【スコラ三年】 カトリック神学 3 【教父八年】最終更新 2025/04/07 18:301.◆JBLfMwCXhYPIdPB(1/6)縦横無尽に語るスレ前スレ(今回から変更)【スコラ三年】 キリスト教の神学理論 2 【教父八年】https://talk.jp/boards/psy/17027979862024/01/12 12:59:08333コメント欄へ移動すべて|最新の50件284.◆JBLfMwCXhYHLrgQ(1/2)シカは成長しないな?😫2024/12/22 06:40:27285.◆JBLfMwCXhYHLrgQ(2/2)可能態のままでストップしている2024/12/22 06:40:40286.神も仏も名無しさん4zJPCシカは怒っておるぞー😡2024/12/23 08:57:01287.◆JBLfMwCXhY0eV8F万物は可能態から現実態への生成のうちにあり、質料をもたない純粋形相として最高の現実性を備えたものは、「神」(不動の動者)と呼ばれる。2025/01/17 21:12:49288.◆JBLfMwCXhY0TrxU(1/10)キリスト教もイスラム教も聖書やコーランだけでは、教義内容があまりに乏しい2025/01/20 05:46:12289.◆JBLfMwCXhY0TrxU(2/10)教義を充実させるためには、アリストテレスの哲学を取り入れる必要があった2025/01/20 05:46:34290.◆JBLfMwCXhY0TrxU(3/10)神とは何なのか聖書をいくら読んでも分からないアリストテレスのおかげで、それが分かった2025/01/20 05:47:10291.◆JBLfMwCXhY0TrxU(4/10)中世ヨーロッパ人にとっては、目からウロコが落ちるような思いだった2025/01/20 05:47:36292.◆JBLfMwCXhY0TrxU(5/10)アリストテレスの哲学の要点をまとめると、このようになる2025/01/20 05:56:53293.◆JBLfMwCXhY0TrxU(6/10)1、万物は、可能態から現実態へと移行する過程にある2025/01/20 05:57:22294.◆JBLfMwCXhY0TrxU(7/10)2、物事には、すべて原因がある。原因の、そのまた原因・・・をたどっていくと、いつかは究極の原因にたどりつく。神こそが、第一原因である。2025/01/20 05:58:31295.◆JBLfMwCXhY0TrxU(8/10)3、太陽は、地球のまわりを回っている。星は、地球と太陽のまわりを回っている。天球を回転するのには、ものすごいパワーが要る。神こそは、万物を動かしている者である。神自身は動かない。神は「不動の動者」である。2025/01/20 06:00:10296.◆JBLfMwCXhY0TrxU(9/10)4、幸福になること。それが、人生の目的である。2025/01/20 06:00:35297.◆JBLfMwCXhY0TrxU(10/10)これが、カトリック神学の根本思想になった2025/01/20 06:01:12298.神も仏も名無しさんfpbpHお、レスしとるー😀2025/01/20 08:22:22299.◆JBLfMwCXhYwiWJC(1/2)キリスト教の研究も、たまにはやらんとな~😅2025/01/20 09:04:56300.◆JBLfMwCXhYwiWJC(2/2)3002025/01/20 09:05:13301.◆JBLfMwCXhYrfNSJ神とは何なのかを知りたかったら、アリストテレスにきくことだ2025/01/21 07:47:19302.◆JBLfMwCXhYB1MlM(1/5)プラトンは天上にイデアという真存在があり地上はそのマガイモノ、と世界を天と地に分ける「二世界論」を展開しました。哲学に留まらず政治思想にも及び、真存在を解する哲学者が政治統治者になるべきだという、一種の哲学者独裁政治を最善の政治体制と考え、かつシシリー島で実践を試みてまでいます(結局失敗しますが)。プラトンの師匠はかのソクラテスです。ソクラテスは民主主義体制の下で利害が交錯する中、裁判で死刑を言い渡され刑死しました。プラトンが深く民主主義や現実に失望し、天上のイデアというものを想定するに至った大きな背景です。2025/01/22 14:30:45303.◆JBLfMwCXhYB1MlM(2/5)次はアリストテレスです。アリストテレスはプラトンの愛弟子でした。まず、この絵をご覧ください。https://life-shift.net/wp-content/uploads/%E7%94%BB%E5%83%8F11.pngラファエロの名作「アテネの学堂」です。左側の老人は右手で天を指さしています。プラトン。そして右側の若者は地を指さしています。彼がアリストテレスです。師匠と弟子の対立のダイナミズム、これは哲学を前進させるひとつの駆動力であったといえましょう。アリストテレスは、本質は地上の個物にあると主張したのです。アリストテレスの議論は複雑なので、今回はごく大雑把ですが、現実を観察することの重要性を説いたと理解していただければひとまず十分です。アリストテレスはボトムアップの、プラトンはトップダウンの世界観を有していたのです。2025/01/22 14:32:13304.◆JBLfMwCXhYB1MlM(3/5)プラトンはトップダウン型の世界観2025/01/22 14:34:07305.◆JBLfMwCXhYB1MlM(4/5)アリストテレスはボトムアップ型の世界観2025/01/22 14:34:18306.◆JBLfMwCXhYB1MlM(5/5)まさに、その通り2025/01/22 14:34:28307.神も仏も名無しさんGn5SQ冬の寒さでキリスト教やる元気がない😫2025/02/02 21:52:03308.◆JBLfMwCXhY34vvi(1/2)AI Overview2025年は、カトリック教会の総本山であるバチカン市国で聖年(ヨベルの年)が開催されます。聖年は、1475年以降25年ごとに開催されており、教皇がローマを訪れる信徒に特別免償を与える年です。2025年の聖年のテーマは「希望の巡礼者」で、教皇フランシスコは2025年の聖年を布告する大勅書「希望は欺かない」を発表しています。ヨベルの年(聖年)とは、イスラエル人が50年目に迎える自由と解放の年で、安息の年とも呼ばれます。2025/02/06 08:07:17309.◆JBLfMwCXhY34vvi(2/2)今年は、カトリックの安息年か2025/02/06 08:07:31310.◆JBLfMwCXhYXjW4d(1/17) アジアとヨーロッパ(アメリカもここに含めることにします)の人間観のきわだった違いは、アイデンティティーという概念にあると思います。 アイデンティティーはヨーロッパの哲学の核心にある概念です。「真の自分」「もう変わりようのない究極的な自分」のことです。2025/02/09 18:11:34311.◆JBLfMwCXhYXjW4d(2/17)ヨーロッパ的な人間観によると、日常生活において、人間は「真の自分」ではありません。「偽りの自分」として生きています。家庭環境であったり、学校教育であったり、支配的な政治的イデオロギーであったり、さまざまな臆断によって、人は目を塞がれ、思考や感情を歪められ、定型化されているからです。ですから、無反省的に生きている限り、人間は「真の自分」にはなれません。自分の外殻にこびりついた自分の中に起源を持たないすべての夾雑物を洗い落として、「真の自分」を見出すように努力しなければならない。 これがヨーロッパ的な「アイデンティティーの哲学」の基本的な考え方です。2025/02/09 18:11:55312.◆JBLfMwCXhYXjW4d(3/17)この哲学を代表するのは、ドイツの哲学者ハイデガーです。1933年のフライブルク大学総長就任演説で、ハイデガーはドイツ大学人に課せられた使命は「われわれがそうあらねばならないものに自らなるということなのである」と明言しました。2025/02/09 18:12:10313.◆JBLfMwCXhYXjW4d(4/17)「われわれがそうあらねばならないものに自らなる」。わかりにくい表現ですが、要するに「真の自分になる」ということです。私たちは自分が「ほんとうは何ものであるのか、何ものにならねばならないのか」を先駆的・直観的にはぼんやりとは知っている。でも、さまざまな障害のせいで、まだ「真の自分」になっていない。だから、全力を尽くして、生涯をかけて「真の自分」になる。2025/02/09 18:12:29314.◆JBLfMwCXhYXjW4d(5/17)ヨーロッパ思想において、この発想が完全に否定されたことはこれまでなかったと思います。マルクス主義、実存主義、構造主義、ポストモダニズム、フェミニズム、加速主義・・・と思想の意匠は次々に変わりましたけれども、「臆断の檻から抜け出す」「幻想から目覚める」「眠りから起こされる」という同じメタファーがいつも繰り返されてきました。2025/02/09 18:12:47315.◆JBLfMwCXhYXjW4d(6/17)檻から出たり、眠りから覚めたりした人は「真の自分」として生の現実と向き合うことになります。映画『マトリックス』では、赤いピルを選んで、「マトリックス」にコントロールされた眠りから覚めたネオが、荒々しく生々しい現実世界と向き合う場面がありますけれど、これが「真の自分」の最も典型的な表象です(いささか単純過ぎますけれど)。2025/02/09 18:12:59316.◆JBLfMwCXhYXjW4d(7/17)本来あるべき姿になる2025/02/09 18:13:09317.◆JBLfMwCXhYXjW4d(8/17)いまはまだ、そうなっていない2025/02/09 18:13:24318.◆JBLfMwCXhYXjW4d(9/17)可能態から現実態への移行2025/02/09 18:13:37319.◆JBLfMwCXhYXjW4d(10/17)このアリストテレス哲学こそ、ヨーロッパの精神2025/02/09 18:13:56320.◆JBLfMwCXhYXjW4d(11/17)今の自分は、本当の自分ではない2025/02/09 18:14:23321.◆JBLfMwCXhYXjW4d(12/17)本来あるべき、本当の自分にならなければならない2025/02/09 18:14:45322.◆JBLfMwCXhYXjW4d(13/17)いまは、可能態の自分2025/02/09 18:14:57323.◆JBLfMwCXhYXjW4d(14/17)現実態にならなければならない2025/02/09 18:15:08324.◆JBLfMwCXhYXjW4d(15/17)これがピンとくれば、西洋思想がよく分かる2025/02/09 18:15:30325.◆JBLfMwCXhYXjW4d(16/17)西洋的な「進歩史観」歴史とは、可能態から現実態への移行のプロセスであると捉える見方だ2025/02/09 18:16:47326.◆JBLfMwCXhYXjW4d(17/17)神こそ、究極の現実態2025/02/09 18:17:29327.神も仏も名無しさんbshfUお、やっとるなー昨日はカトリック御堂参りしてきたでー😀2025/02/09 18:38:02328.◆JBLfMwCXhYPUcMG>>327いいな~😄2025/02/10 00:42:42329.神も仏も名無しさんZj3Vp今日は西山派寺院に行ってきた😀2025/02/10 12:26:33330.神も仏も名無しさんwdcmu仏道は平等無差別、主体性主人公を説く。 おっぱい問答が続くが、わたしはおっぱいに執着が無い。大小にこだりがない。各人各様千変万化であり授乳が役割なのだ。乳房は、乳腺の束を脂肪で守り、乳腺を乳首の一点に集中させる。大きかったひとはGカップの手足がすらりと長いひとで大きいHカップの雄大さだった。やわらかいおっぱいで、テンピュール枕だ。また、ハードな大きな茄子とでも言おうか、硬めで、突き出す大きさ。また、ふくらみが無くて、洗濯板、それでも不十分でエグレ だと痩せて遊走腎で、でもおしりはたっぷりと豊かで動きが軽くよく働く元気さで、しかも文系の才能豊かなひとだった、乳房は性感帯ではない。乳首もきっと性感帯ではない。だがあるとすれば、乳と鎖骨の中間あたりの筋肉の性神経をゆっくりと押し込むようにしてなでさするのが良い。あるいは脇の方には、人によって 1~3個のふくちち、副乳があることがある。人類も脊椎動物哺乳類であり、同様に多数個の乳房を左右両方に持つ。人類も左右に8個ずつ乳首を持つ先祖の末裔であり、ふくちち副乳を持つ人もいる。おしりの代用であるおっぱいは、男への撒き餌で、乳腺の束なのだから。たとえば人類と95%の共通項を持つお猿さんたちでも、子育て期間中しか乳房は膨らまず、普段はオスと同じで乳首だけである。人類だけが10歳前後から膨らみ始め、19歳に至り最大級となって、23歳頃にはさわりごこちが最良となり、授乳期は、えもいわれぬいい香りを放つ。パイズリで発射させてくれる人がいるが、おとこが喜ぶのを見て自己の喜びにしてるから、じっと観察し確認し自己の喜びに変換してくる。35歳を過ぎるとしたたり落ちていた愛液が急速に減少し、膣内内壁の内壁の皮膚が薄くなり、交接による切り傷もあり、性交痛の原因となる。婦人科で、レーザー治療で焼くのが最良の処置である。女性ホルモン量が少なくなるので、相対として、男性ホルモンが優位に働くから、おしとやかだったころとは違い、積極的でので、夫を尻に引く、かかあ天下、と言うのは、35歳過ぎ頃から言う。またこれまでと異なり男性に対してもアクティヴになる。55歳ごろには閉経し、引力、重力の存在証明をする。2025/03/08 21:38:40331.◆JBLfMwCXhYol1P9(1/3)これまで「私」の存在を証明できた哲学者はいません。デカルトは「われ思う」は確実なのだから、「われ」の存在もあるといいましたが、それは間違いで、単に私の思考作用があるといったに過ぎず、思考作用があるからといって「私」が存在することにはなりません。2025/04/07 18:29:08332.◆JBLfMwCXhYol1P9(2/3)デカルトにとって「私」の存在は、神が存在していることが「自明」であるのと同様、証明など要らない「自明」なことでした。その後、カントがその証明を試みましたが、むしろそれはデカルト批判で、デカルトが「私」が存在し、その「私」を実体だと主張したことへの反論でした。カントにとって「私」というのは意識の中心にある「核」のようなもので、それをカントは外界の感覚データを取りまとめているという意味で、「超越論的統覚」といいましたが、しかしカントにとってその「核」は知られざる「x」であり、「可想体」でした。2025/04/07 18:29:31333.◆JBLfMwCXhYol1P9(3/3)私は物を見ているときに私の目の背後に何ものかが存在しているという感覚を持つことがあります。その何ものかが、私の目を通して物を見ている。しかし、目は目それ自体を見ることが出来ないのと同じように、私は私の背後にいて目を通して物を見ている「私」の存在を見ることは出来ません。 ただ、なんとなく背後にいるような感じを持っているだけです。背後の空間に何者かがいるかもしれないけど、いないかもしれない。 私にとって背後の空間は文字通り、「空白」です。 西欧人はその背後の空間に「私」の存在があるといいますが、東洋人である私にはその背後の空間は「無」であるように思います。かつて西田幾多郎はその背後の空間を指して「絶対無」といったことがあります。 つまり日本人にとって、自我とか主体というようなものは存在しないのです。2025/04/07 18:30:14
前スレ(今回から変更)
【スコラ三年】 キリスト教の神学理論 2 【教父八年】
https://talk.jp/boards/psy/1702797986
怒っておるぞー
😡
聖書やコーランだけでは、教義内容があまりに乏しい
聖書をいくら読んでも分からない
アリストテレスのおかげで、それが分かった
😀
哲学に留まらず政治思想にも及び、真存在を解する哲学者が政治統治者になるべきだという、
一種の哲学者独裁政治を最善の政治体制と考え、かつシシリー島で実践を試みてまでいます(結局失敗しますが)。
プラトンの師匠はかのソクラテスです。
ソクラテスは民主主義体制の下で利害が交錯する中、裁判で死刑を言い渡され刑死しました。
プラトンが深く民主主義や現実に失望し、天上のイデアというものを想定するに至った大きな背景です。
まず、この絵をご覧ください。
https://life-shift.net/wp-content/uploads/%E7%94%BB%E5%83%8F11.png
ラファエロの名作「アテネの学堂」です。左側の老人は右手で天を指さしています。
プラトン。そして右側の若者は地を指さしています。彼がアリストテレスです。
師匠と弟子の対立のダイナミズム、これは哲学を前進させるひとつの駆動力であったといえましょう。
アリストテレスは、本質は地上の個物にあると主張したのです。
アリストテレスの議論は複雑なので、今回はごく大雑把ですが、現実を観察することの重要性を説いたと理解していただければひとまず十分です。
アリストテレスはボトムアップの、プラトンはトップダウンの世界観を有していたのです。
キリスト教やる元気がない
😫
2025年は、カトリック教会の総本山であるバチカン市国で聖年(ヨベルの年)が開催されます。聖年は、1475年以降25年ごとに開催されており、教皇がローマを訪れる信徒に特別免償を与える年です。
2025年の聖年のテーマは「希望の巡礼者」で、教皇フランシスコは2025年の聖年を布告する大勅書「希望は欺かない」を発表しています。
ヨベルの年(聖年)とは、イスラエル人が50年目に迎える自由と解放の年で、安息の年とも呼ばれます。
アイデンティティーはヨーロッパの哲学の核心にある概念です。「真の自分」「もう変わりようのない究極的な自分」のことです。
ですから、無反省的に生きている限り、人間は「真の自分」にはなれません。自分の外殻にこびりついた自分の中に起源を持たないすべての夾雑物を洗い落として、「真の自分」を見出すように努力しなければならない。
これがヨーロッパ的な「アイデンティティーの哲学」の基本的な考え方です。
1933年のフライブルク大学総長就任演説で、ハイデガーはドイツ大学人に課せられた使命は「われわれがそうあらねばならないものに自らなるということなのである」と明言しました。
私たちは自分が「ほんとうは何ものであるのか、何ものにならねばならないのか」を先駆的・直観的にはぼんやりとは知っている。でも、さまざまな障害のせいで、まだ「真の自分」になっていない。だから、全力を尽くして、生涯をかけて「真の自分」になる。
マルクス主義、実存主義、構造主義、ポストモダニズム、フェミニズム、加速主義・・・と思想の意匠は次々に変わりましたけれども、「臆断の檻から抜け出す」「幻想から目覚める」「眠りから起こされる」という同じメタファーがいつも繰り返されてきました。
映画『マトリックス』では、赤いピルを選んで、「マトリックス」にコントロールされた眠りから覚めたネオが、荒々しく生々しい現実世界と向き合う場面がありますけれど、これが「真の自分」の最も典型的な表象です(いささか単純過ぎますけれど)。
歴史とは、可能態から現実態への移行のプロセスであると捉える見方だ
昨日はカトリック御堂参りしてきたでー
😀
いいな~😄
西山派寺院に行ってきた
😀
おっぱい問答が続くが、わたしはおっぱいに執着が無い。
大小にこだりがない。
各人各様千変万化であり授乳が役割なのだ。
乳房は、乳腺の束を脂肪で守り、乳腺を乳首の一点に集中させる。
大きかったひとはGカップの手足がすらりと長いひとで大きいHカップの雄大さだった。
やわらかいおっぱいで、テンピュール枕だ。
また、ハードな大きな茄子とでも言おうか、硬めで、突き出す大きさ。また、ふくらみが無くて、洗濯板、それでも不十分でエグレ だと痩せて遊走腎で、でもおしりはたっぷりと豊かで動きが軽くよく働く元気さで、しかも文系の才能豊かなひとだった、
乳房は性感帯ではない。乳首もきっと性感帯ではない。
だがあるとすれば、乳と鎖骨の中間あたりの筋肉の性神経をゆっくりと押し込むようにしてなでさするのが良い。
あるいは脇の方には、人によって 1~3個のふくちち、副乳があることがある。
人類も脊椎動物哺乳類であり、同様に多数個の乳房を左右両方に持つ。
人類も左右に8個ずつ乳首を持つ先祖の末裔であり、ふくちち副乳を持つ人もいる。おしりの代用であるおっぱいは、男への撒き餌で、乳腺の束なのだから。
たとえば人類と95%の共通項を持つお猿さんたちでも、子育て期間中しか乳房は膨らまず、普段はオスと同じで乳首だけである。
人類だけが10歳前後から膨らみ始め、19歳に至り最大級となって、23歳頃にはさわりごこちが最良となり、授乳期は、えもいわれぬいい香りを放つ。
パイズリで発射させてくれる人がいるが、おとこが喜ぶのを見て自己の喜びにしてるから、じっと観察し確認し自己の喜びに変換してくる。
35歳を過ぎるとしたたり落ちていた愛液が急速に減少し、膣内内壁の内壁の皮膚が薄くなり、交接による切り傷もあり、性交痛の原因となる。
婦人科で、レーザー治療で焼くのが最良の処置である。
女性ホルモン量が少なくなるので、相対として、男性ホルモンが優位に働くから、おしとやかだったころとは違い、積極的でので、夫を尻に引く、かかあ天下、と言うのは、35歳過ぎ頃から言う。
またこれまでと異なり男性に対してもアクティヴになる。
55歳ごろには閉経し、引力、重力の存在証明をする。
デカルトは「われ思う」は確実なのだから、「われ」の存在もあるといいましたが、それは間違いで、単に私の思考作用があるといったに過ぎず、思考作用があるからといって「私」が存在することにはなりません。
その後、カントがその証明を試みましたが、むしろそれはデカルト批判で、デカルトが「私」が存在し、その「私」を実体だと主張したことへの反論でした。
カントにとって「私」というのは意識の中心にある「核」のようなもので、それをカントは外界の感覚データを取りまとめているという意味で、「超越論的統覚」といいましたが、しかしカントにとってその「核」は知られざる「x」であり、「可想体」でした。
その何ものかが、私の目を通して物を見ている。
しかし、目は目それ自体を見ることが出来ないのと同じように、私は私の背後にいて目を通して物を見ている「私」の存在を見ることは出来ません。
ただ、なんとなく背後にいるような感じを持っているだけです。
背後の空間に何者かがいるかもしれないけど、いないかもしれない。 私にとって背後の空間は文字通り、「空白」です。
西欧人はその背後の空間に「私」の存在があるといいますが、東洋人である私にはその背後の空間は「無」であるように思います。
かつて西田幾多郎はその背後の空間を指して「絶対無」といったことがあります。 つまり日本人にとって、自我とか主体というようなものは存在しないのです。