【日本は】 神社仏閣スレ 【神の国】最終更新 2026/08/09 23:481.◆JBLfMwCXhY7ZXE9たしか、talkには神社仏閣板って無かったよね?2025/03/26 12:25:59146コメント欄へ移動すべて|最新の50件97.安堂rEApfデオー陛下、出ていかないなら消えてもらうわかってるな?2026/07/21 21:30:4798.安堂rEApfデオー如きが勝手に書くな!畏れ多いぞ!2026/07/21 21:33:1599.◆JBLfMwCXhYbGWD7急に怒り出したな?😫2026/07/22 06:48:25100.◆JBLfMwCXhYbGWD71002026/07/22 06:48:42101.◆JBLfMwCXhYbGWD7今朝も元気だな😄41 カムイ◆4zzhWyZTeatm 2026/07/22(水) 01:12:38.40 ID:71BsG「面白い」と言うたり思ったりするのは、何かに引っかかっている証拠である。2026/07/22 06:50:11102.神も仏も名無しさん0NuSSブイブイ👿にはきちんと自分を見つめ直すトレーニングが必要でそう感じたから、あのスレを動かしたのだろう😀2026/07/22 08:43:03103.◆JBLfMwCXhYWhTle朝から暑いな2026/07/23 05:14:25104.◆JBLfMwCXhYWhTle涼しい時間帯が無い2026/07/23 05:14:37105.◆JBLfMwCXhYWhTle薬師寺の歴史は、天武天皇による創建、平城京への移転、そして度重なる焼失と現代の復興という三つの大きな歩みから成り立っています。2026/07/23 05:19:36106.◆JBLfMwCXhYWhTle創建と藤原京の時代680年: 天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒を祈願し、藤原京の地に薬師寺の建立を発願。697年: 天堂の完成を待たずに天武天皇は崩御したものの、持統天皇の代に本尊(薬師如来)の開眼が行われる。2026/07/23 05:19:46107.◆JBLfMwCXhYWhTle平城京への移転718年: 平城京への遷都(710年)に伴い、現在の奈良市西ノ京町(現在地)へ伽藍を移転。飛鳥に残った元の寺は「本薬師寺」と呼ばれ、しばらく存続したのちに衰退。奈良時代には「龍宮造り」と称される壮麗な姿を誇る。2026/07/23 05:19:58108.◆JBLfMwCXhYWhTle焼失と復興の歴史中世以降: 度重なる火災や兵火(戦火)により、多くの堂塔が焼失。奈良時代からの建物は東塔のみとなる。昭和以降: 写経勧進による大募金運動を契機として、金堂(1976年)や西塔(1981年)などの白鳳伽藍の復興が進められる。1998年: 「古都奈良の文化財」として世界遺産に登録。2021年: 約10年におよぶ東塔の大修理が完了。2026/07/23 05:20:12109.◆JBLfMwCXhYWhTle興福寺の歴史は、藤原鎌足の夫人が建てた山階寺に始まり、 平城京への移転を経て、藤原氏の氏寺として栄えました。主な特徴として、平城遷都(710年)に伴う現在地への移転、平安時代の僧兵による強い権勢、度重なる火災と再建の歴史が挙げられます。2026/07/23 05:20:53110.◆JBLfMwCXhYWhTle起源と奈良時代山階寺:669年に藤原鎌足の妻・鏡大王が夫の病気回復を願って山階(京都)に建てた仏殿が起源。厩坂寺:その後、飛鳥の厩坂へ移転して「厩坂寺」と呼ばれる。平城京へ移転:710年の平城遷都の際、藤原不比等によって現在の奈良の地に移され、「興福寺」と名付けられる。藤原氏の繁栄:藤原一族の強力なバックアップを受け、大きなお堂や塔が次々と建てられて南都七大寺の一つとして発展。2026/07/23 05:21:22111.◆JBLfMwCXhYWhTle平安時代から鎌倉時代僧兵の力:平安時代には多くの僧兵を従え、朝廷やほかの寺院を圧倒するほどの強い政治的・軍事的パワーを持つ。度重なる災難:たび重なる火災で多くのお堂が燃えてしまうが、そのたびに貴族や朝廷の力で再建される。文化の花開き:阿修羅像などの天平彫刻や、鎌倉時代には運慶らによる優れた仏像・芸術文化が生まれる。2026/07/23 05:21:37112.◆JBLfMwCXhYWhTle近代から現代苦難の時代:1717年に中心的な建物である中金堂が焼失。明治時代の「神仏分離令」や廃仏毀釈によって、土地の没収や一時的な荒廃を経験。現代の復興:2010年に創建1300年を迎え、2018年には約300年ぶりに中金堂が天平様式で再建され、現在は世界文化遺産として多くの人が訪れる場所となっている。2026/07/23 05:21:54113.神も仏も名無しさんIjjig藤原鎌足といえば談山神社当然、神仏習合明治前は比叡山だった管轄が😀2026/07/23 05:48:22114.◆JBLfMwCXhYHVtkF興福寺は僧兵が強かった2026/07/27 07:05:38115.◆JBLfMwCXhYHVtkF薬師寺はそうならんかったなあ2026/07/27 07:05:59116.◆JBLfMwCXhYHVtkFやはり、藤原氏の氏寺という政治的な起源があるからか2026/07/27 07:06:17117.神も仏も名無しさんkkl9v薬師寺も神仏習合だっただろうけど過激派橋本凝胤が大改革したんやろな現在日本人がイメージする唯識そのものへと😀2026/07/27 07:18:29118.◆JBLfMwCXhY0OmW8唯識もある意味20世紀に整備された思想体系だってことだな2026/08/02 11:01:07119.◆JBLfMwCXhYATfKZ興福寺の歴史は、飛鳥時代の山階寺(やましなでら)に始まり、藤原氏の氏寺として平城京への移転を経て発展し、中世には大和国を支配するほどの権勢を誇りました。2026/08/09 09:54:16120.◆JBLfMwCXhYATfKZ始まりと平城京への移転669年(天智8年):藤原鎌足の夫人である鏡女王が、夫の病気平癒を祈って京都山科に山階寺を建立飛鳥への移転:その後、飛鳥へ移されて厩坂寺(うまやさかでら)と改称710年(和銅3年):平城遷都に伴い、藤原鎌足の子である藤原不比等が現在の場所へ移転し、興福寺と改称2026/08/09 09:54:41121.◆JBLfMwCXhYATfKZ繁栄と度重なる災難平安~鎌倉時代:藤原氏の隆盛とともに栄え、多くの僧兵を抱えて大和国を実質的に支配1180年(治承4年):平氏による南都焼討ちで大部分が焼失するも、鎌倉時代に復興1717年(享保2年):大火により伽藍の西半分を焼失し、長らく再興が停滞2026/08/09 09:55:02122.◆JBLfMwCXhYATfKZ興福寺の研究2026/08/09 09:55:32123.◆JBLfMwCXhYATfKZ興福の科学だ2026/08/09 09:55:45124.神も仏も名無しさん7rJf2春日大社と興福寺お参り終了した😀2026/08/09 14:43:03125.神も仏も名無しさん7rJf2春日大社の朝拝を神主とやってきた神主にお社の説明してもらった😀2026/08/09 14:47:04126.神も仏も名無しさん7rJf28時50分頃なのでそれまで若宮周辺のお社も回った😀2026/08/09 14:51:08127.◆JBLfMwCXhYy0WXj素晴らしいな?😆2026/08/09 15:30:34128.神も仏も名無しさんBFX4x奈良の五劫院と浄土宗西山派の関係は、創建時(鎌倉時代初期)から直接あったわけではなく、江戸時代中期以降に西山派の僧(峻空元克など)が関わり、西山派の法灯を伝えるようになった時期から本格化したとされています。五劫院の成り立ちと変遷創建: 鎌倉時代初期、東大寺を再興した俊乗坊重源が宋から持ち帰った五劫思惟阿弥陀仏を祀るためにお堂を建てたのが始まり。所属: 本来は東大寺の末寺であり、華厳宗などを背景としつつ、のちに浄土宗西山派の法灯を伝える寺院となった。西山派との関係の深化: 江戸時代(1749年頃)には、京都の西山派の拠点である光明寺などの高僧が五劫院で仏像の出開帳を行うなど交流が深く、西山派の教義や法灯が色濃く継承されるようになった。もしよろしければ、五劫院の御本尊(五劫思惟阿弥陀如来)のいわれや、重源上人に関する他の史跡についても詳しくお伝えできますが、いかがでしょうか?ここもラストで行ってきた達磨寺は行けなかった、ま、臨済宗系統念仏なので高野山の金剛三昧院&苅萱堂グループと大差ないだろうと😀2026/08/09 19:39:28129.安堂dkk6W我が日本は神の國だ。これが一番しっくりくるな、何故か。2026/08/09 19:43:16130.神も仏も名無しさんBFX4x西山派の僧峻空元克とは 江戸時代中期に活躍した浄土宗西山派の僧侶で、京都の総本山・光明寺の第43世住職を務めた人物です。 生涯と事績出身:備後国(現在の広島県東部)の出身。晋山:寛延元年(1748年)5月、京都の安養寺から山城国の光明寺へ入寺(晋山)。活動:寛延2年(1749年)春には奈良の五劫院で御影像の出開帳を行うなど、教化活動に努めました。示寂:宝暦元年(1751年)2月22日に亡くなりました(史料『光明寺沿革誌』では「竣空」とも記されています)2026/08/09 19:44:48131.神も仏も名無しさんBFX4x>>129春日大社行ってきたぞ蒸し暑い中で6時半〜11時くらいまで😀2026/08/09 19:45:59132.神も仏も名無しさんBFX4x藤原氏の和歌の石碑を建てていた光る君のドラマのシーズンかもしれん😀2026/08/09 19:46:54133.神も仏も名無しさんBFX4xアフロな阿弥陀如来像を拝んできた西山派と関係あるのは現場で初めて知った検索すると江戸中期あたりから😀2026/08/09 19:48:30134.神も仏も名無しさんBFX4xロンもアンドーに釣られるようでは感だな😀2026/08/09 19:50:16135.神も仏も名無しさんBFX4xシカのうんこの匂いも神々しく感じるな春日大社では😀2026/08/09 19:50:55136.神も仏も名無しさんBFX4x車内にチョコレートを保冷バッグにいれていてもがま口が開いているとやはりドロドロで保冷剤で冷やして固まるまで食べれないので結局食べなかった😀2026/08/09 19:54:51137.神も仏も名無しさんBFX4xハッスル鹿🤡のうんこはダメだけど😫2026/08/09 19:56:08138.◆JBLfMwCXhYoahDAすごいな?😆2026/08/09 20:10:43139.安堂dkk6W>>131春日大社か。いいなー。私も行ってみたいものだ。結局、お盆は祖父母と両親の菩提寺の墓参りしかできそうもない。暇があったら明治神宮でも行くかね。昔ね、表参道で働いてた頃はよく行ってたからね。あの神秘的な感覚になるのがすきでね。靖国神社行くなら零戦や大砲目当てかね(⌒‐⌒)2026/08/09 20:16:14140.神も仏も名無しさんBFX4x奈良五劫院は西山派にすっかり味付けされていて開山重源上人の禅定感の欠片もなかった少し寂しかった近くにお墓もあるらしいがタイムアップだった😭2026/08/09 20:20:38141.神も仏も名無しさんBFX4x>>139神社の朝拝はやはり素晴らしい😀神社朝拝は二度目だ時間は神仏習合時代の真言唱える春日権現記絵巻は成唯識論が大好きらしいので成唯識論の現在語訳を読む、法華経現在語訳読む時間ばかり費やしてしまった😀2026/08/09 20:24:22142.神も仏も名無しさんBFX4x興福寺は金堂と国宝館の大乗院仏像と白鳳時代の頭だけの仏像がメインディシュだった人気の阿修羅像はチラミで通り過ぎて大乗院の仏像の前で真言唱えていた😀2026/08/09 20:26:33143.神も仏も名無しさんBFX4x東金堂は薬師如来の真言唱えて挨拶程度で終える😀2026/08/09 20:27:30144.安堂dkk6Wデオー殿の立ち位置を見習って神社仏閣めぐりをしようと思う。2026/08/09 22:49:09145.◆JBLfMwCXhY85SKK確かに、朝の神社はいいねえ😆2026/08/09 23:48:24146.◆JBLfMwCXhY85SKK>>144それがいい😄2026/08/09 23:48:49
出ていかないなら
消えてもらう
わかってるな?
勝手に書くな!
畏れ多いぞ!
41 カムイ◆4zzhWyZTeatm 2026/07/22(水) 01:12:38.40 ID:71BsG
「面白い」と言うたり思ったりするのは、何かに引っかかっている証拠である。
きちんと自分を見つめ直すトレーニングが必要で
そう感じたから、あのスレを動かしたのだろう
😀
680年: 天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒を祈願し、藤原京の地に薬師寺の建立を発願。
697年: 天堂の完成を待たずに天武天皇は崩御したものの、持統天皇の代に本尊(薬師如来)の開眼が行われる。
718年: 平城京への遷都(710年)に伴い、現在の奈良市西ノ京町(現在地)へ伽藍を移転。
飛鳥に残った元の寺は「本薬師寺」と呼ばれ、しばらく存続したのちに衰退。
奈良時代には「龍宮造り」と称される壮麗な姿を誇る。
中世以降: 度重なる火災や兵火(戦火)により、多くの堂塔が焼失。奈良時代からの建物は東塔のみとなる。
昭和以降: 写経勧進による大募金運動を契機として、金堂(1976年)や西塔(1981年)などの白鳳伽藍の復興が進められる。
1998年: 「古都奈良の文化財」として世界遺産に登録。
2021年: 約10年におよぶ東塔の大修理が完了。
山階寺:669年に藤原鎌足の妻・鏡大王が夫の病気回復を願って山階(京都)に建てた仏殿が起源。
厩坂寺:その後、飛鳥の厩坂へ移転して「厩坂寺」と呼ばれる。
平城京へ移転:710年の平城遷都の際、藤原不比等によって現在の奈良の地に移され、「興福寺」と名付けられる。
藤原氏の繁栄:藤原一族の強力なバックアップを受け、大きなお堂や塔が次々と建てられて南都七大寺の一つとして発展。
僧兵の力:平安時代には多くの僧兵を従え、朝廷やほかの寺院を圧倒するほどの強い政治的・軍事的パワーを持つ。
度重なる災難:たび重なる火災で多くのお堂が燃えてしまうが、そのたびに貴族や朝廷の力で再建される。
文化の花開き:阿修羅像などの天平彫刻や、鎌倉時代には運慶らによる優れた仏像・芸術文化が生まれる。
苦難の時代:1717年に中心的な建物である中金堂が焼失。明治時代の「神仏分離令」や廃仏毀釈によって、土地の没収や一時的な荒廃を経験。
現代の復興:2010年に創建1300年を迎え、2018年には約300年ぶりに中金堂が天平様式で再建され、現在は世界文化遺産として多くの人が訪れる場所となっている。
談山神社
当然、神仏習合
明治前は比叡山だった管轄が
😀
政治的な起源があるからか
過激派橋本凝胤が
大改革したんやろな
現在日本人がイメージする唯識そのものへ
と
😀
20世紀に整備された思想体系だってことだな
669年(天智8年):藤原鎌足の夫人である鏡女王が、夫の病気平癒を祈って京都山科に山階寺を建立
飛鳥への移転:その後、飛鳥へ移されて厩坂寺(うまやさかでら)と改称
710年(和銅3年):平城遷都に伴い、藤原鎌足の子である藤原不比等が現在の場所へ移転し、興福寺と改称
平安~鎌倉時代:藤原氏の隆盛とともに栄え、多くの僧兵を抱えて大和国を実質的に支配
1180年(治承4年):平氏による南都焼討ちで大部分が焼失するも、鎌倉時代に復興
1717年(享保2年):大火により伽藍の西半分を焼失し、長らく再興が停滞
😀
神主にお社の説明してもらった
😀
若宮周辺のお社も回った
😀
ここもラストで行ってきた
達磨寺は行けなかった、ま、臨済宗系統念仏なので高野山の金剛三昧院&苅萱堂グループと大差ないだろうと
😀
これが一番しっくりくるな、何故か。
春日大社行ってきたぞ
蒸し暑い中で
6時半〜11時くらいまで
😀
光る君のドラマのシーズンかもしれん
😀
西山派と関係あるのは
現場で初めて知った
検索すると江戸中期あたりから
😀
アンドーに釣られるようでは
感だな
😀
春日大社では
😀
がま口が開いていると
やはりドロドロで保冷剤で冷やして固まるまで食べれないので
結局食べなかった
😀
😫
春日大社か。いいなー。
私も行ってみたいものだ。
結局、お盆は祖父母と両親の菩提寺の墓参り
しかできそうもない。
暇があったら明治神宮でも行くかね。
昔ね、表参道で働いてた頃は
よく行ってたからね。
あの神秘的な感覚になるのがすきでね。
靖国神社行くなら
零戦や大砲目当てかね(⌒‐⌒)
西山派にすっかり味付けされていて
開山重源上人の禅定感の欠片もなかった
少し寂しかった
近くにお墓もあるらしいが
タイムアップだった
😭
神社の朝拝は
やはり素晴らしい
😀
神社朝拝は二度目だ
時間は神仏習合時代の真言唱える
春日権現記絵巻は成唯識論が大好きらしいので成唯識論の現在語訳を読む、法華経現在語訳読む時間ばかり費やしてしまった
😀
金堂と国宝館の大乗院仏像と白鳳時代の頭だけの仏像がメインディシュだった
人気の阿修羅像はチラミで通り過ぎて
大乗院の仏像の前で真言唱えていた
😀
😀
神社仏閣めぐりをしようと思う。
それがいい😄