なんだか、ボクにはわかってきたぞ? キリスト教を語るスレ vol.6最終更新 2026/03/23 10:471.◆JBLfMwCXhY12Zw2縦横無尽にキリスト教を語る前スレなんだか、ボクにはわかってきたぞ? キリスト教を語るスレ vol.5https://talk.jp/boards/psy/17064809962024/02/18 19:41:20379コメント欄へ移動すべて|最新の50件330.◆JBLfMwCXhYZbVKlキリスト教は、なんたって「聖霊」だ2026/03/23 08:33:32331.◆JBLfMwCXhYZbVKl聖霊に満たされることが重要だ2026/03/23 08:33:52332.◆JBLfMwCXhYZbVKl聖霊は、世界に遍在している2026/03/23 08:34:07333.◆JBLfMwCXhYZbVKl3332026/03/23 08:34:17334.◆JBLfMwCXhYZbVKl聖霊とは聖霊(せいれい、Holy Spirit)とは、キリスト教において「父なる神」「子なるイエス・キリスト」と共に、三位一体(さんみいったい)の神を構成する第3の位格(ペルソナ)です。骨肉を持たない霊的存在で、信者の心に宿り、神への信仰を強め、導きや慰めを与える「助け主」として働きます。2026/03/23 08:41:32335.◆JBLfMwCXhYZbVKl聖霊に関する詳細:本質:神の息、あるいは風(ギリシャ語:プネウマ、ヘブライ語:ルーアハ)に例えられ、目には見えないが力強く働く神の愛と力そのものとされる。役割と機能:真理の啓示:人に真理を悟らせ、キリスト教の教えを理解させる。慰めと導き:人生の不安を取り除き、正しい道へ導く(「慰め主」「弁護者」)。信仰の生成:イエス・キリストへの信仰を生み出し、強める。聖めと賜物:信者を清め、信仰上の特別な力(恵み、賜物)を与える。2026/03/23 08:42:01336.◆JBLfMwCXhYZbVKl別名と類語(シノニム):御霊(みたま)、聖なる御霊神の霊、キリストの霊慰め主(なぐさめぬし)、助け主聖神(せいしん:日本正教会での呼称)2026/03/23 08:42:15337.◆JBLfMwCXhYZbVKl使用例:「父と子と聖霊のみ名によって」という祈りの言葉。「聖霊に満たされる」「聖霊降臨(ペンテコステ)」。「聖霊の実(愛、喜び、平和など)を豊かに結ぶ」。キリスト教の伝統的な教義において、聖霊は単なるエネルギーではなく、知性と意志を持つ人格的な神として理解されています。2026/03/23 08:42:26338.◆JBLfMwCXhYZbVKl「父と子と聖霊」は、キリスト教の根本教義である「三位一体(さんみいったい)」を表す言葉です。神は唯一の存在でありながら、創造主(父)、その受肉であるイエス・キリスト(子)、信仰者に内在し働きかける聖霊の3つの人格(ペルソナ)として現れるという考え方です。これらは同等かつ永遠に繋がっているとされます。2026/03/23 08:43:35339.神も仏も名無しさんlAn2Uここのスレが残っていたのか?😀2026/03/23 08:43:55340.◆JBLfMwCXhYZbVKlなぜ「父と子と聖霊」なのか?唯一の神の異なる表れ: キリスト教では、神は「父」「子」「聖霊」の3つのペルソナ(人格、あり方)で構成されるとされています。それぞれが神であり、かつ3つで1つの神(唯一の神)であるというのが三位一体の教えです。創造・救済・聖化の役割:父: 万物の創造主であり、愛の根源です。子(イエス): 父から遣わされ、十字架と復活を通じて人類の罪を贖う救い主です。聖霊: イエスの復活・昇天後に人々の心に宿り、信仰を強め、神へと導く働き手です。2026/03/23 08:43:56341.◆JBLfMwCXhYZbVKl>>339「キリスト教」で検索したらヒットした😆2026/03/23 08:44:39342.神も仏も名無しさんlAn2Uムイムイ事変は1月20日ぐらいだったのか?😀2026/03/23 08:45:03343.神も仏も名無しさんlAn2Uエチオピア聖書は、聖霊を通じて直接のイエス・キリストから直接教わる教団指導者よりも霊的に導かれたものが指導者であるべきだ感がありそうだ😀2026/03/23 08:48:57344.◆JBLfMwCXhYZbVKl古いスレには歴史が残ってるな😆2026/03/23 08:50:34345.◆JBLfMwCXhYZbVKl父と子と聖霊 聖霊とは 「聖霊」はどこから出てきたのか聖霊(せいれい)は、父なる神、子なるキリストと共にキリスト教の「三位一体」を構成する神の第3位格です。神の力や愛が地上で具体的に働く姿であり、特にイエスの復活後に弟子たちに降臨した「助け主(慰め主)」とされます。聖書において、旧約時代からの神の息吹が、新約で人格的な力として現れました。2026/03/23 08:50:56346.◆JBLfMwCXhYZbVKl聖霊とは何か(本質と役割)「神の霊」「キリストの霊」: 神の本質そのものであり、キリストの愛を人々の心に届ける存在です。「助け主(パラクレイトス)」: 私たちの側に立ち、弁護し、慰め、導いてくれる人格的な存在です。信仰の源: 人々を信仰に導き、教会を誕生させ、信仰生活を力づける働きをします。2026/03/23 08:51:10347.◆JBLfMwCXhYZbVKl「聖霊」はどこから出てきたのか聖霊はキリスト教の起源から存在しますが、特に「聖霊降臨」のエピソードが決定的な意味を持ちます。旧約時代から: 聖書では「神の霊」として、天地創造や預言者たちに宿る力として描写されています。イエスの約束と降臨: イエスは自身の死後、父なる神から「助け主」が送られることを約束しました(ヨハネの福音書14:16)。イエスの死と復活、昇天を経て、ペンテコステ(聖霊降臨日)に弟子たちの上に聖霊が下りました。父と子からの発出: キリスト教の伝統(特に西方教会)では、聖霊は「父と子」から発出する(出てくる)と定義されています。つまり、聖霊は神の意志が地上で働く「力」であり、キリストの復活後に信者と共にいて、教会を導く存在として強調されるようになりました。「聖霊」が具体的にどのような力として現代の信仰生活で認識されているか、さらに詳しくお知りになりたいですか?2026/03/23 08:51:26348.◆JBLfMwCXhYZbVKl「父と子」は分かるんだが2026/03/23 08:51:39349.◆JBLfMwCXhYZbVKl「聖霊」ってのが謎なんだよな、昔から2026/03/23 08:51:54350.◆JBLfMwCXhYZbVKl聖霊派は、キリスト教の最先端2026/03/23 08:52:10351.神も仏も名無しさんlAn2U神の言を伝えるメッセンジャー😀2026/03/23 08:55:46352.神も仏も名無しさんlAn2U既存聖書出はヨハネの福音書マタイのイエス・キリストの誕生前と、天に登る時の言葉そこの具体的説明にエチオピア聖書はたくさんあるようだ😀2026/03/23 08:57:02353.◆JBLfMwCXhYZbVKlエチオピア聖書には、古いエピソードが残っているんだな2026/03/23 09:02:20354.神も仏も名無しさん9wqKSイエス・キリストの復活の40日間の時の説教と預言があるらしい😀確かに、イエス・キリストが復活したのに説教、言葉が既存の聖書が少なすぎる、本来は一つの書簡にならんといかん、アッサリ過ぎる😀2026/03/23 09:30:27355.◆JBLfMwCXhYZbVKlへえ、そうなのか😆2026/03/23 09:31:28356.神も仏も名無しさん9wqKSイエス・キリストの復活40日間の説教はそれはリアリティがある少ないのが不思議なくらいだ😀2026/03/23 09:31:31357.神も仏も名無しさん9wqKSまとめた内容良いのでスマホのメモでいつでも読めるようにオモロイところをまとめたエチオピアの文献に記された最も深遠な教えは、人間の魂の本質に関するものでした。ある一節でイエスはこう語っています。「あなたの体はいわば神殿である。しかしあなたが頭で想像するような神殿ではない。これは比喩ではなく、神聖なものと物質的なものが出会う神聖な場所だという意味だ。あなたには三つの階層がある。肉体・魂・そして霊魂の三つだ。肉体は土から生まれ、土に還る。魂は感情と意志を宿しており、上昇したり下降したりする。そして霊魂はあなたの中にある神の息吹であり、永遠であり、不滅なる私の存在を示すものだ。」そしてイエスはこう付け加えます。「あなたの人生の使命は、これら三つの要素を調和させることである。肉体が魂に従い、魂が霊魂となり、霊魂が父なる神に安らぐ時、あなたは創造された本来の姿、すなわち神の生きる像となる。」2026/03/23 09:33:32358.神も仏も名無しさん9wqKS修道士たちによると、この像というものは宗教的な象徴ではなく、人生での実践を促す教えでした。イエスは、人生そのものを祈りへと変容させることを呼びかけました。これらの写本は、ひとりひとりに宿る内なる自由、ひとりひとりに宿る内なる神、すなわちイエスの教えに出てくるひとりひとりの「内なる神殿」について語っています。それは神聖なるものに近づくためには特定の仲介者は必要ないことを教えています。このようなメッセージは、宗教の代行者としての権威と権力を拠り所とする教会にとって、破滅的なものでした。2:不安定な神秘主義エチオピアの写本には、精神的な葛藤、魂の旅、天使の出現といった抽象的なイメージが数多く描かれています。論理と秩序に浸透していたギリシャ・ローマにとって、これらは教会の神理を人々に教育することを妨げるものでした。あまりにも神秘的で、感情に響かせ、神に直接触れるという体験を人民ひとりひとりに推奨することに等しかったのです。支配者たちの口から私の名が発せられるが、彼らは私を知らない。そんな暗黒の時代に、私の声は忘れられた場所から、山々から、砂漠から、沈黙の中で苦しむ人々の前に戻ってくる。真実は死なないからだ。わたしは種であり剣であり、そして戻ってくる。」真のキリスト教は教会による宗教ではなく、人類の変革です。教義の集合体ではなく、人類の内なる部分に秘められた自由への旅なのです。2026/03/23 09:34:26359.神も仏も名無しさん9wqKSこの真理はバチカンの許可など必要としません。それ以外のいかなる教会組織も、これほどに神聖なる真理の唯一の守護者となることはできません。真理とは、真摯に探求されるところならばどこにでも存在します。大聖堂や石造りの修道院だけでなく、砂漠にも、忘れられた村にも、そして苦しみながらも愛し続ける人々の心の中にもあるのです。そこにエチオピア聖書のキリストが顕現します。キリストはいかなる身分の人間にも属しません。耳を傾けるすべての人間の内に宿るのです。これらのエチオピアの写本は、従順ではなく勇気を求めるキリスト、説教ではなく真理を体現するために遣わされたキリストを描き出しています。「あなたの人生を説教としなさい」とイエスは言います。「愛を私の証とし、平和を私の証言としなさい。」と。2026/03/23 09:34:52360.神も仏も名無しさん9wqKSスーフィズムの土台としてはありうるエチオピア系統からスーフィズムが出てきた可能性がある西欧キリスト教と違い過ぎる😀2026/03/23 09:36:13361.◆JBLfMwCXhYZbVKl>>360確かに、その可能性は高い2026/03/23 09:38:27362.神も仏も名無しさん9wqKSカトリック、プロテスタントのいう使徒信条の否定の要素がある聖なる公堂の教会、聖徒の交わり教会の権威を無視するから削除したとも推察できる😀2026/03/23 09:39:06363.神も仏も名無しさん9wqKS俺のつきあいあった日本基督教団の年上の信徒は元内村鑑三の無教会主義で使徒信条を嫌っていた牧師に戦闘を挑んでいたがエチオピア聖書の内容からすると使徒信条の聖なる公堂の教会、聖徒の交わり長老派的な牧師の権威は否定するというスタンスは大間違いではないだろう、既存のプロテスタント信者には嫌われるだろうけどな、😀2026/03/23 09:42:12364.神も仏も名無しさん9wqKS本格的な既存のキリスト教知識とエチオピア聖書の話を語れるのは俺くらいだ、トーク五ちゃんねる合わせて😀2026/03/23 09:43:27365.神も仏も名無しさん9wqKSエチオピア聖書の内容は大乗起信論、如来蔵に近い発想のようだ😀2026/03/23 09:58:21366.神も仏も名無しさん9wqKSエチオピア聖書の内容と西欧キリスト教の対峙はマンガ本、ナウシカの最終決戦の雰囲気がある😀2026/03/23 09:59:12367.神も仏も名無しさん9wqKS門脇佳吉神父とエチオピア聖書は一致するかもしれん😀2026/03/23 10:01:56368.神も仏も名無しさん9wqKSエチオピア聖書で門脇佳吉神父の霊的世界観がわかりやすくなってきた😀2026/03/23 10:02:37369.神も仏も名無しさん9wqKSエチオピア聖書はある部分ではトマスの肯定的な結論の部分に関しては一致があるかもしれん😀2026/03/23 10:03:53370.神も仏も名無しさん9wqKSテーラワーダとイエズス会の融合はエチオピア聖書の内容にはならないが禅とイエズス会の融合はエチオピア聖書に合致しそうである😀2026/03/23 10:05:15371.神も仏も名無しさん9wqKS凄まじいなエチオピア聖書の動画ほぼ門脇佳吉神父の世界観とイコールだ恐るべしエチオピア聖書😀2026/03/23 10:11:26372.神も仏も名無しさん9wqKS動画を全部見終えた雰囲気的には真言密教を超ミラクル発想で霊的世界を表現した内容がエチオピア聖書らしい😀2026/03/23 10:27:22373.◆JBLfMwCXhYZbVKl凄いな後で見てみよう2026/03/23 10:27:49374.◆JBLfMwCXhYZbVKl長いので、まだ最初の方しか見てない2026/03/23 10:28:14375.神も仏も名無しさん9wqKS万物の被造物、物質はイエス・キリストによって動かされるみたいななかなかの霊的認識観が増えた、門脇佳吉神父バージョンとしての😀2026/03/23 10:29:53376.神も仏も名無しさん9wqKS門脇佳吉神父の研究ができそうであるよーわからなかったがエチオピア聖書がヒントになりそうだ😀2026/03/23 10:31:13377.神も仏も名無しさん9wqKS「道の神学(道の形而上学)」は、イエズス会司祭で上智大学名誉教授であった門脇佳吉(かどわき かきち、1926年 - 2017年)神父が提唱した独自の神学体系です。J-StageJ-Stage +1この思想は、キリスト教の信仰と、禅仏教をはじめとする東洋の「道(どう)」の伝統を統合しようとする試みです。1. 核心的な概念門脇神父は、西洋的な「存在の形而上学」に対して、東洋の「道」の概念を基盤とした「道の形而上学」を構築しました。J-StageJ-Stage +1身体的実践の重視: 禅の修行(参禅)やイグナチオの『霊操』を通じ、頭文化的な理解ではなく、身体を伴う「行(ぎょう)」としての信仰を重視しました。キリストとしての「道」: ヨハネ福音書の「わたしは道であり、真理であり、命である」という言葉を、単なる比喩ではなく、実在的な歩み(道行き)として捉え直しました。コト的世界観: 西洋的な「モノ(実体)」の論理に対し、出来事や関係性を重視する「コト(事)」の論理、あるいは能動でも受動でもない「中動態」的な霊的次元を説きました。J-StageJ-Stage +42. 背景と影響門脇神父は、自身も禅の師家に参禅し、キリスト者でありながら禅の修行を深めた人物です。J-StageJ-Stage東西思想の対話: 西田幾多郎や道元、松尾芭蕉などの日本思想と、聖書学・カトリック神学を対照させ、日本人の精神風土に根ざした「日本的な普遍神学」を目指しました。2026/03/23 10:35:33378.◆JBLfMwCXhYZbVKl門脇神父は、高歩院で大森曹玄の禅指導を受けた2026/03/23 10:46:33379.◆JBLfMwCXhYZbVKl門脇神父にも、華厳思想は脈々と流れている2026/03/23 10:47:05
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前スレ
なんだか、ボクにはわかってきたぞ? キリスト教を語るスレ vol.5
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聖霊とは
聖霊(せいれい、Holy Spirit)とは、キリスト教において「父なる神」「子なるイエス・キリスト」と共に、三位一体(さんみいったい)の神を構成する第3の位格(ペルソナ)です。骨肉を持たない霊的存在で、信者の心に宿り、神への信仰を強め、導きや慰めを与える「助け主」として働きます。
本質:神の息、あるいは風(ギリシャ語:プネウマ、ヘブライ語:ルーアハ)に例えられ、目には見えないが力強く働く神の愛と力そのものとされる。
役割と機能:
真理の啓示:人に真理を悟らせ、キリスト教の教えを理解させる。
慰めと導き:
人生の不安を取り除き、正しい道へ導く(「慰め主」「弁護者」)。
信仰の生成:イエス・キリストへの信仰を生み出し、強める。
聖めと賜物:信者を清め、信仰上の特別な力(恵み、賜物)を与える。
御霊(みたま)、聖なる御霊
神の霊、キリストの霊
慰め主(なぐさめぬし)、助け主
聖神(せいしん:日本正教会での呼称)
「父と子と聖霊のみ名によって」という祈りの言葉。
「聖霊に満たされる」「聖霊降臨(ペンテコステ)」。
「聖霊の実(愛、喜び、平和など)を豊かに結ぶ」。
キリスト教の伝統的な教義において、聖霊は単なるエネルギーではなく、知性と意志を持つ人格的な神として理解されています。
😀
唯一の神の異なる表れ: キリスト教では、神は「父」「子」「聖霊」の3つのペルソナ(人格、あり方)で構成されるとされています。それぞれが神であり、かつ3つで1つの神(唯一の神)であるというのが三位一体の教えです。
創造・救済・聖化の役割:
父: 万物の創造主であり、愛の根源です。
子(イエス): 父から遣わされ、十字架と復活を通じて人類の罪を贖う救い主です。
聖霊: イエスの復活・昇天後に人々の心に宿り、信仰を強め、神へと導く働き手です。
「キリスト教」で検索したらヒットした😆
1月20日ぐらいだったのか?
😀
聖霊を通じて
直接のイエス・キリストから
直接教わる
教団指導者よりも
霊的に導かれたものが
指導者であるべきだ感がありそうだ
😀
父と子と聖霊 聖霊とは 「聖霊」はどこから出てきたのか
聖霊(せいれい)は、
父なる神、子なるキリストと共にキリスト教の「三位一体」を構成する神の第3位格です。神の力や愛が地上で具体的に働く姿であり、特にイエスの復活後に弟子たちに降臨した「助け主(慰め主)」とされます。聖書において、旧約時代からの神の息吹が、新約で人格的な力として現れました。
「神の霊」「キリストの霊」: 神の本質そのものであり、キリストの愛を人々の心に届ける存在です。
「助け主(パラクレイトス)」: 私たちの側に立ち、弁護し、慰め、導いてくれる人格的な存在です。
信仰の源: 人々を信仰に導き、教会を誕生させ、信仰生活を力づける働きをします。
聖霊はキリスト教の起源から存在しますが、特に「聖霊降臨」のエピソードが決定的な意味を持ちます。
旧約時代から: 聖書では「神の霊」として、天地創造や預言者たちに宿る力として描写されています。
イエスの約束と降臨: イエスは自身の死後、父なる神から「助け主」が送られることを約束しました(ヨハネの福音書14:16)。イエスの死と復活、昇天を経て、ペンテコステ(聖霊降臨日)に弟子たちの上に聖霊が下りました。
父と子からの発出: キリスト教の伝統(特に西方教会)では、聖霊は「父と子」から発出する(出てくる)と定義されています。
つまり、聖霊は神の意志が地上で働く「力」であり、キリストの復活後に信者と共にいて、教会を導く存在として強調されるようになりました。
「聖霊」が具体的にどのような力として現代の信仰生活で認識されているか、さらに詳しくお知りになりたいですか?
😀
マタイのイエス・キリストの誕生前と、
天に登る時の言葉
そこの具体的説明にエチオピア聖書は
たくさんあるようだ
😀
説教と預言があるらしい
😀
確かに、イエス・キリストが復活したのに説教、言葉が既存の聖書が少なすぎる、
本来は一つの書簡にならんといかん、
アッサリ過ぎる
😀
それはリアリティがある
少ないのが不思議なくらいだ
😀
スマホのメモでいつでも読めるように
オモロイところをまとめた
エチオピアの文献に記された最も深遠な教えは、人間の魂の本質に関するものでした。ある一節でイエスはこう語っています。
「あなたの体はいわば神殿である。しかしあなたが頭で想像するような神殿ではない。これは比喩ではなく、神聖なものと物質的なものが出会う神聖な場所だという意味だ。あなたには三つの階層がある。肉体・魂・そして霊魂の三つだ。肉体は土から生まれ、土に還る。魂は感情と意志を宿しており、上昇したり下降したりする。そして霊魂はあなたの中にある神の息吹であり、永遠であり、不滅なる私の存在を示すものだ。」
そしてイエスはこう付け加えます。
「あなたの人生の使命は、これら三つの要素を調和させることである。肉体が魂に従い、魂が霊魂となり、霊魂が父なる神に安らぐ時、あなたは創造された本来の姿、すなわち神の生きる像となる。」
これらの写本は、ひとりひとりに宿る内なる自由、ひとりひとりに宿る内なる神、すなわちイエスの教えに出てくるひとりひとりの「内なる神殿」について語っています。それは神聖なるものに近づくためには特定の仲介者は必要ないことを教えています。このようなメッセージは、宗教の代行者としての権威と権力を拠り所とする教会にとって、破滅的なものでした。
2:不安定な神秘主義
エチオピアの写本には、精神的な葛藤、魂の旅、天使の出現といった抽象的なイメージが数多く描かれています。論理と秩序に浸透していたギリシャ・ローマにとって、これらは教会の神理を人々に教育することを妨げるものでした。あまりにも神秘的で、感情に響かせ、神に直接触れるという体験を人民ひとりひとりに推奨することに等しかったのです。
支配者たちの口から私の名が発せられるが、彼らは私を知らない。そんな暗黒の時代に、私の声は忘れられた場所から、山々から、砂漠から、沈黙の中で苦しむ人々の前に戻ってくる。真実は死なないからだ。わたしは種であり剣であり、そして戻ってくる。」
真のキリスト教は教会による宗教ではなく、人類の変革です。教義の集合体ではなく、人類の内なる部分に秘められた自由への旅なのです。
これらのエチオピアの写本は、従順ではなく勇気を求めるキリスト、説教ではなく真理を体現するために遣わされたキリストを描き出しています。「あなたの人生を説教としなさい」とイエスは言います。「愛を私の証とし、平和を私の証言としなさい。」と。
ありうる
エチオピア系統から
スーフィズムが出てきた可能性がある
西欧キリスト教と違い過ぎる
😀
確かに、その可能性は高い
使徒信条の否定の要素がある
聖なる公堂の教会、聖徒の交わり
教会の権威を無視するから
削除したとも
推察できる
😀
日本基督教団の
年上の信徒は
元内村鑑三の無教会主義で
使徒信条を嫌っていた
牧師に戦闘を挑んでいたが
エチオピア聖書の内容からすると
使徒信条の
聖なる公堂の教会、聖徒の交わり
長老派的な牧師の権威は
否定する
というスタンスは
大間違いではないだろう、
既存のプロテスタント信者には嫌われるだろうけどな、
😀
エチオピア聖書の話を語れるのは俺くらいだ、トーク五ちゃんねる合わせて
😀
大乗起信論、如来蔵に近い発想のようだ
😀
対峙は
マンガ本、ナウシカの
最終決戦の雰囲気がある
😀
エチオピア聖書は
一致するかもしれん
😀
門脇佳吉神父の霊的世界観がわかりやすくなってきた
😀
ある部分ではトマスの肯定的な結論の部分に関しては一致があるかもしれん
😀
エチオピア聖書の内容にはならないが
禅とイエズス会の融合は
エチオピア聖書に合致しそうである
😀
エチオピア聖書の動画
ほぼ門脇佳吉神父の世界観と
イコールだ
恐るべしエチオピア聖書
😀
雰囲気的には
真言密教を超ミラクル発想で
霊的世界を表現した内容がエチオピア聖書らしい
😀
後で見てみよう
イエス・キリストによって動かされる
みたいな
なかなかの霊的認識観が増えた、
門脇佳吉神父バージョンとしての
😀
よーわからなかったが
エチオピア聖書がヒントになりそうだ
😀
J-Stage
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+1
この思想は、キリスト教の信仰と、禅仏教をはじめとする東洋の「道(どう)」の伝統を統合しようとする試みです。
1. 核心的な概念
門脇神父は、西洋的な「存在の形而上学」に対して、東洋の「道」の概念を基盤とした「道の形而上学」を構築しました。
J-Stage
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+1
身体的実践の重視: 禅の修行(参禅)やイグナチオの『霊操』を通じ、頭文化的な理解ではなく、身体を伴う「行(ぎょう)」としての信仰を重視しました。
キリストとしての「道」: ヨハネ福音書の「わたしは道であり、真理であり、命である」という言葉を、単なる比喩ではなく、実在的な歩み(道行き)として捉え直しました。
コト的世界観: 西洋的な「モノ(実体)」の論理に対し、出来事や関係性を重視する「コト(事)」の論理、あるいは能動でも受動でもない「中動態」的な霊的次元を説きました。
J-Stage
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+4
2. 背景と影響
門脇神父は、自身も禅の師家に参禅し、キリスト者でありながら禅の修行を深めた人物です。
J-Stage
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東西思想の対話: 西田幾多郎や道元、松尾芭蕉などの日本思想と、聖書学・カトリック神学を対照させ、日本人の精神風土に根ざした「日本的な普遍神学」を目指しました。