ゆゆしき法界 パート30アーカイブ最終更新 2023/12/30 06:111.◆JBLfMwCXhYh84Ip【ゆゆしき法界とは】Talk 掲示板における一つの独立した空間で、争い事は決して好まず、他者に対する誹謗・中傷はナンセンス。しかし愛嬌はドンと来い。ユーモアはぶちかませ。エロい話はお好み次第。「人生楽しまなきゃ損だろう!」をモットーに互いの人間性を尊重しながらもじゃれ合い程度にはツツキ合い、もみもみしながら互いのゆゆしさを温かく且つ、深く理解し合いながら相互に人間性を高め合っていく。そんな素敵な関係のゆゆしき法界です。前スレゆゆしき法界 パート29https://talk.jp/boards/psy/17031907122023/12/24 10:59:451000すべて|最新の50件953.神も仏も名無しさんX0T6Qあとは曹洞宗の修行原理主義だが、結局は、輪廻があろうとなかろうとやることは変わらん今やることをやれって仏陀の現実主義的な態度を色濃く表してるから、とにかく彼らは坐るのだろう2023/12/29 01:08:04954.神も仏も名無しさんX0T6Qこの姿勢は実は、この人生はたった一回だけ(だから一生懸命生きよう)というキリスト教のスタンスと極めて似ていることは言うまでもない2023/12/29 01:08:49955.神も仏も名無しさんX0T6Qただ、違うのは禅宗では輪廻は向記だが、キリスト教では「否定」してるところが大きなスタンスの違いだろう2023/12/29 01:09:52956.神も仏も名無しさんX0T6Q無記2023/12/29 01:10:39957.神も仏も名無しさんK8Xsnでおニキこんなところで暴れてたのかー!【Breaking Down】病院送りニキhttps://m.youtube.com/watch?v=tV1KGlbFiRQ2023/12/29 04:18:25958.神も仏も名無しさんB9pQR>>951キリスト教にあるセイント状態やったんやろ法然は幻をたくさんみたらしいから念仏の快楽が生き甲斐だったんやろな😄2023/12/29 07:08:33959.神も仏も名無しさんB9pQRヤケブツオールナイトか?ウマぱーりー?😭2023/12/29 07:09:05960.ペッ!yL9Q2法然さんは、チベット仏教のいつもマニグルマ回してる人に通じるものがありますね。悪の入り込む余地がない状態であり、その点で凡夫は常に悪に入り込む余地を与えている。親鸞さんは悪に入り込む余地を与えてしまったんだろう。2023/12/29 07:46:58961.神も仏も名無しさんB9pQR>>960おはよ〜仕事は慣れたか?恐ろしい仕事やな〜😄チベット密教シリーズたくさんあげとるな〜ナンバー7までは落とした😄2023/12/29 07:54:39962.ペッ!yL9Q2おはようございます。仕事覚えるのに1年かかると先輩に言われました。輩ぽい人もいて、罵声や怒声が降りかかります。正直恐ろしい仕事です。トラックは不眠地獄今の仕事は精神的、肉体な鞭打ち地獄とも言えなくもない。しかし、地獄の苦しみに比べたら小さい苦しみであり耐え忍ぶ修行をする貴重な時間を味わっています。法話を学び、堅固なブレない八正道の島を自己の中に作るのは大切ですね。2023/12/29 08:18:22963.神も仏も名無しさんLJREwhttps://zawazawa.jp/Bukipedia/topic/2867法介 259e67dbae 2023/12/29 (金) 06:22:50天台密教は智顗が説いたものではありません。平安時代初期の日本の僧侶、最澄(767年-822年)が唐へ渡り天台教学を中心に学んだが、当時の中国では念仏や禅、また戒律、そして密教が流行していた。最澄は天台教学とともに、密教(中期密教)・禅(北方禅)・念仏(浄土教)を日本に持ち帰った。さらに最澄の弟子で第3代天台座主になる円仁(慈覚大師)や、第5代天台座主となる円珍(智証大師)等が唐に渡って中国密教を本格的に学んだことから、日本の天台宗は密教を包含する。しかし、その密教はヒンズー教の真我説の影響を受けた如来蔵思想だった。68法介 259e67dbae 2023/12/29 (金) 06:28:57「如来蔵思想は仏教にあらず」という論文を1986年に学界に発表した松本 史朗 仏教学博士が「如来蔵思想と本覚思想」という論文の中で次のように述べられております。「如来蔵思想と本覚思想」http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/17592/jfb063-07.pdf高崎直道博士は、『如来蔵思想の形成』(1974)において、作業仮説的に、『宝性論』の教理内容を如来蔵思想と規定し、『宝性論』に引用された諸経典を根拠にして、如来蔵思想の形成過程を明らかにし、それによって、如来蔵思想をインド仏教研究の一分野として確立したと思われるが、その際、如来蔵思想という用語の典拠とされたのが、『楞伽経』の「如来蔵説」(tatha-gatagarbha-va-da)と法蔵『起信論義記』の「如来蔵縁起宗」という言葉であったことは、注意されるべきであろう(14)。69法介 259e67dbae 2023/12/29 (金) 06:30:49 修正その高崎直道博士の『如来蔵思想の形成』について述べられた論文です。https://www.japan-acad.go.jp/pdf/youshi/065/takasaki.pdf70法介 259e67dbae 2023/12/29 (金) 06:38:19高崎博士は、如来蔵思想とは「一切衆生 悉有仏性」という一文によって表明されている如きの大乗仏教における主要な思想の随一である。と言い、一切衆生に如来たるべき因(如来蔵)が有るという説を「如来蔵思想」だと述べておられます。2023/12/29 08:49:59964.神も仏も名無しさんLJREw71法介 259e67dbae 2023/12/29 (金) 07:03:45高崎博士は、如来蔵思想は『宝性論』によって体系化されるとも言っておられますが、これは堅慧菩薩が漢訳した四巻からなる「究竟一乗 宝性論」の事です。(弥勒が説いたとも言われる)内容としては一切衆生に仏性があるとして二乗、一闡提も成仏することができると主張している。堅慧菩薩は、生没年不明で六世紀ころの中インドの僧侶。その『宝性論』に関する著書を高崎博士が執筆されておられます。『宝性論』 高崎 直道 (著)https://www.amazon.co.jp/宝性論-インド古典叢書-高崎-直道/dp/4061437852その高崎博士の『宝性論』↑について述べている論文↓です。『宝性論』における法身と智 柴田寛敬https://www.waseda.jp/flas/glas/assets/uploads/2018/03/Vol63_2_asian-philosophy_smt.pdf72法介 259e67dbae 2023/12/29 (金) 07:11:36↑柴田論文より引用↓続いて法身の三種のあり方と智の関係をみてみると、如来において、無分別智と後得智の二智は悟りの因であり、さらにその二智は自利・利他の働きをなす。この利他の働き、即ち如来の智の光明が衆生に照射されて、衆生の中に仏智と等しい智が見出される。この所観の仏智(8)としての衆生が、如来によってもたらされた教説を聴聞し、如来に対する信解を起こして、浄化の因としての菩薩の修習を具える。ここに、如来・菩薩・凡夫という法身の三種の顕現に応じたそれぞれ異なる智との関係が存在する。73法介 259e67dbae 2023/12/29 (金) 07:14:56如来としての法身には、因としての二智と、徳性としての智が結合し、菩薩には仏智成就の因としての般若の修習が結合し、凡夫を含む一切衆生には、如来によって見出された所観の仏智が普く滲透している。このうち、如来と菩薩の智は顕在的な智であるが、凡夫の智は、煩悩の殻に覆われ、潜在的で仏によってのみ見出されるものである。74法介 259e67dbae 2023/12/29 (金) 07:20:10 修正この論文で言う「所観の仏智」を天台智顗が『維摩經玄疏』の中で、所観の不思議の境として詳しく解き明かしております。今明此一心三觀亦爲三意。一明所觀不思議之境。二明能觀三觀。三明證成。(T1777_.38.0528c22~24行目まで)「今、此の一心三観を明かすに、亦た三意と為す。一に所観の不思議の境を明かし、二に能観の三観を明かし、三に証成を明かす。」(続く)2023/12/29 08:50:44965.神も仏も名無しさんqsHeS>>958聖霊派のあうあうあ〜みたいな?😆2023/12/29 10:00:10966.ペッ!yL9Q2チベットの大成就者ミラレパは『衆生が仏に見える』と言ったそうです。おそらくミラレパは、不ニの境地に入っていてそう言ったと想像はできますが不ニの境地を体験しないと分かりません。因みにミラレパも物凄い苦行し悟った人でした。2023/12/29 10:15:03968.ペッ!yL9Q2凡夫は喩えるなら法身に我執と煩悩の💩がベットリ塗られた状態でありミラレパには💩がなく、他者にも💩を空かして法身が見えるんじゃなかろうか?2023/12/29 10:24:32969.神も仏も名無しさんqsHeS俗世の喩え的には、天才の胚芽を持つサッカー少年を見て、一流のサッカー選手が「この子は世界的なプレーヤーになる」って直感してるのに似てますな2023/12/29 11:11:20973.神も仏も名無しさんK8Xsn世界を見渡して、そこに存在する衆生は、相互にお互いを利楽するために、働き、相互に与えて、相互に得ている私を中心に俯瞰するなら、すべての衆生は、私を利楽させるために労働してくれていると、見るこのすべての衆生が、仏でなくて何であろうか?店に売られている食物や物資に、どれ程の労働が詰まっているのだろうか?と思えばありがたやー!と思わざるを得ない衆生はありがたいのである!仏もありがたいのである!故に、衆生が仏でないはずはない。2023/12/29 18:17:30974.神も仏も名無しさんX0T6Qいい話だ〜こういうのもありますなある夏の暑い日、ある村へと入っていくと、そこに人だかりが出来ていた。何事があるのだろうかと、弟子たちは、イエスを置いて先に見に行った。往来の真ん中で犬が死んでいるのである。その犬は、苦しかったのだろう、舌を噛み、歯をむき出して、恐ろしい形相で死んでいる。夏の強い日照りで、すでに死体は腐乱しており、ウジも沸いている。人々は、口々に、「ああ、なんて忌まわしい光景なんだ。誰か、早く片付けてくれないものか」などと話し合っている。やがてその場に、イエスがやって来る。弟子たちは、この残酷な光景を見て、先生・イエスはなんと言われるのだろうかと、固唾を呑んで見ていた。すると、その場に来たイエスは、しゃがみこみ、死んだ犬をしげしげと眺めると、こうつぶやいたのである。「まあ、なんて綺麗な歯をした犬なのだろうか」弟子たちは驚く。こんな残酷な場面で、「犬の歯の美しさに感動するとは」2023/12/29 19:23:57975.神も仏も名無しさんtbXrCこれってホントの話?おショーのジョークに見えるねw俺ならどうだろ?あれー!可愛いウジ虫ちゃんだことー☺️とりま埋めてやらねばーかも知れん、でも腐敗で臭いよね、この場は、日本なら市役所へ電話して回収たのもーですね2023/12/29 19:38:22976.ペッ!yL9Q2アサンガ(無著)は、9年間の苦行したのに悟れず自死を覚悟した矢先に痩せて傷だらけの犬がやってきたので、可哀想に思って傷口に湧いた蛆虫を蛆虫が死なないように口で取り除いていたらその犬は弥勒菩薩の化身であった。そうしてアサンガは弥勒菩薩から教えを伝授された。この話も凄いと思います。唯識はこのような苦行によって世に出たんですね。2023/12/29 19:51:51977.ペッ!yL9Q2そのような唯識の教えが果たして机上の学習だけで理解出来るのか?アサンガは苦行の果てに悟りに絶望して自死を決意してもなお慈悲の心を失わなかった。そこだと思います。2023/12/29 19:55:11978.ペッ!yL9Q2慈悲と智慧は表裏一体で慈悲あるところ智慧があり智慧あるところ慈悲あり。八正直はすべて慈悲に通じます。エゴを滅することにより、慈悲が露わになる。慈悲とともに智慧も露わになると。こういうロジックだと思います。2023/12/29 20:01:16979.ペッ!yL9Q2八正直×→八正道○『苦行が雨である』というのは本当だと思います。仏陀は苦行を否定されたという説もありますが釈迦牟尼、アサンガ、ミラレパ、現代ではチベットのガルチェン・リンポチェなどの多くが苦行を乗り越えられました。みんなそれぞれ苦行が待っているはず。苦行を超えた先に悟りが待っている。2023/12/29 20:14:44980.神も仏も名無しさんtbXrC≫慈悲の心を失わなかった。苦行修行によって、蛆虫にすら慈悲を抱ける段階にようやく達してちょうどそこが、自我の消滅点であり、絶望ではなく、一切に対する棄捨の境地に至ったのかも知れないそこで、無心の時に、弥勒菩薩がジャスト見えたんだとおもう2023/12/29 20:17:31981.神も仏も名無しさんtbXrC肉体的の精神的に過酷な仕事、他者からの容赦ない叱責すべての苦行修行ですねそれって、グルジェフのいう第四の道ですよね否定想念を表出させずに自心を観照するの日常の中での修行本来は師によって課せられる苦を、衆生(仏の現れ)を師として修行していく道2023/12/29 20:23:21982.ペッ!yL9Q2なるほど。言葉に出来ないほど、感慨深いです。2023/12/29 20:28:04983.ペッ!yL9Q2ミラレパもマルパという師から、めちゃくちゃな命令されてそれでも耐えた。そういう状況になるときがいずれ来る。人それぞれカルマによって違うと思います。自分自身のカルマを思うと、ゾッとしますが。2023/12/29 20:34:57984.ペッ!yL9Q2体がボロボロになるくらいは、普通でしょ?分かるよね?的な。精神的にも冷酷な仕打ちをされても仕方ないよね、みたいな。もっと若いときから、仏法を知っていたかった。生まれ変われるなら、仏法を小さい時から学びたい。釣りしたり、虫をアボーンしたり、虐めたり、無視したり怒ったり、悪口言ったり散々悪さをしてきたから、このままだと地獄に堕ちてしまう。2023/12/29 20:41:40985.ペッ!yL9Q2しかし、仏法を学び理解するという貴重な機会を得ていることは非常に希有なこと。この金、金、金の日本で、非常に恵まれていると思います。2023/12/29 20:44:32986.神も仏も名無しさんK8Xsnですねそれぞれ人によって修行の工程が違うからねペッ!さんの場合は人生半ばで人間卒業への道を歩む準備ができたので、仏教に導かれたんでしょうね人それぞれ、若くして出会う人あり、死を後数年に残して出会う人もあり、それぞれですでも、もし輪廻が次あるなら、たぶん幼少から信心深く産まれて来るのかも知れんですね2023/12/29 21:10:14987.ペッ!yL9Q2仏法に触れる機会があることを、鼻に掛けると良くない。あなた知らない?俺はしってるけど笑、みたいな。何事も謙虚な気持ちがないと、思い上がってエゴを増長させてしまう。だから、仏法が分からない人にはあくまでも生き様として、伝える。例えば耐え忍ぶことは最上の苦行であると、行動で示す。正語も嘘をつかない、悪口を言わない、陰口を言わない、下らぬ戯れ言を言わない。仏法を知識として学んだら知識を行動としてアウトプットする。その繰り返しでしょうね。オウムの麻原さんは八正道は現代では実践不可能だと言っていたけど今わたしはそう思わない。仏陀は数千年の時間で廃れる教えを説いていない。現代でも八正道は通用する教えだと思います。2023/12/29 21:17:16988.ペッ!yL9Q2地獄の業果に苦しみながら仏法を念じていられるならいいですが。今はその自信がありません。しかし、それが出来たら素晴らしいなと思います。2023/12/29 21:21:23989.ペッ!yL9Q2六波羅蜜も八正道に布施を加えた教えです。世間は欲深さとか物惜しみの心が優位になっているから布施が第一に持ってきたんじゃないか?八正道は既に世俗を捨てた出家者の教え。在家者には、布施の修行で貪欲さや物惜しみをクリアしないと、先に行けない。布施が出来たら持戒、精進、忍辱と進む。持戒以降は、八正道と変わらない。お釈迦様が説かれたのかは分からないですが。2023/12/29 21:32:33990.ペッ!yL9Q2布施は日本人には出来てる人もいますからね。1部の政治家は裏金作りしてますが、一労働者で貧しいのに食事をくれたり、ジュースをくれたりする人が割と多い。それだけ布施は敷居が割と低いのかもしれません。持戒からはほぼ見たことありませんが。2023/12/29 21:37:49991.ペッ!yL9Q2忍耐も割と日本人は実践してるかもです。忍耐力ある人は徳の香りがする。忍耐のないひとは宅間守みたいに発狂する。忍耐は我を立てず、相手を許す気持ちがないと出来ないから。2023/12/29 21:45:26992.神も仏も名無しさんtbXrCAmebablogのハワイトターラーさんが言うには八正道は逆から考えると分かり良いって言ってますね正定に至るには正見が必要、みたいな2023/12/29 22:10:46993.ペッ!yL9Q2そうなんですね。それでもなお、『正見』が1番先にきていてチベット仏教のパトゥル・リンポチェも正しい見解が1番大切だと言われました。てことは、釈迦牟尼の時代にも弟子たちが釈迦牟尼から説法で、正見を学んでいたことからもやはり正見が1番大切だということだと思います。誤謬見解をもとにしては、他の全てがおかしくなるんじゃないでしょうか?2023/12/29 22:29:55994.ペッ!yL9Q2正見は全ての土台になると。八正道しかり、六波羅蜜しかり。正見つまり聞思修の聞がしっかりしていればこそ思修も正しく行えるでしょう。正見がしっかりしてないと、わたしもそうですが疑念がどうしても出てきます。疑念とは仏法を疑う心です。例えば今非常に苦しいと。だったら逃げれば楽になれますよと。これは間違いなくエゴの囁きなんだけどそれに打ち勝つには、やはり確固とした正見が必要です。ブレない確固とした正見が島となります。2023/12/29 23:16:35995.神も仏も名無しさんf9HJM八正道はどう日常に溶け込ませるかが重要ですな月曜日から日曜日までの7日に正見、正思惟、正語、正業、正命 、正精進を対応させて、全ての日で正念やる、とか一ヶ月にそれぞれを対応させて二周させて一年でやってみるとか色々ありそう2023/12/30 01:03:10996.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmJqM74。2023/12/30 06:10:25997.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmJqM74。2023/12/30 06:10:38998.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmJqM74。2023/12/30 06:10:49999.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmJqM74。2023/12/30 06:11:061000.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmJqM74。2023/12/30 06:11:181001.Talk ★???このスレッドはコメントが1000件を超えました。新しいスレッドを立ててください。2023/12/30 06:11:181002.Talk ★???【プレミアムサービス無料期間延長!】プレミアムの無料期間を2025/3/31まで延長することになりました。広告除去や規制緩和など、ヘビーユーザーにとって欠かせない機能を無料でお楽しみいただけます。是非この機会にプレミアムサービスをお試しください!▼プレミアムサービスはこちらからhttps://talk.jp/premium2023/12/30 06:11:18
【2020~2023年における欧州地域の29カ国の超過死亡を分析】東欧諸国に在住している人や貧困層で高い超過死亡率、コロナワクチン接種が死亡率減少と関連 「ワクチン接種率を高めることが重要である」ニュース速報+137790.82024/11/24 14:05:21
Talk 掲示板における一つの独立した空間で、争い事は決して好まず、他者に対する誹謗・中傷はナンセンス。しかし愛嬌はドンと来い。ユーモアはぶちかませ。エロい話はお好み次第。「人生楽しまなきゃ損だろう!」をモットーに互いの人間性を尊重しながらもじゃれ合い程度にはツツキ合い、もみもみしながら互いのゆゆしさを温かく且つ、深く理解し合いながら相互に人間性を高め合っていく。そんな素敵な関係のゆゆしき法界です。
前スレ
ゆゆしき法界 パート29
https://talk.jp/boards/psy/1703190712
今やることをやれって仏陀の現実主義的な態度を色濃く表してるから、とにかく彼らは坐るのだろう
【Breaking Down】病院送りニキ
https://m.youtube.com/watch?v=tV1KGlbFiRQ
キリスト教にある
セイント状態やったんやろ
法然は
幻をたくさんみたらしいから
念仏の快楽が生き甲斐だったんやろな
😄
ウマぱーりー?
😭
悪の入り込む余地がない状態であり、その点で凡夫は常に悪に入り込む余地を与えている。
親鸞さんは悪に入り込む余地を与えてしまったんだろう。
おはよ〜
仕事は慣れたか?
恐ろしい仕事やな〜
😄
チベット密教シリーズたくさんあげとるな〜
ナンバー7までは落とした
😄
仕事覚えるのに1年かかると先輩に言われました。
輩ぽい人もいて、罵声や怒声が降りかかります。
正直恐ろしい仕事です。トラックは不眠地獄
今の仕事は精神的、肉体な鞭打ち地獄とも言えなくもない。
しかし、地獄の苦しみに比べたら小さい苦しみであり
耐え忍ぶ修行をする貴重な時間を味わっています。
法話を学び、堅固なブレない八正道の島を自己の中に作るのは大切ですね。
67
法介 259e67dbae 2023/12/29 (金) 06:22:50
天台密教は智顗が説いたものではありません。
平安時代初期の日本の僧侶、最澄(767年-822年)が唐へ渡り天台教学を中心に学んだが、当時の中国では念仏や禅、また戒律、そして密教が流行していた。最澄は天台教学とともに、密教(中期密教)・禅(北方禅)・念仏(浄土教)を日本に持ち帰った。さらに最澄の弟子で第3代天台座主になる円仁(慈覚大師)や、第5代天台座主となる円珍(智証大師)等が唐に渡って中国密教を本格的に学んだことから、日本の天台宗は密教を包含する。
しかし、その密教はヒンズー教の真我説の影響を受けた如来蔵思想だった。
68
法介 259e67dbae 2023/12/29 (金) 06:28:57
「如来蔵思想は仏教にあらず」という論文を1986年に学界に発表した松本 史朗 仏教学博士が「如来蔵思想と本覚思想」という論文の中で次のように述べられております。
「如来蔵思想と本覚思想」
http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/17592/jfb063-07.pdf
高崎直道博士は、『如来蔵思想の形成』(1974)において、作業仮説的に、『宝性論』の教理内容を如来蔵思想と規定し、『宝性論』に引用された諸経典を根拠にして、如来蔵思想の形成過程を明らかにし、それによって、如来蔵思想をインド仏教研究の一分野として確立したと思われるが、その際、如来蔵思想という用語の典拠とされたのが、『楞伽経』の「如来蔵説」(tatha-gatagarbha-va-da)と法蔵『起信論義記』の「如来蔵縁起宗」という言葉であったことは、注意されるべきであろう(14)。
69
法介 259e67dbae 2023/12/29 (金) 06:30:49 修正
その高崎直道博士の『如来蔵思想の形成』について述べられた論文です。
https://www.japan-acad.go.jp/pdf/youshi/065/takasaki.pdf
70
法介 259e67dbae 2023/12/29 (金) 06:38:19
高崎博士は、
如来蔵思想とは「一切衆生 悉有仏性」という一文によって表明されている如きの大乗仏教における主要な思想の随一である。
と言い、一切衆生に如来たるべき因(如来蔵)が有るという説を「如来蔵思想」だと述べておられます。
法介 259e67dbae 2023/12/29 (金) 07:03:45
高崎博士は、如来蔵思想は『宝性論』によって体系化されるとも言っておられますが、これは堅慧菩薩が漢訳した四巻からなる「究竟一乗 宝性論」の事です。(弥勒が説いたとも言われる)
内容としては一切衆生に仏性があるとして二乗、一闡提も成仏することができると主張している。
堅慧菩薩は、生没年不明で六世紀ころの中インドの僧侶。
その『宝性論』に関する著書を高崎博士が執筆されておられます。
『宝性論』 高崎 直道 (著)
https://www.amazon.co.jp/宝性論-インド古典叢書-高崎-直道/dp/4061437852
その高崎博士の『宝性論』↑について
述べている論文↓です。
『宝性論』における法身と智 柴田寛敬
https://www.waseda.jp/flas/glas/assets/uploads/2018/03/Vol63_2_asian-philosophy_smt.pdf
72
法介 259e67dbae 2023/12/29 (金) 07:11:36
↑柴田論文より引用↓
続いて法身の三種のあり方と智の関係をみてみると、如来において、無分別智と後得智の二智は悟りの因であり、さらにその二智は自利・利他の働きをなす。この利他の働き、即ち如来の智の光明が衆生に照射されて、衆生の中に仏智と等しい智が見出される。この所観の仏智(8)としての衆生が、如来によってもたらされた教説を聴聞し、如来に対する信解を起こして、浄化の因としての菩薩の修習を具える。ここに、如来・菩薩・凡夫という法身の三種の顕現に応じたそれぞれ異なる智との関係が存在する。
73
法介 259e67dbae 2023/12/29 (金) 07:14:56
如来としての法身には、因としての二智と、徳性としての智が結合し、菩薩には仏智成就の因としての般若の修習が結合し、凡夫を含む一切衆生には、如来によって見出された所観の仏智が普く滲透している。このうち、如来と菩薩の智は顕在的な智であるが、凡夫の智は、煩悩の殻に覆われ、潜在的で仏によってのみ見出されるものである。
74
法介 259e67dbae 2023/12/29 (金) 07:20:10 修正
この論文で言う「所観の仏智」を天台智顗が『維摩經玄疏』の中で、所観の不思議の境として詳しく解き明かしております。
今明此一心三觀亦爲三意。一明所觀不思議之境。二明能觀三觀。三明證成。
(T1777_.38.0528c22~24行目まで)
「今、此の一心三観を明かすに、亦た三意と為す。一に所観の不思議の境を明かし、二に能観の三観を明かし、三に証成を明かす。」
(続く)
聖霊派のあうあうあ〜みたいな?😆
『衆生が仏に見える』と言ったそうです。
おそらくミラレパは、不ニの境地に入っていて
そう言ったと想像はできますが
不ニの境地を体験しないと分かりません。
因みにミラレパも物凄い苦行し悟った人でした。
ミラレパには💩がなく、他者にも💩を空かして法身が見えるんじゃなかろうか?
私を中心に俯瞰するなら、すべての衆生は、私を利楽させるために労働してくれていると、見る
このすべての衆生が、仏でなくて何であろうか?
店に売られている食物や物資に、どれ程の労働が詰まっているのだろうか?と思えば
ありがたやー!と思わざるを得ない
衆生はありがたいのである!
仏もありがたいのである!
故に、衆生が仏でないはずはない。
こういうのもありますな
ある夏の暑い日、ある村へと入っていくと、
そこに人だかりが出来ていた。
何事があるのだろうかと、弟子たちは、イエスを置いて先に見に行った。
往来の真ん中で犬が死んでいるのである。
その犬は、苦しかったのだろう、舌を噛み、歯をむき出して、恐ろしい形相で死んでいる。
夏の強い日照りで、すでに死体は腐乱しており、ウジも沸いている。
人々は、口々に、「ああ、なんて忌まわしい光景なんだ。誰か、早く片付けてくれないものか」などと話し合っている。
やがてその場に、イエスがやって来る。
弟子たちは、この残酷な光景を見て、先生・イエスはなんと言われるのだろうかと、固唾を呑んで見ていた。
すると、その場に来たイエスは、しゃがみこみ、死んだ犬をしげしげと眺めると、こうつぶやいたのである。
「まあ、なんて綺麗な歯をした犬なのだろうか」
弟子たちは驚く。
こんな残酷な場面で、「犬の歯の美しさに感動するとは」
おショーのジョークに見えるねw
俺ならどうだろ?
あれー!可愛いウジ虫ちゃんだことー☺️
とりま埋めてやらねばー
かも知れん、でも腐敗で臭いよね、この場は、日本なら市役所へ電話して回収たのもーですね
自死を覚悟した矢先に
痩せて傷だらけの犬がやってきたので、可哀想に思って
傷口に湧いた蛆虫を蛆虫が死なないように口で取り除いていたら
その犬は弥勒菩薩の化身であった。
そうしてアサンガは弥勒菩薩から教えを伝授された。
この話も凄いと思います。
唯識はこのような苦行によって世に出たんですね。
果たして机上の学習だけで理解出来るのか?
アサンガは苦行の果てに悟りに絶望して自死を決意してもなお
慈悲の心を失わなかった。
そこだと思います。
慈悲あるところ智慧があり
智慧あるところ慈悲あり。
八正直はすべて慈悲に通じます。
エゴを滅することにより、慈悲が露わになる。
慈悲とともに智慧も露わになると。
こういうロジックだと思います。
『苦行が雨である』というのは本当だと思います。
仏陀は苦行を否定されたという説もありますが
釈迦牟尼、アサンガ、ミラレパ、現代ではチベットのガルチェン・リンポチェなどの多くが
苦行を乗り越えられました。
みんなそれぞれ苦行が待っているはず。
苦行を超えた先に悟りが待っている。
苦行修行によって、蛆虫にすら慈悲を抱ける段階にようやく達して
ちょうどそこが、自我の消滅点であり、絶望ではなく、一切に対する棄捨の境地に至ったのかも知れない
そこで、無心の時に、弥勒菩薩がジャスト見えたんだとおもう
すべての苦行修行ですね
それって、グルジェフのいう第四の道ですよね
否定想念を表出させずに自心を観照するの
日常の中での修行
本来は師によって課せられる苦を、衆生(仏の現れ)を師として修行していく道
言葉に出来ないほど、感慨深いです。
それでも耐えた。
そういう状況になるときがいずれ来る。
人それぞれカルマによって違うと思います。
自分自身のカルマを思うと、ゾッとしますが。
精神的にも冷酷な仕打ちをされても仕方ないよね、みたいな。
もっと若いときから、仏法を知っていたかった。
生まれ変われるなら、仏法を小さい時から学びたい。
釣りしたり、虫をアボーンしたり、虐めたり、無視したり
怒ったり、悪口言ったり
散々悪さをしてきたから、このままだと地獄に堕ちてしまう。
この金、金、金の日本で、非常に恵まれていると思います。
それぞれ人によって修行の工程が違うからね
ペッ!さんの場合は人生半ばで人間卒業への道を歩む準備ができたので、仏教に導かれたんでしょうね
人それぞれ、若くして出会う人あり、死を後数年に残して出会う人もあり、それぞれです
でも、もし輪廻が次あるなら、たぶん幼少から信心深く産まれて来るのかも知れんですね
あなた知らない?俺はしってるけど笑、みたいな。
何事も謙虚な気持ちがないと、思い上がってエゴを増長させてしまう。
だから、仏法が分からない人には
あくまでも生き様として、伝える。
例えば耐え忍ぶことは最上の苦行であると、行動で示す。
正語も嘘をつかない、悪口を言わない、陰口を言わない、下らぬ戯れ言を言わない。
仏法を知識として学んだら
知識を行動としてアウトプットする。
その繰り返しでしょうね。
オウムの麻原さんは八正道は現代では実践不可能だと言っていたけど
今わたしはそう思わない。
仏陀は数千年の時間で廃れる教えを説いていない。
現代でも八正道は通用する教えだと思います。
仏法を念じていられるならいいですが。
今はその自信がありません。
しかし、それが出来たら素晴らしいなと思います。
世間は欲深さとか物惜しみの心が優位になっているから
布施が第一に持ってきたんじゃないか?
八正道は既に世俗を捨てた出家者の教え。
在家者には、布施の修行で貪欲さや物惜しみをクリアしないと、先に行けない。
布施が出来たら持戒、精進、忍辱と進む。
持戒以降は、八正道と変わらない。
お釈迦様が説かれたのかは分からないですが。
1部の政治家は裏金作りしてますが、一労働者で貧しいのに
食事をくれたり、ジュースをくれたりする人が割と多い。
それだけ布施は敷居が割と低いのかもしれません。
持戒からはほぼ見たことありませんが。
忍耐力ある人は徳の香りがする。
忍耐のないひとは宅間守みたいに発狂する。
忍耐は我を立てず、相手を許す気持ちがないと出来ないから。
八正道は逆から考えると分かり良いって言ってますね
正定に至るには正見が必要、みたいな
それでもなお、『正見』が1番先にきていて
チベット仏教のパトゥル・リンポチェも正しい見解が1番大切だと言われました。
てことは、釈迦牟尼の時代にも弟子たちが
釈迦牟尼から説法で、正見を学んでいたことからも
やはり正見が1番大切だということだと思います。
誤謬見解をもとにしては、他の全てがおかしくなるんじゃないでしょうか?
八正道しかり、六波羅蜜しかり。
正見つまり聞思修の聞がしっかりしていればこそ
思修も正しく行えるでしょう。
正見がしっかりしてないと、わたしもそうですが
疑念がどうしても出てきます。
疑念とは仏法を疑う心です。
例えば今非常に苦しいと。
だったら逃げれば楽になれますよと。
これは間違いなくエゴの囁きなんだけど
それに打ち勝つには、やはり確固とした正見が必要です。
ブレない確固とした正見が島となります。
月曜日から日曜日までの7日に正見、正思惟、正語、正業、正命 、正精進を対応させて、全ての日で正念やる、とか
一ヶ月にそれぞれを対応させて二周させて一年でやってみるとか色々ありそう
プレミアムの無料期間を2025/3/31まで延長することになりました。
広告除去や規制緩和など、ヘビーユーザーにとって欠かせない機能を無料でお楽しみいただけます。
是非この機会にプレミアムサービスをお試しください!
▼プレミアムサービスはこちらから
https://talk.jp/premium