【かんながらの道】 復古神道 2 【日本は神の国】最終更新 2026/03/16 10:241.◆JBLfMwCXhYE2Xxy神がおもてに現はれて善と悪とを立て別けるこの世を造りし 神直日(かむなほひ)心も広き 大直日(おほなほひ)アヽ惟神(かむながら)惟神(かむながら)御霊(みたま)幸(さちは)ひましませよ出口王仁三郎「霊界物語」より【惟神の道】復古神道【霊能真柱】https://talk.jp/boards/psy/16913584552024/08/19 15:37:37513コメント欄へ移動すべて|最新の50件464.◆JBLfMwCXhYdPUzOまあ、自分が個人的に両部神道しか知らんので両部神道が大きく見えるのかも知れんが(笑)2026/03/04 08:18:27465.◆JBLfMwCXhYdPUzO>>463なるほど2026/03/04 08:18:44466.神も仏も名無しさんXposfこれなんかみると、神道とは出てこないが神仏習合では先行している、この時期に神仏習合のスピードが全国的になったといえる三井寺系統の蔵王権現も含めて熊野三山検校とは:熊野三山(本宮・速玉・那智)を統括する京都の最高位の役職。三井寺と熊野の結びつき:先達と検校:1090年の白河上皇の熊野御幸で、三井寺の増誉が先達を務め、初代検校に補任された。歴代検校:増誉、行尊(第2代2026/03/04 08:19:26467.神も仏も名無しさんXposf皇族天皇家のバックアップで全国的になる1090年の白河上皇の熊野御幸で、三井寺の増誉が先達を務め、初代検校に補任された。2026/03/04 08:20:41468.◆JBLfMwCXhYdPUzO三井寺と熊野三山か~2026/03/04 08:20:46469.神も仏も名無しさんXposf三井寺は栄西系統の血筋の臨済宗の山伏系統とくっつきさらにパワーアップしたんやろな😃曹洞宗も瑩山時代の栄西系統山伏の関連で、三井寺系統の密教山伏が入り込んだらしい😃2026/03/04 08:23:09470.神も仏も名無しさんXposf三井寺は白河上皇により山伏神仏習合のブランドになったのは確かだま、熊野には土着の修験道があったらしいが皇族と三井寺のブランドで勢いが増したとも言われている😃2026/03/04 08:25:01471.◆JBLfMwCXhYdPUzOよく知ってるなさすが、神仏習合マニア😅2026/03/04 08:25:49472.◆JBLfMwCXhY7FGHf内宮と外宮同じ伊勢神宮の内部の対立が、話をややこしくした2026/03/04 20:01:33473.◆JBLfMwCXhY7FGHf両部神道では、内宮が胎蔵界、外宮が金剛界2つセットで、大日如来だしかも、内宮は女神の天照大神じつに、よくできた話だ2026/03/04 20:02:40474.◆JBLfMwCXhY7FGHf内宮優位の両部神道に対抗して外宮は伊勢神道を始めた2026/03/04 20:03:24475.◆JBLfMwCXhY7FGHf内宮と外宮の、熾烈なライバル関係だそれに比べたら、伊勢神宮と出雲大社など、ライバルとは言えない関係だ2026/03/04 20:04:20476.神も仏も名無しさんXposf雲伝神道はアマテラスオンリー内宮のみだ論文で読んだ😃2026/03/04 20:20:55477.◆JBLfMwCXhYFFkVL両部神道と山王神道は、鎌倉時代に確立された代表的な神仏習合思想です。真言宗系の両部神道は密教の金剛・胎蔵界に基づき神仏一体を説き、天台宗系の山王神道は日吉大社(山王権現)と釈迦を関連付け、後の山王一実神道にも繋がりました。共に本地垂迹説に基づき、日本の神を仏の化身として体系化しました。2026/03/05 08:41:55478.◆JBLfMwCXhYFFkVL【両部神道(りょうぶしんとう)】別称・系統: 真言宗(密教)に基づく。理論: 伊勢神宮の天照大神を胎蔵界大日如来、豊受大神を金剛界大日如来として、二宮の神を密教の曼荼羅思想で再構築した。特徴: 日本の神々が仏の化身であるという「本地垂迹(ほんじすいじゃく)説」を、具体的な曼荼羅に対応させて体系化した。2026/03/05 08:42:15479.◆JBLfMwCXhYFFkVL【山王神道(さんのうしんとう)】別称・系統: 天台宗(日吉大社)に基づく。理論: 比叡山延暦寺の鎮守である日吉山王権現を釈迦如来の化身(垂迹)とし、山王を至高の神とする。特徴: 『山家要略記』を代表的文献とし、仏法の守護神として神々を位置づけた。後世(江戸時代)には天海によって「山王一実神道」として大成された。2026/03/05 08:42:32480.◆JBLfMwCXhYFFkVLこれらは、中世の日本において仏教の教理を用いて神道の解釈が進められた代表的な例であり、明治時代の神仏分離まで強い影響力を持っていました。この分野について、さらに詳しく知りたい特定の側面(例えば、両部神道の具体的な神仏対応や、山王一実神道との違いなど)はありますか?2026/03/05 08:42:48481.◆JBLfMwCXhYFFkVL日吉大社か~山王の山型が載った、山王鳥居https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/a0/Hiyoshi-taisha%2C_Sann%C5%8D-torii_%28b%29.jpg/500px-Hiyoshi-taisha%2C_Sann%C5%8D-torii_%28b%29.jpg2026/03/05 08:44:21482.◆JBLfMwCXhYFFkVL日吉大社(ひよしたいしゃ)は、滋賀県大津市坂本にある神社。日吉社(ひえしゃ)とも。日本の天台宗山門派の本山である比叡山延暦寺の鎮守社であった。『延喜式』神名帳での呼称は「日吉神社」であるが、中世以降は山王大権現、山王権現、日吉山王権現、日吉山王社等と呼ばれてきた。全国に約3,800社ある日吉・日枝・山王神社の総本社である。2026/03/05 08:45:39483.◆JBLfMwCXhYFFkVL神道の歴史は、ここから始まった2026/03/05 08:46:04484.神も仏も名無しさんe6jiP山王神道の完成形は日光東照宮だ山王神道を学ぶには日光😃2026/03/05 08:57:09485.神も仏も名無しさんe6jiP高野山大学で日光山王神道に関する本をコピーしたのを家にあるが最近読んでない😃2026/03/05 08:58:30486.◆JBLfMwCXhYFFkVLそうか日光東照宮ってのは、そういうとこなのか2026/03/05 11:17:28487.◆JBLfMwCXhYFFkVL日光東照宮は、徳川家康を祀る神社(東照大権現)であり、江戸初期に天台宗の僧・天海が「山王一実神道(山王神道)」に基づいて創建しました。比叡山の山王信仰(本地垂迹説)を取り入れ、家康を薬師如来の権化として神格化した山王神道は、東照宮の思想的基盤となりました。2026/03/05 11:18:18488.◆JBLfMwCXhYFFkVL山王神道との関係:山王信仰は、比叡山延暦寺の守護神である日吉山王権現を祀り、神々を仏の化身とする神仏習合思想です。天海はこの山王神道を進化させ、日光東照宮における家康の神格化に応用しました。徳川家康の神格化:天海の思想により、家康は「薬師如来」が人々を救うために仮の姿(権現)で現れた存在として祀られました。神仏習合の歴史:明治の神仏分離以前は、東照宮は寺院(輪王寺)と一体であり、山王神道は仏教と神道の融合を象徴していました。山王神道の影響により、東照宮は神社でありながら仏教的な要素が強く取り入れられているという特徴があります。2026/03/05 11:18:33489.◆JBLfMwCXhYFFkVL神仏習合神社だったんだな2026/03/05 11:18:48490.◆JBLfMwCXhYFFkVL両部神道と山王神道神仏習合の原型だ2026/03/05 11:19:16491.◆JBLfMwCXhY8n4l9真言密教と天台密教から始まった2026/03/07 06:46:06492.◆JBLfMwCXhY8oHGi春日大社(奈良市)は、藤原氏の氏神を祀る神社と、氏寺である興福寺が一体となって形成された、歴史的な神仏習合(しんぶつしゅうごう)の象徴的な神社です。本地垂迹(ほんじすいじゃく)思想により、四柱の祭神はそれぞれ釈迦如来、薬師如来、地蔵菩薩、十一面観音の化身とされ、かつては僧侶が社内で読経し、春日曼荼羅(まんだら)が信仰されました。2026/03/14 21:11:55493.◆JBLfMwCXhY8oHGi春日大社と神仏習合の具体的な関係は以下の通りです。興福寺との密接な関係:春日大社は藤原氏の氏神、興福寺は氏寺であり、鎌倉時代以降は「春日興福寺」として、社僧(神社に仕える僧)が「五箇屋(ごかのや)」と呼ばれる施設で密教的な祈祷や「咒師走り(しゅしばしり)」といった神楽を奉納するなど、神仏習合が高度に進んでいました。本地垂迹説の具現化:平安時代末期以降、春日大社の神々は「春日権現(かすがごんげん)」として信仰されました。武甕槌命(タケミカヅチ):釈迦如来経津主命(フツヌシ):薬師如来天児屋根命(アメノコヤネ):地蔵菩薩比売神(ヒメガミ):十一面観音神仏習合の名残:明治時代の神仏分離令で多くの建物や仏像は破壊・移転しましたが、現在も1月2日の「春日社参式」で興福寺の僧侶が春日大社を訪れ、神前で読経を行うなどの伝統が残っています。2026/03/14 21:12:42494.◆JBLfMwCXhY8oHGiなかんずく本地はすなわち観音薩タ(土偏に垂)なり……およそ観音の功徳、多く光明の相を現ず。修行を唱うるに、光明行と名づく。すなわち大悲の法門なり。住する所の山は光明山と名づく。彼は補陀洛山なり……なかんずく十一面観音、殊に大光普照と号す。その呪を誦する時、まず遍照荘厳王如来を敬礼す。「遍」は毘盧舎那、大乗には惣じて諸仏法身となし、密教には別して大日如来と称す。二教違わず。万徳の実性なり。しかればすなわち、遍照如来は即く観音なり。観音薩タ(土偏に垂)は即く日天なり。三身離れず。諸仏同体なり。2026/03/14 21:15:09495.神も仏も名無しさんyoMij大事なところを認識しそこなっていた、そりゃ春日大社の神仏習合が今一つピンとこないはずだ😃2026/03/14 21:22:08496.神も仏も名無しさんyoMij天照の第一の家臣の春日大社の主祭神という立ち位置天照=大日如来の第一の家臣というわけか、死後の地獄から救う天照の一番の家臣か😃2026/03/14 21:24:34497.神も仏も名無しさんyoMijこーいう日本の土着仏教研究は未だにオモロイ😃2026/03/14 21:25:32498.◆JBLfMwCXhYw69eQ高野山における神仏習合は、弘法大師空海が真言密教の道場を開く際、地主神である丹生都比売大神(にうつひめのおおかみ)ら神々を「守護神」として壇上伽藍に祀ったことに由来する、日本独自の信仰形態です。現在も御社(みやしろ)で神々へ読経が捧げられるなど、神と仏が共存する聖地として残っています。2026/03/15 07:29:00499.◆JBLfMwCXhYw69eQ高野山と神仏習合の主な特徴空海と神の縁:高野山を開く際、地主神(狩人の姿)が黒・白の犬を連れて空海を導いたとされる伝説が、高野山における神仏習合の原点。壇上伽藍の御社(みやしろ):弘法大師は高野山を借り受けた地主神の恩に報いるため、壇上伽藍に「御社」を建立し、丹生明神・高野明神を祀った。現在もその前(山王院)で僧侶が毎朝読経している。奥の院の鳥居:神仏分離令以降も、奥の院には20万以上の供養塔とともに神道のシンボルである鳥居が並び、神仏習合の歴史の深さを示している。守護神(鎮守社)としての役割:高野山全体を守る存在として神が位置づけられ、山内の各所(立里荒神社など)に仏教的な守護神が祀られている。本地垂迹説の具体化:丹生津比売神・高野明神が、大日如来など仏が姿を変えて現れた(本地仏)という考え方が実践された。明治の廃仏毀釈で分離が進んだものの、高野山の精神的な土壌には神仏共存の伝統が現代も強く息づいています。2026/03/15 07:30:14500.◆JBLfMwCXhYw69eQ5002026/03/15 07:30:35501.◆JBLfMwCXhYw69eQニウツヒメ神社https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d3/Niutsuhime-jinja_dai2-3honden.jpg/1280px-Niutsuhime-jinja_dai2-3honden.jpg2026/03/15 07:30:57502.神も仏も名無しさんXLYG4立里荒神社は高野山の山伏方の守護神だ三社は旧山伏の宿坊で祭られているらしい😃2026/03/15 08:49:25503.神も仏も名無しさんczvTv法相宗の密教もしくは本覚思想ぽいのがあるんだろな、戒律込みだから本覚思想とは言えないが貞慶、オモロイ中世の僧侶だ春日大社神仏習合の理解が深まる「御本地事」には、春日本地仏を貞慶が「自然」(じねん)に顕現させたとあり、春日神と交感し得る貞慶の呪能が垣間見える。そして「諸説不同事」からは、頗る文意不明瞭で難解なのだが、冒頭の「種姓法尓に更に相い繋属の故」は、『成唯識論』巻十の一節に重なる。『成唯識論』では、さらに「或いは多の一に属し、或いは一の多に属する故に…」と続き、「形状相い似て相い障碍せず。展転して相い雑じりて上増縁と為る」はその直前2026/03/15 17:04:05504.神も仏も名無しさんczvTv>「御本地事」には、春日本地仏を貞慶が「自然」(じねん)に顕現させたとあり、春日神と交感し得る貞慶の呪能が垣間見える。地元の神社で味わう霊感も交感とも言えるので、本覚思想的本地仏の解釈もできうるのだろうワイルド霊気過ぎるけどな?😃2026/03/15 17:06:41505.神も仏も名無しさんczvTvhttp://www.kaijyusenji.jp/gd/kiko/sentence/k45.html2026/03/15 17:08:03506.神も仏も名無しさんczvTv見えなかった貞慶と興福寺、春日大社の神仏習合が見えてきたぞ〜😃😃2026/03/15 18:25:17507.◆JBLfMwCXhYw69eQ貞慶っていったら唯識論の教科書を書いたので有名な人物だな~😆2026/03/15 18:33:43508.◆JBLfMwCXhYw69eQ春日大社とも深く関わってたとは知らんかった😆2026/03/15 18:34:10509.神も仏も名無しさんczvTv唯識も、鎌倉時代は本覚思想にプラス戒律になってる本覚思想と言い切れないのは南都は戒律重視だ比叡山の本覚思想よりも😃2026/03/15 18:41:56510.神も仏も名無しさんczvTv本地の春日大社の神祇によって唯識と戒律の修行を進めるのぢゃっ‼️的なんだろな?高野山も丹生明神とかのパワーが増して現在に至るからな😃2026/03/15 18:44:41511.◆JBLfMwCXhYw69eQ確かに奈良仏教は唐招提寺の戒律だよな~2026/03/15 18:52:54512.◆JBLfMwCXhYw69eQ大陸から伝来した戒律研究だ2026/03/15 18:53:16513.神も仏も名無しさんolC1z唐招提寺も寺門派やら聖護院みたいなマタタビ要素があるまー天台系統らしい😃2026/03/16 10:24:30
【社会】新人に「AI使用禁止令」は是か非か?「仕事の8割はAIに」という活用派 言語脳科学の権威は警鐘「ものを考える人間に一番大事なものを手放している」ニュース速報+391607.32026/03/22 04:26:36
善と悪とを立て別ける
この世を造りし 神直日(かむなほひ)
心も広き 大直日(おほなほひ)
アヽ惟神(かむながら)惟神(かむながら)
御霊(みたま)幸(さちは)ひましませよ
出口王仁三郎「霊界物語」より
【惟神の道】復古神道【霊能真柱】
https://talk.jp/boards/psy/1691358455
両部神道が大きく見えるのかも知れんが(笑)
なるほど
神道とは出てこないが
神仏習合では先行している、
この時期に神仏習合のスピードが全国的になったといえる三井寺系統の蔵王権現も含めて
熊野三山検校とは:熊野三山(本宮・速玉・那智)を統括する京都の最高位の役職。
三井寺と熊野の結びつき:
先達と検校:1090年の白河上皇の熊野御幸で、三井寺の増誉が先達を務め、初代検校に補任された。
歴代検校:増誉、行尊(第2代
全国的になる
1090年の白河上皇の熊野御幸で、三井寺の増誉が先達を務め、初代検校に補任された。
さらにパワーアップしたんやろな
😃
曹洞宗も瑩山時代の栄西系統山伏の関連で、三井寺系統の密教山伏が入り込んだらしい
😃
山伏神仏習合のブランドになったのは確かだ
ま、熊野には土着の修験道があったらしいが
皇族と三井寺のブランドで勢いが増したとも言われている
😃
さすが、神仏習合マニア😅
同じ伊勢神宮の内部の対立が、話をややこしくした
2つセットで、大日如来だ
しかも、内宮は女神の天照大神
じつに、よくできた話だ
外宮は伊勢神道を始めた
それに比べたら、伊勢神宮と出雲大社など、ライバルとは言えない関係だ
アマテラスオンリー
内宮のみだ
論文で読んだ
😃
別称・系統: 真言宗(密教)に基づく。
理論: 伊勢神宮の天照大神を胎蔵界大日如来、豊受大神を金剛界大日如来として、二宮の神を密教の曼荼羅思想で再構築した。
特徴: 日本の神々が仏の化身であるという「本地垂迹(ほんじすいじゃく)説」を、具体的な曼荼羅に対応させて体系化した。
別称・系統: 天台宗(日吉大社)に基づく。
理論: 比叡山延暦寺の鎮守である日吉山王権現を釈迦如来の化身(垂迹)とし、山王を至高の神とする。
特徴: 『山家要略記』を代表的文献とし、仏法の守護神として神々を位置づけた。後世(江戸時代)には天海によって「山王一実神道」として大成された。
この分野について、さらに詳しく知りたい特定の側面(例えば、両部神道の具体的な神仏対応や、山王一実神道との違いなど)はありますか?
山王の山型が載った、山王鳥居
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/a0/Hiyoshi-taisha%2C_Sann%C5%8D-torii_%28b%29.jpg/500px-Hiyoshi-taisha%2C_Sann%C5%8D-torii_%28b%29.jpg
全国に約3,800社ある日吉・日枝・山王神社の総本社である。
日光東照宮だ
山王神道を学ぶには日光
😃
日光山王神道に関する本をコピーしたのを家にあるが
最近読んでない😃
日光東照宮ってのは、そういうとこなのか
徳川家康の神格化:天海の思想により、家康は「薬師如来」が人々を救うために仮の姿(権現)で現れた存在として祀られました。
神仏習合の歴史:明治の神仏分離以前は、東照宮は寺院(輪王寺)と一体であり、山王神道は仏教と神道の融合を象徴していました。
山王神道の影響により、東照宮は神社でありながら仏教的な要素が強く取り入れられているという特徴があります。
神仏習合の原型だ
本地垂迹(ほんじすいじゃく)思想により、四柱の祭神はそれぞれ釈迦如来、薬師如来、地蔵菩薩、十一面観音の化身とされ、かつては僧侶が社内で読経し、春日曼荼羅(まんだら)が信仰されました。
興福寺との密接な関係:春日大社は藤原氏の氏神、興福寺は氏寺であり、鎌倉時代以降は「春日興福寺」として、社僧(神社に仕える僧)が「五箇屋(ごかのや)」と呼ばれる施設で密教的な祈祷や「咒師走り(しゅしばしり)」といった神楽を奉納するなど、神仏習合が高度に進んでいました。
本地垂迹説の具現化:平安時代末期以降、春日大社の神々は「春日権現(かすがごんげん)」として信仰されました。
武甕槌命(タケミカヅチ):釈迦如来
経津主命(フツヌシ):薬師如来
天児屋根命(アメノコヤネ):地蔵菩薩
比売神(ヒメガミ):十一面観音
神仏習合の名残:明治時代の神仏分離令で多くの建物や仏像は破壊・移転しましたが、現在も1月2日の「春日社参式」で興福寺の僧侶が春日大社を訪れ、神前で読経を行うなどの伝統が残っています。
認識しそこなっていた、そりゃ
春日大社の神仏習合が今一つピンとこないはずだ
😃
春日大社の主祭神という立ち位置
天照=大日如来の第一の家臣
というわけか、
死後の地獄から救う
天照の一番の家臣
か
😃
日本の土着仏教研究は
未だにオモロイ
😃
空海と神の縁:高野山を開く際、地主神(狩人の姿)が黒・白の犬を連れて空海を導いたとされる伝説が、高野山における神仏習合の原点。
壇上伽藍の御社(みやしろ):弘法大師は高野山を借り受けた地主神の恩に報いるため、壇上伽藍に「御社」を建立し、丹生明神・高野明神を祀った。現在もその前(山王院)で僧侶が毎朝読経している。
奥の院の鳥居:神仏分離令以降も、奥の院には20万以上の供養塔とともに神道のシンボルである鳥居が並び、神仏習合の歴史の深さを示している。
守護神(鎮守社)としての役割:
高野山全体を守る存在として神が位置づけられ、山内の各所(立里荒神社など)に仏教的な守護神が祀られている。
本地垂迹説の具体化:丹生津比売神・高野明神が、大日如来など仏が姿を変えて現れた(本地仏)という考え方が実践された。
明治の廃仏毀釈で分離が進んだものの、高野山の精神的な土壌には神仏共存の伝統が現代も強く息づいています。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d3/Niutsuhime-jinja_dai2-3honden.jpg/1280px-Niutsuhime-jinja_dai2-3honden.jpg
高野山の山伏方の守護神だ
三社は旧山伏の宿坊で祭られているらしい
😃
本覚思想とは言えないが
貞慶、オモロイ中世の僧侶だ
春日大社神仏習合の理解が深まる
「御本地事」には、春日本地仏を貞慶が「自然」(じねん)に顕現させたとあり、春日神と交感し得る貞慶の呪能が垣間見える。そして「諸説不同事」からは、頗る文意不明瞭で難解なのだが、冒頭の「種姓法尓に更に相い繋属の故」は、『成唯識論』巻十の一節に重なる。『成唯識論』では、さらに「或いは多の一に属し、或いは一の多に属する故に…」と続き、「形状相い似て相い障碍せず。展転して相い雑じりて上増縁と為る」はその直前
地元の神社で味わう霊感も
交感とも言えるので、
本覚思想的本地仏の解釈もできうるのだろう
ワイルド霊気過ぎるけどな?
😃
😃😃
唯識論の教科書を書いたので有名な人物だな~😆
知らんかった😆
本覚思想にプラス戒律になってる
本覚思想と言い切れないのは
南都は戒律重視だ
比叡山の本覚思想よりも
😃
唯識と戒律の修行を進めるのぢゃっ‼️
的なんだろな?
高野山も丹生明神とかのパワーが増して現在に至るからな
😃
奈良仏教は唐招提寺の戒律だよな~
マタタビ要素がある
まー天台系統らしい
😃