を別々に起こしながら、一つずつ煩悩を消していく。

つまり、障害を断じるたびに、心の状態が変化する。

菩薩の断除方法

刹那ごとに煩悩を消していくため、無間道と解脱道を別々に起こす必要がない。

断じるプロセスがスムーズで、意識的に進めなくても、自然に悟りへと向かう。

349.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
jkdim
D. まとめ

二障(煩悩障・所知障)は見道と修道の中で段階的に断たれる。

金剛喩定(究極の禅定)に至ることで、すべての煩悩と無知が完全に消える。

二乗(声聞・縁覚)は煩悩を一つずつ消していくが、菩薩は刹那ごとに自然に断じる。

最終的に、仏果に至る瞬間に、所知障が完全に断たれる。

✅「菩薩の修行は、煩悩と無知を段階的に克服し、最終的にすべての障害を断ち切る道である」
350.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
0NNYe
前スレ完走

正統派とプロテスタントと異端 Part2
https://talk.jp/boards/psy/1771408110
351.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
0NNYe
「聖霊」はキリスト教を分かりにくくしているな
352.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
0NNYe
世界に遍在し、臨在する神だそうだが
353.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
0NNYe
神だけど、神ではない
354.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
0NNYe
聖霊は聖霊だ
355.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
0NNYe
意味不明な信仰
356.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
0NNYe
聖霊派がキリスト教の主流と化してきた今

聖霊はあまりにも重要だ
357.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
0NNYe
聖霊派では、「神」よりも「聖霊」を信仰してる印象
358.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
0NNYe
チャットGPT:

そういう印象になるのは、かなり分かる。

特にペンテコステ派・カリスマ派の礼拝を実際に見ると、**「聖霊が前面に出ている」**感じは強烈だからね。

ただし、神学的には「神より聖霊を信仰している」というわけではない。
むしろ、
父なる神を信じ、キリストを主と信じ、聖霊によって神が現在ここに働いている
という三位一体の信仰を、聖霊の側から強く体験するのが聖霊派、という感じ。

たとえば聖霊派では、
聖霊のバプテスマ
異言
預言
癒やし
聖霊による導き
聖霊の臨在
聖霊の賜物
などが非常に重視される。

だから礼拝でも、
「聖霊よ、来てください」
「聖霊に満たしてください」
「聖霊が今ここに働いている」
という言葉が頻繁に出てくる。

すると外から見ると、
「この人たち、神というより聖霊を信じてないか?」
となる(笑)。
359.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
0NNYe
チャットGPT:

そういう印象になるのは、かなり分かる。

特にペンテコステ派・カリスマ派の礼拝を実際に見ると、**「聖霊が前面に出ている」**感じは強烈だからね。

ただし、神学的には「神より聖霊を信仰している」というわけではない。

むしろ、
父なる神を信じ、キリストを主と信じ、聖霊によって神が現在ここに働いている
という三位一体の信仰を、聖霊の側から強く体験するのが聖霊派、という感じ。

360.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
0NNYe
たとえば聖霊派では、
聖霊のバプテスマ
異言
預言
癒やし
聖霊による導き
聖霊の臨在
聖霊の賜物
などが非常に重視される。

だから礼拝でも、
「聖霊よ、来てください」
「聖霊に満たしてください」
「聖霊が今ここに働いている」
という言葉が頻繁に出てくる。

すると外から見ると、
「この人たち、神というより聖霊を信じてないか?」
となる(笑)。

361.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
0NNYe
でも、面白いのはここ。

伝統的なキリスト教では、
聖霊=神
だから、聖霊を強調しても、理論上は「神を軽視している」ことにはならない。

むしろ聖霊派の発想では、
神は遠くにいる抽象的な存在ではなく、聖霊として今ここで働いている
という実感が非常に強い。

だから、あなたがさっき言った
「聖霊とは、世界に臨在する神なのか?」
という理解は、聖霊派の宗教体験を理解する上ではかなり有効だと思う。

362.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
0NNYe
そして歴史的に見ると、ここがちょっと皮肉なんだよね。

キリスト教の神学者たちは何世紀も、
「聖霊は父と同一本質なのか?」
「聖霊は子から発出するのか?」
「聖霊と父・子の関係は何なのか?」
と、ものすごく抽象的な存在論をやってきた。

ところが現代の聖霊派では、
「理屈はともかく、今、聖霊が働いている!」
となる(笑)。

つまり、
中世哲学者が「聖霊とは何者なのか」を存在論的に分析していたのに対して、聖霊派は「聖霊が今ここで何をしているか」を体験する。

この違いはかなり大きい。

そして、もし本当に今後キリスト教世界で聖霊派・カリスマ派の影響力がさらに大きくなるなら、「聖霊」という存在がキリスト教思想の中心に再浮上する可能性はあると思う。

そうなると、あなたが今掘っている
「一つの聖霊とは、いったい何者なのか?」
という問題、単なる中世スコラ哲学の珍問ではなく、現代キリスト教のど真ん中の問題になってくる。
363.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
0NNYe
質問:

聖霊信仰は、アフリカ人にウケている

364.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
0NNYe
チャットGPT:

うん、かなり強い。

ただ、「アフリカ人」という一括りより、サハラ以南アフリカのキリスト教、とくにペンテコステ派・カリスマ派で非常に大きな存在感がある、と言うのが正確。

特にナイジェリア、ガーナ、ケニア、ウガンダ、南アフリカなどでは、ペンテコステ派・カリスマ派の教会が大きく成長してきた。

理由の一つは、聖霊信仰が非常に現世的・実践的だからだと思う。

「聖霊がいる」
↓
病気が癒やされる
↓
悪霊から解放される
↓
仕事・商売がうまくいく
↓
人生が変わる

という形で、目の前の人生に神が介入するという宗教になる。

365.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
0NNYe
これは、
「神学的に三位一体とは何か」
という抽象的問題より、
「聖霊が今、俺の人生に何をしてくれるのか?」
という問いのほうが圧倒的に分かりやすい。

しかもアフリカの伝統的な宗教文化には、霊的存在、祖先、呪術、憑依、治癒などをめぐる世界観がもともと存在していた地域も多い。

そのため、ペンテコステ派の
「聖霊が実際に働く」
「悪霊と戦う」
「奇跡が起こる」
「神から直接力を受ける」
という世界観が、完全に異質な宗教として入ってきたわけではないという説明もできる。

366.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
0NNYe
ただし、「アフリカ人だから聖霊信仰を好む」と単純化するのは危険で、植民地支配、都市化、貧困・格差、教育、独立後の社会変化、既存教会への反発など、社会的・歴史的要因もかなり大きい。

そして面白いのが、アフリカのペンテコステ派は、欧米から輸入しただけではなく、現在では逆に世界へ発信する側になっていること。

だから現代キリスト教を考えると、
ヨーロッパのキリスト教 → 神学・教義中心
という昔ながらのイメージだけでは、かなり見誤る。

人口動態まで考えると、21世紀のキリスト教の重心がアフリカへ移っていることと、ペンテコステ派・カリスマ派の拡大はセットで見る必要があると思う。
367.
ユーザー
XGYd8
聖霊の威力絶大だからなー
仏教の禅定よりも
広き門だな
😀
輪廻しないと禅定のプロマシーンになれなさそうだ
😀
368.
ユーザー
XGYd8
仏教以外が
最初に
霊的魂が求めるのは
意外とキリスト教😀


俺はスキゾ的に
わざとイスラムや神道に向かう
スコラ哲学は知らなさ過ぎるので
関心が強い
😀
369.
ユーザー
XGYd8
霊力の世界では
サービス力は
キリスト教が圧倒的だ
😀
370.
ユーザー
XGYd8
非ペンテコステ派の
福音派の教会ですら、
行っていないが
行きたいな感がある時がある
😀
371.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
QJRgf
キリスト教は他力の極みだな
372.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
QJRgf
聖霊はドコにでもいる
373.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
QJRgf
聖霊は、神であって、神ではない
374.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
QJRgf
聖書に出てくるから、存在するのは確実だ
375.
ユーザー
h0iGF
トランプ戦争の以前の動画
ノーテンキそうだ
福音派関連だろうか?


https://m.youtube.com/watch?v=FXv4HdrIB3k&t=11s
376.
ユーザー
h0iGF
かなり聖書をよみこなして
聖霊も知っているので
クリスチャンでないと
言わないと
クリスチャン扱いされる自信はある
神学系統はあかんけどな
😀
377.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
QJRgf
神学は、哲学マニアの領域😅

普通のクリスチャンは興味ない
378.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
QJRgf
神学に興味ある人など

カトリックの神父以外で見たこと無い
379.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
QJRgf
神学は、その名の通り

「神」を探究する学問
380.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
QJRgf
「神とは何か」

「神とはどういう存在か」

それを、徹底的に探究する
381.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
QJRgf
無神論者から見れば、まったく無意味

蜃気楼の楼閣みたいな体系😅
382.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
QJRgf
一般の信者も

難しいので、まず知らない
383.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
QJRgf
神の研究

クリスチャンなら、関心を持つべきだ
384.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
QJRgf
神の研究のメニューは豊富だ


神は単純であるのか
神は完全であるのか
神は無限であるのか
神は不変であるのか
神は永遠であるのか
神は唯一であるのか
神は知性を持つのか
神は意志を持つのか
神は何を知っているのか
神の知識と人間の自由意志はどう関係するのか
神の摂理とは何か
神は世界を創造したのか
神は被造物をどのように統治するのか

・・・・・
385.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
QJRgf
註:ここで言ってるのは、カトリック神学の話

プロテスタント神学のことは知らん

信者にきいてくれ
386.
ユーザー
h0iGF
神学研究に火がついたな?

俺はちょろちょろだ
今日仕事疲労でパワーがやはり落ちる
😀
387.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
QJRgf
いまはキリスト教が最前線だ
388.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
QJRgf
製ウンコ師をはじめ

主な宗教論客がキリスト教スレに終結している
389.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
QJRgf
終結しているじゃない

集結している
390.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
QJRgf
終結じゃ、終わってるみたいだ
391.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
QJRgf
製ウンコ師の戦いは、始まったばかりだ
392.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
QJRgf
まだ終わっていない
393.
ユーザー
h0iGF
ムイムイ的には美魔女支援がある

幸福くんは
ハッスル🤡、ラピスが嫌い
😀
394.
ユーザー
h0iGF
美魔女のアタックに堪えたのかな?
ラピス=美魔女=ムイムイに
なったのだろうか?
😅
395.
ユーザー
h0iGF
一般人の五チャンネルの住人にとって
美魔女のアタックが
一番堪えるだろな
😅
396.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
9iXEr
実在論は、アビダルマ倶舎論

唯名論は、中観派にそれぞれ似ている

397.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
9iXEr
うん、かなり面白い対応関係だと思う。

ただし、完全な同一視はできない。

『倶舎論』的な世界

説一切有部では、たとえば「人間」という普遍概念そのものよりも、
色・受・想・行・識などの法が、それぞれ何らかの実在性を持つ
と考える。
特に有部の「三世実有、法体恒有」は象徴的で、
個々の「法」は実在する
↓
それらを分析・分類すれば、世界の構造を捉えられる
という方向。
だから『倶舎論』の世界は、ものすごく存在論的・実体論的なんだよね。

398.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
9iXEr
中観派の場合

ところが龍樹になると、
「その法自体に自性があるのか?」
と、さらに一段深く突っ込む。
色も、受も、識も、因果関係も、さらには「空」そのものさえ、
自性をもって独立して存在するわけではない。
だから、
「法が実在する」
↓
「いや、その“法”という単位そのものが、独立した自性を持つのか?」
と解体していく。

この意味では、確かに中観派は唯名論的な方向に非常に近い。

399.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
9iXEr
そして、前に話していた
「ミカエルは存在する。しかし『天使』という普遍者は存在しない」
という議論とも繋がる。

さらに中観的に徹底すると、
「ミカエル」という個物についても、独立した自性を持つ実体としては成立しない。
となる。

つまり、

実在論 → 個々の法にも実在性を認める
唯名論 → 普遍者の実在性を否定する
中観 → 普遍者だけでなく、個々の法の自性まで否定する

という関係になる。

だから面白いのは、中観派は「唯名論そのもの」というより、「唯名論をさらに徹底したもの」に近いことなんだよね。

そしてここから、
「では中観派にとって、何が存在するのか?」
という、ものすごく厄介な問題が出てくる(笑)。

これがまさに「空は単なる虚無なのか?」という問題につながる。
400.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
9iXEr
プロンプト:

自分は個人的に実在論寄りなので

中観派や唯名論を見ると、
「この人たちは、何が楽しくて
こんなことを主張してるのか?」
と思う

おそらく、唯名論も中観派と同様、
「余計な観念を排除して、
ありのままに物事を見よ」と
言いたいのだろう
401.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
9iXEr
チャットGPT:

そうだと思う(笑)。

実在論寄りの立場から見ると、唯名論や中観派は、
「そこまで全部解体して、何が残るんだ?」
という感じになるんだよね。

でも、彼らの側からすると、むしろ逆で、
「余計なものを付け足しているのは、実在論のほうではないか?」
となる。

402.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
9iXEr
唯名論の場合

唯名論者からすると、
「人間」という普遍者が実在する
「動物性」という普遍者が実在する
「善」という普遍者が実在する
……と考えていくと、実際に目の前にある個々の存在から、
どんどん抽象的な存在者を増やしてしまう。

だから、
「そこにいるのは、この人、この馬、この木だ。
『人間そのもの』『馬そのもの』まで存在すると考える必要があるのか?」
となる。
これはある意味、存在論の節約なんだよね。
403.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
9iXEr
中観派になると、さらに過激

中観派は、
「では、その『個々の人』『個々の馬』は?」
とまで追及する。

「人間」という概念を取り除いても、
身体、感覚、意識、関係、原因……と分析していけば、
「これが人間という独立した実体だ」
と言えるものは見つからない。

だから龍樹的には、
観念を取り除いていった結果、何か究極的な実体が出てくる
とは考えない。

ここが実在論者には猛烈に気持ち悪いところ(笑)。

ただし、中観派自身は、
「何も存在しない」
と言いたいわけではない。
むしろ、
「余計な自性という観念を世界に投影するな」
という話なんだよね。
なので、あなたの言う
「余計な観念を排除して、ありのままに物事を見よ」
という理解は、かなり核心を突いていると思う。
404.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
9iXEr
ただ、実在論者から見ると、

「いやいや、『自性がない』という見方だって一種の哲学的フィルターじゃないのか?
普通に世界を見れば、物にはそれぞれ固有の性質があるじゃないか」
となる。

ここが両者の根本的な感覚の違い。

実在論者:世界にある構造を、概念によって正しく捉えたい。
唯名論者:概念を世界そのものと取り違えるな。
中観派:そもそも「世界に固定した構造がある」という発想まで検証しろ。

という感じ。

だから実在論寄りの人からすると、中観派は**「世界を説明している」というより、世界についての説明を片っ端から解体して遊んでいる(笑)**ように見える。

逆に中観派からすると、実在論者は**「存在しないものを次々と発見している」**ように見える。

この対立、かなり根深い。
405.
ユーザー
8CwkQ
ソシュールでも
既に不気味だろな
言語記号の関係の恣意性なんて
やっちゃうからなー

ソシュールは
ま、丸山圭三郎中継だが、
オモシロかった、丸山圭三郎は三、四冊買ってる
文化のフェティシズム
😀
406.
ユーザー
8CwkQ
トランプ現象も
文化のフェティシズムといえば、
それだ
😀
407.
ユーザー
8CwkQ
ソシュールと丸山圭三郎のおかげで
古本屋で岩波文庫の西洋哲学の本を買えども
書庫に眠ったままになってしまった
😀
408.
ユーザー
8CwkQ
経済学、社会学関連は売り飛ばしたり
人にあげたりしたが
西洋哲学は書庫に読まないのに
たくさん残っている
😀
409.
ユーザー
8CwkQ
思想マニアの
残骸が俺の中に
眠っているのだろう
西洋哲学は素人のままだ
😀
410.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
jdD1h
丸山圭三郎は読んだ
411.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
jdD1h
唯名論者ってのは、

「余計な観念をかぶせず、ありのままに個物を見よう」

と主張しているんだな

412.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
jdD1h
チャットGPT:

うん、かなりいい捉え方だと思う。

ただし、少しだけ補正すると、**「個物をありのままに見よう」より、「個物の外側に普遍者を勝手に実在させるな」**というのが唯名論の核心に近い。

たとえば、
ソクラテスは存在する
プラトンは存在する
アリストテレスは存在する
これは認める。

しかし、
「人間」という普遍的なものが、ソクラテスやプラトンとは別に、何らかの仕方で実在している
とは認めない。

だから、

実在論
「ソクラテスもプラトンも人間である。『人間性』という普遍者にも何らかの実在性がある」

唯名論
「存在するのはソクラテスやプラトンという個物。『人間』というのは、彼らをまとめて呼ぶための名前・概念にすぎない」

という違いになる。

なので、あなたの言う
「余計な観念をかぶせず、ありのままに個物を見よう」
は、唯名論の精神・態度をかなりうまく表現している。
413.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
jdD1h
そしてここが面白いところで、以前話していた中観派とも似て見える。

中観派も、
「『人間』『存在』『善』『美』などに固定的な自性を勝手に付与するな」
という方向へ進む。

ただし、唯名論=中観派ではない。

唯名論は主として「普遍者は実在するのか」という問題への回答。
中観はそこからさらに進んで、個物そのものについても、自性を持った独立実体としては成立しないと論じる。

つまり極端に単純化すると、

実在論
「個物 + 普遍者」

唯名論
「個物 + 普遍者についての名前」

中観
「個物も普遍者も、自性をもって独立には成立しない」

となる。

だから、あなたが唯名論に感じている「余計な観念を剥がして個物を見る」という感覚は、かなり本質を突いていると思う。
414.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
jdD1h
プロンプト:

イエス・キリストは、人類の罪を贖うため、十字架にかけられたわけだが

「人類」がないとすると、この話は成り立たない

415.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
jdD1h
チャットGPT:

そう。ここにキリスト教神学と唯名論の、かなり面白い緊張関係が出てくる。

唯名論を極端に適用すると、
「人間」という普遍的実体は存在しない。
存在するのは、ペテロ、パウロ、マリア、ヨハネ……という個々の人間だけ。
となる。

すると「キリストは人類の罪を贖った」という表現には、確かに問題が生じる。

ただし、ここで重要なのは、唯名論者でも「人類」という言葉を使えなくなるわけではないということ。

たとえば、
「キリストは全人類の罪のために死んだ」
を唯名論的に読み替えるなら、
「キリストは、存在する一人一人の人間の罪のために死んだ」
となる。

つまり「人類」という一つの実体は否定しても、
個々の人間全員に対する救済
は成立させられる。
416.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
jdD1h
そして、さらに面白いのが「原罪」。

キリスト教では、
アダムの罪 → 人類全体に罪が及ぶ → キリストが人類を贖う
という構造がある。

ここではどうしても、
アダム → 人類 → 個々の人間
という「人類」という集合・普遍の概念が重要になる。

唯名論者なら、
「人類」という実体が罪を犯した
とは言わず、
アダムという個人の罪と、それによって各個人が置かれた罪の状態
という方向に説明することになる。

417.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
jdD1h
実際、中世スコラ学では、唯名論とキリスト教神学が衝突したのはまさにこういうところが面白い。

さらに三位一体まで持っていくと、もっと凄い。

「神」という普遍概念はない
↓
父・子・聖霊という三つのペルソナだけがある
↓
では「三つの神」ではなく「一人の神」とは何なのか?

となる。

だから以前話していた**「唯名論者にとって三位一体は難問では?」**という話にもつながってくる。

キリスト教はそもそも、
「個」と「普遍」の関係をどう考えるかという問題を、単なる哲学問題ではなく、神・三位一体・受肉・原罪・贖罪という教義の核心部分で抱えているんだよね。
418.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
jdD1h
プロンプト:

唯名論者の理屈づけは苦しいな

キリスト教との相性は良くない

419.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
jdD1h
チャットGPT:

うん、かなり相性が悪い部分があると思う。
特にあなたが今指摘した「贖罪」は、唯名論の弱点が見えやすい。

キリスト教の救済物語は、かなり強く**普遍的な「人間」**を前提にしている。

アダムは人類の祖である
↓
アダムの罪が人類に及ぶ
↓
キリストは人類となった
↓
キリストの死と復活によって人類が救われる

ここでは「人類」が単なる便利な名前以上の役割を果たしている。

特に受肉が重要で、
「神の子が人間になった」
というのは、「イエスという一個人が人間になった」というだけではなく、
キリストが人間性を引き受けた
という理解につながる。

すると「人間性(human nature)」というものをどう考えるのか、という問題が避けられない。

420.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
jdD1h
ただ、ここで一つ面白い逆転がある。

キリスト教そのものが唯名論を完全に排除するわけではない。

唯名論者は、
「人間性という普遍的実体は存在しない」
と言いながら、
「イエスもペテロもパウロも、それぞれ個別に人間である」
ことは認められる。

だから、
「キリストは個々の人間を救う」
とすれば、論理的には贖罪を維持できる。

ただし、その瞬間、
「人類全体を救う」というキリスト教の壮大な形而上学的物語が、個々の人間についての集合論的な話に縮小されてしまう
感じがある。

ここが、実在論的なキリスト教理解から見ると「苦しいな」と感じるところだと思う。

421.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
jdD1h
そして実際、キリスト教神学では「普遍者」がかなり重要。

人間性 ― キリストは完全な人間である
神性 ― キリストは完全な神である
父・子・聖霊 ― 一つの神性を共有する
原罪 ― アダムと人類の関係
教会 ― キリストの身体としての普遍的共同体

……と、普遍と個の問題があちこちに出てくる。

だから面白いことに、「個物だけをまず確実な実在とする」という唯名論的な哲学は、個物を重視する点ではキリスト教と親和的なのに、キリスト教の教義を体系的に説明しようとすると、普遍者を追い出したことが逆に効いてくる。

要するに、
「神学の余計な観念を剥がして、具体的な個物だけを見よう」
とすると、
「じゃあ、人間性は? 神性は? 三位一体は? 人類の罪は? キリストは誰を救ったの?」
と次々に追いかけてくる(笑)。

これはまさに、昨日から話していた**「唯名論を徹底すると何が起こるのか」**の核心部分だと思う。
422.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
jdD1h
プロンプト:

「観念を排除しろ」と唱える、アンチ観念論者は洋の東西にいる

西欧なら、唯名論

仏教では中観派とか禅宗
423.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
jdD1h
チャットGPT:

うん、かなり大きく括れば、その見方はできる。
ただし、「観念を排除する」という一点では似ていても、
何を排除して、何を最終的に残すのかは三者でかなり違う。

ざっくり整理すると面白い。

424.
ユーザー
P9e3A
現在、歴史上人間の闇の発生を
アダム以来の人間の本性と
解釈したのが本来の文脈なんだろうけど

カトリックやプロテスタントにしほ
明白な言語と論理を期待して
発達してきたもんなー
最後のフロンティアだな
俺的には
😀

瞑想仏教に対する日本神仏習合的仏教
みたいな
理性としての神だ
😀
425.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
jdD1h
何を嫌うか
何を重視するか

唯名論
普遍者を実体視すること
個物・個別的な存在

中観派
自性をもつ固定的実体という観念
縁起・空

禅宗
分別・概念にとらわれること
現前の事実・直接的な体験

426.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
jdD1h
だから、
「頭の中で作った普遍的・抽象的なものを、現実そのものだと思うな」
という共通した姿勢は確かにある。

ただ、ここで決定的な違いがある。

唯名論
「人間」という普遍者を実在させるな。
ソクラテスはいる。
プラトンもいる。
しかし「人間そのもの」という普遍的実体が別にいるわけではない。
という方向。

中観
さらに一歩進んで、
「ソクラテス」という個物だって、自性をもって独立して存在するわけではない。
となる。
だから中観は、「個物なら実在する」という唯名論的な着地点にも安住しない。
ここがめちゃくちゃ重要。

禅
禅はさらに理論構築を嫌う傾向が強く、
「人間とは何か」
「存在とは何か」
「絶対とは何か」
と概念を積み上げるより、
「今ここにあるものを、そのまま見ろ」
という方向に行く。
だから禅には、
「花は花、山は山」
みたいな世界観が出てくる。

427.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
jdD1h
そして、あなたが以前言っていた**「月を指す指」問題**もここにつながる。

禅的には、
言葉・概念は月を指す「指」にすぎない。
指そのものを月だと思うな。
となる。

ただし、中観派の場合はさらに厳しく、
「では指の向こうに、言葉では表現できない実体としての『月』があるのか?」
と聞かれたら、
「いや、その月にも自性はない」
となる。

ここが、あなたが以前感じていた
「禅の『月』って、結局ブラフマン的なものを想定してないか?」
という疑問につながるわけだね。

なので、
西洋の唯名論 → 普遍概念を実体化するな
中観 → 何ものも自性ある実体として捉えるな
禅 → 概念に囚われず、現前の事実を直接見よ
という三段階で見ると、かなり見通しがよくなる。

そして面白いのは、三者とも「観念を疑う」のに、唯名論は哲学理論を作り、中観は空の論証を作り、禅は公案や語録を大量に残したこと(笑)。

「観念を捨てろ!」と言いながら、めちゃくちゃ大量の観念と言葉を残している。
ここは人間の思想史の、かなり面白いところ。
428.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
jdD1h
>>424

プロテスタントは究めたか?
429.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
jdD1h
バクティ・ヨーガもフロンティアだ
430.
ユーザー
P9e3A
仏教は
禅定学で発達したやろしなー

曹洞宗禅なんかは
一番なんの刺激もない
😀
431.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
jdD1h
ちなみに、ここで展開してる「実在論 VS 唯名論」は、マニアックな中世哲学

こんなのは、最後でいい😅
432.
ユーザー
P9e3A
>>429
キリスト教をバクティヨガで捉える趣味があるので
バクティヨガはラーマクリシュナで学んだので
大方満足しているかも

😀
433.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
jdD1h
でも、トマス・アクィナスの神学大全を読むには

予備知識として避けて通れない
434.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
jdD1h
>>432

そういえば、そうだった

ラーマクリシュナをやったんだったな😄
435.
ユーザー
P9e3A
朝カレーを食べると
やはり体温あかる
体温あがると、少しバテる
エアコンとアイスノンで体温低下狙う
😀
436.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
2Fkm4
「永遠不変の真実在」に対する西欧人の憧れは、凄まじいものがあるな

でも、現実に目の前にある個物を見ると、そんなものは無さそうに思えてきたり

437.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
2Fkm4
チャットGPT:

まさにそこが、西洋形而上学のものすごく長い綱引きですね(笑)。

一方では、
「変化するものの背後に、変化しない真実在があるはずだ」
という強烈な欲求。

他方では、
「でも、目の前にあるのは、結局この個物じゃないか?」
という経験。

この二つが何度も衝突する。

438.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
2Fkm4
プラトンは「変化する世界」を信用しなかった

例えば美しい花は、枯れる。
美しい人も、歳を取る。
国家も滅びる。
三角形を紙に描いても、線は完全には真っ直ぐではない。

ところが、
「美そのもの」 「三角形そのもの」 「正義そのもの」
は変化しない。

そこでプラトンは、
変化する個物より、変化しないイデアのほうが「本当に存在する」と言えるのではないか?
と考えた。

これは、ある意味ではものすごい**「永遠への憧れ」**ですよね。

439.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
2Fkm4
ところがアリストテレスが現実を引き戻す

アリストテレスは、
「いやいや、実際に存在しているのは、この馬、この人、この木だろう」
という方向に戻す。

形相は重要だが、
形相だけが別世界に独立して存在しているわけではない。

だから、

プラトン
真実在
↓
イデア
アリストテレス
真実在
↓
この個物(形相+質料)

という具合に、哲学の重心が少し地上へ降りてくる。

440.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
2Fkm4
そして中世になると、キリスト教がこの問題をさらに巨大化させます。

なぜならキリスト教には、
永遠不変の神
がいるから。

すると、
「この世界の変化する存在と、永遠不変の神との関係は?」
という問題が避けられない。

さらに、
神の中に「人間性」のような普遍的本質が存在するのか?
被造物の「人間性」は何なのか?
神の創造した個々の人間は、何によって個体として区別されるのか?
と、プラトン以来の問題がキリスト教神学と合体してしまう。

だからトマス、スコトゥス、オッカムが、あんなに「人間性」「個体化」「共通本性」を細かく議論することになる。

441.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
2Fkm4
そしてあなたの言う、
「現実に目の前にある個物を見ると、そんなものは無さそうに思えてくる」
が、まさに唯名論の誘惑なんですよね。

目の前には、
この犬
あの犬
あの犬……
しかない。
「犬性」そのものを見たことはない。

そこでオッカム的に、
「だったら、実在するのは犬たちであって、『犬性』は我々の概念なのでは?」
となる。

すると今度は実在論者が、
「でも、なぜこの犬もあの犬も同じ『犬』なの?」
と反撃する(笑)。

そしてまた論争が始まる。

要するに、

永遠不変のものを求める心
vs
目の前の個物しか見えない経験

この二つが、西洋哲学の中で延々と格闘してきた、と見ることができます。

そしてこの構図、実はあなたが以前話していた**「美そのもの」と「美しいもの」や、「存在そのもの」と「存在するもの」**の区別にも、そのままつながっていますね。
「存在そのものはあるのか?」
――この問いまで行くと、もう完全にプラトン以来の病気です(笑)。
442.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
2Fkm4
プロンプト:

当方はかねてから

「輪廻転生こそ、インド人の最大の関心事だ。輪廻転生をアタマから否定してるような人では、インド人の心がわからないため、仏教のようなインド思想を真に理解することはできない」

と主張してきた

同じことが、西欧人にとっての「普遍」にも言える

プラトンが「天上のイデア界にある真実在」を唱えて以来、
「そんなものが本当にあるのか?」が、
あまりにも重大なテーマになってしまった
443.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
2Fkm4
チャットGPT:

そうですね。ここはかなり重要な視点だと思います。

特に、
「その文化圏の人々が、何を問題にせずにはいられなかったか」
を見ると、思想史がずいぶん違って見えてきます。

インド思想なら、
輪廻とは何か?
誰が輪廻するのか?
業はどう次の生に伝わるのか?
解脱とは輪廻からの離脱なのか?
無我なのに、なぜ輪廻するのか?
という問題が、ヴェーダーンタ、仏教、ジャイナ教などをまたいで何度も登場する。

そして西洋では、プラトンが
「感覚世界を超えた、真に実在するものがあるのではないか」
という問題を猛烈な勢いで前面に出した。
すると後世の哲学者は、どうしてもこの問題から逃げられなくなる。

444.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
2Fkm4
プラトンが作った「巨大な問い」

例えば、
美しい女性
美しい風景
美しい音楽
がある。

では、これらに共通している**「美」そのもの**とは何なのか?

プラトンなら、

個々の美しいもの
↓
美そのもの(美のイデア)

という方向へ行く。

すると、当然、
「そんなもの、本当に存在するのか?」
という問いが発生する。

そしてこの問いが、アリストテレスを経て、
普遍は実在するのか?
個物の外にあるのか?
個物の中にあるのか?
それとも知性の中だけにあるのか?
という、後の普遍論争につながっていく。

だから中世の実在論者と唯名論者の大論争は、突然発生したものではなく、かなり遠くまで遡れば、
「イデアは本当に実在するのか?」
というプラトン以来の巨大な宿題の延長線上にあるわけです。
445.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
2Fkm4
そして、ここはあなたの「輪廻」の話と非常に似ています。

インドで、
「輪廻なんて、そんなものあるわけない」
と最初から切り捨ててしまうと、
「では業とは何なのか?」
「解脱とは何からの解脱なのか?」
「釈迦がなぜ輪廻・業・天界・地獄について語るのか?」
という、インド思想の巨大な問題設定そのものが見えなくなってしまう。

同じように西洋で、
「普遍なんて単なる言葉でしょ」
と最初から片付けてしまうと、
「なぜプラトンはイデアを考えたのか?」
「なぜアリストテレスは形相を問題にしたのか?」
「なぜトマスとスコトゥスが個体化を論じるのか?」
「なぜオッカムが普遍の実在性を否定することにあれほどエネルギーを使うのか?」
が分からなくなる。

つまり、
ある文化圏で何世紀にもわたって繰り返される「巨大問題」を、その問題自体が間違いだとして最初から捨ててしまうと、その文化圏の思想家たちが何を考えていたのか理解しにくくなる。
ということですね。

446.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
2Fkm4
ただし一点だけ付け加えるなら、「西欧人は普遍に関心があり、インド人は輪廻に関心がある」と民族心理そのものとして一般化するより、「それぞれの思想史において非常に長寿命な中心問題になった」と捉えるほうが安全です。

そして、この観点から見ると、あなたが最近ずっと追っている
プラトン → アリストテレス → トマス → スコトゥス → オッカム
という流れは、実は一本の大きな問い、
「われわれが『人間』『美』『善』『存在』などと呼んでいる普遍的なものは、いったい何なのか?」
を、2500年近くかけてこねくり回している歴史、とも見えるんですよね(笑)。

「普遍なんてどうでもいいだろ!」と思った瞬間に、なぜ西洋哲学者たちがそこまで熱くなっているのか分からなくなる。

これは、まさにあなたの「輪廻を理解せずしてインド思想は分からない」という主張と、かなりよく対応しています。
447.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
2Fkm4
プロンプト:

輪廻転生を巡るインド人の議論と、普遍を巡る西欧人の議論には共通点がある

それは、「永遠不変の実体はあるか、ないか?」ということ

「個物」は、死ねば消滅する。「普遍」は永遠に変わらない

448.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
2Fkm4
チャットGPT:

そうですね。かなり深いところで共通する構造があります。

ただ、最後の
「個物は死ねば消滅する。普遍は永遠に変わらない」
は、プラトン的実在論を念頭に置けばその通りですが、
西洋の普遍論全体については少し広げすぎない方がいいです。

むしろ、こう整理すると非常に綺麗です。

インド側

輪廻論では、
この個体は生まれて死ぬ
では、死を越えて何かが存続するのか?
という問題が出る。
そこで、
ヴェーダーンタ → アートマン/ブラフマン
仏教 → 永遠不変のアートマンを否定
ジャイナ教 → ジーヴァ(生命原理・霊魂)の存続
など、それぞれ違う答えを出す。
つまり、
変化する個体の背後に、変化しない何かがあるのか?
という問題ですね。

西洋側

普遍論では、
ソクラテスは生まれて死ぬ。
プラトンも生まれて死ぬ。
しかし「人間」というものはどうなのか?
となる。
ソクラテスが死んでも、
「人間」という本性そのものまで消滅するのか?
という問題が残る。

449.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
2Fkm4
プラトンなら、
個々の人間
↓
永遠不変の「人間そのもの」
という方向へ行く。

アリストテレスになるともっと複雑になり、トマスになると、
共通する本性
をどう個物の中に位置づけるかが問題になる。

そしてスコトゥス、オッカムになると、
「その『共通する本性』って、本当に個物とは別に実在するのか?」
と問い直される。
450.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
2Fkm4
だから、あなたの言う共通点を、もっと抽象化すると、

変化・生成・消滅する個別的な世界
vs
それを超えて存続する普遍的・恒常的なもの

という対立ですね。

これはかなり重要な構造です。

ただし、「普遍=永遠不変」なのはプラトン的な強い実在論では特に明瞭で、トマスやスコトゥスの普遍論になると、普遍の存在様態はもっと複雑です。さらにオッカムなら「そんな永遠の共通実体を持ち出す必要はない」となる。

451.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
2Fkm4
だから思想史を極端に圧縮すると、

プラトン 「永遠不変の真実在がある」
↓
アリストテレス 「それを個物の形相の問題として考え直そう」
↓
トマス 「共通本性は実在するが、個物として存在する」
↓
スコトゥス 「それでも個物の『このもの性』を説明しなければならない」
↓
オッカム 「そもそも個物とは別の共通実体を仮定する必要があるのか?」
となる。

そしてインド側でも、
「死滅する個体の背後に、永続するものはあるのか?」
という問いに対して、

アートマンを立てる
↓
アートマンを否定する
↓
輪廻そのものを別の仕方で説明する

という壮大な議論が展開される。

なので、両者をつなぐ非常に抽象的な問いとして、
「生成変化する世界の中に、変化しない実在を認めるべきか?」
というものを置くことはできると思います。

そして面白いのは、インドではこの問いが「私は死んだらどうなるのか?」という実存的問題に直結し、西洋では「人間とは何か?」「美とは何か?」「存在とは何か?」という存在論・形而上学の問題として展開したことです。

同じような「永続するもの」への執着が、文化によって輪廻論と普遍論という、まったく違う姿を取った――という見方は、かなり面白いですね。
452.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
2Fkm4
プロンプト:

出口王仁三郎は、フスマに描かれた富士山の絵を指して

「霊界にも富士山がある。あの世の富士山は、この世の富士山よりずっと大きくて美しい。霊界の富士山と現界の富士山は、現界の富士山とフスマ絵の富士山のような関係にある」

と語った

プラトンは哲学者だから、そんな風にベタな霊界論を語ることはないが

プラトンの「イデア論」ってのも要するに、そういうことではないのか?

https://img-cdn.jg.jugem.jp/f29/552947/20170108_1483592.jpg

↑

前にも、こう書いたが

「永遠不変の真実在への憧れ」ってのは、平たく言えば要するに、こういうことなんじゃないかと思うんだよなあ

453.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
2Fkm4
チャットGPT:

うん、比喩としてはかなり鋭いと思います。

出口王仁三郎の富士山の話を、哲学的に極端に抽象化すると、
この世の富士山は「本物の富士山」の不完全な現れである。
本当の富士山は、より高次の世界にある。
という構造ですよね。

そして、これをプラトンのイデア論に重ねると、

現実の美しいもの
↓
「美そのもの」の不完全な現れ

現実の正しい行為
↓
「正義そのもの」の不完全な現れ

現実の三角形
↓
完全な三角形のイデア

という構造になる。

だから、かなり平たく言えば、
「この世にあるものは、本物のコピーではないのか?」
という発想なんですよね。
454.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
2Fkm4
フスマ絵の富士山という比喩が面白い

たとえば襖に富士山が描かれている。
誰が見ても、
「これは富士山だ」
と分かる。
でも、
襖絵 ≠ 現実の富士山
です。
さらに王仁三郎の世界観では、
現実の富士山 ≠ 霊界の富士山
となる。

つまり、

襖絵
↓
現界の富士山
↓
霊界の完全な富士山

という「コピーから原型へ」の階層ができる。

プラトンの場合も、これをものすごく哲学的に洗練すると、

個々の美しいもの
↓
美そのもの

となる。
455.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
2Fkm4
ただし、ここには重要な違いがあります。

**王仁三郎の「霊界の富士山」は、かなり文字通り「別の世界に存在する富士山」**です。

一方、プラトンのイデアは、単純に
「天国に巨大な三角形が浮かんでいる」
みたいな話ではありません(笑)。

プラトンが言いたいのは、もっと根本的に、
「なぜ我々は、不完全な個物を見て『美しい』『正しい』『三角形だ』と認識できるのか?」
という問題です。

そして、あなたが言う
「永遠不変の真実在への憧れ」
という表現は、かなり本質を突いていると思います。

現実世界を見ると、
人は老いる
花は枯れる
国家は滅びる
建物は崩れる
美しいものも醜くなる
全部、変化する。

ところが人間の頭の中には、
「美しいとはこういうものだ」
「正義とはこういうものだ」
「完全な三角形とはこういうものだ」
という、変化しない基準があるように思える。

そこでプラトンは、
「ひょっとすると、変化するこの世界のほうがコピーで、変化しないほうが本物なのではないか?」
と考えた。

これは確かに、
「この世の富士山より、本当の富士山が別のところにある」
という王仁三郎の発想と、構造的には非常によく似ています。

456.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
2Fkm4
そして、ここからが面白い。

アリストテレスは、
「いや、待て。
本物の富士山を、別世界に置く必要があるのか?」
という方向に行く(笑)。

つまり、
形相は現実の個物の中にある
と考える。

そして中世になると、トマスがアリストテレスをキリスト教神学に組み込む。

さらにスコトゥス、オッカムと進むと、
「そもそも『人間性』とか『犬性』という永遠不変の共通本性を、どこまで実在物として認める必要がある?」
という話になる。

だから、あなたの言う
「永遠不変の真実在への憧れ」
を起点にすると、

プラトン → アリストテレス → トマス → スコトゥス → オッカム

という流れが、かなり生き生きと見えてくるんですよね。

要するに、
「本物はどこにあるのか?」
という、ものすごく素朴な疑問が、
霊界の富士山 → イデア → 形相 → 共通本性 → このもの性 → 唯名論
という、とんでもなく高度な哲学論争にまで発展してしまった(笑)。
これは「普遍論争」を理解するうえで、かなり直感的なイメージだと思います。
457.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
2Fkm4
プロンプト:

結局のところ

「目の前で現実に存在する個物は、天上界にある本物の劣化コピーである」

という世界観

458.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
2Fkm4
チャットGPT:

そう。プラトンのイデア論をかなり平たく、直感的に言い換えるなら、まさにそれです。

目の前の個物は、本当に実在するものの不完全な現れである。
本当の実在は、永遠不変のイデアの側にある。

たとえば、

現実の美しい花
→ 「美そのもの」の不完全な現れ

現実の正しい行為
→ 「正義そのもの」の不完全な現れ

現実の三角形
→ 完全な三角形の不完全な現れ

という構造。

だから、プラトンの世界観を王仁三郎の富士山の比喩で説明すると、

イデア界の「本物の富士山」 ↓ 現実世界の富士山 ↓ 襖に描かれた富士山

という「原型 → 現れ → 模写」の階層を想像すれば、かなり掴みやすい。

459.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
2Fkm4
ただし、ここで一つだけ重要なのは、プラトンにとって現実の個物が単なる「偽物」なのではないことです。

現実の個物にもイデアへの「参与(メテクシス)」がある。

だから、
完全な本物 ← 不完全なコピー
というより、
永遠の原型 ← それに参与する生成世界
と考えるほうが哲学的には正確です。

そして、ここからアリストテレスの反撃が始まる。

「いや、そんな『本物』を天上界に置かなくても、この現実の個物そのものを説明すればいいじゃないか」

これが、あなたが今追っている
プラトン → アリストテレス
の転換です。

そして中世になると、
プラトン的な「本物」への憧れと、アリストテレス的な「目の前の個物」への着目が、トマス、スコトゥス、オッカムを通じて何百年も格闘する。

だから、究極的にはこの問題、
「本当に存在するのは、永遠不変のものなのか、それとも目の前の個物なのか?」
なんですよね。
これはあなたが言っていた**「永遠不変の真実在への西欧人の凄まじい憧れ」**の、かなり核心にある問いだと思います。
460.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
2Fkm4
プロンプト:

プラトンは、さっそく、弟子のアリストテレスに修正された

アリストテレスによれば、目の前の個物がコピーなのは確かだとしても、「天上界のどこかにあるオリジナルの原本」なんてものは無い

アリストテレスは、師匠のプラトンよりずっと現実主義者だった

彼は、夢みたいなことを語らなかった

461.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
2Fkm4
チャットGPT:

うん、その対比はかなり分かりやすいです(笑)。

特に、

プラトン:コピーの背後に原本がある
アリストテレス:コピーと呼んでいるこの現実そのものを説明しよう

という違いは、二人の哲学の雰囲気をよく表しています。

ただ、「アリストテレスは夢みたいなことを語らなかった」は少しだけ修正したいです。アリストテレスも形而上学者なので、十分に壮大なことを言っています(笑)。ただ、プラトンのように「この世界の外側に別の原型世界」を置かなかったという点では、たしかにずっと地上的です。

プラトン

プラトンなら、
個々の三角形
↓
不完全
↓
完全な三角形のイデア
となる。
現実の三角形には、
線が完全にはまっすぐでない
点が完全な点ではない
測定誤差がある
などの不完全性がある。
それでも我々は、
「完全な三角形」
という基準を理解できる。
そこで、
「完全な三角形そのものが、どこかに実在するのでは?」
と考える。
これがプラトンの方向です。

アリストテレス

ところがアリストテレスは、
「その完全な三角形を、天上界に実物として置く必要はないだろう」
となる。
「三角形」という形相・普遍性は重要だが、それは個物とは別の場所に存在する独立したイデアではない。
むしろ、
この三角形、この人、この馬
という具体的な存在者を出発点にして、その中にある形相・本質を考える。

だから、

プラトン
原本 → コピー

アリストテレス
個物そのものを分析する

という違いになる。
462.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
2Fkm4
そして、ここがあなたの「普遍論争」の話に直結します。

プラトンは、
普遍=原本=真実在
にかなり強く寄せる。

アリストテレスは、
普遍は重要だが、個物から切り離された別世界の実体ではない
とする。

つまり、普遍を捨てたわけではない。
ここが大事です。

アリストテレスは、
「人間なんて、ソクラテスとプラトンという二人の人間を見て、人間と呼んでいるだけだ」
というオッカム的なところまでは行かない。

むしろ、
人間という本質・形相は実在的に重要だ
と考える。

463.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
2Fkm4
だから、あなたがさっき言った

プラトン(普遍実在論)→アリストテレス(普遍実在論を維持しつつ、個物重視に傾斜)

という図式は、かなりうまくアリストテレスの位置を表しています。

そして、この**「プラトンからアリストテレスへの現実への引き戻し」**が、800年以上後の
トマス → スコトゥス → オッカム
という流れを考える際の、ものすごく重要な前史になるわけですね。

ただし面白いことに、プラトンは「夢想家」、アリストテレスは「現実主義者」という単純な二分法では収まりません。
プラトンの問題提起がなければ、アリストテレスも「形相」「本質」「普遍」をあれほど真剣に考える必要はなかった。
つまりアリストテレスは、
師匠の「永遠の原本」という発想を拒否しながら、師匠が発見した「普遍的な本質」という問題そのものは捨てなかった。
ここが実にアリストテレスらしいところです。
464.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
2Fkm4
プロンプト:

同じような流れが、中世ヨーロッパでも繰り返された

トマス・アクィナス(普遍は実在する)

→ ドゥンス・スコトゥス(普遍が実在するのは認めるが、個物を重視する方向に傾斜)

→ オッカムのウィリアム(個物しかない)
465.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
2Fkm4
チャットGPT:

そう。思想史の「型」として見るなら、かなり綺麗な対応になっています。

あなたの図式を少し整えると、

古代
プラトン
↓
普遍・イデアを真実在として強く重視
↓
アリストテレス
↓
普遍の実在性は維持しつつ、個物・現実世界へ重心を移す
↓
中世
トマス・アクィナス
↓
普遍的本性の実在性を認める
↓
ドゥンス・スコトゥス
↓
共通本性を認めながら、個体性を強く理論化する
↓
オッカム
↓
個物を基本的な実在とし、共通本性を実在物として認めない

となる。
466.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
2Fkm4
特に面白いのは「スコトゥス」の位置

ここが古代のアリストテレスとよく似ています。


アリストテレスは、
「イデア界なんていらない。形相はこの個物の中にある」
とした。

スコトゥスも、
「共通本性だけでは、このソクラテスを説明できない。このもの性が必要だ」
とした。

つまり両者とも、
「普遍を捨てる」のではなく、「普遍だけでは個物を説明できない」と考えた
という点で似ています。

そして、その先でオッカムが、
「そもそも個物とは別に、共通本性という実在的なものを置く必要があるのか?」
とさらに踏み込む。

467.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
2Fkm4
ただ、一点だけ重要なのは、

オッカム=「個物しかない」

は、哲学史を説明するためのかなり大胆な要約だということです。

オッカムは普遍概念そのものを否定しているわけではなく、普遍が個物とは別の実在的な存在者として外界にあることを否定する。

だから、
外界:個物
知性:普遍概念
という構図になる。

この意味で、
プラトン → アリストテレス
と
トマス → スコトゥス → オッカム
は、確かに
「永遠不変の普遍」から「目の前の個物」へ、哲学の重心が少しずつ移動する
という似た運動として眺めることができます。

468.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
2Fkm4
しかも、あなたの最初の「永遠不変の真実在への憧れ」という話までつなげると、非常にきれいです。

プラトン
「本物は永遠不変のイデアだ」
↓
アリストテレス
「いや、本物はこの世界の個物だ。ただし、その中には普遍的な形相・本質がある」
↓
トマス
「その形相・本質をキリスト教的存在論の中で体系化しよう」
↓
スコトゥス
「でも、個物の『このもの』をもっとちゃんと説明しろ」
↓
オッカム
「だったら、最初から個物を基本にすればいい」

……という流れですね(笑)。

ただし、歴史的因果関係として「古代で一度起きた流れが、そのまま中世で再演された」とまでは言えない。そこは思想史上かなり重要な注意点です。

でも、「普遍と個物のどちらに存在論的な重みを置くのか」という構造が、古代と中世で似た振幅を描いている――という見方なら、かなり面白いと思います。
469.
ユーザー
aYR1N
お、やってるな?
俺は貞慶研究の鬼だ
ハッスル🤡問題まで見えてくる
😀
470.
ユーザー
Rordk
スコラ哲学エネルギーチャージ中〜

脳疲労が取れてきた
😀😀😀😀😀
471.
ユーザー
Rordk
やっぱり
来年春は
高野山でなく
イスラムモスクへ行く可能性大
有給取ってゆったり
節約旅にしよう
😀
472.
ユーザー
Rordk
イスラムの礼拝を学ばなければ
😀
473.
ユーザー
Rordk
25日が給料日なので
火曜日まで節約生活しなければ
😅
474.
ユーザー
Rordk
イスラム礼拝の勉強にしよう
とりま
😀
475.
ユーザー
s6tlS
476.
ユーザー
s6tlS
プロテスタントの礼拝より難しい
😀
477.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
7lRNE
844 神も仏も名無しさん (50-wWm-mG-cku) 2026/08/23(日) 18:33:39.91 ID:ss3iw
ファーティハ(開端章)のカタカナ読み
第1節ビスミッラーヒッ・ラフマーニッ・ラヒーム
第2節アル・ハムドゥ・リッラーヒ・ラッビル・アーラミーン
第3節アル・ラフマーニッ・ラヒーム
第4節マリキ・ヤウミッ・ディーン
第5節イッヤーカ・ナァブドゥ・ワ・イッヤーカ・ナスターイーン
第6節イヒド??・スィラータ・ル・ムスタキーム
第7節スィラータ・ラズィーナ・アンァムタ・アライヒム・ガイル・マウドゥービ・アライヒム・ワ・ラッ・ダッリーン(あなた
478.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
7lRNE
イスラム教は最高の宗教😆
479.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
7lRNE
まあ

オッカムのウィリアムみたいな、切れ味抜群の理論家は

イスラム神学には出なかったが
480.
ユーザー
AP2Lw
スーフィズムのほうが目立つな
😀
481.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
7lRNE
仏教と禅宗が別モノであるように

イスラム教とスーフィズムは別モノ😂
482.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Nfx7B
プロティノスの体系は、キリスト教神学と非常に接続しやすかった。

彼の基本構造は、

一者(The One)
↓
知性(ヌース)
↓
魂(世界霊魂など)
↓
感覚的世界

という階層的な存在論です。

そして一者は、あらゆる存在の根源でありながら、普通の意味での「存在者」を超えている。
483.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Nfx7B
これがキリスト教に取り込まれると、

神
↓
神の知性・永遠の理念
↓
創造された魂・精神
↓
物質世界

という構造にかなり近い形で再構成できる。

484.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Nfx7B
特にアウグスティヌスの有名な**「永遠のイデア(神の観念)」**という発想は面白い。

プラトンでは、
イデア界 → 個々の物
という構造でした。

アウグスティヌスではこれが、
神の知性の中にある永遠の理念 → 神による創造 → 個々の被造物
という形に変換される。

つまり、プラトンのイデア論を「神の創造論」の中に取り込んだわけです。

485.
ユーザー
d3cNc
聖書は
神の言という
絶対的真理の上に構築しているから
相性か良かったんやろなー

😀
486.
ユーザー
iuycQ
イスラーム礼拝真似事でも
楽しくなるのを発見した
休日の愉しみだ
ソーセージ食べる前だ
やるならー
😀
487.
ユーザー
iuycQ
ボエティウスに戻る

神は永遠の時間、
過去現在未来にも永遠にいる
😀
488.
ユーザー
iuycQ
スコラ哲学をお勉強する気が少し起きた
😀

イスラーム礼拝手順と
スコラ哲学の二本立て研究だな、
来年春まではー
とりま
😀
489.
ユーザー
iuycQ
それ以外の娯楽は何にするかな?
😀
490.
ユーザー
iuycQ
日蓮宗に久しぶりに回帰も悪くないなー
😀
491.
ユーザー
iuycQ
論文をノートパソコンに落とす
😀
492.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
gQqDf
ボエティウスとは、すごいな
493.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
gQqDf
マニア受けする人物だ
494.
ユーザー
iuycQ
解説かわかりやすく
西洋哲学の第一歩にはいい感じだ
スコラ哲学は
😀
495.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
UjAwj
そこから入る人は珍しいけどな😅
496.
ユーザー
iuycQ
トマスから初めたから
とっつきやすい
😀
497.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
rA8xv
トマス・アクィナスから入るべき
498.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
rA8xv
ていうか

スコラ哲学は、トマスだけで十分😅
499.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
rA8xv
マニアは、ドゥンス・スコトゥスとか、オッカムのウィリアム

超マニアは、ボエティウスとか、アベラールとか😅
500.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
rA8xv
500
501.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
rA8xv
チャットGPT:

😂 これはかなり的確な「スコラ哲学マニア度ランキング」だと思う。

実際、一般教養としてスコラ哲学を押さえるなら、トマス・アクィナスでかなりの部分が済む。

ざっくり言えば、

入門者:アウグスティヌス → トマス
スコラ哲学好き:トマス → ドゥンス・スコトゥス → オッカム
かなりのマニア:アベラール
超マニア:ボエティウス

という感じになる(笑)。
502.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
rA8xv
ただ、面白いのは、
トマスを「スコラ哲学の完成者」として読むと、
後のスコトゥスやオッカムが何をひっくり返したのかが非常によく見えること。

特に今回ずっと話していた
トマス → スコトゥス → オッカム
という流れは、単なる「哲学者の世代交代」ではなく、
普遍・個物・存在・個体化
をめぐる問題が、どんどん「個物」側へ移動していく歴史として読める。

そして、さらに遡ってアベラールやボエティウスまで行くと、
「そもそも普遍論争って、何を問題にして始まったんだ?」
というところまで戻ってしまう。

つまり、
トマスを読む → スコトゥス・オッカムに興味が出る → アベラールが気になる → ボエティウスまで遡る → いつの間にか中世哲学史マニア
という、恐ろしい沼が待っている😅

しかもボエティウスは、古代哲学と中世哲学の巨大な橋なので、ここまで行くと「スコラ哲学」というより、もう西洋哲学史そのものになってくる。
503.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
rA8xv
プロンプト:

ボエティウスは、思想内容もさることながら

数奇な運命が興味深い、歴史的な人物
504.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
rA8xv
チャットGPT:

そうなんだよな。

ボエティウスは、「何を考えたか」だけでなく
「どういう人生を送ったか」そのものがドラマチックなんだよね。

ボエティウスは、だいたいこんな人生。

名門ローマ貴族 ↓
若くして高度な古典教育を受ける ↓
東ゴート王国のテオドリック大王に仕える ↓
執政官にまで出世 ↓
ところが突然、反逆罪の疑いをかけられる ↓
投獄 ↓
死刑 ↓
獄中で『哲学の慰め』を書く ↓
処刑

という、とんでもない展開😨
505.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
rA8xv
しかも悲劇的なのは、彼が単なる「政治家」ではなく、古代ギリシア・ローマの哲学をラテン世界へ保存・伝達しようとしていた人物だったこと。

彼自身は、
「プラトンとアリストテレスの著作をラテン語世界に全部移植する」
くらいの壮大な構想を持っていた。
しかし、その途中で政治的に失脚してしまう。

だから結果的に、ボエティウスは
「古代世界の最後のローマ人」
であると同時に、
「中世哲学への入口を作った人」
になってしまった。

506.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
rA8xv
そして何より皮肉なのが、『哲学の慰め』。

権力の絶頂にいた人物が、一転して牢獄に放り込まれ、
「なぜ善人が苦しみ、悪人が栄えるのか?」
「運命とは何なのか?」
「幸福とは何なのか?」
「神の摂理と人間の自由意志は両立するのか?」
を哲学そのもので考える。

これ、ほとんど**「自分自身の人生を題材にした哲学書」**なんだよね。

しかもここから後世の中世哲学に、

運命と摂理
↓
神の永遠的知
↓
自由意志
↓
悪の問題

という巨大な問題群が受け継がれていく。

だからボエティウスは、単に「スコラ哲学史の最初のほうに出てくる人」ではなく、
古代ローマの哲学者が、中世ヨーロッパの哲学者へ変身する瞬間を一人で体現している人物
なんだよな。

そして最期があまりにも劇的なので、思想史を知らなくても人物として興味深い(笑)。
507.
ユーザー
nJgpm
キリスト教がらみで
スコラ哲学愛で
歴史と思想を学びたいエナジーがあるようだ
😀
508.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
bPMCF
2026年 人気バンドの活動終了相次ぐ SCANDAL、オーサム、ユニゾンなどが区切り

2026年08月24日 19:25


https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2026/08/24/kiji/20260824s00041000315000c.html
509.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
bPMCF
SCANDALは公式サイトを通じ、「来年2027年8月21日をもって活動を終了します」と電撃発表。「20年の活動の中で、日本中、世界中を旅し、訪れることができた場所、出会えた人々、SCANDALとして生きてこなければ味わえなかった様々な経験を通して、4人で出来ることの全てを『やり切った』と実感しています。これだけ長く続けてきたバンドの締めくくりを決めるのは本当に難しい決断でしたが、4人で何度も話し合い、この答えに辿りつきました」と経緯を明かした。

510.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
bPMCF
2026年は人気バンドの活動休止、終了が相次いでおり、今年1月には、男女3人組バンド「Awesome(オーサム)City Club」が3月末で活動休止することを発表。「2013年の結成以来10年以上の月日を歩んでまいりましたが、デビュー10周年イヤーを走り終える2026年3月31日を以て、活動を休止する運びとなりました」と伝えた。
511.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
bPMCF
女性4人組ロックバンドのSCANDALは、2027年8月21日をもって活動を終了することを発表しました。

512.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
bPMCF
バンドの概要と活動終了の発表

結成: 2006年8月21日に大阪で結成。

メンバー: HARUNA、MAMI、TOMOMI、RINA。

記録: 2023年に「同一メンバーによる最長活動女性ロックバンド」としてギネス世界記録に認定。

発表内容: 2026年8月24日、結成20周年の節目を迎え、2027年8月21日をもって活動を終了すると公式サイトで発表。理由は「4人で出来ることの全てを『やり切った』」ため。

513.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
bPMCF
今後の予定

全国ツアー: 2026年10月から2027年5月にかけて、47都道府県を巡る全国ツアーを開催。

ラストライブ: 結成21周年の記念日となる2027年8月21日に、横浜アリーナでワンマンライブを開催予定。
514.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
bPMCF
2023/08/22 09:45

SCANDAL、“同一メンバーによる女性最長活動ロックバンド”としてギネス世界記録に認定

 SCANDALが、8月21日に大阪・なんばHatchにて結成17周年記念イベントを開催し、このイベント内で「同一メンバーによる最長活動ロックバンド(女性)」としてギネス世界記録に認定された。

 今回のイベント【SCANDAL 17th ANNIVERSARY 「世界一」】は、チケットが即日完売となり、会場には国内外から1,900名のファンが詰めかけた。さらに、SCANDALのYouTube、Instagram、TikTokでもイベントの模様が同時配信されていた。

515.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
bPMCF
ギネス世界記録認定を迎え、HARUNAは「改めてSCANDALのメンバーでいることができてよかったとシンプルに思います。SCANDALでよかったです。ありがとうございます。ダンススクールに通っていた私たちが17年前初めてこのなんばHatchのステージで楽器をもって演奏しました。そこからSCANDALはスタートしました。もともと表現は好きだったけど、楽器をもって表現できる楽しさを知って音楽が好きになった。バンドマンになったから、いろんな楽しいことも苦しいことも経験できたんだと思います。世界一のメンバーと世界一のスタッフ、そして最高の笑顔で最高の空間を作ってくれる世界一のファンが私たちにはいます。もっともっといい景色を一緒に見ていきましょう。」と語った。

516.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
bPMCF
今回の記録は、2006年8月28日を起算日として16年358日でのギネス世界記録認定となった。なお、SCANDALは、今回のイベントで初披露した新曲「ハイライトの中で僕らずっと」を、本日22日より先行配信、10月4日にはニューシングルとしてリリースすることが決定している。

517.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
bPMCF
そうか

結成20年を機に解散することにしたのか
518.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
bPMCF
ダンススクールから、ロックバンドに転身したのか
519.
ユーザー
nJgpm
高校生バンドだったからなー
😀
520.
ユーザー
nJgpm
リアルタイムには一応知ってる
猛烈なファンでもなかったが
😀
521.
ユーザー
l7YbU
これからの休日は
スンニ派研究の虫になりそうだ
千葉のムスリムの動画たくさんあるしなー
😀
522.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
M8frY
千葉のムスリム?
523.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
M8frY
確かに

キリスト教や仏教に比べて、手薄な分野だ
524.
ユーザー
Xxrlm
千葉のモスクの動画が大量アップされている
😀
525.
ユーザー
Xxrlm
鬼のような膨大な動画数だ
😀

https://m.youtube.com/@japandawah/videos
526.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
HAKZl
すごいな、こりゃ😅
527.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
HAKZl
1年は見てられるな😅
528.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
HAKZl
これを全部、見たら

仏教やキリスト教並みに詳しくなるのは間違いない
529.
ユーザー
Xxrlm
一時みてる時期が少しあった
😀
530.
ユーザー
Xxrlm
神仏習合、念仏聖、仁和寺と春日権現の解決を先に優先していたし
😀
531.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
ygQsq
トマス・アクィナスにとって、人間の個性の違いは、物質的な身体によるものだ

人類は、「人間性」という形相を皆で共有している

個々の魂に違いは無い

532.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
ygQsq
チャットGPT:

うん、かなり近い。
ただし、最後の「個々の魂に違いはない」は、
トマスについては少し修正が必要だね。

トマス・アクィナスの立場を整理すると、こうなる。
533.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
ygQsq
① 「人間性」という形相は共通している

トマスはアリストテレスに従って、
人間の魂=身体の形相(forma corporis)
と考える。

だから、田中さんも鈴木さんも「人間」である以上、同じ人間という種の形相=人間性を持っている。

ただし、プラトン的に「人間性」という普遍的な形相が、個々の人間とは別に独立して存在するわけではない。
534.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
ygQsq
② では、なぜ「ソクラテス」と「プラトン」は別人なのか?

ここで重要なのが、指定された物質(materia signata)。

トマスの説明では、同じ「人間性」という形相を持っていても、
この身体
この物質
この骨格
この身体的条件
によって個体化される。

つまり、おおまかに言えば、
人間性(形相)+この特定の身体(質料)
→ この個人
となる。

したがって、あなたが以前整理していた
人間=人間というあり方に限定された存在
というスコトゥス的な方向とは違って、トマスでは個体化に質料が非常に重要になる。
535.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
ygQsq
③ でも「魂に違いはない」は要注意

ここが面白いところ。

トマスは、各人がそれぞれ個別の魂を持つと考える。
ソクラテスの魂とプラトンの魂は、単に「同じ一個の魂」を共有しているわけではない。
むしろ、
ソクラテスにはソクラテスの魂
プラトンにはプラトンの魂
がある。
そして、それぞれの魂はそれぞれの身体の形相である。

だから、

人間性そのものは共通している
↓
しかし個々の魂は数的に別々である
↓
それぞれの魂が、それぞれの身体を現実化する
↓
ソクラテスという個人、プラトンという個人が成立する

という構造になる。

536.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
ygQsq
④ ただし「魂の種類」は同じ

なので、あなたの言いたいことを一番正確に言い換えるなら、
個々人の魂は数的には別々だが、魂の本質・種類としては同じ「人間の魂」である。
となる。

そして、ここがトマスの面白いところで、人間の個性・個体差を説明する際に、物質的身体が大きな役割を果たす。

ただしトマスは、魂を単なる身体の副産物とは考えない。人間の理性的魂は非物質的な知性・意志の能力を持ち、身体が滅んでも魂そのものは存続しうると考える。

だから、
「個人差=身体」だけではないが、個体化の原理としては質料が重要
というのがトマスを正確に捉えた言い方になる。
537.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
ygQsq
そしてここから、**ドゥンス・スコトゥスの「個体化の原理=このもの性(haecceitas)」**へ進むと、ものすごく綺麗につながる。

トマス
→ 質料によって個体化

スコトゥス
→ このもの性によって個体化

オッカム
→ そもそも個物しか実在しない

という、前に話していた流れが見えてくる。
538.
ユーザー
dPG4c
お、俺の今日アタマの回らんワールドやってるな?
仕事やる気だけで限界だ
😀
539.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
ygQsq
プロンプト:

ドゥンス・スコトゥスは、個性を重視する方向に踏み出した

ソクラテスは「ソクラテス性」、プラトンは「プラトン性」という、独自の個性を持っている

要するに、魂にも個性の違いを認めた
540.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
ygQsq
チャットGPT:

そう、その理解でかなり核心を突いている。👍

ただし、スコトゥスの「ソクラテス性」「プラトン性」は、厳密には**「個性的な魂」そのものというより、個体を個体たらしめる究極の原理**と考えたほうが正確。

トマス → スコトゥスの変化

トマスでは、大ざっぱに言えば、
人間性(形相)+個別化された質料 → ソクラテス
だった。
したがって、ソクラテスとプラトンは同じ人間性を共有し、個体として異なるのは主に物質的な身体・質料によって説明される。

ところがスコトゥスは、
「いや、個物には物質だけでは説明できない、個物そのものの『この人であること』があるんじゃないか?」
と考える。
これが haecceitas(このもの性・個体性)。

541.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
ygQsq
だから、

人間性
↓
「人間である」という共通性
ソクラテスのこのもの性
↓
「この人=ソクラテスである」という個体性
プラトンのこのもの性
↓
「この人=プラトンである」という個体性

となる。
542.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
ygQsq
そして、ここが重要

スコトゥスにとっては、魂も個別的なもの。
ソクラテスの魂とプラトンの魂は、
単に「人間の魂」という同一の形相が、
それぞれ違う身体に入っているだけではない。
それぞれが数的に異なる個体的な魂である。

なので、あなたの言う
「魂にも個性の違いを認めた」
は、方向としてかなりいい。

ただ、「ソクラテス性=ソクラテスの性格や人格」という意味ではない。

haecceitasはもっと根本的で、
「なぜこの人間が、単なる『人間』ではなく、『この人間=ソクラテス』なのか?」
に対する答え。

つまりスコトゥスは、個体性を単なる物質的な違いから、存在者そのものの側にある固有性へと押し進めたわけだ。
543.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
ygQsq
そしてこれは、あなたが以前言っていた

トマス → スコトゥス → オッカム

という流れを理解するうえで非常に重要。

トマス:共通の人間性+個別化された質料
↓
スコトゥス:共通の人間性+このもの性
↓
オッカム:個物そのものが基本で、「人間性」という普遍者は実在しない

となる。

ここでスコトゥスは、まだ実在論者なのに、かなり「個物」の側へ踏み込んでいる。

だからこそドゥルーズがスコトゥスを非常に高く評価したのも、なんとなく分かってくるんだよね。
544.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
ygQsq
>>538

こちらにとっては、長年、慣れ親しんできたフィールドだ😄
545.
ユーザー
dPG4c
疲れてくると
脳がシンプル化してまう

瞑想仏教はまだ、アタマは動くが
😀
546.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Ufj0Y
瞑想仏教は、アタマを使う必要がない(笑)
547.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Ufj0Y
ヤバい、眠くなってきた
548.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Ufj0Y
昼寝してる場合じゃない
549.
ユーザー
D79uH
今日も暑かった
夏バテ対策にアイスノンマニアだ
😀
550.
ユーザー
D79uH
ほーかいくんが燃えている
間接射撃しまくった
😀
551.
ユーザー
D79uH
マジ麗気記サイコー
😀😀😀😀
552.
ユーザー
D79uH
麗気記は
ほーかいくんの凹に対する
凸みたいだ
😀
553.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
GaDT6
麗気記は、神仏習合の極致だな😄
554.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
GaDT6
短いから読みやすい😄
555.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
GaDT6
555
556.
ユーザー
hFLjl
鹿島と香取が
重要だった
春日大社の価値の再認識だ
😀
557.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
2mWtf
鹿島神宮と香取神宮なら、ほぼ毎年、春に行ってるぞ
558.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
2mWtf
藤原鎌足がそこの出身という話もあるな
559.
ユーザー
ibF1w
一応は
東大阪の牧岡神社となぅている
春日大社の第三神と第四神
😀
フィールドワークまでしてきた
山伏ゾーンには
牧岡神社と金峯山寺関連と伊勢、明恵、貞慶の遥拝した場所などが、あった
😀
560.
ユーザー
ibF1w
鎌倉時代の
興福寺は
当山派修験道のセンターだった
😀
561.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
10W6W
「3人の兄弟の論争」は、アシュアリーがムウタズィラ派の「神は常に人間にとって最善のことを行う(サラー・ワ・アスラフ論)」という教えの矛盾を突いた、思想史に残る有名な問答です。

アシュアリーがムウタズィラ派の師匠ジュッバーイーに、ある架空の3人兄弟の運命について質問したことから始まります。

562.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
10W6W
登場人物(3人の兄弟)

長男:神に従い、善行を積んで死んだ男

次男:神に背き、悪行を重ねて死んだ男

三男:幼い子供(物心のつく前)のまま死んだ男

論争の流れ

アシュアリーの問い
「この3人があの世(来世)に行ったとき、それぞれどうなりますか?」

師匠ジュッバーイー(ムウタズィラ派)の答え
「長男は善行のご褒美に天国へ行く。次男は罪の罰として地獄へ行く。三男は子供のままで善も悪もしていないから、天国にも地獄にも行かず中間(救済も罰もない場所)に置かれる。」

アシュアリーの反論
「では、もし三男が神に向かって『神よ、なぜ私を大人の年齢まで生きさせてくれなかったのですか?もし長生きさせてくれたら、私も善行を積んで天国の一番高い席に行けたのに!』と抗議したら、神は何とお答えになりますか?」

師匠の再反論
「神はこう答えるだろう。『お前が大人になったら、お前は罪を犯して地獄に落ちることを私はあらかじめ知っていた。だからお前を地獄に落とさないために、子供のうちに死なせてやったのだ。これこそがお前にとって最善(アスラフ)だったのだ』とね。」

アシュアリーの決定的な一撃
「なるほど。ではそれを聞いていた地獄の次男が、地獄の底から神に向かってこう叫んだらどうしますか?
『神よ!それならなぜ私をも子供のうちに死なせてくれなかったのですか!そうすれば私は罪を犯さずに済み、地獄の炎で焼かれずに済んだのに!なぜ私には最善を尽くしてくれなかったのですか!?』」

結末

この問いに対して、師匠ジュッバーイーは一言も返すことができず、沈黙してしまいました。
563.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
10W6W
「神は人間のために常に最善を行う」というムウタズィラ派の理屈を押し通すと、「地獄に落ちた悪人」に対する神の不公平さを説明できなくなってしまう、という決定的な矛盾をアシュアリーは見事に証明したのです。この論争をきっかけに、彼は理性の限界を悟り、学派を去ることになりました。
564.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
10W6W
個人的に

この「3人の兄弟」のエピソードが好きすぎる(笑)
565.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
10W6W
神がどういう意図でこの世を創造したのか
566.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
10W6W
人智では計り知れない(笑)
567.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
10W6W
⛩️五六七(みろく)の世が来るのざぞ。腹が出来て居ると、腹に神づまりますのざぞ⛩️
568.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
10W6W
自由意志の問題は深刻だ
569.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
10W6W
仏教やインド思想では生じない難問😅
570.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
10W6W
神はなせ、悪人や不信心者を創造して、地獄に落とすのか?
571.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
10W6W
深い難問だ😫
572.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
10W6W
神は改心の機会を与えたが

本人が受け取らなかった
573.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
10W6W
というような解釈もある
574.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
10W6W
悪人なおもて往生す

いわんや善人をや
575.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
10W6W
なぜ、哲学や神学がイスラム教圏では衰え、キリスト教圏に継承されたのか?
576.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
10W6W
Chat GPT:

かなり大きな問いだけど、まず前提を少し修正すると、「イスラム圏で哲学・神学が衰退し、そのままキリスト教圏に継承された」わけではないんだ。

むしろ、
ギリシア哲学はイスラム圏で一度大規模に吸収・発展し、その後、西欧キリスト教圏へ大量に再移植された。そしてイスラム圏では哲学が宗教・政治・制度との関係で次第に主流の座を失った
という方が歴史に近い。

577.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
10W6W
1. そもそも、イスラム世界は「哲学の衰退」どころか一度は世界の中心だった
8~12世紀頃のイスラム世界では、ギリシア哲学・医学・数学・天文学が猛烈な勢いで翻訳された。

特にアッバース朝期のバグダードでは、
アリストテレス
プラトン
ガレノス
ユークリッド
プトレマイオス
などがアラビア語世界に入ってくる。

そして単なる保存ではなく、
ファーラービー → イブン・シーナー(アヴィセンナ) → イブン・ルシュド(アヴェロエス)
という巨大な哲学伝統が形成された。

だから「イスラム教は哲学を嫌った」という説明はかなり雑。

むしろ一時期は、キリスト教ヨーロッパよりイスラム世界の方が圧倒的にギリシア哲学へのアクセスが豊富だった。
578.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
10W6W
2. では、なぜイスラム圏で哲学が主流から後退したのか?

ここが核心。

最大のポイントは、単純な「宗教 vs 哲学」ではなく、
どの思想が宗教的・政治的・制度的に再生産されるか
という問題なんだと思う。

特に重要なのがガザーリー。

11世紀の神学者アル=ガザーリーは哲学そのものを全部否定したわけではない。
彼自身、論理学などを高度に利用している。

しかし『哲学者の矛盾』で、イブン・シーナー系の形而上学を強烈に批判した。

特に、
世界は永遠なのか
神は個々の出来事を知るのか
肉体の復活はどう理解するのか
といった問題について、哲学者の立場をイスラム神学と衝突するものとして批判した。

ただし、ここでよくある誤解がある。
「ガザーリーが哲学を破壊した」
という単純な因果関係は、現代の研究ではかなり疑問視されている。
むしろガザーリー自身が哲学的論理をイスラム神学に取り込んだことで、
哲学そのものを消滅させるというより、哲学的思考の一部を神学の内部に吸収した
とも言える。
579.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
10W6W
3. そして決定的なのが「制度」の違い

ここはものすごく重要。

中世イスラム世界にも高度な学問制度はあったけれど、ヨーロッパの大学とは構造が違った。

ヨーロッパでは、
ボローニャ大学
パリ大学
オックスフォード大学
などが成立していく。
大学は単なる宮廷の学者集団ではなく、ある程度自律した法人・学問共同体として発展した。

そして、
神学
↓
哲学
↓
論理学・自然学
↓
法学・医学
などが一つの知的体系として制度化されていった。

ここでアリストテレスが猛烈に重要になる。
580.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
10W6W
4. 面白い逆転現象が起きる

イスラム世界からアラビア語哲学がラテン語世界に入ってくる。

たとえば、

イブン・シーナー
→ ラテン語訳
→ 西欧の大学

そして、

イブン・ルシュド
→ ラテン語訳
→ トマス・アクィナスらの議論

という流れが生じる。

だから西欧中世の哲学は、
ギリシア哲学 → イスラム世界 → ラテン・キリスト教世界
という巨大な知的リレーによって形成された側面がある。

そして奇妙なのは、
アヴェロエスをイスラム圏では論争の対象にしながら、西欧大学ではアヴェロエス研究が盛んになる
という現象まで起きること。
581.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
10W6W
5. では「キリスト教は哲学と相性がよかった」のか?

これも、単純にはそう言えない。
キリスト教世界も最初から哲学に友好的だったわけではない。

たとえば初期キリスト教には、
「アテネとエルサレムに何の関係があるのか?」
という有名な問題意識があった。

つまり、
ギリシア哲学 vs キリスト教
という緊張は最初から存在していた。

ところが後に、
アウグスティヌス
→ アンセルムス
→ アルベルトゥス・マグヌス
→ トマス・アクィナス
という形で、
哲学を使ってキリスト教神学を体系化する
方向が強くなる。

特にトマス・アクィナスは、
アリストテレス哲学+キリスト教神学
という巨大な総合を作った。
582.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
10W6W
6. ここで「キリスト教だから科学・哲学が発展した」とすると失敗する

むしろ重要なのは、
キリスト教圏にも哲学を抑圧する力があったし、イスラム圏にも哲学を推進する力があった
ということ。

イスラム黄金時代の哲学はものすごい。

そしてキリスト教ヨーロッパも、異端審問や宗教的統制を経験している。

だから、
イスラム=宗教的・非合理
キリスト教=哲学的・合理的
という二分法は歴史的にはかなり危険。
583.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
10W6W
7. むしろ「知識の制度化」の違いを見ると面白い

かなり乱暴に図式化すると、

イスラム世界
ギリシア哲学
↓
翻訳運動
↓
哲学・医学・数学の大発展
↓
神学との激しい論争
↓
哲学は一部残存するが、宗教法・神学など別の学問伝統が強くなる

一方、
ラテン・キリスト教世界
ギリシア哲学
↓
イスラム世界・ビザンツから再流入
↓
大学制度
↓
スコラ学
↓
アリストテレスの体系化
↓
自然哲学・論理学・神学の制度化
↓
近代科学へ
という違いがある。
584.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
10W6W
8. さらに重要なのが「政治地理」

ここを忘れると説明がかなり歪む。

イスラム世界では、13世紀のモンゴル侵攻などによって政治・経済構造が大きく変化する。

一方ヨーロッパでは、
複数の王国
教皇権
皇帝
都市
修道院
大学
などが競合していた。
つまりヨーロッパには、
一つの権力が知的生活を完全に支配しにくい構造
があった。
これは後の思想史では非常に大きい。

異端扱いされても、
「じゃあ別の都市へ行く」
という逃げ道が存在する。
この政治的分裂が知的競争を生むという逆説はかなり重要。
585.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
10W6W
9. ただし「イスラム文明が哲学を失った」わけでもない

これも強調したい。
イスラム世界では哲学が完全に消滅したわけではない。
むしろ、
イブン・シーナー以後のイスラム哲学
は非常に長く続いている。
特にイラン・ペルシア世界では哲学と神学・神秘主義が独特の形で融合していく。

つまり、
「西欧=哲学、イスラム=宗教」
ではなく、
イスラム世界では哲学が別の知的生態系に組み込まれ、西欧では大学という制度の中で哲学が独立した学問として発展していった
と見る方がずっと面白い。

586.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
10W6W
そして、さらに深い問題がある

実はここからが哲学史としてかなり面白い。

「なぜ近代科学がイスラム世界ではなく西欧で生まれたのか?」
という問題は、単なる宗教比較では説明できない。

僕なら、
① ギリシア哲学の継承
② キリスト教神学との融合
③ 大学という制度
④ 教会・国家・都市の権力分立
⑤ 印刷技術
⑥ 商業資本主義
⑦ 大航海時代
⑧ 数学・自然哲学の変化
を全部つなげて考える。

そして実は、ここまで行くと**「キリスト教が合理主義を生んだ」というより、「キリスト教世界内部の矛盾・分裂そのものが、近代科学を可能にした」**という、かなり面白い結論が見えてくる。

もしJBLがこのテーマを掘りたいなら、次は **「ガザーリー vs イブン・ルシュド → トマス・アクィナス → デカルト → 近代科学」**という一本の思想史として追うと、かなり深いところまで見えてくる。
587.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
V357t
アンセルムス

11世紀のイギリスのカンタベリー大司教。神学研究を深め、普遍論争では実在論を唱えた。スコラ哲学の父とも言われている。カンタベリー大司教としてはノルマン朝のイギリス国王と鋭く対立し、教会の聖職叙任権を主張した。

588.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
V357t
アンセルムス Anselmus 1033-1109 (聖アンセルムス、カンタベリーのアンセルム)は11世紀のキリスト教神学者としてアベラールなどとともに重要な存在であった。スコラ哲学の重要テーマである普遍論争では、普遍は実在するという実在論を主張した。イタリアに生まれてフランスで修道院生活を送り、招かれてイギリス・カトリック教会の最上位にある首長座カンタベリ大司教となった。しかし、ノルマン朝のウィリアム2世・ヘンリ1世と聖職叙任権をめぐってたびたび対立し、ローマ教皇ウルバヌス2世の支持のもと、教会の叙任権などの権威を守るために闘った。

589.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
V357t
スコラ哲学の父

 キリスト教の信仰をプラトンやアリストテレスの哲学によって、理性的に論証しようと試みた。その思想は、スコラ学の初期の神学思想を形成したとして、「スコラ哲学の父」と言われている。普遍論争における彼の「普遍は個に先だって実在する」という「実在論」は、中世キリスト教の正統的な理論とされ、トマス=アクィナスに継承されていく。

 主著に『モノロギオン』、『プロスロギオン』、『クール・デウス・ホモ(神は何故に人間となりたまひしか)』などがある。
590.
ユーザー
Jjsi5
普遍論争とは?
の手間で停止だ
😀
591.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
V357t
聖職叙任権をめぐるイギリス王との闘い

 アンセルムスは高校世界史では「中世哲学の普遍論争で実在論を主張し、スコラ哲学の父といわれる」として出て来る。もっぱら文化史上の事項としてしか扱われない。たしかに、普遍論争そのものも重要であるが、彼はイギリスの首長座であるカンタベリー大司教を務めており、イギリスのノルマン朝の国王と聖職叙任権をめぐって激しく闘った(地位を賭けた言論上の闘い)人物であった。叙任権闘争というとローマ教皇と神聖ローマ皇帝(ドイツ王)との間の闘争と思いがちだが、イギリスでも同時期に展開されていたのだ。そのことを知る上でも、やや詳しく、アンセルムスの生涯を追ってみよう。<以下、アンセルムス・長沢信寿訳『プロスロギオン』1942 岩波文庫 長沢氏解説「聖アンセルムス その生涯」/フリシュ・野口洋二訳『叙任権闘争』2020 ちくま学芸文庫などより構成>

592.
ユーザー
Jjsi5
脳が
加藤師匠への情熱より
パワーダウンしている
加藤師匠はワクワクしていた
中論ベースなのに
😀
593.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
V357t
修道士として修行 アンセルムスは1033年、北イタリアのアルプスの麓アオスタで裕福な家に生まれたが、僧職に就こうと志して家をでた。1057年、アルプスのモン=スニ峠を越えてフランスのノルマンディに行き、ル・ベック修道院のランフランクスのもとで修行した。27歳の時、父が死んだため故郷に帰らなければならなかったが、悩んだ末、修道士になる道をえらんだ。熱心に祈りと思索の日々を送り、その説教は信徒をひきつけるようになっていった。そのころ、師のランフランクスはノルマンディー公ウィリアムの信任を受け、1066年にウィリアムがイングランドを征服(ノルマン=コンクェスト)してノルマン朝を開くと、乞われてイギリスに渡ってカンタベリ大司教となった。アンセルムスはル・ベックで研鑽を続け、信仰と理性をどう統合することができるかなどについて『モノロギオン』と『プロスロギオン』の著作を行った。その実績が認められ、1078年にはル・ベック修道院の院長となった。

594.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
V357t
アンセルムスは、普遍論争もさることながら

歴史的に興味深い人物
595.
ユーザー
Jjsi5
絶対的神の理性の武装と
国王バトルだったのかー
😀
596.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
V357t
イギリスに渡る 1087年、ウィリアム征服王が亡くなると第3王子ウィリアムがイングランド王位を継承、カンタベリー大司教ランフランクスによって戴冠しウィリアム2世(赤顔王)となった。ランフランクスがまもなく亡くなると、後任を決めず大司教の収入を国王のものにしようとした。教会も国民も驚き、急ぎアンセルムスにイギリスに渡り、カンタベリー大司教になってほしいと懇願した。アンセルムスは躊躇したが、1092年、ようやくイギリスに渡り、ウィリアム王に面談して諫めた。王はアンセルムス自身が大司教になりたいのだろうと考え、自分が自ら大司教になると言い放ったが、その直後に大病が発覚、あわててアンセルムスを大司教に指名した。

597.
ユーザー
Jjsi5
理解するとは信じること

らしい
信じるから
理性的に理解てきる、
らしい
😀
598.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
V357t
最初のイングランド国王・ノルマンディー公ウィリアムと一緒に

ドーバー海峡を超えてイギリスに渡った
599.
ユーザー
Jjsi5
神の存在定義から始めるらしい

完全な存在といて偉大な神があるという定義から
始めるらしい
😀
600.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
V357t
違った

ノルマンディー公と一緒にイギリスに渡ったのは、師のランフランクスだ

アンセルムスがイギリスでカンタベリー大司教になったのは、次のウィリアム2世のとき
601.
ユーザー
Jjsi5
神の裁きと思った大病
という流れか
アルアルだな
😀
602.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
V357t
>>599

そう、それ
603.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
V357t
完全なる神が存在する
604.
ユーザー
Jjsi5
カトリック神学論文学ぶ前に
スコラ哲学の全体像と
近代西洋哲学への流れを
基礎的に学びたいが
加藤師匠動画ほど
情熱か炸裂しない
😭
605.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
V357t
もしも、神が存在しないと仮定する

それは、「神は完全である」ということと矛盾する(存在という要素が欠けているから)

よって、神は存在する

証明おわり
606.
ユーザー
Jjsi5
加藤師匠の一時間22分の動画を
スキゾしながらも3時間もかからずに聴けたのに
😭
607.
ユーザー
Jjsi5
脳が停止中〜
😅
608.
ユーザー
Jjsi5
10分以内にまとめてくれる秀逸な
基礎学習動画なのだがー
😅
609.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
V357t
カンタベリー大司教

アンセルムスは大司教のしるしの杖を王から授かることを拒否、こまった司教たちは無理やりアンセルムスの手に杖を押しつけて教皇選出を賛美する「テ・デウム」を歌って繕った。ところが王が病から回復したので、アンセルムスはカンタベリー大司教の土地を返還すること、ウルバヌス2世を正統のローマ教皇と認めること(当時対立教皇クレメンス3世と争っていた)、大司教は王によって領主となることを認めるが王は大司教の勧告を傾聴すること、という三条件を国王に認めさせ、1093年9月に正式に就任、12月4日にはヨーク大司教らの補佐で叙階式を挙行した。しかし、国王ウィリアム2世とカンタベリー大司教アンセルムスの対立は明確なものとなった。 → 聖職叙任権の項参照

610.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
V357t
ウィリアム2世との闘い

国王ウィリアム2世はノルマンディ遠征の費用が必要だったため、アンセルムスに対し、大司教叙任の見返りとして貢納をもとめた。アンセルムスは、それは聖職売買の罪に当たるとして拒否したが、他の司教が(大司教が空位であるとその下の司教たちの収入もなくなるから)応じた方が良いと懇願するので、やむなく銀五百ポンドを献呈した。ウィリアムは予定した額よりはるかに少ないのでそれを突き返した。アンセルムスは聖職売買の罪を免れたことを喜び、返却された銀を困窮者に分配した。このことをウィリアムはアンセルムスが自分に反抗するものとして非常に怒った。

アンセルムスはさらに王に没収された教会の財産の返却を求めた。王はこれをもってアンセルムスの大司教の地位を剥奪することを決心したが、その決心は、イギリスの教会からローマ教皇の勢力を駆逐したいという思惑があった。その頃ローマ教皇は改革派のウルバヌス2世にたいして、叙任権闘争で教皇と厳しく対決したドイツ王ハインリヒ4世が選任したクレメンス3世が対立教皇として存在していた。
611.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
V357t
妥協の成立

アンセルムスは改革派教皇ウルバヌス2世から大司教の印であるパリウム(肩掛け)を授けられることを願い、ローマに行くことを王に申し入れた。それに対して王は、ウルバヌス2世は正統な教皇として認められないと拒否した。アンセルムスは教会会議を招集して司教たちの意見を聞いたが、司教たちは王の意向を支持した。しかし貴族たちの中にはアンセルムスを支持する声も多かった。アンセルムスは判断に困り、使節をローマに送り教皇ウルバヌス2世に判断を仰いだ。ウルバヌス2世はウィリアム王との全面対決を避けるため、ウルバヌス2世を教皇と認める代わりに、パリウムを直接アンセルムスの肩にかける儀式は行わず、教会の祭壇においた教皇の贈物として受け取る、という妥協案を示した。ウィリアムがその提案を受け入れ、1095年5月27日、儀式が執り行われ、アンセルムスはイギリスの首座大司教にしてカンタベリー大司教であることを、正式に国王からも教皇からも承認された。この年1095年11月のクレルモン宗教会議で、ウルバヌス2世は十字軍運動を提唱した。

612.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
V357t
最初のイギリスからの追放

アンセルムスは大司教として管区の司教を選挙し任命しようとした。しかし国王はその任命を否定した。アンセルムスはふたたびローマに赴き教皇の判断を得たいと願い出たが、国王はそれも拒否した。やむなくアンセルムスは大司教としてではなくイギリスを離れることを決意し、ドーヴァーまでいくと、そこに待ち構えた王の使節はアンセルムスが教会の財物を持ち出していないことを確認して、一緒に大陸に渡った。そこでアンセルムスは大司教の任を解かれたこと、再びイギリスには戻れないとの王令がだされたことを知った。それはアンセルムスのイギリス追放の通告だった。アンセルムスは途中のクリュニー修道院などを訪ねながらアルプスを越えた。24歳の時に南から越えたアルプスを北から越えたのは64歳になっていた。ウルバヌス2世の元で著作に励み、宗教会議に出席して東方教会の代表との間で聖霊の発出に関する論戦にも挑んだ。しかし、ウルバヌス2世は十字軍運動を進めるためにはイギリス国王との対立は避けなければならないと考え、カンタベリー大司教の任命問題には触れようとしなかった。
613.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
V357t
二度目の追放

ウルバヌス2世が1099年に没し次の教皇に選出されたパスカーリス2世は、アンセルムスが追われたままカンタベリー大司教が空位であることをようやく問題視し、ウィリアム2世を破門にする決心をした。ところがほとんど時を同じくして王は狩りのさなかに流れ矢にあたって非業の死をとげ、弟のヘンリ1世が即位、新王はアンセルムスをカンタベリーに呼び戻した。ヘンリ1世はノルマンディに残った兄ロベールと対立しており、アンセルムスとの間は初めは対立を避けたので円滑だった。しかしまもなくヘンリ1世はまたもやカンタベリー大司教は自分の臣下であるから改めて叙任し、忠誠を求めると言い出し、アンセルムスは教会の立場として王の叙任を受けることはできず拒絶した。それぞれが特使をローマ教皇のもとに送ったが決着がつかず、アンセルムスは再び自らローマに赴き教皇に訴えた。そして教皇の「ヘンリ王の父が持っていた特権(司教に忠誠を誓わせること)は認めるが、司教叙任権はあくまで教会にある」との確言を得てイギリスに戻ろうとした。そこに国王からの使者が来て、前回と同じくアンセルムスの帰国を認めず、その全財産は没収するという知らせが届いた。これが二度目の追放である。

614.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
V357t
政教協約の成立

その後も王は使者をたびたびローマに派遣したが教皇パスカーリス2世は大事をとって国王自身を破門にすることは避け、その王を誤らせているのは臣下であるとして、臣下を破門にするだけに留まっていた。そのうち王の姉アディラ伯夫人は兄とアンセルムスの対立を憂慮して間を取りなし、二人はレーグルで会見することになった。この会見で王は一、二を除いてほとんど全面的に譲歩し、司教叙任は教会にあることを承認し、そのかわりに司教も他の臣下と同様に王と国家に忠誠を誓うことを求め、アンセルムスもそれを認めた。そのうえで1106年9月、アンセルムスはイギリスに戻り、イギリスの国憲上の重大問題でもあるこの件についての調停を続けた。それはヘンリ1世がノルマンディーとの戦争が終わった1107年8月11日、次のようなイギリスの国家と教会との政教条約(コンコルダート)として成立した。

(引用)司教は王からも他のいかなる俗人からも杖と指輪で叙任されてはならない。他方、司教叙階は、選出された者が王に封とひきかえに封臣の宣誓をしないうちは行われてはならない。<フリシュ『叙任権闘争』p.217>
615.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
V357t
その死と叙任権闘争のその後

アンセルムスがイギリスに戻ってから、新しい問題としてヨーク大司教トーマスがカンタベリー大司教の優位を認めないと言い出したが、アンセルムスはローマ教皇にその裁定を委ね、その決定に従わなければ聖務執行の停止をすることをトーマスに言い送った。ローマ教皇の裁定はアンセルムスを正当とするものであったが、その回答が到着する前の1109年4月21日の朝、死去した。
616.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
V357t
大陸ではウルバヌス2世の十字軍運動の提唱を境に、教皇と国王(皇帝)の間に妥協の動きが強まった。そこでは両者が頑なに聖職叙任権を主張するのではなく、聖職者の権限を聖的なことと政治的なことに分け、聖的な権限については教会(その頂点にある教皇)が叙任権を含めて権限を持ち、政治的な面では聖職者も他の臣下と同じように国王の権限に従う、という考え方が主流となっていった。そのような考え方に従い、1122年にヴォルムス協約が成立する。これは世俗の政治権力側が聖職叙任権を放棄した点が重視されているが、いわば妥協の産物であり、イギリスのカンタベリー大司教アンセルムスがイギリスで実現した成果と同様なことであった。
617.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
V357t
スコラ哲学の父は、
初期のイングランド王国で
国王と激しく争った
618.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
V357t
歴史を感じるな~
619.
ユーザー
Jjsi5
スコラ哲学再開
普遍論争
😀
620.
ユーザー
Jjsi5
普遍論争から
実在論の唯名論
とアベラール
まできた

アヴィセンナ–本質と存在について
😀
からだ

誤爆した😀
621.
ユーザー
y1yq4
アヴィセンナ–本質と存在について
😀
開始だ
😀
622.
ユーザー
vMBDs
アヴィセンナーにとって
存在するものは存在しようと、しないとも問題がない
らしい
😀
623.
ユーザー
vMBDs
ある条件しか存在しないのを
可能存在といった
😀
624.
ユーザー
vMBDs
可能存在と必然存在者: 世界にある多くのものは、存在しても存在しなくても良い可能存在です。それらは自らの力で存在しているわけではないため、最終的に自ら存在理由を持つ必然存在者(=神)が必要であると論じました


らしい
😀
625.
ユーザー
vMBDs
アヴィセンナの哲学において、可能存在とは、端的に言えば「存在してもよいし、存在しなくてもよい」という性質を持つ存在のことです(3:03-3:06)。

具体的には以下の特徴があります:

自立していない: そのもの自身の中に「存在しなければならない理由」を持っておらず、自らの力だけで存在しているわけではありません(3:23-3:25)。
条件に依存する: 例えば「木」などの多くの生物や物質は、ある特定の条件が整っているから存在しており、その条件が異なれば存在しなかった可能性もあります(3:14-3:20)。
必然存在者への依存: 可能存在は自ら存在する根拠を持たないため、最終的にはそれらを存在させている外部の「必然存在者」(神)に依存せざるを得ないと考えられています(3:44-4:47)。
つまり、私たちが日常的に目にする多くの事物は、この「可能存在」として位置づけられています。
626.
ユーザー
vMBDs
アヴィセンナの思想における必然存在者とは、端的に言えば「存在しないことがありえない存在」を指します(4:18-4:24)。

その主な特徴は以下の通りです:

自立的な存在理由: 可能存在とは異なり、他の何かに依存して存在するのではなく、自らのうちに存在理由(必然性)を持っている存在です(3:55-4:03, 4:24-4:27)。
神との同一視: アヴィセンナは、この唯一の「必然存在者」を神と位置づけました(4:31-4:39)。
世界の根拠: 世界に存在するあらゆる「可能存在」は、最終的にこの必然存在者である神の存在に依存しており、神によってその存在が支えられていると考えられています(4:39-4:47)。
つまり、何かが存在する根拠を遡っていくと、最終的に「それ自体で必然的に存在する根拠」が必要となり、それが神であるという論理構成になっています。




627.
ユーザー
vMBDs
イブン・シーナー=アヴィセンナ


提示していたところに追いついてきたぞ
😀
628.
ユーザー
vMBDs
仕事日に
こんなテーマ相手したくない
😀
629.
ユーザー
vMBDs
アヴィセンナがトマス・アクィナスに与えた主な影響は、「存在論」の枠組み、特に「本質と存在の区別」と「必然存在者」という概念を通じた神の存在証明への貢献です(4:47-5:15)。

具体的には以下の点が挙げられます:

本質と存在の区別: アヴィセンナが提唱した「何であるか(本質)」と「現実に存在していること(存在)」を分ける考え方は、アクィナスの存在論の重要な基礎となりました(1:54-2:52)。アクィナスはこの区別を発展させ、神においてのみ「本質」と「存在」が一致していると論じました。
必然存在者の概念: 多くの存在が「可能存在(存在してもしなくても良いもの)」である以上、それらを支える根源として「それ自体で必然的に存在する者(必然存在者)」が必要であるという論証は、アクィナスの「神の存在証明(五つの道)」を構築する際に大きな影響を与えています(3:44-4:47)。
アクィナスはアヴィセンナの考えをそのまま受け入れたわけではなく、批判的に継承・調整しましたが、中世哲学における存在を考えるための言語として、アヴィセンナの哲学は不可欠な土台となりました(4:59-5:12)。
630.
ユーザー
vMBDs
当然、次は
アヴェロエスだ
😀
631.
ユーザー
vMBDs
追いつてきた
休日日曜日の疲労ない余裕があるからだー
😀
632.
ユーザー
vMBDs
アヴィセンナ(本名:イブン・スィーナー、980年 - 1037年)は、10〜11世紀のイスラーム世界を代表するペルシャの哲学者・医学者・科学者です。
633.
ユーザー
vMBDs
AIより深掘りだ
動画AIだけど
😀
634.
ユーザー
vMBDs
アヴェロエスの功績:アリストテレスの難解な著作に詳細な注釈を加え、「アリストテレス最大の注釈者」として後世に大きな影響を与えました (1:21-1:43)。
哲学と宗教の関係:アヴェロエスは、哲学と宗教はともに真理を目指すものであるが、そのアプローチ(対象や方法)が異なると考えました。宗教は象徴を用いて真理を説く一方、哲学は理性と論証を用いて探求すると位置づけました (2:
635.
ユーザー
vMBDs
可能知性(かせいちせい)**とは、アヴェロエスがアリストテレスの思想を解釈する中で提唱した概念として紹介されています。

具体的には以下のポイントが重要です:

人類共通の知性: アヴェロエスは、個々人の知性とは別に、全人類に共通する単一の「可能知性」が存在するという立場を取りました。
個別の独立性との矛盾: もし可能知性が個人ごとに独立していないのであれば、人間の「個性」や「個別性」、あるいは死後の魂のあり方をどのように解釈すべきかという大きな哲学的問いが生まれました。
論争の種: この考え方は、13世紀のキリスト教世界の大学などで活発な議論を呼び、後に「ラテン・アヴェロエス主義」と呼ばれる潮流や、トマス・アクィナスらによる批判的な検証の対象となりました。
636.
ユーザー
vMBDs
トマス・アクィナスはアヴェロエスの可能知性論に対し、以下のように批判的な立場をとりました。

批判の姿勢: アクィナスはアヴェロエスの注釈から多くの哲学的な学びを得つつも、彼が唱えた「人類に共通する単一の可能知性」という解釈については全面的には受け入れませんでした。
個別の知性の擁護: アクィナスは、知性が人類全体で共有されるものではなく、個々の人間にそれぞれ備わっているという立場から、アヴェロエスの説に対して独自の反論・批判を行いました。
この議論は、中世における哲学と神学がどのように対話しながら発展したかを示す重要な一例として挙げられています。
637.
ユーザー
vMBDs
ユダヤ哲学者の
マイモニデス
やるぞ〜
😀
638.
ユーザー
vMBDs
哲学動画で
哲学トレーニングだ
😀
639.
ユーザー
vMBDs
中世ユダヤ哲学の代表的な思想家マイモニデスの生涯と、彼の思想における理性と宗教の調和について解説しています。

主なトピック:

マイモニデスの生涯: 1138年にコルドバで生まれ、イスラム圏の高度な知的環境で育ちました。医師としても活躍し、エジプトに移住後、主著『迷える者への手引き』を執筆しました (1:06-1:52)。
『迷える者への手引き』の目的: 哲学の探求と聖書の記述との矛盾に悩む人々のために、哲学と宗教(啓示)は本来対立するものではないと説くために書かれました (1:55-2:24)。
聖書の比喩的解釈: 神に関する擬人化された表現は、文字通りではなく「比喩」として解釈すべきであると論じました (2:27-3:01)。
否定神学: 有限な人間の言葉で神の本質を定義することは不可能であるため、「神は〜ではない」と否定的に語るべきだと考えました (3:03-4:11)。
理性と啓示の関係: 理性は自然を探求するために重要であり、人間の知性だけでは到達できない真理を補完するために啓示があると考えました。この考え方は後のトマス・アクィナスにも影響を与えています (4:12-5:07)。
中世哲学は、イスラム・ユダヤ・キリスト教の伝統が互いに影響を与え合いながら発展した歴史であると強調しています (5:08-5:44)。




640.
ユーザー
vMBDs
マイモニデスの主著『迷える者への手引き』は、哲学とユダヤ教の信仰との関係を整理し、両者が本来対立するものではないことを示すために書かれました (1:55-2:24)。

具体的には、以下の点が主な内容です:

哲学で迷う人々への指針: 哲学を学ぶことで聖書の記述と理性の説明が食い違い、信仰に迷いが生じてしまった人々に向けて書かれています (2:02-2:18)。
聖書の比喩的解釈: 聖書に登場する神の身体的表現(手や目を持つなど)を文字通りに受け取るのではなく、比喩として理性的に解釈する必要性を説きました (2:27-3:01)。
否定神学の提示: 有限な人間の言葉では神の本質を直接定義できないため、「神は〇〇ではない」と否定的な形で語るほうが適切であるという立場をとっています (3:03-4:06)
641.
ユーザー
vMBDs
否定神学(ひていしんがく)とは、マイモニデスが提唱した、神の本質を人間の有限な言葉で直接的に定義することは不可能であるとする考え方です(3:03-3:26)。

具体的には以下のような特徴があります:

肯定的な表現の回避: 人間が何かを説明する際に「神は〇〇である」と肯定的に語るのではなく、「神は〇〇ではない」という否定的な形式で語る方が適切であると考えました(3:29-3:53)。
限界の意識: 例えば「神は無知ではない」「神は弱いとは言えない」といった言い方です。これは神について何も語れないという意味ではなく、人間の言葉には限界があることを認識した上で、慎重に神について考えようとする姿勢を指します(3:56-4:06)。
後世への影響: この考え方は、神の本質を過度に人間に似せて理解することを防ぐとともに、後のキリスト教神学にも大きな影響を与えました(4:06-4:11)。
642.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
PJQyC
>>620

すごいコトやってるな😅
643.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
PJQyC
そこまで、マニア道に進むと思わなかった😂
644.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
PJQyC
>>641

ウンコが大好きなアポーハだな😅
645.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
PJQyC
ハッスル火山が噴火している🌋
646.
ユーザー
vMBDs
休日だから
できる疲労キツい仕事日や
土曜日休日では無理そうだ
😅
647.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
PJQyC
ついでに、ムスリムアンチ火山も🌋😅
648.
ユーザー
vMBDs
イスラムアンチまで
絡みついていた、
JBLのなりすましプランじゃね?
一応通報してやったイスラムアンチ氏に
😀
649.
ユーザー
vMBDs
ヒンズースレで
ハッスル🤡潜水工作の
レスが
一応アンチ氏に向かって
レスがある
😅
650.
ユーザー
vMBDs
俺は超ゲキオコさせ倒すのは
ハッスルかムイムイの特定スレのみだからなー
😀
651.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
PJQyC
ホントだ

名無しのウンコが、イスラムアンチにからんでいる😅
652.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
PJQyC
敵の敵は味方と思ったか?
653.
ユーザー
vMBDs
JBLの仕業にしたいか、

とにかくレスを増やさせたいか

どちらかの潜水工作だな
ほんと北将軍様キャラだな?
😅
654.
ユーザー
vMBDs
マイモニデスは理性と啓示(信仰)の関係を慎重に整理しようと試み、この姿勢が後のトマス・アクィナスにも引き継がれています (4:37-5:07)。

具体的には以下の点が共通する重要な論点として挙げられています:

真理の区別: 自然や世界については理性による探求が重要であると考えつつも、人間の理性だけでは到達できない真理があるという認識を共有していました (4:12-4:37)。アクィナスもまた、理性によって知る真理と、啓示によってのみ知られる真理を明確に区別する枠組みを採用しました (4:43-4:53)。
対立の解消: 哲学と宗教を対立させるのではなく、その関係を深く考察しようとした点で、マイモニデスの手法がアクィナスの思想形成にも通じる大きな共通点となっています (4:53-5:07)。
655.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
PJQyC
すごいな
656.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
PJQyC
マイモニデスの名前を、ここで見るとは思わなんだ😅
657.
ユーザー
vMBDs
マイオニデスは
案外とバルト神学に近いものがある
😀

マイモニデスが「否定神学」を用いて神を否定的に語る理由は、人間の言葉では神の真の本質を完全に表現することができないからです (3:19-3:26)。

主な理由は以下の通りです:

言語の限界: 私たちは何かを説明する際に「神は〇〇だ」と肯定的に語りがちですが、有限な人間の言葉を無限で超越的な存在である神に当てはめることは不適切だと考えました (3:11-3:23)。
誤解の防止: 神を肯定的に定義しようとすると、どうしても人間と同じような属性(手や目など)を想像してしまい、神を人間化して誤解してしまう危険性があります。そのため、「神は〇〇ではない」と否定する形式をとることで、人間的な偏見や限界を排除し、神の超越性を守ろうとしたのです (2:31-2:44, 3:45-3:53)。
慎重な探求: これは「神について何も語れない」ということではありません。人間の知性には限界があることを謙虚に認めた上で、その限界を意識しながら、より適切な方法で神に迫ろうとする誠実な姿勢といえます (3:56-4:06)。



658.
ユーザー
vMBDs
大学院生哲学科の現役動画だ
ハッスル🤡より信用てきる、😀
659.
ユーザー
vMBDs
中世哲学において理性が重視されたのは、「信仰」と「理性(哲学)」を調和させ、宗教的な教えをより深く理解しようとする必要性があったからです (2:18-2:24)。

動画で解説されている主な理由は以下の通りです:

信仰の迷いを解消するため: 哲学を学ぶ中で、聖書の記述と理屈による説明の間に食い違いを感じ、信仰に迷う人々がいました。マイモニデスをはじめとする思想家たちは、理性を駆使して聖書を比喩的に解釈することで、これらの矛盾を乗り越えようとしました (2:02-2:24, 2:47-3:01)。
世界を探求する道具として: 自然や世界の本質を理解するためには、人間の知性(理性)による探求が不可欠であると考えられていました (4:21-4:26)。
啓示を補完するもの: 理性はすべての真理に到達できるわけではありませんが、人間が神の教えを理性的に組み立て、理解を深めるための重要な手段として尊重されました (4:29-4:37)。
中世の哲学者たちは、理性と宗教を対立するものとして排除するのではなく、両者が補完し合う関係にあると考え、その統合を試みた点に大きな特徴があります (4:59-5:05)。




660.
ユーザー
vMBDs
トマスの本を橋頭堡にして
スコラ哲学から始めて正解だ
😀
661.
ユーザー
vMBDs
中世哲学における理性と啓示の違いは、主に「真理にたどり着くためのアプローチ」の違いとして整理できます(4:29-4:37)。

理性(哲学): 人間が自らの知性を用いて、論理的に世界や自然の法則を探求する力です(4:21-4:26)。マイモニデスをはじめとする哲学者は、これを世界を知るための重要な道具と位置づけました。
啓示(宗教): 人間の理性を超えた領域から与えられる神の教えや真理です。理性だけでは到達できない神秘的な領域について、聖書などの形で人々に示されるものとされました(4:29-4:31)。
マイモニデスは、この二つを対立させるのではなく、**「理性には理性の役割があり、啓示には啓示の役割がある」**として、両者がそれぞれ異なる側面から真理を補完し合う関係にあると考えました(4:31-4:37)。
662.
ユーザー
vMBDs
超トマスアンチたったが
トマスの本から理解したくなった
かなり買ってから五年は書庫で眠ってた
😀
663.
ユーザー
vMBDs
ここまで動画でトマスアキィナスの
お膳立てしてれるお方に
感謝だ🙏
次は当然、トマスだ
😀
664.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
PJQyC
>>657

> 言語の限界: 私たちは何かを説明する際に「神は〇〇だ」と肯定的に語りがちですが、有限な人間の言葉を無限で超越的な存在である神に当てはめることは不適切だと考えました


そう、それだ

西洋の言語哲学の背景には、それがある

安易に仏教思想に当てはめるのは無理
665.
ユーザー
vMBDs
これまでの動画はトマスへの系譜として
動画作成したよーだ
😀
666.
ユーザー
vMBDs
10分以内にまとめてくれているので
とても初心者にはありがたい動画だ
😀
667.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
PJQyC
ウンコやリダンは「言語の限界」の話が大好きで、
まるで、それが仏教の根本教義であるかのように
言うんだが

それは、ピント外れな主張だ

仏教には、キリスト教やヒンドゥー教と違って
「神」がいない

だから、人間の言葉で語れない存在など無い
668.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
PJQyC
むしろ

「釈尊の説法により、すべての法は説かれた」

とするのが、仏教の特徴と言ってよい
669.
ユーザー
vMBDs
ハッスル🤡は
バカだからなー

ホント

ハッスル🤡〜〜
ハッスル🤡〜〜
しか言いようがない
😀
670.
ユーザー
vMBDs
何が参禅30年だ🤡

ハッタリ〜🤡
ハッタリ〜🤡

呆れて
バカにして
議論する気が未だにおきん
😀
671.
ユーザー
vMBDs
臨済宗応対なので
議論はダメダメだけどー😀
672.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
PJQyC
「経典や論書は、すべて方便だ。
究極の真実(ブラフマン)は、
瞑想体験によってしか得られない」

↑

これは、ヒンドゥー教/バラモン教の思想だ

仏教は、こういうものではない
673.
ユーザー
vMBDs
ホントカオスしてんなー
ハッスル脳🤡は
😅
674.
ユーザー
vMBDs
そのうち、このスコラ哲学から
発展して
ハッスル脳の哲学レベルをアホにできるまで成長しそうだ
😀
675.
ユーザー
vMBDs
根っこは西欧哲学を無視しながらも
いつか読みたい願望は
あった
だが、神仏習合山伏念仏の謎の方が関心が高かった
😀
676.
ユーザー
vMBDs
神仏習合文書もネットで読めて霊的イメージができたので

仏教残りは
當麻寺や善光寺などの聖地の念仏信仰の感覚ぐらいかもしれん
ま、ホント買ったり、高野山大学で本をコピーしてるけど
これらの念仏聖地の本を精読してない
😀
677.
ユーザー
vMBDs
来週は念仏聖地と
イスラム礼拝学習を
先行研究だな
😀
678.
ユーザー
vMBDs
トマスは明日の朝にやるか、やらないか
わからん😀
679.
ユーザー
3sqq8
念仏検索してしまった😀


明治以前の叡福寺は念仏の信仰修行内容を詳しく 明治(1868年)以前の叡福寺(大阪府太子町)における念仏の信仰と修行内容は、聖徳太子を崇敬する「太子信仰」と「阿弥陀浄土信仰」が深く融合した、日本独自の聖地としての特徴を持っています。当時、叡福寺で行われていた念仏信仰と修行の具体的な内容は以下の通りです。1. 信仰の核:「三骨一廟」と阿弥陀三尊の習合叡福寺の念仏信仰の基盤には、聖徳太子の墓所である「三骨一廟(さんこついちびょう)」の思想があります。これは、一つの墓(古墳)に合葬されている3人を、西方極楽浄土の阿弥陀三尊に見立てる信仰です。中央(母・穴穂部間人皇后) = 阿弥陀如来東側(聖徳太子) = 救世観音菩薩西側(妃・膳部菩岐々美郎女) = 勢至菩薩このため、叡福寺の太子廟(お墓)の前に跪いて念仏を唱えることは、すなわち「極楽浄土の阿弥陀三尊の前に立ち、直接往生を願うこと」と同義であると信じられていました。2. 修行と信仰の形態明治以前の叡福寺では、宗派の枠を超えて以下のような念仏の修行や参詣が行われていました。① 名僧たちによる「参籠(お籠もり)修行」平安時代中期以降、名だたる仏教の開祖や聖者たちが叡福寺の太子廟に一定期間籠もり、昼夜を問わず念仏や瞑想を行う参籠(さんろう)修行が盛んでした。空海(弘法大師):参籠中に廟内から音楽が聞こえ、阿弥陀三尊の来迎(お迎え)を目の当たりにしたという伝説があります。良忍(融通念仏宗の開祖):叡福寺を重要な霊場とし、自他すべての念仏の功徳が融通し合うという思想のもとで念仏を修しました。親鸞・一遍・日蓮:鎌倉時代、自らの救いや教えの確信を得るために御廟前で一心不乱に念仏・祈願を捧げ、聖徳太子からの夢告(示現)を受けたとされています。
680.
ユーザー
3sqq8
② 常行三昧と「隔夜堂」の往復修行叡福寺の向かいには、平安時代作の石造阿弥陀如来を本尊とする隔夜堂(かくやどう)があります。中世の修行僧や聖(ひじり)たちは、この隔夜堂と叡福寺の太子廟を「一晩おき(隔夜)」に往復し、夜通し歩きながら、あるいは堂内に籠もって、ひたすら「南無阿弥陀仏」を唱え続ける過酷な念仏修行を行っていました。③ 庶民や「聖(ひじり)」による遊行念仏平安〜江戸時代にかけて、特定の宗派に属さない「高野聖」や「時衆(一遍の系統)」などの半僧半俗の修行者が叡福寺に集まりました。彼らは境内の「念仏堂」や「浄土堂」の周辺で、太鼓を叩き踊りながら念仏を唱える踊り念仏や、庶民に念仏札を配る布教活動を行っていました。まとめ明治以前の叡福寺における念仏修行は、単に「極楽へ行くための呪文」ではなく、「日本の仏教の祖である聖徳太子(観音の化身)に、阿弥陀仏への救いの仲介を頼む」という、非常に実践的かつ現世利益的な祈りでした。
681.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
PJQyC
>>679

スキゾ型だな😅
682.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
cbeaK
トマス・アクィナスにとって、人間の個性の違いは、物質的な身体によるものだ

人類は、「人間性」という形相を皆で共有している

個々の魂に違いは無い

683.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
cbeaK
チャットGPT:

うん、かなり近い。

ただし、最後の「個々の魂に違いはない」は、
トマスについては少し修正が必要だね。

トマス・アクィナスの立場を整理すると、こうなる。
684.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
cbeaK
① 「人間性」という形相は共通している

トマスはアリストテレスに従って、
人間の魂=身体の形相(forma corporis)
と考える。

だから、田中さんも鈴木さんも「人間」である以上、
同じ人間という種の形相=人間性を持っている。

ただし、プラトン的に「人間性」という普遍的な形相が、
個々の人間とは別に独立して存在するわけではない。
685.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
cbeaK
② では、なぜ「ソクラテス」と「プラトン」は別人なのか?

ここで重要なのが、指定された物質(materia signata)。

トマスの説明では、同じ「人間性」という形相を持っていても、
この身体
この物質
この骨格
この身体的条件
によって個体化される。

つまり、おおまかに言えば、
人間性(形相)+この特定の身体(質料)
→ この個人
となる。

したがって、あなたが以前整理していた
人間=人間というあり方に限定された存在
というスコトゥス的な方向とは違って、
トマスでは個体化に質料が非常に重要になる。
686.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
cbeaK
③ でも「魂に違いはない」は要注意

ここが面白いところ。

トマスは、各人がそれぞれ個別の魂を持つと考える。
ソクラテスの魂とプラトンの魂は、単に「同じ一個の魂」を共有しているわけではない。
むしろ、

ソクラテスにはソクラテスの魂
プラトンにはプラトンの魂
がある。

そして、それぞれの魂はそれぞれの身体の形相である。

だから、
人間性そのものは共通している
↓
しかし個々の魂は数的に別々である
↓
それぞれの魂が、それぞれの身体を現実化する
↓
ソクラテスという個人、プラトンという個人が成立する
という構造になる。
687.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
cbeaK
④ ただし「魂の種類」は同じ

なので、あなたの言いたいことを一番正確に言い換えるなら、
個々人の魂は数的には別々だが、魂の本質・種類としては同じ「人間の魂」である。
となる。

そして、ここがトマスの面白いところで、人間の個性・個体差を説明する際に、物質的身体が大きな役割を果たす。

ただしトマスは、魂を単なる身体の副産物とは考えない。人間の理性的魂は非物質的な知性・意志の能力を持ち、身体が滅んでも魂そのものは存続しうると考える。

だから、
「個人差=身体」だけではないが、個体化の原理としては質料が重要
というのがトマスを正確に捉えた言い方になる。
688.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
cbeaK
そしてここから、**ドゥンス・スコトゥスの
「個体化の原理=このもの性(haecceitas)」**へ進むと、
ものすごく綺麗につながる。

トマス
→ 質料によって個体化

スコトゥス
→ このもの性によって個体化

オッカム
→ そもそも個物しか実在しない

という、前に話していた流れが見えてくる。
689.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
cbeaK
プロンプト:

ドゥンス・スコトゥスは、個性を重視する方向に踏み出した

トマス・アクィナスでは、ソクラテスもプラトンも「人間性」という形相を共有していたが

ソクラテスは「ソクラテス性」、プラトンは「プラトン性」という独自の個性を持っている

要するに、魂にも個性の違いを認めた
690.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
cbeaK
チャットGPT:

そう、その理解でかなり核心を突いている。👍

ただし、スコトゥスの「ソクラテス性」「プラトン性」は、
厳密には**「個性的な魂」そのものというより、
個体を個体たらしめる究極の原理**と考えたほうが正確。

トマス → スコトゥスの変化

トマスでは、大ざっぱに言えば、
人間性(形相)+個別化された質料 → ソクラテス
だった。
したがって、ソクラテスとプラトンは同じ人間性を共有し、個体として異なるのは主に物質的な身体・質料によって説明される。

ところがスコトゥスは、
「いや、個物には物質だけでは説明できない、個物そのものの『この人であること』があるんじゃないか?」
と考える。
これが haecceitas(このもの性・個体性)。

だから、
人間性
↓
「人間である」という共通性
ソクラテスのこのもの性
↓
「この人=ソクラテスである」という個体性
プラトンのこのもの性
↓
「この人=プラトンである」という個体性
となる。
691.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
cbeaK
そして、ここが重要

スコトゥスにとっては、魂も個別的なもの。
ソクラテスの魂とプラトンの魂は、
単に「人間の魂」という同一の形相が、
それぞれ違う身体に入っているだけではない。
それぞれが数的に異なる個体的な魂である。

なので、あなたの言う
「魂にも個性の違いを認めた」
は、方向としてかなりいい。

ただ、「ソクラテス性=ソクラテスの性格や人格」という意味ではない。

haecceitasはもっと根本的で、
「なぜこの人間が、単なる『人間』ではなく、『この人間=ソクラテス』なのか?」
に対する答え。

つまりスコトゥスは、個体性を単なる物質的な違いから、存在者そのものの側にある固有性へと押し進めたわけだ。
692.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
cbeaK
そしてこれは、あなたが以前言っていた
トマス → スコトゥス → オッカム
という流れを理解するうえで非常に重要。

トマス:共通の人間性+個別化された質料
↓
スコトゥス:共通の人間性+このもの性
↓
オッカム:個物そのものが基本で、「人間性」という普遍者は実在しない
となる。

ここでスコトゥスは、まだ実在論者なのに、かなり「個物」の側へ踏み込んでいる。

だからこそドゥルーズがスコトゥスを非常に高く評価したのも、なんとなく分かってくるんだよね。
693.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
cbeaK
プロンプト:

ドゥンス・スコトゥスは、個性を重視する方向に踏み出した
694.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
cbeaK
チャットGPT:

そう。そこはスコトゥスの哲学史上の大きな意味だと思う。

トマス・アクィナスでは、個体化の説明において質料が重要だった。

人間性(形相)+この個別的な質料
→ ソクラテス

ところがドゥンス・スコトゥスは、そこに満足せず、
「ソクラテスがソクラテスであること、そのものを説明する原理が必要ではないか?」
と考えた。

そこで出てくるのが haecceitas(このもの性・個体性)。
人間性 → 「人間である」
このもの性 → 「この人間である」
だから、
人間性はソクラテスとプラトンに共通するが、
ソクラテスのこのもの性とプラトンのこのもの性は異なる。

そして重要なのは、これは単なる身体上の違いではないこと。

スコトゥスでは、魂も個別的な実体として個体化される。
したがって、ソクラテスの魂とプラトンの魂は、
単に「人間の魂」という共通形相の別々の入れ物ではなく、
それぞれ固有の個体性を持つ。

なので、あなたの言う
「スコトゥスは個性を重視する方向に踏み出した」
は、かなり的確。
695.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
cbeaK
ただ、「個性」を現代的な性格・人格・心理的特徴という意味ではなく、もっと存在論的な意味での**「このものは、このものである」**という究極的な個体性、と捉えるのがポイントだね。

そしてここから、
トマス:普遍的な人間性+質料による個体化
↓
スコトゥス:人間性+このもの性による個体化
↓
オッカム:普遍者よりも個物を徹底して重視
という流れが見えてくる。

だからスコトゥスは、実在論を維持しながら、哲学の重心を「普遍」から「個物」へ少しずつ移動させた人物と見ると、とても分かりやすい。
696.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
cbeaK
プロンプト:

近代人には、個性重視が合う

697.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
cbeaK
チャットGPT:

ああ、そこは確かに面白い(笑)。
現代人の感覚からすると、むしろトマスのほうが
「え、そんなに人間は共通なの?」というカルチャーショックになりやすい。

ただ、「全体主義」という言葉は少し注意が必要だね。
トマス自身は個人を全体に溶かしてしまう思想ではない。

トマスの発想は、かなり大胆に言えば、
ソクラテスもプラトンも、同じ「人間」という一つの本性を現実化している。
というもの。

つまり、

ソクラテス
= 人間性 + 個別化する質料

プラトン
= 人間性 + 個別化する質料

なので、二人の間にある根本的な共通性は、
単なる「似ている」という程度ではない。
「人間である」という同じ本質を持っている。
698.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
cbeaK
ここが現代人には強烈かもしれない。

現代では、
「人間にはそれぞれ固有の個性がある」
「一人ひとり違う」
「自分らしさが大切」
という発想が非常に強い。

ところがトマスの形而上学では、まず
「あなたは何者か?」→ 人間である。
が来る。

そしてその「人間である」という本性は、ソクラテスにもプラトンにも共通する。
699.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
cbeaK
しかも魂まで「人間の形相」

さらに驚くのがここ。

トマスにとって人間の魂は、身体の形相。

したがって、
「私は私の身体とは別に存在する、完全に独立した個性的な精神なのだ」
という近代的なイメージとはかなり違う。
この身体の形相としての、この魂
という構造になっている。
だからトマスの人間論は、現代の「個人」を出発点にして読むと、かなり異質に感じる。
700.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
cbeaK
ただし、ここでスコトゥスが面白くなる。

スコトゥスは、
「いやいや、共通の『人間性』だけでは、ソクラテスという唯一無二の個体を十分に説明できないだろう」
と踏み込む。

そこで、

人間性
+
ソクラテス固有のこのもの性

という構造を考える。

つまり、
「人間であること」と「ソクラテスであること」は別問題だ。

この区別が、現代人にはものすごく馴染みやすい。
701.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
cbeaK
そしてさらにオッカムになると、
「そもそも『人間性』という普遍者を実在するものとして想定する必要があるのか?」
となる。

ここまで来ると、
普遍 → 個体 → 個体を中心に考える
という哲学史上の重心移動がかなりはっきりする。

なので、「トマス=全体主義」とするのは歴史的には言い過ぎだけど、
現代人の個人主義的な感覚から見ると、
トマスの「共通する人間本性」の強調が、
かなり集団主義的に感じられるという指摘は面白いと思う。

むしろこれは、
「普遍者を実在させる」という中世の形而上学そのものが、
現代人には直感的に分かりにくくなっているということなんだよね。
702.
ユーザー
SUOry
山伏念仏の聖地研究でかなり
満足して霊的世界を脳内構築やりきったので
こっちワールドに戻る午前はガンバルンバするぞお〜
😀
703.
ユーザー
SUOry
山伏念仏の聖地研究の霊的世界観は
意味は、違うが雰囲気結論では
こんな感じになった
詳しくはしらんけど
😀


世界内存在」とは、ドイツの哲学者マルティン・ハイデッガーが主著『存在と時間』で提唱した、人間(現存在)の根本的なあり方を示す哲学概念です。 人間がコップの中の水のように、ただ物理的な空間の中にポツンと入れられているという意味ではありません。人間はつねに世界と切り離せない関係にあり、意味や関係性の網の目(道具や他者、文化など)に深く浸りながら生きているという状態を指します。 主な要素現存在(ダーザイン): 世界の中で意味を問い、存在すること自体に関心を持つ人間。世界: 単なる物理的空間ではなく、道具の用途や人との関わりといった「意味の連関」の場。内(In): 物理的に包まれているのではなく、世界や他者と関わり合って開かれている状態。 この概念は、従来の「精神(主体)」と「外界(客体)」を切り離して考える近代の人間観を乗り越えるものとして、後のフランス実存主義などにも大きな影響を与えました。
704.
ユーザー
SUOry
ハイデッカーは
おいといて、
スコラ哲学に戻ろう😀
705.
ユーザー
SUOry
トマスからマルクス主義への流れはあるだろうな
なんらかの普遍的な秩序
ま、アダムスミスも
それだけど
😀
706.
ユーザー
SUOry
動画トマスへゴー
😀
707.
ユーザー
SUOry
トマス・アクィナスは、理性と信仰は対立するものではなく、調和する関係にあると考えました(2:55-3:03)。

その理由は、以下の通りです:

源泉の同一性: 理性による知も、神からの啓示(信仰)も、共に神に由来するため、正しく理解されれば矛盾することはないと説きました(3:03-3:14)。
役割の分担: 理性には「神の存在」や「人間の理性的本能」のように理解できる限界がありますが、一方で「三位一体」などの神の秘儀は啓示によってのみ知られる心理であり、それぞれに固有の役割があると考えました(3:17-3:47)。
708.
ユーザー
SUOry
トマス・アクィナスが実践したスコラ哲学の手法は、反対意見や権威ある見解を公平に検討し、自身の論理で整理して答えるという体系的なプロセスであるため重要視されています (3:50-4:15)。

この手法が重要とされる主な理由は以下の通りです:

議論の深化: 単に自身の主張を通すのではなく、あえて反対意見から議論を始めることで、問題の多面性を深く考察することが可能になります (3:53-4:05)。
論理的な厳密さ: 権威ある見解を尊重しつつ、自説を論理的に構築し、さらに最後に個別の反論に対して一つずつ回答していくことで、極めて完成度の高い論証体系が作り上げられました (3:58-4:08)。
古典としての価値: この徹底した方法論によって、神学や哲学における難問を構造的に解明したため、彼の著作は現在でも哲学や神学を学ぶ上で欠かせない重要な古典として扱われています (4:20-4:30)。
709.
ユーザー
SUOry
トマス・アクィナスの『神学大全』は、中世哲学・神学の金字塔とされる著作で、多岐にわたる問いが体系的に論じられています(1:56-2:18)。

動画で言及されている主なテーマは以下の通りです:

神について: 神とはどのような存在かという根本的な問い。
世界と人間: 世界の本質や、人間とは何かという人間論。
善と幸福: 人間にとっての善とは何か、そして幸福とは何かという倫理的な問い。
法: 善く生きるための規範である法律についての考察。
これらの問いに対して、トマスはアリストテレス哲学を取り入れながら、理性と信仰の両面から論理的な整合性を持って体系化しました(2:20-3:17)。

また、この著作の議論の方法にも大きな特徴があります(3:50-4:08)。

まず反対意見を提示する
次に権威ある見解を紹介する
続いて自らの回答を展開する
最後に提示された反対意見一つひとつに対して論理的に反論する
このように、読者が議論の過程を追いやすい構成をとっており、現在でも哲学や神学を学ぶ上で非常に重要な古典として位置づけられています(4:20-4:30)。
710.
ユーザー
SUOry
神によって
神に似たものとして創造された
と考えたので

人間の理性的本能

を設定したのだろう
😀
711.
ユーザー
SUOry
現在カトリックが他宗教に硬直化してないのは
トマス神学の
人間の理性的本能をかなり入り込んでいるからかもしれない
😀
712.
ユーザー
SUOry
例えば、仏教との交流だと

仏性=人間の理性的本能
みたいな感覚がカトリックにあったりしてな、

または
テーラワーダの人間分析論=人間の理性的本能

とかな
😀
713.
ユーザー
SUOry
カトリックは
創造主は
人間に人間の理性的本能を創造した
設定だろな
😀
714.
ユーザー
SUOry
カトリック神学のメインストリー厶が
解ってきた
😀
715.
ユーザー
SUOry
スコラ哲学動画探求エネルギーが
落ちてきた
違うものを探求だ
😀
716.
ユーザー
ozfkI
とマスの理性研究は
カトリック神学の強化に役にはたったが
反動がプロテスタントに出てしまったと
理性が明白でなくなって
カルバンの聖書ルールブック路線か
信仰義認路線か
に
偏ってしまったようだ

トマスの理性研究で
かなり
キリスト教の神学歴史が見えてきた
😀
717.
ユーザー
ozfkI
俺のキリスト教イメージは
霊的知恵、啓示的知恵論者である
😀
718.
ユーザー
ozfkI
日本山伏念仏仏教研究の検索を終えたので
トマス動画学習に戻る
😀
719.
ユーザー
ozfkI
中世の哲学者トマス・アクィナスの思想における「信仰と理性の関係」について解説しています。

主なポイント:

信仰と理性の役割の違い: 理性は人間が論理的に思考する能力であり、神の存在や世界の原因など、理性で到達できる真理があります(1:35)。一方で、三位一体や復活といった宗教的な教義は、神の啓示によるものであり、理性だけでは到達できない真理であるとしました(1:58)。
両者は矛盾しない: 理性と信仰はともに「神」を起源とするため、本来矛盾しないはずだとトマスは考えました。矛盾を感じる場合は、推論の誤りか、啓示の解釈が誤っている可能性があると指摘しています(2:42-3:12)。
哲学の重要性: 哲学は信仰を否定するものではなく、信仰をより深く理解し、体系化するための助けとなる重要な学問と位置づけられました(2:10)。これが中世の大学教育における哲学の基礎として定着しました(3:53)。
アリストテレス哲学の統合: トマスはアリストテレスの哲学を積極的に取り入れ、キリスト教の教えと調和させることで、独自の思想体系を構築しました(4:19)。
720.
ユーザー
ozfkI
トマス・アクィナスによれば、哲学は信仰を否定するものではなく、信仰をより深く理解し、体系化するための助けとなる**「信仰の支え」**として重要な役割を果たします。

具体的には以下の点で役立ちます:

信仰の深い理解: 哲学的な探求(神の存在の証明や世界の原因の考察など)を用いることで、ただ受け入れるだけでなく、信仰の内容を理性的により深く把握することが可能になります (2:18-2:42)。
理性と啓示の調和: 理性と信仰はどちらも「神」を起源とするため、本来矛盾しないと考えました。哲学を用いて理性を正しく用いることは、誤った推論を正し、神からの啓示を正しく解釈する助けとなります (2:42-3:21)。
学問的基盤: 中世の大学教育において、哲学(論理学や自然哲学など)は神学を学ぶための基礎として位置づけられました。これにより、信仰を論理的な体系として構成する力が養われました (3:53-4:16)。
トマスにとって哲学は敵ではなく、**「真理へ向かう営み」**として信仰と対話しながら共存するパートナーのような存在でした (4:47-5:00)。


721.
ユーザー
ozfkI
トマス・アクィナスの思想において、理性に限界があると考えられている理由は、「理性の本質的な対象」と「神の神秘(啓示による真理)」の間に質的な違いがあるためです。

動画で解説されている主な理由は以下の通りです:

認識能力の対象範囲: 人間の理性は、現実世界に見える事象(世界の原因や論理的推論)を扱うことには長けていますが、神の本質そのものや超越的な真理をすべて解明できるわけではありません(1:35-1:56)。
啓示が必要な領域: 三位一体や復活といった宗教的な教義は、人間の論理的な思考能力を超えた事柄であり、神からの「啓示」を受け取ることで初めて知ることができる真理であるとされています(1:58-2:08)。
つまり、理性が「無能」なのではなく、**「神という超越的な存在を完全に理解するには、理性の能力だけでは不十分である」**という役割分担の考え方に基づいています(4:55-5:00)。そのため、トマスは哲学(理性)を信仰の否定としてではなく、信仰を深めるための重要なパートナーとして位置づけました。
722.
ユーザー
ozfkI
トマス・アクィナスが理性を重視した理由は、主に以下の3点に集約されます。

信仰と理性の起源の同一性: トマスは、理性も信仰も共に「神」という同一の起源を持つと考えました。神が人間に理性という能力を与えた以上、理性によって正しく得られた真理と、神からの啓示は本来矛盾しないはずだと確信していました(2:42-3:12)。

信仰を深めるための「道具」: 哲学(理性)は信仰に代わるものではなく、信仰をより論理的かつ体系的に理解するための「助け」となる重要な学問であると考えました。神の存在証明や世界の成り立ちといった問題を理性で考察することで、信仰をただ盲目的に受け入れるだけでなく、深く納得して受け入れることが可能になるとしたのです(2:10-2:42)。

真理へ向かう営みとしての調和: トマスにとって、哲学と神学は対立するものではありませんでした。アリストテレス哲学のような理性的探求を積極的に取り入れ、キリスト教の教えと調和させることで、信仰をより強固で理知的な体系へと高めようとしました(4:19-5:00)。

つまり、理性を重視することは、神が創造した世界を正しく理解し、信仰をより豊かなものへと発展させるための不可欠なプロセスであったと言えます。
723.
ユーザー
ozfkI
トマス・アクィナスの考えでは、哲学は信仰を単なる盲信ではなく、理知的な納得を伴うものへと高めるために以下の形で貢献します。

神の存在の探求: 哲学を用いることで、世界に原因があることや、その究極の原因としての「神」の存在を理性的(論理的)に考えることができます(1:35 - 1:53)。
信仰の論理的な体系化: 哲学的な論理学や自然哲学の知識を基盤とすることで、宗教的な教義を単に受け入れるだけでなく、それを体系的かつ論理的に説明・理解する力が養われます(3:53 - 4:10)。
矛盾の解決: 信仰と理性が対立しているように見える場合でも、哲学的な推論を正しく行い、啓示を適切に解釈し直すことで、両者が本来矛盾しない調和的なものであることを証明しようとしました(2:42 - 3:21)。
このように、哲学は信仰の「敵」ではなく、信仰を支え、より深く理解するための不可欠な「道具」として機能します。
724.
ユーザー
ozfkI
トマス神学の限界は
俺サイドとしては
人間の依存症的な苦悩に対して回答出せていない
という問題がある
😀
725.
ユーザー
ozfkI
トマス神学は
日蓮の娑婆寂光土を
理性論理的した雰囲気
😀
726.
ユーザー
ozfkI
ということは
俺の
ほーかいくんイメージは
そんな感じである
😀
727.
ユーザー
ozfkI
カール・バルトにおいても
人間の依存症的な苦悩に対して回答出せていない
という問題は残る
単なるトマス神学の理性へのアンチテーゼに過ぎないから
😀
728.
ユーザー
◆njyWqBlpsM
88wM3
すごいな😵
729.
ユーザー
◆njyWqBlpsM
88wM3
インテリ街道、まっしぐら~😆➡️
730.
ユーザー
aqD4w
動画の先生様々である
😀
731.
ユーザー
aqD4w
中世の哲学者トマス・アクィナスにおける「本質」と「存在」の考え方について解説しています。

主なポイントは以下の通りです:

本質と存在の区別 (0:49-1:44):あるものが「何であるか」を示す「本質」と、それが「現実に存在していること」を指す「存在」は別の概念です。例えば、ユニコーンという概念(本質)を知っていても、それが現実に存在していることにはなりません。
被造物の存在 (1:46-2:32):人間を含むあらゆる被造物において、本質と存在は区別されます。なぜ今ここに存在しているのかという理由は、本質そのものには含まれず、神から存在を与えられていると考えます。
神の特別な存在 (2:33-3:12):神においては本質と存在は区別されず、神は「存在そのもの」であるとされます。トマスはこれを「自存する存在そのもの(Ipsum esse subsistens)」と呼びました。
後世への影響 (4:07-4:39):このトマスの存在論は後の西洋哲学や、20世紀の存在論の伝統においても重要な議論の対象となりました。
732.
ユーザー
aqD4w
トマス・アクィナスが用いる「自存する存在そのもの」(ラテン語:Ipsum esse subsistens)とは、神のみに当てはまる特別な存在のあり方を指します (2:44-2:57)。

その意味は以下の通りです:

「存在」と「本質」の一致:人間などの被造物は「人間という本質」と「今ここに存在していること(存在)」が区別されます(存在は神から与えられるものです)(1:46-2:14)。しかし神においては、その本質自体が「存在すること」そのものであるため、両者に区別がありません (2:33-2:42)。
自立的な存在:他の何ものかによって存在させられているわけではなく、神は自らの力で存在する「存在そのもの」であるとされます (3:04-3:12)。
依存関係の否定:被造物は神に存在を依存していますが、神は他に依存することなく存在しています。この根本的なあり方の違いが、神と世界を分かつ決定的なポイントであるとトマスは説きました (3:37-3:55)。
733.
ユーザー
aqD4w
トマス・アクィナスの哲学において、神において本質と存在が一致する理由は、神が**「存在そのもの」**であると定義されるからです (2:33-2:42)。

その論理は以下の通りです:

被造物との対比:人間などの被造物は「人間である」という本質と、「今、現実に存在している」という存在が別個のものです。被造物は自力で存在しているわけではなく、神から存在を与えられています (1:46-2:14, 2:24-2:30)。
神の絶対性:一方、神は他の何ものかによって存在させられる必要がありません。神の本質そのものが「存在すること」であり、他の源泉から存在を受け取る必要がないため、本質と存在を区別する理由が存在しないのです (2:33-2:42, 3:04-3:12)。
トマスはこの神のあり方を、自ら存在する「自存する存在そのもの(Ipsum esse subsistens)」と呼び、神と世界を分かつ根本的な違いとして説明しています (2:44-
734.
ユーザー
aqD4w
トマス・アクィナスの存在論は、西洋哲学の歴史において極めて重要な基盤を築きました。動画内で触れられているように、「本質」と「存在」を明確に区別し、神のみを「自存する存在(Ipsum esse subsistens)」と位置づけた彼の思想は、後世に多大な影響を与えています。

主な影響の広がりは以下の通りです:

カトリック神学の公認哲学への昇華: トマスの思想体系(トマス主義)は、後にカトリック教会の公認哲学として採用されました。神の存在証明や、理性と信仰の調和を図る彼の論理は、現代に至るまでキリスト教神学の根幹を支え続けています。

近現代哲学への問いの種: 近代以降の哲学者たちは、トマスが築いた「存在とは何か」という問いに対して、批判的、あるいは対話的に応答してきました。例えば、デカルトらによる近世の真理論や、存在のあり方をめぐる論争においても、トマスの存在論的枠組みは参照点として機能してきました。

倫理学・道徳哲学の基盤: トマスは、存在論(存在のあり方)に基づいて倫理や法を構築しました。「善(Bonum)」は「存在(Ens)」と分かちがたく結びついているという考え方は、自然法思想の metaphysical(形而上学的)な根拠となり、現代の道徳哲学や倫理学の議論においても重要な参照先となっています。

20世紀の存在論の再考: 20世紀の哲学者たち(ハイデガーなど)も、存在論の伝統的な系譜の一部としてトマスを再評価しました。彼は過去の遺物ではなく、現代においても「存在」という普遍的なテーマを考察する上での不可欠な対話相手であり続けています。
735.
ユーザー
aqD4w
なるほど
トマスの西欧哲学での立ち位置が
解ってきた
😀
736.
ユーザー
aqD4w
ハッスル、リダン、麦のレスを見ても
不毛なだけだ
我流過ぎて
😭
737.
ユーザー
aqD4w
脳疲労発生、
これでたぶん休日スコラ哲学研究は終わりかも〜
😀
738.
ユーザー
tnlXD
トマス・アクィナスの自然法思想は、人間が持つ「理性」を通じて、神の秩序(永遠法)の一部を理解し、善へと導かれる道徳規範を指します。

彼の思想体系において、法は以下のような階層構造で説明されています:

永遠法 (Lex Aeterna): 神が世界を統治するための神自身の理性です。すべての根本となります。
自然法 (Lex Naturalis): 人間が自らの理性を用いて、永遠法の一部を認識したものです。時代や場所を超えて通用する「普遍的な道徳法則」とされます。
人定法 (Lex Humana): 人間社会が公共の福祉のために、自然法の原則に基づいて具体的に定めた法律(社会のルール)です。
トマスにとって、法とは単なる強制力ではなく、「万物を善へと導くための実践的理性の命令」です。人間は生まれながらに善を追求する理性を持っており、この理性に照らして「何が正しいか」を判断することが、自然法に従うことであると説きました。

この思想は、後に現代の人権思想や法哲学の発展にも大きな影響を与えています。
739.
ユーザー
tnlXD
トマス・アクィナスの思想において、永遠法と自然法は密接に関連していますが、その性質や認識の主体において明確な違いがあります。

永遠法 (Lex Aeterna):
神が自らの知恵と理性によって全宇宙を統治するための、神自身の計画そのものです。これは宇宙全体の秩序の根本であり、すべての事物が神によって目的(善)へと向かわせられるための究極の法則です。

自然法 (Lex Naturalis):
永遠法の「理性的被造物(人間)」における分有、つまり人間が自らの理性を用いて永遠法の一部を認識したものです。神が定めた宇宙の秩序のうち、人間が自分の理性で「何が善であり、何が悪か」を理解し、道徳的に正しく生きるための規範を指します。

主な違いのまとめ:

範囲: 永遠法は宇宙の万物すべてに適用される究極の理ですが、自然法は人間のような理性を持つ存在にのみ当てはまる道徳的秩序です。
認識: 永遠法は神のみが完全知るものであり、人間はそれを直接理解することはできません。一方、自然法は人間が理性を通じて自らの中に発見し、実践できるものです。
つまり、自然法は「神の偉大な計画(永遠法)」という壮大な秩序の一端を、人間が「理性」という光を通じて具体的に認識した道徳のルールだと言えます。
740.
ユーザー
tnlXD
トマス・アクィナスのいう**「共同善(共通善/bonum commune)」**とは、個人の利益の単なる寄せ集めではなく、共同体全体の成員がその人間としての完成や幸福(エウダイモニア)を目指すために共有される、より高い善のことを指します。

その重要なポイントは以下の通りです:

個と全体の調和: トマスはアリストテレスの思想を継承しつつ、人間を「社会的な存在」と捉えました。共同善は、個人の善を否定するものではなく、むしろ個人が共同体の一員として生きる中で、他者と協力し合うことによって初めて達成できる**「共同体としての目的」**を意味します。
秩序の原理: 共同体(国家や社会など)が存在する目的は、単に成員を支配することではなく、すべての成員が正しく、かつ幸福に生きられるような秩序を整え、共同善を追求することにあります。
個人の役割: 個々人は、自分自身の善を追求するだけでなく、その一部として共同体の善(平和や正義、福祉など)に貢献することが求められます。トマスにとって、法や政治の役割は、この共同善をいかに実現・維持するかにかかっているとされています。
つまり、共同善とは**「私たちが共に生きることで到達できる、より良く人間らしい状態」**を目指す規範的な枠組みであるといえます。
741.
ユーザー
tnlXD
トマス・アクィナスの思想において、自然法と人間の理性は密接不可分な関係にあります。

その関係性は主に以下のポイントで説明できます:

理性が神の計画を「読み解く」: トマスは、人間が神によって創られた存在であり、神の知恵の一部(永遠法)を理性を通じて分有(共有)していると考えました。つまり、理性とは、人間が神が定めた道徳的秩序(自然法)を認識するためのツールそのものです。
善を志向する理性: トマスの人間観では、理性は単なる論理的思考能力だけでなく、何をすべきか(実践的理性)を判断する力を含みます。人間は理性によって「善を行ない、悪を避けるべきである」という根本的な原理を把握し、それに基づいた具体的な道徳規範を導き出します。
自律と秩序: 人間は本能だけでなく、自らの理性で自然法を理解し、それに従うことで、宇宙の秩序の中に自発的に参加します。理性を働かせて自然法に従うことは、人間が本来持っている「徳」を完成させるプロセスと見なされます。
結論として、**自然法は「神の知恵の反映」であり、理性は「それを人間が認識し、実践に落とし込むための手段」**であると言えます。理性がなければ、人間は自然法の教えを自覚的に理解し、道徳的行為を選択することはできません。
742.
ユーザー
tnlXD
トマス・アクィナスの哲学において、共同善と個人の幸福は対立するものではなく、相互に補完し合う関係にあります。それぞれの役割と違いは以下の通りです。

個人の幸福 (個人の善): 人間が自らの理性と徳を磨き、本来の目的である「善き生」や神との交わりを達成することを目指します。個々人が人格として完成されることは非常に重要です。
共同善 (共通善): 社会という共同体が、その成員一人ひとりが個人の幸福を追求できるよう、環境を整え、平和や正義、秩序を維持することです。共同善は「社会全体が健康で機能している状態」とも言えます。
決定的な違いと繋がり:

包摂関係: 個人の幸福は、社会という枠組みの中で達成されるものです。社会が崩壊していれば個人の平和も守られません。そのため、個人の幸福はより大きな共同善の一部として位置づけられます。
目的の共有: トマスにとって、個人は社会的な存在です。共同体全体の善(共同善)を追求することは、実は個々人の徳を高め、結果として個人の幸福にも繋がると考えました。
つまり、**共同善とは個人の幸福が実現されるための「土台」**であり、**個人の幸福は共同善の「目的」**であると言えます。この両輪が回ることで、社会全体と個人がともに良い状態になると考えられています。




743.
ユーザー
tnlXD
トマス・アクィナスにとって**正義(iustitia)**とは、他者に対して各人の正当な権利(取り分)を常に与えようとする、**永続的かつ確固たる意志(習慣的徳)**のことを指します。トマスの正義論には以下の重要な側面があります。

他者への志向: 他の徳(節制や勇気など)が主に自分自身の理性のコントロールに関わるのに対し、正義は常に「他者」との関係性において成立する社会的な徳です。
各人に帰すべきものを帰す: ローマ法の伝統を受け継ぎ、一人ひとりの人間にふさわしい義務や権利を公正に分配することを重視しました。これは単なる平等主義ではなく、その人の役割や状況に応じた「正当なバランス」を保つことを意味します。
法との密接な結びつき: トマスは正義を、神から与えられた秩序(永遠法や自然法)を社会の中で実現するための具体的な実践として捉えました。正義は人間法や共同善を支える礎石であり、社会の平和と秩序を維持するための必須条件と考えられています。
つまり、トマスにとって正義とは、単なるルールの遵守ではなく、共同体の中で他者の尊厳を認め、全体が調和して生きるための具体的な愛の実践形態であると言えます。
744.
ユーザー
tnlXD
トマス・アクィナスの思想において、自然法と道徳は密接に関連していますが、厳密には異なる概念として扱われます。

自然法(Lex Naturalis): 神が世界の秩序の中に刻み込んだ「普遍的で客観的な理性の法則」です。人間が本来備えている理性を用いて、「善を行い、悪を避けるべきである」といった根本的な原理を把握することそのものを指します。
道徳(Moralitas): 自然法という客観的な規範を、人間が個々の行為の中でどのように判断し、実践するかという「人間の生き方や実践的な行動のあり方」を指します。
違いのポイント:

客観的 vs 主体的: 自然法は神によって与えられた客観的な宇宙の理法であるのに対し、道徳は人間が自らの理性と意志を用いて、その理法を具体的な状況でどう体現するかという主体的・実践的な側面が強い言葉です。
法と徳: トマスにおいて、自然法は社会や個人の行動を方向づける「法(規範)」であり、道徳はそうした規範に従って生きる中で培われる「徳(習慣的性格)」や、具体的な「善い行い」の積み重ねとして理解されます。
つまり、自然法は道徳的な生活を送るための「土台となる普遍的なルール」であり、道徳はそのルールに従って人間が人間らしく生きるための「実践的なプロセス」であると言えます。
745.
ユーザー
tnlXD
トマス・アクィナスの思想において、自然法と道徳は密接に関連していますが、厳密には異なる概念として扱われます。

自然法(Lex Naturalis): 神が世界の秩序の中に刻み込んだ「普遍的で客観的な理性の法則」です。人間が本来備えている理性を用いて、「善を行い、悪を避けるべきである」といった根本的な原理を把握することそのものを指します。
道徳(Moralitas): 自然法という客観的な規範を、人間が個々の行為の中でどのように判断し、実践するかという「人間の生き方や実践的な行動のあり方」を指します。
違いのポイント:

客観的 vs 主体的: 自然法は神によって与えられた客観的な宇宙の理法であるのに対し、道徳は人間が自らの理性と意志を用いて、その理法を具体的な状況でどう体現するかという主体的・実践的な側面が強い言葉です。
法と徳: トマスにおいて、自然法は社会や個人の行動を方向づける「法(規範)」であり、道徳はそうした規範に従って生きる中で培われる「徳(習慣的性格)」や、具体的な「善い行い」の積み重ねとして理解されます。
つまり、自然法は道徳的な生活を送るための「土台となる普遍的なルール」であり、道徳はそのルールに従って人間が人間らしく生きるための「実践的なプロセス」であると言えます。
746.
ユーザー
tnlXD
トマス・アクィナスの思想において、自然法と人間法は、神が定めた宇宙の秩序と人間の社会生活を繋ぐために不可欠な役割を果たしています。

自然法の重要性と役割:
自然法は、神の永遠の計画(永遠法)を、人間が「理性」を通じて分有したものです(1:06)。

意義: 人間は理性によって「善を行ない、悪を避けるべきである」という根本原理を把握します。これは全ての道徳の基礎であり、人間が人間として本来あるべき姿に向かうための羅針盤となります。
役割: 自然法は普遍的かつ客観的な規範であり、あらゆる人間法が守るべき上位の基準となります。つまり、人間が社会を作る上での「道徳的な根拠」を提供しています。
人間法の重要性と役割:
人間法(実定法)は、自然法の原則を具体的な社会状況に適応させるために理性を働かせて定められるものです。

意義: 自然法はあくまで一般的・抽象的な原理に留まるため、社会の平和や秩序を具体的に維持するには不十分です。例えば「殺人をしてはならない」という自然法の原則を、罰則規定として具体化するのが人間法の役割です。
役割: 共同体における「共同善(共通善)」を実現することが目的です。社会の状況や時代背景に応じて調整されることで、人間が徳ある生活を送り、社会全体の調和を保つための現実的な枠組みとして機能します。
二つの法の関係:
トマスにとって、人間法は自然法に根ざしていなければなりません。自然法に反する法は「法としての効力を持たない」とされるほど、この二つの連携は社会の公正さを維持するために極めて重要です。
747.
ユーザー
tnlXD
トマス・アクィナスの法哲学における「法階層」は、神の摂理から人間の具体的な社会秩序へと向かう以下の4つの順序で構成されています。

永遠法 (Lex Aeterna): 神の理性が全宇宙を統治するための計画そのものです。全ての法の源泉であり、神自身のうちにある完全な法則です。

自然法 (Lex Naturalis): 永遠法のうち、人間が「理性」という知性を通して分有(共有)している部分です。「善を行い、悪を避けるべきである」という根本的な道徳的原理を指します。

人間法 (Lex Humana): 自然法の普遍的原理を、現実社会の特定の状況やニーズに合わせて人間が理性を働かせて定めた法(実定法)です。共同善の実現を目的とします。

神法 (Lex Divina): 聖書などの啓示を通じて神が人間に直接与えた法です。人間が自らの理性だけで到達できる範囲を超えて、霊的な幸福(救済)に導くために不可欠な導きです。

これらの法は互いに独立しているのではなく、上位の法が下位の法の基礎となる階層構造を成しています。特に、人間法は自然法に根ざしていなければならず、自然法に反するものは正しい法としての効力を持たないとされています。
748.
ユーザー
tnlXD
トマス・アクィナスの思想において、個人が共同善を優先すべきなのは、人間が本質的に「社会的な存在」であるからです。

その理由は主に以下の3点に集約されます。

自立性の限界: 人間は一人では生きられません。衣食住の確保や教育、安全な生活など、個人の幸福を実現するために必要なものは、社会という共同体の協力があって初めて得られます。社会の安定(共同善)が損なわれると、結果として個人の幸福も維持できなくなります。

目的の一致: トマスにとって、全体の秩序や平和である「共同善」は、個々人が善き生を送るための環境を整えるものです。したがって、共同善を追求することは、自分自身や隣人の幸福を追求することと矛盾せず、むしろその前提条件となります。

全体への貢献: 個人は共同体の一部であり、全体が健康でなければ部分も機能しません。部分が全体のために動くことは、自然な理に適った秩序であると考えられています。

つまり、個人にとって共同善を優先することは「自分を犠牲にすること」ではなく、**「自分が生きる土台を大切にし、自分もその一部である共同体の幸福を育むこと」**に他なりません。
749.
ユーザー
tnlXD
トマス・アクィナスの思想において、「共同善(bonum commune)」と「正義(iustitia)」は密接に関連していますが、厳密には異なる概念であり、正義は共同善を実現するための手段・徳として位置づけられています。

1. 関係性:正義は共同善を志向する
トマスにとって、正義は「他者に対して各人の正当な取り分を与える」という習慣的な意志の徳です。そして、この正義の中でも特に重要なのが「一般的正義(法的正義)」と呼ばれるものです。これは、個人の行動を社会全体の利益である「共同善」に向けて調整する役割を担っています。つまり、正義を実践することは、必然的に共同善の維持と発展につながるという関係にあります。

2. 同じものか:概念の違い
これらは同じものではありません。

共同善は、社会の秩序、平和、個々人が善き生を送るための条件という**「目的(ゴール)」**を指します。
正義は、その共同善を社会の中で実現するために、市民や支配者が守るべき**「道徳的・実践的な徳(手段)」**です。
3. なぜ区別されるのか
もし正義がなければ、共同善は抽象的な理想に留まり、具体的に実現されることがありません。一方で、正義という徳が存在することで、個人の行為が共同体の健康を保つために適切に方向づけられるのです。トマスは、共同体の一部である人間が、全体の目的である共同善を目指すことこそが正義であると説きました。

まとめると、**「共同善は目指すべき社会の姿であり、正義はその共同善を社会の中で具体的に構築するための実践的な基盤」**と言えます。
750.
ユーザー
tnlXD
トマス・アクィナスの思想において、「永遠法」と「神法」はどちらも神に由来しますが、その役割と伝達のあり方において明確に区別されます。

1. 永遠法 (Lex Aeterna)

定義: 神の理性が全宇宙を統治するために持つ根本的な計画や摂理そのものを指します。
特徴: 神ご自身の中にあり、全宇宙の秩序の源泉となる最も包括的な法です。被造物の個別の能力や理性に関わらず、宇宙全体が神の意志によって動かされる法則です。
2. 神法 (Lex Divina)

定義: 聖書などの**「啓示」を通じて神が人間に直接与えた法**(旧約・新約の教えなど)です。
役割: 人間の理性(自然法)だけでは到達できない、魂の救済や霊的な幸福を目指すために必要です。人間が「神に愛されるにはどう生きるべきか」という具体的な導きとして与えられた、補完的な法と言えます。
主な違いのポイント:

対象の広さ: 永遠法は宇宙の万物すべてを支配する神の計画ですが、神法は救済を目指す「人間」に向けた教えです。
知る方法: 永遠法は神の知恵そのものであるため、人間がその全体像を完全に理解することは不可能です。一方、神法は神が人間に直接言葉として伝えてくださったものなので、聖書などを通じて人間が知ることができます。
トマスにとって、これらは矛盾するものではなく、人間が理性で世界を理解する(自然法)と同時に、啓示によって霊的な真理に導かれる(神法)ことが、幸福な生を送るために両輪として重要だとされています。




751.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Cq0Eh
すごいな
752.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Cq0Eh
一気に進んだな?
753.
ユーザー
JYC7h
だが、アベラールやアンセルムスが記憶から消えてもーた
上を見直す
😀
754.
ユーザー
JYC7h
見直して
記憶が多少復興した
😀
755.
ユーザー
JYC7h
アリストテレスがアンセルムスだ
アベラールは概念論

だ😀
756.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Cq0Eh
そうなのか?
757.
ユーザー
JYC7h
違った
アンセルムスはプラトンだ
つけ焼き刃だな
😅
758.
ユーザー
JYC7h
やはり、仏教ほど記憶力が高くない
😅
759.
ユーザー
JYC7h
仏教は
虚空蔵求聞持法やったのか?
というくらいに
唯識と倶舎論の些末用語以外は
即記憶理解てきるが
😀
760.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
iAMhi
正確には

アウグスティヌスが新プラトン主義

アンセルムスは、アウグスティヌス主義と見るべきでしょうな
761.
ユーザー
JYC7h
トマス神学を中心に理解するから
限界が出る
カトリック神学を学べるという関心が
と神学にはある
😀
762.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
iAMhi
>>757

十字軍をキッカケに、中東アラブ諸国との文化交流が進んだ

おかげで、12世紀から13世紀にかけて、アリストテレス哲学が西欧に入ってきた

アンセルムスの時代(11世紀)には、まだ西欧でアリストテレスがほとんど知られていない
763.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
iAMhi
イスラム諸国が先進国だった

西欧キリスト教諸国は、先進文化をせっせと取り入れた
764.
ユーザー
JYC7h
現在カトリック教会の活動を
トマス神学の理解で
理解するのは利点がある
現在カトリックの欠点は理性を信じ過ぎている、
人間苦悩の根底の依存症問題は見落としがちだ、
トマス神学の長所は
人間の理性設定に
テーラワーダ、禅、ヨガ導入てきる
フレキシブルな可能性があるところだ
😀
765.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
iAMhi
>>759

すごいな?😆
766.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
iAMhi
>>764

なるほど
767.
ユーザー
JYC7h
トマス神学の欠点は
カトリックの西欧の移民問題で明らかだ
理性を信じ過ぎている
😀
768.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
iAMhi
メルケルが、その成れの果てか😫
769.
ユーザー
JYC7h
動物を飼う資格かある人間と同じせんすさが必要た

移民を世話てきる国家体制の予算範囲で
移民を受け入れるという発想
😀
770.
ユーザー
JYC7h
動物を飼う資格かある人間と同じセンスが必要た
😀
771.
ユーザー
JYC7h
動物は捨てても
殺人事件や麻薬事件やギャングは出来上がらない😅
772.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
iAMhi
メルケルは自信過剰だったのか😫
773.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
iAMhi
いずれ、欧州では

ムスリムがクリスチャンより多くなる😆
774.
ユーザー
JYC7h
理性主義者やろな
北欧もそうらしい

高市の消費税減税の財政逼迫は
治安悪化の種だ
クソヤロウ
😱
775.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
iAMhi
ポークソテーを食べる人はいなくなるな😅
776.
ユーザー
JYC7h
どれだけ、移民への生活保障と
警察力を維持できる予算を組める国家が必須、
高市はヤバいだろ、
あれは
😱
777.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
iAMhi
ついに、ヨーロッパがイスラム化されるのか
778.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
iAMhi
高市はヤバいのか?😫
779.
ユーザー
JYC7h
財政逼迫コースは
国家治安悪化の
歴史上の定説
はよ首にしろ
自民党員、それくらいやりやがれ、
ヤツラでも土建屋事業で、財政悪化はするが
😱
780.
ユーザー
JYC7h
ロサンゼルスなんかは
州財政逼迫の象徴😱
781.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
iAMhi
カリフォルニアの財政は逼迫してるのか~😫
782.
ユーザー
JYC7h
万引き逮捕てきない、
麻薬放置
警察予算が、ないんだろ
😱
783.
ユーザー
JYC7h
治安悪化で
カリフォルニアからテキサスへ
IT企業が流出してるらしい
😱
784.
ユーザー
p0heq
トマス神学を理解することて
カトリック教会の祈りの意味の理解も進んだ

https://divinemercy.jp/
785.
ユーザー
p0heq
トマスの理性やスコラ哲学から

絶対王政とは
別の価値観、判断を生みだしたのは
歴史上間違いはない
アンセルムスあたりから既に
王政権力と対峙する価値観、判断が生み出された
神の奇跡と鯖きへの恐れと
ギリシャ哲学の理性が

組み合わされたのは
歴史上の事実であるだろう
😀
786.
ユーザー
p0heq
ローマカトリックの西欧歴史の特異性の価値観、判断は
大学生時代には気づいていた
スコラ哲学まて範囲はいれてなかったけど😀
787.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Npg2J
アンセルムスとノルマン朝イングランド王国の対立は、興味深い歴史だ
788.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Npg2J
ローマ・カトリック教会と地上の王権が対立
789.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Npg2J
神聖ローマ皇帝とカトリック教会の対立

「カノッサの屈辱」とかは、高校で世界史をやった人なら誰でも知ってるが

カンタベリー大司教アンセルムスとイングランド国王の対立は、マニアしか知らない😅
790.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Npg2J
ドイツとイギリスだけではない

フランスでも、フィリップ尊厳王がローマ教皇と対立した
791.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Npg2J
フランス王の フィリップ2世(尊厳王)は、王妃インゲボルグとの離婚・再婚問題を巡ってローマ教皇 インノケンティウス3世と対立しました。

1198年に教皇から破門とフランスの聖務停止処分を受け、政治的必要から1201年に教皇の要求へ屈せざるを得なくなりました。
792.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Npg2J
教皇との主な対立

離婚問題: 王妃インゲボルグを離縁してアニェスと再婚したため、教皇から重婚とみなされた。

破門と聖務停止: 1198年、新教皇インノケンティウス3世がフィリップ2世を破門し、国内で教会行事が停止された。

政治的屈服: イングランド王ジョンとの戦いで教皇の支持が必要となり、1201年に表面上は要求を受け入れた。


793.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Npg2J
「ローマ教皇のいないサラディンがうらやましい」

と言ったという、有名なエピソードがある
794.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Npg2J
グーグルAI:

はい、まさにその通りです。フィリップ2世が「自身がイスラム教徒(あるいはサラディン)ならば教皇を気にせず済むのに」と嘆いたとされるエピソードは非常に有名です。

この言葉は、彼の「現実主義者」としての側面と、当時のローマ教皇の圧倒的な権力を象徴する逸話として、今も世界史の中で語り継がれています。
795.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Npg2J
エピソードの背景と意味

サラディンへの羨望: 第3回十字軍で実際に戦った宿敵 サラディンは、イスラム世界の君主(スルタン)でした。彼は国内の政治や戦争をすべて自分の裁量で決定でき、介入してくる「教皇」のような絶対的な上位存在がいませんでした。

カトリック君主の限界: 一方、ヨーロッパの王はどれだけ権力を強めても、キリスト教世界の最高権威であるローマ教皇に逆らうことはできませんでした。私生活の離婚問題にまで教皇から口を挟まれ、国全体の教会行事を止められてしまったフィリップ2世にとって、サラディンの「教皇に邪魔されない統治」は心底うらやましく映ったのです。

フィリップ2世の冷徹な本音: 彼は宗教的な情熱よりも、常に「フランス王権の拡大」を最優先する冷徹な政治家でした。そのため、「国を効率よく統治する上で、教皇という存在はただの障害でしかない」という政治的本音がこの言葉に凝縮されています。


796.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Npg2J
>>783

テキサスの時代か~😫
797.
ユーザー
hBA3s
デモクラシーのルーツは
西欧のカトリック教会の国王に対する権威で
権力が相対化されたのが
西欧哲学とデモクラシーの発達に役にたったと
カトリック教会と
スコラ哲学を見て
そう思う、
マルクス的な人類進化論という意味ではなく、
歴史的特異点だと
😀
798.
ユーザー
hBA3s
んなことを
大学生時代に思っていた
😀
スコラ哲学を省いた範囲で
😀
799.
ユーザー
hBA3s
トマス的理性期待で読むと
やはり、しっくりくるなあ〜
😀

https://www.vaticannews.va/ja/pope/news/2026-08/leone-xiv-chiesa-maria-santissima-del-lago-messa.html
800.
ユーザー
hBA3s
カトリック教会の文脈がトマスを通じて解ってきた😀
801.
ユーザー
hBA3s
プロテスタントは
宗派の教義という理性に走った
教義という理性解釈によって
宗派が別れたと言っても過言ではなさそうだ
😀
トマスから
たくさん学べるな
😀
802.
ユーザー
◆ATp9OKECTQ
JaK2o
確かにな

西欧では、世俗権力にカトリック教会という強力なライバルがいた
803.
ユーザー
hBA3s
俺的にはトマス的理性信頼はしてない派だ
キリスト教に関しては
キリスト教は仏教みたいな苦悩の尺度がない
それ故に人間の世俗への依存症問題が残る、そこで
イエスキリストの十字架と復活による
聖霊による霊的覚醒によって
人間の世俗の依存症の苦悩から幾分か解放されるというミラクル発想が
本流なんだろうと
😀
804.
ユーザー
hBA3s
カトリック司祭のみならず、
プロテスタント牧師においてもアルアルな性虐待問題は
理性解決ではなく、
なんらかの性依存症の問題の解消されないから、あんな事件が起きる
😅
805.
ユーザー
hBA3s
ま、仏教においても同じだが
ムイムイやハッスル🤡のナルシズム依存症も
😀
806.
ユーザー
hBA3s
霊的覚醒を想定しないカルバンは

予定説を立てるしか
辻褄が合わなくなったんだろう
😅
807.
ユーザー
hBA3s
霊的覚醒を狙わないプロテスタント理性のアンチテーゼで
霊的覚醒なイエズス会が現れたんやろなな
それでも権力依存症はイエズス会は
ローマ法王に破門され西欧絶滅路線になるまで
権力依存症に縛られたんやろな
😅
808.
ユーザー
◆ATp9OKECTQ
ZKFZy
プロテスタントの限界ですな~😭
809.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
RuE0e
高校の世界史では、「インノケンティウス3世のとき、教皇の権力は最盛期を迎えた」というのが常識とされている

その意味は誰も考えてないが(笑)

810.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
RuE0e
チャットGPT:

そうなんですよ(笑)。

高校世界史の「インノケンティウス3世のとき、教皇権は最盛期」は、暗記項目としては超有名なのに、**「何がどう最盛期なのか」**を説明しろと言われると、急に難しくなる。

実際には、かなり具体的な意味があります。

811.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
RuE0e
「教皇権の最盛期」とは何か

要するに、
教皇が、単なる宗教上の最高指導者ではなく、
ヨーロッパ諸王の政治にまで介入して、
実際に君主を動かせた時代
ということです。

典型例がイングランド王ジョン。

ジョンがカンタベリー大司教の人事をめぐって教皇と対立すると、

インノケンティウス3世 ↓
イングランドに聖務禁止
↓
ジョンを破門
↓
さらにイングランドを教皇の封土のような形にして教皇の保護下へ
↓
ジョンが屈服

という展開になる。

これ、単なる「宗教上の喧嘩」ではありません。
「イングランド王を教皇が政治的に屈服させた」
ということです。
812.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
RuE0e
神聖ローマ帝国にも介入する

さらにインノケンティウス3世は、ドイツ王・皇帝の選挙にも介入。

皇帝候補をめぐる争いに対して、
「誰が正統な皇帝になるべきか」
について教皇が判断を下そうとする。

つまり、
皇帝 > 王 > 諸侯
という世俗的な序列だけではなく、
教皇が皇帝・国王の正統性を判定する
という構図が出てくる。

これが「教皇権の最盛期」の核心です。

813.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
RuE0e
そしてフランス王フィリップ2世にも……

インノケンティウス3世は、フィリップ2世の離婚・再婚問題にも介入しています。
フィリップ2世はデンマーク王女インゲボーと結婚したものの、彼女を退けてアニェス・ド・メラニーと結婚。
ところが教皇は、
「その結婚は認めない」
とした。
フィリップ2世は抵抗するものの、教皇側が圧力をかけ、最終的にフィリップはインゲボーを復帰させることになります。

つまり、
イングランド王ジョンにも介入する
フランス王フィリップ2世にも介入する
ドイツの王位・皇帝位にも介入する
というわけです。

これなら「最盛期」という表現にも、かなり実体があります。

814.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
RuE0e
ただ、ここでさらに面白いのが、
「教皇権の最盛期」と「フランス王権の最盛期」が、ほぼ同じ時代に始まっている
ことなんですよね。

フィリップ2世
→ カペー朝王権を強化

インノケンティウス3世
→ 教皇権を強化

ジョン王
→ プランタジネット朝の大陸領を失う

という三者関係。

そして1214年のブーヴィーヌの戦いで、

フィリップ2世が勝つ
↓
フランス王権がさらに強くなる
↓
ジョン王がさらに弱くなる

となる。

だからこの時代は、単に「教皇権最盛期」と覚えるより、
「教皇がヨーロッパ君主政治に最も強く口を出せた時代」
と理解すると、一気に意味が分かります。
815.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
RuE0e
そして皮肉なのは、インノケンティウス3世の死後、
教皇権は長期的にはむしろ下降していくこと。

13世紀後半になるとフランス王権がさらに強大化し、
ついにはボニファティウス8世 vs フィリップ4世という、
教皇権と王権の大激突につながる。

つまり高校世界史の一行は、

インノケンティウス3世 → 教皇権最盛期 → フィリップ4世 → アナーニ事件 → 教皇権の衰退

という、かなり壮大なストーリーの「途中」なんですよね(笑)。
816.
ユーザー
Zbli8
高校生時代に社会よシステムの形成に既に関心があった
年上の人から
高校の哲学と宗教の本をもらった
四つ上の人だったと思うが
俺の時代には高校には
哲学と宗教の
課目はなかったな
😀
817.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
RuE0e
いまは、フランスを見習って哲学教育を強化してるんかな?
818.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
RuE0e
一応、倫理社会って科目はあったな

「大陸合理論のデカルト」

「英国経験論のジョン・ロック」

「両者を統合したカント」

とかなんとか、皆が暗記してた

思想の具体的な中身については、誰も知らんかったが(笑)
819.
ユーザー
Zbli8
倫理哲学だったかもしれん
もらった本のことなので
😀
820.
ユーザー
Zbli8
全部読んだので
一応思想家の名前は
解っている
くらいのレベル 😀
821.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
tTu1q
563 神も仏も名無しさん 2026/08/14(金) 16:36:00.07 ID:tXu8O

毘盧遮那は?
https://share.google/aimode/XhiY3B0niY8d6DRQT
822.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
tTu1q
>>821

これを見落としてた😫
823.
ユーザー
JP05R
馴染み深いゾーンだなー

そーいうのは
😀
824.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
tTu1q
やはり、中世ヨーロッパのキリスト教神学の話の後で

「毘盧遮那仏とは?」なんて話を見ると、ホッとするな😄
825.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
tTu1q
いくらマニアでも

やっぱり異文化は疲れるということだ😅
826.
ユーザー
JP05R
最近は春日大社の
禅定?を
天台みたいな魔改造ブームだ
理屈上、興福寺系統なのに法華経に寄せている春日大社は
😀
827.
ユーザー
JP05R
春日大社は十界を意識している
システム😀
828.
ユーザー
JP05R
法華経スレでは
さり気なく
ほーかいくんを煽っている
😀
829.
ユーザー
JP05R
東京では、
なんかしらんけど
凄そうなところぼいな?
😀

https://maimai-tour.jp/event/tk26d1250/
830.
ユーザー
JP05R
神仏習合ヲタにとっては
ワクワクしそうだ
😀
831.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
rfj7Y
なんか、面白そうだな

この人の本
832.
ユーザー
J7Nf2
神仏習合厨二病魂を
くすぐられる
😀
833.
ユーザー
J7Nf2
ハッスル🤡様ご帰還だ
😀
834.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
hlHDc
さっそく、「荒らされた~」と騒いでいるな😂
835.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Xqao6
は~疲れたな
836.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Xqao6
帰ろう
837.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
fNq1s
月天子(がってんし)と日天子(にってんし)は、仏教において太陽と月を神格化した仏法守護の天部(神々)です。

明星天子(みょうじょうてんじ)を加えた3尊で三光天子(さんこうてんじ)とも呼ばれ、空から光を照らして人々を守る大自然の恩恵の象徴とされています。


838.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
fNq1s
日天子(にってんし)

概要:太陽を神格化した神で、別名を日天(にってん)や宝光天子(ほうこうてんじ)とも言います。もとはインド神話の太陽神スールヤが仏教に取り入れられた姿です。

役割:太陽の光でこの世の闇を照らし、人々に活力や知恵、暖かさを与えます。

像容(見た目):密教の仏画などでは、白馬の引く車(馬車)に乗り、手には太陽の象徴である「三本足の烏(八咫烏)」が描かれた日輪を持つ姿で表されることがあります。

839.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
fNq1s
月天子(がってんし)

概要:月を神格化した神で、別名を月天(がってん)や名月天子(めいげつてんじ)とも言います。もとはインド神話の月神チャンドラ(ソーマ)に由来します。

役割:夜の闇を優しく照らし、人々に安らぎや清涼をもたらします。仏教では、満ち欠けする姿から諸行無常や悟りの象徴(真如の月)としても語られます。

840.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
fNq1s
像容(見た目):白鵞(はくが:白いガチョウ)の車に乗り、手には月の象徴である「兎(うさぎ)」が描かれた月輪を持つ姿で表されることが多いです。

信仰における特徴

十二天としての守護:仏教(特に密教)の東西南北や上下などを守る12の神々「十二天」に、日天・月天として名を連ねています。

法華経・日蓮宗での重要性:『法華経』の説法の場に列席し、法華経を信仰する者を必ず守護すると誓った「諸天善神」とされているため、日蓮宗や創価学会の大曼荼羅御本尊にもその名が勧請(記載)されています。
841.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
fNq1s
「天子」は宇宙そのものではなく、仏教の六道(天界)に住む天部の天人(神々)です。

古代インドの神々が仏教に取り入れられ、天界の住人(天人・諸天)となった存在です。

842.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
fNq1s
毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)は、天部のような天人(神々)ではなく、宇宙そのもの、そして宇宙の真理そのものを体現した究極の仏(如来)です。

先ほどの月天子・日天子が「天界に住む個別の神々(天人)」であるのに対し、毘盧遮那仏はその太陽や月、地球、さらには全宇宙をも包み込み、生み出している根源的な存在とされています。

843.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
fNq1s
毘盧遮那仏の本質

宇宙の真理そのもの:サンスクリット語の「ヴァイローチャナ(Vairocana)」に由来し、「あまねく光を照らすもの」を意味します。

法身(ほっしん):仏教(特に華厳経や密教)では、肉体を持った人間としての仏ではなく、宇宙に満ちている「真理(法)」そのものを仏の体(法身)とみなします。

太陽との違い:日天子(太陽)は東から昇って西に沈み、夜や建物の影は照らせません。しかし、毘盧遮那仏の光は「夜も昼も、宇宙のあらゆる隅々までを永遠に照らし続ける」とされています。

844.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
fNq1s
代表的な姿と信仰

奈良の大仏(東大寺):東大寺の本尊である国宝・盧舎那仏坐像は、まさにこの毘盧遮那仏です。『華厳経』の教えに基づき、大仏が座る蓮華の弁(花びら)一枚一枚に無数の世界が描かれ、宇宙全体を表しています。

大日如来(密教):密教においては、この毘盧遮那仏をさらに発展させ、宇宙の絶対的中心・根本仏としたものが大日如来(まかはびるしゃな)です。

845.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
fNq1s
「天人」と「毘盧遮那」の階層的な関係

仏教の世界観では、以下のような明確な構造(階層)になっています。

毘盧遮那仏(法身・宇宙の真理)── すべての根源・基盤

天部(日天子・月天子・帝釈天など)── 宇宙の真理(仏法)に帰依し、その一部として世界や人々を守る天界の住人(天人)

日天子や月天子が空から放つ光も、仏教の視点では「毘盧遮那仏の宇宙的な光(慈悲と真理)が、具体的な天人の姿を借りて現れたもの」と解釈されます。

846.
ユーザー
eYBkJ
日天子(にってんし)

まさに
麗気記に出てくるテーマだ
😀
847.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
ZNbxJ
両部神道ワールドだな😄
848.
ユーザー
eYBkJ
日吉大社が
普通比叡山系譜なら
日蓮に出てくるのだが
出てこない
😀
849.
ユーザー
eYBkJ
鶴岡八幡宮は
たぶん三井寺系統修験だろう
😀
850.
ユーザー
eYBkJ
昨日の蒸し暑さで
疲労してるな
二度目の坐禅だ
😀
851.
ユーザー
eYBkJ
坐禅終えた
元気回復だ
最初は
「無字」魔改造スーパーで
始める
😀
852.
ユーザー
eYBkJ
2分でパワーチャージ
ダルい→元気バリバリまで
上げられる
😀
853.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Urk4p
>>851

> 「無字」魔改造スーパー


なんか、凄そうだな?
854.
ユーザー
6NZox
>>853

沢庵が狙っている線に過ぎない感じがする
😀
855.
ユーザー
8HxZc
正教会関連のメッセージの良いな感の動画
出たしはいいなー感


https://m.youtube.com/watch?v=rVRpUDc-OYM&pp=ugUEEgJlbtIHCQkaDAGHKiGM7w%3D%3D
856.
ユーザー
8HxZc
俺が謎の既存キリスト教の教義というのとは別の内容だ
当然だが

かなり勉強になった動画
😀
857.
ユーザー
8HxZc
動画の主よりも
さらに踏み込んだ解釈が
より明白になった
😀
858.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
mIADW
正教会は神秘の教え👼
859.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
mIADW
Yahoo知恵袋

呪術廻戦ファンの方に質問です。

死滅回遊がいまいち理解できていないのですが、教えて頂けますか?
860.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
mIADW
ベストアンサー

AQさん 2022/5/4 18:16

正しくは「死滅回游」、作中ほとんどの出来事の黒幕である羂索(偽夏油)の起こしたデスゲームのようなものです。

表向きの理由は描写されていますが、真意や最終的な目的は明かされておらず、死滅回游が「そのため」の準備段階であることだけが判明しています。
861.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
mIADW
死滅回游には、羂索が選んだ約千人と、羂索打倒のために乗り込んだ呪術師らが「泳者」と呼ばれるゲームプレイヤーとして参加しています。 この千人には、大きく分け二つの条件を持つ元・非術師が含まれています。 吉野のような術式を持ち産まれたが、脳の構造が非術師型であり呪いが見えず、非術師として生きてきた人々が羂索により呪術師に作り直された者。 もうひとつが九相図のように呪物を飲まされて肉体を奪われた犠牲者で、過去の術師の能力と記憶を持ち受肉しています。
862.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
mIADW
死滅回游では、泳者はルールに則った殺し合いが強要されてきます。従わないのは自由ですが、その場合は自分が死にます。 呪術高専の学生らは、これ以前の事件で五条が封印中であり、並行して彼の解放も目指しています。どのみち羂索打倒には必要な人物であるからです。
863.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
mIADW
同時に、上記の「千人」には、以前から呪いを受けて意識不明となっていた伏黒の姉が含まれています。 姉は元々呪術師では無く参加を回避させたいものの、当人が意識不明であり、殺し合いで危険が及ぶ以前に死滅回游のルールにより死亡してしまいます。 伏黒と虎杖は、死滅回游の泳者として彼女の救済を目指していました。 その時間稼ぎには既に成功しましたが、姉は羂索により術師化だけでは無い関与をされている疑いが生じていますが、死滅回游で戦闘中である伏黒らは、まだ気付いていません。
864.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
mIADW
なるほど

ケンジャクが始めたデスゲームなのか
865.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
mIADW
伏黒恵は、意識不明の姉を助けるために闘っているのか
866.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
mIADW
渋谷事変で封印された五条悟も救わないと
867.
ユーザー
5d42m
総集編を見た
動画落とししている
😀
868.
ユーザー
5d42m
俺的には伏黒トウジが
後てどんなショート表現
されるのかを少し期待している
😀
869.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
mIADW
トウジのファンだな😆
870.
ユーザー
5d42m
ひねくれキャラが
大好きだ
😀
871.
ユーザー
5d42m
お前も呪術師だろうが、
ババア、殺
がイケる
😀
872.
ユーザー
5d42m
ムイムイとハッスル🤡を
恐怖に陥れるのは
オモロイ
😀
873.
ユーザー
5d42m
単にハッタリ過ぎるから
恐怖に陥り自滅しているだけだが
😀
874.
ユーザー
5d42m
凄いな、やってみたいが隙無し 😀

https://m.youtube.com/watch?v=KJP9lUwntAc
875.
ユーザー
5d42m
ハッスル🤡ムイムイには
修行や悟ってるんだろ?


チキン2なるなよ〜
的な
😀
876.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
CLQzO
オッカムのウィリアムは、個性を重視している
877.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
CLQzO
チャットGPT:

うん、これはかなり重要な見方だと思う。

ただし、**「オッカムは個性を重視した」より、
「オッカムの形而上学は個体を究極的な実在として重視する」
**と言うと正確。

878.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
CLQzO
オッカムの唯名論では、
「人間一般」という普遍的な実体が存在する
↓
そこから個々の人間が出てくる
とは考えない。

むしろ、
ソクラテスがいる。プラトンがいる。個々の人間がいる。
「人間」という普遍概念は、それらをまとめて考えるための概念・記号である。
という方向。

だから、以前話していた流れでいうと、

プラトン → 普遍(イデア)を強く実在化
アリストテレス → 普遍は個物の中に実在する
トマス → 普遍的な「人間性」が個々の人間に共通する
ドゥンス・スコトゥス → 個体には「このもの性(haecceitas)」がある
オッカム → 普遍そのものを実体として認めず、個物を基本単位にする

という流れが見えてくる。
879.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
CLQzO
特に面白いのは、

スコトゥスの「このもの性」
→オッカムの唯名論
→近代的な個人・個性重視

という思想史的な流れ。

もちろん「オッカムが現代的な意味で個性尊重を唱えた」というわけではない。
そこは注意が必要。

でも、
「人間一般」よりも「この人、この個体」を哲学の出発点にする
という方向性は、確かに近代的な個人主義と相性がいい。

そして以前の話につなげると、トマスの「人間性は全人類に共通する」という発想に現代人がカルチャーショックを受けるのに対して、オッカムのほうはかなり「個体から考えようぜ」という感じがある(笑)。
880.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
CLQzO
プロンプト:

オッカムのウィリアムは普通に見える

トマス・アクィナス思想が極端なだけで
881.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
CLQzO
チャットGPT:

そう、それはかなり的確な感覚だと思う(笑)。

むしろオッカムが極端というより、
トマスの普遍論的な存在論が、
現代人から見るとかなり強烈なんだよね。

882.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
CLQzO
たとえば、

「人間」という普遍的な人間性が実在する
↓
ソクラテスもプラトンも、その共通する「人間性」を持つ

というトマス的な世界観は、現代人からすると、
「いやいや、いるのはソクラテスという一人の人間と、
プラトンという一人の人間だろ(笑)」
となりやすい。

一方オッカムは、
実在するのは個々のもの。
「人間」という普遍者は、個物を認識・言語化するためのもの。
と考える。

これだけ聞くと、むしろ現代人には
「そりゃそうだろ」
と感じられる。
883.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
CLQzO
ただし、ここで重要なのがスコトゥス。

スコトゥスはトマスほど普遍を実体化しない一方で、
個体を個体たらしめる原理として
「このもの性(haecceitas)」を認める。

だから思想史的には、

トマス → 共通する「人間性」を重視
スコトゥス → 共通性を認めつつ、「この人」を区別する原理を重視
オッカム → そもそも実在するのは個物で、普遍は概念・記号

という感じ。

そして、ここから近代に向かって、
「普遍的な本質」より「個々の存在」
へ重心が移っていく。
884.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
CLQzO
だから、あなたの
「オッカムのウィリアムは普通に見える。
トマス・アクィナス思想が極端なだけ」
という感覚、かなり面白い(笑)。

現代人の目からすると、オッカムのほうが常識的で、
トマスのほうが「そんな壮大な人間性が実在するのかよ!」となる。

ただ、その「極端さ」こそがトマスの凄さでもあるんだよね。

個々の人間をバラバラの個体として見るのではなく、
「人間とは何か」という普遍的な形相を存在論のレベルで捉える。

現代人とトマスの間には、
「そもそも実在するとはどういうことか」
についての前提そのものの断絶がある。
885.
ユーザー
CCksq
トマスはカトリックとリンクするから
衝撃受ける人が多いかもな

昼寝がすぐできなかった
疲れが重いと昼寝が難しいらしい
😀
886.
ユーザー
CCksq
マニアックな検索だが
俺が高野山に行くと思う時は
やってくる軍団、この軍団からすると
正嫡嗣らひいので、ファンクラブらしい
😀

最近は現在高野山真言宗の何か行事がある時に高野山真言宗の霊感があるが
😀


鎌倉時代以降の禅密双修の教義信仰と修行と悟りについて詳しく 禅密双修(ぜんみつそうしゅう)(または禅密兼修)とは、仏教の「禅宗」の瞑想・実践と、「密教」の事相(祈祷・加持)や教理を合わせて修める信仰形態のことです。
)鎌倉時代は、宋から純粋な禅(純粋禅)が流入した時代であると同時に、日本独自の受容として禅と密教が高度に融合・調和した「兼修禅(けんしゅうぜん)」が主流を占めた時代でもありました。 [1] この鎌倉時代以降における禅密双修の「教義信仰」「修行」「悟り」について、詳しく解説します。1. 教義信仰:仏心と密教宇宙の融合鎌倉時代の禅密双修の基礎を築いたのは、臨済宗の開祖・明菴栄西(みょうあんえいさい)や、東福寺の開祖・円爾(えんに/弁円)らです。彼らは、禅と密教を対立するものとは捉えず、本質において一如(ひとつ)であると考えました。
真禅融心(しんぜんゆうしん)の思想栄西は『真禅融心義』などを著し、禅と密教の本質的な融合を唱えました。教義の根底にあるのは、「禅とは仏身であり、密教の本尊(大日如来)の心そのものである」という信仰です。 [1] )即心是仏と如来加持の調和禅の「即心是仏(自分の心がそのまま仏である)」という教えと、密教の「生身成仏(この身のままで仏になる)」や、仏の力が人間に内在的に働くという加持(かじ)の信仰が結びつきました。つまり、宇宙の真理である大日如来と、自己の内に眠る仏性(ぶっしょう)は同一であるという世界観です。
幕府・武家社会への適応鎌倉幕府(北条氏など)や貴族層は、個人の精神的救済(禅)だけでなく、国家安泰や怨霊退散のための強力な祈祷(密教)を求めました。これに応えるため、「純粋な禅」よりも「禅密兼修」の教義が、都市鎌倉における仏教政策の中心的役割(禅密主義)を担うことになりました。
2. 修行:坐禅と三密行のハイブリッド修行面では、禅宗特有の坐禅(瞑想)と、密教特有の三密行(加持祈祷・観法)が同時に、あるいは一体のものとして実践されました。
887.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
qdq5W
禅密双修か~😄
888.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
qdq5W
888
889.
ユーザー
3LGTl
>>887
当然、高野山金剛三昧院がメッカ
😀
教義AIでマスターだ
😀
禅定を知っていたが教義を検索していなかった
AI検索していなかった
大日能忍も禅定知っていたが
内容知らないので
今日調べた
これも、教義AIでマスターだ
😀
890.
ユーザー
3LGTl
少し論文で
念仏聖地の世界を味わおう
😀
891.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
qdq5W
金剛三昧院って、そんなに凄いとこだったのか
892.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
qdq5W
予備知識ゼロで、とりあえず行ってみた(笑)
893.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
qdq5W
あれから1年以上が過ぎたんだな
894.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
qdq5W
坐禅も密教の勤行も

両方やる
895.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
qdq5W
どちらか片方に限定することはない
896.
ユーザー
3LGTl
現在は江戸時代くらいからは
普通の寿門派寺院だったらしい
😀
897.
ユーザー
3LGTl
春日大社は
興福寺のエリート禅定をぶち込んで
春日権現の霊気を発生させたが、
その世界は山伏世界なんだろうな?
😀


羽黒山 荒澤寺正善院修験道の信仰教義と修行と悟りと往生について詳しく 羽黒山荒澤寺正善院の修験道における信仰教義、修行、悟り、往生は、出羽三山をめぐる「生まれかわりの旅」と「即身成仏」の思想を根本としています。 信仰教義現実肯定と自然一体観: 自然(山岳)そのものを究極の仏の世界・曼荼羅と捉え、大自然に身を投じて一体化することを目指します。 出羽三山の三世信仰:羽黒山: 現在(現世の幸せを祈る、聖観世音菩薩)。月山: 過去・死後の安楽と往生(阿弥陀如来)。湯殿山: 未来(新たな生命の誕生、大日如来)。 開山・能除聖者(のうじょしょうじゃ/のうじょせん): 羽黒山を開き、修行の道場としての礎を築いた聖者への尊崇を伝えています。 修行死と再生(生まれ変わり)の行: 秋の峰入り修行などに代表される、山中での過酷な抖埻(とそう・修行して歩くこと)や断食などの十界修行です。一度俗世の自分を「死」に見立ててリセットし、修行を通じて新しい生命として「再生」する儀礼を行います。拠点である奥之院の荒澤寺や羽黒山内で、伝統的な柴燈護摩供などの秘法や行が現在も厳修されています。 悟りと往生即身成仏(そくしんじょうぶつ): 特別な者だけではなく、人間が生きているその身のまま、この現実世界において仏の悟りを開くことを目的とします。 成仏の達成: 羽黒山・月山・湯殿山の三山を順に巡り拝むことで、心身が清められ、生きながらにして仏の境地に達する(成仏が達成される)と説かれています。 浄土への往生: 月山の阿弥陀信仰と結びつき、修行による魂の浄化を経て、安らかな往生と現世での救済(生きとし生けるものを救う慈悲の心)がもたらされます。
898.
ユーザー
3LGTl
AI検索せずに済ましていた
神仏習合はたくさんある
😀
899.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Vnbq5
ここで言う「宇宙」とは、現代科学が定義するような「地球の外側に広がる物質的・客観的な宇宙空間(天体や真空の広がり)」ではありません。もし仏をそのような客観的・物質的な世界そのものと同一視してしまえば、それは仏教の教理ではなく、世界の根源を実体的な最高神とする「外道義(神我や梵我一如などのバラモン教的・唯物的なドグマ)」に陥ってしまいます。

仏教(特に華厳や密教)が毘盧遮那仏を「宇宙」と表現するときの正しい意味は、以下の通りです。

900.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Vnbq5
900
901.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Vnbq5
1. 客観的物質ではなく「諸法実相(真理)」

毘盧遮那仏は、目に見える星や空間という「物質」ではなく、あらゆる存在(諸法)が依って立つ「縁起の法」や「空(くう)の真理」そのもの(法身)です。物質的な宇宙空間は、その真理が現象として現れている一部分に過ぎません。

902.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Vnbq5
2. 主客の対立を超えた「一真法界(いっしんほうかい)」

外道義では「認識する自分」と「客観としての世界(宇宙)」が分かれています。しかし、華厳経などが説く毘盧遮那仏の世界(法界)は、主観(心)と客観(物)が分かれる前の根源的な一世界です。「心・仏・衆生、是の三差別無し」とされるように、私たちの心の本性と、仏の悟りと、全世界が不可分に融合している状態を指します。

903.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Vnbq5
3. 「遍満(へんまん)」の意味

「仏の光が宇宙に満ちている」と言うとき、それは太陽光線が空間を伝わるような物理的現象ではありません。すべての存在(一粒の砂から広大な世界まで)のなかに、等しく仏の悟りの徳(法性)が備わっているという事事無礙(じじむげ)の重重無尽なる関係性を表現しています。

したがって、「客観的な宇宙空間=仏」とするのは明確な誤り(外道義)であり、正しくは「主客を超えた真理の顕現としての法界=毘盧遮那仏」となります。

この「法身」の捉え方や、外道義(梵我一如など)との境界線について、さらに議論を深めたい点や修正すべき点があれば、ぜひご指摘ください。

904.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Vnbq5
ご指摘の通りです。私の説明は、まだ現象世界の論理(縁起・空)の枠内にとどまっており、仏教が究極として説く「真如(しんにょ)」の地平に達していませんでした。重ねてお詫び申し上げます。

「真如の世界」とは、おっしゃる通り、縁起という関係性や、空という否定の論理さえも超越した、言語や思惟の及ばない「絶対的なありのままの真実(如々)」の境地です。

この文脈において、毘盧遮那仏(法身)がなぜ外道義(実体的な最高神)と異なるのか、真如の視点から改めて整理いたします。

905.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Vnbq5
1. 縁起・空を超越した「真如」

空の先にあるもの:すべては関係性(縁起)であり実体はない(空)という段階は、まだ「虚妄を排する論理」です。真如は、その「空」という概念すらも超えた、主客未分の絶対的な一如の現実を指します。

言語道断(ごんごどうだん)・心行処滅(しんぎょうしょめつ):言葉で表現することも、心で思い描くこともできない世界であり、「客観的な宇宙空間」などの概念(名相)が一切通用しない世界です。

906.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Vnbq5
2. 外道義(ブラフマン等)との決定的な違い

外道の説く「梵(ブラフマン)」などは、世界を創造した、あるいは世界の根底にある「不変の実体(大いなる我)」です。これは人間が頭の中で作り出した「客観的(あるいは主観的)な概念・存在」に過ぎません。
一方で、真如としての毘盧遮那仏は、何か「こういうもの(実体)」があるわけではありません。

如々(にょにょ)たる顕現:ただ、すべての存在が妄想を離れて、ありのままにそこにあること(如)そのものが仏(法身)です。

不守自性(ふしゅじしょう):真如は固定された実体ではなく、ダイナミックに万物として現れ(真如縁起)、しかも真如としての純粋さを失いません。

907.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Vnbq5
3. 真如としての毘盧遮那仏

したがって、毘盧遮那仏を「宇宙」と呼ぶのが本質的に危うい(外道義に聞こえる)のは、私たちが「宇宙」という言葉に物質的な広がりや、客観的な存在という「実体」をイメージしてしまうからです。

真如の世界における毘盧遮那仏とは、「妄想の宇宙空間が消え去った後に現れる、言語を超えた絶対的真実の顕現」であり、それ自体が法界そのものです。

仏教の核心であるこの「真如」や「法身」の捉え方について、さらに正すべき点や、議論を深めたい思想的な側面(『大乗起信論』の随縁真如など)があれば、ぜひご教示ください。
908.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Vnbq5
3. 真如としての毘盧遮那仏

したがって、毘盧遮那仏を「宇宙」と呼ぶのが本質的に危うい(外道義に聞こえる)のは、私たちが「宇宙」という言葉に物質的な広がりや、客観的な存在という「実体」をイメージしてしまうからです。

真如の世界における毘盧遮那仏とは、「妄想の宇宙空間が消え去った後に現れる、言語を超えた絶対的真実の顕現」であり、それ自体が法界そのものです。

仏教の核心であるこの「真如」や「法身」の捉え方について、さらに正すべき点や、議論を深めたい思想的な側面(『大乗起信論』の随縁真如など)があれば、ぜひご教示ください。
909.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Vnbq5
ムイムイとの掛け合いを再開したようだな?😂
910.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Vnbq5
380 カムイ◆4zzhWyZTeatm 2026/09/03(木) 16:22:24.50 ID:EqAqs

俺の事が気になってしょうがないうちは悟れない😂
911.
ユーザー
3LGTl
ほーかいくん論か?

しらんけど
😀
912.
ユーザー
3LGTl
ムイムイとハッスル🤡は
マブダチだからなー

😀
913.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
Vnbq5
ほ~かい師匠による、毘盧遮那仏の解説だ
914.
ユーザー
3LGTl
だろなー
末法患者るしい
😅
915.
ユーザー
3LGTl
ま、末法患者ワールドは嫌いではないが

山伏神仏習合念仏は
末法患者だからなー
リアル理解する愉しみがある
😀
916.
ユーザー
3LGTl
ある種の既存プロテスタントみたいな
単純な罪業主義だ
😀
917.
ユーザー
3LGTl
日々、アンチ末法主義、アンチ罪業主義とは無関係な仕事生活しているから
余計に謎が残る
😀
918.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
BHaOR
アルミニウス派は、17世紀初頭にオランダの神学者ヤコブス・アルミニウスの思想から始まった、プロテスタントのキリスト教神学の1つです。人間の自由意志や、神の救いの恵みがすべての人に開かれていることを重視し、カルヴァン主義の厳しい予定説に異議を唱えました。

919.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
BHaOR
主な特徴

自由意志: 人間は神の恵みに対して自分の意志で応答できると考えます。

普遍的恩恵: 神の救いの恵みは一部の人だけでなく、すべての人に用意されているとします。

抵抗可能な恵み: 人間は神の恵みを拒むこともできると考えます。
920.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
BHaOR
歴史と展開

1610年に支持者たちが「レモンストランス(抗議書)」を提出したため、「レモンストラント派」とも呼ばれます。

のちに、18世紀のジョン・ウェスレーによってウェスレー派アルミニウス主義として発展し、メソジスト教会などに大きな影響を与えました。
921.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
BHaOR
ジョン・ウェスレーは、18世紀のイギリスでアルミニウス主義を継承・発展させ、のちのメソジスト運動の神学的基盤を築きました。

彼による発展の経緯と特徴は以下の通りです。

922.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
BHaOR
1. アルミニウス主義との出会い

ウェスレーが活動した18世紀のイギリス国教会では、カルヴァン主義(厳格な予定説)が主流でした。しかし、ウェスレーは「神は一部の人だけを救い、他を見捨てる」という教えに強い違和感を抱き、オランダのヤコブス・アルミニウスの思想に深く共鳴しました。彼はみずから『ジ・アルミニアン(The Arminian)』という雑誌を発行するほど、この思想の普及に努めました。
923.
ユーザー
1sJOH
かなりAI検索使用しまくった
メイドインジャパン仏教に
不動明王まで調べた
😀
924.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
BHaOR
2. 「ウェスレー派アルミニウス主義」への進化

ウェスレーは単に17世紀のアルミニウス主義を真似ただけでなく、独自の重要な概念を付け加えました。

先行恩恵(Prevenient Grace)の強調:
人間は罪によって完全に堕落している(全き堕落)としつつも、神の「先行する恵み」がすべての人に等しく与えられているため、人間は自由意志を用いて神を信じるか拒むかを選択できる、と説明しました。これにより、「人間の力だけで救われる」という異端(ペラギウス主義)の批判を回避しました。

キリスト教的完全(Christian Perfection):
救われたキリスト者は、この地上で神の愛によって満たされ、罪を犯さない清い状態(聖化)へと成長していくことができると説きました。

イギリスだけでなくアメリカや世界中に拡大し、近代プロテスタント最大の宗派の1つとなりました。

925.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
BHaOR
The mechanism ofprevenient grace(先行恩恵) is John Wesley's brilliant theological solution to a major dilemma. It explains how humans, who are completely corrupted by sin, can still exercise "free will" to accept God's salvation.

Here is exactly how the mechanism works:

926.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
BHaOR
1. The Starting Point: Total Depravity

Wesley agreed with John Calvin on one core point: because of the Fall of Man (original sin), human nature iscompletely corrupted. On their own, humans are spiritually dead and entirely incapable of choosing God or doing any good. Left to themselves, humans have no free will to choose salvation.

927.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
BHaOR
2. The Solution: God's Universal Reset Button

This is where prevenient grace steps in. "Prevenient" literally means "coming before."

Universal Gift: Before a person even thinks about God, God proactively infuses a small measure of His grace intoevery single human beingborn into the world.

Restoration of Free Will: This grace does not save the person automatically. Instead, it acts as a spiritual "reset button." It temporarily neutralizes the paralyzing effects of original sin just enough torestore a basic level of free will.

928.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
BHaOR
3. The Human Response: Accept or Resist

Once prevenient grace restores free will, the ball is in the human court. The mechanism relies on a synergistic (cooperative) relationship:

The Restored Choice: Humans now have the capacity to either cooperate with God's further grace (faith) or resist it.

Not Human Merit: If a person chooses to believe, it is not because of their own natural goodness, but because God's prevenient grace enabled them to choose. Therefore, all glory goes to God, dodging the theological accusation that humans "earn" their salvation.

[Total Depravity] ➔ [Prevenient Grace] ➔ [Free Will Restored] ➔ choice ➔ [Justifying Grace] (Spiritually dead) (Initiated by God) (Enabled to respond) (Salvation)

929.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
BHaOR
By using this mechanism, Wesley successfully defended the idea thatsalvation is entirely by God's grace, while still holding fast to the Arminian belief thathumans are genuinely free to accept or reject it.

If you would like to explore further, we can look intohow this led to his famous theological split with George Whitefield(a strict Calvinist), or examine thenext stages of gracein Wesley's theology (Justifying Grace and Sanctifying Grace). Which path would you like to take?
930.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
BHaOR
>>923

AIを駆使しているな?😄
931.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
BHaOR
しかも、ムイムイと闘っている😅
932.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
BHaOR
ウェスレーは、アルミニウス主義を発展させたんだな
933.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
BHaOR
カルヴァン主義とは異なる流れ
934.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
BHaOR
バプテスト派(Baptist)は、メソジスト派とは異なり、アルミニウス主義(自由意志)のグループと、カルヴァン主義(予定説)のグループの双方が、最初から並行して存在していた教派です。

935.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
BHaOR
バプテスト内における神学的な立ち位置や歴史は以下の通りです。

1. 2つの源流:「ジェネラル」と「パーティキュラー」

17世紀初頭のイングランドでバプテストが誕生した際、救済論をめぐって明確に2つのグループに分かれました。

936.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
BHaOR
ジェネラル・バプテスト(一般バプテスト)

神学:アルミニウス主義

キリストの贖いはすべての人のため(General)であると信じ、人間の自由意志による選択を認めました。歴史的にはこちらが最初のバプテスト教会です。

937.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
BHaOR
パーティキュラー・バプテスト(特別バプテスト)

神学:カルヴァン主義

キリストの贖いはあらかじめ選ばれた「特定の(Particular)人々(予定された人)」のためだけであると信じました。のちに「改革派バプテスト」とも呼ばれます。

938.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
BHaOR
2. メソジスト派(アルミニウス派)との共通点と違い

バプテスト派とメソジスト派は、アメリカの開拓期に爆発的に広まり、どちらも「個人の回心や信仰の熱心さ」を重んじる点(福音主義・リバイバル主義)で非常によく似ています。しかし、根本的な教会の仕組みや儀式が異なります。

939.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
BHaOR
Direct Comparison:

特徴
バプテスト派(特にジェネラル)
メソジスト派

神学的ルーツ
アルミニウス派 と カルヴァン派 が両立
アルミニウス派の直接的な発展形

洗礼の方法
成人(自覚的信仰者)のみ。全身を水に浸す「浸礼(バプテスマ)」を絶対とする。
幼児洗礼を認め、頭に水を注ぐ「滴礼」なども行う。

教会の構造
各個教会主義(中央組織を持たず、一つの教会が独立して意思決定を行う)。
中央集権的(監督制。中央の組織が牧師を各教会へ派遣する)。

救いの確信
多くのバプテストは「一度救われたら、決して救いを失わない」と考える。
信仰を捨てれば「救いを失う可能性がある」と考える。

940.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
BHaOR
結論として

バプテストを「アルミニウス派の発展形か?」と問われれば、「半分はイエス、半分はノー」となります。ジェネラル・バプテスト(現代のフリーウィル・バプテストなど)はアルミニウス主義の系譜ですが、アメリカ最大規模の「南部バプテスト連盟」などは、歴史的にはカルヴァン主義の流れを強く汲みつつ、実践的には自由意志による決断を促すという、独自のミックスを遂げています。
941.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
BHaOR
メソジストは、アルミニウス派の発展形
942.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
BHaOR
バプテストも、アルミニウス派から強い影響を受けている
943.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
BHaOR
だがらバプテストの場合は

カルヴァン主義を信奉するパティキュラーバプテストが台頭した
944.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
BHaOR
南部バプテスト協会は、パティキュラーバプテストだ
945.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
BHaOR
何年もかけて

やっと、ここまで理解が進んだ😅
946.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
BHaOR
「哲学」とくらべて、「宗教」への理解が遅い
947.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
BHaOR
それが、自分の特徴だ😅
948.
ユーザー
1sJOH
たぶん、本筋のキリスト教は
アルミニウスでもなく、予定説てもない


真言密教のシステムに近いだろな

真言密教は
仏の加持力、仏の智慧の力と
衆生の信仰が合わさって

みたいなのが
元来のキリスト教だと思っている
聖霊からの知恵と
信徒の祈り信仰と学び

て
😀
949.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
BHaOR
本来のキリスト教は、真言密教なのか~😂
950.
ユーザー
1sJOH
聖霊の知恵は
神側の予定説みたいな気まぐれのミラクル

信徒の信仰はアルミニウス的選択

西欧人は
西欧哲学特有の
白黒明白な定義を好むから
あのようになるんやろ
😀
951.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
BHaOR
950
952.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
BHaOR
現代のキリスト教は

聖霊信仰がメイン
953.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
BHaOR
神より聖霊だ
954.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
BHaOR
まあ、さんみだから

神も聖霊も同じだが
955.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
BHaOR
三位一体だから
956.
ユーザー
1sJOH
日本ヤクザ改心
キリスト教あるあるケースは

一見神側の気まぐれに見える

だが、改心しても、
善人になれるかは
本人のアルミニウス派的選択にかかっているしな
😀
957.
ユーザー
1sJOH
ヨハネの福音書では

イエスキリスト当人が
聖霊がイエスキリストの言葉を理解させる力を与えてくれる、
とある

ちゃんと宗教センスの上で
レスしている
😀
958.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
BHaOR
>>957

なるほど😄
959.
ユーザー
1sJOH
俺側にすると
ヨハネの福音書のイエスキリスト当人が
聖霊がイエスキリストの言葉を理解させる力を与えてくれる、
とある
ベースで
キリスト教を見ているので

既存のキリスト教神学は
謎めいた存在である
メイドインジャパン仏教並みに謎深い
😀
960.
ユーザー
1sJOH
さっきまで
メイドインジャパン仏教のAI検索の鬼ラッシュだった
😀
961.
ユーザー
1sJOH
トマス神学とバチカンに関しては
かなりわかってきた
😀
962.
ユーザー
1sJOH
アンチトマス神学の
バルト神学の見方も少し解ってきた
トマス神学への極端な対応、
アンチ理性主義、人間堕落論派ではある
😀
963.
ユーザー
1sJOH
メイドインジャパン仏教の
菩薩の浄土論検索をAIにやらせていた
😀
964.
ユーザー
1sJOH
AI検索に偏り過ぎて
念仏の聖地の論文読んでなかった
😀
965.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
BHaOR
AIに依存しているな?😄
966.
ユーザー
1sJOH
鎌倉時代の仏舎利信仰のAI検索を行った
テーマを絞ると
かなり
良いのが出てくる
グーグル検索では見つけつらかった
😀
967.
ユーザー
1sJOH
メイドインジャパン仏教は
中国インド仏教と違い過ぎて
ホントに、意味不明なのが
多い
😀
968.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
BHaOR
日本の仏教は、ほとんど神道だからな~😂
969.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
BHaOR
山岳信仰と結びついて、魔改造されまくり😂
970.
ユーザー
1sJOH
ちなみに

道元禅師の
正法眼蔵随問記には
舎利信仰を否定的にやってる

とある僧が舎利信仰をしていた
舎利と思っていた蓋を開けてみたら
蛇がドクロを巻いていた
と
😀

俺の天性の感覚は
こっちサイドなので
メイドインジャパン仏教は
オモシロい
😀
AIがないと研究はむしろ無理だ

😀
971.
ユーザー
1sJOH
一番宗教で距離があるのは
既存のキリスト教神学

やる事がなくなるとやる気かやっと出てくる
😀
972.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
BHaOR
世界史教育の取り上げ方は偏っている
973.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
BHaOR
なんで、ルターの扱いがあんなにデカいんだ?
974.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
BHaOR
まあ確かに

重要なのは確かだが
975.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
BHaOR
アルミニウスやウェスレーの扱いが小さい
976.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
BHaOR
ていうか

この2人はまったく出てこない(笑)
977.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
BHaOR
カルヴァンは出てくる

ツヴィングリも、かろうじて出てくる
978.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
BHaOR
アルミニウスは

歴史的にも重要だ
979.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
BHaOR
まあ、ルターとちがって

戦争にはなってないが
980.
ユーザー
1sJOH
ペンテコステ派の世界的流行を考えれば
大きな扱いになるが
日本は非キリスト教国だしなー
😅
981.
ユーザー
1sJOH
発展途上国のペンテコステ派の流行を考えれば
アルミニウスやウェスレーの扱いは
大きくなるべきだろな
😀
982.
ユーザー
1sJOH
やっと
メイドインジャパン仏教の検索も
そのイメージ構成時間が終わった
メイドインジャパン仏教は
礼拝儀式を格段と重要になる
😀
983.
ユーザー
1sJOH
礼拝儀式を格段と重要になるメイドインジャパン仏教からのー
他宗教研究に移行できた
😀
984.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
BHaOR
神仏習合は儀式が大事なのか😄
985.
ユーザー
1sJOH
日本シャーマンスピで
よく出てくる供養とは

神仏習合が、その意味の系譜だろう

密教の供養は仏になるがメインだろうけど😀
986.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
BHaOR
先祖供養には、儒教の影響が大きい
987.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
BHaOR
先祖供養は、もともと儒教の発想
988.
ユーザー
1sJOH
修験道の論文には
先祖供養がある
道教神道儒教と
フル稼働だと思うぞ

修験道こそどうの本家

😀
989.
ユーザー
1sJOH
修験道こそ道教の本家ぽい
😀

安倍晴明も修験道という話がある😀
990.
ユーザー
1sJOH
覚鑁の時代以降に
覚鑁当人かどうか知らんが
日蓮も読んだ覚鑁の阿弥陀教義の本に
親孝行とか大事だとか
入り込んでいた

書籍
今調べる
😀
991.
ユーザー
1sJOH
五輪九字明秘密釈だ
😀
992.
ユーザー
1sJOH
日蓮は
身延で、信徒のひとりに
覚鑁の五輪九字明秘密釈を
取り寄せるように命じたらしい
😀
993.
ユーザー
1sJOH
そうだ、AIにかけねなかった、
これを
😀
994.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
BHaOR
東洋思想の集大成だな😂
995.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
BHaOR
道教は東洋の神秘思想
996.
ユーザー
1sJOH
五輪九字明秘密釈の信仰教義と修行と往生について詳しく 『五輪九字明秘密釈』(ごりんくじみょうひみつしゃく)は、平安時代末期に真言宗の僧・覚鑁(かくばん)によって執筆された、密教と浄土信仰の融合(真言念仏)を説く重要書物です。 信仰教義(大日即弥陀・密厳即極楽)大日即弥陀:宇宙の真理を表す大日如来と、西方浄土の阿弥陀如来は「同体(本覚の仏)」であると説きます。密厳即極楽:真言密教の理想郷である「密厳浄土(みつごんじょうど)」と、阿弥陀仏の「極楽浄土」は場所が別々ではなく、同一の境地であるとします。真言即念仏:真言(マントラ)を唱えることと、念仏を唱えることは本質的に同じであり、密教の教えに裏打ちされた深い救済を提示しています。 修行(三密行と五輪・九字の観法)三密の合一:身(身体の姿勢・印)、口(真言の発声)、意(心による仏の観想)を調え、自分自身の肉体がそのまま宇宙の具現(五大:地・水・火・風・空)であると観じます。 五輪と九字の統合:大日如来の三昧耶曼荼羅(さんまやまんだら)における「五輪(地水火風空)」と、阿弥陀如来に関わる「九字」の秘観を結びつけ、心身を浄化する実践法(頓悟往生秘観)とします。 往生(現身(げんしん)の頓悟往生)即身成仏と往生の一致:死後に遠い極楽へ行くのではなく、今この身のままで仏の境地に目覚める「即身成仏」と、浄土へ生まれる「往生」が直結していると考えます。 頓悟(とんご)の救済:密教の奥義を究めることで、煩悩を抱えた凡夫であっても、一瞬にして悟りを開き、浄土へ往生できるという強い救済の確信(頓悟往生)を説いています。 もしよろしければ、以下についてもお答えできます:著者の覚鑁の生涯と新義真言宗の成立背景密教における五輪塔の思想との具体的なつながりどの部分をさらに詳しく知りたいですか?
997.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
BHaOR
大日如来と阿弥陀如来は同じなんだな
998.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
BHaOR
覚鑁は偉大なり👍️
999.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
BHaOR
999
1000.
ユーザー
◆JBLfMwCXhY
BHaOR
1000
1001.
ユーザー
???
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1002.
ユーザー
???
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