四禅の属界について考察するスレ最終更新 2024/10/28 09:541.鹿野園◆00MWura8lSZFNZlS6云うまでもなく、四禅は色界に属する禅定でありますが、此処ではそれについて改めて考証する事とします。なお、意見の主張時には経典等の根拠を提示する事を原則とし、その提示のない主張は無根拠な主張として却下される場合があります。2023/09/11 16:17:17520コメント欄へ移動すべて|最新の50件471.◆JBLfMwCXhYDuKaB滅することなく生ずることなく(不生不滅)、(死後)断滅することなく永遠ではなく(不断不常)、同じではなく異なることなく(不一不異)、来るのでもなく去るのでもなく(不来不去)、戯論が寂滅する、吉祥なる、縁起を説いた正覚者(ブッダ)に対し、最高の説法者として、わたしは敬礼する。(『中論頒』帰敬偈)2023/11/02 17:57:03472.◆JBLfMwCXhYDuKaB八不中道から「空」を点検する不生不滅(ふしょうふめつ)一者は「在りて有るもの」(「出エジプト記」)であるから、最初から在る(有る)し、これからも有る(在る)。ゆえに、新たに生じることもなければ、滅することもない、ということになります。不断不常(ふだんふじょう)一者は、その内部において、常に変転変化していく。「変化」が持続しているだけなので、「断じる」わけではない。かといって、同じ状態がずっと続くことはないで、「常なる」わけでもない。断ずるということでもなく、常なるものでもない。不一不異(ふいつふい)一者は、一者自体が変化の過程にあるので、同一の有り様をしているわけではない。”一”の内部では互いに「異なる」”多”があるので、「一である」と断ずることも出来ない、一方、”異なる多”はあくまで現象に過ぎず、総体としての”一”こそが実体である。ゆえに、「異なる」と断ずることも出来ない。ゆえに、一とも言えず、それでいて、異なるとも言えない。不来不去(ふらいふこ)一者は、全体であるがゆえに「時間」をも包含している。しかして、「存在が変化しながら持続している」のが時間の正体である。ゆえに、なにか(新しいものが)来ることもなければ、それが去るということでもない。このように、八不中道は、四つの二重否定(計、八つ)によって、より高次の”本質”を抽出→総合して、究極の真理を浮かび上がらせていくわけです。なぜ、否定論法を使うかというと、肯定論法では、「~である」と静的なものになってしまって、「余りがない、スペースがない」ということになってしまい、それは究極の真理(一者)に限定を与えることになるからです。否定論法であれば、「~ではない」ということで、「~ではないが、〇〇の可能性はある」ということで、スペースができますよね。その”スペース”をつねに担保することによって、究極の真理(一者)に無限性および動的なダイナミクスを付与しているわけです。このダイナミクスこそが空を理解するポイントなんです。2023/11/02 17:57:49473.◆JBLfMwCXhYZYzbz中道ちゅうどう 両極端を離れた中正の道。 仏教の根本的立場。 釈尊は苦行主義と快楽主義のいずれにもよらない中道の実践によって、さとりを得たといわれる。 龍樹菩薩の 『中論』では、一切を縁起・空くうと見ることを中道とし、中国の三論宗では、不生・不滅・不定・不断・不一・不異・不去・不来の八不中道を説く。2023/11/02 18:08:30474.◆JBLfMwCXhYZYzbz中論』冒頭には、有名な偈不生亦不滅 不常亦不斷不生にして亦た不滅、不常にして亦た不断、不一亦不異 不來亦不出不一にして亦た不異、不来にして亦た不出なりと、能說是因緣 善滅諸戲論能く是の因縁を説きて、善く諸の戯論を滅したまえば、我稽首禮佛 諸說中第一我れは稽首して仏を礼す、諸説中の第一なりと。とあり、八つの不とあるので八不はっぷ中道といわれる。いわゆる縁起・無自性・空を説くのである。あらゆる存在は、関係性に縁よって起こっている(縁起)のであるから、他から独立して本来備えているような真の性質である自性は無い(無自性)のである。故にそれは空くうとでも呼ぶしかないというのである。また「善く諸の戯論を滅」すとあるように、人間が言語によって思惟することの限界を突破した思想でもあった。2023/11/02 18:08:57475.◆JBLfMwCXhYZYzbz不生亦不滅不常亦不斷不一亦不異不來亦不出能說是因緣善滅諸戲論我稽首禮佛諸說中第一不生にして亦た不滅、不常にして亦た不断、不一にして亦た不異、不来にして亦た不出なりと、能く是の因縁を説きて、善く諸の戯論を滅したまえば、我れは稽首して仏を礼す、諸説中の第一なりと。2023/11/02 18:11:18476.◆JBLfMwCXhYZYzbzとあり、八つの不とあるので八不はっぷ中道といわれる。いわゆる縁起・無自性・空を説くのである。あらゆる存在は、関係性に縁よって起こっている(縁起)のであるから、他から独立して本来備えているような真の性質である自性は無い(無自性)のである。故にそれは空くうとでも呼ぶしかないというのである。また「善く諸の戯論を滅」すとあるように、人間が言語によって思惟することの限界を突破した思想でもあった。2023/11/02 18:11:35477.◆JBLfMwCXhYZYzbz不生亦不滅不常亦不斷不一亦不異不來亦不出能説是因縁善滅諸戲論我稽首禮佛諸説中第一不生にして亦た不滅、不常にして亦た不断、不一にして亦た不異、不来にして亦た不出なりと、能く是の因縁を説きて、善く諸の戯論を滅したまえば、我れは稽首して仏を礼す、諸説中の第一なりと。2023/11/02 18:12:18478.◆JBLfMwCXhYZYzbz「中論」冒頭の有名な偈には、このようにある八つの不とあるので八不中道といわれる。いわゆる縁起・無自性・空を説くのである。あらゆる存在は、関係性に縁よって起こっている(縁起)のであるから、他から独立して本来備えているような真の性質である自性は無い(無自性)のである。故にそれは空とでも呼ぶしかないというのである。また「善く諸の戯論を滅」すとあるように、人間が言語によって思惟することの限界を突破した思想でもあった。2023/11/02 18:15:32479.◆JBLfMwCXhYZYzbz言語で仏教してる奴はダメ聖ウンコ師には、耳の痛い言葉だろう2023/11/02 18:15:56480.◆JBLfMwCXhYZYzbzそれが中観派の根本理念だ2023/11/02 18:16:12481.◆JBLfMwCXhYZYzbz間違いだらけの解説の例😅↓八不中道の考え方を幸福の科学の真理価値に照らして説明すると、非常に理解がしやすいと思います。「不生・不滅」生まれることなく、滅することのないもの、それが空です。「不常・不断」常なるものでもなく、断ぜられるものでもない。「不一・不異」いつなるものでもない、異なる(多様なる姿という意味)ものでもない。「不来・不去」来るものでもなく、去るものでもない。龍樹はこの八つの否定を通して現れる中道の境地を空の真髄とみました。2023/11/02 18:20:26482.◆JBLfMwCXhYZYzbz生まれることなく、滅することのない「不生・不滅」とは、何であるかといいますと、生き通しの命です。大川隆法総裁先生は簡単に説明されていますが、他の仏教関係の本でも、これほど簡潔に書かれた内容のものは、自分の知る範囲ではありません。生まれることと、滅することとは対立する概念であり、「生き通しの命」という一言をもって止揚統一しています。これはものすごいことだと自分は思います。2023/11/02 18:21:03483.◆JBLfMwCXhYZYzbz「不常・不断」とは、永遠にそのままの姿が続くというわけではなく、死を通してすべてが無になるという意味でもありません。物質世界の法則から離れ、霊的存在になることで自由性が増し、存在形式も変わります。現在の状態が継続して続くというわけではなく、死ねば終わりといった唯物的な考えも間違いです。ヘラクレイトスが述べたように『変化』が真実であり、真理です。2023/11/02 18:21:43484.◆JBLfMwCXhYZYzbz「不一・不異」一なるものでもなく、多なるものでもないとは、人間の霊的生命の存在形式は、本体一・分身五という六人の魂グループが一体となって存在しています。その中の一人が地上に生まれ変わり、地上で経験した知識、智慧をグループ全員で共有することができます。2023/11/02 18:21:56485.◆JBLfMwCXhYZYzbz「不来・不去」来るものでもない、去るものでもないとは、霊界世界とは、はるか彼方にある世界ではなく、現在住んでいる同一空間を共有して、並行して存在しています。そして各人の心が霊的世界とつながっています。物質世界にありながら、心は霊的世界という4次元以降の高次元世界に通じているといわれています。2023/11/02 18:22:21486.◆JBLfMwCXhYZYzbz天台智顗が、心は一念三千といわれたように、思いの方向性によって天国、地獄に通じてしまいます。肉体は物質世界の法則の中で生きていながら、心は霊的世界の法則に従って、いろんな霊的世界に通じてしまいます。2023/11/02 18:22:34487.◆JBLfMwCXhYZYzbzさすがは大川総裁😅聖ウンコ師をしのぐデタラメな迷解説2023/11/02 18:24:51488.◆JBLfMwCXhYZYzbzまるでダメだな、幸福の科学の教義2023/11/02 18:25:23489.◆JBLfMwCXhYZYzbzダメだ、こりゃ2023/11/02 18:25:33490.◆JBLfMwCXhYZYzbz初期から仏教関係者に指摘されてきた初歩的な誤解大川総裁は結局、死ぬまで訂正せずに言い張り続けたのか?>>486> 天台智顗が、心は一念三千といわれたように、思いの方向性によって天国、地獄に通じてしまいます。>> 肉体は物質世界の法則の中で生きていながら、心は霊的世界の法則に従って、いろんな霊的世界に通じてしまいます。2023/11/02 18:26:58491.◆JBLfMwCXhYZYzbz天台智顗の一念三千は、「いろんな霊的世界に通じる」という意味ではない2023/11/02 18:28:01492.◆JBLfMwCXhYZYzbz「一念三千(いちねんさんぜん)」ってどういう意味?「一念三千」は、私たち凡夫が成仏するための原理を示した変革の法理です。中国の天台大師(智顗)が、『摩訶止観』の中で説きました。「一念」とは、私たち一人ひとりの瞬間瞬間の生命のことです。「三千」とは、「諸法」すなわち、すべてのものごと、あらゆる現象・はたらきをいいます。この一念に三千の諸法が具わっており、一念が三千の諸法に遍く広がることを説いたのが一念三千の法理です。2023/11/02 18:29:20493.◆JBLfMwCXhYZYzbz・三千の諸法ってなんですか?三千とは、十界互具と十如是、そして三世間を合わせて総合したものです(百界×十如是×三世間=三千)。十界と十如是と三世間という、それぞれ異なった角度から生命とその因果の法則をとらえた法理を総合し、私たちの生命と世界の全体観を示したものが一念三千です。2023/11/02 18:29:47494.◆JBLfMwCXhYZYzbz・そういう意味だったんですね瞬間瞬間の自分の生命に、“無限の可能性”が秘められており、自身の一念が変われば自身を取り巻く環境も変わり、ついには世界をも変えていけるという希望と変革の原理が一念三千の法理です。池田先生は、小説『人間革命』の主題を「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」と記しています。これは、一念三千の法理の意義を現代的に表現したものといえます。2023/11/02 18:30:03495.◆JBLfMwCXhYZYzbz創価学会も、かなり本来の主旨を歪めてるな😅2023/11/02 18:30:41496.◆JBLfMwCXhYZYzbz一念三千は、天台大師智顗によって創始、発展されたものであるが、日蓮はこの一念三千の理法を受け継ぎ、やはり仏法の極理であるとした。そして「観心本尊抄」で末法の世における一念三千の実践を論じ、一念三千は法華経の本門によって完全となり、それを具象化したものが十界曼荼羅の本尊であり、この本尊を具体的に実践するのは題目を唱えることだと説いた。特に「一念三千の法門は、ただ、法華経の本門、寿量品の文の底に沈めたり」という「開目抄」の一文は有名である。しかし、日蓮宗各派では、この一文は釈迦を本仏とするか日蓮を本仏とするかの論争の一点となっている。したがって、現在、この一念三千を仏法の極理だとして盛んに宣揚しているのは、天台宗よりも日蓮宗系宗派が主である。特に日蓮正宗及び関連教団などは、一念三千という言葉を多用している。2023/11/02 18:32:02497.◆JBLfMwCXhYZYzbz一念三千は、もともと天台教学だったが天台宗よりも、日蓮宗系で好まれている2023/11/02 18:32:33498.◆JBLfMwCXhYZYzbzいちねん‐さんぜん【一念三千】〘名〙仏語。人の平常持ち合わせている心に、三千という数に表現された全宇宙の事象が備わっているとする天台宗の基本的な教義。2023/11/02 18:33:23499.リダン◆iKlPp4IWRYM3eF9おお中論すげえ分かりやすい2023/11/02 18:34:17500.◆JBLfMwCXhYZYzbz5002023/11/02 18:36:21502.神も仏も名無しさんTw85i虹の身体の成就者たち四つのシャマタは本然の境地ではない。https://i.imgur.com/7FP9PI4.jpghttps://i.imgur.com/b3M7Jz8.jpghttps://i.imgur.com/hdwks6o.jpghttps://i.imgur.com/KtmPmrc.jpghttps://i.imgur.com/UtyGphV.jpg2023/11/16 23:56:22504.神も仏も名無しさんdWPhC虹の身体の成就者たち四つのシャマタは本然の境地ではない。https://i.imgur.com/7FP9PI4.jpghttps://i.imgur.com/b3M7Jz8.jpghttps://i.imgur.com/hdwks6o.jpghttps://i.imgur.com/KtmPmrc.jpghttps://i.imgur.com/UtyGphV.jpg2023/11/17 08:27:56506.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmprK6f******チェック(11/24)特に無し2023/11/24 08:38:51511.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmmP6p3******チェック(01/05)見るべき内容無し。2024/01/06 11:12:37512.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmd02xk******チェック(03/12)*******見るべき内容無し。2024/03/13 12:45:41514.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmZqBZ1******チェック(06/20)*******見るべき内容無し。ポタ公の嫌がらせウザいな。2024/06/20 09:41:11515.神も仏も名無しさんwoHRAローラーだ〜🧟2024/06/23 11:46:41516.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmrUkfw******チェック(07/18)*******見るべき内容無し。2024/07/18 03:18:02518.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmoK1qG****チェック(08/02)**** 見るべき内容無し。*****************2024/08/02 09:17:26519.神も仏も名無しさんEtbbI🧟2024/08/02 11:35:55520.栖雲居士◆dqam8SqGUPdmd0EFY****チェック(10/28)****2024/10/28 09:54:58
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なお、意見の主張時には経典等の根拠を提示する事を原則とし、その提示のない主張は無根拠な主張として却下される場合があります。
(死後)断滅することなく永遠ではなく(不断不常)、
同じではなく異なることなく(不一不異)、
来るのでもなく去るのでもなく(不来不去)、
戯論が寂滅する、吉祥なる、縁起を説いた
正覚者(ブッダ)に対し、最高の説法者として、
わたしは敬礼する。
(『中論頒』帰敬偈)
不生不滅(ふしょうふめつ)
一者は「在りて有るもの」(「出エジプト記」)であるから、最初から在る(有る)し、これからも有る(在る)。
ゆえに、新たに生じることもなければ、滅することもない、ということになります。
不断不常(ふだんふじょう)
一者は、その内部において、常に変転変化していく。
「変化」が持続しているだけなので、「断じる」わけではない。かといって、同じ状態がずっと続くことはないで、「常なる」わけでもない。
断ずるということでもなく、常なるものでもない。
不一不異(ふいつふい)
一者は、一者自体が変化の過程にあるので、同一の有り様をしているわけではない。
”一”の内部では互いに「異なる」”多”があるので、「一である」と断ずることも出来ない、一方、”異なる多”はあくまで現象に過ぎず、総体としての”一”こそが実体である。ゆえに、「異なる」と断ずることも出来ない。
ゆえに、一とも言えず、それでいて、異なるとも言えない。
不来不去(ふらいふこ)
一者は、全体であるがゆえに「時間」をも包含している。しかして、「存在が変化しながら持続している」のが時間の正体である。
ゆえに、なにか(新しいものが)来ることもなければ、それが去るということでもない。
このように、八不中道は、四つの二重否定(計、八つ)によって、より高次の”本質”を抽出→総合して、究極の真理を浮かび上がらせていくわけです。
なぜ、否定論法を使うかというと、肯定論法では、「~である」と静的なものになってしまって、「余りがない、スペースがない」ということになってしまい、それは究極の真理(一者)に限定を与えることになるからです。
否定論法であれば、「~ではない」ということで、「~ではないが、〇〇の可能性はある」ということで、スペースができますよね。
その”スペース”をつねに担保することによって、究極の真理(一者)に無限性および動的なダイナミクスを付与しているわけです。
このダイナミクスこそが空を理解するポイントなんです。
ちゅうどう
両極端を離れた中正の道。 仏教の根本的立場。 釈尊は苦行主義と快楽主義のいずれにもよらない中道の実践によって、さとりを得たといわれる。 龍樹菩薩の 『中論』では、一切を縁起・空くうと見ることを中道とし、中国の三論宗では、不生・不滅・不定・不断・不一・不異・不去・不来の八不中道を説く。
不生亦不滅 不常亦不斷不生にして亦た不滅、不常にして亦た不断、不一亦不異 不來亦不出不一にして亦た不異、不来にして亦た不出なりと、能說是因緣 善滅諸戲論能く是の因縁を説きて、善く諸の戯論を滅したまえば、我稽首禮佛 諸說中第一我れは稽首して仏を礼す、諸説中の第一なりと。
とあり、八つの不とあるので八不はっぷ中道といわれる。いわゆる縁起・無自性・空を説くのである。あらゆる存在は、関係性に縁よって起こっている(縁起)のであるから、他から独立して本来備えているような真の性質である自性は無い(無自性)のである。故にそれは空くうとでも呼ぶしかないというのである。また「善く諸の戯論を滅」すとあるように、人間が言語によって思惟することの限界を突破した思想でもあった。
不常亦不斷
不一亦不異
不來亦不出
能說是因緣
善滅諸戲論
我稽首禮佛
諸說中第一
不生にして亦た不滅、
不常にして亦た不断、
不一にして亦た不異、
不来にして亦た不出なり
と、能く是の因縁を説きて、
善く諸の戯論を滅したまえば、
我れは稽首して仏を礼す、
諸説中の第一なりと。
不常亦不斷
不一亦不異
不來亦不出
能説是因縁
善滅諸戲論
我稽首禮佛
諸説中第一
不生にして亦た不滅、
不常にして亦た不断、
不一にして亦た不異、
不来にして亦た不出なり
と、能く是の因縁を説きて、
善く諸の戯論を滅したまえば、
我れは稽首して仏を礼す、
諸説中の第一なりと。
八つの不とあるので八不中道といわれる。
いわゆる縁起・無自性・空を説くのである。
あらゆる存在は、関係性に縁よって起こっている(縁起)のであるから、他から独立して本来備えているような真の性質である自性は無い(無自性)のである。故にそれは空とでも呼ぶしかないというのである。
また「善く諸の戯論を滅」すとあるように、人間が言語によって思惟することの限界を突破した思想でもあった。
聖ウンコ師には、耳の痛い言葉だろう
↓
八不中道の考え方を幸福の科学の真理価値に照らして説明すると、非常に理解がしやすいと思います。
「不生・不滅」生まれることなく、滅することのないもの、それが空です。
「不常・不断」常なるものでもなく、断ぜられるものでもない。
「不一・不異」いつなるものでもない、異なる(多様なる姿という意味)ものでもない。
「不来・不去」来るものでもなく、去るものでもない。
龍樹はこの八つの否定を通して現れる中道の境地を空の真髄とみました。
大川隆法総裁先生は簡単に説明されていますが、他の仏教関係の本でも、これほど簡潔に書かれた内容のものは、自分の知る範囲ではありません。
生まれることと、滅することとは対立する概念であり、「生き通しの命」という一言をもって止揚統一しています。これはものすごいことだと自分は思います。
物質世界の法則から離れ、霊的存在になることで自由性が増し、存在形式も変わります。現在の状態が継続して続くというわけではなく、死ねば終わりといった唯物的な考えも間違いです。
ヘラクレイトスが述べたように『変化』が真実であり、真理です。
その中の一人が地上に生まれ変わり、地上で経験した知識、智慧をグループ全員で共有することができます。
そして各人の心が霊的世界とつながっています。
物質世界にありながら、心は霊的世界という4次元以降の高次元世界に通じているといわれています。
肉体は物質世界の法則の中で生きていながら、心は霊的世界の法則に従って、いろんな霊的世界に通じてしまいます。
聖ウンコ師をしのぐ
デタラメな迷解説
大川総裁は結局、死ぬまで訂正せずに言い張り続けたのか?
>>486
> 天台智顗が、心は一念三千といわれたように、思いの方向性によって天国、地獄に通じてしまいます。
>
> 肉体は物質世界の法則の中で生きていながら、心は霊的世界の法則に従って、いろんな霊的世界に通じてしまいます。
「一念三千」は、私たち凡夫が成仏するための原理を示した変革の法理です。中国の天台大師(智顗)が、『摩訶止観』の中で説きました。
「一念」とは、私たち一人ひとりの瞬間瞬間の生命のことです。「三千」とは、「諸法」すなわち、すべてのものごと、あらゆる現象・はたらきをいいます。この一念に三千の諸法が具わっており、一念が三千の諸法に遍く広がることを説いたのが一念三千の法理です。
三千とは、十界互具と十如是、そして三世間を合わせて総合したものです(百界×十如是×三世間=三千)。十界と十如是と三世間という、それぞれ異なった角度から生命とその因果の法則をとらえた法理を総合し、私たちの生命と世界の全体観を示したものが一念三千です。
瞬間瞬間の自分の生命に、“無限の可能性”が秘められており、自身の一念が変われば自身を取り巻く環境も変わり、ついには世界をも変えていけるという希望と変革の原理が一念三千の法理です。
池田先生は、小説『人間革命』の主題を「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」と記しています。これは、一念三千の法理の意義を現代的に表現したものといえます。
特に「一念三千の法門は、ただ、法華経の本門、寿量品の文の底に沈めたり」という「開目抄」の一文は有名である。しかし、日蓮宗各派では、この一文は釈迦を本仏とするか日蓮を本仏とするかの論争の一点となっている。
したがって、現在、この一念三千を仏法の極理だとして盛んに宣揚しているのは、天台宗よりも日蓮宗系宗派が主である。特に日蓮正宗及び関連教団などは、一念三千という言葉を多用している。
天台宗よりも、日蓮宗系で好まれている
〘名〙仏語。人の平常持ち合わせている心に、三千という数に表現された全宇宙の事象が備わっているとする天台宗の基本的な教義。
四つのシャマタは本然の境地ではない。
https://i.imgur.com/7FP9PI4.jpg
https://i.imgur.com/b3M7Jz8.jpg
https://i.imgur.com/hdwks6o.jpg
https://i.imgur.com/KtmPmrc.jpg
https://i.imgur.com/UtyGphV.jpg
四つのシャマタは本然の境地ではない。
https://i.imgur.com/7FP9PI4.jpg
https://i.imgur.com/b3M7Jz8.jpg
https://i.imgur.com/hdwks6o.jpg
https://i.imgur.com/KtmPmrc.jpg
https://i.imgur.com/UtyGphV.jpg
特に無し
見るべき内容無し。
見るべき内容無し。
見るべき内容無し。
ポタ公の嫌がらせウザいな。
🧟
見るべき内容無し。
見るべき内容無し。
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